哿(エネイブル)のルームメイト (ゆぎ)
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武偵殺し編
非日常の始まり


 

 

 

 武偵が気をつけなければいけないものが3つある。闇。毒。そして女だ。

 

 では、ルームシェアで揉める3つの原因を知ってるか。金。就寝時間。テレビのチャンネル……そして女だ。

 

 

 

 

 

「アホは今まで大勢見てるがお前はその中でも王様だな。自分の部屋を明け渡してやがって。こんなので上手くいくと思うか?」

 

「お前が勝手についてきたんだろ」

 

「神崎と二人で何を話せって? パラシュートで救って貰った話は聞いたよ。俺も感謝してる、腐ってもお前はルームメイトだからな。だがな、言わせてもらうがあいつお前が頷くまでマジで帰らねぇぞ?」

 

 俺、雪平切は夜のコンビニにいる。何も騒がしい始業式の終わりにマガジンを立ち読みしたかったわけじゃない。

 事の顛末は隣で漫画雑誌を読んでいる同居人こと『遠山キンジ』が西洋人の女の子を部屋に招き入れたことから始まった。

 

 そう、東京武偵高第3男子寮にある我が家は、俺とキンジの二人部屋なのだ。

 

『さっきまではな』

 

 心でぼやいた後、ぺらっとページを捲る。無人島で金田一少年が犯人を追い詰めていた。前編も見てないのに解決編だけ見てもなぁ……さっぱり分からん。

 

 事態を纏めれば。今朝、始業式から自転車に爆弾を仕掛けられる世にも奇妙な体験をした探偵科の同居人こと遠山キンジは、空から落ちてきた少女──『神崎アリア』に命を救われたらしい。

 

 武装したセグウェイに囲まれた二人は、協力して場を切り抜け、HRで偶然にも再会したキンジを尾行して彼女が部屋に押し掛けてきた。

 神崎は一緒に組んで仕事をするパートナーを探している最中で、セグウェイ相手に大立ち回りをやってのけたキンジに白羽の矢が立った──とまあ、ここまでが読書片手に語るキンジの談。非日常に囲まれたTHE武偵の一日だ。

 

 まるでアクション映画の冒頭30分みたいな話だよな、銃で武装した殺人セグウェイってところが特にそれっぽい。

 そんなレベルの出来事が常日頃起きているのがここ──広大な東京湾に浮かぶ人工浮島に建造された『東京武偵高』だ。

 

「神崎のトランクはお前も見たろ。男子寮に泊まったなんてこと、暇な武偵高女子生徒どもに流れてみろ。俺もお前も一週間はネタにされる」

 

「一週間で落ち着くか?」

 

「ああ、そのとおり。ゴシップガールを見せてやりたいよ、最初のシーズンからさ」

 

「分かった、クモの巣張ってる知恵を貸せ。どうやって説得するか考えるぞ」

 

「お前の頭も怪しいもんだけどな。男二人のどたばたコメディは面白い、見る側からすればだが」

 

 キンジは漫画雑誌を棚へと戻した。この学校の女子生徒は火のないところに煙を立たせ、ガソリンまいて、山火事にする連中だ。

 ゴシップ心にくすぐられて流された嘘が、いつのまにか真実として学校中にのさばるのは目に見えている。

 

 あることないこと噂にされたくないので俺も読んでいた雑誌を元あった場所へと戻した。そして、ない知恵を振り絞って俺達は神崎説得のプランを練る。

 だが悲しいかな、マトモな提案が浮かばない。頭を寄せあっても個々の頭が大したことなければ、集まったところでたかが知れてる。

 

 悲しいことに俺もキンジも会議室で頭を巡らせる側の人間ではなく、現場で力仕事に勤しむ側の人間なのだ。

 

 

 経過すること10分。店員さんも奇異な視線を向けてきたので『ももまん10個ポンッとくれてやる』などと俺が提案したら、キンジが乗ってきたやけくそな提案だが他に案もないのでやけくそな作戦が消去法で可決。割り勘で会計を済ませてから自室に戻った。

 

 

 キンジがそっと扉を開ける。

 音を立てず、長い廊下に瞳を走らせる。まるで泥棒だな、自宅なのに足音すら満足に立てられないなんて。

 

 ももまんの入った紙袋を手土産に俺も玄関を跨ぐ。

 袋から漂う甘ったるい匂い、10個ともなれば考えるだけで胸焼けしそうだ。もうちょっと数減らしとけば良かったな。

 

「神崎は……?」

 

「いない、いないぞ……!」

 

 無声音でやりとりしながら、リビングやキッチンを見渡す。テーブルにも飲み終わったカップがあるだけだ。

 

 本当に帰ったのか。

 訝しげにリビングを見渡すが変化はない。本当にいないみたいだ。やれやれ、と言いたげにキンジは打って変わった軽い足取りで洗面所に歩いていった。

 

「晩飯の時間かな」

 

 残された俺がテーブルに紙袋を置き、テレビのリモコンをとろうとしたとき──廊下からキンジが顔を出した、ひでえツラだ。乾燥機に入れられたチワワみたいな顔してやがる。

 できればそのまま黙っていてほしいんだが、危機を自分一人で抱え込むのはとても勇気のいることだ。ほら開いたぞ。

 

「ふ、風呂場……!」

 

「落ち着け。顔が白と青の斑模様みたいになってるぞ。風呂場がなんだって?」

 

「アリアが風呂場に!」

 

 ──風呂? 

 

 風呂……風呂……風呂……ま、まて、男性寮の部屋で風呂に入ってんのか……!?

 

 声より心でツッコミを入れた刹那、事態は最悪の展開に舵をとった。

 

 慎ましくチャイムが一回、俺と視線をぶつけていたキンジの首からギギギギギ……とイヤな効果音が聞こえる。

 壊れた人形の首を力任せに捻ったときの音だ。次の瞬間、キンジの足が床を蹴った。おい、そっちは風呂場だろうが……!

 

「宅配便だな! よし、切! 受け取ってくれ!判子はそこにある!」

 

「馬鹿! この時間に来るわけねえだろ! 星枷だよ、出迎えてやれ! おま、っ……居留守使ったらどうなるか分かってないだろーー!?」

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。それは何度も見た夢だ。アメリカ本土のくたびれたモーテル。トレンチコートの友人に背を向けて、部屋のドアを開けていく自分の後ろ姿。

 

 それは忘れもしない家族と別れを決めた日、アメリカ本土にいた頃の最後の記憶──開かれたドアから眩い光が差し、景色はそこでぐにゃりと歪む。

 

「お腹すくじゃない!」

 

「すかせこのバカ!」

 

「バカですって!? キンジの分際で!」

 

 不機嫌なアニメ声が遠くから聞こえて俺はうっすらと目を開けた。ぼんやりと霞む視界に最初に映ったのは茶色い天井だった。

 目をこすり、首を巡らせて部屋の中を見渡す。二段ベッドからは案の定喧嘩が見下ろせた。嬉しい限りだよ、神崎とキンジの痴話喧嘩がこれからは目覚ましだな。

 

 俺は真っ二つで転がっている目覚まし時計にかぶりを振った。アラームが鳴らないわけだよ、ちくしょうめ………綺麗に切断されてやがる。

 

「……バターでもこんなに綺麗に別れねえぞ」

 

 朝から退屈しない展開を見せてくれた神崎には、『職人技だな』と目覚ましの切断面を見せながら皮肉を叩いておく。

 

 武偵には帯刀、帯銃が義務付けられる。

 神崎の得物は切れ味抜群の日本刀と45口径のガバメント、小柄なわりに末恐ろしい組み合わせしやがる。

 

 帯銃と一口に言っても対物ライフル持ち歩けばそりゃアウトだ。メジャーなのは星の数ほどあると言われる9mm拳銃がやはりと言ったところだが、ガバメントと9mmじゃ火力が違いすぎる。

 

 どうやら性格も武器も派手なのが好みらしい。

 噂では装備科の平賀文、彼女が銃検に着目して一稼ぎ狙ってるみたいだ。あの子は顧客が広いからなぁ。

 

 冷めきらない頭で欠伸を噛み殺すしていると、キンジが暴れる神崎を慣れた動きでいなしている。端から見ると、その様子はただじゃれてるだけ。馴れ合いの喧嘩だな、夫婦喧嘩。

 

 二人がじゃれてる隙に俺はさっさと着替えを済ませる。朝から可愛い子と喧嘩できるなんて男としては羨ましいが、一緒に殺人セグウェイの編隊から窮地をくぐり抜けたなら、それなりの信頼関係はもう出来てるのかもな。

 

 勝手な想像を巡らせ、着用を義務付けられた防弾防刃の制服に着替えると、テーブルに置かれた弾倉と木製のグリップで造られたナイフを身につける。

 最後にトーラスを持ち上げたときだ。神崎の瞳がめざとく細められ、がらりと変わる真剣な表情に見とれて手が止まった。

 

「良い銃ね」

 

「へえ……謝るよ。ベレッタのパチモン呼ばわりされるのかと。みんなあっちを好む」

 

「身の丈に合わない銃を見せびらかすよりマシよ」

 

「キンジ。悪いことは言わない。この子とパートナー組め」

 

「買収されてどうすんだよ!」

 

 『トーラスPT92』は『ベレッタ92』のライセンス生産モデルだ。悪く言えばキンジのベレッタM92を弄くり回した拳銃と言えなくもない。

 比べる相手があのベレッタ社のドル箱だ、神崎みたいな意見は希少で大体はコピー品や格下に見られる風潮が強い。

 

 考えや思想ってやつはそれぞれだが模造だろうが大切なのは銃と一緒に死ねるかどうか。俺ならジャムって死んでたとしても恨まない相手を探すね。

 

 身の丈に合わない銃とは上手い例えだ。武器を使いたいのか、武器に使われたいのか、武偵ならそこはハッキリさせねえとな。

 

 身支度が済み、俺は一足先に鞄を抱えるが時計を見て頭を掻いた。

 

「神崎、そこまでだ」

 

 二人の視線が息ぴったりに俺を見る。

 

「──バスに遅れた。このままだと仲良く遅刻コースだな。車とってくるから外で待っててくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、今って」

 

「2009年だろ」

 

「そうね。これって……」

 

「カセットテープだろ。じいちゃんの家とかにあるやつ」

 

「ぷぅ、くっ、くす……」

 

「笑うな、ドライバーに……っ、失礼だぞ……」

 

 ……お前らな。

 

「キンジてめー! チャリがないから乗せてやってんだぞ! 次にインパラを笑ったら助手席開くからな! カマロに乗りたいんだったらハワイにいけ!」

 

「このテープ古いのばっかり。ねえ他には?」

 

「切は1979年より前の洋楽しか聞かないんだ。地層からエヴァ探すようなもんだぞ」

 

「ああ、悪かったな! カラオケ誘われても知らねえ歌ばっかり歌ってよ! 兄貴も親父も古い曲しか聞かなかったんだよ!」

 

 バスに間に合わず、やむなく俺の車で登校することになったのだが、人工浮島の道を走る車内ではキンジと神崎が言いたい放題。まるで修学旅行気分の登校だよ、ホント。

 

 後部座席の神崎はカセットテープのはいったダンボールのケースをわちゃわちゃと荒らし、キンジは姑息にも咳払いで笑いを誤魔化してやがる。

 

 なにがおかしいっっっ! カセットテープでもいいだろ! 使えりゃいいんだよ!

 

 ──シボレー・インパラ1967年モデル。これほど暖かみを感じる車は他にないと思ってる。心地良いV8エンジンとドライバーを思いやる最高のシート、ちゃんと整備してやれば40年経ってもガンガン走る。怒りの臨界点を越えた俺は不機嫌にラジオを入れた。今日のニュースだ。

 

「何がエヴァを探すだよ馬鹿馬鹿しい。名曲がそこに揃ってるだろ。『It's My Life』から『Take On Me』まで、最高のセトリが組める」

 

「俺達が生まれる前の曲だぞ。懐メロもいいとこだ」

 

「クラシックが好きなんだよ。お前だって古い映画は見るだろ、西部劇に被れてるくせによく言うぜ。神崎、なんでもいいからテープくれ。曲名が書いてあるだろ、センスは任せる」

 

「あんたね、聞いたこともないのにセンスも曲名もあったもんじゃないわよ。無茶振りって言葉ご存知ない?」

 

「キンジの辞書にはない。ついでに不可能もな」

 

「いいや、あるね…!」

 

 神崎が投げたカセットテープをキンジが助手席からキャッチ。不満の表情でテープを見つめるが数秒の健闘だった。

 手つきは乱暴だがデッキにテープは押し込まれる。インパラとクラシックロック……ここにポテトとコーラ、それにベーコンチーズバーガーがあれば完璧だがそいつは遅刻コースだ、諦めよう。

 

「なあ知ってるか。車の中で流す曲を決める権利はドライバーにある」

 

「「……」」

 

 ……揃って寝たフリは反則だろ。なんか言えって。

 

 

 

 

 俺のクラスは2年A組。キンジや神崎と同じクラスになるんだが、二人を先に降ろし、別れて車輌科のガレージに向かう。キンジの提案で降ろすのは一人ずつで時間も場所もずらしてやった。巧く隠せるかはキンジ次第だな。

 

 キーをポケットに投げ込み、考え事をしながら廊下を歩く。

 

 ──武偵殺し、神崎の来訪で忘れそうになったが、同居人やられて涼しげな顔はしてられねえよ。あれでも友人だからな、出くわしたらチャリ代ぐらい弁償させてやる。

 

 両ポケットに手を突っ込みながら教室札を仰ぐ。まだ遠くだが緩やかな金髪のツインテールが教室に靡いていくのが見えた。

 不意に名前を口走った理由はない。単に声をかけたかったんだろ。

 

「キリくん、やっはろー! 調子はどう?」

 

「最悪の目覚めだ。起きたら目覚まし時計がぶっこわれてやがんの。斬られて真っ二つ、意味不明だよ」

 

「なにそれっ、理子気になる」

 

「話してやるよ。ついでにシェアハウスで揉める原因も教えてやる。修羅場から逃げる方法と一緒にな」

 

 ──ハイライトの失せた瞳で問い詰められるのは懲り懲りだ。もう玄関で星枷を追い返す役はやらねえぞ。

 

 

 

 





『晩飯の時間かな』s1,2、ディーン・ウィンチェスター──


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苦いコーヒー

 

 

 夕刻の茜色に染まった空でカラスが鳴いていた。

 定位置である部屋の二段ベッドで寝込んでいると、西日のまぶしさがカーテンの隙間から射し込む。覇気のない瞳で目覚まし時計をさがそうとするが感触はない、溜め息がこぼれた。

 

「……忘れてた。時計ぶっ壊れたままだ」

 

 皺だらけの制服で冷蔵庫まで辿り着き、中身を物色する。着替えずにベッドに直行したんだっけか。

 先生の講義であくびして……グロックが脳天とキスしたまでは覚えてるんだが……やべえな記憶がとんでやがる。

 

(欠伸で記憶がふっとぶ学校か、いかれてるな)

 

 苦笑いで重たい右手は額を抑えた。冷たい銃口が触れた場所は……喜ばしいことに穴はできてない。

 先生がご立腹なら今頃風穴が空いてるな。今朝はどうやら機嫌が良かったみたいだ。お、コーラがある、キンジの買い置きかな。あとで100円渡せば大丈夫だろ。

 

 冷えきった缶を持ち、俺は久しぶりにひとりきりのテーブルについた。騒がしかった今朝の一幕が嘘のように閑散としている。

 神崎の騒ぎで忘れそうになったけどさ、キンジが武偵を辞めたら毎日この静けさが訪れるんだよな。兄貴達にモーテルで置き去りにされたときもキツかったが負けず劣らずだ。

 

 けど、キンジが武偵を辞めることを止めるつもりはねえし、俺には止められない。

 俺は、それを止めちゃいけないんだ。普通に生きたいって願いを、最後に決めるのはあいつ自身だからな。

 

 夕暮れの射し込んだ窓に何気なく目をやる。カラスも鳴いて巣に帰る時間、そろそろキンジも帰宅を考える時間だ。何のクエストで油を売ってやがるんだかなあ。

 

 ルームメイトが帰ってくるまでにとプルタブをひねろうとし……誰かがドアのロックを解除した。

 

「……」

 

 プルタブに置いた手と反対の手は開きっぱなしの鞄からダガーナイフをとりあげた。炭酸の抜けていないコーラは最初の目眩ましとして使う。

 息を殺し耳を澄ませる、探偵科寮特有の長い廊下を伝う足音の大きさ、歩幅が、ああ違う──キンジじゃない。

 

 第一、ここは生徒が頻繁に訪ねるような部屋じゃない。悲しいが呼び鈴を鳴らすのも大抵が星枷一人だけだ、相手の検討がつかない。ロックを解除できる最低限の技術がある相手、もしくはキーを偽造でもされたか?

 

 廊下と区切られた壁に背を預けて、いつでもタブを捻れるように俺は指を当てる。

 

 近づく足音、まだ、まだ遠い──、炭酸で視界を潰して一気に制圧する、ギリギリまで待て──まだ、まだ──今だ!

 

 

 廊下に出ると同時にタブを捻る。神崎に向けて、

 

 

「か、神崎……?」

 

 相手を認識した刹那、コーラを持った腕が跳ね上げられる。高く舞い上がったしなやかな右足が軸足を変えて、左足の回し蹴りに綺麗に繋げられた。

 間近で見せられる継ぎ目のない動きに、相手の存在も忘れて視線は呪縛されていた。

 

 迫る足が顎をすれすれで擦過する。もし、後ろに飛んでいたのがコンマ一秒遅れていたら、今度はグロックじゃなく床とキスしてたな。

 打ちあげられたコーラが神崎の背後に落ち、廊下にけたましい音を立てた。

 

 冷や汗半分の俺が先んじてナイフを下げる。説得できるかコレ。

 

「へえ、よけるのね」

 

「当たったらやべえだろ。あんた、噂じゃあ熊を素手で撃破したって聞いてるぜ。あくまで噂だけどさ、あれってマジなのか?」

 

 鼻を鳴らして、神崎はおどけてみせる。仕草がマジっぽい。笑えねぇ……

 

「悪ぃ、先に謝らないとな。上がってくれお客様」

 

「いい機会だわ。あんたの力量を特別に測ってあげる」

 

「いや、答えになってねえだろ! どういう流れだよ!」

 

「これが答えよ。構えなさいバカっ!」

 

 肩を落とした俺へ神崎が鉄砲玉のように突っ込んできた。無理矢理すぎるぜ、ホントにやるのかよ。狭い廊下で刀は取り回しができない。が、このちびっ子の徒手格闘を前にして武器云々のハンデもあるか。

 

 悪態をついて一瞬思考回路の沈黙が起きる。神崎の実力を理解していてもバカな俺は、やがてダガーナイフを廊下へと捨てた。

 フェア精神なんざ持ち合わせない。だが、運の悪いことに近づいてくる神崎の唇が三日月を描いたのが見える、見えてしまった。そいつは卑怯だ、その表情は卑怯すぎる。

 

「余裕ね」

 

「いいや、実のところアンフェアは好きだぜ。あんたは?」

 

「アンフェアにはアンフェアよ」

 

「ありがとよ。最高のお返しだ」

 

 伸び始める神崎の右膝に俺は左足の裏でブロック。勢いに乗る膝が延びきる前に足裏で押さえ込む。

 

「鳩尾貰うぞ……!」

 

「お馬鹿。見え透いてるわよ!」

 

 顎に掌打でカウンターを狙うが逆に捕まれて手首が絞められた。小さな細腕の右手一本、軽んじた結果ギシッと関節が本来立てないはずの音を奏でる。

 

 こいつ……どういう握力して、んだよッッ……ッ! 骨が軋んでやがるぞ……!

 

 焦りながら残された手で、やむなしに人差し指と中指の二本抜き手を作る。突きだした指を、緋色の瞳を目掛けることで神崎を後退させるが、綺麗に指先から遠ざかった神崎は……まだやる気だな。

 

 時々『ガンチラ』武藤命名のスカートからホルスターが覗く現象が起きるが、ご自慢のガバは抜くつもりはなさそうだ。

 徒手格闘に自信があるんだな、噂通りの腕前だよ二つ名持ちめ。

 

「今のがご自慢のバリツかよ。体験したくなかったぜ、ちくしょうめ」

 

「ふーん、初体験ってワケね。いいわ、サービスしてあげる。あたしが使えるのは関節技だけじゃないの、お喋りしないことね。舌噛むわよ」

 

 神崎は一瞬で間合いを詰めると、即頭部を狙った回し蹴りを繰り出してくる。会話の不意をついた絶好のタイミング。

 だが、今度は俺が受け流し、カウンターの拳打が決まった。ようやく一撃かよ、ふらついた神崎の頭に真上から右肘を振り下ろすが胸に衝撃──息が詰まる感覚を覚えた。

 

 すくいあげるような掌打に背中が折れる。動きを予測していたように二度目の回し蹴りが、横から首を拐おうと振り上げられていた。

 鋭い蹴り、じゃねえな。ギロチンだよ、こんなの貰ったら首折れるぞ……ッ!

 

 恐ろしい威力に、咄嗟にブロックした腕ごと壁に思いきり叩きつけられる。

 これがただの蹴りなんて冗談じゃない……完全に鈍器で殴られる衝撃だ。体型と膂力、積んでるエンジンと馬力がまるで見合ってない。

 

「……近所のテコンドー道場にでも通いつめたのか?」

 

 投げの姿勢に持ち込もとうするが、バリツというのは想像以上に多彩な戦闘術だ。抜き手、投げ、関節技、隙を見て投げたカードが全部さばかれていく。駄目だな、こうなったら切札を切るしかない。

 

 真後ろに飛んで徒手格闘のレンジから離脱。神崎は詰めてこない、好都合だ。絞められた手首を軽く振って調子を確かめると俺はかぶりをふる、そして両手を高く掲げた。

 

 やがて、警戒を解いていない神崎が眉をひそめる。

 

「なんのつもり?」

 

「いわゆるホールドアップってやつ?」

 

 

 

 

 

「いつ鍵を?」

 

「あたしは武偵よ」

 

 勝手にカードーキーを偽造した神崎は……ソファーをぶんどり頭を傾けてこっちを見てる。実に堂々とした意思表示に肩の力が抜けた。

 

「キンジと一緒じゃねえのかよ?」

 

「逃げたわ」

 

「やるじゃないかキンジ、ちょっと見直した。いいか、今度からは呼鈴鳴らせ。門限まではちゃんと歓迎してやるよ」

 

 俺は文句を言われる前に間に合わせのインスタントコーヒーを差し出してやる。

 

「間に合わせだがどうぞ」

 

 ソファーに目配せすると視線がぶつかる。初めて神崎が押し掛けてきた日、こいつは押し掛けて一番に『エスプレッソ・ルンゴ・ドッピオ』とコーヒーをオーダーしやがった。当然だが我が家にルームサービスはないし、不運にもここは貧乏で有名な遠山宅。

 

 エスプレッソなんてねえし、普段インスタントしか飲まないキンジには呪文めいた言葉、意味不明な命令に聞こえただろうさ。堂々とインスタントを差し出したキンジの勇気にも感服するがな。

 先日、一度インスタントの味を体験した神崎は一口カップに口を付けて、顔をしかめる。

 

「変な味……」

 

「庶民の味だよ。イギリス貴族の舌には多分あわねえけどさ」

 

 弁明を聞いて、神崎がカップを離す。

 

「あたしのことを調べたわね?」

 

「噂を聞いた程度さ、デトロイトでな。有名人は国外にまで噂が伝わってる。あんたとあんたの師匠……Sランクのアンジェリカ・スターは特に有名だった」

 

「……まあね。噂には事欠かない人だったわ」

 

 自身も師匠である『アンジェリカ・スター』と同じ、つまりSランク武偵の神崎は、少し驚いた顔でカップを持ち上げる。

 

「あたしも噂に聞いてるわ。腕利きの獣人ハンターが密かにアメリカから日本に渡ったって話をね」

 

 神崎は強気な笑みを浮かべて一度言葉を切る。俺は黙って言葉を促す。詮索を始めたのは俺からだ。神崎がどこまで知っていたとして怒る道理はない。

 

「珍しい車だからすぐに分かったわ。67年製のシボレー・インパラに乗ったハンターの話はイギリスでも有名よ?」

 

「……UKの連中とは一悶着あったからな。俺のインパラは日本に来てから、ある人に譲って貰ったんだ。本土で乗ってたのは別モン。まだ家族が乗ってるよ」

 

「4ドアのインパラなんてよく見つけたわね」

 

「古い車を大切にするのはアメリカだけじゃないってことさ。頼むから走行距離は聞くなよ?」

 

「バカ。張り合ってどうするのよ」

 

「だな、野暮だった。今度はもっと旨いコーヒーをご馳走するよ」

 

「精進なさい」

 

 コーヒーを嗜む貴族の前で、俺は凹んだコーラのタブを開けた。

 

「あんたは何しに日本に?」

 

「武偵殺しを逮捕するためよ」

 

「だったら協力するよ。俺も同じ意見だ、今回の真犯人は別にいる。もっと頭のキレる奴がな」

 

 キレの良い炭酸が喉を刺激する。コーラをテーブルに置いたところで神崎と瞳が交差した。

 

「あたしには別の、やらなきゃいけないことがあるの。武偵殺しは絶対に捕まえるわ。どんな手段を使っても」

 

 真剣味を帯びた声で緋色の瞳がぶつかる。出会ってから色々な神崎の表情を見てきたが、今見せている表情が神崎の本質だな。

 " 逮捕 "の一言には例えようのない重みを感じる。そして、その表情に見覚えもあった。

 

「家族の問題か?」

 

 ぶつかった視線を夕焼けへと逸らし、浮かんだ言葉を口にした。

 声は返ってこない。沈む夕焼けに部屋の陰影がぐにゃりと形を変えていく。

 

「個人的な考えだが家族の話は熱くなるよな、それに真剣になる。話せない理由があるなら無理には聞かねえよ」

 

「あんたが日本に来た理由は?」

 

「人生はままならん。挫折する意気地無し、俺だ。いつもどこかのバカに邪魔されるからな。普通の生活がしたくて日本に来た、そんなところだ」

 

「変な解答してくれるわね。いつもそんな言い回しやってるの?」

 

「複雑な家庭環境で育った成れの果て。俺の家の日常会話ではこれが普通なんだよ」

 

 そして、キンジが帰るまで俺達の会話は止まる。俺が神崎からパーティーに誘われたのは数日経ってからのことだった。

 

 




『人生はままならん。挫折する意気地無し』s10,10、メタトロン──


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「なあ、こんな話知ってるか? 極限状態で結ばれた男女は長続きしないらしい。俺はそうは思わないんだ。そこで武藤、誰かにコクってみろよ」

 

「ああっ、チキショー! オレはあの映画嫌いになりそうだ!」

 

「俺もだよ。俺もバス嫌いになった……」

 

 朝。見渡す限り、武偵、武偵で埋まったバスの片隅に俺はいる。

 

 現在バスはパーティー気分の騒ぎ声とパニック、悲愴感溢れる悲鳴で満席。まるで最終戦争、世界の終末だな。

 十人が十人、阿鼻叫喚や地獄絵図って言葉を口にするね。この世の地獄だ。

 

「キンジを置いてきた罰だと思うか?」

 

「いいぜ、アドバイスしてやるよ。今度から満席のバスには乗らないことだな。通学には自分の車を使え」

 

「今朝はガレージでお休み中。どっかの馬鹿がガレージに忍びこんで、インパラをバラしていきやがった。これから鑑識科と情報科に探らせるところ」

 

「……おいおい、マジかよ。お前のインパラをバラしたのか?」

 

「マジだよ、大マジだ」

 

 武藤は半信半疑と言った表情、俺も肩をすくめてやる。

 

 俺にとってインパラは家族であり、帰るべき家だった。親父と兄貴、家族と過ごした想い出にはいつもインパラが傍にいたからな。

 親父が兄貴にインパラを譲ったときは自分のことのように一緒にはしゃいださ。広いボンネットに寝転んでコーラで乾杯して、決め手はブリトーとハンバーガー。ああ、最高だった。

 

 長い時間を共に過ごしたインパラはアメリカで兄貴達と一緒に狩りを続けてる。40年経っても大切にされてるはずさ。

 だがな。バラされたインパラも俺にとっては家族、たかが車に割り切れる存在じゃない。平然と無かったことにはできない一件だ。腸が煮え返るとはよく言ったもんだよ。

 

「災難だったな。67年のインパラは最高だ、大事にしてやれよ。でもよ、その話はこのバスから降りてからしようぜ?」

 

「ああ、スクラップは勘弁。これが終わったら引っ越し考えようかな」

 

「へえ、どこに行く?」

 

「怪物がいないところ、人間も。山のてっぺんで暮らそうかな。Wi-Fiさえ繋がればOK」

 

「文明とサヨナラしたいのかしたくないのか、どっちだよ。俺からも一言いいか?」

 

「ああ、どうぞ」

 

「バカみたいな話だけど無性にホットドッグ食いたい」

 

 ああ、ホットドッグか。この状況にはとことん似合わない単語だな。けど、

 

「バカでもないさ、俺も食いたい。手遅れだけど全身の細胞一つ一つが拒否してる、なんで乗ったんだってな」

 

「悪夢的状況だよな」

 

「まさに」

 

 武藤との会話で思考は現実に還る──7時58分、武偵高行きのバスは本来の進路を逸れて今もなお暴走している。

 

 『バスには種類不明の爆弾が仕掛けられ、速度を落とせばバスごと爆発──』。信じたくない現実は、すり替えられた生徒の携帯からボーカロイドでアナウンスされていた。

 

 『武偵殺し』。バス内の全員が名前を頭に浮かべただろうさ。見渡せばバスには中等部の女子もいる、武偵なら男女見境なしで標的だ。

 徹底してやがる、炸薬量をケチる輩じゃねえな。人もバスもまとめて吹っ飛ぶ……

 

 爆弾騒ぎで地団駄を踏む輩も出始めるが、意外にも落ち着いているのはさっきから会話を続けている武藤だ。こいつは常日頃からバカみたいな速度で車を運転してるから神経が図太い。

 危機意識はあるが騒いでも解決に繋がらないことを頭で理解してやがる。なんとも心強いよ。俺と武藤は息を吐いて、窓の外を睨む。

 

「切、このまま行けば都市部に突っ込むぞ。オレら、明日は新聞の見出しを飾るかもな?」

 

「バスを吹っ飛ばす炸薬量だ、起爆したら誰が誰だか分からねえよ。子供がソーダ水にラムネを落とすわけじゃないんだ」

 

「……優しい嘘つけよ。くそったれ、仕掛けるなら車体の下だ。中からは解体できねえぞ」

 

「だとしたら、強襲科お得意のコバンザメしかないな。タイヤに巻き込まれないことを祈るよ。けど、そいつは最後の手段。ルームメイトと転校生を信じようぜ──ほら、来やがった」

 

 タイミング良く、窓からルームメイトが顔を覗かせた。ブランクがあるくせに空挺かよ、やるじゃねえか。窓を開けてやると、ワイヤーを切り離してキンジが車内に入ってくる。

 

「よう相棒、パーティにようこそ」

 

「友達を見捨てたバチが当たったな。俺のコーラも飲んだろ、あとで返せよな」

 

「言い訳は帰ってから考える。いいか、バスは遠隔操作されてる。チャリと同じだ、減速したら吹っ飛ぶぞ」

 

 苦い表情でキンジがインカムの音を拾う。騒ぎ立つ車内で聞きえるのは、神崎の名前。ほぼ同じくバスが強く揺れた。

 

「お次はなんだ……!?」

 

 押し込まれた生徒たちがもつれ合い、転げ回って悲鳴が連なる。俺も武藤共々もみくちゃにされるが後ろの窓から、見えた。生徒の体の隙間から追突するオープンカーの様子を、できれば見たくなかった無人の座席に鎮座した火器を──

 

「アリア!」

 

「待てキンジィ! そいつはUZIを……ちくしょう、伏せろ──!」

 

 いつのまにか後ろから横に回り、バスと並走していたオープンカー……真っ赤なルノーがこっちにUZIを乱射しやがった。

 バスの外へ出ようとするキンジを止める時間もなかった。悲鳴と銃声が混ざり、地獄の釜となったバスの中で粉々になったガラスの破片が舞う。

 

 間一髪で伏せた頭を粉々になったガラスが叩いた。ようやく銃声が止まり、四方を見渡せば前から後ろまでバスの窓は木っ端微塵、外の景色が透けている。

 今の乱射でキンジも車内に押し戻されたか。狂人だな、無人だからって滅茶苦茶しやがるぜ……

 

「……武藤。生きてるか?」

 

「……今日は厄日だ。神様も轢いてやる」

 

「これが片付いたら星枷に厄払いしてもらえ。うおッ!?」

 

 突然、不気味な浮遊感と共にバスが横に大きく振られる。俺は頭を座席に思いきりぶつけた。

 

「む、武藤! 運転席だッ、急げ!スピードが落ちてる!」

 

 キンジが叫ぶ。運転席が見えるとキンジの意図を悟り、背筋が凍った。運転手が被弾してる。

 やべえぞ。さっきのUZIで肩をやられてる。ハンドルにもたれて動いてねえ。スピードも落ちてる、なんとかしないと仲良くスクラップだぞ。

 

 バスが左車線にはみ出し、それを避けようとした対向車がガードレールと接触事故を起こす。

 運転手の体重で切られていくハンドルをキンジの叫びで動いていた武藤が血相を変えて掴む。転んだ女子生徒が落とした携帯からボーカロイドの新たな指示が聞こえた。

 

「有明コロシアムの 角を 右折しやがれです」

 

 好き勝手言いやがる。

 なんとか他の生徒と協力して運転手を床に降ろし、運転席には武藤が代わってハンドルを握った。

 

「見せ場だぜ運転手、今日は誰も文句言わない! ここをアウトバーンと思え!」

 

「い、いいけどよ! オレ、こないだ改造車がバレて、あと一点しか違反できないんだぞ!」

 

「そもそもこのバスは通行帯違反だ。晴れて免停だな、おめでとう」

 

「落ちやがれ! お前らまとめて轢いてやる!」

 

 豪雨の中、キンジの防弾ヘルメットを受け取っていた武藤がハンドルを握りしめた。

 スピードを戻したバスは、いよいよレインボーブリッジに入っていく。ちくしょうめ、都心が見えてきたぞ。

 

 幸い道路の封鎖が間に合ったらしく、ブリッジには車が一台もない。接触事故の危険はなくなったが、いつのまにかキンジの姿が消えていて見当たらない。

 血液が凍り付くような悪寒が背筋を撫でた。

 

 並走していたルノーが前方に回り込んで、脳が警鐘を鳴らすが──遅い。

 円を描くように振られていたUZIの銃口が止まる。標的を定めた合図だった。

 

「──キンジィ! 神崎ィ!」

 

 被弾音が、二つ。バスの天井でなにかが落下した音が聞こえた。目眩がしたのは一瞬、血走る瞳で俺はルノーを睨む。

 

「──おまえぇッ!」

 

 進行を阻む車輌にトーラスを抜こうとして破裂音がルノーを揺らした。他に車や人影はない、狙撃だ。キンジが空挺したヘリか……?

 

 うなりを上げるローターの羽音は、やはり武偵高のヘリだ。レインボーブリッジの真横につけたヘリは、豪雨にありながらハッチを大きく開いている。

 バランスを失ったルノーがガードレールと火花を散らし、開けた視界には確かに見えた。

 

 強風に靡き、豪雨に打たれても、存在感を失うことのない青い髪が──

 

「レキ……?」

 

 豪雨に構わず、呼んだ名前は銃声に被せられる。バスに衝撃が伝わり、着弾の音は三回、衝撃も一拍ずつ遅れてやってくる。

 悪環境を感じさせない精密な射撃。そして爆弾はバスから切り離された、ドラグノフの狙撃による信じられない幕引きと一緒に。

 

「武藤。あとは頼む!」

 

 気がつけばバスの窓に身を乗り出していた。まだ減速しているバスに体が引っ張られる、知ったことか。

 バスの屋根によじ登り、減速したバスはようやく停まる。

 

 パーティーに誘われた、協力してやると軽々しく言ってやったさ。

 結束すれば犯罪者の一人くらい逮捕できるってな。自負もあったさ。神崎の、家族の問題を解決してやれるかもしれないって。

 

 けど現実はどうだ。

 雨に打たれて額から血を流す神崎とそれを抱き抱えるキンジ。酸鼻極まる光景に俺はなにかしてやれたのか。

 いいや、何もしてやれてないんだよ。何もな……

 

 

 

 

 

 

「よう、キンジ」

 

 神崎が運ばれた武偵病院には、まあ当然だがキンジがいた。苦虫を噛み潰した顔をして、VIP用の個室を出てきたところだ。他にも先客がいたらしい、飾られた白百合には『レキより』とカードがついていた。

 

「今回は助かったよ。レキにも礼を言っとく」

 

「嫌みか?」

 

「人質の分際だ、嫌味すら言えねえよ。キッカケを作ったのはバスジャックされた俺たちだ。救助に来てくれたお前に礼は言っても嫌味を言うのは筋違い。神崎の怪我も……お前を責める権利は俺にはない。あるのは、神崎だけだ」

 

「俺は、お前やあいつに期待されるような男じゃないんだ。もう……武偵なんか辞めるって決めたんだ」

 

「……悪ぃ」

 

 そこまで言って、俺は何も言い返せなくなる。キンジが武偵を辞めたい理由を知ってるからな、こいつも神崎と同じだ。家族の問題には誰だって熱くなる。

 

「じゃあな」

 

 すれちがったキンジはひどい顔をしていた。

 ああ、ひでえ顔だよ、俺もおんなじ顔だ。

 

 

 

 

 




『怪物がいないところ、人間も。山のてっぺんで暮らそうかな』s14、6、チャーリー・ブラッドベリー──


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ファースト・コンタクト

 

 

「なあ、チャンネル変えてかまわねーか?」

 

 返ってくるのは、『ああ……』と一言。心此処に在らずの返事だ。

 

 バスジャック以来、キンジはずっとこの調子、なにを言っても上の空だ。

 神崎の傷はキンジの心にも爪痕を残したんだ、大きな傷跡だ。

 

 神崎・H・アリア──キンジにとって悩みの種だった非日常は去った。静かな部屋は戻った。ガバが吠えることもない。強襲科に戻る必要もなくなった。来年まで探偵科でだらだら過ごせば一般の高校に転入できる、望んでいた結果のはずさ。

 

 ところがキンジが浮かべるのは寂寥感に打ちのめされたひでえ顔だ。

 望んでいた結果と今の自分の気持ちが矛盾してる、そんな痛ましい顔だ。

 

 見るに堪えねえ顔は、病室に残されていた神崎との時間を俺に振り返らせる。

 

 額の傷を隠すための緋色の前髪が……ああ、人のことは言えないよ、俺だって忘れられない。

 

 行き場のない気持ちを吐き出すように、振り上げた拳で壁を強く叩いた。

 最悪だ。見るに堪えねえ顔はお互い様だろうからな。

 

 

 

 

 

 神崎が退院する予定と聞いていた前日。

 土曜日の朝に俺は柄にもなくお見舞いに出かけた。

 

 バスジャックの日からガレージでお休みだったインパラの修理も終わり、病み上がりのパートナーを引っ張り出して、まだ時計が12の数字を指さない時間に一人で学園島の道路を走る。

 上の空だったルームメイトも誘ったが『明日行く』と、早朝から掃除と洗濯を始めたきり会話らしい会話はなかった。

 

 俺はかぶりを振り、いつものようにカセットデッキにテープを押し込む。

 明日は退院日だ、キンジが神崎と行き違いにだけはならないことを祈ってる。

 キンジと神崎の仲に触れた途端、それが契機であるかのようにテープが回り始める。インパラのエンジン音に重なって流れるのは数日前神崎が登校中の車内で選んでくれた曲だ。

 

 カーヴァー・エドランド著書、失踪した親父を探して二人の兄弟が悪霊、悪魔、天使、異教の神々達と戦いながら、広大なアメリカを旅する──家族の物語。そのテーマ曲。名曲だがこのタイミングで聞くと助手席と誰もいない後部座席がすっげえ哀愁を感じるよ。

 

 

 昼下がりの道路は閑散としていた。

 インパラをバラした犯人は……まだ見つかってない。ガレージの防犯カメラは使い物にならず、鑑識科にも探らせたが正体は辿れなかった。まるで塩素の入った水をぶち撒けられたように証拠と呼べるものが消されている。

 

 抜け目のない犯人の行動も俺の苛立ちを煽る要因だった。現状で分かることは忍びこまれたのはバスジャックの前日の夜から朝にかけての時間であること。

 

 おかげで俺は乗るはずのないバスに乗って爆弾騒ぎに巻き込まれた挙げ句、車輌科から買う必要のないマスターシリンダーと諸々の部品にポケットマネーを差し出す羽目になったわけだ。

 女と食い物と車の恨みは恐ろしい必ず捕まえて修理費を弁償させてやる、色をつけてな。

 

 短い期間で二度目の武偵病院を訪れた俺は、お見舞いに果物のバスケットを右手で抱え部屋をノックする。どうせなら花も一緒にと思ったが明日が退院日なら邪魔になるだけだ。

 

「だれ?」

 

「ピザーのデリバリーですよ、お客様。まあピザはないんだけどさ」

 

「アンタも暇ね。いいわよ、入って」

 

 俺が部屋に入ると、神崎は工具で拳銃をいじっていた。サイドテーブルにはもう一挺のガバメントが置いてある。カスタム済みだな、特注か。

 

「命の恩人だ、何回お見舞いしたって足りねえよ。それになんたって俺は暇だからな」

 

「でしょうね。アンタの芝居がかった台詞回しも馴れてきたところだし……残念ね」

 

 重い口の動きに俺は意味を悟った。

 

「いつだよ」

 

「週明け、早ければだけど──ロンドンに帰るわ」

 

「そっか」

 

 キンジとはパートナー解消か。

 遠い島国で見つけたパートナー候補だ、神崎の表情も歯痒く見える。

 

「ねえキリ」

 

「どうかしたか?」

 

「誰もあたしに、ついてこれない。あたしはいつまでも独唱歌のまま」

 

「ヨーダみたいに達観するのはやめろ。俺のルームメイトは普段は頼りないがやるときはやるやつだ。それだけ覚えててやってくれ。ああ見えて、あんたのこと嫌いじゃないんだよ」

 

 ったく、ダメだな。いい言葉が浮かばねえ。

 壁際の椅子にバスケットを置くと、神崎がサイドテーブルのガバメントを片付けだした。テーブルに置けってことか。

 

 スペースを確保したテーブルに置いてやると、工具と拳銃の物騒だったテーブルは一気に物静かになった。

 

「キンジから聞いたわ。愛しのインパラは修理できたの?」

 

「ああ、車輌科に借りができたよ。犯人は目下捜索中でな。情報をくれたらももまん奢るぜ、ヴェロニカマーズ」

 

「……あのドラマシーズン1しか見てない」

 

「帰るまで全シーズンのDVD貸してやるよ。つーか、やるよ。ロンドンに持っていけ」

 

「センスないわね」

 

 神崎が苦笑いでため息をつく。

 

「……前にも言ったわね。あたしには時間がないって」

 

「覚えてるよ。家族の話だろ」

 

 表情を引き締めて神崎を視界に据える。数日前に見たときと変わらない、真剣な表情だ。

 

「あたしのママには、容疑がかけられてるの……武偵殺しの容疑よ」

 

「それが家族の問題?」

 

 頷いて、神崎が続ける。

 

「危険の及ばない範囲であんたにも話すわ。いつか、あんたの力を借りるかもしれない。そのときは狩りを手伝ってほしい」

 

 危険の及ばない範囲……Sランク武偵でも警戒するブラックボックスかよ。だがもっと気になるのは最後の言葉だ。

 

「好き好んでリヴァイアサンの巣を眺める気はない。だが容疑は武偵殺しだろ。狩りって言ったよな? ライカンが絡むのか?」

 

「組織規模としか言えないわ。話せるのはここまでよ」

 

 あとは察しろって顔だな。つまり、容疑の原因には複数の犯人が糸を引いてる。そいつらはSランクでも慎重になるブラックボックス、かなりやばい組織ってことになるな。

 

 ライカンも御抱えなら、神崎の『狩り』の言葉にも納得がいく。

 無闇に藪をつつけば魔物が首を出してもおかしくなさそうだ、追及はできねえな。病室で他の誰かに聞かれても面倒事になる。

 

 かぶりを振り、俺は動作を挟むことで気持ちを切り替える。

 

「分かった、そのときは手を貸すよ。俺のことは気にするな。色んなところに泥をまいて歩いてきたからさ」

 

 自虐気味に笑ってやると、病室のドアがノックされた。意外な来訪者に目が丸くなる。

 

「雪平さんもご一緒ですか」

 

「ああ。退院日前って聞いてな」

 

 来訪者、つまりレキは見覚えのある紙袋を抱えていた。神崎の目の色が袋を目にした途端に変わる。

 甘ったるいにおいをセンサーが捉えやがったな。餌を見つけたライオンかよ……

 

「まだ礼は言ってなかったよな。この前は助かったよ、ありがとう」

 

 重苦しい空気を一転させたレキは表情を変えずに頷くだけだ。

 クールだね。ロボットレキのあだ名が一部で広がってるが、俺に言わせれば彼女は仕事人だ。ロボットじゃねえよ、神崎の大好きなももまんを手土産に二回もお見舞いに来てるんだからな。優しい子じゃねえか。

 

 レキにお礼を言って、俺は彼女と入れ替わりで病室を出た。そういや昼飯まだだったな、ドライブスルーでも寄って帰るか。

 

 病院の廊下をそんなことを考えながら歩いていると、駐車場に停めていたインパラがすぐ近くまで見えてきた。

 ドアに鍵を差し込んだのとほぼ同時に、制服のポケットに入れていた携帯電話が震える。

 

 ……知らない番号だ。

 無視してドアをしめるがコールはまだ続いている。一瞬迷ったが、受話器を耳に当てた。

 

『雪平切ね?』

 

 電話口から清涼感のある女性の声が聞こえる。一度聞けば耳に残る声だ、覚えがない。

 

「誰だ、あんた」

 

『取引をしましょう』

 

「残念だけどさ。家族揃って、今まで誰かと取引して上手く行った試しがないんだ。誰か知らねえが他の顧客を当たってくれ」

 

『車を荒らした犯人を知っているわ。色もつけましょう、武偵殺しの情報も提供してあげる』

 

 通話口から離そうとした手が止まった。暴れだしそうな心臓を押さえつけて耳を押し当てる。

 

「あんたの要望は?」

 

『会ってから伝えるわ。待ちあわせは今から二時間後、場所はメールを読みなさい。遅れたら中止になっちゃうかもね』

 

 電話の向こうで抑揚のない声が笑っていた。

 

「待てよ、俺達は初対面だぜ。仕事に信用は大事だ、あんたを信じる根拠をくれ」

 

『──私は手詰まりのあなたに垂らされた一本の糸、アリアドネの糸をつかむかどうかはあなたが決めることよ』

 

「笑わせんな、こいつはデス・スターへの招待状だ」

 

『恐いならお友達を連れてきなさいな。躊躇いは無用──蟻に怯える蠍はいない』

 

 電話が切られると、俺は未だ半信半疑でメールボックスを確認する。新着メールが一件受信されていた。

 メールの差出人は……確認するまでもねえよな。メールには端的に待ち合わせの場所が書いてある。苛立ちに舌が鳴った。

 

 蟻に恐れる蠍はいないだと? それっぽいこと言いやがって。

 

 インパラを走らせてもぎりぎり間に合うかどうかの距離だ。

 最初から碌に準備もさせずデス・スターに誘うつもりだったな。俺は二回目の舌打ちとほぼ同時にインパラのキーを回した。

 

 通話を越えて伝わってきた得体の知れない悪寒、武偵殺しが神崎の追っている組織の一員だとするなら、情報を握っている通話相手も関係者である可能性が高い。上等だ、一人で皇帝に謁見してやるよ。

 

 

 バックミラーを右手で弄り、俺は急いで指定された場所に向かった。

 二時間の猶予は武偵病院から目的地までの移動時間にぴったりと当てはまる。

 あの女は俺が武偵病院にいることを知ってやがったんだ。手間隙かけやがるぜ、嫌なフラグがぷんぷんしやがる。

 

 

 

 

 

 

 

 南北およそ2キロ・東西500メートルの長方形をした人工浮島。今では馴染みとなった土地が景色として流れて、俺は待ち合わせの場所となった建物の付近にインパラを停めた。

 静まり返った夜の暗闇に、死に絶えた廃墟が浮かび上がってくる。

 舗装路を割って伸びてきたツルに浸食されている建物、錆びだらけになった自動車はB級のホラー映画に出てくるちゃちなセットみたいだ。

 

 人工的な環境は人が手を離せば簡単に崩壊していく。荒廃した建物に向けて、一歩足を進ませた頃、不意に俺の携帯電話が震える。

 ついてるぜ、どうせ探し回るつもりだったからな。

 

 見上げた俺の視界には、煌めく光の粒子があった、夜の暗闇をバックに煌めいているが星じゃない。直線的な並び、足場を作るように無数の煌めきが線を並べていた。

 TNKワイヤー、防弾制服にも利用されている強靭な繊維で編まれたステージで、黒いセーラー服の少女がこちらを見下ろしていた。右手に震える携帯電話を持ちながら──

 

「遅れなかったのね。嬉しい誤算だわ」

 

 一度聞けば忘れることのない清涼感のある声、こいつが電話の相手だな。

 

「車の調子が良くてな、自慢のインパラだ」

 

 見上げる俺は、空を睨むような角度で答える。真っ黒なストレートの髪に好対照して、わずかに見える手や首筋の肌は細雪を思わせる美しさだ。

 長い髪を纏める白いリボンと髪飾りの生花を除けば、少女の姿は黒一色。それでいて夜の闇に存在感を奪われていない。目に毒だ、取引の立場も忘れそうになる。

 

「でさぁ、取引のことなんだが。やめにして一緒にドライブでもどうだ?」

 

 ……返答がない、気のせいかな。なんかあの子、ゴミを見るような目してねえか?

 

「私は仲介人。友逹があなたと取引をしたがっているの」

 

「言えた立場じゃないけどさ、もっとホワイトな友人を薦めるよ。それで、取引の内容を教えてもらえるか」

 

「取引はシンプルよ。武偵殺し、あなたの車を壊した犯人の情報と、『コルト』を交換。知ってる知識も、オマケで頂戴。ボーナスがつくの」

 

 ……駄目だ、表情を変えるな。

 勘づかれる。息を詰まらせるな。

 

「ああ、コルトか。知ってるよ、ガバメントは名作だよな。それともSAA、お友だちは西部劇が好きなのか?」

 

「口数を増やせば乗り切れるだなんて、思わないことね。下手な嘘は相手を煽るだけよ、コルトの在処を教えなさい。アラモの戦いの時代、創設者によって作られた銃──」

 

「その銃に殺せない物は5つだけ。人やライカンだけじゃない、天使や悪魔だって殺せる銃。お伽噺話だ」

 

 鼻で笑ってやるが、かぶりを振られる。

 

「私も信じてない。でも、欲しいのよ。欲しくてたまらない。私の友達はあの銃が欲しいの。ねえ、頂戴?」

 

「……あの銃にはもう弾がない。手にいれたとしてもガラクタ同然のアンティーク銃、インテリアになるのがオチだ。それに俺は在処を知らない」

 

「トボケちゃって」

 

 最悪だ、この女マジでコルトの存在を信じて疑ってないぞ。あの目は信じるに足りる根拠がある目だ。このまま続けても水掛け論になる。

 

 なんでも殺せるコルトは埃の被ったお伽噺話、ただの眉唾物だ、みんなが言ってる。

 まさか日本で取引の材料にされるとはな。さて──

 

「分かった。お互いの情報は尊重しよう。ゲームでも言うよな、情報は王国への鍵だ。あんたの言うとおり、コルトは確かに実在したよ」

 

「続けて」

 

「だが、さっき話したとおりさ。撃つための弾が残ってない。1800年代、まだ彼が鉄道を作るよりも前にコルトは作られた。とあるハンターに向けて製作されたその銃は、同時に新鋳された13発の銀の弾を併用することであらゆる存在を殺すことが出来る。魔女やライカンも一撃の超必さ、5つの例外を除けばな」

 

「どうして弾が残ってないと言い切れるの?」

 

「最後の弾を撃ったのが兄貴だから。俺のちゃちな嘘は悔しいがあんたには見抜かれる、だから真実を話す」

 

 序盤《シーズン3》までな。

 

「コルトの記述や言い伝えは様々だが、多くは8発の銃弾が使われた後失われたと言われてる。残りの5発と銃を俺はコロラドで見つけた、その後は何度か持ち主を転々としやがるが最終的には弾は全部使いきった。もう一発も残ってないし、弾の作り方はどこにも記述されてない。分かるだろ、打ち止めだよ」

 

「弾がないと役に立たない」

 

「ああ、御名答。それらしい文献をかたっぱしから調べたが弾の作り方は見つからなかった。

 それにコルトはとっくに俺の手元から離れてる、知りたきゃ地獄まで行ってがめつい泥棒女に聞くんだな」

 

「死人に口なし。最低な男ね」

 

「家族が嵌められた。恨まない方がどうかしてる」

 

 生ぬるい風が髪を撫でていく。少女の瞳が冷たい輝きを放ちながら細められていった。

 

「Trust for Trust《信用には信用を》。信じることにしましょう。約束は守るわ、あなたの車を解体した犯人と武偵殺しの情報を教えてあげる」

 

「続けてくれ」

 

 さっきとは反対の立場で返してやる。

 

「犯人は武偵殺し」

 

「根拠は?」

 

「本人から頼まれたの。あなたに伝えるように」

 

「待てよ、じゃああんたの友人ってのは……」

 

 不意に瓦礫を砕くような音がした。駆動音が遅れてやってくる。ちくしょうめ……例のセグウェイかよ……!1、2……全部で4台もあるじゃねえか。前の女と後ろで挟みやがった……!

 

「犯人は伝えたわ。あとは好きにしてもいい約束だから」

 

「蟻に怯える蠍はいないはずだろ」

 

「他意はないわ、勝手についてきたの」

 

「どいつも同じこと言うよ。とどのつまり、お友達は武偵殺しか。なあ最後に聞かせくれ、どうしてインパラを狙う必要があったんだ」

 

「計画の邪魔になるからよ。遠山キンジにはバスにもあなたの車にも乗ってもらっては困るの。根底にある理由までは私も覗けないわ」

 

 見えないことばかりだ。キンジのチャリに爆弾仕掛けといてバスジャックで選別する意味はなんだ?

 

 俺を省いて、神崎とキンジを試す気でもいたのか、分からないことが多すぎる。

 だが、目の前には武偵殺しに繋がる手がかりがある、神崎が欲している情報が視界に転がってやがる。やることは決まってるだろ。

 

「言葉は不要のご様子」

 

 こちらの意思を察したように、ワイヤーのステージから少女が飛び降りてきた。高低差はそれなりにあるが足を挫いた様子はない。

 スッと左手だけにしていた手袋を外し、マニキュアのように塗り分けられた五色の爪が月光に照らされる。その鮮やかさとは裏腹に、背筋が言い様のない寒さに見舞われた。

 

 やべえな、あの爪はやばい。直感で分かる、爪は刀、手袋が鞘だ。いま眼前にいた女は、静かに鯉口を切り、そして刀を抜いた。月下に照らされているあの五指は、人を殺せる。

 

「──毒を持って毒を制す。イ・ウー研鑽派『魔宮の蠍』がお相手するわ」

 

 降り立った少女はスカートをつまんで辞儀をする。イ・ウー……それが神崎の追ってる組織。

 名前を出すことも危険なブラックボックス。その構成員である少女に戦いを挑む意味。

 

 安心しろ、正しく理解してるぜ神崎。

 家族の問題を解決できるのは家族だけ、だが俺はお前につく。ロンドンに帰ろうとな。

 

「俺は名は雪平切、育ちはカンザス州ローレンス。仕事は怪物退治──」

 

 

 

 

 

 

 開戦の合図は派手だった。

 おとなしくなだめられていたUZIが壮大に鉛弾をばらまき、廃墟はコンマ一秒で地獄の釜に変わりやがった。

 

 息を吐き出す気軽さで9mmが真っ暗闇に段幕を張る戦場、俺は全力で廃墟の建物の一角に逃げ込んだ。

 建物の中は埃や砂が堆積して気分は最悪、まあハチの巣よりは全然いい。

 

 駆動音が近づいてくるが瓦礫や倒壊した硝子で室内の足場は不安定だ。ついてるぜ、タイヤには優しくねえコースだよな。

 生真面目に俺を追ってくるセグウェイを待ち受ける。暗闇で迸ったUZIの発火炎を頼りにまずは一機、立ち往生していた別のセグウェイにも鉛弾を撃ち込んで一方的に沈黙させる。残るは二機、来やがれスクラップにしてやる。

 

 朽ちた建物で行われる久々のイベントは、人間と機械による9mmのぶつけあい。最高にクレイジーだな。

 セグウェイと異種対抗のドンパチを続けるが先に弾が切れるのは俺だ。瓦礫の山を踏み荒らし、即興の壁を背中に預けて息を潜めながらホールドオープンのトーラスに弾倉を差し込む。

 

「クソテクノロジーめ。レクサは好きだがチップはお断りだ。光の街に帰りやがれ」

 

 腕を山から突きだして無茶苦茶に引き金を引く。無駄弾も撒くが何発かタイヤとUZIにヒット。

 残された最後のセグウェイが瓦礫を砕いて回る音はマジでホラー物だが、マシンピストルの息の根は長くなかった。

 

 俺は姿勢を屈めて堆積した瓦礫を滑り降りた。熱センサーで場所が割れてるせいだな、距離が近い。

 痛み分け覚悟でセグウェイの真下に潜り込み、制服の袖をくいっと揺らす。仕込んでいた銀の剣をワンアクションで手におさめ、最後の一機も力業で沈黙させた。銃座を壊し、耳障りな駆動音も他には聞こえない。セグウェイに乗ってみたいなんて二度と言わねえ……

 

「露払いは済んだ?」

 

 振り向いた瞬間トーラスの引き金を引いた。

 だが、いつまで経とうが銃声が耳に届かない。その理由に気付いて背筋がゾッとする。

 

 こいつ……この一瞬でトリガーガードに南京錠を……ッ!

 トリガーに邪魔して引けねえぞ、インテリアになりやがった。

 

 ……しくじった。

 セグウェイに意識を向けすぎて本命の注意が散漫になった。ここまで接近を許すなんてバカ丸出しだ……

 

「雨蛙が毒蛇に勝てる道理はないの」

 

「やってみなきゃ分からない」

 

 刹那、怪しく着色された爪が露出した俺の顔を目掛けて伸びてきた。

 数ミリ手前、あと少し押し込めば触れる距離。だが俺も剣を少女の首に固定していた。腕を引こうものなら、即座に彼女の首を落とせる。

 

「躊躇わないのね、ケダモノだわ」

 

「もののけにだって心はあるんだよ」

 

 余った手が同時に動く。

 奇しくも同じ裏拳は正反対に軌道を描き、拳同士を打ち付けた。お互いに殺傷圏内からノックバック、不安定な足場で埃が舞い上がる。

 

「ハンターのセリフとは思えないわね」

 

 風を切る音が声に被せられる。投擲されたナイフに反応して俺もナイフをぶつける。

 軌道上で衝突したナイフが金属音を立て、暗闇で狙いを外さなかったことに少女は少しだけ表情を変えた。

 

「……思ったよりも手がかかるわね。時間が来てしまったわ。これ以上は相手ができない」

 

「諦めたって顔じゃねえだろ。今のがあんたの本気には思えない」

 

「優しいのね、誉めてくれるなんて」

 

 少女はくるりと踵を返した。

 小さな背中が無防備に向けられている。銃は使えないがナイフを投擲すれば、俺は……考えてかぶりを振った。ちくしょうめ……こ、の、女……いつ、いつ、だ……いつ、盛りやがった…

 

「……やり、やがったな」

 

 喉が血で噎せる。

 膝をついて咳き込んだら、床には毒々しい花が咲いてやがった。

 まずいな、肺をやられた、視界も欠けていきやがる。毒の症状だ。何が撤退だ、勝利宣言じゃねえかよ。

 

「……待てよ。名前を聞いてねえぜ。ドライブを、キャンセルされたんだ。名前くらいは、おいて、けよ……」

 

 激しい吐き気と頭痛、体が焼かれてやがる。

 自分が汚した血で立ち上がった足がすべりそうになった、まだ立てる、まだ手が動く、足が動く。

 

 凶眼で敵を見据えたとき、夜に溶け込んだ黒髪が尾を揺らすようにして反転した。

 

「──夾竹桃」

 

 これが俺と魔宮の蠍の、忘れることのできないファーストコンタクト。

 

 

 




見切り発車の作品も一巻完結間近となりました。尖ったSSでありますが読んで下さった皆様に感謝を。


『もののけにだって心はあるんだよ』S8、17、メグ・マスターズ──


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名前

 

 

 

「なあレキ、ずっと前から言おうと思ったんだけどさ。お前って本当にいいやつだな。俺泣きそうだよ」

 

「大袈裟です」

 

「入院して3日。医者とナースを除いたら部屋に来てくれたのはお前だけ、泣きたくもなるさ」

 

「綴先生も訪ねられたのでは?」

 

「先生なら部屋に入るなり笑うだけ笑って、パチンコ本置いて出ていったよ」

 

 手元の雑誌をレキに渡してみるが身動きはない。いらねえよな、俺だっていらねえよ。

 

 自力で呼んだ救援が間に合って、俺は解毒処置と武偵病院で入院が決まった。神崎が退院する前日に入院が決まる嫌な偶然だ、VIPルームじゃねえけどな。

 暇な入院生活も3日が過ぎた頃、初めてレキがお見舞いに来てくれた。先生のあれをカウントしなけりゃレキが最初の一人。もう一度言っとく、俺泣きそう。

 

「なあ、神崎の様子は?」

 

「イギリスに帰国が決まったそうです。今夜7時のチャーター便かと」

 

「そっか」

 

 俺は気持ちをなだめるようにかぶりを振った。

 もう会えないと決まったわけじゃないさ。今回の一件で俺もイ・ウーと関わっちまった。どこかでまた目的が交わることもあるはずだ。

 ……って携帯は電源を切ったはずじゃ、誰だよ、キンジからのメール──?

 

 

 

 

 

 

「前にも言ったがもう一度言ってやる。アホは今まで大勢見てるがお前はその中でも王様だな」

 

「へぇ、どこまでアホに見える?」

 

「ジョーズを金魚鉢にいれて飼ってるくらいだよ!」

 

 初めて神崎が部屋に押し掛けてきたときと同じやりとりだが、いるのは都内を走るインパラの車中だ。

 メーターの針がほぼ右に傾いて動かず、窓の外に広がる陽光のない景色をぐんぐん追い抜いていく。見えてきやがったぜ羽田空港……!

 

「舌噛んでも自己責任だぞ! こっちはドクを押し切って急遽退院の身だからな! しばらく病院には行きたくねえ!」

 

「頼りになる味方とインパラのシートが恋しくてね。アリアの為に今は協力してほしい」

 

「アリアの為に──ねえ。こっちのお前が絡むと碌なことにならねえな。いつもいきなり出てきやがって。その姿は武偵殺しをぶちこむまで持ちそうか?」

 

「持ってあと……3分だな」

 

「最高、聞かなきゃよかったよ。遺言があったら、どうぞ」

 

 嫌味を飛ばしてやるがやるしかない。

 もう病院を抜けてきたからな。退路は既に火の海だ。

 

「お前の推論が正しいなら空で直接対決か?」

 

「バイク、自動車、船。大きくなっていた乗り物が一度小さくなった。俺のチャリ・ジャックはリセット、新たな標的のスタートだったんだ。そして次が先日のバス・ジャック。武偵殺しは兄さんを仕留めたのと同じ三件目で──アリアを仕留める気だ。このハイジャックで」

 

「わざわざSランク武偵を標的にする必要あるかねえ……バカでアホでマヌケな考えだ。もしくはとんでもない人違いか」

 

「どっちにしても会えばハッキリする。奴は乗ってるぞ、あの便に」

 

 確かに。

 本人に聞いてやるのが一番早い。前を行く車をかたっぱしから追い抜き、忙しなくハンドルを切る。

 

「退院して早々に空の旅、忙しい日だな」

 

「悪は休まない、こっちも」

 

「ああ、神崎にだけ休みをくれてやる道理はない。ついたぜ、時間がねえぞ走れ!」

 

 空港のチェックインを武偵手帳についた徽章で通り抜け、金属探知機もパスして足を動かす。

 人混みをぬいて、また抜いて、二人でハッチを閉じつつある機体に飛び込んだ。駆け込みで機内に転がった俺たちの背後で、入口が閉ざされた。

 

「──武偵だ! 離陸を中止しろっ」

 

「お、お客様!? 失礼ですが、ど、どういう……」

 

「説明しているヒマはない! とにかく、この飛行機を止めるんだ!」

 

 目を丸くしているフライトアテンダントに、キンジは鬼の形相で武偵徽章を突きつけている。

 さっきまでの冷静な空気はどこ行きやがった。本当に3分しか持たなかったな。嫌な仕事だぜ、どっちがハイジャック犯なんだか分からねえ。

 

「待て、キンジ。俺から話す。いきなりで悪いんだけど機長に伝えてくれ、緊急事態なんだ。馬鹿な要望だよな、俺たちもそう思ってる。けどあんたが動かなかったら手遅れだ、頼む」

 

 アテンダントはビビりまくった顔で頷き、2階へと駆けていった。

 信用には信用を──難しい話だな……ついでに手遅れだ、滑走路に入りやがった。もう止められねえぞ。

 

「バ、バッカヤロウ……!」

 

「どっからも根回しがないんだ。信じてもらうのも一苦労の仕事だな、FBIやテキサス・レンジャーと違ってさ」

 

 震えたアテンダントが戻ってきたが機長に進言して怒鳴られたらしい。

 管制官からのお通知がなけりゃ機体も止められねえか。彼女には迷惑かけちまって悪いが人命第一だ。

 

「切、第二プランでいくぞ。このままやつを追いたてる」

 

「任せろ。飛行機の機内で犯人探しなら、前に一度体験済みだ」

 

「それは初めて聞いた」

 

「酒のつまみにもならねえ話。S研用語絡んでいいなら話すけど?」

 

「そっちは俺の管轄外だ」

 

「だよな、キャンプファイヤーでやるにはいい話だよ。でもここじゃマシュマロは焼けない。さっさと神崎を探して、この空の旅の終わらせる」

 

「ああ、与太話で盛り上がるのはそれからだ」

 

 機体は上空に出てる、退路はないがそれは武偵殺しも同じ条件だ。

 キンジの第二プラン……実際に陥る結果として濃厚だったのはこっちのプランだが、それは至ってシンプルだった。

 

 機内で潜む武偵殺しを見つけて逮捕する。

 俺とキンジ、神崎を合わせた三人の力を結束させてな。

 

 ベルト着用サインが消え、俺たちは事情を話して神崎の個室に案内してもらう。

 飛行機に個室、セレブにはついていけねえよ。俺が今まで泊まったどのモーテルよりも豪華な造りをしてる。高級ホテルって言われても驚かないし、みんな口を揃えて納得するだろうな。

 

 まるでリゾート施設だ。飛行機の中にこんなもんが組める時代とはね、畏れ入る。そのスイートルームで、見つけたぜ貴族様。

 

「……キ、キンジ!? キリも一緒なの!?」

 

「くつろいでるとこ失礼するぜ。つか、すげえ部屋だな……いくらするんだよ」

 

「片道20万くらいだろ。さすがはリアル貴族様だな」

 

 片道20万のフライトか、ゾッとするぜ。

 まだ紅い目をまん丸に見開いた神崎は、ダブルベッドを見ながらのキンジの発言で我を取り戻し、俺とキンジを交互に睨んできた。

 

「──断りもなく部屋に押しかけてくるなんて、失礼よっ!」

 

「お前に、そのセリフを言う権利はないだろ」

 

「今回ばかりはキンジに同感、争ってる時間はない。キンジ、俺は機長に話をつけてくるから、戻ってくるまでに神崎に説明しとけ。分かってると思うが雁首揃えてかからねえと返り討ちだ、頼んだぞ?」

 

「……分かった。気を付けろよな」

 

「お互いにな」

 

 キンジは神崎と二人になるのを躊躇ったがすぐ頷いてくれた。

 神崎はまだ不機嫌な視線を向けてくるが話を聞けば落ち着いてくれることに期待するよ。俺はスイートルームを出て右袖に目配せする、セグウェイにやったときと同じでワンアクションで、剣を手におさめられるように仕込んでいるが気は抜けない。

 

 魔宮の蠍は強かった。

 過大評価するつもりはないし、他に強い連中も探せば見つかるだろう。

 

 だが上を探れば見つかるだけの話さ、夾竹桃が弱いわけじゃない。

 同じ構成員の武偵殺しだって拮抗した実力、もしかすると彼女より格上かもな、笑えねぇ。

 

「──お客様に、お詫び申し上げます。当機は台風による乱気流を迂回するため、到着が30分ほど遅れることなが予測されます──」

 

 機内放送だ。

 30分の遅れで解決すればいいけどな。俺は機内を警戒しながらコクピットを目指した。

 

 さっきの失敗を踏まえ、説得の言葉を頭の中で暗唱したがそれは無駄になった。  

 コクピットの扉が開け放たれ、アテンダントの女性が何かを引きずりながら出てくる。俺の目はその手に引きずっていた物を凝視した。

 

 動かない機長と副操縦士を投げ捨てたアテンダントは、俺を見つけるなり不気味に笑う。

 

 

「Attention Please.」

 

 

 そんな挨拶を残して、放り投げられた缶が足元に転がってくる。 

 冗談じゃねえ、俺は一目散に逃げる。記憶にある、今のはガス缶が中身を散布させた音だ。

 

 飛行機の中だから劇薬は散布できない?

 ハイジャックなんて考える輩に、そんな理屈が通用すると思うか?

 

 

「おい、勘弁しろよ! また毒かっ!」

 

「──みんな部屋に戻れ! ドアを閉めろ!」

 

「急ぎなさいキリ! バカもっとはやく! このドベ!」

 

「お前は悪口言いたいだけだろ!」

 

 全力で缶から遠ざかり、一ヶ所だけまだ開いていた神崎の私室に駆け込む。 

 ハッチの次は部屋のドア、お高い私室に転がった俺の背後で扉が閉まる。仰向けで見上げた視界に、神崎の顔が差し込んだ。

 

「マヌケな格好ね」

 

「運が悪かったってこと、生まれつき」

 

「呼吸はできてる。手足に痺れもないし、五感に影響もない。あのガスはフェイクだ、命拾いしたな」

 

 キンジに言われて呼吸を確かめる──ああ、ちくしょうめ、空気がうまい。

 

「あそこ、見て」

 

 神崎がベルト着用サインを視線で示した。ワケの分からない点滅と注意音、和文モールスだ。武偵殺しからのメッセージか。訳は……オイデ、オイデ……?

 

「……誘ってやがる」

 

「上等よ、風穴あけてやるわ」

 

「ついでにインパラの修理費を巻き上げる。いこうぜ、1シーズンの締め括りだ。奴の顔に特大の足跡をつけてやる」

 

 キンジの頭上のサインを睨みながらの一言に、俺と神崎が続く。

 招待状をくれるなら、断る理由はない。雁首揃えて殴り込みだ。

 

 

 

 

 

 

 機内の1階は豪奢に飾り立てられたバーになっている。

 ほんとに飛行機の中かよ、セレブご用達のプライベート空間だな。季節関係なしに年中モーテル通いだった俺には縁がない。

 

 大がかりなシャンデリアの下、カウンターで一人の女が足を組んでいた。

 他には誰もいない。ベレッタ、ガバメント、トーラス、三種の銃口が女を捉えるが俺もキンジも神崎も眉をよせた。フリルだらけの武偵高の制服。

 原型はほとんど残ってねえが東京武偵高の制服だ。こいつは、どういうことだ……?

 

「今回も、キレイに引っかかってくたれやがりましたねえ」

 

「てめえ、何者だ?」

 

 俺が二人の言葉も代弁してやる。女は特殊メイクを剥ぎ、素顔を見せた。

 

「──理子!?」

 

「Bonsoir」

 

 くいっ、と優雅にカクテルを飲み、驚愕を上げたキンジにウィンクしたのは顔見知りの女だ。

 なるほど……たいしたトリックだよ、近くにいたのに誰も気づけなかった。こうやって、俺たちのアホ面を眺めるのはさぞかし気分がいいだろうな。

 

「待ってたよ、キンジ。この時間を作るまで苦労したんだよ。最後まで頑張ってね。オルメスのパートナーとして。ここまでお膳立てしてやったんだ、お前も頑張れよオルメス?」

 

 最初はキンジ、最後は神崎に向けて言葉を送った理子は、残った俺を冷たい瞳で睨んできた。

 オルメスか、いよいよ分からねえな。

 

「お前もしぶとく関わるよね。腕の一本くらい斬っとくべきだったよ。お呼びじゃないのに何度も舞台に上がってくる」

 

「人の邪魔をするのが三度の飯より好きでね」

 

「不撓不屈の精神は認めてやる、馬鹿さ加減もな」

 

 窓から入った稲光が理子を照らす。

 いつもの明るく、快活な日向のような雰囲気は今の彼女にはない。

 研がれた刃のような冷たい空気で全身を覆ってる。

 

「……武偵殺し。まさか身内にいるなんてね」

 

「たいしたもんだ。注意を逸らすのはダイハードの悪役並み」

 

 俺たちの知っている峰理子とはまるで別人。偶然にも俺の考えを読んだようなタイミングで、言葉が紡がれた。

 

「理子・峰・リュパン4世──それが理子の本当の名前」

 

 稲光が冷たい理子の表情を照らし出す。

 渇いた笑いが抑えられなかった。

 

「……オルメス、リュパン。家族の確執と来て、今度は一族の確執かよ。理子、御先祖様の因縁つけるために乗り物拉致って大舞台を用意したってなら……」

 

「口をつつしめ!」

 

 態度を豹変させた理子が獰猛な殺気を剥いた。

 

「家族の確執で誰かを巻き込んでるのはお前の方だろ。キンジぃー、気を付けな。そいつは爆弾なんて可愛いもんじゃないんだよー?」

 

 理子の瞳は挑発的に語りかけてくる。

 だが、所詮俺は招かざる客だ。あくまで本命は──神崎。

 

「4世、4世、4世さまぁー。どいつもこいつも、あたしを数字でしか見ない。でも今日で終わり、オルメス4世を倒せば理子は理子になれる。数字じゃない、理子は本当の理子になれる!」

 

 いつもの理子じゃない。

 いや、違うな。こっちが最初から彼女の本性だったのかもしれない。

 

 俺たちの知っている明るい能天気な理子はあくまで外側、この場にいる理子こそが武偵高では見せることのなかった内側。

 本当の姿のような気がする。それを晒したってことは──やはり、ここで終わらせるつもりだ。

 

「プロローグはおしまい、ここから先は理子の物語。100年前の対決と条件は同じ、ちゃんとパートナーも用意してやったんだ。舞台は整ったぞオルメス、自分の役を演じな!」

 

「勝手なことばっか……!」

 

「おや、パートナーが乗り気じゃないみたいだよぉ? キーくん、アリアの背中押してあげなよー。補助輪なしだと転んじゃうよ?」

 

 理子は猫なで声でキンジを煽る。

 やるな、裏と表の二つの表情を使い分けて感情を逆撫でしてやがる。

 

「キンジ、お兄さんのこと知りたいでしょ。いいこと教えてあげる。あなたのお兄さんは……今、理子の恋人なの」

 

「いいかげんにしろ!」

 

「真実が知りたいなら捕まえてごらん。さあ、お前にも戦う理由ができた。決着をつけよう──オルメス、遠山キンジ。これは理子が理子になるための戦い、今度も邪魔してみろよ──ウィンチェスター!」

 

 




『運が悪かったってこと、生まれつき』S10、20、クレア・ノバック──


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無責任な父

 

 

 雁首揃えた三人での総力戦は、他には誰もいないバーで派手に始まった。

 

 キンジのベレッタは破壊されたが、両脇で神崎が理子の腕を捉えた。

 ガバメントは弾切れだがバタフライナイフを広げたキンジとトーラスを構えた俺が二方向から理子を包囲している。

 

 3対1、数で言えば最初から理子のハンデ付きの勝負だったが……

 

双剣双銃(カドラ)──奇遇よね、アリア。理子とアリアは色んなところが似てる。家系、キュートな姿、それと……2つ名。でもね……」

 

 一度溜めを作り、理子は含みのある笑みを浮かべた。キンジの足が止まる。

 神崎の瞳が驚愕に見開く。そして俺の舌が苛立ちの音を立てた。

 

「アリアの双剣双銃は本物じゃない。お前はまだ知らない。この力のことを。それが理子とアリアの違い、決定的な差かな」

 

 髪が盛り上がってやがる……誰の手を借りるわけでもなく、意思を持ったように動き始めやがった。

 

 超能力、あるいは間接的にそれに似た力、常識の外にある何かで髪を動かしてやがる。

 理子の腕は使えない、だがあの金髪は別モンだ、手数の多さで逆転された……! あれは理子の体を縛っても止まらない……!

 

「神崎、下がれえええええ!」

 

 俺のばら蒔いた9mmパラベラムが理子の背中を穿つ。だが理子は倒れず、髪は報復とばかりに殺傷圏内にいた神崎に襲い掛かった。

 首に巻き付けば骨を折れる、窒息だってお手の物だが理子の考えは違った。金色の髪に隠されたナイフが神崎の即頭部を鋭く斬りつける。一度は避けた神崎に反対のテールでとどめをさしやがった……

 

「あは……あはは……曾お爺さま。108年の歳月は、こうも子孫に差を作っちゃうもんなんだね。勝負にならない。コイツ、パートナーどころか、自分の力すら使えてない! あは、キンジぃー、アリア負けちゃったね?」

 

 理子は髪で押しのけるようにして、神崎を突き飛ばした。神崎は驚くほど易々と吹っ飛ばされ──キンジの足元に転がった。

 反転と同時に自由になった腕で拳銃、ワルサーP99の引き金も引いていた理子は……腹部を被弾して呻く俺にウィンクすら飛ばしてる。

 

「アリア……アリア!」

 

「キーくんかわいい。理子妬いちゃうかも。でも残念、バッドエンドのお知らせですよ?」

 

「耳を貸すなキンジ。まだメインテーマも流れてないってのにエンドロールを見るってなら俺は反対。最後まで鑑賞していけ」

 

 呻きながらもまだ残っていたトーラスの弾を全部ばら蒔く。

 手持ちの弾薬全部を切り捨てた攻撃だがそれすら有効打にはならない、バク宙を切って避けた理子が瞳を尖らせる。

 袖に仕込んだ剣を手元に滑り混ませ俺も瞳をぶつけた。キンジと神崎への行く手を遮るような位置で俺は理子にできる限りの殺気を飛ばしてやる。

 

「キンジ。神崎を連れて逃げろ」

 

「……どうする気だ?」

 

「時間を稼ぐ」

 

「駄目だ、逃げるぞ!」

 

「逃げることしかしなかった。もう逃げたくない」

 

 躊躇うキンジにもう一度吠えてやる。

 

「──いけ!」

 

 倒れた神崎を抱え、キンジがフロアを走る。どうせならもっと決まった台詞を言ってやるべきだった。

 時間を稼ぐ──は使い古された決め文句だからな。映画好きの兄貴と違って俺にはセンスがない。

 

 キンジが出ていくまで沈黙を決めていた理子は、俺と二人きりになるとナイフを仕込んだ髪をまた動かしはじめた。

 メデューサ、ギリシャ神話の怪物の名前が頭をよぎる。だが、相手はライカンでも異教の神でもない。

 

 俺を威嚇しているのは峰理子、一人の人間だ。

 

「やっさしぃー、わざわざ一人になってくれたの?」

 

「まぁな。その力、お前本来の力じゃないな。お前からは魔女や超能力者の気配を感じない、どんな千年アイテム使ったら鬼太郎の物真似ができるんだ?」

 

「口が減らないよねえ。雪平切、クラスで一番のひょうきん者。それとも変わり者かな?」

 

「あんたは人気者。みんなから好かれてた。今日まではな」

 

「そっかぁ。心配してくれるんだね」

 

「ご機嫌とりも今日が最後だ。インパラの修理費を払ってもらう。神崎の母親についても証言してもらうぞ」

 

「なぁんだ、やっぱりお前もアリアに肩入れしてるんだぁ」

 

 理子の瞳がめざとく細められる。

 いつも愛嬌を振り撒いていた幼さを残した顔が、今はとても大人っぽく危険に見える。

 

「アリアがお前をパートナーに選ぶことは懸念事項だったよ。だから、キンジにはハイジャックで急接近してもらったの、一緒に手を取り合って事件を解決、カップリングも成立の予定だった。キンジは思ったよりアリアに靡かなかったけどね」

 

「俺は最初から神崎とパートナーを組むつもりはなかった。彼女に必要なのはキンジであって俺じゃない。手を組む気ではいるがな」

 

「イ・ウーを覗くことになるよ?」

 

「もう覗いてる、それに地獄も天国も両方見てきた。どっちも酷かったよ、酷いものを覗くのは慣れてる。最後に一つだけ聞かせてくれ、コルトのことだ。欲しいんだろ」

 

「いいよ、教えてあげる。理子も気がかりだったの。キリくんはまだ情報を隠してる。手札を見せあいっこしよ?」

 

 二つ返事で理子は笑みを作る。

 両手を広げる動作がどこまでも絵になる子だ。

 

「人を殺すならワルサーを使えば済む。だがお前はコルトを欲しがった。お友達にも言ったがコルトは存在そのものがお伽噺話、あれは母親が眠れない子供を寝かしつけるためにする話さ。どうもしっくり来ない、お友達を雇ってまでお伽噺話を追い求めるにはお前は利口すぎる」

 

 俺が聞きたいことは一つだけ。

 

 

 

 

「──お前はコルトで何を殺したいんだ?」

 

 

 

 空気が張り詰め、呼吸することに戸惑いすら感じる。にぃ、と笑った理子は、俺たちの知っている峰理子じゃなかった。

 

「キリは『繁殖用牝犬』って呼ばれたこと、ある?」

 

「……いいや」

 

「腐った肉と泥水しか与えられないで、狭い檻で暮らしたことある? ほらぁ。よく犬の悪質ブリーダーが、人気の犬種を殖やしたいからって──檻に押し込めて虐待してるってニュースがあるじゃん。あれだよ、あれ。あれの人間版、想像してみなよ」

 

 俺は言葉を失った。溢れる感情を繋ぎ止めて、理子は道化を演じるように笑っていた。

 

「想像できないよね。ひっどいんだよ、汚い水と腐った肉、それが何年も──」

 

 燻る憎悪と憤り、理子の声は悲鳴のようだった。

 

「ああ、分からねえよ。分かるわけないし、分かっていいことじゃないよな」

 

 まるで、ここにはいない誰かに精一杯感情をぶつけている。

 

「この世界に神はいないって思った。あたしも最初は祈ったが無駄だったよ。だからあたしは勝ち取るんだ、自分だけの力で……!」

 

 理子は最後まで相手を口にしなかった、口にできないのかもしれない。

 この世界に神はいない、その通りだ。無責任な父は俺たちのごたごたには見て見ぬフリ、首を突っ込まない。俺たちはいつも振り回されるだけ振り回されるんだ、何度も身に染みてる。

 

「所詮、神も無責任な父親なのさ。戦争で大勢人が死のうがてめえの家族が殺し合おうが自分は関係ないと思ってる。探すな、関わるなの一点張りだ。同じだよ、俺も自分に言い聞かせてきた。もういい、自力で切り抜けるってな」

 

 切り抜けてきたさ。戦いの度にいつも犠牲を払って、問題が解決したときにはいつだって誰かが欠けてる。その繰り返しだった。みんな揃ってクランクアップできた試しはない。

 

「教会じゃみんなが口を揃えて言ってた『神は皆のことを考えてる』ってな。だが、実際は──神は瓶でアリを飼ってるガキだ、何も考えちゃいない」

 

 聖書によると神の御業はなぞめいてるとか。

 それが好きなやつもいれば、嫌いなやつもいる。

 

「お前が抱えてる物は他人の俺たちには底知れない。自分以外の誰かが聞いて理解できることじゃないし、理解されていいことじゃないだろ」

 

「同情なんていらない! あたしはお前を排除して進む。お前はあたしを止めて逮捕する。終わりにしよう、もう時間はたっぷり稼げたよね?」

 

 理子が構える。

 両手のワルサーP99、32発の弾が殺気を向け、ナイフを隠したツーサイドアップのテールを非常灯の下で動かし始めた。

 

 双剣双銃──その二つ名の通り、四つの武器を構えた。神崎とは異なる意味で。

 

「ああ、正しく理解してんぜ武偵殺し」

 

「来いよ、ウィンチェスター」

 

 俺も理子も互いに呼ぶことのなかった名前で相手を呼んでいた。

 リロードしたトーラスを理子に向ける。それが開戦の合図だった。

 

 理子の双剣双銃に対し、俺は一剣一銃で迎え撃つ。総弾数は理子が勝る、32発の銃弾は蹴り倒した丸テーブルの盾を一瞬で蜂の巣に変えた。

 床を蹴ったかと思うと、理子は髪を動かし突っ込んでくる。弾数にモノを言わせて弾幕を張るおまけ付きで。

 

「アメリカ人はなんでもタダで手にいれようとする。代償の意味をまるで分かってない」

 

 刹那、蛇の髪が伸びきった。ナイフ突きを一度目は剣で弾いてやるが左下から跳ね上がるような軌道で反対のテールが飛び出す。

 神崎を戦闘不能に追いやったのと同じ要領だ、一度は避けられても反対のテールで相手を仕留める二段構え。鮮血が飛び、血のにおいが鼻孔にとびこんでくる。

 

「……安い挑発だな、安すすぎて質の悪さが見え見えだぞ」

 

 分かっても避けきれるわけねえか……俺の頬を擦過して金色の髪は理子の元に返るが、ナイフから血が滴って足元に赤い染みを作っている。

 ぞっとする、一つ間違えれば神崎の後追いだ。

 

「ノン、ノン。終わっちゃうよ?」

 

 理子のワルサーも俺のトーラスも使うのは同じ9mmパラベラムだが、一度に込められる弾数の差違と二挺拳銃での水増しが溝を隔てやがる。

 二つのテールに搭載されたナイフは、人間の関節ではとても真似できない無茶苦茶な軌道を描きながら襲って来る。

 

 あの髪は理子の第二の手足と言って問題ない働きを見せている、左右の髪はナイフを操り、一方で両手のワルサーを従える──なるほど、確かに双剣双銃だ。

 

 弾薬を撒き、死にもの狂いでナイフの間合いから抜けた俺の、ホールドオープンしたトーラスを見て、理子は左右の拳銃とナイフをぶつけて鳴らした。

 

「中ボスにしては大健闘だね。よかったよー、キリくん?」

 

 下手な動きを見せれば頭に鉛弾をぶちこむってアピールか。

 歩きながら語った理子が止まった場所は殺傷圏内の外ギリギリ、剣を突き刺そうと動けば俺の視界にザクロが飛び散るわけだ。饒舌でありながら嫌味なまでに頭は冷静でいる。

 

「俺を中ボス呼ばわりかよ。よかったな、主人公め。戦利品が欲しいならやるよ」

 

 スライドにロックがかかっていたトーラスが離れ、自由になっていた手で制服をまさぐるが……ない。待て……ルビーのナイフがないぞ……

 

「キリくんのお探しものは理子が頂いてるよぉ?」

 

 理子は右手の指先で刃身を器用に摘み、愛らしい唇をグリップへ重ねている。

 艶やかな唇が触れているのは俺の探していたナイフだった。

 

「出し抜けると思った?」

 

「期待して損したよ、いい腕してる」

 

「これってクルド族が持ってる古代のナイフだよね? 金物屋に売ってる代物じゃないけど、どこで手にいれたの?」

 

「兄貴の元カノがくれたんだよ」

 

 「感謝祭の七面鳥を切り分けるのにな」と付け加える。理子はまん丸な目を開き、やがて笑い始めた。

 

「懲りないやつ、ここまで来ると憎めないよ。お別れにバラードでも歌ってあげよっか?」

 

 ワルサーの銃口は真っ直ぐ俺の脳天に向いている。用心金にかけられていた指が動こうとしたとき、俺はべったりとした血に濡れた掌を見せた。

 俺は真っ赤な指を笑いながら一本だけ立てる。

 

「なあ、コルトには殺せないものが5つある。俺はそのうちの一つを知ってる」

 

「ノン。興味深いけど、お前の命とは釣り合わない」

 

「ああ、だから忠告だ。そいつと会ったときは──」

 

 理子と視線をぶつける。

 そして倒れていた丸テーブルの裏に俺は真っ赤な手を押し付けた。

 

 会話の合間に血文字で描いていた図形が、押し付けた手に反応してオレンジ色に発光を起こす。

 呪文はいらない、血と持ち主の手が作動の合図だ。

 

 

 本当は人間の精神を乗っ取ったり、操ったりする相手を強制的に引き剥がすために使われる技。

 だが、発光した図形は理子が異変に気づくよりも一歩前に激しい閃光を解き放った。

 

 一瞬、しかし眼を焼き、頭をショートさせる光源は理子にとっては理解不能のアクシデント。

 見れば理子は腕を上げて眼を庇っていた。顔を覆い、吸い込んだ光に立ち往生している。光が晴れるまでの一瞬の時間は、何本武器を揃えようが無意味だよな!

 

「インパラの恨みだ! 受け取りやがれ!」

 

 理子からナイフを取り返し、掌の血で汚れた銀の剣が左右のツインテールを切断した。

 

「……今のは」

 

「トレンチコートの友達に教えてもらったのさ」

 

 理子のテールはナイフごと床に落ちた。視覚を取り戻した理子は即頭部に手をやり、初めて、表情を焦らせる。

 必然的に残されたワルサーが彼女の生命線だが攻勢は続く。

 

 ワルサーよりも力強い発砲音がして、理子が強襲を受けた。左右のワルサーが理子の手から弾き落とされる。

 

「!」

 

 睨む理子が捉えたのは仲良くガバメントを一挺ずつ持った宿敵とそのパートナーだ。

 お姫様抱っこの次はペアルック、ったく羨ましい。

 

「遅れてすまない」

 

「来ないよりはマシでしょ?」

 

「二人で何やってたかは聞かないよ。それと、息あってんじゃん」

 

 神崎は軽口を叩けるまでリカバリーしてる。キンジもベレッタはねえが例の強化形態に戻ってるな。

 引き金は想像できねえが少なくとも要因を知ってる理子はキンジの変貌に驚いていた。

 

 このさい理由はなんでもいい、切り札は俺の手中に収まった。

 白銀のガバメントで理子を照準した神崎は理子の髪と俺を交互に見てくる。

 

「あら、似合ってるじゃない理子」

 

「余計なお世話って言葉知ってる?」

 

 べぇ、と舌を出して理子の髪が、揺れる──!

 

「おい待て! なにしてやがる!」

 

 逆手に剣を構えて飛びかかるが、理子のウィンクとほぼ同時に機体が傾いた。

 傾くどころじゃない、機体が落下してやがる……! 不運にも加速をつけていた俺は姿勢を崩して、カウンターにぶつかった。

 

 器用にスツールを次々と足場にして遠ざかる理子が見える。

 そして飛行機は落下の傾斜をさらに傾け、浮いた神崎の体が……おい待てっ、こっち来るな……! 足が腹に……!

 

「ぐえいってえ……!」

 

「いいところにいたわね」

 

「理不尽すぎんだろ!」

 

 神崎は俺の腹を足場に着地、俺に構わずに理子を探し始める。

 

「ねぇキンジ。この世の天国──イ・ウーに来ない? 1人ぐらいならタンデムできるし、連れていってあげられるから」

 

「キンジ! 耳を貸しちゃだめよ!」

 

 理子はその目つきを鋭くしながら、一度神崎に視線を変えて、笑いやがった。

 

「あのね、イ・ウーには──お兄さんも、いるよ?」

 

 キンジには無視できないお土産を残して爆発の音が聞こえてきた。

 壁に、丸い穴が……空きやがった。室内の空気は作られた穴に吸い寄せられ、バーにあった酒瓶やグラスをかたっぱしから食らいこんでいく。

 

 手を振っていた理子は穴から外に向かって飛び出し、悪天候の中へ姿がみるみるうちに隠れていった。

 カウンターから穴に吸い寄せられ、俺は床に据え付けられたスツールにしがみつく。

 

「キリ!」

 

「最低の、おきみやげだな……っ」

 

 スツールにしがみついた手が血で滑りやがる……描くんじゃなかったなあ、やらなきゃ良かった。両手でしがみついた神崎が叫んでくれるが、今回はパラシュートはなさそうだ。

 乗客は頼む、巻き込んじまったからな。遂に片手になった俺は制服の内ポケットに手を突っ込み、両手が宙に投げ出された──

 

 




次回で第一巻ラストになります。主人公が神様に辛口なのは、家庭の事情ですね。

『逃げることしかしなかった。もう逃げたくない』S13、22、トリックスター──


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非日常の中で


『アホは今まで大勢見てるがお前はその中でも王様だな。自分の部屋を明け渡してやがって。こんなので上手くいくと思うか?』


『お前が勝手についてきたんだろ』




The Road So Far(これまでの道のり)




『お腹すくじゃない!』


『すかせこのバカ!』


『古い車を大切にするのはアメリカだけじゃないってことさ。頼むから走行距離は聞くなよ?』

 
『あたしには別の、やらなきゃいけないことがあるの。武偵殺しは絶対に捕まえるわ。どんな手段を使っても』


『恐いならお友達を連れてきなさいな。躊躇いは無用──蟻に怯える蠍はいない』


『……今日は厄日だ。神様も轢いてやる』


『不撓不屈の精神は認めてやる、馬鹿さ加減もな』


『その銃に殺せない物は5つだけ。人やライカンだけじゃない、天使や悪魔だって殺せる銃。お伽噺話だ』


『イギリスに帰国が決まったそうです。今夜7時のチャーター便かと』


『なあ、こんな話知ってるか? 極限状態で結ばれた男女は長続きしないらしい。俺はそうは思わないんだ。そこで武藤、誰かにコクってみろよ』


『双剣双銃カドラ──奇遇よね、アリア。理子とアリアは色んなところが似てる。家系、キュートな姿、それと……2つ名。でもね……』


『どっちにしても会えばハッキリする。奴は乗ってるぞ、あの便に』


『教会じゃみんなが口を揃えて言ってた『神は皆のことを考えてる』ってな。だが、実際は──神は瓶でアリを飼ってるガキだ、何も考えちゃいない』


『あのね、イ・ウーには──お兄さんも、いるよ?』



Now(そして今……)






「東京で──こんなキレイな星空、見えるとは思わなかったわ」

 

「台風一過ってヤツだな」

 

「ああ、ホント。嘘みてえに晴れてるよ」

 

 台風一過──騒動が収まり、晴れ晴れとする諺。台風が過ぎ去った満点の星空はその言葉のとおり、台風の後味を感じさせない澄んだ空で俺たちを見下ろしている。

 学園島の原っぱにインパラを停めて、ボンネットに座りながら俺たちはそんな雲ひとつない空を見上げていた。

 

「よく生きてたわね」

 

「騒動に巻き込んでくれたルームメイトに愚痴を言ってやろうと思ってさ」

 

 そう返して、慣れ親しんだボンネットに俺は背中を倒した。キンジを中心に、川の字で寝転がれるほどインパラのボンネットは広かった。

 冷えたコーラの瓶をぐいっとやる。

 喉を慰める炭酸の味は言葉にするまでもなく最高だ。

 

「聞かせろよ、どうやって生き延びたのか」

 

「いいムードなのに雰囲気ぶっ壊しちまうぜ?」

 

「ウィンチェスター兄弟の口から『ムード』なんて言葉が聞けるなんてね。それだけでも日本に来た甲斐があったわ」

 

「うちの一家がどう見られてるか気になるよ。俺に言わせりゃ、みんながみんなやたらと死んでいく家系さ」

 

 みんな視線は夜空、言葉だけが行き交ってる。

 この静かな空で俺は命綱なしのスカイダイングをやり、神崎とキンジは燃料駄々漏れの旅客機を手動で着陸させた。信じられねえ話だよ、当事者の俺たちでも疑ってる。

 

「こいつ」

 

 そう言って俺が手にしたのは液体等を保存するパウチ。薄気味悪く赤い中身が透けて見える。

 

「これは?」

 

「栄養剤さ。時間制限はあるが飲めば超能力に近い力が使えるようになる。こいつを使って落下と着水の衝撃を殺したんだ。荒れた海では遠泳が待ってたけどな」

 

 俺から指を差したキンジ、キンジから神崎にパウチは渡る。

 

「S研お得意のオカルトグッズ……には見えないぞ。だって血だろ。どっから見ても」

 

「栄養剤だよ、ちょっと毒々しいけどな。依存性が強えし、飲み過ぎると頭がやられちまう」

 

「中毒になるってこと?」

 

「つまりジャンキーになるってこと」

 

 コーラやソーダ水みたいにがぶ飲みしたくないってことだ。神崎から放り投げられたパウチを受けとり、その最後の1パックとなった栄養剤を脇に置いた。

 

「あんたI種だったの?」

 

「内部から媒体を引っ張ることには違いねえが分類するんなら理子の髪に近いかもな。Gの判定もしたことねえし、魔女やサイキックを何人も見てきた身としては俺は無能力者さ。右手も至って普通、不幸なのは同じだが」

 

「I種って?」

 

「超能力者は能力を使うためのキッカケによって分類されるのよ。勉強不足が浮き彫りになったわね」

 

 S研用語は管轄外のキンジ、その手の知識もある神崎は勝ち誇った笑みを咲かせる。

 毎日料理を作ってくれてる幼なじみが実は日本屈指の魔女なんだがな。星枷のことは知る由もない腑抜けた反応、飛行機で大立回りを演じた男とは思えねえな。

 

 まあ、怪物やライカンとは縁がなかったが今回の騒動も寿命が縮んだなあ……

 

「乾杯しようぜ」

 

「誰に向けて乾杯するのよ」

 

「馬鹿なルームメイトと貴族様にだろ?」

 

 最後を締めたキンジに俺と神崎がかぶりを振る。

 だが、瓶は重り音を鳴らした。他には誰の声も聞こえない原っぱで神崎が会話を続ける。

 

「ママの……公判が伸びたわ。今回の件で『武偵殺し』が冤罪だったって証明できたから……」

 

 弁護士の話を聞く限り、最高裁は年単位の延長になるそうだ。

 理子を逮捕できなかったことで、俺たちはおめでとう、と言ってやれずに「そうか」と星を見上げる。

 

 

「ねえ。あんた、なんで……あの飛行機に、あたしを助けにきたの? キリまで連れ出して……なんで、あたしを?」

 

「……まあ、バカのお前じゃ、『武偵殺し』には勝てないと思ったからだよ。誘ったら切も二つ返事だったしな」

 

「ヴェロニカマーズのDVDを渡しに行ったんだよ。インパラのグローブボックスに忘れちまったけど」

 

「揃ってバカの集まりね。あのぐらい……あたし一人でもなんとかできたわよ」

 

 ああ、バカなのかなぁ。

 俺もキンジもたぶんバカなんだろうなぁ……

 

「ゴメン、いまのウソ。一人でもなんとかできた、って言ったこと取り消すわ。キンジが来なかったら、きっと、あたし……。キリにも感謝してる。一人で時間を稼いでくれたことキンジに聞いたわ。自分一人じゃ解決できないこともある」

 

「神崎?」

 

「──だから今日はね、お別れを言いにきたの。やっぱり、パートナーを探しに行くわ。ホントは……あんただったらよかったんだけど。でも、約束だから」

 

 緋色の瞳はキンジを横切り、瞼を閉ざす仕草は諦めるようにも見えた。言葉を繋いだキンジが神崎を追いかける。

 

「約束って?」

 

「1回だけ、って約束したでしょ。武偵憲章2条。依頼人との契約は絶対守れ。だから、もう追わないよ。キリ──あんたのパートナーはあんたの家族だけ、組めてよかったわウィンチェスター」

 

「こちらこそ、あんたと組めて光栄だったよ。ありがとう」

 

 ……神崎から差し出された手を、俺は握り返した。それは、別れの挨拶を受け入れたことになる。

 

 キンジに向けられた神崎の言葉は感情を殺して嘘を偽る言葉だ。

 キンジも察してる、神崎も見抜かれていることを察していながら、嘘を突き通そうとしてる。

 

「い、いいのよ。あんたにその気がないのなら。ほら、あたし……どうせまだまだ、独唱曲だから。いま言ったこと、忘れて」

 

 そう言うとアリアは俺たちに背を向け、残ったコーラをぐいっと流し込んだ。

 

「──あーあ! 東京の4ヶ月、ほんっと最悪だったわ!パートナーは結局できなかったし、頭にはケガするし、聞いたこともない懐メロばっか聞かされるし、UFOキャッチはうまくいかなかったし!」

 

「次……があったら、UFOキャッチャーのコツを教えてやるよ。でもなぁー。あれは、ターゲットを見極めるセンスが必要だからなぁ」

 

「なによぅ。あたしにセンスが無いっていうの?侮辱したら風穴あけてやるから! 10個……ううん、いっぱい!」

 

 べえ、とベロを出してから、神崎は笑っていた。俺もキンジも笑った。なにがおかしいのか分からないが、笑っていた。

 

「あっ、もうこんな時間? ……急がなきゃ」

 

「神崎、やっぱり帰るのか?」

 

「うん、ロンドン武偵局が、東京に置いてあるヘリで送ってくれるんだって。ママが捕まる前、あたし、あそこで派手に働いちゃってるからさぁ。あいつら、早く帰ってこいってうるさいの」

 

 どうやら飛行機は使わず、イギリス海軍の空母を経由して艦載ジェット機で帰国するらしい。一度態勢を立て直すのは分かったが、やることが派手だね。

 

 誰もいなかった野原にクラクションが一回、視線を傾けると神崎の乗ってるMINIがアイドリングしていた。

 どうやらお迎えらしい。神崎はボンネットから立ち上がり、インパラのボンネットを一度だけ優しく撫でる。

 

「じゃあね、楽しいドライブだったわ」

 

「誘いはいつでも待ってるよ。気をつけてな」

 

 お互い様、とハイタッチが鳴った。

 

「そろそろ行くわね」

 

「あ、ああ。見つかるといいな。お前の、パートナー」

 

「きっと見つかるわ。あんたのおかげで、『世界のどこにもいない』ってワケじゃないことが分かったし」

 

「そっか……そうだな。じゃあな。がんばれよ」

 

「うん。バイバイ」

 

 キンジと別れを済ませ、神崎はあっさりとドアを開き……MINIが遠くに離れていく。ただでさえ小さな車は小さくなり、やがて目で追えなくなった。

 

 俺はトランクを開き、取り出したビニール袋に空になった神崎とキンジのコーラを突っ込む。

 トランクの閉める音とほぼ同時にキンジが助手席のドアを開く。

 

「……行こう。俺たちも部屋に、帰ろう」

 

「だな、帰ろうぜ」

 

 助手席でキンジは頬杖を突き、後から乗り込んだ俺は運転席でいつものようにハンドを握る。

 動き出したV8エンジンが野原に吠え、点灯したライトは誰もいない原っぱを照らした。

 

 

 

 

「分かってるよ、お前が心の中で考えてること」

 

「かもな、一年も一緒にいる。ゾッとするよ」

 

 神崎のいないインパラは妙に静かだった。空港へ走らせたときは焦燥感に駆られ、感じなかった静けさが今になってやってくる。

 不思議とテープをかける気にはなれなかった。帰路を辿り、俺はBGM代わりに声をかける。

 

「非日常が常の生活、けどお前はこう思ってる。本当は武偵や俺や理子みたいな得体の知れない連中と縁を切って、普通の生活がしたいんだろ?」

 

「当たってるよ。俺は……兄さんの件がなくても武偵をやめるつもりだった」

 

「言うなよ。俺もお前と同じ、望んでたんだ、なんていうか普通の生活ってやつさ。ドンパチもしねえし、ナイフを振り回す必要もない。普通の学校に通って、普通にみんなと遊んで、普通に暮らす……そんな生活さ」

 

「なんで、武偵をやめなかったんだ?」

 

 不思議そうな声色に俺はかぶりを振る。

 

「何度もやめようとした。武偵も家族の……超常的な事件を解決する仕事も何度もやめようとしたんだ。俺だけじゃない、二人いた兄貴も何度もやめようとしたよ。けどいつも駄目になるんだ。なんつーか、引き寄せられるみたいに厄介事がやってきて、気がついたらインパラに乗ってる。兄弟揃ってな」

 

 俺は語り手口調で自虐的に笑ってやる。

 

「だから、俺は普通の生活を諦めた。諦めて武偵をやってるからお前の部屋に転がっちまった。俺の中では、あれはいい想い出だよ。俺が言いたいのは好きにすればいいってことさ。お前は俺とは違う、別の生き方だってできるさ。普通の生活がな」

 

「……説教じみてるな」

 

「俺は諦めちまったからな。お前には好きにしてほしいんだよ」

 

 神崎のことを迷ってるのは分かる、一年もルームメイトやってたら分かんねえのが難しい。ひねくれているが遠山キンジって男は大甘野郎だからな。

 部屋に帰って転出申請を書けばいい、書いた書類を教務科のポストに入れるだけだ、そうすれば来年から普通の学校に通える。

 

 だが分かるよ。そう思えば思うほど、神崎のことが頭を掠めるんだよな。

 

「なあキンジ、神崎は強情なところもあるがきっとお前の気持ちを汲んでくれるよ。ある人に教えてもらったんだ。真っ当なことをするには多少の悪さも必要だ、けど案配を考えないといけない」

 

「……」

 

「悪さを続ければしっぺ返しがくる、真っ当を通せば失う物が大きくなってしまう。俺は神崎のパートナーにはなってやれない、お前のパートナーにもな。けどお前なら正しい選択をするさ、自分で正しいって思ったことをやればいい」

 

「……どうしてそう思うんだ?」

 

「お前の本質は善人だ、それもとびっきりの」

 

 キンジは虚をつかれたように首を振った。

 

「……卑怯だな。お前は他人の説得が上手すぎる」

 

「俺の静かな自慢だよ」

 

 数少ない、静かな自慢さ。

 

 

 

 

 

 

 ──シャーロック・ホームズ。100年ほど前に活躍したとされている歴史に名高い名探偵。神崎はその子孫で、理子は彼の宿敵であるリュパンの一族の末裔。

 

「ミステリー小説ではメインキャストの二人が飛行機でドンパチとはね」

 

「恨まれたと思うか?」

 

「ロンドン武偵高には恨まれるだろ。貴重なSランクを引き抜いたんだからな。けど、価値はあったんじゃねえの?」

 

 俺は視線でももまんをほおばる神崎を指してやる。騒動の発端は、暢気にももまんをほおばって幸せを満喫してやがる。

キンジのモード切り替えの鍵を探る名実の元、俺たちの部屋にまた舞い戻ってきやがった。

 

 ずけずけと冷蔵庫を真っ先に開けるあたり、住む気満々だ。キンジは疲れきってテーブルに顔を伏せる。

 

「その価値はあったか?」

 

「たぶんな」

 

 頬杖を突き、煮え切らない声で俺は答えてやった。

 

「ねえ、気になってたんだけど。あんた、キンジには自分の名前教えたの?」

 

 不意に神崎が視線をぶつけてくる。虚を突かれた俺は頭を掻くが、キンジは神崎の言葉で思い出したように俺を直視してきた。

 

 理子も神崎もあれだけ名前を連呼したんだ、忘れねえよな。

 

「俺の名はキリ・ウィンチェスター。育ちはカンザス州のローレンス。仕事は家族揃って、怪物退治──化物専門のハンターで、そこの男のルームメイトだよ」

 

 ちなみに今は、現在進行形で家出中──

 

 

 




今回で武偵殺し編は完結です。見切り発車で初めた作品ですが読んでくださった方には感謝を。

お気に入り、感想を下さった皆様、励みになっております。次は原作に沿って魔剣編に続きます。


『俺に言わせりゃ、みんながみんなやたらと死んでいく家系さ』S8、12、ディーン・ウィンチェスター──


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魔剣編
セカンド・コンタクト


 

 

 幼馴染、幼い頃に親しくしていた友達を世間ではそう呼ぶらしい。

 広大なアメリカで狩りをしながら、家族と転々として過ごした幼少期。兄と一緒に学校には通ったが同じ土地には留まらず、結局1週間や1ヶ月単位での転校を延々と繰り返すわけで……とどのつまり、俺には幼い頃に親しくしていた友達がいない。

 

 だが、俺とは違い、我がルームメイトには幼なじみがいる。

 星枷白雪──彼女は魑魅魍魎が蔓延る東京武偵高の生徒会長である。成績優秀にして容姿端麗の才色兼備、生徒から信頼される理想の会長そのものだ。

 

 ただし一点、星枷はキンジに行き過ぎた愛情を抱いている節がある。

 

「この泥棒ネコ、アリアなんかいなくなれぇー!」

 

 訂正する、節じゃねえな確信だよ。

 

「な、なんなのよこの展開! あんた誰よ!?」

 

 神崎の問いはごもっともだな。

 俺達の部屋で日本刀を振り回す星枷……模範の生徒会長は鬼の形相で神崎(泥棒猫)の首を狙っていた。

 

 先刻の彼女の登場と同時に、嘘のように斬り開かれた玄関のドアが振り上げられた日本刀の切れ味を代弁する。

 つか、あれ色金殺女だろ。金物屋で売ってるナイフとはワケが違う。マジで首が胴体と別れるぞ。

 

「ア、ア、アリアを殺して私も死にますぅー!」

 

 9条はどうした9条は……

 

 嫉妬に狂う星枷の感情は神崎に向き、キンジの説得も行われたが収拾がつかない。

 俺も俺で和平の為に努力はしているが、キンジが投げ渡してきた携帯を一目見てかぶりを振る。

 

 画面には『女の子と同棲してるってホント?』に始まる星枷のメールが永遠と続いていた。

 

「なあ、これ……何件あるんだ?」

 

「……49件」

 

「聞かなきゃよかった」

 

 俺は震える手でメールを追いかけるが、首を必死に守り続けている神崎がキンジの背中を思いっきり蹴っとばした。

 

「キンジ、このバカ女あんたの知り合いでしょ! なんとかしなさいよ!」

 

 呪詛を飛ばしながら日本刀を振り回す星枷に対し、神崎は神崎で身に覚えのないハプニングに巻き込まれてご機嫌斜め。カメリアの瞳は、怒りの臨界点を突破したとばかりにキンジを睨みつけている。

 

「なんとかってどうすんだよ!?」

 

「バカ! 自分で考えなさい!」

 

 俺の胸の内は今すぐ走ってこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 金切り声を上げた白雪が下駄を床で鳴らす。振り下ろされた刀を神崎は……真剣白羽取りで受け止めるが、我慢も限界を迎えたらしい。ちっちゃな八重歯が覗いた刹那、

 

「──いいわ、そっちがその気ならやってやる」

 

 神崎は両足で右腕を締め上げていたが反撃の気配に勘付き、ほどいた腕でバク転をきった。

 やがてこめかみには青筋が浮かび、ああ、やべえぞ。とうとうガバメントを抜きやがった……!

