魔王を倒した彼は (賀楽多屋)
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魔王を倒した彼は
たまには、一人になってみたい。
そんな思いに駆られた次の日、彼はポートセルミの地を踏んでいた。
炎天下、人の流れに身を任せて歩を進めてたどり着いた先は、この港一大きな宿屋だ。観音扉を開けば、扉に取り付けられていたベルが客の訪れを知らせるように響く。
入って真っ先に目に付くのは、夜になったらバニーガール達が艶やかに踊り出すステージだ。吹き抜けになっている高い天井からは、豪奢なシャンデリアが幾つもぶら下がっている。ステージがシャンデリアの光を照り返す様は、昼間なのに夜の気配を感じさせて、何処と無く非日常的だ。
その中心に据えられたステージの右側には酒場が設けられており、昼間からそこそこの賑わいを見せていた。
魔王が勇者に討ち取られ、居なくなった昨今、ポートセルミで漁業や運送業を生業としている者達の懐は温まっているようで、この酒場の客の半数が海の男達であった。
彼は、自然と酒場のカウンターまでやって来て、マスターの視線を受けて、空いている席に腰を掛ける。
昼間から酒を飲みにあの場所から飛び出してきた訳では無いが、どうせ此処は旅先だ。
「エールを一つ」
頼んだ声には、覇気が感じられなかった。普段は、少しでも威厳を出せるようにと努めて腹の底から声を出そうとしているのだが、今日の彼はただの旅人だ。
無理に威厳を出す必要もなければ、肩を張ることもない。
何故なら、今の彼を見ている人なんて、それこそ酔っぱらいぐらいしか居ないのだから。
時間をかけずに出されたエールジョッキを手に取り、泡が無くならいうちにと煽るように飲む。
喉を鳴らして酒を飲むことは、野卑な動作だからと封印していたが、やはりエールはこうやって飲むからこそ美味しいのだと思う。
(そう言えば、まだ彼処で石を運んでいた頃に、ヘンリーと酒樽に入っているエールを味見したことがあったっけ)
ふと脳裏の思い浮かんだのは、大人になっても悪戯げな表情が似合う一人の青年だ。彼にとって生涯の悪友とも言えるその男は、今頃北の地で手腕を奮っていることだろう。
彼と違って、息抜きの仕方が上手いあの男のことだ。
責任を放り出し、この場で酒を飲んでいる自分と違って、旅に出ることは無いのだろうなと思う。
(僕は、一体これからどうしたらいいんだろうか)
これからやるべき事は勿論、彼とて分かっているのだ。
国の頂点であるこの男は、父親が残した国をさらに発展させ、民衆を率いていかなければならない。それが国王になるということなのだ。
これまで、彼は王族の割には随分と勝手に生きてきた。
否、前国王であった自分の父親とてそうだ。
妻を探すために国を出て、世界を巡った。そして、その旅路の途中で、魔物の手によって屠られた父親の後を引き継いで母親を探すことにした自分。
何十年という長さで国を出奔していた彼を、国民達は快く迎入れてくれた。
その後、父親のように妻を探す旅に出た彼に謀反を起こさずに、彼の帰りを待ってくれた国民達には感謝の言葉が尽きない。
こんなにも愛されている国王など、世界ひろしと言えどもそう居ないだろう。
(でも、僕は───)
エールジョッキを握っていた手に視線を落とす。彼の手は、指が五本ついていた。剣の握りすぎで出来た沢山の豆が潰れて、皮膚はゴムのように固くなっている。
何処からどう見ても、人間の手であった。キラーパンサーのような長い爪が生えていなければ、ドラゴンのように刃も通さない強靭な皮膚も持っていない。
切ればやすやすと赤い血が噴き出す人間の手。
彼は、人間なのだ。
だが、彼は、自分が人間だとは思えなかった。
彼の心は、もうとっくの昔に壊れている。
壊れていることを自覚するというのも変な話なのだが、彼は心が壊れていることをよくよく自覚していた。
目前で父親を魔物に殺され、希望もなく虐げられ続けた十代。
二十に差し掛かろうかという時に旅の途中で妻を迎え、漸く安寧の場所を手に入れられたが、直ぐにその妻を奪われ、石像にされた。
だが、そんな石像になった自分を、召使いを連れた子供達が探しに来てくれた。
その子供たちと一緒に妻を取り返し、旅の目的であった母親を救うために魔界まで乗り込んだ。
しかし、その母親は魔王に雷でその身を貫かれた。
その代償を手にしても、彼は、家族と一緒に魔王を倒した。
世界を救うために。
いや、両親の仇を取るためだ。
いや、彼の腹いせのために。
そう、自分のために彼は、魔王を討った。
もう、なんのために自分が行動していたのかだなんて分からない。時が経てば経つほどに、分からなくなる。
自分が何をしたかったのか。
そんな思いが脳を埋め尽くす度に、片隅にいる幼い感情が声を大にして泣きわめく。
胸に光を抱く度に、その光は握り潰された!
