光の軌跡・閃の軌跡 (raira)
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Prologue 光のいっぽ

 七耀暦1204年 3月31日 

 

 目が覚めた時、知らない天井に迎えられた私は、自分が遥か遠くまで来てしまった事を感じた。

 

 それは、昨日のお昼に列車の乗り換えで一時的に降り立った帝国南部サザーラント州の州都、《白亜の旧都》とも呼ばれるハイアームズの侯爵様が住まわれるセントアーク市でも思ったことだが――

 

 少し重い瞼をこすりながら、カーテンを開ける。

 緋色の屋根の街並みに朝日が降り注ぐ春の日の朝。

 

――実家のある帝国南部サザーラント州の片田舎から数千セルジュ――緋の帝都ヘイムダルで感じたのは当然、それ以上だった。

 

 部屋の窓を開けて、私は外のまだ少し冷たい空気を胸に取り込む。

 

 大陸に名だたる帝国の中心にして皇帝陛下のおわす帝都!

 窓から望めるのは陛下の皇城《バルフレイム宮》!……の上の尖塔部分。

 かのドライケルス大帝の凱旋が名前の由来となった、帝都最大の目抜き通りであるヴァンクール大通り!……に続く多少は広い路地。

 

 少し景色が思うようにいかないのは、この部屋がヴァンクール大通りに面した貴族様が泊まる様な高級ホテルのスイートルームではないからだろう。

 

 帝都を訪れるのは二回目。

 祖国であるこのエレボニアに、初めて私が連れて来られた時以来だった。

 その時は私もまだまだ小さく、それ程鮮明な記憶は無いものの、この緋色の大都市に心を踊らせた事はよく覚えている。

 それまで暮らしていた所は田舎で、あんなに大きくて高い建物も、こんなに沢山の人も居なかったから――って今もサザーランド州の田舎に住んでいるのだけど。

 

 帝都の庶民的な通りの一つであるオスト地区の安い宿酒場の部屋で、自分にツッコミをしながら私はワンピースのパジャマの袖から腕を抜く。

 

 こんな所に一人で泊まった事が知れたら実家のお祖母ちゃんは間違いなく雷が落ちそうなものだ。お父さんも割と怒りそうではあるのが目に浮かぶが、相変わらずの仕事で帰って来ることはなく、結局別れの挨拶もする事無く出発日の昨日が来てしまった。

 

 鉄道の通っていないサザーラント州の辺境からパルム市まで導力車で三時間。

 パルム市から帝都まで列車で八時間。

 パルムからの列車もセントアークで乗り換えがあり、待ち時間も長い。

 結局、村からパルム市まで送ってくれた、村の雑貨屋の息子で領邦軍兵士の幼馴染が言うとおり、帝都で一泊という形になってしまった。

 

 本当は目的地の街で宿屋を探すというのも考えたのだが、長旅で疲れてた私は少々浅はかにも、帝都で早めに休んでしまうという甘い誘惑に乗ってしまった。

 

 勿論、帝都の方が宿屋は多いだろうし泊まりやすいのだけど、実際は帝都駅で庶民的な宿への案内を見つけてからが大変だった。

 それこそ、四苦八苦しながら導力トラムという路面鉄道に乗ってこの宿屋まで来たのだが、昨日の夜にこの宿屋の陽気なマスターとチェックインの時に話した時、我ながら本当にバカをしたと痛感することとなった。

 

 目的地である帝都から近郊都市トリスタまでは約三十分、帝都駅からここオスト地区まで導力トラムで三十分。まさか、路面鉄道でここまで来る時間と一緒ぐらいだったなんて、と昨晩は気を落としたものだ。

 

 

 鏡に向かってため息をつきながら、制服をちゃんと着れているか上から下まで一通りチェックをしてみる。

 

 ついでに自分の顔も。

 数日前に切ってもらったばかりの髪は、ナチュラルミディの長さ。

 ごくごくありふれた栗色の髪の毛に、同じ色の瞳。

 

 うーん…大丈夫かなぁ。

 

 栄えある帝国貴族様から言わせれば、『高貴な出自ではない事が一目瞭然だ』と間違いなく言われること間違いなしの容姿の様な気がする。

 まぁ、制服の質以外は何一つ高貴な出自ではないので何とも言えないのだが。

 しかし、今日から行く所はその高貴な方々も居らっしゃる場所でもあり、この制服の色違いの制服にその貴族様も袖を通している……らしい。

 

 元気な田舎娘――とはよく言われたものだが、それでいて良い場所なのか少し不安になる。

 漠然とした不安に包まれながら、先程まで着ていたパジャマと下着を荷物へしまう。

 

 しかし、どんなに不安を感じても、どうする事も出来ない。そして、最早入学式当日である以上は腹を括るしか無い。

 

 だって、二、三時間後には――ベッド脇の少し古めの導力式時計を見て、一気にそんな考えを頭の片隅へ追いやる。

いや、どちらかと言うと時計の針の指す数字を見て、頭の片隅どころか遥か遠くのアイゼンガルド連峰の彼方に飛んでいってしまったと言った方が正しいだろう。

 

「ちょっ……やばっ!」

 

 慌てて、荷物をまとめる。

 無駄に慌てると髪もまた乱れるのだけど……そんな事を気にしている余裕は全く無かった。それに、乱れたら乱れたで髪は列車の中で直せばいい。

 取り敢えず自分の持ち込んだ荷物だけはまとめて、早く下に降りて帝都駅へ向かわないといけないのだから。

 流石に入学式から遅刻なんて以ての外だ。

 

 荷物を手に部屋の扉の前に立ち、昨晩お世話になった部屋を最期に一通り確認する。

 

 

「げっ!」

 

 

 ベッドの上に置いたままの開きっぱなしの三枚綴りの小冊子――

 

 

 

 ”トールズ士官学院 入学式のご案内”

 

 ”1204年3月31日 近郊都市トリスタ トールズ士官学院内講堂”

 

 

――を手に掴み――

 

 

 ”エレナ・アゼリアーノ様”

 

 ”この度はご入学おめでとうございます。”

 

 

――大きなボストンバックの中へ乱雑にしまいこむ。

 

 

 そして、私は慌ただしく部屋を後にした。

 




はじめまして。rairaと申します。

当作品は主に「閃の軌跡」を題材にした軌跡シリーズの二次小説です。
能力も血筋も庶民な普通のオジリナル主人公(女)をⅦ組に入れてみた、というコンセプトです。
その子の視点でⅦ組はどう映るのでしょうか?
基本的に物語の流れを踏襲し、原作の雰囲気を壊さない様に意識しています。

恋愛とかは当分はオリキャラと原作キャラの間ではないと思います。(原作の雰囲気、壊したくないので)

昔、他所で空の軌跡の二次をやっていた関係で「閃の軌跡」プレイ後、突発的に書いてしまった物ですが、お楽しみいただけたら嬉しいです。

文章下手ですが、どうぞ宜しくお願いします。


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序章
3月31日 リィン・シュバルツァー


 緋色の街並みが遠くへ流れてゆき、あっという間に車窓は田園地帯の景色となっていく。

 

 窓枠へ付いた頬杖から顔へと伝うのは、列車の規則的な揺れ。目的地へ向かっている事を意味する鉄路の繋ぎ目を越える周期に合わせる様に、胸の鼓動が近付いてゆく。

 これから訪れる初めての街、そして、初めての学校。近郊都市トリスタは、トールズ士官学院はどんな所なのだろう。私はちゃんと上手くやっていけるのだろうか、友達はちゃんと出来るのだろうか。

 

 やっぱり、不安だ。

 

 そんな漠然とした大きな不安と小さな期待を混ぜて、もう後一時間後に迫った入学式から始まる学院生活へと思いを馳せる。

 

 

 帝都の近郊都市の一つであるトリスタの駅。目的地に降り立った私は、列車から降りて改札へと向かう自分と同じ新入生達の背中を見て、違和感の正体を悟った。

 

 私だけ制服の色が違う。

 

 先程まで乗っていた列車が私の後ろを走り去っていく中、ホームをいくら見渡しても緑色や白色の制服の生徒は見かけるが、私と同じ赤色はいない。

 内心焦り始めていた私が落ち着きを取り戻したのは、丁度改札を出ようとした所であった。

 

 いた!

 

 駅員さんに切符を渡しながら、やっとお目当ての物というより色を見て安堵の溜息が零れる。

 駅舎の出口を出た辺りで立ち話していたのは、自分と同じぐらいの年頃の黒髪の男子生徒と金髪の女子生徒。彼らは私と同じ赤い制服に身を包んでいる。

 何やら少し二人の間にトラブルが起きていた様子で、黒髪の少年が金髪の少女にしきりに謝っている。

 

 それにしても、彼らを見つけた時に思わず声を出していたのだろうか。横からの駅員の視線が少し痛い様な気がした。

 

「あー……入学して嬉しいのは分かるんだが、後ろ並んでるからな? 切符、渡したら行っていいんだよ?」

「あっ、すみませんっ!」

 

 まさか足が止まっていたとは。

 幸いな事に私の後ろには一人の恰幅の良い中年の男性客しかおらず、その少し太った彼も何か生暖かい表情で逆にすまなそうに会釈してきただけであり、逆に何だかものすごく恥ずかしくなる。

 

 しかし、今私にとって重要なのは、自分と同じ色の制服を着た生徒のことだ。

 

 ぱっと見た感じでは話しかけ辛い雰囲気ではないのだが……何故か少し距離をとってしまった。

 取り敢えずやっと見つけた二人の”仲間”を少し離れた位置から様子を窺う。

 

「気にしないで。私も花に見惚れちゃってたから。でも、すごく良さそうな街ね?」

「ああ、俺もちょうど同じことを思っていた所さ。トランク、大丈夫か? 落としちゃったみたいだけど」

 

 女の子の方はすごくかわいい人だなぁ……あっちの黒髪の男の子もかっこいいなぁ。

 

 素直な感想。

 二人共整った顔立ちで、もしかしたら貴族の方なのかも知れない。

 

「ええ、心配しないで。それにしても……同じ色の制服なのね?」

「そういえば……みんな緑の制服だけど一体どうなっているんだ? 送られてきた物を着てきただけなんだが……」

 

 そうそう、それが気になるの!

 思わず相槌を打つ様に首を縦に振ってしまう。

 

 二人の立ち話はそう長くは続かず、金髪の子は男の子に軽く笑いかけて、士官学院の方へと歩き出していってしまったから。

 

「……名前、聞いとくんだったな。まあいいや、これから先も顔を合わせる機会はありそうだし」

 

 少し名残惜しそうに、黒髪の男の子は先に行ってしまった金髪の子の後ろ姿を見送りながら呟く。

 

 そりゃそうだよね、女の私でもあの子はかわいいって思うし……。

 でも、ちょっと困った。さっきの子に話しかけたかったのに、先に行っちゃうなんて。

 うーん……男の子かぁ。同い年の男の子と話したことなんて無いから、少し話しかけづらいし――

 

「しかし、同じ色の制服か……あっ……」

「あっ」

 

 目が合った。

 数秒、だろうか。何枚かの白い花弁が私と彼の視線の間を横切る中、暫し無言の時間が過ぎる。それを先に破ってくれたのは彼だった。

 

「えっと、おはよう。君も同じ色の制服なんだな?」

「う、うん……そうだね。ええっと、その――」

 

 盗み聞きしていた引け目もあるのだが、それ以上に直に目の前で見ると故郷の田舎の男の子達とは違う感じ、何とも言えない雰囲気とでも言うのだろうか。

 貴族様のような話し方ではないと思うのだが、体にものすごい緊張が走る。

 名門の士官学院に入学する位なのだから、平民でも軍人さんや中央政府のお偉いさんのご子息だったりするのかも知れない。

 

「俺はリィン。リィン・シュバルツァーだ。君は?」

「エ、エレナ・アゼリアーノです! そ、その、よろしくお願いしますっ!」

 

 初めての自己紹介は、もう無様にも噛み噛みだった。

 

 

・・・

 

 

 最初は緊張し過ぎて無様な有様を晒してしまった私だが、少し話しただけですぐ慣れて緊張も大分解されていた。

 

 リィンさんは私が思っていたより遥かに社交的で話しやすくて、特に故郷の南部に少なくない黒髪の風貌なのが逆に懐かしさを感じさせてくれてもいた。

 

「ライノの花、綺麗だよな。こんなに咲き誇ってるのは中々見ないし」

 

 リィンが丁度、上を向いて街路樹の花に視線を向けながら口を開く。

 

「すごく綺麗だよ……ですよね。それにしても、ライノっていうんですか、この花。故郷じゃ見た事のない花で不思議に思ってました」

「ライノを知らないのか――もしかして、留学生だったりするのか?」

 

 違う意味で少しドキッとしながらも、彼には突拍子もない勘違いをされてしまった様だ。

 それにしても、この花を知らないのが余程おかしいのだろうか。

 まるで私が『皇帝陛下のお名前を知らない』とでも言ったかの様な驚いた表情をしている。

 

「あはは、そんな事は無いですよ。れっきとした帝国人です。ただ、故郷は南部の海沿いで少しここら辺とは気候が違うのかな?」

「ああ、なるほど。南部というとサザーラント州か。じゃあ、俺とは正反対になるのかな」

「正反対というと、リィンさんは北の方から来たんですか?」

 

 なるほど。昔、幼馴染が言っていたように帝国は広い。

 もしかしたら彼の故郷と私の故郷じゃ一万セルジュ以上も離れているのかも知れない。

 

「そうだな。ノルティア州のユミルっていう田舎町の出さ。ああ、それと――”リィンさん”はちょっと……」

 

 不味い。リィンさんって、やっぱり、貴族様のご子息様だったのかもしれない。

 そうとは知らずに無礼な言葉遣いを事をしていた。第一印象は重要って家を出る時に口酸っぱく言われたので、少しは言葉遣いも丁寧に心掛けてはいたけど、貴族様相手となれば話は別だ。

 どう謝ろうか、シュバルツァーという家名は聞き覚えはないが、確かに彼の端正な顔立ちや雰囲気は貴族であっても不思議は無い。

 それよりも呼び方を変えてくれと催促されているのだ、やはりシュバルツァー様だろうか、いやここはリィン様になるのだろうか。

 

 貴族のご子息様とどのように話せば良いのだろうか。今まで接したことすら見たことすらない貴族様にどう話せばいいかなんて、まったくもって分からない。

 

「え、ええっと……あの……」

「普通にリィンで呼び捨てで構わないよ。同じ1年生なんだ、変に丁寧にされても困るからさ」

 

 私はどうやら結構恥ずかしい誤解をしていた様だ。

 そして、リィンは私の誤解を分かっていたらしく、困ったように苦笑いをしている。

 ついさっきまで落ち着けていたのに、まさに心の中を見透かされた様である。

 

「う、うん……わかった。リィン」

 

 す、すごい緊張する。

 

 彼が貴族様では無い事と都会っ子ではない事は判ったのだが、それでも村の男の子達とは全く違うリィンに戸惑うばかりであった。

 帝国北部、ノルティア州ユミルの出身のリィン君かぁ。

 

 話しながら歩いている内に、ライノという花が咲き誇っていた商店街を抜けて橋を渡る。

 その際、リィンが川の流れを少し懐かしそうに見ていたのに気づくが、生憎と私には川には縁がなく気の利いた話題は出てこなかった。

 

 

 丁度道が十字に交差している場所に差し掛かった所で、もう一人の赤い制服を来た少女――でいいのだろうか、背の高い女子生徒がお付きの人と思われる老執事に荷物を渡されている場面に出くわした。

 

「それではお嬢様。ご武運をお祈りしております」

「うん、ありがとう。爺も元気で父上の留守はよろしく頼んだぞ」

 

 そう受け応えた背の高い子はとても綺麗な青い長髪で、何やら相当な大きさの鞄を背中に背負って校門の方へ去ってゆく。それは私にとっては物語の一節のようで――この目が初めて映した生の貴族様のお姿は、凛としておりとても美しかった。

 

「これは失礼――よき日和で御座いますな。この度はご入学、誠におめでとうございます」

「あ、あっ、ありがとうございますっ!」

 

 二人揃って老執事の祝福にお礼をしながら、私は今の出来事をこの学校で初めて会話できた人と話したくてしょうがなかった。

 

「リィンさ……リィン! あのお方きっと貴族様だよ。執事様だっていたし……! それに同じ制服!」

「ああ、そうみたいだな。凛とした佇まいだったし、名のある武門の家の出かも知れない」

「やっぱりそうだよね!? うわぁ……ご無礼の無い様にちゃんとしないと……」

 

 私が入学するこの道の先にある目的地は、当然の様に貴族様もいる場所なのだ。

 

 自分と同じ色の制服に身を包む背の高い少女の背姿に、私は緊張からか思わず唾を飲み込んでしまった。

 

「因みにエレナは貴族の事が――その、苦手だったりするのか?」

 

 リィンは少し心配そうな表情を私に向けながら訊ねてきた。

 多分これは先程の彼の呼び方でしどろもどろしてしまった事も含んでいるのだろう。

 

 世間知らずの田舎者と思われたく無かったのであまり大っぴらにはしたくなかったが、やはり言うしかないのだろうか。

 結局、私は彼の心配そうな色の混ざる瞳を見て正直に話した。

 自分の故郷が領地の端に位置しており、何も特記すべき物が無い村の為、大人達から貴族の話は聞くが本物の貴族には会った事はなかった、と。

 

 リィンは相槌を打ちながら理解を示す。

 大都市部や地方の領地でも屋敷が置かれる街以外で貴族を見かけると言うのも、この帝国広しといえど中々無いものであるのだから。

 私が実際の貴族に会った事が無いのならば、仕方は無いと言ってくれた。

 

 ただ彼は最後に、士官学院に入学すれば嫌でも毎日何度も顔を合わせなくてはならないという事についても触れた。

 

「でも、無礼な真似は絶対しちゃダメって言われてるから、そんなに緊張してるわけじゃ――」

「はは、大丈夫だよ。士官学院の生徒は貴族生徒も平民生徒も平等っていう話だし、堂々としていればいいんじゃないかな」

「堂々と……」

 

 そう呟きながら私はリィンの事を感心する。

 リィンも平民なのにこう言う事を言える――同じ平民階級で歳も同じような男の子からこの様にアドバイスされる。

 彼もやはり堂々としていた。

 ふと、私の脳裏には帝国時報や雑誌でしか見た事がない有名人が浮かんだ。

 帝国政府の代表、平民出身であるにも関わらず貴族様相手に一歩も引かず堂々と帝国の改革を推し進めるオズボーン宰相。リィンとは黒髪ぐらいで格好良い事位でしか共通点は無いが、”堂々”という言葉に宰相閣下が浮かんでしまう。

 流石に宰相閣下のような堂々とした態度は難しいだろうが、少しでも――と思案してた時、リィンが物凄い爆弾発言を投げ込んできた。

 

「さっきも俺とあの金髪の女の子が話してる時、少し離れて見てたと思うけど――」

「え、ええっ!?」

 

 咄嗟に素っ頓狂な声が出てしまう。

 まさかバレでいたとは。少々引け目に感じていたのは事実だが、想定外にもほどがあった。

 普通に話しかけて来てくれれば良かったのに――と言葉を続ける彼から無意識に二、三歩後ずさりながら、いつから気が付いていたのかと私は聞いた。

 彼は再び予想を裏切る返事を返してきた。

 

「君が改札を出る辺りからかな。視線もあったけど、駅舎の中で中々動かない気配もあったからな」

 

 即答するリィン。

 気配で察知するなど物語の中の剣士や騎士様だけだと思っていただけに、それは衝撃でもあった。

 流石に中々言葉が纏まらない。盗み聞きした事は早く謝るべきなのだが…。

 

「えっと、どうかしたのか? 俺、そんな変なこと言ったかな」

 

 彼は不思議そうな表情を浮かべる。

 

「ごっ、ごめん! あの時は二人の邪魔になっちゃうかも知れないって思って、ね? あの子も凄く可愛かったし!」

 

 二人の邪魔という言葉に苦笑いしながらリィンは「名前もまだ知らないのに」と付け加える。

 少し名残惜しそうにしているのは、そのせいだろうか。

 しかし、私にはそれよりももっと気になることがあった。

 

「それにしても、”気配でわかる”って凄いね。どうやったら気配とかわかるの?」

「うーん、こればっかりは修行の賜物としか言えないな」

 

 リィンは少し申し訳なさそうにし、簡単に言葉で説明出来るものではない、と続けた。

やはり普通の人の能力ではなさそうだ。

 

 そして彼の口から漏れた『修行の賜物』という言葉。やはり士官学院生であるという事は武術に精通しているという事なのだろう。

 いくら卒業生全員が軍人になる時代ではないといっても、今から向かう場所はれっきとした士官学校であり、今でも卒業生の四割は軍人の道に進むのだ。

 私も故郷を発つときに村の人々から心配されたように、有事の際は正規軍や領邦軍と同じ立場――つまり『帝国を守る力』とならなくてはならない。

 

 しかし、武術を極めると本当にそういった事が可能となるのだろうか。

 彼の”武器”と思われる物に目を走らせる。

 紫色の細長い袋は帝国の物とは思えない東方風の意匠だが、中には剣が入ってるのだろうか。

 東方――大多数の帝国人にとっては東部クロスベル州の先、帝国南部出身の私の場合はリベール王国の向こうと考えたほうがしっくり来るカルバード共和国。

 帝国では政治の話以外であまり見聞きする土地ではない為、この東方風の袋の中に入っている武器は想像が付かない。

 

 ふと、見比べるように自分の武器が入っているボストンバッグを見る。

 両親の思い出の品物であると祖母からは伝えられたが、これを武術というには中々難しいかもしれない。

 そして、学院から制服と共に届いた新型と思われる赤いカバーの戦術導力器(オーブメント)はちゃんと使いこなせるだろうか。

 故郷の大人達でもオーブメントを使いこなせる人は少なく、一人前に使える人は引っ張りだこで職に困らない幸せ者だというのに。

 

「ふう……やっと着いたな」

 

 漠然とした不安に心が囚われそうになった時、隣を歩いていたリィンが私を現実へと戻してくれた。

 

 ここが……。

 

 感嘆しか浮かんでこなかった。

 圧倒的な存在感を放つ白い士官学院の校舎は故郷のどの建物より大きく、高さも故郷の礼拝堂より遥かに高い。

 目の前にある立派な鐘楼と時計は優しく自分達を見下ろしており、校門の脇に置かれている蜜柑色の花の鉢植えは祝福してくれている。

 

「トールズ士官学院――かのドライケルス大帝が創設した学校だな」




こんにちは、rainaです。
この作品は久しぶりの二次小説になるのですが、文章を書くのが遅く、そして下手になっていまして困ってしまいます。
語彙力というのは使わないと本当に失われていくのですね。


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3月31日 入学式

「ご入学、おめでとーございます!」

 

 校門をくぐると、すぐ右手から出てきた小さな女子生徒が私たちに祝福の言葉を送ってくれた。

 その隣には黄色い作業着の様なツナギを着た太めの男子生徒もいる。制服は着ていないが、きっとこの士官学院の上級生なのだろう。

 

 私とリィンがそれぞれ軽くお辞儀をしながらお礼を返すと、小さな先輩は嬉しそうに、うんうんと頷きながら話に入った。

 

「君たちが最後みたいだね。リィン・シュバルツァー君と……エレナ・アゼリアーノさんでいいんだよね?」

 

「は、はい。――どうも初めまして」

「は、はい。はじめましてっ」

 

 (そういえば何が最後なのだろう?)

 と不思議に思って私が口に出そうとする前に、リィンが全く同じ事を聞いていた。

 しかし、先輩は笑いながら、「今はあんまり気にしないで?」と、はぐらかす。

 

「それが申請した品かい? いったん預からせてもらうよ」

 

 リィンの紫色の東方風の刀袋を預かる、作業着姿の先輩。

 刀袋を担ぐと、次は君の番だと目配せで伝えてくれる。

 

「あ、ちょっと待ってくださいね」

 

 ボストンバッグの中身を開くと、朝乱雑に詰め込んだパジャマと入学案内書が中から覗かせて後悔する。

 慌ててバッグを自分の左隣に置いて、自分以外の三人からバッグの中身が見えないよう、少し中腰にしゃがむ。

 そして一番奥にある、重量感のある百科事典程度の大きさの灰色のケースを取り出して彼に渡した。

 

「確かに――」

 

 ケースに刻印されたラインフォルト社のロゴと軍の紋章を見て、彼は少し神妙な面持ちで丁重に受け取る。

 そして、ちゃんと後で返されるとは思うから心配はしないでくれ、と付け加えた。

 

「あ、エレナちゃん。お荷物は私がお預かりするよ。ちゃんと責任もって学生寮に運んどくね」

 

 ボストンバッグを両手を広げて体も使って受け取る小さな先輩に、私は少し罪悪感を感じる。

 バッグが予想より重かったのか、小さな先輩は少しよろめいて私とリィンを心配させるが、彼女は笑いながら私達に早く入学式が行われる左手の講堂に向かう様に促した。

 荷物を預かってくれた先輩にしっかりとお礼をし、左手奥の飾り付けられた講堂へ足を向けると、あ、そうそう――と何か忘れていたかの様に呼び止められた。

 

「二人とも《トールズ士官学院》へようこそ!」

 

 

・・・

 

 

「お二人共先輩なのかな?」

 

 講堂の方へ少し進み、他の新入生と話す二人の先輩の声が聞こえなくなった頃、リィンは少し不思議そうに私に話しかけた。

 「女子の方はちょっと年上には見えなかったけど……」と続ける。

 

「……いまのはさっきの先輩の前で言っちゃダメだと思う」

「え?」

「ほら、女の子って結構、色々コンプレックス、持ってるから」

 

 私は自分でそんな事を言っておきながら、中々威力を持ったブーメランを投げ付けたものだと後悔した。

 目の前の彼を弧を描くように避けて自分に戻ってきた目に見えないブーメランが、グサグサと心に刺さってゆくのを感じる。

 そう結構、色々コンプレックスとは持っているものなのだ。

 

「そういうものなのか……結局、俺達が最後ってどういうことだろうな。まだ校門の方に新入生はいるみたいだけど……」

 

 校門の方へ目を向けて、自分達が新入生の最後ではない事を確認するリィン。

 何か納得のいかないような顔だ。

 

「なんなんだろうね?」

 

 私も先輩に聞こうと思ってたぐらいには気になる。結局、リィンに先を越されてしまったが。

 しかし、仮に私が聞いていたとしても、あの小さな先輩の対応は変わらないだろう。

 

「まぁ、そんなに考えてもしょうがないか」

 

 そろそろ時間も余裕はないし、講堂の中に入ろう――とリィンは続けた。

 

 

・・・

 

 

 私は教会が苦手だ。毎週のミサは勿論の事、去年まで通っていた日曜学校だって苦手で苦手でしょうがなかったぐらいだ。

 流石にある程度の歳になってからは真面目に授業を受ける様に心がけてはいたものの、子供の頃に途中で逃げたりサボってシスターに怒られた回数は数えたくもない。

 きっと育ててくれた祖母から怒られた回数より遥かに多い事だろう。

 長い時間ずっと同じ姿勢で座り慣れていないというのもあるのだが、単純に人の話を長々と聞き続けるのも苦手なのだ。

 それは勿論、入学式などの式典でも同じことが言える。

 

 ヴァンダイク学院長――帝国の英雄でもあるヴァンダイク元帥の話は父から聞いたことがあり、とても誇らしげに語っていたのを覚えている。

 トールズ士官学院への入学が決まった時、出来るものならば自分が元帥閣下のお言葉をお聞きしたかった、と娘の試験の合格への祝福より先に手紙の文面に書いていた程だった。

 しかし、そんな親の尊敬の念もあまり娘には届かなかった様で、私といえばうたた寝から覚める度に父と元帥に心の中でとりあえず謝りながら、過ごす有様であった。

 

 

「『若者よ――世の礎たれ』」

 

(ふぁっ)

 いきなり元帥の声が大きくなったので少し驚いて、壇上の元帥を見る。

 

「”世”という言葉をどう捉えるのか。何をもって”礎”たる資格を持つのか。これからの2年間で自分なりに考え、切磋琢磨する手がかりにしてほしい。――ワシの方からは以上である」

 

(『世の礎たれ』かぁ……)

 難しい事を仰っていたが、学院長の話が終わったという事はもうそろそろ入学式も終わりだという事だ。

 そう思うと、ついさき程まで無性に眠かったのが嘘の様に目が冴えてくる。

 

「ふむ、帝国の学校とは中々難しい事を求められるようだな」

 

 隣の席に座るガイウスという長身で褐色の肌の青年が呟く。

 入学式がはじめる直前、同じ色の制服を着ている者同士ということでお互い自己紹介はしたのだが、すぐに式は始まってしまったので私は彼については名前しか知らない。

 ちなみに入学式で座る椅子は自由ではなく指定で決まっていた様で、この講堂まで一緒に来たリィンはというと三列ほど前の椅子に座っているのが見える。

 どうやら隣に座っている赤毛の男の子と話している様子だ。

 

「……あはは、なんだかんだいってここは名門の学校だから――って、やっぱり帝国の人じゃないの?」

「ああ、オレは帝国人ではない。北東の地、ノルドの出身だ」

「ノルド高原……大帝の挙兵した地かぁ。私は帝国の南の端の出身かな」

 

 すごい辺鄙な所だけど海が綺麗な街なんだよ、と続けた私に、海か……と呟き考え込むガイウス。

 どうやらガイウスには帝国の地理は難しかったのだろうか、彼の様子を窺いながらそんな事を考える。

 私は彼とは仲良くなれそうだと確信していた。というより、同じ田舎出身の同志を見つけたというのが正しいのかも知れない。

 こうやって周りを見渡すせば、嫌でも目に入る前列付近の白い制服を着た貴族の生徒達は皆お洒落に気を使っている様で、流石と言わざるを得ない。

 貴族生徒以外の多くの生徒も雑誌等で見る都会っ子という感じの髪型も多く、女子のアクセサリ等も帝都での流行物だったりするので、帝都や主要都市出身なのだろうと思う。私にはあまり似合わなそうだし、まず高価過ぎて手が届かない様なものだけど。

 やはり彼とは仲良くならなければと再確認した時、ガイウスが何か閃いた様に話し掛けてきた。

 

「……確か教会の神父に帝国の南にはリベールという海沿いの国があると教えられた。帝国の端というとその国に近いのか?」

「そうそう、近くの大きな帝国の街に出るより、リベールの方が近いぐらいかな」

 

 私が親近感を感じたように、彼も感じてくれているのだろうか。

 ガイウスは少し嬉しそうに、『お互い随分遠くからやって来たのだな』と優しく呟いた。

 

「以上でトールズ士官学院、第215回入学式を終了します。以降は入学案内書に従い、指定されたクラスへ移動すること。学院におけるカリキュラムや規則の説明はその場で行います。以上――解散」

 

 見るからに貴族風の初老の男性がマイクで入学式の終了を伝えた。

 

「ふぅー、やっと終わった!」

 

 両腕を天井に向けて挙げて伸びをする。

 やはり同じ体勢で座り続けるというのは慣れない。

 

「ふふ、余程退屈だったようだな」

 

 私に苦笑いしてからガイウスは、一通り周りを見渡す。

 

「しかし、指定のクラスか……そんな項目は無かった様に思うが……」

 

 と、不思議そうな様子だ。

 

「確かに私も――」

 

 分からない、と続けようとした所で、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「指定されたクラスって……送られてきた入学案内書にそんなの書いてあったっけ?」

「いや、無かったはずだ。てっきりこの場で発表されると思っていたんだが……」

 

 数列前に座っていた同じ制服の赤毛の男の子とリィンが話している。

 あちらもクラスについては分からない様子だ。

 

「はいはーい。赤い制服の子達は注目~!」

 

 向かう場所が判らないので未だに講堂内の座席近くから離れられない赤い制服の生徒達の前に、赤紫色の髪の女性が現れた。

 式の間、ステージ下左手の教官の並ぶ列の中にいた為、この学院の教官なのだろう。

 

「どうやらクラスが分からなくて戸惑っているみたいね。実は、ちょっと事情があってね。君たちにはこれから”特別オリエンテーリング”に参加してもらいます」

 

「へ……?」

「特別オリエンテーリング……」

「ふむ……」

 

 私と同じ赤い制服の生徒が、各々様々な反応をする。

 そりゃあそうだろう、入学案内書にはクラスの事は何も書かれておらず、自分達だけ制服の色が違い、そして今から他の生徒達とは異なった事をするのだと言うのだから。

 そして、何を行うのか全く想像の付かない”特別オリエンテーリング”。

 まぁ、深緑色の髪に眼鏡を掛けた知的そうな男子生徒がその旨を聞いて真っ先に間の抜けた声を上げたのには、イメージに似合わず笑いが漏れそうになってしまったのだが。

 

「え、えっと……」

 

 眼鏡を掛けて長い髪を一本の三つ編みにしている大人びた女子生徒が戸惑っている。

顔は中々の美人さんなのだが、私の視線は彼女の顔ではなく胸に注いでしまっていた。

 比べるように自らの体の控え目な部分に視線を落とせば、思わず大きな溜息が出る。

 私は彼女がどうやら普通の子ではないと、確信した。

 

「……どうかしたのか?」

 

 私の大きな溜息を聞いていたのか、隣に立つガイウスが訝しげに聞いてくる。

 

「うんん、なんでもない。うん」

 

 流石に同じ制服の女子生徒の胸と自分のそれを見比べて落ち込んでいました、なんて同じ年頃の男子に言える訳がない。

 すぐに話題を今一番重要なことに切り替えて、彼にどうするのか尋ねてみる。

 

「とりあえず、行くしかなさそうだ」

 

 ガイウスは意外と肯定的に受け止めているのか、そこまで戸惑っている様子ではなかった。

 件の教官といえば、自分に着いてくる様に指示すると鼻歌を歌いながら、さっさと先に講堂を出て行ってしまっており、早く追い掛けないと見失う可能性もある。

 だからこそ、本来は私への返事だったガイウスの意思表示は、周りの皆の行動のきっかけとなった。

 

「……やれやれだな」、という言葉と共に貴族風の金髪の男子生徒が歩きだし、次々と赤い制服を着た生徒が講堂を出て行く。

 私もガイウスや他の生徒たちに付いていくが、まだ留まっているリィンと赤毛の生徒を見つけて、講堂内に並んでいる椅子の最後尾近くまで駆け戻った。

 

「リィン! 早くしないと置いてかれるよ!」

 

 声を上げる私に、ああ――と頷いてリィンは応え、赤毛の少年と共にこちらへ向かって来た。

 

「すまない、いま向かおうとしていた所だったんだ」

「あはは、心配させちゃったみたいだね」

 

(なんだ、要らぬお節介だったのかぁ)

 

 空振りしたみたいで少し残念な気持ちになる。

 講堂の出口には赤い制服の生徒見当たらず、先を急いだ方が良さそうだった。

 

 赤紫色の髪の女性教官に引率された士官学校の敷地内を進む赤い制服の集団、その後ろを目指して少し小走りで追いかける。

 左手に大きなグラウンドが望めた頃に追いつき、一息置いてから赤毛の少年がリィンに話しかけた。

 

「そういえばリィン、彼女とは知り合いだったりするの?」

「ああ、彼女はエレナ。朝、トリスタの駅で出会ったんだ」

「へぇ、そっかぁ。僕はエリオット。エリオット・クレイグだよ」

 

 リィンの答えを聞いて、目の前の男の子はニコッと笑いながら、私に自己紹介をする。

 『クレイグ』という姓が何故か微妙に引っかかたが、それよりも私は彼の同じ年頃の男子とは思えない愛嬌に驚いていた。

 

(もしかしたら、私よりかわいいんじゃ……)

 

「エレナ・アゼリアーノ。よろしくね」

 

 リィン相手の時に緊張して失敗しているので、今回は失敗しないように気を入れ過ぎたら、今度は少し素っ気無い感じになってしまった。

 第一印象が悪くならないだろうか、フォローした方がいいのではないだろうか等の考えが脳裏にちらつく。

 しかし、目の前のエリオット君は気にした素振りを見せずに「こちらこそよろしくね」と、再び笑いかけてくる。

 

私は気恥ずかしさに少し顔が熱くなるのを感じた。




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3月31日 特別オリエンテーリング part 1

 赤い色の制服の他の生徒達と共に、赤紫色の髪の女性教官に連れられて歩くこと数分。

 

 少しばかり歩いていると校舎から離れている事に気づき、目的の場所が教室等では無い事が判った。

 そして急に周りの雰囲気が暗くなり……多分、ここが目的地なのだろう。

 士官学院の敷地内の端に位置する建物。一見廃墟の様に見えるが、よく観察すると窓ガラスは一枚も割れていなかったりと、一応管理は行き届いているようである。

 それでもなんとも不気味な雰囲気をまとっている。

 

「こ、ここって……」

「士官学院の裏手……ずいぶん古い建物みたいだな」

 

 エリオット君とリィンが口を開く。

 ここまで先導してきた女性教官は建物が纏う雰囲気と正反対にご機嫌そうに鼻歌を歌いながら、この不気味な建物の鍵を開けてた。

 建付の悪い古い木扉の音が不気味さを更に煽るが、そんな事も全く気にする素振り無く、彼女は中へと入っていった。

 集まっている面子がこの建物について各々反応するものの教官の返事はなく、各々この不気味な建物の中へと足を踏み入れてゆく。

 

「えーっと、みんな中入っちゃったけど、私たちも行かなきゃいけないんだよね……?」

 

 こんなことを言いながら私の顔には『出来れば否定して下さい』と表情に書いてある事だろう。

 こういう雰囲気は苦手、というより好きな人など中々いないだろう。

 隣にいるエリオット君もそんな表情をしている。

 

「ああ、流石にここで戻る訳にもいかないだろう」

 

 当然ではあるのだが、こんな所でも冷静にしていられるリィンも中々だ。

 流石に武術の道を進む人は違う。

 

「な、何かいかにも出そうな建物だよね……?」

 

 少しおどけた様にエリオット君は言うが、表情はどちらかと言うと怯えたに近いのではないかと思う。

 

「ちょ、ちょっと……エリオット君、出るって……オバ……」

「い、いわなくていいよ!?」

 

 先ほどより明らかに怯えた表情のエリオット君が慌てて、というか必死に私の口から次に紡がれる言葉を止める。

 あろうことか私が自分の口でその名前を出すところであった。

 まぁ、脳内では先程から何度も暗記問題の反復練習のように思い浮かんで来るのだが。

 

「はは……」

 

 扉の前で私達を待つリィンが苦笑いしていたのを見て、急に恥ずかしくなるのであった。

 

 

・・・

 

 

「サラ・バレスタイン。今日から君たちⅦ組の担任を務めさせてもらうわ。よろしくお願いするわね♪」

 

 比較的小奇麗にされた建物の中のステージ、だろうか。

 その壇上に上がると女性教官は自己紹介と、私たちのクラスについての説明を行った。

 

 大分疑問は解けたのだが、それ以上に新たな疑問も生むのはしょうがない事か。

 とりあえず、サラ教官の話をまとめると――

 ここにいる赤い制服の生徒は今年から新設された特科クラスの1年Ⅶ組の生徒で、クラスの担任は目の前のサラ・バレスタイン教官。

 本来ここトールズ士官学院では、一学年五クラスでそれぞれ各自の身分や出身に応じたクラス分けがなされるが、Ⅶ組はなんと貴族も平民も関係なく選ばれたということだ。

――それが今、目の前で問題となっている。

 

「冗談じゃない! 身分に関係ない!? そんな話は聞いていませんよ!?」

 

 最初にこの抗議の声を聞いた時、やはり私達平民と貴族様が畏れ多くも同じクラスなど以ての外、彼の主張は当然だと思った。

 それは貴族と平民、つまりこの帝国の支配階級と被支配階級では当然必要とされる勉学の内容も違う訳であり、平民である私自身も貴族と一緒のクラスというのは心落ち着かなく、抵抗感を感じていたぐらいだからである。

 だが、私は彼の次の一言に今まで十六年間生きてきた価値観を、完全にひっくり返された様な気がした。

 

「マキアス・レーグニッツです! それよりもサラ教官! 自分はとても納得しかねます! まさか貴族風情と一緒のクラスでやって行けって言うんですか!?」

 

(――貴族風情……!?)

 

 私はとても驚いていた。

 それは深緑色の短髪に眼鏡を掛けた知的そうな男子生徒――マキアス・レーグニッツが平民であった事だ。

 帝国地方部の貴族領邦出身の領民である私にはそれが大きな衝撃だった。

 平民が貴族の前で貴族を愚弄する――ハイアームズの侯爵様は他の貴族に比べるとそれはもう寛大なお方で、領民の事もちゃんと考えてくださっていると聞くが、お膝元のセントアークで先のマキアスの様な言動を取れば即座に領邦軍に連れて行かれる事は間違いなく、与えられる刑罰も決して軽い物では済まないだろう。

 

 勿論、私とて貴族の悪い噂や話など聞いたこともあるし、ご近所との立ち話には帝国各地の貴族の横暴な振る舞い等の話はよく出る。

 村の酒場では女子が口に出すのが憚れれる様な、もっと下品な話題も含めて毎晩盛り上がっている。そしてその様な話は必然と貴族こき下ろす恒例のネタになるのだ。

 しかし、その様な話は定期的に村に来る領邦軍や州の徴税官の目の前では誰もしない。

 

「別に。”平民風情”が騒がしいと思っただけだ」

「これはこれは……どうやら大貴族のご子息殿が紛れ込んでいたようだな。その尊大な態度……さぞ名のある家柄と見受けるが?」

 

 マキアスの言動に反発したのだろう、見るからに貴族然とした堂々とした態度で金髪の男子生徒が煽るが、マキアスは一歩も引かずに対抗する。

 

(貴族様相手にケンカを売り付けるだなんて……)

 

 ここはエレボニアなのだろうか。カルバード共和国の自由主義者が紛れ込んでるのではないか、それとも私が今まで住んでいた場所は違う国なのだろうか。

 そんな有り得もしない考えすら脳裏に浮かぶようになっていた。

 そして、マキアスを煽った貴族のご令息様は、とんでもない家名をその口から出した。

 

「ユーシス・アルバレア。”貴族風情”の名前ごとき、覚えてもらわなくても構わんが」

 

「し、《四大名門》……」

「東のクロイツェン州を治める《アルバレア公爵家》の……」

「大貴族の中の大貴族ね」

「なるほど……噂には聞いていたが」

「……ふぁ……」

「セントアークの侯爵様より家格が高い貴族様だなんて……」

 

 一同皆驚き、私も自然と口から言葉が零れていた。

 これが名門士官学院ということなのだろうか。昨日まで本物の貴族に会った事もない私が、まさか東の公爵家のご令息様を目の前にしているなんて!

 

「だ、だからどうした!? その大層な家名に誰もが怯むと思ったら大間違いだぞ! いいか、僕は絶対に――」

「はいはい、そこまで」

 

 手を叩きながらサラ教官は流れ断ち切った。

 正直、心の底からほっとした。あのまま、何かの間違い――例えばマキアスが血迷ってご令息様に手を挙げたりしたらとんでもない事になっていただろう。

 

「色々あるとは思うけど、文句は後で聞かせてもらうわ。そろそろオリエンテーリングを始めないといけないしねー」

 

 マキアスはあまり納得のいかない様で渋々といった感じで矛先を下ろす。

 金髪の子や眼鏡の子がオリエンテーリングの内容について尋ねるものの、目の前のサラ教官は内容を教える気は無いようだ。

 

「もしかして……門の所で預けたものと関係が?」

 

 リィンが何かに気付いたかの様に、サラに尋ねる。

 

「あら、いいカンしてるわね。それじゃ、さっそく始めましょうか」

 

 リィンの憶測に嬉しそうに答えたサラ教官が手近にある柱を押すような仕草をするのと同時に、何かが動く音が建物内に響く。

 次の瞬間、突然傾いた床によって私は地下へと叩き落とされた。

 

 

・・・

 

 ……クッ……何が起こったんだ……?

 いきなり床が傾いて……

 ……やれやれ。不覚をとってしまったな。

 ここは……先ほどの建物の地下か。

 フン……下らん真似を。

 

 暗い地下室だろうか、みんなの声が反響して聞こえる。

 思いっきりお尻から落ちた為にまだ少し痛いが、それ以外は至って無傷である事から、ここはそれ程深い場所でも無い様だ。

 しかし、今日は色んなことで驚いてばかりだ。まさか冒険物語の中で出てくる様な落とし穴に落とされるなんて。

 

 私はとりあえず横向きに寝転がっている状態から、上半身を少し起こす。

 大きな溜息の音と共に、その主のエリオット君が視界に入った。

 

「はああ~っ……心臓が飛び出るかと思ったよ」

「エリオット君、大丈夫?」

 

 すぐにエリオット君は「大丈夫だよ」と、私に返事をしてくれた。

 

「リィンは大丈――へ……」

 

 リィンを探そうとエリオット君は周囲の様子を窺い、私の丁度頭の先の方向に視線を向けた所でその表情を変えた。

 私も釣られてそちらの方向を見ると、それはもう凄い有様だった。

 

「うわわっ、リィン……!」

(……わわっ……!)

 

 リィンが仰向けになり、金髪の子がその上で身を完全に預けており、リィンの両手は彼女の背中を抱きかかえる様に――

 えっと、これはどういう状態なのだろう。

 正直、私の頭では何がどうなってこの様な体勢になるのかが、全くもって分からなかった。

 というより、その大胆な二人の体勢を見てると頬が熱くなるのを感じるぐらいだ。

 

「ううん……何なのよ、まったく……あら……」

 

 金髪の子が気付いた。

 時が止まる。

 私は、多分エリオット君も、唾を飲み込んだ。

 

 金髪の子はリィンから飛び退き、リィンといえば申し訳なさそうに彼女の前に立っている。

 とりあえず、俯く彼女の顔は見えないが、耳が真っ赤であることはわかった。

 そりゃ、そうだろう。今日初めて会ったばかりの男子に身体を密着させて、胸を顔に押し付けてしまうなんて。これが恥ずかしくないなら、何が恥ずかしいのか聞きたいといったレベルだ。

 

「……その……なんと言ったらいいのか。えっと……とりあえず申し訳ない。でも良かった。無事で何よりだった――」

 

 リィン、それじゃあ何かやましい事をしてしまった言い訳をしている様にしか見えないのは気のせい?

 そんな事を思っていると――

 

 パシンッ――乾いた音が静かな地下室に鳴り響いた。

 

 

・・・

 

 

「あはは……その、災難だったね」

 

 ある意味、役得の代償の様な気がしなくもないが、リィンの頬にくっきりと残る紅葉を見ると少し可哀想にも思える。

 自分だったらと考えると、とてもじゃないがまともでいれる自信が無いので、金髪の子の気持ちは分からなくもないけど。

 

「ああ……厄日だ」

 

 心底という感じで、本心を吐露するリィン。

 クールなリィンの情けない顔と弱音が、少し可笑しかった。

 

「それにしても、ここは一体……?」

 

 気を取り直したリィンがこの部屋の様子を確かめていると、何やら機械的な音が鳴った。

 

「この導力器からだ……」

 

 二つ折りの導力器を開くリィン。私もそれに倣うと、先程まで聞いていた女の人の声がした。

 

<――それは特注の戦術オーブメントよ――>

 

「この機械から……?」

「つ、通信機能を内蔵しているのか?」

 

 驚く一同。

 こんな小さな導力器なのに驚きだ。

 私の村には未だに導力通信器は無く、街との主な連絡手段は郵便だけだというのに。

 そして、その郵便も中々早くは届かないという代物だ。

 

「ま、まさかこれって……!」

 

 少し離れたところにいる金髪の子は他の皆とは違う何かに気付いたように驚く。

 

<――ええ、エプスタイン財団とラインフォルト社が共同で開発した次世代の戦術オーブメントの一つ。第五世代戦術オーブメント《ARCUS(アークス)》よ。結晶回路(クオーツ)をセットすることで導力魔法(オーバルアーツ)が使えるようになるわ。というわけで、各自受け取りなさい――>

 

 急に部屋が明るくなる。

 いままで視界が悪かったために部屋の全体は見渡せていなかったが、どうやらこの部屋は中世の古い建物の様式と似ている。

 部屋の壁沿いに十の台座があり、その上にそれぞれここにいる面子の武具が入ってると思われる入れ物が置かれている。

 そして、それらの前に小さな箱が置かれていた。

 

<――君たちから預かっていた武具と特別なクオーツを用意したわ。それぞれ確認した上でクオーツを《ARCUS》にセットしてみなさい――>

 

「俺のはあれか……」

「僕のはあっちだ……いってくるね」

 

 通信の指示を聞き、それまで部屋の端に集まっていたみんなはそれぞれ台座の方へ向かう。

 私も自分の武器のケースが置かれた台に向かって歩いた。

 小さな箱を開けると、そこには七耀石の結晶を加工した大きめのクオーツが輝いており、銀色の結晶の中には何かの模様が金色で描かれている。

 

(これがクオーツ……綺麗な銀耀石……)

 

 一体、何万ミラするんだろう。なんて場違いな感想を抱きながら、私は自らの戦術導力器の盤面の中心に球状の銀耀石の結晶回路をはめ込む。

 はめ込むと急に自分の身体と《ARCUS》が青白い光に包まれたような気がした。

 何か身体がふわりと浮くような――それでいて優しく包み込まれる様なそんな感触。

 

 続く通信から、この現象が私達自身と《ARCUS》が共鳴・同期した証拠で、これでめでたくアーツが使用可能になったのだと、サラ教官が説明する。

 ちなみに、《ARCUS》には他にも面白い機能が隠されているらしいが、それは追々教えてくれるようだ。

 

 そして、先程まで閉まっていた部屋の出口の扉が両開きに開いてゆく。

 

<――そこから先のエリアはダンジョン区画となっているわ。割と広めで、入り組んでるから少し迷うかもしれないけど、無事終点までたどり着ければ旧校舎1階に戻ることが出来るわ。ま、ちょっとした魔獣なんかも徘徊してるんだけどね。――それではこれより、士官学院・特科クラス《Ⅶ組》の特別オリエンテーリングを開始する。各自、ダンジョン区画を抜けて旧校舎1階まで戻ってくること。文句があったらその後に受け付けてあげるわ――>

 

 『何だったらご褒美にホッペにチューしてあげるわよ』と、最後に付け加えてサラ教官との通信は切れた。

 うーん、100%冗談なのだろうが、男の子だったらご褒美は欲しいのだろうか。

 確かにサラ教官のルックスは滅茶苦茶うらや……良いと思うし、私の経験からこの年頃の男の子は総じてお姉さんが好みだとしてもおかしくない。

 しかし、ここに居るのはどう見ても堅物というか真面目そうな男子ばかりなので、そういうのは全く効果は無さそうなのだが。

 

「え、えっと」

「……どうやら冗談という訳でもなさそうね」

 

 突然の”特別オリエンテーリング”の開始に一同は戸惑う。

 しかし、そんな皆を余所目にアルバレア公爵家のご令息様は、開いた扉へとさも当然の様に一人で歩いてゆく。

 それを見たマキアスが彼を止めた。

 

「ま、待ちたまえ! いきなり何処へ……一人で勝手に行くつもりか?」

「馴れ合うつもりはない。それとも貴族風情と連れ立って歩きたいのか? まあ――魔獣が恐いのであれば同行を認めなくもないがな。武を尊ぶ帝国貴族としてそれなりに剣は使えるつもりだ。貴族の義務(ノブレス=オブリージュ)として力なき民草を保護してやろう」

「だ、誰が貴族ごときの助けを借りるものか! もういい! だったら先に行くまでだ! 旧態依然とした貴族などより上であることを証明してやる!」

 

 マキアスはそのまま一人で奥へ行ってしまう。

 最初はマキアスの言動に一々驚いていた私も段々と慣れてきていた。

 貴族というものに物凄い対抗心を燃やす彼。一体、今までに何があったのだろうか。というより、何者なのだろうか。

 

「……フン」

 

 ユーシス様、でいいのだろうか。彼もまたマキアスの後に続く様に、この部屋から出てゆく。

 二人がいなくなった部屋は、それまで張り詰めていた空気が一気に解れるのを、この場にいる誰もが感じたに違いない。

 

 しかし、ここにいる者はここにいる者で、今後どうやってこの先のダンジョン区画へ進むか決めかねていた。

 二人は先行――そして残るは八人。何があるか全く想像できず、魔獣がいるという事なので単独行動は間違いなく危険だ。

 一人の女子――入学式の前、リィンと一緒に歩いていた時に見かけた、あの貴族様のご令嬢が皆に言い聞かすように話し始めた。

 

「とにかく我々も動くしかあるまい。念のため数名で行動することにしよう。そなた達、私と共に来る気はないか?」

 

 青髪で長身の貴族生徒が金髪の子と眼鏡の子、そして私の方へ顔を向ける。

 

(え!? 私も?)

 

「え、ええ。別に構わないけれど」

「私も……正直助かります」

 

他の二人はすぐに結論付けたみたいだ。

 

「うむ。そなたはどうする?」

「ええっとー……お、お誘い頂いて恐縮です……よ、よろしくお願いします」

 

 迷ったが、貴族様のお誘いを断る訳にはいかなかった。

 出来れば既に面識のあるリィンやエリオット君達との方が気楽だったのだが……。

 

「それに――そなたも」

 

 もう一人、違う方向へ青髪の貴族生徒は視線を向けるが、どうやらお目当てだったと思われる銀髪の女の子は一人で先へ進んでいってしまっていた。

 

「――まあいい。後で声を掛けておくか」

 

 

・・・

 

 

 とりあえず私はケースの中身を取り出し、手早く準備を終わらせて他の三人が集まっている扉の前に向かう。

 全員が準備を済ませた事を確認した青髪の女子は満足そうに頷いて、リィン達の方へ顔を向けた。

 

「では、我らは先に行く。男子ゆえ心配無用だろうがそなたらも気をつけるがよい」

 

 彼女はリィン達に向けて先に向かう事を伝えて、部屋から出ていく。

 丁寧に頭を下げた眼鏡の子と、先程の事を気にして不満げリィンにそっぽを向く金髪の子もそれに続いて、暗い通路へと足を踏み入れていく。

 

「みんな……ま、また後でね!」

 

 少しは仲良くなったと思う人と行動できないので、少し残念な気分だがしょうがない。

 私はリィン達に手を振り、先へ進む他の三人に続いた。

 




こんばんは、rairaです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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3月31日 特別オリエンテーリング part 2

 私はいま薄気味悪い迷宮――ダンジョンの通路を歩いている。

 

 ダンジョンという単語は本来”城の塔”を意味していたが、いつしか塔の地下に作られる地下牢や拷問室等の人々が恐怖を覚える地下施設の意味も表すようになったとされている。

 ゼムリア大陸における中世暗黒時代は戦乱の時代で、当時は色々な理由で遺棄された城は珍しくもなく、その様な古城の地下、本来ダンジョンと呼ばれていた場所には怪物――つまり大小様々な魔獣等が住み着いていたり、財宝――王侯貴族が残した装飾品や隠し財産などが隠されている事も多かったようである。

 

 今日、小説や物語で語られる”ダンジョン”は、その時代の伝承等で語られている俗説だったり言い伝えを全てひっくるめてそう呼ばれているのである。

 と、私は昔日曜学校の神父様が話してくれた、”ダンジョン”という言葉の由来について思い出す。

 

 そして此処士官学院の敷地内の端に位置する古い不気味な建物の地下は、私の故郷の礼拝堂と似ている中世風の石造建築の様式で、足音がコツコツと通路に反響するのがまた雰囲気を醸し出す――これをダンジョンと言わず何をダンジョンというのか。

 なんとも私が大好きな冒険物語におあつらえ向きな舞台だ。

 

(……と、でも思わないとぶっちゃけ雰囲気有り過ぎて腰が抜けそう……)

 

 とりあえず私は少し気まずい女子四人のチームにいる。

青髪で長身の貴族の女子生徒のリーダーシップにより先導されて、何故か私も誘われてしまった。

 出来ればリィンやガイウス、エリオット君と組めた方がある程度話した事あるので、そちらと一緒になりたかったのだが…。

 しかし、貴族の方が折角誘っていただいたのに無碍に出来るだろうか。先程のマキアス・レーグニッツなら兎も角、私には到底無理な話であった。

 

 それ以外のメンバーには、主席入学者だとサラ教官が言っていた眼鏡の――胸が”普通ではない”女子生徒。

 そしてもう一人は――

 

「――ねぇ。ねぇ、あなた、聞こえてる?」

「え?あ、ごめん……なさい」

 

 いま私の目の前に怪訝そうな顔を覗かせる、金髪でツーサイドアップの髪型が特徴の女子生徒。

 朝、トリスタの駅でリィンと話していた可愛い女の子。

 先程、リィンに完全に身体を預けきっており、半ば抱きしめられていた子。

 こうして顔を覗き込まれでいる様に、私よりも少し背は低い。

 そして――可愛い。考え込みながら歩いていた所を、いきなり現実に引き戻されたとしても何も嫌に思わないぐらいに。

 

「その……口の横、これで拭きなさい。みっともないわよ」

 

 呆れが混じる声色の彼女は私にピンクのチェック柄のタオルハンカチを渡してくる。

 少し気の強そうな彼女にはちょっと子供っぽい気がする意外な柄だった。

 

「へ?なんか付いてる?」

「うん。よだれの跡が」

 

「え」

 

 彼女の即答に頭が真っ白になり、数秒時が止まる。

 

(ええっ、うわぁ…恥ずかしい……)

 

 慌てて受け取ったタオルハンカチで口元を拭う。

 まさか、入学式からここに来るまでⅦ組全員によだれ跡があるのを見せていたなんて。

 正直、精神的ショックは大きい。

 

「式の最中、居眠りしてたのね…まったくいい歳して……」

 

 その綺麗な深紅の瞳がジト目となり、私に向けられる。

 同級生からたしなめられるとは中々照れくさいものだ。

 

「……あはは、ご明察……でも、どうもありがとう……えっと……」

「アリサ。あなたは?」

「エレナだよ、ありがとう。アリサ」

 

 すごい自然に笑うことができた。

 先程まで少し足が震えていたというのに。アリサには感謝しないと。

 「どういたしまして」とアリサはさも当然の事をしたかように振舞う。

 そんなやり取りを二人でしていたら、どうしても足が止まってしまっており…前の方から心配したかのような声がかかった。

 

「――二人共、どうかしたのか?」

「……あ、なんでもないです! 遅れてしまってすみません!」

 

 慌てて前の二人の立ち止まっている場所まで私は駆ける。

 

「ふむ……?そなた、名は何という?」

「エ、エレナ・アゼリアーノです……そ、その……」

「私の名はラウラ・S・アルゼイド」

 

(ラウラ様かぁ……)

 彼女は自らの名を名乗った後、少し間を置き咳払いする。

 

「エレナ、そなたは私へ恭謙に接しようとしている様だが――我らはこれから同じ学舎で切磋琢磨する学友同士。遠慮は全く不要だ。名前も呼び捨てで構わない」

 

 ラウラ様は私の目をその透き通る山吹色の瞳で射抜くが、彼女の表情は柔らかった。

 

「じゃあ、ラウラ……で、いいの?私、ただの平民だよ?」

「ふふ、身分など私は気にはしない。武の道には貴族も平民も無いからな」

 

 ラウラは私に向かって微笑みかけた後、「皆も以後よろしく頼む」と続けながらアリサとその横の眼鏡の子の方へも顔を向けた。

 

 その後、私達は自然と自己紹介の流れとなった。

 眼鏡の子の名前はエマ・ミルスティン。大人しそうだけど、優しくて面倒見の良さそうなタイプだと思う。

 そして主席合格なのだから、頭は私なんかとは比べ物にならない程良さそう。しかしこのⅦ組というクラス、良い人をばっかりではないか。

 ちなみに彼女は今まで見た事もない珍しい武具を手にしており、ラウラが不思議そうに尋ねていた。

 

「珍しい武具だな。どうやら中世の魔道士の杖の様な意匠ではあるが……」

「これは《魔導杖》といいます。基本的に近距離の無属性のアーツ攻撃が出来る武器……っていう所ですかね」

「ふむ……武器自体が一つの導力器なのか……私が導力器には詳しくないからだろうか、驚きしか感じれないのだが」

 

 エマの魔導杖を説明でラウラが感心するが、エマとしてはやはりラウラの持つモノに視線が移ってしまうようだった。

 

「あはは……私からしたらラウラさんのその剣の方が……」

「凄いの一言に尽きるわね」

「剣より、その剣を持てるラウラが一番すごいと思う」

 

 私も含めて三者それぞれ感想を正直に口にする。

 どれぐらいの重量があるのだろうか、正直私の体重より重いと言われても不思議ではない金属の塊だ。

 

「鍛錬を積めば誰でも扱う事はできるのだが……」

 

(そ、その鍛錬が怖い……)

 私たち三人は苦笑いしてお互いに顔を向けあった。

 

「そ、そういえばアリサさんの弓も珍しいですよね。それは導力式なのでしょうか?」

「一応、導力アシスト機能がある弓ね。まぁ、純粋に武器として銃と比べると殆ど何もかも見劣りしちゃうけど」

 

 確かに”武器”としては弓は銃に劣る。

 中世ならいざ知らず、現代において弓術という武術はというよりスポーツの方が近くなってきており、弓自体の性能も威力、精度、射程、連射性、整備性、携帯性――全ての面で銃に及ばない。それでも弓を選ぶ重要な理由がアリサの中にはあったのだろう。

 

「……弓術は伝統的な武術の一つで、東西問わず未だ多くの武術家の中で普及している。それは弓術が高い集中力と精神力を養うのに向いている武術だからだ。鍛錬を積めば決して銃に見劣りする事はないだろう」

 

 弓の達人は今でも多いしな、とラウラは付け加えた。

 彼女は励ましたのだ。

 

「ふふっ、ありがとう。なんだかんだ言って好きなのよね、弓」

 

 アリサは少し笑うと、ラウラに感謝した。

 いつか、”なんだかんだ言って”の部分を詳しくアリサが話してくれる時が来ると、私は思った。

 そして、アリサはそのまま私の方に顔を向けて、「そうそう、エレナの武器は何なのかしら?」と問うて来た。

 

「ふむ、確かに気になるな」

「アリサの弓の話の後だと少し複雑なんだけど――これだよ」

 

 腰のホルスターからそれを取り出し、セーフティのレバーが上がっているのをちゃんと確認してから、誰もいない方向へ構えてみる。

 長さ二十リジュ近く――いかにも軍用といった角張った無骨な黒色のそれは、両手にずっしりくる重みを感じさせていた。

 

「導力銃……ですか」

「――『スティンガーシリーズ』、帝国正規軍の制式導力拳銃でラインフォルト社の歴史に残る傑作導力銃ね。うーん……このスライドの型はあまり見ないわね。中のガンユニットも確かめないと正確には分からないけど、形状は改良型じゃないから旧式かしら……」

 

 真剣な眼差しで私の構えている銃を観察するアリサ。

 

「うんうん。お父さんが使ってた物みたいで。って……アリサ、詳しいね? 家は武器屋さん?」

「あっ、えーっと。それは……」

 

 アリサがまるで何か隠し事がバレそうな時の子供の様に、目をきょろきょろさせている気がするのは気のせいだろうか。

 

「エレナは導力銃か。しかし、我らの様な歳の女子が軍用拳銃を使うとは何か理由があるのだろうか?」

 

 ラウラは何か気がかりのように尋ねきたので、私は故郷が国境に近く昔から有事に備えての自主的訓練を領主の指示でやっていた事を説明する。

 しかし、彼女は故郷レグラムで領民へ指南するアルゼイド流護身術を引き合いに出すものの、国境地域の領民の銃火器での自主武装はあまりいい話ではない、とあまり納得がいかない様子であった。

 

 きっと彼女は真っ直ぐなのだろう。

 彼女の父親はレグラムを統治する子爵家の当主だという、きっと万が一の時でも先頭に立って領民を導く素晴らしい領主様なのだろうと私は感じた。

 そんな難しい話をしていると、エマが何故か安堵した様子で話題を変えてきた。

 

「ラウラさんもエレナさんも辺境の出なんですね、少し安心しちゃいます」

「ふむ、ということはそなたもか」

「田舎者同士仲良くしよーね!」

 

 エマは嬉しそうに肯定する。私も嬉しかった。

 そんな私達田舎者三人とは別に、アリサは笑いながらも少し残念そうにため息をついた。

 

「ということは出身は私だけ仲間外れになるわね」

「あ……ちなみにアリサさんは何処のご出身なんですか?」

 

 アリサは自らの出身地がルーレ市であると告げる。ルーレ市とは帝国北部のノルティア州の州都であり、かの帝国最大の重工業企業であるラインフォルト社の本拠地。帝国有数の大都市だ。

 ルーレと聞いた時から、私の頭には何故かリィンが浮かんでしまっていた。

 この二人には出来れば早く仲直りしてもらいたい。アリサだって本音はそこまで怒っていないのは私にだって分かるし、あの気落ちしたリィンを見るのもなんとも居た堪れない気落ちになる。

 しかし……私は少し魔が差してしまった。

 

「ノルティア州かぁ。リィンと同じじゃん。よかったね!」

「だ、誰があんな奴と同じで喜ぶのよっ! だいたいあんな不埒なヤツ――」

 

 想像以上にアリサをからかうのは面白く、何か癖になりそうな気がする。

 アリサは私から目を背けてしまったので顔は見えないのだが、あの出来事を思い出したのか耳が赤い。

 

 

・・・

 

 

 前衛一人後衛三人というアンバランスなパーティではあるのもも、私達四人は至極順調だった。

 いや、四人というより――特にラウラか。

 

 身長と同じぐらいの長さの大剣をまるで自分の体の様に自在に扱い、圧倒的な攻撃能力で魔獣を次々に薙ぎ払うラウラ。それも複数の戦技を使い分けている様だ。

 リィンが今日の朝、彼女を最初に見かけた時に言っていたように帝国の有名な武門の出なのだろう、少なくとも剣術に相当長けているのは確かだ。

 ラウラと比べるのは少しアレだが、アリサとエマも中々にすごい。二人共アーツが得意の様で、アリサの弓は凄く上手い。

 ただ導力銃を撃ってるだけの私より、支援アーツに攻撃アーツ…色々な事をしている。

 

 私といえばオーブメントは苦手――っていうか難しく、今まで一回程しか触れていない。

 その一回も詠唱中に戦闘が終わるという、我ながら素晴らしい使えなさだ。

 

 タンッ タンッ

 

 自分が引金を引く度に強烈な反動と共に、耳元で大きな乾いた音が鳴る。

 二発の弾丸は目にも止まらぬ速さで、目の前の軟体魔獣《グラスドローメ》に突き刺さる。

 しかしこの魔獣はゼラチンの様な体で、弾丸の威力は殆どその柔らかそうな体組織に相殺され、未だ健在だ。

 

「くっ……」

 

 導力拳銃は口径や初速の問題で一発一発の威力はどうしても小さい。

 小型の魔獣を殺傷するのには充分な威力こそ有るものの、ある程度大きさ以上の魔獣――特に硬い皮膚や甲を持つ種族相手や、目の前の奴の様に柔らかすぎて弾丸が致命打にならない種族では、どうしても補助的な火力となってしまう。

 

「エレナ、私に任せて! ――《ゴルトスフィア》!」

 

 アリサがアーツ名を叫ぶと、中空に現れた二つの金色の光球が相互回転し、その速度を早めてゆく。

 そして、グラスドローメが三匹が固まっていた所に光球が勢いよく着弾し、光芒が迸る。

 

「やぁっ!」

 

 アーツの着弾を確認したラウラが突っ込み、止めを刺してゆく。

 エマも後ろから前に出てきて、青い泡のような魔導杖の通常攻撃を浴びせた。

 

 このダンジョン区画に入ってから何回目かの戦闘も、今までと同じく呆気なく終わった。

 

「ふう――こんなものか」

 

 あれだけの剣を振り回して動き回るというのに、全く疲れた素振りを見せないラウラは流石である。

 片や私とアリサはもう肩で息をしている有様なのに。しかしエマがそこまで疲れた素振りを見せていないのはとても意外だ。

 辺境育ちということなので、意外と体力があるのだろうか。

 

「……はぁ、疲れたわね。この軟体型の魔獣は私やエレナの武器だとちょっと厳しいかも。アーツならダメージを簡単に与えれるけど……」

 

 確かに私とアリサの銃と弓はあの魔獣相手には武器属性の相性が絶望的に悪い。

 いや、武器属性ではなく単純な防御力だろうか。

 

「アーツは詠唱に時間がかかりますし……効果的に対処するには戦術を決めたほうがいいですね……」

「ふむ、確かにな。私の攻撃も至って効果的とは言えないしな……後方でアーツを担当するのがアリサとエレナ、詠唱の時間稼ぎを兼ねた攻撃が私とエマというのはどうだろう。見たところエマの魔導杖は効果的にダメージを与えれる様だし、この魔獣相手だと主戦力になりそうだな」

「うん、いいんじゃないかしら」

「はい、頑張りますね」

「う、うん……」

 

 ラウラの理にかなった提案によって作戦会議はすぐにまとまるが、私がアーツ役というのは結構な大役なのではないだろうか。

 そこはかとない不安感がよぎる。

 

(大丈夫かなあ、私…)

 

 

・・・

 

 

 どうやら私達が進んでいた方向は行き止まりで、結局来た道を引き返している。

 丁度、選択を間違えた分かれ道があった部屋まで戻ってきた所で、右手からリィン達の姿が現れた。

 どうやら私たちが行き止まりから引き返してくる間に追い付かれてしまった様だ。どこかで合流したのだろうか、彼らの中には一人で先に進んだマキアスの姿もあった。

 

「っ……!」

「あ……」

 

 アリサとリィンは目を合わせるとお互い気まずそうにしている。

 とりあえず、私はみんなが話しやすそうな空気を作ることにした。

 

「あ、エレナ達! 良かった、無事だったんだね」

「やっほー、そっちも順調そうだね?」

 

 流石はエリオット君、アイコンタクト一つで意図を察してくれる。

 

「みなさんも……ご無事で何よりです」

「ふむ、そちらの彼も少し頭が冷えたようだな」

 

「ぐっ、おかげさまでね……」

 

 ラウラに対し少し悔しそうな渋い顔をするマキアス。

 ここで私たちは再び自己紹介タイムとなった。私はここにいる人全員を知ってはいるのだが、他の子は知らないのだ。

 途中、ラウラが貴族であることに気付いたマキアスが何か言わんとしていたが、ラウラの真っ直ぐな一言によって彼も考えを変えた。

 本当に彼女は流石だ。私が男だったらもう惚れていたかも知れない。

 そして自己紹介が終わった頃合いを計って、私とエリオット君は畳み掛けの行動を起こす。

 

「せっかく合流したんだし、このまま一緒に行動する?」

「あ、いいね! 私は賛成!」

 

 どうせだからみんなで楽しく大人数でいこうよ――と続けて、私は向こうのパーティで主導権を握ると思われるリィンと、この流れに少し慌てるアリサをそれぞれ見る。

 勿論、アリサに顔を向けるときは、ニヤつきを止められなかったが。

 

「そうだな、そちらは女子だけだし、安全のためにも――」

「いや、心配は無用だ」

 

 ラウラはおもむろに大剣をリィン達の方へ構える。

(あ、あれれ?)

 

「――剣には少々自信がある。残りの二人を探すためにも二手に分かれたほうがいいだろう」

「そうですね……あの銀髪の女の子もまだ見つかってませんし」

 

 私とエリオット君の即席の作戦が一瞬にして崩れてゆく。ラウラが反対するのは今思えば結構想定できた事なのに、そこまで思い至らなかったとは。

 エリオット君に目を向けると、同じく彼もこちらを向いて残念そうに眉を下げていた。

 

「そういう事なら、別行動で構わないだろう。お互い出口を見つけつつ、残りの二人を探してゆく……それで構わないか?」

「うむ。依存はないぞ。――アリサ、エマ、エレナ、それでは行くとしようか」

 

 ガイウスとこれからの方針を取り決めたラウラは、そのまま何事もなかったかの様に先へ進んでゆき、アリサは不機嫌そうにリィンにプンプンしてそれに続く。

 先程のアリサの慌てた表情を見ていた私からすれば、彼女が安堵し胸を撫で下ろしているのは一目瞭然であったが。

 エマも丁寧に皆に向かってお辞儀してからラウラ達へ続く、本当ここらへんの礼儀良さは主席入学の優等生といった感じだ。

 

「あー……ごめんエリオット君……せっかく協力してくれてたのに…」

「あはは……やっぱりまだ前途多難だね」

 

 苦笑いするエリオット君。

 私が取り敢えず別れを告げようとした時、先へ続く通路の壁からアリサが顔を覗かせ、私を大声で呼んだ。

 

「エレナ! 早くしないと置いてくわよ!」

 

 アリサがプンプンしてたのはリィンに対してだけでは無かった様だ。




こんばんは、rairaです。
『スティンガー』は空の軌跡・零の軌跡で登場した導力銃のシリーズから採用しました。オリビエ、エリィの武器として登場していました。帝国軍の制式~辺りの設定は捏造ですが。
空FC・SC当時は帝国の描写は物凄く少なく、ラインフォルト社が武器製造の大企業であるのは語られていましたが、具体的に何を?となると導力戦車か『スティンガー』位しか無く、当時私が書いたオリビエ×ミュラー帝国コンビSS等では必ず帝国の人間が使用する銃をスティンガーにしていた覚えがあります。
そう思うと閃の軌跡によって、遂に帝国が舞台になった事は何とも感慨深いです。


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3月31日 特別オリエンテーリング part 3

 不機嫌絶頂のアリサは私の数歩前をつかつかと歩いている。

 先程の部屋を出て以降、何度かアリサの前に出て謝ろうとしても、一瞥され顔を背けられてしまう。

 それでも、この四人の中で一番後ろを歩く私のすぐ前を歩いてくれているのは、アリサの優しさに他ならないと私は思っていた。

 

「ごめんね、そんなに怒らないでよー……」

「私、全然怒ってなんてないけど?」

 

 やっぱりアリサはご機嫌斜めだ。

 その声色とキリッと吊り上がった深紅の瞳がまた冷たい。

 

「絶対怒ってる! ってゆうか、絶対怒らせた!」

「……怒らせた自覚はあるのね……」

 

 呆れたようにアリサは溜息を付く。

 

「でもさ、早く謝った方が絶対にいいよ? きっとこのまま気まずくなったら余計……」

「誰が、誰に、謝るですって?」

「あ、あはは……早く仲直りした方が……だって、あれはアリサを助けようとして――」

 

 そこで私の言葉は、今までと明らかに小さな声に遮られた。

 

「……そんなの知ってるわよ」

「え、知ってたのにぶっ叩いたの!?」

 

 単にアリサはリィンのラッキースケベ的行為に怒っていたのかと思っていたのだが、どうやらリィンが本来は助けようとしていた事を知っていたのは驚きだった。

 

「……だって、あんな事になってたって思ったら恥ずかしくて……その感触とか息遣いとか……」

 

 俯いて呟くアリサは「男の子とあんなに密着するのも初めてだし……」と言い訳なのかぶつぶつ続ける。

 

(そりゃあ、私だってないけども……)

 

「……ってことは、照れ隠し……?」

 

 だが、頬を紅潮させたアリサから返事が返ってくることはなく、彼女はしれっと話題を逸らした。

 

「コホン……そういえば、さ。あなたアイツの知り合いなの?」

「え? アイツってリィ……」

「あの黒髪の不埒な男よ」

 

 どうやらこのお嬢様、今はリィンの名前は口に出したくないし、聞きたくも無い様だ。

 

「……あはは、知り合いっていうか今日の朝駅で会ったばっかりなんだけどね」

「……まさか、あなたもライノの花に見蕩れてアイツの背中に当たって転んだクチ?」

「え、なにそれ?」

 

 少しの間を置いて神妙な面持ちでアリサは尋ねてくる。

 一体なんなのだろう、この微妙にあり得なさそうで、あり得そうなシュチュエーションは。

 

「……ごめん、今のは気にしないで」

「あ! そっか、あの時謝ってたのはそういう理由だったんだ。」

 

 きょうの私は冴えているようだ。あの時、二人がトラブってそうに見えたのはこれが理由だ。

 また怒られないだろうか心配になる位に、もうニヤつきが収まらない。

 

 アリサは慌てながらも、冷静になって何故私がその場面を知っているのかとしつこく問われる。

 結局、朝のリィンとの経緯を長くなりながらもアリサに説明することとなった。

 

「……まさか覗き魔さんがいるとはね」

 

 再びアリサのジト目からの呆れた視線を浴びせられる。

 

「覗き魔とは失礼っ……でも、花に見蕩れてリィンの背中に当たって転ぶだなんて、アリサもただの間抜けじゃんねっ」

「……入学式で居眠りして、ついさっきまでよだれの跡つけてた、貴女には言われたくないわね」

「……ぐっ……勝てない」

 

 なんだろう、売り言葉に買い言葉とはこの事なのだろうか。

 決して小さくない敗北感が突き刺さる。

 ただでさえ、色々と負けてる自覚はあるのに――アリサは私より可愛い。

 童顔は似ているが、髪型やスタイルは絶対負けている。そして認めたくないけど――おおき…い…。

 勝っているのは、背丈だけじゃないか。

 

 

「ふふ、アリサさんとエレナさん、まるでずっと友達だったみたいに打ち解けてますね」

 

 私達二人の前を歩くエマが、こちらを振り返りながらラウラに声をかけた。私達に対して話している訳ではないが、狭い地下空間という音の響きやすい場所柄から、バッチリ聞こえており、私とアリサは思わずお互いに顔を向け合う。

 

 ちょっと、照れくさいかも。

 

 目の前で小さく苦笑いするアリサ。きっと私も同じような顔をしているんだろう。

 

「ああ、少し羨ましいな。しかし、まだいつ魔獣が出てくるか分からないというのに……む。言った傍からか……」

 

ラウラは魔獣の出現の知らせを呼びかけるのであった。

 

 

・・・

 

 

「《ARCUS》駆動――!」

 

 先程決めた作戦通りに私はアーツを駆動させる。

 戦術オーブメント《ARCUS》を取り出し、蓋を開け――今は唯一のクオーツであるオーブメントの中心に填る銀曜石のマスタークオーツを指で触れる。

 戦術導力器の難しい原理は全くもって分からないが、使い方は至って簡単である。私も無事にアーツの駆動モードへ入り、体の周りを帯の様に半径一アージュの範囲で覆う円形の魔法陣が出現する。

 ここから発動までの時間は、駆動を早める効果のあるクオーツや駆動者自身の能力など個人差があり、一定ではない。

 

 駆動中はあまり集中力を切らすことは許されないが、それでも周りの状況は確認しなければならない。

 目の前では魔獣の群れの中に突っ込んだラウラが、凄まじい勢いで大剣を振り下ろし衝撃波で薙ぎ払う。複数の魔獣に致命的なダメージを受け、それをエマがタイミング良く魔導杖を振り、近い距離から止めを刺す。

 

「やあぁぁっ!」

 

 再びラウラの大剣が凄まじい勢いで振り下ろされるが、その型は先程とは違って突き刺すような形で魔獣を串刺しにした。

 

「アリサさん!」

「ええ、《フランベルジュ》!」

 

 エマの声に呼応する形で、アリサの弓から放たれる矢は炎を帯びていた。

 見蕩れる程綺麗な炎の弓矢はラウラの近くにいた《飛び猫》に直撃する。これは致命打になった様で、飛び猫は動かなくなった。

 

(ちょっとアーツ駆動中に戦闘が終わるのだけは――)

 それだけは勘弁して下さいと、心で女神に祈ろうか悩み始めた直後、駆動が終了したのを感じた。

 

「いっくよ! ――《ルミナスレイ》!」

 

 幻属性の眩い白色の光芒が私の前方から一直線に部屋を貫く。

 射線上にいたグラスドローメとコインビートルが一匹ずつ飲み込まれ、大きな手傷を負わせた様子が眩しい光の残光の中からもはっきりと判った。

 ただ一匹だけ、射線沿いの際どい場所に居た《飛び猫》が避けてしまう。

 

(でも、これなら…いけるっ!)

 

 飛び猫は私の故郷でもお馴染みといって良い位の魔獣だ。そして、銃弾への有効的な防御手段は持たない。

 

「――《スナイプショット》!」

 

 銃を構えるとしっかりと飛び猫に狙いを付け、銃弾を叩き込んだ。

 大きな反動が腕に響くが、銃弾は飛び猫の急所を突き抜け、これを確実に仕留める。

 私は少しの間心に満ちる達成感と成功感に酔い、呆然と銃を構えた姿勢のまま立ちつくした。

 

「わぁ、エレナさんお見事です!」

「へぇ、中々やるじゃない!」

 

 アーツも戦技も成功という、少し出来すぎた成果に呆気にとられていた私を現実に戻したのは二人の賞賛だった。

 一番近くにいたアリサがこちらに歩み寄って左手を少し挙げる仕草をするのを見て、私は出来る限り満面の笑みでその手に自分の手を重ねる。

 

「えへへ――」

「もうその緩みきった顔、どうにかしなさいよ……」

 

 ハイタッチしてからというものの、どうしても緩んでしまう顔をアリサに少し呆れた風に指摘されるが、それでも暫くは直りそうにない。

 多分、そこそこ長く銃を扱ってきて今回程上手く決まったのは初めてではないだろうか。

 特に今日は一緒にパーティを組むこの四人の中で最も貢献出来ていなかった自覚もあるので、尚嬉しい。

 先程まで心を満たした達成感は、人の役に仲間の役にたったという充足感に変わっていた。

 

「ふふ、そなたは精密な射撃の方が得意のよう――」

 

 ラウラの感想を遮るかの様に突如、大きな咆哮が響く。

 魔獣なのだろうか、明らかに邪悪な意思に満ちているのを感じた。

 

「ひぃっ」

「な、なに?」

 

 途端に目の前のアリサの顔に怯えの色が混ざる。

 何か腕を掴まれているような気もするが、そういう自分の手も知らず知らずの内にアリサの腕を掴んでいたのでおあいこ様だろうか。

 

「近いな……」

 

 先程とは打って変わって真剣な表情のラウラが、この部屋からの奥へ続く通路を睨む。

 

「……まさか……」

 

 ふとエマが何か小さく呟いた様な気がした。しかし、小さすぎた事もあり誰一人として、周りに聞こえる事はなかった様だ。

 

「先を急ごう。もしかしたらこの先で誰かが襲われてるのかも知れん」

 

 

・・・

 

 

 私たちは急いで咆哮の主の方向へと走った。

 基本的に一本道だったので迷うことなく、走る事数分ですぐにその場所を視界に入れた。

 そこには数アージュはあるであろう翼のある大きな怪物の体躯と、その周りを囲む赤い制服を着た男子達の姿があった。どうやらリィン達の様だ。

 

「あれ、怪物!? なんか悪魔みたいな外見してるし!?」

 

 怪物の姿を見た私の口から、思わず悪魔という言葉が零れた。

 

「手強そうだ……アリサ、エレナ! 後方から牽制と支援を! 私とエマはタイミングを置いて突入する!」

 

 走りながら指示を出すラウラに私以外の二人はそれぞれ頷く。

 

「下がりなさい!」

 

 アリサが掛け声と共に牽制を行う。

 掛け声で射線の空いた前方に向かって、アリサの導力弓から発射された何本もの矢が私の横を勢い良く飛んでゆく。

 私はそれを横目で見ながら怪物のいる部屋に走り込み、狙いを付けて何度も引き金を引く。

 引き金を引くたびに、両腕が数リジュ持ち上がる程の反動を受けながらも秒以下の間隔で素早く連射する。

 

(1、2、3、4、5…)

 丁度六発目を数えたところで、計算通り次弾の装填がされなくなり、手で握る銃のスライドが下がりきる。

 急いで空になったマガジンを出し、ポケットから取り出した新しいマガジンを入れる。

 六発でもラウラとエマの突入を助ける事は十分であり、私の弾切れを合図に動きに隙ができた怪物をラウラが斬り込む。

 それに続き、エマの光の泡を連想させる不思議な魔導杖の攻撃が追い討ちをかけた。

 

「き、君たちは……」

「追いついたか……!」

「助けに来たよ!」

「ふう……どうやら無事みたいね!」

「す、すみません! 遅くなりました!」

「いや助かった……!」

 

 リィン達と合流し、各々言葉を交わす。

 四人は大分疲労の色は見えるが、誰一人大きな手傷を負うこともなく善戦していた模様だ。

 しかし、怪物は再び不快な甲高い咆哮を上げ、私たち四人の連携も怪物にはあまり効果的なダメージは与えられていないようであった。

 

「石の守護者(ガーゴイル)……暗黒時代の魔道の産物か。どうやら凄まじく硬いようだ」

「ああ、しかもダメージを与えても再生される……!」

 

 ダメージを与えても再生なんて嘘のような話だが、ユーシス様の顔に浮かぶ苦い表情から虚言ではないようだ。

 

「だが、この人数なら勝機さえ掴めれば――」

 

 リィンが語った”勝機”は奇しくもすぐに訪れた。

 

「まぁ、仕方ないか」

「よし、間に合ったか」

 

 ガーゴイルを囲んで対峙する私たちの後ろから声がした。振り向くと銀髪の女の子とマキアスが後ろの通路の出口に立っていた。

 

「導力銃のリミットを解除――喰らえ《ブレイクショット》!」

 

 マキアスの大型のショットガンから放たれた拳銃とは比べ物にならない大口径のスラッグショット(一粒弾)がガーゴイルに直撃し、明らかなダメージを与える。

 その隙に、銀髪の女の子が驚異的な身のこなしで、ガーゴイルの至近距離に近づき更なる攻撃を加えた。

 

 この隙を無駄にしてはならない――と脳裏に過る考え。

 

 しかし、それは私の思考ではなかった。

 アリサが弓を構えるのが分かる、リィンが太刀を構え斬り込もうとしているのが、エリオット君が魔導杖を振り下ろそうとするのが――手に取るように、一斉にガーゴイルを攻撃するみんなの動きが見えた。

 

 そして――ラウラがガーゴイルの首を切り落とした。

 切り落とされた頭部と胴体は瞬時に色を失う。それを見ると、今までの戦いは幻であって、この怪物はずっと石像であったかのようだ。

 

 戦闘が終って暫くし、エリオット君がある疑問を投げかけた。

 

「それにしても……最後のあれ、何だったのかな?」

「そういえば……何かに包まれたような」

「ああ、僕も含めた全員が淡い光に包まれていたな」

 

 アリサとマキアスが同じく不思議そうに続ける。

 

「私、みんなの動きが視えた。アリサが炎を纏った矢を撃った所、リィンが斬り込む所……」

 

 私は確信があった。これは事実だ。

 

「……確かに私にもアリサやエレナの動きが視えた……立ち位置は怪物の影になって正確には見えないはずなのだが」

 

 ラウラも不思議そうに語った。

 

「多分、本当に視えたんだと思う」

「ああ、もしかしたらさっきのような力が――」

 

リィンの言おうとした言葉は遮られる。

 

「――そう。《ARCUS》の真価ってワケね。」

 

 拍手をしながら目の前の階段を降ってくるサラ教官。

 

「いや~、やっぱり最後は友情とチームワークの勝利よね。うんうん。お姉さん感動しちゃったわ。これにて入学式の特別オリエンテーリングは全て終了なんだけど……」

 

 彼女は一旦そこで言葉を切って、私たちを見渡してから続ける。

 

「……なによ君たち。もっと喜んでもいいんじゃない?」

「よ、喜べるわけないでしょう!」

「正直、疑問と不信感しか湧いてこないんですが……」

 

 各々文句は結構あるみたいだ。

 私としても突然ダンジョンへ叩き落とされたあたりと、悪魔の様な怪物が出てきたあたりを特に説明してもらいたいと本気で思う。

 

「単刀直入に問おう――特科クラス《Ⅶ組》……一体何を目的としているんだ?」

 

 ユーシス様の問いは、この場にいる誰もが聞きたいことだろう。サラ教官もそれを理解した上で話し始める。

 

 結局、私達が《Ⅶ組》に選ばれたのは色々な理由があるそうだが、一番判りやすい理由は《ARCUS》だとサラ教官は説明した。

 新型の第五世代型戦術オーブメント。個人用の戦術オーブメントはここ数年頻繁に規格が更新され続けており、オーブメントを扱える人間でも各国の予算で賄われる軍やそれに準じる組織、遊撃士等の職業でもないと、費用的問題から新型の普及は進んでいないのが現状だ。

 私の故郷の人が扱っていたオーブメントは未だにクオーツが六つしか装着出来ないタイプであり、性能は《ARCUS》とは雲泥の差及だろう。

 《ARCUS》は様々なアーツが使えたり通信機能を持っていたりと多彩な機能を秘めているが、その真価は《戦術リンク》――先程私たちが体験した現象にあるとの事だ。

 しかし、戦場において将来革命を起こすかもしれないこの機能、現時点では適性が無ければ使いこなせず、新入生の中で特に高い適正を示したのが私達十人である為に身分や出身に関係のないクラスになったのだと。

 

「さて――約束どおり、文句の方を受け付けてあげる。トールズ士官学院はこの《ARCUS》の適合者として君たち10名を見出した。やる気のない者や気の進まない者に参加させるほど予算的な余裕があるわけじゃないわ。それと、本来所属するクラスよりもハードなカリキュラムになるはずよ。それを覚悟してもらった上で《Ⅶ組》に参加するかどうか――改めて聞かせてもらいましぉうか?」

 

 一通りサラ教官は説明を終えると、私達に自分の意思で参加を決めるように促した。

 

 皆戸惑っているようで、エリオット君なんかは周りをキョロキョロ見ている。

 一番とはやはり勇気の要るものだろう。しかし最後に残るのもそれはそれで嫌だ。

 やはり最初に言おうと、私は一歩前に出ようとした時、右隣の隣のリィンが既に足を踏み出していた。

 

「リィン・シュバルツァー。参加させてもらいます」

「え……」

「リ、リィン……!?」

 

 驚くアリサとエリオット君。

 でも、私はリィンは必ず参加するだろうと何故かそんな気はしていた。

 リィンは強い。それは武術等の単純な強さではなく、意志の強さも兼ね備えた強さだと思う。

 彼はきっと何があっても”選ばれた”事を放棄はしないだろう。

 

「一番乗りは君か……何か事情があるみたいね?」

「いえ……我侭を言わせて行かせてもらった学院です。自分を高められるのであればどんなクラスでも構いません」

 

(自分を高める……か……)

 高い志なのだろうか。少なくとも自分からは出てこなさそうな言葉だ。

 次は私の番。

 

「はい! 私も参加します!」

 

 ドキドキしながらも一歩前に出る。

 

「あら、元気いいわね。でも、あなたは絶対参加してくれると思ってたのよねー。因みに理由聞いていい?」

「みんな良い人ばかりだからです。ここならやっていけそうっていうか……」

 

 自分で分かる程、最後は声が小さくなってゆく。

 やっぱり後の方にしておくんだった。

 しかし、何が面白かったのだろうか。サラ教官は私の理由を聞いて笑い始めた。

 

「ふふふ、あなたも面白いわね。まだリィン以外は参加するかどうかは決まってないわよ~」

「あっ」

 

 確かにそう言われればそうだ。

 今から一緒のクラスになる人全員の前で恥をかくとは――顔に血が集まるのを、感じる。

 しかし、私が恥ずかしい時間を過ごしたのは、ほんの数秒だった。

 

「ふふ、私は参加させてもらおう。元より修行中の身。此度のような試練は望むところだ」

 

 すぐにラウラが参加を決め、それにガイウスが続く。

 ラウラが私の方を向いて笑ったのは気のせいではないだろう。

 エマ、エリオット君、アリサ、そしてサラ教官にフィーと呼ばれた銀髪の少女も参加を決め、残るは例の二人となった。

 

「これで8名だけど――君たちはどうするつもりなのかしら?」

 

 サラ教官とこれまでに参加を決めた八人の視線がマキアスとユーシスに集まる。

 しかし、マキアスはそんな視線には全く動じず、「すぐ仲良くなれる」と、おちゃらけて言うサラ教官に反発した。

 

「そ、そんな訳ないでしょう!? 帝国には強固な身分制度があり、明らかな搾取の構造がある! その問題を解決しない限り、帝国に未来はありません!」

 

「うーん、そんな事をあたしに言われてもねぇ」、とサラ教官は明らかに面倒そうにするが、マキアスのこの言葉にユーシス様が反応した。

 

「――ならば話は早い。ユーシス・アルバレア《Ⅶ組》への参加を宣言する。」

 

 不思議と私にはユーシス様がマキアスの言葉を聞いて、参加を決めた様に思えた。

 そこからは、参加を決めたユーシス様がマキアスを煽り、彼もまた参加を決める。

 いがみ合っているものの、結局二人共参加する事に私は安堵していた。

 

「はぁ……先が思いやられるな」

「そうね……なんだか相当相性悪いみたいだし」

 

 溜息をついてぼやくリィンに、思わずアリサが同意する。しかし、直後にアリサはリィンに話しかけてしまったことに気づくと、プイッと顔を背けた。

 

「そのまま、仲直りすればよかったのにー」

 

 私は小声でアリサに話しかけた。向こう側ではリィンがエリオットと話しているようだ。

 内容は自ずと想像がつく。

 

「ふ、ふんっ。ま、まだ許してないんだから」

 

 そんな事を言う彼女だが、いつまで持つことやら。

 

「これで10名――全員参加ってことね。それでは、この場をもって特科クラス《Ⅶ組》の発足を宣言する! この一年、ビシバシしごいてあげるから楽しみにしてなさい――」

 

 

・・・

 

 

 階段の踊り場の更に上。丁度、出口から直ぐの場所に一部終始を見守る人影があった。

一人は二アージュに及ぶ大柄な体躯を誇る、この学院の最高責任者ヴァンダイク学院長。

 

「やれやれ、まさかここまで異色の顔ぶれが集まるとはのう。これは色々と大変かもしれんな」

「フフ、確かに」

 

 もう一人の声の主の濃い金髪を後ろで結っており、紅色の高貴なコートを着用していた。その人こそエレボニア帝国の皇子であり、この学院の理事長を務めるオリヴァルト・ライゼ・アルノールであった。

 

「――ですがこれも女神の巡り合わせというものでしょう」

 

 この十人を選んだのは彼である。

 その一人一人に選ばれた理由があり――帝国の為に期待するものがある事を否定はしない。間違いなくこれから彼らには重荷を背負わす事になるのだ。

 帝国の国土は広大で、そこに暮らす人々には様々な価値観が存在する。そして、身分や出自、出身地――沢山の要素によってそれぞれ価値観は変わり、時に大きな壁となる。

 しかし、そんな壁を始めとする幾つもの障害を乗り越えて苦楽を共にし、固い絆で結ばれた仲間は、きっと将来何事にも代え難いものとなるだろう。

 それは彼が目を瞑れば瞳の裏に浮かぶもの――異国の地でまるで太陽のように底抜けて明るい少女に出会った。そして、彼女に照らされた、忘れられない旅をした、あの日の自分と仲間達の様に。

 

「ほう……?」

「ひょっとしたら、彼らこそが”光”となるかもしれません。動乱の足音が聞こえる帝国において対立を乗り越えられる唯一の光に――」

 

(――そして帝国のみならず、その外への『光』の架け橋に――)

 




こんばんは、rairaです。
やっと序章部分が終わりました。
先は長いですね…のんびり10月30日を目指してゆきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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第1章
4月17日 手紙と朝食と私


―― 

”サザーラント州 パルム市領邦軍詰所 隊員寮内フレール・ボースン様”

 

 Caro Frere,

 

 元気にしてるかな?

 私が士官学院へ出発する朝にパルム市まで送って貰ってから、もう二週間以上も経つんだね。いまでもまるで昨日の様に思い出せるのに。

 落ち着いたら手紙でも出せって言ってたから、ちゃんと送るよ。

 

 士官学院での生活は本当に大変で、毎日毎日息もつく暇もないよ。授業なんてほんっと難しくってやんなっちゃう。軍事学とか導力学とか数学とか、もうね……あ、でも、あなたは数学得意だっけ。ミラ勘定と算盤は任せとけ、って昔良くゆってたし。

 

 入学式初日に特別オリエンテーリングっていうのがあって、今は使われて無い士官学院の旧校舎の地下の探検をさせられたの。

 そこには魔獣も居て、久しぶりに導力銃を撃ったんだけど……もう次の日腕は勿論、体全身筋肉痛で痛いし、ちょー大変だった。

 武術教練も有るし、ちゃんと訓練しとかないとすぐ体にガタがきちゃいそうだよ。

 

 あと、ちゃんと友達も出来たよ! アリサっていう子なんだけど、いつもはしっかりもので何でもこなす凄い子なんだ。でも、たまにすごく可愛くなる時があるの。もう本当に優しい子なんだ。

 

 それにしても、クラスのみんなが本当に凄い人達ばっかりでビックリだよ。だって四大名門の公爵家のご令息様もいるんだよ? あとあと、帝都知事の息子さんとかも。この二人実は犬猿の仲なんだけどね。

 ちなみに私は「無駄に畏まらなくていい」、って言われてご令息様とも敬語抜きで話す間柄なんだよ。まだ全然慣れなくてドキドキだけど凄いでしょ? 私、ちょっと貴族様へのイメージ変わったかも。

 

 そっちは領邦軍のお仕事は大変? まぁ、どうせいつも通りにそつなくこなしちゃうから、全然大丈夫だよね。なんかそういう所、私は羨ましいな。

 

 そういえば、またお店のおばさんに手紙出してないんでしょ。

 おばさんが、『ウチの馬鹿息子はいつまでたっても親孝行しない』ってボヤいてたって、お祖母ちゃんからの手紙に書いてあったよ? ちゃんとお店のおばさんが心配しない様に手紙、村におくるようにね。

 

 私にもお返事くれると嬉しいな。

 

 エレナ

 

―― 

 

「――よーっし。完成っと」

 

 やっぱり早起きは三文の得だ。お祖母ちゃんの教えてくれた田舎暮らしの鉄則その一、早起きすべし。

 私の実家は故郷の村唯一の酒屋であり、店開きから配達の荷出し等朝の内にやるべき事が多かった。その上で家の家事もあって朝起きるのは何かと早かった為、士官学院に来て二週間が経とうとしている今でも、朝5時頃には自然と目が覚めてしまう。お陰様でこうして朝の内に手紙を一通書ききれたのだ。

 便箋を封筒に入れて糊付けしながら時計を見ると、丁度分針は8の数字を指していた。

 

「6時40分かー」

 

 村にいれば店開きした後、商品の棚を整理整頓したり、お店の中を掃除したりそんな時間だ。しかし、今は士官学院生。きょうもあと1時間半程で一日中授業と勉強漬けとなる…はぁ。

 

(とりあえず、学校に行く準備、しよ。)

 

 既に着替えも済ませており、持って行くものさえ準備できればいつでも出られる。

 昨晩予習をしようとして結局、机の上に置いたままの教科書や参考書を整理し、先程まで書いていた手紙をリュックに入れる。

 

 とりあえず、今日は早めに寮を出て学食で朝ご飯を食べることにする。

 というのも買い置きしていたパンの袋の中が空になっているのを、起きてすぐに確認していたからだ。昨晩寝る前に食べたのクロワッサンが最後の一個をだった様だ。無駄な食後の間食をした自分を少し呪いたい。

 

 私はリュックを背負い鏡の前に立って、自らに笑いかける。

 

「――よしっ。きょうもがんばる」

 

 まだ寝ている人もいるかもしれないので、私はゆっくりと静かに自室を出て第三学生寮を後にした。

 

 

・・・

 

 

 帝都近郊の四月の朝はまだ少し肌寒い日もある。今日のように少し曇っている日の早朝など特にだ。

 故郷の帝国南部は一年を通じて温暖な気候であり、トリスタに来てからこの気候の差に慣れるまで結構かかった。

 『この時期の新入生は環境変化によるストレスも重なって、体調を崩しやすいので健康管理は気をつけなさい』、というベアトリクス教官の言葉を思い出す。

 勿論気候だけが理由では無いが、やはり少なくない数の生徒が体調を崩すようだ。ただまぁ気候に関しては、逆にリィンやアリサはこちらの方が暖かくて過ごしやすいとも言っていたし、人それぞれなのだろう。

 

 それ程強くはないものの冷たい横風に身体を冷やされ、思わず上着の下に着ているカーディガンの袖に掌を隠す。

(はー…それにしても士官学院の制服って意外とスカートも短いんだよね…)

 自分の足元に目を落とす。この制服も慣れないと冷える。

 

 ふと目の前を見ると、学生寮の直ぐ前のお家の夫婦が仲睦まじそうにしている。

 このハリソン、ハンナ夫妻は毎朝まるで付き合いたての恋人の様に、玄関前で熱々な姿を見せてくれるのだ。

 正直、学生には目の毒である。いつか私もハンナさんの様になるのだろうか。少し想像が出来ない。

 私が見ていることに気付いた二人が恥ずかしそうに会釈してきたので、申し訳なさそうにこちらも会釈を返す。

 やはり、二人の邪魔をしてしまった様だ。今度からこの時間は避けた方がいいのかもしれない。

 

 少し歩いてトリスタの駅の前につく。

 ちなみにここトリスタは帝都近郊とだけあって帝都に通勤する人も多く、この時間でも駅舎の中はそこそこ人がいたりする。

 駅舎の外に設置されたお目当ての郵便ポストの前にリュックを置き、私は中腰で前かがみになり先程書いた郵便を探す。丁度リュックの中の参考書の間から手紙を見つけた所で、突然後ろから声をかけられた。

 

「おはようございます。エレナさん」

「わぁっ、お、おはようエマ」

 

 まさか、この時間の駅前で人から声をかけられるなんて思っておらず、驚いて体のバランスを崩しそうになる。

 危うく犬の様にお腹丸出しにひっくり返る所だった。危ない。

 そんな様子の私にエマは申し訳なさそうに謝ってきた。

 

「ごめんなさい、驚かせてしまいましたか?」

「う、ううん。大丈夫、そんなことないよ」

 

 私は当たり障りのない返事をしながら手紙をポストへ投函する。パタンっとポストの蓋が戻る音――手紙を出した音がした。

 

「あら……ご家族へのお手紙ですか?」

「うーん、家族じゃあないかなぁ……なんていえば……」

 

故郷の人には間違いないのだけど……いや、いつもは村にはいないから故郷の人ではないのだろうか。

どう説明すればいいのか少しの間悩んでいると、エマは真剣な顔つきでとんでもない事を呟いた。

 

「まさか、恋人――とかだったり」

「い、いや! それはない! そんなんじゃない! ただ、実家の隣の雑貨屋の人ってだけで、か、彼氏とかそんなんじゃっ!」

 

 反射的に自分でもびっくりなスピードで、まるで導力機関銃の如くの早口で反論していた。

 流石に煩かったのだろう、丁度駅舎に入ろうとしていた小太りで頭の禿げた男に顔を顰められる。

 

「ふふ、取り敢えずそういうことにしておきましょう」

 

 ああ……その暖かい目付きと笑い。きっと勘違いしている事だろう。

 半ば諦めながらも、無難に家族宛と肯定しておけば、自分から墓穴を掘ることは無かったのにと後悔した。

 

「あはは……そういえば、エマはこんな時間に何してるの? まだ学校にいくのは早いよね」

 

 学食に行く私ですらまだ多少早いレベルだ。まだ7時にもなっていない。

 

「え、えっと! そう、私は朝の散歩をしてました。まだ人通りが少ないですし」

 

 エマが少し慌てた様な気がするのは気のせいだろうか。そして何故か『人通りが少ない』に力が入っていた様な。

 確かにエマはよく一人で行動しているので納得できる。きっと一人で落ち着ける時間が好きだろう。

 

「で、でもエレナさんも早いですね。もう登校するのですか?」

「あー、ちょっと学食で朝ご飯食べようかなぁって。エマはもう朝ごはん食べた? もしよかったら一緒にいかない?」

「ふふ、いいですね。じゃあご一緒させて頂きます」

 

 誘いに乗ってくれたエマのお陰で、一人ぼっちの淋しい朝食は回避することが出来たのは良い事だろう。

 エマには勉強を教えて貰ったりと何だかんだお世話になっているので、飲み物ぐらいは奢らないと等と考えながら学院の方向へ歩いてゆく。

 その途中、丁度花屋の影に黒い猫が立ち去ってゆくのを見たような気がした。

 

 

・・・

 

 

「あれー、委員長とエレナじゃない」

 

 生徒会館に入った瞬間、陽気な聞き覚えがある声がした。その声の主はまだ誰もいない学食の奥のテーブルに腰掛けながら、私達に手を振る。

 

「あ、サラ教官」

「サラ教官も朝ご飯ですか?」

 

 私達はサラ教官の腰掛けるテーブル近くまで足を運ぶ。食事はまだ運ばれて来ていない様で、テーブルの上には水が入ったコップが一つ置いてあるだけであった。

(サラ教官は一人で朝ご飯かぁ……エマが来てくれてよかったぁ……)

 

「あ、こら。一人で朝ごはんかぁ、寂しそう。って思ったでしょ、エレナ」

「はっ、い、いえ! そんな失礼な事、私が思うわけないじゃないですかっ! や、やだなぁー……」

 

 まさか、サラ教官は読心術者なのだろうか。図星過ぎて正直、肝を冷やす。

 

「ふーん、それにしては凄い狼狽えっぷりねぇ。人生経験豊富なお姉さんから忠告。あなたは考えてる事、そのまま正直に顔に出るから気を付けた方がいいわよぉ」

 

 言い聞かせるように私に顔を近づけるサラ教官。ニンマリと顔は笑うが目は笑っていない、怖い、すごく怖い。

 

「サ、サラ教官、お酒臭いです……」

 

 隣のエマが鼻をハンカチで覆いながらぼやく。恐怖のあまり臭覚が消えていたのか、私も今になってやっとアルコールのツーンとする匂いを感じた。

 

「ううっ……ごめんなさい……サラ教官……」

「サラ、何してるの?」

 

 私が泣く泣く謝るのと同じタイミングで後ろから声がかかり、サラ教官の怖い顔が離れる。その声の主に心の中で最大限の感謝をすると共に、金輪際サラ教官を敵に回してはいけないと心に刻み込むのだった。

 

「お、来た来た。丁度いいわ、二人も一緒に食べましょ。フィーはいいわよね?」

 

 同じクラスの銀髪の少女、フィーは不思議そうな表情を浮かべて私達を見るものの、程なくサラ教官の言葉に頷いた。

 

 

・・・

 

 

 学食のサマンサおばさんによって四人分運ばれてきた朝食のセットは、インペリアル・ブレックファストと呼ばれる典型的な帝国風の朝食メニューであった。

 基本的に目玉焼きとベーコン・ソーセージと焼きトマト、あとはベイクドビーンズ、そしてパンである。私の故郷でも割と馴染みの朝食であり、どうやらこの朝食メニューだけは、帝国が東西南北広しといえどもあまり変わらないようだ。

 教官を交えての四人という珍しいの組み合わせながらも、女子だからだろうか不思議と話は盛り上がった。

 

「ほんとここの学食は美味しいわよねー」

 

 ハッシュドポテトにフォークを刺して、口に運びながらサラは絶賛する。

 

「ホントですね、きっと毎日来ても飽きないと思います」

「だね。帝都でそれなりのランクのホテルと比べても味も劣らないのに、値段はリーズナブル」

 

 エマとフィーも概ね同意していた。

 

「ほえー……」

「どうかした?」

 

 思わず感嘆を口に出してしまった私に、フィーが不思議そうに首を傾げて顔を向ける。

 

「いやー、フィーって帝都の高級ホテルとか行った事あるんだーって……」

「まぁね。エレナは無いの?」

「……無い」

 

 この自称ド田舎娘の私がそんな所行った事がある訳無い。いや帝都に住んでいたとしても、良くも悪くも庶民的なうちのお父さんの稼ぎでは難しいだろう。

 住む世界の違いを感じながら、私はほぼ空になった自分のお皿から最後の食パンを取って、それに苺ジャムを塗りたくる。

 

「あはは……でも、私も高級な所は無いですね」

「二人共田舎っ娘ねー、まぁそんなあたしも大人になるまでは行った事無かったんだけど」

 

 笑いながらもサラ教官の言葉には、どこか自嘲めいたものがあった。

 そんな彼女を何故かフィーが何か思わしげに見つめる。そういえばこの二人、朝ごはんも二人で待ち合わせして食べるぐらいだし、教官と生徒というありきたりな間柄ではない様だ。そういえば入学式の時も既に二人は顔見知りの様子だったし。

 

「ま、女の経験は今からよ~。ちゃーんと精進なさいよ」

「……頑張らないとサラみたいに独り身の飲んだくれになるかもよ」

 

 サラリと酷い事を言うフィー。中々に毒舌家だ。

(うわぁ……なりたくない……やばっ。また表情読まれる)

 少しでも表情を読まれる事を恐れて、ジャムを塗った食パンにかじりつく。

 周りに目を配るともう他の皆は食事はほとんど終わっている様だ。フィーといえば当初頑なに焼きトマトを残していたが、エマに諭されちゃんと全部食べたようだ。こういう所は本当にエマは面倒見がいいというより……お母さん?そんなイメージを沸かせる。

 

「こらフィー、余計な事言わなくていいの。これでもちょっと前には素敵なオジサマと熱い逢瀬だってあったんだからね」

 

 本気なのか冗談なのか全く判別がつかないが、サラ教官が頬を染めてる事から”そういう”出会いがあったのだろうか。

 あ、いや、頬が赤いのはきっとアルコールのせいだ。うん。

 「あの時のあの人か……」とフィーが小さく呟く。サラ教官の意中の人を知っているのだろうか。気になる、すごく気になる。

 

「あはは……でも、そういう面だったら、エレナさんはもう大丈夫ですね」

「え、私?」

「ほら、さっき手紙出してた人が恋――」

「わーわーわー!」

 

 思わず立ち上がり、テーブルに身を乗り出して大声を出していた。

 人間頑張れば、咄嗟にこんな大声が出せるのかと自分に感心する位の声量だ。だが、入ったときはガラガラであった学食も今は人も多くなっており、朝から大声を出すバカへの視線は明らかに冷たい。

 周りに頭を下げて椅子に再び腰掛けるものの、この二人は相手が悪かったとしか言い様がない。

 

「で。恋人、ですって?」

「エレナ、彼氏いるんだ」

「ち、違う! 本当に違う!」

 

 あれだけの大声を出して邪魔をしたと言うのに、地獄耳恐るべし。

 サラ教官なんて既にさっきのアレ以上のおぞましい顔をしているではないか。行き遅れ恐るべし。

 

「小娘の癖に生意気ねぇ……次の実技教練の授業は思いっきりビシバシいこうかしら……」

「さ、サラ教官目が据わってます……」

 

(私、悪くないのに…)

 まさかのとばっちりに気持ちは憂鬱すぎる。ただでさえ実技教練は得意ではないのだ。

 ほとぼり冷めるまで数回ぐらいサボっても単位は…と邪な考えが脳裏に過ぎった所で、丁度予鈴の鐘の音が鳴った。

 

「あ、チャイム」

「よっし。今日一日頑張れば、明日は自由行動日で授業無しよー。あたしも頑張るからあんた達も頑張りなさいー」

 

 概ね終わった朝食の食器の載るトレーをそれぞれ食器返却口へ運ぶ。そして生徒会館を後にしようとした時、エマがフィーを呼び止めた。

 振り向いたフィーの顔を自らに向けると、エマはポケットからハンカチを取り出して、フィーの口元を拭う。

 本当にこうして見るとエマがお母さんみたいに感じられてくるから不思議である。母性的というのだろうか……まぁ母性はありますよね。思わずエマの性格とは正反対に主張の激しい部分に視線が向かい、逆に自己嫌悪に陥りそうになる。

 

 

・・・

 

 

「それじゃあ、寄り道しないで教室に向かいなさいよー。またホームルームでね」

 

 サラ教官とは本校者正門を入った所で別れ、三人で階段を上る。

 

「はぁー、土曜日って1限から帝国史なんだよねー。しょっぱなからトマス教官の教会の聖典朗読レベルの話聞くのかぁ。……ぶっちゃけ寝そう」

「エレナ、気持ちはわかる。あれは子守唄より質が悪い。でも、寝ると注意やうんちくで更に話長くなるから、心を無にして時計を見てるのが大事」

 

 特にウチのクラスはエマ程じゃなくても真面目が多いから私達は狙われる、とフィーは続けた。

 確かにⅦ組には学年首位と第二位がいるのだ。ユーシスやアリサ、ラウラ等もトップクラスだし、リィンとガイウスも出来る筈。トールズに入れたぐらいなのだから私もある程度は勉強も出来るはずなのだが、Ⅶ組の中の順位となると下から数えた方が圧倒的に早い。

 

「フィーちゃん、エレナさん……ちゃんと授業は聞かないとダメですよ? 六月にはもう中間試験もありますし……」

 

 呆れる、というより私達を心配するようにエマに注意される。本当にエマは真面目だ。それにしてもこの間入学したばかりなのに、もう中間試験を頭に入れているとは優等生は凄い。

 

「あ、あはは……ちゃんときいてるってばー……」

「まぁ、ぼちぼち」

 

なんとも信用ならない返事をする私達二人に、エマが溜息をついた。




こんばんは、rairaです。
原作の第一章部分のはじまりです。
ここからは原作で語られなかった、Ⅶ組の日頃の日常部分も捏造を織り交ぜて書いていきたいと思います。
次回から「光の軌跡・閃の軌跡」のタイトルの通り、「閃」部分の主人公であるリィンはダブル主人公としての一つの軸を成していく予定です。
基本的にエレナの掘り下げの為にオリキャラが用いられますが、物語は原作準拠ですので本筋には関わりません。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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4月17日 放課後

 トマス教官の熱い愛の篭った帝国史に始まる睡魔との戦いを制し、私は今日一日を無事に乗り切ることができた。

 明日は自由行動日。軍と同じで長期休暇の殆どない士官学院において、唯一の定期的な休日といっていい日だ。その為、廊下行き交う生徒達の様子は開放感に満ちていたりする。勿論、私やⅦ組のクラスメート達も例外ではなくて、私達の廊下での立ち話もどこかいつもよりも弾んでいた。

 

「そういえば皆はもう部活は決めたりしているのか?」

「うーん、一応見学は行っているのだけど……これといったのがまだ無いわね」

「私もです。文芸部とか興味はあるので、今日この後アリサさんと見学にいく約束をしてて」

 

 エマは寮の自室でも結構読書とかしているので、文芸部は似合っているかもしれない。

 

「エマは文化部か。ふむ……アリサ、そなたも文化部希望なのだろうか?」

「私はまだどっちにするか決めてないんだけどね。そういえば、エレナはどう?」

「うーん、私もまだ決めてないなぁ」

 

 実際あまりピンとくる部がない――文化部は専門的だし、運動部に入るほど体を動かすのが好きな訳でもない。

 

「エレナ、もし良かったらだが、私と一緒に水泳部を見に行かないか? そなたの故郷は南部沿岸であったし、泳ぎはしていたのだろう?」

「あ……あはは、それが私、泳げないわけじゃないんだけど……水は苦手で……」

「ふむ…そうか」

 

 もう何年も前になる夏の日、今朝の手紙を出した相手に誘われたのが嬉しくて調子に乗っていたら、足をつって溺れかけたのが理由なのだが、恥ずかしくて皆には言える訳がない。

 それに、校外活動の許可を貰えば出来るという話を聞いていたので、空いた時間をアルバイトに当てて自分の使う生活費を稼ごうと私は考えていた。ただでさえ私という働き手が一人減って経営に余り余裕のない実家の店は大変なのに、お祖母ちゃんから生活費となる仕送り送ってもらうのも申し訳無さ過ぎる。

 

「それでは仕方がないな。では、私はギムナジウムに見学に向かうとしよう。それでは、皆またな」

 

 ラウラがすぐ右手の階段を下りていく。彼女の誘いを断った私は少し罪悪感を感じた。

 

「じゃあ、エマ。私たちも見学にいきましょ。エレナは一緒にいかない?」

「うん……教官室にいく用事があるから、今日はちょっと難しいかなぁ」

「そっか。それじゃあまた夜ね」

「うん。またねっ」

 

 その場で別れると私は中央階段の方へ向かい、反対にアリサとエマは先程ラウラが降りた目の前の階段を下っていった。

 

 

・・・

 

 

 教官室のトマス教官に校外活動の許可書についての話を聞きに行くと、理由等あまり聞かれる事もなく快く申請を受け付けてくれた。許可書の発行まで少し時間はかかるので、また後日教官室を訪ねるようにとのことだ。

 とりあえず、思っていたより早く用事が終わりⅦ組の教室へ戻ると、教壇にはサラ教官がいた。ホームルームの後、教室から出て行って様な気がしたのだけど。

 

「あれ、サラ教官どうしたんですか?」

「うーん、ちょっとねー。あ、あったあった」

 

 何かガサゴソと教壇の中に入っていた物を取り出した。生徒名簿……だろうか。

 教室の外からだと死角になって見えなかったが、どうやらサラ教官の他にもリィンも教室の中にいた様だ。

 

「リィンもまだ残ってたの?」

「ああ、ちょっとサラ教官に頼み事されてさ。Ⅶ組の物を受け取りに行くのに生徒会まで行こうとしてた所かな」

 

 なるほど、流石リィンだ。お人好しだからサラ教官に押し付けられたのかもしれない。

 

「あ、丁度いいじゃない。お手伝い一人ぐらい連れて行ったら? そこのお暇そうなお嬢さんとか」

「ええっ……」

 

そんな「私超イイコト思いついた」って顔をして言わないで欲しい。

 

「そんな手伝いが必要な仕事なんですか?」

「んー、まぁ、いないよりいた方がこれからは楽になるかもね」

 

(これからは?)

 

「うーん、確かに暇だし私も手伝うよ?」

 

 リィンと知り合ってからまだ二週間程度だけども、この学校の生徒で初めて話した人でもあり色々とお世話になっている。

 そんな彼には、どちらかといえば私は自ら手を貸すべきだろう。

 

「でも、本当にいいのか? 部活の見学とかさ。みんな色々見に行ってるみたいだし」

「あー……部活かぁ。正直、これといった所が無いんだよねー……。身体を動かすのは嫌いじゃないんだけど、運動部に入ってまでとは思わないし……かと言って文化部みたいに専門的に何かやるのも難しそうだし……」

「はは、俺と同じだな」

 

爽やかな笑顔で私に同意してくれるリィン。

 

ちょっとドキッとしちゃうじゃないか。

 

「それじゃあ、俺と付き合ってもらえるか?」

 

 しっかりと目が合っていたせいか、その言葉の違う方の意味が思わず頭を過った。

 

 ……この人はいきなり何て紛らわしい言い方をするのだろう。

 

 目の前の相手こそ全然違うものの、何度か思い描いて悶えたシチュエーションに胸が一瞬だけ跳ね上がるのを感じたのだから。

 そんなことを考えれば、迷惑なことに頭の中で彼の声が何度もリピートしてしまって、顔が熱が帯びてゆく。取り敢えず、返事をしない訳にもいかないので、私は頷いた。

 

「あれ、エレナ体調悪いのか? 顔、少し赤いけど……」

「……大丈夫、大丈夫……うん。とりあえず、生徒会、いこっか」

「ならいいんだが……」

 

 これ以上、下らないことで紅潮する顔をリィンに見せたくない私はそそくさと教室を出た。

 

「あれは危険ねぇ……」

 

 その後、教室に一人残されたサラ教官がそう呟くのをリィンは耳にしたという。

 

 

・・・

 

 

 本校舎から生徒会のある生徒会館を目指して外に出た頃、ようやく私は心の落ち着きを取り戻すことに成功した。

 正直、リィン程の整った顔立ちの男にあんな事を言われたなんて想像すると、自分に気が全くなくてもその破壊力は絶大だ。勿論、精神的な意味での。

 そんな事を考えながらリィンの隣を歩いてると、丁度生徒会館の前で私達は知らない先輩に声をかけられた。

 

「よ、後輩君たち」

「えっと……」

 

 バンダナにピアス、上着を腕まくりしたスタイルのいかにもチャラそうな外見の先輩。緑色の制服である事から平民生徒であることがわかる。まぁ、この外見で貴族様ならそれはそれで驚きなのだが。

 

「お勤めゴクローさん。入学して半月になるが調子の方はどうよ?」

「あ、ええ――正直、大変ですけど今は何とかやっている状況です。授業やカリキュラムが本格化したら目が回りそうな気がしますけど」

「はは、分かってんじゃん。特にお前さんたちは色々てんこ盛りだろうからなー。ま、せいぜい肩の力を抜くんだな」

「は、はあ……」

 

 やはり、特別オリエンテーリングやホームルームで言われたように本格化したら今より忙しい様だ。

 私は果たしてこの学院を卒業できるのか心配になってくる。

 

「そっちはどうよ?」

「えっと、授業、眠いです。あはは……」

 

 咄嗟にこんなことしか言えない自分が本当に恥ずかしい。案の定、目の前のチャラい先輩は大爆笑だ。

 

「くっ、くくっ……わりぃわりぃ、お前さん面白い奴だな。やー、まじ授業とか眠いよなぁ。俺様なんて毎日五時間は寝てるぜ」

 

 一日の授業で五時間も寝ることをドヤ顔で語る先輩が、この名門士官学院にいるとは想定外過ぎて空いた口が塞がらなかった。

 しかし、本当に寝てても大丈夫なのだろうか。《鉄血宰相》ばりの鋼の意志を持って、うたた寝はしても熟睡はしないようにこの一週間頑張ってきたというのに。

 

「……それで二年生になれるんですか?」

 

 リィンが半ば呆れた様に先輩に訊ねた。

 

「進級の自体は何も問題ないはずだぜ。まあ留年制度自体が無いからな」

「おおー……!」

 

 このチャラそうな先輩が私には希望のお星様に見えた。

 

「……それって、卒業の時に問題になるってことなんじゃないですか?」

「おう、ぶっちゃけそゆことだな」

 

 ……って、全然何の解決にもなってない!

 やはり、快眠授業ライフは夢のまた夢のようだ。

 

「えっと、先輩。名前、伺っても構いませんか?」

「まあまあそう焦るなって。まずはお近付きの印に面白い手品を見せてやるよ」

「「手品?」」

 

 それにしても、この先輩、手法がとことんチャラい。しかし、私にとってこの軽いノリは、どこか故郷の幼馴染を思い起こさせて心地良くもすらも感じた。

 

 先輩に求められて、手品に使う50ミラのコインを貸すこととなったリィン。

 その銀色の硬貨は、先輩の拳の上でちらりと瞬いた。

 

「そんじゃあよーく見とけよ」

 

 その声と共に打ち上げられた硬貨は、回転しながら夕日を受けて輝く。私達が見上げる中、眩い放物線の光の軌跡を描いてから、丁度首を上げなくて済む付近にまで落ちてきた所で――先輩の右手と左手が素早く交差し、先程までそこにあった光を消し去った。

 

……あれ?

 

「――さて問題。右手と左手どっちにコインがある?」

「うわぁ……私全然わからないよ……」

「……それは――右手ですか?」

「残念、ハズレだ」

 

右手の掌を開き、そこにコインが無い事をアピールする先輩。腕まくりしてる以上、袖の中という可能性も無だろう。

 

だったら後は――

 

「じゃあ左!」

「おいおい、そりゃーないだろ、後輩ちゃん。流石にそれは――」

 

 呆れた様に笑いながら先輩は、握られたままの左手の掌をゆっくりと開く。

 

「ハズレだ」

 

 しかし、その中にはコインは無かった。正直、もう意味がわからない。

 そして、物凄く自慢げな顔の先輩。ドヤ顔だ。悔しい、というより、なんか遊ばれてた様でむかつく。

 

「うわぁ!? えっ、じゃあ、どこ!?」

「なるほど。”手品”ってことですね」

 

 リィンが察したかの様に納得する。ああ、なるほど。つまり”手品”だから右にも左にも無くていいのだ。

 

「フフン、まあその調子で精進しろってことだ。せいぜいサラのしごきにも踏ん張って耐えていくんだな。――そうそう。生徒会室なら二階の奥だぜ」

 

 そんじゃ、良い週末を、と言い残して先輩は校門の方へと歩いてゆく。

 その後、リィンが貸した50ミラコインが帰ってきてないことに気づき、あの先輩に一本取られたのだと分かった。

 まあなんともチャラそうな先輩だった。ってか、後輩からたかる先輩ってどうなの……。

 

 少なくとも、私もリィンにも一つだけ確かな教訓が出来た。士官学院の先輩には、一筋縄にはいかない人もいるという。

 

 

・・・

 

 

 生徒会室で出迎えてくれたのは、入学式の日に校門で私たちの荷物を預かってくれた女の先輩だった。彼女は生徒会長のトワ・ハーシェル――この学院の生徒会長を務めている二年生。生徒会長だと言われた時、にわかに信じられなくリィンとお互い顔を向き合ったぐらいだが、この際は一旦置いておこう。

 サラ教官からの仕事として、彼女から受け取ったのはⅦ組のみんなの生徒手帳だった。黒革でトールズの紋章が入る格好良い生徒手帳。我ながら当然の事なのだが、こういうのを見ると士官学院生なんだと実感する。

 

「――えっと、それでは他の手帳をⅦ組のみんなに渡しておけばいいんですね?」

「うん。よろしくね」

 

 私達に屈託のない笑顔を向けて頷いた生徒会長は続ける。

 

「うーん、でもリィン君たちも一年なのに感心しちゃうな」

「……えっと、何がですか?」

 

 私はあくまでリィンのお手伝いでここにいるので、基本的な応対は任せっきりだ。だが、生徒会長の口から出てきたのは私が全く知らなかった事だった。

 

「えへへ、サラ教官からバッチリ事情は聞いてるから。何でも生徒会のお仕事を手伝ってくれるんでしょ? うんうん、さすが新生Ⅶ組だねっ」

 

 うん?

 

「その……いったい何の話ですか?」

「えっと、生徒会で処理しきれないお仕事を手伝ってくれるんでしょう?『特科クラス』の名に相応しい生徒として自らを高めようって――みんな張り切ってるから生徒会の仕事を回してあげてってサラ教官に頼まれたんだけど……」

「ええっ!? リィン、そうなの!?」

「……」

 

 驚きのあまり声が裏返りそうになる。Ⅶ組の人はみんな真面目だけど、まさか生徒会のお手伝いという奉仕活動までこなそうとするなんて。少しハード過ぎるのではないだろうか。

 

「ひょ、ひょっとしてわたし何か勘違いしちゃってた……? 入学したばかりの子達に無理難題をおしつけようとしてたとかっ……」

「――いえ、サラ教官の話通りです。随分忙しそうですし、遠慮なく仕事を回してください」

「そ、そっかぁ……ビックリしちゃった。えへへ、でも安心して。あまり大変な仕事は回さないから。今日中にまとめて、朝までに寮の郵便受けに入れておくから。とりあえず、リィン君のポストに入れてもいいかな?」

「ええ、お願いします」

 

 無言で考え込むリィンに慌てるトワ会長だが、リィンが先ほどの話を肯定した途端に落ち着きを取り戻してくれた。

 そして、”生徒会の手伝い”の話――いままで私になかったのは何故だろう。少し――落ち込む。

 

 

 そんなに頼り無いかなぁ……まあ、頼りないよね……。

 

 その後、トワ会長に連れられて学食で晩ご飯を奢られるまで、私の耳に話はあまり入ってこなかった。

 

 

・・・

 

 

 リィン・シュバルツァーは校門前で星空を見上げていた。

 大陸最大の都市である帝都の近郊都市であるトリスタの街の灯はリィンの故郷のユミルより遥かに明るく、星空はそれに押されるように薄いものとなっていた。少なくともここでは、星空を横切る天の川を視認することは出来ない。

 リィンと共にトワ会長からご飯を奢ってもらい明日も生徒会の手伝いをすることとなった相方のエレナは、Ⅶ組の教室にリュックを忘れたために取りに行っている最中である。そういえば、生徒会館に向かう時にエレナは何故かそそくさと先に教室を出て行ってしまっていた。思えばサラ教官にリィンと共に仕事を押し付けられたあの時、エレナはリュックを取りに教室に戻ってきたのだろう。

 

 ついさっき校舎の施錠しようとしていた用務員のガイラーさんに声をかけていたぐらいだから、まだまだ時間はかかるだろう。元気のない星空からもう殆ど消灯されている本校舎の尖塔部分の時計に目を移した時、ポケットの中の《ARCUS》の着信音が鳴った。

 

<――グーテンターク。我が愛しの教え子よ。どうやら会長に夕食をおごってもらったみたいね。それに両手に花だなんて中々羨ましいシュチュエーションじゃないの。――>

 

 こんな下らない事をまず通信の最初に言ってくる人なんて限られている。というより、Ⅶ組のメンバーは皆お互いに《ARCUS》の番号を交換しているものの、まだお互いに頻繁に連絡を取り合うほどの利用してはいないのだ。今回も勿論、サラ教官一人しかいない。

 リィンはその愛しの教え子をだまし討ちしてくれた事を毒づくが、これは今後のカリキュラムに関係のある事だと、サラ教官はいう。

 だが、彼はどうしても一つのことが気がかりになっていた。

 

「ですが、一つだけ――どうして、”俺とエレナ”なんですか?」

 

 そこでリィンは一拍置いて、さらに突き詰めるように続けた。

 

「クラス委員長はエマだし、副委員長はマキアスですよね? 身分で言うなら、ユーシスやラウラのような貴族出身者までいる――なのに何故、俺達なんですか?」

<――ふふっ……それは君はあのクラスの”重心”とでも言えるからよ。――>

「え……」

<――”中心”じゃないわ。あくまで”重心”よ。対立する貴族生徒と平民生徒、留学生までいるこの状況において君の存在はある意味”特別”だわ。それは否定しないわよね?――そしてあたしは、その”重心”にまずは働きかけることにした。Ⅶ組という初めての試みが今後どうなるかを見極めるために。それが理由よ。エレナに関しては――まぁ、頼まれたらあの子断られないでしょうし、一人より二人の方が何かと便利でしょ?――>

「エレナが断れない事をわかっててって中々酷い理由ですね。でもそれ以外にも理由はありそうですね?」

<――ふふっ、鋭いわね。でもそれを私が明かすのは教官としてのルール違反だし、ここら辺で勘弁して頂戴。――>

 

そこまでサラ教官は話すとすぐ直後になにやら、ぐっ……ぐっ……と飲み物が喉を通る音が導力波に乗ってリィンの耳に伝わってきた。

 

「……って教官。何を飲んでいるんですか?」

<――ビールよ。ビール。週末なのに部屋で一人寂しく一人酒に決まってるでしょうが。まったくもうダンディで素敵なオジサマの知り合いでもいたら一緒に飲みに行ってるんだけど。――>

「あのですね――」

 

 まったくこの人は教官としてどうなんだろうか、と一言二言文句でも言おうかとリィンは思ったのだが、その前にサラ教官の声に遮られる。

 

<――ま、あんまり深く考えずにやってみたら? どうやら”何か”を見つけようと少し焦ってるみたいだけど――まずは飛び込んでみないと”立ち位置”も見いだせないわよ?――>

 

「ごめんー、お待たせ!」

 

 本校舎から駆け寄ってくるエレナ。リィンが思ってたより早かったようだ。

 

<――ふふっ、そろそろお邪魔かしらね。あ、女の子と一緒だからって寮の門限までにはちゃんと帰ってくるのよー。入学直後に不純異性交遊とかで生徒指導のお世話になられると私も困るからね。まぁ、ぶっちゃけバレなかったら許可してあげても――>

「帰・り・ま・す。」

 

 またもや下らない事を言い始めるサラ教官に呆れ、話の途中だがリィンは通信を切った。

 

「どうしたの? 誰かと《ARCUS》で通信してたみたいだけど?」

「ああ……サラ教官なんだけど。なんか変な事言ってきたから……」

「あ、あはは…」

 

 苦笑いするエレナ。二人は第三学生寮までの短い道のりについた。

 

「いやー、でも会長にはおご馳走になっちゃったね――お腹いっぱいいっぱい」

「ああ、そうだな。エレナ、結構食べてたよな。えっと――潮風のスープパスタだったか?」

「うんうん。船乗りの食事って感じで作るのは結構簡単なのに、すっごく美味しいんだよね。懐かしくなっちゃうな」

「はは、エレナの故郷の味だったりするのか?」

「まあ、それに近いかなぁ」

「なるほどな」

 

 そこで会話はとまった。エレナは少し俯いており食事の話をしていた時と比べて、明らかに元気はない。

 歩きながら数分、もう駅前の公園を抜け第三学生寮が視界に入った頃、エレナは俯くのをやめて笑って話し始めた。

 それはリィンでなくても、誰もが分かる程明らかな空元気であったのだが。

 

「…そういえば、さ。みんな水臭いよ? 生徒会のお手伝いをしようって話してたの私、知らなかったよー?」

 

 そんなに頼りないかなぁ……とエレナは続けて呟いた。

 リィンは遂に合点がいった。エレナが生徒会室から表情を曇らせていたのは、”生徒会の手伝い”がⅦ組みんなで決めた事だと勘違いしていた為だった。

 元はといえば生徒会室でトワ会長に聞かれた際に、機転を利かせてそのまま肯定した為に生じた勘違いしたのだろうし、少し責任を感じるリィンであった。

 

「……あれは、その。サラ教官に図られた……としか言い様がないな。」

「図られた……つまり、騙された罠に嵌められた的な? じゃあ、トワ会長の言っていたⅦ組のみんなが張り切ってるっていうのは……嘘? サラ教官の」

「ああ、そうだ」

 

 リィンの顔を見つめながら、目を丸くするエレナ。先程まで曇っていたその表情が分かりやすく安堵に満たされてゆく。

 

「はは……よかったぁ……。あーあ、ちょー悩んでたのに! もー、サラ教官めー! 朝の仕返しだとしても酷い!」

 

 エレナの言う”朝の仕返し”はリィンには分からなかったが、少なくても元気になってくれた様で安心した。しかし、エレナの勘違いにおいてはあまりサラ教官は原因の大元ではあるものの、どちらかというと生徒会室でリィンが肯定したのが一番の原因であるのだが――まぁ、何かややこしそうな事になりそうな気がしたリィンはその事を口に出すのを控える。

 こうして二人は士官学院に入って初めての自由行動日を迎えることになるのであった。

 




こんばんは、rairaです。
ルーアン風『潮風のスープパスタ』の出典は空の軌跡SCになります。酒場《アクアロッサ》の大皿料理ですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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4月18日 沈む心

 その日、私の目が覚めたのは既に太陽が高く登り始めている頃だった。

 昨晩に約束した時間に寮の一階に来なかった私を心配して、わざわざ呼びに来たリィンのノックの音で目が覚めたのだ。

 寝起きの顔などとても見せる訳にはいかずドア越しに何度も彼から見えないお辞儀して謝り、一時間後に学院の前で待ち合わせする約束をして先に生徒会の手伝いに向かってもらうことになった。

 

 リィンと合流した後は二人でⅣ組のコレットさんの生徒手帳を探す依頼をこなすこととなる。コレットさんの生徒手帳を彼女の立ち寄った場所の証言から探し出した頃には丁度昼過ぎになっており、一番重要な仕事を一つ残していた。

 

「それにしても、まさかあの旧校舎の探索がお仕事になるなんて……」

「ああ、それもヴァンダイク学院長からの直々の依頼になるな。鍵はもう受け取っているんだが、入学式の時のことを考えると流石に二人では心配だから、誰か二人ぐらい来て貰おうと思ってるんだけど……」

 

「うんうん。流石にあんな怪物出てきたら……二人じゃ怖いもんね。」

 

 まぁ、リィンからすれば相方がⅦ組の中でも戦闘能力が低い部類に入る私一人というのは中々にリスクが高いだろう。いつか、Ⅶ組のメンバーに、リィンに背中を預けて貰えるぐらいに強くなる事は出来るのだろうか。

《ARCUS》で二人に連絡を取るリィンを眺めながらそんな考えが浮かぶ。

 

「ガイウスとエリオットに連絡をしてみたんだが、二人共お昼も終わってるし三十分ぐらいで来てくれるみたいだ。とりあえず少し遅れたけど俺達も軽食でも食べて二人を待とうか」

 

 エリオット君……大丈夫なのだろうか。特別オリエンテーリングの時の事を思い出して、少し心配になる。

 いい意味でも悪い意味でもエリオット君と私は似ており――きっとこの旧校舎にいい思い出は無いだろう。

 

 学食が混んでいたのでトマトサンドと果物の丸絞りジュースを二人分テイクアウトで購入し、二人との待ち合わせ場所である旧校舎の前でちょっとしたピクニック気分の昼食にありついた。

 寝坊したために朝ごはんを食べ損ねた私は少し物足りないのだが、昨晩かなりの量を食べた事を考えるとこの上何か食べるのは気が引ける。十分ほどで食事を終えるとリィンはいつの間にかに買っていた帝国時報を読み始めていた。

 

「……リィン、帝国時報なんて読むんだね」

「ああ、ニュースとかは士官学院生として出来れば知っておくべきなんじゃないかと思ってさ。こっちに来てからは読もうと思ってたんだ」

「ふうん。面白いニュース、あった?」

「面白い……か、そう言われると難しいな……」

 

 リィンの読む紙面を覗き込むとそこには何かと難しい単語が並んでいる。

 

「帝国政府……本年度予算案発表……」

「ああ、先日発表されたみたいだな。今年の予算案は正規軍の大規模な軍備拡張計画の予算も入っているみたいだ」

「帝国軍かあ……」

「でも、帝国議会ではオズボーン宰相に反対する貴族派は予算案も受け入れないみたいだな。当然といえば当然なのかも知れないが……」

「難しい……ね」

 

 帝国正規軍は帝国全土を守るための軍隊の筈。それを増強しようとするのの何が悪いのだろう――とは昔は疑問に思っていたものだ。結局、いまの帝国正規軍の実質は帝国全体の軍隊ではなく、帝都の平民勢力の革新派に掌握された帝国政府の指揮下にある軍隊というのが正しいのだろう。

 身内びいきしてしまう私にとっては不本意ではあるものの、少なくともサザーラントの地方紙ではあまり良くは書かれてはいない。

 

「あっ、この記事読みたいっ」

「ああ……ケルディックの大市か。丁度春物市の季節だもんな」

「へぇ、こんなのがあるんだ……はは、でも書いてある事は難しいね」

 

 多くの客入りで賑わう市場の写真が紙面に載っている。これがファッション誌であればリポートや販売品を大きく取り上げるのだろうが、そこは結局、帝国時報ということなのだろう。帝国東部の経済効果、臨時増税法施行の影響等の政治或いは経済的な方向へ記事の内容がシフトしていく。

 そんな面白みの無い記事を覗き読みするのに飽きた頃、丁度良くガイウスとエリオット君の二人がやってきた。

 

 

・・・

 

 

 そして、私たち四人は入学式の特別オリエンテーリング以来となる二週間ぶりに旧校舎の地下へ足を運ぶ。

 やはり私の想像通り、あまりエリオット君は乗り気ではないようだ。それでもちゃんと来てくれる辺り、本当に偉いと思う。

 一階の広間の扉をくぐり、ついこの間ガーゴイルと激戦を繰り広げた階段部屋を視界に収める。その部屋は、何故か違和感があった。

 

「これは……」

「……」

「ふう……見たところあの化物は見当たらないみたいだね。不気味な石像とかもないし……」

「あはは……ちゃんと倒したんだから大丈夫だよ」

「あれ……?この部屋ってこんなだっけ……?」

 

 やっぱり――何か、おかしいような気がする。その理由はすぐに分かることとなるが、それは私が想像もし得なかった答えだった。

 

「いや――俺たちがあの化物と戦った時より部屋が小さくなっている」

「「え゛……」」

「おそらく2回り以上――おまけに見覚えのないものまで現れているようだな」

 

 唖然とする私とエリオット君を横目にガイウスは続けた。

 

「あ……」

「ま、前にここに来た時、扉なんて無かったはずだよね……?」

「無かったよ、絶対」

 

あの時、私はこの部屋へ走り込んでガーゴイルに攻撃していた。アリサは通路から遠距離で攻撃していたし、扉があったのならばその様な戦術を取れるわけがない。

 

「ああ…正直、半信半疑だったんだが」

「とにかく降りて扉の向こうを確認してみるか」

 

 一同階段を降りて、木製の厚い扉の前に立つ。

 扉を観音開きに開けると、流石のリィンとガイウスも驚きを隠そうとはしなかった。

 

「……」

「……嘘……」

「……驚いたな……」

「……ってココ、完全に別の場所じゃない!? 僕たち、こんな場所なんて通らなかったハズだよね!?」 

 

 つい二週間前に通った場所とは完全に違う場所だ。開いた口が塞がらないとはきっとこの事だ。

 特別オリエンテーリングで使った場所はそれこそ地下通路という印象が強い雰囲気であったが、今いる此処は通路の外に水が流れていたりと一つの大きな部屋に通路が作られている様な雰囲気だ。

 

「ああ……間違いない。どうやら地下の構造が完全に変わったみたいだな」

「ち、地下の構造が変わるってどうゆうこと……?」

 

 リィンがそういう怖いことを言うと、ただでさえ乗り気ではないのに腰が引けてしまう。しかし、一階でエリオット君も言っていたように、気が進まなくても来週の実技テストの事を考えると此処は丁度いい練習場所でもあるのだ。

 

「徘徊している魔獣の気配も違っているようだ――どうするリィン?」

 

 ガイウスがリィンの判断を仰ぐ。明らかに異常な変化を確認した以上、ここで引き返すという手も十分有りだろう。

 まぁ、リィンの事なのでここで戻るという選択肢は絶対に無いだろう。

 

「――学院長の以来は旧校舎地下の異変の確認だ。こんな状況になっている以上、手ぶらで帰るわけにもいかない。行けるところまで行ってみよう」

「――女神の加護を。行くとしようか」

「はあ……仕方ないか」

「うう……わかった」

 

 

・・・

 

 

 探索を始めて数分、最初の広間で魔獣の群れを捉えた。

 

「ナメクジ型の魔獣かぁ……」

 

 アレに自分の体を触れられたら……など考えると身の毛がよだつ。あんなのと戦わなくてはいけないことを考えると、実技教練の選択武器を導力拳銃にしといて本当によかった。

 

「ふむ、少々厄介そうだな」

「そうだな、だが戦術リンクが使えれば……」

「確かに、あれが使えれば百人力だよね」

 

 二週間前の特別オリエンテーリングの最後、変化する前の先程の部屋でガーゴイルと対峙した時に自動的ながら発動した《ARCUS》独自の機能の事だ。

《ARCUS》において繋がった仲間の考えや行動が”視える”という、軍事では部隊運用に大きな革命を起こす可能性のある一品だ。

 

「あの魔獣で試してみるか?」

「ああ、少し合わせてみよう。前衛の俺とガイウス、後衛のエリオットとエレナでまずは戦術リンクを組もう」

 

 リィンの言葉通りに私とエリオット君はお互いに《ARCUS》のリンク設定を登録する。

 戦術リンクは色々と良く分からない。どうすれば”繋がる”のだろう。エリオット君の事を考えればいいのだろうか。

 そんな疑問を感じながら隣のエリオット君を横目で見ると、彼も同じくこちらを向いており、お互いにしばらく目が合って苦笑いする。

 

「あはは……戦術リンクってどうするんだろう?」

「一応、もう繋がってるんだよね……よく分からないけど……」

 

 とりあえず設定は出来ているが、感触としては良く分からない。

 

「そっちは準備大丈夫か?」

「うーん、ちょっと微妙で良く分からないけど……リィンとガイウスはどんな感じ?」

「……ふむ、同じくよくわからないな……戦闘にならないと実感出来ないのかも知れない」

 

 ガイウスとリィンもよく分からないようで、首を横に振っている。

 

「……とりあえず、魔獣は三匹だ。例えリンクが上手くいってなくても、倒せない相手ではないからこのまま試してみよう」

 

 結局、戦術リンク機能は実戦で試す事となった。

 私は導力拳銃のスライドを引き、初弾を装填しセーフティを解除して会敵を待つ。

 そして、リィンの斬込を合図にナメクジ型の魔獣三匹との戦いが始まった。

 

 

・・・

 

 

 ナメクジ型の魔獣《ディゾルスラッグ》の群れに斬り込むリィン。

 それに追い討ちをかけるように、見事な槍術で魔獣を串刺しにするガイウス。

 

「う、うわぁ…思わず感嘆の溜息が漏れる。」

 

 思わず感嘆の溜息が漏れる。

 この二人は、前々からかなりの手馴れだと推測こそしていたのだが、目の前で見せられた技量は想像以上であった。

 これも戦術リンクの効果なのだろうか、私の素人目で見ても物凄く二人の息は合っており、実際には見たことはないけど、歴戦を共にした”相棒”という言葉は、彼らの為にあるのではないかと思えた。

 二人の後方支援としてエリオットは私のすぐ後ろでアーツを駆動中で、私は二人に負けじと魔獣に弾丸を撃ち込むものの、正直な感想を言えば、後方支援など不要な様に思えていた。何しろ前の二人はもう既に二匹目の魔獣を沈め終わっているのだ、

 

 三匹目の《ディゾルスラッグ》も私とエリオット君なんて眼中に無い様で、自ら前衛二人の方へ移動してゆく。

 

 なにか魔獣にまで舐められている気がして少し腹が立つ。三匹目の魔獣も瞬く間に、リィンの斬込とそれに続くガイウスの戦技の餌食となって沈黙し、エリオット君のアーツ《アクアブリード》の水柱によって止めが刺される。

 

 その後、魔獣相手に三戦程連戦を戦ったものの、結局見るからに戦術リンクを活用できたリィンとガイウスとは対照的に、私とエリオットはそれ程効果を実感出来なかった。

 というより、実感出来る程行動が出来なかったというのが正しいのだろうか。

 ただ、それでも緊張を強いる魔獣との戦いが続くのはやはり疲れる。

 

「リィン、今のはいい追撃だったな」

「ああ、いい手応えだった」

 

 リィンとガイウスの前衛コンビはすこぶる調子が良さそうだ。

 

「うーん……」

「ふむ……二人はあまりリンクを上手くまだ使えないのか?」

 

 いや、あなたたちが強すぎて動く時間が無いんです。とは、言えないだろう。後衛としての仕事をエリオット君は兎も角、私は全うできていないと思う。

 

「あはは……僕たちじゃちょっとリィンとガイウス程戦い慣れてないと言うか……それよりも、二人が凄すぎるよ。この間より全然良いし!」

「やはり戦術リンクの効果だな。ガイウスの攻撃が敵のどこに攻撃して体勢を崩そうとしているのが”視える”から、追い討ちをかけ易いし」

「”視える”かぁ……すごいなぁ」

 

 ”視える”という感覚が、素直に羨ましい。

 

「僕たちも頑張らないとね、エレナ」

「うん……」

 

 私はエリオット君の足を引っ張っているのではないだろうか。そう考えると、どうしても彼に申し訳ない気持ちになる。

 

「ちょっと組み合わせを変えてみるか? 流石にこの組合せは少し……」

「確かにな」

「あはは、気にしなくていいんだよ。魔獣もこの間のより明らかに強いし、リィンとガイウスが戦術リンクで良い連携出来てるから余裕があるだけで、やっぱり油断は出来ないよ」

「ふむ、それもそうだな……」

 

 エリオット君は優しい。彼が理由にした事は大袈裟だ。リィンとガイウスの能力を考えたら、戦術リンク無しでもお釣りがくるのは私でも分かる程明らかだ。

 戦術リンクの感覚を覚えるのならば、ここは既にリンクを使いこなせている前衛の二人とお互いに組むのが良さそうなものなのに。それでも私と組んでくれるとは。

(私、頑張らないと…)

 少し疲れ気味の体を動かす。私だって士官学院生――卒業すれば多分、軍人になるのだと思う。いくら女であっても、この程度の連戦で疲れを感じるのは鍛錬不足以外に他ならない。そう言い聞かせる。

 

「それじゃ、先に進もうか」

「あ、リィン。結構奥まで来たし、ここら辺で一旦休憩入れない? なんか僕、少し疲れちゃった」

 

(あ……)

 とっさにエリオット君の方へ顔を向けると、目の合った彼は私にウインクしていた。やっぱり、彼は私が疲れを感じてたのを察してくれたのだ。エリオット君はどこまでも優しい。

 

「どうする、リィン? エリオットの提案も一利あると思うが」

「確かにそうだな。立て続けの連戦だったし少し休憩するか」

 

 前衛二人もエリオット君の提案を好意的に捉え、それぞれ休憩に同意する。

 

「ふぅ……よかったぁ。そうそう、僕チョコレート持ってきてるんだよね。みんなで食べようよ」

 

 エリオット君が安堵の溜息をつくのが聞こえる。チョコレートか……なんとなく、エリオット君らしいかもしれない。

 

「フフ、気が利くな」

「ああ、遠慮なく頂くよ」

「どうぞどうぞ」

 

 男子三人から二アージュ程離れたところに私は座り込む。ひんやりとする石造りの床は汚いのかと思ったが、まるで昨日大掃除をしたかのような綺麗さだった。どう考えてもおかしいのだが、まぁ内部の構造が変わるぐらいなので深く考えても仕方が無いだろう。

 

 座りながら自らの導力拳銃《ラインフォルト・スティンガー》を右手に持ち眺める。 この銃もあまり上手く使いこなせている様には思えない。私は持ち主として余りよろしく無いのかもしれない。

 

(気、使わせちゃったな……)

 入学してからの二週間、思えば私は一喜一憂を繰り返していた。私はⅦ組の中では実技も学力も下から数えたほうが早い。結局、私には取り柄が無い。

 昨晩だって結局はサラ教官の嘘ではあったものの、それを信じ込んだ私は非常に落ち込んだ。今朝だってリィンとの約束を寝坊で破ってしまった。

 次第に思考の中で自己嫌悪に陥りそうになる。何故、優しくされてこんなに気落ちするのか。このまま甘えきってしまっていいのだろうか。

 

「エレナも食べるでしょ?」

 

 負のスパイラルに陥る思考を中断させてくれたのは、エリオット君だった。優しい笑顔で私に、銀紙に包まれた一口サイズにしては少し大きめのチョコレートを差し出してくれる。”QUINCY”とポップな字体が包み紙に印刷されている。

 

「ありがとう……クインシー・ベルのチョコレートだ」

「うん。甘いもの苦手だった?」

「ううん……大好き」

 

 首を横に振ってから包み紙からチョコレートを取り出して頬張る。

 

「……甘い」

 

 そりゃあクインシー・ベルのミルクチョコレートが甘くないわけがない。

 しかし、エリオット君の優しさは、チョコレート以上に今の私の心には甘ったるく、そしてほろ苦かった。




こんばんは、rairaです。
今回から次回にかけてエレナの色々な弱さが主なテーマとなります。これは彼女が今後Ⅶ組の中でやっていく為に、どうしても乗り越えなくてはならない壁の一つですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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4月18日 涙と仲間

 十五分ほどの休憩を挟み、私たち四人は再び奥を目指した。

 道中では何度か魔獣の群れと遭遇するものの、その度にリィンとガイウスの二人が先程と同じ流れで圧倒し、これを難なく退けてゆく。そんなのを何度も目の前で見せられる度に、後ろから感嘆と失望が入り混じった溜息をついてしまう。

 順調な様子の二人に対して、私とエリオット君は≪ARCUS≫の戦術リンクの効果を殆ど実感できないまま、無意味にリィン達の後ろを着いていくだけの時間が過ぎてゆくと、明らかに今までと違う雰囲気の部屋にたどり着いた。

 この大広間は行き止りの様で、いくら見渡しても通路や扉のようなものは存在しない。

 つまり、終点。そう直感的に感じた。

 

「――ここは……」

「何か来る――」

 

 目の前の石造りの床の中央に色が変わっている部分があった。

 それを中心に紫色の光がぼんやりと現れたかと思えば、その光は徐々に眩い光を放ち――驚く事にその光は魔獣になっていた。

 

 魔獣というよりは魔物、邪悪さを醸し出す悪魔の様な外見。

 体高は普通の人間を優に超え、恐らくは三アージュはあるだろう魔物は、血で汚れたかのような不潔そうな茶色い体毛に覆われた獣人。頭部には禍々しい紫色の角が、獣の様な四肢には同じ色の鉤爪が鋭く光り、頭部から胸部までを質の悪そうな鈍い光を放つ甲冑を身につけている。素顔は良く分からないが、その不吉な瞳から碌な顔ではない想像はつく。

 

 こんな化物倒せるのだろうか……。

 各々の得物を抜く皆から遅れて、私も導力拳銃を構える。しかし、化物のその禍々しい外見だけで、自らの足が竦み、銃を構える腕が縮むのを感じた。

 

 大広間を揺らす咆哮に思わず、目を瞑ってしまう。一瞬の後には、恐ろしい速さでこちらに突っ込んで来る化物の姿。

 

 金属のぶつかり合う甲高い音が響く。

 

 目の前には、ガイウスの背中。彼はその長い馬上槍で怪物の腕を受け止めきっていた。

 

「――みんな! 一気に行くぞ!」

 

 リィンの激励と共に戦いが始まる。

 

 

 ・・・

 

 

 攻防は一進一退ながら私達四人は確実に怪物《ミノスデーモン》へダメージを与えていた。

 リィンとガイウスの連携は相変わらず調子は良く、私とエリオット君は二人の後ろからサポートする形で絶え間なく攻撃を加えていく形だ。

 しかし、怪物の力――主に鋭い鉤爪や凄まじい腕力による攻撃は、私達への大きな脅威には変わりなかった。

 

 攻撃を加えるにあって細心の注意を払っていた筈だし、幾度となく繰り返された連携の形。

 だが、それも崩される時は一瞬だ。

 リィンと呼応し追撃に動いたガイウスが、見かけによらず素早い怪物の右腕に捉えられる。

 

「……ぐっ……不覚……」

「ガイウス!?」

 

 いくら大きな体躯であるガイウスでも、これに耐えることは出来ずに数アージュは弾き飛ばされた。それでも体勢を崩して倒れることなく、槍を杖の様に扱いながらも両足で立てているのは、流石と言った所だろう。しかし、リィンが彼の名を叫んだように、相当の傷を受けたのは確かだろう。

 

「まだ大丈夫だ……」

「一旦、下がるんだ!」

 

 怪物と対峙しながら、リィンは叫ぶ。

 

 その苦痛に歪む表情だけで、ガイウスが大丈夫ではない事は誰の目にも明らかである。

 しかし、彼が下がればリィン一人であの怪物の相手をすることになり、それは前線を抜かれてエリオット君と私の後衛を危険に晒すことと等しい。

 ガイウスもそれが分かっていて、無理をして血の滲む痛々しい左腕の傷を晒しながらも槍を構えるのだ。

 

 何か、何か私に出来ることは――。

 

「《ARCUS》駆動!」

 

 エリオット君がすぐさま回復アーツの駆動に入る。それを見て、私は唾を飲む。この状況、やるしかない。

 

「ガイウス、一旦下がって! 回復の駆動が終わるまでだったら、私でも時間稼ぎ出来る!」

 

 自分で口に出した言葉に驚く――意外と言えるじゃない。

 

「エレナ……! しかし……」

「大丈夫。エリオット君ならきっと私に攻撃当たる前に発動させてくれるはず」

 

 何故だろう、全く根拠はないのにも関わらず、それだけは信じれた。

 それに、リィンだっているのだ。

 

「わかった……暫く頼む……」

 

 丁度、睨み合いの対峙が終わり、化物とリィンの殴りと斬撃の応酬が始まる。既に化物は無数の傷こそ有るものの、中々倒れてはくれず、逆にその反撃の激しさが増すという凄まじい生命力だ。

 もしかしたら、彼一人でも怪物を抑えきる事は出来るかもしれない。ただ、ガイウスが不覚を取ったように、リィンだって既に大分疲れてい筈。

 

 だから、しっかりと、彼の手助けを私がこなさなくては。

 古びた甲冑に包まれた頭部に狙いをつけ、両手の中で跳ね上がる銃を抑えて続け様に三回引き金を引く。

 

 反響する銃声の中、怪物の頭が仰け反る。ほんの短い間だけ。

 

 放たれた弾丸は古びた甲冑を簡単に貫通し、それは怪物の頭部へとダメージを与えた筈。ただの魔獣なら即死レベルの致命傷なのだが、やはり怪物の生命力は尋常では無く、三発の頭部への直撃弾を以てしても倒すことは叶わない。

 

 黄色い眼光が、魔物の顔が私を向いた。

 

 しかし、それまでリィンと一対一で対峙していた怪物に私という存在を認識させるには十分だ。

 どんな生物にとっても、一番重要な部分である頭部に攻撃を加えれる敵の方が脅威と判断する。怪物もそう判断したのだろう、見かけによらず俊敏な怪物は直ぐに先程まで私のいた場所にその大きな腕を振るう。

 集中出来ていた事もあり、ちゃんとこれは避けることは出来たのだが、こんな攻撃をリィンやガイウスのように何十回も避けるのは難しいかもしれない。

 

 ならば次が来る前に至近距離から怪物に直撃弾をお見舞いすれば――怪物の背後に走り込むリィンを見てから、真っ直ぐ銃口を目の前の怪物に向け、今度は二発撃ち込む。間髪入れず、斬撃の音。

 

 苦痛が混じる大きな咆哮。

 周りに満ちる、まるで肉が腐った様な異臭。

 

「……やったっ!」

 

 ≪戦術リンク≫ではないけど、リィンと私の即席の連携に思わず声が出た。

 耐えがたい苦痛にのたうち回る怪物は、一時的に視力を失っているのか、明らかに今までと様子が異なり、その背には鎧もろとも抉る深い傷が何本も入っていた。

 

「――《ティア》!」

「エレナ! 交代する!」

 

 待ちに待ったその声に振り向く。まだエリオット君のアーツは発動中で、青く優しい蒼耀の光がガイウスを包み込んでいる最中なのにも関わらず、彼は私の元へ駆けてきていた。

 

「助かった、感謝する」

 

 私を襲う筈だった、怪物の太く禍禍しい鉤爪の付いた腕に槍を突き刺すガイウス。

 

「うん……ガイウス、ありがと!」

 

 怪物は状態異常によって一時的に視力を失い、闇雲に暴れまわっている状態だ。これならば、私もこのまま攻撃を続けていても問題ないだろう。

 

 リィンが怪物の腕を避け、そのまま背中を袈裟斬りにすると怪物は激しく暴れ、今度はガイウスに背を向けてしまう。それを見逃す彼では無く、間髪入れずに十字槍が傷付いた怪物の背中へと突き刺さる。

 断末魔に近い叫びを上げた《ミノスデーモン》はその口からおびただしい量の血肉を吐き出す。しかし、それでもまだ倒れようとはしない。

 

 本当に凄まじい生命力だ。最後の抵抗なのだろうか、先程より更に激しく暴れるのでリィンもガイウスも少し距離を取らざるを得なくなっている。

 リィンもガイウスも近距離武器であるから、こうも暴れられると距離を取らざるを得ないが……私なら近距離からリミッターを解除して後頭部を狙えば、止めを刺せると確信した。

 

 私は意外と勇敢なのかも知れない等と冷静に考えながら、ガイウスの制止を振って切り暴れ回る《ミノスデーモン》の背後へ回る。

 両手で銃を構え、導力銃の威力を左右するガンユニットのリミッターを解除し、引き金を引く。多分、大口径銃と同じレベルの反動が腕に強く響き、銃自体も十リジュ程度持ち上がる――その銃口の先には怪物の頭部が――ある筈だった。

 

 私の伸ばした腕の下に現れたのは、大きな茶色い毛で覆われる不潔そうな塊。

 

 完全に油断した。

 そんな後悔すらも消し飛ばしたのは、凄まじい衝撃と共に襲いかかる強烈な痛みと、狂ったように回る視界。吹き飛ばされ、床に叩きつけられたのだろうか、頬に触れる床は冷たい。

 反対に、息は火傷しそうな位の熱を持つけど――呼吸すらままならなくて息苦しい。

 

 

 あれ……目の前が暗い……。

 いままで経験した事がない凄まじい痛みに、思考が淀む。目の前ではリィンとガイウスが恐い顔で叫んでいる――しかし、何故か言葉までは聞き取れない。

 怪物は既に沈黙しており――私も何かしらでは役に立てたのだろうか。その光景は、一際暗く感じた。

 

「――《ティア》!」

 

 不思議な事に目の前の光景は暗いのに、何故か脳裏にはおとぎ話の魔法使いが持つような杖を構えた紅茶色の髪の少年の姿が鮮明に映っていた。強張った声と共に、彼から蒼耀の優しい光が発せられる。

 

「――エレナ、大丈夫!?」

 

 リィンとガイウスの声は聞き取れなかったのに、なんでエリオット君の声だけが聞こえるんだろう。

 頭の中に優しく響くように聞こえる少年の声。その彼が無様にも背中を向けて床に横たわる少女に駆け寄っている。

 

 あれ、これ私だ……。

 

 そこで私の意識は暗転した。

 

 

 ・・・

 

 

 優しい青い光に包まれ暗い視界から光が戻り、思考が晴れてゆく。

 

「エレナ、大丈夫!?」

「気がついたか……」

「大丈夫か?」

 

 心配そうにこちらを見つめる三人の顔。

 痛みはほとんど消えている。先程までの息苦しさも無い。周りを完全に認識できた時、私の体は床に横たわりエリオット君の腕に抱えられる様に上体を起こされていた。

 

「あはは……ごめん、迷惑、かけちゃったね……」

「はぁー……、無事でよかったぁ」

 

 もうくっつくんじゃないかと思う程近くにあるエリオット君の顔に安堵の表情が広がる。相当心配させてしまった様だ。彼の碧翠色の瞳には涙が浮かんでいるじゃないか。

 

「私、そんなに長い間、気失ってたの?」

「いや、ほんの数十秒だ。ふう……何はともあれ、無事で良かった」

「ああ……本当にだ」

 

 私の疑問にガイウスが応え、リィンと共に私の無事に安堵してくれた。

 

「そっか……エリオット君、もう大丈夫だから……ね?」

「う、うん……」

 

 しかし自分の体が無事だとわかると、途端にいまの状態が恥ずかしくなってくるものだ。いつまでもエリオット君の華奢な腕に抱えられている訳にもいかないので、私は彼の空いている方の手を借りて立ち上がる。

 

「ありがとう……ほら、男の子なんだからしっかり……」

 

 申し訳ない気持ちと感謝、色々な感情が渦巻く中、何故そんな行動をとったのか理由は全く分からないが、気付いた時には不思議と私の右手はエリオット君の頭を撫でていた。

 

 

 ・・・

 

 

 ヴァンダイク学院長とサラ教官への報告で、あの旧校舎はこの学院が設立される前から存在する歴とした中世時代の建物であることが伝えられた。

 

 今回はガイウスと私が一時的に手傷を負うものの、素早い回復によって大事に至らなかったことから、ある程度の危険性はあるがⅦ組の鍛錬場所としての都合は良いとの結論が出た。今後も自由行動日にはあの建物の調査を引き続き継続することとなりそうだ。正直……私は当分の間、あの場所には行きたくないけど。

 

 教官達への報告を済ませた後、リィンと私はトワ会長への報告で生徒会室に行く為にガイウスとエリオット君と別れる。

 エリオット君は流石の心配性で……まぁ、今回に限っては完全に私が悪いのだけど、旧校舎を出てから頻りに私に体の調子を聞いてきてくれる位だ。とりあえず、何かあったら直ぐにベアトリクス教官の保健室へ行く、という約束をしてやっと納得してくれた。

 重症化する前に素早く治癒のアーツを掛けてくれたのもエリオット君なので、本当に彼には頭が上がらない。

 

 本校舎の廊下から中庭に出ると、既に外は綺麗な夕日に染められていた。

 

「リィン?」

 

 丁度、中庭の前の丁字路を右に曲がろうとした時、少し前を歩くリィンが立ち止まった。彼はそのまま向き直ると真剣な視線を私に向けてくる。

 

「エレナ、どうしてあの時、あんなに危険な行動をとったんだ? 確かにあの状況では必ずしも悪手では無いし、お陰で状況の打開は出来たけど……物凄くリスクは高い行動だ。当たり所が悪ければ、無事じゃ済まなかったと思う」

 

 彼に咎められるのは少し想像していたことだった。心配な顔をしている一方で、その表情に少しばかりの怒りを感じていたから。

 現に私の行動はガイウスの制止を振り切った独断行動であり、決して褒められる類の物ではない。そその上、独断行動の挙句に敵の攻撃を受けて皆に迷惑をかけたのだ。もし軍人として任務中に犯したら、確実に懲罰は避けられない。

 エリオット君は涙目になってまで本気で私の事を心配してくれたが、実際は自業自得と冷ややかな目で見られても文句は言えないのだ。

 意識が戻った時のリィンとガイウスとエリオット君の顔を思い出すと、本当にⅦ組の皆の優しさに泣きそうになる。

 

 だからこそ、私は本音を吐き出すことを決めた。

 

「……認められたかったの。みんなに。仲間として頼られるように……。だって、Ⅶ組の中だと私は武術も勉強の出来も下の方だし。結局、取り柄もないし――今日もエリオット君との戦術リンクは全然ダメなままだったし。正直、私みたいに価値の無い人間、Ⅶ組にいない方がいいん――」

 

 本音から代わって溢れる私の弱音は、リィンに遮られた。

 

「自分を無理に下げるのは良くないな。それに武術と学力だけが人の価値を決めるなんて、もっと有り得ない。俺は君の良いところを沢山知っているし、他の皆はもっと知ってる筈だ。何よりもⅦ組にとって、君が必要とか必要じゃないとかいうのは問題じゃない」

 

 そこで一拍置き、私を再びその真剣な黒い瞳で射抜くリィン。

 

「Ⅶ組は十人でⅦ組だ。その中にエレナ・アゼリアーノっていう女の子がいる。君がどう思おうが、君はⅦ組のメンバーで、君がいないとⅦ組じゃない」

 

 その言葉は――私が一番欲しかった言葉かもしれない。

 声が出ない。何か言いたいのに、声が出ない。

 

「――だからさ、あんな危ない事は今後一切しないと約束してくれ。俺達Ⅶ組は皆一人一人が大切な仲間だ――だから、一人で戦うんじゃなくて、みんなで戦おう」

「うん……うん……」

 

 気付いたときには視界が滲んでいた。ああ、涙が溢れているのがわかる。

 でも、ここで泣くわけには、泣いている顔を見せる訳にはいかない。私はリィンに背を向ける。

 

 認められる必要など無かった、焦る必要なんて無かった。結局、特別オリエンテーリングで参加を決めた時から私はⅦ組で――みんな最初から仲間だった。

 冷えた寂しかった心が急に優しい腕に抱かれたように、暖かくなるのを感じた。

 

 

 自分でも頑なだと思えるほど、リィンには泣き顔は見せたくなかった。たとえ嬉し泣きであっても、感情の一線を越えてしまえば、際限なく涙は溢れ、子供の時の様にわんわんと情けなく泣いてしまいそうだったから。

 でも、多分、泣きそうだったのはバレている。そう思うと急に照れくさくなって、リィンの方を向けなくなる。

 人影が疎らな学院のグラウンドに目を向け、かなり気不味い無言の時間が過ぎた頃、私は思わず自分から沈黙を破ってしまった。

 

「――あ……リィン。あれ、アリサじゃない?」

 

 口に出してから、気不味さに後悔が生まれる。

 夕日の橙色に染まるグラウンドを、体育倉庫へ向かってラクロス部のユニフォームを着た金髪の少女が歩いている。倉庫に片付けるのだろうか、彼女は赤色のラインカーを引いている。

 それは紛れもなく私たちと同じⅦ組のアリサだろう。私にとっては最もよく話す友達であり――道の影法師として隣にいるリィンにとっては入学式の日以来、未だ避けられているクラスメイト。

 

「ああ……一人で片付けをしているのか……?」

「リィン、手伝ってあげようよ。これも生徒会のお手伝いってことで」

「……そうだな、あれを一人で片付けるのも少し大変そうだし……いくか」

 

 リィンはきっと今のアリサとの関係から少し気は引けていたのかも知れない。私がそう言うのであればといった様子だ。でも、少なくとも彼からは避ける事はせずに、アリサとの関係を修復するきっかけを探している。

 だから、ここで彼女を手伝ってあげる事は、二人にとって良いきっかけになると私は思って、グラウンドへ降りる階段の途中で足を止めた。

 

 グラウンドへ向かうリィンは丁度階段を降りきった所で、私が階段の途中で立ち止まっている事に気付く。

 

「あれ――エレナ?」

「へへ、頑張ってきてね。トワ会長への報告は私がしておくから。じゃっ」

 

 これでもかって位の笑顔でリィンに告げて、私は階段の一番上まで駆け上がると、言い忘れた続きを付け加えた。

 

「あ、そうそう、私、今日は駅前の《キルシェ》で晩ご飯食べるつもりなの。リィンはさっき慰めてくれたお礼に特別に奢ってあげるから、さっさと仲直りしてアリサも一緒に連れて来ちゃえ! じゃあ、またねっ!」

 

 返事は聞かずに、校舎の方へと一目散に私は駆けた。

 

 ありがとう、リィン。




こんばんは、rairaです。
今回はエレナの色々な弱さの内の一つの”壁”をここで乗り越えることとなります。しかし、”壁”はまだまだ多く存在するので全てを完全に乗り越えられるのはいつになることやら。
前回、微妙に存在感の薄かったリィンは原作主人公として流石の活躍をしてくれました。しかし恥ずかしい台詞が多いですね…。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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4月24日 交易町ケルディックへ

4月24日 午前7時半頃

 

 流れゆくクロイツェン州の景色が大陸横断鉄道の車窓から望める。

 トールズ士官学院のある帝都近郊トリスタから列車に揺られるほど約30分程だろうか。森林地帯を抜けると景色一面を黄金色の麦畑が染め上げた。大陸に名だたる大都市である帝都ヘイムダルを始め帝国各地へ食料を供給する、帝国最大の麦の生産地であるケルディックの大穀倉地帯だ。

 

 私はトリスタより東側へは鉄道では行った事がないので風景の何もかもが新鮮であった。トリスタに来る時に乗った列車の車窓から見た故郷のサザーラント州の田園地帯では、葡萄やオリーブ、柑橘系の果物等多くの農産物がごった混ぜに育てられていた。

 土地が変われば風土も、作物も、そして人も変わる。当たり前の事ではあるのだが、こうして自分の目で見せられるととても新鮮だった。

 

 四日前、先週の土曜日にサラ教官から伝えられていた予定通り実技テストが行われた。

 実技テストは通常の実技の時間とは少し異なる特殊な模擬戦を行うことがメインの様であり、アリサ、フィー、マキアス、私、という何とも私達だけ偏った組合せで、得体の知れない《戦術殻》と呼ばれる傀儡を相手にして戦うこととなった。

 戦術リンクの経験者がこの四人の中では私しかいなかったので有効的に繋げる事は出来なかったものの、自由行動日に旧校舎の探索をした私以外のリィン達三人は前衛二人の戦術リンクを用いた見事な連携で、他の組合せを圧倒する短時間で傀儡を沈黙させていた。なんとなく私だけ仲間外れにされた感はあるものの、戦術リンクの重要性を見せるのがこの実技テストのテーマだというのは私でも分かる程明らかであったので、私が入って他の組より1人多い四人組になり人数のアドバンテージが出てしまうのを避ける為と考えると渋々ながらも納得するしかなかった。

 結局、私達四人は遠距離に偏った組み合わせではあったが、前衛を張るフィーの尽力と人数が一人多い優位性もあり、苦しめられながらも傀儡を倒すことが出来た。

 

 その後、Ⅶ組の特別なカリキュラムについての説明が行われた。そのカリキュラムは『特別実習』といい、主に月末の土日の週末を利用して士官学院の外で用意された課題をこなす実習活動を行うというもの。

 但し、肝心な実習の課題の内容については未だ明らかにされておらず、その場で明かされたのはⅦ組を二つに分ける班分けとそれぞれの目的地のみであった。

 

【4月特別実習】

A班:リィン、アリサ、ラウラ、エリオット、エレナ(実習地:交易町ケルディック)

B班:エマ、マキアス、ユーシス、フィー、ガイウス(実習地:紡績町パルム)

 

 まあ、この組み合わせが書かれた特別実習の指示書を見た時の皆の反応は……色々と面白かったのが半分、不安しか感じさせないのが半分と言った所だろう。

 特にアリサとか――そう言えばアリサはどうしてるのだろう、少し気になった私は外の風景からを眺めながら隣の彼女の声に聞き耳を立てる。

 

「そうそう聞いて頂戴、リィン――」

「――なるほど、アリサはそういうのが好みなのか――」

 

 私の想像通り、今朝念願叶ってリィンと仲直りできたアリサはさも嬉しそうに、リィンとの二週間分の空白を埋めるかの様に楽しそうに話していた。

 自由行動日の夜、その日私がせっかくリィンをアリサの元へ送り出したというのに不本意な結果に終わった事について、彼女をやんわりと問いただした。その時の赤裸々な本心の吐露を聞いてしまうと……何だかんだ意識してしまったのはアリサの方なのだろう。本人が気づいてるかどうかは置いておいて。

 そんな事を考えていると聴覚だけでは物足りなくなり、楽しそうにお話中のアリサに顔を向ける。私の視線に楽しい時間を邪魔された彼女はすぐに不満げに声をかけてきた。

 

「エレナ……そんなに面白いものあるのかしら?さっきから緩みきった顔が気持ち悪いのだけど」

 

 失礼な。今のアリサを見ていて微笑ましく思わない人など中々の少数派だろう。きっとⅦ組全員が全面的に同意してくれるに違いない。

 

「失礼だなぁ。アリサが嬉しそうに話してるのが微笑ましくってついー」

「な、ななにゆってんのよっ!」

 

 アリサの向こうではラウラとエリオット君がクスクス笑っている。サラ教官は相変わらず寝ているが。

 

「えへへ、仲直り出来て舞い上がっちゃうアリサは可愛いなぁって……」

「そ、それ以上言うとほんと怒るからね!」

「まあまあ、列車の中であるしその辺でな」

 

 顔を真っ赤に染め上げたアリサを宥めるラウラ。リィンとエリオット君は苦笑いだ。

 少しすると今度はもう一つの実習地へ向かっているB班の話題となった。まぁ、概ね5人ともB班のマキアスとユーシスの当事者以外の三人を同情しながら、自分達があちら側で無かった事を女神に感謝するという流れであったが、そんな会話が一段落するとエリオット君が私に意外な事を訊ねてきた。

 

「そういえば――エレナはこっちで少し残念だったんじゃない?」

「え、なんで?」

「だってB班の実習地のパルム市ってエレナの実家の近くでしょ?」

「うん。あー、なるほど――」

 

 そりゃまぁ、確かに一番近い街ではあるがそれでも帝都=トリスタ間ぐらいの距離の険しい山道があるので、どう考えてもパルム市から村までは実習の期間中で行くことは出来ないだろう。ただ、村には行かなくてもパルム市には昔エレナの実家の隣の雑貨屋に住んでいた――今はパルム市内の領邦軍詰所で勤務しているフレールお兄ちゃんがいるのだが……。

(確かにB班だったら会えることは会えたはずだし……いやでも……)

 

「どうしたのだ、エレナ? 少し顔が赤いようだが」

「い、いや、何でもないよ? で、でもB班のあのギスギス険悪空気は私、絶対耐えれないよ。A班で良かったって本気で思ったし」

 

(そう、それこそB班から逃げたくなるあまり、もうパルム市に残ってしまいそうな……残る!? それは私、どういう意味で……)

 脳内であたふたとIFの思考がぐるぐる回り、甘い妄想が脳内で展開されてゆく。残るということは――ということであり、それは私が――の――に……。

 

「あはは……確かに……って、本当にどうしたの、エレナ?」

「な、何でもないってー、うん」

「ふうん、エレナ。そういうことかぁ」

 

 今度は先程と攻守が逆転したかの様にアリサがニンマリと笑う。

 私がアリサに頭を下げて先の件を謝罪するのに、それ程長い時間はかからなかった。

 

 

・・・

 

 

「わぁ……」

 

 一時間足らずの旅路の為、少しものたりないものの、私達5人は無事クロイツェン州の交易町ケルディックへ降り立った。

 帝国東部の交通の要所であると同時に活気のある交易地として名を馳せる都市は、中世時代そのままの木造建築の建物が主流であり故郷の村とも帝都近郊のトリスタとも違った街並みが雰囲気を醸し出している。

 

「へぇ……ここがケルディックかぁ……」

「のんびりした雰囲気だけど結構人通りが多いんだな」

「あちらの方にある大市目当ての客だろう。外国からの商人も多いと聞く」

 

 道理で明らかに帝国人では無さそうな、あまり見ない服装の人も多いのだろう。但し、かなりのお金持ちそうな格好ではあるのだが。

 

「なるほど、帝都とは違った客層が訪れてるのね」

「ちなみに特産品はライ麦を使った地ビールよ。君たちは学生だからまだ飲んじゃダメだけどね~」

「いや……勝ち誇られても……」

「別に悔しくありませんけど……」

 

 流石はリィンとアリサといったところか。帝国法における飲酒可能年齢は満十八歳――まあ、帝都はともかく地方において厳格に守られているかと言われれば微妙な線であり、私たちの飲酒を縛るのは帝国法というより士官学院の校則で卒業までの飲酒喫煙が禁止されているからと言った方が正しい。私を含めて童顔が 三人もいるこの五人組でも、多分私の村の酒場ならば余裕で注文を聞いてくれるだろう。

 しかし、少なくともリィンとアリサに関しては、お酒を飲むと碌な事にならなそうな予感がするのは私だけだろうか……。

 

「でも、ライ麦のビールって珍しくないですか?」

 

 ライ麦を使ったビールというのは現代においては中々に珍しい。それこそ、中世時代はライ麦から醸造される事は多かったが、ライ麦は風土によって品質が変わりやすく醸造過程においての不確定要素が多いのだ。

 ちなみに帝国の酒文化は広大な国土に比例して各地方それぞれ色が分かれており、ここ東部のクロイツェン州から帝都を越えて西部ラマール州までの東西にまたがる一帯は主にビール文化が根強い。

 対して冬季の寒冷気候が厳しい北方のノルティア州では度数の高い強い蒸留酒がメインで飲まれており、温暖な気候の南部サザーラント州では広大な蒲萄畑で生産されるワインを中心とした果実酒が主となる。

 

「そうね、帝国内で作ってる場所は結構限られちゃうわね。本当はB班のパルム市のある南部も美味しいワインで有名だから迷ったんだけどね、やっぱり品種だのランクだの言い出すワインは合わないのよね~。あと、B班めんどくさそうだし」

 

 続けて、「まあ、あの二人が険悪になりすぎたら、ちょっくら飲みに行くついでに仲裁して来ましょうかしら」と呟きながら思案するサラ教官。理由と目的が明らかに入れ替わっている、自らの教官の姿を見て実習地の選出理由が飲みたい地酒がある場所だったりするんじゃないかと、私は本気で心配になるのだった。




こんばんは、rairaです。
少し飛ばし気味になりましたが、今回から最初の特別実習となります。
主人公エレナは設定上は南部出身ですのでB班のパルムと少し悩んだのですが、B班はマキアスとユーシスの険悪空気を描くのが面倒で無難にA班にしてしまいました。
前話との間の出来事はその内、番外編として補完していこうかと思っています。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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4月24日 宿酒場《風見亭》

 そのまま私達はサラ教官に今日の宿となる宿酒場《風見亭》へと連れられ、二日間お世話になる女将のマゴットさんを紹介された。

 一通り紹介を終えると、とりあえず荷物置きの為に女将さんに今日寝泊まりする部屋へと案内された。

 

「ほら、ここが今夜、アンタたちが泊まる部屋さ」

「うむ、一夜の宿としては十分すぎるほどの部屋だな」

「わぁ、いい部屋。早く寝たいなー」

 

 女将の開けたドアの向こうには、庶民的な宿酒場としては大きな部屋があった。右側にソファー、部屋の真ん中に机、左側の端にベッドが配置されている。

 窓も沢山ある為、採光も中々良い様だ。もっとも特別実習の為に来ているので、中々採光を気にする時間にここで滞在することは無いとは思われるが。

 

「で、でもベッドが5つってことは……」

「ま、まさか男子と女子で同じ部屋ってことですか!?」

「えっ、うそっ?」

 

 エリオット君が気づいた事にアリサが声を上げる。私も思わず驚いてしまった。

 確かに左の角に置かれているベッドは5つ。私達は5人。流石の私でもこれは中々ハードルが高い、結構お嬢様っぽいアリサにとっては尚更だろう。

 つまり、リィンとエリオット君に寝ている姿を見られてしまう訳であり、寝起きの顔をも見られる訳であり、着替え――は二人に出てもらえばいいか……。

 

「うーん、アタシも流石にどうかとは思ったんだけどねぇ。サラちゃんに構わないからって強く言われちゃってさ」

「そ、そんな……」

 

 少しアリサに同情する様子を見せる女将さんだが、サラ教官が決めた以上中々覆りそうもない。アリサの顔が深刻な、というより絶望的表情へ変わる。

 まあ絶望というより単に恥ずかしいだけなのが事実だろうけど。私も同じだけど、やっぱり迷う。しかし、どうしようもないのも事実だ。

 

「……困ったな」

「僕たちは構わないけど女の子はそうもいかないだろうし」

 

 男子二人の反応は至って真面目なもの。ここで『女子と一緒の部屋!?ひゃっほぅ!』なんて言う様な男なら本当に信用ならないが、Ⅶ組にそんな男子が居ないのは救いだ。

 

「――二人共。ここは我慢すべきだろう。そなた達も士官学院の生徒。それを忘れているのではないか?」

「そ、それは……」

「えー、でも……」

「そもそも軍は男女区別なく寝食を共にする世界……ならば部屋を同じくするくらい、いずれ慣れる必要もあろう」

「まあ、いっか……別に同じベッドってわけでもないし」

 

 よく考えれば二年間も寮も一緒なのである。この様な特別実習も数多く行く以上、まだベッドで分かれているだけマシと自分を納得させた。それにリィンとエリオット君なら何かあっても話のネタにされる事もないだろうし、二人共良心的なので安心できる。

 

「ううっ……分かった、分かりました!」

 

 ラウラの言葉と私の妥協、というより諦めがアリサへの圧力になったのだろうか。嫌々といった感じではあったもののアリサも仕方なく観念した。

 そして、威嚇するようにリィンとエリオット君の方を睨む。まあ勿論、主目標はリィンである。可哀想なリィン。

 

「――あなた達。不埒な真似は許さないわよ?」

「あはは……しないってば」

「……右に同じく」

「うーん、エリオットはともかく、誰かさんには前科もあるし……よし、いっそ寝る時に簀巻きにでもすれば……!」

「アリサ、それ超楽しそう!」

「……勘弁してくれ」

「あはは、ご愁傷様」

 

 そんな話が一段落したのを見計らって、女将のマゴットさんがリィンへ封筒を渡してきた。中に入っていたのはトールズ士官学院の獅子の紋章が表紙に入っている冊子であった。

 その冊子には特別実習の一日目の内容として三つの課題について記されていた。

 

 一つ目は『東ケルディック街道の手配魔獣』、二つ目は『壊れた導力灯の交換』、三つ目は『薬の材料調達』。

 前二つは必須と赤字で記されており、この二つを逃すと落第点評価となるということだろうか。つまり、最低この二つは今日中にこなさなくてはならない課題の様だ。

 しかし、少し拍子抜けだ。もっと『特別』というぐらいの難易度の高い実践課題が出ると個人的には想像していた。いや、まあ楽なのに越したことは無いのだけども。

 

(でも、この三つの課題……似たようなものを見たことあるような……)

 

 その下に記された追記事項の二つのうち一つ、『実習範囲はケルディック周辺200セルジュ以内とする』、これは無問題だろう。200セルジュを徒歩で歩くとなれば有に片道4時間はかかる筈、一日でそんなに歩いたら私が流石に死んでしまう。

 そして二つ目の追記事項は『なお、一日ごとにレポートをまとめて、後日担当教官に提出すること』。

 これが一番の問題なのではないだろうか……つまり、疲れて帰ってきても、レポートを書くまでは寝れないという事なのだから。

 

 アリサもラウラもエリオット君も私と同じく拍子抜けしており、それぞれが口々にそれを語った。そんな中リィンは何か心当たりがあった様で、彼の提案の通りに一階にいると思われるサラ教官に話を聞いてみる事となる。

 ちなみにアリサは「へ、部屋の件も含めて問い詰めてやらなくちゃ!」と息巻いており、やはりまだ男女同室の事が納得いかない様であった。

 

 

・・・

 

 

「ぷはっーーっ! この一杯の為に生きてるわねぇ!」

 

 風見亭の一階に降りると、何とも楽しそうに満喫している姿を見せてくれるサラ教官。正直、教官でなかったら全力で他人のフリをするか悩むレベルである。

 

「完全に満喫してるし……」

「しかも、まだ昼前なんですけど……」

「いるんだよねー……昼前からお酒買いに来て、その場で飲む人」

 

 酒屋の娘の経験として、昼酒する人は『だらしない』、『ダメな大人』という至極正確な濃いイメージが刷り込まれている。

 

「あら君たち、まだいたの?あたしはここで楽しんでるから遠慮なく出かけちゃっていいわよ?」

 

 もう見るからにルンルンなサラ教官。この間の惨事の経験から、あまりお酒の入ったサラ教官に近寄りたくはないので、私としても早く出かけたいのではあるのだけど。

 サラ教官曰く、必須の課題以外はやらなくても良いという。リィンの解釈では課題に取り掛かるか、取り掛からないかの判断を含めての『特別実習』ということらしい。

 

「うふふん……――実習期間は二日間。A班は近場だから明日の夜にはトリスタに戻ってもらうわ。それまでの間、自分たちがどんな風に時間を過ごすのか……せいぜい話し合ってみることね」

 

 と、思わせぶりに話した直後にゴクゴクと中々の勢いで、木製のビアマグを空にしてしまうサラ教官。

 そして、風見亭のウェイトレスのルイセさんを呼んで、おかわりを注文している。いくらなんでもこの人、早過ぎないだろうか。

 

「さっきも言ったとおり、方針はあんたたちに任せるわ。ま、とりあえずウチの生徒として節度ある行動を期待するわね」

 

 本当にどの口が言うんだか……。生徒の模範たる教官としての節度は何処へ行ってしまっているのだろう。

 

「いえ、ツマミを頬張りながら言われても説得力が無いんですが」

「節度っていうなら、そもそも男女で同室なのが大問題なんですけど。……教官、今からでも変えてもらうことはできないんですかっ!?」

 

 ここでアリサのささやかな反撃が始まった――というより、ダメ元の最後の抵抗だろうか。

 

「流石に寝起きの顔とか見られちゃうのは気が引けるなぁ……」

「んー、やっぱあんた達は気にするタイプだったか」

 

 『気にするタイプ』と来たか。しかし、逆の気にしないタイプというのは女としてどうなのかと感じる。特に私達の様な歳で気にしない等、まず不可能な気がするのだが。

 

「き、気にするタイプって……」

「ふむ、教官は気にしないタイプなのだろう」

「こ、この人はもう……!」

 

 ああ……なるほど。サラ教官は……確かに気にしなさそうだ。寮には男子も居るのに、一階のソファーで二日に一回は酔って寝ているのだから。

 

「ま、誤解の無い様に言っておくと、これは手違いでも部屋の都合でもないわ。あたしの判断でね。初回の実習ではA班、B班ともに同室にさせてもらったのよ」

「え……!?」

「B半の方も、だったんですか……?」

 

(うっわぁ……ちょっとB班の状況、目も当てられないんじゃ……エマ、ガイウス、フィーご愁傷様……)

 B班の紛争当事者以外の三人を思い、心の中で十字を切る。

 

「あんたたちはこれから時には命を預け合う仲間よ。境遇や思想の違いもあるでしょうけど何とか折り合いつけてやっていかなくいゃいけない。同室で一晩過ごすことすら出来ずに分裂、なんて調子で……フフン、この先《Ⅶ組》でやっていけるのかしらね?」

「うぐっ……そ、それは……」

 

 サラ教官の言い回しも流石だ。先程のラウラともそうだが、”士官学院生”を出されてしまうと、正直何も言えないのも事実なのだ。

 まあⅦ組の男子は何かと真面目なので、安心できるという点は本当に不幸中の幸いか。

 

「しかし教官、理屈はわかるのですが……」

「だから、そんな調子で言われても説得力が皆無なんですけどっ!!」

 

 確かに、美味しそうな燻製ハムを頬張りながら話すサラ教官に全く説得力は無く、これに関してはアリサに全面的に同意できる。

 

「もう、うるさいわねえ。そんなにお姉さんとお話したいなら、一緒に付き合う? ほらぁ、エレナこの間の続きとか……」

「わ、私、特別実習楽しみにしてたんですよねっ! で、ですから……またの機会にっ! ほらっ、もうみんな行こう?」

 

 サラ教官の表情から、私は恐れていたことが現実になりそうな雰囲気を感じ、思わず後ずさりしてしまう。

 とりあえず、この場から離れなければ泣きを見たあの日の夜の再現になってしまう。

 

「……何があったの?」

「ふふん。ちょっといじめ過ぎちゃったかしら」

 

 そんな私の態度に不思議そうなアリサとみんな。反対にサラ教官はニタニタと下品な笑いを浮かべている。ほんと酔っ払いは苦手だ。

 

 

・・・

 

 

 とりあえず、風見亭の外に出た私たち一行。通行人や風見亭へのお客さんの邪魔にならないように、少し道路脇に逸れて集まった。

 

「……ねえ。いったいどういう事なの?」

「どうやらリィンは何か気付いてるみたいだけど?」

 

 アリサとエリオット君がリィンへ訊ねる。結局、特別実習の意味についてはサラ教官から聞かされてはいない。

 

「ああ、それは――」

「――先日の、自由行動日。リィンとエレナがどう過ごしたのかと関係があるといった所か」

「へえ……?」

「なんかそれだけ聞くと、すっごくいかがわしい様に聞こえるんだけど! まるで私とリィンの間で何かあったみたいだし!」

 

 リィンが語ろうとしたのを遮って、確信を突くラウラ。但し、言い方にはもうちょっと配慮という物が欲しかったが。

 アリサの絶対零度の深紅の視線が主にリィンへ向けられる。仲直りしたというのに本当に今日の彼は可哀想だ。

 

「い、いや、単に生徒会の手伝いを二人でやってただけで……やましい事は何もないからな?」

 

 リィンがアリサの鋭い視線を受けて否定する。わざわざ、余計な事付け加えなくていい様な気もするが。

 しかし、やましい事と考えて真っ先に特別オリエンテーリングのアリサとリィンの例の件が浮かぶのは、やはり彼が前科一犯であるからだろうか。

 

「あれ? ……でもそういえば……『リィンに泣かされたーっ』って、あの日の夜みんなで《キルシェ》で晩ご飯食べた時にエレナ言ってなかったっけ?」

「あ、あはは……確かにそんな事もあったね……うん……」

 

 確かに紛れもない事実ではあるのだけど、わざわざこの場で言わなくても良かったんじゃないですかね!心の中でエリオット君に対し毒づく。

 ちなみに泣かしたといえば、あの日は、私がエリオット君を泣かした、という事実も一応あったりする。

 

「へぇ……どういうことかしら? 違う理由で色々と詳しく事情聴取する必要があるわね」

「ふむ、確かに」

「ま、まあまあ、とりあえずその話は今晩にでも置いといて……リィン早く続きお願い」

 

 ここは脱線した話を元に戻すのに限る。正直、これ以上あの話を掘り返されるのは流石に恥ずかしい。

 

「あ、ああ……この特別実習の課題はその時の生徒会の手伝いの依頼に内容が似ているんだ。まあ旧校舎地下の探索なんていうハードなのもあったけども、それ以外の依頼は一通りこなすと学院やトリスタの街について色々と理解できたことが多かった。多分、目的の一つにはそれもあると思う」

「へえ、そうなんだ?」

「って、何であなたが驚いてるの?」

「そなたもリィンと一緒に手伝いをしていたのではないのか?」

 

(やばっ……)

 リィンの話に思わず感嘆が口に出てしまっていた。

 

「えっと……実は私、その日寝坊しちゃってリィンが一番最初に受けた、導力器の配達でトリスタの街を走り回ったっていう依頼、やってないんだよね……」

「あなたねえ……」

「あはは……なんかすっごくエレナらしいね」

 

 アリサに呆れ顔を向けられ、エリオット君に苦笑いされる。

 

「ということは――特別実習はこの土地ならではの実情を私達なりに掴ませるのを目的としているのか」

「ああ、サラ教官の思惑はとりあえず置いておいて、まずは周辺を回りながら依頼をこなしていかないか?」

 

 リィンの皆への提案を代表してアリサが威勢良く答える。

 

「――分かった。乗ってやろうじゃない」

 

 こうして私達の初めての特別実習が幕を開けた。




こんばんは、rairaです。
今回はほぼ原作の流れを踏襲している回になります。
最近、電車の中で「閃」をプレイしているのですが、Ⅶ組のみんなのキャラが良すぎて良すぎて…特にアリサが可愛すぎて困ってしまいます。早く2章の自由行動日を書きたいですね…。
次回は半分程オリジナル要素が入ります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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4月24日 一日の終わりに

 交易町ケルディックを中心に麦に彩られた黄金街道を西へ東へと歩き回りながら、一日目に与えられた三つの課題を完遂した私達。

 途中に立ち寄った大市では商人同士の出店場所を巡るトラブルを仲裁するなど、上々な一日であったと思う。

 その後、大市にある士官学院の同級生であるベッキーの父ライモンの経営するお店のタイムセールを手伝う等、中々経験出来ないお仕事もこなした頃にはもう日も大分落ちており、ケルディックの街並みはひっそりと夜へと沈んでいた。

 

「……本当、僕たちⅦ組って何で集められたんだろうね? どうも《ARCUS》の適性だけが理由じゃない気がするんだけど」

 

 宿酒場《風見亭》の一階で待ちに待った晩ご飯にありつき、一通り食べ終わった後の余韻の残る時間。

 五人で囲む食卓に訪れたふとした沈黙をエリオット君が破った。

 

「うん、それは間違いあるまい。それだけならば今日のような実習内容にはならぬだろうしな」

「どうやら私達に色々な経験をさせようとしているみたいだけど……どんな真意があるのかまでは現時点ではまだ分からないわね」

「どう考えても、私達のこなした課題は軍人向けじゃあないよね」

「そうだな……」

 

 リィンが考え込み、一拍置いてから続けた。

 

「――士官学院を志望した理由が同じという訳でもないだろうし」

「士官学院への志望理由……」

「その発想は無かったわね……」

 

 エリオット君とアリサには意外だったようで、少し驚いていた。

 

「ふむ――私の場合は単純だ。目標としている人物に近づくためといったところか」

「目標としている人物?」

 

 ラウラが目標とする人物など、どれほど凄い人物なのだろうか。私からすればラウラがもう目標に近いといってもいい様なレベルなのに。

 

「ふふ、それが誰かはこの場では控えておこう。アリサの方はどうだ?」

「そうね……――色々あるんだけど”自立”したかったからかな。ちょっと実家と上手くいってないのもあるし」

「そうなのか……」

 

 リィンをが相槌を打つ。アリサが実家と上手くいっていないというのは意外だった。こんなにいい子なのに。お金持ちの環境はやはり想像できない。

 

「うーん、その意味では僕は少数派なのかなぁ……。元々、士官学院とは全然違う進路を希望してたんだよね」

 

「たしか、音楽系の進路だったか?」

「あはは、まあそこまで本気じゃなかったけど……エレナはどうなの? そういえば今まで聞いたことはなかったけど」

 

 少し自虐的な笑顔を浮かべながらそう言い切るエリオット君は、私へと話を振ってきた。

 きっとあんまり触れて欲しく無いんだろうと心で察する。

 

「私も聞いたことないわね」

「理由かあ……私のお父さんは帝国軍に勤めてて……跡を継ぐ為になるのかなぁ……やっぱり意外だよね」

 

 士官学院への志望理由としては一番普遍かつ面白みの無い答えだろう。ただ、あまり軍に向いてなさそうな私がこれを言うと、ある意味ではネタにしかならない気がするが。

 だが、それでも一番普通と思われ皆を納得させる『軍へ進みたい』と『父の跡を継ぎたい』の理由はとても都合が良かった。正規軍、領邦軍を問わず軍人の子の多くが軍人を志すのは、帝国では至極当たり前の事で何も不自然ではない。故郷でもそう言って、私はトールズへ進んだのだから。

 実際のところ本音では自分が何の為に士官学院へ入学したのかは分からない。それでも、卒業後の進路としては父親と同じ帝国正規軍へ進むのではないか、という漠然としたイメージはある。

 

「ほお……」

「……まさか貴女が一番まともな志望理由を言うとは思わなかったわ」

 

 ラウラは意外と好意的、アリサはまあ悔しいけども一般的な反応といったところか。

 リィンは不思議と何か考え込んだ風に私の方へ顔を向け、エリオット君は何故か先程とは打って変わって色々と混ざった複雑な表情をしている。

 何か思うところがあるのだろうか。

 

「あはは……で――リィンはどう?」

 

 私も先程のエリオット君を倣って、自分の触れて欲しくない話題を続けられる前にリィンへと投げた。

 彼の口から出た言葉は意外なものだった。

 

「俺は……そうだな……”自分”を――見つけるためかもしれない」

「え……」

「へ……」

「わぁ……」

「……」

 

 思わず声が出る一同。

 

「いや、その。別に大層な話じゃないんだ。あえて言葉にするならそんな感じというか……」

「えへへ。いいじゃないカッコよくて。うーん……”自分”を見つけるかぁ」

 

(”自分”を見つける……)

 自分の何を見つけるのだろうか、自分が何かを見つけるのだろうか……その言葉の意味はとてつもなく深い様な気がした。

 

「ふふ、貴方がそうなロマンチストだったなんて。ちょっと意外だったわね」

「はあ……変なことを口走ったな」

 

 皆の意外な好印象に少し照れくさそうなリィンは頭を掻く。

 まあ、実家から自立するのを志望理由にしているアリサには、『”自分”を見つける』という理由は当てはまるのかも知れない。

 そして私にも――。

 

 

・・・

 

 

 晩ご飯を食べた後、私達は宿の二階の部屋で今日一日の活動の報告でもあるレポートをまとめるという作業に追われていた。

 私たち女子が部屋の真ん中のテーブルで椅子に座って、男子が奥のソファーに座ってそれぞれ作業をしている。

 

「とりあえず、こんな感じかしらね」

 

 ペンを置いたアリサが一息つき、私は彼女のレポートの紙面を覗き込む。想像通りに綺麗な字、的確かつ読みやすい文章。何事も優秀な彼女らしいレポートであった。

 

「うわぁ……アリサ、もう終わりかあ……」

「下書きよ、下書き」

「し、下書き……はあ。私、レポートとか苦手なんだよね……」

 

 あの綺麗さで下書きというのがまた凄い。その能力を少しばかり私に分けて欲しいぐらいだ。

 それに比べて私といったら……。日曜学校ではあまりレポートを書くという授業は無いのだ。しかし、士官学院はそんな事をあざ笑うかのように、どんな授業でもレポート、レポート、レポートととりあえずレポートを求めてくるので軽く辟易する。

 

「しょうがないわね……ああ、もうそんな小説じゃないんだからグダグダ書かないの。適度にわかりやすく纏めるのよ。てゆうか、その手配魔獣の依頼の内容、レポートじゃなくて子供向けファンタジー物語になってるわよ」

 

 面倒見の良いアリサはなんだかんだ言いながらも、こうやって優しくアドバイスをくれる。多少、毒が入る時もあるが……。

 アリサの指摘通り、私が先程まで書いていた『東ケルディック街道の手配魔獣』の報告は、さも怪物と戦う勇者御一行の物語と化していた。これは『おうごんかいどう の でんせつのまじゅう』のタイトルを銘打てば意外と売れるかもしれない。そんな冗談を考えながらも、こうやって読み直すとこれはとても恥ずかしい。書いている時は中々気付かないものだ。

 

「ふむ……アリサ、私のも少し見てくれるか?」

 

 一通り、アリサが私のレポートのダメ出しを済ませると、今度はラウラがアリサに自分のレポートも見て欲しいと頼んでいた。

 

「ふむふむ……って……ラウラ、あなたは全部箇条書きじゃない……」

「これでは不味かったのか?」

「いい? 二人共。基本的にレポートっていうのは、客観的事実から論理的に推論する事が求められるわ。ラウラはその点は一応クリアこそしてるけど……書き方がアレだし……ちゃんと文章にしなきゃ。で、エレナは完全に感想文になってる。とりあえず二人共書き直しね」

「そ、そうか……」

 

 書き直しと言われたことにラウラが残念そうな顔をする。普段は常に気丈なラウラの弱気な表情は可愛らしく、いつもとは正反対に年相応の女の子らしい事に私は気づいた。意外な素顔かもしれない。

 

「はぁ……」

 

 しかし、アリサ先生の評定は厳しいものだ。どうにもならないのでいままで書いていたレポート用紙を冊子から破って、溜息を付きながらぐしゃぐしゃに丸くしてゴミ箱に投げる。

 私の投球スキルはそれ程高いものではなく、当然の事ながら外れた紙の玉をいそいそと拾いに行って、ゴミ箱へ捨て直すのであった。

 

「やっぱり女の子ってこういうのちゃんと凝るんだね。僕なんか今思うと結構適当に書いちゃったかも」

「はは、一日目のレポートなんだからそこまで頑張る必要はないと思うけどな。一日目の主な活動報告と、課題を通じて直に経験した事、それと知識として知っている事柄を織り交ぜて書ければ十分だとは思うぞ」

「大丈夫かなぁ……」

 

 そんな私達の様子を見ていたのだろうか、リィンとエリオット君がこちらのテーブルへと近づいて来る。

 

「あなた達はもう終わったの?」

「ああ、先に二人で風呂に入ってくるよ。どうやらこの宿、風呂は別の建物にあるみたいだ」

 

 

・・・

 

 

 リィン達から遅れること1時間ほど、私のレポートがやっとアリサ先生のお眼鏡に叶い、念願のお風呂のお時間となった。

 まあ、どちらかといえばこれ以上遅くなるとお風呂が閉まるという、リィンによる情報によって仕方なくといった感じでもあったが。

 

 風見亭の建物の裏手に出るとすぐ後ろに小ぢんまりとした小屋があった。

 その小屋は内部で二つに分かれており、それぞれ男性専用、女性専用ということなのだろう。脱衣所にて服を脱いでから白木で作られた木製の扉を開けると、湯気で白く曇る中に数人がゆったり湯に浸かれそうなこれまた木製の湯船が目に入った。

 

「ふむ……これは中々、趣のある風呂だな」

「ケルディックで温泉が出るなんて話は聞いたことないから、普通のお風呂なんでしょうけど……なんだかこういうのもいいわね」

 

 とりあえず私は髪と体をぱぱっと洗って湯船の縁に立ち、張られているお湯を右足で少しつついて温度を確認してみる。

 お湯が熱すぎない事確認して、ゆっくりと湯船の中へ身を沈めた。お湯にふわっと体が包まれ、体の芯から温められてゆく。

 

「はぁ……うわぁ、あったまるー」

 

 思わず声に出た言葉は存外に大きく、浴場の中で大きく響いた。

 

「早いわね……」

「アリサ、私も先に湯に浸からせてもらうぞ」

「え、ええ……」

 

 私の大きな声に反応するアリサであったが、ラウラも体を洗い終わってしまい置いてきぼりを食ってしまう様だ。

 アリサの様な女の子は色々と時間のかかるものなのだろう。私は彼女の荷物の中に結構な量の美容用品が入っていたのを思い出した。そういえば、貸してくれるとかも言ってたっけ……後で教えてもらおうかな。

 

 湯船に入ったラウラが私の隣で肩までゆっくりと湯に身を沈めて、私と同じように足を伸ばして座る。

 しかし世の中とは無情なもので、湯の中で揺れる私とラウラの足のつま先の位置は、明らかな差を物語っていた。まあⅦ組女子で身長ナンバーワンのラウラには敵いっこないのだが。

 それでも、この光景をずっと見続けるのも落ち込むので、私は足を伸ばすことを辞めて膝を抱える様に座り直した。

 

「こうして湯に浸かると、疲れが一気に抜けてゆく気がするな」

 

 しばらく温かいお湯を堪能していたラウラが私に声をかけた。

 

「うん……きょうはいっぱい歩き回されたし……沢山の魔獣とも戦ったし……本当に疲れたあ」

「そなたも頑張っていたからな」

「それでもラウラが一番の功労者だと思うけどね。それにカッコイイんだもん。やっぱり、リィンの言うとおり新入生最強っていうのは間違いないと思うよ」

 

(しまった……)

 リィンの名前を出してしまい、一瞬ラウラに複雑そうな表情が浮かぶ。

 

「そ、そういえば!晩ご飯の時言ってたけど、ラウラの目標とする人物って誰なの?すごく気になる」

「それは……まだ控えさせてもらおう。ただ有名な人物――であるのは確かだな」

 

(有名な人物……)

 脳裏には色々な人物が浮かび、そして消えてゆく。私の頭の中で五、六人のある程度有名な人物が×印を付けられて消えた頃、ラウラは話題を変えた。

 

「夕食時の話といえば……そなたの父上は帝国軍人であったか」

「うん。中々家に帰ってこないただの不良中年だけどね」

 

 軍人で頻繁に家に帰って来るのもそれはそれで心配であるが、もう数年も帰ってきていない自らの父親に毒づく。いくら大陸一軍務が厳しいと言われる帝国正規軍であっても年に一回は長期休暇は有るので、明らかに実家に帰るのをサボっていると見て間違いは無いだろう。

 

「ふふ、家に帰ってこないのは我が父も同じだ。立場は違おうとも同じ武の世界に父を持つ者が居て嬉しく思うぞ」

「あはは……うちのお父さんは全然強くないと思うよ?」

「武とは何も腕前のみの話ではない。それを正しく振るう為には確固たる強い意思と心も重要だ。そなたの父上も『帝国を守る』という確固たる意志の下、武の世界にいることには変わりはないだろう」

 

 そういうものなのだろうか。自らの父親の姿を思い浮かべるとどうしても微妙なのだが、ラウラの語る事ならばその通りに思えてくるのも確かだ。

 私がそんな思案に耽ってると、すぐ目の前の湯船の外に白く細い脚が視界に入ってきた。抱えた膝に顎を置いていた私は目線をその上へと移動させる。

 

「わぁ……」

「な、なにかしら……?」

 

 見上げたアリサの体に思わず感嘆の声が漏れてしまう。

 

「ふむ……なるほど。少しばかりエレナの気持ちが分かったな」

「二人して人の体を何ジロジロみてるのよ!」

 

 アリサが顔を赤くして声を上げながら、私とラウラの向かい側に腰を落として湯に浸かる。

 

「やっぱり、アリサってスタイルいいなぁって……ちょっと背が低めで、ちゃんとウエストもきゅっとしてて……胸もちゃんと……トランジスターグラマー?」

「何よ、その古臭い例えは……」

 

 未だ顔が赤いアリサが私の例えに呆れる。というより、何か馬鹿にされたような気がする。そんな彼女へのあてつけか、どうしても私は悪戯をしたくなり、向かいの彼女の足の裏へと自らの足を伸ばした。

 

「きゃっ……こらっ! くすぐったいっ!」

「ふふん、可愛い子には悪戯をってね!」

「日曜学校の男子か!」

 

 反応は上々で、私は夢中になりいつの間にか両足を駆使してくすぐりを続ける。

 その内に足での攻撃より更に効果の高いであろう両手での脇腹攻撃を、と思いつき彼女の方へ前のめりになった時、違和感に気づいた。

 アリサの視線がこちらに向けられるが、その表情は哀れみというのだろうか、少なくともくすぐられている最中のものではなかった。

 流石に子供っぽ過ぎただろうか。優しいアリサといえども士官学院生、こんなふざけた真似をした為に怒るを通り過ぎて軽蔑されたのだろうか。そんな考えが頭を過ぎる。

 

「……ごめんね?」

「……まあその……まだ希望はあると思うわよ?」

 

 その時に気づいた。先程のアリサの視線が私の顔ではなく、その下を向いていた事に。あれは16歳としては中々に寂しい私のある部分への、同情の念のこもった表情だったわけだ。

 前言撤回。

 私は全力をもってアリサとの湯船の中での戦いに望むのだった。

 

 

・・・

 

 

 あれから数分程私たち二人は湯船の中で戯れあっていたが、その内にアリサの反撃によって形勢は完全に逆転されてしまう。

 結局、アリサの強力な脇腹くすぐりで悶える私の姿を苦笑いしながら見守っていたラウラの、「いい歳なのだし、その辺でやめておくと良かろう」という言葉によって短い戦いはあっけなく幕を閉じることとなる。

 

 その後は平和的に三人で温もりながらの会話に華を咲かせていたが、その空気は少し違和感のあるものだった。

 

「ふう……私は先に出よう。そなた達も長湯はいいが、のぼせる前には湯から上がるといい」

 

 暫くすると、水音と共に立ち上がったラウラはそう言い残して、直ぐに脱衣所へと歩き去ってしまう。その後ろ姿がいつもとは違って、あまり凛々しさを感じなかったのは気のせいではないだろう。

 そんなラウラの背中を見送った後、心配そうなアリサが静かに呟いた。

 

「ラウラ……元気ないわね」

「ね……晩ご飯の後のアレかな……やっぱりラウラ、今日もずっとリィンの事よく気にしててた様子だったし」

「へえ……結構ちゃんと見てるのね?」

「戦闘の時もサポートで一番うしろにいるから、みんなの動きは何気ない仕草とかも結構見ているつもりだよ」

 

 普段はアリサの視線の先を追うのが一番楽しいのだが、今日は――特に街道に出てからはリィンへは二つの視線が集まっていた。

 一つはもちろん今私の隣でお湯に浸かってる金髪のお嬢様の熱い視線であるのだが、もう一つは前者とは視線に込められた感情の質が違うものだった。

 

「なるほどね……とりあえず、二人が仲直り出来る様に色々と考えてるんだけど……」

「私も……」

 

 先程とは打って変わって静かな浴室に、天井からの水滴の落ちる音が響く。

 あのリィンとラウラの晩ご飯後のやり取りを聞いていても、私にはどうしてラウラが怒ったのか分からないのだ。怒った、というよりリィンへ失望した、というのに近いのだろうか。

 

「難しいね。人って」

 

 その後、女将さんがお風呂の時間の終わりを告げに来るまで、私達はどの様に二人の仲を取り持つか考えるものの、良い案が浮かぶ事はなかった。




こんばんは、rairaです。
今回は特別実習のレポート作業&お風呂という二つの場面でオリジナル要素を入れました。
そう言えば「閃」でのふとした疑問なのですが、「空」>「零・碧」>「閃」の順で住居やホテル内のバスユニットが少なくなっている様な気がするんですが、私の気のせいですかね…。まあ、大方3D化の影響だとは思いますが…。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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4月25日 ルナリア自然公園

 私は目の前の大きな鉄製の門扉を見上げる。

 鉄製の門は高さ四アージュと言った所だろうか、この門を突破する為には内側から掛けられている鍵を破壊しなければならない。つまり、ここを超えるという事は、後には引けなくなる事と同義である。

 

 ルナリア自然公園。クロイツェン州北部に位置するヴェスティア大森林の一部を森林公園として整備した施設である。帝都より東側に在住の帝国市民にとっては、近場で大自然に触れられる場所という認識の場所のようだ。

 ちなみに私達は昨日もこの場所を訪れており、その際は数人のガラの悪い管理人によって私達は追い返されてしまったいた。だが、今日は彼らの姿はどこにも見当たらない。今頃、盗んだ商品と共にこの扉の向こうにいるのだろうか。

 

「これ……あの帝都の商人が取り扱ってたアクセサリじゃないかしら?」

 

 門の少し手前に落ちていた比較的庶民的なブレスレットをアリサが見つけたことよって、限りなく怪しい場所が完全な確信へと変わる。

 間違いない――この場所だ。

 

「昔から、真実を知りたければ子供と酔っ払いに聞け、ってね」

「それ、どこの諺だっけ。確か外国のだったような気がするんだけど」

 

 少し後ろに立つ私はエリオット君との間で軽口を交わす。勿論”子供”と”酔っ払い”は、ケルディック市内の礼拝堂のベンチに座っていた女の子と、道端で泥酔していた自称元ルナリア自然公園の管理人の男の事だ。どこの国の諺だったかは忘れてしまった。多分、北国の様だった気がする。

 

 私達がこの西ケルディック街道の端に位置する自然公園の正門前にいる経緯は長くなる。

 

 今朝七時前頃、大市での盗難事件発生の第一報は風見亭のウェイトレスのルイセさんからもたらされた。 昨日、屋台場所被りのトラブルで言い争っていた商人マルコとハインツの屋台が破壊され、商品が盗難されたというのだ。

 昨日の今日ということもあり、お互いに熱くなった二人を元締めのオットーも止めることはできず、あわや私達の前で流血沙汰の喧嘩になるというところであったが、そんな状況で現れたのはケルディックに駐屯する領邦軍だった。

 領邦軍は被害者の二人に逮捕されるか、水に流すかを選ばせるという、無茶苦茶にも程がある方法でその場を取り持ち、大市は遅れながらも開かれた。

 

 無残にも破壊された屋台の片付けが一段落した後、私達はオットー元締めの家にて色々な事情を聞くこととなり、リィンの提案によって『特別実習』として役に立たない領邦軍の代わりに大市での盗難事件についての調査に乗り出すこととなる。

 大市での聞き取りの結果、今朝の領邦軍の行動が怪しい事にリィンが気付き、大胆にも直接領邦軍詰所を訪ねる運びとなる。そこでラウラの機転と意外な策士エリオット君によって、領邦軍が盗難事件の情報を事前に把握していた事が明らかになった。それにしてもエリオット君の策士っぷりには驚いた。あんな男子っぽくない可愛らしい顔をしておいて、意外と腹黒なんじゃないかと疑いそうになる程に。

 その結果、ケルディック市内にて泥酔した自称元ルナリア自然公園の管理人の証言をもとに、後は実地に乗り込み盗まれた商品を確保する事によって証拠とするという運びとなって今に至る――。

 

 ラウラが門の鍵を確かめに、扉へと近づいている。

 

「この南京鍵は内側から掛けたというわけか。ならば――」

 

 ラウラは扉の前から数歩下がり、大剣を構える。

 まさか、鍵を剣で破壊しようと――よく考えれば、ラウラならば余裕な気がするのが怖いところだ。ひしゃげて破断した南京錠が目に浮かぶ。

 

「いや――ここは俺がやろう。その大剣よりも静かにできるはずだ」

 

 大剣を構えるラウラを止めたのは、リィンであった。

 そう言えばこの二人は朝、私とアリサが一階に降りた時にはもう既に仲直りしてて、ちょっぴりアリサと一緒に落ち込んだっけ。特にアリサなんて私と違って夜もあんまり寝ずに色々考えてたみたいだし……まあ、ともかくリィンとラウラの仲が戻ったのは本当に喜ばしい事だ。ただ、私達には分からない二人の世界で解決されちゃうのが、少し友達として、私は複雑な気持ちだった。

 

 ラウラは数歩下がり、先程まで彼女の立っていた場所にはリィンが立っている。

 彼はその太刀を腰構えにして小さく呟いた。

 

「八葉一刀流・四の型……《紅葉斬り》――」

 

 次の瞬間、金属のぶつけ合わせたような、それでも乱暴ではなく繊細な高音がほんの一瞬だけ響く。高音部の音叉の様な音と例えるのが一番近いだろうか。

 私の目に火花のようなオレンジ色の斬光が縦一文字が焼き付く。

 

「あれ……?」

 

 しかし、鍵は先程と変わらない状態で門を施錠していた。リィンは失敗したのだろうか――と思い浮かんだその時、南京錠の本体とツル部分が別々に地面へと落ちる。

 切断面が鋭すぎて、切断後も一時的にそのままくっついていたという事なのだろうか。まるで手品でも見せられている様な感覚である。目の前の出来事が少し信じられなく、私は周りが目に入っていなかったが、アリサとエリオット君も驚愕していることだろう。

 

「――見事だ。八葉の妙技、この目でしかと見届けさせてもらった」

 

 私たち三人が驚く反応の中、ラウラはただ感心する言葉をかけた。それに対してリィンは『この程度、初伝クラスの技』と謙遜している。初伝でこんなことが出来るのならば、剣術を極めた達人はどんな戦いをするのだろうか。きっと私の想像を超える世界があるのだろう。

 そして、その想像を超える世界こそが、ラウラとリィンの二人の世界なのだということを、私は感じざるを得なかった。

 

 

・・・

 

 

 自然公園の門扉を潜り敷地内へと足を踏み入れてから、まだそれ程時間は経っていない。それでも公園の外と比べると、頭上を覆う木々の葉によって日光は遮られ青空は望めなく、辺りは暗く湿気が多い様に感じる。

 あくまで公園施設として、ある程度は林道が整備されているので森林の中で迷う心配こそないが、一歩でも林道の外へ踏み込めば何が起きるか分からない不気味な雰囲気に包まれていた。

 

 暫く森の中を歩いていると少し開けた場所に出た。そして、その場所の光景は私に恐怖感を抱かせ、咄嗟に素っ頓狂な声を出させるには充分なものだった。

 

「えええっ……お、お墓?」

 

 眼前の奥の巨木の根元に幾つもの同じ形のに加工された石が立ち並んでいる。それは規則的に並んでおり、私には不気味な森の中の墓地にしか見えなかった。

 

「ええっ……!?」

 

 隣でエリオット君が怯えの色が混じる声を上げる。

 

「……石碑の様だな。暗黒時代の精霊信仰のものだろう。決して、墓地などではないはずだ」

「お、驚かせないでよ、エレナ」

「だって、あんなのぱっと見お墓にしか見えないよ……」

 

 ラウラの解説を聞いて胸をなでおろす私とエリオット君。

 確かによく考えれば、ここは一応は観光地であるのだ。林道の脇に墓地など流石に趣味が悪すぎて流石に有り得ないだろう。

 

「私の故郷にはこういった石碑のある精霊信仰に基づく鎮守の森は多いが……他の地域では珍しいものなのか?」

 

 私とエリオット君の先程の反応が不思議だったのか、ラウラが問い返す。

 

「俺の故郷には普通にあったな……原生林の様な感じで、とても一人で中に入るのは躊躇われる感じだったが」

「僕は帝都出身だから森自体をあんまり……」

「私は海沿いだからこんな鬱蒼とした森は初めて見るかも」

「ふむ……」

 

 リィンのみしか良い反応が返ってこなかった事に、ラウラは何とも言えない表情を浮かべる。

 彼女は、精霊への信仰が帝国の多くの地域で既に廃れていっており、未だに精霊信仰を続けている場所は少ないのかも知れない、と少し寂しそうな表情をしながら語った。確かに精霊信仰というものが残る地があると言うのは知識としては知っている。それでも具体的な内容や場所は知らない――あくまで、伝承や物語のエッセンスとしてのよく使われるぐらいの印象しか無いのだ。

 士官学院に帰ったら図書館で面白そうな本を探してみようか等考えていると、隣のエリオット君が森の中のある一点を指差していた。

 

「……あの大きなキノコ、動いてる?」

「ああ……植物系の魔獣のようだな。少し面倒そうだ」

「ふむ……それ以外にも気配でしか分からないが、かなり大型の魔獣も複数近くを徘徊している様だ」

 

 エリオット君の疑問に答えるリィンとラウラ。ラウラに関してはちょっと聞き流すにはアレな情報付きである。

 

「ここ、自然公園なんじゃないの!?」

 

 うん、私も同じこと思った。自然公園にこんなに魔獣が徘徊していていいのだろうか。百歩譲って動くキノコはともかく、『かなり大型の魔獣』等聞き捨てならない。

 

「……閉園している状態で何日も放置されていれば魔獣も沸くであろう。もっとも、いささか多過ぎるような気もしなくはないが」

「故意に魔獣を徘徊する状況を作り出しているのかもしれないな……」

「やれやれね……」

 

 一般人が無闇に立ち入らない様に……という事なのだろうか。となれば、あの昨日の偽管理人が犯人とするとある程度――魔獣が徘徊している中、例え襲われても問題なく撃退出来るだけの戦闘力は持っているということになる。

 つまり現時点の私たちと同じか、それ以上の強さはあると見て間違いない。

 

「……あんまり物音を立てると魔獣を呼び寄せかねないし、戦闘になれば犯人にも気づかれるかも知れないな」

「ってことはあんまり派手な攻撃は出来ないね。…………エレナはどうするの?」

「確かに、どこに犯人がいるか分からない状況で導力銃はちょっと不味いわね……」

 

 エリオット君とアリサの顔が私の方へと向けられる。正確には私の両手が握る導力銃か。確かに銃声は流石に不味い。とりあえず、撃つ撃たないは別問題として対策はする必要があるだろう。

 私は上着のポケットの中から直径二リジュ、長さ十リジュ程度の細く黒い円筒形の部品を取り出して二人に見せる。

 

「大丈夫。サイレンサーも持ってるよ。ただ……完全に音を消せるわけじゃないから、アーツをメインに攻撃したの方が良いのかな……二人には全く及ばないけど」

「用意が良いわね。まあこの五人なら、エレナが銃を使わなくても、それなりの魔獣なら静かに撃退できるでしょう。問題は例のかなり大型の魔獣よね……」

「どちらにせよ、犯人に気づかれない為には隠密に行動する必要がある。武装の問題ではなく、魔獣との戦闘自体を避けるべきだろう」

「そうだな。無駄な戦いは出来るだけ避けて先へ進もう」

 

 ラウラに同意するリィン。

 私は銃口へとサイレンサーを取り付ける。まさか使う日が来るとは思わなかったが、替えのマガジンと共に携帯していて正解だった。

 細い円筒形の消音器が取り付けられた銃を眺める。普段の状態より四割弱程度全長が長くなっており、少々取り回しには苦労しそうだった。

 

 

・・・

 

 

 公園内のどこに犯人が潜んでいるか判断がつかない為、気づかれない様に私達は魔獣との極力戦闘を避けている。

 たが、私たち(主にリィンとアリサ)は公園の敷地全体を閉鎖している状況から読み取れる事として、盗難された商品と犯人は近い場所、つまり森の奥深い場所ではなく後々盗んだ物品を運び出すのに適した林道内にあるのではないかと推測はしていた。この林道を通って先へ進めば、自然と犯人と商品の元へと辿り着くはず。ただその為に、一時も警戒を解く事も出来ないのだが。

 

 ラウラとリィンの前衛が先頭を歩き、アリサとエリオット君と私が後衛として後ろから付いてゆく。極力避けているものの、魔獣と遭遇した場合は私は彼らの後から主にアーツでサポートする事となるだろう。サイレンサーを取り付けたとはいえ、銃声を完全に消せるわけでもないので、出来る限りは導力銃は使いたくない。

 幸いな事にここの魔獣の多くは火属性アーツを弱点としており、魔獣相手であれば私の《ARCUS》で二つ目のクオーツ《ファイアボルト》によって難なく戦えるだろう。

 

 しかし、問題は犯人の集団であり、やはり万が一の事態を考えると駆動時間が掛かるアーツのみでは自分の身を守るのに心許ない為、細く黒い円筒形の消音器のせいで取り回しづらくなっても銃も仕舞う訳にもいかない。

 

 そんなことを考えながら、私たち5人は樹齢数百年と思われる巨大な樹木の影で息を殺して魔獣の群れをやり過ごす。

 飛行昆虫型の魔獣が六体――《ハッシムゥ》と呼ばれる大型のクワガタ虫のような魔獣だ。あのハサミで攻撃されたら死ぬほど痛いだろう、というより腕の一本や二本持っていかれるかも知れない。いや、腕の心配より首の心配をした方がいいかもしれないが……。

 我ながら酷い想像に恐怖を覚え、思わず唾を飲み込む。

 しかし、この昆虫型の魔獣より問題なのは、先程ラウラとリィンが気配で感じたという大型の魔獣だ。多数が徘徊している様であり、強敵の気配は奥に行くほど強まっている、とラウラは先程語っていた。

 

 暫くして魔獣の群れは去った。

 しかし、その直後《ハッシムゥ》の群れの後を着けていたのか、別の白と黒の斑柄の体毛に包まれ植物の葉を咥えた魔獣がのっそりとした動きで林道を横切った時は鳥肌ものの恐怖を覚ることとなったのだが。

 ラウラとリィンの腕の合図を見て、私達後衛は溜息とともに張り詰めた緊張感を緩めて、先を目指して歩き始める。

 私も五人の最後尾を、ある程度背後を気にしながらそれに続いた。

 

 ケルディックという地は大きな問題を色々と抱えているようだ――私は今回の事件について頭の中で整理し直していた。

 

 第一に、クロイツェン州を治めるユーシスの実家である《四大名門》アルバレア公爵家が商取引に従来の二倍近い増税課した事。これはリィンの補足によると、帝国議会の貴族院で制定された『臨時増税法』という貴族領邦のみで適用される悪名高い法律を根拠としたもので法的には何ら問題は無く、元より各州の徴税権は《四大名門》の大貴族が有している。

 

 第二に、ケルディックの大市の元締めはバリアハートの公爵家へ増税撤回の陳情を再三しており、無論公爵家はこれを取り合おうとししていない事。だが、二倍という増税は常識的にはやり過ぎであり、陳情をするのは当然のことと言える。

 

 第三に、大市でのトラブルの原因である全く同じ場所が記さた二通の出店許可書は、正規の手続きを経て公爵家から発行されたものであった事。平時なら単純な事務処理ミスだと考えれるが、ケルディックと大市の状況を考えると仕組まれた物である可能性は捨てきれない。

 

 第四に、ケルディックの領邦軍隊長は領邦軍は何よりも公爵家の意向が最優先であり、陳情を取り下げない限り大市へまともに取り合うつもりは無い事を暗に語った事。大市の盗難事件の正確な情報を何故か前もって持っていた件は、公爵家から事前に情報が領邦軍に伝わっていた事を意味する。

 

 最後に、ここルナリア自然公園。れっきとしたクロイツェン州の施設であり、酔っぱらいの元管理人はクロイツェン州の役人に解雇されたと証言している。州の役人を動かし、管理人を解雇して公園を一時的に閉鎖する。もはやこの状況を作り出せるのはクロイツェン州を統治するアルバレア公爵家以外の何者でもない。

 

 公爵家は増税撤回の陳情を取り下げさせる為にこんな事を仕組んだのか。領邦軍とは領民を守る力ではなかったのだろうか。

 私は少し混乱していた。いや、混乱とは少し違う。嫌悪感や不快感、厭悪といった否定の感情。そして心によぎるそこはかとない不安。そんな負の感情が静かに響めく。

 

「どうしたのだ?」

 

 気付けば前を歩いていた筈のラウラが、私の横に寄り添って歩いてくれている。

 私が歩くのが遅すぎて気にしてくれたのだろうか、それとも私が歩くのが早すぎてラウラに追いついてしまったのか。いつ潜んでいる犯人と遭遇するかも知れない状況なのにも関わらず、迂闊にも思考の渦に囚われていた私が恥ずかしい。

 

 それでもラウラの気丈な声に少しの気遣いを感じただけで、嘘の様に先程の負の渦が流されていくような気がした。大して頭も良くないのにこうして悩み込むのは昔からの悪い癖ではないか――と冷静に思えるぐらいに。

 だからこそ、ラウラに私は先程まで考えていた事を出来るだけ簡潔に伝えた。

 

 ラウラは私が思案していた事と全く同じ事を考えていたという、抱いた感想も似たものだとも。

 

「領主は領民に寄り添い、時に共に歩み、時に正しく導くものだ。しかし、アルバレア家がこの地でなしている事は決して称えられる領主の、貴族の姿ではない。民に突然の様に重税を課し、陳情さえも受け付けず、そればかりかそれを撤回させる為に自らの手は汚さないでこの様な手段を取る……」

 

 彼女はそこで一区切りし、足を止め、目を閉じ、静かに呟く。その一つ一つの動作が、私の目にはとても美しく映った。

 

「……私は今回の件、全くの無関係ではない。私の家、アルゼイド子爵家の領地レグラムはクロイツェン州に所在する」

 

 それだけに見過ごせぬ――、言葉と共に開かれた琥珀色の瞳が、彼女の確固たる意思を宿しているのを私は感じだ。

 まるで穏やかな水の中に、静かな炎が燃える様に。




こんばんは、rairaです。
今回は、大分飛ばしましてルナリア自然公園内での流れに焦点を合わせました。
原作ではレベリングというRPG的都合もある為に触れられていませんが、犯人グループに気付かれるという最悪の事態を避ける為に、現実的に考えれば隠密行動になるのではないかと思います。特にこの物語ですと銃を使用するキャラクターがいるので…そう修正させて頂きました。

後半は、それまで「理不尽な力」を見る事のない恵まれた環境で育った為にある種の理想を持っていたエレナが、今回身をもって知った帝国の現実という「壁」を考えるシーンです。そして今回の話で一番重要なラウラの意思というのを強調しています。
やっと一章も終わりが見えてきたところでしょうか。今回は例によってリィンの影が後半薄いですが…彼はこの物語だと何故か章の最後に美味しい場面を持ってく係にはまってしまった様な気がします。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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4月25日 《氷の乙女》

 天井で一定のスピードで回転する木製のシーリングファンを見上げる。

 そういえば昼間にもこんな格好で何かを見上げたような気がする。ああ思い出した、ルナリア自然公園の鉄門だ。今日一日の出来事なのに、何故か数日前の様な出来事にも思える。それ程までに長い一日だった。

 窓の外に目を移すと、既に日は傾き通りを橙色へと染め上げている。しかし、ここ一時間程は、まだそんな時間なのか、と思うぐらい退屈な時間を過ごしていた。

 

 ここはケルディック町内の宿酒場《風見亭》、私達が昨晩お世話になった宿だ。特別実習の課題を全て終えて――もっとも一番大変な思いをしたのは課題では無かったような気もするが――私達は此処へと帰ってきている。

 私達を助けてくれた一人の女性と共に。

 

「ふふ、それはお手柄ですね」

 

 そんなお褒めの文句と共に、彼女はエリオット君に向けて微笑を浮かべて微笑み、私の右隣の椅子に腰掛けるエリオット君は照れたのかほんのりと顔を赤くしている。

 丁度今朝、領邦軍詰所の前で領邦軍の隊長をエリオット君が機転を利かせて鎌にかけた事を褒められている様だ。

 

 褒めた彼女は鉄道憲兵隊の女性将校、クレア・リーヴェルト大尉。

 帝国正規軍の最精鋭部隊と名高い鉄道憲兵隊の灰色の制服に身を包んでいなければ、彼女が軍人――それも大尉という士官である事等想像もつかないだろう。

 黒色の大人っぽいシュシュで結った薄い水色の髪を左肩に流し、その瞳は薄紅色。清楚可憐等という言葉が浮かんできそうな程、彼女は美人さんだった。

 スタイルも良く、女としては少し妬く――というより、どちらかといえば憧れや羨望と言うのが正しいか。とにかく、同性であってもドキドキしそうなまでに綺麗な人だった。

 

 そして、うちのクラスの男共(といってもこの場いるのはリィンとエリオット君の二人だけだが)は、この大尉さんにデレデレというわけなのだ。特にリィンなんて明らかに鼻の下を伸ばしちゃって――大体、たまーに目の前の大尉さんの顔から少し下に視線が外れるのはどういう事なのだろうか。

 

「その後、皆さんは市内での聞き取りを行い、その時礼拝堂の近くにいたミナという少女と西ケルディック街道へ向かう出口近くにいたルナリア自然公園の元管理人ジョンソンさんですね……彼らの証言を元にルナリア自然公園に盗難された商品と犯人がいると推測した――」

 

 現在、一応は鉄道憲兵隊の事情聴取中。私達が説明した事件の経緯の確認をとっている所だ。しかし、事情聴取といえばもっと緊張感のある物かと思えば、まさか風見亭の一階の端のテーブルでするのだという。

 それも調書を取る書記はおらず、目の前のクレア大尉が話しながらもそつなく、さも当然の様にペンを走らせている。

 主に事情聴取――クレア大尉の相手はこの班のリーダーとも言えるリィンが務めているので、そのほかの四人へ話が回ってくることは少ない。率先して彼女と楽しそうに話しているのは……まあ、リーダーだからということにしといてあげよう。ついでに言うとエリオット君もさっきから明らかにいつもと違った様子であるし、アリサだってなんかちょっとおかしい。ラウラは話にはあまり混ざらないものの、真剣な表情で聞き込んでいる。

 私はこの退屈な時間を、上を見上げてシーリングファンの回転数を数えたり、窓の外を眺めたり、ウェイトレスのルイセさんを目で追ったりと、とりあえず下らない事をしながら過ごしていた。

 

「そして、ルナリア自然公園内で実行犯と思われる容疑者四人と盗難された商品を発見。容疑者から戦闘を仕掛けられ――これは正当防衛という形で戦闘に突入した……と見てよろしいでしょうか?」

「はい。自動小銃を構えて彼らが迫って来たのは間違いありません」

 

 なるほど、と頷くクレア大尉。その頷き方まで綺麗だ。

 

「その後、皆さんは容疑者四人を制圧。しかし突如として現れた大型の猿型魔獣に遭遇した、という事で正しいでしょうか?」

「ええ、直ぐには動く事の出来ない容疑者四人を置いて逃げる訳にはいきませんので、その場で魔獣を迎撃しました」

「……迎撃、という事はその魔獣とは偶発的遭遇では無く――魔獣が皆さんに最初から敵意を抱いて向かって来た、ということなのでしょうか?」

 

 一瞬、クレア大尉の視線が鋭く尖った様に見えた様な気がした。

 

「……確かにそういう感じです。丁度、実行犯を倒した直後に、俺達に向かって来た……というか」

「多分、激しい戦闘の音を聞いた自然公園のヌシが、縄張りを荒らす私達を追い出そうとしたのではないかと思うが……」

「なるほど……その時、何か他に気付いた事はありませんか? 些細な事で構いません」

 

 クレア大尉からの質問に答えるリィンとそれをフォローするラウラ。よそ見していたため、表情などはあんまり見ていなかったが、どうやらクレア大尉の気になる事があったみたいだ。

 確かにあの時、四人の犯人を撃退してすぐにあの魔獣に襲われたのだった。クレア大尉は、タイミングが良すぎる事を気にしているのだろうか。

 しかし、些細な事といっても中々思い浮かばない。他の皆も思案顔の中、エリオット君が自信こそ無さ気ではあったが気がついた事を口に出した。

 

「……えっと……、聞き間違いかも知れないんですけど……笛、の様な音が聞こえた様な気が……」

「なるほど……不確定ですが、その笛の音も一応、調書に記入しておきましょう」

 

 笛の音などしていただろうか……確かに、そう言われればそんな様な気も……。

 サラサラとペンを走らせて記入するクレア大尉。それにしてもこの人、何かする度にどんな行動も様になっているような気がする。

 

「その魔獣を倒した直後に、現場へ到着した領邦軍部隊に包囲された、で正しいですね?」

 

 クレア大尉は微笑を浮かべて問いかけてくる。リィンが少しばかり補足を入れながらそれを肯定する。

 

「その際に実行犯や領邦軍の人間から何か聞きましたか?」

 

 まただ。また一瞬だけ、クレア大尉の視線がまるで氷の様に鋭く冷たくなったのを感じる。

 

「……実行犯は『話が違うじゃないか、あの野郎』と、明らかに何者かの存在を窺わせる様な事を言っていたと思います」

「領邦軍の隊長には『弁えろ』だなんて言われて、『容疑者としてバリアハートに連行する』とか脅しをかけられたのよね……そのすぐ後だったかしら、クレア大尉に助けられたのは」

「そうですね。我々の介入はその辺になるでしょう。……しかし、”あの野郎”ですか……」

 

 クレア大尉は少し目を瞑り思案していた。この人は只者ではない。きっと今、頭の神経を総動員させて背後にいる人物を特定しようとしているのだろうか。

 

「……流石に今の段階では情報が少なすぎますね。彼らの事情聴取もありますし……これで皆さんからの調書の作成は終わりです。ご協力、本当にありがとうございました」

 

 暫しの静かな時間が過ぎた後、彼女の微笑と共に私にとっては退屈なこの時間の終わりを告げた。

 丁度そのタイミングで風見亭の扉が開き、鉄道憲兵隊の軍服の兵士がゆっくりとクレア大尉へ近づく。後から気づいた事だか、この時扉の外には自宅での事情聴取を受けていたオットー元締めがいた様だ。

 

「大尉――」

「――わかりました」

 

 耳元で小声で何かを伝えられたクレア大尉は表情を変えることなくそれに応え、彼女らが帝都へ戻る旨を伝えてきた。

 私達も事情聴取が終わるのを待っていたという事もあり、クレア大尉と共に風見亭を出て元締めと合流した後に、お店の前で女将さんとルイセさんへ別れを告げ、駅へと向かう。

 

「それにしても……流石は皆さんトールズの生徒さんですね。今すぐにでも鉄道憲兵隊へスカウトしたいぐらい優秀です」

 

 クレア大尉は歩きながら私達にそう告げた。

 お世辞というかおだてというか……本気には出来ないが、褒められること自体はまんざらではない。

 

「で、でも鉄道憲兵隊っていえば……正規軍の最精鋭部隊ですし……」

「ふふ、トールズの卒業生は優秀な方が多いので、鉄道憲兵隊にも多いですよ。あなた方も、もしかしたら……と思って楽しみに待っていますね」

 

 少ししどろもどろするエリオット君に今日一番の笑顔で応えるクレア大尉。

 もし私が男だったら鉄道憲兵隊を目指して真面目に勉学に励んでいたかもしれない、などという考えまで浮かぶぐらいの笑顔だ。リィンが鼻の下を伸ばすのも分かる。

 

「あ、あの、リーヴェルト大尉」

 

 そんな事を考えていたからだろうか、いざ彼女に訊ねようとした時、私は言葉を噛んでしまい少し恥ずかしい思いをした。

 

「どうされましたか?」

「け、結局、今回の事件ってどうなるんですか?犯人はあの人たち以外にもいる訳ですし……東の公爵家も……」

「……そうですね、実行犯四人はこのまま私達が帝都へと連行し、更に詳細に取り調べを行った後に司法の場に移されるでしょう。他については――」

 

 背後にいる何者かの調査は継続されるが、アルバレア公爵家と領邦軍へ刑事責任を問うことは出来ない、と簡潔に伝えられた。

 その答えに疑問、というより不満を抱いた私は彼女に、確固たる証拠が必要という事なのか、と訊ねる。

 

「……いいえ。仮に証拠が出揃い、公爵家とその指揮下の領邦軍が完全な黒だったとしてもです。結局はこの程度の事件であればこちら側の政治的な判断という壁に阻まれ、我々の捜査はそこで終了となります」

 

 ある程度予想こそ出来ていた事ではあるものの、彼女の言葉に私は失望を隠せないでいた。

 鉄道憲兵隊であっても――結局は何も変えることは出来ないのではないか、と。

 

 

・・・

 

 

 ケルディックの駅舎の前で立ち話していた私達に後ろから声をかけたのはサラ教官であった。

 クレア大尉との間に何かの関係を匂わせながらも、詳しくは教えてはくれない。結局大尉と駅舎の前で別れ、私達もすぐその後を追うようにトリスタへの帰路に着くべく、駅の構内へと入った。

 そういえばサラ教官は大分お疲れの様だ。それもそのはず、昨日の夕方にB班の仲裁の為にケルディックを発って、帝国南部のパルム市へ向かい一日で戻ってきた――あれ……?何か違和感を感じる。

 

 しかし、違和感の正体に気づくよりも先に、目の前の珍しい光景に目を取られた。

 通常の旅客列車とは明らかに違う、灰色の窓の無い列車が駅の向かい側のホームに止まっていた。その列車は発車ベルが鳴る事もなく動き出し、あっという間に駅舎の外へと消えていった。

 

「今のが……」

「そう、あの女の乗ってきた鉄道憲兵隊の専用列車ってところね。あんなもんで乗り付けるんだから、そりゃあ《貴族派》からしたらたまったもんじゃないわよね。本当にどっちが煽ってるのやら」

 

 皆の思っていた事に、ちゃっかりと毒を混ぜて応えるサラ教官。

 彼女曰く――私達が風見亭で事情聴取を受けたのは、大方ケルディックに鉄道憲兵隊が介入しているという事を分かり易い形で街の人に見せつける為であるらしい。

 ケルディックで最も集客力のある宿酒場の風見亭で、軍服を着ていなければ見た目は優しそうなお姉さんと私達学生五人で和気あいあいアットホームな事情聴取。その内容を街の人に聞かれたとしても、それはそれで鉄道憲兵隊には何も問題は無く、彼らのイメージ戦略の一環として利用されたとしても過言ではない、とのことだ。

 

 「ホント食えない奴らだわ」とサラ教官は最後にそう言い放ってホームのベンチに座り込む。

 時刻表を見たアリサによると、帝都行きの列車が来るまでまだ十五分ほどの時間がある様で、それを聞いたサラ教官が、どうせならアレに途中まで乗せてくれればいいのに……と、ぶつくさ呟いている。

 そんな光景を横目に私は一人でベンチに座っていた。

 

 帝都方面の駅舎の端からかなり赤い夕日が差し込む。ホームの時計を見ると短針は既に午後6時を通り越している。

 はじめての特別実習――この二日間を思い返すと色々な事があった。

 魔獣との戦闘ではまともに立ち回る事が出来る様になってきたし、《ARCUS》の戦術リンクもちゃんと繋げられる様になった。戦術リンクに関しては本当に先週のエリオット君には感謝してもしきれない。

 しかし、課題を通じて見えてきたケルディックの現状は決して楽観的なものではなく――それとは別に、私は確かな不安を覚えていた。

 大して頭は良くないのに考え事を、特にに悪い事を考えてしまうのは悪い癖だと思う。それでも考えざるを得なかった。

 

 アルバレア公爵家の治めるクロイツェン州のケルディックと同じ様に、故郷の村もハイアームズ侯爵家の治めるサザーラント州に位置している。クロイツェン州は臨時増税法を最も早くの施行した様だが、《四大名門》の統治下の州としてサザーラント州だけ今後も税を据え置くという事はあまり考え難いだろう。

もしサザーラント州を統治するセントアークの侯爵様が今回の様に大増税を決定したら、故郷の村はどうなるのであろう。

 

 結果は火を見るより明らかかも知れない。実家の酒屋を例に挙げて考えると、現状でも仕入れの輸送コストが重くのし掛かり、経営は楽ではない。村一番の大口取引先である酒場の客入りが悪天候等で悪いと、ストレートに売上に影響して赤字が見える。

 そんな現状から更に商取引の税金が二倍にもなれば、確実に売価に転嫁しなくてはならなくなり、それは決して裕福ではない村の人々にとって大きな痛手となるだろう。結果、ウチのお店は売上を減らし、更なる価格への転嫁をしなくてはならず、更に売上が減る……結局負のスパイラルへと陥ってしまう。

 

 村として考えてみても、食料の自給自足もままならない故郷の村では大増税は相当な重しとなるだろう。鉄道網の中継地であり大市という商業的に栄えている部分を持ち、尚且つ帝国最大の大穀倉地帯として全土へ穀物を供給するケルディックは多少生活は苦しくなるだろうが、元々が経済的に豊かな為にそこまで致命的な打撃にはならないだろう。それでも故郷の村は、最悪の場合は存続も危ぶまれる程の痛手を受けるのではないだろうか。

 

 ケルディックの元締めの様に増税取り下げの陳情を行えばどうだろうか。セントアークの侯爵様は《四大名門》の中でも領民の事も心がけて下さる心優しき方ではあると言われているが……陳情が認められずに税を納めることができなければ、徴税官と領邦軍が村へ取立てに来るのだろうか。

 

 領邦軍――そこで大好きな幼馴染を思い出してしまった私は心を激しく乱した。

 

 

・・・

 

 

 何も考えずに外の暗い風景を見ていたつもりだが――気付けば私は窓ガラスに頭をぶつけていた。

 行きの列車とは反対側の車窓からは星空が望める。既に列車の進む方向へと日は落ちてしまっており、客車の中は暗い。

 

「ご、ごめん……ちょっと眠くなってたみたい……」

 

 皆の心配する視線に私は苦笑いを返す。幸いな事にうたた寝出来るぐらいにまでは平常心を取り戻すことには成功していた様だ。

 私はあの時顔を真っ青にしていた様で、列車に乗ってすぐに皆に気づかれてしまい、苦し紛れに列車酔いと誤魔化していた。多分、ある程度は信じてくれているとは思う。

 

 どうやら私の意識が飛んでいた間、他の皆はこの特別実習の意味について話しており、サラ教官も話に混じっていた様だ。

 私の頭と窓ガラスの衝突音で邪魔してしまったのだろう、皆の気遣う言葉にそれとなく返事を返していくと、話の話題はすぐに戻っていった。

 

「いえ、そういった理念や実習内容を改めて考えると…………それって何だか――《遊撃士》に似ていませんか?」

 

(――遊撃士?)

