黄昏のエルメリア短編集 (三代目盲打ちテイク)
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天照太陽に下れ、盲目なりし黄金狼

「レイアーワース新聞社? 記者の方が私に何用でしょうか?

 ――閣下の取材。なるほど、戦意高揚のための……は? 特集? 女性将校と親衛隊、閣下についての?

 はぁ、なるほど? では、私は何を? 閣下との出会い、ですか……そうですね……ええ、とてもよくおぼえていますよ。あれは――」

 

 ●

 

 イルデイズ・フォン・ウィルトール。

 閃光。太陽。薔薇。英雄。

 数多の言葉で呼ばれる女。

 小国でありながらただ一人の英雄の誕生によって、大陸中を震撼させた軍事大国ファブラサルス初代総統。

 

 その輝きは数多の者を魅了した。

 望んで傘下に下る者もいた。

 逆に、その輝きに泥を塗らんと暗躍を開始した者もいる。

 

 妬み、恐れ。

 輝きが強ければこそ生じる影の淀みは、近隣諸国の中に紛れもなく存在していた。

 名を神聖領域リーアル。

 ロストを神とあがめる狂信者たち。

 荘厳なる至高神の御神体とされているS級ロスト終末神・シヴァは、昨今のファブラサルスの侵略行為を良しとはしていなかった。

 

 だが、真正面から戦って勝てるとも考えていない。

 化け物どもが集まった国に対し、リーアルの兵士らは役に立たぬ。

 シヴァが手繰るにしても性能差がありすぎる。

 故に一人の少女を送り込むこととする。

 

 ――アデリナ・ヴァイデンライヒ。

 リーアルの路地裏を生きた孤児だったモノ。

 ただただ消費されるだけの存在を、調教し、調整し、凌辱の限りを尽くし、暗殺者へと仕立て上げた。

 

 リーアルにおいておそらくは、上位の暗殺者になるだろう。

 第九柩の名を与えられ、シヴァの加護は最上位たる王の位。

 彼女以上の暗殺者はシヴァの指で数えるほど。

 まさしくシヴァの

 

 命令はただ一つ。

 傲岸不遜に太陽を喰らうこと。

 今、魔狼の首輪に繋がる鎖が解かれる。

 

 よって彼女は今、レイアーワースにいる。

 くすんだ金髪に、深すぎる蒼空の瞳はただ総統府を見つめていた。

 巨大な鋼鉄の城。

 深夜ながらも光を失わぬ現代の魔塔を見つめ――

 

「いと慈悲深き、至高の神よ、汝の御力をどうかお貸しください――接続(アクセス)

 

 祈りとともに摩天楼から身を躍らせる。

 大気を踏みしめる。

 柩と呼ばれるリーアルの戦士が持つ物質を媒介に、発動した術が彼女の体に風を踏ませる。

 

 猫のごとき軽い身のこなしで侵入し、足音をも立てず彼女は目標の部屋へとたどり着く。

 すでに下調べは済んでいる。

 この時間帯、総統は一人でいることも、護衛が引継ぎで一瞬だが離れることも。

 その間隙を熟練の暗殺者は逃さない。

 

 総統の部屋というにはいささか飾り気の少ない部屋だ。

 華美な装飾はなく、しかして厳選された調度品は紛れもなく貴種の風格を漂わせる。

 

「ふむ、手練れだな」

「――!」

 

 かけられるはずのない声が背後から響く。

 ただそれだけで、頭蓋を揺さぶられたかのような衝撃。

 振り返ることすら全身全霊の気力を必要とした。

 

 そこにいたのは女だ。

 ただの女ではない。

 神の怨敵。

 アデリナが殺すべき存在。

 イルデイズ・フォン・ウィルトール。

 

 なるほど、まさしくこれは怪物(えいゆう)だ。

 ただそこにいるだけで世界を己の色に塗り替えるほどの覇気。

 黄金に輝く双眸にあるのは太陽の如き強い鋼の意志。

 

 駄目だ。

 アデリナの脳が、その先にいるシヴァが、それ以上この女を生かしておいてはいけないと叫んでいる。

 少女もまた、目の前の英雄(ばけもの)の姿に戦慄以外の何かを感じ――すぐにそれにふたをする。

 

 こいつは駄目だ。

 これは駄目だ。

 ただ目の前に立っているだけで、跪きたくなる衝動が抑えられない。

 これほどまでに美しいものをアデリナはシヴァ以外に知らない。

 

「しかし、最上位の暗殺者と聞いてどんな屈強な男が来るのかと思っていたが、それが貴官のような愛い少女とはな」

「なぜ……」

 

 本来ならば眠っているはずの女。

 その寝首をかくはずだった。

 それは失敗した。

 そうしなければならないと神様(シヴァ)が言っていたのに。

 失敗した。失敗した。

 

「うちにはそういうのが得意な者がいてな、あれは実に愛い。私を天使などと慕っていてな――まあ、貴官には関係ないことか。

 さて、どうする暗殺者? 暗殺は失敗した。次なる手は用意しておろう?」

 

 次の手。

 どうする。

 ただ殺せばいい。

 だが殺せるのか?

 

「どうするのかな、アデリナ・ヴァイデンライヒ。第九柩の女」

「…………」

 

 逃げるか?

 

「おや、帰るのか? それとも私より外にいる瞋恚の炎の方が好みか?」

 

 無理だ、出来るはずがない。

 

「まさか、嗜虐無情ならばなどと思っているわけではあるまい。あれもまた眩いぞ」

 

 ならば戦うか?

 

 無理だ、勝てるはずがない。

 

 目の前の女が何をしていたのか、アデリナは正確に知っている。

 イルデイズ・フォン・ウィルトールはまさしく化け物だ。

 ならば――

 

「殺します」

 

 殺せばいい。

 どのような怪物でも、どのような化け物でも。

 彼女が人間であることに変わりはないのだから。

 

 その心臓に剣を突き立てれば死ぬのだから。

 なにより

 

「私は、我らが神に逆らう愚者を、その肉の一片たりとも許しはしません。

 その魂の髄までも焼き尽くし、殺します。それこそが我が神に奉げる献身なれば」

「ふむ。ならば戦うということかな。良いだろう。相手をしよう。さあ――来るがいい」

「いいえ、殺すだけです。

 嗚呼、神よ――我が神よ、怨敵殺す我が献身を見よ(アクセス―ナンバーナインパイモン)

 

 開戦。

 起動する神の業。

 リーアルの業。

 シヴァから与えられた王の加護が発動する。

 この空間をアデリナは自らの色へと染め上げる。

 神より与えられた権能が駆動する。

 

「ただ死ね」

 