 

「や、やめろ! やめるんだ2人とも! 切なんとかしろ! 我が家の家具を守るんだ!」

 

「無理だな! 見ろ、両方頭に血がのぼってチークつけたみたいになってる! 我が家の家具が木っ端微塵だぜ!」

 

 とうとうガバメントの凶弾が行き交い始めたので俺たちは我が身大事に頭を伏せた。

 だが、S研の優等生でもある星枷はさも当たり前のように仁王立ち、大口径の弾を刀で弾き飛ばしている。弾かれた弾丸は我が家の家具に命中、当たり前だが破片となって床に散らばった。

 

「……すげえ、銃弾を弾いてやがる。ジェダイの騎士みたいだ」

 

「暗黒面に染まってるけどな」

 

 嘆くようにキンジは呟く、暗黒面は甘美な誘惑って言うからな。

 自分の部屋が地獄の釜となった状況をどう表現するべきだろう。不思議だよ、自分の部屋にいるはずが魔境に迷いこんだ気分だ。

 

「天誅──ッ!」

 

「風穴──ッ!!」

 

 神崎は弾が尽きるまでガバメントを連射するが星枷も向かってくる弾丸を余さず弾くので、流れ弾に被害を受けるのは我が家の壁や床、そして家具たち。

 

 屈強な男もたった一発で怯ませる大口径の弾丸が、存分にその威力を発揮して部屋を破壊していく。

 

「お、俺の椅子が……25箇所で調整できたんだぞ……!」

 

「もうできないな。ガバの弾痕まみれだ」

 

 ひどい、まるで有料放送のデスマッチだ。神崎も星枷も武器を納める気配がまるでない。どちらか一方が倒れるまで、我が家のインテリアも破壊される。

 

「キンちゃん、その女を後ろから刺して! 今なら何も見なかったことにするから! 二人の未来のためだよ!」

 

「キンジ! パートナーなら援護しなさい! キリもボケッとしないでトーラスを構える! あんたハンターでしょ! 仕事しなさい!」

 

 ……武装巫女は専門外だよ。神崎と星枷、二大怪獣に睨まれた俺とキンジは──黙って顔を見合わせた。まだ無事だったテーブルの両端を持ち上げて、そのままベランダへと避難する。

 

 命あっての物種、俺たちは黙って物置の扉を開いた。

 この物置は防弾仕様、45口径も防げる堅牢な砦だ。神崎のガバメントだって通さない。物置だから狭いのが欠点だけどな、ちゃっちい砦だが風穴ができるよりマシだ。

 

「なあ玄関のドア、防刃製にしねぇか?」

 

「却下だ。多分白雪には関係ないだろ」

 

「あるよ……ないな、やめとこう。お手上げだ」

 

「いわゆるホールドアップってやつか。なにか対策は?」

 

「できてない。いつだって出たとこ勝負」

 

 

 

 

 

 とある昼休み、神崎やキンジとご飯を食べることがすっかり日常となった俺は、ガヤガヤと生徒が賑わう食堂で持参の紙袋を抱えて席につく。

 いつもはだいたい三人での食事だが、今日は不知火と武藤も相席している。案の定、武藤のおかげで賑やかなテーブルだ。このメンバーで食事をするのも久々だな。

 

 

「あんた、またハンバーガー? 飽きないわね」

 

 席につくと、先に持ち込みのももまんを食べていた神崎がそっけなく呟いた。

 お前が星枷とやらかした怪獣決戦で部屋は大荒れなんだがな、呑気なもんだよ。まぁ先んじて斬りかかったのは星枷だけどな。ちなみにキンジは神崎の前の席でハンバーグ定食を食べてる。

 

「わりーかよ。食えるときに食わねぇと、いつ死ぬか分からねぇだろ」

 

 武偵なんてそういう仕事だ。いつ後ろから撃たれるか分かったもんじゃない。色んなところに泥を撒き散らして歩いてきたからな。

 

「けど、栄養は偏るだろ?」

 

「無添加ピクルス、兄貴が好きだったよ。妙な自然食ばったか食べてた。お前もいつか気づくさ。ひき肉がこんなに美味いとは……ってな。幸せを感じる」

 

 サラダを飲み込んでるよりな。

 包み袋を解いておもいっきりかみつく。キンジは乾いた笑いで呆れていた。

 

「本土のダイナーが恋しいって顔してるわね」

 

「……んっ、分かるか?」

 

「誉めてないわよ、ブリトーはすぐ匂うし。あんまり好きじゃないわ」

 

「まあ、それは一理ある。車に乗ってると、けっこうキツい」

 

 思い当たる節があり、俺はももまんにかぶり付いている神崎に相槌を打った。

 ブリトーやハンバーガーはアメリカ本土ではポピュラーな食べ物として親しまれている。大抵のダイナーで注文することができるし、俺は決まった家を持たなかったから外食の機会も多かった。

 

「だが、ダイナーは我が家の生命線だった。もし本土に行くことがあったらオススメを教えてやる」

 

 だが屋根のある家を持たなかっただけ、決してホームレスじゃなかった。

 インパラは我が家、それが総意だったからな。愛しのインパラこそがマイホーム。

 

「雪平くんは神崎さんとどうなの?」

 

 ハンバーガーに噛みついていると、ももまんを頬張る神崎と視線がぶつかった。

 俺たちは揃って、不知火にかぶりをふる。

 

「どうにもこうにもない。誘われたら協力するだけの関係さ」

 

「ビジネスライクの関係よ」

 

「つまりドライな関係ってこと。付かず離れずってやつ」

 

「まるで何かのキャッチフレーズだな」

 

「違うぞ武藤、何かの映画で言ってたセリフだ」

 

 キンジの皮肉は今日も好調か。

 しかし、事実俺と神崎は気楽な関係を築いている。非常時には協力を結べるだけの繋がりはあるし、互いに面倒な敵を相手にしてることが共通してるんだよな。

 

 神崎とキンジが交差する関係なら、俺はつまるところ平行線。決して交わることはないが離れることもない。落ち着くところに落ち着いた。

 

「俺の話より他にあるだろ。武藤、何かねえのかよ?」

 

「あるにはあるんだけどな。お前はちっとフリが雑すぎるぜ」

 

 話を振ってやったのは車輌科の鬼才、武藤剛気。ガサツだが乗り物の知識と操縦のスキルだけは確かな腕を持っていて、爆弾の積まれたバスだって難なく運転してみせるタフガイ。

 

「キンジお前、星枷さんと喧嘩したんだって?」

 

「してねえよ。さすが武偵高……ウワサが広がるのが異常に早いな」

 

「前に言ったろ。ここの生徒は、火のないところに煙を立たせ、ガソリンまいて、山火事にする連中なんだよ」

 

「あんたの物言いも刺々しいわね」

 

「言い得て妙だけどな。俺は白雪と喧嘩したわけじゃないんだ。誰かにガソリンをまかれる覚えもない」

 

 武藤の話では、星枷が温室で花占いしてたのを不知火が見かけたらしいが……

 

「なんだよ花占いって。アリア聞いたことあるか?」

 

「知らない。キリに聞きなさい」

 

「しらねーよ。まじないか?」

 

 武藤が呆れてやがるが分からないモンは分からん。だがあれだな、一人だけ分からねえと焦るが三人分からねえやつがいると安心するよ……面子はともかくな。

 

 俺たち三人の誰一人として知らない言葉に、不知火が爽やかな笑みを崩さず説明してくれる。

 

「みんなもきっと知ってる。花から花びらを1枚ずつちぎって、スキ・キライ・スキ・キライ……ってやるやつだよ」

 

「今どきそんな昭和なことをやってたのか?」

 

「女嫌いのキンジに毎日ご飯届けるだけのことはある。星枷は色んな意味で、なんつーか天然記念物だな」

 

 ……天然記念物。

 呟いた俺の視線は、近くの女子生徒が食べていたピザに向いていた。

 

 ったく、なんであんなモンに反応したんだろうな。天然記念物とピザ、メグとキャス。腐れ縁の天使と悪魔を嫌でも思い出す。

 

「教えてくれ。そのユニコーンはそのあとどうしたんだ?」

 

「占い自体は中断してたけど、なんか、涙ぐんでるみたいだったよ」

 

「キンジ、おめえやっぱり星枷さんと喧嘩しただろ?」

 

「何度も言わせるな、俺は知らん。俺とあいつはただの幼なじみだよ」

 

 キンジはさらっと流してるが、密かに星枷に好意を寄せる武藤とパートナーの動向が気になる神崎はそうはいかない。

 ももまんを頬張ってどうでもいいってツラしてるが、神崎もキンジの発言には一喜一憂してるんだ。俺が自由履修で強襲科に行ったときもキンジの話ばっかりしてたよな、やっとできたパートナーの話を楽しそうによ。

 

「幼なじみ、かぁ。はぐらかし方としてはポピュラーな言葉の選択だね」

 

 そんでテーブルに広がってる人間関係を、全部見透かして楽しんでやがるのが不知火だ。

 不知火は文句なしの好青年で魔窟では珍しい人格者だが稀に人を食ったような一面を見せることがある。

 

 昔、俺はパーティーを組んでいたから分かるんだが、こいつは武偵高に来る以前から銃を握っていた人間だ。

 俺も小さいころから海兵隊の親父に仕込まれてる、この学校じゃ珍しいことじゃないさ。だが、強襲科でAを記録する技術をどこで学びやがったんだ?

 

「……そういえば不知火。お前、アドシアードどうする。代表とかに選ばれてるんじゃないのか?」

 

「たぶん競技には出ないよ。補欠だからね」

 

 ……そうだよ、二大怪獣の決戦ですっかり忘れてた、アドシアードの時期だ。俺が悲観するアドシアードとは年に一度行われる武偵高の国際競技会、武偵限定のインターハイやオリンピックみたいなもんだ。

 行われるのは狙撃科や強襲科のキナ臭い競技ばかりだけどな。実に武偵らしい祭典なんだがアドシアードには報道陣や記者、言うなれば一般客もこぞってやってくる。

 

 狙撃科や強襲科の生徒は選手として参加できるが、面倒なことに余った他の生徒も何らか手伝いを教務科から義務付けられている。

 そして俺の専行は、生徒から年中ラリってると噂の綴先生が勤める尋問科。参加できる競技がねえし、手伝いに回るしかねえんだよな。不知火もアンニュイな溜め息をついてかぶりをふる。

 

「イベント手伝いなんだけど、まだ決めてなくてねえ。遠山くんたちはアドシアードどうするか決めた?」

 

「俺もまだ決めてない。何かやらなきゃいけないんだろ、手伝い」

 

 乗り気じゃねえのはキンジも一緒だな。

 嫌そうなトーンで不知火を追いかけるように溜め息をついてやがる。そしてアンニュイな溜め息をつくのは俺も同じ。

 

「神崎、おまえはどうする? 競技には出ないのか?」

 

「拳銃射撃競技の代表に選ばれたけど辞退したわ。あたしには他にやるべきことがある、回り道してる時間はないのよ」

 

 即答だった。声に宿った強い決意は揺るぐようすが見られない。

 

 ああ分かるよ、経験から言うが家族の話は熱くなるよな。家族が檻に閉じ込められてんだ、熱くなって当然。聞くまでもなかったな。

 

「だが、回り道も時には必要だ。デス・スターに直行する必要はない」

 

「選手を辞退したらお前もイベント手伝いか。何やるか決めたか?」

 

「あたしは閉会式のチアだけやる。キンジもやりなさいよ、パートナーなんだし。男子はバックでバンド演奏なんだからメンバーも揃ってるじゃない」

 

 紙袋からももまんをおかわりする神崎の視線がテーブルを一周する。

 

「音楽、か。まあ得意でも不得意でもないし……それでいいか、もう。でもなあ……」

 

「不安な目で俺を見るのはやめろ、嫌味な野郎だ。なげえことヴィンス・ヴィンセントのファンだった。ベースならできる」

 

 嫌味なルームメイトに吐いて捨ててやる。

 

「ヴィンス・ヴィンセント? 誰なのよそれ?」

 

「ロックスター、二番目の兄がファンだったんだよ。昔は売れてたんだけどな。日本に来る前はシークレットライブも見に行ったんだ。家族と愉快な友達を連れてさ」

 

 

 箱がそのまま地獄になったが。

 

 

 

 

 

 発端は神崎だが、不知火と武藤も誘いに応じ、俺たちはチアのバッグでバンドを演奏することになった。 

 つか、キンジが変装潜入の授業でギターを習ってたのは初耳だよ。神奈川武偵高にいた頃の話をあいつはしたがらないからな。

 

 なにはともあれ、アドシアードはなんとかなりそうだ。悩みの種が減ったことは吉報だよ。

 他の生徒がクエストに励む時間、俺はある人に頼まれたペンとインクなんかの画材、そして用途の分からない蜜柑の段ボール箱を差し出した。取調室の前で。

 

「先生、頼まれたモンですけど」

 

「愛弟子ぃ、遅かったじゃん。でぇー、あいつとコンタクトしたってマジなわけ?」

 

 かき集めた物が必要な相手、つまり綴先生は据わった目を取調室のある扉へもたげる。

 

 綴梅子。頭も良ければ器量も良い尋問科の講師で、俺の上役とでも言うべき人。

 そんな先生に促されるまま俺は鉄格子の窓から中を覗き、かぶりをふった。ここって取調室だよな……例の魔宮の蠍が漫画読んでるんだけど……

 

「ドライブの誘いを断られたくらいですよ。でもどうして漫画読んでるんです?」

 

「ふぅーん……フラれちゃったか。ルームメイトはカップル成立したって言うのになぁ」

 

 はぐらかされたがいいだろう。何の経緯であいつが捕まって漫画読んでるのかは聞かないことにする。世間では、沈黙は金、雄弁は銀って言うしな。俺は組み立てた段ボール箱にペンと紙とインクを置いた。

 

「哀れなもんだよな。欲しいものは逃げていく、今あるものを守るので精一杯かぁ?」

 

「欲しいものが手に入らず惨めな想いをするのが人間です。だから、全部手に入れるとおかしくなる。けど先生の言ったとおりですよ、実際俺は哀れなもんです。今あるものを手元に置いとくだけのために必死に戦ってる」

 

「損なご身分だねぇ。雪平ぁ、アタシの教えだから覚えとけよ? とりあげるものがないやつを苛めても楽しくないんだぞー?」

 

 ひでえ教えだ、実に尋問科らしい。

 

「そうそう、司法取引なんだけどさ」

 

「魔宮の蠍のですか?」

 

「夏コミの参加を条件で取引できた」

 

「いろんなヤツがいるんですね……」

 

 つか、この画材って夾竹桃のためかよ。

 

 

 

 




……お気に入り100件突破。たくさんの感想やお気に入りありがとうございます。今回も楽しく書けました。切のランクは尋問科のAランク、戦姉妹は未定です。

『できてない。いつだって出たとこ勝負』S12、23、サム・ウィンチェスター──



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星枷と遠山

 

 

 どこまでも続いている舗装された道路。心地いいシートの感触で分かる、インパラの中だ。

 

 分からないのは助手席に座ってることだが疑問が解けるのは早かった。日本にいるはずのない兄貴が運転席にいる、とどのつまり──夢なんだな。

 ああ覚えてるよ、親父が失踪して兄貴と探しに行ったときだ。

 

『兄貴、さっき言ったこと覚えてる?』

 

『なんだって。悪い聞いてなかった』

 

『親父のことだよ、放浪癖はいつものことだろ。もう一週間待ってみてねえか? 千鳥足で帰ってきたらいい笑い者じゃないか』

 

『どっかで酔い潰れてるならほっとくさ。けど親父は狩りにでた。もう何日も帰ってない。家族が行方不明なんだほっとけないだろ』

 

『ほっとけないけど、俺が言いたいのは家出した兄貴をいきなり連れ戻すのはどうかってこと。奨学金貰って真面目に大学に通ってる、仕送りもなんもなしでだよ。ディーンは気にいらないだろうけど、俺たちと違って自立してる。巻き込めねえよ』

 

『家族が大変なときに勉強机に向かうことが正しいってか? なあキリ、気持ちは分かるがいい年こいてセンチメンタルのはやめろ。少しは大人になれ、いつまでもホーム・アローンを見て笑ってるんじゃない』

 

『親父が失踪してるときに言いたくねえけど、俺たちが親父に忠実すぎるんだ。聞けよ、出て行った兄貴の肩を持とうってわけじゃない。けどさ年中インパラに乗って化物退治、学校の友達はできねえし、知り合いと言ったら親父と同じ部隊にいた海兵隊や昼間からバーで酔っぱらってるハンターだろ。これ聞いて普通の生活に思える?』

 

 俺は助手席から兄貴に問いかけた。

 67年のシボレー・インパラ、親父から兄貴に譲られた車の中で会話してる。夢なのに懐かしく感じるよ。

 

 悪夢の始まり、闇と戦う旅出──記憶のページにタイトルをつけるならそんなところだ。

 

『俺たちにとっては普通のことさ。家庭の事情』

 

『そこだよ、家庭の事情。みんなが遊んで、普通に友達作って、自分たちだけが外れてるから苦しくなる。なんつーか羨ましくなるんだ。普通の子供は銀を溶かして銃弾を作ったり、射撃の訓練をしたりしないよ』

 

『役に立ったろ、昔のお前はチャッキー人形を見てビビってるへなちょこだった。けど、今はどうだ? シェイプシフターと殴りあってる。でかくなったよ、全部親父のおかげさ』

 

 兄貴と俺は親父を探すためにカリフォルニアまで離れていた兄弟を迎えに行った。非日常の生活に嫌気がさして家族を離れたもう一人の兄を迎えにな。

 少しの時間だが、俺たちにはできなかった普通の生活を手に入れた兄を……非日常に連れ戻すには躊躇いがあった。

 

 普通の生活に憧れてたのは俺も同じだったからな、一度手に入れた幸福を手放すのは苦しいことさ。幸福の味を知らなければ諦めがつくが一度味を知ればそうはいかない……

 

『最後喧嘩別れだったよな、兄貴と親父』

 

『ああ、お前は一言も喋んないでCSI見てたよな』

 

『家族が争うのを見たくなかった。今思えば卑怯者だよ。傍観者だった』

 

『嘆いても過ぎちまったことさ。今向き合え──お袋ならそう言うよ』

 

『……今度は向き合うよ。カリフォルニアに着いたらどうせ喧嘩が始まる』

 

『フルハウスの最悪の回を見せられてる気分』

 

『ああ、それ言えてるよ』

 

 ぐにゃりと景色が歪み、ディーンの声が遠くなる。

 道路が湾曲を描き、俺の視界はそこでブラックアウトした。

 

 

 

 

 

 

 今朝は懐かしい夢で目が覚めた。部屋を見渡したときには朝練の名目でキンジと神崎が出掛けたあとで閑散とした部屋には驚いたもんだよ。

 

 どこで訓練してやがるのかは聞かなかったが、綴先生から命令を受けていた俺も二人とは分かれて取調室に立ち寄った。

 理由は単純、司法取引を申し出た国際犯罪組織の構成員……要は夾竹桃の様子見なんだが……

 

「蜜柑箱でよく描けるな。つかお前絵上手くないか?」

 

 肝心の夾竹桃は俺を無視して蜜柑箱で黙々と漫画を書いていた。書きかけを覗いてやったがずいぶん達者なマンガだ。

 そういや理子も絵が上手かったな、イ・ウーでは一緒にマンガでも書いてやがったのかな。そんなわけないか。

 

 俺を見向きもしない夾竹桃は、綴先生の話では情報の提示は積極的、協力的な態度を見せてるらしい。

 保身に繋がるやべえ情報だけは最後まで抱え込む気だろうが、誰だって好き好んでリヴァイサンを眺めたくない。イ・ウーなんて深淵も深淵だ、底が見えん。今もこうして片足を突っ込もうとしてるがな。

 

 他に気になったのは夾竹桃があまり男のことが好きじゃないってことだ。特定の、ではなく俺の感じたところでは性別単位で。

 他人の趣味嗜好にケチつける気はねえが先生分かって俺をぶつけたな。何が愛弟子だよちくしょうめ。

 

「聞いてねえかもしれねえが取引は成立だ。あとは指定文書に署名と捺印するだけだとさ」

 

「忠犬も哀れなものね」

 

 見ろ、のっけから刺々しい。

 

「嬉しくねえが愛弟子扱いなんだよ。なんでか知らねえけどな。取引条件の1つで、東京武偵高の生徒になることも強制される。オブラートに言ってるが要は監視付きだ。お前、専攻したい学科あるか?」

 

「鑑識科」

 

 と、夾竹桃は──ペンを置いた。

 

「他には話は?」

 

「ねえよ。悪かったな、執筆の邪魔してよ」

 

「まあ、ビックリだわ」

 

 夾竹桃は小馬鹿にしたような感じで、わざとらしく少し驚く仕草をしてみせる。

 

「何がビックリなんだよ?」

 

「もののけが気配りができることに、驚いているの」

 

「前に言ったろ、もののけにも心はあるんだよ」

 

「寒い」

 

「……冷たい目に遭う覚悟はしてたよ。言葉は刃物って言うだろ、日本刀の切れ味だよ」

 

 アンニュイに溜め息を吐く。あれだ、見事に袈裟斬りにされた気分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 武偵高には『3大危険地域』と呼ばれる物騒なゾーンがある。明日なき学科と呼ばれる強襲科。名前で濁しちゃいるが要は火薬庫の地下倉庫。そして危険人物だらけの教師の詰め所──教務科である。

 教師が集まるだけの場所が危険地帯に認定されるのもおかしな話だが、綴先生やお友達の蘭豹先生、狙撃科の南郷を見ればピンと来る。散歩感覚で行ける場所じゃない。

 

「失礼します。尋問科二年、雪平切です」

 

「遅かったなぁ。お嬢様がお待ちかねだぞぉー?」

 

 そんな教務科の呼び出しを受けた俺を綴先生が出迎えてくれた。当たり前か、この人の個室だし。

 教務科の呼び出しに気分は消沈も良い所だが専攻している学科の講師が相手なら気が楽だよ。

 

 綴先生は革張りのイスで足を組み、対面していた生徒は顔も俯き気味だ。

 まあ、教務科で活力のあるやつなんざ見たこともねえけどな。それに誰かと思えば星枷じゃねえか。珍しいこともあるもんだな。

 

「先生、いわゆる個人面談ですか?」

 

「あー、違うんだよ。お前がのんびりしてる間に話はついちゃってさぁ」

 

 タバコの煙を輪っか型に吹いた先生は、据わった目を俺にぶつけてくる。

 

「──雪平、アンタ星枷の護衛やってよ」

 

 ……さてどうすっかな。きな臭い話をふってきやがったぞ。教務科からの依頼、それも武偵の護衛ときやがった。素直にかぶりをふりたい、だが俺は綴先生のことをよく知ってる。

 

 Yesと言えばYes、Noと言ってもYesだ。とどのつまりだな、受ける以外の選択肢がねえんだよ。

 どちらを選んでも行き着く結果は同じ。命あっての物種だ、受ける前提で話を聞いてみるか。……天井に先客もいることだしな。

 

「分かりました。受ける前提で話を聞きます。ルームメイトが世話になってる、あいつに恩を売ってゴミ出しの当番でも代わってもらいます」

 

「返事がよろしい。んで、相手なんだけど──アンタ、魔剣についてはどこまで知ってる?」

 

「超偵専門の誘拐魔です。その他はさっぱり」

 

「諜報科が魔剣が星枷を狙ってる可能性が高いってレポートを出したんだよ。超能力捜査研究科だって、似たような予言をしてる。言いたいこと分かるだろ?」

 

「都市伝説の犯罪者が実は本当に存在して、今も水面下で潜んでるって話。馬鹿馬鹿しいと言ってやりたいですが、俺は都市伝説や言い伝えってやつには嫌ってほど遭遇してる。経験から言わせてもらえば超偵専門の誘拐魔が実在してもおかしくありません」

 

「星枷ぃー、専門家も言ってるよー? もうすぐアドシアードだから、外部の人間もわんさか校内に入ってくる。その期間だけでもコイツを使っときな。アンタは武偵高の秘蔵っ子なんだぞー?」

 

 先生が口にする魔剣《デュランダル》は超偵──超能力を扱う武偵ばかりを狙った誘拐魔。

 

 だが魔剣とはその姿を誰にも見せたことがない幽霊のような犯罪者だ。

 正確には誰も奴の姿を見たことがない。性別も年齢も謎に包まれてる。おまけに今じゃ真に受けるヤツもいない。何でも殺せるコルトと一緒で都市伝説の扱いだ。まさに姿のない幽霊。

 

 だが、都市伝説ってやつは噂が独り歩きした延長にある、絶好の隠れ蓑だ。現に星枷も魔剣の実在を疑って護衛を拒否ってやがる。誘拐、奇襲、暗殺には最適の舞台だろうさ。

 もし意図して作り上げたなら、魔剣は武偵殺しと同類だな。頭が切れやがる。

 

「でも私は、幼なじみの子の、身の回りのお世話をしたくて……誰かがいつもたそばにいると、その……」

 

「ちょっと待ったあ! そのボディーガード、あたしがやるわ!」

 

 天井の通風口からアニメ声がして、ほぼ同時に通風口のカバーをぶち開けられた。

 先客、つまり神崎がダクトから豪快に着地する。誰が修理すんだよあれ……

 

「これは神崎・H・アリア──あれどうしてくれんの?」

 

 目を丸くしていた先生は、やがて煙草を灰皿に押し付けるや据わった目でぶち開けられた通風口を見上げる。 

 

 好きな映画に多いんだ、ダクトを這い回るシーン。ダイハードにエイリアン2、でもみんなダクトを這い回ってロクな目に遭わない。

 

「キンジ、あんたなんとかしなさい!」

 

「ちょっ……! おまッ!」

 

 驚きのあまりダクトから身を乗り出していたキンジが……哀れなもんさ、落っこちやがった。

 ひでえキラーパスだよ、パートナーでもトラップできてない。

 

「なんだぁ。こないだのハイジャックのカップルじゃん」

 

 綴先生の個室を覗きに来るなんて物好きな連中だな。俺なら10万ドルくれてもやらねえよ。先生はコートの内側に手をいれ──スキットルをとった。

 

「一杯やるのはあとにしてください。んで、神崎とそこの昼行灯。ボディーガードやるって言ったな。分かるように説明しろ」

 

「言った通りよ。白雪のボディーガード、24時間体制、あたしが無償で引き受けるわ!」

 

「い……いやです! アリアがボディーガードだなんて、私聞いてない!」

 

 Sランク武偵が無償で護衛してくれるってのに星枷から真っ先に否定から入った。

 神崎は有能な武偵だが肝心の依頼者との関係は水と油だ。ファースト・コンタクトから大乱闘だったしな。無償でもそりゃ断るだろうよ。

 

 俺とキンジは、揃って鏡合わせのように肩をすくめてやる。

 

「──双剣双銃のアリア。欧州で活躍したSランク武偵。コルト・ガバメントの二丁拳銃に小太刀の二刀流。いいじゃん、星枷ぃ、二つ名持ちだぞー。けどあんた欠点あったよなぁ、そうそう、およ……」

 

「わぁー! お、およ……」

 

 神崎は両手をバタバタさせつつ大声でジャミングしている。

 

「アリア。お、およ……なんだ?」

 

「うるさいっ! 浮き輪があれば大丈夫だもんっ!見なさい論破してあげたわ!弱点じゃないっ!」

 

 神崎、自爆したな。いいんじゃねえの弱点の一個や二個あっても人間らしくてさ。誰にだってあるよ、理子や夾竹桃にだってあるんじゃねえの?

 

「んで、そっちは遠山キンジくん。愛弟子のルームメイト。こんなのよく部屋に入れたよね、毎日顔付き合わせてるの?」

 

「残念ながら」

 

「お気の毒」

 

「地獄です」

 

「先生。俺、ディスられてます?」

 

「小さいぞー愛弟子ぃ。えーっと、申請してる武装はベレッタ社のM92Fモデル。アンタ達仲良いねえ」

 

「俺はトーラスが好きなんですよ!」

 

 ケラケラと笑う先生にかぶりをふる。

 面白いだろ? ウッドペッカーみたいだ。だが言わないぞ、言ったら殺される。

 

「解決事件は……たしか青海のネコ探し、ANA600便のハイジャック……ねぇ。やることの大きい小さいが極端なこと。アンタも星枷のボディーガードやるわけ?」

 

「き、キンちゃんがわたしのボディーガードなのぉーー!?」

 

「食いつきましたよ」

 

「ああ、食いついたなぁ」

 

 食いついちまったな、雲行きが怪しくなってきたぞ。キンジ咳払いしても無駄だ、星枷なら自分の世界にトリップしてるぞ。

 

「あー……俺は……」

 

「24時間体制で護衛。なんなら特別に単位を出してやろうか?」

 

「──あ、朝から夜まで一緒なのぉーー!?」

 

 会長どうして俺を見るんだ。見るならキンジだろ。つか目がこわい。

 

 キンジも黙りこくってやがるが単位欲しいんだろうな。先生はすごいよ、効果的な餌をちらつかせるのが上手すぎる。悲しいかな、尋問科の教諭はこの人以外考えられない。

 

「決まりね。あたしとコイツで24時間体制の護衛。キリも腕時間貸し(パート・タイマー)でどう?」

 

「かまわねえよ、俺は一人でもやるつもりだったしな。お前とキンジがいればプレデターの一匹ぐらいどうとでもなる」

 

 それになんたって俺は暇だからな。神崎の隣に歩いてやってから肩を並べてやる。

 

「解決事件にデカイ案件が加わるな。終わったら風魔に話を聞かせてやれよ」

 

「ありえん、ありえんだろ。幽霊から守るようなモンだぞ?」

 

「いいじゃねえか。やろうぜ幽霊退治──ゴーストバスターズだ!」

 

 

 




『フルハウスの最悪の回を見せられてる気分』S11、22、ディーン・ウィンチェスター──


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沈まぬタイタニック

「天から大きな星が落ちてきて松明のように燃えながら川に落ちた。星の名はニガヨモギ、大勢が死んだ」

 

「黙示録8章の10節、黙示録の騎士ね」

 

「正解。戦争、飢饉、疫病、死の四騎士。よく分かったな?」

 

「あんたが1つの本を読むなら、あたしは1つの図書館を読んでいくのよ」

 

 そう語る神崎は、赤外線探知機を窓に設置している。赤外線探知機、要はアラームを仕掛けるわけだが部屋の至る場所に設置された探知機の数は過剰と言う他ない。

 

 依頼人、つまり星枷の強い希望であいつも神崎を追いかけるようなタイミングで同居することになった。

 んで、ボディーガードを買ってでた神崎が住まいである俺たちの部屋をこうして要塞化してくださっている。星枷との修羅場で戦場跡みたいになった我が家で、俺もやけになってスプレー缶を壁やら床やらに走らせた。

 

 描いているのは古今東西の魔除けの図形。床に描けばカーペットや絨毯で覆い隠すこともできるからな。

 神崎が設置する探知機も残すは天窓の設置のみ、俺も競うように図形を描いてやる。まさか武偵高に来てまでスプレーアートをやることになるとはなぁ。

 

「ふーん。変な図形」

 

「あらゆる宗教の魔除けと悪魔封じを描いた。ここで個展が開けるぞ」

 

「ま、カルト集団とパーティーは開けるでしょうね。ハンターの嗜みってスプレーアートなの?」

 

「手っ取り早く図形を描けるだろ、これが意外と役に立つんだよ。床に書いた図形はカーペットや絨毯で隠せば見つからないし、これが罠としても使えるんだ。欠点と言ったら肝心のカーペットが穴だらけで使い物にならねえけどな。いいさ妥協するよ」

 

「実にねばっこいタイプね。終わったことをねちねちと」

 

「よく言うだろ、大切なのは再発を防止することだ。格言、少しの予防は治療に勝る」

 

 顔を合わせた初日から最終戦争が始まった。これから星枷と四六時中過ごすって考えたら恐ろしくて逃げ出したいね。

 

 ──って言っても雇われちまってるから向き合うしかないんだけどな。子ライオンが住み着いた次は虎か竜か、笑えねえ。

 

「それで魔剣相手にどうするつもりだ、ホームズプランを聞かせてくれ」

 

「あんたは超能力やライカンとの戦いに長けてるわ。超常的な相手にはあんたが、近代兵装にはあたしとキンジがぶつかる。いいわね、これが役割分担よ?」

 

 神崎の策は実にシンプルだった。ネズミがくれば猫を、魚がくれば鳥をぶつける、そういうことだろう。

 

「分かった、超常的な相手は慣れてる。むしろ戦いやすいよ。相手がSPECホルダーだろうが超能力者だろうが関係ない、いつものことだ。魔剣の正体が分かれば早いんだが」

 

「慎重な相手よ、無闇に尻尾を出さないわ。大多数の人間が魔剣は都市伝説って思ってる」

 

「いい思い付きだよな、最高の隠蔽策」

 

「みんな魔剣の存在すら信じてないわ。誰もその姿を見たことがない」

 

「当然だ。大物は表に出てこないから大物」

 

 そこまで言うと、俺の視線はさっきから手を伸ばして棚の上にある窓に探知機をくっつけようとしている神崎に向く。

 背が背なのでその手は窓に全然届いていない。手を伸ばしているが無駄な足掻き、なんとも言えない気持ちになって俺はかぶりをふる。

 

「椅子いるか?」

 

「風穴っ!」

 

「理不尽すぎんだろ。あ、悪ぃ。椅子ぶっこわれてたな」

 

 ぎろっ、と神崎が睨んでくるので俺は代わって天窓に探知機を取り付けてやった。

 

「そこまで喜んでくれるとは思わなかった。終わったぞ」

 

「OK。あとはキッチンにカメラを仕掛けるわよ。道具の準備は?」

 

「杭、鉄、銀、塩、ライカン用のナイフ。これだけありゃどんなやつが来ても退治できる。人間ならお前のガバメントの餌食だ。いいねえ、役割分担できてるよ」

 

 テーブルには思い浮かぶ限りのライカンに有効打のある道具を集めた。

 インパラのトランクは二重底になっていて、狩りの道具を収納する保管庫の役割も担ってる。ここにあるテーブルの道具も半分以上はトランクの中から引っ張りだしてきた。

 

 独自の装備を詰めこんだトランクはインパラの大切な個性だ、仲間であることの証と同時に俺がハンターであることの証。

 もしインパラのトランクが真っ白になることがあれば、それは俺がハンターを辞めるとき。明確に非日常の世界と決別を決めたことになる。そんな瞬間が来るかどうか、想像もつかないな。

 

 魔除けを書き上げたら仕事は一段落。神崎がキッチンで作業を再開してやがるが俺は道具を寄せてテーブルの空いたスペースに座った。

 

 テーブルに置いたライカン用のナイフに限っては普段から刀剣に使ってる愛用の一品。木のグリップにセレーションの付いたナイフは刃に掘られた魔除けと合わせて超常的な存在に傷をつけるために作られた物だ。

 

 例えるなら怪物専用のオカルトグッズ、理子に言わせれば金物屋には売ってないレア物だな。

 ある意味、修羅場を一緒に歩いてきたそのナイフには出会いはともかく、それなりの愛着がある。ああ、入手の経緯は複雑だけどな。

 

 

 

「──終わったわ。キリ、購買に行くわよ。インパラを回しなさい」

 

「取り付け早すぎねえか?」

 

「もたついても魔剣は待ってくれない。フェアプレーは期待できないのよ。白雪の見張りはレキに任せて、あたしとアンタで備えを仕上げる」

 

 レキも雇ったのかよ。Sランク繋がりで仲が良いってのは聞いてたが……狙撃科の麒麟児が味方か。この上ないな、頼もしいかぎりだ。今度カロリーメイトでも差し入れてやろう。テーブルからナイフだけを持って玄関を出た神崎を追う。

 

「法化銀弾なら足りてるぞ?」

 

「欲しいのは超能力者用の手錠よ。魔剣が超能力者って可能性は捨てきれないわ。あたしの考えではむしろ──」

 

「高いだろうな。俺も超能力者の可能性を疑ってるよ。何せ超能力者専門の誘拐犯だからな、普通じゃない」

 

「ウィンチェスターの相手はいつだって普通じゃないでしょ?」

 

「……ああ、言えてるよ。普通だった試しがない。なんでみんな俺の家系に詳しいんだ」

 

 ガレージに停めてあるインパラの前で俺はかぶりをふる。神崎は助手席のドアに手をかけるが俺は運転席を通り過ぎ、インパラのトランクに手をかける。訝しげな目で腕を組んだ神崎が俺の隣に回ってきた。

 

「デュランダルってのは『ローランの歌』に出てくる不滅の刃だよな。鋭い切れ味と何をやっても折れなかった話は有名だ」

 

「ローランの子孫が魔剣? 安直な推理ね、まだフランス人って言われた方がマシよ」

 

「武偵憲章7条、悲観論で備え、楽観論で行動せよ。聖剣デュランダルにルビーのナイフじゃ太刀打ちできねえよ」

 

「ルビー……? 鉱石ナイフなんて使ってるの?」

 

「……まあな。ずっと使ってるよ。それについてはいつか話す。機会があればな」

 

 トランクを開けると中は空っぽ。広々としたトランクはすっからかんだ。だが神崎はめざとく目を細め、トランクの底に指を横に線を引く要領で動かした。

 

「浅知恵ね」

 

「これが伝統なんだよ。トランクに何もなければ平和な世の中さ。タイタニック号が沈まないくらい……ありえないことだけどな」

 

「なんでタイタニックが出てくるのよ?」

 

「もしタイタニック号が沈まなかったら連鎖的に色んな人の未来が変わったはずさ。死んだはずの人が生きてるかもしれねえし、俺もインパラに乗ってなかったかもしれない。トランクには何もないってことさ」

 

 ダミーの底を持ち上げ、本来の中身が露になる。隠し扉は機械油や鉄の匂いが定番だがインパラは黒一色ってわけじゃない。トランクは四つの仕切りに区切り、杭や聖書の一般的に知られる怪物退治のグッズから携帯用タンクやスキットルなんかも雑多に詰め込んである。

 

 左側の仕切りにショットガンを立て、底蓋を支えるスタイルは日本に来ても変わらない。トランクを開けてから底蓋を支えるまで、何度もやってきた動きは愛着すら覚えてる。

 

 塩で作られたショットガンシェル、こんなもの誰も売りたがらない。

 だから俺たちはハンターだ、武器商人じゃない。神崎はゆっくりと瞼を下ろす。

 

「アンタがインパラを大事にする理由が……ううん、少し分かったわ。アンタ、トランクを開けるだけなのにいい顔してた。家族に会ったときみたいな、そんな感じ──車ってだけじゃないのね、この子」

 

「……ああ、仲間で家族だよ。笑うやつもいるが俺はそう思ってる。67年のシボレーインパラは家族、帰るべき家だ。あとは自慢の彼女、こいつは兄貴の決まり文句」

 

 神崎は笑ってなかった。

 車は家族、家なんて語りに──笑ってなかった。

 

 こいつは暴力的だ、すぐガバメントをぶっぱなすし、口よりも先に手が出る。

 家事が出来ねえのに文句は達者だし、プライドは輪にかけて高いが世間知らずだ。

 不条理極まりないことも言いやがるさ。最初はキンジも奴隷呼ばわりだからな。

 

 だが欠点だらけじゃない。それだけは言える。

 

 俺はかぶりをふってスキットルを手にする。

 兄貴に言われたことを思いだしたよ。

 いい年こいてセンチメンタルになるのはやめだ、少しは大人になるさ。

 

 スキットルは制服の内側に超能力者用の手錠と一緒に突っこむ。俺も手錠は買っとかねえとな、この一個で最後だ。

 

「銃検は平賀さんに都合付けてもらった。可愛い顔して恐ろしいな、ポーカーの稼ぎを全部持ってかれたよ」

 

「彼女はプロよ。見合うだけの良い仕事をしてくれるわ。ハンターはチップをケチる、あれって本当の話?」

 

「狩りは金にならねえからな。けどポーカーではいいカモだ、バーの看板娘が言ってたよ」

 

 俺は自虐的に言い、トランクを閉じた。

 

「さてはあんたもカモにされたわね?」

 

「くだらねえ話さ。バーで働いている女の子を口説いたらカモにされちまった……どこにでもあるくっだらねえ話だよ。口説いたつもりでいながら最後までプレゼントの一つもくれてやれなかったけどな」

 

 俺がアメリカにいた頃、どこに行くにしても移動手段はインパラだった。

 広大なアメリカを車で走り回り、時には10時間以上揺られていたこともある。どこに行くにも車で移動だ。ある日、兄貴がフライト恐怖症だって聞いたときは腹を抱えたぜ。

 

 だが今日も俺はインパラに乗ってる。隣にSランク武偵を乗っけてゴーストバスターズだ。日本でもアメリカでもやってることは大差ない、キャストが入れ替わっただけさ。人の本質ってやつは結構変えられねえモンかもしれねえな。

 

「魔剣は──あたしのママに罪を着せてる敵の1人なのよ。イ・ウーにいる剣の名手ってのが多分それ。迎撃できればママの刑が残り635年まで減らせるし、うまくすれば高裁への差戻審も勝ち取れるかもしれない」

 

「またイ・ウーか。一度くらい楽しいニュースは運んで来られないもんかね」

 

 ゴーストバスターズがあっという間に24、またもやイ・ウーとはな。

 

「超能力者を誘拐してどうする?」

 

「──ソフトボールチームを作る? 知らないわ、連中が何を考えてるかなんて」

 

 いっそ開き直ったような声色で神崎は肩をすくながら言う。

 

「なんでもいいわ。あっちから仕掛けてくるなら迎撃するわよ。理子には逃げられたけど、今回は尻尾を掴んで引きずり出してやるわ」

 

「踏まなきゃいいけどな」

 

 ……とっくに尾を踏んでるかもしれないが。蛇が出るか、それとも……もっとおっかないものが出てくるか。藪は突いてからのお楽しみか。

 

 

 

 




……アリアと喋るだけでストーリーが進まない



『一度くらい楽しいニュースは運んで来られないもんかね』S10、21、クラウリー──


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サード・コンタクト

 購買から部屋に戻ると、食卓には中華料理の皿がズラリと並んでいた。カニチャーハンにエビチリ、酢豚に餃子にミニラーメンに、アワビのオイスターソース和えまで揃ってる。食べなくても分かる、うまいやつだ。しかもどれもこれもキンジの好物ばっかり。考えられてるなあ。

 

「……これ全部星枷が作ったのか?」

 

「ま、まあまあね!」

 

「やめとけ。カマキリが馬車の前で鎌を振り上げて威嚇するようなもんだ。悲壮を通りこして滑稽だよ。こないだ目玉焼きを作ろうとしてタマゴで手をドロドロにしたの忘れたか?」

 

「あれはタマゴが悪かったの! だからあたしは悪くない! プロほど素材にこだわるものなの!」

 

 と、家事の一切のできない英国貴族様もプロ意識だけは高めだった。反論とほぼ同時に俺の脇に肘を入れやがったのもプロの誇りを守る正当な理由──んなわけあるか。冷蔵庫の余り物でうまい飯を作ってこそのプロだろ。ちくしょうめ、暴力反対だよ。

 

「た、食べて食べて。ぜんぶキンちゃんのために作ったんだよ」

 

「ああ、頂くよ」

 

「はい、あ、あなた……」

 

 そこ!新婚ムードを晒すんじゃない!二人きりの空間を作るな、俺と神崎もいるぞ!

 

「お……おいしい? ですか?」

 

「うまいよ」

 

 とキンジが答えると、それだけで星枷は幸せいっぱいといったカンジだ。神崎はそれが面白くないらしく俺の足を無言で蹴りやがった。子守りは専門外だ、誰かに変わってもらいたいね。子ライオンのあやし方を知ってるやつがいればな。

 

「ほら、白雪も食べろよ。いつもなんで俺の世話ばっかり焼くんだ」

 

「そ、それは……キンちゃんだから、です」

 

「答えになってないだろ」

 

「……そ、そうかも。私も食べるね、キンちゃんと一緒に食卓を囲めるなんて夢みたい……」

 

 神崎、俺の足を蹴るのはよせ。人を八つ当たりに使うんじゃない、しかも蹴る力がさっきより強くなってねえか……?

 

 はぁ……食い物って誘惑する女みたいだよ。一口食うとほら、夢中だ。キンジのやつ、カニチャーハンにやられちまって威嚇状態の神崎が見えてない。見えてるのは目の前の料理だけ。

 

「雪平くんもどうぞ」

 

 ようやく救いの舟が来やがった。星枷の隣には俺が足早で、キンジの隣の席には神崎が渋々とついた。そりゃそうだ、テーブルにご馳走が並んでる。作り手が誰であれ食いてえよな。星枷の料理は隙のないオールラウンド、和洋中どれを作っても美味しいんだよな。テーブルに並んでいる多数の皿から、俺はエビチリの皿を持ち上げて。

 

「キンジ、俺も食べてもいいか?」

 

「俺に聞くなよ」

 

「お前に作られた料理だ。俺がかっ込んでも悪いだろ。許可は大事だよ、許可は。ルームシェアなんて傘を盗った盗られたで簡単に戦争になる。あとあれだ、チャンネルの奪い合い」

 

 さて、エビチリを失礼して……うまいのは見れば分かってたけど、口にいれるとやっぱりうまいんだよなあ。駄目だ、お手上げ。俺のシュリンプ料理なんかより全然いける。評論家気分の俺の前では……腕組みした神崎が、ヒク、ヒク、とこめかみを震わせていた。

 

「で? なんであたしの席には食器がないのかしら? 箸くらい用意するもんよね」

 

「アリアはこれ」

 

 神崎に用意されたのは、割ってない割り箸が白飯に突き立った丼だった。白飯だけの丼では味気ないが突き立った割り箸に目が行ってそれどころじゃない。

 

「なんでよ!」

 

「文句があるんなら、ボディーガードは解任します」

 

「フルハウスの最悪の回を見てる気分」

 

「数は足りてないけどな」

 

「それは関係ない。俺にも酢豚くれ」

 

 賑やかになってきたな。退屈しないよ、キンジの周りは。……うまっ、この酢豚。

 

 

 

 

 

 放課後。昼下がりの公園は燦々と陽光が降り注ぎ、草木は穏やかな風に吹かれて揺れていた。園内では小さな子供を連れた家族が笑う声が聞こえてくる。

 

「ほらよ、買ってきてやったぞ」

 

 俺はベンチまで歩いて戻り、買ってきた紙袋を手渡すと、夾竹桃は照りつける陽光をうっとおしそうに眼を細める。

 

「嫌な天気。うっとおしいわね」

 

「そう思うのは少数派だよ。ベーコンバーガーデカ盛りにチリチーズフライドポテトのラージ、なのにヘルシーシャカシャカサラダ──以上ですか?」

 

「変よね、でもサラダ以外は私じゃない」

 

 お目当てのサラダを抜き、夾竹桃は少し軽くなった紙袋を返してきた。一緒についてきたドレッシングを容器に注ぎ、透明なカップを片手でシャカシャカとシェイクする。小気味好い音に肩をすくめてやってから、俺もベンチに腰掛ける。しゃかしゃかと無言で容器を振っている夾竹桃が不機嫌そうに横目で見てきた。

 

「好きなだけシャカシャカしろ」

 

 案の定というか夾竹桃は無言で容器を振っていた。園内には小さく噴水が作られており、落下した水の飛沫に小さな子供がはしゃいでいる。夫婦と子供、家族揃っての楽しそうな笑い声が少し羨ましい。俺はかぶりを振って紙袋を開いた。

 

「綴先生が言ってたよ、アドシアードが終われば武偵高に通えるってさ」

 

「要は監視でしょ。念のため言っておくけど、動くつもりはないわ」

 

「俺は監視で寄ったんじゃない。たまたまお前を見かけたから様子を見に来たんだ。誰にも頼まれてねえよ、厄介なやつに絡まれちまったな」

 

「驚いたわ、自覚はあるのね」

 

「そこは否定してほしかった。でもサラダはタダで食えたろ、チャラにしてくれよ」

 

 言葉で言っても信じるかどうかは信頼関係の深さに依存する。蠍に嫌われるのはいいとして、毒の尾を向けられるのは勘弁してくれ。紙袋からフォークを片方渡してやり、夾竹桃は手袋をしていない手で受けとったフォークをカップの容器の中に挿した。不機嫌な目もいつもの変化の薄い表情に戻っている。取調室で話をしたクールな魔宮の蠍だ。

 

 清涼な風に包み袋を揺らし、俺もベーコンバーガーにかじりつく。デカ盛りに恥じない大きさは食べごたえも味も抜群だった。炭水化物の塊だろうと美味しい物は美味しいんだ、体に悪い食べ物ほど美味というのはあながち無視できない話かもしれない。

 

 横目でベンチを見ると、夾竹桃はノートにペンを走らせていた。ノートには大きな丸で囲んだ夾の文字とアルファベットで……NETA・NOTE──ネタノート?

 

「なあ夾竹桃、そのノート……」

 

「ネタノートよ」

 

「名前どおりかよ。何のネタ?」

 

「マンガ」

 

 夾竹桃はペンをカップに変え、またサラダを食べはじめた。ネタになることなんてあったんだな。つか、さっき通ったの神崎の戦姉妹か。一緒にいたのは火野ライカだな、覚えてるよ。彼女は強襲科のBランク武偵で蘭豹のお気に入り、父親も武偵でアメリカでは結構有名な腕利きだ。スーフォールズの保安官がサイン欲しがってたっけ。クレアとアレックス、二人の娘は微妙な反応してたけどな。

 

 懐かしい思い出に瞼を伏せるが、気持ちを切り替えると、べンチに背を預けて体を反らし、流れる綿雲を眺める。星枷の護衛から数日が経過していた。当然ながら星枷には神崎とキンジが常に傍について、俺とレキもローテーションで魔剣の襲撃に備えてる。強襲科の現Sランクと元Sランクの24時間の監視、狙撃科のSランクが遠隔から対象を守ってるし、部屋は赤外線センサーと大量のカメラが仕掛けられたトラップハウス。迂闊に手出しはできないはずだ。

 

 だが、面倒なことに胸騒ぎが止まらない。イ・ウーについて知らないことが多すぎる。国際的な犯罪組織、名前を口にすることも危険なブラックボックス。そんな組織をいったい誰が統べてやがるんだ──俺は考えてからすぐにかぶりを振った。分かりきってるな、悪魔を統べるのはルシファー、天使を統べるのはミカエル、化物を統べるのは同じ化物って相場が決まっている。

 

「似合わないわね。何か悩みでも?」

 

「武偵には気をつけなければいけないものが3つある。闇と毒と女。大切なことを学んだよ、フルハウスはテレビの中だからおもしろい」

  

「後学のために聞かせて。その言い回しは意図的?」

 

「結構楽しいもんだぜ」

 

「さすがの私もちょっと引くわ」

 

「お前も変な言い回しが多いだろ。今日から仲間だ、おめでとう」

 

「荒れ地の王様になった気分よ」

 

 俺は足を組んで両手を頭の後ろに持ってくると、再び思考に没入する。着目するのは超能力者を誘拐する理由だ、超能力者を集めて何を企んでやがるのか。

 

 自然と表情が険しくなるのが分かる、血が煮えたぎるように熱くなる。超能力者を集める計画か、やってることが悪魔と同じだ。魔剣──お前が男か女かも分からねえが、俺にはお前の目が黄色に見えるぜ……

 

「雪平、雪平切。聞いていて?」

 

 ゆるゆると顔を上げてかぶりを振る。

 

「聞いてるよ。俺、どんな顔してた?」

 

「酷い顔よ、疲れてる」

 

「疲れてないよ。なんていうか、バッテリーをチャージできてない感じ」

 

「それを疲れていると言うのよ。あとポテト冷めてるわよ」

 

 ……本当だ。思考に耽るのも程々にしねえとな。食べ終わったハンバーガーの包み袋を丸めて紙袋に入れるとサラダの容器は中に置かれたあとだった。俺は冷めたポテトに少し眼を伏せると、背を丸める。穏やかな風が吹き、白い造花が黒髪の上で揺れる。靡いた髪を手で抑える姿は陽光よりもずっと眩しかった。

 

 背後から笑い声が聞こえてきて首だけ振り返ると、家族連れがこちらを指差しながらほがらかに笑っていた。ポテト食ってる姿がそんなに面白いのかな。気になって横目で見た蠍は、うっとおしいと嘆いていた空を見上げている。

 

「……丸くなったと思う?」

 

 不意の言葉に俺は笑った。

 

「なった、司法取引をしたことが影響してるんじゃねえか。さもなきゃなんだろ、間宮あかりに負けたこと。分かんねえ、ともかく会ったときのお前だったら俺を隣に座らせたりしない。今頃俺は毒を盛られてるか、鋼糸で絞め殺されてる」

 

 毒の知識を学ぶ為なら手段は問わず、技術を磨くことに妥協も感傷も許さないのが魔宮の蠍だった。

 

「それが今は、どうだ? 戦おうともしない。話をしてる。ポテト食いながらな」

 

「……そうね」

 

「俺も丸くなったよ。あの夜は釈然としない幕切れだったからな。司法取引のあとで私闘をふっかけてやるつもりでいたのにこの有り様だ。魔宮の蠍の相談に乗ってやるなんて夢にも思わなかったよ。サラダを奢るなんてさ」

 

「神崎アリアと遠山キンジの影響よ」

 

「それも予想してなかった」

 

 俺はポケットに手を入れ、背を深く倒す。

 

「どうした? 泥棒のお友達に嘆かれちまったか?」

 

「あの子とはハイジャック事件以来会ってない。コルトが手に入らないなら、私からしてあげられることはないから」

 

 夾竹桃の言っているコルトは天使から悪魔まであらゆる物を殺せる特別な銃だ。その拳銃に殺せない物は5つだけ、俺はそのうちの1つを知ってるが殺せる殺せないの相手じゃなかった。敵意をちらつかせた時点で殺される、そんな雲の上の相手だ、生まれ育ちが雲の上って意味じゃない。そもそも銃弾なんて人間の文明が編み出したモンに当たりやしない。

 

 親父もとある存在を殺すためにコルトを探し求めた時期があった。探した理由は単純明快でコルトでしか殺せない存在だったからだ。妻の……母さんの仇だった。理子がコルトを探していたのも親父と一緒さ、コルトでしか殺せない存在を相手にするつもりだ。ハイジャックのときのあいつの反応は普通じゃなかったからな。

 

「聞きたいことがある。理子のことだ。あいつはコルトで何と戦うつもりなんだ?」

 

「答えられないけど、察しはついてるでしょ。あなたは誰ではなく何と口にした。つまりはそっち系よ」

 

「そういうことか。つまりいつもの相手」

 

 腕組みして一つ頷いてやる。まあ、知っていても公園で話せる名前じゃないか。

 

「理子より強いのか?」

 

「私が手を貸しても絶対に勝てない」

 

「……よしてくれ。お前と理子の力は知ってる、なんとかなるだろ」

 

「絶対に勝てない」

 

 夾竹桃は悩む素振りも見せなかった。俺は険呑に瞳を細める。

 

「そんなに強いのか?」

 

「化物よ。彼は大胆で利口で冷酷」

 

「なるほど、多才だ」

 

 つまらない嘘を重ねる女じゃない。敵味方を抜きにして、夾竹桃は自分が認めた者には称賛を惜しまない女だ。そんな彼女に『化物』とまで言わしめる相手──こいつはヘビーだ。

 

「差し障りのなさそうな部分だけ、抜き出して話してあげる。神崎アリアに味方したからには、いつか関わることになるだろうし。私も悩みの種だから取り除けるならそうしてちょうだい」

 

「俺に化物退治を頼むのか?」

 

「それが仕事でしょ。ウィンチェスターは怪物を引き寄せる磁石、どうあっても避けては通れない道でしょうね」

 

「お前で二度目だよ、怪物の磁石なんて言ったのはさ。だけど、お前の言うとおりさ。怪物退治は家業だ。危ないことは何度もあったけど、いい人が死んで俺は生き延びた。皮肉だね」

 

 続けてくれ、と俺はかぶりを振る。

 

「あの子が狙っているのは、今のナンバー2。序列で2番目に立ってる化物よ」

 

「……理子がコルトを欲しがるわけだ。リヴァイサンのナンバー2をワルサーで殺せるとは思えない。合点が行ったよ」

 

 だが、理子の求めるコルトも今では使い物にならないガラクタに成り下がった。コルトの代わりになる武器もあるにはあるが俺は考えてから首を横に振る。原始の剣は武器じゃない、あれは第一級の呪いだ。立ち上がった夾竹桃の背中を、俺は紙袋を持って追いかける。

 

「場所を変えるわよ、助手席に乗せなさい」

 

「お前、歩いてきたのか?」

 

「散歩が趣味なの、あとマンガ」

 

「健康的なことで」

 

 家族連れに手を振ってやり、インパラのある近くのパーキングまで歩くことになった。俺はドアを半分開け、助手席側に回る夾竹桃に目を合わせる。

 

「最初に言っておく。BGMは俺が決める」

 

「ドライバーの好きになさい。カセットテープは持っていないから」

 

 変わらないトーンで夾竹桃は助手席に居座った。好きにするって言ったよな? テープを漁ってるその右手はなんだよ?

 

「洋楽ばかりねぇ」

 

「俺の親父は79年より前の曲しか聞かなかったんだ。新しい曲を知る機会もなかった。ほとんど車に乗ってたからな。旅ばかりさ、仕事で」

 

「私も風任せの生き方をしたことがあるわ。まあ、これぽっちも面白くなかったけど」

 

「ヒッピーみたいに?」

 

「愛と平和はないけど」

 

 それは面白くなさそうだ。俺は段ボール箱に詰め込んだカセットの山から一つ抜く。

 

「無限罪のブラド。それがイ・ウーのナンバー2よ」

 

 窓の外に目をやったまま、彼女はそう言った。無限罪のブラド……?

 

「知らなきゃ恥か?」

 

「イ・ウーは知っているだけで身に危険が及ぶ、国家機密だから。本当は知らないことが懸命よ」

 

「もう知っちまったけどな。こういうの知ってるよ。『手遅れ』って言うんだろ」

 

「懸命なのは秘密を守れる人間ではなく、秘密を持たない人間である」

 

「とんでもないのを持っちまったな。バラしたくてウズウズしてる」

 

 自嘲気味の冗談でとりあえず誤魔化すとテープが回りだし、流れ始めた曲にインパラのエンジン音が被さる。

V8エンジンと一世代前の懐メロが重なる車内、それはようするにいつものシボレー・インパラだ。

 

 

「行き先は?」

 

「『HOTEL―POROTOKYO』の109号室」

 

「……どこだよ?」

 

「私の部屋。今はそこを借りてるの」

 

「女子高生がモーテル暮らし?」

 

「案外いいものよ。ちょうど良いぐらいに広くて」

 

「ああ、埃っぽくないんだろ。俺が知ってるのは粗末なベッドと壁に皹が入ってる安っぽいモーテルさ。倹約家なんでね」

 

 要はホテルまでのタクシーかよ。俺の彼女には料金メーターなんざついてねえぞ。インパラのハンドルを叩いてやって、俺は溜め息を吐くとパーキングを出た。かまわねーよ、ドライブには一度誘ってるからな。

 

 HOTEL―POROTOKYOの名は聞いたことがある、いわゆる富裕層をターゲットにした高級ホテルだ。ホテルの一室を私室にしやがるとはなぁ、安っぽいモーテル暮らしをしてた身としては、羨ましいよ。

 

「いいホテルよ。紹介しましょうか?」

 

「やめとくよ、大雨の日にホテルで贅沢しようとしたことがあってさ。あー……とんでもないことになった。高級ホテルは苦手だよ、誰がパーティーやってるか分からん」

 

「誰が開いていたの?」

 

「聞いたら後悔するよ。アホらしくて」

 

「ふーん。でも聞いてみないと分からないわよ?」

 

 神崎みたいなこと言いやがって。マンガの種にもならねえ話なのによ。信号待ちかよ……

 

「異教の神が集会を開いてやがったのさ。カリとかオーディンとか、有名な奴等がテーブルに座って会議してる。議題は、最終戦争をどう乗り切るか。どうだ笑えるだろ?」

 

 人里離れたハイウェイ沿いのホテルにしては豪華すぎたよ、すぐに疑うべきだった。新婚がディナーにされたときはゾッとしたよ。ああ、本当にさ。

 

「バカバカしい」

 

「だよな、ノアの大洪水みたいな状態でパイ食ってんだから」

 

「神が、最終戦争をどうして恐れるわけ?」

 

 ……そっちかよ。

 

「正確には異教の神だ。人間を茹でてスープのダシにするような危ない連中。大天使やリヴァイアサンを作った神とは別モンだ」

 

「万物のクリエイター」

 

「良い例えだな。知り合いに聖職者がいるなら教えてやれ。あれは戦争じゃない家族の確執。癇癪を起こしたルシファーとミカエルの兄弟喧嘩だ。全地球上の存在を巻き込んだ迷惑極まりない規模のな。異教の神が止められる話じゃなかったのさ、戦争と違って家族の確執は止めようがない」

 

「なるほど、続けて」

 

「異教の神たちは話し合いの場を設けようとした。他ならないルシファーとな。応じないなら力業もやむなし、危うく器の候補である俺たちも天使二人のチャイムとして使われるところだった、肋の骨を折られてな?」

 

 肋の骨に天使避けが書かれているお陰で、俺たちを目印に連中がやってくることはなかった。カリはその魔除けを骨ごと折るなんてことを言い出したが、奴のお友達が先走って既にルシファーを呼んでいたことで……洒落た高級ホテルは惨劇の舞台に変わった。

 

「結論を言うと、所詮は異教の神。力の差を理解してたのはトリックスターだけだ。集まった神は10人はいたがみんな赤子の手を捻るようにルシファーにやられたよ、3分もかからずにな。哀れなもんさ」

 

 ……ロキがいなかったら全部あそこで終わってた。彼を除いた神たちは、雁首揃えてかかれば大天使の一人や二人くらいどうにかなると思っていたんだろう。だが実際に待っていたのは戦いとすら呼べない一方的な蹂躙。死屍累々だ。

 

 とまあ、語っておきながら、いまいち盛り上がりに欠ける昔話と言わざるを得ない。神だの天使だのが出てくる話はゲームやアニメだけで充分だ。実際の天使は世間が思ってるような清く崇高な連中じゃない、信仰を踏みにじるような言い方になるが俺が見てきた天使たちはその半分がロクでなしだった。

 

「それでどうなったの?」

 

 やっと信号が変わったと思ったら、同時に質問が飛んでくる。すっかり忘れてた、普通の子には面白味のない話だが、そもそも隣の蠍は普通じゃない。

 

「そいつらに軟膏でも塗ったと思うか? 必死で逃げたよ、それで俺たちとカリの神様だけが生き残った」

 

「ハラハラどきどきの日常だったってことね」

 

「楽しいのは最初だけ。すぐ嫌になる」

 

「ほんと、貴方の話はマンガのネタになるわ」

 

 

 




次回でアドシアード開始です。


『いい人が死んで俺は生き延びた。皮肉だね』S2、22、エレン・ハーベル──



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魔女の誘い




 夾竹桃と話をした数日後、お決まりの展開というか、神崎とキンジが喧嘩した。俺は後ろ頭を掻きながら、そういえばルームシェアで揉める原因は女だったなと思い出した。事後報告で神崎がいなくなった理由を聞き、俺は渋々あいつが頼るであろうツテに連絡をとった。

 

 神崎は受けた仕事を途中で投げ出す女じゃない、ましてや家族が関係してる仕事だ。神崎は家族を見捨てない、私情で仕事を投げ出したりしねえよ。星枷から距離を置いたのは何か考えがあるんだ、要は得意のスタンドプレーさ。かまわねーよ、相乗りしてやる。それになんたって俺は暇だからな。

 

 第2女子寮の最上階の──たぶん、この部屋だな……と、俺は通路で立ち止まり、問題の部屋の前で眉を寄せた。ここで合ってるよな、表札がねえんだけど……

 

「雪平さん」

 

 振り返るより先に俺の脇を少女が歩き去っていった。首筋の毛がぞっと逆立つ。いつから背後にいた?

 

「人の背後に立つのが趣味なのか?」

 

「いいえ」

 

 抑揚のない喋りでかぶりを振られる。この子に皮肉は通じない、覚えとくよ。でかいヘッドフォンとドラグノフを持ち歩いた少女、つまりレキが俺が連絡をとった相手だ。Sランクが頼る相手を考えれば妥当だろ、レキは俺たちより先に神崎と組んで仕事をしてるしな。

 

 レキはそのCGみたいに整った顔でボーッとしていたがすっ、とカードキーでドアを開けた。手には、買い物に行ってきたのかコンビニ袋を提げたままだ。表札はねえがレキの部屋で合ってるみたいだな。

 

「どうぞ」

 

 レキは早々に薄暗い奥に行ってしまう。神崎より頭半分大きな背を追いかけて、俺は玄関をくぐった。

 

「貴族様のご機嫌は?」

 

「アリアさんは装備科に出かけました。気をつけてください。ここ数日は、風に──何か邪なものが混ざっている」

 

「この世界はどこに行っても邪なもので溢れ返ってるだろ。どこが地獄か分からねえよ」

 

「まるで見てきたような口ぶりですね」

 

「地獄に落ちて戻って来れるか? 天使が地上に釣り上げてくれるなら話は別だけどな」

 

 バカバカしい話になりそうなので会話を区切るが、今度はレキが切り出してくる。

 

「キンジさんは魔剣の存在を疑っています」

 

「誤魔化すなよ、らしくない」

 

「願望は時に人の感覚を鈍らせる。魔剣の存在を疑う余り、キンジさんは感覚を鈍らせてしまった」

 

「結論を急いで神崎と衝突したんだろ。パートナーを奪われて神崎も焼き餅。また遠山キンジお決まりの展開ってやつさ」

 

「存在しない相手と戦うことに意味はありません。護衛も然り。キンジさんは諦めてます」

 

「だが、お前と神崎は?」

 

「雪平さんは?」

 

「続けるに決まってるだろ」

 

 不意に問いかけを返され即答する。抑揚のないレキ喋りだが不快には感じなかった。レキ、不思議なやつだよ。でも俺は嫌いじゃない。

 

 玄関を抜け、天井からブラ下がった裸電球に照らし出された室内は──何もない空間だった。ベッドも、箪笥も、テレビもパソコンもない。カーペットや畳すらないから、床も壁もコンクリートがむき出しだ。安っぽいモーテルの方がまだ生活感がある。惨い言葉が、不意に頭をよぎってかぶりを振る。

 

 そんな悪評を知るよしもない。レキはコンビニ袋からカロリーメイトを出して、空き箱を壁際に置いた。壁際に幾つか他の空箱が等間隔で並んでいる。糸の縫い目みたいに等しく、微かなズレもない。狙撃手の性質が表れてるよ。感心と同時に俺は深く溜め息をついた。

 

 ハンターはどうしようもない仕事だ。この部屋を見た途端、俺は真っ先に狩りの可能性を疑っちまった。なんでも狩りに結びつけるのはハンターの悪い癖だ、嫌なことがあると狩りをして忘れようとする生き物だからな。命がけで怪物退治をしてる時間は嫌なことを考える余裕がない、だから忘れられるんだ。酒を浴びるように飲むのと一緒さ、逃げ道になる。

 

「雪平さん」

 

 ふざけた話だよ、レキを疑うなんてな。俺はコンクリートがむき出しの床に胡座をかく。部屋の壁際に赤いトランクを見つけたがあれは神崎の私物だろうな。コンクリむき出しの部屋で一番浮いてるよ。

 

「どうかしたのか?」

 

「バックバンドをやるそうですね」

 

「キンジと不知火と武藤。四人で閉会式のアル=カタのお供だよ。お前は選手参加だろ、応援は必要ねえだろうけど頑張れよ?」

 

「はい」

 

 狙撃手はどんな厳しい環境にも適応し、本来の力を発揮するのが根底に根付いている。Sランクのレキともなれば、応援や野次を実力に響かせることはない。どんな記録を見れるか、正直楽しみだ。

 

 

 

 

 連休が終わり、アドシアードが始まった。俺たちがアル=カタの演奏をやるのは閉会式なので、これからしばらくはちょっとした手伝いと短縮授業の日々が進むことになる。

 

 アドシアード開会式場となる講堂のゲートは俺、キンジ、武藤の緊張感のない三人でモギリをやってる。俺たちが担当するのは報道陣の控え室に続くってだけの出入り口。この仕事、三人もいらねえだろと嘆きたくなるが蘭豹先生に見つかったら笑えねえ、サボれねえな。

 

 開会式前にはそこそこカメラやマイクを持った記者たちが通ったんだが……昼も3時を回ると、今さら来るやつはもういない。報道陣が3時を回って押し寄せるわけねえよな。

 

「……俺らの演奏するフー・ショット・ザ・フラッシュって、原曲のカバー・バージョンの、さらにコピーの、しかも替え歌だろ?」

 

「笑い話だよな。俺はクラシックロックをやりたかったよ。伝承──『これまでの道のり』に一票を投じるね」

 

 ヒマをもてあました武藤が、パイプ椅子に座ったままぼやく。キンジもヒマをもてあましてアクビしてらぁ。

 

「それって、あの海外ドラマのメインテーマか?」

 

「切がインパラに乗ってるとき、いつも流してる曲だよ。馬鹿の一つ覚え」

 

「なんて失礼な……名曲だろ?」

 

 つかキンジ、馬鹿の一つ覚えとはなんだ。お前だってタイタニックのテーマをノリノリで歌ってたじゃねえか、俺は忘れてねえぞインパラの中でカラオケやりやがって。バルサザールの言葉を借りるが、あの時ばかりは俺もあの映画が嫌いになったよ。

 

「俺は知らないし、それに懐メロは聞き飽きたんだよ」

 

「聞こえてるぞ。大嫌いだ、お前らの世代なんか……」

 

「いや、同い年だろ」

 

 キンジ、俺、武藤と会話が続く。要は三人ともヒマをもてあましてるんだよな。

 

「で、結局、アル=カタのチアって……星伽さんは出ないのか?」

 

「白雪? 出ないつってたぞ」

 

「そうかぁー」

 

 と武藤は、やたら残念そうに語尾を伸ばす。分かりやすい反応だな、男子高校生め。

 

「そういえば……キンジお前、星伽さんのボディーガードしてたんだよな」

 

「アリアと一緒にな。切もいる」

 

「警護される星伽さんって違和感なかったろ。守ってあげたくなるタイプだもんなぁ」

 

「守られる必要性を感じなかったぞ」

 

「同感。彼女にベレッタは必要ないよ」

 

 俺は相槌を打ち、晴天の青空を窓から眺めていた。平穏だ。とても魔剣が迫ってるとは思えない。いや、平穏に感じることが不気味なんだ。本当に危険なのは危機を認識できないことだからな。

 

「……で……キンジ。どっちなんだよ」

 

「何がだ」

 

「星伽さんと、アリア。どっちがお前のタイプなんだよ?」

 

「は?」

 

 キンジが眉を潜める。俺は顔を押さえながら喉の奥で笑った。こいつは潔い正面突破だな。

 

「アリアだろ」

 

「なんでアリアなんだ、よ。切、お前分かるか?」

 

「さあね、俺は講堂でなんか飲み物でも貰ってくるよ。あとは二人でどうぞ。俺はどちらの味方もしない、フェアにいく」

 

 だが、どろどろとした恋愛関係は口に合わない、楽しめそうにないよ。キャストが知り合いってだけで興醒めだ。退屈でユーモアも忘れそうになる。邪魔物は空気を読んで席を立ってやるよ。誰を好きになるかはそいつの自由、諦めるのも振り向かせる努力をするのも自由にやればいいんだ。

 

「お、おい切……お前は止めないのか?」

 

「何を止める、一方通行の会話か? まあ、それは一理あるな」

 

 武藤は驚いた顔でパイプ椅子を揺らした。俺はシニカルな笑みで空席のパイプ椅子をキンジに向けてやる。

 

「なんだよ。俺は眠いんだ」

 

「知ってるか、人間はどれだけ眠られずにいられるか。普通なら──11日だ。寝不足は有効な尋問方法と言うだろ、あれは拷問だよ」

 

「尋問科の講義は結構だ。俺はすぐにでも眠りたいんだがな」

 

「でもお喋りは楽しいだろ? 一方通行の会話は寂しすぎる。さあ、二人ともゴングは鳴ったぞ! かかってこい、トークバトルだ!」

 

 ファイティングポーズをとる俺にキンジが講堂を指差した。なにぃ? さっさと飲み物持ってこいって?

 

 

 

 

 

「雪平くん。おつかれさまですのだー」

 

「ありがとう平賀さん」

 

 と、装備科の平賀さんが屈託のない笑顔で給水用のボトルを渡してくれる。報道陣の仕事熱心な顔ばかり見ていたせいだな、無邪気な笑顔が心に沁みる。

 

 キンジと武藤を合わせて三個のボトルを袋に詰めていると、講堂で案内スタッフをやっている平賀さんが俺に声をかけてくれた。人選に言いたいことはあるが平賀さんはガイド役をやけに気に入って、その仕事ぶりをダイジェスト版で語ってくれる。なんつーか、妹の自慢話を聞いてる気分だな。

 

「楽しそうだね?」

 

 低身長の平賀さんに合わせて目線を下げると、平賀さんは顎に手を当てながら苦笑する。

 

「理子ちゃんがいないのは淋しいのだ」

 

「……あいつなら大丈夫だよ。イチゴ牛乳飲みながらスキップして帰ってくるさ」

 

 その顔を見ながら、理子が心配されていることに内心嬉しさを覚えていた。俺は、先日ようやく夾竹桃から理子が神崎との対決に執着する理由を聞いた。監禁された過去、一族が没落し、両親が死んでいること。ロクな物を食べれず、ボロ布しか身に纏えない生活を与えた原因が──無限罪のブラド。イ・ウーのナンバー2。

 

 神崎を倒し、ホームズと引き分けた初代リュパンを越えれば理子は自由の身になれる。それが理子とブラドが結んだ約束、夾竹桃はそう教えてくれた。約束が果たせなければブラドは理子を連れ戻す、檻の中にな。いけすかない、好きになれない。

 

 

 

 檻に閉じこめることが──気に入らない。

 

 

 

 

 心の中で悪魔が囁いた気がした。首を傾げる平賀さんの顔が真っ黒な煙で塗り潰される。脳裏に浮かぶのは赤い瞳の眼光だった。瞳は恐怖を誘い、背より生えた黒い翼は形を帯びず、されど黒い影は広がり雄々しく双翼を描く。この世界のありとあらゆる負を詰め込んでもアレには遠く及ばない。おぞましい血色の瞳をして、携えた翼は恐ろしく神々しい。

 

 理子、お前は檻の中で絶望を見たんだろ? 知ってるよ、お前は檻の中で誰と会った? 俺は──

 

 

 

 

 

 急に袖を引かれて現実に引き戻される。途端に平賀さんの声が耳に戻ってきた。

 

「どうしたのだ。雪平くんも理子ちゃんが心配?」

 

「いや……理子には優しい友達がいて羨ましいと思ってさ」

 

 平賀さんがじーっとこちらを見上げていた。さきほどから口を固く引き結んで落ち着きなく体を動かしている。

 

「どうかしたか?」

 

「……雪平くんには優しい友達はいないのだ?」

 

 心配そうな目の色で小さな手が袖を引いた。俺は喉の奥で笑い、今日は何度目か分からないかぶりを振った。

 

「いるよ。ルームメイトのキンジ、ひねくれてるが根は優しいやつだ。武藤と不知火、腐れ縁。会ったばっかだが神崎、気分が良い日はももまんをくれる。他にもいるよ、アッシュ、ルーファス、ケビン、エイリーン、それに……ジョアンナ。アメリカにいた頃の友達さ、みんないい人だった」

 

 ポケットに両手を突っ込み、一人ずつ大切な名前を呼んでは顔が頭に浮かぶ。みんないい人だったよ。

 

「それに平賀さん。俺にとっては優しい友達だよ。武器を安く売ってくれるともっと優しい」

 

 意味がわからなかったのか、平賀さんは一瞬きょとんとたした顔になった。急に恥ずかしくなったが、いまさらなかったことに出来ねえし、やけくそに背を向けた。夾竹桃がいたらネタノート行きだな。

 

「常連さんはお安くしておきますのだー!」

 

 踵を返しながら、俺は右手を上げた。ほぼ同時に制服の携帯電話が震える。夾竹桃と邂逅した夜と同じ、知らない番号が画面をコールしていた。

 

『お困りのようね、ハロウィンでお兄さんにお菓子をとられたって顔』

 

「おい嘘だろ……なんで俺の番号知ってんだよ」

 

 俺は四方を見渡し、そして誰もいないことを確認して膝を折って受話器に怒鳴る。声の主であるくるくるヘアーの赤毛に向けて。

 

「──ロウィーナ。電話なのに表情を読むんじゃない。何の用だ、忙しいからくだらない用事は切るぞ。世間話ならディーンに聞いてもらえ、ジン持ってけば酔っぱらうまでは聞いてくれるよ。バットマン見ながらな」

 

『つれない反応しちゃって。きっと感謝することになる。デュランダルを探してるそうね?』

 

 俺はぎょっとする。通話の相手はロウィーナ・マクラウド。かつては敵、現在は協力関係にある腐れ縁のスコットランド魔女。

 

「なにか知ってるのか?」

 

『ちょっとね。策士の一族とかなんとか、気取った連中よ』

 

「なあ、300年以上生きた大ベテランの魔女だろ。迷える若者に知恵を貸す気はねえか?」

 

『あら、忙しいのに世間話を聞いてくれるの?』

 

 嫌味かよちくしょうめ。だが、これは手詰まりの状況に差し込んだ光明だ。俺は溜め息とかぶりを振った。

 

「悪かったよ、何から話す?」

 

『冗談よ。あんた達とは長い付き合いなんだから。気の利いたギフトを贈りにきた』

 

「見返りはなんだ? あんたはボランティアはしない。俺には分かる、長い付き合いなんだから」

 

『……皮肉がディーンに似てきたわね』

 

「分かんないぜ、サムかもしれない。もしくはウィリアムズ刑事かも。ジュリエット・ヒギンズってのもあるな』

 

 溜め息聞こえてるぞ。これで仲良くおあいこさ。咳払いが聞こえ、俺は耳を澄ませる。

 

『ドルイド教徒の魔女を覚えてる?』

 

「あれだろ、ディーンに忘却の呪いをかけた連中だ。はっきり覚えてるよ、インパラのキーを忘れるくらい記憶がなくなった。記憶が消え、いつか自分が誰か認識できなくなる。姑息な魔術だよ」

 

 記憶に新しい狩りだ。兄貴が魔女に呪いをかけられて記憶をなくしていった。最初は電気スタンドをペンと間違える程度だったが最後は自分の名前まで分からなくなってたよ。あのまま記憶が戻ってなかったと思うとゾッとする。

 

『ギデオンとボイドとカトリーナ。いけすかないガキどもだった。でもね、もう一人使用人がいたの。狩りをした私とあんた達を血眼で探してる』

 

「それは嬉しくないニュースだこと。そいつが魔剣か?」

 

『いいえ、違う。これは私からの提案。魔剣の情報を教える対価ってわけ。ハウスキーパーを叩いてちょうだい、私の部屋に忍び込んでクローゼットを血で汚す前にね』

 

「使用人は日本に?」

 

『だから電話したの』

 

 俺はやけくそに笑ってやった。強力なケルト魔術を使うハウスキーパーを一人でぶちのめす。しかも相手の顔は分からない──最高。

 

「魔女は何人もやっつけてきた。いいよ、仕事の範囲内だ。魔剣の情報を教えてくれ」

 

『教科書を探してみなさい。100年戦争を終結させた女の名前が書いてあるでしょ。それが探してる対戦相手』

 

 俺は頭を抱えた。イギリスとフランスの100年戦争を勝利に導いた人物。フランスの歴史を説けば必ずと言っていいほどその名前は上がる。

 

「……オルレアンの乙女か」

 

 リュパンの次は、ジャンヌ・ダルクかよ。

 

 

 

 

 

 

 




お気に入りが200件を越えていました。見てくださっている皆さんに感謝を。尖った小説がどこまで尖っていくかのか作者にも分かりません。


『かかってこい、トークバトルだ!』S7、17、ニック──



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66の封印

 百年戦争──それは現在のフランスとイギリスの境界線を決定付けた戦い。今にまで語り継がれる戦争をフランスの勝利に導いた英雄、それがジャンヌ・ダルク。旧友の赤毛の魔女が教えてくれた魔剣の正体──

 

「予定が変わった。モギリは終わりだ、テーブルを畳め」

 

「……どうした」

 

 俺はうたた寝したキンジの肩を揺らす。

 

「襲撃者の面が割れた。お前の幼なじみと連絡がつかない。おかしな様子はなかったか?」

 

「白雪が……?」

 

 キンジが飛び起きて視線を左右にさまよわせた。起き抜けの表情は早々に凍りつく。

 

「さっき武藤が教務科に確認してくれた。昼過ぎから星枷と連絡がとれないらしい。良くてケースD。神崎の悪い勘が当たったな、報道陣に紛れてとんでもねえ有名人がチェックインしてるかもしれねえぞ」

 

「待て。白雪から、メールが来てる──」

 

「文面は?」

 

「おかしい、俺には分かる。この文面はおかしい、白雪の意志が感じられない。これじゃ機械的すぎる。まるで誰かに無理矢理打たされたって感じだ」

 

 険しい顔つきでキンジが否定する。メールを見るまでもなく、俺も頷いて返した。

 

「可能性としてありえなくない、むしろ可能性大だ。会長から毎日メールを貰ってたお前が言うなら、それ以上信用できる理由はない。よし、まだ間に合う。キンジ、潜入工作で面倒なのは?」

 

「行きよりも帰りってことか」

 

「そうだ。チェックアウトを止めるぞ。星枷となにがあったか知らねえが連れ戻したら一緒に謝まってやる。今は手を貸せ」

 

「……お前は何も知らないだろ」

 

「それは関係ない。ルームメイトのよしみだ、半分くらい負担してやるよ。代わりに今週のゴミ出し当番はお前がやれ」

 

 俺とキンジは武偵校の路地へ飛び出した。キンジは星枷に電話をかけるがやはり繋がらない。そして神崎にも電話をかけるが──

 

「駄目だ、アリアも繋がらない……」

 

 だが、もうキンジは携帯電話を見ておらず、その代わりに食い入るように誰もいない路地を見ている。

 

「悪いことばかりじゃない。魔剣の潜伏先の検討はついてる。会長も多分一緒だ」

 

「お前……分かるのか!?」

 

「ああ、でも時間がない。いくぞ、強襲科が大好きな走り込みだ。行儀の悪いゲストを捕まえにいく」

 

 

 

 

 

「……ジャンヌ・ダルク。怪盗リュパンと探偵ホームズの次は英雄ジャンヌ・ダルクかよ。この学校に来るヤツは有名人ばっかりだな!」

 

「皮肉を叩ける程度には落ち着いてるな。いいぞ、ユーモアは忘れるな。苦しみを乗り切れる」

 

「やるしかないのは分かってる。だけど、百年戦争の英雄に勝てるのか?」

 

「こっちは最終戦争を止めてる。キャリアではフランスの英雄にも負けてない。超能力の相手も何度もやってるし、なんとかするよ。むしろ、今回みたいな普通じゃない相手が我が家の専門分野」

 

 魔剣が恐れる物は火。火刑に処された逸話にあるように火が苦手なんだ。火を遠ざけ、得意の近接戦闘に持ち込める場所を探せばいい。人を遠ざけることもできれば言うことはない。とどのつまり、魔剣が星枷を連れ去った場所は武偵校三大危険地帯の最後の場所──地下倉庫。

 

「……悪かったな。こんなことになって」

 

「なにが?」

 

「白雪の一番傍にいたのに、魔剣のことを信じてなかった。敵に踊らされてたのはアリアじゃなくて俺のほうだったんだ、言葉もない」

 

 嘆くようなキンジに、

 

「今日勝てばいいんだろ? ずっと負け続けても、今日だけ勝てばいい。今日だけ頑張り切れれば、俺たちの勝利だ。簡単な話じゃないか」

 

 端的に、単純明快にそう言ってやる。行程がどうあれ、最後に笑える結果になればそれでいい。

 

「……慰めるの下手だな」

 

「お礼はいらないよ」

 

 武偵高の地下は多層構造になっていて、俺たちは地下2階の立ち入り禁止区画まで階段を下る。地下2階より下は水面下だ。エレベーターに飛び付き、パスワードを打ち込むがどういうわけか動かない。おかしい、普段通りじゃない。俺とキンジは視線をぶつけて意見を合致させる。つまり、ビンゴだ。

 

「ハシゴあったよな?」

 

「変圧室に浸水用の隔壁も兼ねて設置されてる」

 

「仕方ない。人力でいくぞ。まあ、錆びてるだろうけど」

 

 変圧室のハシゴはキンジの説明にもあったが浸水時の隔壁も兼ねた金属板で出来ている。三重の板でボイラー室まで降り立ち、同様にハシゴを使って下るしか最深部に行く道はない。地下倉庫の最深部は地下7階にある。

 

「白雪が最深部にいる確証はあるのか?」

 

「レキから電話があった。海流の流れに違和感を覚えるってな。調べてみたが地下倉庫の最深部は第9排水溝に続いてる。ヤツは俺たちが仕事してる真下を通過していきやがったんだ。平賀さんがメールくれたよ、第9排水口に不可解な繋ぎ跡があるってな」

 

「そうか、レキも探してくれたんだな」

 

「競技は失格になっちまったけどな。カロリーメイト奢ってやろうぜ。それくらいはしてやらねえと」

 

 錆びたハシゴをおろして、急いで地下の最深部に降りる俺とキンジの手は皮が擦りむけ、急けば急ぐだけ手が傷ついていった。地下7階の地下倉庫に降り、俺たちは手を意識しないために食い入るように前方の暗闇を見渡した。

 

 地下倉庫の奥は大倉庫と呼ばれ、武偵からも特に敬遠される場所になっている。そこは即ち火薬の密集地帯。地下倉庫の中でも最も危険な弾薬が集積されているエリアだ。もし銃を使おうものなら、跳弾次第でローレンスまで吹っ飛ぶことになる。なんたって呆れる量の火薬がズサンな置き方で保管されてるからな。スタール墓地までタダで見学に行けるだろうよ。

 

 錆びた鉄と火薬、嗅ぎ慣れた匂いが密封された空間から漏れ出す。無数の火薬が詰まれているであろう通路の先は……通常では機能していないであろう赤い非常用蛍光に照らされていた。キンジの目が細まる。反論はなかった、ここでビンゴだ。真っ暗な闇の中で光る無数の赤い蛍光は、生物の眼にも見えて不気味だ。キンジが深く息を呑みこんだ。

 

「……IMCSがやられたらしい。携帯が圏外になってる。切、地獄に乗り込む準備は?」

 

「できてない。いつだって出たとこ勝負。ハイジャックと一緒だよ」

 

「爆弾詰んでてもまだ飛行機の方が安全だな」

 

「一度、真夜中に廃墟の倉庫を探検してみろ。ちっとも楽しくない」

 

 キンジは兄の形見である緋色のバタフライナイフを取り出し、開いた。俺もルビーのナイフを左手で握る。毛色は違うが武偵高で狩りをするとは思わなかったよ。どこに行こうと狩りが転がってくる、海を渡ってもな。

 

 バタフライナイフはとにかく音が出やすい。携帯や護身に秀でる反面、潜入時には不向きな武器だ。慎重に取り扱うキンジに習い、俺も息を潜めて気配を殺す。赤い光の下、鏡面のバタフライナイフが角の向こう側に立っている星枷を──いた、見つけたぞ。不規則に並んだ火薬棚の向こうにいる誰かと会話してる。

 

 キンジが指をちゃきちゃきと動かす。これは武偵が使う暗号の一種。指信号だ。意味は──タイミングを合わせろ、だな。いいぜ、任せるよ。曲がり角ギリギリまで体を寄せて、耳をすます。巫女装束の白雪と魔剣が会話してる。男喋りの──女の声だ。

 

「敵は陰で、超能力者を錬磨し始めた。我々はその裏で、より強力な超能力者を磨く──その大粒の原石──それも、欠陥品の武偵にしか守られていない原石に手が伸びるのは、自然な事よ。不思議がることではないのだ。白雪」

 

「欠陥品の、武偵……? 誰のこと」

 

「ホームズには少々手こずりそうだったが──あの娘を遠ざける役割を、私の計画通りに果たしてくれたのが遠山キンジだ。だが、あの男は姑息にも忌むべき一族を引きいれた。ウィンチェスターは災厄の代名詞。神話規模で災厄を招きいれる。私に続け、白雪。ノアの方舟に選ばれたのだ、私が今から、連れていってやる。お前に相応しき場所にな」

 

 ……何が方舟だよ、あれは神が堕落した人類に怒って洪水を引き起こしたって話だが、その人類が堕落した原因こそ神にある。人間を堕落させたのは神が贔屓してたルシファーだが、そもそもやつが堕落したキッカケを作ったのは神だ。本末転倒の話さ、人間が堕落した最初の要因は神と神の姉さんの姉弟喧嘩だからな。これだけで海外ドラマ1シーズン分のエピソードが組める。

 

「……キンちゃんは、キンちゃんは欠陥品なんかじゃない!」

 

「だが現にこうして、お前を守れなかったではないか。ホームズは無数のカメラを仕掛け、ウィンチェスターは魔除けを張ったが罠を仕掛けていたのは、私の方だ」

 

 刹那、厄災はやってきた。パキ、パキと床に白いものが広がっていく。その、白い何かとほぼ同時に、倉庫の温度が急に寒くなった。そうじゃない、俺たちの周りだけが……ここだけが、冷却されてやがる。それが超能力だと認識した瞬間背筋が凍り付き、タイミングを待たず叫んだ。

 

「いけ、走れキンジ! 向こうは俺たちに気づいてる!星枷をかっさらって逃げるぞ!」

 

 俺は壁に描き終えていた血の図形に手を押し付ける。図形はオレンジ色に発光を起こし、赤い非常灯の下に激しい閃光を解き放った。血と持ち主の手で反応する目眩まし、同時に星枷の方へと駆けていたキンジが手を伸ばす。キンジの足なら7秒もあれば星枷に届く──!

 

「キンちゃん!? 来ちゃだめ!逃げて!武偵は、超偵に勝てない!」

 

「──やってみなきゃわかんねえだろ!」

 

 ああ、よく言った。凍りついてしまった床を蹴り、俺はキンジの背中を追いかける。ロウィーナの情報が当たったな、魔剣は氷の超能力者だ。火刑に処された史実を否定するがごとく冷気を行使することができる。

 

「遠山、闘争において蛮勇の命は長くない。お前はやはり欠陥品のようだな」

 

「知るかよ、そんなこと。さっきから原石だの相応しい場所だの勝手なこと言いやがって。いいかげん頭に来てるんだよ……!」

 

「だめ! キンちゃん!」

 

 星枷の悲鳴のような叫びに続き、キンジの足元に何かが突き刺さる。ヤタガン……フランスの銃剣だ。湾曲した刀剣がキンジの影に突き刺さりやがった。不意の反撃で倒れたキンジの体には、床を凍らせた白い物が足から広がってやがる。

 

「『ラ・ピュセルの枷』──罪人とされ枷を科される者の屈辱を少しは知れ、武偵よ」

 

「知ってるよ、濡れ衣で逃亡生活させられるのはおもしろくない。だが、トリックで張り合う相手を間違えたな。ジャンヌ・ダルク・30世さん?」

 

 キンジに追い付いた俺は、注意を惹きよせる意味でデュランダルの正体を呼んでやる。火薬棚で姿は見えねえが近くに気配を感じる。何度も遭遇してきた魔女独特の気配だ。

 

「……ウィンチェスターか。いらぬ縁があったものだな。古巣のハンターに知恵を借りたか?」

 

「トリックを使ったのさ。彼女をモノにするために涙ぐましい努力をする奴は多いがあんたはピカ一だな」

 

 まだ見えない魔剣に皮肉を飛ばしてやる。

 

「俺が神話規模の厄災を持ち込む、さっきの会話を聞いて確信したよ。お前は理子や夾竹桃と違って、こっち側にいる。超能力者を誘拐して戦わせるだって? 黄色い目と同じだな、てめえのやり口は悪魔と一緒だ」

 

「黄色い目は狂信的だった。暗い闇の底の住人と我が一族を同列にしないでもらおう。黄色い目はお前たちに討たれたが、その目的もお前たちの手によって成熟し実を結んだ。地獄の檻を開けたハンターが厄災でなくて、何だと言うのだ?」

 

 ……マヌケが。どうして黙った。反論しやがれ、いつもみたいに映画の台詞で濁せよ雪平切。ああ、クソッ。あの飲んだくれがいたら怒鳴られるな、ちくしょうめ。俺は本当に『ばかたれ』だよ。

 

「んなことは分かってるんだよ。俺は……アラステアの剃刀を受け取った。お前の言うとおりさ、檻を開けたのは俺たちだ。否定のしようがない」

 

 二度と口にしたくなかった名前を呼んだ時、俺に浮かんだのは冷笑だった。制服の袖から銀の剣をスリーブガンの要領で取り出し、ルビーのナイフと構えを作る。俺は変則的な双剣で十字を斬ると、飛来した2本の銃剣を撥ね飛ばした。

 

「だが、お前が語る計画。超能力者の誘拐ッ、断じて許容できねぇ。何があろうと目の前に転がってる仕事をこなすのが、プロのハンターってやつだからな!」

 

「ならば挑むがいい。伏兵を気取ったホームズも連れてな」

 

 シャッ、という次の銃剣が空を斬る音。火薬棚の隙間から今度は4本の銃剣が放たれる。俺とキンジめがけて2本単位で銃剣が飛来するが、同じトリックを続ければマンネリ化を招く。奇襲でもなんでもない。

 

 四本の刀剣が火花を散らし、飛来したヤタガンを撥ね飛ばした。二本は俺の変則の双剣、あとの二本はキンジに飛来した銃剣を撥ねた日本刀だった。

 

「あんた達、もっと注意を逸らす会話はできないわけ?」

 

 重苦しい空気を切り裂くような、アニメ声。部屋の片隅の天井で電気が灯った。その光が、片隅から広い倉庫を一周するように、次々と灯っていく。

 

「お次はなんだ?」

 

 天井から照らされる純白の光を俺とキンジは見上げた。いや、舞台が照明に照らされたんだ、次は主演の登場に決まってる。ま、独唱曲の舞台にしては役者が多すぎるがな。キンジの背中と頭を踏み越えて登壇したのは──

 

「アリア!?」

 

 日本刀を構えた神崎だ。

 

「そこにいるわね、魔剣──! 人の庭先によくも忌々しい事件を持ち込んでくれたわね。未成年者略取未遂の容疑で、逮捕するわ!」

 

 ──そして、舞台の幕は上がる。

 

 

 




旅はいつか終わるもので、ウィンチェスター兄弟の旅はシーズン15を最後に区切りを迎えるそうです。シーズン1から10年以上、ですか。シーズン5を物語の区切りとすれば、10シーズンも物語が長く続きました。ずっと彼等の旅路を眺めていたいのが本音ではありますが、15シーズン積み重ねてきた旅路の結末を自分は楽しみに待つことにします。




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境界線を越える時

「逃げたわね」

 

「衝突は免れねえさ。このまま地上に返してくれるとは思えねえしな」

 

 俺は警戒しながらルビーのナイフを制服の中に押し込んだ。試しにやってみたがルビーのナイフと銀……天使の剣は刃渡りが違い過ぎる。双剣には向いてないな。皮肉だよ、これぞ付け焼き刃ってやつだ。

 

「神崎、単独行動の収穫はあったか?」

 

「魔剣が尻尾を出してくれただけでも収穫よ。少しは役に立ったわね。バカキンジも」

 

「な、なんだそれっ」

 

「勇を使え蛮を使え、賢を使え愚を使え──って言うでしょ。バカキンジモードのバカキンジには、バカキンジなりの利用法があるのよ。バカとハサミは使いようって言うでしょ」

 

 出てくるなりバカバカ言いやがるな、この貴族様は。だが悪くないタイミングだった。キンジも助けられた身で反論は言えてねえな。

 

「策士の一族に一芝居打ったのか?」

 

「魔剣は白雪を見えないところから監視してた。それも、距離をどんどん詰めている感覚があったわ。でも、あたしやレキがいる内は決して襲って来ようとはしなかった。だからあたし、わざとボディーガードから外れたの。食いつきやすい餌を撒いてあげたってこと。あんたは腕の時間貸しだし、護衛がバカキンジだけなら魔剣も仕掛けやすいと思ったの」

 

「……俺は餌かよ」

 

「あんたかキリがアシストしてくれることに賭けた。キリは魔剣の正体を暴いたし、キンジは魔剣を誘い出してくれたわ。あたしは白雪の救出。こっちは白雪を入れて四人よ、盤面は悪くないでしょ?」

 

 かぶりを振るがキンジは何も言わなかった。ああ、悪くない盤面だよ。要は囮だが独歌唱(アリア)が俺たちを頼った作戦を組むとはなぁ、頼りにされるってのはなかなかどうして悪くない。このまま追撃する気でいる神崎は投擲されたヤタガンを拾い上げた。カメリアの瞳が訝しげに細められる。

 

「ジャンヌダルクは火刑で……十代で死んだはずよ。それが生きてるなんて」

 

「そっちの筋の専門家から聞いた話だ。間違いない、氷の超能力は火刑に抗う術。魔剣は氷を操るⅢ種超能力者だよ」

 

「……超偵だね」

 

 久しく喋らなかった星枷が指摘する。

 

「キンちゃん……ごめんなさい……私、ここにこの服で、誰にも内緒で来ないと……学園島を爆破して、キンちゃんの事も殺すって言われて……」

 

「いつから言われてたんだ」

 

「昨日……キンちゃんが線香花火を買いにいってくれた時に、脅迫メールが来て……私、キンちゃんが傷つけられるのが怖くて……従うしか、なくて……ふぇ……ぇ……っ」

 

「いいから、今は。泣くな」

 

 星枷は床に泣き崩れ、駆け寄ったキンジの言葉にただ頷いている。星枷とキンジの関係を利用しやがったのか。キンジを餌にすりゃ星枷は絶対に断れない。大切な物を餌にする、なりふり構わずだな。

 

「脅迫されてた、誰も責めてない。そこはみんな分かってる。本当に、みんなそれは理解できるよ星枷。君の人となりはよく分かってる、君は誠実だ。お世辞抜きに」

 

「切もこう言ってる。誰も気にしてない」

 

 周囲を警戒するが音沙汰はなく静かだ。神崎が声をかけてきた。

 

「爆弾の脅し、どう思う?」

 

「さあな、何にしてもほっとけない。奴が誘い込んだフィールドだ、地の利はあっちにあるぞ」

 

「油断はしないわ」

 

 ……ああ、油断はできないな。魔剣も夾竹桃や理子に匹敵する怪物。それにこれまでの二人と違って超能力の属性を持ってる。場合によっては栄養ドリンクも考えねえとな。

 

「聞いてもいい?」

 

「手短にな」

 

「さっきの話、檻を開けたって言ったわね。魔剣は厄災って言ってた。これはあたしの直感よ、けどよく聞いて。檻の話をしたとき魔剣の声が震えた気がしたの。恐怖、信じられないでしょうけど怯えてた」

 

 めざとい奴だ。俺はこの時、初めて神崎の直感を恨んだ。俺やキンジ、超能力者の星枷も気づかなかった魔剣の変化を神崎はその直感で感じ取った。多分、当たってるよ。俺は目を細めて、かぶりを振る。神崎はシャーロックの子孫だ、真実を追及する瞳に不思議と俺は嘘をつけなかった。違うな、つきたくなかったのかもな。会話の主導権を取った俺に神崎は視線で続きを促してきた。

 

「檻には化物が入ってた。ライカンや魔女が束になってかかっても赤子の手を捻るように殺される。彼の力は絶大だ、最上位の天使、天界の最終兵器と言ってもいい。だが、あるとき神の手で地獄に幽閉された。神の創造物である人間を壊し始めたからな。彼が檻の外に出るときはミカエルと一騎打ち、最終戦争が始まる」

 

「……」

 

「──ルシファーだよ。天使と悪魔の戦争で奴を幽閉する檻の65の封印が解かれ、最初に生まれた悪魔……リリスを俺たちが殺したことで檻が開いた。黙示録の四騎士を呼び出し、話し合いの席に集まった北欧とギリシャ神話の神を奴は3分足らずで皆殺しにしやがった。止められるのはミカエルと創造主である神、そして彼の姉だけだ」

 

 原始の剣、神の石板、神の手、どんな物でも殺せるコルト……あらゆる聖遺物や神話の武器を使っても彼は殺せない。神崎の反応は……

 

「あのねキリ、作り話は限度ってもんがあるのよ? 最終戦争が始まったら、こんなにのんびりとした時間は流れないの!少なくとも世界規模で災害が起きるし、あんたは知らないかもしれないけどね、ギリシャ神話や北欧神話の神々の伝説だってとんでもないの!」

 

「つ、作り話だぁ……!?」

 

「SF映画の見すぎよ。ちょっと良い決め台詞があったらあんたはホイホイ真似するじゃない。現実に空想の世界観を持ち込むのは程々にしなさい。特に悪魔や神、国によっては崇拝する対象を侮蔑するのは危険な行為よ。ほら、なんって言ったかしら。ここまで……でてるのよ。喉のとこまで! そうよ……!中二病! あんたは中二病!」

 

 

 

 

 

 俺は神崎と奥へ続く道に仕掛けられていたTNKワイヤーを切断した。ワイヤーは追跡をかわすために俺たちの首の高さに調整してある。夾竹桃は足場に使ってたが魔剣は罠に使ってやがったか。踏み込んでたら首が落ちてたな。星枷を連れ、俺たちは倉庫の奥に消えた魔剣を追いかける。基地局を壊された影響で応援は呼べない、ここにいる戦力で魔剣を叩けるかにかかってる。

 

「さっきの氷はG6からG8ぐらいの強い氷。魔女の氷は、毒のようなもの。それをキレイにできるのは修道女か──巫女だけ。聖なるオイル、清められた油を使えばキレイにできるかもしれないけど。とっても貴重な物だから手元にはないの」

 

「要注意ね。魔剣は剣の名手でもあるわ、近接戦にも長けてる。敵が複数いる場合は、まず距離を置いて、遠くからうまく敵の戦力を分断して──1人ずつ、1対1で片付ける。これが魔剣の戦術パターン、複数を一度には相手にしない。策士家よ」

 

「緻密な策を練り上げても時には運否天賦や行き当たりばったりで台無しになるのがお約束さ。ジベール署長が良い手本。やってやろう、行き当たりばったりで魔剣の策を台無しにしてやる」

 

「……台無しにされるの間違いじゃないか?」

 

 そう言ったキンジは神崎と一緒に前衛、俺と星枷は伏兵の後衛で陣形を組んでいる。

 

「白雪、魔剣の顔は見たか?」

 

「ううん……敵はずっと棚の陰に隠れてた。そこの扉から逃げた時も、影しか見えなかったよ」

 

「仕方ないわ。魔剣は、決して自分の姿を見せようとしない。素性を見破られたこともアクシデント、沈黙で終わらせたりしないわ」

 

 神崎の言葉を返すようにして、異変はやってきた。床にあった排水溝から──水が出ている。排水溝の中で水が逆流してやがる。どうやらアクシデントに見舞われたのはお互い様らしいな。水量はみるみるうちに勢いを増し、壊れた蛇口のように水を勢い良く吹きはじめた。排水の手段を失い、床には行き場のない水が広がっていく。

 

「……海水だわ」

 

「ああ。どこか排水系を壊しやがったな。アリア、お前の弱点ばれてるぞ?」

 

 赤面した神崎がキンジの足を思いっきり踏んだ。綴先生が言ってたな、神崎は泳げないんだ。つか、人のことを笑ってる場合じゃないぞ。上の階に登らねえと俺たち全員大倉庫で溺れ死ぬ。神崎に踏みつけられたキンジの靴が排水口から漏れた水に隠れる。水位は靴から足首へ。足首から脛にまで来やがった。

 

「倉庫で浸水か。お次はでっかいミミズの化物でも出てくんのか?」

 

「……マズいぞ。いくら広い大倉庫でも10分もすれば水没だ!」

 

「隔壁を開けて上に上がるわよ!」

 

 のんびり会話をしている間にも水位は上がる。上階へ続く隔壁を開くがもう水は天井ギリギリまで来ていた。焦る気持ちを堪え、俺は3重の扉を開ける。いきなり開け放つことはせず、キンジがナイフを鏡代わりにして様子を窺うが……なんかスイッチ押しちまったな。ぷつん、と支えになっていた糸が切れたのが分かる。地下倉庫全体に鈍い音がした。

 

「……お次はなんだ?」

 

「……チッ!捕まれアリア!白雪も流されるな!」

 

 泳げない神崎の手をキンジが掴んだ。隔壁を開けた瞬間水の勢いが急激に増しやがった。上に逃げるのを読まれたな……水位はみるみるうちに地下倉庫の天井に達し、俺たちを押し流すようにして上階の床に吹き出した。

 

「きゃあっ──!」

 

 地下6階のフロアに上がった白雪が水流に足をとられて姿勢を崩した。キンジに手をとられていた神崎もリノリュームの床に足を滑らせた、手を引かれたキンジもドミノ倒しに崩れて物陰に流されていく。孤立した俺はしがみついていた隔壁に全体重をかけて水を押し返し閉じにかかる

 

「ち、くしょうめ……!」

 

 どこかに潜んでいる魔剣へ呪詛を込め、俺は怒りを力に変えて隔壁を押し切った。猛烈な水圧と相対した腕は疲労感で軽くなっているが休んでる時間はない。戦力を分断して1人ずつ片付けるのが魔剣の戦術パターンなら孤立した俺は格好の餌だ。ルビーのナイフと天使の剣は……流されてないな。

 

 周囲を見渡すと、足元が水浸しになったこの階は壁のように巨大なコンピューターが無数に並ぶ、スーパーコンピューター室。武器庫から一転、情報科や通信科の箱庭だ。俺は自由になった両手でトーラスを抜き、遊底を引いた。平賀さんにメンテ頼んだばっかだ、海水に濡れたくらいで機能不良に陥ったりしない。泳げない神崎と最初に流された星枷が気になるが──心配は頭の隅っこに放り投げてやる。

 

「今まで色んな魔女と出くわしたがお前が一番見境ないぜ」

 

「噂どおりの礼儀知らずか。お前たちハンターの方がずっと見境がないのだがな」

 

 待ち構えていたのは刃のような切れ長の眼、サファイアの色をした碧眼だった。2本の三つ編みをつむじの辺りに上げて結った髪は、氷のような銀色。モデルのような長身は甲冑によって武装されている。

 

「これでリュパン4世による動きにくい変装も終わりだ。シェイプシフターたちは人の皮を被ることで人間に擬態する。お前に変装は通じない、だろう?」

 

 挑発を投げかけた甲冑姿の少女に俺は銃口を持ち上げた。ジャンヌ・ダルクーー犯人はフランス人、神崎の推理も少しは当たってたな。

 

「色々見てきたからな。憑依、擬態、トリック、幻覚、出会ってないのは……異次元の世界にいるもう一人の自分くらい。いまのところはな」

 

「懲りない男だ、私はお前のような男は嫌いではないがな」

 

 ジャンヌダルクは背後から西洋の大剣を手に構えた。見れば分かる、普通の剣じゃない。あの剣には悪魔のナイフや天使の剣に似た非日常の産物特有の匂いを感じる。あれが魔剣って呼ばれる理由か。

 

「へぇ、嫌われてると思ったよ」

 

「ウィンチェスターは殺しの代名詞。魔女や怪物はおろか、異教の神ですらお前たちと関わりたい者などいない。キリ、ここから立ち去れ。アメリカへ戻って狩りをしろ。この国にお前の安らげる場所はない」

 

「だとしても。昨日今日初めて会った魔女におとなしく従うハンターがいると思うか?」

 

「お前は多くの犠牲を招いたが同時に多くの者を救った。犠牲を払い、最後には災厄を打ち払ってきた。お前には分かるはずだ、敵は力を研磨し来るべき時に備えている。私たちには時間がない、白雪に通じる超能力者の確保は来たるべき戦いへの責務だ」

 

「ああ、よく分かったよ。知り合いが得体の知れない組織に徴兵されるのを見過ごせてって言うんだな。爆弾魔と通り魔の次は超能力者の連続誘拐犯、どこのだれがこういう外道のオールスターチームを作ったんだ?」

 

「白雪を正しく導ける場所はイ・ウーだけだ。星枷の籠から解き放ち、彼女に自由を与えてやれる」

 

「それを決めるのは俺たちじゃない。血は変えられなくても生き方は変えられる。人間だけじゃない、天使や悪魔だってそうだ。ルールや掟に逆らっても自分が正しいと思えることをやれる。それが自由意思、誰だって選ぶ権利を持ってる。あいつは自分の意思で星枷の巫女から星枷白雪になれる、お前の導きはお呼びじゃねえんだよ」

 

 本当に大切なのは自分の意思。星枷は小さな籠の中に大切な物を抱えてやがる。狭い籠だ、けど籠の中には姉妹や家族がいる。支え、支えられる家族がいる。籠の中がいるべき場所かどうか決めるのは星枷自身だ。お前の導きは必要ない、眼下で続けられた言葉をまとめて否定するように言ってやる。

 

「正しい場所にいるかどうかは自分で決める。安らぎなんていらん。そんなもんはてめえにくれてやる。キンジの部屋が俺の居場所だ。苦しもうが構わん、疫病神扱いも好きにしろ。アメリカでセレブ扱いされるよりずっとマシだ」

 

「大切な物があれば傷つくことはセットのような物だと?」

 

「哀れなもんさ、欲しいものは手に入らない。だから俺は今ある物を手離さないためだけに必死に戦う」

 

 トーラスの発火炎が煌めくとほぼ同時、息苦しいまでの殺気に襲われる。甲冑に覆われていない膝へ二連射、足を無力化させる先制は当たり前のごとく西洋剣に弾かれる。破れ鐘を力の限り叩いたような異音がして、いつのまにかコンピューターの一角に弾痕が生まれている。人を凌駕した魔技に一歩足が後ずさる。今まで出会った魔女はまじないや魔法を絶対視する傾向があった。銃やナイフ、科学を毛嫌いし、その思想は一般的に浸透している魔女に通じる部分がある。

 

 だが魔剣は例外だ。隙を作らず、トーラスを撃ちまくったが嘲笑うように睨み付けた西洋剣が揺らめいた。体をコマのように回転させながら鉄の雨はかたっぱしから撃墜される。剣の名手、神崎の情報が語るとおりだ。

 