 何故だろう。その言葉を心の中で呟くと、とても懐かしい気がした。

 先程までの不安が嘘みたいに溶かされていく様な気がして。

 

「バレたか……」と、サラ教官がいかにもわざとらしく口に出すと、これまた、いかにもわざとらしく狸寝入りをし始める。

 これには私達も呆れるしかなかったが、結局の話一体どこまでが本当なのだろうか。

 

「あら……?」

「えっと……まだ何か気になることでもあるの?」

 

 おもむろに考えこむリィンに、アリサとエリオット君が不思議そうに聞く。

 

「いや――そうじゃない。入学して《Ⅶ組》に入って一月が経って……考えれば、みんなにはずっと不義理をしていたと思ってさ」

「不義理……?」

 

 再び不思議そうな声色のエリオット君。私が知る限り、リィンが不義理をしたと思うような事は思い当たらないのだが。

 

「八葉一刀流のことではないようだな?」

「ああ、それとは別に一つ黙っていたことがあるんだ。――俺の身分についてだ」

「もしかして、貴方の家って……」

「え……?」

 

 私も思わず声を出してしまった。しかし、心の中では動揺と共に、やはり……という感情も強かったのは否定しない。

 思えば最初にリィンとトリスタの駅で出会った時、私は彼を貴族ではないかと勘違いしていたぐらいではないか。

 

「ああ、マキアスの問いにははぐらかす形で答えたけど……俺の身分は一応《貴族》になる」

 

 彼の口から紡がれていった言葉は私に少なからず驚かせた。

 リィンが帝国北部ノルティア州のユミルという地の出身なのは入学式の日に聞いたことがある。だが、そこの領主であるの男爵家の”貴族の血を引かない養子”だったとは。

 アリサも口に出していたが、リィンも複雑な事情を抱えて此処へ来ているという事なのだろう。

 

「それでも、みんなには黙っていられなくなったんだ。共に今回の試練をくぐり抜けた仲間として……これからの同じ時を過ごすⅦ組のメンバーとして」

「リィン……」

「同じ時を過ごす仲間か……」

 

 リィンが身分の告白をした理由を明かし、エリオット君とラウラがそれに反応する。

 

「なんかそう面と向かって言われると少し恥ずかしいんだけど……でも、やっぱり嬉しいかな」

 

 私が本心から嬉しいと思えたのは、やっぱり先週の出来事があったからだろう。彼の”仲間”は”友達”と言われるより、”家族”の様な暖かみを感じる言葉だった。

 少し前ならば貴族というで緊張して話しづらくなっていたであろう私もそれなりに進歩していた様で、リィンへ特に気にせず話しかける事が出来ていた。これはラウラとユーシスにも感謝しなくてはいけないのかも知れない。

 もしくは――もうリィンには慣れてしまっていただけなのかもしれない。それでも、自分が進歩したように思えるのだから不思議である。

 

「まったく……生真面目すぎる性格ね。その話、帰ったら他の人にもちゃんと伝えなさいよ?」

「ああ、そのつもりさ――」

 

 少し呆れた風なアリサも嬉しいのだろう。彼女の言葉に答えるリィンもどこか清々しそうだ。

 ただ……あの様にはぐらかされたマキアスは決して良い気はしないだろう。新たな火種を生むことにならなければ良いのだけど……。

 

 

・・・

 

 

 少し時を遡る。

 

 帝国の鉄路の始発点であり終着点、緋の帝都ヘイムダル。

 巨大な帝都の南側の中央部に位置するのが、帝国最大の規模の駅舎を誇るヘイムダル中央駅だ。

 帝国国内で最も重要な四つの主要国内路線の計八つの線路がここへと集まる。

 

 鉄道憲兵隊の運用する灰色の専用高速列車が速度を落とすことなく、帝都の市街地へと入ってゆく。

 

 鉄道憲兵隊大尉、クレア・リーヴェルトは複雑に揺れる列車の中で帝都へ到着したことを感じた。彼らの運用する専用高速列車は普通の旅客列車と違って、武装は有るが窓は無い為、緋色の帝都の夜景を望むことは出来ない。

 帝国政府の専用列車《鋼鉄の伯爵(アイゼングラーフ)》号と基本設計を共有しているラインフォルト製のこの列車は、鉄道憲兵隊の戦力を”必要な時”に”必要な場所”へ”必要な数”を投入する為に作られた列車である。そして、有事においては目的地周囲に展開するであろう敵戦力を、ある程度の数であればこの列車単独で強襲制圧出来る様、様々な対人・対車両武装と分厚い装甲も有している。

 まさに大陸最強の列車と言っての差支えはないだろう。

 

 その内に独特の反響音が響き始め、列車が地下に入った事が分かる。

 連結部分の窓の無いドアが開き、軍帽を被った男性兵士がクレアに報告を始めた。

 

「大尉、帝都へ到着します。なお、拘束した被疑者の取り調べですが……」

「こちらでの取り調べをこれ以上する必要はありません。到着次第、速やかに情報局へ身柄を引き渡して下さい」

「……やはり情報局からの例の情報ですか?」

「接触している可能性は高いです。可及的速やかに特定する必要がある以上、ここから先は我々では専門外でしょう」

 

 残念ながらあの四人には司法の場にて裁かれるという機会は無い。帝都の鉄道憲兵隊本部にて取り調べの後、証拠不十分にて”釈放”――そう、”公開文書”には記載されることだろう。

 あちらにはあちら側の、こちらにはこちら側の”やり方”という物が存在する。

 

 それも、この帝国の一面なのだという事をあの子達はその内、嫌でも知る事となるだろう。

 




こんばんは、rairaです。
番外編等で場面場面の補完等はあるかもしれませんが、一応この回をもって第一章は終わりとなります。
今回も大分飛ばしまして、鉄道憲兵隊の介入後の事情聴取からとなりました。きっとこんな感じだったのだろうという考えこそ頭の中にあるのですが、中々文章を纏める事が出来ず、適当に書けば物凄くダラダラと長くなり…かなりの難産回でした。
思えばこの物語の特別実習、ほぼ列車内と風見亭とルナリア自然公園の三箇所の場面しかないですね…。

最後のクレアのシーンは帝国の革新派の影を強調してみました。勿論、私の捏造設定ですので、原作ではどうなのかは分かりません。
しかし、クロスベルの通商会議の一件が良い例である様に、鉄血宰相の帝国政府ならば特に違和感は無いと思います。
次回は一旦過去回想を挟んだ後、士官学院の日常パートとなる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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第2章
5月初旬 【番外編】珈琲の苦味は


【番外編:マキアス・レーグニッツ】

 

「……起きろ、アゼリアーノ」

 

 頭を何かで軽く叩かれてひと時の安息から引き戻された私は、まずこの席の場所を恨んだ。

 5月はじめの陽気な春の教室の窓際は、勉学に励まなくてはならない士官学院生の大敵である。

 そして次に恨んだのは、私を夢の世界から釣り上げた、参考書を持って目の前に立つ無駄にイケメンなナイトハルト教官。

 

「アゼリアーノ。機甲部隊の弱点を簡潔に述べよ」

 

 意識が完全に戻らない頭で考えるものの、ナイトハルト教官の顔しか浮かばない。

 やばっ、まじでカッコいいかもしれない。この私を見下ろす緑色の瞳も――。

 

「寝ぼけているのか?……私の顔に答えは書かれていないぞ」

 

 ナイトハルト教官の顔しか浮かばないのではなく、私が彼をガン見していた様だ。

 ふと、隣の睡眠授業党の同志フィー・クラウゼル女史に目をやるものの、彼女は器用にも上体を起こして寝ている。

 軍事学ならば彼女の豊富な知識に頼ろうと思ったのだが、授業中に助力を請うのは流石同志なだけあって中々難しいようだ。しかしナイトハルト教官を騙せるのだろうか。

 もはや私に手段は残されておらず、このハンサムな現役帝国軍将校の教官に白旗を揚げざるを得ない。

 

「……わかりません」

「わからないのならば、ちゃんと授業を聞け。……クラウゼル、君も寝るな」

「ん」

 

 起こされた訳でも無いのに返事を出来るという事は、いまは起きていたという事なのだろうか……フィーの居眠りスキルの高さには驚かされる。

 

「他に誰か答えれる者はいるか?」

 

 ナイトハルト教官が周りに答えを求めて見渡すと、私とは反対側の廊下側の席から手が挙げられた。

 マキアス・レーグニッツ。かのレーグニッツ帝都知事の息子にしてⅦ組の副委員長であるクラスきっての秀才。入学時の試験の成績は学年二位、私なんて下から数えた方が早いぐらいの成績だったのに。

 ちなみに勉強だけではなく武術も導力散弾銃を自在に使いこなすという腕前で、同じ導力銃使いとして私も一目どころか三目ぐらい置いている。

 勉強もできて武術も優秀なんて……まったく『女神は二物を与えず』というのは実は大嘘なのだろう、うん。

 

「よし、レーグニッツ」

「機甲部隊の最大の弱点は航空部隊です。共和国軍が空挺機甲師団を整備しているのは、帝国軍の機甲師団より共和国軍の戦闘車両の性能が劣る為、機甲部隊単独での戦闘では分が悪いからです」

 

(ほえー……)

 感心するしかなかった。まるで教科書の様な知識を披露してくれる。

 

「正解だ。共和国のくだりもよく予習していたな。皆もレーグニッツの様に勉学に励むように。わかったな、アゼリアーノ」

「はい……」

 

 ナイトハルト教官のジト目が怖い。後で呼び出しにならなければいいのだが……。

 

 

 ・・・

 

 

 平日、士官学院の授業が終わるのは丁度夕方の4時頃である。

 晩ご飯の時間にはまだ早く、大人が仕事を終わらせる時間にもまだ早い。放課後すぐの時間なので士官学院生も部活や駄弁りで中々校舎をまだ離れようととしない。

 つまりこの時間は、駅前の喫茶店兼宿屋の《キルシェ》が人でごった返すことがまず無い、狙い目の時間でもある。

 だからこそ、少しばかり小腹の減った私は部活に向かうアリサ達と分かれた後、すぐにここまで早歩きで来たのだ。

 

 いらっしゃい――、お店に入ると少し気の抜けた挨拶が私を迎える。

 この《キルシェ》のマスターのフレッドさん。競馬とカード――ギャンブル好きなお兄さんは、今日も競馬誌を片手にカウンターに立っている。

 早いね、と続けながら彼は私に注文を尋ねた。

 

「リモナータとクリスピーピザを一つ」

「リモナータ、ね。いつもの南部風だよね?」

 

 フレッドさんはギャンブル好きなど、ちょっとずぼらな所がある人ではあるのだが、喫茶店のマスターとしては相当優秀な人だと思う。

 なんといっても入学してまだ1か月ぐらい、まだ両手で数えれるぐらいしか利用した事の無い私の顔を見て、好みを覚えていてくれるのだから。

 つい先々週ぐらいの自由行動日の夕方にフレッドさんが切らした調味料を探して、リィンと一緒に珍しい調味料《パッションリーフ》を求めて街を這いずり回って手に入れてきたからこそ、覚えられているだけかもしれないが。

 どうしても気になった私は、950ミラという決して軽くはない会計を済ませた後の待ち時間に彼の背中に疑問をぶつけてみた。

 

「フレッドさんって皆にそんな事してるんですか?」

「そんな事って?」

 

 フレッドさんは顔をこちらに向けることなく問い返す。

 ここからでは彼の影になって見ることは出来ないが、グラスに水を注いでいる様だ。

 

「リモナータの南部風。私、南部出身って言いましたっけ?」

「ああ、それはな――」

 

 背中で語る彼の説明は私を少し落ち込ませた。

 リモナータというのは帝国南部の言葉であり、帝都近郊ではレモネードと言うらしいのだ。つまり以前から私が何気なく使った言葉自体がヒントであり、自分から南部出身を告白していた様なものだった。

 そんなネタばらしをしながら、彼は手際良くリモナータとコルクのコースターを私に差し出す。

 

「まあ、何年も帝国中から学生が集まる街の喫茶店やってれば、その生徒がどこの出身かとかは、大底分かってくるんだよなあ。これ、お客的にポイント高いだろ?」

「……ネタバレされるとちょっと冷めたかも知れません」

「ちっ、ほーら、ちゃんと南部風のリモナータ。レモンは一枚おまけ、な。ピザは焼けたら持ってくよ」

 

 じゃあ、テラスにお願いします、と私は頼むと扉に手をかけてリモナータの入ったグラスを片手に店内を後にする。

 

 お店から出て、テラスに目をやるとそこにはⅦ組のクラスメートの一人、マキアス・レーグニッツの姿があった。

 

「あれ、マキアス?」

 

 ああ、と会釈するマキアス。

 

「ついさっき、君が小走りに店に入っていった時、一応声をかけたのだが……」

「あ、ごめん……気づかなかったかも……」

 

 本当に無視してしまっていたのなら、申し訳ないので謝る。言われてみれば確かに、そんな気もしなくも無いかもしれない。

 

「いや、別にいいんだ。僕の声も小さかったのかもしれないしな」

 

 別に特に気にしてなさそうな彼に少し安堵した私は、彼のテーブルのもう片方の椅子をグラスを持っていない方の手で指差して訊ねた。

 

「そこ、いい?」

 

 

 ・・・

 

 

 ひんやりと冷えた甘酸っぱいリモナータこと、レモネードがストローを通って私の喉を潤す。

 一日の授業で疲れた私を癒してくれている気分だ。

 

 どうやらマキアスは今日の授業の復習をしていた様だ。

 軍事学の授業のノートを参考書を見ながら、何やら書き込んでいる。

 

「どうかしたのか?」

「あ、ううん。真面目な人ってノート見ても凄く書き込まれてるなぁって」

 

 板書はそこそこしているつもりだが、マキアスの様に参考書を見て後から注釈を入れたりする事はない。

 そういえばエマのノートにもマキアス程ではないが色々書き込まれていた。ただ、マキアスと比べて……要領が良さそうなまとめ方をしていた様な気はする。

 

「……君の場合は授業中寝すぎなんじゃないか……?」

「あ、え?」

 

 まさか人の事を褒めて、不穏な方向に話がいくとは思わなかった。

 

「君とフィー君は常習犯だからな……Ⅶ組の副委員長として僕もどうにかしなければいけないと思って、エマ君とこの間話をしていた所だ」

「い、いやぁ、常習犯だなんて……春の暖かな陽気の前には我が鋼の意思も……すみません」

 

 クラス委員長と副委員長は正直、日直号令が主な仕事と思っていたのだが、まさか授業態度悪いの生徒の改善も仕事の内だったとは。

 エマがフィーや私の勉強の面倒を焼いてくれる理由なのだろうか、いや流石にそれはないか……。

 

「まったく……いい加減にしとかないと中間試験で後悔することになるぞ?」

「それ、先月からずっとエマに言われてる」

 

 自慢になってないぞ……とマキアスは呆れた様に首を横に振る。

 

「それなのにアルバイトだなんて、本当に大丈夫なのか甚だ心配だな」

 

 ぐうの音も出ない、とはこの事だろう。

 実家のお祖母ちゃんに怒られる時よりかはまだマシなものの、クラスメートに言われるのはこれはこれで結構堪える。

 ちなみに校外活動許可証をトマス教官から受け取った際にも『帝国史の授業を寝たら没収しちゃうかも知れませんよ~』と脅しをかけられていたりする。その為、ここ数週間帝国史は鋼の意思を持って授業を受けており、寝ていない。しかし、羨ましい事に私がこんなに頑張っているのにも拘らず、隣でフィーは気持ち良さそうにスヤスヤ寝ているのだが。

 

「……ふぅ……」

 

 コーヒーを一口すすって溜息をつくマキアス。

 

「マキアスはやっぱりコーヒー党なんだね」

「……まあ、貴族趣味の象徴の紅茶よりコーヒーを好む事は否定しない。ちなみになんで僕がコーヒー好きと分かったんだ?」

「帝都市民って皆コーヒー好きなんじゃないの?」

「……一体何処からの情報なんだ……少し頭が痛くなってきたぞ」

 

 額に右手を当てるマキアスに、私はサザーラント州の地方紙の画が情報源である事を明かした。

 帝都のバルフレイム宮をバックに、デフォルメされて悪人顔になっているオズボーン宰相と盟友レーグニッツ帝都知事が、それぞれ戦車と鉄道の上に乗ってコーヒーの入ったマグカップを高く掲げて乾杯し、その二人を応援している帝都市民がこれまたコーヒーマグカップを掲げて周りを囲う。そして、その下には悲劇のヒロインの様に描かれる若い貴族夫婦が踏んだり蹴ったりされており、紅茶のカップが割れている――といった画だ。

 よく考えれば私でも知っているような超有名人である帝都知事の息子が目の前にいると思うと、つくづく凄い学校に来てしまったのだと思う。

 

「地方紙の風刺画か……平民というより革新派への、さぞ貴族領邦らしい優雅な賛辞の一文が添えられていそうだな」

 

 マキアスは明らかに眉を顰めながら、辛辣な皮肉を飛ばす。

 確かに中々にこき下ろした一文が添えられていた様な気がしなくもない。

 

「まあしかし、コーヒー好きの地方性とでも言うなら、君の故郷の南部の方がコーヒー文化が根強い地方というイメージがあるのだが……君はレモネードなんだな」

「私、こっちのコーヒーはそんなに好きじゃないからね」

「豆の違いか? いや淹れ方か……ふむ……帝都と地方でコーヒーにも差があるとは……いや……そういえばエスプレッソが主流になるのか……確か父の書斎にその様な事を書いた本が……」

 

 きっと彼はコーヒー好きなのだろう。やっぱり帝都市民はコーヒー好きは間違いじゃないような気がする。そして、一つ彼に心の中で謝った。私は口も未だお子様で、故郷の苦いコーヒーも苦手だった。

 そんなコーヒーについて真面目に考えるマキアスを見て、思わず笑いが漏れてしまう。

 

「ふふ、一言で言えば、薄いのかな。帝都の宿屋で初めて飲んだ時、ちょっと驚いちゃったし」

「なるほど……それは安物のドリップコーヒーを飲んだんじゃないのか? 此処のコーヒーは結構焙煎時間も長めだとは思うぞ。中々、良い味がある」

 

 カップの中のコーヒーに目を落としてマキアスが語った。

 

「ふーん……ちょっと一口もらうよ?」

 

 マキアスが言うのだから美味しいのかも知れない。苦いかも知れないが、少なくとも味の差異は分かるのでは。

 そんなこと期待して、ちょっと味見に彼のカップを手に取って口元へ持っていくと、まるでユーシス相手に激昂した時の様な大声で止められた。

 

「な、なにをするんだ!?」

「え? ……あ、ごめん……?」

 

 何かまずいことをしたのだろうか。

 そんなに飲まれたくなかったのだろうか。マキアスは確かに神経質っぽそうだが、そこまでケチでは無さそうなイメージだったのに。

 マキアスの次の言葉候補を頭の中で再生してみた。

『君は人の物を勝手に飲み食いしてはいけないと親に教わらなかったのか!?』

(……あ、ありそう…………)

 

「い、いや! き、きみは女子じゃないか!」

「……え? ……だから?」

 

 ……あれ?

 顔を赤くして怒るマキアスにたじろぎながら、私は中身を飲む事を断念して彼のカップを皿へと戻す。

 予想の斜め上どころか、どこへいったのかも分からない。というより、あれ?私、これ怒られてる?

 

「だから、その――」

 

 やたらと眼鏡をいじりながらマキアスは何かを口に出そうとしているが、中々言葉は出てこない。

 未だに顔は赤く、何を考えているのか良く分からない。

 

「はーい、クリスピーピザでーす。置いちゃっていい?」

「あ、お願いします!」

 

 そんなこんなしている内に、ウェイトレスのドリーさんが焼きたてのピザを運んできてくれた。

 ちなみにドリーさんの顔がニヤついていたのは気のせいだろうか。そんなに授業終わってすぐピザを食べに来る私がおかしいのだろうか。

 

「お腹減ってたんだよねー。ピッツァ、ピッツァ」

「……エレナ君、君はそれを一人で食べるのか?」

 

 既に六等分に切られている生地の薄いクリスピーピザの一片を口に運ぶ私に、マキアスが不思議そうに訊ねてきた。

 コーヒーの件を少し引きずっているのか、まだ少々顔が赤い。

 

「そうだけど? 晩ご飯までお腹減ったし、ちょっと間食、腹ごしらえ」

「……」

 

 目の前のマキアスが無言で難しい顔をしている。

 さっきから、彼の様子がおかしい。彼はこんなキャラだっただろうか。

 

「あ、わかった。マキアス、分けて欲しいんでしょ? でもごめん、あげないからね」

「ピザが欲しかったわけではない!」

 

 また大声を出すマキアス。よく怒るなぁ。

 驚いた老人がこっちを微笑ましく見ているではないか、恥ずかしい。

 

 ・・・

 

 クリスピーピザを食べ終えた私は、もう氷と溶けた水が少し貯まるグラスの縁を見ていた。

 何故か一枚おまけとして付けられ、計二枚となっているグラスの縁に差されたスライスレモン。何故、おまけにレモンなのだろうか。

 ふと視線を感じて目の前を向き直すと、レモンの果実の模様を見つめる私を不思議に思ったのか、マキアスと目が合った。

 

「そういえば君はいつもこんな時間にここを利用しているのか?」

 

 いつもではない、とマキアスに返す。よくよく考えたら、マキアスが《キルシェ》を使っている方が珍しいのではないだろうか。

 

「そういえばマキアスが《キルシェ》のテラスにいる方が珍しいよね?」

「……ああ、休日なんかは確かに午前中利用するが……夕方は中々利用しないな」

「何かあったの? っていうか、いっつも放課後は図書館とかで勉強してなかったっけ?」

 

 勉強、予習、復習――多分、直接口に出したら怒られるだろうが、ガリ勉はマキアスの代名詞なのはⅦ組どころか1年生の常識だ。

 そして放課後のマキアスの定位置と言えば、図書館の自習コーナー。入学から一ヶ月ぐらいしか経ってないのに既に指定席と化しているという噂もあるぐらいだ。

 

「……今日は図書館の読書スペースに奴がいたからな」

「……奴……? あ、ユーシスか」

 

 なるほど、つまり図書館一階の読書スペースにいるユーシスを避けて、二階の自習スペースにも行けなかったという事か。マキアスも中々に難しい男子だ。

 ちなみに確かにユーシスは意外と読書好き。図書館の読書スペースで暇つぶしをしている事も多々あるとエマとフィーからよく聞く。

 なんでも、図書館を利用する女子生徒の間でちょっとした話題となっているんだとか。まあ、ユーシスはかなり見た目いいもんね。

 

「くっ……奴の名前を聞くのも忌々しい……」

 

 やはり本気で嫌っているのだろうか。ユーシスは偉そうでぶっきらぼうだけど、意外とこれが優しかったりするんだけどなあ。

 

「なるほどなるほど。アリサとリィンは仲直りしたのに、マキアスとユーシスは中々仲直りは出来なそうだね」

「仲直り!? ただでさえパルムの特別実習は奴と同じ班で散々だったんだ。嫌な事を思い出させないで欲しい!」

 

 そういえば先日の初めての特別実習の班分けではマキアスとユーシスは同じB班となり、帝国最南部の紡績町パルムで実習を行った。

 結果は実習の課題どころではなく……フィーの弁によると『殴り合いにならなかったのが奇跡』、ガイウスの弁によると『サラ教官が来てくれなければ危なかった』とのこと。エマに至ってはパルムから帰って以来数日は胃薬が手放せなくなってしまうという有様だった。

 先日出た特別実習の評定も私達A班のA+評価に対し、B班は入学時の試験成績の学年1位と2位を擁しているのにも関わらず、まさかのE評価という落第レベルの最低点であった。

 

「まったく……まあマキアスは色々事情ありそうだし……」

 

 売り言葉に買い言葉でどちらかと言うとマキアスをあえて煽ってる様なユーシスはともかく、マキアスは何かしらの事情持ちなんじゃないかと思う。

 っと、リィンが言っていた事を思い出してみる。

 

「……君には関係ないだろう。君も誰かみたいなお節介なのか?」

「いや、そういうわけじゃ……」

 

 しまった。言わんで良い事を言ってしまった。先程より鋭く、冷たくなったマキアスの視線を感じて後悔する。

 こういう時、眼鏡をかけている人は更に視線が冷たく感じられて怖い。そして”誰か”とはやはりリィンの事なのだろう。特別実習から帰ってきた後、リィンが皆に自らの身分の事を告白した時から、マキアスはリィンを避けている様に見える。対ユーシスの様に衝突こそしないものの、リィンとの関係はマキアスの側が一方的に冷え切っていると言っても過言ではないだろう。

 

「世の中には君の様に貴族と関わり無しに育った、世間知らずの幸せな人間ばかりではないんだ。あまり人の詮索はしない方がいいぞ」

 

 正論だった。だからこそ、私は何も言い返せない。

 言い方に少し腹が立つのは確かではあるが、確かに彼が言うとおり私は幸せな人間なのだろう。だから、マキアスに笑いかけてみることにした。

 

「ひどいなあ、ほんと。何も言い返せないじゃない」

「……す、すまない……少し、言い過ぎたかも……しれない」

 

 意外とマキアスは貴族以外には健気なのだ。言い過ぎたと思えばこの様に謝ってくるのだから。

 暫くの間、私たちの間に沈黙が流れる。

 

「コーヒー、冷えちゃうよ」

 

 私にそう言われた彼はカップを手に取る。正確にはもう冷えているだろうが。

 正直、マキアスに言われた言葉は故郷のコーヒーの様に苦かった。まだまだ、私は世間知らずなお子様。コーヒーは、まだまだ苦手だ。

 

 それでも今すぐには無理でも、私にはあの入学式の日、旧校舎でのマキアスの言葉――

 

 ――帝国には強固な身分制度があり、明らかな搾取の構造がある!その問題を解決しない限り、帝国に未来はありません!――

 

 あれを聞いて、ユーシスはⅦ組への参加を決めた様な気がするんだ。

 だから、いつか近い内にこの二人が分かり合う日が来ると思う。




こんばんは、rairaです。
今回は原作第一章~第二章(4月26日~5月22日)の間のお話です。
時系列的には前回の後になりますが、番外編扱いですので直接は繋がっていません。
今回はマキアスの慌てっぷりが見所なの…でしょうか。うーん。
本当はエレナの子供っぽさ=理想家部分を自覚させる為の一言を、この時期のマキアスなら言ってくれそうな気がしたので会わせてみた…というのが本音ですが。

そういえば昨日、ファルコムの株式総会で「閃の軌跡」の続編発表があったみたいですね。イラスト見たのですけど、女子はみんな冬なのに結構薄着ですね…フィーちゃんお腹出しちゃって大丈夫ですか…?
例年通り9月発売ですかね…それまでにこの物語はどこまで進むことやら…。
次回は一旦過去回想となる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月22日 気持ち

 5月22日 夜

 

 先月のケルディックでの特別実習から早一か月。

 Ⅶ組の輪には新しい亀裂が生まれていた。特別実習の報告会にてクラス全員へ自らの身分について告白したリィンを、貴族階級を毛嫌いするマキアスが一方的に避けるという状態が続いているのだ。

 先程、下の食堂でエマの用意した料理を女子みんなで食べていた際に耳に入れた情報では――今日の放課後、遂に教室でマキアスがリィンへかなり冷たい言葉を浴びせたらしい。

 

 私としても貴族に対するマキアスの気持ちは分からない訳ではない。ケルディックの一件以降、ユーシスには悪いがアルバレア公爵家の印象は個人的に極めて悪い。

 彼のリィンへ対してのあからさまな態度の豹変には流石に行き過ぎであると思うが、こればっかりは結局は当事者間で解決を待つしかないのだろう。

 しかし、それとは別に彼をそこまで偏狭にさせる”理由”が怖くなっていた。

 

 ――世の中には君の様に貴族と関わり無しに育った、世間知らずの幸せな人間ばかりではないんだ。――

 

 特別実習から帰ってきた次の週ぐらいに喫茶店《キルシェ》でマキアスと話した時に突きつけられた言葉だ。

 しかし、私はこの言葉は拒絶であると同時に、警告であると受け止めていた。人は皆何かしら抱える物があり、それに私が生半可な気持ちで踏み込むことへの警告。

 それ程にまでマキアスの抱える物は重いのだろう。私には到底想像がつかない。

 

 そしてこれは私個人の事となるが、増税の件。

 ケルティックでの一件の後、故郷の村への不安に掻き立てられた私は、トリスタに帰ったその日の夜に重い瞼をこすって実家の祖母へ手紙を出していた。

 手紙の返事は二週間程で寮へ届いたものの、私の出した手紙がかなり酷い文面だったのか、祖母から手紙はお怒りの言葉から始まる事となる。

 

 もういい歳なのだから落ち着きなさい、父親に似たのかしら恥ずかしい、単語の綴りが間違っている、字が汚い、もっと丁寧で綺麗な言葉を使いなさい――などと読んでいるとお祖母ちゃんの声が頭の中で響くような、いつもの様に言われ続けた事ばかりを書き並べられていた。

 いつも厳しい事を言っているお祖母ちゃんは、何だかんだいって実は物凄く優しい。きっと手紙も私を安心させる為に、村で暮らしていた頃にくどくどと言われていた事をわざと書き連ねたのだろう。

 まあ、実際今でも直ってなくて怒られているのは確かなのだが。

 

 手紙の中で増税に関する内容は一つだけ。

 帝国各州の中で唯一サザーラント州は未だ増税の公布がなされていない事を教えられた。これぐらい士官学院生なのだからちゃんと社会時事を調べなさい、と追記もあったが。

 そして最後に記された言葉を見て、私は増税と村の事を考える事を一旦やめたのだ。

 

『何があろうとも、私達は今まで力を合わせて乗り越えて来たのだから大丈夫。安心なさい、可愛いエレナ。』

 

 お祖母ちゃんは嘘はつかない。大丈夫と言うのだから、大丈夫なのだ。そう信じて手紙の返事には、増税の事については一言も書かなかった。

 

 そして、今は残るもう片方の心配事の相手への手紙の内容を思案している。

 一文字も書かれていない白紙の便箋を前にして、私はペンを右手で弄びながら書きたい事が纏まらない事に頭を悩ましていると、コンッコンッという木製のドアをノックする音が聞こえた。

 

 突然の来客への対応に、室内用のスリッパをペタペタとさせながら私はドアの方への駆け寄る。

 

「あ、アリサ。どうしたの?」

 

 ドアを開けた先に居たのは、いつもの制服姿から上着だけを脱いでタートルネックのセーター姿となっているアリサ。

 彼女は呆れた様に両手を左右に開く仕草をすると、私に要件を伝えはじめた。

 

「どうしたの? じゃないわよ……全く、私のノート持っていってそれっきりにしてる癖に」

「ごめん! 忘れてた! すぐ探すからベッドにでも座ってて!」

 

 うっかり失念していた。そういえばアリサに導力学のノートを数日前に借りてそれっきりであった。

 とりあえず、廊下で立って待っていてもらうのは悪いので、部屋の中に入って貰ってベッドにでも座ってもらい、私は勉強机の片側に積まれている各教科の教科書や参考書やノートが混ざるの山から探すべく一冊一冊迅速に確認してゆく。

 にしても、アリサは今から私が借りていたノートで授業の復習だろうか。本当にⅦ組はエマといい、マキアスといい、アリサといい努力家が多い。

 もっとも帝国の高等学校の中でも未だに名門といわれる水準の士官学院なので、在籍する生徒は私も含めある程度は努力して入学してここに来てはいるのだが。

 

「もう寝る支度してるの? 少し早くないかしら?」

 

 私の姿を見たのかアリサは少し不思議そうな様子だ。

 制服姿から上着を脱いだだけのアリサと違って、私はもうシャワーも浴びてすっかりワンピースな寝間着である。

 そんなアリサの疑問に私は探す作業を止めずに背中を向けたまま答えた。

 

「うんうん、まだ実家にいた頃の癖が抜けなくてちょっと眠くなってきちゃうんだよね」

 

 ふーん、と相槌を打つアリサは納得してくれている様だ。

 

「あ、なんか食べる? クロワッサンとか昨日買ったのあるよ」

「……この時間に間食は不味いでしょうが」

 

 中々アリサのノートが見つからなくて少し焦りながらも、ベッドの近くにあるテーブルの上の赤色の紙袋を指差して勧めてみた。しかし、しっかり者のお嬢様はこの時間の間食はNGの様だ。

 机の上に無いのであればリュックの中かも知れない、と思い付き窓際に掛けてあるオレンジ色のリュックを手に取って中身を物色する。

 リュックの中ともなると入る本の数も限られるので見つけるまでにそう時間は掛からなかった。机の上で見つからなくて内心焦っていた自分が馬鹿みたいに思える。

 

「あったあった。アリサ、ありがとう」

 

 アリサは何か考え事をしていたのか、私が差し出したノートをとる手が少し遅れる。

 

「あ……どういたしまして。……ちゃんと参考になったかしら?」

「うんうん、アリサのノート綺麗に纏められてるから助かったよ。導力革命以後の帝国の導力技術の発展の所とかすごく分かりやすかった。導力学、得意なんだよねー。いいなあ」

「まぁ……このぐらい普通よ」

 

 アリサは色々な感情の混ざる複雑そうな表情を浮かべていた。

 

「……そこで謙遜されると逆に落ち込むんだけど」

 

(素直に誇ってもらえないと、私はその”普通”にもたどり着けていない人間になっちゃうじゃん!)

 冗談っぽく苦笑いする私に、アリサは『そんなつもりで言った訳ではない』と慌て謝り、すぐに再び表情を曇らせてゆく。

 普段なら、頑張って勉強しないあなたが悪いのよ、との一言が入る所なのだが少し様子がおかしい。

 

 ――アリサも何か抱えてるのかなあ。

 そんな事を考えながら、私はベッドに座るアリサの丁度隣に腰掛けた。

 色々な感情が混ざった表情を浮かべて、”導力学”と綺麗な彼女の字で記されたノートの表紙に目を落とすアリサに、私は声をかけれなかった。

 

 

 ・・・

 

 

 長くて短い暫くの時間が経ち、アリサが何かに気付いた様に口を開いた。

 

「手紙、書いてたの?」

 

 先程まではアリサの座っている場所から机の間には私の体が影となっていたのだが、私が彼女の隣へと移動したので、机の散らかっていない部分に置かれた白紙の便箋が目に入ったのだろう。

 

「うんー、でも上手く書けなくてね。書きたい事が有り過ぎて、うまくまとめられなくって」

「……噂の彼氏?」

「だから、付き合ってないし!」

 

 少しの間の後に想像していた通りの言葉が返ったきた為、このネタへのいつもと同じ反応をすかさず返す。

 あの日――ポストに手紙を投函するところをエマに目撃され、朝食を共に囲ったフィーとサラ教官に中途半端にバレた日以降、尾ひれ背びれを付けて噂は拡散してしまっていた。

 Ⅶ組の中だけならば良かったのだが、問題はその外への流出であり――ついこの間その件で話しかけられたⅣ組のヴィヴィによると、『1年Ⅶ組のエレナは彼氏持ち』というのは平民クラスでは知る人ぞ知る情報なんだとか。

 年頃の子が集まる士官学院ではそういう類の噂話はかなりの頻度で話のネタにされるが、いざ自分の事がネタになるとなるとそれは本当に勘弁して欲しい。

 

 ほんの数十秒ではあるのもも、会話の中では明らかにおかしい無言の時間がすぎる。

 何も反応を返してくれないアリサの方を伺うと、彼女の様子は先程までの複雑な表情とは様変わりしていた。

 

「……ねえ、エレナって……その手紙の相手の人、やっぱり、す、好きだったりするの?」

 

 何故か彼女は少し俯いた顔をほんのりと赤くして、自らの指をいじりながら、恥ずかしげに少しずつ言葉を紡いでいる。

 

「……むう。そりゃあ、まぁ」

 

 普通、それは聞かれた側の私の反応なんじゃないか、とも思いながらも一応肯定しておく。

 いまのやり取りの何処に、アリサが顔を赤らめる必要があったのかの謎は残る。

 

「……なんでその人のこと事好きになったの?」

 

 今日はアリサに質問責めにされる日なのだろうか。

 それにしても、好きになった理由……かあ。いろいろな事が思い浮かんでくるものの、言葉としてそれを紡ぐのはかなりの難易度であった。

 そして私もこうもこの類の話題を続けられると、やはり照れる。

 

「なんでかなぁ……小さい頃から一緒で……気づいた時にはもう好きだったなぁ。だから理由はわからない」

 

 一番正解に近いと思った答えを告げる。恋の始まりには明確な理由などないような気がするから。

 

「……ってことは初恋よね?」

 

 アリサの顔が、深紅の瞳が彼女の隣に座る私へと向けられる。その彼女の表情を目の当たりにして、本当に表情が豊かな子だという感想を抱かざるを得なかかった。

 彼女の問いかけに肯定しながら、私は前にもあった似たような出来事を思い出していた。

 あれは数年前、故郷の村の数歳年下のおませな子に幼馴染の彼との間柄について聞かれた時。その子の質問とアリサの問いはよく似ており――私は、なんとなく理由がわかってしまった。

 きっとアリサは――自分が特定の誰かを意識していることに気づき、その気持ちがどんなものか見極めようとしているのではないだろうか。

 

「人をす、好きになるのって、その……どんな気持ちなのかしら?」

「……うーん」

 

 いざそう聞かれると悩むものである。

 最初から最後まで言うのは無粋だと思うし、それ以前に恥ずかしい。しかし、簡潔に纏めるのも私には難しい。

 それまで座っていたベッドに背中も預け、部屋の天井を眺めてアリサの問いへの回答を考える。

 

 私としても現在進行形な訳であり、この類について他人になにか教えれる程の経験など殆ど無い。そればかりか、本当は自分が誰かに聞きたいぐらいだ。

 出来ればはぐらかしたい、等という少し無責任な考えが頭を過ぎった時、静かな部屋に再びドアをノックする音が響く。

 夜中に二人目の来客なんて珍しい。一番部屋によく来てくれるアリサがここに居るということは、ほかはエマかサラ教官か……私の部屋を訪ねて来る人はそう多くなく、可能性の有りそうな人物の顔を思い浮かべながらドアに駆け寄る。

 

 返事をしながらドアを開けると、目の前に立っていたのはリィンであった。

 リィンはシャワーを浴びてきた所なのだろうか、少し髪は湿っぽく、着ているのは寝間着の様だ。

 

「あれ、リィン?」

「こんな時間にすまない。エレナにちょっと頼みたいことが……ってアリサもいたのか?」

 

 リィンの視界に部屋の中のベッドにちょこんと座るアリサが捉えられたのだろう。リィンが驚いてる様子は特にないが。

 それよりも先程まで顔を真っ赤っかにしてお話していたアリサの様子が気になったのだが、心配する必要は特になかった――いや、逆の意味では心配になってしまったが。

 

「……いて悪かったわね。それにしても、こんな時間に女の子の部屋を訪ねるなんて不躾ね。それとも、お邪魔だったかしら?」

 

 先程の乙女チックな彼女とは打って変わって不機嫌そうな声色のアリサ。

 ものすごく鋭い視線で目の前の彼を睨んでいるのが、彼女の顔を見なくても張り詰める空気で分かる。

 リィンとは仲直りしているのだろうし――あ、そっか。きっと気に入らないんだ、こんな時間に”私”の部屋をリィンが訪ねたのが。

 まあ確かによくよく考えると、この時間に湯上がりで寝間着を着込んだ男子が女子の部屋を訪ねていたら色々と誤解を生む気はしなくもない。

 

「いや、そんなんじゃないから……二人共何かしていたのか?」

「男子には関係ない、女の子同士の話よ」

 

 リィンの疑問にぴしゃりと返すアリサ。男子にも関係あるといえば大アリなんじゃないかとも思うのだけど。特にリィンは。

 それにしても背後からの視線が痛い、主に私に向けたものではないのにも関わらず。

 

「あ、あはは……それで、私に頼みってどうしたの?」

「ああ、明日の自由行動日なんだけど、先月と同じで旧校舎の調査もあるし、エレナも一緒に手伝ってくれないか?」

「え、ええっとー……」

 

 こんのニブチンは……と私はこの場で頭を抱えそうになる。部屋の中のアリサの方を伺うと、もう完全に拗ねてしまっている。

 アリサのしょっぱなからの対応も問題はあるのだが……そもそも、リィンがちゃんと察してあげれれば、この場で私一人への誘いなんてする訳ないのに。

 

「ごめんね。実は明日はバイト入っちゃってて……」

「そうか……残念だが、バイトならしょうがないな」

 

 どの道本当の事でもあるのでしょうがない。今回は諦めてもらおう。

 そして、リィンさんそんなに残念そうな顔をしないで下さい。後ろのお嬢様が怖いんです。

 アリサも自分から売り込めばいいのに、とも思うが、いざ自分とフレールお兄ちゃんに置き換えて考えてみるとかなり難しく、同時に彼女の気持ちが手に取る様にわかる気がした。

 だからちょっとどころか、私なりに大きく背中を押してあげることにしたのだ。

 

「でもね! アリサがさっき暇そうだって言ってし、アリサはアーツとか得意だし、調査一緒に行ってもらえば!?」

「えっ!?」

 

 アリサの方へ目を向けると、突然のバトンタッチに驚いていた。

 へへん、してやったり。

 

「アリサ、良いのか? 部活とかで忙しいと思ってたんだが……」

「べ、別に……私は、いいけど……」

 

 不機嫌そうな表情が一気に消え、顔を赤らめて俯くアリサ。まるでリィンが来る前に戻ったかとも思える様子だ。

 

「じゃあ決まりだね! さっ、私はそろそろ寝るから! アリサも早く帰った帰った!」

 

 私はドアの前からベッドへ向かい、アリサの手を取って立たせ、彼女の背中を両手押して半ば追い出すようにドアまで押し出す。

 

「え、ええっ?」

「リィン、アリサをちゃんと部屋までエスコートしてあげてね」

 

 一言付け加えてから、アリサの身体を押し出してリィンへ預けて、ドアを閉めた。

 もっとも後もう少しの所で、彼女は堪えて恥ずかしい事態を避けたの様だが。折角の機会だというのに。

 

「ちょ、ちょっと何言ってんのよ! こら、エレナ!」

 

 ドア越しに怒るアリサの声とそれをなだめるリィンの声が聴こえるが、そんな事は無視して、私は部屋の明かりを消した。

 そしてそのままベッドに突っ伏して全身を預ける。

 

 アリサ、やっぱりリィンの事、好きなんだろうなぁ。

 素直に微笑ましいという思う以上に、私は羨ましさを感じていた。

 

 ベッドにうつ伏せにに寝転がりながら、カーテンを閉めていない窓から夜空を眺める。この星空は遠く故郷のサザーラント州まで続いてるのだろう、だが私にはどうする事も出来ない。

 

 目を瞑るとフレールお兄ちゃんの顔が浮かぶ。

 幼馴染で、自分にとって5歳年上の兄のような存在で、今はサザーラント州の領邦軍に勤めていて、私がまだ小さかった頃からずっと一緒で。

 村のことが自分の中で一旦解決して以降、私自身がこのような寝る前に考えることはフレールお兄ちゃんの事となった。もっともそれは士官学院に来る以前と全く同じ事であり、ただ戻っただけであったが。

 

「はは……昔からずっとじゃん。変わってないなあ、私は」

 

 何も昔から変わっていない自分を自嘲する独り言が思わず口から出てしまう。

 

 そして、今夜も寝る前の僅かな時間、彼と最後に逢った日の事を思い出すのであった。




こんばんは、rairaです。
本日やっと御用納めですね。師でもないのに私も今週はあちこちを走り回る羽目になりました。
さて今回は5月22日の夜、自由行動日の前日第2章の初日となります。
本来はアリサとエレナの話の後に過去回想が入る予定だったのですが…アリサ関連の話が中々の長さになってしまい此処で一旦切らせて頂きました。

「閃の軌跡」原作ではアリサはお気に入りキャラクターの一人です。
物語を通してⅦ組は皆成長していきますが、アリサも分かりやすく成長する一人だと思います。
リィンへ寄せる想いの進展も気になるのですが…一番はイリーナについてでしょうか。
イリーナには娘への確かな愛情があります。アリサもそうですし、この母娘単に不器用なだけですよね。
しかし何故、アリサの父親の死後に仕事に没頭し変わってしまったのか…イケメン眼鏡な旦那さんの死因がすごく気になります。しかし旦那さん技術屋…ってことは十三工房関係なんじゃ…。とにかく、続編に期待ですね。

次回は一旦過去回想となる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。


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【番外編】 3月30日

 私の髪を撫でる潮風はどこか心地良い。

 いま私が立つ村の入口の広場からは、穏やかな紺碧色のアゼリア海と透き通るような水色の空を分け隔てる水平線が望める。

 そこから少しばかり目を落とすと、急な斜面の海岸沿いに築かれたレンガ造りの建物の集まる私の故郷リフージョの村。村の規模から考えると立派な石造りの桟橋の港には数隻の小さな船が停泊している。

 

 まだ本当に小さかった時から慣れ親しんだ、この潮風の匂いも、村周辺の海岸の斜面のレモン畑の匂いも、きょうで当分の間はお別れ。

 少なくともこれから二年間は帝都近郊の都市トリスタに所在するトールズ士官学院で過ごすこととなる。その間、長期休暇は殆ど無いのでここリフージョへと帰省する事は出来ないだろう。

 

 村で一際目に付くのは周りのどの建物より大きい礼拝堂、その前を横切る村一番の通り沿いの赤色の屋根の自らの実家をその目で捉えて、すぐ隣の少し色褪せた橙色の屋根に目を移す――村唯一の総合商店というキャッチセールスが自慢の雑貨屋《ボースン総合商店》。

 彼があの家を去ってからもう三年以上も経つというのに。

 私は単純だ。明日、自分が入学する帝都近郊の士官学院の事なんかよりも、この後私を最寄りの都市であるパルム市まで送り届けてくれる彼の事が気になってしょうがないのだから。

 

「車の中で待ってろつったのに」

 

 村へと続く急な階段道を登って来たのはこの地方――帝国南部サザーラント州の領邦軍の制服を着た青年。

 領邦軍のシンボルとも言えるヘルメットはどうせ車の中に置いているのだろう、少し癖のある金色の髪が露わになっている。

 私が景色が見ていたかったのを理由に反論すると、彼は笑いながら私の頭に手をやった。

 

「そうかそうか。そんじゃあ、パルムまでひとっ走りいくぞ」

 

 四輪駆動の軍用導力車の後部座席の扉を開け、私に乗り込むように促すフレールお兄ちゃん。

 

「あ、こんにちは」

「やあ」

 

 運転席から気さくな挨拶を返してくれたのは、よく幼馴染と共にこの村へパトロールに来ている馴染みの兵士パルトさんだった。

 年齢はフレールお兄ちゃんと同じぐらいで、背は高く体躯も良い。そして、彼との最大の違いはその落ち着き様だ。

 昔からちゃらんぽらんな雰囲気の漂うこの幼馴染の兄貴分と違い、この相方はしっかり者だ。各月のパトロールでこの村へ来た時も、うちのお店に忍び込んで後ろから気付かない私に悪戯する不躾な彼の横で、ちゃんと一礼してから店の中へと入ってくるような人。

 

「よし、出すぞ」

 

 導力エンジンが掛かり、車が振動とともに村の門を潜り街道へと進む。

 段々と小さくなる村の門を私は座席に上がって、後ろの窓からその白くて小さな門が見えなくなるまで見届ける。

 

「そういや、昨日は結構な盛り上がりだったんだってな?」

「うん‥酒場から人が溢れるぐらい。うちの店も在庫の半分が無くなった」

 

 漁師や農家が多い村では朝に盛大に見送る事は出来ない為、昨晩村の酒場で私の送別会が行われた。

 村の人々の殆どが集まり、私に別れの挨拶と激励をしてくれた。もっともこれは慣習的なもので――村から離れる若者を送り出す前の晩は必ず催される。勿論、三年ほど前に村を去ったフレールお兄ちゃんの時も当然私の時と同じ送別会が行われた。

 

「お前はみんなに愛されてんな。俺の時なんて、それ程って感じだったぜ? 問題児が一人いなくなって清々する位の勢いだったもんなぁ」

「そんなことないよ。みんなお兄ちゃんがいなくなって寂しいって思ってるよ」

「だってワンワン泣きついて来てくれたのお前ぐらいだったし」

「ちょっと! もう昔の話でしょ!」

 

 あの時は心が張り裂けそうになるぐらい辛かった思い出が不意に呼び起こされる。

 彼が村から居なくなるなんて想像もしなかったことであり――あの頃はそういう意味でも子供だったと思う。

 私はこの世の終わりのように彼の胸の中で泣きじゃくり、彼は私が泣き止む迄頭を撫でてくれていた。今冷静に思い返しても、頬に微熱が帯びてくるぐらい本当に恥ずかしい。

 

 しかし、最近はこの距離の近さが一番の敵なのではないかと思う。

 

 

 ・・・

 

 

 あまりしっかり舗装されていない道は時折砂利道となる。

 そして、更に残念な事に明け方までには止んだ様だが、未明には結構な強さの雨が降っていた様で、砂利道は泥濘んで道の状態は殊更悪い。

 

「揺れるね……」

「昨日は結構降ってたみたいだしなぁ。これでも結構早く出てきてやったんだぜ?」

「起こしたのは俺だがな」

 

 すぐさま運転席のパルトさんからツッコまれるフレールお兄ちゃん。この二人は相変わらず凸凹コンビな相棒だ。

 

「ふふ、ありがとうございます。パルトさん」

 

 パルトは運転しながらも、バックミラー越しに小さく会釈を返してくれる。

 

「おうおう、なんつったって愛しの妹分を士官学校の入学式へ連れてくお手伝いだかんなー」

「い、愛しのって……」

「おーう、照れてる照れてる」

「……ばか」

 

 ミラー越しにニヤニヤと笑ってくる彼の言葉に反応して、カッと顔が熱くなるのを感じる。

 冗談だと分かってはいても、愛しのなんて突然想い人に言われて平然でいられる子などいるのだろうか。

 もっともその直後に”妹分”と付けられ、心は急に冷めてゆく。結局は彼にとって私は”妹分”止まりなのだと。

 

 その内、馬車が使われていた時代の休憩所と思われる急に開けた広場に車が出ると、丁度右手前方に木の柵に塞がれた道があるのが目に入った。

 少し気になったので、私は後部座席から立ち上がって、丁度頭が助手席のシートの上に乗り出すようにしてフロントガラスからその光景を見る。

 その道は周りに不釣合いな高さの鉄柵で通行止めがなされているが、見た感じは長い間使われていない様なそんな印象を受けた。

 

「ねえ、フレールお兄ちゃん。あの道は……?」

「ありゃ、昔のハーメル村に続く道だよ。十年以上前に土石流で流されちまった村。お前はまだちっちゃかったから覚えてねえかなあ?」

 

 ハーメル村……そういえばそんな事も聞いたことはあるかも知れないが、馴染みの無い名前である事は確かだった。

 住んでた人は全滅するし、その後は急に戦争はおきるし、結構あの後大変だったんだぜ、と続けるフレールお兄ちゃんの言葉から《百日戦役》の頃の話だろうと推測がついた。

 そう言えば私は全然覚えていないけど、お母さんが病気で亡くなったのもその頃だったっけ。

 後部座席から立っていた私は、その通行止めされた道への分岐路が見えなくなった所で、再び席に着いた。

 

「おい」

「うん?」

 

 助手席の彼がこちらに顔を覗かせる。

 

「慣れない制服でスカート短いんだから大股開くなよ。丸見えだぞ」

「ばっ……! 見たの!?」

 

 とんでも無い事を指摘され、慌てて両脚を閉じる。

 気をつけなくてはならない。士官学院の制服は何故かスカートが短い。

 

「んな、何を今更……ガキん時からお前のパンツどころか……」

「ばっか! 最低っ!」

 

 これだから幼馴染は……デリカシーといったものがありゃしない。

 彼の方が五歳も年上なだけに、私の赤っ恥な昔話は一つ二つどころではない位彼は知っているはずだ。そんなネタが飛び出す度に、いつまで経ってもちゃんと女の子として見てくれていないんじゃないか――そんな疑惑すら沸いてくる。

 そして案の定、『三年前と大して変わってない』等というとんでも無い感想を口にした彼を、私は助手席のシートを後ろから何度も蹴りつけるのであった。

 

 

 ・・・

 

 

 周りの風景が森林から開けた畑へ移り変わり、石畳に舗装された道になったのか車の揺れが落ち着く。先程までの山道には無かった両端に等間隔で置かれた導力灯が、この道が領主様に整備されている街道である事を物語っていた。

 そして、遠くには幾つもの高い煙突が目立つ街――紡績業で有名な帝国南部の地方都市、パルム市だ。

 あの街が見えるということは、三時間という時間の大半が既に過ぎてしまった事を意味している。もう、彼といれるのも長くはない。

 

「そういえばお前、士官学校卒業したらどうするんだよ?」

「えーっと……まだ、ちょっと分からないかな……」

「ならさ、お前、領邦軍に来いよ。領邦軍は良いぜ、適当にやってても別に問題ねーし。国境警備とかは正規軍のお仕事だから危なくも無い。ついでに飯は美味いし給料も良い、なんつったってパトロールと称してドライブに行けちゃったりするんだぜ?」

 

 軍務が厳しいという正規軍と比べて、領邦軍は待遇面はほぼ全てにおいて恵まれていると言っても過言ではない。

 何故ならば領邦軍は各州を統治する《四大名門》の各家の紋章を背負っているのだ。面子を重視する貴族様の社会においては、自らの家が養う兵隊が正規軍より貧相なのは論外なのである。

 しかし、事実上の私兵である為に軍隊としてはあまり合理的な運用がされているとは言い難く、軍規も緩いので彼の様な地方部のいい加減な兵士はパトロールついでに村で半日遊び呆けるなどざらである。

 

「あ、あはは……」

 

 それにしても、フレールお兄ちゃんが言うと冗談になっておらず、村にいた時からノリが全く変わらない幼馴染に乾いた笑いしか出ない。

 そんな彼にツッコミを入れたのは運転していたパルトさんであった。

 

「フレール、お前、そんなにエレナちゃんの部下になりたいのか?」

「あん?」

「士官学校を卒業したら、少尉任官だろうに。俺達兵隊とは別の世界の士官様だよ」

「……あー、確かになぁ。そうかそうか、エレナが少尉殿かあ……く、くふふ……」

 

 失礼にも腹を抱えて笑うフレールお兄ちゃん。

 そんなに私が軍人の士官になるのが似合わないだろうか……いや、まあ自分でも似合うと自信を持って言えないのも事実なのだけど。

 

「もう、何笑ってるの!」

「いやあ、どうも想像できなくてな。だって、少尉殿ってこたあ領邦軍じゃ小隊長だもんなー。あのヒゲオヤジと同じなのかよ、おいおい。すげーな士官学校」

 

 帝国には正規軍、領邦軍問わず軍人は多いが、その軍組織の中で幹部となりえる道に進める士官は士官学校を卒業したエリートのみだ。一兵卒から士官になるには長い時間と高い能力が求められる狭き門であり、士官となったとしても一定の階級までしか昇進することは出来ない。

 士官学校を出ているか否かによって、将来的に進む世界は全く違うものとなるのだ。

 

「もう!」

「もうもう言ってると牛になるぜー」

「太んないし!」

 

 彼は私を遠慮無しにからかうってくる。

 しかし、私はこんなやり取りは嫌いではない。やっぱり幼い頃から変わらないやり取りは心地良いから。

 

「でも多分、私、正規軍に進むと思う」

 

 領邦軍が嫌なわけではない。故郷の村の人にとっては、どちらかと言えば領邦軍に進んだ方が喜ばれるだろう。州の安全を守る領邦軍に二人も輩出したりしたら、村の今後は安泰である。

 しかし、なんとなくとしか言えないものの、私は卒業後の進路は正規軍へと進むと決めていた。

 

「……そうだな、親父さんの後、継いでやんないといけないもんな」

 

 何も語らない沈黙の後に口を開いた彼は、いつになく真剣な表情をしていた。こういう時、昔から彼はいつも何かを考えている。

 昔の私には彼が何を考えているのか、全く分からなかった。残念なことに今も相変わらず、分からない。

 

「そんなんじゃないんだけど……だから、ごめんね?」

「おいおい、なんか俺、お前にフラれた可哀想な男になってねーか?」

「ええ、フってなんかないよ!?」

 

 陽気な声でおちゃらける彼に私は慌てて否定する。

 振るなんてとんでも無い。私は今すぐにでも……とずっと思っているのに。

 そんな私に彼は、おうおう、と返しながら笑う。

 

「頑張れよ。お前なら、楽勝だ」

「でも……ありがとう、フレールお兄ちゃん」

「……おう」

 

 助手席から振り向いたフレールお兄ちゃんの表情には彼の思いが全てが詰まっている様で、何故か彼が私の背中を後押ししてくれている様で、私は気づけば感謝の言葉を口にしていた。

 

「市内に入るぞ」

「だとよ、すぐに駅前広場だ。降りる準備しな」

 

 パルムの市内に入った事を知らせる真面目そうなパルトさんの声。それに続いた陽気なフレールお兄ちゃんの声が、もうそろそろ別れの時間が近づいてることを私に知らせる。

 既に周りの景色は街中そのものであり――私はもう間もなくこの心地良い時間が終わることを再確認するのであった。

 

 数分後、車はパルム駅の駅前広場に止まっていた。

 車から出た私は荷物の入るボストンバックを地面へと置いて、別れを惜しむように助手席のフレールお兄ちゃんの前にいた。

 

「達者でな、エレナ」

 

 そんなにあっさりと軽く別れを告げないで欲しい。もっと私との別れを惜しんで欲しい。

 彼が村を出るまでは毎日、領邦軍に入ってからも一か月に数回は会えた。だけど、これからは二年の空白が開くというのに。

 

「あのさ……」

「おう、どうしたよ?」

「……フレールお兄ちゃん……その、ね……私……」

 

 ここで言うしか無い――私の心の中の強い部分がそう押す。ここで言わなければ二年間はもう直接会うことは叶わないのだ。

 俯き気味だった私は覚悟を決めるように顔を上げて目の前の彼と視線を合わす。

 

「……ごめん……やっぱり、なんでもない」

 

 その言葉が私の口から出た時、悔しかった。

 永遠にも感じた時間の後、私は言いたかった言葉を紡ぐ事は出来ずに逃げることを選択していた。結局、私は勇気を振り絞ることが出来なかった。

 目頭に熱いものが集まるのを感じながらも、ここで泣くのだけは全力で避けたかった。ここで涙を流せば、大好きな彼にとってのこれから二年間、最後に会った私は泣き顔になってしまう。

 

「……ははっ。そっか……」

 

 彼の表情は柔らかく優しく、そしてどこと無く納得し、安堵しているようにも思えた。

 そして、『ほれよっ』という掛け声と共に、笑いながら導力車のダッシュボードの中から取り出した何かの瓶を私の方へ優しく渡した。

 

「うわわっ、なにこれ?」

 

 突然渡されたひんやりとしたガラス瓶に驚いて落としそうになりながらも、両手でしっかりと掴む。

 

「村のレモンシロップ、ウチからくすねて来た。帝都に行ってもお前が美味しいリモナータを飲めるようにな。好きだろ?」

「う、うん……って、くすねてきたって! おばさん怒るよ!?」

 

 そんな私の非難を意に介することなく、導力車のダッシュボードの中に隠してあったのだろうか、私の手の中にあるレモンシロップのガラス瓶と同じものを一本取り出してきた。

 彼はその瓶を私の手の中にある物の縁へとぶつけ、辺りに少しばかり景気の良い音が鳴り響く。

 

「未来の帝国正規軍アゼリアーノ少尉殿の船出に、乾杯っ。……それじゃーな、暇になったらまた手紙でも出せよ」

「……わかった。そっちも元気でね?」

 

 おう――と目を合わすことなくフレールお兄ちゃんは応えると、それに合わせて車が動き出す。

 小さくなってゆく車の助手席から、彼の腕だけが振られていたのを私はその車が視界から消えるまで眺めていた。

 

 なんで私達は幼馴染だったのだろう。こんなに近くなければ、私は今までにもっと素直に、ちゃんとはっきりと言葉に出来たのではないか。

 十年以上という時間は確かに重く、数多くの大切な思い出が錘になっているのかも知れない。それでも、結局何かと理由を付けて逃げている自分の不甲斐無さが悔しく――涙が頬に伝うのを感じた。

 

 

 ・・・

 

 

 パルム市は紡績産業が盛んな都市であると共に、帝国の南部国境に最も近い玄関口としての性格も帯びている。

 帝国では鉄道が輸送の主役である為に、大都市以外ではあまり整備が進んでいない飛行船発着場もここパルム市には存在し、主に南の隣国であるリベール方面への国際定期便が発着している。

 その為、人の流れは少なくなく、駅から発着場までを結ぶ大通りは常に人が行き来している活気に溢れる商店街となっているのだ。

 

 近郊都市トリスタ迄の長距離切符を買った私は、街の大通りを駅舎の中から窓を通して眺めていた。

 パルム市に来るのは去年の冬以来だ。昔はこの都市という空気がとても華やかに思えて、訪れた時には心を踊らせてはしゃぎ回った思い出がある。

 そう言えばあの時も隣にはフレールお兄ちゃんがいた。二人であの商店街の中にあるお店でピザを食べたっけ――。

 

 パルムの駅は南部の玄関口であるのと同時に、市の紡績産業の産出物である糸を北へ出荷する為の貨物専用の建物も併設されている為、その規模は地方の駅とは一線を画する大きさだ。

 石造りの駅舎も大きく、この小洒落た待合室は三十人以上の大人が一度に座れる程広く、待合室の中央には誰を象った物かは想像がつかないものの古びても立派な彫刻像が置かれている。

 

 その彫刻の前に一人の男が立っていた。

 上から下まで白一色に統一され、多くの人が集まる駅には場違い気味な服装。まるで結婚式の様な――ただし、白のタキシードとは違って男はマントを羽織っており、服の所々には薄青色の装飾が施されている。

 あまりよく男の表情は見えないものの、どこか淡い郷愁を感じさせる雰囲気を漂わせていた。

 そんな目立つ男がその場を立去ろうとした時、彼の体の影から丁度彫刻の台座へ白い手紙の様な物が落ちた。それに気付いた私はとっさにその手紙を拾うと、気付かないで駅舎から立ち去ろうとする男の背中へ声をかける。

 

「あ、あの。落とし……落とされましたよ!」

 

 もしかしたら男は高貴な貴族様なのかも知れないと脳裏に過り、使い慣れない丁寧な言葉に直す。

 私よりも頭二つ程高い背の男がこちらを振り返る。黄色の瞳からの鋭い視線が私にぶつかった。

 男の歳は二十代後半から三十代前半ぐらい、端正な顔立ちで左右に分けた青色の髪は長く、完全に私が初めて会うタイプの人物であった。

 

「……ふむ、ありがとう、とここはお礼を言っておくべきかな」

 

 男は一瞬、差し出された手紙に驚いたような表情を浮かべた気もするが、これは私の気のせいかも知れない。

 落とした手紙を拾ってもらって、助かったと思わない人はいないだろうから。

 

「いえ……どういたしまして……です」

「フフ……どうやら、高等学校の学生の様だが……ふむ、まだ巣立ちをして間もない雛鳥というところか……別れに流した涙の跡を隠しきれていない」

「は、はい? え、ちゃんと拭いたんですけど……」

 

 目が腫れていただろうか。初対面の相手に全てを見透かされた様で、恥ずかしさで顔が熱くなる。

 

「色々な思い出に彩られた青春とは然も美しいもの――……おっと、失礼。私はブルブランと申す者。御嬢さん、お名前を伺ってもよろしいかな?」

「は、はい……エレナ、エレナ・アゼリアーノ、です」

 

 自らの名前を口に出してしまってから、『変な男には名前を聞かれても教えてはいけない』とお祖母ちゃんに言われていた事を思い出す。

 まあ……この人は変は変でも何というか、危害を加えてくる感じの人ではない様な気がするので大丈夫だとは思うが……。

 

「えっと、どう……なさいました、か?」

 

 訝しげに私の顔を凝視する目の前の男に私は不安になる。

 

「……私の勘違いであれば申し訳無いが……君はリフージョという村の出身ではないかね?」

「えっと、そうですけど……」

「そうか――」

 

 男は何も言わずに、含みのある微笑を浮かべる。

 こんな良く言えば独特な、悪く言えば変な人は村の住民では無いことは明らかだ。十年以上住んでいて一回も目にした事はない。

 

「――そろそろ時間のようだ。それでは君の良い旅をお祈りしておこう」

 

 男がそう告げた直後、汽笛と騒がしい音と共に白い列車が駅構内へと入って来た。けたたましい汽笛の音に気を取られ、列車へと思わず目を移してしまう。

 次に男が今までいた場所には――誰もいなかった。あたりを見渡しても、あれだけ目立っていた全身白一色の男は忽然と消えており、待合室からホームへと足を運ぶ人々の姿ばかり。

 まるで今まで話していた男が幻だったと言われれば、信じてしまいそうになるぐらい不思議な人だった。

 私は首を傾げながらも、周りの人々の流れと同じ様に列車の到着したホームへと足を進める。

 まだ今日は始まったばかり、そして明日からはトールズ士官学院という今までとは全く別の世界で生きてゆく事になるのだ。

 

 

 ・・・

 

 

 パルムの駅舎の上にその男は悠然と立っていた。

 地方都市故に高い建物が紡績工場の煙突位しか存在しない市内とその周りに広がる一面の綿花畑を一望しながら、男は独白を零す。

 

「既に捨て去ったこの地に郷愁にかられたのを似つかわしくないとも我ながら思ったが……」

 

 先程、少女から渡された白い封筒の裏、”怪盗B”と記された文字を眺めながら呟く。

 

「……なんと因果なものか。まるで運命の導きの様ではないか――我が古き、そして懐かしき友よ」

 

 

 ・・・

 

 

 午前中のパトロールがてら、彼の実家のあるリフージョの村から故郷の妹分をパルム駅まで送るという仕事を終えたフレールとパルト。

 駅前広場でエレナと別れた後も、普段とは違ってフレールとハンドルを握る相棒のパルトとの間には会話が弾む事は無かった。

 

 パルム市内の領邦軍詰所のゲートで対面の装甲車の出庫の為に同僚の兵士たちに一時停止を求められた時、隣のパルトが胸ポケットから煙草の箱を取り出してフレールへ一本勧める。

 それぞれ煙草へと火をつけ、呼吸と共に白色の煙が車内でうねる。

 暫くフレールがゆっくりと灰へと変わる口に咥えた煙草を眺めていると、やっと隣のパルトが口を開いた。

 

「話さなくて良かったのか?」

「あん? 何がだ」

「決まりそうなんだろ、あそこの商会の娘さんと。……あの娘、どう見てもお前の事を……」

 

 意味がわかっていてわざわざ聞いてくるフレールを、少し非難するような声色だった。

 

「いいんだ。所詮ど田舎の雑貨屋なんざ、このご時勢大きな所に擦り寄らないとお先真っ暗。地元の酒屋の娘じゃどうにもなんねぇ」

 

 色々な思いが混ざる表情を浮かべながらもフレールは表面上の理由を貫き、短くなった煙草を車の小さな灰皿へと押し付けた。

 

「……大人なるってのは嫌なものだな。素直じゃなくて」

 

 そう呟いたパルトの視線の先には、灰皿の中で火種潰された煙草の吸殻があった。

 




こんばんは、rairaです。
さて今回は序章開始の前日、エレナが故郷を発った3月30日の回想回となります。
殆どがオリキャラ同士の出来事になるので、少し軌跡っぽくなく無ってしまっているのが私としては少し残念な所です。
ですがエレナというキャラクターを語るためには、フレールへの想いという成分は外すことが出来ませんので、この話を用意させて頂きました。

そして特別ゲストとして帝国南部出身(と思われるエピソードの有る)の彼に登場して頂きました。
もっともエレナ自身は等身大の普通の女の子というのがコンセプトである為、《結社》や《執行者》と関わりがあるという事ではありません。
次回は5月23日の自由行動日となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

本年も後僅かとなりましたね。皆様、良いお年をお過ごし下さい。
また来年もどうぞ宜しくお願い致します。


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5月23日 日曜日の書店にて

 5月23日 朝8時半

 

 もう既に初夏といった所か――まだまだ肌寒い朝も多かった4月はライノの花が散るとともに過ぎ去り、新緑の季節となった。

 私は長箒を片手に、まだ開店前のブックストア《ケインズ書房》の店内からガラス窓を通して外を眺める。

 

 開店時間は10時だが、仕事の時間は開店時間よりずっと早く、勤務は8時からであった。

 実家である酒屋の朝も早かったが本屋の朝も中々に早い。もっとも商売を営んでいる所は大体早いだろうと思うが。

 

 書店でのお仕事については、ある程度の説明を店主のケインズさんから受けた。

 基本的な仕事の流れや店内の本棚の分類別の場所、陳列の直し方……意外と覚えることが多くて少し不安を感じるものの、何とかやっていくしか無い。

 トリスタは士官学院を擁す学園都市でもある為、やはり扱う書籍も参考書や学問系のものは多い。同じ様な内容であっても出版社が違ったりと……こうして見るだけで店の本棚の半分を学生向け書籍で占めていた。

 それ以外にも、ティーンエージャーが好みそうな小説や雑誌などを見ると、このお店の重視する主要客層が読み取れる。

 

 丁度、開店前の履き掃除を一通り終わらせた頃、まだ鍵を掛けっぱなしのお店のドアをノックされる音がした。

 磨りガラスのドアには小さな人影――どうやら、子供のようだ。

 私はドアを開けた先にいたのは確か士官学院の受付職員の弟さんだったルーディであり、その子にまだ開店前の旨を伝えると何とも困った顔をされることとなる。

 

「えっと、本を買いに来たわけじゃなくて……」

 

「それじゃあ、父ちゃんいってくるぜ!」、お店の奥――つまりケインズ家から元気な子供の声がした。

 ドタドタと騒がしくドアの閉まる音と階段を降りてくる音がした後に、再びその声の主は元気良く声を上げる。

 

「おう! ルーディ! って、あれ? あんた新しいバイト?」

 

 ケインズさんの一人息子のカイ。年の近いブランドン商店の娘のティゼルには、トリスタで最も名高い悪ガキ――とは言われているものの、私としてはこの年頃の男の子なんてこんなもんだと思っている。

 一つだけ言えることはカイなんて目じゃない程、昔のフレールお兄ちゃんはやんちゃしてた。これは帝都近郊の都会っ子と辺境の田舎っ子の差だろうか。

 

「えっと、エレナっていうの。よろしくね?」

「俺、カイつーんだ。よろしくな。ふーん……」

 

 少し中腰になってカイに自己紹介をすると、少年の視線は暫くの間何かを確認するかの様に私の顔に固定されていた。

 

「まぁ、そこそこかわいいじゃん」

「…………は、か、かわいい? え、ちょ、ちょっと!」

 

 カイの言葉に不覚にも私は固まってしまい、そして急に恥ずかしくなる。

 相手は自分より5歳以上年下の子供ではないか。いくらトリスタに来て初めて異性に容姿を褒められて不覚にも嬉しかったとしても、相手は日曜学校の少年というのはどうなのだろうか。

 そして、子供の言葉に本気で反応してしまい年上の余裕を無くして上手に返せなかった、もとい上手くあしらえなかった自分が一番恥ずかったのは言うまでも無い。

 

 未だ恥ずかしさが抜けない私を横目にカイとルーディはそのまま何処かへ出かけに行ってしまい、店の前に平穏が戻ると丁度店内で今までのやり取りを聞いていたケインズさんが少し申し訳なさそうにしていた。

 

「すまないね。ウチのカイが……私の躾がなってなくて」

「あ、あはは……男の子はみんなあんな感じだと思いますけど……」

 

 私はとりあえずのフォローを入れるもののの、あの位で顔を赤くした女が何を言った所で説得力の欠片も無い様な気がする。

 

 

 ・・・

 

 

 日曜日は書籍の入荷はお休みであり、本屋は一番暇かも知れない日だろうとケインズさんは語っていた。

 自由行動日は基本的に部活動や帝都に出かけていたりする生徒も多く、午前中の時間はこの日も来客数は少ない。

 

 カランカラン――ドアのウェルカムベルの心地よい音と共に、見知った顔の生徒が入ってきた。

 

「あれ、エマじゃん?」

 

 少し意外だった。エマならばこの時間は士官学院の図書館で勉強しているのではないかと思っていた。

 

「ふふ、おはよございます。エレナさんは今日はアルバイトですか?」

「エマはまた参考書探しー?」

 

 ふふ、そんなところです、と微笑を浮かべて本棚の方へ向かうエマ。

 まあ彼女が本屋に来る理由といったら参考書探しと見てまず間違い無い、という私の推測も当たっていたようだ。

 それにしても彼女は勉強一筋過ぎないだろうか。そう言えば、私は彼女の趣味などあまり知らないような気がする。

 

「そういえば今日はケインズさんはいらっしゃらないんですか?」

「いまは裏の方にいるよー」

 

 ケインズさんがわざわざ暇な日曜日に私を雇ったのは、奥の仕事をしたかった為だったようだ。

 

「そうですか……フィーちゃんの役に立ちそうな中等数学の参考書を探してるのですけど……棚には高等教育前提のものばかりで……」

「中等数学かぁ。このお店、士官学院生向けの品揃えになってると思うから……」

 

 エマが参考書の棚に目を向けながら、困った顔をする。

 確かにパッと見た感じでも本棚には高等数学レベルの本が集まってる様な気がする。何故なら本のタイトルを見ても私にはチンプンカンプンであるのだから。

 流石に中等数学の参考書を置いていないという可能性は無いとは思うが、私ではエマの参考書探しの手伝いは出来る自信は無いので、すぐに諦めてケインズさんへと聞きに行くことにした。

 

 

 ・・・

 

 

「あっ、あの本結構いいかもしれない」

「えっと、これですか?」

 

 ケインズさんに日曜学校で使いそうなの参考書の場所を聞いてから戻ると、店内の人影は一つから二つへと増えていた。

 

「あっ、エーマーっ。上の方にあるかも――」

「あっと、すまない、委員長」

「い、いえ、こちらこそ…………」

「――って、リィン? それに二人共、顔赤くしてどうしたの?」

 

 先程まで、ほんのりと頬を赤く染めたリィンとエマがお互いに見つめ合っていた様な気がする。

 

「あ、ああ、おはよう、エレナ」

「あはは……えっと、丁度いらしてたリィンさんに手伝ってもらっちゃいました」

 

 なんとなくバツの悪そうな顔をした二人がこちらを向いている。

 あやしい。もしかしたら私、邪魔だったのだろうか。いやでも……。

 

(この二人かぁ……)

 リィンとエマの二人を吟味するようにじっくり見ていると、私が何を考えているのかを察したエマが考えを断ち切るように見つけた本の会計を求めていきた。

 彼女はその日曜学校向けの中等数学の参考書の会計を済ますとそのままフィーに渡す為に店を出て、店内はリィン一人となる。

 

「で、リィンはどうしたの? 応援は嬉しいけど、冷やかしはやだよ」

「はは、そんなつもりじゃないんだが……」

「あ……そうだ。昨日発売の帝国時報はもう買った?」

 

 そういえばリィンは帝国時報をちゃんと毎回購読していたと先月の自由行動日に言っていた。

 私からすればあんな小難しい大人の向けのニュース雑誌を毎回読むことなんで考えられないのだが――そういえば、お祖母ちゃんにも社会時事ぐらいしっかり調べときなさいって言われてたっけなぁ。

 

「ああ、それもあるんだけど……」

 

 リィンによるとこの《ケインズ書房》から生徒会に依頼が出ているというのだ。

 そんな話を聞いていない私は、再び店の裏へと走る。正直、ケインズさんに聞きに行きすぎなんじゃないか、私は。なんか一人で仕事をこなせていない様で情けない。

 

 店のカウンターに顔を出したケインズさんの話では――学院から受けた教官用の書籍の注文の注文書を紛失してしまい、誰がどの本を注文したかが分からないのだという。

 学院の生徒なら教官にも詳しく、本から注文者である教官を特定出来るだろうという思惑で生徒会へ依頼を出したのだという。

 

「あれ……じゃあ私で良かったじゃないですか?」

「いやあ……本って結構重いから女の子一人だと可哀想かなと思って……それに、生徒会への依頼も必ず受けてくれる訳でも無い様だし」

「な、なるほど……でも、ケインズさん。私そんな軟じゃないですよ? ワインとかダース箱で持てますし」

 

 長袖なので腕こそ見えないが、力こぶを作る仕草をしてアピールすると、ケインズさんは相槌を打って『今日の働きっぷりで充分よくわかってるよ』と笑って答えてくれた。

 まあ、でも確かに普通の女の子に本屋は少しキツイかも知れない。もっとも、陽気に出来上がった方々の相手を稀にこなさなくてはならない酒屋な方が厳しいと私は断言出来るのだが。

 

「でも、もう一人のバイトの子のベッキーさんと違ってエレナさんは第一印象が何というか、線が細くて大人しめだったからなぁ」

「お、大人しめ……線が細い……」

 

 リィンが少し不思議そうな顔で私に目を遣る。なんですか、その含みのある顔は。

 そりゃあ、あの元気ハツラツ売り子娘のベッキーと比べられたら、誰でも大人しめのレッテルを貼られるに決まっている。

 なんていっても大きな市場を擁する交易町で食品卸をしている家の娘さんなのだから。

 そして……線が細い……か、色んな意味で複雑だ。

 

「でもまぁ、こうやって生徒会からの人も来てくれたし……君も二人なら早く終わりそうだろう?」

「はは、では承ります」

 

 つまり、私の仕事をリィンが手伝う事になるというわけか。いや、生徒会に出された依頼なので私がリィンを手伝う事になるのか。

 そんな感じで私は昼前の時間にリィンのお手伝いとして教官の注文した書籍の配達のお仕事をする事となる。

 

 

 ・・・

 

 

「はぁー……疲れたぁ……」

 

 最後の配達先から外に出た所で私は盛大にため息を付いた。

 まさかの最後は士官学院ではなく第三学生寮のサラ教官。学院にいない教官の存在をすっかり失念していた私達二人は、士官学院の教官全員に『嗚呼、帝国旅情』という大人向け旅行雑誌を手に聞きまわる羽目になったのだ。

 リィンの閃きによってサラ教官と結びついたので何とか助かったものの、《ケインズ書房》を出てから結構な時間が経っていた。

 

「意外と本って重いからな」

「だねぇー」

 

 とは言っても二人で回った為に、リィンは三冊で私に至っては二冊しか持っていなかったのだが。

 第三学生寮から《ケインズ書房》までの道のりはすぐで、私はこの後も依頼の残るであろう彼へお店の前で別れを告げる。

 しかし、リィンは買いたい本があるとのことで今もお店の中にいて、数冊手元に持ってまだお目当ての本を探している。帝国時報を毎回読むぐらいでもあるので、やっぱりリィンも読書家なのだろうか。

 私といえばケインズさんから再び店内のお仕事を頼まれたものの、今日一日の主な仕事の流れは掃除以外は殆ど終わってしまっており、カウンターに頬杖を付いて暢気に時計を眺めていた。

 そろそろ正午――空腹と共に睡魔も忍び寄ってきており、大きなあくびをしながらお昼休憩はキルシェで食べようかなど考えていると、気付かない内にいつの間にかリィンの顔が目の前にあった。

 

「エレナ?」

「うわぁっ!」

 

(近い、近い、近い!)

 あまりに近かったリィンの顔に驚いて思わず声を上げてしまう。

 

「驚かせてしまってすまない……お会計お願いしても、反応が返ってこなかったから……」

「わ、私こそごめん! ぼーっとしてた!」

 

 お互いに何故か謝り合い、私はこの恥ずかしさを掻き消すためにリィンがカウンターへと置いた本の会計をすぐさま始める。

 

「帝国時報に俺の料理・サンド……何これすごい埃かぶってる……古式弓術指南……? で、これは……ぽかぽか昼寝日和? うーん……私はどこにツッコめばいいのか分からなくなってきたよ?」

 

 帝国時報は買うだろうと思っていたし、自炊の参考にするという意味ならば料理本はまだわかる。

 しかし、その後の二冊に関しては正直リィンのイメージとはかけ離れたものだった。大体リィンの武器は剣だったではないか、そして私やフィーならともかく昼寝から縁遠そうなリィンが昼寝の本を買うとは心底不思議すぎる。

 まさかリィンに限って私へのウケ狙いという訳でも無いだろう。

 

「はは……」

「とりあえず、リィンって料理に興味あったんだね? 少し意外かも」

 

 貴族の若様である身分から――『皇室に縁が有るとはいえ一介の辺境の男爵家の為、父も母もそんな貴族然とはしていない』とはリィンの弁だが、少なくとも庶民と同じということは無いだろう。

 その為、あまり自炊という発想が生まれるとは思っていなかったのだ。例によってⅦ組の貴族であるユーシスやラウラが寮の調理場で自炊している所は見たことが無い。ラウラは料理が苦手と自分で言っていたような気もする。

 まあそれ以上に、あまり男の子が料理をするイメージが私には湧かないというのもあるのだが。

 

「で……この二冊は……趣味? ……ネタ?」

「えっと……出来ればⅦ組の皆との間の話のタネにならないかと思ったんだ。今日買った二冊はアリサやフィーとの話で使えると思って」

 

 なるほど、弓術の本はアリサ、お昼寝の本はフィーという訳だ。なんとも分かりやすいチョイスだ。

 寮生活で朝も昼も夜も毎日一緒にいるので、話の話題の引き出しは多ければ多い方が良いとは思う。

 

「へー。リィン、几帳面というか……なんか女の子みたいなことするね」

 

 女の子みたいな事、と言った訳としては恥ずかしながら自らの経験談である。

 私も昔は想い人との話が弾めばという思いから、あまり興味のない導力車や飛行船の話をよく本で読んだものだ。

 

「あれ……二冊とも女の子相手?」

「い、いや、他意は無いぞ?」

 

 なんでだろうか、好き嫌いは全く関係ないのだが、少し残念に思う。

 まあ、とりあえずアリサが入っていて良かった、と言うことにしておこう。話のタネとなりそうな本を探すということは、リィンもアリサと積極的に会話をしたいという事なのだから。

 

「たまたま今回はこの二冊って事で……それに、女子でもエレナとかラウラとはよく喋るんだけど……あんまりフィーとは話したことが無いような気がしてさ」

 

 なるほど、リィンにとって私は話のタネなど探さなくても既に良く喋る友達扱いだった訳か。

 私は教室での席がフィーの隣なので割りとよく話すが、確かにリィンとフィーが話している所はあまり見たことがないかも知れない。

 結構真面目だなぁ、と私は感心する。これで鈍くなければ、かなりいい人だと思うのだけど。

 

 計四点の800ミラの会計を済ませたリィンは、家庭教師の依頼を受けるために店を出てしまい、再び私は一人となる。

 もっともこれを待っていたと言うこともあり、台座を持ってきてハタキ片手に棚の最上段に入っている本の埃を落とし始めるのであった。

 

 

 ・・・

 

 お昼休憩をキルシェで潰すと、午後のお仕事が始まった。

 しかし、午後も午前と変わらずに暇であり、1時間に来店するお客さんは数人程度。

 本日の売上はやっと1万ミラを超えた所だ。書籍は酒類と同じで粗利率は低いので、利益は2000ミラ程度。これでバイトを雇っても大丈夫なのだろうか。

 《ケインズ書房》の経営が物凄く不安になる。

 

「いよう、おっさーん」

 

 ドアが開いた時に鳴るベルの音が、どこかで聞き覚えのある陽気な声にかき消される。

 

「えっと、いらっしゃいませ?」

「おっと、何時ぞやのお眠な後輩ちゃんじゃねーか。バイトかぁ?」

 

 平民生徒の緑色の制服を着た、銀髪で白のバンダナを付けた士官学院の生徒――間違いない、入学したての時にリィンと私に生徒会館の前で手品を見せた先輩だ。

 そしてあろうことかリィンから借りた50ミラコインをそのまま返さずに立ち去ったチャラい先輩。

 

「え、ええ、そんな所です。先輩。えっと、ケインズさんに御用ですか?」

「御用って程の用事じゃないんだけどよー。うーん、どうすっかぁなぁ」

 

 両手を頭にやる仕草をしながら迷っている様子のバンダナ先輩。

 

「えっと、お店の中のお仕事は一応、今は私が任されてるんですけど……」

「うーん……でもなぁ」

「だ、大丈夫ですよ! そんなに心配しなくても!」

 

 こんなに暇な時間を任されている筈なのに、先程のエマの参考書の件やリィンの依頼の件で何度もケインズさんの元へ聞きに行くことになってしまい、これ以上奥の仕事の邪魔をしに行くのは申し訳ないという気持ちからだろうか、気づけば私の口調は少し強めであった。

 

「まあ、そこまで言うなら、頼んじまうか……後で文句言うなよ?」

 

 目の前の先輩は小さな溜息を付いて、私に注文商品の客控えを渡してきた。

(”第二学生寮 二年有志の会”?)

 注文書のお客様氏名の欄には確かにそう書かれていた。有志の会とは一体何なのだろうかという疑問が浮かぶが、とりあえずは仕事を優先してカウンターの裏側にある注文商品置き場を見ると、今用意ができている品物の入った紙袋はかなり大きなサイズの物であった。

 それを手に取って、中々の重さを感じながらも紙袋をカウンターへと持ち上げる。これから、注文された商品の確認をしてもらわなければならない。

 ケインズさんが省略したのだろうか、注文書には何故か肝心の商品名の欄が全て空欄であり、大きく赤文字で1割引と書かれていた。それにしても重かったわけだ、注文書によると15冊もこの紙袋の中に入っている様だ。

 

「”第二学生寮 二年有志の会”様ですね……えっと……わっ!?」

 

 紙袋を横に倒して中身を取り出すと、出てきた本の表紙には――凄まじいスタイルの女の人の水着の写真であった。

 

「せ、先輩! なんですか、これ!?」

 

 想定外の物に私は思わず目の前の先輩に大声で食って掛かっていた。

 

「だから、いったろ?」

「文句言うな、って品物の重さかと思いましたよ! それなのに……これ、その……」

 

 目の前のバンダナ先輩は、しれっとさも当然とでも言うような態度だ。

 まじまじと見ると、金髪碧眼の胸の大きい女の人は物凄く媚びた表情をしており、着ている水着は肌の露出の多い過激なピンク色のもの。

 これは多分、俗に言うエロ本と言う奴だ。昔、フレールお兄ちゃんの部屋に数冊隠されいたのを偶然見つけた私から、彼が慌てて取り上げられたのを思い出した。こんな物を見ているとこっちが恥ずかしくなってくる。

 

「あー、結構キワドイショットのグラビア誌ではあるが――実際んとこ肝心な所は何も写ってない極めて健全な本だからな」

 

 つーか、帝国じゃ際どい奴は発禁になっちまってるからなぁ、と後に続ける。

 世の中には、これよりもその……凄い本があるのだというのか。信じたくないし、内容も考えたくもない。

 

「これで健全ってどう見てもおかしいと思います!」

「チッチッチッ、まだまだお子様だねぇ。後輩ちゃんは。クロスベルや共和国なんかいったら帝国じゃ発禁扱いになってる、ヤバいエロもそこら辺に溢れてるんだぜ?そりゃぁ、もう色気が――」

「も、もう、そんな力説しなくていいですから! お値段は15冊で7,200ミラの1割引きで6,480ミラですっ! 中身はご自分で確認して下さい!」

 

 生々しい事を言われ、危うくその”ヤバいエロ本”の中身を想像しそうになったのを、ギリギリの所で我に返り会計へと移る。

 なんかよく考えると今日は恥ずかしい事ばかり起きる気がする。

 

「後輩ちゃんには刺激が強すぎたかね、ほらよっ」

 

 ニヤニヤとお下劣な笑いを浮かべながら、先輩は何故が財布ではなく封筒から1000ミラ札を6枚と500ミラ札を1枚を出してきた。

 私はお釣りの20ミラを先輩の手に置きながら、この先輩と最初に出会った時の出来事を思い出した。

 

「……あっ……そういえば先輩、リィンに50ミラ返しました?」

「あー……大変残念な事にいま俺の財布、10ミラしか入ってねぇんだわ」

「そんな本は買えるのにですか?」

「バッカ、これは男にとっては生活必需品だから譲る訳にはいかないんだよ」

「……うわぁ……先輩、見損ないました」

 

 もう一言で言うと幻滅である。

 

「後輩ちゃんも言うねぇ、入学早々トワのお手伝いに志願しただけの事はあるなぁ」

「トワ……会長ですか?」

 

 先輩の口から意外な名前が出たことに私は驚いた。まさかこんなダメダメな先輩と、あの真面目で優しく人一倍頑張っていると言われている小さな生徒会長に何らかの接点が有るとでも言うのだろうか。

 

「先輩ってトワ会長のお知り合いなんですか?」

「知り合いっつーか、腐れ縁というかだな。オーブメントの調整してくれてる技術部のジョルジュいるだろ? トワとジョルジュと俺と後もう一人酷い女がいるんだが、1年の時から4人でよく絡んでてな」

 

 はっきり言って想像しがたいのだけども、嘘を言っている雰囲気でも無いのも事実だ。

 しかし、私は何故かとても信じたくなかった。

 

「先輩があんな真面目なトワ会長や優しいジョルジュ部長の友達なんて信じられません」

「おいおい、そりゃあないぜ。俺、学院じゃ結構有名人なんだぜ?」

「……ダメな先輩としてですか?」

「おうよっ!」

 

 右手で決めポーズをしながら、自信満々に肯定する目の前の先輩に私は呆れる。

 でも、少なくとも嫌いではなかった。なんというか、私としては非常に不本意なのだが、多分このオチャラケた感じが自分の想い人に似ているのだ。

 同列に扱いたくは無いのだが、正直フレールお兄ちゃんも実際の所は大して変わらなそうに思える。

 

「おっし、それじゃあ俺は飢えた奴らにこいつを届けにゃならないから失礼するぜ」

「あ……お、お買い上げ……ありがとうございました」

 

 私がバイトとして働いている以上、一応お客である先輩にはこれぐらいは言わなくてはならないだろう。

 商品はアレだが、売上は売上であり利益は利益。額としてみれば今日一日の売上高の実に三分の一を占める大口のお客様なのだ。

 ドアノブに丁度手をかけて開けた所で、バンダナ先輩はこちらを振り向いて口を開いた。

 

「おっと、そういえばいい忘れてたな。俺は2年Ⅴ組のクロウ・アームブラストだ。後輩ちゃんは?」

「……1年Ⅶ組の、エレナ・アゼリアーノです」

「エレナ後輩、か。それじゃあ、お先なー」

 

 最後の最後でやっと名前を明かしたクロウ・アームブラスト先輩。面白くて型破りな先輩だと思う。

 あんな本を15冊も買ってお金を使い果たすなんてどんだけ変態――あれ? さっき、”飢えた奴ら”とか言ってたっけ……?

 そういえば、注文書には”二年有志の会”って書いてあった。となると……まさか……私の推理が正しいとすると、名門士官学院の生徒であっても男の子なら当然そういう本に興味があって、二年生は皆で大口購入しているという事になる。

 そして、こんな本の大口購入で割引をするケインズさんも一枚噛んでいるのではないかと疑惑も浮かんでくる。

 

 やっぱり男の人って本当に……え、じゃあリィンとかマキアスも、やっぱりああいう本を持っているのだろうか?読んでいるのだろうか……? エリオット君は……流石にちょっと想像し難い……けども……。

 Ⅶ組のクラスメートで変な想像をして、私は激しく後悔する羽目となった。

 

 




こんばんは、rairaです。
遅くなりましたが皆様、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

さて今回は5月23日、第2章の自由行動日の前編となります。
エレナのバイト先はブックストア《ケインズ書房》となりました。本当は《キルシェ》でウェイトレスや《トリスタ放送》でミスティさんと絡ませることも考えたのですが…。
前者は既にウェイトレスとしてドリーがほぼ毎日いる事がネックとなり、後者はこの段階からミスティと絡ませるメリットがあまり無いと判断した為に《ケインズ書房》に決定しました。
それ以上に本屋でやりたいネタ、今回のリィンとエマの絆イベントやリィンの書籍購入、クロウのグラビア誌大口購入等の構想が前々からあったというのもあるのですが…。
次回は自由行動日の後編、夕方編となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。



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5月23日 疑惑の追跡

「それじゃあ、今日は助かったよ。これ一応お給料だよ」

 

 お店の窓から夕陽が差し込み始め、時計の短針が5を指した頃、裏から出てきたケインズさんに今日のお給料の封筒を渡された。

 

「うわぁ、ありがとうございますっ!」

 

 お給料の内訳は朝8時から夕方の5時までの勤務の内休憩1時間、時給500ミラなので実働8時間の一日4,000ミラといった所だ。

 1日4,000ミラといえばあまり大した事は無いかも知れないが、私は金額とは別にかなり舞い上がっており、ケインズさんもそれを不思議に思ったのか理由を訊ねられた。

 舞い上がってしまった理由は簡単。私の場合は実家で働くのは当たり前の事であったので、自分が働いてお金を貰うという事が初めての経験であったからなのだ。

 

「なるほどなぁ。ウチのカイなんてお駄賃出しても手伝いやしないのになぁ」

「あはは、でもあの年頃の時、私よく店番抜けだして怒られてましたよ」

「それでも毎日働いてたんだろう? カイといったら……ブランドンの所のティゼルちゃんを見習って欲しいなぁ」

 

 食品と雑貨を扱う《ブランドン商店》の店主の娘のティゼルちゃんは、物凄くしっかり者なのであの年にしては別格だ。

 それはもう、私なんかとは比べ物にならないぐらい。なんたって先月の特別実習の際、わざわざⅦ組の為に朝早く商店街が開店した時もしっかり早朝から率先して働いてたぐらいなのだから。

 あの子はきっと将来トールズクラスの名門学校に進むに違いない――そして、多分クラスを引っ張っていくタイプの子になるのだ。私にはそんな未来が見えた。

 

 そんな雑談をケインズさんと交わした後に、次の出勤日などの事務的な話となる。

 その話が一段落し、私が挨拶をしながらケインズ書房のドアに手をかけた所で後ろから呼び止められた。

 

「あー、もし公園にカイが居たら夕飯迄に帰ってくるように声をかけて貰えると助かるよ」

 

 うん、間違いない。やっぱりケインズさんは子煩悩だ。心の中で少し笑いながら、店主へ了解の旨を伝えてドアを外から閉める。

 ケインズ書房の外に出て、とりあえず商店街の中の広場を見渡す。

 案の定、ケインズさんの息子のカイは広場の外れの駅の前におり――何故かまるでライノの街路樹の影に隠れるような様子だ。

 

「ねえ、そんな所で何してるの?」

「うわぁ、驚かすなよなぁ。姉ちゃん。……何の用だよ?」

 

 驚いて声を上げたカイはすぐに何やら広場の反対側を窺い、小声で聞いてきた。

 カイの視線の先には先程彼の父親との話題になっていたティゼルがおり、彼の親友のルーディをなにやら問い詰めている。

 なるほど、女子に悪戯して二人で逃げた所を一人が捕まって、もう一人が様子を窺いながら隠れている――といった所だろうか。

 

「ケインズさんが晩ご飯までに帰ってくるようにって」

「なんだ、父ちゃんの言付けかよぉ」

 

 そんなの為にわざわざ声かけたのかよ、と小声で続けるカイ。もう、私の方なんて眼中に無い様でティゼルとルーディの方向へ悩ましい表情を向けている。

 まったく可愛くないヤツだ。朝の悔しい思いもあるので、広場にいるティゼルに突き出してやろうかと思ったが、それではあまりにも大人気なさ過ぎるので却下だ。

 

 ともかく私は伝えることは伝えたので、第三学生寮へと帰るべくカイから離れた直後、広場の方向からティゼルの大声が上がる。

 ふと後ろを振り返ると、どうやらカイが見つかってしまい、追い掛け回されている様だ。まあ、自業自得だろう。

 

 そんな子供たちの微笑ましい光景の奥――丁度いま私の立っているトリスタ駅の反対側。

 花屋の《ジェーン》の前にいる、赤の制服に黒髪の見覚えのある後ろ姿……多分、間違いなくリィンだと思う。

 そんなリィンへ花屋の店主ジェーンさんが何か喋りながら、一輪の赤い花を手渡す。

 

(うそっ!? あれって、アレだよね!?)

 私の目が確かならば、あの花は大きな赤いバラ《グランローズ》だ。

 花言葉は『熱烈な求愛』、帝国においては主に想いを告げる際に使われ――渡すだけでそういう意味と見なされる花である。

 

 つまり今日、今から、リィンは、誰かに、告白をする。

 そういう事だ。

 

 一体誰!?

 他人事なのにも関わらず、私に緊張が走る。

 

 花屋でジェーンさんへ少し会釈したリィンは方向を変えると、どうやら《ケインズ書房》の方へ――。

 

(え――うそ!?)

 まさか、あの花を熱烈な求愛を渡す相手は私!? どうしよう、どうしよう、流石にあまりに唐突すぎるし、それはとても……困る。

 リィンは容姿もその内面も、そして能力も非常に魅力的な男の子だとも思うし、爵位を持つ貴族の若様であることから社会的地位も高い。

 それはもう平民がどんなに足掻いても届かない地位である。

 ――これが貴族に見初められるということなのだろうか……。でも、私には……。

 

(あ、あれ?)

 一旦は《ケインズ書房》の方に足を向けたリィンだったが、すぐに再び向きを変えて士官学院の方へと歩き出してしまう。

 

「…………」

 

 開いた口が塞がらないとはこういう時には使うのだろうか。

 気付けば文字通りにポカンと私は口を開けて、リィンの後ろ姿が小さくなるのを目で追っていた。

 

(ま、まぁ……そんな期待はしてなかったんだけどさ……)

 期待させるような行動を取られたために、勘違いしてぬか喜び。

 残念という事ではないのだが、何か慌てていた自分が間抜けに思えて空しくなる。

 

 

 ・・・

 

 

 私はターゲットから十分距離を取りその後をつけている。

 少なくともこの状況――リィンが想い人へ今から想いを告げるというのだ、少なくとも相手ぐらいは確認しなくてはならない。

 リィンは私がⅦ組でもっとも仲が良いといえるアリサの好きな人――もっとも彼女はまだそういう自覚は無いと思われるけども、それでも傍から見ていれば一目瞭然だ。

 

「ふぅ……早く届けないとな……」

 

 一体何を届けるんでしょうか。……愛を……ですか?

 

 丁度、ターゲットはトリスタの礼拝堂の近くに差し掛かった所で足を止める。

 気付かれないように、私も近くの邸宅へと続く分かれ道との角でその様子を伺った。

 どうやら彼は教会のシスターに話しかけているようだ。

 シスター服のフードから溢れる金髪に、そのシスターが同じ士官学院の一年生のロジーヌさんであることに私は気づく。

 

「やあ、外の掃除をしているのか?」

「リィンさん。こんにちは。ええ、もう教会のお仕事も今日は一通り終わりですから」

 

 先程、早く告白する相手の元へ向かうと独り言を漏らしていたのにも関わらず、リィンは私の前方数アージュ程の場所でロジーヌと話に耽っている。

 まさか……ロジーヌさんがリィンの好きな人……?

 

「あら……リィンさん、その手は……」

「ああ、さっき美人さんにやられちゃってな」

「え……!?」

(え……!?)

 

 美人に、手を!?

 思わずロジーヌと同じタイミングで声が出てしまいそうになる。

 リィンのその人は既に……そういう……つまり手を噛む……関係ということ。

 不純……というか……いやでも、別に二人がその……愛し合っているのであれば……と言う事は、今からするのは告白ではなくてプロポーズになるのであろうか。

 

 確かに十七歳といえばもう立派に職に就いていてもおかしくない年齢であり、結婚して家庭を持っている人も多くはなくてもいるとは思う。しかし、将来の職も定かではない学生の身――ああ、そうか。リィンは貴族だから領主を継げばいいのか……。

 

「その……差し出がましい事を言うようですが……そちらのお花は……」

「ああ、今から渡しに――そうだ、人を待たしているんだった。それじゃあ、俺はここで失礼させて貰うよ」

 

 人を待たしている……ということはやはり、もう既に彼女がいてプロポーズということなのでは……。

 いやいや、待たせているだけなのでそうと決まった訳でもないだろう。

 

 ここから誰か先の場所といえば――まずは第一学生寮……あまり意識することは少ないがリィンはれっきとした貴族様だ。

 もしかしたら私が知らないだけで、貴族のご令嬢の許婚の人などもいるのかもしれない。あ……そういえば、第一学生寮の新人のメイドのロッテさんとリィンは仲が良かった筈……まさか……。

 そして、第二学生寮――つまり私たちⅦ組以外の女子生徒という可能性。リィンは生徒会の手伝いとして自由行動日は色々な依頼をこなしている。そんな中、助けられた子からリィンは想いを寄せてしまい……ありえる……!

 そうでなくとも、うちのクラスのリィンさんは極めて社交的な性格で女子男子問わず色んな人へ話しかけていたりするのだ。

 そして、第二学生寮といえば二年生の先輩もいるところだ。リィンはケルディックでお世話になった鉄道憲兵隊のクレア大尉に釘付けだったぐらいであり、年上好きという可能性も考えられる。

 

 しかし――よくよく考えてみればリィンって……いつも女の子と話しているような……。

 

 

 ・・・

 

 

 私の想像をふいにする様に両側が学生寮と続く三叉路をリィンは中央の道へと進んだ。

 中央、つまり士官学院の校舎へと続く道である。

 

(むぅ……)

 既に時刻は午後5時を過ぎており、学院が閉まる時間が迫っている。この時間まで残っている生徒というのも多くはない筈だ。

 部活で熱心に活動している人、図書館で自習に耽っていた人……それか――。

 まさか……トワ会長……? そういえばリィンが生徒会の手伝いを引き受けている理由として、トワ会長の負担が大きすぎるからと零していたことがある。

 確かに生徒会の手伝いとは別に、トワ会長の手伝いを放課後とかにしていた様だし。

 そして、何よりトワ会長は可愛い。それはもう、年上とは思えないぐらい可愛い。現時点での最有力候補か――アリサ、ごめん。

 

 そんなことを考えながらリィンの後を付けていると、右手からリィンが声を掛けられていた。

 この声は……フィーだ。私はしっかりと校門の石柱の蔭へと身を隠して、聞き耳を立てた。

 

「戻ってきたの?」

「ああ……、ちょっと渡す物があってな。フィーは園芸部はもういいのか?」

「ん。今日は終わり。……渡すものって……その花?」

「ああ……そうだけど、どうかしたのか?」

「……ふぅん。少し意外に思っただけ。それにしても――アレはいいの?」

 

 アレ? 一体何のことだろうか。

 

「ああ……商店街からなんだが……何か不味い事でもしちゃったかな」

 

 商店街――ああ、きっと花の話をしていたのだろう。

 

「……原因はリィンだと思うけど。じゃあ、頑張って?」

「あ、ああ」

 

 そう告げるとフィーはその場を立ち去ってゆく。校門の石柱の裏に隠れている私にはどうやら気付いてはいないようだ。

 それにしても、最後の話だけよく分からない。リィンはちゃんと理解できていたようだし……。

 

「それにしても……そんなに意外か? いつもやっている事なんだが……」

 

 フィーが立ち去った後、少しの間を開けてリィンが零す。

 いつも、こんな風に告白してるんですか……!?

 もうこの級友の事がよく分からなくなってきた。そんなプレイボーイキャラクターだったとは。もうただの女の敵ではないか。

 

 

 ・・・

 

 

 ターゲットが正面から本校舎へと入っていくのを確認してから、私は正面玄関の窓に耳を押し付けてガラス伝いに内部の音も同時に伺う。

 どうやらリィンは受付のビアンカさんと世間話をしている様で、何やらサラ教官が寮監を兼ねている第三学生寮の書類がまだ出ていない事を彼女が話している。

 何ともサラ教官らしいが――そんな話をリィンとビアンカさんが話していると、教官室の方からⅢ組の女子生徒のミントが近づいてきた。

 

「あれ? リィン君?」

「ああ、こんな所で珍しいな。吹奏楽部はもう終わったのか?」

「うん。私は今までちょっと叔父さんの所にいたんだ~」

 

 しかし、リィンは本当によく女の子と仲良いなぁ……。

 尾行を始めて十分少々なのにもうロジーヌさん、フィー、ビアンカさん、ミントちゃん……既に四人目。それも今から告白をしに行くのにもかかわらず。やっぱり女好き……ということなのか。

 アリサがよく不機嫌になるのもよく分かる。

 

「でも流石だね、リィン君は。姪としては叔父さんにも見習ってほしいよ~」

「はは……マカロフ先生の方が俺なんかより全然凄いと思うけど……」

「うーん、そういう意味ではないんだけどな~」

 

 きっとミントはリィンがその手に持つ薔薇の花を見て、マカロフ先生にもっと積極的に恋人作るように見習ってほしい、という意味合いで言ったのだろう。

 流石、女の敵朴念仁リィンなだけあってまったく意味を理解していない。

 しかし、本校舎にリィンの想い人はいるのだろうか。最有力候補のトワ会長は生徒会館だろうし、この時間に本校舎にいる人は本当に限られる。

 一体誰なのだろうか。

 

 リィンはミントに別れの挨拶をすると、そのまま中央の階段を二階へと登っていく。

 それを確認した私は、音をたてないように本校舎の玄関をそっと開けて建物の中へ入る。ターゲットに気付かれない為には声を出して喋るわけにもいかないので、口に人差し指を当ててミントちゃんと受付のビアンカさんに無言でお辞儀してリィンの後を追う。

 

(上の階……屋上?)

 日曜日のこの時間に本校舎の屋上……何とも良いシュチュエーションじゃないか。

 自分に置き換えて想像しても中々揺さぶられる。まして相手がリィンの様な好青年ならば。

 

 緊張感からか自らの鼓動が聞こえてくる中、足音を立てないように、一歩一歩かかとからゆっくりと床を踏む。

 私が踊り場に達した時、予想を反してリィンは二階の東側の廊下へと向かっていた。

 

(あれ? 屋上じゃないの?)

 彼を追って二階の東側の廊下の曲がり角から、顔だけを覗かせる。

 リィンは美術室の扉を開けて、その中へと姿を消した。

 

(え…………えええっ!?)

 まさか……リィンの彼女かもしれない……今日告白する相手って……ガイウス!?

 いやこの場合……彼……になるのだろうか……。

 

 ――私は十六年間の生きてきた人生で最大の衝撃を受け、目の前が真っ暗になった。

 

 

 ・・・

 

 

 人生最大レベルの衝撃を受けてから十分ほど。気付けば、私は士官学院の校門の石柱に寄り掛かっていた。

 流石に怖くてリィンがガイウスに告白する現場、美術室からは逃げてしまった私ではあるが、ここまで来たのならば最低でも結果を確認しなければ帰れない。

 そういう決意を固めて、どんな結果であってもリィンはリィンであると、ガイウスはガイウスであると自分に言い聞かせて、校門前でリィンの出待ちをしているのだ。

 

「……リィン!」

「どうしたんだ、エレナ?」

 

 リィンの手には既にグランローズは無い。

 つまり、少なくとも告白自体はもう済ませている。しかし、その隣にガイウスの姿も無いということは――リィンの想いは残念ながら散ってしまったということなのだろうか。

 

「……お、遅かったね」

「あ、ああ……?」

 

 不思議とリィンは落ち込んでいるような素振りはない。しかし、なんとなく疲れているようなそんな空気は感じさせていた。

 

「単刀直入に聞かせてもらうよ!? リィン、誰が好きなの!?」

「……は?」

「え……?」

 

 あれ、なんかすごい意外な反応。

 そうか、きっととぼけているんだ。私相手だから誤魔化すのもチョロいとでも考えているのだろう。

 

「いやいやいやいや! とぼけたって無駄なんだからね!? 私、知ってるんだから! リィンに好きな人がいるの!」

「い、いや……とぼけてなんか……」

 

 そこでリィンは一旦言葉を切って、いつになく真剣な顔つきで咳払いしてから口を開いた。

 

「えっと……ちゃんと真面目に答えると今は士官学院での生活で余裕が無いというか……そのエレナみたいに素敵な子に気にされるのはありがたいんだけど……」

「ちょ、ちょ、ちょっとまった! 違う、違うから!」

 

(これじゃあ、私がリィンへ言い寄ってフラれている女になってるじゃん!)

 ほんとにこの男は! まさかこんな勘違いをされるなんて、心臓に悪すぎる。

 

「リィンが、グランローズ買って、学院に向かったから! だから、誰かに告白するんじゃないかって後をつけてたら、美術室に入ってくから! やっぱり、ガイウスなの!?」

「ガ、ガイウス!?……ち、違うぞ、違うからな!? あれは――」

 

 リィンが慌てて否定し、ここに私のアホみたいな勘違いが発覚することとなった。

 

「へ、イタズラ?」

 

 リィンの必死さの混じった懇切丁寧な説明が私の誤解を解いてゆく。

 元々彼が美術部のリンデに頼まれたのは、《スノーリリー》という品種の百合の花を彼女の代わりとして花屋へ受け取りに行くこと。

 それを偶然知ったリンデの双子の妹のヴィヴィがリンデと同じ髪型にして、受け取りに向かう彼を途中で引き留めて一輪の《グランローズ》を注文した。

 リィンは《グランローズ》がその様な意味を持つ花という事を知らずに、ヴィヴィの思惑通りにそれをリンデに渡して彼女を慌てさせる――悪戯大成功。

 ついでに、私のようなアホもおまけで釣れた。

 

「……Ⅳ組のヴィヴィかぁ……」

 

 そういえば、『双子の姉妹なんて遊び相手もとい格好のオモチャ』だなんて言ってたっけ。

 面白いことが大好きで、私にも彼氏持ちネタで絡んできたことのある子だ。まあ、彼女ならこの様なイタズラは大好物だろう。

 

「それにしても――なんで、俺を尾行してまでエレナは心配してたんだ?」

「え、えっと……友達のそういうのって結構…………あれ、後をつけてたの知ってたの?」

「ああ……商店街から出たあたりで気配で分かっていたかな」

 

 そうだった。入学式の時も、駅前でリィンとアリサを覗いていたのをリィンは気付いていたっけ。

 気が軽く動転していたとはいえ、気配で察知できるリィン相手に尾行は軽率過ぎたかもしれない。

 

「……う、うわぁ……なんか恥ずかしい。まあ、その……リィンがどんな子が好きなのか興味あったし……」

 

 流石にここでアリサの関係と言ってしまう訳にはいかない。もっとも、それを抜いてもリィンを追いかけたような気はするが。

 

「……はは、やっぱり女の子はそういうのに興味津々なんだな。やっぱりエレナもグランローズを渡されて告白されたりするのが理想なのか?」

「あ、あはは……私は別にそんなに恥ずかしい事して貰わなくても……ただ一言言って貰えれば充分かな」

 

 こうして私が一人で勘違いした”リィン告白疑惑”は終結する。

 もっともこれは私の中での事件が終わっただけであって――リィンがグランローズを持って歩いていたのを目撃した者は多く、この後リィンは受難の時を過ごす事となるのであった。

 

 

 ・・・

 

【こぼれ話】

 

「ねえ、リィン。そういえば、そのポケットからちょっと出てるの、何?」

「ああ、これか。ヴィヴィからお礼として貰った――」

「え……それ、靴下……だよね?」

「ああ――ぽかぽかソックスだよ」

(……リィンってやっぱり……変態さん……?)

 




こんばんは、rairaです。

ついに「光の軌跡・閃の軌跡」もこの回で20話を達成しました。今まで色々な作品の二次創作をこのサイト以外でも書かせて頂いていましたが、連載作品で20話を超えたのは私の作品としては初めてです。
これも読者の皆様のお蔭です。皆様、本当にありがとうございます。

さて今回は5月23日、第2章の自由行動日の後編…というより実質「おまけ編」ですね。
主人公リィンさん大活躍?の回となりました。原作主人公というパワーを違う意味で発揮してくれたのでは…と思います。
もっとも彼にとっての本番は、「今後」になるんでしょうけどね。
2章のこの隠しクエストは前々からネタにしようと思っていたこともあって、結構すんなりと書けたのが良かったです。

前回と今回の少しギャグまじりの日常が終わりまして、次回は実技テストとなります。
久しぶりの戦闘をちゃんと書けるか今から心配ですが…。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月26日 不協和音

 5月二6日

 

 

「マキアス、ユーシス、エリオット!それに、エマ、フィー、エレナ、前へ!」

 

 サラ教官がそう指示を出したのは、月末恒例となりそうな《実技テスト》で最初のグループ――リィン、アリサ、ラウラ、ガイウスの四人が良い連携であっという間に鈍い銀色の傀儡《戦術殻》を圧倒した直後だった。

 ちなみに目の前の傀儡は先月の実技テストの時より、両腕に部品が新たに取付けられており、戦闘能力もかなり上がっていると見える。それなのにもかかわらず、先陣をきったリィン達四人はものの見事に圧倒し、『アーツ駆動を解除する』という課題も達成してしまっている。

 この結果はかなりの高評価となるだろう。素直に羨ましい。

 

 さて、私達に話を戻すと――。

 

 

「えっと、エリオット君。戦術リンク、私と組もう?」

 

 私はエリオット君に《ARCUS》の戦術リンク相手になってもらおうとお願いする。

 断られることへの不安を抱きながらも、すぐに快諾してくれた彼に私は安堵するとともに感謝した。

 

 戦術的に見て導力銃と魔導杖は相性が特別良い訳ではないが、敵から距離を取らなければならない同じ後衛組なのだし、割りかし妥当な組み合わせだと一応思っている。

 そして、私にとってエリオット君は現時点では一番と言っていい程、リンク経験がある相手だ。

 先月の旧校舎の調査、ケルディックでの特別実習――既に彼と一緒に経験した戦闘は優に十回は超えており、ある程度は通じ合えるような自信もある。

 同時に、これは私が特別に思っているだけかもしれないが、彼とはお互いに初めて戦術リンクを成功させた相手でもあった。もっともその時、私は旧校舎地下の怪物に殴り飛ばされて意識朦朧としていたのだが。

 

「エマ、リンク組もうか」

「ええっと……」

 

 しかし、フィーから声をかけられたエマは気を使うように、マキアスとユーシスの二人に目を遣っていた。

 ああ、なるほど……ここで私とエリオット君、フィーとエマというリンクの組合せをしてしまえば、残るのはこの二人――まあ、エマの察しの通り難しいだろう。

 そうなれば単独で戦うこととなり、連携というアドバンテージは完全に無くなる。

 まぁ、戦術リンクの組合せ云々以前の問題で6人の間での連携などまず難しそうなのだが。

 

「何か言いたいことでもあるのか?」

「フン……」

「ええっと……お二人は戦術リン――」

「断る」「却下だ」

 

 エマの言葉を途中で遮って同時に拒否するマキアスとユーシス。

 それぞれに顔を背ける二人であったが、その仕草といい拒否する言葉といい、この二人は何だかんだ似ている。

 もう相性抜群なんじゃないかと疑うぐらいに。

 

「で、ではこうしましょう! マキアスさんは同じ導力銃のエレナさんと、剣技のユーシスさんは同じく近接武器のフィーちゃんと……残るエリオットさんと私、という形はどうですか?」

 

 エマが苦肉の策として出してきたのは、武器種類別の組み合わせ。

 エリオット君と離れ離れになるのは惜しいが、しょうがない。あの二人を組み入れることとなるなら、この組合せが一番妥当だろう。

 もっとも――エマが一番気楽そうな組合せなのが羨ましいが。

 

「まあ……しょうがないか」

 

 フィーが渋々といった様子で同意し、私もそれに続いた。

 

「それならば……」

「フン……まあ良かろう」

 

 手のかかる二人の了解を得て、私達の戦術リンクの組合せは決まった。少なくともリンクしないで戦場で孤立する仲間がいることだけは避けれたという点は評価できる。

 この時点で私たち6人は新しい《戦術殻》を舐めきっていた。

 先鋒のリィンたちより二人も人数が多いのだ、数で押し切れる筈――と、誰もが思っていたに違いない。

 しかし、その予想は大きく裏切られることとなる。

 

 

 ・・・

 

 

「くっそ、射線上に入るな! 攻撃出来ん!」

 

 私のすぐ隣でショットガンを構えるマキアスが毒づく。

 丁度私達、導力銃組の《戦術殻》と呼ばれる傀儡への射線上にユーシスがいたのだ。

 

「ちょっと不味いね」

「……くっ!」

 

 しかしユーシスを批難しようにも、フィーとユーシスの前衛も傀儡相手にかなり苦戦している様子だった。

 丁度、ユーシスが傀儡の右腕を回避し私と傀儡の間の射線がひらけたのを確認して、構えた導力拳銃の引き金を引く。

 

(やばっ……!?)

 だが、次の瞬間には銃口の先には再びユーシスの姿があり――危うく、間一髪といったところだろうか。

 いかに訓練時の出力であったとしても、導力銃の銃弾が当たれば痛いで済まされる問題ではない。

 本気でユーシスに直撃するかと肝を冷やした私は、安堵の溜息を付いてから彼に謝ろうとした時、前から怒鳴り声が響いた。

 

「ご、ごめ――」

「レーグニッツ!貴様何をする!?」

 

 あれ?

 ユーシスの敵意を露わにした視線と怒鳴り声を浴びたのは、私ではなくマキアスだった。

 

「ご、ごめんユーシス、今の私……」

 

 とりあえず彼の誤解を解くために、マキアスではなく私が危ない弾を撃ったことを告げる。

 

「ふんっ、貴族にとって銃は狩りの道具だからな。拳銃弾との区別もつくまい」

 

 また余計な事を……。

 いつもなら煽る様な言葉を次々と繰り出すユーシスも実技テスト中ということもあり、私に対して気を付けるように一言告げるだけであった。

 それがまたマキアスは気に食わないのだろう、だって間違えて自分の名前を怒鳴られたにも関わらず一瞥されただけなのだから。

 

 ともあれ私達は、実技テストで《戦術殻》という摩訶不思議な傀儡を相手に絶賛大苦戦中であった。先刻、リィン達四人が特に手間取る事もなく圧倒したのに比べて二人も多い六人なのにも関わらず。

 

「支援を頼む。突っ込むぞ」

「う、うん!」

 

 本来ならば後方からの支援といえば、導力拳銃より大火力な武器を扱うマキアスなのだが、ユーシスもユーシスで頑な様で、私の方をわざわざ向いて指示を出してくる。

 しかし、ここで私がそれについてとやかく言うのも違う訳であり、ユーシスの指示に従って鈍い銀色の傀儡に容赦無く、続けざまに三発の弾丸を撃ち込む。ただの拳銃弾であるので効果的な陽動になるのかは分からないが、少なくとも一瞬であれば気を引けるとは思う。

 

「一人で突っ込まないで。そんなに生半可な――」

 

 フィーが《戦術殻》へと一人で肉薄しようとするユーシスを見て、それを止めようと注意するものの、その言葉は緑色の大きな光刃に阻まれた。

 傀儡の右腕部から伸びた数アージュはある緑色の眩い刃が、水平にユーシスとフィーを巻き込んで弾き飛ばしたのだ。

 

「ぐっ……」

 

 直撃を受けてすぐに体勢を立て直せないユーシスの傍ら、フィーは卓越した反射神経で先程の攻撃を受け流したのだろうか――助走無しの跳躍であっという間に直接その小さな身体が傀儡に取り付く。

 

「……!」

 

 フィーが鈍い銀色の腕に取り付き、得物の双銃剣で傀儡の頭部を狙おうとしていた直後、彼女はまるで身に迫る危険を察知した猫の様にその場から飛びのいた。

 その次の瞬間、まるで傀儡に落雷が落ちたかの様な眩い青白い放電が私の視界を覆う。

 どうやら放電は傀儡の範囲攻撃の様だ。

 

「油断したかな……」

 

 私の焼き付きの影が残る視界に、舞う土煙の中から姿を現したフィーは辛くも立っているものの、その表情は苦渋に満ちている。

 ユーシスに至っては最早泣きっ面に蜂といった状況で、満足に体を動かすこともままならなそうだ。

 

「《ARCUS》駆動……!」

「ユーシスさん、フィーちゃん一旦下がって下さい! すみません! エレナさんもお願いします!」

 

 前衛の二人が大きなダメージを負った事を把握し、すぐさまフィーへの回復アーツの駆動を始めるエリオット君。

 タイミング悪くエマは攻撃アーツの駆動中であり、彼女は私にユーシスへの回復アーツを求めた。

 

「わ、わかった!」

 

 かなり不味い状況に追い込まれていることもあり、慌てて《ARCUS》の盤面に填められた蒼輝石のクオーツを指で触れる。

 クオーツを指で触れると同時に、すぐに私の体を包むように帯状のアーツ駆動の魔法陣が展開されてゆく。

 

 しかし、エマの判断は大きな危険性を伴ったものであった。

 ユーシスとフィーという近接武器を持つ二人が大打撃を受け、一時的に戦力として失った私達は拳銃と散弾銃が一人ずつ、そして魔導杖が二人。

 この四人の中では身体的能力な部分を抜きにすると、拳銃の私が唯一といっても良い程前に出れる部類なのだが、ユーシスへの回復アーツをエマがマキアスに指示できる筈もない。

 消去法でマキアスが取り回し辛い大型の銃器と相性の悪い、一対一の近接戦闘を単独でこなさざるを得なくなる。

 

「くっ……冗談じゃないぞ!」

 

 マキアスは散弾を撃ち出すものの、傀儡はその外見からは想像できないほど素早くマキアスとの距離を詰めてゆく。

 傀儡相手に三発目の引き金を引いた時、マキアスの表情が凍った。

 

「なっ……!?」

 

 弾切れ――ショットガンは近距離で最も有効的にその大火力を発揮できる足止めとしても優秀な武器だが、連射が難しい為に装弾数は数発とかなり少ない。

 どの銃器でも同じ事だが、考え無しに撃つとほぼ確実に残弾数を失念する事となる。

 マキアスは慌ててポケットから新しい散弾を取り出すものの、時は既に遅く彼に十分接近した傀儡から再び緑色の眩い光刃が放たれた。

 

 マキアスの悲痛な叫びに、私は思わず目をぎゅっと瞑る。

 しかし、視界から消えたのは私の周りのアーツ駆動中の魔法陣のみであり、目を瞑っていてもマキアスが傀儡の光刃に袈裟斬りにされる瞬間が戦術リンクを通して脳裏で再現される。

 痛み等の痛覚こそフィードバックはしないものの、視覚は戦術リンクで相互に視えてしまう。そして思考もある程度は。

 私とマキアスの間のリンクレベルは高くない。エリオット君やリィンやアリサ――彼らと違って今日初めてリンクした相手であるし、普段そこまで絡まないためにあまり好印象がない。それにもかかわらず、この様なリンク相手が恐怖を感じたりする場面では、しっかりと視覚のフィードバックを受けてしまうのだ。

 

「マキアス!?」

「マキアスさん!」

 

 私と同じくアーツ駆動中のエリオット君とエマが緑色に輝く刃で何度も斬り付けられ、弾き飛ばされたマキアスへ叫ぶ。

 そして、時を同じくしてマキアスが戦闘不能状態になった事を私は《ARCUS》の戦術リンクの断絶という形で悟った。

 

「いきます――《ヒートウェイブ》!」

 

 エマから火属性のアーツが放たれ、傀儡は足元から迸る紅蓮の炎へ包まれる。

 目の前に出現した大きな炎による攻撃はダメージとしては致命的ではなく、炎など全く介すこと無く平然と傀儡は私の方へ足音も無く近づく。

 

「エレナ!」

 

 エリオット君の声が遠くで聞こえる――私の周りに帯の様に展開する赤色のアーツの魔法陣越しに傀儡が近づいて来ている。

 まさか私はアーツ駆動中のまま、この傀儡に無抵抗になぶられてしまうのだろうか。

 身動きの取れない私をまるで嘲笑うかのように、傀儡は手を伸ばせば触れれるような距離まで既に近づいている。

 

(人形の癖に……勝ち誇ったつもり……?)

 

 傀儡の頭部に存在する四つの黄色の”目”によって表された顔が、私へ強者の余裕を誇っている様に思えた。

 そして数秒の間の後、周りの空気が帯電し私の髪の毛がふわっと持ち上がる。

 

(ああ、そっか……フィーはこれで危険を感じ――)

 

 目の前の傀儡から凄まじく眩しい雷光を放たれた。

 

 先程フィーに対して傀儡が放った強力な範囲攻撃技は、私の視界を眩い閃光で染めると共に身体には電気的なショックが連続して襲い掛ける。

 強烈な電流が身体を侵す痛みに、言葉にならない叫びを上がる。

 

「……くっ……ふぁ……ぁ……」

 

 傀儡の攻撃が終わった時、気付けば全身に力が入らずクラウンドに尻餅をついて座り込んでいた。

 幸いなことに、身体にはまだ雷光に身体を蝕まれた痛みが残るが、少なくとも私はまだ立てる状態だと思う。

 私の近くにいたエリオット君とエマも不幸にも先程の攻撃の範囲内であった様で、二人共少なくない痛手を受けている。目の前の傀儡もあの大技を使った後は少々のインターバルが必要な様で、私に止めを刺す動きは無い。

 

「……あっ……」

 

 未だに痺れが残る脚にムチを打ちながら立ち上がり、意外と私は身体が丈夫だったのかも知れない――等と考えていた時、自ら身体の周りに展開されていた赤色のアーツ駆動の魔法陣が消えたのに気付いた。

 

(ああ……そういえば駆動中のままだったっけ……)

 

 生み出された水色の癒しの光が傀儡の後方で片膝を付いているユーシスへと飛んでゆく。

 

「……助かる」

 

 傀儡から離れた場所にいたユーシスが水色の優しい光に包まれ、彼の傷を癒す。

 自分の独断から大きな痛手を受けた事が彼の高いプライドを傷つけたのか、その表情に悔しさを滲ませる。

 

 アーツの駆動が終わり、身動きが取れるようになった私は傀儡の攻撃範囲から素早く抜け出して、反撃に移れるような体勢を整える。

 ぼーっと突っ立っていれば、あの光刃やまた放電攻撃の餌食になってしまいかねず、その場合あの二発目の直撃は流石に不味く耐えられる自信は無い。

 勿論、身体は未だに違和感はあるものの、傀儡に向けダブルタップして牽制をかける。

 しかしアタッカーである筈のユーシスは先程の失敗が余程堪えたのか、慎重にレイピアを構えて傀儡の背後から攻撃するタイミングを窺っているだけであった。

 

 そんな時、私ではない何発もの銃声と共に傀儡が揺らいだ。

 

「エレナ、リンクして」

「えっ?」

 

 その声の主を探して周りを見渡すものの、見つけられない。

 しかし、少なくとも声で相手がわかる以上、私は片手ですぐに《ARCUS》の設定をフィーに変える。

 すぐにリンクが繋がった感触を掴め、フィーと繋がった私には彼女が物凄い速さで傀儡の真横から双銃剣で攻撃を仕掛けるのが視えた。

 

「排除する――」

 

 フィーはこなれた様子で、双銃剣から続け様に何発もの銃弾を傀儡へ浴びせ、その体勢が一時的に崩れる。

 そして、それは絶好のチャンスとなった。

 

「いまだよ」

「いっけえっ!」

 

 思わず掛け声が出てしまう。銃を構えた両手が、引き金を引く度に反動で浮き上がるものの、確実に銃弾は傀儡の腕の部位の結合部分へと吸い込まれてゆく。

 私の導力拳銃《スティンガー》から放たれた弾丸によって、傀儡に隙が出来たのをフィーは見逃さなかった。

 彼女は目にも止まらぬ速さで、あっという間に傀儡との間の距離を詰めて、その懐の中へと肉薄する。

 

「――止め」

 

 そして、傀儡の頭部の付け根に彼女の得物である双銃剣を突き刺す。

 拳銃より大口径の双銃剣の二回の銃声と共に実技テストは幕を閉じた。

 

 




こんばんは、rairaです。

さて今回は5月26日、第2章の実技テストの前篇となります。
戦闘の描写を書くのは第1章の自由行動日の旧校舎地下のミノスデーモン戦以来と、中々戦闘を飛ばしてきていたのが丸わかりですね。
原作だと実技テストでのリィンと別のグループの戦闘場面はあまり描写されておらず、どの程度苦戦したのかは詳しくは語られてはいません。
しかし、サラ教官に厳しく指摘されるぐらいですから、結構酷かったのではないかという憶測の元、とことんマキアスとユーシスをカッコ悪く仕立て上げました。
今回のマキアスはかなり不憫ですね…事実上の一発KOになりますし。

その反面といってはアレですが、フィーはそこそこ活躍しました。まぁ、ちょっと油断してしまうご愛嬌付きですが。
戦術殻ごときでここまで苦戦する描写でいいのか…と少し疑問に思われるかも知れませんが、私の考えでは”Ⅶ組の強さ=ARCUSの戦術リンク&各個人間の連携”だと位置付けていますので、連携ダメダメの今回は盛大に苦戦してもらいました。

さて次回はサラ戦となります。
サラ教官の圧倒的なまでの強さを書けるといいのですが…。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月26日 紫電の雷光

 傀儡がまるで操り人形の糸が切れたかの様に沈黙する。

 必死になり過ぎて、いつの間にか頭の片隅から飛んでいってしまっていたが、この死闘が授業の一環の模擬戦であったことを今更思い出した。

 

「はあっ、はあっ……」

 

 私は荒くなった呼吸を整えながら、周りを見渡すと私達より先に実技テストを終わらせたアリサ達がおり、目の前で動きを止めた傀儡の後ろにはサラ教官が立っている。

 ここは――士官学院のグラウンドだ。当たり前のことではあるが。

 

「リィンさん達より二人も多かったのに……」

「…………ま、仕方ないか」

 

 エマとフィーが思った事を口に出すが、私としても全くの同意見だった。

 二人も多いという驕りはあり、それ故に皆油断していただろうと思う。

 

 パチン――サラ教官が指を鳴らした合図で、先程まで目の前にいた傀儡は独特な音と共にその姿を消す。

 

「……分かってはいたけど、ちょっと酷すぎるわねぇ」

 

 サラ教官は呆れた顔をしながら、市販の回復薬を私達にそれぞれ投げてゆき、真剣な瞳で私達6人を見渡す。

 

「ま、そっちの男子二名はせいぜい反省しなさい。この体たらくの多くは君たちの責任よ」

 

 そしてほぼ名指しの様にマキアスとユーシスへ戒める。

 但し、私を含めて他の人も油断をしていたのは事実であり、やはり反省すべきは全員なのだろう。

 

 ユーシスは鋭い視線をサラ教官へと向ける。怖い。

 だが、実際の結果がそれを証明してしまった以上は彼は何も言えない。

 

「――今回の実技テストは以上」

 

 

 ・・・

 

 

【5月特別実習】

 A班:リィン、エマ、マキアス、ユーシス、フィー、エレナ

(実習地:公都バリアハート)

 B班:アリサ、ラウラ、エリオット、ガイウス

(実習地:旧都セントアーク)

 

(げ……私、大丈夫かなぁ……)

 

 特別実習の班分けと実習地の記された紙面を見て、真っ先に心配になった。

 先程の酷い出来だった実技テストの六人からエリオット君が抜け、リィンが入ったA班。そして先月の特別実習と同じくマキアスとユーシスを一緒の班とし、更にはマキアスとの間で確執を抱えているリィンもわざわざ付け加えるというのだ。

 

「――冗談じゃない!」

 

 案の定、後ろからマキアスの声が上がった。

 

「サラ教官! いい加減にして下さい! 何か僕達に恨みでもあるんですか!?」

「茶番だな……。こんな班分けは認めない。再検討をしてもらおうか」

 

 あの班分けを見たときから誰しもがこの流れとなる事を想像していたことだろう。

 先月の特別実習といい、ついさっきの実技テストといい……ここまで露骨だと不満が爆発しないほうが不自然だ。

 

「うーん、あたし的にはこれがベストなんだけどな。特に君は故郷ってことでA班から外せないのよね~」

「っ……」

 

 まともに取り合う気は無いという態度が感じられる、軽い調子で第一の理由を説明したサラ教官。

 至極まともな理由にユーシスは黙るものの、あまり良い顔はしていない。

 

「だったら僕を外せばいいでしょう! セントアークも気は進まないが誰かさんの故郷より遥かにマシだ! 《翡翠の公都》……貴族主義に凝り固まった連中の巣窟っていう話じゃないですか!?」

「確かにそう言えるかもね。――だからこそ君もA班に入れてるんじゃない」

 

 サラ教官の言葉の真意を探る思案顔に変わるマキアスだが、それでも彼が納得出来ない事には変わりなく、別の切り口からこの班分けの問題点を的確に突いて来た。

 

「……しかし、この班分けだとA班とB班で人数が不均衡になるとは思わないのですか?」

「フン……施しを受けるつもりはない。B班へお望み通り、こいつを移動させればいい。セントアークも四大名門の本拠地の一つ、不足はないだろう」

 

 マキアスの援護射撃を買って出たのは他ならぬユーシス。

 この件ではお互いに利害は完全に一致しているので、班分けを修正させる為には共同戦線も問題無いのだろう。もっとも、こんな事を指摘したら精神的に再起不能になりかねないレベルの睨みを受けそうだが。

 

「あらぁ、何言ってくれちゃってるのかしら。ついさっきも二人で一人分の働きも出来なかったあなた達が」

 

 これはかなり痛烈な文句だ。

 流石の二人も手も足も出ない程――実際に出ないのは口だが。

 黙り込む二人にサラは続ける。

 

「ま、あたしは軍人じゃないし命令が絶対だなんて言わない。ただ、Ⅶ組の担任として君たちを適切に導く使命がある。それに異議があるなら、いいわ」

 

 サラ教官はそこで一呼吸置いて続けた次の言葉は、完全な挑発だった。

 

「――二人がかりでもいいから力ずくで言うことを聞かせてみる?」

 

 マキアスとユーシスはいつもと違う雰囲気のサラ教官にたじろぎながらも、お互いに何かを確認し合うかのように頷いた。

 

「……っ……」

「……面白い」

「おい、二人とも……」

「やめようよ……」

 

 リィンとエリオット君の制止など意に介することなく、前へと出る二人。

 

「フフ、そこまで言われたら男の子なら引き下がれないか。そういうのは嫌いじゃないわ――」

 

 サラ教官がその両手に、彼女の髪の色と似た赤紫色の導力銃とサーベルを素早く構える。

 彼女の武器は私が今まで見た事も無い凶悪そうな物であり、流石のマキアスとユーシスもその表情に怯みを隠せていない。

 しかし、二人がここで引き下がる程度の御しやすい人間であれば、この様な状況にはなっていない訳であり――それぞれ武器を構えた。

 

「ふふ、のってきたわねぇ。リィン、ついでに君も入りなさい! まとめて相手をしてあげるわ!」

「りょ、了解です!」

 

 リィン、とばっちり可哀想に……。きっと皆同じ事を考えていることだろう。

 何かと彼はこの様な少し同情したくなるような事をサラ教官に振られることが多い。それだけ、気に入られているっていう事なのだろうけども……。

 

 目の前ではサラ教官と三人がお互いにそれぞれの得物を構えて対峙している。

 しかし、サラ教官といえどもこの三人を相手にして大丈夫なのだろうか。

 いかに士官学院の武術教官であってもリィンはお世辞抜きに強く、ユーシスも宮廷剣術の相当の使い手。マキアスも決して弱くは無く、導力散弾銃は単純な武器の火力としてはⅦ組随一かもしれない。

 

「それじゃ《実技テスト》の補修と行きましょうか…………」

 

 サラ教官が目を瞑り、この場の空気が変わってゆく。

 それはまるで何かの圧が高くなっていく様に感じられ、張り詰めた緊張が満ちた時――真剣な黄色の瞳が見開かれ、私には到底言葉に出来ない物が一気に爆発した。

 

「トールズ士官学院・戦術教官、サラ・バレスタイン――参る!」

 

 

 ・・・

 

 

『先手はあげるわ。どっからでもかかってきなさい』

 そんなサラ教官の挑発に乗ったユーシスが地に片膝を付いたのは、”補修”の始まりから数秒後であった。

 

 宮廷剣術の華麗かつ洗練された素早い三段斬り技は私の素人目には完璧で、先程の実技テストの時とは技の切れ味は段違いの完成度だ。

 彼のレイピアが目にもとまらぬ瞬速の青い斬光がサラ教官を貫いた――。

 

「遅い」

「何……!?」

 

 ――剣戟の音と共にユーシスは崩れた。

(え…………何が、あったの……!?)

 

「さて、次はどっちかしら」

 

 サラ教官はその足元で苦悶の表情を浮かべて片膝を付いたユーシスを一瞥する事もなく、リィンとマキアスへ目を遣る。

 まるでもうユーシスが彼女の視界に入っていないかの様に。

 

「来ないなら、私から行かせてもらうわよ」

 

 私の視界からサラ教官が消えた。

 そして秒よりも短い時間の後、彼女の掛け声と共に凄まじい”紫電”が落ちた。

(風属性高位アーツ!? でも、駆動時間は一体――)

 

「これはおまけよ!」

 

 雷光の残滓が残る中、凶悪な導力銃から眩い紫の放電する光塊を撃ち込みながら彼女は宙を跳ぶ。

 気づけば先程の”雷”でマキアスも既に崩れ、唯一満身創痍のリィンが苦しげな表情をしながらも辛くも残っている。

 そんな彼を間髪いれずにサラ教官のサーベルが一片の容赦も無く襲い掛かり――金属同士が衝突した鋭い高音が響いた。

 

「へぇ……いい反応じゃない」

 

 私には死神の鎌を連想させる程に死が近そうなその刃を、間一髪でリィンは自らの太刀で受け止めたリィンにサラ教官は感心した様に呟く。

 

「でも、これはどうかしらねっ!」

 

(あっ…………!)

 サーベルを構える手の反対側には導力銃が――。

 導力銃とは思えない程の音と共に、再び先程の放電する光塊が銃口から撃ち出され、電光と地面から俟った砂埃にリィンの影が掻き消えた。

 

「……四の型《紅葉斬り》」

 

 砂埃の中から勢い良く飛び出す影はサラ教官までの距離を一気に詰め、彼女とのすれ違った瞬間、メイプルの葉の様に斬光の一閃が広がる。

 そして、剣と剣がぶつかり合う甲高い音が先程よりも遥かに大きく鳴り響いた。

 

「八葉一刀流…………技は素晴らしいけど――」

 

 リィンの剣筋はサーベルの刃で受け止められ、二人は至近距離でじりじりと対峙する。

 

「――まだまだね」

 

 サラ教官がそう呟いたのと同時に、いとも簡単にリィンの太刀が弾き飛ばされる。

 そして彼女はあっという間に武器を失ったリィンの脚を刈って地面へ押し倒すと、鋭く光る導力銃の銃口を顎の下へ突き付けた。

 

「二十秒って所かしらね」

「……まいりました」

 

 リィンは地面に背を着けて、完全に敗北を認める。

 

「うわぁー……」

 

 三対一の補修が終わった時、思わず声が零れた。半分はサラ教官の圧倒的な実力への感嘆、もう半分はリィン達三人への同情。

 まさかここまで歴然とした実力差とは想像出来なかった。ものの数十秒で完全に三人を沈黙させてしまうのだから。

 戦いの様子を見ていたⅦ組の他のメンバーも皆それぞれ感想や心配の言葉を口にしており、サラ教官は勝ち誇った様子でご機嫌だ。

 

「フフン、あたしの勝ちね。それじゃ、A班B班共に週末は頑張ってきなさい。お土産、期待してるから」

 

 

 ・・・

 

 西日が少し眩しい。

 教官直々の補修という名のワンサイドな模擬戦はあったものの、一ヶ月に一回の実技テストと特別実習の発表は終わりだ。

 ついでにこの時間は午後の最後の授業であり、この後はホームルームを残すのみだ。

 私達といえば自分たちの武器を皆それぞれケースや入れ物に仕舞っている最中だ。

 

「それにしても……派手にやられたわねぇ……背中、砂だらけよ?」

「ああ……悪い」

 

 アリサに背中の汚れを指摘されたリィンが、自らの右手で背中の砂埃を落とそうとする。

 

「い、いいから前向いてなさい」

 

 リィンの後ろから両手で彼の背中をはたき始めるアリサ。

 その健気な姿に、このままアリサの背中を押してみたい悪戯の衝動に駆られるものの、この良い雰囲気を邪魔するのは可哀想だ。

 

「助かったよ。ありがとう、アリサ」

 

 リィンに感謝の言葉を掛けられて照れるアリサを私は眺めていた。そういえば特別実習は彼女はリィンと違う班になっていた事を思い出す。

(やっぱり、寂しいのかなぁ……。)

 

「ふふ、エレナさんもスカートの後ろ真っ白ですよ」

 

 ぼんやり前の二人を見ていると後ろからエマに指摘を受けて、私はいそいそと自らのスカートについた白い砂汚れを払う。

 実技テストで戦術殻の電撃攻撃を受けた際に力が抜けてしまい、短い間ではあったがクラウンドに座り込んでしまっていた。あの時についたのだろう。

 

「あー……そういえば、砂の上に座ったっけ。……もう、髪も砂まみれだし」

 

 激しい戦闘で砂が大分俟っていたこともあり、手櫛で髪をすくとザラザラとして砂がいくつか付く。ついでに何か髪も少しハネている気もする。

 そこまで容姿に気を使っているわけではないのだが、士官学院の生徒は皆そこそこきちんと身なりを整えているのでみっともない状態は気が引けた。教室に帰ったらとりあえず髪だけでも整えたい。

 

「結構汗もかいてしまいましたし、早く帰ってシャワーを浴びたいですね」

「ん。同感」

 

 早くシャワーが浴びたいというエマとフィーに私も全面的に同意だ。これで放課後は少なくとも三人は寮へ直帰組になるだろう。

 

 そんな私たちの横を無言で校舎の方向へ立ち去ってゆく二人がいた。マキアスとユーシス。二人が一緒に帰ることはまず有り得ないので、二人の間には結構な距離は開いている。

 あの二人も少しは頭が冷えたのだろうとは思うが、この程度で劇的に何かが変わるとも思えない。少なくとも今後サラ教官の挑発には乗らなくなるぐらいだろう。

 

 しかし、本当に今週末の事を考えると気が重くなってくる。

 もっともそれは私だけではなく隣で歩くエマとフィーも同じであり、遠ざかる二人の背中に三人で深い溜息を付くのであった。

 

 




こんばんは、rairaです。

いつもであれば一話当たり2日もあれば校正前の状態は仕上げれるのですが、今回は結構な難産でした。本当は昨日更新しようと思っていたのですが…最近更新スピードが遅くなってしまってますね。

さて今回は5月26日、第2章の実技テストの後編のサラ戦となります。
今回もとことんマキアスとユーシスはアレな役回りです。リィンもあっという間に無力化されてしまいましたが。
サラの強さをエレナ視点で描いている為に、ユーシスが倒された経緯が分からなかったり、サラのクラフトの《電光石火》をアーツと勘違いしていたりして、少し分かりにくい表現になってしまったかも知れません。

そういえば原作プレイ時は全く違和感無かったのですが、前の話を書いてからⅦ組の皆が実技テストなのにトレーニングウェア的な物に着替えないで制服なのがすごく不自然な気がしてきました。もしかしたら次回の実技テストでは体操服かもしれません。

次回から第2章のバリアハートの特別実習編となる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月29日 先輩たち

 5月29日

 

 

「――って、感じなんです」

 

 私は目の前に座るクロウ・アームブラスト先輩に事の経緯を説明し終わる。

 きょうは土曜日――二回目の特別実習を行う実習地へそれぞれ出発する日だ。私達A班は東の公都バリアハート、B班は南の旧都セントアークが実習地となり、私達A班も寮を出て以降はぎこちないものの班行動をとっていた。

 但し今は列車の時間までまだ結構な時間が有る事から、それぞれ商店街のお店で実習前の物の準備という名目で一旦別行動となっている。

 リィンとユーシスが雑貨屋《ブランドン商店》、マキアスが《ケインズ書房》、エマはここからでも見える公園のベンチに居るのだが、そういえばフィーはどこへ行ったのだろうか。

 

「クク……なるほどなぁ」

 

 目の前のこのいい加減な銀髪の先輩は、喫茶店と宿を兼ねる駅前の《キルシェ》のオープンテラスでどうやら私達の見送りをしようと待っていたらしい。先程A班全員と顔を合わせた時に言っていた。もっとも真偽は定かではないが。

 彼は笑いながら外国産の濃い褐色の炭酸飲料の入ったグラスをストローでグルグルとかき回し、言葉を続けた。

 

「しっかしまぁ、サラらしいわな」

「やっぱり、ドSなところですか? 上手くいってない人を一緒にするっていうあたりの……」

「ま、それも無くは無いだろうが、もっと色々と思惑を感じねえか?」

「…………他の皆で仲直りさせる……ですよね?」

「まぁ、最終的な目標はそこだろうが、そう簡単にはいかないだろ。そうだな……ある程度の妥協に使える要素――っていったところか」

 

 ”妥協に使える要素”という言葉に思いあたりが無く、一体何を意味しているのか分からない。

 まぁ、単純に考えればマキアスとユーシスの対立を緩和させることの出来る物、になるのだが……。

 

「……そんな風に首傾げてる様子じゃ難しいか……まぁ、リィン後輩君なら――」

 

 やれやれといった表情を浮かべる先輩の顔に何か無性に悔しくなる。まるで気遣い出来ない女だと言われてる様ではないか。

 冷静に考えれば、マキアスとユーシスが”妥協”できる”材料”があるというのだ。つまり以前、彼らが協力した時の事を――……入学式の日の旧校舎地下で皆で倒したガーゴイル!

 そして、先日の実技テスト後の班分け回避の為に意識的なものかは疑問が残るが、ある種の共同戦線を張っていた、つまり……。

 

「……えっと、利害一致ですか?」

 

 いざ口に出すにはまだ少し自信の無かった私の憶測を、先輩は陽気な声で肯定する。

 

「ま、そういう状況に追い込まれつつあるってことだ」

「でもどうしたらあの二人の利害が一致するかまでは……」

「そこら辺は簡単だからな。まぁ、リィン後輩君やあそこのムチムチボディの主席委員長はもう気づいてるだろ」

 

 さっきからチラチラ視線が右に逸れると思えばエマを見ていたのか。このいい加減な先輩は。

 

「エマをいやらしい目で見ないでください」

 

 肝心な所を教えてくれないで隠されて、多少不機嫌気味の私はそのイライラを目の前で少し鼻の下を伸ばす先輩にぶつける。

 もっとも本来であれば”簡単な事”には、自分で気づくべき所なのだろうが。

 

「ちっ……。まぁ、それはそうと――サラの挑発に乗ったのもあいつらなんだろ?」

 

 明らかに残念そうな表情でエマから視線を戻した先輩に私は頷く。

 

「どうだったよ、サラの強さは」

「私にはただ、圧倒的としか……だってⅦ組でも強い方に入るリィン達を三十秒足らずで全滅させちゃうんですよ?」

「まあ、ガリ勉君と貴族の坊ちゃんは兎も角として――アイツは学院生徒全体で見ても上位に食い込んでくるだろうけどな」

 

 先輩は少し空を仰いでから、「だが、サラの方が戦い方が一枚二枚どころじゃない程上手だからなぁ」と続ける。

 

「……そういえば、クロウ先輩ってリィンと手合わせとかしたことあるんですか?」

「いや、無いぜ」

 

 即答する先輩。

 リィンとこの先輩は結構仲がいい様なので意外と……この先輩の得物は分からないが、手合わせ等をしていてもおかしくないと思ったのだが。

 それではリィンの『学院生徒全体でも上位』という評価は伝聞なのだろうか、という疑問は残る。

 

「――じゃあどうして戦っている姿を見たこと無い奴の強さが分かるんだ、って顔してるな」

「え、えっと……それは……」

「まぁ、正直なのは良い事だと思うぜ? バカを見る確率は確実に上がるだろうが」

「……うっ……」

 

 そんな事言われてもまったく嬉しくないのと同時に、いい加減顔に出る表情で丸分かり状態の自分が恥ずかしい――心を見透かされているみたいで。

 そういえば結構前、サラ教官にも同じ事言われたなぁ。

 

「理由ね……例えば、お前さんはサラとその三人どちらが勝つと思った?」

「……恥ずかしいですけど、サラ教官は三人を相手にして大丈夫なのかと思いました」

「ま、普通はそうだと思うぜ。三人とも一年としては優秀だしな」

 

『普通は』と言われて私は少しほっとする。そして、一拍おいてから先輩は先を続けた。

 

「だが、リィン後輩君は最初からサラの奴に勝てるなんて、これっぽっちも思わなかった筈だぜ」

「え――」

「ある程度の実力があれば、敵と対峙した時に即座に相手の技量を測る癖が付いちまうからな」

 

 だから、アイツは自分から攻撃を仕掛けずにわざわざサラの攻撃を待ってそれを受け止めただろう?

 ――そう先輩の口から告げられた言葉に私は唾を飲み込む。

 リィンはあの結果が最初からある程度想像がついていた、という事になるのだろうかと先輩に問うた。

 

「まぁ、そういうのは戦場で死なないコツみたいなもんだからな」

「戦場……ですか……?」

 

 嫌に真剣な表情で、”戦場”という言葉を出した先輩に私は少し違和感を感じる。

 ”戦場”という言葉が似合わないのではなく――その逆の意味で。

 

「……ほら、なんつーんだ? 俺らだって一応軍の士官学校に属する士官候補生だしよー。そういうスキルも欲しいよなって話だ」

 

 先程とは打って変わって陽気な、いつも通りの声色で喋り始める。さっきのは何だったのだろう、私の思い違いだろうか?

 しかしそれにしても、クロウ先輩の口から軍の士官候補生なんて言われても本当に似合わない――そんな事を思っていると、先程まで公園のベンチに座っていたエマが私と公園の丁度中間辺りの場所から声を掛けてきた。

 

「エレナさん、皆で《ARCUS》の調整に行こうという話なんですけど一緒にいきませんか?」

「あ、いくいく! ちょっとまってね!」

 

 エマからの誘いを受けて私は目の前の先輩に一度別れを告げようとするが、彼の視線はエマの方を向いていた。いや、それだけならばいいのだが、彼はエマを見て明らかにいやらしい顔、すけべ面をしていたのだ。

 

「……先輩?」

「いやー、あんなダイナマイトボディ中々拝めないんだぜ? しっかし朝からここで待ってて本当に眼福だったわ」

 

 チラッとエマの方から帰ってきた先輩の視線が私に戻る。だが……どうも私の顔ではなく正確には顔から三十リジュ程下を向いている気がした。

(見比べられてた!?このやろう……)

 

「ほんっと……エロ本先輩は最低です」

「って、オイ! その呼び方は酷くねぇか!? 先週買った奴は決してそういうエロ本とかじゃなくてだな――」

 

 ただのグラビア写真雑誌だと頑なに主張する先輩ではあったが、実際の所は女の裸の写真で溢れている訳であり大して変わらない物としか思えない。

 とりあえず私はダメダメでエロエロなこの先輩を放置して、エマと共に皆と合流して学院の技術棟に向かうのであった。

 

 

 ・・・

 

 

「おや、今日はずいぶんとかわいらしい女の子たちが一緒だね」

 

 技術棟にお邪魔して少し経った頃、来客が訪れてリィンに声を掛けた。

 結構ハスキーな声ではあるものの声の主は女性であり、ボディラインがはっきり出る黒のスーツを着用している。そんな彼女とリィンは知り合いの様であり、彼の挨拶で彼女がこの学院の先輩でアンゼリカという名である事がわかった。

 それにしてもこの先輩の着ているの、私には絶対無理だ。自分の身体のプロポーションに自信のある子では無いとアレは絶対に着れない。

 

「真面目な外見とは裏腹に素晴らしいわがままボディの眼鏡っ子に……1年生の間でも大評判のクールで小柄な銀髪少女……ふむ、愛らしい事この上ない」

「え、えっと……」

「……変なセンパイ」

 

 先輩がエマとフィーを見た感想を口にして、戸惑うエマ。フィーは特に感心なさげに至って普通だが。

 そして、先の二人から私へ視線が移ると、頭の先から足の先を撫で回される様な視線を浴びた。

 

「……ふむ、眼鏡っ子とは対照的だが……背の割りに慎ましやかな細身の体も可愛らしいではないか」

「つ、慎ましやかとか言わないでくださいっ!」

 

 さっきのクロウ先輩といい、この先輩といいエマと私を比較にするのは本当に勘弁して欲しい。

 全力で否定したいがⅦ組最大とⅦ組最小かも知れないというのに。

 

「うーん、三人まとめて私のハーレムにぜひ加えたいのだが……とりあえず、君から入ってみないかい?」

「やめとく」

 

 アンゼリカ先輩からの危ない誘いに即断即決でノーを突きつけるフィー。

 先輩は少し残念そうな表情をするものの、すぐに対象を私へと変えてきた。

 

「じゃあ君はどうかな?」

「は、ハーレムって……」

 

 ハーレムというのは一人の男の人が何人もの女の子を侍らせる事で――ということはこの先輩のハーレムということは、女の子同士の?

 えっと、つまり女の子同士でその……。

 

「うんうん、興味あるかね? きっと新しい世界を見せてあげれると思うよ」

 

 満面の笑みをキスされるのではないかというぐらい私に近づけてくる先輩の姿に、彼女の言う”新しい世界”を危うく想像してしまいそうになる思考を何とか戻す。

 例えばそういう噂話等であれば、完全に、全く興味が無いという訳ではないのだが、自分がその中に入るというのであれば変わってくる。

 しかし、こんなに押されるとどうやって断れば良いのか分からなくなってくるのだ。

 

「……ええっと……その……」

「大丈夫、君の事はちゃんと責任もって――」

「アンもその辺にしておきなよ。怖がられてるよ?」

 

 室内の奥にある設備で丁度ユーシスの《ARCUS》を調節していたジョルジュ先輩が嗜め、アンゼリカ先輩は私から顔を離すと彼に反論しようとする。

 しかし、その反論の前に彼女の名前を口にする者がいた。

 

「アン――だと?」

 

 ジョルジュ先輩の声に反応したのはカウンターの前で《ARCUS》の調整中であるユーシス。

 

「誰かと思ったら、ユーシス君じゃないか。お久しぶりだね。六年前の宮中晩餐会以来かな、覚えてるかい?」

「……ログナーの」

 

 そこで事情を知らなかった私とマキアスとエマは衝撃を受けた。

 

「ログナーってノルティア州の侯爵家の……」

「《四大名門》!?」

「《貴族連合》の強硬派の筆頭ッ……」

 

 私を含めてそれぞれ三者三様の反応をする。

(さっきの……その、お誘い……断って大丈夫だったのかな……)

 先程の事が気掛かりであった。ある意味でアレは貴族から見初められたという事になるのではないだろうか、という意味で。冗談であると信じたいところだ。

 

「いかにも私の父はノルティア州を治めるログナー侯爵だが、私は自分の好きな様に生きるのが信条の不肖の娘でね。別に実家がどうこうなんてどうでもいいんだ――」

 

 そこで一回言葉を切って、アンゼリカ・ログナー先輩はマキアスに困った表情を向ける。

 

「――まあ、学院の一人の先輩としては後輩からそんな含みのある視線を向けられるのは少し残念だな」

「す、すみません……」

 

 あっという間に折れるマキアス。

 先程、一瞬彼が見せた敵愾心もすぐに消えてゆく。

 

「はは、分かってくれればいいんだよ」

 

 ポンポンとマキアスの肩を叩きながら笑うアンゼリカ先輩はその視線をユーシスへと向けた。

 

「フフ、ユーシス君。君も折角実家から解放されたんだ。わざわざ堅苦しく生きてないで、私の様に好きにしていれば楽しいと思うよ?」

「…………貴女の場合、お父上が泣いておられるのではないですか?」

「それがどうしたんだい? 父など勝手に泣かしておけばいいさ」

 

(この人は……)

 大貴族中の大貴族《四大名門》のご令嬢ではあるものの、自由奔放で女の子好きの……、とりあえずユーシスやラウラと違って全然貴族らしくない。

 というよりその服装から貴族の女性ならアウトなのでは無いだろうか。

 あっけらかんとするアンゼリカ先輩にユーシスが何も反論できずに少しの間が開く。それはそうだろう、その文句はある伝説のジャーナリスト志望の偉人が宇宙最強と語った台詞と同義なのだから。

 そして、その間を打破したのはドアの開く音と元気に満ちた声だった。

 

「おはよう、ジョルジュ君! あ、アンちゃんにⅦ組のみんなも来てたんだね?」

 

 現れたのは学院一の頑張り屋と評されるトワ会長だ。皆それぞれ彼女と挨拶を交わす。

 どうやら彼女は既に朝の一仕事を終わらせ、朝食を誰か一緒に食べないか誘いに来たらしい。

 ここ技術棟は彼女達四人の溜まり場の様な場所であり、朝でも誰かしらいるのではないかと思って訪れ、案の定二人と私達が居たといった事まで語ってくれた。

 

「でも流石に列車の時間があるから、みんなと一緒には食べれないね」

「そうですね……残念です」

 

 リィンがさも残念そうな顔をするのを私は見逃さなかった。

 彼は何かとトワ会長と仲が良いのだ。先月の特別実習の時だって出発の前に学院に立ち寄って生徒会室にいる彼女に挨拶をしにいったぐらいに。

 

「そういえば、クロウ君はいないのかな?」

 

 トワ会長は技術棟の中を見渡してからここにいない人物の事を聞くと、リィンが駅前の《キルシェ》のテラスにいる事を伝える。

 しかし、リィンにその事を聞いたトワ会長は何故か頬を膨らませた。

 

「もう、クロウ君はまた授業サボるつもりなんじゃ……!」

「え、でもクロウ先輩《キルシェ》にいるなら朝ごはんとかじゃないんですか?」

 

 何故か少し怒っているトワ会長に私は聞いた。

 私とお話していた時はご飯になりそうな物は食べてはいなかったが、待っていただけなのかも知れないし、私に気を使ってくれたのかも知れない。

 

「ううん。いつも遅刻してばっかりのクロウ君が、こんな朝早くの時間に《キルシェ》にいるっていうのがまず怪しいよ。むう……」

 

 そんなトワ会長にリィンが「会長はよくクロウ先輩の事知っているんですね」と反応すると、アンゼリカ先輩がトワ会長の肩に腕を回して自慢げに口を開いた。

 

「そりゃあ、私達四人はなんだかんだ付き合い長いからねぇ。なぁ、トワ?」

「……アンちゃんは、ちゃんと授業、出てくれるよね?」

「……ハハ、残念ながらトワ、私も今日はバイクで帝都に……」

 

 少しぎょっとした表情で今日のサボりの予定を打ち明けるアンゼリカ先輩に、トワ会長はその小さな身体を最大限利用した上目遣いで見つめた。

 

「……まいったね……こりゃ。もう私のハートがキュンキュンいってるよ。トワ、今日はちゃんと授業に出るから一回抱かせてくれないかい?」

「えええっ!? 待ってアンちゃん、みんないるしここでは――」

 

(私達がいなかったらいいんですか……?)

 顔を真っ赤にして慌てるトワ会長。

 もしかしたらトワ会長はアンゼリカ先輩の……その、ハーレムの一員なのかも知れない、等という考えが頭の中を過ぎった。

 

 結局、私達の目の前でトワ会長が抱き締められる事は無く、列車の時間の関係ですぐに先輩達とは別れて駅に向かうこととなった。

 

 

 ・・・

 

 

「おう、それじゃあ楽しんで来いよ」

 

 クロウは彼の後輩達がトリスタの駅舎へ入るのを見送る。

 後輩達の一番後ろを歩いていた長いおさげの髪の少女が駅舎の扉の中に消えると、彼は深い溜息を付いて表情を変えた。

 

「わざわざ気配を消してお見送りとは……どういう風の吹き回しだ?」

「あら……いつから気付いていたのかしら?」

 

 《キルシェ》のドアが開く音と共にベージュ色の帽子を被った眼鏡の女性が出てくると、微笑を浮かべて店の壁面へ寄り掛かる。

 しかし彼女はクロウの問いには答える気は無い様で、彼もそんな事は気にもとめないで話を変えた。

 

「……そういえば、ちょっとした噂を耳にしたんだが――」

 

 彼は白文字で《Bell-Cola》と文字が入る空のガラス瓶に目を遣った。

 

「――あっちの方にはアンタ等は一枚噛んでるのかよ?」

 




こんばんは、rairaです。

さて今回は5月30日、第2章の特別実習の初日の朝となります。
今回の話のテーマはサブタイトル通りに「先輩達」です。
前半部でクロウに、後半部で初顔出しのアンゼリカに焦点を合わせています。トワ会長は少ししか、ジョルジュに至っては殆ど見せ場はありませんが…。
二年生組に焦点を持ってきた為に、肝心のⅦ組メンバーが少し空気と化してしまっているのも残念な所です。

個人的には二年生組結構好きなんですよね。この四人の一年生時代の話とか知りたいです。
続編ではどうなるのか…クロウがあんな事になり、アンゼリカも立場が立場、トワ会長も「鉄血の子供達」疑惑がある位ですから穏便にはいかなそうですけど。

さて次回はバリアハートでの特別実習の一日目となります。
主人公エレナはとある人物と再会ですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月29日 《翡翠の公都》

 クロウ先輩の口にした”妥協に使える要素”は結局のところ、”成績”であった。

 

 士官学院の一年生の中で、座学では上から数えて片手の指に入るエマ、マキアス、ユーシスだが、Ⅶ組の生徒である以上総合成績ではこの特別実習の評価のウェイトも大きい。

 一か月に一回、学院祭のある10月と学年末の3月は特別実習の予定は無いので一年生の間では十回。

 先月の特別実習をE評定で事実上の落第判定を受けている先月のB班メンバーは、今回において挽回せずに前回の二の舞となると十回中の二回を完全に落とすこととなり、この時点で特別実習というカリキュラムの年間での最高評定の可能性が消滅する。

 そして今回のA班がわざわざ人数比を整えずに6人となった為、評価において人数の多さを考慮され必然的に高評価へのハードルが厳しくなる可能性もある。

 

 これが、クロウ先輩の曰く『そういう状況に追い込まれつつある』ということだった。

 

 そして、更に単純なものとなるが――勝ち負けとプライドだ。

 先月は成績という面で最高評定を得たA班に対して最低の評定、この間の実技テストでは戦術殻相手にもサラ教官相手にも散々な目に遭ったマキアスとユーシスへ当人も分かっているであろう事の再確認だった。

 今回のB班は前回最高評定のA班の4人+ガイウスであり、前回成功したノウハウをもって今月も最高評点を目指すだろう。

 この状況を再確認させる事が、主席卒業を狙うマキアスには効果覿面であったのは言うまでも無い。

 リィンが彼にあまり似合わない露骨さを見せて『”友人”ではなくB班に負けない為の”仲間”だ。』と言い切った事が切り札となり、遂にマキアスの口から発せられた事実上の妥協宣言となる『一時休戦』なる言葉を引き出すことに成功した。

 

 今回は少なくとも班としての行動をとる事が可能という安堵の空気の中、私達はバリアハートの地を踏み、バリアハート駅で出迎えられたユーシスのお兄さんのルーファスさんによって、今晩の寝床となる市内のホテルまでリムジンで送って頂いて今に至る。

 

 私はこの目で見た事も無い程の高級ホテルのエントランスで、気づけば目の前の金髪碧眼の貴族の男性に目を注いでいた。

 ルーファス・アルバレア――帝国の大貴族の中の大貴族であり、その権力は皇帝の次ぐとも謂われる東の公爵、アルバレア公爵家の跡継ぎ。

 新聞や雑誌などでは貴族派きっての貴公子とされており、現に駅で出迎えられた時から今まで彼と皆の会話から私の感じた印象はとても好意的なものだった。

 

「帝都へ……飛行船で行かれるのですか?」

 

 意外そうな表情でルーファスさんに尋ねたのは彼の弟のユーシス。

 バリアハートに着いてからというものの、兄ルーファスのお陰で今までのユーシスが学院での日常では見せなかった顔を色々と私達に晒していた。

 

「父上の名代でね」

 

 ルーファス・アルバレアはクロイツェン州を治める公爵家の跡継ぎとして、父親であるアルバレア公に代わって多くの政務をこなしている事は、帝国時報を読んでいない私でも知っている事柄だ。

 複雑な表情を浮かべる目の前の弟にルーファスさんは冗談を飛ばした。

 

「フフ、この兄がいないのがそれほどまでに寂しいのかな?」

「ふう……ご冗談を」

 

 まるで強がりの様に、ぶっきらぼうに否定するユーシス。

 傍から見たらそれはバレバレであり、その姿がまるでフレールお兄ちゃんに対する自分に被ったことで私はユーシスに親近感を覚えた。

 彼の場合は寂しいとは違うだろうが、何かしら兄に期待していたことがあるのかも知れない。

 

「ハハ、無愛想な弟だがよろしくやって欲しい」

 

 そんな言葉を爽やかな笑顔と共に残したルーファスさんがリムジンに乗り込み、目の前から走り去ってゆくのを見送る私達。

 皆がルーファス・アルバレアという人物に対する感想を各々口にする中、フィーがユーシスについて触れる。

 

「ユーシス、なんだか弟っぽかった」

 

 フィーの意見にはユーシス以外の全員が同意だろう。

 人間そう簡単に自分の育った環境から形成される性格や気質を隠す事は難しく、それを知る近しい人の前では隠すことは出来ない。

 私も血こそ繋がっていないが物心付いた頃からフレールお兄ちゃんの妹分扱いされていた内に、そういった気質になっている様に。

 ちなみに私の予想では、Ⅶ組ではリィンとガイウス、ラウラは兄姉系でユーシスをはじめとしてアリサ、エリオット君は弟妹系だと思う。

 マキアスとエマ、フィーはよく分からないが……なんとなくマキアスは弟妹系な気もしなくは無い。

 

「……フン。妙なところを見られたな」

 

 そんなユーシスは何やら想定外であったような言葉を続けて漏らすが、その意味までは明かさなかった。

 そして私達は七耀石の一、翠耀石の名を冠した高級ホテル《ホテル・エスメラルダ》へと足を踏み入れる。

 

 

 ・・・

 

 

 《ホテル・エスメラルダ》は当初全員に個室が用意する過度な待遇を用意しており、それはあまりにも実習にそぐわないものだった。

 この待遇にユーシスがリシュリュー支配人に食ってかかる程の強い要望でホテルの部屋の問題は解決され、最低ランクの部屋を二つ用意する運びとなる。

 もっとも最低ランクの部屋といっても《ホテル・エスメラルダ》は貴族階級御用達の帝国最高峰の高級ホテルであり、平民が宿泊する為には前もって予約が必要という敷居の高い場所である。実際の部屋は常日頃から放漫な生活をおくっている大貴族の客も満足して利用出来る配慮なのか、私の想像上の貴族のお屋敷より遥かに贅を凝らしたものとなっていた。

 もっともそんな部屋を堪能することはなく、特別実習の課題内容の確認が終わり部屋に荷物を置くとすぐさま街へと繰り出し、まずは一日目の必須課題の一つを依頼してきた、職人通りにある宝飾店を目指して歩いている最中だ。

 

「うわぁ……!」

 

 先程はルーファスさんも乗るリムジンで移動していたということもあり、あまり街の風景を見ていなかったが、こうしていざバリアハート市内中心部を見渡すとその光景に圧倒されてしまっていた。

 《翡翠の公都》の別名に相応しく、この場から見える建物はその全てが白い壁面と深緑色の屋根であり、中世時代の古風な建築様式で統一されている。

 上を見れば数多くの尖った深緑色の屋根の尖塔が優雅に空に聳えており、足元に目を落とせば美しく磨かれた石で舗装された路面。

 長い歴史を持つ古い城砦都市でもある為に堀として水路が整備されており、同時に街区を区切る様に築かれた高い城壁には、バリアハートを統治するアルバレア公爵家の紋章の旗が至るところに掲げられている。

 

「まるでおとぎ話に出てくる国の街みたいだね!」

 

 昔、絵本にでてきた建物や街のイメージとバリアハートはそれこそ瓜二つだった。きっとこの美しい街をモデルに描かれた絵であったのだろう。

 

「ふふ……本当に綺麗な街並みですね」

「ふんっ……規模は帝都の方が遥かに上だがな……」

 

 水を挿すように白ける事を口にするマキアスだが、この《翡翠の公都》の街並みに夢中になっていた私は特に気にはならなかった。

 そんな彼へツッコミを入れたのは、苦笑いするリィンの横にいたフィーである。

 

「マキアス、張り合ってるの?」

「は……張り合って等……コホン……事実を言ったまでだ」

 

 フィーの言葉にバツの悪そうに咳払いするマキアス。

 確かに都市の規模としては帝都ヘイムダルは人口80万人を超える大陸最大の大都市であり、人口30万人のバリアハート市を大きく上回っている。

 しかし、人口という観点では私の故郷のリフージョの村は人口300人足らずの小村であり、近隣で最も栄えているパルム市も数万人の地方都市――それと比べてしまえば、バリアハートや帝都はもはや別格すぎる。

 

「帝都には帝都のいい所があるのにー」

 

 そう、バリアハートにはバリアハートの、帝都には帝都の。

 帝国広しといっても皇宮である《バルフレイム宮》は帝都にしかなく、あの赤煉瓦で統一された背の高いビルの立ち並ぶヴァンクール大通りは世界中探しても帝都にしか無い。

 

「ああ、そうだな。帝都の重厚な街並みも威厳があって凄いと思うな」

 

 帝都は乗換えでしか立ち寄った事が無いから写真で見る限りだが、と一言付け加えるがリィンも私の言葉に同意してくれた。

 

「そ、そうか? うん、そうだな」

「フン……」

 

 私とリィンにフォローを入れられて機嫌を戻したマキアスへ、ユーシスは勝ち誇ったような視線を投げつける。

 

(また気付かれたら面倒な事を……)

 

「あの像、ナニ?」

 

 そんなユーシスにフィーがあるものを指差して訊ねた。

 その指の先には、市内の広場の中央、バリアハート大聖堂の正面に位置する噴水に設置された石像がある。

 

「聖女ヴェロニカの像、みたいですね」

「ほう……詳しいな」

 

 しかし、その質問にユーシスが答えるより早くにエマの口が開き、ユーシスは感心したような素振りを見せた。

 

「ふーん」

「聖女ってことは……教会の聖人なの?」

 

 帝国人ならば”聖女”と聞けば真っ先に《槍の聖女》リアンヌ・サンドロットが思い浮かぶ。私もその例に漏れず、この噴水の聖女も《槍の聖女》と同じく七耀教会の聖人なのかが気になった。

 

「ええ、そんなところです。大いなる昔に天変地異が起きた時に祈りでバリアハートの街を守ったという言い伝えで……確か――聖遺物として大聖堂の聖櫃に収められていると聞きます」

 

 聖遺物とは信仰の対象となる聖人の遺骸や遺品。聖櫃とは棺、つまり聖女ヴェロニカの遺体は目の前の大聖堂の地下に安置されているということだろう。

 しかし、私には”天変地異”という言葉が不思議と耳についた。

 昨年、身をもって経験したある出来事に重なるのだ。

 

「天変地異……かぁ……」

「どうしたの? エレナ」

「あ、そのちょっと前の事を――」

「ふふ、エレナさん。聖女が救ったのは《大災厄》や暗黒時代の時のお話ですよ」

 

 エマは勘違いしたのか少し困ったように笑うので、私は誤解を解くために説明する。

 

「そ、それは知ってるんだけどね……去年、私の村の導力器が全部使えなくなって、大変な事になったのを思い出して」

「「《リベールの異変》か」」

 

 ユーシスとフィーの声が重なり、お互いに顔を向ける。

 普通の人ならここで双方苦笑いなのだろうが、ユーシスがバツが悪そうに少し目を細めるだけで、フィーに至っては無表情だ。そんな二人の様子に私とエマから笑いが零れ、リィンも頬を緩ませている。マキアスだけは仏頂面だが。

 

「……そういえば、サザーラントの国境沿いの出身だったか」

 

 ユーシスの言葉に、生まれは違うんだけどね、と一言置いてから肯定して私は話を続けた。

 

「数日でまた使えるようになったんだけど……あれが世界中一斉に起きたらそれこそ天変地異だったんだろうなぁ、って思ったの」

「あの時、リベールは大混乱だった様ですしね……」

 

 現にリフージョの村も漁船や導力車といった移動手段を失い、昔使用していた馬車を使わざるを得なくなる等、事実上孤立した三日間であった。

 特に導力灯の無い夜は非常に暗く、恐怖を刺激するには十分過ぎた事を今でも鮮明に覚えている。

 導力器が少ないリフージョでさえこの有様なのだ、世界中で導力停止現象が発生すればどの様な事態になるのかは想像するのは容易い

 

「そういえばあの時、帝都ではもっぱら異変はリベール軍の新兵器で《百日戦役》の復讐をリベールが企んでいる――といった品の無い噂が流れていたそうだな」

 

 棘のある言葉と共に、マキアスへ含みのある視線を向けるユーシス。

 

「確かにそういった噂話はあったが……何も支援の動きを起こさない《貴族派》と違って帝国政府は共に不戦条約を結んだ同盟国として事態解決の為に協力すべく、正規軍から支援部隊をリベールへ派遣しようとしていたぞ」

 

 結局、異変の解決の方が早く南部国境方面に集まった師団規模の救援部隊は撤退したみたいだが、貴族の動きは全く覚えていないな――と言葉を続けたマキアスの顔をフィーがジッと見つめていた。

 

「……何か変な事を言ったか?」

「ふーん。……ま、そゆことになってるのか」

 

 まるで独り言のように静かに呟くフィー。

 

「そんな事になってたのかぁ。私の村はただ大慌てするだったからなぁ。それにしてもアレが新兵器って噂になるのも凄いね」

「まあ大方、新兵器云々は帝都の下劣なタブロイド紙の流した虚報だろう。リベールへ視察に出向かれていたオリヴァルト殿下の凱旋以来、そういう類の噂は聞かなくなったからな」

 

 ユーシスが先程の報復か、わざとマキアスに目線を走らせる。

 しかし、帝都ではそんな騒ぎになっていたとは驚きだ。

 そして、そんな噂が流れていたのにも拘らず『同盟国として救援部隊を派遣しようとしていた』事に自らの母国である帝国が少し誇らしかった。

『不幸な誤解から生じた過ち』によって両国の間で戦端が開かれてしまった《百日戦役》。その終戦から十二年の時が流れ、帝国とリベールの間柄は不戦条約という絆に結ばれた同盟国となっている。

 それは私にとっては特別な意味を持っていた。何故ならお父さんと私の生まれ育った帝国と――私のお母さんの母国であるリベールの事なのだから。

 

 

 ・・・

 

 

 出身地であり土地勘のあるユーシスの先導を受けて、私達はバリアハート市内の南側に位置する職人通りへと足を運んでいた。

 職人通りは都市の中にしては険しい勾配のある下り坂に平民店主の小さな建物が密集して立ち並んでおり、優雅な市内中心部とは一線を画していた。しかし、それでも《翡翠の公都》である事は変わらず、相変わらず美しく舗装された路面と深緑色の屋根で統一されている。

 ユーシス曰く、元々バリアハートは丘陵地帯であった為、領主の居城が丘の上に、町民が集まる下町がその麓に築かれたのが始まりで、時代の流れと共に街の規模を大きくし、それぞれ公爵家城館を中心とする貴族街に、もう一つはいま私達が歩く職人通りをはじめとする平民の集まる下町となったのだと言う。

 

 坂を歩いていたユーシスが足止める。

 彼が目を向ける看板には《ターナー宝飾店》と記されていた。

 ここが特別実習の必須課題の依頼を出してくれたお店の様だ。

 

 《ターナー宝飾店》店主の息子のブルックさんからの依頼は、少し手のかかりそうなものであった。

 内容を要約すると、『近く結婚する旅行者の客の結婚指輪に使う石を探してきて欲しい』といったもの。

 但し七耀石や宝石ではなく、半貴石という価値としては一段落ちるが見た目は変わらない石である《樹精の涙(ドリヤード・ティア)》を求めるのだという。

 私ははじめて聞く名前の石だが、固体化しやすい樹の樹液が固まった物である事から、どうやら琥珀のような物らしい。北クロイツェン街道の森林地帯でよく採れる石の様だ。

 ただ問題は、半貴石であっても貴重なものには変わらず、それをすぐに見つけることは難しいと思われる事。今日の依頼は他にまだ二つもあり、その依頼の報告には市外のオーロックス砦に向かわなければならない。つまり、探す作業にあまり時間を割くことはできない。

 

「なるほど……少々骨が折れるかもしれないな」

「いや――そんなことはない」

 

 初っ端から中々難しい依頼をぶつけられた事にリィンがそう呟くと、突然後ろからそれを否定する言葉が飛んできた。

 

「君達がこれから探そうという無垢なる木霊の涙……それを先程、この目で見たといったら?」

「って――あなたは……!」

 

 後ろを振り向けば、全身白一色に所々薄青色の装飾が施された衣服に身を包んだ男性が立っていた。

 

(店に入ったときには居なかった様な気がするのに……)

 

 数か月前、士官学院へ発つ時にパルムの駅で会った人――そういえばあの時、彼は私が列車の音に注意を逸らした合間にいつの間にか姿を消していた。

 名前、聞いた様な気がする……しかしあれだけ強烈な印象にも関わらず思い出せない。

 

「知り合いなのか?」

「エレナ、この変なオジサン知り合い?」

 

 二人とも目の前の男に胡散臭そうな顔はしながら、リィンとフィーがそれぞれ私に尋ねてくる。

 それと気のせいだろうか、『オジサン』とフィーが口にした時、一瞬目の前の白装束の男の表情が歪んだ気がする。

 

「知り合い……っていうか、前に一度……」

「おお、覚えてくれていた様で光栄だ。アゼリア海の可憐なお嬢さん」

「か、か、可憐なって!」

 

 16歳の庶民の小娘に過ぎない私に対して、今までの人生で一度として言われたことも無いような、まるで皇室や貴族に対する様なオーバーな言葉に慌てる。

 

「ふふ……この再会に我が心も躍ってしまっていてね。そう、これは運命――」

「エレナ、口説かれてる?」

 

 フィーがジト目で私と目の前の男を交互に見る。

 

「いやいやいや! だって、あなたとはパルムの駅で偶然会っただけじゃないですか!?」

「あの、すみません。とりあえず、その……」

 

 大体の状況を把握したリィンが私と男の間に割り込む。正直、助かった気分だ。この人の相手は私には難しすぎる様な気がする。

 

「フフ――私としたことが少々順番が狂ってしまったか。エレナ嬢以外の諸君にはお初にお目にかかる――私の名はブルブラン男爵」

 

 




こんばんは、rairaです。

「閃の軌跡」の続編のタイトル名が「閃の軌跡Ⅱ」で決定しましたね。私は「緋の軌跡」等を予想していたので、普通にⅡとナンバリングされるだけだったタイトル名に意外感を感じましたが、タイトルロゴを見てみると銀と黒で格好良く案外と気に入っています。皆様はどうでしょうか。
ただこれで「英雄伝説」としてのナンバリングが完全に死んでしまったのかなぁ、とは思ってます。

さて今回は第2章の特別実習のバリアハート市内の話となります。
リィンによるマキアスとユーシスの説得、ルーファスとの会話は殆ど飛ばして《ホテル・エスメラルダ》前からスタートとなります。
一時休戦とはいえ休戦は休戦、舌戦は相変わらずです。これから長い間の休戦を経てⅦ組の双璧となる二人はまだ序盤ですね。

聖女ヴェロニカについては何かの伏線なんでしょうかね…エマに関わる人物なのでしょうか。
至宝関係か魔女関係のどちらかなのでは無いかと睨んでます。

「空の軌跡SC」のリベル=アーク出現後の帝国軍侵攻は帝国国内ではこういうスタンスとして処理されたという捏造を入れてみました。
《百日戦役》で蹂躙されたリベール側の事情なんて縁も無いⅦ組のメンバーは知る由も無いですし、”同盟国の救援”という軍動員の薄っぺらい建前を簡単に信じてしまいそうです。

さて次回はオーロックス砦への道となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月29日 平民と貴族

 北クロイツェン街道沿いの丘陵地帯の森林を探し回ること一時間程。

 エマの手によって無事《樹精の涙》は手に入り、『変なオジサン』レッテルの貼られたブルブラン男爵の言葉が嘘ではなかった事が分かった。

 もっともエマが見つけた場所は、街道からは少し外れた場所の大木の洞だっただけに本当に見たのかどうかは疑問が残るが。

 

 しかし、《樹精の涙》を手に《ターナー宝飾店》に戻った私達を待っていたのは、依頼者の旅行客の男性の笑顔ではなかった。

 私達が彼の為に用意した《樹精の涙》はバリアハートの貴族のゴルティ伯爵によって”正当な契約”の元、その場で伯爵の腹の中へと収められてしまうという、何とも後味の悪い結果となってしまったのだ。

 その行為にマキアスが半ば熱くなるもののユーシスの機転で大事には至らなかった事、そして旅行者にも伯爵から正当な契約の対価としてある程度の金銭が支払われた――もっともその金額は決して多くないだろうが――ことが、不幸中の幸いだろうか。

 

 あまり納得がいかないまま、私達は本日二つ目の依頼を受けに中央広場のレストランのテラスで談話に耽る青年貴族のハサン・ヴォルテールを訊ねる運びとなるのだが、ここでもあまり良い思いはしなかった。

 まあ、ユーシスのお陰で痛快な場面ではあったものの、それで気が晴れるほど私もⅦ組の皆も単純な人間ではない。

 

「――エレナさん、エレナさん」

 

 考え事に耽る私は突如手を引かれた衝撃と共に、エマの声が現実に戻した。

 

 オーロックス峡谷道――バリアハート市からクロイツェン領邦軍の拠点であるオーロックス砦へ続く道で、歴史のある古道でもある。

 自然の力が生み出した巨大な峡谷の谷沿いに近代的に改修舗装された道が通っており、私達は二つの依頼の為に手配魔獣と《ピンクソルト》を探してこの道を進んでいる――所だった筈だ。

 

 峡谷道の脇、本道から逸れる分かれ道の入り口に立っている男子三人が、金網の向こう側からこちらに視線を向けている。

 

「あっ、ごめん……ぼーっとしてた……」

「大丈夫ですか? 体調とか悪い様なら……」

「心ここにあらずって感じだね?」

 

 目の前で心配そうな表情をするエマに首を横に振って私は否定し、近くにいたフィーと共に三人で皆の元へ合流する。

 

 近代的な舗装が施された本道とは打って変わって、あまり整備されていない道は歩き辛いものがあるが、ユーシスによると本道から最も近いピンクソルトの採取地がこの先なのだという話だ。

 《ピンクソルト》――つまり、桃色の塩。塩をお風呂に入れるとは流石は貴族様といった所だろう。海沿い出身の私にとって塩は色々と大敵であり、わざわざ温かい海水浴をして何が楽しいのかわからない。

 また嫌な気持ちに心が傾くのを感じながら歩いていると、それまで前を歩いていたマキアスが少し歩く速度を落として私の隣へと近づいてきた。

 何やら周りを少し気にしてから、小さめの声で私に声をかけた。

 

「その……僕が言うのも何だが……あまり気にするのもどうかと思うぞ」

 

(ああ……さっきのことか……)

 確かに私は少なからずショックを受けているのだろう。私は今までの十六年の人生で貴族の人に会った事など、士官学院に入るまでは無かった。

 そして、幸運な事に私と関わりのあるリィンもラウラもユーシスも……メアリー教官もアンゼリカ先輩も……皆それぞれ良い人達だった。ハインリッヒ教頭も言葉に一々棘こそあるものの、ちゃんと授業を受けてさえいれば至って普通の教官だ。

 

 それだけにバリアハートに来てから出会った貴族はどうだっただろう。例の《樹精の涙》を食べた伯爵、そしてハサン・ヴォルテール……ブルブラン男爵は変わった人という印象だけだが、前の二人は明らかに士官学院で関わってきた貴族の人達とは違った。

 話伝では色々と噂話は知っているのではあるが――実際に目の前であの様な露骨な態度を見ると嫌悪感さえ沸いてくる。

 

「あの依頼の旅行者が言っていた様に、これが帝国の――傲慢な貴族の現実だろう。だからその……これからもこの様な事はあるだろうし、一々気にして引き摺るのはこちらが持たないということだ」

 

 目の前のマキアスは、私に配慮してか慎重に言葉を選んで紡いでいた。

(……心配してくれてるんだ。)

 

「……うん、そうだね……」

 

 しかし、マキアスは自分についてはどう思っているのだろうか。私からしてみれば彼の方が一々気にして引き摺っている。

 それなのに私には気にしない様にアドバイスをする。

 

「でもやっぱり……少し落ち込んじゃうね。はは……」

「……貴族が平民をどう思っているか良く分かっただろう。それだけに貴族側と簡単には相容れないということが」

 

 帝国を二分する勢力である、《貴族派》と《革新派》。その両者の対立は深いものがあるという。

 未だ直接的な衝突こそないものの、良くない噂は絶えない。

 

(……貴族って、何なんだろう。)

 

 ふと私の心の中そんな独り言を漏らす。

 教科書的な模範回答は『皇帝陛下から賜った爵位を持つ人間の血族の集団で構成される特権階級』……という事になるのだろうか。

 ――何故、何の為に貴族はこの国にいるのだろう……と本当に恐れ多い事に考えが及ぼうとしていた時、丁度少し前を歩いていたユーシスの声が聞こえ、どうやらやっとお目当ての場所に辿り着いた様だ。

 

「ここが塩鉱の採取場所だ」

 

 ユーシスの後ろのオーロックス峡谷の濃い黒の岩肌の中に、一際目立つ乳白色の大きな岩が埋まっていた。

 

「綺麗な薄ピンク色ですね……」

「これ……岩塩ってやつだよね?」

 

 私にとって馴染みのある”塩”とは海水を天日干しにして残る白い粒粒だったり、やたら金物を錆びさせる厄介な物である。

 目の前の岩盤に露出する綺麗な白桃色の結晶の塊は、そんな私の中の常識を一気にぶっ壊してくれていた。

 物珍しさに惹かれてしまった私が目を丸くしながらこの大きな塩の塊を眺めていると、フィーもいつの間にか塊の前へと近づいていた。

 

「おい、何を――」

 

 マキアスが驚きの声を上げる。

 なんとフィーが目の前の塊に顔を近づけ、少し舐めたのだ。

 

「ん……塩にしてはちょっと甘いかな」

「だ、大丈夫なのか……」

「阿呆が、当たり前だろう」

 

 心配するマキアスに呆れるユーシス。

 塩なのだから、ちゃんと砂や土を払っていれば当然舐めても問題はない。

 少し過剰に心配するマキアスはやはり帝都の都会育ちなのだろう。あれだけ大きな大都市で生まれ育てば、自然と接する機会があまり無いのかもしれない。

 

 依頼に必要な分量――まあ、大体このぐらいあれば困らないだろうという大きさの結晶を露出した岩塩鉱から削り出す作業をすること数分。

 大人の男の人のこぶし大の結晶をユーシスが手にしていた。

 

「わぁ、ほんとにピンク色なんだ」

 

 岩盤から露出する部分は確かに綺麗な桃色ではあったが、あまりに大きかったのか濁った様な色合いであった。

 しかし、削りだされた結晶はまるで宝石に近いのではないかと思う程、濁りが薄く透き通っており”塩”とはにわかに思えないほどだ。

 

「……これ程美しいものも珍しいな」

 

 そう呟いた彼はおもむろに手に持つ結晶を太陽の光をかざした。

 

「……」

「綺麗ですね」

「ああ……そうだな」

 

 丁度近くにいたリィンとエマがユーシスの行動を見て、覗き込む。

 無言で魅入った様に結晶を見つめるユーシスの横顔は、決して感動しているという訳でもなく――私が今まで見たことの無い表情だった。

 そんな彼にリィンが不思議そうに声をかける。

 

「ユーシス?」

「……いや、なんでもない」

 

 先を急ぐぞ、とそそくさと歩き出すユーシスにマキアスが愚痴を零す。

 あの先程のユーシスの表情は、どうしたのだろう。

 

 

 ・・・

 

 

「ねえ、あれ……」

「手強そうだな……」

 

 課題の詳細な情報の書かれた紙に記された通り、峡谷道から逸れた奥に手配魔獣の姿はあった。

 赤茶色の甲羅に二対の大きな鉤爪、体高は約2アージュ程度で特別大きな魔獣では無いものの、極めてがっしりとした体躯はさながら戦車の様に見えなくも無い。

 

「……おい」

「……ああ、判っている。ARCUSの戦術リンク……いいかげん成功させないとな」

 

 峡谷道を進む中、数回あった魔獣との戦闘で二人は一向に戦術リンクを組もうとはしていなかったというのに。

 やはり実技テストでの屈辱もあって気にしていたのだろうか。しかし、何はともあれ二人の態度が軟化しているのは良い兆候だ。

 

「二人とも……」

 

 リィンが少し驚いた色を顔に浮かべて二人を見る。

 

「悪いが、僕ら二人を前に回してもらうぞ」

「せいぜい大船に乗った気分でいるがいい」

「……分かった。エマとエレナは後ろからサポートを頼む」

 

 リィンの判断に私とエマは頷き、それを確認した彼は続けて”攻め方”の話を始めた。

 

「相手は甲の厚い魔獣であの鉤爪を見る限り攻撃力も高そうだ」

「だね。あのタイプの魔獣相手の長期戦は危険」

「ああ、リスクの高まる長期戦は出来るだけ避けたい……だからといって無策に全員で突っ込むのは更に危険だ。俺が初撃を加えている間に委員長は魔導杖で情報解析を頼めるか?」

 

 長い時間集中力を維持するというのはとても難しく、一つのミスが重傷に繋がる可能性がある相手との間においては長期戦は回避するのが基本――とは先日の戦術指南の時間のサラ教官の弁だ。

 そして、魔導杖による情報解析は今朝クロウ先輩との間の話題になった、”相手の実力を測る”という事柄に通ずるものがある気がする。あの話では”見ただけで実力を測る”という話ではあったが、解析で見て分かる事以上の事を知ればそれだけ私達が有利になる筈だ。

 

「分かりました」

「フィーは初撃に撹乱を……二人は最初は敵を削る攻撃でいけるか?」

 

 この場合の”削る”とは、敵にとって一定の間響くような攻撃を加える――つまり副次的効果を狙える攻撃という訳だ。

 多分、マキアスのショットガンから放たれるあの大口径の一粒弾を使用した攻撃の事を指しているのだろう。

 

「異論は無い」

「わかった。その後に全力で攻撃という事だな?」

 

「エレナは委員長の情報解析で分かった弱点属性のアーツで攻撃してくれ。委員長も余裕が出来次第攻撃に移って欲しい」

 

 まあ、何となくあの魔獣を目にした時からそんな予感はしていた。アレには1リジュ程度の口径しかない拳銃弾では、余程近距離から撃ち込まなければ効果的なダメージを与えられないだろう。

 しかし、そう考えると今回はアーツでしか攻撃という攻撃は出来ない。こういう時に、自分にあまり秀でた物が無い事に不甲斐なさを覚える。

 例えばエマやエリオット君は武具が魔導杖の為、物理的な攻撃は殆ど出来ない――魔導杖を棍棒の様に振り回せば微々たる打撃は出来るだろうが、あの杖は一つの精密な導力器であり衝撃には強くなく、尚且つラインフォルト社の試験運用中の試作品という事もあって非常に高価だと聞くので棍棒扱い等もっての外だろう――しかし、その分二人はアーツへの適正は非常に高い。

 アリサの導力弓は確かに武器としては多少の非力さがあるかもしれないが、彼女はその腕である程度カバーしているし、彼女も彼女でアーツが得意だ。

 それに比べて私といえば……入学時から比べれば大分慣れたが、未だにアーツに少し苦手意識が有り、せいぜい良くて人並み、といった程度だと思う。

 

(やっぱり、私、こういう相手だと足引っ張っちゃってるなぁ。)

 

 導力拳銃の収まるホルスターがある右腰に目を落としていると、エマと何かを話していたリィンに声を掛けられる。

 

「多分、あの甲相手にはアーツが一番効果的だと思う。委員長は解析があるから、一番直撃を期待できる最初の一発はエレナだ」

 

 そしてリィンは、頼むぞ、と最後に付け加える。

 

「……う、うん……がんばる」

 

 すんなり頼りにされた事に驚いてしまった為にはっきりと声が出ない私の返事は、変にたどたどしいものになってしまった。

 

(あれ、私、これ意外と責任重大?)

 

 私の返事を聞いたリィンは間を置いてから皆を見渡す。

 

「これでどうかな。一応、授業で習った事を参考にして戦術として組み上げてみたんだが……」

「ん、まぁ文句なし」

「ふふ……流石リィンさんですね。実技教練の戦術指南の授業でも満点が採れそうです」

「指揮官の才能かも知れんな。中々様になっているぞ」

「少し悔しいが……これは認めるしか無いな」

 

 彼は少し自信なさげに頭を掻くが、私としては非の打ち所の無い戦術と思われ、同じく皆の反応も各々上々であった。

 ユーシスの言うとおり、リィンには指揮官の才能があると思う。

 

 

 ・・・

 

 

 リィンの掛け声と共に素早く、そして大きく振るった太刀の衝撃波が魔獣《フェイトスピナー》を襲った。

 赤茶色の硬そうな甲殻類の様な魔獣は思わぬ衝撃波に怯み、そのタイミングに合わせてフィーが走り込み銃弾を至近距離から数発叩き込んで撹乱し、更なる隙を生む。

 

「敵ユニットの抵抗を解析――」

 

 隣のエマが魔導杖を掲げて、情報解析《ディフレクション》を開始した。

 緊張か、全く動いていないのに私の鼓動が早くなっていき、ARCUSを手にする右手が手汗で濡れてゆく。

 

「――掴めました! エレナさん、水が弱点属性です!」

「わかった! 《ARCUS》駆動――!」

 

 危うく汗で滑りそうになりながらも、右手の親指が蒼耀石の結晶回路に触れ――アーツ駆動の魔法陣が赤い展開された。

(よかったっ……)

 無事に《ARCUS》がアーツ駆動中に移行した事に胸を撫で下ろそうとした時、フィーの声で合図が飛んだ。

 

「みんな、いくよ」

 

 その合図と共に、私は目を強く瞑る。最後に私の目に映ったのは、リィンが魔獣《フェイトスピナー》から遠退く様に跳躍する一方、フィーが手榴弾の様な物を投げつけようとする姿だった。

 

「――ほいっと」

 

 閃光弾の圧倒的な光量により、瞼の閉じた真っ暗な視界においても異常な程の光を感じる。

 眩い光の爆発が収まったのを閉じた瞼で確認し、視界が再び元の場所へ戻ると同時に――。

 

「食らえ!」

「いくぞ――斬!」

 

 マキアスの掛け声と共に散弾銃の大きな銃声が。

 そして間髪を入れず、真ん中に少々緑色の焼き付きが残る視界の中、ユーシスが甲殻の魔獣へ肉薄し横一文字に青白い斬光が放ち、続いてリィンが斬り込む。

 

 再びまた私の鼓動が早くなる――。

 

(まだ……? もう少し?)

 ついこの間まで使っていたものより一段階上位のアーツの為、駆動時間は少し増えている。しかしその”少し”が物凄く長く感じられた。

 

 隣のエマも既に攻撃アーツの駆動を始めている様だ。しかし、リィンの言う様に私のこの一発目が重要なのは変わらない。

 目の前では、再びマキアスの散弾銃が火を噴き、間を置かずにフィーとユーシスがそれぞれレイピアと双銃剣で斬り込んでいる。

 

 ここまでの流れはリィンの作戦通りに上手くいっている――魔獣は視力を失い、マキアスとユーシスの攻撃で著しく防御する能力を落としている筈だ。

(だからこそ――ここで私が決めなきゃいけない……!)

 他のみんなに聞こえるのでは無いかと思う程、私の中で鳴り響く大きな音が最高潮に達した時、私の周りの赤い魔法陣が消え去った。

 

「きたっ……! ――《フロストエッジ》!」

 

 身体の周囲から溢れた神秘的な青白い光が、その正反対の色をした魔獣を取り囲むように四方に集まった次の瞬間、それぞれが硬化し凄まじい冷気を帯びた氷の槍と化して襲い掛かった。

 四本の氷槍に四方から貫かれた魔獣の叫声が、峡谷に大きく響き空気を揺らした。

 

「よし! みんないいぞ! このまま一気に押し切ろう!」

 

 

 ・・・

 

 

 私とエマの前にいる四人がローテーションの様に断続的に攻撃を加えている。

 リィン立案の作戦は順調に進行していたが、やはり手配される危険な魔獣なだけはあってその体力は尋常ではなく中々倒れてはくれない。

 まだ長期戦という訳ではないが、既に戦闘開始から結構な時間が経っていた。

 隣のエマの身体の周りに帯の様に展開されていた赤色の魔法陣が消え、青白い水属性の攻撃アーツによって魔獣は本日三度目のアーツの直撃を受ける。

 

「十分か……そろそろ敵の視力が戻ってくる筈。気をつけて」

 

 フィーが淡々と皆に警告を飛ばす。先程の閃光弾の効果を失えば、この様に肉薄して安全に攻撃を加えることが出来なくなる。

 そして彼女の警告からあまり間を置かずに、硬質な物と金属の勢い良くぶつかる高い音が響いた。

 

「ぐっ……」

 

(……あっ……)

 鋭利な鉤爪をリィンがその太刀で受け止めているが、魔獣の凄まじい筋力に押し込まれつつある彼の表情は歪む。

 危うく――といったところで咄嗟にフォローに動いたフィーが至近距離から鉤爪を狙って銃弾を撃ち込み、事なきを得た。

 

「すまない、フィー。正直、助かった」

「ちょっと危なかったね。もっかい――」

 

 そこでフィーの声をユーシスの怒声が遮った。

 

「何をしている、早く撃ち込まんか!」

「うるさいぞ! 今やるところだ、見て分からないのか!」

 

 弾の装填に少し手間取り行動の遅れたマキアスだが、売られた言葉にはちゃんと反応しながら散弾を撃ち込む。

 

「――いくぞ!」

 

 散弾の直撃によって少しばかり体勢を崩れた魔獣に、細剣を構えて一直線に走り込むユーシス。

 構えた剣から華麗な多段斬りを放とうとユーシスが剣を上に構えた時、一瞬だが確実に時が止まった。

 

 呆然や唖然に近い、何が起こったのかわからないという表情のユーシスとマキアスの視線が交差し、彼の表情は直ぐに憤怒のものへと変わる。

 そのままユーシスの剣は振られるものの、その戦技はタイミングを逃してしまい中途半端にしか当たらず、魔獣の甲を小さく削る程度であった。

 

(なにが、あったの?)

 私が赤色のアーツ駆動の魔法陣越しに、二人の異変の原因に気付いたのはもう少し後の事であった。

 

 




こんばんは、rairaです。
さて今回は第2章の特別実習のオーロックス砦への道中の話となります。
怪盗紳士こと変態仮面とのお話は次回になってしまいました。

今回はリィンがⅦ組のリーダーたる所以の一つを入れてみました。
主人公パワーでクラスメートの人間関係解決を促し、結果的に解決に導いたのも彼がリーダーのポジションとなった主な理由だと思うのですが、リィンは結構こういう戦術指揮官タイプなのではないかと思います。軌跡シリーズ主人公恒例の攻撃UPクラフトの名前が彼は「激励」ですしね。

さて次回は…オーロックス砦&夕食…またあの変態仮面が出てきてくれますね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月29日 幻想は涙に流されて

 危ない! ――そんな彼の声と共に目の前でリィンが倒れた。

 

「リィンさん!?」

「リィン、血が、血がっ!」

 

 地に伏す彼の右肩から腕にかけて大きな傷跡を目の当たりにして、私は動転して悲鳴に近い声を発した。

 戦闘中にクラスメートの仲間の血を見ることは特段珍しい事ではない。例を挙げれば、先月の自由行動日での旧校舎地下でもガイウスが魔物の攻撃の直撃を受けている。

 だが、今回こんなにも激しくに狼狽したのは他でもなく”戦闘後”という認識であったからだと思う。

 安心しきって気が抜けた直後の出来事なだけに、そのショックも大きかった。

 

 もしさっきの魔獣の凶爪が麦穂を刈るように、彼の頸部を狙っていたら?

 

 そんな悪夢を考えると背筋が寒くなり、身震いしそうになる。

 考えれる範囲での想定で最悪の場合はあの場で仲間を、クラスメートを一人失っていた事になるのだから。

 

 あの時、ほんの数秒の間の出来事なのだが、私は然程詳しく覚えていない。

 戦闘中の戦術リンクの途中断絶というタイミングが悪ければ相当な危険を孕む出来事に、戦闘前までは互いに少なからず歩み寄りを見せていたマキアスもユーシスも激発。

 胸倉を掴み合って今にも拳が飛び交いそうな状態の二人へまだ力尽きていなかった魔獣が襲いかかろうとし、それに気付いたリィンが間に飛び込み盾となって庇った。

 リィンが倒れる中、真っ先にフィーは危険な魔獣を完全に沈黙させ、エマは迅速にリィンの傷の処置を行った。

 

 私はすぐ目の前を歩くエマとフィーの背中へと目を向ける。

 そして、薄っすらとではあるものの彼女達の背中の間を突き抜ける様に濃灰色の細い尖塔の先端部が見えており、目的地が近い事がに判る。

 リィンが怪我の為に先頭を外れて班の先頭を変わっているのは彼女達だったのだが、気まずい空気の為か精神的な緊張を明らかに感じているエマと呑気そうにその横を歩くフィーの姿は後ろから見ていても対照的だ。

 もっともこう見えても怪我をしているリィンへ無理をさせない為に、二人で歩くペースを落として一定に維持していたりするのだから流石とも言えるだろう。

 

 

 そして、後ろを振り返るとマキアスとユーシス、そしてリィン。

 リィンと目が合うと本当はまだ傷口は結構痛むのにも関わらず、それを微塵も感じさせない様な表情の顔で会釈をしてくれる。

「どうかしたのか?」と、まるで退屈な授業で視線をうろちょろさせている時に目があった時の様に。

 

 幸いにもリィンの傷はそれほど深くなく、エマの素早い応急処置もあって大事には至らなかった。

 それでも上着とワイシャツの鋭利な鉤爪で切り裂かれた跡から白色の包帯を覗かせる姿は痛々しい物で、今回の特別実習の間は激しい運動等は難しいかも知れない。

 流石にこの事を想定に入れてサラ教官が班分けを決めていたという事はまずあり得ないだろうが、この特別実習のA班は六人で一人欠けても5人――B班よりまだ1人多いのだ。特別実習の続行には支障は無い。

 

 問題は……この二人だったのだが、この二人は二人でリィンの怪我の原因となった負い目からか至って静かだ。色々と落ち込んでいるのかも知れない。

 少なくとも私も理由こそ違うだろうが”落ち込んでいる”という面では同じだった。

 咄嗟の判断で身を挺して二人を守ったリィン、迅速に危険を排除したフィー、怪我をしたリィンへ素早い処置を行ったエマ。彼らに比べて私は気が動転して何も気が利いた行動を取ることは出来なかった。

 

(はぁ……)

 

 本日何度目になるか分からない心の溜息をついた時、先程エマ達の背中の光景にうっすらと見えていた濃灰色の尖塔の本体がその姿を露わにしていた。

 峡谷道を抜けた先に目に入ったのは巨大な歴史のある古城オーロックス砦――”砦”となっているがその規模は最早”要塞”に近いのではないだろうか。

 私はこの立派で堂々とした城郭を見て、やっと一息つける事にほっと胸を撫で下ろした。

 

 この時は、領邦軍兵士への手配魔獣の討伐報告という一息を付く位で本当にすぐそのままバリアハートへ来た道を戻るとは思わず、途中に謎の飛行物体を見るなど不可思議な出来事を目撃こそしたものの、直ぐにそんな物は私の関心から外れてしまっていた。

 帰りの道中、余りに重い自らの脚に教会謹製の万能薬として名高い《キュリアの薬》を皆に黙って一つ使っても大丈夫だろうか、等という残念な思考に陥っていたのはご愛嬌である。

 

 

 ・・・

 

 

「うわぁ……お風呂広い!」

 

 体中くたくたになりながら今晩の寝床となる《ホテル・エスメラルダ》の自室に帰ってきた私達は、今その浴室に繋がる扉を開いていた。

 浴室の扉の目の前には私の間抜け面の映る大きな鏡と装飾の施された洗面台が、そして左手には――。

 

「三人一緒に入ってもまだ余裕ありそう」

 

 フィーの言葉通り、目の前の浴室の半埋込み式のバスタブは今まで見たこともない大きさであり、このホテルがこの広い帝国内で最高級の格付けにあるホテルであることを思い知らされる。

 

「あれ? シャワー無いよ?」

 

 あまりに広いバスタブだが、お湯を張るための蛇口はあるものの肝心のシャワーは無い。

 

「こっちがシャワールームみたいですね」

「バスとシャワーが別なんだ」

 

 エマが浴室の右手のガラスで仕切られた部分に顔を向けながら私の疑問に答え、フィーは不思議そうに眺める。

 

「こ、これは……お風呂、入りたいね」

 

 寮の自室より広いバスルーム、その豪華な装飾付きの洗面台に置かれるアメニティ類。その中でも特に入浴剤の種類の多さに驚くと共に、今すぐバスタブにお湯を張ってこの疲れた体と棒になりかけた脚をほぐし温まりたい気持ちが湧き上がってくる。

 

「ですね……でも……」

「流石にね……」

 

 私とエマは自然と顔を向き合わせて溜息を付く。

 リィン達男子とは7時位までに準備を終わらせて、その後夕食を食べに出るという予定を交わしていた。

 後1時間――極論三人一緒に入れるのだから、確かに――いや髪を乾かす時間やセットする時間を考えれば少々急がなければならないだろうか。

 少なくとも、人生でこの機会を逃せばいつ入れるか分からない帝国最高級ホテルのお風呂を楽しむことは出来ない。

 

「そんなにお風呂っていいもの?」

 

 今この場でお湯に浸かれない事に落胆する私達に不思議そうな表情を浮かべるフィー。

 

「フィーはお風呂好きじゃないの?」

「あんまり今まで入ったこと無いから。バスタブが無い所も多いし、やっぱり時間かかるから」

 

 私が聞くと、フィーは簡潔に返してきた。

 確かに帝国内でもバスタブが無い家やホテルはざらであるし、諸外国ではシャワーのみで済ます入浴習慣が無い国や地域もあるのだという。

 文化的なものがあるのは重々承知ではあるが、お風呂の楽しさを知らないのはそれはそれで人生の損だと思った。

 

「ふふ……それじゃあ、フィーちゃんも今晩は私と一緒に入りましょうか」

 

 このお風呂を使わないのは女の子として損ですよ、と続けてエマはフィーを誘う。

 

「ん……まあ、いっか。とりあえず、シャワーはどうする?」

 

 エマから少し目線を落として、話題を変えるフィー。少し照れ臭いのだろうか、それとも面倒なのだろうか。

 それ程嫌がっている様子ではないのは救いだ。

 

「フィーからでいいよ。今日一番の功労者だもん」

「そうですね。私は最後でいいので次はエレナさん入ってください」

「わかった。じゃ」

 

 返事をしながらフィーがその場でリボンを外し、赤色の上着と続いてプリーツスカートとブラウスが大理石の床へと落ちる。

 一分の半分も経たない内に、目の前の彼女は下着へと手をかけていた。

 

「ええっ……」

「どしたの?」

 

 まるで男子のような服の脱ぎ方をするフィーに驚いていると、きょとんとする彼女に訝しげに訊ねられた。

 

「う、ううん……女子同士でもそんなにパパっと服脱がれると、その……」

「意外と恥ずかしがり屋?」

 

 既に完全に一糸纏わぬ姿のフィーに、彼女が男子の前でもこんなことをしているのでは無いかと少し不安に駆られる。

 少なくとも、着替える時には他の人とタイミングを同じぐらいに合わせる派の私には絶対に無理だ。

 

 

 

 ・・・

 

 

 目の前に並べられた料理を見て、私が恥ずかしながらも感嘆の溜息を漏らしたのも数十分前。

 既にテーブルの上のお皿は殆ど空となり、それが皆文句無しにこのレストランの夕食に満足していた証拠だった。

 食後の会話は紅茶や珈琲と共に当初はこのレストラン《ソルシエラ》の話題であったのだが、その話題が一段落するとマキアスがそれ程強い口調では無く静かに確認するように”例の件”をユーシスへ直接問い掛けた。

 

「クロイツェン州での大増税に領邦軍の大規模な軍備増強……まさか関係が無いとは言わせないぞ?」

「別に否定はしない」

「やっぱり……」

 

 ユーシスは悪びれる様子を見せることもなく答えた事に、私も思わず声が漏れた。

 出来れば否定して欲しかったのは言うまでも無いが、流石にここで彼が否定してもそれは子供騙しの言い訳にもならないのも確かだ。

 

「だが問題の根幹は革新派と貴族派の対立にある。今日見た重戦車《アハツェン》など正規軍がどれだけ配備していると思う?」

「そ、それは……」

 

 言葉に詰まるマキアスの代わりに、「100台や200台じゃ無い」とユーシスの問い掛けに答えるフィーの言葉通り、相当数が正規軍へ実戦配備されている。

 正確な数は軍の広報や製造元のラインフォルト社に聞くのが一番だろうが、確実に言えるのは正規軍の方が圧倒的に多く保有しているという事だ。

 

「そう、帝国正規軍は強大だ。大陸でも最大級の戦力を保持していると言えるだろう。その七割を掌握する《革新派》に《貴族連合》が如何に……」

 

 ユーシスの言葉は地方領邦の領民である私には馴染み深いフレーズでもある。

 しかし、私はどうしても、お父さんのいる帝国正規軍と各州の治安維持を司る領邦軍との間が対立する様な事は信じたくなくて。

 既に心の中では諦めている一縷の望みを、大貴族の中の大貴族《四大名門》の東のアルバレア公爵家のユーシスの口から聞きたくて――気付けば私は椅子から立ち上がって食って掛かるように自分の言葉で続きを止めた。

 

「で、でも待って! 帝国正規軍は帝国を守る力で、皇帝陛下の軍隊なんだよ!? いくら《革新派》と《貴族派》が対立してても、地方も貴族様も守るべき帝国の――」

「一部、か?」

 

 私の言葉はユーシスの言葉と共に向けられた鋭い視線に遮られた。

 

「お前だって分かっているだろう、十年前ならいざ知らず今更そんな建前が既に意味をなしていない事を」

「それは……」

 

 反論できなかった。心でどれだけ信じていても、現実というのはそれを簡単に覆せる非情さだ。それに随分前から地元の州の地方紙では既に《革新派》の私兵かの様な扱われ方であるのも事実であるのだ。

 

「十一年前、それまで《四大名門》を始めとする名門貴族から輩出されていた帝国政府の宰相職に平民として初めて任命された《鉄血宰相》は、まず自らの支持基盤でもあった正規軍の人事に介入し、多くの貴族出身の将官を次々に要職から罷免・更迭していった」

「……確かにオズボーン宰相は汚職撲滅の為に政府や軍の上層部の刷新を図ったが……決して貴族だけを目的としてやったわけではないだろう?」

「建前はどうでもいい。実際、それ以来、帝国政府も正規軍も《革新派》に忠実――いや、そのものではないか」

 

 これにも誰も否定できなかった。

 流石に私も今まで自分の知らなかった帝国の歴史の一頁を、この様な説得力の有る形で突付けられて尚、ユーシスに食って掛かる勢いは無く椅子に再び腰を下ろした。

 マキアスは苦い顔をしており、隣のリィンやエマも難しい顔をしている。一体今、私はどんな顔をしているのだろうか。

 現在において《革新派》という単語は『帝国政府や正規軍内を中心とした帝都に本拠を持つ平民の政治勢力』という認識が正しい。

 ユーシスはマキアスの前なので直接言及こそしないが、マキアスの父であるレーグニッツ帝都知事がその地位にあるのもオズボーン宰相による地盤固めと無関係ではない筈だ。

 

「でも……それでも、正規軍を相手に出来る軍備が必要だから……その為に、大増税だなんて……」

 

 領民を守る領邦軍の増強の為に領民が苦しむなんて、あまりに本末転倒ではないか。

 

『たとえ地震、雷、火事、親父――は面倒臭えから行きたくねぇな。親父さんの相手以外ならみんなのヒーロー様のパルム市領邦軍詰所のフレール伍長様にお任せくだされ、ってな?』と幼馴染は言っていたではないか。

 

 しかし、私の脳裏に浮かぶ幼馴染の人懐っこい笑顔を掻き消して、ケルディックのあの領邦軍隊長の姿と言葉が思い起こされた。

 

『我々クロイツェン州領邦軍が各地を維持する上で最も重要なものが分かるかね?それはクロイツェン州を治める領主――アルバレア公爵家の意向に他ならないのだよ』

 

(そっか……領邦軍って、別に領民を守る軍隊じゃなくて領主の貴族を守る軍隊なのに……いつまで勘違いを信じるつもりだったんだろ……)

 

 子供でも分かるような簡単な事実があまりにも私にとっては受け入れ難く、私の沈みゆく心には《翡翠の公都》と呼ばれる壮麗な街並みの夜景が暗く光を失っていく様な気がした。

 

「地方の事は帝都庁の管轄外だが、父さんも『帝国経済への悪影響は避けられない愚かな真似』と言っていたぞ。共和国との緊張関係もあるんだ。貴族の都合で帝国の国力を――」

 

 マキアスが”軍備拡張”から”増税”そのものに切り口を換えたのは、それが諸刃の剣となるからであった。しかし、”増税”の影響の”大きな見方”を口にする彼の言葉は私を崖から突き落とすには十分だった。

 

「経済……じゃないよ……国力なんかじゃないよ……」

 

「エレナさん?」

「エレナ?」

 

 左耳から心配したようなエマとフィーの声が聞こえた。

 しかし、私は止まれなかった。

 

「経済なんかじゃないよ! 大増税で誰が一番困ると思ってるの!?」

「そ、そんなの決まっているだろう? 僕ら庶民――」

 

 帝国には三つの身分があった。一つ目は七耀教会の聖職者、二つ目は領主、三つ目は領民。

 前二つは基本的には納税の義務を課されることのない特権を持っており、二つ目に関しては三つ目への徴税権を持つ身分だ。

 現在においてもそれは大きくは変わらない――導力革命以後、急激な導力化による商工業の発展に伴い裕福な平民は増え、相対的に下級貴族の力が弱くなったとは言えるだろうが、未だ《四大名門》を始めとする大貴族は絶大な権勢を誇り巨万の富を持っている。

 

 たしかにこの場にいる六人の内、二人を除けば私を含め他の四人は三つ目だろう。

 しかし――三つ目の中に、私はもう一つ区切りがあると思っていた。

 

「マキアスは庶民っていうけど、ぶっちゃけ帝都の高級官吏のお父さんがいる時点で平均以上だよ! 私からすれば帝都やこの街みたいな大都市に住んでる人の殆どは恵まれてる!」

 

 都市と田舎、中央と地方。

 広大な国土を有す帝国においてこの格差は非常に大きく、未だ地方の辺境部では中世さながらの生活をおくっている村落は少なからず有るのだと聞く。

 そんな極端な例は置いておいても、導力化の進んだ都市部と地方部ではあらゆる格差が生じており、こと商業面では大きな影響を及ぼしている。

 

「バリアハートは大都会だから職人通りのお店はまだ値上げで転嫁できるかもしれないけど……! 帝国にはまだ沢山ある私の故郷みたいな小さな村や街は、商取引税が二倍になるような大増税には耐えられないの!」

 

 人口の集約する都市はその規模に比例して市民の購買力も大きくなる。勿論、都市には競合する同業他者との競争はあるだろうが、例え苦しくなっても試行錯誤することによって立て直す余地があるのに対して、地方の村落は独占できたとしても小さ過ぎる上に更に縮まってゆく質の悪いパイが相手であり、試行錯誤する余地は少ない。

 赤字を垂れ流して商売できる裕福かつ慈善的な店はなく、皆自らの生計を立てるために商売をしている以上、完全に採算がとれなくなれば店を閉めるという選択肢しか残らない。そうなれば、生きてゆく為には新しい職を探さなくてはならない。

 

「ただでさえ出稼ぎはずっと増えてて……どんどん人が出て行っちゃってるのに……」

 

 村落の中で新しい職に就くのは簡単なことではなく、現にリフージョの村から出稼ぎに出る人はここ十年で大幅に増え、当初は出稼ぎでも家族を呼び寄せて完全に出てゆく人も少なくない。

 それ以前に数少ない若者の多くも職を求めて、近場ではパルムやセントアーク、遠くは帝都やルーレ等行き先は様々だが、都会へと出ているのだ。

 何しろ私の父も正規軍の軍人として、幼馴染も領邦軍の兵士として村を離れ、私自身も今は学生としてではあるものの、多分、村には戻らずに軍人となる道を進もうとしている以上、その当事者と言っても差し支えない無い。

 

「……そういえば……今日街中で会った若いメイドの方もクロイツェン州の辺境からの出稼ぎでしたね……」

 

 思い出したかの様なエマの声に、私は今まで自分が立ち上がって大声で喚いていた事に気付く。

 目の前のユーシスが表情を崩さずにその透き通った水色の瞳を向ける。彼には軽蔑されただろうか。

 それでも彼には一言だけ続きがあった。

 

「貴族の領主様だってこんなことしてたら、本当に……」

 

 私を含めて地方領邦の領民は”貴族の領主様の統治の元、その下に自分たち領民がいる”という事を至極当然の事と理解している。私のような子供の世代でも、その親の世代もそのまた親の世代も、特に疑問を抱くこと無く受け入れてきた。

 それは数百年以上もの間、当たり前の様に続けられていたこの帝国の社会の在り方であり、それだけに今の帝都が平民の宰相と知事を筆頭に貴族と対立する様は、同じ帝国人として極めて異質に映っていたのは確かだ。

 

 だが、それはあくまで士官学院へ入学する以前の話。

 私は帝都近郊のトリスタに来て以来、色々な人との関わりや故郷では経験できないような様々な出来事を体験していた。

 士官学院に入学せずに酒屋の手伝いを今でも続けていたら、一生の内にこの東の公都バリアハートの地を踏み、高級ホテルに宿泊し、この様な高級レストランで食事をする事なんてまずあり得なかっただろう。それだけではなく、Ⅶ組のクラスメートの様な多彩な仲間を得ることもなかっただろうし、帝国各地を股にかけた特別実習では依頼を通じてその地の色々な面を知るという旅人も羨む経験もまず無い。

 そして、いままで何も疑う事も無く私が信じてきたものが揺らいでいるのを感じる事もなかっただろう。

 

 故郷にいた頃、私は小さな村の中から外の世界を見ていた。確かに都会は魅力的ではあったが、のんびりとした雰囲気の村が好きだった。

 つい去年までは、この村でいつか結婚して――子供を産んで――退役したお父さんが村に帰ってきて――店を継いで――いつかお婆ちゃんになって――そんな漠然とした未来をアゼリア海の潮風とレモンの香りと共に描いていたのだ。

 しかし、士官学院へ入学し故郷を出て私の視点が変わると故郷の村の姿は一変した。外の世界から見た故郷は本当に小さく、今にも崩れそうな危うい状況が浮き彫りとなり、次第に激しい焦燥感に駆られる様になっていた。

 

(お祖母ちゃん、お父さん、フレールお兄ちゃん、村のみんな……お母さん……)

 

「うちの村だって……無くなっちゃうかもしれないのに……」

 

 気づけば目の前にいるクラスメートの顔は歪み、その向こうのシックな作りの街灯の明かりが不規則に煌めく。

 頬を水滴が流れ落ちる感覚にやっと私は気づいた。

(……あ……私、今、泣いてるんだ……)

 




こんばんは、rairaです。

実は先週から急な用事で数日間自宅を離れていたのですが、タイミングの悪い事に出向いた先でインフルエンザを貰って来てしまいました。二十何年振りという大雪が降った翌日に、熱に耐え切れなくなって歩きで病院の緊急窓口へ向かうような経験は、流石に人生で最初で最後にしたいです。苦笑

さて今回は、第2章5月29日の特別実習のオーロックス峡谷道の後編と《ソルシエラ》での夕食後の話となります。
序盤部はマキアスとユーシスのアレの続きなのですが…二人よりリィンと女子組へフォーカスしてみました。因みに、リィンの怪我は原作より少し重めだったという独自設定を付けています。

そして後半部の最初は、主人公エレナがこれまで持っていた綺麗な幻想と理想が、現実という炎に焙られてゆく一幕だと思っています。
その後、彼女はマキアスのマクロ的な言葉が引き金に、爆発というか暴発してしまいますがマキアスは何も悪い事は言っていません。
マキアスの考えというより、帝都知事の考えを口にしただけですので行政機関の上に立つ者としては当然の考え方でしょう。
その点、エレナの爆発は我侭な部分が色濃く残されており、支離滅裂な部分も有ります。
彼女より酷い場所や境遇で育った子だってこの面子の中にいるのですしね。
でも、少なくともⅦ組の面子にはこの爆発は結構効きそうです。皆、優しいですし。
後半部は捏造設定が数多くあります、軌跡世界では導力化の影響があまり言及されてないので、もしかしたら現実世界の工業化の流れとは根本的に違うのかも知れませんが。

我侭娘の大暴走が長引いたせいもありまして、仮面の出番がズルズルと遅れて行っていますね…申し訳ないです。
次回も5月29日の夕食後~深夜となる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月29日 涙の後

 目の前のクラスメートの顔は私の涙で歪んでいる。

 心配そうなエマや驚きを隠さないリィン、複雑そうな顔をするマキアスとユーシス、フィーは無表情を貫いている。

 しかし、少なくとも笑って受け入れてくれる様な雰囲気ではないことは確かで、いきなり立ち上がり一人で喚き立て泣き始めた私に困惑を隠せてはいないしてい。

 

 やってしまった。例え”仲間”や”友達”等といった言葉で飾っても、実際ここにいる面子は数か月前までは見ず知らずの間柄なのだ。そんな彼らの前で自分の言いたい事を喚き散らせば、嫌われてしまうかもしれない。

 そんな最悪の可能性も脳裏に過る。

 

 ここで何かしら私の言葉でこの状況を打開するべきなのは分かるが、果たしてどうすればいいのか、何を言えばいいのか、全く思いつかないのだ。

 クラスメートからテーブルの空いた皿へと視線を落としながら、この場から逃げ出す事に考えが及んでいる事に気付いた時、私の後ろから予想外の助け舟が出された。

 

「おお、青春の悩みとはかくも美しく尊いものか――」

 

 今日の昼間にも聞いたことのある声。私の後ろにいるであろう、その声の主へと皆の視線が集まる。

 そして、私も後ろを振り返った。

 

「……ブルブラン……男爵」

 

 ちゃんと言えたかどうかは分からない。

 

「……君のその激情に身を任せる姿も、故郷の苦難に思いを馳せるあまりの儚い涙も美しいが――可愛らしい顔が台無しだ。これで拭いたまえ」

 

 ブルブラン男爵がそっと私の右手を手に取り、彼の衣服と同じ色の高級そうなハンカチをそっと掴ませてくれた。

 

「ありがとうございます……」

 

 ちゃんと聞こえただろうか、と少し不安になり目の前のブルブラン男爵を見上げると、彼は私が予想もしなかった行動に出た。

 彼の右手が私の上に伸び、そのまま頭にぽんっと置かれたのだ。

 

(な、な、撫でられてる!?)

 

「士官学校の諸君も無事に一日目を終えたようだな」

 

 頭を撫でられるという非日常の出来事に驚きの余り声の出ない私を横目に、ブルブラン男爵はテーブルを囲むⅦ組の皆へ声を掛け、それに対してフィーが彼にバリアハートでの成果を尋ねる。

 

「生憎、エレナ嬢以外との運命的な出会いには未だ巡りあえてなくてね。美とはかくも難しい……だからこそ尊いとも言えるのだが……これも私が貪欲すぎるのだろうかな」

 

 ゆっくりと優しく頭の上で前後していた掌が私から離れてゆき、彼の端正な顔が私に微笑みかけた。

 

「まあ、その調子で滞在を楽しんでいただければ幸いだ」

 

 公爵家の人間として、旅人の貴族にそう声を掛けるのはあくまで社交辞令の一環だろう。

 若干、ユーシスの表情が引いていたのも確かだが。

 

 しかし、目の前のブルブラン男爵は何を思ったのか悪趣味かつ不謹慎な冗談を飛ばす。

 このバリアハートの主である《四大名門》アルバレア公爵家の人間であるユーシスの前であるのにも関わらず、だ。

 

 ブルブラン男爵の不謹慎過ぎる言葉にはエマやマキアスからも批難の言葉が出る程で、彼はこれに対して心の篭もらない謝罪をする一方、意味深な言葉を残して去って行ってしまった。

 

 その去り際、彼は私に近づき、耳元で一言囁く。

 

「――君はどうやって乗り越える?」

 

 

 ・・・

 

 

「さっきはあんなに、その……怒鳴って……みんな、ごめんね」

 

 正体不明のブルブラン男爵の話題が一段落し、お会計も終った頃、そろそろホテルに帰る雰囲気になるのを感じた私はやっとの思いで先程の事について謝っていた。

 間違った事を言ったつもりは毛頭ないが、少なくとも喚き散らした事には代わりは無いのだから。

 

「ああ、俺は気にしてないよ。それに少し新鮮だったかな」

「ええ、確かにそうですね」

 

 改めてⅦ組に色んな人が集まっているという事が良く分かった、と纏めてくれたのはリィンとエマ。

 私としては救われた気分だが、どちらかといえば大きな問題は彼らではない。

 

 マキアスとユーシス。それぞれ代弁者という訳ではないが《革新派》と《貴族派》の主張を色濃く受けている二人。

 私も二人の話の流れの中、どうしても止まれなくなってしまったのだ。

 

 左隣に座るマキアスを見ると、彼は少しわざとらしく咳払いをしてから言葉を紡いだ。

 

「……君がさっき言ったことも正しいのだろう。悔しいが、僕は帝都という街からしか問題を見ていなかったのも確かだしな」

 

 そこまで言ったマキアスは対面に座る、ユーシスへと目配せする。そんな彼の優しさが少し嬉しかった。

 

「俺も増税に関しては同意見だ。増税は長期的に見れば確実に領主としての貴族の力を削ぎ落とす。……《鉄血宰相》の思う壺だな」

 

 《革新派》への対抗する軍備増強の為の大増税によって大きな打撃を受けるのは、他ならぬ《四大名門》の各州の貴族領邦なのだ。

 対照的に帝都を始めとする帝国政府の直轄地は貴族領邦より低税率となり、産業の移転やそれに伴う更なる人口の移動も見込めることによって、帝国内での勢力が強化される事となる。

 

「……あるいはもう既に近い内に――」

 

 独り言のようにそう続けたユーシスは、すぐに首を横に振る。

 

「いや、これ以上仮定でこの話題を続けても仕方ないな」

 

 ユーシスは自分に言い聞かせるように会話を終わらせると、リィンが席を立った。

 少し早すぎる気もしたが、レポートもまだ残している私達はそろそろホテルに戻りたい時間なのも確かだ。

 

「ねえ、ユーシス?」

 

 私はこのレストランのテーブルについた時から気になっていた事を、彼に直接聞くべく呼び止めていた。

 本当は店の人に聞くのが一番なのだろうが、こんな高級レストランのウェイターに自ら話しかけれる程私は自分に自信が有るわけではない。

 

「どうした?」

「このお塩って昼間の峡谷のお塩?」

 

 私はテーブルの上に置いてある調味料の小瓶に入る薄ピンク色の塩を手にとって彼に訊ねた。

 

「ああ、そうだが」

 

 それがどうした?、とでも言いたそうな不思議そうな顔をするユーシス。

 

「へえ、やっぱりそうなんだ」

 

 俺達も戻るぞ、とだけ言うと彼は店の前で待っている皆の元にスタスタ先に行ってしまう。

 そんな彼の後を追いながら、私はどうしてユーシスがあのピンクソルトの場所を知っていたのか、少し不思議に思っていた。

 

 

 ・・・

 

 

 常夜灯の決して明るくない室内の天井をぼんやりと見つめていた。

 体を預けているベッドは柔らかくこの身を包んでくれる。

 

 ちょうど今、エマとフィーはあの大きなお風呂に入っている。たまにエマの悩ましい声がするのはフィーの悪戯だろうか、まあ彼女がお風呂を楽しんでくれているのならば何よりだ。

 もっとも、三人で入るのは遠慮しておいて正解だったかも知れないが。

 

 あれだけ喚き散らした私を、Ⅶ組のみんながいつも通りに接してくれたのには感謝してもしきれない。

 直後は確かに皆戸惑っているようではあったが、ブルブラン男爵が去った後には普段通りだった。そういう意味ではブルブラン男爵にも感謝すべきなのだろう。あの場を取り持ってくれたと言っても過言ではなく、彼が来てくれなければ私はあの場から逃げ出していたかも知れない。

 

 ――君はどうやって乗り越える?――

 

 ブルブラン男爵の囁く声が今でも脳裏に木霊する。

 彼は大きな問いを残していってくれていた。私が喚き散らした事が問題ならば、その解と解き方を問われたのだ。

 

「そんなのわからないよ……」

 

 このままではリフージョの村は遠くない未来に地図から消える。

 増税は《貴族派》が《革新派》に対抗する為に軍備を整備する資金を必要としてのことであり、両者の対立関係が根本的に解消されなければ撤回は難しいだろう。

 領民の事を考えていない様な増税をする《貴族派》が悪いのか、それともユーシスの言うように元々の対立の原因を作った《革新派》が悪いのか、そもそもの根幹にあるのは何なのだろうか。

 バリアハートの貴族の人は苦手だ。そればかりか、いま思い出すだけでも嫌悪感さえ感じる。貴族の人が皆、リィンやラウラや……ルーファスさんの様な人であればいいのに。それと同時に、私の頭の中には領主である貴族に従って当然という”常識”もあるのだ。

 《貴族派》が悪いの?それとも《革新派》が悪いの?