 戦いなどではない。

 ただ死ね。

 それだけでいい。

 

 逆手に持った神器をふるう。

 

「おっと」

 

 その刃をイルデイズは剣を鞘から抜くと同時に受け止める。

 否、それだけにとどまらない。

 彼女の戦技はこの程度では断じてありはしない。

 

 能力起動。

 躊躇なく晒す己の神技。

 アデリナが行使する権能は大気を味方につけること。

 この空間そのものが彼女の刃である。

 

「切り裂け」

 

 ただ死ね。

 空間そのものがイルデイズへと殺到する。

 

「これがリーアルの業か」

 

 だが、その黄金を傷つけるに能わず。

 全方位から放たれた風の腕は、イルデイズに傷一つつけることはない。

 

「なぜ」

 

 風が彼女の手を離れていく。

 イルデイズの周囲の風が、言うことを聞かない。

 

「なぜ」

 

 神の権能は機能している。

 信仰心が揺らいだことはない。

 いつも通り、己を奉げているはずだ。

 柩は己で満たしている。

 ならば――なぜ――。

 

「さて、ではこちらからも行くとしよう」

「――ッ!」

 

 考えている暇などありはしない。

 ただ一歩、踏み込んだだけでイルデイズはアデリナの目の前にいた。

 振るわれる一剣。

 

 否、四つ。

 左右、上下。

 一度に見せる斬撃に四つの斬線が内包されているのをアデリナは見た。

 

 受ける?

 馬鹿な。そんなことできるはずなし。

 ならば躱せ!

 

「ぐッ!」

 

 神の力を以て、アデリナは自分の身を壁へとたたきつけた。

 斬撃は空を切る。

 いいや、イルデイズの剣はアデリナを捉えている。

 

 彼女の心眼はすでにアデリナの心中を見切った。

 アデリナの行動が躱すために己に大気をぶつけ避けることならば、それを計算したうえで軌道を修正すればいい。

 刹那の判断。

 ミリ単位の身体操作がさせる技だ。

 

 まさしく絶技であるが、こんなものイルデイズが持つ戦闘術理からすれば余技でしかない。

 この程度のこと誇るでもなく、たたえるべきは、それすらもわずかながら躱して見せたアデリナの技巧であろう。

 

「ほう。これを躱すか。良い良い。実に――楽しくなってきた」

 

 まさしく、イルデイズが相手取るにふさわしい刺客である。

 

「…………」

 

 対するアデリナの心中は穏やかとは言えない。

 痛みなど信仰心でいくらでもねじ伏せるが、先の斬撃の威力は、それだけでアデリナの気力を奪っていった。

 防御するなど論外。

 躱すことも難しい。

 何より、目の前に立っているだけで、アデリナは消耗していく。

 

「安心しろ。いくら暴れても人は来ん。貴官との逢瀬(イクサ)に無粋な邪魔などは入らせんよ」

 

 それは逆に、絶対に逃がさないということでもある。

 

「……神よ」

 

 献身を神は見ている。

 神からの命令は絶対。

 命を懸けて殺せ――。

 

 ただそれだけだ。

 そう、そのためならば命すら捨てよう。

 

 まずは――

 

「神よ我が腕を受け取り給え――」

 

 与えられた権能。

 行使するは大気の巨腕。

 この空間ごと押しつぶさんと猛る不可視のそれ。

 

 だが、その程度などイルデイズはどうとでもしてくる。

 これはただの時間稼ぎ。

 一瞬でもよい。

 その一瞬を暗殺者は見逃さない。

 

 刃に風をまとわせる。

 超高速で乱回転する刃。

 自らの腕すら切り刻み始めた異形の風刃を己の肉体ごと打ち出す。

 

 疾走。

 もはや尋常な人間の肉体限界を超えた駆動。

 それは刹那でもイルデイズの認識を振り切った。

 

「ここで死ね!!」

「断る。まだ死ぬわけにはいかんのだよ」

「――!」

 

 それでもなおイルデイズは、振るわれる刃に己の剣を合わせた。

 見切り? 

 否。

 人間の動体視力は振り切っている。ならば、心眼か。

 否。

 相手に気取られぬように細心の注意を払った。己の心を御することこそ暗殺者だ。何より、これをなしたのはシヴァだ。アデリナは体を神に操縦させただけ。イルデイズの心眼であろうとも読み切れぬ。

 では、直感か。

 是。

 

 イルデイズの未来視の如き直感が、アデリナのナイフを止めさせた。

 異形の刃が暴発する。

 

 風の咆哮。

 金属の悲鳴。

 轟音とともに砕け散るイルデイズの剣とアデリナの左腕。

 

 問題ない。

 右手にはまだ刃がある。

 右手内部よりナイフが飛び出す。

 

 仕込まれた短刀が皮膚と肉を突き破りイルデイズの首へと迫る。

 

「ああ、良いな。実に愛い。故に残念でならん。貴官はもっと強かろう」

 

 何を言っているのか。

 そんな疑問すらアデリナにはない。

 神の命じるままに動くだけだ。

 

「だからな、貴官に見せてやろう、私の愛を。起きろ、ファーリア――戦争の時間だ」

 

 優しく、されど下された絶対命令。

 虚空より現出する黒十字。

 彼女の剣。

 彼女の刃。

 

 それがまるで意思を持つかの如く、アデリナの短剣を叩き落す。

 

「貴官は強者だ。故に――その首輪を切ってやろう。本当の貴官を私に見せてくれ」

 

 さあ、刮目せよ。

 大輪に咲き誇る薔薇の花を。

 天頂にて荘厳に輝く太陽を。

 万象一切ことごとくを照らす愛滅の恒星が今ここに、その術理を抜刀する。

 

「絢爛たれ、揺蕩う赤の薔薇。微睡む愛を我らと示せ――」

 

 紡がれる起動序説。

 ポラスによる愛の業(グローセ・ベーア)の発動を告げる宣誓歌。

 朗々と、しかして灼熱を超過した無限の熱量で以て、星の輝きがごとく祝詞が謡いあげられる。

 

「それを待っていました――」

 

 アデリナは聞いていた。

 愛の業。

 彼女と、彼女の親衛隊と一部の上級将校たちが用いるポラスと呼ばれるシュテルンを用いたいわゆる必殺技。

 それの発動に必要なのは、歌劇(ミュージカル)の如き詩の詠唱。

 戦闘において、致命的な隙であると聞いていた。

 

 暗殺をするならばここだ。

 そう戦いではどうあがこうとアデリナ・ヴァイデンライヒはイルデイズ・フォン・ウィルトールには勝てないのだ。

 だからこそ、絶大な隙を晒す愛の業を待っていた。

 そのために腕すら奉げた。

 さあ、殺そう。

 謳い上げるその喉に刃を走らせるのだ。

 それで終わり。

 