 魔女であり、卓越した剣は騎士を思わせる熟練度。まるで魔法と近接戦闘のハイブリッドだ。躊躇わず空の弾倉ごとリリース、新たな弾倉をトーラスに押し込んだ。ジャンヌは目を細め、切っ先をリノリウムの床に立てる。

 

「アリア。彼女は偉大なる我が祖先──初代ジャンヌ・ダルクとよく似ている。その姿は美しく愛らしく、しかしその心は勇敢──だが、お前の心はどこまでも続く暗闇、お前の心は空っぽなのだろう?」

 

「俺は尋問科だ。言ってやるが検討外れだよ」

 

「欲しいものは手に入らない。何を食べても埋められない。故郷に帰ることも嫌になったか?」

 

「ああ勝手に思いこんでろ」

 

「そうやって誤魔化せばいい。友に嘘をつき、自分にも嘘をつく。だが私は誤魔化せない。お前の心の中が見通せるのだ」

 

 恨めしくなるほど美しい碧眼が半眼を作っていく。欲しいものが手に入らず惨めな想いをするのが人間。だから、欲しいものが全て手に入るとおかしくなる。それが真実だ。言葉に乗るな、乗ったら最後爆弾だ。何もかも駄目になって、ひっかぶる。

 

「飄々としていても心は打ちのめされている。犠牲に次ぐ犠牲、代償を払って戦ってきた価値があるか不安になっているのだろう?」

 

「……」

 

「狩りに引退はない、引退する前に皆死ぬからだ。誰かを救いたいなど偽り。心はとうに折れている。何も考えずに済むからとりあえず戦っているだけ」

 

「黙れ」

 

「空っぽのはずだ、感情がないんだからな。お前の心はとっくに──死んでいる」

 

 深く息を吐いた。自分がしたことを忘れるなんて幸せだ。そんなこと、できるわけないのにな。

 

「傷ついた、古傷を抉られた。傷を癒すには、仕返しが一番だよな?」

 

 刹那、装填したトーラスの弾丸を吐き切る。依然、跳弾がコンピューターを抉り、構わず俺は全力で距離を詰める。西洋剣の刃が届く必殺の距離が近づき、ジャンヌの下半身に力が入るのが分かる。まだ、まだ遠い……弾をすべて吐き出した弾倉を交換。床に音を立て、排出された空薬莢がリノリウムの床を跳ねる。

 

「──どこへ行き、どこに帰るかは自分で決めてやる」

 

 ありったけの弾薬を吐き出し、ホールドオープンしたトーラスを破棄。正面を見据えて一段加速した速度で殺傷圏内に突進する。迎撃にジャンヌが前に出てくるが、俺はスライディングでジャンヌの斬擊をくぐった。上半身と下半身を両断する斬撃が頭上で空を裂く。サファイアの瞳が驚愕に染まり、俺はジャンヌの顎を肘で打ち上げた。

 

「……ッ!」

 

「傷を抉ってくれた仕返しだ。お前は──ガースされた」

 

 インパクトと同時に袖から滑り落ちる天使の剣を左手で握る。仕返しにぴったりの台詞を手向けに、逆手に持った剣を当初の狙いである露出した右膝へ突き立てた。

 

「う……うううッ!」

 

 苦悶の声を上げながら、ジャンヌは大剣を背後に放り投げた。眉を寄せた俺の目の前で──微細な氷の粒が前触れもなく浮かび上がった。目の前だけじゃないな、室内の至るところに雪が、舞ってる。ここは地下倉庫、その面妖な光景の意味を悟るのに時間はかからなかった。

 

「Damn it……」

 

 やられた──膝の白い肌色が透き通るように真っ白に色を失っていく。俺が攻撃したのはジャンヌじゃない。氷の超能力で作られた精巧なニセ者だ……

 

「ウィンチェスター、お前の胆力は素晴らしかった」

 

 放物線を描いて飛んだ大剣は──コンピューターの壁の影から出てきたジャンヌに握られる。

 

「覚悟も捨て身の戦術も。だが、しかし、私の策を打ち破るにはまるで程遠い」

 

 策に嵌められたのは俺だったわけか。俺は足元に突き立てられたヤタガンに舌打ちした。どろどろに崩れていった氷のニセ物の中に仕込んでやがったな。駄目だ、足が凍って縫い付けられてる。

 

「リュパン4世はお前を利用し、仇敵の撃破を企んでいた」

 

「お友達のブラドはよっぽど目の上のたんこぶらしいな」

 

「ブラドは私の一族の宿敵でもある。峰理子にとってブラドはお前たちにとっての黄色い目。覚えておくといい、お前は死んでも甦るのだろう?」

 

「人をゾンビみたいな言うな。だが、そんなに憎い相手なら俺が退治してやる。ブラドだけじゃない、ここまで関わったら最後までだ。お前もブラドもイカれた組織の連中は全部纏めて、ぶちこんでやる」

 

 足は駄目だ。だが、まだ手は動く。俺はまだ動く右手でジッポを捻って火を付けた。不意に灯った小さな灯りを見て、彼女は小さく鼻を鳴らす。

 

「フッ、私の超能力も安く見られたものだな」

 

「──それはどうかな?」

 

 吊り上げた唇のまま、俺は火を付けたジッポを床に放った。刹那、ジャンヌの瞳が虚をつかれて狼狽する。落下地点から着火した火は、円を描くようにリノリウムの床を勢いよく走り抜けた。

 

「実はここに来る前に図書館で宿題を済ませてきた」

 

 走り抜ける火は海水を蒸発させ、膝まではあろう火がジャンヌを大きく囲み、火柱のサークルを作り上げる。それは一瞬の出来事、殺風景な空間には眩い炎が揺れていた。それが普通の火じゃないことは彼女も百も承知。一歩、俺が前に出てやるとジャンヌは苦虫を噛み潰した表情で睨んでくる。

 

「こいつはあらゆる呪いを払い、天使を閉じ込めるための聖なるオイルだ。大天使だって外には出れない、お前の氷だってこのとおり溶けてるよ」

 

「……キリストに伝わる聖油か。どこで手に入れた?」

 

「キャスって友人がくれたのさ。炎が苦手なあんたが聖油のサークルから飛び出せるかな?」

 

 見ればジャンヌの美貌には僅かな怯えの色が冷や汗と共に滲んでいた。炎が苦手なんだな、それに囲んでいるのは魔女には毒でしかない聖なるオイルの火柱。澄まし顔でいられるわけない。

 

「いつまでも留めてはおけないぞ。武偵は超偵に勝てない」

 

「かもしれないな。だが今日は俺の勝ちだ──ざまあみろ」

 

 

 

 

 

 




果たして主人公が強いのか作者も不安になってきたこの頃でございます。図形で天使をふっ飛ばす、聖なるオイルでサークルを作る、スプレーで悪魔封じを描く……一度真似してみたいと思ったのは作者だけでしょうか。

魔剣編も終盤です。尖った作品ですがいつも見てくださる方々、感想、評価励みになってます。シーズン14吹き替えが来日するまでに極東戦役まで進めたいですね。





『安らぎなんていらん、そんなもんはてめえにくれてやる』S4、22、ディーン・ウィンチェスター──


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籠の外、檻の中

「右に同じだよ」

 

 下駄を鳴らし、凛とした声にジャンヌが殺気立つ。振り返ると巫女装束の白雪が朱色の鞘を抜き捨てながら歩いてきた。研磨された刀身はこの世の金属とは思えないほどに青白く澄んでいる。

 

「星枷?」

 

 俺は半信半疑に返していた。さっきとはまるで違う。気迫と強い意思を感じる。近づくだけでジャンヌが殺気立つだけの重圧を浴びせやがった。

 

「やらせて雪平くん、ここから先は私がやるよ」

 

 下駄の音が近づき、星枷は凛とした表情で告げる。艶やかな黒髪には、強すぎる魔力を抑える枷として括りつけられているはずの白い布がない──本気でやるつもりだ。

 

「ジャンヌ、あなたは私が星枷を裏切れないと思ってる。でも、自由とは自己責任。本当に大切なのは掟じゃない、大切な人の命、支えられる存在なんだよ?」

 

 サークルの火は消えることなく檻としてジャンヌを囲んでいる。ジャンヌは無言で眼を細めただけだった。サークルの中心部で大剣を床に突いており、その柄の上に両手を重ねて、足を開き気味に立っている。来る者は拒まず、星枷を待ち構えるように沈黙している。

 

「いいんだな?」

 

「ウィンチェスターと星枷が盟約を結んでいたのは過去のことだよ。今は一介のハンターと一介の超偵」

 

 防刃繊維の白小袖を振り、白雪はカッと下駄を打ちならし飛び上がった。ジャンヌの待ち構える炎のサークルの中に──

 

 ウィンチェスターと星枷は一世代前の時代に盟約を結んでいる。俺のじいさん、ヘンリー・ウィンチェスターは生前に超常現象を研究する組織に属していた。超常現象の芽を刈り取るハンターとは逆の立場、例えるなら観測者だ。星の数ほどある研究対象の中には星枷が監視していた金属も含まれている。

 

 星枷の巫女は武装巫女だ。神が作り出したこの世界に迷い込んだイレギュラー──色金を監視する者。彼女達自身が緋緋色金への抑止力。

 

「星枷の巫女は武装巫女。ジャンヌ、そいつは原石なんかじゃないんだよ。とっくに実力は研磨されてる。ロウィーナやパトラに近い──G17の焔の魔女だ」

 

 無言だったジャンヌがかぶりを振った。

 

「──ブラフだ。G17など、この世に数人しかいない」

 

「あなたも感じるハズだよ。高位の超能力者なら理解してるハズ」

 

「だとしてもだ。お前は籠から飛び立つことはできない」

 

「言ったよね。いつも近くで、支えてくれる存在が本当に大切な物。籠の鳥、それでも構わないよ」

 

 ああ、飛んでやれ。籠を開けなくても構わねえ。籠の中に大切な物があるならその籠ごと飛んでやれ。

 

「飛べよ、星枷。その翼が腐ってねえなら、大事な籠ごと全部かついで飛んでやれ」

 

 頭上に掲げたイロカネアヤメが緋色に燃え盛る。炎のサークルと焔の魔女、ジャンヌには不運にも悪条件が重なることになる。超能力には相性が存在する。氷の超能力は砂礫の超能力には強いが火には弱い。戦況は星枷に追い風を立てた。イロカネアヤメを通して迸る熱気は、サークルから離れているのに肌を焼くように熱い。至近距離のジャンヌには笑い事じゃねえな。

 

「砂には強いんだけどね。そういうこともあるかー」

 

 ……神崎、キンジ、何してやがる。

 

「どうやって入った?」

 

「理子は泥棒ですから──堂々とゲートから、声をかけるのは忘れたかな?」

 

 その声はごく気さくに──そう、彼女はいつだって気さくなのだ──まるでここにいるのは当たり前だと言わんばかり。背中に感じていたワルサーの重みはすぐに離れていく。騎士に紛れて泥棒まで入ってやがったか。ちくしょうめ、武偵高のセキュリティーもまるでザルだぜ。

 

「……何の用だ。ジャンヌダルクの援軍なら悪いが足止めするぞ?」

 

「あたしは戦いに来たわけじゃない。欲しいのは首から上だけだ。暇してるグリム一族の頭を借りに来た。要は相談だよ」

 

「あの一族とは縁も所縁もない。相談に来たなら御自慢のワルサーを下ろせよワンヘダ。俺は丸腰なんでな、フェアじゃねえだろ」

 

「世の中は往々にしてアンフェアな物。雪平、お前が一番分かってるだろ」

 

 そう言い、理子がワルサーを下ろしていくのが感じられる。

 

「雪平、キリ、ウィンチェスター。ちまちま呼び方を変えやがって、忙しいやつだよ」

 

「お前も口が減らない男だよ。ワンヘダはお前だろ。抜き差しならない状況になってるけど、これでも戦う?」

 

「アンフェアにはアンフェアを。ハイジャックの決着を付ける気は?」

 

「ないよ」

 

 俺は油断なく理子を見ながらあたりに目をくばった。神崎やキンジの気配はない。が、イロカネアヤメとデュランダルの剣戟の音は激しさを増してやがる。俺が戦いに参戦するよりは理子を参戦させないことが重要だな。反転し、俺は前に会ったときと何ら変わらない制服姿の理子を──睨んだ。鏡合わせになるように理子も俺を睨む。

 

「今さら武偵高に何のようだ。この世の天国とやらに向かったんじゃなかったか?」

 

「そんな裏切り者を見るような目で見るな。別にお前の首を貰いに来たわけじゃない」

 

「どうだかな、前科がある。グレーゾーンだ」

 

「ついてきなよ、話せば潔白だって分かる。有罪だってわかるまでは潔白でしょ?」

 

 不用心にも背中を翻した理子の後ろを、微かに躊躇うも俺は追いかけた。どれくらい経っただろうか。フロアを一つ登った結果、剣戟は聞こえず静寂の中で俺と理子は対面している。殺風景な倉庫、理子の瞳が冷たく細められる。

 

「幕が近い、あたしは過去と決着をつける。今日はその為の準備にやってきた」

 

「話は聞いてる。無限罪のブラドだな?」

 

 先んじて言ってやるが、理子は驚くような素振りは見せなかった。

 

「だったらお前も聞いてるだろ。イ・ウーでは身内の決闘を禁じてない。あたしはイ・ウーで、お前の言ってるブラドと決闘した。あいつはあたしを檻に戻すためにルーマニアから追いかけて来たんだよ」

 

 ……異常な執着だ。経験から言えばブラドには理子を手元に置きたい理由があるんだ。それもかなり重要な大きな理由だ。俺たち、人間の観点から見れば十中八九、ろくでもない理由だろうけどな。

 

「戦ったなら姿を見たんだな?」

 

「見たよ。獣のような肌で雄牛みたいな筋肉をしてる二足の化物だった。お前らハンターが呼ぶところの獣人って種だと思う」

 

「そういうことか。いいだろう、頭を借してやるにしても話を聞いてからだ。投書箱に投げ入れるネタがあるなら早く言え」

 

「人間じゃないことは確かだ。あたしはあいつの皮膚を何度もナイフで切りつけて確かな手応えを感じた。ありったけの9mmパラベラム弾、ワルサーとUZIをフルパック。それでもブラドは、殺せなかった」

 

「……殺せなかった?」

 

 聞き返してやると理子は皮肉に肩をすくめる。

 

「あたしはブラドの心臓に風穴を空けた。頭にだって何発も撃ち込んだよ。でも死ななかった。ブラドは倒れず、次の瞬間、傷がすぐに再生を始めたんだ。何発も何発も与えた弾が傷口から摘出されたし、弾痕も見えなくなった」

 

「大抵の生き物は頭か心臓をやられたら死ぬ」

 

「ブラドが核酸を基礎にしてセントラルドグマを示しながら、タンパク質をコードする生命体ならね。代謝能力を奪われ心臓と脈拍が止まって活動を辞める。でもブラドは普通じゃない、だからコルトを探した。なんでも殺せるコルトならブラドだって殺せる……」

 

 コルト、因果な銃だよ。俺たちはあの銃を使って黄色い目を討った。そして理子は自由になるためにコルトを欲してる。だがあの銃はもう使えない。

 

「コルトは使えない。修復できねえんだよ。お前には打ち明けるがコルトの弾はどうにかなった。製造方法も知ってる。だが銃本体が使い物にならねえ。熔解してやがるんだ」

 

「……溶解って言ったか?」

 

「ああ、言った。銃が溶けるくらいの熱を浴びせられたんだ。分かるだろ、そいつもブラドと同じで人間じゃない。でも倒すことはできた。ブラドだって同じさ。何か倒す方法があるはずだ。作戦ならある、諦めないって作戦がな」

 

「……お前が乗り気なのは意外だったよ。交渉の材料が無駄になった」

 

「夾竹桃から頼まれちまったからな。頭痛の種を取り除いて欲しいってよ。だが、これだけははっきりしてる。無傷で勝つのは無理だぞ。痛みを伴う、バターナイフで腎臓を切り取るような酷い痛み」

 

「無傷で勝てる相手なら最初から頭痛の種になってない。あたしとお前は一応敵対してる関係なんだぞ、好き好んで相談するか」

 

「それは言えてる」

 

 俺とのトークにリスクを背負うわけないよな。それは言えてる、流石にそれくらいは自覚できる。

 

「んで、ブラドをぶちこめば神崎の母親の刑期も軽くなるのか?」

 

「ブラドもアリアの母親に罪を着せた一人だ。事が納まればあたしも証言台に立ってやってもいい」

 

 なるほどな、惜しみなく手札のカードを切ってきやがる。手札を使いきってでもブラドを討ちたいらしいな。理子は神崎の母親の仇だ、キンジの兄さんの仇でもある。この会話を見咎めても文句は言えないが……

 

「今の言葉を忘れんなよ、世の中は往々にしてアンフェアだが不平等って奴はいつの時代も憎まれる」

 

「くふ、夾ちゃんが好きそうな言い回し。理子にも誇りがある、だから──した約束は守るよ」

 

 その表情は卑怯だ。卑怯すぎる。理子の真剣な表情に俺はかぶりを振った。戦える状況じゃなくなったな。抜き差しならねえ状況だよ。

 

「話を戻すぜ。銃で殺せないのは分かった。他に分かることは?」

 

「ブラドには体に4つの目玉模様がある。数百年前、バチカンの騎士から付けられた傷が目玉模様に変化したって聞いてるよ。それがブラドの弱点、同時にその場所を攻撃すればあいつは治癒力を失う。イ・ウーのボスはそうやってブラドを倒した。魔臓──この名前に聞き覚えない?」

 

「……魔臓か。因果なもんだな。海を渡ってもやってることは化物退治だ」

 

 めざとく理子が続きを促してくる。知ってるよ、そいつはある生き物だけが持ってる特殊な器官だ。

 

「ブラドは吸血鬼だな?」

 

「とても見えないけどね。多分当たってる」

 

「だが厄介だぞ。魔臓を持ってる吸血鬼は言わば変異種だ。通常の吸血鬼なら首を落とせば殺せるが奴等はそんなに単純じゃない」

 

「変異種? 吸血鬼を狩ったことが?」

 

「長いこと狩りをしてると色んな化物と縁が生まれる。日本には妖狐や古い化生たちが抑止力になって進行してねえが本土は吸血鬼の温床だ。アルファ・ヴァンパイアの根城なんだよ」

 

 魔臓、理子が言い放った言葉で俺は確信を持った。ブラドは獣人、吸血鬼(ヴァンパイア)だ。普通の吸血鬼は人の姿を残して吸血鬼としての並外れた身体能力と牙を手にする。

 

 だが理子の話に出てくるブラドの容姿は人の姿がどこかに行ってる。人とは異なる種族、そう言われた方が合点が行く。魔臓と呼ばれる器官を持った吸血鬼の話、俺も兄貴も信じてなかったけどな。笑えない土産話ができそうだ。

 

「アルファ──最初の、一番目か?」

 

 いつもながら、本当にこの子は聡い。

 

「御名答。アルファは怪物の始祖、一番最初に生まれた怪物だ。種族の原点にして最も強力とされる個体」

 

「親玉か?」

 

「ああ、俺たち人間で言えばカインやアベルってところだがな。全ての化物を生み落とした怪物たちの母、俺たちはマザーやイヴって呼んでたがアルファ種はマザーに次ぐファーストジェネレーション。種のピラミッドに立つ頂点」

 

 吸血鬼は群れを作り、ピラミッド形式で階級が別けられる怪物だ。したっぱ、群れのリーダー、そして頂点に位置するアルファは吸血鬼から父と呼ばれていた。蟻、蜂なんかの社会性昆虫に奴等は似てる。繁殖の方法はまるで違うが。

 

「この世界はいつから怪物であふれ返ってる?」

 

「神様がリヴァイアサンって食欲旺盛な怪物を作っちまったときからだよ」

 

「……それもお得意のジョークか?」

 

「知らぬが仏ってやつ」

 

 理子は苦い顔でかぶりを振った。分かるよ、どこまでが嘘か真実か分からなくなるんだろ。俺も狩りのお陰でホラー映画が恐くなくなった。

 

「アルファヴァンパイアは怪物にしては柔軟なやつでな。長く生きてるのもあるんだが、種が滅亡することを一番恐れて繁栄を求めてやがった。話し合いの席くらいは用意できるやつだったよ。リヴァイア……ある怪物を狩るときに利害が一致して協力を結んだことがあってな。魔臓の話もそこで聞いた」

 

「お前の知り合いは怪物ばかりだな。今度夾ちゃんに想い出話でもしてやれ。あいつはその手の話が好きだ」

 

「よせよ、これ以上嫌われたくない。アルファは自分の子供……要は他の吸血鬼と超能力でやりとりできる。吸血鬼の深層意識にアルファの意識がリンクしてるんだと。だからアルファが近くにやってくると群れは活発に騒ぎ立つ。単身赴任の父親の帰宅に気づくんだ。パーティーのために大量の血液パックを用意しやがる、自家製でな」

 

 理子は続けろと目で促してきた。俺は一息、間を置いてから話を続ける。

 

「だが例外がいた。一体だけアルファがリンクできない特殊な個体がいたんだ。その吸血鬼は一族を離れ、吸血鬼としての遺伝子を改良しながら生きてる。曰く、普通の吸血鬼と違って、清められた武器で首を跳ねても殺せない。倒すには体のどこかにある器官を壊すしかない」

 

「その吸血鬼がブラド、話にある器官が魔臓か」

 

「決闘したお前が一番知ってるだろ。小物とは根本的に違う」

 

 かぶりを振った俺は返された言葉に耳を疑うことになる。

 

「でも、お前なら?」

 

 

 

 

 




『痛みを伴う、バターナイフで腎臓を切り取るような酷い痛み』S4、10、アンナ──


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ダブル・ミーニング




『フルハウスの最悪の回を見てる気分』


『数は足りてないけどな』


『それは関係ない。俺にも酢豚くれ』




The Road So Far(これまでの道のり)




『この泥棒ネコ、アリアなんかいなくなれぇー!』


『魔剣は──あたしのママに罪を着せてる敵の1人なのよ。イ・ウーにいる剣の名手ってのが多分それ。迎撃できればママの刑が残り635年まで減らせるし、うまくすれば高裁への差戻審も勝ち取れるかもしれない』


『そいつらに軟膏でも塗ったと思うか? 必死で逃げたよ、それで俺たちとカリの神様だけが生き残った』

 
『あたしには別の、やらなきゃいけないことがあるの。武偵殺しは絶対に捕まえるわ。どんな手段を使っても』


『──雪平、アンタ星枷の護衛やってよ』


『あの子が狙っているのは、今のナンバー2。序列で2番目に立ってる化物よ』


『アリアさんは装備科に出かけました。気をつけてください。ここ数日は、風に──何か邪なものが混ざっている』


『くだらねえ話さ。バーで働いている女の子を口説いたらカモにされちまった……どこにでもあるくっだらねえ話だよ。口説いたつもりでいながら最後までプレゼントの一つもくれてやれなかったけどな』


『やらせて雪平くん、ここから先は私がやるよ』


『幕が近い、あたしは過去と決着をつける。今日はその為の準備にやってきた』


『──やってみなきゃわかんねえだろ!』


『空っぽのはずだ、感情がないんだからな。お前の心はとっくに──死んでいる』


『それで魔剣相手にどうするつもりなんだ、ホームズプランを聞かせてくれ』


『魔剣が尻尾を出してくれただけでも収穫よ。少しは役に立ったわね。バカキンジも』

 




Now(そして今……)






「I'd like to thank the person…」

 

 不知火の美声と、キンジが掻き鳴らすギターでアドシアードの閉会式は始まった。前に出る不知火の声に劣らず、キンジが鳴らすギターはやけに攻撃的。俺が理子と会話中、裏ではキンジと神崎が超能力を解放した星枷と力を合わせて無事に魔剣を逮捕していた。

 

 魔剣を綴先生に引き渡した神崎によれば、水に押し流されたときにはキンジは例のきざったらしモードになっていたらしい。神崎は顔を真っ赤にして両腕を意味なく振ってやがったが、泳げない神崎を抱えて殺し文句でも吐きやがったのかな。

 

(キンジに聞いても知らないね、知りたくない、知ったことかの三連コンボが待ってんだろうな)

 

 落ち着いたパートをすっかり馴染んだベースでルート弾き。ベースラインが崩れると曲は総崩れになる。キンジがギターで俺はベース。ギターみたく前には出ないが曲の『土台』は作ってやらねえと。なんつーか、それが相棒ってやつなのかもな。俺はやっぱリズム隊向きかもしれない、武藤はどうかしらねえが。

 

 曲が急にアップテンポになると同時に、左右からポンポンを持ったチアガール姿の女子が笑顔で舞台に上がってきた。俺はベースを掻き鳴らしながら心の中で感嘆してやる。神崎、お前はすげえよ。複雑な星枷の心をあんなに短い時間で開くなんてな。まあ、扉を開けるってより風穴を開けてこじ開けたって気がするが。

 

 チア姿の神崎と星枷が今度こそペアを作る。籠の鳥と独歌唱──家系や生まれは特殊も特殊。けれどここには自由がある。

 

 

 

 

 

 金欠のキンジに合わせ、バンドの打ち上げは学園島唯一のファミレス──ロキシーになったのだが神崎、星枷に誘われた二次会もお馴染みのロキシー。女子の打ち上げは教務科から台場のクラブに通されたらしく、自腹を切った俺たちとは雲泥の差だった。助手席に不機嫌なルームメイトを乗せ、馴染みの道を67年のシボレー・インパラで走る。

 

「それにしてもアル=カタの閉会式には驚いたよな。あのアリアも変われば変わるもんだな」

 

「変わらない人間なんていねえよ。良い変化、悪い変化。それが別れるだけだ。俺やお前もそうだった」

 

「……弱くもなった。白雪やアリアを見てると自覚する」

 

 しんみりした声色でドリンカーに添えていたコーラを取り、キンジは自虐的に笑った。横目で見ていた俺はハンドルを右に切りながら首を振ってやる。

 

「自分のことを弱いと言ってる人間こそ本当に強いと親父が言ってたよ」

 

「……親父さん、海兵隊にいたんだよな?」

 

「第一海兵師団第二大隊、キャッチボールの代わりに徒手格闘を教えてくれたよ。ハロウィンの日は決まって酔いつぶれて帰ってくるんだぜ? リースにビールの空き缶をくっつけて持って帰ってきてさ。クリスマスなんて祝ったこともなかったよ。遊んでもらったことは一度もない」

 

 でも──

 

「でも家族だった。俺にとっては親父だ。いつだって頭ごなしで同じことしか言わない。言うとおりにしろ、仕方がなかったを繰り返す。それでも家族なんだよ。何年経とうがどこにいたとしてもな」

 

 らしくない台詞。それを自覚していてか、信号が赤になった途端、誤魔化すように飲みかけのコーラに手が伸びて炭酸を呷る。

 

「……俺にとって兄さんは弱点だ。理子はそれを知ってる」

 

「分かるよ、俺たちも互いに互いを庇い合ってきたからな。自己犠牲の重ね合いさ。兄弟の関係が一番の弱点、いつもそこを突かれてきた。大切に思えば思うだけ足枷になるんだ皮肉だよな。だが頼れるのも兄弟だろ、お前の兄さんが生きてるなら連れ戻せばいい。なあ少しくらいアンフェアなやり方してみろ、誰も咎めたりしねえよ」

 

 世の中には平等なことなんて1つもない。人間ってのは、生まれながらにして平等なんかじゃないんだ。理子、俺、神崎、星枷……立場も生まれも普通じゃない奴が周りに溢れてる。世の中の不平等ってやつはいつの時代も変わらない。

 

「兄さんが命取りになる。確かにそうだ、兄弟で命を捨て合っても良いことなんて何もない。涙を飲んで家族と別れることも必要だ、受け入れないとな。だが今じゃない、今は信じてやるときだ。お前の兄さんを」

 

「兄さんはいつも正しかった。俺の憧れだった。一度として間違えを起こしたことのない人だと思ってる」

 

「だったら最後まで信じてやらないとな。キンジ、お前にとって兄さんが弱点なら神崎は母親が弱点だ。敵もそれを知ってる。お互いに歯止めになれ。どちらかが暴走しないために」

 

「出来ると思うのか?」

 

「出来るさ。お前と神崎は、パートナーだろ?」

 

 断言しつつ、青になった信号にアクセルを踏み込んだ。キンジはシートに背を倒して、両手を頭の後ろに持っていき、呟いた。

 

「……不幸にもな」

 

 笑みが崩れてんぞルームメイト。暮れていく夕日に目を細め、俺も心の中で笑ってやる。やがてキンジはコーラを飲み干し、ラジオのチャンネルに手を伸ばしながら呟いた。

 

「お前といると、俺はうっとおしい正義感に駆られるよ。どうしてだろうな」

 

「遠山は正義の味方の家系なんだろ?」

 

「正義の味方なんて流行らねーよ。うっとおしいだけの正義感も煙たがられるだけだ」

 

「見て見ぬふりをしていれば、きっといろんなことが楽ななんだろうよ。でも、誰かがそのうっとうしい正義感を持ち続けていなければ、世の中は悪くなっていくだけだ」

 

 世の中はアンフェアだ。自分とは違う境遇の誰かを羨み、誰かが損な役回りを引き受けないといけない。なんで自分がと思うだろうが無駄だ。よく知ってる。

 

「どこまで行っても本当の悪はなくならない。問題が解決してもまた次の問題がやってくる。でもお前みたいな真っ直ぐなやつばっかりなら、世の中ちょっとは良くなるかもな」

 

「そんなことねぇよ。切だって──」

 

 俺はやんわりと首を振る。

 

「──いや、俺は駄目だ。少し物事に詳しくなった気でいるとな、人間の嫌な面ばかりが見えてくる。お前には勝てないよ」

 

 俺はラジオの音量を捻り、大きく息を吐いた。

 

「お前が無駄に大人びて見えるよ」

 

「……バカかお前は」

 

「なんだそれっ。誉めてやったんだぞ?」

 

「バカだお前は。バカだよキンジ。酔い止めの薬くらいちゃんと飲んどけ」

 

「そうだな。ああ、乱暴な運転でちょっと酔っちまった。らしくないこと言ったよ」

 

「オフレコにしとく」

 

 信号をいくつか越えるとロキシーの標識が見えてくる。学園島唯一のファミレスということで、武偵高の生徒が放課後や休日に立ち寄っているのを見かける。インパラを止めるべく一旦隣接している駐車場に向かうと、改札から神崎が乗っているMINIが停まっているのが見えた。武偵庁に用があるって先に部屋を出て行ったが、こっちに先に着いてやがったか。

 

 ゲート式のパーキングから自動音声が流れる。俺は運転席から助手席に目配せするがキンジはシートに背中を倒したまま動こうとしない。

 

「どうしたんだ?」

 

 が、不思議そうな顔でこちらを見上げたところで俺はかぶりを振った。

 

「駐車券だよ駐車券。取ってくれねえか?」

 

 ようやく意味を察しキンジは窓から腕を伸ばす。武藤のサファリや輸送用の車と違って、俺のインパラはれっきとしたアメリカ車。左座席の運転席から手を伸ばしても駐車券に届かない。なんたってアメリカと日本では車線が真逆だからな。駐車券が抜かれたことで開いたゲートをくぐり、ようやくインパラを駐車できた。日が暮れているが駐車場エリアにはまだ余裕があった。

 

「悲しいね、武藤兄妹の送迎に馴れちまったか?」

 

「お前が『インパラをタクシーにするな』って言ったんだろ。右ハンドルに変えたらどうだ?」

 

「左利きの彼女に明日から右利きになれって?」

 

「聞いた俺がバカだった、どうかしてたよ。お前はそういう奴だったな。燃費が悪いデカい車が大好きで、コーラとチーズバーガーを持ち上げては豆腐バーガーを皮肉る男だ」

 

「驚いた。俺より俺のことを知ってるんだな」

 

 店のドアを開き、キンジが怪訝な表情を返す。俺は肩をすくめてその背中を追いかけた。ボックス席で先に着いていた神崎には案の定睨まれることになったが本気で怒ってるわけでもなさそうだ。なにを食べるか。メニュー表を吟味していると──

 

「見ろ、今日のお薦めだってさ。ポークグリルにしよう」

 

「決まったら注文するわよ」

 

「俺はステーキとミネラルウォータ」

 

「頼む、今日のお薦めにベーコン付けてコーヒー」

 

 各々の注文が終わり、俺が水を飲んでいると……神崎と星枷の様子がおかしい。お互いになにかを切り出そうとしては、身を引いて膠着してる。

 

「いいわ。キンジ、キリ、祝杯前に少し構わない?」

 

「待って、私から……言わせて。先に言っておかないといけないから」

 

「俺たちは外した方がいいか?」

 

「え、えっと……あのね。キンちゃんにも聞いてほしいの。雪平くんも聞いてもらえないかな」

 

 俺にも聞かせたいこと?

 

「あのね、まずはお礼を言いたかったの。キンちゃんだけじゃなくて、アリアや雪平くんにも危険が及んだのに最後まで戦ってくれた。それにアリアには……私、ずるいことしちゃったから、謝らないといけない」

 

「ズルいこと?」

 

「うん。私、嘘ついてたから。このあいだ、キンちゃんがカゼひいた時に薬を買ってきてくれたのはアリアなんだよ?」

 

 星枷の告白にそっと隣を覗いてやる。神崎はちょっと赤い顔で星枷から目を逸らしたが丁度覗いていた俺と視線がぶつかる。緋色の目はまさにいま助け船を求めているが俺はかぶりを振った。俺が何か言える場面じゃないよ。どうするか人に聞くんじゃなくて自分で答えを返すんだ。薄情なようだけど仕方ない。

 

「な、なーんだ。そんなこと。別に気にしてないからいいわよ。もっと大変なことかと思って損したわ」

 

「……アリアはキンちゃんにとって、すごく意味の深い子なんだね。私、もしかしたら羨ましかったのかな。それは、言い訳にはならないから……だからごめんなさいっ」

 

 素直に頭を下げる星枷、神崎は狼狽しそうな心を落ち着かせるように水を飲んだ。素直な謝罪に慣れてないんだな。

 

「こほん。白雪、よく聞きなさい。あたしはあんたをイヤな女と思ってたわ。ま、最初はだけどね」

 

 咳払いしてから切り出した神崎が続ける。

 

「恨み続けるには一生は短い。許すにはなにか大きなことをしてもらわないと」

 

「な、なんでもするよ?」

 

「あたしの要求は生易しくないわよ? しっかりする、それがあたしの要求。家の掟を重んじるにしても自由を大切にするにしてもあんたがしっかりしないと駄目」

 

 参ったな、口を挟めなくなった。誰かさんとそっくりだよ、気が強くて、頑固で、義理人情に熱すぎる。パートナーだねぇ……キンジを見ながら考えに耽っていると、

 

「ありがとう、白雪。魔剣を逮捕できたのは、3割はあんたのおかげよ。4割はあたし、2割はレキ」

 

(……えっ?)

 

 つまり、俺とキンジは合わせて1割しか役に立たなかったってことか。前言撤回で口を挟んでやろうか、そう思った矢先にミネラルウォーターとステーキセット。烏龍茶と、炊き込みごはん御膳。ポークグリルにベーコンと、コーヒー。コーラと、ももまん丼……っていうのは何だ意味不明だぞ。

 

「あたし今回分かったの。あの魔剣、ジャンヌ・ダルクとの戦いは──あたしたちが1人1人だったら、きっと負けてた。魔剣に勝てたのは、あたしたちが互いに結束したからよ。感謝してるわ、こほん──では仕切り直して。よし、やるわよ」

 

 グラスを持ち上げた神崎に俺が続き、

 

「やるか」

 

 察した星枷が俺に続く。

 

「やるとしましょう」

 

 キンジも流れには逆らえず、グラスを持ち上げた。

 

「……さっさとな」

 

 俺たちはグラスから飲み物がこぼれるような勢いで、がちん、と乾杯した。なんでもない放課後をファミレスで過ごすだけの普通の学生のような一時。俺は多分、今日という日を忘れない。非日常の中にある日常を。

 

 

 

 

 大理石の床が美しいホテルの入口ホールは、小ぶりなものだった。それでも薄汚いモーテルとは気品も広さも雲泥の差だった。ホテルを私室にするだけの資産はどこから引っ張ってきたのだろうか。無人の廊下で疑問が浮かぶ。賭けポーカーや偽造クレジットじゃないことは確かだな。

 

 足元は絨毯だったので、音を立てることもなく。無人の廊下は静寂の一言に尽きた。ほどなくして、部屋のドアまで辿り着き、部屋番号を二度見する。

 

 『HOTEL―POROTOKYO』の109号室。軽くノックしてみると、ドアが開いて長い黒髪が覗いてきた。

 

「……ついにやったわね。一応、言っておくけど、相当長い間ぶちこまれることになるわよ?」

 

「お前は俺を何だと思ってんだよ」

 

 半分だけ開いたドアから挨拶代わりの笑えないジョークが飛んでくる。

 

「しかも夜中よ。ハンバーガーの食べすぎで頭がどうにかなったんじゃない?」

 

「それはお前だろ!いやここでいい。綴先生から預かってきた。良かったな、間宮と同じクラスだってよ」

 

 俺は書類の入った封筒をそのままドアの隙間に差し込んでやった。中身は司法取引の関する書類だ。郵送するわけにはいかず、綴先生から愛弟子の俺にありがたい運び屋の任が与えられた。世間ではこれをパシリと呼ぶらしい。夾竹桃は封筒を受け取ると半分開いたドアから廊下を見渡した。

 

「いいわ、上がっていきなさい。暇でしょ?」

 

 呆気にとられるとはこのことだろう。

 

「上がるって部屋にか?」

 

「他にあるかしら?」

 

「あるよ……いや、ないな」

 

 忠犬は哀れなものだと罵られたのが先日、はっきり言って招かれたことに驚いた。疑問を疑問で返され、俺は背を丸めて開いたドアの奥へ足を踏み入れる。そうして、そっと覗きこんだ室内は──間接照明は灯っていたが、妖しげに薄暗かった。そして、目の前に広がる景観はお世辞にも普通とは呼べない。

 

 部屋を見渡してみる。アンティーク調のテーブル、雰囲気を合わせた椅子とベッドは良い趣味だ。センスが光ってる。そして観葉植物、白に黄色の綺麗な花はスイレンだろうな。そして観葉植物、これも知ってる、エンジェル・トランペットだ。ラッパのような形が特徴で下向きに花を咲かせることで知られている。そして観葉植物、罌粟の花だな、教科書に載ってる違法だ。そして観葉植物、彼岸花だな。輪を描くように赤い花を咲かせる毒性の花。そして観葉……いや、やめとこう。なぜか部屋に舞っていた蝶が肩に止まったところで俺は遅すぎる疑問をぶつけた。

 

「蝶と植物園で暮らすのが趣味なのか?」

 

「可愛いわよ。人間と違って無駄口きかないし」

 

「今まで色んなやつを見てきたが蝶を放し飼いにするやつはお前が初めてだよ」

 

「放し飼いではなく共生と呼べばどうかしら。受ける印象も変わるでしょう?」

 

 開き直って椅子に腰掛ける彼女は得意気だった。無表情に思えて夾竹桃は意外と表情豊かな女だ。前は『友情返り咲き!』なんて笑顔で謎の動きを決めてやがったし、呆れた顔も見せれば苦笑いするときだってある。要はつまらないことに表情を変えないだけだ。馬鹿げたことに俺は、こいつと話す時間が嫌いじゃない。こいつの皮肉めいた言い回しが嫌いじゃないんだ、悔しいことにな。

 

「出会ったときは、まさかお前と軽口が叩けるようになるとは思わなかったよ」

 

「合縁奇縁、袖振り合うも多生の縁よ」

 

「成る程な、縁があるのは困り者」

 

「そんな諺はない」

 

「ウィンチェスター一家にはあるんだよ」

 

 そう言うと、夾竹桃はこれまたアンティーク調のカップに茶を注ぎ始めた。食器も統一してるのか、どこまでも懲り性だな。

 

「貴方の話は本当にネタに困らないわ」

 

「12シーズンまであるからな。聞きたいときは声をかけてくれ。いつでも聞かせてやるよ、なんたって俺は暇だからな」

 

 肩をすくめると、湯気の立つカップに目を落とす。懲り性な夾竹桃のことだ、これも銘茶だろうな。俺は茶の種類なんてさっぱりだが。

 

「興味本意で聞くけど、シーズン12とやらは何が起きたの? 地獄から悪魔が押し寄せてきた、とか?」

 

「ルシファーが人間と子供を作って大騒ぎ」

 

「ルシファー・モーニングスター?」

 

「ロスでナイトクラブは経営してないし、休暇も楽しんでない。背中にちゃんと翼も生えてるよ」

 

「自由の国アメリカ、いまはまるで魔境ね」

 

「ウォーカーがはびこってないだけマシ」

 

「それもそうね」

 

 何がおかしいのか分からないが、俺たちは自然と肩をすくめていた。夾竹桃が淹れてくれたのはキャッスルトン・アッパーの夏摘み。ぎとぎとした外食ばかりで麻痺した俺の舌でも、上物と感じ取れる銘茶だ。

 

「警戒しないのね」

 

「俺を毒殺したいならとっくにやってる。信用には信用を、お前の言葉だ。来客をやるにしてもお前は手段にこだわりそうだからな」

 

「……平然と飲んだのは貴方が初めてよ」

 

 ひらりひらり……と、部屋の中を舞っていた蝶が黒いセーラー服の肩に止まった。髪から服まで黒一色だってのに眩しいくらい目に毒だ。紅茶は無毒でもお前は猛毒だよ。野に咲く経口毒──夾竹桃、その名前のとおりにな。

 

「過去に戻りたいと思ったことはない?」

 

「やり直したいことは、いくつもある。だがやり直せるかは別の問題だ。お前と出会った夜、仮にあの日に戻れたとしても俺は同じ事をしたよ」

 

「単純な世界が恋しいわ。私は悪で、貴方は善、全てが明快。今は線引きがなくなった。嫌だけど私はいいやつになってる、貴方は悪に。でもそういうのって、ちょっとかっこくよくない?」

 

 否定に困らない質問だ。俺は善人でもなければ夾竹桃を悪と言える人間でもない。仮に正しいことをしてきた結果が今に繋がっているなら、俺は善人になどなりたくない。未曾有の危機から世界を救って、家族や友人は死んで自分たちだけが生き残る。それが正しい行いだって言うなら……俺は正しいことなんてしたくない。

 

「お前は最初から悪党失格だよ。いいやつだ」

 

「そう思わせてるだけかもね。今の貴方は尋問科の武偵? それともイカれたハンター?」

 

「その両方だよ。お前は魔宮の蠍? それとも達者な絵を描く同人作家か?」

 

「その両方よ」

 

 オウム返しで頷かれた。その顔はしてやったと得意気に見えて仕方ない。皮肉な言い回しを楽しいと思えるのはいつぶりだろ。日本に来る前、いいやもっと前かもしれない、気づけばカップの中は空になっていた。半眼を作り、俺は空になったカップを置く。

 

「……さっきの話。過去をやりなおしたいって話さ。本当は俺も思ったことがある。普通の生活を過ごせていたらってな。狩りや怪物なんてもうたくさん、普通に生きたい。そんなことを考えてるとたまに夢を見る。ナイフも銃もない、本当に普通の夢だ。怪物のいない世界で家族と過ごす夢」

 

「それが、ウィンチェスターの求める理想の生活?」

 

「違うよ、ただの願望。狩りのない生活ができてればってな。できてれば、お前ともあんな出会いはしなかったし、親父もあんな風には……もっといい最後を迎えられたかもしれない。今でも生きていたかも」

 

「でも現実じゃない。あなたが一番理解してる」

 

「……ああ、分かってる。でも楽しかったよ。夢でもさ……」

 

 俺はこめかみに手を当てながら首を振った。

 

「あのままずっといたかった。親父が死んでから、俺はずっとこの仕事を続ける意味を考えてきた。怪物を狩って人を救う、親父の意思とやりのこしたことを引き継ぐんだって……けど分からなくなった。ジャンヌに言われたことを俺は否定したが、あいつの言葉が本当は正しかった。俺は何も考えずに済むから戦ってるだけ、勝てないと思った相手にも諦めなかったのは家族が諦めなかったからだ、俺の意思なんてない。ましてや、誇れる理由なんてこれっぽっちも」

 

 テラスのフェンスまで行き、右手で掴むと、顔を上げて、遠く半分欠けた月を見る。テラスを突風が駆け抜け、制服がはためく。

 

「──普通でいたかった。いろんな物を犠牲にして、なくして、こんなの割りに合わない」

 

「でも大勢の人を救った」

 

 首を落とした俺の横で夾竹桃が首を振る。

 

「確かになんで貴方がと思うわ。とても苦しいことだけど、それだけの価値はある」

 

「……まるで、全部見てきた言い草だな」

 

「どう受け取るも貴方次第。つまらないマニフェストだけは退いておきなさいな」

 

 そう言って、魔宮の蠍は月を見上げた。遠く離れて近づくことのない半月を。俺はフェンスを握り、その目線を追いかける。今は答えは分からない、だが今は……ただ欠けた月を黙って見上げていたかった、この女と。

 

 

 

 

 




……どこまで設定をクロスオーバーさせるか難しいですね。風呂敷は広げすぎると畳むのが難しい物です。


『狩りや怪物なんてもうたくさん。普通に生きたい』s11、12、アレックス──



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ハンター編
最後に見るのは?


 吸血鬼、その言い伝えはほとんどがデタラメだ。十字架を見ても平気だし、日光を浴びても死なない。心臓に杭を打ち込んでもな。だが血は吸う、それは本当だ。奴等は生きるために血を吸うことを定め付けられる。

 

 吸血鬼の生態は典型的な群れ社会だが、人を襲わず牛や動物の血を吸って生きている個体も中には存在する。輸血用のパックを盗んで飢えを凌ぐ連中もな。だが大抵の吸血鬼は生きるために人を襲って血を吸い漁る、襲われるまで吸血鬼だと気づくのは難しい。元は人間から変異した個体が殆どだからな。純粋な吸血鬼は頂点であるアルファ・ヴァンパイア、そして──無限罪のブラド。

 

(……アルファが特別扱いした吸血鬼か)

 

 放課後、俺は自由履修の時間を放擲して、公園に来ていた。ベンチに背中を預けると見上げた空は未だ青く澄み、太陽が昇っている。傍らの袋をあさって、買ったばかりのハンバーガーを取り出すと、包装を剥がして頭からかぶりつき、嚥下する。

 

 この前は魔宮の蠍が隣でサラダをシャカシャカしていたが、いま隣には開いた袋が置かれているだけだった。誰かと食事を共にすることが常態化していると、一人の食事が味気ないものに思えることがある。『人は誰しも自分の淋しさを埋めようとする放浪者』、かつての綴先生の解釈が思い出された。孤独を好む者はいても孤独を耐えれる者は少ない。

 

 俺は、握りしめていたハンバーガーにがぶりと噛みついた。なぜ、いまさらこんなことを考え、感傷的になってやがるのか。きっと理子が檻に閉じ込められた過去、そして吸血鬼の話を出したからだ。どちらも俺の過去とは切れない縁で繋がれている。結局、海を渡ったところでハンターの仕事から逃げれなかった。土地を変え、学生になっても行き着く先は同じ、インパラに乗って怪物を退治してる。道を逸れてもすぐに決められたレールに戻される。普通の生活を諦めたのはいつからだろ。

 

「ウィンチェスターだな?」

 

 弾かれるように声の方に振り返った。陽光を弾く銀髪に、東京武偵高の防弾制服という姿。特徴的な碧眼の瞳が理知的に光っている。見たことのある顔に俺はかぶりを振った。

 

「……もう取引が済んだのか?」

 

「私たちは策の一族、交渉は得意分野なのでな」

 

「先生にいじめられたろ?」

 

「……」

 

 ……図星かよ。青い顔で隣に座ってきたのは、地下倉庫で対決したばかりのジャンヌ・ダルク30世。言わずと知れたフランスの大英雄、ジャンヌ・ダルクの子孫。秘密結社イ・ウーの構成員で氷を使役する魔女だ。

 

 綴先生によれば尋問科の取り調べが終わり、今は警視庁で再三の取り調べを受けている筈だがどうやら司法取引に応じて、武偵高へ通うことにしたらしい。先生が珍しく上機嫌で出勤してやがったが、どんな取り調べをされたかは聞いてやらぬが慈悲ってやつだ。綴先生の尋問、蘭豹先生の体罰はこの世の地獄だ、みんな知ってる。

 

「お前も尋問科だったな」

 

「そういうあんたはどこに?」

 

「情報科だ」

 

 通信学部(コネクト)か。諜報学部の俺や探偵学部のキンジとは別の畑だな。

 

「司法取引が済んでも卒業するまでは武偵高に縛り付けられる。監視する立場から監視される立場になった気分はどうだ?」

 

「良い気分ではない。むしろ、今すぐに私をこんな目に遭わせたお前を奈落の底に叩き落としてやりたい。だが、そう何もかも自由にはいかないのでな」

 

「ああ、助かるよ。ハンターとしてなら魔女との戦いの誘いは受けてやるが、武偵としては断るしかない。昨日の敵と協力するのも武偵の道だ。まあ仲良くやろうぜ」

 

 話題の接ぎ穂が見つからないまま俺は空いていた右手で紙袋をジャンヌに向けてやる。沈黙が降りかけたその時、ジャンヌは不意に袋の中に手をやった。

 

「血は争えんな。お前の好物は兄と同じだ」

 

「人の食事事情なんてどうでもいい情報どこから仕入れてくるんだ?」

 

「知りたいのか。イ・ウーのことを」

 

「いいや、夾竹桃から差し障りのなさそうな部分だけ聞いてるよ」

 

「……桃子はどこまで知ってる?」

 

 ……夾竹桃か。そういや、武偵高には鈴木桃子って名前で転校扱いだったな。それが本名か偽名かは知らねえが俺は一貫して夾竹桃で呼び名を通してる。

 

「俺が怪物を退治してること。理子や神崎も同じ認識でいる。要は漫画のネタさ。理子や夾竹桃とは派閥が一緒なんだろ?」

 

「理子と私はイ・ウーで同期だった。彼女は知らないが私は彼女のことが嫌いではない」

 

 ジャンヌは紙袋からハンバーガーを一個取りだし、包紙を解いた。横目で見たジャンヌは地下倉庫でも感じたことだが、切れ長の碧眼、輝かしい銀髪、まるで西洋人形みたいに整った顔立ちをしていた。イ・ウーのメンバーはどいつも無駄に美人だな。俺はかぶりをふり、残っていたハンバーガーを嚥下する。

 

「理子から話を受けたな?」

 

 冷たい声色で本題を切り出される。

 

「ブラドのことなら話は受けたよ。でも俺がこれまで狩ってきた獣人とは別モンだ。首を落としてゴールデンタイムまでに帰れる相手じゃない」

 

「……首。つまり、吸血鬼か」

 

 ジャンヌは顎に手を当てながら、頭の中に蟠っている疑問を整理していく。ジャンヌは首のヒントだけでブラドの正体に気づいた。こっち側に詳しい。薄々感付いていたが確信が持てなかったんだな。

 

「理子は知っているのか。お前たちがアルファを討ったことを」

 

「知らねえだろうな。むしろ、お前が知ってることに驚いてるよ」

 

「私は物知りなのだ、覚えておけ。ウィンチェスターが絡んでいると知ればブラドも手段は選ばない」

 

「なんとかするさ。アルファを捕まえたときは10人以上のハンターが本陣に乗り込んで、殆んどが死んだ。理子には頭数を揃えるように話をつけてある。今回は無敵のコルトもない、鉈一本で乗り込んだりはしねえよ」

 

 それにコルトは『不殺』をルールとする武偵向きの武器じゃないんだ。ブラドを討っても証言させないと、意味がない。コルトを使えば迷わず煉獄……怪物の墓場行きだ。神崎の母親を救うことには繋がらないからな。

 

「つか、お前……妙にこっちの事情に詳しいんだな。予言者か? 石板読めたりする?」

 

「……お前は何の話をしているんだ?」

 

「ああ、悪い。それならいいんだ。予知能力まで持ってるのかと思ってさ。マイノリティ・リポートみたいに」

 

「あるわけないだろう。お前はバカか」

 

 ……ちくしょうめ、真面目に返されたら何も言えなくなるだろ。思いがけない返しに俺はポケットに両手を突っ込む。敢えて無防備な姿勢を作ってやるがジャンヌはハンバーガーを租借して動こうとしない。本当に戦うつもりはないんだな。かつて戦った魔女が隣で堂々と食事してる、信じられねえよ。こんなのはロウィーナくらいだと思ってた。

 

「なあ、ジャンヌ。今度は俺から質問させてくれないか。お前は、どこまで知ってるんだ。ああいや、変な意味じゃない──檻のことだ」

 

 ジャンヌの手がぴたりと止まる。

 

「理子も神崎も俺のことを怪物専門の退治屋って思ってる。実際そうだ、仕事は怪物退治。だがお前は怪物じゃなくて、黄色い目に触れてきた、獣人よりワンランク上の化物についてな。地獄の檻なんて……馬鹿げた物を口にしたのはお前だけだよ」

 

 聞く意味のないことだ。ジャンヌは知ってる、黄色い目を狂信的と評した時点でこっち側にいるんだ。それでも俺は聞きたかった。聞いておきたかった。

 

「──名のある魔女や異教の神でお前たちを知らない者はいない。上から下、魔女から怪物、異教の神までお前たち兄弟を厄災に例えていた。関われば敵味方関係なく夥しい血を撒き散らすとな」

 

「ああ、言えてる」

 

 俺は自虐的に笑ってやった。肩を落とすまでもない、敵にも味方にも犠牲を出す、何も間違っちゃいない。何も違わない。

 

「黄色い目を討ち、地獄の門を開け放った時点でお前の名前は数多の魔女に知られていた」

 

「俺たちが開けたんじゃない。俺たちは開いた門を閉じようとしたんだ。だけど間に合わなかった。アザゼルもメグ──奴に味方していた悪魔はどいつも抜け目ない奴等ばかり。連中はゴジラとモスラ、一方はかわせてももう一方に捕まる。満身創痍で門の前に辿り着いたときには悪魔に誘惑された人間が扉を開いた跡だった」

 

「真実が脚色されず伝わることは珍しい。お前の名はイ・ウーでは広く知られているのだ」

 

「なんでさ。人間相手は専門外だぞ」

 

「私以外にも事情を知る魔女がいたら?」

 

 これには俺も顔色をなくすが、ジャンヌは重々しく頷いただけだった。

 

「パトラのことは知っているな。砂礫の魔女、クレオパトラの末裔。彼女以外にもイ・ウーには複数の魔女が在籍している。そして彼女たちは、全員が私以上の戦闘力を秘めている。私の戦闘力は──イ・ウーの中で最も低いのでな」

 

 ジャンヌは一旦言葉を切って顔を上げると、俺の目を真っ直ぐ見た。ジャンヌは超能力者でありながら、聖剣『デュランダル』を所持する騎士というハイブリッドだ。その実力は折り紙付きであり、ジャンヌの言葉には怖気を振るわずにはいられない内容だった。もし、いま奴等が徒党をくんでやってくるような事態になれば、笑うに笑えないな。

 

「あれだけ強いのに控え扱いか。理子も夾竹桃も末恐ろしい場所にいたもんだ」

 

「私にすれば本当に恐ろしいのはお前だ。私は今でも信じられない。お前が──」

 

「檻を閉めたことか?」

 

 言葉を被せると、『そのとおりだ』とジャンヌは重々しく首を振った。

 

「……会ったことはない。だが、だが……あれが人がどうにかできる存在でないことは、私にも分かる……」

 

「ああ、コルトでもあいつは殺せなかった。アルファは殺せても魔王には頭痛を起こすのがやっとだ。古今東西の異教の神が束になってもサンドバッグ行き、俺も諦めかけてたよ。"ルシファー"を葬るなんてこと──できるわけないってな」

 

 肩を震わせて怯えるジャンヌを笑う気にはなれなかった。あれは人が戦うべき存在じゃない、人が見るべき存在でもないんだ。

 

「なにをやっても殺せない。だから俺と兄貴は身を投げたんだよ。色んな物を犠牲にして、あいつを道連れに檻まで落ちた。それしか方法はなかったからな」

 

 俺は深く息を吸って肺を満たす。けじめをつけたんだ。檻を開いたことへのけじめを自分たちの手で終わらせた。

 

「……噂は本当なのだな。お前が檻の中にいたのは」

 

「思いだしたくもない。四六時中、狭い牢獄で俺はあいつの遊び相手だ。地獄にはテレビもないからな。頭の中を引っ掻き回されて、何度もぐちゃぐちゃにされた。尋問科の捕虜プログラムが……優しく思える」

 

「お前は今でも正気を保っている、こんなことは言いたくはないが私はお前を尊敬する」

 

「よせよ、正気でいるだけで尊敬されても困る」

 

「それだけの存在だからだ。キリ、理子に協力したのは彼女が監禁されていたからか?」

 

 そっと向けられた碧眼に俺はかぶりを振った。

 

「分からない。閉じ込められたやつの気持ちなんてそいつしか分からねえよ。俺は泥水も腐った肉も口にしなかった。理子の気持ちは分かってやれない。それに理子も本心から共感なんて求めてないんだよ。あいつなら暗い過去なんて張り合ったところで何にもならないって知ってる。あいつの気持ちに共感出来るなんてのは、あいつに同情してるってことだろ……」

 

「だが、それもお前の持論でしかない」

 

「かもな。けど俺はあいつの過去を理解できねえし、共感できない。あいつの過去は誰かが共感していい物じゃねえんだよ」

 

 

 

 

 日が落ち、夜が深まった時間にはインパラを女子寮前に停車させた。すぐに右座席のドアが開いて、ほぼ同時に俺はハンドルに両肘を置く。

 

「悪かったな。つまらねえ話に付き合わせて」

 

「いや、車内は快適だった。良い車だな」

 

 誉めてるのは俺か、それともインパラか。まあ後者だろうな。俺は肩をすくめて笑ってやる。

 

「ジャンヌ」

 

 俺は右座席の窓から体を乗りだし、女子寮へ入ろうとするジャンヌを呼び止めた。振り返った碧眼にそのまま視線を結ぶ。

 

「ようこそ、武偵高へ」

 

 刹那、驚いた様子でジャンヌは立ち止まった。満足した俺の反応を見たジャンヌは微かな間を置き、流暢に英語を紡いだ。

 

May we meet again. (再び会わん)

 

 ……参ったな。そいつは卑怯だ。

 

May we meet again. (再び会わん)

 

 迷わず、俺は同じ言葉を返していた。

 

 

 

 

 

 

 本日は土曜日。つまり数少ない休日になるのが学生の常ってやつだ。まだ朝が早い方なのだが部屋にキンジの姿が見当たらない。そういや、今朝は出かけるって言ってたな。普段着感覚で防弾制服に袖を通し、空腹をどうにかすべく冷蔵庫を開ける。今日の朝食は……そうだな、ピーナッツバターとジャム、最高だ。キンジの姿も見えないことだし、映画でも見ながら食べるか。俺は一旦開きっぱなしの冷蔵庫を閉め、テレビ下の棚からDVDケースをとりあえず二本選び、

 

「キリ」

 

「うおっ!?」

 

 背後から神崎に呼びかけられて、俺は本気の悲鳴をあげた。唇を引き結びながら、神崎は動揺する俺を不服そうに見上げてくる。

 

「なにしてるのよ?」

 

「見てのとおりだよ。レッドソニアとミラクルマスターを見る」

 

「ファンタジー系が趣味だったとはね」

 

 露骨に似合わないと言った口調で神崎は冷蔵庫に取り置きしてあるコーラを一本持ち出した。俺は腕を組んでどうしても気になったことを口にする。

 

「どうしたんだ急にめかしこんだりして」

 

「べ、別にめかしこんでないわよ! 普通よ普通! ちょっと出掛けるだけ! ほんと、それだけ!」

 

 狼狽した神崎の服装といえば、いつもの制服姿やC装備と違っていた。ラッフル付きの白ブラウスにブラックスカートという、武偵とは真逆の気品に満ちた姿。お嬢様然とした姿だが、考えてみれば神崎は貴族の生まれでモノホンのお嬢様だったな。コーラは余計だが立ち振舞いを自然にすれば確かにそれっぽい。

 

「なかなか似合ってるぜ、お嬢様」

 

「う、うるさい。喋るの禁止!」

 

「で、相手は誰だよ。今朝からキンジが見えないんだ。あいつには内緒で教えてくれ」

 

「あんたも人の話を聞かない男ね……キンジよ。お台場で待ち合わせしてるの」

 

 ──ああ、そういうことか。

 

「へぇ、デートかよ。お前もやっとその気になったんだな」

 

「で、デート……!?」

 

「頑張れよ、神崎」

 

「だから、デートじゃないんだって……」

 

 そのわりに耳まで真っ赤にして、服も気合い入ってるじゃねえか。俺は中立だが目の前の神崎を見てると、なんつーか応援したくなった。キンジ、今日くらいは神崎にかっこいいところ見せてやれよ。やがてかぶりを降った神崎はMINIのキーを手元で揺らす。

 

「朝食を邪魔して悪かったわね。インパラの燃料を買ってあるわ。彼女にも朝食をあげて」

 

「マジかよ、悪いな」

 

「いいのよ。あんたのはBabyは大食いだし」

 

 燃費が悪いって言わなかったな。なかなかの言い回しだ。初対面より好印象だぞ。神崎はインパラの燃料を置いて部屋を去っていった。ルームメイトと同級生がデート、残った俺は部屋で映画観賞か。なけるぜ、とりあえず飯食うか。

 

 一人になった俺がミラクルマスターを流しながら、コーヒーを準備していると、不意にテーブルの携帯電話が震えた。一瞬、夾竹桃やジャンヌを期待して俺はかぶりを振った。バカか、お前は。俺は自虐しながら通話ボタンを押した。

 

『はい』

 

『キリ・ウィンチェスター? 声が聞けて嬉しい。私のこと覚えてる?』

 

 ──おい、マジかよ。

 

『忘れるわけないよ、ドナ保安官。一緒に戦った仲じゃないか』

 

 俺は驚きながら通話の音量を上げた。電話をかけてきた彼女はミネソタ州の保安官、色んなことが重なって狩りや俺たちに関わってしまった人間の一人だ。

 

 最初に出会ったのはスパサービスのスタッフに化けていた脂肪をすいとる魔物を狩ったとき。それからも何かと縁があって、何度も一緒に仕事した。立場は保安官だが同僚のミルズ保安官と一緒で、そこいらのハンターより腕っぷしが強い、それにタフだ。FIVE-Oに転職してもやってけるよ御世辞抜きで。

 

『でも驚いた。だって──』

 

『そうよね、久しぶり。突然ごめんなさい。クレアだって電話してないのに私が先に電話するなんて』

 

『いいんだ、気にしないで。クレアは元気にやってる?』

 

『今朝もアレックスと喧嘩してた。ピーナッツバターとジャムについて』

 

『そうか、それで何かあった?』

 

 刹那、通話口から声が途絶える。

 

『正直に言うわね。力を貸してほしいの』

 

 重苦しい声が聞こえて、俺は目を細める。空いた手は既にテーブルのノートパソコンを開いていた。

 

『分かった、続けて』

 

『……姪っ子がね、行方不明なの。日本に友達と旅行に行ったきり。連絡が繋がらなくて……ごめんなさい、狩りとは無関係よね』

 

『名前と、滞在場所。観光に行こうとした場所や滞在日数は分かる? すぐに調べる』

 

 俺は有無を言わさず返していた。狩りをしていると大切な人を失うことがある。彼女もそうだった。彼女の恋人は彼女のことを愛しながらも別れることを選んだ。どうしてかって思うだろうがそれはドナが狩りをしてると知ったからだ。間接的に俺たちはその原因を作ってしまった。

 

 彼女はハンターじゃない、保安官だ。ただ、俺たちと関わったことで怪物のことを知ってしまった。保安官は人を救う仕事で、誰かが怪物に襲われていれば彼女は見て見ぬフリはできない。それはミルズ保安官も同じだった。怪物退治に力を貸してくれた、とても勇敢だ。でも誰だって戦えるわけじゃない。

 

 俺たちは親父から狩りを仕込まれた、それしか道がなかったからだ。俺たちは一本しかない道を最初から歩いていた、だから狩りを受け入れていた。だが、分かれ道から合流するにはハンターの仕事はあまりに酷だ。

 

 彼女の恋人も人を救うために保安官になった。犯罪者を捕まえて事件を解決して誰かを守るために、その気持ちはハンターと変わらない。だが、ある日突然吸血鬼や人の脳ミソを吸ったり食ったりする怪物、そして無惨に殺された亡骸を見て戦うことなんて決意できなかった。それは当たり前の反応で、巻き込もうとした俺たちが異常だった。

 

 ドナが狩りを辞めればあるいは一緒にいられたかもしれない。けど彼女は辞めなかった。彼も彼女の答えを分かったうえで離れることを選んだ。やるせない、そして彼女を巻き込んだことに腹が立った。兄弟揃ってインパラで嘆いたよ、俺たちは誰かを救ったけど同時に他の誰かを不幸にしてる。

 

 現実を受け入れる、それが俺たちの人生だ。辛くても前を向くしかない、そう言い聞かせて歩くんだよ。でもろくなことにならない。いつだって最後は、血を見る。償いのつもりなんてない、でもこれだけは言う。言わないといけない。

 

『──ドナ、約束するよ。必ず見つけだす』

 

 ──今の俺は武偵だ。やるべきことをやる。

 

 

 

 




いつか主人公もデートできるといいですね。主人公の容姿について一切触れていないので、次話からは触れていくつもりです。

そして!ついにお気に入りが500を突破しました!尖った小説に感想、評価を感謝を。いつも励みになってます。

『連中はゴジラとモスラ、一方はかわせてももう一方に捕まる』S3、10、ルビーーー


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コード・ブレーキング

『ああキンジ。電話に出ないってことはデート中だよな、ああいや、詮索はしないよ。水を差すようで悪いが俺も用事が出来たんだ。少し部屋を留守にする。何かあったら電話しろ、三番目の携帯だ。じゃあな』

 

 通話を切った携帯電話をポケットに投げ入れる。部屋の鍵を締め、車のキーを手元で揺らしながら向かったのはインパラのあるガレージ。キンジとアリアはデート、頼れる相棒は自慢のbabyだけだ。心の広い貴族様がお土産を買って帰ってくることに期待するか。

 

 俺はガレージからインパラを出し、前以て待ち合わせていた場所へ向かう。人口浮島から本土への道を抜け、俺がインパラを停めた場所は死に絶えた廃墟だった。時代の移り変わりに淘汰された建物たちの墓地、詩的に言えばそんなところだろう。だが、俺にとっては初めて夾竹桃と出会った微妙な縁の場所だ。あいつ、わざと選びやがったな。くたびれた道は整備された形跡もなく、人の手は入っていない。待ち合わせや密談には持ってこいだな。

 

「理子、時間がない。早く済まそうぜ」

 

「それ、急に呼び出した人間が言うかなぁ」

 

 ──ルノー・スポールスパイダー。目についたのはバスジャックで使われていた青いオープンカーだった。日本では走っている姿を見ることも珍しいが、俺のクラスには所持しているオーナーがいる。そいつはボンネットの上で退屈そうに足を揺らし、細めた瞳で俺を睨んでいた。

 

無料(ロハ)でブラドを狩る契約だろ。主張が二転三転する男は嫌われる」

 

 武偵殺し──峰理子は助手席から茶封筒を取ると、俺に向けて掲げて見せた。お馬鹿キャラと正反対の荒い男口調、キンジが言ってた裏理子モードだな。

 

「覚えとくよ。なあ、ガレージに忍び込んで人の車をバラす女は嫌われないのか?」

 

「口が減らないやつ。まあ、ボランティアで狩りをして、後になってマウントを取られてもつまんない。本題にいくぞ?」

 

 冷えた声の理子は話を続ける。いつぞやの地下倉庫と違い、ワルサーに手が向く気配はない。

 

「お前が探してるアメリカ人が最後に利用したホテルを調べた。入国したのは一週間前だけど、最後に姿を確認できたの三日前。ガソリンスタンドの防犯カメラに映ってた。そこで行き止まり」

 

「行き止まり? お前でも追えないのか?」

 

 両手を挙げた理子に俺は眉を潜めて聞いた。理子の専攻はキンジと同じ探偵科、泥棒と正反対の学科だがランクはAランク──Sランクの一歩手前に迫り、高い情報収集能力と信頼性は幅広い信頼を得ている。皮肉屋のキンジも理子の調査だけは信頼していた。彼女のいわゆるホールドアップってやつがにわかに信じられない。理子は肩をすくめて俺に茶封筒を渡してきた。

 

「匂うんだよ、多分普通の失踪じゃないよ」

 

 俺はルノーの座席に腰掛け、封筒を受けとると丁寧に糊を剥がしていく。開封した薄い数枚の書類は、あの子の資料だけじゃないな……他にも失踪者がいるのか。

 

「ここ最近、お前の探してる女以外にも失踪者が相次いでる。海外からの旅行者、米国籍の女。ここ1ヶ月で分かるだけでも8人が東京都内で消息を絶ってる。でも気になるのはその先なんだよねえ。最後の資料のところ」

 

 俺は纏められた資料を捲っていくと、行き着いたのは失踪者の《遺体》について纏められたページ。

 

「失踪者の何人かは遺体で発見されてる。発見場所に共通点はないけど、気になるのはその殺害方法。死因は窒息だけど、遺体は頭蓋骨が……」

 

「──割れてる。中身が吸われてるんだろ」

 

 理子は目を開いて俺を見る。茶封筒から目を離し、俺も視線をぶつけた。

 

「 "レイス" だ。人間の頭蓋骨を割って中身をジュースみたいに吸う怪物だよ」

 

 記憶に覚えのある手口だ。頭が終わってる、こんな殺害方法はレイス以外にありえない。理子も人間以外の存在を感じていたらしいな、俺の推測にも口を挟んでこない。

 

「レイスは手からは針状の突起を伸ばして、そいつをストローに中身を吸いとるんだ。遺体の首に不自然な傷があるだろ、そこがストローの差し込み跡さ」

 

「窒息死させた理由は?」

 

「さあな、怪物の考えることは分からない。隠れ蓑のつもりか、殺したかっただけかもな。精神科病棟で狩りをしたときは自殺に見せかけるために被害者を絞殺しやがった。俺たちのことは餌にしか見てない連中だ。個体ごとに食事の好き嫌いも異なるが、こいつの好みは……まあ言うまでもないな」

 

「怪物にも性癖があるのかよ。どうやって退治する?」

 

「銀を使う。やつにとっては毒だ。触れるだけで火傷する。できれば会いたくない怪物だよ、だが日本で見かけるのは初めてだ。こいつを狩れるハンターが日本に何人いるかは考えたくねえな」

 

 武装した星枷の巫女ならなんとかなるだろうがレイスは厄介なことに人間に乗り移る。唾液には毒が含まれてるから知識のないハンターが何人も不意打ちを食らってやられてきた。首にストローを貰えれば即死だ、倒すには銀で体を傷つけるしかない。

 

 伝承にあるとおり、レイスは鏡に本当の姿が映る。擬態を見破るには鏡を使って正体を暴くしかない、荒業としてやつが手から突起を出したところを退治する手もあるがこっちは要は現行犯の逮捕だ、危険やリスクも上がる。こんなところでレイスの名前を頭に浮かべることになるなんてな。

 

「こいつが絡んでると決まったわけじゃないがどちらにしても退治しねえとな。ありがとう、これで貸し借りはなしだ。ブラドの件は力を貸す。主戦派に私闘をふっかけられたときは……やばかったら電話しろ」

 

「上出来、いや……それ以上の解答だよ。キリくんも理子のファンになったの?」

 

 一転、丸くなった声色で理子がお手本のような綺麗なウィンクを飛ばしてくる。

 

 見惚れるな、と言ってやりたいがクラスの男子は大半が理子のファンと言えなくもない。こいつは明るくて人気者、要はクラスのマスコット的な立ち位置だ。それに人との距離感を作るのが絶妙で、男女等しく交遊関係が広いことでも有名。

 

 頷いてやるのも癪だな……結局、いつもながらの軽口と同時にかぶりを振る。

 

「バカかお前は。あいつに知れたらどうすんだよ」

 

「あいつ? で、誰だよそれ?」

 

「俺たちの部屋に誰が居候してるか忘れたか? お前の一番のファンだよ」

 

 理子は納得して目線を退いた。神崎は例えるなら銭形警部、どこまでもお前を追いかけるだろうよ。カップラーメンと一緒にな。俺は捲っていた書類を手で整え、座席から立ち上がる。まずは最後に彼女が目撃されたガソリンスタンドに行ってみるか、このガソリンスタンドにはコンビニが併設されてるな。店員が顔を覚えてるかもしれない。

 

「武偵なのに化物退治、因果な人生だよね。折角ジョブチェンジしたんだから少しくらいハンターのことは忘れたら?」

 

「無視はできない。俺がハンバーガーを買ってる間に人が殺されてるんだ。それはできねえよ」

 

 振り返り、吐き捨てるように言ってやる。理子はルノーの座席に乗り込み、ハンドルに肘をついた。

 

「あたしはお前と仲良くキャッチボールやろうって仲じゃない。でも同情したくなるよ、そういうところ」

 

「どこだよ?」

 

「苦しみを忘れるために人を救ってる。そういうところ」

 

 俺は何も言わず、踵を返してインパラの待つ路地へ進む。踏みしめた砂利から潰れるような音がして、ほぼ同時に後方のルノーからエンジン音が聞こえてきた。ちくしょうめ、みんなどうして俺に詳しいんだよ。

 

 夕日が落ち、時計の針も9時を越えたところだった。理子から渡された情報を頼りにコンビニで聞き込みをした結果、行き詰まった俺はインパラの運転席で資料を眺めていた。コンビニとスタンドの店員両方から聞き込みを行ったが進展はない。満タンの給油と売れ残ったくじを買い取ってまで聞いた情報だが理子の資料以上の物はなかった。あいつは良い腕してる。

 

 レイスにとって人間は食べ物だ。食べ物以上の認識はないし、以下もない。怪物が人を食べ物に見定めた場合に取る行動は二つ──その場で食いつくすか、あるいは食料として連れ去るかだ。後者の場合は非常食にする怪物が多いが、中には自分の巣でゆったりと食事を楽しむ怪物もいる。

 

 例えばヴェターラ、こいつは獲物を自分の巣に持ち帰って血を数回に分けて吸いとる。もし彼女が連れ去られただけなら、まだレイスと一緒にいる。だが、手がかりは少ない、場所の検討もさっぱりだ。こんなときは専門家の力を借りる。

 

「呼びつけて悪いな」

 

「気にしなくていいよ。私も力を借りたいことがあるから、隣でいいかな?」

 

「ああ」

 

 運転席から手を伸ばし、対面するドアを開ける。助手席に招いたのはS研の合宿で島根から帰ったばかりの星枷白雪だ。助手席のドアが彼女の手で閉められると、俺も気が引き締まるのを肌で感じる。力を借りたいことってのは気になるが先に切り出すぜ。

 

「話は電話のとおりだ。レイスに拐われた子を助けたい」

 

「レイス……鏡に本当の姿が写るとされている化生だね。日本には生息してないはずだけど、頭蓋骨を割って頭に穴を開けるのはレイスしかいない。雪平くんの見立て、当たってるよ。放っておいたら犠牲者が次から次へと出る、はやく退治しないと」

 

「奴等の食欲は人食い鬼やシフターに並んで旺盛だ。どこまで食い散らすか分からん。つか、そっちの玉藻御前はどうなってんだ。正一位の妖狐のボスは、土足で入ってきた怪物には容赦ないって聞いてるぜ?」

 

「玉藻様は別の案件で動いてるの。怪物よりもっと厄介な相手だよ」

 

 そう星枷は整った眉を寄せる。彼女が玉藻様と崇めて口にしたのは日本に住まう妖狐の長だ。妖狐玉藻、現代では創作にも取り上げられることが多いメジャーな妖怪の1つ。だが、真実は最上位の神位である正一位の位を持った化生──魔物ではない、神だ。

 

「異教の神が怪物を後回しにするたぁ。おい、俺に力を借りたいってのもそれか?」

 

「鋭いね、でも拐われた子を助けるのが先決だよ。生きてる望みが少しでもあるなら、諦めるのは早い」

 

「……拐われたのは友人の知り合いなんだ。理由はどうあれ、俺たちが狩りに巻き込んじまった人だ。こんな形でしか俺は恩を返せない」

 

 俺は理子から貰った茶封筒を星枷に手渡す。

 

「一人じゃ無理だ、相棒がいる」

 

 星枷は短く『出して』と口にする。ありがとな、俺はインパラのエンジンを回し、ギアを入れ替えた。ヘッドライトを点灯、俺の頭に行く宛はないがタイヤは道路に乗り出す。俺は前を向いたまま星枷に疑問を振った。

 

「場所はどうだ」

 

「まだ範囲は広いけど絞りこめたよ。雪平くんならレイスが拠点にする場所の検討はつくよね?」

 

 凛とした声に俺は目を開く。そういや、西洋にもジェムストーンを使った人探しの占いがあったな。星枷のご先祖様は邪馬台国で知られている卑弥呼、占いの腕は推して然るべしか。

 

「頼りになるよ。連中の擬態はみやぶれるか?」

 

「近くまでいけば気配で分かるよ。でも接近する必要があるから、手は借りるね」

 

「俺は鏡と銀でしか奴を見抜けない。前衛は任せろ、こいつでなんとかする」

 

 そう言い、俺はグローブボックスのカッターナイフを見据えた。隣に魔女を乗せて一緒に怪物退治──ウチに戻った気分だ。

 

 

 

 

 

 『売り出し中』と立て掛けられた看板に手を置き、俺は目の前の建物を睨みつける。二階立ての建築物は玄関前に売り出し中の看板が出されており、誰も住んでいない空き家になってる。

 

「星枷、レーダーの調子はどうだ?」

 

「うん、感じるよ。この家で間違いない」

 

 魔女の探知機が言うんだ、当たりだな。この建物には地下室がある。人を監禁するには都合が良い。取り替え子……過去に退治した『チェンジリング』と呼ばれる子供を拐う妖怪も監禁場所には地下を好んでいた。地下と監禁を結びつけるのは怪物も人間も一緒だな。

 

 俺は敷地前に停めたインパラの後部に回ってトランクを開けた。空っぽの底を持ち上げ、ショットガンで支えを作ると隠していた武器庫から純銀のダガー、法化銀弾をあるだけ持ち出していく。

 

「……すごい装備だね」

 

「人間は武器を持って、初めて動物と互角って言うだろ。そっちの武装は?」

 

「銀は用意してあるよ」

 

 星枷の巫女は戦巫女、天狗や俺たちには縁のなかった妖怪との戦闘経験がある。イロカネアヤメを武装した星枷に俺はかぶりを振って不安を払った。現地スタッフを頼りにしなくてどうするんだよ。

 

 トランクを音を鳴らさないようにロックしてから、法化銀弾を弾倉でトーラスに差し込む。スライドを引き絞り、俺は玄関のドアの横に背をつけた。星枷も足音を殺し、ドアの反対側に立つ。星枷が扉の取っ手をつかみ、開いたのと同時に俺たちは家の床を踏んだ。音を経てないように室内に入り、入口の扉を閉める。

 

 手筈通り、前衛を務める俺が前にトーラスを構えて進んでいると、地下へ続く階段から猛烈な冷気が漏れだしてきて首筋をゾロリと撫でていく。それに微かだが嗅ぎなれた血の臭いも混じってる。日本は湿度が高く、地下室は防水や湿気対策が面倒だ。家の地下室は防音の音楽スタジオとして作られてるはずだが、どうやら本来の使い方はされてねえな。

 

「雪平くん、ここだよ。この下に気配を感じる」

 

「ポルノ映画の倉庫かも」

 

「……」

 

「冗談だよ」

 

 用心金に指をやり、銃口を地下の暗闇に向けたとき、

 

「待って。嫌な感じがする」

 

「どうしたんだ?」

 

 星枷から静止がかかり、俺は眉を寄せる。

 

「うん。たとえて言えば……ノイズが混じってるの。外にいたときははっきりとしなかった。だから、言わなかったけど、レイスの他にも力を感じる。たぶん一緒にいるよ」

 

 星枷はそう言いながら──初っぱなから、頭にかけていた白いリボンを解いた。白いリボンを解いたことで抑えられていた星枷の魔力が解放される。G18の高すぎる魔力には、それなりに魔女との戦いを経験してきた俺もヒヤッとする。世界に何人もいないレベルだからな。

 

「単なる狩りじゃないってことか。俄然興味が出てきたな、いくぞ女探偵」

 

 俺は地下に続いている階段に足をかけ、一歩ずつ狭い階段を下っていく。互いに背中を預け、死角を隠しながら進むと一枚の扉を抜け、広い音楽スタジオが明らかになった。だが機材どころか、広い空間には楽器と呼べる物が見当たらない。それどころか微かに感じた血臭が濃密なまでに臭う。

 

「今夜のディナーはとってもゴージャス」

 

 咄嗟に俺は銃口を向けた。目線の先にいたのは黒い髪を腰まで下ろした女性だ。パイプ椅子に座りながら、鈍い色をしたククリナイフを磨いでいる……自分の爪で……

 

「久々にご馳走にありつける──神だったときみたいに」

 

 違う、こいつはレイスじゃない。

 

「星枷、あいつは……」

 

「……出し抜かれたかもしれない。レイスの気配が消えてる」

 

「その名前は口にしないで。ディナーの前にジャンクフードの名前を聞いたら、折角の気分も台無し。食事は気分が大事なの」

 

 そう吐き捨てた彼女のパイプ椅子からは、赤い血が雨漏りのように滴っている。編み上げブーツの近くに転がってやがるのは……レイスが人の脳みそを吸うときに使う針だ。

 

「お前が殺したのか?」

 

「美味しそうなのをストックしてたから譲ってもらおうとしたの。横目で御馳走を見るなんてたくさん。とてもお腹が空いていたわ。でも彼頑固だった、喧嘩になったの」

 

「怪物の餌をハイエナか。見境ないんだな──異教の神くせに」

 

 女は、ニヤァ、と悪魔のような浮かべる。当たりだ、どうりで怪物を虫けらのように殺せるわけだぜ。こいつは怪物なんかじゃない。玉藻御膳と同じ、ハンターで言うところの異教の神……!

 

「……レイシー、だね。あなたのことは知ってるよ」

 

「私も知ってる、星枷の巫女。緋々色金を監視するだけのつまんない一族。あんなガラクタに人生を縛られて同情する、さぞ退屈でしょう?」

 

「星枷、耳を貸すな」

 

「分かってる。心配しないで」

 

 レイシーは森を守る神。だが、実態は守り神とは縁の遠い化物だ。工場を建てるために森林は伐採され、今じゃ森の守り神なんて認知もされてない。生け贄の名目で人を食いまくるだけの捕食者だ。見境なく、腹を満たすまで食う。

 

 言い伝えではレイシーは世界各地の森に住まうと言われてやがるが、日本の空き家で神様と出くわすとは思わなかったぜ。ちくしょうめ、レイシーは銀の弾丸やダガーじゃ退治できない。銀の斧で首を切り落とさねえと止められないぞ……

 

「ディナーはまだって言ったな。レイスが捕まえた人間はどこにいる。二人いただろ?」

 

「そうよ、儀式のために生かしてある。ちゃんとした儀式をやるのは久しぶり。昔は大勢の人間が喜んで生け贄になったのよ、微笑みを浮かべながら」

 

 俺は鼻で笑ってやる。

 

「寝言は寝てから言え。過去の栄光を自慢することが如何に愚かで無意味なことか知らないようだな。お前の身に起きた悲劇なんざ俺の知ったことか。俺たちは二人を助けに来た、おとなしく居場所を教えるなら良し。教えないなら俺たちが直々に引導を渡してやる」

 

「そんなに怯えなくても、すぐにとって食べたりしないわよ。恐怖には匂いがある。喜びや悲しみよりもその匂いは濃い。あなたは怒りで恐怖をマスキングしてるだけ」

 

 罵詈雑言を軽く流され、その形の良い唇が釣り上がった。

 

「斧がないと私は殺せない、有名なハンター君はどうするのかしら?」

 

 ……お見通しと言うわけか。所詮、この女の前では俺たちはただの餌、食い物に煽られたところで痛くも痒くもない。わざとらしい煽りもここまでだな。

 

「なるほど、人間から罵詈雑言を受けても何も感じないってわけだ。でも俺、怯えてるときの方が上手くいくんだよね」

 

「恐れられる方が上手くいくわよ?」

 

 刹那、俺と星枷に緊張が走る、これまで椅子に座っていたレイシーが立ち上がった。古めかしい包丁の手入れも済みやがったか。ちっ、ずっと座ってりゃいいのに。

 

「星枷、やつの言葉を信じるなら二人はまだ無事だ。お前も知ってるだろ、異教の神は儀式や契約ってやつに忠実な生き物だからな。あいつは俺が引き受ける、二人を探してくれ」

 

「一人で異教の神の足止め──無茶苦茶だね。でも分かったよ、こっちは任せる」

 

 すぐに階段を駆け上がる音がして、俺は上の階に続く道を塞ぐように立つ。

 

「追いかけないわ、貴方がいれば今夜のディナーは充分。ウィンチェスターの肉、血に比べればあんなのゴミを漁るようなもの」

 

「へえ、俺の肉が食いたいってか。だが俺の肉はレアだぜ、代金は高いぞ」

 

「言ったでしょう、今夜のディーナはとってもゴージャス」

 

 唇の両端を吊り上げ、女は笑った。

 

「食中毒にしてやるよ、アバズレ女」  

 

 ──かかるぞ。

 

 

 

 

 

 

 




『一人じゃ無理だ、相棒がいる』S7、10、ボビー・シンガー──


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帰る場所は?

 武偵高には優れた血統の子孫が多く在籍している。キンジの後輩である諜報科の風魔、装備科の平賀さん、星枷と遠山。そして司法取引を行ったジャンヌ、神崎や理子は説明する必要のない巨頭だ。かつて兄は言っていた──生き方は変えられる、けど血は変えられない。

 

「そうね、貴方の血はとってもレア。その薄皮の中にはカインとアベルの血が脈々と受け継がれてる。この世界で最初の殺人者の血、品性の欠片もない吸血鬼や怪物には勿体ないわね?」

 

 偽りの声色じゃない、本心から俺の血統を褒め称えてやがる。ウィンチェスターとキャンベルの家系を遡った先にあるのはカインとアベル──最初に殺人を犯した者。

 

 カインとアベルの末裔、例によって壮大なスケールで並べ上げた戯れ言だと最初は思った。思いたかったのかもしれない。どんどん普通から離れていくばかりの現実を信じたくなかった。何よりあれは……兄弟殺しの血だ。

 

「そのレアな血統のせいでこっちはさんざんな目に遭ってきたんだ。俺にとってカインの血は朽ち果てた石ころほどの価値もねえよ」

 

「価値はあるわ。その血が流れていないと大天使の器にはなれない。力が強いミカエルには絶対条件、ルシファーも道に転がってる器を使ったらすぐにくたびれる。貴方たちも星枷に劣らず可哀想な人生ね?」

 

「天使のタクシーになるなんて願い下げだ。それにお前がどこまで知ってるか知らねえが、ミカエルはもういない。跡を引き継ごうとしたラファエルも死んだ。天使のファンクラブは解散だ、ざまあみろ」

 

 俺は吐き捨てるように言ってやる。だが、女は薄ら笑いを浮かべて気にしもない。彼女から垣間見えるその本性は得体の知れない闇だ。

 

 こんなのに生贄を捧げてどうなる、邪神を崇拝するのと変わらない。俺はトーラスの用心金に指を掛けたまま、油断なく牽制を続ける。銃に怯えるわけもねえがな。

 

「可哀想なキリ。信仰心をなくして祈ることもすがりつくこともできない。今のあなたは砂漠を水無しで歩いてる。待ってて、すぐにあなたの信仰できる神になってあげる、お腹の中で崇めることになるけど」

 

「神はいる。俺も信じてたよ。だが向こうは俺たちを見放した。てめえの家族の確執を俺たちに押し付けてな」

 

「人間は神に導かれてる。良い事があれば、神の意志。悪い事があればそれにも何かの意味付けにするじゃない。意思の弱い生き物をずっと導いてるでしょ?」

 

「恩着せがましいんだよ。導いたからって俺たちの問題が帳消しになるのか? お庭で仲良くキャッチボール? 冗談じゃない」

 

 勢い込んで一歩詰め寄ると、すっとレイシーが腕を上げる。ここだ──強烈な発火炎と共に腕が跳ね上がる。一発十万円の法化銀弾が着弾した瞬間、異教の神は両手で被弾した胸を抑えるようにしながら目の色を変える。

 

 浴びせかけるように俺は連発、バチカンで儀式を受けた銀弾だけあって効果はあった。スライドがロックされると後ずさるレイシーの服は血で濡れている。

 

 人外には毒でしかない浄化された銀弾を弾倉一本分、後ずさる効き目はあった。脳が警笛を鳴らし、俺は予備の弾薬をリロード。転じて、血を流しながら歩いてくる彼女に引き金を引く。

 

 先制攻撃のつもりだったが怒らせただけだな。扉の前から右へ飛び、距離を取るがレイシーは首をもたげて俺に目を向けてきた。理も論もない、食事を見つけた怪物の目だ、他のことを考えてねえ……

 

「異教の神は色々見てきたがお前が一番見境ないぜ」

 

「人間には負ける、貴方たちの方がずっと見境ない連中よ。ケダモノだわ」

 

 ホールドオープンした隙を突かれ、懐にククリナイフが潜り込む。速度だけが異常な刺突を回避して、脇で挟み込むように腕を捕まえる。このまま投げの体勢に持ち込むが、体格離れした異常な力で腕のロックが外れると目の前で刀身が光る。強引に引き抜かれた剣は脇を浅く裂くが、咄嗟に抜いたルビーのナイフが肘を斬りつける。

 

「ケダモノで悪かったな──アバズレ」

 

 ナイフが血で汚れるが構わず胸に一突き。直後、首が曲がるような衝撃に見舞われ視界が揺れる。裏拳で殴り飛ばされたと気付き、崩れかける姿勢を制して、ルビーのナイフを失った左手に袖から天使の剣を滑り落とす。

 

 大音響と共に剣とククリナイフが衝突、頭部を狙った裏拳を首だけの動きで逃れると、胸に刺さったナイフの柄を目掛けて掌底を撃ち込んだ。傷口の奥に一段深くナイフが沈む。人間相手なら痛みで卒倒するはず、相手がまともな痛覚を持ってれば悲鳴の1つや2つは上がるのが当然だ。ナイフが刺さりながら表情を変えない女に、心底舌打ちをしてやりたくなる。

 

 隙を突かれて失ったトーラスを回収する時間はなかった。お喋り好きだった姿は転じて無口な狩人と化し、好戦的にナイフが振るわれる。天使の剣でククリナイフを捌くが腕に伝わる衝撃は異常だ。

 

 横なぎに振るわれたナイフを受けとめ、目の前の天敵を見据える。悪魔のような女から貰ったナイフは異教の神に深々と突き刺さってるが、動きは愚鈍になるどころか機敏にすら見える。

 

「──斧で首を跳ねるしかないってか」

 

 吐き捨てたのと同時に、甲高い鋼の悲鳴が鳴り響く。演奏とは呼べない下卑た音色がよりによってスタジオで響くのは皮肉もいいところだ。虚を突き、足を払って姿勢を崩しにいくが先読みされてカウンターを受ける。力業で体は宙を舞い、背中から壁にぶつかってようやく止まった。

 

「活きの良い魚は好き。でもまな板で暴れる魚は嫌い」

 

 ……錆びた包丁で、調理されてたまるかよ。トランクから引っ提げた純銀のダガーを投擲、ククリナイフが火花を散らして軌道は逸れるが、復帰していた俺は頭上から天使の剣を振り下ろす。異常な反応速度でナイフが受けに来る。

 

「斧もない、必殺のコルトもない。私は殺せないわよ」

 

「血が出るなら殺せるかもよ?」

 

「武偵とは思えないわね。血の気が多くて野蛮。腕は一番最初に斬ることに決めたわ」

 

「やってみろよ、フカヒレ女」

 

 鍔迫り合いになると、頭に頭突きを受けて後退。年季の入った床に靴跡が焼き付けられる。交差、斬りつけ、後退の繰り返し。いつしか戦いは消耗戦になっていた。殺傷圏内でルビーのナイフを引き抜き、血飛沫が舞い上がる。とっくに致死量の出血、にも関わらず薄ら笑いを浮かべる女に背筋が凍てついた。

 

「抗うのは辞めれば? 生きていても苦しみと後悔しかない。貴方がいい見本」

 

「死んだところでどうなる。俺はスイートルームには泊まれないんだよ」

 

「ああ、そうだった。けど素晴らしいことよ、貴方たちは最終戦争を引き起こしてくれた。私も便乗したわ、満足するまで食べまくってやった。乗るしかないわ、あんな大波」

 

 ああ、そうだよ。だから、死んだ先にスイートルームは用意されてない。笑えねぇ、薄ら笑いも浮かばない。

 

「こんなことを言うとは思わなかったがお前があのモーテルの集会にいなくて残念だよ。大波を起こした張本人に癇癪を食らえばよかったんだ。お仲間と一緒にな」

 

「カリやバルドルは大騒ぎだった。インドや北欧は小心者の集まり、たかが天使二人の内輪揉めに大袈裟よ。世界が終わるなら、開き直って楽しまなきゃ」

 

「その天使にお仲間は挑んで全滅した。まだ問題と向き合おうとしたあいつらの方がマシだ。お前は俺と同じだ、何もせず問題の顛末をただ見てただけ──腰抜けだよ」

 

 俺は防弾制服の上着を脱ぎ捨てる。ナイフを捨て、空いた手で汗ばむネクタイをほどいた。

 

「死んだら全部おしまいなの、頭を使わないと」

 

 みしりと床が軋む。レイシーの踏み込みの動作と同時に俺は制服のシャツを力業で開くと──

 

「狂ってるわね……」

 

 そんな声が聞こえてきた。開いた手を赤くなった図形、自分の胸に押し当てる。見開いた目が捉えていたのは血で滲んだ丸い図形、俺は自分の体に図形をカッターナイフで描いてやったのだ。

 

 媒体は血、それなら傷で事足りる。自分の体に魔方陣を刻むべき行為はレイシーの足を一瞬、踏み込んだ足を留まらせる。図形が閃光を放ち、青白い光は質量を持った衝撃となって彼女の体を吹き飛ばした。異教の神、人の肉を食らうお前にとって自傷行為での攻撃は……ちょっと残酷すぎたかな。

 

 天使の剣を逆手にも持ち替え、倒れた体へ疾駆。起き上がろうとする体に剣を突き立てた。

 

「あああああぁぁ!」

 

 刺されたレイシーは口と両目から青白い光を発し、苦悶の叫びを上げながら身をよじる。

 

「ゲームオーバーだまぬけ! 食事の予定が外れたな!」

 

 首を落とさずとも確かな手応えを感じる。いけるぞ……剣を押し込もうとした刹那、猛烈な寒気がして手が止まった。後ろに誰かいる……いつからいた?

 

「呆れるのう。御主、ここを日本と忘れておらんか?」

 

 賽銭箱を担ぎ、人にはあるはずのない耳を揺らした少女に俺は目を開いた。

 

「た、玉藻御前っ……!?」

 

 それは紛れもなく、正一位の天狐皇幼殿下。日本の獣人たちを牽引する──モノホンの神様だ。

 

 

 

 

 

『ああ、親戚の子は見つかったよ。お友達の子も無事にいる。記憶が混乱してるけど、精神的な疾患も外傷も大丈夫、強い子だよ』

 

『ありがとうキリ。また助けられた』

 

 事件は終息し、助けられた二人は病院で検査を受けている。事の顛末は星枷が丸く納まったと言っていたが、地下室の痕跡も消して俺たちに手が伸びることはたぶんないだろう。レイシーの身柄は後始末の協力と引き換えに玉藻御膳が引き取っていった。

 

 玉藻御前──言わずと知れた化生の世界の重鎮だ。いきなりの登場にはさすがに驚いたが、神や化生同士、政治的、派閥的な問題があるのかもしれねえな。人間の俺には見ることのできない問題が。

 

 あの後、体に描いた図形の傷でドクと一悶着あった俺はドナに連絡をつけている。あのドク、武偵殺しの一件で病室抜けてるからな。今回でドラが乗ったようなもんだ。裏ドラ合わせてどこまでいくか。

 

『いいよ、俺たちも救われてる。恩返しができて良かったよ。アレックスとクレアにもよろしく伝えてくれ』

 

『お嬢様に変わろうか? ピザ食べてる』

 

『気を付けろ、あいつピザの空き箱にノートパソコン入れるんだ。失くしたとか言って四時間探した』

 

『前は五時間探したって。ジョディがぼやいてた』

 

 俺は笑いながらかぶりを振る。お嬢様は変わってないな。

 

『記録更新だな。なあドナ、クレアのこと。よろしく頼むよ』

 

『今度は電話じゃなく会って話しましょう。ピザを焼いて待ってる、サムとディーンのテーブルマナーが酷いってほんと?』

 

『親父は教えてくれなかったからね、推して知るべし。じゃあまた』

 

 俺は通話を切り、インパラのドアを開けた。携帯は助手席に投げつける。星枷の外出、玉藻の目的は最初から異教の神、要はあのレイシーだったらしい。まさかレイスと共食いやるとは星枷も考えてなかったんだな。玉藻御膳が出てきたんだ、星枷も外出のことで本家から咎められることはないだろ。

 

「終わったのか?」

 

「ああ、知り合いの保安官だよ。スーフォールズの平和を守ってる」

 

「コロラド州の?」

 

「サウスダコタだよ。神崎に教えてもらえ」

 

 バックミラー越しに俺は呆れた顔を向けてやる。後部座席で寝ていたルームメイトが呑気に欠伸してやがる。キンジ。そのメロンジュース、シートにつけたら殴るからな。

 

「部屋を留守にしてただろ。なにしてたんだ?」

 

「いつもどおりだよ、インパラに乗ってトランク開けて戦ってきた。今回は森の神様だったな、あとなんだ、狐の神様だ、仲裁されたよ」

 

「……いつもそんな夢見てるのか?」

 

「ああ、つまんない夢さ。女子受けもしない、ミリオンセラーにもならない、一部のマニアだけが騒ぎ立てるような小説の夢だよ。作者は未完で失踪する」

 

 キーを回し、インパラが心地良い唸りを上げてくれる。お待たせ麗しのV8エンジン、今日もよろしく愛しの67年インパラ──

 

「腹減ったな」

 

「寝てただけだろ、ダメダメ刑事。いや、遠山刑事」

 

「ここはロスじゃないだろ。安全運転しろよ民間顧問」

 

「コルベットもイカしてるがインパラには負ける。お前がジュース汚さないならやるよ」

 

「分かったよ、腐れ縁。家(うち)に帰ろう」

 

「もう帰ってる」

 

 かぶりを振り、俺はカセットの再生ボタンを押した。

 

「──ここが家だ」

 

 大音量で響くのは、兄貴のお気に入りの曲。ディーンとサムを迎えに行ったときに流した始まりの──『バック・イン・ブラック』

 

 

 




シーズン11でメタトロンがdarknessに血の図形を使うシーンがあります。サム、ディーンが描いている天使を吹き飛ばす図形と一緒なんですね。

メタトロン自信満々に使ってるし、天使以外にも血の図形は効果があるのではないか。疑問から天使の図形を目眩ましではなく攻撃に利用しました。聖なるオイルが悪魔に効果はあるのか?メグがサークルに焼かれて悲鳴を上げていたシーンがシーズン5にありましたね。長期シーズンの作品は設定の考察が楽しい楽しい。

アリアの世界観では吸血鬼は噛まれても転化、仲間が増えることがないことは理子とヒルダに語られています。スーパーナチュラルの吸血鬼とは真逆の設定ですね。このようにクロスオーバーの段階で、どちらかの世界観を下地にすると一方の世界観が崩れます。二兎を取れはできません、本来最初に語るべきことですがこの場で、世界観が混ざること、多少の独自解釈が出ることをお知らせさせて頂くことにします。

尖った作品に感想、評価、お気に入りを頂ける皆様いつも励みになってます。アンケートの結果、記念小説は夾竹桃となりました。数多くの投票に作者はビビってます、はい。作者はAAの二期、期待してますよ?夏服の夾竹桃待ってますよ?



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ブラド編
帰宅


「みんなー、おっひさしぶりー! りこりんが帰ってきたよー!」

 

 極秘犯罪捜査でアメリカに行っていて、昨日までクラスにいなかった──世間では小学生がやるような言い訳も武偵高では信憑性のある言い訳として通る。

 教壇に登った理子を囲むようにクラスの連中が集まっていく光景はその節を確固たるものにしていた。

 

 気づいたときに理子はあっという間にクラスの中心に返り咲いている。

 俺は教室の後ろの席から眺めるだけだが、クラスのマスコットキャラ的な位置にいた理子のご帰還で教室は朝っぱらから活気づいてやがる。

 

 峰理子、器用が服着て歩いてるような女だよ。

 この場で彼女が国際的な犯罪組織の構成員だと公言して、果たして何人が信じるだろうな。

 

「着実に外堀を埋められてるな」

 

「ああ、器用な女さ。あのヴェロニカ・マーズは間違いなくクラスの人気者だよ。あそこではしゃいでる誰一人として理子の正体を知らない」

 

「悪い癖を秘密にしとくのが上手かったんだろ」

 

「知らないってのは幸せだね」

 

 人気者の帰還を席から眺めつつ、俺とキンジは理子のコミュ力に揃って舌を巻いていた。

 あれは一種のカリスマなのかもなぁ、他者を惹き付ける力。

 

「それでお前の単位はどうなんだよ、猫探しで小遣い稼ぎか?」

 

「足りないと困るからな。暇ならお前も手伝え」

 

「嫌だよ。猫好きじゃねえし」

 

 隣の席で頬杖をついたキンジが欠伸を掻いた。活気づいている壇上とクラスからこの一角だけが隔離されてるみたいに静かで平穏だ。

 

「俺は好きだぞ」

 

「そりゃ好きだろ、単位くれるんだから」

 

「すばしっこくて賢い。小さい忍者みたいじゃないか。普通は好きだろ?」

 

「バカかお前は。嫌いじゃないよ、賢いのも認める。でも奴等は捕食本能を忘れてない、可愛くても機嫌を損ねると顔を引き裂かれる。知ってるか、ペットの犬を野生に戻してみろ24時間で倒れる。だが猫は違う、狩猟を忘れない」

 

「お前、ひっかかれたな?」

 

「忘れたよ」

 

 クラス中の男子が熱烈なラブコールを理子に注ぐ中、猫について話し込んでいた俺とキンジに声がかかる。

 壇上でみんなにちやほやされながら理子が手招きしていた。ファンの対応に追われる人気アイドルみたいだな、距離感が近すぎる気もするけど。

 

 しかし、後ろで神崎が殺気を飛ばしてくるので、俺たちは席を立とうにも立てない。

 

「でもお前は犬って言うより猫だよな」

 

「なんだよそれ。今日で一番意味不明な発言だ」

 

「猫ってのは群れにならず、気分屋でつんつん、神経質で人にはなれにくい上に、毛繕いに尋常じゃない時間かけるだろ?」

 

 ……ついていけるか。よく口の回るルームメイトだこと。

 

「まず相手を理解してから自分を理解してもらう。成功する7つの習慣のひとつだ、覚えとけ」

 

「それ猫が言いそうだな」

 

「ミルクでももらおうか?」

 

 机に頬杖を突きながら、俺は鞄から缶コーラを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 生徒が帰宅の準備を始める放課後。尋問科棟、6階。廊下はシンと静まり返っていた。

 

 深閑とした廊下を歩き実習室なる狭い部屋に入ると、パイプ椅子にジャンヌが座っていた。

 テーブルには氷の浮かんだレモンティーとCz100が置かれている。自慢の聖剣は星枷に斬られてからお留守番みたいだな。無駄に美人な横顔がこっちを向いた。

 

「来たか。待っていたぞ」

 

「尋問科の部屋で密会かよ。俺にもレモンティーある?」

 

「コーラならあるわ」

 

「ありがとよ。で、夾竹桃まで呼んで何を始めるか教えてくれ。理子はいないみたいだが」

 

 ドアの鍵を閉め、俺は近くにあったパイプ椅子を広げて座る。夾竹桃まで呼んだのか。ジャンヌが俺の電話番号を知ってるわけだ、お前が流出先かよ。

 コーラのタブを捻って部屋に目を配るが理子の気配はない。司法取引組が三人仲良く密会ってわけじゃねえな。

 

「理子は用で出ている。トオヤマとホームズをパーティーに招待するようだ」

 

 聡いジャンヌには俺の考えは筒抜けだった。お前はイルカのように聡いな。

 

「どうやら賑やかな同窓会になりそうだ。どこでパーティーを?」

 

「秋葉原。馴染みの店で話をするみたい。何が目的か検討がつくでしょ」

 

「……ブラドか。神崎は食いついたな」

 

 理子が以前から裏で手を回していたのは知ってたが、神崎とキンジを抱え込むつもりだな。

 手数を増やせとは言ったが、あの二人なら俺も連携をとりやすい。神崎と理子には私怨と一族の確執がある。理子は神崎の母親を材料に取引するつもりだな、カードの切り方が上手い。

 

「お前は横浜郊外にある、紅鳴館という館を知っているか?」

 

「いや、初めて聞いた」

 

「今はハウスキーパーと管理人しかいないが、あそこはブラドの別荘なのだ。私はヤツの娘から話を聞いた。そして理子の大切な物が別荘の地下に保管されている」

 

 思わず腰を浮かせそうになる。

 

「おい娘がいるのかよ。聞いてねえぞ」

 

 ブラドの娘ってことは魔臓持ちか。親子で組まれたら四人でも勝ち目が見えねえぞ。情報が足りないことだらけだ。

 それに俺たちはブラドの顔を知らないがブラドは俺たちの顔を知ってる。夾竹桃やジャンヌが知っていてブラドが俺たちの顔を知らないのは希望的観測だ。

 

 さっそく情報戦で俺たちは後手に回ってるな。

 

 横浜に別荘を抱えてるってことにも驚きだがそんなことより娘がいるなんて話の方がよっぽど無視できない。今の話は完全に虚を突かれた。

 

「ブラドの娘は強いのか?」

 

「イ・ウーで学ぶことを許された。つまり、そういうことよ」

 

 つまり、常識の通用しない化物か。

 反射的に後ろ頭を掻く。良いニュースはねえのかよ。

 

「だが、彼女は日本にはいない。ブラドとは別行動と見て間違いないだろう」

 

「その根拠は?」

 

「私がイ・ウーでブラドの姿を見たのは理子と決闘したときだけだ。常に親子揃って過ごすわけではない。私が最後にコンタクトしたとき、彼女はルーマニアに帰国する間近だった。そのときに聞いたのだ。古物商を営む魔女、願いを叶える魔法の大家と大きな取引があると」

 

「取引に追われて手一杯?」

 

「彼女に限って言えばだが」

 

「そいつはいいや。久しぶりに良いニュースが聞けて嬉しいよ」

 

 イ・ウーの構成員を同時に相手するほど無謀なこともなかなかない。

 願わくば、ブラドの娘とやらには取引に精を出してほしいもんだぜ。

 

「理子は二人を率いて保管された物を盗むつもりでいる。お前が呼ばれなかったのは表立って動いてほしくないからだ。お前は彼等の長を仕留めている、理子もブラドの警戒心を煽りたくないのだろう」

 

「……一人で仕留めたわけじゃない」

 

「だが、実績は実績だ」

 

「化物に名前が売れてもつまんねえよ。履歴書に書けるわけでもないんだ。夾竹桃、この際購買で御守りグッズでも売ってみるか?」

 

「ツリーを売るのに、サンタを信じろって?」

 

 速攻、よく通る声で皮肉を言われた。毒を吐くのに躊躇いがないな、夾竹桃は。

 

 理子が動き出したこと、ブラドと接触する可能性があること、ジャンヌが話してくれた内容を頭で整理して俺はかぶりを振った。

 今度の相手は魔女でも人間でもない、正真正銘の怪物だ。夏の休暇の前に一雨来そうだぜ。

 

 

 

 

 

「んで、救護科に何しに行くわけ?」

 

「野暮用だよ。ちょっと付き合え」

 

 ああいいよ。どうせ暇してるだろ、って顔しなくてもさ。ああ暇だよ、ヴァンパイア・ダイアリーズを一気見してるだけの暇人さ。

 

 救護科棟一階の第7保健室の扉をキンジが叩いた。

 救護科は苦手な俺も付き添いの軽い気持ちで中へと続く。この軽率な判断を後悔するのに一分もいらなかった。

 

「誰もいねえぞ。待ち合わせじゃなかったのか?」

 

「電話するからそこで待ってろ」

 

「あとでジュース奢れよ? それとホワイトハウスダウンのレンタル明日までだからな、見るなら今夜までだぞ?」

 

「おい、俺はまだ冒頭しか見てないんだぞ。あの映画もう返すのかよ」

 

「昨日も言っただろ。電話したじゃないか、ボケたな」

 

 もう会うことの叶わない安息王子と呼ばれた友人を真似て、俺は肩をすくめた。

 にしても保健室で待ち合わせか、斬新だな。人体模型の前で腕を組みながら待っていると──

 

「キンジ、誰か来るぞ。お前誰と待ち合わせたんだ?」

 

 連なってやってくる足音に眉を寄せる。聞こえるのは全部女子の声だ。理子や平賀さん、神崎もいる。

 保健室に大人数でやって来るなんざ、どうにも嫌な予感がしてならない……

 

 脳が警笛を鳴らすが遅かった。青ざめたキンジがブギーマンみたいな顔でこっちを見てる。みなまで言うな、どうせハメられたんだろ。

 ああ、言いたいことは分かってるよ。保健室で女子を待ち伏せした、キンジの悪評がまたひとつ増えるわけだ。よくぞ誘ってくれたなルームメイト、ちくしょうめー!

 

「走れ、キンジ、逃げるんだぁ!」

 

「どこに逃げ──おいあそこだ。ロッカーの中に隠れるんだ」

 

 足音はすぐそこまで来ている。俺とキンジはやけくそになりながら、逃げ込めそうなでっかいロッカーの中に飛びこんだ。

 お喋りしながら入ってきた女子たちは俺たちがいることも知らず、ふ、服を脱ぎ始めたぞ……!

 

(閉じ込められた!)