 今、私にこの疑問の答えは出せなかった。

 

 高そうな備え付けのクッションを力を込めて抱き締める。

 

「ねぇ……教えてよ。フレールお兄ちゃん……」

 

 私は勉学以外の人生において必要な事の半分は家族から学んだ。そして、残るもう半分はフレールお兄ちゃんから教わったといっても過言ではないだろう。

 しかし、それだけの時を共に過ごしてきた相手は既に隣におらず、目を瞑ってもそこには彼の姿はなかった。

 

 

 次に私が気付いた時、明かりが消された暗闇の部屋だった。

 あのまま眠りに落ちてしまったのだろう、腕の中で少し形の変わったクッションに目を落としながら思う。

 ちゃんと布団が体に掛けられていたのはエマがやってくれたのだろうか。

 

 上体を起こして窓の外を伺うが、日の出の気配は無い。つまり未だ深夜であり、起きるには早すぎることは間違い無さそうだ。

 

「どうしたの?」

 

 隣から突然声をかけられた。

 フィーが布団の中から頭だけを出し、顔をこちらに向けている。

 

「ご、ごめん。起こしちゃった?少し目が覚めちゃって」

 

 そんな物音を立てた訳でもないのだけど、起こしてしまったのなら一応謝るべきなのだろう。

 

「ん。まだ夜が明けるまで結構時間あるし、ちゃんと寝とかないと辛くなるよ」

「そ、そうだね……」

 

 至極当然のことを指摘され、私は再び布団の中へと体を埋める。

 

「寝ないの?」

「そ、そんなにすぐには寝れないよ……」

「そんなものか」

 

 寝ようと思ってすぐ寝れるのならば苦労はしない。今の様に目が冴えてしまった時は、特にだ。学院にいる時の朝はあんなに起きるのが苦痛で、二度寝は甘い誘惑なのに不思議なものである。

 

「じゃあ、一つ聞いていい?」

「うん?」

「あの変なオジサンと、どんな関係?」

 

 一瞬、”変なオジサン”について頭の中にクエスチョンマークが溢れるが、それも一瞬。

 少なくともフィーと私が共通して知っている”変なオジサン”は一人しかいない――そう、ブルブラン男爵。

 

「ど、どんな関係って……そんな、変な、いかがわしい事じゃ!」

 

 私が年上好きである事は認めざるを得ないが、あそこまで歳が離れている人は流石に難しいし、あんな変な人は出来れば対象外としたい。

 そりゃあまあ、後々考えると髪が崩れるので勘弁して頂きたかったが、先程は頭撫でられたりと多少は心を許してしまった感はある。

 しかし、あの状況で突然あんな事をされれば拒否することも難しいと思う。相手は少なくとも自称疑惑はあるが、貴族様かも知れないのだし。

 

「……そういう関係じゃなくて。間柄っていうの?」

 

 明らかな呆れ顔を浮かべるフィー。

 

「あはは……一応、昼間に言った通り、士官学院の入学式の前に一回会っただけなんだけど……」

 

 誰がどう言おうと、私はブルブラン男爵に会ったのは3月30日のパルム駅の待合室と今日だけだ。

 その他で会っていたとするなら、あんな強烈な印象の人を忘れていたことになるのだ。自分がそれ程頭の良い部類でない事には納得出来るが、あの人を忘れるほど頭の性能が悪いとは流石に信じがたい。

 

「ふーん」

 

 フィーの瞳に多少疑いの色が混ざっている気がする。

 

「あの人、すごく怪しい。冷たい目をしている」

 

 確かに思い出すと少し怖い瞳をしていた様な気もしなくもない、黄色の瞳。

 

「戦場でよく見る目に近いけど、どこか違うかも」

「せ、戦場って……」

 

 サラッと彼女は私には縁遠い言葉を口に出す。

 しかし、私がこの言葉を聞くのは今日二回目だ。いや、もう日付を回ってしまっているので、”昨日も聞いた”になるのだろうか。

 彼女もクロウ先輩も通じるものが有る気がする。勿論、二人共銀髪だとか容姿の話をしているのではなく――こう、何故かその言葉が似合う様に感じてしまうのだ。

 

「でもあの人、エレナにだけは違う目をしてる」

「え……」

 

 意外な彼女の言葉に驚く。同時に、こうなると否が応でも本気でブルブラン男爵の正体と私だけ特別扱いの理由が気になる。

 最初にあった時、彼は青春がうんたらかんたらと言っていたような……。

 

「ま、変なのに気に入られただけかもね」

 

 私が記憶を手繰り寄せて思考の渦に入り込もうとしてたのを察したのか、フィーが適当にこの話題を打ち切り、ここで会話が止まった。

 もうブルブラン男爵の事は置いておこう、あんまり想い人以外の男の人の事を深く考えるのも気が引ける。それに、なんとなく近い内にまた会うような気もするのだ。多少、複雑だが。

 

 フィーは既にこちらには背中を向けてしまっていたが、私はなんとなくここで会話を止めるのは勿体無いと思ったのだ。

 そんな思いから、私は今までの疑問を少しフィーにぶつけてみることにした。

 

「ねえ、フィーってやっぱり外国から来たの?」

 

 入学したての頃から思っていたのだが、今日のお風呂の件といい彼女は少し帝国人離れしている所がある。

 

「まあ、そうなるかな」

「どこの国から?」

 

 この質問をした時、私は自分の浅はかさに軽く後悔した。

 何故なら私の外国に関する知識は大したことはなく、一般人レベルとしか言えない程度だ。東にカルバードがあって南にリベールがあると言うぐらいしか知らない。知らない国の名前を告げられたらどうしようかと悩む私に返って来た答えは、それとはまた違う意味で困るものだった。

 

「そう聞かれると難しいかも」

「え?」

 

 どこの国、と聞かれると難しい?

 国じゃないところから来たのだろうか等と考えていると、察してくれたのか直ぐに彼女はその疑問に答えてくれた。

 

「小さい頃から大陸中を飛び回ってたから」

 

 どう答えればいいのだろうか。

 人には色々と事情があるのは分かるのだが、流石に想定外過ぎだ。

 大陸中を飛び回るというのは何なのだろうか、親が行商人や船乗り?いや、しかし家族も一緒に飛び回るというのは中々無い様な気もする。

 

「……家庭の事情……とか?」

 

 少しの間を開けて、ある意味わかりきったような月並みな事しか言えない自分が情けなくなる。

 私の方から話を振ったというのに。

 こんなこと言うぐらいならば、内容こそ無くても「すごい!」とか「羨ましい!」等の方がまだ良かったのではないだろうか。

 

「ん。そんなとこ」

 

 彼女がそう答えたっきり、私は気が向いた言葉を続けることが出来なかった。

 

 

 ・・・

 

 

「――レナさん……エレナさん……」

「んぁ……」

 

 何者かに肩を揺さぶられ、私の口から言葉にならないと惚けた声が漏れる。

 

「もう起きないといけない時間ですよ」

 

 そんな声と共に私の体が仰向けにされ、陽の光が顔に直接当たり始める。

 目をつぶっていても感じる眩しさに、枕を抱き締めていた腕を上げ、未だ満足に開かない重たい瞼を擦りながら惰眠を妨害する声の主の顔を見た。

 後光が差す中に浮かぶのは、古風な丸眼鏡を掛けている私達の委員長であるエマ。

 

「ほら、エレナさん。早く起きてください」

 

 隣ではフィーだって未だ寝ているではないか――いや、前言撤回。彼女は制服に着替え、用意を済ませてから寝転がっている様だ。

 つまり、この時点で着替えを済ませていなくて、まだ寝間着でベッドに篭っているのは私だけということになる。

 

「あと……5分……」

 

 エマにモラトリアムを一方的に主張しながら、掛け布団を引っ張り顔をその中へと隠す。

 慣れとは凄いもので、先月まで文句無しにⅦ組で一番早起きだった私も早起きの必要が無くなった為か、今では二度寝の眠り姫と化してしまっている。

 寮では誰かしらが起こしてくれるので遅刻こそしていないが、何かの拍子に忘れられる様な事があれば確実に寝坊する事は間違いない。

 

 結局、「起きないと私が着替えさせますよ?」という恐ろしい最後通牒に屈し、いそいそとベッドから体を起こして着替えにかかることとなる。

 いくら女子同士であっても、この歳でクラスメートに着替えさせらたりするのは、羞恥心どころの騒ぎではなく自らの尊厳に関わる一大事だ。

 

 着替えを済ませた後、浴室の洗面台の前で歯ブラシを咥えながら、私は大きな鏡に映る自らの姿を確認する。

 肩に掛かるくらいの茶髪が寝癖でミョンミョンとハネている。まさに無造作ヘアやボサボサヘア、とでも言うべきだろうか。

 そういえば昨晩はお風呂から出た後、ちゃんと髪を乾かさずにそのままベッドに寝転がったのだっけ。

 

 リィン達男子には間違っても見せれない姿をした鏡の中私が、大きな溜息をついた。

 




こんばんは、rairaです。

仮面さんの再登場です。気まずい雰囲気に陥ったエレナに助け舟を出したのは他でもない彼でした。
この物語内では良い人面を多少なりとも強調している彼ですが…実際、「閃の軌跡」原作では何の為にⅦ組をストーキングしていたのでしょうね?
その理由次第では続編で大きな出番があるのかと勘繰ってみたり。…クエストの対象物がマップに出るシステムになった以上、彼の迷惑度も劇的に下がりましたしね。

次回は5月30日、特別実習二日目となる予定です。
段々と2章も終わりが見えてきましたね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月30日 ハーブの香りの記憶

「生誕祭も記念祭も大っキライだーっ!! うおおーっ!!」

 

 オーロックス峡谷に響くある男の心からの叫び。

 

「あばよーっ! 僕の青春ーっ!!」

 

 谷底に向けて辛い過去を吐き出すかのような叫びを終えた二十歳前後の男は、吹っ切れた顔をしてこちらへと戻って来る。

 彼と私のクラスメート達が二三言会話を交わした後、再びバリアハートへと向けて歩き出した。

 

 二日目の課題の依頼に出発しようとした朝、何やら夜の内に男子部屋で秘密のやり取りがあったようで……なんかこう考えると少しいかがわしいかも?まあ、とにかくそのやり取りをこっそり聞いていたのを自らバラしてしまったマキアスがユーシスと和解した。本人は絶対に認めないが、多分あれは仲直りだろうと思う。

 その直後、丁度公爵家の執事によって実家に呼び出されたユーシスが班から離れてしまい、午前中は5人で活動する事となって今に至るが特に問題無く活動をこなせていた。

 つい先程まで昨晩お世話になったレストラン《ソルシエラ》からの依頼で料理の材料を集めるべくオーロックス峡谷道を進んでいた私達だったのだが……砦近くでこの”遭難した”外国人旅行客と遭遇し、少し変な人で心配ということもあり街まで彼を送り届ける道中にあった。

 

 最後尾の私の隣を歩く彼――アントンと名乗った男の人を眺める。顔は冴えないかも知れない。服は……少し微妙かも知れない。

 

(まあ、悪い人では無さそうなんだけど……)

 

 そんな事を考えていると、私の視線に気付いたのか彼と目が合ってしまった。

 

「……お祭りに何か嫌な思い出があるんですか?」

 

 この距離で目が合ったのを知らんぷりする事は流石に出来ないので、先程の彼の珍行動について聞いてみた。

 

「ああ……うん……ちょっと古傷がね……でも、もう大丈夫。なんたって君達救世主が来てくれたからね。クロスベルは嫌な事ばっかりでダメダメだったけど……エレボニアだと本当の自分を見つけれそうだよ」

「えっと……クロスベルの方なんですか?」

 

 私は特別抵抗がある訳ではないのだが……それでもほんの少し戸惑ってしまう。

 クロスベルの人のイメージといえば私を含め殆どの人が真っ先に浮かぶのが”お金持ち”だが、その次以降はあまり良いものではない。

 基本的に帝国ではクロスベル人はあまり良くは思われていない。帝国の版図の中に在るのにもかかわらず帝国の長年の宿敵であるカルバードとの繋がりも深いというだけで蔑みの対象であるのに、彼らは近年目ざましい経済的発展を遂げる最先端都市で繁栄を謳歌しているのが更に拍車をかけているのだ。

 

「あ、出身はリベールなんだ。ついこの間までクロスベルの方を旅行していたからね」

「リベールの……」

 

 私の中で戸惑いが一気に反対側へと振り切る気がした。これはもしかしたら絶好の機会かも知れない。

 私はお母さんの故郷のリベール王国の事をあまり知らないのだ。お母さんは私の小さかった頃に病気で死んでしまっていたし、故郷のリフージョが国境沿いあることは知っていても両国の間にはクローネ連峰の山々が聳えており、何しろ私の子供の頃は《百日戦役》もあって両国関係は未だその禍根を残していた。

 そしてお父さんは、あまりお母さんの国について話さない。

 

「ど、どうしたんだい……?」

 

 アントンさんが怪訝そうな、だけど少し怯えたような顔をする。

 

「あ……えっと、少し嬉しいんです」

「え?」

 

 隣を歩くアントンさんが目を丸くして驚いている。

 この人はいちいちリアクションが本当に面白い。きっととても表情豊かな人なのだろう。

 

「私、お母さんがリベールの人で。実家もリベールとの国境沿いの村で少し縁が有るんです」

「へぇ……道理で……」

 

 道理で?

 やっぱりリベールの人から見ると、私も半分はリベール人の血が流れているのだからリベール人に見えるのだろうか。今まで誰かに指摘されたことは無いのだけども。

 

「ロレントあたりにいそうな娘だなぁって……。優くて……そのなんでも包み込んでしまうかのような包容力……まさかこれは……運……」

「ロレント?」

 

 後の方は小声にフェードアウトしていってしまった為に聞き取れなかったが、それでも聞き慣れない名前だ。

 きっとリベールの地名なのだろうけど、学院に帰ったら調べてみようかな。

 

「こ、コホン! そういえば、君のお母さんはリベールの何処出身なんだい? もしかしたら、僕と同じグランセルかも……」

「ルーアン市です。私は行ったことはないんですけどね。写真でも見たことあって、とってもいい場所っていう話も聞くのでいつか行ってみたいんです」

「じゃ、じゃあいくかい!?」

 

 アゼリア湾に面した白い街並みで有名な、リベール王国の海の玄関口であるルーアン市を頭に思い浮かべていた私を一気に現実に引き戻すアントンさん。

 私が突然の大声に驚いて彼の顔を見ていると、少し開いた間を繋ぐようにおどおどしながら彼は続けた。

 

「あ、その……僕、これでもルーアン近くの王立学園の卒業生でさ! 昔はよくルーアンや近くのマノリア村なんかしょっちゅう遊びに行ってたんだ。だから……その……もし君がリベール旅行に来るなら……もし良かったら、是非、是非とも、案内してあげても、いえ! させて下さい!」

「ほんとですかっ? すっごく嬉しいです!」

 

 リベールの人は親切で誠実とよく言われる。私はそんな昔聞いた国民性の話を思い出しながら、こんな私のような見ず知らずの外国人に自分の国の案内を買って出る彼に多大な感銘を受けていた。

 そして、やっぱりお母さんの国の人と話せることが嬉しくて、我ながら少なからず興奮しているような気もする。

 ただ彼の申し出はとても嬉しいが、やはり謝っておかなくてはいけないだろう。

 

「でも……ごめんなさい」

「え……?」

「私、士官学院の生徒なので外国に旅行なんてとてもじゃないですけど無理なので……近い内とかには……」

「そ、そんな……あぁ……」

 

 そんなこの世の終わりのような顔をしないで欲しい。私だってこんな事を言うのは嫌なのだ。出来るものならなら今からバリアハート駅の列車に駆け込んでいる。

 

「ですから、本当に、本当に申し訳ないのですけど! 再来年、私が卒業した後にお願いしてもいいですか?」

「……え? ……ああ! もちろんだよ!」

 

 先程と打って変わって太陽の様にキラキラと輝く笑顔で受け入れてくれた、アントンさん。

 

(やっぱり、話してて楽しい人だなぁ……)

 

「えへへ、ありがとうございます。実はリベールの人と話すの初めてで、私すっごくワクワクしてるんです! リベールのこと、もっと色々教えて下さい!」

「じゃ、じゃぁ……どこから……そうだ! 王都の武術大会っていうのがあって……その結構良いデート――」

 

 

 ・・・

 

 

 ワイワイと急に賑やかなになった二人より数アージュ前方を歩くⅦ組の面々。

 

「エマ、エレナに相手させたのは正解だったのかな?」

「ええ……まあ、色々と突っ込みどころはありますけど……二人共も楽しそうにお話してますし……」

 

 フィーの問いに乾いた笑いを浮かべるエマ。

 

「なんか変なの専門だよね。意外と罪な女?」

 

 昨日は技術棟の変な女の先輩と白装束の変なオジサン、今日は道中で遭難する外国人旅行客……と続けるフィー。

 確かに中々濃い面子だ。

 

「まあ、仲良くなることは良い事じゃないか」

「……鈍いにも程があるな……彼女も、君も……はぁ」

 

 満足気に頷くリィンにマキアスは盛大に溜息を付いた。

 だめだこりゃ、と。

 

 

 ・・・

 

 

 アントンさんと一緒にバリアハート市内に帰って来た私達は、丁度駅前で彼の親友で相棒のリックスさんを紹介されることになる。

 リックスさんもアントンさんの相棒なだけあって中々に面白い人で二人で凸凹コンビなのだろうか、ああいう2仔1みたいな親友は素直に羨ましかった。

 私としては名残惜しいものの午前中の課題もまだ残っている事もあって、彼らとはすぐに別れ、その後課題の依頼主の待つレストラン《ソルシエラ》を訪れていた。

 

 昼前のまだお客の少ない《ソルシエラ》豪華な造りの一階のテーブル席に運ばれて来た料理は、私達が依頼を受けて集めた材料によって作られた《特製ハーブチャウダー》。教会から譲ってもらった薬草《キュアハーブ》を始め、数種類のハーブが良い香りを立てているクリームがベースの白色のスープが運ばれてきた時は、思わずよだれが垂れたのでは無いかと心配になる程だった。

 

「どうでしたか、皆様。お味の方は?」

 

 目の前のスープを美味しく平らげ終わった頃、このお店のオーナーで依頼主の、そしてこのスープを作ってくれたハモンドさんに私達は味の感想を訊ねられた。

 一同皆、不満なく美味しかったことを伝えると彼は優しく顔をほころばせて頷く。

 

「ちなみにこのスープは、懐かしのメニューということですが……ユーシスもよく飲んでいたんですか?」

 

 リィンの質問をハモンドさんは嬉しそうに肯定する。なんでも、ユーシスの大好物なんだとか。

 帰ったら作って驚かせてあげようかな――いやいや、私は何を考えているんだ。男子に料理なんて振る舞ったことなんて無い癖になんて事を。それにユーシスは完全な外食派なのだからまず機会が無いだろうに。

 そこそこ皆で自炊する女子とは違って男子達はそれぞれ適当に朝昼晩を済ましている。但し彼らが寮で自炊しないという訳ではなく、たまたまその場に居合わせたお陰で食べさせて貰ったエリオット君のオムレツは本当に美味しくて頬が落ちそうになった。もっとも、彼のその腕に嫉妬して、悔しかった思い出なんかも付属するのだが。

 

「このスープのレシピを考え出したのは私の妹。つまり、ユーシス様の母親なのです」

「そうだったんですか……」

「へえ……え!? ユーシスって……」

 

 さも当然の様に反応するリィンに危うく釣られてしまいそうになったが、ハモンドさんの妹がユーシスの母親ということはこの眼の前の気の良さそうな料理人はユーシスの伯父ということになる。なるほど、だからユーシスはここのお店の味で育ったと言っていたのか。伯父として、昔からきっとユーシスの成長をその温かい瞳で見守ってきたのだろう。

 しかしそうなれば彼は東の公爵家であるアルバレア公爵家の親族ということになるが……あれ?

 横では隣に座るエマとフィーがハモンドさんがユーシスの伯父という事実にそれぞれ驚きを口にする中、私は違和感を感じていた。

 

「ああ、そういえばまだ三人には話していなかったな」

 

 と、少し申し訳無さそうな顔をするリィン。どうやらマキアスは知っているようだ、もしかしたら深夜の男子部屋の内緒話はこの事なのかもしれない。

 ハモンドオーナーもそれに少し同調する。もっともこちらの方は、ユーシスが私達に伝えていたか否かということだと思うが。

 

「こんなに美味しいスープを作るぐらいですから、料理の得意な人なんですね。いいなぁ」

「そうですね……」

 

 そう呟くハモンドさんは一旦おもむろに目を閉じる。そして、再び瞼を開いて続きを語ってくれた。

 

 どうやら彼の妹――ユーシスのお母さんは昔はこのお店を手伝っていた程の料理の腕前をしていたという。

 このスープは昔、頃体調を崩した幼いユーシスの為に作ったもので、わざわざユーシスのお母さんは教会まで足を運んで身体に良い薬草を貰ったのだという。そして、それをまだ小さいユーシスが美味しく食べれる様に何度も工夫したのだとか。

 言葉伝いにも分かる母親の愛がそこにはあった。

 

 ハモンドさんの口調からユーシスの母親がもう今は亡き人だということを悟り、無神経な事を口に出したことを後悔すると同時に、彼の話でもう一つ重要な事実を私は知った。

 ユーシスはおそらく庶子――アルバレア公とその奥さんの間の子供ではなく、愛人との間の婚外子であるという事だ。

 少なくともユーシスが当時からアルバレア家の人間としてあの御屋敷にいれば、その彼のお母さんが教会まで薬草を貰いに行くなど言う事はあり得ないだろう。

 使用人を教会まで使いっ走りすればいいだけの話であり、それ以前に教会から人を呼び付けることだって可能だろうと思う。

 ということはユーシスは……ある程度大きくなるまで平民としてお母さんと暮らしており、その後アルバレア家に引き取られたということになる。

 

 昨日のアルバレア公のユーシスへの接し方といい、今の親子関係はあまり良くはなさそうだ。幸いにもお兄さんとの関係は良さそうなのが救いだが、ユーシスは決して楽ではない人生をおくってきたのだろう。

 

「あ、マキアスがユーシスのこと考えてる」

 

 先程から難しい顔をしていたマキアスをフィーが茶化し、顔を赤くしたマキアスがムキに否定する。

 朝の件もある事だしあのマキアスの事だ、きっと私と同じようなことを考えていたのだろう。

 

「あ、あの……ハモンドさん!」

「どうされましたか?」

「お店のこのお塩って……」

「ああ、気付きましたか。峡谷の岩塩ですよ。世間的にはピンクソルトなんて名前で知られていますね」

「実は私達、昨日の昼間にユーシスに連れられてその岩塩を採りにいってて……」

「ほお……そうですか」

 

 ハモンドさんが懐かしそうな笑みを漏らす。

 

「……ふふ、きっとあの場所なのでしょうな。昔、私と妹と……そして、ユーシス様もよく一緒に採りに行ったものです」

「やっぱり……」

「そういえばあの時のユーシス、少し様子が変だったな」

「昔の事を思い出していたのかもしれませんね……」

 

 昨日から気になっていたことだが、今日ここで話を聞いている内になんとなくそんな気がしていた。

 

「最近は魔獣も多くなってしまい早朝の散歩がてらというのは難しく、商店から仕入れておりますが……。時の流れは早いものですな……あんなに小さかったユーシス様も本当にご立派になられた……」

 

 今は公爵家の御屋敷に出向いているために、この場にいないユーシスの事を思いを馳せるハモンドさん。

 少しの間を置いてから、彼は少しすまなそうに私達に謝った。

 

「ふふ……少しお喋りが過ぎましたかね」

 

 出来ればユーシス様にも召し上がって頂きたかったのですが、と続けた残念そうな彼の顔には不安の色も混じっていた様な気がした。

 

 

 ・・・

 

 

 ――ユーシス様は大貴族として振る舞わねばならないがゆえに尊大に見える所がございます。喧嘩になる事もありましょうが……ご学友の事は大切に思われている筈です。どうか仲良くして差し上げて下さいませ――

 

(そっか……)

 

 ハモンドさんからの別れの際に告げられた言葉は、今まで私が察することの出来なかった事だった。

 ユーシスの事を私は”大貴族だけど悪気は無くて根は優しい良い人”ぐらいにしか思っていなかったのだが、普段の少し上から目線の態度は”そう振る舞わざるを得ない”大貴族の子弟としての立場がそうさせていたのだ。

 庶民の田舎娘の私には貴族社会の実態はわからない。しかし平民が考えた貴族像に当てはめて考えても、彼がただならぬ困難な道を歩んできた事ぐらいは容易に想像がつく。

 それに比べて私のお気楽さといえば……。先月、ケルディックからの帰りの列車の中で明かされたリィンの出自もそうだ。皆、抱えるものがあるのだ。

 

「さて、とりあえず一通り依頼も終ったことだし……そろそろ正午だしホテルでユーシスを待とうか」

 

 《ソルシエラ》の建物を出た私達はリィンの提案通りに、直ぐ目の前のホテル《エスメラルダ》のエントランスへ中央広場の噴水の前を通って目指して歩く。

 途中噴水の水しぶきから放出される微細な水の粒で湿度が上がり、辺りが少し涼しくなるのを気持ちよく感じていた直後。

 

「いたぞ!」

「間違いない、包囲しろ!」

 

 騒々しい足音と共に中央広場に現れた領邦軍兵士の一団に取り囲まれた。

 その数10人、完全に包囲されてしまう。

 

「マキアス・レーグニッツだな? 領邦軍施設への不正侵入及びスパイ容疑にて拘束する」

 

 

 ・・・

 

【おまけ】

 

「遠き異国の地で迷い果て……暗黒に包まれる哀れな僕へ手を差し伸べてくれた救世主が……リベールに縁のある女の子で……優しくてまるで天使のようで……! やっぱりあの子は僕の運命の人なんだよ!」

「行く先々に運命の人なんてアントンらしいな」

「ハッ……リックス……僕はなんて罪な男なのだろう……」

「この歳で仕事に就かずにフラフラしてるのは罪といえば罪かもしれないな」

「僕は……僕は……あんなに優しい子を二年も待たせてしまうんだよ!?」

「いくら天使でもアントンの事を二年も覚えてないだろうから、すぐに忘れてくれるさ」

「それじゃあ、ダメじゃないか!?」

 

「くしゅんっ」

「エレナ、大丈夫?」

 

 




こんばんは、rairaです。

マキアス、逮捕されてしまいました。
そして人生は常にトライ&エラーな憎めないボンクラと彼を暖かく見守る相棒、アントン&リックスの初登場です。
何だかんだ彼らジェニス王立学園の生徒だったんですよね。まさか受かっちゃった、っていう感じだったと思うのですが…。最近「空の軌跡」の記憶が曖昧になって来ました。
「閃の軌跡」原作プレイ時、この隠しクエストでエマとフィーのどっちに一目惚れするんだろう、と勘ぐっていたのは私だけじゃない筈。何もなかった時には少し拍子抜けでしたね。笑
今回、この物語ではリベール成分が貴重なので、彼にはちょっと頑張って頂きました。
零の軌跡で遂にテーマ曲までついたアントンですが…「閃の軌跡」終盤は本当に気になる終わり方をしましたね。まあ、物語的にはあまり心配はしてないのですけど。

そして、数話にかけて入れてきました捏造設定の塩のお話はこれで終わりです。
原作では”庶子”と言われているユーシスやオリビエってどういう幼少時代の生活をおくってきたのかが謎なので、ちょっと不安なところですが。

今回は特別実習の課題の内容を色々と改変しております。
次回は地下水路でのマキアス奪還作戦となる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月30日 死神の虚像

 薄暗い地下水道に響く私の掛け声と二度の銃声。

 私が両手で構える導力拳銃の銃口の先で、見慣れた魔獣の《飛び猫》が力が抜けた様にその体を石造りの床へと落とす。

 

「――やったっ!」

 

 思わず声に出して喜んでしまう。今日の命中率は100%だ。

 

「ナイス。これで5匹目」

「そういえば、エレナさん入学式の時も上手かったですよね」

「《飛び猫》の相手は任せなさーい、ふふん」

 

 農作物を荒らす害獣とされる《飛び猫》は故郷の村でも狩猟対象であり、村の大人が定期的に趣味がてらライフル片手に狩りを楽しむ光景を見てきた。

 もっとも私が村で狩った数は片手の半分でも数えれるに満たないので、士官学院に来てからの経験や訓練で大分銃の扱いも上達したのではないかと思う。エマの言うつい2か月前の旧校舎のオリエンテーリングでは、何だかんだ緊張でガチガチだったのもいい思い出だ。

 

「はは、ご機嫌だな」

 

 太刀を鞘に収めながらリィンがこちらを向く。

 

「最近、撃ててなかったからね。今日はおもいっきり撃ててちょっと嬉しいかも」

 

 少なくとも未だ苦手意識の残る導力魔法(アーツ)を扱うよりかは遥かに気が楽だ。駆動中に多大な集中力を要し、発動までの速度や威力面でもそれが大きく影響を与えるアーツを何度も使用するのは正直まだまだ精神的に辛い。

 

「……それ、女の子の台詞じゃないよなぁ」

「そう?」

「まったく……浮かれていると足元掬われるぞ?」

 

 苦笑いを浮かべるリィン、対して少し呆れた様子のユーシス。

 

「や、やだなぁ……怖いこと言わないでよ」

「お前は調子に乗る所があるからな。まあ魔獣に当たる分はいいが、誤射されるのはもう懲り懲りだぞ」

「あ、アレは当たってないじゃん!」

 

 まさかユーシス、実技テストの事を案外と根に持ってる?

 懸命に反論と抵抗をするものの全く口で勝てる気配が無いのは、彼が流石なのか、私が口下手なのか。

 

 まあ、単独で公爵家の御屋敷からわざわざ地下水道へ抜け出してきたお人好しのユーシスだ。そんなにアレを強く根に持ってるなんて事は多分無いだろうし、浮かれてる私が少し危なっかしかったのだろう。

 そして今はマキアスを牢獄から奪還する作戦の最中であり、確かにもう少し緊張感を持つべきだったかもしれない。なんといっても、これからバリアハート市内の領邦軍詰所へ不法侵入してマキアスを連れ出さなくてはならないのだから。

 

 《飛び猫》の数匹の群れとの戦いとユーシスと楽しくない掛け合いを終えた後、地下水道の奥へ進む私達の脚を阻んだのは大きな鉄柵であった。鉄柵などものともせず水道内を流れる水に嫉妬しながら、縦横数アージュもある鉄柵を開ける仕掛けを探して長い梯子を登る事となる。

 

 中世に作られたとされる地下水道に金属を踏む軽い足音が響く。

 それにしても想像していた情景とは違い、少し拍子抜けだ。”地下水道”と言うぐらいなのだから、狭く薄暗い地下はジメジメしており汚水の悪臭が鼻をまげる……といった光景と制服が下水まみれになった自分の姿を覚悟していたのだが。

 このバリアハート市の地下水道は石造りの高さも結構ある大きな地下空間が広がっており、流れる水も清浄なそのもの。魔獣こそ徘徊しているものの、整備自体はちゃんと行き届いていると思われる。

 

 地下の梯子を登る手を止めて下を窺う――結構高い、多分誤って落ちたら死を覚悟しなくてはならない高さだろう。

 対して上を見上げると、可愛らしいフィーの脚と露わになったスカートの中の下着。

 

(本当に男子に先登って貰って良かった……本気で。)

 

 私が一番最後で良かった、と心の底から思えた。

 流石に女子同士で無ければこの見え方は大問題だし、私は例え同性でも見られたくない。

 

「はぁ、ちょっと疲れました……」

 

 建物に換算すれば約三階分といった所だろうか、長い梯子を登り切った所には少し疲れの色が見えるエマが溜息をついていた。

 

「「やっぱり胸が……」」

 

 そんなエマに対して反応が重なる私とフィー。

 まあ、あの大きさの胸なら疲れても致し方ないだろう。もっとも悔しいことに私にはあんなご立派な物が無いので真偽の程は定かではないのだが。

 

「二人とも、そのへんにしておきなさい」

 

 リィンは苦笑いしながら私達を止めようとするが、少し顔を赤くさせてる彼には全く説得力が無いような気がする。

 

「リィン、照れてるの?」

「顔赤いよ?」

「だから、違うって」

 

 少し必死そうに否定し、やっぱり頬をほんのり赤らめていたリィンは口を一文字にする。

 リィンは結構むっつりさんだからなぁ、そして胸の大きい子が好みときている。これはもう先月のケルディックで把握済みだ。

 

「……まったく。とっとと手伝わないか」

 

 鉄柵の仕掛けを上下させるレバーの前に立つユーシスが大きな溜息を付いた。

 

 

 ・・・

 

 

「イグニッション」

 

 フィーの目にも留まらぬ四点への早撃ちの直後、鼓膜をつんざく爆破音が響く。

 火薬と焦げた臭いが立ちこめる中、厚い鉄製の扉が悲鳴の様な金属の軋む音と共に前のめりに倒れた。

 

 上手くいったと満足気なフィーとは対照的に、私を含めた皆は俄に信じ難い光景を目にして唖然としていた。

 彼女曰く、扉を破壊するのに使ったのは”携帯用の高性能爆薬”なんていう物騒な代物のようだが、どう考えてもそこら辺で売っているものではない。

 

 皆が唖然とする中、一人リィンが口を開く。

 

「……フィー。君は一体、何者なんだ?」

 

 リィンが柔らかな口調ながら真っ直ぐな表情でフィーに訊ねた。

 

「リ、リィン……」

 

 私は気付けばフィーの正体を追求するリィンの名を呼んでいた。勿論、やめて欲しい、という意味で。

 フィーの正体が何者なのかは置いといて、少なくとも普通の人では無いのは確かだ。出来れば知りたい、しかし聞かない方が良いような、聞いてはいけない様な気がしていたのだ。

 

「思えば入学式の日も君は一人だけトラップを回避していた」

 

 だが、リィンは追求の手を緩めること無く、更に強くしてゆく。

 彼は見抜いていたのだ、フィーが様々な能力と相当の実力を隠している事を。

 

「……まあ、いっか」

 

 私を含めたみんなの一人一人にフィーは視線を走らせてから、小さな溜息をついてそう零した。

 

「士官学院に入る前、私は猟兵団にいた」

 

 爆薬も武器の使い方もそこで教わった、と淡々と彼女は続ける。

 

「ただ、それだけ」

 

 あっさりと明かした、その内容に一瞬、私達は言葉を失った。

 ただリィンは――ある程度予想が付いていたのかも知れない。彼だけがあまり驚いてはいない顔をしていた。

 

「りょ、猟兵って……」

 

 彼女の猟兵団とは、あの猟兵団なのだろうか。大陸中の紛争地帯で活動する血と金に飢えた戦場のハイエナ、傭兵達の頂点。

 

「信じられん……死神と同じ意味だぞ」

 

 こんなに驚くユーシスを見るのは初めてだ。そして彼の言葉は決して言い過ぎなどではないと私は感じていた。

 大陸各地では今も悲惨な状況の地域は少なくなく、それに大きく関わっているのが金で雇われ契約された戦闘行為を行う傭兵なのだ。つい十年程前にも帝国の北西で傭兵絡みの事件が多発して帝国軍が治安出動した前例も有り、決して私達とも無縁な話では無い。

 そしてフィーは、自らがそんな傭兵の中で最も恐れられている猟兵、イェーガーだと告白したのだ。

「ただ、それだけ」で済まされる様な話ではないと思う。

 

「わたし、死神?」

 

 きょとんと言葉と相反して可愛らしく首を傾げる仕草をするフィー。

 

(そりゃ……フィーの事を”死神”だなんて思いたくないけど……)

 

 私もそういった世間離れした事情には詳しくは無いが、現実は私が考える以上に惨たらしいことは間違い無いと思う。

 ”猟兵団にいた”ということは、フィーは人を手に掛けたことが、それも何度も、数え切れない位有るという事なのだろうか。

 

「いや……」

 

 私がぞっとしない事を心で考えている中、フィーのその黄緑色の瞳に圧されたユーシスの口から零れる。

 

「……そうだな……名に囚われる愚は冒すまい」

 

 そして少しの間を開け、彼は意を決した様に続ける。

 

「ええ、私たちにとってはフィーちゃんはフィーちゃんですよ」

「ああ、そうだな。Ⅶ組の――大切な仲間だ」

 

(エマ……リィン……)

 隣で優しい微笑みと言葉を告げる彼らの姿と比べ、私は自らに対し嫌悪感を抱いた。

 例え何であれフィーはフィーであり、彼女が信頼に足りる少女であることは私は知っていた。それなのにも関わらず私はエマやリィンのような言葉がすぐ出てこなかったばかりか、あろうことか心の中で彼女を大量殺人犯と同列にしていたのだ。

 

 私が言葉に迷いながらフィーの様子を窺っていると、ただ無表情に私の反応を待つ彼女の視線と重なってしまった。私はその視線に耐え切れずに私は目を逸らしてから言葉を紡いだ。

 

「フィーは……死神なんかじゃ……ないよ」

 

 いくら何でも二か月も一緒に頑張ってきた仲間を”死神”呼ばわりは出来ない。

 でも、彼女が元猟兵という事実はあまりに衝撃的で――怖かった。

 

(最低だ。私って。)

 

 

 ・・・

 

 

 まさかあの扉が破壊されるとは想定外なのだろうか。容易く施設内に侵入した私達は警備の兵士と遭遇する事も無く、マキアスの拘置されている牢を発見し数時間ぶりに再会を果たした。

 

「ま、まさか、忍び込んできたのか!?」

 

 私達を見るなりマキアスは驚いた顔を見せる。期待されていなかったとは私達を薄情者だと思っていたのだろうか――いやいや、私が捕まってても助けは期待しないだろう。それぐらい危ない事を今しているのだ。

 

「ああ、助けに来た」

「すまない……。それに、君まで……」

 

 マキアスが言うのは勿論、ユーシスの事だ。もっとも何時もならばユーシスもすぐに憎まれ口で返すのだが今回は少し違った。父に一矢報いたいという本音を口にしたのだ。

 

「……エレナ、お仕事だよ。この鍵なら通常弾で貫通できる筈」

 

 マキアスの牢の鍵を調べていたフィーがしゃがみながら私を見上げる。そんな事が分かるのも、元猟兵だからなのだろうか。

 

「私の双銃剣は音の隠密性に欠ける。消音器の装着出来るエレナの銃で壊して」

「わ、わかった。マキアス、少し離れててね」

「あ、ああ……」

 

 片膝を付いてしゃがみ、円筒形のサイレンサーが装着された導力拳銃の銃口をぴったり鍵穴と合わさるように近づける。そして、躊躇わずに引き金を引いた。

 サイレンサーの少々気の抜けた様な発射音は金属鍵の破断音に掻き消されてしまう。しかし弾丸は確実に鍵を破壊し、立て付けの悪い音を立てて牢の扉が開きマキアスを解放した。

 

 マキアスを奪還してしまえば、もう後はいかに早くこのバリアハートから脱出するかに懸かっている。とにかく急いで地上に戻らなくてはならない。

 

「おい、レーグニッツ」

 

 この場から離れようと足を進め始めた時、後方のユーシスがマキアスを呼び止めた。

 

「忘れ物だ」

 

 彼が手に持っていたのはマキアスの導力散弾銃。どうやらマキアスの私物は独房の柵の脇に無造作に置いてあった様だ。

 

「……! 助かる……その……」

 

 マキアスは自らの愛銃を受け取りながらバツの悪そうな顔をする姿は、ある意味非常に微笑ましいものだ。

 なんだろう、先月のアリサを思い出してしまう。

 

「フン。あくまで戦力の為だ。お荷物になられるのは面倒だからな」

「……ユーシス・アルバレア。戦術リンクの件だが……また頼むぞ」

 

 ああ――とユーシスがそれに応えていたその時、地下牢の奥から邪魔が入った。

 

「おい、誰と話してるんだ……なっ!?」

「ユ、ユーシス様!?」

 

(見つかった!?)

 奥の曲がり角から顔を出したのは、白と青の領邦軍の軍服の兵士が二人。

 

「本来なら巡回ご苦労と言いたい所だが……すまないな、少しの間眠っていてもらうぞ」

「即効で落とすぞ!」

 

 驚愕の表情を浮かべる彼らに、ユーシスとリィンが剣を抜き一気に突っ込んでいった。

 

 

 ・・・

 

 

 不意打ちによって言葉通りに”落ちた”、目の前にボロ雑巾の様に転がる二人の領邦軍兵士を見て、遂に一線を越えてしまった事を感じていた。

 色と細かいデザインこそ違うものの、幼馴染のフレールお兄ちゃんも着ているものによく似た軍服が汚れ、所々傷ついている。

 

「領邦軍の兵隊さんを撃っちゃった……私、これで犯罪者……牢獄行き……」

 

 ごめんなさい、お祖母ちゃん、お父さん、フレールお兄ちゃん……。特にフレールお兄ちゃんには申し訳ない。サザーラント州とクロイツェン州、それぞれハイアームズ家とアルバレア家という違う領主に仕えているとはいえ領邦軍は領邦軍。彼の仲間に手を出してしまった気持ちになる。

 

「何を下らないことを言っている」

「で、でも……」

 

 下らないこと、は無いだろう。少なくともこれで私達は少なくともクロイツェン州内では領邦軍から追われる立場なのだ。

 マキアスの冤罪は革新派への牽制という政治的な理由である為、帝都近郊まで戻ることが出来れば領邦軍も強く出ることはまず無いだろうという推測から彼の奪還を決めた経緯はあるものの、仮にこのまま全員逮捕されてしまえば領邦軍施設への不法侵入に領邦軍兵士への暴行……確実に罰金刑では済まない罪状だ。

 

「捕まったら……流石にやばいでしょ? やっぱり士官学院は退学かな……?」

 

 考えれば考える程、危険な状況だ。

 しかし、ユーシスは狼狽える私と対照的に冷静な表情で言い放った。

 

「俺が許す。これで文句ないだろう」

「……う、うん。あ、ありがとう……」

 

 公爵家の一員であるユーシスからそう言って貰えた事で、私は安心感が心を満たしていくのを感じた。

 

(……でも……いいのかなぁ……?)

 

 もっとも、ユーシスの威光に期待したい所だが……彼も父親のアルバレア公の意に反して動いている時点で、余り期待出来ない様な気がするのは気のせいだろうか。

 そう考えると再び少し不安が戻ってくる。

 

 そんな思考を遮るかの様に突如、大きな咆哮が響く。

 

「ひっ……!」

「な、なんだ!?」

 

 後ろを振り向くものの、そこにはまだ何もいない。

 

「地下牢の方からですね……」

 

 既に二、三度地下水道内を曲がってしまっており領邦軍詰所の地下牢への入り口はここから目視にすることは出来ない。しかし、確かに音の発生源の方向は私達が来た方向からだ。

 

「足音……早い」

 

 それを裏付けたのは、しゃがみこんで床にぴったりと耳を付けていたフィーの言葉だった。

 

「一体、二体……四足かな。もしかしたら軍用に訓練された魔獣かも」

 

 軍用に訓練された魔獣という言葉に余りピンとこないが、脅威には変わりはない。そして地面を伝わってくる音を聞いただけでこれ程の情報を手に入れたフィーが、元猟兵であることを私は改めて突付けられた。

 

「軍用魔獣!? じょ、冗談じゃないぞ!?」

「喚くな! とにかく急いで地上に出るぞ!」

「ああ! みんな、走るぞ!」

 

 全速力で走りだすこと数十秒――私は不吉な気配を感じて後ろを振り向くと、そこには二頭の魔獣が物凄いスピードで迫ってくる姿があった。

 

「わわ、もう見えるよ!?」

「かなり大きいぞ!」

「とにかく急げ!」

 

 ユーシスの言葉に「言われなくても急ぐよ!」と心で毒づきながら、必死に脚を動かす。

 普段であればそろそろ結構キツい頃合いだが、不思議な事に肺も脚も身体は良い仕事をしてくれている。これが火事場の馬鹿力というやつなのだろうか。

 

 しかし、四足の魔獣に比べれば人間の全速力など哀れなものであり……あっという間に私達との距離を詰めてくる。

 赤茶色の巨大な狼と巨大な虎といった感じか……胴体を鎧で覆っていることから人の管理下にある魔獣なのは間違い無さそうだ。あの大きな牙で噛まれたら、一巻の終わりだろう。まず、命は無い。

 

(あれ、エマは……?)

 

 エマは走るのが苦手だ。私は後ろを振り向くと、すぐ後ろにエマの姿を確認して安堵する。

 そこで少し気が抜けてしまったのが私の痛恨のミスだった。

 

「うわっ!」

 

 右足が何かに当たり、それ以上前に進まなかった。私の身体が前のめりに宙に浮いた。

 迫るタイル貼りの床に目を瞑ると直ぐに――両手と膝が地に擦られる鋭い痛みが襲った。

 




こんばんは、rairaです。

遂にフィーが元猟兵であることを明かしました。
それまでエレナはフィーとの関係は結構良かったのですが…こういう結果になってしまいました。原作でラウラはフィーの事を「相容れない」と距離を置いていただけだったのは、やっぱりラウラ自身が自分の強さに自信があるからだと思います。

次回で長かった第二章も最後となる予定です。ユーシスとマキアスの熱い展開になる…かもしれません。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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5月30日 仲間と共に

「……ったぁ……」

 

 膝が痛い。手のひらも痛い。脚も痛い。

 当然だ。あれほど全速力で走っていたのだから。

 

 こんな時に転ぶだなんて、本当にタイミングが悪すぎる。自分がちょっとドン臭いのは重々承知だが、女神様も何もこんな時まで転ばせなくても――。

 

(そっか……逃げ遅れたんだ。)

 

 地下水道の石畳の道の先にはⅦ組のみんながおり、それぞれ深刻そうな顔で私を見ているのだろう。

 

 こみ上げる悔しい思いに痛みの引かない拳を石畳の床に叩きつけようとした時――大きな足音と影が差した。

 

(ふ、踏まれる!?)

 

 私のすぐ横を巨大な狼の毛もくじゃらの脚が凄まじい早さで通り過ぎ、私を見るⅦ組のみんなを目掛けて走り去ってゆく。

 

 リィンの、エマの私を呼ぶ声がする中、そして背後にもう一方の巨大な気配を感じて、肩越しにゆっくり恐る恐る振り向く。

 

 鎧姿の赤茶色の毛並みの巨大な狼。

 

 いつまでも座り込んでいる訳にはいかない。

 

「ははっ……まじで、これ、いったいよ……」

 

 痛む掌で擦りむいた膝を押さえ、立ち上がって私は声を上げた。

 

「私は大丈夫だからっ! みんな逃げて! 駅で合流しよ!」

 

 そうみんなのいる方向に叫ぶと、私は背中を向けた。

 きっとリィンは怒るだろう。エマは心配するだろう。ユーシスもマキアスも……フィーも。

 

 いざとなったら、水路に飛び込もう。下手すれば流れに巻き込まれて溺れるかも知れないが、あの魔獣は水の中までは入ってこないと思う。

 多分、領邦軍の追手に捕まってしまうが――もう、仕方がない。牢屋行きになったらユーシスに期待しよう、そうしよう。士官学院は退学になってしまうかもしれないが――そしたら、またお店の手伝いに戻ればいい。そう、村に帰ればフレールお兄ちゃんにも会えるいつも通りの生活に戻るだけ。

 あの時、言えなかった思いを伝えるチャンスではないか。

 

 目の前の魔獣に銃口を向ける。

 私の眼前には赤茶色の巨大な狼犬――胴や脚等は金属の鎧で守られており、1リジュに満たない拳銃は等受け付けないだろう。

 ならば、狙うべき場所は一つしか無い。頭部、黄色の眼球に狙いを付ける。

 

 銃のおかげかは分からないが、魔獣が私を襲ってくる気配は未だ無い。

 こうして緊張感のある対峙に、私は満足していた。

 目の前の一体を足止めしていれば、リィン達が地上まで逃げ切れる確率は大分上がるのだ。

 

 私の身体と同じぐらい有りそうな大きさの口から白い牙が覗かせる。口を開いた時に、あの喉の奥を狙えば一撃で脳まで達するのではないか。

 魔獣であっても殺めるのは私は気が向かない。しかし、この様な相手に手加減をすることは――重大な結果を招く恐れが高いのは流石に分かる。

 

 魔獣の顎が震える。

 直後、大きく開けられた口から強烈な音圧が私の体を襲う。

 

「ひっ……!」

 

 落雷を直接浴びたような鼓膜が酷く震える雄叫びに今までの威勢は一気に萎み、膝が竦む。

 目の前の魔獣は唸りと共にその再び巨大な口を開き、白い牙を見せ付けるように私を威嚇していた。

 

(や、やられる……! ……死ぬ……死ぬの……?)

 

 早く水路に飛び込まなくては、と思うものの。身体に力が入らず言う事を聞いてくれない。

 

「大丈夫。威嚇だけ」

 

 トンッ、という音と共に私と魔獣の間に立ったのは銀髪の少女。

 

「……フ、フィー……! な、なんで……」

 

 そんな事は聞かなくても分かる。Ⅶ組のみんなが仲間を見捨てることなんて、あり得ないということを私は知っていた。

 でも、そう言い切る自信は……実は無かった。だから、ついさっきは強がってしまった。保険という形で。

 

「私達がエレナを置いていくと思う?」

「……だって、さっきみんなが……逃げていったから、今回ばかりは無理だって……」

「分断しようとしてた魔獣に追い立てられてただけ」

 

 隣に少ししゃがんだフィーは右腕を私に回して抱きしめる――と思いきや冷たい近い水道の床に座り込んでいた私の身体がフワッと浮いた。

 まるで魔法をかけられたかの様に、視界がぐるっと反転した。

 

「え?」

「みんなと合流する。ちょっと本気出すよ」

 

 頭に血が集まりそうな体勢。丁度、太ももの辺りがあたたかい腕に支えられている感覚が――。

 

 目の前には赤茶色の狼型の軍用魔獣。顔を落とすと石畳の床とフィーの細い脚。

 

 あれ、私はいまどんな状態なの?

 そんな心の疑問に答えが出る前に、物凄いスピードでその場から離れ始める。

 

「うわっ、えっ!?」

 

 フィーが、私を肩に抱えてる、背負ってる!?

 私より頭一つ分位小さなフィーに肩に抱えられて走られている今の状況は驚き以外の何物でも無い。

 

 そして把握すれば把握するほど――羞恥心が強くなる。

 

 私はなんだかんだいってⅦ組の女子の中では背の高い方、体重も……悔しい事にそれなりにはある。

 ○2kgを肩に抱えてこんな早さで走るなんてっ!

 

「ふ、フィー、わたしっ、おもいからっ――!」

「黙って。舌噛むよ」

「わっわ!?ひゃっ!?」

 

 フィーの私よりか細い脚に一瞬筋肉の筋が見えた次の瞬間、私は彼女に抱えられて宙を飛んでいた。

 地下水道の大量の水が流れる水路部分の水面から数アージュ、どんどん高さを落とし、水が迫る。

 

(このまま――水に落ちる!?)

 

 水深は何アージュだろうか、この速度で落ちた時の衝撃は――数秒後に水面に叩きつけられる衝撃に思わず目を瞑り、そんな考えが浮かんではかき消される。

 しかし、予想していた落水の衝撃の代わりに、まるで三半規管と平衡感覚が狂ったのかと思う様に90度程回転していた。

 

 思ったより遥かに軽い反動とフィーの足音、彼女の靴は石造りの――え、壁?

 驚いたことに彼女は地下水道の側面の”壁”を”走って”いた。

 

 地下水道の石造りの通路を走る魔獣の邪悪な瞳と視線が合う。

 魔獣は私達の動きを見て直ぐに行動を起こしており、物凄い速さで追い越してゆく。魔獣の行き先は、通路の曲がり角となっている大きな足場にいたⅦ組の皆の場所であった。そして、フィーはそのど真ん中を目指して最後のジャンプを飛んだ。

 

「うわあああっ!?」

 

 とんっ、そんな音と共にお腹に結構な衝撃を受けながら、魔獣に退路を塞がれたⅦ組のみんなの中に着地する。

 

「回収完了」

「エレナさん、ご無事で何よりです」

「あはは……助けてもらっちゃった」

 

 丁度私の目の前にはエマの安堵した顔が、その後ろにはマキアスとユーシスが茶色の狼型の魔獣へそれぞれの獲物を構えて対峙している。

 リィンは後ろ側だろうか。

 

「……あはは、流石だな。……って……ぁ……」

「……ぁ……」

 

 変なリィンとフィーの声の理由を聞こうとした時、私は少しばかり手荒にフィーの肩から地面に降ろされて丁度彼女と向かい合う形となった。

 もっと優しく下ろしてくれればいいのに、とは思ったが、なぜか目の前のフィーが少し顔を赤くしている。

 本当に何かあったのだろうか。

 

「無事合流だな」

 

 顔だけをこちらに向けるユーシス。

 

「ん。でも撒くことは無理だったか」

「こちらも前に回りこまれてしまってな……フン、退路を塞ぐつもりだろう」

 

 二体の魔獣は私達を取り囲んでゆっくりとその周りを回っている。

 

 当初、この赤茶色の毛の一体が私と対峙しており、茶色の毛の二体目は他の皆を追っていた。

 私がフィーと共にあの場を脱出してしまった為、茶色の方がこの広い角の足場を巧く利用して皆の前に回り込み、その後赤茶色の魔獣と共に挟み込んだ様だ。

 

「エレナにも襲い掛かってなかったし、私達から手を出さなければ多分危害は加えてこないと思う」

「追手の兵士が来るまでの時間稼ぎということか……獣のくせに知恵が回る……」

「フン……犬が。よかろう、躾直してやる。いくぞ!」

 

 マキアスが毒づき、ユーシスが威勢良く声を張る。

 

「ああ!――トールズ士官学院Ⅶ組A班!これより全力で目標を撃破する!」

 

 

 ・・・

 

 

 痛む腕を振るいながらリィンは考えていた。

 

 動物型、イヌ科の魔獣というだけで相手は強敵だ。

 人間に飼い慣らされた犬や野生の狼と同じく、人間を遥かに超える視覚や嗅覚等の五感を有し、群れで狩りをする習性をそのまま維持している。

 それに付け加え、カザックドーベンはただのそこら辺の魔獣と違って軍事用途に訓練されている事から対人戦闘力も高く、特に二体が連携して攻撃や防御といった行動を取るので、いかんせん崩せないのだ。

 

 マキアスとユーシスは既に戦術リンクを完全に使いこなし、良いコンビネーションで茶色の方のカザックドーベンの足止めをしているが、顔に出る疲れは隠せていない。

 赤茶色の方はリィンとフィーが対峙している。今の所は問題は無いが、リィンは未だ本調子ではなかった。

 後ろには回復アーツを素早く的確に駆動させているエマが、エレナはカザックドーベン相手には拳銃弾が余り役に立たないという事でアーツで攻撃をしている。もっともそのアーツもカザックドーベンのあの鎧に対アーツ加工が施されているのか、少なからずは耐性が有るようで効果的に攻撃できているとは言い難いだろう。

 

 何か別の切り口がなければ――時間を稼げればいいだけの敵と違い、自分達は早く地上に出てこの街から脱出しなくてはならない。このままでは不味いのは明白であった。

 

 しかし、ここはバリアハート市地下の地下水道。何も周りには無い。

 本来であれば来る時に解除した鉄柵の仕掛けを再び使えればいいのだが、カザックドーベンの方が圧倒的に脚が速いので無理だ。

 そしてどの道、この様な角の壁際に追い込まれている時点でその手段は困難を極める。

 

 他に使えるものが――リィンは周りを見渡す。

 

「そうか……水だ」

 

 危険は伴う、しかし成功すればあの二体を少なくとも行動不能にすることが出来るだろう。つまり、この場を乗りきれるということだ。

 

 

「一番危険なのはお前だぞ。解っているのか?」

 

 作戦の内容、その中でもリィンが担当する部分について指摘するのはユーシス。

 

「どの道このままでは追手に捕まるだろう、ここは正念場だ」

「しかし……それに肩は大丈夫なのか?」

「ああ……いけるさ――後は頼んだぞ、ユーシス」

 

 真剣な表情のリィンにユーシスは何も言わずに頷いて応えた。

 

 フィーとエレナが合流した時はカザックドーベンは通路への入り口近くで六人を取り囲んでいたが、今や通路まで一番遠い場所まで六人は追い詰められていた。既に背後は水の流れる水路部分、文字通り背水の陣の様に見えるだろう――否、そう見せかけれるだろう。

 

 目の前には更に追い込み勝利を確かなものとしようとする二体のカザックドーベン。

 しかしその二体の姿、正確には二体の間の距離を見てリィンは目を閉じた。

 

「――いくぞ」

 

 覚悟と、集中と――真剣な思いを込めて目を見開く。

 

「焔よ――我が剣に集え!」

 

 獲物の太刀が炎を纏うのを確認し、そして背後の仲間たちへリィンは頷いた。

 

「はあああっ!」

 

 あっという間に距離を詰め、二体に向けて何度も何度も振りかざした炎の剣によって、二体を自分達とは反対側の角へと押し込んでゆく。

 だが、直ぐにリィンは反撃を受けることとなる。腕が、脚が間一髪で重傷こそ避けられているものの、直撃すればひとたまりもない様な攻撃を躱しながらリィンはそれでも突っ込んでいく。リィンの無謀とも思える突撃はカザックドーベンの硬い体を少なからず焦がしてゆき、火属性アーツという形で”炎”の訓練の経験があった二体は、安全な”水”の近くへと後ずさっていった。

 しかし、それこそが罠だった。

 

「いくよ」

「エマ君! エレナ君!」「エマ! エレナ!」

 

 フィーの合図とマキアスとリィンが声を上げた次の瞬間、くぐもった轟音が地下水路に響き、同時に二つの巨大な白い水柱が天井に向かって突き上げた。

 巨大な水の塊は天井を突き抜けそうな勢いで衝突すると、重力に引かれて滝の様に二体のカザックドーベンへと降り注いでゆく。

 

「「――《フロストエッジ》!」」

 

 突然の出来事に二体が完全に動きを止め、エマとエレナの二人の身体から発された水色の光が計八本の氷の槍を形成する――しかし、槍が取り囲んだ目標は魔獣ではなかった。

 直後、導力魔法が生み出した八本の氷槍によって、滝の様に降り注いでいた膨大な水が強烈な冷気を浴び、瞬く間に凝固してゆく。

 

 一体、赤茶色のカザックドーベンが怒りの咆哮を上げる。

 

「これでも喰らえ!」

 

 しかしそれに応えたのは、もう一体ではなく導力散弾銃の銃声であった。

 

「動くな! ……その場から逃してたまるか……!」

 

 マキアスは腕から銃が吹き飛ぶのでは無いかと危惧する程の反動を受けて尚、次々に大口径の弾丸を放つ。

 導力銃の発射機構の出力の限界を解除した大口径弾の破壊力は確かで、カザックドーベンの身体の至る場所へと命中して鎧に大穴を開ける。

 

「今だ! ユーシス・アルバレア――!」

「ああ!」

 

 真っ直ぐ水平に構える剣の先には水色の輝く魔法陣。

 そして、ユーシスは剣を構え一気に半分氷漬けになった二体へ突き進む。

 

「ハッ!」

 

 一瞬、半球形の水色の膜が二体のカザックドーベンを包み込み――

 

「終わりだ――《クリスタル・セイバー》!」

 

 ――流星にも見間違えるような眩い十字の斬光は二匹の狼もろとも、地下水道を青白く染め上げた。

 

 

 ・・・

 

 

「に、しても……あたし達が助けに来なかったらどうするつもりだったのよ?」

 

 その日の夜、ホテル《エスメラルダ》の部屋でサラ教官はビールが目一杯入ったグラスを片手に私達に訊ねた。

 二匹の軍用魔獣を倒した私達は追手の領邦軍兵士の一団に取り囲まれ、万事休すといった状況に追い込まれてしまった。そこを教官とユーシスのお兄さんのルーファスさんによって助けられたのだ。

 

「あのまま突破して、駅から列車に乗り込む手筈」

 

 簡潔に応えたのは私の隣でベッドの端に腰かけているフィー。

 結構前から思っていた事だが、フィーとサラ教官は仲が良い。まるで歳の離れた姉妹を連想させる。

 

「まったく……あたしが来た時、もう駅は兵隊だらけだったわよ」

「む」

 

 フィーが言葉に詰まる。領邦軍に駅が押さえられていたのであれば、あの場から仮に脱出出来ても無駄に終っていた可能性が高い。

 

「ちょっと無理が過ぎたみたいね。リィンもそうだけど」

 

 サラ教官は部屋の一番奥のベッドの上でエマに包帯を変えてもらっているリィンに目を遣る。

 それに対してリィンは大分反省の交じる苦笑いを返していた。そういえば、この部屋に来て傷口を見せた時はそれはもうエマにお説教されていたっけ。

 

「でもまあ、そういうの――私は嫌いじゃないけどね」

 

 ふふっと笑うとサラ教官はグラスに残っていたビールを一気に喉に注ぎ込む。

 そして、彼女は大きな伸びをしてから腰掛けていた椅子から勢い良く立ち上がった。

 

「よし! それじゃあ、あたしは帝国最高級ホテルのお風呂を堪能しちゃいましょうかね~。あ、そうそう。ベッド一つあたし用に空けときなさいよ」

「え、サラここで寝るの?」

「あったりまえでしょ?」

 

 さも当然の事をのように答えるサラ教官。

 

「先程、リシュリュー支配人には今日は満室で部屋が無いって言われてましたが……この部屋はベットは3つしか無いですよ?」

「あれ……教官、庶民的な宿の方が落ち着くので大丈夫だとルーファスさんに言ってませんでした?」

 

 そう、エマの言葉通り無理だったのだ。そしてその時は、《エスメラルダ》以外の高級ホテルを押さえようとするルーファスさんをサラ自身の言葉で止めたのだ。

 

「あれは体裁ってもんよ。体裁。なんであんた達がこんな良い所に泊まってるのに、あたしが職人通りの宿酒場に泊まらなきゃいけないのよー」

 

 少なくともお風呂とベッドは使わないと損した気分になるでしょうが、と続ける。

 

「サラ、みっともないよ」

「妬み……ですか? サラ教官……」

 

 間髪入れずにツッコミを入れるフィーに便乗して私も文句をいってみる。この面子じゃ有り得ないかもしれないが、教官に聞かれたくない話をしたくなるかも知れないのに!

 

「そこ、いちいちうるさい! あ、そうそう――」

 

 ニンマリとした、何というか酔っぱらい特有の顔をしたサラ教官の瞳が私を捉える。

 これは何か悪いことを考えている様な、気がする。

 

「――なんか大事な時に盛大に転んだドジっ娘ちゃんがいたらしいんだけど……その子は床でいいんじゃないかしら?」

「え、えええ!?」

 

 転んだのは確かだ。大事な時も確かだ。ただ、ドジだなんて認めたくはない。じゃなくて!

 今の問題は私の人生最高のベッドが奪われようとしている事だ。

 

「文句があるなら、学院に戻ってから楽しい楽しい雑用業務にお付き合いしてもらってもいいのよ?」

 

 

 そんな言葉責めの後、必死の抵抗の甲斐もなく私のベッドは呆気無くサラ教官によって奪われてしまうこととなる。

 最も正確には先にお風呂に入ってしまった彼女が、そのままベッドを身体を大の字に使って不当占拠してしまったのだが。

 結局、私は完全に寝付いているサラ教官を起こす事を断念し、フィーの「一緒に寝る?」という本日二回目の助けを受けたのだった。

 

「寝ないの?」

「そんなにすぐには寝れないかなぁ……」

 

 そういえば、こんなやり取りを昨日もしていなかっただろうか。

 向こうと、ここで。私は昨晩の自分の場所だった、サラ教官がうつ伏せで寝ている右隣のベッドを見る。

 今晩は、ここと、そこで。こちらの方を向いて横になっているフィーへと顔を戻す。

 

 私は何故と聞かれたら答えるのに難しいが、掛け布団を私とフィーの頭が完全に隠れる位置まで引き上げた。

 

「エレナ、もしかして寝る時に潜ってるの?」

「ち、違う……! もう卒業した!」

 

 そんな子供じみた事はもうしていない、と小声ながらも全力で否定する。

 真っ暗のベッドの中では気配はあっても顔ははっきりとは見えない。

 

「あのね……フィー。きょうは本当に……ありがとう」

「お礼はいい。流石に床で寝るのは可哀想」

「そっちじゃなくて……!いや、ベッドもそうなんだけど……地下水道の時」

 

 暗闇の中でピクッとフィーの気配がなにか変わったような、そんな気がした。

 

「あんな助けられ方されるとは思ってなかったんだけど……フィーが来てくれて、嬉しかったんだ」

 

 流石に私より小さな女の子が私自身を肩に背負って壁面を走るとは夢にも思わなかった。

 きっとあの力は元猟兵としてのフィーの力であるのは確かだろう――しかし、もう私の心には彼女への恐怖も忌諱感も……そして罪悪感も感じなかった。

 

「……仲間だから。当然のことをしたまで」

 

 ありがとう――彼女の言葉に私はめいいっぱいの気持ちを伝え、昨日と今日で彼女との心の距離感が近づいたような気がした。

 

 

 ・・・

 

 

 翌日、バリアハート発帝都行の列車の客室が笑い声に包まれていた。

 

「ちょ、ちょっとぉ……」

 

 照れながら困惑するサラ教官。

 

「サラ教官、朝からどれだけ飲んだんですかー?」

 

 昨日ベッドを奪われた仕返しと、朝からワインにビールに飲み放題飲んでいた事を口にしてみる。

 

「いつもの教官とのギャップがありすぎてどうにも……」

 

 リィンがお腹を抱えて笑っている。彼がこんなに笑うのは珍しい――よくよく考えたら、向かいで笑い続けているマキアスやユーシスを含めて、Ⅶ組のみんなは普段あまりこんなにも陽気な笑顔というのを見せてくれたことはないのかも知れない。

 

「ああもう! せっかく良いこと言ったのに!」

 

 ぷんぷん怒るサラ教官を横目に私は笑顔を浮かべる銀髪の少女の名前を呼んだ。

 

「フィー」

 

 今しか掴めない何か。

 かけがえのない仲間と――

 

「どうしたの?」

 

「ふふ、ううん、なんでもなーい」

 

 ――共に。

 

 




こんばんは、rairaです。
さて今回は第2章の特別実習の地下水道内の戦いとその後のフィーとの仲直り(?)編になります。

今回のカザックドーベン戦では試験的に以前指摘があった戦闘シーンのみ三人称視点を取り入れてみました。
2章の間ずっとカッコ悪い戦闘ばかりだったマキアスとユーシスの熱い戦い…を考えていたのですが…。
この時点でSクラフト使えないんですね…マキアス。まあ、彼は未だ未だこれから色々とありますからね。
と、いうわけで今回もリィンさんに無茶をして頂きました。
ついでにもうひとつ言えば、エマとエレナの使用したアーツは空からの伝統的な凍結系アーツ《ダイアモンドダスト》にしたかったのですけど…ARCUSにはどうやら無いようで残念です。

フィーとの仲直り、といってもエレナが勝手に引いただけでしたから語弊がありますね。ですがフィーはきっと気付いていることでしょう。

さて今回をもちまして第2章は終了となり、次回からは第3章となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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第3章
6月上旬 幸せから醒めて


 古い煉瓦造りの教会と夜の広場を照らす大きな焚き火に、沢山の人が集まっている。

 そんな広場の真ん中、炎のすぐ近くには、葉や花で飾り付けられた祭りの象徴の柱が一際目立っており、長い影が教会の壁へ伸びていた。

 

 一年に一回のお祭りを皆が家族や友達、そして大切な人と共に踊ったり食べたり飲んだりして楽しんでいるのを、私は店の前に構えた露店の椅子で過ごしている。

 既に日も落ちて結構な時間が経っており、数時間前と較べてお酒を買う人も少ない。

 実際、お祭では酒場の方が主役なので、私もお店をわざわざ開けている必要も大して無いのだ。酒場の方へ友達と飲みに行ってしまった店主であるお祖母ちゃんには、私も友達と遊んで来いと言われている。

 でも、そんな気分ではなかった。

 

 ふと焚き火の近くで踊っている二人の子供が目につく。日曜学校で一緒の子達。もっとも私とは歳は結構離れているが――いつも仲良しこよしの幼いカップルなおませな子達だ。

 私があんまりにも長く眺めていたせいか目が合ってしまい、「エレナちゃーん」なんて呼びながら手を振ってくる二人の子供。

 そんな彼女らに半分羨望半分嫉妬の情を抱きながらも、大人のお姉さんとして笑って手を振る。

 ……子供相手に全部羨ましがっているじゃないか、大人のお姉さんが聞いて呆れる。

 

「仕方ないかー、夏至祭だもんね……」

 

 溜息を付きながら店の脇の花壇を眺めると、閉じている朝顔の花が目に付く。それは、まるで私の気持ちを映したものの様に感じられた。

 朝は期待でいっぱいだったが、それはもうとっくに萎んでしまっている。

 

「瓶ビールひとーつ」

「あ、はいっ350ミラ……」

 

 そこには見知った顔があった。

 

「……あ、あれ?」

 

 殆ど来る事は無いだろうと諦めていた目の前の想い人の姿に、まるで今まで萎んでいた花が咲くかのように胸が高鳴り心が踊る――が、素直に口にだすのはなんか負けた気分だ。

 こんな遅くに来てもらっても遊べないじゃないか。もう寝る時間が近い。

 

「……街道警備で来れないんじゃなかった? またサボり?」

「小官を愚弄するつもりか、小娘。目下街道沿いの村をパトロール中であるのだ。無礼者が」

 

 その言葉を彼の上官に聞かせてやりたいと少しばかり思うものの、そんな事は今は重要じゃない。

 この後、彼はどうするんだろう。祭りは大人達はこのまま飲みに踊りに一夜明かすが私達子供はもうそろそろ寝る時間。

 大人のフレールお兄ちゃんは――この後、どうするのだろう。村で一泊するのだろうか、それともパトロール中だったらパルム市に帰らなきゃいけないのだろうか。

 

「……あっそ……仕事中なら飲めないね」

「ケッチだなぁ……お前、アゼリアーノのばっちゃんに似てきてんぞ」

「なんとでも言えば? お酒飲みたいなら酒場の方行けばいいじゃん。領邦軍だったらさぞ盛大なおもてなししてくれるんじゃない?」

 

 このお店と広場を挟んで丁度対面の賑わっている宿酒場の建物に視線を走らせる。

 

「行けるわけねーだろ。お袋達村のお偉いさんがワイワイしてる所に。飛んで火にいる夏の虫になっちまう」

 

 そう言いながら、フレールお兄ちゃんは私の隣に置かれた未だ開けられていない酒瓶の入った木箱に腰掛けた。

 

「だよねー。さっきも不祥事の息子がっていってたよ。領邦軍で何かやらかしたの?」

「……あのな、それ言うなら不肖の息子だ」

 

 間違えた。とてつもなく恥ずかしい。

 

「と、とにかく……村のお祭りだからって、そんなにサボり過ぎてると、クビになっても私知らないよ?」

 

 彼の自慢気な顔を見て、また可愛く無いことを言ってしまった事に後悔する。

 なんで結局こうなってしまうのだろうか。

 

「そうだなぁ、クビになったらお前に養ってもらおうかなぁ」

 

 目の前の屈託の無い笑顔が口にしてきた言葉を理解するまで、私は数秒を要した。

 

「……や、養うって……それ……」

 

 け、結婚するってこと?

 確かに彼は商会の次男だから別に私の家にお婿さんとして来るのも無きにしろあらずというか……え、でもそれは……。

 ……でも、うちのお店で二人で働くっていうのも楽しそうだなぁ……。

 

「おー嬉しかったかー?」

 

 さっきとは打って変わってニヤニヤと悪戯っぽい笑いを浮かべる彼。

 やばい、私、顔が緩んでた。

 

「け、結婚するならフラフラ遊んでばっかの浮気症の男なんて大っ嫌い……だ……ふぁ!?」

「おーら、悪い事と言う口はどの口だぁ? これかー?」

 

 頬をつねられそのまま横に引っ張られる。

 縦縦横横まるかいて……この後、確実に来るコンボを考えると痛いけど、それでもスキンシップ的な何かを想像してしまう自分に彼の事がどれ程まで好きなのかを思い知らされる。

 

「おっと……」

「……へぇ?……わっ……」

 

 予想していた筈の頬への攻撃は止まり、頬にあった彼の大きな手が、突然私の両肩を優しく掴んだ。

 

「なぁ、エレナ……」

「うんっ……」

「花冠、似合ってるぞ。可愛い」

「……あ、ありがとう……そ、その……きょうは来てくれて……わ、私……」

 

 だめだ、顔を直視できない。いま私の顔が相当赤くなっているのは、身体に帯びる熱から嫌という程分かる。

 人生で何回目のチャンスだろうか、この続きを言えれば…。

 

――嬉しかった。何だかんだ言ってちゃんと来てくれる、そんな所が私は大好きだから――

 

「え、えっ?」

 

 私の身体と彼の身体が密着している。背中に暖かくて大きい彼の腕が、頬の横には無精髭でチクチクする彼の頬が。

 いま、私は抱きしめられている。

 彼の腕の中で、混乱と戸惑いがすぐに心からこみ上げる幸福感に取って代わられて、私を満たしていった。

 そこにはもう恥ずかしさなどなくて――私は自らの腕を彼の背中へと回す。

 

(……背中おっきいなぁ……)

 

 自然に二人の身体が離れ、目が合った。

 私が大好きな彼の空色の瞳、兵隊としては少し長い髪。いつも見慣れた顔がこんなにも愛おしく感じる。

 言葉はなくても、いまからどんなことをするのかは、わかっている。何年も想像して、夢見た事などだから。

 そして――私は目を瞑った。

 

 

「――っは……ぁ……」

 

 暗い部屋の見慣れた天井。カーテンは開けっ放しの窓からは、日の出前の夜か朝かあやふやな明るさの空。

 帝都の近郊都市トリスタにあるトールズ士官学院の第三学生寮の――私の部屋。

 

「……夢、かぁ……だよね……」

 

――なんて夢、見てるんだ、私……。

 幸せに浸った時間の突然の終わりに、落胆と共に思わず自嘲的な独り言が漏れた。

 

 先日からもう6月――そろそろ故郷では夏至祭の準備に取り掛かっている頃だろう。

 それにしても去年の夏至祭の夢を見るなんて。最後は私の願望か妄想か、出来事にとてつもない捏造が入っていた。あんな風になっていれば、良かったのに。

 実際は何も言えずにあんな雰囲気になることもなく、ぐだぐだと夜遅くまで話していただけなのだが。

 

 今考えれば後悔しか残らないが、あの頃はチャンスはこの先いくらでもあるなんて思い込んで本当にのんびりしていたと思う。

 それもその筈、去年の今頃はまさか帝都の士官学院に入学するなんて、それこそ夢にも思っていなかった。

 

(もういっかい寝直そう……もしかしたら……)

 

 もう一度夢の続きを見れるだろうか――そんな事を本気で考えて私は身体がカッと熱くなるのを感じた。

 

(続き……って――)

 

 だが、すぐにある事に気付いて冷めてしまった。結局は夢で終わるのにも関わらず、なんて私は未練がましいのだろう。

 それももう夏至祭は既に去年終っている過去の出来事なのに。

 

 とりあえず時計の文字盤を確認しようと、のそのそと起き上がろうとした所で私は異変に気付いた。

 冷たい、体中。

 まるで全力で持久走をやらされた後の体操服で、そのまま寝たかの様にも思えるほどの寝汗。

 さっきまでそんなこと無かったのに、気付いてしまえば最後。べったり肌に吸い付くパジャマがめちゃくちゃ気持ちが悪い。

 

「はぁ……早いけどシャワー浴びないと……」

 

 思わず出た深い溜息を付いて、私は渋々ベッドを出た。

 どっちにしろ朝の日課もあるのだ、早いことにこしたことはない。

 

 

・・・

 

 

 立て続けに五発の弾丸が放たれ、ギムナジウム地下の射撃場に銃声が反響して皮膚を震わす。

 二十アージュ程前方には穴の増えた木製の的が三つ、増えていない的が二つ。

 

「……5発中の3発か……60%……はぁ……」

 

 目の前の仕切りの向こう側には、数えるのが面倒臭い位の数の金色の薬莢が地面に転がっている。

 これは全て私の手にする導力拳銃《ラインフォルト・スティンガー》から排出されたもの。道理で腕も痛くなるだろう。

 

 コンディションが悪いのはわかりきっている。あんな夢を見て平常心でいられる程、私は余裕のある大人じゃない。

 そして忘れる為にと集中し、当てようと強く思って引き金を引くだけ、当たらない気がする。

 

「パチパチパチ。早いね。私も結構早めに出てきたんだけど」

「フィー……見苦しい所、見せたかな」

 

 防音用のイヤーマフを外し、自らの首に掛けて、私は階段を降りてくる声の主の方を向いた。

 

「そんなこと無い。特訓初めてから数日でここまで出来てる。」

「それでも……命中率6割だよ」

 

 つまり、三回に一回は外すのだ。

 この精度では例え《ARCUS》の補助クオーツで命中精度の補正があっても、戦技(クラフト)としては未だ実用することは難しい。

 

「片手の早撃ちだからね。反動の受け流しの時の筋肉の使い方とか、狙いの定め方が全然違うから最初は難しい」

「うーん……」

 

 引き金を引くこと無く、片手で構える。もう既に慣れたが数日前までは直ぐに手がブレてしまう有り様だった。

 

「……腕、大丈夫? あんまり無理すると後々後悔するよ」

 

 床に無造作に転がる薬莢を見たのだろうか、フィーに心配されてしまう。

 

「うん……。ちょっと痛いかも」

「じゃあ、この辺で今日はやめといた方がいいね。訓練で無理するのは良くない」

 

 私はフィーのアトバイスに従って銃をケースに仕舞う。もっと練習したいが、無理して腕を酷使すれば放課後や明日の練習が出来なくなるかもしれない可能性もある。

 

 特別実習から帰って来た次の日、教官室の前で私はサラ教官に頭を下げていた。

 理由は単純。バリアハート市の特別実習では色々なことがあったが、私自身の問題として一番痛感させられたのは実力不足だった。

 

「銃の特訓をつけてくれ、ですって?」

「はい! お願いします、サラ教官!」

「うーんっとねー……可愛い教え子の頼みだから受けてあげたいんだけど――」

 

 サラ教官の視線が私の後ろに動き、露骨に嫌そうな表情が浮かぶ。

 

「――オホン。サラ教官、君のクラスの生徒は指導がなっていないようだな?」

 

 私の背後から掛けられた神経質そうな声に、私も恐る恐る振り向いた。

 

「君、今月は中間試験であることをよもや忘れてはおるまいな? 我々は忙しいのだよ。そこのいい加減なサラ教官でもな」

「は、はい……ハインリッヒ教頭……」

 

 私に続いて、サラ教官が嫌味のような雑用の仕事の催促を受ける。

 そして、「まったく……これだから……」という言葉に残し、教官室の中へ立ち去っていった。

 

「チッ……ホントいちいち煩いわねぇ……――まぁ、そういう訳でね」

 

 サラ教官はため息混じりに両手を広げる。

 試験期間前は付きっきりで教えるのは難しいという事だろう。

 

「す、すみません」

「まぁでも、丁度良さそうな人を紹介あげなくも無いわよ?」

 

 その代わり、中間試験の勉強も疎かにしないこと――という約束はさせられる事になるのだが、そうしてサラ教官から紹介してもらった私の銃の先生がフィーなのだ。

 そりゃあまあ、フィーは銃器を含めて武器には詳しいし色々な事を教えてくれる。しかし、どんな先輩が来るのかと緊張して待っていたと言う事もあって、最初にここで彼女が来た時は冗談抜きで拍子抜けだった。

 

 

「私、こんなんで大丈夫かなー。なんか最近アーツばっかりで、役に立ってない気がして」

 

 アーツで褒められても、何か実際複雑なのだ。あの《ARCUS》駆動中の集中力の維持は精神的に辛く、アーツは未だ苦手意識が離れない。

 

「まあ、アーツは私も面倒臭いし苦手」

 

 実際、アーツは人によって向き不向きが有り、才能が大きく影響する。

 アーツを使える許容量は戦術オーブメント、私達では《ARCUS》のスロットの拡張によって補助的ではあるものの、基本的にはある程度であれば増やすことが出来る。

 しかし”効果”――つまり、攻撃アーツであれば攻撃力となる部分は、駆動時の集中力や七耀石の生み出す導力エネルギーへの親和性によって決まる為、完全に才能となるのだ。

 そして各自の才能は戦術オーブメントの盤面という形で表される。私は四つのスロットを結ぶラインが二本と月並みな言葉で言うと普通の盤面ではあるが、フィーの場合は四つのラインで構成されている。つまり、簡単な判断で言えばフィーはアーツにおいては私よりも苦手としているのだ。

 逆にⅦ組であれば魔導杖に適性があるエマやエリオット君を筆頭にアリサ、ユーシスがアーツ得意組となり、エマの《ARCUS》なんて全てのスロットがライン一本でつながっていたりする。

 あれ……もしかして、学力比例? アーツを頑張れば成績も伸びたりするの?

 

 何となく当たっている気もしなくもないが、一旦これは頭の隅に置いておこう。

 

「どんな武器でも相性が悪ければ苦戦はすると思うけど、まあ拳銃一丁だと魔獣に対しての威力面はちょっと心許ないね。」

「うん。オーロックス峡谷の手配魔獣も、地下水道のカザックドーベンも拳銃弾だとちゃんと効果が有るようには思えなくて……」

「前も言ったけど、狙い所だね。」

 

 フィー曰く、硬い甲羅でも金属の装甲でも完全にシームレスということは有り得ない。

 どこかに必ず弱点があり、その様な狙い所を見極めて正確に素早く弾丸を撃ち込める技量があれば、どんな敵でも対応出来るという事なのだ。

 

「実際、フィーは出来る?」

「……近づかないと、結構難しいかな。団の人にはそのレベルで拳銃を扱う人もいたけど……やっぱり経験がものをいう世界」

「武術を極めた人を達人って言うけど――銃の達人ってやっぱり凄いんだね……」

 

 そうだね、とフィーは相槌を打つ。

 そして少しの間何かを考えて口を開いた。

 

「武器を変えてみたらどう?」

「え?」

「拳銃は本来サブウェポンだし、もう一つ武器を持ってもいいと思う」

 

 フィーの提案に少し悩んだ末に思い浮かんだのは、先月の実技テストで圧倒的な強さを見せ付けたサラ教官だった。

 導力銃と導力機構の付いたサーベルを両手に持ち、遠距離でも近距離でもその強さを維持できると思われるスタイル。

 

「……うーん、剣、とか……?」

「……サラの真似はしない方がいいと思うよ?」

 

 ちょっとアレは論外、と付け加えるフィー。

 うん、私もわかってた。

 

「だよね。例えば何がいいと思う?」

 

 珍しく何かフィーが深く考えるので、軽い気持ちで話を振って申し訳なく感じてくる。

 

「もしエレナが”兵隊なら”スナイパーライフルが一番適性あると思う」

 

 考えていたフィーが口に出したのは、結構えげつないものだった。

 スナイパー、狙撃手。およそ数百アージュから1セルジュの長距離から標的を狙い撃つプロフェッショナル。

 

「けど、持ち歩くには重いし取り扱いも少し面倒で時間もかかる。それに戦場ならともかく、私達の活動で長距離狙撃が必要な状況があまり無い」

 

 確かに特別実習では度々魔獣と戦闘しているが、手配魔獣を除いては殆どが偶発的な遭遇戦だ。

 

「それに……」

「それに?」

「高すぎて買えないと思う」

「……ちなみに、参考価格?」

「狩猟用や対人用でも十万ミラぐらい。軍用の対物なら五十万ミラぐらいするかも」

「ご、ごじゅうまんミラ……」

 

 何か月私はバイトをすればいいの……?

 時給500ミラじゃ……1000時間……?

 

「だから、次点でアサルトライフル。一発の威力でも拳銃とは桁違いだし、射程も長くて連射もできる。値段も手頃で手に入ると思うし、正規軍でも傭兵でも基本中の基本の武器かな」

 

 アサルトライフル、つまり自動小銃。

 フィーの説明通りどこの国の兵士でも必ず使用する武器であり、実際に軍勤めのお父さんの写真にも写っていた事もあるアレだ。

 

「ライフルかぁ……重くない? ……反動とか大丈夫かな……?」

「慣れれば余裕。場所が場所なら子供でも使ってる」

 

 そう言われると自信こそ出るのだが、それ以上に私はフィーの語る”場所”という言葉の重みを感じさせられる。

 

「子供、でも、かぁ……」

「……それに軍人になるんだったら、どの道遅かれ早かれ扱いは覚えなきゃいけないと思うけど」

 

 そう言われてしまえば納得せざるを得ない。卒業して軍へ入れば、歩兵の基本的装備であるライフルを扱わないなんていう事は、よっぽどの特殊事例じゃない限りは無さそうだ。

 そして、これはある意味では私に対しての殺し文句だ。

 

「た、確かに。試しに触ってみたいけど……でも、そんな武術とかじゃなくて武器っぽい武器、学院で売ってるのかな?」

 

 他の士官学校の事情は知らないが、基本的にトールズ士官学院は軍人教育の学校ではない。確かに軍事学や実技教練はあるものの、軍事色はそこまで強くはないのだ。

 

「今すぐは難しいかもね。購買の武器は一か月に一回しか仕入れしないし、基本注文しないと入らない」

「いま頼んでも来月かぁ……」

 

 出来れば早くに慣れたいので、早めに欲しいというのが本音ではあるが。

 

「あ……でも……お金どうしよう? 私、そんな持ってないし……あんまりお金使いたくないから出来れば安く済ませたいし……」

「じゃあ、安い中古の流れ物の方がいいね。ちゃんと整備されていれば何も問題ないし――と、なるとあそこか」

「あそこ?」

「ツテは有るから放課後一緒に行ってみる?」

 

 

・・・

 

 

 最近の日課である朝の特訓の皺寄せは、授業へと直に響く。早起きして身体を動かしていただけあって、午後の授業の内容が余り頭に入ってこないのだ。

 その為、授業のノートを放課後に写させてもらうのも自慢ではないが私の日課の一つとなってた。

 

 見やすく解りやすいアリサのノートから、とりあえず要点だけノートに写し終わり、私はさっきからペンの止まっているアリサに目をやる。

 その視線の先には案の定、エリオット君とガイウスと共に談笑するリィンがいた。

 

「またそんなにリィンの方見て……」

 

 こんなにガン見されてるのに、全く気付かないリィンもリィンで少しおかしいんじゃないかと思う。

 少しは――まあ、リィンは無理かも。

 

「み、見てないわよ? ちょっとぼーっとしてただけで……」

「だって顔赤いー」

「ち、違うからね」

 

 バレバレな冷静さを装うアリサだが、その紅潮した顔を隠すことは出来ない。

 そして、私はここぞとばかりに彼女を攻める。なんといっても、私がアリサに勝てるのはリィン関係でいじっている時しかないのだ。多分、他の全てで私は負けている。

 

「だってアリサさぁ、特別実習で私達の帰りをトリスタの駅で待ってるなんてもう……セントアークはそんなに寂しかったの?」

「そ、そんな事ないわよ? 貴方達も大変だったみたいだけど、私達もごたごたしてて楽じゃなかったし」

 

 私は仕入れていたとっておきの極秘情報を突きつける事にした。いま使わないで、いつ使うのだ。

 

「あれれ、すっごく寂しそうだったって聞いたんだけど。それも途中から心配そうにそわそわしてたって……」

 

 その極秘情報によるとなんでも特別実習の間、アリサは溜息が異様に多かったとか。

 そして一日目、サラ教官からの連絡でバリアハートの私達の状況を耳にして以降は何かを頻りに心配し不安そうにしていたという。

 

「そ、そんな事誰から聞いたのよ!?」

 

 アリサの真っ赤な顔が中々の形相で思いっきり近づく。

 

「じょ、情報提供者の安全の為に私は黙秘――」

「……エリオット」

 

ぎくっ。

 

「だ、誰だったかなぁ……?」

「当たりね」

 

(……ごめん、エリオット君。)

 

 私は心の中で彼に謝る。まあ、アリサのことだから何も無いとは思うが――多分。

 

「でも、寂しかったのは否定しないんだ」

 

 私達二人の会話に入ってきたのはフィー、その隣にはエマ。

 流石のアリサも大慌て、可愛いなぁ。

 

「ちょ、ちょっとフィーまで!」

「みんな気になるんだよ~。特別実習の後アリサが――」

「あーもう! 黙らっしゃい!」

「ふふ、その辺にしといてあげないと後でエレナさん大変ですよ」

「……覚悟しときなさい。もう、ノート見せてあげないんだから」

「ええ!?」

 

 流石にやりすぎ、しつこすぎだったか。結構怒らせてしまった様子だ。

 

「そういえば、もうそろそろ夏至祭の時期ですよね。」

「夏至祭?」

 

 私がアリサに謝り倒している横でエマが新たな話題を出し、フィーが不思議そうに首を傾げる。

 

「フィーちゃんは夏至祭は初めてですか?」

「知らない」

「ふふ、帝国だと有名なお祭りなんですよ。今年は一緒に楽しみましょうね」

「……でも帝都周辺の夏至祭は7月よね……?」

 

 アリサが帝都の夏至祭について触れた。

 確か帝国国内で一番遅いのが帝都周辺で、7月の下旬に毎年開かれているという話は私も聞いたことがある。

 それにしてもアリサはまだ顔が赤い。リィンと一緒に楽しむ夏至祭でも想像しているのだろうか。

 

(夏至祭か……)

 

 今朝の夢を思い出してしまう。あんな風にあの時なっていれば、今頃どうしているだろう。

 それに今年とおそらく来年もだろうが、故郷の村の夏至祭に私は行けない。そう思うと急に寂しくなるのだ。こうやって、大切な物を一つ一つ無くしていってしまう様で。

 

「どうかしたの? エレナ」

「い、いや……なんでもないよ」

「それじゃあ、私は寮に戻ろうかしら。あなた達はどうする……?」

「あ……わたし――」

「私とエレナはちょっと野暮用」

 

 フィーの言葉に目の前のアリサとエマの顔が驚く。

 そして、その表情はすぐにアリサは呆れに、エマは申し訳無さそうにしているものに変わった。

 

「……ああ、何となく分かったわ。ちゃんとまじめに授業受けてないから自業自得ね」

「フィーちゃん……エレナさん……すみません、私の教え方が悪かったのかも知れません……。挽回の為に中間試験の勉強は頑張りましょうね」

 

 あれ、この物凄く哀れな視線は何か勘違いされてる様な気がする。

 

「? まあいっか。いこっか、エレナ」

 

 アリサとエマにとりあえず別れを告げ、フィーに手を引かれて教室を出ようとした時。

 

(……ラウラ……?)

 

 私はラウラの視線がこちらへ注がれているのに気付いた。

 さっき私達が話している時も、彼女はずっと自分の席に座ってこちらを窺っている様な感じだった気がするけど……。

 

(気のせいかな……私、きょう一回も話してない。)

 




こんばんは、rairaです。

「閃の軌跡Ⅱ」の公式サイトもオープンし、情報も結構出てきましたね。
なんだかアリサから天使の羽が生えていたり…マスタークオーツのエンゼルと何か関係が有りそうな予感。
しかしプロローグがとても不吉ですね。最後の「全ての終わりと始まり」って…なんとなく私は旧エヴァを思い出してしまいました。

やっと第3章のブリオニア島編の始まりとなります。この章は中間試験にシャロンの襲来という一大イベントも有り、日常パート部分が大きなウェイトを占める予定です。
さて今回はエレナのパワーアップフラグの回です。
但し、彼女の身体能力は一般人レベルですので、どうしても文明の利器である武器の性能に依存してしまいます。
いつかサラの様に剣と銃を使いこなす一人前になれたらいいのですが、まだまだ夢のまた夢ですね。

話は変わりますが、冒頭の妄想夢のシーンを書く為に夏至祭というものを調べてみたら、どうやら東欧・北欧では縁結び恋占いといった意味合いもあるお祭りなんだそうです。帝都の夏至祭は地方と違って政府行事的になっている~というお話が原作中にあった様な気がしたので、エレナの故郷では現実の意味合いも取り入れて楽しいお祭りといった感じにしてみました。
次回は寮生活であればよくあると思われるお話です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月上旬 風邪ひきアリサ

 フィーに連れられて訪ねたのはトリスタの街の商店街の端に位置する質屋。そう、毎週土日になるとケインズ書房に競馬誌を買いに来るミヒュトさんのお店だった。

 彼の店はフィーの話によると、お金さえ払えば何でも仕入れるという少し信じられない様な店なのだという。

 

 二人で店主であるミヒュトさんに私達は事情を説明すると、「とりあえず物を見繕う」といった返事を貰うことには成功した。

 ただ、後の問題は財布との相談という訳だ。

 いくら中古でも良いという条件でもライフルは列記とした軍事用途向けの銃器には違いない。フィーが朝言っていたように、軍用品というのは国家予算で調達される為に正規品は高く、どんなに安くても数万ミラは下らないと言われてしまっていた。

 

「大丈夫かなぁ?」

 

 質屋から第三学生寮までの道を歩きながら隣のフィーに私は話しかける。

 実際、結構不安しかないのだ。

 

「ま、格安品でもそこそこのものは手に入ると思うよ。それで試し撃ちさせて貰ってから買うか買わないかは考えればいいと思う」

「そんなのでいいの?」

 

 注文後返品だなんて実家の酒屋ならば、うちのお祖母ちゃんが絶対に許さないだろう。それはもう村の教会の尖塔に特大の雷が落ちかねない。

 

「武器は命を預けるもの。自分に合わないものをわざわざ買うなんて論外だし、まともな店ならそんな武器は売りつけない」

「な、なるほど……」

 

 元猟兵という肩書をもつ彼女が言うとかなりの説得力を帯びる。

 そう考えたら中古というのも何か不味いような気がしなくもないのだが、ここは敢えて考えないで置いとくべきなのだろう。

 

 そうこう話している内に私達はⅦ組の第三学生寮の前まで来ていた。

 

 

 ・・・

 

 

 寮の三階への階段を登りきった私は、すぐ近くのアリサの部屋のドアを視界に収めた。

 先ほどまで一緒にいたフィーといえば、どうやらエマの所に行くとのことで私と別れて再び学院へと向かった。こういう所は本当によく懐いているなぁ、と思わざるをえない一方、少し寂しかったりもする。

 まあ、私とフィーで勉強しても中々カオスな事にしかならないような気もするんだけど。

 

 ノックをする。反応がない。私は先程より少し強く再び扉を叩く。

 部屋に居ないのだろうか?

 

「あれ? 鍵かかってない」

 

 なんとドアノブが回り、扉が開いてしまう。

 

「アーリーサ、入るよー?」

 

 一応断りを入れて扉を開けて中へ足を進めると、すぐに部屋の主の姿を見つけることが出来た。

 彼女にしては珍しく制服の上着だけ少し乱雑に机の上に脱ぎ捨て、まだ夕方だというのにベッドに横向きで寝ている。

 

「お昼寝? 不用心だなぁ。リィンに夜這いされちゃうぞー」

 

 今はまだ夜じゃないけどね、と心の中で自分に突っ込みながら彼女の顔を覗き込む。

 

「あれ?」

 

 アリサの顔、赤い。

 そういえば教室でも赤かった。あれはまさか――。

 

「……あ……ごめん……気付かなかったわ……」

 

 少し寝ぼけた声と共に身体を起こす目の前のアリサ。

 しかし、その体の動きは遅く、彼女の紅色の瞳は明らかにトロンとしていた。

 

「どうしたの? 大丈夫?」

「あー……大丈夫よ、全然……」

 

 言葉こそ気怠そうではあるものの、これはどう見ても大丈夫ではない。

 私は右手をアリサの額に近づける。

 

「って……すごい熱じゃん! いつから!?」

「……昼ぐらいから、そんな気はしてたんだけど……昨日から少し寒かったかも……」

 

 流石に触られてしまえば誤魔化しきれないと判断したのだろうか、観念した様にアリサは正直に口にしてくれた。

 

 それにしてもこの初夏に「寒い」等と感じていたのに、ついさっきまで学院で無理していたとは。

 

「ちょっと待ってて!」

 

 私は一階へ急いで階段を降りながら、少なくとも必要なものをリストアップしてゆく。

 とりあえず、冷水を入れた桶とタオルは必要だ。

 正確な体温を計る必要があるから体温計も……ここらへんは少なくともすぐ用意できるだろう。

 しかし風邪薬……常備薬があったような気はするけど……。

 

 勢い良く踊り場でターンを決め、階段の最後の数段を飛ばすようにジャンプする。

 私はその勢いのままロビーに目もくれずに食堂へと駆け込んだ。

 

 

 ・・・

 

 

「さ、三十八度……六分……」

 

 アリサから渡されたガラス棒状の体温計の目盛を見て、これは冗談抜きの高熱だと再確認する。

 目の前の彼女も彼女で正確な数字を確認して更に辛くなったのか、枕へと頭を戻していた。

 水で冷やしたタオルを彼女の額へと置きながら、私はこの先どうするかを考えていた。

 

 残念ながらまだⅦ組の皆は帰って来ておらず、寮は私とアリサの二人っきり。寮の常備薬は切らしており、現状ではこのまま濡れタオルで額を冷やすぐらいしか出来ない。

 

 ふと見たラインフォルト製の導力式時計の針が丁度4時半を指す。

 Ⅶ組は勉強や部活動で遅くまで学院に残っている子の多く、彼らが寮へ帰ってくるまでまだ後二時間程はあると思われる。

 

 つまり、私がどうにかしなくてはならないのだ。

 

「少し寝たら、大丈夫だから……」

 

 きっと辛いだろうに、強がってそんなことを言うアリサ。

 私へ向けて無理して笑う彼女を見て、私は決めた。

 

「私、ベアトリクス教官呼んでくる」

「い、いいって……ただの風邪だしお薬無しでも本当に……」

「ちゃんとお薬飲まなきゃだめだって!」

 

 これだけの高熱なのだ。寮の常備薬は切らしている以上、薬を用意しなくてはいけない。そして、ちゃんと診察判断できる人に診てもらうべきだろう。

 万が一の可能性も十分考えられるし、風邪は万病の元なのだ。油断は出来ない。

 

「すぐに呼んでくるから、とにかく寝てて!」

 

 私はアリサの返事も聞かずに部屋を飛び出し、寮も飛び出し、士官学院の校舎に向けて必死に駆けた。

 

 考えれば考える程、私はお気楽すぎた。

 アリサがボーっとしていたのも、顔が明らかに赤かったのも、風邪のため。

 もちろん、彼女のリィンへの気持ちは確かなものだと思うが――あの場でそれを茶化す前に、私は少しでもアリサの体調を気遣うべきだったのではないだろうか。

 

 私はあれだけ近くにいて、一緒にいて、何故気付かなかったのだろうか。

 

 

「ベアトリクス教官!」

 

 保健室のドアを開けるなり、私は大声で叫んでいた。

 

「まあまあ、Ⅶ組の。どうしたのかしら?」

「えっと……アリサが!」

「まずは落ち着いて頂戴。今は誰も居ないので大丈夫ですけど……保健室では静かにね?」

 

 私の言葉を遮った優しく微笑むベアトリクス教官に、今まで自分が半ば取り乱していた事に気付かされる。

 

「は、はい……すみません……」

「それで、私に何か用事かしら?」

 

 打って変わって真剣な顔をベアトリクス教官は私に向けた。

 

 

 ・・・

 

 

 聴診の為にピンク色の少し上品なセーターをまくり上げるアリサ。

 私からではベアトリクス教官の影になってあまり見えないが、時折白くて綺麗なお腹が覗かせる。

 

「まぁ、大方風邪をこじらしたかしらね。季節の変わり目ですし」

 

 それに無理が祟ったのではないかしらね?、と机に積まれた参考書へと目を移しながらベアトリクス教官は続けた。

 

「よかったぁ……」

「すみません……」

 

 何にせよ風邪ならば良かった、と安堵する私。対して、少しバツの悪そうに頭を下げるアリサ。

 とりあえずベアトリクス教官によって、明日以降も熱が下がるまでは授業は欠席して安静にする事という診断となった。

 

「お薬も彼女から一応聞いた症状のもので大丈夫そうだから渡しておくわ。お昼ご飯は食べたかしら?」

 

 ベアトリクス教官に首を横に振って否定するアリサ。確かに今日のお昼ご飯の時に、私はアリサを見ていない。学食に行ったのだと思っていたが……。

 

「それでは、何か口にしてから飲まないといけないわね」

「あ、じゃあ、私が何か用意します」

 

 私がそうベアトリクス教官に言ったのがそんなに驚いたのか、アリサが目を丸くしてこちらに顔を向けた。

 もっともそんな表情はすぐに申し訳無さそうなものに変わるのだが。

 

 

 診察を終えたベアトリクス教官を寮の玄関まで見送った後、私は料理に取り掛かるべく寮の一階の食堂併設の調理場にいた。

 ここは今年入学した私達Ⅶ組のために改修したばかりなので設備は新しいのだが、ちゃんと活用出来ているとは言い難い。

 残念ながら男子を中心に外食派は多く、女子でも炊事をする子は少ない。精々エマが一週間に一回晩ご飯を振る舞ってくれる程度であり、私に至っては入学して以来今回を含めて二回しかこの場に立ったことは無い不慣れな場所だ。

 

(やばっ……!)

 

 案の定、思わずひっかけてしまった金属製のボウルが床へ落ち、景気の良いとも言えるかもしれない音を食堂に鳴り響かせる。

 

(アリサに聞こえてないといいけど……)

 

 聞こえていたら、また不安の種にしてしまうかも知れない。いや、頭痛の種か。

 

 そしてこの場所最大の問題点は食材である。頻繁に利用する訳でも無いので、生鮮品を始めとする食材の蓄えは殆ど無いのだ。

 とりあえず、手帳に手書きされたレシピを見て必要な食材を確認すると、やはり幾つか必ず必要な物を買い出しに行かなくてはならない。

 アリサが待っていることを考えればそうのんびりする訳にもいかず、やっぱり食材を求めてブランドン商店まで走るしかないようだ。

 私は急いで食堂から出ると、見知ったクラスメートと鉢合わせすることとなった。

 

「ユーシス?」

「何をしている?夕飯にしては少し早いと思うが」

 

 怪訝そうな顔で尋ねてくるユーシス。

 

「ああ、ちょっと……ええっと、こんな早くにユーシスはどうしたの?」

「とりあえず自室に購入した書籍を置きに来ただけだ。フン……先程、外でベアトリクス教官と出くわしたが、何かあったな?」

 

 流石鋭い。話を躱そうとしたのなんかお見通しということか。

 彼の勘以上に鋭い視線に貫かれながら、必死に言い訳を考える。

 

「えっと……」

 

 アリサから皆には秘密と言われていたのだが、ユーシスが最初の相手だなんて悪すぎだ。

 しかし、ユーシスを騙せそうな良い言い訳が見つかる筈もなく、「みんなに心配をかけたくない」と思うアリサの気持ちに謝りながら、彼にアリサの現状を伝えた。

 

「何? 具合の方は大丈夫なのか?」

「うん。今、お薬飲む為にとりあえず身体に良さそうな軽い食事を作ろうと思って」

「ふむ……」

「じゃ、じゃあ、ちょっと私出かけてくるね」

「待て」

 

(ひっ。)

 

「材料が無いのか?」

「う、うん……」

 

 頷く私。やはり流石に外食派のユーシスでも調理場に食材が少ないことぐらい想像するのは容易かったか。

 そして、これは嫌な予感がする。

 

「俺が買ってくる。必要な物を言え」

「い、いや……ユーシスに頼むなんて流石に私……」

 

 入学したての頃は、ユーシスに話しかけられただけでビクビクしていた私。

 初めて話しかけられた時は、それはもう声は裏返るわ仰け反ってしまうわ話の内容なんて全く頭に入ってこない有り様で、本当に散々だったのをよく覚えている。

 呼び捨てで良いと彼が私に言ってきた時は気が動転するかと思ったのだが、今となっては普通に会話できるし軽口だって叩き合える。

 もっとも、それでも彼に雑貨屋までのおつかいを頼むのは抵抗感があるのだが。

 

「もう一度言うぞ。必要な物は何だ?」

 

(ち、近いっ……)

 

 ユーシスの顔が近づく、それも少し怒ったような真剣そのものな表情で。

 

「お肉とミルクとハーブが……無いかな……」

 

 私はそんな彼に観念して足りない材料を伝えた。

 寮で自炊することは多々あるが、不定期なので生鮮品の蓄えは殆ど無いのだ。

 

「ふむ……角の雑貨屋で買えるのか?」

「え、えっと、多分大丈夫だと思う」

「わかった。お前は俺が帰るまでに準備をしておけ。いいな?」

「う、うん!」

 

 私の返事に頷いてユーシスは外へと駆け出していった。

 その場に難しそうな本が入った紙袋を無造作に残して。

 

 

 ・・・

 

 

 この光景を見た士官学院生は確実に驚くに違いない。

 そして世間的に見ても驚きの光景であるのは確かだと私は思う。というか、私が罪に問われたりしないか心配なぐらいだ。

 

「終わったぞ」

「あ、ありがとう……」

 

 ユーシスから手渡されたのは、皮を剥かれ綺麗な淡黄色の中身を晒すじゃがいも。

 四大名門の東の公爵、アルバレア公爵家のご令息が皮剥きをなされた……じゃがいもだ。これにはプレミア級の価値が付いてもおかしくないのではないだろうか。

 そんなくだらない事を考えながら、まな板の上で手を添えながらユーシス様のじゃがいもを小さく1リジュ角に包丁で切ってゆく。

 

「えっと……この後は……たまねぎをみじん切りで……」

「皮は剥いといたぞ」

「う、うん……」

 

 先程と同じくユーシスから手渡された皮の剥かれた白いたまねぎを、上から真っ二つにするように包丁を入れる。

 そして、半分になった片方を素早く包丁で切り刻んで――うっ。

 特徴的な匂いとどうしよもない涙に耐えながらみじん切りを成功させるものの、また板の上に彼らがいる時点で戦いは継続中だ。

 

 次はこのたまねぎを鍋で炒め無くてはならない。

 

「ユーシス、火付けるね?」

「あ、ああ……」

 

 珍しく弱々しいユーシスの声色に私は彼の顔を覗いた。

 

「あれ? ユーシス、泣いて――」

「違うぞ」

「あはは……たまねぎはしょうがないって、私だって――」

「……聞こえなかったのか?」

「……はい」

 

 この場で粛清される危険さえ感じさせるユーシスの瞳に怖気づきながらも、私はこのとてつもなく貴重な光景を忘れることは出来ないだろう。

 あの、あのユーシスが、たまねぎで泣いてるなんて。出来れば今直ぐ誰かに話したい衝動に駆られるが、自分の身がもっと大事だ。

 

「おい、入れないのか?」

「あ、あれっ……ごめん、忘れてた」

 

 溶けるバターのいい香りがする鍋の中へ、みじん切りにした玉ねぎをまな板から入れてゆく。

 

「うーんっと……この次は……」

 

 手帳に手書きされた小さな文字が少し読めないで悩んでいると、隣のユーシスが私の腕ををぐいっと引き寄せられる。

 

「ええっ!?」

 

 思わず私は声を上げてしまうが、彼はそんなのお構いなしだ。

 

「まどろっこしい。レシピを見せろ」

 

 ぶっきらぼうに言うユーシスだが、私の手帳へと目を走らせた直後に彼の表情が驚きに染まる。

 

「! ……これは……」

「あ、あのバリアハートの《ソルシエラ》でハモンドオーナーから教えて貰った奴で……」

 

 レシピがある中でこの料理が一番風邪に効きそうだったのだ。ただ、今思えばユーシスには先に伝えておくべきだったのかも知れない。

 

「……貸せ。俺が作る」

 

 私はユーシスの言葉を理解できるまで、数十秒を要した。

 




こんばんは、rairaです。

さて今回はアリサが風邪を引いてしまうお話の前編です。本当は一話に纏めるつもりではあったのですが…書きたい場面が多くなってしまい二話構成となりました。

原作3章の6月19日にはシャロンが来てしまうので、それ以前の第三学生寮のお話ですね。彼女の管理人着任後でしたらこんなにエレナが慌てることも無く、ユーシスをこんな形で巻き込むことも無かったのですが。笑
まあ、看病されるアリサ側にとってはどっちが良いのかまではわかりませんね。シャロンなら何をするか分かったものじゃないですし…。

さて、次回はユーシス様のクッキングもそうですが…原作主人公であるリィン様にもご活躍して頂く予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月上旬 寝たふりエレナ

「……貸せ。俺が作る」

 

 私はその言葉を理解するまで数十秒を要した後、まさかと思ってもう一度聞き返すことを選択した。

 

「え?」

「俺が作ると言っている」

「……ユーシス、料理できるの?」

 

 Ⅶ組の外食派筆頭であるユーシスが料理!?

 もし今の発言が事実であれば、士官学院に新聞的な物があれば一面間違いなしだ。いや、もう既に私の手伝いをしていた時点で一面、たまねぎで涙を流したショットなら全国号外か。

 

「これなら俺の方がお前より遥かに上手く作れるだろう」

「む……ぅ……」

 

 そう言われてしまえば、私も作った事のない料理なので言い返せない。

 なんとも納得がいかないのだが、私は鍋の前から椅子へと場所を移してユーシスの後ろ姿を眺めることとなった。

 

「ねえ、ユーシス」

「何だ?」

「エプロン、使う?」

 

 私が身に着けている紺色のチェック柄のエプロンに目を落として聞いてみる。

 意外と似合うんじゃないだろうか、だって叔父さんは高級レストランのコックだし……。

 

「……何のつもりだ?」

「い、いやぁ、結構似合……制服汚れちゃったら大変だなぁって思って!」

「結構だ。そんな過ちは冒さん」

 

 制服を汚す過ちなのか、それともエプロンを着る過ちなのか、中々判断の別れる所ではある。

 個人的には絶対後者な気がするのは気のせいだろうか。

 

 その後、ものの十分程で私はユーシスに場所を明け渡した事が正しい選択であることを思い知らされた。

 レシピを見ながらその通りに手際良く調理する彼の後ろ姿に、気が付けば自分が見蕩れたような状態になっていたのだから。

 

「上手いね……ユーシス。正直、凄い」

「ずっと母や叔父の後ろで見てきたからな」

 

 小皿にお玉で少量をよそいながら答えるユーシス。

 彼は煮込みのいい匂いを嗅いでいた私へそれを差し出した。

 そうか、これは血なのだ。

 高級レストランを経営するあの叔父とその人に料理が上手いと言われた妹の息子なのだ。やはり料理においても実は英才教育を受けていたのだろう。

 一連の行動が全て様になっているユーシスを見てそう思わざるを得なかった。

 

「味見を頼む」

「う、うん。……ふー……」

 

 ふーふー、と湯気を払うように口で冷まして八割方ユーシス作の合作ハーブチェウダーを口にした。

 クリーミーなその味は、やはり彼に任せて正解だったことを結果的に証明する。

 

「おいしい……」

「まあ、当然だな。皿をくれ」

 

 とりあえずアリサの分が先決であるため、底の深い皿を一つお盆の上に置いてユーシスによそいで貰う。

 

「それにしてもユーシス、料理出来たんだね」

「こうして何かをつくるのは初めてだ」

「え、うそ?」

 

 何たる衝撃発言。この料理を初心者が作ったのだというのだろうか。

 思わず目の前のアリサの為の皿によそわれたハーブチャウダーとユーシスを交互に見る。

 

「フン……だがまあ、初めてでもレシピを見て作ればなんとかなるものだな」

 

 さも当然のように語るユーシスに私は思わず言葉を失いそうになる。

 

「どうした?その間抜け面は」

「……私、マキアスの気持ちが少し分かったかも」

 

 なんでもそつなくこなすユーシスは凡人の敵だ。

 私も嫌いになりそうだっ。

 

「何を言っている?」

 

 こういう所は鈍感なのだろうか。悪気は無い彼に溜息しか出ない。

 

「そんなことよりも、早くアリサに持っていけ。その為に作ったのだろう?」

「あ、そうだね。じゃあ、ユーシスも一緒に……」

「俺はいい。お前一人で持っていけ」

「え?」

 

 それじゃあ、まるで私が一人で作ったみたいではないか。確かに、本来そうであって欲しかったのは事実なのだが。

 

 暫くユーシスの真意が分からずに考えていると、彼は深い溜息を付いて理由を口にした。

 

「まったく……お前も女子だろう。体調崩して寝込んでいる自分の姿をわざわざ男に見られたいと思うか?」

「あ……」

 

 そりゃそうだ。私だったら全力で避けること間違いない。

 まあ、もう完全に恋人だったりしたら愛いっぱいに看病して欲しい所だが――そういえば、そんな事あったなぁ……あの時、恋人だったら良かったのに。

 

 

 ・・・

 

 

「美味しい……」

 

 ハーブチャウダーをスプーンでその小さな口に含んだアリサは素直に感想を口にしてくれた。

 

「良かったぁ……って殆どユーシスが作ったんだけどね」

 

 その感想で私も安堵する。やっぱり誰かの為に作った料理は――まあ、半分以上ユーシス作ではあるのだが――その人に良い感想を貰えると本当に嬉しい。

 

「ユーシス?」

 

 不思議そうにするアリサに私は事情を説明したのだった。少しばかりユーシスの怖さをトッピングして。

 

「へぇ……ユーシスの思い出の味なんだ」

「うんうん。料理初めてとか言ってたけど、レシピ見ただけで作ってたよ」

「……それは……もの凄い才能ね……」

「あはは……女としては凄い負けた気分だよね」

 

 あのユーシスの才能に関しては、正直羨望というレベルを越えて乾いた笑いしか出ない。

 でも料理が出来る男の人というのも、また格好良いと思ったのは確かだった。

 

「あ、そうそう……アリサ、これも飲んで?」

 

 私は先程自室から取ってきた秘密兵器を半分程お湯が入ったグラスに注いだ。

 

「なにこれ?」

「私がこっちに来る時に村で貰ったレモンシロップをお湯で割ったの」

 

 本当は帝都近郊に行っても私が美味しいリモナータを飲めるように、と気を利かせてフレールお兄ちゃんがくれたものだった瓶詰めのレモンシロップ。

 だが喫茶店《キルシェ》の優秀なマスターのお陰もあり、こちらでも故郷の味が飲める為に使う機会は全く無く、貰ってから二か月以上も未開封のままとなっていたのだ。

 まあ”大切な人から貰った大切な物”ということもあって瓶を開けれなかったというのもあるのだが。

 

「風邪の時はこれ飲むと効く、って私の故郷だと言われてて」

「甘酸っぱくて美味しいわね。体の芯から暖まるわ」

「えへへ、そうでしょ」

 

 アリサに褒められるとまるで自分の事の様に嬉しく、顔が緩んでいるのが自分でも分かった。

 

 そしてなんと彼女はハーブチャウダーを残すこと無く食べてくれた。食欲がちゃんと有り、これだけ食べてくれたのだから大分栄養も摂れたことだろう。

 ベアトリクス教官から処方されたお薬も飲んだことだし、あとはちゃんとしっかり寝て休むだけ。

 

「……わざわざありがとう。貴女には頭が上がらないわね」

「材料買いに行ってくれたのも、料理作ったのもユーシスだけどね」

「あんまり皆には知られたくなかったのだけど……治ったらユーシスにもお礼しなきゃね」

 

 本当はユーシスは自分が料理をしたという話を広めて欲しくないんじゃないかと疑いながらも、アリサに相槌を打つ。

 

「じゃあ、私も食べてこようかなぁ」

「なんか悪いわね……」

「いいのいいの。これぐらいしなきゃ!いつもお世話になってるし」

 

 そっと、私は食器の載るお盆を持って椅子を立つ。

 

「じゃあ、また来るね」

 

 時間はそろそろ五時半を回る所。少なくともこれを片付けて、私もハーブチャウダーを食べる時間ぐらいは皆が戻ってくるまででもありそうだ。

 とりあえず私も早めの晩ご飯を食べてアリサの様子を見に来よう。

 

 

 ・・・

 

 

「えっ、待っててくれたの?」

 

 一階に降りて食堂を扉を開けた私は予想外の光景にそんな言葉を口にしていた。

 なんとテーブルには綺麗に向かい合わせに二人分の食事の支度がなされており、片方にはユーシスが席に付いていたのだ。

 てっきりアリサの部屋に私が行っている間に、ユーシスは自分の分を食べてしまうかと思っていたのだが。

 

 アリサが食べ終わるまで待ってもらった、つまり30分以上は彼を待たせているという事実に私は気不味くなるが、そんなこともお構いなしに彼はアリサの具合について訊ねてきた。

 やはりユーシスも心配だったのだろう。やっぱりなんだかんだ言っても良い人だ。

 

「ふーぅ、やっぱり美味しいねー」

 

 皿によそいだのは私が戻ってくる頃合いを見計らっていたのか、つい先程まで火で煮まれていた熱さだ。

 

「そう思うなら少しは感謝して欲しいものだな」

「感謝してるよ。めっちゃ、感謝してる」

 

 少々早いがこうして今日の晩ご飯までありつけたのだ。

 ユーシスには感謝しているつもりだ。

 

「それにしても中間試験前のこの時期に風邪か。来週や再来週じゃなかったのが不幸中の幸いだな」

「そうだね……来週だったらもろ試験勉強に支障が出そうだもんね。でもやっぱり、無理が祟っちゃったのなぁ」

「……まあ、あいつも色々とあるのだろうからな」

「色々?」

 

 ユーシスにしては珍しく言葉を濁す様な言い方だ。

 

「お嬢様にはそれなりのお悩みが、ということだ」

「……難しいなぁ。あ、でもやっぱりアリサってお嬢様なんだ?」

 

 帝国の最上流階級に属するユーシスがそういうのだ間違いないだろう。そして、その彼が”お嬢様”と言うのだからアリサも同じ階級にいるのだろうか。

 

「あれで庶民と言われても冗談にしか聞こえないだろう?」

 

 そんなユーシスの言葉に私は全力で同意する。

 なんといってもアリサは持っている私服から使っている化粧品、更に色々な小物を含めて結構な良品で揃えられている。いくつかの有名ブランドは私でも分かるものの、あまりそういう方向に疎い私には分からないマイナーな物まである。しかしその全てに共通する事は、確実に私みたいな庶民ならば躊躇するであろう値段がするということだ。

 そして彼女の凄い所は、それらの物を高級品とは扱っていないのだ。もっともこれはユーシスも同じだが。

 

「あはは、確かに。アリサは貴族様ではないって言ってたけど、あんまり家族の事とか話してくれないんだよね」

「家名を隠してるぐらいだからな」

 

 未だアリサは私達にファミリーネームを明かしておらず、アリサ・Rと名乗り続けている。そう言えば最初は普通にアールさんだと思っていたのも懐かしい。

 実家と上手くいっていないとはケルディックの時に彼女は語っていたが、それが隠している理由なのだろうか。

 

「よっぽど嫌な事、あるのかなぁ?」

「……俺は知らん」

 

 ユーシスは結構なポーカーフェイスだが、今回は「知らん」と言いながら何となく察しが付いているといった顔に見えた。

 それを私が指摘しようか迷っていた所で、彼は私に別の話題を振ってくる。巧妙なんだから。

 

「そんなことよりも……お前は大丈夫なのか?」

「ええ?」

「中間試験だ」

「あ、あはは……どうなんでしょう……。色々と勉強しなきゃいけない教科が多すぎて考えるのも嫌な……」

「阿呆。トールズは数ある帝国の高等学校の中で最も高い水準にある内の一つだ。そんな事を言っていたら今後更に難しくなる授業について行けなくなるぞ」

「は、はい……」

 

 既に結構行けてないのだが……とは、とてもじゃないが口には出来ない。

 

「まったく……帝国史や政経なら見てやれんこともない。放課後にいつでも来い」

「……え、いいの?」

「俺のいるクラスから落第者など出すわけにはいかないからな」

 

 そんな言い方だが、これが私の事を考えてくれたユーシスの優しさなのを知っている。彼は本質的には優しい人なのだ。ただ、怒らせる時の絶対零度の視線はハンパなく怖いが。

 エマとアリサに毎日の様におんぶ抱っこというのには流石に気がひけるし、アリサの今の状態はもしかしたら私が無理させてしまったのかも知れないという疑惑もある。

 そう考えるとユーシスが受けてくれるのならばお世話になるべきなのだろう。ユーシス先生というも多少怖いが、色々な事を教えて貰えそうな気がする。

 

「じゃ、じゃあ、ぜひお願いしたいです」

 

 私の返事にユーシスが頷く。しかし、いざお願いすると少し気恥ずかしいものだ。

 

「うわぁ~。いい匂い。美味しそうだね!……って、あれ?」

 

 扉が置く音がするのと同時に、エリオット君の男子にしては少し高め声が食堂に響いた。

 

「ユーシスにエレナか。珍しい組み合わせだな?」

「クンクン……この匂い……」

「エレナさんがユーシスさんに作ってあげたんですか?」

 

 エリオット君に続いて食堂に入ってきたのはガイウスとフィーとエマ。私とユーシスという組み合わせが珍しいのか、四人とも少し驚きの混じる顔をこちらに向ける。

 ユーシスと長話していたのだろうか、食堂の時計に目をやると六時半を回った所だった。

 

「あっ、そのー……」

 

 ここで下手な事を言うとアリサが風邪だというのがバレる可能性が高い。既にテーブルを挟んで私の向かいに座るユーシスにはバレているが、最小限に抑えておきたいのだ。

 しかし、良さ気な理由が浮かんでこない。

 

「えっと、まさかお二人は……?」

「私達邪魔だった?」

「えぇ!?」

「ほう……気付かなかったな……」

 

 私が良い言い訳を探しながらしどろもどろしていたのが、半ば冗談だろうと信じたいがエマの勘違いを引き起こして連鎖する。

 エリオット君なんて目が飛び出そうな位驚いているではないか。ガイウスのあんな顔は初めてだ。

 

「違う!絶対に、絶対に違う!」

 

 実際にはどうなのか全く分からないのだが、平民と貴族で恋愛なんて私はかなり困難な道だと思っている。

 それも四大名門の公爵家のユーシス相手などまずお許しが出るわけがないのだ。そんなのが許されるのは物語の中のみ。

 いや、まあ、遊び相手だったり……愛人だったりしたらその限りでは無いと思うけど……私はそんなの嫌だ。

 兎に角、絶対に無いし、絶対に違う。

 

「フン、勘違いするな。この女が料理すら出来ないというのでな。手取り足取り教えてやった次第だ」

「ちょ、ちょっと待った!そ、そんな事言ってないし!捏造反対!」

 

 いくらアリサの体調の件を私が皆に黙っておきたいと思っている事を知っていての助け舟だとしても、その事実捏造は私の沽券に関わる。

 チャウダーも作れないようでは女子力皆無になってしまうではないか。

 

 この後、多少苦労したものの変な誤解は解かれ――まあ、もっともユーシスが作ったと言ってしまった以上、私の料理スキルに関しては多分誤解されたままだろうが――鍋にまだ数人分残っていたハーブチャウダーを四人へと振る舞い、少し賑やかな晩ご飯となったのであった。

 そして晩ご飯のお礼としてエマ達が後片付けを申し出てくれた為、私は皆にバレる事無くアリサの部屋に彼女の様子を見に足を運んだ。

 

 

「調子はどうかなー……?」

 

 アリサから先ほど預かった部屋の鍵でそっと音を立てないようにドアを開けて中へ入る。

 

「あ……もう寝ちゃってたか……」

 

 少し顔は赤いが安らかな寝顔だ。こう、寝顔まで可愛らしいのは素直に羨ましい。

 とりあえず、彼女の額の濡れタオルを起こさないようにそっと新しいものに交換する。

 

「……んっ……」

 

(やばっ……)

 

「……シャ……ロン……」

 

 女の人の名前?友達か、姉妹だろうか。

 私と勘違いしたのだろうか。

 

「ご、ごめん、アリサ、起こしちゃって……」

 

 少し慌てて私は謝るが、彼女からの返事は再び静かな寝息だった。

 危ない危ない、さっきのは寝言なのだろう。それにしても今の一瞬でドンと精神的に疲れた気がする。

 

「ふぁ……なんか、私も眠いなぁ……」

 

 シャロンって誰だろう?

 

 

 ・・・

 

 

「――教官から聞いたんだが……具合は大丈夫なのか?」

「ええ、この子のお陰で大分楽になったわ」

 

 あれ……話し声が聞こえる……アリサと……リィンの?

 そこで寝ぼけ気味の私の思考が一気に現実へ引き戻された。

 そうか、晩ご飯を食べた後またこの部屋に来て……少し眠くなってベッドの端を借りて……寝てしまったのか。

 椅子に座りながら上半身を布団に突っ伏している私。きっと私の身体のすぐ近くでアリサとリィンが話している。それも二人っきりで。

 

(……でも、ここで起きて二人の邪魔するのは嫌だし……ここは……)

 

 寝たフリを続けるしか無い。リィンが帰った後、タイミングが良さそうな所で起きたフリをする。うん、これで行こう。

 やはり二人の邪魔をする訳にはいかない。

 

「エレナが……」

 

 リィンに名前を呼ばれ、思わずドキッとする。こんな状況では心臓に悪いことこの上ない。

 

「きっと私の看病で疲れたのかしら……まったく、とんだお人好しよね」

 

 アリサにお人好しと言われるのには違和感しか感じない。

 そしてそんなアリサに笑いで同意するリィンにも同様だ。

 

「そういえば……貴方の腕はもう大丈夫なの?」

「ああ……『治りきっていないのに無理をするな』って特別実習から戻った後にベアトリクス教官にも怒られたよ」

「それはそうよ……もう……私だってどれだけ心配したと思ってるのよ……」

 

 

 5月31日 正午過ぎ

 

 

「ちょっと!」

 

 5月最後の日、バリアハートでの波瀾万丈な特別実習を終えてトリスタ駅へと降り立った私達を出迎えたのは、アリサの大声だった。

 

「リィン、大きな怪我をしたって聞いたけど大丈夫なの!?」

「あ、ああ……」

 

 リィンに半ば掴みかかるかのように近い距離で問い詰めるアリサに、流石のリィンもたじたじになる。

 

「ふふ、B班も無事に戻って来れたみたいね」

 

 サラ教官が駅舎の待合室に集まっていた苦笑いするB班の面々を見た。

 

「そ、それにしてもよく俺達が乗った列車の時間がわかったな?」

「駅員さんにバリアハート駅に問い合わせてもらったのよ!トールズ士官学院の生徒が乗った列車の時間を教えてくれって!」

 

 私を含めたA班の面々がふと駅事務員のマチルダさんに顔を向けると、彼女は微笑で応えた。

 なるほど。このアリサ相手では仕方なかった、ということのようだ。

 

「でも……無事で良かった」

 

 安心しきったのだろうか、少し涙を浮かべている様にも見えなくもない。

 リィンもぎゅっと抱きしめてあげればいいのになぁ。まあ、絶対しないと思うけど。

 ……とまあ、そんな駅員さん苦笑いの感動の再会があった訳だ。

 

 

「まったく……貴方はちゃんと私がいないと本当に無茶してばっかりなんだから……」

 

 アリサの普段聞けない甘ったるい声に、甘酸っぱいニュアンスの言葉。ずっと一緒にいたい、と言っているようなものではないか。

 ある意味プロポーズ……いや、流石にそれは私の考え過ぎか。ベッドに突っ伏している顔が少し暑くなる。

 

 まあ仮にリィンとアリサが二人でいたら、どちらも相当なお人好しなので二人揃って無茶しそうなのは気のせいではないと思う。

 

「それなのに、人には無茶するなって言うし……」

 

 それは私もリィンによく思う。

 だって、4月の自由行動日の旧校舎の調査の時。私が無茶して皆に迷惑かけた後の帰り道に同じ様な事を言っていた。

 なのにも関わらずなんだかんだとリィンは無茶ばかりするのだ。

 

「……参ったな。でも、君もこうしてみんなに心配かけたんだ。こう言っちゃなんだが、俺達はおあいこ様だな?」

「む、むぅ……」

 

 納得出来ない感じにふて腐れるアリサの顔が頭の中に浮かぶ。きっとリィンから少し目を逸らして、ちょっと顔を火照らせているに違いない。

 

「辛い時に無理することは無いんだ。それに――Ⅶ組はみんな仲間なんだ、一人で無理しないでみんなを頼ってくれ」

「……うん……」

 

 そういえばちょっと前にそんな言葉を私もリィンにかけられたっけ。

 あの時は正直、感極まって泣いてしまったのも今思えばいい思い出かも。

 

 そんな数か月前の出来事に思いを馳せていると、いつの間にか私を挟んで展開されていた甘ったるい空間が終わりを迎えようとしていた。

 

「はは……それじゃあ、俺は部屋に戻るよ」

「えっ……」

 

 期待していたのに、多分そんな感情の篭った声色。

 好きな人ともっと一緒にいたいという、感情の裏返し。私もこんなにバレバレで分かりやすかったりするのだろうか……そう思うと滅茶苦茶恥ずかしい。

 

「どうかしたのか?」

「べ、別に……なんでもないわよ……」

 

 いつもならリィンの鈍感!、と私も心の中で毒づいていることだろうが、正直今回限りはアリサの恥ずかしがり屋に感謝した。

 この逃げられない状況で「今夜は一緒にいて……」なんて言われた日には、色んな意味で私が恥ずかしくて死んでしまうのは間違いない。

 

「また明日な」

 

 ええ――と返すアリサの声色に混じるのは半分の幸福感ともう半分の寂しさといった所か。

 私は思う。”また明日”と”バイバイ”は似て非なるものだ。前者がまた再び会う事が意識されているのに対して、後者はそれが無い。つまり最後の別れの言葉に成り得るのだ。だから私は決まって前者を使っていたことがあるぐらいだ――リィンは鈍感な癖に、こういう細かい所で女ったらしの素質を感じさせる。

 

 ドアの閉まるのを確認したアリサが、いろんな感情が詰まった溜息をついた。

 さて、リィンも帰ったことだし私もタイミングを見て今起きたフリをしなくては。

 

「もう少し……って私、何言っちゃってるのよ!?バカバカ!」

「いてっ」

「え?」

「あ」

 

 バレた。

 照れ隠しにバタバタとベットを蹴ったアリサの脚が、私の肘に当たって思わず声が出てしまった。

 

「お、おはよー……?」

「……いつから聞いてたの?」

「……リィンがアリサの具合を聞いたとこ……らへんかな……?」

「そんな前から!?」

「だ、だって、アリサとリィンがいい雰囲気だったから邪魔しないであげようと思って!で、でも、アリサ、可愛かったよ!?」

「起きてたのならさっさと言いなさいよ!もう!」

 

 

 ・・・

 

 

 リィンは寮の階段を男子部屋のある二階へ降りながら、先程のアリサの部屋での出来事を思い返していた。

 

「そういえば、エレナは何してたんだろう?あれ狸寝入りだよな……」

 

 彼がアリサの部屋に入った時には、完全に寝ていた様にも思えた高度な狸寝入りだったのが、途中から顔を赤くしていたりと寝たフリをしている割には落ち着きが無かったのだ。

 しかし、リィンには彼女があの場で狸寝入りしていた理由は全く浮かんでこなかった。

 

「まあいいか」

 




こんばんは、rairaです。
さて今回は前回に続いてアリサが風邪を引いてしまうお話の後編です。

ユーシス様のノーブルクッキングは無事成功し、その素晴らしい才能を見せつけました。何でもそつなくこなす、って凄いですよね。一割でいいからそんな才能をエレナさんに分けてあげて下さい。
正直、初めての料理ってレシピ見ただけじゃ作れませんよね。私も料理は好きですが、スクランブルエッグで失敗した子供の頃の経験を今でも思い出したりします。

そしてリィンとアリサ(と聞き耳立ててたエレナ)の3章前のお話。
原作との相異点として、2章特別実習でリィンが受けた肩の傷がそこそこ重い物という独自設定からこの様な展開になりました。アリサさんならこれぐらいはやってくれるでしょう。

次回は中間テスト終了後、あの人の初登場となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月19日 ラインフォルトの使用人

「そこまで」

 

 チャイムの鐘の音と共にサラ教官が試験時間の終わりを告げた。

 

「いやっほぅ!終わったあっ!」

 

 中間試験で最後の教科の試験を終えた解放感に、私は握っていた鉛筆を机の上の答案用紙に放り投げて両腕を上げた。

 勉強に追われた二週間、そしてこの長い四日間の本番。勉強があまり好きではない私にとっては苦行に感じられた日々が今、やっと終ったのだ。

 

「ん、疲れた」

「フィー、どうだった?」

「実戦技術は余裕かな」

 

 隣の机でまるで猫のように上体を伸ばしているフィーに私は訊ねると、彼女は体を起こして向き直りながら返す。

 

「じゃあ、私達の勝利だね!」

「ブイだね」

 

 そして、二人の善戦に私達は両手でハイタッチを交わして喜びを分かち合う。

 

「ほら、良い気分なのは分かるけど騒がないの」

 

 丁度私の後ろの席、ラウラの横に立つサラ教官が答案用紙を回収ながら、私達へ注意する。

 

「はーい」

「むぅ」

 

 渋々、二人で返事をしながら答案用紙を教官に渡す。

 廊下側から回収を始めた為に私とフィーのが最後だったようだ。全ての答案用紙を集め終わったサラ教官は、ホームルームまで休憩の旨を伝えてそのまま教室を出て行ってしまった。

 

「アリサ、アリサ、2枚目の問4の最初ってAが答えだよね?」

「正解ね」

「やった! ここ不安だったんだよね。合ってて良かった良かった」

「まったく……全体だとどうなのかしらね?」

「まぁ、実践技術はエレナも大丈夫だと思う」

 

 目の前には呆れた仕草しながらも笑っているアリサ。

 実戦技術は彼女と共に勉強したのだ。そして、その勉強に少しフィーも手伝ってくれていた。

 

「フン、だが他の教科を落としていたら話にならんぞ」

 

 ユーシスは私の三番目の先生だ。一番厳しくて、一番面倒見の良い先生。

 女子で集まっている私達には少なからず近づきにくいだろうに、ちゃんとこうして私の様子を見に来てくれていたりする。

 

「でも苦手な数学や帝国史も結構解けたような気はするんだよねー、多分9割ぐらいは」

 

 そう、三人の先生に勉強を見て貰ったお陰もあり、今回の中間試験に私は自信がある。

 しかし、皆の反応はそうはいかないかった。

 

「それはあり得ないわ」

「勘違いですね……」

「絶望的過ぎて狂ったか?」

「失礼な!」

 

 アリサが、エマが、ユーシスが――私の先生達が厳しい言葉を浴びせてくる。

 

「みんな信じてくれない! フィー、助けてよ!」

「エレナ、私は信じてるよ」

「……どっちの意味で?」

「勿論、同志として」

 

 フィーの言葉に私は肩を落とす。

 こんなに頑張ったのに誰からも信じてもらえないだなんて、私は今までどんなにバカをしてきたのだろうか。少し今までの私を呪いたくなりそうだ。

 

 

 ・・・

 

 

 結果が良くても悪くても、試験終了後は清々しい解放感に満ち溢れている。

 それはⅦ組のみんなも同じようで、少し浮かれながら楽しくお喋りしながら第三学生寮までの帰り道を歩いていた。

 先程終ったばかりの試験の話や、人に会うために明日の夜まで帰らないという衝撃発言をしたサラ教官の話。特に後者は結構盛り上がったりした、主に絶対あり得ないという話で。

 まあサラ教官、かなり致命的にズボラだから仕方ないとも言えるだろう。でもこのⅦ組の男子組は、少しばかり女子に夢見過ぎな気もしなくもない。サラ教官程のズボラは確かにやばいけど、少しぐらい気を抜きたくなる時はいくらでもあるのだ。

 

 そして、話の話題はサラ教官の恋人疑惑からこの場にいない三人のクラスメート、特にラウラとフィーのものへと移った。

 もう男子を含めて皆気がついているが、最近この二人は少し避け合っているのだ。私が最初に何かを感じたのは二週間程前、フィーと共に質屋を訪ねた日に教室を出ようとした私達に注がれたラウラの視線。

 実のところバリアハートから帰って来て以来、フィーと一緒にいることの多い私はあまりラウラと話していない。だから、当初は私がラウラに避けられているのかと勘違いし、かなり落ち込んだものだ。

 

「……ひょっとしたら報告会が原因かも知れないな」

 

 マキアスが彼の中で思い当たる出来事を口にした。

 

「報告会って特別実習のか?」

「何かあったかしら?」

 

 リィンとアリサが首を傾げる。

 

「あの時、フィーの過去についても報告しただろう?フィーがその事を話した時、ラウラの表情が一瞬だが険しくなったように見えたんだ。すぐに元に戻ったから気のせいだと思っていたんだが……」

 

 ああ、なるほど。私は心の中で納得した。

 つまり、ラウラも私と同じ所を気にしたのだ。

 

「でも、それがどうして?」

 

 と、エマ。本当にわからないのだろうかと少し不思議にも思う。

 

「そこまではわからないが……でも……」

「元、猟兵だから――じゃないかな?」

 

 マキアスを遮るような形で、思わず私は一番考えうる理由を口にしていた。

 そしてストレートな一言を投げ込んだ私に皆の視線が集まるが、その中に非難するような視線が無かったのに安堵を覚える。

 

「フン……確かにな。不思議ではない」

 

 みんなが押し黙る中、一人ユーシスが私に同意してくれた。

 

「私も……バリアハートの地下水道で最初にフィーが打ち明けてくれた時……少し戸惑ったから」

 

 正直、”少し戸惑った”では済まなかったのだが、それをみんなに話すのは憚られた。

 

「私が子供の時の話だけど……その頃の帝国南部は治安があまり良くなくて、その……傭兵崩れの出没騒ぎなんかがあったりして結構物騒だったんだ」

 

 出来るだけ言葉を選んで詳細はオブラートに包むが、私はあの事件を今でも鮮明に思い出せる。

 

 それは戦争が起きる直前、休暇中だったお父さんが招集を受けて居なくなって1か月程の出来事だった。

 村に突然現れた汚い身なりの数人の傭兵が酒場で暴れ、発砲した挙句に人質をとって立て篭もり、船と莫大なお金を要求したのだ。

 偶々近辺を移動中であった正規軍部隊が村の異変に気付いて駆け付けた為、村の人々に死人や怪我人が出る前に事件は速やかに解決されたのは不幸中の幸いだった。もしもパルム市の領邦軍が来るのを待っていたら、村の金目の物は全て奪われてしまっていただろうとその後にお祖母ちゃんも言っていた。

 

 しかし、どんなに奇跡的な解決をされても事件は私にとって今でも恐怖そのものだ。その日村の近くで起きていた小さな山火事によって煙と煤で澱んだ夜空、気分が悪くなる程の血の臭いを漂わせた傭兵達、正規軍兵士の酒場への突入による激しい銃声と断末魔の叫び――そのどれもが、当時4歳だった私に恐怖を刻み付けるのに充分な出来事だった。

 

「それにお父さんが正規軍の軍人だったから、どうしても傭兵とか猟兵が敵に思えちゃって……」

 

 お父さんが再び帝国北西部に派遣されていた際には、傭兵と戦っていたという話を聞いたこともあった。あの事件とお父さんと戦っている敵――私の傭兵に対する印象は最悪だった。だから、フィーが傭兵の中の傭兵と謂われる猟兵だと告白した時、私は受け入れる事は出来なかったのだ。

 彼女からあの日の傭兵達のように血の匂いを漂ってようで、そして綺麗な銀髪が彼女の殺めた人間の血で染まっている様に見えて。

 

「確かに、それはちょっと複雑だね……」

 

 そう反応したエリオット君の表情と碧翠色の瞳が少しばかり真剣な色を帯びていた。

 もしかしたら彼に近い人に軍人がいるのだろうか。まあ、帝国では軍関係の職に就く人はかなり多いので不思議ではないのだが、もしそうだとしたら少し親近感を感じる。

 

 そして、気付けば道のど真ん中で立ち止まって私達は黙りこんでいた。

 深く考えこむリィン、心配そうなアリサ、困惑するマキアス、思案顔のユーシス、そして複雑な表情のエリオット君と真剣な眼差しのエマ。

 

「……あっ、ごめん! 空気暗くしてた! そんなことがあっても今は気にしてないし、私はフィーの事大好きだから!」

 

 あの出来事を気にしてないは嘘だ。それでもフィーの事は私は完全に受け入れられる。それはフィーとの間には確かな友情があるから。

 

「ふふ、知ってますよ」

「特別実習からずっと仲いいものね」

「うんうん、だからラウラもフィーもその内仲直りできると思うし、大丈夫だよ!」

 

 もっともラウラが何故避けているか、その詳しい理由までは私には分からないのだが。

 特別実習以来フィーとよく絡んでいる私はここ三週間程はラウラとあまり話してすら居ないのだし、そもそも彼女とよく話す様にしているアリサにすらラウラは何も明かしていないのだ。

 

「フン、まあ事情は人それぞれだろうからな」

 

 そしてユーシスはアリサが未だ家名を隠していることに突っ込み、アリサがそれに少々慌てながら反発する。

 そういえば二週間ほど前にアリサが風邪をひいて、ユーシスと共にあのハーブチャウダーを作った時にそんな話をしたような気がする。

 

「それにお前の家名については大方予想が付いているからな」

「「そ、そうなの?」」

 

 ユーシスの言葉に全く同じ反応をする私とエリオット君。

 本当に気になるじゃないか。

 

「あなたねぇ……」

 

 ユーシスにジト目を向けるアリサをエマが宥める。

 

「前から言っているようにアリサが教えてくれる気になるまでは詮索したりはしないからさ」

 

 そんなリィンの言葉に顔を赤らめて、モジモジしながら言い訳のように理由を口にするアリサ。

 もう、この二人は……。

 

 それにしてもアリサの家名は少し気になる。彼女はユーシスがお嬢様だと認める位であるから帝国の最上流階級であるのは確かなのだ。しかし、貴族ではなく平民でその階級にいるということは、彼女の親は相当な地位や影響力を持つ人間ということになる。

 それこそ帝国政府の閣僚や要人だったり、各地の大商会を束ねて帝国全土で商売をする商社等――本当に限られた一握りだ。

 

 しかし、真実は私の想像をかけ離れていた。

 

「――お嬢様、お帰りなさいませ」

「え――」

 

 丁度、声の主は第三学生寮の前に紫色の髪をショートカットにした綺麗な人が立っていた。

 

「シャ、シャ、シャ……シャロン!?」

 

 アリサが驚愕の表情をしてその人の名前を呼ぶ。

 シャロン……その名前どっかで聞いたことが……ある様な。

 しかし、彼女の次の言葉に私の思考は完全に吹き飛ばされてしまうこととなる。

 

「初めまして――シャロン・クルーガーと申します。アリサお嬢様のご実家、ラインフォルト家の使用人として仕えさせて頂いております」

 

(……ラ、ラ、ラインフォルト!?)

 

 

 ・・・

 

 

「あ、ガイウス」

 

 晩ご飯を食べた後の時間、リィンとエリオット君と共に一階のロビーの机を囲んでいた私は、ドアの開く音と共に寮へ帰って来たガイウスに気づいた。

 

「結構遅かったな、何かあったのか?」

「そういえば、学院長のところに行ってたって聞いたけど」

 

 リィンとエリオット君の二人に少し困ったような顔を作るガイウス。

 どうやら彼は今までヴァンダイク学院長と夕飯を共にしていた様だ。

 学院で一番偉い人と一体何を話したのか気になって内容を訊ねると、色黒で体躯の良い彼にはあまり似合わないすまなそうな表情を私に向けた。

 

「すまないが、まだ皆に教える訳にはいかなくてな……。その内、皆にも教えられると思うのだが、それまでは気にしないでおいてもらえないか?」

「えっと……学院を辞めるとか、じゃないよね?」

 

 エリオット君の少し心配そうな声色。

 

「万が一にも、それはないな。折角送り出してくれた故郷にも、推薦して貰った恩人にも顔向け出来ない」

「はぁ、よかったぁ」

 

 先程とは打って変わって力強く断言するガイウスに胸を撫で下ろすエリオット君。

 

「ガイウスは推薦で士官学院に来たのか」

「ああ、とても世話になった帝国軍の将官に推薦して頂いた」

 

 その言葉に私とリィンは少なからず驚いた。ガイウスの故郷であるノルド高原は帝国の外なのにも関わらず帝国軍の軍人、それも将官の知り合いがいた事に。

 

「帝国軍の……」

「軍の将官に知り合いがいるなんて……すごい……」

 

 将官といえば正規軍でも領邦軍でも軍組織のトップにいる軍人だ。

 主に師団や軍団といった万を超える兵士を擁する大部隊や要塞等の重要な軍事拠点の司令官、そしてそれらを更に上から指揮する中央の人間だったりする。

 領邦軍では《四大名門》の子弟やその傘下の有力な貴族がその地位を与えられる事もある様だが、実力主義の正規軍において将官にまで出世出来るのは本当に優秀な人の中でもほんの一握りなのだ。

 

 まあ、どう転んでも士官学校を出ていないうちのお父さんはなれる筈も無い、絶対に有り得ない階級だと思う。

 もう数年会っていない懐かしいお父さんの顔を思い浮かべていると、私は微妙な違和感を感じて向かいに座るエリオット目を遣る。気のせいだろうか、彼の表情が少し暗く黙り込んでいる様に見えた。

 

「エリオット、どうかしたの?」

「あ、ううん。なんでもないよ」

 

 私は少し心配になり声をかけるものの、すぐにいつもの人懐っこい笑顔に戻ってしまう彼に、あまり深く考えることも無く彼から机の上のマグカップへと目線を移した。

 

「話は変わるが、リィン。明日の自由行動日だが、旧校舎の調査に向かうのならオレも手伝わせてくれないか?」

 

 ああ勿論だ、と快諾するリィン。彼にとってもガイウスの戦力は心強いに違いない。

 私も、早く強くならなくてはならない。

 

「オレも久々に体を動かしたいしな。座学の勉強も楽しいが、やはり体を動かしている方が性に合う様だ」

「はは、ガイウスらしいな。そういえばエレナはどうかな?」

「あー……私は午後から《キルシェ》のバイトなんだよね……ごめん」

 

 そう明日は《ケインズ書房》ではなく、喫茶店《キルシェ》での仕事なのだ。

 もっとも私は働くのは一日限り。実はバイトをダブルブッキングしてしまったベッキーから急に頼まれたというだけの話なのだが。

 

「それは仕方が無いな」

「あれ、エレナって《キルシェ》でも働いてたの?」

「ちょっと頼まれちゃって……お金は欲しいし、試験も終わったから働ける時働きたいなぁって」

「そういえば結構頑張ってるよな。何か買いたい物でもあるのか?」

 

 私が当初アルバイトを始めた一番の理由は、経営が楽ではない実家のお店から仕送りを貰いたくなかったといったものだ。

 しかし、そこに新しい武器として中古のライフルを買うという数万ミラ規模の特別出費の予定が入ってしまったので、今後数か月はなりふり構わず働かなくてはならないのは確実である。

 

「ええっと……」

 

 正直に新しい銃が欲しくて頑張っています、なんて言うのも何か違うような気がして口に出すのを憚られるのだ。

 この場は実際は可愛い服がとか、アクセが、とか言っておくべき所の様な気がしなくもないのだが……。あまりお洒落が得意ではない私にそんな大それた嘘は付けない。

 どうしようかと考えていると、私にとって思わぬ助け舟ならぬ救世主が階段を降りて現れた。

 

「あら……?」

 

 階段を降りてきたのは今日からこの第三学生寮の管理人となったシャロンさん。彼女はロビーの机を囲む私達と目が合うと優しい笑顔を浮かべて会釈する。

 

「お初にお目にかかります、ガイウス様」

 

 先ほどまで外出していた為に初対面のガイウスに彼女は挨拶をし、それに彼もそれに丁寧に返す。そして、一通りの挨拶と自己紹介を終えたシャロンさんは、深く一礼をして食堂の方へ足を向けていった。

 

「あの女性が今日からこの寮の管理人となるのか」

「結構綺麗な人だよね」

「ああ、本当だよな」

 

 リィン、暫くの間は思ったことでもアリサの前で言わないようにね?

 そう心の中で彼に忠告しながら、私は紫色の髪の管理人さんの後ろ姿に目をやった。

 

 実際、シャロンさんは物凄く綺麗な人で、なんといってもスタイルは凄い。

 あんなメイド服を着てなお魅力的で大きな胸は私にとっては少し分けて頂きたい程羨ましいもので、リィンの視線が釘付けにされるのも仕方ないのだろうが……。

 

「……それにしても昼間はビックリしたよね」

「ああ……アリサがまさかあのラインフォルトのお嬢様だったなんてな」

「ラインフォルトというと帝国最大の企業と聞くが……それ程に凄いものなのか?」

「凄いも何も、銃弾から飛行客船までありとあらゆる導力製品を作ってる大きな会社だよ。帝国に住んでいたらラインフォルトの物を使わない日は無い、ってよく言われてたりするし」

「ほお……」

 

 エリオット君の簡潔な説明に目を丸くするガイウス。

 

 帝国最大の企業と名高いラインフォルト・インダストリー・グループは、同時に大陸最大級の導力製品メーカーだ。

 帝国五大都市の一に数えられる本拠地のノルティア州ルーレ市に所在する本社ビルは帝国本土で最も高いビルとして知られ、更にルーレ市では労働力人口の殆ど――その数十万人を超える市民がラインフォルトの関連企業で働いているという話があるぐらい巨大な存在なのだ。

 

 そのラインフォルトの創業家の一人娘。つまり、アリサはラインフォルトグループを将来的に継承して、あの巨大な存在を導く立場にある人間なのだ。

 本質的には同じ筈なのに辺境の田舎の酒屋の娘の私とは、とんでも無い程にまで桁違い過ぎる。

 

 その後、暫く三人でラインフォルトが如何に凄い会社なのかということをガイウスに説明する流れとなる。もっとも最後の方は面白可笑しいジョークも混じっていたが。

 

「それはそうと――肝心のアリサはどうしてるんだ?」

 

 リィンが周りを見渡してから不思議そうに私に訊ねた。

 きっとついほんの一時間ほど前まで喚いていたアリサの姿を探したのだろう。

 

「結構前からベッドで不貞寝中かな。さっきシャロンさんの事話したら拗ねちゃった」

「はは……シャロンさんの前だと少し子供っぽかったよな」

 

 基本的にアリサはしっかりした子なのだが、たまに急に子供っぽくなったりする。

 今まではそんなことはリィン関連でしか見れなかったのだが、今回シャロンさんというアリサに親しい人の登場によってある意味素の彼女が曝け出されていた。

 見方を変えればただシャロンさんにアリサが遊ばれているだけの様にも見えなくはないのだが。

 

「本当はもっと仲の良い……うーん、なんて言うんだろう……」

 

 私はアリサが風邪を引いて寝込んでいた時の出来事を思い出していた。

 あの時、シャロンという名前を確かに彼女の寝言から聞いている。この様な関係をなんていうのだろうか。

 

「使用人って言う割には対等な感じというか……長く一緒にいる様な雰囲気だったな」

「確かにそうだね」

「ふむ……」

 

 私はやっと言葉を思い出していた。

 そう、きっとアリサにとってシャロンさんは……長く一緒にいた大切な人なのだ。

 それは雇い主と使用人という関係ではなく、幼馴染という訳でもなく、きっと――。

 




こんばんは、rairaです。
さて前回で番外編だった「風邪ひきアリサ編」は終了し、今回からは3章の本編部分となります。
私が感じるだけかも知れないのですが、原作でⅦ組が一番学生学生しているのって3章な気がするんですよね。中間試験といういかにも学生イベントがあるという事を差し引いても、学生生活をのびのびとおくれているような気がします。これ以後はノルドでの両国一触即発や帝国解放戦線の暗躍、革新派と貴族派の対立の激化、と帝国の国内情勢も著しく悪化していきますしね。

エレナの傭兵や猟兵に対する恐怖の理由となる出来事。家族や大切な人を殺害されなくても、充分子供心に恐怖を植え付け、尚且つフィーを受け入れても違和感が無い、という位の出来事を作るのに少し苦労しました。
そして勘の良い方は気付いたでしょうか、例のあの事件と関連があるという設定です。

次回は自由行動日のお話となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月20日 シャロンの『好意』

 目の前でスミレ色の髪のメイド姿の女性が優しく微笑む。

 しかし、私にとっては有無を言わさない無言の圧力の様に思えた。

 

「どうないますか? エレナ様」

 

 彼女は迷う私を見て、後一押しと思ったのだろうか。再び返事を求めると共に、碧緑色の瞳が真っ直ぐと私に注がれる。

 ここは帝都近郊のトリスタ市内の端にある寂れた質屋《ミヒュト》。

 後ろには一緒にこの店を訪ねたフィーと、店の看板と同じ名の店主のミヒュト。しかし、彼らが私をこの状況から助けてくれることは無い事は最早見なくても分かる。

 

「……お願いします。シャロンさん……」

「ふふ、心配なさらなくても悪いようには致しませんわ」

 

 私は彼女――ラインフォルト家のメイド、シャロン・クルーガーに屈した。

 

 時は二十分程前に遡る。

 

 古びた質屋のカウンターにおもむろに置かれた二つの大きなケース。

 右側の艶のない黒色のケースにはラインフォルト社のロゴが刻印されており、自ずと中身の製造元が想像できる。しかし、左側のものは大小様々な傷が付いておりお世辞にも綺麗とは言い難く、製造元を判別できるものも見つけられなかった。

 店主のミュヒトさんはおもむろに右側の比較的綺麗な方のケースのロックを外し、私達に中身を晒した。

 

「もう分かるだろうがラインフォルトの製品だ。帝国軍が採用する制式ライフルの《RF-G2》」

 

 ケースの中からその姿を表したのは全長1アージュ程と思われる無骨な黒色の銃器。

 私はこのライフルを知っていた。何時ぞやのお父さんの写真に一緒に写っていた銃と同じデザインの物なのだ。

 

「0.5リジュ弾使用。銃番号から製造年は1197年。初期型に近い」

 

 基本的な情報を淡々と読み上げてゆくミヒュトさん。

 

「《百日戦役》で従来の導力式ライフルの火力不足に悩まされた帝国軍が戦後完成させた自動小銃だな」

「《百日戦役》……」

 

 《百日戦役》は帝国とリベール王国との間で十二年前に勃発した戦争。開戦から停戦まで三か月と数日というほぼ100日という期間の短さが由来となり《百日戦役》と広く呼ばれている。

 帝国史的には導力革命以後の最初で最後の戦争であるとされている。同時に、導力化された軍隊が初めて実戦投入され、様々な導力兵器が戦場にて使用された戦争でもあった。

 戦争で武器は改良されるというのは仕方の無い話だが、あの《百日戦役》で改良されたと聞くと私にとっては少なからず複雑だ。

 

「ふーん、《G2》ってそんな事情があったんだ。にしては、今でも帝国軍は旧式のライフルを見るけど」

「納入価格が数倍は高いからな。軍の調達予算が目下機甲部隊と飛行船に集中している現状だと前線部隊にしか配備されてねぇのも当然と言える」

「なるほど」

 

 そう相槌を打ったフィーは、ケースに収まる黒いライフルに目を落とした。その真剣な横顔に私は少し魅入られる。

 

「それにしても結構使用感あるね」

「まあ、正規軍からの横流し品だからな」

 

 次行くぞ、とミヒュトさんは隣の傷だらけのケースを開ける。

 

「共和国ヴェルヌ社製、共和国軍や各国に輸出されて採用されていた《AR80》。こいつは0.7リジュ弾使用」

 

 ラインフォルト社のライフルと比べると10リジュほど全長が小さいだろうか。

 先程の金属製の黒一色だったラインフォルト社のものと比べると、銃への感想としては不適切かも知れないが、一部に木製の部品も使用されており少し温かみのあるデザインだ。そして、ケースと対照的に銃本体は小奇麗だ。

 

「共和国製の銃……」

「というより、紛争地域お馴染みの銃かも。使い勝手が良いから猟兵団でも新入りはよく使わされる。まあ、悪くないよ」

「こいつはクロスベルから持ち込まれた物だな。仕入元からの情報だと製造年は1182年……お前さん達より年上だな」

「大丈夫なの?」

 

 基本的に導力銃にも寿命というものが存在する。弾丸を打ち出す導力エネルギーを発生させる導力ユニットは取替えが可能ではあるが、大体数百発か1年で交換目安となる。なにより銃自体の寿命として、こればかりはどうしようもないのが銃身の寿命だ。使用状況にもよるが概ね約数千発で錆や汚れ、そして摩耗等で正確な射撃に支障をきたし始める。

 だからこそ22歳のご老体のライフルに対して、「大丈夫なの?」と尋ねたフィーは正しい。

 

「前の持ち主はなんか飾り物としていたらしいが、そのまま捕まっちまったんで状態も悪くねぇ」

「ふぅん、それもクロスベルの仕入元からの情報?」

「まぁな。ただ、現物のみだからメーカー保証は無いし、修理関係も共和国産だから手軽に行うのは難しいからな。クロスベルに住んでりゃまた違うんだろうが」

 

 帝国国内で独占的地位にあるラインフォルト社の存在は、他国の武器産業にとっては高すぎる壁である。ヴェルヌ社といえばラインフォルトに並ぶ規模の共和国の巨大導力メーカーではあるものの、それでも帝国内では有力なシェア獲得には至っていない。

 まぁ、両国の関係が悪いというのも大きな理由なのだが。

 

「でも、弾の口径はそっちの方が大きいですよね? 威力はやっぱり……」

「だね。威力は高いけど、0.7リジュは反動も結構来るよ」

「反動かぁ……」

 

 あの撃った後に来る筋肉痛は結構きついのだ。

 

「まあ、それは試し撃ちさせて貰った後でいいんじゃない?」

 

 買う前に試し撃ちは出来んだった。じゃあ、一番重要な事を聞くべきだろう。

 

「と、とりあえず、一応お値段の方は……?」

「《G2》は4万5千、《AR77》は2万って所かねぇ」

「た、高いなぁ……」

 

 今財布の中にあるお金は2万ミラ弱。今日のバイトで2500ミラは稼げると思われるので、共和国製のライフルであればギリギリではあるがすぐに買うことが出来る。

 しかし、4万5千ミラを求められる帝国製の《G2》には手が出ない。何かしら価値のある物を質に入れるか、それとも誰かに借りなければ難しいだろう。

 

「新品の納入価格はこの数倍はする筈だから、値段としてはかなりお得だと思う。でも、難しい選択だね」

 

 フィーの言う通り難しい選択だ。

 長く使う事を考えれば帝国のラインフォルト製に限るのだが、目の前の無骨な《G2》は結構傷が付いていたりと使用感ある外見だ。訓練や戦場で多用されているのであれば、いつガタが来ていてもおかしくないし、長く使う事も出来ないかもしれない。

 

 それに対して共和国製のライフルは製造自体は一世代以上前の物と古いのだが、ケースと違って銃本体は飾り物だっただけあって綺麗だ。

 銃の全長もラインフォルト製より10リジュ程短く、女の私でも取り回ししやすそうでもある。ここら辺は移民の多い共和国ならではの、誰でも使える様な配慮なのかも知れない。

 しかし、それでも私には”共和国製”という抵抗感があった。私も意識だけは立派な帝国人というわけだ。

 

「手入れは私が教えてあげれるけど、こっちは部品が壊れても修理に出すのは難しいし」

 

 そして、溜息を付いて右側のラインフォルト製の銃に目を遣るフィー。

 

「《G2》は大分使用感あるし」

「うーん」

「とりあえず、構えてみたら?」

 

 いいよね?、とカウンター内で退屈そうに競馬誌インペリアル・レースを読み始めていたミヒュトさんに一応の了解を取るフィー。

 ミヒュトさんも反対すること無く頷く。まあ、実弾も入っていなければ導力ユニットも取り外されている為、特に問題など有る訳無いのだが。

 

 帝国人の保守的な国民性は身近な導力製品で見慣れたラインフォルト製を第一に選ぶ、という所謂あるあるネタは私にも当てはまっていたようで、傷こそ多数あるもののラインフォルト製の艶のない黒色のライフルを手にとって構えを取る。

 しかし、初めて構えるアサルトライフルは想像以上の重さで重力に引っ張られるように銃口が下を向いた。

 

「……お、重っ……」

「拳銃に比べたら数倍重いからね」

 

 まあ、拳銃より遥かに強い武器なので当然といえば当然なのだが。

 こんな重い物を取り回して戦う現役の兵士に感心しながら、自分なりに安定する構え方を模索する。

 数十秒の格闘の末、自分なりの構え方を見つけて安堵の溜息をついていると、隣のフィーからダメ出しを受けた。

 

「銃床を肩にちゃんと当てないで撃ったら反動で青痣になるよ」

 

 それは……とても痛そうだ……。

 私は嫌な想像をしながらライフルの一番端の部分を肩に当てる。大人の男の人が主に使う為に設計されているためか少ししっくり来ないが、まぁこんなものだろう。

 

「……こう?」

「ん。中々様になってる」

 

 嬉しいのかよく分からないが、先程に比べれば手振れも収まっているような気はする。

 照準器の溝を覗きながら、銃口を店のカウンター奥に掛けられている時計の文字盤の中心へ移動させて狙いをつける。うん、重さは感じるけどちゃんとした姿勢で構えれば取り回しに苦労するということはなさそうだ。

 

「ライフルの有効射程ってどれぐらいなのかな?」

「アサルトライフルはまあ300アージュぐらいまでだね。モデルにもよるけど」

「凄いね! 私、スナイパーになれるじゃん!」

 

 導力拳銃はどう足掻いても20アージュが有効射程の限界とされている。勿論、銃弾自体は数百アージュは飛び、100アージュ先でも弾丸が当たれば充分な威力を期待できるだろう。しかし、導力拳銃は主に至近距離での護身用途の設計である為、50アージュも離れてしまえばいくら狙いを付けても1アージュは逸れてしまうのは間違いない。

 だが、このライフルであれは約300アージュ先ですら狙い撃てるという事なのだ。

 

 私は初めて触れる武器に少なからず心を躍らせて店主にも話しかけようとするが、肝心の彼は興味無さげに競馬誌を読み耽っており何やらブツブツと数字をつぶやいていたりしていた。

 

(そう言えば、今日は日曜日だもんね。)

 

 日曜日といえば帝都競馬の日でもあるのだ、この後に私が仕事をするであろう《キルシェ》でもマスターのフレッドさんが導力ラジオを聞きながら一喜一憂しているに違いない。

 そんな事を考えながら彼の姿を視界の端に見ていると、店の扉の開く音と共に背中の後ろから何者かの驚いたような短い叫びが響いた。

 

 そこには菫色の髪の私よりも頭ひとつ程背の高い、メイド服姿の女性が驚きの余り口に手を当てて立ち竦んでいた。

 

 彼女――ラインフォルト家の使用人にして私達Ⅶ組の第三学生寮の管理人であるシャロンさんの誤解を解くのには然程時間こそ掛からなかったものの、私の肝を冷やすには充分過ぎるほどだった。

 16歳にして初めて強盗と間違われる不名誉な経験をすることになるなんて。普通の中の普通を地で行く私にはショック過ぎだ。

 

「新しい武器を……なるほど、そういうことでしたか。てっきり、わたくしはフィー様とエレナ様で店を襲っているのかと」

 

 含みのある笑顔で物騒な事を言ってくれるが、とりあえず彼女は納得してくれていた。

 まあ、私がミヒュトさんの方向に銃を向けていたのは確かなので、見る人が見たら本気で通報されていたかも知れないのだ。そう思うとぞっとしない。

 

「あはは……でもちょっとお金がギリギリすぎて……」

「そうなのですか……」

「えっと、シャロンさん?」

 

 何やら思案し始めるメイドさんの名前を呼び返すと、彼女は何かを思い付いたかの様に表情を変えた。

 

「わかりましたわ」

「は、はい?」

「エレナ様、今回の件についてはこのシャロンめにお任せ下さいませ。きっとご満足頂ける物をご用意できると思いますわ」

 

 つまり、シャロンさんが私の新しい武器を用意してくれるという事なのだろうか。いや、シャロンさんは確かにそう言っているけど、彼女はただのメイドさんではないか。

 彼女が作った今日の朝ご飯は『私の人生史上最も美味しかった朝ご飯』に殿堂入りが確定している程の素晴らしいものだった。しかし、彼女にアサルトライフルの様な銃器はどう考えても関連性が薄く、どうやって用意してくれるのかが疑問に残る。

 

「そっか。ラインフォルト――アリサのお母さんに頼むっていうこと?」

「ええ!?」

「ご明察ですわ、フィー様」

 

 意図していることに気付いたフィーに、微笑み肯定するシャロンさん。

 感心しているようではあるものの、雰囲気としては日曜学校の先生が生徒を「よく出来ました」と褒めているのに近い様な気がする。

 

「いや、でも、そんなの悪いというか……」

 

 そりゃあ、ラインフォルト社から直で貰えるのであれば信頼は置けるし、多分新品だろうから……こんな美味しい話は他に無い。

 しかし……それはなんとなく嫌な感じだ。

 

「ふふ、それを決めるのは会長のお仕事ですわ」

「でも、強請るみたいな真似は私には……」

「Ⅶ組の皆様はアリサお嬢様の大切なお友達ですわ。ここはしっかりと私どもも――」

「だめです! アリサが大切な友達だからこそ、ラインフォルト社の、アリサのお母さんに頼む訳には――」

 

 絶対駄目だ。好意は嬉しいが、その様な事が良いとは思わない。

 思わずシャロンさんの言葉を私は遮る。しかし、彼女はそんな私を見てまるで何か面白いものを見たかの様に声を出して小さく笑った。

 

「ふふ――失礼いたしましたわ」

「あ、あれ……?」

 

 全力で彼女の好意を拒否する、そう決めた私の意気込みが完全に空回りしてしまった事だけは理解できた。

 

「エレナ様は真面目ですわね。会長には今のお言葉も一緒にお伝えしておきましょう。きっとお喜びになられますわ」

「え、ええっと……」

 

 私は面と向かって褒められるのは苦手だ。それは顔にすぐ出るからというのも勿論あるのだが、一重に恥ずかしいのだ。

 本来の用法とは違うが、褒め殺しは本当に有効な戦術だと思う。

 そして、私はアリサが彼女に子供のように扱われていた事を思い出すのだった。ラインフォルト家のメイドさん、恐るべし。

 

「試してしまった様で申し訳ありませんが……ラインフォルト社といえども営利企業――商品の無償でのご提供という訳ではありません。それでもお考え頂けませんか?」

 

 

 そして冒頭へと戻り、私は彼女に屈する事となるのだ。

 

 

 ・・・

 

 

「全く……商売上がったりじゃねぇか。営業妨害も程々にして貰いたいもんだなぁ、”管理人さん”よぉ」

 

 二人の少女が店を去った後に、非難めいた言葉を送る店主。但し、表情には言葉程の非難の色は無い。

 

「ふふ、失礼致しましたわ。”店主”」

「……まあ、こいつら以上の買い物はしていってくれるんだろうな?」

 

 店主は二丁のライフルが収納されたケースに目を落とす。その言葉にはどことなく期待というより、確信めいた響きがあった。

 

「――ええ、勿論ですわ。それでは先週頼んだお話から聞かせていただきましょう――」

 

 彼女は先程の少女達への笑みと同じ微笑みを店主へと向けた。

 




こんばんは、rairaです。
さて今回は主人公エレナの強化フラグの二回目となります。
結局、お財布問題もあり彼女は新武器を”買う”ことは出来ませんでした。まあ、ミヒュト的にはこれは想定内だったのかも知れません。
ご感想欄でシャロンの事を「シャロえもん」と呼んでいた読者様がいらっしゃいましたが、本当に「シャロえもん」になってしまいました。

しかし、銃って色々と面倒臭いんですね。今回この話を書くに当たって銃の種類や弾の種類、そして構え方…更には色々な銃の設計思想や開発経緯に至るまで読み漁りました。主にWikipediaで、ですが。
とにかく日常生活で役に立つとは思えない無駄知識だけは増えたような気がします。

そして「閃の軌跡Ⅱ」の新情報も出てきましたね。
そろそろネタバレを気にしなくてはいけない情報も多くなってますので、避けたい方はこの下は読まないようお願いします。



なんかミリアムに関係ある可愛い子が登場するようですね。…それにしても『銀の腕』と『光の剣』ですか。
そういえば、幻属性の最高位アーツの名前も同じ様な感じですね。アイルランド神話ですか…帝国がドイツに加えて閃以降は英国もモデルとして意識しているのに関係があるのでしょうかね。

そして我らがユーシス様の不穏な台詞に何故かときめいてしまいました。その台詞は誰に向けて言っているのでしょうね。眼鏡ですか?
なるほど。つまり、ユーシス様を引き戻すのが副委員長殿なんですね?

次回は自由行動日の依頼関連のお話、あの子がこの物語で初登場となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月20日 絶世の美女の名を追って

 同じバイト仲間であるベッキーのダブルブッキングによって、私は今日は宿酒場《キルシェ》で初めての仕事中だ。ここでは勿論、初めての仕事ではあったものの、何故か今まで働いた場所の中で一番しっくり来ているという不思議な感覚を覚えていた。

 飲み物の名前も大体分かるし、品物と値段を括りつける覚え方も昔から得意だ。やっぱり実家の影響だろうか、私は飲み物に関係した接客が向いているのかもしれない。

 

 丁度お昼のピークが終わった頃、食器洗いをしていた私にカウンター席から声を掛けられる。

 そこにいたのは少し疲れた表情をした見知った顔――『Ⅶ組随一のお人好し』、『バレスタイン教官の小間使い』、『トワ会長のお気に入り』といった様々な二つ名を持つⅦ組の実質的なリーダーのリィン。

 

「グランローゼ?」

 

 私はグラスをタオルで拭きながら、彼に聞き返した。

 

「ああ、昔皇帝家に嫁いだとある男爵家の女性の名前のようだが。何でも絶世の美女だったらしい」

「童話の”グランローゼと赤い薔薇”だよね」

「知っているのか?」

 

 驚いたように私の顔を見つめるリィン。

 

「知らなかったの?」

 

 私は間髪入れずそう返すと、彼の顔が少しバツが悪そうな表情に変わる。

 

「あ、ああ……」

「私はこんな有名な話をリィンが知らないことにビックリだよ」

 

 童話『グランローゼと赤い薔薇』は多分帝国で五本指に入る程有名な童話だ。

 グランローゼは彼女は東部諸侯の男爵家に生まれた可憐な娘であり、東方へ戦に赴く勇敢な皇子とバリアハートの街で出逢い一目惚れをし、数年後に戦地で運命の再会を果たした二人はお互いに惹かれ合うものの、様々な困難が待ち受けていた。

 最終的に帝都へ凱旋して帝冠を授かって皇帝へと即位した皇子は、グランローゼの名前の由来である薔薇を千とも万とも言われる数を彼女の元へ送るという華々しい求婚をし、めでたく二人は結ばれるというストーリーである。

 

 これは史実でも確かなものであり、その皇帝はその逸話から《薔薇帝》と呼ばれ、皇后グランローゼの名から特別に整った大輪の薔薇の品種を”グランローズ”と呼ぶこととなったと言われている。

 童話のエピローグでは《薔薇帝》は帝都の皇宮近くに美しいバラ園を造園し、よく皇后と共に静かな時を楽しまれたのだという。そして、そのバラ園は現在は公園として一般市民に開放され、帝都市民の憩いの場となっているのだとか。

 

 そんな有名な童話すら知らないリィンに呆れる。小さい頃、お母さんに読んで貰わなかったのだろうか。

 

「そう言えばグランローズの意味も知らなかったよね?」

「……あの時の事は俺も反省してるさ……」

 

 先月のあの出来事について責めてみる。まあ、アレは色々と私も痛々しい勘違いをしていたのだけども。

 ただ、これらの知識は貴族平民問わず確実に常識の範囲内だと思う。だって帝国中探しても好きでもない人に赤い薔薇を送る人なんていないだろう。……リィンを除いて。

 彼は本当にヴィヴィに感謝した方がいいかもしれない。何かと女の子との関わりが多い彼だ、この事を知らないまま大人になればその内致命的な事態を引き起こす可能性もあったのではないだろうか。そう、その修羅場的な。

 

「で、そのグランローゼさんの正体を知っているかを聞きにここまで来たの?」

「ああ、エレナは本屋でもバイトしてるし、顔が広いんじゃないかと思ってな。そういう話聞いたりしていないか?」

 

 貴方に比べたら全然だと思う、と喉のすぐそこまで出るもののそのまま飲み込む。まあ、頼られるのは悪い気はしないし何となく嬉しい。

 でも、仕事中そんなに話しているわけにもいかないので、大して他のクラスの子の事を知っているわけではないのだが。

 

「うーん……ラブレターを貰ったのはその二年の……」

「ああ、Ⅰ組のヴィンセント先輩だ」

「……誰だろう……どんな人?」

 

 二年の先輩という時点で中々思い浮かばないのに、Ⅰ組だなんて。正直アンゼリカ先輩しか思い浮かばないのは、貴族クラスの生徒とはあまり関わりが無いからだろうか。

 

「えっと……薄紫の髪の人で……そうだな。少し、その……何だ……」

「何?」

「自己陶酔気味というか……」

 

 苦笑いを浮かべるリィン。

 

「ナルシストってこと?」

「あ、ああ……後はそうだな……いつもお付のメイドさんが一緒にいるらしい」

「ってことは、その先輩って高い爵位を持つ家柄ってこと?」

「そうだな……確か西部ラマール州の伯爵家だったような気がする」

「伯爵家……」

 

 アリサにシャロンさんが居るように――最も名目は第三学生寮の管理人だが――お付のメイドさんや執事さんがいるのは、ある程度の家格の生徒であれば特別珍しいことではないらしい。逆に《四大名門》に名を連ねるユーシスやアンゼリカ先輩にその役割を担う人間がいないのは例外中の例外といったレベルの様で、同じく《四大名門》の一角であり私の領主様でもあるセントアークの侯爵様のご令息、パトリック様も格好良い執事のセレスタン様とよくご一緒に居られる所を見かける。

 お付のメイドさんかぁ……うん、どこかで聞いたことがある気がする。確か――。

 

「愛とパトスとエスコートの貴公子……?」

「……何か一つ多い様な気はするが、確かにそんな事も言っていたな」

「あの先輩か……」

 

 ビンゴ――私の頭の中で偶に校舎で見かける先輩と付き人の姿と、結構前に吹奏楽部のミントから聞いた『変な先輩』の話が合致した。

 うーん、あの人を好きになる様な子って――。

 

「お……お……来るか……来るか……お、お!?」

 

 突然、店内で流れていた導力ラジオの音が大きくなり、私と同じくカウンターの中にいるこの店のマスターのフレッドさんが興奮しているのか異様に大きな声を出す。

 何故かラジオを見つめながら。

 

「……はぁ……」

 

 そして、深い溜息と共にカウンターに広げられた競馬誌《インペリアル・レース》に顔を突っ伏した。

 

「マスター、煩い!」

 

 そんなマスターを有無言わさずに注意したのは、二階から顔を出してホウキを持ち上げながら怒りを露わにしているドリーさん。

 ただ、少しばかり遅かった様でカウンターのマスターの大きな溜息が聞こえた。

 そう、今日は帝都競馬の日だった。大人は本当に賭け事が――ああ、そういえばフレールお兄ちゃんもよくやってたなぁ。競馬予想にカードに……本当に男は何時までたっても成長しないとはこの事なのだろうか。

 

「競馬、だよな?」

「うん、多分……」

「こら! そっちも話しこまないで仕事!」

「はっ、はいっ!」

 

 二階からの恐怖の怒声にすぐさま返事を返し、私はリィンに飲み物を押し付けたのであった。

 

 ・・・

 

 

 丁度、お昼休憩という形で《キルシェ》を出ることに成功した私はリィンと共に公園のベンチに腰掛けていた。

 公園では写真部の部員だろうか、二年生と思われる貴族生徒が導力カメラのレンズをトリスタの街並みへと向けており、もう一人の部員と思われるニット帽を被った一年生の男子生徒が忙しなく辺りを見回している。

 部活の人たちも頑張っているのだ、私もリィンの力になれるように頑張らないと。

 

 やはりここは探偵が出てくる小説みたいに肝心の犯人もといラブレターの差出人、便宜上グランローゼさん(仮)と呼ぶことにしよう、彼女のプロフィールを推理する必要がある。

 ヴィンセント・フロラルド先輩の言う通り、手紙の文面で彼の事を先輩と呼んでいたのならば、彼女は私達と同じ一年生で間違いない。日曜学校ならば特定はかなり厳しいが、ニ学年しかない士官学院ならば二年生を先輩と呼ぶのは一年生以外ではあり得ないからだ。

 

 そして、文末に添えられていたとされるグランローズの押し花、そして彼女のニックネーム”グランローゼ”、そして三通のラブレター。この三つの事柄から、彼女はかなり積極的な性格なのではないかと思われる。

 

 まず最初に、グランローズの花言葉はド直球すぎるのだ。

 リィンの様な極僅かな例外を除けば男女問わず多くの人がすぐに分かる花言葉であり、その内容も”熱烈な求愛”と恥ずかし過ぎる。危ない花言葉のアネモネ等は流石に論外すぎるが、私ならクローバーの花の白詰草ぐらいにしておく。これなら男の人には分からないし、気付いてくれたらちょっと嬉しい。

 

 次に彼女のニックネームのグランローゼ。

 童話の登場人物であり実在した絶世の美女とされるグランローゼが由来なのは想像するに容易い。

 そして、あの童話の皇后グランローゼの名前を騙れる事から、グランローゼさん(仮)が自信家であることは間違いないだろう。そうでなければ、かの《槍の聖女》リアンヌ・サンドロットと並んで帝国の歴史上で有名な美女の名を使うことなど出来るわけがない。恐れ多すぎるし、やっぱり恥ずかしい。

 

 最後に三通のラブレターとクッキーだが、私にとってはこれが一番彼女の積極的な意思を象徴していると思う。

 短期間に三通ものラブレターを出す等、普通の女子には出来ない。

 なぜなら女子が男子に手紙を出す時点で、文面にもよるが相手もラブレターだと把握できてしまうからだ。一通目で少なからず自分が相手に対して好意を抱いている事がバレてしまう以上、相手の好意的なリアクションが無ければまず二通目を出す心を折られてしまうからだ。

 そしてクッキーを添える等、最早……うーん。

 

「一年生で自信家か……うーん、アリサかラウラか?」

「リィン、殴っていい?」

「な、なんで……」

「ラウラな訳無いし、アリサは――と、とにかくそんな有り得ないでしょ。ほんと……」

 

 こんな所でアリサやラウラの名前が出てくるなんて、本当になんて鈍感なんだろうか。しかし、この間のアリサが風邪をひいた時も思ったのだが、リィンは鈍感な癖に口だけはいっちょ前だから問題だ。

 そんなリィンへの愚痴を心の中で呟きながら、私は一つの推測を明かした。

 

「多分、グランローゼさんは貴族生徒だと思うよ」

 

 これには私は自信を持っていた。

 ヴィンセント先輩は西部ラマール州の伯爵家の出身、少なくとも平民生徒が気軽に恋できる相手ではないのだ。

 帝都では事情は変わってきている様だが、少なくともこの士官学院へ通える平民生徒はそれ位は知っている。悪い言い方をすれば弁えている。

 よって消去法でもあるが、グランローゼさんの正体は貴族生徒に絞られる。

 

「なるほど……確かに納得できるな」

 

 私が一連の説明すると、彼は頷きながら同意してくれた。

 

「でも、Ⅰ組かⅡ組となると、私は知り合いそんなにいないんだよね。吹奏楽部のブリジットさんぐらいかなぁ」

「ブリジットか……そういえば、最近元気が無かったような気がするな……少し心配だな」

「……リィンって女の子と仲良いよね」

 

 よくよく考えたら、今もこうやって仕事中だった私を訪ねてこうやって話しているし。

 こういう面を見てしまうと、こんな男の彼女になんかなったら心労が耐えなさそうなので願い下げ――もっとも、リィンの方が私なんか願い下げだろうが。

 それでも彼を見ているとたまに思ってしまうのだ。私の心にフレールお兄ちゃんという想い人がいなければ、危なかったような気がする、と。

 

「ち、違うぞ? マカロフ教官に『ミントを呼んでこい』って依頼を受けたついでに音楽室にいた三人で少し雑談を……」

「……はいはい」

 

 逆に言い訳が”女の子と仲が良い俺”アピールになっているではないか、全く。

 

「とりあえず、エレナの推理をまとめると貴族生徒の1年生で、自信家でかなり積極的な性格ってところか?」

 

 リィンの言葉に首を縦に振って私は肯定する。しかし、実際そんな子が思い浮かばない――というより、知らないのが事実だ。

 

「自信家でかなり積極的な性格の貴族生徒か……」

「ごめん……なんか更に分からなくなってきたかも」

 

 自分で推測しておいて無責任ではあると思うが、私は頭の中で今あるヒントだけではこれ以上絞り込むのは難しいと結論付ける事となる。

 それはリィンも同じ様で、やはり花屋へと足を運ぶ必要がありそうだ。

 

 しかし、その前に私には少し気になることを聞いておきたかった。

 

「関係ない話なんだけど、私以外の子に頼ろうとは思わなかったの?ほら、アリサとか」

 

 本来は《キルシェ》を出たら真っ先に聞こうと思っていたのだが、ズルズルと推理に耽ってしまった為にタイミングを逃してしまっていた。やっと彼に聞くことが出来た。

 

「アリサか……確かに少し考えたんだけど、見つからなくてさ。ラクロス部にも出ていないようだし……」

「そっか……」

 

 

 それならば仕方ない。だが、リィンで見つけられないとは一体彼女はどこに居るのだろうか。逆にそちらの方が不安になってきてしまいそうだ。

 

 それにしても……こんな私が誰かの役に立つなら、誰に頼られても嬉しい。しかし、リィンは少し別だった。

 確かに、彼には色々とお世話にもなっているので頼られるのは凄く嬉しいし、一緒にいると私も楽しい。しかし、それ以上に気まずい気持ちになるのだ。

 

 私はアリサの気持ちを応援している筈なのに、どこか上手くいかない。

 あまり能力は無い筈の私なのだが、最初の自由行動日に彼と二人で生徒会の依頼をこなした間柄ということもあり、今日のようにリィンには頼りにされてしまう事もあったりする。

 それが、アリサに申し訳ないのだ。

 

「まあ、この依頼が終わったら旧校舎の探索もあるしな。その前に少し学院内を探してみるよ。とりあえず、ジェーンさんのお店に話を聞いてみよう」

 

 そう言って彼はベンチを立つと、色とりどりの花が置かれる花屋へと足を向けた。

 

 

「あら、君じゃない。また何か用だったかしら?」

 

 フラワーショップ《ジェーン》を訪ねると、店主のジェーンさんは開口一番にそう口にした。

 そして彼女は私を見て、「そういえば、隣の子はさっきとは違う子ね?」と少し眉を細めてリィンに視線を戻す。

 

「また? 違う子?」

「ああ、さっきフィーと――」

 

 なんでも園芸部で花を育てるために午前中このお店を訪れたフィーをリィンが手伝った、ということらしい。

 私と別れた後でフィーは部活に顔を出していた様だが――それにしてもリィンは……。やめやめ、これ以上考えても仕方ない。

 

 その後、少し渋るジェーンさんを二人で何とか説得し――主に相手方の承諾無しには依頼主のヴィンセント先輩へ伝えないと確約し、三名の学院生徒の名前を教えて貰えた。

 しかし……。

 

「うーん、おかしいなぁ。トリスタの花屋ってここしかないのに、買った人が三人しかいないだなんて。それもみんな平民生徒」

 

 私は足を動かしながらも自分の推測が外れていたことに違和感を感じていた。

 

「エレナの推理は納得出来るものだったけど、やっぱり間違ってたんじゃないか?」

「……むぅ」

 

 隣を歩くリィンは少しフォローはしてくれたものの、やっぱり既に私の推測は間違っていた事にしている。納得出来ない。

 でも、花屋で購入していない以上、反論しようもないのだ。

 

「それにしても……ヴィヴィ、ベリル、ロジーヌか。全員知り合いだから居そうな場所もわかるし助かったな」

「まったく……もう」

 

 リィンの言葉に深い溜息が出る。彼の顔が広いのは良い事だと思う、しかし女子にも顔が広いのは自分の友達の立場を考えたら複雑だ。

 

 しかし、ジェーンさんから聞かされたグランローズを購入した三人の名前にやはり納得がいかない。少なくとも三人共、ヴィンセント先輩が好きとは私には考えられないのだ。まぁ……ベリルさんはちょっと変だからあんまり喋ったこと無いのだけど。

 しかし、『恋が始まるのに理由は無い』とよく言われる様に”絶対”は有り得ない分野でもあるのは確かではある。まあ、あの三人に関しては俄に信じ難いが。

 

「ふぅ……それにしても今日は何度もこの道を往復するな……」

 

 ふと市内を流れる川に掛かる石橋を渡っている最中にリィンは口にした。

 

「ああ、他の依頼で? ちなみにどんな依頼だったの?」

「ああ、アンゼリカ先輩やトワ会長と一緒に――」

「……私さ……リィンって本当に節操無しに思う時があるんだけど……!」

 

 《キルシェ》で彼と会ってから二十分ほどだろうか。

 彼の口から聞いた女子の名前が両手の指の数を超えた所で、私は今度こそ盛大な溜息と共に少しばかり本音を吐き出した。

 

 

 ・・・

 

 

「ヴィヴィ」

「あ、リィン君じゃない」

 

 花壇の花達を眺めていた園芸部員が上目遣いにこちらに顔を向けて立ち上がる。どこか悪戯っぽい表情のヴィヴィ、どうせまた何か企んでいたに違いない。

 とりあえず私は彼女と軽く会釈し、その後リィンが事情を説明しグランローズの購入目的を尋ねた。

 ちなみにここに来るまでに訪ねたロジーヌとベリルさんはそれぞれ教会の式典用、部活動での儀式(?)用でありハズレときている。だから少しは希望をもちたいのだが――うん、違うな。

 

「なになに、それ面白そうね?」

「その反応……つまり君ではないってことだな」

 

 ですよね、だってヴィヴィだもの。

 少し色っぽくてスタイルも良くって可愛いヴィヴィは少なからず男子に人気だ。でも、そういう色恋の話は聞いたことがない。まあ、彼女自身がそういった話をネタにすることは日常茶飯事なのだが。

 

「だからいったのに」

「ふふ、まあねえ」

 

 ニヤつきながら肯定するヴィヴィ。

 

「それにしても……二人って本当に仲良いわよね。まさか――浮気?」

「ち、違う! っていうか、リィンは――」

「――は?」

 

 アリサの――という言葉を寸前の所で飲み込んだ。

 しかし、私はスイッチを踏んでしまったという事を満面の小悪魔顔のヴィヴィを見て悟る。

 

「……ノーコメント」

「へぇ……こっちも何か面白そうなことがありそうね。また後で聞かせてね?」

 

 ごめん、アリサ。多分、私ゲロっちゃいそう。

 

 

 ・・・

 

 

 結局、ここまで調査してもグランローゼさん(仮)の正体は未だ不明のままである。

 一番真実に近いと思われた花屋の情報も役に立つことは無く、私とリィンは依頼者へ残念な報告をするためにとある場所へと向かっていた。

 

 グラウンドの端、体育倉庫の裏がヴィンセント先輩の待つ場所らしい。なんでも付き人のメイドさんから隠れる為にそんな場所を指定したのだとか。貴族様も貴族様でやはり大変なのだろうと、私は少し同情する。

 

 乱雑に置かれた鉄製のコンテナの影、そこに白色の貴族生徒の制服に身を包んだ男子生徒の姿があった。

 薄紫色の髪に後ろ姿は至極まとも。きっと彼が”愛とパトスとエスコートの貴公子”なのだろう。

 

「ヴィンセント先輩――」

「おお!」

 

 リィンが彼の背中に声をかけると、途轍もない反応速度で振り返る。

 

「その娘がグランローゼという訳だな! ふむ、想像していた姿とは少々違うが、その喫茶店のウェイトレスのような姿もまた――」

 

 何やら勘違いをする彼に、私は体より心臓が数アージュは仰け反った気がした。

 うん、ミントの話の通りの人だった。

 

「えっと、私、違うんです」

「すみません、彼女は依頼を手伝ってくれた俺のクラスメートです」

 

 少し申し訳無さそうに私は否定し、リィンもそれに続く。

 そして、リィンが先輩に依頼の調査の結果を伝え、目の前の先輩は少し考え込むような顔をする。

 

「グランローゼが貴族生徒であれば帝都の花屋や実家の領地から取り寄せるというのも可能だが……」

「えっ、じゃあ……」

 

 私の推測通りなら、花屋で買っていない可能性も――。

 そこまで考えた所で突然の大きな野太い声が私の思考を遮った。

 

「あ、いたいた~! 私のヴィンセントさま~んっ!!」

「な、なんだ貴様は……!? 一体、私に何の用だ!?」

 

 私とリィンはこの場への突然の来訪者に驚き、顔を見合わせる。

 目の前のヴィンセント先輩と同じ白色の貴族生徒の制服に身を包んだ――まるで巨大な、Ⅶ組で一番大柄なガイウスより横幅はありそうな体躯の女子生徒を目にしていた。

 

「ムフフ……実は、このあたしこそが《グランローゼ》と言ってもですかぁ?」

 

(ええぇーっ!?)

 




こんばんは、rairaです。
さて今回は予告通りほんの僅かですが”あの子”の初登場となりました。
実際はリィンの主人公パワーの片鱗をエレナが知るお話――いえ、知っていたのですけどそれを再確認させられるお話といった所でしょうか。

少し執拗いとも思ったのですが、ここぞとばかりにリィンの頑張りをかかせて頂きました。実際ちょっと…って感じですもの。笑

ちなみに原作でのリィンの行動はプレイヤーの匙加減次第なのですが、この物語での彼は全てのキャラクターの絆イベント+エレナ関連をこなしているという設定ですので、二周目以降のプレイヤー以上の更に忙しいお方となっていたりします。

次回は自由行動日の夕方~夜のお話となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月20日 《アーベントタイム》

「いやぁ~、今日はホンマに助かったわ」

「まったく、バイトのブッキングだなんて本当にベッキーらしいな。俺からも一応お礼を言っておくよ」

 

 向かい合わせでテーブルに座っているのは、私と同じくバイト仲間のベッキーと実は帝都で商売をしている実家を持つヒューゴ。

 

「ううん、いいんだよ。ちゃんと私がお仕事してるって言えるぐらいお金落としてくれてるし」

「アンタ、のほほんとしてそうで結構キツい事言うんやな?」

 

 ベッキーの顔が少し不敵な表情を作る。

 

「まあ、お陰でバイト代も色つけてもろうたしなぁ~」

 

 彼女は懐からおもむろに茶封筒を取り出し、中身のミラ札を数え始めた。

 

「ほんと現金な奴だよな」

「あはは、いーなー。私もおまけして欲しいなぁ」

 

 軽く五千ミラを超えるベッキーの手の中の紙幣は素直に羨ましかった。

 

「アンタはもうちょっとがっついて働かんとあかんで。サボってる風に見えなくもないしなぁ」

「え、ええー…?」

 

 そこそこ仕事しているではないか、一応。そりゃあ、がっついては無いかもしれないけども。

 

「そんなんやと、ケルディックじゃ通用せんで? アンタも酒屋の娘やろ」

 

(ケルディックで通用する商才があっても、あっち程お客がいないんだけどね……)

 

 まあ、こればかりは大市という特記すべき商業資源のあるケルディックで生まれ育ったベッキーには中々分からないかもしれない。

 

「うちはカウンターで昼寝してても売上立つからなぁ……お祖母ちゃんに怒られるけど」

 

 所謂、お金がカウンターに置いてあって、品物が無くなっている、自動販売機というパターンである。人口が少なく住民皆顔見知り状態の村ならではの芸当だとは思われるが。

 但し、この販売方法には最大の難点がある。そのお客さんが次来た時に、お祖母ちゃんに私が居眠りしていた事をほぼ確実にチクるのだ。こうして私は怒られる。

 

「なんちゅーやる気の無さや……南の奴は怠け者いうけど……」

 

 テーブルに項垂れるベッキー。私はそんなに呆れられる様な事を言ったようだ。

 

「ヒューゴも何か言ってやってや! まったく商売ちゅーもんを分かってへんわ!」

「まあ、俺はケルディックの屋台みたいな小粒な商売もあんまり評価してないんだけどな。さてと、そろそろ列車の時間だからまたな」

「これだから帝都モンは! 商売とは熱意やろが! っちょ、待てや!」

 

 ヒューゴを追うベッキーが、声を上げながら慌ただしく店を出たのを目で追う。

 

「商売は……熱意、ねぇ……」

 

 二人が飲み終わったグラスをカウンターへ下げながら、溜息を付く。

 文字通り一息つく間の後に、ドアベルが心地良い音を鳴らす。そろそろ日も落ちてきた頃、忙しくなってくる時間なのかも知れない。

 

「はーい、いらっしゃいませ――」

「バイトお疲れさま」

 

 そう私に労いの言葉を掛けてくれたのは、お店に入ってきたアリサ。

 少なからず私は慌てる――まさか、今日の昼間の事を聞きに来たのでは……そして、なによりこの店の中には、今あの子がいる。

 そっと左手の窓際の席を窺うと、ピンク色の髪の姉妹の片割れと目線が合い、彼女はしっかりとウインクを送ってきた。うん、終わったかも知れない。

 

「あ、ありがとー、って……珍しいね……?」

「やぁ、会えて嬉しいよ」

 

 アリサに少し遅れてその後ろに立ったのは、私よりも背の高い黒色のライダースーツ姿が羨ましいボディラインを見せ付けてくるアンゼリカ先輩。

 

「えっと、席は好きな所座ってね。注文決まったらいつでも――どうしたんですか……?」

 

 彼女に何か撫で回すような視線を向けられている事に気付く。そしてこの先輩が要注意人物だった事を思い出すのだった。

 

「ふむ……ウェイトレス姿も可愛らしいじゃないか……! ええと、常連は女の子をお持ち帰りできるルールだったかな?」

「えっと……お、お品物のみテイクアウト頂けます……」

「はっはっは、照れてる君も――」

「ア、アンゼリカさん、早く座りましょ?」

 

 アンゼリカ先輩は周りを憚らず、昼間のヴィンセント先輩と同じレベルの感想と更に突拍子も無い事を言い出す。私は勿論だが、一緒に来たアリサも恥ずかしくなった様に彼女を急かした。それにしても、この二人は一体どんな関係なのだろうか。

 

 

 彼女達からのオーダーを受けて用意された飲み物をお盆に乗せて運びながら、私は先程と同じ事を考えていた。

 

「お待たせしました」

 

 一応、一礼してからアリサとアンゼリカ先輩の前へそれぞれ一つずつカップを丁寧に置いた。

 

「ありがと」

「ふふ、そういえばエレナ君は忙しいのかい?」

「ええっと……そんなー……ことは無いんですけど」

 

 丁度この時間は学生タイムだが、案外と忙しくはない。ドリーさんは宿泊客の為の準備で二階におり、カウンター内のマスターはまだ少し暇そうだ。

 私といえばなんでこの場に居るのかが少し謎なぐらいに楽な仕事内容だ。

 まあ、そう言えるのもこの一階にいるお客さん全てが知り合いだったりするからなのだが。だから、こうして立ち話していても特別咎められるような事も無い。

 というより、マスターなんて朝から晩までお喋りしかしていないではないかと思う程だ。まあ、常連客とのお喋りは酒場のマスターの立派なお仕事と言えば間違いではないのだが。

 

 しかし――ヴィヴィの事を考えると正直、どう弄ばれるかどうか分からないアンゼリカ先輩とはあまり話したくない。そして……アリサのことも……。

 

「それだったら、ちょっと私達と一緒にお喋りといかないかい?」

 

 心配しなくていいよ、ドリーさんは昔からよく知っているから――と、私の懸念事項という最後の砦も陥落させようとしていた。

 

「えっと……」

 

 どうやってこの場を切り抜けようか悩む私の思考を遮るように再びドアベル鳴った時、私は誰であろうとも私の救世主には最高に丁寧なおもてなしをしようと決意した。

 自腹でサービスを付けるのも悪くないだろう。

 

「いらっしゃいませっ! 何名様――」

 

 しかし、そんな思惑は扉の方へ私が満点の笑顔を向けると共に打ち崩された。

 

「……リィン」

 

 

・・・

 

 

 結局、仕事中だというのに座ってこそいないものの、私はテーブルの傍に立って話に混ざっていた。

 幸運なのか不幸なのか、あれ以来お客さんは来ていない上に本日の宿泊予約はゼロ。 つまり、仕事は無いに等しい。一応の準備はドリーさんが済ませてしまい、彼女は奥の部屋で今は休憩中だ。

 

 リィンが来たことによって夕方のティータイムは盛り上がり、私が先程から気になっていたアリサとアンゼリカ先輩の間柄についての疑問も解消することが出来ていた。

 

 そういえば、アンゼリカ先輩の実家はノルティア州を治めるログナー侯爵家であり、州都のルーレ市に実家があるのだ。同時にルーレ市にはアリサの実家であるラインフォルトも本社置いており、二人は同郷の出という事になる。話によると昔から付き合いがある様で、アンゼリカ先輩が御屋敷抜けだしてバイトをしていた等の突拍子も無い話も聞けた。

 リィンも突っ込んでいたが、《四大名門》に名を連ねる貴族がバイトだなんて……流石はアンゼリカ先輩といった所か。

 

「それにしてもアンゼリカさんとは本当に付き合いが長いですよね。学院で再会できて素直に嬉しいです。」

「ふふ、こちらこそ。折角だからアリサ君、君もエレナ君の様に私のモノにならないかい?きっと新しい世界を見せてあげれると思うよ?」

「わっ、私、アンゼリカ先輩のモノになるなんて言ってないじゃないですかっ!」

 

 いつからアンゼリカ先輩のモノにされたんですか私は! 全く油断も隙もない!

 

 その後、アリサはきっぱりと先輩のお誘いを断り、ティーカップを手にとって口元へと運ぶ。

 

 中身のミルクティーを一口味わい音も無くソーサーへと戻す一連の上品で美しい仕草に、私は思わず見入ってしまう。

 

(やっぱり、お嬢様だなぁ……)

 

「どうかしたの?」

「う、ううん。なんでもない」

 

 そんな二言のやり取りの後、アリサは少し遠慮しがちに口を開いた。

 

「そ……そういえば私、さっきリィンから二人で依頼をこなしたって聞いたんだけど……」

「ほう……私達の所にはなんで連れてきてくれなかったんだい?」

 

 アリサからは私に、そしてアンゼリカ先輩はリィンへと。

 やっぱり聞かれてしまった。この話題は出来れば避けたかったのだけど…これでは逃げることも出来ない。

 結局、リィンと二人で昼間の出来事をアリサとアンゼリカ先輩に説明することとなった。

 

「ヴィンセント君と1年のマルガリータ君か。フフ、面白い話を聞いてしまったよ。」

「……ねえ、生徒会ってそんな下らない依頼まで受けるの?」

 

 私も本当に同感です。トワ会長は生徒会の仕事の激務で朝から晩まで学院にいて、更に寮に仕事を持ち帰ってるのだという。こんな下らない依頼がホイホイ生徒会に届けられる事が、彼女の物凄い仕事量の理由の一端なのではないだろうかと少なからず思ってしまう。

 

「いや……一応、依頼を受けるか受けないかはこっちの裁量なんだが――まあ、今日の依頼は比較的楽な内容だったからな」

「ハハ、言ってくれるね」

 

 そういえばあのラブレター依頼の他に、リィンが受けた依頼はアンゼリカ先輩達からの物だったっけ。

 

「ふーん、それなのに仕事中のエレナに助言を貰いに行って手伝ってもらった、と」

「あ、あはは……でも私は一応、休憩中だったから、別に……」

 

 そうは言い訳しても、実際どうしようもない。アリサは少しすね気味にツーンとした態度のままだし、リィンは何も分かっちゃいない。アンゼリカ先輩はニヤニヤしながら見ている。

 うん、ここは話題を変えよう。

 

「そういえば、リィンとアリサは今日はどうだった?」

「えっ……!?」

 

 途端に顔を真っ赤に紅潮させるアリサ。

 

「ふむ……少し君への評価を改めないといけないみたいだね?」

「ど、どういうことですか……?」

「そ、そうですよ!」

 

 リィンとアリサは口にする言葉の上では同じ様な反論だが、実際は全く異なる。”意味がわからない”といった素振りのリィンに対して、アリサは最早完全に照れ隠しだと分かる。

 

「え、ちょっと二人共。旧校舎で何かあったの?」

「そ、そうね! 今回は結構苦戦したわね! そうよね、リィン?」

「ああ、確かに閉じ込め――っ! ……あの怪光線を放ってくる最後の魔物は予想以上に厳しい相手だった」

 

 何かテーブルの下で鈍い音がしたのは気のせいだろうか。そして、何か変な声も。

 後で絶対、アリサには何があったのかを聞こうと決めた。

 

 

・・・

 

 

「っていうことがあってさ……」

「それはお疲れ様ね…学院中探しまわったのと同じじゃない」

 

 リィンが旧校舎の探索後にした人助けの話を聞きながら、本当に彼はお人好し過ぎると痛感する。

 

「ふむ……《アーベントタイム》か。そういえば、その番組のパーソナリティの女性は二年でも中々人気なものだよ。まあ、二年生は寂しい男子が多いというのもあるかも知れないがね」

 

 無責任にそう言い放つアンゼリカ先輩に、私達三人は苦笑いしか浮かべられない。

 クロウ先輩が先程の言葉を聞いていたら絶対に声にだしていただろう、『誰の所為だ!』と。

 最近になって知ったことなのだが、現に今の二年生だけ何故か学院内で付き合うカップルが異様に少ないのだという。真偽の程は定かではないが、クロウ先輩によるとアンゼリカ先輩の影響が大きいのだとか。

 

「はは…エレナは聞いていたりするのか?」

「私は導力ラジオ、持ってないんだよね」

「そういえば無かったわね」

「結構みんな持ってるけど、ちょっと高くてね。今は難しいかなって」

 

 まあ、導力ラジオなんてここトリスタに来るまで存在すら知らなかったんですけどね!

 リフージョの村には導力通信機すら無かったのだ。ただでさえ導力化から取り残され掛けているド辺境に放送の導力波が届く訳もない。

 都会の子はホントに羨ましいと思う。

 

「そうか……じゃあ、今晩俺の部屋に来ないか?」

「……は?」

「……え?」

「……ほお……」

 

 リィンの声が私の脳内で繰り返される。

 ジャア、コンバン、オレノ、ヘヤニ、コナイカ?

 『じゃあ、今夜は俺と一緒に寝ないか?』、一緒に、寝る!?

 

「えっ……えっ……うわ……ちょっと……」

「ちょっとリィン! こんな公衆の面前で何――!」

 

 椅子が勢い良くひっくり返る音と共に、アリサがリィンに食いかかった。

 

「ど、どうしたんだ、アリサ? 《アーベントタイム》は九時からだから、バイト上がりでも充分間に合うと思ったんだが……」

「……はい?」

 

 (――あ、あれ?)

 

 『俺の部屋に来ないか』の正体は、ラジオを聞こうという提案だった。本当にこの男はとんでもない言い方をしてくれる。

 心臓が止まりかけたと言っても過言ではない筈だ。少なくともここ一か月で一番心臓に悪かったかも知れない。

 

「あ、ああ! そっか! ……えっと、いいの……?」

「……な、なんでこっちに聞くのよ?」

 

 誤解こそ解けたものの、頬を染めたアリサはその顔に不機嫌さを隠さない。

 

「え、でも……」

 

 不味い、これは不味い、本当に不味い。

 いつもいつもなんで、こんなに上手くいかないのだろう。

 

「じゃ、じゃあ、こうしよう! アリサも一緒に三人で《アーベントタイム》聴こうよ! 一人で聴くより絶対楽しいって!?」

 

 結局、私の提案通りに事は運ぶのだが……一分程で話が纏めた割には途轍もない疲労感を感じさせられた。主に精神的な。

 

「まったく、お持ち帰りを熱望する私を差し置いて両手に花のまま自室に連れ込むとは……本当に君は困った男だよ」

 

 そんな私達の姿にアンゼリカ先輩が手を大きく広げ肩を竦め――そして、私は視界の端でニヤつくヴィヴィを見て、彼女の存在を今迄完全に忘れていた事に気付くのだった。

 

 

・・・

 

 

 夕食後、シャワーを浴びてから約束通りに私はリィンの部屋を訪ねていた。

 ベットに腰掛けてこちらに顔を向けるリィンの、丁度彼の脇に白い便箋と封筒があるのに気付く。

 

「あれ、手紙?」

 

 私は彼の前に少し屈んでその手紙を指差し、彼が口で肯定しながら頷いた。

 

「……まさか、ラブレターとか?」

「ヴィンセント先輩じゃあるまいし……そんなにモテたら苦労しないよ」

 

 実際、モテてるんですけどね、と心の中で彼にツッコミむものの口には出さない。仮にこの場で私がアリサの気持ちを漏らしたとすれば、それは裏切りだと思う。恋とは自分で進めなきゃいけない筈――それにアリサも実際はどこまで本気なのかも私には分からない。

 

「じゃあ、誰から?」

「帝都の女学院にいる妹からだよ」

「へぇ、リィン、妹さんいたんだ。うん、まあ何となくそんな気もしてたかも」

 

 彼は少し驚いた表情を向けて来る。

 

「なんというか……お兄ちゃん、って感じなんだよね。雰囲気が」

 

 そう話しながら、私は少し勢い良くリィンの隣に腰掛けた。ベッドのマットレスの反発がどことなく心地良い。

 彼は優しくお人好しであるのと同時に、面倒見の良い部分もあり気遣いも出来る。但し、自分に向けられる好意には疎いが。

 

「なるほど……確かに何となく察しがつくな。俺から見るとエレナも分かりやすい妹の様に思う」

「うん、そうだね。実際には違うけど、やっぱり年上の幼馴染と殆ど一緒に育ったからほぼ当たりかな」

 

 私にとっては実の兄妹より仲が良かった自信もある。

 

「その人が噂の彼氏さんか?」

「彼氏じゃない! けど……まぁ……」

「はは、仲が良くて羨ましいな。こっちは最近は急によそよそしくなってさ……男兄弟なんて嫌われるものだと諦めていた所だよ」

「うーん……よそよそしい……ねぇ」

「やっぱり、年頃の女の子は難しいよ。実際、妹の側から見たらそこの所はどうなんだ?」

 

 私に置き換えて考えると――よそよそしい……つまり他人行儀や冷たく親しみの無い態度といった所か。

 

(うーん、それって単純に恥ずかしいだけじゃ……照れ隠しとか。)

 

「リィンのお家のことも、妹さんの事も分からないから、なんとも言えないけど……」

 

 リィンの実家は列記とした帝国貴族である男爵家だ。彼は貴族然な生活はしていないと前に語っていたが、私のような庶民とは家庭事情が違うことは想像するに容易い。それ以前に人の気持ちなんて人の数だけあるのであって、絶対の言葉は有り得ないので確証は全くない。

 

「そういう反抗期というか、兄弟が嫌いになったとか、そういう訳じゃないと思うんだけどなぁ」

 

 本当に嫌いだったらまず手紙は送らないだろう。

 そして手紙とはある意味では返事を期待して送るものである――これは私だけかも知れないが。相手からの手紙が欲しくて送る以上、少なくとも相手の事を気にしているのは確実なのだから。

 

「そうか、それなら少し安心だけど……」

「リィン、妹さんの事大好きなんだね」

「いや、もう大きいしそんなに心配をしている訳ではないんだ。だけど、兄として大切な妹の事を考えるのは当然だと思うしさ」

 

 真剣な、それでいてどことなく優しさを感じさせる彼の横顔。そして、彼の眼差しは机の上の写真立てへと向けられていた。

 なんというか、リィンの妹さんは幸せ者だと思った。まあ、少し過保護の匂いもそこはかとなく感じるが。

 

「ふふ……頑張れっ、リィンお兄ちゃん?」

 

 良き兄を地で行くリィンに感心して私がガッツポーツを見せ付けると、彼は先程までの真剣な顔つきとは一変して噴き出したように笑い始める。

 

「あ、あれ?」

「……い、いや、お兄ちゃんって呼ばれるのは意外と新鮮というか……」

「えっ。じゃあ、妹さんにはなんて呼ばれてたの? 兄さんとか?」

「……兄様、かな」

「おお、貴族様っぽい!」

 

 こういう所は少なからず感動してしまう。ラウラが入学式の朝に執事の方に、さらにアリサがシャロンさんに『お嬢様』と呼ばれていた事にも同じ様な感動を覚えたが、やはり私にも貴族やお金持ちへの憧れというものはあるのだと思った。

 

「リィン兄様かぁ……ふっふ、リィン兄様、リィン兄様……!」

「は、恥ずかしいからやめにしないか?」

「そーう?今度私も試してみようかなぁ」

 

 フレール兄様――って、超恥ずかしい!

 

「そういえば、リィンの妹さんって歳は幾つなの?」

「十五歳だな。まだ社交界デビューはしていないんだ」

「いっこ下かぁ」

「そうか、エレナは俺達より一つ年下だったな」

「どうしたの? 何を今更……」

 

Ⅶ組で最年少はフィーだが、私とエリオット君も他の皆より一歳年下となる。

 

「確かにあまり意識はしていなかったな。同じ学年だしな――って、そろそろ五十分か……アリサ、遅いな」

「あ、じゃあ私、呼んでくる」

「いや、俺が行こう。ついでに下で何か飲み物でも取って来ようと思うんだが、何がいいかな?」

「えっとじゃあ、普通のお水で?」

「わかった。悪いけど少しの間待っててくれ」

 

 これはいい兆候なのだろうか、と考えながら私が彼の背中を眺める。それにしてもアリサは何にそんな準備をしているのだろうか。

 

「あれ――?」

「ご、ご、ごめんなさい。遅くなって……!」

 

 リィンの影になりここからでは声の主は全く見えないが、とても慌てた様子である事は窺えた。

 

 

・・・

 

 

『皆さんこんばんは。毎度おなじみミスティです。帝都近郊トリスタ放送より6月20日午後九時をお知らせいたします。《アーベントタイム》のお時間です』

 

 ポップな曲調なBGMと共に聞き慣れない女性の声が彼女の名前と時刻、これから始まる番組の名前を告げる。

 《キルシェ》ではよくラジオが流れていたので放送自体に物珍しさは無いのだが、こうやってちゃんと耳を傾ける時間は私にとって初めてであった。

 ミスティと名乗る声の主は、先週の長雨で自らの休日の予定を潰されたことをぼやく。まあ、誰でも雨は気分が憂鬱になるもんね。

 

『さて六月下旬――帝国各地では《夏至祭》で盛り上がっている所も多いのではないでしょうか? 《紺碧の海都》オルディスでは湾内を無数の篝火で埋め尽くすという幻想的な光景が見られますし……《白亜の旧都》セントアークでは五日に渡る夜祭が開かれますよね』

 

(《夏至祭》……)

 

 今日は6月20日、明日には故郷のリフージョでも《夏至祭》本番となる。まあ、もう既に前夜祭の様な形でどんちゃん騒ぎをしているのだが、大きな焚き火を取り囲む日は夏至当日の一日しか無い。

 故郷の人たちは皆どうしているだろうか。そして、フレールお兄ちゃんは――数週間前に見たあの夢がここの所ずっと、昨日の様に思い出される。

 私、こんなに寂しがり屋だったっけ。

 

 私は椅子に座りながら、机の上に置かれた導力ラジオをぼーっと眺めているのを辞めて、ベッドの方へと顔を向けた。

 先程まで私が座っていた場所には今はアリサが座っており、彼女は少し落ち着かない様子でチラチラと隣りのリィンを気にしている。そんな彼女の姿を眺めていたのだが、リィンと目が合ってしまい話題を振られてしまった。

 

「南部は《夏至祭》を盛大に祝うって良く聞くけども、エレナの故郷でもそうなのか?」

「えっと、やっぱり準備や後片付け含めて二週間位はそんなムードだね。みんな浮かれてお仕事にならないかも」

 

 但し飲食関係、特にうちの様な酒屋や何時もに増して大人達の溜まり場となる酒場は除いて、だが。

 酒屋にとっては年数回ある重要な稼ぎ時の一つでもある。

 

「特に大きなイベントも無いルーレ市とは大違いね……」

「ああ、ユミルも一日しか祝わないからな……逆に少し羨ましいな」

 

 そんな私達の雑談の裏でパーソナリティのミスティは、次の休暇には鉄道旅行をしたいと語っていた。

 クロスベル等有名な都市の名を取り上げて紹介している。

 

『……鉄路の果て――厳しくも美しい自然が広がるという《ノルド高原》なんかもロマンをそそられてしまいますよね』

 

 《ノルド高原》ってガイウスの故郷だった気がする。ドライケルス大帝の挙兵地であるその地名は、帝国史の苦手な私でもわかる。勿論、ユーシスに教えて貰う前からちゃんと知っていた位だ。

 

 『…分かってます、ディレクター。あり得ない夢を見ただけですから』、と少し拗ねたようなミスティの声。

 ラジオの放送に関しては殆ど何も知らないのだが、彼女が話しかけたのは近くで指示を出している人なのだと思う。

 

『それでは今週のハガキのお時間ですね――』

 

 

 楽しい時間は過ぎるのが早いとよく言うが、それは本当だと思う。子供の頃は一日がとても長く感じられた筈なのに。

 初めて耳をちゃんと傾けて聴いたラジオ番組の三十分はあっという間に終わってしまっていた。

 

「さって、私は明日も朝早いから一足お先に寝るね。リィン、聴かせてくれてありがとっ。面白かったよ」

「そう言ってもらえると嬉しいな」

「じゃ、アリサもまたね。ゆっくりしていってね」

「え、ええ……」

 

ゆっくりと、優しく丁寧にドアを閉めると、やっと心の錘が無くなったような気がした。

 

「なんだかなぁ……。羨ましい」

 

 故郷を含めて帝都を除いた帝国各地では《夏至祭》の真っ最中。

 祭りの由来であり、一年で一番日の長い夏至は明日だ。若者の縁結びのお祭りとしての意味合いもある《夏至祭》。

 好きな人と一緒になれるお呪いも多いが――私の知る限りそれらは全て、一緒にいる場合のみ、なのだ。

 

「私、寂しいよ」

 

 

・・・

 

 

【おまけ】

 

「ゆっくりしていってね……って、ここは俺の部屋なんだが……」

「へぇ……私が居たら駄目なのかしら?」

「い、いやそんな事は――」




こんばんは、rairaです。
さて今回は6月20日の自由行動日夕方~夜のお話です。
前半部は《キルシェ》でのバイト中になりますが…前回もそうですが少しは仕事せんか!って感じですね。『商売は熱意』という言葉が表す通りのベッキーとは仕事への取り組み方は圧倒的に違います。
まあ、土地や気質の違い…という事にしといてあげて下さい。

それよりもベッキーの関西弁が難し過ぎました。これで良いかのも分からないので、少し時間の空いた時に原作をプレイして確認して来ます。

後半部は主に妹の話とラジオの話となります。
この話を書いていて思ったのですが…この物語においてエレナには16歳設定の明確な理由があるのですが、原作でエリオットの16歳(1歳年下)の件って何か触れられていたりしていた覚えがないのですよね。何故、皆より年下になっているのか…疑問ですね。

次回は遂にあの男の登場です。次回以降、多少重い展開が続く予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月23日 傷付ける言葉

 一年で一番日の長い夏至も過ぎ、段々と暖かくなる初夏。

 まだ六時ちょっと前にも関わらず、日は昇っており既に辺りは真っ昼間の様だ。

 そういえば日曜学校の理科の授業で習ったことだが、帝都は北に位置する為、サザーラント州と比べると少しばかり夏は日は長く、冬は日は短いのだとか。

 

 そんな事を考えながら、私は手紙を手にして駅前のポストを目指す。

 あまり大きくないトリスタの駅舎が目に入った時、赤色のポストの前に見知った人影を見つけた。

 

「あれ、リィン?」

「エレナか……早いな?」

「特訓、朝の日課だからね。手紙、出してたの?」

 

 ああ、とリィンは肯定する。

 

「へえ……妹さんへの返事?」

「いや、これは実家のだ。何だかんだ返すのが遅くなっててさ」

 

 あ、凄い分かる。実家からの手紙って返事を返すの遅くなりがちだよね。リィンの事情なんてお構いなしに、勝手に親近感を感じてしまう。だが、問題はそこではない。

 

(リィン、まさかまだ……)

 

「……ちゃんと、妹さんにも返事、送らなきゃ駄目だよ?」

 

 手紙は返事を期待して送るようなものだ。少なくとも私にとっては。それなのにフレールお兄ちゃんは手紙を出せとは昔から言うものの滅多に返事は帰ってこない。便りがないのは元気な証拠ともいうし、もう彼のいい加減さには慣れっこだが、こういう所は昔からむかつく。そして、それ以上に私なんか相手にされていないようで寂しい。

 リィンの妹さんの事は”帝都の女学院に通う私のいっこ下の子”ぐらいしか知らないのだが、なんとなく私は彼女を自分と重ねあわせてしまって、自分と同じ気持ちなんじゃないかと勝手に想像してしまうのだ。

 

「ああ、エリゼ――妹には返事を書いて次の日には出したよ。帝都は近いからそろそろ届く頃なんじゃないかな」

 

 前言撤回。流石、リィン。超羨ましい。

 

「さっすが、リィン兄様。やるぅ」

「だから――」

 

 最近のちょっとした私のマイブームは彼の事を”リィン兄様”と冗談で呼ぶことだ。リィンは『恥ずかしいからよしてくれ』と言うものの、彼の恥ずかしがる反応込みでツボに入ってしまっていてこれが中々辞められないのだ。

 

「ふふ、帝都は近いからすぐ返事出さないとバレちゃうから?」

「それも無くはないけどな……」

 

 苦笑いするリィンに、案外と妹さんには頭が上がらないのだと感じた。

 

 帝国の郵便制度は帝国政府と各州によって担われており、当然ながら基本的に遠方であればある程時間が掛かる。

 マキアスとエリオット君によるとトリスタから帝都への郵便は早くて3日、遅くて5日といった所らしい。それに対してユーシスによるとバリアハートまでは遅くても1週間程度であり、更に私の実家のあるリフージョ村までは2週間は確実にかかる。リィンの実家のユミルも帝国内では結構交通の便の悪い場所の様なので、郵便はそれなりの時間が掛るだろう。つまり実家に送るのであれば数日は遅れても誤差の範囲内だが、帝都内宛では数日でも返事をサボるとバレてしまうのだ。

 

 ふと私は手元の封筒に目を落とす――”Parme, Sutherland Prov.”。

 この手紙が届く頃には既に月が変わっているかも知れない。《夏至祭》も終わり暑い暑い夏の本番といった所だ。その頃にはポストの奥のウッドフェンスに弦を伸ばす朝顔も綺麗な青や赤紫色の花を咲かせているに違いない。

 忙しくも充実する学院生活に流せれるままで気付かなかったが、あっという間に季節は変わろうしている。

 

(お返事、返ってくるかなぁ……)

 

「手紙、出さないのか?」

「あっ、ごめん。少し考え事しちゃってた」

 

 フレールお兄ちゃんへの手紙をポストに無事投函した後、丁度良いので私達二人は一緒に学院へと歩いていた。

 早朝の静まり返った駅前の公園のベンチには、この辺りでよく見かける上品そうな黒猫が欠伸をしていたが、生憎今は何かあげられるような物は持っていない。いつもだったらお菓子ぐらいは持っているのに少し残念だ。

 

「そういえば、手紙出すにしても少し早すぎない?」

 

 まだ朝日は大分明るいとはいっても、まだ六時前だ。流石に早過ぎるだろう。

 

「試験勉強もあって少し身体が鈍ってたからな、俺もエレナと同じ様に特訓だ」

「なるほど……強い人ってやっぱり努力してるんだね」

「はは、俺なんてまだまだだよ」

 

 上には上がいる、って事でしょ。口には出さないが内心冷めた事を考える。

 リィンが普通の人より上なのは見なくても分かるし、そうゆう謙遜は正直羨ましい。

 

「今日の中間試験の結果発表も気になって仕方無い位さ」

「それは完全に謙遜だね!リィンはもうちょっと自信持てばいいのに」

 

 リィンで自信が無かったら、私なんてどうすればいいか。謙遜も考えものだ。

 

「そ、そうだな……。ちなみにエレナはどうなんだ?中間試験は」

「最初は自信あったんだけどねー……」

 

 アリサ、エマ、ユーシス……私に頑張って教えてくれたⅦ組の三賢人もとい三先生。彼らが試験終了後からボロクソ言うもんだから、私の自信なんて掻き消えてしまっている。

 それでも一昨日ぐらいまでは試験が終わったという解放感に浸っていたのだが……残念ながら今となっては膨らむ不安の方がどうやら優勢になってきている。まあ、実家のお祖母ちゃんもこの名門士官学院で私が良い成績を採れるなんて思ってもいないだろうから、最悪ブービーでも怒ったりはしなさそうなのが唯一の救いか。

 

「……なんかもう、よく分からなくなってきた。うん、卒業まで大きな試験は後3回もあるんだし……深く考えないことにする」

 

 内心結構不安だが、一応口では強がってみる。

 

(とはいっても……赤点取ったらやばいよね……)

 

 赤点の場合は補修と再テストに、1か月の奉仕活動が言い渡されるのだという。そして、前にトマス教官に言われた通りバイトの為の校外活動許可の取り消しもあり得るとしたら――私は今後どうやって生活していけばいいのだろう。頭を抱えたくなる。

 

「あんまり適当にやっているとクロウ先輩みたいになるぞ?」

 

 隣を歩くリィンは苦笑いしながら、クロウ先輩を引き合いに出して私をたしなめた。

 

 うん、わかってる。あんな先輩にはなりたくない。

 

 

 ・・・

 

 

 校舎の廊下に張り出された生徒全員の中間試験の結果。左から順位、氏名、クラス、総合点数の順にずらっと約100名分のリストを私は必死に目で追っていた。

 

 同点1位のエマとマキアス、3位のユーシス、7位のリィンに8位のアリサ――この二人は順位まで隣り合わせとはなんとも仲の宜しいことで。後で誰も見てない時に赤の色鉛筆で溢れんばかりに沢山のハートでも書いてあげたい気分だ。

 その後、ラウラとガイウスが続き少しの間を空けてエリオット君の名前を見つけた。

 

(目算だと800点は超えていたはずなのになぁ……)

 

 今見ている場所はもう既に700点台に入っている。順位にして50位台――あ、あった。

 

「エレナ・アゼリアーノ……60位、702点……」

 

 7割も取ったのに60位、下から数えた方が早い順位だったことに肩を落とす。

 

「フン、まあ及第点といった所か」

「充分よく頑張ったと思いますよ?」

「うーん」

 

 私の呟きを聞いた、ユーシスとエマが褒めてくれる。

 ユーシスが”及第点”と言ってくれるのは決して悪い意味ではない。ユーシス様語なので、ちゃんと翻訳すると『よく頑張ったな。』といった所だ。

 しかしそう言われても少し納得がいかないのには変わりはなかった。

 

「むぅ、負けたか」

 

 と、呟くフィー。彼女の名前は72位の所に記されている。

 あれ、案外いい点数?フィーとは共にエマとアリサに試験勉強を見てもらっていて、私と比べてもまだそれなりの差はあると思ってたのに、かなり頑張ったのかもしれない。

 

「基礎学力の違いから考えると、エレナと同じ勉強量でここまで点数取れるって凄いことよ?」

「そうですよ、フィーちゃん。これからも頑張りましょうね?」

「ん……気が向いたら」

 

 フィーも褒められて満更でもない様だ。試験勉強前は良くエマから逃げてた癖に。

 

「逆に10年も日曜学校に通ってたのにも関わらず、たったの100点差とはな」

「う、うるさいっ!ここはフィーが頑張ったのを褒める所でしょ!」

「文句があるのならば順位表の一枚目に入ってから言うんだな」

 

 時に偉そうでキツいユーシス様語にはムッと来る時がある。もうちょっと言葉を選んで欲しい。

 

「あっちにも何か貼ってあるよ」

 

 フィーが指さしたのはクラス別平均点の順位。私達の1年Ⅶ組はクラス平均点857点でリストの一番上にいた。

 

 まあ、予想はしていたんだけど……。1位から3位まで表彰台であれば完全独占であり、何よりクラスの半分が一桁台の順位なのだ。

 というより、Ⅶ組でクラスの平均点以下は私とフィーとエリオット君しかいない。何たる格差社会。

 

 なまじある程度高い点数を取れると思ってただけあって、少しばかりショックだがこんなもんなのかなぁ。

 いやいや、逆に考えればトールズの様な名門校で学年の真ん中辺りに入れるって――

 

「――私、実は結構凄いんじゃ!、か?」

「はっ……口に出してた?」

「いや、そんな顔をしていただけだが。どうやら当たりだった様だな」

 

 は、嵌められた。なんて性格の悪い!

 目の前のユーシスは小さく溜息を付いて続ける。

 

「全く……60位ごときでおめでたい発想が出来るとはな。そのお花畑頭の構造が俺は知りたいぞ」

「くううっ!」

 

 ホントにユーシス様は!

 しかしユーシスが教えてくれた帝国史と政経といった教科は中々良い点数を取れており、彼には感謝してもしきれない。ただまあ、少なからず彼の有無をいわさない冷たい視線によって突付けられた恐怖心にから来るものもあったとは思う。彼に教えて貰った教科の点数が悪かったら、何を言われるか分かったものではないのだから。

 本当に感謝しているのだが、もうちょっと優しくしてくれたっていいんじゃないか、そう切に思うのであった。

 

 

 ・・・

 

 

 全10教科においてそこそこ点数を取ることの出来た私は、恐れていた赤点という心配事が無くなったことになんとも言えない幸福感に浸りながら午後の実技テストの為にみんなと共にグラウンドへと来ていた。

 

 Ⅶ組がⅠ組を押さえて学年トップに立ったことに対してのサラ教官のお褒めの言葉と教頭への愚痴が終わり、あの実技テストお馴染みの銀色の傀儡が登場して約1か月ぶりの実技テストが始めろうとしていた時、招かれざる訪問者達がグラウンドに現れた。

 

「フン、面白そうな事をしているじゃないか」

 

(パ、パトリック様……!)

 

 確かに士官学院に在学中で1年Ⅰ組に所属していることも知っているのだが、中々彼と会うことは少なく話したことに至っては入学して以来皆無だ。

 もっともこれはパトリック様に限らず、Ⅶ組以外の殆どの貴族生徒に言えることだが……。

 

 パトリック様と彼に引き連れられた3人の貴族生徒が、グラウンドへの階段を降りてこちらへと近づいて来る。

 そんな彼らにサラ教官が不思議そうにこの場に来た理由を訊ねると、どうやら授業が自習となり暇を持て余しクラス間の交流をしに来たのだというのだ。

 

「最近目覚ましい活躍をしている《Ⅶ組》の諸君を相手にね」

 

 帯剣する4人を見てリィンが半信半疑といった感じに、彼らの言う”交流”の内容が”試合”なのかを訊ねる。

 

「フッ、察しがいいじゃないか。そのカラクリも結構だが、たまには人間相手もいいだろう?僕達Ⅰ組の代表が君達の相手を務めてあげよう」

 

 さらっと答えたパトリック様の視線が私達を見渡す。少しの間を置いてから再び口を開いた彼の声色が変わった。

 

「真の帝国貴族の気風を君達に示してあげるためにもね」

 

 パトリック様の瞳が向けられ、動悸が激しくなる。

 こんなの認められる訳はない――大体Ⅰ組の人達は自習なら教室で自習すべきなのだし、他のクラスの授業に乱入なんて有り得ないだろう。

 それにⅠ組の担任はハインリッヒ教頭だ。パトリック様には申し訳ないが、サラ教官がこのまま彼らを追い出してこのことを――。

 

「フフン、中々面白そうじゃない」

 

(え……まさか――)

 

 サラ教官は指を鳴らして傀儡をこの場から消し、そして、宣言する。

 

「実技テストの内容を変更。Ⅰ組とⅦ組の模擬戦とする!」

 

(嘘でしょ!?)

 

 

 ・・・

 

 

「ユーシス、ラウラ、ガイウス――お願いできるか?」

 

 リィンの言葉に私はほっと胸を撫で下ろした。

 少し残念なことではあるものの、Ⅶ組において4人を選ぶとなれば私がファーストチョイスに入る事は滅多に無いと自信がある。それはやはり単純に私の戦闘能力が低いからなのであるのが大きな理由だが、正直に今回ばかりは私は自らの能力の低さを女神様に感謝した。

 

 今日の放課後は必ず教会でお祈りしようと決めながら、リィンの人選の理由を考える。

 

 剣が三人、槍が一人――全員が近接武器を得物にし、それぞれが高い個の能力を持つⅦ組の前衛組。

 武術以外もユーシスはアーツの資質も高く、リィンもそれなりに扱いは上手い。4人の組み合わせとしては個々のオールマイティな柔軟性も有しているが――少し考えればリィンの別の考えが入っている事に気づいた。

 

 リィンはパトリック様を含めたⅠ組の代表に対して、一人一人それぞれ一対一の接近戦でゴリ押しをする気なのだ。

 見たところ相手は全員が宮廷剣術の騎士風のナイトソードを構えており、確実に剣での戦いを挑んでくると想定できる。それを真っ向から受け入れるという意思が見えていた。

 それは同じ貴族としての彼らへの敬意なのか――だから、ユーシスとラウラなのか。

 

 いや、違う。

 リィンはこの人選の理由は口にしなかったが、色々な部分に配慮したことはこの私でも理解できた。

 ユーシスとラウラという貴族を選ぶことは、何かあった時に複雑な問題を起こさない為だ。

 Ⅰ組は高い家格の家出身の子息が多く、仮に間違って大きな怪我を負わせたりすれば問題になりかねない。だから率先して相手と同じ貴族のユーシスとラウラに声を掛けたのだ。

 最後にガイウスに関しては外国人ということもあり、帝国内のしがらみに囚われる事も無い。少なくとも帝国軍の将官の推薦を得ている彼ならば大きな問題は起きにくい――まあ、更に大きな問題が起きる可能性も孕むのだが。それ以前に、ガイウスの巧みな槍術とその技量を持ってすれば不測の事態が起きることは考えにくいというのもあるだろう。

 

 しかし、そんなリィンの敬意と仲間への配慮は呆気無く崩されてしまう。

 

 彼らの『趣と異なる』から、なんと人選に貴族はダメだというのだ。

 

 つまり、彼らは私達平民を相手にしたい――そう言っているのだ。

 思わず私は何も言葉が出てこなかった。こんなの大して頭の良くない私にだって分かる。貴族として平民の私達をいたぶりたいだけなのだ。

 それに貴族がダメなら男爵家のリィンもダメな筈。なんだかんだいって格上のアルバレア公爵家のユーシスと学年最強のラウラの相手をしたくないのだろう。

 人格者として評価の高いセントアークの侯爵様のご子息なのに、まさかこんな文句をつけてくるなんて。

 

 ラウラとユーシスに謝ったリィンは数秒の思案顔の後に、こちらに顔を向けた。嫌な予感がする。

 

「アリサ、エレナ。頼まれてくれるか?」

「ええ……!」

「えっ……」

 

 やる気満々なアリサの返事とは対照的に戸惑う私。

 

「エレナ?」

「わ、私は……」

 

 貴族生徒も勿論であるが――何よりパトリック様に銃を向けることなんて出来ない。

 目の前にいる金髪のお方は、帝国南部サザーランド州を統治する《四大名門》ハイアームズ侯爵家の当主様のご令息だ。

 私の故郷リフージョはサザーラント州の南沿岸部に所在し、ハイアームズ侯爵領の辺境に位置する。つまり、パトリック様は私の領主様の血族なのだ。

 そんな方には恐れ多くも、私は攻撃することは出来ない。そればかりか逆に彼の味方をしなくてはならないのではないか、という考えまで浮かぶ。

 

 迷っている私に助け舟を出したのは、リィンでもアリサでもⅦ組のメンバーでも無かった。

 

「リィン・シュバルツァー、君も中々酷い真似をしてくれるな。この僕にハイアームズ家の庇護の下にある我が領民に手を出させようというのか?」

 

 パトリック様は呆れたように両腕を広げて首を左右に振る。

 

「ついでに何を勘違いしているのか知らないが――これは男同士の戦いだ。力で劣る女子を傷付けるのは本意ではない」

 

 彼はリィンを鼻で笑い、「男の中から選びたまえ」と続けた。

 

「そうか……二人共すまない」

「いちいち面倒臭い人たちね」

「はぁ……」

 

 アリサは折角リィンに頼りにされたチャンスを棒に振る羽目になりかなり不服の様だが、私は一人安堵し、場違いにもパトリック様に心から感謝した。

 リィンを鼻で笑う態度や私達Ⅶ組に試合を迫ってくる横柄さ等、先程からパトリック様は正直いけ好かない部分ばかりを見せていたが、それでも一応私の様な自らの家の領民や女子に手を出すことを拒否するなど、帝国貴族としての最低限の騎士道を貫いている。まあ、平民をいたぶりたいという発想は最低だが。

 

 しかし、これは問題かもしれない。私が言えたことでは無いのだが、男子より女子のほうが強いのがうちのクラスなのだ。

 そして剣の技量の高いユーシスもダメときている。総合的な戦力は相当落ちたと言っても良い。

 

「ならば、ここは僕達に任せてくれ。いくぞ……あの鼻っ面をへし折ってやる!」

「えええっ!?」

 

 マキアスがエリオット君に声を掛け、前に出る。平民の男子となれば最早、彼らしかいない。

 つまりこれでメンバーは確定だ。

 

 

 ・・・

 

 

 リィンの一閃がパトリック様を襲い、剣同士のぶつかり合う高音が響く――そして、リィンの太刀が上品なナイトソードを地に叩き落とした。

 

「そこまで!勝者、Ⅶ組代表!」

 

 試合終了を宣言するサラ教官の声で、長く白熱した模擬戦が幕を閉じた。

 

「よかったぁー……!」

 

 いつの間にか祈るように両手を合わせていたことに気付いた。

 

 長く息をつく暇もない白熱した試合はリィン達Ⅶ組側の勝利として終わったが、結果はどう転んでもおかしくない様な戦いだった。

 パトリック様に率いられたⅠ組生徒は前半、個々の卓越した宮廷剣術と統率のとれた動きでⅦ組を押しており、長く優勢を保っていた。そればかりか、Ⅶ組側はあと一歩で押し切られるような場面も少なくなかった位だ。

 やっとⅦ組側が彼らの統率された動きに慣れた後は五分五分の試合展開となったが、それでも油断は出来ないような状況は続くこととなる。その後、長く続いた拮抗状態をⅠ組側の僅かな連携の齟齬を突いたエリオット君の機転と間髪入れずにマキアスの放った追撃、それに呼応したリィンとガイウスの見事なラッシュにより破ることに成功し、結果的にそのままの勢いで押し切ったのだ。

 

 次に同じことをやっても勝てるかどうかは微妙なラインだろう。

 

 しかし、模擬戦だというのに試合中の間はドキドキしっぱなして本当に心臓に悪かった。最後に押し切った場面以外は正直生きた心地がしなかったぐらいだ。エリオット君はふと背中を向けた隙にパトリック様の剣に危うく刈り取られる所だったし、マキアスは先月に続いてまた弾切れをしでかすし――リィンは他の皆への攻撃を逸らす目的もあるのだろうが、すぐに突っ込んで一人で三人を相手にしている事もあるし。

 まともに見ていて安心なのはガイウスぐらいなものだろう。

 

 まあでも、それでも勝利は勝利なのだ。パトリック様の鼻にかけた言動が少しいけ好かなかっただけあって、少し爽快な気分だ。それにしても領主様のご子息にこんな事を思ってしまうなんて、私も中々マキアスに毒されてきたのかも知れない。

 

「馬鹿な……こんな寄せ集め共に……」

 

 リィン達四人の前に膝を地につけるⅠ組の貴族生徒達が、唖然とした顔で悔しそうに呟く。パトリック様は何も口に出さないが、地を落とす顔を歪めていることから心中は彼らと同じだろう。《四大名門》の一角であるハイアームズ侯爵家を初めとする高位の爵位を持つ家出身のⅠ組の貴族生徒を屈服させるこの光景、実はとんでもないものなのではないだろうか。

 

「……いい勝負だった。危うくこちらも押し切られる所だった」

 

 剣を鞘に収めたリィンがパトリック様に手を差し伸べる。良い戦いをしたお互いの健闘を称えるのは当然だろう。

 しかし、私は彼のそんな真っ直ぐな行為に少し胸騒ぎがした。

 

「機会があればまた――」

「触るな、下郎が!」

 

 リィンの差し伸べられた手に、乾いた音と共にぶつけられた強烈な拒絶の意思。

 

「いい気になるなよ……リィン・シュバルツァー……」

 

 余裕の無い怒りに満ちた声色がパトリック様の悔しさを物語り、リィンの手を振り払ってすぐに立ち上がった彼はその負の感情を爆発させた。

 

「ユミルの領主が拾った出自の知れぬ”浮浪児”ごときが!」

 

 出自の知れぬ、浮浪児……?