僕は、ヘンリーを救いたかっただけなのに!
それなのに、なんでお父さんは死ななければならなかったんだ!
お母さんは、お父さんを弔うことも出来ずに、なんであんな所で死ななければならなかったんだ!
けれども、そんな思いも次第に萎んでいく。
また、脳の片隅に小さく収まっていく幼い感情を尻目に、彼は他人事のような顔でエールを喉に流し込む。
幼い感情と入れ替わるように次いで現れたのは、すっかりと諦観が染み付いた理性だ。
その理性が囁く。
奴隷だった時に叩き込まれただろう。
世とは常に不条理なものだ。
何故に答えが示されることなんて、半分もない。
人は生まれたら、死んでいく。
強いものが絶対で、弱いものは淘汰されていくだけなのだ。
だから、魔王が居なくなったこの世は人間の世だ。
魔物は肩身の狭い思いをし、人間が大きな顔をして闊歩する世になっていく。
結局はそれだけの事だ。魔王が死んでも、世の理は全く変わってない。
そうだ。
今日くらいは、過去を振り返ってもいいんじゃないか。ふとした思いつきは、名案のように思えた。
最近は、省みることもなくなっていた在りし日の記憶。奴隷時代はずっと囚われていたそれに、いつから自分は解放されたのだろうか。
あの頃、日課のようにずっと考えていた。
あの時、ラインハットに父親と行かなければ。
出来もしない『もしも』を考えて、奴隷が大量に収集されている牢屋で丸まっている自分の滑稽さったら無い。
排泄物と垢の匂いが立ちこみ、人間の獣のような声があちこちから上がるあの場所の寝所程、硬い場所を彼は知らない。
そう言えば、邪魔だからと隅に行くまで蹴られ続け、時には腹いせに殴られた日もあった。そして、目を覚ましたら自分とは別の場所に痣を作ったヘンリーから挨拶されるのだ。「よう、相棒。素敵な朝がお出ましだ」
あの頃から、ヘンリーは彼を何故か高く評価している。他の奴隷仲間達も、彼のことを生きた奴隷だと評価していた。
彼には、その評価の意味が分からなかった。毎日、父親の死を呪っていた自分に向けられるべき評価じゃない。
恐らく、彼等は誤解しているのだ。
あの日々を呪わずに、日中はまともに働く彼を。
───嗚呼、もしかしたらある意味、当然の評価だったのかもしれない。
何故なら、彼は、彼処で生きては居なかったのだから。
彼は、過去に囚われ続けていた。
現状なんて一切見ていない。彼が見ていたのは、過去の残像だけ。
父親の仇を見据えていた。
父親の最後を繰り返していた。
あの日の自分の行動ばかりを思い返していた。
彼は、あの日の中で生きているのだ。
そこでプツンと、奴隷時代の記憶が途切れた。
すると途端に、その事についての興味が失せてきたのだ。
どうして、自分はあれ程にあの記憶に執着していたのだろうとエールを口にしながら首をひねって、彼はそれすらも考えることを放置した。
思い出したところで、何の得もない記憶だ。
今日は記憶を拐っているのだから、別のことでも考えよう。
そう言えば、『もしも』と言えば他にも沢山色々と出てくる。
例えば、あの時、妻と使用人を置いて、祝賀会に出なければ。
否、ミルドラースが母親を狙わなければとか。
嗚呼───自分にはどうしようもない『もしも』も考えたことがあった。
どうしたら母親は普通の幸せを手にすることが出来たのだろうかと若かりし頃は、夜になる度に手持ち無沙汰に考えた。
父親がエルヘブンから連れ出さなければ、母親は幸せになれたのだろうか───嗚呼、父と母が共に生きねば、自分なんて生まれることすらないのに。
掘り出せば、掘り出すほどに出てくる『もしも』に彼は、若干辟易としてきていた。
これらの思考が全くの無駄であると、瞬時に天啓を得たかのように察したからだ。
過去は変えられない。
それは、覆りようのない真理だ。
どうしてそのことが分かっていて、己はそれに固執し続けているのだろうか。
結局はいつもそこに辿り着く。
何回、何十回、何百回、何千回とあの日から毎日自問自答しているのに行き着く先は変わらない。
そして、そこへと行き着く度に彼は一時とは言え、考えるのを止めた。
過去に縋り付くのをやめた。