 

 完全に逃げ場を失ったぞ。

 女子の会話から推測するに健康診断か。またもや遠山キンジお決まりの展開かよ。んで、お前がどうしているんだ武藤。

 

「よお、同志。席はぎりぎり余ってるぜ」

 

 偶然居合わせた俺たちと違って、多分こいつは故意だろう。覗きのために命を捨てる気かよ尊敬するぜ。

 

「最高の席だよ。足を滑らせたら死ぬ。地獄の釜の淵から天国を覗くようなもんだ」

 

「ありえん、ありえんだろ。地獄から地獄を覗いてるぞ。これが天国なわけないだろ」

 

「悪かった、訂正するよ。本当の天国よりずっといい。で、誰がいるんだよ武藤」

 

 こうなりゃ便乗だぜ。つか、三人もいればロッカーは窮屈ってレベルじゃねえな。VIP席には遠いぞ。

 

「そう焦んなさんな。さーて本日のメニューは……おー大漁大漁、平賀文に峰理子に、諜報科のふぅかぁ。しかし星枷さんはいねえな」

 

「キンジ、レキがいるぞ。おっ、神崎も来たぜ」

 

「おいキンジ、なに顔伏せてんだ。もったいねーな。スキマからちゃんと見ろよ」

 

「お前らで勝手にやってろ。説得力皆無だが俺は覗きに来たんじゃない。ハメられたんだ、要は──覗く気はない」

 

「よし、捕まったときはそれで口裏合わせるべ」

 

「乗った」

 

「お前ら楽しいのかよ……俺は胸かきむしられそうなんだぞ。コードレッドだ、コードレッド。もう真っ赤だよ、深紅だ深紅。真っ赤っかなんだよ現在最高警戒状態だ。早くなんとかしないとって意味」

 

 コンディションレッドが発令してるキンジ、一方でバケーション気分のはしゃぎ具合の武藤。二人のギャラリーはなんとも対象的だった。

 水を得た魚と言う言葉があるがやかましい武藤はいつも以上に饒舌だ。

 

 聞けば、バレたときの保険に外の茂みには迷彩した大型バイクまで用意してるらしい。

 しかもここは一階、もしものときの逃走経路も作りやすい。現実的なやり方で覗きを決行するたぁ、逞しい男だよ。その度胸は勲章ものだな。

 

「ど、どけ切っ!」

 

「うぉっ!」

 

 さっきの沈んでいた態度が一転、俺を押し退けるようにキンジはスリットに目を押し付ける。

 ったく、派手に動いて音でも鳴ってみろ。一斉放火でロッカーごと火だるまだぞ。さすが命知らずのルームメイト、お前の心臓も勲章ものだよ。

 

「キンジ、お目当ての子はいたか?」

 

「俺に質問するな。メール中だ」

 

 こんなときに誰にメール送るんだよ。よく映画であるよな、携帯の着信音で隠れてる場所を敵に知られる。ベタな最後は勘弁だぜ。狭いロッカーの中で溜め息をつくキンジ、スリットから広がる景色に眼を奪われている武藤とは正反対だ。

 

 望んで巻き込まれたわけないか、ロッカーの背面に背をつけながら俺は同情してやる。残念ながら俺も薄々と気づいている。キンジが女性を遠ざける理由は普通じゃない、もっと別の何かだ。

 

 神崎や星枷への接し方を見ると、本質的に女性が嫌いとは思えない。理由があって距離を置いてる。俺には薄々察しがつくよ。同じ顔を見てきたからな、家庭の事情に悩まされる顔だった。明確な理由までは分からん、だがキンジにも厄介な重荷が用意されているのかもな。望んでもいないのに乗せられた重荷を。

 

「……誰か来たぞ」

 

 キンジが呟く。続いて女子が色めき立った。

 

「ああ、講師の小夜鳴だぜ」

 

「救護科の非常勤講師か。俺は苦手だな。綴先生の方がいい」

 

「「……」」

 

 なるほどな、沈黙は時として罵倒よりも残酷だ。

 

「あの人はあれで立派な先生だよ。頭も良ければ器量も良い」

 

「まあ一理あるかもしれねえな。小夜鳴のやつ、善人面して……女子に手ぇ出すとか、そういう噂あんだぜ? 小夜鳴が間借りしてた研究室から、フラフラになって出てきた女子生徒がいたとかよ」

 

 武藤から棘のある返答が返ってきた。散々な評価だが俺も小夜鳴先生は苦手だな。武偵高には珍しい常識人だが俺は彼に疑いを感じてる。温和な雰囲気に包まれているがそれがなんつーか、臭いんだ。言葉には表せない違和感を感じる。自然と体に染み付いた感覚、防衛の本能が警笛を鳴らしてる。そう、信じられないことにハンターとしての勘が、彼に嫌悪感を感じているのだ。善人を疑う、どうしようもない感性だな。錆び付いた勘が早合点したことを祈るよ。

 

「ぬ、脱がなくていいんですよー? 再検査は採血だけですから。メールにも書いたじゃないですか。はい、服着るっ!」

 

 小夜鳴は奥にあった丸イスへと腰を下ろした。下心のない苦笑いも大人の余裕が見てとれる。狭いロッカーの中、キンジ、武藤と頭を寄せるようにして小夜鳴の動向を伺っていると……

 

「──Fii Bucuros…… Scoala buna. Nu este interesant de sange……」

 

 窓の外に視線を向け、小さく呟いた。

 

「……何か呟いたな。英語じゃないぞ。切、翻訳できるか?」

 

「ラテン語の影響を受けてる。ルーマニア語だな。吹き替え字幕程度なら訳せるが」

 

「やってくれ」

 

『素晴らしい、いい学校だ。だが血は、面白くない』

 

「おいおい、そいつはどういう意味だ?」

 

 訝しげに聞いたのは武藤だが、翻訳した俺も首を振りたいところだ。

 

「さあな、もしかすると本訳に穴があったかもしれない。せいぜいピザを配達する程度だからな。最後の血への否定形は俺にも分からん」

 

 一方──小夜鳴の言葉で女子達が脱いだ服を着直していた。まあ、献血に服を脱ぐ必要はないからな。ご指摘は至極当然なのだが、スリットに顔を押し付ける武藤が血の涙でも流しそうな面してやがる、酷い顔だ。眼福の時間も終了と思いきや一人だけ服を着ていない生徒がいた。

 

 レキだ。棒立ちで窓の外をじっと見つめている。ゼンマイが切れた人形のようにその場から動こうとしない。

 

「お、おおっ!?」

 

 突如として武藤が間抜けな声をあげる。レキが俺たちの隠れているロッカーを開け放ってしまったからだ。下着姿のレキに俺も頭の中が真っ白になるが、彼女は有無を言わず左右の手でキンジと武藤のネクタイを引っ張ってロッカーから引きずりだそうとする。そして、

 

「雪平さん、待避行動を」

 

 レキが発したのは警告だった。その瞬間、言葉ではとても表せない胸騒ぎがして、俺は前にいた二人を後ろから蹴飛ばすように押し出した。そこは武偵、キンジと武藤は回転受け身をとってロッカーの外に出るがほぼ同時に窓ガラスが割れる音が響いた。レキの脇で受け身を取った俺は、変わり果てたロッカーの有り様に言葉を失う。床へと無惨に横転し、冗談のようにひしゃげたロッカーにこの場の全員が息を呑んでいた。

 

「──ウソ、だろ……?」

 

「ああ、ちくしょうめ。お次はなんだ?」

 

 最初に言葉を発したのは武藤だった。腰のホルスターから獰猛な回転式拳銃を抜いたが……指は引き金を引こうとしない。キンジや俺、周りの女子さえもその存在に眼を奪われている。

 

 白い体毛、異様に発達した犬歯、イヌ科特有の鼻梁──オオカミだ。絶滅危惧に指定されている猛獣が殺気を放っていた。

 

 雪のような銀の毛、種は分からないが生息地は日本ではなさそうだ。かといって、警戒心と殺意に満ちた姿は完全に野生のそれ。誰も保健室で狼に奇襲されるなんて思ってない、狼狽える俺たちを冷静に見下ろすのは餌を見つけた狩人の目だ。

 

「……お前ら、早く逃げろ!」

 

 武藤のパイソンによる天井への威嚇射撃。俺は357マグナムの轟音に肝を冷やすが、このオオカミは怯む素振りを全く見せない。そして、丸腰の女子に狙いを定めると、驚異的な脚力で跳躍する。俺はトーラスを抜こうとして……手を止めた。

 

 オオカミが乱入してきたのは女子が着替えをしていた最中。つまり、防弾制服を着ていない。それにいち早く気づいたであろうキンジは、剣山のようなオオカミの毛皮に背後から飛び付いた。

 

「──武藤、銃を使うな! 跳弾の危険性がある! 女子が防弾制服を着ていない!」

 

 キンジが叫びながら、オオカミを薬品棚のガラスに突っ込ませた。素手で狼と格闘かよ。やるときは無茶苦茶やりやがるぜ……

 

 ガラスと薬品を浴び、オオカミが激しく頭を振る。何か浴びたな、殺気だってやがるぜ。細い眼光がキンジの胸を引き裂こうと爪を立てるが、体重を乗せた回し蹴りで言葉通りの横槍を挟んでやる。俺の蹴りは後ろ足を打ち、同時にキンジが前から掌底を叩きこんだ。

 

 そんな俺達を跳ね退けるようにオオカミが真後ろにジャンプする。薬品棚で毒を貰ったのか、オオカミは頭を振り乱し、近くで立ちすくんでいた小夜鳴先生を体当りで撥ね飛ばした。

 

 

 

 

 




『電話したじゃないか、ボケたな』S11、16、ルーファス・ターナー──



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前に進んで今

 なにかを叩く音が遠くから聞こえた。うっすらと目を開ける。ぼんやりと霞む視界に最初に映ったのは汚い天井だった。目をこすり、首を巡らせて部屋の中を見渡す。自分一人しかいなかった。部屋がひどく静まりかえっている。

 

 窓を見ると、雨滴で景色がゆがんでいる。先程のぱらぱらという音の正体だった。目蓋が重く痙攣して、気持ち悪い。最悪の寝起きだ。

 

「キンジ、飯……」

 

 声に出したところで、部屋には自分一人しかいないことを思い出した。時計を引き寄せて時刻を見ると午前の11時。昼前まで寝ていたことになる。休みにしても体たらくだ。胃が空腹を訴えるが料理を作る気にはなれなかった。今朝はキンジの当番だが、ルームメイトの朝食が今日は用意されていなかった。そう言えば神崎と二週間潜入任務で出かけたんだった。

 

 霞む視界で冷蔵庫まで歩いていき、ペットボトルのコーラに口をつけて飲み干す。炭酸で喉を焼かれるような痛みに首を振りそうになるが意識は覚醒したらしい。買い置きのパンを袋から出してやけくそにかぶりつく。咀嚼して喉に流し込むだけ、味気ないとすら感じない。小麦を腹に詰めるだけ、神崎に食事を説いていた癖に、自分がこのざまだ。

 

 どうにか浴室まで歩き、寝起きの体を水を浴びる。シャワーを頭から浴びて眠っていた体が覚めると、体はほぐれて少し軽くなった。左胸に描いた五芒星の悪魔避けが鏡に映り、俺は重くなった茶色の前髪を上げた。悪魔避け──意味は言葉通り、憑依、干渉されなくなる。同じ形を象った御守りでも代用できるが、首から掲げるのと体に刻むのとでは利便性が違いすぎる。敵に憑依されて仲間同士で殺し会うのは御免だ。催眠術にも気休め程度の力を発揮するらしいしな。

 

 浴室から出るとハンバーガーを欲する程度には食欲は回復していた。風呂は心の洗濯、案外間違いでもないらしい。ハンガーにかけられた制服に袖を通し、ソファーで一息つこうとした矢先に玄関のチャイムが押される。覗き穴から相手を覗こうとして……俺は尻餅をついた。

 

(ば、化け物ぉー!)

 

 黒くゴツゴツした頭にギザギザの牙と触手みたいなのがついた怪物、いや邪神だ。正体不明の邪神が穴からこっちを覗いていたのだ。

 

「キリ、いるのだろう。私だ、良いものをやろうと思ってな」

 

「Exorcizamus te, omnis immundus spiritus omnis satanica potestas, omnis incur……」

 

「悪魔払い──? し、失礼なっ!お前もこの絵を邪神扱いするのか!」

 

 ドアの外で誰か叫んでる。おい、この声……ジャンヌじゃねえかよ。ドアを開いてみるが案の定、氷の魔女がお怒りだった。頬赤らめてなにやってんだよ。

 

「あー、悪ぃ。絵ってそれが?」

 

「お前はブラドの姿を知らないだろう。情報をやろうと思ってな、私が書いた。無料でいい」

 

「そうか、いや悪いな……とりあえず入ってくれ。連中の会話なら部屋でやろう」

 

 一人になった大部屋にジャンヌを招くが、画伯は今にでもイラストを受け取れ、と腕を突きだしてくる。

 

「礼はいらん。この絵はよく書けている、名残惜しいがお前にくれてやろう」

 

 自信作を見せびらかしたかったんだな。覗き穴に突き付けやがって、大変な目に逢ったぜ。まあいい、この画力でイラストを書こうとした勇気は勲章ものだよ。楽しんでイラストを書くことは悪いことじゃねえしな。

 

「ああ、今度はお前が好きに書いた絵を見せてくれ。ジュースくらいは奢るよ、先生」

 

「ほう、サインもつけてやろう。私の直筆だ」

 

 ……サインだけ達筆なんだろうな。絵は制服のポケットで持ち運ぶか。一応、情報だし。俺は簡単なインスタントコーヒーを淹れて、テーブルに置いてやる。来客に出すのは神崎以来だな。菓子の買い置きは……ねえな、貧乏な遠山宅だ安心したよ。

 

「で、朝からイラストを届けに来た訳じゃねえだろ。そろそろ聞かせろよ。用があるんだろ?」

 

 ジャンヌは億劫げにかぶりを振った。

 

「いや、お前と話がしたかったのでな」

 

「それは予想してなかった」

 

「だろうな、間抜けな顔をしているぞ?」

 

「悪かったな、こんな顔を作った神に文句言え」

 

 地下倉庫の戦いからまだ日は浅い。昏い眼差しで凶器をぶつけあった相手とは思えねえな。テーブルについたジャンヌはコーヒーを一口、不思議そうにカップを持ち上げる動作は出会ったときの神崎そっくりだ。お前もインスタントコーヒー知らないのか?

 

「まあ、ここは武偵高だ。魔女もハンターもない。世間話くらいは聞いてやるよ。それになんたって俺は暇だからな。暫くは同居人もいない」

 

「紅鳴館への潜入が始まったか。期間は二週間、理子から話は聞いているな?」

 

「バットシグナルも早めに出すように伝えておいた。コルトはないがトランクにはバルサザールの置き土産がある。なんとかするよ」

 

「バルサザール?」

 

「武器商人だ。かつては兵士だったが大規模な内戦に乗じて、保管庫から大量の武器を盗んで逃げた。武器と言うよりオカルトグッズだがブラドを足止めできるかもしれない」

 

 大半が使いきりの武器だが仮にもお空の上で保管されてた核兵器だ。足止めにはなる。

 

「理子に言われたよ。俺は苦しみを忘れるために人を救ってる、同情するってさ。どうしてみんな俺より俺のことを知ってるんだ。納得しちまったよ」

 

「懺悔なら聞いてやらないこともない。だがお前には無用だろう。私が聞いて、どうにかなるものでもない」

 

 宝石のようなアイスブルーの瞳が伏せられる。

 

「私が魔女であることを変えられないように、お前はお前の血を変えられない。海を渡り、武偵になろうと、変えられないことはお前が理解しているだろう?」

 

「……そうだな、変えられない。どこにいても俺は化物を狩ってる」

 

 人間は善悪表裏一体の存在だ。苦しみを忘れるために人を救ってる、それは忘却できない罪悪感に突き動かされているだけに過ぎない。人並みの生活がしたい、そう願って目を閉じたところで酸鼻極まる光景が、視界の続く限りどこまでも広がっている。普通の生活には程遠い。目を閉じた先に広がっていたのは人を救うなんて美名にそそのかされたハンターの末路だ。

 

「お前、言ってたよな。俺の心が死んでるってさ。実のところ──死にたくないんだよ、今は特にな」

 

 ああ、ちくしょう。俺は魔女に何を言ってやがる。

 

「狩りをやってると、死に向かって突き進むのがよく分かる。いつも……何かに追われるように自分を急き立てて、燃料切れになるまで突っ走る。こんな無茶やってたらいずれ死んじまう。アクセルを全開にして崖から落ちるのもいいと思ってた。早死に死ぬ家系だ、俺も例外じゃないんだって言い聞かせたよ」

 

「だが、今は?」

 

「ああ、悔しいことに未練を感じてる。やり残したことや別れたくない人がいる。今日、明日、明後日……1日でも一緒にいたい。執着を感じたよ、あらゆる物が大切だ。今までよりずっとな」

 

 キンジや神崎がいなくなって俺も気づいた。どうやら俺は俺が思っている以上にキンジや神崎と過ごした日々を気に入っていたらしい。

 

 そして、悔しいことに俺は夾竹桃やジャンヌと過ごした時間を楽しいとか、思ってる。命のやり取りをしたばかりの魔女にだっせえ弱味を暴露しちまった。自嘲めいて笑うと、神崎のカメリアの瞳に負けず劣らずの綺麗な瞳が不思議そうに丸くなる。

 

「どうして、私にそんなことを?」

 

「さあどうしてかな。多分、お前はこっちの事情に詳しいからだろ。それに……ハイジャックで飛行機から転落したとき俺は血を飲んじまった。いつジャンキーに戻るか分からねえが、ブラドは超能力なしで勝てそうもねえからな。話しておきたかったんだよ」

 

 刹那、ジャンヌはカップの持ち手へ伸ばしていた指を止めた。

 

「……飲んだのか?」

 

「飲まなきゃコンクリみたいな水面にぶつかって御陀仏だった」

 

「やめておけ。この国にパニックルームのような血抜きをできる場所はない。一度禁断症状が始まればお前は傾斜を転がり落ちるだけだ」

 

「言ったろ、エンジン全開にして突っ走ってる。いつかは崖から落ちる運命なんだよ。まあ俺の頭が狂ったとしてもさ、神崎には母親と一緒になってほしいんだよ。あいつの母さんはまだ生きてる。手が届きそうな場所にいるから辛いこともあるだろ?」

 

 この国にパニックルームのような血抜きのできる場所はない。ジャンヌの指摘は正しいさ。待っているのは奴等の血を求めるジャンキー生活だ。俺はかぶりを振った。

 

「ウィンチェスターもキャンベルも家族に振り回される家系だからな。母親のために海を渡った神崎には思うところがあるんだよ。俺は色んな意味で母親ってのから逃げたからなぁ」

 

「……」

 

 渋い表情をしたジャンヌは目を逸らした。ったく恐くなるよ。お前はどこまで知ってるのか。

 

「わりぃ、コーヒー入れ直す」

 

「いや、私は帰るとしよう。中空知にも話が残っている」

 

「そういや、同室か。どうなんだよ仲は?」

 

「上手くやっている、とだけ言っておこう。武偵は自分を隠すものだからな」

 

 椅子を立ったジャンヌへ「そうかよ」と返してやる。大した会話はできなかったな。玄関まで見送ろうとしてジャンヌは廊下で振り返っていたジャンヌと視線がぶつかる。

 

「忘れ物か?」

 

「そんなところだ」

 

 声が止まるとはこのことなんだろう。うっすらと笑った銀氷の魔女に俺の視線は呪縛されてしまった。超能力にかけられたように吸い込まれそうな碧眼から目を、離せなかった。

 

「キリ、私は人の人生の良し悪しに口を挟むつもりはない。だが一生が終わり、棺の蓋をした時には、お前のことは誉めてやってもいい」

 

 遠回しな賛辞に言葉もなく立ち尽くした。嘘を言わないジャンヌの性格からいって、今のは最大級の賛辞に聞こえる。

 

「その言葉は意外だ、意外だが喜ばしい。魔女に誉められるハンターか。まあ、棺に入って死ねるなら悪くねえかも」

 

「だが今ではない。お前には聖油のサークルに閉じ込められた恨みがあるが残念にも今はデュランダルがないのでな。這ってでも生きて返れ、お前が生き返るまで待つのは面倒だ」

 

「……バカかお前は。普通の人間は何回も死んだり生き返ったりしねえよ」

 

 人をゾンビみたいに言いやがって。俺は複雑な表情でジャンヌから視線を外す。開いたドアの隙間から日光が玄関に差し込んだ。

 

「砂礫の魔女とお前の超能力は相性が悪い。変な虫には近寄らないことだ。いいことないぞ?」

 

「……これは独り言だ。ブラドは──本調子ではない。パトラの呪いにかかっている。狩りをするなら呪いが解かれる前に奴を討つことだな」

 

 無意識に息を呑み込んだ。ジャンヌが描いた絵よりも先があるのか。

 

「解けないように祈っておけ。次のシーズンで会おう」

 

 

 

 

 

 キンジと神崎が紅鳴館で働く最終日の前夜。突風のなびいているヘリポートで俺は前髪を抑えていた。横浜駅に程近い横浜ランドマークタワー、俺が立っているのは高度296メートルにもなる高層ビルの屋上。ガイドによれば日本一高いとされる超高層ビルだ。みなとみらい21の中核をなすこのオフィスビルに、理子はアジトを置いている。

 

「待ち合わせ場所にしては殺風景極まりねえな」

 

「キリくんはほんっと、わかってないなぁー。ここから見える景色、悪くないんだよぉ?」

 

「……夜景を楽しむ仲じゃねえだろ」

 

 蜂蜜色の髪を風になびかせながら、いつもどおりの改造制服で理子はやってきた。ハイジャックで纏っていた好戦的な空気はどこにもない、この女の変貌にはいつも驚かされる。理子はその童顔で小首を傾げてきた。

 

「決行前夜に呼び出すなんて、ベタなイベントシーンだよねえ」

 

「お前にその気はねえだろ。泥棒作戦は進んでるのか?」

 

「種は撒いたし、あとは収穫するだけ。まあ、作業ゲーってほどでもないかな」

 

 明日で潜入任務は終わる。成功すれば理子はブラドに奪われた物を取り返せる。だが、それが根本的な解決になるとはやはり思えない。だからこそ、気付けば口に出ていた。

 

「本気で思ってるのか。神崎を倒せばブラドが手を退くと」

 

「あたしがサンタを信じるガキに見えるか?」

 

 口調が変わり、冷たい突風に蜂蜜色の髪が派手に煽られる。

 

「あのブラドがあたしとした約束を守るなんて思ってない。だからお前に声をかけたんだよ、随分と分の悪い賭けにBETした気もするけどね。コルトがなくてもお前と組めばブラドに勝てるかもしれないって思った。早死にする理想主義者の考えだけどね」

 

「理想も語れない人間よりはいいんじゃねえの」

 

 らしくない、滅多に見ることのない自虐的な理子に俺はかぶりを振る。

 

「自分の命賭けて勝負したんだろ。何もしねぇよりマシじゃねぇか」

 

 理子は目を丸めて曇り空を仰いだ。そして、

 

「実際クラシックだよお前は」

 

「どういう意味だ?」

 

「夾ちゃんに聞いてみな、あいつだって同じこと言うよ」

 

 伏せ見がちに視線を変えた理子に、俺も殺風景な曇り空を仰いだ。

 明日の空は荒れそうだ、嵐や豪雨なんかよりもっとひどいのがやってくる。そんな気がする。

 

 

 

 




以後、主人公が紅鳴館に呼ばれることはありませんでした。

『その言葉は意外だ、意外だが喜ばしい』s6,11、死の騎士──


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悪魔に会った日

 世の中にはフェアなことなんて何もない。生まれたときから人は平等ではないのだから。

 

 

『はい、雪平』

 

『出るのがおっそいぞぉー。愛弟子ぃー』

 

 電話越しに綴先生が出来上がった声を上げた。夜は晩酌、飲み会が茶飯事の先生から携帯に電話とは珍しい。キンジから『一度聞けば耳に残る』と評された独特な着信音でも聞き逃しそうになった。耳許で先生の声を聞いて俺はほっとする。この人からの電話を無視できるほど俺の肝は座ってない。

 

『すいません。緊急ですか先生?』

 

『なーに……えーっと、あ、場所。お前さぁ、今どこ?』

 

『港区です。東京タワーが見たかったので』

 

 なんて短く答える。だがまあ、俺が立っているのは港区の高架下。空に見える東京タワーも丁度第2メインデッキに真横に線を引くような角度で鉄骨が入って邪魔している。雲は厚く、星も月も見えないがそびえる東京タワーだけは明るく輝いていた。ランドマークタワーで理子と会話したあとに、その足で俺はここにいる。高層ビルから景色を見下ろし、いまは見上げている。

 

『近いじゃん。単刀直入に言うけどさァー。雪平、肉食べたくない?』

 

 俺は思わず聞き返していた。

 

『奢ってくれるんですか?』

 

 

 

 

 やってきたのは綴先生行きつけの焼き鳥屋だった。夜夜、蘭豹と酒をかっ食らってる話は有名で授業中でもアルコールが匂うときがある。据わった目とラリった言動がなければ先生も男には苦労しねえだろうに。俺が店の暖簾をくぐったときには、待ち合わせの相手は奥のカウンターでジョッキに注がれたビールを飲み干すところだった。しかも大ジョッキだ。

 

「明日は非番なんですか、管理官?」

 

 俺は隣に座り、ラミネートされたメニュー表を取る。

 

「元管理官だ。雪平、お前まさか綴の代理か」

 

「まあ、そんなところです。酒も飲めない学生をよこすのはどうかと思いますが、どうやら出来上がってるみたいで」

 

「フライングで晩酌かあの女。貸し借りはなしって息巻いてたのによ」

 

 毒づく男性は濃ゆい顔で舌打ちする。彼は綴先生と面識のある警視庁の刑事、姿の見えない綴先生の代わりに俺が来たことで早くも訳を察したようだ。一緒に飲む約束をしていた綴先生にほったらかし、代わりに来たのは酒の飲めない学生。断りの連絡が面倒で俺を派遣したのは一目瞭然だった。店員が持ってきてくれたのもウーロン茶、飲酒でも武偵は罪が三倍だしな。

 

「その貸し借り、もしかして取り調べのことですか?」

 

「あァ?」

 

「先生が言ってましたよ。警視庁との取り決めで尋問科が先に星枷の件を取り調べできることになった。降格したと言っても警部はまだ上と親しいですよね。先手を譲ってくれたのかと思ってました」

 

「昔の話だ。古傷抉るんじゃねえよ馬鹿野郎」

 

 警部は声のトーンを変えないまま綺麗に噛みついてくる。真偽のほどは分からないな。魔剣の取り調べは警視庁との取り決めの上で綴先生が真っ先にジャンヌの相手をした。取り決めに警部の助力があったなら先生も貸し借りは作りたくないはず、現実は俺をスケープゴートに仕立てたわけだけどよ。先生と警部……管理官の因縁は耳にタコができるレベルで聞いてる。

 

「覚えておきます。ああ、そうそう綴先生の奢りなら俺が立て替えときますよ」

 

「馬鹿は治んねえな、学生から金むしれると思ってんのか? あの女はな、それも計算してんだよ」

 

 そう言い、警部は既にビールから熱燗に切り替えていた。飲み物を変え、新たに注文していた焼き鳥と一杯やっている。そういや兄貴も酒に強かったな。ボビーやエレン、酒に強いハンターは多い。中にはビール一杯で出来上がるハンターもいたけどな。俺は左肘をカウンターにつき、グラス半分ほど飲んでいたウーロン茶を乾杯のつもりで警部の方に向けた。

 

「学生なのでウーロン茶ですが」

 

「お前がやれば飲酒でも罪は三倍だ。ビール来るまで待て」

 

「……また頼んだんですか?」

 

「払うのは俺だ。どんなペースでいくら飲もうと自由だろうが。今の人間社会に必要なのは酒と信仰心」

 

「ここには酒しかありませんよ」 

 

 答えを聞いてなかったが明日は非番なのかな。グラス越しに強面の顔を見ながら、そんなことを考えていると大ジョッキのビールが運ばれてきた。ようやくグラスを合わせて俺は残ったウーロン茶を飲み干した。空になったグラスの中で小さくなった氷が転がる音を立てる。

 

「雪平。お前とルームメイト、欧州から反発を買ったらしいな」

 

「欧州……神崎のことですか?」

 

「有名人はどこに行っても騒がれる。おい、そのウーロン茶は自分で払え」

 

「要はむしりはしないし、奢りもしないってことですね。神崎のことは覚悟してますよ、元々イギリスやUKとは因縁がありますから反発を買うくらいが丁度いい」

 

 UKの賢人、ハンターとの因縁は尽きない。仮に俺が英国に足を運べばシェイプシフターやスキンウォーカーの一匹や二匹、けしかけられてもおかしくない。地獄の猟犬をペットにするような連中だからな……アイリーンや多くのアメリカのハンターがUKの賢人に殺された。確かにアルファヴァンパイアを退治できた影には彼等の助力があった。だが海を渡って、時間が経っても俺はUKの賢人を許す気にはなれない。

 

「泥を振り撒いて歩いて来ましたから。それに俺は神崎がここに残ったことに感謝してますよ。ルームメイトが前より良い顔をするようになった。多分、神崎の影響を受けてる。小さな変化でもあいつを変えたことは大きい」

 

 弾丸のようにキンジの生活に割り込み、あの女は日常に風穴を開けやがった。45口径のでけえ風穴だ。

 

「キザだねえ、女は靡かねえぞ」

 

「欲しいものは逃げていく、今ある物を離さないだけで手一杯。惨めなもんです、俺はなんでも手に入れたものを手元に置いとくためだけのために必死になってる」

 

 兄貴が言っていた。俺たちは、俺たちが望むものを絶対に手に入れられない。誰かを好きになって、家族になって、人並みの暮らしをする。皆にとっては普通でも俺たちにとっては普通じゃない。

 

 誰かを愛してどうなった。親父は妻を失った、天井に磔になって火事に巻き込まれた。サムは同じ方法で彼女を殺された。普通の暮らしに戻りかけたディーンも最後は自分の手で、愛した人の記憶から自分を殺した。誰かを愛することは、俺たちが振り撒いてきた泥を一緒になって浴びることだ。いくら好きでもその人にまとわりついて生活を無茶苦茶にするのは愛情なんかじゃない。

 

「得るものより減るものが多すぎる。何かを求めるより今あるものを失わないだけで精一杯。キンジが普通の生活を望むなら応援してやりたい、神崎が家族の為に戦うなら手を貸す。目下俺の方針はそれだけです」

 

「双剣双銃が開けようとしてるのはパンドラの箱だ。お前らは波を塞き止めている抑止力を消そうとしてる。ダムが決壊したあとに来るのは洪水だ。上は良い顔してねえぞ」

 

 警部は、ささ身を串のまま齧りついた。俺も追加のウーロン茶をオーダーする。

 

「……警部、二つ名持ちでも神崎はまだ高校生です。家族との想い出だってこれから作っていける。どんな理由かは知りませんがアンフェアなやり方であいつから家族を奪うのなら、俺はあの女に付きますよ」

 

「家族の話になると熱くなんのは一緒だな、分かってんのか、上が頭を悩ませる。お前らが首を突っ込んだのはそういう場所だ。雪平、情と正義感に駆られすぎんな」

 

 すっ、と警部は焦げ跡のついたジッポーをカウンターに置いた。

 

「新調しなかったんですね、そのジッポー。9mmを受け止めた防弾製って本当ですか?」

 

「悪運もいつか尽きる。お前、今のやり方を続けて泥を撒いてたらいつか──死ぬぞ」

 

 胸の奥に言葉が冷たく刺さる。イ・ウーは底の見えない闇だ。関わった事実も死亡記録も残らない。全部なかったことにされる。俺やキンジがブラドに殺されても初めから、生きていなかったように扱われるんだろうさ。

 

「地獄の片道切符ならずっと持ってる。スイートルームを断られる覚悟はできてますよ」

 

 会話を切り、無意識に天井の蛍光灯を仰ぐ。

 

「お前らが探り続けりゃあの異常な刑期が何を意味するかも分かるかもしれねえな。雪平、蜂の巣を突いて蜂が出るとは限らねえ。後先構わず泥を撒いてると、思ってもみないところから災難に出くわすぞ」

 

「……それでも俺の方針は変わりませんよ。特に今回に限っては退けない理由がある」

 

「四人目になれば連中も無視はしねえぞ。お前の打った弾丸で保たれていた勢力図が一変するかもしれねえ。それでもお前は──連中を打てるのか?」

 

 ええ、そんなのは百も承知。その上で、答えは決まってる。

 

「打ちますよ。迷わずすぐに」

 

 いままでどおりに。

 

 

 

 

 会計を先に済ませ、俺は警部と別れて焼き鳥屋を去った。思ってもみないところから災難に出くわすか。イ・ウーよりやばい組織があるみたいな口ぶりだな。俺はお釣りで余った硬貨を自販機に通す。

 

 先端科学の技術を要する米国、秘密結社リバティ・メイソン、ドイツの魔女連隊、武偵には警戒すべき勢力が世界中に存在してる。武偵は常在戦場、不意を突かれた方が悪い世界だがイ・ウーよりも大きな規模の組織か。俺はかぶりを振って、コーラのボタンを押した。知りたくもねえな。

 

 ふと、振り返った道路に馴染みのオープンカーが見える。手にしている煙管が知り合いであることを証明していた。待ち構えていたように道路を陣取っていた夾竹桃は左ハンドルに右手をやったまま、横目でこっちを見ている。俺、いまどんな顔してんだろ。

 

「こんな時間にどうしたんだ?」

 

「尋問科の講師から連絡を受けたのよ。酔った貴方を送り届ける、それだけ」

 

「酔ってねえし、お前に連絡が行ったのも驚きだよ。律儀に悪かったな」

 

「足がないなら乗りなさいな。夜風に触れながらの散歩、別の目的があったから気にしなくて結構よ」

 

 俺はドリンカーに缶コーラを置き、右の座席に座ってシートを倒した。自分以外の誰かが運転する車に乗るのは久しぶりだな。インパラのシート、匂いに慣れてんのにやけに安心する。

 

「忙しいんだろ、漫画よかったのかよ?」

 

「貴方に心配されるものではないわよ」

 

「そうだな、俺に心配される腕じゃない。蜜柑箱の上であんな絵を描けるんだ。あのときはビビったよ」

 

「ふーん。貴方が道具を運んできたことのほうが驚きよ。愛弟子も哀れなものね」

 

 ……愛弟子か、前は忠犬だったのによ。鍵を回した夾竹桃に疑問の目が行く。驚いてるのはこっちだよ。

 

「俺には良い想い出だよ」

 

「そう。今となっては私も悪くない時間だったわ」

 

 夜風に浸りながら、言葉でのやりとりは短い。ああ、ちくしょうめ。なんで笑うんだよ。うっすらとした笑みが夜に溶け込んで、そんな彼女に目が呪縛される。無駄に美人、それ以外の言葉は浮かばなかった。

 

「……妙な気分だよ、誰かの車に乗ってドライブするとアメリカで旅していた頃を思い出す」

 

 妙に恥ずかしくなって俺は話題を切り替えた。

 

「インパラには、名前が刻んであるんだ。二人の兄貴と俺の名前。それはインパラがただの車じゃなくて家族である証」

 

「惚け話?」

 

「どうかな。家族である証と、俺が生きていた証って言うかさ。思うんだよ、俺が死んだら車以外に何を残せるんだ?」

 

 真夜中の道路を走りながら俺は呟いていた。

 

「優しい言葉を期待してるなら見込み違いよ?」

 

「ああ、期待してねえよ。なんつーか、お前には話したかったのかもな」

 

「はあ?」

 

 呆れて首を傾げたドライバーは近くのパーキングに入って車を停めた。闇夜でも存在を主張する美しい黒髪が波打ちながら腰元で揺れる。お前、本気で呆れやがったな……

 

「魔宮の蠍、ぴったりの二つ名だよ。誰が広めたのかは知らねえけどな」

 

「ワンヘダには劣るわよ」

 

「そいつが二つ名になったら戦犯はお前と理子だからな。覚えとけよ」

 

「あら、驚きだわ。拒絶しないのね?」

 

「バカかお前は」

 

 先に車を降りていた彼女は、こっちに振り返ると小さくかぶりを振った。

 

「それでいいのよ」

 

「何が?」

 

「『バカか、お前は』。武偵でいるときの貴方の口癖。悲観してるより武偵でいるときのもののけの貴方の方が、貴方らしいわよ」

 

「……バカだお前は」

 

 ……妙な見解広げやがって。バカだよお前は。ああ、ちくしょうめ。お次はなんだ。すぐに歩き始めた夾竹桃の真意が読めないまま、彼女の後に続く。首を傾け、隣を歩いていると不思議な気分になった。

 

「神崎が初めて押し掛けてきた夜もキンジとこんな風に歩いてたんだよ。家を追い出されてさ」

 

「ふーん」

 

「コンビニで漫画読んでた。無人島で金田一少年が犯人を追い詰める話。まあ、解決編しか読んでないけどな」

 

「ひどいものね」

 

 何処に向かうわけでもない。隣の足取りに合わせていると景色が変わっていく。

 

「私は孤独が嫌いじゃないの。本来、人は孤独な生き物と言われているし」

 

「お悩み相談か?」

 

「黙って聞きなさい。人との繋がり、それは私が否定してきたもの。私は横から見るのが好き、知らないことこそが創作意欲を生む。その味を知るつもりはなかったわ」

 

 夜風が黒髪を靡かせ、夾竹桃は展望公園のベンチに座った。人気は失せ、夜風が寂しさすら覚える。目の前に見えるレインボーブリッジと座った夾竹桃に背を向けてベンチの裏手で俺は腕を組んだ。一旦、言葉を切った夾竹桃がその先を続けていく。

 

「でも今は、興味もなかったのに賑やかな輪のただ中にいる。貴方と同郷の二人に振り回されてる。どんなに否定しようと人との繋がりからは逃れられないみたいね。雪平、人はそう簡単に孤独にはなれないのよ。貴方が生きた証はどこかに必ず残ってるわ」

 

「……わりぃ、気を遣わせたな」

 

「嫌味な男、今回だけよ」

 

「分かってるよ。カウンセリング代はコーラでいいか?」

 

「朝マックもつけなさい」

 

 しっかりしてるよ、お前ってやつは。俺はかぶりを振ってインパラの鍵をポケットの中で揺らした。

 

「貴方のことを一人くらい覚えている人間がいるわよ」

 

「ああ──安心した。それなら俺は満足だよ」

 

 俺はディーンみたいに強くねえからな。不意にチョコバーで背中を突かれ、俺は袋の切れ目を指で掴む。

 

「持っていきなさいよ、ガキ」

 

「……貰っとくよ、くそったれ」

 

 俺は空いた手を上げて歩きだす。

 

「帰らないの?」

 

「ブラドについてギリギリまで調べてみる。明日の朝に決行ならまだ時間はあるさ。やれるだけのことはやっとかねえとな」

 

「作戦は?」

 

「あるよ。恒例の諦めないって作戦がさ」

 

 

 

 

 

 俺は深夜の国道で、信号待ちをしながらあたりを見渡していた。通行人どころか車一台見あたらねえな。まるでウォーキングザデッドだ。腐匂はちっともしねえけどな。明滅する信号にかぶりを振り、俺は思考を切り替える。ブラドに窓口を持ってるとすりゃ、やっぱり玉藻御膳か。狩りのときに窓口を作っときゃ良かったな。

 

 ──まあ、インパラ以外でドライブしたわりには楽しかったな。

 

 

 

 

 

 

 

「──ねえ、あなたは、どっち?」

 

 突然、耳元に吐息のようなウィスパーボイスが囁かれ

──俺は背後に飛び退いた。

 

「……ッ!」

 

 背後に寒いものが走り、冷や汗がしたたる。車も人も通っていなかった道路に一人の女が──いた。ストレートロングの髪を夜風に揺らし……ロングコートを羽織っている。長く伸びた髪は妙に色素が、薄い。

 

 殺気を飛ばされているわけじゃない。直立した姿勢も無防備に見える。だが、耳元で感じた気配は普通じゃなかった。直感で分かる、ああ──この女はやばい。鈍色の指輪を嵌めた手は、素手だ。何も持っちゃいない。だが分かる。分かってしまった。

 

 

 

 ──理子よりも、

 

 

 ──ジャンヌよりも、

 

 

 ──夾竹桃よりも、

 

 

 

 

「あなたは、天使? 悪魔? 人間?」

 

 

 ──ずっと強い。

 

「テメェは……誰だ…………ッ!」

 

「夜の散歩、あなた、興味深かった、から……」

 

 どこか人間味のない声で女は言った。宝刀のように切れ長で、鋭く、澄んだ目。武藤に言わせれば美人と返ってくるのは間違いない。だが、分からない。今までに一度として感じたことのない気配と匂い。人間であるかすら、分からない。

 

「……ブラド、イ・ウーの差し金か?」

 

「それは、あの方がもっともお嫌いな人物が募った組織。口走るものでは、ありませんよ?」

 

 ああ、そういうことか。蜂の巣を突いて、蜂が出るとは限らない。月をバックに水晶のような瞳が俺に固定される。

 

「人、ならざるもの……あなたは、どっち?」

 

 俺は触れてしまったのか。深淵よりももっと底にいる連中を。イ・ウーとは別の何かを。

 

 迷わず、俺はジャンヌに止められていた血を飲んだ。敵意を見せられた時点で俺に選択肢はなかった。

 

 半分固形化した血が喉にひっかかり、無意識に左手が天使の剣を抜いていた。道路のミラーには黒目を失い、透明一色になった俺の目が見えている。それは血を食らった証。リリスと同じ透明の目だ……感傷的になるな。あるものを全部投げ出すしかない。でなければ、殺される。

 

「理想の無いものは、理想の有るものに、及びません。理想を持つなら、見せてみなさい」

 

「気に入らない、好きになれない。その神を気取った喋り方が、心底鼻につく」

 

 一度戻った人の目は、マバタキと共に白へ変わる。強い、今まで対峙してきたどんな人間よりも眼前の女は強い。

 

「人は──死に、逆らえません。ですが、あなたは、逆らえますか?」

 

 プラチナ色の月明かりの下──

 

「充分笑わせてもらった。だがどんな時間にも終わりは来る」

 

 右手にルビーのナイフを手繰り寄せる。

 

「チェックアウトだ。誰が死に、逆らえないって?」

 

「六階から、降りる必要は、ありませんね。あなたを、見せてみなさい」

 

 何の動作もなく、気配もなく、俺の額から血が吹き出して戦いは開戦を告げた。それは目に見えない "不可視の銃弾" ──俺がこの女の名前を知るのはこれよりずっと先のことになる。アルファベット14番目の連中を──

 

 

 

 



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あなたはどっち?

 足元に貯まった血で滑りそうになる。どれくらい出血したかも分からない。見えない弾丸、体感ではマグナム弾やカスール弾よりも凶悪な弾丸を奴は何かしらの手段で放ってる。信じられないことにその両手は素手だ。手の込んだトリックの糸口、それを見つけない限りは勝負の土俵にすら上がれなかった。

 

 強い──途方もない強さだ。実力の底、限界が見えない。この女は、万物の母(イヴ)から生まれた魔物や怪物じゃない。伝承に残っている異教の神でもない。悪魔や天使、魔女やライカン、俺たちが相手にしてきた超常的な存在とは別だ。肺で呼吸し、物を食べ、赤い血を流す同じ人間──ただ、間違いなく化物だ。

 

「……へなちょこだな、天使みたいだ」

 

 精一杯の軽口は、自らの精神の均衡を保つためだった。ちくしょうめ。腹が煮えたぎるように熱い、当たり前だよな、なんたって腹に何発も貰ってる。防弾被服だろうが安心できない、イカれた攻撃に体が悲鳴を上げてるのが分かる。

 

 ……血を飲んでなきゃ、間違いなく意識がぶっ飛んでたな。見えない弾丸で即頭部からやられてる。気がつくと、耳から首にかけて毒々しい赤色が咲いていた。何歩かたたらを踏み、俺は決死の殺気を眼前に飛ばす。まだコートすら汚していない女は、俺の凶眼に水晶のような瞳をぶつけてきた。

 

「超能力者は、提督も教授もあまりお好きではありませんが──貴方は違いますね。超能力者ではない。何者ですか?」

 

「高校生だよ。ちょっと偏差値低めで、荒っぽい学校のな」

 

 返答とほぼ同時に、俺は足元に貯まった血で図形を描き終えていた。押し付けた掌から青白い光が洩れ、次の瞬間、夜の公道に天使避けの閃光が解き放たれる。血の図形を使った目眩まし、理子やジャンヌにも効き目があった技で女の視界を奪う。乾坤一擲、既に動いていた俺は続けてルビーのナイフを投擲する。

 

 女の出で立ちは軍用のコートと編み上げのコンバットブーツ、無闇に肌を見せない実践的なものだ。おそらく全てが防弾被服、狙ったのは露出している無防備な手。

 

 が、目眩ましと二段構えの攻撃は、何の前兆もなく失敗に終わる。ルビーのナイフが、音もなくコースを変えた。この女、見えない弾丸で……軌道を変えやがったんだ、球に球をぶつけて軌道を変える、まるでビリヤードだぞ……!

 

「もっと、見せてみなさい」

 

 図形の目眩ましが聞いてねえのかよ。何かの手で回避しやがったのか。うちひしがれる時間が惜しい、いや迷ってる時間がない。分かってはいたことだが実力が違いすぎる。今の俺には、栄養剤を飲んでも遠い相手だ。ウェンディゴやジン、そこいらの怪物より遥かに強い。

 

「……見えない銃弾。お次はなんだ?」

 

 出血や傷で眼をやられたら最後だ。秒でも視界を失ったら死ぬと思え。がら空きの手がトーラスの銃口を女にとる。トーラスが火を噴き、パラベラム弾が片手に3発ずつ、女の両手に6発の弾が飛来する。一点が駄目なら二点、軽い反動を腕に受けながら……俺は舌を鳴らす。

 

 女を狙った弾丸が、そっくり俺に戻ってきた。訳が分からなかった。背筋がゾッとするのが分かる。

 

 『鏡撃ち』──キンジが冗談混じりでそんな銃技を語っていたことがある。相手の弾に寸分狂わず自分の弾を鏡合わせのようにぶつけることで、銃口目掛けて弾を跳ね返す攻防一体の技。

 

「……ッ!」

 

 PK(念力)が間に合ったのは運だった。血を媒介にして得た超能力の恩恵だ。だが、PKは多数の対象に用いると精度が落ちる。攻め合いに間に合わず、銃口に戻った一発の銃弾がトーラスを、破壊した。

 

「ブラドよりやべえのを引いたな」

 

 攻防の末に背後へ後退していた俺を追って、コンバットブーツの足音が近づいてくる。

 

「貴方は串刺し公を、追っているのですか?」

 

「ハンターだからな。理由は話せば長い。奴の尻尾を掴む前にあんたが強襲してきたんだよ」

 

「おかしなことを言う。貴方は、出会っている。彼を見ているはずですよ?」

 

 透明の目が、元の黒色に戻る。俺は、ゆっくりとかぶりを振った。

 

「ありえない、俺に吸血鬼の知り合いはもういない。みんな生まれた場所に帰っちまったよ」

 

「あなたは、天使? 悪魔? 人間?」

 

 話の流れをぶった斬りやがった。またそいつか。俺も聞き返してやりたいよ、お前には俺が何に見えてるんだ?

 

「人間だよ、たまに天使や悪魔と同居するだけ。ルームメイトの数は覚えてない。トレンチコートを着た天使とセールスマンの悪魔が、たまに家族だった」

 

「あなたは、どちらにつくのですか?」

 

「あんたも真意が読めねえな」

 

 難解な言い回しに普通なら苦笑いしてるとこだ。

 

「天使と悪魔がまた最終戦争を起こそうと、俺はどっちの味方もしねえよ。どちらの味方もしない、ルシファー(次男)ミカエル(長男)の喧嘩、確執、そんなもん知ったことか。俺は人間につく、それが答えだ。まあ、はっきり言って最終戦争やりたいなら他所の星でやれ」

 

 ここだ、俺は何もない虚空に左手を真横に振るってやる。刹那、女の踵が浮き上がり、人形みたいな表情に驚きが混じっていた。宙に浮かんだ体は、何かの力が働いたように後ろに吹き飛ぶ。

 

 俺のPKに首を折ったり、骨を潰すような力はない。今みたいに隙を狙って不意を突いてやるのが本来の用途。女は仰向けに吹き飛び、詰められそうだった距離が今一度離れる。その両手にはやはり武器は見えない。

 

 だが、一度不意を奪ったくらいで、気を緩められる相手じゃないのは明白。脳が警笛を鳴らし、今度は俺の体が後ろに吹き飛んだ。種は分かる、倒れた姿勢で見えない弾丸を打ちやがった……!

 

 ──この女、座位でも戦えんのかよッ。

 

「障害になれば、あなたを殺さなければなりません。ですが、迷っています。あなたは私の障害にはなりえない。興味を惹かれるまでに、過ぎない」

 

 不透明だ。どこまでも中身が見えない。目的、裏で糸を引いている連中、この女の正体も全てが不透明だ。立ち上がった体がやけに重たく感じる。視界は遠近感が崩壊したみたいな地獄の世界だった。上下に激しく視界が歪み、しこたま酔っ払ったみたいな吐き気がする。本気で殺すつもりなら、最初から見えない弾丸で俺の眼なり頭をぶち抜けば良かった。この女、単純な興味本意で戦闘を仕掛けやがったのか……?

 

「待ちな。次は俺が質問させて貰うぜ。あんただけ質問するのは、アンフェアだからな。さっき言ったよな、俺はブラドに会ってるのか?」

 

「それを聞いて、意味はあるのですか。あなたが眠れば聞いたところで、意味はありませんよ」

 

「俺が死に逆らえば聞く意味はあるだろ?」

 

 死に逆らえない、そう言ったのはこの女だ。俺なりの意趣返し。興味があるなら試してみろ、生きてなきゃ情報の価値はないんだからよ。仮に女の話が真実なら神崎やキンジも既にブラドと出会ってる可能性がある。理子の潜入作戦は、もしかすると最初から破綻してやがったのかもしれねえな。女は両手を下げたまま──

 

「生意気な」

 

 そう、呟いていた。

 

「串刺し公は、吸血で遺伝子を上書きして進化する生物。その過程で人間の血を味わった末、遺伝子が人間に近づいていきました。吸血鬼の姿を人間の殻に、閉じ込めたのです。第一形態(プリモ)、覚えがありませんか?」

 

第二形態(セコンディ)と姿を使い分けるライカンは珍しくない。第一形態が人間の姿なら……」

 

 俺の中で疑惑の相手が思い浮かんだ。吸血鬼と由縁のあるルーマニアの言語を話し、俺やキンジと面識のある人物がいる。焦りに心が駆り立てられてられる。非常勤講師の小夜鳴先生は、血を献血してやがった。そう、血なんだ。健康診断はどうでもいい、必要だったのは人の血だ。保健室にいた面子は、理子や神崎、風魔、平賀さん、良家の血統が揃っていた。ちくしょうめ、判断材料はあったんだ、兄貴やボビーなら勘づいてたぞ。

 

「ブラドは人として生きてやがったのか?」

 

「答えに足り得る言葉は渡しました。もうお帰り、お休みなさい──」

 

 流れるような動きで距離が一瞬にして詰められる。漆黒のコートが広がり、初めて彼女が構えらしき動作を取った。指輪を嵌めた指を含め、両手が槍のように突き出されている。俺は逆手に構えた天使の剣をワンアクションで持ち直す。身を屈め、俺が放った斬擊は……彼女の髪を掠めるだけで終わる。ああ、ちくしょうめ、読まれてやがる。

 

 殺傷圏内で攻撃を外すことは相手に攻撃の権利を与えることだ。刹那、無数の槍が飛び込んでくるような錯覚がした。槍に見えたんだ、何もない彼女の指が──凶器にな。突き出された両指が静かに俺の胸に突き立つ。

 

「──イメル・ノチゥ」

 

 清涼な声と同時に、10本の指が防弾制服ごと俺の腹を食い破った。

 

 

 

 

 

 

 アマランスの石と呼ばれるまじないがある。見た目は路傍の石ころだが、望んだ相手に幻覚を見せる古来18世期から伝わる魔術だ。今となっては腐れ縁の魔女……ロウィーナから密かに拝借した石ころに、まさか命を救われることになるなんてな。それは考えてなかった。

 

 工夫次第でどうにかなる域を越えてる。埋められない実力差を感じた瞬間、俺は逃げることを決めた。アマランスの石で幻覚を見せている間に逃げる、頭の中に断末魔が響き渡る前に俺は逃げることを選んだ。

 

 ──勝てない。同じ人間でもこの女の力は別格だ。カインの刻印でもないと勝負にならない。背中に感じる圧迫感は地獄の猟犬から追われた時に感じたものと大差ない、あれは無理だ……どうにもならない。見えない弾丸に撃たれた体で全力疾走、路地で膝をついたのと同時に狂眼で空を仰いだ。

 

「……あの女、人間とは思えねえな」

 

 ちくしょうめ、携帯電話が真っ黒だ。おしゃかになりやがった。公衆電話……駄目だな。仕方ねえ、あの電話でいくか。一瞬躊躇ったが制服を捲り、晒した腕にルビーのナイフを添える。

 

 ……メグ、お前の地元にはもっとエコな電話はなかったのかよ。背に腹はなんとやら、俺はやけくそに切っ先を真横に引いた。

 

「くそっ……!」

 

 肘に赤い線が浮かび、傷口から掌へ向けて血を垂れ流す。手頃な器がねえ……諦め半分で周りを見たしてから、俺は指を曲げ、掌で簡易的な器を作った。出来上がった窪みに流した血を溜め、うろ覚えの呪文を頭の隅から引っ張り出す。するとやがて、血溜まりが独りでに渦を巻き始めた。

 

(かけるとしたら──ジャンヌか)

 

 電話を受けてくれそうな相手を頭の中で探るがどうやっても浮かぶのはジャンヌだけ。これは人間の血を使った、悪魔式の電話──ジャンヌが受けてくれるかどうかだが、公衆電話を探し回る体力はとてもない……出血してんのに自傷行為で重ねがけ……最悪だ。

 

「……出ろよ聖女様。頼む、から……」

 

 掌の血は渦を巻いているばかりで声は響いてこない。最初は足、次に肩に力が入らなくなってくる。

 

「──神頼み……いや、神に拝むのは嫌だな。()()()に拝むか、アマラにしとこ……」

 

 神頼みはしない。最後まで我を通そうとしたとき、聞きなれた声が掌から響いた。凛とした、一度聞けば忘れない声──

 

『ああ……良かった。信じるものはなんとやら。ジャンヌ、ジャンヌ聞こえてるか』

 

『やはりお前か。しかし、この回線……まあ、いい。急ぎの用と見た、何があった?』

 

『襲撃されたんだ。化物みたいなやつで……しくじった。手負いだ、迎えに来て欲しい。場所は──ああ、ここは──あ……ここ、は……』

 

 

 

 

 

 

 

 最初に見えたのは青白い天井だった。瞼が重く、何度か目を瞬かせる。泥沼から這い出るように、視界が次第に明瞭になっていった。男子寮とは違った天井だ。薬臭い刺激臭に顔をしかめそうになる。俺が寝ているのは、病院のベッドだった。

 

(……間に合ったみてえだな)

 

 意識が事切れる前の光景を思い出すと、溜め息が出そうになった。丸イスに腰かけている相手と目が合って、俺は腹から声を絞り出した。

 

「……電話とってくれて助かったよ、聖女様」

 

「お前は厄介ごとを引き寄せる磁石だな」

 

「最近同じ事言われたよ。お前の友達にさ」

 

 いつもならかぶりを振ってたところだ。

 

「……ここ、天国だったりするか?」

 

「まだ地上だ」

 

「そっか、良かった。死の騎士の世話には、まだならなくて済みそうだ」

 

「最後の部分は聞き流すべきか?」

 

「興味を持っても信じるのお前くらいだよ。わりぃ、まだ言ってなかったな。ありがとう」

 

 ジャンヌはうっすらと笑って腕を組む。

 

「これでお前は私に借りが出来たというわけだ」

 

「ああ、大きな借りだな」

 

 首を窓に向けると、外は澄んだ夜空に欠けた月が覗いていた。

 

「……ジャンヌ、俺どれくらい寝てた?」

 

「半日と4時間ほどだ。夜に運ばれて朝と昼は目を覚まさなかった。交代だ、今度は私に質問させてもらおう」

 

「質問なら後で聞く。キンジと神崎は今日館を去る、もう時間がない。ジャンヌ、結論だけ言うがこのままだと理子はブラドに嵌められる」

 

 一瞬だがジャンヌは目を大きく開いた。

 

「……急いているのは分かった。順追って話す時間も惜しいと見える。ここで嘘を述べるようなものなら首を切り落とすところだが──」

 

「小夜鳴だよ。非常勤講師のあいつがブラド、ライカンで言うところの第一形態だ」

 

 腕に繋がれた電極と針を取り去っていると、本調子じゃねえが腕も足もまだ動くのが分かる。リハビリの時間はなさそうだな。

 

「保健室を襲撃した狼はブラドの飼い犬だ。飼い犬に自分を襲わせたのか?」

 

「人間が地獄の猟犬をペットにする時代だ、狼の一匹くらい調教できる。一芝居打たれたな」

 

「つまり、イ・ウーで私が見たブラドは──」

 

「第二形態。イ・ウーでは女子ウケする優男の姿は隠してたわけだ」

 

 あれだけ近くにいたってのに、俺や神崎はおろか変装を得意とする理子ですら、その存在に気づかなかった。ブラドの第二形態は、それだけ人間から遠い姿ってことか。

 

「……やられたな、あの講師は私が見たブラドの姿とはまるで異なっている。あれでは変装ではなく別の生き物だ、マジシャン並のイリュージョンだぞ」

 

 自分も魔女であるジャンヌが苦々しくそう言うが、状況が笑えないだけに皮肉をやることができなかった。刹那、ジャンヌから枕元に鍵が投げられる。

 

「これは?」

 

「駐車場に理子のルノーがある。ランドマークタワーに向かえ。理子からの伝言だ」

 

 理子、どこまでも用意周到な女だよ。半日で俺が復帰する可能性も考慮してやがったんだな。棚の上にある袋には新しい防弾制服まで用意されていた。病院服で抜け出すわけにもいかねえからな、色々好都合だよ。またドクに黙って抜け出すことになるけどな。気分はスコフィールドだ。

 

「話は分かった。着替えながらでいい、もう一つの件についても話せ。何に狙われた?」

 

「さあな、知らない女だった。長い髪の女で、無駄に美人って言うか。いきなり公道で襲撃されて、目的は分からないがとんでもなく強かった。今まで戦った連中の中でも頭一つ抜けてるよ。人間だが人間の持てる力を越えてる」

 

「イ・ウーか?」

 

 飛んできた言葉に、俺は静かにかぶりを振る。

 

「俺も同じことを思ったが否定された。理由は分からねえがイ・ウーに相当敵意を持ってる。嘘を言ってる感じじゃなかった。どう立ち回っても勝てそうになかったからな、アマランスの石を使って逃げ延びた」

 

 背中を向けているジャンヌの表情は読めない。

 

「アマランスの石か。幻覚を見せる18世紀の魔術だったな?」

 

「御名答、知り合いの魔女から拝借した。手練れの悪魔も騙せる魔術だからな、なんとか出し抜けたよ。だが使いきりのまじないだ、次はない」

 

 制服に着替え終わり、俺は脱いだ病院服を袋の中に押し込んだ。まずはブラドだ。あの女のことはそのあと悩むことにしよう、まずは目先の問題からだ。

 

 

 




メグ→姉弟子。因縁の相手。最後は味方。

ルビー→兄の元カノ。色んな元凶。ナイフは貰った。

アバドン→政権交代失敗。暴君。祖父の敵。

クラウリー→たまに協力、たまに敵対、たまに家族。

以上、主人公の認識になります。


『……へなちょこだな、天使みたいだ』S9、1、ディーン・ウィンチェスターーー


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蜂蜜色の別離

「よぉ、初めまして、だな。雪平」

 

 ランドマークタワーの屋上には怪物がいた。異常に発達した筋肉、白い入れ墨のような線と目玉模様、その姿はジャンヌが書いてくれた絵によく似てる。巨大な人食い鬼、ハンターの物差しで測ればそんなところだ。毛むくじゃらの前腕、鎌のようになった鋭い爪はもはや牙と呼んでも差し支えない。一目見た感想を述べるなら──体全体が凶器となった巨大な人食い鬼。

 

 破れたスーツの残骸が辺りに散らばっているところを見ると、あの女の言葉は正しかったみたいだな。あのスーツはどう見ても眼前の化物が着れるようなサイズじゃない。歓迎ムードの挨拶を受けて、俺は傍らにいる魔女に視線をやる。

 

「もう引き返せないぞ、眠った虎を起こしちまった」

 

「ああ、まだ手始めだ」

 

 銀氷の魔女は表情を変えずにそう言い放つ。眼前にそびえている化物。こいつが小夜鳴の変身した姿──無限罪のブラドの第二形態。

 

「おぅジャンヌも連れて来たか。この組み合わせはパリで初代アルセーヌ・リュパンとやったとき以来だな。お前が来るのは驚きだがウィンチェスターのガキに感化されたか?」

 

「水も無しに砂漠を渡ろうとする馬鹿の姿を、見に来ただけだ。一族の私怨もないと言えば嘘になる」

 

 ジャンヌはかぶりを振った。双子のジャンヌダルクが初代リュパンと共にブラドと戦い、引き分けた話を俺はジャンヌから聞いている。ジャンヌの手には寸を詰めて幅広の鎧貫剣に造り替えられた聖剣デュランダルがあるが、その話によれば魔臓を聖剣で突いても奴は殺せなかったとか──強力な武器を使っても四つの魔臓を壊さないと奴は倒せない。

 

「知ってるぜ、雪平。てめえの手にはコルトはねえんだよなァ。あの武器だけは警戒するつもりだったがその必要もなくなった。てめえを干物にすりゃアルファの弔いにもなるだろ」

 

「やってみろ、こっちも()()()には因縁があるんでな。そのネズミのアパートになってる頭をぶっ叩いてやれば少しは気が晴れる」

 

「態度のデカさは噂どおりだな。てめえには聞きたいことがあってよ。お前──『煉獄』から帰ってきたらしいじゃねえか。どこかの能無しが流した噂だろうが、キャンベルとウィンチェスターの話は全てが控えめに語られてきた。てめえを串刺しにする前に、小夜鳴が聞いておきたいみてえでな?」

 

 ──煉獄、忌々しい単語に喉が詰まった。そこは死んだ怪物が行く世界、人間にとっての天国や地獄。天使と悪魔にとっての虚無の世界の役割を担う場所。

 

 煉獄について語られている書物は少くないが信憑性の高い資料はもっと少ない。煉獄のことを知りえるのは一度死んだ怪物だけだからな。言えることは煉獄は『世界』ではなく『監獄』であること。死んだ怪物が行きつく世界というのは後付けでしない、煉獄の本当の役割は()()の隔離。

 

「……キリ?」

 

「煉獄は生と死だけが支配する純粋な場所だ。あるのは怪物に殺されるか、怪物を殺すかの二つだけ。それ以外に語れることはねえよ」

 

 神崎には答えず、俺は一方的に話を切った。

 

「小夜鳴先生に伝えろ。煉獄にだけは興味を持たない方がいい。お前も俺たちもまとめて奴等に食い尽くされる」

 

「にわかに信じられねえが帰ってきたのは本当らしいな。こいつぁ、悪くない拾い物だ。よく帰ってきたな、雪平。祝福してやろうか?」

 

「笑わせんなメルマック星人。お前の祝福なんざ迷惑千万だ」

 

 だが、これで負けられない理由がまた一つ増えたな。退路がまた一ヶ所焼かれた気分だぜ。ヘリポートの陰には理子とキンジが、そしてブラドの前には神崎が二挺のガバメントの銃口を向けている。随分とわざとらしい威嚇の姿勢、ブラドの敵意を理子から自分に向けてやがったな。やるじゃねえか、ヴェロニカ・マーズ。

 

「神崎、まだやれるか」

 

「無理って言ったら?」

 

「お前は言わねえよ」

 

「……だったら聞かない。来るのが遅かったわね、パーティーは始まってるわよ」

 

「招待状をなくしてさ。だが増援は連れてきたんだ、チャラにしてくれよ」

 

「信用できるんでしょうね?」

 

「友だちが崖の上から落ちるのをほっとく女じゃねえよ、保証する」

 

 俺のショルダーホルスターにはジャンヌから臨時で借りたcz100がある。三挺の拳銃と聖剣が一本、魔臓を壊すための数は足りてる。勝敗の鍵は最後の一つを見つけるだけだ。ジャンヌが構えをとるのと同時に、袖から天使の剣を滑らせる。神崎はジャンヌに目配せし──

 

「いいわ、文句は言ってられない。連携は期待しないで」

 

「ほう、アリア。初対面より好印象だぞ?」

 

 そう言ったジャンヌの重心は左へ傾いている、左に駆けるつもりだな。つまり、俺が行くのは右だ。

 

「血統書付きの犬が2匹加わっただけだ。ジャンヌダルク、初代リュパンとやったのはエッフェル塔だったな。ガキ共とやるにはお誂え向きの場所だ。まァ……どいつも期待外れだろうがな」

 

 狂暴な目が、黄金色の輝きを放って俺たちを睨む。

 

「あたし達が期待外れかどうかは──捕まってから決めなさい」

 

「オレを、ぶちこむだと? このオレを、てめえらが檻に入れようってか? 人間と吸血鬼は餌と捕食者の関係だ。餌でしかないお前たちがオレを捕まえるときたか」

 

 ブラドは腹を揺らす。目の前で銀色の髪が靡いた。

 

「お誂え向きの場所と言ったな、ブラド。同感だ、ここならば、地上を凍てつかせる憂いもない!」

 

 その言葉が契機となり、ジャンヌがブラドの左側、俺は右側に散開してブラドを挟み込む。膨れ上がった下半身は人の比じゃねえな、歩く度に地響きが鳴ってやがる。あの巨体で踏みつけられでもしたら中も外もおしまいだな。

 

 ジャンヌの振るう剣が左足を斬り、一方で俺は右足を天使の剣で刺したが──太い。おぞましいジャンヌの太刀筋でも太い足は切断できず、傷口も煙が上がると何もなかったように塞がりやがった。太い腕が鎌のように前から迫り、俺は天使の剣を引き抜きながら背後に飛び退いた。何もない場所を通過したブラドの腕は睨んだとおりの凶器、これだと一撃で致命傷だ。

 

 それに比べて、俺とジャンヌの武器はブラドに何らダメージは与えていない。神崎の二丁拳銃から飛び出す大口径の弾も傷口から煙が上がり、次の瞬間には排出されてやがる。だが目玉模様の部位だけは別だ、傷は治ってるが流血の跡ができてやがる。例の魔臓だな、見える場所には三つあるが残りの一つは分からねえな。

 

「ガキ共、この程度で俺を逮捕できると思ってんのか?」

 

「焦るなよ、まだ戦いは始まったばかりだぜ」

 

「ラピュセルの枷!」

 

 刹那、ジャンヌの投げたナイフがブラドの足を穿つ。地下倉庫でキンジが受けた足を凍らせて動きを止める技だ。ジャンヌ、つくづく敵に回したくないと内心思うよ。今回はヤタガンの代わりに俺の貸したルビーのナイフから冷気が左足に広がっている。

 

「……おッ!?」

 

 楔となったナイフに縫い付けられた左足が、ブラドの巨体を静止させた。そして追い打ちをかけるべく、天使の剣で掌を切った俺は垂れる血で床に図形を描いていく。

 

「どこまでが、この程度だ?」

 

 足を捕らえられ、束縛されたブラドの視界を図形から放たれた閃光が焼いていく。図らずもジャンヌとの連係技にブラドは雄叫びにも似た悲鳴を上げた。

 

 日光ではないにしろ、激しい閃光はお気に召さなかったらしい。例の女には効果がなかったがブラドには十分すぎる足止めの効果。普通の吸血鬼なら、この隙に首を切り落として全部片付くが奴には魔臓がある。

 

 だが、殺せない相手には殺す以外のやり口もある。リヴァイサン──正真正銘の不死の怪物を相手にした経験が、妙に俺の心を落ち着かせていた。ヘリポートの縁に後退すると、ベレッタを抜いたキンジが合流する。身に纏う空気で分かるよ、どうやらなってるな例のきざったらしモードだ。

 

「遅かったな、遠山。私は逃げろと忠告したはずだが?」

 

「俺のご主人様は背を向けることを許してはくれなくてね。でも君が来てくれたことは驚いた。理由は聞かないけど、俺たちは千の味方を得たことになる」

 

「言ってくれる。お前も愉快な男だな、物事を掻き回すことが好きらしい」

 

 キンジとジャンヌのやりとりは貴重だ。横から眺めるのは悪くなったが──そんな時間はないらしい。止まっていた地響きが再開された。重苦しい殺気が地響きと共にゆっくり近づいてくる。

 

「……あんたの超能力、自力じゃ溶けないんじゃなかった?」

 

「三代前の双子のジャンヌ・ダルクは初代リュパンの力を借りることで奴と引き分けた。凍らせるだけで勝てる相手ならば優しいものだ。化物で済む話なのだからな。すぐにやってくるぞ」

 

「そうでもないわ。どうも気分が変わったみたいよ」

 

 動きを取り戻したブラドは携帯電話用の基地局アンテナに手をかけていた。俺たちには目もくれず、肥大化した腕でアンテナをむしってやがる。

 

「お次はなんだ?」

 

「良いニュースじゃないだろうさ。ジャンヌ、今は非常時だね。君から貰った情報をアリアと共有する。構わないかい?」

 

「既に私はブラドに刃を向けた。勝算がなければ、私が作る。可能である全ての方法を用いてな。アリア、遠山には伝えたがブラドには治癒力を司る器官が4つ、体のどこかに存在してる」

 

「……なによ、それ。その器官があいつの治癒の正体ってわけ?」

 

「ああ、器官には外側からでも分かるように目玉模様が描かれてる。そいつを同時に全部潰せば勝ちだ。奴は治癒力を失う」

 

 ジャンヌの説明を手短に補足すると、神崎は険しい表情でかぶりを振る。

 

「……とんでもないわね。心臓が4つあるようなものじゃない」

 

「悪いニュースってわけじゃない。魔臓は奴の体のどこか、デマオンみたいに宇宙に浮いてるわけじゃない。それを壊せば通常の武器でも十分なダメージが与えられる。バリアを剥がせば中は脆いもんさ。インデペンデンス・デイみたいにな」

 

「それなら今日が理子にとっての独立記念日になるわね」

 

「それ、悪くない言い回しだ。俄然やる気が出てきたな。ロキシーで独立記念日万歳と行くか」

 

 左右の肩と右脇の3つは分かる。残りの魔臓を探し出せるかどうかの勝負だ。最後の場所は過去に一度奴を見たことがあるジャンヌでも分からない。一ヶ所だけ目玉模様が消えているとは思えねえ、すると最後の魔臓は……普通では見つからない場所にあるのか。

 

「最後の魔臓は戦いながら探すしかないな。同時攻撃する時は──アリアがあの両肩の目をやってくれ。俺とキリ、ジャンヌの三人で脇腹と第4の目をなんとかする」

 

「……分かったわ。でもあたし、実はもう銃弾に余裕がないの。だから同時攻撃の時は『撃て』って言って。それまで、弾は節約するわ」

 

 弾切れ、か。神崎のガバメントはキンジのベレッタとの互換性がない。この中じゃ大口径を使うのは神崎だけだしな。使用者以外に.45ACPなんて持ち合わせてねえ。だがそこはSランク、神崎は背中から日本刀を2本抜いて武器を切り替えた。

 

「……人間を串刺しにするのは久しぶりだが、串はコイツでいいだろう。ガキ共、作戦は立ったか?」

 

 その場にはいなかった第三者の声で会話は打ち切られた。下劣な笑いを浮かべるブラドに全員の視線が集まると、その手に握られた物に戦慄が走った。口から刃物のような牙を見せるブラドの手には……へし折られたアンテナが金棒のごとく握られている。野郎、無茶苦茶しやがるぜ。とんでもない方法で武器を確保しやがった。

 

 串に見立てられたアンテナの重量感は考えるまでもねえな。あんなモノを振り回されれば、下手な建物や車なんて数分と持たず破壊される。種も仕掛けもねえ、力の塊みたいな武器だ。そして力の塊みたいな凶器を操れるブラドの腕力も人間を殺傷させるには十分すぎる。だがそいつがどうした、地獄の猟犬に体を引き裂かれるわけでも魔王と同じ檻に入れられるわけでもない。怯むにはまだ足りねえよ。

 

「作戦ならあるぜ、諦めないって作戦だ。大天使や悪魔の親玉、神の姉さんとだって戦える最強の作戦だよ」

 

「雪平、ウィンチェスターが厄介事を解決してきたのは認めてやる。だがその厄介事の半分を招いたのはお前たち自身とも聞く。てめえで撒いた種を枯らしては新しい種を撒く。自分で死を媒介してる自覚はねえのか?」

 

「──あるよ。考えたら止まらない。問題が解決したらまた別の問題がやってくる。いや、問題を解決する方法が次の問題を引き寄せる鍵になってる。どれだけ戦っても最後には血を見る、死の騎士の指輪なんて持ってねえのによ」

 

 ああ、お察しの有り様だよ。だが──

 

「だが、俺はハンターだ。怪物が関わってるなら傍観者じゃいられない。どこまで逃げても最後には戦うことを選ぶ。そういう『役』を演じる運命みたいだからな」

 

「遠回しな発言と意味深な発言を混ぜてるだけだ。聞くに耐えねェ」

 

 どすっ、とアンテナが落ち、屋上に地響きを立てる。

 

「ホームズ四世。雪平とリュパン四世に付いたのは間違いだったな。出来損ないは出来損ないを好むと言うがおめぇもホームズの推理力がまるっきり遺伝していないと聞いたぞ。物事を引っ掻き回す才能はともかく、肝心な部分が抜け落ちてるのは致命的だな。人間は遺伝子で決まる。優秀な遺伝子を持たない人間は──すぐ限界を迎えるからな。お前らの血は交配用として使ってやら」

 

「何度も何度も遺伝子とばかり、他の言葉を知らないのか?」

 

 遮ったのはジャンヌだった。

 

「もしやり直しを求めるのならば、それは過去ではなく今からだろう。やり残したことがあるのならば。それは過去に戻ってやり直すのではなく、この瞬間から、成し得なかった願いを、築いていかなければならない。理子に才能が受け継がれていないのであれば、彼女が培ってきた努力は、決して間違えではない。理子は既に答えを得ているのだから」

 

「ジャンヌ、リュパン4世に肩入れしてどうなる。平穏に嫌気が差したか?」

 

「平穏は欲しい、だが友人は捨てられない。分からぬかブラド。そんなものより、私は理子の自由が欲しいと言ったのだ」

 

 なんだよ、理子。頼れる理解者がここにいるじゃねえか。ああちくしょう、ちくしょうめ、いい女だ。いい女だぜ──ジャンヌ・ダルク。ここまで言われると俺が怯むわけにはいかない。いかなくなった。

 

「早死にする理想主義だ。ホームズ4世、てめえも犬……友人の自由とやらを望むのか?」

 

「あたしは理子の友人じゃないし、思ったこともないわ。理子はママの敵よ。けど、あたしが理子と一緒にいる理由は三つある」

 

 そして神崎も語りだす。

 

「一つ、あたしも理子もやるべきことがある。二つ、そのために倒すべき共通の敵がいる。三つ、だからあたし達は自分たちの意思で手を組んで一緒にいる。それを友人と呼ぶのなら好きに呼べばいいわ」

 

「欠陥品同士が手を組んだだけだろう?」

 

「発想のまずしいあんたには分からないでしょうね。先天的な遺伝だけで人の価値は決まらない。教えてあげるわ、邪悪な意思が自己正当化の道をたどる時、それがどんなに愚かな未来に続いているのかを」

 

 揺れねえな神崎。お前の意思は。無限罪のブラド、串を持った姿はそこに存在するだけで凄まじい威圧感を放ち、歩く度に地が揺れる。だが、俺たちの考えは満場一致、退路の選択肢はない。闇の中に佇立する怪物が、黄金色の目を細める。

 

「お喋りは終わりだ。遠山、率いてんのはてめえだな。覚悟はできたか?」

 

 分かってるよ。どうせいつもみたいに、きざったらしく答えるんだろ。そしてお前はなんとかしちまうんだろうな。なんとかするんだよ、遠山キンジって奴は。

 

「理子、死は避けられない。人はいつか死ぬ」

 

 三点バーストのベレッタM92FS。平賀さんに改造された拳銃が静かに構えられる。

 

「俺も死ぬし、切も死ぬ」

 

 死は等しくやってくる。神でさえ、最後は死の騎士に迎えられる。

 

「みんないつか死ぬ」

 

 ヘリポートの隅にいる理子へ向けて、キンジは言い放った。

 

「──だが今日じゃない」

 

 ぴきっ、と何かが砕け散った。それは雪の結晶だった。ランドマークタワーの屋上に猛烈な冷気が舞う。その寒気が夜の肌寒さのせいじゃないのは皆知ってる。それはかつて地下倉庫で見せた銀氷の魔女の切札。

 

「痛いのをぶっ食らわしてやれ! ぶちこめ、聖女様!」

 

 長話で力を蓄える時間は十分あった。聖剣に蓄えられた青白い光は、瞬く間に奔流となってブラドに向かい、地を這っていく。

 

「──『オルレアンの氷花!』」

 

 光る氷の結晶の渦が、蒼い砲弾となってブラドを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ランドマークタワーの屋上は巨大な氷の花が咲いたように広く凍結している。オルレアンの氷花──ゾッとする威力だよ。大木みたいなブラドの体を丸ごと飲み込みやがった。人を氷像に変えるくらいはわけねえよな。

 

「……どうするのよ、手錠嵌まらないわよ?」

 

「けど、このまま氷像を引き渡すわけにもいかねえだろ。ジャバ・ザ・ハットじゃあるまいし」

 

 串に見立てられたアンテナごと、ブラドは氷像に変えられ沈黙している。ラピュセルの枷と呼ばれた最初の一撃は足を止める程度だったが、今度は全身と周囲の床まで凍結が広がってる。完全なる沈黙、眼前にはあるのはまるで氷の牢獄だ。

 

 だが、俺たちの誰もが心のどこかで警戒を緩めてはいなかった。攻撃を放ったジャンヌ自身が言ったことだ。『凍らせるだけで勝てる相手じゃない』と……一転、氷像に亀裂が走り、皹が広がっていく。

 

「──!」

 

 ブラドを閉ざしていた氷の檻は倒壊し、嵐のような咆哮が耳を殴り付けた。服が、髪が、揺れていく。風じゃなく、音による振動で。怒り狂った雄牛のごとき雄叫びに俺たちは武器を落として両耳を塞いだ。心臓が跳ね、暴れる眼球を瞼で必死におさえこむ。全身の骨が異様な音を立てながら鳴る。体が沸騰し、何かが全身を這い回るような悪寒。内蔵を掻き回されてるみたいだ……

 

「──ガキ共。ワラキアの魔笛を聞いた気分はどうだ?」

 

 聞きたくなかった声が屋上に広がる。尻餅をついた神崎、ジャンヌは膝をつき、俺とキンジはどうして立てているのか不思議でならない。鼓膜が破れていないことに驚きすら覚える。アンテナはなくなっているがそのプレッシャーは顕在だ。神崎には小さくないスタン効果、キンジも酷い冷や汗を掻いてやがる。何かあったのか、今のブラドの咆哮で。

 

「ど……ドラキュラが、吼えるなんて……聞いてないわよッ!」

 

「……吸血鬼として見ない方が懸命かもな。なんともお行儀が悪い、繊細さは瓦礫の底か」

 

 しこたま酒を飲んだ後みたいな視界の中で俺はジャンヌから借りたCZを抜いた。ディーンの歌とルシファーの目覚ましと良い勝負だ。

 

「あ、あんた……トーラスはどうしたのよ?」

 

「さっき休暇に出ちまってな。これが終わったら花束持って迎えにいくよ」

 

 ジャンヌの銃だ。俺に扱いきれるかは分からねえがやるしかねえ。どこに流れるかは分からねえがな。ハイジャックでやった付け焼き刃の一剣一銃にまたしても手を染める。染めるしかないが──

 

「立ち尽くすな。なんとかしろキンジ!」

 

「なにやってんのよキンジ! もう殺傷圏内よバカっ!」

 

 ちくしょうめ、ブラドの前で仁王立ちかよ。頭がおかしくなったのか。頭を捻り潰されるぞ。総毛立つ思いで叫ぶと、弾丸のように飛び出していた神崎がブラドの脇腹を貫いていた。刺さった刀を一本だけ抜き、残った刀を足場に再度跳躍すると胸に一太刀。流れるように攻撃を浴びせる。そのお陰で、動きの止まったブラドの右目への照準は容易だった。

 

「──ガン飛ばすんじゃねえ!」

 

 神崎に続き、ジャンヌから借りた銃で攻撃に出る。放たれた弾丸が黄金の目を捉えるや青白い閃光が眼孔から吹き出した。

 

「何をした……?」

 

「猫の手も借りたいときだったからな。下衆の手は貴重。知恵を借りたんだよ、聖女様。神の書記の知恵」

 

 眼孔を捉えたのは、かつてメタトロンが提案した天使の剣を溶かして作った特殊な弾丸。材料が材料だからな、威力は折り紙付きだ。魔臓の恩恵で不死身に近いブラドだが、やはり痛覚までは消せていない。眼孔を天使の剣で刺せば誰だって立ち止まる。照準越しに巨体を見据えると、ブラドは光の吹き出した目をごつい手で覆い隠し、雄叫びを上げている。

 

 ブラド、お前に言わせれば俺やアダムは欠陥品だ。兄貴と違って天の使いに祝福を受けて生まれた存在じゃない。お前の大好きな優良種の血統としては不完全、欠けてる。だが欠けていたからこそ、俺はこの地を踏むことになった。それだけは感謝してる。逃げたことで巡り会えた出会いがあった。お空の上から逃げた大天使が異教の神に惚れちまったみたいにな。

 

「……雪平ァァァァァ!」

 

「ああ、そうだよ。俺は雪平だ、人間に味方した大天使と同じ。家族から逃げてきた一介のハンター、てめえの言う欠陥品だよ」

 

 だから、これは同じ出来損ないの家族からだ。標的を俺に固定したブラドが怒号のごとき足音を鳴らす。俺も制服から透明の瓶を取りだし、ライターを捻った。瓶に栓をしていた赤い布にライターから火が燃え移る。

 

「おい」

 

「あァ?」

 

 片目を押さえるブラドを呼び、俺は全力で腕を振りかぶった。

 

「言いたいことを纏めてやる。お前などヤギの口と交わっていればいい──くらえ、ケツ野郎!」

 

 乾いた音と同時に瓶がブラドにぶつかる。次の瞬間、燃料が飛散し、ブラドの巨体に火の手が上がった。聖なるオイルを使った特注の火、天使の剣の弾と合わせて出血大サービスだ。かつてミカエルが音を上げた火は吸血鬼でも効果なしってわけにはいかない。貴重な聖油を使った火炎瓶は前進あるのみだったブラドの足を止めた。似合ってんぜゴーストライダー。

 

「……聖なるオイルの火炎瓶か。原始的な発想だが笑えないな。誰が考え付いた?」

 

「トレンチコートの似合う元神様だよ。すぐにクビになったけどな」

 

 まあ、ジャンヌにすりゃ悪夢のような武器だろう。だが感想を話し合うのはロキシーでやったほうが良さそうだ。足止めにはなれどトドメには届かない。

 

「ねえ、今のであいつの魔臓もなんとかならないの?」

 

「いいや、それは無理だ。俺の手元にはもうオイルがない、それに見てみろ──火が沈火していきやがる。あれも魔臓の恩恵だ、俺もここまでとは思ってなかったよ」

 

 燃え盛るブラドに焦点を合わせたまま、俺はかぶりを振る。浴びせた火は独りでに沈火し、ブラドの体が元の黒い夜に姿を見せていく。普通に考えりゃ火傷も治癒能力の範囲内だ。攻撃は当たるが手応えのないまま、手元のカードだけが消えていきやがる。

 

「要は倒せないってこと?」

 

「一等航海士ギブスくんの言葉を借りれば、怒らせただけ。クラーケンをな」

 

 明るい火の手が消えたとき、ブラドの殺気はこれまで以上に濃密に膨らんでいた。黄金の瞳から憎悪が覗く。本気で怒らせちまったな。

 

「人間は犬、俺たちの餌だ。だが雪平、てめえが餌にならねえのはよく分かった。連携も何もありゃしねえ。てめえは好き放題に動いて、周りを引っ掻き回して煽る。味方にいても敵にいても不利益を撒き散らすだけだ」

 

「今頃気づいたのか。不利益を撒き散らして、泥を撒いて生きてきた。だからだよ、理子も夾竹桃も俺を" Wanheda "って呼ぶのはな」

 

 天使の弾丸は一発限りのカード。猛進するブラドの足に9mmパラベラムをあるだけ打ち込むが足は止まらない。弾倉をリリースすると同時にジャンヌと神崎が左右から斬りかかる。どこだ、どこにあるんだよ、魔臓はどこにある……?

 

「ガキ共。串刺しで済むとは思わねえことだ。いや、分かりやすく言ってやるか。血の一滴まで捧げな」

 

 徐々に戦況が崩れ始める。CZの残弾が僅かとなり、超能力を酷似したジャンヌの動きが鈍り始めた。キンジもベレッタで応戦するが命中精度も動きも例のモードに及ばない。俺たち全員が勘づいてる、この戦いは劣勢だ。

 

 振るわれた剛腕がデュランダルに激突する。肉を切らせ、傷から白煙を上げたままブラドは腕をスイングしやがった。食い込んだデュランダルごと、ジャンヌの体が背中からヘリポートに叩きつけられた……やりやがったな、それは人が鳴らしていい音じゃねえぞ……ッ!

 

「神崎、ジャンヌを救出だ! 急げっ!」

 

「分かってるわよッ!」

 

 残り少ない弾でブラドの両目を狙うが、ちくしょうめ。百発百中とはいかねえ、無駄な弾が流れていきやがる。ジャンヌはお前の主だろ、今は俺の言うことを聞いてくれ。

 

 俺とキンジの足元で排出された空薬莢がこれでもかと転がっていくが、標的を沈黙させるには足りない。神崎がジャンヌを抱えて離脱するが倒れたジャンヌは、戦える状態じゃなさそうだ……劣勢だってのに戦力が一人欠けやがった。冗談じゃない、致命傷だ。

 

「残りは三人だな。遠山、四人であの有り様なら勝負はついてる。選びな、引き裂かれるか、潰れるか。お前はどっちが好みだ?」

 

 ブラドが歩いてくる。濃密な殺気と明らかな戦闘の意思が見える。残ったカードで有効な手を探すには時間が足りない。裂けた口が視界いっぱいに開いたとき、ブラドの首に黄金が見えた……闇にも負けない明るい蜂蜜色が。

 

「──いつから四人だと、錯覚してたんだ?」

 

 俺は目を疑った。髪だ、ブラドの首に金色の髪が巻き付いてやがる。あれはハイジャックで理子が見せた髪を操る力だ。理子が、ブラドの背後を取りやがった……首に髪を巻き付けてブラドの背後にしがみついてやがる。

 

「──4世ッ!」

 

「ずっと待ってたこの時間を。アリア! キンジ! キリ!」

 

 ああ、分かってるぜ。俺たちは一瞬で理解できた。潜んでいた理子が姿を見せた意味。あいつは知ってるんだ、最後の場所を。神崎がガバメントを抜き、両手に二色の拳銃が収まる。これで拳銃は四丁、魔臓の数に追い付いた。

 

「あたしはお前みたいに笑えない。お前に檻に入れられたときから、心の底から自由を味わえたことも笑えたこともない」

 

 理子の髪の先端に何かが巻ついている。刻印の刻まれた刃物……あれはジャンヌに貸したルビーのナイフだ。

 

「勝負がついてるとか笑えない。ブラド、あたしはお前を倒さない限り──笑えないんだよ」

 

 理子の髪が動く。それが発砲の合図になった。神崎は両肩を、俺とキンジは脇腹の目玉模様を同じタイミングで撃ち抜いた。そして理子が操るルビーのナイフがブラドの……口を貫いた。

 

「理子……!?」

 

 動転するキンジの前に、くるりとルビーのナイフをほどいた理子が着地した。そうか、口じゃないんだな。ブラドの最後の魔臓の位置は口に隠れてる舌だ。悪魔や怪物の嫌うルビーのナイフを舌に突き刺すとはなぁ。理子、お前は顔に似合わず、本当にえげつけないことをする女だよ。

 

「ばぁーか!」

 

 皮肉を込めて舌を出した理子の後ろで、大木が沈むような音がする。実際、ブラドは大木だ。下敷きにされたら人なんて潰れちまう。前のめりに倒れたブラドに俺がかける言葉はあれしかない。

 

「yippee- ki-yay。ざまあみろ」

 

 神崎が理子に駆け寄ろうとしたとき、強烈な稲光が鳴った。神崎がまた尻餅ついてやがった。そういや、神崎は雷が苦手なんだっけか。ハイジャックは台風と出くわしたが今夜は雷か。理子は悪天候と何か縁があるのかもな。倒れたブラドにキンジが肩をすくめる。

 

「アリア、どうすんだ?」

 

「どうするもないわ。暇な増援がやってくるのを待ちましょう。こんなの人力で運べないわ。派手に騒いじゃったし、誰かが通報するでしょ」

 

「騒音被害や小火で済まねえだろうな。ロキシーでコーラを飲めるのは何日先になることやら」

 

 腫れ物には触れたくない連中も夜明けがくるまでには重い腰を上げるだろうさ。まあ、今度は俺がジャンヌを連れて病院に走る番だな。ブラドに性質が近い怪物と俺は過去に出会ってる。小夜鳴が興味を抱いていた煉獄は本来その怪物を幽閉する檻のことだ。神が彼等に付けた名前は──リヴァイアサン。だが名前と違って嫉妬には無縁の連中だ。頭の中にあるのは食うことだけ。無尽蔵の食欲であらゆる生き物を食い散らかす、人間や同じ怪物さえもだ。

 

 人間よりも遥かに古く、厄介な生き物。奴等は不死に近い。寿命はなく、手足を切り落としてもすぐにくっついて再生する。俺たちは首を切り落とし、殺すのではなく体の自由を奪うことで奴を処理した。動かなければ生き物を食うこともできない。そしてリヴァイアサンを倒せる武器は一回限りの消耗品だった。だから兄貴は武器のダミーを作って二段構えの策を立てた。失敗を見せつけ、相手が勝ち誇ったところで勝負に出る。理子と同じだ、不意を突いた。

 

 魔臓の破壊に一度でも失敗すりゃ、ブラドは警戒を強める。そうなったらチャンスはなかった。奴の魔笛の攻略の糸口なんざ、俺たちにはなかったからな。

 

「なあ、理子。魔臓って結局何だったんだ?」

 

「魔臓は人間にはない小さな内臓だよ。吸血鬼の無限回復力は魔臓で支えられてる。壊されると伝承に伝わってる吸血鬼の弱点が全部復活して、ブラドは日光の下を歩けなくなる。銀は猛毒に変わるし、ニンニクには強力なアレルギーを起こす」

 

「夜明けが来たら蒸し焼きってことね」

 

 ……弱点。例えられない寒気がして、俺は倒れたブラドに視線をやった。ブラドは吸血行為で自分の弱点を克服した。アルファや旧来の吸血鬼にはない日光や銀への耐性を血で獲得したんだ。

 

 

 なら、どうして血が流れていない?

 

 

 弱点を補っている要因がどうしてブラドの体から外に出てこない?

 

「……違う」

 

 体が痺れ、瞳が裂けんばかりに見開かれる。この感覚を俺は覚えている、とんでもない勘違いをしたとき──ルシファーの頭にコルトを撃ち込んで勝ちを確信したときと同じ感覚。一瞬、体が浮いたことで俺は悟る。戦いは終わってなかった。

 

 下卑た笑い声とほぼ同時に視界が真っ逆さまに逆転する。右横腹が切り取られたんじゃないかと思った。

 

「Fii Bucuros……ガキなりに創意工夫は認めてやろう」

 

 ……化物め。魔臓は全部潰れたんじゃねえのかよ。自分でもどうして受身を取れたのか分からない。あの女との連戦でオーバーワークなのは分かってたが天使の剣で突っ込むには足が言うことを聞かねえぞ。

 

「四世、お外の景色は十分堪能しただろ。放し飼いの時間は終わりだ。てめえが集めた犬は串刺しにして、死体はお前の檻に投げこんでやる。遠山の死体でも見れば外に出ようとする気も無くすだろ?」

 

 ……駄目だ。理子の目が戦意をやられてる。伸びる腕が理子を捕らえようとして、キンジが飛び込みやがった。いや、それよりもあいつが手にかけてやがるのは……

 

「窮鼠を猫を噛む。ブラド、人間を刺激すると何をするか分からないんだぜ?」

 

 理子を抱えて背中を見せたキンジが、その置き土産をブラドに投げつけた。それは理子が前からお気に入りと言っていた懐中時計だった。どうして時計をブラドに投げたのか。俺は夾竹桃から懐中時計の仕掛けを前以て聞いていた。音響は減音してるがそれは理子特注の偽装閃光弾。空間を焦がすような閃光を至近距離で浴びたブラドは、獲物を捉えていた視界を失った。

 

 間一髪のエスケープ。俺たちは横並びで武器を構えるが、仕切り直しとはいかない。武器も体力も取り返しがつかないところまで消費してる。確認するまでもなく劣勢だ。聞きたくもない地響きのような足音を再び耳が捉える。

 

「しつこいやつだ、食らいついたら離れないって顔。吸血鬼の映画はしばらく見ないで済みそうだな」

 

「それには同感。理子、あたしが何を言いたいのか分かるわね?」

 

「アリアの言いたいことは分かってるよ」

 

 十中八九、神崎が聞きたいのは魔臓のことだ。それについては俺やキンジだって聞きたい。魔臓への攻撃は成功したのにブラドは現在進行形で平然と活動してる。理子は俺たちに目配せして話を続けた。

 

「魔臓はよくできてる。一個でも残ってれば、他の三個をほんの一秒もかからず治せる。裏を返せば同時に魔臓を機能不全するには一秒……余裕があると思ってた」

 

「理子の見立てより魔臓の再生速度が早かったんだね」

 

「他には考えられない。あたしだって匙を投げてやりたいところだ」

 

「……ああ、そいつは同感。こいつはヘビーだ」

 

 理子には戦闘続行の意志が戻ってるが、一秒の誤差もなく4つの魔臓を機能不全にしないといけない。しかもブラドは一度弱点を狙われて警戒してる。

 

 理子が最後の魔臓の場所を知っていることも筒抜けになったんだ、それを踏まえて立ち回るのは間違いない。伏せていた手札は使い切った、さっきみたいな奇襲の一手はもう使えない……ヘビーだな。

 

「正面から立ち回っても勝機は見えないな」

 

「色男、今日は一段と変化が目まぐるしいな。どうやってオンとオフを分けてんだよ?」

 

「綺麗な華が二輪、変わらないと失礼だよ」

 

「悪いな、砂糖はいらないよ。エッグノッグ飲んで今夜はお休みだ。お前はその両手の華、絶対に離すんじゃねえぞ?」

 

「キリ! このドベ! こんなときに変なこと言わない!」

 

 誰がドベだよ、ちくしょうめ。

 

「神崎、弾はまだあるんだろ?」

 

「……あるわよ。最後に二発だけ隠してある」

 

「理子もあるよ、とっておきのが」

 

 キンジの相棒は言うまでもないな。平賀さんの恩恵を受けたベレッタが本当に勇ましく見える。

 

「こいつが最後の作戦会議だ。俺がブラドの動きを止める。その先はなんとかしてくれ。時間がねえから反論は聞かねえぞ」

 

 殺気立つブラドを見据え、俺は制服の内側からスキットルを取った。非常用に用意した最後の一本を。

 

「切、まだ切ってないカードがあるのか?」

 

「ああ、だが長くは足止めできねえ。捨て石になってやるから外すなよ?」

 

 スキットルの中身は血だ。俺の超能力を発動させるキッカケ。ジャンヌがダウンしてるのは悪いが好都合だよ。あいつはこっちの事情に詳しいからな。止められなくて済む──神崎たちの前に出るように先だってブラドとの距離を縮める。

 

「ブラド。お前もさあ、そろそろ楽になれよ。暇人」

 

 金色の瞳が不気味に弧を描いた。

 

「勝負を投げたか?」

 

「まさか、お前も知ってるだろ。いつだって勝ち目のない勝負を犠牲だらけの苦い勝利にまでもっていくのがウチのお家芸なんだよ。確かに俺たちは死ぬ、みんないつか死ぬ、だが──今日じゃない」

 

「ハッ──いくらでも頭を捻れ。その頭も砕いてやるがなァ!」

 

「サイズが小せえ服ばっか着てるから頭に血が回らねえんだよ。そっちこそ降参するなら今のうちだ、早く言わないと肺をひとつ叩き潰す──コンチネンタルホテルに逃げるなら今のうちだぞ?」

 

 こうなりゃ得意なことを存分にやってやる、狩りだ。微動だにしないブラドの前でスキットルを呷る。不味くて堪らないその災厄の血を嚥下した途端、目が焼けるように熱を持つ。まるで強膜に熱を吹き掛けられたように──

 

「あんたその目って……」

 

「化物を倒すには化物の力を借りればいい。5才の子供だって分かる、簡単な理屈だよ」

 

 変化はすぐに訪れ、肩越しに神崎へ俺は言葉を返す。そしてもう一度、一蹴するべき存在に視線をやった。変色しきったその瞳で──ブラドを射る。

 

「退路がない人間ほど、最後には凄まじい抵抗を見せる。それを教えてやるよ」

 

「まるで奈落の底の様な眼をしやがって、人の形をしているくせになんて様だ──お前、何に魂を売った?」

 

「決まってるだろ」

 

 俺は完全に色を失い、あり得るはずのない透明となった目のまま答える。

 

「──悪魔だよ」

 

 最初の悪魔──リリスと同じ透明の瞳で。

 




次回でブラド編解決です。本作では聖なるオイルと図形を多用しておりますが、お時間を頂き解説するとスーパーナチュラルにはコルトや天使の剣以外にも色々な道具が登場します。

中には相手を塩に変えたり、大量の虫を使役したり扱いに難しい物もありますが風呂敷が畳める範囲で登場させていきたいと思います。


『お前などヤギの口と交わっていればいい』S5、17、カスティエルーーー




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峰理子

 

 

 ひび割れた壁のモーテルで、いつもは空っぽの頭で息をしている自分が、そのときばかりは真顔で言った気がする。二番目の兄は白塗りのピエロが嫌いだし、勉強と野菜が大好きで高いところも飛行機だって平気だ。一番目の兄はピエロはへっちゃらな上に、野菜も勉強も嫌いで飛行機に乗るとパニックを起こす。

 

 何もかも正反対だ、とそう言った気がする。不思議そうに、たぶん少しだけ不安そうに。

 

 兄弟なのに、と聞いたので、兄弟だからだ、と一番目の兄は答えてくれた。兄弟だからこそお互いの欠点を庇い合えるように、互いに助け合って生きていけるように、亡き母が知恵を絞ってくれたのだ、と。

 

 得意気に言える顔が、少し羨ましくて、そんな答えは予想していなかったから呆気に取られてしまい、誤魔かすようにコーラの瓶を呷った。

 

 自分が二人の欠点と長所を同時に持ってしまったのは、二人の兄が仲違いしたとき、そのどちらの味方にも、どちらの敵にもなれるようになのかもしれない、家族の喧嘩を仲裁する為に。そう思うと、なぜか少し、おかしかった。

 

 

 

 

 濃密な殺気を向けられ、今度こそ原型を留めていない眼で眼前の巨体と視線を結ぶ。殺気を溜め込んだ黄金の瞳が、ほんの微かに細められた。

 

「──どいつもこいつも手を出したがらねえわけだ。首こそ繋がっちゃいるが頭がやられてる」

 

「いいや、お互い様だ。頭のなかがネズミのアパートになってるのはな」

 

「初めて見るぜ、雪平。口から泡を吹いた狂犬に自分からなろうとしてるは馬鹿はよォ」

 

 場違いにも指を鳴らした次の瞬間、ブラドから嗚咽が漏れた。ワラキアの魔笛──ブラドがそう呼んでいた空気砲は不発に終わり、僅かに膨らみかけた腹部が元に戻る。慢心している言動とは裏腹に、効果の見込める技で不意を狙っていたのだろう。現に狂った声量から放たれる咆哮は凶悪極まる飛び道具だが、燃料となる空気を溜め込む予備動作は派手だ。

 

 好き放題に浴びせてくれた殺気のお返しに、俺は悪魔の血と一緒に得た念動力で、空気を溜め込もうとしたブラドの腹を殴ってやった──ルシファーのように指パッチンで相手を塵や煙に変えることはできないが、深呼吸してる相手を悶絶させることはできる。先手を阻まれ、逆に不意の一撃を浴びせられたことで、黄金の瞳からはこれ以上ない怒りが滲み出ていた。そして、心底不機嫌そうな声で、

 

「……ふざけた()()がまだあるって面だな。今度は何だ、他のお友達でも呼んでくるか?」

 

 大木のような足音が一歩前へ、鏡合わせのように俺もヘリポートの地を蹴る。化物との連戦で鉛のように重かった足も血を飲むまでの話。スキットルを放り投げ、主から離れて転がっていた聖剣をインスタントの超能力で素手になった手に引き寄せる──

 

「ちょっと借りるぜ、聖女さま」

 

 首どころか体が両断されそうな勢いで振り払われた棍棒は、一時的に水増しされている反射神経と身体能力に物を言わせて掻い潜る。指を鍔に添えることも、鯉口を切ることも、牽制や威嚇と呼べる行為は皆無。とうに外気に触れているデュラルンダルの刃を、膨れ上がった体へ飛び掛かるようにして一閃。悪趣味な目玉模様の一つを斜めに引き裂いた。

 

 新たな傷が生まれた刹那、数秒の早すぎる治癒が始まるが魔臓を狙えばやはり足は止まる。一度は全部の魔臓を狙われたことで警戒心はこれ以上ない、一つでも傷つけば無意識に足が止まるようになってるんだろう。俺たちをぐちゃぐちゃにしたい気持ちはあれど、万一にも魔臓を潰されて敗北したくない気持ちが、あの化物に慎重な行動を踏ませている。

 

 誰だってそうだ。憎い相手は殴りたい、だが危険な橋は渡りたくない。人間も吸血鬼も。

 

「──死ね」

 

「いたしません」

 

 再度、凶器が振り払われる。異常な程はっきりと見えるその軌道から、体を倒して安全圏に。頭上に響いた空気を切り裂く音を尻目に、一度斬りつけた脇にある魔蔵に真横から一閃。計二度のカウンターを与えて、触れると即死のふざけた間合いの外まで下がる。

 

 ブラドの第二形態がそうであるように、悪魔の血でドーピングした俺の動きもさっきまでとは1ランク上の場所にある。気を抜けば、自分とは違った別の何かに意識を奪われそうになる感覚。恩恵とリスクを同時に持たらしてくる連中の血を強引に黙らせ、のたうち暴れまわるそれに鞭を振るって使役する。 

 

 スキットルの血の量から測るに、この恩恵を受けていられるのも数分そこいら。悪魔の元カノ(ルビー)から定期的に血を吸うことで自分の体に馴染ませていた兄とは違い、その場限りの最後の手段として血を飲んでいるだけの俺は、そこまでこの栄養剤と相性の良い関係にはなっていない。ましてやさっき飲み干したのはあの胡散臭い悪魔(ベルフェゴール)の血なんだからな。吐けるものなら吐きたい気分だ。

 

 少なくともこれが今の俺に切ることのできた最後で最強のカード。制限時間内に魔臓を警戒するブラドの動きを完全に止めて、背後の三人に目玉模様を撃たせる──それができれば勝ち、できなければ負ける。

 

「キリ、骨は拾ってやらないわよ!」

 

「頑張れの一言もないわけ?」

 

「応援なんて、無理矢理言わせても意味ないでしょ」

 

 実に神崎らしい言葉に、デュランダルの柄を握り直す。夜のヘリポートで聞こえるのはブラドの地響きにも似た足音のみ。餌はくれてやった、後は()()の機嫌次第か。自嘲めいた笑みと共に、下卑た笑いを浮かべるブラドに疾駆。他の一切を考えず、ジャンヌの聖剣を眼前の怪物に振るう。

 

 真正面から愚直に斬りかかるのは俺のみ。しかし、一度魔臓を狙われてしまったブラドにしてみれば、後方に控えている三人の存在を無視することもできない。一対一で切り結ぶより、今の状況はずっと勝ち目がある。双眸を怒らせ、振るわれる腕を改めて避ける。カウンターで振るったエストックに裂かれた腕の切り口から、派手に白煙が上がった。

 

「Fii Bucuros、ちっとは驚いたがそれまでか?」

 

「ちッ……!」

 

 ──早い。回避できない一撃にデュランダルとむしられたアンテナがぶつかり、ふざけた衝撃が頭から足の先まで駆け抜けた。

 

 トラックに跳ねられたような勢いで後ろに飛ばされ、視界が上下左右に目まぐるしく入れ替わるが体で暴れて止まないふざけた血が、こんな状況でも曲芸染みた着地を可能にしてくれた。

 

 ……なるほど、非常時以外に服用していない俺でもこの有り様だ。道理でリリスもアラステアも一蹴できたわけだよ。冷蔵庫に入れときたいとは思わねえけどな。後ろにふっ飛ばされたことで、すぐ背後には神崎やキンジがいる。そして、

 

「今のお前にデカいブーストがかかってんのは認めるよ。あたしとやったときの比じゃない」 

 

 二人より少しばかり前に出ていた理子が、横目を飛ばしてきた。

 

「安心しろ、非常手段だ。たぶん次はない」

 

 乱れそうな呼吸を整え、そう口にする。

 

「でもさっきの調子で夜明けまで引き延ばそうとしてるなら無駄だ。魔臓をどうにかしないと、紫外線もブラドには有毒にならない」

 

 苦々しく、本当は認めたくない声で理子はそう言う。こちらを窺うように足を止めているブラドを冷ややかに一瞥し、俺は理子に向けてゆるくかぶりを振った。

 

「餌は撒いた。もう少しだけ、そこで二人と肉薄しててくれ。足だけじゃない、完全にブラドの動きを止めてやる。あれだけ一族の因縁にこだわってたお前が神崎と手を結んだんだ、俺も気に入らない手の1つや2つは使ってやる。だから、お前は魔臓をぶち抜くことだけ考えてくれ、俺のルームメイトと一緒に」

 

 それに、

 

「あいつらのことはよく知ってる。吸血鬼の友達がいるからな。お膳立ては俺に任せてろ。化物を倒して、人を救う。それが我が家の仕事だ」

 

 ああ、家出した罪悪感を晴らすとするさ。ダブルワークだろうが、海を渡ろうが、結局はまだハンターでいるんだからな。地下倉庫では、星枷とキンジと神崎の三人に最後は丸投げだった。だから今夜は最後まで働いてやる。後味の悪い結末は本土で飽きるほど見てきた、今夜はまともな結末にしてやる。

 

「いつだってそうだ。どいつもこいつも自分から率先して酷い目に会いにくる」

 

「俺たちは酷い目にしか会ってねえんだよ」

 

 再開された足音に俺と理子の視線が同じ方向を向く。

 

「4世、頭数だけは揃えたみてえだが所詮は欠陥品の寄せ集めだ。ガキ共、まだこの俺に勝てると思うか?」

 

「その言葉、そっくりあんたに返してやるわ。ママの冤罪、99年分はあんたの罪。ブラド──懺悔の用意はできてるんでしょうね……!」

 

 真っ先に跳ね返ったのは神崎の声だった。足元が2つ、後ろからやってくる。

 

「ゲァバババハハハ! 俺に懺悔ときたか!」

 

「そうよ。ママに罪を着せたことも、理子にした仕打ちも、あたしをガキ呼ばわりしたことも、全部懺悔させてやるから!」

 

「付き合うよ、アリア。人間は弱くない、それを教えてやろう」

 

 どうやら言うまでもないらしい。俺もキンジも神崎も、考えは同じだ。勝つ気でいる。

 

「最初はどうでも良かった。ママの冤罪さえ晴らせれば、それが何より優先すべきことだって。でも今は違う、あたしは武偵で、あんたが理子にした仕打ちは見逃せるものじゃない。たとえあの子がリュパン家の人間でも」

 

 残されたチャンスは恐らく一度、御世辞にも太いとは言えない勝ち目、それでも勝つ気でいる自分たち。その、あまりの愚かさにそびえ立つ吸血鬼は笑う。それでも、

 

「この国に来て、あたしも少し学んだ。一つのことに凝り固まると周りのものが見えなくなる。あたしが見ている景色の他にも、違う世界があるってことを。教えてやるわ、ブラド。あたしたちはあんたが思ってるような弱い人間でも、欠陥品の集まりでもない──勝つのはあたしたちよ」

 

 そう、自信たっぷりに、名探偵の孫は床を足で踏み鳴らす。

 

「ああ、この戦いで証明してやろう。整然とした遺伝子の屁理屈より、不恰好でも、理子が努力し積み重ねた時間の方が遥かに真実だとな」

 

 我が物顔で空に浮かぶ黒雲の下、神崎を追いかけるようにキンジの叫びが響いたのち、今度こそ決着をつけるべくブラドの巨体が動いた。

 

「──?」

 

 不意に何かの遠吠えが夜を震わせ、ブラドの足が止まった。細く、悲しげにさえ聞こえる遠吠えは、階段から這い上がるようにして耳を串刺しにした。

 

「……こんなときに、例の犬っころかよ」

 

 苦々しく、理子が舌を鳴らす。一方、ブラドは醜悪に歪んだ笑みを作る。

 

「頭数の利もこれで消える、終いだ。ガキ共、串刺しか餌になるか。これで選択肢ができたなァ」

 

 両手に小太刀を構えた神崎が、階段に向かい反転する。やがて唸り声に足音が混じり始めた。ああ、確かに、終りの合図だ。

 

「いるなら、さっさと姿を見せなさいよ! 一体どこに──」

 

「待て、アリア。もういる、もういるんだ……」

 

「は? こんなときにバカなこと言わないで。キンジ、あんたの眼は節穴? 一体どこに……何にも見えないじゃない」

 

 かたん、と神崎の足元に転がっていたガバメントの空薬莢が、独りでに跳ねた。声を殺した神崎の下、床に散乱していた空薬莢が何かに踏まれていくように、不自然に動いていく。しかし、そこには何もいない。みんなには()()()()()()

 

「何よこれ……何かいる…」

 

「撃つなよ、二人とも。宥め方は知らない。二回も殺されるのはごめんだからな」

 

「キリ……?」

 

 感嘆するよ、キンジ。ギアが入ったときのお前は本当に鋭い。長話の間に、間に合うかどうかは微妙なラインだった。だが、どうやら今夜の食事は不味かったらしい。あるいは餌やりの時間を忘れたか、どっちにしても連中の怠慢は好都合だ。

 

 白銀の毛並みも、影すら見せないブラドのペット。しかし、ヘリポートには獣の吠える声が響いて止まない。そんな矛盾した状況の最中、ブラドに向けて言ってやる。最悪で、本当に気に入らない手を取らされたことへの、畏敬と感嘆とこんちくしょうを込めて。

 

「俺にもペットがいるんだ、今できた」

 

 グルゥゥと何もない両脇から()()は吠える。

 

「てめえ、何を呼びやがった……!」

 

「犬、大好きだろ?」

 

 そう、それは目には見えない驚異。一度匂いを嗅いだ人間は地の果てまで追いかける連中御用達のペット。かつて俺の五体を爪と牙でぐちゃぐちゃにしてくれた怨敵を従え、俺は今一度深く息を吸い込む。

 

 相手は無限に傷が回復する化物、遠慮はいらない──好きにやれ。

 

「血祭りだぁあああッ!」

 

 号令と同時に、俺が招いた地獄の猟犬たちが一斉に遠吠えを上げて、ブラドに駆けた。

 

 目測で数えられるのは8体、そのおぞましい姿をこの場で黙視できるのは悪魔の血を飲んだ俺だけ。ブラドが空気砲を放つ動作に入るが、体に空気を溜め込むよりも早く、猟犬たちが懐に入いり込んだ。殺傷圏内、奴には見えてはいないがな。

 

 犬とは名ばかり、その牙と爪がどれ程のものかは身を持って味わった俺が一番知ってる。相手はイ・ウーで二番目に強いとされる化物、正攻法で足止めできるなんて思ってない。いつもは逃げる側だが今夜限りはけしかける側だ。俺が下した命令に従い、一撃で皮膚を切り裂いて致命傷を与える不可視の爪と牙が、一斉にブラドの巨体へ襲い掛かった。

 

「う、ぐゥ……!?」

 

 ブラドの体のあちこちから白煙がある。けしかけた猟犬たちは膨れ上がったブラドの肉に噛みつき、あるいは爪を立てて各々に傷口を広げる。同時に魔臓を狙えなんて細かな命令はとてもできないが、地獄産の野良犬が噛みついてくれたお陰でブラドの動きが止まった。

 

 一度噛みついた獲物は、鉛弾でも撃ち込まれない限りは離そうとしないのが地獄の猟犬。この犬っころに疲れやスタミナの概念はない。ブラドに刻まれた傷口には爪、牙が刺さったままだ。そのせいで永遠と白煙が噴き出している。楔を打ち込まれたようにブラドの体は動かない。ざまあ見やがれ、これでがら空きだぜ。

 

「……無茶苦茶やるわね。目に見えない狼って、あんた……あれも後から説明しなさいよ!」

 

「知り合いのペットだ、応援に呼んだ。んなことより、もうちょっとで栄養剤が切れる。あれがペットでいてくれるのは今だけだ。キンジ、さっさとやれ!」

 

「ああ、味方でいてくれるなら何も言わない。頼もしい援軍だ。理子! アリア!」

 

 ここが好機。言われるまでもない、とキンジのベレッタと神崎のガバメントがブラドに向く。俺は猟犬を従わせるための血を押さえ付けるのが精一杯、これ以上の支援はやれない。とっておきがある、そう言っていた理子が真横を走り去る。

 

「──4世!」

 

 駆ける理子に──ブラドは叫び……おい、冗談だろ……力ずくで猟犬を振り払う気か……? 仮にもメグの愛犬に手足ごと噛みつかれてるんだぞッ!?