 だが――

 

「私は恒星。硝煙を纏う愛の星。抱いたものは勇気への賛美。

 望むものは万物を燃やす滅相の光」

 

 アデリナの体はその活動の一切を停止する。

 詠唱(ことば)が放たれる度、世界が作り替えられていく。

 

 詠唱が放たれる度、目の前の女から放たれる重圧が高まっていく。

 

 相手は隙を晒している。

 攻撃すれば殺せるのに。

 

 ――出来ない。

 世界に告げる宣誓を邪魔など出来るはずもない。

 例え太陽に弓引く不遜者でも、この力の発露の前には、足を止めざるを得ないのだ。

 

「死に絶えろ。ただ安らかに骸と化せ。

 その死を以って至高であると唄わせてくれ」

 

 愛の業。

 それこそは、自らの中にある譲れぬ思いを 揺れない心を、焦がれる夢をシュテルンへと流し込み能力として昇華させるファブラサルスの固有戦闘術理。

 

 健常な体を夢見た者は、だれにも負けぬ体を手に入れるだろう。

 決して諦めぬ心を持った者は、何人たりとも曲げられぬ槍を形成するだろう。

 消えぬ憎悪があるならば、消えぬ焔を生むだろう。

 誰かになりたいと思ったのならば、そのようになる。

 思うままに一つ。

 

「生の終わりに咲く花は、何よりも美しい事を知っている

 輝く死に花

 血染めの花園」

 

 天地万物を超越した異能の発露。

 剣に七光(しちこう)がまとわりつく。

 あらゆるすべてを燃やし尽くしてもなお足りぬほどの熱量は、際限なく上がり続けていく。

 それこそが愛とでも言わんばかりに。

 

「さあ、狂い哭くがいい」

 

 彼女の場合は――ただ夜を切り裂きたい。

 黄昏に染まる世界にただ一筋の光を。

 黎明に哭く夜に、遍く一条の極光を生みたい。

 

開華(Anfang)――夜天引き(アベントデメルング・)裂く最果ての華(ローゼン・ヴェルトール)

 

 それこそは彼女の愛。

 ファブラサルス初代総統――イルデイズ・フォン・ウィルトールが抱く人間賛歌。

 あまねくすべてを照らす太陽の如き彼女の輝きだ。

 

 夜のベールを切り裂いて、光が生まれた。

 それは極光――物質が持つ第四の光。

 触れたものあらゆるすべてを滅相する救世の煌めき。

 イルデイズ・フォン・ウィルトールが持つ愛の業の開華に他ならない。

 

 だれもが叫ぶのだ。

 愛の業を、その想いを、その意思を。

 いつかきっと、星が聞き届けてくれると信じている。

 これはその一端。

 いつか至る満開。

 

「さて――」

「っ、ぁ――きれい……」

 

 アデリナは、ただ見とれていた。

 その輝きに。

 ただただ、魅了されていた。

 この人のようになりたいと――。

 

 食い入るように見つめる。

 

「童のようにうれしそうな顔をして私を見つめるか。これを使ったならば相手は恐怖以外の顔をせんものだが――やはり貴官は違うようだ」

「――!」

 

 だからこそ――殺さなければならないのだ。

 アデリナ・ヴァイデンライヒは暗殺者である。

 殺せと言われた。

 故に殺す。

 

 それは違えられない。

 首輪がある限り。

 

「手向けに撫でてやろう」

 

 黒十字剣(ファーリア)にまとわりつく七光。

 それこそは、人が至る第四力(プラズマ)

 

「かッ――」

 

 目にもとまらぬ斬撃がただ放たれる。

 イルデイズの愛の業。

 それこそは、プラズマ生成・操作能力。

 

 オーロラに酷似した光を剣に纏わせて斬撃と共に飛ぶ。

 触れたものを強制的に分解する滅相の光。

 

 それがアデリナの首へと振るわれた。

 

「あぁ……」

 

 何よりも美しい太陽の風。

 無意識にアデリナはそこにあったものをつかんでいた。

 小さな短剣。

 それは、破壊の風が運んだ星――シュテルン。

 

 無意識か、あるいは本能が生きるためにつかんだのか。

 

「私は……」

 

 光がのどへと食い込む。

 その瞬間、極光がはぜる。

 ばっくりと切り裂かれた喉。

 気管。

 大動脈。

 あらゆる首にある菅は焼き切られた。

 

 だが――

 

「かはっ……」

 

 アデリナ・ヴァイデンライヒは健在であった。

 

「わた、し、は……」

「ほう」

 

 撫でただけとはいえ、まさかアレを首に食らって生きているとは思いもしなかった。

 いいや、生きていればよいとは思ったのは事実であるが、イルデイズは手加減などできない。

 なでるだけとはいえ、それは全力で撫でたのだ。

 己の権能を全力で振るった。

 本気ではないにせよ、それはまさしくあらゆるすべてを灰燼と化す太陽の風であるのだ。

 

「わた、し、は……」

 

 そんな輝きになりたい……。

 

「なるほど。貴官は、愛いな。これを見てなお、私になりたいというのか。ならば是非もない。存分に見ていくがいい」

 

 黄金の光が、七色の光が。

 遍くすべてを照らす光が。

 

 アデリナ・ヴァイデンライヒという少女を照らす。

 

 七光七閃。

 放たれた斬撃は、アデリナを切り刻んだ。

 もはやなぜ、生きているのかすらわからない。

 全身を刻む刀傷。

 それは、イルデイズの能力が真に力を発揮していないことを意味する。

 

「ヒュ……」

 

 輝ける星。

 気温は氷点下に達している。

 アデリナの肉体が、あらゆるすべてが凍り付く。

 

「なるほどな、温度に干渉するか。確かに、私の光は物質の第四状態だ。であれば――」

 

 温度を下げればそれは気体へと落ちるというわけだ。

 それであとは致命傷を防いだと。

 

「ならば、それより速く斬れば問題あるまい」

 

 さらなる輝きが降り注ぎ――。

 

 アデリナ・ヴァイデンライヒは、レイアーワースの暗がりにいた。

 

「あぁ……」

 

 美しいものをみた。

 輝けるものを視た。

 あれこそが太陽だ。

 

 心が震えた。

 魂が叫んだ。

 

 もはや神などどうでも良い。

 己の、己が真に使えるべき存在を見つけたのだ。

 

「わた、し、は……」

 

 震える手で、己の両眼を抉り出す。

 もう、視界はいらない。

 あの人以外を視たくない。

 

 世界の醜さを知った。

 己の世界はなんと醜く色褪せたものだったのかを知った。

 何が神だ。

 あんなものただ頭の中をいじくるだけのロストだ。

 

「わたし、は、あの人のために、生まれてきた……」

 

 理解した。

 もう何も迷うことはない。

 今まで遅れてしまった分を取り戻すのだ。

 

「行かなきゃ……」

 

 瀕死の肉体をアデリナはイルデイズへの思いだけで動かした。

 その日のうちに、逆十字軍に一人の少女が入隊した。

 

 狼は、輝ける太陽にその身を焼かれ、その身を委ねたのだ……

 

 

 ●

 

「こんな感じですが。

 あの、なんで身を引いているのですか? あの、え、気持ち悪い?