人に縛られることをやめた。
光に手を伸ばすことをやめた。
すると、なんだか視界が一段と鮮明になったような気になるのだ。
何もかもが彼の横を通り過ぎていく。
それを彼は、佇んだまま見届ける。
だが、それでも胸が押し潰されたように息がしづらい。
喉の奥に丸めた紙を突っ込まれたような違和感があり、直ぐに声が出なくなった。
すると、喋ることも億劫になって、言葉を考えることもやめた。
子供の頃から無口だと言われていたが、それのせいで更に無口になってしまった。
でも、人間と関わることが減ったから、なんだかんだで良いような気もしてきた。
そういうことをやっていたら、いつの間にか魔王の元にやって来ていた。
魔王を倒し終え、平和が訪れたこの世界でなら、漸く息がつけるだろうと思っていた。
愛しい家族のそばで、時の流れに身を任せていれば良いのだと思っていたのだ。
だが、魔王を倒しても息がしづらい。喉の奥にはいまだ、何かが燻っている。
彼は、まだ息が出来ないと平和な世で喘いでいた。
しかし、そんな彼だが、人並みには愛を持っていた。
ここまで、人間として欠落していながらも、彼は人間のように身の回りにいる大切な人達を愛していた。
彼は、妻を愛している。
子供達を愛している。
自分を補佐してくれる人臣達も、慕ってくれる国民も。
遠くの地にいる友人も、知り合いとて。
彼は、深く深く愛している。
だが、それでも彼の心は満たされないのだ。
粉々に壊れてしまった心は、溢れ出る愛を留めおけず、さらさらと流れていく。
受け取った愛を置いておくことも出来ない。貰ったそばから、消えていく愛を惜しむことなく彼は、ただただ流れいく様を見届ける。
(嗚呼、そうか)
(このまま、彼処に居たら僕が、今度は壊してしまう。だからこそ、僕は、彼処から飛び出してきたのか)
(だって僕は、もう何十年と世界を呪ってきたのだから)
彼は漸く気が付いた。
なぜ、ポートセルミまでやってきて、エールを飲んでいるのか。
気の赴くままに来てしまったのだとばかり思っていたのだが、本当はそうではなかったのだ。
呪っていた世界は、魔王が殺されたぐらいで新しくなる訳では無い。
彼は、魔王が死んでもなお、この世界を呪っている。
だからこそ、人間の幸福が溢れるこの世界でも、彼は息がしにくいのだ。
幸せを噛み締めるには、彼はもう壊れきってしまっていたのだ。
もう、安寧を感じられ程のまともな感覚も残っていないこの身が成すことと言えば、破壊衝動のままに暴れ回ることくらいだろうか。
そこで拠り所でもある家族や国を壊してしまう未来が、彼には見えてしまった。
───その時の彼はきっと、最早、人間の姿をしていないのだろう。
そう、例えば。
昔は人間だったというミルドラースのように、今度は彼が魔に飲まれて、その身を人外にしてしまうではないだろうか。
妻と子供達まで失いたくない。
父親から受け継いだあの国を亡くしたくない。
(今が、引き際なんだ)
世界が平和になった今、最後の不穏因子は自分だけとなってしまった。そう、この話はただそれだけの事なのだ。
「お勘定をお願いします」
「はい、お客さ───」
やることは決まったのだから、そろそろ此処を後にしようとマスターを呼ぶ。彼に呼ばれたマスターが拭いていたワイングラスから視線を上げて、彼に返事をした瞬間、マスターの声が途切れた。
マスターの挙動に違和感を抱いた彼が、再度マスターに視線を向ける。
すると、そこには血の気を引かせて顔を青ざめさせたマスターの顔があった。
「お、お客さん。そ、その顔!」
円なマスターの瞳が戦慄く。本能的な恐れに揺れるマスターの瞳に移る自分の顔は───人の顔ではなかった。
ここまで、お読み下さりありがとうございました。
ドラゴンクエストって今では国民的RPGで、スライムなどはマスコット的立ち位置を築いてますが、ストーリーは結構ダーク性が強いですよね。
今回は、そのダーク性に更に濃さをマシマシにしてみたという作品でした。
次は明るい短編書きたいです。
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