 

「キンジ、目だ! 奴の目を先に撃てっ!」

 

「駄目だ!」

 

「何でもいい、まだ一手足りない! あのクソ犬共が振り払われたら終わりだッ!」

 

 切羽詰まって声を荒げるがキンジも──ベレッタの残弾に余裕がない。弾薬のストックのない俺も、余裕のない頭を必死に探るがどう見ても薄まっていく超能力の気配に、策を練る余裕なんてない。

 

 認めたくないが猟犬と超能力なしであの化物は止められない──が、既に理子は覚悟を決めて、魔臓の隠れた舌を狙うように足を走らせている。これが最後の攻防、失敗すれば今度こそ弾薬は切れてブラドを倒す手段はなくなる。

 

「ゥ、ァアアアアァァァ!!」

 

 猟犬に噛みつかれて、それでも無事だった人間は見たことがない。ブラドは人間じゃない。手足はおろか胴体に噛みついた猟犬たちの体が、尋常じゃない力の前にゆっくりと揺れ始める。

 

 冗談じゃない、今の今までさんざん人の隣人を食い殺してきて、それが今さら吸血鬼一体押さえ付けられないなんて冗談じゃない。他に、あいつを縛れる何かがあれば──

 

 

 

「──あと一手あれば届くんだな?」

 

 

 

 

 刹那、強烈な冷気が背中を撫でた。体に澄み渡るようなその存在感に、この上なく口角が歪む。ああ、もう──敵わないなぁ。

 

「よくぞ、ここまで持ち込んだ。誉れにするがいい」

 

 渾身の力で、手元にある聖剣を後ろに放り投げる。ブラドの黄金の瞳が収縮し、俺の隣を銀色が駆けた。

 

「地に堕ちる時だ、ブラド」

 

 銀氷の魔女が投擲槍のような手つきで投げた聖剣が、ブラドの影に突き立つ。猟犬に噛みつかれても尚、暴れていたブラドの動きが凍ったように静止した。まるで放たれた聖剣に影と一緒に縫い付けられたように。

 

「人間が、俺を縛るだとっ……!」

 

「お前も理子を檻に縛り付けたのだろう? 世間ではこれを因果応報と言うそうだ」

 

「たかが地獄の猟犬に噛みつかれて、身動きができねえだけだろ。俺にしてみれば地獄の表面もかすってねえ、魔王とルームシェアしてみろ。世界が変わって見えるぞ?」

 

 聖剣に縫い付けられ、猟犬に噛みつかれ、ついに身動きできなくなったブラドから苦心の叫びを絞り出した。これが俺たちの持ちうるカードを全てテーブルに投げつけた結果、ばら蒔ける物を全部ばら蒔いた結果だ。とりあえず、五体満足で息はしてる。

 

 俺とジャンヌによる二重の呪縛。パトラに呪われる前の最終形態のことは分からないが、いくらブラドでも今の姿のままでは二重の呪縛を自力で抜け出すのは不可能だろう。流石にこればかりはパトラに助けられたな。少なくとも俺が飲み込んだ血の効力が失せるまではブラドは棒立ちだ。

 

 お膳立ての終わった俺とジャンヌは、事の顛末を見届けるだけ。いくら同時に撃ち抜く制約があれ、動かない的を外すような三人じゃない。

 

「ブラドぉ!」

 

 手向けとばかりに神崎が叫ぶ。

 

「4世ィィッッッ!!」

 

 憎悪と怒りに満ちたブラドの目に見下ろされながら、理子が胸の谷間から超小型銃(デリンジャー)を抜く。これで、魔臓の数と銃が並んだ。

 

「そう呼べるのもこれで最後だよ、ブラド。あたしの名前は理子。お母様がくれた、祝福と一緒にくれた──最高の名前」

 

 やってやれ、理子。ずっと言いたかったことを言ってやれ。

 

「──La victoire est à moi(あたしの勝ちだ)

 

 祖国の言葉と共に、乾いた発砲音がーー夜に響いた。

 

 

 

 

 

「あれほど私はやめておけと忠告してやったのだがな。まさか地獄の猟犬まで……正気か?」

 

「一度でも俺が正気だったことがあるか?」

 

「自慢気に言うな、バカかお前は」

 

「知り合いの悪魔が飼ってた犬なんだよ。昔、その悪魔にちょっとだけ恩を売ってな、呼び出すまじないを教わった。とは言っても悪魔の血を飲んでるとき限定のまじないで、まさか俺も使うことになるとは思わなかった」

 

 自分でむしり取ったアンテナの下敷きになって倒れているブラド。それを見下ろしながら、俺とジャンヌは軽口を飛ばし合う。

 

 メグが残していた地獄の猟犬を呼び出すまじない、とうの本人も俺が血を服用するとは夢にも思ってもいなかっただろうさ。半分はからかうつもりで教えてくれたまじないを、今になって使うとはな。

 

 存分に活躍してくれたデュランダルを携えながら、ジャンヌは疲労を込めた吐息を夜に捨てる。

 

「相手が相手だ。形振り構っていられる相手でもないか」

 

「お陰で肌はボロボロ傷だらけ。なあ、アロエ持ってないか?」

 

 三人が撃ち抜いた魔臓はその機能を失った証として、これまでに溜め込んでいたと思われる血液を傷口から次々に放出し始めた。お陰で倒れているブラドの床は自分の血で真っ赤に染まり、ペンキを溢したような悲惨な光景が広がっている。背中には武器にしていたアンテナがのし掛かり、これも皮肉なことにブラドの苦手な十字に巨体と重なるような形で倒れていた。

 

 自分の体で、自分の苦手な十字を描くなんて皮肉が効いてるよ。さっきからボソボソとルーマニア語を呟いてるが、ビザを配達するのがやっとの俺には理解できなかった。いや、ちょっとだけ聞き取れるな。

 

 ……でもこれって、俺の記憶が正しいなら……ルーマニアの国歌だぞ。和訳だと──目覚めよ、ルーマニア人。

 

「……」

 

「どうした?」

 

「いや、なんでもない。あんなもの飲んだせいかな、ボーッとしてた」

 

 ブラドは再起不能だ、それは間違えない。なのに、言葉にならない寒気が背中を走り去った。いや、いつでも最悪の結末を考えるのは俺の悪い癖だな。俺たちは勝った、それが全部だ。

 

「ヘリが来たわよ。あれだけやったにしては遅い出勤だけど」

 

「朗報だ。俺たちだけでこいつを抱えて走るのは無理がある」

 

「まっ、あんたのbabyにも乗らないわね。レスキュー隊でも呼んでもらいましょう。自分で折ったアンテナなんだから。自業自得よ」

 

 神崎はブラドを一瞥し、ゆるく首を振った。確かに自業自得だか。このアンテナを折られたことで、被害を被る人たちもいるわけだし。まさか力ずくでむしり取られたとは露にも思ってないだろうけど。

 

「さっきの犬のこと、後で聞かせなさいよ? あんなの初めて見たわ」

 

「言ったろ、友達のペットだよ。ピザが好きで少し過激な女のペット」

 

 はぁ……非常時とはいえ、よりにもよって地獄の猟犬を頼りにしちまうとはな。懺悔の用意が必要なのは俺の方か。苦い結末にはならなかったが自己嫌悪に陥りそうだ。

 

「んで、理子は?」

 

「キンジとお話中よ。あの子、初代リュパンを超えるだの超えないだのってこだわってたから、今はまだ気持ちの整理が追いついてないんじゃないかしら」

 

「ふ、宿敵であるブラドを討ち、目標である初代リュパンもなし得なかったことを果たした。これで多少は肩の荷も降りたことだろう」

 

「少なくとも気分は晴れただろうさ。ずっと努力してきたんだ、少しくらい休んでもあいつのご両親も文句は言わねえだろ」

 

「そうね。って言うか、あんたって親の話になるとマトモになるわね」

 

「家庭の事情」

 

 それに、あそこまで一途に母親を思えるのはそれはそれですごいことだと思ったんだよ。祝福と一緒に、母親がくれた名前か……

 

 サミュエルとディアンナ、メアリー・ウィンチェスターは亡き両親の名前を生まれてくる子供に付けた。彼女もまた、祝福と一緒にその名前を贈ったのかもしれない。

 

「似合わない顔だな」

 

「お構い無く」

 

「お前が静かなときは何かある」

 

「普段は喋りすぎか。ったく、夾竹桃みたいなこと言うなよ。ほんと、仲良くやれそうだ」

 

 どこまでも鋭いジャンヌに苦笑いする。一度は敵対した相手と肩を並べて戦う、本土にいた頃を思い出した。それが魔女なんだから尚更だ。正直に言うと、、、ついてきてくれてかなり安心しましたよ。今度ははっきりアイスブルーの瞳に目を合わせる。

 

「ジャンヌ、今夜は助かったよ──Hoo-yah」

 

 皮肉も冗談も抜きで、俺は言った。すると、ジャンヌは不思議そうな目でこっちを見てくる。

 

「それは海兵隊ではなく、海軍だろう?」

 

 ……そういうことか。そういや、親父が海兵隊ってことも聖女さまは知ってるんだよな。

 

「それは、そうなんだが……」

 

「海軍なのよ、マクギャレット少佐が」

 

「神崎?」

 

「なによ、トーマス・マグナムだった?」

 

「いや、少佐であってるんだけど……あってるんだけど、開いた口が塞がらないっていうか……」

 

 予想外の場所から狙撃され気分。

 

「誰だ?」

 

「軍人よ、元海軍の特殊部隊。二人ともアフガンに従軍してたはず、回数は知らないけど」

 

「海軍の特殊部隊……『Navy SEALs』か?」

 

「そっ、今はハワイの特別捜査班と私立探偵だったかしら」

 

「常夏の楽園か。国の為に尽くしたのなら、安らぎを求めるのもまた当然の自由だろう」

 

 おい、神崎。ジャンヌは元誘拐犯とは思えないレベルで真面目なんだぞ。この微妙な罪悪感、どうすればいいんだ。ハワイはハワイでもテレビ画面の中のハワイなんだぞ。

 

「思わぬ方向に舵が取られた気がするが?」

 

「……そうね。DVDでも貸してやりなさい」

 

「そういや、俺がやったヴェロニカマーズのDVDは結局見たのか?」

 

「すっかり忘れてたわ」

 

 ふと、思い出したことを聞いてみるが案の定だった。まあ、神崎は推理ドラマより動物番組の方が好きそうだ。平然と溢れてくる真実は、むしろ清々しく、俺も笑いそうになる。

 

「理子とキンジが良い感じになってるが止めに行かなくていいのか? あれって映画ならキスに行く場面だぞ?」

 

「……は、はぁ!? ちょっと、嘘でしょ!?」

 

 事実、少し離れた場所で良い感じの空気になっていたのだが指摘してやった刹那、神崎は躊躇いなしに横槍を挟みに行くのだった。どこまでも正面突破って言葉が似合う女だ。

 

「あの愚直さも今夜ばかりは頼りになったな。本人には言わんが」

 

「頼れる隣人か?」

 

「恐い隣人。キッチンに立たせたときは特にな」

 

 まだ晴れない曇り空を仰ぎながら、言ってやると──

 

「理子は、何といえばいいかのか。彼女はアヒルに似ているのだ。涼しい顔で進めてるように見えても、水面下では小さな足を必死にばたつかせていたりする」

 

「アヒルか。確かに、そうかもな」

 

 努力を他人に見せようとしない点では確かに言えてる。

 

「優しいんだな?」

 

「お前に言うのは間違いだったがな」

 

「でも聞いた」

 

「一つアドバイスしてやるが、『ざまあ見ろ』という言葉はとても失礼だぞ?」

 

「言ってない」

 

「顔がそう言ってる。強いものは好きだ、それが身体でも心でもな」

 

 微かに口許を緩めて、ジャンヌは言った。俺が苦笑いする様を、得意気にアイスブルーの瞳が眺めてくる。なので俺もかぶりを振り、元に戻った自分の目を向けつつ聞いてやった。

 

「久しぶりにアクションが恋しかった?」

 

「いいや、私が欲しかったのはあれだ。あれが報酬」

 

 と、その目がどこに向いているのかは言うまでもなかった。理子の自由──確かに報酬は貰えたな。別に無料の依頼だったわけじゃないか。なーんだ、意外とロマンチストなんだな。

 

「なあ、やっぱりさ。お前って本当は優しいんだよ。優しいけど、誰かに指摘されるとつい反抗したくなる、魔女だから。分かるね?」

 

「アリアがお前のことをまだ撃ってないのが本当に驚きだ」

 

「撃たれかけたことは……もう何回もあるけど、キンジ共々。それと、これありがとう」

 

 差し出すのは残弾の切れたcz100。臨時で借りていたジャンヌの拳銃。それを受け取った顔は随分自慢げだ。

 

「お前も乗り換えるか?」

 

「考えとく。予備に一挺あれば心強いかもな」

 

 一夜限りだが、しっかり仕事を果たしてくれたパートナーに感謝していると、腕組みした神崎が無言でこちらに視線を振った。俺もジャンヌに横目を向け、

 

「『おいで』って聞こえた」

 

「ああ、私も聞こえた」

 

「ん、ちょっと待てよ。理子はブラドを倒したことで、初代リュパンを超えたんだよな?」

 

「彼が成し得なかったことを理子は成し遂げたのだ。当然だろう」

 

「ってことは、お前も三代前のジャンヌ・ダルクの双子を超えたってことか?」

 

 ジャンヌは一瞬だけ目を大きくするが、すぐ何事もなかったように歩き出した。だな、聞くのが野暮だった。

 

Follow me(ついて来い).ウィンチェスター。私たちもヒーローインタビューと行こう」

 

「ご機嫌な様子で何よりだよ。功労賞で俺にも何かやってこねえかな」

 

「お前は何が欲しいんだ?」

 

 ……えっ?

 

「……もしかして、御褒美くれる?」

 

「それなりに気分が良いのでな。言ってみろ」

 

「冷えたコーラってのは?」

 

「安い出費だ」

 

 それ一番聞きたかった言葉だ。変なもん飲んだせいで、いつもの5倍は美味く感じそう。予期してなかった報酬に足取りも軽くなった。

 

「終わったな、理子」

 

「うん、終わった」

 

 と、柔らかな声で理子は答える。空には神奈川県警と思われるヘリが、こっちに向かっているのが見えた。さて、ブラックボックスを突いたお咎めはどうなるか。

 

「で、理子。あんた、これからどうするの。逃げようってんなら捕まえるわよ。邪魔するならジャンヌごと、ママのことは何があろうと証言させてやるんだから」

 

 一転、勝ち気な態度で神崎が問う。母親の裁判での証言、それが理子が神崎に持ちかけた今回の報酬。ガバが弾切れとはいえ、無下にするなら力ずくも辞さない態度だな。手負いの神崎に睨まれた理子は、首もとに垂らした青い十字架を一瞥してから、

 

「──やめだ。リスクが見合わない」

 

 溜め息混じりにそう言った。

 

「理子?」

 

 最初に名前を呼んだキンジ、そして神崎を順に見据えた理子が、改めて言葉を続けた。

 

「した約束は守るって話。証言してやるよ、オルメス。お前にあたしが捕まえられるとは思えないけど、あんなプレデターみたいな野良犬に追いかけられるのはあたしもゴメンだ」

 

 最後に不愉快そうな顔で、理子が俺を睨んでくる。あんなぶっそうなペットは二度と使役できないし、したくもないのだが──理子が自分から証言してくれるって言ってるんだし、何も言わないでおく。元々、理子は理子で律儀というか、誇り高いところがあるし、今になって約束を無下にしてたとも思えないが。

 

「追いかけられた経験から言うと、確かに生きた心地はしなかった。もういいよ、クソ犬どもの話は。餌を貰いにもう家に帰ってる。てことで、これでめでたしか?」

 

「ブラドを倒して、みんな生きてる。とりあえずはそれで十分じゃないか?」

 

「そうね。あんな化物が相手だったんだし、良すぎるくらいの幕切れかもね。あたしをガキ呼ばわりして、何がアリアよ。勝手に薔薇の名前なんかに使って……何かおかしいと思ってたのよね」

 

 ……薔薇?

 

「なんで薔薇?」

 

「小夜鳴先生が品種改良した薔薇を庭に咲かせてたんだ。その名前がまだ決まってなくて」

 

 キンジが一転してご機嫌斜めになった神崎を目で示す。なるほど、キザなことで。

 

「あれも実験だったんでしょ。17種類のバラの長所を集めた優良種って自分で自慢してたし」

 

「17種類か、また随分とサラブレッドな」

 

「ふむ……潜入したのが私なら、その薔薇は私の名前になっていたということか」

 

 ジャンヌが真面目な顔して、変なことを言うのも慣れたもの。こんな気楽な言葉が飛び交ってる辺り、確かに平和な幕切れだ。

 

「喜んで譲ってあげるわ。別に、薔薇に自分の名前が付けられたからって……」

 

「俺は良い名前だと思うよ。あの薔薇にはぴったりの名前だ。アリア──君の目の色を盗んで作ったみたいに、とてもお似合いだよ」

 

「……あ、あんた、は、きゅうに、なに、を……っ…!」

 

 ……こほん。

 

「なあ、理子」

 

「なんだ?」

 

「おまえあれ、天然でやってると思う? もしくは女口説くぞーって意識してると思う?」

 

「今に始まったことじゃないだろ」

 

「そうなんだけど。なんか、すげー悪いやつだなぁとか思いながら見ててさぁ。騙されるなよ、ジャンヌ」

 

「誰に?」

 

「男だ。正確には悪い男。捉えどころなくて理解は困難、嘘のセーターで女をくるんで暖めはするが、いつかは首の回りがチクチクしてくるぞ」

 

 おい、何でお前も理子も俺を見る。あっちだあっち、あっちを見ろ。俺が自爆したみたいだろ。

 

「あ、あたしがあの薔薇なら……り、理子! あんたは青薔薇ね!」

 

 キンジの口説きから逃げるような勢いで、神崎は理子を指で差した。青い薔薇? 自然となんでも知っていそうな隣の魔女に目が行く。

 

「黄色じゃなくて?」

 

「青い薔薇は長らく、存在しないと言われ続けていたのだ。自然界には存在しない花。花言葉も存在しないという意味を含めて「不可能」とな」

 

「ええ、でも今では存在しない花じゃなくなったの。だから、その花言葉も変わった。「不可能」から「夢が叶う」に。それから──神の「祝福」にね?」

 

 穏やかにそう告げる神崎に、俺も納得した。今夜、理子は絶対に倒せない、不可能と思っていたブラドを倒した。ずっと不可能だと思っていたことを実現させたんだ、神崎が語った──青薔薇のように、不可能を書き換えた。

 

「ああ、それに理子も言っていただろう? 君の名前は理子のお母さまが「祝福」と一緒にくれた名前だってね」

 

「キンジ……」

 

 祝福──だめ押しの言葉に理子から小さな声が漏れる。

 

「切はいい台詞はいつだって悪役だって言ったけど、理子に悪役(ヒール)は向いてないよ。君は悪役でいるには優しすぎるし、似合わない。だって君の名前は──祝福と一緒に付けて貰った、最高の名前なんだから」

 

 ……ちなみにこれ、悪い男ね。かなり悪い。もう言葉にならないくらい。

 

「……甘いな、お前も、アリアも。礼は言わないよ?」

 

「そんなの期待してないわ。キンジは知らないけど、あたしは言いたいことを言っただけ。節操のないバカキンジは知らないけど」

 

 ギロっと、緋色の瞳でキンジを睨み付ける我が家の総大将──じゃなかった、居候。これもキンジなりの祝福なんだよ、たぶん。

 

「とにかく、俺たちは勝ったんだ。勝ち目の薄い戦いにこうしてみんなで勝った。明日がどうなるにしろ、今日はみんなで生き残った。人は全力を尽くせば達成できる、できると信じなきゃ」

 

「そうね、ケチなハンターの言う通りよ。『無理』『疲れた』『めんどくさい』は人間の持つ無限の可能性を押しとどめるよくない言葉。自分を信じなきゃね」

 

 ケチは余計だよケチは。

 

「さて、そろそろヘリもご到着だね。ゾンビもいないし、墜ちないでしょ」

 

 と、いつもの調子に戻った理子が伸びをする。そして、

 

「んじゃ、キリくん。いつものやって。あ、今日は理子でお願いね?」

 

 ひまわりのような笑顔に不意を突かれ、俺も苦笑する。背後で倒れているブラドを一瞥し、近づくヘリのローター音に逆らうように、俺はその言葉を贈った。

 

「──Book'em(ぶちこめ),理子」

 

 

 

 




『人は全力を尽くせば達成できる、できると信じなきゃ』S15、19、ジャック──


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クランクアップ


『みんなー、おっひさしぶりー! りこりんが帰ってきたよー!』




The Road So Far(これまでの道のり)




『勝負がついてるとか笑えない。ブラド、あたしはお前を倒さない限り──笑えないんだよ」

 
『どうかな。家族である証と、俺が生きていた証って言うかさ。思うんだよ、俺が死んだら車以外に何を残せるんだ?』


『礼はいらん。この絵はよく書けている、名残惜しいがお前にくれてやろう』


『その言葉、そっくりあんたに返してやるわ。ママの冤罪、99年分はあんたの罪。ブラド──懺悔の用意はできてるんでしょうね……!』

 
『──Fii Bucuros…… Scoala buna. Nu este interesant de sange……』

 
『人は──死に、逆らえません。ですが、あなたは、逆らえますか?』


『平穏は欲しい、だが友人は捨てられない。分からぬかブラド。そんなものより、私は理子の自由が欲しいと言ったのだ』


『煉獄は生と死だけが支配する純粋な場所だ。あるのは怪物に殺されるか、怪物を殺すかの二つだけ。それ以外に語れることはねえよ』


『ああ、この戦いで証明してやろう。整然とした遺伝子の屁理屈より、不恰好でも、理子が努力し積み重ねた時間の方が遥かに真実だとな』


『答えに足り得る言葉は渡しました。もうお帰り、お休みなさい──』


『……これは独り言だ。ブラドは──本調子ではない。パトラの呪いにかかっている。狩りをするなら呪いが解かれる前に奴を討つことだな』


『あたしは理子の友人じゃないし、思ったこともないわ。理子はママの敵よ。けど、あたしが理子と一緒にいる理由は三つある』


『持っていきなさいよ、ガキ』


『……貰っとくよ、くそったれ』


『実際クラシックだよお前は』

 
『解けないように祈っておけ。次のシーズンで会おう』

 



Now(そして今……)






 

 

「──ミカエルは長男、父に忠実。ルシファーは次男、父には反抗的。そして弟のガブリエルは中立。最後には家族の確執に嫌気を感じて、天界から立ち去った。名前を変えて、毎晩綺麗な女の子と自由を満喫してるよ。あそこまで女好きな天使はいない、業欲の天使だ」

 

 大天使──それは神の近親たる四人の天使、他の天使とは一線を置く強大な力を備えた天界の最終兵器。そこいらの悪魔が束になっても敵わない原初の悪魔たるリリスですら──彼等が相手になると迷わず逃げることを選んだ。

 

「ふーん」

 

「おい、聞いてきたのはお前だろ。軽薄じゃねえか?」

 

「私は暇を潰せる話題を求めただけ。語り始めたのは貴方でしょ」

 

 淡白な返しに、そういやそうだったなと、思考を現実へと引き戻す。雑居ビルの屋上で手摺に座った夾竹桃は足をぷらぷらと揺らしている。俺も手摺に頬杖をやりながら欠伸を噛み殺した。

 

「ジャンヌの怪我の経過は?」

 

「一週間もすれば本調子に戻るわよ。彼女隠すのが得意だから、今でも万全に見えるけど」

 

「女ってのは隠すのが上手いからな」

 

「貴方が下手なだけよ」

 

 俺は黙って頷いた。理子やジャンヌと比べると言い返せないな。比べる相手が悪い気もするけどさ。何気無く周囲を見渡してみるがランドマークタワーで見る景色とはやっぱり違うな。

 

 ブラドとの戦いはキンジのベレッタ、神崎のガバメント、理子のデリンジャーの放った四発の弾で幕が降ろされた。ブラドの動きを止めた俺の超能力はこれにて打ち止め。最後の血のストックもなくなった。肝心のブラドは刑務所に収監。事件の渦中にいた俺たちは神奈川の武偵局、警視庁、神奈川県警、検察庁、東京地裁から来た大量の書類に頭を悩ませることになった。

 

 だが、かなり派手にやったわりにお咎めなしで済むのはイ・ウーの底知れない闇を感じるよ。他言無用の条件はあっても寛大すぎる、異常な処置だ。今回の一件でいかにこの国でイ・ウーに触れることがタブーであるかを思い知らされた。なんたってランドマークタワーで起きたことが落雷事故になってるからな、驚いたよ。

 

「雪平」

 

「なんだよ」

 

「なんでもないわ、呼んだだけ」

 

「……バカか、お前は」

 

 手摺に両腕をかけると、隣では足を揺らしている夾竹桃が遠くを見据えている。どこかミステリアスな雰囲気を纏っているかつての敵に、俺は少し悩んだ末に話を振った。

 

「なあ、夾竹桃。理子は自由になれたと思うか?」

 

「それを判断するのは彼女自身。私たちが判断できることじゃないわ」

 

「俺たちが判断することじゃない?」

 

「ええ、最後に決めるのはあの子」

 

「確かにそうかもな」

 

 雑居ビルから空を仰ぎ、俺はかぶりを振る。その理子は神崎の母親の弁護士と会い、証言台に立つ約束も取り付けたらしい。今回の一件は少なくとも神崎には大きな前進となった。部屋でキンジと良い雰囲気になることも多くなったし、どうあれ神崎を取り巻く環境が変わりつつあるのかもしれないな。良い雰囲気になったときは大抵星枷がやってきて部屋が荒れ果てるのがオチだが。星枷が玄関のドアや壁を切り裂いて現れるのは遠山宅の風物詩だな。

 

「貴方はどうするの? 全部が終わったら日本に残るの?」

 

「どうかな、俺は家族から逃げた末にこの国に流れ着いたってクチだ。家族を救おうと単身で乗り込んできた神崎とは根本的に違う。だが、イ・ウーの連中を捕まえて、武偵校を卒業する頃にはどうなってるか俺にも分からん」

 

「どういう意味?」

 

「海を渡ってもハンターであることは変えられない。いつでも親父の影がそこにいる。今回で再認識したって言うかさ、何をやっても怪物や幽霊と巡り会う。俺はたぶん本土に戻ることになると思う。いつもどおりさ、傍迷惑な連中のごたごたにどうせ巻き込まれる」

 

 兄貴の呪いを解いて、神の姉さんを説得して、大切な物が手の届く場所に戻った。だがすぐに厄介事がやってきた。休暇なんてなかったし、俺が武偵高を卒業する頃には、また別の厄介事がやってくるはずだ。そうなったら俺は……また戦うことになるんだよ。戦わないといけなくなる。学習してる、いつものパターンだ。

 

「実際、俺は解決もしてないネフィリムの問題を家族にぶん投げて、置きっぱなしにしてきた。天使と人間の間から生まれた子供のこと」

 

「その力は親となった天使よりも遥かに強い」

 

「御名答、聖書に出てくる大罪だ。その力は強大、しかも大天使から生まれてくるネフィリムなら止められる存在なんて限られてる。悪い天使と真っ当な人間から生まれてくる子供は善悪どっちに傾くんだろうな?」

 

「生善説の話がしたいなら他を当たりなさい。私は専門外、満足できる答えは出せないわ。機関銃トークなら続きをどうぞ?」

 

「ああ、良い返し、ナイスな返し。さすが夾竹桃、良いことを言うよ」

 

 つか、機関銃トークってなんだよ。俺、そんなに饒舌だったのかな。自分のことは分からない。案外、他人の方が俺のことに詳しい。苦笑いでかぶりを振った。

 

「つまり、俺が言いたいのは普通の学生はネフィリムとか大天使とか口走らない。お前はどうか知らないけど」

 

「バカにしてる?」

 

「ちょっとだけな」

 

「口が減らない男。舌が回らなくなったらきっと死ぬわね」

 

「だけどお喋りは楽しいだろ?」

 

「神話や伝承マニアならね。お可愛い反論だこと」

 

 夾竹桃はゆるく首を振った。そして登ってきた階段の隣接する扉へと踵を返す。

 

「帰るわよ、雪平。間宮あかりと佐々木志乃が来ないなら待つ意味はないわ」

 

「……張り込んでたのかよ。おい、まさか張り込みの暇潰しに俺を呼んだんじゃねえだろうな?」

 

「あら、最初に言わなかった?」

 

「聞いてないし、暇潰しに呼ばれたなら行かなかったよ。部屋でコーラ飲みながらゴシップガール見るつもりだった。要は暇じゃない」

 

「世間ではそれを暇と言うのよ」

 

 良いことなんか期待しない。こんな仕事じゃ望めないのは分かってる。最後は寂しく死んでいくんだ。それで構わないと思ってる。でもこれだけは言える。ここで過ごした時間は悪くなかった。お前と話してる時間も正直に言うと──

 

「俺にもリサみたいな女がいたらそれは──お前のことなんだろうな」

 

 俺はかぶりを振った。なに言ってんだよ、俺。ついに頭がどうかしたのか。案の定、怪訝な顔で首がもたげられる。

 

「はあ?」

 

「いいんだ、忘れてくれ。兄貴の昔の知り合いことを思い出してさ。想い出に浸ろうとした。柄にもなくな」

 

「シリアル路線で何か狙ってるの?」

 

「こっちの方がCVRの連中にウケるかと」

 

「それならアドバイスをあげるわ。まずはクモの巣の張った脳味噌を掃除することね」

 

「お前に言われたら、返す言葉がない。精進するよ」

 

 1日1日だ、大切に生きよう。昨日より今日、今日より明日が、マシな日になると信じて──

 

 

 

 

 

 

 




……オルクスがないのにどうやってパトラの船に乗り込むんでしょう?


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温泉研修編
霧の中の温泉宿―File.1


アニメovaの話になります。


 

 

 降ってきやがったな。濡れたフロントガラスで揺れるワイパーがうっとおしい雨粒を弾く。

 

 先導する車を追って走るのはシボレー・インパラの67年モデル、希少な4ドアのスポーツセダン。あるオーナーから譲り受けたものを一部リストアした自慢のbaby。

 

 用がなければ走らない鬱蒼とした山道を、助手席にジャンヌ、後部座席に理子を乗せて──俺こと雪平切はハンドルを握っていた。

 

「ねえねえ、キリくんの初恋は? ブロンド? ツインテール? それともウェイトレス?」

 

 鬱蒼とした山道、生憎の天気だが理子のテンションには左右しなかった。

 修学旅行のバスを思わせるハイテンション、三人だけの車内も実に賑やかに感じる。

 

 そんな理子は髪色、髪型、職業と繋げてきたが、その推測は何を材料に組み立てたのだろう。俺は理子を映しているバックミラーに視線をやり、答えた。

 

「部分点はやる。でもブロンド以外は外れだ。とっくに初恋には破れたよ」

 

「ほほう、キリくんにもいたんだねぇ。青春してるじゃん」

 

「男だからな。けどお前が喜ぶような明るい話じゃない。暇潰しにもならねえさ」

 

「時間はたっぷりあるぞ。この濃霧ではたいした速度でも走れまい。お前の下手な歌を聞くより楽しめそうだ」

 

 ……悪かったな、下手くそで。

 少なくともディーンよりは上手い。兄貴の懐メロよりは上手い自負がある。キャスの子守唄には負けるけどな。

 

 理子がこの手の話を好むのは知ってるがジャンヌまで相乗りしてくるとは意外だ。よっぽど俺の歌が気にくわないのかな……

 

「親父が常連だった店のマスターに一人娘がいてさ。ブロンドで気が強くて、一度もポーカーで勝ったことがなかった。酔い潰れた親父を迎えに行くたびに彼女を目で追いかけるようになって、でも彼女が好きになったのは俺じゃなくて兄貴だった」

 

「キリくんじゃなくてお兄さんを好きになっちゃったの?」

 

「ああ、兄貴が彼女と出会ったのは俺が彼女と出会ってからずっと後のことだ」

 

 面白くもなんともない話だがジャンヌや理子はよっぽど暇なのか耳を傾けている。助手席のジャンヌにラジオも切られ、望んでもいないのに車の中は静かだった。

 

「でも兄貴には他に好きな人がいたんだ。旅暮らしで会えること全然なんてなかったのに気持ちの変わらない相手がいた、自分の命を天秤にかけてでも守ろうとする大切な相手がな。彼女にとって俺は弟としか見られてなかった、そして兄貴にとって彼女は妹としか見られてなかった。痛み分けの恋愛さ」

 

 でも俺は兄貴を恨めなかった。変な話だが嫉妬を感じたことだってない。

 

 兄貴と俺にとって彼女は紛れもなく戦友で家族だった。それ以上ない大切な関係。理由なんて必要ない、すべてを賭けて守るべき存在だった。

 でも現実は逆だった、俺と兄貴が彼女に救われたんだ。言葉どおり彼女に命を救われた。

 

「結局、俺は身を退いた。最後までプレゼントの一つもやれなかったんだよ。ああ、最後までやれなかった……本質は臆病者で馬鹿なんだよ、俺はな。今でも後悔してる」

 

 やりきれないよ。彼女を殺す原因を作った地獄の猟犬が憎くて仕方ない。救われるだけだった自分の不出来な腕に吐き気がする。

 

 なのに俺たちは猟犬を操っていたメグにも命を救われてる。

 馬鹿な話だよ、家族を殺したあの悪魔を──メグを憎みきれない。

 

 怪物や悪霊を狩って人を救うのが仕事だった、親父のやり残したことを引き継いだつもりだった。

 

 なのに一緒に戦った仲間はいつも欠けていく。最後には夥しい血で汚れた野原に俺たちだけ立ち尽くしてるんだ。最後にあるのは死屍累々、分かってるよ。

 

「俺の話は終わりだ。まだ旅館まで長いのに重たい空気でドライブなんて最悪。心が明るくなる良いニュースでもないもんかね」

 

「キリくん分かってなーい。これは一大イベントなの。みんなで旅行なんだよ?」

 

 理子は変わらず、いつもの明るいノリでツインテールを揺らしていた。妙に気を使われるよりも楽だ。俺に配慮してくれたのかは分からないが感謝しとくよ。

 

「旅行じゃない。武偵研修だよ、自由参加のな。まあ、先生が同伴してなかったら武藤も歓喜に震えただろうさ。自分から運転手を買って出たのに報われないね」

 

 先導する車には運転手に武藤、助手席にはキンジ。後部座席には星枷、神崎、レキが座っている。そして研修の引率者として我等が尋問科の講師、綴先生が参加だ。

 

 武藤は嘆いていたが綴先生はあれでも良い先生だ。悪名高い噂はそのほとんどが真実、普通にはどこまでも遠い人だが武偵高の教師陣の中では一番信用できる。頭に多少穴が空いてるのは真実だけどな。

 

 尋問科に綴先生がいない光景は考えられないーー尋問科二年、雪平切談。

 

「お前も自分から運転手を志望したのだろう?」

 

「自分で運転しないと落ち着かないんだよ。理子のルノーや神崎のMINIも良い車だが67年のインパラには負ける」

 

「あーあ始まった、キリくんの愛車自慢。理子、ずばり聞いちゃおうっと。インパラの走行距離は?」

 

「それを聞くな。魂がなかったときの兄貴と同じ質問だ。V8エンジンだぞ、馬力が違うよ。インパラは40年経ってもがんがん走る」

 

「……魂ってなくなるの?」

 

「理子、深く考えるな。ウィンチェスター兄弟にはよくあることなのだ」

 

 バックミラーには理子の苦笑いが見えた。ジャンヌは冗談を言わない女だからな。

 イ・ウーで彼女と同期だった理子はそのことをよく知ってる。天然ボケはやらかしても冗談は言わないのがジャンヌ・ダルク。即答されるのは複雑だけどな。

 

「……よくあることなんだね」

 

「ああ、家庭の問題」

 

「どんな家庭だ」

 

「お前が言うな。そこらの怪物や異教の神よりお前は俺の家庭事情に詳しいだろ。明日ハンターに転職してもやっていけるよ」

 

「なるわけないだろう。バカか、お前は」

 

 ……冗談に決まってるだろ。

 つか、その台詞を言われるのはなんか複雑だ。

 

「霧が濃くなってきたね」

 

「だな、薄気味悪ぃ。化物でも住んでそうな霧だぜ」

 

「ミストみたいにか?」

 

「縁起でもないけど、理子もジャンヌと同じこと思ったよ。あの映画にそっくり」

 

「縁起でもないよな。でも俺もあの映画を思い出したよ」

 

 霧の中から襲ってくる化物に人が殺されていく映画。容赦のないストーリーや捕食シーンは一度見れば頭から離れない怪作だ。

 

 とある事件で虫に良い想い出がない俺には忘れられない作品になった。

 ケビンと一緒に見た最後の映画だっけ。映画見ながら一緒にポップコーン食べまくってたの今でも覚えてるなぁ……

 

「キリくん、似合わない顔してる」

 

「どんな顔だよ?」

 

「似合わない顔は似合わない顔だよ」

 

 ……無茶苦茶言いやがるな。

 だが、今の俺は似合わない顔でハンドル握ってるんだろうな。

 

 センチメンタルになっても過去は変えられない。

 ケビンを巻き込んだ事実は変えられないし、忘れられない。

 

「分かった。センチメンタルになるのは終わりにするよ。しかし、なんだよこの霧。さっきより濃くなってないか?」

 

 こればかりは理子とジャンヌも同じ意見らしい。

 本当に霧が酷いな。進んでいくほど濃霧が悪化してる。一本道が続いてるから問題ないが車間距離には気を使った方が良さそうだ。

 

 研修で接触事故なんて笑ない。視界の悪いフロントウィンドウを睨み運転していると、

 

「キリくんはアメリカでもインパラで旅してたんだよね?」

 

 後部座席から理子が話を振ってきた。

 

「ああ、飛行機が使えない事情があって、移動はどこに行くにしてもインパラだ」

 

 ディーンが飛行機に乗れないからな。だからどこに行くにしても車なんだ。アメリカのどの州を横断するのも使うのはインパラ一台。車で過ごす時間が長くなった理由の一つだ。

 

「信用できる日本車に乗るって考えはなかったの?」

 

「ない。67年のインパラは車の枠を越えた家族だ。他の車は考えられなかった。それは日本でも変わらん。ジャンヌ、まだ合宿する村まではかかりそうか?」

 

 話を新たに切り替え、隣で地図を広げるジャンヌに振ってみる。

 

「この濃霧だ。まだ30分は車を降りられそうにない。そして私からのアドバイスだがーー」

 

「カーナビならつけないぞ」

 

 ……おい、睨むなよ聖女様。ジャンヌは黙って地図を閉じると、威嚇するように俺を細めた目で見てくる。この聖女様、冷静に思えて血の気が多いんだよな……

 

「ipadとカーナビは必要ない。誰がつけるか、あんなもん」

 

「キリくんは化石時代のシーラカンスだもんねぇ」

 

「なあジャンヌ、俺はバカにされてるのか?」

 

「私が知るわけないだろう。バカか、お前は」

 

 なるほどね、お前は馬鹿にするんだな。俺は行き場のない気持ちを溜め息にして吐き出す。

 

 シーラカンスは遥か昔の古生代に起源を持った生きた化石。

 古生代から現代に生命の連鎖を繋げ、遥かなる歴史を形として残している偉大なる生き物だと俺は授業で学んだのだが……この世界に生きる仲間として俺はシーラカンスの名誉のために反論することにした。

 

「理子、シーラカンスもクラゲも俺たちより遥か昔から地球で暮らしてきてるんだ。分かるか、言うならば先輩だ。お前たちは偉大なる先輩を侮辱に使ったんだぞ?」

 

 人間じゃない先輩だけどな。頬杖を突いていたジャンヌが真っ先に反応する。

 

「お前も妙な怒り方をするやつだな」

 

「シーラカンスは分かるけど、クラゲが偉大って言われても実感ないよね」

 

「教えてやる。クラゲの中には老化しても若返ったり、二つに分裂して元の個体に再び再生する凄い奴だっている、前に神崎が見てたテレビでやってた。要は──俺のbabyにカーナビもipadもつけるな」

 

 魔女と泥棒を乗せたインパラは深い霧を奥に走る。このとき、俺は薄々と感じていた。これが単なる武偵研修で終わらないことを。

 

 

 

 

 

「晴れたぁー。太陽おぉぉぉぉ!」

 

 霧が晴れ、暖かな太陽が天に顔を出していた。鍵をかけたインパラと別れ、真っ先に飛び出した理子の後ろを俺とジャンヌが追いかける。

 

 燦々とした空に右手を翳している理子に追いつくと、先に着いていたキンジたちとも合流できた。

 ハイマキがいることには誰もツッコムつもりはないらしい。武偵犬に転職したもんな、お前。

 

「感謝してもいいよ、キーくん。理子、太陽少年だから」

 

「意味が分からん。少年ってお前は女だろ?」

 

「じゃあ、晴れ女」

 

「お前と戦ったときは酷い天気だったぞ。どこが晴れ女なんだよ」

 

「キーくん、理屈っぽいぞー。大事なのは今でしょ。理子はキーくんとのこの一瞬を永遠にするんだもーん」

 

 キンジを見つけると、理子は一目散に腕へと抱きついて隣の場所を奪った。クラスにごちゃごちゃといる理子のファンが見たときには醜い嫉妬と深い憎悪が充満する光景だな。理子のファンはいないが、その光景を良しとしない生徒がここにも一人もいる。

 

「こらー! キンちゃんにさわるなー!」

 

 おっとハイマキ、今日はソーセージはないんだ。レキの元へ帰んな。旅館に着いたらご主人様が飯をくれるよ。

 

「いつまで騒いでるんだ。これから研修でお世話になる宿に行くが、くれぐれも村の人たちに迷惑かけるんじゃないぞ。愛弟子ぃ、返事しろ」

 

「はい、先生。先生は村の人たちと面識はあるんですか?」

 

「これから行く旅館の女将とは古い知り合いだ。遠山に焦って口説くなよ?」

 

 ……焦ってないし、口説きませんよ。旅館への道を覚えている先生は先んじて先頭を歩こうとするが、その一歩は俺にも予期せぬことで一度止まることになった。

 

「焦るべきは綴だよな、すげえブーメランだぜ」

 

 武藤、お前のその勇気には感服するよ。俺はキンジに耳打ちをした武藤へ称賛を送った。尋問科で綴先生の悪口が流れることはない、発生源は必ず捕まるからな。こんな風に──

 

「私が何を焦ってるって?」

 

「……い、言い間違いです」

 

「何がブーメランになるんだ?」

 

「……言い間違いです、つ、綴先生……あ、生憎の空模様ですね……」

 

 グロックを頭に突きつけられ、武藤は真っ青な顔で両手を上げている。いわゆるホールドアップってやつ?

 

「世間話で気を逸らそうとするのは健気な努力ね。空は太陽が照りつけてるけど」

 

「言ってやるな。姑息な手だが武藤にしては冴えてる。勲章ものだな」

 

 最初は神崎、次は俺からの感想だ。安全なエリアで一部始終を見学していると、先生も落としどころが決まったらしい。何度かグロックで頭を小突き、講師とは思えない邪悪な笑みで先生は続ける。

 

「今度間違えたら、あの世行きか、あたしの尋問か、好きな方を選ばせてやる。三度目はないぞ、武藤」

 

 三度目ってことはカウントが一つ貯まってたんだな。今の失言で2アウト。武藤、3アウトでチェンジしないように頑張りな。幸運にもグロックは下がり、武藤は九死に一生を得る。そして、今のやりとりの本当の犠牲者はバッグを肩から落として立ったまま震えていた。

 

「聖女様、置いていかれるぜ。脅された武藤より傷を負うなんてなぁ……」

 

 仕方ないか、ジャンヌは綴先生の尋問を身を持って味わってるからな。尋問科としては同情するよ。身から出た錆だが、先生の尋問はあの世への切符と秤に乗せても釣り合っちまう。蘭豹先生の体罰、綴先生の尋問はこの世の地獄だ。

 

「ジャンヌは先生の尋問、たっぷり経験してるもんね」

 

 他人事とは今の理子を言うんだろうな。この器用な怪盗は泥棒の他にリスク管理にも才能を振るってる。司法取引も手腕をフルに活用して立ち回った結果、先生の尋問も縁なくして終わってる。理子はバカな振る舞いが独り歩きしてるが本当は恐ろしく頭の良い女だ。褒めるのは癪だが同じ泥棒でもベラより賢いのは間違いない。

 

 なんとか立ち直った氷結の魔女と、俺たちは宿泊する宿への道を歩き始める。車を停めた場所から宿まではご覧のとおりウォーキングだ。ジャンヌが確認した地図によればそれなりの距離を歩く必要があるらしい。幸いなのは霧が晴れ、天候が味方してくれていること。自然に囲まれたこんな場所で空に泣かれたときには辟易とするよ。

 

「理子、キーくんと二人だけの合宿がよかったなぁ。混浴して、布団並べて……」

 

 理子は飽きずに星枷を煽り、星枷も条件反射とばかりに噛み付く。

 

「お前も何か言わないのか?」

 

「理子のおふざけに一喜一憂してたらキリがないわ」

 

「大人になったね。我慢を覚えるなんて、成長したね、誉めてあげます」

 

「それはどうも」

 

 理子とキンジの珍道中の十歩後ろを神崎と歩いていると、星枷も巻き込んだ悪ノリも終盤を迎えたところだった。お約束の「既成事実」をここでキンジと迎えようとした星枷には神崎も顔を真っ赤に染めてやがる。キンジは止めてるが本気で脱ごうとしてるぞ、あの武装巫女……

 

「ほ、星枷さん……不品だ……」

 

 火に油を注ぎたい理子は制服をずらし、収集不可能になる前に神崎がガバメントを抜いたことで事態は強引に鎮火された。静かな山道に大口径の銃声が木霊するのは実に武偵高の研修らしいよ。膝から崩れていた武藤を誰も迎えに行かないのだが、一人で置いていれるのは武藤は耐えられないようで……すぐに走って追いかけてきた。

 

「賑やかになってきたな」

 

「最初からです」

 

「ああ」

 

 俺、レキ、ジャンヌが各々に呟く。

 

「さっきの霧、あんまり不気味だから妙な映画を思い出したわ」

 

「奇遇だな、俺たちも車の中である映画を連想したよ。人間の業は恐ろしい。人だって怪物だ」

 

 どうやら神崎も同じ映画を思い出したらしい。仕方ない、道を覆っていた霧はそれほどまでに不気味だった。俺も不気味な体験には馴れてるつもりだが遠回りしたくなるような面妖な霧だったな。

 

「あの映画、怪物も勿論だけど本気に恐ろしいのは人間だったわ。誰が人間をこの世界の支配者にしたのかしら」

 

「神じゃないよな、もういないよ。ここだけの話、神は休暇をとってる。お姉さんと釣りでもしてるよ」

 

「神に姉さんなんているのか?」

 

「いるんだよ。喧嘩して神が物置小屋に閉じ込めた。最近になってようやく仲直りしたけど」

 

 真実は物置小屋より酷いぞ、キンジ。神を崇拝したくなる気も失せるよ。

 

「最初の数日は皆で励まし合う。でも食料がなくなったら皆が豹変するでしょう。皆が物を奪い合う、暴徒と化す、危機的状況に陥ったら理性を失う。例えば水を止められたら、すぐに騒ぎは大きくなる。烈火のごとく怒りだす。それが社会です、一瞬で崩れ去る」

 

 淡々と語り終えたレキには、俺やキンジだけでなく神崎やジャンヌの視線まで集中した。

 

「あの映画の感想です。私なりのですが」

 

「聖書にある最終戦争が起きたら、そうなるんだろうな。この世の地獄」

 

「エンドオブデイズ」

 

「キンジ、レキに座布団二枚」

 

「おふざけがすぎるぞ」

 

 そう怒るなよ、森林や砂利道が続いてどうにも空気が重たく感じる。何年も前に行方不明者を探して登った人食い鬼の出る森林そっくりだ。奴の寝床は腐臭で肺が腐りそうだったけどな。大木の繁みからカラスの鳴き声が聞こえて一斉にそちらを見る。まだ人の影は見えないが少なくともカラスは住んでるらしい。

 

 東京武偵高校指定──かげろうの宿。古めかしい木の看板を掲げている宿がこれから世話になる民宿だった。自然に囲まれた村の中にあって、民宿もどこか落ち着いた和かな雰囲気を感じさせるな。静けさに包まれた村は元より騒々しさを感じない。武偵高の騒々しさに体が馴れてるのかな、静かすぎて落ち着かない。

 

「女将ぃー、着いたぞ」

 

 薄暗い宿の中からは返事が返ってこない。キンジが構わず中へ踏み入ろうとして、先生に腕で制された。入口に置かれた灰皿に咥えていた煙草を吐き捨て、先生は険しい顔つきで木の床を踏んでいく。意図が分からないまま先生の様子を眺めていると、不意にレキが目を細めて宿の天井を仰いだ。

 

「レキゅ?」

 

「来ます」

 

 刹那、先生が懐のホルスターからグロックを抜きながら体を反転。一瞬で背後を奪った着物姿の女性に銃口を突き出していた。グロックに睨まれるも女性もUZIを先生に突き出し、鏡合わせのように二人は銃口を向けて互いを牽制してる。俺たちは一瞬の出来事に驚きを隠せないが、同時に俺は小さな戦慄を感じていた。先生の背後を、奪い取った……? 何者だ?

 

「腕は落ちてないわね、綴。久しぶり」

 

「そっちも相変わらずだな」

 

 一転、重たい殺気は嘘のように消える。銃を下げた先生は、蘭豹先生と話しているときに見せる親しい相手限定の気軽さで女性に接していた。着物姿と先生の砕けた態度、彼女が来る途中に先生が話していた宿の女将か。

 

 ……なんつーか、先生の知り合いだけあって女将さんも相当の武闘派だな。武偵高の教師を牽制できる女将なんて古今東西探しても見つからないぞ。サスペンスドラマに出てくる薙刀の名人の温泉若女将ぐらいだ。正確には大女将。

 

「そちらが綴の教え子?」

 

「ああ、お前らこれから世話になるんだ。女将に挨拶ぐらいしとけよ」

 

「ねえ、貴方が贔屓にしてる愛弟子さんは……」

 

「あの茶髪だ。あだ名はヘラジカ」

 

 ……先生、ヘラジカは俺じゃなくてサムのあだ名。理子、それに武藤も笑うんじゃない。俺は鹿が嫌いなんだよ。ちくしょうめ、不名誉なあだ名だぜ。

 

「何が悲しくて俺のあだ名が鹿なんだ」

 

「鹿はバカにするのだな」

 

「クラゲはバカにすると怒るのにね」

 

 金髪、銀髪の小言は無視だ。息合ってるな、お前ら。流石は同期の桜。

 

「大嫌いだ、お前らの世代なんか……」

 

「あんたも同世代でしょ?」

 

 

 

 

 

 




シーズン15は懐かしのキャラクターの再登場が止まりませんね。作者は吹き替え待ちですが、何シーズンも前の懐かしいキャラクターが同じキャストで登場するのは本当に嬉しいんですよね。

ウィンチェスター兄弟らしい恋愛は悲恋しか浮かばないのですが主人公はどうなるのでしょうか。シーズン15が完結すればこの作品のラストも考えていきたいですね。


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霧の中の温泉宿―File.2

 

 

「知ってるわ。そういう幽霊話は全部作り話だって」

 

「分かってないなぁ。この話にはちゃんとした確証があるの。次の日新聞にも出たんだよ。だから──」

 

「1940年の新聞でしょ」

 

「そう」

 

「信頼できるわね」

 

「でしょ?」

 

 理子は早速というか、神崎を弄びに走る。温泉宿を舞台にした幽霊話。要は怪談を始めたが神崎も日が明るい間に怯むほどではなかった。

 

「ええ、魂胆は分かってる。乗らないわよ」

 

「魂胆って?」

 

「ここは温泉宿、あんたの言ってる話と同じ舞台。ってことで怪談で仕込んであたしのことをビビらせようって考えでしょ? 無理、あたしの心臓鋼だから」

 

 雷にビビる鋼の心臓だけどな。

 

「別に昔話をしただけで」

 

「あたしの心臓鋼だから」

 

 神崎、残念だが見栄を張ってるのが丸分かりだぞ。長い廊下を通して、襖を引くと奥には見事な和室が広がっていた。各々に反応を見せるがみんな好感触だな、俺も同感。埃っぽいモーテルよりずっと良いよ。各々で鞄を下ろし、インパラと別れてから歩きっぱなしの俺も畳に胡座をかいた。

 

 部屋の外ではハイマキがレキから貰ったご飯にありついている。武偵犬に転職してもハイマキは狼、畳に上がらせるわけにはいかないしな。そもそも狼が泊まれる旅館なんて他にあるのか?

 

「女将さんと綴先生って古くからの知り合いなんですよね?」

 

 綺麗な手つきでお茶を汲んでくれる女将さんは、手を止めずに理子に答える。

 

「昔、一緒に仕事をした仲でね。今でも連絡を取り合う仲なんですよ?」

 

 先生のメル友か。この宿を紹介してくれたのもその繋がりなのかな。

 

「先生と組めるなら、あの機敏な動きも納得です。普通は背後に立った途端、グロックに頭をやられる」

 

「貴方のお話も聞いてますよ。綴が教え子を愛弟子とまで言うのは珍しいですから」

 

「師には遠く及ばない愛弟子ですよ」

 

 誉められたことで先生も御満悦の様子だ。まあ、尋問の技術は先生に遠く及ばない。性格や人格はどうあれ、先生の尋問の腕前は日本で五指に入る。対して、俺が本当に専門とするのは──人間じゃない連中への尋問だ。

 

「女将はこう見えて腕利きの武偵だったんだ。しかし腕は鈍ってないみたいだな?」

 

「鉄火場はご無沙汰だけどね」

 

「どうして武偵を辞めたんですか?」

 

「あの実力なら第一線を退く必要もなさそうだが……」

 

 窓の景色を眺めていた神崎が振り返って、ジャンヌも追って質問を投げた。

 

「元々、先祖代々温泉が好きな家系だったんですよ。言うなれば家庭の問題かしら」

 

「ご先祖は、世直しするじいさんを影から支えるくノ一だっけか?」

 

「ええ、他にもお供がいたみたいだけど」

 

「家庭の事情で温泉宿ですか……」

 

「これはこれで楽しいんですよ?」

 

 後悔はない、女将さんはそんな顔を向けてくる。悪い癖だな、家庭の事情と言われると自分を重ねそうになる。

 

「自慢の温泉だからのんびり味わってくださいね」

 

「ちなみに女将は還暦だ。口説くなよ、愛弟子ぃ?」

 

 ……先生、注意するのは二回目だぞ。目を丸くして皆が驚愕に叫んだ。分かるよ、この女将さんは還暦には見えないよな。先生も若く見えるが女将さんはそれ以上だ。女性は本当に謎めいてるよな。

 

 

 

 

 

 

 温泉宿の楽しみは温泉だけにあらず。浴衣のまま楽しめるスポーツ、温泉と来れば卓球は外せない。金田一少年が唯一得意なスポーツ、その舞台に俺はキンジと武藤を誘った。研修が始まるのは明日からだ。今日は体を休めるのが仕事、ついでに気分転換もだな。

 

 まずは台から距離を取る。後衛で弾を拾うことに特化した防御の戦術で俺はキンジに先制をかけた。巷で言われるカット主戦型、野球で言えばアンダースローに例えるべきか。左手から宙へ水平に弾を投げ、右斜め下から玉の下を斬るようにラケットをスイングする。

 

 左回転のサイドスピンのかかった球はネットを越え、キンジのバック側でワンバウンド。解説するとセルロイド製の球は恐ろしく回転に過敏だ。腕と肩を使い、手首を効かせて投げれば簡単にスライダーやシュートが投げれる。武偵高の卓球部は練習そっちのけでピン球で野球やってるし……グローブなしで。

 

 アミューズメント施設や旅館にありがちなラケットは、最低限の数本のラケットを不特定多数で兼用するので、ラバーが剥がれていたり擦れているのがほとんど。だが驚くことに、かげろうの宿から借しだしているラケットは違う。回転をかけやすい裏ソフトラバーに恥じない横回転。

 

 バック側でバウンドした球がフォア側……キンジから 見て右方の台のエッジ近くまで抉るように刺さった。

 

「……上等だ。遊びでも本気になってやる」

 

 理由は分からないがキンジも乗り気になったな。おもしろくなってきた、遊びは全力でないとな。

 

「キンジ、いまお前が持てる全力でかかってきな。俺が真っ向から粉砕するぜ」

 

 キンジから投げられた球を受け取り、軽く台に左手でバウンドさせる。小気味良く跳ねるピン球の音が心地良い。

 

「さあ、闇のゲームの始まりだぜぇ!」

 

「子供かよ」

 

「黙れ、武藤!俺だってお前らと遊びたいんだよ。ムカつくぜテメェら!俺そっちのけで不知火と三人でカードゲームなんかしやがって!なんで俺も誘ってくれねぇんだ!俺もお前たちとゲームがしたかったんだよ!」

 

 いくぜ、俺のターン。再び、水平に上げた玉がゆっくりと落ちてくる。サーブの権利はポイントを得たプレイヤーに移動する。つまり、俺がポイントを先取しつづければキンジにサーブの権利は回ってこない。これが卓球という競技の恐ろしいところだ。サーブが上手いだけでも驚異なんだよ、この競技に限ってはな。下回転が返せなくてボロボロにやられるなんて茶飯事だ。

 

 球の左下を擦るようにラケットを斜め左にスイング。今度はキンジから見て左側、バック側の着地地点からさらに左へバウンドする逆の横回転。台上処理のお手並み拝見だな。キンジの浮いたレシーブをバックハンドでミドル気味に叩き込んで二点目。速い球足のサイドスピンで三点目を奪う。このまま目に見えるアドバンテージを稼ぎたいがさてさて……

 

「き、きんじ……ね、ねぇ、理子知らないかしら……?」

 

 神崎、その前に浴衣がはだけすぎだ。鎖骨のラインなんて丸見えで……

 

「見つからないなら俺と一緒に探そうか、お姫様?」

 

 刹那、玉足が一気に加速して俺の頬を擦過した。 な、何事だ……?

 

「ここからが本当の戦いだ。決闘(デュエル)再開と行こうじゃないか?」

 

 な、なんだなんだ、なんだってんだよ? こ、こいつ……本当にあのキンジなのか? この自信に溢れた好戦的な目、いやさっきとはまるで違う。これはブラドやハイジャックで理子と戦ったときの──

 

「もう一人のキンジ。名もなき天然たらし」

 

「……反応に困るんだが」

 

「どこまでも楽しませてくれる。キンジ、お前のターンだ。さっさとド──サーブを出せ」

 

「焦るなよ、まだ試合は始まったばかりだぜ?」

 

「おもしろい。どんな攻撃も返してあげよう!」

 

「キリもキンジもテンション高いわね!?」

 

 油断なく膝を曲げ、構えをとる。距離はやや中陣、ドライブでぶち抜くのは得意でもないが様子見の距離。カウントは【3ー1】のキンジのサーブからの再開。いやらしい下回転に台上処理を余儀なくされるが──ツッツキで下回転のまま返球。台にしがみつくような距離から後ろに後退すると、派手な上回転のループドライブが台を跳ねてきた。

 

(……少しの回転はぶち抜きやがるな。上等だ)

 

 真っ向からループドライブをフォアカット。球の真下を擦るようにして下回転をかけたまま相手へ返球。カットで粘り、キンジのミスを誘って点を稼ぐ。本来の戦術に支点を置くがキンジは関係なしに打ちこんできやがる。全力で回転をかけてるつもりだが、羨ましくなる打球感の良さだな。

 

「白熱してんなぁ」

 

「あんた審判なの?」

 

「形だけ」

 

 ギャラリーが一人増えたな。パイプ椅子に座って神崎も観戦ムードだ。下回転に混ぜて、横回転、ナックルカットでキンジを揺さぶる。台から離れて球を拾い、相手が自爆するまで粘る。時には球を打ち込むことも勿論だが大切なのは自分の卓球を貫くこと。自分の技術を信じる。

 

 結果的に三点のビハインドはキンジに取り返された。ドライブを囮に台上処理、時には台から離れた後衛からカットすら飛んでくる。俺が台から離れてプレイする戦型とすれば、キンジには前衛も後衛も関係ない──どの距離からも戦えるオールラウンダー。卓球まで器用なのかよ、お前は。

 

「ネット前から大きく跳ねるカット、いやらしい横回転にナックルカット。キリも陰湿な戦いを好むわね。3セット先取なら足に来そうだわ。泥沼の戦いよ」

 

「だが、こいつは1ゲーム先取の試合だぜ? 体力が切れて大の字に寝転ぶことはねえよ」

 

 武藤と神崎の場外からの解説をよそに打ち合いは激しさを増した。だが隠し持っていやがったのか、キンジが返球した球が台に触れると、斜め左にバウンドして俺のラケットから逃げていく。ちくしょうめ、飛び道具まで持ってやがった。苦笑いしそうなシュートドライブだな……

 

「カウントは【7ー7】で並んだわね」

 

 神崎がスコアを口で教えてくる。軽く息を吐き、俺は柄を指で回転させる。裏表でラバーが違えば便利な技術なのだが、生憎と俺が借りているのは両面とも裏ソフト。気持ちを落ち着かせてるだけ。カット用のラケットは普通のラケットに比べて、球を捉えやすいように一回り大きく出来ている。要は専用のラケットなのだが、こんなものが置いてあるのに負けるのは……悔しいな。

 

「もう一人のキンジ。いや、キンジに宿る天然たらしの魂」

 

「そのネタ、どこまで引っ張るんだ?」

 

「うるせえ。バカなこと言って遊ぶのが温泉卓球なんだよ。大門先生と城之内先生を見ろ、楽しそうだ」

 

「……医者は大変な仕事なんだよ。フリーランスだとしてもね」

 

 神経を削る接戦の高揚感は堪らないが、これだけじゃまだ物足りない。もう一人のキンジを倒して、勝利の余韻に浸らせてもらうぜ。狭い台で繰り広げられる決して派手とは言えない闘い、だが俺は負けたくない。そうだ俺は誤魔化していた。温泉卓球とは楽しむもの、楽しく遊べれば勝ち負けは関係ない……と。だが俺は飢えている、渇いている、勝利に……!キンジ、お前の懐にある勝利を奪い取ってでも俺は……!

 

「勝つのは俺だ! 消えろ、敗者は!」

 

「ねえ武藤、あれも映画の台詞?」

 

「似たようなもんだ、バカの一つ覚え」

 

 武藤と神崎の珍しいやりとりが契機になる。小賢しいラケットの振り上げと振り下ろしを混ぜたフェイント。終盤に来て別方向のサーブで攻めてきたか。キンジめ、姑息な手を……!なんつー回転だ。気を抜いたらネットも越えなくなる。

 

「キリ、このドベ! 雑なレシーブしない! 見てるのもつまんないのよ!」

 

「うるせえ。なんで俺に気持ちよく卓球させねぇんだ。むかつくぜ! 俺のレシーブをことごとく拒否りやがって!」

 

「勝負だからに決まってるじゃない。あんた、理子と同じくらいはしゃいでるわね……」

 

「遊びになるとはしゃぐんだよ、あいつ。なんかあるのかねえ」

 

「仲良いなぁ、おい!」

 

 審判武藤とギャラリー神崎と普段は見かけない妙な組み合わせに俺も饒舌になる。浴衣が着崩れようが些細なことだ。多少強引な二歩動を無視したフットワークで球を拾い、エッジ狙いで姑息に立ち回るが、キンジのバックハンドを捌けずにカウントは【10ー9】を迎える。互いにラケットはシェイクハンド、キンジがバックが苦手なんて憶測はとっくに消えてる。さて、デュースにどうやって持ち込んでやるか……

 

「切、俺も悪ノリしていいか?」

 

「無礼講だ。言ってみろ」

 

「──ファイナルターン!」

 

「ぜってえ許さねえ!」

 

「許可は取っただろ!!」

 

「黙れ、俺だって言いたかったんだよ! なにがTHEだかっこつけやがって!」

 

「言ってねえよ!」

 

「──永久に眠れ、フォーエバー!」

 

 バックカットでドライブを返し、キンジを逆方向に揺さぶる。だが、キンジも器用なフットワークでフォアハンドの返球も充分可能。悪魔のように曲がりやがるシュートドライブを飛び付いて拾うが、舞い上がった球はネットを越えると大きくバウンドした。その場は凌いだがチャンスボールをやるようなもんだ。キンジがラケットごと腕を真上にスマッシュの動作に入る。

 

 俺は飛び付いて球を拾ったことで片膝を突いた不安定な姿勢でいる。必死に姿勢をニュートラルに戻すがふざけた速度のスマッシュが台を跳ねる。二歩動をガン無視でジャンプしてラケットを差し出すレシーブ。一目で分かる悪い見本のような打ち返しは、運良くピンポン球を捉えた。

 

 ゆるやかに舞い上がる球はネットを越え、台の右端へと下降する。エッジに触れるか否か。そのまま外へ落ちるか。世界が恐ろしく静かに思えた。

 

 

 

 

 

 

「いい試合だったわね」

 

「2ポイント差でもキンジに勝てなかった。こんなんじゃ満足できねえぜ」

 

 あれから神崎を連れ、三人で理子を探してから部屋に戻ったのだが……

 

「ねえ、ジャンヌ知らない? 理子、ジャンヌを探して中を歩き回ってたんだよね」

 

「ジャンヌ? 見てないわよ?」

 

 浴衣姿の神崎が見渡すと、星枷とレキも首を振る。男性陣はさっきまで卓球に夢中だった。キンジは同じく首を横に振る。ジャンヌの行方など知るよしもない。だが、ジャンヌが一人でいなくなるのは珍しいな。ジャンヌは真面目な子だ。宿を離れるにしても同期の理子には一声ぐらいかけそうなものだが……

 

「雪平さん?」

 

「嫌な予感がしてきた。ジャンヌを探してくる」

 

 俺が立ち上がったのと同時に部屋の空気が凍てついた。庭先の方から武藤の絶叫が部屋まで届いたのだ。

 

「切!」

 

「ああ、今の悲鳴は普通じゃないよな」

 

「あんたの悪い予感が当たったわね!」

 

 いつもは勘が見事的中するといい気分なんだけど、今日はきつい。武藤がどんなバカでも理由もなしに出せる悲鳴じゃなかった。廊下を走り、先に飛び出したキンジが腰を抜かした武藤に駆け寄った。

 

「どうした、武藤!」

 

「あ……あ、あれ……!」

 

 先に追い付いていたキンジの目は、ありえない者を見たような目だった。頭の中で警笛が鳴りやまず、ようやくキンジに追い付いて──俺は鋭く息を飲んだ。

 

 晴れた日差しの下に二体の人形の影がぬっと直立しているのが見える。一体は人形、そしてもう一体はーー人形に偽装されたジャンヌそのものだった。アイスブルーの瞳は濁り、焦点を定めていない瞳が異様な状況をより恐ろしいものに変えている。

 

「……悪戯ってレベルじゃないな」

 

 幸い、ジャンヌは意識を失っていただけだった。俺たちが差し向けた視線で意識が戻り、事態が分からずにいるのか首を傾げている。一転、笑いを誘うジャンヌの格好に理子のみならず神崎まで笑いこけている。キンジも武藤の横に座って溜め息を吐いていた。先生と女将さんは危険がないことを見届け、さっさと屋敷の中に戻っていった。本当に危険がないのか……

 

 俺は顎に手をやる。悪戯にしても悪趣味、そして不意を突いたとしてもジャンヌにここまでのことをできる奴は限られる。ジャンヌは最下層に位置してはいたが元々は超人の集まりであるイ・ウーの構成員だ。意識を奪うことも一筋縄ではいかない。俺が感じていた疑心はジャンヌの意識が目覚めても拭えなかった。人里離れた場所に高級ホテルが突然現れたときのような違和感。

 

 だが──答えは予期せずやってくる。まだ冬は遠い季節、神崎が吐いた息が白く濁った。

 

「……寒っ、急に冷えてきたわね」

 

「ジャンヌも見つかったし、冷える前に戻ろっか。キーくん、理子は先に部屋に帰ってるね」

 

 ……冬にもなってないのに。息が急に白くなって、温度が下がった。

 

「レキ、少しいいか?」

 

「……嫌な風を感じます。すぐ近くに」

 

「ありがとう。質問の手間が省けたよ。この旅館に来てから妙なことはなかったか。例えば……今みたいに息が白くなったり、温度が急に下がる。電球や蛍光灯、機械の電源が勝手に点いたり消えたりしたことは?」

 

「はい、ジャンヌさんを見つけてから。体感ですが温度が急激に下がりました。後者の現象については知りませんがハイマキも何かを警戒している」

 

 動物が持ってる野生の勘は人間より鋭い。自然界で生き抜く為の必要不可欠な能力だからな。ああ、ハイマキが何を警戒しているのかは俺にも予想がついたよ。合宿にも持ってきていたハンターお決まりの機械の電源を入れると、赤いランプが点滅するのと同時に激しく唸りを上げた。

 

「ラジオですか?」

 

「ああ、壊れたラジオに見えるだろ。たまにWALKMANにも間違われるけどね。電波が悪いのかな。ああ、最悪だ……鳴りっぱなし」

 

「電波に問題があるのでしょうか」

 

「大問題だな。ああ、かなり……やばい……」

 

 俺はぽんっとハイマキの頭に手を置いた。お前の悪い予感は当たったな、宿には先客がいたらしい。

 

「マシュマロマンの逆襲かな」

 

「マシュマロマンですか?」

 

 ああ──ゴーストバスターズ。鳴りやまないEMF探知機を握り、俺はハイマキが見つめる一点を睨みつけた。

 

 

 

 

 




人工天才編が一つの区切りのつもりですが、年内までに追い付けるかなぁ……

Ps.卓球のサーブ権について間違った解釈で試合を進行しております。実際に卓球のサーブは二回行っての交代が正しいのですが……その場の雰囲気でルールが改編、もとい書き換えられました。申し訳ありません。作者が所属していた卓球部の謎ルールがモデルです。


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霧の中の温泉宿―File.3

「つまり、私を襲ったのは幽霊なのか?」

 

「だな、お前を見つけた庭先がコールドスポットになってた。レキにも確認済みだ。それで庭を試しにEMFで調べてみたら──」

 

「反応したわけか」

 

「鳴りまくり」

 

 そう言いつつ、俺は肩をすくめた。EMFとは幽霊の発している特殊な磁場に反応する探知機の名称で、レキが間違えたラジオの正体。幽霊や悪霊、ポルターガイストなんかを退治するときの必需品だ。

 

 ディーンと俺の共同製作の末、互いの趣味が反映されて壊れたWALKMANみたいなデザインになっている。レキが間違えるのも仕方ない。記念すべき最初のお披露目では身内も間違えたからな。

 

 幽霊に襲われたなんて馬鹿げた話だが、その馬鹿な話にかぶりを振る者はここにはいない。ここにいるのは妙にハンターや悪魔の事情に精通するジャンヌ、そして日本の超常現象の第一人者とも言える星枷の武装巫女。非日常の出来事には馴れてる二人だ。

 

 俺は合宿に来ているメンバーの中で──早い話が狩りやS研方面の話に強い二人の魔女だけを呼んで、今回の騒動について宿泊部屋とは別室で話し合ってるところだ。

 

「日本で幽霊が関わってる事件は実はあんまり多くないの」

 

「日本は遺体を火葬するからな」

 

「うん、でも幽霊が出るってことは遺体が何かの理由で火葬されていない。発見されてないってこと」

 

「もしくは燃やしてない物がある。髪の毛や亡くなった人のDNAがくっついてる物があると幽霊はこの世に残れるからな。生前、大切に愛用していた日用品一つで幽霊は活動できる。フラスコや義手の鉤爪でも」

 

 俺たちがやるべきことは遺体に塩をかけて燃やす、もしくは幽霊が取り付いてる物を燃やし、この世との繋がりを断つ。ハンターが幽霊を退治する手順はその二つに分けられる。幽霊自身がこの世の未練を断ち、自分から消えることもないわけじゃないが……それは珍しい、かなり特殊な例だ。机を囲んで正面にいる星枷が重々しくかぶりを振り、会話の舵を取る。

 

「この霊はまだ悪霊になってない。生前の自分の意識を保ってる。この霊が本当の悪い悪霊なら──」

 

「悪戯じゃ済まない。怒りに心を支配されて、人に殺意を持って襲いかかる。だが、経験から言うと普通の霊は武藤やジャンヌに仕掛けたドッキリ紛いの悪戯なんてしない。そして」

 

 星枷の言葉を遮り、俺は続けた。

 

「どんな霊もいつかは悪霊に変わる」

 

「雪平くんの言うとおり。それはどんなに良い人も例外じゃないの。一緒に過ごした家族や大切な人も迷わず襲うようになる。ずっとこの世に留まり続ければ悪霊になるのは避けられない」

 

「この霊も例外じゃない。早いか遅いかの問題だよ、いつかはメジャーデビューする。霊がこの宿の何かに取り憑いているとして、もし宿が買収されたり取り壊されることになったら?」

 

「怒り狂うだろうな」

 

 ジャンヌの答えが正解だ。家が売られたり、壊されることになると幽霊は活発になる。でなくても悪霊になるのは時間の問題だ。今は悪戯でもいつか殺人に変わる、必ずな。

 

「それで、どうする?」

 

「狩りをする。俺たちでこの幽霊を退治するんだ。犠牲者が出る前に」

 

 魔女と武装巫女、机を囲んでいる二人に目配せする。ジャンヌは一瞬、碧眼を丸くするがやれやれ、と言いたげに額に手をやった。星枷は言うに及ばず、どこからともなくレンチを用意して準備万端だ。鉄は幽霊を遠ざける最も身近で効果のある武器だからな。そんなヤル気満々の星枷をジャンヌは横目で見やり、

 

「人生は分からない。ウィンチェスターに狩りに誘われる日が来ようとは……」

 

「すっかりズブズブの関係だな、おめでとう。ブラドとの戦いでは仲良く力を合わせただろ、今は人手が足りない。力を貸してくれ、聖女様?」

 

「私は便利屋ではないのだが……この霊には先手を受けた。個人的な怨みでなら手伝おう」

 

「決まりだな。俺たちのチームは天然ボケの氷結の魔女と生徒会長か疑わしき武装巫女、最後に悪魔の血のジャンキーになりかけのハンター。理由はどうあれ、俺たちで宿に住み着いた幽霊を退治する。要は──」

 

「ゴーストバスターズか?」

 

 ジャンヌ、冴えてるよ。つか、天然ボケは認めるんだな。それとも否定するのが面倒になったのか。何にせよ非日常トリオの誕生だ。俺は一つ頷いて──

 

「夾竹桃に頼んで、過去にこの宿で不審な死や事件がなかったか調べて貰った。かなり文句を言われたからお土産は奮発する、いいな?」

 

「文句を言いながらも力を貸すのだ。お前は彼女に気に入られている」

 

「……だと嬉しいんだがな」

 

 俺はジャンヌへかぶりを振った。だが、お土産に悩まされることになったが、夾竹桃は俺よりずっと調べものが上手だ。受けた仕事は手を抜かずに答えてくれるし、あいつの律儀なところは俺も大好きだよ。ファーストコンタクトがどうあれ、今ではあの女に信頼を置いてる。でなきゃ狩りのことで電話したりしない。

 

「話を戻すぞ。パソコンは使えなかったが夾竹桃に調べて貰った情報と、女将さんにこの村と宿の歴史について聞き込みをしてきた。どのホテルにも流血騒ぎはあるというが、かげろうの宿も例外じゃなかった」

 

 古いホテルやモーテルに流血騒ぎは付き物。かつて幽霊が住み着いていたホテルの支配人がそう語っていた。どんなホテルにも暗い話の一つや二つはある、公にすれば客は逃げるから知られていないだけ。

 

「動くのが早い。流石だね」

 

「勉強そっちのけで狩りの知識を仕込まれたからな。このかげろうの宿は1900年代から続いて。建てられる前にビルやアパートが立っていたわけでも刑務所が隣にあったわけでもない」

 

「推理を立てるなら、この宿で悲惨な死を遂げた霊が何かの理由で戻ってきたのかな。今まで静かだった霊が思わぬ理由で活発になるのはよくあることだけど」

 

 さすがに星枷は詳しいな。ファイリングや調べものなら俺より手際が良いかもしれない。まあ、次に組むときがあれば分かるさ。今はこの幽霊の正体について話すのが先だ。

 

「ああ、会社の経営難や建物の取り壊し、霊が盛る理由は千差万別だ。人間と同じで霊にも色んな奴がいるからな。だが、ここ数十年で不審な事件は一件しかなかった。俺と夾竹桃が集めた情報を信じるならな?」

 

「愚問だな、他に信じられる相手もいない」

 

「右に同じだよ。その不審な事件って?」

 

「この宿で母親と子供が亡くなってる。子供は高遠英治、母親は高遠さくら。この宿に暮らしていたが英治がある日、大女将を剃刀で襲った。大女将はそこで殺されてる。話によれば彼が使った髭剃は頭の皮を根こそぎ削ぎ落とせる代物だったらしい、子供の玩具なんかじゃない凶器だよ」

 

 実際、女将の遺体は頭皮ごと頭の毛髪が剥ぎ取られていたらしい。俺が言ってもどうにもならないがむごい話だ。行き場のない母親の気持ちは想像もつかない。ジャンヌが形の良い眉をゆらす。

 

「……犠牲者は女将だけか?」

 

「いや、英治は大女将を殺して、母親であるさくらも殺してる。そのあとに自分も自殺した。まだ13歳の若さでな」

 

「年齢は関係ない。これは白雪に話したことだが私とアリアはこの宿で子供の影を目撃している。色白の少年で年齢は13歳に見えなくもない。今に思えばその霊だった可能性は充分にある」

 

 ジャンヌと神崎の目撃証言が追加、宿に取り憑いた霊の正体はこれで確信が持てたな。ジャンヌの言うとおり人間は怪物だ。怪物に年齢は関係ない、牙が生えたときから怪物は怪物だ。そこに年齢は関与しない。研磨されずとも牙は牙だ。

 

「この宿に出るってことは宿にある何かに取り憑いてるね」

 

「星枷の言うとおりだ。高遠親子も大女将も遺体は火葬されて村には墓地もあった。まだ燃やしてない物が宿のどこかにある」

 

 俺は机に、女将さんと夾竹桃から聞いた情報を纏め、ファイリングした物を広げる。手に取った星枷は目を丸めて、

 

「これ、雪平くんが一人で……?」

 

「ああ。ファイリングや調べ物が得意な女がいて、彼女に張り合いたくて腕を磨いた。いや……すごいって言われたかったのかな。ガキのお約束さ。初恋の女に誉められたかった、それだけ」

 

 俺がそう言うと、星枷は何も言わなかった。たぶん、星枷は察してくれたんだ。俺たちが誰かを好きになったら、どんなことになるか。明るい最後なんて用意されてない、それは俺や兄貴も同じだ。初恋も笑い合える結末じゃないことを星枷は感じ取ったんだろう。

 

 星枷とウィンチェスターは古い付き合いだ。そして俺と彼女もどこか似てる。もがいても抜け出せない血や家庭の事情、それを引っくるめて、受け入れて、怪物と縁のある非日常のレールを走ってる。彼女は姉、俺は弟で家族の中での立ち位置は違うけどな。それに我が家は神を敬わない。

 

「兄貴が言ってた。俺たちは俺たちの本当に求める物を絶対に手に入れられない、実際俺たちは今ある物を手元に置いておくだけで精一杯。だけどそれでいいんだ。求める物が手に入らなくても傍にある物を失うよりずっとマシ。日本に来て、キンジやみんなと会って、そう思ったよ」

 

「欲のない男だな。世界はきまぐれだ。お前の見る世界が変わる日も来ないとは限らない。この世界を作った神はきまぐれなのだろう?」

 

 ……参ったな。資料に目を通しながら聞いていて良かったよ。ジャンヌの今の言葉はまるで……

 

「気まぐれだよ。つか今の言葉なんだが、もしかして慰めてくれてる?」

 

「そそそのようなことは、決して!」

 

 途端にジャンヌはうろたえた声をだす。これが俺と二人ならかぶりを振って解決なのだが、今は部屋に星枷がいる。かつて退治した魔女とうろたえるうちに視線が合い、聖女様は気持ちを落ち着かせるように咳払いをした。くすり、と星枷が笑みを見せる。

 

「ジャンヌ、本当は優しい人だったんだね」

 

「な……っ……わ、私は魔女だっ。本当は怖いんだぞ。私は魔女、キリはハンターだ。それは今でも変わらない」

 

 まっすぐな星枷の言葉にはジャンヌも皮肉な返しはできないらしい。ジャンヌも根が真面目だからな。逃げるような咳払いは二度目を迎える。

 

「だが、それはそれだ。お前が慰めてもらったと感じるなら、今度は私が助力を求めたときに力を振るえ。つまり──私に協力しろ。そのときが来ればな」

 

「聖女様に借りは作りたくないしな。さっきのはまあまあ嬉しかったよ」

 

「……バカか、お前は」

 

 だから、それは俺の台詞。理子が神崎の前で『風穴風穴!』を連呼するようなものだ。神崎が星枷の前で『天誅!』なんて叫んだ日にはキンジは笑いこけるんだろうなぁ。台詞はどうあれ、日本刀を振りかぶって斬りかかる姿だけは簡単に浮かぶよ。

 

「そのときが来れば手を貸すよ。なんたって俺は暇だからな」

 

「今の言葉を忘れるなよ、ワンヘダ」

 

「善処するよ。お前も理子も夾竹桃もその呼び方が気に入ってるのはよーく分かった」

 

 資料に目を通すが、やはり気になるのは凶器に使われた髭剃りだな。殺害に使った凶器に幽霊が取り憑いているのはよくあることだ。だが、どうにもおかしな匂いが……薄々とハンターとしての勘を刺激する。

 

 この幽霊は頭の頭皮を髪ごと剥ぎ、親も殺したあとに自殺した子供だ。資料を読む限り、頭ん中の歯車が狂っているとしか言えない。だが、生前にそんな殺しをやらかした霊が、あんな悪戯みたいなことをするのが何か引っ掛かる。普通はテレビにはOAできないような惨劇の現場が広がるのが悪霊が関わった事件のお約束だ。生前、危険だった人間ほど現場の有り様は悲惨になる。ホラー映画やサスペンスドラマが怖くなくなるほどにな。

 

「星枷、なにか見落としてないか?」

 

「この子が取り憑いてるもの?」

 

「いや、もっと別のことだ。上手く言えないんだが……なにか見落としてる気がする。根本的な物を」

 

「ふむ、これを見ろ。彼の母親は絵を描くことが趣味だったようだ。この宿の玄関、受け付けにも見事な油絵が飾られていた。どうだ、私もこの狩りが終われば合宿の間に絵を一枚描こうと思うのだがーー」

 

「えっ、ジャンヌ絵を描くの?」

 

「うむ、得意分野だ」

 

 資料を持ったままで星枷は驚いた声を出した。鼻を鳴らして得意気なジャンヌに俺は何も言えなくなる。星枷の絵はお世辞抜きで上手い。鉛筆一本で陰影を使って描いた絵は、作業時間数分でありながら俺やキンジが何週間かけても張り合えない美麗な絵だった。

 

 ジャンヌは熱意こそあるが、現実は非情である。聖女様の描いた絵の素晴らしさは俺たち常人には理解できない。キンジに言わせれば『幼稚園のお絵かき』ととんでもない言葉が返ってくるだろうさ。まあ、芸術とはそんなものじゃないのかな。万人を満足させることは難しい、感性は人それぞれだからな。逆を言えば、感性が違うから芸術家や表現者という存在が成り立つ。

 

 幼稚園のお絵かきは否定できないが、ジャンヌの絵を好きになる奴もいるかもしれない。何より本人が楽しんでるなら、俺は口を出さねえよ。その前に幽霊は退治しないとならねえけどな。星枷とジャンヌの新鮮なやりとりに水は差したくないが、相手が首を長くして待ってくれるとも限らない。俺は湯飲みに入った茶を飲み干し、資料に目を傾ける。

 

「小さな村だ。情報を集めるのも一苦労だが、取り憑いた物を探し当てるのも至難の技だぜ」

 

「塩のサークルで霊そのものを隔離するのはどうだ。霊は塩には近づけない。一度サークルで囲んでしまえば外には出られないのだろう?」

 

「取り憑いた物が見つからないときはそれも考えないといけない。だが、塩が雨や風で飛ばない場所や他の誰にも見つからない特殊な環境が必要だ。塩のサークルは霊に対しては強力な檻だが、他のあらゆる要因に対して脆すぎる。突風で舞い上がるだけで駄目になるしな」

 

 ジャンヌの案は悪くない。退治できないなら檻に閉じ込める、過去に連続殺人鬼の幽霊と遭遇したときに俺も兄貴と同じ作戦を取ったことがある。だが、塩のサークルで霊を隔離するなら、地下深くに霊を閉じ込めた上で出入口をコンクリートで固めるくらいの措置は必要だ。嵐や雨で塩が流されると檻は簡単に決壊するし、誰かに踏み入られない必要もある。俺はゆるくかぶりを振る、残念なことに即興でこなせる作戦じゃない。

 

 静けさの中、不意に星枷が庭先を見ていた。資料をひたむきに整理していた彼女が、訝しげな顔つきで誰もいない庭に視線を向けている。彼女に引っ張られ、俺が資料から目を離した途端、悲鳴はやってきた。

 

「──武藤!」

 

 遠くからやってきたのはキンジの声だった。その声は見たくない物を見てしまったときに出る声だ。

 

「キンちゃん!」

 

 まずレンチを持って星枷が飛び出した。不穏な空気が、すぐそこに沸いて出て、殺到してくるーーような重苦しさが宿を満たしている。

 

「ちくしょうめ。追うぞ、ジャンヌ!」

 

 インパラのトランクから引っ張り出してきたショットガンを掴みとり、レンチを携えたジャンヌと星枷の後ろを追いかける。和かな宿とはかけ離れた重苦しい空気。廊下の角を曲がると、割れたガラスと傍らに気絶した武藤が仰向けに転がっていた。息はある、頭上を仰ぐと天井に嵌められていたガラスに大きな割れ目があった。天井からガラスを破って落下したのか……

 

「諜報科の自主トレーニングじゃないよな?」

 

「まさか。明日から研修が始まる。それに武藤は諜報科ではない」

 

「だよな」

 

 直前の曲がり角で星枷の姿を見失った。俺は塩の弾を込めたお決まりのショットガンに目を向ける。刹那、耳の奥にまで反響するアニメ声が正面の障子を突き破って聞こえてきた。十中八九、神崎だな。

 

「雷でも落ちたか?」

 

「いや、燦々と晴れてるよ。快晴だ」

 

 アイコンタクトでジャンヌが障子を開き、ソードオフしたショットガンを突きだしながら部屋に押し入る。油断なく銃口を向けたまま部屋を見渡し、俺の死角である背中を隠すようにしてジャンヌも踏み入ってくる。やや薄暗い部屋に人の気配はなく、灯りもついていない。

 

「S研にとってはこの上ない武偵研修になったな」

 

「ああ、同感。俺たちの中にS研は星枷しかいないけどな」

 

 片手で取り出したEMF探知機はひっきりなしに騒いでいた。マグライトで部屋を照らし、ジャンヌは見えない敵を肉薄するように鋭い殺気を飛ばしている。

 

「待て。部屋を飛び出したときに気づいたが、携帯が圏外になってるぞ?」

 

「霊の仕業だな。その気になれば通話の妨害だってできる連中だ。よっぽど俺たちを帰らせたくないらしい」

 

 率直に感想を述べてやると、同時に真正面の襖が開いた。誰の手を借りることなく、襖は独りでに、俺たちを招くように、次々と横にスライドして道が開かれていく。

 

「なかなかレアな光景だな」

 

「ああ、歓迎ムードみたいだ」

 

「本音を言うが、私は少しも嬉しくない」

 

「知ってるよ、俺も嬉しくない。さあ──お次はなんだ?」

 

 退路はない。お決まりの台詞を吐いてから、俺はジャンヌに視線をやる。

 

「マシュマロマンだけは遠慮したいがな」

 

「……門の神と鍵の神ならまだマシだよ」

 

 

 

 

 




白雪、理子、レキは絵が上手な設定なんですよね。アリアはどうなんでしょうか。ちなみに主人公の画力はディーンと良い勝負なので……決してジャンヌをバカにはできなかったりします。ディーンの画力はシーズン1の3話で見ることができますね、シリアスなディーンがとても格好いいシーンです。


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霧の中の温泉宿―File.4

今回で合宿編の完結になります。ovaとは異なった終わりかたになりますが、難解なシナリオを作者なりにアレンジさせて頂いた結果になります。


 幽霊の姿はそれぞれだ。生前、死ぬ前の姿で現れることもあるし、そうでない場合もある。見るに耐えられない悲惨に五体が破損した幽霊を見るのは、決して良い気分でないのは間違いない。そこを行けば眼前で姿を見せた『高遠英治』の霊は可愛いものだ、首に走った致命傷の傷跡を無視できればの話だが。

 

「星枷やキンジは?」

 

 迷わずショットガンの引き金を引いた。破裂音がして、粉砕された塩が霊を追い払う。少年の立ち姿は手品のように消え、俺は油断なくショットガンを構えたまま部屋を見渡した。相手はモノホンの幽霊、軽々しくクリアとは言えない。

 

「見当たらない」

 

「手遅れとは考えられないが、探すのは骨だな」

 

 塩は霊を追い払うことはできるが、退治できるわけじゃない。悪く言えば時間を稼ぐことしかできない。星枷や神崎を見つけて一旦の退却が無難だが、目の前で広がった景色は俺の想像の斜め上を走っていた。

 

 一度、遠ざけた少年の霊は再び舞い戻ると、その体から眩い光を明滅させていた。思わず、たじろぐほどの発光の熱量にジャンヌ共々後ずさることを余儀なくされる。これは……記憶にある。この熱は……魂が燃えるときの熱……

 

「おい、これは一体……!」

 

「俺にもわからない! あいつ独りで成仏しようとしてるぞっ! 理由はわからないが前にも同じ光景を見た。あれはこの世との繋がりを絶とうしてるときの……くっ、目がどうにかなりそうだ」

 

 眩い熱量に半眼で目の前を睨む。骨や遺品、この世との繋がりを焼かれて焼却されるときの反応とはまるで違う。上手には言えないが、目の前にあるのはもっと柔らかい景色。狩りをしているハンターなら、まず違和感を覚えるほどの違いだ。

 

 きっかけは、分からないが少年の霊は何も語らず、俺たちには危害をくわえずにここを去ろうとしてる。膝から下が消え、やがて肩から下、そして首から下に至ると、無表情のまま高遠英治の霊はかげろうの宿から消えた。

 

「……」

 

 すっ、と背中に冷や汗が伝う。危機は去った。予期しない出来事だが嬉しい誤算だ。俺たちは奴を繋ぎ止める物が何だか分からなかった。向こうから成仏、戦いの舞台を降りてくれるなら何も言うことはない。幽霊退治の幕は降りる、問題があるとすれば少しの消化不良が残るだけ、肩透かしを食らったくらいだ。むしろ、幕引きとしては上々すぎる。なのに──俺は、無意識にEMFの電源を付けていた。静かな部屋に電子音がコールする。

 

「どうした?」

 

「腑に落ちない。上手く行きすぎてる」

 

「霊は去ったのだろう?」

 

「そこだよ、そこが納得いかない。あれだけ悪戯やってたクソガキが、いきなりこの世界に満足して成仏するか?」

 

 ひねた見方をしているは認める。だが、今回に限っては自分の勘を信じるべきだ。そして勘を裏付けるようにEMFがひっきりなしに音を鳴らし初めた。今までより──激しい警告音を。

 

「やられた。いや、問題を投げられたな」

 

「問題?」

 

「もう一体、この宿には霊がいる。さっきの悪ガキより面倒なのが」

 

 ……俺の経験上、こういう展開のオチは限られてる。いつも最悪の展開を考えてるわけじゃないが残念なことにその最悪の展開が一番しっくり来る。当たっても嬉しくもないが確認しないわけにはいかない。

 

「ジャンヌ、携帯にカメラは?」

 

「あるに決まってるだろう」

 

「良かった。カメラを通して、この部屋を見渡してくれ。携帯のカメラには幽霊の放つ特殊な電磁波……要は姿を捉えられるんだ。奴等が望まなくても携帯を使えば、その姿が見れる。今度の奴は菊人形じゃ済まない。たぶん……皮を剥ぎ取りにくる」

 

 俺の嘲る気配のない真面目な声は、ジャンヌをその気にさせた。レンチを油断なく構え、器用に片手で携帯を操るジャンヌが不意に右へ数歩行ったところで動きを止めた。机に投げ出されていた手鏡を見ると、鏡面が何の前振りもなく白く雲って凍り付いていく。それが何を意味しているのか。分からないほどハンターとして生きてきた時間は短くない。

 

「待て。彼女は……まさか、お前が立てた見立ては逆なのか?」

 

「ああ、察しが良いよ聖女様。その逆だ。まだ俺たちは燃えるフライパンの上にいる」

 

 カメラを通して、霊を見たジャンヌは彼女と言った。つまり、女の霊だ。そしてこの宿で不振な死を遂げた女性と言えば──母親である『高遠さくら』を除いていない。

 

「本土にいたとき、妙な幽霊退治をすることがあった。その建物では院長が四人の子供を惨殺、地元に語り継がれていた話では錯乱した院長が子供たちの皮を剥ぎ取って、全員を殺したとされていた。自分の子供を含めてな」

 

 古いブラウン管のテレビがノイズを走らせるような奇妙な音が聞こえてくる。ジャンヌは携帯を折り畳み、レンチを真正面に構え直した。ああ、俺にも肉眼ではっきり見えてるよ。高遠さくらの幽霊が──鉈を持ってる姿がな。

 

「だが、事実は違った。最初に三人の子供が院長の子供の頭を剥いだんだ。犠牲者と思われていた子供の一人から全てが始まった。そして子供を失った院長は頭のおかしくなった子供たちを殺し、最後に自分も命を絶った。俺や兄貴の見立て、そして語られていた事実は真逆だった。院長は幽霊となったあとも建物に残り続けた。殺した子供たちの幽霊と一緒にな」

 

「……幽霊となっても彼らの殺意を抑えていたとでも?」

 

「信じられないことだが幽霊となっても院長は子供たちを見張っていた。建物に入った人間の頭が彼等の危険な遊びで剥ぎ取られないように。実際、俺たちが院長の霊を送ったあと、子供たちは建物で動き回り始めた。足を踏み入れた人間を襲うためにな」

 

 噂が正しいとは限らない。かげろうの宿の大女将を殺したのは高遠少年と語られていたが、実際に殺人を行ったのは……

 

「女将を殺したのは母親だ。そして彼は母親を抑えつけていた。あの悪戯も本当の狙いは俺たちを遠ざける脅しだった。残念ながら下手くそとしか言えないが」

 

「殺意を持っていなかった理由にはなる。それに、あれを見てはお前の話を一蹴できない」

 

「鉈とは聞いてないけどな。心霊マガジンの表紙に使えそうだ」

 

 真っ赤なペンキをぶちまけたような赤い着物は目を凝らせば元々は白色であることが分かる。どんな方法でそれだけの返り血を浴びたのか。EMFが放っていた異常な探知音、そして背筋を凍らせる温度の異常な下降。もう数年もすればエクトプラズマーを発生させるレベルの悪霊になりかねない。メジャーデビュー間近だ。

 

 視線がぶつかり、彼女は俺たちへ向けて手を翳した。病的に白い肌に飛び散った赤い血が、模様のように咲いている。刹那、身の丈より大きなタンスが異常な速度で迫り、俺は真横に飛んだ。レンチで斬りかかったジャンヌは見えない何かに撃たれたように背中から襖に叩きつけられた。悪霊なら誰でも扱える──今のは念力だ。それもメジャー級の。

 

「生憎だがメジャーデビューはお断りだ。マイナーからやり直せ」

 

 ソードオフしたショットガンが塩を撒く。何度もやってきた幽霊退治の動作は母親の霊を吹き飛ばした。

 

「ジャンヌ、母親を殺したのはさっきの子供だが最初に悲劇の引き金を引いたのは母親だ。ここで母親の幽霊を抑えてた。さっきまでは……!」

 

 残弾を撃ち尽くした水平二連式のショットガンに塩の弾を手早く押し込む。背後では倒れたジャンヌがレンチを支えに起き上がる。ああ、襖にぶつかったくらいでダウンする女じゃないよな。お前はコンクリの壁に激突しても復帰する女だからな。今度は念力で物を動かされる前にショットガンで霊を追い払う。日本に来てまでピアノやテーブルに潰されるのは御免だ。

 

「さてはお前がハンターだと分かって問題を投げられたな」

 

「日本の幽霊なら星枷の案件だ。同盟結んでるからほっとけないけどな。子供なのに世渡り上手だよ、ちくしょうめ」

 

 愚痴を言いながら、ジャンヌがテーブルを踏み越えてレンチを一閃。次の瞬間、塩と同じく弱点である鉄を受けて、煙のように彼女は実体を消した。俺たちとは違って、鉄と塩は幽霊には毒でしかない。倒せはしないが遠ざけることで時間を稼げる。が、良くも悪くも時間稼ぎ。ジャンヌも苦い表情でレンチを握り直す。

 

「足止めだけで、状況は好転しないぞ……!」

 

「分かってる。だが、彼女が何に取り憑いているかが分からない。かげろうの宿だからって、丸焼けにするわけに行かないだろ!」

 

 反転し、引き金を引いて霊を遠ざける。だが一度に装填できるのは二発まで。塩の弾だって有限だ。いつまでも時間を稼ぐわけにはいかない。

 

「勘を使え、ワンヘダ。この国でお前より使えるハンターはいない。お前が投げればこの宿は幽霊の温床になる」

 

「ありがとう、お前にはもっと別のことで褒めて欲しかったよ。地獄の傀儡師が生前に何を大切にしていたのか、探るのはそこからだ」

 

「地獄の傀儡師?」

 

「どんなときもユーモアは忘れるな。苦しみを乗り切れる」

 

「ユーモアの源泉は喜びではなく悲しみだと聞いたが?」

 

 幽霊の前で変に落ち着いていられるのは、誇れもしない『これまでの道のり』のお陰だな。ジャンヌがレンチで幽霊の動きを止めている隙に頭の中を今一度整理する。この宿にあることは間違いない。何十年も燃やされることのなかった物……

 

「駄目だッ!こうなったら片っ端から疑わしい物を燃やし──」

 

「だから、お前は桃子に正気じゃないと言われるのだ!生前、高遠さくらは絵を描いていたと言っていたな。自分の書いた絵に取り憑いていることは考えられないのか!」

 

「自分の描いた絵に……?」

 

 銃を折り、シェルを排莢しながら俺はハッとする。高遠さくらが絵を書くことを趣味にしていたのは調べがついていた。幽霊が自分の描いた絵に取り憑くことは……経験から言えば有り得る。頭の隅に積まれていた記憶の1ページが不意に脳裏をよぎる。

 

「ビンゴだぜ、聖女様。俺は絵に取り憑いた幽霊を何人か眼にしてる!」

 

 装填した塩の弾丸を再度放ち、俺は手早く口を動かす。

 

「自分の血を絵の具に混ぜたり、肖像画を買ったオーナーがかたっぱしから虐殺されたり、話はそれぞれだが霊が自分に所縁のある絵に取り憑くのは有り得る話だ。この宿に彼女の絵が飾られているなら説明がつく」

 

「我ながら冴えているな。私がいて良かっただろう?」

 

「悔しいけど大活躍だ。コーヒーくらいご馳走したい気分。宿に飾られている絵をかたっぱしから燃やす」

 

「いや、取り憑いた絵さえ燃やせば解決だ。全てを燃やす必要はない」

 

 ジャンヌは自信ありげにかぶりを振った。ああ、俺よりは芸術に聡いか。よっぽど頼りになるね。

 

「分かった、ジャンヌ先生の眼を信じるよ。いけ!」

 

 ジャンヌを行かせて、俺は油断なく引き金を引いた。向かい合った襖が吹き飛び、吐く息は未だに白く凍って霊の存在をちらつかせる。ジャンヌが絵を燃やすまで彼女を足止めする。ああ、簡単だ。なんてことない、いつものことだよ。絵以外に取り憑いていたときはお手上げだけどな。

 

「来いよ。遊んでやるぜ、鉈女」

 

 刹那、手首が独りでに捻られ、握力を失ってショットガンを床に取り落とす。拾う前にショットガンは独りでに遠ざかり、俺は舌打ちと一緒にジャンヌが置いていったレンチを拾って、がむしゃらに振り払った。

 

 幽霊によって使える念力には強弱がある。彼女の場合は言うまでもなくメジャー級。頼れるのはレンチ一本、頭の中では警笛がひっきりなしで鳴ったままだ。彼女の頭に真っ逆さまにレンチを振りおろすが、煙となって消えてしまう。なるべく急いでくれよ……聖女様。

 

 全身の神経全てを霊に向ける。でなけりゃ、どこで何が起こるか分からない。狩りは誰だってドジをやる。俺は現状を打破するために幽霊を足止めする、ジャンヌは私怨を晴らして現状を変えるために絵を探す。最終的な目的は同じだ、この幽霊を退治する。振り降ろされた鉈がテーブルを割り、真横にフルスイングしたレンチが幽霊の首を捉える。足止めするだけだが……

 

「レンチより金属バットの方が良かったか? 悪いな、生憎とシュークリームは切らしてて持ってないんだ。近くにコンビニないし」

 

 軽口を叩ける余裕はある、安心した。目が左右縦横無尽に動き、部屋を見聞する。畳に足場を遮る物はないが不意に足を奪われた……

 

「おい……ッ!」

 

 レンチを取り落とし、俺は背中を畳に打ち付ける。次の瞬間、仰向けの首に向かって真上から何かが迫ってきた。それが鉈であることを認識した瞬間、俺は真っ赤になっていた彼女の腕を着物ごと掴んだ。込められる全力の力で振り下ろされる腕を止めるが、鉈は首の目の前で不気味に震えている。幽霊にありがちな異常な力で振り下ろされる刃は完全には静止せず、少しでも腕の力を緩めれば畳が断頭台に変わる。

 

「……」

 

 無言で鉈に力が込められ、ギロチンが息をすることも躊躇う距離にまで近づいてくる。真っ白な唇が裂けるようにつり上がり、誰も見たくもない残忍な微笑みが視界に広がっていた。急げ、聖女様……このままじゃ畳が殺人現場に変わるぞ。首の前で鉈が鬩ぎ合い、全力で腕を押し返そうとするが食い止めるのが限界だった。

 

「く、ぅ……ッ!」

 

 全力で力比べをやれば先に腕が痺れるのは生きている俺だ。震えていた鉈が下降を始め、本当に笑えなくなってきた。両腕で止めていた鉈はもう少し降りれば畳を真っ赤に汚すことだろう。俺は内心悪態をつきながら、片手で制服からナイフを抜き放った。鉈への抑止力が片手一本和らいだことで、さながらシャッターのような速度で刃が降りる。コンマ数秒の差で抜き放ったナイフが腕を斬り、彼女を鉈と一緒に煙へ変えた。

 

「……ざまあみろ」

 

 起き上がりながら舌を鳴らす。鉄のナイフは幽霊には毒でしかない。ハンターが愛用していたナイフなら……純度も申し分ないさ。悪いことは重なると言うがナイフで遠ざけられた彼女は、次に姿を見せた途端、下半身からオレンジ色の火に飲まれ始めた。何度も見てきた、この世に留まるための骨や物が燃えているときの光景だ。

 

「ジャンヌ先生の目は確かだったみたいだな、こりゃコーヒーにマラサダでも付けるか」

 

 鉈は燃え散り、下半身から迫った火は首と頭も飲み込んでしまった。後には襖と畳の荒れた和室が広がっているだけ。つまり──俺とジャンヌの勝ちだ。

 

「ギロチンの続きは地獄でやりな。クラウリーが許してくれるならの話だが」

 

 一転、部屋は静まり返った。EMFの電源をいれても今度こそ反応は返ってこない。全部終わった。あとはクラウリーやビリーの領分だ。俺は遠ざかったショットガンを拾いあげ、手に持ったナイフに視線を傾ける。

 

「皮肉だよな。理子やジャンヌにあんな話をしたすぐあとだぜ? また助けられたよ。しかも海を渡った先の国で」

 

 ドロップポイントのブレードに彫られた『W・A・H』の文字は、親父と一緒に狩りをしていたハンターの名前。このナイフの本来の持ち主、俺とディーンを救ってくれた女性の父親だ。母親と一緒にハンターが出入りするバーをやっていた彼女の名前は──

 

「キリ?」

 

 腕を組んだジャンヌが知らない間に背後を取っていた。俺はナイフをしまって踵を返す。

 

「助かったよ。ありがとう、ジャンヌ」

 

「やはりな。私がいて良かっただろう?」

 

「ああ、頼れる聖女様だよ」

 

 ──ありがとう、ジョー。天国では君とエレンには会えなかったけど、どうか安らぎがあることを。

 

「なんて言うか、3日分働いた気分だ」

 

「疲れたのか?」

 

「ああ、一件落着。どっと疲れが出たよ」

 

「ふ、悪いことじゃない。生きてる証拠だ」

 

 はぁ……そうだな。とりあえず、息はしてる。

 

「研修なんてさっさと終わらせて帰ろう。ホームシックだ」

 

 ──まあ、お疲れさまだ。オルレアンの聖女様。

 

 

 

 

 

「結局、武偵研修の名を借りた狩りになっちゃったね」

 

「だな。星枷との記念すべき初めての幽霊退治だ。じいさんはどんな顔してるかな」

 

「海を渡ったお前に驚いている。そんなところだろう」

 

「それは言い返せない」

 

 狩りが終わり、俺は助手席にジャンヌ、後部座席には理子と入れ替わりで星枷を乗せて帰路を走っていた。キンジと同じ車に乗れないのは、星枷にとっては大きな問題と思われたのだが、やけにあっさり理子と入れ替わったことに神崎も驚いていた。まあ、狩りのあとだ。星枷も切り替えができる女だからな。キンジにお熱なのは本当のことだが。

 

「女将さんは何か言ってたか?」

 

「何も言わなかったよ。絵を焼いたことも部屋が荒れたことも気付いてるけど、何も言ってこなかった」

 

 バックミラーに星枷がかぶりを振るのが見える。

 

「会長の素性を分かっていて霊の処理を任せた……まさかな」

 

「あるいは雪平くんがハンターであることを見抜いた」

 

「海を越えて噂が伝わるかよ。今となってはどうでもいい話さ。幽霊は退治した、俺たちは生きてる、そして合宿は無事に終わった。平和的な幕引きだよ、これ以上ない」

 

 武藤とジャンヌの奇妙なアクシデントに見舞われたが合宿は最後まで行われることになった。高遠さくらの霊を最後に、他の幽霊と出会うこともなかった。女将さんの胸の内は分からないままだが、これ以上の幕引きはないよ。誰も犠牲にならなかった。平和的な終わりが一番良い。

 

「初めて狩りをした気分は?」

 

「レンチを振り回すのも悪くない」

 

「同感だ。見事なスイングだった。グローヴァー隊長とマクギャレット少佐も真っ青だよ」

 

「雪平くん、ハワイ好きだよね」

 

「バターフィッシュは好きじゃないけどさ」

 

 帰路の道は霧が晴れ、行きとは違って例のホラー映画を連想させることもなかった。いまは前を走る武藤の車もはっきりと肉眼で追える。

 

「キリ」

 

 不意に助手席からジャンヌが名前を呼んできた。

 

「なんだよ、質問なら三つまでにしてくれよ?」

 

「最後にお前が構えていたナイフ。私はお前がクルド族のナイフと天使の剣を振るうところは見たが、あのナイフはまだ見たことがない。お前がナイフをしまったときの表情も……」

 

「抜け目ない女だな、どこから見てた?」

 

 俺、どんな顔をしてたんだろ。彼女の形見をどんな顔で見ていたのか。ジャンヌに気づかれるような表情ってどんな顔なんだろう。もしかしたら、この瞬間もそんな顔をしてるのかもしれないな。

 

「……あのナイフは、初恋の女から最後に渡されたんだ」

 

「雪平くんの初恋?」

 

「うん。星枷、地獄の猟犬は知ってるだろ?」

 

 俺がバックミラーを通して話を振ると、星枷は表情を変えた。その存在を分かっているから見せれる表情だ。

 

「……悪魔と取引した人間の魂を回収するための遣いだよね?」

 

 俺は何も言わず、首を縦に揺らした。

 

「悪魔が従えてる犬。人間の目には見えず、その爪と牙は人の肉を簡単に引き裂く。一度嗅いだ人間の匂いを決して忘れず、どこに逃げても追ってくる。一匹じゃなく群れを組んでな」

 

「……雪平くん?」

 

「最初は兄貴だった。よくある話さ。弟の命を救うために兄貴は誰にも相談もしないで悪魔と取引した。俺や仲間には事後報告、魂の回収期限もたったの一年、俺たちは必死に解決策を探した。兄貴の……ディーンの取引を白紙にする方法をあちこち探し回った、文献もかたっぱしから読み漁って、でも都合の良い答えは見つからなかった。唯一の方法は取引を握っている悪魔、当時は悪魔の親玉だったリリスを殺すこと」

 

「ルシファーが最初に作り替えた悪魔、だね?」

 

「ああ、そしてルシファーの檻を開く最後の封印。一緒に乗り込んだ悪魔共々、俺たちはリリスの罠に嵌まった。そこで俺とディーンは……」

 

 ラジオを止め、俺はウィンカーを出してハンドルを切る。

 

「そこからが最終戦争に繋がる序曲。第一の封印が破られて、天使と悪魔の戦争が勃発した。最後はリリスを殺して、解き放たれたルシファーを家族総出で倒す流れに。俺たちには解き放った責任があったからな。それにあのときは手元にコルトがあった、なんでも殺せるコルト。理子や夾竹桃が探していたあれだよ」

 

 ジャンヌが一瞬、瞳を大きく丸めた。

 

「コルトがあればルシファーを殺せる。誰も最初は疑っていなかった。黙示録の騎士が活動を始めて、色んなところで人が死んで、俺は兄貴や仲間とルシファーとの決戦に望んだ。そこで……」

 

 そこで、俺は……

 

「ルシファーの側近が地獄の猟犬を従えて襲ってきた。俺はそこで、俺は……仲間に命を救われた。ガキの頃からずっと好きで……ずっと、ずっと、振り向いて欲しかった女に命を救われた。俺とディーンは猟犬に食い殺されるところを彼女に救われたんだ。でも代わりに彼女の血がばら蒔かれた」

 

 ……布切れ一枚で飛び出そうな中身を抑える彼女が、真っ赤にシャツを汚す彼女の姿がいつまでも、いつまでも忘れられない。どれだけ望んでも、どれだけ謝りたくても、叶わない。気がつけばハンドルを握った手が震えていた。

 

「……守れなかった。男が女を守るとか、そんな理屈はどうだっていい。でも彼女は大切な家族だった。ずっと好きで、姉のように思ってた。彼女がたとえ兄貴を好きになっても大切な存在であることは何にも変わらない。なあ……ジャンヌ、初めて好きになった女にさえ守ってもらうような人間が……一流のハンターか? 星枷、何も手に入れられないのに、ずっと近くにあった物さえ守れないような人間に……なにができるんだ……?」

 

 気がつけば喉が震えて声もまともに通らなかった。

 

「繋がりを深めて、築き上げた関係が最後にはあっさり崩れ去る。いつもその繰り返しだ。最後の、最後まで、俺は彼女に、何もしてやれなかった……命を賭けて、彼女は母親と一緒にルシファーへの道を開いてくれた……なのに俺は……ずっと思ってる……あのとき、俺が、救われる価値はあったのかって……父親の形見を、託してもらえるような価値はあったのか……? コルトでルシファーは殺せなかった。最後は、大切な兄と弟を巻き込んで檻に道連れにした。あれが平和的な幕引きとは思えない。得た結果より失ったものが多すぎる……」

 

 いつも最後には誰かが欠けてる。最後には血を見る。平和的な最後なんてない。手を伸ばしても届かない。引き留める声は、かすれて出てこない。家族は、またいなくなってしまう。

 

「神が見てるなら声を大にして言ってやる。いつまで俺たちを弄んだら満足するんだ? ずっとそうだった、仲間や家族が死んでいくのはシナリオ通りか? なんでだ、なんのために? 俺たちは物語を盛り上げるための道具なのか? 最終戦争だってミカエルとルシファーが対立してたことを知ってたくせに彼等を駒にして楽しんでた! なんでとっとと終わらせなかった……!」

 

 俺たちが魔物と戦って死にかけたとき、神はどこにいた? 高みの見物してたのか? 自分が作った作品が壊れていくのを楽しんでたのか?