 えっと……」

 

「貴様ァァァ! アデリナ様に何を言っているのだァァァ!!!」

 



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螢惑帝・歳殺

 季節外れの豪雨が皇都大和(やまと)に降り続いていた。

 人も神も、だれもがこんな夜は家の中、あたたかな団欒の中にいる。

 話題といえば、巷を賑わす刀狩りについて。

 はてさて、いったいどのような手合いがそのようなことをやっているのかと、一家の長が不思議そうに語る。

 

 ――どこぞの神様がやっているのよ。

 

 この葦原にいる神々の一柱がそぞろ気まぐれを起こしたのだと。

 なるほど、至言ではある。

 護国神たる羅睺帝などは市井に交じり、飲み歩いているという話だ。

 

 娘子の言うことも的を射ている可能性はある。

 

 あるいは――ただの人斬りなのかもしれぬ。

 

 そんな噂話を団欒の中で語る。

 剣呑としたものであるが、なに雷雨の夜にはちょうどよかろう。

 稚児もいる。

 怪談に興じるにはいささか早すぎる。

 

 そんな一家団欒の外。

 大和の大通り。

 河川にかかる橋を目指し、降り続く雨の中、傘を差した少年が歩いていた。

 足取りは剣客の術理を宿した歩法と呼ばれるような武術の片鱗を感じさせるそれであった。

 

 まさかこのような少年が件の刀狩りか?

 否。

 そうではない。

 

「このような夜更けに、傘も差さず往来で何をしている」

 

 立ち止まり問いかける。

 そこにいたのは雷鳴に照らされた男。

 雨吹き荒ぶ嵐の夜に傘もささず立ち尽くす様は、気狂いかあるいは白痴を思わせる。

 悪鬼か羅刹か。

 地獄に立つがごとき男は、血走った目を少年――歳殺に向けた。

 

 その足元には箱一つと無数の剣。

 雨で洗い流せぬほどの血がそこには染みついている。

 

 ふむ、なるほど。

 どう見てもこいつが巷を騒がす刀狩りのようである。

 武林に属する者ならばその名を聞いたことがあるだろう。

 『寂唸剣忌』

 人呼んで曰く、人斬り。刀狂い。

 彼に剣を奪われたものは多いと聞く。

 

「知れたこと」

「ふむ。そうなれば貴様が件の刀狩りか」

「……貴様は、熒惑帝(けいこくてい)だな」

「如何にも」

 

 熒惑帝・歳殺。

 この葦原を護る一柱の一つ。

 剣を持つ者だ。

 刀を生む者だ。

 

 男は無言。

 数多の剣を持った男は無言。

 ただ暗く淀んだ漆黒の殺意で以て返礼とする。

 

「沈黙は肯定ととるが――」

「貴様は……いや、貴様にとって剣とはなんだ」

 

 であれば男――刹羅のやるべくことは決まっている。

 

「剣か……弱きものが強くなるための牙だ。強きものが弱きを守るための爪だ。

 だが、お前にとっては違うらしい」

「剣は、悪だ」

 

 剣があるから争いが起こり人が死ぬ。

 剣を持つから人は悪に成り下がるのだ。

 

「故に剣を寄越せ、貴様が持つには分不相応だ」

 

 ようやくだ。

 ようやく――。

 

「それは出来んな」

「ならば斬る」

 

 剣は悪だ。

 それを持つ者を刹羅は許せぬ。

 例えそれが歳刹であろうとも。

 

「抜け」

「ふむ、俺はこれでいい」

 

 歳殺はさしていた傘をたたみ、刹羅へと向ける。

 

「知っているか、寂唸剣忌。確かに剣は人を殺せるが、人を殺すのに剣は必要ないんだぜ」

 

 傘に気が爆ぜる。

 人智を超えた内力は、正面に立っているだけで、内傷を与える。

 だが、刹羅もまた達人なり。

 内息に乱れなく、既に数度の立ち合いを経た直後、気は練り上げられている

 今ならば――

 

「今ならば断てるなどと言ってくれるなよ」

「――!!」

 

 一足に踏み込む。

 鞘鳴りとともに剣気が走る。

 天地を裂かんと剣が猛る。

 斬殺必定。

 刃に流れる内功が、数うちを名刀へと押し上げている。

 如何に気を通していようが傘で防げるはずもなし。

 

「殺った!」

「なにがだ?」

 

 剣光。

 鈴音。

 雨を引き裂く刃風が豪雷を斬る。

 

「なに――」

 

 刹羅の剣は、傘に止められていた。

 なぜ、などとは問うまい。

 刹那に判断を下す。

 

 放たれる掌打。

 気を込めた拳は鋼の如し。

 手刀であれば、人を断てよう。

 しかして、それを歳殺は軽く払った。

 

 はぜる気の莫大なこと。

 二人の達人の体を吹き飛ばすが、仕切り直しというには程遠い。

 いまだ、緒戦の攻防は続いている。

 

 人の眼でもはや追うことは不可能。

 互いにの眼にはもはや雨粒など止まって見える。

 

 彼らが剣をふるうとき、雨が一瞬止まる。

 切り裂かれた大気が豪雨を吹き飛ばす。

 それほどまでに鋭く、丹田よりめぐらされた気は流麗だ。

 よどみなくめぐる気。

 

 鋼に通したそれは、刃に通したそれはもはや因果律すら切断する兇器である。

 だが、歳殺はそれを傘で受けている。

 同じく気功を用いた物質の強化であるが、鋼と傘では鋼がかつのが道理。

 しかして、何合打ち合おうとも傘が砕けることはない。

 

 いかなる術理か。

 否、刹羅の心眼は正確に歳殺の行いを捉えている。

 ただ単純、歳殺の技量が己の技巧を上回っているだけのこと。

 

「これが八天将か」

 

 呼吸を乱さぬ程度につぶやく。

 2500年以上、この国を守護してきたまさしく怪物だ。

 そんなものが、人の形をし、人の技を使うのだ。

 