 

 パトリック様の口から飛び出した言葉に、リィンの顔がかつて見たこともない程に歪む。それは悔しさか、恐怖か、それとも――どちらにせよリィンの表情を見れば、パトリック様の言葉が彼を深く傷つけた事は理解するに容易い。”浮浪児”なんて蔑視する言葉を人に対して使う事自体褒められるような事ではないが、きっとそれ以上にパトリック様は”言ってはいけない事”を口にしたのだ。

 いつも何を言われても笑って返す彼が、あんな顔をしているという事に私は怒りが込み上げてきた。

 私の心の中にある感情の天秤が大きく傾き、それを正す為に”自制”という錘を次々に載せていく。

 

 私以外のみんなも気持ちも勿論同じであり、口々にパトリック様の口汚い罵りを批難する。

 しかし、彼は開き直るように私達に向けて言い放った。

 

 ――何が同点首位だ!平民ごときがいい気になるんじゃない!――

 

 エマとマキアスの顔が片方は悲しさに、もう片方は怒りを露わにする。

 

 ――ラインフォルト!?所詮は成り上がりの武器商人風情だろうが!――

 

 諦めているような表情のアリサ。

 

 ――おまけに蛮族や猟兵上がりの小娘まで混じっているとは!――

 

 あくまで冷静なガイウスとフィーだが、リィンの隣に立つガイウスは眉を細めてパトリック様に厳しい視線を向けた。

 

「……酷いです」

 

 エマが悲しい声で小さく零す。

 彼女のその小さな声に、天秤が一気に振り切れた。

 

「……パ、パトリック様……もう――!」

 

 クラスメートが口汚い言葉で罵られている状況に、私は思わず声を上げていた。

 だが、その続きの言葉が出る前に遮られる。

 

「――黙れ!辺境の下民が!外地生まれの混血雑種の分際で――!」

 

 パトリック様の言葉は、私の胸に強烈に突き刺さる。

 ”辺境の下民”、”外地生まれ”、”混血雑種”――触れられたくない事に突き刺さる鋭利な言葉の刃。それは、いとも簡単に私の心を抉り、引き千切った。

 

 皆に知られてしまった。

 

 ――天秤は、壊れた。




こんばんは、rairaです。
さて今回は6月23日の朝~試験結果発表と実技テストのお話です。
前半部は早朝の風景となります。リィンはやっぱりシスコンで、エレナはやっぱりブラコンなんです。
そして中間テストの結果はご想像通りだったでしょうか。本当に無難な位置に落ち着かせてしまいました。

さて、肝心の後半部ですが…エレナにとってはパトリックは一番苦手な貴族生徒です。意識的に彼との遭遇を回避したことも二度三度ではないでしょう。なんといっても自分の故郷を統治する領主の息子ですから。
しかし、パトリック側から見るとまた見方は変わり、エレナに対して良く思う筈なんて無いんですけどね。

原作ではパトリックはリィンが『浮浪児』であることを知っていました。十二年前に社交界で話題になったとはいえ、当時のパトリックはまだ幼く、入学当初はリィンを自らの派閥に組み入れようとしていました。
きっと学院に来てからリィンについて誰かに聞くか調べるかしたのでしょうね。この物語ではパトリックが侯爵家の家名を使ってⅦ組のメンバーの情報を調べあげていたという仮定となっています。ですから、エレナについても例外なくほぼ全てを知っています。

2章のアントンのエピソードでエレナは母親がリベール人であることを普通に話していますが、あれはリベール人のアントン相手だからであり、数アージュ前を歩いているⅦ組の面々に聞こえていないという設定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月23日 茜色の屋上

 机の上におかれた安物の導力式時計の時針が垂直に下を指している。

 閉じたカーテンの隙間から漏れる光は、もう大分朱色を帯びていた。

 

 放課後のバイトもない日は、いつもであれば銃の特訓をするのだが――今日は何かをする訳でもなく寮の部屋へ真っ直ぐ帰り、すぐにベッドに寝転がっていた。

 横目に見えるのは私と同じくベッドに転がる、お気に入りのオレンジ色のリュックと制服の上着。もっとも彼らをベッドに投げつけた張本人は私であるが。

 

 ふと、私はリュックを手繰り寄せて、中身に手を突っ込む。重い参考書や使用感の薄いノートに、今日返却された中間試験の答案用紙を掻き分け、貴重品を入れる内ポケットのジッパーを開いた。

 

 赤色の薄い革手帳を手に取る――私が持つ唯一公的な身分証明書でもある、パスポート。

 仰向けに寝転がりながら、帝国の国章である黄金の軍馬の紋章が金色で印刷されている表紙を捲ると、すぐに少し恥ずかしい私の写真と基本的な情報について記されたページ目に留まる。

 その頁の自分の出生地の欄には、あまり耳にしない上に長ったらしい味気無い文字列が記せれていた。

 

 ”NORTHWESTERN TERRITORY”――北西準州と呼ばれるこの地域は、帝国西部のラマール州の北に存在する。正式名称”帝国政府直轄の北西部領土”――文字通り、帝都やここトリスタと同じ帝国政府の直轄領であるが、同じ直轄領でも意味合いは大きく違った。

 帝都やトリスタを含むその近郊都市は、帝国の長い歴史の中で一貫して皇帝陛下の領地として統治されてきた帝国の中心地であるのに対して、北西準州は最辺境に位置する場所であり、歴史的に重要な場所がある訳でも特に発展している訳でもない。そればかりか、ほんの十年程前までは帝国ですら無かった場所だ。

 

 いまでこそ帝国に編入され北西準州などという味気の無い名前で纏められてしまっているものの、本来はちゃんとした名前を持ついくつかの国や自治州であったのだ。

 つまり私が生まれた時は、その場所は帝国ではなく、紛れも無い外国だった訳である。

 

 ”帝都と四州”とは古来からの歴史的なエレボニアの国土を表す言葉であるが、同時にクロスベルの様な属州や北西準州等の近年の編入領土は帝国であって帝国でないと見下す意味をも持っている。

 事実、編入領土は北西準州を含めて現在の帝国ではもっぱら”外地”と呼ばれていた。

 

「別に私は外国でも外地でもどっちでも良かったんだけどね」

 

 思わずそんな独り言を呟きながら、赤色の革手帳をリュックの中に無造作に戻す。

 

「混血雑種、かぁ……」

 

 傷付いているか否かと聞かれたら、やはり私はパトリック様のあの言葉に傷付いたのだろう。心が、胸が、痛くない訳ではない。

 人の伏せておきたい、話したくない事をみんなの前であんな風に吐き散らすなんて流石はやはり貴族だ――これは、流石にマキアスの影響を受けすぎたかもしれない。でも、最近よく思うことだがマキアスの気持ちも良く分かる。パトリック様には確かに腹が立つし、悲しい。

 

 でも実際、彼に言われたことが事実であるのがもっと辛かった。

 

『辺境の土民』、『外地生まれ』、『混血雑種』――汚い言葉であるものの、間違っている訳ではない。士官学院に来るまで辺境に住んでいたのだし、私が生まれたのは北西準州という紛れも無い外地であり、私のお母さんがリベール人であるのも確かだ。

 

 謂れもない嘘や間違った事を言われるのなら、それは全力で否定すればいいだけだ。しかし、本当の事を否定すれば私が嘘つきになってしまう。勿論、私は絶対嘘を付かない正直者なんかではないし、嘘も方便であると思う。この際――と考えてしまいたくなるが、Ⅶ組の皆に自分の事に関して偽るのはどうしても避けたかった。

 

「でも……」

 

 だからといって、このまま隠し続けれるのだろうか。

 私は自分が帝国人とリベール人の間に生まれ、半分はリベールの血を引く事がみんなに知られてしまうのが怖い。

 幸いな事に、パトリック様は私がどこの血が混ざった”混血雑種”なのかまでは言わなかった。

 ならば別にこのままでいいじゃないか。元々、誰にも明かすつもりは無かったのだから。

 

(もう、この事を考えるのは辞めよう……。)

 

 自分でもどうすればいいのか分からなくなってしまいそうだから、私は他の事を丁度あの後に発表された今月の特別実習の事に関心を向ける。

 

 あの後、平常通りに実技テストは終わった扱いとなり、特別実習の班分けと実習地の発表となった。

 私は今回初めてB班となり、《ブリオニア島》という場所を目指すらしい。余り聞き覚えのない知らない場所だ。マキアスがなんか言っていたような気はするが残念ながら頭には入ってこなかった。

 A班はガイウスの故郷《ノルド高原》が実習地となっており、彼の実家に泊まるのだという。そういえばアリサは今回は念願が叶ってリィンと同じA班だ。いっぱい仲良くしてくればいいと思う。二人の仲も少しは進展してくれれば私の苦労も減るのに、と思ってしまうがあの二人には余り期待はできない。

 

 そして、肝心の私達B班のメンバーはマキアス、エリオット君、ラウラ、フィー、最後に私。考えれば考える程、気が重くなる面子だ。ラウラとフィーに挟まれた私はありったけの胃薬をベアトリクス教官にねだる必要があると切実に思う。

『一難去って、また一難』、とはよく言ったものだ。

 

 今月も大変そうな特別実習に思いを馳せていると、部屋のドアをノックされる音と私の名前を呼ぶ声がした。

 

「エレナ、居るかしら?」

 

 ドアを開けて開口一番に気が付いたのは、アリサの様子が少し違うことだった。大方私の事を心配してくれているのだろう。

 

「アリサ、どうしたの?」

「いま下で中間試験の返って来た答案の間違っていた所の復習をラウラと一緒にしているんだけど、あなたも一緒にやらない?」

 

 やっぱり。

 私もよく嘘が付けないだとか、思っていることが顔に出るとか言われるが、アリサも結構大概だと思う。なんていってもこの私がわかるぐらいなのだから。

 

 それにしても、ラウラ、かぁ。きっと、フィーにはエマが付いているのだろう。アリサとエマも苦労が絶えないのが窺える。

 

「うえぇ、容赦無いなぁ。やっと試験が終わって勉強から解放されたと思ってる私にそんな酷なこと言うの……?」

 

 でも、ごめん。勉強したくないのも事実なのだけど、今は少し一人の気分だ。心の中で折角気を遣ってお誘いしてくれたアリサに謝る。

 

「もう……そんな事言ってるとまた次のテストで苦労するわよ?」

「あはは……」

 

 少し怒ったような仕草をしながらも、呆れるアリサ。対する私が少しバカっぽい苦笑いしていると、すぐに目の前の彼女の顔が変わった。

 

「……ねえ、大丈夫?」

「――うん、大丈夫だよ!私はこの通り元気だから!」

 

 小さく胸の前で腕を引いてガッツポーズを作ってみる。少しわざとらし過ぎただろうか。

 

「そっか……ならいいのだけど」

 

 心配そうに揺れるアリサのカーネリアのような瞳に再び心の中で謝る。

 

「そうそう、晩ご飯は7時からってシャロンが言ってたわ」

 

 寝ちゃダメよ?、と付け加えて彼女は私に背中を向ける。

 

 私が何かに悩んだ時、すぐベッドに寝転がってそのまま寝てしまう事もアリサは知っていた。本当に何もかもお見通しという訳だ。

 

 

 ・・・

 

 

 第三学生寮には表からは見えない秘密の階段がある。寮一階の勝手口を出て隣の建物との間の狭い隙間に出ると、煉瓦造りの壁面に寄り添う様に作られた錆びた鉄製の外階段が備わっているのだ。

 それを四階分の高さを昇れば、寮の建物の屋上へと出れる。

 

 それぞれが大分離れた場所にある二つの物干しには洗濯物は干されておらず、既にシャロンさんが寮の中に取り込んだ事が分かる。つい1か月前はみんなそれぞれ自分達で洗濯もしていたというのに、いつの間にかシャロンさんがやってくれるのが当たり前になっている事に少し驚く。

 

(やっぱりお世話になってるなぁ……)

 

 入学したての頃、この屋上に物干しは一つしか無く、洗濯物の男女混合というトンデモ事態が発生しそうになった事がある。勿論、女子の尊厳に関わる一大事を看過できる訳はなく、主に当時リィンにツンケンしていたアリサのごり押しによって、歪な物干しをみんなで作ったのはいい思い出かもしれない。

 

 そんな懐かしい出来事を思い出しながら、私は屋上の端へと座り両足を宙に投げ出す。

 初夏の日差しをたんまり浴びた屋上の床が、日が落ちそうな今でも未だ温い。

 

 眼下には大陸横断鉄道の線路が、その向こう側には建物の姿は無く見渡す限りの更地と森林となっている。トリスタの街が駅の北側のみしか栄えていないのは、ちゃんとした理由があった。なぜなら、この線路を隔てた南側の広大な土地は皇室財産となっているのだ。ここからでは森しか目にすることは出来ないが、皇族の召し上がられる毎日の料理の食材の為に整備されている御用農園や牧場、主に貴族を招いて催される狩りの会場となる狩猟場等があるとされている。まあ、つまり関係者以外立入禁止の土地という訳だ。

 

 右の頬を照らす西日が眩しく、熱い。

 空は左手からもう暗くなってきており、トリスタ駅を越えて帝都へと至る線路の向こうへと、日が沈もうとしている。

 

 顔を正面へと戻すと、丁度南。私の故郷であるサザーラント州のある方角だ。

 そして、この方角をサザーラント州を越えて更に南にいけば、お母さんの生まれ育った国――リベールがある。

 

 私の故郷からだとクローネ連峰がリベールとの国境となっていたが、当然ながらここからあの天高く聳える白い山肌を望むことは出来ない。

 ここから望めるのは、既に暗くなり始めた夜空と夕焼けの境目の南の空だ。

 

 

 12年前――大きな戦争があった。

 世界において導力革命以後、初の国と国がぶつかり合った戦争として歴史に名を残す《百日戦役》。

 

 片や中世より大国として君臨する、西ゼムリアにおいての覇権を争う二大国の一、エレボニア帝国。片やその国土は小さくても長い歴史を有し、古来より大国と対等の関係を保ってきたリベール王国。

 

 帝国政府の公的な発表によると、1192年4月、帝国正規軍は約13個師団実働兵力20万人を超える大軍で帝国=リベール間の南部国境を突破しリベール領へと侵攻を開始。

 リベール軍の三倍以上の戦力、当時最先端の導力兵器が多数配備された帝国正規軍は破竹の勢いで進軍し、開戦後1か月も経たぬ間に王都グランセルとヴァレリア湖上のレイストン要塞を除くリベール全土を占領下に置いた。

 

 しかし、その1か月後、リベール軍が投入した三隻の世界初の軍用飛行艇によって戦況は大きく変わることとなる。

 陸と海という従来の戦場は大きく変わり、帝国軍は世界で初めて空から攻撃を受けた軍隊となった。将校も兵士も雲上の敵に狼狽し、帝国軍は最後まで混乱を立て直すことが出ずにリベール側の反攻作戦によって各地で敗走と降伏を繰り返した。

 

 結局、開戦から3か月後には帝国軍はリベール全土から完全に撤退を余儀なくされ、翌年1193年、帝国=リベール間の講和条約が結ばれ《百日戦役》は幕を閉じた。

 

 戦後、帝国政府と軍によって発表された帝国正規軍将兵の戦死者は2万人を下らず、負傷者は7万人に登った。実にリベール侵攻軍の一割が戦死し、戦傷者は三割近くという完全な壊滅状態であった。

 

 私のお父さんも軍人として従軍し、幸いな事に無傷で家まで帰って来てくれたものの、戦後も今に至るまで《百日戦役》について語ることは殆どなかった。多くの将兵が血を流し、命を落とした戦場は言葉にすることの出来ない程悲惨なものだったのだろうか。

 

 2万人の戦死者一人一人に彼らを愛する大切な人が居た筈だ。彼らのお父さんやお母さんが、旦那さんや奥さんが、お子さん、もしかしたらお孫さんもいたかもしれない。そして、恋人や友人も。

 あの戦争で亡くなった人が、自らにとって大切な人だった人間は帝国には大勢居る。

 

 戦死者の2万人という数字だけでも私の故郷の村の百倍近い人数なのだ。その遺族や友人、恋人、あの戦争で大切な人を失った人は何人居るのだろう。

 もはや想像も付かない。

 

 幸いな事に故郷であるリフージョの村から従軍したのはお父さんだけであった為に、私は彼らの事を直接は知らない。

 彼らがもし仮に私が半分リベール人である事を知ったらどう思うだろうか、そんなの簡単に理解る。もしあの戦争でお父さんが帰って来なかったら、私はリベールを酷く恨んだだろう。例え私の中に流れる血の半分がリベール人だと分かっていても、恨んだに違いない。あの戦争で数万人の帝国軍将兵を、彼らが愛した大切な人を殺したのは他ならぬリベール人であるのは事実なのだから。

 

 だから、リベールの血の混じる私は自らにそんな負の感情をぶつけられるのが、とても怖い。勿論、あの戦争に直接関係のない私を責めない人もいると思う。しかし、世の中がそんな人ばかりではない事ぐらいは知っている。

 

 Ⅶ組のみんなは優しいが、仮に近しい人をあの戦争で失っていれば――……。だから、私は絶対に言わない。

 

 リィンはケルディックからの帰りの列車で、隠していたのは不義理――そう言い、私達に自らが貴族である事を打ち明けた。

 フィーはバリアハート市の地下水道で彼女の正体を明かした。多分、隠す気はあまり無かったのだろう。

 アリサはシャロンさんが来たことによって名前を隠すことが出来なくなり、隠していたラインフォルトの家名が発覚した。だが、彼女はいつか話そうと思っていた様だった。

 

 それに比べて私は、今でも誰にも話す気は無い。パトリック様にあんな形で『混血雑種』であると皆の前で言われなければ別にこんな事、考えもしなかっただろう。

 

 私は帝国のパスポートだって持ってるれっきとした帝国国籍の、外地とはいえ現在帝国とされる場所で生まれ、帝国で育った帝国人だ。お父さんは帝国軍人であるし、お祖母ちゃんは百年続く酒屋の店主だ。

 自分が帝国人であることを今まで一度たりとも疑ったことはない。仮に今からリベールに行ったとしても、帝国人として育った私があの国に馴染めないだろう。

 

 バリアハートで会った二人のリベール人の旅行者を思い出す。

 あの時の彼らはとても私達に好意的だった、それこそ舞い上がって私自らお母さんがリベール人である事を口に出してしまった位だ。でも、リベールの人々が皆が皆彼らのように好意的に接してくれる訳ではないだろう。

 

 実際にリベールに行こうと思えば簡単に行ける場所に住んでいたのだ。リフージョからは定期的にリベールのルーアン市まで小さいながら交易船が出ていたし、パルム経由で飛行船に乗れば、半日でリベールの主要都市に行ける。しかし、私は故郷に住んでいた間リベールを訪れる事は無かった。

 それはやはり怖かったからだ。リベールの人に、今度は帝国人への恨みをぶつけられるのが。

 

 屋上に来れば少しは気も紛れるかと思って来たものの――いつもの事ながら、更に気分は沈んでいく。

 そんなだめな自分を自嘲していると、ふと後ろに人の気配を感じた。

 

「こんな所にいたんだな」

 

 座りながら後ろを振り向くと、そこには良い体躯の青年が立っていた。

 

「……ガイウス?……どうしたの?」

「シャロンさんから呼んで来るように頼まれてな。もう夕餉の時間だ」

「あー、そっか」

 

 なるほど、そういえばアリサも7時と言ってたっけ。ぼーっと考えているだけで、もうそんなに時間が経ってしまっていたのか。

 

「考え事か?」

「……うん、ちょっとね」

 

 シャロンさんの晩ご飯と聞けばいつもなら飛び上がって行くのだろうが、今日はもう少しここにいたい気分だった。

 でも、わざわざガイウスが呼びに来てくれたのだ。早く下の食堂へと行くべきだろう。

 そう考えて立ち上がろうとした時、私の隣にガイウスが胡座をかいて座った。

 

「少し、涼んでから行くとするか」

 

 

 ・・・

 

 

「ガイウスは屋上によく来るの?」

 

 少し驚いたのが、私の居場所を彼が分かったことだ。アリサやリィン、フィーなら分かったかもしれないこの場所も余り一緒に過ごすことのないガイウスが知っていたとは思えない。

 だから、少し思ったのだ。ガイウスもこの場所によく来るのではないかと。

 

「ふむ……よく、とは言えないかもしれないが、偶に星を見に来る」

「へぇ……同じだね」

「ほお……」

 

 これは新しい発見かも。もしかしたらガイウスもまた同じ事を思っているかもしれない。

 もう暗くなった右手の東の空を見上げる。まだまだ星空とは言いがたいが、微かに星が瞬いていた。

 

「星空を見てると安心するんだ。故郷にいた頃と比べて色々と凄く変わっちゃったけど、星だけは変わらないから」

 

 巨大な帝都やトリスタの街の灯によって故郷程の綺麗な星空ではないし、正確には場所が変われば星の位置が少しずれてゆくとも教わったので、全く同じ星空という訳ではない。

 それでも故郷で見る星と同じ星が、トリスタの夜空でも輝いているのを見ることが出来る。故郷の綺麗な星空も恋しいが、今の私にはこれで十分だ。

 

「なるほど」

「あの地平線のずっと向こうに故郷があって、星空を通してちゃんと繋がってるって思うと、辛い時でも頑張れる」

 

 同じ星空の下に大切な、大好きな人達がいると思って。

 

「考える事は同じだな」

「えっ……?」

 

 彼の言葉に思わず声が出る程、私は驚いた。

 

「何かおかしい事を言ったか?」

 

 不思議そうな顔をするガイウス。

 

「いや……ガイウスにも悩みとか……辛い時とかあるんだなぁって……」

 

 いつも優しく温厚で、その上凛々しさを感じさせるその長身の身体から、皆の頼れるⅦ組の大黒柱という感じのガイウス。

 そんな彼がダメダメな私と同じ様にこの場所で悩んでいたなんて。

 

「フフ、買いかぶりすぎた。そこまで人間出来ていない。オレも故郷の事を考えれば懐かしく思うし、どこか怖い時もある」

「ガイウスの故郷ってA班の実習地の……でも、なんで故郷の事を考えると怖くなるの?」

「ノルドは雄大な自然に囲まれる美しい場所だ。高原の住民はオレ達ノルドの民を除けば皆無、きっとこの帝国のどの場所より未開の地だろうと思う」

 

 ノルド高原と聞いて思いつくのはかのドライケルス大帝の挙兵地という帝国史的知識のみだ。ノルド高原という地がどのような場所なのかは私は全く知らなかった。

 

「だが、故郷を取り巻く状況は余り良くはなくてな」

「そっか……」

 

 ガイウスは何故、士官学院に来たのだろう。わざわざあんなに遠くの場所から。

 きっとそれ相応の理由があるのだろうと思うが、私には分からない。

 

「私も、故郷の事を考えると怖いんだよね」

「先月の特別実習でマキアスとユーシス相手に食いかかったんだったな」

「そ、そうなんだよね……あんまり言わないでおいて……」

 

 あの事を思い出すと今でもとても恥ずかしくなる。出来ればもう忘れ去りたいぐらいだ。

 

「都市と地方か……帝国はノルドには無い物が多いが、話を聞く限りその問題はあまり他人事ではないかも知れない――」

 

 そこで話は途絶えた。けたたましい汽笛の音と騒音とともに、眼下の線路を凄まじい速さで導力列車が目の前を通り過ぎていく。

 明らかにトリスタの駅に停まる速度ではない事から、大陸横断鉄道の特急列車なのだろう。目が追いつかない程速い列車の窓から溢れる明かりに、もう大分夜が近づいていた事に気づく。

 

 列車は余音を耳に残していくが、過ぎ去った後は嫌に静かに感じられた。

 

「きょうは、ありがとう」

 

 列車によって話題が切られてしまった数秒の静かな時間の後、私はガイウスに感謝の言葉を紡いでいた。

 

「何のことだ?昼間の事ならば、リィンにも言ったがオレは感謝をされるような事は何もしていない」

「そんなこと無いよ。私も、救われた」

 

 リィンの言葉を貰い、ガイウスの凛々しい横顔に向けて精一杯の笑顔を作る。

 

「それに、こうして付き合ってもらってる」

 

 少しの間を開けて、ガイウスは口を開いた。

 

「彼の言葉を気にするな、と言ってもそんな簡単な話ではないだろう」

 

 ガイウスは私がパトリック様から言われた言葉について触れた。

 

「ただ、どんなことがあろうともオレはⅦ組の皆の味方でありたい。皆も同じ気持ちだろう」

 

 こんな私でも、いまは何も話すつもりがない私でも?

 隠していると思わないのだろうか。そして、私が明かした時、万が一にも――。

 

「エレナもそう思っているからこそ、あの場で彼を止めようとしたのだろう?」

 

 そういえば――咄嗟の事で今の今まで考えることすら無かったが、私はパトリック様を止めようとしたのだ。

「黙れ」と一蹴され、その後に続いた言葉に蹴散らされてしまったが、あの時、Ⅶ組のみんながこれ以上罵られることを許すことは出来なかった。

 

「わ、私……」

 

 昔の私ならどう考えても、あの場で四大名門の領主様のご子息を止めようとする行動なんて出来無かっただろう。

 いつの間にか私にとってⅦ組の仲間は、ただの仲間ではなく、もっと大切な存在になっていた。

 

「オレにはそれだけで十分だ。そして、皆にもそれだけで十分だと思う」

 

 そう言うと、彼は立ち上がり私の背中へと近づく。

 

「さあ、行こう――皆、下で待っているぞ」

 

 そして、後ろから私に手を差し伸べてくれたガイウスの顔は、とても優しかった。

 

 私は、私の大切な仲間を信じればいいだけの話ではないか。

 今はまだ心の整理をさせてもらおう。きっといつか話すから、もう少しだけ待っていて欲しい。

 

 

 ・・・

 

 

 時を遡ること数分前、シャロンは階段に腰掛けて顔だけを屋上へ出して様子を窺う金髪の少女を見つけた。

 屋上で話す二人に気を取られすぎているのか、ここから見た彼女はスカートの中の下着が丸見えというなんとも間抜けな姿を晒している。

 

(まあまあ、リィン様にはお見せできないお姿ですわね。)

 

 シャロンの本音から言ってしまえば、この場にいるのが自分ではなくリィンだったら面白い事が起きたかもしれないのに、といった所だろうか

 すぐ傍の線路を列車が猛スピードで通過する音の後、いつまでもこのまま自らのお嬢様のあられもない姿を眺めているわけにもいかないシャロンは、聞き耳を立てる彼女に小さく声を掛けた。

 

「お嬢様」

「げっ、シャ、シャロン……!」

 

 飛び上がる様に驚く彼女の口に、シャロンは人差し指を当てた。

 

「シーッ、大声を出してしまうとお二人にバレてしまいますわ」

「ど、どうしてここにいるのよ……!」

 

 小声で文句を言うアリサ。

 

「覗き見もよろしいですが、シャロンが折角作った晩ご飯が冷めてしまいますわ。今晩はお嬢様の為を思ってお作りした大好物の煮込みハンバーグですのに――」

 

 シャロンはアリサの身体に腕を回してゆく、このまま抱っこしてでも下に連れて行くという意思表示だ。

 

「わ、わかったから……!行くから……!」

 

 音は立てれず抵抗の出来ない状況に観念するアリサ。渋々と言った様子で、静かに階段を降りてゆき1階の勝手口から寮の中へと入っていく。

 食堂からのアリサとⅦ組の面々の声を聞いたシャロンはふと、上――屋上を見上げた。

 

(ふふ、エレナ様へのお届け物は明日の方が良さそうかと思っていたのですが――今晩でも大丈夫そうですわね。)




こんばんは、rairaです。
さて今回はエレナがずっと隠していた事についてのお話でした。
前回のお話で彼女がパトリックにバラされてしまった二つの事柄、”外地生まれ”と”混血”について焦点を合わせています。

”外地生まれ”に関してはかなりの独自設定が入っております。原作ではラマール州の北にはジュライ特区がある事のみしか触れられていません。
エレナの生まれがサザーラント州ではないのはプロローグより触れていましたが、何故そんな場所の生まれなのかは3章の特別実習で明らかになる予定です。

”混血”は少し重いお話となりました。帝国とリベールという国に関係する以上、《百日戦役》に触れないという事は出来ません。
軌跡シリーズでは「空の軌跡」がリベール人のエステルを主人公としている為、どうしても主にリベール側からの視点で戦争が語られることが多かったのですが、この物語は主人公が帝国人ですので帝国側の視点で見てみました。

次回は夕食後の夜のお話となります。遂にシャロえもんがプレゼントを持ってきてくれました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月23日 新しい力は

 ガイウスの差し伸べてくれた手を私は取り、遅れながらも既に集まっていたⅦ組の皆と食卓を囲んだ。

 エマとマキアスの同点1位とクラス別平均点1位のお祝いも兼ねて、シャロンさんは少し豪華な料理を用意してくれたようで、そこそこ盛り上がっていた。

 正直、何だかんだとつい先程まで沈んでいた私としては――少しぎこちなかったものの皆が多少なりとも盛り上がってくれて助かった、というのが本音だ。気にせずに話しかけてくれた方が、私としても楽だし、何と言っても気が紛れるから。

 でも、そんな中においてもラウラとフィーは、テーブルの端と端を占拠してお互い関わりあわないようにしていたりと、未だハッキリと分かる確執を見せていた。まあ、これはすぐに解決できる問題ではないので仕方ない。特別実習では何とか出来ればいいのだけど……気が重いなぁ。

 

「あ、エレナ様――」

 

 そんな晩ご飯の時間も終わり、食堂を後にしようとした時、私はシャロンさんに呼び止められた。

 

「はい?」

「エレナ様にお荷物が届いているのですが……お片づけが終わるまで少々この場でお待ち頂いても宜しいでしょうか?」

「あっ、じゃあ――」

 

 お荷物?

 いつも、部屋の中に入れてくれているのに?

 ただ、私には一つだけ心当たりがあった。

 

「えっと……アレ、ですか?」

「ええ――エレナ様はお察しが良いので助かりますわ」

 

 荷物の中身に気付いた私に、目の前の紫色の髪のメイドさんは小さく笑みを浮かべる。

 

「アレって何よ?」

 

 丁度タイミング良く、いやこの場合は悪く、だろう。私の後ろからしたのはアリサの声だった。

 

「いつもそうだけど、最近何かコソコソしてない? シャロン」

「まあ、アリサお嬢様もお酷いですわ。ですが、確かにお嬢様も無関係という訳でもないですし――エレナ様、お嬢様もご一緒で構いませんか?」

「は、はい……」

 

 これは気不味い。なんといっても視線が怖い。

 

「あなた達は一体……何を企んでるのかしらね?」

 

 アリサの不機嫌そうな視線にその場でじっと待っているのは気まずくなり、私はシャロンさんの手伝いを申し出た。

 

「じゃ、じゃあ、私、お片づけ手伝います」

「あら、ありがとうございます。助かりますわ」

 

 彼女の手腕には敵わないものの、少しでも早く終わらせられれば私としてもありがたいし――何より今回の件で計ってもらった便宜は相当なものだ。

 

「わ、私も手伝うわ!」

「まあ、お嬢様。ありがとうございます。お嬢様が花嫁修行だなんてシャロン感激ですわ」

「だ、誰が花嫁修業よ!?」

 

 その後十分程、私とアリサは二人でシャロンさんのお手伝いをすることになるのだが――慣れないお片づけに何度も食器を落としたアリサは少なからず落ち込んだ様で椅子に座って大人しくなるのであった。

 

 

 ・・・

 

 

「そんな事になっていたなんてね……」

「ご、ごめん、今まで話してなくて……」

 

 事情をアリサに説明した後、彼女は少し不機嫌さを取り戻していた。

 まあ、その理由は何となく分かるし、今の今までこの件の話をしていなかった私も悪いのだが。

 ただ最初から彼女に相談することだけは無かったとは、言い切れる。

 

「あれはわたくしがトリスタに来た次の日、とても清々しい良い朝でしたわ。皆様をお見送りした後に少しお買い物へと出かけていた所、エレナ様とフィー様が質屋を襲って――」

「襲って?」

「ち、違う!」

 

 アリサのジト目が私とフィーに向けられ、私は首を左右に振る。

 少し離れた場所の椅子に座るフィーはつまらなそうに欠伸をした。ちなみに、どうやら彼女には私より先にシャロンさんから話があり、この場に呼ばれていたようだ。まあ、フィーはあの場のやり取りを知っている四人の内の一人であって、私の銃の先生なのだから当然だろう。

 

「アリサお嬢様のご学友が貧しさから強盗を働いてしまう悲しい出来事を、このシャロンめは見過ごす事は出来ず――」

「違いますっ!」

 

 確かに一歩間違えれば、そんな風に見えたのかもしれない。

 だが、明らかに楽しんでいるシャロンさんに、少し怒りながら必死に否定した。

 

「――ふふ、失礼いたしましたわ。先日、エレナ様がライフルをお探しというお話を伺ったのですが、丁度タイミング良く会長と連絡の取れましたのでお伝えしただけですわ」

「母さまに!?」

「ええ。私が士官学院に来た事をお嬢様がとてもお喜びになっていたとお伝えいたしました」

「シャ、シャロン! あなたねぇ……!」

 

 私は自分からアリサに遊ばれる標的が移った事を感じた。

 頬を紅潮させて肩を震わせるアリサを無視してシャロンさんは私の方へと顔を向ける。

 

「会長からエレナ様への言伝を預かっておりますわ」

「え……アリサのお母さんから……?」

「ええ、”不肖の娘と仲良くしてやってくれて感謝するわ”――との事ですわ」

 

 ラインフォルトグループの会長に感謝されるなんて、本当に身に余る光栄なのだが……うーん、なんなんだろうか、この少しアリサに対して刺があるように思える一言は。

 

「アリサ、不肖の娘なの?」

 

 と、アリサに聞くのはフィー。

 

「……ふ、ふん……どうでもいいわ。そんなの。で、私には?」

「はい?」

 

 はて、何でしょう、とでもいうような素振りで首を傾げるシャロンさん。

 

「はい? じゃないわよ。私には何て? 母さまは」

「えっと、お嬢様には特に何も仰っておられませんでしたが……」

「そ、そう……。べ、別に母さまからなんて期待してないわよ? ふ、ふんっだ!」

 

 今日のアリサさんの不機嫌は当分治りそうにもなかった。

 

 

 ・・・

 

 

「これが……」

「へぇ」

 

 少し小さめのライフルケースの中にその姿を収めていたのは、一見するとライフルらしくない見た目の物であった。しかし、ちゃんとその先端には銃口は確認できる。

 先日、質屋で手にとった帝国製と共和国製のライフルと比べれば大分全長は短く、形状も直線的かつ細長くいかにも軍用銃といったスタイルも、ずんぐりな流線型というのか曲線的な特徴あるデザインだ。

 そして、材質も明らかに違う。

 

「ちょっとシャロン! 私、こんな銃見たことないわよ!」

 

 シャロンさんがラインフォルト者から手配した銃に一番驚いたのは私やフィーではなく、アリサだったのだろう。

 声を荒げるアリサがそれを一番物語っていた。

 

「あら……でもプロジェクト名だけでしたらお嬢様もお聞きになったこともあるかと――先進戦術歩兵火器計画、通称《ATAR》というものです」

「……ないわね」

 

 思案顔がすぐに諦めの表情を作るアリサ、そんな彼女にシャロンは嬉々とした表情だ。

 

「あら、それでは僭越ながらこのシャロンがご説明させて頂きますわ」

「ぱちぱち」

「四年前、それまでエプスタイン財団の独占状態であった戦術導力器のライセンス製造が解禁された事はご存知かと思われます。これを受けてラインフォルト社第四開発部では次世代個人戦術導力器開発計画が始動し、この計画はその後――」

「《ARCUS》計画、という訳ね。そこの事情は知っているわ」

 

 やっぱりアリサは《ARCUS》の事を知っていたのか。あの特別オリエンテーリングで一人驚いていたわけだ。

 

「ふふ、では続けますね。第四開発部では《ARCUS》計画に付属する計画の一つとして、《ARCUS》を既存の個人火器、つまり銃器と統合化した次世代の個人火器の開発を目指しました。これが先程の《ATAR》計画となります」

 

 ARCUSと統合? 銃にARCUSを付けるの?

 難しい言葉がスラスラ流れ軽く混乱しそうになる。

 

「戦闘中の兵士がオーブメントの導力魔法を使う利点は大きく三つあります。攻撃、治癒、そして一時的な補助。これらの効果は戦場でも有効的であり、大陸中の軍隊において個人火器と導力魔法は一般的な戦術として用いられていると言っても過言ではないでしょう」

 

 今度はサラ教官の実践技術の授業でのお話みたいだ。

 

「コンセプトは”基本的な導力魔法を素早く駆動させることの出来る銃器”といったところでしょうか。そして《ARCUS》の搭載ということは……」

「戦術リンク機能と通信機能も内包するって訳だね。うん、面白いかも」

「導力魔法を銃器単体で高速駆動可能になれば戦術と作戦行動の柔軟性も確保でき、戦術リンク機能と合わせれば敵と同数であれば完全に圧倒することが出来る。そんな”Fields Dominance(戦場支配)”を目指したのが《ATAR》計画ですわ」

「とんでもないわね……」

「な、なるほど……」

 

 元猟兵であるフィーから見て『面白い』、アリサから見て『とんでもない』と言わせる武器。そう考えただけで、私は少し身震いしてしまう。

 

「でもこの銃、オーブメントがついていそうにはないけど」

 

 フィーの言葉通り、私の目の前にあるこの軍用ライフルは形状こそ特徴的だが、シャロンさんが説明してくれた計画の《ARCUS》と思われる部分は見当たらない。ケースから取り出していないので反対側という可能性もあるが。

 

「確かにそうね……」

「皆様がお持ちの《ARCUS》は帝国独自の第五世代戦術オーブメントとして試験導入段階まで漕ぎ着けることに成功した製品ですが――残念ながら《ATAR》計画で組み込まれる筈だった小型化された《ARCUS》の開発は難航し、現在では計画は凍結中となっています」

「なるほど……通りで私が知らない訳だわ」

「現状ではこれ以上の小型化は技術的問題が多く、戦場で要求される耐久力を満たすことが出来ないというのが大きな理由ですわ。その他にも、本流である《ARCUS》計画に試験導入決定という大きな進展があったので、予算と人的資源を集中させたいという会長の決定もあったのですが」

「母さまの……」

 

 最終的にはアリサのお母さんの決定で中止になったということだ。それにしても凄い計画もあったものだ。ラインフォルト社の様な企業は常に未来を見ているということなのだろう。

 

「まあ、そんな事情もありまして、第二製作所が開発した新型ライフルの試作品が余ってしまっているのですわ」

「このライフル単独では軍への納入に漕ぎ着けれなかったってこと?」

「正規軍は国防省の予算の割り振りの関係上、未だに旧式ライフルの置き換えが思うように進んでいませんから。第二製作所としては今は正規軍全部隊への現制式ライフル《G2》の配備推進が先決であって、次世代ライフルを軍に提案するのは時期早々という事ですわ」

 

 そういえばこの話、ミヒュトさんのお店でも聞いた気がする。機甲部隊と飛行船へ予算が多く使われているのだっけか。確かに戦車は帝国軍の花型だからなぁ。

 

「いかがでしょう。正真正銘、ラインフォルト社最新のアサルトライフルですわ」

「計画自体は胡散臭い事この上ないけど、第二製作所なら悪い仕事はしないから一応は安心かしら」

 

(最新式のライフル……かぁ……)

 

「あ、あの、この子の名前って何なんですか?」

「……この子?」

「あ、この銃の」

「ラインフォルト社の内部での形式名は《RF-XM1200》。”Fields Dominance”を目指したATAR計画の成れの果て……でしょうか」

「えっと……番号じゃなくて……、ほら《スティンガー》とか、《ニードラー》とか、《ファントム》とか言うじゃないですか?」

 

 三つともラインフォルト社のラインナップでも特に有名な導力銃ブランドの名前だ。

 《スティンガー》は元は帝国正規軍で制式採用されていた少し大型の軍用拳銃だが、後にⅡやⅢといった改良モデルが軍用以外にも民間市場でも発売され軍民共に人気なラインフォルトの傑作銃として名高い。今では拳銃以外の他の銃器にも《スティンガー》の名が使われる程だ。そして、私が使っている銃でもある。

 《ニードラー》は民間用途の銃のブランドで、護身用の拳銃以外にも猟銃や競技銃など多彩なラインナップを誇っているので有名であり、《ファントム》はラインフォルト社が売り出し中の最新のブランドで静音性重視の設計がなされているらしい。

 

「試作品だからないんじゃない?」

「私は知らないわよ?」

「……存じておりませんわね。銃自体は第二製作所の領分なのでなんとも……」

「そうですか……」

 

 私の相棒でもある《スティンガー》と違って、この子はとても不運な生まれだと感じた。

 《スティンガー》は今では絶対的な名前と信頼を物にしている、謂わば導力銃の世界では帝国製拳銃のヒーローの様な輝く存在。それに対して目の前の特徴的な形状のライフル《XM1200》は、ARCUSという革新的な新機能を搭載する野心的な自動小銃を目指して開発されたものの、色々な事情から日の目を見ることのなくなり、形式名以外の名前が存在しない可哀想な存在だ。

 

「触らないの?」

 

 と、フィーは不思議そうに私に問いかけてきた。

 銃器に対する感想としては少し場違いかもしれない事を考えていた私が、触りたくて迷っている風に見えたのかもしれない。

 

「えっと、いいんですか?」

「はい。勿論ですわ。是非、そのお手に取ってみてくださいませ」

 

 ケースから特徴的な形状のライフル銃を両手で取ってみる。

 

(――軽い……?)

 

 そして、金属特有の冷たいひんやり感が無い。どうやらこの銃の素材は金属ではなく合成樹脂の様だ。

 

「導力ユニットの有効化をすれば何時でも使用できる状態となりますわ。威力調節のレバーを動かしてくださいませ」

 

 シャロンさんの指示通りに小さなレバーを動かすと、何かが変わった気がした。これがオーブメントに導力エネルギーが宿る瞬間なのだろうか。

 

「どう?」

 

 フィーが上目遣いで聞いてくる。アリサも何も口にはしないが、興味津々といった様子だ。

 

「いい感じ、かも」

 

 全ての準備が整い、私は腕の中にある銃を食堂の奥の調理場へ向けて構えた。

 

「ミヒュトさんの所で持ったのより軽いし……短いのがいいのかな、取り回しやすいかも」

 

 次に違う場所、暗い外の映る窓を目掛けて構えてみる。

 

「なんかしっくりくる感じで、この間のと違うというか……」

「人間工学に基づいたデザインの効果ですわね」

「それで変なデザインなんだ」

 

 人間工学という言葉が何かは私には想像がつかないが、この特徴的な形状が扱い易さの理由だということはわかった。

 

「ちょっと私にも、持たせて」

 

 色々な場所に銃口を向けて遊んでいると、フィーも気になったのだろう、私は銃の先生に新しい愛銃を手渡す。

 ミヒュトさんの質屋で構えたものと比べれば確かに軽いが、それでも拳銃と比べればかなりの重量感だ。

 

 私から銃を受け取ったフィーは私と同じ様に構える。そして、銃本体と一体化しているスコープを覗いた。

 

「……このスコープ、まさか距離計?」

「ええ、精密射撃用にターゲットまでの距離とそれに合わせた射角を指示する導力式照準器を搭載しておりますわ」

「これは凄いね」

 

 スコープを覗きながら構えるフィーが感心したように呟き、「見てみて」と、私に手渡す。

 私がスコープを覗くと、緑色の十字の背景に先程まで見ていた食堂の光景が1.5倍程拡大されている。その狭い視界の上の端に小さな数字が表示されていた、その数字は銃口を左右に動かすとそれに合わせて変化する。

 

「8.5A……これって、調理場の壁まで8.5アージュってことだよね?」

「うん」

 

 突如としてフィーが現れ、私はぎょっとしてスコープから目を離して銃口を下に降ろす。

 

「そのまま、私に狙いをつけて」

 

 調理場にポツンと立つフィー。

 

「いいの?」

 

 銃を扱うとき、真っ先に叩き込まれるのは『自分と人に銃口を向けるな』である。味方に銃口はいかなる場合であっても向けてはならない。

 

「実弾が入ってないのは確認済み」

「う、うん、わかった」

 

 スコープの中で拡大されたフィーを囲むように緑色の枠と、その枠の中心に向いて視界の下に左に逸れた破線が表示される。

 その破線を十字の照準の垂直の線に合わせるように銃口を右に小さく調節する様に動かすと、破線は直線へと変わり、それまで緑色だったフィーを囲む枠と共に赤色へと変わった。

 

「あっ、枠と線が赤色に変わった」

「うん、このコースなら確実に命中するね」

 

 意味は直感的に分かったが、最新の銃にはこんなものまで取り付けられているとは驚きだ。

 

「ちょっとシャロン! この銃、射撃管制装置が付いてるの!?」

「ええ、《ATAR》計画に恥じない素晴らしい機能ですわ」

「そうじゃなくて! こんな最新の技術ばかりを使って、一体そのプロジェクトは一丁幾らの銃を作ろうとしてたのよ!? ついでに、これに小型化した《ARCUS》を取っ付けようとしてたのよねぇ!?」

 

 アリサがシャロンさんに噛み付く。確かにこの銃での実弾での射撃は未だだが、取り回しやすくあんな凄い機能まで付いている。アリサの言うとおり一丁辺りの値段は私も気になる所だ。

 

「何分試作品ですし、この銃自体はあくまで《ARCUS》計画の付属計画の為に第二製作所に開発を依頼した”部品”ですので、本来の完成品が一丁あたり幾らになるかは存じておりませんわ。ただ――」

「ただ……?」

「――《ARCUS》未装着でも、現状は大衆向け導力車位の価値はあるかと」

 

 満面の微笑みを浮かべるシャロンさんだが、言っている事はとんでも無い。

 

「導力車ってことは……す、すうじゅう……まん……!?」

 

 十数万ではない、数十である。大衆向けといっても高価な導力車を個人的に所有できる人は未だ限られており、一番安い車両であっても70万ミラを下らないような価格だ。つまり、私の腕の中にあるこの子は70万ミラ程度のお値段のする銃――!?

 

 70万ミラとはどの位の価値か。簡単に言うと、実家の酒屋の年間利益の実に半分以上に値する。

 

「ひゅー」

「そ、そんな武器、わ、私使えない……!」

 

 呑気なフィーの口笛と反対に、私はとても狼狽えた。一丁70万ミラの銃なんて恐れ多くも手が震えてしまう。

 

「あらあら、エレナ様。皆様が日々お使いになられている《ARCUS》も本来の市販想定価格は20万ミラを超える、れっきとしたラインフォルト社の製品ですわ」

「うぇ!?」

 

 《ARCUS》のしまってある制服のポケットに視線がいく、これ、20万ミラ――。

 

「まあ、戦術オーブメントは安くないよね。今年発売されたばっかりのエプスタインの《ENIGMA》が十万ミラ以上するから何となく値段は想像はついてたけど」

「今更だけど《ARCUS》ってそんな価格なのね……」

「ふふ、それにエマ様やエリオット様がテスターになってくださってる魔導杖ですと――それこそ一つ100万ミラを超える最先端の導力器になりますわ」

 

 あの魔導杖、安物とは思ってはいなかったが、それ程迄に高価な代物だったなんて。

 

「……これ、二人には言わない方がいいね……」

「それがいいわね……」

「ん」

 

 三人の意見が一致する。本当の事を話してしまえば、カタカタ震えて魔導杖が持てなくなってしまいそうな二人が脳裏に過る。

 

「まあ、魔導杖もそうだけど……試作品っていうのはどんな物でも高くなるものよ。ちゃんと軍みたいな大きな顧客から大量発注を貰って、初めてメーカーも量産体制を整えてもっと安い値段でも採算が採れる様になるの。その結果、やっと単価を下げれるのよ。特に武器は開発費が物凄く掛かるから、その銃みたいに曰くつきな試作品は相当高く付くわけ」

「な、なるほど……」

 

 アリサが分かりやすく教えてくれる。流石はラインフォルトのお嬢様だ。

 

「それに――銃としてもルーレ市の工廠の端で眠っているよりかは、エレナが使っててくれた方がいいでしょ。作った人もきっとそれを望んでるわ」

「そ、そんなものかなぁ……」

「ふふ、流石はアリサお嬢様ですわ。設計や開発に携わった社員の方々の事を思ってのお言葉――このシャロン、感激いたしましたわ……!」

「こ、こらっ……!」

 

 泣き真似がいつもに増してわざとらしいシャロンさん。今日は本当に遊び過ぎなんじゃないかと思うけど、アリサとの掛け合いは不思議な事に見ていて飽きない。

 

 そんな漫才地味た時間が一段落した後、私はシャロンさんからこの銃を使う条件を伝えられた。

 

「えっと、それだけでいいんですか?」

 

 その条件を聞いた私は、素直にそう思って聞き返すも、シャロンさんは笑顔で頷くだけ。

 エマやエリオット君の魔導杖の様に実戦使用でのレポートを月一回提出すれば良いだけ。但し、サラ教官に提出する二人とは違って私は直接シャロンさんに渡して欲しいとの事だった。

 

 そして、彼女の口から放たれた次の一言はもっと衝撃的なものであった。

 

「そのレポートの提出の前払い報酬として、銃はエレナ様に差し上げます」

「え――いやいやいや!」

 

 いつまでレポートを提出すればいいのか等も決まっていないのにも関わらず『前払い報酬』というのはどう考えてもおかしい。だが、彼女は私の耳元で小さく囁いた。

 

「これはラインフォルト社の”試験”であり、”投資”なのです。そう会長も望んでおられますわ」

 

 結局、その言葉に私は屈してしまう。本当に、シャロンさんは凄い。

 そう思う一方、甘えてしまったという思いも捨てきれなかった。

 

 

 ・・・

 

 

 翌日、私とフィーは少し遅くの時間までギムナジウム地下の射撃場に篭って、新しい愛銃の試射を行っていた。

 命中精度も威力も何もかもが拳銃と一線を画するラインフォルトの最新のアサルトライフルに、私だけではなくフィーも少なからずはしゃいでしまったのもあるが――まあ、そこはご愛嬌。こうして夕食にはちゃんと間に合う様に寮に戻っているだけ上等だろう。

 

 フィーはつまみ食い目当てか、一直線に食堂へと直行していってしまったが、私はそうはいかない。とりあえずは郵便ポストを確認する為に、重いライフルケースを床に置く。ライフル自体はそこまで重くない筈なのに、持ち運ぶのにケースに入れるとかさ張り異様に重く感じるのだ。かといってライフルをそのまま手に持って外に出たりすれば、下手しなくても帝都憲兵のお仕事を無駄に増やす事になってしまうので我慢するしか無いのだが。

 ほぼ無償の頂き物に対して贅沢すぎる不満を感じながらポストの扉を開けると、中には一通の白い便箋が入っていた。

 

「あっ……」

 

(手紙……! ……なんだ……おばあちゃんか……)

 

 パルム市の郵便の消印があったことに期待を膨らますも、”祖母より”と書かれた封筒の裏の文字に期待が一気に萎む。

 お祖母ちゃんには申し訳ないが、期待していた分はやはりがっかりしてしまう。

 

 

「はぁーっ」

 

 やっと部屋に辿り着いて荷物を下ろすと、気が抜けたのか途端に大きな溜息が漏れた。一気に疲れが襲って来たような気もする。

 

 ベットに腰掛け、制服の上着を脱いで身軽なTシャツ姿になってから、先程ポストから取った手紙を手にする。

 

 今回もまた『字は綺麗に書きなさい』とか文面には書いてあるのだろうか、それとも夏至祭の準備で忙しい事を書いているのだろうか、未だ見ぬ便箋の文面を思い浮かべながら封筒をペーパーナイフで開封してゆく。

 そして、封筒の中の便箋を取り出して私は読み始めた。

 

「お祖母ちゃんは手紙だとほんとに他人行儀なところがあるんだから――」

 

 いつも通りの事に少し笑いが漏れてしまう。しかし、その次の行に目を走らせた私は――

 

「――え……嘘……?」




こんばんは、rairaです。

さて、今回は主人公エレナの強化フラグの三回目にして…遂にやっと形となったお話でした。
ええ、シャロえもんが”ラインフォルトポケット”から凄い物を取ってきてくれましたね。
武器自体は凄いのでしょうけど、扱う人がエレナなのが少し残念な所でしょうか。

同時に今回で40話を迎え、この物語の第一部がこのお話で終了となります。そこで、現時点で設定をどこまで明らかにしているか等の私的な整理も兼ねて、オリジナルキャラクターの設定やその他の独自設定をまとめてみました。もし宜しければご覧頂ければと思います。(少し恥ずかしいですが、絵チャっぽい挿絵もあったりします。。)
この話の次話がまとめとなります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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【第3章 6月24日時点】キャラクター設定・独自設定まとめ

※第1部終了時点の内容です。第1部:1話~40話(3月30日~6月24日)


【第3章 6月24日現在】キャラクター設定・独自設定まとめ

 

 

★[オリジナルキャラクター紹介]

 

エレナ・アゼリアーノ Elena Azeliano

{IMG3264}

39話で登場した帝国のパスポート。(固有名詞のスペルミス有)

 

【年齢】16歳 七耀歴1188年生まれ(4話)

【性別】女

【職業】トールズ士官学院 生徒 特科クラス1年Ⅶ組(3話)

【身分】平民(サザーラント州 ハイアームズ侯爵領民) (1話)

【出身地】エレボニア帝国 サザーラント州 ハイアームズ侯爵領 リフージョ村(18話)

【出生地】大陸北西部の自治州(現・エレボニア帝国 北西準州) (39話)

【身長】160リジュ代前半(33話:ご感想欄にて)

【体重】X2kg(30話)

【家族構成】父、母(既に他界)、祖母

【使用武器】ラインフォルト社製 導力式自動拳銃《スティンガー》(5話)

      ラインフォルト社製 導力式軍用アサルトライフル《RF-XM1200》(40話)

【好きなもの】フレールお兄ちゃん、Ⅶ組のみんな、食べること、お菓子、リモナータ(レモネード)、お金

【苦手なもの】勉強、貴族の人、厳しい教官、激しい運動、コーヒー

【名前の由来】姓:リベール近海のアゼリア湾(38話:ご感想欄にて)

【概要】

「光の軌跡・閃の軌跡」の「光」部分の主人公。帝国の片田舎から出てきた特別な能力も血筋もない普通の少女。

【性格】

基本はヘタレ系で受け身姿勢の臆病者性質。少し卑屈な所も。

人見知りしがちではあるものの、打ち解ければ余り遠慮がなく調子に乗りやすい。

思っている事はすぐ顔に出てしまうが、あまり素直ではない。何事もやる前から考えこんでしまい、結局何も出来ないタイプ。

 

{IMG3263}

訓練風景(固有名詞のスペルミス有)

【戦闘能力】

物理攻撃力(STR)、魔法攻撃力(ATS)は平均的と射程以外に秀でた物はないが、攻撃面はそれほど悪い訳ではない。

攻撃以外のステータスは相当貧弱。体力(HP)、防御力(DEF、ADF)の低さから、アタッカーであっても前衛は難しく、一歩下がった安全な場所から長い射程を活かして導力銃かアーツで攻撃する遠距離攻撃役である。

耐久性より問題であるのが、スピード(SPD)、敏捷(AGL)、移動力(MOV)の著しい欠如。何らかの補助が無ければとにかく遅い。

導力ライフル装備時の射程はⅦ組一の射程を誇る。物理攻撃力も見違えた様に向上し、器用さ(DEX)も改善するが…ただでさえ遅い上にライフルの重量が負担になるのか、更に遅くなる。

本人的には集中力を維持しなくてはならないアーツ攻撃には苦手意識があり、出来れば好き好んでは使いたい訳ではない。本来は自分や他の皆への補助アーツ等も手掛けた方が良い立ち位置の役割ではあるものの、自分に合った戦い方をまだ知らない為か”攻撃=戦闘に役に立つ”という考え。

 

【攻撃属性】

・導力拳銃装備時

斬:- 射:A 突:A 剛:-

・導力ライフル装備時

斬:- 射:A 突:A 剛:D

 

【ステータス】

・導力拳銃装備時

HP E STR C ATS C SPD E DEX B AGL E

EP C DEF E ADF D MOV 4 RNG 5

・導力ライフル装備時

HP E STR A ATS C SPD F DEX A AGL E

EP C DEF E ADF D MOV 3 RNG -

 

(S:特に秀でている A:優秀 B:平均以上 C:平均的 D:平均以下 E:劣っている F:特に劣っている )

 

【オーブメント:ARCUS】

Line:4ー4 固定属性枠 水:2 幻:1(6話:ご感想欄にて)

マスタークオーツ:ジャグラー(Lv3) (6話:ご感想欄にて)

 

Line1:Slot1:[-][空]命中1(31話)

      Slot2:[-][火]ファイアボルト(14話)

      Slot3:[幻][-]未開封

      Slot4:[-][-]未開封

Line2:Slot5:[水][水]ティア(21話)

      Slot6:[-][水]フロストエッジ(25話)

      Slot7:[-][-]未開封

      Slot8:[水][-]未開封

 

アーツ一覧:[地]-

      [水]ティア(回復)、フロストエッジ(攻撃)

      [火]ファイアボルト(攻撃)

      [風]-

      [時]-

      [空]-

      [幻]クレセントミラー(補助)、ルミナスレイ(攻撃)、シルバーソーン(攻撃)

 

使用アーツ一覧:ルミナスレイ(6話)、ティア(21話)、フロストエッジ(25話、30話)

 

 

【クラフト】

初期  スナイプショット 単体 CP50 50%クリティカル 命中100%(6話)

未習得 早撃ち(仮)(クイックドロウ) 範囲:小 CP20(31話)

 

 

【リンクレベル】

リィン:3Lv

アリサ:3Lv

ラウラ:2Lv

エリオット:3Lv

マキアス:2Lv

ユーシス:2Lv

エマ:2Lv

フィー:3Lv

ガイウス:2Lv

 

【リンクアビリティ】

Lv1:リンクアタック

Lv2:止めの一撃

Lv3:反撃

Lv4:-

Lv5:-

 

【絆イベント?】

第一章 エマ、フィー、サラ:朝ご飯

    エリオット:甘いチョコレート

    リィン:Ⅶ組の仲間

    マキアス:珈琲の苦味は

第二章 リィン:お手伝い

    クロウ:エロ本先輩

    リィン:疑惑の追跡

第三章 エレナ:醒めて欲しくない夢

    フィー:銃の訓練 

    アリサ:風邪ひきアリサ

    ユーシス:ノーブルクッキング

    リィン:絶世の美女の名前を追って

    リィン、アリサ、アンゼリカ:《キルシェ》の時間

    リィン、アリサ:アーベントタイム

    ガイウス:夕日の屋上

 

【特別実習】

第一章 A ★リィン アリサ ラウラ エリオット エレナ

    B  エマ フィー マキアス ユーシス ガイウス

第二章 A ★リィン エマ フィー マキアス ユーシス エレナ

    B  アリサ ラウラ エリオット ガイウス

第三章 A  リィン アリサ エマ ガイウス ユーシス

    B ★ラウラ エリオット フィー マキアス エレナ

 

【Ⅶ組教室での席順】

             黒  板

             [サラ]

窓                               廊 

 [エレナ] [フィー] [エマ] [マキアス] [エリオット]

側[ラウラ] [アリサ] [リィン] [ガイウス] [ユーシス]下

 

 

・・・

 

フレール・ボースン

 

【年齢】21歳 七耀歴1183年生まれ(18話)

【性別】男

【職業】サザーラント州領邦軍 伍長(28話)

【出身地】エレボニア帝国 サザーラント州 ハイアームズ侯爵領 リフージョ村(18話)

【身長】結構高いよ byエレナ(-)

【体重】結構重いよ byエレナ(-)

【家族構成】父 母 兄

【エレナとの関係】幼馴染、兄貴分、好きな人

【概要】

リフージョの村唯一の総合商店《ボースン商会》の次男。

3年前に村から出て、サザーラント州領邦軍へ入隊した。現在の階級は伍長。パルム市の領邦軍駐屯地に配属されている。

子供の少ない村で育ったエレナにとっては兄同然の存在でもあり、同時に10年以上絶賛片想い中の想い人。

村にいた頃はとんでもないやんちゃ坊主であった。

 

かなり適当でいい加減な性格ではあるものの、実は頭の回転は相当早い。ここらへんの共通点からか、エレナ曰く、クロウ先輩に似ている。

 

髪は少し長めの金髪、瞳は青色。

 

・・・

 

お父さん

【概要】

エレナの父親。帝国正規軍に勤める軍人。士官学校は出ていない。《百日戦役》での従軍経験を持つ。

サザーラント州リフージョ出身。

 

・・・

 

お母さん

【概要】

エレナの母親。リベール出身。十年以上前に他界。

 

・・・

 

お祖母ちゃん

【概要】

エレナの祖母。リフージョの村唯一の酒屋《アゼリアーノ酒店》の店主。

村のお偉いさんに名を連ねるお祖母様。少々口うるさいしっかり者。

 

・・・

 

★[独自設定:地名]

 

リフージョ

区分:地名 初出:18話

概要:

帝国南部サザーラント州ハイアームズ侯爵領の辺境部の村。帝国の南部国境近くの海岸沿いに位置し、クローネ連峰の山々を隔てた向こう側がリベール王国となる。

但し、帝国で最もリベールに近い街という訳ではなく、直線距離で最も近いのは近隣の地方都市であるパルム市。

 

急峻な斜面のアゼリア海の海岸沿いにへばり付く様に築かれた煉瓦造りの建物の集まる村であり、集落内はとても険しい坂と階段が多い。集落の周りはレモンやオリーブ、アゼリアの木を育てる畑となっている。

人口数百人程の小さな村で基本的には住民皆顔見知り。若年層の都市部への流出によって子供が少ない状態が続いている為、日曜学校に通う子供は数人しかいない。

パルム市から導力車で山道を3時間ほど、近隣に自然災害で全滅したとされるハーメル村があった。

 

主産業は漁業と農業。但し、自給できる程ではない。

 

北西準州

区分:地名 初出:39話

概要:

帝国西部ラマール州の北側に位置する帝国政府直轄領の一つ。別名、ノースウエスタンテリトリー。

元は一つの小国と四つの自治州の領域であったが、数年前の併合条約によって帝国政府直轄の準州として帝国に編入された。

南側はラマール州と、西側はジュライ特区と面している。

 

★[独自設定:武器]

 

★[独自設定:文化]

 

 

 




【第3章 40話 6月23日現在】 2014年5月8日 作成
2014年5月14日 一部訂正:オーブメント
2014年5月20日 一部訂正:オーブメント


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6月25日 時計の針に伝う涙

 気付けば私は寮を飛び出して、トリスタの駅を目指して夜道を走っていた。

 街灯と建物から漏れる明かりは滲み、夜の街に沢山の光の粒が浮かぶ。

 

 列車が線路を走り去る音と共に駅舎から出てくる人々の流れに逆らって、なりふり構わず駅舎の中に飛び込む。チケットカウンターの中に顔見知りの駅員さんのマチルダさんを見つけた私は、必死に頭を下げていた。

 困り果てた顔の彼女は私の手を引いて、駅の事務室の奥へと連れてゆく。

 そして、机の上に置かれた据置型の導力通信機を指差した。

 

 ――番号はわかる? ――州を跨ぐと交換所に繋がるけど何ていうかわかる?――

 

 黒色の受話器を手に取り、生徒手帳に番号の記された頁を開く。

 受話器からの呼び出し音が止まり、交換手の女性の呼び出し先の場所と番号を尋ねる声。

 

 手帳に記された6桁の番号の数字が滲んでいる。溢れ出た大粒の水滴が落ち、髪を濡らしインクを溶かす。

 嗚咽が漏れる、涙が止まらない。

 

 ――もしもし? どうされました?――

 

 気が付けば受話器から手を放し、冷たい床に座り込んでいた。

 後ろからは私を心配する交換手の声。

 

 

 わざわざ通信して、今更私は何て言えばいいの?

 

 

 ・・・

 

 

 目の前には少し不機嫌そうな顔をしている金髪の少年。

 丁度、日曜学校に通い始める位の歳だろうか。

 

「……お前、名前なんつーんだよ」

「ふれーる?」

 

 私の口から出たと思われる声はびっくりする程幼かった。え、この子……フレールお兄ちゃん……?

 私の大好きな空色の瞳、少し濃い目の金色の髪――確かに、同じだ。

 

「ばっか。それ、俺の名前だよ」

「エレナ。この子はエレナっていうの。よろしくね、フレールくん」

 

 綺麗な透き通った声、心地の良くて懐かしい、暖かくて優しい声。

 

(あ、お母さん……)

 

「あ……はい……」

 

 目の前の少年は優しい声の主を見上げて少し顔を赤らめていた。

 ああ、そっか――思い出した。

 

「エレナだよー」

 

 再び幼い私が口を開いた時、辺りはリフージョの村の中央広場、丁度彼の実家の前へと変わった。

 これは初めてあの村に来た時の思い出。

 

 

 辺りの風景が再び変わり――日は落ち、私と彼は赤煉瓦の屋根の上に居た。

 先程よりかなり成長した彼が目の前にいた。髪は伸び、男らしい顔付きになり、いつの間にか背も凄い伸びている。歳は丁度、今の私と同じ位だろうか。

 私はこの場所と、この状況に覚えがあった。

 

「ねえ、フレールお兄ちゃん……私ね……大好きだよ」

 

 まだ少し幼い私の声は、彼に自分の想いを告げていた。

 違う。こんなことは言っていない筈、なのに――。

 

「――――」

 

 彼の口が紡いだ言葉と共に、私の周りの世界が色を失う。

 

「――嫌だっ! 嫌だっ!」

 

 必死に私は駄々をこねる子供のように彼の身体にしがみついていた。

 

「私を一人にしないでよ……! ――ずっと一緒にいてくれるっていったじゃない!」

 

 彼の手が私の頭を優しく撫でる。

 

 しかし、私が安心したのは束の間。

 目の前の彼は、踵を返して私の前から離れてゆく。

 

 気付けば私はパルム市中心部のメインストリートで膝を付いてしゃがみこんでいた。辺りは駅に向かう沢山の人でごった返している。

 いつの間にか大人になり領邦軍の軍服を着ている彼の背中は、人だかりの中へと消えてゆきどんどん小さくなってゆく。そんな中、私は彼と寄り添う知らない女の人の姿を見た。

 

 その人は私よりも綺麗で、私よりもスタイルが良くて、私よりも知的そうで、私よりも大人で――。

 

 彼女はこちらを振り返るが、丁度黒い霧が掛かって顔は分からない。しかし、彼女が私を見ていること位はわかる。

 そして、彼女のリップグロスで強調された艶のある唇が小さく動いた。

 

 ――ごめんなさいね――

 

 いやだ、いやだ! あんたなんかに、大切な、大好きな人を取られたくない!

 

 人混みの中を必死に掻き分けて私は二人を追う――しかし、まるで何かに飲み込まれるように私は暗闇の中へ一人堕ちていった。

 

 

「――レナ……エ……レナ……」

 

 誰かが私の名前を呼んでいる。何かを強く叩く音まで。

 

「――ちょっと! いつまで寝てるのよ? もう本当にやばいわよ!?」

 

 ああ、アリサだ。そうだ、ここは村でもパルム市でもない……帝都近郊にある士官学院の寮だ。

 

「エーレーナ! 起きなさい! 遅刻するわよ!」

 

 彼女が相当大きな声を出していることは、布団の中に頭まで埋めている私にもちゃんと声が聴こえる事から良く分かる。

 

 ベッドから出ようとは思えないが、いくら疲れていてもアリサをずっと無視する訳にはいかない。

 仮に私がこのまま狸寝入りを続けていたら、普通の人ならば自分を優先して先に学院へと向かうだろう。だが、彼女は無類のお人好しである。もしかしたらこのまま私を呼び続けて遅刻してしまうかも知れない。

 

 遅くまで寝れなかったからだろうか……薄い下着しか身に付けてない筈の身体は、まるで鋼鉄のコートを着ているかの様に重く、あまり言う事を聞いてくれない。部屋の扉までのたった数アージュの距離で何度もフラついて転びそうになりながらも、私はドアに背中を預けて、扉越しに居るであろうアリサを思い浮かべる。

 

「……ごめん、アリサ……私、今日、授業休む。サラ教官に伝えといて……」

 

 思ってた以上に枯れ果てた喉は痛く、声は酷く掠れて低い。

 これでは、逆に彼女が心配してしまうのではないかと不安に思っていると、案の定、心配そうな彼女の声が返ってきた。

 

「ちょっと、どうしたのよ? 体調悪いの?」

「……」

「ねえ、黙ってちゃ分からないじゃない」

 

 なんて言えばいいのか、分からない。回らない頭には何の候補も浮かばないのだ。

 

「アリサ、エレナが起きないのか?」

 

 ――リィンの声、少し遠い。

 

「えっと……私から誘ったのにゴメンなさい……やっぱり今日は先に行ってて貰えないかしら?」

 

 彼の声が聞こえた時に心に生まれた黒い物は、アリサの言葉の意味を理解した次の瞬間、凄まじい勢いで膨らんだ。

 次に私の口から出た声と言葉は、自分でも驚くほどの悪意を帯びていた。

 

「……アリサ、遅刻するよ」

「ねえ、体調悪いならベアト――」

「……さっさとリィンと一緒に学院に行きなよ」

 

 最低だ、私は。リィンという想い人がいるアリサに、嫉妬している。

 その続きは、言ってはいけないと分かっていた。でも、例え思っていても、口に出してしまった。

 

「……早く行ってよ! 早く寝かせて! もう正直、迷惑! 一人にしてよ!」

 

 私を気遣ってくれる大切な友達に、私はとんでもなく酷い言葉を吐いていた。

 身近な場所に想い人が居て、幸せそうに一歩一歩進もうとしている彼女の姿が妬ましくて。彼女が持っているものとその気持ちを、もう自分が失ってしまったものだということが、とても悔しくて。

 こんなの八つ当たりもいいところではないか。

 

「――わかった」

 

 少しの間を開けて扉の向こうのアリサはそう呟いた。少し諦めたような、そんな響き。

 いやだ、私を見捨てないで。見限らないで。謝るから――お願いだから――。

 

「――帰って来たら――いえ、あなたの気が向いたらで良いわ。話、いつでも聞くから」

「――!」

「……約束、よ?」

 

 優しくまるで子供をあやすような声に、黒ずみ澱んだ心の中が洗われていく。

 ついさっき酷いことをした自分等忘れて、扉の向こうの優しさに飛び込んで甘えたくなりそうになる。

 

「……うぅ……うん……ぅぅ……」

 

 

 彼女の前では泣きたくない。今泣いたら、彼女はきっと私がドアを開けるまでこの場から動いてくれない。だって、あんなに酷い事を吐いた私をまだ優しく包み込んでくれるようなアリサなのだ。

 

 だから私はこれ以上扉の前に居る事から逃げ、再びベッドに潜り込んだ。

 今はその優しさが、輝いているアリサが――見るだけでも想像するだけでも、私には辛い。そして、甘えたくなってしまう。

 それに私は昨晩、強くなると決めた。もう泣く訳にはいかない。

 

 

 ・・・

 

 

 ベッドに身を預け、横目にカーテンの閉じられた窓を眺める。

 あまり馴染みのないカーテンの隙間から漏れる光の眩しさで、いつもであれば学院で授業を受けている時間であることを把握できた。

 

 昨晩、お祖母ちゃんからの手紙の追伸に書いてあった一行は、私にとっての天地をひっくり返すのに十分だった。

 私は認めたくはなかった。これを言葉にしたら、私が言葉にしたら、本当の事として認めることになる様な気がして。

 

 

 私にとっての彼は、私がリフージョというあの暖かな村に来て以来、ずっと一緒に時を刻んできた大切な人だった。

 

 初めて会った時の事ですら断片的に覚えている。軍服姿のお父さんに驚いていた彼。そして、私に名前を教えてくれた彼。

 小さい頃の記憶はどんどん忘れていってしまうけれど、あの日の記憶だけはまだ覚えていた。

 

 傭兵達が酒場で立て篭もったあの事件の時に私は3歳だった。あの時も彼は震える私の手を握ってずっと一緒に居てくれた。私と彼の背丈の差は30リジュ物差しよりあった。

 

 それから数年経って私が日曜学校に通い始めた時も、彼が目の前の教会まで手を引っ張って連れて行ってくれた。

 私が7歳、彼が12歳。

 遊びたい盛りで悪戯三昧だった彼も、殆ど毎日5歳も下の少し生意気な”妹”の面倒を見なければならなかった。今考えると本当によく頑張っていたのだろう。

 大人達に混じって遊びまわる彼は大人だった。私も早く大人になりたかった。なんでも出来て、なんでも知っている彼が大好きで、ずっとずっと一緒にいた。彼との差は30リジュ。

 

 それから数年後、丁度胸が少し膨らんで痛み始めた頃。私は毎日毎日一緒に居る彼がウザく感じるようになった。

 いつも遊ぶ人もいつの間にか彼ではなく、日曜学校で一緒だった女の子数人で集まっていた。夕方になれば、そんな女子同士で遊んでいる中に彼が私を呼びに来るのだから度々喧嘩にもなった。

 彼は周りの女の子に人気があったのが、私を更に苛立たせた。きゃっきゃっと騒ぐそんな女の子達の機嫌を取る様に、面白い事をする彼はほんっとに嫌いだった。私には何もしてくれなかったのに。

 

 何時からか私は一人前の大人になった気がしていた。店番は一人で任されるようにもなっていたし、日曜学校も中等クラス、村の若い奥さんや年上のお姉さんとよくお話ししたりもした。今思えばマセた子供だと思われていたに違いない。

 

「大好き」って言えなくなったのはこの頃からだと思う。素直になることは出来なくなり、彼の前ではどうしても可愛くない子になってしまった。

 彼の前だとどうしても恥ずかしくって、思ってもない事を言ってしまうようになった。『いつも不貞腐れてる』と彼にはよく言われていた。

 でも、嫌いだと思っていても今思えば毎日ずっと彼の事を考えていた。

 

 ある日、私は遊び仲間の年上の人に彼との関係を尋ねられた。私は”腐れ縁”と言い放ったが、彼女は彼の事が好きだった。何度も何度も念入りに尋ねる彼女に負けた気分になりたくなくて私は強がったが、内心での焦燥感は凄まじいもので――その日、初めて私は自分の気持ちを自覚する事となった。忘れもしない、誕生日までもうすぐの11歳の夏の終わり。

 

 結局、彼はその彼女の気持ちを受け入れなかった。『好きな人が居る』――そう言われたんだとか。

 そう目の前で涙を流す彼女を見て、同情する一方で、安堵に浸った自分の事を嫌な女だと痛い程感じた。

 その足で彼に彼女の告白を断った理由を聞きに行った――理由を知っているのにもかかわらず、出来れば私の名前を彼の口から直接聞きたくて。

 

 彼は少し照れくさそうに『大切な人がいる』と言ってくれたけど、肝心な事は何も言ってくれなかった。そんな煮え切らない彼に私は自分から責め立てた。

 仕方なくといった様子の彼は『大人になったらな』と、一言。ほっぺたへのキスと共に。

 

 嬉しかったし、満たされたけど、心の中の罪悪感は拭えず、彼の言葉に甘んじて”幼馴染”という関係から一歩前へ歩む事は出来なかった。

 でもその言葉に、納得がいかなかったのは今でも昨日の事のように覚えている。

『もう大きくなったのだから』という理由で、お祖母ちゃんは店番を押し付けてくる、彼は『少しはしっかりしろ』と言う。それなのに肝心な所ではいつまでも”子供”扱い。

 彼との差は25リジュ。

 

 あれから5年が経った。私はあの時の彼と同じ16歳になり、帝国法での婚姻可能年齢に達した。日曜学校を早く卒業した子や専門的な学校へ進む子であればもう職に就いている子も居るだろう。

 だからといって私が大人になったかと言われれば微妙だし、今で尚子供扱いされる。勿論、最後に彼に会った時も最後の最後まで子供扱いだった。

 

 いつまで経っても、女としては見てくれなかった。彼との差は15リジュまで狭まっていたのに。

 

 彼は領邦軍の兵隊として村を出て以来、私は寂しさを抱える事となった。そして、3か月前の最後に会ったあの日――どうして私は最後の最後まで何も言わなかったのだろう。

 私にはまだそんな関係は早い? 恋人より幼馴染の方が良かった? 彼の妹分という立場に甘えていたかった?

 そんな事はない筈だ。いつだって、私は大人になりたかったし、恋人に憧れた。妹分なんて嫌だった。

 

 頭の中で色々な出来事がぐるぐると回る。ずっと分かっていた。結局、私から一歩進む勇気が無かっただけだ。

 

 あの5年前の夏の日――涙を流す彼女の顔が浮かぶのだ。あの日、私の汚い部分は安堵した。大好きな人を独占出来た少なくない勝利感すらあった。最初に彼女からあの話を打ち明けられて以来不安に苛まれていたのが嘘のように消え去った。

 

 だが、それ以降彼の前で私自身が想いを告白しようとすると、必ずと言って良い程涙を流す彼女の顔が脳裏を過ぎる。

 だから、彼に想いを告げれなかった。怖いのだ。彼女のように、自分がなるのが。

 

 私の小さな世界の中で彼の存在は一際大きかっただけに、失うのが恐ろしかった。

 だから結局、危ない橋を渡る事のなく続けられる幼馴染にという特別な関係の維持に全力を注いでしまった。

 もっと先に進みたかったし、もっと愛して欲しかった。もっとずっと一緒に居たかった、もっと同じ時を過ごしていたかった。

 そんな彼と心の中でずっと一緒だった人生も、昨日で終わってしまった。彼は私じゃない誰か他の女の人を選んでしまったのだから。

 

 あの時に、あの日に戻りたい。10年前とは言わない、5年前じゃなくてもいい、せめて3か月前のあの日でいいから――でも、時計の針を戻すことは出来ない。

 また不意に涙が溢れてきそうになる。哀しい、そして、悔しい。

 

 必死に唇を噛み締めて我慢していた時、突然のノックに思考が止まる。

 

「エレナ様――」

 

 シャロンさんに名前を呼ばれた私は、ベッドのタオルケットを顔まで引き上げて目を瞑った。

 

「――あら……まだお休みだったのでしょうか……? 失礼いたしましたわ」

 

 とても小さな足音に耳を澄ませて彼女が階段を降りていったことを確認すると、思わず大きな溜息が漏れる。

 しかし、一人の時間はそう長くは続かなかった。

 

「入るわよ、サボり娘」

 

 そんな声と、解錠される音と共に扉が勢い良く開く。

 

「……っ!? さ、サラ教官……!?」

 

 ベッドの上で私は飛びのき、二言目にはこの突然の侵入者を批難していた。

 

「……なんで勝手に入ってくるんですか!?」

「入るわよ、って言ったわよ? ……あちゃー、案の定、酷い顔してるわね」

 

 そりゃあ、酷いだろうと思う。昨日はお風呂も入らなかったし、そのまま一晩中ベッドで泣いていたのだから。

 

「……酷い……って、ゆうか!なんで入ってこれるんですか……!?」

「そりゃあ、管理人さんに合鍵出させたからに決まってるじゃない。あれでも問題児には協力的なのよ」

 

 盲点だった。シャロンさんは寮の部屋全部の鍵を持っているのだ。

 

「……サラ教官、授業は大丈夫なんですか?」

「午前中はどのクラスも授業が無くてねー」

「……うぅ……風邪、移しますよ。体調悪いんです……」

「悪いお姉さんから貰ったライフルで遊び疲れかしら?」

「……そんなところです」

 

 ”悪いお姉さん”が強調された含みのある言い方だ。サラ教官とシャロンさんはリィンによると前々から知り合いのようで、顔を合わせる度に尖った雰囲気を醸し出している。もっとも、主にサラ教官の方が、だが。

 

「ふーん」

 

 関心なさ気に彼女は私の部屋の中を見渡す。脱ぎ散らかした昨日の服や下着が目につき、ちゃんと綺麗にしておけば良かったと少し後悔していた時、サラ教官の視線がある一点に注がれているのに気付いた。

 

「その手紙が原因ってところ?」

「……!」

 

 昨晩びしょびしょに濡らした枕の傍に、無造作に置かれた封筒と便箋。

 手紙の追伸の内容を思い出し、目頭が再び熱くなるのを感じる。

 

「大体、私の目は騙せないわよ」

 

 風邪かどうかぐらい見ただけで分かるわ、とサラ教官は続け、右手に持つ茶色のビール瓶を私の机に置いた。

 そして、彼女はそのまま私のベッドに腰掛け――

 

「ほら……良い男じゃなくて悪いけど……泣きたいだけ、泣いちゃいなさい」

 

 ――そっと優しく、私をその腕の中に抱いた。

 

 もう、私は止まれなかった。

 昨晩は周りに聞こえないように声を殺して泣いた。しかし、もう何も我慢出来なかった。

 

 気付けば目の前のサラ教官の背中に腕を回して、大声を上げていた。

 

「……私……私……泣きたくなんて、無かったのに……もう、泣かないって……、強くなるって、決めたのに……!」

「……泣かないから強い訳じゃないのよ。泣いた後にその人がどう立ち上がれるか……強さっていうのは、そういうものだと私は思うわ」

「いやだよぉ……いやだよぉ……」

 

 大声で泣き叫びながら、私は心の片隅にずっと座り込んでいたある感情に気付いていた。ずっとずっと、認めたくなかった、ある気持ちに。

 

 

 ・・・

 

 

 どれだけの時間、サラ教官の腕の中で泣き喚いたのだろう。気付けば、まるでお風呂に浮かんで居るような、全てを洗い流された跡の透明感に満たされた気持ち。

 そんな少し吹っ切れた気分を邪魔したのは、サラ教官の口から漂うアルコールの臭いだった。

 

「……サラ教官……ビール臭いです……」

 

 サラ教官の背中はフレールお兄ちゃんより遥かに小さかった。あんなに強くて立派で、普段はズボラだけど、いざという時は頼れるお姉さんといった感じのサラ教官でも女の人なんだと再確認してしまう。

 

「……このぉ、散々人の服濡らしておきながら言うわね……」

 

 そう言いながら、ベッドを立つサラ教官。少し、名残惜しかった。

 彼女はそのまま、私の机に置いていたビール瓶を一気にらっぱ飲みしはじめる。

 

「どしたの?」

 

 そんな姿をずっと見ていると、 不可解そうな面持ちをするサラ教官。彼女の大きな胸の辺りの濡れ跡に、私は少し恥ずかしくなる。

 

「あなたも飲む? 今日一日ぐらい特別に許してあげるわよ?」

 

 多分、大人はこういう時にお酒を飲んで忘れるのだろう。そう考えるととても興味のあるお誘いではあったのだが、私はそれを断った。

 だって忘れたくないから。

 

「少しはマシになったかしら?」

「はい……昨日から泣いてばっかりで……もう涙枯れちゃいそうですけど」

 それは結構。……みんな心配してたわよ。アリサなんか気が気でないっていう感じだったし」

 

 朝、彼女に吐いてしまった酷い言葉が浮かぶ。本当に、私は最低だった。

 

「心当たり、あるようね」

「……はい……」

 

 私にサラ教官は何も言わなかった。

 でも、私には教官の無言の意味を知っていた。Ⅶ組では、そういう個人間の問題は当人同士で解決するのに任されているのだ。だからサラ教官は何も言わない。教官の目は「自分が正しいと思うことをしなさい」とだけ語っていた。

 

「大丈夫なようだったら晩ご飯は下に降りて、みんなに顔見せなさいよ?心配してるのはアリサだけじゃないわ」

 

 やはり、アリサ以外のⅦ組のみんなにも私は大分心配をかけてしまっていた。

 

「そんな暗い顔しないの。大事な仲間なんだから、心配するのは当たり前でしょう?まあ――あのユーシスが異様にそわそわしてたり、こっちとしては逆に良い物は見させて貰ったって感じだけどねぇ」

 

 異様にそわそわするユーシスを想像して、思わず笑いがこみ上げてしまう。

 

「ユーシスが……ふふっ……あっ……」

「笑ったわね」

「ち……違います」

 

 私を元気づける為に、わざわざ学院から寮に来てくれたサラ教官に感謝した。

 そして、やっと私は気付いた――私の小さな世界はいつの間にか大きく広がっていたことに。

 

 

 ・・・

 

 

「ふふ、サラ様。お疲れ様でした」

 

 エレナの部屋から出てきたサラを迎えたのは微笑を浮かべたシャロンだった。

 

「コソコソ盗み聞きとは、ラインフォルト家のメイドは不作法なのね。この際、いい機会だから私が躾直してあげましょうか?」

「まあ、サラ様怖い。そんなにこのシャロンを縛り封じ、雁字搦めに……あの手この手で辱め――」

「……それはあんたの専門でしょうが」

 

 呆れたように肩を窄めながら、シャロンの横を通り過ぎて階段を降りるサラ。

 そんな彼女の背中を追うようにシャロンは静かに後を付いて歩く。

 

「なんで付いて来るのよ」

「いえ、わたくしも一階に戻る途中でしたので」

「あっそ」

 

 シャロンの全く信用出来ない理由を、サラは興味なさげに一言で片付ける。

 

「ふふ……ですが今日は、サラ様が来てくれて助かりましたわ」

 

 二階の踊り場に差し掛かった時、珍しくシャロンが感謝の意を口にした。

 

「……あんなので良かったかどうかは、私には分からないけどね」

「私もサラ様と同じですので、失意のエレナ様にどう声をかけたら良いか……不覚にも戸惑ってしまいましたわ」

「アンタみたいな暗い人生送ってきた人間と一緒にして欲しくは無いわねぇ」

「まあ、お酷いですわ」

 

 そう言いながらも、彼女が微笑みを崩すことはない。

 

「ま……分からなくもないけどね……。確かに、あの子達を見てると少し羨ましいわ」

 

 その後、まだお昼まで少し時間はあったが、シャロンはサラに軽食を作ると申し出た。

 ビールのつまみにいいのでは、と。

 

 

【おまけ】

 

「サラ様。一つだけご訂正したいことが」

「何よ?」

「わたくしにも素敵な男性の一人や二人はおりましたわ」

「……う、嘘でしょ!?」




こんばんは、rairaです。

さて、今回は主人公エレナの失恋のお話でした。悪い時には悪い事が重なるものです。
これまで彼女とフレールの間には不穏なフラグをこれでもかというぐらい入れてきましたから、気付いておられた方も多いとは思います。

この二人の関係がこのような形を迎えることは既に第二章の「【番外編】3月30日」で確定していました。フレールにはあの時点でもう婚約が決まりそうだったんです。
あの話で、想いを伝えられなかったエレナに彼が安堵したのはそういう事情です。

同時に今回、エレナの人間らしさがある意味で爆発してしまっています。今まで想いを伝えれなかった理由の一つも勿論ですが、冒頭のアリサとのやり取りもそうですね。失恋時に見る幸せそうなカップル程、心を乱すものはありません。苦笑

遂にエレナにとって最も大きい存在が、そして最大の足枷が失われました。
次回から三章の特別実習のブリオニア編となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月26日 いつか来た道

 鏡の中に映るのは、いつも通りの自分。

 昨夜はちゃんとよく寝付けて、昨日の朝ほど酷い状態ではなかったのだけは安心できる要素だ。

 

 結構長い間髪を切っていなかった為、いつの間にか髪は大分伸びており少し野暮ったい印象を受ける。特別実習前に美容院は行きたかったけど、色々あっていつの間にか出発日だ。

 

 よく恋愛小説では失恋した後、髪をがっつり切ってショートにしてしまう様なシーンがあるが、私には正直そんな気は更々無い。でもなんだろう、何か変えたいという気持は良くわかるのだ。何となくだが、今まで通りではいけない気がしたのだ。私は変わらなくてはならない――そんな気がする。

 

 心の中を変えるには外見からと言うではないか。

 

 ふと、髪ゴムを手首に通して後ろ髪を結んでみる。

 

 うん、少しいいかも。

 

 少し鬱陶しかった髪が少しスッキリした様な気がする。あまり普段髪を結ばない故に慣れていないのが難点だが、アリサやエマに綺麗に結ぶ方法を教えてもらうのもありかも知れない。

 

(でもこれじゃ、元気ある活発な子みたい。)

 

 鏡の中の自分が苦笑いを浮かべる。やはり少し私らしくない気がする。

 

「あ、そうだ」

 

 リュックから帽子を取り出して深めに被り、結んだ髪を後ろ側から出してみる。

 浅く被ればまるで男子のような感じになるかも知れないが、深く被れば結構落ち着いた雰囲気の子にも見えなくはない。

 

 うん、いい感じかも知れない。

 

 お父さんから昔貰った帝国正規軍の帽子。軍服や戦闘服の帽子という訳ではなくて、どちらかと言うとグッズ的な帽子だ。

 その帽子の側面には、これまたお父さんが休暇中の観光のお土産で買ってきた、猫のキャラクターの少し大きめの缶バッジが付いていた。昔の私が付けたのだろうか。

 

(この子、かわいいかも?)

 

 何のキャラクターかは全く分からないが、少し愛らしい気もする。

 

「よしっ……」

 

 着替えや色々な荷物の入るボストンバッグと武器の入ったライフルケースを手に持ち、椅子を立つ。

 

 今日から気の重い特別実習。

 ラウラとフィーは相変わらずギスギスしており、リィンの様に皆を纏めれる人もいないのだ。そして場所も帝国西部の最果て――私には色々と複雑な思いだ。

 しかし、色々な事を考えても仕方無い。なるようになるしか無いのだ。

 

 小棚の上に置かれた栓の開けられた故郷のレモンシロップ瓶と伏せられた写真立てが目に付く。

 少しの間だけ考えないようにしよう――サラ教官にあやされた後、そう思って私と彼の家族で撮った写真をそっと伏せたのだが、瓶も隠しておくべきだったかもしれない。

 

(……そんなことしても忘れれる訳、無いのにね。)

 

 忘れたいと思う私。そして、忘れたくないと思う私。

 矛盾している。

 

 そんな部屋を一瞥して、私は扉を閉じた。

 

 

 ・・・

 

 

 一階に降りた私が目にしたのは、凛とした姿勢で独り佇むラウラだった。

 彼女は階段を降りる私に気づくと、張りのある声で挨拶をして来る。

 

「お、おはよう……」

 

 ラウラの挨拶への返事は心なしか弱々しくなる。自分からは声が掛け辛かったというのは内緒だ。

 

「エレナ、体調は大丈夫か?」

「うん、もう大丈夫。ありがとう」

 

 昨日授業を休んだ私を気遣ってくれるラウラに感謝して、周りを見渡す。

 誰かを待っているのだろうか、昨日の打ち合わせでは各自用意を済ませて駅で合流する事に決まっていた。

 

「……ええっと、ラウラはどうしたの?」

「ああ、私はエレナを待っていた」

「私を?」

「病み上がりでは荷物を持つのも疲れるだろう。少しは力になりたくてな」

 

 そう言うとラウラは手を差し出して、私のボストンバッグを受け取ろうとする。

 

「帽子を被っているのは珍しいな。うん、似合っているぞ」

「あ、ありがとう……」

 

 少し複雑な気分だ。可愛い帽子ならともかく、お父さんの帽子で似合っていると言われるのは。

 

「――あ、その猫は……」

「……おはよ、エレナ」

 

 ラウラが何か言いかけた所で、偶然だろうが遮るようにしてフィーが一階に降りてきた。

 

「あ、おはよう」

 

 フィーの視線とラウラの視線が私を挟んでぶつかり合う。心なしか気圧が高まった様な気もしなくもなく――緊張感が満ちる。

 

「ね、エレナ。用意は済んでる?」

「いや……まだだけど……」

「0.5リジュ弾を用意しないとアレは使えないよ。私も色々用意するから行こうか」

「ええっと、じゃあ、ラウラも――」

「――私は遠慮しておこう。先に駅で待っている」

 

 ラウラは、そう言い残すと足早にそのまま寮から出て行ってしまう。

 

 彼女が出て行ってしまった理由はどう考えてもフィーの事なのだろう。しかし、仮に彼女が私の誘いに乗ってくれたとしても、今度はフィーが私の隣に居てくれるかどうかは分からない。

 

 正直、難しい。

 

 溜息と共に寮の外に出ると目に飛び込んできたのは、向かいの家夫婦の毎日相変わらず熱々な様子――私は目を逸らす。

 ここに来た時から学生には目の毒だと思ってきたことだが、正直、今となってはあまり見ていたくはない光景だ。

 

 彼らを避けるように、そそくさと遠回りしながら質屋をフィーと共に目指すのだった、

 

 

 ・・・

 

 

 トリスタの駅舎に入るのに少し躊躇ったのは、二つの理由がある。

 一つはラウラ。私の隣には一緒に質屋に買い出しをしたフィーがいるのだが、彼女達の間柄は良くない。

 そして、私自身もここトリスタ駅を訪れたくない理由がある。忘れもしない、いや、出来れば忘れてしまいたい一昨日の夜、私は導力通信機を貸してくれと駅の事務員のマチルダさんに必死に頼み込んだのだ。

 しかし、その途中で涙が止まらくなり結局泣き崩れてしまった私は、自らの酷い姿を何人もの利用客や駅員に晒すこととなった。いま思えばとんでもなく恥ずかしい。

 

「あ――」

 

 マチルダさんと目が合う。

 何も言わずに彼女は柔らかい微笑みを掛けてくれた。

 

「どしたの?」

「ううん、なんでもない」

 

 一昨日はごめんなさい。心の中で彼女に謝り、少しお辞儀して、私は待合所のベンチに腰掛けるラウラの元に向かう。

 いくら隣にいるフィーと彼女が対立していたとしても、私がラウラを無視するわけにはいかない。

 

「ラウラ、お荷物運んでくれてありがとう。助かったよ」

「いや、これくらいはお安い御用だ」

 

 首を横に振るラウラ。

 彼女となにか話そうと私は話題を探すが、中々見つからない。それもその筈、ラウラとは最近殆ど話していないのだ。ええっと――……。

 私が話題探しに頭を抱えていると、マキアスとエリオット君が慌ただしく駅舎の中へと入ってきた。

 

「あ、もうみんな集まってるんだね」

「すまない……遅くなってしまった」

 

 二人は私達を見ると、少し申し訳無さそうにしている。

 

「まだ早いぐらいだよ。リィン達は商店街でまだ準備してるみたいだし」

 

 私とフィーが駅舎向かう途中、駅前の公園でリィン達が黒猫と遊んでいるのを見ていた。

 

「だが、まさか待たせてしまうとは……とりあえず、切符を買うとするか」

 

 隣のフィーが「そういえば――」と何かに気付いたか、思い出したかの様に口を開いた。

 

「エレナ、イメチェン?」

「あ、やっぱり? 髪結んでるの珍しいよね」

 

 フィーの言葉に合わせて、エリオット君に珍しいと言われる。

 

「ま、まぁ……そういう訳ではないんだけど……単に長くなって鬱陶しくなってきちゃったから」

 

 実際は、多分そういう訳なんだろうとは思うんだけど――と心の中で零す。

 

「ほら、海行くでしょ? 帽子はしといた方がいいかなって。一応、サングラスもある」

「ん。用意いいね」

「うわぁ、僕持ってないや。大丈夫かな?」

 

「まぁ、エリオットは少しぐらい日焼けした方が男らしいのではないか?」

「あはは……確かにそうだよね……」

 

 苦笑いを浮かべるエリオット君。男子も男子で色々とコンプレックスというのがあるのだろう、と思う。まあ、エリオット君に至っては女の子より可愛いだなんて言われているらしいから無理もないだろう。

 アンゼリカ先輩が「あれで女の子だったらもう私が我慢できるかどうか……」と零していた時は、鳥肌が経ったぐらいだ。

 

「私はエリオットはそのままでいいと思う」

「え、そう?」

 

 ラウラとは反対の意見を口にするフィーに、エリオット君の表情がパァっと良くなる。

 エリオット君、騙されちゃダメだよ。きっとフィーはラウラの意見に賛同したくないだけだから。

 

「ふむ……だが、帝国男子としてはもう少し――」

 

 そんな子供っぽい対立は、私達が乗る予定の帝都行き列車の来る十分程前――リィン達A班の面々が駅に姿を表すまで続いた。

 私とマキアスはエリオット君を憐れみながら直接話題に入ることなく苦笑いを続けていたのだが、中立とは本来は力ある者と大して価値の無い者のみに認められた悲しき特権である。程なく、ラウラに意見を求められたマキアスはフィーから辛辣なダメ出し三連撃を受けて戦線を離脱することとなった。

 

「あ、リィン達!」

 

 ラウラとフィーの対立のダシとして良いように使われて、リィン達を見たエリオット君は直ぐ様私達の元を離れた。

 きっと彼も女子の怖さが見に染みたのだろう。まあ、こんなものでは無いとは思うが。

 

「そっちも出発か」

 

 少し力ない声のマキアスは、未だ先程の精神的ショックを引き摺っているのかも知れない。

 

「ああ、そうだが……」

「えっと……」

 

 リィンとアリサがベンチに座る私達に視線を走らせる。

 

「……なに?」

「早く切符を買わなくてはいいのか?」

 

 心配されている通り、上手くいってはないです。

 

 

 ・・・

 

 

 近郊都市トリスタから帝都ヘイムダルは、列車で約三十分程、距離にして約400セルジュ。

 距離にすると導力鉄道の偉大さに今更ながら驚く。400セルジュを歩きでなんて言われたら丸一日掛かる距離だ。それをものの三十分足らずで駆け抜けてしまう導力鉄道はやはり偉大な発明だと思う。

 

 帝都ヘイムダル中央駅――帝国の鉄道網の中心であり、十もの路線が集まる一大ターミナル。私が帝都を訪れるのは入学式の時以来三回目だったが、この帝都駅の巨大さにはいつ見ても慣れない。

 そんな事を私が考えていると、ガイウスもユーシスに同じ様な事を話しており少し親近感が沸いた。やっぱり、みんなそうだよね。

 

 それぞれ別の路線に乗り込む為、リィン達A班と私達B班はここでお別れとなる。今月の特別実習は四日間、実習先に3泊するのは今までで最長となるスケジュールだ。

 

「その……エレナ、大丈夫か?」

 

 乗換のために皆で階段を昇りきった所で、いつの間にか隣にいたリィンに声を掛けられた。

 

「え、何が?」

「いや、昨日授業休んでただろう? 夕食の時も静かだったし、……その、まだ本調子じゃないだろうと思ってさ」

 

 多分、リィンにはバレている様な気がするが、あえては言わない。ちなみに昨日の欠席は、サラ教官の温情によって一応体調不良ということになっていたりする。

 

「……はは、大丈夫大丈夫。酒屋の娘を甘く見ないで」

 

 目の前の彼は一言、「そうか」と呟く。そんな彼に、私は逆に攻撃してみた。

 

「リィンこそ、今度の特別実習は無理しちゃダメだよ?」

 

 ほんの一瞬、目を丸くして驚くリィンは少し間抜け面だ。

 

「はは……アリサにも今朝同じ事言われたよ。『今回は私がいるから――』」

「ちょ、ちょっと!」

 

 リィンの影からいきなり出てきたアリサが、彼の言葉を慌てて遮り、周りから笑いが溢れた。

 

「あはは、僕達も心配だね」

 

 そんなエリオット君の言葉に同意するラウラとフィー。その後、互いに少し気不味そうにしている。

 

「またバリアハートの時の様な事になってしまったら大変だからな……」

「フン……まあ、俺達もいる。ちゃんと手綱は持っておこう」

「俺は馬扱いなのか……」

 

 ユーシスとそれに微笑を浮かべて頷くガイウスに項垂れるリィン。

 うん、これが日頃の行いが悪かったという奴なのだろう。

 

 お互い無事に再会できるようにという約束をして暫しの別れを惜しみながらも、それぞれ別の階段へと向かう。

 私も他のB班の面々の後を追うようにラマール本線のホームへの階段へ向かっていると、後ろからアリサの声に呼び止められた。

 

 彼女は私の両肩を持つと、静かに小声で言い聞かせるように言った。なんか、まるでアリサがお姉さんみたいだ。

 

「……エレナ、本当に……無理しないでね? 帰って来たら……」

「わかってる。わかってる」

 

 きっと昨日の事を言っているのだ。酷い事を言ってしまった事についてはアリサに昨晩謝っていたが、私の中でも未だ整理がついていないことを理由に何があったかまでは未だ話していない。

 だから、必要以上に彼女を心配させてしまう結果になっているのだろうと思う。

 

「アリサこそ……リィンと二人っきりだからって――」

 

 そこで私は言葉に詰まった。正確には、それを想像するのを躊躇われた。

 

「そ、そんなこと……しないわよ!」

 

 頬を染めて否定するアリサに私は内心ほっとする。彼女がリィンとそういう事をしない、という信じ難い言葉に安堵した訳ではない。彼女が声を上げてくれなければ、私は言葉に詰まったまま、二人共気不味い思いをしていただろうからだ。

 

 うん、期待してるよ。羨ましいけど、私は応援してる。

 

「おみやげ話、期待してるね?」

 

 未だアリサ達は眩しすぎるけど、四日で心の整理ぐらいは出来る筈。なんといっても私達B班の実習地は帝国西部の最果ての島。傷心旅行にはおあつらえ向きではないか。

 

 

 ・・・

 

 

「ラマール本線か……この路線には初めて乗るな」

 

 乗り込んだ青紫色の列車が走りだし、外の風景が帝都の緋色の街並みから田園地帯へと移り変わった頃、外を眺めていたマキアスがそう呟いた。

 

「僕も無いなぁ。……えっと……エレナはどう?」

 

 私の右隣に座るエリオット君がラウラとフィーに視線を走らせた後に、何か萎縮したように私に話を振る。帝都行きの列車の中で、例の二人に海の話題を振って失敗してしまったからだろうか……それともトリスタ駅での一件か。

 

「私は……初めてじゃないんだよね」

「へぇ、いいなぁ。西部に旅行とか?」

 

 まあ、普通に考えたらそうなるだろう。少し本当の事を皆に言うか躊躇うが、私は別に生まれた場所に負い目を持っている訳ではない。

 パトリック様には”外地生まれ”と言われたが、そっちには別にそれ程ショックを受けているわけではないし、その後の一件によってここ数日は彼に言われた事なんて完全に忘れてしまっていた位だ。

 

「ううん、えっと……私ね。生まれは北西準州なの。生まれてから数年はそっちに住んでたんだ」

「ノースウェスタンテリトリーか……確かラマール州の北側に位置する編入地だったな」

 

 流石、マキアスは博識だ。

 

「うん。だからこの列車って……私にとっては昔来た道だったりするの。まあ殆ど覚えてないんだけどね」

「ふーん。エレナ、北西生まれだったんだ」

 

 少し親近感かも――と続けるフィー。

 

「え? フィーもなの?」

「そういう訳じゃないけど」

 

 だったらどういう訳なのだろうか、皆は勿論私も首を傾げざるを得ない。時々、彼女はよく分からないを言う気がする。

 

「そういえば、オルディスには夕方に着く予定であったか?」

「ああ、帝都からオルディスまで8時間――丁度午後3時半に着く。そこからブリオニア島までは4時間程度の船旅だな」

「うわぁ……着くのはもう夜中だね」

 

 移動に丸一日、まるで私が初めてトリスタに来た時の様だ。リフージョの村からトリスタまで所要時間は12時間弱といった所だ。

 今日私達がトリスタを出たのは朝7時で到着予定は夜の8時頃なので、リフージョの村より遠い辺境ということだろうか。

 

 

 ・・・

 

 

 《紺碧の海都》オルディス。

 この大都市は帝国西部ラマール州の州都であり、帝国最大の港湾都市――同時に人口四十万人を数え帝都に次ぐ規模を誇る帝国第二の大都市でもある。

 

 中間試験の勉強の際にユーシスに教わったことだが、帝国史でのオルディス市は非常に重要な都市だ。

 中世までは交易において海路はとても重要であり、その当時のオルディス市は海上交易路の窓口として栄華を極め、帝都を差し置いて帝国の商業の中心地として君臨していた。

 時は流れ、導力革命によって物流の主役が鉄道と移った事によって次第に海運による貿易は低迷し、それに伴ってオルディス市の発展は停滞することとなるが、それでも未だ地方領邦四州の州都としては一つ頭抜けた存在であり、帝国で最も経済的で裕福な都市の一つであった。

 

 そしてオルディス市の地位は、ラマール州を治める《西の公爵》カイエン公爵家と無関係ではない。

 かつては海上貿易において皇帝陛下の勅許状を有し、それを元にした香辛料等の重要品目の独占貿易を手がけて巨大な財力を蓄えた成り立ちもあることから、カイエン家はラマール州の多くの有力企業を資本傘下に収めてる財閥でもある。数ある帝国貴族の中で最も巨額の資産を有しているカイエン公爵家の統治するラマール州が、四大名門統治下の四州で最も経済的に発展しているている事は偶然ではないだろう。

 

「同じ貴族領邦の州都でもバリアハートとはまた一風違うな……」

 

 マキアスが呟いた通り、同じ四大名門の本拠地の都市であってもバリアハート市とオルディス市は大きく違った。

 

 建築様式と配色が統一され、貴族の街としての優雅さが街の景観に溢れ出ていた《翡翠の公都》バリアハート市。それに対して、《紺碧の海都》オルディス市は建物にその様な統一性は見られない。しかし、このオルディス中央駅から望む駅前広場に面した建物はどれも高くて大きく、それぞれ過剰にも思えるぐらいの装飾が施された豪華な外観を誇っていた。

 

 広場を行き交う人々や導力車も非常に多く、オルディス市は素人目で見ても活気があるという雰囲気を纏う。こういう所はどちらかと言うと、バリアハート市より帝都に似ているかもしれない。

 

「流石は帝国第二の大都市といった所だな」

 

 周りを見渡すラウラの髪が風になびく。どうやら海も近いようだ。

 

「ここ、島になってる?」

 

 駅前広場を見渡したフィーが首を傾げながら呟く。確かに、左右前方全ての方向に橋が見えた。

 

「多分、それは運河だろう。確かオルディスは空から見ると、市内に張り巡らされた運河が蜘蛛の巣の様に見えると聞く」

「なるほど」

 

 マキアスの解説に納得したかのようにフィーは頷いた。

 

「待ち合わせはここで良いのだったな?」

「ああ、丁度もうそろそろ待ち合わせ時間……ん?――」

 

 その時、駅前広場が一瞬にして暗くなった。

 

「――な、なんだ……!?」

「えええっ……?」

 

 辺りを慌てて見渡すマキアスとエリオット君。特徴的な音と共に大きな影を落とした正体は頭上にあった。

 

「あれは……」

「……飛行船、でも、大きい」

 

 その正体に真っ先に気付いたのはフィーとラウラ。彼女達も驚きを隠し切れない。

 

「ルシタニア号……!」

 

 私は思わずその巨大な飛行船の名を口にしていた。

 フレールお兄ちゃんが大好きだった飛行船の雑誌で何度も見た事のあるこのシルエットは、間違いなく世界初の豪華飛行客船の《ルシタニア号》。

 それにしても本物を見る機会が来るとは――こうして《ルシタニア号》を見上げると、全長150アージュを誇る巨体が空中に浮いている事自体が奇跡に思えてくる。

 

「あれが……」

「うわぁ……ホントにビックリしたぁ」

「帝都の空港は城壁の外だからな……こんなに近くで見るのは初めてだ」

 

 オルディス市街のビル群の中を突き進む《ルシタニア号》の後ろ姿にみんな目を釘付けにする。《ルシタニア号》の定期航路の帝都に住んでいた二人でさえも、こんな間近で見るのは初めての様子だった。

 

「いつ見ても凄いよねぇ。アレは」

 

 そう私達の後ろから声を掛けたのは、背の高いオジサン――というにはまだ早いような、かといって青年というには年のとった微妙な歳の男。

 まあ、多分。オジサンが近い。

 

「やぁ、初めまして。トールズ士官学院、1年Ⅶ組の諸君」

 

 黒色の皮のジャケットを身に付けた男は人懐っこそうな笑顔を浮かべた。




こんばんは、rairaです。

前回の失恋のお話の翌日、もう特別実習となります。
23日実技テスト、24日・25日失恋、26日特別実習初日――本当に忙しいですね。
さて、今回は6月26日第三章の特別実習初日となります。
ラウラとフィーの対立に、気落ちしたエレナ、萎縮するエリオット、そしてフィーにコテンパンにされる副委員長等――中々、前途不安な面々ですが実習自体は特に問題なく進む予定です。

そして、原作未登場の《紺碧の海都》オルディスを描写してみました。どんな街かという情景も想像がつかないので、これまた現実の都市を参考にしていたりします。

なお、今回のお話ではオリジナルキャラクターの案内人が登場します。…適任者を原作キャラクターで探しまわったのですが、西部出身者という時点で最早殆ど居なかったり。私のオリジナルも前途多難ですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月26日 西果ての島

 建物の密集する市街地の中を流れる運河をゆっくり進んでいた私達の乗る小さな船、少し強くなった波の揺れと共に辺りの視界が開けてゆく。

 船の進行方向の両舷には小高い丘と山、海岸には船尾方向からオルディス市と連続した街並みが続く、ここはまだ外洋ではなく港の玄関でもある湾なのだ。

 

 オルディス湾といえば夏至祭では湾を埋め尽くすほどの灯籠が流されるという話を、この間リィンの部屋で一緒に聴いたラジオの人が話していた気がする。一週間早くここを訪れていればあのお姉さん曰く、幻想的な美しい光景が見れたのかもしれない。

 

 波に揺られる船旅はいつぶりだろうか。ここ数年ではなくてもっと子供の時に――ああ、また思い出してしまった。

 何か昔の記憶を思い出そうとする度に、私は自分の中で彼がとても大きな存在だというのは本当に痛感する。

 

 子供の時は下手しなくても朝起きてから寝るまで一緒だったのだ。今では恥ずかしくてとても無理だが、二人で一緒に寝た事もお風呂に入った事すらあるのだから仕方が無いといえばそれ迄なのだが、私は今はあまり思い出したくなかった。

 

(もう、そんなこと、ないんだなぁ。)

 

 ある意味では子供の特権だったのだろうとも思う。大人の男女が同じベッドで寝るとういことは、つまり大方そういうことだし――私はもう彼とそんなことが許される関係にはなれそうにない。

 

 帝都から、サザーラント州から遠く離れるオルディス市まで来て、一体私は何を考えているのだろうか。我ながら特別実習中だというのに何も変わらない自分には嫌気が差す。

 

 もう海に浮かぶ遠景となっているオルディス市の街並み。

 未だ《ルシタニア》号は市街地中心部を飛行しており、先程まで鳴り響いていた地上からの祝砲の砲声から察するにどうやらただの定期便飛行ではない様だ。誰か重要な賓客の為に借り上げられたのだろうか。

 世界最大の豪華客船を借り上げるなんて、貴族様は本当に私達には及びもつかない様なお金の使い方をする。あの船は二等船室のチケットでさえ帝国の平均的な庶民の年収ぐらいするらしいというのに。一隻丸ごととなれば一体幾らミラがかかるのだろうか。

 

 あの大都市の中で巨大な飛行船を見上げた時に私が真っ先に《ルシタニア号》だと分かったのも、フレールお兄ちゃんと話を合わせるために飛行船の本を読んでいたからだ。いま思えばあの努力は無駄になっちゃったのかな。

 そして、最後に海の上の船に乗ったのも彼と一緒だったと思う。

 

 少しの間、この特別実習の間ぐらいは彼の事を考えないようにしようと思っていたのだが、やはりそう上手くはいかない。

 どんな事を考えても、彼に結びついてしまうのだ。

 

 私が今日初めて素直に喜べたことは、特別実習で滞在する実習地が概ね過ごしやすい気候だと思われたことかも知れない。

 南部では初夏の日中、湿気があまり無い為に蒸し暑さこそは無いが強い日射しに照らされる為にもうかなり暑かったりする。取り敢えず外出時には日焼け止めを塗るのは忘れられないし、海近くに出るのであれば出来ればサングラスも欲しい。

 オルディスはそんな故郷と比べれば勿論のこと、帝都近郊のトリスタとくらべても涼しいと感じる位であり、今回ブリオニア島を訪れる実習は良い涼み旅行なのではないかと思う。

 

 涼みに旅行なんてまるで貴族様みたいなんて頭に浮かべながら、オルディス湾の涼し気な潮風と内海の心地良い位の波を肌で感じる。

 私にはこうやって揺られているだけで、海を見ているだけでやはり少し落ち着く気がする。

 

「あの先に外洋があるのか――ふむ……湖とは比べ物にならない広さと深さなのだろうな。まるで武の奥深さの――」

「湾口部に二、三隻船を沈めれば簡単にオルディス港を封鎖できそうだね」

「フィ、フィー君……!?」

「……うぅ……」

 

 しかし周りを見渡すと、残念ながら心地良い気分に浸っていたのは、私だけだった様だ。

 船の船首部分の方でラウラとフィー、そして二人の間で頑張ろうとするマキアスは今朝から見てきた相変わらずの光景なのだが……私と一緒に船尾部分で大人しくしているエリオット君は明らかに……。

 

「大丈夫、エリオット君……?」

 

 丁度、私の向かいで顔を下に向けて座っている彼に声をかける。

 

「う、うん……あはは……」

「顔青いよ。酔った?」

 

 仲間に心配を掛けたくないと思ったのかも知れない。でも、彼の浮かべる笑いを作りきれておらず、憔悴しきった真っ青な顔色。私はエリオット君が列車の中で海は初めてと語っていたことを思い出す。

 

「……あ、やっぱりわかっちゃう……? ……ちょっと気持ちが……」

「とりあえず、横になろう?」

 

 仰向けに横たわるエリオット君の様子を私が見ていると、他の三人も彼の異常に気付いた。

 

「エリオット、船酔い?」

「気が悪いのか。ならばアルゼイド流の気合入れを――」

「ん。私の団の応急――」

「い、いや、二人共、ここは副委員長の僕に任せといてくれ!そっちの方が……」

 

 ――エリオットの命の為だ。とでも言わんばかりなマキアスの必死な顔。エリオット君に至っては鳥肌を立てて震えているではないか。

 

「?そ、そうか?ならば任せたぞ」

「そういうなら」

 

 二人はそんなマキアスの様子に呆気無く引き下がる。

 

(最初は私が様子見てたんだけどな……)

 

 なんて少し思いつつもエリオット君の傍をマキアスに明け渡して、私は先程の私達のやり取りを聞いていたであろう、自称案内人の男の背中に目を向けた。

 身長もそれほど高いわけでも無く帝国人男性としては平均的で、Ⅶ組で言えばリィンより少し高くマキアスよりは低い。中肉中背という言葉はこういう人の為にあると言われれば納得してしまいそうなぐらいだ。

 そんなこの船の舵を取る男の背中を眺め、彼とのやり取りを私は思い返した。

 

 

「帝国軍沿岸警備隊所属、ウォルフ・アルマン軍曹だ」

 

 オルディス市の駅前広場で巨大な《ルシタニア号》を見上げていた私達に、後ろから声を掛けた男はそう名乗った。

 かなり失礼な事なのだろうが、使い古した普段着といった格好の目の前の男が帝国軍の軍人とは正直思えない。でも、軍人を名乗るなら制服ぐらい着て欲しい気もする。

 

「帝国軍人の方だったか。私はラウラ・S・アルゼイドと申す。以後、よろしくお願いする」

 

 姿勢を正し自己紹介をするラウラに、目の前の自称軍曹は呆気に取られたた様な表情を浮かべるが、すぐに困った顔に取って代わられた。

 

「どうかなされたか?」

「あー……、言っておくが今はただの軍属だからさ、気軽に頼むよ?」

 

 士官候補生だからとか色々思う所はあるだろうけどね、と付け加える。

 

「軍属、とは?」

 

 あまり普段は聞き慣れない言葉を聞き返すラウラに、隣からマキアスが説明を入れる。

 

 彼の説明を大して聞かなくても、私は目の前の男の言葉に少なからず納得出来た。

 軍属というのは軍に所属しながらも職業軍人でない人間の事を指し、軍の中では事務員や整備員といった後方業務に携わる非戦闘要員に多く、帝国軍という巨大な軍組織の中では多数の非軍人の文官や技官が雇用されている。

 私のお父さんやフレールお兄ちゃんの様な職業軍人ではないのだから、制服を着ていなくても――まあ、職種によっては不思議ではないのかも知れない。

 

 その後、皆それぞれの自己紹介の流れとなりすぐに私の番となるのだが、名前を名乗る前から、正確には隣のエリオット君が彼の直前に名乗ったフィーと同じ様にギブンネームのみの自己紹介をした頃から私はアルマン軍曹の視線を感じていた。

 どっかのエロ本大好きな先輩の様などことなく嫌らしい変な視線ではなく、少し優しさすら感じる視線。

 

 その理由は分かるのは、雑談をしながら軍曹に連れられて運河に停泊させられていたこの漁船に私達が乗り込んだ後だった。

 

「君のその帽子、第十一機甲師団のだよね。それも古い」

 

 船の後部のデッキチェアに皆と共に身体を預けていた私に、舵を取るアルマン軍曹が背中で訊ねてきた。

 第十一機甲師団、お父さんが昔いた部隊なのだろうか。とはいってもお父さんの仕事内容については私はよく知らない。

 

「えっと、お父さんからの貰い物なんですけど……」

「そっか。君のお父さん、軍人?」

「はい、帝国正規軍にいます」

 

 少しの間の後に、私は自分がよく知る響きの名前を聞いた。

 

「ルカ・アゼリアーノ准尉――あってる?」

 

 にやっと笑いながら私の方を振り向くアルマン軍曹。

 

「お父さんを知っているんですか?」

 

 素直に驚いた。気付けば立ち上がってた位に。

 階級こそ違うが、ルカ・アゼリアーノは紛れも無く私のお父さんの名前だ。

 

「僕が兵隊やってた時の昔の上官だよ」

 

 彼は十年以上前に帝国正規軍の第十一機甲師団の兵士で、お父さんと同じ部隊にいたというのだ。

 

「小さい娘さんが居るとは聞いてたけど……そっかぁ、あれからもうそんなに経ってたんだなぁ」

 

 でも――と冗談っぽく笑いながら目の前の彼は続ける。

 

「女の子は父親似になるって聞くけど、あんまり似てないね」

「あはは、それはよく言われます。私はお母さん似みたいです」

 

 思わず私も笑いが溢れてしまう。まあ、お母さんはもっと美人だったとも聞くが。

 

「あ、じゃあ、アルマン軍曹なら軍で仕事してる時のお父さんの事分かるんですね。私、実は全然知らないんですよ」

 

 お父さんは仕事の事はあんまり話さない。それ以前の問題として自分の事をあまり話さない性格だ。だから、普段軍務に就いている自分の父親がどんな様子なのかというのは想像が付かないのだ。

 だが、私の視線の先、アルマン軍曹は何も話さない。

 後ろのドアが開けっ放しのこの船の小さなブリッジの中で、操舵輪を持つ彼の手すら止まったように思えた。

 そんな違和感に私が聞こえてなかったのではないかと少し不安になっていると、軽い笑いを彼は上げた。

 

「君が帝都に帰るまでに何か面白そうな話があったら思い出しておくよ」

 

 

 何かくぐもった声、そして何かが勢い良く水へと叩きつけられる音によって私の思考は引き戻される。

 そこには心配して声を上げながらも少し顔の青いマキアスに支えられて、船から顔面蒼白な頭を出しているエリオット君がいた。

 

(どんまい、エリオット君……。)

 

 

 ・・・

 

 

 船旅は順調だった。大分離れてからも薄っすらと残っていたオルディス市の姿が、完全に見えなくなってからどれぐらいの時間が経っただろうか。

 軍曹の高い社交性によって私達に少なからずあった緊張は難なく解されてしまったこともあって、全長20アージュ程度の船上は次第に賑やかな空気へと変わっていた。

 

 但し、それでもラウラとフィーは相変わらずなのであるが。

 ただ二人もぶつかり合うのは疲れたのか、ラウラとフィーはそれぞれ船首と船尾部分に分かれていたりする。

 

「あれは……港か?」

 

 先程までの不調は大分楽になった様子のマキアスが、船の針路の右手前方の海岸を指差し怪訝そうに口にした。

 丁度彼が指差した先には明らかに人の手によって築かれた立派な護岸があり、少し霞んで見にくいが灰色の大きな施設が建ち並んでいるようにも見えなくもない。

 

 その正体がなんとなく分かったのは、海岸から埠頭と思われるものが突き出していたからだろう。

 

「それにしては……船もいないし、少し不気味だね……」

「もう使われてないみたいだね」

 

 エリオット君の顔色も少しは良くなったかも知れない、まあ少しはスッキリしたのだろう。

 

「旧北西国境の基地だよ。十年ぐらい前に閉鎖されてた筈だね」

「この場所ということは領邦軍のものだろうが……そこそこ大規模な基地のようだな……」

 

 マキアスの横顔は少し複雑そうだ。軍事施設というと先月に行ったバリアハート近郊のオーロックス砦を思い出す。古くからクロイツェン州領邦軍の拠点の一つではある城もほんの一年前はただの中世の古城に毛の生えたような、いつ放棄されてもおかしくないような状態だったとユーシスは言っていた。

 

「いやいや、あれは正規軍の基地だよ」

 

 アルマン軍曹の説明によれば、この右手に見える基地跡には国境警備の為に帝国正規軍の部隊が駐留していた様だ。なるほど、東部のガレリア要塞や南部のパルム市近郊にある基地と同じということだ。

 

「……でも、どうして放棄される事に?」

「そりゃあ、国境じゃなくなったからさ」

 

 マキアスの質問はあっさりと答えられる。とても単純で、とても納得できる答え。

 ”1196年、北西地域編入条約により帝国に編入。北西準州の成立”――そんな帝国史の年表の一文が頭に浮かぶ。

 

「そうか……」

「なるほど」

「丁度その頃はもう北西地域の編入も決定していて、それに伴って国境線も大分北側に変更される予定だったんだよ。まあ――」

 

 そこで軍曹は一拍間を置く。

 

「北西動乱に派遣されてる部隊の司令部があった関係もあって、かなり大規模な基地に拡張されてたのがカイエン公から見れば目の上のたんこぶだったんだろう。北西部の事態沈静化後に帝都に自ら赴いて直訴したという話もある」

「なるほど。この基地の規模なら師団規模の部隊を維持できそうだし、包囲しても海から補給も受けれる。何より、オルディスが近い」

 

 フィーは淡々とした様子だが、中々怖い話をしている。

 つまり、ここはオルディス市というカイエン公の喉に突きつけられた剣だったという事だ。

 

(私、もしかしたらあの場所、知ってるかも……)

 

 遠い昔の記憶が、色褪せた記憶が呼び起こされる。

 

 お母さんに抱っこされながら通過した国境の入国審査はまだまだ小さい私には長すぎる時間だった。

 建物から出ると広すぎて端まで見通すことの出来ない基地の敷地に、沢山の兵士達が溢れていた。彼らからは疲労感こそ感じられたが、皆どこか嬉しそうだった。

 そんな彼らの中に軍服姿のまだ若いお父さんを見付けて、お母さんと私は手を振る。

 

 そう、あの時、あの場所で、私は初めて帝国の地を踏んだのだ。

 ここは私の出発点だったのかも知れない。

 

 

 ・・・

 

 

「ここが西の果てブリオニア島。ようこそ、僕達の島へ。歓迎させてもらうよ」

 

 小さな木製の桟橋の上、ブリオニア島に初めて降り立った私達にアルマン軍曹は初めてオルディス駅で会った時と同じ笑顔で迎えた。

 

「大分長い時間の船旅だったが、日没前には到着できたようだな」

「ああ、そのようだな」

「ふぁ……疲れたのかな、少し眠いや」

 

 マキアスに同意するラウラ。その傍らエリオット君は欠伸をしている。

 やっと目的地に着いたと安堵する私達。しかし、フィーは一人だけ不審な顔をして空を見上げた後、小さな声で口を開いた。

 

「……ねえ、オジサン。今、何時?」

「へぇ、フィーちゃんだっけ、君はわかるんだね」

「「え?」」

 

 マキアスとエリオット君、そして多分私の頭の上にもクエッションマークが浮かんでいることだろう。フィーとアルマン軍曹だけ分かっている様な話し方だ。

 

「現在時刻は2140」

「え?」

「でも?」

 

 一回り頭の上のクエッションマークを大きくしながら皆、周りを見渡す。まだこんなに明るいではないか。フタヒトヨンマルということは午後9時を過ぎ、というより10時のほうが近い。あのラウラですら混乱した顔をしている。

 

「ブリオニア島はオルディスから北に1200セルジュ、名実共にラマール州の最西端にして最北端。それにこの時期は夏至が過ぎたばかりのこの季節は1年で一番日が長い。日没は後ちょっと、10時位だな」

「うわぁ……」

 

 眠いわけだよー、と少し情けない声を出すエリオット君。

 

「道理で涼しい訳か……」

 

 こうして日の長さが場所によって変わるということを私は身をもって知り、西の最果ての綺麗な夕空を見上げた。

 

 木造の小さな桟橋に船を降りた私達は、人通りが疎らな通りを進んでいた。

 日没直前の西日に照らされた小さな街並みはとても落ち着いた静かな雰囲気を纏っており、それは私にとってどこか懐かしさを感じさせる。

 勿論、気候や周囲の環境、そして街を形作る建物は大きく違う。

 一例を挙げれば、リフージョの村の多くの建物は塗り壁でオレンジ色の瓦屋根だが、対してブリオニアは中世様式の石造建築物やケルディックで見たような木造の建物が並んでいたりする。

 

 だが、こののんびりとした、まるで時間が遅く流れているような街の空気は、驚く程私の故郷に似ていた。

 

 そんな石造の古い街並みの一つ、夕食の為にこの島で最も賑やかな場所へとアルマン軍曹に案内されていた。

 店内の決して明るくない照明は導力灯では無く古いランプの様であり、リュートに奏でられる軽やかなメロディーが流れる。

 そして、二十人はいるだろうか。お酒を煽って楽しむお客さん達。

 

 この光景もつい三か月程前までは実家の納品先でよく見た光景だった。ブリオニア島と私の故郷は一万セルジュ以上離れているのにも関わらず、雰囲気はまるで一緒。

 なんかこの島、いいなぁ。

 

 

 ・・・

 

 

 夕食を食べた後、私達は今日を含めて三泊するであろう寝床に足を向けた。

 島の集落から少し歩いた海岸沿いの高台にある、港からでも見える高さ十数アージュ白色と赤色のボーダーセーターを着たのっぽな塔。

 その塔の隣に寄り添うようにして建てられた三角屋根の家の二階部分が私達の寝床であり、その下が沿岸警備隊の軍属の灯台守のアルマン軍曹の仕事場兼住まいだった。

 

 夜の潮風に当たると少し冷たくて、もしかしたら風邪を引いてしまうかもなんて思ってしまう。

 

 シャワーを浴びた後に濡れた髪のままウッドデッキのテラスでぼーっと海を眺めていた私は、母屋のドアの開く音に後ろを振り返る。

 そこにいたのは大分疲れた様子のマキアスとエリオット君だった。

 

「エレナ君……」

「うん?」

「その……出来ればなんだが……やはりラウラとフィーの間を取り持つのを一緒に協力してもらえないか? 僕たち二人では自信が無いんだ……」

「うーん……」

 

 実は私はあの二人の間を取り持つ気はもう無かった。最初からあまり乗り気でなかったというのも正しいかもしれない。

 

「エレナ、お願いだよ。ラウラもフィーもなんか怖いし、もう僕ダメになっちゃいそう」

 

 地面にしゃがんだエリオット君の上目遣いに少し、いや、結構意志が揺さぶられる。

 それは少し反則だと思うよ、エリオット君。

 

 マキアスとエリオットが私があの二人の間に入れば改善すると思っているのならば、それはとても大きな勘違いをしている。仮に彼らと共に私があの二人の間に入ったとしても、何も変わらないだろう。

 二人の相談を聞くとこは出来るだろうが、仮に二人の対立の原因が私の予想通りであれば、模範回答的解決法を私なんかが提示できるとは思えない。学院の勉強とは違うのだ。

 それ以前に、彼女達はその心の奥底を私には話そうとはしないだろう。そればかりか、今日に至っては私が心配しないように気に掛けてくれているのか、以前に比べれば直接的な対立は減っているようにも思えなくもない。

 結局はマキアスとユーシスの対立と同じで、根本的な解決は本人達で納得しあうしか無いのだろう。

 

「私はこのままでいいと思う」

「えっ……」

「いや……しかし、そういう訳には……」

 

 目の前の二人は困惑した顔で私を見る。

 

「私も二人には仲良くして欲しいよ?」

 

 彼らに私がラウラとフィーがギスギスしている方が良いと思ってるという意味で受け取られたのではないかと頭を過って、一応付け加える。

 いくらなんでも友達の不仲を望んだりはする訳がない。

 

「でも、こればっかりは難しい問題だと思うし、自分で答えを出すべきだと思うの」

 

 そう、自分で答えを出すべきだと思う。

 

「ラウラもフィーも、本当は分かってる筈だから……」

 

 本当はもう分かってる筈だから――認めなくてはいけない事と、答えは。

 

「だから今までと変わりなく接するのが一番だと思う」

 

 私は人の事については偉そうに言い切れるみたいだ。

 

 マキアスとエリオット君が去った後、私はブリオニア島の暗い水平線を眺めていた。

 灯台下暗し、とはよく言った物だ。水平線に伸びる光芒も私を照らす事は無い。

 

「……私も同じなのに、ね……」

 

 結局、私も同じ。

 本当はもう分ってる筈なのに。




こんばんは、rairaです。

前回から第三章の特別実習編となりましたが、やっと目的地のブリオニア島へと辿り着き着きました。
途中の船旅でエリオットがダウンしたりと、少々トラブルのあるものでしたが…船酔いって結構きついですよね。私も船は苦手だったりします。

実際はどこにあるのかも分からないオルディスにブリオニア島ですが…北西部という位なので冷涼という設定を付け加えてみました。

このブリオニア島編はこれまでの特別実習と違い、どちらかというとエレナの内面について多く描写していく予定です。その為、エレナとその家族についての回想が多く混じるお話となっております。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月27日 最果ての老紳士

 くすぐったいってばぁ……、もう……。

 人の暖かい温もりに包まれて、そんな甘い声が私の口から漏れてしまう――えっ?

 

「……あ、あれ?」

「おはよ」

 

 ぼやけた視界には綺麗な銀色の髪とまるで橄欖石の様に美しい瞳が。

 あれ、なんでフィーが居るんだろう。それにしても近くないだろうか、まるでこれじゃあキスする直前と言われても何の不自然もない。

 これはどういう状況なのだろう。寝起きの頭はうまく回ってくれない。しかし、何とも言えない感触だけは残る。少しの不快感も混ざるが。

 

「やっと起きてくれた」

 

 何故私はフィーに抱かれて――いや、ちょっとというか、もうどう考えても意味不明なことに、私が自分の両腕で彼女を抱き締めている。

 ああ、私を暖めた温もりはこの彼女の身体の温もりで――。

 

「――っちょっ! フィー、どこさわっ!?」

 

 私の胸に、胸に、手が、手がっ!

 目を落とすと、寝間着のシャツが少しまくられてフィーの腕が入り込んでいる光景。今まで自分自身以外に触れられた事のない部分の感覚が俄に信じられず、私と密着している彼女の顔と自分の胸を交互に二度見してしまう。

 

「エレナが抱きついて離してくれなかったから」

 

 え、嘘。私のせいだというのか、この状況は。

 いやいや、それでもこんな起こし方は想定外というか、論外というか、非常識というか!

 とりあえず、思考が晴れて今の状態が分かってゆくと共に、恥ずかしさから身体に一気に熱せられる。

 

「あ、えっと……いや、だったら揺すったりとか!」

「……まあ、ちょっと確認も兼ねて」

 

 悪怯れることも無くサラッと口にするフィー。

 何の確認だっていうんだ! そう文字通り目の前の彼女に問い詰めようとした直後。

 

「……ひっ……!?」

 

 触れていただけだったフィーの右手が、ほんの少し強く押し付けてきたと思えば、唐突に掴まれて思わず息が漏れてしまう。他人に触られるという初めての、そして、まるで予想出来ない感覚が私に襲いかかった。

 

「うん、勝ってるかも」

 

 もうフィーの言わんとしている意味は分かった。

 そんな訳がある筈がない。絶対、そんな事は私は認めない。

 大体フィーより私の方がちゃんとお姉さんなのだし、背丈だって頭一つ分高いのだ。そんなことが、許されていいのだろうか?

 

 ――否、断じて否だ!

 

 例えドの付く変態のエロ本先輩に見向きもされなくても、アンゼリカ先輩に慎ましいと言われても、お風呂でアリサに同情されるような貧相な体付きでも、Ⅶ組で最も小さなフィーに負ける筈がない。そんな事があってはならない。

 

「絶対、絶対、私、負けてなんかないし!」

「ん……」

 

 私も確認と報復と、自らの誇りの為に、迷わず自由が効く左手をフィーの寝間着の裾から入れ、まだ小さな膨らみに少し強く触れる。

 彼女は瞼を少し細め、少し色っぽいような声を零した。

 

「……はぁ……よっし……!」

 

 我ながら熱いと感じる吐息と共に、心の中でガッツポーズを決める。もっともよくよく考えれば、何とも寒い惨めなガッツポーズの様な気がしなくもないが、勝利は勝利だ。そして、私にとってはこの戦いが負けられない戦いであった以上、”勝利か、さもなくば死あるのみ”。

 首が繋がるような思いとは、今の私が感じている安堵感なのだろう。

 

「……むぅ」

 

 私の腕の中のフィーは頬を染めて恥ずかしそうに顔を逸らしてしまう。

 初めて見る彼女の仕草に、さっきまで少し小憎たらしい感じに思えたフィーがなんだかとても可愛らしく感じてしまう。このままずっと抱き締めてあげたい、そんな気持ちがぽっと浮き出て来たのを、すぐさま頭の中から消し去る。しかし、その様な気持ちが生まれたことの記憶は、消すことは出来ない。

 ……これが、まさか、アンゼリカ先輩の……いやいやいや、まさか、そんな――。

 

「フィー……エレナ……?」

「き、君達は……い、一体……何を……?」

 

 部屋の反対側の壁際でまだ寝ぼけた様子でこちらを向くエリオット君と、その隣で目を見開いて顔を赤らめたマキアス。

 そう、女子と男子で結構な距離はとってるとはいえ、今回は一緒の部屋で雑魚寝だったのだ。

 

「うわあああぁっぅ!」

 

 私は気付けば立ち上がって、二人に向けておもいっきり枕を投げつけていた。

 

(ばかばかばかばか!)

 

 フィーのバカ! 私のバカ! マキアスのバカ! エリオット君のバカ!

 

「何があったのだ……?」

 

 私の視界の端で、たった今大剣を抱えて部屋に戻って来たラウラが困惑していた。

 

 

 ・・・

 

 

「結局、僕達に課題を出すのは軍曹じゃないんですね」

「ああ、昨日も言った通り僕はあくまで案内人だからね」

 

 B班の一応のリーダーであるマキアスとアルマン軍曹のやり取り。

 つい先程、昨晩訪れた酒場で頼んでおいたお昼ご飯を受け取った私達は、今特別実習の課題を受け取りにとある人の居る場所に向けて歩いていた。

 

「はぁ……」

 

 少し前を歩くマキアスとエリオット君の背中を眺めていると、溜息が溢れる。

 フィーとの何とも言えない恥ずかしい戯れを見られてしまったのは、やはり一生の不覚だった。

 勿論、あの後に必死の弁解と枕を投げつけた謝罪によってマキアスとエリオット君の誤解こそ解けたものの、あの状態を見られたという事実がある事には代わりない。

 

 私とフィーについてどんな事を思ったのだろうか。やっぱり、クラスメートの、それも同性同士でそういう関係なのだと勘違いされたのだろうか。一応は、あの弁解を信じてくれているとは思うが、仮に一瞬であってもそんな誤解をされるのは心外だ。

 

(だって……それじゃ、まるで私がアンゼリカ先輩みたいな感じになっちゃうじゃん……)

 

 再び、本日何度目になるか分からない溜息が溢れる。

 

「……やはり、どうかしたのか?」

 

 心配してくれているのだろうか、丁度隣にいたラウラの顔が少し曇っている。

 彼女は朝の素振りの特訓であの場には居なかった為、何があったのかは知らない。ただ、彼女が帰って来た時に丁度私がマキアスとエリオット君に枕を投げつけて騒いでいたので、何かがあった事は知っているのだ。

 それを言っていないので、心配されている。

 

 しかし、ラウラに言えるだろうか。

 

 寝ぼけた私が寝ている間、ずっとフィーに抱きついていた事。

 彼女がどうしても起きない私を起こそうとして胸を触った事。

 起こされた私が彼女の「勝った」という言葉に半ば我を忘れて、同じ事をやり返した事。

 勝利の喜びに思わず大きな声を出したら、同じ部屋で寝ていたマキアスとエリオット君を起こしてしまい決定的瞬間を見られた事。

 

 要約すると「フィーとお互いの胸を触り合っていたのを男子二人に見られました」。そんなこと恥ずかしくて言える訳がない。

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

 そうラウラに返してこの話を打ち切る。心配してくれている彼女に対して酷い仕打ちかも知れないが、上手く朝の経緯を説明する自信がない。私ももっと口が上手ければ良かったのに。

 

 もっとも、そんな原因を作ったフィーは私とは対照的に呑気に口笛を吹きながらみんなの先頭を歩いてるのだが。

 やっぱり小憎たらしい、と心の中で付け加えながら彼女の背中を見ていると、それに気付いたのか隣を歩くラウラが再び口を開いた。

 

「しかし……エレナは仲が良いのだな……」

「え……?」

「朝の鍛錬に出た時、二人が……仲良く寄り添って眠っていたのを見てな」

 

 アレを見られていたなんて。よくよく考えればラウラは私達の中で一番早く起きて外に出たのだから、見ていて当然なのだが……私にとっては頭痛の種がまた一つ増えた。

 特別実習二日目の初っ端から起きた出来事は、私が頭を抱えたくなるような衝動に駆られるのに十分過ぎる程だ。

 

 小さな集落を出て整備された森を通ると、私達は黒色のお洒落な鉄柵を目にすることとなる。鉄柵はまず登ることが出来無さそうに思える程高く、その向こう側には幅の広い道路があった。

 

「道路?」

「立派な道だな」

 

 鉄柵の一部が扉となっており、その扉を鍵を手にした軍曹が開ける。今にして思えば、初めて彼が仕事らしい仕事をしている所を見たかも知れない。

 

「確かに……だが、こんな石畳は……まるで……」

「バリアハートみたいだね」

「そりゃあ、この島のある意味、存在意義とでもいうべきものだからね」

「昨日の夕食の話で出た話ですか?」

 

 昨晩の食後にこの島に関する基本的なお話を、私達はアルマン軍曹から聞いていた。

 

 帝国西部ラマール州の西端であり北端、西の大公爵と名高い《四大名門》カイエン公の領地の最辺境でもあるブリオニア島。

 帝国全土の地図から見れば島はラマール州の本土から幾分か北に離れており、300セルジュ程の狭い海峡を隔てた東側の対岸には帝国の北西部領土がある。

 

 食後のテーブルに広げられた帝国全図に指差しながら説明するアルマン軍曹の説明は多少辿々しいものの、要約すればこんな感じか。

 もっとも彼の広げた地図は相当古い様で、半分以上切れている北西準州は一つの小国と二つの自治州の領土という事になっていたが。

 

「こうして見ると大分北に位置しているのだな」

 

 ラウラが頷きながら、納得したように呟く。

 

 そりゃあ、そうだ。

 地図の中で自分の故郷を探してみる。中心近くに位置する帝都ヘイムダルから伸びる鉄道の線を辿りれば、すぐに地図の南端の方にパルム市を見つけれた。そのすぐ南側に国境の赤線と違う色で塗られているリベール領があるのだから丸わかりだ。そこからアゼリア海に向かって西に辿ると……あまり聞き覚えのない村を経て、海沿いに”Rifugio”という名前が見つかる。

 

 うん、やっぱり優に一万セルジュは超えている。地図の一番下から一番左上端だ。こうして地図上で見ると本当に遠くまで来たことを再確認できる。

 そんな感傷に私が浸っていると、今まで眺めていた帝国全図の上にこれまた少し古そうな地図を上から被せる様に広げられ、そこには先程までいちご程度の大きさしかなかったブリオニア島が大きく描かれていた。今度はブリオニア島自体の話となるのだろう。

 

 ブリオニア島は北島と南島の二つの島と周辺の岩礁から構成され、今私達が居るのは南島の南端にある唯一の集落。島の人口は三百人程度で小さな漁村のある南島が島民の主な生活拠点となっている。やはり村の規模ではリフージョの村と同じぐらいであり、先程此処に来るのに歩いた際に雰囲気が似ていると思ったことも納得出来る。

 ただ、全てが似ているという訳も無く、この後に続いた話は私の故郷とは大きく事情が異なった。

 

「別荘地……ですか?」

 

 この島に似合わないといったら失礼かもしれないが、意外な言葉に思わず私が聞き返してしまうと、アルマン軍曹は「もっとも今となっては殆ど誰も来ていないけどね」と付け加える。

 

「この近海を流れる海流の影響で夏でも涼しいから、元々避暑地として中世の頃にこの島は開拓されたんだよね。だから、この村は貴族様のお世話の為に作られたようなものだったり」

「なるほどな……」

「ふーん」

 

 複雑な顔をしながらも興味深そうに頷くマキアスと、全く興味無さそうに地図を眺めるフィーは対照的だ。

 

「貴族の別荘地ってことは、ラウラの家の別荘とかもあったりするの?」

 

 と、訊ねたのはエリオット君。奇遇な事に、私も少し同じ事を思った。

 

「いや、私が知る限り別荘が有るという話は聞いたことは無いな。我がアルゼイド家は武を重んじる騎士の出であるし、領地も美しいが決して豊かではない辺境の少領だ。別荘を構える様な派手な暮らしは出来ぬ」

 

 仮にこの島にアルゼイド家の別荘があれば皆を招いている、と困ったように笑ってラウラは続けた。

 

 リィンのシュバルツァー男爵家も、言う程貴族らしい生活はしていなかったと言っていたのを思い出す。勿論、リィンやラウラが庶民と同じ生活をしているなんて事はまずあり得ないとは思うのだが、それでもユーシスの実家で《四大名門》の一角であるアルバレア家やこの島に別荘を構えれる程の財力を持つ貴族と比べれば大分見劣りしたりするのかも知れない。

 まあ、私から見ればどちらも雲の上であることは変わりないのだけども。

 

 そういえば――と、この話から話題を変えようとしたのはマキアスだった。

 

「ブリオニア島は古代の巨石文明の遺跡が残ると聞いたのですが」

「ああ、《神々の庭園》か。それは――」

 

 アルマン軍曹の指が今私達がこうやって滞在している南島の真上に位置し、三倍以上の大きさのある北島を指す。

 

「――北島だな」

 

 地図に記された等高線の数から南島とは対照的に険しい場所の多い島のようだった。

 

 

 そんな昨晩の地図を思い出すと良く分かる。地図上の大きさからブリオニア島の本体とでも言うべき北島の威容、あの透き通るような空の下の美しい岩肌の山々は此処からでも望むことが出来た。

 それにしても、ブリオニア島はとても変化に富んだ場所の様だ。大自然の中とはこういう――って、高い鉄柵に囲まれたこんな立派な石畳の道路を歩きながら、”大自然”なんて我ながら少しまだ早い。もうちょっと大自然を感じれる場所に行ってから考えるべきだ、と自分を言い聞かせて納得する。

 

 石畳の道は途中で何度が分岐し、いくつかの小道に通じていた。私達もその内の一つへ進み、森の中の少し小高い丘を登ったその先にあったのは、間違っても貴族らしい別荘とは思えない一軒のログハウスだった。

 

 軍曹は勝手に建物の扉を開け、そのまま階段を登ってゆく。

 流石に人の家に上がり遠慮等の全く感じさせ無い案内人に少し心配になるものの、私達も後に付いて行くしか選択肢は無い。

 

「バロン、彼らを連れてきましたよ」

「もう爵位は息子に移譲しているがね、ウォルフ」

 

 部屋の扉を開けた軍曹に答えたのは老人の声だった。

 そんな老人の声に「僕らにとってはバロンはバロンです」と軍曹は笑いながら返し、私達に部屋に入るように促す。

 

 部屋の奥、飾り気のない執務机の椅子から腰を上げた老紳士。彼は全く衰えを感じさせない上品な雰囲気を纏っており、それは誰が見ても良い意味での貴族らしさを感じさせるものだった。

 

「皆、こんな遠くまでよく来たね。はじめまして、私はモルゲン。昔はレイクロード男爵だなんて呼ばれていたが、今はただの釣り道楽だよ」

「釣り……ああ! レイクロードってあの!」

 

 マキアスが小さく声を上げる。

 

「ほお、君も釣りを嗜むのかね?」

「い、いえ……そういう訳では、帝国随一の釣具メーカーの名前としてだけ……」

 

 歯切れの悪いマキアスの言葉に、私もそんな会社の名前を思い出した。

 ああ、確かにそう言われれば村の店にもそんな釣り竿が置いてあった気もする。興味は無かったけど。

 

「そうかねそうかね。うんうん」

 

 決して良い返事ではなかったのにも関わらず、目の前の老紳士は満足そうに微笑んだ。

 

「レイクロードという名も随分有名になったものだよ。これも趣味にかまけてばかりな私の代わりに、息子達が頑張ってくれたお陰だろう」

「ってことは……あの、モルゲンさんはケネスのお爺さんなんですか?」

「ああ、孫のケネスがお世話になっているのかな? うんうん、私としてもケネスの学友の手伝いになるのならと思いこの役を引き受けたのだ」

 

 と言っても、君たちの学院から預かった封筒を渡すだけの役なのだがね――と付け加えるモルゲンさん。

 

「いっつもあの池で釣りしてるのを見る。よくリィンも居るよね」

「あ、確かに」

 

 結構楽しそうに話しながらリィンとケネスが釣りをしている光景は偶に見かけたりする。

 

「確か、釣り好きの部活だっけ? そんなのに入っているんだよね。リィンがこの間、階級が上がったって話してた」

「ふふ……孫達も同好の者達と仲良くしているみたいで結構なことだ。今では孫達も協力してくれていると思うと本当に釣り人冥利に尽きる」

 

 さて――と見慣れた封筒を机の引き出しから取り出した老紳士は一区切り付けてから続けた。

 

「老人の長話に付き合わせてしまってすまないね。これが私が君達の学院から預かっていた物だよ」

 

 老紳士の手にあるのは士官学院の紋章の入った封筒。

 間違いなくケルディックやバリアハートでも渡された、その中身は特別実習の課題の内容が記された書類だった。

 

 特別実習二日目の課題、初日の昨日はブリオニア島迄の移動で丸一日費やした為、課題という意味合いでの特別実習は一日目ではあるが、まあ細かい事はいいだろう。

 今日の課題は二つ。まず一つ目は必須課題として指定されている課題で、内容は北島での魔獣駆除。手配魔獣の様な特別危険な魔獣の退治という訳ではなく、ただ単に島民がよく入る北島南部の安全を確保する為に魔獣の数を減らすのが依頼の目的だ。

 これは中々に骨が折れる依頼かも知れない。

 そして二つ目に出された課題は、目の前の老紳士からの依頼としか思えないものだった。

 

「川を遡上する魚の生態……ですか……」

「本当は私が釣りに行きたいんだが、足を怪我してしまっていてね。それに、北島は魔獣が多い。老いぼれ一人では難儀な場所だよ」

 

「えっと、でも僕達、釣りは出来ないんですけど……?」

 

 マキアスとエリオット君は都会育ちなので、中々釣りをする機会というのにも恵まれないかも知れない。となると、私を除けば後はラウラとフィーだが……。

 

「私も釣りの経験は無いな。こんな事ならば《アプリコーゼ》の主人に教われば良かったのかもしれん」

 

 私がラウラにの方を気にすると、すぐに彼女は意図を察したように答えた。うん、何となく思った。だって、ラウラが釣り竿を持っている姿があまり想像できない。

 となれば、最後はフィーとなるのだが――。

 

「川を昇る魚ってサモーナだよね? 手で掴むなら多分出来るよ」

「君は……まあ、それはそれで凄いが……」

 

 まるでクマですか、と言いたくなるフィーの言葉に呆れ顔をするマキアス。

 その隣でエリオット君が「リィンが居れば」と零す。そういえば、リィンは今頃どうしているだろう。アリサをまだ鈍感な一言で不機嫌にさせていないだろうか。

 この場に関係ないアリサとリィンについて妬ましい気持ちが浮かんだ所で、考えを戻す。誰も釣りを出来ないとなればここは私がやはり名乗り出るしか無いけど……自信は全くない。

 

「私、海釣りならやった事あるよ」

 

 パッと皆の顔が明るくなり私に集まる。

 

「でも……その、どの場所で釣れるかとか……餌とかは分からないから……」

 

 だって大体横で見ていただけだから、私はすぐ飽きてしまうのだ。子供にとってはあの長い待ち時間は少し苦痛だ。

 話題合わせの為に色々な本を読んだが、今思い返せば釣りの本を読んだ記憶は無い。よっぽど当時は興味が無かったのだろうが、まさか何年も後にこんな機会が訪れるとは思いもよらなかったと、内心苦笑いする。

 

「ふむ、なるほど」

 

 そんな言い訳をした私は、少しの間老紳士に真っ直ぐな視線を向けられる。そして、十歳以上も若く見えそうな笑顔を浮かべたと思えば、先程封筒を取り出したのとは別の引き出しから小さな本を取り出し、嬉しそうに万年筆を取った。

 

「お嬢さん、釣りは嫌いかね?」

 

 小さな本に優雅に何かを書き記してゆく老紳士が私に訊ねた。

 

「嫌いでは……ないですけど……」

「よろしい」

 

 暫くした後、筆を置いた老紳士に一冊の小さな本を渡された。それは、一昔以上前の大きさの手帳。

 まるでブリオニア島から望む外洋と魚の色を連想させる、青地に銀文字で記された少しばかり古臭い表題だった。

 

 ”釣人手帖”、”著 レイクロード社 社長 モルゲン・レイクロード男爵 千百六十年発行”。




こんばんは、rairaです。
そういえばもうすぐ碧Evoの発売日ですね。私もAmazonさんが12日にちゃんと届けてくれるのか少し気掛かりです。

さて前回やっと実習地のブリオニア島へと辿り着き着きましたが…今回はやっと課題を受け取りました。そして、何気にちゃっかりと主人公しか貰うことの出来ない釣り手帳を手に入れてしまいました。
いつかケネスに見せてあげたいですね。腕の方は…相当に疑問符が付きますが。

朝の出来事はエレナ本人的には所謂黒歴史という物になりそうです。

次回は久しぶりの戦闘となりそうです。エレナはラインフォルト社から頂いたライフルで本当に活躍できるのか、そして複雑な思いのラウラにスポットライトが当たりそうです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

2016年10月6日 最新話との齟齬が生じたジュライ特区・北西準州に関しての表現を一部訂正及び削除いたしました。


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6月27日 悩める少女達

 来た道を戻ること数十分。別荘街から出て再び集落の通りを歩く。漁師達は朝早く出てしまっているのか、街は随分静かであった。

 

「北島って魔獣を退治しなくてはいけない程、危険な場所なのですか?」

「んっ、そういう訳でもないんだけどね」

 

 あの依頼は島民の会合で出たものなのだという。

 北島に狩りに入った島民が魔獣に襲われて怪我をする事案は少なくなく、近い内に島民総出で海沿いだけでも駆除しようと考えていた所に丁度良く帝都の士官学院から生徒の実習受け入れの打診が来た、ということだ。

 勿論、帝都の士官学院の生徒というのは私達のことである。厳密に言えばトールズ士官学院は帝都ではなくその近郊都市のトリスタに所在するのだが、まあ地方部に住む人の認識は概ね帝国中央部の皇帝領全て一括りに帝都である。これは私も士官学院生としてトリスタに住むまでは同じで、まさか500セルジュ近くも離れているとは思いもよらなかった。

 

「本格的な駆除は僕達の仕事なんだろうけど、何分海の上では勇者な爺さん達も陸じゃド素人ときて山狩り出来る程の人手は足りないんだ」

 

 わざとらしく肩を竦める軍曹。

 

「それに加えて北島は神聖な場所だから入りたくないっていう敬虔な方々も多くてね」

「《神々の庭園》って言われるのにも理由があるみたいですね」

 

 納得したようなマキアスに、アルマン軍曹は「そうそう」と頷く。

 

「海の精霊様のご機嫌伺いとかな」

「精霊……」

「ブリオニア島も未だ精霊信仰が残る地であったか」

 

 ラウラが興味深そうに話に交わる。そういえば、ケルディックの特別実習の時に、彼女の故郷では精霊信仰が盛んという話をしていた。

 

「まあ、面白い言い伝えなら色々と残ってるね。元々、この島は空に浮いていたとかみたいな突拍子も無い話もあれば、少し怖い話もね」

「こ、怖い話ですか?」

「怖い話だって、エリオット」

「えっ!? なんで、僕に?」

「なんとなく」

 

 後ろでフィーがエリオット君にわざと振っている。まあ、エリオット君、怖い話苦手だもんね。フィーも中々に意地悪だ。

 

「この島のすぐ西側は強い海流が流れてて渦潮が沢山出来てるんだけど、船が帆船だった時代は進路を狂わされたりして大分船が沈んだみたいでね。世界の果てとか海の墓場というかそんな感じの言い伝えがあるんだよね。まあ、それを爺さん達は海と水の精霊様の怒りとか言っちゃうんだけど――」

「海の精霊様になんてバチ当たりなことを言ってると海底の悪魔に食べられちまうぞ」

 

 冗談っぽく私達に説明するアルマン軍曹を、少しハスキーな女の人の声が遮った。

 

「ええと?」

「あ、酒場の店員さん?」

 

 私達の後ろに立っていたのは昨日の晩ご飯を食べた酒場の店員さん。アルマン軍曹とは昔馴染みのようで、私達にも良くしてくれた気さくな人だ。ボーイッシュなショートカットで利発そうな印象の大人の女性だ。ちょっとサラ教官に似ているかもしれない。

 

「いやいや、いつまでそんな子供騙しな話をしてるんだよ……もう僕達三十だよ?まだ遺跡の中の未確認魔物の話の方が信じれるさ」

「まったく……本当に罰当りな奴」

 

 呆れ顔を浮かべる彼女はアルマン軍曹から私達へと目を移した。

 

「軍人さんのヒヨコちゃん達には悪いけど、コイツ借りていいかしら?」

「おい……この子達の実習中は引率の仕事がって言った――」

「今日、お見送りの日よ?」

 

 どうやら彼女の話によると、港で二人の馴染みの友達のちょっとした送迎会とお見送りがあるのだという。

 

 なんとなく感じていたことなのだが、アルマン軍曹と彼女は友達以上恋人”以下”の関係だ。それは昨晩酒場で何かと絡んできてくれる彼女を見た時にも思ったことだし、今も感じたこと。この二人には一緒に育った幼馴染特有とでも言うべきな、私とフレールお兄ちゃんと同じ様なやり取りがあったからだ。

 

 多分、両想いだと思う。

 そう考えると、ちょっと妬ましいけど。

 

 結局、軍曹はいくつかの重要事項を私達に伝えて港の方に行ってしまうのだが、彼はあくまで案内人に過ぎない事を考えれば、ここからは私達だけの特別実習を頑張るべきなのだろう。そう考えれば別に悪い気はしない。

 

 それよりも私は気になったのはこの島の内情だった。

 送迎会にお見送り、それは私も決して無関係な話ではない。故郷に居た頃は私も何人もの知り合いの送迎会に出ていたのだし、つい三か月前には私自身もお祖母ちゃんやごく親しい人に見送られて故郷を離れたのだから。

 貴族の別荘地、避暑地の維持のための集落、州の辺境、そして島を離れる人――ああ、そうか。この島がリフージョの村と似ているのは良い所だけではない。

 同じ問題を抱えているのだ。

 

 

 ・・・

 

 

「皆《ARCUS》の時計は合っているか? 今は丁度9時、導力波が無いから連絡を取り合う事は出来ないが……とりあえずは正午に此処で落ち合うとしよう」

 

 アルマン軍曹から鍵を預かった海岸沿いに建てられた小屋の中に荷物を置き、魔獣駆除の課題の為に武器や《ARCUS》の準備を行う。

 ある程度人の手が入っている南島とは違い、この北島はほぼ完全な無人島。話を聞く限り、山奥に入らなければそれ程危険は無さそうだが、最低でも自分自身の自衛は出来る位の力は必要だ。だが、その程度であれば私達にとって全く問題はない。

 少し偉そうかも知れないが、私達は魔獣相手にはそれなりの実戦経験がある。多分、元正規軍兵士のアルマン軍曹を除けばこの島の人より遥かに戦い慣れているだろう。

 勿論、剣や導力銃といった武器を用いた戦闘技能もそうだ。しかし、武器を使って戦うことは誰にでも出来る。この島の人でも狩りをする人ならば狩猟用の銃器は扱えるだろうし、フィーが前に言っていたように場所が場所であれば子供でもライフル銃を使って戦っているのだから。

 私達と島の人の違いは、個人用の戦術導力器(オーブメント)を扱えるか否かだ。オーブメントで自由自在に導力魔法(オーバルアーツ)を扱うことの出来る人は限られており、扱えるだけである種のプロフェッショナルであるのだ。

 但し、実際はオーブメントは武器と同じで訓練さえすれば誰でも使える物であったりもする。ただ、普通に暮らす分には全く必要無いので大多数の人は扱わないだけなのであるのだが。

 

 担いできたライフルケースを開き、ラインフォルト社製の特徴的な形のアサルトライフルを取り出す。

 皆の前で出すのは少し抵抗感はあったのだが、ここで使わないという選択肢は無い。実戦で使わなければ、何のために頂いたのだという話になってしまう。

 

「うわぁ、エレナ、それライフル銃!?」

「……凄いな、見たことも無い銃だが……」

 

 導力散弾銃に弾を込めていたマキアスが手を止めて、「一体、どこから持って来たんだ?」と言いたそうな顔をしている。

 

「ラインフォルトの試作品だよ。エレナに撃たせて貰ったけど、かなり良い銃」

 

 そんなマキアスの顔に答えたのは私ではなく、もう準備も済ませてたのか退屈そうにしていたフィーだった。

 

「シャロンさんが用意してくれたんだ。前回の特別実習で導力拳銃だけだと少し心許なかったかったから」

「へぇ」

「なるほどな……」

「……ふむ……」

 

 先月の特別実習で苦労していた姿を見られていたためか、マキアスはすぐに納得してくれたようでありエリオット君も概ねそんな感じであった。

 しかし、彼らとは対照的にラウラは複雑そうな目をライフルへと向けていたような気がした。

 

 

 ・・・

 

 

 視界の端の岩の陰で何かが動いた。咄嗟に私は腕に抱えていたアサルトライフルを構え、銃口を向ける。

 スコープ越しで拡大された岩場に捉えたのは、以前の特別実習で訪れたケルディック近くの街道で見かけた羽蟲。スコープ内の距離の表示は40アージュ。

 

(いける。)

 

 躊躇なくトリガーを引くと、二回の強い反動が銃床に当てた頬から頭を突き抜けて響き、肩から身体を揺らす。

 私の目は揺れるスコープの中で、突然の銃弾の衝突に飛び上がった羽蟲が、すぐに力なく地面へと落ちる光景を目にした。

 

 銃を下ろし、足元に目を落とすと、ゴロゴロとした石が散らばる草むらの中に転がる二発の金色の薬莢。

 たったの二発であの蟲を完全に沈黙させれる威力に、導力拳銃ではまず命中が狙えない距離でも軽々命中させる精度。

 

 あの羽蟲はケルディック街道にも同じ種の魔獣が居たが、拳銃弾ではマガジンが空になるんじゃないかと心配になる位に銃弾を撃ち込んでやっと倒せる位だった。

 《ラインフォルト・スティンガー》は比較的大きいサイズの軍用導力拳銃だが、所詮は拳銃という護身用の武器の威力。やはり武器としての性能に大きな差があった。

 

(これが軍が使う武器……。)

 

 実戦でこのライフルを使うのは今日が初。今の羽蟲は本日三匹目の単独で倒した獲物だった。たった三匹、と馬鹿にされるかもしれないが――そこで気合の入った大きな掛け声が私の思考を引き戻し、声の主の方向へと目を向ける。

 走るには傾斜のきつい草原。更に地面には大小様々な大きさの石が転がっており、意識して歩かなければ偶に躓く位に悪い足元だ。こんな所でもいつもと変わらない能力を発揮するには時間と慣れが必要――な筈なのだが、どうやら私とコンビを組む声の主は例外だった様だ。

 

 十アージュ以上もの全力疾走から一気に跳ぶラウラ。彼女の持つ大剣の剣先は牙を剥く狼型魔獣を鋭く狙っており、そのまま魔獣を一刀両断にする。

 

「ふふ、まるで狩りだな。良い気分転換になりそうだ」

 

 大剣で魔獣を確実に仕留め終わったラウラが、凛々しい顔に笑みを浮かべる。

 彼女も口にしている通り、やっと身体を動かす実戦に心躍るといった感じだ。勿論、最近色々と悩みを抱え込んでいる彼女にとって、少しの間だけでも忘れれる良い機会でもあるのかもしれない。

 ラウラがいつものラウラをやっと見せてくれたことに、私は安堵した。

 

「狩りって言うと、マキアスは『貴族趣味なんて冗談じゃない!』とか言いそうだよね」

「だが課題となれば口では文句を言いながらも乗り気になるのだろう」

「あはは、確かにっ。今度マキアスがユーシスと同じ班になった時にこんな課題があったら面白いのにね」

 

 ラウラと私は顔を合わせて、マキアスの貴族趣味嫌いネタにした冗談に笑う。

 そういえばこうやってラウラと笑い合うのは久しぶりだ。少なくとも先月の特別実習から帰って来て以来は殆ど無かったと思う。最後は多分、特別実習の後にトリスタ駅で起きたアリサとリィンの感動の再会の時だろうか。

 私とラウラの関係が悪い訳ではない。こうやって私の冗談に笑ってくれるのだから、多分大丈夫だろうと信じたい。やはりバリアハートから帰って来て以来、銃の特訓等で私がフィーと一緒に居る時間が長かった事が大きな理由だろう。

 

「ふむ……もうこの辺りには魔獣の姿は無いようだな」

「そうだね、下の方に降りる?」

「ああ、だが……」

 

 ラウラの視線にまるで悪い事を隠していた子供の様にドキッとしてしまう。

 

「流石、ラウラだね。ちょっと疲れたかも。少しだけ休まない?」

 

 以前だったら、私は促されてもきっと自分から「休みたい」だなんて言えなかったと思う。

 ふと入学したての頃、旧校舎の地下の探索でエリオット君が気を利かせてくれてくれた事を思い出す。いくらか私も成長――いや、慣れて図々しくなったのかも知れない。

 

 丁度良さそうな岩場に腰を下ろしてライフルを地面に置くと、やっとその重みから腕が解放される。

 ラインフォルト社の最新技術によって作られたアサルトライフル《RF-XM1200》は従来のライフルより比較的軽いらしい。確かに私がこの銃の他に唯一手に取って構えた事のあるライフルは金属製でもっと重量感があった。

 だが、あくまで”比較的軽い”である。二時間以上も駆け回った後の私にとっては、樹脂製も金属製も大して変わらない。簡潔に説明すると、ライフルが重くて腕がダルい。

 今まで導力拳銃しか手にしたことのない私にとっては、やはり武器の重さが三倍になったのは大きな痛手だ。

 

(でも、軍の兵士はこれより古くて重いライフルを担ぎ、子供の体重程の重さのある荷物を背負ってるんだよね……。)

 

 そう考えると自分に少し情けなくなりそうだ。

 溜息をついてから、私は空に向けて腕を、地面に向けて脚をうんと伸ばした。

 身体の節々が固い感覚が少しはマシになってくれるといいけど。

 

 そんな事を思いながら正面に目を向けると、ほんの少しだけ身体の疲れを忘れてしまう程の素晴らしい光景が広がっていた。

 もう水面下に沈んでしまっているが、まだまだくっきりと砂の白さが分かる私達が文字通り”歩いて海を渡った”橋。橋が繋がる対岸は森に覆われる南島。こういう形で見れば、先程までいた南島が小高い丘位しか無い比較的平坦な地形であることが良く分かる。その位、”橋”を渡っている最中に目にした、海のすぐ傍まで山の岩肌が迫る風景とは対照的だった。

 干潮時のみ姿を表わす白い砂の橋――左方と右方、内海と外海の明らかに明暗の差のある海の色――そして、全く異なる姿の二つの島。まるでここが天国に一番近い場所のように思えてくる。

 

「《神々の庭園》か……既にこの光景がそう思えるな」

「綺麗だよね……」

 

 ラウラの言葉に私は全面的に同意して頷く。

 

「ラウラとは最初の特別実習の時以来だけど……やっぱり凄いよね。リィンやユーシスもそうだけど……剣を自在に操れる人って本当に格好良い」

「……私はまだまだ未熟者だ」

 

 顔を曇らせ、彼女は自らの足元に視線を落とす。

 私はもしかしなくても余計なことを口走ったかもしれない。

 

「……すまない。これは私自身の問題だったな」

 

 私が何と声を掛けたらいいか迷っている内に、ラウラはそう告げた。

 

「そういえば、エレナは同じ事をケルディックの時にも同じ事を言っていたな。ふむ……」

 

 そこでラウラの視線が今度は私の足元を見て、一瞬だけ先程とは違う複雑な表情を浮かべた様な気がした。

 

「エレナは何故剣の道に進まなかったのだ?」

「えっ……?」

 

 剣の道と言われてもラウラやリィンと違って、私は士官学校の試験を受けるまでは酒屋の道だったりお嫁さんの道で手一杯というか、それしか考えていなかったのだが。それに、私、男子でもないし。

 

「何、少し疑問に思ったのだ。士官学院に入学する際、武術の選択があっただろう?剣に憧れるのであれば、何故剣術を選ばなかったのかと思ってな」

 

 なるほど、士官学院に来てからという意味だったのか。そう言われれば、ラウラの言う通りだ。何故、私は銃を選んだのだろう。

 故郷の村にある程度の自衛が出来るようにする為の訓練があったからだろうか。勿論その場で剣にも触れたことがある。しかし、士官学院では選ばなかった。

 でも何となくだが、ハッキリと分かってはいた。

 

「ごめん……なんでだろう。そう言われると諦めていたのかな……多分」

 

 ”多分”、とか、”そう言われると”、等の曖昧な言葉を使ってしまったが、自分には無理だと眼中にすら無かったのだから、”完全に”諦めていたのだろう。

 そんな私に返って来たのはラウラの厳しい言葉だった。

 

「何事も初めから諦めていれば上達は望めん」

「あはは……そうだよね」

 

 まあ、あんな事を言われれば、面として口に出すかどうかは別にして内心誰もがラウラと同じ事を思うだろう。

 

「だが――もしエレナが剣の道に興味があるのであれば、私と共にアルゼイド流の剣術を学ばぬか?」

「えっ?」

 

 先程の厳しい言葉に少し気落ちした私は、彼女の口にした言葉の意味を理解するのにほんの少しだけ時間を要した。

 

「いやいやいや!私にはそんな大きな剣、持ち上げる事も出来ないよ!?」

 

 無理に決まっている。あの大剣が一体どれ位の重さがあるのかは定かではないが、あの大きさの鉄塊がとんでも無い重量なのは見れば馬鹿でもわかる。このラインフォルト社の最新製で軽い筈のアサルトライフルでさえ、今日一時間程で腕がだるくなっている位の私になんて物を持たそうとするのだ。

 いやいや、その前に剣の道を進む彼女なら、私にそれが無理な事位見なくても分かるだろう。

 もしかしたらラウラなりの冗談なのかと発想を変えた頃、何故か目を丸くしていた彼女がクスリと笑った。

 

「勘違いさせてしまった様だが、アルゼイド流とはあらゆる武器を扱う総合的な武術。私は父の跡を継ぐ為故に大剣を扱うが、決してそれに限ったものではない」

 

 例えば片手剣もあれば短剣もある、そう続けるラウラ。

 ここにきてやっと私は、お世辞か突拍子も無い誘いと思っていた認識を改める。

 

「幸いにもⅦ組には同じく剣で高い技量を持つ仲間もおり、よく共に手合わせをしている。学院の武術教練の授業が無くても環境に不足は無いぞ」

 

 きっと手合わせしている仲間とはリィンとユーシスのことだろうが――それよりも重要なのは、ラウラのこのお誘いを受けるべきか、否か。

 

 からかわれそうなので本人の前では絶対に言わないが、私の憧れはサラ教官だ。勿論、ラウラやリィンの様な剣士にも憧れるが、彼女のどんな間合いであっても強さを発揮する鮮やかなスタイルに目を奪われたと言っても過言ではない。

 導力銃と導力機構の付いたサーベルを自在に扱い、圧倒的なパワーとスピードで相手を封殺する――フィーには「アレは論外」と言われてしまったが、憧れる分には自由だろう。

 

 ラウラから剣について学ぶことが出来れば、一歩だけでもサラ教官に近づけるかも知れない。そんな淡い希望すら浮かぶ。

 もし、私もあんな風に戦えたら――。

 

「エレナ」

 

 私を妄想の世界から引き戻したのは、目の前のラウラではなくフィーの声であった。

 驚いて後ろを振り返ると、そこには一人で良いと海岸沿いの魔獣の退治に行ってしまったフィーが私を見上げていた。

 

「そなたは一人で海岸沿いを回るのでは無かったのか?」

 

 先程の微笑みを打ち消して悪感情すら漂うラウラ。声も冷たい。

 

「えっと……どうしたの?」

「もう海岸は全部終わったから。エレナの調子を見に来た。邪魔だった?」

「そっか、ありがとう……」

 

 口にこそ出さないが、少なくともラウラとの話をしている最中という意味では邪魔だったかも知れない。しかし……。

 

「え、えっと、ラウラ……一応、その……考えておくね?」

「ああ、分かった」

 

 ほんの少し、フィーに視線を向けたラウラは何とも言えない表情で口を開く。

 

「……私はあちらの方へ行くとしよう。視界からは出ないように心掛けるが、もしお互いを見失ってしまったら昼にまた会おう」

「あ……ラウラっ……」

「これは私自身の問題なのだ。気にすることはない。……それはエレナも分かっていると思うが?」

 

 まさか、昨晩マキアスとエリオット君に言った言葉を聞かれていたとは。

 あの二人がラウラに言う等は考えられないし、やはりあのテラスでの会話がラウラの耳に入っていたというのが正しいだろう。

 

 ラウラはフィーを嫌っていたり憎んでいたりしているのではない。しかし、やはり無理なのだろうか。

 

「ごめん……」

 

 フィーが小さく呟いた言葉は、何に対してなのだろう。

 落ち込んだ表情を見せたフィー。ぶつかり合ってこそいるが、ラウラにここまであからさまに避けられた事に少なくないショックを受けていたのは明らかだった。

 

「フィーが謝ることはないと思うよ。私はそう思う」

 

 私だってラウラを止めなかった。リィンが、アリサが私の立場だったらどうするのだろう。

 二人を説得するだろうか。それとも、私の様に出来る限り問題に関わらず、いつも通り接して”二人に任せる”スタンスだろうか。

 

 でもリィンやアリサなら、少なくとも今の様な事は起きなかった。そんな気がするのだ。

 

 

 ・・・

 

 

「ライフルはどう?」

 

 フィーがやっと口を開いてくれるまで十分は掛かった。やっぱりショックだったのだろうとは思うが、私には掛ける言葉が見つからない。

 悩むラウラの姿を知る以上、薄っぺらく彼女を批難するのは流石に筋違いにしか思えないのだ。故郷に居た頃は少なからずその様な同調のノリがあったが、このⅦ組にはそんな事を私の口から聞いて喜ぶ人は居ない。そう考えるとⅦ組の人は本当に良い人ばかりだと思ってしまうのだ。

 

「いい感じだよ。やっぱり威力がすごい違う」

「そっか」

 

 フィーは素っ気無さそうにそう呟くと、何かを探すように辺りを見渡した。

 

「じゃあ、アレを狙って」

 

 そして、大分先の崖の上をフィーは指差す。フィーの視力の高さに驚きながらライフルを構えると、スコープ越しに何やら大型の牛の様な魔獣が認識された。

 私の目には小粒にしか見えなかったというのに。

 

「339アージュ……この距離なら……」

 

 シャロンさんから渡されたこの銃、RF-XF1200の有効射程距離は400アージュ。導力拳銃と比べれば遥かに射程は伸びているが、空気抵抗による威力や弾速の減衰や風による弾道のブレ等を考慮すれば、やはり近ければ良いことに越したことはない。但し、普通のライフルであれば。

 ただ、この銃には射撃管制装置という絶対必中を保証してくれる物がある。

 

 スコープの中では、自動的に目標だと認識された魔獣が緑色の四角い枠で囲われている。これをスコープの中心になるように銃口を少しずつ動かしてゆくと……枠の色が赤へと変わり、この状態でトリガーを引けば確実に命中するのだ。

 

 私は赤枠の中にいる魔獣に向けて景気良くトリガーを長く引く。

 激しい発砲音と銃が跳ね上がるような連続する反動を受けながら、十発程度の弾丸を撃ち込み目標を沈黙させた――筈だった。

 

「あれっ、えっ……外した!?」

 

 スコープの中で、一瞬だけ体勢を崩した牛型魔獣が逃走する姿が見えた。

 

「やっぱり」

「え?」

「エレナはまだライフルに慣れてない。いくら射撃管制装置が付いていて、アシストしてくれても当たらないものは当たらない」

「え、えっと……」

「一発目は射撃管制装置のお陰で大体当たると思う。でも、その反動をちゃんと抑えれなかったらそれ以降は当たらないよね?」

 

 私の認識では絶対必中の筈なのに、その発想は甘過ぎたようだ。

 

「それにマシンガンじゃないんだから、基本的にフルオートは使わない方がいい。反動でブレてどうせ当たらないから、弾を無駄にバラ撒くだけ」

 

 特に遠くを狙うなら尚更、と付け加えるフィー。

 確かに今日私が倒した魔獣は遠いとはいっても50アージュも離れていなかったし、羽蟲等の比較的小さな魔獣であった。そう考えればイージーゲームな訳である。

 

 いつになったら私は一人前になれるのだろうか。そう思うと少し落ち込みたくなる。

 武器だけで強くなったつもりだなんて甚だしい――そう言われているみたいで。

 

「じゃあ、次は――」

「あ、エレナ達!」

 

 フィーの次のターゲットの指示を遮ったのはエリオット君の声。

 少し離れた場所で彼が手を振っていた。その隣にはマキアスも居る――そしてラウラも。

 

「あの下に魚の課題に使えそうな綺麗な小川があるんだが、昼も近いし川原で昼食としないか?」

 

 合流したマキアスがちらりと森の影の中に見える小川を指しながら口にした提案は、確かに魅力的だった。朝から三時間駆け回っていたのだ。流石にお腹も空く。

 

「ん。もうこの辺りは魔獣の駆除も粗方終わった。海岸沿いもオーケーかな」

「こちらはまだ少し掛かりそうだが――まあ、制限時間はたっぷりあるからな」

 

 南島と北島を行き来するためにはあの干潟を通らなくてはならない。潮の満ち引きの関係から干潮を待たねばならず、再び歩いて南島に渡れるのは約十二時間後となる。

 その為、私達はいくら早く課題を終わらせてもこの北島に後八時間は滞在することは確定事項なのだ。だから、時間はいっぱいあるのだ。

 

「じゃあ、私、お昼ご飯に貰ったバスケット持ってくるね」

「では――」

「じゃ――」

「一人で大丈夫。すぐ戻るから、みんなは川で待ってて?」

 

 私はラウラとフィーの言葉を遮って、そのまま荷物を置いている海岸沿いの小屋に向かって駆けた。

 ゴロゴロとした石に足を取られそうになりながらも、皆の姿が後ろに見えなくなる迄は勢いは落とさずに走りきった自分を褒めてあげたい位だ。

 

 あの場でどっちかを選ぶ何て私には出来ないし、二人を選んだら気不味すぎる。我ながら損な役回りだと思いながらも仕方が無いと諦めながら、肩で息をしながらトボトボと歩く。走ったからか、溜息が荒い呼吸に飲まれてしまう。

 

 十分程ですぐに辿り着き、酒場のお姉さんから渡された昼食と借り物の釣り竿を手に持って、小屋を出た私はふとした違和感を感じた。

 

 あたりが少し暗い。

 そう感じて上を見上げた私の顔に、灰色の空からの小さな水滴が当たる迄、僅かな時間も無かった。

 

(……雨?)




こんばんは、rairaです。
中々碧Evoが進まなくて困っています。零Evoの時もそうでしたが、やっぱりある程度同じ内容をプレイするのは中々進みませんね。分かっていたことですが…。取り敢えず今回はBGMが素敵でした。

さて前回は朝から色々と痛々しいことになっていましたが…今回は大して危険な相手では無いものの久しぶりの戦闘でした。実に15話ぶりだったり、私自身も驚きです。それだけ三章の学院での話が長かったんですね。また日常回が書きたくなってきました。

今回は複雑なラウラにスポットライトを当ててみました。この物語はエレナ視点ですので少し分かりづらいかもしれませんが…。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月27日 嵐の中で

 『海と山の天気は変わりやすい』とはよく言うものの、この季節にこんな大雨が降るなんて私にとっては想定外も想定外。全く思いもよらなかった。

 

 広大な帝国では場所によっては気候も異なる。故郷とこの島、そして、学院のある帝都近郊地域もそれぞれ違い、温暖で乾燥している南部では夏季は水不足に悩まされるほど雨は降らない。

 中間試験の頃の長雨でも同じ事を感じていたのだが、中々身に染み込んだ習慣や癖が直せない様に、やはり未だ私は色々な事柄で故郷を基準に考えてしまうのが抜けない。『三つ子の魂百まで』とは少し違う様な気はするけど、何となく本質は似ている気もする。何気に私がリフージョの村で暮らし始めたのは三歳の時だったし。

 

 今の状況と関係のない方向に思考がズレていくことに気付き、ハッと我に返る。関係ない事を考えて転けたりしたら目も当てられない。

 我ながらかなり急いで走ってはいるが、ただでさえ良くない足元でこの大雨だ。もはやいつ転んで体が泥まみれになるかも分からないのに。

 

(”女神様の気まぐれ”だと思っても納得出来ない……!)

 

 よく故郷の教会の神父様は悪い天気の時に女神の気まぐれと語っていたが、仮に本当なら……こんな唐突に大雨を降らすなんて空の女神様も流石に癇癪過ぎるだろう。

 

 ――結構不味い、そう脳内で警鐘が鳴らされる。

 

 最初は帽子に肌を湿気らす位だった小雨は、あっという間にまるでシャワーような強烈な雨となり、深く被った筈の帽子を染みて頭を濡らしてゆく。

 

 右手に昼食のバスケット――もう中身もびしょ濡れだろうが――左手にはレイクロード社の釣り竿、背中にはスリングの紐で負うような状態のライフルが走る度に左右に揺れて偶に痛くて、やっぱり重い。

 

 帽子の中も完全に水を含み、髪から額に流れるように雨水が走る。

 足がいつの間にか冷えている――冷たい雨水は容赦無く靴の中に侵入し靴下をたっぷり濡らし、まるで両足が水中に半分突っ込んだ様な音がしている。

 

 つい二十分程前にみんなと別れた場所に、やっと辿り着いた時、私は言葉を失った。

 なんと、先程見た小川は数倍の川幅の濁流となっていたのだ。

 

 あの近くに行くのは流石に自殺行為ではないか……そして、みんなの姿は見えない。

 置いて行かれた、見捨てられた――そんな感情が浮かぶ。

 

(そんな訳ない――Ⅶ組のみんなが私を見捨てる筈なんて無い……けど……)

 

 そう信じてはいるものの、少なからず不安になってしまう。

 だって、誰も居ないのだから。

 更に、全身ずぶ濡れで走っていた為に熱さと冷たさが混ざり、そんな私の身体の状態が不安を増大させる。

 それにいくらⅦ組のみんなでもこの大雨の中、私を探すのは難しいのでは……。

 

 気付けばいつの間にか雨粒が斜めに降っており、私の濡れた髪が風に煽られる。風が出てきた、これはもう本格的な暴風雨になるかもしれない――流石にこれは不味い所じゃなくて、やばい。このまま私一人ぼやっとしていれば命の危険がある。

 

(でも、どうしよう……)

 

 急に、いつの間にか一気に自分が子供になったような気分になった。まるで見知らぬ土地で迷子になったのに似た気持ち――額と顔を流れる雨水の冷たさと対照的な熱が目頭に溜まる。

 

 やばい、泣く――。

 

「エレナ、こっちだよ!」

 

 強い雨音はその声を掻き消し、声がどこから発せられたのかが分からない。もしかしたら、私の幻聴という可能性もあるかも知れない――しかし、例え幻聴であったとしても悲観的な気持ちは一気に消えた。

 

 目の前には数アージュの高さの崖、眼下には森林と濁流。この崖は少し左手奥から降りれるが――

 

「エレナ!」

 

 再び聞こえたのは、確実に仲間の声だ。

 私は恐る恐る崖の下を覗きこむと今迄死角だった岩肌にぽっかりと穴が開いており、その前にⅦ組の面々がいた。

 

 

 ・・・

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 強い雨音しか聞こえない中に、私の熱い吐息の音だけが響いた。熱くて、冷たい。

 

「大丈夫?」

「う、うん……めっちゃ頑張って走ったけど……」

 

 私の返事にエリオット君は心配そうにしてくれていそうな気がするが、人の顔に見ながら歩ける程この洞窟の入口は楽ではなく、隣を歩いてる彼と目を合わせることも出来ない。

 それにしても雨の中を走るという行為は非常に体力を消耗させるというが、それは本当なのだろうと実感していた。既にもう今直ぐベットに倒れこみたいぐらいだ。

 

「……中々戻ってこないから、本当に心配したぞ」

「マキアスは心配症――ごめん、心配かけた」

 

 少し前を歩くマキアスとのやり取り。冗談で返す私に、シルエットだけしか分からない彼が振り返り、彼の顔に張り付いているのは真剣そのもののである事を察する。

 

 雨の入ってくる入口付近からほんの少し歩くと共に、目がこの暗さに慣れてきて何となく洞窟の中の様子が把握出来てくる。

 その時、視界が白色に染まった。

 直後、鼓膜を大きく揺らす轟音が鳴り響く。

 

「ひっ……!」

「うわっ……!」

 

 思わず声が出て、ビクッと飛び上がりそうになる。いや、心臓は確実に飛び上がった。明らかに鼓動は早くなっている。

 いくつになってもあの恐怖心を酷く煽る落雷の轟音は苦手だ。子供の時の様に怖くて眠れないなんていう事は無いが、それでも怖いものは怖い。

 

 隣で手で両耳を押さえて、目をぎゅっと瞑ってしゃがみ込むエリオット君。

 

「えっと……エリオット君?」

「ご、ごめん……」

 

 彼は慌ててその場から立ち上がる。暗くて表情はよく分からないが、声から察するに恥ずかしそうにしているのかも知れない。

 

「雷、怖いの?」

「……う、うん……あはは……情けないよね……」

「大丈夫、私も怖いから。普通だよ」

 

 落ち込んでる男子相手にこんな事を思って良いのかは分からないが、私は少し安堵していた。

 

 ラウラやフィー達は雷なんてへっちゃらそうだし、マキアスだった怖がってそうには見えない。

 一人ぐらい私と一緒に怖がってくれる、普通の反応の人が居てくれた方が安心できてしまう。

 

「大きな雷だな……」

「ああ、そうだな……」

「光と音のラグが0.1秒程度……35アージュか。結構近いね」

 

 空気中の音の速度はおよそ秒速340アージュ。つまりこの距離以上離れていたら、閃光から轟音まで一秒の間が生じる筈である。

 あの差の時間を把握して、直ぐ様距離に直すフィーは流石だ。

 

「……それにしても……海と山は天気が変わりやすいと良く言うが、まさかこれ程とはな……」

「同感だ。こんなに大荒れになるとは予想外だったな」

 

 ラウラがマキアスの言葉に頷き、洞窟の入口へ顔を向ける。

 厚い雲に阻まれている様で外は結構暗く、雨が入ってこないように十アージュほど奥に入ったために採光の期待できない洞窟内は全く明かりは無い。

 この洞窟が明るくなるのは、時折轟音とともに洞窟内を閃光で明るくする落雷の時だけだった。

 

 

 洞窟内の地面は汚れてはいそうだが、もう棒になりかけている脚の悲鳴は無視できず、私はその場に座り込んだ。

 濡れたスカートと下着越しにひんやりとした岩肌の冷たさを感じて、ほんの一瞬の寒気を感じながらもそのまま背中も洞窟の壁面に預ける。

 

 疲れた。濡れた自分の身体はよく見えないが、まるで水を着ている様な感触だけである程度の状態はわかる。

 

「……とりあえず、ご飯食べない? 朝作ってもらったバスケットはちゃんと持って来たよ」

 

 現実逃避を兼ねて――自らの横に置いてある籐カゴを叩いて、皆に提案してみる。

 もう中身までぐちゃぐちゃに濡れていそうだけど、と付け加えて。

 

 考えても溜息しか生まれなさそうな事は取り敢えず頭の片隅に置いておこう。ご飯の間ぐらいは。

 

「しかし……」

 

 外は先程よりも更に暗くなり、この暗さではもう誰がどこに居るかも微妙だ。私も足を伸ばすと自分のつま先が何処にあるのか分からないかも知れない。

 マキアスの声色の通り、流石にこの状態でご飯は難しすぎるだろうか。

 

「うん。これは使えそう」

 

 いつの間にか洞窟の入口付近にいて、この空間の唯一光源をバックにしゃがむフィーが、少し太めの木の枝を数本手に持っていた。

 そのまま彼女は私達に軽快に近づいてくる。

 

「いや、しかし……まさか摩擦で起こすのか?」

 

 私達が座り込む場所の丁度真ん中辺りに集めた木の枝を置いてゆく彼女に、怪訝そうにマキアスが尋ねた。

 原始時代流の木と木で摩擦発火だなんて大人の男でも難しいと言われているのに――いや、フィーの身体能力なら出来ないことも無いだろうけど……。

 

「もっと簡単な方法がある」

 

 彼女の行動に難しそうな顔をするマキアスの疑問に一言で答え、木の枝を集めた場所から数歩下がり、おもむろに何かを取り出した。

 

「《ARCUS》駆動――」

 

 フィーの呟きとともに、暗闇の中に浮き出たのはアーツ駆動中に展開される赤色の魔法陣。

 ぼやっとした赤色の光にみんなの顔が照らされるが、誰もがフィーの行動を理解出来ていないようだ。

 

「いっ、一体!?」

「――《ファイアボルト》」

 

 マキアスを遮って、フィーがアーツ名を口にすると魔法陣が消え、彼女の手にする《ARCUS》から小さな火の玉が生まれる。

 辺りを照らしたその火の玉は木の枝の集まる場所へと直撃し、瞬く間に発火した。

 

「わぁ……!」

「そういう使い方が……」

 

 お互いの顔が見える位にまでは明るくなった洞窟内を見渡しながら、感嘆するマキアスとエリオット君。

 私もフィーの臨機応変さに驚きながら、気付けば彼女を賞賛していた。

 

「すごい……!」

「まぁ、前にもこんな事があったから。火が消えない様に燃えやすそうな物を集めてくれると助かるかも」

「ああ、わかった……!」

 

 フィーの言葉を聞いて、マキアスとエリオット君が明かりが届く身の近くの木の小枝や葉っぱを探し始め、無言ではあるもののラウラも一応は協力する様子を見せている。

 

(私も探さないと……)

 

 と、思いながらも身体が中々動かない。そんな私に最初に気付いたのがフィーだった。

 

「――エレナ?」

「って、ちょっとエレナ、びしょ濡れだよ!?」

 

 次にエリオット君。大きな声が洞窟内に響き、皆の視線が集まる。

 焚き火の明かりで水に濡れて色が変わった上着を見たのだろう。洞窟の外では皆が皆余裕が無かったので気付かれなかったが、流石に明かりがあれば隠す事は難しい。

 

「だ、だよね……」

 

 そんな間の抜けた返事しか出来ないのは、自分の状態を知っていたからだ。あれだけの大雨の中走ってきたのだ。勿論、上着はずぶ濡れだろうし、水を含んで重たさすら感じる。その中のシャツや下着も雨水や汗が染みて、肌にぴったりとくっつく感触が気持ち悪い。

 けれど、もう疲れきった私にとっては上着を脱ぐのも面倒で、同じくずぶ濡れの帽子すら被ったままだ。

 

 とりあえず、帽子と上着は脱いでおこうか……。

 

 まず帽子を脱ぎ、早く乾けばという期待を込めて焚き火の近くに置く。そして、制服の上着を脱ぐためにボタンに手を掛ける。透けちゃってるんだろうなぁ、と一瞬脳裏を過るが所詮は焚き火の明かり、流石に分からないと信じたい。

 上着も帽子同様に火の近く置く。帽子はともかくこっちは早く乾いて欲しい。

 

 ついでにたっぷり水を含んでタポタポと音がしそうなスニーカーと靴下も脱ぐ。気持ち悪い状態からやっと解放されて気持ちいいが、まるで長風呂してしまった時のような皮のふやけた素足はちょっと恥ずかしく、男子二人に見られたくなくて膝を抱え込んで隠す。

 

(正直、問題なのは上より下なんだけど……)

 

 目を少し落とす、こっちはスカートが完全に水を含んでおり、下着もぐっちょり。もう色々と酷い。

 スカート、早めに絞らないと。下着は……。

 

(脱いで乾かすのが一番なんだけど……)

 

 でも、男子の居る中で脱げるわけが無いし、彼らの目の触れる所で乾かすなんてもっての外だ。そんなのは流石に恥ずかしすぎる。無理、絶対無理。

 

 心配そうな視線を私に向けるマキアスとエリオット君は、私がこんな事を考えてるなんて絶対分からないだろう。いや、逆に察されたら非常に恥ずかしいのだけど。この場にA班側の男子がいなくて良かった。リィンやガイウスならピンと来るかも知れないし――ユーシス様は単純に尖すぎる。

 

「大丈夫……?」

「多分……大丈夫」

 

 エリオット君には何とか笑うことは出来た。主に諦めの意味合いの苦笑いだけど。

 

「とりあえず、このタオルを使ってくれ。頭だけでも拭いた方が良い」

「あ、ありがとう……ラウラ」

 

 小さなタオルハンカチを差し出してくれるラウラ。ちょっと高級感のある肌触りに、少し遠慮がちに濡れた前髪を拭いた。

 

 

 ・・・

 

 

「良かった……そんなに濡れてない」

 

 濡れた籐カゴの中に二重の紙袋に入っていたためか、私達の昼食はそれ程濡れてはいなかった。

 少し硬くて厚めのパン塩っぱいハムとポテトサラダが挟んである。あまり色は良く分からないのであくまで多分――だが。

 

「おいしい……」

 

 このままガブっとこのパンに食いつきたい――のだが、それでももっと味わって食べないと勿体無くて少しずつ少しずつ口を進めてしまう。一応、一人当たりそれなりの量は用意されてるのだけど。

 ポテトサラダはスパイスの味が強く、ハムの風味はいつも食べるものと違いかなり塩っぱいが、これが郷土の味という奴なのだろう。背中とお腹がくっつきそうだった空きっ腹には何でも美味しい。

 

「それにしても、更に強くなってそうだよね」

 

 パンを片手に洞窟の出口に目を向けているエリオット君の言う通り、雨音と落雷の頻度は少し強くなっている様に思う。

 

「……外の暗さから相当雲が厚い筈。当分はここから動けないね」

「当分は……って、8時に南島に渡らないと朝まで此処にいることになるんじゃ……」

 

 フィーの言葉に不安そうな顔をするエリオット君。

 

「まあ、そうなるね」

「今は1時過ぎ……後7時間か」

 

 《ARCUS》の時計で時刻を確認したマキアスが表情を曇らす。

 

「ここで一晩は過ごす覚悟はした方がいいと思う」

「ええぇ……」

「じゃあ、こんな嵐の中、海を渡るの?」

 

 エリオット君が少し情けない声を上げ、フィーが問い返す。

 

「だけど……」

 

 それは、自殺行為に等しい。ただでさえ、もう暴風雨といっても差し支え無い程の天候だ。海の荒れ方なんて想像したくもない。干潮になって砂の橋が出たとしても高波に拐われてしまえば一巻の終わりだろう。

 ここに好んで一晩も居なくはないが、外に出る訳にもいかないのだ。

 

「仕方あるまい。幸いこうして雨風を凌げて暖もとれている。空腹は避けられまいが、一晩位ならば何とかなるだろう」

「私も同感かな……」

 

 二つ目のパンの最後の一欠片を飲み込んで、私はラウラの言葉に同意した。

 想像以上に自分の声が小さかったが、ちゃんと意思は通じたようで安心する。

 

「……諦めるしか無さそうだな」

「……うん」

 

 マキアスもエリオット君も反対することはなく、今後の予定は天候が回復するまでこの場に留まる方向で決定だろう。

 もっとも単に他の選択肢が無いというのが事実なのだが。

 

 再び洞窟の中を沈黙が支配する。洞窟内に響くのはパチパチという焚き火の薪からの音のみ。

 

 静かにそれぞれのパンを頬張る皆の姿は、考えれば考える程暗くなるものだ。あれが明日までの最後のご飯だと考えれば、もっと大事に食べれば良かった。

 そんな事を考えながら焚き火を眺めていると、急に瞼が重くなってくる。

 

 どうせここから出ることも出来ないのだ――寝てしまっても――。

 

 

 ・・・

 

 

「くしゅっ」

 

 まどろみの中で急に寒気を感じたと思えば、くしゃみと共に目が覚める。

 暗い洞窟内にぼんやりとした焚き火。肌にまとわり付くじめじめとした湿気は外の雨のものか、私の濡れた服からか。

 

 鼻水をすすりながら、寒さを実感する。髪は少しは乾いてきただろうか、しかし絞り忘れた制服のスカートの水が冷えてお尻が冷たい。

 再び寒気に襲われて、自らの身体を抱き締めるように深く腕を組み、背中を丸める。

 触れ合う腕が冷えきって冷たい。

 

「……すまない、起こしてしまったか?」

 

 私を覗きこんでいたのは、申し訳無さそうな顔をしたラウラ。

 

「……あ……うん……あれ?」

 

 上着は脱いだ筈なのに、何故か上着が私の背中に掛けられている。焚き火の傍には私のものと思われる上着と帽子。

 この私のよりほんの少しだけ大きなサイズの上着が誰の物かはすぐに分かった。何故なら、上着を着ていないのはラウラしか居なかったから。

 

「ラウラの?」

「……上着無しでは寒いだろうと思ってな」

「ありがとう……」

 

 もう一度、ぎゅっと自分を抱き込む。

 上着を掛けてくれていても寒いのだ。無かったらもう完全に冷え切っていたかもしれない。

 

「気付かなかった。エレナ……そなた、濡れていたのは上着だけではなかったのだな」

 

 ラウラの視線が下、私の下半身に移る。

 お尻が、太腿が冷たい訳だ。私の座っている場所を中心にちょっとした水溜りの様になっていた。

 

「あ……その……大丈夫、だよ?」

「……身体も冷えているな」

 

 すっと左手をラウラの手に取られる。彼女の手が温かい。そのまま、ずっと触れていて欲しいと思うぐらいに。

 

「……ぬ、濡れてても大丈夫だって……!」

 

 タイミングの悪いことにそこで私はもう一度、くしゃみをしてしまった。

 私のバカ。みんなに心配をかけるなんて。

 

「ちょっと出てくる」

 

 そう告げたのはフィー。

 

「えぇ!?」

「待ちたまえ! この嵐の中何をするつもりだ!?」

 

 エリオット君が驚き、マキアスが強い口調でフィーを止め、ラウラは無言で無表情の彼女を見つめる。

 ラウラから目を逸らしたのか、私とフィーの目が少し合う。

 

「小屋から荷物を持って来る」

「……私の着替え?」

「それもある」

「だ、大丈夫だって……その……最悪は……」

 

 恥ずかしがらずにスカートと下着を脱いじゃえば……うう、避けたいけど。

 やはり、もうこのままでいい、と声を大にして叫びたい。

 

「エレナのだけじゃない」

「え?」

「私の荷物の中には非常時に使えそうな物も入ってる」

「だが、つい先程君自身がこの状況の危険性を話していたじゃないか!」

 

 少し感情的に声を荒げるマキアスだが、表情は至って真剣だ。真剣にフィーの単独行動を阻止しようとしている。

 

「……私は団でこれより酷い悪天候下での作戦行動の経験がある。波打ち際近くに寄らなければ、私にとっては然程問題無い」

 

 静かに意思を感じさせるようにフィーが口を開いた。それは、明確に自分は違うという意味合いを帯びていた様に思えた。

 

「……しかし、それでもフィー君も荷物も濡れるだろう!?」

「そうだよ、フィー。私は大丈夫だって……こうやって火に当たってれば全然マシだよ」

 

 マキアスと私は同調して彼女を止めようとするが、彼女の豊富な経験と知識を根拠とした分析は私達が現状を甘く見ていた事を突きつけられる。

 

「天気が崩れてから急激に気温が下がってる。これは寒冷低気圧の証拠。このまま夜を迎えるとこの装備だと厳しいかも知れない。それに――」

 

 フィーはそこで一呼吸置く。

 

「――このまま二、三日悪天候が続く可能性もある」

 

 私は絶句した。二、三日ここから動けなくなる可能性があるなんて、もう完全な遭難者ではないか。

 そして、マキアスも無言だった。彼から反論が無いと言うことが、フィーの分析が理にかなったものだった事を物語っている。

 

「エレナ程じゃないけどみんな結構濡れてるし、小屋にある全員の荷物を持って来る。非常用の食料もあるし、二日程度なら耐えれる筈」

 

 自分のことで精一杯だったので今迄目に入らなかった。確かにフィーの髪の毛先がいつもと違っているし、マキアスの上着の肩も少し色が違う。

 みんなもこの洞窟を見つける迄に少なからず雨に打たれたのだろう――そして、私の為に洞窟の外に出て私の名前を呼んでくれてた。

 

「でも……そんな無茶な!」

 

 全員分の荷物を持って来るなんて、フィーはこの嵐の中を何度往復するつもりなのだろう。

 

「私も行こう」

「え……?」

 

 ラウラの言葉に皆の視線が彼女に集まった。フィーを避けていたラウラが、フィーに賛同し協力するというのだ。

 私やマキアス、エリオット君も勿論だが、一番驚いているのはフィー。言葉の意味と今の状況が信じられない、という顔をしている。

 

「一人では大変だろう。それに私達や荷物が濡れてしまったとしても、ここまで持ち込めれば乾かせる。そして、二人の方が効率が良い」

 

 そこで一呼吸付いて、ラウラはフィーを見つめた。

 

「そうだろう? フィー」

 

 フィーの顔が驚きから真剣な表情へと変わる。交差する二人の視線。

 長い時間にも思える数秒の沈黙を破ったのは、フィーだった。

 

「……分かった。一緒に行こう、ラウラ」




こんばんは、rairaです。
やっと二章末まで進んだ碧Evoですが、やっぱりトワ会長も《G》もいないんですね。分かってはいた事ではあるのですけど…少しばかり残念です。

さて、今回は突然の土砂降りに心も身体もずぶ濡れのエレナとB班の面々のお話です。
前回、これまで刺々しく対立していたラウラとフィーの関係が、ラウラのあからさまな拒絶を理由に次の局面に入りました。
ただ、今回は非常時ということで二人も一時的に協力し合う事になりそうです。

原作のフィーが暴風雨の中を自由に行動できるかどうかは分かりませんが、この作品の彼女は壁走りしてしまう位ですし、《西風の旅団》であれば悪天候下での奇襲なんてのも有ったと想定して書いてみました。
ラウラは…アルゼイド流ならば問題無いということにしておいて下さい。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月28日 地の底の戦い

 フィーの持って来ていたランプの明かりを頼りに、焚き火から少し離れた場所でぱぱっと躊躇無く着替えを済ます。

 流石にここで時間を掛けるのは、洞窟の出口近くの雨が入ってこないギリギリの場所でこちらに背中を向けているマキアスとエリオット君に悪い。

 

 少し濡れている着替えの袋にびしょびしょの制服のシャツとスカート、下着類を突っ込む。これはブリオニア灯台に帰ってから洗濯だ。特別実習に来てまで洗濯だなんて……少し気は重いが仕方ない。

 

(そういえば、バリアハートは最高級ホテルだったからなぁ……)

 

 先月の特別実習で止まった帝国最高級の五つ星ホテルに思いを馳せる――残念ながらブリオニア島にそんなホテルは存在しないし、まず何よりこの島には宿屋が無かったりする。

 

 持って来ていた着替えはスポーティなTシャツとハーフパンツ。洞窟内のひんやりとした空気の中では少し寒いが、タオルケットやその内乾くであろう上着を着れば、流石に凍える事は無さそうだ。

 黒色のハーフパンツから伸びる自らの脚を見る。

 脚が短いというのはもう諦めている事なので頭の片隅に放り投げて、いつのも制服のスカートと比べる。案外、特別実習時は制服よりこっちの方が動きやすいのでは無いだろうか。勿論、制服も制服で中々良い素材が使われていたりするらしく、見た目よりも耐久力があるらしいのだが――今思い返すとスカートで走り回るのは抵抗感しかないのだ。

 

(私が短いスカートに慣れてないだけなのかなぁ……)

 

 トールズの制服、可愛いのだけどちょっと短すぎるのだ。これが帝都や都会のファッションなのかも知れないが、故郷に居た頃の適当な着こなしと、お店のエプロンが懐かしく思えてしまう。

 

 着替え終えた事を男子二人に伝えると共に、ラウラとフィーの待つ焚き火の場所へと戻る。

 

「ラウラ、フィー、ありがとう。また助けられちゃった」

 

 彼女達が一見すれば変わっていない様に見えるのは、外に出る時に上着だけは脱いでいったからだ。なので、実は上着の下に着る制服のシャツは今乾かしている所だったりする。それに下は制服のスカートではなくそれぞれ自分達が持って来た着替えの服で、ラウラはスペアなのか制服のスカートと全く同じ物だし、フィーはホットパンツだ。

 

「ん」

「当然のことだ」

 

 二人はお互いに距離を取って座っているものの、何となく以前より遠くなっている気がした様な気もする。

 私の気のせいかもしれないけども。

 

「雨、止みそうにないね」

「……更に強くなっていっている様だったな」

「波も相当高かった。今の海は大型船でも危ないかも」

 

 厳しい外の状況を聞かされた私は、そっか、と小さく呟いて二人の間に腰を下ろす。

 《ARCUS》に組み込まれている時計は午後四時前を指していた。

 

「このまま当分動けないんだろうし、少し休んだほうがいいね」

 

 この嵐の中、ここから海岸近くまで往復した二人に少しでも休んで欲しかった。いくら彼女達の身体能力が一般人離れしていたとしても、体力を消耗していない訳がないのだから。まあ、私が寝たかったという気持ちが全く無いと言えば嘘になるけども。

 

「エレナ、そなたが先に休むといい」

「だね。私は火を見ていなきゃいけないから」

 

 なんでこういう時ばかりこの二人は気が合うのだろう。この位仲良くしてくれれば私達の気苦労も減るというのに、なんて考えが一瞬頭を過るが――多分、この二人はそれぞれが私の為を思って本気でそう言ってくれているのだ。

 

「ラウラ、フィー。火は僕が見ておこう、他の皆も今は休んでおいてくれ」

「マキアス?」

「これぐらいしか今の僕には出来ないからな……」

「一晩中一人で火の番なんて無理。三時間で交代する」

「そうだ。マキアス、そなたはそれ程鍛えている訳でもなかろう?」

 

 一気に劣勢に立たせられるマキアス。たった三時間では彼も引き下がる訳にはいかないだろうが、ラウラとフィーへの反論は難しく、彼女らを納得させるのは更に難しい。

 

「じゃ、じゃあ、マキアスの次は僕が見るよ!」

「そう来たら、次は私だよね」

 

 そんなマキアスに加勢したのはエリオット君。そして、私もそれに続いた。

 

「君達……」

「はは、僕もこの位しか出来ないからね」

「ね、二人共。これでどう?」

 

 これで九時間、どうだ!

 丁度、私が二、三度寝してちょっと寝坊したのと同じ位の時間は休める筈だ。

 きっと今二人を交互に見た私の顔には、してやったりという表情が張り付いている事だろう。

 

 

 ・・・

 

 

(いざ一人になると寂しいなぁ……)

 

 私がエリオット君に肩を優しく揺すられたのは、交代時間の午後十時を少し過ぎた頃だった筈。

 寝起きの悪い私が少し寝過ごしてしまったのだけど、嫌な顔一つしない彼は本当に優しい。だが、もう少しちゃんと起こしてくれれば良かったのに、とも思わなくもない。

 そう、アリサやエマの様に。教科書で叩かれるナイトハルト教官流は勘弁だが。

 

 交代してから暫くの間、私は中々寝付けないらしい彼と皆を起こさない様に小声でお喋りして過ごすことなるが、楽しい時間も長くは続かなかった。いつの間にか彼は規則的な寝息を立ててしまっていて――もう少し話し相手をして欲しかったという我儘な気持ちと、私と話すのがつまらないかったのだろうかという不安に少し落ち込む。

 

 荒れ狂う外の状況なんてお構いなしな事を考えながら、独りで小さな炎をぼんやりと眺める時間はそれは長くて、とても退屈なものだった。

 火に焼かれた薪の音と、もう慣れてしまった激しい雨音。洞窟の中で反響し、前者はかなり大きく、後者はくぐもって聞こえる。

 

 交代の時間はまだだろうかと足元の《ARCUS》に私が手を伸ばしたその時、大きな地響きと共に視界が縦に揺れた。

 

「わぁっ……!?」

 

 私の声のせいか地響きのせいか、眠りについていた皆が飛び起きる。

 

「な、何……? さっきの……?」

「一体、なんだったんだ……?」

 

 すぐに揺れが収まった後も私達が狼狽える中、フィーとラウラは二人同じ方向を見ていた。

 洞窟の更に奥、真っ暗闇の中を。

 

「……この奥からか……地震、という訳では無さそうだ」

「確認してくる。皆は待ってて」

 

 双銃剣の片割れを片手に、空いた方の手に導力灯を持って立ち上がるフィー。

 

「待ちたまえ。単独行動は認めないぞ。皆で確認しに行くべきだ」

 

 

 ・・・

 

 

 暫し洞窟を歩いている間、私は微妙な違和感を感じていた。

 ひたすら進行方向は直進、傾斜も殆ど無い。更に奥に進むにつれて、いつの間にか壁や床、天井がくっきりと整ってゆく洞窟――これではまるで――その続きの言葉が頭に浮かんだのと同じ時、その場所を見た。

 

「これ……扉だよね?」

 

 エリオット君が目の前の切り立った壁を見上げて口にする。

 

「やっぱり」

 

 と、口にするフィーは歩いている時から想像が付いていたのだろう。

 辿り着いたのは明らかに洞窟という言葉では表せない異質な空間。

 これまで歩いてきた洞窟と比べて天井の高さは全然違い、目の前には高さ数アージュはありそうな巨大な扉のような石板が鎮座している。

 もっとも扉の様に見える彫刻かもしれないが。

 

「明らかに人の手が入っている遺跡だな……。巨石文明のものと見て間違いはなさそうだが……やはりこの洞窟は……?」

「ん。トンネルっていうのが正しいかも。かなり古そうだけど」

「な、なんか不気味だね……」

「……同感だな」

 

 エリオット君の言葉に頷くラウラ。導力灯に照らされる闇の中の遺跡は異様な雰囲気を纏っている。

 

 扉に近づいたフィーは一通り観察した後、まるでノックをするかのように扉を叩いた。

 

「結構な厚さがあるけど……この向こう、今何か気配が――」

「「気配が……?」」

 

 私は唾を飲み込む。気配、魔獣だろうか、それとも――。

 

「――危ない、退いて!」

 

 一瞬だけ反応が遅れるが、縦揺れの中をよろめきながらもその場から離れる。

 最初は言葉に反応しただけであったが、揺れる視界の中で扉が倒壊する様を見せ付けられ、警告の真意を悟った。

 

「扉が……!」

「もう、大丈夫みたい」

「今の地震の所為だろうが、水の侵食もあったようだな……」

 

 崩れた扉の残骸を見てマキアスがそう語る。確かに扉の反対側は水に削られた後があり、先程まで扉によって隠されていた通路の天井から水が滴っていた。

 

「――しかし……これは……」

 

 崩れた扉の向こうには天井の高い通路がぽっかりと口を開いている。しかし完全な暗闇という訳では無く、なんと壁がぼやっと光っていた。導力灯でも火でもなく、ただ光っているのだ。

 

「”苔”――みたい」

「苔……だと?」

 

 壁際に近づいて光の正体を確認するフィー。彼女は発光する苔に照らされた通路の奥に顔を向ける。

 

「……何か変」

「ああ、確かに何かがおかしい。この淀んだ空気は何だ……?」

 

 地震の原因は不明だが、もうこんな不気味な場所は御免だと、ここで来た道を引き返すのかと思いきや――

 

「って、入っちゃうの!?」

 

 素っ頓狂な声を上げたエリオット君の反応どおり、まさか二人は奥へと足を踏み入れ、少し先でこちらを振り返っている。

 しかし、その表情は硬いものだった。

 

「気を付けて。何か来る」

「え?」

 

 突然、壁から飛び出したのは黒い影。

 

「うわぁっ!?」

「なっ!?」

 

 それは直後に、ラウラの大剣に薙ぎ払われ、両断されるが――気付けば通路の天井や地面に空いた穴から次々と飛び出してくる。

 

 まるで悪魔を連想させるかの様な、邪悪な刺々しい牙を露わにした口のある木。いや、木なのだろうか――まるで薔薇の茎のような刺があり、木の幹のように太いが、滑らかで木というより弦に近いようにも思える。明らかに異形だ――その身体を左右にくねらせる姿はもう見ているだけで身震いを抑えれない。

 まるで、地獄の植物――こんな邪悪そうな魔獣がこの世に居るとは俄に想像し難かった。

 

 気付けば目の前には十本以上の異形の植物魔獣。完全に行く手を阻まれる形になっていた。

 

「くっ……! 何なんだ、こいつらは!?」

 

 マキアスが散弾を群れの中に打ち込み、反響した銃声と金切り声に近い魔獣の奇声が鼓膜を通じてお腹を響かす。

 

「数が多すぎる」

「……うむ」

 

 ラウラとフィーの二人からなるB班の前線部隊は、連携こそなくてもⅦ組随一の高い戦闘能力をいかんなく発揮している。しかし、何分相手の数が多すぎた。

 

 一体倒しても、またいつの間にかに一体が姿を表している。一気に倒さなくてはここを抜けるのは難しい。しかし、この様な狭い場所では彼女達の奥の手は有効に使えないのは明白だ。

 幸い彼女らとマキアスが魔獣を足止めしながら戦ってくれているお陰で、私の所には直接的な攻撃は未だ来ていない。

 あの数の異形の魔獣といつまでもぶつかり合っていても埒が明かないだろう――私はどうするべきなのだろう。どうしたら、目の前に立ちはだかるあの魔獣達を一掃できるだろうか。どうすれば、私はこの戦いで役に立てる……?

 

「《ARCUS駆動》――!」

 

(あ……)

 

 ――そうか。

 隣でアーツを駆動させたエリオット君の声が、私にとって最大の助けとなった。

 すぐさまポケットから自らの《ARCUS》を取り出し、その中心にある他より少し大きな銀耀石の結晶回路に触れる。

 

「支援するよ!《ARCUS駆動》――!」

 

 私は導力魔法(オーバルアーツ)が苦手だ。

 アーツは人によって向き不向きが有り、個人の才能が大きく影響する。それは、戦術オーブメントである《ARCUS》の盤面を見比べれば一目瞭然だ。

 今、私が手に持つ《ARCUS》の盤面は比較的平均的な部類ではあるが、どうしてもずっと苦手意識を持っていたのには理由がある。

 一旦アーツを駆動させれば発動までの時間は集中力を維持しなくてはならない。駆動中に他の行動をとることは推奨されず、集中を乱せばアーツの威力効果に影響が出たり、駆動時間が更に伸びることに繋がる。それも、危険と隣り合わせの戦闘中なのにも関わらず。

 

 私が自らの《ARCUS》に組み込んでいる結晶回路(クオーツ)が戦闘中の身体能力の強化を目的とした物が多いのも理由の一つかも知れない。Ⅶ組の中ではあまり戦闘能力が高くない私は、どうしてもオーブメントの強化に頼らなくてはならない。

 いまこうして右手で開かれている《ARCUS》の盤面には、金耀石と黒耀石、そして紅耀石の能力強化効果のあるクオーツが嵌めこまれている。

 

 そして、最大の理由は七耀石の生み出す導力エネルギーへの親和性も私は大して高くもない事だ。今でも私がアーツで攻撃するより、才能のあるエリオット君が攻撃した方が効果――威力は遥かに高い筈だ。

 そう思うと少しバカバカしくも思う。

 

 だけど――”攻撃目的の”アーツでなければその限りではない。

 

「――いっけえ!」

 

 何処からともなく銀色の剣が降り、”銀の茨”の名の通りに異形の魔物を円状に取り囲む。

 そして、その楔の内側に浮かび上がる白色の五芒星の陣。

 五芒星からの巨大な光芒が遺跡の天井に向けて爆発し、場が狂気に満ちる。

 

 私はその時、信じがたい光景を目にした。

 眩い白色と紫色の幻属性の閃光で染まる視界の中、魔物の影が消え失せてゆく。まるで、崩れるように、溶けるように。

 強烈な光の奔流の音の中に、何体もの異形の魔物の断末魔の叫びが混じる。

 明らかに様子がおかしい。

 

「なっ……」

「ええっ……!?」

 

 そして、光が消えた後には魔物の痕跡は何一つ残らず、地面には数え切れない程の七耀石の小さな結晶が散らばっていた。

 この状況が物語るのは一つしか無い――あの異形の魔物達はその身体を維持する事が困難な程の導力魔法の力を受けて消滅してしまったのだ。

 

「エレナ、凄い!」

 

 隣ではアーツ駆動中の魔法陣を解除して、私を褒めてくれるエリオット君。結果的に、私は彼の仕事を取ってしまった形かもしれない。

 

(私、こんなに強かったっけ……?)

 

 そんな、馬鹿な。エマやエリオット君じゃないのに。

 

「……おかしいね」

 

 徐ろにしゃがみ込み、七耀石の小さな欠片”セピス”を一粒摘むフィー。

 

「《シルバーソーン》は強力なアーツだけど、ここまでじゃない筈」

「フィー、よく分かったね?」

「アーツの魔法効果を見れば直ぐに分かる。ちょっと前にエプスタインのリストに追加されて、流行ったアーツだから」

「流行った?」

「こっちの話。便利なアーツだから、どんな戦場でも重宝する」

 

 ああ、なる程。混乱させる効果が便利だということなのだろう。私もそれを狙って使ったのに、まさか魔物を全滅させるとは思わなかった。

 

「《ARCUS》の説明書は一通り読んだが……そのアーツはそこまで高威力な上級アーツという訳では無いな……確かにマニュアルのリストに書かれていたより、かなり威力があり過ぎる様にも思える」

「もしかしたら幻属性が弱点の魔獣が居るとか?」

 

 エリオット君が何気なく口に出したと思われる推測に皆の目が点になる。多分、私もだろう。

 

「……幻属性が弱点?」

「馬鹿な……上位三属性が弱点なんて……あり得ないぞ」

 

 思案するフィーと否定するマキアス。

 

 士官学院の実技教練ではアーツの使い方に関しても基本項目として教えられる。攻撃アーツであれば基本四属性で魔獣の弱点を付き大ダメージを与えるのが定石であり、弱点属性の判断の付かない場合は上位属性のアーツでダメージを与えるのも良い――等の実戦での基本事項だ。

 何故、弱点属性が分からない場合に上位属性のアーツを利用するかといえば、それぞれ物質的な属性を司る基本四属性とは違い、時間・空間・認識作用を司る上位三属性への耐性を持つ生物はこの世に存在しないとされているからである。同時に、それらの属性を弱点とする生物も存在しない。

 

 簡単に纏めると、上位属性のアーツはどんな相手でも”それなり”の威力を発揮する便利さがある。

 

 なのにも関わらず――結果としては目の前の通路に居た魔物は消滅してしまった。

 一体何なのだろう。あの魔獣は、この場所は……どうしても腑に落ちなかった。

 

 

 ・・・

 

 

 

 ぼやっとした苔の明かりで不気味な通路。その奥へと進み続けた私達の目の前に現れたのは、巨大なドーム状の地下空間と明らかに人間ではない大きな人影であった。

 その巨体の拳を地に向けて振り下ろされると、視界が縦に激しく揺れる。アレが地震の正体であった。

 

「ゴーレム……伝承の魔法生物か……」

 

 小さく呟くラウラ。あれがお伽話の錬金術師が作った忠実な石人形だというのだろうか、想像してた物よりずっと大きい。

 

「エレナ、距離わかる?」

「えっと……33アージュ」

「……結構あるね」

 

 と返すフィー。あのゴーレムは地下空間の丁度中央にいる。地下にこんな巨大な空間があるのだから、私も驚かずにはいられない。

 

「私が牽制射撃して、ラウラとフィーの突入を助けるよ。壁に寄っかかれば反動を何とか抑えれそうだし」

 

 無言で頷いて、踏み込むフィーとラウラ。

 

 自分の提案通りに、最初の初手は最も射程の長い私となった。

 まだ結構マガジンの中身は残っている。これを全部撃ってしまえば、ある程度ならあの硬そうなゴーレムにダメージを与えれるだろうか。

 

 二人が位置に付いたのを確認し、巨大な岩の人形を囲むようにラウラとフィー、そして私達三人が正三角形の位置取りが完了する。

 もう考えている時間はない――私はすぐ隣のエリオット君とマキアスに合図を送る。

 

 そして、引き金を引いた。

 

 

 ・・・

 

 

 ゴーレムとの戦いを始めて一体どれぐらいの時間が経ったのだろうか――いつの間にかライフルの反動にも慣れきってしまい、フィーがゴーレムへ攻撃するタイミングからワンテンポ遅れるように合わせて、まるで機械的な反射の様に二回引き金を引く。

 標的は大きく暴れて、巨大な腕を妖精の様な立ち回りを見せるフィーに向けて振るうが、そこに合わせてライフルより大きな発砲音が空気を響かし、畳み掛けるように凄まじい速度で水柱が直撃する。

 

「エレナ!」

 

 この掛け声の数秒前には、私は《ARCUS》の戦術リンク相手をフィーから声の主であるラウラに移していた。

 フィーの攻撃が終わり、次はラウラ――そうやって攻撃役の二人と適宜戦術リンクを組むことによって、私は攻撃後に生まれる僅かなゴーレムの隙を突いて遠距離から追撃をお見舞い出来る。そして、それが成功すれば更に大きな隙を生み出し、次の攻撃へのチャンスが生まれる。

 

 ラウラが巨大なゴーレムの左肩を斬りつけ、その一撃に気を取られたゴーレムが体勢を崩す。

 

 私はこの時を待っていた。

 冷静に引き金を少し長め引く。相変わらず壁に身体を密着させているので、激しい反動はある程度に抑えられているものの、やはり少なからずブレている事だろう。

 だが、相手はあれだけの巨体である。いくらなんでもこの距離で全弾外すことはあり得ない。

 間髪入れずにマキアスの牽制射撃が入り、私は再びフィーとの間に――。

 

「ぐっ……!」

 

 脳裏で光る苔の生える巨大な岩が物凄い勢いで迫った。幻覚ではない――今まさに、ラウラがあの巨体の岩の腕の攻撃を受けたのだ。

 

「ラウラ――!?」

 

 岩の腕の直撃を受けたラウラが地に叩きつけられる。

 

「こ……こっのぉっ!」

 

 仲間を地に叩きつけられる様を目の前で見せられた私は、激しく昂ぶった怒りを十数発の弾丸という形で一気に叩きつける。

 怒りに我を忘れていたわけではない。しかし、気が付いた時にはそれまで跳ね上がるように暴れる銃口が動きを止めていた。弾切れ――もう30発入りのマガジンを使い切ったのだ。

 

(不味い……!)

 

 通路の異形の魔物と遭遇した時に一本目を使いきり、先程の牽制射撃で二本目を、今ので三本目を使いきってしまった。弾の入ったマガジンはもうポケットの中には無く、後は腰のホルスターの導力拳銃《スティンガー》しかない。つまり後10発も無い拳銃弾を撃ち尽くせば、私に残された攻撃手段はアーツしか無くなる。

 

 無論、この距離を導力拳銃が狙える距離である筈も無く、もう私は戦術リンクで追撃することも出来なくなったのだ。

 

「ラウラ! 大丈夫か!?」

「ああ……! 少しかすり傷を受けたに過ぎない」

 

 大剣を杖のようにして立ち上がるラウラの言葉が嘘であるのは、リンク状態である私には手に取るように分かった。それでも彼女の決意は固い。

 

「マキアス! そなた達は援護を! 私がここで囮になる! フィー、背後に回るのだ!」

 

 再び腕を振り上げたゴーレムへ一撃を見舞った彼女が叫ぶ。

 

「馬鹿な事言わないで。私が囮になる」

「そなたこそ馬鹿なことは言うな! そなたの身体ではあの攻撃を受け止めきれん!」

「躱せばいいだけ。私の攻撃よりラウラの攻撃の方がこの魔物には効く筈……!」

「そなたの動きがもう鈍くなっている事ぐらい分かる!」

 

 フィーとラウラ、それぞれが敵の巨体と戦いながら激しい言葉の応酬を交わす。

 戦闘が始まってから既に結構な時間が経っている。ラウラが攻撃を貰ってしまった様に、私がもうライフルを使えないように、皆の体力も集中力も限界が近づいていた。

 

 そんな時、二回、鼓膜を揺らす轟音が響く。

 頭部に直撃したのか、蹌踉めく岩の巨体。

 

「こいつを倒すのには君達の力が必要だ。それぐらい僕でも分かる」

 

 それはマキアスの声。

 

「ここは僕に任せたまえ――」

 

 私の数アージュ前方にいる彼は、ここからでは背中しか見えない。

 ゴーレムが攻撃を受けた方向――つまり、マキアスのいるこちらを向く。

 

「――その代わり、止めは頼んだぞ。ラウラ、フィー」

 

 ラウラとフィーの言葉を打ち消すように、マキアスのショットガンが火を噴き、散弾が文字通り岩肌に炸裂する。

 散弾銃の反動は相当なものだ。

 それを堂々と立って次々に撃ち込むマキアスの姿は、まさしく私達B班のリーダーに相応しかった。

 

 エリオット君の《ハイドロカノン》が、私の《フロストエッジ》がゴーレムに直撃して、その足を遅らせる。

 必死の時間稼ぎも虚しく、ゴーレムはもう大分近い。後衛の私達からでも十アージュも離れていない無いだろう。

 そして、私達を庇うように立つマキアスには、間もなくゴーレムの硬く冷たい岩の剛腕が届く頃合いだ。

 だが、マキアスには諦めた様子はなかった。

 岩の剛腕が振るわれようとしている、その腕に向けて彼は銃口を向けた。

 

「マキアス、逃げ――!」

 

 《ARCUS》から手を放し、咄嗟に導力拳銃を取り出して立て続けに引き金を引く。

 だが、彼は信じていたのだ。

 

「我が渾身の一撃食らうが良い――」

 

 リンクを結んだままのラウラの視界が私の頭の中で”視え”、彼女の声が響く――もう至近に迫ったゴーレムの巨体の背中側、私からでは見えない場所の一人の少女もその片隅にちゃんと見えた。

 

「奥義・洸陣乱舞!」

「シルフィードダンス!」

 

 タイミングは私でも分かる程合っていない。戦術リンクを結んでいる訳でも無い。

 でも、絶対にこの二人ならやってくれる。そんな、確信が確かにあったから。




こんばんは、rairaです。

前回は突然の嵐とラウラとフィーの一時的に協力し合うお話でしたが、今回は地下での戦闘のお話となります。

私の想像ではブリオニア島はノルド高原と同じ意味合いを持つ場所だったりします。ですので今回は、上位属性の有効等ノルドの石切り場+旧校舎の様な場所を登場させてみました。
魔獣もノルドで登場した物を引っ張って来ていたりします。あのノルドのゴーレム、手配魔獣にしては強いんですよね。

次回で長かった三章も終わりとなる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月28日 大人と子供と答えの一つ

 昨日の北島での活動で散々な目にあった私達B班。

 朝はまだ風と波の強さが危険だったとの事でアルマン軍曹が船で私達を助けに来てくれたのは、もう日も高く昇っていた頃だったりする数時間前。それでも、あの嵐が一晩で島を過ぎ去ったのは不幸中の幸いではあった。仮にあのまま洞窟で二、三日も過ごすなんて色々な意味でもう目も当てられない。

 

 やっとの思いで灯台に戻ったは良いものの、私達は一夜越しの活動によって完全に満身創痍になってしまっており、昨晩の戦闘の功労者でもあるラウラとフィーの二人は、戻って来て間もなくそのまま眠りに落ちてしまった。流石に体力の限界が来たのだろうと思う。

 マキアスは少しフラフラしながらも何とか頑張っている、クマは結構酷いけど。

 

「悪天候で活動に支障が出たのはそれなりに加味されるだろうと思う」と、マキアスは評価の予想について語ったが、それはどちらかと言えば願望に近いのは私もエリオット君も良く分かる。言っているマキアス自身がそんな顔をしているのだから。

 嵐の後ということもあって、北島の川は釣りが出来るような状態では無く、昨日の釣りの課題も出来ていない。今日一日このまま過ごせば私達はたった一件の課題達成でトリスタに帰らなくてはならないのだ。

 いくら嵐の件が加味されても良い評価を貰える筈が無い。精々、平均的でしたといった「B-」か「C」位といった所。

 

 だから残った動ける三人で話し合い、実習地であるこのブリオニア島について纏めたレポートを詳しく書くことにしたのだ。

 まあ、主にマキアスの発案で、彼の強く必死な、半ば強引な推しによるものであったのだけど。やはりエマと学年主席の座を争う彼としては、四月の特別実習程では無いものの低い評価は許容できないのかも知れない。

 

 こうして昼下がりの午後、ブリオニアの集落に繰り出した私達三人は目抜き通り沿いの食料品店を覗いていた。一応、看板には「Grocery」とあったので食品が主ではあるものの、大体田舎のお店の例に漏れず色んな物を手広く扱っている。

 生鮮品もあれば加工食品、調味料用の香辛料、茶葉やお酒に煙草。そして、文房具に新聞や書籍、挙句の果てには何やら銃の弾の様な物まで置いている。

 

「うわぁ、結構高いね」

 

 高いと口にしたエリオット君が見ていたのは、これまた色んな種類の缶詰が置かれた棚だった。

 主に魚やランチョンミートの缶詰が多いが中には果物なんかのもある。丁度目についたトマトの缶詰なんて商品名自体に”サザーラント”という地名すら入っており、私の故郷の土地産の野菜が缶詰になって遥々ここまで来た事を物語っている。

 今更気付いた事ではあるが、この島に来てから生のトマトを見ていない。食文化の違いか、それともトマトが育たない土地なのかも知れない。そう考えるとこの高い値段も納得できるものなのかもしれないが、それにしても他の缶詰達の値段も総じて高いのは一体どういう訳なのだろうか。

 

「そうだな……まるでヴァンクール大通りのデパートの値段だ」

「確かに少し高めだよね……」

 

 二人の反応から、帝都のデパートも結構物価は高い、という役に立つか分からない情報を得ながらも店内を見渡す。

 何となく想像は付いていた事だが、魚やじゃがいも等の一部の野菜以外は結構な物価の高さである。これは……。

 

「やっぱり、船で本土から持って来ている物が高いのかな?」

 

 エリオット君の言う通りそれもあるだろう。輸送コストというのはかなり仕入れ値に影響するものであり、私の村でもこれは重く伸し掛かっていた。

 だが、この島においてはそれだけではない。

 

「うん、でも……多分これは――」

「なるほど……確かにこの島はラマール州――カイエン公爵領だったな」

「そっか、ケルディックの時に言ってた……」

 

 商取引税率を二倍以上に引き上げ、所得や資産に対する課税も強化。同時に導力車や贅沢品に対する税も新たに導入する事が定められた臨時増税法。それはここ、西の最果ての島にも確実に影響を与えていた。

 

「よっ!」

 

 レポートに書く内容を頭の中で整理している私達の背後から大きな声を掛けられる。

 振り向いた先には金髪の少し無造作なショートカットの女の人、アルマン軍曹の幼馴染のロミーさんがニカッと笑顔を浮かべていた。そういえばこの食料雑貨店の隣は彼女の働く酒場だ。

 

「あれ、暗い顔してどうしたのさ? まだお疲れさんかい?」

 

 昨日は災難だったね、話は聞いたよ――と暗い顔の理由を勘違いして続ける彼女に、昨晩の心配をかけた件について謝る私達三人。

 

「それはそうと、三人でどうしたのさ? ちょっと遅めの昼飯?今から作んの?」

 

 立て続けに聞いてくる彼女は私の二倍近く生きている大人の人とは俄に思えない。なんというか、同級生と話している様な感覚に陥りそうになるのだ。彼女のこのテンションが、どうにもヴィヴィっぽい。

 

「いえ……その……」

 

 厳しいと予想される評価を少しでも嵩上げする為に、島のレポートを書こうとしている事を簡潔かつ少し柔めに伝えると、その場で大声で笑いだしてしまった。

 

「ははっ! 学生だねぇ。日曜学校の夏休みの宿題を思い出したよ」

「日曜学校位簡単な物であれば良かったのですけど……」

 

(あ。めっちゃわかる……)

 

「うーん……その課題ってやつは、この島の人間が依頼したらそれでいいの?」

「一応、どんな依頼でも評価対象ではあるのですけど……もしかして?」

「じゃあ話は早いね。うちの店、手伝ってくれよ!」

 

 ここに買い物に来たのだろうと思われるロミーさんは、本来の目的を忘れてしまったのか足早に雑貨店の外に出てしきりに、隣の自らの店を指差す。その屈託の無い笑顔は女の私から見てもとても可愛らしいもので、多分普通の男であればイチコロで手伝いに行ってしまう様な気がする。うん、多分リィンならイチコロかも知れない、だって胸、大きいし。

 

「いやさー、朝波高くて漁で出なかったジジイ共が昼間っから溜まりやがって大忙しなんでさぁ」

 

 両手で少し大袈裟なジェスチャーを交えて説明するロミーさん。うん、やっぱり大人っぽくない。

 

「とりあえず、君なんでもいいから料理作れる?」

「えっとー……」

 

 料理……?

