とある科学の永久機関 (弥宵)
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序章 ありきたりな落伍者と超越者 Level5.

 学園都市。

 それは東京西部を中心として都の三分の一にあたる面積を円形に囲い開発した、その一部を神奈川などの周辺県にまで及ばせる巨大都市である。

 その在り方は一種の鎖国国家とも言えるものであり、独自の発展を遂げたこの街においては余所では決して見られない光景が多数目撃される。

 

 一つ、総人口の八割を学生が占めていること。

 学園都市はその名の通り、まさしく学生を中心とした都市である。二三〇万人にも及ぶ住民の八割、実に一八四万人もの学生と、それに対応した数の教育施設が集約されている。

 

 一つ、科学技術が著しく進歩していること。

 学園都市内における技術レベルは、外部のそれと比べて二、三〇年もの開きがあるとされている。内部で開発された製品のダウングレード版が輸出されているが、それでさえ外の技術では再現困難な代物であるという。

 

 そして何より、この都市最大の特色と呼べるものといえば。

 

 ―――超能力。

 ファンタジーに出てくるような異能を科学的に実現するという荒業を、学園都市という魔窟は成し遂げていた。

 この街の学生のほぼ全て、すなわち総人口の八割近くが能力開発を受けており、強度(レベル)ごとに六段階に分けられている。

 大半は無能力者(レベル0)低能力者(レベル1)―――日常生活にも大して役立たない程度だが、高位の大能力者(レベル4)超能力者(レベル5)ともなればその戦力は一軍にさえ匹敵するという。

 

 となれば当然、それは一つのわかりやすい指標となる。

 強い者は優等生、弱い者は落ちこぼれ。学業やスポーツにさえ能力が絡むこの街では、能力の強弱こそが学生の優劣を決定する最大の要因なのだ。

 

 

 とはいえ。

 優れた能力者が必ずしも報われるのかというと、やはりそうもいかないものなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁぁぁぁー……」

 

 眼前に立つ少年が、これ見よがしに大きな溜息を零した。

 その余裕綽々といった態度が癇に障り、自然と視線が鋭さを増すのを自覚する。

 

「ふん、余裕ぶっていられるのも今の内だ。新たな段階へ到った僕の『弾性投射(バンジーリフト)』を目にすれば、そんな態度も取れなくなるんだからな」

 

 古町(ふるまち)荒野(こうや)は己が天才であると自負している。

 小学校入学と同時に学園都市を訪れ、初回の身体検査(システムスキャン)強能力者(レベル3)に認定。その後も順調に能力を伸ばし、弱冠九歳にして大能力者(レベル4)へと到達した。

 順当にいけば超能力者(レベル5)もそう遠くない、将来を嘱望されたエリート中のエリート。周囲からの評価はそのようなものだったし、彼自身も当然そうなるものだと思っていた。

 だが、彼の快進撃はそこで止まってしまう。そこから現在までの三年間、能力開発の進歩は微々たるものだった。そればかりか、担当の研究者には『これ以上の成長は見込めない』などと言われる始末。

 どれだけ価値を訴えようと、どれだけ努力を重ねようと、もはや興味を失ったと言わんばかりに事務的な答えしか返ってはこない。つい数年前は媚びるようにすり寄ってきていた間抜けな大人どもの目は、今やそこらの実験動物に向けるそれと大差ない。

 許容できるはずがなかった。絶対に見返してやらなければ気が済まなかった。肥大したプライドとは裏腹に、成果が上がる気配は一向になかったのだが。

 

 しかし。

 そんなふざけた現状を打破する手段を、とうとう彼は手に入れたのだ。

 

「ざまあみろ無能ども! 僕はお前らの想像を超えてやった、お前らの決めた限界の先に行ってやったぞ!」

 

 熱に浮かされたように捲し立てる古町を、しかし男は興味なさげに見ているだけだ。

 まあ、それでも別によかった。こいつがどこの誰だろうと、進化した能力の()()()()ができればそれで十分なのだ。

 

「僕が、僕こそが! この街で九人目の超能力者(レベル5)だ! そしてゆくゆくは第一位にまで登りつめて―――」

 

「いや、だからさ」

 

 一人語りも佳境に到った頃。

 これまで口上を聞き流すだけだった男が、初めて口を挟んだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「何を……………いや、まさか。まさか、まさかお前⁉︎」

 

 古町の顔に怪訝な表情が浮かび、続いて驚愕へと塗り替わる。真の天才には一歩劣れど十分に優秀な彼の頭脳は、即座に一つの可能性を導き出してしまった。

 こいつが超能力者(レベル5)にも匹敵する相手を前に余裕の態度を崩さなかったのは、こちらをガキと侮っていたからではなく―――

 

 

日輪(ひのわ)示現(しげん)。それとも学園都市第三位って名乗った方が良いか?」

 

 

 正真正銘の超能力者(レベル5)

 自分でさえ()()を使わなければ辿り着けなかった領域に、その身一つで平然と居座る怪物であったからなのだと。

 

(よりにもよって、初っ端からラスボスに当たるなんて……!)

 

 今の自分はトップクラスの能力者であると確信しているが、逆に言えば同じトップクラスである他の超能力者(レベル5)に圧勝できるとまでは思っていない。

 古町の顔から余裕と慢心が一気に剥がれ落ちた。対する日輪はというと、変わらず白けた目を向けるばかりだ。

 

「いや、逆にだ。逆に考えろ……むしろ良い機会じゃないか。僕の『弾性投射(バンジーリフト)』が超能力者(レベル5)にも通用するってことを、ここで証明してやる‼︎」

 

「えぇー……」

 

 内心の不安を押し殺し、端正ながら無気力そうな顔を一層気怠げに歪ませた日輪へと手を構える。今や超能力者(レベル5)相当の出力を誇る『弾性投射(バンジーリフト)』が、確かにその身体を捉え―――

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

「……………は?」

 

 しばしの間、理解が追いつかず呆然と立ち尽くしていた古町だったが、再起動するなり再び能力を発動させる。

 しかし結果は変わらない。能力は確かに発動しているはずなのに、目の前の相手を彼方へ吹き飛ばすだけの条件が揃っているのに、その解だけがどうしても現実に反映されない。

 

「動かな、なんで、どうして⁉︎」

 

「っつーかさぁ」

 

「っ……⁉︎」

 

 能力の不発。学園都市に住まう学生にとって、それは自らの自信の根源を完全否定されることに等しい。

 先程までとは一転して怯えを見せる古町に、一瞬でこの場を掌握した少年は無慈悲に宣告する。

 

「仮に、本当にお前が超能力者(レベル5)だったとしてだ。()()()()()()()()ってのは、流石にナメすぎだぞクソガキ」

 

「あ……あ……っ」

 

 日輪から感じる威圧が増す。寄る辺を失った古町は、もはや完全に萎縮しきっていた。

 

「大方『弾性エネルギーを生み出す能力』ってとこか。残念ながら、それじゃあ超能力者(レベル5)でもまだ俺の下位互換だな」

 

「かい、ごかん……?」

 

 その言葉で、古町は悟ってしまった。

 仮にも大能力者(レベル4)の有望株を、あの研究者があっさりと切り捨てた理由。それは能力開発に行き詰まっていたからというだけではなく、既に完全上位互換たる超能力者(レベル5)が存在していたからなのだと。

 

「まああれだ、次は絶対能力者(レベル6)でも目指せば良いんじゃねえの? そこまで行けば俺にも勝てるようになるかもな」

 

「うぁ、」

 

「何事も継続さ。せいぜい地道に頑張れよ後輩くん」

 

「あ、あァァァああああああああああああああああああああああ‼︎」

 

 自分の心が折れる音が、古町には確かに聞こえた。

 

 

 

 

 

「やーっと逃げやがったか」

 

 脱兎のように走り去る影から視線を切り、日輪示現は溜息を零した。

 小学生やそこらのガキにああも怯えられるとまるでこっちが悪いように思えてくるが、普通に考えて悪いのは向こうなので気にする必要はないだろう。手を上げていないだけ有情とさえ言える。

 何せ、今のように絡まれるのは実に本日五回目なのである。対応が多少雑になるのも致し方ないというものだ。

 

「いくらなんでも、こんな状況(モン)が自然に起こったとは考えにくいよなあ……」

 

 不幸の星の下に生まれついた訳でもあるまいし、偶発的なエンカウントにしては度が過ぎている。

 ここ第一八学区が不良の溜り場である第一〇学区と隣接していることを鑑みても、いくらなんでも馬鹿が多すぎる。流石に超能力者(レベル5)級なんてのは最後の一人だけだったが。

 

 何にせよ、雑魚が次々に絡んできたのには―――より正確に言えば、彼らの増長の原因である能力の強化には明確な理由があった。

 

「『幻想御手(レベルアッパー)』ねぇ」

 

 確か、二番目くらいに絡んできたやつがそんな名前を口にしていた。胡散臭いことこの上ないが、名称通りの効果ならばこれが元凶で間違いないだろう。

 ネットで適当に検索してみると、それらしき噂がいくつか見つかった。

 

「ふんふんふん。現物なしじゃ詳細はわからねえが……まあ暗部絡みだわな」

 

 ここ最近、書庫(バンク)上の表記に見合わない強度(レベル)の能力者による事件が多発している。これらも先程絡んできた連中と根は同じ、『幻想御手(レベルアッパー)』の使用者によるものなのだろう。

 これが意図的であるにしろそうでないにしろ、黒幕はこうした二次被害を些事と切り捨てるだけの目的があって動いていることは間違いない。そうまでしても達成すべき目標があるのか、単に気にしていないだけなのかまでは知らないが。

 

「あー……あれだ。うん、とりあえずだ」

 

 関わることのリスクとリターン、放置した場合の周辺被害、黒幕の意図や動機、それらをざっと思い浮かべて。

 

 

「面倒臭せえな。とっとと潰しとくか」

 

 

 学園都市第三位。この街に八人しかいない、最強の怪物の三番目。

永久機関(メビウスリング)』日輪示現は、あくまで軽い調子でそう呟いた。




弾性投射(バンジーリフト)
座標、方向を指定して弾性エネルギーを発生させる能力。指定座標に存在する物体は指定した方向へと跳ね飛ばされ、反復運動を強制される。
本来の大能力者(レベル4)では能力者を中心に半径十メートルが有効範囲だったが、『幻想御手(レベルアッパー)』により半径三十メートルにまで射程が延長。発生させられるエネルギーの大きさも五倍近くにまで膨れ上がった。


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第一章 退屈なる大事件 Graviton.

あけましておめでとうございます。


 面倒だからとっとと潰そう。

 そう思い立ったは良いものの、別段『幻想御手(レベルアッパー)』について何かしらの手掛かりを持っている訳でもない。何とも間の悪いことにあれ以降絡んでくる馬鹿も現れず、あてにしていた情報通の知り合いも仕事にかかりきりだという。そもそもの行動理由が私情のため『裏』の情報網も大っぴらには使えない。

 そんな訳で普通にお手上げだった。

 

「手掛かり手掛かり降ってこーい」

 

 すっかりやる気を削がれつつもぼんやりと歩いていると、道を行き交う学生の数が増えていることにふと気づいた。

 どうやら、適当に進むうちにいつの間にか第七学区に差し掛かっていたようだ。

 

「こんなとこまで来てたのか」

 

 特に目的地もなく彷徨いていただけなので引き返してもいいのだが、せっかく来たのに何もせず帰るのももったいない気がする。

 幸い、第七学区は学生が一際多い区域だ。噂話レベルの情報ならば腐るほど転がっているだろうし、一つこの辺りで調査でもしてみようかと思い立つ。

 

「となると、さてどこへ向かったもんかね」

 

 第七学区は自宅のある第一八学区と隣接はしているが、そう頻繁に訪れることもないため地理にはあまり詳しくない。

 やっぱり適当に歩くしかないかと日輪が結論を出しかけた時、高層ビルの巨大スクリーンに流れている報道番組が目に留まった。

 

 虚空爆破(グラビトン)事件。一週間ほど前から立て続けに起こっている連続爆破事件とのことだが、不可思議な点が多数見受けられ捜査は難航しているようだ。

 

「使われた能力は『量子変速(シンクロトロン)』。大能力者(レベル4)は一人だけで、しかも昏睡中ときた」

 

 手持ちの端末と日輪の技術でハッキングできる範囲でも、事件の概要くらいは掴むことができた。

 結果はほぼほぼクロ。『幻想御手(レベルアッパー)』が関わっている可能性はかなり高いといえるだろう。

 

「十中八九当たりだな。被害者の傾向からしてこいつの狙いは……ん?」

 

 考察を進める間も適当に街をぶらついていた日輪だったが、セブンスミストなる洋服店の前でふと見知った顔を視界に捉えた。と言っても面識がある訳ではなく、こちらが一方的に顔と名前を把握しているだけだが。

 

 学園都市第四位、『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴。この学園都市で最も有名と言っても過言ではない超能力者だ。

 名門常盤台中学のエース。弱能力者(レベル1)から超能力者(レベル5)にまで登り詰めたサクセスストーリーの体現者。電撃使い(エレクトロマスター)という身近で親しみやすい能力。それらの要因から、彼女は学園都市の看板として扱われているためだ。

 

(()()()()()()()()()()()()()って辺り、察するヤツもいそうなもんだがね)

 

 友人と思しき同年代の少女達と談笑している様子は、紛れもなく中学生の少女の姿そのものだ。

 表の世界に、光の中に生きる少女の。

 

 その光景に、日輪は特に思うところはない。

 そもそも彼女と自分には何の関わりもないのだから、進む道が違うなど当然のこと。その先がたまたま表と裏に分かれていただけに過ぎないのだ。

 

(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……まあそんなことより)

 

 益体のない思考をそこで打ち切る。第四位もいいが、今はその隣にいる少女の方が問題だ。

 より正確には、その少女の左腕に巻かれている腕章が、であるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初春飾利は風紀委員(ジャッジメント)である。

 風紀委員(ジャッジメント)とは学生による治安維持組織であり、主に学内で発生した問題の取り締まりを行っている。危険度の高い案件には警備員(アンチスキル)があたるとはいえ、最も能力者が密集する場所である学校での秩序維持に高い能力が求められることは言うまでもない。

 正式に加入するには九枚の契約書へのサインと一三種の適正試験と四ヶ月に及ぶ研修が必要となり、さらにその活動は完全なボランティア。実力と性格の双方に秀でた一握りの学生にしか務まらないし務めたがらない名誉職なのである。