「剣凶・火残飛縁」

 

 斬火一閃。

 刹羅の内力が火気へと転じ、歳刹へと飛翔する。

 それを軸足回転とともに躱せば、軽身功にて刹羅が跳ぶ。

 

 気脈すら介した神速の歩法。

 わずかの間、刹羅は現世から消えていた。

 転ずるは背後。

 刹那、斬撃。

 

「剣凶・破軍天女」

 

 意と技が同時に放たれる。

 殺意を手繰り、己の存在を気取った瞬間、すでに攻撃は終わっている。

 その首を斬る。

 

「甘い」

 

 錚々鳴り響く金音。

 刃と傘の逢瀬。

 雨が上へと降った。

 

「縁を飛ばす剣凶の技から続くものだろう、それは。であれば、俺には通じん」

 

 なぜならば、縁を切るのだ。

 歳殺という神は。

 

 合縁奇縁。

 あまたの縁はあれども、歳殺に断てぬ縁はなし。

 その縁断てば、もはや繋がらぬ、元には戻らぬ。

 故に技の縁を斬れば、首落とすことなど出来ようものか。

 

「であるか……」

 

 これでは足りぬか。

 

「貴様の技量は認めてもよいがその行いは認められん。素直にやめるならば、ここらで手打ちとするが?」

「ふざけるなよ。私を止めたくば、殺せ」

「うむ、であろうな。しかし、殺すのはな」

 

 約定がある。

 

「しかし、このまま続けても勝ち目はないだろう、寂唸剣忌」

「いいや。まだだ」

「足元の魔剣でも使ってみるか? ともすれば届くやもしれんぞ」

「ふざけろ」

 

 魔剣。

 子刀見識・開心見誠

 悪殺愛護

 火錬鬼剣

 刻針時計

 唯刀・不断物無

 子刀逢魔・常世常闇

 大蛇刀・紫紅白皇

 舞踏剣・妖香美姫

 嘘喰・誠心紅一

 悪滅・黒夜慟哭

 禍喰・血染剣

 無刃・月光夜裂

 泡沫之霞

 

 どこぞのバカ宵凶神が作り上げ、世に流している作品だ。

 こいつを盗んでは厄介な奴にばら撒く盗賊もいる。

 

「よくも集めた」

「使うつもりなどない」

 

 ただ、だれも使わなければよいと思っている。

 これを使われるということは世が乱れるということ。

 誰かが死ぬということ。

 

 そのようなもの使わせんし、使っているのならば奪う。

 

「では、どうする」

「知れたこと」

 

 決まっている。

 斬る。

 奪う。

 

 何一つ、変わらない。

 無理だろうが何だろうが。

 紅刹羅にはそれ以外に何もないのだ。

 たが斬り、ただ奪う。

 そのためだけにこの身を奉げてきたのだ。

 

「行くぞ歳殺、我が憧れよ。今宵、その縁、こちらから斬る――剣凶・天魔辟易」

「――ッ!」

 

 確かにあったはずの距離は、一瞬にして零となっていた。

 

 音より速い?

 ――否。

 ならば光より速い?

 ‎――否。

 これは、そのような凡百がたどり着ける程度の極致などではありはしない。

 

 これは、時も空も超越した先。

 時と空を穿ち、零へと至る剣。

 まさしく絶技。

 相手が認識するのはその武の極地、零の地平。その果て。

 自らが何をされたかなど認識することもなく、ただ死だけを認識する。

 

 時と空、世界の境界線上にて、穿つ一閃。

 

 ――至るは、時と空を越えた先。

 

 今、あらゆるものを超越する。

 時も空も、もはや二人を縛ることは出来ない。

 

 無限もなく、零もない、空の地平。

 ‎世界と時空の境界線上。

 二人の刻がぶつかり合い生まれた特異点。

 ‎目指すは、敵対者を貫く時間軸――。

 

 剣凶の絶技。

 己の命を削り、放つはただただ美しいだけの一閃き。

 

「その剣をよこせ」

「言って聞かない相手にまだ言を論ずるほど俺の心は広くないのでな」

 

 言って聞かぬ悪童ならば相応でもって糺すのみ。

 歳殺が放つは、傘でもって放たれる断邪の剣。

 

 剣戟一合。

 雷雲断ちて、雨失せる。

 上弦の月が、二人の武芸者を見下ろしていた。

 

「なぜ断たぬ」

「傘はさすものぞ」

 

 金音とともに落ちる刃。

 刹羅の剣は根元からへし折れている。

 

「まあ、雨は上がったがお前には必要だろう」

「…………」

 

 からんと、音を鳴らし歳殺は刹羅に背を向けた。

 もはやここでの用事は済んだとでも言わんばかり。

 

「貴様は……変わらんのだな」

『どーするよ、刹羅。殺さんのかー?』

 

 惆天宮・彩艶壺畫。

 足元のただの薬箱にしか見えぬナニカが言葉を口にした。

 

「殺せん、今はな……ああ、まったく」

 

 ならばいつか殺せばいいだけのこと。

 

「行くぞ」

『はいはいっと。結構剣も増えてきたし、そろそろ売っちゃあどうだ?』

「馬鹿者め」

『お前の方が大馬鹿者だろうに。今時、剣が悪だ悪だーって叫んで人斬りして剣集めしてる馬鹿なんぞどこにもいねえだろうよ』

 

 ●

 

「おい、戦え」

「無理ー」

 

 

「おい、剣をよこせ」

「無理―」

 

「剣」

「菓子を頼め」

 

「菓子をくれ」

「剣を、っていや、おい、どうした熱でもあるのか?」

「この前、頼めと言ったのは貴様だろう」

 



