憂鬱勇者vs.優しい異世界 (茶蕎麦)
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第一話 温度差
ネームメーカー様、どうもありがとうございました!
「ぷっはー。ダヌーニュ産のソーダは美味いね、しかし!」
「……エールニル、呑むの早い」
「イシュトの言う通りですわ。せっかく美味なのですから、もっとシードルを味わわないと」
「はっは! そう言うハリスラも、何時もより随分と食が進んでるみたいじゃないか」
「だって、このピッツア、シードルにとっても合うのですよ!」
「……ほんとだ。さっぱり」
ウェミテル王国の首都、ユノグルにて酒に興じる一団。大いに木樽ジョッキぶつけを合わせて、彼女らはシードルを飲みながらつまみを食みつつ、歓談をしていた。
本来、酒場にてありきたりな光景の一部であるはずのそんな姿が、取り上げたくなってしまうくらいに、どうにも目立ってしまうのは女性らの容姿が並外れているから、だろうか。
麗しき三人。ウェミテルにしてはどうにもエキゾチックな見目も混ざっているからには、どうにも悪目立ちする。
本来なら言い寄る者も多く出てくるだろう、そんな女衆に誰一人近寄ろうとしていないのは、彼女らが皆一人に惚れ込んでいることが広く知られているがため。
故に、軽口もそこそこに、酔いに多く彼への話題が滑り出す。まずエールニルと呼ばれた様々な部分が大きい、どこか女傑を思わせるポピュラーな赤髪の女性が、うっとりしながら切り出した。
「確かに美味い。返す返す、勇者が早々に寝入っちまったのが残念だよ。しっかし……勇者はこう、なんというか仕事人って感じで、そんなところも格好良いよねえ……異世界の男って、みんなあんなもんなのかねえ」
「……ヨダレ垂らしながら言うのはちょっと、いやらしい。でも、ヨウタが特別に素敵なのは本当」
「ですわ……あんな殿方、そうそういません。丁寧な物腰でありながら、戦いにおいては勇猛。時に垣間見える賢さも、ポイントですわ!」
「こっち来る前は学者かなんかだったのかって言うくらいの知識を見せたりするよねえ……そこんところ、魔法使いなイシュトにとってはどう見えるかい?」
「……確かに、魔法使いの適正を思わせるくらいには知見の広さを覚える。でも、あんなに強い学者なんていないと思う」
「ははっ、そりゃそうだ! なんてったって、勇者ったら、このあたしよりも腕っぷしがあるからね」
言い、エールニルは多く傷が刻まれた白い肌を顕にし、その腕の優れた筋を見せつける。それを見て、どうにも魔法使いであるらしい夜の暗がりに思えるほど焦げた肌を持つ小柄なイシュトは、ずれた大きな帽子を直しながら嘆息した。
「……はぁ。確かに、音に聞こえたエレシャン村の女オークが物理的に宿に連れ込めない男が居るとは、私もびっくりした」
「宿に……まあ、エールニルったら、いつの間に勇者様に対してそんな不潔なことをしようとしていらっしゃったのですか! こ、婚前交渉は、はしたないですわよ!」
「情事にはあたしも一家言あるが……いや、普通に買い物先に引っ張られて、はしたないも何もなかったから、そうかっかしないでおくれよ、ハリスラ。別に、あんたのところの神様はそこんところを禁止している訳じゃないんだろ?」
「訊いたところ、神託にて、神様は確かにガンガンいこうぜ、と夫婦生活を奨励していましたが……で、でも、時に色は隠すことも大事、とも仰っていましたわ!」
「……ドゥルウス教の神様は、やっぱり変」
「つうか、ハリスラったら、直接神様に訊いたのか……隠しているつもりだろうけど、この子、実は相当にスケベだよねえ」
「むむっ、男子禁制の世界で育てられた女神官なんて、皆こんなものですわ! 先輩達には、もっと凄い人が一杯居ますわよ!」
「むっつりのあんたより凄いって、あんまり聞きたくないなあ、そりゃ」
「それに……開き直って特殊な例を持ってきても、ハリスラのどスケベは消えない」
「私、仲間にどんな風に思われていますの!」
愕然とするハリスラ。神官職らしい法衣に身に纏った彼女は、とても平均的である。当たり前のように金髪で、中途半端なミディアムヘアで、性徴っぷりもエールニルとイシュトの中間。ただ、顔は自然な美形ではあった。
黙っていれば、清廉にも思えるだろうその見た目は、会話内容とオーバーリアクションにてただただ残念なものになってしまっている。
くいと、ジョッキを空にしてから、ニヤリとしてエールニルは追い打ちをかけた。
「まあその、ハリスラのどスケベエロエロが、勇者にバレてなければ良いんだけれどねえ」
「エロエロが増えてますわ! って、勇者様に? そんな、あのお方の前での私は清楚一筋。ふふ。きっと、勇者様の中で私は、虫一匹殺せない淑女ですわ!」
「……メイスで魔物を一撃必殺する神官がよく言う……でも、多分ヨウタにバレてるよ?」
「本当ですの!」
「そりゃ、猫かぶっていてもその筋の女ですら躊躇うくらいに、時と場関係なく身体を寄せ付ける女が清楚には思えないだろうさ」
「で、でも…そうでもしないと、私の興奮が鎮められないのですわー!」
「……流石、どスケベエロエロピンク」
「今度は、色が付きましたわ!」
天を仰ぎ、ショックを身体で表すハリスラ。最早、喜んでいるようにすら見えるその様に、エールニルとイシュトは笑う。
二種の笑顔を受けて膨れっ面になるが、しかしハリスラは面ほど怒ってはいなかった。ふざけて揶揄したりされたりはするが、何だかんだ、仲がいいのである。
だからこそ、彼女らはこの輪に入れられなかった異世界から来てくれた愛おしい勇者を思わずにはいられないのだ。
「まあ、愉快なハリスラの話題は置いておいて。ホント、勇者ったらつれないよねえ。酒場に付いてきてくれたことなんて、一回きり。いっつも同じ宿屋で飯食って、寝るばかりなんだから」
「……ひょっとして、宿屋のおばさんが目当て? ヨウタ、年上好きだった?」
「それは、まずいですわ! 確かに寝入ったことを確かめもせずに、宿に残してきてしまいましたもの! かもしたらこの後、深夜の密会があるかもしれませんわ!」
「いや、ミスザおばさんは勇者のこと可愛がってるが、流石にそれはないだろ。未亡人と、とか考えにくいし年齢があんまりも……」
「そうですわね。未だ見目麗しい方、とはいえ三十路過ぎというのは……」
ぴちぴちな三人は、今勇者が籠もっている宿屋の主人を思い出す。色気はあれども、どうにも年相応のだらしなさがある。それを、この世界では魅力とみなかった。
三十路過ぎなど異世界では普通に結婚適齢期とされていることを、彼女らは知らない。勇者が、一番対応に困っているのが当のミスザおばさんを相手にする時、ということすら判らなかった。
「じゃあ、若いってのに、勇者があたし達に食いついてこないってのは何だ?」
「ヨウタは知らないだろうけれど……勇者の血をこの世界に容れられる、そういう期待もあってこその私達なのに」
「実力から期待されて、と思いたいですが、それだけならばシヴノス神官様の方が適役ですからね。やはり、異性ばかり遣わせるというのはそれ相応の意図というものがあって然るべきでしょう」
「しかし、勇者は気づかず、そして嫌々就いていた私達がメロメロにされて今がある、と。……まさか、アイツ、同性愛者というわけじゃあるまいなー」
「あわわ……ガレマさん、女の子同士はいけませんわ!」
「……ハリスラのトラウマが。……まあ、放っておこう。でも、エールニル。流石にそれは無いと思う。そうだったら、ヨウタが私達のボディタッチに一々照れたりしない」
「それもそうか……」
そこは触ってはいけないところですわー、と騒ぐハリスラを他所に、魚のフリッターをはむはむしながら語るイシュトの前にて、戦士エールニルは顎に手を当てながら考える。
おかしいところばかりの異世界から来た彼。正しく勇者というべき能力を持っていても、しかし一応同じ人間。性欲はあり、人に触れることを嫌っている訳ではない。むしろその優しさはこの世の清涼剤とすらいえる。
弱者を慈しみ、人を愛す。行き過ぎとすら思える程のそれは、魔王軍の者にすら及んで向こうの将に心配されるほどであり、倒せばマナに帰る魔物に一々手を合わせることを欠かせないことからも伺えた。
「それを考えると、ちょっと自分勝手に事を起こすことに、慣れてないっていうことが一番なのかもしれないなあ」
そうして、エールニルは今までで一番、彼の真相に近づく。しかし、恋は盲目。まさか勇者たる彼が臆病者とは気づかずに。ただその紳士さに感じるのだった。
「なら、アタックを強めるべきですわね!」
「……愛されたいなら、愛する。それが一番」
「かもなあ。ようし、明日から勇気出して、もっと肌を出してアピールしてみたりするかー」
「その破廉恥な服に、まだ進化の余地が残されていたのですか!」
「……むしろ退化。つまり素っ裸?」
「お前ら、怒るぞ……」
二人の仲間のとんでもない言い様に、エールニルは怒る。まるで自分が露出狂の変態みたいじゃないか、と。
だが、ビキニアーマーの下に、多少のインナー。そんな現状より上のセックスアピールなんて考えられないのは、仕方ない。
実際のところ、勇者メンバーだから許されているが、場所によっては然るべきところに通報されてもおかしくない格好であり、エールニルは立派に変態的であった。
「……分かってないんだ」
「黙っておきましょうね。後で年取った時に気づくはずですわ」
勘違い。エールニルの知らぬところで、視線は錯綜し、そんな言葉が交わされた。