 

 とはいえ、そういった一握りの物好きである風紀委員(ジャッジメント)とて今時の学生であることには変わりない。思春期真っ盛り、箸が転んでもおかしい年頃である。

 そんな乙女初春に向けて、クラスメイトの佐天涙子は言い放った。

 

『初春ってさ、最近女を捨ててるよね』

 

 やってやりますよぉ‼︎ と一念発起した初春は、早速その日の放課後に洋服を買いに出ていた。焚きつけた張本人である佐天、道中でばったり出会った御坂美琴と連れ立ってセブンスミストへ向かうことに。

 

「初春、こんなのどう?」

 

「はい⁉︎ 無理無理無理ですそんなの穿ける訳ないじゃないですか!」

 

「これならあたしにスカートめくられても堂々と周りに見せつけられるんじゃない?」

 

「見せないしめくらないでくださいっ‼︎」

 

 佐天に紐パンを薦められたり、パジャマ談義に興じたり、水着を見て回ったり、先日知り合った女の子と再会したり。

 汚名返上と言わんばかりに、いかにも女子力の高い(?)ひとときを過ごしていた初春の元に、携帯電話の着信を告げるアラームが鳴った。名前を確認すると、同僚の白井黒子からのようだ。

 

「はい、もしもし」

 

『初春っ‼︎ 今どこにいるんですのっ⁉︎』

 

 白井の予想外の剣幕にたじろぐ初春。何をそんなに慌てているのかという疑問は、続く言葉によって解消される。

 

虚空爆破(グラビトン)事件の続報ですの! 衛星が重力子の爆発的加速を観測しましてよ』

 

 世間を騒がせている連続爆破事件、それがまたしても起ころうとしているという。となれば、風紀委員(ジャッジメント)として動かないという選択肢はない。

 

「か、観測地点は?」

 

『第七学区の洋服店「セブンスミスト」ですの!』

 

 セブンスミスト。

 それは、今まさに自分達のいるこの店の名前だったはずだ。

 

「私、今ちょうどそこにいます!」

 

『何ですって⁉︎ 初は―――』

 

「御坂さん!」

 

 白井はまだ何か言っているようだが、一刻も早く避難を済ませなければならない。近くにいた美琴に協力を要請し、どうにか来客の避難誘導を進めていく。

 

 

「ふう、とりあえずこれで全員……」

 

 目につく限りの来客や店員の避難を済ませ、ようやく人心地ついた様子の美琴。初春も一安心といったところだが、念のため最終確認をしておく必要がある。

 

「おい、あの子は?」

 

「は? まだ戻ってなかったの⁉︎」

 

 美琴と高校生くらいの少年が何やら話しているようだったが、その前に依然収まりを見せない白井の剣幕に対応することに。

 

『初春っ! 初春聞きなさい!』

 

「今、全員避難したか確認を―――」

 

『今すぐそこを離れなさい‼︎』

 

 聞けば、過去八件の事件に共通点が見つかったのだという。いずれの事件においても、負傷者の中に風紀委員(ジャッジメント)が含まれているというのだ。

 

 

『犯人の真の狙いは観測地点周辺にいる風紀委員(ジャッジメント)! 今回のターゲットはあなたですのよ初春‼︎』

 

 

 その言葉の意味を噛み砕くより早く、状況はさらなる加速を見せる。

 

「おねーちゃん、これ!」

 

 少女が初春の元へ駆け寄ってくる。

 その腕に、大きなカエルのぬいぐるみを抱えて。

 

「メガネのおにーちゃんがわたしてって」

 

「? これは……」

 

 ここで事件の概要について確認しておく。

 虚空爆破(グラビトン)事件の犯人は、『量子変速(シンクロトロン)』の基点となるアルミ製のスプーンや缶を別の物体の中に隠して破裂させている。

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「―――ま、さか」

 

 ニヤリ、とどこかで誰かが口元を歪ませた。

 視認はできずとも、重力子の加速は着実に進んでいる。

 少女の抱えていたぬいぐるみがとうとう初春(ターゲット)の手に渡り、その異常が目視できるほどに現出する刹那。

 

 

「あ、それちょっと貸りるぞ」

 

 

 ひょい、と。

 腕に抱えていたぬいぐるみが、いきなり横から取り上げられた。

 

「え、あっちょっ⁉︎」

 

 慌てて振り返ると、そこにいたのは見知らぬ少年。歳は高校生くらいだろうか、初春よりは上に見える。

 

「どーも、通りすがりの超能力者(レベル5)です」

 

 本気なのか冗談なのかわからない、無気力そうなポーカーフェイスでそんなことを宣う少年。しばし呆気に取られていた初春だったが、すぐにそんな場合ではないと思い出す。

 

「あ、あの! ここで例の虚空爆破(グラビトン)事件の前兆が確認されていますので、速やかに避難を!」

 

「知ってる。だからこうして、わざわざ爆弾処理しに出てきたんだが」

 

 言いつつ、ぬいぐるみの中に手を突っ込んでまさぐり始める少年。

 

「スプーンねえ……ま、こいつが『芯』で間違いねえだろ」

 

「き、危険ですから! 早くそれを捨てて避難してください!」

 

 言い募る初春に、少年は薄っすらと苦笑を浮かべた。

 

「あー大丈夫大丈夫、俺が()()()()から。第二位とか第八位でもなきゃまず破れねえよ」

 

「止め……?」

 

 その台詞の意味は完全には理解できなかったが、どうやら彼の能力で爆発を封じているらしいということは読み取れた。

 ……とりあえず、危機は去った、ということで良いのだろうか?

 ぬるま湯のような空気が場を満たす。被害が出なかったことは喜ぶべきなのだが、どうにも腑に落ちない決着だった。

 

「……アンタ、何者?」

 

 そして。

 この場の全員が少なからず抱いていた疑問を、代表して投げかけたのは美琴だった。

 重力子の加速は衛星でこそ確認されたが、まだその影響を視認できる段階には至っていなかった。ぬいぐるみの中などに仕込まれているという情報があったにせよ、それだけで爆弾を特定するなど現実的ではない。まして、それを爆発前に抑え込んだともなれば。

 同系統の能力者ならば可能かもしれないが、『量子変速(シンクロトロン)』は高位能力者が一人しかいない能力だ。だからこそ虚空爆破(グラビトン)事件の捜査は難航していた訳であるのだし。

 

「さっきも言ったろ。通りすがりの超能力者(レベル5)だって」

 

「ふざけてんの?」

 

「何一つ嘘は言ってないんだがなぁ」

 

 手にしたスプーンを弄びながら、少年は苦笑を深めつつ名乗りを上げる。

 

「日輪示現。学園都市第三位『永久機関(メビウスリング)』だよ、第四位(こうはい)



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第二章 あまりに遠い一歩の距離 MöbiusRing.

説明回。どうにも冗長になっていけませんね……かといって削るのも躊躇われるので難しいところです。


「どうして爆発しない⁉︎」

 

 セブンスミスト付近の路地裏で、介旅初矢は苛立ちを募らせていた。

 

「制御にミスはなかった……素材(アルミ)だっていつも通りだ……誰かが邪魔したのか?」

 

 介旅の『量子変速(シンクロトロン)』は元々は異能力者(レベル2)。爆弾と言ってもせいぜい虚仮威しにしかならず、直接フォークで目でも突き刺した方がよほど殺傷力が高かった。

 それが()()()()を使い始めて以来劇的な成長を見せ、今や大能力者(レベル4)の中でも上位の出力を誇るまでになっていた。

 前兆がわかりやすいこともあってこれまでは重傷が関の山だったが、今回こそは死人が出るほどの威力を発揮できる。そう確信していたのだ。

 

 だというのに、ここにきての不発。こちらに手落ちがなかった以上、何者かの邪魔が入ったとしか考えられなかった。

 

「くそっ‼︎ 次だ、次こそは風紀委員(ジャッジメント)の無能どもをぶち殺してやる‼︎」

 

「何だおい、一人でそんなに盛り上がって。随分と楽しそうじゃねえかよ?」

 

「……………あ?」

 

 やり場のない怒りをアスファルトへ発散していると、唐突に背後から声がかかる。

 振り返った先に立っていた少年の手には、見覚えのあるスプーンが握られていた。

 

「お前、か」

 

 自分の完璧な計画を狂わされた。

 恐らくは、その元凶。

 

「お前か! 僕の邪魔をしたのはァァァああああああ‼︎」

 

 それを認識した瞬間、介旅は激昂した。

 本当に邪魔をした本人であるならこの男は己の能力に軽々と対処できることになるのだが、怒り狂った介旅は思い至らない。

 

「何つーか、まあ。小物だとは思っちゃいたが、ここまでくると逆に清々しいよな」

 

 介旅が懐からスプーンを取り出す様子を、日輪は止めもせずに眺めている。アルミを爆弾に変える『量子変速(シンクロトロン)』を前に、その行為がどういう意味を持つかなどわかりきっているというのに。

 

「死ねぇっ‼︎」

 

 爆発寸前となったスプーンを握りしめ、大きく振りかぶる。そのまま目の前の邪魔者を抹殺せんと力強く投げ放ち、

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ぐ、っえぁ! なん……⁉︎」

 

「ほら手元手元」

 

「っ、ひぃっ‼︎」

 

 呆ける暇もなく、爆弾が手元に残っていることを指摘され慌てて飛び退く介旅。

 そして直後、さらなる異常がこの空間を支配する。

 

「爆発……しない……?」

 

 爆発寸前だったスプーンが、その状態を維持したままで留まっていたのだ。

 位置もまた同じく、先程手を離した地点から動くことなく空中に浮いている。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前の『量子変速(シンクロトロン)』は、俺の『永久機関(メビウスリング)』にどこまで対応できるかな?」

 

「……………は?」

 

 一体、目の前で何が起こっているのか。日輪の発した言葉を拾ってもなお、介旅には見当もつかなかった。

 だが確実にわかるのは、この男には自分の能力がまるで通用していないということだ。

 

「だ、誰か!」

 

 ここにきて勝ち目がないことを悟ったのか、介旅は突如喚き声を上げ始めた。

 

「誰か来い! おい風紀委員(ジャッジメント)! 早く来い、僕を助けろよ‼︎」

 

 錯乱して叫び続けるが、その声に応える者は一向に現れない。

 

「くそっ! あいつらはいつもそうだ……! この僕が襲われてるっていうのに、毎度毎度遅れて来やがって!」

 

「そりゃそうだろ。お前が起こした事件の後始末に追われてんだから」

 

 一連の事件ではただでさえ多数の負傷者が出ており、人手が不足しているのだ。今回は未遂に終わったとはいえ、路地裏の見回りなどよりも優先すべき事案であることは間違いない。

 

「来るのが遅いとか文句言っといて、自分からその手助けをしてる辺り滑稽っちゃあ滑稽だが。まあ、そんなことはどうだっていいんだよ」

 

 喚く介旅を呆れたように見ていた日輪だったが、こんなことに時間を費すのも馬鹿らしいと本題へ入る。

 

「『幻想御手(レベルアッパー)』。こいつについて知ってること洗いざらい吐け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、あの場にはたまたま通りかかったと」

 

「ん」

 

「そしてたまたま重力子の加速を知覚できる能力を持っていて」

 

「ん」

 

「たまたま貴方が超能力者(レベル5)だったから成り行きで解決したと」

 

「ん」

 

「ナメてやがりますの?」

 

「実際そうとしか言えないんだが……」

 

 爆弾を処理し犯人を捕縛した日輪は、現場へ駆けつけた白井黒子に事情聴取を受けていた。当然ながら正式な聴取は警備員(アンチスキル)が行うため、あくまで空き時間を利用した個人的なものだが。

 

「同僚の危ないところを助けてくださったそうですし、もちろん一個人としてはお礼を申し上げますの。ですがそれはそれとして、超能力者(レベル5)とはいえ一般の方が事件に関わるのはなるべく避けてくださいまし」

 

「随分とまあ仕事熱心だな。とりあえず今回は、わざわざ後手に回ってやる必要もなかったと納得しといてくれんかね」

 

「そう言われてしまうと、まあその通りではあるのですけれど」

 

 実際、現場にいた風紀委員(ジャッジメント)が戦闘力に乏しい初春だけだった以上、増援を待っていては余計な手間や被害が生まれた可能性は否めない。それにどのみち、日輪が手を出さずとも他の一般人(お姉様)が黙っていなかっただろうし。

 

(それにしても、この方が第三位……お姉様よりもさらに上位の超能力者(レベル5)という割には、些か覇気に欠ける殿方ですわね)

 

 白井は改めて眼前の男を見遣る。

 顔立ちは割と整っているが、無気力そうな仏頂面と気怠げな雰囲気のせいか強者の風格などは全くと言っていいほど感じられない。その辺のチンピラの方が迫力があるとすら思えるほどだ。

 言い換えれば究極のマイペースということなので、変人という意味では超能力者(レベル5)に相応しいのかもしれないが。

 

「ともあれ、この度はご助力ありがとうございました。先程も申し上げましたが、これはわたくし個人の言葉ということにしてくださいまし」

 

「ん、了解了解」

 

 本当にわかっているのか不安になるような棒読みの返答だったが、生憎とこれがデフォルトである。基本的に日輪はローテンションのダウナー系なのだ。

 

「そんじゃ、俺は警備員(アンチスキル)の方に行ってくるから」

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 立ち去ろうとした日輪を呼び止めたのは、第四位こと御坂美琴だ。先程までツンツン頭の少年と話していたが、そちらは一段落ついたようだ。

 

「よっ、どしたんミコっちゃん?」

 

「ノリ軽いし馴れ馴れしいってのチャラ男かアンタは‼︎」

 

 気さくに挨拶してみたところ、何故か怒鳴られてしまった。これが近頃のキレやすい若者というやつだろうか。

 

「そんで何よ。サインでも欲しいのか?」

 

「要るかっ‼︎」

 

 日輪の精一杯のファンサービスをあっさり突っぱねる美琴。まあ有名人という意味では、むしろ美琴のサインの方が価値は高いだろうが。

 

「ったく―――まずは、私からもお礼を言っておくわ。初春さんを守ってくれたこと」

 

「はいどういたしまして。そんで本題は?」

 

 別に感謝されて悪い気はしないが、そんなことより話を進めてほしい日輪である。

 