 

「りょ、料理ならっ……」

 

 決して出来ない訳ではない。これでもそこそこは大丈夫、でもいくら何でもお店の料理は無理。私はチラッと隣の紅茶色の髪の少年を覗う――そして、心の中で一言、ごめん、と謝った。

 

「エリオット君が上手いです!」

「えぇ!?」

 

 予想もしてなかった突然の振りに彼は驚く。

 

「確かにエリオットの玉子料理は格別だからな……ああ、その方が良いかもしれないな。確かに」

 

 待った。マキアス、何故私の方を一瞥したのか。なんで『確かに』って二度言ったのか。取り敢えずこの場を乗り切ったら、詳しく聞かせて貰おう。

 

「へぇ……玉子料理か……まぁ、男衆ならなんでもイケるだろうし、帝都風の料理を食べる機会も珍しいからな……よし、今すぐキッチン入れ!」

「ええええ!?」

「頑張れ、エリオット君!」

「ああ、エリオット期待しているぞ!僕達の活路を開いてくれ!」

 

 私達の評価の為に!という本音がだだ漏れなのは仕方が無い。

 それ程、切羽詰まっているのは確かなのである。

 

「じゃあ、私達は……バロンの所に――」

「ああ、そうだな。早めに報告の方も――」

「おい、何行こうとしてんだ。メガネ君は皿洗い、そっちの子は接客だかんな。おっし、入った入った!」

 

 少し瞳に光るものを浮かべながらマキアスと私の名前を呟いていたエリオット君の顔がぱっと明るくなる。

 

「な、何だと……!?」

「え、えっと、私たちは……」

 

 酒場のウェイトレス――酔っぱらいの相手ではないか。故郷では何度か酒場もお手伝いした事があるけども、大方顔を赤くしたオッサン達が下品な下ネタでからかってくる。やれ、小さくて色気ないだの、アイツとどこまで進んだだの――大体、学院でも深夜に帰ってくるサラ教官が面倒臭いのなんの。

 

 しかし、残念ながらこの場を上手く乗り切る方法は思いつけなさそうだった。

 

 

 ・・・

 

 

 マキアスが倒れた。いや、正しくは流しに突っ伏して寝ていた。とても安らかに、そして、満足そうに。

 まったく、だからあれ程、休むようにみんな言っていたのに。いざ、スイッチが入ってしまうとマキアスも直向きに一直線に頑張ってしまうのだ。

 

 心の中で自業自得だと思いながらも、気持ちは分からなくもない――今回の特別実習は皆それぞれ思う部分はあるのだろう。そんな事を考えながら、人通りの少ない夕方の通りを私は港の方向へと歩いていた。

 

 何はともあれ午後七時を回る頃には、漁師の早い明日の為か客入りも少なくなるという漁村独特の光景を見て、お手伝いも終わりとなった。

 

 ロミーさんからはお礼として晩ご飯に食べれそうな物を報酬として貰い――実は私は何気に結構な額のチップを酔っ払いのおじさん達から貰っていたりもしたが――マキアスはフラフラしながらもエリオット君に支えられて灯台へ戻り、私は一人でバロンの元に昨日の件の報告へ向かっている。本当は三人でする筈だったのだが、まあ、流石に仕方無い。

 

 小さな港の端のこれまた小さな桟橋に、老人が一人佇み釣り竿を垂らしている。

 なんて分り易いのだろうと、少し内心で笑いながら木板で作られた桟橋へと足を向けた。

 

「やぁ、お嬢さん」

 

 老紳士の背中まで後数アージュというところで足元の木が軋み、彼がこちらを振り向く。

 少しの緊張を抱えて、私は少し形式張った挨拶を返した。

 

「……モルゲンさん。すみません、頂いた依頼なんですが、結局――」

「何、気にすること無い。女神様の気まぐれであれば仕方があるまい?」

「ですが……」

 

 アルマン軍曹から聞かされた話では、三日目の課題はモルゲンさんの一存で全て取り消しとなり、封筒すら渡されなかったのだ。

 

「君達が無事に戻って来たことが、私にとってもウォルフにとっても、この島の皆にとっても一番の事なのだよ」

「そう言って頂けるだけで……」

「ふふ……だがまあ、釣りは今からでも遅くは無いのだよ?」

 

 桟橋に腰掛ける老人は自らの釣り竿をそっと上げた。

 

 

 いつの間にか穏やかになった海の波に糸が規則正しく揺らされる。日はまた少し傾いてはいるが、まだまだ沈むのには時間がかかりそうだ。

 

「ともあれ、本当に良かった。君達も中々難儀なものを抱えている様子だったからね」

「やはり、分かってしまいますか」

 

 たった昨日の昼の一度しか会ったことの無いのにも関わらず、私達B班が上手くいっていない事を察してたなんて凄い人だ。

 

「勿論、君の事もだ」

「……私は……ちょっと疲れてしまいました……」

 

 勿論、昨晩の事や酒場のお手伝いといった肉体的な疲れもあるが、そちらではない方だ。何事も一筋縄では行かない、自分の事ですらよく分からず手一杯、それなのに人は他人の事やもっと大きな事も考えなくてはならない。いくら考えても、悩んでも、答えが出ない内に思考の中で迷子の様になってしまう。そして、迷子は歩き疲れてしまった。

 

「そういう時は、羽を休めるといい。そこの鴎のように」

 

 後ろを振り向くモルゲンさんに倣って振り返ると、桟橋の端に一羽の鴎が止まって、その嘴で何やら羽の手入れをしている。毛繕いといった所だろうか。

 

「今、私も休ませてもらっています」

「それは結構」

 

 老紳士の笑顔につられて、思わず私も笑ってしまう。

 小さく二人で笑いあった後に、モルゲンさんは目を細めて何処か遠くを眺めながら口を開いた。

 

「この歳になってくるとね、ふと思うのだよ。どんなに歳を重ねても、大人になるまでの時間が人生の中で一番長かったと」

「え……?」

 

 少なくとも私の数倍――六十をとうに過ぎたと思える老紳士からそんな言葉を聞くとは思わなかった。私が彼の歳に追い付くためには後半世紀は必要だというのに。

 

「それだけ、青春時代とは人を形作り、色褪せても輝き続けるものなのだ。そこからは本質的な進歩なんて早々ある訳でもなく…………ただ、大人という言葉に縛られて外面だけを取り繕う臆病者になるだけだからね」

 

 もう君もほんの少しは分かる年頃かも知れないね、とモルゲンさんは小さな微笑みを向けた。

 外面だけを取り繕う臆病者――何となく分かるかもしれない。

 

「答えなど出なくても良い。ただ、若き日にそうして苦しんだ事、悩んだ事、迷った事――それはいつか君達にとって大きな財産となる。だから、大切にしなさい?」

 

 優しい顔で私を諭す老紳士に、私はしっかりと深く頷いた。

 

 その後、モルゲンさんとの間には殆ど他愛もない話題が続いた。士官学院の話もあればリィンや他の仲間の話――そんな、本来何の為に此処にいるか忘れ去った頃、突然、私は腕を引かれた。

 

「……あっ……!」

 

 不意に引かれた為にバランスを崩して思わず一気に海へ体を持っていかれそうになり、咄嗟に立ち上がって踏ん張る。

 流石にまだずぶ濡れになるのは勘弁だ。

 

「これ、どうすればいいんですか!?」

 

 ちゃんと立っていれば何とか問題は無いが、得物の力が弱い訳では無い。むしろかなりの勢いで引きこまれており、動き回る竿先は引っ張られて私も必死になって釣り竿を握っているのがやっとだ。

 

「お嬢さん、宜しいかな?」

 

 我ながら全くの余裕の無さに何度も頷いて助けを請うと、私の背中に回ったモルゲンさんが私の手に彼の大きな手を添えた。

 

「まず、深呼吸を。落ち着きなさい」

 

 言われた通りに息を深く吸い、吐き出すと不思議と少し落ち着く。

 背中からの指示に従ってゆっくりと、確実にリールを巻き、そして――

 

「…………今だ!」

 

 海面に魚の影が見えた時、合図と共に私の手に添えられたモルゲンさんの手が動き、私も負けじと釣り竿を引き上げる。

 

「わぁっ!」

 

 水飛沫と共に海から引き上がったのは、どこかで見覚えのある銀色の鱗を輝かせた大きな魚だった。

 

「サモーナ!」

「ほぉ……これは立派だ」

「大きいですよね、私もこんな大きいの初めて見ます……!」

 

 釣り針の先で激しく跳ねる釣り上げたサモーナをモルゲンさんが両手で掴み、彼が取り出した小さなメジャーで体長を測る。

 

「八十リジュ超えは大物だとも。ふむ……素晴らしい」

 

 そして、老紳士に彼にあまり似つかわない子供のような笑顔を私に向けた。

 

「どうだね、釣りは? ――私は君のそんな笑顔が釣りを通して大陸中の人に広がればと思っているのだ」

 

 

 ・・・

 

 

「マキアスは大丈夫ですか?」

 

 ああ、と応えるアルマン軍曹は、直ぐに「ソファーで爆睡中」と今の状態を簡潔に教えてくれた。

 

「まったく……あれ程無理するなっていったんだけどね」

「私やエリオット君とは違って、マキアスは寝て無いですからね……」

 

 まぁ、マキアスの気持ちも分からなくはないのだ。成績云々は置いておいて、ラウラとフィーが居ないからこそ彼は無理を承知で頑張りたかったのだろう。

 それは副委員長としての立場がそうさせるのか、起きた後のラウラとフィーに無用な気後れをさせない為か。

 

「そういえば、灯台のお手伝いはまだですか?」

 

 この後、本日の温情依頼の三つ目が控えていたりする。これはさっきエリオット君から聞かされたのだが、酒場の手伝いの話をしたら灯台でも、ということになったんだとか。

 

「日没まではまだ結構時間があるからね。あと一時間位かな」

「そうですか……」

 

 腕時計を見たアルマン軍曹がそう呟くのを聞いて、私は眼前の風景に目を向ける。

 灯台の踊り場から遠くの水平線を望めば、昨夜が嘘の様に穏やかになった海と遠くまで澄み切った夕空。

 私の背中にはガラス張りの燈籠があり、この中に灯台で一番重要な部分、夜の闇を照らす大きな導力投光機があるのだ。

 眼下に目を落とせば、先程まで私達が居たブリオニア島の集落。モルゲンさんと一緒に釣りをした小さな桟橋も何となく分かる。

 

「街が、気になるのかい?」

「はい……静かだなぁ……って」

「なるほど、ね……」

「ブリオニア島って避暑地として開拓された島なのに、もう貴族様達は全然来てないんですよね?」

「ああ、ここ二十年位はずっとバロンだけみたいだ」

「だから村に人か少ないんですか?」

 

 今日一日見て回って私が一番感じた事は人の少なさだった。ブリオニア島の集落はリフージョの村よりも大きいが、空き家がよく目につく程多く、人口三百人程度の集落にしては大き過ぎる目抜き通りや教会もある。これらはかつてこの島にもっと多くの住民が暮らしていたことを物語っていた。

 私の疑問に、他人事のように「まあ、そういう事にもなるかもね」と夕日に照らされた外洋を望みながらアルマン軍曹は応える。

 

「じゃあ……このままじゃ……」

「そうだね、いずれ島に住む人は居なくなるかも知れない」

 

 まさかの即答に、私は次の言葉が出なかった。

 少なからず狼狽える私とは違って、確信は持てないが対照的に平然としているアルマン軍曹に自分とは違う”何か”を感じた。これが”大人”なのだろうか。

 

「でも、僕はそれでもいいと思う」

「え?」

 

 その次に彼の口から出た言葉は更に意外なものだった。

 

「もう貴族様にとってあまり魅力の無いこの島に無理に来て貰うこともない。かといって観光地の様になるのも僕達は望まない。自分達が自分達の好きな様に暮らしていけば良い、それだけの話さ」

 

 彼はどうしてこんな事を受け入れれるのだろう。やはり私より大人だから?

 

「確かに、カイエン公の大増税は痛かった。あれ以来、オルディスからの品物の物価は三割増しさ」

 

 昼間の食料雑貨店の値札を思い出す。トリスタでは値札の貼り間違いを疑う位のまず考えられない値段、リフージョに比べてもかなり高かった。

 

「だけど、今度は皆で狩りに行く機会が増えたし、新しい畑を耕したりもし始めた。それに暇があれば釣りに精を出したりね。人はそうやって、暮らしていくんだよ」

 

 それは帝都近郊に出た私がいつの間にか忘れ去ってしまっていた、故郷のもう一つの姿だったかもしれない。

 

「この島は殆ど導力化されていない。明かりは未だランプだし、暖は薪でとる。銃も火薬式も多くて、通信機なんてありゃしない。この灯台と船位じゃないかな、導力器を使ってるのは。多分、五十年、いや百年前と比べても大して生活自体は変わってない――それに、これからも何かが劇的に変わるという事も無いと思う」

 

 そう続けたアルマン軍曹の横顔は優しかった。

 

「それが、この島の人の答えさ」

 

 それは今までの言葉が彼だけの考えではない事を私に理解させるのに十分だった。ブリオニア島の人々は今を、今後をもう考えて、そして、受け入れているのだ。

 故郷のリフージョの人々も、こんなことを考えていたのだろうか。しかし、外の世界をつい数か月前に士官学院に行くまで殆ど知らず、危機感も何も無かった私にはそれは分からない。

 だが、思い当たる節はあるのだ。四月の初めての特別実習から帰って来て、勢いのまま私がお祖母ちゃんに出した手紙への返事。その手紙の文面でのお祖母ちゃんは、いつも通りだった。

 

「私は……私の故郷はブリオニア島よりずっと南の辺境です……でも、すごく此処に似ているんです」

「パルムの近くってルカ隊長が言ってた。とっても良い場所なんだろうね」

 

 私は彼の言葉に頷いて続ける。

 

「でも……人はどんどん減っていっちゃって……」

 

 私が知っているだけで、両手両足の指の数より多くの人がこの三年で村を出た。実家の店の売上は今の所は緩やかではあるものの二十年以上右肩下がり。

 

「私は、故郷がいつか無くなってしまうなんて嫌です」

「君も大概わがままな子なんだね」

 

 言葉は厳しいが、でも声色は柔らかかった。冗談っぽいけど、私の心には十分だ。

 

「確かに……そうですね……私だって村から出て行っているのに……」

「でも、そうやって故郷を離れてもその土地の事をちゃんと考えてくれている人が居るってだけで、君の故郷はきっと幸せな場所なんだと思うよ」

 

「僕なんて本土に出て兵隊になったらそれっきりだったから」、そう続けるアルマン軍曹は自嘲的で、何故か私は少し哀しかった。

 

「若い時はこの島は嫌いだったんだよ。毎日毎日代わり映えのないど田舎の辺境の日常――」

 

 確かに思ったことがないとは言えない。私はあの故郷の村が大好きだけど、それでも都会への憧れはやっぱりあるものである。出来ればパルム市や帝都に生まれたかったなんて思ったことも一度や二度ではない。

 

「でもね、色々あって……もう最後はこの島に帰るしかなかったんだけど……そんな僕でも皆は暖かく迎えてくれた」

 

 話しながら踊り場の手摺にもたれ掛かり、島の集落を眺めていた彼が、この灯台に併設された彼の住む建物に目を落とす。

 

「だから、僕にとってはどんなに人が減っても故郷はこの島だけなんだ」

 

 幸せそうな横顔というのは、今の彼の様な表情を言うのだと思う。

 今日この場所で、私はこの年上の元兵士から色々な事を学ばされた。だけど、今は何故かそれを素直に認める事も、受け入れる事もしたくなくて、気になっていた”あの人”の事に突っ込む事で逃げた。

 

「……それに、ロミーさんも居ますしね」

「あ、あれ?あはは……酒場で聞いた?」

「……実際、バレバレですよ。歯ブラシ位仕舞っておいて下さい」

 

 最初にこの灯台に入った時から微妙に気にはなっていたのだ。一人で住んでいるにしては妙に家具や生活用品が多く、使われてそうな寝室が二つあった。

 まあ、今日の酒場の手伝いでやっと完全な確証を得たのも確かでもあるのだけど、それを認めるのも癪過ぎる。

 

「……でも、二人はその、恋人ではないんですよね?」

 

 昨日の朝は友達以上恋人未満と思っていたのだが、実際確信は持てない。恋人や夫婦なら一緒のベッドで寝るだろうし、仮にそうでなくても寝室が別というのは中々寂しいような気がする。

 やはり、この灯台で一緒に暮らしているが、恋人との同棲というより友達と一緒に住んでいるという方がしっくり来そうな感じだ。

 

「そうだね。小さい頃から知ってる幼馴染……って所かな」

「告白しないんですか?」

 

 口にしてから少し後悔したのは、告白の有無という問題なのか一概に分からなかったからだ。そういう発想に行くこと自体が私が”子供”な証拠が気がする。

 

「いや……そのさ、ずっと一緒だとなんかそういうタイミングが分からなくてさ」

「ロミーさんはずっと待っているんだと思いますよ。だって幼馴染なんですよね?」

 

 幼馴染とはこと恋愛においては厄介な関係だった。彼の言う理由も良く分かる。タイミングなんて分かりっこなかったし、いい雰囲気なんて滅多に無かった。

 そして、仮にここだと確信できる時、どうしてもその関係を壊れることへの恐怖に、その先に進めなくしてしまうのだ。ぶっちゃけ、それは相手もお互いに一緒かも知れないけど――ただ私も待っていた側だったからこそ、ロミーさんに肩入れしたくなってしまうのだ。彼女からしたら、余計なお世話と思われるかもしれないけど。

 

「……でもさ、エレナちゃんのような若い子と違って……その、もういい大人なこんな歳になると結婚とか考えない訳にはいかないんだ。そう思うと、僕なんかよりもっと良い人とじゃないと後々大変になって後悔――」

「多分、ロミーさんがそんな事で後悔する人だったら、もうとっくに違う人と一緒になってます」

 

 私ですら故郷に居た時は、『フレール坊やが居なかったら嫁の貰い手が居なかった』なんて真顔で言われていたりしたのだ。二十五歳のサラ教官があれだけ気にしているのも考えると正直、三十歳まで独り身でいたら周りからの圧力は半端な物ではないのではないかと思う。

 

「……私はこの歳でも結婚したかったですよ。幾ら大人になっても大好きな人と一緒になりたい気持ちって、変わるものですか?」

 

 今はあんまり出てきて欲しくないのに、脳裏には笑ったフレールお兄ちゃんが浮かぶ。よく考えたら……私、本当に嫁の貰い手が無くなったんじゃ……。

 いやいやいや、まだ十六歳なのに何を心配しているんだ。結婚なんてまだまだ先の話だ。

 

「だから――私達が帰った後……伝えてあげて下さいね」

 

 この二人は一緒に住んでるぐらいだし、その内成り行きで結ばれそうだったけどね。

 それでも、一瞬だけ、とても良い事をした気分になる。とても独り善がりな気持ち。

 

「はは……エレナちゃんといい、ルカ隊長といい……君たち父娘には本当にお世話になりっぱなしだ」

 

 最初の笑いは少し乾いていたかの様に思える

 

「君のお父さんには本当にお世話になったんだよ」

「軍で、ですか?」

「まあ、部隊でもお世話になったんだけど……一番助けられたのは戦争が終わった後かな」

 

 そこからアルマン軍曹が紡いでいった話は、私にとって衝撃的な話であった。

 予想外の敗戦が帝国の内外に激震を走らせたのは、日曜学校に行っていなくても誰もが知ることだ。だが、過ぎ去った過去として最近ではもう話題になることも少ない戦争。その戦後の帝国の姿は、私が知っているこの国の姿ではなかった。

 

 責任追求という名の血の大粛清の嵐の吹き荒れる傍ら、無様な敗戦に打ちひしがれ自暴自棄に陥った市民が通りという通りに溢れる浮浪者と化した帰還兵に罵声を浴びせる――十二年前の冬の帝都。

 

 アルマン軍曹は右腕右脚に傷を負った戦傷兵だった。だが、当時の世間の目は本来帝国の為に戦い負傷した傷痍軍人にも厳しく、その当時は碌な規定された見舞金も出る事無く除隊することになったのだという。

 彼はかなり慎重に言葉を選んでいた様だが、それでも途方も無い苦労を冬の帝都でして来た位は分かった。

 

「そんな時だよ、偶然ルカ隊長と会ってさ。話を聞いてくれて、励ましてくれた。あの時、真っ暗だった僕に光が差した様な気がしたんだ」

 

 懐かしそうだが、本当に真剣な瞳だった。まるで話だけを聞けば、お父さんがとんでもなく偉大な人みたいではないか。十二年前と言えばお父さんもまだまだ結構若く、当時十代後半のアルマン軍曹ともそれ程歳が離れている訳でもないのに。

 

「本当に凄い人さ。今思えば奥さんを亡くして大変な時期だっただろうと思うのに……」

「……あ……そうですね……。私は小さかったのでよく覚えてはないんですけど……」

「……そっか。でも本当に……本当に哀しい事だったと僕も思ってる」

 

 目を伏せ、深く哀しみを噛みしめるようなアルマン軍曹。その反応は実の娘である私でも少しオーバー過ぎる気がした。十二年も昔の事だったこともあり、私自身が当時の事をよく覚えていないというのもあるが、今となっては特に気にしていない。いつの間にか、お母さんの姿は優しくて暖かい漠然とした物に変わり、実はもう思い出せないぐらいだ。

 仮にもう少し大きかったら、お母さんを放ったらかして従軍したお父さんを憎んだだろうか。いや、それも無い。お母さんはきっと笑顔でお父さんを送り出した筈だから。

 それに私もお母さんの死に立ち会うことは出来なかったのだから。

 

「そんな、アルマン軍曹がそこまで気にすること無いですよ。母は重い病気でしたし、父もそれは分かって戦地に向かったのだと思います」

「……え?」

 

 隣で胡座をかいて座っていたアルマン軍曹が目を見開いて、私を見る。

 

「どうかしましたか?」

「……あ、いや……なんでもないんだ」

 

 そして、直ぐに「そうだ」と話題を変えた事に、少し強引過ぎるように感じた。

 

「ルカ隊長って今でも正規軍に居るんだよね?いい機会だから久しぶりに手紙を送ってみたいんだ。お父さんの部隊とか、分かる?」

「えっと、ガレリア要塞に居ることは知っているんですけど……ちょっと待って下さいね」

「東部国境か……正規軍の最精鋭じゃん」

「そんなにですか?」

 

 詳しくは覚えていないお父さんの所属する部隊名等の連絡先の書き留めてある学生手帳のページを開いて彼に手渡した。

 

「実は私、お父さんの事あまり知らないんですよね」

 

 私のお父さん、ルカ・アゼリアーノはお世辞にも娘の私にとって良き父親なのかどうかは分からない。帝国正規軍の軍人として立派な職に就いている事は娘として誇らしいけど、家には殆ど帰って来ないし、手紙を寄越す事も半年に一回あれば良い方。

 私が最後にお父さんと会ったのは、まだ村にフレールお兄ちゃんが居た頃だからもう三年以上も前の事だったりする。その時もたった二、三日しか家には居なかった。

 どうして私の周りの男共はこうも自分勝手なのだろう、と頭を抱えたくもなる。

 

 ――訂正、私は実はお父さんの事を何も知らないのかも知れない。実の父親なのにも関わらず。

 隣で胡座をかいて座る軍曹を横目に、私はそんな気持ちを抱いた。




こんばんは、rairaです。

前回の真夜中の戦闘で完全に疲弊してしまったB班、今回はブリオニア島のオリジナルキャラクター達とエレナの会話が主となります。

複雑な悩みと迷いを抱えるラウラとフィー、そしてエレナへの言葉は人生の大先輩であるバロン・レイクロードに語って頂きました。
Ⅶ組は本当に青春という感じがしますね。ええ…私も、もうなんというかもう戻れない過去の事を思い出して懐かしいぐらいの。

一章のケルディック、二章のバリアハートで取り上げた”増税”と”故郷”のお話の一つの答えがアルマン軍曹の語るブリオニア島の進む道です。
全てを受け入れるというのは、”大人”の答えなのでしょうが…ただ一つ言えることは、この問題は現実でも正解はあり得ないということでしょうね。ある意味では、現実を一番直視した答えとも言えますが。

次回はおまけ編でもある三章最終話となります

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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6月28日 星の降る夜

 灯台の光が少しだけぼんやりと明るい東の水平線上を走る。

 この島から対岸の大陸まで約300セルジュ――あの向こうに帝国の北西領土がある。私が初めて帝国の地を踏んだ場所もそこから比較的近く、生まれた場所もそう遠くは無いだろう。

 

 私がまだ生まれる前の話――今から約二十年前、帝国の北西にあった一つの自治州で火種が燻った。経済危機や難民問題が主な原因として上げられるが、帝国の辺境地域の一部となって平穏を取り戻した今となってはその辺りの暗い過去の事情が深く語られることも無い。だが、その火種こそが、今日では北西動乱と呼ばれる、十年以上も続いた一連の紛争の幕開けであった。

 

 第一次北西動乱では内紛が泥沼の状況に陥った自治州政府からの要請を受けて、帝国は軍事介入に踏み切った。

 私のお父さんは、その第一次北西動乱に正規軍兵士として従軍した一人で、戦地で人助けをしていたリベール人のお母さんと出会ったらしい。

 自治州の全域が帝国軍の占領下に置かれて内戦が沈静化した後、自治州との協議の結果、帝国は治安維持の為に軍の駐留を五年間継続した。

 

 お父さんとお母さんはそんな間に恋をして、結婚をして、私を生んだのだろう。

 十六年前に自治州の首都で生まれた私は、帝国正規軍の撤退によってお父さんの実家のある帝国南部サザーラント州のリフージョへと家族と共に移り住んだ。

 それが、始まり。

 ただただ灰色で寒くて曇り空の多い記憶が、暖かくて色鮮やかで楽しくて――私の中の幸せな時間の記憶に変わる瞬間。

 

 ふと、空を仰ぐ。

 

 ほんの少し前までは、星空を見ることが好きだった。

 故郷に居た頃と比べると色々と変わってしまった私の世界。でも、星だけはいつ見ても変わらなかったから。

 同じ星空を通して大切な、大好きな人達と繋がっていれていると思えば、辛い時でも頑張れたから。

 

 それがどうだろう。

 もう泣かないと決めた日を境に、私は星を見る度に夜の闇に飲み込まれるかの様に暗い気持ちに沈んでいく。寝る前に窓枠に頬杖を付いて眺めていた日々は、今思えば細い糸に縋るように繋がりを欲した虚しい思い込み。

 

 私はある事に気付いていた。

 

 あんなに辛かった胸の痛みが、気付けばとても軽くなっていた事。もう失った痛みには慣れてしまったのだろうか。

 

 ああ――そういうことなんだ。

 

 あの日、どん底に叩き落とされたと思った後も、現実的に私の周りで何かが変わった訳ではないのだ。

 寂しくてどうしようもない夜に彼が傍に居ないのはいつもの話で――私と彼は今も昔もただの幼馴染で――結局、表面上は何も変わってない。

 大好きだった彼を他の女に奪われたと思っても、彼が私の物だった訳ではない。恋人だった訳でも、結婚していた訳でも無いから。

 

 私の十三年間は意味を失った。

 諦めが大切というではないか。嫌な事は忘れることが良薬と言うではないか。

 私は、忘れたいんだ。

 

 そう考えると、心が軽くなったような気がした。

 

「はは……そうゆうことなんだ……」

 

 抱えた両膝に顔を埋めて、わざと声に出して呟いた。

 悲しさでいっぱいで張り裂けそうだった胸には、いつの間にかぽっかりと穴が空いていて――痛みはどうしようもない空虚感と孤独感に取って代わられていた。

 

 そんな寂しさを埋めてくれるように丁度良く声を掛けられたのだから、不覚にも嬉しさは隠しきれなかった。

 

 

 つい先程まで私とエリオット君はアルマン軍曹の指導という見守りの元、灯台に光を灯す作業を課題としてこなしていた。

 二人で分厚いマニュアルを読んでもなお、導力圧の調整に苦しんでしまったり、日頃聞き慣れない”スタビライザー強度”などという導力関連の専門用語が分からなかったり。何とか日没前に灯台にお仕事をさせてあげることが出来たのだが、こういう時にマキアスの知識があればと少し恨んだ位だ。

 アルマン軍曹といえば、軍に居た頃に灯台の操作を教わったお爺さんに怒られた、なんて椅子で寛ぎながら昔話を話すだけだし。まあ、お父さんの話も少しあったので興味はあったのだけど。

 

 そんな課題の話をしたり、今この場に居ない三人の話をしたりしていた時――

 

「あっ……! 流れ星……」

「どこ?」

 

 エリオット君の声に反応して、私も咄嗟に夜空を仰ぐ。

 そこにあるのは満点の星空だが、残念ながら彼が見た流れ星は見つけれなかった。

 

「お願い事、した?」

「はは……ちょっとだけね。三回は言えなかったから、叶わないと思うけど……」

「どんなこと……?」

 

 苦笑いするエリオット君を見て少し迷ったが、私は”願い事”を尋ねた。

 

「うーん、難しいけど……なりたい自分になれたら……かな」

「なりたい自分……」

 

 繰り返すように私の口から溢れる。エリオット君の”なりたい自分”の姿は、一体何なのだろうか。そして、私自身の事も考えてしまう。

 少し深めに思案してしまっていた私を引き出したのは、何故か目を合わせてくれないエリオット君の遠慮がちな声だった。

 

「エレナは……その、やっぱり軍に進むんだよね?」

「うん、多分ね」

「親の後を継ぐのを期待されて……だったりするの?」

 

 先程まで逸れていた彼の碧翠色の瞳が、真剣な色を帯びて私に注がれる。不思議と私は否定的に思われていると感じ、あんなに優しそうで女子みたいな彼がこんな目を出来るのかと内心驚いた。

 

「期待されてるのかなぁ……私も別に後を継ぎたいって訳じゃないんだけど……。まあ、皆がそうしてるからっていうのは……ダメだよね……?」

 

 私が軍を志望する理由はこれといって無い。

 ただ、帝国において正規軍・領邦軍問わず、軍人の子供が親の後を継いで軍へと進むのは至極当然で誇るべき事と思われている。

 だから、それに倣って私もお父さんの後を継ぐという事にしておけば、周りからの受けも良いので、何度となく都合の良い理由として使っていた。

 実際、他に自分がなりたい職業がある訳でも無い。実家のお店を継ぐのも良いだろうが、それでは何の為に士官学院を卒業したのだという話になってしまう。そして、私のなりたかった本当の将来の希望だった道は光を失った。

 

 自分の事なのにはっきりと答える事が出来ずに、逃げるように冗談に走っても反応してくれず固い顔を続けるエリオット君。私はどうすれば良いか分からなかった。

 

「確かにちょっと前までは、他の事も、ちゃんとした夢だってあったんだけど……不思議だね……」

「……諦めちゃったの?」

 

 小さく頷いた私に向けられていた彼の瞳が揺れた気がした。

 

 士官学院を無事卒業出来れば、自ら拒否しない限りは確実に軍の士官として任官を受ける事が出来る。自分でも必ず進める道を選んでおきたい私は、既に敷かれたこのレールを走る列車にしっかりと乗り、進行方向をだけを見ていれば良い。もう後ろを振り返る必要もない、ちゃんと順調に走れているのだから。

 自分探し――初めての特別実習の夕食の席で、リィンは彼の入学動機を語った。その気持ちは良く分かるけども、私にそんな事を考えて口にする勇気は無い。

 

「エリオット君は……なりたい自分はもう諦めちゃった?」

「……やっぱり、結構難しいかな」

 

 苦笑いを浮かべるエリオット君。

 

「残念だけど、夢を叶えれる人は一握りだと思うし、こればっかりは仕方無い事だって……どこかで妥協しなきゃいけないんじゃないかって、今は思ってるよ」

 

 私と彼の”なりたい自分”は違うだろうが、その彼の言葉には同意せざるを得なかった。

 でも、私には彼が諦めている様には思えなかった。

 

 だって本当に諦めてたら、私の様に”なりたかった自分”になる筈だから。

 

「私は……エリオット君なら大丈夫だと思うよ」

「あはは……僕一人の問題だったら良かったんだけどね……」

「…………ごめん……」

 

 気にしてない風に笑って流してくれるエリオット君に感謝する。

 今のはかなり迂闊で、私の言葉は無責任過ぎた。

 

 少し気まずい空気が流れた間が過ぎた後、彼は話題を変えた。私としては少し落ち込む。

 折角、彼は灯台からこの海岸まで降りてきてくれたのに。

 

「そういえば……ラウラとフィー、やっぱり難しそうだね」

 

 それは午前中の北島での事だろう。戦いを終えた後、彼女達は二人の間では一言も言葉を交わさなかったのだ。

 

「色々と抱えてるから……二人共」

「でも、それはエレナも……じゃない?」

「……そうだね」

 

 否定はできない。ここ一週間で立て続けに起きた事に、もう疲れているのは確かだった。

 

「やっぱり、Ⅰ組のハイアームズ家の人に言われた事を気にしてるの?」

「それは――」

「あんな酷い事言われたんだもの、気にして当たり前だよ。でも――」

「私、別にパトリック様に言われたこと、それ程気にしている訳じゃないんだよ」

 

 エリオット君の言葉を私は遮った。

 

「実際、本当の事だから。外地の北西生まれだし、お母さんは外国人。それに実家は最辺境」

 

 驚いた様なエリオット君の顔。あの後、私に何があったかを知らない彼にとっては、それ程意外だったのだろう。

 ちょっと笑ってしまう。優しい彼の事だ、もしかして私を慰めてくれるつもりだったのだろうか。仮にそうだとしたら、慰め甲斐の無い女で少し申し訳ないと思う半分、可愛いだなんて思っていた私は、彼が次に見せた顔に驚かされた。

 先程、将来の話をしていた時に一瞬見えたのと同じ真剣な表情。しかし、今度は否定的な色は感じさせず――まるで、私に全てを話すように促していた。

 

 今、心にある想いを言葉にして出してしまえば、私は認めることとなる。もう目を背けることも出来なくなり、現実のものとして私は受け入れ、背負っていかなければならなくなる。

 

 ね、そんな顔されたら、私、頼っちゃうよ。甘えるよ?

 

 碧翠色の瞳から視線を動かせない、まるで吸い込まれる様に――引き込まれるように。

 彼は小さく頷いた。言葉は交わしてないのに、まるで私の中の不安を察してくれたかのように。

 

「私さ――」

 

 少しの間だけど、こんな私をお願いします。

 

「――失恋しちゃったんだ」

 

 もう早く忘れてしまいたいのに、忘れたくない甘くて幸せな思い出達が呼び起こされ、慣れた筈だった激しい痛みと哀しみと共に脳裏を走馬灯の様に走る。

 私の抱える”今”と”望んだ未来”が恐ろしい速度で、”過ぎた過去”へと変わってゆく。

 

「休んだ日、あれ、体調不良でも何でもなくてサボりなの。あの日、前の晩にお祖母ちゃんから手紙が来てね」

 

 あの日を思い返し、胸がズキリと痛む。本当によく泣いた日だった。まだ赤ちゃんの方が泣いてないと思うぐらい、私は夜通しで泣いた。あんな辛い思いは人生で初めてだったと思う。

 再び、胸が痛む――まるで突き刺された氷の槍で抉られる様に。だけど、ここで辞めるわけには、もういかない。

 

「大好きな人がいて、ずーっと好きだったんだけど、結婚するんだって」

 

 ああ、もうそんなに思い出させないでよ。フレールお兄ちゃん、あなたは私じゃない違う人のものなんだから――頭の中に浮かぶ幼馴染に文句をぶつける。

 

「まあ、私みたいな子供をずっと相手にしてくれるとも思ってなかったし……そりゃあ、男の人から見たらもっと美人さんの方がいいだろうし……誰かを恨んでるわけじゃないの。もう分かってたから……自分でそれを認めたくなかっただけで……」

 

 こんなに辛いなんて。いざ言葉にすると、こんなに”過去”の思い出の一つ一つが痛いなんて。目頭が熱い、泣かないなんて決めたけど、どうしたら耐えれるんだろう。

 どうして、私がこんな思いをしなきゃいけないんだろう。もう……早く忘れたい。

 

 ね、エリオット君。もう、私、泣きそうだよ。

 

 私はずるい。

 隣に座るエリオット君に優しい言葉をかけて欲しくて話すのだから。

 口に出して認めることで全てが現実のものになってしまう、それに対して優しく包み込んでくれる言葉を期待して。

 惨めな負け犬の姿を晒せば、彼はきっと無下には扱わない――なんて打算的で、ズルいんだろう。

 

 私は縋るように彼と再び目を合わせる。早く……。

 

「――エレナはよく頑張ったんだと思うよ」

 

 静かにそう言ってくれた言葉はとても優しくて、認められた様で嬉しくて、でも、その言葉は身を委ねるには甘すぎた。

 

「頑張ってなんかないよ……。私はとっくの昔に諦めてたんだから……今すっごく感じてるのはね、認めることってこんなに辛い事なんだなって……こんなのだったらやっぱり忘れちゃったほうが何倍も楽だったんだって……」

 

 私は分かっていた。あの涙は悲しさからの涙である以上に、悔しさの涙だった。

 彼と結ばれるどこの誰だかわからない人。彼女と私は同じ土俵にいたと思い込んでいただけで、実際は違う。とっくの昔に、私は土俵から降りていた――いや、土俵には一度たりとも上がれていなかった。

 

 私はずっと前から悟っていたのだ。いつかこの日が来ると。

 五年前のあの日からか、それとも三年前に彼が村を出た時か、それとも最後に会った3月30日か――いずれにしろ、私の心の片隅には常に諦めという感情が居座っていた。だから少しでも長く彼との心地良い時間が欲しくて、幼馴染という特別な関係に固執してしまっていたのではないか。今ではそう思える。

 

「それでも、好きだったっていう気持ちには嘘を付くべきじゃないと思うよ。だって――忘れたくないんでしょ?」

「――!」

 

 どうしてここ迄心強いのだろうか。

 まだ次の一歩を躊躇する私という迷子の背中をそっと押してくれていた。

 

 全ての思い出をしっかりと大切な過去にして、前を向いて歩いて行く。過去の蓋を閉じてしまう訳でもなく、縋るわけでもない一番辛い道を選ぶ。

 

 

 私がエリオット君から顔を背けて、一体どれくらいの時間が経ったのだろう。

 その間、私も彼も一言も言葉を発すること無く、つい先程まではあまり気にならなかった波の規則的な音だけが真夜中の海岸に響く。

 

「ずっと元気無さそうだったから。やっぱり心配だったんだよね」

「心配かけてた事は……知ってた」

 

 でも、この事に関してはどうしようも無かったのだ。それを、言葉にしたら失恋を現実に認めてしまう事になるから。

 

「でも、話してもらった僕はエレナを支えるよ。だってほら、仲間でしょ?」

 

 その言葉は前に彼から貰ったクインシー・ベルのミルクチョコレートより甘くて優しかった。

 そして、まるで心を見透かされたような言葉に、恥ずかしさから頬が一気に熱せられる。

 

「……もーぅ、エリオット君は優しすぎるよ……」

 

 思わず照れ隠しが混じる。夜の海風はとても涼しいのに、火照った私を冷ましてはくれない。

 私から人一人分ぐらいの間を開けて座るエリオット君にはにかむと、丁度視線が合ってしまう。

 ぴったりと瞳を釘付けにされて、もう一つ自覚する。私は人肌恋しいという感情を今まで過小評価していた事を。

 

 今、私がエリオット君に抱き付いたら、きっと彼は受け入れてくれる。彼は優しいから。

 きっと優しく抱きとめてくれると思う。

 アリサもそうだ、リィンもきっとそう――そして、私の隣にいるエリオット君も。Ⅶ組のみんなは本当に優しい、だから甘えたくなってしまう。

 

 もしかしたら一昨日の晩、フィーに抱き付いてしまったのは寂しさからなのかもしれない。今だって、私はエリオット君を相手にそんな衝動が生まれるのだ。フレールお兄ちゃんを失って独りになってしまったのを暖めて欲しくて。

 

「えっと……一つ忠告。失恋した女の子にあんまり優しい言葉を掛けないこと。私じゃなかったら、都合の良いように勘違いされちゃうよ?」

 

 自分で言っていて、本当におかしい。優しい言葉をかけて欲しくてエリオット君の前で本当のことを告げたのに、いざ彼の優しさに触れたら恥ずかし過ぎて――。これは同時に私自身への警告だ。

 

 それでも、自分が特別扱いされてるって思いたくなってしまうのだから、やっぱり私は本当に身勝手な寂しがり屋なのだと思う。

 

 

 ・・・

 

 

 遠く離れた高原で、同じ夜空を見上げる少女がいた。

 

 思い返せば昨晩と全く同じ状況だが、彼女の纏う雰囲気は少し違う。

 俯いているか、見上げているか、たったその程度の違いで、こうも受ける印象が変わることにリィンは少なからず意外に思っていた。

 昨日の様に何かを抱え込む姿とは異なる形で、夜の月明かりが彼女を引き立てている。

 

「アリサ、今日はお疲れ様」

「ふふ、貴方も。それにしても……どうしたの?こんな所に」

 

 リィンに声を掛けられたアリサは、小さく笑いながら振り返る。そして、一人で自らの所に来てくれたリィンに少しの期待を抱きながら訊ねた。

 アリサの記憶が正しければ、テントの中でガイウス達と楽しげに話を弾ませていた筈だった。つまり、そこからわざわざ抜け出して来てくれた事になるのだから。

 

「ああ……サラ教官に少し聞きたいことがあったんだが……アリサは見ていないか?」

 

 共和国軍との交渉の件、ギデオンと名乗った首謀者の事、リィンは今日の件で色々と彼女に聞いておきたかった。

 なんともタイミング良く、夕飯前にシャロンさんを連れたってノルドの集落に来た時は驚いたが、大方深刻な事態を受けて学院から急行してくれたのだろう。お陰で帰ってからと思っていた話が今出来る。

 そんなリィンの考えなんて知ったことじゃないアリサは、小さな溜息をついてから応えた。

 

「……サラ教官?見てないわね……」

「そうか……」

 

 周りを見渡すリィンを横目に見ながら、仄かに抱いてしまった期待を中々捨てれないアリサは一つの提案をした。

 

「その……一緒に探す?」

「いや、いいさ。シャロンさんとグエンさんも居ないみたいだから、もしかしたら三人とも一緒に居るのかもしれないしな」

「……そっ……」

 

 提案を断られ、少しぶっきらぼうな返事をしてしまうアリサ。ただ、彼女としては実際それ程乗り気ではない提案だったので、内心としては微妙だ。

 そんな、彼女自身でもよく分からない複雑かつ微妙な心境を変えたのは、少しの沈黙の後にリィンが発した一言であった。

 

「星を見てたのか?」

「ええ、ずっと見てても飽きない位素敵なんだもの。……それに……」

 

 見上げた方が良いって貴方に言われたし、続けようした言葉に途中から恥ずかしくなり、次第に声を小さく言葉も不明瞭にしてしまうアリサ。

 勿論、密着している訳でもないリィンにはそんな小さな声が聞こえる筈が無いのだが、不思議なことに見る側を変えれば、彼が鈍感で受け取ってくれなかったという扱いになる。

 だから、ただ頷いて同意しただけの彼にアリサは肩を落とした。

 

「もう特別実習も終わりだけど……B班の方は、ちゃんと上手くいってるのかしら」

「ラウラとフィーか……」

「それに、エレナもあんな感じだったから……」

 

 ノルドでの特別実習や仲間との会話を通して、アリサは確実に前に進めた気がしていた。色々な悩みや戸惑いといった自らが抱えるもの――まだ答えは出せなくても、道筋は確かに今、見えている。だからこそ、未だに迷う今此処こに居ない仲間達の事が気になるのかも知れない。

 

 そうでなくてもアリサは、実技テストの日から色々と頭から離れないのだ。彼女がシャロンから新型のアサルトライフルを受け取っていた時は、ガイウスのお陰もあってかそれ程引き摺っている様子は無かった。なのにも関わらず、あの出発前日の金曜日の朝のエレナは明らかに尋常ではなかった。

 

「エレナか……やっぱり、アリサも何も聞いてないのか?」

「ええ、『もう少し待って』の一点張りだったわ。無理に聞くのもどうかと思うし……あの子、一人で抱え込んじゃうから心配なのよ」

「……そうだな」

 

 リィンは、アリサも同じだから俺も心配だ、という言葉を飲み込む。アリサが真剣に心配しているこの場に冗談はそぐわないし、仮に口に出したとしても昨晩の様に同じ言葉で返されるのが目に見えていた。

 

「アリサはエレナの事、ちゃんとよく見ているんだな」

 

 面倒見の良いアリサの事だ、この特別実習の間も頭の片隅ではずっと心配していたのだろう。本気で心配する彼女の姿は、リィンから見ればまるで妹を心配する姉の様にも思えた。

 まあ、そんな彼女もつい三十分程前にはこれでもかという位にシャロンに良いように弄ばれており、それと対照的な姿に少し可笑しくも思うのは内緒だ。

 

「まあ、あれだけ一緒に居ればね」

 

 はにかむアリサ。

 確かにリィンから見ても二人は入学当初から仲が良い。どちらかと言うと、アリサが懐かれてるという表現が正しいような気もするが。

 

「でも、私が心配しているのはエレナだけじゃないのよ?」

「……ラウラとフィーの事か?」

「まったく……」

 

 私の事を分かっていない――そう心の中でぼやきながら、アリサは今日一番の深い溜息を付く。そして、その綺麗な紅輝石をジト目にしてリィンへと向けた。

 リィンには、いつもの様にアリサを不機嫌にしてしまったのかと脳裏に過る。

 

「――私は貴方の事も心配してるのよ?」

 

 アリサの表情は呆れ半分ながらも柔らかく、その瞳はとても優しかった。

 自分の事に関しては鈍感なんだから、と続ける彼女。

 

「……その、なんだ……」

 

 リィンは一瞬、言葉が詰まった。

 

「エレナもそうだけど、リィン、貴方も……」

「ハハ……だけど、俺もこの実習で気が晴れたよ」

「確かに昼間はすごく頼もしかったわ。リーダーさん?」

 

 少し冗談っぽくからかうようなトーンのアリサに、頭を掻いてからリィンは夜の高原のスカイラインを望む。

 

「照れくさいからよしてくれ……。俺だけの力じゃない――ガイウスとユーシス、委員長……それにアリサの、此処を絶対に守ろうと思う皆の力が合わさったから、ノルド高原……ガイウスの故郷を守れたんだ」

「私達、守ったのね……」

 

 仮に共和国軍との国境紛争ともなれば今、此処は戦場となっていただろう。この雄大な大地は燻り、美しい星空は煙に巻かれていたかも知れない。ガイウスの一族の遊牧民達は避難しなくてはならないだろうし、帝国軍や共和国軍からは更に多くの血が流れたことだろう。

 これもⅦ組を信頼して時間稼ぎをしてくれたゼクス中将、手助けしてくれた小さな女の子――そして、赤毛の情報将校の力があってによるものも事実だが、それでも彼らの役に立てた自分達が今は少し誇らしかった。

 

「この星空とも明日でお別れね。ふふ、そう考えると名残惜しくなるわ」

「そうだな……また、いつか皆で来れるといいな」

 

 ええ、と同意するアリサ。

 

「少しずつだけど、俺も前に進めているんだって、今はちゃんと思えるよ」

 

 良かった、と零して微笑むアリサに、リィンは自らがどれだけ彼女に心配をかけていたのかに気付いた。

 思えば実技テストの日の夜遅くに彼女が部屋を訪ねて来て以降、よく傍に居てくれるとリィンは感じていた。一緒に登校をするお誘いともいい、それだけ心配をさせてしまったのだろうと。

 

「昨日の夜、こんな風に話してなければ、俺はまだ迷ったままだったかも知れない――」

 

 リィンはそこで一回、瞼を閉じた。そして、隣に居る少女を向く。

 

「――そう考えると、アリサのお陰だな。俺からも、ありがとう。」

 

 最初、頬を少し赤くしたアリサは、小さく笑った。

 

 ――どういたしまして――

 

 アリサはそんな言葉と共に、昨晩と同じ胸の高鳴りを覚えた。

 仲間とは別に、リィンの助けになれて嬉しい。今の二人っきりのこの時間がとても心地良い――名前だけは知っていても、初めての自分にはよく分からなかったこの気持ち。それを、アリサは初めて強く意識した。

 

 その夜は、遅くまで眠れなかった位に。




こんばんは、rairaです。
新しい執行者が出るんですね。何やら相当強そうなヴィジュアルと…その胸板がなんか…いえ、なんでもありません。ただ、レーヴェ…と思ってしまったのは私だけでは無い筈。苦笑

さて今回は三章ブリオニア編の最終話となります。
エレナが外国生まれの理由と帝国へ移り住んだのはこういった理由でした。
その後はまたもや一人で迷い、やっとエリオットに背中を押して貰った形になります。いつもの事ながら面倒臭い子ですね。
エリオットって可愛い系と思えば、何気にイケメンさんですよね。四章のエピソードは大好きです。

今回のお話を書くに辺り、とある読者様のご感想から頂いたアイデアを使わせて頂きました。ありがとうございます。

個人的には、やっとアリサとリィンが書けて嬉しかったです。次回からのことを思うと本当にワクワクしてしまったり。ええ、色々と書きたいことが沢山あったりします。

次回からは四章の帝都編となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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第4章
7月17日 お調子乗りの悪戯心


「人工呼吸もそうだけど……」

 

 サラ教官が何か良くないこと事を考えているのはすぐに分かった。

 

「まずは、リィンとアリサあたりで試してもらおうかしら?」

 

 その瞬間、アリサの背中が魚の様に跳ねる。

 

「サ、サラ教官っ!」

「あのですね……」

 

 私からは後ろ姿しか分からないが、この二人の反応の差は何なのだろう。

 リィンは本当に鈍感というか……もう少し慌ててみてもいいのに。ちょっと、私の悪戯心に火が付いた。

 

「いけーアリサー! キー……」

「うっさい!」

 

 最後までは言わさないという明確な意思が、これでもかという位大声になってプールに大きく響く。ほんのちょっとだけ振り向いた顔は、よく熟した食べ頃の林檎の様に真っ赤っ赤だったけど。

 

「冗談よ、冗談。見学も煽らないの」

 

 先程とは声のトーンがまったくと言って良い程違った。なんというか、呆れというかそんな感じだろうか。まあ、二十五歳彼氏なしのサラ教官としては、無茶振りしてみたはいいけど、実際はあんまり面白く無い物だったのかもしれない。

 

「でも、やり方だけは教えておくからいざという時は躊躇わないように。異性同士でも同性同士だったとしてもね」

 

 異性でリィンが、同性でアリサが思い浮かぶ。

 人工呼吸なんて言い方はするけど、実際は、その、キス……とも考えれるのだろうし……。

 ……果たしてどっちがハードルが高いのだろうか。私は曇った一面のガラス窓を眺めて考え込んだ。

 

 いやいやいや、なんで私はこんな事を考えているんだろう。少しやましい妄想に入りそうになって、慌てて思考を現実に引き戻した。

 

 いつの間にか月は変わり、早いもので早二週間が経った。

 七月に入ってからは夏日も続くようになって制服も夏服の生徒が多くなったし、水泳の授業――士官学院であるため軍事水練という名前ではあるが――も今日から始まっている。

 まあ、私といえば初日から見学なんだけど。

 

 

 ・・・

 

 

「エリオット君、がんばれーっ!」

 

 プールサイドの終点側から私は声援を送っていた。

 青色の水を必死に掻いてこちらを目指して泳ぐ彼からは聞こえないかもしれないけど、それでも運動は苦手なのにちゃんと頑張るのは偉いと思う。

 私なんて水着を忘れた事に気付いた時には、ヤバいと思うより先に喜んだ位なのに。

 

 既にストップウォッチの文字盤は四十秒を経過しており――この時点でついさっきタイムを測ったアリサよりも遅く、リィンの二倍弱程掛かっている。

 

 もしタイムの数字だけ見れば、私は内心少し馬鹿にするかもしれない。でも、頑張って泳いでるエリオット君はちょっと格好良く思えた。

 だから、少しでも正確な時間を測ってあげたくて、私はプールに身を乗り出す。多少の水飛沫が顔に飛ぶのを少し我慢しながら、エリオット君が端に手を付けたのと同時にボタンを押した。

 

「はい、52秒50。お疲れ様っ」

「うぇーっ……ちょっと情けないなぁ……」

 

 流石に疲れたのか、荒い息遣いで肩を上下させるエリオット君に労いの言葉をかける。

 

「ううん、頑張った頑張ったっ」

「はぁ……泳ぐのは本当に苦手なんだよね……」

 

 苦笑いを浮かべるエリオット君がプールサイドに上がってくる中、私は彼の身体に気を取られていた。気付かれないように、あくまで横目で。

 ついさっきコースを泳いだリィンの時はチラチラとしか見れなかったが、明らかにリィンとエリオット君が違うのは分かる。色が白いなぁとか、線が細いなぁとか、可愛いかもとか。

 

「……あはは、私も苦手だよ。仲間だね?」

 

「へぇ」と少し嬉しそうな顔をしてくれたエリオット君の言葉を遮って、「次、ガイウス」というサラ教官の声が反対側から飛ぶ。

 慌ててストップウォッチを巻き戻して、何とかギリギリ笛と共にボタンを押した。

 

「だからね、タイムなんて――」

 

 そこで私は、さっきまで隣に居たエリオット君の姿が無いことに気付いた。慌てて辺りを見渡すと右手の大分離れた場所、アリサとリィンの居る方へと向かっていってしまっている彼の背中。

 

 むぅ……サラ教官のせいでちょっとしか喋れなかった。もっと話したかったのに。

 

 先月末からエリオット君とはよく話すようになった。元々、彼とは気があっていた事もあって仲が良かったけど、あの弱味を見せて優しくしてもらった二人だけの秘密の夜以来、一緒に過ごす機会は何かと増えた。

 

 これも彼が何かと気に掛けてくれているからだろう。エリオット君は私が一人で居たら結構な頻度で話しかけてくれる位に気を配ってくれている。私も私で今でも相当彼に甘えきってしまっているのだけど、彼が私の事を特別扱いしてくれるのが嬉しくって、もっともっとずっと話していたいし一緒に居たくなってしまう。

 

 とにかく、今の私にとってエリオット君はスイーツを食べているような甘い時間をくれる存在だった。

 

 だんだん大きくなる水音、私はエリオット君の白い背中からプールへと顔を戻して、カウントを止めた。

 水から上がるガイウスに気を取られる。分かり切ってたことだけど、大きい。

 

「……どうかしたのか?」

「……あ、いや……なんでもないの……ガイウス、22秒40ね」

 

 何もしていないのに何故か悪い事をした気分になってしまい、顔を隠す様に俯きながら名簿のボードにガイウスのタイムを手早く記入した。

 

「ああ、感謝する」

 

 反対側で飛び込む準備するエマの姿を見つけ、笛の音と共にカウントを始める。そして、私はプールから三人に視線を向けた。

 

「り、理解しなくていいの! ていうか、女の子の水着姿をジロジロ見るんじゃないわよっ!」

「……いや……凝視したわけじゃ……」

 

 アリサがなんか怒ってる。どうせリィンがいらんことを言ったか、やったかだろうけど。

 ただ、なんだろう……楽しそうに話してる三人を見るとちょっと疎外感――いやいや、何を私は寂しいとか思ってるんだろうか。私は今タイム係の仕事があるから、エリオット君は気を遣ってくれたんだろうに――。

 

 溜息を付いてから、泳ぎ切ったエマにタイムを伝えて、抱えたボードにペンを走らせる。

 エマのプロポーションはやっぱり羨ましい。そりゃあ、リィンやエロ本先輩ことクロウ先輩も釘付けになるよね。

 再び笛の音と共にカウントを始める。タイム係にも大分慣れてきたのか、余所見していても仕事はこなせそうだ。

 

 少し大きくプール内に響いたエリオット君の声に釣られて、右手を見てしまう。

 どうしたのかなぁ、なんて気になる。

 

「あはは、みんなスタイルが良くて目のやり場に困っちゃうよね」

 

 エリオット君の笑い声の次に聞こえたそんな言葉に、私は自らの身体に視線を落とす。見られてたかな、なんて思うと自身が無さ過ぎて恥ずかしい――水着は着てないけど。

 エマやアリサみたいなスタイルがあればこんな不安になる事も無いのだけど、やっぱり男子はそういう子の方が好きなんだよね。リィンみたいに。

 そこから私は三人の会話に耳を凝らした。プール内でかなり反響しているので、声が聞き取れないことは無い。

 

 が、良い所で邪魔が入ってしまった。いや、邪魔というのは本当に嫌な言い方だけど、スパイごっこさながらに聞き耳を立てていた私にとって泳いできたマキアスは邪魔以外何物でもなかった。タイムだけ伝えてさっさとご退散願う。ボードへの記入も紙を見ること無く、適当にペンも走らせるだけ。

 

「エリオットは……うーん、変に鍛えない方がいいとおもうわよ?」

「えーっ?」

 

 あれ?そういう話だったんだっけ?

 女子のスタイルの話からいきなり、違う方向に変わる話題に少し耳を疑った。

 でも、エリオット君はアリサを見ている訳ではなくて、確実にリィンを見ているのは此処からでも分かる。

 

「……いいなぁ。男の身体って感じがするよ」

「うーん、そういうもんか?」

 

 エリオット君が強さに憧れがあるのは知っている。憧れ、というよりコンプレックス的な感じに近いけど。ただ、外見はともかく、私からすればエリオット君は十分強いと思うんだ。

 

「だから、貴方には似合わないから諦めなさいって」

 

 そうそう、可愛いエリオット君じゃなくなっちゃうじゃない。格好良いエリオット君もそれはそれで興味があるけど――不意にドキッとしてしまう。

 

「おい」

「うん?」

 

 そこに居たのは仁王立ちするユーシス様。

 

「タイムを聞きたいのだが?」

「あ、ごめん。ご――」

 

 ストップウォッチの針が5秒を過ぎた所に、今6秒に――あれ、動いてる?

 サッと顔から血が引くのを感じた。背中に嫌な汗が出る。困った。

 

「どうかしたのか?」

 

 怪訝そうに訊ねてくるユーシスから、咄嗟にストップウォッチをハーフパンツのポケットに隠す。

 

「……に、25秒50――」

 

 そして、顔を隠すように皆のタイムを記入する名簿に目を落とし、私はユーシスの一つ前の泳者のタイムを口にした。

 

 

 ・・・

 

 

 いつの間にか結構濡れていた体操服を脱いで、制服へと着替える。見学の私は皆と違ってシャワーを浴びることもないので早い。

 

「何で、貴女はまだ此処に居るのかしら?」

「え、だって……一人で教室に戻るのもその……つまらないし……」

「まあ、いいけど。あんまりこっち見るんじゃないわよ」

 

 可愛いピンク色の柄もののラップタオルに身を包んだアリサ。タオルも可愛いけど、中身も本当に可愛いと思う。

 何でリィンはこんな可愛い子からあんなに好意を向けられて気付かないのだろう。

 

「何?ジロジロみないでよ」

「タオルで隠してるくせにー」

「ふ、普通そんな堂々と着替えないでしょうが」

 

 アリサの顔に照れと同時に警戒の色が浮かぶ。最近、悪戯ばっかりしているせいで、私の前では隙を見せてくれなくなってしまった。

 タオル捲ろうかと思ったのに。

 

「お先」

「私も失礼する」

 

 そんな私達を横目に堂々と着替えた二人はさっさと更衣室から出て行ってしまう。

 もっとも間には結構な距離を感じたが。

 

「……相変わらずね」

「……そうですね」

 

 私以外の二人が音を立てて閉まる更衣室の扉を見つめながら口にする。

 

「ラウラには少し言った方がいいかしら……」

 

 真剣な顔をしているアリサではあるが、ラップタオル姿のギャップから考えると少し笑えてしまう。

 

「それにしても……あんな感じで、よく特別実習こなせたわね?」

「大分温情評価が入ってると思うから。私も結構ダメダメだったし……マキアスとエリオット君が頑張ってくれたよ」

 

 長椅子に寝っ転がる。

 

「道理でね。戻って来た後、あの二人の事痩せたと思ったもの」

「あはは……私も少し責任は感じてる」

 

 マキアスの事は分からないが、エリオット君からは体重が減ったという話は聞いていた。ただ、その話題で私にとって重要だったのは、聞いた彼の体重と私の体重に大差が無かった事なのだけど。

 身長は私の方がほんのちょっとだけ高いので、確かに不思議では無いのだけど……ショックの大きさにその次の日の朝ご飯は本当に食が進まなかった。

 

「まあ、レポートの方は充実してたし良かったと思うわよ」

「そうですね。色々と考えさせられてしまう題材でしたし、授業で学んだ事を絡めて書かれていた考察はとても説得力のあるものでした」

 

 そう言われると私もちょっと鼻が高いけど――あれを最後に纏めて形にしたのはマキアスで、実はトリスタに帰って来てから徹夜で頑張ってくれたんだよね。

 だから、やっぱり手柄としてはマキアスなんだと思う。

 

「考察はマキアスだから……実際、S評価のA班には全然勝てないよ」

 

 ブリオニア島を訪れた私達B班は課題中に悪天候に見舞われて無人島で孤立した上に、更に異形の魔物との連戦で一夜を明かす事となり疲弊。特別実習三日目に動けるメンバーで努力した甲斐もあって、ギリギリAの評価を手にすることが出来た。

 どうやら、課題自体には無かったが悪天候下のブリオニア北島で孤立した際の対応や、その後の異形の怪物達の戦い。そして、島の現状について纏めたレポートは高く評価された。

 

 対してガイウスの故郷であるノルド高原に向かったA班の方は、帝国と共和国の軍事施設が襲撃を受け両軍の衝突危機という重大な危機に直面するも、その一触即発の事態を回避する為に自発的に動き、結果的に犯人である武装集団を確保する活躍をこなした。

 文句なしの評価Sを手にしており――やっぱり、凄いなぁと思う。

 

 

「お待たせ」

 

 天井の導力灯を眺めてぼーっとしていた私を覗きこむアリサの顔。お風呂あがりを連想させる濡れた髪も、やっぱり可愛い。

 女の私から見てもアリサは本当に魅力的な子だ。綺麗な艶のある金色の髪、まるで紅輝石の様な大きな瞳、胸だって十分以上に大きいし――あまりにも整いすぎている気がする。あ、顔は私とおんなじ位に童顔かもしれないけど。

 

 そんな彼女がぐてっと寝っ転がっていた私に差し出した手を見て、思わず小さな笑いがこみ上げてしまった。

 

「出た。お揃い手袋」

 

 アリサの左手だけにはめられた黒色のフィンガーレスの手袋。あの手袋は所謂ペアアクセやお揃いものという奴で――片割れはリィンの右手にある。

 まるで恋人同士でやるようなことを良く恥ずかしげも無く出来る、とは思ってしまうのだが、最近のアリサとリィンが二人で居たらまず間違いなく恋仲に見えると思う。ただ、実際には何も無い。

 

「そ、そんなんじゃな……」

「違うの?」

「違うんですか?」

 

 エマの援護射撃まで貰って分かり切ったことを聞く。

 

「い、一応、その……同じだけど……そ、そう言う意味じゃないんだから!」

「えー、どういう意味なんですかぁ?教えてくださぁぃ。二人の愛の印ですかぁ」

「お、怒るわよ!」

 

 彼女との間で数日に一回は繰り返されるやり取り。毎回初々しい反応をするアリサの姿は中々飽きないものであり、私も私で自覚してる程しつこい。

 しかし、アリサもアリサでいい加減慣れて欲しいものでもある。

 

「それにしても、アリサさんもリィンさんも毎日欠かさずにしてますよね」

「そ……そうかしら……」

 

 顔を逸らして明後日の方向もとい、更衣室のロッカーに視線を泳がすアリサ。

「でも、そういう約束だし……当然……」等、ロッカーの扉に向けてぶつぶつ呟く彼女の行動はちょっと不審人物に近い。

 

「ふふ、そうですね……やっぱり――」

「『でも、そう言えるってことは何か掴めたってことでしょう?』」

 

 ここ数週間、『リィン兄様』以来の私のマイブーム言葉。偶にユーシスも乗ってくれたりもする。最初はリィンも結構反応してくれたっけ。

 

「こ、こら! 本当にしつこいわよっ!」

「だってー、面白いんだもん」

「もう、まったく……」

 

 更衣室の扉のノブに手を掛けるアリサは、まだ少し赤みを帯びた頬。

 

「ねえ、アリサ。ホントにリィンとは何もなかったの?」

「なにもないわよ! 大体、何かって……」

 

 再びアリサの顔が真っ赤な林檎になる。あ、想像しちゃったかな?

 

「ほら、キスとかハグとか……色々」

 

 ジェスチャーを交えて口にしながら、私も顔に血が集まる感覚を感じる。色々、なんて言うんじゃなかった。アリサみたいに私も午前中から変なことを考えかける所だったから。

 

「だ、大体そんなのある訳ないでしょ!? 私達まだ学生だし……その……そういうのは……」

「そ、そうですね……」

 

 想像は付いていたけど、この二人はやっぱり初心だった。大体、学生でもカップルは居るし。

 まあ、ここは恋の先輩として少しアドバイス、なんてちょっといい気になって自慢してみようかな。

 

「私、キスして貰ったことあるよ」

「ええっ!?」

 

 即座に目を大きく見開いて声を上げるアリサ。その隣でエマも口に両手を当てて、頬を赤くしている。

 二人の中々オーバーな反応に少し驚きながら、自分からしたことは無いけど、と心の中で付け加えた。そんな勇気があれば、もう少し今は変わっていたかも知れない。

 

「そ、それって――あ……ご、ごめんなさい……その……」

「いいのいいの! もう、気にしてなーいっ。だから、アリサも――」

 

 きっと相手やシュチュエーションについて聞こうとして、彼女は気付いたのだろう。

 大丈夫、もう気にしていない。私は気にしていない。まるで自分を言い聞かせるように二度心の中で呟く。

 

「わ、私は――あっ……」

 

 私を遮ってまた照れ臭そうに視線を逸らしたアリサの横顔が変わる。それに釣られて私が見たのは白い制服に身を包む金髪の貴族生徒だった。

 

 ――黙れ!辺境の下民が! 外地生まれの混血雑種の分際で――!

 

 あの言葉が木霊し、身体が強張るのを感じる。

 話し声が大きかったのだろうか、彼の視線はまっすぐ私達に注がれていた。いや、目が合うと言う事は――私にだ。

 

「……」

「……」

 

 何故か私はそのまま視線をぶつけていた。ここで引く訳にはいかない。大好きなⅦ組の皆をあれだけ口汚く酷く罵った彼から。何故か今なら負けない気がしたのだ。それ程、パトリック様の瞳に強さが見えなかったから。

 そんな平民離れした感情に気付いた時、私は咄嗟に目を逸らした。そして、止まっていた足を先程よりも早く動かす。

 その場で立ち止まったままの彼の隣を抜けて、逃げるようにギムナジウムを後にした。

 

「はぁ……」

「……エレナ?」

 

 その言葉に込められた意味合いは、分かり切っている。最近はずっとそうだ。

 エマも何も言わないが、アリサの隣から私に視線を送っている。

 

「ううん、大丈夫。なんでもない」

 

 私はあんまりうまく笑えなかったのだろうと思う。なぜなら、二人の顔にあまり変化がなかったから。

 

「じゃあ、私、購買寄ってくからっ!」

 

 アリサとエマへのアピールと自らの気持ちの切り替えの為に、わざと大きくて元気そうに聞こえそうな声を出して、この場から逃げることを選択する。

 どの道、購買にはノートを買う為に寄ろうと思っていた所だ。それはアリサにも前もって言ってあるので不自然では無い筈。

 

「分かったわ。遅れないようにね?」

「授業までは後十分ですから、急いで下さいね」

 

 小さく手を振って二人とは中庭の前で別れた。

 本当にアリサとエマは私の事を出来の悪い妹か何かだと思っているのではないか――最近、本当にそんな気がする。まあ、それが優しさなんだろうけど……あんまり子供扱いされるのも好きじゃない。

 

 

 

「……暑っ……」

 

 見上げれば濃い青色の空に大きな入道雲が――眩しい太陽に向けて手をかざす。

 夏至祭は終わり季節は夏へ、今年も夏が来た。士官学院に入ってからの忙しい日々のお陰か、とてもあっという間だった気がする。

 

 こうやってすぐに夏も終わって秋が来るのだろうか――いつの間にか早くなった時間の流れを感じると、少し寂しく思う。

 

 それにしても暑い。

 学生会館迄の短くて長い道のりを、下を向きながらだらだらと歩く。

 陽射しに肌を焼かれると同時に、汗が吹き出してゆくのを感じる。見学の私もシャワーだけ浴びれば良かったかも知れない。

 

「はぁ……」

「可愛い子がそんな溜息をするものじゃないな。幸せが逃げてしまうよ」

 

 そんな声の方向に顔を上げると、技術棟を背に立つ黒いライダースーツに身を包んだ先輩の姿があった。

 

「アンゼリカ先輩……」

「まあ、そう物憂げな顔をしているのも可愛らしいがね」

 

 アンゼリカ先輩の”お世辞”は軽くスルーする。可愛いと言われるべきなのはアリサみたいな子なのだ。私みたいにお洒落もあまり出来ない子に相応しい言葉では無いと思う。

 

「幸せって何なんでしょうね。……今の私が幸せなのか、私には分かりません」

 

 私は恵まれているのだろう。

 だが、幸せかと問われれば、それはまた違う問題に思えた。

 

「ふむ……難しい質問だな。私としても色々と考えさせられるね」

 

 腕を組みながら思案するアンゼリカ先輩。

 

「だがまぁ、私は自分の好きなように生きるのが幸せだと思うね」

「好きなように……っていうのも難しいですね」

 

 声を上げて笑いだす目の前の先輩に私は戸惑う。今のはそんなに笑う所だろうか。

 私が懐疑的な視線を送っていることに先輩も気付いたのかもしれない。彼女は小さく息を吐いてから「そうだとも」と呟いて、私から背を向ける。

 

 そして、技術棟の小脇に停められた”導力バイク”と何時ぞやに聞いた乗り物のハンドルを両手で押した。

 

「だから、今を楽しむのさ」

 

 丁度、私の隣で先輩は導力バイクを押すのを止めて、そう言い放った。

 

「……アンゼリカ先輩、まだお昼までには二限の授業がありますよ?」

 

 笑顔で「ああ、まだ腹は減らないね」と同意してくれる。もっとも、私の言葉の意味合いをちゃんと分かっていたら、一五分しか無い休み時間に導力バイクに乗ろうとはしないのだけど。それに残り時間まではもう十分を切っている筈。

 

「……サボるんですか?」

「ああ、ちょっとばかしツーリングにね」

 

 クロウ先輩といいアンゼリカ先輩といい、私に関わりのある先輩はダメな先輩が特に際立っている。あの、トワ会長の真面目さすらこの二人の前では霞みそうだ。

 

「そうだな、君も一緒にどうだい?」




こんばんは、rairaです。
やっと日常パートということで何を書こうか色々と迷ってしまいましたが、まずは水練の授業からでしょうか。私的には外せないイベントが多かったです。

さて今回から四章帝都編のお話となります。
取り敢えず近い所では自由行動日にエリゼさんの訪問とリィンの覚醒…実習ではブルブランにオリビエ&アルフィン登場、そして、帝都でのテロ大事件などイベントが目白押しですね。ちゃんと考えて書かないと三章以上に長くなってしまいそうです。

主人公エレナ個人にとっては、劇的な変化を強いられた三章から立ち直り、最終的に一歩進む形になるのが四章となります。
彼女の抱える色々な事に決着が付くことになるでしょう。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月17日 緋色の帝都

 ”TRISTA 450CE”

 

 まるでここまで自分の脚で走って来たかのような疲労感に襲われ、ふらふらとして足腰が定まらない。

 数十分前まで私が居た街への距離が大きく印字された重厚な鉄看板を見るや、私は力無くそれに背中を預けた。

 しかし、やっと一息付けると思ったのも矢先、ワイシャツ越しに背中を、スカート越しにお尻を焼かれてその場から飛び退く。

 

 夏の日差しに熱せられた鉄板は尋常ではない。そんな事すら失念していた馬鹿な自分を責めたくなるものの、そんな気力は既に無かった。

 

 もう諦めてその場にしゃがみ、今来た道に目だけを向ける。郊外へと続く道の上にはチラチラと蜃気楼が揺れ――足元からの熱気が私の脚をもじわりじわりと熱してゆく。

 さっきまでは逆に寒かった位なのに。

 

「はぁ……」

 

 本日何度目になるか分からない溜息を付いて、後ろを振り返った。

 

 帝都東門、グルトップ門。緋色の煉瓦で建てられた巨大な中世様式の門構えは、この場所が帝国の中心たる帝都ヘイムダルの東の玄関口である事を充分過ぎる程に誇っている。

 この門をくぐった先、見上げれば首が痛くなる程高い《ヘイムダルの赤壁》と呼ばれる城壁の内側が目的地である帝都市街地だ。

 

 

 ――三十分前。

 

 士官学院の正門を出て、駅前の商店街を走ってた頃は良かった。

 私が『導力バイクって楽しい』なんて子供染みた感想を捨てたのは、トリスタ駅前を帝都方面へ右折して街道に出た時。それはもう、過ぎ去ったトリスタに向けてくしゃくしゃにして投げ捨てた。

 

「どうだい――この風を切る気分は――!」

 

 そんな叫びは、うるさい風の音に乗って、まるで遠くの人から話しかけられたかのように聞こえてくる。アンゼリカ先輩は私のすぐ前に居るのに。

 だが、私にはその返事を返す余裕は全く無い。さっきまでこの背中で前が見えないと少し不満だった余裕は嘘の様、暴風の様に頬に当たる風は痛い程で、必死に革ツナギの背中にくっついて顔を隠している最中なのだから。

 突然襲ってきた大きな上下の振動に、思わずアンゼリカ先輩の体に回す腕に力が入ってしまう。それに気付いた私は、すぐに腕から少し力を抜いた。また変なことを言われると恥ずかしくなるし、癪だ。それに、なけなしの強がりだけど、プライドは重要だと思う。

 

「ははっ! そんな照れ臭そうにすることはない!」

 

 やっぱり言うと思った。

 

「もっとしがみついてくれたまえ! 私と共に身も心も風になろう!」

 

 なんて続ける。アンゼリカ先輩、テンション高すぎというか、あなたが言うといかがわしい意味にしか聞こえないんですが!

 更にほんの少しだけ腕の力を弱めた。

 

「ほお……ならこちらにも……!」

「ひぃっ!」

 

 思いっきり傾いたバイクに、恐怖に叫びながらなりふり構わずアンゼリカ先輩にしがみ付く。

 今度は反対側に――こんな乗り物で、こんな高速で、蛇行運転。

 私は必死に革ツナギの背中に抱き締める羽目となった。

 

 

 そして、今に至る。

 

「どうだい、導力バイクは楽しかっただろう?」

 

 私をこんな風にした犯人は、悪いとなんて何一つ思ってない様な満面の笑顔。

 怒鳴り返そうかと考える一方、もうそんな気力も残されてはいない。私は半ば強引にこのザボりの道へ引きずり込んだこの先輩に、いかに怒りをぶつけようかと考える。

 

「……はい、そうですね。ログナー侯爵令嬢アンゼリカ様」

 

 もう恨み節しかない。

 

「そんなに怒らないでくれたまえ、私もこの通り反省している」

「もう! めっちゃ怖かったんですよ!」

「ははは、しっかり色々と堪能できて私は満足だよ」

 

 分かっていた事だけど、この人は本当に人の反応で楽しんでるんだから!

 

 

 ・・・

 

 

 帝都の西の大通りと言われるヴェスタ通り、そのアーケード内にある大きな衣料品店に私達は居た。

 このお店の《ルッカ》とブランドは私でも知っている位有名だ。本業はセントアークの貴族向け高級店と聞いた事はあるが、今ではもっぱら平民向けの総合衣料品店として知られており、パルム市の駅前広場にも軒を構えていたのを覚えている。

 二つ程0の増えた値札が並ぶ店内の一角や、完全オーダーメイドまで請け負っているのが数少ない本業の名残といった所か。もっとも私にはどちらも縁遠いものだけど。

 

 ちなみに此処へと来たのは、実はショッピングを楽しむ為ではない。確かにこうやって色んな服を眺めるのはとても楽しいのだけど、一番の理由はカモフラージュの為であった。

 アンゼリカ先輩曰く、「士官学院の制服を着た少女が午前中から街中をふらついてるのは不自然だからね」ということらしい。帝都東門で検問をしていた帝都憲兵に訝しげな視線を向けられた事を考えれば、確かに当然の自衛策と納得出来た。

 

 じゃないと、そんなにお金も持っていないのに服屋なんて行く訳がない。

 

 色気も何もない黒の薄手でロング丈パーカーを手にして、鏡で自分の体に合わせる。うん、これでいいよね。

 

「それを買うのかい?」

「はい。おかしいですか?」

 

 何となくアンゼリカ先輩が次に口にする言葉は想像がついていた。

 

「もっと可愛らしい服を買えば良いと思うのだが……」

「買うのは羽織るものだけです」

「そう言わずに、いい機会じゃないか」

 

 そして、「ほら」と彼女は傍でマネキンが来ている白地でレースフリルの付いたワンピースを指す。

 ワンピースって案外着こなすのが面倒臭いのに。

 

「……似合わなかったら嫌じゃないですか」

「ふむ……」

 

 服だけでなく、口も可愛くない態度を取ってとっととカウンターへと向かった。

 どちらかというと安物といった対価を払い、タグを外して貰ったパーカーをその場で羽織ってお店の出口に目を向けた。

 

 いない。

 さっきまでドア脇で私の会計が終わるのを待っていたアンゼリカ先輩が居なかった。私は慌てて店内を見渡すが、どこにも居ない。

 

 まさか、置いて行かれたのだろうか。

 折角誘ってくれたのに、私がずっとぶすっとしていたから、幻滅して見放されてしまったのだろうか。

 アンゼリカ先輩の周りにはハーレムだなんて言われる程可愛い子は多い。別に私じゃなくても外見は勿論、性格も可愛い子なんていくらでもいるだろうし――。

 

「お待たせ」

「ひぁっ……!」

 

 突然耳元で囁かれ、思わず変な声が出てしまう。

 

「あ、アンゼリカ先輩っ」

 

 何処行ってたんですか、という言葉は、口出る前に違う言葉に取って代わられた。

 髪を触られる感じがしたと思えば、それまで髪ゴムで結っていた感覚がすっと消える。

 

「な、なにしてるんですかっ……っ!」

「しっ……じっとして欲しいな」

 

 耳元にかかる息がとってもくすぐったかったけど、何とか今度は耐える。これは、絶対わざとだ。

 そして、アンゼリカ先輩が何をしようとしているのかが、何となくだがやっと分かった。

 

「よし、出来た。うんうん、とても似合っているよ」

 

 タイミングの悪い事に一部始終を見ていたショップの店員さんが、私に手鏡を差し出してくれる。

 

 そこには、なんとも自分らしくもない黒色の大きなリボンを付けた私がいた。

 急に顔が熱くなる。ヘアバンドはわかっていたけど、こんな大きいリボンがついてたなんて。

 

「リボンさ。これぐらいのお洒落はいいだろう?」

 

 そんなのは見れば分かっている。こんな可愛いヘアアクセ、私に本当に似合うのだろうか。

 

「……むぅ」

 

 でも、それほど悪い気はしなかった。やっぱり、リボンは可愛い。

 

 

 来た時には気づかなかったが、衣料品店を出た私達が見たのは人集りで賑わうアーケードの向かいのお店だった。

 

「……アレ、なんですか?」

 

 ぱっと見では書店の様ではあるが、そんなに人気の本の発売なのだろうか。字だけの本を読むのがちょっと苦手な私は、そっち方面の事には疎い。エマやマキアスなら分かるんだろうけど。

 

 それにしても、平日の真っ昼間にあれだけの人集りが出来るというのも凄まじい。流石は帝国最大の大都市だ。

 

「ああ、写真集の発売の様だよ」

 

 写真……集?

 お金が無いからといって、《ケインズ書房》でそういう本を立ち読みする例のエロ本先輩が私の脳裏を過る。百歩譲って読むのは構わないが、ニヤニヤ下品な笑いを浮かべるのはやめて欲しい。正直、顔がやらしすぎてお客さんが引いてた。

 数日前のバイト先での記憶をふと思い出しながら、目の前の光景を見ると似通った共通点が見えてくる。

 

 向かいの書店に集まる人も男が多いように見えるのだ。

 やっぱり、きっとそういう事なのだろうと、嫌悪感なんて通り過ぎて呆れしか思い浮かばない。いや、私だって子供じゃないんだし分かっているのだけど。

 

「そんな顔をしなくても、至って健全なものだよ」

「そうですか。おんなじ事をよくエロ本を買う"先輩とは思えないバンダナ"から聞いたことがあります」

「ははは、寂しい男達御用達の本とは一緒にしないで欲しいねぇ。大体、あんな本を見ながら夜な夜な何をやっているんだか――」

「あ、アンゼリカ先輩っ……!」

 

 周りを気にする素振りもないアンゼリカ先輩を慌てて止めると、彼女は両手を広げてけらけらと笑う。

 そんな、こんな街中で大っぴらに言わないで欲しい。人通りも結構多いのだし、十アージュ程隔てたアーケードの向かいには数十人の人が集まっているのだから。

 私はあんまりはしたない女だと思われたくない。

 

「それはそうと、クロスベルで人気の劇団の奴なんだが、知らないのかい?」

「……知らないですね」

 

 自分でも驚く程即答できたのは、単にクロスベルという場所についての知識が私に全くといって良い程無いからだ。

 帝国東部の属州の大都市であり、市民がお金持ちである事や色々と良く思われていない事は知っていても、その場所の有名な劇団なんか全く分からない。

 大体、行ったことが無い街の事なんか分かる訳がない。三回目の帝都の事すら私には分からないのに。

 

「意外だな。君がよく被ってる帽子にみっしぃの缶バッジが付いていたから、あちらに詳しいのかと思っていたよ」

 

 あの缶バッチの変な猫は”みっしぃ”というらしい。少し気に入っていたので、名前を教えてくれたアンゼリカ先輩には内心ちょっと感謝だ。

 

「あれはお父さんからのお土産です」

「ああ、確かに軍の帽子だったね。ふむ、噂のワンダーランドの話を聞いてみたかったんだが……」

 

 アテが外れてしまったようだね、と残念そうに肩を落とした。まあ、仕草と裏腹にそう残念にも思っていなさそうではあったが。

 

 大きく美しい鐘の音が空に響くと共に、書店の周りの人だかりがざわめき立ち、歓声すらも上がる。

 

「《ヘイムダルの鐘》か……正午発売、ということだったみたいだね」

「……チケットなら分かりますけど、写真集ってどういうことなんですか?」

 

 チケットの販売開始日に並ぶ……とかなら分からなくも無い。パルム市に旅芸人の一座が来た時にフレールお兄ちゃんがとっても頑張っていたのを思い出す。

 

「トップスターの《炎の舞姫》を筆頭に劇団員は皆美男美女揃いなんだよ。特に今年入った新人の子が可愛くてね」

 

 思った。クロウ先輩のグラビア雑誌とぶっちゃけ変わらないんじゃないかって。

 でもまあ、雑誌等でかっこいい男の人の写真を見れば私も多少気になってしまうので、気持ちは分からなくも無いんだけど。

 

「へぇ……どんな子なんですか?」

「東方系の顔なんだか、もうなんというか豊満な身体をしていてだね――」

「……もういいです」

 

 もうそれ以上聞くつもりは無かった。良く考えればアンゼリカ先輩は女の子好き、ぶっちゃけあのエロ本先輩と変わらない。逆にスキンシップやいかがわしい発言が多い分、アレより遥かに質が悪い様にも思える。

 

「つれないねぇ。焼き餅かい?」

「そんなんじゃありません」

 

 私はアンゼリカ先輩からまた顔を背けた。

 

 

 ・・・

 

 

『私のいきつけの店を奢るから、ご機嫌を直してくれないかい?』

 

 そんな言葉に釣られてしまうんだから、私も結構簡単な女だと思う。まあ、からかわれたといっても二人きりなのだしそこまで嫌だった訳でもないのだけど――ただ、あのままずっとやられっ放しというのがどうしても気に食わないだけだった。

 

 馬よりも少し遅く、まだ風が心地良く感じられる位の速度で導力バイクは走っていた。

 私が怒ったのを見てアンゼリカ先輩が反省してくれた――訳ではなく、単に街中であんな速度を出す事が危険過ぎるからだろう。まあ、帝都憲兵の目も光っているということもあるかも知れないが。

 ともあれ、どんな理由でも安全運転をしてくれているお陰で、私はしっかりと流れ行く帝都の街並みを見る事が出来た。

 

 帝都は巨大だ。入学前にこの街で一泊した時にも同じ事を感じたが、やはり帝都は全てが別格だと思う。

 それを一番感じるのは、移動しても移動してもずっと街が続いている事。

 一つ一つが大きな規模を持つ街が幾つも集まって、帝都という一つの大都市を作り上げている――私にはそう見えた。

 この帝国が帝都と領邦四州、その外側の準州や属州で構成されるように。

 

 色んな業種のお店が軒を連ねるヴェスタ通りは活気的な街だった。様々な大きさや高さの建物が立ち並ぶ様は雑多な印象も受けるが、庶民的な繁華街といった言葉がとても似合っていた。

 それに比べると今走っている場所は、まったく正反対の印象を受けなくもない。街は静かで街路樹や公園の緑も多く、一つ一つの建物は大きくてしっかりとした気品がある。少し違うけど、バリアハート市に似た雰囲気は帝都の中のまた違う街に入ったことを感じさせる。

 

「あ、あれって……」

 

 街並みの向こうに二つの大きな尖塔が見えた。皇宮《バルフレイム宮》とは違って真っ白の。

 

「ああ。ヘイムダル大聖堂――さっきの鐘の音は彼処からだよ」

 

 左手には段々と大きくなる純白の大聖堂がその全貌を建物の影から現してゆく。陽の光を反射して輝くそれは、まさにこの帝都で最も女神様に近い場所だった。

 

「……ん……?」

「どうかしたんですか?」

 

 ヘイムダル大聖堂の敷地際に顔を向けたアンゼリカ先輩。

 

「ああ、いや……私の見間違いだろう。朝から見ていないと思っていたが、ここ程奴に場違いな場所も無いだろうしね」

「はぁ……?」

 

 誰のことだろうか、士官学院の生徒には間違い無い様だが――クロウ先輩?

 いや、まさか……。一番敬虔な信徒という言葉から縁遠いし、なにより学校の授業をサボって来られても女神様も困るだろうに。

 

「さて……ここを曲がると――」

 

 対向車の居ない交差点を右折し、傾斜の坂道を下り始める。

 

「わぁ!」

「《バルフレイム宮》のお出ましさ」

 

 目の前には、大聖堂よりも更に巨大で壮麗な皇宮が広いお堀の向こうに聳える。

 

「これぞ帝都って感じですよね! やっぱり近くで見ると大きい!」

 

 坂を下りきり、皇宮のお堀沿いの広い道を走る導力バイクから、私はこの景色を堪能していた。

 

 そのまま皇宮の正面外苑広場でもあるドライケルス広場を横切って、帝都の中心街であり重厚な高層ビルの立ち並ぶヴァンクール大通りへ。

 帝都最大かつ中央を南北に突貫する目抜き通りを左に曲がりし、幅の狭まった道を水路沿いに走ること数分。帝都の中心部から離れるにつれて、再び街の雰囲気が変わってゆく。

 

 高い建物がめっきり少なくなった街の一角に、アンゼリカ先輩はバイクを停めた。

 

「さて、着いたよ」

「ここ……ですか?」

 

 人通りも導力車やトラムの往来も多かったヴァンクール大通りやヴェスタ通りは勿論のこと、比較的静かだった大聖堂があった街区とも少し違う。

 戸建ての家屋の多い住宅街といった所か。

 

「閑静な場所ですね?」

「アルト通りは帝都でも比較的裕福な住宅街だからね」

 

 意外だった。アンゼリカ先輩の行きつけという位だからヴァンクール大通りや帝都歌劇場の近くにある高級店というイメージがあったのに。それは私の偏見だろうか。

 住宅街の中に溶け込む目の前の喫茶店の軒先でそんなことを思う。

 

「どうぞ、お嬢様」

 

 アンゼリカ先輩がまるで執事様のように扉を開けてくれる。お嬢様は先輩なんですけど。

 

 

 店に入るやいなや、年老いた主人に慣れた様子で注文をしてゆくアンゼリカ先輩には驚かされる。ここをトリスタの《キルシェ》かと勘違いしそうになった位だ。

 週に一回は行く《キルシェ》でも『いつもの』と私が注文したら厳しそうなのに、この先輩は一体このお店に何度来ているのだろうか。

 

 暫くして運ばれてきたお店の主人の焼いた帝都風の薄い生地のピッツァは、その名に恥じない美味しさであり、あっという間に最後の一切れになってしまう。

 このまま全部食べるのは少し勿体無い気がして、私はまだ半分くらい残るカフェ・ラッテのカップを口に運んでから、アンゼリカ先輩の方を見た。

 

 彼女の”いつもの”の正体は、ノルティアン・ティー。帝国北部特有の紅茶の飲み方で、小さな器に入ったジャムをスプーンで舐めながら、紅茶を楽しむという物だ。

 私がこんな飲み方をしていれば失笑ものだろうけど、彼女はとても様になっており革ツナギがアフタヌーンドレスに見えたくらい。流石は、四大名門に名を連ねる侯爵家の令嬢だ。

 

「そんなにお腹が空いていたのかい?」

「いやっ……その……」

 

 図星過ぎて何も言葉が出ないとはこの事だろう。

 

「私のオムレツも一口どうだい?きっと気に入ると思うよ」

 

 黄色のふわふわのオムレツは、それはもう……美味しそうで。いやいや、流石に……でも、美味しそう。

 

「……うっ……じゃあ……」

 

 小さな葛藤の後、誘惑に負けた。幸いにもこの場にはアンゼリカ先輩だけであるし、ちょっとぐらいなら大丈夫……と思う。

 だけど、私は、次の瞬間、後悔した。

 

「はい、あーん」

「ええっ!?」

「何を驚いているのかな?」

 

 差し出された銀色のスプーンに乗る、まだ少し湯気の立つ黄色のふわふわ。

 アンゼリカ先輩はニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

「た、食べさせて貰わなくても、大丈夫です!」

「まあまあ、そういわず。冷えてしまうよ」

 

 意を決してスプーンにぱくついた私は、オムレツを堪能していた。味はアンゼリカ先輩の言う通り確かなもので、卵のまろやかな味に交じる砂糖の甘みと、バターの風味――あれ……この味……。

 そこで私の思考はお店の扉ベルの音に引き戻され、咄嗟に味わっていたスプーンから口を離す。

 流石に見ず知らずの人の前で、恥ずかしい姿は見せられない。

 

「あら……また来てくれていたのね」

 

 入ってきたお客さんはすごく綺麗、というより可愛い系なお姉さん。私達のテーブルを目にして真っ先に声を掛けてくれたのでアンゼリカ先輩とは顔見知りなのかも。

 

「ああ。ふと、ここの紅茶が飲みたくなってね」

「ふふ、士官学院の方は大丈夫なのかしら?」

 

 どきっ。

 優しげなお姉さんはアンゼリカ先輩の事を言っているのだろうけど、今のは結構怖かった。いや、アンゼリカ先輩が士官学院の生徒だと知っているのだから、私も当然そう思われているだろうか……。

 

「ご心配なく――それはそうと、今日も手伝われるのかな?」

「ふふ、今日はお教室がお休みなの。一人で家に居ても寂しいから」

 

 一瞬、苦笑いする彼女の顔に影が掛かったように思えた。

 

「それにしても――今日はお友達かしら?」

 

 彼女の顔は私へと向けられ、しっかりと目が合ってしまう。整った可愛らしい顔立ち、綺麗な赤毛に紫水晶の様な瞳――本当に美人さんだ。そんな彼女に私は小さくお辞儀するのが精一杯だった。

 

「ああ、私の意中の子でね」

「な、な、なっ――」

 

 ただでさえ、人見知りで緊張している私は更に一気に追い込まれる。

 アンゼリカ先輩の事なのでそういう事を言われるぐらいは想定の内なのだけど、サラッと言って良い事と悪い事がある。

 それ位、見ず知らずの素敵な人の前でアンゼリカ先輩に誂われるのは恥ずかしくて、今すぐパーカーのフードを深く被り、そのままテーブルに突っ伏して顔を隠したい衝動に駆られた。

 

「初心な所にこう、くすぐられてしまうだろう?」

「ふふ、確かにそうね。あっ……」

「えっ……」

 

 突然、赤毛のお姉さんの左手が私の頬に伸びた。そして、彼女のもう片方の手がテーブルのナプキンを取り、私の口元へ――そのまま優しく拭った。

 そして、優しく微笑み、

 

「オムレツがお口についてたわ」

 

 と、一言。

 うぅ……もう無理。恥ずかしくて死にそう。

 

 

 赤毛のお姉さんが奏でるピアノの旋律で満たされる。

 彼女は近所の住民で子供達相手にピアノを教えているのだという。同時に、このお店の古くからの馴染みであり、音楽喫茶の貴重なウェイトレス兼演奏者でもあるのだとか。

 

「この曲、のんびりして良い曲ですね」

「ああ、昼下がりにはぴったりな曲だね」

「ふふ……『陽だまりにて和む猫』という題の曲なの。少し眠くなってきてしまうかしら」

 

 私達に笑いかけながらも、彼女の両手は白と黒の鍵盤の上を流れ続ける。

 

「なる程、街の片隅で微睡む猫が浮かぶよ」

「あはは、猫さんになりたいですね。一日中のんびり寝っ転がってたいです」

「確かに。だが、どちらかというと君は犬っぽいとも思うけどね」

「え……そうですか?」

「ああ、何事も反応がわかりやすいからね。それに健気で一途、まるで子犬みたいじゃないか」

 

 みゃおん?、昔読んだ猫語の入門書で学んだフレーズでも口にしようかと思ったが、流石に思い留まる。どんな反応をされるかも分からないし、なにより確実に何か無茶振りされそうだ。それに、頭に浮かんだ”知り合いで猫っぽい子ナンバーワン”があまりにも似合いすぎていたというのもあるが。

 

「くぅ~ん、と小さく鳴いてみてくれないかい?」

「と、トワ会長に頼んでください……」

 

 再び赤毛のお姉さんの小さな笑い声が聞こえた。

 

 どこか寂しくて、懐かしい旋律。

 

「……あ……」

「これはまた粋な選曲だね」

 

 《星の在り処》――誰でも知っているであろう、愛し合う二人の別れと再会への願いを唄った少し哀しいラブソング。一昔前に帝国で流行した曲だったりする。

 私も昔からよく聴くこの綺麗なメロディは大好きだ。そして、小さい頃の思い出に流れるハーモニカの音色がとても懐かしい。あの人の名前なんていうんだっけ――幸せな記憶の一番最初のページだったのになぁ。

 

「ホントにお上手で……!」

「ふふ、ありがとう」

 

 完全に聴き入ってしまっていた私は、見事な演奏に夢中で拍手を送った。

 こんな演奏してくれるなら、毎週このお店に遊びに来たい位だ。ただ、列車代は高いのでアンゼリカ先輩頼みだけど……流石にそれは難しいよね。

 

「それにしても、面白い引っ掛けだね」

「引っ掛け?」

 

 どういう意味だろう。

 

「ふふ、わかっちゃったかしら。実は案外縁があったり――」

「ほお……これは少し驚きだね」

「――なんてね」

「ハハ、これは一本取られたね」

 

 お茶目な笑みを浮かべる赤毛のお姉さんに、アンゼリカ先輩は両手を広げて笑った。

 

「アンゼリカ先輩、どういう意味なんですか?」

 

 自分達だけの世界に居る二人が羨ましかった。




こんばんは、rairaです。
閃の軌跡ⅡのOPムービーに鳥肌が立ってしまいました。とりあえず、トワ会長に驚きです。

さて、今回は悪い先輩の誘いに乗ってしまったエレナのお話でした。
帝国の中心にいるのにも関わらず何故か空や零碧臭かったりしますが、ここではアンゼリカと一対一だからこそのイベントや各種伏線を入れてゆく予定です。
同時に引き続きB班視点となる四章特別実習において、アウェー組で少し頑張ってもらう為でもあったりもします。

この作品の四章は二つの「帝都編」となります。サボって遊ぶ帝都編、そして、特別実習の帝都編ですね。

フィオナの引っ掛けは、私の妄想以外の何物でも無かったりします。
ただ、《星の在り処》と《エトワール》、その近所に住むクレイグ一家。何か繋がってそうな気がするんですよね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月17日 初めての夜遊び

「えっと……?」

「何をしているんだい? 早く入ろうか」

 

 帝都有数の歓楽街であるガルニエ地区のとある通りで、私は足を止めていた。

 アンゼリカ先輩は繋いだ手を力任せには引っ張らないが、今度は背中に腕を回そうとしてくる。

 

「でも、私、こんなところ!」

「ふふ、出来れば君とはもっと楽しみたいんだ。これぐらい良いじゃないか」

「あ、アンゼリカ先輩! 私はまだ学生でっ……お金だって持ってないし……!」

「ふふ、お金の心配なんて女の子にさせると思うかい?」

「で、でも……まだ……早いっていうか……」

 

 流石に座り込む真似はしないが、足は動かさない。

 

「じゃあ、二つの選択肢を用意しよう」

「やめま――」

「自分の足でちゃんと歩いて入るか、又は私にお姫様抱っこされて入るか」

「どっちも嫌――っ!」

 

 抱きとめられたと思えば、突然脇をくすぐられ、一気に身体から力が抜ける。

 私は抱き抱えられ、アンゼリカ先輩になすがままに強引に連れ込まれた。

 

 

 ・・・

 

 

 この鏡は俗に言う美人鏡だと思う。

 

「……」

 

 私は童顔だ。これはもう仕方が無い。ついでに言えば体付きも細くて、もうちょっと欲しい所が貧相だったりするので、背だけ伸びた子供だなんて言われたこともある。

 

 それがどうだろうか。鏡の中で驚いている女性は大人っぽいのだ。

 メイクアップ前はドレスが似合わず、まるで母親のドレスを内緒で着てみた背伸びする子供を見た様な感想を抱いたのだが、まさかこうも変わるなんて。

 

 スカート丈が短いリトルブラックドレスは違和感なく似合っていて素敵で、いつもどこかがハネてくれて苦労する栗色のくせっ毛は、今は流るように艷やかで真っ直ぐ。少し長くなりすぎてそろそろ、自分で切ろうかと鬱陶しく思っていた前髪もしっかりと整えられている。

 

 キラキラするアイライン、ふんわりと頬にのるトーチ、控えめながらもグロスで艶感のあるリップ――しっかりとメイクのキマった姿は、少なくとも歳相応に、というより普通にそれ以上に見える。

 正直、こうして見ると自分だとは思えない位だ。三年、いや五年後でもいい。こんな自分になっていたい理想の姿かも。

 

「お気に召しませんでしたか?」

「え、えっと……メイクって凄いんだなって……」

 

 何を分かり切ったことを私は言っているんだ。感想としては二流以下ではないか、と頭を抱えたくなる。

 メイクを施してくれた二回り程歳の違う大人の女性が、私に向けて鏡越しに小さく笑った。

 

「でも、笑顔に優るお化粧は無いんですよ」

 

 思わず私は、隣に立つ彼女を向いた。

 パンツルックで”この靴”を履いた私よりも背の高い彼女は、どちらかというとクールで格好良い人だ。そんなメイク中に植え付けられた印象とは、かなり違う言葉に少し驚いた。

 

「さあ、笑って下さい」

 

 彼女はニコッと笑みを浮かべ、仕方無く私も笑顔を作る。

 

「はい、よく出来ました」

 

 まるで日曜学校のシスターに褒められている気分になった。

 

 

 その後、私が危惧していた事は最後まで無かった。つまり、お金は求められなかったのだ。

 この場で身に付けた数々の品の代金は一体どうなっているのだろう。本当なら絶対にこんな事は拒否するのだが、アンゼリカ先輩は強引過ぎて私は太刀打ち出来ないのだ。結局、あのままお店に私を引き渡すように置いて、「いい子にしてるんだよ」なんてこっ恥ずかしい事を言うやいなや何処かに行ってしまった。

 

 何人もの人に見送られてお店を出た時、既に日は落ちていた。

 夕暮れの終わり、帝都の街並みを背景に佇むのはタキシード姿の一人の美青年。それが、見知った人である事に気付くまで私は少々時間を要した。

 

「あ、アンゼリカ……せんぱいっ……!」

「おお、とても可愛らしいじゃないか」

 

 ほんの数アージュの距離の通りへの階段を駆け下りるが、歩きにくいのなんの!まさか私がハイヒールを履くことになるなんて!

 

「わっ……!?」

 

 右足が宙を踏む、バランスを崩したと思えば前のめりにそのまま階段のステップが迫った。

 慌て過ぎたことへの後悔、その次に来るであろう痛みを覚悟して思いっきり目を閉じる。

 

 でも、痛みは無かった。気づけば私はアンゼリカ先輩の胸に抱かれていたのだから。

 

「……えっと、もう色々と言いたいことがあるのにっ……!」

 

 置き去りにして何処に行っていたとか、なんでこんな格好させるんだとか、それよりもなんでタキシードなんて着ているんだ、とか――。

 そんな私を見透かしたように彼女は小さく笑った。

 

「私が贈ったドレスは気に入ってくれたかい?」

 

 訂正するとドレスだけではなく、こんな状態に陥った元凶であるこの靴も、耳に少なくない違和感のある初めてのイヤリングも、全て……なのだろうが。

 

「可愛いけど……その……わ、私には似合わないかもしれないっていうか……ど、どうですか……?」

 

 恥ずかしくてそのままアンゼリカ先輩の胸に顔を隠していたのだが、それもすぐに離されてしまう。

 

「ふふ、とても素敵だとも。さも良家の令嬢と思われるに違いない」

 

 私は顔を背ける。

 いつもの如く上手いお世辞ではあるが、今だけはほんの少しだけは自信があったりした。でも、自信があっても恥ずかしい事には変わりはない。

 

「それに、女の子なのだからお洒落をしても良いだろう?」

「で、ですけど――」

「さて、車が来たね」

 

 私の声を遮ったのはすぐ後ろへと止まった導力車。何処かで見覚えがあると思えば、バリアハートで乗ったアルバレア公爵家のリムジンと同じ型だと思う。

 違いといえば車の色は私のドレスと同じ真っ黒で、窓ガラスすら中が見えないように薄黒く曇っていた事だろう。これに乗る人はよっぽど、自分の顔を見られたくないらしい。

 

 

 車内の内装もルーファスさんが送ってくれた車とは違った。優雅ではなく豪華、一言で表すとしたらこんな感じだ。

 外側から車内は見えなくても、内側からは外の景色が見えるというのは中々に不思議だと思いながら、雑誌で見たことがある帝都歌劇場《ヘイムダル・オペラハウス》の建物を視界に捉える。ガルニエ地区のメイン通りに入ったようだ。

 

「アンゼリカ先輩……これは……」

 

 バイクはどうしたのだろう、とかその服はどうしたのだろう、とかまだまだ聞きたい事はいっぱいあるけど、何故車を呼んだのだろうか。

 

「心配しなくていいさ。全てあちらのサービスの内だからね」

「サービス、ですか? 一体、何処に連れてくん……」

 

 煌びやかな夜の帝都の歓楽街の一角で車は地下へと入り、橙色のあまり明るくない照明に照らせれた地下道を潜る。乗ってからほんの僅か数分、すぐにその場所へと辿り着いた。

 

 まるで宮殿の様な豪華な広場。帝都では滅多に見れない椰子の木に彩られた噴水がライトアップされている様は俄かにこの場所が地下であることを忘れそうになる。

 車が止まると同時に、私達が来るのを待っていたかの様にその場にいた男が一礼してからドアを開ける。

 

 手短だか丁寧な歓迎の言葉に知らない世界に来てしまったことをひしひしと感じながら、私はアンゼリカ先輩にエスコートされながら、真紅で金色の刺繍の入った絨毯が敷かれた階段に足を踏み入れた。

 

 慣れないハイヒールでたどたどしい私を気遣ってか、ゆっくりと足を進めてくれるタキシード姿のアンゼリカ先輩。大きな胸は隠し切れていないが、その横顔は頼もしい美青年そのものだった。好みかどうかは置いておいて、素直に格好良い。

 

 短い階段を登った先には、豪勢な飾り付けがされた大きい木製のドア。その前を遮る様に二人の黒服にサングラスの大男。

 

 先導をしてくれた優しそうな男とは着ている服こそ同じだが、二人の纏う雰囲気は全く異なった。サングラスで見えない筈なのにも拘らず、鋭い眼光をこちらに向けているのが私でも分かるぐらいだったから。

 

「ようこそお越しくださいました」

 

 深い礼と共に、精悍な顔つきの銀髪で大男がそう口にした。サングラスの為に目元は分からないが、風貌とは全く異なる印象を受ける。

 

「これを」

 

 今まで見た誰よりも大柄な男に少なからず怖気付いている私とは正反対に、アンゼリカ先輩は普段通りの涼しい顔で上着から白い小さな封筒を大男に差し出した。

 

 封筒の中身の紙に目を通す男の眉が少し動いた。そして、顔を上げて無言のままサングラス越しにアンゼリカ先輩へと視線を送る。

 私の隣で二人の視線が鋭く交差した数秒後、大男は謝意を表わすと共に封筒を先輩の手にとても丁寧な動作で戻す。

 

「お名前を頂いでも宜しいでしょうか」

「そうだねぇ――クロウ、ということにしておこうか」

 

 いつもだったら私は噴き出していただろう。しかし、この緊張が張り詰める空間の中では顔のにやけすら起きない。

 

「承知いたしました。お連れ様は」

 

 突然、私に向けられる大男の顔。

 

「ええっと……」

 

 アンゼリカ先輩の様に偽名が良いのだろうか、いや、そっちの方が良いに決まっている。しかし、咄嗟には思いつかなく、言い淀んでしまう。

 

「おいおい、私の連れの名前を聞こうというのかい?」

 

 そこにお気楽な声色で助け舟を出してくれたのは勿論隣に居るアンゼリカ先輩だ。

 

「しかし――」

「……アリーザです」

 

 大好きな親友に名前を借りた事を謝ってから、私は小さく呟いた。

 

「ありがとうございます。それではご案内させて頂きます」

 

 再び一礼してから、大男は大きな扉を開ける。

 厚い扉の向こう側から煩い程賑やかな音と共に、両側を”滝”に挟まれた”動いている階段”が現れた。

 

 

 ・・・

 

 

 右のガラスの向こう側を見れば、蜘蛛の巣に宝石を散りばめた幻想的な帝都の夜景。昼間に通ったヴァンクール大通りに連なる建物は、ドライケルス広場に近づくに従って、より高く、より立派になる。今、この場所から見れば、それはまるで緋の皇宮にへと続く光り輝く階段に見えた。

 

 帝都正門と呼ばれる南門《大帝凱旋門》から一直線に続く、勝利を意味する名の目抜き通りは、終着点であり帝冠たる皇宮に至る。それは獅子戦役の最後の幕。

 そして、今は夏であり、奇しくも獅子戦役の終わった七月だ。

 だからこそ、今も尚色褪せずに輝く二百五十年前の偉大な大帝の軌跡を、この緋色の帝都が私に見せてくれている――そんな風にも思えた。

 

 今日の私は、ちょっと詩人かな。らしくない。

 学生なのに授業をサボって帝都でいけない夜遊び。未成年なのにこんな場所で賭け事をちょっと楽しんでた私のことは、豪胆なお人柄だったとされる獅子心大帝でも良い顔はしないだろう。

 ……それに、大帝はうちの学院の創立者でもある。これは流石に怒られるかもしれない。

 銅像の大帝にお説教される妄想に、内心苦笑して私は左側に目を向ける。

 

 こちらはこちらで打って変わって現実的だが、やはり凄まじい。

 私の視線の先には、暗い照明の中で輝きを放つ絢爛豪華な五体の金色の獅子。彼らは水を絶え間なく吐き出しており、それが十二ものフロアを貫く大きな吹き抜けを流れ落ちる滝となっている。

 上を見上げれば天井はドームの様になっており、まるで教会のステンドグラスの様。そして、吊るされる巨大なシャンデリア。

 一体、ミラの札束に換算すればどのぐらいになるのだろうか。

 

 金細工の施された目の前の小さな円卓も、それを取り囲むように一周するこの座り心地の良い真紅の丸型ソファーもそうだ。

 

「落ち着かないのかい?」

 

 ほんの少し離れて私の隣に座るアンゼリカ先輩。

 逆にこんな場所で落ち着ける人の方が少ないと思う。まあ、騒がしくて眩しい下のカジノと比べれば幾らかはこの場所は静かだ。

 

「私、こういう所初めてで……その……アン――」

 

 優しく私の口にアンゼリカ先輩の人差し指が当たられ、そのまま彼女は「ク・ロ・ウ」とどこぞのバンダナ先輩の名を小さく呟いた。

 本日何回目か分からないやり取り。下でテーブルゲームに興じるアンゼリカ先輩の隣に居た時にも、こんなやり取りがあった。そろそろ慣れなくてはいけない。

 

「……ク、クロウはよく来るんですか?」

「まあ、偶にね」

 

 こんな場所に入り浸る程私は暇では無いからね、と続ける。

 流石、《四大名門》の侯爵令嬢といった所だろうか。これ程までに凄い場所も『こんな場所』扱いだなんて。

 

「お待たせいたしました」

 

 小さな円卓へ二つのグラスが置かれる。私の前に置かれたのは、小さなグラスの中に赤色の飲み物が入っている。

 いつの間に頼んだのだろうか、今日のアンゼリカ先輩には本当に驚かされてばかりだ。

 

「……何を頼んだんですか?」

 

 飲んでからのお楽しみだと言わんばかりにウインク決めてから、茶色の飲み物のグラスに口を付けるアンゼリカ先輩。

 ということは私はこれを飲むしか無いのだろう。そして、こんな場所だ。グラスの形といい、多分予想通りであれば――このグラスの中身はお酒な筈。

 

 少しお行儀が悪いと思いながらも、私はグラスの端に鼻を近づけた。

 どこか懐かしい甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐる。

 

「えっと……これは……アゼリアの匂い?」

 

 アゼリアは帝国南部沿岸部ではよく見かける木一つ。その実は赤くて硬いが、南部では色々な料理に使われており、聞く話によるとリベールでも同じ様に好まれているらしい。

 赤くて硬い実ではあるものの、その甘酸っぱさが癖になるという人もおり――まあ、カクテルにもなったりしている。多分、これもそうだろうと思う。

 

「ああ。ジュースさ」

 

 その言葉を信じた訳ではないが、私は意を決してそのグラスを手にとって、ほんの少しだけ口に含んだ。

 まず最初に感じたのは、冷たくてとても甘い味わい。そして、口の中に広がる温かい感覚。

 

「やっぱりお酒なんですね……」

「何も問題ないだろう、アリーザ?」

 

 このカジノの名前に合わせるように、南部風な読み方になった親友の名前を口にするアンゼリカ先輩。

 もしかしたらそこまで考えた上での偽名だったのかも知れない。

 まあ、この場所にいる時点で良くない事をしているのだ。もう今更でもある。

 

 そのままもう一度、今度はぐいっと一気にグラスから口へ流し込んだ。

 

「おお……いい飲みっぷりだね」

 

 一気に喉から胃を通り、いつの間にか全身へとゆっくりと広がってゆく温かさ。

 これを、お酒が回る、というのだろうか。

 

「こんなの……お酒じゃなくてジュースじゃないですか……」

 

 空になったカクテルグラス。私は不意に罪悪感を感じて、そんな訳の分からない言い訳を紡ぐ。

 それに対して、アンゼリカ先輩は口笛を吹いてから、「流石、酒屋の娘さん」と笑って続けた。

 

「次は何を飲むかい?なんでもいいよ、タダみたいなものだからね」

「じゃあ……グランシャリネ」

 

 最高級ワインの名が口から何の抵抗も無く出た辺りに我ながら驚く。勿論、隣のアンゼリカ先輩も目を丸くして驚いている。

 

「ハハ、遠慮がないねぇ。流石の私も驚きだよ」

「確か1199年のは安かった筈です」

「なるほど……」

 

 私が自分に言い訳した時と、全く同じ言葉を続けたアンゼリカ先輩に私は首を横に振る。

 

 あくまで与太話での知識として知っているだけ。大体ワインなんて量り売りが主流の田舎の酒屋が、有名銘柄のボトルを扱う事なんて殆ど無い。あっても年一回注文を受けるかどうかといった話だ。少なくとも、私は触らせてもらえない。

 そんな話の傍ら、近寄ってきたカクテルウェイトレスのお姉さんにちょっとしたおつまみも加えて色々と注文すると、この話題が終わる頃には小さな円卓に注文した品物が全て揃っていた。

 

「ちなみに、先輩。なんで私をここに?」

「なんでだろうね……君の素敵な姿をゆっくりとこの目に焼き付けたかったのかもしれないね」

「嘘付きは嫌いです」

「そうだねぇ……」

 

 そう呟いた彼女は飲み物が残るタンブラーグラスをテーブルに置いて、腕を組んだ。

 

「あそこにいる連中、どう思う?」

 

 ラウンジの中央で近くに集まって楽しそうに語り合う数人の男女に目を向ける。その奥、カウンター席には恋人のように見えるカップルも居る。髪の色は赤と青で対照的だけど。

 

「えっと……なんでしょう……」

 

 楽しそうか、それとも高そうな服、だろうか。どう思うと問われても、こんな機会でもないと私には縁のない人達であること位しか考えれない。

 そういえば、下のフロアで私に話しかけてきた男も高そうな金時計をしていた事を思い出す。

 

「帝都には沢山のカジノやナイトクラブがあるけど、ここは少し特殊な場所だ」

 

 特殊、の部分を私は小さく聞き返した。

 

「下と違って、このフロアは主に特別な人間の集まる場所――つまり、VIPってことさ。そして、個室を利用しないでラウンジに居るのは決まって若者だ」

 

 だから貴族の子弟も多いんだよ、と続ける彼女の声は少し呆れ気味ではあった。まあ、でも今日に関しては私達も同じだと思うけど。

 アンゼリカ先輩曰く、カジノは遊びに来る以上に紳士淑女の夜の社交場という話を下でプレーしている最中に聞いた。確かに下のフロアでは、こんな私でも二、三人の男に声を掛けられたぐらいなので、やっぱりそういう場所なのだろう。

 

「私の様に実家を離れて帝都の学校に通う者も居れば、親が貴族院の議員先生のだったり帝都の大商会のオーナーっていうのも居る。将来、帝国を背負っていくであろう奴らの姿を見せときたかったのさ。学院でも嫌という程見ているだろうけどね」

 

 納得は出来た。でもまだ若干の微妙に喉につっかえた刺があるのも事実だ。

 

「あれっ……ってことは――」

「――もしかしたら、居るかもねぇ」

「じゃ、じゃあ――」

 

 嫌な汗が出るのを感じる。

 

「ふふ、まさかエレナ君がこの場に居るとは誰も思うまい。そう思わないかい?アリーザ」

「そ、そうですね。クロウ……」

 

 心が落ち着きを取り戻す。

 

「まあ、貴族にしても平民にしてもある程度以上の家に生まれれば、重圧に苛まれるものだよ。それから解放されるためにこんな場所に入り浸る奴らも居るってことさ」

「その……偶に、ってさっき言ってましたけど、こんな感じに遊んでいるんですか……?」

 

 下のフロアでルーレットやカードを使ったテーブルに座っていた時のアンゼリカ先輩はとても場馴れしているように感じた。たんまりとチップを集める姿に私は隣で喜んでいたが、どことなく寂しくも思ったのだ。

 だから、彼女が「まさか」とすぐ否定してくれた時はとても嬉しかった。

 

「私にとってはこんな下らない場所で一人で遊ぶより、君やトワ……可愛い女の子と遊ぶ方が有意義な時間の使い方なのだよ」

「トワ会長も……ここに?」

 

 どうかな?、と口にして彼女は私の反応を楽しむ顔をしている。

 まさかとは思うけども。あのトワ会長がカジノに居る姿なんて……想像出来ない。でも、アンゼリカ先輩の強引さはもう筋金入りだ。トワ会長も騙されて連れ込まれたりして――。

 

「ふふ、そんな難しい顔をしないでくれたまえ。ここに誰かを連れて来たのは君が初めてだ」

「えっ?」

 

 自分でもびっくりするぐらい、その声には嬉しそうな色を含んでいた。

 

「嬉しいかい?」

「えっ……いやっ、そ、そんな訳……!」

 

 気付けばすぐにアンゼリカ先輩には遊ばれる。良いように操縦されているといってもいいだろう。

 更に言い換えると、私の扱い方が上手いのだろうか。それとも私が扱い易いのだろうか。多分、後者だ。

 

 

 これはきっと五杯目。

 逆三角形型のグラスに入る透明な黄色の飲み物は、帝国北部原産の蒸留酒ベースのカクテルだ。もう半分位飲んだけど、結構イケると思う。でもやっぱり、最初の《アゼリア・ロゼ》に優るものが見つけられない。五年物の《グランシャリネ》は確かに美味しかったが、ボトル当たり数万ミラも掛けて飲むべきものではないというのが、私の感想だった。

 やっぱりどうしても庶民は、庶民なのだ。

 

「えへへ」

 

 気付けば笑いが漏れ出す。楽しい。

 なんだろう、アンゼリカ先輩の顔を見ているだけで楽しく思えてきて、顔が緩むのを感じる。

 

「どうしたんだい」

「アンゼリカ先輩、本当は私が失恋したって聞いて、誘ってくれたんですよね」

「ほお……」

「どうしてですか」

「可愛い女の子をモノにするのに理由が必要なのかい?」

「そう言うと思いました。でも、私はもっと優しい理由からだって・・・知ってるんですから・・・ね」

 

 気付けば、私は感謝の言葉と共にアンゼリカ先輩に寄り掛かっていた。

 

「眠たいのかい?」

 

 眠い、のかな。わからないや。

 すごい幸せな気分、お風呂に入っているような。

 視界がゆっくり消えてゆく。

 

「お姫様、起きないと唇を貰ってしまうよ」

 

 そう耳元に小さく囁かれた。

 

「……起きてますー」

 

 そんなこと言わないで奪いたいなら奪っくれればいいのに、なんて思うものの、それはそれで万が一にも大問題だ。

 瞼を開けると間近にアンゼリカ先輩の横顔が。

 うう、こうやって見ると本当に格好良い……。

 

「……それに私だって、キスして貰ったことあります」

「ほお……どこに……?」

 

 ここかな、と人差し指を私の唇にほんの僅かに触れない程度の近さでなぞる。

 

「ほっぺ……ですけど……」

「ふふ、まだまだ子供だね」

 

 して欲しかったし、求めたけど、してくれなかったんだ。私に否はない。もしあの時に戻れるなら、今度は自分から奪ってやるぐらいの勢いでキスしてやるつもりだ。

 それなのに、みんな口を揃えて子供子供って……。

 

「子供じゃありません……みんなそうやって……」

「それは君が危なっかしいから皆も放っておけないのだよ」

 

 そう言われれてしまえば何も言い返せなくて、私は顔を隠すようにアンゼリカ先輩の腕に抱き付いた。

 子供だとは分かっている、でも子供扱いされるのは嫌だ。もう十六歳なのに。

 

「私も君が男に懐いてお熱を上げてるのは気懸かりでならないよ。まあ……彼を男と言うには少し惜しいが」

「……そんなんじゃないです……」

「そうだと安心なんだがね」

 

 私の頭の中の辞書がまるでお風呂の温かいお湯に落ちていく、深く深く沈んでゆく辞書の文字が滲んでいくのを感じた。

 まるで、まどろみに包まれる様に私も共に沈んでゆく――。

 

 

 ・・・

 

 

「まったく。遅いとは思っていたが、まさかあのまま寝てしまうとはね」

 

 まるで魔法が解けたかのようにソファーに横たわる後輩に向けて少し呆れたように口にするアンゼリカ。

 奇しくも丁度先程、日付が回った所だ。

 真っ赤な顔で静かに寝息を立てる少女がドレスを汚していなかったことに、内心安堵する。

 いくら自分宛てに数え切れない程来るサービスを利用した為に対価を払わなかったといっても、自分の贈り物をその日の内に汚されれば流石に気持ち良くはない。例え社交界での正装としては少なからず無理があるリトルブラックドレスでもだ。

 

「まあ、君には礼を言わなくてはならないね?」

 

 そして、アンゼリカは彼女の後輩の居場所を教えてくれた怪しい男に顔を向ける。

 見るからにチャラそうな赤毛の男は、帝国で最も名高い会員制カジノ《アリーチェ》に併設されるVIPラウンジにバカンスルックで来る程の酔狂な奴だ。薬で気狂いか、又は、天性の馬鹿か。

 まあ、男装した上に未成年の後輩に酒を飲まして酔わせていたアンゼリカ自身の事を差し置いて、赤毛の男を一方的に決め付けるのもおかしい事ではあるのだが。

 ただ、一つ気になるのは、アンゼリカの記憶が正しければ、この男は氷のような薄青色をした綺麗な髪の女性とカウンターに居た気がした。しかし、今はこのラウンジに彼女は見当たらない。一足先にここから立ち去ったのだろうか。

 

「はは、そんなのはいらねえぜぇ? こっちも役得だったしなァ」

「ほほお、具体的に聞きたいね。私の可愛い連れに何をしたんだい?返答次第によっては無事に帰す訳にはいかなくなるがね」

 

 乱暴された形跡は全く無いし、この男がエレナの身体に触れてはいないことをアンゼリカは知っていた。何故ならエレナが席を立ってトイレに行った間、この男は、カウンター席から一歩たりとも動いていないのだから。こんな怪しげな奴の動向ぐらいはしっかりと把握している。

 

「おぉ、怖いねぇ。だが、いい目だ。なぁ、ログナー侯爵令嬢アンゼリカよぉ」

 

 今まで避けてきただけあって、アンゼリカは社交界にはあまり顔は知られていない。向こうから見てもある意味の変人である自分に、この男はきっぱりと躊躇いもなくログナーの家の名を出した。

 只者ではない、とアンゼリカは一瞬だけ自らの身体に緊張が走るのを感じた。

 

「へぇ……これは驚いたね。何者だい? この店の客のボンクラじゃあないんだろう?」

「いんや? 正真正銘の客だぜぇ。ほれ」

 

 仮に封筒の中に何が入っていても驚かない、そうアンゼリカは思った。

 

「私の質問に答えるつもりは無いみたいだね。ふふ、少し興味が湧いてきたよ」

「これはこれは……お嬢様の婿候補にしてもらえるとは光栄の至り」

「寝言は寝てから言いたまえ。それにとんだお門違いだね。私の婿に立候補するのなら、親父殿に直接言うといい」

「ハッ、北の暴れん坊侯爵様と話すのは難儀だねぇ。あのオッサンはこっちのオッサンとは違う意味で面倒くせえからなァ」

 

 一体、目の前の人物は何物なのかをアンゼリカは把握しかねていた。少なくともログナー家についてはある程度知っており、誰かの下にいるのは確実のようだが。

 カイエンかアルバレアか、と嫌な事にここで他の貴族を疑ってしまう程度には貴族間の社会を知っているが、この赤毛の男が貴族に仕えている人間とは中々思えない。

 

「ま、なんもしちゃいないぜ。洗面台に突っ伏してるのを見て、アンタに声かけただけだ」

 

 エレナを見つけたのはこの男の連れだ。そうでなければ、この男が女子トイレに入った事になるのだから。まあ、容姿から見れば十分やりかねないのも事実ではあるが、幸いな事に席から一歩も動いていない。

 

「つーか、乳臭い餓鬼には興味無えんだわ。ま、生い立ちには色々と惹かれるがねぇ」

「何もかもお見通しと言う訳か」

「さァどうかな? アンタの考え過ぎかも知れないぜぇ?」

 

 この男が自分達二人について一通りの情報を知っているのは確実だろう。四大名門の血族であるアンゼリカは無論の事、一介の士官学院生に過ぎないエレナについても知っているような口振りだ。どこまで知っているかは想像は付かないが、自分自身より自分の事に詳しい位の想定の方が良さそうではある。

 あくまで貴族に関わる人間ではないだろう、となれば――。

 

「フッ、わざわざこんな所まで仕事熱心な事だ。お勤めご苦労様とだけ言っておくよ」

「ハハッ、ありがてえお言葉をどうも」

 

 不敵な笑みを浮かべ、踵を返す赤毛の男。

 

「ま、その調子で青春を存分に謳歌しとけよ。いつ終わっても後悔のないようにな」

 

 こちらを振り向くこと無く、背中で語ったアロハシャツの背中はすぐに導力式階段へと消えていった。

 

「言われなくてもそのつもりさ」

 

 まるで郷愁を感じさせた忠告に、アンゼリカは一人呟いた。




こんばんは、rairaです。
さて、今回は夜の帝都で遊び呆けたエレナのお話でした。

今回、アンゼリカとエレナの訪れたカジノは「空の軌跡3rd」序章、《ルシタニア号》内のカジノとして登場した《アリーチェ》の帝都本店という設定です。
アリス・イン・ワンダーランドを彷彿させるネーミングですよね、一攫千金を狙える場所ならぴったりのような気もしなくもありません。

そして、私の中で早く出したかったキャラクターの一人、レク・タ~ランドールさんの初登場です。
アンゼリカとの間でちょっとしたやり取りを演じてもらいました。

個人的にはⅡでまたどの様に関わってくるのかが気になるキャラクターですね。
クロスベルとも関わるので何かしら…と期待しています。

次回は7月18日の自由行動日となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月18日 二日酔いの朝を迎えて

 私の朝はアリサの少し怒った顔とお説教から始まった。

 

 寝起きであった事と起こされた時からずっと続く頭の鈍痛と体に気怠さの所為で、彼女の言葉は半分も頭の中には入って来なかったが、かなり怒らせてしまった事は充分すぎる程分かった。

 そして、それが私を心配しての事だということも。

 

 頭の重さと昨日の罪悪感も入り混じった憂鬱な気分でシャワーを浴びて部屋に戻ると、彼女はご丁寧にも扉の前で待っててくれていた。逃げないように監視されている様にもほんの少しだけ思えたけど。

 

 前を歩く彼女の少し下着の透ける背中を眺めて階段を降りながら、朝ご飯の席でもみんなに言われるんだろうなぁ、と考える私を待ち受けていたのは、案の定の皆だった。

 

「まったく、お前は本当に心配を掛けさせる」

 

 とは、ユーシス様の言葉。もっとも、その言葉の前には結構厳しめにお説教をされたのだけど。

 因みに私が一番怒られたのはマキアス。なんでも四限のハインリッヒ教頭の授業では日直である副委員長の彼がグチグチと言われた様だ。

 流石に、「寝ててもいいから授業には出てくれ」と彼らしくもない言葉で力なく話を締めたマキアスには申し訳なく、私も何度も謝った。

 

 エリオット君とガイウスとエマは結構心配してくれていたみたいだ。エリオット君には帝都の話をしたかったけど、それはまた今度の機会、今日の夜とかが良さそうだ。ここはちゃんと大人しく反省しておくべき所なのは私でもちゃんと分かっている。

 

 ただ一人、フィーだけが「私も一緒にサボりたかった」なんて言ってくれたが、その直後にはエマとリィンに窘めらていたり。

 

 一番面倒くさそうだと思っていたサラ教官は昨晩遅かった様でまだ部屋で寝ているらしい。まあ、後で絶対何か言われるのは確かだが。

 今度の罰はお手伝い何日だろう、それともお酌と話し相手だろうか。中々収まらない頭痛の中、嫌な事しか思いつかない。

 

 

 そんなちょっと居心地の悪い朝食の後、リィンをたどたどしく買い物に誘うアリサを横目に、私は後片付け中のシャロンさんに声を掛けてお薬を頼んだ。

 部屋に戻ればリュックの中には薬はあるけど、この場で飲んでおきたかったのだ。

 

 症状について尋ねられた事に私は簡単に答えると、シャロンさんはまるで小さい子供の悪戯を見つけてしまったような顔で「あらあら、エレナ様は悪い子ですわ」と小さく笑う。

 そして、その言葉でやっと私はこの気分の悪さと重い頭痛の原因を把握することとなる。

 所謂、これが二日酔いという奴らしい。

 

 

 あまり記憶が定かでは無いのだが、昨晩は遅くまでカジノ《アリーチェ》の最上階でアンゼリカ先輩に勧められるがままにお酒を飲んでしまっていた。

 どのぐらい飲んだかまでは覚えてはいないが、実家にはまず置いていない高級ワインのボトルがグラスに注がれて行く光景は不鮮明な記憶の中において、今でも鮮明に脳裏に残っている。

 アゼリア・ロゼ、グランシャリネ、帝国北部の蒸留酒ベースのカクテル、三杯を数えた所で、私は再び襲って来た鈍痛に階段を上る脚を止めた。

 そして、瞼を閉じて深呼吸をする。

 

 私は多分、お酒は強くないのだろう。二日酔いといえばサラ教官が苦しんでいるのをよく見るが、流石に昨晩の私はいつもの彼女の様に浴びる程飲んだわけでは無い……筈。酒屋の娘としてこんなことを考えてしまうのはどうかと思うが、もう当分の間はお酒は飲まないでおいておこうと心に誓った。

 って、学生なんだから、それは当たり前か――思わず頭の中で自嘲的にぼやく。

 

 なんといっても記憶が不鮮明というか半分無いのだ。アンゼリカ先輩と話してたと思えば、先程のアリサの怒った顔まで飛ぶ。いつの間にかドレスも脱いで寝間着に着替えていたし……ということは、覚えていない間にアンゼリカ先輩に私は身を委ねていたと言うことになるのだろうか……。

 

 頭痛なんかどうでも良くなる位の悪寒に、自らの身体を両腕で抱いた。

 まさか……流石のアンゼリカ先輩でも、無防備な状態なら何もしないだろう。

 うん、少なくとも昨日はとっても優しい先輩だった。

 

 

 ・・・

 

 

 一度部屋に戻ってから、私は学院の技術棟を訪れていた。自由行動日の今日、この場所で済ませておきたい用事が二つ程あったりする。

 

 一つ目は私の使用する二つの導力銃をジョルジュ先輩にメンテナンスして貰うこと。先日、私と同じく銃を使う銀髪バンダナことクロウ先輩にちょっとした悩みとしてボヤいたら、ジョルジュ先輩に頼むと良いと薦められたのが理由だ。

 皆の話によると、今週に実技テスト、週末は特別実習というスケジュールらしい。丁度、今日は旧校舎の探索に久し振りに参加する大仕事もあるので、しっかりと整えておきたい。

 本当は帝都のラインフォルト直営店に持ち込んだ方が良かったのだろうけど、昨日の今日で再び帝都に行くのは流石に億劫過ぎる。……アンゼリカ先輩に頼めば喜んで連れて行ってくれそうではあるけど。私が嫌だ。

 

 二つ目は《ARCUS》のクオーツを揃える為。セピスはしっかりと前もって皆の了解を得てリィンから貰っている。

 

 そんな事情で私は技術棟でジョルジュ先輩の作業風景を頬杖を付いて眺めていた。

 先輩の作業している姿は特別実習の出発前によく見るのだが、今日は少し違った。いつもはマイペースで優しい雰囲気の溢れるジョルジュ先輩だが、なんというかテンションが高い。鼻歌を歌うのも、甘い物を頬張るのも忘れて、ノリノリでライフルを調整してくれている。

 

 メンテナンスして貰っている側なので贅沢は言えないけど、こうしてぼんやりと待っているのも少し退屈だ。

 

 食べないなら、そのドーナツ、欲しいなぁ。

 

 目の前にある学食のパン屋のドーナツ袋。それに目を囚われて危うく手を伸ばしたその時、突然のドアの開く音に慌てて手を引っ込めた。

 

「おっす、ジョルジュ」

 

 振り向かなくても分かるけど、一応会釈だけはしておく。なんだかんだ言っても、気軽に話せる良い先輩なのだ。いや、悪い先輩か。

 

「おっ、噂の後輩ちゃんじゃねーか」

 

 ニンマリと笑って私の隣の椅子に豪快に腰掛けたクロウ先輩が、そのまま朝早くから私が此処にいる理由を訊ねてくる。

 

「ちょっと今日はジョルジュ先輩に銃のメンテナンスを頼んでて――って、噂の……って何ですか?」

「ド派手にサボりやがったんだろ? 朝からちょっとした噂になってたぜ?」

「そういうクロウ先輩だっていっつもサボってるじゃないですか…」

「お前さんは一緒にサボる相手が悪かったな」

 

 そう言われて、とてつもなく嫌な予感がした。

 

「……ちなみに、どんなお噂で?」

「あの憎っくき男の敵、アンゼリカ・ログナーがまた一人、それも一年を喰ったと」

「食われてませんから!」

 

 クロウ先輩が真顔で口にした噂の内容を私は即座に否定した。

 

「これで俺達の希望がまた一人……クッソ……言ってて泣けてくるぜ……なぁ、ジョルジュ?」

 

 ジョルジュ先輩は「ごめん、クロウ。今忙しいんだ」と華麗にクロウ先輩の振りをスルーする。

 ふん、いい気味だ。私の否定を無視し続けるからだ。その、わざとらしすぎる泣き真似もさっさとやめるんだね。

 

「んで、ゼリカと『昨晩はお楽しみでしたね』って所だったのか?」

「……どういう意味ですか?」

 

 意味合いは分かるけど、すぐ否定すれば、そういう事を私がすぐに思い浮かべたということになる。かといって肯定するのは論外である。

 

「健全な思春期男子の思考じゃ、昼間から帝都に連れ出されて朝帰りとか、もうあんなことや――」

「いわなくていいです! 全然、健全じゃないじゃないですか!」

「それが健全なんだっつーの」

 

 何をもって”健全”とするのか。少なくとも私とこの先輩は相容れることは出来ないだろう事に深い溜息を付く。

 まあ、彼の言わんとしている事を私がしっかり分かるだけ、実際の所は先輩に分があるのかもしれない。

 

「……私、全然覚えてないんですよね」

 

 一応、お酒を飲まされて酔わされたことは伏せておく。

 

「お前……それって……」

 

 クロウ先輩の顔に驚愕の表情が浮かぶ。

 

「ち、違いますからね?」

 

 今朝シャワー浴びた時に鏡でちゃんと確認している。

 

『マジか?』『マジです!』

 私とクロウ先輩の視線が交わり、お互いに瞳で問答を繰り広げる。

 全力の否定の甲斐があってクロウ先輩の真紅の瞳が追求を少し弱めた時、隣から邪魔が入った。

 

「いやぁ、これは凄いね。付属の取扱説明書も読ませて貰ったけど、流石はラインフォルト社の技術の粋を集めて作られただけの事はあるよ。カタログスペック上は世界最高のアサルトライフルなんじゃないかな! 本当に一日中触っていたい位だよ」

 

 全く我関せずなジョルジュ先輩だが、私にとっては助け舟だったようだ。

 

 

 ・・・

 

 

 大きなアンティーク調の時計が九時半を差す。

 

 旧校舎の探索まで何も予定は無く暇で退屈だったこともあって、今日も生徒会の依頼に奔走するであろうリィンの手伝いを私は自ら買って出た。

 悪い事をした後の罪滅ぼしにはならないと思うけど、自分なりに反省して頑張ってみる意味合いも込めて。授業じゃなくてもちょっとはこの心意気を、ボランティア精神ってやつを評価してくれる事も期待して……という多少邪な考えがあったのは否定しないけど。

 

 ただ、リィンから見せてもらった依頼の内容を見て、気が変わった。俄然、やる気が湧くというのはこの事だと感じる位だ。

 リィンのポストに入れられたトワ会長からの依頼、正確には生徒会に届いた依頼の中でトワ会長が彼向けに選別した依頼――女子からの『幼馴染の本心が知りたい』なんて、十中八九は色恋沙汰に繋がる……と思う。それをわざわざ、朴念仁唐変木以下多数の鈍感帝王たる称号を持つリィンに任せるなんて。会長が一体何を考えているのか不安になった位だ。

 

 それに依頼主のブリジットさんは私もそれなりに話した事もある子であり、個人的に出来れば力になってあげたかった。

 まだ多少は頭は痛いが、これは頑張るしかない。頭痛なんて別によくある事だが、この依頼は今日しかないのだから。そう思って「リィンだけには任せれないからね」と、偽らざる本心を言葉にして此処に来た訳だが――。

 

 第一学生寮は落ち着かない。昨晩の帝都の会員制カジノと比べるのはアレではあるが、庶民的なアパートメントを改装しただけの第三学生寮と比べれば内装はかなりの隔たりを感じる。だが、一番の原因はそこではない。

 待合室としても利用される寮の一階だが、午前中のこの時間は外出する生徒の人通りも多く、私にとっては辺りを白服の貴族生徒が通る度に少し敏感になってしまうのだ。

 見知らぬ貴族生徒というだけで緊張してしまうのに、二名程会いたくない人が此処に住んでいるのが拍車をかけている。ふかふかのソファーの座り心地とは正反対に、何とも居心地の悪い場所だった。

 

「――あの……」

 

 目の前に腰掛ける依頼主のブリジットさんに私は顔を戻した。

 

「エレナさんはどう思うかしら?」

 

 彼女はそれなりに平静を装っているつもりだろうが、それは私でも容易く見破れる程の出来の悪い仮面に過ぎず、リィンがアラン君の所へ向かって私と二人っきりになって以降、彼女は不安そうな顔を浮かべてはそれに気付いて私に苦笑いを浮かべるという流れが二、三回続いていた。

 

「うーん……リィン待ち、かな」

 

 私の答えは決して彼女の求めている言葉ではない。

 

 リィンがこの場を離れてから三十分程。彼はブリジットさんから事情を聞くやいなや、『男同士で話してみる』と言って学院に居るであろうアラン君から直接聞き出しに向かった。勿論、男同士ということなので、私も此処第一学生寮の一階で事の進展を待つ羽目になるのだが…。

 今思えば、遠くから見ているだけだったとしても学院に行った方が良かったかも知れないとも思う。

 

「ほら、憶測で話すのもどうかと思うし」

 

 顔を暗くする彼女に慌てて言い訳の様に続けた。

 

「アラン君はそういう人じゃ無いと思うし……だ、大丈夫だよ!」

 

 推測を意味する語尾を外せないのは、私がアラン君をあまり知らないからに他ならない。

 

「私も昔みたいに気兼ねなく話せるようになりたいのに……エリオット君とエレナさんが羨ましいわ」

 

 ブリオニア島から帰って来てから三週間。エリオット君にべったり甘えきっている私は、バイトがない日の放課後は音楽室の外で吹奏楽部の活動が終わるのを待っている事が多かった。だから、吹奏楽部の部員の人ともそれなりに面識があるし、偶に部外者なのにも関わらず休憩中には音楽室の中に招き入れてくれる位だ。

 ブリジットさんが少し気落ちしていたのは私も知っているけど、私達に向けられていた眼差しがそんな意味合いの物だとは思いもよらなかった。もしかしたら私はとんでもなく無神経だったのではないか。

 

「あ、あはは……あれはエリオット君が優しいから」

 

 これではブリジットさんに対してアラン君は優しくない、とでも言っている様なものじゃないか。もっともっと気の利いた、いや、励ませる言葉を――。

 必死に次の言葉を探す私を現実に引き戻したのは、ポケットの《ARCUS》から発せられた電子音だった。

 

「もしもし、リィン?」

 

 ブリジットさんに断りを入れてその場から離れた私は、階段脇の適当な壁際で導力波を通じた向こう側に居るであろう彼の名前を呼ぶ。

 

<――ああ、今からアランがそっちに行くと思う――>

「って、リィン、アラン君にっ!?」

 

 思わず声を上げてしまい、恐る恐るソファーに座るブリジットさんに目を走らせるが、幸いな事に気付いている様子は無い。

 

「……言ったの?」

<――その方が、お互いに良いかと思ってさ。ブリジットさんには悪いけど――>

 

 《ARCUS》の通信が切れた後、頭を抱えたくなるのを抑えながら、こちらに不安げな視線を送るブリジットさんの様子を覗う。

 

「私はどう伝えればいいのよ……」

 

 彼女になんて言えばいいのだろうか。うちのリィンが全部バラしました、ごめんなさい――いや、違う。

 この場は全て私任せにされたといっても何ら過言では無いのだが、彼がその方が良いと思うのならば間違いではないのだろう。重要なのは、それをどう伝えるかである。

 

 席に戻った私に、ブリジットさんは期待と不安の混じる眼差しを向けて来た。

 

「……どうかしたの?」

「えっとね、ブリジットさん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど……実は――」

 

 

 私はしっかりと、そして、注意を引かないように静かに第一学生寮の扉を閉める。

 

 事情の説明を手短に終えて、逃げるように私は第一学生寮を飛び出した。

 アラン君が来るという明確なタイムリミットがあるのもさることながら、何やら上の方から聞き覚えのある名前を呼ぶ黄色い声が聞こえたからである。そして、それに受け答えするハスキーな声も。

 

 緊張か外気の暑さの為かは分からないが、いつの間にか額を濡らしていた汗を手の甲で拭い、リィンとの合流場所へ向かおうと体を階段へと向けた時。

 

「「――あ……」」

 

 私が降りようとした階段を、逆に走って登ってきた生徒と目が合った。ブリジットさんの幼馴染、Ⅳ組のアラン君だ。

 この暑さの中を必死に走って来たのだろう。彼は髪を濡らす程までに汗だくだが、その真っ直ぐさはとても好感が持てた。

 

「……一番奥の席だよ。安心させてあげてね」

 

 すれ違い様に立ち止まり、彼に伝える。

 意思を感じさせるしっかりとした答えを聞いて、私は満足して階段に脚を進めた。

 

 ブリジットさんは幸せ者だ。

 きっとすぐに私を羨むことなんて無くなるだろう。

 

 

 ・・・

 

 

 危うくアンゼリカ先輩とニアミスをしかけた所を間一髪で逃げ出した私は、学生会館の一階でリィンと合流していた。着いた時には彼は学食の喫茶スペースでユーシスとお茶をしており、私もそこに混ざるような形で少しばかり小休憩。

 その後、ユーシスは図書館に向かうとのことで席を立ち、私達も次の依頼の為に学生会館を出たのだが…どうもおかしい。

 

 次の依頼の件について聞くとリィンは歯切れの悪い返事しか返して来ない。そればかりか、「ジョルジュ先輩の所には行かなくていいのか?」なんてあからさまに私が居ると都合が悪いとでも言いたそうだ。

 

 先程の話の中で、リィンはユーシスとお茶をする前にトワ会長と会っていたらしいのだが、その件についてもはぐらかされる。

 

「何を隠してるの?」

「い、いや……」

「トワ会長と何かあったの?」

「そういう事じゃないんだが……」

「わかった」

 

 途端にその顔に安堵を浮かべるリィン。

 でも、ここで引き下がるつもりは毛頭無い。

 

「言ってくれないと私、あの事アリサに話しちゃおっかなぁー」

「なっ……」

 

 今度は一気に驚愕と焦りの表情に変わる。

 うんうん唸りながら悩むリィンを横目に、そんなにやましい事があるのかと激しく突っ込みたくもなるのを我慢して待っていると、意を決した様に彼は仕方無くといった様子で口を開いた。

 

「女子の盗撮写真!?」

「す、すまない……」

 

 いや、なんでそこでリィンが謝るのだろうか。

 

「出来れば写真部のフィデリオ先輩の依頼通りにここは穏便に進めたいんだ。だから女子にはあまり知られたくなくて――」

「へぇ、リィンは盗撮魔の肩、持つんだ……」

「い、いや、違うんだぞ……?」

 

 慌てて、この件がトワ会長からも出来れば穏便かつ内密にという指示があった事を続けた。

 

「――わかってる。怖い子多いもんね。バレたら火炙り八つ裂きで済むか……」

「あ、ああ……被疑者の安全の為にも、出来れば依頼者と俺達だけで内密に処理したい」

 

 妙に犯人に優し過ぎる気はするが、事が大きくなれば大問題となるのは確実だ。全校の女子生徒の怒りが爆発するのは想像するに容易く、そうなればおのずと教官達の知る所となるだろう。最悪は盗撮犯ことレックス君には退学も視野に入る厳しい処分が下る可能性すら出て来る。だからこそ、この件を生徒会で全面的に調査せずにトワ会長はリィンを頼ったという話だ。

 それにしても、生徒会でも一握りの人しか知らせずに内密に処理を望むなんてトワ会長はなんて寛大なんだろうか。レックス君は取り敢えず天使の様なトワ会長に土下座して感謝すべきだ。

 

「だからこそ、早急に取引現場を摘発して身柄を確保する必要があるんだ」

 

 うん? そういえば、盗撮って、もしかしたら――……

 

「その為には――って、エレナ?」

「……わ、私も撮られてたりするのかなぁ……?」

 

 少しの怖さに寒気を感じると同時に、拳にぎゅっと力が入るのを感じた。

 

 

 ・・・

 

 

「しまった……逃げられた!」

 

 私達二人だけしか居ない旧校舎前にリィンの声が虚しくこだました。

 ちなみに、つい十分程前も体育倉庫裏でも全く同じ言葉を聞いていたりする。

 

「もう……! だから、私の作戦でいけば良かったのに!」

 

 突入前に私が提案した作戦は、リィンが盗撮写真の購入希望者を装うという囮捜査の鉄板的なもの。

 だが、彼はその話には乗ってくれずに二人で無策に突入し、結果はレックス君と取引相手と思われる男子を二人共取り逃がしてしまった。そればかりか、私達の顔も割れてしまったという体たらくっぷりだ。

 それも”水着姿のアリサ”なんてありえもしない嘘に騙されるなんて! 我ながら迂闊だった。

 

「その作戦だと俺が誰か女子の名前を出さなきゃいけないじゃないか……それに、この場で捕まえずに、もっと沢山欲しいと要求して罠に嵌め込むんだろう?」

「そこはアリサとか言っておけばいいじゃない!」

「何でそこでアリサなんだ……仮にもし俺がアリサの……その……写真を見たら不味いだろう?」

 

 顔を赤らめて何を想像したんだろうか、全く……。でも、やはり盗撮写真ということはそういう写真もあるのだろうか……。

 一抹の不安に駆られる。やはり、内容次第によっては到底許すことの出来ない問題だ。

 

「リィンだったらアリサも大丈夫! ……照れ隠しに引っ叩かれる位はあるかもだけど」

「流石に勘弁してくれ……」

 

 入学式の日のオリエンテーリングを思い出したのだろうか、手を頬にやり項垂れるリィン。アレ、意外とトラウマだったりするのかな?

 

「それに大丈夫な訳ないだろう? それにアリサだと逆に物凄い勢いで怒られそうだ」

 

 多少同情してたのにこの唐変木め。

 

 

「後はここだけか……」

「でも、講堂って鍵……」

 

 うん、どういう手段で鍵を手に入れたのかは分からないが、南京鍵は解錠されている。

 

「それにしても……って、それを取りに技術棟に行ってたのか……?」

「こんだけ学院中を走らされたんだからね。今度逃げたら、多少痛めつけてでも……引っ捕らえてやる」

 

 弾が込められたマガジンを押し込み、スライドを引く。やる気の出る心地の良い音と共に、私の愛銃ラインフォルト・スティンガーに初弾が装填された。

 

 うん、やれる。

 

「しかし、武器を使うのは流石に不味いと思うんだが……」

「大丈夫、訓練用の弾だし出力も最低だから」

 

 至近距離で当たりどころが悪ければ気絶位はするかもだけど。まあ、それは当然の報いだろうし、抵抗するのが悪い。

 

「いや、そういう問題じゃ……」

 

 まだ盗撮犯に情けをかけようとするリィンを視線で黙らせて、私達は講堂の中へと足を踏み入れた。

 

 明かりがついていない講堂は薄暗いが、ここから見える所には人影は無い。となれば……。

 

 私はリィンの方を見た。

 

「左側から気配がする……二人だ」

 

 私は小さく頷く。

 

「俺が舞台から行く、エレナはドアから頼めるか。俺に続いて突入してくれ」

「了解っ」

 

 二人だけしか聞こえない小声のやり取りを終えて、私は足音を殺してゆっくりと舞台横の部屋の扉を目指す。

 つま先から、慎重に踵を床に下ろして距離を詰めてゆく。これは隠密作戦。少しでも音を立てれば、私達の作戦の成否は危うくなる。『慎重に、そして確実に』だ。

 

 サラ教官がよく口にする言葉を思い出して、私はドア横の壁に背中を付けた。

 何やら、話し声が聞こえる。

 

 いる、この中に標的が。

 私は早くなる鼓動の中、その時を待った。

 

 永遠にも思える様な短い時間が過ぎ、舞台からの激しい足音。

 リィンが突入した音と共に、私はドアノブを引き、扉を勢い良く脚で蹴飛ばして舞台裏の中に飛び込んだ。

 中には三人、被疑者、客、リィン。すかさず導力拳銃の照準をニット帽に合わせて、私は声を上げた。

 

「手を上げろ!」

 

 

 ・・・

 

 

「さあ、レックス。君の隠し撮りした写真を全て出してもらうよ」

 

 勿論、それらを撮った感光クオーツも全てだ、と厳しい口調で続けるフィデリオ先輩。

 

 それはもう、出てくる出てくる。上着のポケットから出てきた写真でさえ十枚を超えた。

 

 馬に乗っているのは馬術部の一年生、確かⅤ組のポーラさん。

 シスター服を着たロジーヌさん。

 キャンパスに絵を描いている姿の、悪戯大好き娘ヴィヴィのお姉ちゃんこと遊び道具、リンデ。

 そして、ラクロス部のユニフォームのアリサ!

 

「アリサ、かっわいいー……って、ラウラは水着じゃない! この変態! リィン見るな!」

 

 次の写真のラウラは水着姿だった。

 

「あ、ああ……」

「うわぁ……こっちはエマに膝枕してもらってるフィーだ……」

 

 Ⅶ組の女子もしっかり被害を受けている。それにしても……あれ?

 アリサ、ラウラ、エマ、フィー……ときて、私だけ無いんじゃ……。

 

「これはまた……ずいぶんシチュエーションが豊富だね……」

「しかし……こう見ると、どれもいい写真ばかりですね……」

 

 比較的好意的な反応を見せるフィデリオ先輩とリィンを見て、レックス君は得意気に顔を輝かせる。

 こいつは反省する気があるのだろうか。そして、リィン達といったら……。

 

「そういえば、エレナ以外の他のⅦ組の皆は撮られてるんだな……」

 

 リィンは本当に余計な事に気付くんだから! そんな事に気付くぐらいなら、アリサの気持ちにさっさと気付け!

 

 盗撮されなかったのは良かったことなのだけど、なんだろう、こう、自分だけ助かったという安堵よりも、コイツに私が撮る価値も無かったと思われたんじゃないかと思うと、超腹が立つ。

 

「あ、アンタも撮ったぜ」

「え、まじ? どこどこ? 見せてよ」

 

 恐ろしく食いつきの良い自分に我ながら驚きだ。まあ、それ程腹が立っていたのも事実なのだけど。

 

「これ……まさかカタログか?」

 

 呆気にとられるリィンの傍ら、レックス君が大きなメッセンジャーバッグから取り出したアルバムを開く。沢山の女子の写真が入っている中身を彼は手際良くめくってゆき、後ろの方の頁で手を止めて、一枚の写真を取り出して私に差し出した。

 

「って、これミントにブリジットさん……あっ……」

 

 天真爛漫な笑顔でミントがお菓子をブリジットさんに勧めている後ろ――笑い合っている私とエリオット君が居る。もっとも、後ろで結った髪が見切れているが。

 この写真は吹奏楽部の休憩中に音楽室にお邪魔させて貰った時のだろう。丁度、このお菓子は数日前にメアリー教官が持って来た物だ。それにしても、あの時撮られていたなんて――どうやって撮ったのだろうか。恐ろしい。

 

「ちょっと! 私、少し見切れてるじゃん!」

「ああ、悪い。主役じゃなかったからな」

 

 コイツ、今すぐ職員室――いや、《ARCUS》で皆に連絡とって裁いてやりたい、いや、捌いてやりたい。

 

「ちなみに……その写真を使って何か取引してたみたいだけど……」

 

 リィンの追求にレックス君が差し出したのは、不本意ながらも私にとってはもうすっかりお馴染みとなってしまった類の本だった。

 

「あ、エロ本……ってゆうかコレは……」

「エレナ、知ってるのか……?」

 

 リィンが変な顔でこちらを見てくる。

 

「多分、私が売った奴っぽい」

「え!?」

「あれ、アンタと取引したっけ……?」

 

 目を丸くして驚く二人と不思議そうに考えこむレックス君。

 取引って、そんな訳ないでしょーが……私が誰の写真を買うっていうんだ。いや、まぁ、アリサの写真はちょっと悪戯に使えそうではあったけど。

 

「多分、先週バンダナ……クロウ先輩が大口買いしてった中の一冊かな」

「……クロウ先輩か……」

「……クロウ君か……」

 

 大きな溜息が二つ。流石、クロウ先輩の名前の威力は凄まじい。一瞬で、失礼な勘違いしていた二人に納得していただけたらしい。

 

「まあ、色んな意味で安心したよ」

「……ええ、ミラじゃなくて安心しました」

 

 

 破られる写真。陽の光に晒される感光クオーツ。

 

「あ、ああ~っ……うう、オレの血と汗と涙の結晶が……」

「はは……教官たちに見つかるより何倍もマシな処分だと思うけど……」

「そうだそうだー。処分をこっちに一任してくれたトワ会長に感謝しろー」

 

 私からすれば色々とムカつくから教官に報告でも一向に構わないのだけど。

 まあ、そういう訳にもならない。

 

 反省し始めたレックス君をフィデリオ先輩が許すやり取りを、少し冷めた気持ちで眺めるのも飽きて、私は手元の写真に目を落とした。

 

 これ、どうしようかな……。

 ぱっと見ればミントが可愛いことをしている写真。でも、その後ろでは写真の中の私がとても楽しそうに笑っている。だから、ちょっと捨てられるのには抵抗感があった。

 それに、嬉しそうな自分の隣にはエリオット君も居るから。

 

 誰も私の方を見ていない事を確認してから、私はそっとスカートのポケットに写真を隠した。

 




こんばんは、rairaです。
お盆ということもあり、一週更新をお休みしました。近い内にどこかで挽回したいものです。

さて、今回は7月18日の自由行動日となります。
しっかりとⅦ組にお説教を受け(本人はあんまり反省していなさそうですが)、リィンと共に自由行動日の依頼に走るお話です。

アランとブリジットの『幼馴染の本心』と盗撮魔レックスの『隠し撮り写真の摘発』という原作でも屈指のサブクエストが揃う四章。本当はナイトハルトの水練特訓も書きたかったのですが、あの状況でエレナが入る余地を見出せませんでした。

ちなみにリィンはこの後にアリサとお買い物となります。そして、水練の特訓…旧校舎…でしょうか。本当にハードなスケジュールですね。

次回は後半部でエリゼ登場となる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月18日 代償

 今日の依頼をすべて終わらせた後、リィンはアリサとのお買い物デートに向かった。二人っきりの所に私も誘って来る位なのだから、本人にはデートという意識は全く無いのだろうけど。こういう所は本当にアリサが不憫に思えてしまう。

 

 リィンの鈍感さの象徴とも言える誘いを断ってアリサの元にさっさと送り出した私は、学食で少し早いお昼を食べることに決めた。丁度、学食で新聞や雑誌を引っ張りだしてなにやら調べ物をしていたクロウ先輩出くわしたのもひとつの理由だ。

 

 クロウ先輩の競馬の話を聞き流ながら、盗撮魔を捕えたという大きな達成感を幸せな満腹感に変えて、学生会館を出たお昼過ぎ。

 

「貴様ぁ! シャツをしまわんかぁ!」

 

 そんな午後の一時を満喫していた私を邪魔したのは、いつもに増して大きな声で叫ぶハインリッヒ教頭の注意だった。

 面倒なのに見つかってしまったと思いながらも、とりあえず口先だけでも謝ろうとする私を遮ってヒゲメガネの教頭はまくしたてる。

 

「タイを緩めるなぁ! しっかりとボタンを――」

 

 そこまではいつもの煩いハインリッヒ教頭だった。シャツ出し諸々でだらしない云々で怒られるのもよくある話であり、『学院生として相応しい~』と続くいつも通りに少し長いお説教を受ければ済むと思っていたのだが――次の瞬間にはまるで私を探していてかの様な口調に変わり、職員室隣の生徒指導室へと連れてかれてしまったのだ。

 

 そして、今に至る。

 私の寮の部屋より小さな個室には三人。私と、目の前のハインリッヒ教頭、そして担任のサラ教官。まるで被疑者の私、取調官の教頭、弁護人のサラ教官という役割がピッタリ当て嵌まり、さながら領邦軍詰所の取調室と化していた。

 私は領邦軍のお世話にはなったことが無いので、あくまでイメージなのだけど。

 

「学院の授業に出ず、帝都で遊び呆け、あろうことか寮の門限を破る……このトールズの学院生にあるまじき行為だということは分かっているのだろうね!?」

「……はい。すみま」

「ふん、これだから平民生徒というのは!」

「お言葉ですが教頭、彼女は」

「サラ教官! この件に関しては担任としての君の責任も重大なのだよ!」

「はい……私としても指導不足だっ」

「指導など以前の問題だ!帝都のヴェスタ通りで何をしていたんだね!? あの辺はバーやパブも多い、まさか飲酒をしていたのではないだろうね!? そうでもなければ朝帰り等考えられん!」

 

 形勢は劣勢以外の何物でも無い。何か言おうとすればことごとく遮って聞く耳も持たないハインリッヒ教頭に私とサラ教官はどんどん追い立てられていた。

 ただ、大体事実なのでどうにも言い訳は難しい。

 

 それにしても、まさか半日サボっただけでここまで怒られるとは思わなかった。

 

 なんで、私が帝都に、それもヴェスタ通りに居たことを知っているのだろうか。

 

「えっと、なんで私が帝都のヴェ」

「昨日、私は帝都の教育省に出張だったのだよ! そのついでに新しい写真……コホン! 偶々、偶然あの通り歩いていた私がこの目で見かけたのだ! 書店の向かいの洋服店に入る君を! これでも言い訳するのかね!?」

「……その通りです……」

 

 まさか、あの通りにハインリッヒ教頭がいただなんて。見られていたのならばどうやっても言い逃れするのは不可能だ。

 

「で!? 夜は飲んだのかね!?」

「え、えっと……」

 

 士官学院の規則には、しっかりと在学中の学院生の飲酒喫煙の禁止が明記されている。その上、私の場合は帝国法での成人年齢に達していないので、それ以前の問題だ。こちらはまだバレてはいない様だが、カジノへの出入りなんていうのも知れたらもう論外だろう。

 

「そういえば、君の実家は酒屋だったねえ! 学院に入学する前から飲んでいたのではないだろうねえ!?」

「ち、違います! そんなことは……ありません……」

 

 そんな所から突っ込まれるのは心外だが、確かにフレールお兄ちゃんと一緒に大人達には内緒で少しだけ口にしたことはあったりするので、これまたあながち的外れでもなかったりする。鋭いというか察しが良いというか……。

 

「お言葉ですが、教頭。それは流石に決めつけが」

「大体、君も昨晩は何をしていたのかね!? 居酒屋で下品に吞んでいたのだろう!? 生徒も生徒だが、君も君だ! 君の普段の生活が教官にあるまじきだらしのないものだからこういう生徒が出るのだ!」

 

 今度は私を擁護しようとしたサラ教官に怒りの矛先が向かう。

 ギクッという擬音が隣から聞こえて来そうな位にサラ教官の顔が引きつった。

 

「な、なんで教頭がご存知」

「偶々、ナイトハルト教官に抱えられた君の無様な姿を見かけたのだよ!」

 

 サラ教官は頭に手を当てて「あちゃぁ……」とぼやいた。

 

 サラ教官……何やってんの……。全く違和感の無い担任教官の醜態が意図も容易く想像できてしまう。

 もっとも、私も昨晩の記憶がぽっかりと途中から抜け落ちており、どうやって寮まで帰ったのかも分からないので、私も同じ様な感じだった可能性がかなり高いのだけど。お酒の力は恐ろしい、やっぱり当分は飲まないようにしよう。

 

「弁解の余地はないようだね!?」

 

 認めたら不味いということに全力で警鐘を鳴らしているが、良い言い訳が浮かぶわけでも無い。というより、ハインリッヒ教頭の言う事が殆ど事実なのだからどうしようもない。

 私は自分から好き好んでサボった訳でも、進んでお酒を飲んだ訳でも無いのだが、ここでアンゼリカ先輩のせいにした所でやってしまった事は何ら変わらない。

 そればかりか、罪を認めることにしかならない。

 

「授業の無断欠席、寮の門限違反、飲酒…情状酌量の余地は無い! 寮での無期限の謹慎処分だ!」

 

 想像より遥かに厳しい処分内容に体が強張り、膝の上の拳を握り締めた。

 

「この際、今後の進退についても考えてみたらどうかね? この学院の名を穢さな内にな」

 

 眼鏡越しに鋭い視線を動かさないハインリッヒ教頭の言葉に、私は今更ながらに事の重大さを思い知る。

 進退を考えろ、というのは、つまり、学院を辞める事も含めて今一度考えろという事だろう。教頭のその後の言葉から、もう実質的な自主退学の勧告に思えた。

 

 まさか……こんな事になるなんて……。

 

 学院を辞めることになるかもしれないという、今の今まで考えもしなかった恐怖で頭の中が一杯になる。

 

 辞めたくなんて無い……まだみんなと一緒にいたい……こんな形でお別れになるなんて嫌だ……。

 

 でも、ここで何て言えば良いのかは全く分からない。どうすれば許してもらえるのかなんて、見当もつかない。だって、ハインリッヒ教頭の言う通りの事を私はしてしまっているのだから。

 

 視界が少しずつ潤み始めるのを感じて、私は唇を噛み締めた。

 

「ハインリッヒ教頭! 飲酒に関しては教頭の勝手な憶測でありますし、特別指導の審議は学院長を交えた教官会議で行われ、最終的な決定は学院長が為される筈ですが!」

 

 サラ教官が椅子から立ち上がって声を荒げる。

 

「サラ教官! 学院長は本日、教頭である私に学院での全権を委ねられておられる! この場での私の決定が即ち処分であるのだよ!」

「そんな横暴が!」

「それに君に対する処分も決めなくてはならないからね! ただの監督不行届で済むとは思わないことだ!」

「私への処分でしたらどうぞご勝手に! ですが、私の生徒への不当な処分は断じて認めません!」

「聞いたぞ! サラ教官! 理事会に直訴してやろうではないか!覚悟したまえ!」

 

 いつの間にか私は俯いていた。今にも泣きそうな顔は見られたくないし、ハインリッヒ教頭の厳しい瞳はもう恐怖以外の何物でもない。私の上で激昂して怒鳴り合う二人の声が響いていた。

 同時に、サラ教官がこんなに本気で怒って庇ってくれるのが、私にとってはもう辛かった。お酒を飲んだ件は”勝手な憶測”ではあるものの、間違ってはいないのだから。認めてない私が偽っているだけなのだ。

 

 ……なんでこんな事になっちゃったのだろう。結局、悪いのは自分だけど……。

 

 もう全部正直に認めて謝って……どうにか退学だけは見逃して貰えるようにお願いしよう。それでダメなら……もう――。

 

 意を決して、私は深く頭を下げる為に椅子から立ち上がったその時――この小さな部屋の扉が開かれた。

 

「学院長から任されているとはいえ、些か独断専行が過ぎると思いますよ。ハインリッヒ教頭」

 

 いつ殴り合いが始まってもおかしく無い様に思えた教頭とサラ教官を止めたのは、どこか優しげで落ち着いた声。私はその声の主を見上げた。

 

「それに、声が大き過ぎて廊下に響き渡ってましたよ。保健室で休んでいた生徒も起きてしまう位です」

「む、むぅ……」

 

 押し黙るハインリッヒ教頭。

 

「サラ教官、貴女もですよ?」

「す、すみません……ベアトリクス先生」

 

 してやったり顔をしていたサラ教官だが、しっかりと注意を受けてしまう。

 

「……ですが、ベアトリクス教官。私は、伝統ある学院の風紀を乱し、他の生徒に悪影響を与える規律を守らない不良生徒や、著しく自覚の足りない教官に対して……」

「教頭。それを判断するのは貴方の仕事ではありませんよ」

 

 冷たく言い放たれたハインリッヒ教頭は苦い顔をして言葉を詰まらせるが、その次の瞬間に彼の顔は驚愕へと変わった。

 

「ほっほっほ、何やら立て込んでおる様じゃの? ハインリッヒ君」

「学院長!? な、なぜ……午後は外出されるとの事では……」

 

 驚きの余りかハインリッヒ教頭の声が裏返る。それもその筈、澄まし顔のベアトリクス教官の後ろに、居ないはずのヴァンダイク学院長が姿を表したのだから。

 

「何、昼間の会合が予定よりも早く終わってしまっての。夜の方の予定まで少々時間が空いたので戻ってきたのじゃ。それ程時間に余裕が有るわけではないが……さて、とりあえず話を聞かせて貰おうかの」

 

 

 結局、学院長は後日の教官会議で私への特別指導の処分内容を話し合う事を決定し、ハインリッヒ教頭も渋々といった様子で引き下がる。

 私は取り敢えず処分保留という事で解放されることとなり、明日はしっかり授業に出るように言いつけられるのだった。

 

 だが、規則をあれだけ大っぴらに破った以上は無罪放免と言う訳にはならないし、教官会議の結果次第ではどんな処分内容になるかは分からない。ただ、ハインリッヒ教頭から強引に下そうとしていた処分内容を聞いた学院長が『それは指導ではない』とバッサリと切り捨てた事から、あの実質的な自主退学勧告だけは避ける事が出来たようだ。

 やった事を考えれば、もうそれだけで十分過ぎる程に思えた。だって、まだ今後もⅦ組に居れるのだから――大好きな皆と一緒に過ごす事が出来るのだから。

 

「やぁ。終わったようだね」

 

 私とサラ教官を残して誰も居なくなった生徒指導室に、このタイミングを見計らったように入ってきたのはアンゼリカ先輩だった。

 

「アンゼリカ先輩……!」

 

 昨日ずっと一緒に居たはずなのに、もう何日も会っていないような気すらした。ただ、普段からサボりの常習犯で昨日もずっと一緒に居たアンゼリカ先輩がお咎め無しなのに、私だけがあんなに怒られたことを思うと結構複雑だ。

 

「アンタねぇ、後輩唆すのもいい加減にしなさいよ。この子が流されやすい事ぐらい知ってるでしょう?」

 

 私までとんだとばっちり食らいそうになったじゃない、と恨めしげにアンゼリカ先輩を睨むサラ教官。

 

「まあ、壊滅的に運が悪かったのも否めないが、流石に私もここ迄大事になるとは思わなくてね」

 

 特にハインリッヒ教頭の怒りをあそこまで買う羽目になったのは、確かに偶然の間の悪さの要素が強かったと思う。

 

「正直、今回の件は私も読みが甘かったとそれなりに反省しているつもりさ」

「まったくもう……アンタやクロウがサボるのは自己責任で結構。でも、Ⅶ組の子達や私は教頭から目の敵にされてるんだから、ちょっとは考えて欲しいものだわ。まあ、上手いこと二人を連れて来てくれたのはお手柄だったけどね」

 

 サラ教官が両手を広げて呆れる仕草をしながらもアンゼリカ先輩を褒めた事に、あのタイミングで学院長とベアトリクス教官が来たのは、先輩のフォローだったことに気が付く。

 その事を聞いて、私はどうしてかとても安心した。

 

 怒られている最中に、ちょっとだけ頭に過ったのだ。私は単に遊ばれてただけで、このまま見捨てられてしまうのではないかと。

 良かった……ちゃんと、私の事を心配してくれてたんだ……。

 

 

 

「あ、あの……サラ教官。私、サラ教官に謝らなきゃいけない事が……」

「うん? 何かしら?」

 

 ぶっちゃけ、今までの事態そのものが謝らなきゃいけない事でもあるのだけど。

 

「私……実は、ハインリッヒ教頭の言う通り、お酒飲んだんです。それも、結構いっぱい……ご、ごめんなさい!」

 

 言ってしまった……怒られるだろうか。

 数秒間、何も口を開く事無く私とサラ教官はお互いに目を合わせる。その後、私の言葉の意味が分からないとでも言うかの様に、不思議そうにサラ教官は首を傾げた。

 その後ろではアンゼリカ先輩が小さく噴き出すように笑っている。

 

「そんなの知ってるわよ?」

「え、ええ…?」

 

 当然の事を何を今更、といった顔だ。

 

「明け方だったかしら? 寮のロビーで飲み直してたら、そこの悪い先輩がぶっ潰れたあなたを配達しに来てね。まあ、面倒臭そうだったからお受け取りは管理人さんにお任せしたけど」

「じゃ、じゃあ……知ってて庇ってくれたんですか?」

「勿論」

 

 あのヒゲメガネ教頭に良いようにされっぱなしはムカつくからねぇ、と続けたサラ教官。彼女の反応が想定外過ぎて、私は思わず口を開いたり閉じたりパクパクさせてしまう。

 そんな私を見て何かに気付いたのだろう。サラ教官はニンマリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「なぁにー? 私が知らないと思って、悪いとか思っちゃった? じゃあ、泣きそうになってたのはもしかしてー?」

「……悪いと思いました。あんなに本気で怒って庇ってくれて、嬉しかったですけど……後ろめたくて、凄く辛かったです」

 

 茶化すようなサラ教官だが、正直に私はあの時の心境を打ち明けた。

 

「……そう。だったら、もう分かったわね?」

 

 一回、二回と二度私は頷いた。

 

「君達は若いんだから、ちょっとやそっと羽目を外す位で目くじら立てるつもりは無いわ。私はそれが若者の特権だとも思ってる」

 

 先程から静かなアンゼリカ先輩にもサラ教官は視線を向けた。

 

「但し、あくまで”ちょっと”で済めばの話。だから、ただ流されるだけじゃなくて、”ここまで”っていう線引をしっかり自分の中に持ちなさい?」

「……はい」

 

 声はあまりよく出なかったけど、しっかり返事をして頷く。

 サラ教官はそれに満足したかのように優しく笑い、手を私の頭の上に置いた。

 

「よしよし、今日はいつもと違って減らず口も叩かなくて素直でいい子ね。そろそろ教官を敬う気なってきたってことかしら」

 

 得意気な顔で私を優しく撫でるサラ教官は何かちょっと気に食わないけど、今日ばっかりは口先だけの文句も言えなかった。

 

 

 こうして学院生活最大の危機を乗り切った私が生徒指導室を出たのは、もう大分陽が傾いて外が夕焼けに染まる時間だった。

 

 サラ教官とアンゼリカ先輩と別れた私は、いつもの癖で音楽室に足を運ぶのだが、既にもう人影はなく、扉にはしっかりと鍵がかかっていた。エリオット君はもう帰ってしまった後なのだろう。

 

 少し気落ちしながら階段を下っていると、屋上から勢い良く扉の閉まる音と共に誰かの激しい足音がした。

 何かあったのだろうか。足を止めて後ろを振り返る私の視界に入ってきたのは、見慣れない制服を着た黒髪の少女。

 彼女はそのまま勢い良く駆け下りてきて――やばっ。

 

 咄嗟に避けたが、腕と腕がほんの少し当たる。

 

「わっ……」

「す、すみませんっ……!」

 

 私にそう短く謝った彼女はそのまま階段を走り去ってしまう。

 

 でも、ちょっと気になった。

 彼女は泣いていたから。

 

 制服が違うから他校の生徒だろう。私よりかは歳下っぽい。

 良家のご令嬢といった風貌。

 

 もしかしたら、この学院に恋人とかが居て振られちゃったのかなぁ。

 貴族のお嬢様という感じだったし、許嫁ということも――あれ、そしたら振られたっていうのは間違いか。喧嘩かな。

 まあ、あんな可愛らしい子を泣かせるなんて酷い男も居たもんだ。

 

 そんな事を考えながらトボトボと階段を二段ほど降りた時、私のポケットの中の《ARCUS》が機械的な電子音を鳴らした。

 

<――エレナ? 今どこにいるの?――>

 

 少し緊張感の混じるアリサの声に違和感を感じながらも、私は本校舎に居る旨を伝えた。

 再び屋上の扉が開く音と、またもや誰かが駆け下りてくる足音。

 

<――ハインリッヒ教頭に連れて行かれたって聞いたけど大丈夫なのね?――>

「うん。やばかったけど、何とかなった」

<――よかった……。それじゃ、突然で悪いのだけど貴女にも頼みたいことが――>

 

「エレナ!」

「え、リィン?」

 

 誰かが駆け下りてくるとは思ったが、私を呼んだ声は聞き慣れたリィンの声だった。ただ、いつもとは違う雰囲気だ。

 彼の顔を見て、私は咄嗟に謝った。

 

「ごめんね、今日は――」

「エレナ、エリゼを見なかったか!?」

「えっ?」

 

 ハインリッヒ教頭のせいで――いや、私のせいで旧校舎の探索に行けなかったことを謝ろうとしたのだが、それは彼に途中で遮られ、唐突に知らない人の名前が出る。

 

 エリゼ……誰?

 

 かなり近いリィンの顔には不安や焦り、戸惑い――そんな色が浮かんでいた。それも、今まで見たこともない位に本気の表情に、私は何か大変な事が起きた事を悟った。

 そして、先程駆け下りていった他校の少女と繋がった。

 

 

 ・・・

 

 

 今日は本当に色々なことがあった。朝からリィンと一緒に生徒会の依頼に駆けまわり――ハインリッヒ教頭に捕まり取り調べを受けて――その後、ある女の子を探して学院を走り回り――。

 

 少し遅めの夕食を終えた私は、フィーから借りてきた私には小さ過ぎるサイズのパジャマを片手に、昨日まで空き部屋だった自室のお向かいの部屋の扉の前に立っていた。

 

 この部屋の中にいるのは夕方に探しまわった女の子。エリゼ・シュバルツァー、リィンの妹だ。

 

 帝都の女学院に通っているということはリィンから前に聞いたことがあり、彼の家族の写真の中の彼女もほんの少しだけ見たことがあった。今日、旧校舎の地下で初めてこの目で見た彼女は写真通りに可愛らしいお嬢様だった。

 

 見るからに良家のご令嬢――アンゼリカ先輩が夢中になるのも無理も無い。

 

 でも……ちょっと、苦手なんだよね。

 一緒に食堂でご飯を食べた時に少しは話したが、どことなく壁を感じるし……。

 

 いやいや、彼女も今日は大変な目に遭ったのだ。その場に居合わせたクロウ先輩によると間一髪という所だったらしい。

 先程の夕食の席も疲労困憊のリィンは居なかったので、彼女からしたら全く面識の無い年上の人に放り込まれた様なものだ。アリサやエマがちょくちょく話を振っていたが、そう簡単に馴染める訳でもないだろう。

 

 エリオット君から詳しい事は聞いたけど、彼女――エリゼちゃんが此処に来たのはリィンの手紙が原因らしい。なんでも手紙に『家を出るつもりだ』なんて書いたとか。

 それはリィンが貴族の血を引かない養子だから、実家の男爵家の家督を継ぐ訳にはいかないという考えからによるものらしいが――。

 

 貴族の複雑な家庭事情という奴なのかなぁ。

 

 そこまで考えたのを振り払うように、首を振って私は軽く扉を叩く。

 

「エリゼちゃん、入って大丈夫かな?」

 

 すぐに彼女の独特の透き通った声の返事が帰って来た。もしかしたら、気付かれていたのかもしれない。

 

 扉を開けると、部屋から彼女には少し似つかわしくない軽快なポップな音楽が流れてきた。

 

「ラジオ、聞いてくれてるんだね」

 

 リィンが来れないために退屈しないようにと、此処にラジオを持ってきたのはアリサの発想だ。ちゃんと聴いてくれていたのは意外だが、それでも嬉しい。

 そして、丁度良いタイミングで流れている番組がリィンのお気に入りであった為、その事を彼女に教えた。

 

「兄様の……お気に入り……」

「そうそう、《アーベントタイム》っていってね。毎週次の日の朝はリィンとこの番組の話をするんだ」

 

 もっとも私の部屋にはラジオが無いので、他の人の部屋で聴かせてもらっているのだけど。

 

「兄の事を良くご存知なのですね」

「そうだね、まあ……もう短くない付き合いだし、なんだかんだお世話になってるから」

 

 苦笑いを彼女に向けると、顔を逸らされてしまった。

 中々のショックを感じながらも、その後の彼女の小さな呟きには少し納得できるものがあった。

 

「……私の方がもっと知っています……」

「……そ、そりゃあ、そうだよ。だってエリゼちゃんはリィンの妹なんだし」

 

 先程、彼女の中の地雷を踏みに行ってしまったことを後悔してももう遅い。

 もうちょっと愛想良くしてくれても良いのに、という晩ご飯の時からの思いを強くしながらも、居心地を悪くしてしまったこの部屋から逃げるように、私はさっさと用事を済ませることにした。

 

「これ、とりあえず寝間着に使ってね。一番エリゼちゃんと背が近そうなフィーのだから、多分サイズも大丈夫だと思うし」

 

 あまり可愛げの無いパジャマを手渡しせずにベッドの脇に置いて、私はこの部屋を立ち去ろうとした。

 

「あの、エレナさん……兄様、いえ、兄は今どうしているのでしょう?」

「部屋で休んでると思うけど……起こしてこようか?」

「あ、いえ……そこまでは……」

 

 リィンの調子を訊ねてきた彼女の瞳を見て、この場所から逃げようとしている自分を少し大人気なく感じて、少し悩んだ後、彼女の隣に少し離れて腰掛けた。

 

「後悔、してるの?」

「……はい。私が兄様の前から逃げ出さなければ……あの場所に迂闊に入り込んだりしなければ……そもそも、こんな形で私が士官学院に来なければ、皆さんにもご迷惑を掛けることも無かったのに……兄様もあんな事にはならなかったのに……」

「そりゃあ、旧校舎に入っちゃったのは迂闊だけど――少なくとも私は、多分、Ⅶ組の皆も迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないよ」

 

 ちょっと苦手だなぁとは思ってたけど。

 

「エリゼちゃんは、リィンに直接言いたい事があって来ただけなんだから」

「私は兄様にまだ何もしっかりと伝えれてません……私の気持ちも……」

「そっか……」

 

 さっき私が不用意に触れて顔を逸らされてしまった時に感じた事は本当だったみたいだ。

 この子、リィンの事……好き、なんだ。

 

「私なんかが口を出すのはおこがましいと思うし……エリゼちゃんも分かってると思うけど……」

 

 彼女は俯いたまま、自らの膝に視線を落としている。

 

「一番近い人なんだから、自分の思ったことははっきりと素直に、相手にしっかりと伝えた方がいいよ」

 

 声には出さなかったけど、心の中だけで続けた――いつか後悔しないようにね、と。

 彼女が納得出来ないリィンの将来の事、そして、彼女の素直になれない気持ちの両方とも。

 

「リィンはね、自分を探すために士官学院に入ったって言ってた。私はリィンの過去をあまり知らないけど……エリゼちゃんなら何か分かるんじゃないかな?」

「自分を……探すため……」

 

 エリゼちゃんの綺麗な瞳が私の視線と重なり合う。やっと、こっちを向いてくれた。

 

「まあ、私はここ迄位しか知らないや。アリサならもうちょっとリィンの事を知ってるかもしれないんだけどねー」

 

 私はそのまま背中をベッドに預けるように倒れ込む。彼女はそんな私をキョトンと首を傾げながら覗った。

 

「アリサさん、ですか?」

「うんうん、あの二人お熱いから。もう妬けちゃうぐらいー」

 

 ちょっとチクッて焚きつけてやろうという、意地の悪い考えが浮かんでこんな話をし始めたのは内緒だ。ちょっとリィン兄様大好きな妹さんの反応が見たかったというのもある。

 案の定、彼女は複雑そうな顔をしていた。

 

「……エレナさんもやはり……その、兄の事が……?」

「ええ? 私? なんで?」

 

 全く予想外だった彼女の反応に、私は上ずった素っ頓狂な声で聞き返していた。

 まさか、アリサに私が嫉妬していると勘違いされた?いやいや、そんなのあり得ないから。

 

「ご夕食の席でアルバレア公爵家のユーシス様が、エレナさんは兄ととても仲が良いとの話をされていました」

 

 つい一時間半程前の記憶を呼び起こしてゆくと、すぐに思い当たる節はあった。『フン、リィンとお前は今日も仲良く駆けずり回っていたのだろう?』、ユーシス様ボイスでしっかり脳内再生される。

 確かに聞く人が聞く人なら間違えかねない。

 

「ああ、あれはね……一緒に生徒会のお仕事をしてただけだよ。私、リィンの事はそうゆう風に思ってないから安心して?」

 

 私がそう言うと、エリゼちゃんはとても分かりやすい安堵を浮かべた。ライバルが一人減ったのがそんなに嬉しいのだろう――まあ、気持ちは手に取るほどよく分かる。

 

「ふーん、お兄ちゃんの事、大好きなんだ?」

「その、そんなんじゃ……!」

「そっかーそっかー」

 

 なんて分かりやすい。頬を赤く染めて否定しようとする彼女の姿に、私の悪戯心がとてもくすぐられる。

 私も誂われている時はこんな感じだったのだろうか。今更ながら恥ずかしく思えた。同時に、想いを募らしていたあの日々を懐かしく感じる。

 

 どことなく昔の自分の姿を彼女に重ね合わせてしまって、私は親近感を覚えるのだった。

 この子とは仲良くなれるかも知れない。

 

 

 ・・・

 

 

 エリゼちゃんの部屋を出た私は、廊下で階段を上って来たアリサと鉢合わせた。

 

「――あ、アリサ」

「あら、そっちに居たのね」

 

 彼女の表情が余り良く無い事に私は気付いた。

 

「リィンの妹さんと話してたの?」

 

 私はアリサの問いに頷いて、フィーから借りてきたパジャマを届けたついでに少し話していた事を伝えた。

 

「エリゼちゃんにも聞かれたんだけど、リィンはどんな感じなの?」

「部屋で晩ご飯を食べた後にすぐ寝ちゃったわ。さっきまで私も様子を見てたんだけど……サラ教官に帰されちゃって。一応、シャロンが夜中も様子を見るって言ってたけど……」

 

 アリサ、一晩中リィンの部屋に居るつもりだったの……?

 その言葉を喉に飲み込んで、私は相槌を打つ。

 

「エマは”限界を超えた身体の消耗”だって言ってたわ。しっかり休息を取れば問題は無いみたいだけど……」

「そっか……早く治るといいんだけど……」

「ええ……」

 

 エリゼちゃんを守るために死力を尽くしたと言うことなのだろう。流石、リィンだ。

 その後、暫くの間私とアリサの間を珍しく沈黙が漂った。

 

「いけない、忘れるところだったわ……サラ教官から貴女の事を呼ぶ様に言われてたのよ」

「サラ教官が?」

「『事情聴取するから、後で部屋に来なさい』って言ってたわよ」

「うぇ……」

 

 折角、シャワーを浴びてふかふかのベッドで寝れると思ったのに。

 確かに生徒指導室を出た直後に『今晩詳しく話を聞かせなさい』と言われていたのを思い出してゲンナリする。そりゃあ、まあ、確かにサラ教官はほんっとうにお世話になったけど……ぶっちゃけ、サラ教官の一人酒に付き合うという”事情聴取”になるのは確実なのだ。

 

「はぁ……自業自得ね。分かってると思うけど――」

「――うんうん! もう反省してるって……!」

「もう……貴女も心配かけさせないでよね」




こんばんは、rairaです。

さて、前回に続き今回も7月18日の自由行動日のお話となります。
Ⅶ組のみんなからお説教され、すっかり許された気分になっていたエレナでしたが、そう都合良くは行かないものです。
何故か目撃していたハインリッヒ教頭に激しく追及される事となり、厳しさを知ることになりました。
学院長が帰って来てくれていたお陰で助かりましたが、危うく退学が見える所まで大事になったことは、最近調子に乗り気味だったエレナにはいいお灸になったことでしょう。
もっとも、ハインリッヒ教頭の側から見たら決して辞めさせようとしていた訳では無いのですけどね。

そして、遂にエリゼ登場です。ただ、彼女の本当の出番は今後いくつか予定されているので比較的軽めとなっています。

次回は7月24日、四章特別実習初日の予定です。アンゼリカとのサボりの帝都編の後書きにある通り、三章に続いてエレナはB班視点となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月24日 一週間ぶりの帝都

 早いものでもう一週間が経った。

 

 月曜日の朝、私達はエリゼちゃんをお見送りした。昨晩は疲労困憊状態だったリィンも身体の調子をそれなりに戻した様で、朝の短い時間ではあったがエリゼちゃんともよく話せたようだ。それは私と二人でベッドに座って話した日曜日の夜とは打って変わって明るくなった彼女の様子からもよく分かった。

 

 エリゼちゃん、リィンに頭撫でられて嬉しそうだったなぁ。

 

 もう五日程前になる出来事を思い浮かべながら、私は列車の車窓から帝都近郊の開けた風景が望んでいた。

 そろそろ帝都に近くなってきたのだろうか、ずっと森林や農耕地が続いていた線路と街道沿いには小じんまりとした街並みを見かける事も多くなってきている。何より一番の変化は、道路を行き交う導力車が次第に増えていっている事だ。

 

 今日は7月24日。7月の特別実習の一日目となる。

 

 私達がこの列車に乗って目指すのは帝都ヘイムダル。

 これまでの三か月、A班とB班は共に異なる地方の実習地であったが、今回は初めて両班とも同じ都市の中での実習となる。

 

 ただ、実習地については特に問題は無いのだが、班分けは少し微妙だ。というか、先月の実習から私とリィンが入れ替わっただけの班なのだ。

 未だ対立を続けるラウラとフィーには、バリアハートの時と同じ様にリィンがあてがわれることになり、彼は今もA班の面々が座る隣のボックス席で頑張っている。まあ、その為に私がビリヤードの玉の様にA班からから弾き出されたという訳だ。

 

 私個人としてはエリオット君と班が別れてしまったのは残念だが、こればっかりは仕方ないから我慢するしかないと思うしかない。ちなみに私の隣に座るアリサも、リィンと別になってしまって班の発表の後はちょっと気落ちしていた。

 

 班は別になってしまったけどA班もB班も同じ宿泊場所だったら、なんていう期待はしているのだが、これも現地に行ってみないと分からない。だけど、今回は実習地も一緒である以上はその可能性も十分あり得る筈。

 

 そんな期待をを抱きながら、私はA班の皆の座る隣のボックス席の通路側に座るエリオット君に顔を向ける。

 

 相変わらずのラウラとフィーの間で苦笑いする彼は私の視線に気付くや否や、すぐに笑顔を向けてくれた。

 彼がこっちを見て笑ってくれたのが嬉しくて、自分の頬が緩むのを感じた。

 

「――おい、聞いてるのか?」

「あ、へい?」

 

 そんな幸せな気分に浸ってた私を邪魔する不機嫌そうな声。

 振り向いた先にはムスッとしたユーシスの顔。そして、近い。

 

「まったく……傍から見たら気持ち悪いぞ。まるで不審者だ」

「き、きもっ!? ふ、ふしん!?」

 

 なんて酷い言い草だ。『だから、貴族っていうのは嫌いなんだ!』というマキアスっぽい言葉を心の中で叫ぶ。そういや、何時ぞやのユーシス様と一緒に料理を作った時も同じ事を思ったっけ。

 

「ぼさっとしているのは構わんが……先日の実技テストの時の様な無様な失態で足を引っ張られるのは御免被るぞ」

「あ、あの時はアリサが……!」

 

 水曜日に行われた今月の実技テストは、サラ教官の指定した二人のペア同士で時間制限付きの模擬戦を二戦をする内容だった。

 私はユーシスと組まされて、エマとマキアスのペアに勝ち、リィンとアリサのペアに負けた、一勝一敗の成績。力量で上回るラウラとフィーのペアを下しただけあって、リィンとアリサは戦い方がとても巧かった。

 

 アリサのアーツによる私に対する嫌がらせが、ほんっと容赦無いんだから。あれが恋の力だなんて私は認める気はさらさら無いけど。

 

「まあまあ、ユーシスさん」

 

 苦笑いするエマ。彼女はこの間の実技テストでは苦労した側だ。エマとマキアスの秀才コンビは試合内容こそ悪くないものの、最後の決定力に欠けて二戦とも判定敗北だった。

 ちなみにその一戦目の相手は私とユーシスペアなのだが。

 

「でも、あなた達は手強かったわよ。リィンも『ユーシスに肉薄された時は不味いと思った』って言ってたし」

「フン……まさかあの場で俺だけを取り込む様に正確にアーツを使うとはな。後衛がビビって援護が無い俺が距離を作られれば何も出来ん」

 

 ビビって援護をしない後衛とは勿論私の事だ。

 

「ビ、ビビってない!」

「腰を抜かしてただろうが」

「あれはアリサがその後も嫌がらせばっかしてくるから立てなかっただけで……!」

 

 サラ教官の掛け声と共に始まった模擬戦では、真っ先にユーシスとリィンが剣を打ち合った。私とアリサは彼らの支援――というのがセオリー的な戦いの流れな訳なのだけど、戦闘教本通りに進めれば確実に私達は負ける。

 何故なら私とアリサではより支援向きに適性があるのはアリサだし、ユーシスはリィン程剣のみでの近接戦闘に特化していない。

 だから、私はライフルでアリサに”ちょっかい”を出そうとしたのだが、残念ながら、それはアリサに読まれていた。彼女にライフルを向けてトリガーを引いた直後、私は初めて見るアーツに襲われたのだ。

 

 地獄からの響くような恐ろしい唸り声の様な音と、禍々しい邪悪なオーラを纏って地面から浮き上がるように顕在した巨大な骸骨。

 目の前にそんなものが突然現れ、恐怖のあまりに力が抜けてその場でへたり込んでしまった。

 

 それが幻属性の攻撃アーツ、それも身体能力を一時的に低下させる妨害効果を持つ《ファントムフォビア》だと知ったのは模擬戦が終わった後。まだ立てない私をユーシスが介抱してくれてた時に、アリサから聞かされた。

 

 ちなみに、《ファントムフォビア》でへたり込んだ私に追い打ちを掛けるように《クロノブレイク》という身体の時間の流れに作用する時属性のアーツが二回程、最後に効果範囲の中心に吸い込む空属性の《ダークマター》でユーシスと共に吸い寄せられる羽目となる。それで私達は二人仲良くごっつんこし、その隙にユーシスにリィンの剣が突き付けられて、敗北が決まった。

 

「嫌がらせとは心外ね。作戦勝ちよ」

 

 不満気ながらも、得意気なアリサ。大好きなリィンと一緒に勝利を収めれたのが嬉しくて仕方が無いのは、試合後のハイタッチを交わして喜んでる姿からよく分かったが、その余韻は今も尚続いている様だ。

 

「でも、見ていた側からしてもあのアーツはちょっと怖かったですね……」

「ああ、禍々しさは尋常ではなかったな。悪しき物を感じた位だ」

「まあ……あの髑髏がこっち側を向いていたらと思うと確かに怖いわね」

 

 エリオット君も心臓が飛び上がる程怖かったと言ってた。だから、私は悪くない、きっと。

 大体、こっちはその日は寝る前にあの髑髏を思い出してしまって、次の日に寝不足になる位のトラウマになっている位なのだから。

 

「フン……だが、お前はそれ以外にも前科がある事を忘れたか?」

「あ、あれは――」

 

 二ヶ月前だっけ、ユーシスを誤射しかけたのは。ほんと間一髪、スレスレの所を私の放った銃弾が飛んでいったらしい。

 

「兎に角、気を付けろということだ。お前は抜けている所があるからな」

「……えっと、私の事、心配してくれてるの?」

 

 やっと今日のユーシス様語が翻訳できて来た。なんというか、口ではああ言っていても、しっかり心配してくれているっていうのは嬉しいものがある。それと同時に、こういう言い方しか出来ない、又はしてくれない彼の事をちょっと不器用だなぁ、なんて思って少し口元が綻ぶ。

 

「迷惑を掛けられるのは俺達だからな。先日の実行委員の件といい、本当にお前で大丈夫なのかを考えるとおちおち眠ることも出来ん」

「……もう。別に私がなりたくてなった訳じゃないのに、そうやって馬鹿にするんだから」

 

 実行委員――略さなければ、学院祭実行委員。10月下旬に予定されている今年で第127回となる士官学院祭の準備を進める生徒会の委員会だ。色々な経緯を経て私は今、下っ端ではあるものの生徒会の一員となっていた。

 

 実技テストのあった水曜日の放課後、学院長室に呼び出しを受けた私は特別指導の処分内容が決定した事を伝えられた。

 学院長とサラ教官が見守る中での教頭説論なんていう名前のハインリッヒ教頭からのありがたい嫌味なお説教、翌日までに書いてくるようにと言われた反省文――そして、三か月間の奉仕活動という処分。

 これまで見聞きした話だと概ね学院内の清掃活動や教官の助手というのが奉仕活動の内容なのだが、私の場合は期間も長い為か少々事情が異った。

 

 ハインリッヒ教頭によるお説教が終わった後に、学院長室に入ってきたのはなんとトワ会長。

 彼女に『一緒に学院祭を盛り上げていこう?』なんてキラキラした顔で言われた時には何かの間違いかと思ったけど、詳しく話を聞けば、前々からリィンと一緒によく生徒会からの依頼を手伝っていた事を評価してくれていて、今回かなり長期の処分を受けるであろう私を、『ある人の推薦もあって』逆にスカウトしに来たというのだ。

 タキシードが似合う何者かが糸を引いている気がそこはかとなく感じたが、実質的に拒否権の無い私はこうしてトワ会長に拾われて、特例的に生徒会の学院祭実行委員となる事となったのだ。

 

 ただ、サラ教官も奉仕活動という名目で私を小間使いとして利用する気満々であり、今後三か月は忙しくなりそうな嫌な予感しかしないのだけど――実際、罰なのだしどうしようもない。バイトも当分はがっつり入ることは難しそうだった。

 

 

 ・・・

 

 

 帝都ヘイムダル中央駅で私達を迎えてくれたのは、ケルディックでお世話になったあの鉄道憲兵隊のクレア大尉。

 三ヶ月ぶりの再会に彼女と言葉を交わしていると、少し遅れてやって来たのがまさかのカール・レーグニッツ帝都知事閣下だった。そう、マキアスのお父さん。

 帝国時報を読んでなくても知らない人は居ない位の超大物の政治家の一人、革新派のナンバーツーと云われる帝都知事の予想外の登場に、皆驚きの声を上げていた。

 

 その後、帝都駅の奥まった場所にある鉄道憲兵隊詰所の会議室に場所を移して、今回の特別実習についての説明を受けることになった。

 途中、レーグニッツ知事が士官学院の常任理事であることを明かした時には、やっぱりと思ったけど。なんとなく、駅で出迎えてきてくれた時にそんな気がしたのだ。

 

 前にルーファスさんが仰った士官学院の三人の常任理事もこれで全員分かった事となる。勿論、最初の一人はユーシスのお兄さんで、アルバレア公爵家の跡継ぎでもあるルーファスさん。もう一人は直接お会いした事は無いのだけどアサルトライフルの件で多分お世話になったアリサのお母さん、確かイリーナさん。そして、マキアスのお父さん、レーグニッツ知事。流石の私でも『カールさん』とは心の中でも言えない。閣下の敬称が付く人を名前呼びなんて恐れ多過ぎる。

 それにしても、こう考えるとⅦ組は本当に凄いクラスだと再確認させられた気がした。

 

 特別実習の日程は本日から三日間。明後日、夏至祭初日の7月26日迄の予定だ。その間、ヴァンクール大通りを境にA班は帝都の東半分、私達B班は西半分で活動することとなると伝えられ、いつもの課題の記された書類の入る封筒と何やら手書きで住所の書かれた紙と鍵をそれぞれ受け取った。

 

「アルト通り……僕の実家がある地区だ」

 

 アルト通りって……確か、この間アンゼリカ先輩と一緒にサボって帝都に来た時にお昼を食べた喫茶店のあった場所だ。あのピアノを弾いてくれた綺麗なお姉さんもエリオット君の知り合いだったり――うーん、なんだろう。何か引っかかる。

 

「うん、でもこの住所にはちょっと見覚えがないけど……」

「……父さん、もしかして?」

「ああ、帝都滞在中のお前たちの宿泊場所とその鍵だ。A班B班それぞれ用意してあるから、まずはその住所を探し当ててみたまえ」

 

 ふふ、ちょっとしたオリエンテーリングといった所かな。と愉快な笑みを私達に向けるレーグニッツ知事ことマキアスパパ。なんというか、マキアスのお父さんっぽくない。まあ、私もお父さんには似ていないので人の事は言えないけど。

 そんな彼の笑みとは反対に、私はA班と泊まる場所が別だったことに少し落ち込んだ。同じ実習地ということで少しは期待していたから、ちょっぴり残念で寂しい。こんなのだったら期待しなければ良かった。

 

「課題の方は帝都庁に市民から寄せられた要望を私の方で選んだものだ。勿論、課題の進行に関しては君達の判断に任せるが――」

 

 そこでレーグニッツ知事は一拍置いた。

 

「――先に言った通り、今回の特別実習における君達の課題は帝都庁に寄せられた市民の要望――本来は帝都庁の担当部局が処理する業務を君達が代行する形となる。それを念頭に置いて行動して欲しい」

 

 続けて知事は、何らかの証明を求められた時の為に帝都庁からの正式な業務委託書も封筒の中に入っているとの事も付け加える。

 

「つまり、帝都市民から見れば俺達は帝都庁の職員と同じ――ということでしょうか?」

「ああ、そういうことだ。無論、職務中――課題の遂行を行っている時に限るがね」

 

 リィンの質問に頷いて肯定するレーグニッツ知事。

 私は唾を飲み込んだ。今回の特別実習では、私達は遊撃士の真似事をしながら実習地について学ぶ士官学院生ではなく、公務員である帝都庁職員に準じた立場であり、課題という名の”職務”に当たる事となるのだ。

 今までとは違うという、重要な責任がある”課題”に少なからず緊張する。それはみんなも同じだったようで、会議室はしんと静まり返っていた。

 

 そこに陽気な笑いが響く。この場で笑えるなんて、一人だけ。私は長卓の奥に座るレーグニッツ知事に顔を向けた。

 

「そんな気負いしなくてもいい。今までの実習のレポートを読ませて貰った上で、君達になら任せられると私が帝都知事として判断した。だから、君達はいつも通りに活動して欲しい」

 

 そう言われると少しホッとするけど、まだ見ぬ課題が楽なものになる訳でも、プレッシャーが特別軽くなる訳ではない。

 

「三日後に夏至祭を控えている今、帝都庁は猫の手すら借りたい位に人手が足りなくてね。もっと今年度の採用人数を増やす様に人事委員会に働きかければ良かったと今更だけど後悔しているよ」

「フン……景気の良い話だ」

「ユ、ユーシスさん……」

 

 流石はユーシス様といった所か、いつも通りではあるものの、この場で、帝都知事によくそんな事を言えたものだ。その隣のエマが小さな声ではあるものの慌てて止めようとしているじゃないか。

 

「ハハ、確かにそう言われても仕方はないね。つい先日も貴族院ではそういう話も出たみたいだ。耳が痛い限りだよ。だが――ふむ……」

 

 そこで少し考え始めた知事の。

 

「ここで簡単なクイズといこう。君達は帝都の人口が何人か知っているかな?」

 

 80万人――今日の行きの列車の中でマキアスが教えてくれていた。本当に凄い数だと思う。

 

「――80万人だろ?父さん」

 

 知事のクイズに答えたのもマキアスだった。何を簡単な問題を出しているんだ、とでも言いたそうだ。

 

「ああ、正解だ。一昨年の年度末の戸籍人口だね。正確には、先月の推計人口は85万5000人といった所かな」

「5万人も増えてる……」

 

 思わず私は声に出してしまっていた。たった二年前で5万人――故郷のリフージョの村の250個分もの人が増えたのだ。

 

「三十年前、私が帝都庁に入庁した時、帝都の人口は40万人足らずだった。それが今や85万人。五年後には100万人を超える勢いで今、この瞬間も増え続けている。その帝都に住まう膨大な人々の全てに、安全かつ豊かで質の高い生活を実現し、更により質の高いものへと日々向上させてゆくのが私達行政の仕事である以上、どうしても毎年仕事量が増えてゆく一方になりがちでね」

 

 そこで、レーグニッツ知事は眉尻を下げて苦笑いを浮かべた。

 

「ふふ、君達と同じく成長期真っ盛りの帝都を支える手伝いを頼むよ。私からは以上だ」

 

 

 ・・・

 

 

 帝都駅の駅舎の中を私達はクレア大尉の先導を受けて外に向かっている。

 みんなと一緒に出口に向かって歩きながらも、私はずっとある事を考えながら機会を伺っていたのだが、どうしてもあと一歩足を踏み出せないでいた。

 

 鉄道憲兵隊の兵士以外に人通りのない通路を数分程歩くと、武装した兵士に厳重に警備されたゲートを経て、巨大で立派な造りの帝都駅のホールに出る。そこにはいくつもの待合所や売店があり、沢山の人で溢れていた。列車のチケットを販売しているカウンターに並ぶ大勢の人の列の向こうに出口のドアが見えた時、もう時間的猶予が殆ど無くなっている事に気付いた。私は慌てて、考えることを辞めて、ずっと視界の真ん中に収めていた彼の名前を呼んだ。

 

「エ、エリオット君……!」

 

 前を歩くエリオット君に私は早歩きをして近づく。

 

「どうしたの?エレナ?」

 

 立ち止まって振り返ってくれるエリオット君。丁度私が追い付いた所で、彼は足を再び動かし始めた。こんな所でみんなから置いて行かれる訳にもいかない。

 

「あ……あのね……」

 

 ちょっと不安だ。嫌だって言われたら、どうしよう。一瞬だけそんな事に迷って言葉に詰まるが、すぐに意を決して口にした。エリオット君は多分、そんな事を言わないから。それに、時間もない。

 

「マキアスのお父さんが、帝都は《ARCUS》通信機能が使えるって言ってたじゃん?だからね……その……」

 

 自分でも分かるほど声が小さくなっていっている。そして、物凄く照れくさい。

 別に今までも偶に消灯時間まで二人で話したりしていた事もあるじゃないか。ただ、寮じゃなくて……実習中で二人で一緒じゃなくて……《ARCUS》の導力通信越しでってだけで……。

 エリオット君の顔を見ているのが恥ずかしくなって、私は視線を少しだけ逸らした。

 

「夜とか……話したくなったら、掛けていいかな……?」

 

 そう言い切った後は、途端に彼の反応が気になってチラチラと見てしまう。

 エリオット君は少し驚いたような顔をしていた。

 

 だけど、すぐに私の大好きな微笑みと共に「うん、いいよ」と快諾してくれた。

 

「やった……!ありがとうっ!」

 

 ああでもないこうでもないと、さっき迄悩んでいたのが嘘のよう。Ⅶ組のみんなや帝都駅を行き交う沢山の人が居るのでやらないが、二人っきりなら飛び上がって喜んだに違いなかった。

 

 離れていても彼と一緒の時間を過ごせられるというのは、それ程嬉しかった。

 

 

 ・・・

 

 

 帝都駅の前でA班の面々と別れた私達B班は、大きな駅前広場の西口にある導力トラムという路面鉄道の乗り場にいた。

 

「9時20分ってことは……後6分ね」

「ええ、そうですね」

 

 少し錆びた鉄製の停留所の標識の向こう側で、アリサとエマが《ARCUS》を片手に時刻表を見ている。

 

「少々時間があるな」

「一応、お金の準備だけしといた方がいいよ。一人50ミラ。コインのみだよ」

 

 入学式前日に導力トラムに乗った時に、お札を出したら断られた事を思い出して、みんなに言った。なんとなくだけど、B班の五人の中で導力トラムを乗った経験があるのは私だけな気がしたから。

 

「ふむ……しかし、街の中にも鉄道が走っているとは驚きだな」

「まあ、これぞ帝都って感じよね。乗ったことは無いのだけど」

「帝都は何度か訪れているが、実際に乗るのは俺も初めてだな」

 

 ユーシスとアリサはきっとどうせ、迎えのリムジンやらがあったに違いない。片や《四大名門》の東の公爵家と名高いアルバレア公爵家の御曹司、もう片や帝国最大の総合導力メーカーのラインフォルト社のご令嬢なのだから。

 

「この西回りのトラムだと、ヴェスタ通りまでは15分位の様です」

「マキアスの話では庶民的で賑やかな場所という話だったが……ここよりも賑やかな場所なのだろうか?」

 

 帝都駅前の広場を見渡してガイウスがそう呟いた。広場には駅舎のエントランスを起点に沢山の人が行き交う流れが出来ていた。あの中には私達のように帝都を訪れる人も居れば、これから帝都を発ち帝国内の各地や外国へ向かう人も居る事だろう。あの巨大な帝都駅で働いている人も居るかもしれない。それにしても駅の中も外も凄い数の人だ。

 

「その通りには出向いた事は無いからわからんな」

「ええ、そうね……ラインフォルトのお店がある事は知ってるけど……ごめんなさい」

 

 確かによく考えてみれば、ヴェスタ通りは今までの二人にはもしかしたら縁遠い場所なのかもしれない。

 

「大通りなのに駅の中みたいな感じだったよ」

「それは……凄いな」

 

 私がつい先程出くわした人集りを例にして伝えると、あのガイウスが目を見開いて驚く。

 

「そういえばお前は帝都に来たんだったな?」

「うん、ヴェスタ通りでアンゼリカ先輩と服屋さんで買い物したんだ」

 

 買い物したのは庶民的な大型の衣料品店《ルッカ》。あそこで買った薄手の生地のパーカーは、サマーセーターの代わりに今日も腰に巻いている位に重宝していた。それとは正反対に、アンゼリカ先輩が買ってくれた大きなリボンの付いたヘアバンドは一回も使ってないけど。やっぱりリボンは恥ずかしいのだ。

 

「ふむ……ならばここはお前に任せる」

「はい?」

「サボりとはいえ色々な場所を回ったのだろう。少しは俺達の役に立ってみせろ」

「ええっ!?」

 

 ユーシスが私を頼った!?

 

 まさかの大事件に私は驚きを隠すこと無く叫んだ。

 

 

 ・・・

 

 

 導力トラムに揺られること二十分程、週末ということで人通りで賑わっている帝都の西の大通りに私達は居た。

 

「へぇ、楽しそうな通りじゃない」

 

 導力トラムを降りたアリサが真っ先にそう口にした。確かにぱっと見でもこの間入った《ルッカ》ともう一つの洋服屋さん、それに加えて靴屋さんや化粧品専門店。観光客向けのグッズやアクセサリーを売ってる露店も目につく。このままショッピングに洒落こんでしまえば半日は確実に楽しめそうだ。

 

 でも、残念ながら今回はショッピングに来た訳ではない。取り敢えず、宿泊場所を探し当てるのが先決だ。ショッピングは――時間があったら、いきたいなぁ。

 それにしても、一緒に行く人というのは結構重要である事を感じる。アンゼリカ先輩の時は何故かショッピングなんてあまり考えなかったのに。

 

「ヴェスタ通り5-26-126かぁ……」

「わかるか?」

 

 辺りを見渡した私に、声を掛けてきたユーシス。

 

「まさか」

 

 私は即答した。

 

「私、自慢じゃないけど、今までこんなに数字の並ぶ住所なんて見たこと無いよ」

 

 5-26-126って数字が六つもある。5番地っていうんだっけ、いや、最後が126番地になるのかな。ってことは、最初は5番街?

 

 きっとユーシスには「使えない奴だ」だの言われると思ったが仕方が無い。だって全くもって分からないのだから。ちんぷんかんぷんだ。

 

「フン、奇遇だな。俺もだ」

「ええ……私もです」

「オレもだな」

 

 珍しくユーシス様と私の意見が一致したばかりか、エマとガイウスも続いて同意してくれた。

 

「あなた達ねぇ……実家とかの住所どうしてるのよ」

 

 それに対しての呆れ顔のアリサ。

 

「だって、実家はアゼリアーノ酒店・リフージョ・サザーラント州で届くし。住所なんて書いたこともないよ」

 

 通りの名前も番地も書いたこともないし、ぶっちゃけ分からない。故郷のリフージョの村には”アゼリアーノ酒屋”は一つしか無いし、郵便の配達員のおじさんも一人だけで、それも常連客だ。

 きっとアリサやエリオット君なんか長ったらしい住所を手紙に書いてきたんだろうなぁ。そう考えると、少し得した気分になる。これぞ辺境の田舎者の勝利だ。

 

「オレも同じようなものだな。父の名前とノルド宛である事を書いておけば問題無く届く」

「トーマ君が郵便を運んでいるんですよね」

 

 トーマ君っていうのはガイウスの弟、なんでもシャルちゃんっていう国境門に住んでいる帝国人の女の子と仲が良いらしい。先月の特別実習から帰って来た後にアリサとエマから可愛らしい話を沢山聞いた。

 

「……で、ユーシスは?」

 

 アリサの視線がユーシスに向けられる。そして、彼の口から出た言葉は、衝撃の一言だった。

 

「手紙なんぞ公爵家の印璽のみで届く」

「凄っ!?」

 

 本当に上には上がいるという事を痛感させられる。

 ちょっと得意気になっていた私の鼻を、ガイウスとユーシスは丁寧かつ即座に折ってくれた。

 私が”店・村・州”と書くところをガイウスは”名前・ノルド”、ユーシスは印璽のみ。

 

「……まあ、なんとなく想像は付いたけど」

 

 アリサが呆れるような仕草をする。

 

「仕方無いです。ここはアリサさんが……」

「そうだよー、この五人の中で都会育ちはアリサだけなんだから」

「うっ……」

 

 アリサは意を突かれた表情の顔を、少し赤くして逸らす。

 

「……住所なんて分かるわけ無いでしょ……私だって……」

 

 そこから先は声がフェードアウトしていって聞き取れなかったが、なんとなくは分かる。

 この子は生粋のお嬢様なのだ。

 

「フン……大方そんな所だと思っていたが」

「え……私達、迷子?」

「と、とりあえず、人に聞けば分かるかもしれませんし……!」

 

 帝都出身者のマキアスとエリオット君の居ない私達B班は早くも前途多難であった。ユーシスはハンデを与えてやったなんてマキアスに豪語したけど、これはちょっとばかり大きすぎるハンデな気がした。




こんばんは、rairaです。

さて、今回は7月24日、第四章の特別実習の一日目の午前中となります。
学院長の処分によって、奉仕活動の一部という名目でまさかの生徒会入りを果たしてしまいました。トワ会長のお仕事をちょっとでも…って、エレナの場合は増やしそうですね。

原作をプレイしていてよく思うのが、特別実習のアンバランスな班割りです。ゲーム的都合なので仕方無いとは思うんですけどね!
本当は九人揃って行動したいんですよね。旧校舎の方も人数制限があるし…うーん。

次回は同じく7月24日の午後、特別実習の課題のお話です。とある人物と再会する予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月24日 再会と遭遇

 見かけによらず親切に教えてくれた露店でアクセサリーを売るお兄さんのお陰で、やっと私達は宿泊場所に辿り着くことが出来ていた。

 彼の言葉通りに大通りをちょっと進んだ先にあったのは、賑やかな大通りに面しているのにお店の全く入ってない三階建ての立派な煉瓦造りのビル。遊撃士協会の帝都西部支部が昔入っていた建物だという彼の話も本当で、鍵を開けて中に入ると大きなカウンターと遊撃士協会の『支える籠手』の紋章が壁にかけられていた。

 因みにこの建物は現在は帝都庁の管理下に置かれている様で、私達が宿泊場所として問題無く使えるようにしっかりと準備も整えられており、帝都知事であるマキアスのお父さんの用意周到さが窺えた。

 

 宿泊場所を確認出来た私達は、ユーシスの『帝都に不慣れな俺達は、自分たちの担当する街区がどのような場所なのか知る必要があるだろう』という提案から、取り敢えず課題を遂行するついでに担当する街区を一通りしている。

 幸いな事に、ヴェスタ通りの書店で購入した帝都の地図のお陰で、最初は迷いに迷った住所表記もエマがしっかりと把握して指示を出してくれる様になり、先程完了した依頼の報酬として貰った帝都の観光客向けガイドブックの情報も併せて、ある程度の街区の情報も手に入れている。

 当初はどうなる事かと思ったが、帝都出身者のいないハンデのある私達B班もやっとそれなりに特別実習をこなすことが出来そうだった。

 

 ヴェスタ通りからヴァンクール大通りを経て、今私達が居るのは皇宮前のドライケルス広場。つい先程ここでA班のみんなとばったりと二時間程振りに顔を合わせていた。

 もうA班のみんなはトラムに乗って他の街区に行ってしまっているが、エリオット君の提案で今日のお昼はみんなで一緒にランチにすることとなり、ちょっと楽しみだったりする。

 

「き、君は!」

「え――?」

 

 そんな事を考えながらドライケルス広場の記念碑を見上げていた私は、誰かに声を掛けられて後ろを振り返った。

 

「ああ! もしかしてと思ったけど、やっぱりだ! 僕の天使――運命の人じゃないか!」

 

 は――天使? 運命の人?

 皆の視線が私に集まるのを感じる。目の前の男は、まるで私を女神様の聖像と勘違いしていそうな位だ。こんな変な人とどこかで会っただろうか。

 

「エレナさん……この人、確かバリアハートの……!」

「あ……あー! アントンさん!」

 

 エマのお陰で、頭の中で記憶がしっかりと結びついた。

 

 

「……遭難だと? オーロックス砦でか?」

「ええ……そうなんです」

「そんな話も聞いた気がするわね……」

 

 あの場にいたエマの話を聞いたユーシスが俄に信じ難いとでも言いたそうな顔をして聞き返す。アリサはアリサで、五月の特別実習の私とエマの居たA班のレポートを思い出したようだ。

 

「あの時とメンバーは違うんだね。あ、そっちの眼鏡の子は見覚えがあるけど――」

 

 アントンさんの視線がアリサに、そしてエマへと移る。なんか、二人を見る時に鼻の下を伸ばしてた様な気がした。

 

「――それにしても、エレナちゃんは髪結んでるのも可愛いなぁ……クールな帽子もエクセレントだよ!」

 

 再び私に彼の目が戻って来る。

 褒められるのは嫌じゃないけど、ちょっとベタ褒め過ぎじゃないだろうか。私の隣には確定で二人程、もっと可愛い子がいるというのに。

 

「ああ! とにかくまた会えて嬉しいよ! この異国の地で君に助けを差し伸べられた運命の出会い――そして、このヘイムダルで再会できるなんて!」

「あはは……」

 

 大袈裟な言葉を次から次へと連ねるのアントンさんには、流石に乾いた笑いしか出ない。悪い人では無いんだけど、やっぱり生粋のポエマーなのだろうか。

 

「異国だと? お前たちは外国人なのか?」

 

 ユーシスの疑問に答えたのは、アントンさんでは無かった。

 

「ああ、そうだとも。僕達はリベール王国から来た旅行者さ」

「ほう……」

 

 ゆっくりと相方を追ってこちらに歩いて来たリックスさんが応え、ガイウスが興味深そうに感心する。

 

「リックスさん、お久しぶりです」

「やあ、また会ってしまったね」

 

 彼はアントンさんの相棒なのに、性格面は対照的かも知れない。リックスさんのニヒルな笑みを浮かべる顔を見てると、そう感じてしまう。

 バリアハートでも同じ事を考えていた。

 

「……うっ……」

「あれ、アントンさん? ――あ……あの、どうかしました?」

 

 私は先程から静かになったアントンさんに目を向けると、そこには目を潤ませてワナワナと肩を揺らす彼がいた。

 

「いや……感極まって……!」

 

 え?

 

「やっぱり僕は二年も待てないよ! だって、この再会も運命のようじゃないかい!? だって君は優しくてまるで天使のようで……! それに、リベールに縁のある子で……!」

「縁?」

 

 アントンさんの言葉にアリサが不思議そうに首を傾げた。

 

「ああ、だってエレナちゃんのお母――」

 

 不味い――咄嗟に大声を出してアントンさんが言おうとした言葉を私は遮る。

 そして、言い訳のように必死に続けた。

 

「私の故郷の村がリベールとの国境沿いにあるの! それが縁!」

 

 わざとらしいかもしれないのは重々承知、それでも私はまだ話すつもりはない。

 

「どうしたのよ? そんな大声出して」

 

 訝しげな顔をしたのはアリサだ。少し呆れも混じっているかも知れない。

 

「確かに前にそんなことも……」

「入学式の時だったか、帝国南部の海沿いと聞いたな」

 

 この班の良心ともいうべき二人の反応に安堵する。しかし、その隣のユーシスは何時になく鋭い視線を私に向けていた。

 何も言われていないのにまるで見透かされたようなその眼差しに耐えられず、私は顔を逸らしてこの状況に陥った原因のアントンさん睨んだ。

 

「ヒッ……ぼ、僕、なにか悪い事したかい……?」

 

 私なんかに睨まれた位でおどおど怯えるアントンさんに、慌てていつも通りに戻す。やり過ぎたかも知れない。そういえば彼は些細な事でも一喜一憂してしまう性質だった。

 

「フン……」

 

 落ち込んでしまったアントンさんに、他意は無いという表向きの言い訳を必死に伝える私の背中からユーシスが鼻を鳴らした。

 

 

 ・・・

 

 

「えっ、そうだったの!?」

 

 待ちに待ったⅦ組全員でのランチの席。大方食べ終わった頃合い、隣に座るエリオット君が口にした言葉に私は驚きの声を上げた。

 

「あはは……やっぱり驚くよね?」

 

 苦笑いを浮かべるエリオット君。

 

「エリオット君のお父さん、軍人だったんだ……」

「まあ、それ程不思議なことでは無いんでしょうけど……」

 

 アリサの言う通り不思議なことではない。帝国が大陸最強の兵力を有する国家である以上、それだけ軍に勤める人は多いのだから。

 ただ、マキアスの次の言葉は想定外過ぎた。

 

「それにただの軍人じゃないぞ。帝国正規軍で最高の打撃力を持つと言われる第四機甲師団のオーラフ・クレイグ中将――通称《赤毛のクレイグ》だ」

「《赤毛のクレイグ》……中将って……!?」

 

 思わず私はさっきより遥かに大きな声で叫んだ。

 気付けばこの場の全ての視線が私に集まっていた位。慌ててカウンターのお客さんとコックさんに頭を下げて、この場が帝都最大のデパート《プラザ・ビフロスト》の喫茶スペースであることを思い出す。

 隣のテーブルに腰掛けるユーシスが「煩い」という一言を、フィーはジトッとした視線を送ってきていた。

 

 因みにラウラとフィーが向かい合って座るあちらは、何かと複雑な空気の様だ。それはもうリィンとエマの顔で良く分かる。

 何かと運が無い私だが、今回はしっかりエリオット君の隣に座れて本当に良かった。こちら側に呼んでくれた彼にちょっと感謝かな。

 

「うわー、凄いね……中将さん、か……」

 

 エリオット君のお父さんが軍人である事にも少し驚いたけど、そのお父さんが正規軍の将官である事に一番の衝撃だった。

 

「ほお……ゼンダー門のゼクス中将と同じなのか」

「中将ってことは、お偉いさんの中のお偉いさんよね」

 

 とガイウスとアリサ。

 今思えば、ちょっと聞き覚えのある位有名な名前だ。何故今まで気付かなかったんだろうと考えながら、私は苦々しく笑う隣のエリオット君の横顔を眺めた。

 

「……流石に僕とは結びつかないよね」

 

 こっちを向いて、自虐的な色の表情を浮かべる。

 私もお父さんには似てないけど、なんていう無神経な言葉は寸前で喉の奥に飲み込んだ。なんだかんだいってエリオット君は男子なのだ。となれば、そんなことない、と否定すればいいのか、それとも逆に肯定すれば良いのか。

 数パターンのシミュレーションを頭の中でこなすものの、結局、私は何て声を掛ければ良いのか分からなくて、上手く彼をフォローすることなく話を少し逸らした。

 

「……でも、だからかー、エリオット君がナイトハルト教官とよく話してるのは知ってたんだけど」

「なるほどね。確かナイトハルト教官って……」

「第四機甲師団のエースだったな……だからこそ、あの厳しさか……」

「ああ……とても厳しかったな」

 

 ガイウスとマキアスが明後日の方向に視線を向け、それにエリオット君が頷いて乾いた笑いを小さくこぼした。

 

「厳しいけど何だかんだ優しい人だよね。厳しいけど」

 

 まあ、厳しいことは私も全くもって否定出来ない。

 

「……あれ、ってことはエレナもナイトハルト少佐と話すの?」

「うん。ナイトハルト教官、私のお父さんの事も知ってるみたいで。結構前々から――その……よく注意されるんだよね……」

 

 自分で言ってて悲しくなってくる。そう、つい一昨日辺りにも先週サボった件で怒られた。

 一番最初は軍事学の授業中に寝ていたことについてを次の日呼び出されて怒られたっけ。あの時は『この人、案外ネチネチしてるなぁ』とか思ったけど、お父さんの名前を出された時にはぶったまげた覚えがある。

 詳しくは教えてくれなかったが、ナイトハルト教官が軍に入りたてでまだ若かった頃、どうやら私のお父さんに指導して貰った時期があるみたいだ。

 

「案外、世間って狭いのね」

「フフ、もしかしたら二人のお父上同士も知り合いだったりするのかも知れんな」

 

 ガイウスの何気ない言葉に、私とエリオット君は顔を向き合わせて数秒の間固まった。

 

「な、ないない。うちのお父さんはそんな偉くないし!」

 

 エリオット君のお父さんは《赤毛の――》なんて渾名で呼ばれる程の有名な軍人さん。階級だって中将という将官であり、第四機甲師団の師団長。

 一介の下級士官である尉官に過ぎない私のお父さんとは天と地程の大きな差がある。第一、うちのお父さんは第四機甲師団に所属していないし、将官と知り合いなんてまずあり得ない気がする。

 

「でも、そういえば……エレナのお父さんってガレリア要塞に居るんだよね……?」

「第四機甲師団といえばクロイツェン方面、東部国境に配属される精鋭部隊だぞ。東部国境といえばガレリア要塞じゃないか」

 

 マキアスの言う事は最もだ、そして説得力もある。

 それで、ナイトハルト少佐と昔から知り合いってことは――そう続けて考えこむエリオット君に、私は第四機甲師団ではないという証拠にまず帽子を見せた。

 

「これ、第十一機甲師団の帽子!」

 

 そして、スカートのポケットから生徒手帳を取り出して最後の緊急連絡先の欄を見せる。

 お祖母ちゃんの綺麗な字で、実家のお店とお祖母ちゃんの名前の下に、お父さんの名前と所属が書かれていた。

 

「ほら、ここ! 帝国正規軍ガレリア要塞守備隊第三中隊長、ルカ・アゼリアーノ中尉って!」

 

 

 ・・・

 

 

 ヴァンクール大通りにある帝都庁の第二庁舎を訪ねた私達は、そこで初老の水道局長から今日一番の大仕事となるであろう依頼について詳細な説明を受けた。

 

 私達の仕事場所は、帝都南部の中央部に位置する帝都駅の地下から北西部方面に伸びる地下水道。帝都駅からヴェスタ通り迄の概ね直線距離で約30セルジュの区間だ。

 仕事内容は導力灯や設備の点検と魔獣の駆除。導力灯に関しては交換も請け負う。

 

 なんでも春先に水道局員が設備点検に内部に入った所、手配魔獣クラスの危険な魔獣と遭遇した為に、現在は厳重に封鎖されているのだという。

 数か月も放置されている事に最初は少なからず驚いたものの、れっきとした理由があった。この都心部の地区は近年完成した導力技術を用いた新しい水道網が供用されている為に、既にこの中世時代の地下水道自体が利用されていないのだ。

 なのにもかかわらず、何故今ここの設備点検を行うのかというと、古い地下水道自体の管轄が近々帝都庁の中で変更になる為。

 

 新しい管轄は帝都庁の交通局。導力車の交通量が今後更に増えれば路上を走るトラムが邪魔になる可能性があり、交通局はそれに替わる新しい交通網として地下に鉄道を建設する計画を推し進めているらしい。アリサもラインフォルト社の計画で聞いたことがあると言っていたので、本当の話なのだろう。

 

 それにしても、導力トラムじゃ飽き足らず、地下にまで列車を通すなんて帝都は本当に私達の発想を超える街だ。

 私達は帝都の地下鉄道建設の最初の一歩をお手伝いするというある意味では大任を任されて、帝都駅の地下から地下水道に入ることとなるのだが――。

 

 

 私のライフルに取り付けられたライトの光が、今まで戦ってきた魔獣の最期の姿を照らす。

 軟体表皮をズタズタにされた大きなドローメが体内の発光を失うと共に力尽き、その体を維持出来なくなったのか流れの弱い水路へとゆっくりと溶けてゆく。

 

「フン……手間を掛けさせる」

 

 止めを刺したユーシスは、肩で息をしながらドローメの体液まみれの剣を払った。

 

「やったわね……。でも……」

 

 アリサが後ろ、暗闇に染まる来た道を振り返った。

 

 巨大ドローメと遭遇したのは、水道局長から借りた水道網図によると私達の担当区間の終わり、丁度ヴェスタ通りの街区に入った所だった。最初はそこで戦っていたのだが、途中からドローメが逃走を図り奥に逃げてゆくものだから、私達も追わざるを得なくなったのだ。そして、やっとのこと追い付いて倒せたという訳だ。

 

「来た道を戻るのは骨が折れるな」

「指定された場所までの点検作業も終わってるし、あいつもちゃんと倒したし……依頼内容はもう終わっているから、近くで地上に出れる場所があると良いのだけど」

「そうだな。委員長、ここがどこだか分かるか?」

「それが……」

 

 小さな導力灯の明かりで帝都の水道網図を見ていたエマが首を横に振る。

 彼女によると、ヴェスタ通り迄はこの地下水道内の壁に等間隔に番号が記されていたのだが、見渡す限りこの近くにはそれが無く、場所を特定する事は出来ないとのことだ。

 

「あの扉の記号とかは無いの?」

 

 私はライフルのライトを五アージュ程先にある頑丈そうな鉄製の扉に向ける。光りに照らされたその扉は余り錆びてはおらず新しそうな感じだ。いや、もしかしたら材質が元々錆びにくい金属製なのだろうか。いずれにしても中世期に設置されたものではないのは確かだ。至るところが傷ついている壁面と比べると綺麗過ぎて違和感がある。

 それにしても、何気に私達とドローメの戦いは激しい物だったらしい。煉瓦の壁面には明らかに銃弾が当たった弾痕や、強力な火属性アーツの高温に晒されてガラス化した跡等の戦闘痕が多数見て取れた。弾痕に関してはあまりの多さで、自分の腕の悪さに落ち込みそうになる。

 

「無いですね……それがあれば楽だったのですけど」

 

 どうやら帝都庁水道局のお仕事は結構適当みたいだ。いやまあ、この区画はもう利用されていない場所なので、仕方が無いといえば仕方が無いのだけど。

 

「ただ、走った距離から考えると――ヴェスタ通りの先の街区に入っているかも知れません」

「戻るとなれば二十セルジュは見たほうがいいな」

 

 エマとユーシスの分析にアリサと私は溜息を付いた。

 

「ふむ……」

「ガイウス?」

「そっちは行き止まりだぞ」

 

 徐ろに鉄製の扉の方へと足を進めるガイウスに、怪訝そうな顔を向けるアリサとユーシス。

 ガイウスは二人の声を意に介する事無く、鉄製の扉の前に立ち、その脇の壁面から仰ぐように上を見上げた。

 

「皆、これを。僅かだが確かに地上への風の流れがある」

 

 そこにはかなり古いそうな錆びた梯子が取り付けてあった。

 

 

 ・・・

 

 

「ここは……?」

 

 梯子を登り久し振りに地上へと出た私を出迎えたのは、夕日の茜色に染まる大聖堂の荘厳な姿だった。

 見上げれば首が痛くなりそうな程高い巨大な二つの塔が夕空に高く伸びている。

 

「《ヘイムダルの白い塔》か」

「これが帝都の大聖堂か……」

「……」

「相変わらず立派ね。ここは大聖堂前の広場の様だけど、それにしては誰も……」

 

 周りを見渡してもこの大聖堂前の広場には人っ子一人居ない。そればかりか、通りとの間に設けられている鉄柵の門は閉じられている様に見えた。人の気配が全く無いこの空間は、まるで時間が止まっているかのように静かで、神聖な筈にも関わらずどこか不気味さすら感じさせた。

 

 そんな静寂を打ち破ったのは、遥か頭上から帝都の夕空に鳴り響いた大聖堂の鐘の音。午後六時の『お告げの鐘』だろうか。辺りに誰も居ない中、何度も続け様にハーモニーを奏でる鐘に私達は聞き入ってしまっていた。

 

「ほお……なかなかどうして、懐かしい所から出てくるじゃないか」

 

 女の声だ。少し低く、落ち着いているような響き。誰も居なかった筈なのに、いつの間にか大聖堂の建物の近くの木陰により掛かる人影があった。

 

「シスター……さん?」

 

 被り物の中の顔付きは整っており、髪は薄茶色で瞳も同じく茶色。多分、三十代半ば位だと思う。

 そこまで観察した所で、私は思わず彼女の右手にある煙草に気付いた。私は彼女の身を包んでいる七耀教会の修道服と首に掛けられた星杯のメダイ、そして、火の付いた煙草を交互に見る。

 

 次に彼女の顔に視線を戻した時、広場に差し込む茜色の夕日のせいか彼女の瞳が赤く輝いた様に見えた。

 

「フッ……観光客ではないな。見たところ学生のようだが、残念ながら本日の拝観時間は終わっていてね――お引取り願おうか」

 

 確かに夕方ではあるが、今日は土曜日。これだけ大きな教会に夕方のミサが無いとは考えられない。

 そして、本当に目の前の女はシスターなのだろうかという疑問。教会のシスターらしくもない話し方、なにより煙草の煙を吐き出す彼女の姿は、私の知る修道女の姿ではない。

 だけど、私の口から声が出ることはなかった。大聖堂の巨大な存在感と思っていたものが、まるで彼女から感じられる様な気がしたから。

 

「解せんな。帝都には夕方のミサは無いのか?」

 

 この空気の中、彼女に噛み付けるユーシスは流石だ。それに私は心強さすら覚えた。

 小さく含みのある笑いを浮かべた彼女はゆっくりと、しかし綺麗な動作で煙草を持つ右腕を上げ、ある方向を指す。

 大聖堂の建物の角。やはり誰もいないし、何も無い。

 

「それはあちらの兵隊に聞くといい――」

 

 そんな彼女の声の直後、今度は違う叫びが辺りに木霊した。

 

「お前達、そこで何をしている!」

 

 大聖堂の角から、鉄道憲兵隊の軍服に身を包んだ兵士二人が大声を上げて駆け寄ってきた。

 

 結局、大聖堂の中にいたクレア大尉のお陰ですぐ開放されるのだが、それ迄の数分は広場で二人の鉄道憲兵隊の兵士の取り調べを受けざるを得ない。

 持っている武器が一番武器らしかった為か、彼らに真っ先に武装解除された私は、兵士の来る方向を指したあの変なシスターに恨み節の一言でも言ってやろうと木陰を見る。

 でも、その時には忽然と姿形も無く消え失せていた。

 

 

 ・・・

 

 

 三階建ての旧遊撃士協会支部からは、まだそれなりに賑やかな夜のヴェスタ通りが望める。

 故郷のリフージョの村でも、トリスタの寮からも聞くことの出来ないこの賑やかな音は、都会の喧騒というのだろうか。

 

 私はしゃがみ込んで《ARCUS》に付いている時計の文字盤を見ていた。

 丁度今さっき午後十時を過ぎた所。もう大丈夫だろうか、いやまだだろうか。

 

 私達B班がヴェスタ通りの大衆食堂的なレストランで晩ご飯を食べたのは七時頃。この建物に帰って来たのが八時。そのまま一日目のレポートを軽く皆で纏めてシャワーを浴びて……つい十分程前には私はこの建物の屋上に来た。

 でも、やっぱり九時台ではA班がまだ活動をしている可能性もある。そう思うと邪魔する訳にもいかなくて、少しの間、時計の文字盤の時針が次の数字を指すのを待つことにしたのだ。

 

 そして、もう十時を過ぎた。

 

 出来ればエリオット君が一人でいる時がいい。いや、別に聞かれて困る話をする訳では無いけど、リィンや他の人達に聞かれるのは、それはそれでちょっと嫌だ。

 彼にはいつでもかけていいって言われてはいるけど、どうしても抵抗がある。向こうはもしかしたら先程までの私達みたいにレポートを書いているかもしれないし――いや、でも、流石にもうそろそろ寝る時間だし――でも、果たして特別実習中に一人になれる時間なんて――思考がグルグルと回り、堂々巡りを繰り返す。

 

 考えこんでもダメだ。答えの出ない自問自答を繰り返した後に、私は意を決して《ARCUS》の蓋を開いて耳にあてがう。

 規則的な呼び出し音が続く――でも、そこからエリオット君の声が発せられる事は無かった。

 

 もしかして彼はシャワーでも浴びてたりするのだろうか。それとも、まだレポートを纏めてる?

 最悪の場合――もう寝てしまったのかも知れない。私との約束の事なんて忘れてしまったのかも――いやいや、エリオット君に限ってそれはありえない。ハードな特別実習で疲れて寝てしまったのだろう。私や彼の様にあまり体力があるとは言えない人間にとっては、特別実習は結構辛い時もあるのだ。そう、信じてる。

 ……でも、そうであっても起きてて貰えなかったのは、私にとってはショックで、とても寂しかった。

 

 やっぱり十時なんて待たないで屋上に来た時に通信を掛けておけば――そんな後悔の念に思わず《ARCUS》を強く握る。

 話したいのに、声が聞きたいのに。期待していた様にならなかったことに、私は酷く落ち込んだ。

 強く握りすぎて手のひらに痛みを感じたその時、まるで願いが届いたように《ARCUS》から電子音が鳴り、心臓が跳ね上がる。

 

 エリオット君だ!きっと、私が掛けた時に出そびれてしまって、すぐにかけ直してきてくれたんだ!