「ぐぅ……」
そして、そんな認識の錯誤は往々にして様々なところで起こるもの。勇者と思われたただの憂鬱は、ベッドの上で苦悶の声を上げる。
「キツい、なあ……ホント」
彼を苦しめているのは、過度の肉体の強張り。そうして、誰知らず、取れない緊張を解さんとする労苦は行なわれる。
人に不快を与えないように、忘れずに何時だって苦しみながら入るが、それでも風呂に大変な労苦を覚える程には鬱々としている彼は、公衆浴場でのんびり出来ずに毎度の歓待にすら疲れ切っていた。
今まで堪え続けていたが、呼吸すら辛い。病的とすらいえる、その鬱屈した精神からくる身体の苦しみに、柔らかなベッドの上で青年は耐え続けた。
自分は分を超えて頑張りすぎていた。それは、よく分かる。けれども、頑張らなければ、見捨てられてしまうかもしれない。その恐れがばかりが、彼を動かす。
そう、彼には自分の目で見る愛情に友情の全てが、信じるに足りない。それは、昔からそうであり、しかし科せられたものが僅かしかなかった以前に比べると、最早今は。
「地獄だ」
そう、呟くしか無かった。
井伊葉大(いいようた)は、異世界に召喚され、そうして自らの力が今まで以上に評価されることを、好むような人間ではない。
人間に酷く痛めつけられ、愛された覚えすらない彼に、他人など邪魔。一人でいることこそが、幸せなのだ。
しかし、それでも勇者らしくあることを望まれる視線を葉大は裏切ることが出来ない。期待に応えられなかった後が、怖いから。
「好かれているのは、分かるけれどさあ」
葉大はシーツの上にて芋虫のように、身動いだ。
好意。別段、それは嬉しくないわけがない。しかし、それは反すれば敵意になる。故に、なるべくそれを刺激することはためらわれた。
故に、幾ら向けられる情を解していても、それを受け取られない。それくらいに葉大は人間不信ではあった。
「ハリスラには語られたけれどさ……愛って、なんなんだよ、本当に」
愛とはなんだろうか。それが、比較と否定でないことくらいは判る。しかし、葉大にはそればかりが馴染み深すぎた。
故に彼女らが信じ難い。理解出来ない。そんなもの相手に愛どころか、恋だって無理であった。しかし、近寄られ、触れ合い、自ずと性欲ばかりが刺激される。うつ症状で反応すら起きないというのに、それはまるで拷問だ。
好意を向けてくるパーティメンバーには口が裂けても言えないが、これならば一人で、或いはせめて同性ばかりと旅した方が良かったと、葉大は思う。
万が一、彼女らに手を出してしまったらきっと帰ることすら覚束なくなってしまうだろうから。責任を取ろうとする自分を、きっと葉大は抑えることが出来ない。
「俺は、帰りたいのに……」
もう、そこそこの時間が経っている。帰ったところで職場はもう自分を待っていないだろう。更には何時も通り、家族から侮蔑の視線を向けられるばかりの日々が続くに違いなかった。
しかし、それでも今よりマシだ。自分なんかが必要されるならと、発奮しすぎた勇者の形を続けなくてはならない自業自得。それが延々と続くよりは。
「ホントは俺には、起き上がるのすら、キツいってのに」
どんな行動にも、大変な労が要る。それほどに弱っている彼は、しかしそこまで追い詰められているからこそ、頑張らざるを得ない。最悪を恐れて。
異世界産の自分が、仲間やこの国から見捨てられたらどうなってしまうのか、判るから。生きるのが辛くとも、野垂れ死ぬのは、御免だった。
「あの魔物の娘……ヴァーザって言ったか。あいつは俺のことを理解しているフシがあるから気をつけないとな」
そして、そんな葉大の弱い内心を、どうにも魔のものは嗅ぎ付ける。というか、知って本気で心配してくれるのだ。どこか嬉しくも、その事実は恐ろしい。
こんな自分が認められる筈がないという地を這うレベルの自己評価。そんな本心を知られる危険性を孕んだ相手。それは、幾ら相手が自分を好んでいようとも、信じられなかった。
「エールニルが追い返してくれたけれど、また来るねって……もう来るなっての」
一時間。それで少し強張りが引いた手を閉じたり開いたり。そうして、また今度は違う場所に緊張と痛みを強く覚える。
自称魔王の娘という悪魔な女の子は、葉大を救いたいからとそう言い、去った。確かに、助けて欲しくはある。けれども、敵を信用なんて出来ない。
「どうせ、殺し合うんだ……情なんて、要らなかったよ」
去り際に向けられた、彼女の紫色の瞳を思い返す。そこに秘められた優しさは、毒だった。だから、それに侵されながらも、葉大はそれを拒絶するのだ。
「俺は、勇者として魔王を倒して、そうしてから帰してもらうんだから」
呟き、葉大は独り全身の痛みを堪え、毛布を抱きしめるのだった。
見せかけているだけと思い込んでいるその優しさが生来のもので、それが魔法に見出されたがために葉大がこの世界に呼ばれたのであるということを、知らない。向こうで挫かれ続けていた青年は、孤独に涙を零した。
やがて、離れた場所の二人は同じ時に似たような言葉を零す。
「アイツがあたしらの気持ちに、気づいてくれば良いのだけれどなあ」
「……皆が俺の気持ちに、気づいてさえくれなければ、良い」
求める心と拒絶の心はすれ違い、そうして彼はずっと勇者のまま、きっと世界を救うのだろう。
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第二話 馬が合う?
変な夢を見たので、謎の馬が出てきます。
美姫ヴァーザ、といえば数多ある魔王の軍勢の中でも一等輝く一粒として知られた存在である。
全てが全て、自然に生まれる魔族。その中でも王に近い、魔。見目麗しきヴァーザは多くの親愛を受けていた。それこそ、過去の勇者葉大が受けたものをそのままひっくり返したかのような、幸せぶりであったのだ。
けれども、そんな楽しいばかりの生にて、一つ懸念が生まれた。それが、ヴァーザにはどうにも気にかかる。
「むー、ユウシャったら、あんな可哀想な子だとは思わなかったわ! どうしよう……」
幸せということは、相手を思いやる余裕があるということでもある。故に、目で見て感じた葉大のあまりに傷ついた心が哀れに思えた。
魔族は人の闇から生まれたとされる。ならば、葉大の心の深い闇に魔族のある程度上等な存在であれば、皆感じるだろう。
殊更、心優しいヴァーザは、青年の痛みを思って、その快方を願う。だって、少しでも辛いのに、あんな洞のごとく傷が空いていれば、とっても痛いに決まってる。だから、それを慮るのは、人間と相対す魔族であってもおかしくないと彼女は考えるのだ。
「うーん。誰か相談できるの居るかな?」
ぱたぱたと、小さな蝙蝠羽をはためかせて、魔王城の中を考え込みながらあちこち動き回る、そんな少女はやたらと目立った。
暗い石の廊下にカツンと足音響かせ、そうして酷く大いなるものがヴァーザを認める。天を持ち前の角で脅かすその禍々しき存在は、優しく彼女に言った。
「ヴァーザ、どうかしたのかい?」
「あ、お父様!」
人間の美しいものを集めた容姿のヴァーザと比べて、あまりに雑多におぞましい部分を纏めて存在と成しているそれ、彼女の父こと魔王ディアピオスは親愛に笑む。
悍ましきを歪めて笑う、そんな父に向かってヴァーザは突貫。それを優しく受け止め、ディアピオスは彼女の頭を触腕で撫で付ける。そうして、ヴァーザも一時悩みから開放されて、笑んだ。
優しき異形同士の触れ合い。これは魔王城では、実にありがちの光景。痛みから生まれた彼らはそれを解しているがために、知を持てるほどの者達は総じて大人しく優しいのである。
特に、この世の全ての闇を見たとされる、魔王ディアピオスは、その中でも群を抜く。その持つ力と王位と相まって、彼はその残念な容貌とは反し、大人気の存在だった。
そんな愛すべき父親に対して、ヴァーザは語る。
「あのね、お父様。この前ボク、一人でユウシャに会いに行ったでしょ?」
「そうだね。哀れな異世界生まれの人柱。けれども上位存在故に強靭であろう彼をひと目見に行ったのだとは、聞いている。全く、僕たちは酷く心配したんだよ?」
「ごめんなさい……でも、イーアナーが、気になることを言うから……」
「あの、魔物と思い込んでいる謎の馬が、そそのかしたのか……でも、城の外は危険なのだから、せめて、お付きのメイド……マヤシスくらいには言っておいて欲しかったな」
「反省してます……」
「まあ、終わったことは仕方ないね。次は気をつければいい。それで?」
親の苦言に頭を下げる、ヴァーザ。それを魔王ディアピオスは微笑みを持って許し、そうして次を促した。
「ボクはユウシャに出会って、戦うことになったの。ユウシャは四人のパーティを組んでいてね、強かったわ! とっても楽しかった……でもね」
「彼はヴァーザが思っていたのと違ったのかい?」
「うん……戦えば戦う程に、ユウシャの痛ましさが判ったの。思わず、こっちに来ないか、って言っちゃった」
「でも、流石にそれは無理だったと」
「うん。何か、行った途端に向こうのデカ女たちが本気になってかかってきてね。逃げるしかなかったんだー。残念!」
「そうか……」
蒼き節ばかりの手をヴァーザから離して、ディアピオスは考える。
娘はこと、切り捨てられたものの無念の集合。そんな彼女の特性もあるとはいえ、ここまで感じ入るとはよっぽどなのだろう。きっと最早病人とすら呼べるだろう者を魔族に対する尖兵に使おうとは、人間は相変わらずどうしようもない。