「……はあ。察しはついてんでしょ? アンタの能力のことよ」

 

 根底にあるのは好奇心か、あるいは対抗心か。

 第三位と第四位、序列の差はたった一つ。だが先程の一幕、日輪は間に合い美琴は間に合わなかった。

 それは本当に、偶然や相性で片付けられる差なのか? あるいはもっと根本的な、別の要因があったというのか。

 そこをはっきりさせないことには、美琴は気が済みそうになかった。

 

「んー、まあいいか。まずはそっちの推理を聞こうかね」

 

 日輪としても、その気持ちはわからないでもない。特に第二位に関しては、過去に一悶着あったことも手伝ってかなり対抗意識を燃やしていると言える。

 能力の詳細は多少の機密事項だったりもするが、日輪としてはそこまで秘匿にこだわる意義も感じない。暇潰しのネタになるなら使い道としては十分だった。

 

「学園都市第三位『永久機関(メビウスリング)』。名前からしてエネルギー保存系の能力だとは思ってたけど、アンタのそれは桁が違う」

 

「ほうほう。その心は?」

 

 促され、美琴は自身の出した結論を述べる。

 

「『エネルギー総量の完全保存』。どう、間違ってる?」

 

 その答えを聞いて、日輪はもどかしそうに眉根を寄せた。

 

「惜しいな。うん、かなり惜しい」

 

 核心をついてはいるのだ。ただ少しだけ、ほんの少しだけスケールを見誤っているが。

 ここまで正解に迫ったのなら、褒美代わりに教えてやってもいいだろうと日輪は答えを口にする。

 

「エネルギーの総量だけじゃない。俺の能力は『物理量の完全保存』だ」

 

 より厳密な定義は『エネルギーの総量および変化量の固定』。すなわち質量や速度、加速度、熱量、電気量などの値を一定に保つ能力である。

 系統としては定温保存(サーマルハンド)絶対等速(イコールスピード)の直接的な上位互換であり、ほぼ全ての物理現象を()()()()()()()()()()()という名前通りの代物(永久機関)なのだ。

 

 説明を受けた二人の反応は対照的だった。

 

「―――――! 何よそれっ……⁉︎」

 

「は、はあ……?」

 

 美琴は戦慄。

 白井は困惑。

 

「お姉様? どうかされましたの?」

 

「黒子、わからない? こいつの言ってることがどれだけヤバいのか」

 

「ええと、工業的な価値の高さは察せますけれど……」

 

 美琴の驚きぶりが腑に落ちない様子の白井。

 超能力者(レベル5)の序列は実力順という訳ではなく、工業的な利用価値の高さによって定められる。その点から見れば高位に位置づけられるのは頷けるが、()()美琴が戦慄するほど強力な能力だとは思えなかった。

 

「レベルが低ければ確かに大したことないけどね。でも、これが超能力者(レベル5)の演算力と干渉力で振るわれるんなら話は別」

 

 日輪を一瞥して自分で答える気がないことを見て取ると、美琴は白井の方へ向き直った。

 

精神感応(テレパス)系なんかは微妙だけど、私達の能力は基本的に物理現象でしょ。それを一定に保つっていうのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことなのよ」

 

「……………っ⁉︎」

 

 美琴の語る推測に、白井もまた息を呑む。

 本当にそんなことが可能ならば確かに反則的だ。何せ、同じ超能力者(レベル5)であるはずの美琴が完封される可能性すらあるのだから。

 

 そして美琴の言の通り、この能力は他の能力に比べ演算力の影響を一際大きく受ける。同時に複数の物理量へ干渉できなければ、異なる系統の能力者で囲むだけで簡単に攻略できるからだ。

 頂点たる超能力者(レベル5)だからこそ、『永久機関(メビウスリング)』は凶悪な性能を発揮するといえる。

 

「これで第三位とか、上の二人はどんだけヤバいってのよ」

 

 第四位として相応の自負がある美琴だが、たった一つの差の大きさに少なからず衝撃を受けていた。

 

「あーうん、まあ大体そんな感じだ。解説ご苦労さん」

 

「アンタねぇ……」

 

 対する日輪は平常運転である。あまりの適当さに気が抜け、同時に戦慄とか畏怖とかそういうのも引っ込んでしまった美琴。

 

「実のところ、そこまで万能って訳でもないけどな。何にでも使えるが何でもはできないのさ」

 

永久機関(メビウスリング)』はあくまで物理量を保存・固定するだけであり、好きに操作できる訳ではない。組み合わせ次第で間接的に操ることは可能だが、それにどれほどの演算が必要かは推して知るべしといったところか。

 

「ああそうだ、レベルといえば。今回の犯人はいくつだったんだ? 高位の『量子変速(シンクロトロン)』は一人だけって聞いたが、多分()()のことじゃねえだろ?」

 

 ふと思い出したように、日輪は白井へと問いかけた。白井もその内容に思うところがあったのか、腑に落ちない様子で答えを返す。

 

「―――最後の身体検査(システムスキャン)時点では異能力者(レベル2)だったようですの」

 

「えっ、爆発の規模は大能力者(レベル4)並って話でしょ? この短期間で伸びたってのは流石に無理があるわよね」

 

「明らかに『書庫(バンク)』とズレがあるな。そういや、能力を強化する『幻想御手(レベルアッパー)』なんて噂があったが」

 

 日輪がややぼかして伝えた真相への手がかりに、思い当たる節があった美琴が反応を示した。

 

「そういえば佐天さんがそんな話をしてたような……」

 

「眉唾ですけれど、まさかそれが……?」

 

 所詮は噂話とはいえ、不可解な現状に説明をつけられる代物とあっては無視もできない。

 

「念のため、一度調べてみる必要がありますわね」

 

「おっ、頑張れ風紀委員(ジャッジメント)。しがない一般市民の俺はのほほんと日常を謳歌してるから」

 

「言い分はごもっともですけれど、面と向かって言われるとイラッときますわね……!」

 

「おーこわ」

 

 青筋が浮かぶ一歩手前くらいの形相となった白井から逃れるように、日輪は警備員(アンチスキル)の元へと退散する。そろそろ自分の事情聴取も始まる頃合だ。

 

(よし、こんだけ誘導しときゃ十分だろ)

 

 日輪は内心で小さくガッツポーズを取っていた。

 わざわざこんな話題を振ったのは、二人に『幻想御手(レベルアッパー)』のことを早々に意識させるためだ。

 

 介旅から得られた情報で、『幻想御手(レベルアッパー)』の大まかな仕組みは理解できた。同時に、この件は大して深い『闇』ではないと確信した。

 何せやり方が()()()()。暗部と呼ぶには綺麗すぎる手合だ。この程度ならば日輪が手を出すまでもなく、勝手にそこらの連中に敗れ去って淘汰されていくだろう。

 

 そんな訳で、日輪は美琴達(そこらの連中)に黒幕への対処をぶん投げようとしているのだった。

 日輪は別に自身の手で黒幕を捕えたい訳ではなく、絡んでくる馬鹿が減ればそれでいいのだ。第二位や『木原』でも出てこない限り、『超電磁砲(レールガン)』がそうそう遅れを取ることもないだろうし。

 

(頑張ってくれよ、いやマジで。俺の安寧がどれだけ早く訪れるかはお前らにかかってる)

 

 年下の少女に割と最低な祈りを捧げながら、日輪は警備員(アンチスキル)の元へと向かっていった。



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第三章 幻想より出づる妄念 AIM_Burst.

 穏やかな昼下がりだった。

 

「はぁ」

 

幻想御手(レベルアッパー)』にまつわる一連の騒動は、『超電磁砲(レールガン)』御坂美琴らが解決に乗り出したことで順調に終息へと向かっている。これ以上日輪の出る幕はない。

 後はただ待つだけで事件は解決、路上での面倒な絡みも減って一件落着。

 

 

 ―――と、そのはずだったのだが。

 

「なーんでこうなるんかねぇ……」

 

 今の日輪はいつにも増してローテンションだった。というのも、あれから数日後に『仲介役』の男から連絡が入ったからだ。

 その内容を要約すると、『お前最近「幻想御手(レベルアッパー)」のこと探ってたみたいじゃん? ちょうどいいから潰しといて』である。

 

「あの野郎、今度会ったら頭皮の血流『固定』してハゲさせてやる」

 

 放っておいてもじきに解決するのに、と恨み言を零す日輪。かといって、職務放棄(ボイコット)でもしようものならどんな埋め合わせを要求されるか知れたものではない。

 

「まーまー、()()()()()()()を大したことないなんて言えるのはきみたちくらいなんだし。わざわざぼくときみにお声がかかるだけのことはあるってことだよ」

 

「そうは言ったってなあ、第四位がいるんだぞ? 戦力的にはそれで十分だろ」

 

 隣から掛けられた声に普段の五割増しの無気力さで返す。予想通りの返答に、声の主である一五歳ほどの黒髪ポニテ少女―――潮凪(しおなぎ)来瀬(くるせ)は苦笑して肩をすくめた。

 暗部組織『ユニット』。それがこの二人を結びつける場の名前だった。

 正規構成員は他にもいるが、そちらは別件に駆り出されており今回の仕事には参加していない。

 

 日輪のぼやきをいつものことと流しつつ、潮凪はあっさりと結論を告げる。

 

「なら話は簡単なんじゃない? 上は()()()()()()()()()()()()()()ってだけのことでしょ」

 

「だから面倒臭せえんだっての……どう考えても後々まで尾を引いてくるヤツじゃねえか」

 

 学園都市統括理事長アレイスター=クロウリーが推し進める『計画(プラン)』は、この街で発生したあらゆる事態を組み込み利用して前進していくという代物だ。おそらく今回もその例に漏れず、日輪達を動かすことで何らかの進展を目論んでいるのだろう。

 

「この際、俺を利用すること自体は別にどうでもいい。だけどな、その過程でどれだけの厄介事に出くわすかと思うとやってられんよ」

 

「あー、うん。頑張れっ」

 

「お前も巻き添えに決まってんだろ」

 

「えー」

 

 軽口を叩きながら、二人は道路を無視して一直線に空を進んでいく。能力で高度と移動速度を固定するだけのお手軽飛行だ。

 

「んで、敵さんは木山春生……大脳生理学者だっけか?まあ妥当っちゃ妥当なラインなんだろうが」

 

 既に『幻想御手(レベルアッパー)』の正体に行き着いていた日輪にとって、その情報は特に意外性を感じるものではなかった。むしろ順当すぎて罠を疑ったほどだ。

 頷きを返し、潮凪は自身の推測を語る。

 

「目的は一万人分の演算能力そのものってところかな? この人、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の使用申請を何度も取り下げられてるみたいだし」

 

「そんなとこだろうな。つっても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 万の頭脳、万の能力。数にしてみれば大層なものに聞こえるが、その大部分は無能力者(レベル0)低能力者(レベル1)。全て足し合わせても超能力者(レベル5)一人分にすら満たないだろう。

 そして、能力者の戦いにおいて演算力の差は純粋な地力の差。最も単純かつ明確な格の違いを表しているのだ。

 

「理論云々以前に、まず絶対量がないことにはな。一万と言わず五〇万くらい集めてようやくスタートラインってとこだろ」

 

「そうならないうちに叩いとけってことなんじゃない?」

 

「それもそうか」

 

 話しているうちに目的地が見え始めた。木山の姿は確認できたが、どうやら既に美琴に倒された後らしい。

 その代わりというか何というか、半透明の肉塊のような化物が雄叫びを上げながらどこかへ突き進んでいるが。

 

「さーて、とっくにボス戦が終わってるって部分はひとまず置いとくとしてだ。……何あれ?」

 

「えーと……能力、というかAIM拡散力場の集合体だね。あれじゃない、虚数学区? ってやつ?」

 

 謎の巨獣の真上に陣取り、潮凪が()()()()を端的に伝える。

組成解析(アナリティックヴィジョン)』。目視した対象の構成要素や状態を瞬時に把握する能力である。肉眼で視る必要があるため距離が開くほど精度が落ちるが、これだけわかれば日輪にとっては十分だ。

 

「名付けて『幻想猛獣(AIMバースト)』ってところかな。体内に核があるけど、それを壊しただけで倒せるかは微妙だね」

 

「おーけー把握。なんか進路上に原子炉あるっぽいし、これ以上好きにさせるのも面倒だ。とっとと行って終わらせてくる」

 

「いってらっしゃーい」

 

 一万人の能力の結晶たる『幻想猛獣(AIMバースト)』。それを眼前に捉えても、日輪は普段通りの無気力そうな調子を崩さない。

 暢気に手を振る潮凪に見送られながら、日輪は怪物の直上五〇メートルから垂直落下していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如として現れた怪物に、御坂美琴は殊の外手を焼いていた。

 何せこの化物、吹き飛ばしても再生するのだ。流石に無尽蔵ではないにせよ、このままでは埒があかないのも事実。かといって最大火力で押し切ろうとすれば周辺被害が馬鹿にならない。

 

 そうこう悩んでいるうちに、『幻想猛獣(AIMバースト)』が新たな動きを見せた。ゆっくりとどこかへ向かい始めている―――実際にどこを目指しているのかは定かではないが、その方角には原子力実験炉が存在していた。

 

「ええい、やるしかないか……!」

 

 もはや躊躇っている場合ではなかった。万一原子炉に辿り着かれれば大惨事になることは目に見えている。

 自身の代名詞たる『超電磁砲(レールガン)』を解き放つことも視野に入れ、改めて怪物に攻撃を仕掛けようとした美琴だったが―――

 

 

「そいやー」

 

 

 手始めにと雷撃の槍が放たれる寸前。

 気の抜けるような掛け声とともに上空から降ってきた日輪が()()()()()()()()()()()()()()()()()、ッッッドンッ‼︎ という轟音とともに地面へと着弾した。

 

「ア、アンタ……!」

 

「んー、核は完全にぶち抜いたはずだが……まーだ再生するか。やっぱネットワークの方を解体しなきゃダメかねこいつは」

 

 瞠目する美琴を余所に、一人考察に耽る日輪。

 修復に手間取ってはいるようだが、それでも徐々に元の姿を取り戻している。完全に仕留めるには一撃で消し飛ばすか、基盤となっているネットワークを分解するほかないだろう。

 

 だが、日輪の『永久機関(メビウスリング)』では前者の手段は取りにくい。『物理量を一定に保つ』この能力は、()()()()エネルギーを集約するという行為に致命的に向いていないのだ。