 

「問題が解決したら次の問題。いつも奴等が撒いた問題に振り回されてきた。そうやって俺たちを何度も何度もどん底に突き落とし、戦わせて大事な家族を奪う──いつ、終わるんだ……?」

 

「……キリ」

 

「答えてくれよ、ジャンヌ。怖いんだよ。他人の死に麻痺してく自分が怖いんだ──欲しいものなんてない、何も手に入らなくていい。だから、いまあるものだけは……」

 

 みんなとの非日常だけは手離したくない。

 

 

 

 




主人公の武器は刀剣類ばかりが増えていきますね。彼女のナイフは出すタイミングを迷っていましたが、合宿編に隠れた主人公の悲恋話を裏のテーマとして書かせて頂きました。サム、ディーンに悲恋の経験があるようにキリくんにもあって然るべきだと、シーズン15まで視聴した作者なりの考えになります。ジャンヌとの卓球はキンジの二番煎じになりそうなので、没に致しました。


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イ・ウー編
透明の瞳


遂にSUPER NATURALのシーズン14が吹替でレンタルが開始されました。次でfinalシーズンが決定しているのにシナリオの都合でディーンの出番が少ないのは残念に感じるファンもいることでしょう。メインキャストが欠けずにシーズン14まで演じたことも人気を支える要因なんじゃないかな。


 近くで雷の音がする。ここ最近はずっとだ。笑えねえ、最近ってのはいつからだ。いつから雷の音を聞いてるのかも分からない。時計もない、体内時計ってやつはとうに狂ってる。最初は神頼みを試したがどうやら主は休暇を取ってベガスにでも行ってるらしい。

 

 背中と腹を通過してる鎖は乾いた俺の血で汚れてる。イカれた体勢で吊られてることに違和感を覚えねえ程度には、俺はここに滞在してるらしい。ルビーの言ったとおりだ、スイートルームには遠いよ。シャツにぶちまけられた血は致命傷の量だってのに死ぬことに恐怖はない。感じるはずがないんだ。死──そのものを意味する場所がここだ。ゴールに辿り着いてる。

 

「……ちくしょうめ、飼い犬の躾くらいしたらどうだ」

 

「飼育が行き届いてる。賢いペットだろう?」

 

「話が通じねえな。おい、アスピリン持ってねえか。まずい空気と耳鳴りで頭痛が酷くてよ」

 

 頭痛で済むわけねえ、鎖が至るところに刺さってやがる。立ってるんじゃねえ、吊るされてるんだよ──悪魔みたいなやり方でな。湯水のごとく垂れ落ちているのはすべて、俺の血だった。

 

 透明の目をしたそいつの名前は忘れない。リリスと同じ透明の目、取引を仕切るわけでも地獄の王子の系譜でもない。しかし、地獄でその名前を知らぬ者はいない権力者だ。

 

 研がれたナイフに手足が滅多刺しになる、切られ、抉られ、貫かれ、ただそれだけが繰り返される。肉片が残らなくなって、一日が終わると俺は何もなかったように元通りだ。そしてまたその繰り返し──

 

「頭痛ならすぐ治まる。ここは特等席だ、話が通じるまでずっといられるぞ?」

 

 悪夢だよ、どんなに切られて抉られても──俺は死ねなかった。思い出したくもねえのに忘れられない。何年経とうが記憶から消えない。

 

 獣に心臓を割かれるのは刹那の痛みだ。だがこの時間は違った。何十年にも及ぶ時間を俺とディーンは奴と一緒にいた。メグが師匠と呼んだ透明の目をした野郎の名前は──

 

 

 

 

 

「お前も見てるのか。悪い夢の、続きを」

 

 ……目が覚めて状況を理解するのに、数秒では足りなかった。朝日がある、硫黄も匂わない、何度も聞いたルームメートの声にハッとする。キンジの部屋だ、俺たちが住んでる部屋で寝てたのか。二段ベットから見下ろせるがキンジも寝起きだな、ひでえ顔だよ。俺は頭に手をやり深く息を吸い込む、悪い夢にも限度がある。いや、罪悪感があるから夢に出てきやがったのか。

 

「お前もやられたのか?」

 

「変な体勢で寝たからな。お前は大丈夫かよ。寝汗が……普通じゃないぞ」

 

「地獄にいたときの夢を見てた。何年も前のことだが最悪だよ。ここまで酷い夢は久しぶり」

 

 本当だな、寝汗で気持ち悪い。夢の中で浴びた血が全部汗に変わった感じだ。

 

「地獄って?」

 

「そのままの意味。悪魔の親玉が飼ってたグロテスクなペットちゃんに引き裂かれて地獄にいたんだよ。40年間くらいな」

 

 言いたいことは分かってる。俺は40歳のおじさんじゃない。地上の4ヶ月は地獄では40年間になるんだよ。くだらない知識を教えてやろうとしたがキンジは既に見下ろせる場所にはいなかった。笑えねえ、俺は何を語ろうとしたんだよ。かぶりを振って、俺は天井を仰いだ。外の景色は快晴なんだろうさ、雷の音なんて聞こえない。聞こえてくるのは特徴的なアニメ声。

 

「キリ、遅刻しても知らないわよ?」

 

「……すぐに準備する」

 

 本調子には程遠い頭を金槌で殴り付ける気持ちで発破をかけてから、俺も支度を始める。

 

「朝は苦手みたいね」

 

「どんな朝かにもよる」

 

 ちなみに今朝は最悪の朝だ。同じく悪夢に魘されていたらしいキンジは神崎と、見せつけるように自転車の二人乗りで登校し、俺は俺でインパラと一緒に学校に向かった。朝から同室の女の子と自転車で登校だ。言ってやるよ、なんだデートかよ?

 

 

 

 

 

 

「戦兄弟? 御守りじゃなくて錘だね。弟子の育成なら間に合ってる。若くて金髪、無愛想。あいつが最初で最後だよ」

 

 インパラを停めて、俺は生徒が集まっている教務科の連絡掲示板まで足を向けた。他人の不幸は蜜の味か。教務科からの呼び出しは誰も望まねえからな。人が集まるのは珍しくない場所だ。

 

「お前が教育を?」

 

「最初だけな、すぐに自立して一人で狩りを始めたよ。今思うとハンターになることは止めるべきだった。この仕事は普通の人生を送れない。人並みの暮らしは手に入らないからな」

 

 今朝、昔の夢を見たせいだな。笑えない、朝から魔女相手に饒舌になってやがる。

 

「誰でも理由があってハンターになる。止められない理由を持っていた、違うか?」

 

「それも一理ある。強情な女だった、意思が強いって言うかさ。一度でも狩りを見たことがあるなら、普通の理由でハンターになろうとは思わないだろ。彼女もパターゴルフと妙に物真似が上手い普通の女だよ」

 

 ……俺やキャスが関わるまではな。誰も理由がないのにハンターにはならない、ジャンヌの言ってることは正しいよ。こんなこと言っても、いざクレアと向き合ったら、俺はあの子を止められない。

 

「……」

 

 ふと、今朝の悪夢が頭を掠め、俺はかぶりを振る。懺悔するわけじゃない、だが()()()()()のことを話せるのはジャンヌしかいない。

 

「ジャンヌ、俺の尋問科としての技術は先生と出会う前に養われてる。例の檻が開く前よりずっと前にな」

 

「やけに今日は饒舌だな?」

 

「そんなときもある。お前は聞き上手だし」

 

「つまり、気まぐれか。檻を開く最初の鍵、第一の封印のことだな?」

 

 さも当たり前のようにジャンヌは話の核に触れてきた。

 

「お前はとことん裏事情に精通してやるよ。第一の封印はディーンが鍵を握ってた。俺がいなかったら、兄貴はアラステアにも屈さなかったかもしれない。俺は兄貴よりも先に奴の剃刀を受け取った。たった30年でな」

 

 最初の封印を破ることが檻を開くための最優先事項。最初の封印さえ守れば他の封印が破られることはない。黄色い目の計画からすべては繋がっていた。赤い目の取引を口実にディーンを地獄に落として第一の封印を破る。そして、最後には全ての封印を解き、ルシファーを檻から解き放つ。

 

 結果的にルシファーは檻から放たれ、地上でミカエルと対面した。天使と悪魔の戦いは多くの犠牲を払った末に最終戦争にまで駒を進めた。出来損ないの天使とバカな人間のせいで終末の手前で頓挫したけどな。最高だよ。

 

「武偵は自分を隠すものだ。それともハンターとしての話か?」

 

「ハワイじゃチップより情報が喜ばれる。俺の弱味を一つ教えたんだ。また力を貸してくれ」

 

「そのときが来ればな。普通の人間は30年も耐えられない。私はそれを弱味とは思わないぞ?」

 

 サファイアブルーの瞳に見つめられ、俺は微笑と一緒にかぶりを振る。

 

「それでも事実だ。俺はされる側からする側に変わった。アラステアの話に乗ったんだよ」

 

 妙に縁のある魔女と一緒に掲示板を見ると、俺は肩をすくめた。掲示板に縁のある生徒の名前があった。キンジが単位不足で留年の危機かよ。どこまでも話題に尽きない野郎だな。ジャンヌも目を丸くしてやがる。

 

「遠山金次、専門科目の1・9単位不足。なるほど、肝心の探偵科の依頼は猫探し以来してなかったわけだ。身近に転がってる石を見落としちまったな」

 

「どうやらお前の名はここにはないみたいだな。がっかりだぞ」

 

「なんでお前ががっかりするんだよ。尋問科の単位は足りてる、これでも先生の面子は気にしてんだよ」

 

 嫌がらせかよ。掲示板を食い入るように見るジャンヌは俺の名前を探すので必死だ。策士家の反面、ジャンヌは天然な面も併せ持ってる。宝石のような碧眼に目を奪われそうになるが俺はかぶりを振った。

 

「おい、足怪我してんだから重心を傾けんなよ」

 

「この程度の負傷に屈する私ではない」

 

 フン、と鼻を鳴らし、ジャンヌはそっぽを向いた。俊敏な魔女が今は幅広の松葉杖を支えにしてる。いや杖じゃないな。抜け目のないジャンヌのことだ、どうせ御自慢の聖剣でも仕込んでるんだろう。負傷してんのに丸腰にはならねえさ。山より高いプライドと海より深い意地っ張りは変わらねえけどな。

 

「世間ではバスにひかれたのをこの程度の負傷とは言わねえよ。全治二週間で松葉杖じゃ満足に戦えないぞ?」

 

「キリ、この私を心配することがいかに愚かで危険なことか身を持って教えてやろう」

 

「……お前、負傷してんのにいつもより好戦的になってねえか?」

 

 呆れてやる。ハンターと魔女。出会ったときはもっと簡単な関係だった。だが、今は線引きがなくなった。ハンターが魔女を心配してるんだからな。

 

 いまやジャンヌとは協力関係にある、仕方ない。クラウリーやメグ、敵対した相手と協力するのはウィンチェスターお決まりの展開だ。ブラドとの戦いでは協力してヤツをぶち込んだ。

 

 ブラドはイ・ウーのナンバー2、重役だ。俺たちは確実にイ・ウーに打撃を与えてる。そろそろ仕返しが来てもおかしくねえな。

 

「ジャンヌ」

 

 ジャンヌを呼ぶ声には覚えがある。いつも思うが分かりやすいアニメ声だよ、一度聞いたら忘れられない。振り返ると、やはり神崎が腕を組んでいた。今朝、別々に部屋を出て以来だ。キンジも一緒だな。神崎はでかい態度でジャンヌの近くまで歩いてくる。

 

「ーーあんたが武偵高の預かりになったのは知ってたけど。夏服も似合うじゃない」

 

 そういや今日から夏服だな。神崎もジャンヌの夏服を見るのは今日が初めてか。ジャンヌはジャンヌでそっぽを向いている。ブラドとの戦いでは結束したが神崎とはまだ溝を感じるな。神崎の態度がでかいのもあるがいつものことだしな。

 

「ママの裁判、あんたもちゃんと出るのよ?」

 

「……分かっている。それも司法取引の条件の一つだからな」

 

「神崎、ガバメントに伸ばした手はどこかにやれよ。今朝は悪夢で頭痛がひでえんだ。これ以上悪化させたくない」

 

「ま、足をケガしてるみたいだから、イジメるのはまた今度にしといてあげる。あんたも頭痛なら薬でも飲んどきなさい」

 

 アスピリンが貰えるならそうしたいね。天使のラジオが鳴りっぱなしになってる感じ。控えめに言って地獄だよ。

 

「足の一本くらい、ちょうどいいハンデだ。今日は寝覚めが良い──今の私は負ける気がしない」

 

「ジャンヌ、神崎は銃を抜くのをやめた。これ以上の追い打ちや挑発は騎士としての誇りに傷をつけるぜ」

 

「……あんたも妙な説得するわね。自慢のトーラスは戻ったの?」

 

「長年連れ添った相手が一番だ。それよりビッグサプライズ、キンジの名前が出てる。ここだ、野次馬の注目の的」

 

 掲示板を指してやるとキンジの態度が豹変する。留年すれば一般校への転入の道も絶たれるからな。掲示板には『夏期休業期・緊急任務』と書かれた張り紙、これは報酬は安いが足りない単位を補える教務科からの補修授業みたいなものだ。キンジは緊急任務の中で探偵科の単位が出る任務を血眼で探している。今朝は俺と同じで悪夢を見たらしいが、現実でも災難が続くとはな。

 

「キンジあんた留年するの? バカなの?」

 

「うっせぇ! 今そうならないためにこれを見てるんだっ! 少し黙ってろ」

 

 手頃なクエストで取れる単位じゃねえからな。俺も一緒になってさがしていると、港区のカジノ「ピラミディオン台場」で私服警備の任務がある。出る単位はキンジが不足している1・9単位。必要生徒は四人、推奨学科は探偵科と強襲科か。キンジの大きなツケを払えるのはこの任務しかねえな。警備なら何も起こらない可能性だってある。武偵の間じゃ腕が鈍る仕事としてバカにされてるしな。補修には悪くない任務だ。

 

「アリア」

 

 ──気になるのはキンジが見た悪夢ってやつだ。たかが夢だ。だが俺みたいに妙なもんを見てないといいけどな。

 

「お前もこの仕事、一緒にやれよ」

 

 親しいと思ってる奴ほど、知らない何かを抱えてる。

 

 

 

 

 

「第二次世界大戦中の潜水艦にタイムスリップした感想を教えてやろうか。ちっとも楽しくない」

 

「前は西部劇にタイムスリップしたって言わなかったか?」

 

「それはコルトが鉄道を完成させる前の時代だな。怪物の親玉を倒すのに必要なフェニックスの灰を探しに行ったんだよ。西部劇から今の時代に宅配便が届いた。兄貴が携帯を忘れてきたおかげでな」

 

 先生が二日酔いだかで休講だった2時間目の後、3時間目はプールで水泳の時間となった。お目付け役の蘭豹先生はすぐに帰ってしまった。最後に物騒なことを言ってたがあの人はいつも物騒だからな。先生が帰ったことで真面目に授業をやる生徒も一気に減った

 

「お前、武偵を止めて作家でもやれ。怪物と人間が戦うノンフィクションなんてどうだ?」

 

「……それだけは勘弁。作家とは色々あった。怪物から風呂敷を広げて天使や悪魔が絡んでくるんだろ、知ってるよ。俺は預言者じゃない、本は書けないよ」

 

 屋内プールはがら空き、世間で言えば貸し切り状態と呼ぶべきだろう。そして不真面目な俺とキンジもプールサイドのデッキチェアで絶賛くつろいでる。世間話をしながらな。

 

「さっきの続きだけどさ。どうして潜水艦なんだ?」

 

「神の手。その武器の名前の由来は、名前の通り神の力を得られることから来てる。そいつを探しに行ったんだよ、お友だちの天使の力を借りて」

 

「神様の手ってのまたオカルト染みてるな。見つかったのか?」

 

「見つけたよ、でも失敗した。色んな問題が重なった末にな。手は別の方法で手にいれたけど、それでも倒せなかった」

 

「倒せなかったってなんだよ。神の力を得るんだろ?」

 

「倒そうとした相手が肝心の神よりも強かったんだよ。神と問題児の息子四人が組んでやっと勝てる相手。今度敵に回ったら誰にも止められない」

 

 過去の話をするのは初めてじゃないが神の姉(アマラ)の話はまだ記憶に新しい。檻に封じられていた彼女を放ったのも二人の兄貴と俺だ。彼女を説得したのも兄貴だけどな。屋内のプールは涼しいもんだ、蒸し暑い教室より快適だよ。

 

「お前、普通の相手と戦ったことはないんだな」

 

「怪物と幽霊専門だからな。今は犯罪者が増えたから昔より大変だよ」

 

 大きな狩りをする機会は減ったがハンターであることは変えれない。神崎が転校してきてから異教の神や吸血鬼や魔女と会った。アメリカにいるのと変わらないよ。俺はインパラに乗って、兄貴や親父の好きだった古い曲を流して、天使の剣とブロンド悪魔のナイフを振り回してる。だが俺はネフィリムの問題だけは置いてきた。

 

 それだけは、攻められても仕方ない。魔王は檻に戻ったが生まれてくる息子のことは兄貴に投げちまったからな。ネフィリムは生まれてくる天使より強い力を持ってる。父親が大天使だ、推して知るべし。

 

「俺のことばかり言ってるが、お前も吸血鬼や魔女と戦ってきたじゃねえか。普通はそんな奴等と戦わない、グリム一族じゃないんだからな?」

 

「ツイてないときにツイてない場所にいたんだよ」

 

 ああ、そうだな。今度はビル、それとも空港でベレッタを振り回すのか?

 

「不死身の男なのは認めてやるよ。今年のクリスマスはパイプの中を這いずり回ってるさ、おめでとう。ついでにクリスマスのツリーを買うか、ネットで」

 

「マスターシリンダーとクリスマスツリーはネットで買わない、ハワイの教訓だろ。いつになったら俺はカマロに乗れるんだ?」

 

「神崎と初めて登校した日にも言ったろ。カマロに乗りたきゃハワイにでも行きなよ、マクギャレット少佐」

 

「じゃあお前はウィリアムズ刑事か?」

 

「それは光栄だな。俺もあんなに可愛い娘がいたら過保護になるよ、絶対そうだ。誓ってもいい」

 

 しかし授業中の実感がねえな。悩みだったトーラスの不在も解決、気になるのは……ジャンヌの事故に加担した虫か。何も使い魔に決まったわけじゃない。ハンターにありがちな早とちりってこともある。俺は自分を納得させるべくかぶりを振る。なんでも狩りに結びつけたがるのはハンターの欠点だ。スーフォルズで俺や兄貴がクレアに説いたことだろ。隣で携帯を弄り始めたキンジに背中を向けると……

 

「子供の頃、俺は西部劇が好きだった。兄さんと見に行った西部劇の世界に憧れてた」

 

「……俺の兄貴も好きだったよ。ポンチョなんて買ってはしゃいでた。猿が出てくる映画なら台詞も全部覚えてたし、でも俺や修理工の友達には西部劇はイマイチでな」

 

 俺は話を一度切り、チェアの上で胡座を掻いた。

 

「今朝の悪夢の話なら聞くぞ。カウンセリング行くより安い」

 

「どうしてそうなるんだよ?」

 

「個人的な経験だが家族の話は熱くなるよな。お前が兄さんの話をするときは特別なときって決まってる。今のお前の顔を見せてやりたいよ、家族のことで行き詰まってる顔だ。ウチではお決まりの顔」

 

「……お前には分からないだろ。自分で家族から離れたお前には、分かんねえよ」

 

 キンジは起き上がり、俺には背を向ける。誰だってそうだ、家族の話は熱くなる。家族は人の心を乱す、それだけ大切な存在だ。問題が起きると乱れるのがお約束みたいにな。

 

 

 

 

 

「ベーコンチーズバーガー」

 

「……それ以外は食べないの?」

 

「これが好きなんだ。知らない味に手を出して絶望したくない」

 

「どうして貴方とハンバーガーを食べているのか。理由を聞ける相手はどこにもいないわね」

 

「お互い専門科目をフケたからだろ」

 

 俺は夾竹桃の紙袋から一個、宣言したハンバーガーを取り出して口に運んだ。今頃、キンジは探偵科の講義を受けている時間だ。探偵科なら復帰した理子も一緒にいるのかもな。峰理子、器用が服を着たような女だが近頃はキンジへの対応が変わってきた。命をかけて自分を守ってくれた男だ、理子も……まさかな?

 

 屋上で風に吹かれながらハンバーガーを咥えると、なんつーか不思議な気分になるし、変なことを考える。美味いもんを食ってるのにさ。手摺に肘をついてそんなことを自虐する、平和だよ。ずっと変わらない髪型のせいで夾竹桃の髪は風に大きく靡いてる。やたら携帯を確認しては空と視線を行ったり来たりさせてるがまた漫画のネタになることだろ。クールに思えて実際は表情豊かな彼女に俺はうっすら笑う。

 

「どうしたんだ?」

 

「間宮あかり」

 

「名前だけで理解しろって? 俺とお前がサトシとピカチュウくらいの仲じゃないと厳しいよ。それに間宮は神崎の戦姉妹、お前が負けてレインボーブリッジから突き落とされた相手だろ?」

 

「今はクラスメイト、仲良くやってるわ」

 

 手摺に腰かけた彼女からそんな答えが帰ってくる。

 

「橋から川に飛び込むのは良い気分じゃないよな」

 

「普通はしないでしょう?」

 

「だよな、普通はしない。鍵を抜いた自分の車に追いかけられたりでもしない限りな」

 

「は?」

 

 ……今、心の底から首を傾げやがったな。無人の車に追いかけられるのはアメリカではよくあることなんだよ。幽霊を退治するのに教会の跡地や廃墟に車が突っ込むからな。

 

「幽霊にインパラをレンタルされたって言ったら信じるか?」

 

「ホラー映画のネタにもならないわね」

 

「だよな。お前と違って泳げたのが幸運だよ」

 

「私にとっては不幸よ。ワンヘダ、話を変えましょう。知り合いからホラー映画が送られてきたのだけど、つまらなかったから貴方もどう?」

 

「俺がワンヘダならお前はブラドレイナだよ。つまらない映画を進められる仲に進展した、最高だな。どんな映画?」

 

 ハンバーガーを食べて、ホラー映画の話をする。まるで普通の学生みたいだな。つまらないホラー映画、恐いものみたさとはよく言ったもんだよ。

 

 鞄から出されたDVDのケースを俺は何も考えずに受け取っちまった。しかしケースは表裏が真っ暗でジャケットが付いてない。映画の中身は見るまでお楽しみか。まあ、狩りでさんざん怪物や幽霊と戦ってるんだ、ホラー映画でびびるわけ──

 

「……」

 

「幽霊や怪物も平気な貴方にピエロの映画は物足りないかしら」

 

「……あ、ああ、そうだな。つまんないよ。絶対につまんねえ。俺見ないし、か、返すね?」

 

 開いたケースを閉じ、俺は受け取ったケースを夾竹桃に返した。俺は何も聞いてない、何も見てない。そうだ、俺は何も見ちゃいない。深く考えるな、こいつはホラー映画。そう、つまんないホラー映画だ。ゴーストフェイサーズが監督の自主製作映画……!

 

「雪平、どうして顔を背けているの?」

 

「背けてない」

 

「背けてるじゃない」

 

「背けてない! いいか! ピエロの99.9%は人を襲わない! 99.9%人を襲わないんだ!」

 

 夾竹桃はうっすらと笑い、そのケースを鞄に戻した。唇が緩やかな弧を描く。

 

「貴方、殺されるんじゃないかって目をしてたわよ? ケースを開けてピエロを見たときから」

 

「錯覚だよ」

 

「錯覚ね。良い気分だわ、私は泳げないけど貴方には恐いものがあった。それを知れただけでも今日は収穫ね。弱味を握られているだけの関係は面白くない」

 

「よし、白状してやる。俺の恐いものこの世に二つ。糸こんにゃくと、何をするか分からないアホなガキだ」

 

 俺は立てた人差し指と中指を握り混んで拳を作る。そういや、今日から神崎やジャンヌと同じで夾竹桃も夏服を着てる。日頃、黒一色の夾竹桃が白と水色の夏服を着てるのは珍しいものを見た気分になるな。お前は本当に目に毒って言葉が似合う女だよ。不意に携帯を気にしていた夾竹桃の隣で俺の携帯が着信音を鳴らした。

 

「貴方の?」

 

「ああ、雪平の着信音。お前も使うか?」

 

 すぐにかぶりを振られ、俺は通話のボタンを押した。授業の時間に誰かと思ったら理子じゃねえか。あいつもフケたのかな。

 

「はい、雪平」

 

『強襲科に急げ。アリアが戦ってる、なんとか時間を持たせろ!』

 

「おい、話が見えねえぞ。強襲科なら蘭豹先生もいるだろ。大体、誰と──」

 

『あたしとジャンヌの元上役だ! もう来てるんだよ武偵高に!』

 

 携帯を持った手に無意識に力が入っていた。上役、つまり理子やジャンヌよりも強い奴がここにいる──?

 

『第一体育館。すぐにキンジも向かわせる。いいな、時間を稼げ。勝つことは考えるな、絶対に無理だ』

 

 理子の切羽詰まった声が伝染したように、背筋が冷たくなっていく。理子がここまで焦りを隠さない化物、そんなヤツが武偵高に乗り込んできたのかよ……

 

「お決まりの出たとこ勝負か。もうドクの世話にはなれない、なんとかするよ」

 

 携帯を切り、俺は暴れそうな胸を殴り付けるように沈めて、静かに息を吐く。

 

「この展開、どう?」

 

「いい予感はしないわね」

 

 同感だ。今度もお友だちになれるといいが。

 

 

 

 

 




今回の話は主人公の過去や設定を少し前に押し出した話になります。主人公の好きな物は長男、苦手な物は次男から影響を受けてます。尋問でAランクを取れたひとつの理由がシーズン3のラストから始まる出来事ですね。


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熱波に煽られて

 がやがやと話声が聞こえ、熱気に包まれているのを肌が感じる。インパラのトランクを開く猶予もないまま実習中の強襲科に尋問科の俺は躊躇わず殴り込んだ。神崎の実力は身を持って味わってる。だが電話を通じて耳にした理子の声色が不安を煽った。

 

 峰理子は器用が服を着たような女だが、あのトリックスターはこの手のことでは人を欺いたりはしない。神崎と理子の決着はまだ決してない、ブラドとの戦いも彼女は心の奥で神崎へ借りを作ったと感じてる。一族の因縁だったホームズの末裔に──借りがある。

 

 一族のことになると理子はどこまでも誇り高くあろうとする。俺より付き合いの長いジャンヌもそう言ってた。神崎に借りを作ったままにはしない、理子はこの場面で嘘や偽りを見せる女じゃないんだ──非常に忌々しいことに。

 

「先生! 蘭豹先生はいるんだろ!」

 

 強襲科の第一体育館は体育館の名を借りた闘技場だ。防弾ガラスで区切られる闘技場の中心、楕円形のフィールドの前に、両手の指では数えられない生徒が集まっていた。強襲科で人だかりができる理由なんて限られてる。防弾ガラスの衝立から届く銃声は誰かが戦っていることを暗示していた。衝立の上にいた先生は長刀を背負った背中をくるりと反転させて俺を見下す。

 

「喚くな、雪平。節穴の目で水差しよって、なんや言うてみ?」

 

 ……手で揺らしてる瓢箪の中身は、酒だ。軽く出来上がってやがる。

 

「先生、神崎は──」

 

 群がる生徒を押し退け、衝立に飛び付くと、俺は言葉を失った。

 

「おいで、神崎・H・アリア。もうちょっと──あなたを、見せてごらん」

 

 片膝をついた神崎とそれを見下ろす女性が闘技場にいた。C装備を着てるわけでもなく、非殺傷性の弾を使ってるわけでもない。防弾制服と実弾を使った実戦、二人がやってるのは闘技場の名前どおりの戦いだ。

 

 砂が撒かれた闘技場で膝をついた神崎、制服に傷らしい傷を残していない相手。防弾ガラスの衝立越しに戦いの経過が手に取るように伝わってくる。一騎当千のSランク武偵が苦戦を余儀なくされる相手、理子が言う上役が神崎を見下ろしている女性なのは疑いようがない。ああ、信じられなくて言葉を失っちまった。

 

(……カナ。日本であんたの顔が見れるとは思わなかった。ちくしょうめ、理子が焦るわけだぜ。とんだ化物が入り込みやがった……)

 

 出会ったのは何年も前のことだ。だが、一度彼女の美貌を目の当たりにしたことがある男なら決して彼女を忘れたりしない。本物の天使よりもずっと美しい美貌は昔と変わってないよ。あんたが理子やジャンヌの上役であることが信じられない、だが理子が嘘を吐くのも信じられない。呈の良い言い訳が何も思いつかねえ……

 

「蘭豹先生、先生の授業方針に口を出すつもりはないが、神崎にもしものことがあったら口の煩い欧州は黙ってない」

 

「あァ?」

 

「この試合、先生の権限で中止してくれ。神崎とあの女に話がある」

 

「雪平、お前があの女に気があろうが神崎に話があろうがどうでもええことや。一度しか言わん、ガキ共に混じって観戦しとけ。お前の出る幕やない」

 

 その名の通り、蘭豹は豹のような目で俺を睨む。一度しか言わない、と念を押した蘭豹先生は瓢箪の酒をぐいっと飲み直した。

 

 蘭豹先生は魑魅魍魎の武偵校の教師陣の中で綴先生と肩を並べて危険とされる人だ。香港を皮切りに各地の武偵校を追い出された経歴が危険度を語ってる。強襲科が明日なき学科と言われる由縁には少なからず先生が担当教諭であることも影響してる。

 

 だが先生は先生で強襲科には不可欠な人だ。尋問科の講師が綴先生以外に考えられないように強襲科の講師は蘭豹先生以外に考えられない。俺はゆるくかぶりを振った。

 

 先生の観察眼や勘の鋭さは俺よりずっと優れてる。目の前の景色を見極める力は、俺の比じゃない。

 

 俺の出る幕がない──つまり、俺が出るべき必要がない。カナと神崎との戦いでもしものことなど起きない──先生はそう判断したのだ。

 

「勝ち誇るのはまだ早いわよぉッ!」

 

 衝立の向こう側、視線が神崎に引き寄せられた。近距離からカナに向けられたガバメントの銃口が、逸れる。流れるような動きで神崎の手首を押し、銃口を逸らしたカナが一歩後ろに引いた。至近距離から45口径の銃、それも双銃で向けられたのに軽々いなしやがった。

 

 驚愕は終わらない。刹那、鞭で打たれたように神崎の足がふらつく。銃声が聞こえたがカナの手に銃は見えない。白く美しい手には何もない。見えない銃弾……背筋が冷たく戦慄を覚える。公道で襲ってきたあの指輪の女と同じ、目には見えない不可視の攻撃。身を持って味わった俺にはよく分かるよ。理解できない領域からの攻撃ほど不気味で厄介な物はない。

 

 神崎は闘志を失わず、カナに敵意を向けるがガバメントの凶弾がカナを掠めることはなかった。カナの見えない銃弾だけが神崎を一方的に攻めてやがる。TNK繊維は銃弾の貫通を防ぐが衝撃まで殺してくれない。呻き声が聞こえるのが証拠だ、防弾制服でも実弾を受ければ無傷では済まない。このまま撃たれ続けたら神崎が意識が手放す……

 

「遠山は強襲科を抜けてからホンマ昼行灯になりよったが、お前も腑抜けたもんやな。ウチに4条語らせるつもりか?」

 

 ──武偵は自立せよ。要請なき手出しは無用の事。解除キーに向かった指が蘭豹先生の声に震える。解除キーを使って闘技場の中に入ることはできる。だが、これはあくまで強襲科の授業だ。劣勢の神崎に力を貸せばギャラリー気分の生徒にはどう映るかな……確かなのは自立って言葉には程遠いってことだ。

 

 要請なき手出しは無用、神崎とも約束したなぁ。優しさや助け合いには形がある、正しいとは別物。あの貴族様は武偵の心構えには厳しい、偉大な先祖が全ての武偵の先駆けになったシャーロックホームズだからな。常に強くあろうとしてやがる。解除キーに向かった指が妙に重い、物理的な重さじゃない。俺の指が躊躇ってるだけだ。

 

「あたしが屈しない限り、あんたが勝ったわけじゃない!」

 

 緋色に染まったツインテールを揺らし、確固たる信念を秘めた神崎の叫びがドームに響く。実力の差は明白だ、闘技場で行われているのは一方的なワンサイドゲーム。余裕のカナと必死の神崎、カナはまだ手の内を完全には晒してない。手札には使えるカードをまだまだ残してる。見えない銃弾が支配する闘技場で形勢が揺らぐ気配はない。

 

 が、神崎に降参の考えはない。土と血に汚れ、血を流し、何度倒れても立ち上がる。神崎って女は弱さや諦めることと折り合うつもりがないんだ。諦めるって生き方を最初から放棄してやがる。諦めない人間の末路は二つしかない、最悪の結果を招くまで突っ走るか、本当に目的を叶えるか。

 

「揺れないのね。貴方の意思は」

 

「……退けない、のよッ。今回だけは……ッ!」

 

 神崎、どれだけ圧倒的なものに踏みにじられ絶望を味わったとしても、それでも戦い続けられるというのなら、俺はお前の強さを認めるよ。

 

 人の心は移り変わる。感情というモノが振り子のように常に変動するからだ。だからこそ、人はその変化を受け入れてきた。それが正しいことだと偽り、自分に言い聞かせてな。だからこそ言える。何者にも染まらず、屈することなく、ただ一つの目的の為に進める。

 

 

 

 お前は──本当に強い。

 

 

 

 

 

「悪いな神崎。約束破るぜ」

 

 俺は解除キーで防弾ガラスの扉を今度こそ開ける。横を流れていく先生が『象殺し』を向けるのと俺がルビーのナイフで掌を自傷するのは同時だった。斜線から逃れ、何度も繰り返し書き続けてきた図形を防弾ガラスに描く。天使相手に命懸けで描いてきた図形、先生の凶弾に撃たれるよりも完成した図形から閃光は先駆けて闘技場に放たれる。

 

 カナの足止め、先生への目眩ましを兼ねた天使避けだったが前者は俺の考えが浅かった。左足に被弾、撃った相手はカナ以外にいない。神崎の膝を撃ち抜いて体勢を縛り、三つ編みを揺らした彼女と、視線が重なる。

 

「私に恩寵は宿ってないわ。変な使い方を覚えたのね、キリ。お兄さんから教えてもらったの?」

 

 間違いなく()()だ、アメリカ本土で出会った彼女に間違いない。人間離れした美貌と神崎すら寄せつけない鬼神のような力を併せ持った、記憶から消そうにも消せない存在の一人。

 

 イ・ウーに彼女がいるわけがない──呈の良い幻想を俺は今度こそ瓦礫の下に埋める。

 

「そいつは良かった。あんたは信心深いからな。Yes.と言ってたらどうしようかと思ったぜ」

 

 俺の記憶ではカナが主に振るっていたのは鎌だった。大型の鎌──竜の爪(カルカッサ)がどこにも見当たらない。この数年で武装を変えたのか?

 

「……雪平、アンフェアなんやお前のやり方は。後で教務科に来いや。手出ししたからには、下手な立ち回りは許さんで?」

 

 先生への返事には逆手に持ち直したルビーの剣で答える。教務科に行くのは滅入るが、明日の命よりまずは今日の命だ。

 

 相手はカナ。その強さは数年が経った今でも忘れられない。神崎を翻弄する相手に普通の立ち回りなんてできねえよ。剣と刻印でもない限りな。

 

「……あんた、どういうつもり?」

 

「頼まれたんだよ、お前の一番のファンから電話を貰ってな。対戦相手は雑魚じゃない、5つ星のマイスターだ。お前も気づいてるだろ」

 

「どうだっていい。これはあたしの絶対に引けない戦いよ。助力なんていらない、戻りなさい」

 

「別にお前に助力するわけじゃねえよ。俺は俺の家の教えに肩入れしてるだけだ。だがよ、お前がやられてんのを黙ってるのは流石に寝覚めが悪いんだよ」

 

 それに、あの酔っぱらいの修理工が居れば止めていただろうからな。理子、お前の計画通りに時間は稼ぐ。聡いお前のことだ、何か用意があることを期待するさ。幸運なことに野次馬から罵倒は聞こえねえからな。

 

「俺は自分からボランティアに励むような人間じゃないが、受けた恩をほったからしにする人間でもない。神崎──施されたら施し返す、恩返しだよ。俺は俺の自己満足の為に横槍を挟む、文句はないだろ?」

 

 哀れみや同情から味方してやるわけじゃない。あくまで利己的な理由であることを視線と一緒に振り撒く。神崎に、そして眼前にいるカナに向けて。

 

「まず銃を撃ち、後から考える。少し会わない間にディーンに似たのね」

 

「……あんたは誰に影響されたんだよ。聞きたいことは山程あるぜ」

 

 取り戻したトーラスを抜き、一剣一銃の構えでカナとの殺傷圏内に駆ける。五感を研ぎ澄まし、必要な感覚にだけ全神経を割り振る。

 

「……まあ、オビワン・ケノービみたいに助言をくれにきたってわけじゃなさそうだな」

 

 見えない銃弾──あの名前も分からない女からは銃声も聞こえなかったが、カナからは銃を発砲する音が残っていた。

 見えないだけで銃を使ってるのは俺たちと同じだ。それでも実力が同じとは言えねえけどな。

 

 先んじて神崎は動いていた。今は乱入した俺も含めて迎撃に必要な弾の数は増える。カナが弾を切らしたタイミングで勝負に出るつもりだな。

 

 銃は見えないが神崎はマズルフラッシュや銃声でカナの得物を推理したのかもしれない。

 カナを相手にそれをやるのは至難の技だが神崎なら有り得る。俺の頭の中で神崎がカナに放った言葉が甦る

 

 俺が屈しない限り、相手が勝ったわけじゃない、か……上等だ。手こずらせてやるか。

 

 

 

 

 




……天使避けの図形をいい加減、本来の用途で使いたいですね。完結までには大天使も登場させたいですね。


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非日常へのチャンネル

 コルト──その銃は古いハンターたちの間で長くとして語られていた。かつて創立者によって生み出されたハンターの切札。その銃に殺せない者は5つだけ。ルシファーから産み落とされた特別な悪魔である『地獄の王子』、古来より信仰の対象にもなっている『異教の神』もたった一発の弾丸で葬ることができる。決して吸血鬼退治で役目を終える武器ではない。

 

 ハンターにはこの世で最も意味のある銃。そして俺の家族にとっても黄色い目の悪魔……全ての始まりである因縁の敵を倒す切札になった。同時に地獄の門を開ける鍵であり、アザゼルにコルトが渡ったことが最終戦争へ繋がるシナリオの始まりとなる。

 

 コルトSAA──本来の名前は『平和の象徴』──

 

 

 

 

 

 わけが分からない。それが頭に唯一浮かんだ感情だった。一瞬、神崎が日本刀を振りかざした途端、その身体が反転するように後ろへ弾き飛ばされた。姿もなければ音もない。まるで見えない力が働いたかのように神崎の奇襲が阻まれた、地面に投げ出されるような衝撃とセットで。

 

(……何が起きた?)

 

 息詰まる沈黙。見えない銃弾に近づけないでいた俺を囮に神崎はカナの背後を奪った。ホールドオープンしたガバメントと引き替えに抜いた小太刀はカナの背後を捉えた──俺にはそう見えた。だが闘技場に転がっているのは仕掛けた神崎と小太刀の方だ。そんな馬鹿なと思う反面、カナはまだ一度も地面に手を触れていない。

 

(カナのカウンター……?)

 

 髪を揺らして振り返っただけでSランクの小太刀を返り討ちにする災厄を果たしてカウンターの範疇に留めて良いのか。神崎が双剣双銃の二つ名で通っているのは、卓越した銃の腕とそれに等しい剣技を併せ持っているからだ。双剣双銃の斬擊は背後を捉えられてどうにかなるものじゃない。

 

 俺は背筋に冷ややかなものを感じながらカナの実力を低く見積もっていた自分を呪った。手に負えない相手だと分かっていたが怪物──いや、それ以上だ。

 

「キリ、貴方はお兄さんによく似てる。飄々としていても中身は激情家。外を見繕っても内側にある本質は変えられない」

 

「人のことを心理分析するより、自分のことを語ってくれ」

 

「それは聞く意味のない問いかけ。貴方たちはいつも自分たちで答えを探し、道を決めてきた。貴方は──航路を持つ者、自分で道を切り開いて進める子」

 

「Wanhedaよりは良い名前だ。けど、自分で答えを探したかったわけじゃない、誰も教えてくれなくて、導いてくれなかった。それだけさ。切り開く力なんて持ってない。諦め悪くサイコロを振ってきただけ、いつも出たとこ勝負」

 

 作戦なんてない、でもなんとかしてきた。天界が閉じたときも最終戦争もリヴァイアが地上に放たれたときだってなんとかしてきた。神はいない、ひねくれた大天使たちも頼れない、頼れるのは家族だけ。それでもなんとかするしかない、目を逸らしたところで厄介ごとは向こうから近づいてくる。

 

 ルビーのナイフと天使の剣の双剣、復帰した神崎は即興で俺のトーラスに武装を変えて援護に回る。打ち合わせや立案はない、各々が踏んだ場数と経験に物を言わせた咄嗟の状況判断。賭けや綱渡りに近い連携も全てはカナの不意を突くのが目的だった。普通に立ち回って時間の稼げる相手じゃない、共に武器を振るった俺の記憶が警告を鳴らして止まなかった。

 

 残弾を撃ち尽くすつもりのトーラスの援護射撃はカナを目前にして軌道が逸れる。即興の銃器に対しての神崎の適応力は流石だった。だが、それでもカナの魔技には届かない。キンジがランドマークタワーで行った銃弾撃ち、それを連続して行った。一発も撃ち漏らさずに。背筋に冷たいものが走る、カナの銃の腕は元Sランクだったキンジと同等、それ以上なのは疑う余地もなかった。

 

 武偵同士の戦いで銃は一撃必殺の武器にならない、だが彼女の前ではそれ以下の武器に成り下がる。殺傷圏内に踏み込んだ刹那、悪魔と天使の相対する刀剣は、背を向けたカナの前に宙を舞った。視界に小さな光が生まれ、見えない弾丸を右肩に浴びながら防弾ガラスの衝立の近くまで後退する。

 

「……見えたぜ、髪の中だな。目玉の親父でも居候してんのか?」

 

 カナは微笑んだまま答えない。あの美しい髪に冒涜とも取れる俺の発言には返ってくるのも野次馬からの罵倒だけだった。目当ての女からは何も引き出せていない、会話への誘いすら乗ってくれないか。

 

「……平和の象徴(ピースメーカー)。あたし、には……分かる……今ので、確信が持てたわ。コルト……あんたの好きな西部劇の、骨董品みたいな古銃よ……皮肉だけど──」

 

「俺は西部劇は好きじゃねえんだ。フェニックスに灰にされるのは勘弁なんだよ。悪魔だっているしな」

 

「その眼で見てきたような言い草ね。貴方が口にすると冗談ではなくなるわ」

 

「ユーモアは忘れないようにしてるんだ。苦しみを乗り切れる」

 

 カナは一転、微笑みからかぶりを振る。ジャンヌも同じことを口走りそうだな。理子の秘策が待ち遠しいがカナが時間稼ぎの会話に乗ってくれるわけないか。女神のような笑みから振るわれるのは鬼神のような力。カナの力は星枷やジャンヌに代表する超能力とは異なる。人間が本来持っている力の極限……いや、超能力とは違った方向で人間の枠を外れた力だ。今の俺にはカインの刻印を刻んで身体能力はようやく互角、第一級の呪いのリスクを背負っても同じ土俵にしか立てない。

 

 カナ──彼女はアメリカで一緒に狩りをした仲間だった。過ごした時間は短いが彼女のことはアメリカを去っても忘れられなかった。動物の心臓しか食らわない狼男や血液パックの血で飢えをしのぐヴェータラを彼女は退治することなく見逃した。

 

 一つの景色に縛られず、広い視野を持った穏健な狩人であり、どの州に行っても人から尊敬と注目の眼差しを集める女性。イ・ウーにいることが信じられない、何か特別な理由があると思い込みたいよ。あんたは神と一緒で何も語ってくれないけどな。

 

「カナ、やめろ!」

 

 防弾ガラスの扉を越えて、キンジが闘技場に転がり込んできた。象殺しを構える蘭豹が外からキンジに向けて叫んでいる。これで三人、頭数は増えたが軸足に力を入れようとして俺は違和感に気づく。

 

 カナを呼ぶキンジの声は見知った相手を呼ぶときの声だった。俺はカナの名前をこの戦いの中で何度か口にしている。キンジや蘭豹が名前を覚えたとしても不思議じゃないがキンジがカナを呼ぶ声は特別な相手を呼ぶ声色だった。初めて会った女を呼ぶ声でも表情でもない。先生から培った尋問科としての勘が違和感を募らせた。

 

「……キンジ?」

 

 カナが一瞬キンジを見た隙に──神崎が俺の予備弾倉を引ったくり、遊底を引いた。目敏い女だよ、尊敬してやるぜ。俺もジョーの形見のナイフを軽くなった右手に構える。が、安全装置の外れたベレッタはあろうことか俺たちに向けられた。

 

「切、アリア、ここまでだ。これ以上続ける意味はないだろ」

 

「へえ、頭数が増えたと思ったら仲裁に来たんだな。俺は大歓迎だが睨み合ってるモスラとゴジラを先になんとかしろ」

 

「……どきなさい、キンジ。あたしには意味があるの。銃口を下げなさい、あんたも巻き込むわ」

 

 神崎は手負いでもカナへの敵意を保ったままだ。カナにベレッタを向けても闘技場に満ちた緊張感が切れることはない。カナも神崎も武器を下ろす気配はなかった。

 

「どきなさい、キンジ。貴方のような素人は動きが不規則な分、事故が起きやすい。危ないわ」

 

 カナもキンジを遠ざけるべく、一歩足を踏み出した。

 

「危なかしい弟を心配する姉みたいだな」

 

「心配なのは貴方も一緒。重荷を下ろす時間が貴方には足りてない。ナイフを向けるべき相手は私たちではないハズだけど?」

 

「今は武偵だからな。守備範囲が増えたんだよ。昔に比べてな」

 

 ……まだ武偵になる前から狂った人間とは、無縁じゃなかったけどな。人間も立派な怪物だよ。

 

「カナ、切とも知り合いなら充分だろ……! あんたが銃を向ける相手は、正しいのかよ……!」

 

「キンジ……貴方、変わったのね。正しいのか、貴方がそんなことを聞いてくるなんて」

 

 淋しさ、だけじゃねえな。カナがキンジを見る眼は淋しさと他の感情が混じってる。俺が考えているよりも深く、絡み合った関係。ベレッタを彼女に照準する手が震える程度にはな……

 

「こ、こらぁー! 何をやってるんですか!」

 

 緊迫した空気を壊したのは小柄な婦警の声だった。おそらく湾岸署から駆けつけたらしい婦警が、生徒たちをかき分けるようにして強襲科に入ってきていた。熱気を飛ばして観戦していた生徒も婦警の登場に顔色を変えてやがる。理子が通報したんだな──助かったよ。さすが峰理子、期待を裏切らない女、敵に回したくない女だよ。

 

「逮捕します! この場の全員、緊急逮捕します!」

 

 つか、あの婦警……どっかで見た気がするんだよな。いや、誰かに似てるだけか?

 

「あなたたちも解散しなさい!」

 

 甲高く叫びながら、走ってくる婦警とは別に一人──

 

「用は済んだの?」

 

 闘技場に転がっている天使の剣とルビーのナイフを回収しながら、魔宮の蠍が歩いてきた。

 

「重役出勤だな、夾竹桃。寄り道してたのか?」

 

「貴方の腰が軽すぎるのよ。私がいても勝ち目はなかったわ」

 

「敵に回らないだけ感謝しとくよ」

 

 二本の刀剣を受けとると、カナが先程まで放っていた闘気が薄れている。戦闘を続行する意思はないらしい。婦警の介入で張り詰めてた空気が変わったな。緊張感のないカナのアクビが良い証拠だ。夾竹桃も鞘とも呼べる手袋に手を触れることはないだろうさ。水入りムードで不機嫌になった蘭豹の殺気に生徒たちが慌てて散るが、強烈な殺気は矛先を変えて駆けつけた婦警に向かった。

 

「ケッ。サムい芝居で水差しやがって。あとで教務科に来いや──峰理子」

 

 ……なるほどなぁ。ちくしょうめ、金槌で頭を殴られたような気分だよ。先生に睨まれて婦警は理子の声で笑いだした。悪魔や天使よりずっと頭が回るよ、婦警さん。俺は額を抑えて闘技場の天井を仰いだ。

 

「誉めてあげれば?」

 

「いちご牛乳を奢ってやりたい気分」

 

「貴方には一番似合わない飲み物ね。ちびっ子ギャングにはコーラがお似合い」

 

「そのネーミングセンスは魔王級だよ。ロックスターの真似してる魔王級だ」

 

 カナがキンジの横を通り過ぎ、闘技場から去ったことで俺も左手に待機させていた天使の剣を袖に戻した。理子の奇策がなかったらカナは止められなかった。俺は踵を返したカナの背中を黙って見送る。イ・ウーは天才同士が集い、力を研磨する場所。あんたは充分強いだろ、これだけ強いのにどうしてイ・ウーにいるんだよ……

 

「アリア……!」

 

 膝を折った神崎が地面に倒れる寸前、キンジが前から神崎を抱える。

 

「切、手を貸せ! 救護科まで運ぶぞ!」

 

「分かった、聞きたいことは後回しだ。夾竹桃!」

 

「後から話すわ。さっさと肩でも貸してあげれば?」

 

 夾竹桃は理子と一緒に踵を返して歩いて行った。一転して闘技場には水を打ったような静けさが走る。

 

「強襲科を抜けてからホンマに昼行灯になりよったなぁ、遠山」

 

 蘭豹が長いポニーテールを揺らし、かぶりを振った。

 

「先生の教育は気が緩む暇がない。鉄火場を離れて勉強三昧、妥当でしょう?」

 

 地獄の王が大好きな気取った軽口を返し、俺は神崎を抱えるキンジに手を貸す。腕を組んだ先生が俺にガンをたれた。

 

「お前は腑抜けた面になりよったなぁ。40点や──つまらん立ち回りで時間だけ盗みよる。最初から峰理子と口裏合わせとったな?」

 

「婦警に化けるとは思いませんでしたよ。でも信頼できる奴です。あいつは普通じゃない」

 

「ケッ、お前が言うと意味が違ってくるわ。今度自由履修に来い、もっと上手い時間の稼ぎ方を教えてやらんでもないしな──はよ、神崎運べや」

 

 キンジが神崎を抱え、救護科へ一目散に走る。強襲科の生徒にすれ違ったが……手を貸してくれる奴はいないらしい。神崎のプライドを尊重して手を出さないのかもしれねえがな。

 

「先生はカナに殺気がないのを見抜いてた。だから手を出さなかったんだよ。荒っぽいが神崎とカナの戦いを他の生徒の教育に利用したんだ。神崎とあそこまで立ち回れる生徒は指で数える程度だからな」

 

「だからって止めるべきだろ!」

 

「武偵には4条がある。いくら友達や仲間でも訓練や授業で傷ついて、その度に手を差し伸べてたらキリがない。自立なんて気が遠くなる話だ。まぁ、あれは完全に違法だけどよ」

 

「……だから乱入したのか?」

 

「お前と一緒だよ。神崎には借りがある。選ぶ権利があったから俺は乱入したんだ。いつもどおり、選ぶ権利があるなら俺は戦う方を選ぶ」

 

 勝ち目のない戦いは馴れてる。相手がカナなのは想像もしてなかったけどな。夾竹桃とは会話の席を後で約束したがキンジにも聞きたいことがある。それはキンジも同じだ。俺たちは鏡合わせの疑問を抱えてる──襲撃してきたカナとの関係。お前とカナはどんな関係なんだよ?

 

「ゆ、雪平さん!?」

 

「安藤。救護科か衛生科の生徒呼んで」

 

「今は武偵病院で実習ですよ! 誰もいませんって!」

 

「じゃあ俺とキンジでやる。小救護室借りるよ」

 

 俺は驚いている知り合いの女子生徒との会話を手短に済ませ、小救護室の扉を叩いた。本当に物音も人の気配もないな。見渡す限り、部屋には誰一人いない。俺が薬品棚を見聞する間にキンジが神崎をベッドに座らせる。倒れたときは意識を失っていた神崎だが無人の救護室に入ったときには意識を取り戻していた。回復の早さも人並み以上だな。

 

「……どうして止めたのよ?」

 

 震える声に振り向くと、神崎は体育座りで顔を伏せていた。

 

「止めるもなにも、もう勝負はついてただろ」

 

「ちがう! あんたがジャマしなければ、いくらでも勝つ手はあったんだもん! キリの増援だって本当は必要なかった! カナは……あたしが一人で勝たないと意味ないの!」

 

 神崎はヒステリックなアニメ声で叫んだ。だが、その顔を上げはしない。本当は誰よりも神崎が理解してる、カナには俺と夾竹桃が力を貸したくらいでは太刀打ちできない。

 

「自分をごまかすな。兄さ……カナとお前の力量差は、誰の目にも明らかだった」

 

「──力量差があっても! 勝たなきゃいけなかったのよ!」

 

 ──いや、まさかな。こんなときに俺は理子が空の上で語った言葉を思い出していた。

 

 

 

『あのね、イ・ウーには──お兄さんも、いるよ?』

 

 

 

 俺はこれでも尋問科だ。口からこぼれ落ちた重要な言葉を聞き流したりしない、先生からの教えは染み付いてる。キンジは『兄さん』ではなく『カナ』と言い直した。キンジがカナを呼んだときの特別な感情の混じった声、そして理子の上役としてイ・ウーに所属する立場、キンジが見せた『銃弾撃ち』の上位互換とも呼べる技術。非日常で生きてきたせいで浮かんだありえない推測が頭をよぎる。

 

 ありえない、だがありえないことだらけの日常で俺は生きてきた。童話に語り継がれるセイレーンは女ではなく実際は男、北欧神話に語られている悪戯好きの神は天界を去った強大な大天使だった。予想や常識を裏切られる体験を何度もしてきた。ありえない推測を──俺は頭から切り捨てられない。

 

「あれはカナ! 理子がこのあいだ紅鳴館に行く時に化けた、あんたの……昔の知り合いで……あの時あんたが一目見ただけで動揺した女! そいつがいきなり強襲科に現れて、あたしに決闘を挑んできた。逃げるワケにも、負けるワケにもいかなかったの! あたしだけの力で勝たないといけなかったのよ! それを──」

 

「アリア、知っておけ。世の中には、お前より強い武偵なんかゴマンといるんだ」

 

「だめよ! だめなの! あたしは、あたしは強くなきゃいけないの! いくら差戻審になったって……ママはまだ拘留されてる! 1審の終身刑だって消えてない! あたしが、あたしが強くなきゃ……ママを……助け……られ……ない……!」

 

 俺はコールドスプレーをベッドの脇に置き、小救護室の扉をこじ開けた。

 

「ど、どこ行くつもりだよ!?」

 

「俺はお前たちのルームメイトでパートナーじゃないからな。カウンセリングは無理だ。ここは席を空けるよ。なあ、神崎──」

 

 半分開いた扉の前で振り返り、俯いている神崎に一方通行の視線を向ける。

 

「俺は母親から逃げた。まぁ、色んな意味でな。家族が傷つくのを見たくなかった。兄貴たちの大切な母さんが悲しむところを見せたくなかったんだよ。言い訳にもならねえけどな。たった一人で母親を救うために日本に乗り込んできたお前は……無鉄砲だが弱者じゃねえよ」

 

「待ちなさい! あんたが日本に来た理由って──」

 

「俺は教務科で蘭豹先生と話をしてくる。話が終わったらキンジの部屋に戻ってくるよ。それまで暫しの別れだ──Ciao」

 

 母さんは親父を助けるために黄色い目と契約した。自分の命以上に親父を愛していたんだ。俺は親父が起こした過ち、母さんに悲しい顔はしてほしくなかった。愛した人の過ちがしがみつく人生なんて真っ平だ。母さんの悲しみはサムやディーンにも伝染するからな。パートナーでもないルームメイトの俺は──ひらひらと右手を振りながら、救護科の廊下を歩いた。

 

 

 

 

 教務科の訪問は、理子と擦れ違いになったようだ。蘭豹先生が名前のとおり、豹のような目で待っていたのだがこうして命があるだけ幸運と思うべきだな。教務科の戸を叩いて、ドクの世話にもならずに済むのは純粋に朗報だった。

 

 イ・ウーとの戦いの連続で病院からの逃亡が常習的になっちまったからな。それにキャスが肋骨に掘った天使避けがレントゲンに写って、それを見たドクは椅子から転んで頭を打ったらしい。現在進行形で俺を逆恨みしてる。肋骨に意味不明な文字が刻まれてるくらい普通だろ、とどのつまり家庭の事情。

 

 無事に教務科で先生との用事を済まし、俺は緋色に燃える夕空の下で部屋に帰宅した。トランクを抱えた神崎と……入れ代わる形で。黙って擦れ違おうとしても足は勝手に止まっちまった。

 

「授業も残ってないのにどこ行くんだよ?」

 

「……もうみんな、何もかも……ほんとに、なくしちゃったよ……キリ……あたし、何も、残ってない……残ってない……よ。イヤだよキンジ……みたいなヤツ……絶対……いない。もう、見つかりっこない……よ」

 

 小さな川のように流れる涙を手の甲で必死に拭う神崎は、そんなことを呟いていた。泣いてる女にかけれる言葉を俺は知らない。俺はキンジじゃないんだ、今の神崎にしてやれることなんて何もない。

 

「二番目の携帯が繋がる。何かあったら電話しろ」

 

「……カナは……キンジの何なのよ……あんたもカナと……」

 

「一時期、本土で彼女と一緒に狩りをしてた。それだけだ」

 

 答えるが、神崎は不愉快そうにかぶりを振るだけだった。次に振り返ったときには神崎の姿は玄関から消えていた。俺はポケットに手を突っ込んで、長い廊下を居間に向かう。話題の中心に立っている女性がふらりと俺の肩を流れていく。

 

「……どうして神崎を試したんだ。キンジのパートナーがそんなに気になったのか?」

 

「シラ書42章19節──主は過去と未来を告げ知らせ、隠されたものの形跡を明るみに出される」

 

 旧約聖書──神が作ったバカ売れのベストセラーか。ここだけの話、神は休暇を取ってる。釣りでもしてるよ。俺はかぶりを振り、カナと同じように書物の一節を口ずさむ。

 

「また捨てられた。父はさっさと雲隠れ。アマラおばさんと一緒に。私の力を借りたくて上手いこと言っただけさ。言葉は偽れる、意味がない。実際意味があったことなんて一つもない──SUPER NATURAL13シーズン、ロックスターの器に入った魔王」

 

 正確には書籍になってない幻の一節だけどな。作者は姉と一緒に雲隠れ。釣りでもしてるよ。

 

「貴方は神に祈ることもしないのね」

 

「初めて死神に会ったとき、兄貴と心から祈ったさ。奇跡が起きるように」

 

「アリアは、危険な子。誰かが導いてあげないといけない子。その『誰か』がキンジであれば……わたしは、誇らしいのだけれど」

 

「神崎のパートナーはキンジだけ。キンジのパートナーは神崎だけ。神崎を導いてやれるのもパートナーだけだ」

 

 コインの裏表、そんな分かりやすいもんじゃないが神崎を導いてやれるとしたらそれはキンジだけだ。神崎の隣で肩を並べるのはあいつ以外に考えられない。

 

「──さっき、理子ちゃんには言っておいたんだけど。私、これから『寝る』わ。台場にホテルを取ってあるの。貴方も来る?」

 

「ディーンならインパラをぶっ飛ばしただろうね。でもキンジや夾竹桃に話がある。気持ちは嬉しいけどまた今度にするよ」

 

 数年振り、久しぶりに会ったのにいつも顔を合わせていたような親近感がある。一緒に狩りをした記憶はそれだけ濃密な時間として刻まれる。不意に俺はアクビをしたカナの表情に誘われて肩をすくめた。張り詰めた糸が切れたような感覚だ。

 

 俺たちと出会って不幸にならなかった人はいない。サムの言葉はあながち間違いでもないんだ。俺たちに関わった人で悪魔や天使や怪物に振り回されなかった人は一握り。最後は必ず血を見る。こんなこと思うのはどうかしてるがカナが生きていることに安心した自分がいる。

 

「台場にいるなら、また会えるんだな?」

 

「貴方は磁石。ジャンヌや理子ちゃんに言われたハズよ。私たちは貴方に引き寄せられる」

 

「ジャンヌや理子が来てくれるなら嬉しいね。人食い鬼やジン、レイスを引き寄せるよりずっとマシだ。あんた以外にも誰か来てるのか?」

 

「敵が迫ってるわ。ジャンヌは先手を打たれた、大きなものが深く、静かに忍び寄ってる」

 

 ……ジャンヌの足を折ったのはバスだが原因を作った虫はやっぱり使い魔か。虫、スカラベ、連想ゲームでも正体は言い当てられる。パトラ、お前を倒す理由がまた一つ増えたぜ。過去の因縁を含めて精算してやる。

 

「キンジはあんたの弟なのか?」

 

「血の繋がりは関係ない。大切なのは気持ちで繋がること。支え、支えられる関係で繋がることができれば家族になれる。貴方ならこの意味が分かるハズよ」

 

「ああ、分かるさ分かってる。血が繋がってるだけじゃ家族にはなれない──築きあげていくものだ。あんたはどちらの側にいるんだ? 神崎の敵か、それとも味方なのか?」

 

 カナは綺麗に編み込まれた三つ編みを揺らしただけで何も言わずに玄関から外に歩いて行った。大きなもの──それが果たしてパトラだけを意味した言葉なのかも俺には分からない。だが、あんたがイ・ウーの一員として神崎と敵対するなら俺はあの女につく。

 

 俺は一人でかぶりを振った。ああ、分かってる。連中に『Yes.』でも言わないと俺はカナに勝てない。俺のままだとカナには勝てないんだ、闘技場の戦いで身を持って味わった。カナと俺には埋められない差がある。工夫や作戦で埋められない差だ。だが、選ぶ権利があるなら俺は戦う方を選ぶ。逃げる選択は、もう選ばない。

 

「キンジ」

 

 部屋にはキンジがいた。苛立ちからベレッタの握把で、壁を殴っている。俺は足元に転がっていたももまんとウナギまんを拾い、テーブルの上に置いた。神崎はももまんしか買わない、玄関であいつが抱えていた紙袋のなかには自分のももまんとキンジにあげるウナギまんが両方入っていたんだろう。

 

「神崎は出ていったぞ」

 

「……知ってる」

 

「カナとそこで擦れ違った。数年振りに再会したと思ったら一日に二度も会うなんてな。思ってもみなかったよ」

 

「そうかよ……」

 

 ぶっきらぼうに言い、キンジはベレッタを戻す。

 

「神崎は泣いてたぞ、カナにお前を取られたってな。家族と比べられんのはあいつも酷だよなぁ」

 

 壁を殴る音がして、俺はポケットに両手を突っ込んだまま振り返る。キンジが壁を殴り付けたまま体を震わせていた。

 

「楽しいのかよ……人の家族を掻き回して!」

 

 俺は首を斜めに傾け、キンジの憎悪の視線と向き合う。

 

「悪戯好きのトリックスターと一緒にするな。お前が誰とパートナーを組もうが勝手だ、俺がどうこう言うつもりはねえよ。経験から言うが家族の話は熱くなるよな。今のお前は──触れられたくない兄弟の喧嘩に口出しされた末っ子のガキそっくりだ」

 

「お前に何が分かる……! 見抜いてるだろうから言ってやるがカナは家族だ! アリアは……自分から出ていった!魔剣のときみたいに、まるであのときの再現だ。俺に何ができる……? カナは格が違う。またアリアを狙われたら俺には止められない。カナは……」

 

 キンジは一瞬言い淀んだ。

 

「……いつも正しかった。でも再会したカナの考えは、俺には分からないんだよっ!」

 

 二度壁を殴り付け、キンジは歯を噛み締める。

 

「俺とカナ、俺と兄さんの関係は一言で言えるようなものじゃないんだ! どうしてイ・ウーにいるのかも分からない! アリアを狙った意味もさっぱり! ずっと話がしたかったのに分からないことだらけだ!」

 

「ああ、カナは格が違う。じゃあ、お前は神崎が崖から落ちるのを黙って見逃すか。お前に伸ばしてきた手をそっちのけで知らないふりができるのか?」

 

「……でも家族とは戦えない。兄さ、カナとは……戦いたくない。俺にはやれることなんてないんだよ……」

 

 ……やれることはない、か。俺は瞑目し、足元のゴミ箱を左足で蹴りとばした。

 

「お前はいつからそんな腑抜けになり下がったんだッ!」

 

 感情に任せ、牙を剥くような眼を向ける。

 

「家族のことが分からなくて悲しいか? 自分が思ってた姉でも兄とも違って絶望したか? やれることなんてないだと──甘ったれるんじゃない!」

 

 そう言い、俺はキンジに詰め寄った。

 

「じゃあ家族ってなんだ。いつも笑顔でアップルパイを焼いて、慰めてもらえるのが家族か? 言うことなすこと馬鹿みたいに頷いて隣にさえいてくれたら満足か? お前を苦しみのどん底に突き落とすから家族なんだぞ!」

 

「自分で家族から離れたお前に……何が分かるんだよ……! お前は俺に自分を重ねて自己嫌悪したいだけだろ! お前に何が分かるんだよ! 本当に恨むべきなのはお前の好きな神様や運命ってヤツだろ……!」

 

 キンジは憤怒の形相で言い返してくる。俺はテーブルに置いたインパラの鍵を拾い、背中を翻した。

 

「悲しいよ、これがテレビならいいのに。簡単に答えが出て、『じゃあねバイバイ』と言って終わり。だが現実なんだ。どの道が正しいのかなんて神も知りやしない。だが覚えとけ……」

 

 振り返り、室内に漏れ入ってくる夕日を背景に俺は続ける。覚えとけよ、キンジ。

 

「──神崎が出ていったのはカナとの確執や再会が原因なんじゃない! 勿論運命のせいでもなんでもない! まともに家族とぶつかることが怖くて逃げ出そうとしてる──お前の責任だ!」

 

 

 

 

 




トリックスターの回が人気なのはシリアスとコメディ要素を一時間で上手に纏めているところなんじゃないですかね。彼の登場エピソードはシーズン5を見終わってから見返すとまた違って見えます。よくよく考えるとウィンチェスター兄弟が最初に出会った天使は飴玉を舐めてる彼なんですよね。


『悲しいよ、これがテレビならいいのに。簡単に答えが出て、じゃあねバイバイと言って終わり』S5、8、ガブリエルーー


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帰路

『キリくん。いつまでも拗ねてないで帰ってきなよー。 アリアとキーくん、とっくに仲直りして一緒にお祭り行ってるよ?』

 

『別に拗ねてない。用事があって部屋に帰れないんだよ。只今お仕事中なんでな』

 

『……あの、キリくん? 変なノイズが混じってるけど、どこにいるの?』

 

『廃墟になったトンネル。ランプの精霊と鬼ごっこしてたところだ。今回は俺の勝ち』

 

『おい、そいつはジ──』

 

 正解。俺は携帯の通話を切ってから理子に満点をやる。携帯電話を持った手を下げ、トンネルの壁に背中から張り付いている女に眼をやった。

 

 どこにでもいそうな長身で髪の長い美人だ。ただし顔の右側半分を刺青が覆い隠していることと人でないことを除けば……

 

「ラブコールは終わり? 冷めてるのね」

 

「いい女だよ。でも俺に脈はない、ナイフを突き出して、突き付けられる関係さ」

 

「それもそうね。まともなハンターなら恋人を作ろうなんて考えない。ハンターは普通の生活を送れない。ウィンチェスター兄弟なんてもってのほか」

 

 抑揚のない声でそう言って、女は唇をつりあげた。170に迫るであろう長身の背後、粗末なトンネルの壁には赤いまじないが描いてある。アメリカでハンター仲間から教わったまじないで自分の血で作動するケルトのまじないだ。

 

 手順を踏む必要はあるが人間以外の存在、要は相手が化物でも模様を描いた壁に縛り、捕縛することができる。以前はバンシーと呼ばれる怪物に使ったが今回は別の怪物だ。余裕を崩さないばかりか笑みを作る女に俺は短く言い返す。

 

「自己紹介した覚えはない」

 

「日本のハンターにケルトのまじないなんて使えないわ。天使の剣をこの国で見たのは初めて。初めまして──キリ・ウィンチェスター。貴方たちはイヴを殺した、私たちの間でウィンチェスター兄弟を知らない子はもぐり。遅かれ早かれ煉獄に行くわ」

 

「生憎、有名になるようなことはしてねえよ」

 

 冷淡に同族について語る女は『ジン』。神様のような力を持っていて、人の願いを叶えるとされる伝説の生き物。だが、実際には願いを叶えるんじゃなくて、願いが叶った夢を毒を使って見せる。伝説の生き物でもなんでもない、全ての怪物の産みの親──万物の母(イヴ)から生まれた怪物だ。

 

 十字路の悪魔との取引では願いを叶える代償として魂を渡すが、ジンは夢を見せている人間から血液を奪う。それが奴等の食事、居心地の良い夢を見せる対価だ。願いが叶う意味では間違いじゃない。死んだ人は寿命を真っ当できる、諦めた夢や望んでいた暮らし、ジンの夢は自分が望んでいた『もう一つの世界』なんだ。ああ、ずっといたい気持ちになる。でも──現実じゃない。

 

「お前らの母親は自滅したんだ。街をゴーストタウンに変えるだけ変えてな。イヴは二度と煉獄から出させない、何があってもな?」

 

「随分な言い様だけど、街一つなんて軽い。貴方たちが最終戦争を起こして世界中がゴーストタウンになるところだった。ダークネスが復活したのも貴方たちが絡んでる。貴方たちは世界を救った気でいるかもしれないけど、世界を危機に陥れてるのは貴方たち自身。ウィンチェスター兄弟は疫病、悪魔よりタチが悪い」

 

 俺はすっと目を閉じて、ゆっくり開けた。熱くなりかけの頭を強引に黙らせる。

 

「人の願いを利用するお前らの方がよっぽどタチが悪い。悪夢が好きな偏食家の連中もお前らも日本でバイキングなんて出来ると思うな。全員煉獄に送り返してやる」

 

 ジンの中には、人に悪夢を見せる突然変異のジンもいるが日本に住まう妖狐の正一位──『玉藻御前』は人間に穏和な化生。今は星枷と盟約も結んでいる。

 

 彼等の故郷では怪物も根を広げるのは簡単じゃない。前に戦った異教の神も玉藻御前に目を付けられていた。妖狐が住み着いている間は日本もアメリカのような怪物の温床にはならない。

 

「私たちは死ぬと煉獄に、人間は天国と地獄に振り分けられる。貴方はどっち?」

 

 首を断頭台にかけられた上で女は笑う。親父の遺言だ、悪霊と怪物を狩って人を救う。

 

「──どちらにも行けないよ」

 

 最後に何が待つとしても。

 

 

 

 

 

「貯まったフラストレーションを狩りで発散させるのがハンター?」

 

「あれは星枷から頼まれた狩りだ。禁を破って刀を没収されたってよ。俺がジャンヌを倒してれば星枷が刀を抜く必要はなかった。後ろめたさも感じるさ」

 

「男のプライドって厄介だよね」

 

「そこにこだわる男もいる」

 

 両側の景色を森林で塞がれていた道を抜けると俺はインパラを路肩に停めた。白線を越えて広がる砂利道からインパラのボンネットに腰を降ろすと、開けた景色から眼下に広がる街並みが味わえる。冷たい空気を肺一杯に吸い込むと、隣からじゅるじゅる、とストローの音が鳴った。

 

「インパラをイチゴ牛乳で汚すな」

 

「これは喉の薬」

 

「夾竹桃の煙管と同じ言い訳しやがって。通るかそんなもん。虫歯を助ける薬だろ?」

 

 平然と言い放った理子はこれまた涼しげな表情だ。おかしなことを言った顔でも冗談を言った顔でもない。出会ったとき以上に振るまいがずぶとくなってきたな。

 

「理子。インパラは車じゃない、すっげえ美人だと思え」

 

「キリくんがそんな風だから、未だに彼女ができないんだよ。なんなら二人で部屋をとれば?」

 

「野暮な女でごめんよ、baby」

 

「アクション映画の見すぎ。これだからチーズバーガーばっかり食べてる野蛮な男は……」

 

 狩りが一段落したのと同時に乗り込んできたブロンドの少女……元イ・ウーの刺客こと峰理子は隣で足をぶらぶらと揺らし、見晴らしの良い景色と一緒にイチゴ牛乳を堪能していた。二人だけで話すのはランドマークタワーの屋上以来だな。よく回る口は相変わらずだ。

 

「お前もランチにハンバーガー食べてるだろ。ジャンヌからネタは上がってる。女子力の高い食い物一辺倒じゃないのは知ってるよ」

 

 ……理子、睨みたいのは分かるがストローでぶくぶく音を鳴らすな、言いたいことは口で言え。俺は後ろ頭を掻き、右手に提げていたコンビニ袋からサンドイッチを2つ取って、1個を理子に渡してやる。

 

「食ってみろよ。チーズ入りのミニステーキサンド、絶品」

 

「……こんなにサンドイッチが似合わない男子もいないよね」

 

「今の悪口か? 俺がチーズバーガーしか食べない男と思ったのか?」

 

「合ってるじゃん。食べないと禁断症状が出るって勢いでいつも食べてる」

 

「お前の勝手なイメージを押し付けるな。チキンブリトーだって食べる。シュリンプも」

 

 俺はかぶりを振ってサンドにかぶりついた。口の中に広がる肉の味とほどよく主張するチーズの存在感。ボリューム満点な具とそれを挟むパン生地がベストマッチの一言に尽きる。飢饉の騎士がいなくてもコンビニからこのサンドイッチは消えてなくなるね。理子も目を閉じ、厳かにサンドを租借しているので不味くはないのだろう。

 

 悪くない景色と、不味くないサンドイッチの組み合わせはハッキリ言って最高。こういうのを金のかからない贅沢って言うんだな。これ本当に美味い。

 

「俺とドライブするよりキンジの胃袋でも掴んだらどうだ?」

 

「ほんっとに余計なお世話が好きだよねぇ。お友だちもお喋りが好きなの? それとも家族?」

 

「両方さ。みんな自分語りが大好き。特に地獄の王は話をさせたら止まらない。友達かどうかは怪しいけど」

 

「キリくんの交遊関係だけは理子もお手上げ。藪を突いてサタンが出てきたら堪まんないよ。もしかしてサタンより酷い友達もいる?」

 

「安心しろ、ルシファーなら地獄の檻にいる。ミカエルと仲良く隠居生活中だ」

 

「良かった。お前の場合、空想や厨二病って笑えないんだよ」

 

 男口調になったり戻ったり、忙しい奴だな。どっちが本当の峰理子なんだろうな、俺には分からん。俺は手にある残りのサンドイッチを租借して地獄の檻について思い返した。ルシファーを檻に戻したのは二度目だ。ダークネスがいなくなった今、二度と奴の力を借りることもないし、地獄の檻に近づくこともない。

 

 ミカエルが檻に閉じ込められてルシファーには最終戦争って目的もなくなった。最終戦争を起こそうとしていたときよりタチが悪い。父親の玩具(人間)を壊して楽しんでいるだけ。今でも地上に奴がいたらって考えると背筋がゾッとする。サンドイッチが喉に詰まりそうだ。

 

「キリくん? 顔真っ青だよ?」

 

「……ああ、大丈夫だ。史上最悪のルームシェアのことを思い出してさ」

 

「檻の中は地獄だよ。どこだって」

 

「だな、言えてるよ。自由が一番」

 

 『檻』の中にいた──俺たちは最悪の共通点を抱えてる。地上と地獄、場所が違うだけ。理子の言うとおり檻の中は地獄だよ。どこだって。理子は空になったいちご牛乳のパックをコンビニ袋に投げ入れた。連日、真夏の暑さが続いていたが今は一転して冷たい空気が肌を撫でる。プールサイドでキンジとサボって涼んでいたときより寒いくらいだ。

 

「お互い変わったよな。特にお前は角が取れたっつーか。ハイジャックで戦ってたときなら、敵だった神崎を助けたりしない」

 

「アリアは関係ない」

 

「俺の影響でいいやつになった」

 

「自画自賛するな。お前らが女子校生みたいにめそめそするのが見たくないから助けてやったんだよ」

 

「でも神崎を助けてくれた。とにかく礼を言う。ありがとう」

 

 インパラに寝そべる理子は緊張感のないアクビをこぼした。丸めた手で、顔をグルーミングし始める。お前は猫か。

 

「でもさ、アメリカにいたときのキリくんなら理子みたいな怪盗と手を組むなんて考えても見なかったんじゃない? ハイジャックのとき、アドシアードのときのキリくんなら理子を助手席には乗せないし、のんきにサンドイッチ食べりしないでしょ。理子に──影響されてる。どっぷり──染まってる」

 

 くす、と理子は小さく笑っていた。神崎の切なげなアニメ声も反則だが、理子の悪魔より甘い声も十分反則だ。キンジの周辺は美人には事欠かないな、と内心独りごちる。

 

「理子、小悪魔を越えて地獄の王みたいになってるぞ?」

 

「キリくんもデリカシー皆無だよね。意☆味☆不☆明!」

 

「誉めてるんだよ、多分。お前は人を率いるのが上手いし、チェスとか強そうだな」

 

「まあね。キーくんよりは強いよぉ?」

 

 理子は一旦言葉を切ると、薄笑いを浮かべながら目を猫のように細めこちらを見る。

 

「挑戦ならいつでも受けるよ。ピッチパーフェクト2でも見ながら、週末暇こいてるから」

 

「さっすがキリくん、即断する男は嫌いじゃないよ。男の仕事はほとんどが決断、あとのことは小さい小さい」

 

「ああ、良い返し。ナイスな返し。さすが友達。良いことを言うよ」

 

 迷いがあるから隙が生まれる。だが迷いがあるのが人間って生き物だ。悩んで、迷って、選択する。感情や心があるから人間は愚かで、不完全で、自由なんだ。

 

 神が生んだ戦士は──天使に迷いがなかったのは、自由って概念や思いやりって装置がついてないからだ。思いやりの心を持とうとすれば天使は壊れちまう。だから命令に従うだけの機械になり下がった。でも俺たちは人間だ。選ぶ権利を持てる。自由とは……つまり自分の意思だ。俺は友達……いや、家族からそれを教わったよ。

 

「おい、ハンターの立場を抜きにして聞かせろ」

 

 心の中で似合わない真面目な考えを説いていた刹那、真面目な声色で理子が寝転がった体を起こす。膝を立て視線は開いた街並みを見下ろし、彼女は質問を投げてきた。

 

「吸血鬼に人間が勝てると思うか?」

 

 嫌な言い方をするわけでもない。直球で投げてきやがる。

 

「やめろ、ブラドを倒したばかりだろ」

 

「建前の話をしてるんじゃない。あたしがこんなことを聞く理由はお前も見当がついてる」

 

「……ブラドの娘か」

 

 理子はかぶりを振ることも否定もしなかった。前にジャンヌから聞いたブラドの娘の存在が脳裏を掠める。どうやら理子にはブラド以外にもう一枚障害があるらしい。理子は首を傾け晴れた空を遠い目で見る。

 

「人間は食物連鎖の頂点でもこの世界の支配者でもない。高い知性と徳性を兼ね備えた生物なんてのは間違いもいいところ。馬鹿なことを繰り返して、ケダモノのように行動する。控えめに言って人間は欠陥だらけ」

 

「確かにそうだが、それを認める強さがある。直そうとする。傷つけられても、許そうとする心がある。人間は──弱くない」

 

 理子は虚を突かれたように俺を見る。

 

「ロキ……いや、違うな。ガブリエルだ。たった一人だけ、最後まで人間の味方でいてくれた大天使の言葉だよ」

 

「……仲間みたいな口振りだね」

 

「彼がいなかったら兄弟仲良く高級ホテルで御陀仏だった。異教の神と一緒にな。カスティエルとガブリエル、彼等は間違いなく仲間だった。それにメタトロン、認めたくないけど仕方ない」

 

「呆れた。神の書記まで仲間? キリくんは人間以外の交遊関係が広すぎない?」

 

「家庭の事情」

 

 俺は頬を掻き、溜め息を返してやる。神の書記は天使なのに人間より外道、人間より欲望や本能に忠実。神の言葉を書き記す特別な立場の天使だが性格はゲスの一言に尽きる。でも最後の最後で自分の命より大切な物の為に戦い散った。最低な天使には違いないが俺たちが外道の手に助けられたのも事実だ。短い間だがメタトロンは仲間だった、仕方ない。

 

「理子、人間は確かに同じ過ちを繰り返す。愚かな生き物なんだろうさ。でも、良いところだってある。たとえば、思いやりの気持ちとか。上手く言えないが自分が人間であることに後悔したくないんだよ」

 

「とんだロマンチストだな。やっぱりお前はクラシックだよ」

 

「俺が今言ったこと、ジャンヌや夾竹桃にだけは言うなよ。笑われるから」

 

「夾ちゃんもジャンヌも笑わないよ。キリくんにしては似合わないセリフだったけどねぇ。いつもの雪平切スタイルと違う」

 

 お前が真剣な声であんな質問しなけりゃ俺も言わなかったよ。なんたって俺はロマンチストじゃないからな。遠ざかっているカラスを目で追いかける。

 

「友達が悩んでるんだ。解決するなら、似合わないセリフも言ってやる」

 

「すごい。いい子すぎてついていけない。理子が間抜けみたいだよ」

 

 うっすらと笑い、理子はかぶりを振った。蜂蜜色の髪が冷たい風に煽られる。

 

「アリアのことだってそうだ。お前は自分が思ってる以上にあいつに肩入れしてる。そんなに母親のことが後ろめたいか?」

 

「……さあな。でも親って船の錨と同じで拠り所なんだよ。だからそれが失くなると思うと……黙って澄まし顔でいるのはどうにも」

 

 あれだけ母親の為に奔走してる姿を見てるとどうしても報われてほしいと思っちまうんだ。

 

「アリアを育てても死ななかった女性だぞ。人一倍、運には恵まれてるよ」

 

「……そうだな、そうだった。最強の女、双剣双銃のアリアを産み落とした女性なら第一級の幸運がついてる」

 

 きっと酷い顔をしてたんだろうな。世話でも焼いてくれるような言葉が理子から飛んでくる。俺が頷いた刹那、謀ったようなタイミングで携帯の着信音が鳴った。

 

『はい、雪平。これは二番目の携帯で──』

 

『このドベ! いつまで理子と珍道中やってるのよ! ジャンヌから聞いたわよ!』

 

 甲高い怒号に俺は苦い表情で携帯を耳から離した。神崎の奴、かなりお怒りだな。これで『ドベ』って言われたの何度目だ。

 

『そこに理子もいるわね?』

 

『スピーカーに変えようか?』

 

『結構よ。あたしの電話を無視したら風穴にする予定だったけど』

 

『暴力反対。つか、お前も家出した口だろ。俺のこと言えるのか?』

 

『あたしは距離を置いただけ。カジノ警備の依頼を受けるからあんたも手伝いなさい。すぐに戻ってくること』

 

 懐かしい機関銃トークだな。安心したよ、ちくしょうめ。俺は通話を切り、携帯の電源を切って制服のポケットに戻した。理子はどこからか出したいちご牛乳をまた嗜んでいる。理子、さっき飲んだばかりだろ……

 

「アリアから?」

 

「御名答。カジノ警備の依頼を受けるんだと」

 

「……キーくん、単位足りてないもんね」

 

「夏休みにカジノの警備、武偵らしいよ。今日はセミの声がすごい、まさに虫の知らせ」

 

 俺はボンネットから降り、運転席のドアを開ける。そして理子が追いかけるように助手席に駆け込んだ。何度も聞いてきたインパラのドアが閉まる音、V8エンジンの音色にハンドルを握った手に力が籠る。

 

「信頼ってのは大きな言葉だ」

 

「良い関係を築くなら正直が一番だよ?」

 

「トリックスターがよく言うよ。夏休みまでのんびりするさ」

 

「イエメンにでも行けば?」

 

「砂漠は苦手、ミイラ退治は真っ平だ。さらばハムナプトプラ」

 

 ようこそ、元の非日常。

 

 

 

 

 

 

 日本でカジノが合法化されてから2年。法整備直後に公営カジノ第1号として造られたのが『ピラミディオン台場』だ。名前の通り巨大なピラミッド型をしたカジノが警備を行う建物である。幸い、狩りで被害者の聞き込みに使っていたスーツで入場は問題なかった。ハンターは情報を集める聞き込みの段階で身分を偽る。FBIや森林警備隊、保険調査員、あるときはインストラクターに化けたときもあったな。諜報科じゃないが潜入にはそれなりの自信があった。今回は大して役に立たなかったがな。

 

「よぉ、社長。残業とはご苦労だな?」

 

「切!おまえ──!」

 

 声を張り上げたキンジの頭上をルビーのナイフが通りすぎる。投擲したナイフがキンジの背後にいた存在の足を止め、突き立っている腹部でオレンジの火花を散らした。

 

「ジャッカルの頭に半月型の斧……エジプト製だな。ピラミッドに引き寄せられたか」

 

 ナイフを突き立てたまま倒れた存在に眉をひそめる。黒い肌にジャッカルの頭部、人ではないが怪物とも呼べないな。こいつらの母親はイヴじゃない、ピラミッドを根城にしてる尊大な魔女だ。

 

 THEモンスター映画って感じの使い魔の主人に心当たりがある。パトラ──過去にも何回か会ってる大物の魔女だけど、正直ガラガラヘビに会うほうがいい。

 

「どうやって入った?」

 

「正面から堂々と、スーツで」

 

「あれが何か分かるか……?」

 

「友達じゃないな」

 

 キンジのベレッタと俺のトーラスが同時に発火炎を煌めかせる。フロアを見渡して俺は舌を鳴らした。ふざけた数だ、イカれた魔力の成せる力業だな。ハイマキは使い魔とも言えるジャッカルの首に噛みつき力業で床にねじ伏せる。倒れたまま振り上げた斧もレキがドラグノフの銃弾で腕ごと黙らせていた。

 

「ナイフで斬りかかるなら注意しろ。そいつらの中身は年代物の呪いだ。触れるとやべえぞ」

 

 ルビーのナイフに倒れたジャッカルの体が崩れる。体勢を崩す意味ではなく、肉体を支えている体が砂となって崩れている。あとには黒い砂が不気味に小さな山を作っていた。砂を操る超能力の応用だな。

 

 進路を遮るジャッカルの動きをトーラスで止め、回収したルビーのナイフで腹部を切り裂く。牙を剥いた口からオレンジの光を迸らせて体は砂となって崩れる。一撃必殺だな、悪魔(ルビー)が肌身離さないわけだぜ。俺は兄貴の元カノに珍しく称賛を送ってやる。

 

「今度は呪いかよ。お前が関わるとオカルトやファンタジーの出来事ばっかり起きる」

 

「そういう家系でな、俺の責任じゃない。ハイマキ右だ」

 

 ハイマキは右、俺は左。チップの詰まれたテーブルを挟んでジャッカルの首を仕留める。右はハイマキの牙、左にはルビーのナイフが首に突き立てられる。引き抜いたナイフと共に体を旋回、逆手に持ったナイフで腹を裂くと膝から体が倒れていく。厄介なのは数、個々の力はリヴァイアや地獄の猟犬に遠く及ばない。

 

 ホールドオープンしたトーラスと天使の剣を持ち替えてテーブルを足場に跳躍。投擲したルビーのナイフが右側から迫るジャッカルの頭を串刺しにして武器を翳す間もなく沈黙。正面にいたジャッカルから振り下ろされた斧が鼻先を掠めるが、擦れ違いに天使の剣を右の脇から差し入れる。閉じていた口から青白い光が漏れ、剣を引き抜くのと同時に黒い砂が血のようにこぼれる。

 

「ちょろい怪物」

 

 振り向き様に背後のジャッカルの首を跳ねて一言。今はもういない姉弟子の言葉を借りる。

 

「雪平さん。星枷さんの援護をお願いします」

 

 レキの言葉で星枷を探すと開手でジャッカルに構えている。イロカネアヤメがないのは分かるが素手は分が悪いぞ星枷……

 

「進路は頼む」

 

「はい」

 

 レキのドラグノフとハイマキの力業で進路を塞ごうとするジャッカルが倒れて道が開く。砂となって倒れる怪物は異に介さず俺は全力で星枷への道を走り込む。

 

 星枷の超能力はジャンヌの対に位置する。ジャンヌの超能力はパトラに有効打を持つが、星枷の超能力は反対にパトラと相性が悪い。砂礫の魔女は氷に弱いが火には強いんだ。今の星枷に素手で挑む以外に使える手が他にない。俺は左手に構えた天使の剣を持ち直し──

 

「今回だけだ。星枷、これ使え!」

 

「雪平くん……?」

 

 投擲した天使の剣が、空中で弧を描いて星枷の足下に突き立つ。一瞬、目線を俺に合わせた星枷はすぐに剣を逆手に構えて敵を睨む。星枷に追い付き、俺はレキの援護射撃を受けられる位置でナイフを掌に当てた。

 

「この使い魔、ジャンヌの超能力には弱いがお前の超能力にはたぶん耐性がある。呪いは浴びるなよ、俺はお前と違ってまじないや呪いを解くのは専門外だ」

 

「キンちゃんには指一本触れさせない。星枷との盟約を果たしてもらうよ、雪平くんッ!」

 

 星枷が眉を吊り上げ、ハイヒールで床を打ち鳴らす。まるで猛獣の威嚇だな、獣の十倍は恐ろしい。俺も掌をナイフで切り、血の滴の垂れる指をテーブルに走らせて図形を描く。

 

「さあかかってきやがれ、まとめて地獄に送ってやる」

 

 

 

 




本人は退場してもナイフだけ未だに現役なんですよね。ルビーのナイフはコルトに並んで作品を代表する武器だと作者は勝手に思ってます。オルクスがないのにどうやって乗り込みましょうかね、作者は何も思い付いておりません。


『ちょろい怪物』S7、23、メグ・マスターズー──


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夜の血族

 防御に徹した腕ごと、ジャッカル男の脇腹をルビーのナイフが刺し貫く。転倒したジャッカルの頭を踏み抜くと黒い砂となって頭が崩れた。

 

 すっかり体に馴染んだナイフを縦に一閃、砂に潜んだスカラベを二つに裂く。フロアにはジャッカルの亡骸とも言うべき黒い砂がそこかしらに散っていた。

 

「ちくしょうめ、数が多い。星枷、頭の場所は分かるか?」

 

 返答を待つ暇もなく星枷の左右から二体の使い魔が打ちかかる。星枷は異常な速度で一回転すると、左の使い魔の腹を、右の使い魔の頭を斬りつけ、そのまま二人を蹴り飛ばす。ハイヒールでよくやるぜ。

 

 本来の得物であるイロカネアヤメより天使の剣は射程が短い。刃の触れる距離に馴染むまで苦労するハズが、星枷は苦もなく天使の剣を取り回している。武装巫女の技量に肩が震えるが味方なら頼もしい限り。背後から近づいてきたジャッカルの首を落とし、次の瞬間、黒い砂がフロアに舞い落ちる。

 

「大きな魔力を感じるけど、正確な場所までは──駄目、絞りきれない」

 

「頭を切れば終わりなんだが……」

 

 見渡せば四方八方に振り上げられた斧が見える状況。まるで小さな煉獄だな。大将を討てば兵は纏めて四散するが肝心の大将がどこにも見当たらない。パトラの無駄に目立つ格好ならすぐに目につくはずだが…‥カジノの中はどこを見渡しても使い魔だらけだ。

 

「雪平くん、上から!」

 

 天井を這うようにに移動していたジャッカルの上空からの奇襲攻撃。星枷の声に体が動いてなければ頭は斧に潰され、赤い間欠泉が吹き出した事だろう。まさか天井を這って移動するとは……俺も計算外だぜ。

 

 落下の速度を加えた斧は俺の眼前でテーブルを真っ二つに折った。詰まれていたチップが宙を舞い、テーブルはおしゃかだがジャッカル男の奇襲は失敗。殺傷圏内だ。

 

 カウンターで腹部を斬りつけ、ぐらりと崩れてきた胴体に、足を跳ね上げ直上に蹴りをたたき込む。腹部からオレンジの火花を立たせ、ジャッカル男は背中から地面に叩きつけられ口から砂を吐いて絶命。真下に投げたナイフで潜んでいたスカラベを後ろから串刺しにする。

 

 不意に仰いだ天井に俺は舌を鳴らした。天井には同じジャッカル男が10人はいる、床より天井が気に入ったらしい。蜘蛛みたいに張りついてあれじゃまるでイムホテップのミイラ軍隊だ、常識が通用しない。そのまま降りてこなくて結構だぞ化物め。

 

「切、キリがないぞ!」

 

「このドベ! 洒落言ってる場合か!」

 

 そうは言ったがキンジの気持ちも分かる。ナイフも銃も点での攻撃だ。これだけの使い魔を処理するのは骨が折れる。

 

「はぁー。また、こういうタイプね?」

 

 刹那、明滅する発砲閃光に薙ぎ払われるようにして──天井に張り付いていたジャッカル男が落下した。二人、三人と落下した使い魔へ続けて発砲音。倒れたところに浴びせかけるように大口径の弾が連発。ガバメントの弾丸が使い魔に黒い穴を穿つ。

 

「あんた、怪物を引き寄せる磁石なの?」

 

「……認めたら負けだ。個人参加は風当たりが冷たくて仕方ない」

 

 呆れるようなアニメ声で聞いてくるのはちびバニーガール……ではなくガバメントで武装した神崎だ。ベレッタやトーラス、9mmと45ACPではやはり火力が違う。天井の四方に散る使い魔は逃げの一手。神崎の参戦で形成が一気に傾いた。

 

 頭数が増えるのはそれだけで価値がある。それが一騎当千の手練れなら尚のこと。小さな両手にアンバランスな大口径の銃が吠え、空薬莢があちこちに跳ねる。そして、俺と星枷が悪魔と天使の武器をそれぞれ振り回す混沌とした状況。ここがカジノだと言われても誰も信じないだろうな。

 

 悪魔退治のナイフで使い魔狩り。元々が魔女だった彼女のナイフで魔女の使い魔を退治するのは実に皮肉だ。銃剣付きのドラグノフでレキが逃走を決めたジャッカル男を背中から狙撃。天井から転落した使い魔がレキの狙撃を機に一斉に逃走を始める。神崎とキンジも引き金を引いて残党を狩るが──速いな。

 

 屈強な体は神崎には及ばないが俊敏な動きでフロアを駆け抜ける。一体はハイマキに首を捕らえられ、一体はレキの凶弾に倒れるが残った最後の一体が窓をぶち破って屋外に飛んだ。

 

「神崎、キンジ、俺は奴等の飼い主を探す。使い魔のことは頼む」

 

 キンジと神崎は破られた窓から敵の様子を窺い、俺は単身でカジノの外に飛び出した。レキは残弾を切らし、星枷はパトラの超能力と相性が悪い。それに今は天使の剣に頼った即興の装備だ。俺は星枷に頼った甘い考えを払拭する。

 

 トーラスのスライドをコッキングし、魔女の気配を探るが目に止まったのは海上を走るジャッカル男だった。水面を走ってやがる……使い魔に常識は通用しないな。キンジと神崎に追撃戦は任せるが使い魔が逃げた先にパトラがいないとは限らない。単身ででしゃばったのは正解だったな。レキの絶対半径は2051、カジノには海上遠くまで援護射撃を行える狙撃手がいる。狙撃科の麒麟児に二人のことは任せるさ。

 

 海辺はキンジと神崎に任せて、俺はハンターらしいやり方でパトラを探してみる。蛇の頭を切り落とすべくカジノの反対側から捜索を始めようとしたとき──

 

「……おい、冗談だろ」

 

 道の街灯がフッ……フッ……と、消え始めた。それが続く。自販機の蛍光灯も、カジノの前の横断歩道の信号も消えた。街灯の明滅、電気系統の突然とした乱れ……幸いにも吐き出した息が白く染まることはなかったが、目の前で起こっている現象はハンターなら誰もが説明できる現象だ。胸がざわめつくのを感じる。ちくしょうめ、パトラに隠れて面倒な奴が紛れてやがったか……

 

 俺はトーラスの用心金から指を離さず、ざわつく胸を必死で黙らせた。温度が急に下がるのなら悪霊、硫黄の匂いと黒い煙なら悪魔。そして──赤い瞳と燦然たる翼が広がれば──いや、そんなわけない。ありえるわけがない。ありえるわけがないんだ。生暖かい風が肌を撫で、冷や汗が頬を流れ落ちる。

 

(……ありえない、奴は檻の中だ。騎士の指輪なしで檻を開けるのはロウィーナだけだ。一度自分を殺したあいつをロウィーナが解き放つわけがない)

 

 震える肩で呼吸を乱し、俺は図形を描くためにナイフで腕を斬っていた。腕から赤い血が滴るのに自傷行為に及んだ数秒前の記憶すらない。ありえない、ありえるわけがないと分かっても体は保身の為に動く。意思の外で動き始めた手は、何かに操られたように天使を吹き飛ばす図形を歩道に描いていく。

 

 ざわつく胸を黙らせても脳裏では危険を知らせるアラートが鳴りっぱなし。手元に天使用の聖なるオイルはない、もし奴がその場しのぎでも器を手にしていたら……全部終わりだ。誰も止められない。魔女を探すどころの問題じゃなくなる。

 

 周囲の電気系統は乱れ、最低最悪の悪夢を……微かでも予感させる状況で『それ』は起こった。横断歩道から黒い影が……伸びている。影は水を溢したように広がり、やがて人間の頭蓋骨……髑髏の形を描いた。脳が警笛を鳴らして止まらない。

 

 続いて、どこからともなくコウモリの影が辺りの地面を飛び交い出す。色を変え始めた夕焼け空には、誰かに呼び出されたかのように──カラスが、集まっていた。足下には、ドブネズミが現れる。それもワラワラと、何十匹も、流れるように群れて駆け回ってから側溝へ飛び込み、パニック状態で次々とそこに集まっている。

 

 普通から逸脱した景色、だが俺は少し眉を寄せるだけの反応で済んだ。これは悪魔や大天使の仕業じゃない、それに霊や悪霊とも違う。カラスやネズミを使役できる魔女、それに通ずる怪物。もしくは──その両方か。

 

「うっとおしい天気。まだ夜には早い時間、私の時間ではないのだけど。あんまりパトラがうるさいから──出てきてあげることにしたわ」

 

 誰もいない歩道で透き通った女の声が聞こえてくる。俺の前方すぐ先、髑髏の形になった影の真ん中から……黒いフリル付きの日傘が浮かび上がってきた。まるでそこが地面ではなく、湖面になったかのように。地面の下に何かいる……

 

「お前、何者だ?」

 

 くすくす、と笑い声がする。それが契機となり、声の主はようやく姿を見せた。縦ロールの金髪ツインテール。黒を基調とした、不気味で退廃的なゴシック&ロリータのドレス。膨らんだミニスカート。クモの巣柄のタイツ。光沢を放つ黒いエナメルのピンヒール──こいつ本当に怪物なのか?