 

 私は今までのどんな戦闘よりも早く《ARCUS》を開いて、直ぐ様通信機能をオンにした。

 喋る前に小さく呼吸を落ち着かせてから、あくまでゆっくり普段通りを意識して《ARCUS》のマイクを通じて彼の名前を呼ぶ。

 

「――も、もしもし……エリオット君……?」

 

 もうさっきからずっとドキドキしっぱなしだ。その上、悪い事をしている訳ではない筈なのに、今になって後ろめたいことをしているような気分でもある。

 

<――あ、エレナ? さっきはごめん――>

 

 《ARCUS》の小さなスピーカーが発するエリオット君の声に、私は気持ちが一気に昂ぶるのを感じた。だって、嬉しくて嬉しくて仕方が無いんだもの。

 

 今日、彼はA班の皆とは別に実家に泊まるようだ。先程までお姉さんと話をしていて、今は自分の部屋で一人なんだとか。

 私も旧遊撃士協会支部の屋上で、周りには誰も居ない。導力波を通じてだけど二人っきりだ。

 まあ、ヴェスタ通りは酒場が多いので偶にちょっと通りの方が煩かったりするけども、建物の中だと絶対にアリサ達にバレてしまうだろうから、それは諦めるしか無いだろう。

 

<――聞いて欲しい話があるんだ――>

 

 今の現状の話題が一区切り付いた後、エリオット君が嫌に真剣な声で切り出したのは、彼が士官学院に来た理由。そして、”将来の夢”の事。

 

 全てを聞かされた後、私は激しい自己嫌悪に襲われた。

 

 私は彼の事に全然気付かなかった。自分が甘えるだけの一方通行で全然彼のことを考えていなかった事を思い知らされたのだ。そういえば、今思えば私がサボって帝都に向かった日の辺りから、少し違和感を感じた事もあったかも知れない。

 でも、現に今日彼に言われて私は初めて気付いたのだ。それまでは、彼自身の事なんて考える気も無かったのかも知れない。

 結局、私は都合良く自分を甘えさせてくれる人に構って欲しかっただけだというのを突き付けられたのだ。

 

「ごめん。私、全然気付かないで……ブリオニア島で励まして貰った時も、今迄も、私、酷い事言ってたね」

 

 初めての特別実習の晩ご飯の席での彼の顔、ブリオニア島の夜の海での否定的な彼の瞳、やっと今、その理由が分かった。

 

 エリオット君は軍人のお父さんに、音楽院に入ることを反対されたのだから。

 私はそんな彼の境遇も知らずに、将来の職業への夢は無いからお父さんと同じ軍に進むと話した。今思い浮かぶのは、自分の事なのにはっきりと答える事が出来ないで逃げるように冗談に走った私に、固い表情を続けるエリオット君の顔。

 

「でも、僕も励まされたから」

「え?」

「あの時は、まだまだ迷ってたんだ。でも、エレナは僕なら大丈夫って言ってくれたでしょ?他愛もない言葉かもしれないけど、僕には嬉しかったんだ」

「そっか……そっかぁー、えへへ……」

 

 先程までの罪悪感が嘘のよう、熱を帯びた頬が緩んで緩んで仕方が無かった。

 きっと今、誰かが見たら確実に”気持ち悪い”って言われるに違いない顔をしている。一人っきりになれる場所に来ていて良かった。間違ってもアリサ達には見せれない。ユーシスなんて以ての外だ。

 

 一言でこんなに私を幸せにしてくれるなんて。ああ、もう、どうして私はこんなに単純なんだろう。

 

 

「そっちも地下道の魔獣退治だったんだ」

 

 話題は今日の課題の事に移っていた。いつもは学院からの帰り道や晩ご飯の後に寮の部屋で話す様な感じ、帝都にいてもこんな話が出来るのはやっぱり《ARCUS》様様だ。

 

<――ってことは、エレナ達も?――>

「うんうん、駅からヘイムダル大聖堂までかな」

<――こっちはガルニエ区のホテルからだったんだけど……そうそう、聞いてよ。そのホテルであの《蒼の歌姫》に逢ったんだ――>

「《蒼の歌姫》ってあのオペラ歌手の?」

 

 聞き返した私を肯定するエリオット君は、そのまま彼女に『実習の課題を頑張って』と言われたと嬉しそうに続ける。

 なんだろう、ちょっと面白くない。

 

「……ふーん……」

 

 次に私の口から出た言葉は、思ったより冷めていた。

 元々オペラにそれ程興味が無いからかも知れない。でも、エリオット君は音楽好きだしオペラにも思う所があるのだろうか。そう考えると、少しはこの話題にも乗っておくべきだと思えて、次はこの間読んだファッション雑誌のインタビュー記事の話題を話すことに決めた。

 

<――よく雑誌の表紙とか見てたんだけど、やっぱり本物はずごい綺麗な人で――>

 

 嬉々として《蒼の歌姫》の話を続けるエリオット君の声に、私は次に話そうとしてた話題を放り捨てる。

 私は今、ヴィータ・クロチルダの事がとても嫌いになった気がした。

 

<――って、あれ?エレナ?――>

「……エリオット君ってヴィータ・クロチルダの事、とっても好きなんだなぁーって思って」

<――――>

「……そっ」

 

 次にエリオット君が言った言葉に、私は小さく息を吐く。

 そこからはどうしても話が長続きせずに、気付けば諦めたように私は「そろそろ寝よっか」と口にしていた。

 

 通信を切った後、《ARCUS》の時計の文字盤に目を落とす。今の時刻は十一時半過ぎ――。

 

 

 部屋に戻った私はアリサとエマにひと声かけて、真ん中のベットに思いっきり体を沈めた。既にパジャマに着替えているから、このまま寝てしまっても問題無い。

「こらっ。そこ、私のベッドなんだけど」って文句を言うアリサの声を無視して、そのまま枕を抱いて私は目を閉じるのだった。

 

 エリオット君のばーかっ。




こんばんは、rairaです。

さて、今回は7月24日、第四章の特別実習の一日目の続きとなります。

四章特別実習は出来れば原作で描かれなかった部分に重きを置きたいと考えているので、一日目はかなり色々と詰め込んでいます。
まずはアントン&リックスとの再会。彼らは後程大きな役割を担うかも知れません。

ヘイムダル大聖堂のお話は、四章がB班視点と決めた時からこれしか無いと思っていました。彼女は四章のゲストキャラクターになります。

それにしても、マキアスとエリオットはヴィータ・クロチルダに夢中すぎですよねー。終章、彼女の正体を知ってどうおもったのでしょうか…。苦笑

本当はアリサもリィンと《ARCUS》で通話していたおまけ付きだったのですけど…更新直前で真夜中にリィンがラウラとフィーにフルボッコにされてしまっていた事を思い出してカットしたりしています。二日目におあずけですね。

次回は7月25日、特別実習の二日目のお話です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月25日 小さな異国の館

 帝都の西の繁華街であるヴェスタ通りから導力トラムで五分、距離は三十セルジュ程。

 帝都都心方面へ向かう対向線のトラムの車両が朝の通勤客でこれでもかという位に寿司詰めになっている光景に目を見開くこと数回、対向線を走る車両とは対照的に乗客は少ない私達の乗った来た西回りのトラムは、サンクト地区の停留所へ到着した。

 

 昨日の夕方にも小さなアクシデントから少々歩くこととなったサンクト地区ではあったものの、こうして街を歩いてみると夕方と朝ではまた印象も変わる。

 

 帝都北西部のサンクト地区は《帝都の白い塔》こと七耀教会ヘイムダル大聖堂を有する街区であり、ここからでも朝日に照らされる大聖堂の白い二つの塔を目にすることが出来る。もっとも、大聖堂は昨日の午後から夏至祭の行事の準備という名目で閉鎖されており、今日の私達の用事はまた別の場所だ。

 

 ヴェスタ通りの賑やかなメインストリートから続く通りは、この街区に入る頃には完全にその雰囲気を落ち着かせており、西側が少し小高い丘となった閑静な住宅街という印象だ。

 街路樹がしっかりと整備された通りに面する建物は大きく、それぞれがしっかりとした高級感を漂わせる。近くで見れば見る程、それらは特別な空気を感じさせる。

 

 ここは所謂、帝都有数の高級住宅街。帝都在住の貴族や政府官僚に軍高官、大企業の役員等が多く私邸を構える街区でもあるのだ。その他にも女学院といった上流階級の子女の通う教育機関や――

 

「着いたか」

「ええ、ここですね」

 

 最早、私達の案内人とでも呼べそうな地図係になってしまったエマが、地図を確認して頷く。

 

 しっかりとした石造りの門構えにしては中の建物は思ってたより小さい。敷地内に沢山植えられた針葉樹の木によって建物迄の道は林道の様で、まるで森の中に佇むお屋敷の様に感じさせた。

 

 そして、鉄柵の門に掲げられていた見覚えのある紋章に目が吸い寄せられる。

 

 ここが…。

 

 二日目に用意された課題の内容を見た時、私は驚きの余りに眠気が一気に吹き飛んだ。

 依頼内容は『とある人物についての所在確認調査』。どちらかといえば帝都憲兵のお仕事なのではないかという気もするが、仕事内容自体は何も問題はない。

 

 ただ、私にとって問題だったのは依頼主だった。

 

「――リベール王国大使館ね」

 

 アリサの声に私は唾を飲み込む。

 

 在エレボニア帝国リベール王国大使館――そう、私の視線の先にあるシロハヤブサを象った国章の下に記されていた。

 ここは私のお母さんの母国である国の、帝国における代表のいる場所だった。

 

 そして、私はここに来たことがある。初めてこの帝都ヘイムダルを訪れた時に。

 

 もう一度唾を飲み混んでから、意を決して私は足を踏み入れた。

 

 

 ・・・

 

 

 私達は大使館の二階にある一室に通され、そこで今回の依頼の担当者を待っていた。

 外国の大使館の個室なんて私のような一般人にとっては滅多に入る事は無さそうな場所ではあるが、何故か想像通りの質素な部屋だった。但し、質素ながらも気品を兼ね備えている辺りが、この館の主である国柄を象徴しているのだろう。多分、帝国の建物であればこうはならないと思う。

 

 この部屋に通されてから、私はどこか落ち着かなかった。

 向かいの壁に掛けられた絵に、何故か見覚えを感じたのだ。白い街並みが特徴的な港町が水平線に沈む夕日に照らされる情景が描かれた絵画。

 

 一体、何故――この建物の玄関や入ってすぐの窓口、二階に上がる階段――そのどれもがどこか見覚えがあった。間違いなく私はここに来ている。

 だけど、私の両親は何の為に私をこの場所に連れてきたのか。

 

「お待たせしてしまってすまない。今日は人が出払ってしまって忙しくてね。僕が担当の者だ」

 

 ソファーに腰を掛けていた私達は立ち上がり、彼に会釈をする。

 

 一瞬、私の事を知っている十三年前に会った人が来ることを危惧し、心臓が跳ね上がった。しかし、目の前の大使館員の男性は明らかに二十代後半位、お役人さんにしては体格は良いが十三年前も働いていたとは考え難い若い人だった。

 

 流石に、私の考え過ぎかも知れない。普通に考えれば、十三年前、三歳の私を一度見ただけで、今の十六歳の私と同一人物だと判断するなんてまず無理だ。

 やっとそんな当たり前の事に気付く程余裕を失くした自分が、急に馬鹿らしくなった。

 

「さて、今回私達から――」

「あの……その前に一ついいですか?」

 

 アリサが申し訳無さそうに遮ると、大使館員は「ああ、いいとも」と気の良さそうに返してくれた。

 

「ええっと、大使館の所在確認というのは、リベール人の方を探すということですよね?」

 

「ああ」と肯定する大使館員にアリサは、公的な捜査機関に依頼しないのかという、この依頼内容を見た時から私達にとって大きな疑問を口にする。

 

「勿論、重大な案件であれば、僕達も直接帝国政府に要請するよ。ただ、今回の案件はそれ程大事ではないんだ」

 

 リベールの大使館が本来所在調査を開始するのは半年以上外国で行方が分からない場合のみで、家族の要請を受けてに限るのだという。

 今回の案件も家族からの要請を受けて調査を開始したのだが、すぐに帝国への入国記録やその他の宿泊や鉄道への乗車記録が出てきた為に大使館が保護しなくてはならない程の差し迫った状況ではないと早々に把握出来てしまったのだという。

 ただ、心配している家族を安心させるという意味合いで、連絡を取るように促すと共に外国旅行での注意も行いたい、という大使館側の思惑があるだという。

 

「――という訳で個人的に親しくさせて貰っているレーグニッツ知事閣下に何か良い方法は無いか頼んでみた所、丁度君達を紹介されたということさ」

 

 ああ、なるほど。確かに私達への依頼ということはマキアスのお父さんが選んだのだ。そういう抜かりはまず無さそうだ。

「これで納得してもらえたかな?」、と笑いかけてくる彼に私達は頷くのであった。

 

「じゃあ、詳細を……。一週間前、我が国リベール本国で王都グランセル市東街区に住む男性の所在確認調査の要請があった。もう半年以上もの間、自宅に帰って来ない男性の事を両親が流石に心配した様でね」

 

 流石に半年も連絡無しというのは心配しない方がおかしい。

 まあ、うちのお父さんも半年ぐらい連絡を寄越さないけど、そっちの場合は何かあったら軍から連絡が来る筈だ。勿論、私はそれが来ないことをずっと信じてるけど。

 

「王国政府からの情報では、彼は今年のニ月にグランセル国際空港より出国、空路でクロスベル自治州へ向かった。自治州政府によると彼は五月に帝国東部方面への大陸横断鉄道のチケットを購入しており、大陸横断鉄道公社は当日の乗車を確認している」

 

 そこで彼は一拍置いた。

 

「勿論、帝国政府の入管当局もクロスベル駐在の入国臨検官が車内で彼らの入国を確認しているよ。彼らの行き先はクロイツェン州バリアハートに向かったみたいだ」

「えっと、今”彼ら”って言いましたか?」

 

 突っ込んだのはエマだった。

 

「ああ、そうなんだ。二人組で旅をしているようでね――今は帝都にいる。こちらも調べは付いていて帝都南東のオスト地区の宿酒場に宿泊しているみたいだ」

 

 うん? なんとなく思い当たりが――リベール人……クロスベル……五月……バリアハート……彼ら、そして、帝都――。

 

「彼の名前はアントン、22歳。旅行にはリックスという同行者もいるようだ」

「「やっぱり……」」

 

 私とエマはお互いに溜息を付く。

 なんとも言えない空気が場を満たした。想像通りなのに、あまり嬉しさが無いのはどういう事だろうか。

 

「広場で会った彼らか」

「あの人達ね……」

「フン、何かと縁があるようだな?」

 

 ユーシスはこっちを見るのはやめて欲しい。

 

「あれ、もしかして君達は彼と知り合いなのかい?」

 

 ユーシスの視線を見てか、大使館員も心なしか私を向いているような気がした。

 

「知り合いといえば知り合いかもしれませんね……以前、バリアハートでお会いしたことがあります。昨日の午前中にもドライケルス広場で会ったばかりですね……」

「いやぁ、偶然のめぐり合わせもあるんだねぇ。じゃあ、君達に頼んで結果的に良かったみたいだね」

 

 エマの言葉に早い解決の道筋が見えて気を良くしたのか、にこやかに笑う大使館員。

 

 そこで、扉が鳴り、一人のスーツ姿の男が入って来た。ご丁寧にも私達に一礼してこちらに近づく彼は、”書記官”と呼ばれた目の前の大使館員より遥かにお役人然としている。

 

「――事務官、シモン様より導力通信が入っております。後、本国から例の件について――」

「朝早くから苦労してるみたいだね。わかった、すぐ行くよ」

 

「承知しました」と一言、告げた男は私達に再び一礼して部屋を後にした。

 

「申し訳無いけど今日は僕も忙しくてね。ここで失礼させて貰おう。宜しく頼むよ、トールズ士官学院1年Ⅶ組の諸君」

 

 

 ・・・

 

 

 サンクト地区は比較的帝都都心部に近いとはいえ区分上は北西部であり、私達の探す二人が宿泊する宿のあるオスト地区は帝都南東部外縁部の街区。

 つまり、帝都のまるっきり正反対に位置する街区であった。東回りの導力トラムを使ってもそれはもう一時間近く掛かるし、かといって歩くのはかなりに無謀だ。第一、オスト地区は本来リィン達A班の担当地区なのだから遠くて当たり前だろう。

 

 そこで、私達は宿を尋ねる前にまず昨日彼らと遭遇したドライケルス広場に足を運んだのだが、驚くことになんとこれが大当たりだったのである。

 

 広場の名の由来である大帝の像。その台座の傍に居る二人組の男の姿を見つけた私は彼の名を呼んだ。

 

「アントンさん!」

「エ、エレナちゃん!? ああ、女神様ありがとうご――」

「アントンさん、私と一緒に大使館に行きましょう」

「え――」

 

 アントンの顔が固まった。そして、次の瞬間に今まで見たことも無い程の喜び表情と共に歓喜の声を上げたのだ。

 

「あ、アントン……さん……?」

 

 最早言葉にならない喜び方に、私は思わず足が後ずさりするのを感じる。

 そんな私とアントンさんの間に「あんたは下がってなさい」と、その身体を割り込ませて来たのはアリサ。

 

「はいはい。アントンさんだっけ? リベール王国大使館より貴方に出頭要請よ」

 

 彼女の声は途中からいくらかトーンが低くなる。

 

「これが大使館からの書類です」

 

 エマが渡したのは担当のあの大使館員の人から受け取った手書きの書類。あくまで”任意での出頭を求める”以上の内容は記されていないが、在エレボニア帝国リベール王国大使館の正式な印と担当者署名まである立派な公文書だ。領邦軍等の逮捕状や捜査令状と違い法的効力は全くないものではあるが、それでもアントンさんには効果は抜群だったようだ。みるみるうちに彼は顔を青くして、怯え始めた。

 

「出頭!? 僕、何か悪い事したのかい!? ま、まさか――」

「オレ達と一緒に来て貰えると助かる」

 

 そう、ガイウスがアントンさんの後ろから肩を叩いたのと同時に、彼は叫び声を上げた。

 

「な、何をするんだ!? ねえリックス、何か言ってよ!」

「心を落ち着けろよ、アントン。そんなに喚いたって何がどうなるものでもないだろ」

「僕たち、このままでいいの!?」

「これはアントンの問題だろ?」

「嫌だぁ! みんな助けてー! 僕はここにいるよー! 助けてー!」

「喧しいぞ。大人しくしないか」

 

 夏至祭前日で観光客の多いドライケルス広場に悲鳴が上がり、何事かと集まる辺りの人の視線が痛い。傍から見たら外国人旅行者を集団で脅す不良学生――といった所だろうか。課題とはいえ損な役回りである。

 アリサ達三人がアントンさんを取り囲んで連れて行く光景を横目に、私は別に驚いている様子もない彼の相方に声を掛けた。

 

「えっと、リックスさんは――」

「ああ、ご一緒させて貰おうかな。はは、アントンといるとほんとに退屈しないよ」

 

 リックスさんの返事に彼が相変わらず楽しんでいる事を察して少し呆れてから、アリサ達とアントンさんの後に続いて私は導力トラム乗り場へと足を進めた。

 その時、私はユーシスの鋭い視線を再び背中に感じていた。

 

「フン……」

 

 

 ・・・

 

 

 古い据置型の導力式時計が懐かしい音で時刻を知らせる。

 

「カール・レーグニッツ、やはり油断ならぬ男だな」

 

 十回目の鐘の音が鳴り終わった後、大使館内のロビーにあるソファーに腰掛けていたユーシスが、アントンさん達が入った部屋の扉を一瞥してそう呟いた。

 

「ユーシス、ちょっと言い過ぎじゃないかしら?」

「そうですよ、昨日も直接お会いした時に……」

 

 そんな彼に目を細めたのはアリサとエマ。

 カール・レーグニッツ帝都知事は革新派の大物政治家だ。しかし、その前に私達Ⅶ組の仲間であるマキアスのお父さんでもあるのだ。

 

「フン……お前たちはこの依頼、上手く出来過ぎていると思わないのか」

 

 アリサが素っ頓狂な声を上げる。エマとガイウスは黙ったままだが、それはユーシスに続けるように促しているようだった。

 

「かの帝都知事閣下は少なくとも俺達の中の二人が彼らと面識がある事を知っていて、この課題を入れてきたのだろう」

「あ……」

「なるほど」

 

 士官学院の常任理事であるレーグニッツ知事は私達の特別実習のレポートを毎回目を通していると昨日語っていた。

 五月の特別実習のA班のレポートには、オーロックス砦でのアントンさんの自称遭難の事も勿論書かれている。一応、外国人旅行者の保護として特別実習の加点要素だったと記憶していた。

 

「ついでに、昨日俺達がドライケルス広場で顔を合わせたのも計算済みかもしれんな」

「何故だ? そこまで把握出来るとは流石に思えんが……」

「彼らの泊まっていた宿が俺達の担当街区では無いからだ。先に皇宮前に俺達が向かう事は想像するに容易い」

「なるほどな……確かに一理あるな」

 

 自らの疑問に答えたるユーシスに頷くガイウス。エマは何か躊躇いがちな表情を浮かべる。

 

「そして、帝都の長たる行政長官と外国の在外公館職員が『個人的に親しい』ときている」

「大使館主催のパーティとかもあるでしょう?帝都に所在するのだから知事が招かれる事も十分考えられる筈よ」

「あの大使館員は”書記官”だと言っていたか。真偽の程は定かではないが、一年前に赴任してきたばかりの大使館でも下位の人間と懇意にしているというのは不思議なものだな」

 

 反論したアリサはユーシスに向けて言い過ぎだという顔こそ崩さないものの、考えれば考える程違和感は強まるばかりの状況であるのは彼女も分かっている。今度は何も返さないのがその証拠だ。

 

「まあ、その意図は把握しかねるが――」

 

 そこで、ユーシスの視線が私に向けられる。

 

「な、何?」

「フン……まさかな」

 

 いつもながらに失礼なユーシスに文句を言おうとソファーを立とうとした時、アントンさん達のいる部屋の扉が開く音がした。

 そこから、まずリックスさんが。続いて、すっかり気落ちした様子のアントンさんが姿を現した。

 

「では、帝国での滞在はまだ続けるんですね?」

「ああ、まだ本当の僕を見つけれてないからね……」

 

 エマに応えるアントンさんの声はとても弱々しいものだった。

 

「お金が無くて飛行船のチケットが買えないだけだろう。アントン」

「リックスはいっつもそうやって僕の事を……」

「あれだけ怒られといて反省しないなんて、やっぱりアントンはアントンだな」

「お、怒られたんですか?」

 

 リックスさんの言葉に私は思わず口を挟んでしまった。

 

「はは……結構怒られちゃったよ。旅行を続けるのもいいけど、いい年して実家に連絡ぐらい怠るとはどういう事だって……結構おっかない人だったよ」

 

 ブルブルと文字が見える位に身体を震えさすアントンさんを見ると気の毒になる。あの大使館員の人、私達にはとっても優しかったのに。

 

「はぁ……なんでこんなに僕はダメなんだろう……」

「アントンさん……」

 

 深い溜息とともに肩を落とすアントンさんに、皆が同情の視線を送る。でも、ユーシスは未だ冷ややかな視線だ。

 リックスさんは……なんだろう、ニヒルさ具合が更に磨きが掛かっている気がする。

 

「ほら、元気出してください。親御さんも心配するのは当たり前ですし……今回は大使館側も配慮して帝都憲兵に要請を出さなかったので特に大きな問題になる事も無かったじゃないですか」

 

 帝国は外国人に非常に厳しい国である。仮に帝都憲兵や領邦軍といった治安機関のお世話になれば、不祥事を起こしたと見なされて最悪は国外退去処分となる可能性もあったのだ。それを免れただけでも幸運だったと言えるだろう。

 

「うう……僕の人生は常にトライ&エラー……」

 

 窓の外、明後日の方向を向くアントンさんは今にも何処かに消えていってしまいそうだ。

 

「……エレナちゃんとはもっと違う理由で大使館に来たかったのに……」

「……ええっと?」

「決まってるじゃないか!一緒にリベールに行く時の……あれ、でも……?」

 

 そこで彼は何かに気付いたような神妙な顔をした。

 

「エレナちゃんって別に大使館に来なくてもリベールに来れるよね?」

「え、どうして――あ……」

 

 アントンさんの言葉を問い返した私は、直後に彼の言葉の意味を悟った。

 

 外国に入国する為には行き先の国の大使館の発行する査証が必要だ。勿論、リベールも。

 査証無しの理由なんて、いくつかの特別な理由を除けばほぼ一つしかあり得ない。

 

「フン……なるほど」

「違うの!」

 

 ユーシスの鋭い視線に私は声を張り上げた。

 

「何が違うのだ?」

 

 何も違わない。

 十三年前の私が何の為に帝国に初めて来た時に、この場所に連れられたのか。

 本来は帝都は乗り換えの為に下車するだけ、時間的問題で宿泊することになったとしても用があるのはホテルだけだ。なぜ、リベールの大使館に用事があったのだろうか。お母さんの事?勿論、お母さんはリベール人だからそれもあるかも知れない。でも、私は今日この大使館に足を踏み入れ、あの日の断片的な記憶を手にしていた。あの絵の飾られた二階の部屋、そして、古い導力カメラのフラッシュの光。

 

 私は認めたくはなかった。ずっと私は帝国人だと思っていたのに。

 もし私の推測が正しいのであれば、お父さんとお母さんを恨みたい。いや、正しいだろう。そうでなければ、この場所の記憶なんてある訳が無いのだ。

 

 私はリベールの国籍を持っている。つまり、リベール人なんだ。

 帝国人でありながら、リベール人でもある。

 

「どういうことですか?」

「ふむ……?」

「大使館に来なくてもって……あ、そっか……」

 

 エマが、ガイウスが、アリサが口々に呟く。アリサの表情が変わった事に、私は彼女にも気付かれてしまった事を悟る。

 

「違うの! 隠してたわけじゃないの! 私は……」

 

 知らなかったんだ。

 お母さんは確かにリベールの人。でも、私の中のリベールとの関わりは、それこそお母さんから受け継いだ血位で、実際は殆ど無いと思っていた。

 しかし、国籍を持っているとなれば、それは更に大きな意味を持つ。

 血を引き継いでる位であれ程まで悩み、恐れたのだ。国籍という、他国の国民の証を持っている――もう、言い訳すら出来ないではないか。

 

「私は……私っ……」

 

 どうしても言葉が詰まる。そんな私の目の前にアリサがしゃがみ込み、膝の上の握り締めた私の拳を彼女の暖かい手が包んだ。

 そして、彼女の透き通った真紅の瞳が優しく促す。

 

「――やっぱり怖かったの……戦争から十年以上も経つけど、あの戦争で傷を負った人は帝国には多い。その人達に私は恨まれたくない……」

 

 ブリオニア島で出会ったアルマンさんの顔が浮かぶ。彼はあの戦争で大きな傷を負った傷痍兵で、戦後も地獄の様な日々を送ったと語った。何かが一つ違えば、彼に私は憎まれていたかも知れないのだ。

 

「勿論、みんながそんな事は無いって、思ってるし……信じてるけど……。もし、それでも違ったらって思うと、やっぱりどうしても不安になって……私は、Ⅶ組の誰にも嫌われたくないから……」

 

 先月の夕日の落ちかけた屋上で、私はガイウスに気付かされた。それでも、まだあと一歩を踏み出せず、リィンの様に、あるいはフィーの様に自らを明かすことは出来ないでいた。どうしても私は臆病過ぎて、失いたくない大切な存在を失う不安から逃げたくて。

 昨日、エリオット君のお父さんが《赤毛のクレイグ》と渾名される高名な軍人と聞いたのもそれに拍車をかけたかもしれない。

 

「……だから、ごめん……ごめんなさい……私は……」

 

 俯いた私の視界が急に暗くなったと思えば、アリサの胸の中に抱かれていた。

 

「大丈夫、大丈夫よ。私達は何があっても貴女の味方だから」

 

 私の髪をアリサの手が撫でた。

 暫くして、暖かい彼女の身体が離れると、名残惜しさに私は顔を上げた。すぐ目の前に彼女の顔、私の両肩に置かれた彼女の手。

 

「やっと、話してくれたわね」

 

 私と同じ位童顔なのに、優しく微笑んだ彼女は間違いなくお姉さんだった。

 

「……アリサぁ……」

 

 本当は私より小さい筈なのに何故かとても頼もしく感じる背中に、私は両腕を回して抱き締めた。

 

 アリサの手が、私の背中を優しく叩く。

 まるで泣いている赤ちゃんをあやすように。

 

「フン……やはりな。大方そんな所だろうとは思っていたぞ」

 

 ユーシスがアリサに抱き付く私を見下ろす。

 

「……ええ?」

 

 その疑問に答えたのは、私の耳元に近すぎて少しくぐもった声。

 

「知ってたのよ、みんな」

「……うそ、そんな……」

 

 拍子抜けだ。だけど、口から出た言葉とは裏腹に、私はとても安堵に浸っていた。

 

「えっとね、実はあの実技テストの日の後に、元気の無い二人の事について話し合ったりした事もあったのよ」

 

 多分、私とリィンの事。

 そこまで、言ってアリサは私から少し身体を離した。先程と同じ様に、くっ付くんじゃないかと思う位近い距離で彼女は笑う。

 

「ほら、やっぱり大切な仲間だもの。心配する気持ちはみんな同じなのよ」

 

 彼女が続けた言葉に、私は胸が再び熱くなるのを感じた。そして、ちょっと気恥ずかしさも。

 

「それに……皆それぞれ抱えるものはありますから」

「フフ、だから言っただろう。『皆も同じ気持ちだろう』と」

 

 エマの真面目さを残す微笑み、ガイウスの優しい笑顔。

 そして、私はユーシスに顔を向けた。

 

「フン……大して取り柄の無いお前から、煩さまで取ったら何が残る?」

「ユーシス、あなたねぇ……」

 

 アリサが振り返り、ユーシスはきまりの悪そうに顔を背ける。数秒後に彼が発した声は本当に小さかった。

 

「……あまり心配を掛けさせるな。阿呆が」

 

 ほんのちょっとだけ、潤んで熱くなった目尻から涙が溢れた。

 でも、これは嬉し涙だ。そう自信を持って言える。

 

 

 ・・・

 

 

 私達は大柄な大使館員の笑顔で見送られ、大使館の敷地を門に向けて歩いていた。入った時は色々な事を考え過ぎていてあっという間だった石畳の道も、こうして歩くと案外長いことに気付く。

 少し前でアリサとエマとガイウスが次の課題の内容の話題を話している中、私は少し距離を取って彼女達の背中を追う様に後ろから歩いていた。

 

 綺麗に手入れをされた庭園の端、小さな池に何か懐かしいものを見た気がしたその時、真上から聞こえた鳥の鳴き声に私は空を仰いだ。

 針葉樹が貫く夏空を白い鳥が私達と反対方向に飛び去ってゆく。

 私は思わず後ろを振り返って、大使館の三階へと消えていった白い鳥を見届ける。

 

「シロハヤブサ――リベールの象徴か」

「うん……そうだね」

 

 ユーシスの声に私は正門の方向へ向き直り、再び足を動かす。

 少しの間の後、彼は再び口を開いた。

 

「お前は軍人志望だったな?」

「うん、そうだけど……」

「ならば、母親から貰ったリベールの血を引く確かな証を捨てる事になるぞ」

 

 それは、分かっている。

 皇帝陛下と帝国に絶対の忠誠を誓わなくてはいけない帝国正規軍の軍人が、他国籍を併せて持つ事などあり得ない。だから私は卒業と共に訪れるであろう任官までに、自らの意志でリベールの国籍を放棄する必要があるのだ。例えそれが自分のもう片方のルーツであったとしても。

 

「無論、移民国家である共和国と違い、帝国が重国籍を認める事は一切無いだろうが――」

 

 しかし、私はユーシスの続く言葉を聞くこと無く、首を横に振る。

 そして、それ程悩む事も無く自然に答えた。

 

「私は帝国で生まれて、帝国で育った、一人の帝国人」

 

 私の生まれたあの寒い場所は帝国の北西準州。その後、移り住んだ地、私の中での故郷は帝国南部サザーラント州の辺境の漁村リフージョ。

 

「お父さんとお母さんが何を思って私をこの場所に連れてきたかは分からないけど――」

 

 大使館の正門、帝国の中心たる帝都の一角にある小さな外国の地から、一歩、踏み出す。

 帝都サンクト地区の白い化粧石の歩道へ。

 

「――選択する必要も無い位に、最初から私の答えは決まってた」

 

 

 ・・・

 

 

【おまけ】

 

「ねえ、リックス?」

「なんだい、アントン」

「僕の事、忘れられていないかな?」

「なんだ、アントン。今更気づいたのか? 大体、そんなのいつもの話じゃないか」

「……あれ、どうしたんだろう……何だか胸が苦しいよ……僕の存在意義っていったい何なんだい?」

「さあね」

「……惨めだ……もう起き上がる気力もないよ……」

「だけど、今回は珍しくアントンが役に立ったじゃないか」

「!!!」「ふ、ふふふ……ははは、これでも僕だからね!」

「まあ、あの発言は相当軽率だったけどな」

「今は晴れ晴れとした気分だよ! よ、よーし! がんばるぞー!」

「まあ、なんにせよ元気を取り戻したようで嬉しいよ」

 




こんばんは、rairaです。

さて、今回は7月25日、第四章の特別実習のニ日目の午前中の前半のお話となります。

遂にここで主人公エレナが今まで隠しに隠して来た自らの出自の事、Ⅶ組の皆にバレてしまいます。実際はもう殆どバレされていたのですけど、まあ一応はアントンのお陰ですね。

二章のバリアハートの特別実習初日から考えると、随分長く掛かったと思い感慨深いです。
何はともあれ、完全に受け入れられた事でエレナは今後、よりⅦ組の一員らしくなっていく予定です。

稀に見るお姉さんなアリサですが、当初はこの役はエマかガイウスを考えていました。ただ、よく考えたらエマさんはまだまだ隠し事が多過ぎるのですよね…。苦笑

次回は7月25日、特別実習の二日目の午前中のお話です。またまた、ある人と再会する予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月25日 遠い世界

 帝都の夏至祭の目玉といえば、間違いなく皇族の方々のご出席される行事なのだろう。

 だが、オリヴァルト皇子殿下が観戦されるという帝都競馬場で催される夏至賞を除けば、それらは私の様な一般市民からすれば縁遠いものばかり。

 セドリック皇太子殿下やアルフィン皇女殿下のご出席されるミサや園遊会に招待されているのは、それなりの地位や名誉を持つ人々――多くは名門貴族だ。

 ユーシスやアンゼリカ先輩ならもしかしなくても出れるかも知れないが、考えるまでもなく、天地がひっくり返ったとしても私は無理だ。

 そう考えると貴族の人が少し羨ましくもなる、だって《帝国の至宝》とも云われる皇太子殿下やアルフィン殿下に直接お会いし、言葉を交わす機会が有るのだから。私なんて写真でしか見たことがないのに。

 

 だが、実はオリヴァルト皇子殿下のお姿は私も見たことがあったりする。今でも思い出せる、フレールお兄ちゃんに連れて行って貰った昨年の秋のパルム市公式訪問での優雅なお姿。皇族の象徴でもある紅色の高貴な服に身を包んだ皇子は本当に格好良かった。

 皇太子殿下やアルフィン殿下も地方部に足を運んでくれれば良いのに、なんて思ってしまう。いや、こんな事を考えたら不敬だろうか……ごめんなさい。

 

 まあ、多くの帝都市民同様、私も行事に向かう皇族の方々のパレードでそのお姿を一目でも見れれば、もう最高に大満足である。もっとも明日の課題の合間に少しでも時間があるといいのだけど。

 

 そんな私に縁遠い行事も多いが、帝国内外から沢山の人が集まる帝都の夏至祭は実に各種様々な行事やイベントが催されている。その中には庶民的なイベントも少なく、帝国最大の展示見本市である《ヘイムダル・インペリアル・トレード・フェア》もその一つだ。

 

 市域南西部のズュートヴェステン地区、第一機甲師団という帝都の守りを一任する帝国正規軍屈指の伝統ある部隊の本拠地も有し、概ね工業地帯ともなっているこの街区に所在する巨大な展示会場は、数え切れない程沢山の来場者で賑わっていた。

 明らかに帝国人には見えない風貌や服装の来場者も少なくない事から、帝国のみならず大陸全土から集まっているようだ。

 

 そんな中を私達はバインダー片手に色々な企業の製品を見ていっているのだが、丁度見覚えのある特徴的なロゴを目にして私は隣のアリサに声を掛けた。

 

「あ、アリサ! ラインフォルト社だよ!」

「ラインフォルトが居ない訳が無いだろう。自社製品だけで見本市を開く程の企業だぞ」

 

 そんな私にすかさず突っ込んだのはユーシスだ。

 

「ラインフォルト社の製品か……ふむ、興味深いな」

「ウチのとこの商品の感想も書かなきゃいけない訳……?」

 

 物珍しさからか乗り気なガイウスとは対照的に、アリサが溜息混じりに呟いた。自社の商品ということで、彼女ももう見飽きるほど見ているのだとすると少し同情してしまう。

 

「まあまあ、アリサさん。これも課題ですから」

 

 そう、私達は百を超える様々な業種の帝国内外の名だたる企業が集まる見本市のレポートを書いているのだ。

 

 今回の特別実習の課題は『帝都庁に寄せられた依頼』であり本来は帝都庁の業務の筈なのに、どちらかというと日曜学校の社会科見学的なノリになってしまったのは、主に今回の依頼主のせいかも知れない。いや、多分そうだろう。

 私はほんの一時間ほど前にこの展示会場の入り口で出会った人物を思い出す。

 

 

「ふむ……依頼主とはここで待ち合わせだったか?」

「地方商人のアシスタントか……」

「見本市にアシスタントなんて必要かしら?」

「確かにそうですよね……」

 

 本日二つ目の課題は『地方商人のアシスタント』。詳細な依頼内容は別途依頼者より説明、以上。後は依頼主との待ち合わせ場所と時刻しか書かれていない課題の書類を見れば皆がそんな反応をしたくなる気持ちもよく分かる。

 

「トールズ士官学院の方ですね」

 

 私達の背中に予想外の声が掛けられたのは、展示会場の入り口に設置された時計台の時刻が、書類に記された待ち合わせ時刻を指す三分前だった。

 物腰の柔らかく明るい声の主は、純白の綺麗なワンピースに身を包む金髪の女の人。

 肩に流れる長めの金髪はアリサよりも濃く、蜂蜜色というのが正しいかもしれない。私より頭一つ背丈の低く、可愛らしくもある彼女だが、纏う雰囲気はれっきとした気品に溢れる大人の女性であった。

 一目見ただけで、こんな人になりたいかもって思う位に魅力的な人。ちょっと吹奏楽部の顧問のメアリー教官に似ているかもしれない。

 

「私はシェリーと申します。サザーラント州のパルム市から来ました」

「えっ!?」

 

 優しい笑みを浮かべてお辞儀をする彼女に、私は思わず声を上げてしまった。

 

「そういえばエレナさんって……」

 

 エマが気付いた通りだ。目の前の依頼主が口にした地名は、私の故郷に一番近い都市の名前だったのだから。

 

「どうかなさいましたか?」

「その、私もサザーラントの出身で……」

「それでは私達は同郷のよしみ――といった所でしょうか。どうか、よろしくお願いしますね」

「は、はい!」

 

 小さくお辞儀され、思わず嬉しさで胸がいっぱいになる。この帝都でパルム市から来た同郷ともいえる人に課題で出会うなんて。

 

「え、えっと……シェリーさん、私もパルム市の近くの村の出身なんです! リフージョって分かりますか?」

「まあ、あの村の……ええ、分かりますよ」

 

 彼女は少し驚いた風に笑った。多分、辺境過ぎる村の名前に驚いたのだろう。それでも、彼女が私の故郷の村の名を知ってくれていた事がとても嬉しかった。

 

 

「ラインフォルトのお嬢様に東の公爵家のご令息様……それに、外国ご出身の方……ふふ、帝都庁のお役人さんに付いていて貰うより遥かに楽しそうです」

 

 私達五人の自己紹介が終わった後に彼女は嬉しそうに呟き、まるで子供のような屈託の無い笑顔を浮かべた。

 

「ええっと……」

 

 そんな彼女に対して少し戸惑う私達。その理由は彼女からの依頼内容だった。

 彼女からの依頼は一つだけ。展示見本市を回って各社の発表している製品の感想をレポートとして纏める事。

 商品や企業の指定も無く、ただ一人一人の言葉で感想を書いてきて欲しいとの事だった。

 

 その意図に疑問を感じた私達に、彼女は丁寧に説明してくれた。

 

 例えばユーシスとアリサは帝国の最上流階級に属しているが、二人はあくまで貴族と平民という大きな違いがある。エマと私も、貴族領邦の地方辺境部出身と言っても、あまり話こそしないものの結構違うと思うし、ガイウスなんて帝国ではない外国出身だ。

 その五人が違う色を持つ私達が、この見本市に出展されている様々な製品にどの様な感想を抱くかを総合商社の人間として知りたいという事らしい。

 

「これも立派な市場調査という訳です」と彼女は小さく笑っていたが、そういう意味ではⅦ組というのはとても的を得ている様な気がした。

 A班の面々もいれば更に幅広かったのだが、流石にそれは言っても仕方が無い。

 

 

 そんな流れで、彼女の『市場調査』に協力することとなったのだが、肝心の依頼主の彼女は他にも予定が有るようで後程指定の場所で待ち合わせする流れとなっていた。

 丁度、私達がラインフォルト社の大きなエリアを一通り見終わった後、約束の時間も近づいており、私達は依頼主であるシェリーさんの指定した場所へと向うこととなる。その場所は、外国企業のエリアとしては最大の大きさを誇るリベール王国の総合導力器メーカー、ツァイス中央工房《ZCF》のエリア。

 

 ラインフォルト同様、様々な新しい導力製品が数多く展示されているが、その中でも特に目に付いたのが銀色の導力車と大きな導力エンジンだった。

 

 今日の私は何かとリベールに縁があるみたいだ。いや、お母さんの国というしっかりとした縁があるのだから、仕方の無いのだろうか。

 ZCFが大陸有数の総合導力器メーカーという事を考えると、私が意識し過ぎなのかも知れない。

 

 そんな考えに溜息を付いたら、心配そうにエマが私の方に顔を向けるので、少し慌てて笑った。

 ちなみにアリサといえばラインフォルト社の時と打って変わって、興味津々な様子で展示品に熱い視線を送っていたりする。やはり実家の影響か、彼女は女子にしては珍しく導力器やその技術が好きだ。勿論、導力学の成績も途轍も無く良い。今思えば、入学式の後のオリエンテーリングで私のラインフォルト社製の導力拳銃《スティンガー》について色々話してくれたっけ。そういえば、あの時、私はアリサが武器屋の娘なんじゃないかと疑ったけど、蓋を開けてみれば”武器屋”なんて規模じゃなかった。まあ、認識自体は正しかったのかもしれないけど。

 

 見たこともない銀色の導力車を見上げながら、私はもう懐かしくも感じる思い出を起こしていた。

 

「あれ――君達は?」

 

 私達の背中に声を掛けたのは、つい数時間前にリベール大使館で課題の依頼人として話をした大使館の事務官だった。

 彼の腕には冊子の束が抱えられており、何故かは分からないが荷物を運んでいる様子だ。

 予想外の再会に驚きながらも私達は挨拶を一通り交わた後に、彼は自らがこの場所にいる理由を話してくれた。

 

「大使館としてもこの見本市は帝国に進出するリベール企業や輸出品を紹介する大きなチャンスだからね。大使館員総出で支援しているのさ」

「それで、大使館が少し寂しかったんですね」

 

 ああ、確かに。と、私はエマの言葉に相槌を打つ。確かに大使館の中には人が少なかった様に思えた。

 

「まあ、それ以外にも公爵閣下の公式訪問や、来月の件での帝国政府との色々な調整もあったり――はは、文官は楽だと思ってたけどそうでもなかったなぁ」

 

 下っ端はどこでも辛いもんなんだね、とその体躯に少し似合わないような情けない言葉を漏らすお母さんの母国の大使館員。

 

「文官は、だと?」

「その言い方ですと……」

 

 そこに突っ込んだのはユーシスとエマ。

 

「ああ、二年前まで軍にいてね。大使館には去年の春に赴任してきたばかりなんだよ」

「ふむ、道理で身体を鍛えられている訳だな」

 

 ガイウスに頷きながら、「軍に居た時の癖でね」と笑顔で返す事務官。

『軍に居た』という言葉に少し身体が強張るのを感じたその時、目の前の彼が私に視線を向けた。

 

「エレナ・アゼリアーノさん、だっけ?」

 

 彼は私の名前を呼び、優しそうな笑顔を浮かべる。

 

「ええ、そうですけど……どうかしましたか?」

 

 でも何故だろう、優しそうなのに、何処か違和感を感じてしまう。

 

「――いや、その様子ではアテは外れてしまったと思ってね」

「は、はぁ……?」

 

 両手を広げて肩を落とす外国の大使館員に、私は戸惑いながら言葉を探した。

 

「ええっと……その……」

「事務官はん」

 

 どう返して良いか分からずにどもる私に助け舟を出したのは、Ⅶ組の仲間ではなかった。

 体格の良い事務官の後ろに立ったのは、いかにもやり手といった風格を漂わす気の強そうな女の人。その隣には秘書だろうか、何故か慌ててる気弱そうな男。

 

「所長さんは良く働く言うてたけど、学生を口説きながら油売るとはな?」

「ああ、すみません。これは別件でして……ミラノさん、それに――」

 

 事務官はミラノさんと呼ばれた女商人の後ろにいるシェリーさんに一礼した。

 

「この度はありがとうございました。大佐――いえ、今は所長様でしたね。良き契約が結べたと、宜しくお伝え下さい」

「はっ、勿論です」

 

 再び畏まって一礼する彼の姿を見て、私は何が何やらよく分からなくなっていた。

 少なくとも私達が”ただの地方商人”と思っていた彼女が、少なくとも”ただの地方商人ではない”事は確かだった。

 

 

 ・・・

 

 

 依頼されたレポートを渡した後、私達はシェリーさんと共に展示会場を後にして、トラムの停留所近くの喫茶店に入っていた。

 追加報酬として会計は彼女が全て持つという形で、遅めのお昼を食べる私達との他愛もない会話で予想通り彼女が只者ではないという事が分かることとなる。

 

 ラティーナ――それはサザーラント州セントアーク市を本拠とする地方財閥で、州内各地に支社を置いて帝国南部の物流を握る存在でもある。流石にラインフォルト・グループの様に誰もが知る程の大陸規模の巨大企業ではないものの、帝国南部では強い影響力を誇っており、アリサやユーシスは勿論の事、南部出身ではないエマも聞き覚えが有るようだった。

 彼女の父親はそのパルム支社を統括する責任者であるのだという。

 

「失礼だが、シェリー殿。貴女は――」

「ふふ、流石に分かってしまいますよね」

「では――」

 

 そして、私の記憶では財閥の創業家は確か――。

 

「確かに私の祖父は伯爵位を持ちますが、私自身は爵位の継承権からは遠い分家の人間です」

 

 目を伏せる彼女。

 

「ですから、私の事は今迄通りシェリーとお呼びください」

 

 小さく笑ってから私達を一通り見渡す。

 

「いや……しかし……」

「伯爵家の……」

 

 目の前にいるのは、故郷の州で大きな地盤を持つ財閥の一族であり、同時に伯爵という高位の貴族の直系血縁者なのだ。いくら爵位継承権が遠くても、貴族の血族であることには変わらない。

 そういえば、初めて会った時に貴族っぽい人だと思ったのだ。主に仕草や話し方が。

 

「ふふ、こんな事を皆様の前で口にするのは少々恥じらわれますが……私の家の爵位は獅子戦役の折に財力で手に入れたに等しいもの――所詮は成り上がりの商人に過ぎません。高貴なる血を持たぬ私の家が爵位を誇る事は、伝統と血統を重んじる東の《四大名門》としては良からぬ事だと思いませんか?」

 

 ユーシスに向けての言葉の端に私は、少し嫌な感じがした。何故なら、シェリーさんはきっとユーシスの出自も知っているのだろうから。

 

「いえ……しかし、先帝陛下から賜られた爵位ではありませんか」

「ふふ、ユーシス様はお優しいのですね。お気持ちは嬉しいのですが、ここは帝都――郷に入れば郷に従えという言葉という言葉もあるでしょう? そして、私はそれを望みます」

 

 小さく、そして深みのある笑顔で笑って彼女は続けた。

 彼女のその言葉の意味合いは私でも分かった。勿論、ユーシスはすぐに理解出来ただろう。

 

 今の帝都で『貴族』という身分は必ずしも利になる事では無いという事。実は昨日も帝都庁の第二庁舎を訪れた際や、晩ご飯を食べた大衆食堂で、ユーシスは周りからとても好意的とは思えない視線を浴びていた。

 

「なるほど……これは失礼致した」

「こちらこそ、ご配慮頂き有難うございます。ユーシス様」

 

 小さく頭を下げるシェリーさん。彼女は貴族である前に、財閥の一族の商人であるのかも知れない。

 私はそんな事を考えてしまった。

 

 

「――というのが、今回のお話でした」

 

 今回の交渉はリベール製導力製品の輸出販売の件だったのだという。

 ミラノという名のリベール人商人との交渉事をさらりと私達に説明してしまうシェリーさん。そんなに簡単に話してしまって良いのかとも思うが、彼女がそんなイージーミスをするとも思えないので問題は無いのだろう。

 

「帝国ではリベール製という言葉は一般的に高級感を連想されます。一早く導力化を成し遂げた先進国というイメージがある程度年配の世代には根強く残っているのでしょうね」

 

 いまでこそ帝国を初めとする主要国の導力化は国民の生活に欠かせない高い水準に達しているが、数十年前迄は決してそうではなかった。そんな中、リベール王国は当時の国王による王室からの資金援助を皮切りに多額の国家予算を投入して導力器の普及を国策として推進し、特記すべき速度で導力化を果たして三十年前には既に大陸最先端の導力先進国の地位を確立していたのだ。その当時、リベールと帝国では国民の生活水準に大きく差があったという。

 

 そんな導力史を思い浮かばせたシェリーさんの言葉に、少し複雑そうな表情を浮かべたのはアリサだった。

 

「アリサ?」

「……ちょっと耳が痛いわね。まあ、リベール製が高品質なのは確かだし……昔はウチも技術供与を受けていたみたいだけど」

「そういうつもりではなかったのですけど、気を悪くさせてしまったのであれば、申し訳ありません」

 

 自分に関係する分野だったからかどこか真剣なアリサに、シェリーさんは少し困った顔を向けた。

 

「それに、以前はは高価だったリベール製品も、オズボーン宰相閣下の貿易政策のお陰で手頃に手に入る様になってきているんです」

 

 ここ近年、特定の輸入品に対する関税の大幅な引き下げが行われている事はハインリッヒ教頭の政経の授業で学んでいた。

『帝国の更なる経済発展の為に対外経済政策を重視し、帝国内の主要産業の国際競争力を養う』というのが帝国政府の狙いではあるものの、急激な貿易政策の転換は当然の事ながら悪影響も伴う。

 ケルディックでの特別実習で訪れた農家が、安価な輸入農産物の大量流入による買取価格の低下に悩まされていたのもその一例だろう。旧来の帝国の貿易政策が自国産業の保護を過剰な迄に重視したものであった事を考えると当然事前に想定出来た影響なだけに、一部では諸外国に比べて生産性の低い帝国地方部の貴族領邦への帝国政府、《革新派》の経済的な圧力だと噂されてもいるらしい。現にハインリッヒ教頭はこの政策は否定的であり、帝都を初めとする帝国政府直轄地が漏れ無く大きな経済的恩恵を受けているのと対照的な帝国地方部の経済統計の話をしていた。

 

「じゃあ、パルムでリベール製の導力製品を売るということになるのかしら?」

「ええ。ですが、あくまでそれは副次的なもの――このお話の一番重要な部分は、”帝都への輸送”なのです」

「帝都への輸送、ですか?」

 

 アリサの質問に答えたシェリーさんの言葉に、私は思わず彼女に聞き返した。

 

「帝都とその近郊地域が帝国最大の人口を有する商圏でもある以上、販売展開は当然の事でしょう。それに先方も既に幾つかの小売店と接触しているみたいですしね。ですが、問題は”輸送手段”なのです」

 

 そこまで話してから、彼女は食後のコーヒーを音もなく一口啜った。

 

「帝都=リベール王都グランセル間の国際定期便航路の貨物取扱量の40%がリベールのある大商人が独占している事は皆さんご存知ですか?実にリベール側に割り当てられた取扱量の八割の専有……リベール飛行船公社との懇意な関係が伺えますね」

 

 それは少し刺のある言葉。まさに癒着や汚職といった言葉が脳裏を過る。どうしても、リベールには似つかわしくない響きの言葉だ。

 

「かといって帝都発着便の帝国側の貨物割り当て分は全て帝国政府の管轄下――元々空路は輸送費は遥かに高く付きますし、当然ながら私達に旨味はありません。ですので、今回私がミラノ様にご提案したのはパルム経由での鉄道輸送だったのです」

 

 パルム市はその立地の性格上、帝国南部の玄関口ともいうべき都市であり、同時に古くから紡績業が発達する事から、地方都市としては珍しくそれなりの規模の発着場も整備されており、鉄道駅の規模も比較的大きい。

 そして、何よりパルムから帝都までの道中はサザーラント州であり、彼女の属する財閥のお膝元でもある。つまり、彼女は自分の力を思う存分利用出来るのである。帝都までの鉄道もパルム市=リベール間の空路もハイアームズ侯爵家とも近い彼女達であれば有利な条件で、尚且つ優先的に都合を付ける事が出来るのは想像するに容易い。勿論、自分達のホームグラウンドであれば伯爵家という家格も利用出来るだけ利用するのだろう。

 

「なるほど。そして、相手は帝国南部での販路も同時に拓けるということか」

「ええ。勿論、その見返りにそれなりの条件は求めましたが、とても良いお返事を頂けました」

 

 彼女の顔はセントアーク市を本拠地としてサザーラント州全土に展開している財閥の一族に連なる商人の顔であった。

 今までの話は私にとってとても遠くの世界の話に思えた。本当の大人の世界というのだろうか、きっと貴族や政治家は常にこの様な世界に身を投じているのかもしれない。

 

「それにしても……シェリーさんは凄いんですね」

「ええ……同感ね」

 

 スケールの大きな話が続くことに、私は心の底からそんな言葉を出していた。隣に座るアリサも同じ思いの様だ。

 私も酒屋の実家の一人娘であり、一応は商人の端くれだとは思っている。でも、彼女とは何もかもが違う。生きる世界が違うとはこういう事を言うのだろうか。そういう意味では、ラインフォルトを知るアリサであれば、もしかしたら彼女ともっと深い話が出来るのかもしれないが。

 

「そうですか?私は自らが正しいと思ったことをこなしているだけです。それがセントアークでの私達の地位を上げることに繋がりますから」

 

 シェリーさんの声に少し力が篭もるのを感じた。彼女にも複雑な事情があるのだろう。セントアーク、つまり財閥本家という意味だと推測出来る。

 伯爵家の孫娘、直系ではあるものの爵位の継承権からは遠い――どうしても私はその裏側を想像してしまう。

 

「フン、天性の商才という奴なのかも知れんな」

「ふふ、ユーシスさんは褒め方がお上手ですね」

 

 ユーシス様の素直さに、私もびっくりだ。いつもの私への酷い扱いはどういう事なのか。それ程、彼女の思惑が理に適った物だったのかも知れないが。

 

「でも、私は本当は商談の為に帝都に来たのではないのです」

「「え?」」

 

 私とアリサの反応が被って、お互いに顔を向け合う。もっとも今までの話の流れから突然そんな事を彼女言われたのだから、私達以外も拍子抜けしていたが。

 

「確かに、今回の見本市に出向いた目的の一つではあります。新進気鋭と評判のボース商人であるミラノ様が見本市に来られるという話をお聞きしたので、一目お目にかかりたいと思いました」

 

 先程の見本市会場でのやり取りから、その仲介にリベール大使館、外国政府の存在があったのは間違いは無さそうだが、それには全く触れようとはしていない事に今更ながら気付いた。

 

「ですが、本当は帝都の夏至祭を楽しみたくて連れてきて貰っただけなんです」

「連れて来て、貰った?」

「はい」

 

 彼女はほんのり頬を赤らめてはにかんだ。先程の財閥の人間の顔は最早そこにはおらず、彼女はまるで恋する一人の女子だった。

 

「なるほど。その方を待っているということなんですね」

 

 シェリーさんの見せた違う顔に微笑むエマ。私だって思わず顔が綻んでしまいそうだから、仕方無い。

 

「ええ、お世話になった皆さんを是非紹介したいのです。ですから、もう少しだけ私にお付き合い頂けませんか?」

「その方は今どちらに?」

「彼はお仕事で州の事務所に出向いているのです。本当は三十分程前に待ち合わせしていたのですけど」

 

 エマの問いに、少し寂しそうな顔を作って答えるシェリーさん。

 州の事務所ということは大方ハイアームズ侯爵家に仕えるサザーラント州の役人といったところだろうか。

 

「そういえば、エレナさんはリフージョのご出身でしたね?」

「ええ、そうです! あ、私の実家、酒屋なんです! だから、私、シェリーさんの所の商会知ってますよっ!」

 

 彼女に話し掛けられたことが嬉しくて思わず、嬉々としてしまう。酒屋の一人娘と財閥に連なる貴族の血族という立場は大きく違っても、同郷というだけで少なからず親近感が湧くものである。

 

「まあ。では、彼を知っているかも知れませんね――」

 

 その言葉を私はすぐに理解は出来なかった。私の知り合いで、というか故郷の村には彼女のような上流階級のお嬢様のお相手になるような男はまず居ない筈である。それに州のお役人なんて――。

 

 そこで、私の思考は喫茶店のドアが勢い良く開く音に邪魔された。

 

「すまない、シェリー! 待たせた――」

 

 そして、慌てているような聞き覚えのある声。

 

「まあ、そんなに急がなくても――」

 

 思わず振り向いた先に居たのは、驚きを浮かべる大好きだった彼だった。

 

「――どうかしたのですか?」

 

 待ち人が来て嬉しそうにしていたシェリーさんに、困惑の声色が混じる。

 しかし、そんな彼女に声を掛けることも無く、まるで蚊帳の外とでも言うように彼と私はお互いに視線を動かせなかった。

 

「……フレール、お兄ちゃん……」




こんばんは、rairaです。
遂に「閃の軌跡Ⅱ」が発売されましたね。私といえばⅡ原作とこの作品と間に致命的な矛盾が生まれないかヒヤヒヤしながらも、やっとアリサ嬢と合流出来た所だったりします。何気にクレアさんが好きになりました。笑

さて、今回は7月25日、第四章の特別実習のニ日目の午前中~午後のお話となります。
前回のお話でちょっとシモン君の名前に触れてしまったので、分かる人には分かってしまっていたと思うのですが、今回は前回とはちょっと意趣の異なるリベール色を「空の軌跡3rd」の星の扉から取り入れています。ミラノさんは遂に帝都市場進出を果たすこととなりました。大使館の事務官の正体は皆様の想像通りです。

ミラノさんや例の会社はⅡが少し心配だったりしますが…。

そして、遂にエレナは番外編や夢を除いた本編でフレールと再会することとなりました。一か月の空白を経て、もう一つの最後の決着が付く事になります。

次回は今回の続きのお話となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月25日 想いの終着点

「はは、じゃあ君がノルド高原から来たっていうカッコイイ留学生のガイウス君で、そっちの君が超頭のいいグラマラスな委員長のエマちゃん?」

 

 フレールお兄ちゃんが驚きの余り固まっていたのなんてほんの数秒。まだ衝撃から立ち直れていない私をスルーして、彼はいつの間にか私達の輪の中に混じってしまっていた。

 

「あ、ああ……そうだが」

「グ、グラマラスって……!」

「いやぁ、悪い悪い。手紙にそう書いてあってさ」

「エ、エレナさん……!」

 

 困惑するガイウスと、顔を赤らめたエマの非難めいた視線を私は浴びながら、何時ぞやに彼に送った手紙に書いた文句を思い出した。結構前だったと思うけど、彼はちゃんと読んでくれていたらしい。

 それにしても、ここで私のせいにするなんて。ちゃんと読んでくれていたことに嬉しさを感じた私が馬鹿だった。もっとも、その気持ちはすぐにとても虚しいものに取って代わられたのだけども

 出来れば手紙の返事も欲しかったけど――彼の隣で少し気まずそう視線を落とすシェリーさんに目を向けると、私の視線に気付いた彼女は、申し訳無さそうに、それでいて同情も混じる表情を浮かべた――それはもう今となっては叶わない。

 いや、あの時にももう無理だったのかも。彼の婚約者である彼女の姿に、色々な感情を抱きながら、そんな風に感じた。

 

「そして、いつも女の子に囲まれてる鈍感男に絶賛片想い中のラインフォルトの可愛いお嬢様と――」

「ちょ、ちょっと! か、か、片思いって――!」

 

 ごめん、アリサ……。私は隣に座る彼女に心の中で許しを請う。本当に、この班にリィンが居なくて良かった。本当に。

 アリサが顔をトマトの様に真っ赤にしてあうあうしているのを申し訳無く思いつつ、私が彼女の想い人の不在に胸を撫で下ろしている最中、B班最後のメンバーであるユーシスに顔を向けたフレールお兄ちゃんは何を思ったのか、いきなり席から立ち上がった。

 そんな突然の行動に驚いて彼を見上げている中、そのまま彼はユーシスに深く頭を下げ、姿勢を正してから敬礼を決める。

 

「申し遅れました。サザーラント州領邦軍パルム駐屯地所属フレール・ボースン曹長であります。この度は栄えある《四大名門》アルバレア公爵家のユーシス様にお目に掛かれましたこと、小官は大変光栄であります」

 

 貴族に仕える領邦軍の兵士としては、例え他の家の人間相手でも礼節は弁えなければならないのだろう。それに私達のサザーラント州を統治するハイアームズ侯爵家より、ユーシスのアルバレア公爵家の方が家格は上なのだ。

 そして、《革新派》に対抗する為に《貴族派》が貴族連合という枠組みのもとに団結を掲げるこのご時世もある。

 

 それと同時に、私はフレールお兄ちゃんの階級に驚きを感じた。曹長――確か、今年の初めは伍長だったような気がする。たった半年足らずで二階級も昇進って……。

 普通なら滅多にあり得ない事の筈なのに。

 

「フン……貴官はアルバレア家に仕えているクロイツェン州の兵では無い。俺も実習中の身、以後はあくまで一士官学院生と扱って貰おうか」

「――かしこまりました。それでは、ユーシス君と呼ばせて貰おうか」

「……勝手にするがいい。……要らん堅苦しい挨拶ぐらいするのであれば、そこのお前の妹分の相手をしてやることだ」

 

 あのユーシスが、戸惑っている。彼は自分に対して畏まる相手に度々同じ様な事を言うが、こうもすぐに順応する人は中々居ないのだ。同じⅦ組でも、私なんか一週間は掛かったのに……。

 

 驚きの連続に私の頭がいっぱいになる中、ユーシスの忠告に対してにこやかな笑顔を返したフレールお兄ちゃんは、ソファーに腰を下ろして、そのまま私に顔を向けた。

 

「エレナ――元気そうだな?」

 

 やっと私の名前を呼んでくれた。さっきは目の前で私をスルーして、先にⅦ組の他のみんなに話し掛けるのだから、どれだけ落ち込んだことか。

 数か月ぶりに彼の声が私の名前を呼ぶ。そんな些細な事が私にとってはとても嬉しくて、同時に胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。

 どうしてか、最後に会ったあの日の出来事が、彼と過ごしたたった数時間の車旅の記憶が脳裏に走る。

 

「……うん、元気だよ」

 

 その言葉が出るまで、数秒は掛かってしまった。自分でも把握出来ない程の感情が溢れているのは分かるし、沢山話したいことはある――でも……。

 数か月ぶりに会った彼は、大きく変わってしまっていた。

 

「……その……髪、切ったんだね?」

 

 次に私の口から出たのは、どうでも良いような事だったかも知れない。

 でも、私の記憶の中にある彼は、領邦軍の制服が可哀想になってしまうぐらいだらし無く着こなし、兵隊とは思えない長めの髪に無精髭――でも、今、私の目の前に座る彼は髪を短く切り、髭もしっかり剃っている。そして、何より以前と違うのは、まるで良家の後取りにも見えなくもない高そうなスーツに身を包んでいた。

 ああ、そっか。分家とはいっても伯爵家の財閥一族に連なるシェリーさんの婚約者なんだから、良家の跡取りというのあながち間違いではないのか。

 

「はは、そうだな。色々あってな――お前は結構伸びたな。そうやって後ろで括ってると日曜学校に一緒に行ってた頃を思い出すな」

 

 多分、十一かニ歳位の時の話だろう。そういえば、あの頃――私は彼が好きだったと自覚したっけ――。

 

「あはは、そうだね……。フレールお兄ちゃん……格好良いよ。スーツも似合ってる」

 

 どうしてだろう、一言一言に言葉は詰まるし――段々哀しくなってゆく。目の前にいるのはフレールお兄ちゃんなのに……いつの間にか私とは遠くなってしまった。知らないことも多くなった。

 あの服、シェリーさんが選んだのかな。私達のやり取りを少し寂しそうな表情で見ている彼の婚約者の姿は、そんな事を思わせる。

 一日中一緒で寝食すら共にしていた子供時代とは何もかも違うということを、私の知らない彼の服が物語っていた。

 

「ハハ、ありがとよ」

「お前も、士官学院の制服、似合ってるぞ。パルムに送った時は制服に着られてる様にしか見えなかったけどな。うん、夏服ってのもいいな」

 

 そして、多分、この士官学院の制服も――。

 

 

「へぇ、帝都庁の仕事を手伝ってるのか」

 

 昔から思っていたことだが、フレールお兄ちゃんはチャラい様でその話術は結構凄い。先程まで私とシェリーさんが互いの様子を窺い、それを心配するアリサとエマという何とも気不味い空気だったのが、それはものの十分程度であっという間に薄れていってしまっていた。

 

 丁度今、エマとアリサがフレールに今月の特別実習について話している様に、学院での私の様子やⅦ組の日常の他愛も無い話等、話の話題は尽きない。つい先程までは、特に四月のB班を経験している三人がいることからパルム市についての話で盛り上がっていた。まあ、あの時の彼らはマキアスとユーシスのお陰で落第評価だったのだけど、それは余り関係は無いみたい。

 

 そんな流れの中、ただただ、私とシェリーさんだけが二人でお互いに気を遣うようにどこか取り残されてしまっている状況になってしまっていた。

 

「しっかし、聞いてはいたがトールズというのは凄い学院だな」

「ええ、私も同感です。……少し、羨ましいですね」

 

 フレールに同意して微笑むシェリーさん。そういえば、さっきからずっと浮かない顔をしていた彼女の笑顔を見るのは久し振りに思えた。フレールの前だとあんな可愛い笑顔になるんだ。

 年上の人に可愛いと思うのは少し失礼なのかもしれないけど、それでも、それ以外の言葉が余り思い浮かばなかった。

 

「ああ、全くだ。俺も行ってれば潤いに富んだ青春の日々を過ごせたかも知れんのになぁ」

「……フレールさん?」

「あ、いや、そういう意味じゃないぞ?」

「そういう意味ってどういう意味よ……」

 

 困った顔でフレールお兄ちゃんを見上げるシェリーさん、そして彼の言い訳になっていない言い訳に湿っぽい視線を浴びせるアリサ。

 それにしても、婚約者の目の前でなんて事を言うんだ。当の本人を除いた、この場に居た全員が私と同じ事を思っただろう。シェリーさんも少しむくれているし、私としては身内の恥を目の前で見させられて頭を抱えたくなる思いだ。

 同時に、今のやり取りがフレールお兄ちゃんとシェリーさんの間の会話であることに私は、少なからずショックを受けた。今までは、ずっとあの場所には自分が居た筈なのに。

 

「男子諸君なら分かってくれると思うんだが――って、そうでもないみたいだな」

 

 ガイウスとユーシスに目配せするもあんまり望んだ反応を返してくれない二人に、フレールお兄ちゃんも見誤った事を把握したみたいだ。大体、Ⅶ組はみんな真面目なのでそういうネタに真っ向から乗ってくれる男はあんまり居ない筈。クロウ先輩ならいざ知らず……そこで、私は銀髪バンダナの士官学院の先輩と目の前の幼馴染の組み合わせを想像した私はちょっと後悔した。うん、この二人が何かの拍子に出会ったら何というか手が付けられなく無さそうな気がする。

 

「二人共結構いい面してるから女の子も放っておかないだろうになぁ。そういや、お前はどうなんだ?」

「え?」

 

 両手を広げて少し残念そうな表情を浮かべる彼がいきなり話を振ってきた時、最初は聞き違えだと思った。だって、流石に分かっているだろうと思っていたから。私と彼は所謂、幼馴染であり、その中には許嫁的な意味合いも含んでいた間柄だ。

 私があと一歩を踏み出せなくても、彼は待ってくれているものだと思い込んでいた時もあったぐらいだ。そんな間柄で、つい一か月前に彼の婚約の話を聞かされた私が、そんな簡単にすぐ新しい人と――なんてあり得るだろうか。

 

「彼氏の一人や二人ぐらいは出来たか?」

 

 どうやら、聞き間違えでは無いみたい。本気で言っているのかと、彼の顔を見るも、少し下品にニヤつく笑いを浮かべたまま。

 ああ、もう、彼にとっては私の存在はそういう意味しか持たない。そう、明確に突き付けられた。

 

 最初はムカついて、思わずソファーから立ち上がった。でも、彼へ投げ付けようと思った言葉が出る前に、その怒りは急速に冷めてゆき哀しみに触れた。

 

「……はは……そんな人は……いないよ……だって私は……」

 

 ――フレールお兄ちゃんの事が、好きだったんだから――。

 

 もうその言葉を出したら、ダメだというのは知っていた。だから、寸前の所で飲み込んだ。でも、その代わりに色んなものが溢れてしまった。

 

「……ごめんなさい! ちょっと、席、外すね……!」

 

 アリサとエマの声を振り払って、私は喫茶店の化粧室の扉を目指して飛び込んだ。

 

 

 ・・・

 

 

「あん? あいつ、腹でも壊したかね?」

「貴方ねえ!」

 

 エレナが走り去った後、フレールが口にした罪の意識を感じさせない言葉にアリサが激発した。先程の無神経極まりない発言といい、エレナの身内といっても差し支え無いフレール相手であってもアリサやエマとしては許せる筈もない。

 

「今のは流石に酷いです……」

 

 いまにも襟首を掴みそうな勢いでフレールを睨み付けるアリサの後ろから、静かな怒りを感じさせる口調でエマが非難する。

 

「関心しないな」

「フン……」

 

 そして、B班の男子陣の二人もそれは同様だった。あくまで二人は冷静さを崩してはいないが、彼らの鋭い視線は怒りを帯びている。

 

「そんな顔でこっち見んなよな……ハハ、大分俺も嫌われてたみたいだな」

 

 Ⅶ組の面々からの激しい非難の視線を受けて、左右に首を振ったフレールは隣に座るシェリーに顔を向けるが、そこにいたのは言葉こそ何も出してはいないものの、恐ろしい程真剣な表情でその瞳に怒りを湛える自らの婚約者の姿だった。

 

「シェリー、お前もか」

 

 大きく溜息を付いて背もたれに身体を預けるフレールは、徐に上着の内ポケットから煙草の箱を取り出して、婚約者とは逆側の隣に座るアリサにだけ見える様に、そして、まるで見せ付ける様に開いた。

 

「……あー、煙草切れだわ。ちょっと、俺に近くの煙草屋まで案内してくれないか――ラインフォルトのお嬢さん」

 

 

 ・・・

 

 

「……で、私に何の用かしら?」

 

 喫茶店を出て数歩歩いた所で、アリサは大して上手くも無いやり方で彼女を連れ出した友達の元片想い相手の男に訊ねた。

 

「言わなくても分かるでしょうけど、私、怒ってるわよ」

 

 エレナを泣かせた先程の一件は簡単には許すことは出来ない。アリサも自分で驚く程声のトーンは低かった。

 

 数歩先をゆっくりと歩く友達の元想い人で初恋の相手、フレール。アリサの好みとは微妙に外れるが、確かに外見もそれなりに格好良い男でもあるし、先程の気まずさの中でも上手い具合に話を盛り上げていたことから面白い男でもある。それに、あの間も何度もエレナを窺うなどそれなりに気にしてはいるようであった――自分の友達が恋をしていた相手だというのも充分解る気はするが――それでも、先の一件は到底許すことは出来なかった。

 

「悪かったと思ってるさ」

「エレナに言いなさい」

 

 フレールの口だけの謝罪をアリサはばっさりと切り捨てる。

 何故なら、フレールがエレナをあの場から遠ざける為にわざと泣かせたという事をアリサは分かっていたから。何を言えば彼女が耐えられなくなるかを知っていて、尚且つそこに踏み込んだ。それは、あの後の彼の態度からも見て取れる。妹分を泣かせたしまった事への驚きや狼狽えが全くなかったからだ。

 

「一本、いいか?」

 

 街灯に背中を預けて、先程とは打って変わって慣れた手つきで煙草を一本手に取ったフレールに、不本意ながらも小さく頷くアリサ。

 

「はぁ……サザーラントと違って帝都は灰皿まで少ねえんんだなぁ。コーヒーもなんか味気ねぇし……」

 

 紫煙を吐き出しながら早く故郷に戻りたいとぼやく男に、アリサは『こっちが溜息を付きたくなる思いだ』と吐き捨てるのをあと一歩の所で飲み込んだ。

 

「士官学院でのあいつはどうなんだ? 上手くやっていけているか?」

「さっき話してた通りよ。勉強も実習も頑張ってるし、私達と一緒に学院生活を楽しんでると思うわ」

「そうか。それは良かった」

 

 そこで一旦、会話は途切れる。だが、何を考えているか分からないフレールに、流石のアリサも我慢の限界を迎えそうであった。

 

「……貴方の所為であの子がこの一か月間どれだけ悲しんで……苦しんだと思ってるの? やっと、気持ちの整理もついた頃だったのに……!」

 

 フレールの背中は無言だった。ただ、風のない街角に、煙草の煙だけがゆっくりと空に溶けてゆく。

 

「……なにか言ったらどうなのよ?」

 

 そんな彼の態度が更に気に食わなくて、アリサは苛立ちを隠さずに続けた。

 

「そうだな……あいつからしたら俺は酷い男だろうな」

「それを知ってて……!」

「……だが、俺はあいつには謝ることは無い。これが俺にとって正しい道だからだ」

「南部の財閥、伯爵位を持つ血筋に婿入りするのがそんなに重要なの?」

「ああ、重要だとも」

 

 全く迷いの無い返事。

 

「帝国一の資産を持つ平民の家庭に育った君には分からないかも知れないが――いや、すまない。君にも様々な事情が有るだろう事は俺でも想像するに容易い、今のは少しばかり失礼だったな」

 

 そんなのはどうでも良いとアリサは心底そう思った。少々慇懃無礼さまで感じたユーシスへの挨拶と同じで、彼の本心というよりあくまで社交辞令に近い言葉に思えたからだ。

 

「俺の実家は俺とあいつの故郷のリフージョ村で唯一の総合商店だ。村と都市の間の輸送も一手に引き受けてるし、村にある他の商店の品物も仕入れたりしている」

 

 エレナが語っていた話と大体一致する。彼女は、彼の実家が村の中央広場の向かいにある商店で、村随一の品揃えだと言っていた。

 

「そんなウチの店も大分経営が厳しくなってきていてな。物価は上がっていくのに村の人口が減るせいで売上はずっと右肩下がり、もう随分長い間、黒字は見ていないようだ。今の状況ならもって数年ってところだろ」

 

 それは、どこでも聞く地方の惨状の一つ。

 

「はは……惨めだろ。親父とお袋……兄貴も必死こいて働いても赤字さ。十年以上前は近くにあった他の村の客も多く来てたし、外国の鉱山や不動産に投資なんぞして大儲けしていた時期もあったみたいだが、戦争やら何やらで全部パー。今はその残り粕で食い繋いでる状況よ」

 

 自嘲的な口調のフレールは目を合わせること無く、紫煙を空に向けて吐き出した。

 

 アリサは彼らの故郷の置かれた状況の厳しさを痛感していた。そして、現状から目を背けた場合に訪れるであろう事態も。その余りにも厳しい現実に何も言葉が出なかったのだ。

 

 そんな彼女を一瞥したフレールは、街灯下のゴミ箱の脇にある灰皿に煙草を押し付ける。

 

「俺の実家には、そして、故郷にはシェリーの、財閥のパルム支社の力が必要だ」

 

 有無を言わさない真剣な横顔に、アリサは彼の決意の強さを感じる。

 

「そして、財閥家はハイアームズ侯爵家にも近しい――俺は領邦軍内での地位を得ることが出来る」

 

 フレールの思惑はアリサにとっては簡単に理解出来た。

 彼は財閥支社の持つ経済力を利用して、実家の商店は勿論、故郷の後ろ盾になろうとしているのだ。経済的な意味合いは勿論、公権力という社会的な意味合いでも。平民の昇進は渋い事で有名な領邦軍だが、貴族相手には軍に属さなくても階級を売っていると言われる位に階級授与が行われている以上、現役軍人が伯爵家の財閥一族の婿養子という肩書を得れば、それ相応の地位に引き上げられる可能性は十分考えられる。そして、フレールはエレナの五歳上の二十一歳。まだ充分過ぎる程若く将来が有る。

 

「貴方は……権力の為にあの人を利用するの?」

 

 アリサの脳裏に浮かぶのは、頬を赤らめて幸せそうに笑う蜂蜜色の髪の女性。彼女は商才に恵まれた商人ではあるが、実は婚約者に利用されているのではないか、と脳裏に過ったのだ。

 間違いなく、彼女は目の前の男の事を愛している筈なのに。

 

「勘違いしてくれるな。俺は貴族様みたいに好きでもない相手とホイホイ結婚できる程、人間出来ちゃいねぇさ」

 

 まるで鋭利な刃物の様に鋭く尖った口調での否定。

 ただ、仮にも領邦軍の兵士なのにも関わらず貴族批判とも受け取られかねない言葉が出てきたことに関しては、アリサは不思議と驚かなかった。

 

「彼女は全て知っている。全て受け入れてくれた上で、俺達はお互いにそれぞれの目的の為に共に道を歩く事を決めた。勿論、俺は彼女を愛している」

「……!」

 

 フレールに実家と故郷を守る為の力を得るという目的が有るように、シェリーにも目的が有るということをアリサは知った。そして、何となくだか二人の狙いを悟ってしまったのだ。

 

 仮に彼の目論見通り進めば、一番力を得るのはシェリーなのだら。

 

 

「ハハ、分かったか?」

「本当に、それだけ?」

 

 一分か、二分か。長くも短くも思える空白の時間の後に、口を開いたフレールにアリサは問い質す。

 

「私、エレナからずっと貴方の話を聞いてた――私の想像するあの子の大好きなお兄さんは、もっとエレナの事を考える優しい人だと思う」

 

 今まで終始余裕を崩さなかった彼の顔に、一瞬だけ驚きと焦りが浮かんだのを見逃さなかった。

 

「はは、そうか、エレナが、な……流石はラインフォルトのお嬢様といったところか」

「ラインフォルトは関係ないわ。私はあの子の仲間だから――そして、大切な友達だから」

「そうか……」

 

 帝都の夏空をフレールが仰ぎ、アリサは彼を待った。そんな中、導力トラムが二人の隣を音を立てて通過し、喫茶店近くの停留所には誰も居なかったのかすぐに走り去っていった。

 

「これから俺が話す話は、あいつには黙っていて欲しい」

 

 真っ直ぐなフレールの空色の瞳が真紅の瞳が交差した後、アリサは頷いた。

 

 

「俺は、もうあいつに家族を失って欲しくない」

「え……?」

「知ってはいると思うが、あいつの親父さんは帝国正規軍の軍人。そして、俺はサザーラント州領邦軍の軍人――俺とあいつの親父さんは仕える相手が違うばかりか、”敵”同士なんだよ」

「……まさか……」

 

 それが紛れもない現実であることは、残念ながら過去四回の特別実習でアリサがⅦ組の仲間達と共にこの目で見て来た事だった。

 

「四州を統治する《四大名門》を中心とした貴族連合と鉄血宰相に率いられた《革新派》の帝国政府。どんな形であれ、いずれは全面衝突は避けられないだろう。ハハ、内側は何年も前からやる気満々だぜ?」

 

 比較的穏健なサザーラントでこれだからな、西のラマールや東のクロイツェンなんていつ何があってもおかしくは無いだろうよ――言葉の内容とは正反対の態度でフレールは続ける。

 フレールの言葉と共に、アリサの脳裏には五月に東のクロイツェン州バリアハートを訪れたA班のレポートが過った。ラインフォルト社の最新鋭の主力戦車《アハツェン》のクロイツェン州領邦軍への納入――軍事拠点であるオーロックス砦の大規模な改修工事。

 

「そう遠くない内にあいつは酷く苦しむ事になるだろう」

 

 正規軍の父親に領邦軍の幼馴染。

 

「無論、俺は女神の元に召される気は無いし、それはあいつの親父さんも同じだろうが――軍人である以上は、絶対に死なないとは言い切ることは出来ない。大体、世の中には自分から死ぬっつって死ぬ奴より、死なねえつって死んじまう奴の方が多いだろう?」

 

 気楽そうに語るフレールだが、紛れも無く軍人としての覚悟の話だ。

 人は誰しも自分が死ぬとは思っていない――そんな言葉をアリサは思い浮かべた。

 

「俺が死ぬかも知れない、親父さんが死ぬかも知れない、もしかしたら両方死ぬかも知れない。……あいつの親父さんに銃口を向けなくてはいけない俺が、あいつの気持ちに応える訳にはいかないのさ」

 

 自分の友達の大切な人同士が殺し合う可能性があるという、現実の重さをアリサは感じざるを得なかった。それは分かっていた事でもある。だが、それが現実になる日が来るとは今、この瞬間も想像できない。

 

「だが、今なら俺が死んでも家族を失うことにはならないだろう?」

「あの子は、今でも貴方のことを家族だと――」

「それでも、明確に違うと俺は思う」

 

 アリサの反論は遮られた。

 

「だってよぉ。あいつ、旦那が死んだりしたら、一生喪服着て独りぼっちで生きていきそうじゃないか。そりゃあ、死んだ後も愛してくれるのは男冥利に尽きるが――十年以上世話してやった妹分としては、もっと幸せな人生を生きて欲しいんだわ」

 

 なんて自分勝手な人だろうか、とアリサは思ったが、彼の言い分も否定出来ないのも事実だった。それは卑怯なことに、アリサよりもエレナのことを遥かに良く知り、アリサが知らないエレナの過去に触れられているのだから。そして、最早、今更彼の間違いを指摘した所で何かが変わる訳でも無い。エレナは彼の口からこの理由が知りたいだろうか、と考えると分からないのだ。

 

「もう二度と、あいつに家族を失う悲しみで苦しんで欲しくはない」

「……貴方は……」

 

 もう一度、再び誓うように口にするフレールの姿は、彼自身が自分に念じているようにも見えた。

 フレールが領邦軍を辞めてしまえば、仮に万が一に何かあった時も彼と正規軍に属するエレナの父親がぶつかることはない。かといって、領邦軍に属さなければ彼は故郷を守る力を得る機会を完全に失う。

 

「ま、そういうこった。本当はもっと徹底的に嫌われておくべきだったんだがな。まさか帝都でこんな形で会うとは俺も抜かったぜ」

 

 打って変わってお気楽そうな声に変えるフレール。それは、完璧な演技だったが、彼の纏う自嘲的な雰囲気が邪魔をしていた。

 

 彼はエレナの事を決して考えていない訳では無い。そればかりか、考えるあまりの選択だった。そこには、彼なりの想いと苦悩があった。アリサは不本意ながらもそう認めざるを得なかった。

 

「トールズ士官学院、Ⅶ組……か。ははっ、あいつが士官学院の試験に受かったなんて聞いた時はたまげたが――本当に、良い友達に恵まれたみたいだな」

 

 夏空を仰ぐ彼の表情は分からなかったが、その声は嬉しそうであった。ただ、アリサにはどこか寂しさが混じっていると思えた。

 

「アリサ・ラインフォルト嬢――ひとつ頼まれてくれるか?」

 

 こちらに向き直り、彼女の名を呼んだフレールに、アリサは小さく頷いた。

 

「エレナを、俺の大切な……妹分をよろしく頼む」

 

 そこで頭を下げた男の姿は、間違いなく”兄”だった。

 

 

 ・・・

 

 

 二回程、顔を洗って涙を流した。洗面台の鏡に写る顔の目元からは未だに腫れが引くことはない。

 私は今更ながら、あの場所から逃げ出して来てしまった事を激しく後悔していた。

 

 まさか、こんなに早く彼と直接会うとは思わなかった。それは彼も同じ事を思っていただろう。あんなに驚く彼の姿は見たことがない。なんといっても、私のトールズ士官学院への合格でもあそこまでは驚いていなかった。

 

 そして、私はこの一か月間、彼の事を無意識下で考えないようにしていたということに気付かされた。忘れ去りたい訳ではないけど、暫くは考えたくないという思いから。少なくとも士官学院を卒業するまでは会わないだろうと思っていた。

 

 だから今、彼と再会したことは私にとってとても辛かった。

 

 それにしても本当に、最低だ。無神経だ。本当に……なにが、『彼氏の一人や二人』だ――全部分かってて、言いやがって。

 

 これでもかという位心の中でフレールお兄ちゃんに毒づく。

 

 大体、数か月ぶりに会った幼馴染をスルーしてまずⅦ組のみんなに話しかけるなんて、以ての外だ。まだ、待たせていた婚約者に声を掛けていた方が、私としてもマシだった――婚約者、シェリーさん。

 

 私はフレールお兄ちゃんと将来的に結ばれる、いやもう確定的に結ばれるであろう人を思い浮かべる。シェリーさん、今の彼の隣にいる女。

 私なんかでは到底届かない程凄い人で、それでいて、綺麗で……大人で。なのに、愛嬌もあって可愛くて――考えれば考える程、悔しくて悔しくて仕方が無い。

 あの人相手なら最早負けて当然なのに、羨まし過ぎて、妬まし過ぎて。

 

 何より、結局は私の自業自得であるのが何よりも虚しかった。時間と機会はいっぱいあったのに、それを全て無駄にしてきたのは私自身であったのはもうとっくに分かっている。だがそれでも、いざ彼とその隣にいる彼女を見るだけで――。

 

 しかし、一人で心を落ち着かせていくと、その嫉妬の情すら虚しくなる。

 

 涙は虚しく、嫉妬も虚しく、かといって――激しく恨むことも出来ない。シェリーさんの事を何も知らなければまだ恨めたのかも知れないけど、今日の依頼を通して私は人間としても商人としても彼女を尊敬しており、好きになってしまっていた。

 嫌いになりたくても、恨みたくでも、少し手遅れだった。

 

 それにもう、何も意味は無い。だって、結局、私は諦めてしまったのだから。

 

 思わず、昨日の夜のように私は《ARCUS》を握る。勿論、今から通信を掛ける訳ではない。私用連絡をまだ特別実習真っ最中の昼間に掛けるのは、流石に迷惑過ぎるだろう。まあ、これが夜だったら真っ先に泣きついていたかも知れないけど。

 

 通信こそしなくても、私は充分満足だった。こうやって《ARCUS》を握っていると、ほんの少しだけでも繋がっている様に思えるのだ。戦術リンクが繋がっている訳ではないけど、力を貰えるような気がするのだ。

 

「教えてよ……どうすればいい?」

 

 鏡越しに尋ねる。もっとも、私を『支える』と言ってくれた人は帝都内といえども遠く、鏡には情けない顔を浮かべる自分しか映っていない。

 エリオット君だったら、何て言ってくれるだろう。

 

 

 ・・・

 

 

 みんなの元に戻った後も、どうすれば良いのか分からない私は、ただひたすら泣かないように押し黙るのみであった。

 当然ではあるものの、そんな私がいれば気不味くなるのも道理であり――私がトイレから戻って十分も経たぬ間に喫茶店から出る運びとなった。

 

「……皆さんもご一緒しませんか? 一応、席もありますし……」

「おう、乗ってけよ。道はあんま分かんねぇけど」

 

 喫茶店の外に停められていた大きめの導力車の前で、元気の無いシェリーさんが私の方を気にしながらそう誘った。

 フレールお兄ちゃんがあの場に来て以降、彼女はとても居心地が悪そうだった。主に、私のせいで。

 

「いえ、私達は実習中ですので、お構いなくお願いします。それに、行き先も多分反対ですので」

 

 B班の実質的リーダーのアリサがシェリーさんの誘いを断った。ま

 この先の行き先を私は知らないが、多分、アリサは私に気を遣ってくれたのだと思う。

 

「……そうですか。私達、ヴァンクール大通りの《インペリアル・ホテル》に明後日まで滞在している予定です――もし何かあれば……その、いつでも連絡下さい。私達にも皆さんの活動の手助けが出来る事があるかも知れません」

「ありがとうございます」

 

 一礼するアリサに、小さく頭を下げるシェリーさん。その後、再び彼女と私の視線が重なり、表情が暗くなる。

 

「シェリーさん」

「はい……」

 

 私は導力車に乗り込もうとしない彼女の名前を呼ぶと、出来る限りの笑顔で応じてくれた。但し、声は硬く弱々しかったが。

 

 この人はとても良い人なのだ。私に罪悪感を抱いてくれている位なのだから――もっとも、それは商人としての顔なのかもしれないけど。でも、何となく、勘で今の彼女が素で私を心配してくれている事は分かった。

 

「フレールお兄ちゃんは、本当にいい加減で、悪戯好きで結構浮気症で……手紙も全然返してくれなくて……他にもダメな所はいっぱいありますけど……」

「おい……お前……!」

 

 私にダメな所を羅列されて声を上げる彼を、シェリーさんは左腕で静止する。

 

「それでも、私にとって本当に大切な人なんです」

 

 無言で、シェリーさんのどちらかと言えば緑色に近い綺麗な碧い瞳を私は見つめた。

 

「ですから、どうか……幸せにしてあげて下さい。よろしくお願いしますっ……!」

 

 私は目の前の彼女に思いっきり頭を下げる。

 

「はい――勿論です。女神様に誓って――」

「……よかった……」

 

 最低の返事かもしれない。でも、彼女のその言葉に心の底から私は安堵していた。

 

「ね……良い人、見つけたね。ちょっと勿体無い位にも思うけど、お似合いだよ。……羨ましいな」

 

 どこか清々しい気分だった。勿論、本音は一番最後の言葉だけど、私はもう望まない。

 エリオット君は先月のあの日の夜に、私に全ての思い出をしっかりと大切な過去にして、前を向いて歩いて行く一番辛い道を選ぶ事を支えてくれた。

 それの締め括りは、やはり違う道を進む幼馴染を笑って祝福してあげて、送り出す事だと思う。それが、私にとっても現実を認める事になるのだから。

 

「遅くなっちゃったけど……婚約おめでとう。フレール」

 

 最後の最後、長かった想いの終わりで、やっと私は彼の妹分である事を捨てた。




こんばんは、rairaです。
「閃の軌跡Ⅱ」、アルフィンお姫様がヒロイン過ぎて…凄いです。第二部もそろそろ終盤といった所まで進んでいますが、中々苦労しています。実は戦闘が苦手なんですよね。苦笑

さて、前回のお話ではエレナの生きる世界とは違う世界を様々なキャラクターの思惑や動きと共にシェリーという商人の話という形で描きました。

今回は、その婚約者こと主人公エレナの初恋相手であるフレールの登場です。個人的にはリィンやガイウスとはまた違った”兄”の姿を描けたのではないかと思っています。もっともフレールの場合は”兄貴分”であって、決して”兄”では無いのですが。

まだ少し関連するイベントは予定されていますが、一応はこれにてエレナの初めての恋は終わります。

次回は遂にオリビエ&お姫様登場となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月25日 薔薇園と会議室

 うわぁぁ……私、ネクタイ緩めたまんまだよ。シャツも出してるし、パーカーも腰に縛ったままだし……。

 

 先程、この場にまで案内して貰った際に、良くも悪くも女学院の生徒から注目を浴びた自分の着こなしに激しい後悔を抱く。いま思えば、あの時に恥を忍んででもしっかり直しておけば良かった。

 

 私は、今、とんでもないお方とお茶の席をご一緒していた。その方は――

 

「……殿下こそ。ご無沙汰しておりました」

「ふふ……お美しくなられましたね」

 

 ユーシスとラウラの言葉に小さく笑って感謝の言葉で応えたのは、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下――エレボニア帝国の現皇帝陛下であるユーゲント三世陛下の娘さんにして、セドリック皇太子殿下に次いで皇位継承権第二位。

 皇太子殿下の双子のお姉さんで、その可憐な容姿から巷では二人はもっぱら《帝国の至宝》とも言われている。お年は今年で十五歳――丁度、私の一つ下で、フィーやこの場にいるリィンの妹さんのエリゼちゃんと同い年だ。

 私は初めてこうして直にお目にかかり、《至宝》という喩え言葉が寸分違わず正しいという事をいま正に実感していた。もちろんお写真を見た時もそう思っていたけど!

 

 皇女殿下とラウラのお話の最中、緊張でガチガチになっている。だって、だって――目の前にいらっしゃるのは皇女殿下なんだから!

 ユーシスの普段ならあり得ないような優しく柔らかい声なんて最早どうでも良い位、未だ私はこの状況への驚きから立ち直れていない。

 

 いったいどうしてこんな事になってしまったのだろう。

 午後五時にアストライア女学院に行けというサラ教官からの指示が、まさか帝国のお姫様と会うことだったなんて夢にも思わなかった。

 

 頭を悩ます私を現実に引き戻したのは、リィンの妹のエリゼちゃんの慌てた声。

 

「トールズに編入する」と冗談で仰られる皇女殿下に驚くエリゼちゃん――もっともそれは彼女の気を引くための殿下の冗談。

 そういえば、話を聞いている限り彼女はアルフィン殿下の女学院でのお友達らしい。やっぱり貴族って凄いと思う。殿下と共に過ごされるなんてとても羨ましいけど、私だったら正直そんな大任をこなせそうにはないもの。

 そんな、その後にとんでもない事をリィンに提案する皇女殿下――流石のリィンも驚きの余り素っ頓狂な声を出して困惑している。だって、私が『リィン兄様』って誂っていたのとはレベルが違い過ぎる。

 

 結局、皇女殿下の提案はリィンとエリぜちゃんをからかっていただけの様だったが、狼狽えまくるリィンは私にとっても心臓に悪く。未だあのやり取りにドキドキしてしまっている中、どうにか落ち着こうとエリゼちゃんが淹れてくれた紅茶のティーカップの持ち手に指を通す。

 カップの透き通った茶色の中身からは、いままで口にしたどの紅茶よりも良い茶葉の香りが引き立つ。

 私、本当にアルフィン皇女殿下と一緒にお茶してるんだ――そう思ってしまったが最後。震えた手がカップをソーサーの縁にぶつけ、甲高い音を響かせてしまう。

 一気に背筋が冷える。

 

「まあ……大丈夫ですか?」

 

 そして、アルフィン殿下のお声。

 顔を上げると心配そうな顔を私に向けるお姫様が――今度は顔が一気に熱くなる私。

 

「い、いいええっ! こ、皇女殿下……お気遣い頂いて、その、きょっ、恐縮です!」

 

 慌てて私は頭を下げて、真っ白な頭から言葉を捻り出す。見事に声は裏返り、何度も噛み噛みだが、アルフィン殿下は何も無かったかの様に小さく笑って下さった。

 

「ふふ、公式の場ではありませんし、気楽になさって下さいね」

 

 皇女殿下が、私に、笑いかけて下さった……! うわあぁっ……!

 

「……は、はぃ……っ」

 

 もう、目を合わせられない。恥ずかしさと嬉しさと感激が入り混じって、更に身体が熱くなるのを感じた。

 

「ちょ、ちょっと……貴女、落ち着きなさいよ……!」

「え、エレナ、大丈夫……?」

 

 両隣のアリサとエリオット君に大丈夫じゃない! と声を大にしていいたい。もう、私、色んな意味で死んじゃいそう。

 

 

「さて、そろそろですね」

 

 そんな私のバカなアクシデントを笑って見過ごしてくれたアルフィン殿下が今迄のお話が前座であった事を言外に示す。

 

「今日、皆さんをお呼びしたのは他でもありません。ある方と皆さんの会見の場を用意したかったからなのです」

 

 えっ、アルフィン殿下の他にも誰か来るの?

 そう私を含めたみんなが思ったのと同じタイミングで、扉の開く音と共に軽やかなメロディが薔薇園に流れた。

 

「ふふ、いらしたみたいですね」

 

 それを聞いて嬉しそうに微笑んで、アルフィン殿下は席を立たれる。

 

「フッ、待たせたようだね」

「ご無沙汰しております」

 

 私の後ろを通った金髪の男の人にエリゼちゃんが頭を下げて一礼する。あれ……この人……どこかで……。

 

「……だれ?」

「ええっと、どこかで見たことがあるような……?」

 

 あ、あれ、えっと、まさか……?

 席を立ったアルフィン殿下の隣に立った白いコートに身を包んでリュートを持つ来訪者。この人、やっぱり……えええっ!?

 

「お……お……っ……」

 

 声が出ない。そのまさかだったら、私はとんでもない方二人とお会いすることになる。

 でも、やっぱりこの方の横顔には見覚えがある。というより、手も振ってくれた。去年の秋に、パルム市の発着場と駅を結ぶ大通りで。

 

「フッ、ここの音楽教師さ。本当は愛の狩人なんだが、この女学院でそれを言うと洒落になってないからね。穢れ無き乙女の園に舞い込んだ愛の狩人――うーん、ロマンなんだが」

 

 音楽教師? 愛の狩人? ロマン?

 もうよく分からないけど、もっとよく分からない!

 

「えいっ」

「あたっ」

 

 アルフィン殿下が叩いた! うわぁ、えっと、でもこんなに親しそうってことは、そういうことだよね?

 

「お兄様、そのくらいで。皆さん引いていらっしゃいますわ」

「フッ、流石は我が妹中々のツッコミじゃないか」

 

 お、お兄様!アルフィン殿下が『お兄様』と仰られたということは、やっぱり、やっぱり、やっぱり――!

 

「オリヴァルト・ライゼ・アルノール――通称”放蕩皇子”さ。そして、トールズ士官学院のお飾りの理事長でもある。よろしく頼むよ――Ⅶ組の諸君」

 

 

 ・・・

 

 

 晩餐会が終わり、アストライア女学院の建物を出た所で、やっと私は緊張の糸がほぐれていくのを感じていた。

 生まれて初めて見たあんな高級そうな料理もあまり手を付けられなかった。いま思えば勿体無いけど、あの場で食が進む訳が無い。なんといってもオリヴァルト殿下と二、三度視線が合った時は本気でどうしようかと思った位だ。士官学院に来てから私のあがり症も治ってきたと思っていたのに、流石に皇族の方々は論外過ぎた。それでも、最後にはちゃんとご挨拶も出来たし、一生の思い出になりそうな出来事として記憶に残る事は間違い無いだろう。

 

 オリヴァルト殿下もアルフィン殿下も私が思ってたより遥かに……こんな事を言っていいのか分からないけど、面白いお人柄だった。そのお陰もあってか、私もお話を聞くだけであればいくらか楽にある程度慣れれたと思う。ただ、その面白いお人柄によって突拍子もない爆弾発言がなされてしまったのだけど。

 

 こうして歩きながらも、私達を先導して正門まで送ってくれるエリゼちゃんの小さな背中に目が行ってしまう。

 彼女は皇女殿下のちょっとお戯れの過ぎたあのお話以後、リィンに対して向ける不機嫌さを隠そうとしていない。それは、先程私達を正門まで見送ると申し出てくれた時、リィンを無視して何故かアリサにそれを伝えた事からもよく分かった。

 

 でも……まあ、仕方ないのかも。

 

 そうこうしている内に正門に辿り着くが、エリゼちゃんのご機嫌は戻る筈もなく、案の定リィンは未だに拗ねられてしまっている。

 エリゼちゃんはリィンから顔を逸らして、わざわざ兄から数歩離れた私達の前に来て礼儀正しくお辞儀した後に、女学院の中にそのまま立ち去ってしまった。

 

 まぁ、リィンにはちょっと同情するよね。

 

「はぁ……」

「どんまい」

 

 深い溜息と共に肩を落としたリィンを励ますフィー。

 

「ふふ、まさか殿下からあんなお誘いをされるとはな」

「いや、それって俺のせいか?」

 

 ラウラが小さく笑ってから、原因となった皇女殿下の”お誘い”に触れた。

 

「――そうそう、忘れてました。実はリィンさんにひとつお願いがあるんです」とアルフィン殿下が切り出したお願いは、夏至祭で皇族の方々がご出席される園遊会への出席。それだけでも大変驚くべき事ではあるけど、ここまでであればエリゼちゃんやアリサがここまで拗ねることも慌てることも無かったとも思う。問題はそれを遥か突き抜け、殿下がなんとご自身のパートナーとしてリィンを誘った事だった。

 

 うん、勿論、私も驚いた。この上ない程。あの話の間、私もずっとドキドキしながら固唾を呑んで見守った。

 

 だって殿下はあんなお可愛らしいのにリィンをあの手この手で攻め立てるし、オリヴァルト殿下は煽られるし――なにより、もう心に決めた人がいるのかとアルフィン殿下がリィンに聞いた時はあの場の空気が一瞬だけ変わった気がした。主に、エリゼちゃんとアリサを中心に、だけど。

 結局、どう辞退しようかと言葉を詰まらすリィンを見て殿下は引き下がられるものの、その際にも『あくまで今回は』と気になる言葉を残して”次回”への含みを持たせていた。

 

「よかったわね~、リィン。皇女殿下にあそこまで気に入って貰えるなんて」

 

 リィンに向けられるアリサの目が怖い。まあ、彼女にとっては大問題だろう。いや、全く関係ない私でさえ色んな意味でドキドキしてしまった位なのだから。アリサの場合内心ではもう気が気でなかったんじゃないかと思う。夜聞こう、うん。

 

「フッ、あのままお受けすれば良かったじゃないか。瓢箪から駒ということも将来あり得るかも知れんぞ?」

「いや、あり得ないから……」

 

 今思い出した。雑誌に載ってた記事で、夏至祭の園遊会でアルフィン殿下のお相手をされるのは、殿下の意中の方かも知れないっていう記事を。

 えええ、リィンいつ殿下とそんな深い仲に?っていうか、今日が初めてじゃないの?

 

 友人の兄に興味を持たれただけだけで、妹込みでからかってるだけと口にするリィン。

 私もそんな気はするけど、何かよく分からない。からかうだけにしては、なんというか気に入られすぎというか……まあ、分からないや。

 

「しかし心臓に悪いというかこっちもハラハラしたぞ……」

 

 私もマキアスの言葉に全力で同意した。うん、これだけは正しい。

 

 オリヴァルト殿下のお話は気になる話題が多かった。Ⅶ組の設立の理由、三人の常任理事によって決定される特別実習、そして、サラ教官の正体。

 Ⅶ組の担任教官であるサラ教官は帝国において有名な元遊撃士だったのだ。

 

「A級遊撃士といえば実質最高ランクの筈だ。当然、フィーは知っていたのだな?」

「ん。私達の商売敵としても有名だったし。何度か団の作戦でもやり合ったこともあるから」

 

 さも普通にフィーに話しかけるラウラに、私は二人が仲直り――いや、フィーがラウラに受け入れられた事を実感した。

 フィーもフィーで可愛いのが、いつの間にかラウラとの物理的距離がぐっと近付いているし、なんだか少し嬉しそう。一時期は少し諦めかけていたけど、本当に良かった。

 

 そんな話をしていた丁度のタイミングで、噂をすれば影とでも言うのか、私達の背中に掛かった声の主はサラ教官だった。

 

「やれやれ、私の過去もとうとうバレちゃったか。ミステリアスなお姉さんの魅力が少し減っちゃったわねぇ」

 

 そんなどうツッコメばいいのか分からないような事を口にして、女学院の正門前までの坂道を登り切った彼女は私達へと近づいて来る。

 

「いや、そんな魅力は最初からなかったと思いますけど」

「サラ、図々しすぎ」

「なんですってぇー」

 

 真っ先に反応したマキアスとフィーに冗談っぽく声を荒げる教官の姿。アリサやユーシスも軽口を叩き、私もそれに笑った。

 こんな少しバカらしいやり取りだけど、やっとⅦ組の日常に帰って来た気がした。ついさっきまで居た場所の事を考えると本当にそう思う。

 

 ただ、面と向かって言うと何かウザそうなのでサラ教官本人に直接言う事は無いと思うけど、私にとってはサラ教官は憧れの人だ。

 特に帝国の武術の世界で有名だった元遊撃士という経歴を聞いて更にその思いは強まったと思う。あんな風に強くなれればいいのに――。

 

「……アンタ達ちょっとは教官を敬いなさいよね」

 

 一通りみんなの笑い声が収まり、溜息混じりに肩を竦めるサラ教官。

 そんな今までの掛け合いを小さく笑う声が聞こえた。その声の主は、丁度サラ教官の隣に立つ。

 

「クレア大尉?」

 

 私は昨日振りに会う、もう一人の憧れの人に驚いた。

 この二人が隣り合わせに立っているとどうしても最初のケルディックでの特別実習を思い出してしまう。少し仲悪いんだよね、この二人。

 ただ、私にとっては二人共憧れの人なのだ。サラ教官は剣と銃を両手に取るあの独特な武術の強さ、そして、ついこの間もお世話になったけど、教官というかお姉さん的な所。普段は超ズボラだけどなんだかんだしっかりと私達を導いてくれている。

 クレア大尉は憧れでもあるけど、どちらかといえば現実的に目標にしたい人。卒業後に軍に進むのであれば、将来私はクレア大尉と近い進路を歩むことになると思う。勿論、彼女のように鉄道憲兵隊に入るかどうかは分からないが、帝国正規軍の軍人には変わりはない。彼女と同じ軍人を目指す私としては、やっぱり色々と気になる人物なのだ。

 そういえばクレア大尉ってサラ教官と同じぐらい……いや、ちょっと若い……のかな?

 サラ教官は二十五歳だから、そう考えると私より九歳年上……九年後の私は、何をしているんだろうか。ちょっと目の前のクレア大尉に自分を重ねようとしてもあんまり上手くはいかない。

 

「ふむ、これはまた珍しい組み合わせだな」

「あたしの本意じゃないけどね」

 

 ラウラの感想にあくまでそう答えてサラ教官は続ける。

 

「知事閣下の伝言を伝えるけど明日の実習課題は一時保留。代わりにこのお姉さんたちの悪巧みに協力する事になりそうね」

「悪巧み?」

「ふう……サラさん。先入観を与えないで下さい」

 

 サラ教官の物言いに少し戸惑う私達を見て、彼女に小さな溜息と共に苦笑いを向けるクレア大尉。

 

「その、実はⅦ組の皆さんに協力して頂きたい事がありまして。知事閣下に相談したところこういった段取りとなりました」

 

 段取りというのは、オリヴァルト殿下達との晩餐会の後に迎えに来たという事だろうか。

 

「さあ、どうぞお乗り下さい。ヘイムダル中央駅の司令所にて事情を説明させて頂きます」

 

 

 ・・・

 

 

 気付けば、彼の手を掴んでいた。

 

「エレナ?」

 

 別れるのが嫌だったから。

 

 少し戸惑いを浮かべるエリオット君の顔の向こうでは、A班のみんなとサラ教官の背中が離れていく。

 

 帝国の鉄道網の中心にして、帝都内の路面鉄道網の中心でもあるヘイムダル中央駅の立派な駅舎の前。丁度、午後十時半を回ったところ。

 もう夜遅く、明日の私達には重要な仕事がある。今日は昨晩の様に《ARCUS》でお話という訳にも行かない。

 

「どうしたの?」

 

 話したい事は沢山あるのに。

 思わず、掴んだ手に力が篭り、慌てて彼の手を離す。

 

「ううん……ごめん。何でもない」

 

 多分、笑顔を作って、私は首を左右に振った。

 

「エリオット君、明日も頑張ろうね」

「うん、エレナの方こそ」

 

 そんな他愛も無いやり取りをしてから、お互いに「またね」と別れを告げて、彼は踵を返してA班の元へと走ってゆく。

 そんな背中を見送って、私もそろそろアリサ達を追いかけようかと思ったその時だった。もう随分小さくなって街灯に照られながら闇に紛れつつあるエリオット君が、こちらを振り返って小さく手を振ってくれていた。

 

 その気遣いが寂しかった私にはとても嬉しくて、思わず背伸び手を振り返す。私が付いて来ていない事に気付いたアリサに呼ばれる迄、これでもかというぐらい大きく手を何度も振っていた。

 

 

 私達以外のお客さんが乗っていない西回りのトラム。

 列車とはまた違う感じの路面鉄道に揺られながら、夜の帝都の街並みとガラス窓に映る自分の顔を眺めて、今日一日にあったことを思い返していた。

 

 大使館でふと蘇る昔の記憶。みんなは私の事をずっと見守ってくれていて、受け入れてくれた。

 

 シェリーさんとの出会い、フレールとの再会。違う世界に生きる人の姿を見て、私は大切な人を祝福出来た。

 

 オリヴァルト皇子殿下とアルフィン皇女殿下。一生直に会って言葉を交わすことは無いと思っていた人々に会った。

 

 そして……ヘイムダル中央駅の鉄道憲兵隊の司令所を訪れた。

 

 今日の夜のⅦ組の面々の口数はいつもよりも少なかった。

 毎月の特別実習のスケジュールはハードだ。最後までガチガチに緊張していたのは私ぐらいだったかもだけど、あんな高貴な方々とのお茶会と晩餐会もあった。

 だが、一番の理由はそこではない。

 明日の課題が一時保留され、私達Ⅶ組に知事閣下経由で鉄道憲兵隊のクレア大尉より要請された”任務”。

 

 窓ガラスに映る私の顔越しに見える帝都の夜の街並みは至って平穏だ。夜も遅くなっているのであまり人影は少ないが、それでも危機が差し迫っている事を感じさせる事は微塵もない。

 

 しかし、この夜を明けるのを待っている人々の中には、悪意を持って帝都を攻撃しようとしている人間がいる――。

 

 

 帝都ヘイムダル中央駅の巨大な駅舎の一角、鉄道憲兵隊の司令所内にある会議室を私達は訪れていた。

 レーグニッツ知事閣下がつい昨日の朝に特別実習の説明して以来だから、丁度一日振りとなる。そこで、私達は今度はクレア大尉に事情の説明を受けていた。

 

 先程、マキアスが驚きの余り声を上げていたが、事情とは夏至祭を狙うテロリストへの対策。

 私も勿論、みんなも驚きを隠せておらず、未だ戸惑いを隠せていない。

 

「――ええ、我々はそう判断しています。帝都の夏至祭は三日間……しかも、他の地方のものと異なり盛り上がるのは初日ぐらいです」

 

 帝都市民のエリオット君やマキアスから聞いてはいたが、帝都の夏至祭は随分淡白な印象を受けた。勿論、帝都という巨大都市の夏至祭目当てに集まる観光客は多いし、飾り付けの行われた各所はとても華々しい。だけど、私にとっては夏至祭といえば、一週間以上の間昼夜関係無しに夜通しで飲みに食いに踊って歌ってを楽しむお祭りだ。実際、帝都市民は夏至祭の事をお祭を楽しむというよりどちらかと言うと催事を祝うに近い感覚でいる様な気がしたのだ。

 

 まあ、今回においてはテロ対策をし易いということなのかもしれないけど。

 

「ノルドの事件から一か月……”彼ら”が次に何かするならば明日である可能性が高いでしょう」

「ま、私も同感ね」

 

 テロリストは自己顕示欲が強い、という理由を続けて口にしてサラ教官はクレア大尉に概ね同意した。

 

「そ、それで私達にテロ対策への協力を?」

 

 私同様アリサもまだいまいち呑み込めていない様だ。だって、テロ対策で私達学生にお呼びが掛かるのかが少し分からない。そういうのは帝都憲兵隊や軍のお仕事だと思うだけど。

 

「ええ、鉄道憲兵隊も帝都憲兵隊と協力しながら警備体制を敷いています。ですが、とにかく帝都は広く警備体制の穴が存在する可能性は否定出来ません。そこで皆さんに”遊軍”として協力していただければと思いまして」

 

 私達の疑問に答える様にクレア大尉は理由を告げた。

 遊軍かぁ……つまり、本来の警備体制とは別にあくまで私達だけで行動する事を求められるということ。確かにそれなら、不思議では無いけど……。

 それでもまだ、少し負に落ちなかった。

 

「まあ、帝都のギルドが残っていたら少しは手伝えたんでしょうけどねー」

 

 クレア大尉の隣からサラ教官が何か含みのある感じで口を挟んだ。

 そういえばオリヴァルト殿下との晩餐会で、サラ教官は紫電なんていう二つ名を持つ程有名な元遊撃士という話だった。そして、遊撃士協会は帝都から撤退していて、今は私達がその支部を特別実習の活動拠点兼宿泊場所として利用している。

 

「ええ……それは確かに心強かったとは思いますが」

 

 クレア大尉は困った顔をサラ教官に向けた。

 

「……あの、サラさん。遊撃士協会の撤退に鉄道憲兵隊は一切関与していないのですが……」

「そうかしら? 少なくとも親分と兄弟筋は未だに露骨なんだけどね~」

「それは……」

 

 なんかケルディックの時にも思ったけど、この二人には因縁というか事情がありそう。

 ただ、この場に関してはサラ教官がクレア大尉をいじめてるとしか思えないのだけど。なんか、大人気無いし、大尉が可哀想だった。

 そして、私の中での憧れでもある二人がこんな感じなのはちょっと残念だった。

 

「ま、その兄弟筋も今はクロスベル方面で忙しそうだし」

 

 また少し良く分からない話。

 クレア大尉が警戒の色すら混じる驚きの表情を浮かべる傍ら、対照的にサラ教官が自慢気にほくそ笑んでいる事から、それが何やら重要な意味合いを持つことは多分この場にいる皆が分かっただろう。

 

 

「Ⅶ組A班――テロリスト対策に協力させて頂きます」

「同じくB班、協力したいと思います」

 

 本人達は否定しそうだけど一応各班のリーダーのリィンとアリサの答えが会議室に響く。

 結局、サラ教官に自分達での判断を促された私達は、クレア大尉の要請通り明日の帝都の夏至祭を狙ったテロ対策への協力を決めた。帝都を守るという重要な任務でもある為に、特に反対する仲間も居なかった。

 

 テロ対策の遊軍として明日は帝都内を巡回する事となった私達Ⅶ組の巡回担当のエリアは、特別実習通りにA班が帝都東部、B班が帝都西部を受け持つ。私達B班は南のズュートヴェステン地区に出てから北に向かい、ヴェスタ通りを経て帝都北部のサンクト地区、そこから最後にヴァンクール大通りに向かうという巡回ルートとなる予定だ。

 

 但し、これはあくまで午前中の巡回警備。

 午後には皇族の方々が各地の催し事に出席される事もあり、そちらへの巡回も重点的に行う必要が出てくる。A班は都心部のマーテル公園でアルフィン皇女殿下の出席される園遊会、私達B班はオリヴァルト皇子殿下の出席される帝都競馬場での夏至賞、そして皇太子殿下の出席されるヘイムダル大聖堂でのミサ。

 

 皇城バルフレイム宮や中央官庁街といった政府関連施設や帝都国際空港やここヘイムダル中央駅といった交通関連の重要施設は既に重点的な警備体制が敷かれているので、私達はあくまで最重要の保護人物である皇族の方々に目を向けていて欲しいという事だった。

 

「夏至祭初日の警備体制はここ近年で最大の規模――帝都内で動員される警備要員は帝都憲兵隊約1万人、私達鉄道憲兵隊は未明に到着する応援を含めて十個中隊、およそ1500人――総勢約1万1500人体制となります」

 

 簡潔に警備体制の説明をしてゆくクレア大尉。

 大尉の説明と帝都の全体の配置図を見る限り、概ね帝都全域に満遍なく配置されている帝都憲兵隊、そして重点的に警備すべき対象に配備されている鉄道憲兵隊といった所が読み取れる。

 

「えっと、バルフレイム宮を警備している領邦軍の兵隊さんは参加しないのですか?」

 

 エマの言う通りであった。今まで見たことのない紫色の領邦軍の制服を着た兵士達の数が入っていなかったのだ。

 

「近衛軍の事ですね。そちらの方は、残念ながら……」

 

 クレア大尉が目を伏せて、左右に頭を振った。

 

「先日、近衛軍からはあくまで独自の警備計画で動くと一方的な通達がありまして――帝都知事閣下が説得に出向かれていたのですが、折り合いを付けることは出来なかったようです」

「ま、そんな事だと思ったわ」

 

 大尉の残念そうな言葉に、サラ教官が案の定といった感じで呆れた様に両手を広げる。

 

「えっと、それって……」

「くそっ……これだから《貴族派》は……」

 

 特にマキアスはお父さんの説得で折り合いが付かなかった、というのにも怒っているのかも知れない。

 

「《貴族派》も大概大人気ないけど、アンタ達も無駄に煽り過ぎなのよ。ま、下らない縄張り争いに興味はないけど、頭数としては惜しいんじゃない?」

「……約三千の精鋭を擁する近衛軍の兵力は確かに惜しいですが――彼らが私達の指揮を受ける事を拒んでいる以上は致し方ありません」

「ふーん、まあ、あくまで想定内って事ね。バルフレイム宮は兎も角、園遊会のあるマーテル公園の警備、どうするのかしら?」

 

 サラ教官の言う通り、クレア大尉達《革新派》の鉄道憲兵隊は《貴族派》の近衛軍との協力は最初から難しいと分かっていたのかも知れない。現に、大尉はそこまで期待してなかった様な言い方であった。

 しかし、その後のサラ教官の言葉に、クレア大尉は少し申し訳無さそうな顔を浮かべていた。

 

 今日は本当にサラ教官はクレア大尉に突っ込むなぁ。さっきも思った事だけど、私の憧れの人でもある二人がこう仲が悪いのを目の前で見せ付けられると、やっぱり気が重い。

 

「A班の皆さんには申し訳無いのですが、マーテル公園の外側、帝都憲兵隊の管轄内まででお願いします」

 

 その指示に私達の向かい側に座るリィン達A班から意外そうな声が上げる。

 

「残念ながら、近衛軍が単独で皇城とマーテル公園の園遊会の警備の管轄権を主張して固持してしまっている以上、私達鉄道憲兵隊も入ることが出来ません。よって、私達の要請で動いている皆さんも立ち入りはまず認められないでしょう」

「やはりそうなりますか……」

「ふむ……」

「ちょっと馬鹿らしいかも」

「ああ、全くだ」

「え、えっと……そんなので大丈夫なんですか?」

「実力としては問題は無いかと――彼らは近衛軍であると同時にラマール州領邦軍から選抜された最精鋭でもありますから。ですが、何が起きるかは分かりません。私達も出来る限りのことは尽くすべきでしょう」

 

 臆せず訊ねたエリオット君に答えるクレア大尉の声はあくまでいつも通り冷静なものだ。だけど、その言葉にどうしても冷たい刺を私は感じてしまっていた。

 

「クレア大尉。勿論、何も起きない事が最も良い事ですが……もし仮にテロが起きたら場合はどうするのですか?」

「良い質問ねー、リィン」

「常に最悪の場合を想定して対策は立てられるべき、ということですね」

「まあ、アンタの事だから全て織り込まれた計画が組まれてるとは思うけど?」

「ええ、勿論です。最善はテロを未然に防ぐ事ですが――仮にテロが発生してしまった場合、何よりも要人――特に明日の催事にご出席される皇族の方々の安全は最優先で確保します。その際、状況次第では皆さんもご協力をお願いします」

「フン……当然だ」

 

 その後の、クレア大尉の説明で有事の際の行動について説明を受ける。

 概ね帝都憲兵隊が市中の混乱の収拾、鉄道憲兵隊が要人の保護とテロ組織構成員の鎮圧を担うとのことで、私達はあくまで”遊軍”なので、適宜サラ教官からの指示を受けて行動して欲しいとの事だった。

 

「テロ組織の情報は全然無いって言ってたけど、大尉さんはどの位の規模だと予想してるの?」

 

 フィーがクレア大尉に訊ねる。

 

「――あくまで私個人の分析であり、判断要素も不確定なものが多いですが――全体で百人未満の小規模な武装集団、構成員の大多数は”プロ”ではないと推測しています」

「ふーん、まぁ、ぶっちゃけ妥当かも。それ以上の数になると潜伏中に足が付きそうだし」

 

 アンゼリカ先輩と先週末に帝都に来た時、帝都東門では帝都憲兵隊の厳重な検問が敷かれていたのを思い出す。そして、ヘイムダル中央駅では至る所で鉄道憲兵隊の兵士が目を光らせていた。現状でも帝都では並々ならぬ警備体制が敷かれているのだ。

 そして、きっとスパイ小説みたいな感じで私服や変装をして市民に紛れている監視の目もある筈。

 

 フィーとクレア大尉、そしてサラ教官を偶に交えた専門的過ぎる話が続き、その中で、警戒すべき人物や不審物といった対象を細やかに説明される。

 少人数でも大きな効果を狙うテロリストは、その傾向として爆破や暗殺、誘拐といった犯行に及ぶ可能性が高いようだ。

 

「そ、その……もし、予想よりずっと……被害が大きくなったらどうなるんですか?」

 

 爆弾テロで炎上する帝都市街を想像して身震いした私は、思ったことをそのままクレア大尉に尋ねる。聞いたから失敗だと思ってしまったのは、そこで大尉が物凄く言いにくそうな表情を浮かべたから。

 

「私達の対応能力を大きく超えたと判断された場合、帝国政府による非常事態宣言の発令と共に、南西部のズュートヴェステン地区から帝都守備隊である正規軍第一機甲師団が治安出動して帝都全域に展開する予定です。その他にも、帝都近郊各所の拠点で即応体制をとっているいくつかの師団も一時間程度で帝都市街地内へ進駐出来る手筈となっています」

 

 正規軍の機甲師団が帝都内に進駐する。その言葉は、とても重かった。

 帝都憲兵隊はあくまで帝都の治安維持の為の憲兵隊で、鉄道憲兵隊も正規軍の最精鋭部隊ではあるけど、どちらかと言うとやはり治安維持に重きを置いている色合いが強い。

 でも、機甲師団は別だ。数百両を超える主力戦車と装甲車、一万人を超える兵士で構成されるそれは、紛れも無く戦争の為の力である”軍隊”なのだから。

 

「――ですが、これはあくまで最終手段。私達はそのような事態が引き起こされるのを未然に防がなくてはなりません」

「ま、正規軍の機甲師団に頼らざるを得ない様な状況になったら、アンタ達も親分も各方面から相当叩かれるでしょうからねぇ。否が応でも、第一機甲師団の治安出動は避けたいというのが本音かしら」

「――否定はしません」

 

 クレア大尉が目を伏せる。

 

「――ぶっちゃけこの状況、鉄道憲兵隊の《氷の乙女》さんとしてはどう見てるのかしら?そこんとこしっかり聞いておきたいわね」

「そうですね……”一切の予断を許さない危険な状況”――私はそう判断しています」

 

 いままでの隙さえあればクレア大尉にチクチクと意地悪するようなノリではなく、真顔なサラ教官。そして、それに応えるような氷の様に冷たく温度を感じさせない《氷の乙女》の言葉は私に重く乗しかかった。

 

 その時、私の脳裏にふと過った。

 少しずつ、でも、確実に、この帝国の平和と私達の日常が崩れていく様な、そんな不吉な事が。




こんばんは、rairaです。
閃の軌跡Ⅱは一応、終章まで来ました。それにしても最後の絆イベントの場所は……あてつけでしょうかね。

さて、今回は第四章の特別実習のニ日目の夕方~夜のお話となります。
遂にオリビエ&アルフィンとの出会いとなりますが、概ね原作通りのイベントとして変更点がありませんので大幅にカットしています。特に重要な部分のみ、次のお話へ持ち越しとなります。

そして、クレア大尉の登場です。原作より『テロ対策』という色を少し濃くして、深刻さを掘り下げて色付けていければと思います。
ちなみに、彼女と言えば個人的には閃Ⅱの三つ目の絆イベントが気になります……あれで終わりなのでしょうか。

次回はこの続きのお話です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月26日 夏至祭

 翌朝、私達B班の様子を見にヴェスタ通りまで来たサラ教官に本日の予定を伝えられた。

 

 十時より皇族の御三方のパレードの経路の各所で交通規制が始まり、十二時にはバルフレイム宮より皇太子殿下を始めとする皇族の御三方が出発。皇太子殿下とアルフィン殿下は概ね十二時二十分にはそれぞれ大聖堂とマーテル公園に到着し、オリヴァルト殿下は十二時二十六分に帝都競馬場に到着する予定だ。

 

 十六時にまず皇太子殿下が一番早くヘイムダル大聖堂からバルフレイム宮への帰路に着かれ、十六時二十分に到着される。続いてアルフィン殿下が十七時に、オリヴァルト殿下は帝都競馬場の最後のレースまで観戦されるので競馬場を離れられるのは十八時半を過ぎる予定だ。その後、お三方共に宮中晩餐会へ御出席されるが、これは皇宮内部で行われるので私達が警備に参加することはない。

 

 つまり、その時間まで何事も無ければ少なくとも皇族の方々の身の安全は確保出来るという事だろう。私達Ⅶ組の警備活動への参加も、オリヴァルト殿下が無事にバルフレイム宮に到着し次第終了し、再び昨晩と同じ様に鉄道憲兵隊の司令所があるヘイムダル中央駅に集合する様にとの指示だ。

 

 今日一日の一通りの話を手短に説明するだけ説明して、直ぐにサラ教官は足早に戻ってしまった。だが、それも仕方無いのだろう。今日の教官はいつもとは少し違う雰囲気を纏っており、話を聞いている間、何度も私の脳裏には昨晩のクレア大尉の言葉が過った。ちなみに、教官は今日は鉄道憲兵隊の司令所に詰めて、私達と鉄道憲兵隊の連絡役となる。つまり私達の直接の司令官でもあるのだ。

 

 

 宿泊場所を出た私達は班を二組に分けて、まずは帝都における私達のホームとでも言うべきヴェスタ通りを巡回を開始した。

 ヴェスタ通りは今日のパレードでサンクト地区のヘイムダル大聖堂に向かう皇太子殿下の通るルートとなっており、私達としても重点的に警戒と聞き込みをすべき地区でもある。勿論、繁華街ということもあってパレードでは多くの市民が集まることが予想され、朝早くなのにも拘らず多くの帝都憲兵の姿も見受けられた。

 

 私とガイウスの二人組は、ヴェスタ通りのメインストリートの西側に並ぶお店に何度か聞き込みに入りながら歩いているが、今の所あまりこれといった証言も無く、成果は芳しくは無かった。

 

 通りに連なる建物や導力灯は見事に華やかな飾り付けが施され、通りを行き交う市民も今日一日を楽しむ気満々といった感じ。街の中のあらゆる事柄が、夏至祭の初日という帝都最大の行事を遂に迎えた事を私に感じさせる。

 

 何も知らなければ私も彼らの様に無邪気にお祭り気分だったかもしれない。しかし、見えざる脅威を知ってしまった後では、逆にそうなっていたらと思うのが恐ろしかった。

 なぜなら、彼らは”何も知らない”のだから。

 

 昨晩の話の中では、テロリストの攻撃でよく用いいられる手段についての簡単な説明を受けた。その話を聞いた私は、こうして通りを歩いているだけでもどうしても神経質になってしまう。

 

 例えば――街中のごみ箱。テロでは爆弾の設置場所として多用される事が多いらしく、今日の巡回でも不審物が入れられていないか念入りにチェックする項目の一つだ。サンクト地区やマーテル公園といった街区では、爆弾テロを未然に防ぐ観点から、ごみ箱自体を夏至祭期間中は使用不可にしている。

 次に、路肩に停められた導力車。近年、導力車の普及が進むのと併せて事例が増えてきたのは、導力車に爆弾を仕掛けるという犯行。カモフラージュと導力エンジンの暴発を利用して大きな被害与える二つの目的を兼ねた方法だ。三十年程前にカルバード共和国で初事例があって以来、帝国を含む各国で確認されている。

 最後に、人。私が素人だからかも知れないが、怪しく見える人は多い。彼らが全員テロリストという事はまず無いのだろうけど、見れば見るほどどんどん怪しく思ってしまうのだ。真夏なのにコートを着込んでいる人、常にポケットの中に手を突っ込んでいる人――テロリストといっても所詮は私達と同じ様に感情を持つ人間、対策としては主に彼らが無意識下で出してしまう仕草がサインとなるらしい。

 

 つい昨晩にクレア大尉とそういうのに精通しているサラ教官やフィーに教えこまれた私の即席の”対テロ”目線でも、今歩いているヴェスタ通りにも危険な可能性が沢山潜んでいるのは分かる。

 それが私の中に生まれた不安を掻き立てる。本当にテロは防げるのだろうか、テロリストは逮捕出来るのだろうか?

 

 

「気になる事ねぇ……」

「どんな些細な事でも構わないのだが、何か気付いたことは無いだろうか?」

 

 腕を組みながら、うーん、と唸る若い露天商にガイウスが訊ねる。

 しかし、「ここらは繁華街だし、元々治安が良いとは言えない部分もあるからなぁ……」とあまり良い受け答えはしてくれない。

 

「怪しい人を見たとか無いですか?なんでもいいんです」

 

 再び唸り始める露天商に、時間の無駄さを感じて私は苛立つ。しかし、この若いアクセ売りの男は特別実習初日に宿泊場所が分からずこの街を右往左往していた私達に声を掛けてくれて、住所が元遊撃士協会帝都西部支部のあった建物であることを教えてくれた、ある意味超が付く程の恩人でもあるのだ。

 その恩を考えれば、この少々不真面目な態度も黙って許すしか無い。それに、彼は私達と違ってやはり”知らない”のだ。

 

「――ああ、昨夜大通りを歩いている奴らはいたなぁ。酔っ払いにしちゃあ、足取りはまともだったし……コソコソしてるもんだから、最初は盗みでもしたのかと思いきや、そんな様子もないしな。店も閉まってんのにやたらめったらキョロキョロしていたな」

「彼らは――」

「そいつらは、どこに向かってました!?」

 

 彼の証言に思わず私の声が大きくなる。

 

「北だよ」

 

 彼の腕が指す方向に、《帝都の白い塔》と呼ばれるヘイムダル大聖堂の尖塔を見た時、背筋が冷えた。

 

 遂に私達は触れた。見えない敵の尻尾に、やはり帝都に居るのだ。この夏至祭の初日を狙い卑劣な攻撃を仕掛けようとしているテロリストが。

 

「それにしてもお前達、昔のギルドの建物に来て似たような事してると思ってたら、今度は憲兵の真似事かよ?」

「これも実習の活動内なので」

「軍の士官学校つーのはそんな事までやらされるのかよ。まぁエリート様なのにご苦労なこった」

「ちょっと――!」

「エレナ」

 

 露店商の言葉にカチンと来て言い返そうとした時、ガイウスが私の名前を口にした。

 わかる、もうわかる。ガイウスの目を見なくても分かる。大して相手に悪気が無いことも分かりきったこと。私は自分の事をそうだとは余り思わないけど、士官学院に通っているというだけで周りからはエリートだと見なされるのはいつもの話だ。

 そんないつもの事に腹を立てるなんて、私は冷静さを失っていた。

 

 それに気付かせてくれたガイウスに感謝すると共に、テロを意識することからの精神的圧力が想像以上に自分を焦らせている事を知って失望した。

 

「エレナ、オレが連絡して来よう」

「うん、ガイウス……アリサ達によろしく」

 

 ああ、と小さく頷き、ガイウスは彼に聞かれないようにこの場から離れる。アリサ達に《ARCUS》で連絡を取るにしても、今回のテロ対策は公になっていない機密であり、その情報を一般市民の目の前で話す訳にはいかないのだ。

 

「とりあえず……ご協力ありがとうございました」

「こっちも悪かったよ。ついでにどう?お詫びって言っちゃアレだけど、まけるよ」

 

 ほら、夏至祭だから、と露店に所狭しと並ぶアクセサリーを指差して薦めてくる露店主。それにしても、さっきのやり取りの後に売りつけるなんて流石に商魂逞し過ぎだろうと思いながらも、一度冷静な思考を取り戻すと私もそれなりに興味はある物なので、机の上に置かれた品物に一通り目を走らせる。ブレスレットにネックレス、ピアス、指輪、その種類は豊富だ。値段はとても手頃というかアクセとしては非常に安く、値札が正しければまず純銀製ではないシルバーアクセサリーがなんでもござれという状態だ。

 

「夏至祭だと何かあるんですか?」

「夏至祭には贈り物、常識だろ?日頃からお世話になった人に贈るのさ。それに君、首がちょっと寂しいよね」

 

 へぇ、帝都にはそんな習慣があるんだ。

 そんな新しい発見に驚きながら、商売人特有の笑みを浮かべてネックレスを薦めてくる露天商に思わず苦笑いする。私が首に何にも付けてないからって、私と私が誰かに贈る分を買わせようとする魂胆だ。ちなみに腕にはリストバンドがあるから、ピアスに関しても付けてないし耳に跡も付いていないから薦めない、指輪は色んな意味で多分アウト。露天商の思考はこんな所だろうか。

 どうやって断ろうかと考えてチラッとガイウスの方を見るも、彼はまだ少し離れた建物の影で《ARCUS》を使って通信中である。

 そんな私を見て悩んでるのと勘違いしたのか、露天商は私に一つ小さな音符を象ったペンダントを手に取って見せた。

 

 まぁ、ちょっと可愛いけど――そこで、私は机の上に同じ大きさの違う種類のペンダント、その中に楽器類を象った物もいくつか並んでいる事に気付いた。

 

 

 ・・・

 

 

 午前十時――ヴェスタ通りで目撃された不審な人影は、アリサ達の方の聞き込みでも目撃情報があった為、ほぼ確定的な情報となってサラ教官に伝えられた。その時に受けた教官からの指示で私達は巡回のルートを変更して、彼らの目撃情報を追って北へと向かったのだが、サンクト地区に入った所でぴったりと彼らの足取りが掴めなくなってしまったのだ。

 その原因を私達は当初、ヴェスタ通りとサンクト地区の街区としての性格の違いだと考えていた。夜遅くまで人の目の有る繁華街のヴェスタ通りと違って、サンクト地区はどちらかと言えば高級住宅街、深夜の人通りは非常に少ないのは間違ってはいない。

 しかし、皇太子殿下がご出席されるミサの会場となるヘイムダル大聖堂の所在するこの街区は昨夜も厳重な警備が敷かれていた筈なのだ。それにも拘らずサラ教官から先程伝えられたのは、サンクト地区で警備に当っていた帝都憲兵隊は一切把握していないという知らせだった。

 

 つまり、私達の目撃情報は暗礁に乗り上げてしまっていた。

 腑に落ちる訳もないし彼らがどこへ消えたのかは気になるが、それをずっと引き摺る訳にはいかない。予定を変更して先にサンクト地区に来てしまっているが、巡回は続けなくてはいけないのだ。

 

 

「リベール大使館ね。少なくともテロの目標にはならなそうだけど」

「だが、警備は思っていたより厳重になっている様だ」

 

 アリサの考えとは裏腹にガイウスの言う通り、素人目にも警備は厳重だった。

 昨日の朝に訪れた時には居なかった筈の帝都憲兵が数人、大使館の門構えに衛兵として立っており、敷地周りを警備する歩哨も見受けられる。そればかりか、この辺の道路を巡回する兵士の異様な多さに驚きそうになる。

 

「このニブロック先の敷地にカルバード共和国大使館があるみたいですね。多分、そちらの警備も兼ねてるのでしょう」

 

 私達の疑問に答えたのは帝都の地図を手にしたエマだった。

 

「なるほど……共和国の大使館か。ある意味では最重要施設の一つといっても過言では無いな」

「確かにそうね……」

 

 ユーシスとアリサの言う通りだった。

 ここ数年は以前より緩和しつつあるとはいえ、帝国とカルバード共和国との間には依然緊張関係が続いている事には変わりはない。それは大陸西部の二大国としては避けることの出来ない必然的な関係であり、古くは革命で共和国が成立する以前の王政時代から一貫して歴史的に両国は対立し続けていた。

 

 そんな中で、仮に帝国国内、それも帝都の共和国大使館がテロの標的となった場合に帝国政府が被る外交的損害は計り知れない。受け入れ国が責任をもって保護しなくてはならない在外公館が被害を受けたとなれば帝国は諸外国から非難されて当然であり、対外的な面子を著しく損なう事となるのは想像するに容易い。

 先月A班が解決に尽力したというノルド高原の武力衝突危機の一件も記憶に新しく、帝国としてはあれで共和国に負い目もある以上、警戒をするのは道理とも言える。

 

「来月にはクロスベルでの通商会議も控えているからな。国内問題である筈のテロが共和国を巻き込んで国際問題化するのは避けなくてはならん事だ」

 

 ユーシス、難しい。

 ノルドの件までは私でも何となく結び付けれたけど、そんな難しい事柄まで引っ張って来れるのはやはりユーシスの凄さだと思う。まぁ、そこに付いて行けるのがエマやアリサの凄い所。ガイウスの凄い所は質問をして知識を取り込みながら、更に話題を飛躍させていく所。私は、正直聞いているだけで少し分からなくなってくるし、分からない事は自然と興味も薄れてくる。

 

 その話題が一段落した頃、何やら大使館前に警備の帝都憲兵達が慌ただしく集まっている事に私達は気付いた。

 その理由が直ぐに分かったのは、リムジンタイプの導力車が大使館の前に止まったり、その門構えから何やら貴族っぽい豪華な衣服に身を包んだ太った男と老執事のが導力車に乗り込んだからである。

 

「あの人は……」

「身なりは貴族っぽかったけど……」

「ふむ……?」

「ユーシス?」

 

 この場に貴族の事が分かるのはユーシスしか居ない。そんな事を期待して彼の名前を呼ぶと、少しの間を置いてから彼は皆の期待に応えた。

 

「帝国貴族ではないだろう。大方リベール王室に属する王族――今晩の宮中晩餐会の賓客の一人だな」

 

 激しくイメージの違うリベールの王族に、何とも言えない思いを抱きながら私はその場を離れる事となった。

 

 

 鉄道憲兵隊の灰色の軍服に身を包んだ兵士達によって完全に封鎖された大聖堂を横目に通り過ぎながら、変更された新しい予定通りに私達は次にヴァンクール大通り方面へと場所を移す為に導力トラムの停留所へと向かっていた。

 サンクト地区の厳重な警備体制に穴が無いことは最早、巡回する憲兵の人数で分かる。昨夜のクレア大尉の話の通りに、皇位継承権第一位の皇太子殿下が訪れるということだけあって大聖堂近辺の警備には最も人員が割かれているのだ。だけど、残念ながら不審な人物やそれに関連する証言は全く無い。

 

 収穫の無さに気落ちする以上に再び焦りを感じながら歩いていた私は、すぐ前の導力トラムの停留所に見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 

「あれ、クロウ先輩?」

「よー、今度はお前らか」

 

 いつも通りの気楽そうな銀髪バンダナ先輩の声がちょっと懐かしい。何日ぶりだっけ。今ならお酒が入ってなくてもアンゼリカ先輩にも素直になれそうだ。

「今度は?」と怪訝そうに聞き返したアリサに、先輩はヴァンクール大通りのデパートでA班と会ったことを話していた。

 

「あー、リィン達とあったんですね。でも、なんてサンクト地区に?」

「クク、そりゃ、決まっているだろ。夏至賞のレースの結果を女神に祈りに来たんだよ。そんでもって今から生観戦に帝都競馬場に行くってとこだ」

 

 どこから突っ込めば良いのだろうか。夏至賞、競馬の事?それの結果を女神に祈りに来た事?それとも、女神は女神でもサンクト地区の大聖堂まで来た事?

 

「先輩……馬券買うのって二十歳以下は禁止されてる筈ですよね?」

「ばーか、馬券なんか買うかよ。雑誌の懸賞だっつーの」

 

 僅差で競馬の結果を女神様に祈りに来た事より先にこっちを突っ込む事を選んだ私に、少しクシャクシャになった雑誌の切れ端をホレホレと見せ付けてくるクロウ先輩。でも、ちょっと信用ならないのがこのバンダナ先輩なのだけど。

 

「それにしても、なんてバチ当たりなのかしら……」

「え、ええ……そうですね……」

「賭け事を女神に祈るとは……」

「フン……救い様がないな」

 

 案の定、みんなの反応もボロクソである。

 

「でも、大聖堂は鉄道憲兵隊の厳重な警備体制が敷かれて、今は関係者以外は立入禁止ですよね?」

「ああ。中には入れなかったが、遠くからしっかりと女神の姿は拝めさせて貰ったぜ」

 

 そして、これから競馬場に行くっていうのだから、こんな時にまで本当に逞しいというか!っていうか、女神の姿を見たらダメじゃない!

 学院で話す時と相変わらずノリが変わらないクロウ先輩に、私は思わず魂や気合なんかが一気に抜けてしまいそうな大きな溜息が出てしまう。そして、次に私の口から出たのは完全な憎まれ口。

 

「ぶっちゃけ、先輩に必要なのは女神の前での祈りじゃなくて、日頃の行いへの懺悔だと思いますけど」

「くぉのぉ、言うじゃねーか。ゼリカの野郎と帝都で一晩遊び呆けた不良娘が――」

「そ、それはもう反省しました!大体、今日もサボって遊びに来てる先輩には言われたくないですよーだ!」

「おいおい、何言ってくれてんだ?」

「え、違うの?」

 

 みんなを振り返った私に、エマがなにか思い出した様に「あ……そういえば……」と呟く。

 

「夏至祭期間中は士官学院も休み――結構、遊びに来てる奴らは見かけるぜ。さっきなんて、そこでトマス教官に会ったしなー」

「な、何ニヤニヤ勝ち誇ってるんですか。偶々サボってなかったからって……いつもサボってる事には変わり無いじゃないですか」

「お、悔しいか?悔しいか?」

 

 このとても癪に障る言い方!悔しいいいっ!

 ニヤニヤ笑う先輩を見て、私は歯を食いしばった。いや、本当は逆にこの銀髪バンダナに歯を食いしばらせて、右ストレートを一発いきたい位。

 

「全く……煩いぞ。下らん話はその辺にしておけ」

 

 結局、ユーシス様の一言で私とクロウ先輩の自分達からしてもあんまり実りがない低レベルなやり取りに終止符が打たれた。

 いつも通りといえば本当にいつも通りのやり取りだったが、どうしてか私は昨晩から今まで焦っていた心が落ち着いたような気がした。

 

 もしかしたらクロウ先輩は、焦ってあんまり余裕が無さそうな私に気付いていたのかも知れない。だから、いつも通りのバカなやり取りをする事で私の気を楽にしてくれたのかも。もっとも、それを肯定する要素は、先輩がずっと私ばかりと話していたからという事だけなのだけど。

 

「おう、精々頑張れよー」

 

 私達の乗る西回りの導力トラムが来てしまった別れ際に、先輩はそう言ってくれた。

 勿論、先輩は私達が今いつもの特別実習ではなくて、この夏至祭を攻撃するテロへの警備に従事していることなんて知る訳がない。それでも、応援してくれている人がいるって思うだけで頑張れる気がした。

 

 その言葉が、ちょっと嬉しかったのは内緒だ。

 

 

 ・・・

 

 

 十ニ時――ヘイムダルの鐘が鳴ると共に大聖堂前の道路周辺に集まる市民が騒がしくなった。丁度今、この鐘と共にバルフレイム宮を皇族の方々が出発したからだろう。セドリック皇太子殿下が大聖堂に到着するのは二十分後の予定である。

 

 一通りの巡回を終えた私達B班は『オリヴァルト殿下には凄腕の護衛がいるから大丈夫』というサラ教官の指示通り、ヘイムダル大聖堂で皇太子殿下の到着を確認することとなった。帝都競馬場には皇太子殿下の到着を確認した後で再び向かう予定である。

 

 現地は鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊の厳重な警備体制下でヘイムダル大聖堂の敷地内は完全に封鎖されているものの、大聖堂前の道路周辺には物凄い数の人集りができていた。

 私達は兵士達による壁近くまで寄って集まった市民の中で、逆に目を光らせるのが役目。

 

 最初は、小さな歓声。それがどんどんと大きくなり、「皇太子殿下万歳」や「帝国万歳」と皇太子殿下と帝国を称える声が聞こえ始めた。

 私はその時、やっと気付いたのだ。”歓声が大きくなっている”、のではなくて、”大きな歓声が近づいてきている”ことに。

 

 皇太子殿下の紅色のリムジンが私からも見えた時、それは更に大きくなる。

 そして、その瞬間は来た。私も皆も、警備の兵士達が固唾を呑んで待っていた瞬間――集まった市民達は今か今かと待ち望んでいた瞬間。

 

 皇室の紅いリムジンが停止し、ドアが開かれる――セドリック皇太子殿下がお姿が車から現れた瞬間、今までで聞いたことのない凄まじい音圧の歓声が爆発した

 

「うわぁぁ、皇太子殿下ー!!セドリック殿下ー!!」

 

 私も仕事も我も忘れて必死に叫んでいたのに気付かされたのは、「ええい、煩い!」と隣に居たユーシスが耳元で怒ったから。

 だけど、その次には私はもう一段階進んで歓喜することになった。

 

「ユーシス!ユーシス、皇太子殿下が手を振ってくれた!」

 

 リムジンから降りられた皇太子殿下が、小さく手を振られたのだ。それは集まった市民を意識してのもので、大聖堂のある方向以外の三方に向けられたものだけど、丁度最初にこちらに手を振ってくれた。

 

 そして、殿下は大聖堂までの緩やかな階段に敷かれた赤い絨毯に足を踏み入れられる。その赤い絨毯の両脇に沿うように、制服も一般のものとは異なり儀礼用と思われる物を着用した帝都憲兵が一列に儀仗していた。

 

 ゆっくりと赤い絨毯の敷かれた階段を一段一段登られ、大聖堂の白い双塔を目指す皇太子殿下。

 集まった群衆も鉄道憲兵隊の兵士達の壁に阻まれてその後姿しか見ることは出来ないが、歓声は一向に止むことを知らなかった。そればかりか、坂道を登り切った殿下が大聖堂の中へと消えてしまった後も尚続き、私を含めて市民達が落ち着きを取り戻したのは十分以上経った後であった。

 

 

 皇太子殿下は無事に大聖堂の中へ入られたのを確認した私達は、鉄道憲兵隊の兵士の許可を得て大聖堂の敷地内へと入り、そこで今後の行動を話し合いを行うこととなる。その途中、仕事を完全に忘れて集まった群衆の一人になっていた事をユーシスに怒られたり、皆に笑われたりたり。どうやら、私は皇太子殿下に手を振って頂いた喜びをバンバンと音がなるぐらい、もう片方の手のひらでユーシスの背中にぶつけていたらしい。そういえば、歓声の中でユーシスが何やら騒いでいる、というか怒っていたような気もする。

 

 結局、《ARCUS》の導力通信でサラ教官も交えた話し合いの結果、今後の方針として再び班を二つに分けることが決定した。

 このままミサが終わる迄大聖堂の警備に協力し、敷地内で警戒する二人。そしてオリヴァルト殿下が向かわれた帝都競馬場へ向かう三人。

 

 大聖堂の警備は鉄道憲兵隊の主導で周囲100アージュ以内に1000人、サンクト地区内には3000人を超える人員が割かれている程厳重な為、あくまで私達の出来る事は限られており、どちらかと言えば鉄道憲兵隊に協力する警備要員となるだろう。勿論、それも重要である。しかし、A班と違って私達の担当する帝都西部には、オリヴァルト皇子殿下のおられる帝都競馬場というもう一つ重要な場所があるのだ。

 

 朝と同じ様にエマのタロットカードを利用した即興クジでグループ分けをすることとなるのだが、さっきの件のせいで少々気不味いユーシスと一緒になる可能性のあるクジは少々気乗りがしなかったのだが、結果は案の定。

 大聖堂の女神様が私に試練をお与えになられた後に、最近教会に行っていなかった事を悔やんだ。まぁ、それは抜きに確かに嫌な予感というのはよく当たるものである。

 

 私はユーシスとガイウスと共に帝都競馬場へと向かうことになり、ユーシスに頭を下げて二度目の謝罪をすることとなるのだった。

 

 

 

 ・・・

 

 

 帝都競馬場――帝都南西部のズュートヴェステン地区の東端に所在する、帝国競馬の聖地と言われているらしいかなり大規模な競馬場だ。近くには帝都守備隊である正規軍第一機甲師団の駐屯する市街地内唯一の軍事基地も所在しているが、現状は機甲師団に所属している一般の正規軍兵士が警備に加わっている様子は無い。

 

 入り口で警備に当っていた帝都憲兵に事情を説明して場内に入った私達は、すぐに競馬場内部の巡回を行うものの特に不審な点にを見つけることは出来なかった。

 襲撃される可能性も考えられた帝国最高峰の格付けを誇る夏至賞のメインレースも、結果こそ大番狂わせではあったものの無事に終了。ブラックプリンスという馬が優勝馬に輝いた。

 この後は夕方まで夏至祭に因んだサブレースが予定されている様である。

 

「特に問題は無い様に見えるな」

「ん……うん」

 

 串物のあらびきソーセージを口に咥えながら返事を返した私は、ガイウスに左手に持つもう二本を差し出た。

「いいのか?」と一言聞き、私が頷くと感謝の言葉を口にして丁寧に一本を抜き取って食べる彼を、さっきのぶっきらぼうなユーシスと比べて感心してしまう。この差は大きい。うん、かなり。

 

 彼の言葉通り、特に現時点では何も問題は発生していない。

 強いて言うなれば、大番狂わせとなった夏至賞のレースは終わった瞬間にスタンドの観客が違う意味で大歓声を超えて大混乱になり、私達は勿論のこと警備の兵士達の顔にも焦りが浮かんだ位だ。本当にその位だ。

 

「ユーシスはまだのようだな?」

「あ、お昼ご飯を買ってきてくれるって」

「そういえば昼は何も食べていなかったな」

 

 巡回を一番早く終えた私はお腹が減っていたので三人分のソーセージを買って、取り敢えずちょっと小腹を満たしながら、最初に決めた待ち合わせ場所であるここで二人を待っていた。そして、三人集まったらお昼ご飯の調達に行こうと思っていたのだ。そしたら、あのユーシスっていう奴は……。

 

「本当は私も買いに行こうと思ったんだけど、『歩きながら物を食べるような品の無い奴は俺の隣を歩くな』ってユーシスに怒られて」

「フフ……ユーシスも素直ではないからな」

「ね!それにしても言い方ってもんがあると思うけど!ってゆうか、食べてから行けばいいのに!ほんっと可愛くないんだからさー。私、結構さっきの事反省したのに」

 

 炙られたソーセージを一口頬張ってから微笑むガイウスに、私はユーシスへの不平不満をぶつくさ愚痴る。

 串物を食べながら歩くのは危ない、って素直に言えばいいのに。

 ていうか、私は元々三人集まったら行くつもりだったからこうやってソーセージを三人分買ってきてるのに、それを何勘違いしたのか自分だけで行っちゃってさ。

 

「まあ、それ以上に私としてはこの帝都でユーシスが一人でお買い物できるのかが心配――」

「お前に心配される筋合いは無い」

 

 不機嫌そうな声に顔を向けると、そこには沢山の紙袋を持ったユーシスがいた。

 どこの買い物帰りの奥様ですか。ユーシス様。

 

 

 ・・・

 

 

 四階建ての古風な赤煉瓦造りの競馬場本館のスタンドの観客席はほぼ満席。一万人を軽く超える観客はメインレースが終わっても殆ど減ってはいない。逆にあの大番狂わせで観客の興奮も冷めやらないのか、スタンドの最後列の通路から眺めれば一段と賑わっている気もする。もしかしたら、損を取り返すために自棄糞になっているのかもしれないけど。

 

 帝都競馬場は一階から二階が自由席の観覧席となっている。建物上は二階と表記されているが、観覧席のスタンドは傾斜している為、実際は二階から一階まで一緒くただ。

 建物の中で屋根付きの三階は主に指定席となっている。この階には馬主が集まる部屋なんかもあるらしいという話をユーシスから聞いた。

 四階は貴族や富裕層向けの貴賓席フロアでラウンジなんかも存在するらしい、今日はその一角の皇族専用のエリアで昨日晩餐会をご一緒したオリヴァルト皇子殿下がご観戦なさっており、そちらへ至る通路は全て鉄道憲兵隊の兵士達によって完全に警備されている。クレア大尉直筆の許可証も持っている私達は多分通れるとは思うのだけど、普通に考えてわざわざ近づく用事は無いだろう。

 

 ユーシスが買ってきたお昼ご飯は、名前だけは聞いた事ある帝都料理の定番でファーストフードの第一人者、フィッシュ・アンド・チップス。

 彼にしては嫌に庶民的なチョイスにかなり驚いたが、実際は本意ではなかった様で『これ以外の店が無かった』というのが理由のようだった。

 私も今まで食べた事は無かったのだけど、これが案外美味しかったりする。最初は手で食べるということに抵抗感があって、渋い顔をしながら仕方なさそーに私の買ってきたソーセージをちびちび食べてたユーシスも、なんだかんだ次第に慣れてきて手づかみに食べている。

 

 ちなみに、その時に私は思ったのだ。

 ユーシス、実は串物にかぶりついた事も無かったのでは、という疑惑を。

 

「帝都の料理はどれもこれも酷い味だと聞いていたが、”これは”それ程悪くはない」

「ふむ、この白身魚のフライは中々いい味をしているな」

 

 これは、に物凄く力が入っているユーシス。まあ、その理由は私もよく分かるのだけど。

 

 所謂、『帝都の料理は不味い』とは、よく地方出身者が言う有名な文句である。

 最近は帝都に本拠を持つ《革新派》を貶す意味合いでも用いられる事も増えており、実際に古くから正規軍は供される食料が非常に美味しく無いことで有名だ。

 まあでも、こればかりは擁護する事は出来ないと私は思う。実際に帝都の料理は不味いのだから。ただ、そこにはやむを得ない、悲しい歴史的な事情があるのだ。

 

 帝国で最も沢山の人口を抱える帝都は、同時に帝国で最も平民の多い都市である。その為、食糧事情が逼迫していた中世期には充分な食料が市民に行き渡らず、度々食料難に見舞われる事も多かったのだという。新鮮な食材が手に入らない事から始まった過度に火を入れるという調理法は、庶民の間でいつの間にか伝統として根付いてしまい、そんな中で育った食文化はレパートリーも調理法も非常に貧弱なのだ。

 

 勿論、現在では食糧事情は完全に解決されているので帝都でも新鮮な食材は充分に手に入る。しかし、何百年も帝都の庶民に根付いた調理法が今更変わる訳も無く、やっぱり地元料理の大多数は不味いままなのだ。結局、帝都で美味しい料理を食べる為には、それなりにいいお値段がする地方部や外国から取り入れられた料理出すレストランに入るしかない。

 

「一昨日の晩ご飯は確かに微妙だったよね」

 

 特別実習初日、ヴェスタ通りの大衆食堂的な場所で晩ご飯を食べた時の事を思い出す。多分、ユーシスもガイウスも同じ事を考えていたのだろう。すぐに隣から「アレが微妙で済むか」と、飛んできたし、ガイウスも珍しく苦笑いを浮かべている。まったく、私はオブラートに包んで言ったっていうのに。

 

 あの噛み切れないカチカチのローストビーフや半分焦げてお皿から溢れそうな程のグリーンピースは、私だって嫌だったよ!そりゃあ、貴族様が『《革新派》によって古き良き帝国が壊されたおぞましき未来は、彼らのディナーを見れば分かる』なんて見出しの本を出す訳だ。

 

 あんまりマキアスやエリオット君の前では言えないけど、私はちょっと帝都で暮らせる自信が無い。後三日ある帝都の特別実習の事を考えると、このフィッシュ・アンド・チップスという素朴な料理がそれなりに美味しかったのは唯一の救いだった。

 

「夏至賞か。こんな時でなければ、観戦するのも悪くないのだが」

 

 先程まで勢い良く馬達が駆けていた芝のコース視線に顔を向けたユーシスがそう呟く。

 

「そういえば、ユーシス。馬術部の部員は来ていたりしないのか?」

「ああ、皆で観戦に来ている筈だ。あくまで観戦のみだが、夏至賞は特別だからな」

 

 馬術部というと貴族生徒の二年生のランベルト先輩とⅤ組のポーラさんだっけ。なんとなく、おぼろげにユーシスと共に馬を走らせていた姿を思い出す。もっともポーラさんはまだまだ一人前とは言えない様子だったけど。

 

「帝国各地の競馬場で活躍した実績を持つ競走馬が集まっていたのだったな。見た限りではどうやらノルドの血を引いている馬も多い様だ」

 

 ガイウスの言葉に頷いて肯定したユーシスは、クロイツェン州育ちの馬も走っていた事を話題にする。どうやらアルバレア家と取引のある馬具メーカーが馬主をしている馬のようで、それがノルド産の馬で、とても良い馬で――まったく、馬の事になると楽しそうに次から次へと話すんだから。

 

 ユーシスも、結構変わったと思う。

 

 馬の話に夢中な二人を横目に私は、一万人以上を収容するこの観戦席のスタンドを俯瞰する。

 

 そういえば、クロウ先輩も帝都競馬場で生観戦するって言ってたっけ……。

 

 ってことは、この観客席のスタンドの中にあの銀髪バンダナもいるのだろうか。まあ……あの大番狂わせは流石に予想してそうにないから、ちょっとご愁傷様だけど。十中八九馬券も買ってると私は疑ってるので、『馬券は買ってないんだから損はしなかった』というていで、誂われたお返しにとことん弄ってやろうと心に決めた。

 あと三時間と少しだが、私も頑張ろう。この夏至祭を守りきろう。これはさっきの言葉のお返しだ。

 

 クロウ先輩、損して今頃ブルーかも知れませんけど――あなたの楽しむ夏至祭も私達が守りますよ。

 

 

「そろそろ三時か。第四レースの開始時間だな」

 

 そんなガイウスの言葉とともに巡回を再開した私達三人。

 先程と同じ割り振りで、私が建物内、ユーシスが広いスタンドの観戦席をコース側から、ガイウスが反対の通路側から。前の巡回で一番早く終わった私は、自分の巡回の前にお昼ご飯のゴミを捨てに行くのを申し出たのだけど、その途中で結構後悔していた。

 なぜなら、不審物が入れられる危険の有る為、場内のごみ箱の殆どが閉鎖されているのだ。その所為で、不便な事に私は競馬場の入り口ゲート近くにある憲兵隊の兵士の目が近いごみ箱に向かわなくてはいけなかったのだ。こんなに面倒くさいなんて、道理で至る所にごみがポイ捨てされている訳である。

 

 ゴミを捨てたついでに警備の帝都憲兵の兵士に労いの言葉をかけて現在の状況を一通り訊ねると、サンクト地区でもそうだった様に向こうにも私達の話は伝わっているので割りかし好意的に色々な事を教えてくれた。サラ教官の言っていた通り、オリヴァルト殿下に凄腕の護衛がいる関係もあるのか、競馬場には警備も大聖堂程の人員は割かれていないようで、ここの警備は主に帝都憲兵隊が担っているらしい。

 まあそれでも周囲含めて数百人体制らしいし何の問題も無いだろうが。

 

 本当にテロは起きるのだろうか――昨夜や朝の緊張感が薄れていくのを感じた。

 いやいや、そう思っていたらダメなんだ。起きると本当に思っていないと警備にならない。

 

 そう自分に言い聞かせて二階へと足を向けて時、威勢の良い軍楽隊のファンファーレが鳴り響き、物凄く大きな歓声が壁伝いに響いた。

 

 慌てて私は階段を駆け上がり、三階へと続く階段を目指してスタンドの一番後ろの走る。その途中、運の悪い事に丁度反対側から歩いてきたユーシスと出くわした。既にファンファーレは終わり、レースの開始を伝える場内放送が始まっている。

 

「まだこんな所にいるのか。もうレースが始まるぞ」

 

 ユーシスの人を小馬鹿にした呆れた顔に文句を言ってやろうとした時、ただでさえ大きかった歓声が更に盛り上がったのに私は競馬場のコースに思わず顔を向けた。私の視界の端から勢い良く馬達が駆け出してゆく――その時、芝で覆われていたコースの真ん中から眩い光が溢れた。

 

 次の瞬間、衝撃波と共に爆音が私の鼓膜を突き刺した。




こんばんは、rairaです。
やっと閃の軌跡Ⅱをクリアしました。終章のEDを見てからの外伝はすぐ終わると思っていましたし、やる気もちょっと削げ気味だったので後回しにしていたんでのですが…結構な量がありましたね。
某所では本当に迷いまくった後の、ラスダンはキツかったです。苦笑
それはそうと、この作品の設定と致命的な矛盾もⅡ部分で発生することも無かったので問題無く進めていけそうな所に安堵しています。

さて、今回は第四章の特別実習の三日目のお話となります。
原作ではB班はセドリック君の方に居たような気も…と思いきや特別実習の最後でオリビエが「兄弟共々士官学院には足を向けて寝れない」なんて言っている事に今更ながら気付きました。
この作品ではエリゼ&アルフィン誘拐よりはマイルドな事件を西側でも起こす予定です。

予定では前話の後書き通り丸々一話二日目の深夜のお話があったのですが、諸事情にてカットして夏至祭初日を迎えています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月26日 帝都繚乱・前編

 強烈な閃光、頭を揺るがす衝撃、鼓膜を貫いた爆音。

 

 激しい耳鳴りと背中に痛みを感じつつも、少なくとも私は自分の身体が無事である事を把握した。

 未だ閃光の焼き付きが残る視界に映ったのは、士官学院のネクタイ。これは男子の夏服――ユーシス!?

 

「……ユ、ユーシス!? 大丈夫!?」

 

 必死に私は、まるで私を守る様に覆い被さった彼の名前を呼んだ。

 

「……煩い喚くな。俺は問題無い」

 

 彼の不機嫌そうな顔を見て、私は安堵すると共に一気に現実に引き戻される。激しい耳鳴りが響く中、辺りに満ちていたのは歓声ではなく悲鳴。辺りに立ち籠める濃い煙霧と煤塵。

 

 ああ、私達は守れなかった――テロは、恐れていた凶行がこの場で起きてしまった。

 

 観衆の悲鳴と慌ただしい足音が聞こえる度に私の中で何かが崩れてゆく気がした。そして、その度に煙の所為ではない涙が頬を伝う。

 

「クッ……状況を確認する。お前は殿下の所へ急げ」

 

 ユーシスが立ち上がり、私からは見えない観客席のスタンドに目を向ける。

 彼のその声には小さな揺らぎ、そして、震えがあった。

 

 状況――この帝都競馬場で、爆発が起きた。

 爆発――私は確かに見た。馬達が駆けていた中、コースから――ガイウス!

 

「ねぇ、ユーシス!? ガイウスは……ガイウスは!? ねぇ!?」

「それを確認してくると言っている!」

「私も行く!」

 

 未だに床に膝どころか腰を付いたままで、目の前の彼の様に立ち上がってすらないのに、その言葉は即座に出た。考えるまでもなく、気付けば出ていた。

 ガイウスが、私達の仲間があの中にいたのだ。あの――悲鳴に満ちた煙霧の中に。

 

「阿呆! お前は殿下の下へ向かえ!」

「でも!」

「行けといっている!」

 

 ユーシスは剣を手に取り、私に背を向ける。

 

「ま、待って……! ユーシス!」

 

 精一杯の力でユーシスの腕を私は掴んだ。

 

「ガイウスが……ガイウスが……!」

 

 観客席は先程の爆煙が未だ立ち篭めており、その様子をこの場から把握する事は出来ない。しかし、観衆がこちら側に逃げるように押し寄せて来ている事からその状況は嫌でも想像出来た。

 ガイウスはコース側に向けて巡回していたのだ。あの爆発の中に、彼は……!

 

「……アゼリアーノ」

 

 ユーシスが私の手を掴んで、自らの腕から離す。そして、私の両肩に彼の手が置かれた。

 

「俺たちは何故今ここにいる」

「それは……」

 

 テロ対策、その警備の為。鉄道憲兵隊や帝都憲兵隊と共に、テロの脅威からこの夏至祭を守る為。

 しかし、テロは起きてしまった。悲鳴と恐怖に満ちたあの爆煙の中では何百人、いや何千人もの人々が――。

 

「全てが混乱しているこの状況下、俺達には士官学院生として、Ⅶ組の一員としてまず為すべき事があるだろう!」

 

 ユーシスの真剣な空色の瞳が向けられる。

 

「……その為に、お前はここに居る。違うか?」

 

 その時、彼の瞳が揺れている事に私は気付いた。

 ユーシスでさえ、動揺しているのだ。

 

「……ごめん」

「……分かったのならば良い」

 

 再びユーシスは背を向けて、続けた。

 

「それに、あの男がそう簡単に果てる筈が無かろう。……殿下の安全の確認が取れ次第、連絡を寄越せ。三人で合流するぞ」

 

 そう言い残し、彼の背中は観客の流れに逆らって黒い煙霧の中へ駆けて行った。

 

 

 ケースから乱暴にライフルを取り出しスリングを肩に掛け、手早くマガジンを一つだけ取り出して装着する。

 そして、いつでも撃てる状態にする為に、弾丸を送り込むレバーに触れた。

 まさか、この場所でこのアサルトライフルを構える事になるなんて――未だに煙霧で視界が悪いスタンド方面に目を向ける。

 

 近くではやっと対応を始めた帝都憲兵が混乱する観客を制止しようとしているが、一万人を超える観衆の前では憲兵も多勢に無勢だ。このままでは混乱する場内で二次災害の群集事故が起こりかねない。

 

 ちくしょう――テロリストの野郎ども――私は、許さない。絶対に――。

 

 力を込めて、レバーを一気に引いた。

 

 

 私は競馬場の建物の最上階を目指していた。三階への一番大きな階段は溢れ出す観客とそれを抑える帝都憲兵で大混乱に陥っていたが、屋内は帝都憲兵側の努力もあってスタンド程の状況では無かった。私はその傍らを、小さな非常階段を使って四階へと突進する。

 

――ガイウス……いや、彼は大丈夫だ。私は信じている。

 

 オリヴァルト殿下――とても気さくで、面白い方だった。まるで皇族の方だというのが嘘の様に思えた位。もっと違う形で……昨日は突然過ぎたが、もっともっとよくお話を聞きたい方であった。……どうか、どうか、ご無事でいて下さい。

 

 勢い良く非常階段の扉を開いて私は四階の貴賓エリアへと飛び込む。

 この音で警備の鉄道憲兵隊の兵士は何者かが四階に入ったことを気付くだろうし、この近くに兵士もいる筈だ。彼らに殿下の安否を訊ねれば私の任務は成功だ。

 

 私はふと辺りを見渡す。扉を内装も装飾も三階や二階とは打って変わって豪華になり、私はバリアハートの《ホテル・エスメラルダ》を思い出した。

 だが、一つだけ異常があった。

 

 どうして?

 

 ここはおかしい。いや、見渡す限り四階のこの大通路全てが明らかに異様だ。こんな筈は無いのに。

 

 静か過ぎる。

 

 四階にいる筈の鉄道憲兵隊の兵士が誰一人も居ないのだ。鉄道憲兵隊の一個中隊約150名によって警備されていた筈なのに。そういえば、三階でも観客の混乱を抑えようとしていたのは藍色の軍服の帝都憲兵隊の兵士だけ。灰色の軍服の兵士は一人も見なかった――まさか……いや、もし仮にそうだとしたら、痕跡が残る筈である。銃弾や……遺体なり。それが無いという事は、もうオリヴァルト殿下は鉄道憲兵隊と共にこの場を離れられたのだろうか。

 

 不安と安堵が入り混じる思考の中、私は大通路をまっしぐらに走り、貴賓室へと向かう。

 大聖堂で鉄道憲兵隊の女性将校さんから貰った帝都競馬場の見取り図の記憶が正しければ、この大通路の真ん中、あの装飾過多で帝国国章の黄金の軍馬の彫刻のホールの奥の扉の向こうが皇室専用の貴賓室である。

 

 私はそのままその扉に体当りした。

 

「皇子殿下! ご無事ですか!」

 

 

・・・

 

 

「止まれ。何者だ」

 

 貴賓室に飛び込んだ迎えたのは、低く冷たい声。そして、私の目の前をその大きな身体で遮る帝国正規軍の将校。

 上から凄まじく鋭い眼光が私を貫く。

 彼は剣など構えていないはずなのに、その眼だけで私なんて今すぐ斬り裂かれてしまいそうな程恐ろしい威圧感を漂わせていた。

 私はまるで金縛りにあったように、その場から一歩も動けなかった。いや、金縛りじゃない。喉元にまるで巨大な剣が添えられている様な――まるで死刑執行台に今まさに乗っているような――。

 

「おや? 君は――ハハッ、これは驚いたね」

 

 圧倒的な強者の気を当たられて極限の状態にあったその場の空気を崩したのは、場違いな程軽い声。

 黒髪で長身の帝国軍将校が立ち塞がった数アージュ後ろで、昨日会ったオリヴァルト殿下が私を振り返った。

 

「お、皇子殿下! ……ご無事でしたか!」

「ああ、無事だとも。親友のお陰でね。うーん、これも愛のなせる技だね」

「おい」

 

 どこから突っ込んでいいのか、と考えたのも一瞬。殿下を将校が睨みつけた。正直、さっきより怖い。

 

「親友……え、ええっと……帝国正規軍の将校の方とお見受けしますが、オリヴァルト殿下の、その、凄腕の護衛の方というのは……」

「ああ、彼の事だよ。ホラ、ミュラー。ちゃんと自己紹介しないと」

 

 殿下を再びひと睨みしてから、咳払いしてから長身の将校は私を向いた。

 

「帝国正規軍第七機甲師団所属ミュラー・ヴァンダール少佐だ」

「ト、トールズ士官学院1年Ⅶ組所属エレナ・アゼリアーノと申します! しょ、少佐殿!」

 

 まさか、こんなにお若いのに少佐だなんて。やはり、殿下の護衛を任される程の凄腕と言われるだけあって、階級も高かった。

 

「オリビエ、彼女は――」

「――ああ、《Ⅶ組》の子さ。前に書類は見せただろう? どうだい?」

「ふむ……」

 

 再び上から浴びせられる視線に鼓動が早くなる。

 

「それはそうと、昨日振りだね。また会えて嬉しいよ」

「お、殿下にそう言って頂けて……その、こ、光栄です……」

 

 それは、殿下の優しいお言葉にもう一段階早くなり、顔が熱くなる。

 やばいやばい! こんな事言う前に、私には報告しなくてはいけないことが――。

 

「あ、あの! 実は……殿下! 鉄道憲兵隊の警備が……!」

 

 居ないのだ。一人も。さっきは皇子殿下と共に既にこの場を離れたのかと思ったが、皇子殿下はこの貴賓室で私の目の前にいるのに。

 かといって二階のスタンド裏では灰色の軍服を着た兵士の姿は見ていない。

 

「ああ、彼らはもうここには居ないよ」

 

 あっけらかんとした様子で言い放った殿下に、私は思わず拍子抜けした。

 

「僕から頼んで他に行って貰ったんだ。こっちはフェイントだったみたいだからね。彼らの優秀な司令官の読み通り、元々この場所にはそれ程人手も割かれていなかったみたいだけど」

「フェイント……ですか?」

 

 殿下の言葉の意味を理解するのに、私は少しばかりの時間を要した。

 フェイント――つまり、あの爆発が陽動だというのだろうか。そんな馬鹿な。

 

「僕を狙うにしても、観客を狙うにしても、わざわざコースの中に爆弾を仕掛けたりしないだろうからね」

「で、ですが……!」

「仮に先程の爆発が被害を与える事を目的とした物ならば、今頃観客席は見るも無惨な状況である筈だ。音と衝撃で戦闘能力を喪失させる事に重きを置いた非殺傷爆弾――煙は大方発煙筒だろう」

 

 恐れ多い私の殿下への言葉を、ミュラー少佐が的確かつ反論を許さない口調で遮って更に続ける。

 

「大方ここに居る観客を混乱に陥らせたまま、市中に解き放つ算段だったのだろう。市中で混乱が爆発的に広がれば鉄道憲兵隊も機動的に動けなくなるからな」

「そういう事さ。説明ご苦労、ミュラー君」

 

 その時だった。この皇室専用の貴賓室のテラスの向こうに竜巻――いや、純粋な空気の渦が見えたのは。

 

 私達三人は、テラスの柵へと駆け寄りそれを見上げる。

 大きな空気の渦は七耀の風属性の導力を象徴する緑色の光を帯び、眼下の観客席のスタンドに立ち籠めていた煙を瞬く間に吸い込み、遥か上空へと吐き出してゆく。

 

「……ほお……」

 

その空気の渦に感嘆の溜息を漏らす殿下。

 

「……狼狽えるな……! ……虚仮威しに過ぎん……!」

 

 確かに私は今、声を聞いた。ここからでは微かだが、間違いなくこれでもかという位の大声での叫び声だ。

 ユーシスとガイウスの声。その声の主の姿を探し出そうと、私はテラスの柵から身を乗り出す。

 

 いた――!

 

 観客席の中央辺りで声を上げているユーシス。導力魔法の空気の渦に吸い取られながらも、未だ煙を吐き出し続ける発煙筒を帝都憲兵と共に処理しようとしているガイウス。

 

 彼を見つけることが出来た時、私は感極まって目尻が熱くなった。

 そして、何度も胸を撫で下ろした。

 

 

「先を越されてしまったが、僕も一仕事させて貰おうかな」

 

 そう一言残して、テラスの観戦席の傍らに置かれた黒い筒の様な導力器を手にした。

 

<――ああ、そうだとも。観客諸君――>

 

 殿下のお声が、導力器を通じて場内に響いた。

 

 

・・・

 

 

 オリヴァルト殿下直々の観客への言葉というパフォーマンスで、それなりに落ち着きを取り戻した観客の殿下への歓声が続く中、私の《ARCUS》にユーシスから通信が入った。

 

<――こちらでも殿下を確認した――>

「……うん、こっちもユーシスとガイウスの声は聞いた、ちゃんと見たよ……」

<――そうか。すぐにでも合流と行きたい所だが、話が変わった――>

<――まず、殿下にお伝えして欲しい事がある。競馬場周辺でいくつかの水道管が破裂し、道路が冠水している。恐らく導力車での避難は難しいだろう――>

 

 ユーシスは帝都憲兵からの確かな情報である事を続けた。私は彼に一旦待って貰って、そのまま皇子殿下に伝える。

 

「――なるほど。冠水か。それは面倒な事になったね。仕方無いから、このまま――っていうのは無いだろうし……やれやれ、大人しく皇城に戻らせて貰おうか」

 

 途中、またミュラー少佐に睨まれた殿下が態度を百八十度反転させた。

 「これ以上僕がここに居ても現場に後々迷惑事が増えるだろうからね」、と首を左右に振りながら付け加える殿下。

 

「どうするつもりだ? まさか歩いて避難と言うのではあるまいな?」

「あ、歩いて、ですか!?」

「それも楽しそうなんだけどねぇ――ミュラー君、目が怖いよ?」

「……」

「まあ、元よりこの状況下だ。最初から導力車で自由に移動出来るとは思っていなかったさ」

 

 ミュラー少佐の怖い目という無言の圧力が効いたようだ。

 

「と言う訳で君達《Ⅶ組》にも協力して貰いたいんだが――いいかな?」

「は、はい! 勿論です!」

 

 私を含めてⅦ組の三人は殿下のご命令であれば、何でもするだろう。

 

「オリビエ、何をするつもりだ?」

「ハハッ――簡単なクイズだよ。今、僕達がいるのはどんな場所だい?」

 

 殿下が笑いながら出された簡単過ぎるクイズに、私とミュラー少佐は思わず三十リジュの身長差を乗り越えて顔を向き合わせた。

 

 

・・・

 

 

 オリヴァルト殿下の正直突拍子も無い発案に驚いたのは、私だけではない。ユーシスに《ARCUS》を通じて殿下のご提案を伝え、それに伴う準備を彼とガイウスに頼んだ時は、もう一度聞き返された位だ。

 ただ一人、ミュラー少佐は驚きというより呆れて物も言えないというような顔をしていた。手を頭にやって俯く彼がため息混じりに漏らした一言に、私はこの長身の正規軍の少佐が苦労人である事を悟ると共に、やはり、皇子殿下と彼の間柄は単なる皇子と護衛ではないという事を再確認した。

 

 殿下が最初に言った”親友”という言葉が本当なのだろう。それにしても、『いつもいつも』こんな破天荒な発想が浮かぶなんて殿下は本当に自由人というか……。

 私の中でオリヴァルト皇子殿下のイメージがどんどん崩れていくのを感じた。パルムで最初にお目にかかった時は、超イケメンで格好良い殿下の横顔に騒いだっていうのに。

 

 

 今、私は殿下とミュラー少佐を伴って三人は狭い非常階段を下りていた。先程ここを通った時は無我夢中過ぎて特に気付かなかったが、この階段は大分横幅が狭い。私は勿論、殿下もギリギリ問題ないが、肩幅のある少佐は結構大変そうだ。

 だからこそ、私は自分から申し出て先鋒を務めていた。それに、ミュラー少佐は皇子殿下の専属の護衛である以上、何よりも殿下の背中を守らなくてはならないから。

 

「いやぁ、君達が居てくれて本当に助かったよ」

「そ、そういって頂けて光栄です……私も殿下がご無事で本当に……」

 

 やばい、殿下のお声が近すぎて、うなじにかかる吐息がくすぐったい。こんなことなら、髪を下ろしておけば良かった。

 

「安心するのはまだ早い。陽動があったという事は、違う場所が敵の目標となったという事だ」

「……あ……」

 

 大聖堂前で手を振って下さったセドリック皇太子殿下、そして、昨日の夕方のお茶会で私に笑いかけて下さったアルフィン皇女殿下の笑顔が立て続けに脳裏を過る。

 ここが陽動であれば、もしかしたらどちらかが狙われている事になる。

 

「まあ、そういう事だね。ここで爆発が起きてから約十五分弱……そろそろかもしれない」

 

 殿下の言葉に私は唾を飲み込んだ。

 思わず振り返った私は、暗い非常階段の中沢山の想いを押さえ込んだ殿下の表情を見て、何も口にすることは出来なかった。

 

 

 程なく私はこの階段の一番下、地下一階に辿り着く。ミュラー少佐によると地下には通路がありコースの内側に出れるのだという。ちなみに、ユーシスとガイウスとはそこで落ち合う予定だ。

 

 競馬場内にはテロリストは既にいないだろうとは思う。だが、もし潜伏や逃亡中であれば地下道というのははおあつらえ向きでは無いだろうか。

 仮にこの扉の向こうに彼らが居たとすれば――……ぎゅっと、ライフルのグリップに力が篭もる。

 

「……私が扉を開きます」

 

 後ろの殿下と少佐が頷くのを確認した私は、ノアノブをゆっくりと回す。

 そして、思いっ切り扉を蹴り飛ばし、銃口を向けた。

 

 誰も居ない。

 

 天井に埋め込まれている導力灯はいくつかが切れており、通路は薄暗いが特に問題が有るわけではない。

 扉や人が隠れれる障害物などがあれば警戒しなくてはいけないが、そういった場所も無く、出口は外からの光が差し込んでいるので一目瞭然だ。

 

 私は緊張の糸が少し解れて、溜息が漏れた。私は薄暗い地下通路へと足を踏み入れる。

 

「……あっ……」

 

 冷たい。雨の日に思わずぬかるみに足を突っ込んでしまった感覚。いや、それ以上だ――くるぶし辺りまで水が一気に染みこんでくる冷たさを感じる。

 

「大丈夫かい?」

「水か……それ程の深さではないが――こんな所にまで浸水してきているとはな……。行けるか?」

 

 思わず声を出してしまった私を殿下と少佐は心配してくれたようだ。

 

「……大丈夫です。このまま先行します」

「頼もしいねぇ。うーん、こうしているとなんだか二年前を思い出すよ」

 

 護身用と思われる金の装飾が施されたラインフォルト製の導力拳銃を手する殿下が楽しそうに口にされた。殿下、なんだか慣れているような……気のせいだろうか。流石に皇族の方が導力銃に慣れている訳は無いか。

 

「二年前……ですか?」

「ああ、二年前、僕がリベールを旅行した時の事さ。そういえば、あの時の彼女は丁度今の君と同い年だったかな――フフッ、これは偶然の一致とは思えないね。君もそう思わないかい、ミュラー?」

 

 殿下の振りに、「さてな……」と興味なさげに呟いたミュラー少佐。しかし、何となく口元が緩んでいるような気がした。

 

「えっと……その、彼女、ですか?」

「フフ、気になるかい? だが、続きはまた今度の機会としようか。どうやらお迎えのようだ――」

「皇子殿下!」

 

 私が殿下に聞き返すのを遮るように、出口側から聞き覚えのある声が殿下を呼んだ。

 薄暗い地下通路に人影が二つ。それは私のよく知る二人だった。

 

「ユーシス……! ガイウス!」

 

 私はそのまま水浸しの床を、二人に向けて駆けていった。

 

 

・・・

 

 

「まさか、お前……」

 

 馬上からのユーシスの視線が痛い。

 

 薄々感じていた私の不安は本当の事となった。

 目の前にはオリヴァルト殿下の頼みでユーシスとガイウスが用意した馬達――それもサラブレッドという逞しい競走馬の前で私は立ち尽くす。

 馬に乗っていないのは私一人。ガイウスとユーシスは勿論、殿下とミュラー少佐もしっかりと騎乗されている。だからこそ、頭の上からの視線が辛い。

 

「私、馬乗れないんだけど!」

 

 お察しの通り、私は馬なんか乗れない。

 田舎育ちの癖にと思われそうだが、残念ながら乗れない。第一、故郷の村にいた馬は大体ポニーだ。こんな競走馬なんてまず絶対無理なのだ。

 

「ってゆうか、ユーシス、知ってたよね!?」

「そうなのか?」

 

 目一杯反論をユーシスにぶつけると、私からは目を逸しやがった。ガイウスに訊ねられて、バツの悪そうな顔をしている。ああ、これはきっと忘れてたのだろう。

 

「チッ……」

「ほぉ……? じゃあ、僕と一緒というのはどうだい? ちゃんとこの腕の中に抱きとめて皇城まで――」

 

 舌打ちと共に嫌そうな顔をしたユーシスが私に向き直った時、後ろからとんでも無い誘いが飛んできた。

 

「うぇぇえぇっ!? で、殿下!?」

 

 自分でも驚く程素っ頓狂な声が喉から飛び出した。というか、心臓まで飛び出なかったのが不思議なぐらいだ。違う意味で爆弾テロよりも驚いたかもしれない。

 

 あの、オリヴァルト殿下と一緒に――って、皇子様と一緒って、まるで、私がお姫様みたいじゃないか――おあつらえ向きに、殿下のお乗りになっている馬は白毛の馬だし――。

 私の気のせいか、殿下は少々頬を赤らめられてられている。照れて居らっしゃるのだろうか……私も沸騰しそうな位に熱いけど。

 

「い・い・加・減・に・し・ろ」

「……ハイ」

 

 私の場違いな妄想混じりの世界に終止符を打ったのは、ミュラー少佐のお怒りの声。打って変わって怒られた子供の様に殿下はシュンとなされている。少佐、恐るべし。

 

 とにかく、殿下とご一緒だなんて冗談でもあり得ない。殿下も冗談だろうし、本当だったら私……死んじゃう。

 

 ガイウスは――……槍を持つ以上、私も乗せてと言うのは無理だろう。少佐に頼むのは論外過ぎる。今度は私が怒られそうだ。となると消去法で――くっ、その『乗せてやらんこともない』といった顔がとても気に食わない。

 しかし、流石に殿下をこれ以上待たせる訳にもいかなかった。これが背に腹は代えられないという奴なのだろう。

 

「……ユーシス。……お願い。乗せて」

「フン、不本意な事この上ないが、まあいいだろう。馬への負担も考えれば致し方有るまい」

 

 相当ぶっきらぼうに私はユーシスに頼んだ。

 なんか色々と言いたいことはあるが、向こうも向こうで理由が必要なみたいだった。

 

 

 ユーシスの《ARCUS》の着信音が鳴ったのは、丁度私が彼の後ろに乗った所だった。殿下と少佐も見守る中、ユーシスは多分B班のリーダー的存在であるアリサと現在状況について話すのだが、どうやら内容は悪い知らせのようだ。

 彼の背中に居る私からでは顔は見ることは出来なかったが、その声色で重大な事が起きたこと位は充分把握出来た。

 

「……了解した、アリサ、お前達も最善を尽くせ」

「ユ、ユーシス……」

「その様子だと悪いニュースの様だね?」

「ええ――残念ながら……殿下の仰る通りです」

 

 ユーシスは皇太子殿下の居られるヘイムダル大聖堂が襲撃を受けた事を告げた。

 大聖堂至近に突如として現れた数十人のテロリスト集団と警備の鉄道憲兵隊が、今まさに交戦中だという。そして、競馬場周辺と同様に帝都内各所で水道管が破裂し、道路と路面鉄道共に交通網に甚大な混乱が生じているという情報もアリサ経由で届いた。

 

「――そうか」

「殿下……」

 

 先程まで私に冗談を飛ばしていた殿下が目を伏せた。

 今危険な目に遭われている皇太子殿下は、他ならぬ殿下の肉親なのだ。

 

「ハハ、気にならないといえば嘘になるけどね。兎に角、僕達はまずここを離れるのが先決だろう」

「皇城までお供致します。殿下」

「先鋒は引き受けさせて貰おう」

 

 ユーシスとガイウスの言葉に、私は二人がまるで殿下を守る騎士になったように感じさせた。無言で頷くミュラー少佐の貫禄に決して負けてはいない。

 

「ノルドの勇士が先鋒か、これは参ったね。生憎、僕はそういう器では無いんだけどねぇ」

 

 三叉槍を片手に前に馬をゆっくりと移動させるガイウスの頼もしい背中に、殿下が小さく笑いながらぼやいた。

 

 

・・・

 

 

 ヴァンクール大通りの景色がもの凄い速さで流れてゆく――通り沿いでは帝都市民が驚きの声を上げるが、それも一瞬。次の瞬間には遥か後方へと流れて行ってしまう。

 私達の乗る四騎の馬は、オリヴァルト殿下を守るべく楔型の陣形で帝都を南北に駆け抜けていた。

 

 言葉通り先鋒を務め、私達の前を走るのがガイウス。オリヴァルト殿下を中心にミュラー少佐が右翼、私とユーシスの乗る馬が左翼だ。

 

 馬に誰かと乗るのは初めてじゃない。

 流石に主流という訳ではないが、帝都と違って故郷ではまだ馬車も使われていたりするので、馬はそれなりに乗り物として利用されていたりする。

 それでも、ユーシスの背中に嫌々ながらも必死にしがみつきながら、私は競走馬の速さという明確な違いを感じ取っていた。

 こんな時に言う物では無いけど、乗り心地の悪さはアンゼリカ先輩のバイクの比じゃないかも知れない。

 

 私達に思わぬ幸運となったのは、帝都憲兵隊の交通規制によって大通りには障害物となる導力車は少なかったこと。だからこそ、馬達は導力車に負けず劣らずのこんな速さで走ることが出来、ものの数分で既に皇宮《バルフレイム宮》迄の道程の半分を既に走り切っていた。

 

 あとちょっとで、皇宮に着く。そうすれば私達は襲撃を受けた大聖堂方面に向かえる。この馬達であればそれ程時間も掛からずに辿り着けるだろう。

 

 しがみつくのに必死でユーシスの背中に左頬を密着させているような状態の私だが、こんな激しく揺れる中でも右隣に憧れのオリヴァルト殿下がいらっしゃると思えば気が気でなかった。陣形を組んで走りだしてから度々殿下の様子が気になってチラチラと見ていたけど、遂にそれがバレてしまった。

 

 殿下が私の視線に気付かれて、笑いかけて下さったのだ。もうすっごく恥ずかしくて顔が真っ赤になりそうだったけど、それ以上に嬉しい。こんな時にも拘らず胸の中でもう一人の自分が黄色い悲鳴を上げている。

 

 しかし、別れは突然だった。

 

 殿下に笑いかけて貰った余韻が尾を引く私の前で、殿下が右翼のミュラー少佐に目配せをしたのだ。少佐はそれに小さく頷いて応えると共に、私達がここまで維持していた陣形が横に伸びていく。少佐の騎が私達から離れた。

 

「殿下、何を――!?」

 

 それに気付いたのだろう。しがみついている背中越しにユーシスの叫び声が響く。

 

「フッ、ここでお別れさ! 君達は次の道を西に抜けて大聖堂へ向かいたまえ!」

「そういう事だ。後は任せておけ」

「殿下、少佐!」

 

 殿下と少佐の馬が速度を増して私達から離れてゆく。最後に、離れ行く殿下が振り向いて私達に叫んだ。

 

「女神の加護を――どうかセドリックを、我が弟を頼んだよ。Ⅶ組の諸君!」




こんばんは、rairaです。
DLCのマキアスの私服に笑ってしまいました。トリスタ放送のTシャツはともかく…サングラスってマッキー。笑
あ、トワ会長は相変わらずの天使さんですね…流石です。

さて、今回は第四章の特別実習の三日目、帝都競馬場でのお話となります。
B班の三人、特にガイウスとユーシスは「混乱を治める」という意味で大きな活躍をした形となりました。もっとも、空のチェインの時な感じで「トリはいただき!」と良いところはオリビエに持っていかれてしまいましたが。まぁ、Ⅶ組らしいといえばⅦ組らしいですね。

主人公エレナにとっては、このお話が初めてオリビエとまともに話せた後々重要な意味を持つお話となります。

それにしてもオリビエとミュラーを書くのは本当に楽しいです…これで出番が終わりなんて…。本当はこの二人を一緒の馬にしようとか思っていました。

次回はヘイムダル大聖堂、アリサ嬢とエマさんと合流する予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月26日 帝都繚乱・中編

 規制線を超えてサンクト地区に入った頃、風と馬が道路を蹴る音の中で甲高い乾いた音を耳にした。

 街並みの向こう、夏空に浮かぶ雲に向けて聳える大聖堂の白い双塔が大きくなるに従って、その音は断続的に、そして少しずつ鮮明になる。それは、紛れも無く銃声であり、今から向かう場所で戦いが行われている証拠だった。

 

「強く気を持て」

「……うん、わかった」

 

 私の不安を感じ取ってくれたのか、背中越しに密着するユーシスが声を掛けてくれた。

 これから、戦いの中に飛び込むことになるのだ。そう考えた時、無意識に彼の身体に回す腕に力がこもっていた事に気付いた。

 

 これじゃあ、いくら口で強がっても全くの無意味じゃないか――今更の話だけど。

 

 

 大聖堂へ続く坂道が見えた時、その手前には何台もの鉄道憲兵隊の車両と銃を構えて警戒する兵士達の背中があった。彼らを横目に馬は更に速度を上げて坂道を一気に駆け上がる。

 

 大聖堂はもうすぐ、すぐそこだ。

 

 帝都で最も女神様に近い神聖で荘厳な大聖堂本堂が徐々にせり上がり、その重厚な扉が目に入ったその時。左手より爆発音と共にはっきりとした銃声が立て続けに何回も鳴り響いた。

 風を切る音に掻き乱されているとは言え、かなり近いのは言うまでもない。

 咄嗟にその方向へと顔を向けると、大聖堂の建物の脇の樹木を楯に鉄道憲兵隊の兵士達と銃を撃ち合っている数人の人影を視界に捕えた――あれが、テロリスト。

 

 一年に一回の盛大なお祭である夏至祭を楽しむ帝都市民を、恐怖と混乱に突き落とした凶行に及んだ奴ら。

 

 今まで感じていた戦いが怖いという感情より、目の前にいる奴らが許せないという感情が、一気に膨れ上がるのを感じた。

 

「ユーシス、援護を頼む!」

「ああ、任せろ!」

 

 私がしがみついているユーシスが剣を抜き、雄叫びと共にガイウスの馬は速度を増す――その先には、五人程の傭兵の様にも見える戦闘服に身を包み、騎士風のヘルメットを被った武装したテロリストの集団。

 坂を駆け上がった勢いをそのままに、彼らに向けて突撃を敢行するガイウス。一気に集団のど真ん中を突き抜けた彼とその十字槍が一方的にテロリストを薙ぎ払い、それに続いて突っ込むユーシスが止めを刺す形で剣を振りかざす。

 

「騎兵だと!?」

 

 驚くテロリストの声を耳にした時には、私達は転回を終わり二度目の突撃を敢行していた。こちらを向いて慌てながら武器を構える憎きテロリスト達。しかし、彼らの声は直ぐに焦りと狼狽えに取って代わられる。

 大聖堂側で車両を盾にして守りを固めている鉄道憲兵隊の兵士が私達に呼応して、攻勢を仕掛けたのだ。あっという間に窮地に立たされたテロリスト達が茂みの中へと消えてゆくのには然程時間は掛からなかった。

 

「貴方達!」

 

 戦いが一応の終わりを迎えた後、一直線に私達へと駆け寄って来たのはアリサだった。先程の戦いの最中、車両の影に隠れている鉄道憲兵隊の兵士達の中に見知った金髪が見たような気がしたので、もしかしたらとは思っていたけど正解だったみたいだ。

 

 彼女の煤で汚れている顔や髪がここで繰り広げられた激しい戦いを物語っているが、それでもこの状況で笑顔を見れた事に私は何より嬉しく思えた。それに、汚れているのは私も一緒だろう。競馬場ではあの爆風に巻かれたのだし、水浸しの通路を考えなしに走ったりもしたのだから。

 

「状況はどうだ?」

「今のでほぼ最後よ!大聖堂への襲撃は鉄道憲兵隊が防ぎきったわ!」

 

 笑顔でアリサはそう応える。私達はどうやら少し遅かったようだけど、それでもこれは喜ぶべき事だろう。

 

 

「ありがとう……アリサ」

 

 慣れない下馬に危うく地面に顔をぶつける所だったけど、私は下にいたアリサのお陰で何とか事なきを得ていた。

 思いっ切りアリサに抱き着きながら、しっかりと支えてくれた彼女に感謝すると共に、彼女が無事だった事を感じながら再会の喜びを噛みしめる。

 

「どういたしまして。無事で良かった……一時は本当に心配したわ」

「私もだよ。大聖堂が襲われたって聞いた時は……」

 

 そこで、私達は小さく笑い合った。

 

「あ……エレナ。実はね、ミサの参加者の中に……」

「全く……グズグズしている余裕はないぞ」

「え、ええ……そうね。警備本部に向かいましょう。そこにエマもいるわ」

 

 何か思い出したかのようにアリサが言いかけたのだが、それは馬上のユーシスに窘められた。それ程重要な話でもなかったのだろう、アリサも少しバツの悪そうな顔をする。ちょっと言い方はアレだけど、今は非常時であり、ここもつい数分前まで”戦場”だった場所なのだ。ユーシスが正しいのは間違い無い。

 

 巨大な白亜の大聖堂本堂。その丁度裏側に仮設テントによる警備本部が鉄道憲兵隊によって設営されていた。

 

 この場所を襲撃したテロリストはおよそ数十人。どんな方法を使ったかは不明だが、彼等は大聖堂を中心にサンクト地区内に何重にも敷かれた警備線を掻い潜り鉄道憲兵隊の本陣とも言えるこの場所を真っ先に襲撃した。

 しかし、警備の部隊が混乱したのはほんの僅かな間。大聖堂警備の現場責任者でもあるエンゲルス中尉の指揮の下、鉄道憲兵隊は迅速に守備態勢を整えて大聖堂内部へのテロリストの侵入を阻止する事に成功する。

 

 流石は鉄道憲兵隊といった所だろうか。警備線の内側から警備本部への突然の襲撃という不測の事態を受けても、帝国正規軍の最精鋭と名高いその実力を遺憾無く発揮していた。

 

 こういう比較はあまり好きではないけど、帝都競馬場での帝都憲兵の混乱を目の当たりした私達だからこそ、彼らは本当に頼もしく思えた。

 もっとも、一万人以上の大観衆を抱えていた帝都競馬場と大聖堂では大きく現場の事情も異なるので、一概に帝都憲兵隊が能力で劣っていると言える訳では無いのだが。

 

 そんな現状の詳細をアリサから聞かされながら、大聖堂の脇を通り私達は警備本部へと足早に向かう。

 直ぐに大聖堂裏側の庭園広場に設営されたテント群が目に入り、その一角に《ARCUS》を駆動させているエマを見つけた。どうやら彼女は負傷した兵士への応急処置を行っているみたいだ。

 

 近付く私達に気付いたエマの顔がぱっと明るくなり、私は手を振る。だけど、私達が再会を喜び合おうとした時、近くから大声が上がった。

 

「こちらへ向かっている第四、第五、第七中隊は急行せよ!リーヴェルト大尉率いる本隊の指揮下へ入れ!」

 

 現場指揮官である鉄道憲兵隊のエンゲルス中尉の声だ。丁度この隣のテントには軍用の簡易据置型の導力通信機があり、彼もその場所で警備部隊の指揮にあたっているのだ。

 

「どうかしたの、エマ?」

 

 鉄道憲兵隊の兵士達が忙しない様子なのは直接攻撃を受けたことで十分説明が付く。だけど、テロリストを危うげなく撃退出来たにも関わらず、ここに居る兵士達の表情は良くないし、中尉の声は張り詰めたものだった。

 

「それが……」

 

 エマが深刻そうな顔を浮かべ、言い辛そうにする。

 彼女から聞かされた理由は、私達に衝撃を与えるには十分過ぎる程だった。

 

 アルフィン皇女殿下がご出席されている園遊会が催されているマーテル公園。そこに多数の大型魔獣が突然現れ、現在近衛兵部隊が交戦中だというのだ。

 既に鉄道憲兵隊の司令所のある帝都駅からクレア大尉直属の本隊も急行しているという。

 

 そんなエマの説明の途中で、導力通信機が着信を知らせるベルが辺りに鳴り響き、私達の視線は隣のテントのエンゲルス中尉へと向けられた。

 

「……ええ、彼らの尽力もありまして問題無く……ええ……こちらからも三個中隊を向かわせております。……何ですと……!?……了解致しました……」

 

 通信機の受話器を置くとともに、呆然とした様子でパイプ椅子へと力なく腰掛けたエンゲルス中尉。鉄道憲兵隊きっての若く優秀な指揮官と兵士に評判の中尉らしくない姿に、私達は重大な事が起きたことを悟って隣のテントへと向かった。

 

「中尉、園遊会の方の続報ですか?」

 

 何かあったのでしょうか?、と不安そうな顔でアリサに続いてエマもエンゲルス中尉に訊ねると、彼は小さく私達に「ああ、すまない」と呟いて目を伏せた。

 

「……許し難い報せだ。……皇女殿下と侍女がテロリストの手に落ちた」

 

 中尉の言葉を理解するのに少々時間を有した。完全に言葉の意味を理解した時、私は言葉を失う。

 ここに戻って来てから二度目の衝撃は先程の比では無かった。言葉と共に全てが終わってしまったかのような喪失感に胸が満ちたかと思えば、次の瞬間には油に火をつけたかの様に激しい怒りとなって燃え上がる。

 

「何かの間違いではないんですか!?」

 

 それを私が言ったのか、アリサが言ったのか、それとも他の誰かが言ったかすら分からない。

 間違いだと信じたかった。まさか、あのアルフィン殿下とその侍女、リィンの妹のエリゼちゃんが敵の手に落ちるなんて――想像も出来なかったから。

 

「先程、会場に居合わせた帝都知事閣下から大尉に直接連絡があった様だ。まず間違いはなかろう」

「そ、そんな……」

「おのれ……」

 

 私達B班の面々も口々に漏らす中、突然中尉の拳が机に振り下ろされた。

 

「……クソッ、我々があの場にいればこんなことには……近衛軍の無能共め!」

「中尉……」

 

 やるせない気持ちはここに居る皆が感じていることだろう。守らなくてはいけない人を、守れなかかったのだ。

 

「……だが、大尉の目は間違いなかった様だ」

「え……?」

 

 悔しさに露わにして顔を歪ませていたエンゲルス中尉が、数秒瞼を伏せたた後に口にした言葉は少し意外なものだった。

 

「君達トールズの七組のもう一班が目下先行して奴らを追跡の為に地下道へ突入している。それが現時点での唯一の救いだろうな。流石はトールズと言うべきか……君達の帝都競馬場での件も既に聞いている。混乱の中、本当に良くやってくれた」

 

 私とガイウスとユーシスに向けられる中尉の視線。衝撃的な話の後でもあったので、労われたり褒められたりしている事に気付かなかった位だ。

 そして、今アルフィン殿下とエリゼちゃんを真っ先に追っているのはリィン達だという事を知らされる。

 

「奇襲こそ防げたとはいえ、我々も油断は禁物だ。こちらへの第二波の警戒しながら、今後の掃討作戦を含めてもう暫く我々への協力を頼むぞ」

 

 奴等がどのようにして我々の警備体制の裏をかいたか解らぬ以上、未だ周囲に相当数が付近に潜伏していると見て間違い無いだろうからな。そう続けた中尉の言葉で、エマが何かに気付いた様に口を開いた。

 

「あの……その事なんですけど……」

「どうかしたのか、委員長?」

 

 ガイウスに訊ねられ、中尉を含めたこの場の全員の視線がエマに集まる。

 

「いえ……思い出してみてください。私達が特別実習初日にここに来た時の事を」

「……あ……」

「なるほど……そういう事か」

 

 私達が特別実習初日に設備点検と魔獣駆除を兼ねた依頼で足を踏み入れた地下水道。サンクト地区内の正確な図面は覚えてはいないが、私達が地上に出た場所は大聖堂敷地内の広場、それも本堂の真ん前であった。あの場所の先には重厚な鉄製の扉で封がされていたが、間違い無く大聖堂の敷地内を突き抜けるように続いているのは間違い無いだろう。つまり、帝都外縁部から反対側へ入り込めば地上に敷かれた何重もの警備線を掻いくぐる事が出来たのではないだろうか。その他にも地下水道というだけあって私達が足を踏み入れていない側道も多く存在している事を踏まえれば、あの様な地上への出口が他にも多数この近辺に存在する可能性も大いに有り得る。

 

 マーテル公園を襲ったテロリストの詳しい話を聞けば、あちらも地下道から地上に大穴を開けて水晶宮ことクリスタルガーデンの内部に現れたのだという。つまり大聖堂の建物の内部に直接仕掛けてくる可能性も否定は出来ないのだ。というより、テロリストがマーテル公園で行った手段を考慮すれば、それを狙って来る可能性は高いように思える。

 

 私達からの話を聞いたエンゲルス中尉は兵士達に地下水道への入り口の捜索と地下での追跡を平行した掃討作戦を指示し、近隣の街区に展開する部隊や帝都憲兵隊へ導力通信で同様の命令を出してゆく――そして、私達はこの大聖堂の地下からの侵入という最悪の事態を阻止するために動き始めた。

 

 

 大聖堂内部の荘厳で巨大な礼拝堂――普段のミサであれば千人以上もの帝都市民の参加者で埋め尽くされるらしいこの場所も、今日に関しては安全対策という観点から参加者は百人に満たないらしい。その為、礼拝堂の規模が一目に把握できる場所から見れば、閑古鳥が鳴いている様にも思えて少々寂しく感じられた。

 皇太子殿下ご臨席という事もあり、毎年の参加者は帝国内外の名のある著名人が多いのだが、今年は《革新派》との対立が深まる昨今の情勢を受けて貴族派の重鎮の多くは参加を取りやめているという話を昼間の話し合いの際に耳にしていた。そう考えれば唯でさえ少ない参加者が更に少なくなっているのだろうか。確かに、こうやって見渡すと警備の兵士の数の方が多い位である。

 

 そんな礼拝堂ではあるが、良い事なのか悪い事なのか満員に収容した時と変わらないのではと思ってしまう程騒がしかった。声が反響して響き易い教会の造りもそれに一役買っているとは思うが、礼拝堂の奥では多くの参加者が鉄道憲兵隊の女性将校であり建物内の警備責任者でもあるドミニク少尉に詰め寄り、頻りに囃し立てている。

 全く関係ないが、その光景は思わず私にパルム市の市場の競りの光景を彷彿とさせた。

 

「外の状況は一体どうなっているんだね!?」

 

 貴族風の服装をした男が声を張り上げる。ミサの参加者達も不安なのだろうけど……。

 

「現在、安全確認を行っている最中であります。終わり次第、我々が責任を持って――」

「お前達だからこそ信用出来ないのだろう!?《革新派》の狗共が!近衛兵はどうしたのだ!?皇太子殿下もおられるのだぞ!」

 

 どうやら、それだけでは無さそうだ。

 

「み、みなさん、どうか――」

「殿下!この者達は今まさに、殿下の御身をむざむざ危険に晒しておるのですぞ!?」

 

 主祭壇前の最前列に鉄道憲兵隊の兵士に囲まれた皇太子殿下のお声を一瞬で掻き消すのは先程の男。

 それに賛同する声が野次の様に次々に上がり、更にドミニク少尉を威圧するように怒鳴り散らす。

 

「貴様、殿下に不敬であるぞ!」

「いいや!この状況だからこそ、私は栄えある帝国貴族として言わせて貰う!早く近衛兵をよばないか!我らラマール貴族の守護たる兵の精鋭が集う――」

 

 半ばヒステリー気味に捲し立てる男によって礼拝堂の不満が爆発しようとしていた時、更に大きい苛立ちの声が上がった。

 

「ええい、先程から煩いぞ!少しは黙らないか!……フィ、フィリップ、早くここから出られんのか!?」

「か、閣下……」

 

 今朝、大使館前で導力車に乗って行った太ったリベールの王族のその人だ。本人は騒ぐ貴族を諌めようとしたのかも知れないが、その直後に言った隣の執事への言葉は焦り過ぎたのか声が裏返っており、ちょっと台無しだ。なんか、とっても惜しい。オリヴァルト殿下ならもっと格好良く、競馬場の時みたいに場を治められただろうと思ってしまった。

 

 だけど、効果が無かった訳ではない。皇太子殿下と同じく最前列に座っている外国とはいえ王族の発言でもあったからだろう。先程まで喚いていた貴族も不満気な表情こそ隠してはいないが、その場は少なからず静まった。

 

 そこにもう一人、今度は老人が立ち上がった。その傍らには銀髪の女性が少し不安げな顔で見上げている。

 

「皆さん、少し冷静になりましょう」

 

 髭をたんまりと蓄えた老人の姿は結構高齢の様に見えるが、その背中は全く衰えを感じさせない雰囲気を漂わせていた。

 何より、決して大きかった訳ではない老人の声が礼拝堂の中にしっかりと通ったのだ。老人は貴族らしかぬ丁寧な口調で、ドミニク少尉や皇太子殿下の近くへ詰め寄る参加者達に自らの席へ戻るように促した。

 

「フッ、その御仁の仰る通りだぞ。貴族たるもの如何なる時も常に優雅に振舞わねば!仮にこの場に不敬な賊が押し入ろうとも、我等は陛下の臣下として皇太子殿下の御身を御守りし、帝国貴族としての気概を身の程知らずな賊に知らしめてやれば良いだけの事ではないか!」

「フロラルド伯爵の仰る通りだ!」

 

 リベールの王族と老人に呼応するように芝居地味た言い方で言葉を並べたのは紫色の髪の初老の男。最後に手で自らの前髪をかき上げて得意げな顔を決めた。

 私からすれば大分寒かった言葉も、貴族受けは大層良かったらしく多くの参加者から賛同の声が上がる。それにしても、どっかで聞いたことのある家名だ。

 

「ですが、旦那様……」

 

 場違いな拍手喝采を受けながら決め顔を続ける初老の男に、これまた紫色の髪の執事が言いにくそうに何かを伝えようとしていた。

 

「うん、なんだね?」

「武具の持ち込みは禁止されており、旦那様の槍は先程鉄道憲兵隊の方に預けたばかりですが……」

 

 途端に礼拝堂が静まり返り、次の瞬間、ざわめきが爆発する。

 

「……と、取り乱すでない!得物が無ければこの身以って御守りするだけのこと!」

 

 ざわめき始めた礼拝堂内に余裕を余り感じさせない声が響いた。

 

 

「……下手な漫才を見せられている気分だ。帝国の恥晒しも良い所だな」

「頭が痛くなってくるわね……」

 

 その様子を目にして額に手をやるユーシスに、全面的に同意する言葉を口にするアリサ。私に至ってはエマ同様乾いた笑いしか出なかった。結構今更だけど、正直、あんまりガイウスには見て欲しくなかったかもしれない。

 

 そんな礼拝堂内の参加者の様子に溜息を付きながら、私達は手分けして大聖堂の本堂内にいる教会関係者にテロリストに狙われる可能性のある地下室等の存在の聞き込みを始めたのだが。残念ながら、知らぬ存ぜぬという反応しか返してくれなかった。

 地下という言葉を出すだけで、それまで優しく応対してくれたシスターさんの顔が強張るのだ。まるでそれは、口止めされている様にも思えた。

 今となっては完全に警戒されてしまったのか、視線が合っただけで目を逸らされてしまうし、近付けば避けられてしまう。

 

「アリサ、私達悪い事してるのかな?」

「……そうね。さっきから明らかに教会の人にあからさまに不審がられているというか……警戒されてるわね」

 

 私と話しながらアリサが近くにいた若いシスターに視線を移すと、彼女は気付いた途端に目を逸らして礼拝堂の奥の方へと去ってしまった。

 どうやら、更に見ただけで避けられる様になってしまったらしい。

 

 未だテロリストの第二派の襲撃は無く、状況は比較的落ち着いているとはいえ、決して時間に余裕が有る訳ではないのに私達に何も進展はない。ただ一つ確実に言えることは、教会関係者に嫌われたという事は間違いは無さそうだ。

 

「すみません、ちょっとお聞きして宜しいですか?」

「あ、はい……」

 

 肩を落として溜息を付いた私達に背中から声が掛けられる。

 振り向いた先には銀髪の女性――先程、騒いでいた参加者に席に戻るように促した老人の隣に立っていた人だった。

 つい十分程前にも思ったことだけど、こうして近くで見ると美人な人だ。銀色というよりプラチナブロンドに近い長い髪はサラサラで、リボンで結っているのも結構似合っているし、私なんて着たことすら無い最正装のアフタヌーンドレスをしっかりと着こなしている。身体も、その、ボディラインは羨ましい位で……歳は私より少し年上に思えるけど、どこかの貴族のご令嬢だろうか。

 

「無理を承知でお尋ねしたいのですが……外の状況について教えて頂けませんか?」

「えっと……それは、ちょっと……機密っていうか……」

「鉄道憲兵隊の作戦行動に関する情報は、一切私達から伝えることは出来ないわ。ごめんなさい」

 

 どう言えばいいのか分からなくて隣に目で助けを求めると、すぐにアリサがきっぱりと説明したくれた。流石はアリサ。格好良い対応だ。

 でも、目の前の銀髪の彼女は引き下がること無く、小さなバッグから取り出した手帳のような物を開いて私達に差し出した。

 

「私、これでも一応クロスベル自治州警察に所属する警察官なのです。本日は外遊中の自治州議会議長の護衛も兼ねております」

 

 ”クロスベル自治州警察局 特務支援課 エリィ・マクダエル”

 

 手帳の最初の頁にはそう印字されていた。クロスベル州の政府機関に勤める……エリィさんという人みたいだ。

 

「マ、マクダエル……って!まさか……貴女は……」

 

 け、警察……?

 

 驚くアリサとは別に、私の頭の中に疑問が浮かぶ。クロスベルの議長を護衛ということは、オリヴァルト殿下のミュラー少佐の様な人ということだがら……軍の様な組織なのだろうか?

 あまり聞き覚えのない言葉に頭を捻るが、一旦置いておく事にした。

 

「自治州の共同代表であるお祖父様の警護に関して私は重大な責務を負っています。その為、今の状況を教えて頂きたいのです。場合によっては、皆さんに何か協力出来るかも知れません」

「ええっと……」

 

 彼女のフィーに似た色の真剣そのものの瞳に、思わず圧倒されてたじろぐ私達。

 断るのが筋であるのは何となくは分かる。だけど、内容も内容なのだ。私達はあくまで鉄道憲兵隊に協力しているだけの士官学院生で、責任を持って判断出来る立場ではない。

 相方のアリサもどうしたものかと困っている表情を浮かべているのを見て、私はこの場の責任者であるドミニク少尉に目を向ける。

 少々落ち着いたとはいえ、何だかんだと未だ揉めている中心にいるドミニク少尉だが、重要そうな話をしている訳でもない。この色んな意味で不利な状況を打開する為には仕方無いと思って、足を動かそうとした時。

 

「ダメだぜ。お嬢さん、これは《革新派》の面子が掛かった大問題だからな」

 

 私の耳に真っ直ぐ飛んできたのは聞き覚えのある声。一瞬、心臓が跳ね上がりそうなまでに胸の中で鳴り響き、私は足を止めて声の主の方向へと慌てて顔を向ける。

 

「フ、フレール!?」

 

 声を聞けば予想通りだけど、こんな事は想定外も想定外だ。なんでこんな所にいるんだ。このミサの出席者は帝国内外の要人だという話では――。そこまで考えて、フレールの後ろで小さく頭を下げるシェリーさんが目に入り、少なからず納得した。この人は私とは違う遠い場所に居る人達なのだ。

 

「よっ。お疲れさんだな。アリサお嬢さんから競馬場に行ってるって聞いてたんだが、戻ってきたんだな」

「あなたは……?」

 

 突然割り込むように話の間に割って入って来たフレールに訝しげな顔を向けるクロスベルの警察官を名乗るエリィ・マクダエルさん。私は教えてくれなかった事への不満を乗せて隣のアリサに恨めしげに目を向ける。

 

「わ、私はちゃんと言おうとしたのよ?」

 

 ただ、言おうとした度にタイミング悪く邪魔が入って、と苦し紛れに続ける。まあ、あくまで現在の状況を考えれば仕方の無い事でもあるのだけど。

 

「はぁ……」

 

 そんな気が抜けてしまいそうな私の溜息の隣で、フレールが軽々しいノリで銀髪の女性に名乗っている。何というか、こんな時にもかかわらず女子相手では本当に相も変わらずだ。

 まったくもう、その後ろでシェリーさんが少し寂しそうな顔をしているじゃないか、と思いきやそうでも無かった。なんか心配して損した気分だ。

 

「サザーラント州領邦軍……それに、ラティーナ……」

「おたくは?」

「……クロスベル自治州警察、特務支援課所属エリィ・マクダエルと申します」

「……マクダエル、ですか。……お孫さんですね?」

 

 頷くエリィさんを見て「へぇ」と驚くフレール、そして「やっぱり……」と零したアリサを見て、私はやっと全ての糸が繋がった気がした。

 エリィさんはクロスベル州の議長さんのお孫さんなんだ。そういえば、さっき確かに『お祖父様』と彼女は口にしていたことを思い出す。

 

「お嬢さん、悪い事は言わねぇ。適当に今晩の豪華な晩飯の事でも考えて待ってりゃ、まぁその内解決するだろうよ。なんたって、ここは正規軍の最精鋭部隊に守られた帝都で最も警備が厳重な場所――ラマールの近衛軍よかよっぽど安心っもんさ」

 

 その冗談めいた言葉は私とアリサに緊張を走らせた。

 言っている本人を含めてこの場にいるミサの参加者は知らされていないが、近衛軍が警備を担っていた園遊会が襲撃されてアルフィン殿下がテロリストの手に落ちたというのは紛れも無い事実だ。だから、フレールの軽口は恐ろしい程的を得ており、アリサも私も質の悪い冗談と分かっていても笑えなかった。

 

 今、まさに昨日お会いしたあの可憐な殿下が凶悪なテロリストに連れ去られ、お命を危険に晒されている事。そして、殿下を攫って逃走する奴らを追うのは私達の片割れのリィン達A班――今まさに帝都の反対側で繰り広げられているであろう緊迫した状況を思い出させるには十分すぎた。

 

 そして、この大聖堂にも同じ様な襲撃が仕掛けられる可能性はあるという事も。

 

「どうした?」とフレールから声を掛けられるまで、思わず言葉を失った私達。慌てて私は首を横に振るって「なんでもないよ」と返す。

 

 本当は全然、何とも無く無いのだけど。

 

「ま、って訳でお前達も――」

「ごめん、アリサ。先に行ってて――ちょっと来て」

 

 上手く話を纏めてくれたフレールの言葉を私は遮って、礼拝堂の人目に付かない柱の陰まで彼の手を引っ張った。しっかりとアリサやエリィさんからも見えない影になっている事を確認してから、自分の腰のホルスターから導力拳銃《ラインフォルト・スティンガー》を引き抜き、彼の手にグリップを握らせるように置いた。

 

「これを……万が一の時の為に、持ってて」

 

 皇太子殿下ご臨席のミサということもあり、参加者の帯剣及び武器の携帯は例外なく許されていない。領邦軍の軍人であるフレールも例外は無く、今は丸腰の筈である。

 仮に何かあった時、あくまで彼が彼自身の身を守れるように。私にはライフルがあるから、武装という面では問題はない。シャロンさん経由でアリサのお母さんからこのライフルを貰って以来、それまで使っていた導力拳銃は護身用の武器に成り下がり、めっきり使わなくなってるし。

 

「……この銃は……」

 

 彼は自らの手にある銃に視線を落とす。昔、お父さんが軍で使っていた物である事に気付いたのだろう。”Luca”と名前も彫ってある位だし、私の村の人ならこの名前を見れば誰でも気付くだろう。

 そして、顔を上げて口を開いた。

 

「――状況、あんま芳しくないんだな」

 

 口に出すことも、頷くこともしない。私はあくまで鉄道憲兵隊の要請を受けて、夏至祭のテロ警備の為に協力している士官学院生の一人。彼は領邦軍の軍人だけど、あくまで守るべき対象であるミサの参加者。

 その立場の違いから、口に出すことは憚られた。

 

「ああ、わかった。有り難く又借りしておくぜ。無理はするなよ」

 

 上着の中に私の銃を仕舞いこみ、もう片方の手で私の左肩を叩くフレール。

 

 もう、頭じゃないんだ。

 

 未だにそんな事を思ってしまう自分に、私は本当に嫌気が差した。




こんばんは、rairaです。
今回は第四章の特別実習の三日目のヘイムダル大聖堂でのお話となります。
前回の帝都競馬場のお話は夏至祭のテロという大きな事件の中では、あくまで最初の陽動、次の陽動がこのお話の直前に起きた大聖堂襲撃となります。
帝国解放戦線にとっての本命はあくまでリィン達のA班側のアルフィン姫様とエリゼ拉致ですので、B班視点のこの作品は実は陽動をニ連続で相手をしただけだったりもしますが……それでも、その場にいるからには為すべきことを為すしか無いのです。

今回は沢山のゲストキャラクターを出させて貰っていたりします。しかし、このテロを目の前で見ていてあの通商会議と思うとエリィさんも議長も心中穏やかでは無いでしょうね…。

次回は引き続き夏至祭のテロ編である「帝都繚乱」の後編となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月26日 帝都繚乱・後編

「一刻を争う事態なんです!テロリストが――」

「地下からこの大聖堂へ侵入してくる、君達はそう言いたいのかね?」

 

 アリサの言葉を遮った目の前の女は、私達に問いかけるように続きを口にした。

 察しが良いのか、教会関係者から私達の話を聞いたのか。多分、前者の様な気がする。

 

 クロスベルのエリィさんやフレールとのやり取りの後、合流した私達は思い切ってある人物を訪ねた。テロリストの襲撃が行われるまでこのミサを執り行っていた、このヘイムダル大聖堂の責任者である大司教だ。だが、礼拝堂の中で散々手当たり次第にシスターさんや司祭様に尋ねていた事が耳に入っていたのだろうか、執務室での面会こそは受け入れてくれた大司教も当初はあからさまな態度で私達にまともに取り合ってはくれなかった。

 

 大司教との間にあまり意味を為さないやり取りをしていた時に、笑いながら執務室に入って来たのが、今私達の目の前に立つ修道服を着た背の高い女。一昨日の夕方、地下水道から出てきた私達とこの大聖堂の前で言葉を交わした、煙草を吸っていたりとシスターっぽくない怪しいシスターだった。

 

 彼女が私達の目の前に現れた瞬間、大司教は不快そうに顔を歪めて彼の執務室から出て行ってしまったので、私達の相手は怪しいシスターへと変わっているが、結局の所は何ら変わらない内容のやり取りだ。まあ、少なくとも他の人と違って彼女は”知らぬ存ぜぬ”ではないだけマシといった所かもしれないが。

 

「残念ながら無理な相談だな」

 

 彼女の言葉を肯定する私達だが、あっさりと突っぱねる。

 

「分かったわ。エンゲルス中尉を呼びましょう――」

「兵隊を連れてきても我々の答えは何も変わらんぞ」

 

 そして、私達のある意味では最終手段を否定してしまう。

 

「ここは女神への祈りの場として七耀教会の保護下にある不可侵の聖域――この意味は学生のお前達も知っている事だと思うが」

 

 教会や礼拝堂といった施設は女神に近いという意味合いで神聖な場所とされ、その建物の建つ土地をも含めて国家ではなく七耀教会に帰属している。

 つまり、簡単に言えばこの場所は帝国内にあって、帝国の国家権力の届かない場所なのである。

 

 教会関係者が認めない限り、何人たりとも地下に足を踏み入れることは出来ない。

 だからこそ、こうやって許可を求めるしかないのだ。

 

「そ、それでしたら僕からもお願いさせて頂きます……!」

 

 私達が完全に行き詰まってしまった時に、扉の開く音と共に後ろから若い男の子の少し震えて硬い声がした。

 その声に振り返った私は、驚きの余り言葉にならない声を上げてしまう。

 

「こ、皇太子殿下……!?」

 

 アリサとユーシスの驚く声。

 殿下がこの大聖堂の中に居る事は知っているが、まさかこんな場所に来られるなんて思いも寄らなかったのだ。殿下の脇に立つ鉄道憲兵隊のドミニク少尉も困惑した顔を浮かべていた。

 

「お久しぶりです、ユーシスさん」

「皇太子殿下もお変りない様で安心しました。……この様な状況でなければ良かったのですが」

 

 皇太子殿下と面識のあるユーシスが短いやり取りを交わすが、二人の顔は再会を手放しに喜び合っている状況では無い事を物語っている様に真剣であった。

 

「士官学生の皆さんですね。鉄道憲兵隊の方から話を伺いました。僕としても頼もしい限りです」

「勿体無いお言葉……」

「こ、光栄です……」

「あ、ありがとうございます……っ」

 

 そして、突然の皇太子殿下の登場に驚いたのは私達だけではなかった。

 

「これは驚いたな……。こんな所まで御足労をおかけして申し訳無い、若君」

「いえ……皆さんも不安の中耐えているのです。僕も帝国の皇族の一員として、何より皇太子として、護って下さっている鉄道憲兵隊や士官学校の皆さんの力になれればと思いました」

 

 皇太子殿下の言葉に驚くと共に、誇らしくなった。お世辞でもだったとしても殿下に『頼もしい』と、そして、『力になりたい』と言われたのだから。

 

 この場にいる私達全員の視線が、大司教の机に寄り掛かっているシスター服の女に向けられる。

 

「若君のその熱意を無碍にするのは、”我々”の本意では無い。だが、いかにアルノールの血を引く者であっても”教会”との”盟約”によって定められしは国主たるエレボニア皇帝のみ。君の父上であれば話は早かったのだがな」

 

 殿下の頼みであれば、と期待した私達の思いはものの見事に裏切られた。

 まさかの拒否という結果に、流石に誰も言葉が出ない。

 

「心苦しいが今回はお引き取り願おう。これは教会の総意でもある」

 

 明確な拒絶を突き付けられた殿下は、流石に予想していなかったように驚きを浮かべるが、すぐに残念そうな顔で「そうですか……」と小さく呟いた。

 

「教会の方がそう判断したのであれば……仕方がありません。その……お力になれずにすみません」

 

 瞼を伏せてそう続けた殿下は、私達に小さく頭を下げてドミニク少尉を伴って戻ってしまった。最後に、扉を閉めた少尉のとてつもなく鋭い視線がシスター服の女に向けられていたが、私とて彼女と全く同じ気持ちだ。この女は帝国国民が敬愛する殿下に恥をかかせたも、同義に思えたから。

 

 だからこそ、殿下が去った後の執務室にはこれまでに無い程の緊張が張り詰めていた。

 そんな部屋の空気に耐えかねたのか、机により掛かっていた女が溜息を付いて肩を竦める。

 

「……だが、若君に免じてここは一つ、良い事を教えてやろう」

 

 と、言ってこちらに一歩近づく。

 

「ここの”地下”への侵入は不可能だ。お前達が見た地下水道のあの”封”ですら、”普通の方法”では破ることは出来まい。なんなら女神に誓ってやっても良いぞ」

 

 その言葉に私達の誰も反論は出来なかった。

 口調こそ軽かったが、妙な説得力を感じたのだ。まるで、彼女の紅輝石の様な視線に”信じこまされている”様に。

 

 やっぱり、この人、シスターっぽくない。さっきは私達が大司教と話している時にも割り込んできたし。教会の人であるのは確かなんだろうけど、一体何者なんだろう。まあ、もっともそんな疑問をぶつけてもきっと答えてはくれない事だけは、私でも分かるけど。

 

「それは、視れば分かっただろう?」

 

 不敵な笑みをその顔に浮かべるシスターの視線が動いた。私に――いや、少しずれてる。私の右隣……エマの方?

 そして、意味深にもう一度小さく笑う。今度は声に出して。

 

「フフ、面白い気配が混じっていると思ってはいたがな。それでは、諸君の健闘でも女神に祈らせて貰うとしようか」

 

 よく分からないことを口にして私達の脇を素通りし、執務室を出てゆくシスターの背中に皆が呆気にとられていた。

 

 

 結局、私達はそのままエンゲルス中尉へ教会の非協力的な姿勢を報告することとなるのだが、鉄道憲兵隊の現場指揮官の反応は至って普通だった。どうやら、中尉は指揮を取る上でクレア大尉や上層部から大聖堂敷地内での作戦行動時には教会への配慮を厳命されていたのだとか。だからこそ、大聖堂の地下への立入り不許可は予想の範囲内だった様だ。

 ちなみに、皇太子殿下の件はあくまで殿下の独断のようであり、無理を言われる殿下にドミニク少尉も押し切られてしまったらしい。

 

 その上で中尉は既にそれを見越して次の段階へと移行させていた。

 

 一つ目はテロリストの掃討作戦。私達があのシスターと問答している間に、大聖堂敷地内に隠された多数の地下水道への出入口が発見されており、既に現在大聖堂に配備されていた部隊の半分以上が地下水道へ突入しているとの事だ。同時に近隣の街区でも地下水道の一斉捜索が開始されているという。

 

 二つ目は参加者の避難の前倒し。大聖堂近辺は未だ不安要素が多い事から、市中の安全な場所まで鉄道憲兵隊の車両で片っ端から移動させるとの事だった。これはつい先程入ったクレア大尉の指示でもあるらしい。こちらはドミニク少尉が直接指揮を執るとのことだった。

 

 私達は少し納得のいかないまま、テロリストの侵入経路となった地下水道へと突入した部隊の後釜として大聖堂敷地内の警備へと移ることになる。

 

 

 ・・・

 

 

 十六時――テロリストによる最初の凶行から約一時間が過ぎた。

 

 帝都各所で水道管が破裂し、帝都競馬場で爆弾テロが起きたのが丁度十五時――大聖堂と園遊会が襲われたのが十五時十五分――皇女殿下が敵の手に落ちたという情報から三十分程。未だテロリストどもに連れ去られたアルフィン殿下やエリゼちゃんの安否やそれを追うリィン達A班についての連絡は無い。

 いつの間にか少し傾き頬を照らす西日の中、私は大聖堂本堂から少し離れた教会庭園を走っていた。

 

 ヘイムダル大聖堂の敷地は、帝都という大都市の中と言う事を考えれば特記出来る程広大なものだ。地図上で見た限りは旧校舎を含めた士官学院が丸々入りそうな位で、敷地内には《ヘイムダルの白き塔》として名高い双塔の大聖堂本堂、そして、修道院等の様々な教会施設も存在する中、敷地内の大部分を占めるのがこの中世風の庭園である。

 

 敷地内で警戒活動中だったのだが、地下水道への入り口と思われる地下への扉を発見し、それを報告に向かっている。

 本当は《ARCUS》の導力通信で応援を呼ぶのが一番ではあるのだが、残念ながら通信も混み合っている様で中々繋がらなかったので、こうして私が伝令役を引き受けて警備本部へと走っている。

 

 その途中、庭園の端にある修道院近くの小さな建物に何かの気配を感じた。大聖堂本堂以外の建物はこの警備計画の為、もぬけの空となっているので、気配がするということは間違いなく警備の兵士か――敵。

 

 私は足音を殺して、恐る恐る建物の裏側へと顔を覗かせる。そこに居たのは、傭兵を連想させる緑色のテロリストの装束の背中。

 

「手を上げろ!」

 

 咄嗟に口から出たそんな立派な文句を叫びながら、私は内心で激しい焦りを感じていた。まさか、こんな所で遭遇するなんて。

 私の構えるアサルトライフルの銃口は、ニアージュ程のすぐ目の前でこちらを振り返る騎士風の仮面を被ったテロリストへ向けられている。

 

 早まる鼓動。ライフルの重量を支える左手が、グリップを握り引き金に指を掛ける右手が汗ばむ。

 

「武器を捨てて、両手を頭の後ろに!!」

「……」

「そのまま跪け!」

 

 幸いな事に無言ながらも私の言葉にテロリストは素直に従った。彼が握っていた旧式の導力サブマシンガンが庭園の石畳の地面へと転がる。

 それは、明確な降伏の証であった。

 

「ちょっとでも動いたら撃つ!」

 

 不審な動作があった訳では無い。ある意味ではこれは私が自分を保つために必要な威圧に近かった。

 

 今、この場で私は一対一で”敵”と対峙していた。敵を一瞬で倒せる武器を構えて。

 

 武器の有無、そして、ニアージュという距離。

 私が右手の人差指が少し動かしてライフルの引き金を引けば、初速800アージュ秒間十数発もの勢いで発射される0.5リジュ弾に貫かれて目の前のテロリストの身体は蜂の巣になるだろう。

 

 間違いなく、絶命する筈。

 

 今、目の前のテロリストの生命を握っているのは私だ。生殺与奪を完全に掌握している。

 しかし、この場で絶対的な強者となってもなお、人生で初めての状況に緊張していた。

 

 この仮面の下でテロリストはどんな顔をしているのだろう。

 帝都競馬場に仕掛けた爆弾で沢山の人を恐怖に陥れ、大聖堂と園遊会を襲撃して、アルフィン殿下を拉致した憎きテロリスト。一体、どんな人間が帝国の全てを敵に回すような凶行に手を染めたのだろうか。

 

「……そのマスクを外して」

 

 本来は私よりも背丈の高い筈の跪いたテロリストから戸惑い、そして拒否の雰囲気を感じる。

 

「早く!!」

「くっ……!」

 

 ほんの、一瞬。

 ヘルメットの中から出てきたのは普通の若い男だった。普通にトリスタの街を歩いていても全く違和感を感じる事なんて無いと断言できる位の――こんな凶行に手を染めるのだから、さも悪人面だろうと思っていた私の予想が裏切られる。

 

 こんな人が、何故テロリストに――目の前の男の素顔に気を取られた次の瞬間、私はまるで殴打されたような衝撃を左頬に受けた。

 地面を転がった騎士風のヘルメットと口の中に広がる血の味に、私は状況を把握する。

 

「こんの……!」

 

 思わず引き金を引いてしまった時、私は背筋が冷えた。

 今日、この銃は実弾が入っており、対魔獣以外で初めて設定した”対人殺傷”出力――鼓膜をつんざく銃声とその反動で腕の中で暴れる。

 

 だが、誤って放った銃弾はテロリストの男には当たらず、気付いた時には彼はギザギザに尖った刃先の短剣を私に振りかざす。

 咄嗟にライフルを盾にしてその刃を防ぐが、短剣に注がれた力はすさまじいもので、一気に私はバランスを崩して足を持っていかれる。

 

 地面に思いっ切りお尻をぶつけ、建物の壁に背中をぶつけ――そんな痛さに少し目を細めるが、今はそんな事を気にする場合では無いのは明白だ。

 

「!?」

 

 気付けば、いつの間にか形勢逆転。

 

 喉元にナイフが突き付けられ、触れていないのにも拘らず痛みが鋭く刺さった。

 

 殺される――私の頭が激しく警鐘を鳴らしている。

 

「銃をこちらに寄越せ。我々の邪魔をしなければ命までは奪わない」

 

 荒い息の中、あくまで降伏を要求する男の言葉に、ほんの少しだけ恐怖が和らいだ。

 上がりきった心拍が、徐々に落ち着くと共にほんの少しだけ余裕ができた。

 

 突きつけられるナイフは怖い。ほんの数リジュ動くだけで、あのギザギザの刃は私の喉を掻っ切るだろう。それはもう、にがトマトの皮を裂くように。

 

 でも、私はここでテロリストなんかに屈する訳には行かない。

 私達Ⅶ組は、今日、鉄道憲兵隊と協力してテロリストと戦っている。それが意味する物は大きい。何故なら、私達の後ろには守るべき人達がいるのだ。

 

 それは、皇太子殿下であったり、フレールやシェリーさん、大聖堂にいる帝国内外からの要人のミサの参加者――オリヴァルト殿下に帝都競馬場の観客――クロウ先輩。リィン達A班はアルフィン殿下とエリゼちゃん。

 

 帝都の夏至祭という帝国にとっての重要な日、帝国で最も重要な人物である皇族の方々を狙った凶行――紛れも無く、テロリストは敵だ。この帝国を攻撃する、帝国の敵なのだ。

 

 だからこそ、私が屈する訳にはいかない。

 

 この日、私達の後ろにいるのは数十万人の帝都市民であり、数千万の帝国国民でもあるのだから。

 

「……嫌……」

「……あん?……もう一度言うぞ――」

 

 仮にも私は士官学院生。帝国正規軍を目指す士官候補生だ。

 

 誰が、お前達なんかに負けてやるものか。

 

「嫌だっ……!!」

 

 叫びながら私は、ナイフを持つ男の手に思いっ切り噛み付く。金切り声に近い悲鳴を上げながら、よろめく男。

 

 今だ!

 

 容赦無く、右足を男の腹を目掛けて思いっ切り蹴りつけた。未だに右手をもう片方の手で抑えていた男にそれを避ける術はなく、苦悶の呻き声と上げる。

 

 そして、最後に、私は再びライフルを突き付ける。

 銃口は男の腹に密着し、男の顔が恐怖に歪む。

 

 一瞬、時が止まった様に感じた。

 

 今、引き金を引けば勝てる――この男を殺して。

 

 ――殺す……?

 

 殺す。この男を、死なせる、ということ。

 どうしてか、私はつい数十秒前の男の顔が浮かんだ。私に突きつけている震えている刃。私へ降伏を促す声。

 

 何故、私を躊躇無く殺して逃げなかったのだろう。"テロリスト"なら、それが一番だろう。何より彼は、私に素顔を目撃されている。自分の身を守る上で私が生きているのは都合の悪い筈だ。

 

 彼は極悪非道のテロリストなのに……極悪、非道?

 私を殺すのを躊躇した男が?

 

 指が、動かない。

 

 目の前のこの男、人間の命を奪うという行為への恐怖が、引き金にかかった指を躊躇わせた。

 

 次の一瞬、必死の形相の男の腕がライフルを真横に弾く。その反動で人差し指が引き金を押し込み、爆音の銃声が音を掻き消す。抑えきれない反動に持ち上がり、暴れる銃身が構える腕から抜け落ちる。

 

 しまった。どうにか距離をとって脅しでも銃口を再び――直後、突然の激痛と共に視界が一気に弾け飛ぶ。

 脇腹への強烈な一撃だと把握した時には、既に私の体は壁に叩き付けられていた。全身を貫いた衝撃に呼吸さえも覚束無ずに咽返る。

 

 

「小娘が!……調子に乗りやがって!」

 

 遠のきそうになる意識を引き戻したのは、私の目の前に立つ男の声。思わず見上げた。

 西日を背に肩を上下に動かしながら吐く荒い吐息が、私の顔にまで届く。

 

 そこで初めて、私は死の恐怖を感じ、咄嗟に腰に手をやる。

 

 ――無い!?

 

 いつもならそこに有るはずの導力拳銃のグリップは無かった。

 

「若いし兵隊じゃなさそうだが、鉄血に協力してる時点で同罪だよな……!」

 

 絶体絶命。という言葉が頭を過る。

 私は、ここで死ぬのかも知れない。

 

「大義の為だからな……大義の為だ……!」

 

 どうして?

 

 血走った瞳。それは、先程と変わって狂気の色を宿していた。

 激情の果てに、狂った人間。

 

 これが、テロリスト。

 躊躇した私が、馬鹿だったのだろうか。

 

 私は、ここで死ぬの?

 

 刃渡りが包丁程もあるギザギザに尖った短剣の刃が光る。

 

 私は恐怖に潰れた。諦めたんじゃない、動けない。

 

 私を見下ろす男の早い息遣いが止まる。そして、狙いを定めるように短剣を振り上げる――

 

 逃げたいのに、痛いのは嫌なのに、死ぬのは嫌だ。こんな奴に――

 

 今まさに、それが一気に私に振り下ろされる。風を斬る音。

 首を縮こませ私は目をぎゅっと瞑り、すぐに訪れるであろうその瞬間を覚悟した時、二発の銃声が響いた。

 

 

「そいつから離れろ、屑野郎。 次は殺す」

 

 声は氷の様に冷たくて、一瞬誰のものなのかも分からなかった。

 

 顔を上げ目を開けた私の視界の中で、赤い鮮血が石畳に落ち、絶叫が響いた。

 そして、自らの腕を庇う様に支えるテロリストの男。

「消えろ」という再びの冷たい声と、それに従って逃げる男の背中。

 

 そんな光景を呆然と、まるで他人事の様に私は眺めていた。

 

 信じられなかったから。

 

「大丈夫か!?」

 

 両手を私の肩に置く彼の顔は酷く心配していて。

 

 いつの間にか、壁に背中を預けて座り込む私を抱き締めていて。

 

「フレール……なんで、ここに?」

 

 大の男の力で強く抱き締められたことによる小さな息苦しさが、何よりもこれが現実である事を物語っていた。

 やっと自分が無事であったことを実感しながら、私は彼の腕の中で訊ねる。

 

「シェリーさんは……?」

 

 現実に思考が戻って来ると共に浮かんできた彼の婚約者の名前。

 

「さっきの嬢ちゃん達と一緒に鉄道憲兵隊が避難させてくれている」

「……守ってあげなきゃ……」

 

 彼にとっては、彼女が世界で一番守るべき人だろうに。私なんかより。

 あまり口に出したくはないし、考えたくは無いけど、私が彼に銃を貸した理由の一つでもあった。

 

「……嫌な予感が、したもんでな」

 

 少々の間を置き、小さく彼は口にした。

 その間に彼はどんな顔をしていたのだろう、そんな事を考えてしまう。頬を密着させ合う私達には、お互いの顔は見れないから。

 だけど、私としても今の状態は有り難かった。

 

 だって、今、ほんの少し期待したから。

 

「……ありがとう」

「当然だ」

 

 当然なんだ。

 

 そう何の迷いもなく言われることは満更ではなく、満足感や優越感すら覚える。それらは小さな火の粉で、まだ僅かに私の心に残った物を燻らせてゆく。

 

「お兄ちゃんだから?」

 

 私の言葉に、返事は帰っては来ない。

 

「幼馴染だから……?」

 

 続けて口にした言葉にも、彼は私を抱き締めながら無言を貫いた。

 密着する身体を伝って、どこか僅かな迷いを感じる。

 

 その時、私は分かったのだ。そして、自嘲的に小さく息を吐いて、瞼を閉じた。

 

「……もう、どっちでもいっか……嬉しい事には変わりないし……」

 

 素直に嬉しかった。今、私は少しだけ彼の心に触れられたから。

 

「ね、フレール……私、ずっと、ずっと好きだったんだ」

 

 そう、私が最初にあの村に来た時に出会ったのが十三年前――彼に想いを寄せた他の子への焼き餅と嫉妬から私自身の気持ちを自覚したのが五年前――彼が村を出たのが三年前――士官学院に入学する私を導力車で送ってくれたのは、三月三十日。

 随分時間が経ってしまったけど、私は自分の偽らざる気持ちをやっと口に出せた。やっぱり、好きで好きでしょうがないのだ。

 

「幼馴染のフレールお兄ちゃん、としてじゃなくて……フレールが、大好きだった。恋してたんだよ」

 

 でも、いくら本心から言葉を紡いでも、それが叶うことは無い事は知っていた。

 彼の答えはもう、私には分かっているのだ。

 

 

 ほんの十秒程度の短い時間が、本当に長く感じる。

 

「……そうか。エレナ――俺はもうお前の気持ちに応えることは出来ない」

 

 すまない、と口にするフレール

 目を瞑って待っていた私の鼓膜に心地の良い声が、分かりきった答えを響かせる。

 

 これでもかという位しっかりとした言葉。どう解釈しても、一筋の光の可能性すら無い。

 思わず彼の背中に回す腕に力が入ってしまうほど、その言葉は私の胸を貫いた。

 

 瞑った瞼の裏に思い出が浮かぶ。

 

 本当は、何も言わず気持ちを仕舞いこんでおけば良かったのかもしれない。今後、殆ど顔を合わせることの無いだろう私達だ。そうすれば、私も彼もゆっくりと時間が解決してくれたに違いない。

 

 でも、どうしてか、私は終わったことを明確にして欲しかった。

 

 悲しいことなのに、どこかに清々しい。

 今まで感じたことの無い不思議な気持ち。

 

「……うん。わかってた」

 

 そんな言葉と共に私は名残惜しく思いながら、もう一度腕に強く力を込める。

 そして、彼の身体から腕を離した。

 

 察しの良い彼はすぐに立ち上がって手を出してくれて、私はそれを取る。しかし、立ち上がろうとした時に私は左脚に痛みを感じて、そのまま少しよろけてしまった。

 

 言わんこっちゃないという顔でその頼もしい腕で身体を支えてくれた彼に、私は苦笑した。

 離れようとしたのに、また抱き締められている様になっている様が面白かったのだ。彼の婚約者であるシェリーさんに対しての後ろめたい気持ちは勿論あるが、もう一度、抱き付いてしまいたくなってしまうじゃないか。

 

 だけど、それはこちらに近付く沢山の足音によって阻まれた。

 Ⅶ組の仲間達だろうか、それとも鉄道憲兵隊の兵士だろうか。あれだけの銃声を聞けば流石に誰かは気付くだろうし、当然といえば当然だ。

 いずれにしても、こんな誤解を招きそうな体勢のままでいるのは不味いということ位は私も彼も分かっており、自然と二人の体が離れる。

 

 そして、彼は先程まで私が座っていた場所の傍らから一丁の導力拳銃を拾って、私に差し出した。

 

「……返しておくぞ。護身用なんだ、次からは拳銃を人に気軽に渡すなよ。それに……他でもないリーベさんの銃だろ」

「え……?」

 

 唐突に出たお母さんの名前に驚いて聞き返すが、私がその意味を聞く前にアリサの声が私の名を呼んだ。

 Ⅶ組の皆が鉄道憲兵隊の兵士達と共にこの場所にやって来たのだ。

 

 心配するアリサやエマの声、安堵の表情を浮かべるガイウスとユーシス。

 フレールと私に事情を訊ねる分隊長を名乗る鉄道憲兵隊の兵士。

 

 そんな時、アリサの《ARCUS》が鳴り響く。

 それは、祈る様な気持ちで待ち望んでいた知らせで、私達はフレールや兵士達を交えて喜びを分かち合った。

 

 

 

 Afterwards...