そうつらつら脳裏に綴る父に対して、しかしヴァーザはただ、勇者の強さの中に隠れた弱さを思うのだった。あんな可愛い、小さくてぷるぷるした柔らかな心、初めて見たもので。
「ホント、残念だったなあ……」
それを、優しく愛でてあげられないことを、悲しむのだった。
イーアナーは、凄まじく巨大な馬である。成人の上背とてその脛の高さにすら及ばない、ということを知れば、その大きさの程が判るだろう。
はっきりと、彼女は世界最大で、そうしてその頂点にある無駄に大きな頭はそこそこ賢いものでもあった。全ての言葉が神によって分かたれてはいない世界であるとはいえ、意味ある言葉を呟く巨大馬というのは、中々不気味なものである。
「びっくりしちゃったー。あの子、とっても強かったわ!」
ぶるぶると鼻息荒く、それは魔王領を縦断していく。よく見ると胸元に受けた刀剣の傷生々しくも、しかしその足は確かに大地を踏みしめている。イーアナーの蹄の立てる音に驚いた猫の魔物達が、次々尻尾を巻いて逃げ出した。
魔物の生息域であるがために手付かずで、旺盛に育った木をつまみながら、彼女は遠く見える黒く禍々しい形の城へと向かっていく。
因みにそれは魔王城であり、形が歪であるのは造り手である魔王やその側近に芸術のセンスが欠けていたがためであることまでは、あまり知られていない。
「久しぶりに魔族らしく人を襲ってみたけれど、負けちゃったし、久しぶりに皆で女子トークと洒落込みたいところね。ヴァーザちゃん、お城に居るかしら?」
「ここに居るよ!」
「きゃっ!」
「あははー」
どすんどすん進んでいるその最中、独り言に声が返ってきたことに、イーアナーはびっくりする。
近くに思えた声の主を探すと、耳元でぱたぱたと飛んでいるヴァーザの姿が。いつの間にこんなに傍に寄っていたのだろうと、少女の悪戯に驚くイーアナーだった。
「もー、驚かさないでー」
「あはは。もーじゃ牛さんだよ。イーアナーったら、お馬さんじゃない」
「私が馬だなんて、冗談ー! あんな小さな子たちが、私と一緒だなんて、あり得ないでしょう」
「……なら、イーアナーは何なの?」
「勿論、賢い私にはどう見ても自分が人間でないことが判るし、ならば魔族だって、理解しちゃうわ!」
「あはは。何時気づくんだろー……」
改めて語るまでもなく、イーアナーはただの馬である。とんでもなくデカく、話すことも可能であるが、それでも魔から生じたものではない天然自然の産物であるからには、馬で間違いないのだ。
しかし、イーアナーは自分を馬族ではなく魔族であると勘違いしている。それは、同種とのあんまりなまでのサイズの差によって同じく見えないことから生まれた、錯誤。
更には、実際馬状の魔族も存在するがために、ややこしいところ。馴れ馴れしく近寄って来るイーアナーにケンタウロスな魔物達は相当に迷惑を受けていたりした。
ひとしきりニコニコと笑んでから、イーアナーは会話の種として今日のこと口に出す。
「そうだ。ヴァーザちゃん。私今日ね、魔族らしく人間と戦ってきたんだー!」
「え、イーアナーって普段は気が乗らないってあんまり人を襲わないのに……って、戦った? イーアナーと戦いの形にまで持ち込める人間なんて、いるの? どんなヤツ?」
「んー? 何か人間ってちっちゃくて違いが判りにくいんだけれど、そだねー。確か、一人はゆうしゃ、とか呼ばれてたかな?」
「ユウシャ! それって、光の存在、異世界から来る最強の人間ってヤツでしょ!」
ヴァーザは、その内容にびっくり。しかし、イーアナーの身体に出来た傷が大剣で出来た創傷であることに気づいて、彼女はなるほどと思った。
馬のくせして魔王軍でトップクラスに強いのでは、と思われるイーアナー。それがこれだけ傷つけられるとは、本来考えにくいこと。けれども下手人が人型の究極とされる勇者であるのならば、納得だった。
むむむ、と眉を寄せてから、ヴァーザは口を尖らせ、言う。
「ゆうしゃ、って有名だったの? まあ、強かったよー。私、負けちゃったもの」
「それってすっごい! ボクとイーアナーって喧嘩の結果が殆ど五分五分だったよね。なら、そいつ、ボクよりも強いのかな?」
「周りの子は大したことなかったけれど、あの男の子は……どうなんだろ。やってみないと分からないんじゃないかな」
「うーん! ちょっと遊んでみたくなっちゃった! その子はどっちの方に居たの?」
「デーメヴァン平原の辺りに居たよー」
「そう、行ってくる!」
ヴァーザは喜色に表情を可愛く歪めてから、羽根とマナを大いに騒がせ、そしてびゅんと音が出るほどにその身を加速させる。そうして、あっという間にイーアナーの視界から消えていった。
風の後に残るは、魔王城の手前で所在なさげにしてる不審馬が一頭。ひひんと鳴いて、そうして彼女は呟くのだった。
「……それにしても、小さな体に大いなる力。それってちょっと可哀想なのかもね」
イーアナーは、己の哲学によって勇者の哀れを感じ取ってから、空を見上げる。魔王の支配下であることを示す、紫色の雲。この世界では忌み嫌われるそれが、向こうの世界では吉兆と知らず、彼女はただその蠢きを先の青年に重ねるのだった。
「なんだったんだ……あの馬……」
だだっ広い平原。戦のあとにのテントを張り直してからの、装備確認の最中。王より下賜されたヘルティア鋼の大剣にゆがみ一つ起きていなかったことに、勇者葉大はほっと一息を吐く。
恒常的な気怠さに緊張はどうしようもないが、その中で少しは安心しひと呼吸が出来た気がしたのだった。
何しろ、武器の強さを忘れ、持つ感覚を奪われてしまうくらいには、先に現れた敵は強かったのだ。
デカければ、強い。それは真理である。巨大故に、魔法もなにもない向かってくるがだけのただの馬はそれだけで驚異となった。
走り、轢く。ただそれだけの戦法。しかし単純であるがこそその突撃はどうしようもない威力となって襲いかかった。
黒い疾風、それと対するに大きく葉大の身体は軋み、ダメージを受ける。掲げた大剣により低く当たってきたイーアナーの巨体は異世界の産物であるがためにマナという鬆が入っていない分強靭な彼の身体であっても、押し返すに難儀したものだった。
都合三度のぶつかりを経て、ようやく痛打を与えて追い返した、その際の苦痛は中々効いたもの。これは、後で寝入る前の肉体の悲鳴が増えるな、と葉大は思った。
「あんなバケモノを追い返すなんて、流石勇者だねえ」
「……私達では、どうしようもなかった」
「エールニルの怪力も、イシュトの魔法も、私の神法も、全部全部吹き飛ばしてしまうなんて、とんでもないお馬さんでしたわ!」
「まあ、荒事は本来俺の仕事だから。普段皆に助けてもらっている分、こういう大事には頑張らないとね」
「本当に、控えめで、まあ……」
「……ハリスラも真似したほうが良い」
「どうして私ですの!」
「あはは……」
肉の苦痛に耐えていると、精神に負荷をかける存在達がやってくる。テントの隙間から覗く、整ったかんばせ。その三つの笑顔に隠れ潜むものを妄想してしまい、葉大の心はぎしりと軋んだ。
そのため、自然に吐いている自分の綺麗ごとなんて、気にもしなかった。故にこそ、それが褒められることが気持ち悪いのである。
当たり前が良いと言われても理解出来ずに、不通ばかりが感じられていく。乗り切れないコントじみた会話も、それに一役買っていた。
「まあ、皆が無事で良かったよ」
「そうですわね……魔物退治の依頼も、あのお馬さんが来る前に方が付いていましたから、後はテントを収めて王都に戻るばかりですわ」
「……ハリスラ、近い」
「調子に乗って勇者の腕に胸当てんなよ、困ってんだろ?」
「あら、失礼しましたわ」
「はは。こう、もう少し距離を気をつけたほうが良いよ?」
「はい。勇者様以外に対しては、気をつけますわ!」
「これからも攻める宣言か……」
「……これには、ヨウタも困り顔」
「いや、はは……こういう、子なんだねえ」
葉大は、笑う。こんな、告白のような言葉を苦笑で誤魔化すのは、何度目だろう。彼は慕情を、理解出来ない。だから、こわごわと、受け止めずに流すのだった。
「つれないですわー」
「……ハリスラ、引かないと魚はつれないもの」
「なるほど! 駆け引きという奴ですね! 引く……つまりは押さない……なるほど!」
「ハリスラ……あたしらから離れてどうしたってんだ?」
「勇者様から私にいらしてくださいな! 今なら触りたい放題ですわよ! さあ、勇気を出して!」
「いや、いくら勇者といわれても、そういう勇気はちょっと……」
「あれ、引いたのに、おかしいですわね……」
「むしろ引かれてんな」
「……食いついてもいないのに、変なことをしたら魚は離れるもの」
「イシュト、それ早く教えて欲しかったですわー! ……って、この音何でしょう?」
「っ、皆集まるんだ!」
そうして笑顔変えずに、装備を整えてから愉快げな三人の間で溜息も吐けないままに、テントを片付けていると、何やら音が聞こえてくる。
構えた四人がそれが大きな者の羽音であることに気づいたその時、空から降りてくる者があった。地に立ち、極上の笑顔を作ったそれは、当然のようにヴァーザである。
「ふーん。貴方がユウシャ?」
美の究極が殆ど顕になった、その体躯を見定めた皆に、起きた反応は概ね一つ。それは驚愕。まず、感想の口火を切ったのは、勇者たる葉大だった。
「痴女、だな」
「……中々破廉恥」
「エッチですわ!」
「ん? そうか?」
首をかしげるエールニルを他所に、心は一つ。布切れ一つで大事を隠しているばかりのヴァーザを、まともに見るのは難しかった。