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羅睺帝・黄幡

 魔的なほどに大きな満月が夜を照らしている。

 夜風にそよぐは虫の合唱。

 静かで涼やかな音色は秋の訪れを教えてくれている。

「良い夜じゃ。こんな夜は酒でも飲むに限ると思うが?」

 縁側に男がいた。

 ずいぶんと図々しい男だ。

 許可もなく人の家に上がり込み、縁側で酒をかっ喰らっている。

「知らん。我が物顔で我が家に入り浸るな黄幡。それとも貴様の剣を渡しにでも来たか」

 羅睺帝・黄幡。

 これでも葦原の守りの要であるのだから世も末といったものか。

 いや、これでも守れる世の中であることを良いというべきなのか。

「む、なにやら馬鹿にされた気がする」

「ああ、馬鹿にしたから安心すると良い」

「なるほど、それは安心――って、出来るかい! ええい、昔から不遜な奴め」

「で? 何をしに来た」

「なに、いつものやつよ」

「であれば、語るに及ばず」

 刹那を切り分ける剣光の閃きを黄幡はひょいとかわす。

 尋常ならざる身軽さは、その総身を剣の上に立たせるほど。

「さあ、遊ぶか!」

 滾る意気。

 満月の夜。

 魔性の宵口に武芸者二人が長屋街を駆け抜ける。

 片や軽功による輕駆け。

 片やその身一つの疾走。

 交差の都度、花開くは戟花。

 刃合わせで、鳴り響く錚々の金音。

 屋根の上、平常ならざる足場なれど互いの技に乱れなし。

 おぞましいほどの鈴鳴りは鋼が奏でる雅楽。

 冷気すら感じられる刀身の熱いこと。

 猛る内力で以て放たれる刹羅の発勁が黄幡へと斬擊七閃とともに叩き込まれる。

「フッ――」

 笑み。

 諦観ではなく、歓喜。

 脚、腰、連動された得物が回る。

 旗付きの長物。

 石突きと呼ぶにはあまりにも剣呑すぎる刃と穂先が空を裂く。

 一息――穂先が天を穿つ。

 柄を滑らせた手が穂先へ至るとともに全身合一の回転が風を起こす。

 石突きが一閃を弾く。

 続く二閃、三閃をしなる柄より生じた見えざる刃が斬り伏せた。

 手が滑る。

 柄の中央。

 定位置へ。

 刺突。

 四閃を穂先が穿つ。

 五、六、七。

 薙ぎ。

 旗が舞う。

 それだけで、剣凶の技をしのぐ。

 

「ほれ、次は?」

 

 軽く通りの谷を横断しながら、刹羅へと笑いかける。

 内功の輝きと刃が返答。

 放たれる白刃は、ゾッとするほどの冷気とおぞましいほどの熱量を内包している。

 そいつを体を反らしてかわせば。

 髪散る一房。

 

「腕をあげたのう!」

「ぬかせ」

 

 爆ぜる剣気。

 

「おお?」

 

 たたらを踏む黄幡

 刹羅は追撃の構え。

 納刀。

 鞘走り。

 居合うは刃光一閃。

 剣纏うは黒刃雷火。

 光を斬り伏せた証左。

 

「剣凶・放蕩神牙」

 

 剣銘結ぶは剣凶の居合い抜き。

 鞘走る剣閃は、ただ斬線のみを描く。

 神すらも殺す意愛。

 

「剣を寄越せ」

「勝ったらやるといっておろう? 耄碌したか爺さん?」

「貴様よりは若いわ、糞爺」

「言ったな、阿呆爺!」

 

 放たれた技前が黄幡の胴へと向かう。

 しかしてその玉体傷つけるに能わず。

 その刃を黄幡は取る。

 どの流派にも存在する取るに足らぬ技。

 行うに易くないそれ。

 刹羅の刃は、黄幡の肘と膝に取られた。

 

「疾ッ――!」

 

 刹那、刃を手放し掌底が黄幡を襲う。

 老骨とは思えぬ剛健。

 

「あらよっとォ!」

 

 それを片足のみの跳躍でもって躱す。

 挟んだ刀そのままに、軽業師が如く跳ぶ。

 

「とと――ォ!?」

 

 着地点の見切り。

 すでに踏み込む爆縮地。

 屋根瓦を千枚ほど駄目にしながらの疾走投擲。

 飛翔する屋根瓦を舞うがごとく躱す黄幡は片足のみ。

 その足払えば、天地逆転、手が足へ。

 

「そら、返すぞ」

 

 刃の投擲。

 足技一つ。

 器用に蹴り返せば、それはもう豪速の砲弾。

 しかして、刹羅の強化された身体能力はたやすく己の愛刀の柄をとる。

 慣性を腕から腰へ流し、回転運動へ組み込む。

 威力をそのまま斬撃へと転化。

 光刃を身をひねり躱し、刹羅の足を払う。

 

「そらっと」

 

 そこに縦回転を加えたかかと落とし。

 旗が舞う。

 回転回避。

 接続。

 蹴り。

 容赦のない黄幡の蹴りが頭部へと迫る。

 

「破ッ――」

 

 発勁。

 腕からの発勁の衝撃で黄幡を止め、宙へ姿勢を戻す。

 

「さあて、仕切り直しじゃ。儂もだいぶ体が温まってきたぞ」

 

 月が天頂へ挑む自分。

 冷たくなりつつある夜風が着物を揺らす。

 冷徹な殺意と温和な戦意が緋花を散らす。

 

「フッ――」

 

 息一つ。

 互いに跳ぶ。

 空をつかみ、気を踏みしめ。

 斬刺一閃。

 振るわれる刃。

 花開く夜剣花。

 満月の夜に鋼の星が瞬く。

 鳴り響く金打音。

 天へ昇る二人の武者を七つ星が見つめていた。

 宙を舞台とした武舞。

 

「行くぞ――剣凶・孤影初月(こえいみかづき)

 

 剣銘結び、斬撃と成す。

 空中斬閃。

 天より落ちる斬剣。

 

「応とも、来い!!」

 

 得物を振り回し、巻き付く旗。

 刺突の構え。

 中空一矢。

 一つの矢が如く、天を蹴り出した。

 望月に二人の武影が交差する。

 それこそは、綺羅綺羅しくも輝く武星だ。

 

 ●

 

「んじゃあ、熱燗で頼むな」

 

 戦いの後はいつもこれだ。

 図々しくもこの馬鹿は熱燗を所望であるらしい。

 

「なら駄賃がわりに剣を寄越せ」

 

 そう言いながらも用意してしまうのはなぜだ。

 まったく己すら理解できぬとは未熟すぎる。

 

「言うとろう勝てばやると。お! こいつはうまいのう。どこで売っとる」

 

 漬物ひとつ。

 肴を食らい黄幡は喜色満面だ。よほどうまいらしい。

 

「そいつは自作だ」

 

 数種の香草と出汁、香味油、香辛料を混ぜ合わせ、七日七晩漬け込んだものだ。

 酒にはよく合う。

 ことさら葦原の地酒には。

 こりこりとした食感とぴりりとした味覚は、いくらでも食えてしまう。

 妻方の一族の秘伝であったか。

 一族になるのだからと教え込まれたものだ。

 我が家に伝わる吸物も教えたが、アレはうまかったな。

 

「小器用なやつよのう」

「フン、あいつには及ばん。ほれ熱燗だ」

「ほう? お前さんよりも腕のたつのがいると? ――とと、うむ良き案配じゃな」

「妻だ」

「なに、妻帯かおまえさん。そうはみえんぞ」

「死んでいるからな」

「うむ、そうか……」

 