 

 

 人外の力を以って庭園の一角の大木に叩き付けられたテロリストの装束姿の男が、四肢をありえない方向に曲げてボロ人形の様に地面へと転がる。青々とした芝生を赤く染めて。

 

「帝国の兵隊共の眼を逃れたとて、”教会”が許すと思ったか?」

 

 仮にも信仰の場を侵さんとした狼藉者を――シスター服に身を包んだ長身の女はそう小さく口にして、無残な姿と成り果てた哀れな男を冷ややかな目で見下ろした。

 右の手の甲と腕の銃創。当たり場所が悪かったのだろう、未だその二つの傷口からは赤い鮮血が溢れている。

 

 だが、男が死ぬのは少なくとも今、この場では無いのを女は知っていた。

 

「死んだ方が楽だったろうな。恨むなら、あの甘い男を恨むといい」

 

 処置をする訳でも無く、ただ冷ややかな視線を向けるのみ。

 

 フッ、と小さく笑った女が振り返り、ある一点に視線を送ったのは次の瞬間だった。

 

「隠れていないで早く出て来い――私が狩る気になる前にな」

 

 庭園近くの修道院の屋根の上に取り付けられた風見鶏の上。そこに彼女の視線は向けられていた。

 

「流石は泣く子も黙る《紅輝石》の君。私の奇術など無意味であったようだ」

 

 不可思議な光の中から姿を現し、大層な一礼を地面から見上げる彼女に向けたのは、全身白装束の衣服を纏った仮面の男。

 

「教会の狗を束ねる者として、これでも鼻は利くものでね――特に目障りなお前達の臭いにはな。そういえば、昨日はまた下らん戯れに興じていたらしいじゃないか、《蛇》のコソ泥」

 

 笑みを浮かべながら小さく頷いて肯定した男は、愉快そうに続ける。

 

「貴女がこの緋の都に舞い戻られたと小耳に挟み、私なりに見事な《紅耀石》で歓迎の意を示そうと思った次第――フフ、今日は良き想い出に浸られましたかな?私も愛読家の一人として、かの物語の終焉を飾るこの地を訪れられた事、そして、まさか主演たる貴女自ら来られるとは――粋な計らいに感激の極み」

「面白い冗談を言ってくれるな――《怪盗紳士》」

 

 自嘲的な笑みを浮かべた女は一度下を向き、彼女の頭を覆うフードを脱ぐ。

 まるで《紅輝石》の様に赤く輝きを放つ鋭い瞳を《怪盗紳士》と呼ばれた男へ彼女が向けた瞬間、この空間を煉獄とも氷獄とも思える強烈な圧迫感が支配した。

 男を見上げている筈だった彼女が、まるで圧倒的に上から男から見下ろしていると認識させるのに十分過ぎる程の絶対的な気。

 

「私の問に答えろ。何の理由で《蛇》が”此処”にいる? 返答如何では我々と全面的に事を構えると受け取らせて貰うぞ」

「……これは失礼。このブルブラン、美が在る所に常に在り――少々私の趣向からは外れた物ではあったが、しかと見届けさせてもらった次第――」

 

 その言葉にシスター服姿の女の瞳が大きく見開かれる。

 そして、大聖堂の庭園に笑い声が高く響いた。




こんばんは、rairaです。
この話をもって『帝都繚乱編』、第四章7月26日の夏至祭を襲った帝国解放戦線のテロのお話は終わりとなります。

いざ単独での遭遇戦となると帝国解放戦線の末端のテロリスト一人にも敵わない主人公…というのは置いておいて、実際にその程度の実力です。
まだ”敵”との戦いに慣れていない彼女にとっては、少し相手が悪すぎたかも知れません。

《紅耀石》ことシスター・アイン。「閃の軌跡」原作では全く絡むことはありませんでしたが、この作品ではオリジナルのB班視点を良い事に二回も登場して貰いました。

次回のおまけを挟み、ジュライ・ガレリア要塞編となる五章へと入る予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月28日 歩む道への決意

 七耀歴1204年7月26日、帝都ヘイムダル同時多発テロ事件が発生。

 

 ――本日十五時、帝都にて反帝国勢力が武装蜂起。既に鎮圧す――

 

 帝国政府より発せられた第一報は、有線導力通信網を経て帝国全土に衝撃を走らせた。

 

『死者0人、被害軽微。三殿下はご無事』――その数時間後、主要都市部にて整備が進みつつある導力ラジオ放送を通じて帝国政府の発表が放送され、鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊の尽力により犠牲者を出さずにテロリストを撃退したと公表、同時に『許し難い暴挙』を行ったテロリストを激しく非難した。

 

 

 二日後。

 

 

 列車が到着する度に、人波は喧騒と共に巨大な駅舎のホールへと押し寄せた。それは、暫く経つとまるで本物の海の引き波のように反対に向かうものへと変わってゆく。それが幾重にも重なってホールを常に人で満たしていた。

 

 すべての終着駅と起点駅を兼ねる帝都駅ならではの不規則に見えて案外規則的な光景を一通り眺めた後、ホール中央の時計台へと目を移す。

 導力銃を構えて目を光らせている灰色の軍服の兵士達の頭の上、導力革命黎明期に輸入された古風な意匠の導力式時計の文字盤が、約束の時間までまだ十五分以上もある事を私に教えてくれる。

 

 小さく溜息を付いて辺りを見渡した時、ふとある広告が目に付いた。

 

 ――帝都同時多発テロ・詳細続報 帝国政府公式発表 = 帝国時報社――

 

 ヘイムダル中央駅の中の売店には沢山の量の新聞がラックに入って陳列されている。夏至祭で賑わう白昼の帝都のど真ん中でのテロ、アルフィン殿下の拉致という前代未聞の大事件があったのだから、無理もない。

 

 それに付け加えて、帝国の鉄道網の中心であるこの駅の各地から帝都を訪れる様々な人が利用するという場所柄、帝国で最も有名な全国紙でもある帝国時報、庶民向けの帝都のタブロイド紙やゴシップ誌、貴族向けの高級紙や経済専門誌は勿論の事、各州の有力な地方紙もしっかりと取り揃えられている。その中には私もそれなりに名前を聞くサザーラント州の地方紙や、更にラックの隅の隅の端っこ、ほんの数部ではあるが遠くクロスベル州の名前を冠した新聞まであった。一応、大陸横断鉄道で直接繋がっているとは言え、あんな遠くの州のまでと来ると感心してしまう。いや、それとも大陸有数の大都市であるクロスベルが凄いのだろうか。

 

 まあ、それでも故郷で大人達がいつも読んでいたパルム市の地方紙は流石にローカル過ぎて無い。

 仕方の無い事ではあるけど、時々こういう所で自分がどれ程田舎者なのかを実感させられてしまい、ちょっとだけ落ち込んだりもしてしまう。

 

 

 まだまだ時間もあることだし、暇潰しには良いかと思って、その中から明らかに一番並んでいる部数の多い帝国時報に手を伸ばしてから暫し思案する。

 そういえば、ユーシスが朝買って来てガイウスと一緒に読んでいた様な気がした。それに、帝国時報ならいつも読んでいる愛読者のリィンとも今日は後で会うのだし、気になるなら聞けば良いだけの話だ。

 

 新聞の話とかしたら、ちょっと見直されるかも知れないなんて事も頭の隅で考えて、私は結局サザーラントの地方紙《ラ・アルテッツァ・ビアンコ》を手に取った。今まで読んだことはないけど、多分トリスタではお目にかかれ無さそうに思えたから。

 

 

 とりあえず暇潰しに一面だけでも――そんな軽い気持ちで紙面に目を運んだ私は、一瞬、自分の目を疑った。

 

『激震から二日、未だ続く混乱』、そんな目を引く大きな見出しと、一面にでかでかと載る大きな写真は爆煙に包まれる帝都競馬場。その下には小見出しで『警備体制に不備か・帝国政府は責任の所在を明らかにせよ』、と。

 

 まるで大惨事が起きたかの様な見出しと写真を見せられ、信じられないという気持ちで記事の小さな文字を読み走った。

 

 一面にはサザーラント州の有力地方紙なだけあって、昨日付けで発表されたハイアームズ侯爵閣下直々の声明。

『危険に晒された三殿下、特にアルフィン殿下の無事に心から安堵した』という出だしから始まり、帝都市民への見舞いの言葉等、穏健な当主として知られる侯爵様らしかったが、後半部は『逆賊』という強い言葉まで用いてテロリスト《帝国解放戦線》を非難している。

 

 あのパトリック様のお父さんとは思えない程正しさと慈愛に満ちた侯爵様の声明は私ももっともだと思うし領民としても誇らしいが、問題は記事だ。

 先ず写真のチョイスと見出しを見れば、これを見た十人中九人は帝都でとんでもない大惨事があったと思うだろう。分からなかった一人はただのバカだ。

 

 紙面上で語る論客は、テロを未然に防げなかった事を理由に逆に帝国政府と鉄道憲兵隊を批判し、その内の一人、侯爵家の関係者で帝国議会の貴族院議員は再来月に招集される議会で《革新派》の責任問題として追求すると名言している。

 まだ小脇に載る西部ラマール州の統括者であるカイエン公の『秩序を乱す脅威に対し貴族連合は一致して断固たる行動を取らねばならない』という言葉の方がまだ好感がもてるくらいだ。

 

 現場にいる私が知る限り、情報こそ正しいものではある。しかし、書き方一つでここ迄印象が変わるのかと驚かされる。

 

 気付かない内に、紙面を持つ手が小さく震えていた。

 

 確かにテロを防げなかったというだけで、批判を浴びてしかるべきなのかも知れない。でも、この南部方言で《高貴なる白》という意味を表すセントアーク市の地方紙の論調の理由は、それだけではない。

 

 でも、みんな、あんなに頑張ってたのに――。

 

「すみません、お待たせしてしまいました」

「あっ……」

 

 頭の中で思い起こしていた待ち人の突然の声に、驚いて振り向く。

 

 声の主は帝国正規軍・鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト大尉。彼女と会うのはテロが会った日以来、丁度一昨日振りだった。

 

 

 ・・・

 

 

「どうかしましたか?」

「その……少し、意外というか……」

 

 私がクレア大尉に連れられて入ったのは、帝都駅内にあるリーズナブルな庶民的レストラン。見渡す限り店内は殆ど男性客で、運ばれてきた料理はどちらかと言うと質より量と言った雰囲気の肉や野菜が挟み込まれたサンドイッチ。

 最初にお店に入る時は帝都料理ということで体が警戒したけど、見た目に反して中々美味しい。

 

 しかし、”出来る女性”という言葉がこれ程まで似合うクレア大尉の事だから、お洒落なテラスカフェでさも優雅にランチ……なんて考えていた予想は見事に裏切られてしまっていた。ただ、一緒に食べる立場であればこっちの方が断然気が楽なので、ある意味では良かったとも思える。

 

「デスクワークも多いですが、任務で現場へ向かう事もそれなりにある私達にとって身体は資本ですから」

「なるほど……このお店は大尉の行きつけだったりするんですか?」

「いえ、どちらかというと私の知り合いがよく利用しているお店です」

 

 普段は鉄道憲兵隊の司令所に併設された職員食堂で食事を済まる事が多いので、そう続けた大尉に私はちょっと親近感が湧いた。なぜならシャロンさんが第三学生寮に来るまでは私もほぼ毎日が《キルシェ》と学食だったのだから。

 

「それで、私に話が有るということでしたが……」

「あ……」

 

 本題に入ろうと促す大尉に、私はこんな話をしている場合じゃない事を思い出す。

 

「……やはり、フレール・ボースンさんの件でしょうか?」

 

 少し言いづらそうに一拍置いた大尉が口にした事は、私にとって全く予想もしなかった内容。

 

「違うのですか?私はその件についての説明を求められるものかと思っていました」

 

 硬い表情で瞼を伏せる大尉に、私は反射的に声を上げていた

 

「いえ、説明ってもう沢山して貰ったじゃないですか!クレア大尉のお陰でフレールの取り調べもすぐに終わりましたし……私は大尉に感謝していますし……」

 

 あの後、私達B班は皇太子殿下のバルフレイム宮への到着をもって警備への協力活動を終了した。

 ただ、鉄道憲兵隊の協力要請を受けた士官候補生という立場で戦闘を行った私達Ⅶ組はともかく、ミサの参加者であったフレールが私を助ける為にあの場で戦闘行為に及んだ事は小さくない問題を引き起こしてしまう。

 

 アルフィン殿下とエリゼちゃんの救出成功のA班からの知らせにを喜んだのも付かぬ間、フレールに鉄道憲兵隊の兵士達は同行を求めたのだ。理由は、民間人の戦闘行為と逃走したテロリストの人相等の聴取。あの場を助けてくれた命の恩人への信じられない対応に冷静さを失った私は激昂して兵士達に掴みかかるが、すぐにアリサ達に制止され、他ならぬフレールの言葉で諌められた。

 

 彼は問題になる事を承知で私を助けてくれたのだ。

 

「……そう言って頂けると幸いです」

「彼も……仕方の無い事だと理解はしていたと思います」

「そうですか」

 

 あくまで形式だけだったらしい取り調べから解放されたフレールの第一声は『だからあいつら等は嫌いなんだ』だった。やはり領邦軍に身を置く以上はそれなりに衝突している関係の鉄道憲兵隊に良い印象は抱いていない様だけど、それでも、立場が逆なら領邦軍も同じ事をしているという旨もぼやいていた。

 

 《革新派》と《貴族派》の対立が深まる中では、仕方の無い事というのは理解は出来る。でも、納得出来るかと言えば別だ。

 どうして協力できないのだろう。帝都のテロという事件を経て、あの地方紙を読んで、その思いは更に強くなる。

 

「あの……クレア大尉」

 

 目の前の彼女の名前を呼んで、今日この場を設けて貰った本当の理由を私は続けた。

 

「鉄道憲兵隊に入るにはどうしたらいいんですか?」

 

 それ程、私の口から出た言葉は意外だったのだろうか。こんな驚く顔を浮かべた大尉を見たのは初めてだった。

 

「私、今回の件で大尉達と一緒に戦って、この国を守りたいって思ったんです。ずっと続くと思っていた日常は、本当はいつ崩されてもおかしくない脆いものだと知りました……」

 

 私はクレア大尉の目を見ながら、あの戦いの中で感じた事を口にする。驚きを隠せないといった様子だった大尉も、いつしか真摯に聞いてくれていた。

 

「ですから、もっともっと勉強して頭良くなって、特訓もして強くなって……その……大尉の様に帝国を守る一線に立ちたいんです!」

「……なるほど」

 

 頷いた大尉はそう呟いてから、小さく困ったような笑みを漏らした。

 

「ですが、そこまで言われてしまうと……少し面映ゆいですね」

 

 

 クレア大尉は二つの道を私に提示してくれた。

 

 一つはクレア大尉のように士官学校卒業と共に鉄道憲兵隊を直接志望する道。トールズも士官学校の一つなので進もうと思えば私にも可能性はあるけど、帝国各地の士官学校や軍学校から集まる志願者に対して鉄道憲兵隊が採用するのはほんの一握りで、それも、各種様々な試験で実力を示した優秀な候補者のみという狭き門。

 

 それに対してもう一つの道は、鉄道憲兵隊が帝国正規軍の最精鋭部隊と云われる所以でもある、正規軍からの編入。

 実際に軍務に就いている現役正規軍軍人から志願や選抜を経て編入するというもので、鉄道憲兵隊の現役隊員の九割以上がこの方法で入隊しており、こちらも毎年選考を行っている。もっとも厳しい選考検査があるのは変わらないみたいだが。

 

 もう一つ正確には民間経由という道もあり、鉄道憲兵隊で運用する装備の整備関連に携わる導力技術に精通した隊員もいるようだが、こちらは私の目指す道とは少し違う気がする。

 

「そう難しく考えないで下さい。エレナさんはトールズの学院生ですし、仮に直接志望されてもある程度努力すれば筆記試験は特に問題にはならないと思います。後は身体能力を含めて独自の任務への適性ということになりますが……」

 

 途中にかなり引っ掛かる言葉はあったけど、この際そこに突っ込むのは野暮だろう。一応、ある程度努力すればという仮定付きではあるし。

 

「適性、ですか?」

「そうですね……例えばですが、今回のテロの実行犯である《帝国解放戦線》。エレナさんは彼らについてどう考えますか?」

「……えっと……」

「ほんの推理ゲームの様なものです。思ったこと、そのままでいいですよ」

 

 まさか、そんな事を問われるなんて思わなかった。

 先ず一番最初に、許せないという思いと怒りの感情が私の心に火を付けた。

 

 次に、あの男の素顔を思い出す。

 そして、狂気に歪んだ顔で私に短剣を突き立てる顔が鮮明に蘇り、真夏だというのに思わず身震いした。

 

「……普通の人……でしょうか……」

 

 あの男も本当は普通の人なんだと思う。どうしてあんな凶行に身を投じたのだろうか。

 

「テロリストなんて庇う気は全く無いですし、帝都市民に犠牲者が出なかったのは、クレア大尉達の尽力があったからだと思ってます。でも……それ以上に、テロリストと言う割にはあまり被害が出ないようにしていた様な気がするというか……それこそ、オズボーン宰相を……」

 

 暗殺すれば――。

 

「……あれ?」

 

 《帝国解放戦線》の首領を名乗る《C》という仮面の男は『度し難き独裁者に鉄槌を下す』と宣言したらしい。オズボーン宰相を狙っている事は間違いないのにも拘らず、彼らは帝都競馬場、ヘイムダル大聖堂、園遊会といった帝国の皇族の三殿下を襲撃してアルフィン殿下を拉致した。

 

 目的がどこかで変わっている様な気がする。『鉄槌を下す』と言いながら、まるでオズボーン宰相を政治的に排除しようとしている気がした。それとも、また別の目的があるの?

 

 《G》、ギデオンと名乗る帝国解放戦線の幹部は先月末、ノルド高原で帝国と共和国両方の軍事施設に攻撃を仕掛けて軍事衝突危機を起こした。それは一体何故なのだろう。ノルド高原で戦争が起きればどうなっていたの?

 

 分からない。

 

 四月のケルディックの件にも彼は関わっている様な口振りだったと聞いている。あの件は、増税に取り下げを求める大市の陳情に対してのアルバレア公爵家の嫌がらせの一環だった。そんな中で雇われた野盗達の黒幕だったと考えられるが、一体どういう意味が――。

 

 そして、二日前のテロ――あのテロが起きた事によって何が変わったのだろう。

 残念ながら結果的に《革新派》の政治的失点となり、《貴族派》を勢い付かせたのは確かかも知れない、特に地方から見れば――私は隣の椅子に無造作に置いた、買わざるを得なくなる程皺を付けてしまった新聞に目をやった。

 

 テロ対策を理由にした領邦軍の動員と更なる増強――《革新派》の不手際を追求――全く聞いて呆れそうになる。むざむざ皇女殿下を誘拐されたのは鉄道憲兵隊ではなくて園遊会を警備していた領邦軍の精鋭とか言う近衛軍じゃないか――え?領邦軍?

 

 ――領邦軍に顔の効く旦那――三か月前、いまこうして昼食を共にしているクレア大尉と初めて会った日の出来事を思い出し、野盗達の一人の言葉が脳内に木霊する。

 

 そういえば、鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊が協力して警備体制を敷く中、近衛軍は”園遊会の警備管轄を固持”しているという話も聞いた。

 

「えっと……大尉、まさか……」

「……流石ですね」

 

 そうか、私は今分かった。フレールが同行を求められたもう一つの理由も。

 

 《帝国解放戦線》は《貴族派》と繋がっている可能性がある。少なくとも幹部の一人は確定的にクロイツェン州領邦軍に顔が利き、アルバレア公爵家の思惑に利する行動をとっていたのだ。

 そして今回、彼らの本命の目標となったのはラマール州領邦軍の精鋭が集まる近衛軍が警備管轄を固持していたマーテル公園の園遊会。

 

 なにより、《帝国解放戦線》の目的が《貴族派》の利益と一致するのだ。オズボーン宰相と激しく対立しているのは他ならぬ《四大名門》に率いられた《貴族派》であり、《革新派》の筆頭であり中心でもあるオズボーン宰相の排除は今や《貴族派》が最も熱望している事かもしれない。

 

「……その、合格……ですか?」

「ええ、充分です」

 

 恐る恐る尋ねた私に小さく頷いてくれるクレア大尉。憧れの大尉に認められたような気がして嬉しいが、”推理ゲーム”の題材となった重い現実を考えると心境は複雑で素直に喜ぶ訳にはいかない。

 

「ですが、今一度良く考えてみてはどうでしょう。国を護るというのであれば、正規軍や領邦軍、帝都憲兵隊……帝国政府の各省庁も含まれるでしょう。組織としてのあり方こそ違いますが、サラさんと同じ道もあると思います」

「……そう、ですよね。こんな私なんかじゃ……」

 

 だけど、その後に続いた大尉の予想外の言葉に、まるで冷水を浴びさせられたように気持ちが萎んでいく。それと共に、視線が膝へと落ちる。

 そう言われても仕方ない。私は勉強もそんなに出来ないし、武術もリィンやラウラ、フィーの様に輝けるものを持っている訳ではない。

 大体、鉄道憲兵隊は帝国正規軍の最精鋭部隊。テロリスト一人相手に負ける私の様な間抜けは、相応しくないと思われて当然だ。

 

 でも、初めて自分が見つけた将来への道を簡単には捨てれなかった。

 

「でも、私は……本気なんです」

 

 顔を上げてクレア大尉を真っ直ぐ見る。視線と視線が交差した先で、大尉はすまなそうな表情を浮かべていた。

 

「誤解を招くような言い方をしてしまいましたね……申し訳ありません。あくまで先輩……年長者としての意見でした」

「……え?」

「個人的には優秀な学生に鉄道憲兵隊を志望して貰えることは嬉しく思います。しかし、私達は平時においても厳しい任務に従事することになりますし、何よりもこの情勢下では”敵”も必然的に多いでしょう。同郷の知り合いや――将来的にトールズの同窓生とも職務上で対立することになるかも知れません」

「……ぁ……」

 

 鉄道憲兵隊に要らないという意味合いではなく、少なくとも半分は私を思ってくれての言葉だった。

 今まで私が進路として考えてきた帝国正規軍でも関係は悪いのに、国内の治安維持を主任務とする鉄道憲兵隊はもはや領邦軍と敵対とでも言うべき関係だ。丁度、ケルディックの件の時の様に衝突することも多いと聞く。

 もし、鉄道憲兵隊に入ればいつの日かフレールと対峙する未来もあるかも知れない――でも、それはもう分かっていたことだった。鉄道憲兵隊を目指すということは、即ち《革新派》と《貴族派》の対立に身を投じる意味であるのは私でも分かる。

 

 私にその覚悟は――……。

 

 口に出そうとした時、突然《ARCUS》の電子音が鳴った。

 

「……そろそろ時間ですね」と呟いたクレア大尉が《ARCUS》を開いて音を止める。導力通信の着信音では無く、設定した時刻を知らせるアラーム機能の音だった様だ。

 そして、席を立とうとする大尉に私は立ち上がって頭を下げた。

 

「お忙しいのにすみません……私の話なんかにお時間を割いて貰って、本当にありがとうございました」

「こちらこそ、久し振りに楽しく思えた昼食でした。また機会がありましたらご一緒しましょう」

 

 機会、あるのかなぁ。

 クレア大尉は社交辞令的な意味合いで言ったと思うけど、私はどうしても期待してしまいそうだった。

 

「あ、大尉……!」

 

 呼び止めたはいいものの、その続きの言葉が喉から出ない。

 

「どうかしましたか?」

「……また、会って話せますか……?」

 

 何よりあんな事があった後では今後、大尉は相当多忙だと想像するのは容易い。今日だってまだ夏至祭期間中であり、多分無理して付き合ってくれている筈だ。それなのに、更にこんな我儘まで許されるのだろうか。

 

 軽く後悔しながら、少し目線を上にして大尉の顔を窺った。

 本日三度目のクレア大尉の驚いた顔が大人のお姉さんの微笑みに変わると、彼女は小さなカードとペンを取り出し、テーブルの上で何かを書き記し始める。

 

 そして、何かを書き終わると共にそれを私に手渡した。

 帝国正規軍と鉄道憲兵隊の紋章、所属部隊と階級、そして”クレア・リーヴェルト”と印刷された名刺。その裏側には、何処かで見たような十桁の数列が印刷よりも綺麗な字で記されていた。

 

「私の《ARCUS》の番号です――エレナさんが本当に私達と同じ道を志すのであればご一報下さい。私も個人的に力になりたいと思います」

 

 

 ・・・

 

 

 帝都駅前の広場を歩いて私は一人東口のトラム乗り場へと向かう。

 特別実習は今日で五日目。ほぼ毎日この場所を通っているからこそ分かることだが、帝都はあのテロが嘘だったかの様に落ち着きを取り戻していた。そして、夏至祭最終日だというのにもう既に多くの背広を着たビジネスマンを見かけることも、更に普段通りの街並みに拍車を掛けていた。

 

 丁度やって来た路面列車の姿に思わず足を早め、駆け足でその車両へと乗り込む。運転手さんに行き先を告げて、ポケットから取り出した五十ミラ硬貨を料金箱へと放り込み、車内を見渡して席を物色。一番後ろの端の席に腰掛けるのと同じタイミングで、発車を伝える運転手のアナウンスがあり、車両は振動と共に動き出す。

 最初は結構戸惑った導力トラムだが、もう慣れたもんだ。

 

 あまり人が乗っていない事を良い事に、思いっ切り窓ガラスに寄り掛かる。そして、この夏の刺すような暑さの中で小さな清涼感を求めて頬をガラス窓へくっ付けた。

 

 帝都駅前からゆっくりとヴァンクール大通りを進む路面鉄道。車窓に流れる帝都の中心街の街並みに、二日前の記憶が思い起こされてゆく。

 

 あの日は、色々な事があった。

 

 帝都競馬場の爆発、大切な仲間を失うかと思った恐怖。そして、オリヴァルト殿下とミュラー少佐と共にこの通りを馬で駆けた私達。

 そして、ヘイムダル大聖堂での再会と……あの出来事。

 

 あんなことになったのはほぼ私のせいだから。私がもっと強ければ彼に余計な心配をかける事もなく、窮地に陥ることもなかった。

 テロリストを見つけた時にも応援を呼ぶなりすれば良かったのだ。確実な作戦遂行の為に、不確定要素が強くなる単独行動は出来る限り避けるというのは軍事学の授業や戦術実習でも基礎中の基礎として教えられていたのだから、一人で対応したのがそもそもの間違いである。

 

 私にどうやっても言い逃れできない落ち度があるからこそ、取り調べを受けるフレールをシェリーさんと一緒に待っていた時はとても気不味かった。本当は私に言いたい事の一つや二つはある筈なのに、彼女は何も言わないで平静な様子を貫いていたのも、気不味さに拍車を掛けていた。

 それに、私にとってはそれ以上に彼女に罪悪感を感じる後ろめたいこともあったから。

 

 一昨日の事を思い出すと、今でも少し寂しく感じる。

 

『彼は常に余裕ぶっていますが、私から見れば人一倍危なっかしくて、放っておけないのです。彼、一人だとどんな無茶をしでかすか分かりませんから』

 

 シェリーさんが小さく語った言葉に、私は自分と彼女の明確な差を知った。

 

 私はフレールお兄ちゃんとしての姿を見上げる事ばかりで、結局最後まで憧れの背中を追っていただけ。

 でも、シェリーさんはあのフレールが心に抱える物を知って、支えようとしていた。

 

 その差は、とても大きくて、私は心の底から彼女が、彼の傍に本当に居るべき人だという事を認めるしかなかった。

 

 運転手さんの声がアルト通りの停留所が近付いている事を知らせ、路面列車が減速してゆく。

 

 停留所の傍に見慣れた赤毛の頭を見た時、もう一度、後悔の念に駆られた。エリオット君の時もそうだ――私はずっと自分の事ばかりで、人の事なんて置き去り。優しくしてくれる人に甘えるだけの身体だけ大きな子供だった。

 

 そんな子供が、”人を支える”なんて思える筈がないじゃないか。

 

 

 ・・・

 

 

 停留所からほんのすぐ、前に来た喫茶店の隣の隣に立つ家で彼は足を止めた。

 そのお家の門構えは立派で、お庭には色とりどりの綺麗なお花や植物が沢山育てられている。エリオット君の家族はガーデニングが趣味なのかも。鉢植えなんて朝顔ぐらいしかなくて、アイビーの木蔦に半分程覆われているうちの家とは大違いだ。

 

「ここだよ」

 

 私は自分の実家より遥かに大きなお家を見上げた。邸宅以上お屋敷未満といった所のお家は私からすればまるで豪邸だ。

 帝都のアルト通りは裕福な住宅街という話は前に来た時にアンゼリカ先輩から聞いていたし、エリオット君の家もお父さんが帝国正規軍の中でも名の知れた将官。

 やっぱりお金持ちなんだろうなぁ、なんて心の中で考えてしまう。

 

 

 扉を開け、「ただいま、姉さん」と帰宅を伝えるエリオット君。

 初めてのクラスメートのお家に少し緊張しながら、彼に続いて玄関の中に脚を進める。

 

「あら?」

「え?」

 

 そんな私を出迎えてくれた”エリオット君のお姉さん”と顔を見合わせた瞬間、お互いに思わず変な声を出してしまっていた。

 

 菫色の透き通った瞳をぱちくりさせて驚くお姉さんの姿は、《星の在り処》の美しくも寂しいピアノの旋律と共に鮮明に覚えている。

 そう、つい先週、アンゼリカ先輩の行きつけらしいアルト通りの音楽喫茶《エトワール》で私達にピアノを弾いてくれた店員さんだったのだ。

 

 

「驚いたよ、まさかエレナが姉さんに会ったことがあったなんて」

 

 私も驚いたよ、と心の中で呟きながら隣のエリオット君に笑顔を取り繕う。今思えば確かに似ているし、ピアノっていう共通点もあったけど流石に予想外だった。

 

「私もエリオットのクラスメートの”エレナさん”が、アンゼリカちゃんの意中の子だったなんて思わなかったわ。ふふ、すごい偶然ね」

「え、えっと、色々違う所があるっていうか……」

 

 苦笑いがどんどん乾いてゆく。身から出た錆、自業自得なのだけど、フィオナさんの中での私は大分誤解されている。大方、アレな子に思われていそう、うん、話していて分かる間違いない。

 

 ”授業をサボって真っ昼間から遊び呆ける子”とか”アンゼリカ先輩の意中の子”という時点で色々と致命的だが、それを除いても音楽喫茶では小っ恥ずかしい事ばかりだったのだ。こうやって思い出すだけでも顔が熱くなりそう。

 

 ああもう、何やってるんだ先々週の私は。アンゼリカ先輩にホイホイ付いて行った代償をこんな所でも払わされるなんて。

 

「まあ、あのセンパイの事だからそこら辺分かってたと思うけど」

 

 ああ、確かに。フィーの言葉に私は同意せざるを得なかった。

 エリオット君のお姉さんがいると知って、あそこに連れて行ったんだ。うん、なんか間違い無さそう。でも、一体どうして……?

 

 少し考えてから、私は首を振って考えるのを辞めた。アンゼリカ先輩の考える事なんて私が分かる訳が無い。そう思えばすんなりと諦めれるのも、流石はアンゼリカ先輩と言うべき所かもしれない。

 

 

 夏至祭最終日ということもあって今日の特別実習は午前中のみ、午後は元々の予定で自由時間とされていた。それを聞いたエリオット君のお姉さんがB班の私達を含めたⅦ組全員を晩ご飯に招いてくれたのだ。ちなみに今、この家にいるのは私とエリオット君とフィオナさん、そして、仲直りしてから息ぴったりのラウラとフィーの五人だけ。クレア大尉との予定があった私をここまで案内する為に残っていたエリオット君、フィオナさんのお手伝いという名目のラウラとフィー以外のⅦ組の皆は今晩の食材の買い出しに出向いているらしい。

 

 皆で買い出しというのも楽しそうに思う。忙しい学院生活では中々無さそうな出来事を逃したのは、ちょっと勿体無いかも知れない。

 まあでも、その代わりにこうして五人でお菓子片手にのんびりとティータイムを楽しめているのだから悪くはない。

 

 まだ温かいということは出来たてなのだろう。手作り感のあるクッキーを手に取って見てから、これを作ってくれたと思われるフィオナさんを眺める。

 誰が見ても美人と言うこと間違い無しのお姉さんは、ラウラとフィーによると夏至祭初日は喫茶店の前で売り子さんをやっていて街の人に大人気だったのだとか。

 

 フィオナさんはエリオット君や家族の話を私達に楽しそうに話し、私達は私達で学院の日々を話題にする。時々、恥ずかしい昔話や寮での出来事に顔を赤らめて慌てて止めるエリオット君は面白いし、可愛いかったり。

 

 前々から彼と話している時にお姉さんの話がそれなり出ることのでなんとなく感じてはいたけど、こうして目の前で見るとクレイグ家の姉弟仲は本当に良いみたいだ。良過ぎるといっても過言ではないかも知れない。エリオット君も少し恥ずかしそうにしているけど、思ってた通りに結構お姉ちゃんっ子だし、フィオナさんはフィオナさんでエリオット君にべったりだ。

 

 ……羨ましいなぁ。

 

 仲の良い姉弟の姿を微笑ましくも、羨ましく思いながら見ていると、丁度目が合ってしまった。

 

「あ……ごめんなさい、私ばかり話してしまってて」

「いえ……羨ましいなぁ……って思ってました」

 

 視線に気付いたフィオナさんが恥ずかしそうにはにかみ、私はそれに本心から笑って応えると、目の前のエリオット君が「え?」と、首を傾げた。

 

「まあ、分かるかも」

「ふむ、確かにな」

 

 こっちの二人は私の気持ちを分かってくれたみたいだ。ラウラは一人っ子だという話だったし、フィーはちょっと分からないけど、猟兵団という話を聞く限り男所帯なのだろうと思う。まぁ、今でこそサラ教官やエマなんかはちょっとお姉ちゃんっぽいけど、多分、ここに居る私達三人には姉という存在はあまり縁がなかったのだ。

 

 だからこそ、エリオット君のようにお姉ちゃんがいて仲が良いというのは結構羨しかった。

 でも、実際にお姉ちゃんのいるエリオット君にはそれが当たり前。私のそんな気持ちは分からないようで、いまだ不思議そうな顔をこちらに向けている。

 

「優しいし、こんな美味しいクッキーも作ってくれるし……私もフィオナさんみたいなお姉ちゃん、欲しいなぁって思って」

 

 本音だけど、いざ口にすると少し気恥ずかしい。

 

 私も妹にしてくれないかな。

 ほら、皇女殿下もリィンに『リィン兄様とお呼びしてもよろしいでしょうか?』なんて仰っていたし。私もフレールがいるから、それなりに……いや、お兄ちゃんとお姉ちゃんじゃ結構違うかもしれないけど……一応、妹には変わりはないし――。

 

 お姉ちゃんがいるって楽しそうだなぁ、なんて妄想を膨らませていた私を一気に現実に戻したのはフィオナさんの素っ頓狂な声だった。

 

「ええっ……やっぱり、そうなの!?」

 

 笑われるかもとは思っていたけど、予想外のフィオナさんの反応に置いてけぼりにされる私。

 思わず目の前のエリオット君を見るが、彼も彼で状況を理解出来ているとは思えない困惑した顔で、私はラウラとフィーに視線を走らせる。

 

 なんか不味い事を口走ったのだろうか。

 

「エレナ、大胆」

「ふ、ふむ……驚いたな……。そういった物事には順序があると聞くが……こういうのも……うん……」

「は……?……えぇ!?」

 

 フィーの直球と、顔をほんのりと赤らめて、なにやら言いずらそうにするラウラ。

 二人のめったに見ない反応に、私はやっと自分が口にした言葉の違う意味を理解して、カッと顔が熱くなった。

 

「……エリオットからの手紙によく女の子の名前が出るから、もしかしたらって思ってはいたけど……ぐすん……でも、もうエリオットもお姉ちゃん離れの年頃だし……そうね、彼女さんが出来てもおかしくないわよね……」

 

 違う、違う、違う!

 

 お姉ちゃんが、羨ましいって意味で、義姉ちゃんが欲しいって意味じゃ……!

 それじゃ、まるで私が、弟さんを私に下さいって私が……うわあああぁぁっ!

 

「……でも、まだ結婚は早いと思うの……お父さんにも知らせなきゃいけないし……」

 

 口をぱくぱくさせるだけで反論が声に出ない私の前で、寂しそうにしょんぼりとしながらも、とんでもない方向に話を飛躍させ続けるフィオナさん。

 その言葉が、もうなんというかそれ過ぎて、あまりの恥ずかしさに身体中の血が沸騰して今にも顔が爆発しそうだ。

 

「ち、ちょっと姉さん!?ち、違うからね!?」

 

 状況について行けてなかったエリオット君も、今のフィオナさんの言葉を聞いて分からないわけがない。今日一番の真っ赤な顔で、隣に座る実の姉の誤解を大慌てで解こうとする。

 

「そ、その、そういう関係じゃ、ないです!」

 

 エリオット君のお陰か、私もやっと口から言葉が出た。めっちゃ噛み噛みだけど。

 

「そうだよ!エレナはただのクラスメートだってば!」

 

 彼の言葉に合わせて何度も首を振って、私も必死に肯定する。

 だけど、誤解を解かなくてはいけないと思う一方、どうしてか胸の片隅がもやもやしていた。言葉には出来そうにもない複雑な気持ちがちょっとずつ生まれた。

 

 やっぱり、ただのクラスメートって言い切られたのは、少し複雑だった。




こんばんは、rairaです。
閃Ⅱでクロウ先輩が使えるようになると聞いて歓喜してしまいました。
クロチルダさんとアルティナも気になりますけど、やっぱり一番は先輩です。苦笑

さて、今回は《帝国解放戦線》による帝都夏至祭テロの二日後、7月28日のお話となります。

前半部はクレア大尉と一対一という珍しい組み合わせとなりました。テロという転換点を経て、エレナも遂に明確な意志を持って軍への進路を明確にしました。

後半はクレイグ家訪問で誤解されるの巻です。まだラウラとフィー以外のⅦ組メンバーは出てきていませんが、次回はサラを含めて久し振りのⅦ組全員集合となる予定です。
…書きたい事が多過ぎるのか、また一話、五章が遠のいてしまいました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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7月28日 未来へと続く路

「うわぁ……」

 

 エリオット君の部屋にお邪魔した時、私は思わず驚嘆した。

 びっくりするほどの楽器の数々。小さな楽団を作れるんじゃないかと思ったくらいだ。

 

「流石に引いちゃうよね?」

「ううん。私は凄いと思うし、夢中になって打ち込めるものがあるって良い事だと思うけどなぁ」

「あはは、ありがとう」

 

 笑顔は人を笑顔にするとはよく言ったものだ。

 フィオナさんのあの誤解の後、ちょっと私達の間は気不味かったので、エリオット君が私に笑いかけてくれるのは結構久し振りだったりする。だけど、こうやって彼が笑ってくれるだけで私は嬉しくなるし、自然と頬が緩む。

 

 でも、実は私は音楽にあまり良い思い出はない。好きな曲は勿論有るし、演奏を聴くのは好きだけど、自分でやるのはからっきしだった。

 お母さんはよく村の酒場でピアノを弾いていたらしいけど、何事も練習を三日坊主にサボってしまう私は昔から楽器はダメダメ。というか、それ以前に音楽のセンスが無いのだ。教会の聖歌では下手すぎてシスターに居残りを言い付けられるし、思わず鼻歌を歌えば音痴とフレールに馬鹿にされる。お祖母ちゃんや村の大人には『父親に似た』とよく言われたものだ。

 最初に士官学院で音楽の授業があると聞いた時はそれなりに憂鬱だったが、メアリー教官の授業は主に音楽の知識的な勉強や鑑賞が多くて助かっていたりする。

 

 もう音楽に関してはあんまり才能が無いと諦めているけど、何でもいいから楽器を出来るようになっていれば良かったと、エリオット君と話している時はよく思うのだ。

 いまからでも遅くは無いっていう彼の言葉を信じて吹奏楽部に入ろうか、そうすれば 放課後も――ああ、私、部活やってる暇なんて全く無いんだった。嫌なことを思い出してしまった。

 

「そういえば……もう身体は大丈夫?」

「うん、全然平気だよ。あの後は全身筋肉痛になったけど」

 

 ベッドに腰掛けたエリオット君の隣に私も腰を下ろして、伸びをするように両足を宙に伸ばす。

 テロリストと激しく戦ったあの後、私はエマの応急処置で身体のあちこちにガーゼやら包帯やら湿布を貼っていたが、二日も経てば完治である。ただ、所々打撲が薄っすらと青痣になって残っている所もあるが。

 

「そっか……良かったぁ」

 

 エリオット君達A班の皆とは昨日は会っていないので、彼らの中の私はあの少し痛々しい姿のままだったのかも知れない。

 振り下ろされるナイフから身を守る為にライフルを盾に使った時に捻挫して、昨日まで包帯を巻いていた左手首をエリオット君に見せる。擦り傷もしっかりと塞がっているし、捻挫の痛みもあまり無い。

 私は大丈夫である事をしっかり伝えようと、準備体操の時のようにヒラヒラと脱力させて手首を振った。

 

「ねっ、平気でしょ?」

 

 そう笑って口にする反面、こうやってわざと激しく動かすとまだ少しだけ痛みが手首に走っていた。

 でも、これぐらい――そう思った時、私の左手を彼の手が包んだのだ。

 

「……わっ……」

「無理しちゃダメだよ」

 

 ほんの少しだけ怒った様なエリオット君の顔を見て、小さく私は頷く。

 そして、包まれた私の左手が触れ合う温もりを求めて、いつの間にか彼の手を握っていた。

 

「ご、ごめん!」

 

 一瞬だけ感じた、惚けるような変な気分。

 直後、”手を繋いでる”という事に気付いた私は急に恥ずかしくなって、謝ると同時に重なってた手を振り解いてパーカーのポケットに隠すように突っ込んだ。

 その時、左手に当たる紙袋の感触にある物の存在を思い出す。それは、今日中に私の隣に座る彼に渡さなくてはいけないもの。

 

 だけど、もう既に私とエリオット君の身体の間には再び気不味い空気が漂っていた。三十リジュものさし位あるこの間、埋めれる気がしない。

 

 ああ、もうどうして……。

 

 二人っきりになった今が絶好の機会な筈なのに。

 ラウラとフィーはフィオナさんにクッキー作りを教えてもらっている最中だが、買い出し組である他の皆はもうそろそろ帰ってくるだろう。そうなれば、流石に二人でいる事は出来ないし、晩ご飯の用意の手伝いもしなきゃいけないのだ。招かれたと言っても十二人分の用意をフィオナさん一人にして貰うのは訳にはいかない。

 

 今を外せば今日一日無理な可能性もある。そして、今日を外してしまえば”夏至祭”では無くなってしまう。

 

 今しかない――そう三度念じて、呼吸を落ち着かせる。

 

「じ、実は……渡したいものがあるの」

 

 噛んだ。上擦った。いっつもいっつも私は……。

 もう、エリオット君の顔なんて見れなくて、目を逸らしながらポケットから出した小さな紙袋を手渡す。

 

「えっと……僕に?」

 

 君以外に居る訳ないじゃないか。少しむくれそうになりながら、私は頷いた。

 

 紙袋を開ける音の後、袋の中身を見たらしい彼の「ペンダント?」という不思議そうな声が届いた。

 

「でも、どうして……?」

「げ、夏至祭にお世話になった人に物を贈るのは帝都じゃ当たり前って言ってたから……ほら! エリオット君、バイオリン好きでしょ? 私、お世話になった人って言ったらエリオット君が真っ先に浮かんで――ほ、本当はみんなにも買おうと思ったんだけど、私そんなにお金無いし、だから一番お世話になった――!」

 

 とても気恥ずかしくて顔も見れない。そして、自分でも驚く程早口だった。

 

「ありがとう、エレナ」

 

 愛銃のアサルトライフルの様に言い訳を連ねた私の口が動きを止める。

 

「大切にするね」

 

 私が大好きな笑顔。

 

 うわぁ……嬉しい……。

 

 胸の奥からこれまでに感じた事のない暖かいものが溢れ出す。それはただでさえ火照る私の身体を。恥ずかしさとか全て飛び越えて、今なら何でも出来るような気がした。

 

「わ、私が付けてあげるよ!」

 

 あまりの嬉しさから自分でも分かるほど気を良くしてた私は、エリオット君の右手からひったくるようにそれを取って、ベッドの上を膝歩きして彼の後ろに回る。

 

「え、エレナっ?」

 

 私の膝が少しエリオット君の腰に当たり、どきっとする。でも、それは今は心地の良い刺激で、これから私がしようとしている事を邪魔する事はない。まるで料理に使う香辛料の様に、火照り切った私を更に熱くさせる。

 

 慌てる彼なんてお構いなしに、男子とは思えない白くて綺麗なうなじにチェーンを回した。手に触れる彼のサラサラの紅茶色の髪の毛の感触が、私の胸の鼓動を早めていく。

 

「へへ……」

 

 肩越しに前のめりになって、彼の胸元に銀色に輝くバイオリンを象ったペンダントを覗き込む。似合ってる、かなぁ。自信は無いけど、それでも私がプレゼントした物を身に付けてくれているという嬉しさは何物にも変えられない。

 

 鼻孔をくすぐった私とは違うシャンプーの匂いに思わず胸がきゅんと鳴り、今まさに私が結構凄いことをしてしまったと気付かせた。

 

 彼の背中に半ば身を預けて密着している今の状態。

 今更ながら照れ臭くなってしまうけど、後悔はまったくなかった。それどころか、このまま腕を回してぎゅっと、もっと触れ合いたいなんて我ながら大胆な事を思ってしまう。

 

「あはは……ありがとう……少し照れ臭いけど……」

 

 言葉に出来ない満足感と充足感を覚えながら、私はもう一度ネックレスの留め金を見る。

 ほんのりと赤くなっていた彼のうなじに、エリオット君も私と同じなのだと気付いてまた頬が緩む。エリオット君も男の子、さすがに照れちきゃうよね。でも、それが、どうしてか嬉しかった。

 

 しっかりと繋がっている留め金が私と彼の絆であればいいななんて思いながら、私はシャツの中に隠している自分の音符を象ったペンダントに触れる。

 

 ううん、そうであって欲しい。

 

 そんな想いを胸に彼の隣へと戻って座り直した時、私と彼の間は先程より少し近くなっていた。

 

 

・・・

 

 

「あ、このラズベリーのタルト美味しい! フィオナさんが作ったんですか?」

 

 キッチンに用があったのか、丁度私達の近くを通りかかったフィオナさんに声を掛けて逃げた私に、隣に座るアリサが不満気な顔を向けてくる。だけど、いくら小声の内緒話であっても、流石にあの話題をエリオット君の実のお姉さんの前では続けないだろう。

 

「それは、アリサさんとエマさんが作ったのよ。ふふ、サラさんと私も美味しく頂いてたわ」

 

 ありがとう二人共、と私の両隣のアリサとエマに微笑むフィオナさんの前で、意外過ぎる展開に私は思わずアリサの顔を凝視した。

 

「何よ……その目は……私が料理できちゃ悪いのかしら?」

「アリサ、タルトなんて作れたの?」

「そ、それぐらい私でも出来るわよっ」

「ふふ、お向いのハンナさんに教えて貰ってからよく二人で練習してましたものね」

「こ、こら……エマ……!」

 

 さっきのアリサの不満気な顔の理由は、私が逃げて露骨に話題を逸らした事に対してではなく、彼女が作ったタルトを私がフィオナさんが作ったと決めつけて聞いたからだったのかもしれない。

 少なくとも不満気になるぐらいは頑張って練習したのだろう。私は今初めて聞かされたけど。

 

「えーなにそれ! 私、初耳なんだけど!」

「エマ以外には内緒で練習してたのよ。それに、貴女にバレると言っちゃいそうだし……」

 

 恥ずかしそうに、もごもごと小さくなるアリサの声。親友としてこんな形で隠し事をされて少々残念だけど、なんとなく事の経緯は分かってきた。

 

「ほら、エレナさんは帰りが結構遅いですから」

 

 先々週までは主にバイトとフィーとの銃の特訓で、今週からは生徒会の手伝いとサラ教官の小間使いまで加わった私の寮に帰る時間は早くて夕食直前だ。アリサの反応から私やある男に秘密にしていたっぽい感じは間違いないけど、大方エマの言う通りそれが最大の理由だろう。

 

「エリ……リィンは知ってた?」

 

 思わずテーブルの反対側に座るエリオット君の名前を呼ぼうとしたのを慌てて止めて、私の向い隣、アリサの前に座るリィンに話を振る。さっきの話をアリサに蒸し返されるのも困るが、それよりも夕方のあの出来事を思い出してしまってどこか気恥ずかしく思えた。

 

 それに、守りに徹し続けるのは私の趣向ではない。ついさっきまでエリオット君の胸に光る物の事で散々小声で追求された反撃を、最も効果の高そうな一撃をお見舞いしてやる。そう、攻撃は最大の防御なり、だ。

 

「ああ、といっても食堂を覗いてたシャロンさんに教えて貰ったんだけどな」

「ええっ!? シャロンにバレてたの!?」

「確かシャロンさんが来てすぐだったような……」

「あーもう!」

 

 少し困ったように苦笑いするリィンの暴露にアリサの叫びが上がる。

 

 ちょっとまってアリサ。第三学生寮であのシャロンさんにバレずにキッチンを使えるとでも思ってたのだろうか。

 

「ぶっちゃけ、良い匂いしてたから誰でも分かると思ってたけど」

 

 エマの隣からフィーが首を覗かせて、言外に私と同じことを言わんとする。

 口元にたっぷりとタルトのラズベリーのかけらとナパージュを口元に付けて。

 

「フィー、ついているぞ」

「ん」

 

 それに気付いたのはラウラだった。いつもはこの役割はエマの筈だけど、それだけ二人が仲良くなったという事かも知れない。うん、昼間も息ぴったりだったしね。

 

「だって、毎週木曜日のあの時間だけシャロンは買い出しと母様の仕事の代行で帰りが遅いし、何も言われなかったし……エマと一緒にちゃんとキッチンも綺麗にしてたし……」

 

 ぶつぶつと続けるアリサ。木曜日ってラクロス部の休みじゃないか。それは完全に嵌められたんじゃ無いかと思う。それにしても、シャロンさんも人が悪い。

 

「素直にシャロンさんに教えてもらえば良かったのに」

「シャロンに頼むのは恥ずかしいっていうか……何言われるかわからないし……それに、出来れば内緒で練習して元気のなかった――って、もう! 何言わせてるのよ!」

 

 明らかな照れ隠しが微笑ましかった。色んな意味でおご馳走様だ。

 そういえば、あの頃はそんな時期だった。私は自分の事で精一杯で気付かなかったけど、リィンも結構落ち込んでいたと聞いていた。つい一か月ちょっと前の事なのに少し懐かしい。

 

「素直じゃないなぁ」

「相変わらずだね」

「まぁ、アリサも料理を作ってあげたい人が居るってことは分かったよ」

 

 この一撃は決まった筈。アリサの今にも爆発しそうな横顔。

 

「何言ってるのよ!? りょ、料理ぐらい当たり前じゃない!」

 

 思いっきり耳元で怒鳴られて、頭が右に左に揺さぶられる。

 

 ほーら、煩いわよ、なんて呑気な酔っ払いに出来上がったサラ教官が少し離れたソファーから窘めた。

 

 

「あはは、でもすっごい美味しいよね」

「ああ、正直毎日食べたいぐらいだ。作ってくれた二人には感謝だな」

「じゃ……じゃぁ……」

 

 私の聞き違えだろうか。隣から虫の音より小さな声で、「毎日作ってあげても……」なんて聞こえた気がするのだけど。こんなに美味しくても、流石にベリータルトを毎日っていうのは間違いなく飽きるだろうに。

 

「ふふ、私は今回はほんの少し手伝っただけで、殆どアリサさんですけどね」

「はは、そうか。ありがとな、アリサ。また機会があったら食べさせてくれ」

 

 私の期待した本命の一撃が炸裂し、アリサの横顔が秋の林檎か旬のアゼリアの実の様に真っ赤に染まる。

 

 だけど、これで終わりにはしてあげない。”やる時は徹底的に”だ。

 

「……リィン、食べさせて欲しいって。ほら、今度はスプーンで、あーんって……」

 

 意図的に有り得ない解釈を、追い討ちをかける様に私は彼女の耳元で誰にも聞こえない様に囁いた。

 

 アゼリアの実は完熟を通り越して、その場で俯く。

 

 そして、少しの間の後、下を向く顔を少し私の方へと向けた。キッと目だけを見れば途轍もないぐらい鋭い睨みに、私は思わず仰け反りそうになり、顔が引き攣る。

 やばい、本気だ。流石に調子に乗り過ぎたと後悔しても、もう時すでに遅し。

 

「……貴女、後で覚えときなさい……」

 

 私、今日寝かせてもらえないかも。

 

 

 そんなアリサと私を半分心配、半分笑いながら料理の話題は盛り上がった。

 今はあまり作る機会が無いとはいえ、Ⅶ組のみんなはそれなりに料理が出来ることも盛り上がる一因だろう。それに皆それぞれ出身地も異なることから自分の地元の料理を語れば話題には事欠かない。

 

「苦手じゃあないよ。上手いかって言われたらあんまり自信はないけど……」

 

 アリサよりは上手いはず、と喉元まで出た言葉を飲み込む。これ以上からかうと、何が起きるか分からない。今ではないが、この家を出て、ヴェスタ通りに着いて、寝室に入った後に。ただでさえ、今の状態でも何が起きるか分からないのだ。少なくとも根掘り葉掘り聞かれるのは間違いないと思うけど。

 それに、流石に私も反省している。

 

 それとなく隣に視線だけ送ると、まだほんのりと頬を朱色にしながら何かを見つめていた。

 彼女が右手に持つ、銀色のスプーンを。

 

 ……本気にしてないよね?

 

「あれ、でも……前にユーシスと一緒に……」

「エリオット」

 

 今まで大してこの話題に入って来なかったユーシスが、そこで鋭く遮った。その声は有無を言わさない程の力が込められており、ある意味で先程のアリサと同じかそれ以上であった。

 

 突然のユーシス様のお声にしんと静まり返るテーブル。酔っ払ったサラ教官の渋いオジサマについての熱い語りに相槌を打つフィオナさんという、大人の恋バナに花を咲かせるお姉さん二人の声がいやに大きく聞こえる程だ。

 

 想い人の事なのだろうか、軍人嫌いの気もあるサラ教官が「軍に戻ってしまった」と項垂れ、それに「軍服も格好良いじゃないですか」と返すフィオナさん。どうも話題の”ダンディなナイスミドル”はこの二人の共通の知り合いらしい。

 

 そこに、ユーシス様のさも貴族様然とした尊大な咳払いが響く。

 

「世の中には公にならない方が良い事もある。俺はそう思うが」

「ユ、ユーシス?」

 

 大貴族様の機密事項を知ってしまった人物への口止めの言葉だろうか。逆らえば粛清されてしまいかねないと思える位、結構マジな様になっているのが流石は四大名門の御曹司といったところだが、その機密の全てを知る当事者の一人の私から言わせて貰えば下らな過ぎて笑えない。

 

 そんなに料理を作ったことを知られたくないのだろうか。主にマキアスに。大体、作ってる最中に起きたアレの方が断然面白いのに。

 アレを思い出した私は、今まさにあの時のユーシスの顔を頭の中に浮かべて思い出し笑いしそうになる。

 

 それにしても、被害者のエリオット君なんて突然のユーシスの圧力に顔が引き攣ってしまっているじゃないか。

 

「ユーシス、必死過ぎ」

「あはは……」

「ふむ……?」

 

 ユーシス様の沽券に関わるらしい機密事項の一端を知る他の三人の一人は呆れ、一人は乾いた笑いを浮かべ、最後の一人はまだ把握出来てはいないみたいだ。まぁ、真っ直ぐなガイウスだからこそ、あんな下らない事は思いもつかないのかも知れない。

 

「な、何があったんだ?」

「レーグニッツ、お前は知らなくても良い事だ。さっさと食後の珈琲でも用意しないか。何の為に高い豆を買って一人寂しく挽いていた?」

 

 ピシャリと言い返されて唸るマキアス。もっとも、いまのユーシス様には彼もいつもの調子で噛みつけないで、渋々といった様子でコーヒーを用意する為か席を立った。

 

「えっと……それってあの事ですよね?」

「多分そうだね」

「あの事とは何のことだ?」

「俺も気になるな」

 

「あの事……? ああ、私が風邪引いた時に作ってくれたハーブチャウダーのことね……そういえばそんな事を」

「アリサ、それ以上口を――」

 

「ああ、確か中間テスト前だったな」

「ほう、そんなことがあったのか」

「君が料理だと? 信じられんな、ユーシス・アルバレア」

 

 マキアスもキッチンの方からしっかり参戦してくる。何故か得意気な顔で、彼は眼鏡をクイっと上に動かし、導力灯の明かりを受けたレンズが光を放つ。

 嬉しそう……マキアス。

 

 でも、本当に面白いことはマキアスは知らない。言いたいけど、流石にマキアスには言えないかなぁ。面白そうだけど、本気でユーシスに怒られそうだから。

 

「そういえば、ユーシスが――」

 

 あれ……でも、あの時の話って……あの後、確か……あっ……。

 

「――エプロン着てくれなかったとか、じゃがいも剥いてくれたとか、たまねぎで泣い――」

「だ、だっ、だめ!! アリサ!それ以上は――」

「……アゼリアーノ」

 

 ギロッという擬音が聞こえた気がする。先程のエリオット君への圧力なんて目じゃない程の眼力。

 これは、まるで――裏切り者、いや、反逆者を見る目だ。ひい、怖いよ。

 

 そこに、助け舟を出してくれたのはフィーだった。

 

「ユーシス、たまねぎに泣いたの?」

 

 私にも度々向けられる彼女の直球すぎる突っ込みに、流石のユーシスでもたじろぐ。そりゃあ、アレだけ隠したいと思っていたことをそのまま突き付けられるのだから仕方ないだろうけど、それでもその光景は滑稽だった。

 その傍らでエリオット君が笑いを堪え切れないで小さく笑い、リィン、ガイウス、エマ、ラウラと笑いが伝染してゆく。

 

「くっ……くっく……ひぃ……」

 

 キッチンからはマキアスの声にならない壊れた音がしていた。

 

「ええい!」

「煩いって言ってるでしょ!」

 

 ユーシスが席を立って声を荒らげるが、間髪入れずに再びサラ教官からお怒りが飛んだ。

 だけど、こっちに来て怒る様子は無く、すぐにフィオナさんに向き直ってどこぞのオジサマのダンディな口髭について大声で語り始めた。そんな話を興味津々に聞いてしまうフィオナさんも優しいのか何なのか。

 

 駄目だこりゃ。

 

 誰もがそう思ったに違いない。

 ユーシスも腰を折られて力無く椅子に腰を下ろして盛大な溜息を付いた。

 

「はは、いいじゃないか。そうだな、今度はみんなで料理を作り合ってみるのもいいな」

 

 そんなユーシスに笑いかけながら、皆に提案をするリィン。

 

「いいアイデアですね。丁度、学院に帰ったらすぐに夏季休暇ですものね」

「いいね、楽しそうだね!」

「フフ、その時は自慢のノルドの郷土料理を振る舞うとしよう」

 

 料理にある程度の自信の有る乗り気なメンバーを中心に既にやる気満々で、程なく夏季休暇の内に料理パーティをすることが決定した。

 まあ、中には「食べるの専門でいい?」なんて聞く不届き者もいたけど。っていうか、出来るなら私もそっちがいい。

 

「だから、ユーシスもアリサも頼んだぞ」

「……お前がそういうのであれば仕方有るまい」

「……そ、そうね……」

 

 ユーシスはため息混じりながらも意外と素直に、アリサは少し複雑な表情を浮かべて頷いた。

 

 

「そういえば……クレア大尉との話はどうだったの?」

 

 マキアスの淹れてくれた珈琲を右手に、暖かい食後の余韻に浸っていた私の心臓が飛び上がり、他人の家であるのにも拘らずソファーに半ば寝っ転がっている担任教官に目をやった。

 

 アリサの疑問は何気ないものであったのだろうけど、この場には私が昼食を共にした人と仲の悪いサラ教官が居るのだ。そして、今日の午後は自由行動が許されていた為、昼間のことを私は報告していなかった。

 

「そんな顔でこっち見なくてもとっくに知ってるわよー。律儀にわざわざ昨日の夜に連絡して来た位だしね」

 

 寝っ転がったまま上体を起こすことも無く、至って興味もなさ気に調子も軽い。

 

 クレア大尉、私と話す事をサラ教官に連絡していたんだ。

 それにどんな意味が有るかは詳しくは分からないけど、サラ教官に配慮したものであるのは間違い無いと思う。

 

 それ以上は何も言わないサラ教官。それを促されていると解釈した私は、Ⅶ組のみんなに向き直って口を開いた。

 

「みんな、聞いて欲しいことがあるの」

 

 皆の視線が私に集まる。

 

「今回帝都であった色々なことをちゃんと……考えて……私にはやりたい事、目標、出来たの」

 

 どういう反応をされるだろうか。《四大名門》の貴族のユーシスや、因縁の有りそうなサラ教官は分からない。

 

 もう一度、皆の顔を一人一人ゆっくりと目を走らせる。最後にユーシスを見た後に、意を決して、私は皆の前で決意を口にした。

 

「私、鉄道憲兵隊に進みたいと思ってる」

 

 

・・・

 

 

 翌日、特別実習の全日程を終えた私達は帝都駅のホームで列車を待っていた。

 

 皇城《バルフレイム宮》にお呼ばれしていた私達は、オリヴァルト殿下とアルフィン殿下、そして後から来て下さった皇太子殿下とレーグニッツ帝都知事、そして――。

 

「エマ、大丈夫? まだ少し顔青いけど」

 

 今はもう平気そうだけど、バルフレイム宮の迎賓口であの人と顔を合わせた時、エマだけじゃなくてリィンもちょっと様子が変だった様に見えた。

 

「オズボーン宰相……僕も初めて会ったけど凄い人だったね……」

「あのような御仁を傑物というのだろうか……」

「……《鉄血宰相》、怪物というのもあながち間違いでは無いようだ」

 

 ユーシスが思い返したように呟く。

 帝国の歴史上初の平民出身の宰相、十一年前に皇帝陛下に任命された元正規軍の将官だったギリアス・オズボーン宰相。

 

 およそ政治家とは思えない、元軍人ということが一目見て納得出来てしまう程の非常に大柄な体躯の存在感。そして、あの鋭い眼光と纏う雰囲気。その全てが圧倒的なものだった。

 あれが《革新派》の筆頭とでも言うべき宰相閣下――仮に私が鉄道憲兵隊に入隊すれば、事実上は彼の指揮下に入ることとなる。

 

――諸君らもどうか健やかに、強き絆を育み、鋼の意思と肉体を養って欲しい――

 

――これからの”激動の時代”に備えてな――

 

 激動の時代……か。

 帝国解放戦線と呼ばれるテロ組織。もう既に帝国はテロの脅威との戦いに突入している。そして、テロリストに背後で蠢く不気味な《貴族派》の影。

 鉄道憲兵隊に入れば間違いなくその対立の最前線に立つことになるだろう。

 

 そうなれば……。

 

「……フン、昨日も言った通りだ。別に俺は何も思っていないぞ。トールズは士官学院、別に鉄道憲兵隊を志望する人間が居てもおかしくあるまい」

 

 無意識にユーシスを見ていた私に気付いた彼が、鼻を鳴らしてから続ける。

 しかし、そう言われても尚、ユーシスの実家と対立することになる将来を考えると気が重いのは確かだ。そして、その事について今ではなく未来の彼がどう思っているのかというのも。

 

「確かに貴族派と鉄道憲兵隊の関係は最悪だろうが、かといって俺はそんな下らない争いを倣おうとは思わん。お前の様な少々抜けた所のある奴が簡単に入れる部隊とは思えないが、まあ精々努力してみるが良い」

 

 大きな溜息に続けて、さも仕方無さそうに話すユーシス。

 

「……第一、俺より問題なのは後ろの教官殿だろう。先程も大人気無く突っかかっていたことだしな」

「失礼ね。それはそれ、これはこれ。いくらアタシでも個人的な理由で生徒の進路希望に文句は付けないわよ」

 

 ユーシスにムッとして返すサラ教官。

 

「ま、確かに教え子をあの女達に送るのは癪に思うけど、反対はしないわ。何よりもあなた自身が決めた目標――元遊撃士として複雑に思う以上に、あなたが自分の意志でそれを掴んだ事が私は一番喜ばしい事だと思ってる」

「サラ教官……」

 

 担任教官であると共に憧れをも抱くサラ教官に、そう言って貰えた事は何よりも嬉しかった。昨晩、エリオット君の家でみんなに打ち明けた後、余り言葉を交わすことが無かった事が私の脳裏にずっと不安を過ぎらせていたからだ。

 

「それにまだ完全に決まった訳じゃないしね。今回の件でも身を持って感じたでしょうけど、鉄道憲兵隊は半端な部隊じゃない。帝国全土の規模で展開する高度な捜査能力はそこら辺の憲兵や領邦軍とは比べ物にならないし、個々の戦闘技能もその道のプロである猟兵にも引けを取らない筈――」

 

 瞼を伏せていたサラ教官の眼が見開かれ、私に注がれた。

 

「――そして、あの鉄血宰相の直属と言うべき表側の実働部隊でもある。その意味は理解してるわね?」

「……はい」

「結構。それなら私から言う事は何も無いわ。ただ、例え鉄道憲兵隊を目指すっていっても、今はまだ士官学院生で私の生徒よ。これからも色んな事を見て、聞いて、実践して、あなたは学ぶ時期にある。ま、将来の身の振り方は卒業してから考えなさいな」

 

 そこでやっと、サラ教官の頬がふっと緩んで、私も緊張感から解放される。

 

 続けて「あーあ、ちょっとでも迷うような素振りを見せたら、思いっ切り反対してやったんだけどね~」、なんてほんの数分前の「反対しない」という言葉を反故にするような事をサラ教官は言い出して周りのみんなから突っ込まれるが、それはご愛嬌――たとえ私が迷っても教官は”今は”反対しなかっただろう。それぐらいは私も含めてⅦ組の皆は分かっている。だから、彼女の冗談にこうやって、笑って返しているのだ。

 

 帝都駅の一番線――東へと続く大陸横断鉄道とクロイツェン本線を兼ねるプラットホームの一角が笑いに包まれる。

 

 そして、汽笛の音。続いて構内へと滑りこんで来る鋼鉄の列車が起こした風に、少し伸びた前髪が緩やかになびく。

 

「ありがとうございます……サラ教官」

 

 到着した列車の音に掻き消されてしまって、聞こえなかったかも知れない。それでも、サラ教官はもう一度、私に微笑みを向けた。

 

 

 青色の客車を見上げてから、この列車が走ってきた線路へと向ける。

 ホームの先端の先には、帝都の市街地の中、夏の太陽に照らされた眩く輝く沢山の数の鉄路が続いていた。

 

「エレナ、どうかしたの?」

「あー……うん、この特別実習、本当に色んな事があったなぁ、って思って」

 

 多分、人生で三回目に訪れたこの帝都での日々は私にとって一生忘れられない記憶になるだろう。

 上手くは言えないけど、進路とかよりもっと根幹で私の中で何かが確実に変わったと思える。

 

「そうね……それに、特に貴女は……」

 

 少し口にし辛そうな彼女に私は頭を左右に振って、そういう意味では無い事を伝える。

 

 そして、心からの感謝の言葉を短く紡いだ。

 

「ありがとう。アリサ」

 

――大丈夫、大丈夫よ。私達は何があっても貴女の味方だから――

 

「エマ」

 

――それに……皆それぞれ抱えるものはありますから――

 

「ガイウス」

 

――フフ、だから言っただろう。『皆も同じ気持ちだろう』と――

 

「ユーシス」

 

――……あまり心配を掛けさせるな。阿呆が――

 

 

「ラウラもフィーも……マキアスも……エリオット君も」

 

 Ⅶ組の女子で一番大きいラウラと一番小さなフィーが寄り添って微笑んでくれる。

 六日前、帝都に来た時よりぐっと縮んだラウラとフィーの間の距離、どこかいい顔になったマキアス。

 彼女達はこの実習で、私と同じような経験をしたのだろう。

 

 そして、エリオット君と視線を交わす。私も思わず頬が緩み、首筋の光に照れくさくなる。

 

――でも、話してもらった僕はエレナを支えるよ。だってほら、仲間でしょ?――

 

 感謝してもしきれない。あんな安物のペンダントでお礼を済ます訳が無い。

 彼がいつか私を頼ってくれる様に頑張って、その時に彼にして貰った様に全力で支えてあげる――それが私に出来る唯一のお礼だ。

 

「リィン」

 

――君がどう思おうが、君はⅦ組のメンバーで、君がいないとⅦ組じゃない――

 

 その言葉は今でも覚えてる。彼のあの言葉がどれだけ私を救ったか。

 

 

「今一度、お礼を言わせて。みんな、本当にありがとう」

 

 

――私は君たちに現実に様々な《壁》が存在するのをまずは知って貰いたかった――

 

 

 士官学院に入学して四か月。色々な《壁》を私はⅦ組のみんなと共に見てきた。最も強く見せ付けられたのは、《貴族派》と《革新派》の対立、その根幹にあるのは貴族と平民という身分の《壁》だった。

 ケルディックやバリアハートでの特別実習では嫌な思いをすることも少なくは無かった、そして、士官学院でも。

 

 

――その二大勢力だけではない。帝都と地方、伝統や宗教と技術革新、帝国とそれ以外の国や自治州までも――

 

 

 私は身を持って知っていた。辺境の故郷と比べて、帝都は何もかもが輝いて見える。衰退する地方と繁栄する都市。

 同じ帝国の中に有るのにも関わらず、これでもかという位の違いは、歴然とした《壁》だ。

 

 そして、帝国とその外の間の《壁》の一つは、私の中にも存在していた。

 

 

――この激動の時代において必ず現れる《壁》から目を背けず、自ら考えて主体的に行動する――そんな資質を若い世代に期待したいと思っているのだよ――

 

 

 それを受け入れて貰えた、全てを吐露してしまった今だから解る。

 

 どうかご安心下さい。オリヴァルト殿下。

 

 女学院や帝都競馬所では全く余裕も無く殿下と満足に言葉も交わせなかった私だが、今は自信を持ってそう思える。

 

 

――それでも私は君たちに賭けてみた。帝国が抱える様々な《壁》を乗り越える”光”となりえることを――

 

 

 Ⅶ組のみんなは正に私にとって”光”だった。

 楽しい時は一緒に笑ってくれて、辛い時は励ましてくれて、いつも共に寄り添ってくれて。

 そんな私の大切なみんなが、私達が《壁》を乗り越えれない訳が無い。

 

 

「私、士官学院に来れて良かった。Ⅶ組のみんなと会えて本当に良かった」

 

 

 私はやっと見つけたんだ。

 

 想いを胸に輝く鉄路を一瞥し、みんなと共に列車へと乗り込んだ。




こんばんは、rairaです。
この話をもって第四章の帝都編は終わりとなります。
アンゼリカ先輩との朝帰りなサボり編から始まった四章ですが、あのお話が大した事に思えなくなってしまう程のイベントの連続だった気がします。

本来、おまけであった筈のエレナの決意とクレイグ家訪問ですが、書いていく内にどんどん文量が増えていってしまい、当初予定していた一話から二話構成となってしまいました。「帝都繚乱」といい最近は話数が増えるパターンが多くて困ります。苦笑

さて、次回から第五章ジュライ・ガレリア要塞編となる予定です。
クロウ先輩とミリアムの編入に久し振りの学院の日常と書きたいことが山程ある章が続くので楽しみで仕方がなかったりします。笑

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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第5章
8月21日 先輩と生徒会長


 私の部屋の日めくりカレンダーは未だ月初めの日付で止まっているけど、もう既に八月も後半に差し掛かる頃。

 暦上ではそろそろ夏の終わりを意識させる頃合いではあるものの、今年のお日様はずいぶんとお仕事熱心であるのか、相変わらず蒸し暑い日々が続いていた。

 

 軽やかにチョークを黒板に走らせて、丁寧で整った文字を連ねてゆくナイトハルト教官の背中。

 遅れないようにノートに書き写してゆくが、写す側の生徒の必然として追いつく事は出来ない。私のペンが丁度最後から二つ目の項目に差し掛かった途中で、ひと通り板書を終えた教官がチョークを置いてこちらに身体を向けた。

 

「戦略上重要な地点を守る為に築かれる防御施設は数あるが、その中でも大規模かつ恒久的な施設を”要塞”と呼ぶ。導力化による軍の近代化と共に中世時代に築かれた多くの”城”はその役割を終えたが――幾つかは現在も継続して拠点として使用されている。最も有名であるのはガレリア要塞だろう」

 

 私にとってはお父さんの任地である帝国一有名な要塞の名前に、思わずペンを止める。

 

 お父さんは元気だろうか。

 

 ナイトハルト教官の解説に耳だけ傾けながら、もう数年位会っていないお父さんの顔を思い浮かべる。

 手紙は半年に一回あるか無いか、以前帰って来た時のその前なんてもう正確に思い出せない程だ。うちの店をお祖母ちゃん一人にずっと任せっきりにして顔を見せないので、村の人の間では親不孝者とお父さんの評判はすこぶる悪い。評判の悪い理由はこれ以外にも色々とあるのだけど、今でも評判の良い死んだお母さんとは雲泥の差だ。まあ、それでお祖母ちゃんと私が苦労しているかと言えば全くなのだけど。

 

 私の記憶にあるのは無愛想で真面目で――でも、軍服姿の時とは違ってどこか寂しそうに佇むお父さんの姿。

 

 お父さんは村に帰るのがあまり好きではないのだろう。色々な理由からそれを子供心に分かっていた私は、昔から別れ際に泣いたり引き止めたりすることもなく、寂しいと思いながらも『会いたい』とか『帰ってきて』等の帰郷を意識させる言葉をいつからか意識的に手紙には書かなかった。

 

 本当に我ながら父親想いの良く出来た娘だと思いたい所だが――実は私も大きくなるにつれて、お父さんとの接し方が分からなくなってしまっていた。だから、私も私でとってもお父さんがあまり帰って来ないのは気楽であったのだ。

 

 そういえば、ナイトハルト教官はお父さんと知り合いだという。教官の所属する第四機甲師団はエリオット君によると東部国境方面に配備されているらしいし、もしかしたら教官に聞けばお父さんの近況が分かるかもしれない。

 

 そんな事を考えていた時、ナイトハルト教官の授業の声に少々不快にも思えるイビキが混じった。

 

「古来より東の守りとして帝国本土を守ってきたガレリア要塞が築城されたのは暗黒時代初頭まで遡る。時の皇帝――」

 

 まただ。

 

 数日前から授業中には必ずと言っていい程毎回聞こえるこのイビキ。犯人は勿論、私の左隣の銀髪バンダナだ。

 一限のトマス教官の帝国史の授業はともかく、ナイトハルト教官の授業で寝るなんて大胆不敵すぎだ。入学から数か月――私とフィーが何度注意されたことか。

 

 ガレリア要塞の解説を続けるナイトハルト教官を一旦見て、まだ気付いていない事を確認してから、私はもう一度このダメダメな先輩へと視線を戻す。

 

「クロウ先輩……寝ちゃダメですよ……」

 

 そして、机に突っ伏している銀髪バンダナ先輩に教官にはバレないように小声で声を掛けた。

 頭を隠すように立てられている軍事学の分厚い教科書はあまり意味がある様には思えないし、大体その内側重ねて開かれた肌色分の多い雑誌は何なんだ。

 クロウ先輩の銀髪の頭の端から覗かせるのは、太ももから膝の部分。多分、先輩の頭の影になる所では大股を開いて見せつけるような大胆なポーズを雑誌の見開きで取っていて――。

 

 昼間っから何読んでるんだ、この人は……もうっ!

 それにちょっと、私の方に微妙に見えるようになっているのも偶然じゃない筈……本当にこの人は!!

 

 そのバンダナを巻いた頭をぶっ叩いてやろうと、手を伸ばしたその時。

 

「アゼリアーノ……授業に集中しないか」

 

 頭の上から響いた声に、私はクロウ先輩に手を伸ばした変な格好のまま思わず首だけ恐る恐る動かす。案の定、最悪な事にナイトハルト教官が腕を組んで冷ややかな視線を上から投げかけてきていた。

 

「アームブラスト」

「へいっ」

 

 予想外の返事に驚いて隣を見ると、ビシッと姿勢を正してペンを握るクロウ先輩がいた。机の上には軍事学の教科書とノートのみが開かれ、先程の如何わしい雑誌は見る影もない。

 まるで、先程の机に突っ伏して居眠りをする彼の姿は幻で、私の勘違いだったのかもしれないと考えこんでしまいそうになるが、幸いな事にナイトハルト教官の私に向けられたものより冷ややかな視線がそれを否定していた。

 

「ガレリア要塞が国防戦略上の最重要拠点である理由を述べよ」

「共和国との緩衝地帯であるクロスベルと帝国を結ぶ交易路のルート上にあって、険しい山脈が連なる東部国境で唯一行軍に可能な地形であることであります」

 

 教科書にも書かれていないナイトハルト教官の問への答えをスラスラと述べるクロウ先輩に私は驚きを隠せなかった。

 今の授業で習っているのはあくまで防衛戦のさわりであり、ナイトハルト教官のガレリア要塞の話は参考の話だ。その上いきなり国防戦略なんていう話まで飛躍しており、授業を聞いていても答えられない問題を先輩はいとも簡単にサラッと答えてしまったのだ。

 予習云々で答えられることではない知識にこの隣の男が二年生の先輩であるということを思い出すが、それを加味してもナイトハルト教官の攻撃を物ともしない姿を見ると、こんなエロ本バンダナ先輩でも少しは格好良く思えてしまうから不思議なものである。

 

「……正解だ。だが、この教室にいる以上は授業はしっかり聞け。分かったな?」

「ハッ」

 

 まるで軍人かと思いたくなる威勢の良い返事を返すクロウ先輩。なんというか……要領がいいというか。ナイトハルト教官も拍子抜け――。

 

「アゼリアーノ」

 

 うっ……。

 

 頭の上からの視線が辛い。ナイトハルト教官から見れば私も同罪なのだろう。とても納得はいかないけど。

 

「はい……」

 

 だけど、ナイトハルト教官のこの視線の前には文句を言う気にはなれずに、渋々だけど返事をするしかなかった。

 最近、頑張ってたのにこんな事で注意されるなんて……この隣の銀髪バンダナのせいなのに!

 

 くるりとその場で私達から背中を向けたナイトハルト教官の背中に恨めしげな視線を送る。

 

「クラウゼル、お前もだ……全く」

 

 その後ろ姿が肩を竦め、頭を左右に力なく振る。

 そして、深い溜息の音が静かな教室に響いた。

 

 私も落ち込みたいですよ……。

 

 

・・・

 

 

「だー! なんで、私まで怒られなきゃいけないんですか! もう!」

 

 お昼ご飯の後、少々不本意ながら銀髪バンダナ先輩を伴って教官室前の廊下を歩いていると、本当にタイミング悪くナイトハルト教官に出くわした。

 そして、私達を見るやいなや今日の午前中の授業の事をチクリと釘を差されたのだ。

 

 私はこの授業中エロ本先輩を起こそうと思ってただけなのに。

 

「またナイトハルト教官に呼び出し食らったら、クロウ先輩に責任とってもらいますからね! とりあえず、机の中の雑誌のことは絶対言います!」

 

 ナイトハルト教官は知る人ぞ知る呼び出し好きな一面がある。そして、私はうちのお父さんが教官と知り合いという理由もあって特別目を付けられているのか、今まで二度程、教官室でチクチクと耳が痛くなるお説教を受けたことがある。特にペナルティがある訳ではないけど、怒るというより冷静に痛い所を確実に突いて来るお説教をされるので終わった後の落ち込みは尋常じゃないのだ。まぁ、生徒指導室で無いだけ全然マシなんだけども。

 

「わりぃわりぃ、あれは仕方ねーだろ」

「仕方無くないですよ! 私、クロウ先輩来るまではちゃんと真面目に授業受けてたのに!」

 

 隣でヘラヘラと笑う反省の色の見えない銀髪バンダナに、思いっ切り言い返す。

 帝都の特別実習から戻って来て以来、目標の為に頑張るという気持ちを強く持って授業中の居眠りはしなくなった。エマやアリサの手こそ借りているけど、忙しい中もちゃんと予習や復習までしっかりやっているし、先々週位からは各教科の小テストも軒並み点数が伸びていた。

 

「クク、その割にはお前さんの机、落書きだらけじゃねーか」

 

 痛いところを突かれた。

 確かに目標が出来て以前より勉強に力を入れるようにはなったけど、興味の沸かない授業はどうしても集中力が持たずに、気付けばノートではなく机にペン先がいっている事も多い。

 

 どうしたら、真面目に勉強に打ち込めるのだろうか。エマやマキアス、ユーシス――というか、Ⅶ組のみんなみたいに。勿論、この先輩とフィーを除いて、だけど。

 

 

 校舎から中庭に出て眩しい夏の陽射しが剥き出しの手足の肌に突き刺さる。校舎内も暑くて少し汗をかいてしまっていたけど、いざ直射日光の下に晒されればアレでも大分マシに思える程だ。

 そして、夏になってから常々感じている事だが、帝都近郊の気候は湿気が多いのか故郷のサザーラントよりも蒸し暑い。だから、すぐシャツや特に下着が汗ばんでしまうのが本当に嫌だ。これには私も中々慣れそうにない。

 

「大体、クロウ先輩は留年なのに……」

 

 エマやラウラに見られたらはしたないとか言われるかもしれないけど、我慢できずにシャツの襟を持ってパタパタとささやかな風を身体に直に送り込む。焼け石に水だと分かっていても、この暑さの前では少しでも涼みが欲しかった。

 

「おいおい、まだ決まってねーっての」

「まだ、ってことは予定はあるんですね?っていうか学年の降格って留年より酷いんじゃないですか?」

 

 三か月間Ⅶ組の特別カリキュラムをこなせばクロウ先輩が二年生のクラスへ戻れるという話は知ってはいるので、これはあくまで冗談だけど、からかいがいのある事には変わりは無い。さっきのお返しも兼ねて、少しずつ弄ってやりたい気分だ。

 

「……お前さん、段々オレへの扱いがぞんざいになってねぇか?」

「いまでも先輩って呼んであげてますよ。同じ”一年”Ⅶ組なのに――」

 

 やっと辿り着いた学生会館の前で足を止めて、これでもかってくらい笑みを作って隣のクロウ先輩を見上げてやった。

 だけど、そんな私のからかいは予想外の返しを受けることとなる。

 

「おう、ついでにタメ口でもいいんだぜ」

「え」

「ほら、ク・ロ・ウ――ってな」

 

 クロウ先輩の唇が、ゆっくりと先輩の名前通りに動き、私に促した。

 

「……ク、クロウ――……」

 

 気恥ずかしさから目を逸らして口にしてから、隣の先輩を窺うと、急に自らの頬が熱を帯びてゆく。

 

「……せんぱい」

 

 いくらなんでもこうも突然タメ口にしろなんて無理な話だ。こんなダメな先輩でも、一応は後輩としてそれなりにちゃんと先輩だと思っているのだから。

 

「ま、今後の努力に期待ってとこだな」

 

 ニンマリ意地の悪い笑みを浮かべて、クロウ……先輩は学生会館の扉を開けてくれた。

 

 

 お昼時ということもあって学院生でごった返す学生会館一階の食堂。何人か見知った顔もいるが、特に声は掛けずに二階へと続く階段へと足を向ける。

 

「んま、これでもそれなりに頑張るからよ。去年はトワやゼリカやジョルジュ達と試験導入にも付き合ってる――特別実習では割りと使い物にはなるぜ」

「なんか特別実習以外では使い物にならないみたいな言い方ですよね、それ。多分ですけど、リィンは明日の旧校舎の探索、先輩に頼むと思いますよ」

 

 憎まれ口を叩いて苦笑いしながらも、クロウ先輩が特別実習では役に立たないとは全く思わない。私でもそれぐらいはこの先輩のことを知っているつもりだ。

 リィンから聞いたことではあるが、先輩の二丁拳銃はかなりの腕前らしい。魔獣等との戦いは勿論のこと、試験導入での特別実習の経験者というのもまた、課題関連ではとても頼もしい。

 

「お前さんは探索には参加しないのか?」

「明日の午後は学院祭実行委員の会合なんです。その後は、トワ会長の所にいって……お昼は用事で学院にいないんです」

「なんというか、あのリィンに匹敵しそうな位頑張ってんなぁ。色々と自主練もこなしてる辺りもそうだが……そんなに真面目なキャラだったか?」

 

 失礼な。と言いたい所だけど、自分でも柄に合わない事は重々承知だ。でも、私は頑張らなくてはいけない。

 この階段を一段一段昇って行く様に、前に、そして、上へと進まなくてはいけないのだ。

 

「私はもっと頑張らなきゃいけないんです。それなのに、クロウ先輩のせいで……」

 

 自分でもしつこい様な気もしながらも恨めしげな視線を送ってやると、先輩は両手を広げながら何とも仕方なさげな顔を左右に振った。

 

「お前さん、案外根に持つタイプなんだなぁ……まあ、お詫びと言っちゃなんだが、自主練なら俺も使ってくれて構わないぜ?一応それなりに銃なら使うからな」

 

 根に持つタイプで悪かったですね。ええ、根に持つタイプですよ―だ。

 

 失礼な物言いに頬が膨れそうになるのを感じながら、内心あまり期待は出来ないけど一応の感謝だけは伝える。

 

「おう! 先輩の胸を貸してやるからよ、どーんと来やがれ!」

「どーんと……」

 

 このまま体当たりしてやろうか。

 

 一階へと続く階段に目をやって、そんな事を考えさせられた。

 

 

・・・

 

 

「あれ? クロウ君、エレナちゃん、どうしたの?」

 

 生徒会室に入った私達を迎えたのはトワ会長だ。

 私が昨日の忘れ物を取りに来たと伝えると、しっかりそれも把握していたみたいで「後で届けようと思ってたんだよ」という言葉と一緒に実行委員のノートを渡される。

 

「トワ会長、お昼休みもお仕事なんですか?」

「うん、どうしても今日までに終わらしておきたい仕事があって」

 

 それにしても、昼休みも仕事なんて……ちゃんとお昼ご飯は食べたのかな、なんて心配になってしまう。

 

 学院祭実行委員としてお手伝いをする内に分かってきた事だが、トワ会長は途轍もなく多忙だ。

 いままで全然知らなかったことだが、学院生に大幅な自治が任されているこの士官学院の生徒会長は元々かなり仕事が多い。その中でも最も時間を取られるのが各種会合で、毎週行われている生徒会の役員達の定例会は勿論の頃、委員会や部活の部長達の集まる会合や、私もその一員である学院祭実行委員の会合にも生徒会のトップとして出席しなくてはいけないのだ。

 

 一昨日の放課後には学級委員会、Ⅶ組からもエマとマキアスが揃って出席している。昨日は委員会と部活動の部長全員が集まる中央委員会、今日は役員定例会――そして、明日の午後からは私も出なきゃいけない学院祭実行委員会――と言った風に会合だけでもスケジュール帳が埋まってしまいそうな勢いだ。

 これに付け加えて、生徒会長として様々な許可や裁量を行うという事務作業があるのに、更に生徒会に寄せられる相談や依頼の処理やⅦ組の特別実習に関わる仕事まで引き受けているのだから、本来は多忙なんて言葉じゃ済まされないぐらいである。

 

 取り敢えず、サラ教官はサボらないで仕事してあげて欲しいと切実に思う。

 

「えっと……これは要望、というか依頼ですか?」

「ということは、もしかするとな?」

「うん、明日の自由行動日にリィン君にやって貰いたい依頼かな」

 

 そして、リィンが任される依頼を選定するのもトワ会長の仕事の内なのだ。

 

「えへへ、本当に助けられてばっかりだよ。リィン君に依頼すればすぐに解決してくれるけど、こんな簡単な依頼でも生徒会で処理しようと思ったら、色々と面倒くさい事務作業も増えちゃうし、何より今は人手不足過ぎて」

 

 特に貴族生徒の多くが”領地運営を実家で学ぶ”という名目での夏季休暇で居ない今の時期、生徒会の人員は三分の二程度にまで減っている事も拍車を掛けていた。

 嬉しそうに微笑むトワ会長は見てて可愛らしいけど、私も生徒会の一員として彼女の役に立ててるのだろうかと考えると自信はない。やっぱり、リィンは凄いなぁ。

 

「うちのリィンならもっとこき使ってやってもいいんですよ。あ、でも女の子が絡む依頼はダメですけど」

「ハハ、違いねぇ。違うトラブルが起きちまうからなぁ」

 

 自然と私とクロウ先輩から笑いが零れ、トワ会長は苦笑いを漏らす。

 

そんなタイミングで、扉を叩く音が後ろから聞こえた。

 

「あ、アンちゃん、おかえり!」

「やぁ、賑やかだと思ったら君達も来てたんだね。フフ、相変わらず鼻の効く男だな」

「鼻の効く?」

「クク、楽しみにしてたぜ」

 

 

 アンゼリカ先輩が持って来たのは沢山のお菓子だった。

 帝都の高級菓子店に並んでそうな外装の缶だけで、そこら辺のお菓子の値段を超えてしまいそうなお菓子達。先輩達のありがたいお誘いを受けて、私も一緒に生徒会室での食後のティータイムと洒落込む事となった。

 

「それはそうと、結局あの件はどうするつもりなんだい?」

 

 お菓子についての話題が一区切り付いた時、アンゼリカ先輩がトワ会長にそんなことを訊ねた。

 

「あの件だぁ?」

「あの件、ですか?」

 

 私と隣のクロウ先輩の声がぴったりと被って、思わずお互いの顔を向き合ってしまい、それを見た向かい側の二人の先輩が笑った。

 なんというか、バツが悪い。

 

「そういえば、クロウ君とエレナちゃんには言ってなかったね」

「なんだなんだぁ、ラブレターでも貰ったか? 遂にトワにも彼氏が――……いや、ねーな」

 

 途中で明らかに調子を落とすクロウ先輩の口調。

 

「ああ、そんなふざけたことは私が許さないから安心したまえ。やましい手紙で私のトワを唆そうとする輩には指一本触れさせんよ」

「へいへい、そーですか……」

「もう、アンちゃん! クロウ君も納得しないで! エレナちゃんも笑わないで!」

 

 と言われても、これで笑うなという方が無理難題だ。どうしても頬が緩んでしまう。

 トワ会長の彼氏かぁ……いまはそういう人は居ないみたいだけど、いずれはそんな人も出来るだろう――一体、どんな人がトワ会長の恋人になるんだろう。ちょっと想像しにくい事だけど、ある意味それはそれで楽しみに思える。

 

「んで、あの件ってのはなんだ?」

「うん。今月末に《西ゼムリア通商会議》っていう国際会議が開かれるのはもう二人共知ってると思うけど……私も帝国政府代表団のお手伝いとして通商会議のあるクロスベルに行くことになったんだ」

「……クロスベルに、ですか?」

 

 トワ会長の言葉を理解するのに数秒かかった。それ程、私には縁遠い話だったからだ。

 

「それって研修みたいな感じで……あれ、トワ会長って帝国政府を進路にしてるんですか?」

「帝国政府の省庁や機関からいくつかお誘いは受けてるんだけど、卒業後の進路はまだ決めてはいないかな。でも、大陸初の国際会議には私も興味はあるし、官僚さん達がどんなお仕事をしているか実際に傍で見てみたいと思って。私は役には立たないとは思うけど……」

 

 流石はトワ会長だ。確かに彼女の生徒会での仕事っぷりを見れば、如何にその能力が高いかは良く分かる。本人は謙遜しているけど、どんな場所でも彼女が役に立っていない姿なんて私には想像出来なかった。

 

 私も……鉄道憲兵隊からお誘いなんて来ないかなぁ、いや、来ないか。

 まだまだ私は頑張らなくてはいけないし。

 

 そこまで考えてから、いつもなら真っ先に何かしらの反応をする筈の銀髪バンダナ先輩が静かな事に気付いた。

 ティーカップを手に持ったまま、唖然と言うか、呆然というか、口を小さく開けたまま動きを止めている。

 

「……クロウ先輩?」

「おいおい、どうしたんだい、クロウ?」

「あれじゃないですか、一年生に降格になってる自分とトワ会長の差に言葉も出ないっていう」

 

 いや、それはないかな。あんまり、気にしなさそうだし。

 

「……ハハ、流石俺達のトワは一味違うと思ってよ――」

 

 いつもと違って少し元気のない笑いを浮かべて口を開く先輩の姿は、どこか違和感があった。私の冗談を突っ込まずにスルーしたのもなんか変だし……割と本気で落ち込んじゃった?

 

 クロウ先輩もなんだかんだ言って年上の男だし、進路とか実は色々考えてて悩んでいたりとかするのだかも?

 地雷を踏んでしまった可能性を考えると、私も少し申し訳なく感じてくる。

 

「――っていうことはアレか、あの噂の大陸一の高さの超高層ビルディングっていう奴に登れるのか」

「うん、そうだね。四十階建ての建物なんて初めてだから、それも楽しみかも。きっと凄い景色なんだろうね」

「そうかよ」

 

 クロウ先輩のあまり熱の篭もらない相槌に、生徒会室が嫌に静かに感じられた。

 

「あはは、でも、これはクロウ君のお陰でもあるんだよ?」

 

 トワ会長のフォローに言葉無く驚く先輩。

 

 まただ、またさっきと同じ――いつもなら絶対、オレ様のお陰とかいってそうなのに。

 

「先月あった帝都夏至祭のテロ……トワの避難誘導の的確さが帝国政府のお偉いさんの目に止まったらしくてね」

「先日、帝国政府からの特別感謝状を受け取りに行ったっていう話は聞きましたけど……」

「うん、その時に誘われちゃって。学院の事もあるから少し迷ってたんだけど、生徒会の皆も頑張ってくれてるし、いい機会だから思い切ってお受けすることにしたの」

「わぁ……やっぱりトワ会長は凄いなぁ!」

「ああ、流石は私のトワだ」

 

 遠くの大都市であるクロスベルまで行けるというのは少し羨ましいけど、それ以上に同じトールズの学院生としてトワ会長が誇らしかった。私より頭ひとつ分小さくても頑張り屋で――でも、仕事をしている時は人一倍格好良い、私達の生徒会長。

 

 彼女もやっぱり私の憧れの人の一人だ。

 

 

「さって、んじゃ俺はちょいとジョルジュに差し入れでも持って行ってやるとするか」

 

 アンゼリカ先輩がトワ会長を腕に抱こうとし、身体を逸らして逃げる会長。そんな二人のじゃれ合いが一段落した頃、クロウ先輩が徐ろにソファーを立った。

 ちなみにジョルジュ先輩は今日は技術棟で一日中バイクを弄っていると先程、アンゼリカ先輩が話していた。詳しくは分からないが、明日の準備があるらしい。

 

「午後の授業、サボっちゃダメですよ、先輩」

「わーってるって。なんかお前さん、最近トワに似てきたぞ?」

「もう、一言多いよ! クロウ君!」

 

 頬を膨らませて怒るトワ会長がちょっと可愛い。私としては、トワ会長に似てるって褒め言葉なんだけどなー。トワ会長みたいに有能になりたいし、会長みたいに可愛くなりたいと結構切実に思ってる。

 

「……でも、本当に解ってるんでしょうか?」

「まぁ、アレでも最近はマシになった方だよ。一時期はそれはもう毎日のようにトワが心配してね――」

 

 瞼を伏せて懐かしそうに話すアンゼリカ先輩に、トワ会長が苦笑いを浮かべる。

 

「それにしても……まさか、クロウ先輩がⅦ組に来るなんて、今でもちょっと信じられないです」

「あはは……そうだよね」

「フフ、話を聞いた時は、また突拍子のない事をしでかしてくれると思ったものだよ。まあ、私の愛しの後輩達に迷惑を掛けていないか些か心配ではあるがね」

 

 その心配、当たってます。迷惑かけられてます。

直前の授業の事を思い出すと乾いた笑いしか出ないが、この場でクロウ先輩の授業態度を暴露するのは気が引けた。いくら授業中エロ本先輩といってもチクるのはなんか悪口を言っているようで嫌だし、仮に話せばトワ会長も結構怒りそうに思えたから。

 

 それになんか、今日のクロウ先輩は少し変だった様な気もするから。

 

「そういえば、とびきり可愛い子も新しく入っていたじゃないか」

「二人もクラスに増えちゃったので、結構賑やかですよ。特にミリアムは」

 

 流石は可愛い女の子に目がないと公言するアンゼリカ先輩なだけあって、とっくにチェック済みなのだろう。先輩曰く”とびきり可愛い子”こともう一人の編入生であるミリアム・オライオンは休み時間もさることながら、授業中も元気ハツラツでよく発言したりと彼女が来てから本当に教室は賑やかになった。無邪気な振る舞いから幼く思えるものの、私よりも頭が良かったりもする。小テストで見せ付けられた彼女の実力に、私は結構ショックを受けたものだ。多分、フィーも。

 

 それに対して、クロウ先輩は授業中はイビキを除けば至って静かだ。まあ、意識がどこか他の場所に行っている事が多いので、主な活動時間は休み時間である。ちなみに、新入り同士で気が合うのか、この二人も数日であっという間に仲良くなっていた。

 もっとも、ミリアムは誰にでも遠慮無く懐きそうだし、先輩は先輩で誰に対してもあんな感じだから自然な結果ではあるけど。

 

「うーむ……エレナ君は勿論のこと、アリサ君やフィー君もいる事だし、クロウの代わりに私がⅦ組に参加したい位だが……むむ」

「ア、アンちゃん……?」

「ああ、トワ、そんな寂しがらないでくれ。だが、可愛い女の子達で溢れる桃源郷を逃す訳にも……ううむ、そうか! 私と一緒にトワもⅦ組に参加してしまえばいいんじゃないか!」

 

 満面の笑みで自らの理想を高らかに提案するアンゼリカ先輩に、私とトワ会長は盛大に肩を落とすのであった。




こんばんは、rairaです。
いつの間にか今年も十二月、気付けばこの作品を書く始めてから一年以上経っていた事に驚かされました。月日の流れというものは本当に速いものです。

さて、遂にこのお話から第五章の日常パートの始まりとなります。
8月21日土曜日の午前中、今回はサブタイトルにある通り、クロウ先輩とトワ会長がメインとなっております。

《C》としての顔も持つ彼にとって、Ⅰ・Ⅱ通して最も衝撃だったのは、この場面ではないかと思います。この後の彼の行動も本当に……。

クロウ先輩のⅦ組入りの理由は色々な考察がありますが、この作品では単なるカモフラージュ説を採用しております。

この作品にトワ会長が登場するのは本当に久し振りで、私も何故彼女の出番がこんなに少なかったのか今更ながら考え込んでしまった程でした。

次回は8月21日の夜、ミリアムに焦点が当たられる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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8月21日 《鉄血の子供達》

 放課後、私は厚い冊子を胸に抱えながら、生徒会館の隣にある無骨なプレハブ小屋へと向かっていた。

 技術棟――学院の一部活である導力技術部の部室扱いになっている建物であり、専ら技術部部長のジョルジュ先輩が導力製品の修理や整備の依頼を受け付けている場所でもある。主に学院生は個人用の戦術導力器の調整や私物の導力製品の修理で訪れることが多く、メーカーに出せば間違いなく少なくない額のミラが掛かる筈の修理も学院生であれば無料で引き受けてくれるという素晴らしい場所として知られている。

 

 だけど、技術棟の凄い所はそれだけではない。私達の扱う最新鋭の戦術オーブメントである《ARCUS》の調節や対応するクォーツの作成、アンゼリカ先輩の導力バイクの組み上げ等でも分かる通り、部活動用としては考えられない程の最新設備が導入されていたりするのだ。

 これはトワ会長から聞いた話だが、技術棟の設備は《ARCUS》や《魔導杖》等の試験導入に伴ってラインフォルト社から譲渡されたものも多く、それに加えて『導力化時代を先取りする人材を育成する』という名目で帝国政府から多大な支援が行われているのだという。

 だからこそ、先月旧校舎の地下に出たという巨大な甲冑の調査などの本格的な事も出来たりもするのだ。ただ、流石にあの甲冑はもっと精密に調査するために帝都にある関係機関に送られたらしいが。

 

 まあ、実はかなり凄い技術棟ではあるけど、私にとってはあくまで先輩達の溜まり場といった印象が一番強い。

 今日も今日とて、私が時々訪れる時の様に先輩達がまったりと放課後を過ごしている事だろう。

 

 そして、きっとジョルジュ部長が買ってきたお菓子を分けてくれるのである――実行委員の仕事は今日はこれで終わりであるし、珍しくこの後は何も予定がない。

 私も混ぜて貰ってゆっくりするのも悪くない――で、食後の運動って言う訳じゃないけど、クロウ先輩には昼間に彼が言ってたように自主練に付き合って貰おうかな。

 

 うんうん、そうしよう。

 

 甘く美味しい妄想に思いを馳せたお陰か、思いの外足取りが軽くなった。この重くて厚い冊子の事を忘れそうになるぐらいで、このままスキップ出来てしまいそうだ。

 

 もうすぐそこに迫った、あの技術棟の鉄製の扉の向こうにあるであろう幸せな時間。そこに私が手を伸ばした時、何処かで聞いたことのある小さな悲鳴と、これまた聞き覚えのある不思議な音が聞こえた。

 

 その直後。

 

「うわあっ!?」

 

 突然、目の前の鉄製の扉が勢い良く迫り、思わず私はその場から飛び退いた。

 

「あっ、ゴメンねー」

 

 技術棟から走り出てきたのは水色の髪の少女――私達Ⅶ組の新しい編入生の一人ミリアム・オライオンだった。

 私を見上げて謝ってきたが、あの特徴的で甲高い声には全く反省の色は無い。こっちはあと十リジュで腕を吹き飛ばされる所だっていうのに、この子はなんて気楽そうなんだ。これは私、少しは怒っても良い筈。

 

「危ないでしょ――」

「待ちなさい! ミリアム!」

 

 私の注意を遮ったのは技術棟の鉄製の扉越しの怒声。うん、聞き覚えのある声だ。一時期は毎朝似たようなお怒りの声を聞いていたし、他にも何度となく怒らせたことがある私だからこそ分かることだが、彼女のこの声は多分――。

 

「ア、アリサ、そんなに動かれると……」

「きゃっ! ど、どこ触ってるのよっ!?」

「リィンさん、アリサさん、早く追いかけないと……!」

 

 技術棟の中にはアリサの他にリィンとエマがいるらしい。そして、今のだけで中の状況が何となく分かってしまった。

 これがクロウ先輩やⅦ組外の一部男子の中ではリィンの『才能』と言われているものなのだろうか。確かに頻度は多い気はするけど――私は被害にあってないからなぁ。

 

「ミリアム?」

 

 私の隣にいるミリアムに視線を向けると、彼女はわざとらしく口笛を吹く真似をしてから続けた。

 

「ってワケで簡単に捕まる訳にはいかないんだよねー」

 

 そう言うが否や、「じゃ、またね、エレナ!」、とさっさと走り去ってしまうミリアムを唖然としながらその背中を見送る。

 身体が小さいからか、見事な逃げ足である。あっという間に彼女の姿は校舎の影へと消えていった。

 しかし、そう簡単にリィンから逃げ切れるのだろうか。多種多様の様々な依頼で鍛えられたリィンはある意味人探しのプロでもあるのに――いや、向こうも向こうで本当のプロか――。

 

「こらー!」

 

 そこで、盛大に再び扉が開く音と共にアリサの怒声が響いた。

 犯人から遅れること数十秒、やっとミリアム追跡隊は態勢をというか体勢を立て直したようだ。

 アリサの頬はまだほんのりと赤く染められており、想像通り中々の出来事がこの建物中で繰り広げられた事を伺わせていた。

 

 

「いやぁ、アレは少々けしからんね。うむ、とても羨ましい事この上ないじゃないか」

 

 なんでも技術棟を訪れて先輩達と談笑していたミリアムと、サラ教官からミリアムを寮に連れ戻して欲しいと頼まれたリィン達が鉢合わせしたらしい。リィン達に寮に連れて帰られそうになったミリアムは、なんとあの銀色の傀儡こと《ガーちゃん》を出現させて、アリサの背中をリィンに向けて押させたのだという。

 

「クッ、なんで私の方に押してくれなかったんだ。私がアリサ君をこの胸に抱き止めたら、彼女の身体を堪能する迄離さなかったのに……!」

 

 と、本音をだらだだと垂れ流すアンゼリカ先輩。

 その後の話は進まないが、まぁ先輩に教えてもらわなくても外に漏れていたアリサの声で私にも何となくは分かる。

 

 どうせ、アリサを支えようとしたリィンが足でも滑らせて、『あららー』な状態になったのだろう。入学式の日のオリエンテーリングの時の様に。

 リィンの頬に紅葉が咲かなかっただけ、アリサも成長した――いや、意外と内心ではちゃんと守ってくれた事にちょっとは喜んでたりして。

 

 今晩、聞いてみよう。うん、めっちゃ気になる。

 

「それにしても、あれが《ガーちゃん》か。うーん、もう少しじっくり見せて貰いたかったね」

 

 また来てくれないかなぁ、とジョルジュ先輩が零す。

 自己流のアリサの愛で方を未だに語るアンゼリカ先輩といい、なんというか、この二人の先輩のブレの無さには逆に感心してしまうほどだ。

 

 

「学院祭かぁ。そういえば今年もそんな時期だったね」

「フッ、懐かしいね」

 

 分厚い冊子を捲りながら、ジョルジュ先輩は少し懐かしそうに口にし、アンゼリカ先輩がそれに頷く。

 私が技術棟に来たのは学院祭実行委員の用事である。既に後二か月と少しを残すばかりとなった学院祭に向けて用意しなくてはいけない機材や大掛かりな飾り等の大まかな目録を技術部に提出する為だった。

 

「でも、まさか八月中に目録が完成するなんて今年の実行委員は気合が入ってるね」

 

 感心するジョルジュ部長に私は苦笑いしながら、それがトワ会長の指示である事を告げる。

 その理由は他のクラスからの依頼が集まるピークとなる学院祭の十月を避けるため。今、目録を提出しておけば、九月中に技術部がその作業を終わらせることができ、負担軽減になるだろうという計らいからだった。

 

「はは、トワには感謝しとかないとね」

「各方面への配慮も忘れないでしっかり舵取りしているなんて、流石はトワだね」

 

 アンゼリカ先輩の言葉に全面的に同意して頷く。

 流石は帝国政府に国際会議のスタッフとしてお誘いを受けるだけのことはある――今もきっと生徒会室で開かれている役員会でしっかり舵取りしながら、今後の学院についての様々な議題を話し合っているのだろう。

 

 そうか、昼間に比べて少し寂しいのはトワ会長と――あ、クロウ先輩も居ない。

 

「そういえば、今日クロウ先輩は居ないんですね?」

「おや、クロウの奴に用だったのかい?」

「用って訳では無いんですけど、いないのが珍しいなぁって」

 

 放課後や休みの日は技術棟にいけば高確率でクロウ先輩がいるのに、今日はアテが外れてしまったらしい。

 

「まぁ、僕らも毎日一緒な訳じゃないからね」

「寮まで一緒な君達Ⅶ組が少し羨ましいね。私も第二学生寮に住めるのであれば、毎晩トワを愛でてあげれるのだが」

 

 アンゼリカ先輩の全く冗談に聞こえない冗談にジョルジュ部長と共に苦笑いを浮かべながら、私は昼間の少し気掛かりな事を思い出していた。

 

 

・・・

 

 

 夕日に染まるトリスタの商店街。

 

 こうして一人で寮への帰り道を歩くのも、思えば久し振りだ。

 ここ最近の放課後は大抵実行委員の仕事等で生徒会室にいるか、またはサラ教官に何かの面倒な手伝いを頼まれたりする。それが無ければフィーと一緒にギムナジウムの地下で自主練に励んでいるか、エリオット君の部活が終わるのを待っているかの二択だ。

 

 こんなに暇になってしまうのだったら、リィンやアリサ達と一緒にミリアムを追いかければ良かったかも知れない。まぁ、今からそれを思い出しても遅いけど、リィン達がミリアムをしっかり捕まえられたかどうかは気になる所だ。

 

 汽笛と共に列車が動き出す音。そして、商店街の先、トリスタ駅の駅舎から沢山の人が街へと出てくる。

 その人混みが散る中、走り去る列車が来た方角から差し込む西日の中で一人佇む見知った人影を見つけた。

 黄昏ている――そんな格好良い言葉が似合う男の姿に、少しドキッとして息を呑んでしまう。

 

 その横顔は、私がいままで見たことのない表情。西日に照らされた銀色の髪はまるで炎の様な緋色で――ただただ東へと続く街道に向けられる彼の瞳。

 

 そこだけ、まるで絵になったかのように静止していた。男の周りだけ、私には触れることの出来ない雰囲気を醸し出す。それはまさに、哀愁だった。

 

 一体、何を見ているのだろうか。

 

 声を掛けようにも、声が出ない。近付こうとしても、足が言うことを聞かない。

 

 

 その雰囲気を壊したのは子供の賑やかな声だった。

 しきりに私のよく知る名前を呼ぶまだ声変わり前の男の子の声に、銀髪の男がまるで子供のような笑顔を浮かべる。

 

 駅舎の前で黄昏れる銀髪の男はもうそこにおらず、あの銀髪バンダナのクロウ先輩だと私にもはっきりと分かった。

 留年を回避するためにⅦ組に来て、教室の席は私の隣――そんな当然の事なのにもかかわらず、何故か別人の様に感じていた私は胸を撫で下ろす。

 

 一体、なんだったのだろう。

 

 不意に過るそんな一抹の不安を打ち消したくて、私はまだまだ遠くなのにも拘らず、声を張り上げて先輩の名前を呼んだ。

 

「クロウ先輩……!」

 

 先輩が、カイが、ルーディが、私に顔を向ける。

 

「なんだ、エレナのねーちゃんかよ。脅かすなよなー」

 

 先輩の傍らにいたカイが呑気な声で文句を付けてきた。邪魔されたと思ったのか私を見上げるその顔は少々不満気だ。

 

「おっ、今帰りか? 結構早いな」

 

 その声を聞けて安心した。

 良かった。いつものクロウ先輩じゃないか。

 

 張り詰めた糸が緩んだのに溜息を付いてから、口を開く。

 

「先輩こそ」

 

 もう一度、クロウ先輩の瞳に目を合わせて続けた。

 

「お昼の宣言通りに自主練に付き合ってもらおうと思ったら学院にいないんですもん」

 

 期待こそあまりしてはいなかったけど。

 

「わりぃわりぃ、ちょっと野暮用でな」

「……野暮用、ですか?」

 

 クロウ先輩が黄昏れていたこの場所はトリスタ駅の駅舎の前だ。授業が終わってから二時間も経ってないので、流石に列車に乗って何処かに行ってきたという訳では無いだろうが、ホームルーム後すぐに教室から居なくなっていたし、いつもは技術棟で先輩達で集まって駄弁っているのに今日は学院の中でも見なかったので少し気になる所ではある。

 

「男には男にしかわからねぇ大切な用事があるんだよ。な、お前ら?」

「お、おう?」

「へ?」

 

 カイの肩に手を置いて同意を求める先輩の姿は、一歩間違えば不良が子供に悪い事を唆している場面にも見えなくはない。

 もっともカイはあんまり意味がわかって無さそうだし、ルーディに至ってはちんぷんかんぷんといった様子で頭の上にクエスチョンマークを浮かべているのだが。

 

「わざわざ子供に振るなんてサイテーですね……」

 

 まぁ、二人共よく分かってないのが幸いだけど。なんというか、そろそろ興味の出てくる年頃だし、クロウ先輩のような人が近くにいることは悪影響になりかねない気がする。それとも、それが健全って奴なのだろうか。

 

「なぁ、クロウのにーちゃん、オンナなんて置いといて遊ぼうぜー」

「じゃ、邪魔しちゃダメだよ、カイ……!」

「……全然邪魔じゃないってば……」

 

 一瞬、変に心臓が跳ね上がったが、噂になればティゼル辺りが食いつきそうなので、あくまで平静に否定する。

 一体何を勘違いしているのか、ルーディは。どこをどう見たらそう見えるのか、子供じゃなかったらたっぷりと問い質してやりたい気分だ。

 流石に、私は誰でも良いって訳じゃないんだよ?

 

「じゃあ、先輩、私は寮に帰るのでここで――」

「オレも付いてくぜ」

「……え?」

「ってワケだ。お前ら、わりぃが今日のトコは勘弁してくれよな」

 

 思わず聞き違えを疑い、クロウ先輩の顔を凝視する。

 だが、カイの不満気な声がそれをすぐに否定した。

 

「んじゃま、行くとするか」

「いや、先輩、その……ちょっと今日は困るっていうか……流石に……」

 

 日頃から部屋を綺麗にしていないが故の問題ではあるが、それを口にするのも恥ずかしい。

 足元の道路のタイルの繋ぎ目に目を落としながら精一杯に理由を紡ぐ。だが、何も反応が無い事に気付いて、顔を上げるとそこには誰もおらず、慌てて背後を振り返る。

 

 第三学生寮へと至る街道。夕焼けの逆光の中、少し小さくなった後ろ姿がこちらに左の手を振る。

 

「……って、先行かないでくださいよっ!」

 

 ほんの十数アージュという短い距離を全力疾走で走り、第三学生寮の玄関前でクロウ先輩の前に回りこむ。

 そして、両腕を前に伸ばしてこの先への先輩の侵入を拒む。

 

「……その、私の部屋汚いですし、来られるのはちょっと無理というか……! いや、先輩の事が嫌だとかいうんじゃないんですよ!? ただ、流石に人はいれれないっていう……!」

 

 ある程度は綺麗になっているだろう。脱ぎ散らかしたパジャマや下着とベッドに関しては管理人シャロンさんが片付けてくれていたり、ベッドメイキングをそれはもう完璧にをしてくれているに違いない。だけど、机の上の私物とかに関してはまた別問題なのだ。

 

 私にとっての今のこの場所――第三学生寮の玄関は、例えるならば帝国におけるガレリア要塞だ。アリサやⅦ組の女子以外に、あの状態の部屋の中に入られるのは絶対に避けなくてはいけない。

 でも、そんな私の必死の気持ちを知ってか知らぬか、目の前のクロウ先輩は私の期待する返事の替わりに、ニヤついた意地悪い笑みを浮かべるだけ。

 

 やはり、下で待ってもらって速攻で部屋の片付けを――いや、この先輩がちゃんと待ってくれるだろうか。リィンとかと違って分かってて、意地悪しそうなのがこの先輩の悪い性質なのだ。そうだ、鍵を掛けよう。そうすれば――。

 

「あら、エレナ様、クロウ様」

 

 突然開かれた背後の玄関の扉を振り返ると、菫色の髪を揺らして小さく驚くシャロンさんが居た。

 

「よっ、シャロンさん」

「ふふ、お帰りなさいませ」

 

 彼女は私の顔と、そして、気の良い挨拶をする先輩の顔へと視線を移した。

 私に”おかえり”は分かるけど、なんでクロウ先輩まで――。

 

 微笑みながら私達二人に寮の中へ入る様に促すシャロンさん。彼女の顔から何か読み取ろうと見上げるけど、勿論何も書いておらず私の疑問は深まるばかり。

 そんな混乱気味の私の横を通り中へと足を進めたクロウ先輩が小さく笑い、こちらを徐ろに振り向いた。

 

「クク、今日から俺もこっちなんだわ。ヨロシクな」

 

 してやったりといった感じのウインクするクロウ先輩に、私はやっと自分が嵌められていたことに気付いた。

 

 

・・・

 

 

「今日の放課後は学院探検だなんて大はしゃぎしちゃってたらしくて、寮に連れて帰ろうとしたリィンやアリサが学院中振り回されたって言ってました」

 

 ギムナジウムのプールに二階から飛び込んだ、乗馬中のユーシスの後ろに飛び乗った等、晩ご飯の席で聞いた今日の放課後の新しいクラスメートの行動を話す。こうして話しているだけで、彼女に振り回されるリィン達の様子が想像出来てしまって思い出し笑いしてしまう。

 自分が巻き込まれたらと思うとアレだけど、話を聞く分にはこの上なく面白い。それに、自らの武勇伝の事を楽しそうに話す彼女は何だかんだ言っても微笑ましい。

 

<――まったく……仕方の無い子ですね。今度、私の方からもきつく言い聞か――>

 

 《ARCUS》から発せられた少し呆れた声が真剣さの混じった物に変わった時、私はベッドから飛び起きて思わず首を左右に振って、今は帝都にいるであろう話相手にそれが不要であることを必死に伝える。

 

<――ですが……――>

「注意ならリィンやみんながしっかりしていますから。ほら、特にリィンなんかお節介さんですし」

<――リィンさんが……今度、会う機会があればお礼しなくてはいけませんね――>

 

 まったく、クレア大尉は真面目なんだから、と内心ではちょっとだけ苦笑いする。

 

「……少し幼い気もしますけど、無邪気で微笑ましいですよね。ミリアムを見てると私がお姉さんなんだなぁ、って自覚しちゃいます」

<――ふふ、そうですね。私もよく思います。……少々心配していたのですが、ミリアムちゃんが士官学院の環境に馴染めている様子で私も安心しました――>

 

 でも、そこが大尉の良い所だ。真面目で優しくて……。

 

 

 《ARCUS》を机に置きながら、自らの憧れでもある鉄道憲兵隊の将校の顔を思い浮かべる。

 

 先月の帝都での特別実習を終えて学院に戻ってからの夏季休暇の初日、私はクレア大尉から貰った《ARCUS》の番号に通信をかけた。大尉との初めての通信という緊張もあって、その日は鉄道憲兵隊を志望する事をⅦ組のみんなとサラ教官に打ち明けた事を話した他には挨拶程度の話しか出来なかったけど、数日後に大尉が私に通信が掛けてきてくれた事をきっかけに、それからは数日おきにお互いに連絡を取り合うようになっていた。

 

 今の状況を考えればクレア大尉も忙しい筈なのに、こうして定期的に親身になって相談に乗ってくれる。その事が嬉しくて長話をしてしまう内に、私も色んな事を話してしまい、学業や武術の話題や鉄道憲兵隊に入る為に必要な事柄に関してのアドバイス等の当初の話題に加えて、今では世間話やⅦ組のみんなや学院の話、お洒落の話等混じるようになっていた。

 

 少しは打ち解けれているとは思う。

 だけど、どうしても聞けないこともいくつかあった。その一つに大いに関わるのが、先ほどの話で話題になった少女。

 

 ベットに背中を預けて、思いっ切り息を吐き出す。

 

 訊ねても答えてはくれないだろう。そんな質問をして気不味くなってしまうのは避けたいから、気にはなるけど聞かないでいる。

 

 もう一度、天井に向けて溜息を付いた時、ノックと共にアリサの声がお風呂が空いたことを私に伝えた。

 

 

・・・

 

 

 部屋への帰る途中、二階に立ち寄った私は202号室の扉の前で足を止める。

 明日、礼拝堂での演奏会を控えるエリオット君に一言声を掛けようと思ったのだ。

 

 まだ少し濡れた前髪を何度も手櫛で整えて、少しは可愛く見えるようにしてから彼の部屋のドアを叩こうとした時、微かなバイオリンの音色が耳に届いた。

 それは、明日の為にここ最近ずっと彼が練習している曲。

 扉を叩こうとしていた右手を戻してから、私はゆっくりと物音を立てないように背中をドアに預けた。

 

 でも、漏れた音色に耳を澄ませるぐらいはいいよね。

 

 この曲は何度も聞いたことがある。音楽室やエリオット君の部屋でも。題名を聞いた時から好みだった。昔から星空を眺めるのが好きだったせいか、星という言葉にどうも弱い気はするけど、とても良い旋律の曲だとおもう。

 

 目を閉じれば、千万の星々が瞼の裏側に映るのだ。色も大きさも、まるで人の様に様々に違う夜空の星が、それぞれの光という声で合唱歌うように瞬き輝いている姿が――。

 

「何しているんだ? エレナ」

「リ、リ、リィン……っ!?」

 

 綺麗なバイオリンの音色に満ちた夜空のお星様の世界から一気に引き戻された私が見たのは、不思議そうな表情でこちらを窺うリィン。

 

 くっつきそうなぐらい近い距離にあるリィンの顔に思わず飛び退く。

 そして、言い訳を並べて彼から文字通り逃げるように三階への階段を踊り場まで駆け上がった私は、そこで肩を落とした。

 

 その理由は、『エリオット君の部屋を訪ねていた』という、かなり聞き苦しい言い訳、というか嘘を付いてしてしまったこと。ちなみに、リィンは私が逃げた後にエリオット君の部屋に入っていったと思う。

 咄嗟に口から出てしまったこととはいえ、我ながら本当に酷い。かといって正直に話してもそれはそれで恥ずかしい。

 

 明日の朝、エリオット君とリィンに会った時の事を考えると気が重い。

 

 どうせバレるんだったら……もっとあの曲を聞いていたかったなぁ。

 

 今日何度目か分からない溜息を吐き出しながら、階段をとぼとぼゆっくり昇り、やっと三階にたどり着いた時ーー。

 

「えーいっ!」

「わぁぁっ!?」

 

 今の私とは正反対に元気の良い声と伴って、何者かが私の背中に思いっきりぶつかって来た。いや、こんな元気なのはⅦ組で一人だけだ。

 

「ミリアム……」

「ニシシ、エレナ、驚き過ぎー!」

「……もう……心臓が止まるかと思った」

 

 背後を振り返って私の背中に腕を回して抱き着く少女を見ると、私と同じ様に髪が少し濡れていた。私の前はアリサが入っていたのだろうし、ミリアムがお風呂に入ったのは少なくとも一時間以上は前だろう。まったくこの子は……まさか全く髪を乾かさなかったのだろうか。

 

「廊下であんまり騒ぐとみんなに迷惑になっちゃうよ」

 

 なんてお姉さんぶって注意しながら、前にエマとアリサに全く同じ注意をされた事を思い出す。あの時は、フィーと一緒に廊下ではしゃいで怒られたんだっけ。

 「はーい」と返事をするミリアムを見ていると、まるであの時の私みたいに思えてしまう。

 ……私、注意される側だったのになぁ。

 

「っていうか、夕方も大暴れしたみたいだし……」

「タンケンだよ、タンケン!」

 

 階段近くにある小さな談話スペース、そのソファーに腰掛けたミリアムが頬を膨らませて反論し、私は苦笑いしつつ彼女の隣に座る。

 

「まぁ……気持ちは分からなくはないけど……っていうか、そんなに目立つことしていいの?」

 

 私の隣にいる少女の素性は、正規軍の諜報機関である帝国軍情報局のエージェント。本人も大して隠すつもりもない様で、初日にその件を訊ねたら「そうだよー」なんて呑気な声で肯定してくれた。

 本来、諜報機関の人間というのは目立つべきでは無いのがセオリーなのではないか、と素人ながらに考えてしまうが、ミリアムはⅦ組のメンバーには情報局職員であることを公然にしており、学院内でも目立つことばかりしているので、今やある意味有名人である。

 

「フフーン、諜報戦っていうのは色々な種類があるんだよ。敢えて目立つ事をやって反応を窺うのも手法の一つ――」

 

 自慢気に話すミリアムの言葉に、私は背中に冷たいものを感じた。

 

「――ってレクターも言ってたし」

「……レクター?」

 

 その名前は私には聞き覚えのないものだった。

 

「あ、そっか。あの時、エレナはノルド高原にいなかったんだった」

「……リィン達の言ってたノルド高原に来た軍情報局の将校さんのこと?」

「そうそうー」

 

 《鉄血の子供達》。その言葉を私が初めて聞いたのは先々月末に特別実習から帰ってきた後の発表会だった。ノルド高原にある帝国と共和国双方の軍事施設が攻撃を受け、両軍による武力衝突の一歩手前まで陥った状況の解決に動いた帝国軍情報局の情報将校、今のミリアムとの話で、”レクター”という名であるらしい彼をゼンダー門を守備する第三機甲師団のゼクス中将が《鉄血の子供達》と呼んだのだそうだ。

 

 その名の通り、《鉄血宰相》ことギリアス・オズボーン宰相直属の部下の事を指してそう言うらしい。

 

 私にとっては憧れの人の一人であり、最近はよく《ARCUS》で通信する鉄道憲兵隊のクレア大尉も《鉄血の子供達》の一人だろう。ケルディックで初めて彼女と会ったあの時、領邦軍の隊長は彼女を《氷の乙女》という二つ名で呼び、『鉄血の子飼い』と罵った。

 

 

 ――私としても、ささやかながら更なる協力をさせて貰うつもりだ。まあ、楽しみにしていたまえ――

 

 先月末、特別実習の最後の日の宰相閣下のあの言葉が、まるで昨日の事のように鮮明に脳裏に木霊した。

 私の隣にいるミリアムも”そう”なのだろう。

 

「……その、レクターさんっていうのがミリアムの上官さん、なの?」

「うーん……ボクの上官っていうより、一緒にお仕事するナカマみたいなものかなぁー?」

 

 仲間、か……。

 

 私を含めたⅦ組のみんながよく使っている”仲間”という言葉。

 この言葉がⅦ組のみんなの存在を最もよく表した言葉であると私も思っている。他には”家族”とかが近いと思うけど、これは普段使いはちょっと少し重いかもと思ってしまう。もっとも私にとっては、もうみんなは家族同然だと思ってるけど。

 

 だからこそ、軍情報局という表舞台に顔を出さない諜報機関の人間の口から、聞くことになるとは思わなかった言葉でもある。

 

「……どんな人なの?」

「レクター? すっごく面白いよ! うーん、イロイロあり過ぎて一言では言えないけど、アソビビトってカンジかなー。ボクが士官学院に来る前に久し振りにみんな集まれた時も、チョー楽しかったし!」

 

 ミリアムが”みんなで集まれた日”の事を続けて話してゆく。まるで子供が楽しかった事を自慢するかのように、夢中で喋りまくる彼女はやはり情報局のエージェントという身分には思えない。

 

 でも、この子は正真正銘の情報局員なんだよね……。

 

 彼女の話の中では”レクター”は少し悪い事も教えてくれる悪戯好きのお兄さんで、クレア大尉は真面目であまり融通が利かないけど優しいお姉さん――話だけ聞いていれば、歳が離れた本当の兄弟のようだった。

 

『ミリアムちゃんをどうかよろしくお願いしますね』

『あはは、君のコトはクレアから聞いてるよ。ボクとも仲良くしてねー』

 

 《鉄血の子供達》か……。

 

 もう一度、声に出さないで呟く。

 

 帝国軍情報局の情報将校、レクター。鉄道憲兵隊の《氷の乙女》クレア大尉。そして、今私の隣でパジャマ姿でソファーに身を沈めているミリアム。

 《鉄血の子供達》、彼らにも強い仲間意識があるのを感じさせた。

 

「……あれ、でも……うーん?」

 

 手足をバタバタさせていたミリアムの動きが不意に止まる。

 

「ボクはそこで初めてクレアからエレナの事を聞いたんだけど……その時にレクターが『色気はねぇし俺のタイプじゃねーなァ』って言ってんだよね」

 

 ……はぁ?

 

 納得がいかないのか唸るミリアムを横目に、”レクター”という名の男への印象が一気に落ちる。というか納得がいかないのはこっちの方だ。写真を見たか知らないけど、直接会ったことも無いのに『色気が無い』とはどういうことだ。

 

 自らの身体に顔を落とし、足の爪先から胸元まで一通り視線を流してから、心の中で付け加える。

 

 ……まぁ、確かに無いかもしれないけど……。

 

「おっかしいなー……うーん……?」

「……そんな失礼な人、私知らない。多分、直接会ってたら覚えてる筈」

「確かにそうだよねー。レクターを忘れる人なんて中々居なさそうだし、うーん、やっぱり不思議だなー」

 

 首を傾げて考えこむミリアムだが、時折その口からぶつぶつと「任務」や「作戦」等の言葉が小さく漏れる。

 

 そこに私はある事を問いかけた。

 私がクレア大尉に聞けなくて、ミリアム本人にもまだ聞いていない事を。

 

「……やっぱりさ、ミリアムは情報局のお仕事でⅦ組に来てるんだよね」

「まあ、そういうことになるのかな」

「……目的は何?オズボーン宰相からどんな命令を受けているの?」

 

 私の問いにミリアムの顔が変わる。彼女は困ったように眉尻を下げ、「あはは、単刀直入だね」と小さく笑った。

 

「うーん……やっぱり怪しまれちゃうよねー。ユーシスなんかも結構露骨だし」

 

 残念そうな表情を浮かべて苦笑いするミリアムに、私は自分より一回りも歳下の子を傷つけてしまったのではないかと感じた。だから、これ以上本当の事を突き付けれず、彼女の言葉を否定する。

 もう彼女の存在を受け入れているⅦ組のみんなと違って、私は未だ色々と気にしているのにも拘らず。

 

「みんなもミリアムと仲良くなれればって思ってるし……それに、私はクレア大尉からも『どうかよろしくお願いします』って言われてるし……」

「……あはは、優しいんだねー。クレアが言ってた通りかも」

 

 笑うミリアムだけど、その熟れたレモンを思い出させる色の瞳に、私は見透かされたような気がした。仮にも情報局のエージェント、読心術とはいかなくても話している相手が嘘を付いている位は判断出来てもおかしくはない。

 

 そして、ミリアムが口にした言葉は案の定であった。

 

「ボクの任務の内容は情報局の機密事項だから、エレナには言えないんだ」

「……そっか」

「これでもボクは情報局の人間だからね」

 

 まあ、明かしてくれる事を期待していた訳ではない。彼女と私の立場を考えれば、こうなることは分かっていたのだ。

 逆にある意味では『言えない』と明確に言ってくれた所にミリアムの誠意すら感じた。仮に彼女がその気であれば、ここで偽の任務をでっち上げて私に教える事も出来たのだから。

それにどれ程の効果があるかはわからないが。

 

「でも――士官学院はすっごく楽しいよ。クレアから聞いてた通りエレナやⅦ組のみんなは優しいし、センパイ達や他のクラスの人も良い人ばっかりなんだもん」

 

 もっと早く来たかったなぁ、とミリアムは笑いながら続けた。

 

「どうしたの? ボケっとしちゃってさぁ」

「安心した……ううん、少し嬉しかったのかな」

 

 私の言葉に「変なのー」と笑うミリアム。

 

 この子とは、ちゃんと”仲間”になれそうな気がしたのだ。




こんばんは、rairaです。

今回は8月21日土曜日の放課後から夜、今回は前のお話の後書きで触れた通り、Ⅶ組のもう一人の編入生であるミリアムに焦点を当てたお話となっております。

次回は8月22日の午前中、五章の自由行動日の前編の予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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8月22日 夏の朝の日常

「光の軌跡・閃の軌跡」は一昨年、2014年末から私個人の事情で更新を一時休止しておりました。
約二年に近い休止期間を経てはいますが、継続的な定期更新の目途が立ちましたので、本日より連載を再開致します。

更新休止中の間、応援等心暖まるメッセージを送ってくださった読者様に感謝すると共に、ご感想欄と本作品の感想に関わる一部メッセージの返信を取り止めておりましたことを深くお詫び申し上げます。

2016年9月14日 raira


 何事においても継続というものは重要だ。それは、私でも十六年間の自らの人生経験でそれなりに知っている。

 十年以上も酒屋で店番をしていれば、知識としてお酒の名前や種類、度数は勿論の事、有名所であれば葡萄酒に使われる葡萄の品種や産地まで嫌でも覚える事になる。ついでに、買いに来るお客さんと接していれば、誰が何を好むかという趣向や、どんな言葉を掛ければ、あるいはどのような仕草をすれば買ってくれるのかも大体わかってくる。

 そういった小さい頃からの店番で培った接客経験は、帝都近郊に来てからも《ケインズ書房》や《キルシェ》でのアルバイトでも大いに役に立っていた。

 

 それと同じ事が武術にも当てはまるということは、欠伸半分に私の隣を歩くフィーには何度となく言われていた。

 

 中間テスト前に始まったフィーとの銃の特訓も日課の様になって久しい。最近ではより実践的な訓練内容へと変わり、毎週日曜日の自由行動日は主に街道を逸れた場所で木製の標的に向けて様々な距離や体勢での射撃訓練をしていた。勿論、魔獣の相手だってする時もある。

 大体朝の五時過ぎに二人でまだ眠気眼な瞼を擦りながら寮を出て、朝日を浴びながらの特訓に打ち込み、朝ご飯の時間にはしっかりと戻るという流れであり、行き帰りの時間を除けば概ね一時間程度の練習時間だ。

 慣れない頃はともかく、今となっては少し短すぎるように思えるようになった朝練だが、フィーに曰く、日々の訓練において技術の向上はどちらかといえば二の次であり、腕を鈍らせない事が最も重要な事なのだという。その為、身体に無理な負担をかけない程度の訓練を継続する事が大切なのだとか。

 

 私としてはかなり不甲斐なく思うけど、長い時間持たない私の集中力も無関係ではなく、それもしっかりと踏まえて継続し易い一時間という時間が丁度良い、とういうのがフィー先生の判断だったりする。

 後は訓練には全く関係ないことだが、シャロンさんの作ってくれる美味しい朝ご飯を時間通り食べたいという私達二人の思いも多分に含まれているだろうか。

 

 改めて考えるとなんか勉強みたいだ。クレア大尉がこの間教えてくれた勉強法も、短い時間でも良いから復習と予習を毎日こなして習慣付けていくというものだったし……そういえば、朝ご飯はちゃんと食べなさいとも言われたっけ。

 

 そんなこんなで今週も一時間の朝練を終えて、朝ご飯が待っているであろう寮への帰り道についていた。

 結構高く昇った朝日が私達の背中を照らし、靴先の道路の路面に背より何倍も長い影を描いている。まだまだ季節は夏真っ盛りだ。

 

「銃の性能にまだまだ助けられてるけど、エレナはやっぱり長距離戦が一番向いてると思う」

 

 前々から彼女は私の事をそう評価していたが、私個人として色々と疑問符は付くところだ。

 

 

「だけど、Ⅶ組の活動だと中々無いじゃん」

 

 仮に向いていたとしても、それではみんなの役に立てなそうなのだ。

 先月の帝都でのテロリストとの戦いなどの例外を除けば、私達Ⅶ組が主に相手にするのは魔獣だ。魔獣との戦いは主に偶発的な遭遇戦が殆どであるので、中々長距離からの攻撃という状況にはならない。

 

「特別実習だとそうだけど……エレナは鉄道憲兵隊を目指すんでしょ?」

 

 フィーの言葉に、私はっと気付かされた。

 

「……まさか」

「い、いや、考えて無かった訳じゃなんだよ?」

 

 考えてなかった訳でも忘れていた訳でもない。ちょっと、そこまで発想が及んでいなかっただけで……。

 

「ふーん」

 

 なんとも湿っぽい視線が隣から見上げてくるので、思わず反対側――丁度、道路の左手側を走る大陸横断鉄道の線路の方へと目を逸らしてしまったが、そんな私に「ま、いっか」と一言おいてからフィーは話を続けた。

 

「ああいう治安維持部隊の任務だとスナイパーは重宝される存在」

「えっ、そうなの?」

 

 私の隣を歩く少女はコクンと小さく頷く。

 

「先月の帝都のテロ警備でも、大通りとかの高い建物の上には大体いたかな。広い範囲を効率的にカバー出来るスナイパーは警備には効果的だから」

 

 まぁ、テロリストの方が一枚上手だったけど。と、続けたフィー。

 元猟兵としての経験によって培われた彼女の観察眼にはいつも驚かされてばかりだ。

 

「それにあの大尉さん――《氷の乙女》は帝国軍で指折りの実力を持つ狙撃手としても有名」

「へえー……!」

 

 クレア大尉、狙撃もできるんだ……。いつか私の銃の腕も手ほどきして貰えたり――ていうか、今度お休みが合ったら射撃場に誘ってみようかな。私も頑張って腕を上げたら、もしかしたら、もしかしたらだけどリィンみたいに頼りにされちゃったり!

 

 それで、私が将来鉄道憲兵隊に入ったら、クレア大尉の部下とかになって――でへへ。

 

「エレナ、大丈夫?」

 

 理想の未来の自分という、何とも心地のいい夢の世界に引きずり込まれていた私は、フィーに現実へと意識を戻される。

 

「う、うん! いいアドバイスくれてありがと!」

 

 ちょっと妄想が入っていたけど、私の進む道の一つが明確に示された様な気がした。

 スナイパーとして鉄道憲兵隊を目指し、帝国正規軍の一員としてこの帝国を――守る。

 先程見た、朝日を照らして輝く鉄路へと目を向ける。そう、この大陸を縦断する線路で帝国各地を駆け巡って平和と安全を守るのだ。

 

 俄然、やる気が出てきたというものだ。

 

「ほんと、フィーには助けられてばっかだよ」

「ま、仲間だし当然」

 

 嬉しい事を言ってくれるじゃないの。

 その言葉は、私に翡翠の街の夜を思い起こさせた。

 

 

「あ、ガイウスだ」

 

 他愛のない会話の途中、私の隣を歩くフィーが目的地の寮の遥か先に視線を向けてそう呟いた。

 

「フィー、目すっごく良いよね」

 

 私なんかよりフィーの方が遥かにスナイパー向きだろう。

 

「多分、きっと朝のお祈りにいくんだよ」

「なるほど。誰かと話してるみたいだけど……《キルシェ》の人かな」

 

 そこまで見えるものなのだろうか。私の目には遠くに誰かがいるような気はするけど、一人なのか二人なのかは全く分からないし、ましてやおぼろげなその人影が誰かなんて見当も付かなかった。

 

「ドリーさんかぁ……毎朝教会行ってるって言ってたし、鉢合わせたのかな」

「うん、丁度店の前だし」

 

 二百アージュは離れているであろうトリスタの商店街前の光景を、フィーは手に取るように伝えてくれる。

 そういえば、ガイウスはよく《キルシェ》でも見かけるし、実はドリーさんと仲が良くて一緒に行っていたりするのだろうか、なんて邪推をしてしまう。まぁ、あの二人の事だから違うとは思うけど、念のためヴィヴィ辺りにそれとなく聞いてみるのも良いかもしれない。

 

 それにしても、二人で朝のお祈りなんてちょっとロマンチックじゃないか。

 

「教会かぁ……最近行ってないからちょっと懐かしいかも。そろそろ行かないといけないかなぁ」

「ふーん。そういうものなんだ?」

 

 信仰心は人それぞれだけど、毎週日曜のミサに教会にいくのは至極当たり前の習慣だと思う。私だって故郷にいた時は、せっかくお店がお休みの日曜日なのにお祖母ちゃんに叩き起こされて連れていかれたものだ。その反動か、トリスタに来てからは全く行っていないけど。

 

「フィーはお祈りに行ったりとかはしない?」

「特に。団には教会に通う人も居たけど、ほんの一握りだった。そんな時間があるなら、武器の手入れでもしてた方が自分の為になるし」

「そ、そっか……こっちに来てからも? あ、でもサラ教官とか絶対いかなそうだしなぁ……」

 

 そこで、ちょっと間が空いた。

 

「私、女神とかいないと思ってたから」

 

 あっさりとした様子で、とても信じられない言葉を口にした彼女に驚きながらも、以前に彼女が話してくれた生い立ちを思い返してしまう。

 

 戦場で一人ぼっちで――猟兵に拾われて――家族同然の様に育てられ――その”家族”を失った。

 そんな環境で育てば、女神なんていないと、救いなんて無いと思うのも無理はないのかも……知れない。

 

「……でも、最近は、少しは信じてもいいかも」

 

 その呟きの意味に気付いてしまった私は、胸が熱くなるのを感じてしまった。

 

 それって、今が、Ⅶ組とみんなと過ごす学院生活が幸せってことだよね。

 

「……何?」

 

 さっきとは違った理由の湿っぽい視線を向けてくる。いつもは大胆にズバズバ物申す癖に、偶にちょっと照れ屋なんだから。

 

「じゃあ、みんなで一緒に行こっか!」

「……今から?」

「ううん、今日はどうせ午後にエリオット君達の演奏会で教会にはいくし、めんどくさいからまた今度ってことで」

 

 あと、大事なことを付け加える。

 

「それに、はやく朝ご飯たべたいし」

「それ、バチあたりなんじゃないの?」

「いいよいいよ。私、元々教会苦手だったし、こっちに来てからは全然行ってないしね。今更、一日二日遅れたぐらいで女神様が怒るわけないもん」

 

 私達が信じる《空の女神》はそんな事で怒ったりはしない。聖典は小さい頃から教会で読まされたが、その中での女神様は悪い事をしてしまった人にも怒って罰を下す事なんて一切無く、決まって優しく諭して道を正させる。

 女神様に諭されても尚、沢山の人を傷つけ酷い悪事を続けた人が最終的に悪魔に唆されて煉獄に落ちるというお話では、そんな罪人の最期でさえ、涙を流し悲しむとても慈愛に満ちた女神様なのだ。

 

 

 

・・・

 

 

「……暑い」

 

 綺麗な銀色の髪を私に預ける少女は、導力の力で暖められた風に不満げにぼやく。

 文句を言われて、私は手に握った導力器をちょっとだけフィーの頭から離してみる。こんなの気休めにしかならないけど。

 

 朝練でぐっしょりとかいた汗や砂埃を流す為にシャワーを浴びた筈なのに、髪を乾かすために汗をかく羽目になるというのも確かにおかしい話だと思う。まぁ、これもそれも朝からカンカン日照りなお日様がいけないのだけれど。

 

 学院生としてこっちに来てから初めて知った、”導力ドライヤー”なる髪乾かし用の導力器。

 実はアリサの私物であったりするのだが、いつの間にかこうしてみんなで共有して使うようになってしまった一品だ。勿論、信頼と安心のアリサのご実家、ラインフォルト社製である。

 

 初めてこの導力器を見せられた時は、故郷より遥かに導力化の進んだ帝都の生活に驚いたものだ。アリサの話では数年前から発売されてたみたいだけど、こっちでは全くお目にかからなかったし。

 最初は一人では怖くて使えなかったコレも、慣れてみれば案外楽で便利なもので、いつの間にか使うのが当たり前。今じゃ特別実習に行く度にないと困るぐらいだ。

 

 そんな昔とまではいかないちょっと前の出来事に思いを馳せながら、導力器を持っていない方の片手で温風に揺られるフィーのまだ半濡れの髪を弄んでいると、シャンプーの匂いに混じって食欲をそそる甘い匂いに鼻をくすぐられる。

 

 ぺっこぺこのお腹がきゅっとした気がする。もしドライヤーを使ってなかったら、お腹の音が響くんじゃないかと思うぐらい。

 

「シャロンさん、朝ご飯出来たんだね」

「パンケーキとシロップ。あととっぴんぐはラズベリー」

 

 とても可愛らしくすんすんと小さく鼻を鳴らし、漂う甘い匂いを嗅ぎ分けるフィーが今朝の献立を教えてくれる。

 

「うわぁ、おいしそう!」

 

 うん、毎日おいしいけど今日も超おいしい朝ご飯が期待できそうだ。

 

「ん」

 

 そんな同意と共に、何を思ったのかいきなり椅子から立ち上がったフィーが、脱衣所から飛び出してゆく。

 

「って、まだ髪乾いてないってばっ!」

「めんどい」

 

 めんどい、じゃなくて、お腹すいた、の間違いだろうに! ドライヤーの音で気付かなかっただけで、もしかしたらフィーのお腹も鳴っていたのかもしれない。

 私もお腹すいたし早く食べたいから、もう行っちゃおうかなぁ。私の髪はフィーよりもまだ水を含んでいるだろうけど、こっちに来る前は別に濡れたままで自然乾燥に任せて過ごしてたんだし、別に一日ぐらいいいよね。

 

なんて、考えも浮かんで来る。

 

「フィーちゃん、髪の毛はちゃんと乾かさないと駄目ですよ」

「そうよ、髪は女子の命なんだから」

「むぅ……」

 

 フィーが開けたドアの先、ロビーにいたのは朝ご飯で下に降りてきた制服姿のエマとアリサ。

 どうやら脱衣所の外まで声が届いていたのか、フィーは二人の世話焼きお姉さんに諭されてしまう。

 

「エレナ、貴女もよ?」

 

 あ、さいですか。

 

 フィーも行くならと思っていた私は見事にアリサに釘を刺された。ちぇっ、もう朝ご飯のつもりでいたのに。

 

 渋々、フィーと一緒に戻ろうとした時、突然の乱入者が現れた。

 

「みんなオッハヨ―!」

 

 Ⅶ組の元気娘ことミリアムのハツラツとした挨拶がしたと思った次の瞬間、目の前のアリサとエマのスカートがそれはもう見事に舞い上がった。

 

「「きゃっ!?」」

 

 いきなり捲り上げられた二人の悲鳴が響き、その後ろで悪戯の成功に満面の笑顔のミリアム。

 

 まさか、朝から寮でスカート捲りの被害にあうとは夢にも思わなかっただろう。

 私だってまさか朝からアリサとエマの下着を見せつけられるとは思わなかった。勿論、となりでポカンと口を開けたまま珍しく驚いているフィーもだろう。

 

「ニシシ! イインチョ、クレアよりオトナっぽいかも! アリサもダイタンだねー!」

 

 朝から人の下着を批評をしたと思えば悪気もなく食堂へ駆けてゆくミリアム。エマは顔をニガトマトの様に顔を真っ赤にして恥ずかしがってしまって、声も出ない様である。

 まぁ、私達以外に見られなかっただけ――あ。

 

「こらっ! 待ちなさい、ミリアム!」

 

 アリサが逃げるミリアムを目で追う途中――何とも不幸なことに、ちょっとだけ寝癖を立てたリィンとクロウ先輩が階段から仲良く降りて来ていたところだった。

 

「ヒューゥ、眼福眼福」

 

 早起きは三文の徳っていうのはよく言ったものだぜ、と軽口を叩く朝からエロそうな顔つきをしたバンダナ先輩とは対照的に、朝っぱらからの刺激的な光景に目を奪われていたのか微動だにしない黒髪の我がクラスのリーダー。

 まさかの目撃者に硬直して、どんどんその横顔の熟度を上げていくアリサとはこんな所でもお似合いのようだ。

 

「……み、み、……」

 

 しっかりとセットされたアリサの金髪のツーサイドアップが小刻みに震えると、流石のリィンもわたわたと慌てて弁明を始める。

 

「……ち、違うんだ、アリサ、委員長! これは――」

 

 不可抗力という、”いつもの奴”でして。と、私は心の中でぼやいてみる。

 

 顔を完熟のアゼリアの実より赤くしたアリサの言葉にならない怒り叫びがロビーに響いた。

 

 第三学生寮は今日も朝から賑やかである。

 

 

・・・

・・・

 

 

 目の前の相手は、まったく整理もされていない紙の巨人。所謂、書類の山という奴。私はデスクというリングで、ファイリングという格闘技をしていた。

 

 何でこんなことになっているのだろうか。

 今日は待ちに待ったエリオット君の演奏会やその後に学院祭実行委員の集まりといった外せない大事な予定がある日だが、午前中はこれといって予定は無く暇な休日の筈だったのに。

 

「まったく……もう!」

「アゼリアーノ、ここは教官室だぞ。静かにするように」

「あっ、す、すみません。ナイトハルト教官」

 

 さっきからどうしても開けずらいフォルダの金具との格闘中、間が悪いタイミングで教官室に入ってきたナイトハルト教官に後ろから注意される。

 

「ここで何をしている?」

「えっと、そのー……お仕事というか、奉仕活動っていうか……」

「例の授業放棄と門限破り、外泊の件か」

「……はいぃ……」

 

 またお小言というかお説教されそうなので、どうにか言葉を選んだつもりではあったけど、あっさりバレてしまった。

 

「全く……アゼリアーノさんに合わせる顔がないぞ」

 

 言われると思ってました。もう何年も会ってない私と違って、ナイトハルト教官は偶にお父さんと会うみたいで、学院での私の様子を話したりしているらしい。

 もっとも、うちのお父さんは成績優秀品行方正な私なんて、これっぽっちも期待していないとは思うけど、昔うちのお父さんにお世話になった事があるらしいナイトハルト教官からすれば、はいそうですか、ともいかないのだろう。

 

「あー、エレナ―、終わったかしらー?」

 

 自分で思ってて不甲斐ない私にため息をついた時、教官室でお仕事をしなきゃいけなくなった元凶、サラ教官がやって来た。

 

 なんて間が悪い。

 

 始まりは朝ご飯の後、サラ教官が寝起きの不機嫌さと焦りの混じる顔で現れた事だった。

 案の定、小間使いとして学院へと連行され、教官が昨日ハインリッヒ教頭に押し付けられたという書類整理のお仕事を半分程受け持たされる。

 

 悪い事は続くもので、理不尽さにぶーぶー小声で文句を言いながら作業をしていたら、今度は教官室に入って来たナイトハルト教官に私は注意される羽目になる。ただ私が注意されるだけであれば良かったのだけど、問題は犬猿の仲の――どっちあ犬か猿かはノーコメントで――サラ教官が来てしまったのだ。

 

 という訳で、ナイトハルト教官が生徒に仕事を手伝わせているサラ教官にお小言を漏らし、二人の間でいつもの如く火花が散った。

 

「サラ教官のやり方は士官候補生の教育には――」

「頭ガッチガチな軍人さんはこれだから――!」

 

 最初は私に仕事を手伝わせている事について言い争いしていた二人だが、いつの間にかⅦ組の教育方針に代わっていた。というか、この二人いつまで言い争いするつもりなのだろうか。

 

「あ、あのぅ、これはどのフォルダ――」

「ちょっと待ってなさい。今大事な話をしてる最中なんだから!」

 

 教官室に邪魔する人がいない事を良いことにヒートアップしていく二人を止める意味合いも込めて聞いたのに。

 まったく大事な話って……ぶっちゃけ、マキアスとユーシスの痴話喧嘩と大して変わらないじゃないか。

 

「まったく、サラ教官、生徒に仕事を手伝わせておいてそれはないだろう。見せてみろ」

 

 よく言ってくれました、ナイトハルト教官。

 

 顔をしかめるサラ教官なんて意に介さず、私が差し出した紙を手に取る。

 めっちゃ厳しいけど、やっぱり教官としてはうちの担任より遥かにまともだ。顔はかなりイケメンなんだから、もっと優しくしてくれれば女子人気上がりそうなんだけどなぁ。独身だし。まぁ、今でも一部の子にはそれなりに人気らしいけど……。

 

「水練のタイムか……ふむ」

「フフン、どうですか? 特に男子なんか今月に入ってタイムもかなり良くなってますよ。私の授業の成果ですよ?」

 

 先程の紙に記されたタイムに興味深そうに目を走らせているナイトハルト教官を見て、サラ教官はここぞとばかりに自慢気な様子だ。

 実技教練はサラ教官の担当だから分からなくもないけど、大人気なさ過ぎだろう。

 

「ふむ……特訓の成果がそこそこ出ているな。優秀な生徒達だ」

「特訓……?」

「サラ教官には話していなかったか。Ⅶ組の男子には先月末に私が正規軍流の特訓を施した」

「なんですってぇ!?」

 

 怒鳴り声に近い驚嘆を上げて、サラ教官の顔がぐるり回ってこっちを向く。

 

 洗いざらい吐け。まるで尋問のような威圧感を醸し出した《紫電》のバレスタインの瞳が語っていた。

 

「え、えっとー…確かにエリオット君からそんなような話は聞いた――」

「きぃっ!」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をするサラ教官に、ナイトハルト教官は顎を張る。

 

 ナイトハルト教官った勝ち誇ってる時、こんな顔になるんだ……。それほど露骨ではないけど、普段の銅像の様に硬い表情を考えれば、これは間違いなくドヤ顔だった。

 

 なんかナイトハルト教官もちょっと大人気無いなぁ……。サラ教官との比較で、少しばかり個人的には評価が上がっていただけに残念である。

 

「だが、男子に比べて女子は、アルゼイドとクラウゼル以外は伸び悩んでいるようだな?」

「え、えーっと……」

 

 途中から私の方にも向いたナイトハルト教官の視線に、私はバツが悪くて自分の目が泳いだ。

 

「アゼリアーノ、お前の進路志望は聞いている。私も軍に身を置く一員としてお前の志を誇らしく思う」

 

 ストレートなお言葉にドキッとしてしまう。まさか、ナイトハルト教官に誇らしく思われちゃうなんて。

 

「――が、鉄道憲兵隊は正規軍の精鋭部隊――この程度の体力では選抜試験どころか正規軍の入隊訓練も厳しいぞ。もっと精進するといい」

「はい……」

 

 珍しく褒めて上げといてくれたと思ったら、案の定ガツンと落としてくれる。

 

「やる気があるのであれば、お前にも特訓を施してやろう。いつでも来るがいい」と、私に言い残し、ナイトハルト教官は悔しそう顔を歪めるサラ教官を一瞥して教官室を立ち去っていった。

 

 ナイトハルト教官と二人っきりで特訓って――……。

 

 イケメンの男性教官とのプールで個人指導だなんていうドキッとするシチュエーションを想像しかけて、私は慌てて頭を振ってとんでもない妄想を払いのける。

 相手はあのナイトハルト教官だ。間違っても何か起きるわけないし、超スパルタ過ぎて五分で私が根を上げるに違いない。うん、間違いない。

 

 恋愛小説の読み過ぎだと自分の中で言い訳よろしく納得させて、熱くなった頬を落ち着かせていた時、今まで不思議と静かだったサラ教官が私の名前を呼んだ。

 

「エレナ……」

「はっ、はいっ」

 

 とても嫌な予感がした。

 ギラついたサラ教官の瞳に漂うのは、まさに闘気。ナイトハルト教官への対抗心が《紫電》の名に恥じない稲妻の様に走っていた。

 

「アタシ達もやるわよ……特訓」

「ええっ!?」

「『ええっ!?』、じゃない! 今すぐ寮に戻って女子全員の水着を取って来なさい! ニ十分後にギムナジウムに集合よ!」




お久しぶりです、rairaです。

時間の流れとは早いもので、気付けば一昨年末の更新休止から季節が二回り程巡ってしまいました。

この二年近くの間に「閃の軌跡III」の製作決定や「暁の軌跡」のサービス開始等、軌跡シリーズも大きな動きがありましたね。「閃III」までにはこの作品も「閃II」後日譚まで辿り着きたいものです。

「暁の軌跡」に関しては、いつぞやの「空の軌跡オンライン」程度にしか考えていなくて、全く期待してなかったのにどっぷりハマってしまってます。携帯で出来れば文句なしだったのに!

今回は8月22日日曜日、五章の自由行動日の朝のお話となります。
前半はそろそろVII組が”仲間”から”家族”となるフィーと主人公エレナの心情を描いてみました。四章では別班ということもあって、フィーのエピソードは久しぶりです。
後半は私の大好きな教官コンビのお話です。サラ教官の言うナイトハルト教官のドヤ顔、みてみたいのは私だけではないはず。

次回は8月22日の午前中、五章の自由行動日の中編の予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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8月22日 夏の午後の日常

「良かったですね、アリサさん」

「ええ」

 

 部活から直行してここに来たのか、ラクロス部のユニフォーム姿のままのアリサが嬉しそうにエマに微笑む。

 なんでも、あまり上手くいってないと前々から話に聞いていたラクロス部の貴族クラスの人と、やっとお互いを認め合う間柄になれたのだとか。

 

「こちらもモニカが見事に五十アージュを泳ぎきったのだ」

「頑張ったんだね」

 

 ラウラの方も部活で良いことがあったみたいだ。

 

「ふふ、お互い手助けしてくれたリィンには感謝だな」

「ええ、まぁ……そうね」

 

 リィンの名前が出た途端、アリサがなんか気まずそうにこちらを見てくる。

 

「……」

 

 折角、待ちに待った吹奏楽部の演奏会で、ほんの少しだけ忘れてたのに。思い出してしまったじゃないか。

 

 まだ一日の半分も終わってないのに、今日はもう色々と散々な目にあって最悪だ。

 リィンのバカ、リィンのバカ。

 

「こっちは相変わらず大分重症」

 

 私と一緒に礼拝堂前の花壇の縁に座るフィーが、そんなことを言う。

 ぶっちゃけ、心の傷は重傷どころか致命傷だよ!

 

「その……あんまり気にしすぎない方がいいわよ?」

「そ、そうですよ……私もちょっと恥ずかしかったですし」

「うむ……」

 

 リィンは二回ほど謝ってくれたけど、ちょっとまだ簡単に許す気にはなれない。

 実際、みんなそれなりの”被害”を受けている事を考えれば、私だけがこんなに引きずるのは子供っぽいような気はする。でも、しょうがないじゃないか、あんなことされたの初めてなんだから……。

 

「……アリサは不可抗力に慣れてるからね」

「な、慣れてないわよっ!」

 

 

 午後一時――吹奏楽部の演奏会を聴くために教会の前に集まったⅦ組の面々だが、三人ほど欠けていた。

 

「リィンはまだか……? もうそろそろ始まってしまうぞ」

「ふむ、リィンに限って遅れるような事は無いとは思うが……」

 

 大事なチェスの対局までのギリギリな時間を使って来てくれたマキアス、そして、先程まで《キルシェ》で一緒だったと語っていたガイウスが心配しているように、一人はリィン。

 数時間前にプールで散々、私を弄んでくれた女の敵。

 

「先程、雑貨店で会ったが――フン、あいつの事だ。また何か首を突っ込んでいるのだろう」

 

 ユーシスの言う通りだろう。リィンの事だから簡単に予想出来る。

 どーせ、女絡みに違いない。

 

 リィン以外でまだ来てないのは、先週からⅦ組の一員となったクロウ先輩とミリアム。

 それぞれ部活動がある自由行動日、なんだかんだいってⅦ組のみんなが全員で集まる機会は稀なので、出来れば新しい仲間の二人にも来て欲しかったのだけど。

 マキアスなんて午後に大事な対局を控えているのに来てくれたのに。まぁ、どうも事情を察するとユーシスが変に煽ったらしいのだけど。

 

 やっぱ、無理なのかなぁ。と、少し諦めていた時。

 

「おっす」

 

 クロウ先輩だった。

 商店街の方から左手を挙げてこちらへと歩いてくる。

 

「いやぁ、間に合ってみてぇだな」、と呑気そうに続ける先輩。

 

「クロウ先輩も来てくれたんですね」

 

 朝ご飯の席では、『行けたら行く』という返事しかしてくれなかったこともあり、少し意外だった。

 

「おう、リィンの奴や他の野郎共のお陰で、前の部屋の片付けが早めに終わっちまったからなー」

 

 そういえば、朝ご飯の時にそんなこともいってたっけ。相変わらずどこにでも出てくるリィンの名前だが、今日はちょっと辟易する。

 

「てっきり、私はアンゼリカ先輩達と一緒だと思ってました。ほら、昨日、導力バイクの試運転があるって言ってませんでした?」

「ま、行きたかったのは山々だが、トワにまた口煩く言われるのも面倒だからなぁ。ここはしっかりと、オレ様もやる時はやるって事を見せ付けてやろうかと思ってよ」

 

 ちょっと意外だ。

 クロウ先輩ならトワ会長からいくら口煩く言われても適当に受け流してそうなのに。だってそうでもなかったら、卒業に必要な単位が足りなくなってⅦ組に来る事もなかっただろう。

 あ、だからこそ、心を少し入れ替えたとか?

 

「――それに、リィンもいるしな」

 

 それは、リィンに依頼として出されているという意味だと思う。

 でも、気のせいだろうか。それ以上に、いつもの先輩とは違う、なんか自嘲的で、また、どこか寂しさを感じさせた。

 変なことがあったせいで、私もナイーブになってしまったのかもしれない。

 

「……それはそうと先輩、リィンが手伝ってくれたって言ってましたけど、そのリィンはどこに?」

 

 気を取り直して、まだこの場に来ないあの不埒なリィンの居場所について尋ねる。

 その答えは、クロウ先輩じゃない元気な声が教えてくれた。

 

「あ、いるいるー!」

 

 そんな元気な声を張り上げて商店街の方から駆けてきたのはミリアム。そして、その隣にはリィンの姿もあった。

 

「すまない、みんな……」

「情けないなぁ、リィン」

「誰のせいだと思ってるんだ……」

 

 肩で息をするリィンを見れば大分急いで走って来たことは分かった。

 

 

「あははー、リィンにお買い物付き合ってもらってたんだー」

 

 ああ、なるほど。

 

「これ、デートってヤツになるのかな? ニシシ」

 

 悪戯っぽく笑うミリアム。

 

「リィン……?」

「ふーん」

 

 『デート』という言葉に反応したアリサとフィーから、リィンへと冷ややかな視線が浴びせられる。ラウラとエマだって、きっと何か思うところはあるだろう。私はプールの時から常に冷ややかだけど。

 

「いや、ミリアム一人で買い物に行かせるのが心配だったというか……」

「そんなこと言ってー、ボクのセクシーポーズに釘付けだった癖にぃ。あ、あの透け透けのやつ、今度着て見せてあげるね」

「す、スケスケ……だと……!?」

「おい、顔が赤いぞ。レーグニッツ」

 

 なぜか即座に反応したマキアスに、間髪入れずに突っ込むユーシス。

 

 す、透け透けって……!?

 

「あ、あれも買ったのか!? いつの間に……」

「ニシシ、僕を甘く見ないでよね」

 

 顔を赤くして異様に慌てるリィン、自慢げにその小柄な身体で胸を精いっぱい張るミリアム。

 

「透け透けって……あなたって人は……!」

「……リ、リィン、そなた……」

「リィンさん……」

「ちょっとひくかも」

 

 正直、ミリアムに”透け透けの何か”を着せるとか、ドン引きだ。まさか、下着じゃないよね……?

 

「おいおい、まさかゼリカの野郎がトワに着せたいとか言ってたアレか?」

 

 クロウ先輩から、アンゼリカ先輩の特殊な趣向の一つが明らかになる。……ほんっと、あっちにもドン引きだ。

 

「鬼ごっこの時もわざとだったりして」

「いや、あれは不可抗力で……」

 

 リィンと目が合うと、そこで気まずそうに口をつぐんだ。

 今日一日で何度聞いたか、何度起きたかもわからない不可抗力とか、私は信じたくないんだけど。

 

「どうしたどうした? なんかあったのかよ?」

 

 気遣いというか感の良さは一流とアンゼリカ先輩に云われていただけあって、すぐにこの場の気まずい空気を察知した。

 若干ニヤ付いているのは、とっても気に喰わないけど。

 

「い、いえ、実は――」

 

 事情を説明するリィン。要約すると『サラ教官から、”強制的に”召集を受け、”やむなく”女子の水練特訓に、”不本意ながら”参加した』と、どうも微妙に責任回避臭い内容に聞こえたけど。まぁ、サラ教官がリィンを呼びつけた事に関しては、いつも通りの強引さが想像つくし、私も反論はしないけど。

 

「チクショー! なんつー羨ましい野郎だ!」

 

 リィンから事情を説明されたクロウ先輩の反応は案の定だった。で、Ⅶ組のほかの男子の面々は半ば呆れている。たぶん、もう事の顛末が予想できたからだろう。

 

「それでなんだ、なんかやっちまったのか? 誰かの胸でも触っちまったのかぁ?」

 

 そしてドンピシャだった。

 

「君っていう奴は……」

「全くだな……呆れて言葉も出んぞ」

「ふむ」

「って、そのまさかかよ! アリサか? それとも、委員長ちゃんか? どんな感じだったよ?」

 

 下品なニヤつきを浮かべて顔をリィンに近付けるクロウ先輩は、すぐに女子からの冷たい視線の対象になるけど、そんなのお構い無しだ。

 

 聞かれたリィンもこの状況で下手な事を喋れば、何が起きるか分かっているだろうから口は結んでいる。だけど、彼が私の方にチラッと視線を向けたことをクロウ先輩は見逃さなかった。

 

「そりゃぁー……」

「こっち見ないで下さい」

 

 先輩にまじまじと見られた。顔じきゃなくて、下を。というか、間違いなく胸を。

 

「まぁ、なんだ……ちょいとばかし、”引き”が悪かったな」

 

 そして、何かを労うかのようにリィンの肩をポンポンと二回程叩いた。

 

「聞こえてますよ!」

 

 ハズレくじ扱いするな! 確かに、ハズレかもしれないけどさ!

 どうせ、大して無いよ!みんなに比べれば悲しくなるほど無いですよ!

 そりゃ、リィンも「す、すまない……気付かなくて」とか言う訳ですよねえ!

 

「もーやだ! 厄日だよ! あんなに……」

 

 後ろからの羽交い締めというか、抱き締められた様に捕まえられただけでももう、リィンの身体と密着しすぎていて恥ずかしかったのに、その上、あんな……あんな……!

 

「エレナ」

 

 私に呼び掛けたフィーは、礼拝堂の門に掲げられる、七耀教会の紋章である星杯を見上げた。

 

「ばち、あたったんじゃない?」

「……うぅ……」

 

 今朝のアレのせいなのか、はたまた半年近くもサボったからだろうか。

 いずれにしても、今日の私に女神様の加護が無かったのは疑いようはない。

 

 演奏会のついでに、ううん、終わったら超お祈りしよう。でも、それ以上に今はリィンへの罰も頼みたいくらいだ。不可抗力とかそういうの抜きにして、ただではちょっと許したくない。アリサみたいにぶっ叩いてやればよかった。

 

「まぁ、ドンマイ」

 

 私も、フィーに肩を叩かれるのであった。

 

 

「でも、エリオット、なんだか大丈夫そうだな?」

「え?」

「いや、確かに緊張はしてるみたいだけど……どこか吹っ切れたような顔をしてるからさ」

「うん、そうだね」

 

 礼拝堂の美しい色彩が彩るステンドグラスの下、エリオット君が頷いた。

 

 私のちょっと先で、エリオット君が話している。

 リィンと。

 クロウ先輩にぶつぶつ文句を零していたら、リィンに先を越されてしまった。礼拝堂の中に入ったら真っ先に向かいたかったのに。女子だけじゃなくて、リィンは男にも相変わらず手が早いらしい。

 

 あっちじゃあっちで、ロジーヌさんにもうだらしないくらいデレデレしちゃってるカイがいる。

 カイもあと五年もしたらリィンみたいになるのかもしれない。いや、なるとしたらクロウ先輩やフレールみたいチャラいな感じか。そう考えると、今まさに不機嫌そうにほっぺを膨らませるティゼルの悩みは、更に増えることになるだろう。そう思えば、同情せざるを得ない。

 

 それにしても、リィンは毎度毎度、いいところばっかとってっちゃうんだから。

 

「これからは、もっと自信を持って音楽と向き合っていけると思う。リィンと……そして、Ⅶ組のみんなと過ごしたお陰かな」

 

 そこで、ほんの少しだけエリオット君がこちらを向いてくれて、交差する視線を感じた私は、思わず小さく胸の前で手を振る。

 

「……はは、やっぱりエリオットは強いな。俺も観客席から応援してる。今日はどうか頑張ってくれよ」

「うん――任せて!」

 

 リィンの応援にエリオット君は満面の笑みを返す。

 

 そして、演奏会の開始を告げるパウロ教区長さんの挨拶が始まった。

 

 エリオット君。

 がんばってね。私もちゃんと聴いてるから!

 

 

・・・

 

 

 演奏会の後、午後四時から生徒会の学院祭実行委員会が本校舎で行われた。

 帝国政府代表団の随行員として、来週にはクロスベル行きを控えるトワ会長の負担を少しでも軽くしようと、生徒会のメンバーが気を使い、今日は生徒会長不在の中の会合だ。

 最も、実際のところは会長が前もって用意した資料を配り、これも前もって指示された議題の配分を決めるのみであり、相変わらず”有能すぎる生徒会長”におんぶにだっこなのである。

 それでも、会合には不在なので、今頃はゆっくりとクロスベル行きの準備――してそうもないなぁ……トワ会長の事だし、生徒会室で仕事してないか心配だ。

 

 昨日も遅くまで学院に残って、学院祭開催に関連する進行計画は完全な形で完成させてしまったばかりか、自らが不在の間の時の為に、予算等の学院運営に関わる生徒会室の数多くの書類を整理整頓していた。ちょっとやり過ぎな位で、間違っても学院祭に関しては会長不在でも失敗するような事はない位の完成度の要綱が出来ているし、会長が卒業するまでずっとサボっても大丈夫なんじゃないかと思ってしまう。

 

 生徒会の正規のメンバーではない臨時の面子の私は、生徒会の他の人との関わりが薄かったりする。今までの仕事に関しても大方、トワ会長から直接指示を受けてのものが多かったのだ。

 特別扱いっていう感じで嫌われてたらどうしようかと心配したけど、どうやら私の事を『トワ会長を個人的に手伝いしている人』と同じだと思っていたらしい。

 ちょーっと複雑だけどリィンの評判の良さのお陰で、みんなとっても好意的だったのは幸いだった。

 

 それでも、見知らぬ人の多い生徒会でどうしても心細く感じてしまっていたが、会合には顔見知りもいてくれたのは、もう一つの嬉しい誤算だった。

 

「しかし、どうしましょうか……?」

「うーん……」

 

 学院からの帰り道。傘に当たる雨音の中に、すぐ隣の弱気な声が消えてゆく。

今回の会合の主な目的は通達だった。

 再来月の学院祭を1年生の各クラスに周知すること、来月末までに出し物の内容を決定して、生徒会への申告をするようにお願いすること。

 なぜか、Ⅶ組代表はクラス委員のエマやマキアスじゃなくて、スタッフ兼任で私になってしまっているので、とにかく忘れない内に二人に伝えた方が良いだろう。

 ただ、自分のクラスの出し物うんぬんなんかより、もっと重要な役割を私たち二人は負ってしまった。

 

「ポスターのデザインなんて……」

 

 消え入りそうな声と、傘の中からこぼれるため息。

 

「それも、来月頭までなんて……」

 

 美術部ということで、目を付けられてしまったのは不幸だったとは思う。あと、断れない気弱な性格も。ただ、更なる問題は私が相方だということだろう、いや、というか生徒会の人は私と彼女でやるものだと思っている。

 

「とりあえず、リンデ。味方を集めよう」

 

夕立の中、一緒の傘に入るのは、1年Ⅳ組の代表として会合に出席したリンデ。

 

「そ、そうですね!」

 

パッと数段階は表情を明るくするリンデを、私は打ち合わせも兼ねて宿酒場《キルシェ》に誘う。それに、頼りになるであろう仲間が、確かあのお店にいるはずである。

 

「やっぱり、Ⅶ組の人は頼りになりますね」と、リンデは私の傘を持つ手を握る。

 もう、気弱なんだから。そりゃあ、ヴィヴィにオモチャにされる訳である。双子とはいえお姉ちゃんがこんなに可愛いのはちょっと反則かも。

 但し、リンデは大きな勘違いをしている。私が味方(手伝ってくれる人)を集めたいのは、それが死活問題であるからだ。

 

「だって、私、絵描けないから」

「えっ!?」

 

 本当にみんなⅦ組をなんだと思っているのだろうか。お人好しの不埒なリィンさんが学院内外で頑張りすぎたお陰で、Ⅶ組の認識は既に”何でも出来る頼りになる人達”になってる気がする。そんな何でも出来て頼りになるのはリィンなのに。ああ、でも、アリサとかエマなら、あと、ユーシス様も何でも出来そう。アレ、よく考えたら私以外なら誰でも何でも出来るんじゃ……。

 

 

「あ、いたいたー!」

 

 パッシャパッシャと橋に出来た水たまりを弾いて走って来るのは、私の隣にいる子と全く同じ髪の色の子。髪型だけがおさげのリンデと違う、妹の方のヴィヴィだ。またの名を悪戯大好きお騒がせ娘である。

 

「リンデが男と相合傘してるのかと思ったよ~」

「え!? そ、そんな訳ないじゃない、ヴィヴィ!」

 

 まともに反応しちゃうから妹にオモチャにされちゃうのに。

 

「スカートで分かるでしょ……ふつーに考えて」

 

 大体、前から来たんなら顔だって見えた筈だ。それとも、私が男に見えるって意味で喧嘩でも売ってるのだろうか。

 

「も、もう! ヴィヴィったら!」

 

 やっと意味が分かってぷんぷん起こる双子の姉。お姉ちゃんの威厳は……前々から知ってたけど、サラ教官の”教官”ぐらい無い。

 

「そうそう! 聞いて聞いて! いま面白いもの見ちゃった!」

 

 何やらテンションの高い双子の妹は、私達の反応なんて待たずにそのまま続ける。

 

「リィン君がロジーヌさんに手を出してたわよ!」

「リ、リ、リィンさんとロジーヌさんが!?」

「リィンとロジーヌさん……ねぇ」

 

 そういえば、よく話してるんだよねー。大分前のグランローズの件とかでも仲良さそうだったし。

 

「それはもう長年の夫婦みたいに仲良く寄り添って相合傘を――」

「わわっ……」

「……はぁ」

 

 男女の恋愛とかに初心なリンデが、顔を真っ赤にして妹の話に耳を傾ける傍ら、私は割と冷ややかに状況を考えれた。

 ちょっとホント、リィンなにやってるの……。

 あーあ、しーらない。

 アリサに知れたら……まぁ、ヴィヴィに知られたら今晩中には第二学生寮で広まるだろうから、明日にはⅦ組に回ってくる、かも。

 明日のアリサお嬢様は不機嫌間違いなしだろう。今日も割とゴロゴロ入道雲な心模様なのに。

 

「……あの節操無しが」

 

 今日の事といい、日頃の行いといい、正直、リィンの将来が本気で不安である。いや、リィンにいったい何人が泣かされるのかが、不安でもあるけど。

 というか、いっその事さっさとアリサとくっ付いちゃえばいいのに。そしたら少しは自覚ができてマシに――なりそうにないよね、やっぱ。アリサが今まで通り毎日ぷんぷんしてる姿が想像できてしまう。

 

 クレア大尉辺りがここら辺でしっかり怒ってくれないかなー、なんて思いながら目的地の宿酒場《キルシェ》に目を向けた時、つい見知った人影が雨避けの下に立っているのが見えた。

 

「あ、ラウラ」

「……エレナか……そちらは、Ⅳ組のリンデと……ヴィヴィだったか」

 

 うん? なんかちょっと元気ない?

 

「雨宿り?」

「うむ」

「私たちこれから《キルシェ》で打ち合わせするんだけど、寮に帰るなら傘使う?」

 

 私とリンデの入る傘を見て、ラウラは表情を曇らせて、首を横に振る。

 

「傘、か……いや、遠慮しておこう」

「どうかしたの?」

「……いや、なんでもないのだ」

 

 そして、小さな溜息を付く彼女。いつもの凛とした姿が嘘みたいに、今や夕立の空より曇った表情をしていた。

 

 

 ガイウスを訪ねるついでに、ポスターの打ち合わせも兼ねて《キルシェ》に足を運んだリンデと私は、お目当ての彼に相談中であった。あと、ヴィヴィは面白半分で付いてきて、私の向かいでさっきからずっとニヤニヤしてる。

 

「ほう……学院祭のポスターか」

「ガイウスはリンデと同じ美術部だし、絵も上手いでしょ? だから、色々と手伝って貰えないかなぁって」

「私からもお願いします。二人だとどうしても……」

 

 結果からいうと、ガイウスは自らの絵の腕にこそ謙遜していたが、協力を快く引き受けてくれた。早速、みんなで案を出し合って、リンデが持ってきていたノートにまとめているところである。

 まあ、私といえば絵の事なんてからっきしなので、レイアウトとか色使いなんて美術的な事は全く分からない。どちらかというと、作ってくれる二人の支援と、制作後の印刷や貼り出しの手配や準備を考えた方がいいかもしれない。

 あっさりと二人の会話から置いてけぼりにされてしまった頃、それまで気持ち悪い位ずっとニヤニヤしていた、桃色姉妹の妹が私の手を取って席を立った。

 

「ねえ、ちょっときて」

「なによ……ヴィヴィ」

「しーっ」

 

 私を連れ出すようにして、少し離れた空いているテーブルに座るヴィヴィ。ガイウスとリンデは一瞬首を傾げるけど、またすぐ打ち合わせを始めてしまった。

 

「ね、あの二人、いい感じじゃない?」

「は?」

「リンデ、絶対ガイウス君のこと気になってると思うのよね」

「……ああ、そゆこと……うーん、ほんとに?」

 

単にヴィヴィが面白がって、そういう風にしたいだけなんじゃ……でも、確かにこうやって見てると……うーん。

 

 ガイウスといえば、そこで今も働いてるウェイトレスのドリーさんと、今朝早くに一緒に教会にいってたような気がしたけど……ここでいうと、目の前の噂大好き娘が更に喜ぶだけなので、心に秘めておこう。

 もっとも、ヴィヴィとしては既に身近な姉に舞い降りた、この上ない面白ネタにご機嫌である。

 

「で、そっちはどうだった? Ⅶ組のプールの鬼ごっこ特訓は」

 

 顔に思いっきり『面白そう』って書いてあってもおかしくないぐらいの笑みで聞いてくる。

 それにしても、耳が早い。まあ、水泳部に無理を言って水練特訓をぶち込んだんだから、広まるのはあっという間だろう。またもや、Ⅶ組の変な噂が増えてしまうと思うと頭は痛い。

 

「……聞かないでくれる? 私、そのせいで機嫌悪いの」

「だよねえ、いろいろ噂聞くと、もうキャッキャッウフフで大変だったみたいじゃない」

 

 ほんっと私の心と正反対にめっちゃ楽しそうにしてるんだから。

 

「思い出したくもない」

「リィン君のネタは面白いからもっと教えてよー」

「知らないっ」

 

「この間は全部教えてくれたのにー」と、もう大分前にも思える話を持ち出すヴィヴィ。

 あの後、リィンはラジオで女子を釣ったと学院で噂され、その手法を模倣した日曜日の夜に女子を部屋に誘う”アーベントタイム戦法”とか言われる物を生み出したらしい。

 なお、一部男子による番組の熱烈なファンから、リィンは『我らのミスティを餌に使った許されざる外道』と陰で罵られてるとか。

 ちなみに、この戦法を一番多用してるのはアンゼリカ先輩で、毎週の様にトワ会長を誘っているらしいという、嘘でも本当にしか思えないオチ付きである。

 

 彼女の追及はリンデが呼んでくれたお陰で、躱すことができた。もっとも、ヴィヴィもヴィヴィで、私の機嫌がすこぶる悪い事は察してくれていたのか、いつもほどしつこくはなかったけど。

 

 ポスターの件は、私なんかが話に加わらなくても纏まってしまい、ガイウスとリンデの共作という形で明日にでも描き始めるらしい。というか、もう基本案は二人で出し終えて、明日の部活で一緒に作るのだとか。

 うん、ヴィヴィの言う通りかも知れない、リンデも生き生きしてとっても楽しそうだ。

 

 打ち合わせが終わって、このお茶の席も解散になるかと思きや、桃色姉妹の妹の露骨な引き留めと案外乗り気な姉の二人に付き合う形で、普通に駄弁りになってしまっていた。

 今日は特に予定が無いらしいガイウスも、晩ご飯までこの場にいるつもりらしい。

 

「ばばーん、士官学院七不思議!」

 

 話題の引き出しが尽きないヴィヴィが出した次のネタ、得意気に最近一押しにホットな奴だった。

 

「最近よく噂されてる奴だね」

「そういえば、リィンが今日そんなことを調べていたようだな」

「へぇ……相変わらず今週も変な依頼だね」

 

 リィンへ降りてくる生徒会への依頼のレパートリーの多さ、というか独特さにはもうちょっと依頼主も自重した方がいいんじゃないかと思ってしまう。

 

「そういえば、美術部は”彫刻の涙”とか知ってるの?」

「あれは結露だって、クララ部長がいってました」

「ほう……なるほど。結露の水滴が涙と映るのか」

「なんて身も蓋もない……”音楽室の幽霊”は吹奏楽部の部長さんだし」

 

 七不思議の一つを教えて貰ったお礼じゃないけど、私も知ってる七不思議を披露する。

 

「えっ、吹奏楽部の部長さんって幽霊なんですか!?」

「あっ、そういう意味じゃなくて――」

 

 ハイベル部長が夕方に一人で調律してたら、”無人の演奏会”なんて噂になったしまったという裏事情をリンデに伝える。

 ちょっと前に音楽室に遊びに行った時に、丁度その七不思議の話題になったのだ。ハイベル部長が誤解を招くカミングアウトをするもんだから、エリオット君と二人でマジビビりした覚えがある。

 

「他の有名所の”ギムナジウムの悲鳴”とか”禁断の書”も、何となく察せちゃうしねー。ま、リィン君が調べてたここら辺のは、まだまだ序の口よ」

「「序の口?」」

 

 私とリンデの声が、ガイウスを挟んで重なった。

 

「裏・七不思議――」

 

 ヴィヴィの顔が急に私たち三人に近づき、リンデはもう既にあわあわしている。

 

「な、なにさぁ……」

「ふむ……?」

 

 ここに来てガイウスも興味深そうな表情になった。

 

「謎に包まれてて、私もちょっとしか知らないんだけど――」

 

 思わず唾を飲み込んでしまう。

 

「――実はここだけの話、Ⅶ組の第三学生寮って――出るんだって」

「え”」

「ひっ……」

 

 出る? 出るの? うちの寮に!?

 

「出るとは何がだ?」

「ガ、ガイウス、で、出るっていったらア、ア、アレしかないでしょ……!」

「……ユ、ユウ……」

「リンデ、お願いだから言わないでっ! 私の寮なんだよ!?」

 

 口に出されたら、寝れなくなりそうじゃない!

 

「Ⅶ組の寮になってるあの建物って、元は単身者用のアパートメントだったんだけど……駅前にある優良物件なのに去年までずーっと誰も借り手がいなかったのよ」

 

 ヴィヴィはここだけの話のつもりなのか、更に顔を近づけて真剣そのものの表情で語りを続ける。

 

「何でもあまりにも空き家が長く続いてたから、沢山の蝙蝠が住み着いてて――」

 

 気付けば、私たちは鼻がくっ付きそうな位に、テーブルに身を乗り出していた。

 

「――今年からⅦ組が新しい住人になったけど、リィン君達はあの旧校舎の調査もしてるじゃん?」

 

 思わず何度も頷いてしまった。

 

「あの旧校舎で長い間待ってた、”人じゃない何か”の怨念がまた一つ、また一つってⅦ組の子たちに引っ付いて――蝙蝠の曰くつきの学生寮から――」

 

 私とリンデの喉がもう一度動く。

 

「――今、三人の後ろに――!」

「ひいぃっっ!?」

「きゃっ!?」

 

「え?」

 

 思い切り振り返った先にいたのは、幽霊とか怪物とかじゃなくて、戸惑うウェイトレスのドリーさんだった。

 

「……ふむ、夏の”怪談”というのはこういうのを言うのか」

「夏、怪談……?」

 

 ガイウスの冷静な分析に、ハッと今の状況に気付かされると、思いっきり握っていた彼の片腕から急いで離れる。

 

「あっ……」

 

 ほんの小さく、小さな黄色い声がしたような。

 

「ヴィ、ヴィ、ヴィ、ヴィヴィ! お、おどろかせないでよ!?」

 

 ヴィヴィ制作・演出の怪談の後遺症で何度も舌をもつれさせてしまった。ついでに、後ろからドリーさんが、「ちょっと、静かにしなさいよー」と、注意されてしまった。

 ちなみに、リンデは先程の出来事に照れてるのか、頬を染めて何度も頷いている。

 

「ゴメーン、ゴメーン、二人ともあまりにも真剣な顔するもんだからさー」

 

 てへっと、舌をだして笑うヴィヴィ。

 そりゃ、自分が寝食する生活の場に『出る』なんて言われたら、冗談で済ませたくても済ませれないだろう。ふつうは。

 

「ガイウス君は流石に肝が据わってるわね」

「フッ、二人とも安心するがいい。この場に悪霊の気配は無いし、オレたちの寮で悪しき風を感じたことはない」

 

 ガイウスの言葉にほっと胸を撫で下ろし、強張っていた身体が弛緩していくのを感じる。本当に、彼がこの場にいてくれてよかった。

 ヴィヴィの奴、私がこの手の話、苦手なの知ってる癖に。

 

「はぁ……」

 

 ガイウスを隔てた向こう側のリンデも、私と同じように安堵したらしい。

 

「ゴメンゴメン、でも……帝都って昔は吸血鬼とか出たらしいじゃん?」

 

 吸血鬼のお話はよく知っている。夜中に一人で訪ねてくる見知らぬ人は家に入れてはいけない、とか、夜更かしする子供は吸血鬼に血を吸われちゃう、とか。ニンニクに弱いとか。

 私の故郷である帝国南部にもそういう逸話は数多く残っていて、村一つ丸ごと吸血鬼に襲われて村人が皆殺しにされたなんて、凄惨な話なんかもあったりする。

 

「学院の旧校舎が使われてたのって、その時代らしいし――もしかしたら……」

「確かにあの旧校舎なら何があっても驚かないが……吸血鬼、か」

「えっ……」

 

 神妙な顔つきに変わるガイウスに、一瞬で不安を掻き立てられる。

 そこは、さっきみたいにあっさり否定して、安心させて欲しかった。

 

「もう、ヴィヴィったら……『赤い月のロゼ』の読み過ぎよ」

 

 暗雲が立ち込めたテーブルの雰囲気を元に戻したのはリンデだった。散々、弄ばれたからか、ほんのり熱を帯びた頬をちょっと膨らませているのが可愛らしい。

 

「あ、『赤い月のロゼ』?」

「確か……最近流行りの小説だったか?」

 

 ガイウスの言葉に頭の中でピンと糸が繋がった。

 

「って……リィンが集めてる小説じゃん! 騙されたぁぁ!」

「……ヴィヴィが変な話ばっかりしてすみません」

「ふふーん、だからゴメンってば」

 

 元ネタがはっきりとして怖くなくなったのか、ここにきて悪戯好きの妹について申し訳なさそうにするリンデ。それと対照的に悪びれる事無く、さっきみたいにまた舌を出す仕草をするヴィヴィ。

 

 そんな姉妹の日常の姿に、思わず私とガイウスは顔を合わせてお互いに小さく笑いった。




こんばんは、rairaです。

今回は8月22日の日曜日、自由行動日の午後の『夏の日常』編の中編のお話です。

前半は、サラ教官のリィン&Ⅶ組女子の水練特訓の後、エリオットの演奏会の直前となります。ゲームシステム上の問題とはいえ、エリオットの演奏会がリィンだけが出席なんて寂しすぎます。色々と無理矢理こじつけてⅦ組全員をかき集めてしまいました。

また、二話(一年九か月)ぶりにやっと主人公エレナの”リィンの不可抗力”フラグが回収され、ちょっと過剰反応中だったりもします。

後半は、リンデとヴィヴィの桃色姉妹と、そしてガイウスのお話です。三章でエレナがノルドに行かなかった上に五章がB班視点になる為、今後出番が限られたものになってしまうガイウスにちょっと活躍して頂きました。

次回は8月22日の夜、五章の自由行動日『夏の日常』編の後編の予定です。この後、ジュライ特区及びガレリア要塞の特別実習編となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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8月22日 晩夏の夜の幻

「げっ、リィン」

 

 お菓子のお代を払って、今まさにお店を出ようとしてた時に扉が開いた。

 ついでに、開けたのは私にとっては今日一番の気まずい相手、不可抗力の鬼リィン・シュバルツァーである。

 

 店に入って私の顔を見るなり、周りの視線なんてお構いなしに唐突に頭を下げて来たリィンのせいで恥ずかしかったというのもあるが、正直に言うと私も大分頭が冷えた。ヴィヴィの怪談のお陰だろうか。

 

「……はぁ。怒ってはないから、謝らないで。ただね、ああゆうの私は初めてだったから、簡単に”不可抗力”とかで納得したくなかったの」

 

 それに、『小さくて気付かなかった』、とか超余計な事いうし。アレで頭に血が上ったのは間違いない。あと、ロジーヌさんとの相合傘とか言いたいことはあるけど、それは私じゃなくてアリサの仕事だ。節操無しという評価は当分変わりそうにはないけど。

 

 でもまあ、私は自らを仕方なかったのだと納得させた。女子七人と男子一人の組み合わせでプール鬼ごっこ、それもその一人のリィンを鬼にするというのが、そもそも間違っていたのだ。鬼の使命を果たす為か、変に真面目に追い掛け回すリィンもリィンだけど、やっぱりあの場にリィンを呼んだサラ教官に問題がある。鬼ごっこを提案したミリアムにも文句を言いたい気分ではあるけど、あの子の無邪気さを考えれば楽しい事をしたかっただけだろうし、まぁ許せる。

 

「お詫びって訳じゃないけど、少し頼みたいことがあるんだけどいい?」

「ああ……だが、あんまり高い物は困るぞ?」

「私、そんな物強請る様な子に見える……?」

 

 言い換えれば、ある程度の物だったらお詫びを用意します、と言外に示している様なもので、個人的にはとっても心外である。

 

「『赤い月のロゼ』って小説、リィン集めてたでしょ?」

「ああ、そうだが」

「もう読んだとこまででいいから、貸してくれない?」

 

 私の頼みをリィンは快諾してくれた。ちょっと怖そうだが、面白いと評判で最近のベストセラー小説となっている『赤い月のロゼ』。私も、ちょっと読んでみたい。

 

「じゃあ、一緒に戻ろう。寮に戻ったらすぐ渡すよ」

「うん、はやく――」

「どうしたんだ?」

「――ごめん、先行ってて、まだ買うものあるの忘れちゃってた」

 

 

 肩を小さく揺すられて、初めて気付く。

 

「……エレナさん……エレナさん……」

 

 少女の声が私の名前を呼んでいた。

 

「……どうしたんですか?」

 

 向き直れば、まだまだ幼さが残る顔だちの少女が、不思議の中に心配が混じった表情で私を見上げていた。

 いつもは二つに結っているツツジ色の髪は下されていて、少し大人っぽくなった印象を受けるのは、このお店の店主の娘で日曜学校に通うティゼルちゃんだ。

 

「……えっと……」

 

 言葉が詰まる。

 

 ……うーん?

 

 眠くないのに、まるで寝起きの様に空っぽな頭。起きたら露と消えてしまった夢みたいだ。

 目の前には籠に入って陳列されてるじゃが芋に玉ねぎ。それぞれ、ほっくりポテト、しゃっきり玉ねぎ、と可愛らしい字で書かれた値札が付けられている。

 そう、ここはトリスタの食料雑貨店、ブランドン商店だ。

 

 なにしてたんだっけ?

 

「もうお会計は済んでますよね?」

 

 さっき買ったお菓子が入る私の右手の紙袋に目線を落とし、不思議そうにティゼルは首を傾げた。それに対して、私は頷いて肯定する。はっきりと、彼女のお父さんにお金は払ったのは覚えている。

 

「もうそろそろ閉店ですけど……」

「……えっ!?」

「私がお店に来てから、ずっとぼーっとしてたので……本当に大丈夫ですか?」

 

 俄かに信じがたかった。ついさっきまで、リィンと一緒に居た筈なのに。だけど、お店のカウンターの奥にある導力時計は、彼女の言葉が正しいと伝える。

 立ったまま寝てた……のだろうか。俄かに信じがたいけど、そうでもないと説明できないこの状況。正直、年下の子に恥ずかしい所を見られてしまったのは間違いない。

 

「きっと疲れてるんですよ。Ⅶ組の皆さんは頑張りすぎですから……そういう時は早く寝ちゃうに限りますよ?」

 

 心配するティゼルになんて返せばいいのか考えていたら、情けない事に先にフォローされてしまった。日曜学校に通ってる子供に気を遣われるなんて……逆に、無碍に出来ない。

 

「……うん、そうだね。長居で迷惑かけちゃってごめんね?」

 

 「全然平気です」と、ティゼルは笑いかけてくれる。なんていい子なんだ。そりゃぁ、ブランドンさんも親バカになる訳だ。

 

「ありがと、ティゼルもお手伝い偉いぞーっ」

「わぁ!?」

 

 立ち寝という恥ずかしい姿を見られた照れ隠しも兼ねて、気付けば彼女の頭をくしゃくしゃするほど撫でていた。

 それに、私が実家で店番してた時よりもずっと偉い彼女を見ていると、どうしても店番の”先輩”として褒めてあげたくなってしまったのである。

 

 

 立ったまま居眠りするほど疲れていたとは思えない位軽い体を走らせ、急いで寮へと戻ったら丁度晩ご飯の用意が終わった頃であった。

 

 今晩はミリアムとクロウ先輩の歓迎会も兼ねて、シャロンさんが腕によりをかけて作った豪華な食卓で、さながらパーティや夕食会といったレパートリー。もしかしたら、晩餐会でもいいかも知れない程だ。

 ミリアムは相変わらず有り余る元気で、リスみたいに頬を膨らましながら食べるし、クロウ先輩はクロウ先輩で、こんな豪勢な食事は久しぶりらしく、涙を流しながらガツガツ胃袋にかき込んでいた。

 なんでも『食い溜めしないと勿体無い』、というのが本人の弁である。

 

 絵に描いたような暴飲暴食を見せてくれた二人を中心に、みんなで今日の出来事を振り返る――そんな日曜日の晩ご飯だった。

 

 

 晩ご飯の後、プールの塩素臭い髪の毛からやっと解放された私に、リィンが部屋まで『赤い月のロゼ』を届けてくれた。取りに行くって言ってたのに、こういう所がやっぱり彼らしい。そして、さらっと例のラジオに誘う、所謂《アーベントタイム》戦法をかましてくる辺りも、本当に彼らしい。

 プールでも私を含め散々みんなにリィンらしさを発揮してくれたし、相合傘の件なんてもうほんとリィンだ。ちなみに晩ご飯の時、そのシスター・ロジーヌ相合傘事件で自ら墓穴を掘って、白い視線を浴びることになったのだが、更に夕方に何やら女絡みの出来事があった事を匂わせてくれていた。

 お陰様で、今晩はアリサがまたまた不機嫌ぷんぷんになってしまっている。

 

 でも、偶に思うのだ。入学前に、どんな形であれ、私がフレールへの想いを諦めていたら。

 間違いなく、私もアリサと同じようにリィンを――。

 そこまで考えてから、頭の中に浮かんだものをどっかに振り払ってしまおうと、首をこれでもかという位強く振った。

 

 確かにリィンは十分過ぎるほど素敵な人だと思うけど、私の好みとは少し違う。現実は現実、仮定は仮定だ。

 後はもうちょっとだけ、彼は自分に向けられる想いに気付いてあげて、少しでも気にかけてあげれれば、とアリサを近くで見守っていると思うけど、それはまだまだ難しそう。

 

 まったく進展しない仲間たちの恋模様には、未だ処方箋は見つからない。

 

 ひと纏まりすらない考えを終えると共に、鉛筆を置いて教科書を閉じた。明日あるハインリッヒ教頭の政治経済の授業の予習だが――ティゼルの言う通り疲れているのかも、全く進まない。もう授業前の休み時間に読むことにしよう、そうしよう。

 

 ベッドにうつ伏せに転がり、リィンが持ってきてくれた九冊もある小説の一冊目を手に取る。さっき彼から聞いたのだが、この九冊は買った訳じゃなくて全部貰い物なのだとか。なんというか、本当にリィンらしい。

 ”Red Moon Rose”――伝統的な書体が特徴的な表紙、『赤い月のロゼ』――吸血鬼との戦いを描いたファンタジー小説だ。

 おあつらえ向きに月の様に丸いクッキーを咥えて、その表紙を開いた私は、物語の世界へと足を踏み入れた。

 

 物語の時代は《獅子戦役》を終結させたドライケルス大帝の没後十数年、舞台は帝都ヘイムダル。先月の特別実習で訪れた、煉瓦造りの建物がずらりと並ぶ緋色の大都市の情景が浮かぶ。

 

 主人公アルフォンスは帝都を守る軍人さん。いまでいうところの帝都憲兵さんだ。

 

 ルッカちゃんかっわいいなぁ……つい最近まで年上の幼馴染が好きだった私としては、いろんな意味で自分自身を重ねてしまいそうになる。自分の料理を食べて貰えるのは嬉しいけど自信はなかったり、話題に困って無理やり作ったり――。そのどれもが、以前の私が一回はやって来たことで、まるで自分の軌跡を描かれている様で恥ずかしく、微笑ましい。もっとも、私は物語の中の彼女の様に可愛かったかどうかには疑問符が付くが。

 南部風っぽい名前、栗色の髪という容姿、年上の幼馴染への想い――びっくりする程私自身との共通点があり過ぎる事もあって、その想いが報われて欲しい、なんて考えてしまう、応援してあげたくなる子だった。

 

 気付けばあっという間に一巻を読み終わり、二冊目とついでに何枚目か分からないクッキーを手に取る。文字も大きくてあんまり難しい言葉も無くて、私でもスラスラ読めてしまう。やっぱり、流行りの小説なだけはあった。

 

 屍人という怪物に襲われて窮地に陥った主人公アルフォンスを救った、吸血鬼狩りのロゼ――彼女の名前は、この物語のタイトルでもある。きっともう一人の主人公で……悔しいかな、たぶんヒロインだ。

 

 わっ、ロゼかっこいい……。

 

 でも、活字から呼び起される彼女の戦いは手に汗握るもので、描かれたその堂々とした強さは、私の憧れの人達を思い出させた。

 アルフォンスとロゼ、二人での調査――そして、姿を現した吸血鬼との戦い。

 

 とにかく、ルッカちゃんが助かった事だけは本当に良かった。

 

 四巻をベッドの脇に置いて、五冊目を手に取ったとろうとした時。そこで、目に入ってしまったのだ。同じくベッドの脇に置いてある目覚まし時計の文字盤が。

 

 え……まじで?

 

 長針と短針がきっちりと綺麗な”L”を形どっている。流石に日が昇っている訳はないので、日付を回って三時間ということだろう。

 

 明日――いや今日の授業がやばい。

 また、また、ナイトハルト教官に怒られるかも知れないし、何よりも月曜日はハインリッヒ教頭の政治・経済の授業もあるし、トマス教官の文学も――。

 

 考えてる暇なんてない。導力灯のランプを消して、さっさと寝てしまうに限る。

 寝れるのは大体三時間ぐらい。四時間寝たら朝ご飯ギリギリで、多分、パジャマで朝ご飯になる。五時間寝たらもう遅刻ギリギリ、間違いなくアリサにどやされる。

 

 うー、それにしてもまったく気付かなかったなんて。

 

 でも、不思議と後悔する気は起きない。没頭しすぎたのは私の失敗だけど、それ以上に『赤い月のロゼ』が面白かったから。物語で時間を忘れる程のめり込んでしまったのはいつ振りだろう。かの『カーネリア』や、リベールから持ち込まれた帝国では発禁の小説でも、私はここまで心を奪われなかった筈だ。

 

 灯りの落ちた部屋の天井に別れを告げると、瞼の裏にさっきまでいたアルフォンスの物語の世界が描かれる。

 

 正直、また明かりをつけて、続きの五冊目を読みたい。この後、アルフォンスとロゼはどうやって吸血鬼と戦っていくのだろう――あの嫌な軍人はどうなるんだろう――ルッカちゃんは――。

 そんな、物語の中の世界の傍ら、徹夜のメリットとデメリット、そして、リスクが頭の中でぐるぐると回る。

 

 んっ……。

 

 少しかいてしまった汗が冷えたのか、それとも、晩ご飯の後に飲んだマキアスおすすめの食後ブレンドの珈琲のせいか。

 さすがに、この歳で……とは思うけど、万が一が起きたら取り返しが付かない。というか、冗談じゃなく人生破滅レベルである。

 

 とりあえず、さっさと行って、さっさと寝ないと本当に明日がやばい。月曜から居眠りしようものなら、ハインリッヒ教頭に何言われるかわからない。

 

 寝ているみんなを起こさないように、音を立てないように気を付けながら扉を開けて通路に出て、またそっと扉を閉じる。

 廊下の導力灯もすべて消灯されて真っ暗になった廊下を、一歩一歩慎重に足を進める。こんな時間に部屋から出るのは初めてだ。

 

 その時、階段の方に一瞬光が差した。

 

「……っ!?」

 

 閃光に遅れること数秒――轟音が響き渡る。

 小説に夢中で全然気づかなかったが、外は雨の様だ。そして、最悪なことに今しがたから雷も鳴っている。

 

 雷が怖いんじゃない。

 どうしても、真夜中の大きい音は苦手なのだ。この歳になっても、昔の嫌な事を思い出してしまう。

 

 ぶるっ。

 

 夏なのに身体が一層冷えるような気がして、身震いと共に下腹部がきゅんとする。ちょっとやばい。

 やっと暗さに目が慣れてきた私が階段にたどり着いた時、再び窓が強烈な光に瞬いた。

 

「ひぃぃっ……!?」

 

 思わず、声が零れた。

 

 一瞬、大きな、それは大きな、黒い影が窓に映ったのだ。

 それはまるで大きなコウモリの様で――。

 

 『Ⅶ組の第三学生寮って――出るらしいわよ?』、もう既に昨日となった夕方の、ヴィヴィの言葉が脳裏に過る。

 

 まさか、そんな――頭の中に浮かんだ信じがたい可能性は振り払えない。

 

 再びの落雷。

 先程より近づいたのか、大きな轟音を伴う強烈な雷鳴。

 

「ひっいっ……ま、まったく……こわくない……こわくない……」

 

 吸血鬼なんておとぎ話だ。アルフォンスも言ってたじゃないか。

 

 だーっ! アルフォンスはおとぎ話っていってたけど、実際いたんだった!? えっ、じゃあ、現実にいるってことで――火の無い所には煙は立たないって言うし――!

 

 考えないようにしよう、考えないように。心を無心にして、足早に階段を駆け下りる。

 

 さっさと下に降りて、トイレ行って、部屋に戻って、ベッドに潜ろう。こんな嫌な雷雨の夜は、さっさと寝ちゃうのが吉だ。

 

 寮の一階のロビー、当然ながらもうシャロンさんも寝ているので、誰もいないし真っ暗だ。

 

 階段を降りきって足早にトイレへと向かおうとしていた私は、思わず足を止めていた。雨音ではない小さな物音、そして、言葉では言い表せない違和感。

 

 不気味な音と共に、玄関の扉が動く。

 そして、目の前に信じられない光景を見た。

 

 再び眩い雷光がロビーを照らし、雷鳴が轟く――逆光となった一瞬の閃光の中、開いた扉と大きな人影――。

 

「き、きゃぁぁぁぁぁっ!?」

 

 恐怖で身体が固まり、逃げることも出来ない。足腰から力が抜け、その場で視界が下に落ちる。

 近づく大きな陰に、私は身を守るように首を縮こまらせ、腕の中に顔を埋めた。

 足音が、水音に湿らせた足音が、ゆっくり近づいてくる。

 

 もうダメだ。私は終わりだ。吸血鬼はいたんだ。もうすぐ、鋭い牙で私は首を咬まれて――血を抜かれて、屍人にされてしまう。

 足音が、止まった。気配はすぐそこにある。

 ぎゅっと目をつむる――咬まれる瞬間と、その後の死への恐怖。

 

 女神様――。

 

「おいおい……?」

 

 死の瞬間を待つ時間は、聞き覚えがある声に掻き消され、唐突に終わった。

 ゆっくりと頭を上げたすぐ先には、濡れる視界の中に困惑したような表情をするよく見知った顔。少し濡れた綺麗な銀髪で、相変わらずの白いバンダナで、アリサみたいに深い赤色の瞳で、意外にも整った顔で、緑色の士官学院の制服に身を包んだ――。

 

「……ク、クロウ……せん、ぱい?」

 

 かすれきった自分のものとは到底思えない声が零れた。

 

「おう。……どしたんだ? そんなとこで縮こまっちまって」

「……ぁ……あっ……はぁぁぁぁっー……」

 

 恐怖が、安堵へと取って代わる。

 立ち上がろうとしても今度は安堵から力が入らず、情けなく再びその場にへたり込んでしまっていた。

 

「大丈夫か? 立てるか?」

 

 先輩が優しく差し出してくれた手を取った時、大切なことを思い出して、一気に全身から血の気が引いてゆく。

 血の気が引くのと同時に噴き出す冷や汗。女神様に祈りながら、恐る恐る足元に目を落とし無事なのを確認して、今度こそ本当に胸を撫で下ろす。

 

「……どうした?」

 

 ……恥ずかしくっていえるか。でも、もうそろそろ限界……。

 

 再び光が床を照らし、直後の轟音に身体が無意識に震える。

 

「……あの、先輩……お願いがあるんですけど……」

 

 未だに状況を掴めてないだろう先輩だが、既にもう恥ずかしい醜態を見られている事には変わらないのだ。ここまで来れば、もう一緒――ではないけど、正直、今の状態で一人は怖い。死んでも嫌だ。

 

「……そ、その……耳をふさいで……そこに、いてくれます……?」

「はぁ……?」

 

 ロビーのソファーを指差した私。

 首を傾げる先輩を横目に、返事も聞かずにさっさとトイレに入って扉を閉める。

 

「……耳、ふさいでてくださいね」

「あいよ」

 

 少々、呆れ様子な声。普通に考えれば無理もないだろうけど。

 すわり込んでから、最後の確認をした。

 

「……先輩?」

「なんだ?」

「ふさいでくださいってば!」

 

 不安である。不安だけど、この際、背に腹は代えられない。

 

「はぁ……」

 

 一体全体、真夜中に私は何してるんだろ。

 

 

「……あの、ありがとうございます……」

「お、出し終わったか」

「だっ、だし……」

 

 色々と、超気まずいけど、ちゃんとソファーに居てくれたクロウ先輩にお礼をすると、いつも通りの軽快な声で迎えてくれた。

 そのノリは気遣いなのかもしれないけど、もうちょっとオブラートに包んでくれても良いのに! デリカシーがないんだから……って言えるほど、私がまともじゃなかったのは確かだ。

 

 真っ赤になっているだろう熱い顔を見られたくなくて、わざと俯いて近く。そして、クロウ先輩の隣に、少し離れて座った。

 

「にしても、お前さん、雷が怖いって……」

 

 ちらっと見ると、『やれやれ』と顔に書いてある位呆れ半分の先輩。

 

「……雷が怖かったってわけじゃなくて、その……夜の突然の大きな音は苦手っていうか……」

「それにしても、腰抜かすほど怖かったんだろ?」

「それは……」

 

 少々、口にするのは憚られるが、あの醜態やあんな赤っ恥を見られてしまった以上、もうどうでもいっか……。

 

「……今日、この寮に”出る”ってきいちゃって……」

「出る?」

「……その……”吸血鬼”が……」

 

 自分でも口にするのが恥ずかしくて、先輩から目を逸らす。

 一瞬、キョトンと目を丸くした先輩だが、幾秒後には大笑いし始めた。

 

「もう……笑わないで下さいよ……! 先輩が、変なタイミングで玄関開けるから……!」

 

 さっきからずっとヒィヒィと笑う、先輩に文句の一つでも言ってやりたくなる。

 

 あんなタイミングで扉が開いたら誰でも勘違いするでしょ! っていうのが、無理な言い訳なのは私が一番よく知っている。

 

「ほんとにやばかったんですからぁ……」

「ははーん?」 

「……お前さん、ちびったな?」

「そ、そんな訳ないじゃないですか!?」

「まー、そういう事にしておくか」

 

 必死に否定するも、ニヤニヤとした笑みを浮かべたまま。

 「Ⅶ組の奴らに知られたくないもんなぁ」、とこれでもかというくらい弄ってくる。さっきの気遣いは私の勘違いだったのだろうか。

 

「違いますってば! 漏らしてないですからね!?」

 

 この誤解は私の尊厳に関わる一大事だ。お願いだから”吸血鬼”の件と併せて、みんなには言わないでっていうか、そのまま墓場まで秘密を持っていって欲しい。

 

「……本当の所は?」

「……まじでちびるかとは思いましたけど……」

 

 というか、実際は半ば絶望した位だけど。

 吸血鬼がクロウ先輩だと気付いた時は本気で焦った。

 太ももがぐっちょりと濡れる感覚が、頭で再現されたくらいだ。ちゃんと確認するまで、正直気が気でなかった。

 

「はぁ……それにしても、先輩はまた夜遊びですか?」

 

 さっさとこの恥ずかしい話を終わらせてしまいたい一心で、クロウ先輩のこの門限破りの深夜外出に突っ込む。

 

「――ま、そんなとこよ。旦那達とな、こないだの課題と来週の戦略について熱く語り合ってたら盛り上がっちまってよ」

 

 少し自嘲的で、ちょっと哀愁が漂うような、微妙にカッコよさげな顔で何を言い出すかと思えば、競馬かよ。思わずソファーから滑り落ちるかと思った。

 旦那達ってことは大方、《キルシェ》のフレッドさんと質屋のミュヒトさんの二人だろうか。どっちも毎週末は競馬新聞片手に、帝都競馬のラジオ中継に一喜一憂させてる競馬好きだ。

 

 それにしても、この先輩は相変わらず懲りない人だ。みんなには馬券を買ってないとか言ってるけど、絶対買ってるって私は知ってるんだから。

 パルム競馬に毎週熱くなっていた幼馴染と同じノリなのだ。絶対、コイツはミラを賭けてる。大体、競馬誌の懸賞ごときでここまで熱くなれるものか。

 

 あと、お酒の臭いはしないけど、日付回ってこんな時間までってことは、きっとお酒を口にしたに違いない。なんて不良だ。

 

「はぁ、クロウ先輩もアンゼリカ先輩もまったく……」

 

 もう一人の方の先輩を思い出して、また溜め息が出る。帝都のカジノに連れて行ってもらった――いや、連れて行かれたのも先月のこのぐらいの時期だ。あの時、私はお酒を何杯も飲んで――いや、飲まされて二日酔いになるわ、ハインリッヒ教頭に捕まってこっぴどく怒られて泣かされるわ、それはもう大変な思いをした。

 

 トワ会長の気苦労がちょっとは分かった気がする。

 

「ゼリカの奴と一緒にすんなよな」

「どっちもどっちです」

 

 話題転換にも成功したからか、私の頬に帯びた熱も大分引く。やっと先輩の顔を直視できる位に話せるようになったと感じたのと時を同じくして、階段を降りてくる足音に気付いた。

 

「むにゃ……クレア―……トイレ―……」

 

 突然の来訪者の声に心臓が跳ね上がり、床に座り込む様な形で頭を低くして、私はソファーの陰へと隠れた。

 それは、隣に座っていた先輩も同じだったみたいで――二人でこんな隠れ方をすると、不本意にもお互いに身体が密着したような感じになってしまい、私は先輩の耳元の小声で文句をぶつけた。

 

「……ちょっと……先輩っ……」

「悪ぃな」

「……汗臭いです」

「……悪ぃな」

 

 男臭いとでいうのか、フレールの領邦軍のヘルメットの様な、少し蒸れた様な臭い。絶対このバンダナ洗ってないんだ、もう先輩きったないんだからぁ……!

 

 瞼を手で擦るミリアムの後ろ姿が扉の向こうへと消え、そこから導力灯の明かりが洩れる。

 私はそのタイミングで、クロウ先輩の両耳を両手で塞いだ。これでもかという位強く力を込めて。そして、その――気まずい水音が静かなロビーに小さく響き始める。

 

 クロウ先輩の事は信じてるけど、つい先程の自分の事を考えると、顔が熱くなる。それに、先輩の耳を塞ぐ為とはいえ、今まさに至近距離で見つめ合うような体勢になってるのも、とても恥ずかしいし、照れくさい。

 というか、なんで私は隠れてしまったんだろう。先輩の方は、もうそろそろ朝帰りという、門限破りの発覚を恐れたのだろうか。

 

 一際、大きい感じられた水音の後、扉が開いた。

 

「……えへへ……オジサン……トイレ出来たよー……ほめてほめてー……?」

「ぶっ……!」

 

 ミリアムの衝撃的過ぎた寝言に、盛大に噴き出してしまう。私のすぐ目の前にはクロウ先輩がいるのに。

 

「おい……!」

「だ、だってっ……んー!?」

 

 私が先輩の耳を塞いだお返しか、今度は私が口を塞がれる。

 

 ちょっ、やだっ!? ヨダレ垂れてるってか、鼻息荒いとか思われちゃうじゃん!

 

 でも、想像できるだろうか。「トイレ出来たよー、褒めてー」、ってミリアムに言われているのだ。あの、あの、《鉄血宰相》、ギリアス・オズボーン宰相が。

 

「んー……?」

 

 ミリアムがこっちに近づいてくる小さな足音。そして、すぐに彼女はソファーの陰に隠れた私達を見下ろした。

 

「クロウと……エレナ?」

「よ、よぅ、チビ助」

「んー! んー!」

 

 多分、私達二人の顔は引きつっていたと思う。

 

「そんなところでナニしてるのー?」

 

 二人して、ミリアムのその素朴な疑問に答えることは出来なかった。

 

「……まさか――……」

 

 私達を見下ろすミリアムの半眼が嫌に鋭く感じられる。

 

「みんなに隠れて、ナイショの密会……トカ? そーゆー仲だったの?」

「なっ、なっ、なにいってんのミリアム!? 違うからね!? ですよね、先輩!?」

 

 立ち上がって必死に全否定する。ただ、さっきまでの状態を考えると、ミリアムがそう考えるのも不思議でないのかも知れない。

 耳を塞いでた筈の私の両手は先輩の肩にあったし、私は相変わらず喋るなと言わんばかりに口を塞がれてた。片や抱き付こうとしているようにも見えなくもなく、片やまったく意味不明である。

 

「お、おう……」

「もっと、否定してくださいよっ!?」

「んー……アヤシイ……ふぁぁ……」

 

 悪戯っぽく頬杖つく仕草をしながら大きなあくびを出すミリアムに、私たちはここぞとばかりに歩調を合わせる。

 

「ま、時間も時間だしお子様はさっさと寝ようぜ? な?」

「そ、そうですね! さっ、ミリアム、一緒に戻ろ?」

「お子様いうなー……」

 

 苦し紛れに撤退の方向へ誘導し、ロビーを離れる。

 

「んー……?」

 

 まだ寝惚け眼ながら神妙な顔をするミリアム。そんな彼女の背中を必死に押して、しっかりと部屋に送り届ける。

 願わくば、今晩の出来事はミリアムの夢の出来事とならんことを。そう、祈って自分の部屋へと戻った私を待っていたのは、非情過ぎる時刻を示す時計の文字盤であった。




こんばんは、rairaです。
今回は8月22日の日曜日、五章自由行動日の夜の『夏の日常』編の後編のお話です。

「閃の軌跡」本編では、丁度前半部がリィンのお使いに、後半部はルナリア自然公園における《帝国解放戦線》の集合後の時間軸となります。それぞれのパートで《深淵の魔女》と同志《C》という、終わりゆく日常の影をうっすらと顔を出してきていたりします。

また、この作品の五章は特別実習がB班ということもあり、日常パートよりしつこい位にクロウ先輩の動向にフォーカスしていたりします。もはや先輩編ですね。

ミリアムに関しては、北米版「閃II」のEDでの追加イメージから妄想してみました。まだ無知なミリアムを宰相と子供達で育てたなんてエピソードがあったら…いいなぁっ!

次回は8月28日の朝、五章の特別実習ジュライ特区編となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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8月28日 揺られる心

 8月25日 水曜日

 

 長く拮抗していた状況が、揺らいだのはほんの一分程前だ。

 ほんの小さな連携の乱れから、男子チームは一気に追い込まれてしまい、今や防戦一方である。多分、もう数分内に決着がつくだろう。

 

 私はそれに全然気づかなかったが、隣で一緒に観戦するミリアムはハッキリと勝敗の決め手となった瞬間に気付いて小さな声を上げていた。

 

 リィン曰く、「あれはラウラとフィーが上手かった」、クロウ先輩曰く、「マキアス、やっちまったな」。

 

 ガイウスとユーシスと剣を交えるラウラとフィーの足が止まった瞬間、男子チームのリーダーであるマキアスには二つの選択肢があった。一つは今まで通りエリオット君と共に前衛二人の支援に徹し、この拮抗した状況を維持し続ける道、もう一つは、積極的な火力支援を敢行してこの状況の打破を目指す道。

 

 結論から言うと、後者をマキアスは選んだ。その選択が誤りだったとは誰も思っていない。だって、あのまま戦い続けた場合、どこかで集中に綻びが生まれるのは目に見えており、Ⅶ組の中で最も戦闘経験が豊富なフィーがそこを突かない訳がない。結局、長期戦になればなるほど、個々がより際立った能力を持つ女子チームが上回ってしまうのだ。

 

 マキアスの判断自体は間違っていなかったが、それは本当に相手の隙があればの話。そう、ラウラの隙が生まれた瞬間に併せてフィーも”わざと”隙を見せたのだ。マキアスはそれに対し少し迷った後に、エリオット君に高位の広範囲攻撃アーツの使用を指示して、自らもスラッグショット――大口径の一粒弾で決着を付けようとする。

 

 ここで迷いなく指示を飛ばして、フィーを牽制しながら時間を稼げれば、もしかしたら勝者は変わっていたかもしれない、とは隣に座るリィンの弁だ。

 しかし、残念ながら現実そう甘くはなく、弾の入れ替えを行うマキアスを横目に、それを待っていたと言わんばかりにフィーが肉薄し、アーツ駆動中で逃げれないエリオット君を潰した。

 

 それも、私に対してやったのと、まったく同じ手で。

 

 

 あれは私達変則チームとの試合の最中だった。不思議なことに、何故か相手チームのフィーと目が合ったのだ。

 ミリアムの傀儡、アガートラムの剛腕を華麗に避けながらこちらを窺う彼女の瞳に、私は身震いするような悪寒を感じた。その正体は、すぐに身をもって知る事になる。

 

「いくよ」

「わぁっ!?」

 

 気付けば、フィーは私の目の前に居て。

 いきなり、押し倒されて。

 

「とどめ」

 

 首元に彼女の得物である、双銃剣を突き付けられていた。

 

「エレナ、退場!」

「ええっ!?」

「いまのは戦闘不能相当判定ね」

「ちょ、ちょっと酷過ぎません!?」

「訓練じゃなかったら結構ヤバかったと思うわよ~?」

「ぶい」

 

 試合の最中だってのに、小憎たらしいしたり顔を向けてくるフィー。

 

「まーまー、エレナ。仇はちゃんととってあげるから~」

「おう、オレ様の雄姿、とくとご覧あれってんだ」

「ああ、任せてくれ。ミリアム、先輩! さぁ、一気に行くぞ!」

「あいあいさー!」

「合点承知!」

 

 まだ試合開始から三分も経ってないのに、あっさりと脱落する事になってしまった。まぁ、私の退場はある意味で変則チームの士気を上げるという意味では役になったのかも知れないけど。

 それにしても、なんでリィンは私がいなくなってから”激励”するんだろうか。まるで、ここからが本番だとでも言外に言われてるような気分だよ。いま思い出すと、少々腹立たしくもある。

 

 

 《スカッドリッパー》、私を一瞬で退場に追い込んだ”引き裂く突風”だなんて物騒な名前の技だ。

 フィーの常人離れした身体能力に裏付けられる素早さで、”突風”さながらに一気に駆け抜け、そのすれ違い様に対象を”切り裂く”戦技。エリオット君も私も、思わぬ奇襲に何もできずに退場――つまり、”戦闘不能判定”をサラ教官に言い渡された。

 

 私と同じ目に遭って、サラ教官の隣で急速に崩れるチームを見守るエリオット君には同情するけど――さっき、私達変則チームと当たった時の男子チームの所業を思い出せば、同情より恨みがまだまだ強いかも。

 

 

 変則チームと男子チームの試合は、普段は慎重に動くガイウスが珍しく積極的な力押しに出ていたのが特徴的だった。

 でも、それはただの陽動。

 俊敏さに欠けるミリアムと対峙していたユーシスは、隙を付いて易々と突破すると、一直線に私目掛けて突っ込んできた。いつか私の事を愛してくれる男が現れても、あんな速さで駆けて来てくれることは未来永劫無い。それぐらいユーシスは速かった。

 

「フン……お前から狙うのは至極当然だろう」

 

 そんな一片の慈悲もない言葉と共に、容赦なく私目掛けて剣を突き付けてくる。

 あとちょっとで三枚おろしにされる所だった。

 

「これは戦略的判断だ。恨まないで貰おう」

 

 眼鏡をクイっと戻して、ショットガンを放つマキアス。陽の光にキラッと輝いた眼鏡がうざい事この上ない。

 直後、私の体が半分ピンク色に染まった。

 

「ゴメンね? エレナ」

 

 エリオット君が笑顔で謝って来た。きっと容赦の欠片もないユーシスとマキアスの事を謝ってくれたんだ、って彼の心遣いに嬉しくなって、頬が緩んだ。

 でも、それはただの私の勘違いで――エリオット君の笑顔は、次の瞬間にはとんでもない勢いの水の奔流に変わって掻き消える。

 ちょっとだけ火照ってた頬に文字通りに冷や水を浴びせられ、全身びしょ濡れにされた。

 

 私、エリオット君がこんな鬼畜なことをするなんて思わなかったよ。……確かに、お陰様で訓練用のペイント弾の塗料は一瞬で全部落ちたけど。

 

 戦術リンクを組んでた相方のミリアムや、チームのリィンとクロウ先輩も多少フォローしてくれたけど、結局二回戦も私はあっさりと途中退場した。

 

 その後、無理に私を潰すに集中し過ぎた男子チームは、あっさりと私を除いた三人の前に敗れ去る事となる。主にミリアムのガーちゃんに追い掛け回されて弄ばれたユーシスとか、クロウ先輩に手玉に取られたマキアスとエリオット君とか。ガイウスだけは最後まで立派にリィンと槍と剣の真剣勝負をしていたけど――乱入したガーちゃんに後ろから殴りつけられてしまい、あっさりとK.Oされた。

 

 ざまぁみろってんだ。

 

「まぁ、そんな落ち込まなくてもいいんじゃないか?」

「うんうんっ」

「……これで落ち込まなくて、何で落ち込めっていうの」

 

 変則チーム四人で戦闘不能判定を貰って退場したのは私だけ。それも、二回とも。というか、私が欠けても二戦ともあっさり勝ってしまっていたので、三人でも十分余裕なのは分かっている。

 自分の不甲斐なさもさることながら、完全勝利を十分狙えたのに、私が二戦とも足を引っ張ってしまった事にも落ち込むのだ。

 

「それだけ、エレナがめんどくさいってことだよ!」

「……めんどくさい女で悪かったね」

 

 そんなにニコニコと心に突き刺さる事を言わないで欲しい。めんどくさい女の自覚はあったけど……いざ、面と向かって言われると本当に落ち込む。

 

「いや、この場合は褒め言葉だぜ?」

 

 ……はぁ?

 

 この銀髪バンダナ、喧嘩売ってるんだろうか。思わず口から先輩への憎まれ口が飛び出そうとした間際、「ああ」とリィンも先輩に同意して相槌を打って、言葉を続けた。

 

「エレナの遠距離からの攻撃とアーツによる妨害や支援。そのどれもが、相手チームからすれば早めに無力化したいと思わせる位”厄介”に思えたんだ」

 

 それは、思っていたのと正反対の意外な言葉と評価。意外過ぎて理解するまで時間が掛かったほどだ。

 

「ああ、特にフィーなんて俺とミリアムと戦いながらも、ずっとエレナの方に注意を向けていた。普段から一緒に訓練してる分、人一倍警戒していたみたいだな」

「つまり、あいつらはお前さんの実力を認めてるって事だな」

「そうそう! ボクはそれが言いたかったんだよ!」

 

 リィンの説得力のある説明がにむず痒くなる。クロウ先輩の言葉が、とても照れくさい。さっきと正反対にミリアムの笑顔がすっごい嬉しい。

 

「そうなんだぁ……そうなのかぁ……えへへ」

 

 Ⅶ組の中で私は、いままでずっと足を引っ張ってばかりだった。ケルディックやバリアハートの時は本当に迷惑ばっかりかけたし、ブリオニア島や帝都の時でも、もっと上手く立ち回る方法はあったんじゃないかという反省点は多々残る。

 

 思えば入学したての頃、武術も勉強も出来ない劣等感から焦った私は、旧校舎の探索で無理をして、「一人で戦うのではなく、みんなで戦おう」とリィンに諭された。あれから半年近く――四回の特別実習をこなし、学院での教練や特訓では沢山のアドバイスを貰った――みんなと共に戦った私は着実に成長している、そう認められた様で本当に嬉しかった。

 

 

「――そこまで!」

 

 サラ教官が試合の終了を宣言する。

 結果はマキアス率いる男子チームが崩された時点で見えてはいたが、エマ率いる女子チームの圧勝であった。

 

 「途中までは良かったんだが……」と残念そうに項垂れるマキアスの気持ちは分からなくはないけど、まぁうちのクラスの女子は強いから仕方の無い様な気もする。

 

 エマのアーツとアリサの弓によるバックアップを受けて、フィーが掻き乱し、ラウラが叩き潰す――決して万能ではないが個々が際立った能力持つ為、女子チームはそれぞれの役割がハッキリしている。だからどんな状況においても、連携面では圧倒的にタフなのだ。

 というか、うちのクラスの女子は強い。なんたって、一年生最強の前衛コンビのラウラとフィーに、学年トップのアーツの使い手のエマと、状況を判断して必要な事が出来る器用なアリサがいるんだから。

 

 だが――それを上回ったのが私達……いや、実質は私を除いた三人の変則チームだろう。リィンの実力がⅦ組でもトップクラスなのは知っていたが、ミリアムとクロウ先輩は正直、予想以上だった。ミリアムのガーちゃんは、当たりさえすればあのガイウスやラウラに一撃で膝を突かせるし、クロウ先輩はリィンとの戦術リンクを使いこなし、その見事な連携はまるで長年の連れ添った相棒の様に感じさせた。

 

 新入り二人がその実力を如何なく発揮し、みんなに知らしめた実技テストは終了し、何はともあれ今月の特別実習の実習地と班分けが発表される。

 

 

【8月特別実習】

A班:リィン、ラウラ、エマ、ユーシス、ガイウス、ミリアム

(実習地:レグラム)

B班:アリサ、フィー、マキアス、エリオット、クロウ、エレナ

(実習地:ジュライ特区)

 

 リィン達A班の実習地はラウラの故郷。そして、私達B班の実習地は……。

 

 ジュライという地名は記憶にはまったくないけど、その響きはどこか懐かしい雰囲気を感じさせた。どこかで聞き覚えがあるのかも知れない。

 

「確か、帝国最北西の海岸にある旧自由都市の名前だな。帝国政府の直轄地だったはずだ」

「あー、あそこかあ。八年前くらいにオジサンが併合した場所だねー」

 

 みんなの疑問に応える形でクロウ先輩が説明し、それに補足を入れるミリアム。彼女のあまりにもストレートな言葉に、みんなが頭を抱える一方、私はやっと納得した。

 

 北西の街の名前だったんだ……。

 

 六月のブリオニア島実習で西方行きが決まった時、もしかしたら、いつかは、と思った。卒業まで毎月の様に特別実習で各地を回っていれば、いつか私の生まれた場所である、帝国の北西部へ出向くこともあるだろうと。

 だけど、まさかこんなに早く、その機会が訪れるなんて。

 私にとっては懐かしいと思う以上に、複雑な気持ちを抱いてしまうあの場所。

 

 呼び起される十年以上も前の記憶を今はそっと蓋をして、アリサが手に持つ実習の書類をまた覗き見ると、いつもは何も書かれていない追記の欄に見慣れない一行が加わっていた。

 

 ※二日の実習期間の後、指定の場所で合流すること。……指定の場所?