そんな反応に、羽根生やした痴女は、首をかしげる。
「何かボク、おかしい?」
「まあ、水着と変わらないと思えば……いい、のか?」
「良いに決まってるじゃない。変なの」
「あたしも、良いと思うぞ?」
「だよねえ」
裸の獣ばかりを同族としているヴァーザは、照れを知らなかった。ただ防御と清潔のために大事なところに一枚を巻いているばかり。それが変態的だと思わないのは、露出狂の気があるエールニルだけだった。
疑問符を浮かべる二人。そこに、遅まきながら背中の羽根に気づいたハリスラが言う。
「その背中。あの……ひょっとして、貴女、魔物ですの?」
「うん。ボクは、ヴァーザ。ユウシャはどうだか分からないけれど、きっと皆は知っているよね」
「……美姫、ヴァーザ!」
「おい、魔王の娘とすら呼ばれる大物じゃないか!」
その名を知り、構える三人。それに遅れて、葉大も剣を構えた。そうして、問う。
「ヴァーザ、と言うんだね。どうしてここに来たか……は愚問かな?」
「理解っているのね。そう、ボクは君の力を見に来たんだ!」
「俺としては、戦いたくないんだが……そう、平和には、いかないよね」
「ははっ! そんなに平和になりたければ、ボクを殺してみせればいい! 魔王ディアピオスの将が一人、【騒乱】のヴァーザ、行くよ!」
「くっ!」
話し合いは一方的に決裂。凄まじい速度で襲い来る爪を、葉大は鋼の剣で弾いた。
そして開ききらなかった距離の中で、輪舞曲は始まる。その身に補助の魔法に神法が掛けられ、エールニルの手を借りて、それでも互角に争ってくるヴァーザの紫色の瞳を、葉大は多く覗いた。
なお、ヴァーザが叫んでいる二つ名はディアピオスが酒に酔った中で、雑に将等に付けたものだったりする。酔い冷めた後では魔王の黒歴史となってしまった、この二つ名をヴァーザは好んでいた。
因みに、騒乱、は彼女が赤ん坊の頃によく泣いて暴れていた、そんな事実に由来していたりする。
戦いは、本来は直ぐ終わるもの。力の差、時と共に減り続ける体力。そして優れた両手両足でも隠しきれない隙の多さから、どうしても決定打はそう時経たずに起きるものだからだ。
しかし、ヴァーザと葉大の戦いは、簡単には終わらなかった。
魔法により速度を増し、神法によって優れた身体。それを持って、葉大がその長身よりも尚大きな大剣を振るったのは幾度のことか。加熱し、速さを増したその剣戟には熟練の戦士たるエールニルですら助けの隙間が見つけられないほど。
その剣閃の全てが軌跡にしか思えない、そんな中でヴァーザは既にその剛剣を受けるのを諦めている。故に、彼女は攻撃届く合間を狙って葉大の周りを飛び回るばかり。
縦の一撃を避けて、その勢いのまま手を辿って一周してきた斜めに走る剣をすれすれで回避し、そうして手首だけで軌道変じて振られた横薙ぎを潜り、今だと爪を向ければそこには掌打が迫っており、再びの回避を要求された。
果たしてどうやれば、これだけ堅牢な剣舞を披露できるものだろう。尊敬に値する。
才能もあるが剣を振っている時ばかりは忘れられることもあるから、とずっと葉大が己を鍛えていたがための、この力量だと彼女は知らない。
ただ、生まれつきに優れた自在の身体に、独特の動きを生む羽根。それが無ければ、とうに自分の首なんて飛んでしまっていることだろうと、ヴァーザは素直に思う。
どうしようも無いがために離れ、飛び来る土塊に強力な風、エールニルの斧による追撃すらひらりと躱してから、ヴァーザは呟いた。
「君、強いね……」
「……ありがとう。ヴァーザ、君もとても強い」
「素直だねー。はは、変なの。でも、本当に強いよ、君は。ただ、寂しい強さだよね」
「寂しい?」
そして、彼女は感じたことをそのまま口にする。それに、眉をひそめる葉大の黒い瞳をヴァーザは大いに見定めた。
まず、その剣の強さは一人己を鍛えるために多くの時間を採ったことに拠るものだ。太刀筋からして、それは他を容れるようなものではない。一人戦うための剣だった。
そして、観察から感じたことであるが、葉大は魔法や神法の補助も戦士の助けも、全て嫌っている。いや、それはむしろ恐れているに近いか。
助ける筈の奇跡の効果が薄まって、戦士の攻撃を容れないように動いていたのがその証左だ。間近で見つめていたヴァーザには彼が全てに険を持っている、そのようにすら思える。
そして、そして。魔として闇を感じるヴァーザの瞳には、孤独に震える少年の姿が、心の痛苦にのたうち回る青年の思いが見て取れてしまったのだ。
「ああ、なんて――可哀想」
「っ!」
戦うべきではない、ただ取り繕っているばかりの病人の奮闘。それをまざまざと見てしまったヴァーザは、ただそう言うしかない。
それに目を大きく開く、葉大。彼の手に自ずと力が籠もった、その時。
「何が、可哀想、だ! 勇者はなあ、そんなお前が下に見て良いような男じゃないんだよっ!」
「わわっ」
あまりに鋭い横やりが入る。その一歩で、地が割れ、大斧叩きつけられた全てが飛散していく。
ヴァーザの眼に入ったのは、鬼の如き形相の美人。そう、怒りに、その手に彫られたタトゥー状の呪印の一部を光らせてまでして、エールニルが突貫したのだった。
「お前に分かるか? 剣すら上手く握れなかった素人が、ひと月であたしを越える、そんな努力の凄さを。そして、腐らずに周囲を見続ける、その気遣いを!」
「そんな……」
怒り、エールニルが語るのは、鬱々とした精神、そうであるがための、怯えの結果。
憂鬱を知らず、それを真面目で素晴らしいものと採っているエールニルと異なり、闇を知るヴァーザは、それを病人が行う痛苦の深さが分かった。
だから、どうしようもなく、泣きそうな顔にになるのである。しかし、それを侮りと採った、二人が今度は本気で魔と神に拠る力を光らせた。
「……まだ、分からないのかな」
「ふん。勇者様の素敵さ、きっと魔物程度には分からないのでしょう!」
それは、熱と光。辺り一帯灰燼にしかねない凄まじい威力を、イシュトとハリスラはその両手の中に収める。
これもまた、怒気に引きずられた、彼女らの本気の一部。恐らくこの二つの攻撃を受けては、たとえヴァーザといえどもひとたまりもないだろう。
思わず広げた羽根は、大いに風をはらむ。
「……まだ、隠し玉があったのね。しかもお付きの三人共。これは、今直ぐユウシャを助けるのは無理そう」
「まだ言うのかい!」
「それじゃあ、また来るねー」
「……あっ」
彼が伸した手は、如何なる感情によるものか。とりあえず今、葉大は何も掴めなかった。
「逃がすか!」
「斧で、飛んでいるものに攻撃できる?」
「……私は出来る」
「私も、ですわ!」
「それは知っているから、こうね」
「くっ、魔法も使えんのか。相殺しやがった!」
この世では神に等しい魔に愛されたヴァーザ。その実力は並大抵のものではない。飛べば鷹よりも早く自在で、そうして支配下の魔法は、人では出せない威力を持つ。
追撃の三つを上手に躱し、そうしてヴァーザは魔王領へと消えていく。
「行ったか……」
「……まだ底がありそうだった」
「言の通りにまた来られては堪りません! 直ぐに去りましょう!」
「ああ……そうだね」
自分を引っ張る三人に、葉大は応じる。そして、勇者はまた孤独になった。
「ユウシャって、そんな子だったの……」
「そうか……やはり鬱屈した心を持つ、半病人……いいや、病人が健常を偽って動いているばかりの可哀想な子、なのか」
「うん……」
そして、魔王ディアピオスの前で全てを語り終えたヴァーザは、下を向く。それは、想いがあるから。神ばかりを肯定し、自分たちを否定する人の子であろうとも、哀れっぽければそれを敵には思えない。むしろ、愛すべきだと真っ当に考える。
しかし、それに対する障害はあまりに大きい。彼を苛む使命から助けてあげたくても、そもそも自分はその枷を生み出した敵。助けの手を否定されるのは当然と思えた。
魔に仕える魔族。神に仕える人間。その差はあまりに大きい。一緒になるにはどうすれば。好ましい相手のことを頬を染めながら考える、その姿は正に恋する乙女だった。
それを認めて、親は言う。
「ヴァーザ。このままでは勇者を助けられない。君はそう、思っているね?」
「……うん」
「何。簡単だ」
「え?」
不安げな娘。それを、慰めるためだろう、触腕で作った指をひとつ上げてから、大いに魔王は笑う。
そして、不敵にも語るのだった。
「ふふ。人間達が、神に支配された神の子だからこそ、我々は敵対せざるをえない。だから――我々魔が人間を支配してあげて、同じとなったら、存分に愛でることも可能になるだろう」
「……なるほど。そうだ。さっすがお父様!」
「ふふ。それほどでもないよー」
「わーい! なら、頑張らないとー」
それで愛することが許される。これまでになく恋する相手に対することになるだろうことを知らず、ヴァーザは大喜び。
羽根をぱたぱた。くるりと飛んで、そうして謎の踊りを始めた娘を、魔王ディアピオスは本気で愛している。
故に、その言葉は、決して嘘ではない。彼は、固く決意していた。
「ふふ。娘の初恋のためだ。世界を二人の婚約プレゼントにするなんて、粋だろう」
そして、生まれて初めて魔王ディアピオスは世界征服の夢を持った。勇者と自分の娘の平穏のために。
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第三話 特別
ネームメーカーさんの存在がなければ、こんなことは出来なかったでしょうね!