 魔宵の月が縁側に座る二人を照らす。

 なみなみとおちょこに注がれた葦原の地酒の、強い酒精が体を温める。

 

「かぁ、これよこれ」

「これが葦原の護りとは」

 

 そうは思えないが力量はまさしく人智を超えていると刹羅は認めている。

 先の戦いも結局決着などはつかなかった。

 ここ数十年戦っているが、決着がついたことなどない。

 いいや、すべては刹羅の負けか……。

 

「カカ、ほれのめのめ勿体ないぞ」

「私の酒だ。貴様に言われるまでもない」

 

 ゆったりと時間が流れていく。

 雲が夜空を横切り、とっくりが倒れる。

 酒飲みと虫の声だけが月光の中に響いていた。

 

「じゃ、また来るからの!」

 

 熱燗や特上の肴をねだりこれでもかと食らい飲んだ黄幡は、嵐のように去って行った。

 

「帰ったか」

 

 まったく、アレで葦原の要たる八天将であるというのだから世の中わからないものだ。

 

「あのようなものに、命を任せるしかないなどとはな……」

 

 まったくもってありえない。

 

「他者に命を預けるなど、剣を持たせるなどありえん」

 

 他者に命を預けた結果が刹羅なのだから。

 もう数十年も前のことになる。

 武林の番付に名を連ね、名が葦原に広まりつつあった頃。

 あの日、鏢局の仕事として護衛紛いに出ていた。

 どうしてもと言われれば侠客としてならす身。

 世の義にもとり引き受けた。

 娘には泣かれ、妻には怒られたか。

 名を上げれば恨まれるが常。

 命の危機はいつものこと。

 故に信頼していた友人に妻と娘を任せた。

 それが間違いであった。

 結果として、家に帰った時、妻と娘は死んでいた。

 その尊厳をどこまでも踏みにじられて。

 全て友人の手引きだった

 命を、剣を他者に任せるなど愚か者の極みだ。

 

「故に、皆、不足。剣を扱うに値するは私のみよ」

 

 殺した。

 奪った。

 殺した。殺した殺した殺した殺した。

 もはや、最初に何を思い、彼女らがどんな顔をしているのか忘れるほどに。

 殺した。

 

「いかんな。酔いがまわったか。これでは黄幡に小言が言えん」

 

 なぜと問われたこともあったな。

 

「なぜなどもはやない。剣は悪だ。それだけで良い。あと何本か。あとどれくらい殺すのか」

 

 どれくらいだ。

 

 その問いに答えられる者などいるはずもなし。

 

 剣を悪とする男は、ただ剣を振るう宿痾を抱えるのみだ……

 




黄幡が本気出すときとは死合うときは、名乗りをあげるとかだとかっこいいなーとか思ったので、今回黄幡は名乗りを上げてません。
刹羅もまた同様に。
それらはきっと殺し名なので。


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雷光、憧憬の種火

 ――正義とはなんだ。

 

 ――信念とはなんだ。

 

 己の中でそれが明確な形となったのはきっとあの日だ。

 

 正義とは、雷霆。

 信念とは、その光になること。

 

 己が規定する、己を己たらしめる種火。

 

 燃え上がる炎を生んでくれたのは、きっと燃えたあの日。

 不死鳥のように炎の中でその正義は、その信念は生まれたのだ。

 

 英雄(エルルーン・ヤルングレイプ)の手によって。

 だから、僕は――。

 

 ●

 

 王都炎上。

 その日、王都下層に存在する一画は炎に包まれていた。

 

 ロストによる襲撃。

 エルメリアに置いては、なにも珍しくもない事態であった。

 当事者以外にとっては――。

 

 大気中の酸素が、あらゆるすべてを贄に奉げて人々を支える叡智の炎が、そこにいる全ての者に牙をむいていた。

 そこに広がっているのは地獄絵図。

 ぐつぐつと煮える魔女の窯の底で、それは殺していた。

 

 失った者。

 黄昏の怪物。

 人々を襲う夜の獣だ。

 

 ロスト。

 

 そう呼ばれるもの。

 炎の形をした怪物は、あらゆるすべてを燃やし尽くしながらその本能のままに殺戮を繰り返す。

 

 それでも、少年は逃げていた。

 

「っは――」

 

 わずかな酸素を頼りに、少年――キニスは逃げていた

 

 火の粉が舞っている。

 灰が舞っている。

 それは、良くしてくれたおじさんの残骸だった。

 

 悲鳴。

 怒号。

 恐怖。

 そこにはすべてがあった。

 なぜならばこの殺戮現象の元凶が絶望そのものなのだから。

 

 魔的、ですらある満月が照らす中、王都は火灯に包まれている。

 

 むせかえる、臓腑を焼き尽くす憎悪の瘴気。

 誰も逃がしはしない。

 殺す。

 殺す。

 殺す。

 殺意の奔流。

 

 なぜだ、などと口にしたところで意味はない。

 言葉は出力した端から焼けて灰となる。

 むしろ言葉にするために吸い込んだ空気が内臓を焼いてしまう。

 

 死。

 死。

 死。

 

 そこにはそれ以外になにもない。

 キニスは己が生きていることすら信じられずにいた。

 半分だけの視界。

 どうしてあの恐怖(ロスト)に目をつけられて生きているのかがわからない。

 

『GRAAAA――』

 

 その時、理解する。

 ただ遊ばれているだけなのだと。

 

 背後より響く炎の咆哮。

 ばちばちと燃える屍の山の上で、それはゆっくりと踏み出した。

 炎が爆ぜる。

 爆風がキニスの体を持ち上げて地面へとたたきつける。

 

「がっ……」

 

 それでも、それでも――

 

「いやだ」

 

 死にたくない。

 

 灼熱が皮膚をあぶり。

 焼けただれさせ、もはや痛みもなにもわからない。

 本当はもう走りたくなんてないけれど――走れ。

 

 死にたくない。

 そう純粋に願って走る。

 

 高純度の祈り。

 生の息吹など彼以外に存在しないのだから、彼の願いだけがただただ闇に響くのだ。

 

 故にこそ――

 

『GRAA――』

 

 駄目だ、逃がさない。

 

 恐怖に追いつかれる。

 絶望に先を行かれる。

 死がすぐそこに。

 

 潰れた眼が痛む。

 潰れたからだが痛む。

 それでもキニスは走った。

 

 だからこそ願いは聞き届けられる。

 諦めない心は奇跡を起こすのだ。

 

 さあ、来るぞ。

 雷光纏い、明日を目指す星が来る。

 

「――そこまでです」

 

 響いた声は凛とした女のもの。

 ロストにまっすぐに向けられた音は雷鳴のように少年の心を打った。

 いつの間にか、キニスの目の前に一人の女性が立っていた。

 