 

「となるとやっぱアレかねえ」

 

「ちょっと、ちょっとアンタ!」

 

「あん?」

 

 勝手に自己完結している日輪に業を煮やしたのか、やや乱暴に呼び止める美琴。

 

「何でアンタがここにいるのよ?」

 

「あんなのが原子炉向かってたら止めるだろ普通」

 

「そうじゃなくて、『幻想御手(レベルアッパー)』の件には関わらないんじゃなかった訳?」

 

「俺もそうしたかったんだけどなあ」

 

 要領を得ない返答だが、状況が状況なだけに追及する時間も惜しい。

 

「状況はわかってんの?」

 

「おおよそはな」

 

「解決策は」

 

()()()()()()

 

 ほんの二往復で疎通を済ませ、学園都市の頂点に君臨する怪物達が並び立つ。相対する『幻想猛獣(AIMバースト)』が、一瞬何かを恐れるかのように身体を震わせた。

 

「一発でいい、普通に撃て。それで終わる」

 

「……いいわ、乗ってあげる」

 

 断言する日輪に、美琴は小さく頷きを返す。あの再生能力を目にした上で問題ないと言い切るのなら、それをどうにかする手立てがあるということなのだろう。

 

 キン、という軽やかな音を響かせてゲームセンターのコインが宙を舞う。突き出した右腕の直線上に二億ボルトもの高圧電流からなるレールが敷かれ、その膨大なエネルギーの矛先を探すかのようにバチバチと辺り一帯の空気を灼いた。

 

「お望み通り―――」

 

 重力に従い、上空のコインが美琴の手元へと帰還する。暴れ狂う電磁力が、その全てを推進力へと変換すべく弾丸(コイン)の到来を待ちわびる。

 

「―――一撃で決めてやるわよ!」

 

 そして、一条の閃光が空を割った。

 その一撃はようやく形を取り戻した怪物の巨躯を軽々と突き破り、体内の核を再び貫いて跡形もなく粉砕した。

 

 復元は―――起こらない。

 虚数学区より生まれ落ちた赤子は風穴の空いた胸部から分解を始め、緩やかにその姿を崩していった。

 

 

「そもそも『幻想御手(レベルアッパー)』は、使用者達の脳波パターンを一つの形に統合することで演算力を束ねて強化するって代物だった」

 

 日輪が具体的に何をしたのか、疑問を抱く美琴へと種明かしが語られる。

 

「その交信は双方向。まず使用者(端末)の脳波を共感覚性を利用してネットワークに接続し、そこで演算処理を行った上でそれぞれの元へ送り返す。この『送り返す』工程で自分と異なる脳波パターンが取り込まれ、そのズレによる負荷が蓄積して昏睡に至る訳だが」

 

 なら話は簡単だ、と軽い調子で嘯く日輪。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それはつまり。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という荒業を、『永久機関(メビウスリング)』はやってのけたということだ。

 

「無茶苦茶ねアンタ……」

 

 事もなげに言い放った日輪に美琴は嘆息する。

 認めざるを得ない。現状、学園都市第三位と第四位の間には俄かには埋めがたい隔たりがあるのだと。

 

超電磁砲(レールガン)』などという異名を戴いてこそいるが、美琴の真髄は火力ではなく応用力にある。雷撃の槍や砂鉄の剣など多彩な攻撃手段を誇り、機械相手ならばハッキングにより無力化どころか乗っ取ることさえできる。

 しかし、その電気という圧倒的な汎用性をしてなお『永久機関(メビウスリング)』には及ばない。保存という一種類の操作しかできないとはいえ、あらゆる物理現象への干渉を可能とするそれは実質万能の手札と化す。

 

 今の美琴に、その万能性を正面から攻略する術はない。

 

「……………って、そうだ木山先生!」

 

 厳然として横たわる実力差をしばし噛み締めていた美琴だったが、一連の事件の首謀者である木山春生を放置していたことに遅ればせながら思い至る。

 辺りを見渡すと先程戦った位置からそう動いてはいなかったようで、駆けつけた初春とともにこちらへ視線を向けているのを見て取れた。

 

「なるほど、あれが木山か」

 

 同じ方向を見遣った日輪がおもむろにそちらへと歩を進め、一瞬呆気に取られた美琴もすぐに我に返って日輪の後を追う。

 程なくして日輪と木山、深さは違えど同じ暗部に身を置く二人が相対した。

 

「第三位の『永久機関(メビウスリング)』か……君が『幻想御手(レベルアッパー)』に組み込まれていれば―――いや、それは不可能か。せめて君の協力を得られていれば、私の計画にももう少し余裕が持てたのだが」

 

「無理だろ。お前の最終目的の成否はともかく、この計画に限って言うならどう足掻いても失敗したよ」

 

 木山の未練を断ち切るかのように断言する。

 理由はいくらでも挙げられるが、何よりもまず戦力が足りない。たとえ日輪が、あるいは『ユニット』全体が力を貸してもどうにもならないほどに。

 

「……そう、か。まあ仕方ない、今回は駄目だったというだけの話だ。これからも私はあの子達を救う方法を探し続けるし、そのための手段を選ぶつもりもない」

 

「うん、まあ頑張ればいいんじゃないか?知らんけど」

 

「適当だな……」

 

 当然だ。顔を合わせたのはこれが初めて、経歴どころか名前さえもつい先程知ったのだから。苦笑する木山に「何言ってんだお前」的な視線を向けてやると、それもそうだといったように肩をすくめられた。

 続けて、木山は美琴の方へと視線を移す。

 

「そういう訳だ。気に入らなければ、その時はまた邪魔しにきたまえ」

 

「はあ……アンタねえ」

 

 溜息をつく美琴。呆れる一方、それでこそという思いがないでもない。

 

 ここでようやく警備員(アンチスキル)の増援が到着。身柄を拘束され連行されていく木山に、美琴はふとした疑問を投げかけた。

 

「しっかし、脳波ネットワークなんて突拍子もないアイデアをよく実行に移そうと思ったわね」

 

 美琴としては、その言葉に別段深い意図はなかった。だが木山は穏やかだった雰囲気を俄かに尖らせ、日輪はつまらなそうに瞑目してその場を立ち去った。

 空気の変化を感じ取ったものの理由がわからず困惑する美琴に、木山が一つの真実を告げる。

 

「複数の脳を繋ぐ電磁的ネットワーク。『学習装置(テスタメント)』を使って整頓された脳構造。これらは全て君から得たものだ」

 

「は? 私そんな論文書いた覚えないわよ?」

 

「そうじゃない。君のその圧倒的な力をもってしても抗えない……」

 

 以前、教え子達を救う手立てを探す過程で偶然見知った計画を木山は想起する。目の前の少女と、()()()()()()()()()()()()()関わりのあるその計画。

 自分などとは比べ物にならない、学園都市の真の闇の一端を。

 

「君もまた私や彼と同じ、限りなく絶望に近い運命を背負っているということだ―――」

 

 去り際に呟かれたその言葉が、妙に美琴の耳に残った。



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第四章 激突する頂点の二 Level5_vs_Level5.

お久しぶりです。


 学園都市における超能力の強度(レベル)は、文字通りその出力によって定められる。

 単純な話、数字が大きければそれだけ強い。同系統の能力者同士の力比べにおいて、下克上はまず起こり得ないと言っていい。実際の戦闘となればまた話は変わってくるが、真正面から能力をぶつけ合うのなら強度(レベル)の高い側に軍配が上がって然るべきだ。

 

 翻って、そのピラミッドの頂点に君臨する超能力者(レベル5)。学園都市に僅か八人しかいない最高峰の能力者達には、第一位から第八位までの序列が割り振られている。

 こちらの格付けは必ずしも実力順という訳ではなく、能力の研究を応用することで得られる工業的な利益の大きさが主な評価基準となっている。この事実は意外と浸透しておらず、超能力者(レベル5)といえども下位ならばと淡い夢を見ては玉砕していく身の程知らずは後を絶たない。

 工業的な利益を生みにくい―――それはすなわち、既存の科学の枠から外れているということ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()厄介極まりないビックリ箱なのである。

 

「クソったれが、相変わらずふざけた能力しやがって……!」

 

 では序列と強さとの間に相関性がないのかというと、これもまた否であったりする。

 工業的な利益を生みやすいという事実は、その能力の汎用性の高さの証明に他ならない。御坂美琴の『超電磁砲(レールガン)』を見ればわかるように、切れる手札の数が桁違いなのだ。加えてそれらの手札は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()代物である。

 使い勝手が良く、応用が利きやすい高火力。単一の能力をぶつけ合う戦闘において、これほど明確な強みは他にない。学園都市第一位が最強と呼ばれるのも、決して故なきことではないのである。

 

 万能性が売りである日輪の『永久機関(メビウスリング)』は、当然ながら後者にあたる。

 制限はそれなりにあるもののおよそ全ての物理現象を封殺でき、欠点といえる火力の乏しさもいくらでも補いようはある。演算処理が破綻するほどの飽和攻撃くらいしか攻略法は存在しないが、それとて学園都市で三番目の頭脳を相手に実行するのは至難の業だ。

 最低でも同格の超能力者(レベル5)でなければ土俵にすら上がれない。上がったところで、あくまで物理法則に則る学園都市の超能力では軒並み相性不利を押しつけられる。

 

「第三位! 今日こそはその腐った根性を叩き直してやるぜ!」

 

「うるっせえよバーカ! 余計なお世話にも程があるわ‼︎」

 

 そんな紛うことなき頂点の一角、学園都市第三位たる日輪示現は現在。

 柄にもなく全力で罵声を飛ばしながら、たった一人の能力者を相手に絶賛逃亡中なのだった。

 

「すごい―――」

 

「チッ……!」

 

 背後で拳が引き絞られる気配を察知し、日輪もまた迎撃の態勢を整える。

 生み出すのは空気の壁。窒素分子や酸素分子の三次元座標を固定することにより、流動する大気は絶対不可侵の障壁と化して聳え立つ。

 空気の粘性を高める『空気風船(エアバッグ)』のような能力でも、擬似的な再現はできるだろう。もっともそこには『超能力者(レベル5)相当の演算能力を有していれば』という前提がつくが。

 その分野に特化した能力者が出し得る理論上の最高値さえ、『永久機関(メビウスリング)』にとっては氷山の一角でしかない。とはいえ、やっていることは分子を一つ一つその場に抑えつけているようなもの。演算の規模は相当のもので、日輪であっても無闇に濫用するのは少しばかり負担が大きいのだが、今はそうも言っていられない。

 

 

「―――パーンチ!」

 

 

 なぜならば。

 その堅固な壁を一撃で殴り割るような輩に対して、これ以下の防御など無意味に等しいからである。

 

 夏の盛りでもそろそろ夕闇が広がり始める程度の時刻。都市部から離れた第一九学区には既に人気はなく、静寂に満ちた空間に響くのは二人の怪物の激突音のみ。

 追われる側は、第三位の怪物たる日輪示現。

 であれば、追う側もまたそれに相応しい怪物に他ならない。

 今まさに背後へと迫っている、白の学ランにハチマキと旭日旗のTシャツというふざけた格好の男こそ、紛れもなく日輪と同格の超能力者(レベル5)なのだった。

 

 

 学園都市第八位、削板軍覇。

 それが追手の正体であり、日輪にとって数少ない天敵でもある男の名だ。

 

 

「この程度じゃ時間稼ぎにもならねえんだよな……」

 

 この攻防も、既に数えるのが億劫なほど繰り返した。故にわかりきっていた結果ではあったが、それでも小さく溜息が零れる。

 あっさりと砕け散った障壁も最低限の仕事は果たしたようで、背を打つ余波にはさほどの勢いはない。本来は対戦車ライフルを連射されても余裕で受け切れる代物を贅沢に使い捨てながら逃げ回って、ようやく成立しているようなギリギリの鬼ごっこだ。

 一応まだ余裕はあるが、向こうとて全力には程遠い。防御手段は他にもあるとはいえ、それすらも強引に突破される可能性は否めない。

 有り体に言って、このままではジリ貧だった。

 

 今でも時速にして数百キロものスピードを出しているが、さらに速度を上げることはできる。だがその速度域で小回りを利かせようとすれば演算はさらに重くなり、防御に割いている分をいくらか削る必要が出てくる。この状況で、無理な挙動を取って自身の守りを疎かにするのは最悪手だ。

 まともに受ければ一撃で()()()()()()()。リスクを冒すにしても、それは単なる無謀な特攻であってはならない。

 

(結局、コイツを突き放すにはどこかで一撃入れる必要がある。ゼロ距離なら座標の演算が要らない分出力を上げられるが、正面からぶつかり合ったんじゃ意味がねえ)

 

 防御にリソースを割いている限り、この意味不明な能力者に有効打は入れられない。当てるのは一度で十分でも、そこに全霊を込められなければ相手の能力を貫けず不発に終わる。

 故にここで採るべき手は、

 

(カウンター)

 

 単に防御を捨ててのインファイトでは話にならない。

 重要なのは切り換えのタイミング。相手の動きをいかに読み切れるかが勝負の分かれ目となる。

 

(ヤツの攻めを崩した隙、そこだけが狙い目だ。攻めのパターン自体は至って単調。一発誘い込んで、返す刀で本命を叩き込む!)