 

「警戒心を剥き出しにして不粋な男ね。四年前のノースダコタでは会えなかった。ウィンチェスターに会うのは今日が初めて。思ってたより若いのね?」

 

「上物のワインと同じでね、これから優雅に年を取っていくんだ」

 

「ワインとは笑わせる、どう見ても賞味期限切れのビールでしょうに。さて」

 

 甘ったるい香水の匂いは何かを隠すためか。赤いマニキュアをした手の甲を、バラ色の口元に添え──白い顔で愉快そうに女は笑った。

 

「──初めまして。この国ではそう言うのでしょう?」

 

 とても日本人とは思えない風貌で、あまりに綺麗な日本語で、目の前の女はそう言った。カジノにいた使い魔の群れが束になっても出すことのできない重苦しさがこの女からは滲み出ている。さっきの派手な登場からして、人間じゃないのは明白。だが、それならこいつは何だ……

 

 ウィンチェスターの名前を知っている怪物は今までにもいた。四年前は煉国からリヴァイアサンが解き放たれた時期、そしてノースダコタで会った怪物で今起きた奇怪な状況を真似できる怪物はいない。直接的ではなく間接的な繋がり、彼女が口にした時期に一体だけ……ハンターの物差しでは測れない怪物に心当たりがある。

 

「四年前、リヴァイアサンの頭を退治するためにノースダコタでアルファに会ってる。アルファ・ヴァンパイア──万物の母イヴから最初に産み落とされた吸血鬼」

 

「原点にして種の頂点。最後はお前たちと兎の死骸に群がるハイエナに討たれたけど、私は復讐なんて醜い蛮行には及ばない。パトラにはお前の足を止めてほしいと頼まれたけど、やめたわ。こんなに早い時間からウィンチェスターを相手にするのは対価に合わないもの」

 

「……吸血鬼か。なるほど、連中がハイエナって意見には同感だ。俺もUKの賢人には小さくない恨みがあるんでな。恨みしかないとも言えるが」

 

 まずは彼女の正体が魔王でなかったことに安堵するべきだ。彼女が吸血鬼でも魔王よりはずっとマシだよ。それに見たところだと、アルファと同じで吸血鬼にしては話ができそうなタイプだ。警戒心を落とすつもりはないが最悪の事態にはならずに済んだぜ。

 

「パトラに足止めを頼まれたって言ったよな。それはつまり、あんたとあの女はそれなりの仲ってことだ。母校はホグワーツ? ケンドリクス? それとも──イ・ウーか?」

 

 女はニヤァ……と唇から牙を覗かせる。神崎の八重歯とは違ったモノホンの吸血鬼の牙だ。

 

「さっきの言葉、もう忘れたのかしら。警戒心を剥き出しにして不粋な質問ばかり。私はお前の相手をするつもりはないと言ったでしょう?」

 

「俺だけ素性を知られてる。そいつはアンフェアだと思ってさ。俺はあんたの名前や電話番号さえ知らない」

 

「元気の良さには9点あげる、でも知性でマイナス1ね。口の減らない男、吠えつく子犬と一蹴してあげるところだけど。でも、気が変わったわ」

 

 夕焼けが──外の景色から光から消える。日が沈んで景色が夜に変わりやがった。必要なくなった日傘が閉じられたまま影の中に捨てられる。傘が消えた影を女が今一度踏み、ヒールで何かを蹴り上げた。

 

「パトラに恩を返す建前もあるし、ちょっと──遊んでいきましょう」

 

 影から飛び出した三叉槍が女の手に渡る。三つ叉に先端が別れた槍は遊び心など皆無の殺傷性を秘めた武器だ。俺は一剣一銃の構えで鼻で笑ってやる。

 

「アルファやアメリカの吸血鬼は人間の武器に頼らなかったぜ?」

 

「そう。でもお前は串刺しにして飾るって決めたの。心臓を潰して、喉を裂いたくらいで訪れるのは一瞬の死。その程度ではダメ。お前はすぐに戻ってくるでしょう?」

 

 紅寶玉色の瞳が冷静に細められる。おどけてる様子じゃないな。この吸血鬼、本気で俺をゾンビ扱いしてやがる。挑発に乗って槍を捨てる気配もないか。高慢に思えて今まで出会った吸血鬼よりもずっと頭は良さそうだ。

 

「お友だちのジャンヌにも言ったが俺はゾンビじゃない。人の命や魂はゴム毬じゃないんだ」

 

「地獄や煉獄から帰ってきた男を普通の人間と見なすほど、私は抜けていないの。リヴァイサンを葬ったこと、私はお前たちに感謝してるわよ?」

 

「連中は人間だけじゃ満足せず、お前らも喰おうとしたからな。それに他の怪物に食事を渡すゆとりがリヴァイサンにはなかった。全人類を食卓に並べても奴等は満足しない」

 

「気品の欠けた怪物。だから──煉獄に閉ざされた」

 

 ヒールがカツンッと音を立てる。白磁のような素肌にはうっすらと白い目玉模様が浮かんでいる。同じ模様を見たばかりだからな。忘れられないよ、目玉模様は体の内側にある魔臓の証だ。そして魔臓を備えた吸血鬼はこの世に二体だけ。今の俺には女の正体が即答できる。

 

「お父様は煉獄の情報を欲しがってた。ブラドに煉獄のことを吹き込んだのはお前か?」

 

 以前、ジャンヌが口にしていた無限罪のブラドの一人娘。イ・ウーに潜んでいるもう一体の吸血鬼は、目の前の女で間違いない。ブラドが監獄に身を置いていることを考えると、俺やキンジは父の敵とも言える。俺の場合は一族の祖であるアルファの敵でもある。すんなり自己紹介してくれない程度には嫌われてるな。

 

「煉獄はリヴァイサンを閉ざす監獄。そしてまだ手のつけられていない魂の原子炉でもある」

 

「ああ、煉獄を開けば隔離された魂が力となって流れ込む。隔離されている魂の規模とその力は絶大だ。一般の天使ですら大天使を簡単に捻り潰せるようになる」

 

「力を求めることに理由は必要ない。お前も自分や家族の死を目の前にすれば──Yes.と口にするでしょう?」

 

 吸血鬼は僅かに言い淀んで、例の三文字を口にした。死を肯定する意味でのYes.ではない。それは奴等を受け入れることへのYes.。俺はゆったりとかぶりを振った。

 

「天使のタクシーになるのは願い下げだ。もう二度と器になる気はねえよ」

 

「でも狂ったように悪魔の血を飲み干して、彼が敷いたレールの上を歩いている。自分で食卓に上がる準備をする気分はどう?」

 

 悪魔の血、こいつもジャンヌと一緒だな。理子や神崎よりこっちの事情に精通してる。少なくとも悪魔の血の本当の役割、それを理解する程度には知識を蓄えてる。俺はトーラスの用心金に指をかけたまま一切油断のない視線をぶつけた。十中八九、手を抜いたら首を奪われる。

 

「最悪だよ。だが、俺はレアだぜ。魔王や地獄の王にも体は貸さない」

 

「そう。でもお前の中に流れるのは原初の殺人者たる "カイン" の血。兄弟殺しの血が流れていると聞いているわ。大天使の器になるべく受け継いでいる血は特別な物。ゆっくり、首を差し出しなさい。ゆっくり……ゆっくりと……」

 

 この、緩慢な喋り方、暗示術──催眠術か。先手を奪われたが開戦の合図としては悪くない、運の良いことに俺に催眠術や暗示の類いは通用しない。外にも内側にも大掛かりな魔除けが刻まれてるからな。

 

「お前にやる首はない」

 

 銃の反動で腕が跳ね、女の両足と露出した目玉模様を撃ち抜く。魔臓は吸血鬼の体にそれぞれ四ヶ所存在し、どれか一ヶ所でも残っていれば他の魔臓と肉体が再生を始める。不死性の一点を比べればブラドもこの女もアルファの野郎と肩を並べられる、種の頂点と言っても不遜ない。ランドマークタワーで飽きるほど見せられた弾が独りでに摘出される光景が、目の前に広がった。

 

 ブラドの第二形態と一緒だ、煙が上がって銃創も最初からなかったみたいに塞がってやがる。ブラド戦の反動で法化銀弾をケチったのが悔やまれるぜ。今度は戸惑いなく額を撃ち抜いたが……そんなもので絶命するハズがなかった。金髪のツインテールは軽く揺れるが、手は槍を握ったままで握力を失わない。倒れていた首がゆらりと動き──唇がつりあがる。

 

「……Baaang♪」

 

 化物め……人指し指を伸ばしたピストル型の左手で、自分のこめかみを撃つ自害の仕草までしてやがる。魔臓を同時に撃ち抜かない限り、こいつは倒せない。顔を血で塗らしながら平然と嘲笑う吸血鬼に背筋が冷たくなる。

 

「さあ、私の首をあげたんだから、今度はお前が首を差し出しなさい。お前はアンフェアが嫌いなのでしょう?」

 

 そう言って、構えた槍の矛先の間を青白い閃光が行き来している。あの槍、どう考えても普通の三叉槍には見えない。まさか、電流でも流れてやがるのか……? 突き刺す上に感電もさせる、電撃槍──

 

 だとしたら一撃必殺の武器だ。触れた途端、麻痺した無防備な体は串刺しにされる。槍から迸る高圧電流の音に俺はルビーのナイフを解いた。開いた手は図形の真上でいつでも閃光を放てる体勢をとる。

 

「本当にアンフェアなのは誰なんだろうな?」

 

 

 

 




そろそろヒルダも表紙を飾らないでしょうか。作者はひっそり応援しております。


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Book'em キンジ

「竜悴公姫ヒルダ──か。ファースト・コンタクトはお互いに不幸だったな。奴はパトラへの借りを返す為、俺はパトラを探す為。二人して、砂櫟の魔女に引き合わされたようなもんだ。彼女も戦いには乗り気じゃなかった。ヒルダの言葉を借りるなら……遊んだだけ」

 

「彼女は頭は良いがきまぐれでもある。このタイミングでお前と接触したことには私も驚いているのだ。彼女はお前を警戒していたからな」

 

「吸血鬼にしては律儀な奴だ。褒めるわけじゃないがアルファを思い出したよ。パトラに借りを作ったままにしたくなかったんだろ」

 

「彼女とブラドをイ・ウーに紹介したのがパトラだ。信憑性のない噂話だが……」

 

「お陰で理子を見つけることができた。あの親子からすれば大きな借りだな。今夜は挨拶、不幸なファースト・コンタクト。次に会ったときは遊びか、それとも狩りか。黙ってそのまま別れるって選択肢はないな」

 

 松葉杖のジャンヌに先んじて車輌科にある休憩室の扉を開く。きまぐれから俺に槍を向けてきた吸血鬼の話題も扉を開くまでだった。扉を開くとポケットPCを片手に右目に眼帯をした理子が立っている。俺もジャンヌも理子の前でヒルダの話題を口にするのは抵抗があった。彼女が日本に渡っている情報は遅かれ理子と共有するつもりだがまずは目の前の障害──パトラを撃退することが先決だからな。

 

 理子は、過去の亡霊とも呼べるブラドをようやく倒したばかりだ。自分を檻に閉じ込めた吸血鬼を倒し、自由になると言う宿願を果たした。ジンの狩りをした後、インパラで話をしたときには既にヒルダと道を交えることを視野に入れていた。

 

 理子にしてみればヒルダはブラドに次ぐ過去の負の遺産。避けて通れない道だし、ヒルダも父親の敵を見過ごす性格じゃない。いつか交わる道だが少しの安息日を設けるくらいは構わないよな。

 

「ふーん、キリくんは呪いから逃れたか。魔女や使い魔連中に馴れてるのは流石はハンターってところ?」

 

 理子がポケットPCを振ってくる。神崎にこっそりつけた発信器を追いかけたんだな。いつもながら器用な女だよ。諜報科に転科しても有能株になるだろうな。

 

「姑息に呪いをかけようとする魔女が知り合いにいてね。お陰で立ち回りが慎重になった」

 

「キリくん、それ本気で言ってる?」

 

「真面目に言ってるよ。あることがあって、以来呪いには慎重になってる」

 

 俺は理子に向けて即答した。第一級の呪い、要はカインの刻印を巡る話だがジャンヌは眉をひそめてる。参ったな……お前はどこまで俺の事情に精通してるんだよ。よもやここまで来ると感嘆するぞ。松葉杖で片足を支えるジャンヌが片目の理子と視線を合わせる。

 

「目の調子は?」

 

「一時的な状態異常。でも距離感の掴めないガンマンに力仕事は期待しないでほしいかな」

 

「お前も眼疾かよ。パトラは王を名乗るだけあって徹底してるな。砂漠の王様は自分の敵には容赦がない。いくら私闘を禁止していなくとも同じ組織だろ?」

 

「主戦派と研鑽派は思想も目的も別だ。あたしがパトラでも敵に情けはかけないよ。自分の首が落ちてから後悔しても遅い」

 

 男口調で理子はかぶりを振る。ジャンヌや理子が所属するのは研鑽派、パトラやヒルダが所属するのは主戦派。イ・ウーには思想や目的の異なる二つの派閥がある。主戦派はパトラの思想、目的を体現するような……過激な連中の集まりと聞く。要はイ・ウーの頭一つ抜けた武力で、世界の侵略を考えてるような連中だ。世界征服を絵空事と笑えないのはイ・ウーにはそれを可能にするだけの力があるからだろうな。

 

「ところで、帝国軍の最後の希望は?」

 

 理子は床を人差し指で指し示した。

 

「打ち合わせ通りだよ。雪ちゃんやレキとドッグに一足先に向かってる。アリアがいるのは北緯43度19分、東経155度03分。太平洋、ウルップ島沖の公海。こっそりアリアにつけたGPSと雪ちゃんの占いも同じ場所を示してる。理子もさっきまで頭を捻ってみたけど、他に乗り込む手段は浮かんでこないかな」

 

「いや、皇帝がデス・スターで待ち構えてる。ひとつでも乗り込む手段があるなら上出来だ」

 

「キリくんの好きな言葉で言うなら、銀河系最速のガラクタ。2000kmの旅にもとりあえず出れる。ハイパードライブは使えないけど」

 

「そいつは残念。惑星ナブーに行ってみたかったが」

 

「話はそこまでだ。ついて来い(フォロ・ミー)、二人とも」

 

 ジャンヌが話題を切り、視線で真下を示す。片足がまだ治りきっていないジャンヌに合わせて、俺と理子はゆっくり歩きつつ、車輌科のドッグへ続く道を降りた。降るに連れてオイルの匂いが濃くなっていく。

 

「パトラが皇帝なのは分かるがオルクスをミレニアム・ファルコンに例えるのはどうだろう? あれは貨物船の姿をした大型戦闘機だぞ? ミサイルやレーザー砲を積んだ前線戦闘にも耐えられる船だ」

 

「……お前がさっきの話を戻すのかよ。つか、詳しいな。俺もあのガラクタは大好きだけどさ」

 

「二人でプラモデルでも作ればいいじゃん」

 

「ハンターと魔女が一緒にミレニアム・ファルコンを製作か。マスターケノービも腹を抱えるよ」

 

 ジャンヌの天然発言に肩から力が抜ける。

 

「キリくんはパトラと因縁がある感じだよね?」

 

 一転、切り出したのは理子だった。ジャンヌも聞き耳を立てるように口を閉ざしている。

 

 パトラ──クレオパトラの子孫で古代エジプト思想にかぶれた魔女。Gは推定25の世界最強クラス。砂を操る超能力以外にもスカラベを使役して呪いもかけれる。自前の巨大な魔力も驚異だがパトラはピラミッドを経由して無尽蔵に魔力を生成できる。拠点を構え、待ち構える姿勢を取らせれば守りの堅牢さはこの上なしだ。

 

「数年前にアメリカで奴と会ってる。実力は文句なしだが性格に難ありでアメリカにいた魔女からは嫌われてた。同じ嫌われ者のロウィーナもメガ──なんだっけか。魔女の組織にパトラを誘おうとはしなかった」

 

「赤毛の魔女か。アドシアードで私のことをお前に流したのも彼女だな?」

 

「ああ、今では腐れ縁。非常時には力を借りる仲だ。悪くない付き合いだよ、一緒に魔王と戦う程度には仲が良い。話が逸れそうになったけど、パトラとは過去に一度戦ってる。決着はつかなかったが普通の魔女とは……格が違う。俺も危うくミイラになりかけた」

 

 エレベーターに乗って地下2階のボタンを押しつつ、ジャンヌが眉を寄せる。

 

「パトラはイ・ウーの厄介者なのだ。ロウィーナ・マクラウドはお前たちと関わり、随分角が落ちたと聞いている」

 

「どうかな、最初に比べれば丸くなったが」

 

「パトラは元々はイ・ウーではブラドよりも上の、ナンバー2に位置してた。でもあまりに素行が乱暴すぎて、退学になったの」

 

 呆れるよ、素行が酷くて組織を追放された身。ロウィーナそっくりだ。実力はあるが性格に難があるところまで似てる。

 

「パトラは自分は生まれながらの覇王だって思い込んでる。『教授』が死んだら自分がイ・ウーのリーダーになって、自分の王国を作るための戦争を起こすつもりなんだよ。まずはエジプトを支配して、いずれは世界を征服しようとしてる。本気で」

 

「讃美歌を歌いながらかたっぱしから虐殺かよ。その『教授』が今のお前たちのボスか?」

 

「騒動の渦にいる人物。イ・ウーにやってきたばかりのブラドに一人で勝利したのも彼だ」

 

「要はシスの親玉か。教授の跡目争いでパトラは躍起になってる」

 

「そういうこと」

 

 イ・ウーは無法者の集まり。束ねることは至難の技だがリーダーになるだけの価値はある。世界のバランスを塗り替えるだけの力がイ・ウーにはあるからな。パトラが組織を治めた暁には世界征服の野望も笑えなくなる。

 

「私と理子は、パトラをイ・ウーのリーダーに据えたくはないのだ。それはお前も同じだろう?」

 

「俺は部外者だ。でも当たってるよ、パトラがイ・ウーのリーダーになるのは笑えない。本音ではお前や理子に舵を取って貰いたいと思ってる」

 

「でも、なっちゃうかもしれない。このまま『教授』とアリアが死んだら」  

 

 理子が言い──エレベーターは、車輌科のドックで停止した。エレベーターホールには、伏せて休む銀狼と、ベンチに体育座りしているレキがいる。先約はキンジだけじゃなかったな。レキは俺たちに気づくと、黙ったまま次の扉へ歩いていく。先行して一歩踏み出した理子がくるりと振り返った。

 

「キーくんの準備も終わってる。急ぐよ」

 

 車輌科のドッグは海から水を引いて小型船舶の整備ができるようになっている。インパラの部品を調達しに車輌科に足を運ぶことはあったが、深層部まで降りたのは今日が初めてだ。モーターボートや水上バイクが居並ぶブリッジをどんどん進んでいくと……白と黒で着色された乗り物が見えてくる。見たところ、あれが『オルクス』だな、デス・スターに乗り込める唯一の手段。星枷の隣、B装備で武装したキンジと視線がぶつかる。

 

「よう、腐れ縁」

 

「……お前の言ったとおりだよ。兄弟と戦うのが怖かった」

 

「でも今は違う。一皮剥けたな。俺よりずっと──大人になった。なあキンジ、兄貴ってのは弟のことがいつまでたっても鼻垂らしたガキに見えてくる。面倒見てやらなきゃって思っちまうもんなんだ。反対も然り、弟は兄貴を支えたくなるもんなんだよな」

 

「……」

 

「俺と兄貴は何度も大喧嘩してきた。でもどうこんがらがっても最後は許しあった、『家族』だからだ。血の繋がりは関係ない。支えて、支えられる関係。お前は神崎を本気で守ろうとしてる。お前は──間違ってないんだよ」

 

 黙っている理子や星枷を見ると、揃って目を丸くしていた。

 

「理子、家族のことになると熱くなるのだ。普段はピエロのような男だが」

 

「おい、やめろ。その三文字を口にするな」

 

 ジャンヌ、庇ってくれるのは嬉しいんだが余計な言葉が一緒になってる。庇ってくれたのは嬉しいんだが……

 

「……そう言えば、雪平くんってサーカスで」

 

「星枷やめろ、真剣な空気を壊すんじゃない。頼むから。武藤、この銀河系最速のガラクタは何ノット出せそうだ?」

 

 いきなり矛先を向けるな、と言いたげに油まみれの武藤が眉をひそめた。オルクスを調整していた武藤の意見が一番信頼できる。武藤は計算するような仕草で。

 

「まぁ……170ノットってとこだな」

 

「すばらしい。たった一晩でそこまでできるなん──てお前は天才だ、武藤」

 

 ジャンヌは他者を誉める嘘は言わない。武藤に送ったのは正真正銘、最高の称賛だ。

 

「それは認めるがよ。オレ以上の天才だぞ、これを造った奴は。これ、元は海水気化魚雷だったんじゃねえのか?」

 

「スーパー……なんだって?」

 

「高速魚雷が蒸発させた海水の気泡を自分の周囲に張って、水の抗力をだな──」

 

 横から尋ねたキンジに説明を始めた武藤を、ジャンヌが片手で制した。

 

「遠山、詳しい説明をしている時間は無い。要するに超スピードを出す魚雷から炸薬を降ろし、人間が乗れるようにしたものなのだ、オルクスとは」

 

「……だがよ、2000kmも走らせるつってたな。燃料は積めるだけ積んだが、それなら片道だぜ。何か調達してあとで迎えに行くけどな、自力では帰ってこれねえぞ」

 

 あるのは、片道切符ってことか。言い淀む空気の中で武藤が溜め息をついた。

 

「おい、待てよ。何か調達して迎えに行くって言ったろ。そこは安心しろ。切がサーカスから逃げたときみたいに俺がなんとかしてやっから」

 

「意義あり、俺は逃げてないぞ。あれは狩りで……」

 

「遠山、理子やレキから話は聞いているな。オルクスで迎えるのは二人までだ」

 

 俺の言葉に割り込んだジャンヌが、キンジと星枷を交互に見る。遠回しな人選の確認だな。後ろ頭を掻き、俺は言葉を沈める。

 

「武偵憲章4条──武偵は自立せよ。要請なき手出しは無用の事。でも全部終わった後に迎えに行くことくらいは許されるよね?」

 

 武藤の手伝いをしていたらしい不知火が、潜水艇のハッチから顔を出した。

 

「燃料のことは気にしないで、遠山くんは遠山くんの役目を果たしてほしい。正直、遠山くんが危ない橋を渡ってるのは薄々気づいてたけど、やっと手伝える時が来て、ちょっと嬉しい」

 

 武藤は背中を叩き、不知火は笑顔でキンジを激励する。人はそう簡単に一人にはなれない──あながち、夾竹桃の言葉は間違いじゃなさそうだ。

 

「雪平さんは行かないのですか?」

 

「……乗れるのは二人までだ」

 

「貴方とキンジさんはルームメイトです。それは今も過去も変わらない」

 

 凛としたレキの声に俺は白旗を上げた。この子には敵わないな。

 

「参った、お前の前で軽いことは言えないよ。ありがとう」

 

 何も言わない優しい同僚に礼をして、同じく不知火と武藤に礼を言ったキンジと視線が合う。

 

「家出から帰って来たらこの有り様。普通の日常には遠いな」

 

「言いたいのはそれだけか? ヨーダみたいに達観してるんだな?」

 

「うるせえ、俺はオビワンが好きなんだよ。レキに後押しされたんだ。一言だけ言わせろ」

 

 俺、どんな顔してるんだろ。家出から戻ったガキみたいな顔かな。だとしたら笑える。すっ、と左手を上げた。

 

「誰がボスか教えてやれ。ホノルル式のやり方でな。Book'em(ぶちこめ),キンジ」

 

「おいおい、お前が少佐って柄か?」

 

「好きなんだよ、尊敬してる。勝手にクランクアップするなよ、刑事さん」

 

「ロキシーで肉を奢れ。家出はそれで忘れてやる」

 

 うるせえ、バカ。インパラのガソリン代でちゃらだ。キンジと左手同士を打ちならし、離れて立っていたレキの隣へと戻る。

 

「今度、カロリーメイトを奢るよ。どれがいい、ブロック? ゼリー? ジュースタイプ?」

 

「ブロックで」

 

「了解、味はあの昼行灯に任せる。酷いチョイスをしたら二人で笑ってやろう」

 

 ──午前7時15分。キンジと星枷を乗せた潜水艇を俺たちは見送った。

 

 

 

「理子、場所は北緯43度19分、東経155度03分。太平洋、ウルップ島沖の公海だったな?」

 

 オルクスが消えたドッグで俺は理子に確認する。呆気に取られた理子は少し時間を置いてから頷いて返してきた。

 

「座標が分かれば十分だ。俺も頼れる筋で迎えの準備を進めてみるよ」

 

 

 

 

 

 神崎・H・アリアという女は不思議な女だ。いきなり部屋に転がり混んで来たと思ったら、突然始まる悪の組織との全面戦争。最初こそ世紀の大怪盗の子孫だが、あれよあれという間に魔女、吸血鬼との遭遇だ。今度はクレオパトラの子孫、本物のファラオと来やがった。非日常ここに極まり、良くも悪くもハンターとしての仕事が出来てる。怪物や悪霊から人を救う仕事、それが親父の願いだった。

 

 鍵を開け、インパラのトランクを開く。ダミーの底を持ち上げ、左側の仕切りにショットガンを立て、底蓋を支える。四つに分けた仕切りの底を手で漁り、聖油の入ったスキットルと弾倉一本分のなけなしの法化銀弾を持って、ダミーの底をトランクごと閉じる。ガレージを出ようと振り向くと、流れるような黒髪を揺らす蠍が立っていた。

 

「珍しい客だな。コーヒーはないぞ」

 

「貴方を笑いに来た、と言ったら?」

 

「かまわねえよ。好きなだけ笑っていけ。長く相手はできないけどな」

 

 そのまま夾竹桃を横切ろうとして、俺は足を止めた。

 

「お前、その左目どうした?」

 

「別に」

 

 揃えられた黒髪の下、黒を赤い縁で囲ったような眼帯が夾竹桃の左目を覆っている。数日前にはなかった。

 

「パトラか?」

 

「大したことでもないわ。彼女の野望が叶わなければ虫を放った意味はないから」

 

「……バカタレ、俺にはあるんだよ。理子とジャンヌを呪われて見過すのが無理な話だ。お前が目を呪われたなら……もっと無理だよ」

 

 俺は静かに呼吸をして、目をつぶった。

 

「悪いな、夾竹桃。少し出かけてくる」

 

「だから来たのよ。二人は見抜いていたわ。お前はどんな手を使ってもパトラを追いかける。私も同じ意見だった」

 

「……機雷を改造したモンスターマシーンで行くような場所だ。どうやって行くんだ?」

 

「どんな手を使っても」

 

 夾竹桃の眼には迷いが見えなかった。ぶつけていた視線を俺はゆっくり瞼に隠す。

 

「心配の言葉でも貰えたりするのか?」

 

「お馬鹿、そんな答えじゃ部分点も上げられないわね。答えはミイラを想像すると早いわ」

 

「なあ、想像すると嫌な答えしか浮かんで来ない」

 

「冗談よ。ミイラは関係ないわ。よく聞きなさい」

 

 ちくしょうめ、今の流れで冗談を言えるお前の方がお馬鹿だよ。俺はまた冗談が来ると身構えた。だが、違った。

 

「さっきの言葉は訂正するわ。貴方に会いに来たのは……多分、世界が危機を迎えているから。彼女がイ・ウーのリーダーになるのはそういうことよ。でも誰が最後に勝つか分かってる、勝つのは貴方」

 

 俺は何も言えず、聞くばかりだった。

 

「最後には貴方が勝つ。イケてないファッションで固めたハンター兄弟が。日本には一人しかいないけど」

 

「……イケてないファッションは余計だよ」

 

 無事な片目も閉じ、夾竹桃はうっすらと笑った。

 

「イケてないネルシャツを着たハンターが何言ってるのよ。腕にシルバーを巻くことは許すとしても、せめて流行の服ぐらいはチェックしなさい。そして……今度こそまともな服装で映画を観に行きましょう──死ぬんじゃないわよ?」

 

 ガレージを去る夾竹桃の背中がいつもより大人びて見えた。今の言葉は忘れられそうにない、悔しいことにな。

 

 

「待てよ、夾竹桃」

 

 去っていく彼女に俺は勝手に言葉を続けた。

 

「May we meet again. (再び会わん)」

 

 パトラ、悪いな。最後の最後でお前を見逃す理由がまた一つ減ったぜ。

 

「──貴方も好きねえ」

 

 

 部屋に戻ると、俺はあるだけの装備を詰めたバッグを床に落とした。ディーンはいつも狩りに使う道具をバッグに入れる習慣があった。俺にもその習慣が染み付いてる。何年も一緒に狩りをしてきたからな。トーラスに弾倉を差し入れ、スライドを引き絞る。

 

 ルビーのナイフと天使の剣も忘れない。今は誰もいない部屋、でもすぐにキンジが神崎を連れて帰ってくるよ。ソファーから腰を上げ、俺は携帯の電話帳を開く。準備はできた──あとは乗り込むだけだ。呼吸を沈め、電話のコール音に耳を澄ませる。

 

『よう、デカくない方。いや待てチビの方か。デカサムならぬチビキリ』

 

『久しぶりだな、ちびっ子ギャング。いや、ファーガス』

 

『──クラウリーだ、舌を引きちぎるぞ。それで、久々のモーニングコールの理由は?』

 

『頼みがあって電話した』

 

 電話した相手とは味方とも敵とも呼べない複雑な関係の仲だ。十字路の取引王、地獄の王、ビジネスマン──電話の主を言い表す言葉は尽きない。悪魔の番号が電話帳にある時点で俺は日常から隔離されてるわけだ。本当に普通になりたいなら電話帳から天使と悪魔の連絡先を消すところから始めないとな。

 

『しゃあしゃあと頼みごとか。俺の息子を元の時代に送り返して殺した挙げ句、自分はさっさと家出。平和な日本で休暇(バケーション)』

 

『聞けよ、クラウリー。あれはギャビンが……お前の息子が望んだんだ。ギャビンが元の時代に戻ったことで彼女は悪霊にならなかった。彼は大切な人を救ったんだ、自分の手で』

 

『消えてくれ』

 

『待てよ。とある魔女を追いかけてる。まだ若いがロウィーナに劣らない魔女だ』

 

『母さんに?』

 

『高級ホテルに泊まる趣味はないけどな。でも腕は確かだ。仲間が呪われた。奴の根城に乗り込む準備は出来たが行きの船がないんだ、力を貸してくれ』

 

 北緯43度19分、東経155度03分。太平洋、ウルップ島沖の公海。パトラの呪いで神崎の命にはリミットが設けられている。イ・ウーのひみつ道具を武藤が1日改良して片道のチケットしか手に入らない場所だ。正攻法で乗り込むのは難しい、正面突破が無理なら絡め手だ。パトラ、お前がピラミッドから力を借りるなら……俺は悪魔に力を借りてやる。

 

『グレゴリが使っていた天使の刀。天界の武器を用意した。運賃の代わりにお前にくれてやる』

 

『この俺に取引をしろと?』

 

『お前も大天使に効果のある武器は欲しいんじゃないのか。もしものときの保険として使える。それと酒もやろう、年代物で高い奴』

 

『すぐ行く』

 

 刹那、背後でソファーが沈む音が聞こえた。

 

「来たぞ」

 

 声は電話と二重に重なった。クラウリーが我が物顔でソファーに座っている。俺は無言で通話ボタンを切り、携帯を折り畳んだ。天使と悪魔に物理法則は通用しない。久しぶりの邂逅で忘れそうになったよ。

 

 部屋の天井にも絨毯の下にも悪魔封じは用意していない。俺はしゃがみ、絨毯の下を見せるように端を捲りあげる。

 

「悪魔封じはなしだ。送ってくれるだけでいい、帰りは自力でなんとかする」

 

「えらく殊勝だな。お前らしくない」

 

「人は変わる。時間が経てば誰だってな。でも利用できるものはなんでもする。自分の面倒は自分でみなきゃな」

 

「メグの教えか」

 

「あれでも長い付き合いだった」

 

 部屋の隅からギダーバッグを持ち上げ、ソファーの前に投げ捨てる。

 

「グレゴリから奪った天使の刀だ。先払いで持ってけ、酒は後払い」

 

「後払いねえ。作戦は?」

 

「魔女は待ち受けてる。だから堂々と乗り込むんだ。派手にな」

 

「調べものの鬼がいつから出たとこ勝負になったんだ?」

 

「今だよ」

 

 バッグを抱え、俺は瞼を下ろす。勝てるかどうかの確証はない。キンジに全てを任せる選択肢も今なら選べる。だが遅かれ早かれ、パトラとは白黒つける時が来るだろう。それが今日か明日の違いでしかない。

 

 パトラはジャンヌを呪った。理子も夾竹桃も敵対する相手は見境なしだ。どんな状況でも三人は自分の信念に従って行動する、誰かの指図なんて受けない。だからパトラは恐れてる。コントロールできないからな。

 

 奴が降参するまで諦めない。勝つのは俺たちだ、悪党どもをぶっ倒す。それが使命だ。

 

 俺たちが怖い──いいよ、上等だ。見返してやろう。

 

 

 

 

 

 

 神崎が羨ましかった。母親のためにどこまでも真っ直ぐになれる彼女が羨ましかった。

 

「親父は2つの過ちを犯した。1つはアダム、狩りで立ち寄った街で子供を作ったこと。アダムは母親もろとも人喰い鬼に殺されて、最後は天使の計画に利用されて地獄の底だ。そしてもう1つの過ちが俺。アメリカに亡命した日本人と親父の間に出来た過ち」

 

「だから?」

 

「だから母さんの傍にいたくなかった。アマラと神の喧嘩を仲裁して、ディーンやサムは夢の中や過去以外で初めて母さんと再会できた。黄色い目が全てを壊したあの日から、初めて家族が再会できたんだ。お陰でサムは初めて母さんと話が出来たし、失った時間をほんの少しだが埋めることができた」

 

「だが、お前は家出した。制止を振り切って日本にひとっ飛び。忌々しいルシファーのガキを放ったままな」

 

「それは心残り」

 

 甲板にピラミッドを無理矢理くっつけた幽霊船の中を階段を跨いで上に進んでいく。分かれ道が連なった迷路ををマグライトで照らし、いつか地獄の猟犬を探索したときのように俺は背後に悪魔を連れて歩いた。家族の話を交えながらな。

 

「母さんとアザゼルは取引をした。まだサムやディーンが生まれる前、親父の命を救うために。そして親父は母さんが死んだことがきっかけでハンターになった。考えてみろよ、俺は母さんが命と引き替えに助けた親父が……他に関係を持った証だ。サムやディーンとは根本的に違う」

 

「血の繋がりは関係ない──偉そうにのたまってたのはどこのどいつかねえ?」

 

「それは本音だよ。でも俺が傍にいると母さんは嫌でも親父のことを思い出す。四六時中、黄色い目……アザゼルの幻覚の相手をするようなもんだ。俺にはできなかった。だから逃げたんだよ、母さんからも家族からも」

 

「自分の生まれからも。臆病者め」

 

「否定しないよ。一度も目の前では母さんと呼べなかった。呼ぶ資格もなかったが」

 

「ルシファーを道連れにした男とは思んな。かつてのお前にはぎらついた部分があったが……今は見る影もない。ルシファーのガキをなんとかするとして、昔のキリ・ウィンチェスターなら見込みはあったが奴はどこにもいない。いるのはコーラが大好きなだけのクソガキ」

 

 ……生まれてくる子が母親似であることを祈るさ。ネフィリムであろうが生まれる前の子に罪はない。誰も生まれを選べないからな。やがて大きな扉が現れ、俺は足を止める。マグライトの光を当てると、鳥や蛇を模した象形文字が扉に描かれている。こいつは古代エジプトの……

 

「翻訳してやろうか?」

 

 俺は片手でクラウリーを制した。

 

「古代神官文字(ヒエラティック・テキスト)は得意分野だ。ハムナプトラは20回は見たしな。ディーンは勉強が嫌いでいつも語学のテストを恐れてたが、俺は語学の勉強が大好きでね。インディアナ・ジョーンズに憧れて色々と勉強したもんだ、彼には遠く及ばないが」

 

「それはがっかり。アメノファスと叫んでくれりゃ笑ってやったのに」

 

「博識で悪かったな王様。地獄でアナクスナムンの魂でも追いかけてろ」

 

 扉には『王の間』と描かれている。自分で王を名乗るのはここにいるちびっ子ギャング(クラウリー)と暴君(アバドン)だけだと思ってたよ。俺は肩にかけていた槍に今一度視線を向ける。目を細めた地獄の王が隣で肩をすくめた。

 

「その槍にかけられていたまじないは一度壊れちまってる。ラミエルが使っていたときの力はもう残ってない」

 

「御名答。形は元に戻ったが俺たちが苦渋を舐めた槍には戻せなかった。まじないも見よう見まねででっちあげただけ」

 

「お前の無駄な努力を見積ってやるとして、精巧に作られたレプリカが妥当なところだ。俺の驚異にはならん。好きに使え。なんなら契約書にサインしてやろうか? それともokって言うだけでよかったか?」

 

「ああ、好きに使うさ。お前は回収しなかったし、ディーンもサムも折れた棒切れとしか扱わなかった。そう、誰のでもないひのきのぼうとして捨てられた。だが、今は俺に所有権がある。リサイクル万歳」

 

「笑わせるな、お前には程遠い思想だ」

 

「俺もそう思う。でもインパラを乗り換えるつもりはない。使える物は使う、非常時なら選り好みできないしな」

 

 重い音を立て、扉が独りでに開き始める。

 

「お別れだ。俺はペットの躾に戻る。後は自分でやれ」

 

「そのつもり。今度は猟犬を外に逃がすなよ」

 

「ご忠告ありがとう。後払いの貧相なワインを楽しみに待ってる」

 

 ……嫌味か貴様。開いていく扉と反対に消えようとするクラウリーに俺は葛藤の末……

 

「待て、クラウリー。……ありがとう」

 

 昔、逃げ出した地獄の猟犬を一緒に捕まえたときと同じ──何も言わず、次の瞬間には地獄の王は消えていた。俺は静かに呼吸して、王の間に踏み入る。

 

「パトラ、終点が玉座の間とは上出来だな。世間は不景気で荒れてるってのに自前のATMでもゲットしたのか?」

 

 そこは一言で言えば、黄金でできた広間。絨毯が敷かれた床石も、室内を取り囲む石柱も、奥に据えられた巨大なスフィンクス像も、全ての物が煌めく黄金でできている。まさにパトラの嗜好、考えを具現化したような空間だ。スフィンクスの真下、聖棺に視線を定めて、俺は目を細めた。眠り姫ってキャラかよ──神崎。

 

「……キャンベルとウィンチェスターの話は全てが控えめに語られてきた。鼠が『王の間』に上がるなどあってはならぬが、疫病が妾に近づくのはもっと許せぬ」

 

 黄金の玉座に座っていたパトラは──招かざる客を見たような冷たい眼をしていた。本来招いた客を差し置いて仇敵が土足で舞台に上がったような反応だ。

 

「祝いの贄がないのはちと淋しいが、お前の骸も悲鳴も妾は好かぬ。散れ、二度と王の前に踏み入るでない」

 

「エル・ドラードは子供の頃に憧れたが黄金まみれってのは思ってたよりずっと下品だ。この玉座を見たらオレリャーナもさぞやガッカリするだろうよ」

 

「妾は征服者程度の器には留まらぬ。30秒、今なら目を瞑ってやるでの」

 

 30秒やるから立ち去れ……なるほどな。俺は開いた左手で玉座の王に指を向ける。

 

「5秒やるからその汚い棺をどけろ」

 

「妾はイ・ウーひとつ、エジプト一国の王にとどまらぬ。いずれは、この世の女王になる存在ぢゃ。小汚ないハンターよな……その言葉、覇王への冒涜と知れ!」

 

 眉を吊り上げたパトラに合わせ、床石が砂金へと姿を変え始める。この間に敷かれている砂金すべてがパトラの武器。蠢く砂金を玉座から見下ろす王様に俺は鼻を鳴らす。

 

「そいつは違うぜ、パトラ。俺が小汚ないハンターならお前は人を呪うことでしか自分の野望を叶えられない臆病者だ」

 

「……妾が臆病者?」

 

 座ったまま、パトラは首を揺らす。

 

「妾は、常に先を見て動く。イ・ウーの女王となる大事な時期にお前のような疫病と関わりとうなかった。ぢゃから、猶予をやった。無下にした罰は詫びてもらうぞ?」

 

 足場を作っている砂金が盛り上がり、玉座への道を閉ざすようにジャッカルの使い魔が砂金より出でる。半月の斧で武装した二対の使い魔、カジノで戦った使い魔と瓜二つ。パトラの魔力が無限に生成されるならば、使い魔も無限に生みだせるハズ。ここはパトラの王室、砂に満ちた部屋の恩恵を受けるのは砂櫟の魔女ただひとり。自分の根城でハンターに苦渋を舐めさせられる、少しは嫌がらせになるかな。

 

「やれるもんならやってみろ。研鑽派の連中には借りがあるからな。あの三人に代わって、俺がお前の立てた人生設計を台無しにしてやる」

 

「吠えるのぉ。愚かにも怒りに振り回され、妾に挑む意味を分かっておらん。蹂躙ぢゃ、戦にもならんぞ?」

 

 知ってるよ、お前の強さはよく分かってる。匙を投げたくなるような戦いに自分から突っ込む──そんなのいつも通りだろ。

 

「知ってるよ、意味はよく分かってる。パトラ、俺が怒りに振り回されると言ったな?」

 

 俺はかぶりを振り、聖棺に向けた眼をパトラに戻す。神崎、人の目覚ましぶっ壊して、自分だけ寝ていられると思うなよ。

 

「俺はとっくに怒りなど通り越してんだよッ!」

 

 ──すぐにその悪趣味なオカルトグッズから引きずり出してやるからな。

 

「トオヤマキンジ、それに日本の魔女が来ることは見えておる。前座にしてもお前を舞台に上げるのは……興が削がれるのう。妾は男は嫌いぢゃ、男のハンターなど論外と言う他ない。お前のようにハンターは愚かな連中の集まりぢゃ、妾には目的も考えも読めぬ」

 

「俺は単純。本当に大事な1つのことを知ってるだけ。1つの目標に取り組めば自然と生き方は決まってくる」

 

 駆けてくる使い魔の腹部を一突き、前を走ってきた一体を串刺しに変えると、後方の使い魔を矛で凪ぎ払う。

 

「朝、起きたらやりたいことがあるだろ? 勿論、人は成長するからやりたいことも変わってくる」

 

 槍に触れた使い魔の体は元の砂金に戻るだけ。その体の内側に潜んでいたスカラベも今回は飛び立てない。スカラベの背に浮かんだ青白いルーン文字はパトラも知るところだろう。この槍が普通でないことも……

 

「今の俺の目的は神崎を取り戻すこと。世界を侵略して個を消して全てを一つにする、そんなつまらん世界はお断りだ。俺たちハンターは個人主義者の集まりでね」

 

「……狂人め。妾にミカエルの槍を向けるか」

 

「見よう見まねで修理した劣化品だが、元が大天使や地獄の王子が振るったランクAの武器。天使にはルーンのまじないで避けられない死を与え、悪魔は触れた瞬間煙と化す。気をつけな、魔女相手にどうなるかは俺も試したことがない」

 

 大天使ミカエルが振るい、十字路の取引王クラウリーから地獄の王子ラミエルに渡った槍。一度まじないごと折られた物を、俺が勝手にリサイクルし見よう見まねでルーンの文字を刻んだ結果、精巧なレプリカにまでは戻せた。そう、クラウリーに精巧と言わせる程度にな。

 

「パトラ、神崎や夾竹桃を呪ったお前にどうやって恨みを晴らすべきか、悔しさを味わわせてやろうか考えた。神崎を取り返し、そこのてっぺんにある、無粋極まりない玉座とこの王の間とやらをぶっ壊せば、少しは悔しいかな?」

 

 玉座から見下ろす王様には凶眼で向き合う。口角の下がるパトラに嫌がらせは無事成功したようだ。白く長い脚が玉座から降りてくる。

 

「イ・ウーの次の王はアリアではない。妾がアリアの一味を斃し、アリアの命を握って話せば──教授も王位を譲るに違いないぢゃろ。妾の見据えた未来にお前は邪魔ぢゃ」

 

 抱えていた水晶玉を放り、立ち上がったパトラは初めて砂金の地面に足を置いた。刹那──砂金がナイフの形状を取り、宙に浮かび上がる。

 

「死ね」

 

 パトラの殺意が引き金となり、浮かび上がる砂金は一斉に俺めがけて飛びかかる。俺は平賀さんから購入したワンタッチで展開できるポリカーボネイト製の防盾をかざすと、衝撃に下がりながらも砂金の銃弾の全てを受けきる。心の中で平賀さんに礼を返し、ヒビだらけのシールドから俺はミカエルの槍と共に疾駆、砂金の地面をパトラのもとへ駆ける。

 

「返り討ちだ、お腹の赤ん坊みたいなポーズで命乞いさせてやる」

 

 体重を乗せた必殺の突きは、パトラが足元の砂金から作り出した、黄金の丸盾に防がれた。こいつは──アメンホテプの昊盾か。白銀の矛先を止めた盾が、真横から新たに一枚浮遊する。砂金に固められた魔力の盾……過去にはディーンが撃ったガバメントの弾丸も全く通さなかった。

 

 咄嗟に背後に大きく跳躍。初撃を受け止めた盾にはルーン文字が浮かび上がり、スカラベと同じく砂金へ返るがパトラに動揺はなかった。盾は魔力によって作られる。パトラ本人の魔力が尽きない限り、何度でも量産できることは過去に実証済みだ。ミカエルの槍でアメンホテプの昊盾は破壊できるが突破するには一手足りない。

 

「ミカエルの槍には驚いたが、妾とお前では自力に差がありすぎるでのう。血を飲まず、妾の前に立った愚かさを呪え」

 

「ジャンキーになるつもりはないんだ。後でジャンヌに何を言われるか分からん」

 

 砂金のナイフを真横に交わし、凪ぎ払うように残ったナイフを叩き落とす。

 

「器とならず、血を飲まず、ウィンチェスターとて人の身ぢゃ。お前が振るうのは人の技。神より力を授かりし妾には、抗えぬのが道理」

 

「人には神を越えて信じるものがあるんだよ。俺はそれに従うまでだ」

 

「立体魔法陣と共にある妾の力は、無限!無限に有限は、勝てぬ。それが道理ぢゃ。お前がやろうとする事は、道理に逆らう──神に逆らうのは無理ぢゃのう」

 

 笑わせんな。神に逆らって、神の姉さんとも戦ってきたんだ。今になって萎縮するかよ。

 

「お前が神を自称するなら好きにしろ。俺たちの答えはとっくの昔に決まってる。相手が大天使だろうが、怪物だろうが神だろうが関係ない。行く手に神が立ちふさがるなら、神を、なぎ倒して行くまで──!」

 

 無限など神のまやかしに過ぎない。パトラの魔力には立体魔法陣という前提がある。パトラ、お前は間違いなく人間だよ。お前の野望を止めて、証明してやる。

 

「悲しいのう。意思と力が比例しておらぬ。お前も弱き人間にすぎん、ちと残念ぢゃのう」

 

 無限に撃たれるナイフの嵐に徐々に形成が傾き始める。床は砂金で覆われ、全てがパトラの武器であり防具でもある。血で描く図形は蠢く砂金の上には描けない。いつも通りの奇襲は無理だな。捌けなかったナイフに露出した肌が切りつけられるが、血はあっても図形を描く場所が限られてる。

 

 砂金から作られた黄金の鷹を凪ぎ払い、片手で抜いたトーラスで襲来する鷹をかたっぱしから撃ち落とす。四方八方を取り囲んでいた鷹は砂金になって舞い戻るが本体のパトラは何一つ表情を変えていない。こっちの弾丸は有限、あっちは無尽蔵──なるほど、アンフェアだ。

 

「妾は覇王ぞ。お前は朽ちる、魔剣もリュパンの曾孫も妾の側近になり果てる。妾が統べる世界は妾が法ぢゃ」

 

「同じ組織だったってのに分かってねえな、ジャンヌも理子も誰かに服従するよう女じゃない。それと、朽ち果てる前に警告してやる。自分の魂の奥底を探って、これ以上ない究極の悪夢を探ってみろ。お前が喧嘩を吹っ掛けた遠山キンジって奴はその悪夢を現実にする男だ」

 

 めざとくパトラは眉を吊り上げた。次の瞬間、背後にそびえた入口の門が、派手に吹き飛んだ。足音は二つ、パトラがうっとおしげに粉塵の舞い上がる間の入口を見やる。

 

「まなーの分からぬ者ばかり。何の用ぢゃ、極東の愚民ども」

 

 首をもたげるにパトラに声が返される。不出来な探偵が──魔女を引き連れてパトラを見据えていた。

 

「チェックインだ」

 

 役者は揃った。迎えに来たぜ、眠り姫様。

 

 




相手がファラオだといつもより饒舌になる主人公。パトラとの会話は過剰反応を起こしてますね……ですが作者は書いていて楽しかったです。

ようやく回想や電話以外に昔のお友だちが登場しましたが、現時点でのアメリカの時系列もたまたま予想できる人選になりました。カスティエルに劣らず、彼も古参キャラクターなので物語序盤の区切りには相応しいと思います。


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魔女との取引

 鋼を弾く音が、何度繰り返し響き渡ったかは覚えてない。星枷より盗まれたイロカネアヤメは既に星枷の奇策によってパトラの手にはない。そして、ジャンヌが誇らしく語っていた愛剣──デュランダルを借り受けた星枷の力は言うに及ばなかった。パトラには届かずとも彼女は日本屈指の超能力者、バターのように玄関の扉を両断する隣人の剣の腕は深く理解している。魔女の指標であるGはパトラに及ばないが、剣を扱う役者としては星枷が何枚も上手だ。

 

「緋火虞鎚・焔二重!」

 

 叫んだ星枷がパトラの額めがけて上段から斬り下ろした、2つの刀が何重にも重なった黄金の丸盾を、瓦割りのように2枚断ち割った。本来、氷結を纏うはずの魔剣は焔に包まれ、持ち主の仇敵である砂櫟の魔女目掛けて刃を進ませる。片方は魔女に受け継がれる魔剣、片方は色金に関する宝刀だ、癖のある二振りを即興で扱っている星枷の技量は……笑えないな。

 

 星枷が放った一撃はパトラ御自慢の盾を2枚断ち割った挙げ句、3枚目にも刃を深い場所まで食い込ませる。力を解放した星枷の巫女としての超能力、そして研磨された剣の腕。その末端を垣間見て心底彼女が味方であることに安心する。

 

「星枷」

 

 盾の奥、背後に隠れているパトラの笑みを消してやる。俺の愚直とも言える踏み込みと同時に星枷が下がり、位置関係が入れ替わる。前衛と後衛の交代(スイッチ)はタイミングもすべて互いの勘と経験に物を言わせた荒業。

 

 愚直であろうが蘭豹先生に学んだ歩法による踏み込みと、狩りで養われた膂力を合わせれば、パトラを保護する盾一枚を砕いて余りある威力になる。砂金に編まれた盾を砕いて、矛先はその奥のパトラを抉る。だが──

 

「……また砂遊びかよ」

 

 パトラの皮膚が黄金色に変色し、流れるはずの場所からは血液の赤ではなく、砂金の金色が流れ落ちる。超能力を使った偽物、俺が貫いたのはパトラの形をした砂人形だった。

 

「雪平くん!」

 

 星枷の警告で砂金の地面を横に転がる。寸前で回避した砂金のナイフは、同じ黄金で作られた壁に深々と傷を残す威力。しかもパトラの魔力で作られている以上、弾数の制限はない。左右に別れて回避した星枷と並び立つと、超能力を乱用の息切れが始まってる。無理もない、星枷もG20に迫る超能力者だ。高度な超能力は威力も凄まじいが消耗する体力も凄まじい。制限なしでG20を越える超能力を乱用できるパトラが規格外なだけだ。

 

「ほっ。アメンホテプの昊盾を2枚も割りおった。妾はいま、この女を愉しんでおるところぢゃ。目障りな動きをするでない」

 

 パトラの呼び声に応え、四方の砂が浮き上がり動物の姿を取る。虎、鷹、ジャッカルまで揃い踏み。それぞれが種としての特徴的な部位まで精巧に練られ、造形美もさることながら触れた場合の殺傷力は語る必要もない。

 

「いたしません。人の邪魔をするのが三度の飯より好きでね」

 

 後退り、パトラと視線を結んでいる星枷の背後、死角を塞ぐ位置でミカエルの槍を構える。

 

「こんな形で盟約に従うことになるとはな。じいさんも驚いてるさ」

 

「これも狩りだよ、雪平くん。世界の命運を、左右してる」

 

「ああ、またもや世界の命運か。もうそれくらいじゃ驚かねえよ」

 

 ぼやいた刹那、俺と星枷の足音が重なる。疾駆する虎の頭部を槍が貫き、飛来する鷹の首をイロカネアヤメが斬り落とす。そして右足を軸に体を反転し、遠心力を加えた槍の振り払いで残ったジャッカルを制圧した。ミカエルの槍は使い魔の腹部を両断し、悪魔のような切れ味はジャッカルの腹部を境目に体を二つに切り落とした。

 

「王様、支配者なんてのは、なってみると案外つまらないかもしれねえぞ?」

 

「妾は生まれながらの覇王ぢゃ。その問いはずれておる。妾からも警告ぢゃ、数分後には呪いがアリアの命を刈り取る。愉快ぢゃのう、妾は王となり、お前は何もできぬのぢゃ。後には罪悪感が残るだけの虚しい結末、そうなろう」

 

 俺たちの相手をする一方、棺に駆け出したキンジの進行方向には虎の群れが鎮座している。一度に操れる数、要は念動力には限界があるはずだが、単に魔力だけのタンクじゃねえな。

 

 パトラ……野望が先歩きしているだけで、本質は器用で頭の良い女だ。星枷に執着を見せてはいるが俺とキンジもひっくるめて牽制しやがる。例の戦闘モードに目覚めていないキンジがベレッタ一挺で突破するには、あの防衛ラインは少し堅牢すぎるな。

 

「雪平くんなら、結末なんて変えてくれるよね?」

 

「お言葉を返すぜ、優等生」

 

「実績は実績だよ。ウィンチェスターの噂はそのすべてが控えめに語られてる」

 

「噂だけが先歩きしてるけどな。鉛筆で三人の男は殺せないが魔女の夢の一つくらいは邪魔してやるよ。期限なしの嫌がらせだ、なんたって俺は暇だからな」

 

 星枷とキンジの視線だけのアイコンタクト、賭けに近いやりとりはキンジが足を踏み出したことで成功に終わる。俺はミカエルの槍をあろうことかパトラへ投擲、自分から武器を破棄するに等しい行為にパトラは驚き、目を丸く開いた。飛来した槍はパトラを覆い隠したアメンホテプの昊盾を易々と貫き、重ねられた二枚目の盾に亀裂を走らせて制止する。

 

 そして、槍を破棄することで空いた手は即座にトーラスを抜き放つ。槍の投擲でパトラが防御に追われる隙を突き、神崎の眠る聖棺に着々と迫っていくキンジに、棺の守りを担っていた虎たちが一斉に牙を剥くが、トーラスに装填した法化銀弾でかたっぱしから砂金に戻してやる。

 

 キンジのベレッタ、俺のトーラスが空薬莢を王の間に散らかすと同時にパトラの虎は逆に頭数を失っていく。グロテスクなペットちゃんには悪いが人間は武器を持って動物と対等だ、文句はパトラに言いな。

 

「キンちゃん、走って! アリアの所まで──!」

 

「下郎! 柩に触れるでないッ!」

 

 パトラの金切り声と同時になにか重たい物をひきずったような音がした。空になった弾薬を弾倉ごと交換したところで、俺は舌打ちを耐えられかった。

 

「──お次はなんだ?」

 

 神崎の黄金柩を足元に置いていた、巨大な黄金のスフィンクスが動き始めたのだ。ずっとオブジェとしか見ていなかったのはキンジも同じ、パトラの隠し玉はベレッタ一挺でどうにかなる代物じゃない。動き始めたスフィンクスは、これまで退けた虎やジャッカルの使い魔とはサイズが違いすぎる。

 

 エジプトの言語を呟きながら立ち上がるスフィンクスの体長は、クジラの全長と謙遜ない巨体だ。奥の手にしても凶悪すぎる。俺もキンジも首は斜め上の角度でスフィンクスの巨体を見据えるばかりだ。独りでに動き出すスフィンクスの銅像、出来の悪いホラー映画の1シーンを彷彿とさせる光景は、残念なことに現実だった。ちぃ……ここに来て、何か対抗策は──

 

「それが動くのは初めから分かってたよ。だから最後の力は──このために残しておいたの」

 

 刹那、砂金に包まれた床を蹴り、星枷は宙の上で刀を構えた。驚愕に目を奪われている俺とキンジとは違い、鋭い瞳で両手の刀を走らせる。デュランダル、イロカネアヤメ──背後に振りかぶられた二本が十字を切り、あろうことか斬撃は質量を伴って聖棺の方向へ放たれた。

 

「星枷候天流──緋緋星枷神・二重流星!」

 

 凛とした叫びと同時に、熱波が乾いた空気を切り裂いた。それは、これまで目にした彼女の焔とは比べ物にならない、強烈な閃光。まるで小型の太陽が現れたような、そのあまりの熱と視界を焼かれるような眩しさに、反射的に閉じそうになる目を必死に堪える。

 

 スフィンクスに放たれた真紅の光は日本屈指の魔女が繰り出した全力の一撃。鎮座していた巨像が、パトラがどれほどの手間を費やして用意した保険でも──あの閃光を目にしたあとでは結果は見えている。X字の刃はスフィンクスの頭を爆炎に包み、一撃を以て黄金の胴体を破壊した。単純な魔力と力の塊に飲まれ、スフィンクスの体は倒壊すると元の砂金となって振り撒かれる。

 

 流石、焔の魔女──パトラの保険が、まるで消し炭だ。

 

「星枷ッ!」

 

 残った力を使い果たし、倒れた星枷とパトラの間にルビーのナイフで割って入った。法化銀弾からパラベラム弾へ弾薬を変え、再装填したトーラスを即座に連射。スライドがストップするまで引き金を休まず引き絞る。後退るパトラを狙ったが鋼が弾かれる音がして、アメンホテプの昊盾がまたしてもパトラとの線を塞いで銃弾を通さない。散らばる空薬莢だけが数を増していきやがる。

 

「下朗が、妾に勝てると思うてか」

 

「逃げる場所もないんでね。前しか道がないなら仕方ない。ドゥークー伯爵にだって喧嘩売ってやる」

 

 ミカエルの槍はない、飛び道具は問答無用で砂金の盾に止められる。パトラのガードは俺の想像を上回る堅牢さだ。キンジが懸命に神崎を起こそうとするが彼女のアニメ声は聞こえてこない。いくら神崎でも自力で呪いは解けないか。俺が見据えたパトラの素顔はうっすらと笑みが作られている。

 

 呪いが神崎の命を蝕むまで時間がない……星枷はいざ知らず、俺にパトラの呪いを時間制限付きで解除するのは不可能だ。呪いの強度はGに影響される、ジャンヌの氷がそこいらの火で溶かせないのが良い例だ。パトラほどの魔女が仕込んだ呪いなら、倒れ込んだ星枷が傷だらけの体を酷使したとしても──時間の制約に神崎は倒れる。

 

「遠山、棺を汚したお前もアリアも生きては返さぬ。ぢゃが、呪いも解けぬ、退路も妾が塞いでおる。終わりぢゃ。努力、足掻き、妾に不快感を与えたことは認めてやるがそこまでぢゃ。終わっておる」

 

 神崎の命は数分と持たない──神崎にかけられた呪いがパトラを殺すことで解けるとしてもパトラの力は強大すぎる。悩む時間も神崎の命のリミットは近づいてる。パトラは内心愉悦が堪らないのだろう。饒舌な魔女は俺たちが八方塞がりに置かれてることを見抜いてる。慢心できるだけの強さだ、認めるよパトラ。正面から正々堂々の勝負はとても敵わない。だが、終わっちゃいない。

 

「終わってない、目の前で友達が魔女に殺されかけてるんだ。ハンターなのに見過ごせるか。できねえよ、そんな薄情なこと。死んで行ったみんなに顔向けできない」

 

「見過ごないからどうするのぢゃ?」

 

「俺と取引しろ、神崎の呪いを解け」

 

 パトラが眉をひそめる。

 

「王である妾に取引をしろ、と申すのか? ほほ、お前に差し出せる物があるようには──」

 

「ないって言うのか? 自惚れは大したものだが肝心なところが抜けている。欠陥品とはいえ、俺にも『カインの血』が流れてるんだぞ?」

 

 続けて言う。勝利も敗北も台無しにする最悪の言葉を。

 

()()()()()だ。お前が神崎の呪いを解かないなら俺は今ここで口走る。聡明なお前ならこの意味分かるよな?」

 

 キンジが棺の中から神崎を抱えあげるが、パトラは動こうとしなかった。あれだけ棺を過保護にしてきたパトラが視線もくれようとしない。キンジは目を丸くしてパトラを見据えている。

 

 パトラ、物知りな魔女であることが裏目に出たな。脅しは、相手がその意味を理解していないと負担をかけられない。キンジや武藤には何の意味もない脅しは、事情を知るジャンヌやパトラにとっては有効な交渉のカードになる。

 

 俺が同意の言葉を口走ったら最後、その先にあるのは思うがままに父の作品を壊して回るルシファー、はっきり言って地獄だ。

 

「……お前が自分の体を捨てようと妾は関与せぬ、取引には応じぬ!」

 

「大天使の器でもか?」

 

「……は、はったりぢゃ。亡き者は呼び出せぬ」

 

「ああ、確かに。ガブとラファエルは死んで虚無の世界にいる。神でさえ彼等を簡単には蘇生できない、大天使は原始の創造物だからな。ミカエルは長い投獄生活で頭がやられてる。当然、地獄の檻から地上の器には宿れない。だが──大天使はまだ残ってるだろ、とっておきの問題児が」

 

 その三文字を口走ることは天使に自分の肉体を明け渡すこと。実体の持たない天使を自分の肉体に憑依させる、要は天使の昇霊術だ。意思と肉体は彼等に支配されることになる、一度受け入れた天使は器の意思では追い出せない。だが彼等の力は強大だ──中でも大天使は悪魔や怪物が束になっても倒せない力を誇る。既にパトラの表情から笑みは消えていた。

 

「奴は檻にはいない。神の姉さんのかんしゃくを沈めるために俺たちが地獄まで出向いて外に出した。これはジャンヌにも話してないが、ダークネスとの戦いでほんの一時だが俺は奴の器になってる」

 

「……正気とは思えん」

 

「全力を使ってもくたびれない器、地上には数少ない有料物件だ。それは前回の戦いで奴も実感してる。ブラドや理子との戦いで連中の血もそれなりに飲んできた。俺が招けば──ルシファーは断らない、俺をミイラにできても悪魔の親玉はどうかな?」

 

「お、おい! こんなときにふざけるな──!」

 

 キンジ、俺はこれでも真面目だよ。俺にパトラを短時間で制圧するような力はないが、あいつにはある。

 

「ここにいる俺の知り合いには手を出さない、器になる契約として奴に取り付ける。だが、パトラお前は別だ。必ず、お前は敵として認識される。恩寵も器の欠陥もない魔王が、お前に殺意を向ける。神崎が呪いに倒れる前にお前は地獄行きだ。この王の間がそのまま墓場に変わる、必ずだ」

 

「……妾を脅すつもりか?」

 

「いや、取引だよ。神崎には借りがある、大きな借りだ。それを返す前に死なせたりしない。母親とちゃんとした再会ができるまでな。器になった後の処理は家族に投げるさ、檻から出したのは俺たちだからな」

 

 天使の剣を袖から掌へ滑らせて──パトラの目が動いた。

 

「……?」

 

 まだ遠いが、音が聞こえてる。何か、ピラミッドの斜面を登るような音が、近づいている。これは人の足音じゃない。刹那、背後でガラスが割れると赤く着色されたオルクスが室内に飛び込んできた。俺とパトラの視線は予期しなかった潜水艇の登場に呪縛される。

 

「じゃあ──取引に意義を唱えようかしら」

 

 開いていたハッチからカナの声が聞こえてくる。一転、パトラは冷たい表情を赤面させた。

 

「……トオヤマ、キンイチ……! いや、カナ!」

 

 叫んだパトラの足元から砂金のナイフが掃射。オルクスの外壁目掛けて散弾銃のごとく襲いかかるが、カナが一歩先にオルクスから宙へ脱出。見惚れるような華麗な宙返りを見せるカナから……6つの光が煌めいた。銃声が聞こえて初めてそれが銃口からの光だと理解する。見えない銃弾の──6連射だ。

 

「──汝ら還りて彼等の祭壇を崩し、偶像を毀ち、斫倒すべし。その取引は無効よ、パトラ、キリ?」

 

 ああ、ちくしょうめ。本当の天使より、あんたはずっと天使らしいよ。

 

 

 

 

 







『自惚れは大したものだが肝心なところが抜けている』S6、11、死の騎士──


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緋色と璃璃



『まなーの分からぬ者ばかり。何の用ぢゃ、極東の愚民ども』


『チェックインだ』




The Road So Far(これまでの道のり)




『敵が迫ってるわ。ジャンヌは先手を打たれた、大きなものが深く、静かに忍び寄ってる』


『ご忠告ありがとう。後払いの貧相なワインを楽しみに待ってる』


『これも狩りだよ、雪平くん。世界の命運を、左右してる』

 
『──初めまして。この国ではそう言うのでしょう?』
 

『それでも事実だ。俺はされる側からする側に変わった。アラステアの話に乗ったんだよ』


『パトラはイ・ウーの厄介者なのだ。ロウィーナ・マクラウドはお前たちと関わり、随分角が落ちたと聞いている』


『……お前の言ったとおりだよ。兄弟と戦うのが怖かった』


『……退けない、のよッ。今回だけは……ッ!』


『男のプライドって厄介だよね』


『──貴方も好きねえ』


『ないって言うのか? 自惚れは大したものだが肝心なところが抜けている。欠陥品とはいえ、俺にも『カインの血』が流れてるんだぞ?』


『気品の欠けた怪物。だから──煉獄に閉ざされた』


『──やってみなきゃわかんねえだろ!』


『じゃあ──取引に意義を唱えようかしら』

 




Now(そして今……)






 

 

 

 

 ──空から女の子が降ってくると思うか?

 

「空から天使が降ってくる世の中だからなぁ」

 

 海にやんわり浮かんだ救命ボート、金一さんを抱えるパトラの隣に横たわりながら、俺は空から下降してくる二人のルームメイトを仰いだ。どこまでも想像の斜め上を行く男だな、お前ってやつは。

 

「どうして、俺を?」

 

「お前がYes.と言う可能性もないとは言えなかった。ディーンを見ればよく分かる。お前たちは家族のことになると、この世の誰より躍起になる」

 

「……そうですね。俺はあの女を、いつのまにか家族と思っていた。何度も死線を潜り抜けた仲です。俺もキンジもあいつの為に死ねる。他に言いようがない。でも誓って大天使の器になるつもりはなかった」

 

 横たわったまま、首だけを出血の落ち着いた金一さんへと向ける。サソリの尾(スコルピオ)と命名された鎌によって俺はパトラの戦いに乱入したカナに意識を飛ばされた。大天使の器になる可能性を危惧されて。俺は金一さんの治療に専念していたパトラと、険悪な空気で睨み合った。

 

「……遠山家の一番の武器は武力より、そっちかもしれませんね。パトラを懐柔するなんて」

 

「俺に、お前の兄のような器用な真似はできん」

 

「ご謙遜を。貴方を嫌いになる女はいませんよ」

 

 俺は、ゆるくかぶりを振る。

 

「今だから言いますが、ルシファーはしっかり檻の中に戻しました。地上に出れる大天使はもう一体もいませんよ。あれはブラフです。聖書のメインキャストの知名度を利用した一回きりのカード、予想とは斜め上の結果を招きましたが神崎が無事に戻ってきました。終わり良ければ今は満足です」

 

「お前らしくない考えだな」

 

「ええ、終わり良ければそれで良し。そんなのは公安のルールです。でも仲間は生きてる。それで良しとします。今までのことを考えると、良すぎるくらいの終わりですよ」

 

 ブラフをかけられたことでパトラが無言の圧力を飛ばしてくるが、救命ボートで船の続きをするつもりはないらしい。そこまで頭の回らない王様じゃない。戦うことより金一さんを助けることに頭が向いてる、俺から仕掛ける意味もない。星枷もイロカネアヤメを取り戻し、救命ボートは休戦ムード一辺倒だ。この足場で戦えばみんな海に真っ逆さまだしな。

 

「切」

 

「はい?」

 

「見ない間にディーンに似てきたな」

 

 俺は目を丸めて視線を空へ逃がした。

 

「……複雑なところを突きますね。それって嫌味ですか?」

 

「どう受け取るかはお前次第だ」

 

「じゃあ褒め言葉として頂きます。でもディーンよりは歌には自信がありますよ。理子やジャンヌには負けますが」

 

 あと、そうですね。カナと金一さんの繋がりについては口を閉ざすことにしておきます。口は、災いのもとと言うからな。なぜ……女装して戦っていたのかも理由があるんだろ、たぶん。今の俺には、それを聞く勇気も余裕もなかった。この人に助けられたことは、間違いないからな。

 

 

「雪平くん! あ、あそこ!」

 

「ああ、しぶとい連中だ。簡単にはくたばらない、いつだって」

 

 見上げた空には、きらめく太陽が、銀の針のように輝いていた。そして、ゆっくりと着水した神崎とキンジに星枷が食い入るように視線を投げる。

 

「でもアリアって‥‥‥」

 

「そうだな、どっかの蠍と一緒で泳げないよ。浮き輪でも投げてやろう」

 

 とりあえず──お帰り。騒がしいルームメイトのお二人さん。

 

 

 

 

「キリくんの番って知ってるよね?」

 

「知ってる」

 

「だったらいいけど、10分くらい経ってるから一応」

 

「分かってる。考えてるんだ」

 

「そう」

 

「いいか?」

 

「うん、全然。どうぞ?」

 

 ……どうすっかな。テーブルに並んだ透明の駒を一瞥して、俺は腕を組んだ。頭を捻ってルークの駒を持ち上げるが最後の決心がつかない。

 

 犯罪組織イ・ウーを巻き込んだ騒動は一旦終息を迎えた。流れ者の集まりだったイ・ウーは、纏め役であった教授を失って事実上の解散。残党の間でパイプは繋がっているが、あちこちに巨大な影響力を及ぼしていたイ・ウーという組織は、たしかに壊滅した。イ・ウーの巨大な力は各地の武装組織へ抑止力として働いていた。ダムが決壊したことで起こるのは洪水だ、知り合いの警部に指摘されたとおりになったが、後のことはこれから考えるさ。

 

 晴れて神崎が戻り、理子と夾竹桃の怪我も回復。二人が眼帯を嵌めた姿を見ることはなくなった。部屋の片隅でソファーに横になっているジャンヌの傍らにも支えにしていた松葉杖はない。バスに轢かれたってのにこの短い時間で足を完治させるのは流石は聖女様だな。呆れと感嘆、妙な評価を送ってやり、俺は夾竹桃が取ったホテルを不意に見渡す。相変わらず、部屋は観葉植物だらけの魔境となっていた。この部屋、いつかシマネキ草が混ざっていても不思議じゃないな。いや、そうじゃない。それよりどこに駒を指すかだ。

 

「変われば変わるものね。すっかり私の部屋に入り浸りよ、貴方?」

 

「綺麗なホテルに憧れてたんだ。いつも埃っぽいモーテルに泊まるのがお約束でさ。つか、前より植物増えてないか?」

 

 何食わぬ顔で部屋の主、つまり夾竹桃はジャンヌに対面する椅子に腰を下ろした。放し飼いにされた蝶がその頭上をひらりと舞っている。

 

「ガーデニングが趣味なの」

 

「それは初耳。答えであって答えじゃない気がするのは俺だけか?」

 

「あまり難解な言い回しを使うのはやめなさい。馬鹿に見えるわよ」

 

「冷たいお返しをどうも」

 

「キリくん、まだぁ~?」

 

「煽るなよ。1分足らずで前言撤回しやがって。理性が蒸発してるわけであるまいし」

 

「私からひとつアドバイスをくれてやろう。女性を待たせる男は嫌われる、覚えておけ」

 

「それは一理あるわね。女性を待たせる男は嫌われる」

 

 聖女様に続き、夾竹桃まで煽りに参戦。容赦のない連携攻撃に肩の力が一気に抜けた。とんだ盤外戦術だ、仲良いなお前ら。だが俺には通用しない、俺の心臓鋼だから。

 

「ああ、覚えとく。男を待たせる女も嫌われるってことだな。よし、こうなったら斜め一直線の必殺技で……」

 

「それはカプモンでしょ? これ、チェスだから。ルールを守れないキリくんには運命の罰ゲームね」

 

「お前が言うと笑えねえよ。分かった分かった。これで、どうだ?」

 

 ルークをそのまま動かすと、既に手を決めていたとばかりに理子は駒を揺らした。

 

「チェックメイト」

 

「……嘘だ」

 

「ほんと」

 

 いや、チェックなら分かるけどチェックメイトなんてことあるわけねえよ。見てろよ、王様をこうやって、ここをこうして──

 

「お前らが急かすからだぞ!」

 

「フッ、私の責任というわけか」

 

 ……なんで誇らしげに笑ってる? 全然誉めてないからな? 誉める要素ないんだぞ?

 

「ジャンヌと夾ちゃんは惨めな勝負を終わらしてくれただけ。ほんとは6手前から終わってた」

 

「ああ、そう。6手前からね。ヒーローインタビューやろうか?」

 

「兵を操る術は理子の方が上手だったな」

 

「雪平、はっきり言うけど、貴方──弱いでしょ?」

 

「弱いわけってわけじゃないけど、理子が超強いから」

 

「……分かった。揃いも揃って傷口に塩を塗りつけるんだな。いいさ、かかってこい。トークバトルだ」

 

 シャドーボクシングの姿勢を取った途端、理子は我先にいちご牛乳のパックを手に取った。理子め、ストローを口実に無言を貫く算段だな……

 

「二人とも、それと雪平も。真面目な話をするけれどイ・ウーが崩壊して、遅かれ早かれ『宣戦会議』が開かれるわよ?」

 

 一転、真面目な声色で夾竹桃が切り出す。覚えのない単語には真っ先に俺が聞き返した。

 

「宣戦会議?」

 

 理子とジャンヌの顔付きを見ればある程度の予想はできる。まあ、いちご牛乳を味わいながら聞ける話ではないらしい。パックをテーブルに置いた理子が続ける。

 

「キリくんも理子たちとずぶずぶの関係だし、どうせ話すなら早くても遅くても関係ないか。イ・ウーの組織力は他より頭一つ飛び抜けてる。戦ったなら分かるよね?」

 

「……まあな。イ・ウーは世界各地から集まった天才たちの巣窟。言うなれば犯罪者のオールスターだ。他のどの組織よりも大きな影響力を持ってる。司法組織が内密にしたいくらいに」

 

 ジャンヌに目配せすると無言の頷きが返ってきた。

 

「イ・ウーの巨大すぎる力は他の組織を牽制し、闘争の抑止力になってきた。そして長らく続いてきた均衡がイ・ウーの崩壊で白紙に戻った。宣戦会議は、白紙になった均衡のバランスを取り戻すために行われる戦への表明、開戦の儀なのだ。各組織から代表を集め、師団、眷属の二つの組織に分かれて──」

 

「戦うわけか。覇権をかけて」

 

「簡単に言えば」

 

 イ・ウーが壊滅、戦いの大局が終わったと思った矢先に次の問題が舞い込んでくる。俺は後ろ頭を掻いた。要はいつものパターンだな。問題が問題を呼ぶ。

 

「イ・ウーは一枚岩ではない。派閥の敵対関係は空中分解程度では変わらないのだ」

 

「分かりやすく言うと?」

 

「私たちが主戦派に私怨があるように、主戦派も我々に私怨がある。肩を並べて戦うことはまず有り得ないだろう」

 

「イ・ウーの亡霊とはまだ縁があるわけだ。教えてくれてありがとう、心構えはしとくよ。招待状が来たら教えてくれ」

 

 突発的に開かれるより心構えができるだけ心臓には優しいよ。どちらに表明するにしても非日常が待ち構えてることだけは確実だな。

 

「理子も言ったが、いまやお前は私たちとずぶずぶの関係にある。友好関係にあると主戦派には認識されていると視るべきだ」

 

「そいつは光栄。主戦派が抱える私怨が俺にも飛び火するわけだ。歓迎会でも開いてくれる?」

 

「コーラくらいなら奢ってあげるわ」

 

「それ、最高。手を打つことにしましょう」

 

 夾竹桃の手から目の前のテーブルに二リットルのペットボトルが置かれる。まだまだ手を結ぶことになりそうだな。我先に蓋を捻った理子に俺はうっすらと笑みを作った。これは序曲──神崎が俺たちの部屋に押し掛けてきたことで、新しく書き綴られられた物語のほんの序章に過ぎない。

 

「桃子、気になったのだがあの本棚にある小説は──」

 

 

「ああ、あれね。一部の熱狂的なマニアを抱えているファンタジー小説」

 

 とりあえず、やることはいつも通りだ。目の前に降りかかる火の粉を一個ずつ対処する。まずは目の前で晒されそうな日記をどうにかするか。覚えてろよ、チャック(作者)。俺は心の中で毒を吐いて、夾竹桃が手を伸ばした本棚を睨み付けた。

 

 

 

 

 

「屋上になにしに行くんです?」

 

「景色を眺めに。ずっと植物園の中にいたら、外の広い景色も見たくなるだろ」

 

「そんなもんですかね」

 

 校舎の屋上へ続く階段を何気ない会話と一緒に上がっていく。癖ッ毛を跳ねさせた隣の女とは強襲科でカナと戦ったとき以来の会話になる。放課後まで校舎に残ってるあたり、暇な女だ。景色を眺めるために屋上にまで登ろうとする俺が言えた立場でもないが。

 

「安藤、キンジは本当に武偵辞めると思う?」

 

「いきなりですね」

 

「どう思う?」

 

「遠山くんが辞めたいと思ってるなら、辞めるんじゃないですか? 武偵って普通の職業じゃありませんから」

 

 至って素っ気ない解答だった。本人の意思次第、無難で何より有り得る答えだ。俺も頷いて返す。

 

「俺もそう思う。でも普通の生活に戻るにはあちこちに敵意を向けすぎた気がして。ふと思っただけ」

 

「心配しなくても大丈夫ですよ。遠山くん、あれでも元Sランクの実力者だし。それに敵がいるって言っても雪平さんに比べれたら全然マシですって」

 

「バカかお前は。俺がいつ敵を作ったって?」

 

「そりゃ作りますよ。自分の性格を顧みてください。問題だらけです」

 

「どこが?」

 

「協力的じゃないとこ、思いやりがないとこ。妙に冷めたところ。その人を見下した態度」

 

 指を向けるな、暇人。どれも当たってないだろ。

 

「あ……」

 

 何かに驚いたときの声は隣でも下でもない。今、登っている上の階段から聞こえてきた。小さな声でも耳に残るアニメ声。

 

「見たくないものでも見たような顔してるぞ?」

 

「被害妄想もそこまでいくと笑い草ね。安藤、あかりが世話になったみたいね。あんたに礼を言ってたわ」

 

「間宮になにかやった?」

 

「徒手格闘を少し、見込みはありましたよ。神崎さんに似て優秀です。あ、じゃあ私は失礼しますね。雪平さんと話すのも飽きてたところでしたから」

 

 ……敬語で俺を馬鹿にすんのかよ。怒る気にもなれねえな。神崎とすれ違う前に安藤は踵を返して、階段を下って行った。暇人、いや考えていることが読めない女って言うべきかな。下っていく背中を見送り、俺は数段階段を上って神崎の隣に並んだ。

 

「屋上に何か用が?」

 

「……栄養ドリンク!」

 

 地団駄を踏むようなテンパった神崎の態度に俺も眉を寄せる。屋上と栄養ドリンクがどうやっても結び付かなかった。無言の空気には、神崎が先に耐えられなくなって言葉を続ける。

 

「キ、キンジにさっきのモップがけ競争で負けたから、買ってこなきゃ……あんたも来なさい!どうせ暇なんでしょ!」

 

 勢いで言い切り、神崎はさっさと階段を小走りで下り出した──いま、屋上に行くのを遠ざけたな。

 

「待てよ、神崎。自販機と購買は逃げねえぞ?」

 

 足音はすぐに遠ざかり、踵を返して神崎の背中を追いかける。何の口実に栄養ドリンクを使ったのか、たぶん一緒に出てきた単語が絡んでる。つまり、キンジだ。結局、上っていた階段を下りきって、神崎に追い付いたのは自販機の前だった。夕暮れの陽光が自販機のLEDと混ざって、妙な雰囲気で中身が照らされている。

 

「遅い。手を抜いたわね」

 

「階段ダッシュで本気出してどうすんだよ?」

 

「あたしが前を歩いたの。ルームメイトなんだから、本気で追いかけてきなさいよ。ほら、御意は?」

 

「いたしません。俺、廊下は走らないので」

 

 お目当ての栄養ドリンクの購入が終わった神崎と入れ替わりで俺も硬貨を流し、缶コーラのボタンを押した。ルームメイトねえ……居候から昇格だな。

 

「なあ神崎。あ、いや……やっぱり止めとく」

 

「言いかけて止めるのは女々しいわよ? ワンヘダらしくないわ」

 

「……お前までその呼び名使うのかよ」

 

 俺をワンヘダと呼ぶのは、イ・ウー三人組限定だと思ってた。自販機から缶を取りだし、俺と神崎は来た道をそのまま戻る。

 

「母親の裁判、どうなったのかって思ってさ」

 

 神崎かなえさん、神崎がイ・ウーを追いかけていたのは彼女の無罪を証明するためだ。組織が空中分解を起こせば裁判にも進展があるハズ。そうでなければ意味がない。歩いたまま神崎の返答を横目で伺う。綺麗な緋色の瞳と一緒に返ってきたのは、微笑だった。

 

「下級裁隔意制度が適用されるから、早ければ9月中に高裁判決が出るわ。そこで無罪になって、さらに検察が上訴しなければ──ママは釈放されるの」

 

「そうか、良かったな。本当に良かった」

 

「うん、あんたにも世話になったわね。皮肉は抜きにして、あんたには色々と助けられたし、感謝してるわ」

 

 嘘偽りのない声色に、たまらず俺は首を横に振った。

 

「気にするな、俺はハンターだ。半分は狩り、いつもの仕事をこなしただけだよ。それに期待してた気持ちもあった。どんな手を使っても母親を助けようとしてるお前と違って、俺は母親って存在から逃げてきた。まともに向き合いもせずに。だから……お前に手を貸せば後悔の気持ちも少しは楽になるかと思って」

 

 半分は自分のため。俺は自分の中にある後悔や後味の悪い気持ちを払拭したかったんだ。母親を助けようとする神崎に手を貸して、母親から逃げた自分の過去からさらに逃げようとした。罪滅ぼし気分だ。だから──言わないとな。

 

「世話になったのは俺の方だよ。何があっても家族を助けようとするお前の姿が兄貴と重なって見えた。逃げてばかりじゃいられない、お前が改めて教えてくれたんだ。感謝してる──mahalo(ありがとう)

 

 階段に足をかけた途端、隣から笑い声がした。

 

「あんたにしては珍しく真面目な話。最後の一言がなければね?」

 

「笑うところかよ。感謝の言葉だ」

 

「またドラマに影響されたんでしょ。ここはホノルルでもオアフ島でもない。ワイキキでもね?」

 

「お詳しい。語学堪能な武偵は大好きだよ」

 

「あんたの皮肉が聞けなくなるのは残念」

 

 ……そっか。言えなくなるんだな。

 

「ママの無罪判決が出たらね。あんたなら言わなくても分かってるんでしょ?」

 

 刹那、前を向いていた緋色の瞳が俺に向けられた。窓から差し込む夕焼けが比にならない綺麗な緋色の瞳。バスジャックの事件が終わって、武偵病院で見たときの瞳と何も変わらない。色々あったがお前の本質は、いつだって母親を救おうとする娘の姿だった。

 

「──帰るんだな。ロンドンに」

 

 かぶりを振ってくれないか、そう期待しなかったかと言われると嘘になる。

 

「もう学校にも、あまり来ないかもしれない。キンジには話したけど、裁判で忙しくなるから……あんたとも会えなくなるかもね」

 

「母親のためだろう? 神崎、それは喜ぶべき忙しさだ。まだ裁判はこれからだぞ?」

 

 駄目だな。もっと言うべきことはある。最後になる前に心残りは吐き出すべきだ。後になって後悔したくない。

 

「いや、正直に言うとさ。お前と離れるのは寂しいよ」

 

「……それ、本気?」

 

「本気だよ。たった数ヶ月だけど忘れられない濃い時間を一緒に過ごした。俺は、お前のこと仲間だと思ってる。仲はまぁ……良くなかったかもしれないけど。絆はあったと俺はだいぶ思ってる」

 

 足を止めた神崎は、目を丸くしていた。頬を掻いて、俺は先に階段を登る。

 

「ジャンヌや理子には言うなよ。俺が『絆』なんて口にしたと知られた暁には一週間は笑いのネタにされる」

 

「なによそれ」

 

「協力的じゃないとこ、思いやりがないとこ。妙に冷めたところ。人を見下した態度。それが俺の性格らしい。絆とか言わないだろ?」

 

「まぁ、あんたには似合わないね」

 

 即答だな、これが答えだ。素直な感想を口にしてくれるのが嬉しい。

 

「誰に言われたか知らないけど。あんたも嫌味はしつこく覚えるタイプね。やられたらやり返すを地で行くタイプ」

 

「甘いな。やられてなくてもやり返す、身に覚えのない奴にもやり返す。誰彼かまわず、ヤツあたりだよ」

 

「……ただの迷惑じゃない」

 

 言うべきことは言った。素直に仲間と離れるのは寂しいよ。一緒に戦ってきた仲間でルームメイトだからな。もっと一緒にいたいし、遊びたい気持ちだってある。それでも神崎には家族のことを第一に動いてほしい。その為に今まで戦ってきたんだからな。

 

「あんたやキンジと出会ってから、まだたったの数ヶ月だなんて、信じられないわね。もっと、ずっと昔から──」

 

 そこまで口にして、ふと歪められた口角と、一緒にかぶりが振られる。

 

「……ううん、やっぱりあっと言う間だった気もする。不思議ねえ。時間ってほんとにいつも同じ早さで流れてるのかしら」

 

「哲学的な問いだな」

 

「茶化さないの」

 

「茶化してないよ」

 

 と、茶化すように言うと、緋色の瞳は、物言いたげに、甘く、こっちを睨んでくる。

 

 神崎と初めて会ったとき、季節はまだ春も真っ只中だった。いま、四季は移り変わり、真夏だった8月の日付も最後の日を刻んでいる。母親という、心のどこかで燻り続けていたものと向きあうキッカケを彼女はくれた。

 

 それは自分自身で感じれるほどの小さくない変化だが、果たして神崎の方はどうだろう。春、嵐のように俺たちの部屋に押し掛けてきたあの日から、どれくらい変わって、どれくらい変わらないのだろう。

 

 地獄で数十年、煉国で数年、いま立っているのとは違う世界で多くの時間を過ごした自分に、他人と同じ時間の捉え方ができるとは思えない。ただ、自虐的にかぶりを振りつつ、それでも俺が言えることは、一緒に過ごした時間は、確かに存在しているということ。そして、これから先もずっと、共にいた時間が消えることはない。過去という記憶の中に、残り続ける。

 

「……まあ、いいわ。少なくとも、この国に来たことは後悔してないから。ねえ、あんたはどうするの?」

 

「そうだな、俺も戻るよ。今すぐにじゃないがいつかは──本土に戻るつもりだ。やり残したこともあるしな」

 

 屋上に向かいながら、俺は何の意味もなく両手をポケットの内側に隠す。

 

「神様は無責任で、人間を放置したまま、家族旅行に出かけちまった。だから、お前と出会ったのは偶然とかそんなところ。でも母親から逃げた俺が、母親を助けようとしてるお前に出会えたことは……最高の皮肉で、最高に幸運だったと思う」

 

「……一人で成し遂げたことじゃないわ。今の状況があるのはみんなのお陰。あたしはラッキーだった。この国でキンジやあんたと出会えたのは本当に幸運だったわ。あんたと同じ──天下無敵の幸運よ」

 

 ……なんだよ、天下無敵の幸運って。ウサギの足と同じくらいオカルトっぽいよ。でも同じ気持ちだ。悪くない出会いが出来た。

 

「同じ気持ちだったのか。それはびっくりだな」

 

「案外、あんたとは気が合うのかもね。音楽の趣味以外は」

 

「それは言えてる。でも『Winter,again』は良い曲だ。保証する」

 

「たまには連絡を寄越しなさい。最高に、皮肉が効いたのを」

 

「ああ、メールするよ。なんたって──俺は暇だからな」

 

 そして俺は屋上の扉を開けた。俺たちが、レキとキンジの口付けを目にするのは、それからわずか数秒後の出来事だった。

 

 

 

 

 

 




人工天才編が作者の中では一つの区切りと考えております。かなめとの絡みが、本編の最後ではありませんが……シーズン5の最後のように物語の大きな区切りとしたいと思います。次からは修学旅行編になります。年内に極東戦役まで進めたいですね。


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修学旅行編
水投げ


「ドク、本気でやるんですか。その手術」

 

 患者もこない、締め切られた診療所のテーブルで麻雀卓を囲んだ夏休み終わりの某日。流れてきたドラ牌を手元に抱え、サンワンを河に切る。使い古された自動卓に座る男は自分一人、他は女性のアンバランスな卓。季節はまだ暖かい、窓の向こうには燦々とした晴れ模様が広がっていた。

 

「やるよー。もうカンファレンスで話はつけてきたし」

 

 呑気に返事をした下家の女性が、中途半端に高い天井に伸びをする。普段は武偵病院に勤務し、俺も何度か世話になっているドクターだ。イ・ウー絡みで何度も病院から無断で脱走を謀ったり、救急退院に踏み切ったときに俺を担当していた……例のドクである。

 

「いつもの一方的なやり口だけどねぇ。横行結腸癌と直腸癌の多発性大腸癌。既に肝転移も始まってる。それポン」

 

 ……特急券。安い手で親を流すつもり満々だな。それとも抱えてる手が良くないのか。ポン、つまり鳴いて同じ牌を揃えた対面の麻酔科医に俺は手牌を指で弄りながら聞き返す。

 

「先生、肝転移って言いましたよね? 広がってるのはリンパ節だけじゃなくて?」

 

「ステージⅣ。誰でも切れる手術じゃないから、すんなり通ったの。あんたお抱えのドクは腕だけはピカ一だし」

 

「なにそれ? 性格は難ありってことー?」

 

 先生の発言に我先にドクが食い付いた。このドクは外科以外にも医療技術への造詣が深く、救護科からも人気の高いドクなのだが……救護科の非常勤講師も兼ねた対面の先生が言ったとおりの人物。

 

 要は実力は突出してる代わりに性格に難あり。優れた技術を持った人間が優れた人格者であるとは限らない。最も性格に難があるからといって悪人であるとも限らない。ドクに救われた患者を俺は大勢知ってる。何より俺も命を繋いで貰ったひとりだ。

 

「しかし、救護科でも衛生科でもない生徒を休日呼び出しますか?」

 

「だから、言ってるじゃん。あんたも衛生学部来なって」

 

「先生の誘いでもお断りします。綴先生になに言われるか分かりませんよ。それに尋問科がなんやかんやで俺の居場所ですから。神崎、飛ばされた方がハンバーガーの奢りでどうだ?」

 

「あんたも義理難いわよね。二人とも飛ばされなかったときは割り勘よ」

 

 危ない牌をさらっと切り、神崎が椅子に深く腰かける。ドクに一人面子を用意するように言われて、俺が誘ったのが現在進行形でレキ、キンジと仲違い中の神崎だ。屋上でのレキとキンジの口付けを目撃したのが険悪な修羅場の始まり。星枷のようにストレートに行動が読めないだけ、ずっと険悪な修羅場が今も繰り広げられている。

 

 星枷との修羅場は良くも悪くも表面に浮き彫りになる。水面下で広がる修羅場よりずっとマイルドだ。目に見えない争い、表面には浮き彫りにならない争いが一番恐ろしい。猫のように忍び寄って気が付いたら大変なことになってる。

 

「ねえ、あんたのルームメイト。ほんとに浮気しちゃったわけ?」

 

「失言ですよ、ドク。学生に浮気も何もあったもんじゃありません。俺にもルームメイトが何を考えてるのかは分かりませんが」

 

 好奇心旺盛の学生にありがちな質問。それをドクから聞かれるのは妙な気分になる。河に視線を外し、次から次に河に牌が流れる。ツモれるのも残り数巡、この局は長引くな。特急券目当てで鳴いた先生には残念な展開か。

 

「何も考えてないわよ。バカキンジはいっつもバカだからバカキンジなの。そんなことより、あんた救護科にも顔が効いたのね。驚いたわ」

 

「親父が元海兵隊なのは知ってるだろ、その縁で退役したハンドラーや衛生兵の人たちとも知り合いに。色々教えてもらったんだ。本当にやばいときは、黒胡椒を凝固剤に使えとかね。色々あって何度か矢常呂先生やドクとも一緒に仕事して、今でもこうして縁が繋がってる」

 

 衛生科の矢常呂イリン先生、最近は顔を合わせる機会も少なくなったけど天才的な技術を持った人だって記憶はある。解毒から外科的切除、銃弾の摘出なんて矢常呂先生が持っている技術の一端でしかない。一緒に仕事ができたことを光栄に思ってる。

 

 ドク、先生、それに神崎。妙な面子で繰り広げられていた麻雀も二向聴から一気に手が進む。ドクはリーチだが神崎の打ち筋を見ると、現物や降りることは頭にないみたいだ。何食わぬ顔で危険牌をさらっと河に放流する。今ので何回目だよ。俺は、恐ろしいルームメイトに視線をやりながら牌をツモる。これは……

 

「キリ、さっさと切りなさいよ。早くあたしに回しなさい」

 

「悪いな、神崎。ツモ──四暗刻」

 

「ハァ!?」

 

 神崎の疑いの目を晴らすべく、持ってきた牌と手牌を指で晒す。とりあえず、ハンバーガーを奢ることはなさそうだな神崎。直撃は逃したがこれで引き離した、俺はごっそりと点棒を懐に引き寄せる。

 

 さて、これで運の流れはこっちに傾いたはずだ。今日はエレベーターやらキャタピラでイカサマ(強行突破)してくれる理子も夾竹桃もいない。この卓上のなんと平和で清々しいことか。あの玄人どもは遠慮を知らないからな。

 

「ドク、誘われたからには存分に()たせて貰うぜ。それと神崎、さっきからなんでタコス食ってんだよ」

 

「お腹空いたのよ、あんたも食べる?」

 

「食べる。俺にもくれ」

 

「ちょっとあんたたち、自動卓だからって牌は汚さないでよー?」

 

「俺も神崎もガン牌なんて洒落たことはやりませんよ。力業は抜き、運否天賦でいきましょう」

 

 ドク、先生との時間は恐ろしく早く過ぎてしまった。診療所を出て、インパラに神崎を乗せたときには外の景色は夜の帳が降りたあとだった。助手席に乗せた神崎が薄明かりで照らされる道路をぼんやりと見つめている。夏休みが終わり、新しい学校生活が始まる日。遂にキンジは部屋には戻らなかった。

 

 

 

 

 

 水投げ──それは武偵高に数ある風習の中でも頭一つ飛び抜けて人騒がせな行事。徒手格闘の縛りはあるが誰が誰に喧嘩をふっかけても許される日。年功序列の掟を破れる唯一の日でもある。言ってしまえば一年が三年に挑むことも許される。それが『水投げ』の日。普段以上に人工島が大荒れになる日。今年は特にーー荒れてる。人が混雑する時間でもないのに人工島の駅は、うっとおしくなる騒々しさだった。

 

「めんどくさいんだよ、やるなら早くやれば?」

 

 階段を上がり、目にしたのは知り合い三人と狼一匹の荒事。水投げの日では有り得ない銃剣と徒手格闘のやりとりに歩きながら水を差した。

 

「……キリくん?」

 

 始めに視線がぶつかったのは峰理子だった。イ・ウーで学んだであろう中国拳法の構えは、レキでなく僕のハイマキに向けられている。次に険しい顔付きのキンジと目が合った。向こうに話があっても止めるつもりがないなら、俺から話すことはない。右手の親指を首へ運び、無言で目線だけを向けてきたレキの前で横に引いた。

 

「この辺を一気に。そうすれば神崎も苦しまずに済む。お前に神崎が殺せるなら」

 

「おまえっ!自分が何言ってるか分かって──」

 

「死刑かもね。ごめんな、神崎?」

 

 キンジの言葉を遮り、俺はハイマキの隣を過ぎて、理子の背中で止まった。武偵はいかなる状況でも人を殺してはならない、人を殺せない。だが、いまの状況はその限りではない。予期しない言葉を囮として相手の不意を突く。レキが銃剣を神崎に突き付けている状況で、銃を抜くことに成功した俺は用心金に指を素早く添える。9mmの銃口はレキの頭を直線で捉え、辺りの空気が一段静まり返る。背後でハイマキが荒い唸り声をあげた。

 

「撃つのですか、雪平さん」

 

「撃つよ。いまのお前は本気で神崎を殺そうとしてる。だから撃つ。迷わずすぐに」

 

 他人事のように飄々と、いつもなら半笑いで済ませられる。喧嘩、嫉妬、誰にでもあることだ。だが、いまのレキは本気で神崎を殺そうとしてる。かつて共に仕事をこなした仲間を殺そうとしてる。うっすら見える瞳に迷いや躊躇いは感じられない。そこには、自分の意思すら見れない。

 

「キリ、余計な真似しないで!」

 

「どうして、神崎を殺そうとしてるんだ?」

 

 細めた瞳は神崎でなくレキへ向ける。

 

「アリアさんはキンジさんと結ばれてはならない」

 

 その答えは理解に苦しむほど抽象的で、どこまでも曖昧な雲のような解答だった。何の変化もない彼女の表情は、それが当たり前であると後押ししているようだった。自分の意思ではない、もっと、絶対的な何かに従っているような口ぶり。用心金に添えた指を離さず、俺は続ける。

 

「キンジが誰と結ばれてもそれは自由。でもお前のやり方は憎しみの連鎖を生むだけ。お前が守ろうとしてるのは神崎を殺してまで守りたいもの?」

 

「……」

 

「答えてくれ」

 

 自分の考えを人に説くことは難しい。眼前の少女が相手ならば、それは魚に詩を教えるようなものだ。10秒、そして1分、2分……答えは返ってこない。それが虚しい試みであるのは薄々分かっていた。無病情のまま、レキは答えない。何を思っているのかも読めない。いつでもそうだ。レキの表情は、いつだってわかりやすい解説を拒んでいる。

 

「レキ……やめろ」

 

 キンジから制止の言葉を投げられ、レキはドラグノフを下ろした。神崎に視線を向けたまま、狙撃銃を一回しして肩に担ぎ直す。神崎に背後を向け、レキはいつもの無表情でキンジの元へ踵を返した。主人の言いつけを守った冷たい人形ーー汚い言葉が脳裏をよぎる。

 

「いいわ──キリ、退きましょう」

 

「アリア……!」

 

「何もないわ。あたしからあんたに話すことは何もない。理子、面倒に付き合わせたわね。あんたも退きなさい。水入りよ」

 

 ガバメントを抜かず、背中に背負った剣を抜くこともない。神崎はキンジに目もくれず、駅を真っ先に出て行った。強く吹き付けていた風に揺れる両髪もすぐに見えなくなる。理子がキンジと視線をぶつけるが、先に視線を外したのは理子だった。襟から伸びた白い首が何もない空を向く。

 

「誰にでも別れは訪れるよ。それはキーくんやアリアだって例外じゃない。キリくんと夾ちゃん、理子やジャンヌだって離ればなれになるときが来る。でも理子はロマンチストだから、こう思うんだよね。どれだけ短い時間でも短い命でも、その一瞬が最高に充実したものなら──その瞬間は永遠になるんだよ。未来永劫ね」

 

 一瞬の好機は、無為な一生に勝る。カナ、そして遠山金一を思わせる理子の発言。キンジは何も言わず、神崎の消えた方を見つめるばかりだった。張り叫んだところで彼女にはもう聞こえない。

 

「レキュの考えは理子には読めないし。ジャンヌとの約束があるから理子も帰るね。理子とキーくん、アリアとキリくんは決して交わることのない平行線──でも平行線は交わりこそしないけどいつも隣にある。でもアリアとキーくんは……?」

 

 謎かけのような問題を残して理子も消えた。残されたキンジは静かに拳を握っていた。

 

「……仮に俺とアリアがチームを組んだとして、それが何になる。そんなチーム、すぐバラバラになるんだ。あいつはロンドンに帰って、思い出の意味なんて……ナンセンスだろ」

 

「だから?」

 

「だからって……!」

 

「自分の思いと自分が実際にやってること、それが完全に一致する人間なんていないよ。でも、世の中やってみないと分からないことがありふれてる。答えの分からないアンフェアな世の中でも俺たちは自分の意思で、考えて動かないといけない」

 

 どうせ離れるなら繋がりなんて作らなくていい。それもひとつの答えなのだろう。出会わなければ別れの悲しみを味わうこともない。失ったときの喪失感も辛さも知らずに済む。だが、出会わなければ楽しい時間も喜びを感じることもできない。大抵の人間は失ったときに初めてその価値を実感する。世の中にはフェアなことなんて何もない、どこまでもこの世界はアンフェアに満ちてる。

 

「俺は神崎を追う。またあの女と会いたいから。まだ一緒に過ごす時間が欲しいから」

 

 踵を返して、俺もキンジとレキに背を向けた。理子とアリアが消えた方へ踏み出した瞬間、俺は二人と袂を分かつことになる。

 

「……価値はあるのかよ。失うことの分かってる思い出作りに」

 

 いまはそれでいい。理子が言った、瞬間は永遠になる。俺は神崎と過ごせる短い時間を無駄とは思わない。あいつが作ろうとしたチームを無意味とは思わない。

 

「さあ。俺は失ってばかりだから」

 

 駅を出て、並んで歩いていた神崎と理子を見つけて、探偵と泥棒の帰路に無理矢理混ざる。すっ、と理子が差し出してくれた棒アイスを無言で受け取った。

 

「キリくんはどうして駅にいたの?」

 

「手を洗いに立ち寄っただけ。あとは酒飲みの勘」

 

「酒飲みの勘ねぇ」

 

「その勘で神崎が今何を言おうとしているか、当てて見せようか。お前は同い年じゃなかったのか、冗談を言うなら空気を読め、だろ?」

 

「大体はそれで正解」

 

 素っ気ない神崎の声が返ってくる。棒アイスを片手に携えて歩くことも、探偵と泥棒とハンターが並んで歩くことも奇妙な構図だった。

 

「あんた、本気でレキを撃つつもりだったわね」

 

「レキがお前を殺そうとしたら撃った。迷わずすぐに」

 

 キンジがレキを呼び止めなければ彼女は本気で急所に銃剣を突き出していた。迷わずに。

 

「修学旅行Ⅰが始まると騒がしくなっちゃうね」

 

「騒がしいのはいつものこと。武偵は静かな人生を送りたい人間がなる仕事じゃない」

 

「キリくんにしては珍しく真面目な意見だね。アリア、コーヒー買って帰るぅー?」

 

「いらない。飲みたい気分じゃないわ」

 

「そっか。理子もいまは歩きたい気分だよ」

 

「左に同じ」

 

 俺も飲みたい気分じゃないな。いまは歩きたい気分だよ。

 

「……あんたもキンジと仲違いになっちゃったわね。前みたいな関係に戻れないかも」

 

「戻る……もう無理だな。お前が覚悟を決めてレキと水投げをしたように、俺も色んなものを賭けてレキに銃を向けた。もうなにも残ってないよ」

 

 一瞬だけ瞼を閉じ、咥えた棒アイスを軽く租借する。

 

「理子の見解によると、今年の修学旅行Ⅰも荒れそうだね」

 

「荒れない修学旅行Ⅰなんてないよ。キンジやレキだって例外じゃない」

 

「キリくんもここぞってときには言い回しがストレートだよね。ずばって切り込んでくる。いつもは遠回しな皮肉で片付けるじゃん」

 

「うちの知り合いに限って、なんていう武偵がいると思う?」

 

 理子はかぶりを振った。修学旅行Ⅰはチーム編成を目前に控えた最後の調整期間。チーム自体は修学旅行学の後に申請する決まりだが、実際のところ、生徒間ではそのかなり前に朧気なチームの形が出来ている。神崎とキンジのように、ずっと組んで仕事をしてきた生徒はそのままチーム申請という次の段階に進むのが定石だった。

 

 チーム編成には生徒同士の相性もある。長く組んで仕事をしてきた生徒同時については、その片方を勝手に誰かがチームのメンバーとして登録してしまうことは、表沙汰にはされてないが暗黙の掟として敬遠されていた。レキがキンジと二人のチーム申請を出したのは、その掟に触れてしまった。いや、それは所詮掟だ。絶対的な制約ではない。だが、水投げのルールを無視したことよりも本気で神崎を殺そうとしたことには、黙っていられない。だから、俺は銃を抜いた。

 

 見て見ぬふりをしていれば、きっと色んなことが楽なんだろうさ。でも、誰かがうっとうしい正義感を持ち続けていなければ、世の中は悪くなっていくだけだ──顔も覚えていない母親の言葉が不意に頭の中をよこぎった。

 

「レキュのやり方、ちょっとアンフェアだよね。いつものレキらしくない。もっと上に誰かいるのかな?」

 

「知らないわよ、そんなこと。仮によ? 仮にレキに命令している存在がいるとしましょう。普通じゃないわ。レキも命令してる存在も普通じゃない」

 

「キリくんは誰だと思う?」

 

 そんなことを聞いてきた理子へ、俺は立てた人差しを空へ向けた。

 

「自分をフェア。つまり、自分のことを正しいと思ってる奴。そうだね──神様とか?」

 

 

 

 

 




修学旅行Ⅰ編は他の章より早く終わるかもしれません。シーズン15の終わりが徐々に近づいているのは嬉しい反面、悲しいですね。積み重ねてきた物語のフィナーレを見てみたい気持ちと、旅路が終わり、見れなくなることの寂しい気持ちが揺れている作者です。


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足りないものは?

 9月の第一週。チーム選定の最終調整である修学旅行Ⅰを間近に控えた日曜日。レキとの水投げから数日が経過したがキンジが帰宅することはなかった。粗末なソファーに寝転がり、携帯のメールボックスを開いてみたが届いていたのは平賀さんと理子からのメールだった。理子も平賀さんも絵文字をこれでもかと乱用してるからメールの文面はとても鮮やかな色をしてる。理子が絵文字を多用するのはいつものことだが平賀さんまで……ずっと眺め続けたら目がちかちかしそうだな。俺は寝転がったまま携帯を閉じ、近くにあったテーブルの上へ投げた。

 

 キンジからの着信や連絡のメールは携帯にもパソコンにも来ていない。今の関係を極限まで悪く言えば交流が断絶している。それがキンジの意思か、置かれた環境によるのかは分からない。だが、女絡みのトラブルは遠山キンジお決まりの展開だ。

 

 まあ、レキが絡んだトラブルは今回が初めて、彼女は恋愛と結び付くようなイメージを一般生徒からは抱かれていない。ミステリアスで得体の知れない狙撃科の天才、それが大多数の生徒がレキに抱いているイメージ。常日頃から噂に餓えている武偵高の女子たちには、格好の獲物としてキンジとレキの関係が広げられている。本当に暇な連中だよ。

 

「ねえ、誰かいるー?」

 

「俺しかいない」

 

「つまんないの。また一人で映画鑑賞?」

 

「映画を見るのが好きでね」

 

 触らぬ神に何とやら。バカキンジが帰らず、ちょっぴり不機嫌な神崎が対面するソファーに座り込んだ。俺の前で足を組み、怒りのボルテージはまだ冷めきらぬと言った様子。今回の騒動、神崎は友人とパートナーの両方から関係を断絶されたことになる。気持ちが落ち着かないのは当然と言えば当然か。神崎は騒動のど真ん中にいるわけだからな。

 

「キンジなら帰ってない。まだレキにべったりかもな?」

 

「消去法で考えなさい。それ以外に有り得ないでしょ」

 

「まあ、確かに。今頃は大人の嗜みでも満喫してんだろ。オペラ鑑賞に、読書とか?」

 

「オペラも見ないし、本も読まないわよ」

 

 「漫画以外は」と、神崎は刺々しく、言葉を付け加える。

 

「バカキンジのことはよーく知ってるわ、そのうち性格がバレて嫌われるから大丈夫、時間の問題よ。そんなことよりあんた何でもいいから食べれる物作りなさいよ。何かできるでしょ」

 

「いたしません。外でハンバーガーを食べてきたばかりだ。それに俺は映画を見るので忙しい。なぜ忙しいか、それは一人で映画鑑賞するのが趣味だから、分かるか?」

 

「理屈っぽいわね。あんたの趣味なんて知るわけないじゃない。で、何見てるのよ?」

 

 貴族らしからぬ庶民的な姿勢で、神崎は再生真っ只中のテレビを覗き込んだ。そして──

 

「……スペースバンパイア!?」

 

 大袈裟な反応だな、まるで有り得ない物でも見たような声だ。

 

「当たり」

 

「……た、タイムマシーンに乗ってる気分ね。趣味の悪くて小さくて狭いタイムマシーン」

 

「あのなぁ、この映画結構面白いんだ。俺の中では。わかるか、名作だよ。第五惑星と一緒」

 

「あんたは守備範囲広すぎよ!」

 

 神崎、さりげなく映画と一緒にソファーへの不満も吐きやがったな。貧乏な遠山宅には新しいソファーを買う余裕もないんだよ。高い家具は買ったそばから星枷とお前が駄目にするからな。刀剣や鉛玉で綿が部屋に飛び散り放題。いい加減学習するよ。

 

「ミストは分かるけど……うーん」

 

「静かに、名作は静かに楽しむ時間も必要だ。感動シーンは特に」

 

「──うっわ、これ酷いでしょ……」

 

 ファンシーな動物大好きの貴族様には、宇宙からやってきた吸血鬼は守備範囲外らしい。モノホンの吸血鬼と戦ったばかりだしな、好きなわけないか。

 

「ねえ、作らないならあたしが勝手にやるわよ?」

 

「やめろ、前の二の舞はごめんだ。レンジでオムレツ作ろうとして部屋がひでえことになった」

 

「換気したじゃない!」

 

「窓を開けても匂いはすぐになくならない。たんぱく質の塊みたいな匂いはもう嗅ぎたくないんだよ。バター入りのコーヒーでも飲むか?」

 

 ソファーから体を起こすと、神崎が怪訝な顔でこっちを見ていた。

 

「待ちなさい。なんでコーヒーにバターなんて入れるのかしら?」

 

「結構うまいらしいぞ。お前はミルクは入れない派だったよな」

 

「……あんた、気は確か?」

 

「エネルギーの即補充、鍛える男の朝食。脳が活発に、正常な思考ができるらしいぞ。元海軍特殊部隊の少佐が愛飲してるんだ、間違いない」

 

「いえ、やめとくわ。心臓発作起こしそうだから。ここを卒業したら本土じゃなくてワイキキにでも行けば?」

 

 ……いつもより毒にキレがあるな。キンジのことで相当お冠のようだ。それでもガバメントに手が伸びないだけ落ち着いてるよ。抜くときは本当に躊躇なく抜くからな、この貴族様は。俺はリモコンで再生中の映画を一時停止、欠伸混じりにソファーを立ち上がる。

 

「親父も海兵隊だったからな、気が付いたらハワイで最強の男のファンになってた。でも仮に俺がSEALsを目指してたら、たぶんどこかで鐘を鳴らして脱落してたよ。鬼軍曹のブートキャンプはガキの頃にさんざんやったしな。これでもかってくらい堪能した」

 

「知ってる、あんたも父親に訓練された口でしょ。一緒に組んで分かったわ。あんたは尋問科のくせに立ち回りが兵士のそれよ」

 

 俺がテーブルに置いたリモコンを奪い去り、くるりと神崎はリモコンを回しながら前後の向きを変える。

 

「根底にある基礎は軍人、つまり海兵隊の父親から受けた教育が根付いてる。良い指導者に学んだのね?」

 

「……どうかな、指導者としては優秀。でも父親としては分からない。お前が言ったとおり、俺も兄貴も小さい頃から兵士のように育てられた。野球をやろうとしたらボウガンの使い方を教えられるような家。遊んで貰った記憶はない、だからお庭で仲良くキャッチボールとか少し憧れてたんだよ」

 

 馬鹿な話だよ。実際、親父の目の前に立ったらキャッチボールもバスケもできるはずない。気がついたときにはインパラに乗せられて狩りをしてるよ。でもアダムが親父と、野球の試合を見に行ったって聞いたときは──ほんの少しだけ羨ましかった。

 

「俺の家庭事情はここまで。なんか作るからオリジナルズでも見てろ。もしくはフルハウス」

 

「ほんと?」

 

「ああ、マカロニチーズのアレンジ料理でも作るよ。アメリカで作ってたやつ」

 

 湿っぽい話は打ちきり。過去は戻らないし、嘆いても変えられない。後悔や懺悔は時間があるときに適度にやるよ。今はルームメイトのご機嫌でも取るさ。キンジが誰とくっつこうが自由だが、俺も今回ばかりは神崎に味方するよ。恋愛について口を出すつもりはないがルームメイトとして多少の力や相談には乗ってやるさ。なんたって俺は暇だからな。

 

「アレンジ?」

 

「ああ、ケチャップを入れたり、たまにはツナやホットドッグも。マシュマロの粉を入れたことも。でも最終的には形になった。クレアとアレックスが食べれたんだから大丈夫だろ」

 

「聞かない名前ね。知り合い?」

 

「訳ありの友達。二人とも古い付き合いかな」

 

 特にクレアは……まだ彼女が幼いときに出会ってる。出会い方としては最悪だったけどな。 アレックスも今は丸くなったが最初はウニみたいに棘だらけ。彼女が看護師になるとは出会ったときは思ってもみなかった。

 

「訳ありじゃない友達なんているの?」

 

「いない、そこは聞くなよ。スタイリッシュな返しができないんだ」

 

 エプロンを取ると、神崎もデッキに新しいDVDを交換で挿入するところだった。スペース・バンパイアと交換で再生されるのは──

 

「何を見るんだ?」

 

「医療ドラマ。衛生科の間で流行ってるみたい、気になったからレンタルしたのよ」

 

「医療ドラマ?」

 

「日本のね。フリーランスの外科医が主役の──」

 

「神崎、やっぱりピザを頼もう。俺も見たい」

 

 エプロンを脱ぎ去り、俺はソファーに再び舞い戻る。白状するよ、一匹狼の女医のドラマは俺も見たい。前言撤回の埋め合わせは今度する、そもそも俺については腹は減ってなかったしな。身勝手な理由だが目を丸くしている神崎も納得したので結果オーライってやつだ。 強引に説得したわけだが……

 

「あ、鯛焼き……」

 

「美味そうに食うよな、この先生」

 

「ピザ、さっさと頼みなさいよ。お腹へった」

 

「だな、俺も手持ち無沙汰だ。ピザに映画見放題、折角の休みだし、面白いもの見ないとな」

 

 携帯の短縮ダイヤルに入っているお決まりのピザを頼む。しばらく経ってから訪ねてきたジャンヌも混ざり、妙な面子でピザとテレビに時間を費やした。血も銃声もなしの穏やかな鑑賞会が終わると、突発的な神崎のストレス解消の思いつきで俺たちは古びたバッティングセンターにやってきているのだが──

 

「……120kmだぞ」

 

 緑のネットで仕切られた隣の打席、溜まった鬱憤をバットに乗せるがごとく、神崎が飛来する直球を問答無用に打ち返している。地下倉庫ではジャンヌの投擲したヤタガンを小太刀で打ち返していたが相手がボールとなると微塵も容赦がない。ただの一球すら打席の背後のネットをボールが揺らすことはなかった。つか、いくら金属バットだからって、あんなに飛ぶか?