 絶望の時間は終わりだ。

 朝を告げる明星の使徒が来た。

 これより先に悲劇などはないのだかと、総身が伝えている。

 

「仕事をしましょう――」

 

 槍を構える。

 怪物を相手にそんなものでどうするのだ。

 否、これで十分なのだ。

 その身に宿る星を鑑みれば――。

 

「――――!!」

 

 一足。

 到来した星が雷光となる。

 紫電が奔り、女は――エルルーンは稲光となった。

 

 繰り出されるは千雷。

 轟音とともに、雷鳴りが響く。

 それこそは天より来る絶望を打ち砕く神の雷。

 

 槍の穂先が物質ならざるロストの肉体を貫く。

 悲鳴咆哮。

 されど遅い。

 

 既に彼女の身は光と等価。

 炎爪が空を割く、光すら捉えられなければ彼女の肉体を捉えるに能わず。

 だが、彼女の槍は焔の肉体を穿つ。

 

 神速の雷撃。

 放たれる雷の一撃がロストを焼く。

 その光、見るものすべてを眩く照らす。

 

「すごい……」

 

 まるで舞うかの如く戦う乙女。

 この人がいればもう大丈夫だという安心感がキニスの体から力を抜いていく。

 夜の闇を照らす炎を喰らいつくし、その閃光だけをキニスは見つめていた。

 

「フッ――」

 

 燃えるような酸素を吸い込んで、失われたすべてを背負うがごとく、戦乙女は再び雷へ入る。

 稲光そのままに爆ぜる紫電をたなびかせ、エルルーンは槍をふるう。

 

 一足一刺。

 雷迅のままに放たれる無数の槍雨が炎の如きロストへと繰り出される。

 放たれる炎息など無意味。

 音を超えた槍の穂先が空を真とする。

 破ることのできぬ壁が炎の侵入を防ぎ、穿つ。

 

 戦場を疾走する迅雷をロストは捉えられない。

 もはやロストの感知領域をエルルーンは超過している。

 雷そのもの。

 否、光そのもの。

 

 どうしてただのロストにその速度を認識できようか。

 出来るはずもなし。

 

 牙も爪も。

 どれほど炎を放とうともエルルーンを捉えられない。

 刺され、離れられ。

 つかむことすら許されない。

 

 総合的な戦闘能力で負けている。

 ならば、子供を盾にと、ロストの本能が戦術を出力する。

 

「遅いですよ」

 

 背を向けた瞬間、ロストの絶命は確定した。

 

 最果てより轟雷が来る。

 雷霆が降る。

 戦乙女が持つ槍雷。

 

 ――英雄より放たれた白雷がロストを滅す。

 

「大丈夫ですか? 怪我をしていますね、待っていてください、今手当をしますね」

 

 キニスは、思った。

 彼女のようになりたいと。

 絶対になるのだと――。

 




少々短いですが、キニスフィルターにかかればエルちゃんはこんな感じに見えています。



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言祝ぐ鏡写し

 此処に、怪物は破壊された(死に絶えた)

 

 

「…………俺の勝利だ」

 

 無様に地面に倒れて血反吐を吐きながら笑みを浮かべた俺に、翡翠の双眸が静かに見下ろす。

 その硝子のような無機質さを帯びた瞳は、敗北を認めた上で激情に猛り狂っていた。

 

「認めない……君の、勝利など……ふざけるな、認めるものか……!」

「……なんだ、存外人間らしいじゃ、ないか」

 

 立っているのは君で、地面に倒れているのは俺。

 誰が見ても勝敗は明らかだ。

 だが、勝ったのは俺のようだ。

 それは、まぎれもなく彼の言葉が、認めている。

 

 俺たちをつなぐ、ただ一つのモノ。

 それが俺の勝利を認めている。

 彼の敗北を形にしている。

 

 なぜならば、俺は何一つ、手放さなかったからだ。

 

 人の命を奪うことへの葛藤も、「人でありたい」という切なる望みも……想い人に向けた優しさも。

 友人を救いたいという衝動に似た願いも。

 

 俺は何一つ、この手につかんだままなのだから。

 彼が俺にさせようとしたことを何一つしてやらなかったのだ。これを勝利と呼ばないのならば、何を勝利と呼ぶのだろうか。

 

「ああ、アルベール。俺の鏡写し。言葉で人を殺せる才能を持つ君。『俺を怪物とする』という願いが破れ、同類を得ることが出来なかった君に予言しよう。

 君はこれから先、何一つ成しえない。何も感じることはない。君はもはや目的を持つことはないだろう。

 その無関心は何物にも揺らせず、何者にも打ち砕くことは出来まい。何故なら君はもう――」

 

──もう二度と、同類に巡り合うことはないのだから。

 

「死者が生き返ることの無いように、俺の代わりは誰にも務まらない。

 対極の存在である俺は消え、君はこれから孤独の中で生きていくしかないのだ。だが、君はなにも思わないのだろうな。

 なぜならば、怪物には温もりなど必要ないのだから」

 

 俺にとって君は鏡写しの存在で、そして同時に、最悪の存在だったのだ。

 同等の才能を持ち、会話することが出来る存在。

 何か一つ間違えてしまえば、俺は君になってしまうという最悪をまざまざと見せつけられる。

 随分と気をもんだものだが……。

 

「こうなってみると、存外、悪くないものだった」

「ふざけるな……ふざけるなよ、貴様、この僕の計算を、この僕の文法を! すべて打ち砕いておいて、最後の褒美すら持ち逃げするというのか!」

「別に、我々はそういう仲、でもないだろう」

 

 胸倉につかみかかってくるその手を振り払う力すら残っていないが、その分思考だけは澄み渡っている。

 まったくらしくないじゃないか。

 普段の君なら、こんな手なんて使わないだろうに。

 

 だがそれはもはや彼にはお得意の言葉も残っていないのと同義なのだ。

 

「――――…………」

 

 もはや何一つ、言葉にできず彼が持った震えるナイフが俺の喉を掻き切る。

 ──ああ、なんて素晴らしい日だろう。

 唇が弧を描く。こんなに穏やかに笑ったのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 雨降りしきる空の下でそんなことを思いながら、揺れる翡翠を見つめて幕を引く(ブラックアウト)

 

 悪くない最期だった、と声に出さず言う。

 生き地獄を歩むしかない彼は、顔を歪めた気がした。




はこさん宅ウェール・ケラススさんとうちのアルベール・ウェルナーのお話でした。

はこさんが素晴らしいもの書いてたから私も書いた!
はこさんのと鏡写しになるように構成とか参考にしました。


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