 

 誰もが首を傾げたその一文を、丁度良いタイミングでガイウスが質問してくれた。

 

「フフ、それについてはナイトハルト教官の方から告げてもらおうかしら」

「心得た」

 

 実技テストが終わった直後に顔を見せ、サラ教官の隣に立っていたナイトハルト教官。いったい何の用だろうと疑問に思いつつあったが、ここでガイウスの質問は彼に投げられる。

 いつもならあんな投げ方をしたら、お小言の一つは言いそうなナイトハルト教官だが、一度咳払いをしてすぐに承諾した。

 

 その事に、少し嫌な予感がしたのだ。

 

「――諸君には各々の場所での実習の後、そのまま列車で合流してもらう」

 

 まさか――。

 

「合流地点は帝国東部――《ガレリア要塞》だ」

 

 唐突に突き付けられたその場所の名は、私にとっては実習地と同じぐらい重い意味を持つ場所だった。

 

 

・・・

 

 

 色々な思いが混じってすっきりしない心境のまま三夜が過ぎ、特別実習の出発の日の朝。

 

 身だしなみを整え、荷物を抱えて下に降りた私がまず見たのは、A班の面々だ。初めての特別実習に浮かれきって、いつもに増して落ち着きの無いミリアムとその犠牲者となったリィンとユーシスの情けない姿に、思わず笑いを漏らしてしまった。

 リィンの場合はよくある事だけど、ユーシスのあんな様子は初めて見た。ミリアムと彼の相性はある意味で抜群かも知れない。私が彼の立場だったらほんと勘弁だけど、見ている分には最高である。そうだ、今度またユーシスが可愛くない事言ったら、お菓子とかで釣ってミリアムを差し向けてやろう。

 

 バリアハートの実習の時に知った事だが、口はアレだが面倒見の良い性格をしているユーシスは、子供に懐かれやすかったりする。きっと子供は口で何を言ってようが、本能みたいなのでその為人が分かるのだろう。そういう意味では、振り回されるユーシスを見るのも面白いが、それ以上にミリアムが懐いているという事が私には微笑ましく思えた。

 《鉄血の子供達》、軍情報局の諜報工作員としての前に、ミリアムも一人の子供なんだと思えるから。勿論、この間の夜の事も併せて。

 

 既に駅にいたアリサに荷物を預けてから、私とマキアス、クロウ先輩の三人で学院へと向かった。

 出発前の準備として、昨日ジョルジュ先輩に加工を頼んでいた《ARCUS》の結晶回路を受け取りに行く為であったのだが――丁度、技術棟にはアンゼリカ先輩もいて、この先輩たちの思い出交じりの昔語り話がなんとも終わりそうにない。

 だから、時間潰しのついでに、私はトワ会長を訪ねることにした。

 ちなみにクロウ先輩も誘ったんだけど、「朝からお説教は聞きたくない」とかいう理由で来なかった。

 

 なんじゃ、そりゃあ、って感じである。

 こないだの夜の事はミリアムも忘れているのか、他には漏れていないので問題ないとは思うが、日頃の行いが良くない先輩の事だからまだまだ余罪が多いのだろう。想像に容易い。

 

 

「エレナちゃん達はジュライ特区に行くんだよね」

 

 実習地を訊ねるトワ会長に、私は頷いて肯定する。

 

「トワ会長は行ったことあったりしますか?」

「ううん。でも、まだ帝国領になって日が浅い場所って話だから、半分は外国だと思って住民の方に失礼の無い様にね?」

 

 首を横に振ってから、真剣さを帯びる表情で彼女は続ける。

 流石はトワ会長だ。ちゃんとジュライ特区が編入地だって事を知っているみたいだ。

 

「帝国人として節度をもった行動を心がける事。いーい?」

 

 そう告げる会長は、まるでお母さんが子供に言い聞かせる様で、優しい中にも厳しさの芯を感じさせた。

 

「ふふっ、お互いに頑張ろうね」

「そっか、トワ会長の行くクロスベルも……」

「うん」

 

 ”お互い”の部分に力が込められてるのに気付いてしまった私に、トワ会長は小さく頷いてから続けた。

 

「一般には帝国東部の属州として知られてるけど、実際のクロスベルは帝国と共和国から自治権を認められた自治州――事実上の外国だから」

 

 そういわれれば、確かにクロスベル州は東部国境のガレリア要塞よりも東側にあるし、考えれば帝国の版図の中といっても不思議ではある。クロスベルは”国”という意味も内包する”State”で、帝国の四州みたいに”地方”という意味が強めな”Province”とは異なり、北西部の様に単なる”領土”を意味する”Territory”でもない。

 政治的に保守的な人が多い土地柄で、更にクロスベルとは地理的に遠いので元より関心が低い帝国南部で育ったからか、そういう発想が今まであまり浮かんでこなかったが、考えてみると矛盾があった。

 

 日曜学校の中等クラスでは、クロスベル州という帝国の東の属州を共和国が狙っていると軽く教えられただけだし、帝国時報や故郷の地元の新聞等も”東部クロスベル州”とあたかも、クロスベルが帝国領であるような書き方をする。

 

 だけど、トワ会長が随行員として同行する事となった《西ゼムリア通商会議》に関連して、ハインリッヒ教頭の政経の授業でつい最近教わった内容は、少し違った。

 クロスベルは、『帝国と共和国間の緩衝地として住民に一定の独立性と自治権が与えたれた、両国を宗主国とする自治州』であるというのだ。こんな不可思議な事がまかり通ってしまった理由は、『七十年ほど前にクロスベルを巡って争われた大きな戦争で両国が傾きかけた』からなのだという。

 『以来、度々小規模な武力衝突こそ頻発するものの、現在まで帝国と共和国の全面戦争は起きておらず、クロスベルは当初の期待以上の役割を果たしている』とのことだ。

 

 でも、私は正直、クロスベルを”外国”とは思いたくなかった。だって、そう思っちゃったら今日行くジュライ特区や北西準州――私の生まれた場所も”外国”になってしまいそうで。

 

「どうかしたの?」

 

 上目遣いなトワ会長に思わずドキッとしてしまう。会長の言ってたことに対して、私は心の中で相反する事を考えていたから。トワ会長は結構勘がいいから少し心配だったけど、どうやら気付いてはいないようだ。

 

「……いえ、なんでもないです。……そういえば、クロスベルって最近物騒で、いろいろ危ない場所も多いって聞きますけど……」

「うん……やっぱり、事情が事情で、政治的にも不安定だから、そのしわ寄せが来ちゃってるんだね」

 

 どうしてだろう、政府代表団の随行員としての仕事面では全く心配に思わないのに、トワ会長が一人で遠くに行ってしまうって考えると本当に不安を感じてしまう。アンゼリカ先輩辺りが付いてってくれれば安心なのに――いや、それはそれで違う意味で心配だけど。

 溢れるミラに酔う享楽的で退廃的な魔都クロスベル――そんな雰囲気に当たられたら、ただでさえ快楽主義者な気のあるアンゼリカ先輩がここぞとばかりに暴走しちゃいかねない。

 

「一人で夜出歩いちゃだめですよ? あと知らない人に付いていっちゃいけませんからね? 危ない薬が流行ってるって話も聞くので、食べ物には気を付けてくださいね? あと、トワ会長は大丈夫とは思いますけど、クロスベルの男の人はお金は持ってるけど、スケコマシが多くて、女性関係が派手で、節操無しの女泣かせって、雑誌に書いてあったので、男の人に声掛けられたら疑ってかかってくださいね? あとあと魔獣が街中を闊歩してるって――」

「も、もう、エレナちゃん! わたしの方がお姉さんなんだから……!」

 

 ほっぺを膨らませてぷんぷん怒るトワ会長。背の高さの関係で、どうしても可愛く思えてしまう。

 でも、いったん膨らんだ私の不安は縮むことはない。

 

「大丈夫だよ――帝国政府も代表団の安全確保が最優先の方針で動いてるって聞くし、現地の警察当局にも協力員を派遣して最大限支援するみたいだから」

 

 警察当局――その言葉に、帝都のテロ事件の時に会ったあの女の人を思い出す。彼女はクロスベルの人で”警察”を名乗っていたっけ。議長のお祖父さんの護衛って言ってたのを覚えている。

 あの時は非常時で、そんな事微塵も考えなかったけど、いま思えば私のクロスベルのイメージとはちょっと違う人たちだった。

 

「だから、そんな心配しないで?」

 

 困った顔のトワ会長をみて、私は本当に申し訳なく感じた。

 本当はトワ会長に『頑張って下さい』って言いに来たのに、なんでこうなっちゃってるんだろう。

 

「ごめんなさい、会長。私、ちょっと……」

「ううん、心配してくれてありがとう。でも、エレナちゃんは私の事より特別実習の事を考えてないとダメだよ?」

 

 そればかりか、あっさり諭されてしまった。

 

「……じゃあ、おみやげ、期待してます?」

「ふふっ……もう、しょうがないなぁ」

 

 んっ、と声を漏らして背伸びをするトワ会長が、ぽんぽんと私の頭を撫でた。

 それは、髪を崩さない様に少し触れるだけのものだけど、不思議なことに、まるでお母さんに抱きしめられている様な、安心感を与えてくれる。

 

 良さそうなのがあったら、ちゃんとみんなに買ってくるからね、そう応えて”お姉さん”は微笑んだ。

 

 

・・・

 

 

「もう、やっときたわね」

 

 マキアスとクロウ先輩と技術棟で合流して、急ぎ足で駅へと入った時、ちょっと不機嫌そうなアリサと苦笑いするエリオット君に出迎えられた。

 

「通信したのに無視するんじゃないわよ? マキアスに連絡しても埒あかないから、貴女に二人を連れて来て貰おうと思ったのに」

「えっ、通信? 《ARCUS》鳴ってないけど――」

 

 私の疑問は、丁度駅の待合室にリィン達A班が入って来たことによって有耶無耶になってしまう。そして、A班とのいくつかやり取りの後、お互いに暫しの別れを告げて、彼らより早く出発する私達は改札を通った。

 

「ジョルジュ先輩に頼んでいた結晶回路だ」

「荷物になっちまうからケースには入れてねえ。失くさない内にさっさと填め込んじまえよ」

「先輩が邪魔して時間が無くなったんじゃないですか……」

 

 マキアスが副委員長として技術棟から持ってきた、B班みんなの分のクオーツ。

 アリサとエリオット君には金耀石、私とフィーには黒耀石、マキアスには琥耀石の。それぞれ、自らが希望したものを今回は作ってもらっている。

 ちなみにクロウ先輩の分はない。先輩なだけあって、私達の《ARCUS》よりしっかりクオーツが揃っているのだ。

 

「ありがとっ、マキアス」

 

 加工された小さな黒耀石の結晶を掌に取る。小さいながらも光を吸い込む深く綺麗な結晶、失くさない内にオーブメントに――げっ。

 

 太ももの外側、丁度スカートのポケットの辺りを何度か手で叩く。うん、ない。

 《ARCUS》を忘れた。妙に軽いと思ったんだ。いつもは走ると足に硬いのが当たるのに。

 

 それにしっかりと心当たりがあった。昨日の夜、クレア大尉との長話中にウトウトしてしまい、通信を終わるとそのまま枕に突っ伏して寝てしまったのだ。たぶん、《ARCUS》はベッドの枕脇に放置したままだろう。

 

「どうしたの?」

「あ、アリサー、ちょーっと」

 

 怪訝そうな顔を向けてくる隣のアリサの耳元に、小声で語りかけた。

 

「寮まで戻っていい……?」

「はぁ……?」

「ちょっと、忘れ物しちゃって……」

「え……あとちょっとで列車が来ちゃうわよ? そんな大事なものじゃなかったら――って、まさか!?」

 

 いきなり大声が耳を右から左に突き抜け、思わずアリサから飛びのく。

 

 ええ、たぶん、その、まさか。

 あと、折角小声で話してたのに、みんなに完全にバレてしまった。私達を以外の四人は、いきなりのアリサの大声に何事かと驚いている。

 

「《ARCUS》、忘れちゃ――」

「もう、貴女って子は!! さっさと取ってきなさいっ!!」

 

 耳をつんざく様なアリサの怒鳴り声の中、無情にも列車の到着を告げるアナウンスが流れていた。

 

 

 ホームの連絡橋を駆け降りた勢いのまま改札から飛び出した私に、丁度切符をカウンターで購入していたA班のみんなの驚く視線が一斉に向く。

 

「一体、どうしたんだ、エレナ?」

「忘れ物!」

 

 走りながらリィン達に短くそう伝えると、A班の面々がそれぞれ反応するが、無視だ無視。ラウラやエマみたいに心配してくれるのはともかく、どーせユーシスあたりは聞くだけ損な事しか言わないだろう。

 後ろの騒めきを心でシャットアウトして、駅のエントランスの扉を勢い良く開けた先。

 

「まあ、エレナ様。丁度良かったですわ」

 

 目の前に居たのは、シャロンさん。

 その手にはバスケットと銀色の――私の《ARCUS》があった。

 

 今日の私にとっては女神様だ。列車はもう既に一本出てしまっているけど。

 

 背中にA班のみんなの痛い視線を感じながら、荒くなった息を整えてシャロンさんに《ARCUS》を届けてくれたことに感謝すると、「長話も程々に」なんて言われてしまった。忘れた理由までバレてるみたい。

 それと、あともう一つ私達の班の忘れものとして渡されたのは、大きなバスケット。目的地に着く頃には夕方になってしまう長旅の私達B班の為に、列車の中で食べれるお昼ご飯も用意してくれていた様なのだが、「お嬢様にお持ちくださる様、お伝えしていたのですが……」ということらしい。私にはジャジメントボルト級の雷落として怒ったくせに、アリサ。

 

 シャロンさんの微笑みとリィン達A班のみんなの呆れ顔で見送られながら、再び改札を抜ける。シャロンさん曰く、駅の外まで響いたらしいアリサの怒鳴り声と、先程のやり取りを見ていたのか、駅員さんの視線でさえも嫌に生暖かかった。

 線路を挟んで向こう側、帝都方面行きのホームにはアリサ達がいる。まぁ、流石に置いて行かれたりはしないとは思っていたけど、少し胸を撫で下ろした。どう言い訳しても、私の忘れ物のせいで一本列車を逃して出発が遅れたのだ。アリサは――ともかく、ちゃんと説明もせずに飛び出してしまった班のみんなにはしっかり謝らないと。

 

 再びの放送に続いて、目の前から駅構内へと滑りこんで来る青色の大陸横断鉄道の列車が起こした風が、前髪を激しく揺らしてくる。これは反対方向の列車、私達が乗る帝都方面の列車はまだ十分ほど時間がある。

 

 

「よう、久しぶりだなァ」

 

 反対側のホームへと向かっていた私の背中に、何者かが声を掛けた。

 

 振り返った先にいた声の主は、エリオット君より濃い赤毛の若い男。歳は丁度、私より一回り年上ぐらいだろうか。身なりはとても良いが、びしっと決まる服装とその中身の醸し出す雰囲気は正反対に思えた。

 今しがた到着した列車から降りた客だろうか、久しぶりという位だから、以前に会ったことがあるのだろうか。

 記憶の中から目の前の男を探すものの、手掛かりすらない。こんな人、記憶にないんだけど。

 

「えっと……どこかでお会いしましたっけ?」

「くくっ、ま、あの様子じゃ覚えてねぇか。……アリーザ嬢、酒はほどほどにッてな?」

「――えっ」

 

 まるでクロウ先輩みたいな軽薄な笑いを浮かべた男が、その後に口にした事は私にとって衝撃的だった。私の事を”アリーザ”と呼ぶのは、どう考えてもアンゼリカ先輩以外あり得ないのに。帝都のあのカジノに居た客? でも、あの場で他の客に私は名乗ってはいないし、まず、こんな男と話した記憶なんて全く無い。

 

 もっとも、あの時の記憶はお酒のせいではっきりしない。もしかしたら私が覚えてないだけで、実は親友の名前を騙って、カジノの客とお喋りしまくっていたのだろうか。

 そんなゾッとするような考えと、素性の知れぬ目の前の男への警戒心から、全身が強張る。

 

「……《アリーチェ》にいらっしゃったんですか?」

「まァな」

「……私に何か用ですか?」

「用ってほどの事でもないんだが……ガキンチョが世話になってるみてぇだし、一応、礼でもいっておこうとおもってな。あとは――クレアの奴も”後輩との交流”を思いの外楽しんでやがるみたいだしなァ」

 

 彼が口にした”クレア”の名が、最初の”ガキンチョ”が誰のことを指すのかを、私に気付かせた。ミリアム、クレア大尉――この人はまさか……。

 

「あなたは――!」

 

 私の言葉を遮ったのは、隣のホームに走り込んできた鋼鉄の列車であった。

 

「さっさと行かねぇと、お仲間においてかれちまうぜ?」

「……失礼しますっ」

 

 どこか気に入らない赤毛の男を一瞥して、私は階段を駆け昇る。

 言いたい事は山ほどあるが、刻一刻と出発が差し迫る列車に乗り遅れるわけにはいかない。二本も逃したら、今後の予定に大きく影響が出るレベルである。

 

 《鉄血の子供達》、帝国軍情報局の将校。

 

 ――『色気はねぇし俺のタイプじゃねーなァ』って言ってたんだよねー。

 

 先週の夜のミリアムの言葉が頭を過った時、自然に足が止まる。

 そして、ホームを跨ぐ連絡橋の上から乗り出して、改札に向かって歩くあの赤毛の男の背中に叫んだ。

 

「色気が無くてすみませんねっ! レクターさん!」

 

 不敵な笑みを浮かべて振り返った男は、口笛を吹くような仕草をして唇を小さく動かす。

 何て言っているかは聞こえない。でも、何となくはわかった。

 

 ヒューゥ。お見事。

 

 同時に、反対側のホームから「訳分かんない事言ってないで、さっさと来なさい!」と角を生やしてそうな位お冠な声音が響いた。




こんにちは、rairaです。

さて、今回は8月25日及び28日、第五章の実技テストと特別実習の一日目の朝となります。
結果としてみれば良い所無しですが、ここに来てやっと主人公エレナもⅦ組の一員として”ある程度”の期待の出来る戦力となり、この作品において最も重要な特別実習を迎えることになります。

クロスベルに関しての認識は、あくまで無知なエレナの個人的な主観となります。ただ、Ⅶ組周りが比較的穏健的なだけで、独立云々以前から”魔都”なんて呼ばれる位だから帝国人の一般認識も結構悪いんじゃないか…と思っていたりもします。

レク・タ~ランドールさんとは、一か月ぶりの再会でした。彼、原作だとこの後「Ⅱ」終章まで登場しないんですよね…。内戦期もクロスベルで一体何をしていたのやら…ちょっとは《神速》さんを見習って欲しいものです。

次回は8月28日の午後、特別実習ジュライ編のお話です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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8月28日 旧境の大河を越えて

 どこか放牧的だった車窓の田園風景にちらほらと家屋が目に留まり始めた頃、列車は進行方向に向けて昇る様に傾斜してゆく。

 車内からではいまいち把握できないが、線路が赤煉瓦の高架橋へと持ち上げられてゆく事を、街道からの光景を見たことのある私は知っている。

 

<――本日は大陸横断鉄道をご利用頂き誠にありがとうごうざいました――>

 

 列車の到着が近付いている事を告げるアナウンス。

 

 私達六人はお互いに目配せし合う。

 

<――まもなく終点、帝都・ヘイムダルに到着いたします――>

 

 まだ走行中で揺れる客車の中、自分の荷物を手に立った私達は、ボックス席から連なる様にして扉へと向かう。

 

 乗降口の、先程と比べれば小さくなった窓の外、こちらに集まる様に近付いてくる他路線の高架線路が帝都の至近へと来た事を教えてくれる。きっと、窓に頬を押し付けて進行方向に目を向ければ、緋色の帝都を守る壮観たる城壁が見える事だろう。

 

 導力機関の制動ブレーキが掛かり始め、緩やかな逆向きの加速度を感じると共に、徐々に列車は速度を落としてゆく。

 

「時間通りね」

「定刻通りだな」

 

 アリサとマキアスの声が重なり、二人はバツが悪そうにお互いに向き合う。そして、今度は何か言いたそうに咳払いをしたのが、これまた息ぴったりに揃ってしまった

 

 交互にB班を引っ張って来た二人が一緒の班になるのは初めてだったりする。おそらく、リィンがいない時は自ら率先して動こうとしてしまうのだろう。アリサは無意識で、逆に副委員長としての立場もあるマキアスは意識的に。

 なお、不思議な事にアリサがいる時のB班では問題が起きないのに対して、マキアスの時は何故か問題が頻発する。まぁ、今回の実習は多分大丈夫だろうけど。

 

「お先、どうぞ。マキアス」

「いや、アリサ君から先で――」

「副委員長の貴方の方が――」

「じれったい。みんな聞いて――作戦開始時刻は0750。作戦時間は120秒弱。目標は帝都駅の八番線の列車」

 

 そんな二人を切り捨てる様に、珍しくフィーがこの場を仕切り始めた。あーあ、アリサがシュンとしちゃってる。

 クロウ先輩が「限られた時を駆ける”任務”」だなんて、フィーの気をそそらす事言ったもんだから、珍しく朝から微妙にやる気を出しているのかもしれない。

 

「帝都駅の端から端――およそ150アージュってとこだな。クク、こりゃハードだな」

「大丈夫、短距離走だと思えば余裕で完走できる」

「えー!?」

 

 確かに全力疾走すれば150アージュなんて、二分どころか三十秒以内で走るのは難しくはない。でも、それは徒競争であればの話で、今日はそれぞれ着替えや武器等を詰め込んだ重い荷物を手にしているし、日曜日とはいえ朝でも相当数の旅客で溢れるヘイムダル中央駅のホームとなれば、その何倍も掛かるのは間違いない。

 エリオット君の「えー!?」は、たぶん走るのが苦手だからだろうけど。

 

「こんな大荷物を抱えながらの短距離走だなんて……」

「うん、マキアス。私も自信ない」

「元はといえば君のせいじゃないか……」

 

 人一倍大きなスーツケースに目を落として項垂れるマキアスをフォローしたつもりが、恨み節をぶつけられてしまう。それに合わせる様に、アリサの視線も言外にそう私に告げていた。

 忘れ物をして悪いとは思ってるけど、マキアスのその大荷物の中身――実習中も勉強するための参考書が何冊も、誰とやるのかは知らないがチェス盤と駒セット――は自業自得だと思うのだ。ほら、不測の事態はいつ起きるかわからないっていうし……これ、口に出したらまたアリサの雷が落ちそうだ。

 

「そろそろみてえだな」

 

 クロウ先輩の声に合わせる様に、列車の速度が次第に遅くなってゆく。もう既に窓からの光景は駅構内のものだ。

 

 振り戻しの後に静止し、扉から圧縮された空気が外に放たれる音を立てる。それは、用意の合図。

 

「みんな、いくわよ」

 

 アリサが合図と共に開く扉。油の匂いが混じる生温い外の空気へと私達は駆けていく。

 

 

 ・・・

 

 

 間違いなく今日一番となるであろう死力を振り絞って、僅か一分半余りで大陸最大の駅の全幅を全力疾走した私達B班の面々は、列車に飛び込むなり荒い息を吐きながらボックス席へと体を投げ出すように着いた。

 走り出した直後にアナウンスで流れた駆け込み乗車への注意は、十中八九私達に向けられたものだろう。また、他の乗客の「まぁ、はしたないですわ」なんて声が聞こえたような気がしたのも、あながち聞き間違いではないだろう。それぐらい、アリサと私の髪は崩れたし汗だくである。

 それに対して、「行動開始(オープン・コンバット)」とか呟くぐらいノリノリだったフィーは汗一つかいていないし、クロウ先輩も平然な顔をしている。元猟兵というステータスのフィーはともかく、先輩も『実習では役に立つ』と自分で言っていただけはある体力だ。

 六人のB班の内、余裕な顔をしていたのはその二人だけで、他はもう酷い顔をしていた。それでも無理をした甲斐があったというものである。これで、私達は現地に定刻通りに到着できるのだから。

 

 本当に良かった。到着が遅れたら、今度はどう謝ろうか考えなきゃいけないのは私だ。私の少ない語学力じゃそろそろ謝罪のレパートリーが尽きかねない。

 

 

「それにしても、また西部に行くとは思わなかったね」

 

 帝都を出発して早三十分弱といったところだろうか。激しい運動からの疲労感も解けた頃、私から一番遠く、窓際に座るエリオット君が隣に腰掛るマキアスを見て言った。

 

「そっか、あなた達は先々月もこの列車に乗ったのね」

 

 と、マキアスの対面に座るアリサ。ちなみにこの場にいる六人の内、彼女とクロウ先輩以外の四人は一緒にブリオニア島に行ったメンバーだったりする。

 

「ああ、そうだな。……今思えば、あの時は色々と大変だったな」

「あはは……」

 

 つい二か月前の出来事を振り返って、肩を落とすマキアスとエリオット君。左右に流れるの二人の視線が、アリサを挟んで向こうに座るフィーと私に向けられてる気がするのは、気のせいじゃない。

 

 どうでもいい事だけど、フィーの座ってる窓際の席が良かった。

 

「なんのことだっけ?」

「うーん、わかんないなぁ」

 

 首を傾げてとぼけるフィーに同調するけど、痛いほど分かってる。私も、勿論フィーも。

 

「貴女達ね……」

 

 左右両側のそんな私達に、アリサは呆れ半分で目を細めた。

 

「なんだなんだぁ、面白い話かよ?」

「別に大して面白くないんで、先輩は知らなくていいですよ」

 

 向かいでふんぞり返る先輩がちょっと気に入らなくて、意味もなくぶっきらぼうに私は応えた。なんで、そこが先輩なんですか。

 それに対し、「つめてぇなぁ」とぼやく先輩。

 

 ほんの冗談のつもりだったんだけど、悪い事をしたかなぁ。

 

 だけど、そう思ったのも束の間であった。

 

「……あー、そういやこないだ聞いたんだが、裏・士官学院七――」

「ちょっと、先輩……!」

「顔赤いぞぉ、何考えてるんだぁ?」

 

 この、まじでぶっとばすぞ。……無理だろうけど。

 

 思いっきり睨み付けても、ニヤニヤと軽薄そうな態度を崩さない銀髪バンダナと私の対立は、唐突に終わる事となる。

 

「先輩、世間話もいいですけど、そろそろ予習に入りましょう」

 

 ノート程の大きさの手帳を鞄から取り出したマキアスは、そう切り出した。

 ナイス、マキアス。個人的にうちの副委員長の”予習”がここまで嬉しかった事は初めてである。

 

「ジュライ特区――ラマール州の北側、帝国北西部の沿岸部にある経済特区だ。

 

 特区の中心のジュライ市は古くから中継貿易で栄えた港湾都市で、特別区として北西部領土を管轄する北西準州から独立した地位にある。もっとも、帝国政府の直轄地という意味では同じだが――……

 

 

 ……――人口もそれなりに多い都市の様で、帝国北西部の経済の中心となっているらしい」

 

 それなり、ということは帝都と四州の主要都市に次ぐ規模なのだろうか。以前、西部に来たときはブリオニア島という私の故郷よりも辺鄙な場所だったが、今回は反対に都市部での実習になりそうだ。

 

「一応、教科書に載っていた情報を纏めて来たんだが……質問はあったりするか?」

 

 何分辺境過ぎる場所だからか詳細な記述が少ない書籍ばかりだったらしく、答えられるかどうかは分からないと、眉尻を下げて自信なさげな様子で付け加えて質問を待つマキアス。

 

「ん」

「フィー」

 

 名前を呼んで質問を促すマキアスの声が、微妙に上がり調子で嬉しそうだ。

 

「”けいざいとっく”って何?」

「そうだな……」

 

 少々考える仕草をしながら、マキアスは一言置いた。

 

「地域経済発展の促進の為、政府が税制優遇措置や各種規制緩和を施行する指定区域のことだな」

「???」

 

 フィーが右に左に首を傾げる。余程意味が分からなかったみたいである。私も物語か何かで出てくる魔法の呪文かと思った程だ。

 

「マキアス、難しい」

「クク、ちとお堅過ぎるな」

「マキアス、貴方ねぇ……」

 

 呆れ気味に溜息を付くアリサと、苦笑いするエリオット君にたじろくマキアス。正直な話、いまの一文は学院の教科書じゃなくて専門書なんじゃないか、私もちんぷんかんぷんだ。

 

「簡単に言ってしまえばだけど、人やモノを集める為に税金を安くしていたりする場所よ」

 

 フィーにも、私にも分かり易い言葉でアリサが教えてくれた。

 

「ふーん。物が安いって事?」

「確かに、住民にもそういう恩恵はあるかも知れないけど、本来は商取引がし易くなったりする企業向けの政策だと思うわ」

「ちなみに、ラインフォルト社はどうなんだ?」

 

 純粋な知的好奇心からか、マキアスがアリサに訊ねる。

 

「シャロンから聞いた話だと、ジュライ特区には一応支社があるわ。後は……正規軍向け車両の整備や組立てをする工場なんかもあったりするみたいね」

「軍需工場か……」

 

 ”正規軍向け”ってあたりが引っかかたのは私だけでは無い筈。微妙な空気が流れていることから、それは明らかであった。

 

 そんな空気を察してか、話題転換の為に私に話を振ったのはエリオット君だ。

 

「そういえば、北西準州ってことはエレナの生まれ故郷にも近いの?」

「ブリオニア島よりかは近いのかなぁ……。よく分からないけど、みんなと一緒に行けるのは楽しみだよ」

 

 頼られちゃあ、しょうがない。というか、こんな話題でも話を振られたのが嬉しくて、変な事まで口走ってしまった。

 実際、離島のブリオニア島と違って陸続きの場所と考えれば、その心理的な距離はぐっと近いだろう。それに”ジュライ”の名になんとなくだが聞き覚えがあるのだから、近いのは間違いない。

 

「へぇ、お前さん北西生まれだったのか?」

 

 以前なら答えるのに躊躇っただろう先輩の問いだが、素直に頷くことが出来た。まあ、この場にいるⅦ組の仲間たちはみんな知っている事で、先輩だけ知らなかっただけというのもあるのだけど。あと、今はさっきみたいに先輩に意地悪するノリでもないし、変な返しを食らうのは御免だ。

 

「ジュライっていうと微妙に聞き覚えがあるんです。多分、私が生まれた自治州の近くの国だった筈? あ、昔の話で、ですけど」

 

 マキアスの話だと北西部でも大きな港町という事だから、もしかしたら両親に連れて行かれた事もあるのかも知れない。

 

「……へぇ」

 

 少しの間が空いてから、クロウ先輩は声を漏らした。

 

「国か……」

「確か、八年前に編入されたのだったわね。オズボーン宰相の政策で」

「『領土拡張主義』だね」

 

 周辺の小国や自治州を帝国政府の直轄地として帝国に併合――直轄地からの税収を拡大し、カルバード共和国を建前上の理由として正規軍の増強を行う。オズボーン宰相の政策の日本橋らの一つだ。

 六月にA班が訪れたノルド高原を除けば、これまでの実習先はすべて帝都と四州――帝国の伝統的な領土、つまり内地であった。唯一、ノルド高原のみは異なるものの、あそこはそもそも帝国外である。属領や近年の編入地である”外地”に特別実習に向かうのは初めてなのだ。

 

「おいおい、お前さんたち真面目過ぎだろ。せっかくの長旅なんだ、いまからそんなお堅い話してると、疲れちまうぞ?」

 

 再び微妙な雰囲気に陥る私達を引き戻したのは、クロウ先輩だった。

 

「まぁ、たしかに」

「先輩は不真面目過ぎるんじゃ……」

 

 不真面目組代表のフィーが同意する一方、真面目党のマキアスはちょっと呆れ気味である。

 

「ちっちっ、わかってねぇなぁ。特別実習の先輩としてお前らにアドバイスしてやろう――何も考えずに楽しめる時間は大事にした方が良いぜ?」

 

 どうせ実習帰りにゃ、色んな事で頭ん中グルグルだしな。

 

 そう先輩が続けた言葉に、私はハッとさせられた。また、それはみんなを納得させるのにも十分過ぎる言葉だった。

 

「じゃ、モテトークよろしく」

「おいおい、無茶振りが過ぎねぇか――だが、このクロウ・アームブラスト、女子の頼みとあっちゃ断れねぇ!」

 

 意地の悪い笑いと湿っぽい視線でクロウ先輩に無茶振りするフィーも中々だけど、それでも頑張る先輩も先輩である。

 

「……じゃあ、おやすみ」

「私は遠慮しとくわね」

 

 隣の二人のあっさりとした反応も相変わらず……って、フィーは先輩の”モテトーク”を子守唄にするつもりなのだろうか。

 そんな二人の裏切りに先輩の寂しそうな視線がこちらを向いた。

 

「……すみません先輩。ちょっと興味ないです」

「オイ、お前ら! オレ様の扱い酷くねぇか……?」

 

 流石のクロウ先輩もこの扱いにはしょげてしまって、頭をがっくりと下げていた。

 

「あはは……じゃあ、マキアス、”僕達は”ブレードでもやろうよ」

「まぁ、いつもやっているしな……今回はリベンジするぞ」

 

 逃げる様に自分達の世界に入り込もうとした二人に食いついたのは、何故かもう元気な先輩だ。

 「ブレードも最近普及しまくっててオレ様も鼻が高いぜ」と自慢げに頷きながら、自分の鞄からツーセットのカードを取り出し、その一つをアリサとフィーに渡す。

 突然、モテトークじゃなくてブレードカードを渡されたフィーがきょとんと首を傾げ、アリサは本日何度目か分からない溜息を付く。

 

「よし。じゃあ全員総当たりのリーグ戦といこうぜ。勿論、ビリには罰ゲーム付きな」

 

 そして、もう一つを私に手札を引けと言わんばかりに差し向けた。

 

 

 ・・・

 

 

 ラマール州の州都、《紺碧の海都》オルディス。その駅の内装は豪華絢爛でとても立派なものである。ラマール州が貴族領邦四州の中で最も巨大かつ、経済的にも豊かな州だというのは目に見えて良く分かる位だ。

 

 丁度おやつの時間に到着した私達は、ここで二回目の乗り換えである。線路は続いているんだから一気にジュライ特区まで行って欲しいものだけど、今朝トリスタ駅のマチルダさんと話したアリサによると、北西方面に向かうジュライ支線の列車は一部の特別列車を除いて、その全てがオルディス発と決まっているらしい。なお、クロウ先輩によるとこれは「貴族様の事情」なんだとか。

 

 さっきアリサが売店で買って来てくれた、ラマール州の名産品の一つである梨のジュースを大きめのストローで吸いながら、周りを見渡す。

 アリサとフィーはお土産も売ってる売店を見に行っているし、つい先程までそこにいたマキアス達男子は、クロウ先輩に引き連れられて仲良く連れションである。

 

 私は罰ゲームで荷物番。全体の順位が決まった後で、ブレードをよくやるクロウ先輩が有利すぎるって文句をいったけど、「最近はオレ様より強い奴もいる」っていって取り合ってくれなかった。ちなみに、アリサは一位、マキアスが二位だったりするので先輩の言う事は確かに正しい。

 

 まぁ、朝の忘れ物の事もあるし、仕方ない。たぶん、クロウ先輩以外が罰ゲームになっていたら代わってあげていただろう。先輩がビリで罰ゲームなら隣で目いっぱい冷やかしてやっただろうけど。

 

 六月にも来たこの駅ではあるが、活気の溢れていた二か月前とは打って変わって今日は物々しい雰囲気だ。その原因は駅を闊歩する警備の領邦軍兵士達。こうやって周りを見渡していると、先程から駅構内のいたる所で旅客を引き留めては、なにやら職務質問を行っている。

 先月の帝都での事件もあって警戒しているというのは分かるが、領邦軍兵士の横柄で威圧的な態度は見ていてとても印象に悪いし、不愉快だった。

 ついでに、こうやってずっと見てれば分かるのだが――列車の発車直前に急いでいる客や女性の一人客を多く引き留めていたりと、どうも恣意的な気がするのだ。

 

 ――明日の夜、こちらから連絡します。何か気付いたことがあれば、些細な事でも教えて下さい――

 

 私が枕元に《ARCUS》を忘れる一因ともなった昨晩遅くの通信。その相手が言っていた言葉を思い返す。

 

 一体、大尉は私のどんな話が聞きたいのだろうか。

 

 大尉が初めて『こちらから連絡する』と明言してくれた事と、この特別実習が無関係ではない位は私にも分かる。だからこそ、期待には応えたいけど……応える術が分からない。

 

 

「ふむ、それにしてもこちらはどこも厳戒態勢みたいだ」

 

 ふと耳に入ったのは、隣のベンチに座る恰幅の良い恰好をした初老の紳士とその使用人らしい二人組の会話。

 

「先月末に帝都でテロが起きたばかりみたいですからね。先程といい、港での入国審査といい、こちらの兵隊の横暴には驚きますが」

「公爵家への表敬訪問も断られてしまったしね。こういう仕事では前任者の方が適者なのだろうと痛感させられるよ」

 

 領邦軍への不満を口にする旅行者の話に、私は耳を傾ける。

 

 あんな事を言ってしまって大丈夫だろうか。ここが帝都なら問題ないだろうけど、この街は貴族連合の本拠地といっても過言じゃない場所なのに。

 

「おい、そこの娘」

 

 まさかと思ったけど、顔だけ上に向けて、声の主を確認する。

 

「この大荷物はなんだ? 乗車券と身分証を出したまえ」

 

 偉そうな顔つき、制服だけが立派な領邦軍の兵隊様がいらっしゃった。

 

 ……なんで、あっちじゃなくて、私の方に来るんだろうか。

 

 

 ・・・

 

 

 思いの外早く領邦軍の職務質問が終わったのは、マキアス達が戻ってきてくれたからだ。なんでも、あの兵士はB班全員の荷物を私一人の荷物だと勘違いしていたらしい。

 なお、マキアス達もトイレ近くで兵士に呼び止められたのだが、クロウ先輩の機転ですぐに解放されたらしい。やっぱり、あの先輩、役には立つようである。

 

 制服を着てるんだし、学生だと判断すればグループでの旅行とか色々想像つくと思うんだけど。やっぱ、嫌がらせか。

 

 領邦軍――特にラマール州のは、先月の帝都テロの園遊会の件もあって、私の中ではすこぶる心象は悪い。あの兵士が単におっちょこちょいだったなんて、楽観的な考えが浮かばないぐらいに。

 

 そんなこんなでイライラして、アリサとフィーが買って来たおやつとジュースをがぶ飲みしてしまったからか、列車に乗ってからトイレに行きたくなる羽目になってしまった。

 

 席を立った時、銀髪バンダナが「列車のトイレは揺れるから漏らすなよー」からかわれた。ほんとサイテー。

 大体、朝の”裏・七不思議”ネタといい、『お互いにあの夜の事を口外しない』協定違反じゃないか。深夜帰りをバラしてやろうかと思っても、私と先輩じゃ隠している事の重大さが違うのでかなり分が悪い。

 だから、ちょくちょく私をからかって来るんだろうし――あれ、それなら何で一週間も黙っててくれたんだろう。

 

 そんな事を考えていたトイレのある車両からの帰り道、丁度私達の乗る車両まであと一両の隣の車両に入った時、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「しかし……いくら帝国政府の有力者からの要請とは言え、今回は断っても良かったのではないですか?」

「だが、これは私達にとって非常に大きな利のある話だ。近年低迷が続く港湾事業としても、また私が目指す観光都市としても、十分起爆剤となりえる話だよ」

 

 オルディス駅にいた初老の紳士とその使用人だ。先程から難しい話をしている彼らは何者なのだろうか、と疑問に思ってしまった私は、気が付けばその場に足を止めていた。

 

「ただ、あの人と会うことには少なからず気後れするかな……どうしても、強引な接収の事を思い出してしまってね。だが、私も彼も責任ある立場にある以上、将来の為に最善を尽くす義務がある。お互いにね」

 

 突然の急カーブに列車が傾き、私が聴き耳を立てていた目の前の席から杖が転がった。

 それは隣の座席に弾かれ、偶然にも私の足元へと転がって来る。

 

「ああ、ありがとう。お嬢さん。学生さんかね?」

「は、はいっ」

 

 人の良さそうな微笑みを浮かべて感謝を述べる紳士。

 足元まで転がって来た杖を無視する訳にもいかず、高級そうなそれを紳士に渡しに行った私だが、盗み聞きしていた罪悪感もあって、顔を合わせるのは少し憚られた。

 

「そうか――どこの国も変わらないものだな」

 

 独り言のようにそう零した紳士は、自らの席へと戻る。

 やっぱり、外国人だったのか。そんな感想を抱きながら、みんなのいる車両へと戻ろうと脚を進めた私の耳にとんでもない一言が飛び込んできた。

 

「……――それに、もうエレボニアは敵ではないよ」

 

 列車の走行音に阻まれて、明確には聞き取れなかったその言葉に、身体が氷の様に固まるのを感じた。

 

 

 先程の言葉を耳にして、私は逃げる様に自分の席まで戻って来た。

 さっきの紳士たち二人は、多分――そこで、考えるのを止めて、窓の外へと向ける。

 

 あの海の様に、穏やかな心であればどれだけいいだろうか。

 ジュライ特区(北西の編入地)ガレリア要塞(お父さんの勤務地)通商会議(トワ会長)の事。よく分からない胸のざわつき、妙に張りつめる緊張感。

 

 そして、喉につかえた魚の骨の様に気になる大尉の言葉。

 

 

「……?」

 

 先程の列車と同じく窓際に座っていたフィーが、何かに気付いたかのように窓に顔を付けて外に注意を向けた。

 

「ブリオニア島に行く時に見た基地の跡――」

「あ……」

 

 フィーの言葉と時を同じくして、窓からの景色は海沿いの湿原から、人工物の多いものへと変わる。

 線路の両側に広がる遺棄された軍事施設群。それは、この路線が元々はこの基地の為に作られた事を物語っていた。

 

「あれ? 結構、人がいるみたい」

「大型の導力クレーンね……あれはウチの最新型の装甲車だわ」

 

 驚くことに先々月には見られなかった人の気配が基地にはあった。

 何やら倉庫の様な大きな建物を建設しているクレーン。一列に並ぶ装甲車。

 

「一個大隊、ううん、周辺にも展開してるだろうから、合わせて師団規模はあるかも」

「あの紋章は領邦軍――ラマール州の兵隊みてぇだな」

「ラマール州も軍備拡大か……」

 

 先月の帝都の夏至祭襲撃事件を受けて、テロ対策を名目に貴族連合は更なる軍備増強を進めている。相手は《革新派》と正規軍であるのは、既に疑う余地もない。

 

「オーロックス砦の時みたい」

 

 先月末以降、政治的な非難合戦を除けば大きな動きはない《貴族派》と《革新派》の対立。でも、水面下では更に深刻なものとなり、その衝突の時は迫っている。

 そんな現実を改めて私達は突き付けられた。

 

「あの基地があったってことは、そろそろ昔の国境ってことだね」

「ああ、地図上だとこの先の大河がラマール州とジュライ特区の境になっているな」

 

 マキアスが手に持つのは帝国全土の鉄道路線図だ。主要都市や州境などの目印も記載されている親切な地図だ。

 

 昔の国境――それは、内地と外地の境目である。

 

 そして、森林と湿地の風景が一気に視界が開け、橋梁特有の列車の走行する音が大きく響き始めた。

 

「わぁ……」

「すごい綺麗……」

 

 感嘆の声を漏らしたのはエリオット君とアリサ。

 

 思わず目を見張ってしまう見事な大河だ。故郷ではこんな川は見た事無く、帝都を流れていたアノール河よりも更に川幅は広い。

 オルディスの方向から夕日を受けて輝く緩やかな流れは、すぐ目の前で海へと注ぐ。

 それは、何百年も帝国の北の国境を担っていたと言われて納得できる程の雄大な大河であった。

 

 大河の中央を超えた頃、目的地への到着が近付いている事を告げるアナウンスが流れる。

 私は十三年振りに、この北西の地へと戻ったのだ。

 

 

 ・・・

 

 

「うわぁ、都会」

 

 私達の住むトリスタよりも一回りも二回りも大きな立派な駅舎の時点で感じていたけど、駅を出た私達の目に飛び込んできた光景は想像以上のものだった。

 

 綺麗に整備された駅前広場から幅の広い大通りが真っ直ぐ伸び、その通りを何台もの導力車が行き来する、活気のある都市の姿がそこにはあった。

 

「でも、どこかで見たことある様な……」

「ああ、そうだな……」

 

 エリオット君とマキアスは落ち着かなそうに、きょろきょろと周りを見渡している。

 

 大通りの両側には煉瓦造りの背の高い建物が連なる街並みは――まるで――

 

「まるで、帝都みたいだね」

「あっ……」

 

 私が感じた事をそのまま口にしたフィーの一言に、アリサが思い出した様に声を漏らす。

 

「そういえば……」

「確かに、ヴァンクール大通りそっくりだ」

 

 帝都市民の二人も首を揃えて頷いた。帝都で生まれ育ったこの二人が言うんだから間違いないだろう。

 

「……」

「クロウ先輩?」

 

 珍しく静かな先輩に違和感を感じて振り返ると、そこにはポカンと驚く先輩の姿があった。

 私の他にも驚きで声の出ない人がいるとは、それもこの先輩だとは意外だ。

 

「――いや、外地なんて言われている割には栄えてるなと思ってよ」

「そうですね……私も驚きました」

 

 勿論、帝都のヘイムダル中央駅と比べれば駅舎は小さいし、ヴァンクール大通りど比べれば、建物の高さは幾分か低く、導力車の数も人通りも少ない。

 

 それでも、この駅前広場からの雰囲気は帝都そのものであったし、帝都を知る人がこの光景を見れば、疑問など感じずに納得するだろう。

 

 ここが――帝国の街だと。




こんばんは、rairaです。
今回のお話を書くにあたって実家で埃を被っていたPSPで「空の軌跡FC」をほんのちょっとだけプレイしたのですが、セーブデータの日付に戦慄を覚えました。…2006年って10年前じゃない…。
なお、本当にプレイしなくてはいけない「SC」は見当たらず未プレイという有様です。…Evoを買えって事なんでしょうか。

さて、今回は8月28日の朝~夕方、全編の殆どが列車内の出来事になります。
長旅の末やっとジュライ特区に到着しました。ジュライがどこに存在するのか現時点で微妙に分からず、クロウ先輩も「閃」原作で”長旅”と言ってた気がするので10時間位の所要時間と設定しております。

ただ、考え無しに設定してしまったこの所要時間の為、更に大きな問題も発生していたりもするのですが…。

次回は8月28日の夕方~夜、B班の面々はジュライの街へと繰り出す予定です。

最後までお読み頂きありがとうございました。お楽しみ頂けましたら幸いです。


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8月28日 《北海の港都》ジュライ

 特別実習の宿泊先として用意されたのは、大通り沿いのホテル≪インペリアル・ホテル・ジュライ≫。マキアスとエリオット君によると、帝都にもある有名な高級ホテルなんだとか。

 そういえば、先月帝都で会ったフレールとその婚約者のシェリーさんが泊まっていたホテルも、そんな名前だった気がする。

 貴族趣味全開なバリアハートのホテル程ではないけど、部屋の内装や調度品は私にとっては十分過ぎるほど豪華なものだ。こんな髙そうな所に泊まってたなんて――やっぱり、お金持ちの婿になっちゃったんだなぁと、この実習には全く関係の無い自分の幼馴染の変わり様をしみじみと実感してしまう。

 

 広々とした一階ロビーの窓から射し込むはもう夕日だけど、私達にとって今日はまだまだこれからだったりする。まさかとは思ったけど、チェックインの時にホテルの支配人から渡されたのは、実習課題の封筒であったのだ。

 依頼主は、北西準州の治安維持を担う準州憲兵隊。依頼内容は、”特区市街地の夜間警邏”の支援。午後六時から九時までの三時間の予定だ。

 

 そして、まぁ、当然の様に書類の右上には【必須】という赤い判子が押されている。つまり、”やらなきゃ落第”課題である。

 

 ジュライの駅から海岸方面に向かって、市街地を真っ直ぐ貫く大通り。三十アージュは在りそうな道幅で、灰色のコンクリートで舗装された立派な道路である。正直、こんな道路を帝都以外で目にするとは思わなかった。

 

 そんな大通りを横目に見てから、ホテルで貰ったガイドブックを読み耽っていたマキアスが呟く。

 

「《インペリアル(帝国の)大通り》――またの名を《エレボニア通り》か……」

「露骨ねぇ……まさか、あの駅前、”ギリアス・オズボーン広場”とかじゃないわよね?」

「……よく分かったな?」

 

 半ば呆れ気味で冗談を飛ばしたアリサだけど、まさかの冗談みたいな現実に顔を引き攣らせる。

 見開きのページに印刷された鳥瞰図風の地図を、マキアスはみんなに見せる様に机に広げた。

 大通りがすぐに分かるので、その起点となる駅前広場もおのずと把握できる。

 

 ”Eiserner Kanzler(鉄血宰相) Square(広場)”。

 

 まじだ。これは。

 

「……ネーミングセンスを疑うわ」

「あはは……」

 

 完全に呆れかえるアリサと乾いた声で笑うエリオット君。

 そんな、《ドライケルス大帝広場》みたいなノリで命名されても。オズボーン宰相はまだ存命中どころか、まだまだ現職なんだけど。

 

「ちなみに北に行く通りが≪ルーレ通り≫、南に行く通りが≪セントアーク通り≫というらしい」

 

 ここまで聞けば、東と西の他の通りは大体もう想像できる。もしかしたら南の端の小さな路地裏辺りには、《パルム通り》もありそうだ。

 

「この街、八年前まで外国だったのよね? 流石に露骨すぎて恥ずかしくなるわ」

「ドン引きだね」

 

 私もアリサと同じ気分だし、フィーの短い感想はこの場にいるみんなの率直な意見を代弁していた。

 帝国風の地名への改名は、間違いなく帝国の外地政策だと思う。元の地名ごと、その地の歩んできた歴史を葬り去って文化的にも帝国へと同化してゆく――その意図は”北西準州”の味気の無い名称からも良く分かる。

 

「いや、どちらも編入前かららしい」

「えぇ?」

 

 ≪インペリアル大通り≫の由来は、二十年程前に帝国軍が軍用道路として建設したから。そして、≪鉄血宰相広場≫の由来は、十年程前にこの街に鉄道を引いたのがオズボーン宰相だったから。マキアスがガイドブックから読んでくれたのはそんな単純なものだった。

 なんか梯子を外された気分である。

 

「なんでも、鉄道開通の記念とオズボーン宰相の功績を称えて、当時のジュライ議会が命名したらしいな」

「ふーん……」

 

 自国の宰相が当時外国から称えられるというのは、嫌な気はしないけど――その後の編入という結果があるだけに、少し複雑ではある。

 

「ま、併合されたってことは、国を売ったって事だろ? その市議会とやらは。そんな奴らなら帝国に媚の一つや二つ売るだろうさ」

 

 クロウ先輩の口から出た辛辣な一言に、私達は一瞬固まった。

 

「先輩、しーっ!」

「ちょっとは考えなさいよね……ミリアムじゃないんだから」

 

 

 ・・・

 

 

 なんかクジ運悪いなぁ。

 準州憲兵の詰所で簡単な説明を受けた後、私達B班は担当する市街地の街区ごとに二人のペアを三組作って課題にあたることとなった。帝都に比べれば市街地の範囲が狭いとはいえ、それでも二十万人近い人口を誇る帝国有数の大都会である。六人で固まっては三時間かけても市街地全域を回りきるのは不可能だ。

 このペア分けはブレードのカードをクジ引きの要領で用いて決めたものの――列車の席の対面に続いて、私の隣にはクロウ先輩がいたりする。

 

「ホテルのある大通りと比べれば凄く閑散としてますね」

「そうだな」

 

 北海に面する港町であるジュライ特区は、大まかに二つの街区に分けられる。

 一つは特区市街地の東側、駅前広場から特区の目抜き通りである《インペリアル大通り》を中心に海まで至る新市街(ノイシュタット)。

 もう一つが、特区西側の私達が今いる旧市街(アルトシュタット)だ。

 

 また、海沿いの港湾地区は、それぞれの街区に対応する形で新港、旧港と呼び分けてられており、大型船舶用の巨大な埠頭と港湾施設が整備されている新港に対し、旧港は専ら漁船などの小型船が利用する昔ながらの港なのだとか。

 

 帝都中心街に似た赤煉瓦の立派なビルが建ち並ぶ新市街と対照的に、古く小ぢんまりとした建物が建ち並ぶ旧市街。

 道も新市街は真新しいコンクリートで舗装されているのに対して、旧市街は所々でこぼこした古い石畳だ。

 

 伝統的な木組みの茶色い三角屋根の街並みは、どこか趣を感じさせるものであり、シックな様式の古びた導力灯の明かりが通りに映える。

 

「街の雰囲気も違いますね」

「そうだな」

 

 さっきからつまらなそうな返事しかしてくれないクロウ先輩に少しむっとしてしまう。

 その割には、あっち見たりこっち見たりと、課題には熱心に取り組んでいる様な気もするけど。ああ、私に不満なのか。

 

「それにしても、大分北に来ちゃったから夏なのに少し肌寒いですね」

 

 空を見上げるとまだまだ明るい。東の方でやっとお星様が少しちらつく位だ。でも、帝都近郊でいえば初夏位の気温しかないのではないだろうか。晩夏といっても、トリスタはまだまだ夜でも汗ばむ暑さなのに。

 

「そうだな」

 

 まただ。

 我慢の限界っていうか、流石に苛立つ。私が悪い事したならそう言えばいいのに。とにかく、それなりの理由を言って欲しい。

 

「もー……さっきから、なんなんですか」

「おっ」

 

 私の事なんて関係ないと言わんばかりに、何かに気付いたように声をあげた先輩が、足を早めてゆく。

 

「ちょっと、先輩! 真面目に聞いてくださいよ!」

「ワリィ、あの店いってくるわ」

 

 と、先輩が指差したのはお店は、この通りの中ではそれなりに賑わっていそうな居酒屋であった。

 

「はぁ!? なんでですか、課題中ですよ!?」

「便所だっつーの。なんだ、お前さんも一緒に来るか?」

「いくわけないじゃないですか! ……もう、朝からしつこいですよ!」

 

 今日までちゃんと守ってくれてたのに、なんで特別実習が始まってからこのネタでからかわれるのだろう。

 

 

 最初は居酒屋の軒先で先輩を待っていたのだけど、そんな私を見た店主らしいオジサンが親切にも中で待っている様に声を掛けてくれた。「逆に店先に立たれちゃ邪魔ってもんよ」とも言ってもいたけど、そんな訳でカウンター席の誰もいない一角で、中々出てこない先輩を待っている。

 

「その制服、準州の軍学校か?」

「あ、いえ……帝都のトールズ士官学院から来ました」

「へぇ、帝都から来たのかい」

 

 トールズの名を出してここまで反応が薄い事に少々驚きながらも、なんとなく理由は察することは出来る。各界で活躍する著名人を多く輩出し、帝国で絶対的な知名度を誇る名門士官学院の名前も、この街ではあまり意味がないらしい。もっとも、中身がまったくエリートじゃない私からすれば、こっちの方が気楽で大いに助かるのだけど。

 あまり興味もなさそうに応える店主の手から、プシュっと空気の抜ける音がしたと思えば、唐突に私の前に茶色のガラス瓶が置かれた。

 これは新しい詐欺だろうか。私の身分を聞いてきたのも、帝国人に対する嫌がらせをするため的な?

 

「あの、頼んでません」

「サービスだよ。サービス」

 

 どこか信じ切れずに、瓶口に鼻を持って行って匂いを嗅いでみる。うん、よくクロウ先輩が飲んでる外国産の茶色い炭酸飲料っぽい。

 

「妙な警戒しないでくれ。こんな店だからさ、若い女の子の客は久しぶりでね」

 

 肩を落として腕を広げる店主。そんなオジサンにつられて店を見渡す。確かにテーブルが樽だったり、ドラム缶だったりと港で働く男の店といった雰囲気である。魚と油にタバコの匂いが混じるこの空気は、故郷の村の酒場と一緒だ。

 そういうことなら、大丈夫かな。まぁ、クロウ先輩もいるし、ちゃんと導力拳銃はしっかり腰のホルスターにあるし。何といっても憲兵の腕章をしているのだから。

 瓶を手に取って、一気に喉に流し込んだ。

 

「駅前と比べるとここら辺は随分違うんですね」

「あぁ、あっちか」

 

 拭き終わったグラスを私の前に置いて店主は続けた。

 

「つい十年位前は新市街のあの辺りはスラム街だったんだけどねぇ」

 

 スラム街? その言葉はにわかに信じがたかっが、その後の店主の話は私を納得させるのに十分だった。

 なんでも、帝国は鉄道開通を急ぐあまり、当時のジュライ市の中心部から外れた場所に駅を建設したのだという。その後、駅周辺は再開発事業を受注した帝国系の企業によって一気に開発が行われ、スラム街は姿を消すと共に北西へ進出する帝国企業とその従業員の為の都市が丸ごと建設されたのだとか。

 新市街がまるで帝都の様な街並みなのも、通りの名が帝国風なのもこれで頷ける。あの街は、”帝国になった街”なんじゃなくて、”帝国が造った街”だったのだ。

 

「帝国様様、鉄道様様だよ。いま思えば市国時代も悪くはなかったが、景気は悪かったからねぇ。難民は押し寄せるわ、仕事はないわ」

 

 市国――それがこの街が国だった頃の名前なのかな。

 

「挙句の果てにテロまで起きる有様よ、なぁ?」

「ヒック、あぁ、アレで俺様一文無しになっちまってよぉ……嫁と娘にも逃げられちまったし……ヒック……クソジジイ……」

 

 店主が話を振ったのは私の反対側で結構出来上がっている客の中年男性。店主の補足によると、彼はどうも株や相場で大損して飲んだくれになったらしい。まぁ、飲んだくれるミラがあるなら、まだマシな部類かとは思うけど。

 

「ありゃ、不起訴だったんじゃなかったかねぇ。でもまぁ、あの好々爺……いまどうしてるかねぇ」

「くそじじい?」

「あぁ、市長の爺さんよ。市国最後のな」

 

 そうか、市国というぐらいだから、トップは市長だったんだ。帝国では領主はいても市長という公職はあまり聞かないので、すぐには思いつかなかった。

 この街であった爆弾テロ、その首謀者として逮捕されてしまったらしい。市長がテロってあり得るのだろうか、とは思うけど部外者の私は聞き手に徹した方が様だろう。

 

「あんな事が起きる位なら帝国の方が遥かにマシ、って街のお偉いさんの商人共は思ったのさ。少なくとも帝国に守られれば自分達のミラは安泰だと思ったんだろうよ」

「ま、俺ら船乗りはどうでもよかったんだけどよォ」

 

 私の隣にどかっと座ったのは見るからに海の男といった感じの色黒のオジサン。日曜の朝のサラ教官よりお酒臭い。というか、この店オジサンばっかじゃないか。

 

「まぁ税金だけは安くなったな! ガハハ!」

「新市街は確かに魅力的だけどよォ……俺達船乗りにゃちょっと眩し過ぎるんだよなァ……」

「ここいらには倉庫街みたいな危ない所もあるけどよぉ、昔ながらの街は気楽だぜ」

「まぁ、特区の役人は旧市街を観光地区にしたいみたいだけどねぇ」

「……ヒック……次はセイランド株……レミフェリア……」

 

 いつの間にかカウンター席にオジサン達が集まって来て、私にどんどん話しかけて来てくれる。それは良いのだけど、リィン関連でからかわれたアリサより顔を真っ赤にした酔っ払い達なので、話の流れがなんてありゃしない。

 適当に相手をしつつ、それとなく席を立った私の目にとまったのは、壁に飾られた地図らしきものだった。

 

「なんか珍しい物でもあったかい?」

「いえ……この地図なんですけど」

「あぁ、古地図だよ。地図というよりは絵だけどな」

 

 カウンターで酒盛りを楽しむオジサン達の相手をしつつ、私にもちゃんと応えてくれる律儀な店主。

 古典的な字体で記されたタイトルは”North Zemuria(北ゼムリア)”。細部は結構違うけど、地理の教科書の大陸全図で見覚えのある形の地形が色とりどりに塗り分けられている。

 上の方に”Principality of(レミフェリア) Remiferia(公国)”。

 そこから右にいくと、

Grand Principality(ノーザンブリア) of North Ambria(大公国)”。

 

 これらは国だ――それも大分昔の。地図の中の文字を見て、私はこれらが”国名”である事に気付いた。

 

 紙の上の大地の下半分を区切る様に走る太い赤線。それは川に重なる様に引かれている。これが今日列車で越えた大河――帝国領の旧国境。赤線より南には、一際大きな橙色で塗られる”D.Cayenne(カイエン公爵領)”、小さめの薄紫色の”C.Florald(フロラルド伯爵領)”という今に残る帝国諸侯の領地の名も読み取れる。

 そして、大河の北側から今でも名前を聞く北の二つの国までの間に、いくつもの色が存在していた。

 

「市国……大公国……色んな国があったんですね」

「百年以上前のここら辺だからなぁ」

 

 それが今や地図に記された国の殆どは存在せず、エレボニア帝国北西準州として、その国の名を失って帝国の版図の中にある。

 

「……内戦があったのってどこら辺なんでしょう?」

 

 それは、北西に行くと決まってから、ずっと気になっていた事。

 

「あぁ、帝国が介入したあの戦争か」

 

 店主の表情が少し曇り、視線を落とす。酔っ払い達も揃って口数が少なくなっていた。

 

「すみません、悪い事聞いてしまいました……」

 

 すぐに謝ったが、周りの空気の重さは晴れることはない。私はなにを朝、トワ会長にいわれてたのに……。

 

「いや、構わないよ。戦火こそ及ばなかったが、あの頃はこの街も大変でね。皆、色々と苦労したものさ」

 

 一様に重い表情のカウンターの客達が、店主の言葉に言外に同意する。私に嫌な顔こそしてはいないけど、複雑な思いがあるのは間違いなさそうだった。

 

「ジュライからちょっと東にいった、アンブルテールの辺りだよ」

 

 海沿いの小さな赤丸の”Jurai City(ジュライ市国)”から東――すぐ隣、”Duchy of Ambrterre(アンブルテール公国)”と記された南北に長細い灰色を指でなぞる。

 

「レミフェリアだかノーザンブリアだかの王族が領主をやってた小国だったなぁ。俺が嬢ちゃん位の頃だからもう二十年以上前か……革命だのなんだので自治州になっちまって戦争がおっぱじまったんちっまったんだ」

 

 店主が教えてくれる歴史は、私の知る北西動乱という内戦の時期とほぼ合致していた。

 

 つまり、私の指が指すこの灰色の国――ここが、私の生まれた場所。

 

 

「ところで、嬢ちゃん」

「はい?」

「一緒に来た兄ちゃんはコレか?」

 

 再びカウンターに座り直し、魚の塩漬けを啄む私に握りこぶしに親指を立てて聞いてくる店主。

 そう見えるのだろうか。あんまり嬉しくない勘違いで、かなり心外だ。

 

「……そう見えます?」

「まぁ、見えねぇな」

「だったら、聞かないでくださいよ」

「いや、ちょいと嬢ちゃんが心配になっちまって」

 

 はぁ。まぁあんなチャラそうな先輩を見たら、確かにそう思われても不思議じゃないかも。そんな、心配までしてくれるなんてこの街の人達は優しい。

 

「そういえば、あの兄ちゃんも帝都から来たのか?」

「ええ、そうですよ」

「……そうか、じゃあ思い過ごしだな」

 

 よく意図が分からない店主のぼやきにを首を傾げる。クロウ先輩の何が――

 

「って!?」

 

 のんびり寛ぎながら、この街の名産らしいサモーナの塩漬けをもう一切れつまんだところで、大事な事を忘れていた事に私は気付いた。

 多分、もう遅い。そうは分かっていても、確認せずにはいられない。店の奥まで走り、トイレらしい扉を勢い良く開け放つ――予想通り、あの銀髪の先輩がいる訳はない。

 

「……あ、あ、あ……」

 

 沸騰しそうな位の熱が頭に走り込み、不意に肩が震える。

 

「あんにゃろー!」

 

 気付いた時には、頭の先まで血が昇り切って、渾身の怒りを声にして放っていた。

 

 

 人通りのあまり多くない通りを右見て左見て、逃げ出した――いや、置き去りにしてくれた憎き銀髪の頭を探す。

 多分、あの店に入ったのも逃げ出す計画の内だったのだろう。きっと、店主にミラでも握らせて、飲み物とおつまみで私を引き留めさせたんだ。むっかつくぅ!

 大体そんなことに使うミラがあるなら、リィンに50ミラさっさと返せばいいのに!

 

「お、遅かったな」

「どこほっつき歩いてたんですか、先輩!?」

 

 先輩はすぐに見つかった。というか、何食わぬ顔で戻って来やがったもんだから、抑えもせずに怒鳴りつけてしまう。

 

「いやー、あっちに良さ気なカジノバーがあってよー」

「もー……!? 何やってんですか、私達、課題中ですよ……!」

 

 先程の私の大声のせいか、あちらこちらから視線が集まるのを感じて声を小さくする。

 どうどう、私。抑えて、抑えて。

 

「クク、ちゃっかりカウンターに座って楽しんでそうだったからなぁ」

「あ、あれは、世間……じゃなくて、現地情報の収集の一環というか……」

 

 ぐっ、辛い所を突いてくれる。確かに警邏の課題の事なんて忘れてお喋りに夢中になってたけど……たからって声すらかけずに置いてくなんてどういう了見だ!

 

「一応、忠告はしとくが……お前さん、ホストとか行くのは絶対やめとけよ? 後、ミラに困ってもああゆうオッサンの酒の相手は――」

「やるわけないじゃないですか!?」

 

 下らない忠告に、思わず怒鳴ってしまい、またもや、通りを行き交う人々の注目を集めてしまう。

 

「……そうじゃなくて、置いてかないでくださいよ」

 

 初めてきた街で、それも夜の酒場に女一人置いてくってほんと信じらんない。 そんな事も分からないから、顔だけは良いのにこの先輩はモテないんだ。

 

「ははーん、俺様がいなくて寂しかったか」

「……」

 

 あーもう! 確かに慌てたし、寂しかったかも知れないけど、それより怒ってる方が断然だし!

 喉の先まで出掛かった反論を飲み込む。いくら人通りが疎らだとはいっても、既に悪目立ちし過ぎて恥ずかしい。

 

「……別に」

「図星か」

 

 なにが図星なんだよ! と言いたい気持ちをやっとの思いで抑え込む。

 

「なんで先輩なんかと一緒なんでしょうね」

 

 なんか先週位から本当に女神様に見放されてる気がする。ちゃんとこないだ教会にはいったのに。学院に帰ったらエマにでも相談してみようかな……。

 

 

 酒場の酔っ払い達から聞いた話で、旧市街の港――旧港の倉庫街は一部は廃墟化していて治安が悪い場所だといっていた。

 その情報を頼りに港沿いを歩き回ると、倉庫街の一角からよく分からない騒がしい音楽を大音量で流して、たむろする男たちがいた。多分、見た目から私やクロウ先輩と同じ年頃の子だとは思うけど……。

 

「……やっぱり、注意とかしなきゃいけないんですかね」

 

 返事は帰ってこない。変に真剣な眼差しで、古びた倉庫を見つめていた。

 

「どうしたんですか?」

「ここはもういいだろ。戻ろうぜ」

「え、でも……明らかにあそこ、怪しそうっていうか」

 

 怪しいとかいうレベルではなく、正直に言えばお近付きになりたくは無い感じだ。あんな不良達を見るのは初めてだし、少なくとも私の周りには今までいないタイプであった。多分、最も近いのはこの隣にいる先輩か幼馴染だろうけど、少なくともⅦ組にはいない。いや、先月まではいなかった。

 

「オレ達二人で行ってもめんどくせぇ事にしかならねぇよ。ああいう輩はな」

「でも……」

 

 これは正式な依頼であり、必須課題なのだ。ここで放っておいて良い評価があるとも思えないし、住民の迷惑になっているのであれば、それを取り除くのも仕事なのだと思う。

 

「課題は警邏の支援だ。目の前で住民が絡まれてる訳でもねぇし、憲兵に報告するだけでいいと思うぜ。まぁ、対応してねぇからあんな粋がった奴等がいるんだろうがな」

「……わかりました。ここは先輩に従います」

 

 クロウ先輩の言い分は正しい。課題はあくまで警邏の支援であり、学生の私達には逮捕権はおろか、職務質問を行う権限すらない。それに、あの大人数を相手に二人は心許ないのも本当の話で、なにより後三十分もすれは九時だ。そろそろ、憲兵隊の詰所に報告に向かっても良い時間である。

 

「置いてかれたのに、ちゃんと聞き分けのいい後輩に感謝してくださいね」

 

 恩着せがましく先ほどの恨み節を添えて、帰路につくのだった。




こんばんは、rairaです。
さて、今回は8月28日の夕方~夜、ジュライ特区内での特別実習一日目のお話になります。
「閃の軌跡」原作三章のノルドの様に夕方着であれば、その日は課題無し…となりそうなものですが、今回は短い時間軸の中に詰め込む為にレグラムのA班と同様に一日目から特別実習の課題に追われる羽目になっております。

「暁の軌跡」ではレミフェリアに行く事が確定的となっている様ですが、かの国と歴史的に関わり合いのあるジュライも登場するのでしょうか。色々と粗い造りのタイトルですけど、分かっているとにやっとしてしまう小ネタが多いので期待したい所です。

次回も同日夜のお話となります。

最後までお読み頂きありがとうございました。お楽しみ頂けましたら幸いです。


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8月28日 月夜の照らす繋がりは

 新市街の官庁街にある準州憲兵の詰所でみんなと合流し、警邏の報告を済ませた私達。三時間以上も街中を歩き回ったら、減るものも減る、という事で、ホテルへ戻る道のりで晩ご飯を食べれそうな場所を探していたのだが……目ぼしいお店を見つける事は出来ずに、気付けばもう≪インペリアル大通り≫沿いの、通りと全く同じ名のホテルの建物が目に入ってしまっていた。

 

 新市街を回ったアリサ達が、あまり面白味が無い街と、ぼやいていたのも頷ける。造られた街だからか、区画ごとにしっかり棲み分けがなされていて、大通りは完全なオフィス街なのだ。

 ちなみに、クロウ先輩は私を置いてほっつき歩いてた時に見つけたらしい旧市街のカジノバーを提案するものの、アリサとマキアスのダブルリーダーのNGであっさり却下されてしまっている。それに、今から旧市街まで行くのは遠すぎだ。

 

 結局、もう時間も遅いという事でホテル内にあるレストランで済ませてしまう事で話は纏まった。

 

 

 ホテルの前の様子が少し変であった。

 大きなリムジンタイプの導力車がホテル正面のエントランス前に止まり、その周りを何故か灰色の制服の兵士――鉄道憲兵隊が警備をしている。更にその外側には何かを待っているような様子の人達が十数人ほど。その中には導力カメラっぽいものを首から下げている人もちらほらと見受けられた。

 

 お金持ちか貴族様でも来ているのかな。

 そんな光景に不思議に思いながらも、私達はその脇を通ってエントランスへと向かう。警備の兵士達と視線が合って少々緊張こそしたが、特に呼び止められたりすることは無く、静かに中に通る様に丁寧に指示されただけであった。

 

 何となくは気付いていたけど、エントランスホールに入った瞬間に、その原因の人物を目にすることが出来た。 ロビーの奥、丁度ラウンジやレストランのあるフロアへと続く階段の上、そのど真ん中で堂々と立ち話をする二人の男の姿。

 

「明日の演習、やはり考え直すつもりはないかね」

 

 見たことがない位の装飾が施された紫色の軍服を身に纏っている大柄な男。

 少々お腹は出ているけど、体格は良い中年の軍人。その左胸に沢山付けた勲章は、天井のシャンデリアよりも眩い輝きを放って彼の戦歴を物語っている。実際にこの目で見たことはないけど、私の頭の中の知識が告げていた。目の前に居るのは、間違いなく帝国正規軍の”将軍”であると。

 

「申し訳ありません、閣下。限りある予算を使った出張です。出来る限り市内の様々な場所を見させて頂き、実りある成果を持ち帰りたいと思いまして」

 

 そして、もう一人は行きの列車で一緒になった外国から来た旅行客の紳士。隣の将軍に比べれば大分小さな彼の声だが、異様に静まり返るロビーのお陰でここからでも聞き取る事が出来る。

 あの人、もしかして、かなり偉い人なんじゃ……。

 

「ふん……まあ、貴族共への義理立てもあるだろう。無理にとはいわん。だが、その配慮も近い内に無駄なものとなるかも知れんがな」

 

 対照的に”閣下”と呼ばれた将軍の声はとても大きく、言葉を口にする度にロビーの空気を揺らしていた。

 

「……まるで百年前の我が国の様な情勢ですな」

「面白い事を仰る――その点で帝国も貴国を追えるのであれば尚良しというものだ!」

 

 表情を曇らせる紳士に対して、将軍閣下は上機嫌そうに笑いを上げる。少しお酒が入っているのかその顔は赤みを帯びていた。

 

「それではな、市長殿。外の小蝿は私に任せて休むがいい」

 

 再び大きな声で笑いながら階段を降りて来た将軍の傍らに、見覚えのある灰色の軍服の女性士官が付き添っている事に気付いた。

 

「あっ……ドミニク少尉……!」

 

 知った顔に思わず声が出てしまい、慌てて口に手をやるけど、もう時既に遅しである。

 

「あら……?」

「ん?」

 

 少尉に釣られるように将軍も足を止め、こちらに顔を向ける。そして、何を思ったのか大股で私達の方へと近付いてきた。

 

「こ、この度は――」

「挨拶はいい。お前らが帝都から連絡のあったトールズの学生か」

 

 ここにいる全員を代表する様にマキアスが挨拶の言葉を口にするが、それを切り捨てる様に目の前の将軍は遮った。

 

「「は、はい、将軍閣下!」」

 

 私の前に居るマキアスとエリオット君がガッチガチに噛みながら直立不動で応える。私なんて、緊張のあまり声なんて出なかった。

 肩にある階級章の金色の刺繍の横線は……一、二、三、四――四、た、大将閣下!?

 大将といえば帝国正規軍の平時における最高階級である。軍の幹部なんていうレベルじゃなく、もはや重鎮というか軍を動かす最も高い地位にいる人だという事だ。

 

「ふむ、見覚えのある顔もおるか」

「えっと……」

 

 お父さんが軍の将官だといっていたエリオット君は、この将軍とも面識があるのか、後ろからでも分かるほど身体を強張らせる。その傍ら、突然の高官との遭遇にアリサが困惑した様な声を漏らした。

 名乗ってもくれない将軍閣下は、私達一人一人の顔を凝視してゆく。その青い眼差しは先程の立ち話の時とは打って変わった鋭さで、目の前の大柄な軍人がただ声の大きな将軍でない事を醸し出している。

 威圧しているつもりは無いのだろうが、精神的にかなりの圧迫を受ける私達に助け船を出したのは、ドミニク少尉であった。

 

「こちらはジュライ特区行政長官にして北西準州を統括されるバトラー副総督閣下です」

 

 州の統括者。それは、≪四大名門≫の大貴族に匹敵する権力を有するという事だ。勿論、北西は帝国政府の直轄地なので、皇帝陛下に代わって州の統治を任される職なだけで、貴族の様に一族が代々同じ土地を世襲統治するという事ではないが。それでも、皇帝陛下の代理人として統治する以上、事実上の権力は非常に大きい。

 

「二人か……宰相の奴は感心していたが、それ程の技量があるとは思えんな?」

 

 六人全員を一通り見た後、やっと将軍、いや副総督閣下は口を開いて、私達への感想を零した。

 二人の意味は大体わかる。きっと、”出来る”奴という事なんだろう。すみません、今回の実習の班分けは武器種別で分けられてるので、武闘派はレグラムなんです、なんて冗談はとても言える雰囲気ではない。

 

「彼らは先月の帝都での一件で目覚ましい活躍を――皇女殿下の奪還に彼らが大きな役割を果たしました」

「正規軍の精鋭たる鉄道憲兵が学生に助けられるとは。なんたる体たらく。嘆かわしい限りだ」

「……御もっともであります、閣下」

 

 ドミニク少尉の私達へのフォローは、違う意味で完全に裏目に出てしまっていた。今まであの事件の対応を批判するのは決まって≪貴族派≫だったけど、≪革新派≫である帝国政府の重鎮も批判的であった。

 

「ふん……体裁など構わずに、三殿下も第一師団に守らせれておれば良かったのだ。近衛などと宣う、あの悪趣味な派手男の私兵をのさばらせるからあんな事件が起きる」

 

 鼻を鳴らし、持論を展開した副総督は、今度は興味無さげに私達を一瞥する。

 あまり私達の活躍を認めたくないみたいだ。まぁ、正規軍は頭がお堅い軍人さんが多いので仕方の無いことかもしれないけど。副総督閣下の仰る『悪趣味な派手男』に私は思い当たりはないが、近衛兵が私兵と表現するなら、それは近衛軍へ兵力を拠出している西部ラマール州の統括者であるカイエン公爵の事を言っていると見て間違いない。

 

「まあ、いいだろう。特別実習だったか。お前たちの課題とやらは関係各所に一任している。精々励むことだ。以上」

 

 そう言うがいなや、興味を失ったと言わんばかりにさっさと私達の横を通り過ぎホテルの外へと出て行ってしまった。ドミニク少尉も私達に丁寧に一礼した後、副総督閣下を追ってゆく。

 

「なんというか――」

 

 急に騒がしくなる外の音の中、先程の人物について口にしようとしたマキアスだが、それは物凄く大きな咳払いによって途中で遮られる。

 

「今回の合意は≪バルフレイム宮(帝国政府)≫も既に了承済みだ。海運航路の拠点移転に関する協定に伴う自由港待遇に関しては、陛下の名代としての私は勿論、近年改善に向かう両国関係の更なる深化を望む陛下の御意向を汲んだ中央の決定である――さぁ、貴様ら道を開けんか! 何時だと思っている!」

 

 エントランスの方を向けば、二重のガラス扉の向こう側から導力カメラの眩いフラッシュの光が放たれている中、身振り手振りで大柄な体を忙しなく動かす副総督の姿。

 

「市長殿はもうお休みになられる! ええい、道を開けんか! カイエン? なぜ、我が陛下の州の地方間協定で貴族に口を出されなけれはいけない? ああん?」

 

 どうやら外で待っていたのは報道関係の記者の人達のようだ。それにしても、あの副総督閣下の声は大きい。外なのに丸聞こえである。

 

 

 ・・・

 

 

 あの後もホテルの前では演説かと思う程賑やかな副総督閣下と報道陣のやり取りが続き、ホテルの二階のサザーラント料理専門店のレストランまで聞こえて来たほどだ。苦情がフロントに殺到しそうな賑やかさだけど、来たところで州の最高権力者相手ではホテルも諦めるしかないのかも知れない。

 

 帝都に本店がある高級ホテルなだけあってレストランも充実しており、ラマール料理、クロイツェン料理、ノルティア料理、サザーラント料理と帝国の各地方の料理の専門店は勿論の事、土地柄かレミフェリア料理のお店まであった。ちなみに幸いな事に帝都料理はない。あった所で、客入りが異常に少なそうなのは想像するに易いが。

 

 既に時計は夜の十時半を回り、晩ご飯をたっぷり時間をかけて愉しむ帝国南部風の内装のお店でも、そろそろ終わりが近付く雰囲気の時間だ。私達ももう食後のドルチェの時間であり、それぞれの頼んだ一品の甘美な時間を愉しんでいたりする。 やっぱり、料理は南部が一番だよね。四州で最も経済的に遅れてて導力化もあまり進んでないから、南部の人間は怠け者とか言われる事も多いけど、温暖な気候と豊かな土地に育まれた多彩な食文化はサザーランド州の領民が最も誇りに思っている事だ。

 

 マキアスはここの食後の珈琲がお気に召したのか、上品なウェイトレスのお姉さんに勧められて既に二杯目のお替りだったりする。なんでも、相当良い豆を使っていないと引き出せない味と香りらしいが、勧められた時に鼻の下が伸びていた辺り、珈琲の香りより美人のお姉さんの方がお好みのようだけど。

 私はというと、苦い珈琲なんかよりクロウ先輩がよく飲んでる炭酸飲料の方が好みだ。ただ、食後の飲み物は紅茶か珈琲の二択であり、少しに悩んでから、ドルチェのジェラートに合わせる様にレモンティーを頼んだ。

 

「まさか、夕方から課題があるなんてね」

「文句言いたくなるのも分かるわ」

「人遣い荒いよね」

 

 バニラ味のジェラートの前で溜息混じりにぼやくエリオット君。そんな彼に、ティラミスをスプーンに掬いながらアリサが同意し、私も乗っかる。

 

 食事中も話題はもっぱら先程の課題で見回った市内のことだった。新市街の駅側を回ったアリサとフィー、新市街の海側を回ったマキアスとエリオット君の話は旧市街しか回っていない私達にとっては興味深く、クロウ先輩も珍しくおちゃらけずに真面目に聞き入っていた。

 

 先輩が冗談を挟んだのは、マキアスとエリオット君が歓楽街で客引きのお姉さんに捕まりそうになった話の下りだけだ。まったく、人の事は言えないけど、マキアスとエリオット君も何やってるんだが……どうせ、マキアスなんてさっきのウェイトレスのお姉さんの時みたいにデレデレしてたに違いない。エリオット君は――まぁ、違う意味でモテモテだからなぁ。

 

「だがまあ、課題としては良心的というか、逆に狙ってる感はあるな」

「狙ってる、ですか?」

「フィー嬢ちゃんなら分かるだろ?」

 

 クロウ先輩の言葉の真意が分からずに訊ねたマキアスだが、先輩は自分では答えずにフィーに振った。

 私のと同じレモンのジェラートを丁度口に含んだばかりの彼女は、スプーンを咥えたまま「まっへ」と零した。もう、行儀悪いんだから。

 

「……ん、土地勘のない私達に市内を巡回させて身体で把握させようって魂胆だろうね」

「あのオッサン、口では自分は無関係みたいな言い方してたが――実際はとんだ食わせもんかも知れねぇなぁ」

 

 北西準州の統括者、副総督にしてジュライ特区の行政長官、正規軍大将。間違いなく、帝国政府と帝国軍、つまり≪革新派≫に属する大物だ。

 

「マキアスのお父さんとどっちが偉いんだろ?」

「……それを僕に聞くか?」

「……あはは」

 

 眉をハの字にして、困惑したような顔を浮かべるマキアス。無邪気というか考え無しというか、このフィーの質問にはエリオット君も苦笑いだ。

 

「レーグニッツ帝都知事はオズボーン宰相の盟友で、革新派のナンバー2なのは間違いないんじゃないかしら」

「政治家としての地位は文句なしにマキアスの親父さんだろうなぁ。なんせあの帝都のボスだからな。カイエン公と張り合う、辺境の大将とはちょっと毛並みが違うと思うぜ」

 

 身内の事なので言い辛いマキアスの代わりに、アリサとクロウ先輩がそれぞれの意見を口にする。

 

「だが、一州の統括者として駐留する軍の指揮権も持ってる事を考えると……権限としてはあのオッサンの方が強いかもな」

 

 先輩は仮定付きで、もう一つの意見も続けると、マキアスはこちら側に頷いた。

 

「……僕もそう思う。宝剣付双翼馬大綬章なんて初めて見たぞ……」

「なにそれ?」

「皇帝陛下が直々に授与する勲章だ。……ここ数年、授与者は居なかったはずだが……」

 

 ジュエリーショップもビックリな、あのいっぱい付けてた勲章の中にそんな大層な物があるのか。うちのお父さんのだと思うけど、なんか実家に転がってた小さい銀色の奴は、フレールが昔よく胸に付けて自慢して回ってたけど。

 

「そういえば、北西の帝国軍ってどれぐらいの規模なんだろ?」

 

 お父さんの長年の任地だったからか、ちょっと気になった。アリサとかならラインフォルト社の関連で知ってるかもしれないし。

 大将が総指揮を執るってことは今なお師団規模以上の戦力が駐留してるという事なのだろうか。

 

「正規軍の三個機甲師団が各方面に分散配備されてて、あと準州憲兵隊が師団規模でいる。確か、ここ数年で再編されて更に増強が進んでる筈」

「詳しいな、フィー嬢ちゃん」

「どこで知ったの、フィー?」

「……ま、仕事柄ね」

 

 予想以上の詳細な情報にみんなが目を丸くして驚いた。

 猟兵団ってそういう情報も必要なのだろうか。いや、情報が必要って事は、まさか――。

 

「どうかしたの?」

 

 アリサの声に引き戻された私は、先ほどまで脳裏に過った考えを捨て去る。

 人の過去を憶測混じりで詮索してするなんて良くない事だ。だから、今度は私とクロウ先輩の回った旧市街の話に話題を変えた。

 

「課題中にちょっと住民の人と話したんだけど……」

 

 居酒屋での出来事を出来るだけ生の言葉通りにみんなに話す。新市街の成り立ちの事、旧市街の事、そして、この街に及んだ内戦の影響について。あのカウンターの雰囲気ががらりと変わった私の一言も隠さずに。

 

「戦争、か」

「帝国から見れば単なる辺境の小国の”内戦”だったんだろうが、この街の奴らからしたら隣でドンパチしてるのは間違いなく”戦争”だろうからなぁ」

「私、自分の生まれた場所が知りたくて……気付いたら無神経な事、聞いちゃってた」

 

 お父さんとお母さんが出会った場所で、お父さんが兵士として十年以上も戦っていた場所が知りたくて。そんな自分の事ばかりしか考えないで、あの場に居た人たちの心の傷を抉る様な真似をしてしまった。そんな私の反省を、「次からは気を付けねぇとな」と締める先輩。

 

「それにしても、あんな短い間によくそれだけの情報を集めれたな」

「ええ、やるじゃない」

 

 珍しくマキアスとアリサが私の事を褒めてくれる。まぁ、数十分は情報収集に徹してたからね。その成果があったという事だろう。

 

「エレナ、すごいよ!」

「えへへ、そうかなー」

 

 胸が弾み、一気に口元が緩んだ。まるで甘い物を食べてほっぺたがおちそうな位。

 

「でも、私はただお店でお喋り……っ」

「……お店でお喋り?」

 

 アリサが首を傾げ、クロウ先輩が口笛を吹く。その意味の分かるアリサが今度は訝し気な視線を私達に向けた。

 やばっ、口が滑った。

 

「あなた達、まさか……」

「……まさかとは思いますけど、先輩?」

「ち、違うよ? ちゃんと≪黒鴎≫とかいう不良達の事も憲兵隊に報告してたでしょ? ね、ですよね、先輩?」

 

 返事どころか、言葉なく首を横に振り、肩をすくめる先輩。なにお腹をすぐに見せる犬みたいに、あっさり無条件降伏しちゃってるんですか!

 

「……怪しいわね。ちょっと事情聴取が必要かしら」

「サボり、ダメだよ。羨ましい」

 

 さっきはめっちゃ笑顔で褒めてくれたエリオット君も、ただの苦笑い。あと、ちょっとフィーは本音がだだ洩れじゃないか。

 

 

 ・・・

 

 

 街灯以外の灯りの殆どが落ちて真っ暗な新市街の中心部。遠く大通りの向こう側には港湾施設や海沿いの歓楽街の明かりだろうか。遠く西側には旧市街の明かりも望める。

 十階にある私達の部屋からの眺めは良い。この≪インペリアル・ホテル≫より高い建物は特区内に数える程しか存在しないためだ。

 

 北西の港町を一望する夜景に少々贅沢すぎる気分に浸りながら、私は≪ARCUS≫からの声に耳を傾けていた。

 

<――バトラー副総督ですか――>

「ええ、少し太……大きくて勲章いっぱいつけてる人です」

 

 流石に現役軍人である大尉に、帝国政府の重鎮の悪口をいう訳にはいかず、慌てて言い直した。

 

<――あの方は、オズボーン閣下の正規軍時代の同期――そう聞いています――>

「同期、ですか?」

<――正規軍では百戦錬磨の勇猛果敢な指揮官として知られています。北西準州副総督に任命された今も正規軍大将として、駐留する北西軍の総指揮を執られる地位にある方です――>

 

 丁度、十五分ほど前だろうか。お風呂から出てバスローブに袖を通したところで、脱いだ制服の固まりから規則的な電子音が鳴った。予告通りに十一時半ピッタリのそれは、待ちに待った憧れの人からの通信を知らせるもので、私は慌ててバスルームから部屋を通り抜けてベランダへと直行して、今に至る。

 

 ジュライ特区でも≪ARCUS≫が普通に使える事には驚かされたが、それは遠方地との間の通信を確立させる為に、大尉がわざわざ軍用の有線回線を利用して私に通信を掛けて来てくれたからだ。

 普段は帝都近郊のトリスタで暮らしているので中々気付かないが、本来の≪ARCUS≫同士の近距離回線では半径数十セルジュ程度、精々市内での通信が精一杯という限られた能力しかない。相手との距離を気にせずに通信を繋げられるのは、遠距離通信用の広域設備が試験導入されている帝都とその近郊のトリスタの間位なものなのだ。

 だから、今まさに遥か数千セルジュ彼方と私の右手のこの小さな戦術導力器が繋がり、通信していると考えると夢が膨らむ話でもある。

 

「一つ、聞いていいですか?」

<――私に答えれることでしたら――>

「ジュライ特区……いえ、旧ジュライ市国併合の理由についてです」

<――……なるほど。ですが、その件に関して、私がお話しできる事は限られたものでしかありません――>

「帝国政府には後ろめたい事情があるのですか」

 

 満足出来ない大尉の返答に、自分でも驚くほど強い口調だった。

 

<――……”後ろめたい”かどうかは置いておいて――帝国正規軍の一軍人として、私には帝国政府の立場を肯定する以外の言葉は持ち合わせていませんから――>

 

 年上のお姉さんのクレアさんではなく、鉄道憲兵隊のリーヴェルト大尉としての彼女の言葉だった。

 上の命令に従う事が最も重要とする軍人さんに、私はなんて子供な言葉をぶつけてしまったのだろう。これでは、まるで言いがかりじゃないか。

 

「すみません……」

<――いいんですよ。私としても一方的な物事の一面を押し付けるのは本意ではありませんし、エレナさんはまだ学生なのですから――>

 

 それは、まだ学生の立場にある私に対しての最大限の配慮に思えた。大尉の立場として語れない、違う一面の存在を否定しなかったのだから。

 

<――それに――Ⅶ組の皆さんの特別実習とは、その土地を訪れて自ら見聞きし、自分なりの答えを導き出す事を目的としているのではなかったでしょうか――>

 

 優しく諭す様な声色で、私が忘れていた特別実習の大切な事を思い出させてくれる。

 つまらない、身も蓋もない言い方をすれば自分で考えろ、だが、大尉の気持ちは充分すぎるほど私に伝わっていた。

 

――これからも色んな事を見て、聞いて、実践して、あなたは学ぶ時期にある。ま、将来の身の振り方は卒業してから考えなさいな――

 

 帝都での特別実習からの帰り、サラ教官が私に告げた言葉が想い起こされる。クレア大尉も言外にサラ教官と同じ事を伝えてくれてるのだ。

 まだ色に染まっていない学生の内に、色んな立ち位置から物事を見て、知って、考えておくべきだと。

 

 

「なんだなんだぁ、内緒話か」

「げっ……」

 

 通信が終わった後、おぼろげな月光に照らされる北海の穏やかな水平線に目を向けた私に、耳心地の良い、軽い調子の声が掛けられた。

 独立して繋がってはいない隣の部屋のバルコニーから、私と同じく体を柵に預ける様に上半身を出していたのはクロウ先輩。そのニヤケ面がなんか良く分からないけど少しウザくて、どこか懐かしい。

 いったい、いつからそこにいたんだろう。

 

「いたんですか、クロウ先輩」

「おう、通信の相手はエリオット……じゃあないよな。もう寝てるし、いうて隣だしな」

「……別に、誰だっていいじゃないですか」

 

 通信の相手がクレア大尉だというのは別に隠す事でもないのだけど。ただ、憧れの人との二人っきりの会話を聞かれてたっていうのは、正直いい気はしない。

 

「いつから聞いていましたか」

「最後の方を、少しな」

 

 ホントかどうだか。思わず盛大な溜息が零れた。

 

「まぁ、なんだ。小難しい事ばっか考えてっと、教頭みたいに禿げるぞ」

「気になったんです。どうしてこの街が帝国になったのか」

 

 軽口を叩くクロウ先輩を無視すると、今度は向こう側から溜息の音がした。そして、少しだけ硬くした横顔が私に続きを促す。

 

「北西準州は分かるんです。内戦の悪化が帝国本土にも及んだから、それを鎮める必要があったから。でも、帝国軍が撤退した後、また治安が悪くなって――結局、恒久的な軍の駐留と北西部の安定の為には帝国領へと編入するしかなかった」

 

 いわば、帝国の安全保障上の理由だ。

 

「……北西編入条約か。詳しいんだな?」

「いちおう、私の生まれ故郷ですから。一通りの事は調べたことがあります」

 

 地理的に遠い故郷のサザーラントの片田舎ではそんな知識は手に入らなかったので、全部この学院に来てから図書館で調べたことだ。丁度、パトリック様に……罵られたあの実技テストの頃に。マキアスが今朝苦労したと語っていた様に、学院の蔵書数をもってしても北西に関して書かれた書籍は非常に少なく、辺境の出来事にこの帝国の人々は全く関心が無いという事を改めて知らしめされた。

 

「でも、この街を併合する理由はないじゃないですか」

 

 テロまで起きる有様だったと聞いているが、それは、当時の市長の犯行というよく分からないものである。北西動乱の余波で大変だったらしいが、帝国領となる根拠自体は少ない様に思えた。

 ラマール州と北西準州の間に挟まれる形になるから? 流石に、そんな理由で編入されるのはどうかと思う。それに、この街は平和的に帝国に編入されたのだ。

 

「理由ねぇ……それこそ、『領土拡張主義』なんじゃないか」

「ミラの為に、併合したっていうことですか?」

 

 オズボーン宰相の政策の二本柱として挙げられてはいるが、あれはどちらかといえば《貴族派》のいちゃもんに近いと思っていたのだけど。

 二十年近くに及んだ内戦で荒廃した北西の場合、編入で得られる税収を遥かに超える莫大な復興支出が掛かっているだろうし、治安維持の為に駐留している軍の費用だってタダじゃない。近年帝国に編入された地域の多くが併合以前に内情不安だった事を考えると、≪貴族派≫との対立の為の資金集めに周辺地域を併合しているというのは、あまりに暴論であると思う。

 

「……お偉いさんの考えてる事なんて、オレ様に分かるかよ」

「クロウ先輩、意外とこういうの詳しいし、私なんかより頭も良いじゃないですか」

「理由が分かったところで、政治屋の論理なんて理解したいとは思えないしな。ましてや、納得なんざ出来そうにねぇからな」

 

 そう言われると、確かにそう思えてくる。物事の理由が必ずしも理解できて、尚且つ納得のいくものだとは限らないのだから。貴族領邦の大増税の様に。

 

「……なぁ、お前さんの珍しく真面目な話の途中悪いんだが……」

 

 珍しくて悪かったですね。曲がりなりにも、私にとって生まれ故郷に近い場所なんですよっ!

 

「前、はだけてんぞ」

「っ!?」

 

 先輩の指摘に、目を落とし、自らの体を腕で抱く。

 石造りの柵に乗り出していたお陰か、はたまたアリサと比べれば大分控えめなお陰か、胸元が少々乱れている他は大事な所はしっかり隠れている。ただ、紐が完全にほどけてしまっていただけだ。

 

「……どこみてんですか、ヘンタイ」

 

 中を見られてなくても、そっちに視線が向けられていたというだけで、恥ずかしさから変に身体が熱くなる。

 それにしても、人生、何があるか分からないものである。まさか、あまり膨らんでくれなかったこの胸に感謝する夜が来るとは思わなかった。

 

 

 部屋に戻った時はもう日付は回っていて、あまり落ち着かないバスローブからパジャマに着替えたら、ふかふかなホテルのベッドに飛び込もうと思ったのに。

 宿泊用に宛がわれた広めのジュニアスイートの部屋には、ベッドが一つ、ベッドが二つ。左側のベッドではアリサが寝る前の美容ストレッチを、右側ではフィーが枕に突っ伏している。

 

「あれ……エクストラベッド頼んだ、よね?」

「え……あっ」

 

 なにその今思い出しましたって顔!

 脚を大きく開いてストレッチしている最中だったから、少しギャップが面白いけど。

 

「ちょっと、アリサ、酷い! ≪ARCUS≫忘れの罰は床で寝ろってこと……?」

「そ、そんな訳ないじゃない……!」

 

 慌てて否定してくれた後、彼女は申し訳なさそうな顔をした。

 

「……ごめんなさい、すっかり忘れてたわ」

 

 もっとも、私も自分が寝るベッドなのに、リーダーだからってアリサに任せっきりにしちゃったのもあるんだけど……。

 元々、しっかり者の割に結構抜けていたりするのが可愛い年上の親友だけど、朝のシャロンさんが作ってくれたお昼といい、今日のアリサはどこか凡ミスが多い気がする。

 でも、どうしよう。この時間にフロントまで行ってベッド入れてくださいって言うのも考えさせられるし、廊下に出る為にはもう一度制服に着替えなくてはいけない。

 

「じゃ、こっち来る?」

 

 そう提案してくれたのは、右側のベッドで突っ伏していたフィーだ。猫が伸びをするようにお尻を小さく突き出して起き上がると、ポンポンとベッドの左半分を叩いた。

 やっぱ、そうなるよね。

 

「どうせこれ、サイズ的にはダブルだし」

 

 それは見ればわかる。随分大きなベッドだとは思った。実家のもこれぐらい大きくしてくれれば、寝相で落ちずに済んだのに。あぁ、でも、それだとフレールと一緒に寝る時に密着出来なかったから、やっぱりあの狭いベッドで良かったのかも知れない。

 

「でも、バリアハートの時みたいに抱き付かないでね」

 

 また昔の事を……と思うものの、いまはフィー様のご機嫌を損なってはダメだ。ベッドに入れて貰うまでは。

 

「あと、ブリオニアの時みたいに変なところ触らないで」

 

 はい? ちょっとこれは聞き捨てならない。いつもエマ相手にセクハラしてるのはフィー様ではありませんか。最近はミリアムにお株を奪われ気味ですけど。

 

「胸触って来たの、フィーの方じゃないか。おかげでマキアスとエリオット君にも見られたし」

「む、エレナも同罪な筈」

「貴女達、実習中に何やってるのよ……女の子同士で……」

 

 前屈運動を終えたアリサは少し頬をぽっと染めながら、呆れ半分にぼやいた。

 

 

 灯りの消えた部屋。

 右隣のベッドからはアリサの小さな寝息が聞こえる。夢でもみているのか、たまに私のよく知る名前が聞こえてくるのが、また微笑ましい。一体どんな夢を見ているのだろう、その夢が彼女にとって幸せな、そして、現実に叶うように私は祈りたい。

 

 消灯してから、どのぐらの時間が経ったのだろう。ここ数日、あまり私は寝つきが良くないくて眠れない。ベッドに入っても頭の中では色んな事がぐるぐる回り、気付けばいつも長い時間が経ってしまっている。なのに、いつの間にかどこかで意識を刈り取られるのだ。要するに、寝れないのに、いつ寝たのか覚えていない。

 

 そして、寝起きも中々悪い。これは今更だけど、最近は本当に起きるのが辛い。今週は特別実習だけど、来週になったら朝練が不安で仕方がない。

 

「起きてる?」

 

 年上の親友の幸せそうな寝顔を目を凝らして眺めていた私の背中に、小さな声が掛けられた。

 起きてるのは私だけかと思ったけど、もう一人いたみたい。ベッドの左側、声の方向に身体を直すと、同じベッドでちょっとだけ離れた場所からこちらに顔を向けるフィーと目が合った。

 

「エレナ。私、エレナに言わなきゃいけない事がある」

「うん?」

 

 その顔は彼女にしては珍しく強い感情がこもっていて、それは、恐れの色を帯びていた様に感じた。

 小さく息を吸って吐き、意を決したように私を直視する彼女。

 

「……私のいた団は、北西動乱に関わっていた。二度共……その後も」

 

 そこで、フィーの言葉はいったん途切れた。そして、彼女のかんらん石の様に透き通った緑色の瞳が揺れる。

 

「帝国軍の敵として」

「……そっか。お父さん達と戦ったんだ」

 

 なんとなく、予想はしていた事だった。先月、フィーが話してくれた彼女の生い立ち、彼女の居た≪西風の旅団≫は大陸でも有名どころの猟兵団らしいから。それに、もしかしたら――。

 当時、お父さんの所属していた第十一機甲師団を主力とする帝国正規軍が第二次北西動乱で相手にしたのは、現地の反政府勢力といくつかの猟兵団だ。そんな情勢だったものだから、編入条約を経て北西準州が成立した後も北西部の治安は良くない時期が続き、散発的に武力衝突も発生していた。やっと落ち着きを取り戻したのはここ数年の事なのである。 そして、治安情勢の改善に合わせる様に駐留する帝国軍の再編が行われ、うちのお父さんも長年の任地を離れて東部方面への配属が決まった。

 

 帝国の多くの人は辺境の事柄に関心を抱いていないが、たかが小国の武装勢力に大陸最強と謳われる帝国正規軍を手間取らせるだけの数の猟兵団と契約する能力がある訳がない。当時から北西動乱の背後に帝国と対立する別の大きな勢力の影が疑われていただろうが、フィーの告げた≪西風の旅団≫が『帝国軍の敵として』雇われて内戦に関わっていた事実は、この地域の戦乱を煽って長引かせることを目的とした意思の存在を肯定する確固たる証拠だった。そう、地理的に帝国の裏庭とも言うべき、この北西部へ楔を打ち込む意思――勢力の存在の。

 

「私はまだ実戦には出てなかったけど、北西の正規軍は精鋭揃いだったって聞いてる」

 

 まるでうちのお父さんの事を云われてるみたいで、娘からすると誇らしくもあり微妙に複雑でもあるけど、そんな気持ちを口にすることは出来なかった。なぜなら、彼女は先程と同じ顔をしていたから。

 揺れた瞳が瞼の奥へと消える。それは、私からみれば何かの感情を隠すために目を瞑ったのではないかと思わせた。

 きっと、言葉にしないだけで、フィーも少なからず悲しい思いをしたのではないだろうか。彼女は猟兵団で家族同然の様に育てられたのだから。猟兵といえど人間、不死身ではない。

 

「エレナには話しておきたかった。初めて私が猟兵だったって言ったとき――」

 

 そっか、あの時の事、フィーも気付いてたんだ。

 

「あの時はあの時。いまはいま。お父さん達の敵でもあった猟兵は嫌いだし、村で暴れた傭兵は怖い」

 

 もう十二年も前、ちょうどこの北西の地から故郷の村に移り住んですぐに起きた、あの事件の恐怖は忘れることは出来ない。誰も死ななかった、奇跡の解決劇だなんて言われたけど。あの傭兵たちは、”私達の”村で人を殺さなかっただけだ。いまでも記憶に脳裏に焼き付き、思い出せば吐き気を催すほど気分が悪くなる、おびただしい量の血の染みついた匂いを漂わす数人組の姿。彼らが、どこで、なにをやって私達の村に来たのかは、私は今も知らない。でも、あいつ等が沢山の人の命をあの手で奪ったのだけは、間違いないから。

 

「……確かに、フィーの事を怖いと思った事もあった」

 

 口に出すのは憚られた。何よりも大切なⅦ組のクラスメイトで、この数か月、一緒の時を過ごした目の前の大好きな少女に、そんな言葉を告げたくなった。

 でも、彼女は覚悟を決めて私に打ち明けてくれた。だから、私も隠しっこは無しだ。大事なのは今で、昔ではない。

 

 今更だけど、あの時はよくも平静を保てたものだと思う。バリアハートの地下水道で、彼女の口から告げられた時、一瞬、頭の中ではあの傭兵たちの顔がフィーに置き換わったのに。

 でも、それでも、私は元猟兵である事も含めて彼女を受け入れる事が出来た。大怪我は覚悟した窮地に身一つで助けに来てくれた彼女の、仲間という言葉は何よりも暖かかった。

 

「……でもね、私にとってフィーは猟兵である以上に大切な仲間だもん」

 

 多少無理やりフィーの身体の下に左腕を突っ込む。そして、もう片方の腕を彼女の背中に回した。私よりもずっと軽くて、頭一つ小さな華奢な身体がぐっと近づいて、頬と頬が触れる。

 

「これでわかった?」

 

 小さく動いた彼女の頬。

 もう、私にとってはⅦ組のみんなは家族みたいなものだから。フィーは、妹みたいなものだから。

 

 それに、もしかしたら――まだ小さな彼女が、たったひとりでさ迷っていた”戦場”は――私の生まれ故郷なのかもしれない。




こんばんは、rairaです。
さて、今回は8月28日の夜、ジュライ特区内での特別実習一日目のお話になります。

この章からミリアムとクロウ先輩がⅦ組に編入していますが、本作品の主人公エレナを含めたⅦ組のメンバーの身の上話を新加入の二人は殆ど知らないという設定です。(学院生のクロウ先輩は多少は知る事の出来る話もあるでしょうが、ミリアムに至ってはリィンとアリサの旧校舎事件すらも知らなかった位ですので)

第五章A班の特別実習にてレグラムに現れたカイエン公と対になるような、オリジナルの《革新派》の高官に登場させて頂きました。《貴族派》は沢山キャラクターがいるのに《革新派》は名前有のキャラクターが少なくて本当に困ってしまいます。「空」のリベール王国軍は多かったのに…。

後半部は二章バリアハート編後半部から繋がる、一連のフィー編とも言うべき流れの最終話でもあります。確かな絆を得てから打ち明けれる心の内もあるという、”仲間”から”家族”へとⅦ組の関係性が変化してゆく一幕でした。

また、今回のお話の最後に触れたフィーが《猟兵王》に拾われた「どこかの国の辺境の紛争地帯」の場所ですが、本作品の捏造設定として”現帝国領のノーザンブリアに縁のある土地”としております。ただ、個人的には軌跡シリーズ続編への繋がりを考えるに一番有力なのはノーザンブリアか共和国だと思っていたりしますが。

次回は、翌8月29日、第五章特別実習の二日目のお話となります。

最後までお読み頂きありがとうございました。お楽しみ頂けましたら幸いです。


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8月29日 港街の来訪者たち

 翌朝、ジュライ特区での特別実習の二日目は、案の定とも言うべきアリサの怒鳴り声から始まった。

 日付が回った後も遅くまで起きていたせいか、無意識下ではフィーと一緒にベッドで大分抵抗していたみたいだけど、そこはアリサである。入学以降、度々私を遅刻の危機から救ってくれた年上の親友の起こし方は一流だ。

 ただ、エマに比べて多少乱暴なのが玉に瑕なのだけど。

 

 東から昇るお日様の眩しさに重たい瞼を擦りながら、二日目の最初の課題『街道の早朝見回り兼手配魔獣の討伐』に取り組むこととなる。

 依頼主はまさかの帝国正規軍・北西駐留軍。なんでも今日のお昼過ぎから二日間、特区の東――北西準州内で正規軍の大規模な軍事演習があり、午前中にはこの演習に召致された≪第七機甲師団≫が、パレードを兼ねて特区の港から街道を通って準州へと向かうらしい。その為のチェック兼露払いという意味があるみたいだ。

 

 私達が倒せるような魔獣なんて、正規軍ご自慢の戦車の主砲で一撃じゃないか。ある意味じゃ実戦なんだし、良い演習になると思うんだけど。なんて思っても、課題がなくなる訳ではない。

 それにしても、今回の実習は人遣いが荒過ぎだ。昨日は夜九時過ぎまで警邏させといて、翌朝五時から街道を見回れだなんて、かなりのスパルタだ。八月のB班はハズレかも知れない。

 レグラムに行ったA班なんてラウラの故郷でもあるし、きっと、ラウラの、貴族様のお屋敷で美味しいものをいっぱい食べてるんだろうなぁ。めっちゃ羨ましい。

 

 

 ほんのついさっき、大通りと同じ様に舗装された街道を少し逸れた、特区と準州の境となる小川のほとりで、私達は手配されていた”魔獣らしきもの”と遭遇した。その何か魔獣とは違うような外見に戸惑いつつも、討伐に取り掛かったのだが……。

 元からボロボロだったのか、機械っぽい魔獣は皆の集中砲火の前に数分と掛からずに、あっさり倒す、というか壊す事が出来てしまい、今に至っている。

 

 アリサ達が不思議そうに爆散した魔獣の残骸を調べている一方で、私は小川の向こう岸を眺めていた。

 

 対岸には高い鉄条網が張り巡らせれており、所々に赤い標識が取り付けられている。

 さっきフィーが教えてくれたけど、あれは地雷の警告らしい。つまり、あの鉄条網を勝手に越えるとドカンという訳だ。

 鉄条網の先は、放棄された農場とおぼしき廃墟がいくつか見えるだけで何もない。ただ、異様に凹凸の多い草原の丘陵と薄暗く曇る空。

 

 小川の上流側に目を向けると、特区から私達が歩いてきた街道の続き、鉄材で大幅に補強された古い石橋に併設される対岸の検問所。

 

 あの先が、北西準州――”アンブルテール(アンブル人の土地)”と呼ばれていた、私の生まれた場所。

 

「見に行きたいのか」

 

 いつ間にか私の隣にいたクロウ先輩が、そう問いかけてくる。

 

「生まれ故郷なんだろ」

「……」

 

 何と言えば良いのか、少しの間よく分からなかった。手放しに懐かしいというだけじゃないこの気持ち。

 

「……今回の実習の活動範囲は特区内だけですもの」

 

 課題書類にあった但し書き。残念に思う一方で、どこか安堵したのも確かだ。

 

「気にはなりますけど……あまり良い思い出ばかりではないので」

 

 私の生まれた街も、育った場所も。いまどうなっているのかは想像すら付かない。ジュライ特区の様に帝国の統治の元、見違える様に発展しているのかもしれない。

 

「……そうか」

 

 先輩が小さく呟き、目を伏せた。無理に言わなくて良いとばかりに、私に何も聞いてこない先輩に少しだけ感謝する。

 

 ただ、あの曇り空だけは、小さかった頃の記憶と何ら変わらなかった。

 

 

 ・・・

 

 

 私達が市街地に戻って来た時、盛大な行進曲と共に機甲師団の戦車隊が≪インペリアル大通り≫を騎行していた。沿道に集まる市民達の中、正規軍の戦車が二両ずつ並んで走る光景に、街道が大通りと同じ様な幅と舗装だった理由に気付かされる。ああ、この大通りと同じ様にあの街道も、帝国が軍隊の為に作ったのだと。

 

 クロウ先輩が何かとしつこいので、朝ご飯は仕方なく旧市街の小さなカジノバー兼カフェに行く事となった。軽い朝食を済ませた後、カジノの開店に後ろ髪を引かれまくる予想通りの先輩を引っ張って、次の課題の場所である新港地区のジュライ国際空港へ向かう事になるのだけど。

 カジノバーから結構離れたからか、恨み節をグダグダ並べていた先輩がやっと諦めが付いた頃、突然、私達は後ろから声を掛けられた。

 

「おぉ! その制服、君たちはトールズの……!」

「誰?」

 

 と目を細めるフィーだが、その返事は帰って来ない。声の主の高級そうな生地のスーツ姿の男は、私やフィーなんか眼中にないと言わんばかりに足早に通り過ぎ、私達の先頭を歩いていた金髪の少女の前に回り込む。

 

「なんと! アリサお嬢様! これはこれは! トールズにご入学なされたとお聞きしておりましたが!」

「って、取締役!?」

 

 腰を低くして彼女の手をとる男に、目を見開いて驚くアリサ。

 なんか面識はあるみたい。知らないオッサンだったらどうしようかと思ったよ。

 

「君、早くカメラの用意を」

「ハッ」

 

 とはいっても、手を握られているアリサは明らかにたじろいでおり、なんとなくヤな感じだ。そんな中、真っ黒のスーツに身を包み、サングラスを掛けた屈強な男が、すぐ近くに停まる導力車の中からカメラを持ってくる。

 

「ささ、アリサお嬢様。あぁ、君はレーグニッツ知事閣下の息子さんだね。君もこちらへ来てくれたまえ」

 

 身なりの良い男はアリサを自分の右腕の前に、マキアスをその反対側に立たせる。

 

「ささ、君たちはその辺に」

 

 にこやかに笑いながら指示してくるけど、ここまでやられたら私も分かる。

 この人は、アリサとマキアスと一緒に写真が撮りたいだけだ。うちのクラスの可愛いアリサなら分かるけどマキアスってどーゆーことだし。

 なんなの、この人。

 

 カメラが似合わない黒服の男が、更に似合わないカウントをしてくれた後、フラッシュの眩い光に思わず目を瞑ってしまう。

 ……まぁ、いっか。フィーなんてカメラの方すら向かないで、へっちょ向いてるし。

 

「取締役、これは一体……」

「なに、こんな場所で偶然お会いしたのです! これも旅の記念というやつですよ! ははは、良い巡り会わせに女神に感謝しませんとな!」

 

 爽やかな笑顔を浮かべる男とは正反対に、アリサの顔は微妙なものだ。

 

「そういえば、取締役……ヘルマン氏のその後のご消息は……」

「いえ、未だ何も――兄の件ではグループには勿論のこと、イリーナ会長にも、本当に、多大なご迷惑をお掛けしました……このヨーゼフ……このご恩を一生――!」

「議員、そろそろ空港に向かいませんと副総督の飛行艇が出発――」

「戦争ごっこなんかより重要な話なのだ……!」

 

 小声で言ったつもりだと思うけど、結構聞こえちゃってますよ。

 

「あぁ、そうです! どうやら、ノルティア州にて増税の動きが進んでいるようですが、無論、私は反対の意を議会で示させて頂きますぞ! 帝国経済の先頭に立つ我々の成長を妨げる等言語道断――して、アリサお嬢様からもイリーナ会長にどうかお伝え頂けると……」

「はぁ……わかりました」

 

 あ、私でもこれは分かる。アリサのお母さん、ラインフォルト社の会長に取り入ろうとしているんだ。

 だから、アリサはため息混じりだし、うんざりな顔をしてるのか。

 

「おぉ、感謝いたします! それでは、お嬢様、何卒お気を付けくださいませ!」

 

 言いたい事はさっきのお話の様で、聞きたい返事も聞けたらしい『取締役』と言われていた男は、そう言うがいなやさっさと導力車に乗り込んでしまう。

 それにしても、なんかアリサに対してだけ腰の低い所が、シャロンさんより使用人っぽいのだが。

 

「なんだありゃあ?」

 

 まるで変な嵐の様に、過ぎ去っていった男。慌ただしく走り去ってゆく導力車の後ろ姿に、クロウ先輩がぼやく。

 

「コンラート議員。帝国議会の平民院議員よ」

「……ふぅん」

「議員さんだったんだね」

「平民院という事は、大方≪革新派≫の議員か……なるほどな」

 

 盛大な溜息の後、アリサの告げた男の素性に、各々驚きを交えた反応を見せる。マキアスは写真を撮られた時の意味が分かったのか、げんなりとした顔だ。

 そういえば、周りの黒服の男にそう言われてたっけ。異様に体躯が良かったので秘書さんには見えなかったけど、ボディガードかな。

 それにしても、あれが帝国議会の議員先生……。

 

「……そして、ラインフォルト・グループ傘下の企業、コンラート社の社長でグループの取締役の一人よ」

 

 少し言いたく無さげな間が開いた後、アリサは議員のもう一つの肩書を明かした。

 

「どっかで聞いた事があると思ったけど……あのコンラート社か」

「フィー、知ってるの?」

 

 納得がいったように小さく頷くフィーに、エリオット君が訊ねる。

 

「武器商人。猟兵団や傭兵の間じゃかなり有名」

「……どう有名なのかは聞かない方がよさそうだな」

「そだね。それがいいかも」

 

 マキアスの言葉にフィーは頷いた。

 ちらっとこっちを見たような気がしたのは、気のせいだろうか。

 

「ま、ラインフォルトの所謂、裏口って奴だな」

「裏口?」

 

 クロウ先輩の意味深そうな暗喩を聞き返す。

 

「大っぴらに武器を売り付けると印象が悪い相手専門ってことよ。ラインフォルトにも国際的企業の体裁っていうのがあるからな」

「……恥ずかしい限りだけど、そういう事ね」

 

 余計なことをと言わんばかりに、大きなため息を吐いたアリサが、先輩の言葉を肯定した。

 あぁ、だから猟兵団や傭兵に有名なんだ。そう考えると、確かに心象は悪い。

 

「そういえば、さっき消息がとか言ってたけど」

「去年の秋頃、コンラート社を創業以来引っ張って来たヘルマン元社長が突然失踪して、今は弟のヨーゼフ氏が政治家を兼ねて社長と取締役になってるのよ」

「ふーん」

「失踪とはまた穏やかじゃないな?」

 

 フィーの質問に答えたアリサだけど、質問した本人は至って興味無さげで、今度はマキアスが続いて訊ねた。

 

「……正直、状況だけなら自殺の方が近いわ。なんたって高度数千アージュを飛行中の≪ルシタニア号≫から飛び降りたんですもの」

「そりゃ……」

「まず生きてないと思うけど」

「そうね。去年就航したばかりの≪ルシタニア号≫の悪評が立つと困る、ってウチの誰かが思ったのでしょうね……」

 

 そこまで言って、アリサは何とも言えない顔で深い溜息をついた。

 

「じゃあ、あの人、ついこの間お兄さんを……」

 

 亡くしてるんだ。

 それなのに、政治家として社長として働かなくちゃいけないし、笑わなきゃいけない。そう思うと、とても哀しい。誰だって、肉親を失って悲しくない人なんていないだろうから。

 

「ヘルマン氏より人当たりは良いし、話しやすい御方なのだけど、商才の方はからっきしみたいで……今年に入ってから大きな契約をいくつも落として、コンラート社の業績も見通しは悪いみたい」

「出来のいい兄貴の操り人形……ってとこか」

 

 歯に衣着せずに辛口な先輩。ちょっと最近、毒舌が過ぎると思うんだけど。

 

「それでも相変わらず、猟兵団はお得意様みたいだね」

 

 先程、議員先生達が出てきた大分汚れた古い石造りの建物。その玄関の上の青く錆びた銅製の文字列をフィーは見上げた。

 

「ノーザンブリア……」

「ノーザンブリア自治州領事館だと?」

 

 不思議そうなマキアスの声。

 

 あれ? 違う?

 

 そう思ってマキアスの方に目を向けると、門構えの方に木板で安っぽい看板があった。

 という事は私が見た建物の方は直されていないのだろう、”在ジュライ市国ノーザンブリア大公国大使館”ってなっていたから。

 それにしても、大理石と思われる石造りの建物はとても立派なのに、あまり整備が行き届いてないのか見窄らしくなってしまっている。その壁面は酷い罵りの落書きまでされている汚さで、使われていないのか窓ガラスが割れている部屋まである。 大災害で大変だから、修繕するお金もないという事なのだろうか。

 

「なるほど。そういうことかよ」

「だね」

 

 先輩が納得したように頷く。

 

「え? どういうこと?」

「ノーザンブリアは大陸最大規模の猟兵団≪北の猟兵≫の本拠地」

「その自治州の領事館から出てくる傭兵専門の武器商人の親玉――クク、建物と違ってミラの匂いがプンプンするな」

「……まったく」

 

 エリオット君に応えるフィーに付け加える形で悪い推測をする先輩に、アリサが白い眼を向ける。ミラには鼻が利くって奴だろうか。もっとも、悪そうな顔を浮かべる先輩の財布は、相変わらずミラにモテてはいないんだろうけど。

 

 それにしても、北の猟兵か……。 この建物の、昔は白かっただろうと思われる壁に落書きされた、”バルムント”という人物を罵る言葉。この人物は、猟兵なのだろうか。

 

「それこそ、北西動乱じゃ大暴れした所だよ」

 

 そんな気はした。ノーザンブリアはここからそう遠くはないのだし。大陸最大規模なら尚更だろう。

 

「元々あそこら辺は大公国時代の勢力圏内だった地域だったみてぇだからなぁ。そう易々と帝国に主導権を握られるのも我慢ならなかったんかねぇ」

「……」

 

 やれやれ、とぼやきながらクロウ先輩は止まっていた足を進め、アリサとマキアスも、それに続く。

 フィーだけが一人、その場から動かず薄汚い領事館を再び見上げていた。

 

「どうかしたの?」

「うんん。思い過ごしならいいんだけど」

「?」

「いくらノーザンブリア自治州と関係が深くても、≪北の猟兵≫程の大きな猟兵団が、そんなミラにならないプライドで動くのかなと思って」

 

 

 ・・・

 

 

 私達の昼間の課題は新港に併設される『空港警備の補佐』。警邏とか警備とか、今回の特別実習の課題は本当に軍の補助的なものが多い。まぁ、三つ目の課題は少し違うっぽいけど。

 

 新港地区の一角にあるジュライ国際空港。そのターミナルビルの屋上にある展望台で、私達三人はサンドイッチ片手に休憩時間を過ごしていた。 昨晩と同様、この課題でも班を割る事になってしまっており、今回はアリサとマキアスと私だ。それにしても、このB班のリーダー格で引締め役の二人揃ってこっちに居ていいのだろうか。向こうのチームの面子を考えると、色々と激しく心配である。 やっぱり、クロウ先輩のブレードくじって、不味いんじゃないだろうか。

 

 三階建てと、それ程高い建物ではないが、この屋上からは倉庫やクレーンといった港湾施設が建ち並ぶ新港は勿論、港から駅前まで綺麗に一直線な大通りも一望できる。景色も良いし、北海からの海風は昼間でも涼しいので、確かに休憩場所にはもってこいだった。この場所を教えてくれた職員の人には感謝しないと。

 

「施設は立派なものだが、まぁヘイムダル港と比べると船の出入りは大分少ないな」

「演習のせいかも知れないけど、泊まっている船も軍艦ばかりね」

 

 マキアスとアリサの抱いた新港の感想には私も同意だ。帝都の東側を流れるアノール河の港の事は知らないけど、アゼリア湾ではもっと大小様々な沢山の船が水平線を横切っていたものだ。

 

「昔はもっと栄えてたんだけどね。いまは帝国国内は鉄道輸送が主役だし、飛行船もあるからね」

 

 思いもよらない声にマキアスが慌てる。誰もいないと思って遠慮せずに帝都と比べるからだよ。

 

 私達の感想に答えたのは、新港とそれに付属する空港の責任者で、この課題における私達の一応の監督役でもある港長。丁度、昨晩の居酒屋の店主より少し年上の、そろそろ中年から初老へと差し掛かる歳に見えるオジサンである。

 彼は昔、帝国のオルディス市で働いた経験を持つジュライ市民で、いくつかの話を聞かせてくれた。

 

 新港の収益の殆どは帝国軍から支払われる施設使用料という今の港湾の現状の話もあれば、ノーザンブリア大公国の崩壊が海運が低迷した原因という昔の出来事の話もあって――私にとって特に興味深かった話題は、併合前のこの街と≪紺碧の海都≫オルディス市――その主であるカイエン公との関係についてだ。

 

「ああ、ジュライとの特許状が失効してね」

 

 あー、そういえば中間試験の時にユーシスに教えて貰った気がする。

 昔の皇帝陛下からオルディスのカイエン公爵家に与えられた外国との海上貿易の独占権を認める特許状。

 この特許状のお陰で、東方貿易と北方貿易を独占したカイエン公爵家は中世に莫大な富を蓄え、その権勢は≪四大名門≫最大の財力として現在まで至る。

 ラマール州が豊かなのも、オルディス市が帝国で二番目に大きい大都市なのも、海上貿易のこういう歴史と密接な関係があるのだ。

 

 時代の流れと共に、主要国との特許状の多くは歴代の皇帝に更新されずに喪失していたが、地理的な理由から競合する港が無く、ラマール州と”特別な関係”にあった自由都市ジュライ市国相手の特許状は、数百年もの間、カイエン公爵家に脈々と受け継がれ、守られていたらしい。

 特許状はジュライにとっても有益なもので、代々の市長はカイエン公爵家の当主に協力する形で隣国との交易を進め、市国は北方諸国とオルディス市の中継貿易の拠点として発展した。

 

「なるほど、ジュライ特区が帝国領になった事で、ラマール州との間の海運は”外国貿易”から”国内流通”になったのか……」

「昔からオルディスとは関係の深い街だったものだから、港にとっては大きな痛手になってしまってね」

 

 数百年の間、伝統の様に続いた北海貿易の仕組みだが、それは呆気なく終わりを迎えた。

 ジュライの帝国への併合という形で、帝国政府はカイエン公爵家に残る最後の、そして、特別な”特許状”を潰してしまったのだ。

 

「カイエン公がオズボーン宰相と対立する筆頭格なのはそこら辺の事情もあるのね」

「しかし、そうはいっても貿易の独占権の特許状なんて……時代錯誤も甚だしいぞ」

 

≪貴族派≫と≪革新派≫の対立の一頁に、少なからず同情的なアリサと反発気味のマキアス。貴族領邦であるノルティア州出身で、アンゼリカ先輩を始め貴族との付き合いもあるアリサと、帝都の下町で育ったマキアスではこの話への感じ方も違う事だろう。

 

 私もここだけの話を聞けば、少し同情の余地はあるのかなとも思ってしまう。

 

 だって、帝国政府の併合は偶然なんかじゃないから。鉄道を開通させて海上貿易の衰退を決定的なものとし、結果的にオルディスに集まる富を減らす。独占していた貿易がなくなる以上に、その貿易に関わっていた多くの人が職を失い、オルディス市の貿易港としての地位も落ちた事だろう。

 その上、ラマール州と関係の深かった小国を帝国政府の直轄領とする――もうこれ以上なってぐらいの、一石二鳥以上の嫌がらせに思える。

 目的は勿論、≪四大名門≫の一角であるカイエン公の懐を痛め、貴族勢力の力を削ぐことだ。

 

「出来ればオルディスとの関係も昔みたいに良い関係にして貰いたいんだけどね」

 

 先程の話の中で少し出たが、昔は旧市街のさらに西側の高台にある高級別荘街にカイエン公の別荘屋敷があって、毎年夏場の避暑地として利用していたんだとか。流石に、併合後は全く来ていないらしいが。

 

「……あの副総督閣下だとそれは無理そうね」

 

 マキアスが以前のまんま大人になったら、あんな感じで貴族を嫌ってたのだろうか。

 もしかしてあの貴族嫌いな将軍が北西の副総督に任命されたのも、ラマール州のカイエン公とあえて対立させるのが目的なのではないかと感じてしまう。

 

「だが、将軍閣下のお陰で海運もちょっとは明るい未来が見えて来たかな」

 

 なんでも外国との地方間の協定が結ばれ、その国と帝国を結ぶ主要航路の帝国側の拠点がジュライ特区になるのだとか。

 でも、これってオルディス市から更に海上貿易を奪うってことだよね。

 

 そして、朝見たあの検問所の向こう――大通りを行軍した戦車隊の向かう先の北西準州でそろそろ始まる正規軍の演習は、ラマール州、しいては≪貴族連合≫への圧力なのだろう。

 

 私の頭の中で、あらゆる事柄がどんどんと糸で繋がってゆく。

 

 港長が去った後も、私は黙ってこの港を見つめてしまっていた。

 

 あまり出来の良くない私の頭には難しいけれど、この街が帝国に取り込まれてしまった理由が何となくわかって来ていた。

 北西という天秤の上で平衡を保ってきた歴史ある小国は、天秤の片方に乗る一つの国の崩壊によって安定を失い、もう片方に乗る大国を二分する勢力の争いの煽り受けてしまう。

 烈火の前に一枚の葉が無力であるように、呆気なく炎へと飲まれてしまい、その小国は長い歴史に幕を閉じたのだ。

 

 

 ・・・

 

 

「これが……」

 

 長い螺旋階段を登り切った先に広がっていたのは、先程までいた屋上より遥か高く、遠くまで見渡せる眺望。窓からはこのジュライ国際空港の大きな二つの発着場が手に取る様に分かる。

 

 窓際には何に使うのか私には分からない沢山の導力機械類で埋め尽くされており、それらを操作する職員は空と機械を交互に見ながら、忙しなく通信で指示らしきものを出していた。

 

 港長が私達の所に来てくれたのは、お話をするためではなく、この後の予定変更を伝える為だった。本来は夕方までずっと警備だった私達に『プレゼント』を用意してくれたらしい。

 その内容は来てからのお楽しみという事で教えては貰えなかったが、指定された集合場所に聳える高い塔を見て、自ずと察してしまう以上に驚かされた。

 

 そう、ここは空港の心臓部である管制塔。この空の港を発着する飛行船が、安全に航海を出来る様に航海に関わる様々な指示を出す場所なのだ。

 

 そんな場所を私達は、あるお客人の”ついで”として見学させてもらえる事になったのである。

 

「なるほど、中央工房製の機器をラインフォルトが改修しているのか」

「この発着場は元々は貴国の技術援助で建設されたものですからな」

「ふむ……」

 

 そして、この『プレゼント』を私達にくれた港長と一緒に居たのは――

 

「……おや、君たちは……」

「あ……」

 

――そこにいたのは、行きの列車で会った紳士。そして、昨日の夜にホテルで副総督閣下と立ち話をしていた外国の偉い人だった。

 

「トールズ士官学院の者です。ご迷惑とは思いますが、ご一緒に見学させて頂きます」

「ああ、閣下からお話は伺っているよ。勿論構わないとも」

 

 みんなを代表して挨拶したのはマキアスに、人の良さそうな笑みを浮かべて紳士は応える。もうすっかりこの役がマキアスに定着してしまっている。

 

「自己紹介が遅れて申し訳ない。私はリベール王国ルーアン市の市長を務めているノーマンというものだ」

 

 ”リベール王国”、その国の名前が出た時、クロウ先輩を除いたB班みんなの視線が私に集まった。

 やっぱり……リベールの人だったんだ。

 

――それに、もうエレボニアは敵ではないよ――

 

 列車で初めて言葉を交した後に聞いてしまった一言と、なんとなく帝国人とは違う穏やかそうな雰囲気から予想は出来ていた。ただ、私があまり考えたくはなかっただけ。

 

「……リベールの……」

 

 思わず私の口から零れた一言に、ノーマン市長の表情が少し揺らいだ。それは、まるで身構えるような硬さを帯びていた様に、私には思えた。

 何も言わず、私を促すように見る市長さん。

 

「……私のお母さん……いえ、母がリベール人で……」

「ほう……」

 

 市長さんが私の打ち明けた言葉に目を見開いて驚く。

 

「それも、ルーアン出身なんです」

 

 お母さんの故郷、絵と写真でしか見たことがない白い港町――ルーアン市。

 誰かは、パルム市よりも遥かに大きくて立派な都会で、沢山の人と船が集まる華やかな街だと言っていた。その市長さんが私の目の前に居る。

 

「……なるほど。王国より遥か遠いこの街で、リベールに、それも私が預かるルーアンに所縁のある方にお会い出来るとは思わなかったよ」

 

 これも女神のお導きということなのかな、そう続けた市長さんは嬉しそうに微笑んでくれた。

 

……よかった。

 

 

 軍用船の管制は軍の基地で行われている様だが、特区のすぐ隣で演習が行われている関係で、今この空域には結構な数の軍に所属する船が飛んでいるらしい。先程から導力通信で交わされる交信は、やたら軍相手が多くて、管制官達も民間船の航路や針路に気を遣っているみたいだ。

 

「二番発着場はウチの建て方ね」

「発着場にそんな違いがあるの?」

 

 うんうん、と頷きながらどこか満足気なアリサに尋ねるのはエリオット君だ。

 

「リベールのZCF(ツァイス中央工房)式は、発着場が緩やかな坂になっているのが特徴ね。初期の導力飛翔機関はまだ出力が弱かったから、離陸を助けるためにあの坂に設置されてる導力式の離陸補助装置が必要だったのよ。今は流石に使われていないけどね」

 

 おー、流石は導力学学年一位。導力器の帝国における総本山、ラインフォルト社のご令嬢は伊達じゃない。パルム市にある飛行場もあんな坂があったような気がするから、リベールに建てて貰ったのかな。パルムにとっては、帝国で一番近くの街より、リベールの方が近いのだし。

 

「あとは搭乗デッキが石造で堅牢に造られてたりするわね。ほら見て、二番発着場は乗客が乗降りする所がトラス構造の鉄骨組みでしょ?」

 

 アリサはそう言って、ついさっき帝都から到着した中型の飛行客船が泊まっている発着場を指差す。

 

「でも、工期短縮の為の手抜きって訳じゃなくて、あれは飛行船の将来的な大型化を想定して発着場に必要な施設拡張性を持たせる必要があったから、あえて簡易型にしてるのよ。だから、帝国内の空港は≪ルシタニア号≫みたいな次世代の大型飛行客船の登場に難なく対応――」

 

 エリオット君達は理解出来ているのか少し怪しそうな顔をしてるけど、アリサはそれには気付いていないのか、もうなんとも楽しそうに話しちゃって。昨日からほんの少し元気がなさそうだった様に感じたのは、私の杞憂だったみたい。

 それにしても、ここまで機械の話が大好きな女子も少ないだろう。空港職員の人も、目を丸くしてアリサの解説には驚いているし、ノーマン市長に空港の事を説明しているらしい港長も、何度かアリサに視線を向けている位だ。

 

 そんなアリサの飛行船話を止めたのは、一人の空港職員の一声だった。

 

「君達、今から珍しい船が着陸するよ」

 

 職員はお茶目にも唇に指を立てながら、すぐ近くの管制官を指さす。

 

「≪エルフェンテック・ワン≫、ジュライ・タワー、一番発着場への着陸を許可する。風は150度から5アージュ、針路はそのままを維持、規定着陸コースに入られたし」

 

 小さな雲が疎らに浮かぶ空に、太陽の光に照らされて輝く点が見えた。それが段々と大きくなって来て、初めてこちらに接近してくる飛行船だと分かる。

 白色の船体に所々、青色の意匠が施されたきれいな飛行船。

 

「……何よあの船!」

「キレイな船だね」

「見たこと無い飛行船」

 

 まるでとても凄い物を見たかのように、アリサが窓に食らいつく。そんなに珍しいのかな、あの船は。

 

「あの船はまさか……去年、オリヴァルト皇子が凱旋されたリベールの船に少し似ているような……いや、違うか?」

 

 マキアスが言うように、あの衝撃的な出来事の新聞記事で写っていた飛行船も確かに白かった。だけど、なんとなく違ったような気がする。ちょっと、向こう側にいる市長さんに聞いてみたいけど……。流石に港長との話を邪魔する訳にはいかない。

 

「レミフェリアの公都アーデントから来た公国船籍の≪エインセル号≫という試験船らしい。今回は旅客や貨物輸送ではなく、国外への慣熟飛行が目的みたいだね」

 

 飛行情報が記されているらしき一枚の紙を見て、職員さんがあの飛行船の正体を教えてくれた。

 私にとってはあまり馴染みの無い国だ。北国なのにお金持ちの国という漠然としたイメージの他には、あまり知っている事は少ない。一応、海を隔てた先の隣国の一つなのかも知れないけど、何分帝国は広いのでサザーラント出身の私にとっては一万セルジュ以上離れた国だ。この街の人であれば、多少知っているのかも知れないけど。

 

「レミフェリアの試験船……ノーマークだったけど、あんな船どこが造ったのかしら……それに、試験って一体……むむむ……」

 

 唸るアリサは少しだけ悔しそうな顔を、眼下で静かに発着場へと入る飛行船へと向ける。ラインフォルトのご令嬢としては色々と複雑な気持ちなのだろうか。

 そんな事を考えながら、発着場に着陸した白い飛行船の船体に目を落とした時だった。私の視界を蒼い何かが過り、その一瞬の影を追う様に空を見上げる。しかし、その先には何の姿も形もなく、ただ薄暗い東の曇り空が広がるだけだ。

 

 それは、翼がある鳥の様な気がした。まるで、おとぎ話に出てくる幸せの象徴のような。

 

 

 ・・・

 

 

「ところで、君もルーアン出身なのかな?」

 

 見学が終わって管制塔から地上へと戻って来た後、私はノーマン市長にそう訊ねられた。

 

「いえ、私は帝国の生まれです」

「ふむ……ルーアンを訪れた事は?」

「……いいえ。……その……」

 

 行きたかったけど行けなかった、と伝えたい所だが、リベールの人の前で戦争の事を口には出せなかった。お父さんもちゃんと帰って来てくれて実害は無かった私に比べ、目の前の市長があの戦争でどんな悲しい思いをしているか分からないから。

 

「……申し訳無い。私の配慮が足らなかったようだ」

「いえ……そんなこと……」

 

 結局、逆に市長さんには気を遣わせてしまう結果となり、空港の正門に気まずい雰囲気が漂う。みんなも様子を窺うように静かなままだ。こういう時、クロウ先輩のおちゃらけてても上手い話術が本当に恋しくなる――でも、先輩は一足早く管制塔から降りて、どっかに行ってしまっているのだ。

 

「ふむ……」

 

 先程から、ずっと何か思案しているノーマン市長が顎をしゃくる。だが、市長も中々、口を開こうとはしない。折角、私と会えたことを喜んでくれた市長さんなのに、こんな別れ方はしたくない。

 あまりにも静かすぎて、頭上を飛ぶカモメの鳴き声や海風が運ぶ港の喧騒が、嫌に煩く感じられた。

 

「お嬢さん。今後、旅行のご予定はあるかな?」

 

 え?

 あれでもない、これでもないと悩む私への市長からの問いかけは、あまりに予想外のものだった。

 

「ないのであれば、リベールのルーアン地方はどうだろうか。とても美しい街並みと素晴らしい料理――紺碧のアゼリア湾を望むルーアン市は勿論、白き花の舞うマノリア村、瀑布の関所エア=レッテン、王国随一の学府ジェニス王立学園――地方全体の名所旧跡を巡る観光ツアーもご用意させて頂こう」

 

 唐突に行商人の営業の様なな話し方をするノーマン市長に、どう反応すればよいのか戸惑ってしまう。

 

「こう見えても、私はルーアン市で旅行会社と幾つかのホテルを経営していてね。君がルーアンを訪れる事があれば、最大級のおもてなしをしようじゃないか。勿論、その時はサービスもさせて貰おう――勿論、ご学友の皆様もご一緒に」

 

 そんな事、言われたって私達は士官学院生だし、特別実習という旅行もあるし、誰も……。

 

「いいね。リベールは行ったことないし」

「うんうん、国外旅行も行ってみたいね」

 

 思っていたのと全く違う、フィーとエリオット君の反応に、驚きのあまり後ろを振り向く。

 

「そうね。サービスついでに、ツァイスも行けたりしないかしら」

「ふむ、リベールの王立学園も興味があるな」

 

 仕方ないわね、とでも言いたそうな優しい笑みを湛えたアリサとマキアスが続いた。

 みんなの顔を見て、私はやっと気付かされる。決してルーアン旅行を現実的に考えている訳ではない。ただ、私の背中を押してくれようとしているのだ。 そして、ノーマン市長のあの問い掛けは、もっと違う意味合いが籠められたものだった。

 

「……でも、私、帝国の人間なんですよ?」

「ルーアンは港湾都市であると共に観光都市だ。諸外国から多くの観光客が来られて、旅の一時を楽しんで頂いているよ」

 

 でも……でも、まだ私はリベールの人が――

 

「――怖いのかな」

 

 私の心の中を見透かしたかのように、市長は私の胸の言葉と重ねた。

 一見すると、穏やかな顔だった。でも、私にはその表情に様々な想いが混じった複雑さも滲んでいたように感じた。まるで、市長も私と同じだと言わんばかりの。

 

「……もはや、リベールも戦後ではない。エレボニアの皇子殿下があの≪異変≫を視察され、その解決にお力添え頂いた様に、今の両国は不戦条約を共に結んだ同盟国として協力関係を築いてゆく道程にあると、私は信じている」

 

 その為に私はこの街に来たのだから、と付け加える市長。その語尾は強く、まるで言い聞かせる様にも聞こえた。

 

 そっか、この人は、信じたいんだ。

 

「それを、君には自らの目で見て欲しい」

 

 その言葉は何よりも、私に響く。両国の人々が、もっとお互いの事を知る事で――お互いに敬意を払う事で――。

 上手く言葉が紡げなくて返事は出来なかったけど、私は小さく、でも、強く頷いた。

 

「先程も言った通り、是非とも皆様も一度、訪れて貰いたいものだ。きっと我が国を気に入って頂けると思うよ」

 

 丁度、そのタイミングで市長のお迎えの車と思われる導力車が、空港の正門に見えた。

 

「最後に、お名前を頂戴しても宜しいかな?」

「エレナ……サザーラント州リフージョ村、リーベの娘エレナ・アゼリアーノです」

「とても良い名だ」

 

 そう柔和な口元を浮かべて言ってくれた後、市長が咳払いをした。その咳払いは少し下手な芝居がかったもので、慣れてない事を感じさせた。

 

「エレナ・アゼリアーノ殿。ルーアン市長として、君の来訪を遠くリベールの地でお待ちしている。その際は、是非とも市長邸にも顔を出して欲しい」

 

 引締められた表情に、暖かなアゼリア海を思い出させる優しい頬笑みが戻る。

 

「近い将来、君がお母様の故郷を訪れる事が出来る様、私も一人のルーアン市民として願っているよ」

 

 ノーマン市長のその言葉は、私の耳にずっと残り続けた。




こんばんは、rairaです。
今回は8月29日、第五章の特別実習の二日目の朝~昼過ぎのお話でした。
さて、今回のお話は全体を通じて『ジュライ併合の経緯と思惑』をメインテーマとしております。

前半部は、ジュライ衰退の原因となったノーザンブリアを語る為には外せない、≪北の猟兵≫絡みのお話でした。「空3rd」序章のお話にもちょっとだけ触れられていたりします。
第三章でちらっと触れたカイエン公についても、ジュライと絡めて事情や動機の一つを掘り下げる形となっています。また、13歳という若さでジュライを離れたクロウが、3年程度で大貴族中の大貴族である公爵をスポンサーとした≪帝国解放戦線≫を結成できた理由への、私なりの一つの答えだったりします。

後半部はこの作品恒例のリベール成分なお話でした。「空SC」の≪異変≫では対応が後手後手に回って市民を失望させていた市長ですが、市政の為には元敵国にも飛び込む…そんな、軌跡世界に生きる一人のキャラクターの物語の一ページを描いてみました。

次回は同日の夕方~夜、特別実習ジュライ編・最終話の予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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8月28日 誓いの在り処

「この課題、本当にこれで合っているのか?」

「警備じゃないんだよね?」

 

 古い木組みの街並みの通りの一角に着いた時、マキアスとエリオット君がもう一度確認するようにアリサに訊ねる。

 夜間警邏、街道警備、空港警備と来たら、普通に考えれば次は港湾警備だろう。そんな少しネガティブな目星を付けていた私達だが、アリサの手に取る最後の一枚となった課題の紙には、予想とは全く異なる内容が記されていたのだ。

 

「流石に課題の間違いはないと思うけど……最後の良心、かしらね?」

「ま、楽できそうでなにより」

「確かにそうだな。ほらよ、とっとと入ろうぜ」

 

 微妙にまだ半信半疑な様子のアリサだが、フィーとクロウ先輩は暢気なものである。

 ”釣公師団”。聞き覚えは無いけど、やっている事は丸わかりな看板を掲げた建物へと私達は足を踏み入れた。

 

 

「あぁ、待ってました!」

 

 目を輝かせて出迎えてくれたのは、この釣り愛好家団体の支部長。今回の依頼人として、私達がこの街でこなす最後の課題を説明してくれる。

 課題『釣り場のテスト』の依頼内容は、この団体が見つけた初心者向けの釣り場を、私達に試してほしいという事らしい。また、嬉しい事に釣れたお魚は報酬を兼ねて、この釣公師団で料理してくれるとのことだ。

 晩ご飯まで用意してくれるなんて、かなり良心的な依頼である。

 

 釣りの経験が殆どないアリサ達四人が団員の人から簡単なレクチャーを団員の人から受ける事となる中、『初心者向け』という依頼の趣旨から、それなりに経験があるらしいクロウ先輩と少し齧ったことがある私がペアとなる事が早々に決まってしまった。

 個人的には少々不本意に思いながらも、そういう依頼だからと言われてしまえば仕方がない。レクチャーを受けなくて良いのと、何かあっても先輩に任せられる事を考えれば、かなり楽な立場かも知れない。

 

 部屋の奥ではマキアスとエリオット君が竿や漁具の取り回しに手間取っていて、まだまだ時間が掛かりそう。持ち前の容量の良さであっさりと習得したフィーは、二人にアドバイスをしているみたい。ちなみに、先程からどこかやる気に溢れるアリサは、興味津々といった様子で団員の人に色々訊ねている。

 きっとアリサはリィンの事でも考えたに違いない。想い人の趣味を知る事は、大きな武器になるから。

 

 まったく、お嬢様は乙女で可愛いんだからぁ。

 

 そんなB班の他の面々を待ってる間、私はブリオニア島で貰ったある物を思い出した。

 

「そういえば、私、こんな物ありますよ」

 

 リュックから古風な手帳を取り出して支部長へ差し出す。ブリオニア島の老紳士と一緒に釣った、大きなあのサモーナの釣果しか記録されていない”釣人手帖”だけど、意外な所で役に立ってくれるのかもしれない。

 

「へぇ、お前さん、そんな良いもん持ってんのか」

「おぉ、釣り手帳ですか! やはり名誉支部長の紹介なだけはありますな!」

 

 感心感心と、ご機嫌な様子で私の手帳を受け取ってくれた。

 

「ふむ……これは見たこともない位古い釣り手帳だ……む……レ、レイクロードだと!?」

 

 温厚に私達に接してくれていた筈の支部長が、突然血相を変える。

 

「き、君! これはなにかね!? まさか、また私達を追い出そうとするつもりなのか!?」

 

 そして、私は訳も分からないまま、どこか怯えの混じる激しい怒りの矛先を向けられていた。

 

 

 ・・・

 

 

「いや、それにしても笑ったな」

「私にとっては全然笑えないんですけど」

 

 あらぬ疑いを掛けられた挙句、いわれのない敵視を向けられた私にとっては迷惑極まりない。

 アリサとマキアスのお陰で誤解はすぐに解けたけど、それでも私は敵対する団体の関係者ということで、釣公師団の支部の中にいた団員から中々冷ややかな目で見られたし、釣り竿の貸し出しも少し渋られた位だ。

 

 なんでも、数年前にこの街から釣公師団を追い出そうと、釣皇倶楽部が悪巧みをした事があるらしいのだ。また、クロスベス州では今月支部が乗っ取られて大変な事になっているのだとか。

 

「でもまあ、まさか、あの将軍が《釣将》とか呼ばれてたなんてなぁ」

 

 なんとこの課題を斡旋したのは、他でもないあの副総督閣下で、その閣下は釣公師団の団員であると共に、数年前に支部を守った功績からこの街の支部の名誉支部長になっているんだとか。

 

 十二年前に入団されてから軍務の傍らで磨いた腕とコツコツ積み上げられた実績は支部の誇り、とか依頼人の支部長は熱く誇らしげに語ってはいたけど、眉唾物である。

 

「なんというか、人は見た目によらないってことですね」

「ヌシ釣りの為に、戦車の大砲を竿代わりにして一台海に沈めたって話は傑作だったな」

「アレ、いくらなんでも冗談ですよね……?」

 

 ある意味で、最高級の竿を使った事にはなりそうだけど。沈めたなら餌も最高級か。帝国の国防予算の無駄の一片を見てしまった気がする。まぁ、帝国政府に納税する帝都市民ならいざ知らず、サザーラント州民の私からすれば直接的には無関係だけど。

 

「でも、なんで釣公師団の方に入ってるんでしょうね。副総督は帝国人ですし、レイクロード社後援の”釣皇倶楽部”の方が身近そうですけど」

 

 釣公師団は外国の団体で、帝国では余り活動していないらしいのに。

 

「そりゃぁ……貴族嫌いだからだろ?」

「あぁ……」

 

 なんて身も蓋もない。

 だけど、帝国を二分する二大派閥の対立は、こんな所にも顔を見せる。

 

 いまはまだ政治家や軍人の間の対立が主だけど、帝都で思い知った様に徐々に一般市民の間でも対立は先鋭化してきている。これが行きつく所まで深まれば……。

 そんな、背筋が寒くなるぞっとしない考えが、ふと浮かんでしまっていた。

 

 

 港長の話に出た西の高台にある高級住宅街とは、あの辺りの事なのだろうか。

 ここから坂道に沿う街並みは、旧市街とはまた違って気品溢れる雰囲気で、家屋の一つ一つは屋敷といっても良い位の大きさだ。

 ただ、それらの多くには明かりが灯されておらず、通りの先には殆んど人気は無くて、ひっそりと静まり返っていた。

 

 私の前を歩く先輩の足が止まる。

 

「どうしたんですか?」

「ちょっと寄っていかないか」

 

 先輩の視線の先にあったのは、古い石造りの教会だった。こじんまりとした雰囲気が、なんとなく私の故郷の礼拝堂のような懐かしさを感じさせる。

 

「遂に日頃の行いへの懺悔でもするつもりですか?」

「……それにはまだ早ぇな」

「え?」

 

 いつもの面白い反応を期待した私の冗談だったが、返って来たのは全く違う言葉。神妙な顔つきで呟いた先輩に、思わず聞き返してしまう。

 

「なんてな。ここは一つ、女神に大漁祈願といこうぜ」

「もう……バチあたりですよ」

 

 軽い調子で古い教会へと入っていく先輩の背中を、少し遅れて私は追った。

 

 

 なんというかもう慣れっこだ。特別実習が始まった昨日から、こうやって振り回されてばっかりなのだから。

 人影の疎らな夕方の礼拝堂に入ってすぐ、私がちょっと目を離した隙に、またもや勝手に先輩はどっか行ってしまった。流石に懺悔の為に告解室に入った訳ではないみたいだけど、反対の意味で期待を裏切らない相変わらずな先輩である。

 

 礼拝堂に居合わせた高齢の神父様と少し話した私は、彼の勧めに従って教会の裏手の墓地へと足を運ぶ。

 

 どうせそんな遠くには行っていないのだろうし、その内に通信でもくれるだろう。

 

 夕日で橙色に染まる芝生の中に墓標が並ぶ墓地は思ったより広かったが、それでも神父様が仰った場所はすぐに見つかった。

 墓地の一角に建つ、頂点が四角錐となった記念碑の様な小さな石柱。その脇には見慣れた祖国の国旗と軍旗が掲げられている。

 

 ”エレボニア帝国軍・北西動乱戦没者慰霊碑”。

 ”祖国の安定と守護の為にこの地に貢献し眠る全てのエレボニアの兵に捧げる”――エレボニア帝国皇太子ユーゲント・ライゼ・アルノール。

 

 刻まれている碑文が、私の生まれる前の出来事だと伝える。きっと、これは二十年以上前の戦いの事を指しているのだ。

 

 横から伸びた影法師。

 私には、その影が誰のものであるか、すぐに分かった。

 

「もう、今度はどこに行っていたんですか」

「わりぃ、わりぃ。ちょっくら、挨拶がてら誓ったのさ」

「……大漁を女神様に?」

 

 普通なら絶対冗談だと思うけど、この先輩はあろうことかギャンブルでさえ女神に願掛けしたりするのだ。実際に晩ご飯の為に大漁を祈ったとしても不思議じゃない。

 だけど、何故か返事が帰って来るまでには、少しの間が空いた。

 

「……んま、そんなとこだな」

「ほんと、バチ当たっても知らないですよ?」

「ま、その内当たるだろうな」

 

 わかっているなら、日頃の行いを正せばいいのに。

 相変わらずの先輩には呆れたくもなるけど、冗談めいた掛け合いは悪い気はしない。

 

 

 ・・・

 

 

 今はもう使われていないらしい、旧港の古びた埠頭の先。大分伸びた私の髪を撫でる潮風と暖かい左頬から照らす夕日。

 埠頭の地べたに腰を下ろし、海に足を投げ出す。湾内の穏やかな波の満ち引きのリズムが心地よくて、ついつい合わせて脚を動かしてしまう。子供染みているけど、これが意外と楽しくて続く。

 私が握る釣り竿から垂れる糸は、未だ微動だにしない。

 

 小さな波音に混じって聞こえてくる、こちらに近付いてくる靴音。他の釣り場を見に行っていた相方が意外と早く戻って来てくれた事に、少し嬉しさを感じてしまう。

 

「調子はどうだ?」

「ダメダメでーす」

 

 私の返事に小気味良く笑う先輩。

 

「ほらよっ」

 

 そんな声と共に頬っぺたに押し付けられたのは、温かい紙包みだった。

 

「へっ?」

「さっき、『腹減った~』って言ってたろ」

「わっ、ハンバーガー?」

 

 包み紙を開けて、私に見える様に目の前に持って来てくれる。出来たてを感じさせるいい匂いが鼻をくすぐった。

 ハンバーガーは私の地元の様な田舎ではあまり食べられる料理でもないが、手軽な食事として帝都や都市部では流行っているらしい。なんというか、田舎者にとってはどこかクールな都会を感じちゃう料理だ。

 

「そこらで安く売ってたからよ。オレ様の奢りだぜ」

 

 冷えた飲み物の瓶を片手に、自慢気なウインクを決めてくる先輩。釣り竿をスタンドに立てて、先輩の買ってきてくれたハンバーガーを受け取ると、両手から心地よい温もりが伝わる。

 

「……本当に懺悔したんですか?」

「おいおい、なんだその反応は。もっと喜べよ」

 

 先輩はそう言って、私に視線でそれを食べる様に促した。

 だって、借金まみれな挙句、五十ミラすらまだリィンに返してないあの先輩が、私に奢ってくれるなんて。

 思ってもみなかった嬉しいプレゼント。その端っこを、少し遠慮がちに口にした。

 

「……おいしいです」

 

 あぁ、ハンバーグじゃなくて白身魚のフライなんだ。思ったよりあっさりとした中身と甘酸っぱいソースが合っていてとても美味しい。

 

「そうか、気に入って貰えて良かったぜ」

 

 どこか嬉しそうに微笑んでから、私のと同じバーガーを頬張る先輩。

 

「なんでも、”フィッシュバーガー”っていうジュライの名物らしいぜ?」

 

 漁業が盛んな街らしい名物だと思う。朝ご飯を食べたカジノ併設のカフェのメニューにもあったのかな。

 適当なトーストセットで終わらしてしまった朝ご飯への後悔のか、はたまたこのフィッシュバーガーが美味し過ぎたせいか、ついつい思いっきりかぶり付いてしまっていた。

 

「クク、いい食いっぷりじぇねぇか」

 

 思わずフィッシュバーガーの包む紙で口元を隠す。

 

「……あんまり、そういうの言わないでくださいよ」

 

 何も考えずにがっついて食べてしまった私が悪いのかも知れないけど、そういう事言われると『はしたない』って言外に指摘されたみたいで恥ずかしい。

 きっとアリサなら、もっとお上品に食べたんだろうなぁ。

 

 

「こうしてると昔を思い出します」

 

 船が停泊するときに使われていただろう係留杭に座って、まだ見ぬ魚との我慢比べに勤しむ先輩の姿に、懐かしい記憶が重なる。

 

「奇遇だな。お前さんもか」

「先輩もですか?」

 

 そう訊ねた私に、先輩は「ああ」と頷く。

 

「爺さんが釣り好きでな。まぁ、よく連れてかれたもんさ」

「へぇ、クロウ先輩、おじいちゃんっ子だったんですね」

「……まぁな」

 

 懐かしそうに頬を緩める先輩の視線は、湾の外の遠い水平線に向けられていた。

 そんな先輩の横顔に、なんとなく私も胸が暖かくなる。

 

「ところで、お前さんも釣りをするなんて意外だったぜ」

「いまみたいに隣で見ているだけだったんですけどね。懐かしいなぁ」

 

 日々の色々な事に迷って悩んでいた筈のあの頃が、今思えば嘘の様に平穏な日々に思える。

 ただ、それは多分、今だからそう思えるだけ。

 

「あぁ、あの領邦軍の幼馴染って奴か」

「先輩に言いましたっけ?」

「いんや、ゼリカの奴からな」

 

 あぁ、納得だ。アンゼリカ先輩は帝都に私を連れ出してくれた位だし、失恋の相手についても誰かの話伝に聞いていたのだろう。

 

「つい三年前までは、毎日朝から晩まで一緒に居たんですよ。まるで今の先輩や、Ⅶ組のみんなみたいに」

 

 日曜学校に通うのも一緒だった。彼が店の手伝いをしていた頃は、向かい同士で駄弁りながら店番したものだ。

 本当に……なんて、懐かしいんだろう。

 

「なんとなく、先輩に似てるんです。自分勝手で……いっつも私の事、振り回す辺りとか」

 

 士官学院に来てすぐ、まだ私が片思いしていた頃から感じていた事だ。その時は、想い人とこのダメな先輩を一緒にしたくは無かったけど、恋の終わった今は冷静に分析することが出来ていた。その結論といえば、本当にそっくり過ぎて私も呆れたくなるくらいだ。

 

「へぇ」

 

 視線はそのままで先輩は相槌を打つ。

 

「そういえば……彼とは違うんですけど、昔、本当に小さかった時に遊んで貰った、近くの村のお兄さんも先輩に似てました」

 

 当時の私より少し大きかった黒髪の男の子とそのお姉さんを連れて、よく村に来ていたあのお兄さん。彼の髪は先輩と似た綺麗な色だった。

 小さい頃の思い出に流れる《星の在り処》のハーモニカの音色がとても懐かしい。あの人の名前はなんていうんだろう――お母さんもお父さんも、みんなが居た頃の記憶の一番最初のページ。

 

 ま、もっとも、クロウ先輩より間違いなく良い人なのは確かだろう。先輩なんか、フレールと一緒のちゃらんぽらん野郎だから。

 

 あの頃、今の私と同じぐらいだったから、今はもうサラ教官よりちょっと上の筈。あの綺麗なお姉さんと、もう結婚してるのかな。

 

 ただ、今となっては朧げな記憶だが、ある頃を境にぱったりと彼らは姿を消してしまう。急な事情で街に出たのか、それとも――。

 丁度、その頃の筈だ。山火事と村で傭兵達絡みの騒ぎがあったのも、戦争があったのも――隣村が大災害で流されてしまったのも。

 考え過ぎかも知れないけど……。

 

「故郷か……」

 

 漣の海に垂れる糸に目を落としていた先輩が、ふと顔を上げて私の方を向いた。

 いや、正確には私の向こうだ。丁度、西に落ちる夕日の影に沈む、教会のあった高台。

 

「なぁ、お前さん。北西準州で生まれたって言ってたが、元はどこの国だったんだ?」

「アンブルテールという国、自治州だったみたいです」

 

 アンブルテール。その名の通り、ノーザンブリアと関係があるのだろう。古くはノーザンブリアの大公家に連なる王族が治める国だったらしい。

 

「ということは……お前さんは、あの戦争で帝国に逃れたのか」

 

 逃れた?

 

 先輩の良く分からない問いに、思わず首を傾げてしまった。

 

「えっと……その……」

「おっと、わりぃ。こういうのは無しだよな」

 

 一体何のことを言っているのか、聞かれているのか私が考えてると、何を勘違いしたのか先輩に一方的に謝られてしまう。その挙句、どことなく気を遣われているみたいだった。

 なんか、噛み合っていない。

 

「そういえば、昨日のお前さんにしては真面目に考えていた――この街が併合された理由、だったか。答えは出たか?」

 

 私にしてはっていうのはちょっと余計だ。昨日の夜はあんまり真面目に聞いてくれなかったのに。

 

「一応は」

「聞かせてくれよ」

「良いですけど、レポートでパクらないでくださいね?」

 

 口ではそんな事を言ってはみるけど、本当は先輩に聞いて欲しかった事だ。なんだかんだいって頭が良くって、色々な事を知っているから。

 

「へいへい」

 

 そんな軽い調子は、次に私が口を開いた時には消え失せる。

 私がこの街が帝国になった経緯とその背景を語る間、先輩は何一つ口を挟むことなく、ただただ対岸の新港をずっと見つめていた。

 

「――そうか」

 

 驚く訳でも、感心する訳でも無く、先輩は感情すら表すことなくそう呟いた。

 驚かないってことは、知ってたって事なのかな。

 

「それで、お前さんは――このジュライと同じ様に、生まれ故郷を併合した帝国を――《鉄血宰相》をどう思う?」

 

 そう私に問いかけた先輩の視線は鋭く、何を考えているのか読めない真剣な表情に少しの怖さを感じた。

 その赤い瞳に吸い込まれた様に私は目を動かせず、言葉のない私達の間の波音が急に荒々しく聞こえる。

 そして、一瞬だけ何かに触れた気がした。

 

「……あまりに、強引だと思います」

 

 もしかしたら、オズボーン宰相がラマール州に対してやった事を、故郷のサザーラント州に対しても行われているのではないかと思ってしまったから。

 でも、それは根拠も無いただの憶測に過ぎない。そんな事より、私がこの街を訪れて実際に見聞きした事実の方が重要だと思った。

 

「それでも、編入されてこんなに発展しているジュライ特区を見ると、オズボーン宰相は間違ってはいないって感じました。だって、住民の方達も暮らしが良くなったって歓迎しているじゃないですか」

「心の内じゃ何を思ってるかなんてわからねぇぞ。それに、自分の国を失って気分がいい奴はいないだろ」

 

 確かに、先輩の言っている事はもっともだ。万が一にもあり得ないが、もし帝国がどこかの国に併合されてしまったら。例え仮にそうなっても、私は死ぬまで帝国民である事を捨てない筈だ。

 

「そう言う意味で、聞いてみてぇと思っていた。帝国じゃない”外国”で生まれた、お前さんにな」

 

 その時、やっと私はかみ合わなかった理由が分かった。

 

「ふふっ、おかしな事を聞きますね、先輩」

 

 先輩はとっても大きな勘違いしている。

 それは気遣いなのか、はたまたお節介なのか、それとも好奇心なのかは分からなかったけど。先輩の真剣な顔が、逆に可笑しくなってしまう位のでかい勘違いだ。

 

「生まれ故郷っていっても、私はずっと軍の基地の中だったんです」

 

 生まれたのも、育ったのも、北西に駐留していた帝国軍の基地。鉄条網のフェンス越しに近くの街はよく見たし、お母さんに抱っこされてお買い物をした事もあるかも知れない。それでも、あの時の私にとってのお家は軍の基地の中にある官舎だった。

 

「それに、すぐにお父さんの実家のあるサザーラントに移り住んだので、あんまり覚えていないんです」

 

 私にとって本当の意味での”故郷”は、生まれたあの軍の基地ではない。私の故郷は、大好きなみんなの居る、お祖母ちゃんに育てられた、あの暖かい村なのだ。

 

「……なるほど。お前さんは、”エレボニア人”なんだな」

 

 普段なら複雑に思ってもすぐに肯定しただろう。私にとって、これはとても大事な事だから。でも、先輩の真意がどこにあるのか分からなくて、すぐに言葉を出せなかった。

 

「……お母さんの事、言ってます?」

「いんや、そっちの意味じゃねぇんだが……そういえば、そうだったな」

 

 先輩は今月からⅦ組に入ったから、今日初めて知った筈。

 

「ルーアン市長、だったか。リベール人は誇り高ぇな……ああはなれねぇ、心底そう思っちまったぜ」

「……確かに、そうですね」

 

 先輩は空港での最後のやり取りをどこからか見ていたらしい。あの時のノーマン市長の言葉は、今も私の心に残る。

 その時、私はクロウ先輩の何かに再び触れた気がした。

 

「わりぃ、変な事聞いたな。忘れてくれ」

 

 そう言って再び穏やかな漣の海へと視線を戻した先輩は、「中々釣れねぇなぁ」とぼやく。

 

 どうしてだろう。その姿に、私はそこはかとない不安を感じていた。

 

 夕日は教会の向こうの高台へと既に沈み、薄暗くなった対岸の新港側には明かりが灯る。

 どうも女神様は、先輩の願いを叶えてはくれないみたいだった。

 

 

 ・・・

 

 

 坊主どころか丸坊主に終わった私とクロウ先輩のペアとは正反対に、他のペアはしっかりと釣果を上げてくれたお陰で、私達は釣公師団の支部長が腕を振るったジュライ風の魚料理にありつけた。

 だけど、愉しい時間は長くは続かない。私達は明日の朝迄に帝都に戻り、午前中にはA班と合流して東部国境のガレリア要塞に到着しなくてはいけないのだ。

 

 東部国境に近いレグラムで実習を行っているA班は実習地での二泊で問題ないのだが、帝国の反対側の北西に来ている私達はそうはいかない。なんていったって、ジュライ特区から帝都までは約十時間掛かるのだ。その為、私達は今回、〝初めての列車”に乗る事となる。

 

 夜行列車《ウェスタン・エクスプレス》。ジュライ特区と帝都を直通で結ぶ数少ない列車であると同時に、帝国国内で最高クラスの格を誇る寝台特急に私達は乗っていた。

 

 

「……もしそうだとしても、デリカシー無さ過ぎませんか?」

「わりぃわりぃ」

 

 なんとなく、クロウ先輩の向かいの席に座る。

 

 列車が走り出して三十分ほど。列車の中とは思えない程豪勢な内装の施された二人部屋の個室に一人じゃ落ち着かなくて、私は当てもなく夜の薄暗い車両の中を散策していた。みんな疲れているだろうから誰かの部屋の扉を叩く訳にもいかずに、ちょっと興味もあって隣の車両――”BAR”と金文字の入る扉を開けると、見知った顔が佇んでいたのだ。

 

 お洒落なランプと窓からの月明りがぼんやりと照らす車内は、まさに大人の空間といった雰囲気。その中に完全に溶け込んでいる彼に、私はすぐに声を掛ける事が出来なかった。

 

 先に言葉を声にしたのは向こう。

 それも、先週の出来事をまたからかってきたのだ。大体、この総二人部屋の寝台列車の個室にはトイレがあるのに。

 

「それより……お酒はダメですよ」

「こんな高級列車、満喫しないのは損だろ?」

 

 小ぶりなロックグラスで氷が浮かぶ琥珀色。否定もしない事から、もしかしなくても、お酒だろう。酒屋の娘の目には、値段も度数の高そうな蒸留酒に見える。

 

「……アリサ達にバレても知りませんからね」

 

 アンゼリカ先輩に連れてかれた次の日のアリサは、それはもう鬼の形相だった。でもまぁ、相手がクロウ先輩なら彼女も呆れるだけだろうけど。

 

 私の忠告なんて聞く耳すら持たない先輩は、ぼんやりと窓へと目を向けていた。

 

 溜息を付いてから、私もつられる様に窓の外を見る。薄いガラスの向こうには、月が二つ。夜空に浮かぶ月と、夜海の中で揺れる月。

 

「――月が綺麗ですね」

「そうだな」

 

 その横顔から、目が離せなかった。

 

「オレの顔に何か付いてるか?」

「いえ――」

 

 何て言えばいいのか、少し分からなかった。

 

「――最近の先輩、ちょっと変だから」

「クク」

 

 口角を上げ、どことなく自嘲的な薄ら笑い浮かべた先輩は、少しの間目を瞑る。

 

「一杯、付き合えよ。ゼリカの時みたいに潰れても、部屋まで担いでいってやるぜ」

 

 ああ、やっぱりお酒なんだ。分かりきっていた事だし、帝国法では先輩は普通に飲める歳なのだから不思議では無いけど。

 

「そーゆーのは彼女さんとどうぞ」

「結構酷い事言うよな、お前さん」

 

 軽口に軽口を返した私に、クロウ先輩は小さく頬を緩めてから、冗談っぽい不敵な笑みを作る。女の影どころか、気配すらない先輩にはよく効いた事だろう。

 

「前から思ってたんですけど、ちょっと不思議ですよね。先輩、ふつーに”顔は”格好良いのに」

「だろ?」

 

 さも当然の様に肯定するのはどうかと思うけど、実際に先輩は顔は良い。

 

「ええ、顔だけでひっかかる子とか結構いそうですけど」

「お前さん、ホント最近容赦ないな?」

 

 きっと、それだけ先輩とは気が置けない間柄になっているのだと思う。Ⅶ組のみんなと同じぐらい。って、先輩ももうⅦ組だけど。

 

「あはは……でも、私は結構好きですよ?」

「チッ、つまんねーつまんねー」

 

 そう言って、グラスを煽る。

 その姿が、私にはどうしても、大好きだった幼馴染と被ってしまう。

 

「……彼女、欲しいんですか?」

「ったりめーよ。花の士官学院生だぜ? 今思えば、可愛い彼女の一人や二人作って青春したかったぜ」

 

 なんとなく聞いてしまった私の問い。過去形で、どこか諦めきった言葉を返す先輩に、何か懐かしい感情を思い出した胸が微妙に高鳴った。

 

「じゃ、じゃぁ、可愛くはないかもしれない、ですけど……私なんか……どうですか? いまは、好きな人とかいないですし……」

 

 少々照れくさくて、視線は右に左に逸らしちゃうけど、言葉は不思議なほどすらすらと言えた。

 

「……私、先輩のこと、結構好みっていうか……実は意外と私達――」

「お、なんだぁ? オレ様に惚れちまったか?」

 

 途中で切ったのは、茶化す様な先輩の声。その真っ赤な瞳が、逃げていた筈の私の視線を捉える。

 

「そ、そんな訳ないじゃないですかっ! あくまでモテなくて寂しそうな先輩が可哀想だったから――!」

 

 先輩の言葉に、かっと一気に熱くった身体は、いつの間にかテーブルに手を付いて立ち上がっていた。いきなり速まった鼓動に合わせる様に、私の口から出る否定の言葉は速い。

 だけど、微妙な期待と気恥ずかしさの中、言葉の勢いは長続きはしなかった。

 

「それに――わ、わたしも、ちゃんと、優しくしてくれるなら……その、恋人とかって……興味あるっていうか……憧れるっていうか……」

 

 先輩となら、きっと相性は良いと思うのだ。

 だって、あの幼馴染に似ているんだから。私をいっつもいっつも振り回し、それでも頭は良く回って、なんだかんだ面倒見が良くて、そして、どこまでも優しい。

 

「――」

「えっ?」

 

 とても小さな呟きは、列車の走行音に掻き消される。

 

「やめとけやめとけ。お前さんに手出ししたりしたら、ゼリカやトワ……が煩そうだしなぁ」

 

 さっきとは違う、軽い声で否定される。

 先輩の反応をあまり深く考えていなかった私は、まだ不思議と何も感じる事は無かった。

 

「それに、オレ様はもっとここらへんがボイーンとかバイーンとかしてないとな!」

「も、もう! なにいってんですかっ!」

 

 先輩は両手で膨らみを強調する下品なジェスチャーをしながら、ニヤついた笑みを浮かべている。いつも通りの通常運転な先輩に、私もいつも通りに反応してしまう。そんな自分に、心の片隅に微妙な違和感が生まれるのを感じた。

 ボイーンとかバイーンとかはしてないけど、私にだってちゃんとあるのに!

 

「っていうか、何で私がフラれたみたいになってるんですか!?」

 

 思わず出た不満は、ここに来て自分でも良く分かるほど照れ隠し以外の何者でもなくて。

 

「クク、今のはお前さんが告ったのと同じようなもんだろ?」

「違いますよ! 違いますからね……!? 違うんですから……」

 

 必死に否定しながらも、内心はどこか残念で。

 

「……そんなに、私、魅力ないですか……?」

 

 瞬く間に、胸の中で一気に膨らんだ失望感から、次には幼馴染の時には聞けなかった事まで口にしていた。

 

「やっぱり、子供っぽいですか? それとも、可愛くないからですか?」

 

 Ⅶ組や士官学院の子と比べれは、容姿じゃ私なんかが敵う訳がないじゃないか。それを理由にされてしまえば、悔しい以上に悲しい。でも、ある意味ではすんなりと納得は出来そう。

 そんな自嘲めいた考えが、何もかも飲み込んでゆく失望の中に過る。

 

「あー……、わりぃ。そういうことじゃねぇんだわ」

 

 軽いノリだった筈なのに、いつの間にか本気になってしまった私が先輩を戸惑わせていた。

 

「じゃあ、好きな人がいるとか?」

「それも違うな」

 

 間髪入れずに帰って来た返答は、普段の先輩を見ていれば至極納得出来るもので、何故自分がそんな質問をしたのかが一番分からない。

 きっと、そうであって欲しい、という願望なのかもしれない。

 

 聞きたいのに、言葉にならない私を見かねたのか、小さな溜息の後にクロウ先輩は、口を開いた。

 

「だって、お前さん――好きな奴いるだろ?」

「えっ……」

 

 先輩の言葉の意味が、私には分からなかった。

 

「はぁ……まぁ、何となくは分かっていたがなぁ。リィンの奴なんかより遥かに鈍感だよな、お前さん」

「な、なにいってるんですかっ……?」

 

 リィンの朴念仁と比べられただけでも、不本意極まりないのに、彼より鈍感だなんて喧嘩を売られているみたいだ。

 でも、そんな失礼な事を口にする先輩に、私は怒る事も、不満の一つも返すことは出来なかった。自分でも良く分からない所の、もっと良く分からない感情が、大きく揺さぶられていた。

 

「それも、人の気持ちに鈍感なんじゃない。自分の気持ちにだ――こりゃ、相当性質悪いぜ」

 

 私を責める訳でもなく、ただただ呆れたように左右に首を振る先輩。

 

「ち、違いますよ……だって……」

「そのペンダントは何よりの証だろ」

「これは……」

 

 夏至祭で買ってから、一日たりとも着けない日の無い八分音符のペンダント。思わず隠す様に握ってしまったそれは、熱を帯びた掌を突く、鋭い冷たさを感じさせる。

 もう自分でも分かるぐらい、私の心は激しく動揺していた。だって、この音符は――。

 

 まるで、声を失ったかのように、言葉が出なかった。

 

「ま、なんにせよ、だ。後悔しない様にな――今度は――」

 

 そんな忠告を最後まで聞かず、私はその場から逃げた。先輩の言葉の意味は分かるのに、何もかもが良く分からなくて。

 

 

 Afterwards...

 

 

 勢い良く閉められた扉が、その反動で小さく開く。

 

「やれやれ、ちょいとお節介がすぎたか」

「ふふふ、優し過ぎるわね? 使ってみても面白そうだったのに」

 

 人の気配の無い車両に何処からともなく一人の美しい女が現れる。深く鮮やかな蒼と碧の色の階調が煌びやかな衣装と、朧げな蒼白い薄光を纏って。

 

「何言ってるんだか――鉄血の子飼いになりたがってる、いやもう既に”繋がっている”ような奴だぜ」

 

 肩をすくめる銀髪の男。そのすぐ隣に女はおもむろに座り、愉しそうに口を開く。

 

「だからこそじゃない?」

 

 月光に照らされる男の影から伸びた、影の無い女の白い右手が、彼の頬を触れる。

 

「決して叶わぬ偽りの愛に微睡んだ女の真実を知った絶望と憤怒――何故だか知らないけど《怪盗》もお気に入りみたいだし、私なりの”美”を演出してあげても良かったのだけど」

 

 まるで歌劇の一節の様に言葉を唄う女の笑みは、妖艶さ以上の深く淀んだ淵を感じさせるに十分過ぎるものだった。

 

「アンタ、やっぱ趣味悪すぎだぜ」

「ふふ、貴方を見出す女だもの」

「違いねぇ」

 

 男は口元を緩めて、自嘲的な笑みを女に向けた。

 

「でも、ちょっと妬けちゃうわね――私の選んだ貴方がフラれちゃうなんて」

「見てたのかよ」

 

 「ええ」と頷いた彼女が指差す先、窓の外に蒼い鳥が現れる。幸せの象徴とは程遠く禍々しいその鳥は、女よりも遥かに存在感のある光を纏っていた。

 

「どうりであの場所で坊主な訳だぜ」

 

 月光が作る鳥の影に嘆息を漏らす男。彼とは対照的に微笑を浮かべた女は、列車の揺れで徐々に開いてゆく扉に視線を送る。

 

「だから私、あの子の事、とても嫌いよ」




こんばんは、rairaです。
今回は8月29日、第五章の特別実習の二日目の夕方と夜のお話でした。
特別実習ジュライ編最終話として、ほぼ一話丸ごとクロウと主人公エレナの会話パートでお送りするお話となっております。

サブタイトル「誓いの在り処」は、空の名曲「星の在り処」とクロウの敵討ちの誓い、及び彼の故郷ジュライを掛けてさせて頂きました。
ジュライのアルファベット表記”Jurai”は、フランス語で「誓った」(直説過去)という意味だったりします。



次回は翌8月30日、サラ及びリィン達A班と合流しガレリア要塞へと向かう予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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8月30日 東部国境・ガレリア要塞

「あ、きた」

 

 フィーが待ち人を見つけたのは、私達がまだ静かな早朝の帝都ヘイムダル中央駅のホームに降り立ってから二十分は経った頃だった。

 まったく寝付けなくて身体の重い私は、ベンチに座ったまま頭も動かさず、視線だけをこちらの方に来るであろうサラ教官へと向ける。

 

「遅いですよ、教官」

「ゴメンゴメン~、ちょっち野暮用があってね~」

 

 大して急ぐ様子もないサラ教官に、不満気に文句をぶつけるマキアス。昨晩の連絡では、私達の到着を待っていてくれている筈だったのに。

 もっとも、これから乗る列車の時刻は当初の予定通りなので、スケジュール上では対した問題でもないのだけど。

 

「クク、その割には酒くせぇみてぇだが」

「え゛」

 

 クロウ先輩にツッコまれ、B班の面々から白い視線を集める私達の教官。野暮用って飲みだったんですか。

 

「な、なに言ってるのよ、昨日は一杯しか――」

「語るに落ちたね」

「いや、元々だろう……」

「ほんと、サラ教官は……」

「あはは……」

 

 自らボロを出すサラ教官にも呆れるけど、ぶっちゃけもう今更の話である。酔っ払った教官なんで第三学生寮で暮らしてれば毎日の様にお目にかかれるのだから。

 

 そこで、この二十分間で四度目となる大きな欠伸が出る。

 

「あら、寝不足?」

「みたい」

 

 目が微妙に潤む私の代わりにフィーが答える。

 みんなの顔が私を向くけど、心配されているというよりかは、これまたいつもの話といった雰囲気だ。

 

 ただ一人、クロウ先輩を除いて。

 

 昨晩あんな事があったせいで、私は殆ど寝る事が出来なかった。目が冴えていたというより、一晩中ぐるぐる回り続けた頭が寝かせてくれないという感じ。

 

 そして、こうしてサラ教官を待っていた間も、先輩が近くにいるだけですごく気まずい。

 

 眠くて口を開く気もなれないこの寝不足の状況が、変にみんなに勘付かれないで済む丁度良いカモフラージュになっているのが、私にとっては唯一の救いだった。

 

 

「大丈夫?」

 

 列車の席に着いてすぐ窓に寄りかかった私に、アリサが覗き込んでくる。

 きっと、疲れていると思われたのかな。心配してくれるのはありがたいのだけど、私からすれば逆に彼女の方が余程心配だったりもする。

 

 なんとなくだけど、特別実習が始まってから、いや、実技テストの後に二つ目の実習地を伝えられた時から、アリサは時折様子が少しおかしかった。

 

 きっと、これから行く次の目的地、そこに配備されるある物の事だろう。

 

 以前、六月の特別実習から帰ってきた頃に彼女が話してくれた、アリサの家族――ラインフォルト家の話で聞いた、彼女の家族がバラバラになってしまった経緯。

 彼女にとっては、家族を引き裂く直接の原因となった《列車砲》。それは、今日、私達が向かう東部国境ガレリア要塞に配備されている。

 

「……アリサも、だいじょうぶ?」

 

 小さな声で返すと、彼女の紅輝石の様な瞳が一瞬だけ揺れた。

 

「ええ」

「そ……」

 

 彼女の返事に、それ以上は何も言わないで、私は瞼を閉じた。

 たぶん、今じゃない。それに、彼女が求めるのも私ではないだろう。

 

 目を瞑った中の薄ら明るい暗闇の中で、列車の揺れに身を委ねながら思う。

 彼女同様、私もこの列車の目的地(ガレリア要塞)の事を考えると少なからず気が重い。それは、お互いそれとなく分かっている。

 

 そして、エリオット君も。

 ちょっとだけ、瞼を薄く開いてサラ教官と話してるらしい彼の横顔を窺う。

 

 そこまで、思い詰めてはいないみたい。そんな普段とあまり変わらない彼の様子に胸を撫で下ろす。

 

 少々気不味い父親との再会――その意味では、私と彼は同じであった。

 

 帝国正規軍で最強の打撃力を誇ると名高い第四機甲師団、その指揮を執る勇猛な名将《紅毛のクレイグ》。

 エリオット君曰く、軍人然とした厳格な父親。彼が本来の進みたかった音楽への道を曲げて、士官学院に来ることなった原因。

 一体どんな人なんだろう。一昨日、ジュライのホテルで会ったあの将軍みたいな人なのだろうか。

 

 でも、逆に考えれば士官学院にエリオット君が来てなかったら、私と彼はこうして一緒の時間を過ごす事も無かっただろうし……彼には悪いけど、私にとってはもしかしたら感謝するべき、恩人なのかもしれない。

 

 そこまで考えた時、昨晩のクロウ先輩の声が脳裏に過った。

 

 ――だって、お前さん――

 

 あぁ、一晩中かけて考えない様にしてたのに。

 

 いずれにしろ、これから向かう場所は、私を含めたB班の三人にとって特別な意味を持つ場所だった。

 

 

 リィンやラウラ達A班がケルディックで合流したのは、列車に乗って二時間ほど経った後らしい。

 すっかり眠りこけていた私が目が覚めた時には、既にお互いの班の活動内容を報告し終えた後であった。

 

 だから、私は隣に座るアリサからA班の活動の話を聞く事になったのだが、どうも向こうは色々とあったらしい。

 ラウラの父アルゼイド子爵と手合わせしたリィンの”力”の話――その事を語るアリサの顔は隠し切れない不安を帯びていた。実際にその場に立ち会えなかった事が、更に言葉に出来ない不安を掻き立てるのだろう。

 後ろのボックス席にいるであろうリィンの姿が浮かぶ。それは、私も同じ気持ちだ。

 

 そして、私達も遭遇した機械の仕掛けの魔獣。これに関しては何やら含みがある事をサラ教官が言っていたみたい。詳しくは教えて貰えてないらしいけど。

 最後に《槍の聖女》に縁のある霧に包まれた古城と幽霊の話。正直、これを聞いた時は私がB班であった事をこれでもかってくらい感謝した。

 

 そんなレグラムでの出来事の話を聞いている内に、列車は開けた大河へと差し掛かる。

 帝国東部を流れる大河、レグルス河に架かる大橋である双龍橋。

 大河の中州に築城された古城である、このクロイツェン州領邦軍の拠点を越えれば、帝国東部の国境地帯だ。

 

 もうすぐ、ガレリア要塞(お父さんの赴任地)に着く。

 

 アリサの視線を感じて、私は今日何度目になるか数えてすらない欠伸を()()()()()

 

 

 ・・・

 

 

 帝国東部国境、ガレリア要塞。

 

 帝国最大級の規模を誇る軍事拠点であるガレリア要塞は、その昔、中世の時代より東の脅威から帝国を守ってきた難攻不落の大要塞である。

 勿論、東部国境という最前線である事から駐留する兵力も膨大で、正規軍の第五機甲師団を含めれば万を優に超える戦力がここに配備されている。

 

 見る者を圧倒するその外観は、ガイウスの言葉を借りれば、『鉄とコンクリートで出来た巨大な壁』。私には、正に帝国という城を護る城壁の様に思えた。

 

 要塞の全景を見るのは初めてだった。帝国の国防上最も重要な拠点であるガレリア要塞は、その性格上から軍事機密の塊であり、一般はおろか士官学院の教科書ですら帝国側から撮影された写真は載っていない。

 一方で、クロスベル側からの写真はかなり有名で、書籍等に載っているのは大腿はこちらの方だ。だけど、帝国側からの全景を見た後では、写真に写っていた光景はこの巨大な要塞のほんの一部であった事が良く分かる。

 

 

 ガレリア要塞に到着した私達を迎えたのは、学院の時とは違って正規軍の軍服姿のナイトハルト教官――いや、()()

 朝はあんな感じだった、あのサラ教官がナイトハルト教官にまるで軍人の様な敬礼して、私達の到着を報告する。

 普段と違う教官達のそんな姿に、この場所が最前線の軍事拠点であることを明確に突き付けられ、私達は一様に緊張感を感じさせられた。

 

 ガレリア要塞での二日間の特別実習、『実地見学』と『特別講義』についてナイトハルト教官から伝えられた後、実習中にしては珍しく時間通りの昼食にありつく事になるのだが……。

 

 目の前のトレーに乗るのは、大きなコンビーフ、見るからに硬そうなライ麦パン、これでもかってくらい豆だらけのスープ、妙に小さくカットされたチーズ、半分にぶった切られた林檎。

 前三つは帝国正規軍の酷すぎる食事の定番として有名だ。私の故郷みたいな地方部では正規軍をバカにするのによく使われるネタでもある。『正規軍は貧相な物ばかり食っているから、飯を味わう余裕すらない』とか、『パンが硬すぎて噛めないから、正規軍の奴らは早食い野郎だらけ』とか。

 

 昼食として出された食事にみんなは各々の愚痴を漏らすけど、私は違った感想を抱いていた。

 

 どことなく、懐かしいのだ。小さい頃、割とよく食べた料理だから。

 しょっぱすぎるコンビーフ、カチカチのパンをスープに浸して無理して食べる感じ、小さい頃の私はそれが口に合わなくて我儘交じりによく泣いてた。

 

 いま思えば、あれは配給だったのだろう。軍の基地内の官舎だったのだから。

 

 それにしても、こんなに早く記憶と同じ物を食べる日が来るとは思わなかったが――十六歳になった今食べても、不味いものは相変わらず不味い。流石にみんなの前なので泣きはしないけど。

 

 食文化を誇るサザーラント州民からしたら、喧嘩売ってんじゃないかって思う位に味っ気のないトマト風味のスープをスプーンにすくいながら、軍の基地から故郷に移り住めた事を女神様に深く感謝した。

 大きくなるまでこれで育ったりしたら、私の舌は間違いなくバカになっていただろう。

 

 

 その巨大な外観もさることながら、ガレリア要塞は内部も凄まじい。

 チラリと見えたフロアの案内板通りなら、要塞はおおまかに前方と中央、左右両翼の四つの区画に分けられ、それぞれ十数層にも及ぶ階に分けられている。

 

 比較的自由な見学が許されてる私達だが、この要塞の全容を見るとなると一週間あっても足りないだろう。

 

 

「うわぁ……」

 

 格納庫に並ぶ正規軍の主力戦車に思わず声が漏れた。

 

「主力戦車《アハツェン》――名前の由来は厚さ十八リジュの装甲よ。その正面装甲を貫通できる砲を持った戦車は現時点で大陸に存在しないわ。……つまり、大陸最強の重戦車という事になるわね」

 

 ゆっくりと近付き、その巨体の正面に立ったアリサが語る。

 以前、オーロックス砦で見たのと同じものだけど、こうして間近で見上げるとその鋼鉄の体躯は本当に大きい。

 まるで、私達人間なんてちっぽけに感じてしまう位の存在感だ。良く言えば頼もしくて、悪く言えば怖さすら感じる。

 

「この要塞に何百台も配備されてるんだよね」

 

 伏し目がちに頷いたアリサが格納庫の中をゆっくりと見渡す。

 

「ガレリア要塞……か。この巨大な要塞の近代化工事をしたのもラインフォルトなのよね。……あの《列車砲》を配備する為に」

「《列車砲》……」

 

 それは、この要塞に配備される二門の戦略兵器の名前。

 

「八十リジュ口径の世界最大の長距離導力砲。その砲弾一発で、都市の一区画を吹き飛ばしてしまう威力。試算だと二時間でクロスベル市を焦土に変える事が出来る代物――そんなものも、うちの実家は作ったのよ」

 

 《アハツェン》の主砲、《列車砲》と比べれば遥かに小さいだろう、それを見上げながら淡々と紡ぐ彼女に、私はなんて声を掛ければいいのか分からなかった。

 だって、彼女の言葉は他ならぬラインフォルト家の人間から語られる事実なのだから。

 

 《列車砲》はあくまで膨張する共和国への備え。軍拡著しい共和国から属州であるクロスベルを守り――ひいては帝国本土への侵攻を思いとどまらせる為の兵器。つまり、戦争を起こさない為の、抑止力を目的に配備された戦略兵器。

 帝国内、特に戦力として運用する正規軍や配備を主導した革新派には、その存在を肯定的に捉える見方もある。

 彼らの主張は間違ってはいないのかも知れない。現に列車砲の配備以降、両国の緊張状態こそ深刻化したが、東部国境における武力衝突事態は起きていないという事実もある。

 

 だけど、アリサの語った武器としての能力は、明らかに常軌を逸しているものであり、帝国はそれを大陸有数の大都市であるクロスベルに向けている。

 それもまた現実なのだ。

 

「はぁ、軍事演習か……気が重いなぁ。リィンは、演習なんて見たことない……よね?」

「ああ、今回が初めてだよ」

 

 格納庫へと降りて来たリィンとエリオット君の声に気付いたアリサが、少しだけそちらに顔を向ける。でも、何を考えたのか、その場から動く事はなく、すぐに《アハツェン》へとその曇る顔を戻した。

 

 まったく、もう……。

 そんな彼女の姿が見ていられなくなって、私は少しばかり遠いリィン達の方へ向かった。

 

 二人に軽く挨拶をして、その中に混ざる。

 少し卑怯な手段に申し訳なく思いながら、二人の話を終わらせると、リィンは戦車の並ぶ格納庫の奥へと足を向けてくれた。

 

「ねぇ、リィン」

「どうしたんだ?」

 

 私は小声でリィンを呼び留め、口に出さず一人戦車の前で佇む親友の後姿に視線を送った。

 

「傍にいてあげて」

「わかった」

 

 最小限の言葉だけで伝える。それでも、リィンにだったらこれで十分だ。

 それに、今のアリサに必要なのは言葉ではなく、彼の存在だと思う。だって、彼女が最初に家族の事を打ち明けた相手は、多分、彼なのだから。

 列車の中で聞いた話を思うと、彼も彼で色々と心配なのだが、やっぱり私には親友を放ってはおくことは出来なかった。

 

 

 リィンと話すアリサの姿を遠目に見守り、私とエリオット君は彼女が少しは持ち直したことを感じていた。

 

「よかった。アリサ、少しは元気出たみたいだね」

「う、うん……そうだね」

 

 ナイスと言わんばかりの笑顔を私に向けてくれるエリオット君。

 その顔を直視すると、また昨晩の先輩の言葉が呼び起こされてしまい、一気に頬が熱くなる。

 

「じゃ、じゃあ、私は上に戻るね! また後でっ!」

 

 火照る顔を隠す様に慌ててそう告げて、私は一目散に階段へ逃げた。

 

 

・・・

 

 

「あ、エレナー」

 

 格納庫からの長い階段を全力で走りきった私を、暢気な声で迎えたのはミリアム。

 

「にしし、オジサン達がいくタワー、見えるトコ教えて貰っちゃった。一緒にいかない?」

 

 憂鬱な気持ちを吹き飛ばしてくれそうな笑顔につられて、すぐに頷いてしまった。

 

 

「まさか、演習を見る事になるなんて……ミリアムは知ってたんだよね?」

「まあねー。この演習の目的も聞かされてたし」

 

 鋼鉄製の箱の中で反響混じりに響く声。

 通商会議の会場となるクロスベルの超高層ビルを見るために、私達は峡谷の地下部分にある要塞の前方区画――その最上部の地上に露出する監視所へのエレベーターに乗っていた。

 

「演習の、目的?」

 

 今日、私達が見学するのは、定期的な通常の演習では無いという事なのだろうか。

 

「通商会議に合わせたクロスベルへの圧力ってカンジかなー。向こうも明日には同じ様な演習があるみたいだし」

 

 最初はガレリア峡谷の向こう側――クロスベルの事かと思った。でも、自治領であるクロスベル州にはそもそも演習をする軍隊はいない。

 となると……。

 

「向こう……って、共和国、のこと?」

 

 つまり、クロスベル州の”向こう側”――大陸西部において帝国と歴史的な対立関係にある大国、カルバード共和国。

 ミリアムは何か嬉しそうに頷くけど、私にはどこか満足気にも見えた。もしかしなくても、試されてたのかもしれない。

 

「ダイトーリョーが昨日視察してたみたいだよ。空挺機甲師団っていうのかな」

 

 微笑ましい位したったらずな子供らしい発音だけど、その言葉は間違いなくカルバード共和国の国家元首の”大統領”を指していた。

 つまり、共和国の最高指導者がクロスベルに行く前に自国の軍隊を視察した。

 そう彼女は告げたのだ。

 

「……もしかして、何かあるの?」

「あはは、心配しなくても戦争とかじゃないよ。向こうは向こうで、イミンモンダイとかミンゾクモンダイの過激派とかでゴタゴタしてるから、その辺への備えだろうし」

 

 まるで、食後のおやつの話題の様な軽い口調。でも、それは帝国と対立する大国の重要な内情に他ならない。

 

「帝国も共和国も、今はお互いの間でイザコザを起こさない事の方が重要なんじゃないかな。ノルドの時もそんな感じだったみたいだし」

 

 彼女の分析なのか、はたまたあのレクターという情報将校の言葉なのか。いずれにしろ、情報局員としての彼女の顔をまた見せつけられている気がする。

 

「にしし、きっと通商会議で何かあるんじゃないかな。共和国のダイトーリョーも、やる事が一緒な辺りオジサンと気が合いそうだもん」

「……そんな事、私に話していいの?」

「んー、特に制限された情報じゃないし、大丈夫だと思うよー?」

 

 そういうものなのか、私には良く分からないけど、あまり良い気分になれる話ではない。というか、逆に不安を煽られた様な気すらするし、憂鬱な気分が更に深まったのだけは確かだった。

 

「それに、エレナになら話しても怒られなさそうだし」

「えっ? それってどういう……」

 

 ミリアムの言葉の意味を聞き返すが、タイミング悪く鳴ったベルの音に遮られる。

 無骨な鉄製の扉が開くと共に、峡谷の強い風が勢い良くエレベーターを満たした。

 

 要塞前面――岩盤を天然の装甲として利用する為、峡谷の岩肌の中に埋もれている区画だが、その最上部のいくつかの監視所は地上に露出している。そんな場所の一つにお邪魔していた。

 

 任務中の兵士に挨拶と見学する旨を伝えて小さな監視所に入ると、そこには見知った後姿があった。

 

「あ……」

「あれ、クロウも見に来たのー?」

 

 緑色の制服の背中を見た時、思わずエレベーターに引き返そうかと思った位、私にとっては今一番会いたくないクロウ先輩。

 でも、ミリアムの声の方が早くて、私はどうしようもなく先輩から視線だけを逸らした。

 

「お、チビッコに……お前さんか」

 

 目は逸らしてるけど、先輩からの視線は感じる。仕方なさそうに溜息を付いて首を振る先輩。

 やっぱり、めちゃくちゃ気まずい。

 

 

 峡谷の対岸、ガレリア要塞からの橋が繋がるのはクロスベル州の門。こちらの要塞に比べれば規模は遥かに小さいけど、それでも結構立派な造りをしており、ちらほらと兵士と思しき小さな黒い人影も見える。

 

 なんだ、クロスベルにも軍隊、いるんじゃん。

 

 クロウ先輩によると、対岸の門はベルガード門というらしい。

 一体、誰から”ベル(クロスベル)”を”ガード(守る)”するのか――まぁ、答えは分かり切っている。帝国の属州なのに、国境の門にそんな名前を付けられるという事は、やっぱりクロスベルの人は帝国の事を嫌っているのだろう。

 そんな事を考えて、ちょっと複雑な気持ちになりながらも、遠くの空を見上げる。

 

 門の向こう、雲が少ない夏の空に聳えるのは白と青の塔。

 あれがクロスベル州の超高層ビル、《オルキスタワー》。今日から開催される西ゼムリア通商会議の会場で、オリヴァルト殿下やオズボーン宰相、先程ミリアムとの話にも出た共和国の大統領も集まる場所。

 そして、帝国政府の随行団に参加したトワ会長も。

 

「……にしても、バカでけぇよなぁ。ここからクロスベルまでまだ数百セルジュあるってのに」

「列車で三十分位だよね。あーあ、いいなぁ、オジサンもレクターも、あんな面白そうな所にいけて」

「……ま、眺めが良いのは間違いねぇだろうなぁ」

「高さ250アージュだもんね!」

「大陸で一番女神に近い建物――ってか」

 

 前から思っていた。クロウ先輩は女神様の名を出す度に、なんであんな表情をするのだろう。

 自嘲的で少し物悲しさを感じさせる横顔を見る度に、私は一抹の不安を感じさせられる。

 

「おいおい、オレ様の顔になんかついてるのか?」

「あ……いえ……」

 

 いきなりこっちを向くなりそう言われて、思わずまた顔を逸らしてしまった。

 昨晩の私を全力で恨んでしまう。なんで、考えも無しにあんな事を口走ったのだろう。こんなことになるなら、あの食堂車の扉を開けるんじゃなかった。

 

「誰にも言わねぇから安心しな」

 

 やれやれといった様子で先輩が私に告げた。

 

「どうせお前さんも本気じゃなかったんだろ? ま、魔女に悪い夢を見せられたとでも思っとけばいいんじゃねぇか?」

 

 そういわれると、少しだけ気不味さは和らぐような気がするけど、先輩が気にしなくても、私は気にするのを止めれそうにはない。

 

「……んー……?」

 

 私に向けられた言葉にミリアムが首を傾げる。

 

「……先週のこと?」

「ま、そんなとこだ」

 

 神妙な面持ちで先輩と私を交互に見上げていたミリアム。そんな彼女をあしらう様にあっさりと答える先輩。

 というか、やっぱりミリアムも覚えていたんだ。

 一体、私は幾つ弱みを握られれらばいいんだろうか。

 

「っていうか、こんな所に来てていいのか?」

 

 ミリアムが何か言おうとしたのを先手を打って封じる様に、先輩は話題を変えた。

 私としても言いづらい事を聞かれるのは避けたいので、少々強引な先輩に何も言わないで続きを促す。

 

「親父さん、この要塞にいるんだろ? 顔見せに行ってやれよ」

「……きっと任務中ですし、迷惑になっちゃうから――」

 

 そこで、クロウ先輩の大きな溜息に遮られる。

 

「……余計なお世話だとは思うがな。子供が親に会うのに何を遠慮してるんだ? ましてや、軍人、会える時に会わないで、後悔するのは他ならぬお前さん自身だぞ」

 

 少し嫌な気分だった。まるで、お父さんに何かあるみたいじゃないか。

 でも、軍人である以上は何かあってもおかしくはない、そういう意味だという事は私にだってわかる。ましてや、ここは最前線なのだ。

 

 だから、好意的に考える事にした。

 きっと、クロウ先輩は私の背中を優しく押してくれたのだと。

 

 

 先輩の言葉に動かされた私は、ぶっきらぼうなお礼を伝えてエレベーターへと戻る。

 峡谷の風の中、笑顔で見送ってくれるミリアム、バンダナから溢れた銀髪がなびく先輩。

 

 ――今の内に、な――

 

 鉄の扉が閉まる直前、先輩の口元が小さくそう動いた気がした。

 

 

 ・・・

 

 

「第三中隊?」

 

 要塞中央部の受付区画を担当する若い兵士に、私はお父さんの所属部隊の場所を訊ねていた。

 

「あぁ、守備隊の第三は左翼の方だな。なんだい、家族の方でもいるのかい?」

「はい、父が――」

「なるほど。だが、要塞左翼部はここからじゃ遠すぎるからな。君たちは第四師団との演習を見学するんだろう?」

「そう、ですよね……」

 

 既に昼食が終わってから結構な時間が経っている。やはり、と思いながらも、私の方の都合がつかない以上は諦めるしか無さそうだった。

 

「伝言位なら受付ることは出来るが、どうする?」

 

 少し考えてから、私はその提案を受けることにし、担当の兵士が用意した電文用の用紙の記入を行う。

 差出人と受取人、そしてたった二行、ガレリア要塞に来ている事と明日の夕方まで滞在する旨を伝えるメッセージ。

 あまり時間をかけずに記入を終えて、待っていてくれた兵士に渡すと、彼は驚いた様に私を見た。

 

「おぉ、アゼリアーノ中隊長か、あの人の娘さんなのか?」

「父をご存知なのですか?」

「守備隊の兵の間じゃ割と有名だぞ。なんといってもあの《百日戦役》での従軍経験もある叩き上げだからな」

 

 なんでも、共和国との緊張関係が深刻化した頃に戦力増強として経験豊富なベテランが多く補充されたらしいのだが、お父さんもその内の一人らしい。

 

「しかし、名門トールズに娘さんがいたとはな。中尉殿も誇らしいだろうなぁ」

 

 そうですか、そうですよね。エリート扱いされるのは好きじゃないけど、こういうのは言われて嫌な気はしない。士官学院に入れたのは一応、私の頑張りだとは思うから。

 同時に、昨日までいたジュライと違って、トールズと聞いて直ぐに”名門”となる辺りに、ここが帝国本土である事を実感する。

 

「ほぉ、あの第三中隊長のお嬢さんか」

 

 興味深そうにカウンターの奥から出てきて、私に声をかけたのは初老の兵士――いや、階級章から下士官、たぶん軍曹か曹長だと思う。

 威圧感こそないものの、後方担当らしかぬ帝国軍人然とした雰囲気に自然と体に緊張が走った。

 

「ふむ、士官候補生という事だが、将来は正規軍に進むつもりなのかね?」

「は、はい! 帝国正規軍の鉄道憲兵隊を志望しております!」

 

 少々、失敗したけど、何とか元気良く声は出せたと思う。

 

「お、まじか。TMP志望なんて、超優秀なんだな」

「コホン!」

 

 電文を打ち込む手を止めて私を見上げた兵士を窘める様に、上官と思しき下士官が視線を落として咳払いした。

 

「しかし、鉄道憲兵か。流石は名門、これは将来が楽しみであるな。中隊長殿もさぞ鼻が高いだろう」

「そうだと良いのですけど」

 

 志望しているだけで、入れるかどうかはまた別の問題である。口で言うだけであれば別に誰でも出来るのだ。

 

「自信を持たんか。大帝所縁の名門トールズの我が子が、自らの後を継いで軍務に就く事を志望している、帝国軍人としてこの上ない誉れであるぞ」

「曹長殿の息子さんは貴族のお嬢様とクロスベルに逃げてしまってますからなぁ」

「全く、あの親不孝者は……って、ええい! 口を動かしてないでさっさと電文を打たんか!」

「失礼ッ、致しましたッ! サー!」

 

 思わずクスリとしてしまう、部下と上官のそんなやり取り。

 その直後、私とお話していた二人を含めて、受付カウンターにいた軍人全員が勢いよく起立し、一糸乱れぬ敬礼を行った。

 

「ご苦労」

 

 私も驚いて振り向いた先には、つい先程昼食を共にしたナイトハルト教官がいた。

 

「アゼリアーノ、ここにいたか」

「ナイトハルト……少佐、お疲れ様です」

 

 サラ教官に倣い、私も軍服を着た教官を軍人の階級である”少佐”と呼んだ。私も軍を志望する士官学院生である以上、この場ではこちらの方が正しい気がするから。

 教官はほんの一瞬だけ驚いた様な顔をしたような気がしたけど、すぐにいつもの仏頂面に戻り、演習場への出発の準備が整ったのでこの場で待機する様に、との指示だけを告げられた。

 

 そして、ナイトハルト教官――いや、少佐は先程の二人に士官学院生への放送を行う事を伝え、カウンターの奥へと入ってゆく。

 

 やっぱり、そう時間はなかったようだ。




こんばんは、rairaです。
ジュライ編最終話より長らく更新を滞らせてしまっていましたが、少しづつ再開していければと思います。

さて、今回は8月30日、第五章の特別実習の三日目、特別実習ガレリア要塞編の導入部となります。

「閃の軌跡」原作でも少し触れられていましたが、この作品ではより一層《列車砲》に対するアリサの複雑な心境を描く形となっております。

次回は同日午後~夜、軍事演習とその後のお話の予定です。

最後までお読み頂きありがとうございました。お楽しみ頂けましたら幸いです。


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8月30日 二人の父親

 乗り心地が最悪だった装甲車の揺れが止まり、程なくして私達B班はナイトハルト教官の先導で車外へと出る。

 

 砂埃の舞う中で目にしたのは、ずらりと整列する帝国正規軍の戦車と装甲車両だった。

 ついさっき要塞の格納庫で見上げた、ラインフォルト社が開発した最新の主力戦車《アハツェン》の後姿。その向こうに並ぶのは、私も何かで見覚えのある一、二世代前の旧式戦車。

 

 フレールの持ってた乗り物図鑑かな。もしかしたら、北西の基地にもいたのかも知れない。

 

「よくぞ参った」

 

 低く威厳の篭った声と共に私達の前に現れたのは、大柄な正規軍の将官。

 

「あれがエリオットの……」

「全然似てない」

「あはは、髪の色はそっくりみたいだけど」

 

 存在感のある赤髭、古傷らしい跡のある眉尻、正に武人といった精悍な顔立ち。そのどれもが隣にいる私の同級生とは似ても似つかない。

 でも、この場にいるという事は、もしかしなくてもエリオット君のお父さんなのだろう。

 ちょっと信じられないけど。

 

「お目にかかれて光栄です。クレイグ中将閣下――本日は士官学院のカリキュラムに協力して頂き、感謝致します」

「なに、将来我が軍に来るやもしれぬ若者達だ。それにヴァンダイク元帥にはお世話になっているからな」

 

 サラ教官の感謝に対してそう返した中将閣下の言葉に、私はドキッとさせられる。

 もしかしたら、私もこんな凄そうな人の部下になる日が来るのかも知れないのだから。

 

「して、そちらが――」

 

 教官達との挨拶が済むと、中将閣下の鋭い眼差しは私達へと向けられた。

 これが、《紅毛のクレイグ》――名高い第四機甲師団を率いる帝国正規軍きっての名将。

 

 記憶の中のうちのお父さんと比べて、エリオット君に深く同情する。こんな偉くて怖そうな人に跡を継ぐように求められているのだ、彼が苦労してそうなのは容易に想像が付く。

 彼の横顔を横目で窺いながらそう思った直後、突然、中将閣下の顔が緩んだ。

 

「よぉ~く来たなぁ! エ~リオットぉ!」

 

 目と、そして、耳を疑った。

 先程の武人然とした表情はいずこやら。満面の笑みを湛えて、こちらに、いや、私のすぐ隣のエリオット君に向けて駆け寄って来た中将閣下。

 余りの勢いに危険を感じてエリオット君から離れようと思った矢先、私の身体はその大きな腕に弾かれる。

 

「わっ……」

 

 私の肩が左隣にいたアリサにぶつかり、彼女もまたそのまま――

 

「おっと……」

「――!?」

 

 ――左を見ると、私のお願い通り、リィンはしっかりと彼女を傍で支えていた。彼女の両肩に後ろから自らの両手を置いて。

 うん、お役目ご苦労……?

 

「半年振りかぁ~、元気だったか!?」

 

 豪快な声に右を向けば、中将閣下の大きな身体と腕で、思いっ切り抱きしめられるエリオット君。

 

「写真では何度も見たが、なかなかカッコイイ制服じゃないか!」

 

 空いた口が塞がらないとは正にこの事だった。

 目の前で繰り広げられる熱の篭った親子の抱擁に、私は勿論、Ⅶ区民のみんなも呆然としている。

 

「むむ、まだまだ筋骨隆々には程遠いな……うむむ、天使のようなエリオットにこのままでいて欲しくもある……」

 

 ”天使”って……えぇ……。

 女の私でも父親に”天使”とか言われた事……ないんだけど。

 

「だが――帝国男子として逞しく育ってほしいのも事実ッ!」

 

 エリオット君をその腕の中に抱いたまま、クレイグ中将は目尻に輝くものを浮かべ葛藤を吐露していた。

 

「涙を呑んで、お前を士官学校に入れた父さんの漢気を分かってくれぇい!」

「苦しい……苦しいってば……!」

 

 そこで、私達はやっとエリオット君の声を聞く事になる。苦労してそうなのは、間違いないみたい。

 

「えっと……」

「聞いていたのと激しく違うんですけど……」

「そうですね……」

 

 《紅毛のクレイグ》なんて渾名と中将という階級から、うちのお父さんより遥かに厳しくて怖そうな軍人さんを想像していたのに。

 エリオット君から聞いてた話と今目の前で繰り広げられる光景の強烈すぎるギャップに、私はただただ、唖然とするしかなかった。

 

 というか、エリオット君にちょっと騙された気分でもある。間違いなく親バカという奴なんだろうけど、それって愛情の裏返しじゃないか。

 お父さんとの間に微妙な距離感が生まれて久しい私からすれば、ちょっと羨ましい。

 

「ふふ、楽しい上官をお持ちのようですね?」

「……言葉もない」

 

 茶々を入れるサラ教官に、手で顔を覆うナイトハルト教官。

 あんなナイトハルト教官を見るの初めてだ。

 

「もういい加減にしてってば! フィオナ姉さんに言いつけるよ!?」

「ハッ……!?」

 

 エリオット君の一言に、それまで身体を目一杯使って息子を愛でていたクレイグ中将の姿が消え、一瞬の内に先程の場所まで戻っている。

 駆け寄って来る時も私が避けられない位速かったけど、戻る時は目で追う事すら出来なかった。相当の実力者の動きを目の当たりにしているのだけど、何故だろう驚く気にはなれない。

 

 あと、エリオット君が切り札の様に使ったお姉さんの名前に、私は勿論この場にいる全員がクレイグ家のパワーバランスを正確に察したと思う。

 次、彼の家に行く時があったら、失礼の無い様にしよう、本当に。

 

「えー……それはともかく」

 

 仕切り直す様に咳払いをして、腕を組むクレイグ中将。

 最初にこの場に現れた時と全く同じ強面なのに、アレを見てしまった後では、もう全然怖くなかった。

 

「帝国正規軍・第四機甲師団司令オーラフ・クレイグ――本日の合同軍事演習の総指揮を任されている。以後、見知りおき願おう」

 

 多分、私は未来永劫この日の出来事を忘れないだろう。

 心の底からそう思える位、エリオット君のお父さんは強烈な人だった。

 

 

「……ねぇ、リィン、いつまでそうしているのかしら……?」

「す、すまない」

 

 そういうアリサだって、なんで今まで言わなかったの。と、隣で頬を赤らめる親友に心の中でつっこみを入れる。

 うん、お御馳走様。

 

 

 クレイグ中将が指揮官直々に行った演習概要の説明の後、遂にその時は来た。

 

「――これより本日の合同軍事演習を開始する! 第四・第五機甲師団共に順次作戦行動を開始せよ!」

 

 見学用のテントへと場を移した私達にもしっかり聞こえる大きな声。

 中将の周りにいる正規軍の高級将校らに、一気に緊張が走ったのは私が見ても明らかだった。

 

「帝国と、帝国軍に栄光あれ!――それでは始め!」

 

 祖国と軍を讃える中将の掛け声と共に、戦車隊の何百もの導力エンジンの唸りが地面を通じて椅子越しに響く。

 

 そして、最初の砲音が、空気を通じて私の肺を、身体を揺らした。

 その砲撃を皮切りに、砲火の応酬が次々と目の前で繰り広げられる。

 

 《アハツェン》の主砲弾が直撃したのだろう、旧式戦車の正面に大穴が開き、動きが止まる。曝け出された内部に小さな炎が上がったのが見えた直後、一際大きな爆発音と共に戦車は黒煙の中へと消えた。

 

 戦車砲によって、上空からの軍用飛行艇の射撃によって、次々と旧式戦車が爆音と煙と炎の中、鉄屑へと姿を変える。

 

 演習という事もあり、完全に一方的な展開。

 

 私は思わざるを得なかった。

 実戦なら、あの破壊されゆく戦車の中にも生身の兵士が――人間が乗っているのだという事を。

 

 たった一発の砲弾で、戦車は撃破される。

 分厚い装甲に覆われた戦車ですら、たった一発。生身の人間なんて、戦車の前では無力だろう。

 

 ――”軍隊”というものの本質。その根底にある”力”がどういったものであるのか、これ以上ない位に分かりやすく見せてあげるわ――

 

 ガレリア要塞への到着直前に、サラ教官は私達にそう告げた。

 

 ――特に、軍を進路にしている貴方達は良く見ておきなさい――

 

 そして、リィンと私を見て、付け加えた。

 

 帝国正規軍は帝国を護る軍隊。護る筈の力なのに、あの爆炎の中に次々と消えてゆく戦車を見ると――いや、逆に私は誇るべき筈なのだ。祖国が持ち、自らの父もその一端を担う、この圧倒的な力に。

 

 そう、帝国を脅威から守るであろう、この力を、誇るべきなのだ。

 

 激しく震える鼓膜が伝える砲火の轟音の中、私は両膝の上で拳を握り締める。

 なのに、どうしてか、脚の震えは止まらなかった。

 

 

 ・・・

 

 

 演習の後、私達は皆それぞれ重い物を背負わされた気分だった。軍事演習のあの場で見て、サラ教官も言及していた”力”の重みを。

 

 そんなだから、夕食までのみんな口数は少なく驚く程静かだった。途中でサラ教官が来てくれ無かったら、もっと雰囲気は暗かっただろう。

 

 私と言えば、みんなと違って演習の事はあまり考えなかった。多分、私は最初から、そういう物だと理解できていたのだろうから。

 結局、銃も戦車も同じ――武器なんて道具に過ぎない以上、使う側の人間が重要なのだ。ただ、剣と違い、人の感情が介在する余地が少ない武器というだけ。そんな風に納得しようとしていた。

 

 小さい頃の私も好きだった、一週間に一度のハヤシライスの日。十年以上経っても全く変わらない正規軍の伝統の味。

 よくお母さんにあーんして貰ったな、そんな事を思ってスプーンが進むだけ、私はみんなより大分マシだったと思う。

 

 

「アゼリアーノ、付いて来るがいい」

 

 暗い雰囲気の夕食後、やっと用事が終わって合流したナイトハルト教官に、私は呼び止められていた。その隣には何やら大きな袋を手に提げたサラ教官もいる。

 

「この堅物さんが珍しく気を回してくれてねー、お父さんと会えるわよ」

「え……えっ!?」

 

 

 私の前を歩くナイトハルト教官はいつも通り堂々とした足取りで、サラ教官はどこかご機嫌で鼻歌交じりに。

 降って湧いた様な話で、いつの間にか決まってしまった再会に悩まされながら、私はただ二人の後に付いていく。

 

 ガレリア要塞内部を横断する長い大通路を歩く事、二十分ほど。要塞左翼部の一角、守備隊第三中隊の宿舎区画にその部屋はあった。

 

 その扉の脇には、要塞守備隊第三中隊長という肩書きと、私と同じ姓が記された名札が掛かっていた。

 

「ふふ、直接お会いするのは三年振りかしらね」

「もしかして……サラ教官も、お父さんと知り合い、だったんですか?」

「まぁねー」

 

 軽い調子で肯定したサラ教官だけど、私はかなり驚かされた。だって、ここにいる二人の教官はどっちもお父さんの知り合いという事になるのだから。

 

『軍に入ったばかりの頃にお世話になった』とナイトハルト教官は前に言っていたけど、サラ教官は一体どんな関わりがあるんだろう。

 

 妙に気になるサラ教官を私が見上げている内に、もう一人の教官によって扉はゆっくりと二回叩かれた。

 

「――どうぞお入りください」

 

 程なくして中から聞こえたのは、とても丁寧な口調のお父さんの声だった。声は懐かしいけど、その口調を私は知らなかった。

 

 しっかりと片付けられた部屋の中、紫色の軍服に身を包み敬礼を向ける姿。短く切り揃えられた黒い髪、大して高くはない身長、少しだけ明るい色の瞳。

 どこにでもいそうな風貌の、記憶よりちょっとだけ老けたかも知れない、私のお父さんがそこにいた。

 

「アゼリアーノ中尉、お久しぶりです」

「ナイトハルト少佐、こちらこそご無沙汰しております。少佐のご活躍は小官もかねがね――こうして再びお会いできた事、光栄に思います」

「中将もお会いしたがってましたよ。ただ、今日はワルター司令との先約がある様で」

「中将が……それは光栄です。最後にお会いしたのは復員後になりますから、思えばもう十年以上になりますか」

 

 教官達の背中の間から見えた、懐かしそうに頬を緩ませる姿に、やっと私は懐かしいお父さんを感じていた。

 

「バレスタイン教官も、娘がお世話になっております」

「ふふ、他人行儀が過ぎますよ、ルカさん。昔の様にサラと呼んで下さい」

「サラ、元気そうだな」

「ええ、お久しぶりです」

 

 想定外に仲良さそうな担任教官と父親の姿は、私はちょっと気を取られる。

 十歳以上離れている筈だけど、まるで学院の先輩後輩みたいな感じだ。

 

 そんな挨拶が終わった後、私は主役の出番だと言わんばかりに腕で促されて、教官達の前に出される。

 

「お父さん……」

 

 やっぱりどこか気不味くて、何を言っていいか分からなかった時、お父さんの大きな手が私の頭にのった。

 

「……三年振りか。大きくなったな」

 

 そして、二度ほど優しく撫でられる。人前だし普段なら絶対に恥ずかしいと思う筈なのに、何故か今日はとても嬉しかった。

 きっと、昼間エリオット君のお父さんを見たからかも、知れない。

 

「うん……前にお父さんが村に帰ってきた時ぶりだね。……その、元気?」

「こちらは問題ない。お前の方はどうだ?」

「うん、上手くやってるよ。友達もいっぱいできたし、授業や実習は大変だけど頑張ってる」

「そうか」

 

 一言だけど、とても嬉しそうに頷いたお父さんを見たら、実習先を聞いた時から気不味く思っていた事や他の心配事が嘘みたいに消えてゆく。

 

 ちゃんと会えて良かった。

 ついさっきまで色々と複雑な気分だったけれど、この機会をくれたナイトハルト教官には感謝しないと。きっと、昼間の受付の時に、察してくれたのだろう。

 

 見上げる私に気付いた教官は、いつも通りのお硬い表情で小さく頷いた。それが、ナイトハルト教官らしい優しさの表れである事はもう知っている。

 

「ま、座りましょう。飲む物も持ってきましたし」

「……酒ではないだろうな? サラ教官」

 

 ナイトハルト教官の疑いの眼差しに、サラ教官がお父さんと何故か私を交互に見る。

 助けを求めてる様にも思えたけど、飲める歳じゃない私からすれば全く関係ない。というか、お父さんをダシにお酒を飲みに来たんじゃないかという、疑惑すら浮かぶくらいだ。

 

「サラは相変わらずのようだな。まぁ、君が飲む分には別に止めはしないが」

「あ、なら……」

「サラ教官」

「……っち」

 

 この部屋の主であるお父さんの許可に、嬉々として袋から缶を取り出したサラ教官だけど、ナイトハルト教官がそんな風紀の乱れの極みたいな事を許す筈もなく、結局不満気に舌打ちするのだった。

 

 

 軍の支給品という事が良く分かる無骨な金属製のテーブルに、これまた簡素な造りの金属製の椅子。

 ひんやりとするそれに腰を落とした時、今までお父さんとの再会という事だけに囚われていた私は、この状況への正しい認識をすることになる。

 

 (生徒)お父さん(保護者)と教官が二人という面子、これは日曜学校の三者面談ならぬ、士官学院の四者面談じゃないかということに。

 

 ただでさえ成績が微妙な上に、親の耳に入って欲しくない後ろめたい事の多い私は、気を焦る思いで身構えていたけど――そっちは心配するだけ、損だった。

 

 だって、お父さんと教官達、私なんかそっちのけで話に興じてるんだから。

 

「ベアトリクス大佐もお元気か?」

「ええ」

「それはもう」

「大佐?」

 

 私の疑問に二人の教官が答えてくれる。

 保健室のベアトリクス教官は、昔正規軍で軍医大佐として名を馳せていたらしい。なんでも、ナイトハルト教官にとっては元上官で、サラ教官にとっては恩人らしい。

 

「お父さんとも知り合いなの?」

「以前、お世話になった事がある」

「へぇ……」

 

 意外な縁である。

 昔、正規軍の元帥であったヴァンダイク学院長の事を、お父さんが尊敬している事は知っていたけど。

 

「そういえば、さっき中将っていってましたけど……昼間お会いしたエリオット君のお父さんの事、ですよね?」

「ああ、クレイグ中将の事だ」

 

 ナイトハルト教官がしっかりと肯定してくれる。

 

「エリオット君のお父さん、じゃなかった、クレイグ中将とも、知り合いなの?」

「以前、俺が所属していた部隊の指揮を執られていた方だ」

「へぇ……まさかとは思ってたんだけど……」

 

 まさか本当に縁があったなんて。

 エリオット君との間に、思いもよらなかった昔からの繋がりがあった事に、私はちょっとだけ嬉しかった。

 

 

「それにしても驚いたぞ、サラ。君があのトールズ士官学院の教官になっていたとは。遊撃士は廃業したのか?」

「色々ありまして、今は休業中です」

「なるほど。察するに例の事件の影響か……。そういえば、彼も故国の軍に戻ったと聞いた。帝国だけではなく遊撃士協会全体としても痛手は大きいのだろうな」

「それはもう。ですが、期待の若いホープ達の活躍も聞きますし、協会全体としては当面問題はないでしょう」

「彼の娘さんか……あの子が……」

「そういえば……面識があるんでしたっけ?」

「……まぁ、随分と昔の事だが」

 

 お父さんがこちらを少し見た様な気がしたけど、私はサラ教官とお父さんの間で盛り上がる話に全くついて行けない。

 というか、二人が知り合いだったというのも先程聞いたばかりなのだ。なんで教官は教えてくれなかったのだろう。

 

 ……ってゆうか、なんか距離近いんですけど。

 教官のいつもと少し違うなんか嬉しそうな横顔に、私はどこかもやもやした気持ちになる。

 

「どうしたの?」

「いーえ」

「なになに、久しぶりのお父さんなのに、私達とばっかり話しちゃってるから妬いちゃった?」

 

 むっ。

 

「……べつに」

「ルカさん、ルカさん、娘さん、お父さんに甘えられなくて拗ねちゃってますよ」

「サラ教官、少し大人気ないぞ」

 

 かちーん。

 

「サラ教官……ウチのお父さん、”()()()”なんで。色目、使わないでください」

 

 ノンアルコールと言い張りながら先程開けた缶ビールを片手に咳込むサラ教官を無視して、私は畳みかける様に続けていく。

 

「な、なぁにいってくれちゃってるのよ!?」

「だいたい、教官の好みはナイスミドルのダンディなオジサマですよね」

 

 先月、エリオット君の家でフィオナさんにぐだぐだと話してた、サラ教官の理想の男性像を出してみる。

 

「うちのお父さん、別にナイスじゃないし、ダンディでもないですから」

 

 全然ナイスじゃない。こうしてナイトハルト教官みたいなイケメンの隣だと、身内という贔屓目で見ても、色々と見劣りするんだから。体格は現役軍人なだけあって引き締まってしっかりしてると思うけど、ダンディさは無いと思う。

 ま、ミドルだけは仕方ない。もう三十後半だし。十分、オッサンだ。

 

「私、お父さんの再婚を邪魔する気はないですけど。一人娘として、お父さんにちゃんと相応しい(ひと)かどうか見極める義務があるんです。っていうか、万が一にも、サラ教官みたいなだらしない人をお義母さんとか呼びたくないです」

 

 だって、うちの店の在庫すっからかんになりそうだし。

 

「ちょっと、なに本気で警戒してるのよ、アンタ。そりゃあ、恩人の一人だし、ちょっとイイかも、なんて思ってなくもないけど――あ、いえ? 違いますよ? そろそろアタシも婚期とか意識――じゃなくて!」

 

 やっぱりぃぃ!

 

 ぽろりと出てしまった本音らしい一言を取り繕うサラ教官。

 その慌てる姿が、私の女の勘が当たっていた事を証明していた。

 

「ダメです! ダメです! 絶対ダメです! お父さんは、”私とお母さんの”お父さんなんですから! 他の女になんかには絶対あげませんから!」

「少しは落ち着け、バカ娘が。……再婚などする訳ないだろう。それに、サラには本命もいるだろうに」

 

 絶対に譲れないもの為にヒートアップし過ぎた私だけど、お父さんの言葉にほっと胸を撫で下ろす。

 ってゆうか、サラ教官の本命って……誰?

 

「だが、サラ、お前そんなに焦ってるのか? 確かまだ()()()だろう?」

「失礼な! まだ()()()です!」

 

 歳を間違えられたサラ教官が、間髪入れずに訂正する。

 そんなに必死にならなくてもいいのに。

 

「四捨五入したら変わらないじゃん」

「ア、アンタねぇ……」

「……アゼリアーノ、真実といえども口にするのは時と場合を考えた方が良い。特に妙齢の女性が相手ならば尚の事だ」

「……少佐、喧嘩なら買いますよ?」

 

 ナイトハルト教官、尤もらしい忠告をしてきてくれるけど、教官のお言葉、そのままお返ししたいと思うのですが。

 

「大体、少佐も今年三十路ですよね?」

「……む」

「そろそろ、身を固めても良い歳なんじゃないですか?」

「余計なお世話だ、サラ教官」

 

 ナイトハルト教官は、いつもより硬めの仏頂面をサラ教官に向ける。

 

「丁度、医療大隊で初めてお会いした時のルカさん、今の少佐と同じ位の歳でしたけど、もうその頃にはエレナは十歳でしたよ」

「……まぁ、私の場合は若気の至りみたいなものです」

 

 そういえば、お父さんは結婚早かったんだなぁ、なんて思ってしまう。お母さんはちょっと年上だったって聞いてるけど。

 年上落とすとか、意外とリア充だったの。若い頃のうちのお父さん。

 

「そうそう、軍なんかにいたら、上官の娘さんの紹介とか色々あるんじゃないですか?」

「え、そうなんですか?」

「そりゃそうでしょ。軍ってそういう身内贔屓な所だし、超が付く程の優良物件な少佐なら、選り取り見取りでしょうよ」

「まったく……」

 

 付き合いきれん、と書いてありそうな顔のナイトハルト教官が小さく溜息を吐いた。

 

「で、でも、ナイトハルト教官の上官の娘さんっていったら――」

 

 今日会ったクレイグ中将の娘さんってことで、ってことは――

 

「――エリオット君のお姉さんのフィオナさん?」

 

 私が何気無く出した同級生のお姉さんの名前に、ナイトハルト教官の鉄壁の仏頂面が崩れた。

 

「あらら、これは図星かしらね」

「ふむ、クレイグ中将のお嬢さんか……」

 

 まさかのナイトハルト教官の浮いた話に、お父さんまで興味あり気だ。勿論、私も興味津々。だって、ナイトハルト教官がエリオット君の義理のお兄さんになるかも知れないという話なのだから。

 

「よくクレイグ家に出入りしてましたよね? 支部のあったアルト通りだと結構噂になってましたよ」

「うっ――私の事はいいでしょう」

「あ、逃げた」

「だめですよ、ナイトハルト教官、敵前逃亡はいけませんよ。さぁ、これで洗いざらい――」

「アゼリアーノ……」

 

 サラ教官が持って来た缶ビールをナイトハルト教官の前に差し出すと、絶対零度の視線が私を射抜いた。

 

「少佐に失礼だろう、バカ娘が」

「いてっ」

 

 お父さんに取り上げられた缶は、そのまま私のおでこにこつんとぶつけられる。

 

「……まぁ、早ければ良いという物でもないと思いますよ、少佐。私が見て来た中ですと、少佐の様に将来を嘱望される優秀な軍人は大体遅いものです」

 

 私が恨めし気に眺める中、お父さんはしっかりナイトハルト教官をフォローしていた。

 へぇ、優秀な軍人さんは結婚、遅いんだ。そういえば、クレア大尉も彼氏いないって言ってた。確かに、ナイトハルト教官もクレア大尉も、自分の恋愛なんてそっちのけで仕事一筋って感じだから、なんとなく納得出来る。

 

「……まぁ、サラ教官も焦りは禁物ですよ。『慎重に、確実に』ってサラ教官の口癖じゃないですか。ウチの不良中年なんかよりイイ人いっぱいいますから、ね?」

 

 お父さんの真似をして、私は隣のサラ教官をフォローしてみる。

 本命がいるらしいけど、もっとしっかり釘を刺しとかないと、という娘としての考えもあるけど。

 

「今日は妙に煽って来るわね……まぁ、いいわ。十年も経てば、どんだけ無神経な事言ってたか、身に染みる分かる筈よ」

「やめてくださいよ、そんな行き遅れする呪いの予言みたいな言い方」

 

 サラ教官に言われるとちょっと洒落になってない気がする。

 そんな私達のやり取りを聞いたいたらしいお父さんが、思い出したかのように口を開いた。

 

「……そういえば、フレールの件は残念だったな。俺もお袋もアイツにならお前と店の事を任せれたんだが」

「うっ……」

 

 まさか、思いもよらぬ方向からの、思いもよらぬネタに言葉が詰まる。教官達の結婚話の筈が、まさか私に飛び火するなんて。

 

「……まぁ、なんだ、出会いという物はある日突然訪れる物だ。お前にもいずれ良い相手が……」

「お父さんは心配しなくていいってば!」

 

 許嫁的な意味を持つ幼馴染だったフレールのせいで、今現在の嫁の貰い手が無くなったのは確かだけど、サラ教官の歳ならいざ知らず、十六歳でそんな心配を父親にして欲しくはない。

 

「実はですね。ルカさん、ここだけの話、娘さんと仲の良い男子生徒も何人か……」

「……ほう?」

「サラ教官!?」

 

 さっきの仕返しか、ニヤニヤしながらお父さんに変な事を吹き込もうとするサラ教官を慌てて止めるのだった。

 

 

「そういえば、お父さんって中隊長だったんだね。こっちに来て、意外と有名でびっくりしちゃった」

 

昼間に訪れた中央区画の受付の兵士達との話から察するに、エリオット君のお父さんと比べれば大して階級も高くもないのにも関わらず、うちのお父さんは意外と名前を知られている様な感じだった。

ここは万を優に超える軍人が居るガレリア要塞なのに。

 

「今まで知らなかったのか……?」

「興味なさそうだったものねぇ」

「そ、そんな事はないですよ!」

 

 今まで、お父さんの中尉という階級が、軍の中でどの位の地位にあるのかいまいち掴み切れていなかった。

 でも、中隊長という肩書から考えれば二つか三つの小隊を纏めて指揮する訳だから、百五十人位の部下がいるという事になる。

 結構すごいじゃん、なんて思ってしまうのだ。

 

「まったく、”まかり間違って”合格してしまったと言われる訳だな」

「うぅ……最初は、本当にそうだったけど!」

 

 村の知り合い曰く、『女神様が点数を書き換えてくれた奇跡』などと言いたい放題言われた私の士官学院の入試合格。

 当初こそ、大した目標すらなく学院生活をおくっていた私。

 でも、今は違うんだ。

 

「……今は、違う。ちゃんと私にも目標がある」

 

 私はまっすぐ、お父さんを見た。

 

「そうだな、アゼリアーノ。いい機会だろう、中尉に話してみるといい」

「そうね……確かに、一度話し合った方がいいわ」

 

 ナイトハルト教官とサラ教官が、私を促す。

 そう、私はこの事を話す為に、お父さんに会いたかった。

 

「お父さん、私、軍人になろうと思ってる! 鉄道憲兵隊に入りたいの!」

 

 軍人の親の後を継ぐ、それも名門士官学院に進学した娘が。それは、軍人にとって最も誇り高い事であると、昼間の兵士達は教えてくれた。

 なんだかんだいって、お父さんも、きっと喜んでくれる。

 

 そんな事を考えていたけど――お父さんの反応は私の想像したものと大きく違った。

 

「……駄目だ」

 

 怖い物でも見たかの様に、目を見開いていたお父さん。

 長い沈黙を打ち破ったのは、とても小さな声だった。

 

「えっ……?」

「俺は認めないぞ」

 

 顔を強張らせるお父さんは、私を見て明確に告げた。

 

「中尉……?」

「……ルカさん、ちょっとは聞いてあげませんか?」

「申し訳ない、少佐。これは私と娘の問題です。サラも口出しは無用だ」

 

 私の話をもっと聞くように促す教官達に、お父さんは口を挟むなと言い切る。

 

「なんで、反対なの……?」

「決まっている。軍はお前が考えているような生易しい場所ではない」

「わかってる……!」

 

 私だって何にも考えずにこんな事を口にしている訳ではない。

 先月、帝都を襲った《帝国解放戦線》のテロ――夏至祭の主要催事が襲撃され、皇女殿下達が誘拐された、あのテロで私達は現に戦ったのだ。

 それに、その一件の後でクレア大尉にも資質はあるって認められた。

 

「私はもう戦場で戦った! かなり危ない目にも遭ったけど、ちゃんとみんなと一緒に――」

「その認識が甘いと言っている!」

 

 突然、お父さんは声を荒げた。

 それは、私が初めて見る顔で、初めて聴く声だった。

 

「”戦場”を見た、戦っただと? あの程度の”事件”で”戦場”を語るな!」

「あの程度って! 先月の帝都は大変だったんだよ!?」

 

 実際にあの場所で戦ったからこそ、お父さんの言葉が許せなかった。

 気が付けば椅子から立っていて、私も負けない位に声を張り上げていた。

 

「第一師団が治安出動すらしなかった――帝都が、か?」

 

 先程とは打って変わって、冷めた声色。

 

「それは鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊が頑張ったから、私達Ⅶ組だって少しはその役に――」

「ならば、”戦場”ではなく、正規軍が、機甲師団が介入するまでもない”事件”だった、という事だろう」

「そんなこと……!」

 

 結果だけしか見てないから、お父さんはそう言えるんだ。

 大体、東部国境とはいえガレリア要塞という安全そうな場所に居たお父さんに何が解るっていうんだ。

 だけど、私は”結果”もまた重要である事を、クレア大尉から教えて貰っていた。

 

 だから、先月の事でこれ以上、反駁するのは辞めて、他の切り口に活路を見出そうとした。この国の常識とも言えるべきものに。

 

「お父さんは、私に後を継いで欲しいとか思わないの? 私、士官学院にいるんだよ。帝国軍人なら我が子に継いで欲しいって思うのが常識じゃないの?」

 

 だけど、良い反応はない。

 

「お前を授かって十六年、自らと同じ道を志して欲しいと思った事は一度たりとも無い」

 

 突き付けられた答えに、私は怯んだ。正直、そこまで明確に言い切られるとは思いもよらなかったから。

 

「建前ならいざ知らず、そんなつまらない理由で軍に進むというのなら――」

「後を継いで欲しくないなら、もう関係ない! 別にお父さんの後を継ぐ為に軍に入りたいんじゃない!」

 

 もういい、回りくどい事を言った私がバカだった。

 

「私は、私の大切な人達がいる、この帝国を守りたい! 守られるんじゃなくて、守りたい! それだけなんだから!」

 

 私が一番の想いを言い切った後、ほんの僅かな沈黙が訪れた。

 

「……所詮は一時の安い正義感に駆られているだけだ。今一度振り返って、よく考えなさい」

「違う! もう、私はなるって決めた! なんで分かってくれないの!?」

 

 座ったまま、何も聞かないとばかりに目を伏せるお父さんの姿に、抑えきれない感情が更に激しく弾けた。

 

「……バカ! お父さんのバカ!」

 

 勢い良く机を叩いた反動で、私が飲んでいた炭酸飲料の缶が倒れ、中身が零れる。

 

「認めないなんて知るか! 私もお父さんのように家出して軍人になってやる!」

 

 何も言ってこない事を良い事に、そんな事を言って。

 

「私知ってるんだから! お父さんが昔家出して、パルムで不良やってたって! 軍人に捕まって、赦して貰う代わりに軍に入ったんでしょ!」

 

 きっと、お父さんが触れられたくない昔の事を、お父さんを何故か慕ってるらしい教官達の前で暴露して。

 

「めったに家にも帰って来ないで、手紙も返さない癖に! ずっと私を放っておいて今更父親面しないでよ!」

 

 とっくに納得していた筈の事まで、ぶつけてしまって。

 

「お母さんが死んだ時も帰って来ないんだから、私なんてどうでもいいんでしょ!」

 

 思ってもなかった事まで、口から飛び出て。

 

 

 それでも何も言わないで、黙ったままのお父さんの姿に、私は怒りに任せるがままに部屋を飛び出していた。

 

 

 ・・・

 

 

「私が――」

 

 真っ先に席を立ったナイトハルトを制止したのは、サラの腕だった。

 

「サラ教官……」

「いまはそっとしておきましょう。それに、私達よりあの子達の方が適任でしょうし」

「……そうだな」

 

 先程の親子の怒鳴り合いに困惑を隠せずにいたナイトハルトと対照的に、サラは嫌に冷静であった。

 まるで、こうなる事がある程度分かっていたかの様に。

 

「見苦しい所を見せてしまいました。申し訳ない」

「アゼリアーノさん……」

 

 床に転がり落ちた缶を拾いながら、二人に謝る教え子の父親。

 思いもよらぬ展開にナイトハルトは、軍服に袖を通した軍人同士であるにも関わらず階級で呼ぶ事を失念する。

 

「あの子からまさか本気で軍を志す言葉が、それも鉄道憲兵隊の名前が出てくるとは思いもよりませんでした」

 

 静かな部屋に、缶がゴミ箱へと落ちる音だけが響く。

 

「これも、士官学院での成長という事なのでしょうな」

 

 席に戻った教え子の父親は、先程とは打って変わって落ち着いた、悪く言えば諦念めいた声色だった。

 

「ええ、エレナは――娘さんは大きく成長したと思います。この数か月、士官学院の仲間達と共に様々な事を見て、聞いて、自分なりに考えて。彼女は決して軽い気持ちではありません。担任教官として、それは保証します」

 

 と、サラ。

 

「私からも同じです。多少の問題行動こそありましたが、先月、帝都の事件以降、熱心に勉学・教練に打ち込んでいる姿が見受けられます。まだ、甘いとは思いますが、私も決意は認めるものです」

 

 それに、ナイトハルトも続いた。

 

「子供はいつの間にか大人になっていってしまうもの……ですな」

「アゼリアーノさん、帝国正規軍の士官としては――」

「喜ばしいこと、なのでしょう。あの何も考えていなかった、兄貴分の後ろを付いて歩くだけだった娘が、今や祖国の為を思うようになったのですから」

 

 言葉とは裏腹にどこか寂しそうな表情をしている様に、サラには思えた。

 

「女の子というのもあるのでしょう。同じ歳で軍に入った私より、余程しっかりした志を持っている――それは親として、素直に誇らしい」

 

 あくまで否定する訳ではない、そういう意図を感じさせる父親らしい言葉に、ナイトハルトは安堵する。

 

「軍人にしたくない――それが私の我儘であることは分かっているのです。だが、それでも、私は娘に、手を血に染めて欲しくはないのです」

「しかし、帝国を守るという崇高な使命を果たす以上、敵を相手にその様な事を仰るのはいかがなものかと思いますが……」

「確かに、敵もそうですが、そちらを心配しているのではありません。私が殺して欲しくないのは味方……そして、戦には無関係の人々なのです」

 

 目の前の教え子の父親から語る言葉に、サラはどうしても自らの姿を重ねてしまっていた。

 

「あの子は士官学院に進学してしまった。順当に行けば再来年に卒業して少尉任官です。その時点で、正規軍であれば数十名の上官となり部下の生命を預からなくてはならない」

 

 士官、かつては《貴族の義務》の一つであったその職責は、所属にもよるが軍に入ると同時に指揮官であることを求められる地位だ。

 

「数年で私の階級を越えてゆくでしょう。士官学校出と言う事は退役迄軍に留まり続ければ大佐は固い。数千の将兵を動かす軍の幹部も良いところです」

 

 兵卒や下士官と士官は大きな違いがある。サラは目の前に座る二人の帝国正規軍の軍人が、その事を正に物語っている様に感じた。

 

 ナイトハルトはサラとそう変わらない歳で少佐という階級にある。帝国正規軍の双璧と名高く、第四機甲師団のエースとして将来を嘱望される彼は、いずれ彼の上官を超えるのは間違いはないだろう。

 

 ルカ・アゼリアーノは正規軍の歴戦の勇士には違いない。二十年の軍歴において積み重ねられた戦功は、彼を一兵卒の入隊としては異例な士官まで到達させた。

 しかし、それは極めて特異的なものであり、士官学校を出ていない叩き上げの彼に、これ以上の出世は殆ど望めない。

 

「命令が絶対である軍では、例え部下を全員生きて還してやれないと分かっていても、国の為に遂行しなくてはならない任務があります」

 

 そこで、父親は目を伏せる。

 

「無論、民間人を巻き込むと分かっていても――」

 

 その言葉の重みが、サラには痛い程よく分かるのだ。何故なら、それこそがサラが遊撃士へと転身したきっかけとなったのだから。

 そして、目の前の歴戦の軍人は、本当の意味での”戦争”を経験しているのだ。

 

「この国の軍では、”戦場”は遠くない未来に必ず起こり得る事――」

 

 《革新派》と《貴族派》の衝突は遠くない、そんな中で軍に進むという事は、この帝国が戦場となる戦いに身を投じる事に他ならない。

 

「私は娘に、命を天秤にかける選択を強いる……それをいつか悔いてしまう日が来るかも知れない道を選ばせたくはない」

 

 サラにとっては、その姿が自らの父親と重なった。願いや想いこそ違えと、自らと同じ道を娘に選んで欲しくはない、という一点において。

 

「願わくば、私の妻、あの子の母親が最後まで全う出来なかった、平穏で幸福な人生を娘には送って欲しいのです」

 

 それが、父親の偽らざる本音である事は、誰が見ても明らかだった。

 

「だが、そんな幻想を願う私より、この”激動の時代”から目を背けず、立ち向かおうとする娘の方が余程、現実を見ているのでしょう――ですが、今の私には、父親として、あの子が望む言葉をかけてやることは出来そうにありません」

 

 覚悟を決めた様に唾を飲み込んだ父親は、二人の教官に深く頭を下げた。

 

「ナイトハルト()()、バレスタイン教官――どの様な道を目指すのであれ、今のあの子はまだ士官学院生です。失礼な所も多々ある不出来な娘ですが、どうか今後ともあの子を導いてやってください」

 

 頭を下げ続ける父親に、サラとナイトハルトは頷く。

 

「ふふ、クレイグ中将といい父親というのも難儀なものですね」

「そうだな……」

 

 サラの言葉にナイトハルトも同意する。

 二人の教え子の父親達。片や息子に軍人の道を強いることに苦悩し、片や娘が軍人の道を志したことに苦悩する、全く正反対ながらも同じく軍に身を置く二人の父親。

 

「……中将閣下も?」

「ほんと、もう少し娘さんと連絡を取り合った方がいいと思いますよ?」

 

 色々面白い事になりそうですし、とサラは付け加え、ナイトハルトに含みのある視線を送る。

 ナイトハルトはその視線の意味を理解しなかったが、サラはあるかも知れない将来に小さく微笑む。

 

「ま、子供もいない事ですし、今晩は飲みましょう。一応、ノンアルコールとやらも貰ってきてるので、気分だけでも」

 

 そう言って、サラは向かいの二人に缶を差し出す。

 

「この面子で飲むなんて、次はいつになるか分かりませんから」

 

 そんな言い方をされてしまえば、ナイトハルトも止める事は出来ないのだった。

 

 

 ・・・

 

 

「それにしても……アゼリアーノさん、お嬢さんの話は本当なのですか……?」

「……恥ずかしながら、事実です。軍の基地に盗みに入った所でヘタを踏んで捕まりましてね」

「ふふーん、私は知ってましたけどね」

 

 自慢気な顔を向けるサラに、ナイトハルトはあまり良い気分になれない。

 軍規を重んじる帝国軍人が、仮にも入隊前とはいえ、犯罪に手を染めていたというセンシティブな話なのだ。

 それも、その当事者は、ナイトハルトにとっては軍で初めて配属された部隊の先任として指導役であった軍人である。

 

「なんでも、少年窃盗団とか率いてて、捕まった時も仲間を逃がす為に囮になったんですよね?」

「……サラ、恥ずかしいからよしてくれ」

「いやいや、帝国協会では有名な話ですよ。二十年前、遊撃士ですら捕まえられなかったパルムの凄腕の少年窃盗団……以前、帝国時報が《怪盗B》に関連があるとか記事に書いてましたけど、そこの所どうなんです?」

 

 サラにとっては、あくまで元遊撃士としての興味本位ではあったが、唐突に出た《怪盗B》の名に、ナイトハルトはその表情を硬くする。そして、無言でサラと視線を交した。

 

「……一人、すこぶる手癖の悪い奴がいてな。何かと危うい奴だったから目をかけていたが……まぁ、過ぎた話だな……」

 

 缶に目を落としながら二十年以上前の昔語りをする教え子の父親。

 その姿に、二人は彼が何も知らない事を理解した。

 

「いずれにしろ、准将、いや、今は更に遥か雲の上のお方だが……悪童共の頭として粋がっていた私を叩き直して、違う道を示してくださったあの方には感謝してもしきれません」

「その准将という方は……?」

 

 この昔話の顛末を知るサラにとっては、その人物の名も良く知るものであった。

 

「……既に軍からは離れられていますが、私の恩人である事には変わりません――現帝国政府代表、ギリアス・オズボーン宰相閣下です」




こんばんは、rairaです。
今回は8月30日、第五章の特別実習の三日目の午後~夜のお話となります。

サブタイトル「二人の父親」の通り、エリオットパパことクレイグ中将と本作品の主人公エレナの父親ルカ・アゼリアーノのお話でした。
学院祭とその後において出番の多いクレイグ中将と異なり、五章以降の出番が無いエレナの父親に、これでもかと配分が偏り気味ではありますが…。

今回のお話は、主人公エレナにとってある意味で最も重要なエピソードとして、連載開始当初から用意していた構想でありましたが、「Ⅲ」第三章で明かされたサラのエピソードが思いの外マッチングしていたので、思わず組み込んでしまいました。

次回は翌8月31日、《帝国解放戦線》によるガレリア要塞襲撃事件・前編の予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。


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