感謝ですー。
どんな関係だって、最初は愛から始まるものではない。どの世であろうとも、好意ばかりで人は結ばれるものではなかった。いかに互いに険があろうとも縁が結ばれてしまうことすら、ままある。
異世界。魔族ですら近しいものと覚える程に離れた、勇者(異人)と関係を持ってしまった彼女は最初、それを喜ばなかった。
だって、これは明らかに規格が違う。出力も、構造も異常。下手に抱きしめられたら壊されてしまうだろう、そんな相手をどうして好むことが出来るだろう。
間抜けにも早々に恋を向けだした他の二人と、彼女は違う。勇者、その無闇に優しき人となりをすら少女は恐れれる。
「……あなたは、何?」
「ううん? よくわからない質問だね、それは」
「召喚によって削がれた縁を悼む素振りすら見せずに、いたずらに笑みを振りまき続けるその仮面……不愉快」
「……そっか」
「……壊れた人間ではなく、生きた人間がこの世界を守る。……あなたは無理すべきではない」
「はは……ありがとう」
学ある彼女は考えていた。この世は理性に敷かれ、普遍によって均されるべきなのだと。ただ普通の皆の努力で全てが良くなるという未来を、乙女はただひたすらに信じて願っていたのだ。
だから、彼一人だけが痛み、頑張ることはない。勇みに傷ついて、戦いに悔いる少年が特別扱いされるようなことを彼女はそれまでただの一度も望みはしなかった。
しかし、少女は思いを違える。
「……大丈夫?」
ぞぶりと、その剣は先まで勇者を魔法によって元の世界に還すことを企んでいた、彼にとっては都合のいい相手だっただろう魔物の喉元を貫いていた。
そして、そのまま振り切るように剣は横に薙がれ、その下で魔物の人質にされていた彼女に血の雨を降らす。
「どう、して?」
紅に濡れた視界の中、しかし彼女は瞬かない。分からなかったから。
先まで魔物に諭されその言葉に迷っていたのに、そのために少女の命が必要だと知った途端にその全てを捨てて、僅かなりとも心通わせ勇者に哀すら持っていたようだった魔物を一閃してしまうなんて、どうして。
真っ直ぐに自分を見つめる彼の瞳の黒に、迷いは僅かにも存在しない。それはまるで、本当に健やかな、勇者の様子で。
先まで、特別(勇者)と勝手にラベリングされ惑っていた、遠い少年ではない。彼は生きた、尊き何かにすら見えた。
そして、勇者は言う。
「だって、君が泣いて、俺が笑うなんて、間違ってるよ」
「え?」
そして、少女は驚く。知らない。彼女は知らなかったのだ。
真面目の成れの果て、愛飢えた人の形が、どれだけ非常なのか。憂い、鬱屈しながらも真っ直ぐに立とうと足掻き続けている人間が、己のためでしか無い希望なんか過つことなんて、決してないということを。
人のために憂いて、そのために、自分なんて切り捨てる。そんなの、彼の憂鬱の中ではあたり前のことだった。
ただし、それは優しさとは少し違う。こんなの、信じきれない全ての中で、自分まで信にもとる行動したら、この世に何一つ信じられるものなんてなくなってしまうから、という必死さの表れでしかなかったのだから。
しかし、むせ返るような死臭の中、深いフィンロテの森の暗闇の中で、彼女はその言動と胸元に優しさと熱いものを覚える。
やがてそのまま口元をわずかに動かし、言った。
「……やっぱりヨウタは、特別なんだ」
私の中では、特に深く。目を瞑って、暖かな気持ちを押さえながら彼女は、はじめての想いに感じ入る。
「……っ」
少女の勘違いの言葉に、痛みを覚えて笑みを凍らす少年を、知らずに。
恋は盲目恋は闇。賢かった筈の彼女は想いに単純になり過去の思索を忘れる。そうして、少女は錯誤したのだった。
「あー、にしても勇者って奴は本当にスケベ心が足りない奴だよなあ」
「エールニルったら、突然どうしましたの? 勇者様が清廉潔白であるのなんて、望ましいことでしょうに。ふふ、私はもう、真っ白な勇者様を愛でて赤く染めるのが楽しみで楽しみで……」
「おいおい……エロスラ。興奮して鼻血出ててんぞ。それで勇者を染める気か?」
「あら。情熱が溢れ出してしまいましたわね……ってさらっと、エロスラってなんですの! 名前、間違えていますわ!」
「いやさ、エロも愛とほとんど同じで立派なもんだろ? だからさ。つい、真っ赤に燃えるお前をみてたらそれを名前に付けてあげたくなっちまったのさ」
「なるほど、そう言われるとそんなに悪くないような気も……うん、ひょっとして私騙されてます? しかも、結構雑に……」
「話を戻すが……いやさ。あたし達だって綺麗所に入るだろうに、勇者は関係持とうとしないどころか侍らすことを喜びすらしないなんてさ、ちょっとおかしくないかと思ってな」
「そうですわね……異世界とはいえ神法によって辛うじてとはいえ通じさせることが可能なくらいにほど近しい世界。人間の美醜の範囲はそれほど変わりないはずですのに。ちょっと不思議ですわよね」
「だよなあ、エロ」
「エールニル、どこか親しげに私に向けて呼んでいますが、それではただの悪口ですわ! もう、私の名前の名残が全くありません!」
「あれ……あんたの名前って何だったっけ?」
「ついに、命を預けた仲間の名前まで忘れだしましたわ! ちょっと……ボケ役がボケ過ぎですの!」
太陽が盛んに主張を始めた朝の頃。馴染みの宿屋に併設されているこじんまりとした喫茶スペースにて、こんな下らない会話が無闇に繰り広げられてれた。
猥談に冗句。見目としては麗しく、凛々しき戦士と清廉な神官の女性等がするにはいかにも残念な会話は、一枚の衝立以外に遮られるものないために辺り一面に披露されている。
エールニルと言われた一見ではどこか硬質な印象の女性はしかし朝から飲んだくれてだらけていた。エロ……ではなくハリスラと言う神官の装束を乱すことのない、容姿は隙の伺えない彼女はあまりにツッコミに全力で百面相である。
やがて、通りがかった気にする人を大いに呆れさせたその会話の間隙に、土を踏む硬質な足音が響いた。その音を常に重きヘルティア鋼の装備にて全身を固めている彼のものと理解した二人は、さっとそちらを向く。
「噂をすれば影、ってやつか。おはよう、勇者。いや、今日は暑いねえ……」
「おはようございます、勇者様……って、エールニル、暑気からかアピールからか知りませんが、そんなに大げさに胸元を披露しないでくださいな! 公衆の面前でのぽろりは流石にお縄につくことになりますわよ!」
「おっと、流石にそれは困る。ユノグルを警邏してる奴ら、嫌に厳しいんだよなー……」
「痴女に優しい世界などどこにもありませんわ!」
「おはよう。あはは……二人共、相変わらず仲がいいね」
「いや、これもスルーか……これは更にもう一肌脱いだ方が良かったか……」
「エールニルがそれ以上布地を減らすと、お猿さんと同じになってしまいますわ! 野に還るおつもりですの!」
「あはは……」
エールニルとハリスラ。立ち上がった二人はまた丁々発止とやり合い出す。そして、朝っぱらから奇妙にも愉快な空間に勇者葉大は招き入れられた。
ぎしりと、胸元で痛みを覚えるのを葉大は禁じ得ない。彼にとって、人と関わるのは負荷である。それも、ここまで温度差がある人間との接触は正直なところキツかった。
しかし、彼女らは仮にも勇者パーティの仲間。好意が転じて嫌われてしまうことを恐れてそんな内心をおくびにも出さず、彼女らが繰り広げる謎のコントの合間で、微笑み続けるのだ。
まあ、内心彼女らの容姿に関しては眼福と思わなくはないが。ただ、決してそれと繋がれないという現実はやはり辛かった。
と、そんな水と油の会合に、新たに影が一つ。あくびをしてから全体的に褐色の彼女、イシュトは挨拶を始めた。
「ふぁ……おはよう、皆」
「おはよう、イシュト」
「おはようさん」
「おはようございます。あら、イシュト。今日は遅いですわね」
「ん……そういやそうだな。なんだ、お寝坊か?」
ぴと、と葉大に寄り添ってから、小さめなイシュトは子供のように目元を手の甲でぐしぐしと擦った。
少しお兄さんな葉大は、彼女の眠気をどこか心配そうに見つめる。心配性な彼は、自分の重い心の病も忘れ、眠気が何かの病気の初期症状ではないかと気にしていたのだ。
流石にイシュトの愛らしさと勇者の無闇な思いやりを見てしまうと、ボケて茶化すこともしたくなったようで、エールニルもハリスラも笑顔でそののんびりとした光景を受け容れていた。
自分から触れもせず、しかし離れて拒みもしない葉大に安心を覚えながら、眠気眼のままイシュトは耳に入った寝坊という言葉にこくりと頷く。
「……そう」
「そりゃあ、珍しいもんだな」
「良かったら、どうしてか訊いても構いませんか?」
「いい……あのね」
隣で小さな喉が息を静かに吸い込む。その動作に葉大は不安を覚える。
普段は賢く働いてくれていた頭を睡魔で著しく衰えさせていたイシュトは、あの二人に伝えると大げさなことになりかねないから秘密にしてね、という葉大の言葉を忘れていた。
だから、どんな自分を演出しようか悩みに悩んだことも含めて、正直に言葉で纏めてしまったのだ。
「……今日は、ヨウタと二人で一緒に出かける日だから、緊張して」
「なっ!」
「なんですってー! って、お茶が、熱いですのっ!」