 

 そんな思考の合間にも、絶え間なく攻防は繰り返される。

 空気の壁は一撃で粉砕。身体の座標を固定しても、カラフルな謎爆発とともにすぐに支配を脱してくる。速度を固定して蹴飛ばした小石は着弾してもさほど堪えた様子はなく、より大きな弾丸を使えば前のめりに躱してむしろ距離を詰められる。

 

 体力勝負に持ち込まれれば勝ち目は薄い以上、逃げに徹するのもそろそろ限界だ。仕掛けるならばもうすぐだろう。

 そもそもなぜ日輪が防戦一方なのかといえば、生半可な攻撃では碌にダメージを与えられないため隙を窺っているというのが一つ。もう一つは、最初に出くわした場所が市街地のど真ん中だったためだ。

 

 周囲への被害を躊躇するだけの良識があるから、ではない。仮にも暗部の最高戦力である超能力者(レベル5)が注目を集めるのを嫌った、という訳でもない。

 巻き込めば、それだけ面倒事が増える。単純にそういう話だった。

 因縁など少ないに越したことはない。ただでさえ薄暗い世界に生きる身である。その大小も正負も関係なく、わざわざ何かを抱え込んでも碌なことにはならないというものだ。

 

「まだまだ行くぜ! すごい―――」

 

「この、いい加減に―――」

 

 しかし、ここまでくれば余計なものを巻き込む心配はない。

 再び構えられた拳に対して、今度は日輪も反転して打ち合いの姿勢を見せる。

 自身の座標を固定してその場に停止。しかしその際に慣性を殺しきらず、体幹を回転軸とした円運動から蹴りを放つ。回転速度を固定してあらゆる干渉を弾き、肉体組成を固定して反動を無効化。これにより等速円運動は保存され、半永久的な持続を可能とする。

 

 端的に言い換えれば、その蹴りは決して打ち負けず止まらない……()()()()()

 

「―――パーンチ!」

 

「―――しやがれ!」

 

 結果として、そこに生まれたのは拮抗状態。日輪の脚が、軋むような音を立てながら削板の拳に抑え込まれている。

 単純な力の大きさならば削板の方が上だろう。しかし『永久機関(メビウスリング)』の支配下にある以上、保存された物理量は外部から一切の干渉を受け付けないはずなのだ。それを強引に止めた当人は理屈など理解しておらず、しかし単なる力業と呼ぶにはあまりに不可解極まりない。

 

 これこそ理不尽。

 まさしく不条理。

 学園都市のあらゆる研究機関が匙を投げた、詳細不明の第八位。

 

「ハッ、中々の根性じゃねえか! 後は真っ直ぐに叩き直せば文句なしなんだがな!」

 

「いちいち突っかかってきやがって、いい加減鬱陶しいんだよ根性馬鹿が……!」

 

 衝突から数瞬、思い出したように運動エネルギーが破裂した。

 身体を縫い止めている日輪はその場に留まり、後方へ吹き飛んだ削板は瞬きの間に体勢を整えて再び日輪に迫る。

 音速の壁をいとも容易くねじ伏せる踏み込み。コマ送りのように削板の姿がぶれ、離れたばかりの彼我の距離が急激に圧縮される。

 さらに一歩。既に最高速に達した身体を強引に堰き止め、持て余して暴れ狂うエネルギーを片腕で握り潰す。アスファルトを踏みしめた左脚が沈み込み、振りかぶった右拳がカタパルトのように射出される、

 

 その寸前。

 削板の身体が、突如としてその場につんのめった。

 

「おぉっ⁉︎」

 

 その正体はお馴染みの空気の壁だが、これまでとの違いは範囲と用途。踏み込みの瞬間を狙って設置されたそれは膝下程度の高さしかない。音速挙動の最中に足を引っ掛けでもしようものなら、何が起こるかは火を見るよりも明らかだ。

 勢いを殺しきれるはずもなく、バランスを崩したまま日輪の元へと飛び込んでいく削板。この状況を作り上げた側である日輪は当然、それをしっかりと待ち構えている。

 

「吹っ飛べ」

 

 飛来した削板に脚を沿わせ、軌道をやや上に逸らすようにして蹴り上げる。そして同時に、『永久機関(メビウスリング)』によってその速度を固定。

 射出角三五度で放たれた音速の砲弾は、一切の減速なしで彼方へと去っていく。

 

「おおおぉぉぉぉぉ……」

 

 削板軍覇は星になった。

 演算も永続させられる訳ではないので、学区二つ分くらいすっ飛ばしたところで制御を手放す。これだけ雑に扱っても死なないという確信が持てる辺りは、あの男の数少ない長所といえるかもしれない。

 

「はぁ……今のうちに帰るか」

 

 ここまでやっても、もたもたしているとすぐに復活してくることは経験上理解している。そんなこと理解したくもなかったが、今となっては後の祭りだ。

 

 こうして襲撃を受けた回数も、既に片手で数えられる分を超えただろうか。数字にしてみればさほど多くはないものの、毎度毎度こんなギリギリの戦いになれば嫌でも記憶に焼きつけられる。

 そもそも何が原因なのかといえば、とにかくファーストコンタクトが最悪だった。『ユニット』の仕事の最中、それもターゲットを仕留める寸前というタイミングで、ヤツは何の必然性もなくひょっこりと現れやがったのだ。

 さらに厄介なことにその日は虫の居所が悪く、普段ならば手早く済ませるところを執拗に甚ぶって憂さ晴らししていたものだから、向こうの第一印象は底辺をぶっちぎっていたことだろう。

 やれ性根が腐ってるだの根性なしだのと言いたい放題の削板に当然キレた日輪だったが、初見で飛び出してきたのはあの意味不明な能力。最終的にどうにか逃げ切ることはできたものの、勝利とは到底呼べない無様を晒す羽目になった。

 

 怠惰一直線の日輪といえど、超能力者(レベル5)という実力に対しては一定のプライドがある。

 二度目の遭遇の際には素直にリベンジの機会と捉え、真っ向から応戦した。

 三度目以降はその顔を見た瞬間に踵を返して逃走を図った。

 プライドのために体を張る相手としては、どう考えても割に合わないというのが結論だった。

 そんな訳で日輪としては極力関わり合いになりたくないのだが、いかんせん学園都市はそう広くない。偶然の鉢合わせはどうしても発生してしまうのだ。

 せめてもの救いは、向こうも積極的に探し回っている訳ではないということか。四六時中鬼ごっこなど考えたくもない。

 

「つってもまあ、流石に今日はもう大丈夫だろうがな」

 

 吹っ飛ばした方向も日輪の自宅とは別方向だ。仮に復活してきたとしても、早々にこの場を立ち去ってしまえば追跡はされないだろう。

 すっかり暗くなった空をぼんやりと見上げながら、最先端の都市にしては寂れた街並みを歩き去る。明日は筋肉痛の予感がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後。

 特に脈絡もなく街角でばったり再会した。

 

「いや何でだよ……」

 

 もはや声を荒げる気力もない日輪に対して、案の定削板はピンピンしていた。

 その場で一八〇度方向転換しようとするも抑え込まれ、仕方なしに視線を戻す。

 

「何故かっていうなら、そりゃあ俺がお前を追いかけてきたからだが」

 

「いやここ第一一学区だぞ、どうやって追ってきやがった」

 

「それはもちろん根性で虱潰しに探し回ってだな」

 

「これだからイカれ根性馬鹿は……!」

 

 実際、この男ならやってのけても不思議じゃない。何か野生の勘的な謎パワーで居場所を探し当てたりしてきそうな雰囲気である。

 

「はあ……もういい、そんなもん気にするのは世界で一番無駄な時間だ」

 

 溜息に乗せて雑多な思考を流すと同時、空気に冷たい色が宿った。

 

「で、何の用だよ第八位。まだやるってのか? これ以上面倒な真似するなら本気で潰すぞ」

 

 普段は気怠げに細められている目元が、いつになく鋭い光を宿して()を睨め付ける。

 先程の戦いは、言ってしまえば小競り合いのようなものだ。日輪は周りの被害を気にするだけの余裕を残していたし、削板は無闇に相手を殺そうとするような性格ではない。超能力者(レベル5)二人が全力でぶつかればあの程度で収まるはずがないのだ。

 その一線を、返答次第では踏み越える。被害も消耗も全て無視して、目の前の敵を殺すためだけに全力を注ぐ。

 それだけ日輪は苛立っていたし、削板軍覇という男を警戒していた。

 

「いや、今日はもうやり合う気はねえ。さっきの一撃は結構効いたぜ、かなり根性があった」

 

 果たして、削板の答えは否。

 災厄の勃発はひとまず見送られた。

 

「……そうかよ。ならそれで満足して金輪際突っかかってくんじゃねえ」

 

 言い捨てて立ち去ろうとするも、やはり引き止められる。先程の数割増しで胡乱な視線を向けると、削板は神妙な顔でこんなことを口走った。

 

「俺はお前のことを性根の腐ったクソ野郎だと思ってるが―――」

 

「よしケンカ売ってんだなそうなんだな今なら特別に買ってやるから構えろコラ」

 

 色々と我慢の限界だった。

 客観的にも主観的にも事実ではあるが、それはそれとして普通にイラっときた。

 そしてそんな様子もお構いなしに言葉を続ける削板。次にふざけたことをほざいたら頭に風穴を空けてやるくらいの勢いで日輪は両手をわなつかせ、

 

「その割に妙なところでしっかり根性見せやがる。お前、本当はけっこうまともなヤツなんじゃねえのか?」

 

 スッ、と全ての熱が引いた。

 

「まとも? この、俺が?」

 

「おう」

 

「……冗談にしても面白くねえ。本気で言ってんなら節穴にも程があるぞ」

 

 感情の籠っていない平坦な声音。

 これ以上問答をする気はないとばかりに、目を伏せて視線を切ったまま削板の横を通り抜ける。

 今度は呼び止められはしなかった。

 

「……チッ」

 

 日輪示現は悪党だ。

 大層なお題目などなくとも気分次第で外道に手を染める、そんな救いようのない加害者だ。

 それでいい。その立ち位置に不満などなく、変えようとも思わない。

 

 

 だって、こんな自分がまともだというのなら。

 記憶の中に棲むあの少女は、どうしようもなく狂いきっているということになってしまうではないか。



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第五章 未来は常に不確定 Tree_Diagram.

創約発売したので初投稿です。


 世の学生が夏休みに浮かれ、そんなものは関係ない大人達が悲鳴を上げる八月上旬。

 うだるような暑さは今少しなりを潜め、爽やかな風が頬を撫でる早朝のことだった。

 

「『木原』が動いただぁ?」

 

 心地よい微睡みを蹴散らした無粋なモーニングコールの主から、世間話のようにさらりと飛び出した話題。

 無視を決め込むにはいかんせん物騒極まりないそれを耳にするなり、日輪は一瞬で意識を覚醒させた。

 

「こんなタイミングで出張るなんてどこのどいつ―――テレスティーナ=木原=ライフライン? ……あー、アレかぁ」

 

 面識はないが、名前自体には覚えがある。

 典型的な『木原』であり、格付としては中の下程度。警備員(アンチスキル)の一部署を牛耳っている関係から、比較的『表』での活動が目立つ女だ。

 

「あんな小物じゃなぁ……()()()()()の孫っつっても、大した手がかりは持ってねえだろ」

 

 それでも念のため―――という選択肢もあったが、今は少しばかり時期が悪い。

 寄り道にかまけたばかりに、本道に差し障りが出るようでは本末転倒だ。

 

「とりあえず放っとけ。監視も今はいい」

 

 端的に指示を投げて電話を切る。

 完全に目が覚めてしまったが、これといって予定もなければ大抵の店はまだ開いてもいない。

 かといって二度寝するような気分にもなれずに仕方なくベッドから起き上がると、同時にパサリと紙束の落ちる音がした。

 

「………………チッ」

 

 顔を顰めつつも拾い上げ、適当にテーブルの上に投げ捨てる。

 寝起きの気分は、あまり良くはなかった。

 

 

 

 

 

「んー……」

 

 一口に気分転換といっても、その種類は多岐に渡る。趣味に打ち込むもよし、惰眠を貪るもよし、遠出でもして新鮮な環境に身を置くもよしだ。

 とはいえ、基本的に怠惰一直線の日輪である。モーニングが売りの喫茶店も開かないような早朝から、わざわざ外出するなどという選択肢はないに等しい。

 そんな訳で、悠々自適にネットサーフィンの時間なのだった。

 

「『脱ぎ女の目撃情報途絶える』、『第七学区で局所的な停電』、『学生寮で火災発生、犯人は高位発火能力者(パイロキネシスト)か』……いまいちパッとしねえな」

 

 広大な電子の海へ飛び込むにあたって特に目的地などは定めず、芸能人のゴシップから暗部絡みまでジャンルを問わず無作為に目を通していく。先日の虚空爆破(グラビトン)事件や木山春生の一件に関する話題も散見されたが、それらに別段思い入れのない日輪としては特に気になるものでもない。

 

「(情報サイトと言やあ、『不死鳥』とかいう悪趣味なヤツがあったっけな。削除済みの過去ログも検閲に引っかかった違法ページもまとめて保管されてるって話だったか)」

 

 そんな魔窟の存在が頭を過ぎったりもしたが、別段覗く気にもならないので再び記憶の片隅へと押し込める。探し物をするには優秀なサイトではあるが、今は本気で何かを調べている訳でもない。

 そもそも今の目的は気分転換なのだから、わざわざ気分を悪くするような真似をしては本末転倒にも程がある。

 

「……あん?」

 

 そんなこんなでしばしネットサーフィンに興じていた日輪だったが、その視線がふと一点で停止した。

 今しがた開いていたのは、学園都市で日々勃発する騒動についてのまとめサイトだ。内容としては大して珍しいものでもなく、インターネットらしく都市伝説レベルの情報(デマ)も大量に入り混じっている。

 日輪の目に留まったそれも、一見するとそんな眉唾ものの一つであるように思われたのだが。

 

「『第八学区に謎の光柱』……ご丁寧に動画付きときた」

 

 記事の更新日時は、七月二九日の午前一時となっている。その数十分前に録画されたらしき映像が添付されており、そこからは確かに天へと昇る巨大な光柱が見て取れた。

 その光の発生地点は一軒の民家のようだった。周囲は住宅地と呼べるほど建物が密集している訳ではないが、それでも研究所や発電所のようなものは見受けられない。

 加工の痕跡もなく、複数の目撃証言がコメントとして寄せられていることから、信憑性はそれなりに高いといえるのだろうが……

 

「(光源は何だ? 第八学区っつったら教職員用の区画だぞ。学生(能力者)はそうそう寄りつかねえし、この出力なら超能力者(レベル5)以外あり得ねえ)」

 

 こんなことができるとすれば、第五位が全身全霊の自爆をすればあるいはといったところか。第四位では火力が足りるか怪しいところだ。

 かといって第五位が死んだなどという情報は出回っていないし、他の超能力者(レベル5)にしても派手に暴れたならば多少なりとも耳に入ってくるはずだ。

 

「(そもそも、こいつは電気とか炎に伴った光には見えねえな。どっちかっつうと発光する粒子の集合体ってところか。いよいよ正体が見えなくなってきやがったが、さて)」

 

 超能力者の仕業ではないという前提を置いたはいいが、ならばそれ以外の手段で実現可能かと問われれば首を捻らざるを得ない。周囲へ無秩序に破壊を撒き散らしていない辺り、少なくとも自然現象でないことは確実だろうが。

 