驚いたエールニルは手のひらをテーブルに思い切り載せた。するとドカンと、卓上にて大きな音が立つ。
そして、弾かれた宿の主ミスザが大事にしている神法にて中身をアツアツに保温できるポットがひっくり返り、その中身の火傷はしなくとも激しい熱さは感じる何とも芸術(コント)地味た温度が被さったハリスラを騒がせる。
びくり、とイシュトは突然のうるささに一つ跳ねた。葉大はもう、何か悟ったような顔をしている。
あまりの騒々しさに、ばたりばたりと葉大には正確な名前も分からないこの世の鳩が飛んで逃げていく。自分もそれに続きたいな、と勇者は思うがそうは問屋がおろさない。
抜け駆けか、冷水はどこですのー、という声が早朝の長閑な空気を引き裂くように大きく響いた。
勇者パーティの一人、希なる魔の人間ことイシュトは今はなき皇国、イツラヘルの生まれである。神法により成っている人の世、殊更その奇跡に魅せられている旧くからある王国ウェミテルにて、亡命して来た彼女は異端だった。
いや、そもそも原則として、魔に支配されたもののみ、魔力を得られ、魔法を行使できるものである。神に支配されている筈の人間であるだろうイシュトが神法ではなく魔法を使えるものであるというのは、おかしい。
と、いうよりもこの世界ではあり得ないのだ。神に仕え、しかし魔の法に触れるものだというその歪み。故に、イシュトは因果を歪ませる存在とされて、良くも悪くも重いものと扱われた。
未知の魔すら自在に操れるまで学び深く、そしてその生命をこそ一番大事にとの厳命を受けながら、少女は成長した。
そう、勇者召喚のその日まで。
「疲れた……」
「……ごめんね」
「いや、イシュトは気にしないで良いよ。君に隠し事をさせた俺が悪い」
この世界でも孤高な星が空高く。長々しい別の正式な名前があるらしいが元の世界のものと同じく太陽と呼んでいる、殆ど同じ働きをしている一つ星を見上げながら、葉大は小さく嘆息する。
彼は思う、まさか、あのうるさい二人にバレてしまうとは、と。
そして別段嫌いだからと除け者にした訳ではないが、それでも望む静かさと程遠い存在であるから、と気が向かない街歩きに帯同を避けたのはやはり問題だったか、と葉大は考えた。
ちなみに、今現在、エールニルとハリスラがそんなに平らな身体が良いのかと騒いだせいで勇者はロリコンという病気なのでは、と真剣な議論が開かれていたりする。
開催場所はいつぞやの酒場で、議長はミスザ。そして議題に頭悩ませたのは大勢だった。
噂は広がり、しばらく葉大が道歩くと子供連れの親から敵でも見るかのように睨まれたり、親の注意をうけた小さな子らにきゃあきゃあと逃げられたりすることになるのだが、それは今回の話には関係のないことである。
そんなことを知らず、後で埋め合わせに機会を作らないとな、と反省し頬を掻きながら彼は周囲を見回し思ったことをそのまま口にする。
「それにしても、ユノグルの街は大きいけれど、どこか狭いね」
「……その方が、守るに易いから」
「なるほど。人のための箱はなるべく多くして価値を不明に。そして或いは敵を分断したりするために路を塞いだりして工作するに、下手な広大さは邪魔なのかな?」
「……大体、そういうこと。後、魔族の領地の隣接している上に海に挟まれて、人口の割に土地が狭い、というのもこの雑多な街の印象に貢献している」
「へぇ……それにしても市街地戦も想定しているなんて、中々面白いデザインだな」
「……それだけ、ここウェミテルでは争いがあった」
「……そっか」
そう。葉大は苦手な人の群れに迷子にならぬようイシュトの手を取り混じりながら、軋む身体を動かし改めて、守るべき人たちの顔を眺める。
眺望は良い。異世界の者の顔立ちはそうそう悪いものが見当たらなく、どこかアジアンテイストが混じった欧州的な町並みは中々刺激的だった。
少し触れてみた石造りの壁にも、価値を感じる。文明の連綿さ、そしてイシュトの話から必死さすらも覚え、自ずとそれを大事にしたくもなる。
だから、自分も必死に守護しなければならないのだ、と考えてしまうのは、葉大の悪いところだった。
そして、その本来ならばどうでもいい筈の異なる世界の住人の一つから、笑顔で彼は声を掛けられる。
「お、そこにいらっしゃるのは勇者様じゃあないか。タナボス、食べるかい?」
「おっと。タナボス? 淡い橙色の果実、かな……イシュト、あれはどんなものかな?」
「……甘くて、とても酸っぱい。私は苦手」
「ははっ。ちょっと酸味が強く思えてしまうかもしれないが、慣れれば病みつきに思える味さ! ほら、剥いておいたから、一つたべておくれよ」
「おっと、それじゃあ一つ……あむ」
「……酸っぱいでしょ?」
「いや、それも含めて美味しいよ、これ」
「がーん……初めてヨウタと意見を違えてしまった……」
こわごわと、を必死に隠しながら、勇者は丸い果実を食む。当然といってはそうであるが、味覚も鈍化してしまっている葉大には酸いも甘いもあまり感じなかった。
故に、果物店店主の男の笑顔に合わせて、美味いと嘘を吐く。何となく、胸元痛めながら。
そうして、その嘘に喜びを覚えた強面の店主は一人、声を上げる。
「いや、勇者様ったら味覚まで玄人だったとはねぇ! いや、勇者が認めてくださったこのタナボス、これから半額セールだ、皆じゃんじゃん持ってって行ってくれ!」
その声に応じて出来上がったは、人の渦。そこからはじき出された葉大は、思わず零した。
「おお、商機を逃さず、か……商魂が凄いね」
「……ここの人たちは皆、逞しい……逸れないように、しないと」
「だね」
人混みを前にして、遠慮がちに触れてきた褐色の手のひらを葉大はぎゅと握り返す。
知らないことは怖いことと、少し身体の調子の良い日にちに改めて知見を広めようとしている葉大にこの世界のことは、殆ど知らない。けれども、イシュトの頬の赤みの理由は、知らないふりをしていて、知っていた。
勇者にとってはそんな不実が、辛くて、また怖いというのを、未だ誰も知らない。
異世界の、日が暮れた。真っ暗になっては、怖い。それは、誰だって同じこと。
少し辺りに慣れ初めて来た葉大が、不明の闇を恐れ出したのは、殊の外遅かった。
それは憂鬱によって歩みが鈍化していたためであるが剣を振って食べて戦って寝て、を繰り返してばかりいた彼は、ろくに守るべき人間たちすら見ていなかったことに遅まきながら気づいたのだ。
不誠実を覚えたのならば、身を正すのが、彼にとっての当たり前。大体に明るそうなナビゲーターにイシュトを選んで、共に恐るべき人の海に乗り出したのは、葉大にとって一大事だった。
「ふぅ。美味しかったね。あの麺。中々、こう、海鮮の味が強くって」
「そう……」
大体の人間たちの笑顔に、卑屈を感じながらも、それでもなんとか自分は普通をやりきったと思い、安堵。
先に薄く感じた海鮮の香りを思い出し、隣の暗がりにまぎれて黒子のようにも見える少女にそう葉大は話題を作った。沈黙は、相手の考えが解らず恐ろしいから。
緊張に疲れ。それは、憂鬱によって常ならざるものとなっていた。故に、張っていたものも僅かにゆるむ。闇の中少し、本来の引きつった笑みを彼は漏らした。
それを知ってか知らでか、幼子のように彼の手を持ち熱を感じていた彼女は、大人びた音色で冷たく、言う。
「美味しかった。それって……嘘、でしょ?」
「え?」
二人の歩みは止まり、沈黙は闇に没する。喧騒を遠くに感じ、まるでその場は時すら停まったようになった。イシュトは、続ける。
「……ねえ、ヨウタ。タナボスっていうのは本当は生食するものじゃないんだ。だって本当に、とっても酸っぱいものだから」
地元の通しか味わわず、もっぱら匂い付けに用いられる、柑橘。店主が勇者にそれを食べさせたのは、漫ろな旅人に自分たちを気にさせるためによく行っている、驚かせる悪戯じみたお遊びのようなものだったのだ。
しかし、過度の酸味をすら喜んで、葉大は頂いた。それは、どういう意味なのか。懸命なイシュトに分からないわけがなかった。
「実は、時に辛い料理を知らず平気で食べていたのにも、私は気づいてる……ヨウタって、酸味も辛味も感じないんだね」
「それは……」
「……いいよ。貴方は特別。そういうことにしておく」
そっと彼から離れて、闇の中、真の意味での魔女帽をひらりとさせながら褐色が踊る。しかし影の法師は一人、ただくたびれた少年を真っ直ぐに見つめていた。
「……だって、ヨウタは勇者だもの」
異世界と繋がるための人の柱でしかなかった少女は、恋情によって自分を人間にしてくれた彼の全てを認める。それこそ、弱みをすら。
「……そっか」
それが、少年にとって何より恐ろしいことであると、知らず。
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第四話 恋愛
……お久しぶりすぎて、ネームメーカーさんがお亡くなりになってるなどありましたが、一話出来たので、投稿してみます。
今回は、かなりギャグ控えめです!
それでも、少しでも面白みを覚えてくださると嬉しいのですがー。
恋(大好き)は愛(好き)に変わってしまうのに、愛(いつくしみ)は恋(うばいたい)に変わらない。
それは果たして本当に?
ウェミテルは王国である。王を頂く貴なる血に依る国家。
しかし、頂点に鎮座するその高貴にはどこか重みに欠けているようだった。
重責を分配したがり、権利を委譲し続けた結果逆に尊ばれ賢王とすら呼ばれるに至った王コニウスは軽々しくも勇者にこう口にする。
「我をお父さんと、呼んではくれまいか?」
「申し訳ありませんが、恐れ多く、とてもではないですが呼ぶこことは出来ません」
「そうか……」
しゅんとする、中年男性。彫りの深い顔立ちが悲痛に歪むのが、どうにも哀れっぽい。
葉大は思わずのど元衝いて出るものを感じながら、しかし何とか留まった。一国の王様と今は亡き父を重ねるのは、言の通りに本当にあまりにも恐れ多くて。
ただ、当のコニウスは自身を強く、民草の父であると自認している。
そのために、特に親しさを覚えている葉大についていえば、その苦労を聞くに傷むほど。
遠くの稀人を身内のように扱うとは聞く人が聞けば戦きそうな軽挙であるが、コニウスにとってこのくらいの普通なのである。
どうにも、一体全体の自己評価がそこらの民と変わらない程度に低いために。
ウェミテルはその魔族の領地に多く面して、背後の二大国家、帝国バアルベーラ、聖国ヌアザルガの防波堤として機能している国である。
古くには戦乱を多く経験し、その歴史のほぼ全てにおいて魔族の脅威に晒され続けているのがウェミテルだった。
そのため、軍に冒険者など戦力の強かさにおいては他に追随を許すことはないが、しかし文化においては後進と言わざるを得ない。
どうにも、平和が人々に馴染まずに、発想が育たず。そのためにコニウスは余所の国に招かれるたびに、自分の国の硬さを思い知るのだった。
我々は、いかにも遅れている。そして、その頂点たる自分は特に優れたところは何もない。
ならば、自分も重々しくなりすぎず、むしろ模範になるため砕けて当たるべきだろうとコニウスは考えている。
「しかし父と呼べずとも我はヨウタ、お前の味方だ。本来ならば旅を共にしても良いと思うのだが……」
「王様、それはいけません」
「だ、そうなのだ……」
「はは……」
老いた大臣――ペネムと言った――の制止に再び悲しげに揺れる王冠。中々見ない光景に、葉大からも苦しい笑い声が漏れる。
どこかきらびやかに欠ける王座を中心とした広間、三人ばかりを収めたがらんどうに、それは虚しく響いた。
そんな中ちら、とコニウスはハルバードを手にした中身のない鎧のオブジェを認める。
そうして次は目の前の軽装でありながらしかしその重みばかりは他を寄せ付けない勇者、葉大をじっと見るのだった。
ぽつり、と王は問う。
「で、だ。旅の進捗を問うつもりはないのだが……ヨウタ。お前達がかの【騒乱】のヴァーザとやりあったというのは本当か?」
「はい。彼女は強敵でした……」
「ふむ。将は一人でも勇者をしてそう言わしめる存在か……やれ。我の国の守りが叶っているのはやはり、魔物らが集団で攻めてくることを知らないから、なのだろうな……」
「それは……」
「王様」
「ペネム、分かっておる。上に立つものとして弱音はいかんのだろう? しかし……弱さを知らずに、どうして愛する国民を守れようか。だがすまないな、ヨウタ。もしもを思うに、やはり軍を割くのは難しい」
祭り上げられる度に、カラリと鳴る己の無力を知る。それを続けたコニウスには、強さは眩い。故に、慎重であり、大胆さに欠けている。
勇者に全てを賭けることもせず、強力なハンマーとして魔王軍を叩かせて、まるで音響探知のように敵の内実を探ってているのなど、考えようによっては悪どくも見えた。
「この、通りだ」
「王様……」
そして、コニウスには自分が悪という自覚がある。だからこそ、小心な彼は謝罪をせざるを得ない。王冠を外し、頭を下げる年上を、葉大は信じられないものを見るように、目を瞠った。
この王は、謝罪以外あげられるものは慈愛と権利くらいしかない、とそう思い込んでいる。腰が低い、どころではなく卑屈だ。
「王様は、素晴らしい方、ですね」
だがそれは見方によっては、平等性にも採れた。
偉ぶらないことを
コニウスは、苦笑して、言った。
「よせよせ。我とヨウタとの間にそんなおべっかはいらないだろう! 我など、王の中では最弱……」
「え、あなたで最弱なら、最強の王とは何者ですか……」
「ん、女帝フィライト殿など、強者だぞ? なんと、彼の人は伝説の剣をダース単位で所有しており、その日の気分で帯びるものを変えるとか……」
「いや……そんな人が居るんだったら、俺なんて要らないんじゃないですか?」
コニウスの口から出るのは、ファンタジーの中の王族の特別さ。己が持つ剣がその全てを超える歴史を創るに至るとは知らず、伝説の剣のバーゲンセールだな、と葉大は思う。
もっとも、帝国バアルベーラの頂点に立つフィライトは、その装備を除けばただのツンデレ縦ロールでしかない。
コニウスは、別にあんたの国のためじゃないんだからね、とうそぶきながら補給線を密なほどにしてくれる少女を思いながら、首を振った。
「そんなことは、ありえない」
コニウスは思う。
そう。勇者がこの世に要らないなんて、ありえないのだ。
自分のことを卑下し、己を消したがる男の子を哀れとは思うが、しかし。
そんな強い人間はどうしたって利用価値に溢れているのだから。
「無私の救いは、どうしたとろで世のため人のためだ。……それが孤独から生まれたのだとしても、我は愛そう」
「っ!」
葉大はびくり、と震える。
ああ、目の前の男の人は知っていた。自分が誰一人たりとて愛していないことを。
しかしただ、己がここに居ることを許されたいがための孤軍奮闘。それが、どうにも評価されてしまうことを、葉大は極めて居心地悪く思う。
そんな内心を目を細めて見つめ、コニウスは言う。
「我は酷いだろう。だが酷くても、心は何時だって父のつもりだ」
「う……」
王は手をのばす。それを避けられず、受け入れる勇者は酷く怯えていた。
ああ、だってこのヒトに重なるあの人が手を伸ばした時は、自分を痛めつけるためでしかなかったのだから。
それでも、好きだったのだけれど。しかし。
「だから、何時だってヨウタは我をお父さんと呼んで良いのだぞ?」
目の前のたいして好きでもない男の人はそう言って、優しく男の子のことを撫でるのだった。
白く白く、それでいてひとたび血が通えば薄桃色に染まる。
そんな、見目から既にまるきり明け透けな少女、エレシエルは内心の苦痛を隠せず、口元を歪める。
そして、小さく彼女はため息をついた。
「ふぅ……」
身を包む、真珠色のサテンのドレスはヌアザルガの職人の手製。薄く塗られた口の紅は、遥か東方ジキラベスから送られた高級品。
それらが全て彼女の綺麗に比べてしまえば下らない。半端な装いは少女には毒ですらあり、その美を汚すものでしかなかった。
とはいえ、父親譲りの卑屈さは、傾国の美の自覚をさせない。この王宮にあることこそ不似合いであるかのように、少女の肩には常に力が入っていた。
そう、エレシエルはウェミテル王国の王女であり、つまるところコニウスの一人娘である。
蝶よ花よと育てられ、しかしそんな彼女も本物の蝶のみすぼらしさを知ってしまえば、世界は霞む。
「勇者、様……」
エレシエルは、異世界の本物を知っていた。素晴らしい、光輝。世界に光をもたらす可能性の塊。勇気あるもの。
何を隠そう、そんな勇者をこの世界に呼んでしまったのは、エレシエルなのだから。
特注のベッドのレースの襞に埋もれながら、弱い身体を持ち上げ、彼女は硬質な足音を聞いた。
そして、ノック、返答、その後に現れた青年に向けて、彼女は痛苦を忘れたかのような微笑みを浮かべる。
「こんにちは……エレシエル王女」
「はい……」
「具合は、いかがですか?」
「ふふ。今日は、お外で散歩もしました。大丈夫ですよ」
「だと、良いのですが……」
今日も悪しき紫の雲を遥かに見た記憶を反芻し、エレシエルは微笑む。その花の綻びを見て、しかし葉大は沈痛なままだった。
美しき少女、逞しき青年。そして二人は王女に勇者。シチュエーションとしては、恋愛を期待しても仕方のない場面である。
だが葉大の声に、弾むものは見られない。むしろ、どこか苦しそうだった。
そのまま、苦々しげに葉大は言う。
「……貴女だけが、無理をしなくてもいいんですよ」
「苦しみこそが、生きる感触だとしても、ですか?」
「それでも、です」
首を振り、葉大は思う。
たとえば、本気で周囲の人の限りない幸せを願った人が居たとする。
彼女は、自分を愛してくれた人たちをいっとう愛したくて、真剣に彼らの幸せばかりを
でも、世界は厳しく、そもそも幸せばかりでは幸せを見失ってしまうもの。どうしたって、そんな願いは叶うはずがなかった。
けれども、それでもエレシエルは、陶磁の指先を組み合わせて、神に願ったのだ。
だって皆、私を愛してくれた。優しく、とても朗らかに。あんな温かいものに、精一杯を返せないなんて、はしたないことだ。
それに何しろ幸せはとても素敵だから、皆の笑顔ってとても綺麗だったから、そのためなら私の命だって差し出します、と。
輝石は天に願う。そしてその願いは、
叶えられて、しまったのだ。
「貴女一人が苦しむくらいなら、世界なんて救われなくてもいい」
薄幸の幸福の王女を前にして、葉大は真剣に、そう言い切る。
少女が神に願った愛の形。それが自分だというのが嫌で嫌でたまらなくて。
王女の命削るほどの世界への愛のために、勇者は天より降りてくる。やがて愛は鎖となり、勇者をこの世に留めるだろう。
そんな偉そうな誰かの予言なんて、反吐が出ると葉大は思う。
そして、元の世界に帰りたいとしか思えない自分がこの世に留まるために、エレシエルの命を少しずつ使っている、という事実なんて目眩すら覚えるのだった。
だから彼はなるべく早く世界を救うために、頑張り続ける。そのために、嫌えない、魔族たちにだって剣を向けるのだ。
愛は世界を救う。それは美談だろうが、しかし一人の愛でというのであれば、笑えない。
だって、心の底から。
「世界に、貴女の愛に釣り合う価値なんてない」
そう、病んだ心は思うのだから。
暴言。しかし、それに美姫はきょとんとする。
そして、合点がいってから、エレシエルは笑みを深めた。
「愛? ふふ……違いますよ」
「……違う?」
そう、違う。もう私は愛なんて忘れたの。だって、そんなちっぽけな温もりなんてどうでもいい。
そんなものよりほら、私の中の焦がれこそ、大切。
世界なんて、もうどうでもいい。ただ、等身大の私を真剣に見つめてくれるあなただけを。
「今の私はただ、貴方に恋しているだけです」
だから決して逃さない。
そんな少女の心は、柔らかに歪む瞳に表れるのだった。
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第五話 イチコロ
ギャグ回です! あの子が頑張るとどうしたってこうなってしまうのですねー。
どっかんです!