「わっかんねえなぁ……まあこれ一つで特定しろってのも土台無理な話か」

 

 学園都市製のカメラがいかに高性能とはいえ、動画一本を流し見た程度で得られる情報には限界がある。映像解析の専門家でもない日輪ではこの辺りが打ち止めだった。

 現状で考えられる可能性は新種の光学兵器か、未知の能力者か、あるいは動画自体が日輪が見抜けないほど精巧に作られた偽物(コラージュ)であることくらいか。そうでなければ、()()()()()()()()()()()()()という線もあり得るが―――

 

「(どのみち結論は変わらねえ。今日びここまで怪しさが役満キメてる与太話ってのも珍しいくらいだが)」

 

 少なくとも、この映像が本物だと仮定するなら確実なことが一つ。下手にこの件に深入りすれば、またぞろ面倒事が降りかかってくるだろうということだ。

 

「(こいつの正体が何かなんてのはさしたる問題じゃねえ。それなりに『裏』に潜って長い俺が何一つ正体を推測できねえ、その時点で厄ネタなのはわかりきってんだ)」

 

 こんなあからさまな地雷を踏み抜いて、わざわざ余計な面倒事を背負い込むなど冗談ではない。ちなみに根底にある理由が、リスク管理というよりも単なる骨惜しみであるということは言うまでもない。

 仮に巻き込まれたとして対処できないとは思わないが、それでも極力関わりたくない―――そんな感じの心境である。

 

「ま、暇つぶしのネタとしちゃあそこそこ面白かったな」

 

 そろそろ日も高くなってくる頃合だ。気分転換もこの辺りで十分だろう。

 ブラウザを閉じ、パソコンの電源を落として椅子から立ち上がる。軽く伸びをして身体をほぐし、さて何をするかと考え始めたその時だった。

 

 ピロリン、と。

 日輪の携帯端末が着信音を鳴り響かせた。

 メロディからして電話ではなくメール。早朝から叩き起こされた記憶がフラッシュバックし、せっかく持ち直した気分が再び下降気味になりつつも端末を手に取ってみると。

 

「またかよ」

 

 思わず溜息が零れた。

 メールの差出人は『出綱(いづな)』となっている。『ユニット』の諜報担当であり、つい数時間前に声を聞いた男の名だ。要するに早朝から日輪を叩き起こしてくれやがった張本人ということである。

 先程は電話だったのに今度はメールというのも妙な話だ。先の件も多少優先度が高くはあったが、別にメールで済ませられなかった内容ではない。

 何か理由があるのか、単なる嫌がらせなのか、この男ならばどちらもあり得そうなのがまた困ったところだ。

 

 もっとも、そんなことに意識が向いていたのも本文を開くまでのことだった。

 そんな些事を気にしていられないほどに衝撃的な内容が、そこには綴られていたのだ。

 

「……おいおい、マジで言ってんのか」

 

 曰く、学園都市製の人工衛星『おりひめⅠ号』が地上からの攻撃によって撃墜されたとのこと。

 おりひめⅠ号といえば、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』と呼ばれる世界最高のスーパーコンピュータを載せた衛星である。学園都市で行われる数々の実験の結果を予測演算する片手間に、向こう一ヶ月分の天気を予言に等しい精度で予報するという怪物コンピュータ。

 それが失われたということは、実験が成功するという『確証』を得られないことを意味している。予測演算に頼りきっている研究者どもは今頃阿鼻叫喚だろう。

 

 そして日輪自身にも、この情報を無視できないだけの理由があった。

 

「クソったれが、釣りだったら承知しねえぞ……!」

 

 悪態をつきつつも、頭の中では既に幾通りもの可能性を導き出しては切り捨て最適化を進めている。

 こればかりは面倒臭いの一言で片付けてしまう訳にはいかない。『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』があるのとないのとでは、今後取るべき行動が大幅に変わってくるのだから。

 地上からの攻撃。人工衛星を撃ち墜とすほどの威力と射程ともなれば、確実に痕跡が残っているはずだ。ましてこの衛星は学園都市製、そこらのロケットを適当に撃ったところで破壊できるような代物ではない。

 攻撃の発生源として、可能性が高いのは学園都市内部。直線距離が近いこと以上に、アレを撃墜しようと考える輩などこの街の人間以外にいないだろう。『外』の敵対勢力の仕業にしては、行動がド派手な割に得られる成果が中途半端だ。

 どこの誰が、一体何の目的でそんな真似をしたのかなど見当もつかないが―――

 

 

「………………つーか、おい」

 

 

 思い当たる節は、ある。

 何の因果か、今しがた目にしてはいなかっただろうか。

 ()()()()()()()()()()()()()()という、まさしくその条件に当てはまるだろう代物を。

 

「っ……!」

 

 まさか、と否定を掲げる思考(ノイズ)に蓋をし、客観的に前提条件を洗い出す。

 

 衛星が撃墜された日時は、七月二九日の午前一時前。

 超能力者(レベル5)でも一握りしか実現できない出力は、学園都市製の人工衛星を撃ち落とすのに申し分ない。

 再び先程のサイトを開き、例の映像から座標を特定して光柱の昇る角度を計算すると―――見事に『おりひめⅠ号』の周回軌道と重なっていた。

 

「は」

 

 先程は敬遠した『不死鳥』のページを開く。『第八学区』『光柱』で検索すると、似たような動画がいくつも引っかかった。

 これで動画の信憑性については一定の信頼を得られたといえるだろう。

 

「はは」

 

 あまりに条件が揃いすぎている。

 あるいは、意図的に気づかせようとしているのではないかと勘繰るほどに。

 

「ははははは! はははははははははははははは‼︎」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 これが誰かの掌の上だったとして、日輪のやることは何ら変わりはしないのだから。

 

「誰かは知らんが感謝しねえとな……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 光柱の正体? そんなものに興味はない。

 下手人の思惑? それも知ったことではない。

 重要なのは、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)が確かに撃墜されたという結果。その一点のみだ。

 自分でやるのはリスクが高すぎたが、勝手に消えてくれたのならばこれを利用しないという手はない。

 

 再演算がもはや不可能である以上、考える頭を失った研究者達は目の前の結果を受け入れるほかない。

 つまり。

 たった一つ、こちらの意に沿った結果を挟み込んでやるだけで。

 機械が導き出した『完璧な計画』は、どうしようもなく破綻する。

 

「さあて、『下克上』といこうじゃねえか」

 

 普段の仏頂面からは想像できないような凄絶な笑み。それは獲物を威圧する猛獣のようでもあり、残虐の限りを尽くす悪鬼のようでもあり。

 あるいは、己を鼓舞する挑戦者のようでもあった。

 

 

 薄く開かれた窓から吹き込む風が、テーブルの紙束を再び床へと転がした。

 左上をホチキスで留められただけの、十数枚程度のコピー用紙。何度か捲り返したらしき折れ目がついており、雑な扱いのせいかところどころに皺が残っている。

 

 その表紙には、ただ一語。

絶対能力進化(レベル6シフト)計画概要』という文字だけが、飾り気のない書体で記されていた。



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第六章 早起きは三文の徳 “Unit”.

今回けっこう長めです。


 もう何年も、毎日のように同じ夢を見続けている。

 

『根本的に、私とあなたじゃ「立場」が違う』

 

 優秀な頭脳の賜物か、あるいは単純にその記憶が鮮烈すぎたせいだろうか。

 CDやレコードのように同じ旋律を繰り返すばかりなのに、風化して色褪せることもない原風景。あらゆる情景が当時のまま保存され、何の違和感もなく生き続けている。

 

『だから、きっともう私達の道が交わることはない』

 

 それを諳んじられるということが、果たして良いことなのか否か。

 ただ一つ間違いないのは、日輪示現の『今』を形作る根幹はここにあるということだった。

 

『けれど、それでも。もし本当に、もう一度巡り逢ったなら』

 

 その少女の声音や表情、一挙手一投足までもが今なお鮮明に蘇る。

 日輪よりいくらか歳上だったのだから、今ではとうに少女の域など脱していることだろう。それでも今この場では、ただ忠実に記憶の中の姿がそのまま再現されている。

 

『その時は―――』

 

 交わしたのは一つの約束。

 少女が少年に括り付けた、一方的で強引な赤い糸。

 答えを返す間すらなく、二人の距離は無限に離れてしまったけれど。

 少女が遺した言葉だけは、どうしようもなく胸の奥に焼きついていた。

 

「……もう少しだ」

 

 呟き、静かに目を開ける。

 いい加減、見飽きた夢を前に進める頃合だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝、第七学区にて。

 学生達が夏休みらしく惰眠を貪る中、今日も今日とて『ユニット』は流れ作業(たのしいおしごと)の時間なのだった。

 

「ふふ」

 

 学区の片隅にひっそりと佇む研究所。特別規模が大きい訳でもなく、能力開発に利用される場所でもないため学生は寄りつかず、少数の研究員のみが出入りするだけの閑散とした空間である。

 

「うふふ」

 

 しかし現在、そんな研究所の内部では複数の怒号や銃声が飛び交っていた。

 施設の警備兵というよりは戦場上がりの傭兵といった風体の、『殺しのための装備』で身を固めた部隊。プロの技術と最先端の装備を兼ね備えた『雀蜂部隊(キラービー)』といったところか。

 

「うふふふ、あははっ」

 

 相対するのはたった一人、真紅のドレスに身を包んだ中学生ほどの少女。長い金髪を蝶結びのように後ろでまとめ、全体的に夜会にでも赴くような装いながら、靴だけは実用性を重視したヒールが低めのものを履いている。

 その華奢な体躯に反し、彼女はたった一人で屈強な傭兵部隊と渡り合って―――否、圧倒していた。

 

「あっはははははは‼︎ もっと、もっと踊りましょう? わたくし、まだまだ燻り程度にしか燃えておりませんのよ!」

 

 豪炎が渦を巻く。舞踏会にでも出るかのような煌びやかなドレスが翻るたび、地を浚う熱風が辺り一帯を席巻する。

 しかし、そんなものはあくまで余波。カツリと踏み鳴らしたヒールの音こそ、彼女の本命が繰り出される合図だった。

 

「ふふ―――あはははッ‼︎」

 

 ボッ‼︎ と。

 爆発的な加速を得て瞬時に距離を詰め、勢いそのままに少女の細腕が突き出される。

 

「ご、がっ……!」

 

 低姿勢からの掬い上げるような一撃。警備員(アンチスキル)などより遥かに高性能な装備も意に介さず、威力の全てを徹されて大柄な成人男性が二メートル近くも宙を舞った。

 一拍置いて床へ墜落した男はすぐには立ち上がれず、灼けるような痛みに苦悶の表情を浮かべ蹲っている。

 

 いや、正確に表すならば。

『爆発的な』ではなく、『爆発に後押しされた』。

『灼けるような』ではなく、『灼き焦がされた』。

 つまるところ、少女は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 単なる発火能力者(パイロキネシスト)と断定するには異質すぎる戦闘スタイル。それを操る少女自身は煤一つ被ることなく、相対する敵のみを炙り焦がしていく。

 

「ぐ……クソったれが……!」

 

 同じようにして倒れ込んでいる男達が総勢一七人。未だ健在の人員は、もはや二〇にも満たなくなった。

 時間にしてほんの数分。最先端の装備に身を包んだ精鋭のおよそ半数が、それだけの時間でたった一人の少女に蹴散らされてしまっている。

 

大能力者(レベル4)とはいえガキ一人だぞ! 俺達プロが揃いも揃って、何を良いようにやられてやがる!」

 

 どうにか士気を上げるべく啖呵を切った一人は、銃口を向けようとした矢先に側頭部をヒールで打ち抜かれた。それに動揺した近くの二人が熱風に煽られて体勢を崩し、鳩尾を一発ずつ抉られその場に沈む。

 すぐさまF2000R『オモチャの兵隊(トイソルジャー)』の自動照準が少女を射抜くも、引き金を引くより早く爆風とともにその姿が掻き消える。再演算に従って照準を整えた時には既に、爆心地が懐にまで迫っていた。

 

「ばっ―――」

 

「どーん☆」

 

 瞬間、視界が白一色に染め上げられた。

 音速にも届く勢いで衝撃波が走り抜け、遅れて爆炎が這い回る。鋼鉄よりも頑丈な壁さえ障子紙のように食い破り、視界一面を灼熱の海に変えるほどの絶大な熱量が炸裂した。

 

「がァァァああああっ⁉︎」

 

 盛大な自爆―――正確には、身体に纏わせた炎熱を全方位に解放したことによる大熱波。

 至近距離で業火を浴びた数人が堪らず絶叫した。()()()()()()()

 圧倒的な破壊の嵐は、しかし絶妙な制御によって無造作な天災から理性ある人災へと姿を変えている。本来ならば一瞬で消し飛んでいたはずの命が死神の鎌から逃れ、五体満足で倒れ伏すに留まっている。

 

「さて、と。それでは皆様、もう一曲お付き合いくださるかしら」

 

「、お」

 

 もっとも。

 その救いが希望となり得るかどうかは、また別の話であるのだが。

 

「気張りなさいな。投了(リザイン)は興醒めでしてよ?」

 

「おォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ⁉︎」

 

 その後の展開は、もはや戦いと呼べるものですらなかった。

 残り僅かとなった『雀蜂部隊(キラービー)』は、炎による一網打尽を避けるため分散した陣形を取らざるを得ない。たとえ一対一では勝ち目がないとわかっていても。

 それらをただ、淡々と各個撃破していくだけ。番狂わせも起こらず、ただ実力差に従って順当な結果が得られただけだ。

 最後の一人が地に伏すまで、一分とかからなかった。

 

 

「ふざ、けるな……」

 

「あら、まだ意識がありましたのね」

 

 どうにか上体を持ち上げた『雀蜂部隊(キラービー)』の一人が、愕然とした様子で声を漏らす。

 少女は意外そうに眉を上げたが、その態度に憤る余裕もない。そんなことよりも重要なのは、これだけ暴れ回った彼女が敵の『本命』ではないという事実。

 

「これで、これだけやっておいて、まだ最高戦力じゃないとでも? この上にまだ、超能力者(レベル5)が控えているってのか……⁉︎」

 

 雇い主の説明によれば、敵の最高戦力は第三位の『永久機関(メビウスリング)』とのことだった。

 楽な相手とは無論思っていなかったが、大能力者(レベル4)ならば何度も狩った実績がある。その延長線上で戦いようはあるし、時間稼ぎ程度であれば十分にこなせると踏んでいたのだ。