葉大が召喚されたこの世界において、魔物は魔王に、そして人は神に愛されている。
それ以外の存在には、別途違う加護が存在していていたりもするが、まあそれはあまりに多岐にて割愛するしかない。
そして、魔王は一柱、そして人を愛している神は、この世に複数実在を確認されているのであるから、驚きである。
その中の一つ柱、ドゥルウス教の主神である神チアル。彼女はまた殊更多くに加護を与えることで有名だった。
神の力を与えがちな上、それこそときにチアルは、気に入った信徒の悩みのためにと神託をイメージを降ろした上で身振り手振りを加えてまでして伝えることすらある。
直に会ったらしい開祖ドゥルウス曰く、あの方は愛が深すぎる、とのこと。一時期は、お気に入りの信徒に酷く粘着していたということも書物にばっちり残されていたりした。
そう、チアル本神は高位すぎて同類にすら直接触れがたいこともあって暇を持て余しており、また心根が人間を基にしているところもある。
故に、近づきやすい神様という訳の分からない存在として、ことウェミテル王国では殊更信じられた一柱だった。
「チアル様……以前仰っしゃられた通り、私はガンガンと攻めて勇者様とお近づきになろうとしています……ですが、なかなか、上手くいかないのです」
『へー、そうなんだ。ならいっそ脱いで誘ってみたら?』
「チアル様……私もそれナイス、と一瞬思ったのですが、私の仲間には裸同然ハレンチな女傑が存在していまして……」
『んなのも居るんだ。だったら、知的アピールとかどうよ? ハリスラ結構ちっちゃい頃から勉強とか出来てたじゃん』
「そっち方面は、一人手強い子がいまして……それに、勇者様も大変に学を修めていらっしゃる様子。私でもその、お馬鹿さん扱いされてしまうのです」
『へぇー。勇者パーティーって粒ぞろいでおもろい子ばっかじゃん。でも、ならどうしようかねー……よし、こうしよう!』
「な、なんでしょうか……」
『キャラを変えちゃうんだ! ヤンデレムーブとか、イカしてると思うな! いや、唐突な自傷とかドキドキだねー』
「自傷って、そのドキドキは恐怖ですわ! イカしてるんじゃなくてイカれてるだけですの!」
そんな神チアル(投影するイメージ映像において胸尻を盛りがち)は、信徒ハリスラ(週3で神託を聞く)の相談に対して今日もざっくばらんに返答をする。
あまりに雑な回答に、ハリスラは宿の一室にて目を閉じ手を組み合わせて乞い願いながら、器用にツッコミをしていた。
チアルのケラケラ笑いに、信徒でありながらこの神ムカつきますわねとの感想を持ちながら、それを綺麗な面に出すことなく、敬虔で通っている少女は更に神に問う。
「はぁ……そういえば、何時も私の話ばかりでしたが、チアル様は懸想している方とかいらっしゃいますの? まあ、居たとしてもヒトではないのでしょうが……」
『えー、恋とか結構前にずいぶんしちゃったから、今は特にないかなー』
「……それは少しさみしいですわね。でも、何か楽しんでいることくらいはおありでしょう?」
『うーん……そだねー。信徒が私のてきとーな言葉で右往左往することは楽しみだよ。ちょっと前に、インリアン司教のカツラが呪われるって嘘の神託を下した時は面白かったなー』
「あ! 何だか同期の数人が唐突にあの方に襲いかかったと思ったら偽の毛髪を焚き上げたことがありましたわね! その周りで皆が奇声を上げて謎の踊りをし出したことといい、怖かったですわー!」
『あれ、全部私のせい』
「全く、クソ神ですの、チアル様は! 厄神認定、よくされないですわね……ああ、こんなの信仰して本当に大丈夫なのでしょうかー!」
『けらけら。私がクソって、ハリスラは素直で面白いね』
笑い声を上げる彼女は、叫びを面白がる、ヒトで遊ぶありがちな神様。クソと思いながらもそれでも神様お願いしますの形を崩さないハリスラに、チアルは親しみを覚えるのだった。
それこそ、可愛い我が子のようにすら思い、よく知らない勇者との恋が叶うことまで応援してしまう。白い頬に、柔らかい笑みが二つの笑窪を作った。
『じゃ、そんな面白いハリスラにはご褒美をあげようか』
「な、なんですの? また前みたいに、プレゼントとか言って虫満載のびっくり箱を落としてきやがりましたら、チアル様のこと全力で呪ってやりますわよ?」
『けら。あれは、子供のハリスラが私の力を侮ったから脅かしただけだよ。そうじゃなくって……ほい』
「わ、なんか落ちてきましたわ……ってこれ、杖ですの? ダサくてボロっちいですわ」
『んー? そうかねえ。私がヒトだった時代には結構イケてるデザインだったんだけどなあ』
「そうですの? この過多な装飾が年齢経過で削れている木製杖が……ん? ヒトだった? ……もしかして、これ神代にてチアル様が用いていた杖だったりします?」
『そうそう。ちょっと前にそんなのあったな、って埃とったばかりの奴送っといたよ。それ使えば、多分私から神力を倍は得られるんじゃないかな?』
「そ、それって凄まじいことではありませんの! 伝説どころじゃない遺物です……キモいくらいにババ臭いデザインですけど、大切にしますわ!」
『……ねえ、ハリスラって私のこと本当は嫌いじゃない? 率直にも程があるんだけど』
「わーい、ですわー!」
神の小さく零した言葉も知らずニコニコしながら、金毛揺らがせハリスラは喜びにぴょんぴょん。ダサデザインの長杖を抱きしめるのだった。
無視されて、でも面白い少女の様に思わず笑みを零してしまうチアルは、これも惚れた弱みかね、と考える。
『ま、これからはこの子の旅路もヤバくなりそうだからね。ま、人の子に対するこれくらいの力添えなんて、些細なもんだろう』
呟きながらも、チアルはそんなことまでは神託に流すことはなかった。神は、ただ人の子が自力で得る幸せを支えたいと、思う。
「これで勇者様もイチコロですわー!」
『けらけら。実際はニコロくらいかねぇ』
その日、葉大の世界と比べると巨きく近すぎるそんな月の下、首都ユグノルからほど近くの小麦の街ファシアムの宵は薄青く希望に輝いていた。
向こうの紫がかった雲が作る闇をよそに、きらきらとその下に病みを懐きながら健やかに世界は廻る。
「ハリスラ」
「なんですの、勇者様?」
「えっと、まず近いから離れて欲しい。そしてその……変わった杖はどこから手に入れたのかな?」
「神様がくれましたわ!」
「はぁ?」
翌朝。最近増えてきた魔物退治の遠征の続きを始めようと宿の外にて集まったところ、何やら一夜で荷物が増えているものが。
それを気にした葉大であったが、その返答はなんとも怪しげなもの。いや、この世界だと確かに神は居るようであるが、それにしても急である。
だが、Cランクの胸を大いに自慢げに反らして、ハリスラは右手に持った大きな杖の自慢をするのだった。
「見た目はカスですけど、神代の杖ですわ。これなら、私の神法の威力は何倍にも跳ね上がる筈です!」
「何倍も……はは」
「いやそれは拙いだろ。クレーターでも作る気か?」
「そんなつもりはありませんが……実際最大でどれくらいの威力を出せるか、気になりますわね……」
顎に指を当てて悩み始めるハリスラ。彼女の口から、限界まで勇者様を強化してみたらどうなるか、でもやりすぎて頭破裂とかなったら困りますし、と溢れる。
聞いた葉大は、引きつった笑みを浮かべざるを得なかった。一応想い人であるはずの自分をモルモットとして真っ先に上げるその思考回路が普通に、怖い。
隣で、冷静にイシュトが白い唇を動かし、告げる。
「なら、空に向けて爆発の神法を射ってみたら? それで普段との差異が分かると思う」
「それですわ! 行きますわよー!」
「あ、流石にこんな市街地であの大音量のを使うのは、あ」
「えい!」
そして、巻き起こったのは、大爆発。
平和な朝を壊し、この地のありとあらゆる窓ガラスをぶち破ったその大神法は、当然のことながら近くの予測出来なかった葉大と下手人たるハリスラの鼓膜にまでダメージを負わせる。
ふらりとばたり。倒れ込む二人。そして、大被害の現実に街の人達が悲鳴のような声を上げだす中。
そっと耳から手を離したエールニルとイシュトは、ぼそりと会話をするのだった。
「ハリスラはヒロイン力ではなく、戦力を上げてきたね……やり過ぎなくらいに」
「勇者に完全に引かれるだけなのにな……気づいていないのが、哀れだ」
「っ、とんでもない威力だった……と」
「ん、起きたね」
「よし、行こう」
そして、前言の通りに勇者をイチコロにしたハリスラを哀れに思いながら、二人はふらつきながら起き上がった葉大の手を引き、その場を立ち去る。
最近の中で一番に命を削ってきたダメージから葉大は恐ろしい人たちの手を無理に振りほどくことも出来ず後をふらふらついていく。
喧騒は次第に遠く、だから。
「お前か! ここらの家の窓全部破壊した女は!」
「い、いえ。これは……そう、神様がやらかしたのですわ、チアル神が下さった杖が暴発したというか、そのような……」
「あん? ……なんだその杖は……いや、正気でそんなにイカれた形の杖を持っている訳がない。お前、ひょっとして魔族信奉者か?」
「そんなことありませんわー! チアル様のクソださセンスのせいで、とんだ風評被害ですのー!」
「神にクソと言うとか罰当たりな……やっぱりこいつは臭えな」
「なるほど、テロリストの破壊活動だったのね!」
「あわわ……どんどん話が大きく……誰か助け……って誰もいませんの!」
彼女の自業自得がどんな愉快な顛末を迎えるのかが知れなかったことだけが、彼にしては珍しく少し残念だったかもしれなかった。
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