 ところが蓋を開けてみれば、第三位どころかその前哨戦で蹴散らされる始末。これまで積み上げてきたプライドは根こそぎへし折れる寸前だった。

 

「ああ、その心配は不要ですわ。リーダーはこちらには来ませんから」

 

「……何?」

 

 しかしながら、少女の回答は若干主旨が違っていた。

 己の実力を誇るでもなく、男達の思い上がりを正すでもなく。

『後続は控えていない』と、前提条件の方を否定したのだ。

 

「だってわたくしは陽動ですもの。思ったより早く片付いてしまいましたが……まあ、あちらは問題ないでしょう」

 

「………………ま、さか」

 

「ええ」

 

 情報を調べ上げ、陽動で釣り出し、丸裸にした標的を叩き潰す。この基本戦術で大抵の相手はあっさりと仕留められるし、それで足りずとも容易にリカバリーが可能なだけの戦力が揃っている。

 単純な話、暗部組織としての格が違ったのだ。『雀蜂部隊(キラービー)』と『ユニット』の間には、逆立ちしても埋められない実力差が横たわっている。

 

 今度こそ、立ち上がる気力さえなくなった男に向けて。

 派手な()()()()()()()を終えた少女は、この上なく優雅に微笑んだ。

 

「チェックメイト、ですわ」

 

 

 

 

 

 同時刻、研究所から数キロ離れた高層ビル街。

 

「とまあ、そういう訳だよ宝城(ほうじょう)築名(きずな)。俺がここにいるってことで大体の事情は察せると思うが」

 

「……なるほど。あの程度では足止めにも不足だったか」

 

 ひしゃげた車から身を乗り出しながら、男は瞑目してゆるゆると頭を振った。

 少々派手に『挨拶』をかましてやったためか、白衣を着込んだ研究者らしい出で立ちにはやや乱れが見受けられる。宝城は進路を妨げた張本人に改めて視線を向け、困ったように肩を竦めてみせた。

 

「元より急拵えの戦力、さほど期待していた訳でもないが。それにしたってもう少し頑張ってほしかったものだね」

 

「まあそう言ってやるなよ。今回ばかりは相手が悪かった」

 

 何せ、今回の陽動役は()()エクシア=フォルセティだ。元々ソロで活動していたところを日輪がスカウトした人材であり、純粋な戦闘力では超能力者(レベル5)にも引けを取らない。

 

「で、だ。普通に考えて、こうなりゃほぼ詰みの局面だと思うんだが」

 

 正面に仁王立ちして道を塞ぎつつ、日輪は怪訝そうに眉根を寄せた。

 

「その割には観念したって感じでもなさそうだよなぁどうも。まだ隠し玉があるって面してやがる」

 

「まあね。命を預ける切り札というのは、常に手元に置いておくものだろう?」

 

 無念そうに溜息を吐きつつも、宝城の顔から未だ余裕は消えていない。

 それはつまり、この状況を覆し得る手札を残しているということ。日輪という刺客を退け、この場から離脱するための術が存在するということだ。

 

「私の研究内容は知っているかな」

 

「……表向きのお題目は、ウイルス型ナノデバイスを利用した擬似ワクチンの製造。その実態は生体と電子に続く『第三のウイルス』の開発ってとこか」

 

「その通り。そして研究はそこそこ順調に進んでいてね。こうして君ら猟犬を嗾けられる程度には成果を上げていたという訳だ」

 

 それはそうだ、と日輪は内心頷いた。

 単なる無能を一匹処分するだけならば、わざわざ『ユニット』を動かす必要などない。もっと下位の暗部組織か、何なら身内で片付けてしまえば済む話だ。

 そういう意味では、この男は日輪クラスでなければ対処困難な『強敵』として見るべき相手なのだろう。

 

「『静質侵菌(イリーガルプレイグ)』。これが私の作り上げた、()()()()()()()()()()()()()()

 

 宝城が告げると同時、地響きのような轟音が八方を取り囲んだ。

 

「っ、こいつは……」

 

 べこり、と。

 日輪の足下が勢いよく陥没し、半径五メートル近い円錐形の蟻地獄が現れる。

 当然ながら、ここ学園都市に砂漠地帯などありはしない。至って普通のアスファルトが突如として滑らかに流動し始め、即席のトラップを一瞬で作り上げたのだ。

 

「ふむ。まあ、これで潰れるようでは拍子抜けというものだしね」

 

 とはいえその程度で出し抜けるようならば、超能力者(レベル5)は怪物などと呼ばれはしない。

 位置エネルギーの保存。日輪は元の座標から微動だにせず、そこに変わらず地面があるかのように大気を二本の足で踏み締めていた。

 そしてそのまま、コツコツと足音を響かせながら空中を歩み寄る。急ぐ素振りも見せず、まるで散歩でもしているかのように。

 

「一発芸は終わりか?」

 

「いやあ、まさか」

 

 円錐形に広がる陥没地帯の(へり)に到達する直前、灰色の津波が日輪めがけて押し寄せる。

 その正体は、先程抉れるように消失した地面を捏ね集めたものだろう。不自然に隆起し脈動するアスファルトの奔流を前に、やはり日輪は悠然と歩みを進めるばかり。

 避ける必要さえない。流れ来るのが大質量の土砂だろうと人体を溶かす劇毒だろうと、日輪にとってはそよ風が吹き抜けるのと何ら変わりはしないのだから。

 

「肉体の保存もお手の物か。流石は学園都市第三位、防護性において部分的には第一位さえ上回るというだけはある」

 

「どうだか。理論値でさえない期待値の話なんぞ持ち出されてもな」

 

 外野の寸評など意に介さない。カタログスペックを比較したところで、そんなものは実戦ではいくらでも覆ると理解しているから。

 たとえ第一位と直接戦ったとして、その勝敗が単純に強弱を決定づける訳でもない。同じ土俵にさえ立てるのならば、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の予測演算でさえ絶対の指標とはなり得ないのだ。

 

 逆に言えば。

 同じ土俵に上がれないほど実力がかけ離れているならば、その結末は必然のものでしかない。

 

「じゃ、そろそろこっちからも行くぞ」

 

 日輪が懐から拳銃を抜き放つ。

 レディースモデルのような軽量で安い小型のもので、弾丸の射程や威力もそれ相応。よほど的確に急所を貫かなければ、一発で人を殺せるかすら疑わしいような玩具に過ぎない。

 その使い手が、『永久機関(メビウスリング)』でなければの話だが。

 

()()()()()

 

 まず、射線上から音が消えた。

 その空隙をなぞるように白熱した閃光の軌跡が生じ、穿たれた境界から押し出された大気が割れて弾け飛び、全てを薙ぎ払う旋風の中にようやく音が追いついて悲鳴を上げた。

 等加速度直線運動。弾丸は射出された瞬間の加速度を保存され、加速を続けながら無限遠の彼方へと消えていく。

 実際には能力の有効範囲や銃弾の耐熱性の関係で無限に進み続ける訳ではないが、それでも第四位の『超電磁砲(レールガン)』が霞んで見えるほどの砲撃だった。

 

 そして当然、その射線上には宝城築名が置かれている。

 並大抵の防御では間に合わないし受けきれない。同様に回避も困難を極める以上、能力者でもない宝城に対処の術はないはずだった。

 

「……へえ」

 

 だが、弾丸は文字通り空を切った。

 銃口を向けられた直後に宝城の身体が()()()と浮き上がり、銃撃に伴い生じた気流に流される形で致死の一閃を回避したのだ。

 二発、三発と続けて放つも、やはり同じように宙を漂い射線上から逃れられる。埒があかないと判断し、日輪はひとまず拳銃を懐に戻した。

 

「いや、流石に肝が冷えるね。挨拶代わりでこの破壊力とは」

 

 ふわふわと綿毛のような動きで降下し、宝城は再び大地に足をつける。

 恐らくは『静質侵菌(イリーガルプレイグ)』とやらが働いた結果なのだろうが、いかんせん正体を推測するには情報が足りない。宝城の反応を窺う限り、超能力者(レベル5)相手にも通用すると確信してはいたようだが。

 それでも顔が若干強張って見えるのは、実戦への投入が初めてだからか。あるいは単純に、何の変哲もない拳銃から放たれた予想外の威力に驚いただけか。

 

(とりあえず、ウイルスと銘打っちゃいるが本質的にはナノデバイスで間違いねえな。これだけ高い制御性がある以上、生命体と考えるよりそっちの方がしっくりくる)

 

 細菌やウイルスといったバイオ兵器の特徴は、何と言っても無差別であることだ。

 故に、その用途は基本的に辺り一帯を殲滅するようなものに限られる。学園都市製ともなれば、防護服やワクチンも容易く貫通して周囲を死の領域に変えるだろう。

静質侵菌(イリーガルプレイグ)』がその類の兵器であるなら、先程の宝城を守るような挙動はあまりに不自然だ。機械的な操作を受け付けている、すなわちナノデバイスの類と考えるのが自然だろう。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 とはいえ、日輪のそんな謎解きに手慰み以上の意味はない。

 

『うん。「静質侵菌(イリーガルプレイグ)」の仕組みは大体わかったよ』

 

 なぜなら。

 その解答を完璧に導き出せる能力者が、『ユニット』には存在するのだから。

 

「説明よろしく」

 

『じゃあ手短に。大まかな正体はそろそろ察してると思うけど、具体的には―――』

 

 耳に装着した小型インカムから流れる声は、紛れもなく潮凪来瀬のそれだ。

 彼女の現在地は、五〇〇メートルほど離れたビルの屋上。出綱の()によって視力を大幅に強化し、肉眼による目視という『組成解析(アナリティックヴィジョン)』の条件を満たしている。

 

 これまで日輪が急ぐ素振りを見せなかったのは、確実な解析が可能な潮凪の準備を待っていたから。

 九九パーセントの勝利を一〇〇パーセントにする、『詰みの一手』を用意するためだった。

 

(通信……? ……どこに繋いでいるのかは知らないが、この隙を活用しない理由もない)

 

 日輪の動きを、宝城もただ眺めているだけではない。

 いくら気が逸れているとはいえ、ここで安易な攻めや逃走を許すほど甘くもないはずだ。ならば今のうちにと、可能な限りの仕込みを進めることに専念する。

 

「………………、」

 

 時間にして十数秒、戦地にあるまじき静寂が場を支配した。

 手短にと潮凪が告げた通り、その膠着はすぐに終わりを迎えたが。

 たったそれだけの間隙を挟んだことで、戦局は完全に決定された。

 

「……要件は済んだのかな?」

 

「ん? 何だよ、わざわざ律儀に待ってたのか?」

 

 通信を終えた日輪が仕切り直すように告げる。

 

「まあ何でも良いが。これが最初で最後のチャンスだったって点を除けば妥当な判断だしな」

 

 いいや、仕切り直しではない。

 これから下されるのは、幕引きの宣告に他ならない。

 

「そいつのタネは全部割れた。ご自慢の研究成果、もう俺には通用しないと思え」

 

 あらゆる物理現象に対して絶対的な優位を誇る、物理量保存能力者。

 学園都市第三位の怪物が、いよいよその本領を発揮する。

 

「……言ってくれるね。私はまだ、こいつの性能の三分の一も披露したつもりはないのだが」

 

 相対する宝城も、空気の変化を感じ取ったのだろう。

 その言葉は紛れもない本音ながら、額には一筋の汗が伝っている。

 

「今の通信で何かを得たのか、あるいはそうでないのか。何にせよ、この時間がそちらばかりに味方したとは思わないことだ」

 

 直後。

 日輪の懐の拳銃が震えたかと思うと、ぐにゃりと銃身がねじ曲がって照準を日輪へ向けた。

 

「うおっと」

 

 パン、と軽い破裂音。

 持ち主の意に反した―――否、所有権が移ったと言うべきか。ほぼ一八〇度ねじれた銃身をどのように通過したのか、本来の威力をそのまま保った弾丸が日輪めがけて撃ち出された。

 ゼロ距離から、心臓を射抜く軌道で。いくら軽量モデルとはいえ、常人に直撃すれば即死は免れないが。

 

(この程度で『永久機関(メビウスリング)』を貫けるとは思っていない)

 

 宝城とて、今更不意を突いた程度でどうにかなる相手ではないことは理解している。

 第一位の『反射』ほどではなくとも、超能力者(レベル5)級の演算能力があれば能力を常時発動させておくことさえ可能となるのだ。日輪の能力の性質上、自動防御の類があっても何らおかしくはない。

 

(だがほんの一瞬、動揺とまでいかずとも意識をそこに向けられさえすれば。たったそれだけの時間でも、そこかしこに散りばめた『感染物』を動かすには十二分だ)

 

 例えば、周囲の高層ビル群を丸ごと溶かして大津波を起こしたり。

 例えば、空気経由で体内に侵入して水分や骨に干渉したり。

 例えば、上空数百メートルまでの大気をまとめて圧縮して莫大な斥力場を発生させたり。

 例えば、地盤そのもので挟み込んで―――

 

「効かねえっつったぞ」

 

 止まる。

 銃弾、だけではない。地面の蠢きが、大気の流れが、『静質侵菌(イリーガルプレイグ)』の侵食が、宝城築名の統べる世界が。

 音も立てず、崩れ去ることも許されず、完膚なきまでに()()()()()()

 

「…………馬鹿な」

 

「無機物の分子運動の支配。これだけ汎用性の高い効力を、ウイルスみたいに感染させるって発想は大したもんだが」

 

 その正体を、既に日輪は知っている。

 そして原理を理解したなら、その現象を根こそぎ掌握できるのが『永久機関(メビウスリング)』だ。

 

「忘れたのか? 『保存』は俺の専売特許だぞ」

 

「不可能だ!」

 

 認めがたい現状を前にして宝城が叫ぶ。

 

「確かに、その能力ならば理論上は分子運動を保存することも可能だろう。だがそいつの燃費の悪さは折り紙付きだ! ここら一帯の全ての無機物を抑え込むなど、とても演算を賄いきれる訳が―――」

 

「制御キー」

 

 端的な答え。

 それだけで、苛烈極まる剣幕がぴたりと収まった。

 

「ナノデバイスへの指令は、全てお前の脳波によって行われている。それがわかれば話は簡単だ。脳波の計測機器さえ止めちまえば、『静質侵菌(イリーガルプレイグ)』は一気に無力化できる」

 

「……………………は、は」

 

 宝城の口から、思わず乾いた笑いが零れた。

 そこまで読みきられているのならば、確かに抵抗の余地はない。

 脳波を計測しているのは、宝城の頭蓋骨に縫い付けられたマイクロチップだ。それに干渉できるということは、日輪は他人の体内でさえ能力の対象にできるということ。すなわち心臓や血流を今すぐ止めることさえ可能であり、生殺与奪を完全に握られているに等しいのだから。

 

「……だが解せないな。それができるのなら、最初から私自身を狙えば良かっただろうに」

 

 そう。

 日輪がその気になれば、いつでも宝城を容易く仕留められていたはずなのだ。

 あんな面倒な過程を経る必要もなく、たった一度の演算を行うだけで。

 

「あん? どうして俺がお前の命を背負ってやらなきゃならねえんだ」

 

 そんな疑問に対して、日輪の答えはシンプルだった。

 

「殺さないように加減したとしても、人体を無理に堰き止めりゃどこかしらに負荷は蓄積する。後遺症にまで発展するかは個人差だがな」

 

「……つまり、何だ。私を殺さなかったのは」

 

「抱え込む必要のねえ怨恨なんざ避けるに決まってる。ここで手間を惜しんだばかりに、後々妙な悪縁でもできたら堪らないからな」

 

 つまるところ。

 殺したくないから殺さなかった、という一言に尽きるのだ。

 

「私自身がいずれ復讐に来るとは思わないのか?」

 

「思わねえな。お前の反抗心はもう折れてる」

 

「わざわざこちらの大技を破ってみせたのはそういうことか……」

 

 それを甘さと捉えるか、日輪なりの処世術と捉えるかは受け手によるだろうが。

 そうして奪われずに生き存えた命が、この街にはそれなりの数転がっているのだろう。

 

「なら『永久機関(メビウスリング)』、一つ教えておくとしようか。その甘ったるい精神を、このクソったれな世界で貫く姿に敬意を表して」

 

「?」

 

「『絶対能力進化(レベル6シフト)』。この名前は君も知っていると思うが」

 

 日輪の眉が上がった。

 無言で続きを促すと、宝城は首肯し再び口を開く。

 

「こんな話を小耳に挟んだ。第四位の『超電磁砲(レールガン)』が、実験阻止のため破壊工作を行っていると」

 

「……なるほど。良い情報だ」

 

 その後、宝城の回収要員が現場に到着するまで二人は言葉を交わさなかった。

 拘束され連行される宝城をぼんやりと見送り、しばらくして陽動を終えたエクシアが合流するまで日輪はその場から動かなかった。

 

「あらリーダー、ご機嫌ですわね。何か良いことでもありましたの?」

 

「ん? ああ……」

 

 エクシアの問いに、日輪はほんの少しだけ口角を上げて。

 

「わざわざ早起きした甲斐はあったんじゃねえの」



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第七章 対話によって得たものは Ladies_and_Gentlemen.

お久しぶりです。大変お待たせいたしましたが、更新再開となります。


「ふん、ふん、ふふーん、ふふん」

 

 第七学区、『学舎の園』。徹底的な男子禁制を敷き、文字通りの『深窓の令嬢』『箱入りのお嬢様』なる人種さえ実在している乙女の領域。

 その秘境を構成する五つのお嬢様校の筆頭として真っ先に名を挙げられる学校といえば、常盤台中学の他にないだろう。

 学園都市でも五指に入る名門であり、今現在八人中二人の超能力者(レベル5)を擁する強豪校。例年の『大覇星祭』では優勝候補常連、入学条件からして強能力者(レベル3)以上が必須とされるほどの実力主義。どこぞの国の王族を容赦なく入試で篩い落としたなどという逸話すらあるほどだ。

 

「ふっふふーんふん」

 

「げっ」

 

 そんな狭き門をくぐり抜けたエリートお嬢様白井黒子の第一声は、潰れたカエルのような呻き声だった。

 理由は単純。ちょうど今しがた、廊下の向かい側から鼻唄交じりに歩いてくる人物の姿を見つけてしまったからである。

 

「あら、白井さん。ごきげんよう」

 

 何とかして接触を躱そうとするも時既に遅し。あちらから柔和な笑みを浮かべて歩み寄ってこられては、もはや逃げ場はない。一瞬『空間移動(テレポート)』の使用も考えたが、それはそれで寮監からの折檻が待ち受けているだけだった。

 どうやら観念して捕まる以外に選択肢はないらしい。

 

「……ごきげんようエクシアさん。わたくしに何か?」

 

「ふふ、いいえ? ただ姿をお見かけしたのでご挨拶を、と。それだけですわよ?」

 

 エクシア=フォルセティ。白井の同級生であり能力も並んで大能力者(レベル4)、そしてそれ以外はおよそ似ても似つかない少女。

 その差異は普段の振る舞いであったり、金髪を蝶結びのように後ろでまとめた独特な髪型であったり、とある女性らしさの一要素となる部位における身体的特徴であったり、有する能力の系統であったりするが、何よりも異なっているのはお互いに対する好感度だろうか。

 白井はエクシアに何故かやたらと気に入られているが、逆もまた然り……ということは残念ながらない。むしろ夏休みにまで顔を合わせるなんて、とげんなりする程度には、白井はエクシアに対して隔意がある。

 この常盤台で白井が苦手な相手を三人挙げるとするなら、彼女は寮監と第六位の超能力者(レベル5)に並んで名前が浮かぶであろう人物だった。

 

()()()()()()()なら間に合ってますわよ」

 

「もう、白井さんったら……わたくしだって時と場所くらい選びましてよ?」

 

「TPO弁えりゃ良いってモンじゃねえんですのよ……ッ!」

 

 がるるる、とツインテールを逆立たせて威嚇するも柳に風。こういった普段の振る舞いは深窓の令嬢然としているのだからたちが悪い。

 一度でもその本性を目のあたりにしてしまえば、この一見楚々とした佇まいも獲物に飛びかかる寸前の猛獣にしか見えなくなってしまうのだが。

 

「まあ確かに、その警戒は()()()()()()()()()()()一〇〇点満点ですけれど……学友であれば挨拶くらい交わすものでしょう? こんな時くらい、素直に受け取ってくださいな」

 

「今一度ご自分の行いを顧みても本当に信用されると思えますのそれ?」

 

 ジト目を向けようが依然にこやかな笑みを崩さないエクシアに、白井は隠そうともせず溜息をついた。

 項垂れた拍子に少しばかり目線が下がり、視界に映った同い年らしからぬ()()をぐぎぎぎ……と恨めしげに睨みつける。

 

「……はぁ」

 

 しかし、そんな百面相も長くは続かない。

 再び溜息を一つ。小さく頭を振って、余計な雑念を追い払う。

 今の白井の前には、エクシアへの警戒や怨嗟などよりずっと優先順位の高い問題が立ちはだかっているのだ。

 

「あら、ご気分が優れないのですか? まるで愛しのお姉様のお役に立ちたいのに全然頼ってもらえないのがもどかしくて仕方ない、みたいなお顔をなさっていますけれど」

 

「何なんですのそのやたら具体的かつ的確な形容……」

 

 はて、この女はいつから読心能力者(サイコメトラー)に転向したのやら、なんて気の抜けた思考が頭を過る。ほぼほぼドンピシャで内心を言い当てられた訳だが、今更大仰に驚くようなことはない。白井にとって、目の前の少女は妖怪やUMAの類と同じカテゴリに入っているのだった。

 

(……というか本当に謎だらけですわよ実際。本人の優秀さを考慮に入れるとしても、明らかに情報網が『派閥』の規模を超えていますし)

 

 エクシア=フォルセティは、一年生にして既に自身の『派閥』を形成している傑物だ。

  規模にして十数人。最大勢力たる第六位のそれには到底及ばないものの、その存続を許されているという時点でステータスとしては十分に機能する。

 だが、それはあくまで常盤台や『学舎の園』の中での話。学園都市全体に目を向ければ、彼女の『派閥』は決して大きな勢力とは言いがたい。

 

 にも拘らず、彼女は時折風紀委員(ジャッジメント)の白井ですら知らないような情報を握っていることがある。

 実は水面下で『派閥』を拡大しているのか。あるいは、学園外部に別の手勢を有しているのか。何にせよ真っ当なものとは考えにくく、一度背後関係を洗ってみたが尻尾は掴めずじまいだった。

 次に機会があれば、今度は情報処理に長けた初春に調査を頼もうと割と本気で考えていたりする。

 

(まあ。本当に怖ろしいのは、()()()()()()()()()()()()()()()ですけれど)

 

 そしてこの女。どうにも白井の何かが琴線に触れてしまったのか、事あるごとに色とりどり選り取り見取りの厄ネタを持ち込んでくるのである。そしてそれを解決すべく奔走する白井を眺めて楽しんでいる、というか嬉々として自分も参戦してくる。

 味方としては頼もしいし、勢い余って敵側についたりしないのはせめてもの救いだが……顔を見るたびに警戒態勢をとってしまうのは無理からぬことだろう。

 そのうえ結果的には学園都市内の事件が一つ解決し、治安維持に一役買っているため強く糾弾もできないときた。ひどい脱法行為もあったもんですわ、と内心毒づきながらも、毎回体よく働かされてしまっている。

 

 そんな訳で、このエンカウントは白井としては心底勘弁願いたい出来事なのだった。癪ながら彼女の指摘通りの状況にある今現在、わざわざ別の厄介事など抱え込みたいはずもない。

 それでもいざ問題を目の当たりにすれば、何だかんだ言いつつ首を突っ込むことになってしまうだろうが……だからこそ、今ばかりは余計なことを耳に入れたくはない。

 

「……こほん。本当に用件がそれだけなのでしたら、わたくしはこれで。あなたの仰る通り、お姉様をお支えするためにやるべきことが山積みですので」

 

「ええ……ですけど白井さん、その前に」

 

 余計な話題を振られる前に早々に立ち去ろうとする白井を、しかしエクシアは呼び止めて。

 

「もしもお困りのようでしたら……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 思わず見惚れそうになるほど華やかな笑みとともに、そんな提案を言い放った。

 

「……、結構ですわ。これはわたくし個人の問題ですので」

 

 返答までに、一瞬の間が空いた。

 悟られていない、と考えるのは流石に見積もりが甘すぎるだろう。厄介な相手に隙を晒してしまったことに、白井は内心舌打ちを零す。

 

 普段の白井ならば、逡巡の余地もなく一蹴していた。ここで頷けば確かに協力はしてくれるだろうが、この女に借りなど作っては収支マイナスも良いところだ。

 しかし脳裏に過るのは、敬愛するお姉様の尋常ならざる様子。超能力者(レベル5)たる彼女があれほどまでに追い詰められるなど、はっきり言って異常事態だ。

 何せ彼女は、あの『多才能力(マルチスキル)』や『幻想猛獣(AIMバースト)』相手にも多少手こずりこそすれ窮地に陥ることはなかった、学園都市第四位の『超電磁砲(レールガン)』なのだから。

 

 それが今朝は、鬼気迫るといった様子で自室へ戻ってきたかと思えばまたすぐに抜け出していった。表情はどうにか取り繕っていたが、その程度のことが白井に見抜けないはずもない。

 これまでに遭遇してきた事件とは一線を画す、とんでもないモノが待ち受けているかもしれない……そんな思いが、この提案を即座に切り捨てることを躊躇わせた。

 

 それでもやはり、無条件でこの女を頼るのは得策ではない。白井の勘はそう告げていたし、彼女をよく知る人物ならば誰に訊いても同じように答えるだろう。

 

「ふふ、そうですか……もし気が変わることがありましたら、いつでもお声がけくださいまし」

 

 対するエクシアは、相も変わらず優雅な微笑を湛えたまま。

 意外にもあっさりと引き下がったことに少しばかり違和感を覚えたものの、今はそんなことに構っている暇はない。

 こちらから事情を聞き出すことができないのなら、せめて彼女が自分を頼ってくれた際には全力で助けにならなくては。そう心に決めているのだから。

 

(……あるいは、ですが)

 

 あまり考えたくない仮定ではあるが。

 彼女にとっての最適解が、自分を頼ることではなかった場合。

 

(わたくしの他に、お姉様が頼れる相手がいるとするなら……それは)

 

 思い浮かんだ顔は、そう多くはない。

 単純な戦力として力になれる人物はさらに少ない。

 そしてエクシア=フォルセティは、間違いなくその内の一人に含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じく、第七学区。

 とある路地裏に、カツカツと単調な靴音が響いていた。

 日の当たる表の街並みから隔離された非日常、不良(スキルアウト)の蔓延る無法地帯。そんな場所へと踏み込みながら恐怖に足を早める訳でもなく、スニーカーの奏でる鈍い音色は一定のリズムを保ったまま。

 それは彼がこの道を歩き慣れていることを意味してもいたが、最大の理由は別にある。

 すなわち―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という単純な事実。

 

 そして。

 この街においてそんな態度を貫くことができる人物など、大方相場は決まっている。

 強者とは、すなわち高位能力者。それが他を寄せつけないほどに圧倒的な強者となれば、答えはほぼ決まったようなものだ。

 

「……、」

 

 そうして淡々と続いていたリズムに、ふと変化があった。

 少年の歩調が乱れた訳ではなく、その背後から新たに響く靴音があったのだ。

 ペースは彼のそれよりも少し速いか。急ぎ足というほどではなく、しかし確実に距離を詰めてきている。

 二つの音源の間隔は徐々に狭まっていき……やがて、手を伸ばせば届くほどにまで近づいた。

 

「よお」

 

「……あン?」

 

 そこで初めて、言葉があった。

 単語としての意味すら成さない音の応酬。しかし、呼びかけにはそれで十分だ。

 こんな場所でお上品な礼儀作法を期待する馬鹿などいない。ルールと呼べるものがあるとしても、それは『弱肉強食』の四文字で事足りる程度のものだ。

 

 だから。

 背後からの呼びかけに足を止め、億劫そうに振り返った少年―――その眼前にいきなり握り拳が迫っていたとしても、別段驚くほどのことではない。

 

「ちょいと『お話』しようぜ、()()()

 

 ボッッ‼︎ と。

 拳が顔面に吸い込まれた瞬間、鈍い破裂音が響き渡り。

 

「―――は、」

 

 そうして、一つの『対話』があった。



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