 

「せいっ!たぁーっ!」

 

 一方、ジャンヌはそもそも剣を振り回すような滅茶苦茶なスイングで球を捉えようとしているわけで、バットに触れた球は前ではなく頭上に微かに打ち上げられてはベース付近に転がっていく。神崎が2ベースヒットなら聖女様はキャッチャーフライだな……あれは球を打ち返すってより完全に切り裂こうとしてるスイングだ。

 

 まあ、娯楽施設だし、本人が楽しめればそれ以上はないんだが。要はどれだけダウンスイングや変わった打法で遊んでも文句は言われない。此処では振り子やろうが天秤やろうが自由だ。満月大根斬りだって許される、ベースの正面に立つのは非常に危ないが……

 

「ふっ!」

 

 バットを振り払いながら、俺はレキの言う『風』について考えを巡らせていた。レキに命令や警告を下しているような上位の存在。あやふやで抽象的。レキが天使のラジオや預言者のように風からメッセージを受け取っているとする。だが、そもそも風が何者で何のためにレキを使って神崎とキンジの仲を割いたのか。そこには、恋愛の言葉だけでは片付けられない理由がある気がする。

 

「風穴っ! どいつもこいつもまとめて風穴!」

 

 レキのことは嫌いじゃない。どこまでも律儀で凄腕の仕事人だと思っている。バスジャックでは正確無慈悲な凶弾に助けられたし、星枷の護衛、そしてカジノの警備でも協力して戦った仲だ。俺も神崎もこんな形で問題に直面するとは夏休みが終わるまでは考えてもいなかった。まさか聖女様とバッティングセンターに来るとも思わなかったけどな。このときの俺はまだ知らなかった、ジャンヌの性格を。

 

 

 

 

 

 

「……なんだお前たち、そのような目で見られると困る」

 

「負けず嫌いにも程がある。何枚硬貨を投入した?」

 

「誤算だったわ。まさかあんたがあそこまで勝負にこだわるなんて……」

 

 毎度お馴染みの飲食店『ロキシー』で、俺と神崎は目を泳がしているジャンヌに抗議の視線を揃えた。負けず嫌いなのは知ってたが、聖女様があそこまで勝負にこだわるのは俺も知らなかった。ストレス解消の目的で来たわけだが、長い勝負に付き合わされて想像以上に体力を持っていかれた気分だよ。幽霊退治でもないのに金属の塊をこんなに振り回す日が来るなんてなぁ……

 

「あたしはももまん丼。そっちは?」

 

「ポークグリルとベーコンにするよ。あとコーヒー。バターは抜きで」

 

「コーヒーにバター?」

 

「それについては食べながら語ろう。はい、メニュー表」

 

 一方的にメニュー表を首を傾げるジャンヌの前に差し出す。一応、他のテーブルを見渡すがレキもキンジの顔も見えない。時刻は午後の三時を回ったばかり、テーブルにはあちこちに空きがあった。

 

 ジャンヌがステーキを注文するとピッチャーの水をグラスに注ぎながら神崎が話を切り出す。修学旅行Ⅰは来週、9月14日から修学旅行という名目の、チーム編成の調整旅行が始まる。旅行先がどこであれ、駅弁に舌鼓を打ちながら、笑っていられる旅行にはなりそうもないな。

 

 

 

 




次回は京都に参ります。アリアは裁判、白雪は分社、レキとキンジは一緒に行動。主人公は誰と一緒に京都を回るのでしょうか。


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修学旅行Ⅰ

新年最初の投稿になります。今年でSPNも完結、100も次のシーズンがファイナルに決まりましたね。それにしてもアリアは刊行ペースが早くてすごい……


 9月14日──修学旅行という名目の、チーム編成の最終調整が始まった。旅行先である京都までの道のりの間もキンジの姿は見ていない。降り立った京都駅で女子が話しているのを聞いたがレキとべったりなのは案の定と言うべきか。時間にして二時間の電車の旅を終え、俺はマナーモードにしていた携帯の設定をまずは解除。裁判の都合で来れなかった神崎、星枷の分社にいる星枷にメールで着いたことだけは知らせておく。キンジを取り巻いていた女子が揃って旅行からフェードアウトか……

 

 理子はどっかに行っちまったし、武藤や平賀さんはチーム申請を出すメンバーと旅行中は回るらしい。レキとキンジのことで気をとられていたが俺もチーム編成のことを考えないとまずいな。夾竹桃は一年で数には加えられないし、理子は人望やカリスマの塊だから器用にやるだろう。技術面でもAランクの理子なら他のチームに拒まれる理由は少ない。ジャンヌも同様だ。いざ冷静になると、俺も笑えない状況に置かれてないか?

 

 旅程表……いわゆる『旅のしおり』に現実逃避のつもりで目を落とす。

 

 1日目、京都にて社寺見学(最低3ヶ所見学し、後ほどレポート提出の事)

 

 2日目・3日目 自由行動(大阪か神戸の都市部を見学しておく事)

 

 しおりに書いてあることはそれで全部だった。生徒の自由をとことん大切にしてくれる学校だよ。何をやろうと自己責任が付いて回るが、責任を持って動けば自由を許される。自由とは自己責任、それには同感だな。投げやりに作られたしおりを折って閉じると、背後から鈍い物音が聞こえてきた。何かが地面に叩きつけられるような音に振り返ると……

 

「なにやってるんだ?」

 

「ぉ、おとこ、おとこひらくん……!」

 

「……どこの誰だよそいつ」

 

 周りを見渡すが、おとこひらなんて名前の武偵はどこにもいない。俺が知る限りではな。振り返った先にはやたらでかいスーツケースが倒れていて、持ち主と思われる生徒が服やら本やらヘッドフォンやらのこぼれた中身を拾い集めていた。しどろもどろと、伸びきった黒い髪が印象的な彼女は──通信科の中空知美咲。何度か一緒に仕事を受けた通信科の腕利きだ。

 

 頭を下げたままでしどろもどろの彼女だが、通信回線や電話越しになると人が変わって冷静な仕事人になる。通信科では間違いなく優良株の生徒なのだが、通信機器を介さない状況下だと本当に別人だな。大きな局面になると人が変わったようにスイッチを切り替える、そこはキンジと一緒だな。実際、通信科の武偵としての彼女は前線から多大な信頼を寄せられている。

 

「す、すいませ、ん……」

 

「いや、それより片付けようぜ。つか、でかいな。このスーツケース」

 

「不足の、じ、事態が、起こらないように……」

 

 ……これは不測の事態じゃないのか。心中、俺は雪崩に混じって出くわした思わぬ怪物にぼやきそうになる。服やら赤い紐やらと一緒に隠れていたのは威圧感の塊みたいなゴツいリボルバー拳銃だった。コルト・アナコンダ──その拳銃に細かい説明は不要だろう。44マグナムをばら蒔ける化物。猛獣だろうが大抵の獣を制圧でき、人が銃口を向けられようものなら背筋が冷たくなるのは必然。しかもバレルは8インチ……なんて化物をスーツケースに飼ってんだよ。

 

「ジョーズを金魚鉢に入れるのが趣味なのか?」

 

「ご、護身用です……銃は怖いので……」

 

「怯みはするだろうな。こんなもん向けられたら犯人の動きも止まるよ。アカムトルムが口開けてこっちを向いてるようなもんだ」

 

 ようやく雪崩を食い止め、収集がついたときには他の生徒も続々と駅を離れて京都に繰り出していた。当然と言えば当然だが、キンジとレキは見当たらない。

 

「中空知はチームの目処は決まったのか?」

 

「……ジャンヌさんに誘われまして」

 

 そういや、情報科と通信科以外にもジャンヌと中空知は相部屋だったな。旅行もジャンヌと回る予定の中空知は聖女様との合流までの時間、近くにあったベンチに座り込んであやとりを始めた。ケースに詰めてあった赤い紐はあやとりの紐だったんだな……どうやら、あやとりは中空知の趣味らしい。赤い紐を指の間で行き来させて、おっ、東京タワーだ。次は……五重の塔だな。すげえ、本当に紐で編んでる。

 

 その後、俺はジャンヌが合流するまで中空知のあやとりショーを眺めていたわけだが、レポートのために寺の見学だけは出向かないとな。課題をサボって教務科の世話になるのはごめんだ。俺はバッティングセンターのことをまだ根に持っている聖女様、そして久しぶりに会話をした中空知と別れて、レポートの課題を終わらせに寺を回った。観光で賑わう都市のひとつだけある、それが率直な感想だった。お寺を回って楽しめる性格じゃなかったのは残念だけどな。しかし、京都は海外からの観光客も多いな。歩いているだけで英語が何度か聞こえてきた。

 

 太陽は真上を過ぎ去り、時刻は午後の15時を少し過ぎた頃だった。遅めの昼食に立ち寄ったファーストフード店でカウンターから流暢な英語が聞こえてくる。子供と妻? 観光ではぐれたのか?

 

 とりあえず、座れる席がないものか見聞していると、頭に何かが引っ掛かった。さっきのカウンターで話していた男の後ろ姿……どこかで見覚えがある。無駄を削いで落とした兵士のような体格と立ち姿、ついでに妻子持ち。心当たりが一人浮かんだが彼はアメリカ在住。いや、まさかな。だが、京都は海外からの観光客が多いことも触れたばかりだ。ありえない、とも言い切れない。

 

 軍人だって時には暇を与えられる。カウンターを振り返ると、そのありえない相手と目が合ってしまった。

 

「お前、キリか? ウィンチェスターの?」

 

「ああ。あんたに顔面を四回殴られた男だよ、コール。二度と会いたくない相手に会っちまったな、おめでとう」

 

 自分で自分の頬を指で示し、俺はうっすらと笑った。

 

「その口振りは別人じゃなさそうだ」

 

「そっくりさんに化けられたことは何回もあるけど。座れよ、力になれるかも」

 

 空いていた席に座り、俺は突っ立っている知り合いを手で招いた。コール──お洒落な名前の彼との出会いはまだ記憶に新しい。アマラが眼を覚ます少し前のこと、カインの刻印で暴走したディーンと一悶着あったのが始まりだった。戦地帰りの軍人でカンフーやナイフの扱いにも長けてる彼だが、刻印に取り憑かれたディーンには敵わなかった。最後に会ったのは、水分を餌にしてる怪物を一緒に蒸し風呂の中で退治したとき。悪口じゃないが最悪の時間だったよ。差し出された手に握手で返すと、対面の席にコールが座り込む。

 

「また会うことになったか。人生は上手くいかない」

 

「残念だったな。家のローンもまだ残ってるんだろ。まさか、日本で会えるとはな。ベックマン将軍に長期休暇でも貰ったか?」

 

「ローンはまだ残ってるが妻の願いでね。家族サービスってやつさ、見栄を張ったタイプの。俺も暇を貰った」

 

「この愛妻家め。日本は敵対国ってわけでもないしな。軍からストップがかかることはないだろうけど、素直に驚きだよ。昔の知り合いとこの国で話すのはあんたが初めてだ──人間に限っては」

 

 最後は半分自嘲を含めると、案の定そこをすくわれる。

 

「『人間』か。海を渡っても仕事は変えてないんだな」

 

「ああ、掛け持ちになっただけ。怪物の他に犯罪者がリストに加わっただけだよ」

 

 ハンターと武偵の掛け持ち。銃を取り回し、ナイフを振るうことはどちらも大差ない。

 

「で、世間話は置いて、何があった? 妻と子供が行方不明にでもなったのか?」

 

「いや、ちょっと違う。息子の様子が……」

 

「様子が?」

 

 コールは両手で顔を隠すと、深く息を吐いてから、言い淀んだ言葉を続けた。

 

「息子の様子が変なんだ。あれは俺の息子じゃない」

 

 ……睨んだとおり、笑えない案件だな。俺は組んでいた足を静かに解く。

 

「続けてくれ。何があった?」

 

「旅行に来て、京都を巡った。家族で観光スポットを転々として、何もおかしなところはなかった。最初はホテルに数日、次に日本にいる妻の知り合いを頼って宿を。見た目はどこにも異変はない、俺の子だ。だが中身は……とても前までのあの子とは思えない。まるで、別の何かがあの子と入れ替わったみたいで」

 

「──取り替えられた、別の何かと」

 

 コールは険しい顔で『……ああ』と肯定した。ある日を境に子供が別人のように変わる、前触れもなく、中身が入れ替わったように……

 

「心当たりがあるんだろ? あるなら教えてくれ。俺の子供に何が起こった? 観光で立ち寄った場所をしらみ潰しに辿ったが俺には検討もつかない」

 

「……推測でしかない。それでも聞くか?」

 

「いいや、推測じゃない。俺が疑問を持った矢先にお前が現れた。海を渡った先の広い外国で。偶然にしては出来すぎてる。俺の疑問はお前と出会ったことで確信に変わった、これは普通の問題じゃない」

 

「人を超常現象を引き寄せる磁石みたいな眼で見るのは止めてくれ。だが、親のあんたが疑問に持つなら、それが一番の確証だよ。話を戻すけど子供じゃなくて妻に異変はなかったか?たとえば首筋に変な痣を見かけたことは?」

 

 目を丸くしたってことは当たりか。条件が重なりすぎてる、ここまで重なると偶然じゃないな。たった今、俺も推測から確信に変わったよ。これは思春期の子供の心変わりじゃない。見過ごせる案件でもない。過去にリサが──兄貴の大切な人が出くわした怪物だ。

 

「──Changeling。またの名前を取り替え子」

 

「取り替え子?」

 

「名前の通りだ。標的の子供を拐い、取り替える。冷たくて不気味、感情が死んでるような子供がいつの間にか入れ替わりで家にいるんだ。見た目は何も変わらないから変化には気づかない。鏡を通せば本来の姿を見ることができるけど、正体を割るには時間がかかる」

 

 レイスや吸血鬼のように即座に危険が降りかかるタイプの怪物ではない。だが、無害には程遠い怪物だ。修学旅行だろうが、見過ごす理由はどこにもない。

 

「鏡か。そいつは試してない。どれくらい危険だ? 俺の子供は?」

 

「大丈夫、生きてるよ。お前に取り憑いた化け物、あれよりは猶予がある。でも退治するなら急ぐのが懸命だ。俺が持ってる情報は渡す。だから落ち着いて聞いてくれ、あんたはできるだろ?」

 

 あんたは感情を制御できる男だ。子供に何かあって、落ち着くってのが無理な話だが、事態を終息させるには通らないといけない道だ。兄貴を許してくれたあんたなら何が正解か、見極められるよな。

 

「無言は肯定だな。続けるぞ、鏡を通して取り替え子は正体を見破ることができる。だが、見破ることは奴に敵意を見せることだ。当たり前だがリスクを伴う。猶予があるって言ったが、それは奴の目的が食事だからだ」

 

「食事って?」

 

「ああ、奴は入れ替わった子供の母親から骨髄をすいとる。何日も時間をかけてな。首筋に出来た不自然な痣は骨髄を吸われた跡だ。最初は違和感程度にしか感じないけど、骨髄を限界まで吸われたら……人は生きていられない」

 

「……ケダモノめ」

 

 コールは静かにかぶりを振った。特別、強力な怪物でもないがその生態は厄介極まる。コールは特別だ、こんな真実を聞いて取り乱さない父親はいない。妻と子供を同時に毒牙にかけられたわけだからな。

 

「で、どうやったら殺せる?」

 

「燃やす。それしかない」

 

 俺はテーブルの隅に寄せられていた灰皿を指で示す。

 

「消し炭にするんだな」

 

「えげつなく言えばね。過去にも一度やってる。問題は拐った子供を閉じ込めている場所だ。そっちは知り合いに頼んでみるよ。まずは……」

 

「妻を迎えにいく。まだ家にいるはずだ。異議はないな?」

 

「ない。タクシー拾いに行こう。火を起こせる物は?」

 

「ブックマッチで良いなら」

 

「上等だ。丸焼きにしてやろう」

 

 ──煮ても焼いても食えないけどな。

 

 

 

 

 




本年も作者の安定しないペースになりますが、短編と本編を更新していきたいと思います。今回が初投稿からジャスト一年目のエピソードですが記念でも何でもない話になってます。地味になっちーは今回が初登場

『えげつなく言えばね』S9、21、アバドン──


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最後に行く場所は?

 

 

 

 ──星伽の京都分社、その本殿は杉の生い茂る小山の上に在る。周囲は入口の鳥居以外、全方向が漆喰の塀で武家屋敷のように防御された特異な地形に成り立すっていた。分社自体がまるで堅牢な砦だ。深夜、星枷からの電話を受け取り、俺はタクシーで分社へと駆けつけたーーレキが重症を負った、そう聞かされたのは、取り替え子の狩りが終わったあとのことだ。

 

「雪平様、お待ちしておりました」

 

 鳥居の下、赤い和鎧を着込み和弓を携えていた少女から声がかかる。どこか星枷会長の面影を感じるが、顔立ちは会長よりも幼さを感じさせる。ここは星枷の分社、巫女の装いから見ても会長の姉妹か。星枷とウィンチェスターには盟約が交わされているが、俺が星枷の地を踏むのがこれが初めて。星枷の人間で面識があるのも会長一人、名前を呼ばれた少女ともこれが初対面だ。

 

 星枷との取り決めが行われたのはアメリカに賢人が存在していた時代。それは暴君(アバドン)がカインの粛清に怯えることなく暴れていたような時代の話だ。クラウリーはまだ普通のセールスマン、ザガリアも出世街道を逸れることなく歩んでいた時代。遥か昔のこと。

 

 やがて賢人の組織は消滅、星枷との親交も途絶えたまま現在に至る。俺が海を渡り、武偵高で会長と出会ったのも今に思えば奇縁なのかもしれないな。鳥居をくぐり、張り詰めた空気に包まれている分社の中を見渡す。

 

「まるで要塞だな。君は星枷会長の?」

 

「風雪です。どうぞ奥へ。皆がお待ちです」

 

 手身近に告げると、風雪は社の下で防衛の任に戻る。小さな後ろ姿を見送り、俺は風雪に言われたまま鳥居を奥に進んだ。経験上、弓が本当に恐ろしいのは夜だ。弓はサイレントな飛び道具。静かに、そして恐ろしい速度で凶器が飛来する。暗闇の中で弓兵に狙われると思うと背筋がゾッとするよ。

 

 弓が狙いを定める最中で、長い石段を駆け上がるのは容易じゃない。防衛に向いた地形、そして自衛の能力を有した巫女、考えるだけ考えて俺はかぶりを振った。こんな要塞に攻め入りたいとは思えないな。歩みを進めていると、

 

「雪平くん。こっちに」

 

 鶯張りの廊下に星枷が立っていた。星枷の分社はいくつもある建物が屋根つきの渡り廊下で繋がっている。その建物の一角にある和室に俺は通された。以前、綴先生から聞いたことがあるが星枷は徹底した男子禁制の神社。招き入れられるのはキンジや『遠山』の家の人間だけらしい。星枷神社とアメリカの賢人が盟約を結んだのは遥か昔の話、正直言うと俺がすんなり迎え入れられたことにまだ驚いてる。星枷が厳格で、掟に厳しいことは言うまでもない。

 

「レキは?」

 

「運び込まれたときは出血がかなり酷かったの。体温も冷たくて危険な状態。でも腕の良いお医者様が手当てに当たってくれてるから、きっと大丈夫」

 

「そっか。それなら安心だ」

 

 張り詰めていた緊張が少し和らぐ。この広い建物のどれかに医療用の施設があるらしい。まだレキとキンジが狙われているにしろ、下手な警備に守られた病院より星枷の分社は安全だ。畳に腰を下ろし、同じく正座した星枷と対面することになる。キンジは別の部屋か……

 

「また狩りを?」

 

「ああ。取り替え子、子供に化けて母親から骨髄を吸いとる怪物。過去に一度退治したことがある。お前から電話を受けたとき、ヘアスプレーとライターで退治し終えたところだった。問題が終われば次の問題。いつも通りだな」

 

「……妙だね。取り替え子なんて滅多に見ない化生。それに雪平くんはジンも退治したよね?」

 

「パトラと戦った少し前だ。至って普通のジンだよ」

 

「でもジンは日本に生息する怪物じゃないの。取り替え子も日本ではもう何年も目撃されてない怪物だよ」

 

 徐々に星枷の顔付きが険しくなる。どうやら、今回は俺が星枷に面倒事を持ち込んだらしい。

 

「何か嫌な予感がする。水面下で妙な何かが進んでいくような感じ……」

 

「怪物に異変が起きるときは決まって何かの原因がある。イヴ──全ての怪物の産みの親が煉獄から出てきたときもそうだった。レイス、ジン、日本にいるはずのない連中が突然湧いて出たように現れてる。この地上か、それとも煉獄か、何か騒ぎでも起きたのかもな」

 

「最近、世界中であらゆる超能力が弱まり、成功率が下がる原因不明の現象が起きてるの。日本以外、雪平くんの国にいる魔女たちも気づいてると思う」

 

「星枷でも分からない現象か。そのことと怪物の異変が関係してるなら、また面倒なことが舞い込んできそうな流れだな。神の姉さんが解き放たれた次は……異世界の扉でも開いちまうのかな?」

 

 天国、地獄、煉獄と来れば残るのは異世界ぐらい。これには流石の星枷も苦笑いだった。同感だ、異世界なんてあるとは思わないし、その扉を誰が開けるんだよ。俺はくだらない妄想を忘れるようにかぶりを振る。問題は他にもある。夾竹桃が話していた宣戦会議、イ・ウーの残党や路上で襲ってきたコンバットブーツの女。ローレンスに戻る前にやることは尽きないな。

 

「失礼します。遠山様の準備が済みましたのでご連絡に」

 

 不意に奥の襖が開くと、風雪よりもさらに幼い巫女が廊下に正座していた。少女はおかっぱ頭を深々と星枷に下げている。傍らに置かれていたイロカネアヤメを帯刀すると、星枷が先んじて立ち上がった。

 

「場所を移してもいいかな? キンちゃん、レキさんを背負ったまま山を降りたみたいで、かなり疲弊してるの。雪平くんも……」

 

「一緒に警護するよ。キンジとは一悶着あったままだが仕方ない。帰ってきたらゴミ出し当番1ヶ月だ」

 

「ありがとう」

 

 鶯張りの廊下を伝い、俺たちは障子一枚を挟んだ和室の前に腰を据える。既に和室では疲弊したキンジが寝息を立てていた。イロアカネアヤメを帯刀した星枷の隣で俺もルビーのナイフを静かに懐から抜く。

 

「風雪はあんたの?」

 

「うん、会うのは初めてだよね。風雪は、海外の教会や寺院との外交を担当する巫女なの。本当なら雪平くんとの関わるのも風雪の役目なんだけど……」

 

「気にしてないよ。盟約はあっても賢人の組織はとっくに潰れてる。ヘンリーのじいさんは海を越えて、星枷と盟約を結んだけど……色々あって老けるまえに死んじまった。跡を継がせるはずの親父に賢人としての知識を与えないまま悪魔に……皮肉にも残された親父も普通の人生は過ごさず、賢人が軽視していたハンターになっちまった。星枷との交流もこっちが一方的に断絶させたようなもんだよ」

 

 俺に言わせれば、ウィンチェスターなんてみんながみんな早死にするだけの家系だ。

 

「お前と会えたのは不思議な縁。地下倉庫でお前が言ったとおりだよ、『今は一介のハンターと一介の超偵』の間柄だ。今度からは同級生として優等生を頼らせて貰うさ。まだこの国でやることも残ってるしな」

 

「いつか、戻っちゃうんだね。雪平くんも」

 

「ルシファーの子供をなんとかしてもそれで終わりじゃない。きっと次の問題がやってくる。いつものパターンさ。何年も繰り返してるんだ、どれだけ頭が悪くても学ぶ。普通の生活には戻れない。ハンターを辞めることも俺には無理だ。やることを全部片付けたら休暇を卒業してローレンスに戻るよ」

 

 普通の生活、ハンターなら誰もが一度は考えることだ。引退して普通の暮らしをしたい。怪物や幽霊とも関わらず、銃を無闇に振り回すこともない、平凡な普通の人並みの暮らし。でもそれは叶わない。殆んどのハンターは引退する前に死んでいく。兄弟揃って同じ願いを抱えて、けど誰も叶えられなかった。もし叶えていたらインパラには乗ってない。普通になれず、なれないと分かって普通の生活を手放した。諦めた。

 

「離れるには未練が増えちまったけどな」

 

「淋しくなるね。雪平くんがいなくなったら」

 

「これ以上未練を増やすのは止めてくれ。何も今すぐに帰るってわけじゃないんだ。金田一少年も読んでる途中だしな?」

 

 未練がないわけじゃない。別れなんて何回体験しても馴れねえよ。ああ、絶対に。

 

「悪い、無駄話だったな」

 

「ううん、無駄じゃないよ」

 

 かぶりを振り、星枷が空を仰いだ。真っ暗闇の帳が降りていた空から朝焼けがゆったりと顔を見せ始める。眩ゆい西日の光に目を奪われそうになるが、追手が乗り込んでくる気配は以前ないままだ。

 

「禁を破って星枷の本家に戻ったときにね。キンちゃんと一緒に雪平くんのことも占ったの」

 

「俺の?」

 

 星枷は首を縦に振る。

 

「キンちゃんは──『狼と、鬼と、幽霊に会う』って出たの」

 

「狼(ハイマキ)、鬼(ブラド)、幽霊(カナ)か。見事に当たってるよ」

 

「ちょっと、普通じゃない結果だよね。でも普通の結果じゃないのは──雪平くんも一緒」

 

 普通じゃない連中と出会うのはいつものことだ。呆れる準備なら出来てる。星枷と占いがよく当たることも今に知ったことじゃない。

 

「お前の占いだと俺は誰と出会うことになるんだ?」

 

 星枷は目を細めるように夕焼けを見やる。

 

「『堕天使と、総帥と、神に会う』って」

 

 俺はうっすらと笑うばかりだった。堕天使は聖書に出てくる有名なメインキャスト、総帥はたぶん……全ての天使を率いる大天使の長。そして最後に出てきた神は他の二人に繋がる者。異教の神や神話に描かれる神よりも先に、全てを作った万物の創造主──放任主義の売れない小説家。

 

「ロクでなし一家が勢揃い。お次はなんだ?」

 

「何度やっても結果は一緒なの。大きな力が働いているみたいに左右される」

 

「出てきた面子が普通には遠い連中だからな」

 

 星枷には悪いがこの占いが外れてくれることを願ってるよ。願うだけ無駄かもしれないけど。

 

「鳥居、少し騒がしいね。何か来たのかな?」

 

「俺が行く。ちょっと離れるぞ」

 

 廊下を離れ、靴を掃くと鳥居の下では風雪が何かを追い払おうと腕を振っていた。同時に石段からは低い唸り声が聞こえてくる。丸い瞳孔とイヌ科の鋭い鼻梁、白銀の体表は至るところが血で染まっている。風雪を腕で制し、俺は石段を一気に駆け降りた。

 

「ハイマキ……!」

 

「雪平様? その狼は……」

 

「レキの飼い犬だ。傷が深い!運びこむぞ!」

 

 爪で裂かれたような傷、こいつは獣の爪跡か。体表も下肢も出血が酷い。ほっといたらショック症状までいくぞ。

 

 

 

 

 

 

「ハイマキは無事だ。ちゃんと手当てを受けて、今はレキの隣で丸くなってるよ」

 

 和室から起きてきたキンジ、レキの治療に当たっていたジャンヌと合流すると、俺たちは星枷の案内で膳殿という料亭のような建物に向かっていた。この膳殿も分社の中にあり、他の建物と一緒で鶯張りの廊下で繋がっている。巫女服の上からエプロンを着た星枷に案内され、膳殿に上がると既に桐の座椅子が用意されていた。星枷がキンジと対面するように席に着くと、ジャンヌはキンジの隣、俺は星枷の隣に置かれた椅子に着いた。

 

「お前も来ていたのか」

 

「星枷に呼び出されてな。レキとは別件で話があったんだよ」

 

 ジャンヌと話している間に、廊下でも何度か擦れ違っていた小さな巫女が御膳や漆塗りの丸湯桶を運んでくる。丁重に差し出された膳に並べられているのは、鮃・サザエ・イカ素麺のお造り、鱧の落とし、イクラの寿司、湯葉の八幡巻き、京野菜のあんかけ、松茸の炭火焼、色ごはんに黒豆……

 

「ごめんねキンちゃん。これ、あり合わせなんだけど……栄養はちゃんと摂れると思うの。沢山食べて、元気になってね」

 

 ……これであり合わせなのかよ。和食料理屋の定食だぞ、こんなもん。それも良い値段がするレベルの。

 

「……ありがとう白雪、十分すぎるぐらいだ。それとまだ謝ってなかったが、悪かったな。いきなりケガ人を運び込むことになっちまって」

 

「ううん。いいの。いつでも頼ってください。どんなときでも私はキンちゃんの味方です」

 

「ああ、頼らせてもらうよ」

 

 救護殿の方を見たキンジに俺は箸を手元に引きつつ、

 

 

「レキを看たのってドクだろ?それなら心配ない。あの人は患者を選ばない。どんな難病や怪我でも、金持ちも貧乏人も、悪人だろうと誰だろうと救っちまう。だから失敗しない。保証するよ、俺が一番信頼する医者だ」

 

 さっきジャンヌから聞いたが、星枷に呼ばれてレキを看たドクターは俺がいつも世話になってる例のドク。ジャンヌも汎欧州医療免許・看護助手資格を持っていて、彼女から見てもドクの処置は適切だったらしい。しばらくは安静にするのが絶対だが、とりあえず最悪の結果に怯えることはなくなった。視線をキンジから正面に戻すと、ジャンヌが十字を切って御膳を食べ始めるところだった。正座も箸の使い方も綺麗の一言。テーブルマナーが死んでるウチの家とは大違いだ。

 

「私からも感謝する。空腹は敵だ」

 

「ううん。ジャンヌの口に合えば良いんだけど。でも……どうしてキンちゃんとレキさんが狙われたの?」

 

「結局の所は、俺にも分からないんだ」

 

「どっちかが狙われて……もう片方も一緒に狙われたって事なのかな……? それとも両方が目的……だった?あれ……? 一緒に……一緒に……? あの……どうしてキンちゃんとレキさんが一緒にいたの?」

 

 刹那、キンジの表情に暗雲が差した。星枷はレキとキンジの騒動をまだ知らない。知られていなかったんだ。だが、目ざとい女の勘が小さな綻びを探り当てちまった。取り繕う言葉をキンジが考えている最中にジャンヌが箸の動きを止めた。

 

 地下倉庫の事件以降、妙な縁が災いして彼女とは一緒に狩りをするまでの関係になった。何かとこちらの事情に詳しいジャンヌには俺も気を許していた部分があるしな。そのお陰で生真面目なジャンヌの考えることがうっすらと俺には読めてしまった。火種を撒く気だぞ、この聖女様。

 

「遠山はレキと暮らしていたのだ。今月の頭から」

 

 すっ、と横からジャンヌが爆弾を落として行った。ティッシュでも配るような気軽さで食卓に起爆剤が撒かれる。星枷の箸が止まったのもお約束だな。

 

「おいジャンヌっ」

 

「仕方がないだろう。こうして星伽も巻き込んでしまったのだ。情報は共有しなければ。キリ、お前からも何か言え」

 

「じゃあ要点だけ話せばいいんじゃないか?重要なところだけを話す。話を纏めるのは得意だろ?どうだ?」

 

「ふむ。では要点だけ話そう。遠山とレキは修学旅行中も一緒に行動し、同じ宿に泊まっていたのだ。狙撃を受けた宿の女主人によれば、2人で同じ風呂に入り、同じ布団で寝ていたらしい。そこを襲われたのだ。つまり、常に2人で行動していたため、2人まとめて襲われた。これでどうだ?」

 

「ああ、最高。これがテストで俺が教員なら満点をやるね。報告、連絡、相談、これ大事。問題解決?」

 

「してねえよ!」

 

「遠山、良いことを教えてやろう。たとえそれがどんなに残酷なものであろうと、真実ならば、人はそれを受け入れ、そこから先に進むことができる。しかし、偽りは人の心を硬直させ、やがて殺すだけなのだ」

 

 流石は策士。爆弾を投下した挙げ句、もっともらしい言葉でキンジを黙らせた。前にやってたサスペンスドラマで似たような台詞を聞いた気もするけど、たぶん気のせいだろ。肝心の星枷は黒豆を箸で摘んだまま固まっている。ピクリともしない。

 

「分かりにくかったか? なら、絵に描いて示してやろうか」

 

「いや、絵はいい。絵はよせ。地獄絵図になる。そうじゃなくて──」

 

 ぐしゃり、という音がキンジを静止させた。音が聞こえたのは俺の隣からだった。恐々と音の震源を確認、俺は無言で視線を戻した。……箸で黒豆が両断されてる。

 

「真実……真実はいつもひとつ。事実……既成事実……既成事実……さ、先を越されちゃったね……レキに。あは、あは……あ、あんまり目立たない子だったから油断してたね白雪──そうだね。油断してたね──でもあの子が伏兵だなんて気付かなかったね白雪──うん。レキは狙撃手だけに伏兵だったんだね──うまいこと言ってる場合じゃないよ白雪、そうだね──」

 

「こ、こら白雪。現実に戻ってこい!」

 

「キンジ、お前の身辺からは何をどうやっても女性とのトラブルはなくならない。ここまで来ると呪いだな。一度大雨の日にありったけの貴金属を身にまとい、はしごに登って出初め式でもやるといい。落雷で少しはマシになるだろう」

 

「死ぬだろ!バカかお前は!」

 

 ……ほんとに落雷くらいで殺せるのかねえ。お前なら雷に打たれても街を平然と歩いてそうな気がするよ。

 

「言っておくが、俺はレキに狙撃拘禁されてたんだ。それで『リマ症候群』を引き起こすために、仕方なくだな……」

 

 星枷を正気に戻すべく苦闘していると、助け舟は意外なところからやってきた。警護してくれていた風雪が襖を開き、そこに正座していた。キンジはチャンスとばかりに、風雪に話しかけると話の流れをうやむやにする。渡りに船とはこのことだな。空腹ムードの聖女さまと俺が箸を動かしていると、姉の横に正座して風雪が何か耳打ちしている。

 

「……やはり、璃璃の……間違いないのですね?」

 

 正気を見失っていた星枷は、風雪が吹き込んだ言葉で我に帰ったという感じだ。

 

「ご、ゴメンねキンちゃん。私、ちょっとレキさんの所へ──失礼します。ごちそうさまでした」

 

 璃璃──星枷が箸を置いたのはその言葉を聞いてからすぐだった。レキの容態が気になることもあり、早々に食事を済ませたキンジに俺とジャンヌも続く。

 

 レキが寝ている救護殿へ引き返すと、先に着いていた星枷が風雪もいた。他にも警護に回ってない巫女たちが救護殿に集まっていた。風雪も星枷もレキを見下ろす表情は固い。

 

「……キンちゃん。少し、お話ししなきゃいけないことがあります。キンちゃんは聞きたがってなかったけど……許して下さい。雪平くんを呼んだのはそのためです」

 

「聞きたがってなかった……? 何の話だ」

 

「色金の事です」

 

 ──色金?

 

「ちょっと待て。どうして色金なんて代物の話が出てくる? あんた達の役目は知ってるが、キンジは関係ないだろ?」

 

「雪平くんはアリアから聞いてないんだね。イ・ウーで何があったのか。私は先月キンちゃんが入院してた時、アリアから聞いたの」

 

「──キンジ、何があった? 何でお前があの金属のことを知ってるんだ? イ・ウーで何があった?」

 

「深くは知らん。シャーロックがイ・ウーでアリアの体内に打ち込んだのがヒヒイロカネ──緋弾だ。シャーロックはそれを研究していて、自分でアリアを撃った」

 

「自分の子供に緋弾を撃ち込んだのか……?」

 

 反論と否定はなかった。俺は堪らずかぶりを振る。

 

「どうかしてる。緋弾を撃ち込むなんて、『刻印』を渡すようなものだ。普通じゃない」

 

 あの金属を打ち込まれるってことは──器の候補になるってことだ。下手をすれば色金に取り憑いた意思に狙われる。シャーロックがどこまで色金について知っていたかは分からない。だが、あんなものを撃ち込まれて平穏無事の生活を過ごせるわけがないんだ。どうかしてる。

 

「落ち着け。お前がそれでは話を切り出せないだろう?」

 

「……悪い。星枷、続けてくれ」

 

 聖女様に言われて俺も我に帰る。

 

「うん、続けるね。キンちゃん、話せる限界はあるんだけど……私たち星伽の巫女は、色金の事を知っています。理解し辛い事かもしれないけど、色金は人の心と通じる金属なの。そして色金と通じることのできる心は、決まっているんです」

 

 そう、人の心と通じる金属。そして通じる心には相性がある。誰でも良いわけじゃない。

 

「それは知ってる。シャーロックが言ってたが、ヒヒイロカネ──緋弾を覚醒させられる人格には、限りがあるんだろ。たしか、子供っぽくて、プライドの高い人格……」

 

「うん。でも、それは緋緋色金の場合で……色金には、いくつか種類があるの。その中の一つが……璃璃色金」

 

 リリイロカネ──確かルシファーが話していた色金の一つ。他には確か──そう、ルルイロカネってやつがあるはずだ。覚えてるよ、ラファエルもルシファーもあの金属のことは快く思っていなかった。

 

「失礼ながら先ほど、お身体を検分させていただきましたが──レキ様は恐らく、郷里で璃璃色金のそばで永い時を過ごされたのでしょう。璃璃色金と心を通じる、いわば、かの地の巫女のような存在として」

 

「巫女……レキが?」

 

「おかしい話じゃないさ。緋緋色金が器になる心を選ぶように、璃璃色金も通じる心を選ぶ。璃璃色金は父が作った玩具の中身を嫌ってる──つまり、人の心を嫌っている色金だ。璃璃色金の影響を受けて過ごしていたなら、レキに感情の起伏が薄いのも頷ける」

 

 風雪に変わり、俺がキンジの問いに答える。風雪は低く頷くと、傍らに置いていた桐の小箱から小さな巻物を取り出して、器用に広げていく。

 

「雪平様がおっしゃることは本当です。これは星伽神社に伝わる史書ですが──ここに、璃璃色金についての記述があります。先ほど雪平様が指摘されましたが『璃璃色金は穏やかにして、人の心を心を厭い、人心が災厄をもたらすとし、ウルスを威迫す』とあります」

 

 璃璃色金に敬服せしウルスは、代々の姫に己の心を封じさせ、璃璃色金への心贄とした──風雪が続けた言葉を要約すればこうだ。自分の器にするために人の心を殺した。ガブやルシファーでさえユーモアはあったのにな。

 

「ですが雪平様。どこで璃璃色金についてお知りになられたのですか? 失礼ながら色金の研究はあなた方の専門外かと……」

 

「地獄の檻にはテレビもないんだ。一緒に過ごしてるとルームメイトから色んな話が聞ける」

 

 意味を悟ると、風雪は顔を僅かに下げた。悪いな、後味の悪い答えで。

 

「……先程の言葉はだから『父』と言われたのですね」

 

「昔の話だよ。名前を聞くまで、璃璃色金のことも忘れてた。だが、ウルスってのは聞いたこともない」

 

「それはそうだろう。ウルス族はロシアとモンゴルの国境付近、バイカル湖南方の高原に隠れ住む少数民族だからな」

 

 腕を組みしつつ聞いていたジャンヌが隣から口を挟んだ。どうやら心当たりがあるらしい。

 

「……知っているのですね。彼女たちの事を」

 

 真剣な星枷の声色にアイスブルーの瞳が細められる。

 

「私は遠山に頼まれて、レキについて調べていたからな。実を言うと、確証は無かったが初めから心当たりはあった。イロカネを保有する者同士、イ・ウーとウルスは完全な無関係ではなかった。その弓と矢でアジアを席巻した、蒙古の帝王──チンギス=ハン。ウルス族はその戦闘技術を色濃く受け継いだ、彼の末裔の一族だな?」

 

 俺が目を丸めていると、星枷は何も言わずにジャンヌを見据えている。否定する気配じゃない。

 

「かつてウルス族は優れた弓や長銃の腕を恐れられた、傭兵の民だった。レキにもその傾向は見て取れる。優れた狩人と言ってもいい。しかし、次第にその数を減らし……シャーロックがイロカネ絡みの交渉をしに訪れた時には、もう47人しか生き残りがいなかった。それも、その全員が女だったらしい」

 

 俺の脳裏にはかつて取り逃がしたアマゾネスの一族がフラッシュバックした。彼女たちの部族も全員が女。男は新たな子供を作るときのみ必要とし、産まれた少女が交わった男を殺す。それが風習、一族に男が加わることは絶対にない。ちくしょうめ、未練のある狩りを思いだしちまった。

 

「ウルスには男が生まれない理由があるんじゃないのか? 特異体質を持った一族は珍しくないだろ?」

 

「ウルスは閉鎖的な民族だったからな。同族の血が濃くなりすぎて遺伝子に異常をきたし、女しか産まれなくなったのかもしれない」

 

 目の前で交わされるキンジとジャンヌのやり取りに俺は目を伏せた。なるほど、だからレキはキンジに求婚を迫ったわけか。女しか生まれなくなった──一族の跡継ぎを残すために。

 

 ああ、つまるところいつもの流れ。神崎とレキとの確執を作ったのもいつもの理由。本当に飽き飽きしちまうよ。結局、トラブルを引き寄せるのはいつだって"家庭の事情"だ。

 

 

 

 

 

 

「雪平様、少しよろしいですか?」

 

 縁側に座って、雨宿りしているときだった。思えばそんな畏まった呼び方をされたことは一度もない。

 

「雪平でいい。別にウィンチェスターでも構わねえよ。まあ星枷の習わしが許さないのかも知れねえが」

 

 縁側にやってきた風雪にそう言うと、俺は9mmの弾にナイフで小さな悪魔封じを刻む。昔、アバドンと戦う前に思い付いた携帯できる悪魔封じ。地獄の王子レベルの悪魔はともかく、地獄の騎士やそこいらの悪魔なら動きを完全に止められる。

 

「先の話、地獄にいたのは本当なのですね」

 

「不良物件もいいところだよ。テレビないし、景色は最悪。家賃がないこと以外メリットは何もない」

 

「彼等は知っているのですね、色金のことも」

 

「奴等、俺やあんた達のご先祖様よりも遥か昔に生まれてる。大天使は神の次に作られた原始の創造物だからな。ルシファーもラファエルも色金は嫌ってたよ」

 

 大天使の名前にも真剣な表情。この子も星枷の巫女、事情通か。

 

「雪平様は行かれたことがあると聞きました。地獄だけでなく天国にも」

 

「自慢にもならねえよ」

 

「天国とは──どんな場所ですか?」

 

 ナイフを下ろし、徐々に日差しを戻してきた空を仰ぐ。

 

「天国にはその人にとっての安らぎがある。なんて言うか一番大切な記憶が広がってる、そんな感じ」

 

「安らぎ……ですか」

 

「ああ。人によって色んな天国があって、みんなそれぞれ景色が違うんだ。でもきっと……良い場所なのかな。悪いな、曖昧な説明になって」

 

「こちらが私情で聞いたことです。どうか気になさらず」

 

 それは助かる。俺にとっては縁のない場所だ。全部が終わって、おとなしく天国にご案内。そんな虫のいい話は有り得ない。入場のチケットはとっくの昔に断っちまった。

 

「いや、誰でもそれは気になるよ。誰にだって死はやってくる」

 

「雪平様がそれを言うのですか?」

 

 くす、と初めて少女は笑みをこぼした。

 

「おかしいか?」

 

「いえ、申し訳ありません。貴方と御兄弟は死にすら抗って航路を切り開いてきた──そう聞いているものですから」

 

「噂は脚色される。俺も君と同じくらいのときから家庭の仕事は手伝ってたけど、君ほど仕事熱心かと言われると怪しいね。親父に育ててもらった手前、こんなこと言えた立場じゃないけど、普通の生活に憧れてた」

 

「ですが、今では立派なハンターです」

 

「ありがとう。年下から慰められてる情けないハンターだけどな。いや、君は大人びてるからセーフ、そういうことにしとくよ。あ、お礼にひとつアドバイス。外交を担当してるんだっけ?」

 

「はい、他国との外交は私の役割ですが……」

 

「言っとくけどハンターの彼氏は大変。あとUKの下手物連中に気をつけろ。奴等、生まれたときから非常識だから」

 

 身振り手振りで語ってやると、一瞬の間を挟んでから苦い笑いと頷きが返ってくる。

 

「話に聞いたとおりの方ですね、雪平様は」

 

「俺の活躍する話?」

 

「残念ながら」

 

「じゃない方か。なるほど」

 

 冗談めかした質問にも律儀に彼女は首を振ってくれた。姉と同じく、目を奪われるような艶やかな黒髪が眼前で揺れる。

 

「平時と緊急時ではあまりに人が変わると評判ですが、今日お話ししてよく分かりました」

 

「褒め言葉として貰っとくよ。正直なところ、後のことは俺にも分からない。さっきの話に戻るけど、神様だって小火を出すような世の中だ。誰にも先のことは分からない」

 

 先のことがどうなるか分からない。

 

「キリ、私は間もなく京都を発つ。遠山のことは任せるぞ。May we meet again. (再び会わん)

 

 

 背中を向けて、そう残したジャンヌが去っていく。先のことは分からない。だが──ここは本当の天国よりずっと良い。

 

 

 

 




次回、電車ジャックに突入します。ようやくココを出せますね……

『言っとくけどハンターの彼氏は大変』S12、6、ジョディ・ミルズ──


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遅れてきたのはだれ?

「──これは、あたしの友達に相談された話なんだけどね。ほら、あたし、その……れ、恋愛話とか、そういうの分かんないから。そう、あたしの友達の話なんだけど……あんた達なら分かるかなー……って思ってね」

 

「やったな、恋のレッスンをするときがきた。退屈してる愛マニアの先生になんでも聞いてやれ」

 

「……だから、あたしの友達。言っとくけど、あたしの友達の話よ?」

 

「分かってる。理子」

 

「なんでも聞きたまえ! 理子はラブロマンスの人間ウィキペディアだっ!」

 

 神崎かなえさんの裁判が迫り、イ・ウーと関わった俺には彼女の弁護士と打ち合わせをする可能性が不確定ながら存在した。まだレキの目は覚めていないが、あとのことは風雪に任せることにして、俺、キンジ、星枷は山陽・東海道新幹線のぞみ246号、東京行きに乗っている。

 

 そして偶然乗り合わせていた理子、神崎、武藤を見つけたが……珍しく神崎から恋愛相談を持ち込まれ、俺は理子の向かい側の座席に座ることになった。理子が積み上げていた大量の飲み終わったいちご牛乳パックと一緒に。なんつー量だ、これで図画工作ができるぞ。

 

「今なら男子目線での解答も聞けるよ? アリアも運が良いよね、なんたってキリくんは恋愛相談のSPECホルダーなんだよ?」

 

「俺はSPECホルダーでもグリムでもねえよ」

 

 理子は嬉々として話を振ってくる。恋愛相談の異能力ねえ。カウンセラーや占い師でもやれば人の助けになるのかな。馬鹿みたいなことを考えていると、理子の隣の座席に座っている神崎が話を戻す。

 

「まぁ、なんでもいいんだけどさ。あたしの友達……そのっ、その友達は……えっと、仮にAさんと呼ぶわ。そのAさんは、ある男子……まあ、これはK君。Kが、べっ別にハッキリ好きとかそういう事は言ったり言われたりはしてないんだけど、その……まあ、一緒に行動してたのよ。何ヶ月も」

 

 K……アルファベット11番目のKか。理子を見ると、珍しい神崎からの恋愛相談にうっすらと汚い笑みを浮かべている。ラブロマンスの人間ウィキペディアはこの手の話が大好きらしい。そういや、ディーンもウェイトレスがキャスに脈ありと分かった途端、作戦会議をほったらかしで恋のレッスンを始めてたったけ。

 

「それで分かったんだけど、Kは──やる気は無いけど、やればできる男子だったのよ。それでAさんはKと協力関係になって、ケンカ友達みたいになってたの。そうしてる内に、AさんはKを『自分のもの』みたいに感じるようになったっていうか……その……」

 

「ふむふむ。友達以上・恋人未満ってやつだねぇ。そして異性に対する独占欲が、正式におつきあいする前に芽生えてきてしまった、と。そういう症状ですな。くふふっ」

 

「で、でもね。Aさん、もうすぐ転校することになっちゃったの。Kを武偵高に置いて」  

 

「あるよねー。転校とか卒業を前に、こんがらがる男子と女子」

 

「ずっと近くにいた奴と会えなくなるんだ。それも妥当だろ。長く過ごせば過ごすだけ、別れが嫌になる」

 

 理子が追加のいちご牛乳を開き、俺は腕を組むばかりだった。誰にだって別れは来る、遅かれ早かれどこかでやってくるものだ。何度やっても慣れるもんじゃないが。

 

「でもね、そうなった時にキン、あっ、その、K君は別の女子に近づかれた。これは……Rさんって女の子ね。性格も能力もAさんとは全く違うタイプの……優秀な子よ。その後、KとRさんは一緒に行動するようになって……その……」

 

「ふむふむ。Kくん、イチゴばかり食べてたら、メロンが食べたくなったってことかぁ」

 

 傍にいすぎて、迷っちまったってことか。神崎が優秀って言うなら、そのRもKの気を惹き付ける魅力的な女性だったんだろう。隣の芝は青い、と言うが魅力的な女に目移りする気持ちは分からなくもない。

 

「男ってそんなもの?」

 

 緋色の瞳は俺に向けられ、俺は後ろ頭を掻いた。

 

「全部の男がそうじゃないけど、完全には否定はできないな。人間の欲には際限がない。恋人がいるからって、他の女に目移りしないとは言い切れないのが現実だ。探偵がする仕事で何が一番多いと思う?」

 

「──浮気調査、探偵事務所の面接で面接官から説明されるくらいだもんね」

 

 正解。理子はいちご牛乳を飲んでから一言。

 

「女子が産む性なのに対して、男子は産ませる性だから。いろんな女性に自分の子孫を残そうとする本能があるのですよ。くっふっふ」

 

「あ、あんたの話はちょっと生々しいわ」

 

「その辺、『女好きっぷり』は個人差が大きいんだけどねぇ。Kくんはどうなのー?」

 

「──女ったらしよ!」

 

 即答かよ。理子の言うとおり『女好き』には個人差があるが、どうやらKくんの闇は深いらしい。それを裏付けるように神崎の話は続く。

 

「普段はダメ人間なんだけど、女子の前でだけは一瞬カッコよくなるっていうか、すごく……こう、胸が苦しくなって、後でその事ばっかりグルグル考えちゃうような……ヘンなことをたまに言うの。急に自信に溢れてっ、いきなり触ってきたりとかもするし。ほんと、びっくりする。なんていうか──」

 

「Kくんはタラシで自意識過剰な正義の武偵だったんだね?」

 

「そうよ、それ! 正義じゃなくて悪魔の武偵よ!」

 

 ……悪魔の武偵って何だよ。俺も頭文字がKだから怖くなるっての。量はどうあれ、実際にモノホンの悪魔の血を飲んじまってるし。

 

「でも、あた……あ、AはKに感謝もしてるの。一緒に行動するようになって、Kは自分の身を削ってでも、誰かを助けられる奴って分かったから……ひねくれてるところはあるんだけど、本質は優しいところもあるのよ、そ、そう言ってたわ! あたしじゃない、Aが言ってたの!」

 

 まあ話を聞いてる限り、このAはどこまでもKに惹かれてるらしい。

 

「それで、Kがそんなだから……Aさんは大ゲンカしちゃったのよ。Kと。でも、あた……あ、A! Aさんはその、転校する前に、そのKを……『取り戻す』までは行けなくても、仲直りだけでもしておきたいの」

 

 それも純粋に、

 

「自分勝手だって分かってるけど、でもRに取られたままじゃ……また会えた時、もうKはRのトリコになっていて、Aとは組んではくれないかもしれないじゃない。だからその……」

 

 一途なまでに、

 

「どうすれば、KはAさんを忘れないでくれるかな。そのっ、な、何をすればいいの、転校前に」

 

 神崎の話を聞いてると俺もAを応援したくなってきた。Kが最後に誰を選ぶかは自由だ。それを縛る権利は誰にもない。けど、大切な人に自分のことを憶えていて欲しいって気持ちは──俺にはよく分かる。ディーンとリサとの最後を、見ちまったからな。俺は窓の外に、ほんの少しの時間だけ目をやった。

 

「なあ、神崎。いまの世の中、そりゃ浮気や女タラシの男が溢れてるけどさ。それでも中にはいるんだよ。最後まで一人の女性を忘れずに好きでいる男もいるんだ」

 

「……それ、あんたのこと?」

 

 俺はうっすら笑い、そしてかぶりを振った。

 

「いいや、俺じゃない。けど、ずっと近くで見てきた。自信を持って言えるよ」

 

 俺もあそこまで強くなれると良いんだけどな。あの病室、あのときの選択を俺は間違いとは思わない。あのときに見た涙を──俺は忘れない。

 

「自分と過ごした思い出どころか名前まで忘れられて、声をかけても昔みたいに名前も呼んでくれない。元の関係には戻れないことも分かってる。それでも──変わらずに一人の女を愛してる男もいる、何年経ってもさ」

 

 そこまで言って、喉が詰まりそうになる。馬鹿みたいに手が震えそうになった。ふと、あの病室で聞いた言葉が脳裏に再生される。最後の願いは、どこまでも残酷だった。

 

「だから、KにとってAが大きな存在なら、何があっても忘れたりしねえよ。人間、近くから離れて初めて気づくことがいくらだってある。失くさないと気づかないもんがわんさか。Aと離れてからKも少しは感じてるんじゃないかな。近くにいて有り難みを忘れてた、それが人間ってやつだ」

 

 傍にいるのが当たり前。だから、失わないとが価値に気づけない。

 

「一緒に過ごした時間が……短くても?」

 

「一緒に過ごした時間は短くても、その相手を思い出させるものは数えきれないぐらいあるかもしれない。時間が全部じゃねえよ」

 

「んーっふっっふ、キリくんは意外とロマンチストですなぁ」

 

「ファンタジー映画が好きでね。いちご牛乳飲みすぎだぞ?」

 

 空のいちご牛乳を受け取り、俺は隣で出来上がっている山に積み重ねた。まるで小さなピラミッドだ。東京に着くまでにどこまで大きくなるか。理子はわざとらしい咳払いをして、

 

「Aさんさんはもうすぐ、お誕生日ですね? それも転校する直前にお誕生日がくる」

 

「よ、よく分かったわね!そう、そうなのよ!」

 

 一転、神崎は驚いた様子で俺と理子を交互に見てくる。その驚きは席からジャンプするような勢い、小さなラビットみたいだ。実際、兎が跳ねるのは喜びの表れと言われてるが神崎の表情もさっきよりは明るい。

 

「くふふっ。そりゃぁもう。天才恋愛カウンセラー峰理子りんですからね」

 

 その肩書きは初めて聞いたぞ。

 

「──そこが決戦になるね、その三角関係は。Aさんは焦っちゃダメ。何もしなくていい。待ちの一手でキーく……おっと。Kくんを試すんだよっ!」

 

「た、試す……?」

 

 何もしない受けの姿勢に不安を感じらしい神崎が同意を求めるような視線を飛ばしてくる。大丈夫だよ、天才恋愛カウンセラーが言ってるんだ。自称だけどな。

 

「Aのことを大切に想ってるなら、何もしないで誕生日を見逃すことはないだろ。二人で会える絶好の機会だ」

 

「そう。KくんがAさんをキライじゃなければ、何もしないってことはまずないよ。お祝いにかこつけて、2人っきりで会おうとしてくる。そこが決戦の舞台だよ」

 

「決戦……」

 

「別れ際に告白ーーってのも、あり得るかもねぇ。告白なら上出来……いや、それ以上もあり得るかもしれないよぉ?」

 

「こ、ここここ、ここく! はッ、くッ! そ、それ以上いけない! そ、それ……too much!best muchでもいけない! だ、だって too early for me, for I'm just 17 at that time!」

 

 ……俺も一応育ちはローレンスなんだが。まだ早いってことは時間が来たなら大丈夫ってことか。赤い兎は、それ以上の何を考えたんだかなぁ。そのまま席を立ち上がった神崎は──おい、後部の車輌まで行っちまったぞ。

 

「なあ、知ってるか。兎って嬉しいときに走ったり、跳び跳ねるんだってよ」

 

「アリアが兎ならキーくんは?」

 

 キンジだからキジ……は流石にないよな。思わず、俺はかぶりを振った。こんな答えを口走った日には後悔で頭を抱えそうだ。席に座りなおすと、理子と視線がぶつかる。いちご牛乳のストローを咥え、俺に言葉はなく痛い視線だけがぶつけられていた。一転、騒がしかった空気が重たい沈黙に変わっていた。俺も売店で買った紙パックのレモンティーにストローを挿すと、飲料の違いはあるがまるで鏡合わせだな。

 

「キリくん」

 

 先に切り出したのはやはり理子だった。また漫画やアニメの話か?

 

「キリくんは告白しないの?」

 

「こっほっ!」

 

 やべえ……咳き込んだ。恨めしい視線で理子を睨むとあざとい口笛が返ってくる。ちくしょうめ、レモンティーに喉をやられるとか笑えない。

 

「ふざけんな、咳き込んじまっただろ……!」

 

「キリくんもアメリカに帰るんでしょ? ジャンヌと賭けてるんだよねぇ」

 

「なにを?」

 

「キリくんが告るのか。ううん、卒業までに彼女を作るのかどうかの賭け」

 

「バカかお前は。聖女様も悪ふざけがすぎる。賭けならもっと他にあっただろ」

 

 理子もジャンヌも俺の知らないところで、つまらない賭けをしてたのか。理子とジャンヌのメモリーを探ればもっと賭けに相応しいものは溢れてそうだが。嘆息するがまだ神崎は戻って来ない。

 

「当ててやろうか。ジャンヌは……俺は何もしない方に賭けた」

 

「へぇ、どうして?」

 

「あいつは俺が驚くほどにこっちの事情に詳しいからな」

 

 理子は何も言わない。だが、きっと俺の推測は当たってる。ジャンヌは下手すると星枷以上にこっちの事情に通じてる。器、刻印、アマラ、コルト……まるで、これまでの道のりを近くで見てきたようだった。

 

 俺たちがこれまで誰かを好きになって、普通の生活を過ごそうとして、一緒になろうとして、それでどうなった。分かってるさ、体験してる。一緒にはなれない。ジャンヌにも俺の考えは見抜かれてる。だから、あいつがベットするのはそっちだ。空になったレモンティーのパックを積み上げられたいちご牛乳の山の上に重ねる。

 

「お前は頭の良い女だ。それにこっちの事情も全く知らないってわけじゃない。分かるだろ、ウィンチェスターが誰かと一緒になったら、その人の生活を無茶苦茶にするだけじゃ足りない。相手の全てを台無しにして、いつもどおり最後には血を見る、誰も望まないストロベリーナイトだ」

 

 苺のように鮮やかな鮮血、大切な人のそんなもん見たいわけがない。でも見てきた。俺もサムもディーンも大切な人から吹き出る血を──脳裏に焼き付いて離れないほど近くで。

 

「キリくんだって誰かを好きになることあるでしょ。その子がキリくんを好きになっても一緒になることを拒むの?」

 

「そうだな」

 

「アンフェアだね、キリくんの生き方は」

 

「いくら好きでもその人にまとわりついて、生活を滅茶苦茶にするのは愛情なんかじゃない」

 

 俺たちはそれだけの泥を振りまいてきた。貯まったツケは精算しないといけない。かぶりを振って、そのまま言葉を続ける。

 

「とにかくハンターであろうとする限り、普通の暮らしは望めないんだ。一緒になったら、俺みたいになっちまう。人間以外のあちこちから恨みを買って、二度と非日常から抜け出せなくなる」

 

「……でもキリくんは悪人じゃない、でしょ?」

 

「まあ、お前が好きになる男ではないな」

 

 飛び出して来た思わぬ答えにはうっすらと笑みを作る。飛行機の中でワルサーを向けてきた女の言葉とは思えない。でも本音を言えばお前に否定してもらえて嬉しいよ。

 

「普通の生活は望めない。でも俺、狩りが終わって、お前やジャンヌと夾竹桃の部屋に上がり込むの好きなんだよ。あいつが嫌な顔しながら出迎えてくれて、聖女様やお前と話せる時間は悪くなかった。色々話せて、たまに感動してうるっとしたし、良い時間だと思ってるよ」

 

「お互いあり得ない展開だらけ、でも精一杯やるしかない」

 

「ああ、配られる手札は最悪。仕方ない。皆が平等、横並びになるなんてことはないんだ」

 

 それでも、限られた手札でなんとかするしかない。肩をすくめる理子も、そして俺も、力なく笑った。

 

「ところで、夾竹桃への土産って本当にインスタントコーヒーでいいのか?」

 

「男女はコーヒーで始まり、次に食事、そして映画。気がついたら──」

 

「妙な関係になってるわけだ」

 

 お土産のインスタントコーヒーは理子のセレクト。売店に置いてある税込でも1000円前後の手頃な物だった。本人に欲しい物なんて聞いた日には、自分の知らない毒についての知識──そんな身も蓋もない答えが返ってくるに決まってる。俺は静かにかぶりを振った。トラフグでも持って帰れば良かったかな。

 

「とっくにあいつとは妙な関係だよ。一度は毒殺されかけたってのに、今ではあいつに何かあったら……」

 

 ……俺は十字路を探し回る。あいつのストロベリーナイトを目にしたら、俺はきっと十字路を目指すことを止められない。

 

「キリ、理子。ちょっといい?」

 

「おろ? アリア、遅かったねぇ」

 

「落ち着いたか? 東京まではまだ長いぞ?」

 

 ……俺と理子は重なって神崎を見ると、その反応に眉をひそめた。立ち上がったときとの慌てふためていた態度は一転、神崎は怪訝な表情で席に座る。

 

「考えてたのよ。水投げの日にあたしに拳銃戦を挑んできた留学生のこと」

 

「理子から聞いてる。にわかに信じられないないけどな。お前と拳銃戦で互角、そんな中学生いるか?」

 

「だから、あたしも考えてた。掟破りの拳銃戦だけど結局勝てなくて、逃げられたわ。こう、なんか引っ掛かるのよね」

 

 納得いかないって感じだな。俺もそれには同感、相手が普通の留学生とは思えない。Sランク武偵、それも神崎が得意とする拳銃戦で互角の立ち回りを演じる時点で普通じゃない。東京までの帰路はまだ長い、窓の外を見ながら自分なりに可能性を探っていると──不意に電車が揺れた。

 

「なに?」

 

 やや不機嫌に神崎がぼやく。

 

「……キリくん、外見て」

 

 口早に言い、理子が窓を見る。外から見えていた名古屋駅のホームが、どんどん流れていく。停車するはずの名古屋が、電車から遠ざかっていった。俺たちの困惑が伝染したように周囲の席がざわめき始める。何かのトラブルか──?

 

『──お客様に、お知らせいたします。当列車は名古屋に停車する予定でしたが、不慮の事故により停車いたしません』

 

 ──不慮の事故、アナウンスの内容は常識の埒外と言うほどではなかった。乗り物である以上は事故と無縁とはいかない。だが、これだけの人間が集まってる。乗客が皆が皆、物分かりが良いとは限らない。ざわめきは次第に大きくなる、一人が騒げば別の座席からまた一人。分かりやすい悪循環だ。そして、

 

『なお、付近に不審な荷物・不審物がございましたら、乗務員までお知らせ下さい』

 

 こんな状況では危険物への警告も火に油を注ぐだけ。公開した情報も不明瞭で乗客の不安を煽ってる。気付けば電車の中はパニック状態、乗り合わせていた武偵高の生徒たちも騒ぎを抑えようとするが駄目だな……鎮火できるレベルを越えちまってる。逃げ場のない電車の中なのも不安を煽るのに一役買ってるな、最悪だ。

 

『乗客の皆さまにお伝えしやがります』

 

 ダメ元で騒動の鎮静に混ざろうとしたときだった。頭の片隅に追いやられていた記憶が、唐突に脳裏をよぎる。

 

『この列車はどの駅にも停まりません。東京までノン・ストップで参りやがります』

 

 ……ボーカロイドの人工音声。この状況は入学式のバスジャック事件と瓜二つだ。そして、その見立てでいけば……

 

『列車は3分おきに10キロずつ、加速しないといけません。さもないと、ドカーン! 大爆発! しやがります──アハハ』

 

 ちくしょうめ、最悪だ。バス、飛行機と来て、お次は特急列車かよ……!

 

「……やられた。キリ、アリア、乗り合わせてる戦力をかき集めろ。あたしが分かることを手短に話す」

 

 理子は開いた両膝の間に手を突っ込んで、シートを探るような動作を見せる。何かを探すような動きだ。理子の重たい声色に俺も舌が鳴る。険しい顔つきの理子に神崎が話を振る。

 

「この状況に心当たりがあるって顔ね?」

 

「最悪だ。ツァオ・ツァオ……あの守銭奴、欲を抑える気がないのか……ッ!」

 

 理子は激昂する一歩手前だった。車輌の自動ドアの上にある電光掲示板には、いまの電車の速度がご丁寧に流されている。この犯人は人の不安を煽るのがどこまでも上手い。爆弾と電車の速度がリンクしてるなら、この掲示板の数字も乗客の恐怖を煽る立派な材料だ。

 

「そのツァオ・ツァオがこの騒動の発端なのね?」

 

「ツァオ・ツァオは──子供のくせに悪魔じみた発想力を持った、イ・ウーの天才技師だ。莫大な金と引き替えに魚雷やICBMを乗り物に改造したり……爆弾の知識にも精通してる。これは『加速爆弾』だ。キンジのチャリに仕掛けた『減速爆弾』と同じで速度の維持を誤れば起爆する。あたしは──あいつから爆弾の知識を習ったから分かる。さっきのアナウンスは脅しじゃないぞ……」

 

 目を伏せた理子にも冷や汗が見える。俺たちの中で最も爆弾に精通してる理子が言うんだ。疑う余地はない。

 

「バスが終われば、お次は電車か。今年の入学式までは『スピード』の映画は大好きだったんだけどな。要するにイ・ウーの武器商人、Aランクのインテリがセムテックスレベルの金持ち爆弾を旅行鞄に入れてきたわけだ」

 

「笑えないわね。理子あんた、生徒ならこの爆弾の基本構造は分かってるんでしょ。すぐ起爆装置を探し──」

 

「駄目だ。あたしは動けない」

 

 状況の打破に真っ先に白羽の矢が立った理子がかぶりを振る。言葉を被せられた神崎に指摘される前に理子は座席の下を指で示した。

 

「この座席が感圧スイッチになってる。迂闊だった。あたしが立つと、どこかに仕掛けられた爆弾が爆発するぞ」

 

 ……先手を取られたか。爆弾を仕掛ける上で最も障害になる理子を真っ先に排除しやがった。理子が言った悪魔じみた発想力は残念なことに過大評価ではないらしい。

 

「……マズイわね。このまま行くと爆弾以前に東京駅に突っ込むわ」

 

「どっちにしてもラストはハッピーじゃない」

 

「キリ、あんた爆発物の解体経験は? 海兵隊仕込みでしょ、なんとかならない?」

 

「……親父を通じて多少は学んでるが、俺たちはたまたま電車に乗り合わせただけだ。X線での透視もできねえし、収納筒も持ち込んでない。ここまで用意周到な奴なら、爆弾には何かしら処理妨害の装置を巡らせてる。俺たちだけで爆弾を撤去するのは……少し厳しいぞ。この犯人はかなり頭が回る、それに──かなり性格が悪い」

 

「ツァオ・ツァオはただのインテリじゃない。あいつは優れた技師であり、人体の壊し方を熟知した狡猾な殺手だ。よく聞け、この手の爆弾は、無線でスタートさせる。たいてい、もう手で触れられない場所に爆薬を仕掛けるからな。でも、無線ってやつは確実性に乏しい、この手の無線機が山盛りに積んである移動体だと、障害は山ほどある」

 

 混線や輻輳、セル圏外、弱電界、H/O失敗……手当たり次第に理由が並べられていく。

 

「そういうときの対処方法はシンプルだ。退路を確保した上で、()()()()()()()()()()。あたしはヤツにそう習った。ターゲットが乗車したのを見定めて、車内で仕掛けを確実に起動しろ、って」

 

 理子の目付きが鋭く変わる。つまり……

 

「──ヤツは、もう来てるぞ」

 

 理子の言葉に誘われたように、乗客の悲鳴がいっそう強くざわめき出した。イ・ウーの残党、組織が空中分解して早くも絡んで来やがったか。

 

 だが、この列車には神崎もキンジも星枷だっている。いまは理子もこっち側だ。おとなしく負けてはやらねえぞ、返り討ちだ。

 

 




スーパーナチュラルはどちらかと言えば悲恋の方がしっくりと来ます。作風の影響でしょうか。一方のアリアは良い結末で最後を締めるのがしっくりと来ます。主人公の恋愛絡みはどちらに傾くのでしょうか。


『いくら好きでもその人にまとわりついて、生活を滅茶苦茶にするのは愛情なんかじゃない』S6、14、ディーン・ウィンチェスター──


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出迎えたのは?

「バスの次は電車。ここまで重なると、お次は豪華客船だな。観光地に乗り上げて、油送船と大激突。蠍への土産話がまた一つ増えそうだ」

 

「ああ、ウケたよ。つか、蠍って?」

 

「キンジ、そんなこと後回し。今はやることをやる。でないと二度と笑えなくなるわよ」

 

 神崎が冷たく言い放つ。突然の騒ぎで違う車輌にいたキンジもこっちの車輌までやってきた。レキや駅の一件はまだ終息していないが、そこは武偵。神崎の緋色の瞳から色恋沙汰の私情は見てとれない、Sランク武偵は大きな戦力だからな。調子が戻ってるみたいで安心したよ──早速頼ることになりそうだ。

 

「你好、シャーロック4世。これココの用意した棺桶、よく来たネ」

 

「──ココ!」

 

「キンチ。ここで立直ネ」

 

 前方の車輌から現れた女……キンジからココと呼ばれた女は当たり前のように青竜刀で武装していた。青竜刀は強襲科で何度か見たことがある。刃の切れ味ではなく、刀身の重さによって肉と骨を切断する武器。武器が持ってる重量を前面に押し出した力の塊、体躯は神崎とほとんど変わらねえがココは易々と振り回してやがる。神崎の両手にガバメントと言い、小柄な体躯と狂暴な武器の絵面が最高に──ベストマッチだよ、最悪だ。

 

 ココが軽く振っただけで座席は叩き割られ、青竜刀が見た目どおりの重い圧を放つ。悪趣味なデモンストレーションのお陰で殺傷能力が申し分ないことはよく分かったよ。ココの乱暴な人払いに扉付近に座っていた乗客は皆揃って逃げ出し、車輌の前側は一転して閑散としている。空いた座席も青竜刀に薙ぎ払われ、悲壮感極まりないな。

 

 突然の乱入者は怒気の籠ったキンジの叫びもまるで気にしてない。余裕めいたウィンクまで飛ばしてる。キンジが小さく舌をならした。

 

「電車一本占拠して空テン立直とは御苦労なこった。流れる前に俺がとばしてやる」

 

「きひっ! ワンヘダ、会うのは初めてネ。噂聞いた通り、頭足りてないヨ。アメリカ人、なんでも力で問題を解決しようとするネ」

 

「その化石時代の先入観には共感しかねるぜ。ワンヘダ、ワンヘダってその名前はどっから広まってるんだ。理子、聖女様? それとも砂漠の王様か?」

 

「広めたのは夾ちゃんだよ! 理子は無実! 理子は清廉潔白!」

 

「お前が一番怪しいんだよ!」

 

 不満を叩き、ルビーのナイフを抜いた俺が先手を奪う。従来はライカンと悪魔用のナイフ片手に距離を詰めるとココも青竜刀を一振り、間合いを確かめる素振りを見せる。自分から得物の間合いを……自信家だな。

 

 リーチはココ、武器の取り回しは俺が有利。殺傷圏内で刃同士が触れ合い、金属の擦れる音を立てる。ナイフでの切り払い、突き……手数で攻めるが、ココは鉄の塊みたいな斧で器用にナイフを捌く。体は小さく敏捷、一方で重たい武器を軽く扱う膂力は笑えない。どこまでもアンバランスな女だ、嘆きたくなる。

 

「足りないネ、浅い」

 

「言ってろよ」

 

 斬り結んだ刹那、俺とココの蹴りがほぼ同時に命中。ココは腰に、俺は肝臓をやられてお互いにノックバック。互いに殺傷圏内から飛び出る。

 

「キリ、背中貸して!」

 

「それは、どういう──」

 

 真後ろから走ってきた神崎が、肝臓をやられて膝を突いてきた俺の背中を踏み台にする。いくら軽い神崎でも少女一人分の体重に体がややぐらついた。俺が答えを返すよりも跳躍した神崎が刀を抜くほうが早い。

 

 俺が立ち上がったときには、抜かれた双剣がノックバックしたココに休息を与えず畳み掛けている。電車は鉄の箱だ、跳弾のリスクを考えると俺たちは車輌の中では銃を抜けない。今の神崎みたく白兵戦を強いられる。

 

「謀ったわね、初対面の時に『ココ』って名乗っておいて──まさか偽名とはね。自信家と思わせて姑息な手を使ってくるじゃない、ツァオ・ツァオ!」

 

 神崎を襲ったのとレキとキンジを強襲したのは同一人物。それを隠せたのは姑息に思えてココの悪魔的な知略を伺わせる。普段なら理子、神崎、キンジの間で大なり小なり情報の共有は結ばれているが今回はレキを挟んでキンジとの交流は断絶していた。そこを不覚にも奴に利用された。

 

 水投げで後輩に遅れを取れば神崎も自分のことは話さない、顔や素性を知られている理子に神崎から詳しい詳細が行くこともない、キンジには言わずもがな。相手が本命の舞台に登るまでは徹底して自分の素性を隠蔽する、立ち回りの上手さは聖女様と良い勝負だ。情報戦だけで言えば俺たちの完敗だな。

 

「その呼び名、間違ってるネ。イ・ウーではシャーロック様がそう呼んだヨ、だからココは皆にそう呼ばせてたネ。曹操(ココ)──これ、魏の正しい発音アル!」

 

 ……曹操。そういうことか、藍幇は中国に拠点を置いている秘密結社だったな。ジャンヌ、パトラ、ブラドと来て……そこに曹操か。イ・ウーの構成員は錚々たる顔ぶれだな、こんなにいれば歴史に名を残す偉人や英雄同士でバトル・ロワイアルだって開けそうだ。

 

 車輌に残されていた子供と妊婦を支えて星枷が後ろの車輌にまで下がる。これで、この車輌に限っては避難すべき乗客はいなくなった。16号車にいるのは戦闘中の神崎とココ、そして俺とキンジ、爆弾のスイッチで座席から立つことのできない理子の5人。拮抗を続けていたココと神崎の白兵戦だが、一時的に間合いが開いた刹那、武器を放り投げて放ったココの蹴り技で均衡が崩れる。

 

「アリアっ!」

 

 ココのやつ、一瞬の隙を見て神崎の顎にサマーソルトを決めやがった。姿が似てるだけじゃない、素手での戦闘も神崎レベルか。よろめいた神崎がこっちに後退し、キンジの手でバタフライナイフが開かれる。俺も空いた手でダガーを投擲するが、ナイフが描く軌道は神崎が後退したことでココと繋がった道だ。読みやすい軌道、そして不意打ちでもない、ココには苦もなく回避される。

 

「キリくんのノーコン! 人でなし!」

 

「おい理子! 最後のはただの悪口だろ!」

 

 体が席から動かせないせいで理子はいつも以上に声だけを飛ばしてくる。俺はココヘ再度の強襲を狙うが不意に踏み出した足が止まる。ココが袖に仕込んでいた噴射器から何かを噴射しやがった。目を凝らすと、それが小さなシャボン玉であることが分かる。

 

 ココの斜め上の行動に疑念が湧くが、ほぼ同時に脳内でレッドシグナルが鳴り響いた。こいつは無駄なことをする女じゃない、悪魔的な頭脳を持った策士であることは分かってる。一見すると無意味なこのシャボン玉も俺を牽制できるだけの代物と見るべきだ。一転して、脱力感に襲われそうな光景を理子の声が切り裂いた。

 

「踏み込むなキリ! そいつに触れるな!」

 

 俺の勘を理子の慌てた声が裏付けてくれる。

 

「そいつは泡爆、気体爆弾だッ! あたしはイ・ウーで見た! シャボン玉が弾けて中身が空気中の酸素と混ざると──爆発するぞッ! 近くなら肉ごと持っていかれる!」

 

「きひっ! 爆泡は見えない爆弾ある。セムテックスよりずっと便利ネ」

 

「いいね。金持ちの爆弾と比較、看守相手のセールストークにはぴったりだ」

 

 空気と混ざることで爆発するなら触れるに触れられない。しかし、シャボン玉は暢気に宙を漂いながら、こっちとの距離を詰めてくる。ココの口許が歪むと、先行しているシャボン玉の背後に新たなシャボン玉が浮かび、列を作っていた。抜け目ない、列車の中でも扱える飛び道具を用意してやがったか。近づいてくる気体爆弾、俺は数歩後退って足を止めた。背後には動けない理子の座席もあるんだ、これ以上は下がれない。

 

「その爆泡ってのはよっぽどの掘り出し物らしいな。理子から聞いてる、あんた腕利きの技師なんだろ。この騒ぎは御自慢の爆弾のデモンストレーションか?」

 

 俺はココに問いながら、ルビーのナイフを掌に当てた。

 

「是的。爆泡、見えない爆弾。どこにでも隠せる、誰にも気付かれない名品ネ。派手に吹っ飛ばせば、注文、世界中から来るネ」

 

「随分と悪趣味なデモンストレーションね」

 

「ココ、無駄なことはしないネ。さっき、日本政府に300億人民元要求したヨ。サイドビジネスおろそかにしないある」

 

 300億って……今のレートじゃ一元が15円前後なんだぞ……

 

「……ふっかけたもんね。日本円で4000億超よ」

 

「億単位の金でサイドビジネスかよ。あんた、どうかしてるね。アドバイスしてやるけど、あの世に金は持ってけないの。三途の川で賄賂は使えないわけ、お分かり?」

 

「払えば良し、払わないなら爆泡の良い宣伝になるヨ」

 

「拝金主義もここまで来るとたいしたもんだ」

 

「どちらに傾いてもココには好都合ネ。ていうか──ワンヘダ、口の聞き方には気をつけるネ。お前、UKの賢人野放しにした。ココ、取引先奪われたネ! お前の失態ネ!」

 

 憤慨するココの口からは予想にしていなかった言葉が出た。UKの賢人、奴等が扱う武器は対怪物用の代物が殆んどだが、その性能は米国の先端科学兵装と良い勝負だ。欲しがる連中なんて探せばいくらでもいる。そして俺が目にした限り、連中に倫理観や常識なんてものはない。自分たちの利益に結び付くかが第一。

 

「それなら標的が違うだろ。組織のお友達連れて皆で殴り込んだらどうだ? 爆弾のデモンストレーションがやりたきゃ他所の星でやれ」

 

「そうだよ! 理子は同じ場所で学んだクラスメイトじゃん! 学友を裏切るなんて……たった4000億円ぽっちのために……」

 

 ……お前、爆弾の上に座ってるのに。流石に肝座ってるな。

 

「金のために奇跡を演じる天使もいる。だが、あんたのやり方よりずっと良心的だよ」

 

「きひっ、もう爆弾は仕掛けたネ。騒ぐの無駄な足掻きヨ」

 

 不意にココの視線が神崎に向いた。

 

「緋弾のアリア。お前のせい、雲行き変わったヨ。イ・ウー崩壊した、世界中の結社、組織、機関、パワーバランス崩れたネ。乱世、これから始まるヨ」

 

 調子づいていた声色は息を潜め、ココは淡々と言葉を連ねる。抑止力だったイ・ウーの崩壊。ココが語る乱世は、ジャンヌの言ってた戦宣会議のことか。

 

「お前、緋緋色金を喜ばせた。これも乱の始まりある。緋緋色金と璃璃色金、仲悪いネ。緋緋が調子づいたこと感付いて、璃璃、怒たヨ。怒って見えない粒子、今まで以上に撒いネ。世界中の超能力者、力、不安定なた」

 

 ……なるほどな、星枷の超能力の不調は璃璃色金の粒子が影響してたのか。璃璃色金から粒子が撒かれていたのは今日に始まったことじゃないが、ココの話を信じるなら緋緋色金に影響されたことで璃璃色金の粒子が今まで以上に散布されてしまった。そして璃璃色金が撒いている粒子のことは星枷も知っていたが、ここまで影響を及ぼす事例は過去になかったせいで気づかなかったんだ。

 

「これから超能力者、良くない日が続くネ」

 

 これまで以上に超能力者は璃璃色金の粒子に左右される。

 

「そうなた時、銃使いの価値増すネ。キンチは超能力者ちがう、でも高い戦闘力を秘めた良い駒ネ。主戦派、研鑽派、ウルス、みんなキンチ欲しがってる。ココ、直々にスカウトに来てやったヨ」  

 

「……この際、無駄だと思うが言っとくぞ。俺は単なる学生なんだ。どんな条件で、どこからスカウトが来ても答えはNOだ」

 

「──良将、最初はそう言うネ。でも人の子には欲有るネ。中国は地大物博人多。何でもある国ネ。キンチ、欲望のまま生きれる、願いはなんでも叶うネ。お前、特別な人間ヨ、特別な人間、普通の場所に居場所ない。阻害されるだけネ」

 

 ココの言葉にも一理ある。特別な人間、自分たちとは違う者を遠ざけようとするのが集団意識だ。異なる者が淘汰されるのも真実かもしれない。だが、そんな理由で裏の世界に丸めこまれるようなら、最初から普通の世界で生きることなんてできやしない。普通の生活なんて望むだけ無駄だ。

 

「やめとけキンジ、あれはお前の臓器を高値で売ろうとする性悪女だ。甘いセールストークのつもりだろうが上っ面が透けて見える」

 

 こんなバイオレンスな出会いからスカウトまでもっていこうって考えがそもそもイカれてる。一瞬の静寂とキンジがかぶりを振る。そして、ココの口角が釣り上がった。

 

「キンチ、レキ、香港の藍幇城へ連れてくネ。そこでココの手足なって働くネ。アリアは買い手つくまで幽閉する。きひひひひっ!」

 

「バカ言わないで! あんたに幽閉されるなんてお断り! 幽閉されるのはあんたよ、ココ!」

 

「ぶちこめ、キリくん!」

 

 ああ、任せな。その台詞とカラカウア巡査は大好きだよ。

 

「ワンヘダ。お前、能力はともかく近くに置いとくの危険ネ。ココが欲しいのは優秀な駒ある。危険な毒、抱えるつもりないヨ」

 

「人を毒呼ばわりか。毒はどっちだよ。人間の欲には際限がない、そして大抵は愚かだ。武器や乗り物だけじゃない、人の身柄を売ってまで金儲けがしたいか?」

 

「ココは世が世なら、姫君ネ。優れた潜在能力を持つ人間、相応の居場所が必要。ココ大儲けで、藍幇の女帝の地位買うヨ」

 

 とん、とココは靴で床を踏み鳴らした。

 

「──なるほど、そんなに権力にしがみつきたいか。それなら、お前の海外旅行は今日で最後だ」

 

 同時に、俺は隣のシートカバーの後ろに描いていた赤い血文字、近頃はやたら乱用している天使避けの図形に掌を押し付けた。解き放たれた閃光は16号車前方に行き届き、立ち尽くしていたココの目を焼いた他、浮遊し近づいていた泡爆を巻き込んでいく。閃光に飲まれたシャボン玉が手当たり次第に誘爆を引き起こし、何重にも炸裂音が重なると付近に設置されていた座席は木っ端微塵──光が晴れたときにはとても座れる場所ではなくなっていた。

 

「……前から聞こうと思ったんだけど、それってあんたの超能力?」

 

「いや、天使を追っ払うまじない。雑魚とハサミは使いようってな」

 

「使い方、色々間違ってるぞ」

 

「今度から気を付けるよ。お前のアドバイスを覚えてたらな」

 

 ココの注意は俺ではなく、目的の要であるキンジと神崎に強く向いていた。俺への警戒が完全になかったわけじゃないが、二人に比べれば雲泥の差。警戒が手薄だったお陰で天使の目を盗むよりずっと楽に描けた。進路を塞いでいた気体爆弾は失せ、まだスタン効果を残すココとの直線が繋がる。

 

「これで海底よ、ココ。折角の立直も無駄に終わったわね」

 

 転がっている武器を放置し、ココも一時後退に踏み切るが既に疾駆していた神崎の方が速い。ココの判断は迅速だったが、追撃に気を配りながら逃走するココと神崎とでは同じ土俵に立っての勝負にはならない。俺の投擲したダガーは低い姿勢で追撃する神崎に先行し、ココの左肩を穿つが……浅いな。ココはほんの一瞬、顔を歪めるだけで動きを止めなかった。

 

「……仕切り直しネ」

 

 振り払われた袖から何かが転がり落ちた。咄嗟に神崎が足を止めると、床を転がった不気味な球体は突如として目を焼くような眩い閃光を解き放った。音響は減音、手軽に携帯できるようにした閃光弾だ。

 

 やられた……視界がぐらつき、それなりに離れていた距離でもたたらを踏みそうになる。理子が使っていた手投げ式の偽装閃光弾、あれの同類か。比較的スタン効果の薄かったキンジが、間近で炸裂した神崎を急いで支える。閃光が晴れると、ココの姿は既に消えていた。起爆地点に歩み寄るとダガーの傷だろう、小さな赤いシミが出来てる。多少の傷は生めたが確かに仕切り直しだな。

 

「──。──。──!」

 

「お、おいっ! 暴れるなって!」

 

 床のシミから神崎に視線を映すと、俺はかぶりを振って額を抑えた。閃光弾に奪われていた視界が回復したことで、今まさにキンジに支えられている状況に気付いたらしい。顔を真っ赤に染め、不意に暴れ出した神崎にキンジも手をつけられない様子だった。再会して早々、抱きか抱えられてるのも変わらない姿勢だったしな。

 

 キンジはなんとか暴れる神崎を沈めようとするが、運悪く列車が大きく前に揺れた。電光掲示板が加速した列車の速度を流したときには──倒れるキンジに覆い被さる神崎の構図が視界に広がっていた。いつもの逆バージョンかよ……真っ先に理子が喝采をあげる。

 

「青春キター! 流石だよアリア!理子に不意打ちを浴びせるなんて! キリくん、理子たちの教えは無駄じゃなかったよ! 喝采を! 我等が教えに喝采を──!」

 

「……お前、起爆装置になってんのによくそのテンションでいられるよな。喝采なら帰ってからジャンヌと一緒に上げてくれ。こんな状況でルームメイト同士の砂糖イベントなんて喜べるか」

 

 ぎろっ、と神崎が首だけを向けて睨んでくるのだがキンジに覆い被さったままのせいで、俺を睨んでいる一方控えめな胸元がこれでもかと言うほど下敷きになっているキンジに押し付けられている。視線を下ろしていくとキンジの反応も満更じゃなさそうだ。俺も男だからな、気持ちは分かるよ。いつまでもお砂糖イベントを眺めてるわけにはいかないがな。

 

「起きろ、キンジ。いつまでやってる。ビバリーヒルズ高校白書の続きは全部終わったあとに楽しめ。ガーリックシュリンプくらい差し入れしてやるよ」

 

「好きなのはゴシップガールだろ?」

 

「ヴェロニカマーズだ。王道のラブコメや恋愛ドラマは好きじゃないんでね」

 

 先んじてココの足取りを辿ると、自動ドアの奥で天井の扉が開いているのを見つけた。整備用の出入口ーー簡易的な梯子にうっすら血の跡が残っている。ここからココが逃走したとすれば列車の外か、この速度と足場だ。追うにしても踵鈎爪がいるな。仮に列車から滑り落ちたら無事では済まない。

 

「ひでえ目覚ましだ。すっかり目が覚めちまったぜ。こいつぁ一体なんの騒ぎだ?」

 

「トラブルよ、大きいやつ」

 

 寝起きらしい武藤に神崎は率直に答えを返す。

 

「おはよう、武藤。入学式以来の爆弾騒ぎだ。バスの次は電車、また巻き込まれるなんてな。はっきり言うがお前呪われてるだろ?」

 

「その言葉、そっくり返してやるぜ。背中にすんげえ連中背負ってんのはお前だろ」

 

「ああ、ウケたよ。今度の今度は星枷に頼んでお祓いしてもらおう」

 

 武藤と顔を合わせると始業式のバスジャック事件を嫌でも思い出す。今回の犯人は容易く人命を切り捨てることのできる女だ、同じ爆弾魔でもあくまで神崎だけを目的に動いていた理子よりも遥かにタチが悪い。武偵殺しには一族の私怨やブラドから自由になるという動機があった。だが、ココの根本にあるのは果てしない金銭への欲とその先にある権力への執着だ。どちらが危険か比べるまでもない。

 

 前の車輌には武藤の他に不知火もいた。キンジと神崎、二人と合流したときには車輌の内部は乗客でごった返すパニック状態だった。

 

「まるで人気クラブ並みの賑わいだな」

 

 阿鼻叫喚、まさしくそれだった。懐に爆弾が仕掛けてあると言われたら当然と言えば当然か。ましてや逃げ場のない閉鎖された空間、存分に不安煽られる。鎮静化には骨が折れそうだ。

 

「キンジ! ダメだ、他に武偵はいなかったぜ」

 

「16号車と15号車にいた9人で全部だよ、遠山君」

 

 刹那、武藤と不知火から嬉しくない知らせが届く。そうなると……その9人でなんとか切り抜けるしかないか。右往左往する人混みには程遠い数字だな。

 

「爆弾は見つけたわ。でも解除するのは難しいわね。他に方法を考えないと」

 

「降参しないとサンタの悪い子リストに乗るぞって脅すか?」

 

「さっきの見たでしょ。降伏より徹底抗戦が好きって人間の顔よ」

 

「皆、集まってくれ。作戦を練ろう」

 

 虚を突かれて、俺はキンジに視線を向ける。これは……なってるな。いつもの戦闘時に見せるキンジのモードに。安心した、どんなにインポッシブルな任務もジェームズボンドがベッドから起きなきゃ始まらない。

 

 敵の高い戦闘力、解除の難しい気体爆弾、キンジから共有される情報はろくでもない物ばかりだが皆が反応は違っても事実を受け止めていく。そこは武偵だな。

 

 咄嗟の状況では一種のカリスマ、高い指揮を発揮させる……先生のキンジに対する評価は当たってるよ。俺には真似できない。キンジが手早く皆に役回りを振り分ける。

 

「もう新幹線の運転士がグロッキーなんだ。武藤、代わって操縦してくれ。3分に10㎞の加速……繊細な操作が必要だが、できるか」

 

「できるに決まってんだろ。車輌科なら1年でもできるぜ」

 

「武藤、お前が生命線だ。先に言っとく。乗り合わせてくれて助かったよ」

 

「おっと、そいつは野暮だぜ雪平さんよ。みんな考えんのは一緒さ、火の玉になって死ぬよりベッドの上で死にたい。礼は終わってからまた聞いてやらぁ。任されたぜ、キンジ」

 

 ああ、全部終わってからコーヒーの一杯でもくれてやる。通販で買ったインスタントのコナ・コーヒー、マラサダもつけて。

 

「──アリア、切、行くぞ。銃刀法違反と監禁の容疑で、ココを逮捕する。あの子に、子供はもう、お家に帰る時間だって事を教育してやろう」

 

「ああ、物には順序がある。奴の手にイケてるシルバーを巻いて、爆弾をなんとかする。あとは駅に突っ込む前に電車を止めて終わりだ。願わくばゴールデンタイムに間に合うようにな」

 

「旅行の帰りだっていうのに、働き甲斐のある職場で嬉しい限りだわ」

 

 キンジが指で弾いて見せた腕時計は──18時22分を指している。東京まで、あと、一時間。当初にあった駅弁を食って居眠りする計画が台無しだな。名古屋名物のひつまぶしの駅弁……名古屋駅過ぎちまったじゃねえか。夾竹桃から聞いて楽しみにしてたんだぞ。ココ──食い物の恨みがどれだけ恐ろしいか教えてやるよ。

 

 幸運にも乗り合わせていた通信科の女子から骨伝導式簡易インカムを拝借し、俺たちは片耳を通しての通信が可能になった。通信科の間では噂好きで有名な女子三人組だが、いまは武藤共々乗り合わせてくれたことに感謝しとくよ。周波数を合わせると、早くも不知火からの通達があった。乗客に混ざっていたTVスタッフが車両の無線LANを通し、事件性が明らかになったときから騒ぎを放送してたらしい。自分たちの心配よりスクープを撮るのが最優先か、逞しいねえ……

 

「放送……この状況でか?」

 

「若者が死ぬと、大して書くことがないからだろ。スクープは鮮度が命。連中、転んでもタダで起きるつもりはないんだよ」

 

『うん、嬉しそうにしてる。スクープ現場に居合わせることができて』

 

 死んだら出世も何もあったもんじゃない。逃げ道がないと言っても極限状態の中でよくやるよ。

 

「キンジ、あんたも踵鈎爪を使いなさい。キリも準備する」

 

 既に神崎はチタン合金の踵鈎爪を靴に仕込み終えていた。それは不安定な足場での活動を想定した道具で、靴に仕込むことで転落を防止する。要はスパイクだ。俺とキンジも手早く準備にかかる。

 

「バスジャックの時はルーフに打ち込んでワイヤーの支点にしたけど、今回は白兵戦よ。ワイヤーを切断される恐れがあるわ」

 

「──正しい判断だ」

 

「ココならやるよ。あの眼は金の為なら手段は選ばない奴の眼だ。経験してる」

 

 ココの眼はベラ……あの忌々しさ満点で嫌味な女とそっくりだ。あの女もココも金への強すぎる執着が一目で分かる。ただし、ココはなまじ腕が立つだけベラより厄介だ。神崎と単騎で張り合える戦闘力に頭もキレる、そして爆弾の知識……履歴書には事欠かない。

 

「キンジ。あのさ、大阪での、レキとあんたのこと──」

 

 ちらっと神崎が控えめに視線をぶつけてきた。

 

「今から聞くことは忘れる。理子にも他言はしない。天使ザガリアとメタトロン、ウリエル、バルサザール、ナオミに誓ってな」

 

 どうやらキンジと話したいようなので、俺は準備を続けながら二人に背中を向けてやる。ちくしょうめ、深く考えずに口にしたせいでロクでもない連中に誓いを立てちまった。揃いも揃って悪魔よりタチが悪い。

 

「────」

 

 好きな男を独占したい気持ちは分かる。だが、独占欲や束縛にも案配が必要だ。自分の意思で生きるってのはな。なんでも好き勝手にやっていいってことじゃないんだよ。恋は盲目、だがその人の生活や自由を台無しにするのは愛情なんかじゃない。久しぶりに聞くことのできた神崎とキンジのやりとり、でも残念ながら俺の記憶からは葬らないとな。悪どい天使の連中に誓ったばかりだ。

 

「──まあいいわ。その辺のことは、ちょっと待つことにしたから。待ちの一手よ」

 

 理子も関係の修復に一役買ってる。ったく、ラブロマンスの人間ウィキペディアもバカにできないな。話は済んだのか、神崎からアイコンタクトが飛ぶ。二人組が久々に組むときは予めに打ち合わせが必要とされてるが……どうやらそれも無事に終わったようだ。

 

「主戦派、研鑽派、ウルス──すっかり人気者だな。みんな、肉を取り合う犬みたいにキンジを取り合ってる」

 

 羨ましくもないが──

 

「待てよ、待ち伏せの線も捨てきれない。この手の状況は一人目の危険度が高いからな、俺が先に行く。人間相手ならお前らの方が戦力になる。様子見は任されるよ」

 

 先に梯子を登ろうとした神崎を腕で制する。

 

「大丈夫なの?」

 

「ワンヘダは核戦争にも生き残ってんだ、なんとかするよ。闇の血は流れてねえけどな」

 

 本当はウィンチェスター兄弟恒例のじゃんけんと行きたいが……失敗すればみんな仲良く御陀仏だ。ココを逮捕できる確率が一番高い選択肢を取るのが懸命だろう。二人が納得するより先に梯子に手をかけてやる。

 

「切、気を付けろ。俺の推測が当たってれば──」

 

 梯子を登り、屋上に開いた四角い出口から、夜の帳の降りた外へ上体を出した。

 

「──ッ!」

 

 容赦なしに吹き付けられる風圧に言葉を奪われる。鉤爪がなかったら今ので終わってたな。それもその筈、列車の時速は200の数字の針を振ってるんだからな。制服とネクタイが激しく風に煽られ、立ち上がるまでに時間はかかるが動けないほどじゃない。

 

(暴走する電車の上、しかも爆弾付きかぁ。スリルあるなぁ)

 

 ココの姿を16号車の後部で捉え、空気抵抗を殺すために再度姿勢を下げていく。足が沼地に沈んでしまったように重たいが、この速度ならまだ動ける。あとは気付かれないように姿勢を制御していけば──

 

 突如、横腹を破滅的な衝撃が貫いて視界が揺れた。

 

 

 

「きひひっ──再见、雪平キリ」

 

 いける──数瞬前までそう思っていたからこそ、自分の骨を砕きにかかった鋼鉄の刃ががなにを意味するのかも咄嗟に理解できなかった。そこからは奇妙にゆっくりと世界が流れた。体は列車から宙へ放り投げられていた。体制が容易に崩れ、視界が滅茶苦茶になる。防弾制服は刃を防いでも接触の衝撃までは完全に肩代わりしてくれない。

 

 反転を繰り返す視界で確かに見えた。青竜刀を携えたココの姿を、さっきまで前方にいて、青竜刀も構えていなかったココが笑っている。突風の中、揺れる列車の上で。しくじった、敵は二人いた──やけくそにインカムに声を通しながら、体は重力方向に引っ張られていった。

 

 

 

 

 

 

 ──ここはどこだ。頭を鈍器で殴られたような気分だった。さっきまで考えていたことが全部白紙になり、頭が状況に追い付いていない。首を振ると、見渡せるのは長い線路と大量のバラスト。そして夜の帳が降り、暗くなっている空だった。

 

 もしかしなくても俺が立っているのは敷かれている線路の中心、鉄道営業法と新幹線特例法も武偵の罪の重さ三倍ルールでめでたく重罪だ。早く立ち退かないと、そう思った矢先のことだ。露骨に背後で足音を立てられる。こっちを振り向けと言わんばかりだな。

 

「どうも。私はジェシカ。貴方を迎えに来たのよ」

 

 振り向いた先にいたのは黒いドレスの女性だった。日本人とはかけ離れた西洋風の顔立ちと明るい茶髪、夜の帳と混ざり合うような真っ黒のドレスが視線を惹き付ける。顔立ちで言えば20代前半ってところか。肩まで届いた茶髪は綺麗にケアが行き届いている。まだ混乱は覚めきらないが、はっきりしてるのは線路のど真ん中で出会うような女性じゃない。

 

「そうか、俺は切。とりあえずここを出よう。線路は立ち入り禁止だろ?」

 

 そう言うと、彼女の表情が一転して険しくなった。名前を聞いた途端、顔色が変わった。見たくないものでも見たような顔だ。

 

「……嘘でしょ。テッサの言ってたウィンチェスターの末席……」

 

「……おい、あんたいまテッサって言ったか? あのテッサの知り合いか? お迎え担当の?」

 

 俺の中でテッサと呼ばれるのは一人だけ。彼女の名前が契機となり、今になって頭が状況に追い付いてきた。

 

 テッサ、そして俺を迎えに来た女、背筋が一気に冷たくなる。そうだ、俺はココに嵌められて列車から落とされた。程なくして、テッサを知っている女が俺を迎えに来た。

 

 困惑を隠せない女性と視線がぶつかる、女の手の内で青白く輝いている光は──人の魂だ。自然と手が額を抑えにいく。

 

「そういうことか。人間相手に……それは予想してなかったな」

 

「ボスのところに行く。ついて来て」

 

「……最悪だ。恨まれてるんだろうなぁ。刺したのはキャスだけどさ。なあ、あんたは今のボスと前のボスのどっちが好き?」

 

「ノーコメント。上司が入れ替わったのは貴方たちのせい、現場は混乱しっぱなしよ」

 

 ああ、悪かったと思ってるよ。テッサにはな。かぶりを振って、俺は最初に立っていた場所をもう一度振り返る。そこには今度こそ転落した体が転がっていた。俺は静かに後ろ頭を掻いた。

 

「最高だ。あれならブロードウェイに立てるぜ」

 

 ──死体役でな。

 

 

 

 

 




キンジなら避けれましたが主人公は駄目でしたね。強みを見せれるときは見せて、苦戦するときは苦戦、山場を作れるのが理想ですがいまのところは主人公の戦歴良いとこなしですね…

背後から天使の剣で一突きする演出はちらほらありますが、あれと指パッチンで首を折るのが作品内で最強の攻撃だと作者は思ってます。両方、武偵としては使い物にならない技ですね、キンジの羅刹と同じ扱いです。

オリ主作品は、読んでくださる方に主人公を許容頂けるかがほとんどだと思っています。どこまでオリ主が作品の世界観やキャラクターに馴染み、オリキャラとしての違和感を拭って楽しんで貰えるかが鍵だと思います。本作は有り難いことに兄弟二人の関係性が重要な作品、物語の核でもあるウィンチェスター兄弟というテーマにオリジナルキャラクターをぶちこんでいるのに多くの感想と評価を貰えました。いつも感想を頂ける方、読んで頂いている方にこの場で感謝を。

『金のために奇跡を演じる天使もいる』S14、17、アナエル──




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死の天使

 

 

 

 

 ──死神。死を司る天使。死神の話は世界中にある。呼び名も様々だ、色んなタイプがいる。スーツ姿の老人や青年、女の姿をしている天使もいる。

 

 死神と出会うのは死ぬときだけ、例外はあるが生きている人間に彼等の姿を見ることは叶わない。

 仮に死神とダイナーでメキシコ料理やハンバーガーを食べる人間がいたなら注意しろ。そいつは間違いなく普通のヤツじゃない。

 

「テッサと最後に会ったのはいつ?」

 

「メタトロンとカスティエルの一派が抗争してたときに。それが最後だ。カインの刻印を解くよりも少し前になる」

 

「貴方たちが天界の門を閉じたせいで行き場のない魂が溢れた。当時の天使のラジオは地獄だったわ。天界から堕ちた天使たちの嘆きが四六時中響いてた」

 

 天使のラジオ、それは彼らが頭の中に備えている無線機の名称で人間には聞こえない周波数で彼らは情報をやりとりしている。

 死神は人の魂を導くのが仕事、行き場のない魂が溢れて嘆きたくなるのは分かる。死神も大きな括りで見れば天使、そして天使の大半は職務に忠実で働き者だ。

 

 愚痴を聞いている気分で俺は真っ黒な大理石の通路を彼女を追いかけて進んだ。

 

 本当に大理石で造られてるのかは定かじゃないけどな。ここは冥界、死神の職場で常識の外側にある場所。来る前に言われたとおり、どうやら行き先は彼女の新しいボスの書斎らしい

 

「テッサは行き場のない魂たちの叫びに苦しんでた。死神らしい」

 

「ああ、だから死ぬことを選んだ。死ねば魂の叫びも聞こえなくなる、無茶苦茶な方法だよ。だから最後にメタトロンを道連れに死ぬつもりだったんだ。彼女は自分の死に意味を作ろうとした」

 

 彼女が自分の身に刻んだ自爆のまじないは寸前で止めることができた。

 だが、それでもテッサは自分から元始の剣を胸に突き立て命を絶った。自分から死を選んだ。

 

 たとえ死神でも、テッサとは浅くない付き合いで……彼女を止められなかったのは今でも心に引っ掛かってる。

 クレアの母親の件と同じ、ずっと心残りだ。死神だろうと、テッサは俺にとって数少ない友人の一人だった。あんな最後、忘れようにも忘れられない。

 

「トラブルを引き起こしたことは謝罪するよ。テッサには謝れなかった」

 

「今になって謝られても困るんだけど?」

 

「しないよりはマシだよ。でも天界を締めたのはメタトロンの策略とナオミ──おたくのところの指揮官が暴走した結果だ。俺たちも騒動には絡んだが、それは仕方ない。望んでなくても磁石みたいに吸い寄せられて、気付いたらいつも厄介事の真っ只中にいる。お決まりのパターン」

 

「見苦しい言い訳。でもそれは知ってる。貴方は自分の生き方を心底嫌ってた。でも肝心なことを忘れてる──芸術は痛み、人生は苦しみ」

 

 不意に彼女の歩みが止まる。

 後ろを歩いていた俺も足を止めた。

 

 直線に続いていた通路は何の予兆もなく広い空間に出ていた。

 壁に取り囲まれている無法の本棚にはそれぞれ「W」の白い文字が刻まれ、棚の色と同じ黒いファイルが収納されている。

 その「W」の文字が何を意味するのかは検討もつかないが、棚に収納されているファイルの量は異常だ。見上げるほどの高さまである棚がいくつもファイルで埋まってる。

 

「天国も地獄もすぐ近くにある。窓の向こうに、か」

 

 さらに見渡せば本棚の他には、黒い机と椅子が一組置いてあった。彼女に視線をぶつけるが腕を組むだけで他に返答はない。これ以上の説明は不要か。

 

 どうやら目的の書斎に到着したらしい。ここが──死の騎士(デス)の書斎。

 

「キリ・ウィンチェスターが冥界に来ました」

 

 刹那、ジェシカと名乗った彼女は音もなく姿を消す。

 本当に無音で消えるのが笑えない。死神が死の天使と呼ばれるのもよく分かるよ。言いたいことを言うだけ言って消える、キャスとそっくりだ。

 

 そして彼女が消えた後に残されるのは俺と、さっきから不機嫌そうにこっちを見てる彼女の新しいボス。

 

 いつからそこにいた……

 いや、気配を消すだの感じないだの人間の理屈が通用する相手じゃない。考えるだけ無駄だ。

 

 

「キリ」

 

 

 恐ろしく冷たい声で名前が呼ばれる。

 その声だけで人間じゃないことが薄々と伝わってくるみたいだ。彼女は黒いフードを椅子にかけ、鎌を書斎の机から少し離れた場所の壁に立て掛ける。

 

 

「気を悪くしないで。これは貴方の側には置けないから」

 

「別に気にしてねえよ」

 

 死の騎士の持つ鎌は、持ち主である騎士すら殺せるからな。自分を殺すことのできる道具に警戒するのはおかしなことじゃない。実際、彼女の前のボスはその鎌に殺されてるわけだしな。

 

 俺は書斎の本棚にやっていた視線を招き入れてくれた彼女へと戻す。いつものごとく心臓は因縁の相手との再会を機に暴れてる。

 ああ、いつものごとく仲好し円満の相手じゃない。訳ありだ。

 

「出世おめでとう、ビリー。良いオフィスだな。Fiveー0本部の取調室みたいだ」

 

 ビリー、彼女と知り合ったのはテッサよりも随分と後のことだ。死神を束ねるボスは黙示録に記されている騎士の一体、『死の騎士』の称号を指輪と一緒に得ることになる。そしてボスが死んだときは、次に死んだ死神がボスになるルールになってる。皮肉にも彼女は俺たちと一悶着あった末に、キャスに後ろから天使の剣で一突きされたことで死神を束ねる死の騎士に昇進したわけだ。ルシファーの檻ですら往き来することのできる存在に。

 

「誰も訪ねて来ないのは一緒ね」

 

「好きで冥界に来たい奴なんていないよ。ホノルルに行くわけじゃないんだ。ここには常夏のビーチも美味いココパフもない。俺に話があるから招いてくれたんだろ?」

 

「私たちがいる世界は様々に変わる。それは時にドラマチックな展開を見せる。だから、話したいと言ってるの」

 

 ……ドラマチックな展開か。生憎、俺の周囲は過激な展開ばっかり起きるけどな。いや、キンジと神崎の周りか。

 

「線路に俺の体が転がってた。そこにテッサの知り合いを名乗る女が現れた。じゃあ、俺は死んだのか」

 

「何度も生き返ってるのに、自分が死んだかどうかも分からないの?」

 

「それもそうだが。ふざけた速度で走る列車から突き落とされたんだ。腹の中の物もグチャグチャになってる」

 

「死因が知りたいの?」

 

「……いや、いい。じゃあ、蘇生できないんだな」

 

「それを決めるのは貴方」

 

 一転、彼女を見る視線に力が入る。おかしい、ビリーは俺や兄貴が何度も死んでは生き返ることを快く思っていなかった。

 

 前の死の騎士は面白がって俺たちの動向を容認していたらしいが彼女は違う。一度死んだらそれで最後、死神としての姿勢を貫いていた。頭の中で告げられた言葉がリピートされる。生きるかどうかを決めるのは俺……?

 

「分かった。まずは改めて昇進の件、おめでとう。お祝いしたいんだが友達が列車を乗っ取ったテロリストと戦ってるんだ。決めていいなら──」

 

「決めていいとは言ってない。出方次第ってこと。大切な家族から離れて、異界の地で貴方は何をしてるの? 教えて? 貴方は次に何と戦うつもり?」

 

 俺の言葉はぶった切られ、返しに質問が投げられる。死の騎士が……質問?

 

「神のボスは何でも知ってるんじゃないか?」

 

「予測のできないこともある。だから、一つでもあると許せない。気になることはほっておけないの」

 

「……報酬は?」

 

「貴方の出方次第」

 

 俺の出方次第で全部決まるわけか。頭に思い浮かぶのははっきり言って、暴走特急の顛末。これから俺が正直に打ち明けたところで生き返れる保証はない。そもそも人の命には限りがある。何度も地獄を行ったり来たりで麻痺してるが──死んだ人間は生き返らない。俺たちはその法則をねじ曲げていただけだ。

 

 俺は小さく息を吐いた。人の魂も命もゴム毬じゃない──未練はある。だが、できないことを求めるよりできることを求めた方がいい。返答を待っている彼女に俺は言ってやる。

 

「神崎に撃ち込まれた緋弾を抜いてくれ。そうしたら何でも語ってやる」

 

 ビリーは少し驚いた表情で眉をひそめる。

 

「神崎アリアに緋弾を撃ち込んだのは彼女の祖先。それには彼なりの考えがあった。部外者の貴方が勝手にそれを無いことにするつもり?」

 

「あれはカインの刻印だ。神の器になるだけじゃない、必ず色金絡みの戦渦に巻き込まれることになる。母親の冤罪を晴らして、そのままクランクアップはできないんだよ。新たな火種を生むことになる」

 

 微かな沈黙、彼女がゆったりと足取りで棚の近くを歩き回る。

 

「随分、入れ込んでるわね? 赤い野兎に惚れでもした?」

 

「まさか、そんなんじゃない。俺がやれないことを神崎はやってる、ただそれだけのことだ。俺は母親から逃げて日本にやってきた、でも神崎は母親を救うためにやってきた。同じ国、同じ学校にな。だから……なんつーか、無視できなかったんだ」

 

 同じようで、神崎と俺は違う。そこに至る理由が決定的に。

 

「日本で何してるのか聞いたな。言った通りだよ、母親から逃げてきた。サムやディーンの母さん、メアリー・ウィンチェスターのことで俺は日本に逃げてきた」

 

神の姉(アマラ)が彼女を連れ戻した」

 

「ああ、弟の関係を取り戻してくれたディーンへの御礼として」

 

 ──メアリー・ウィンチェスター、親父が命を投げてまで愛した女性。ハンターの大家、キャンメル家の娘で黄色い目の悪魔に人生を狂わされた女性。全てのシナリオは彼女が炎に包まれる夜から始まった。まだ赤ん坊のサムを連れて親父とディーンが家を出る、それが最悪のプロローグ。

 

「彼女が戻ってサムとディーンは本当に幸せそうだった。多少の擦れ違いはあったがようやく家族と再会できたんだ。あの火事で失った時間を少しは取り戻せるかもしれない、そう思ったよ」

 

「でも貴方は逃げた。海を渡ってまで」

 

「彼女は混乱してた。いきなり何十年も未来の世界に放り出されたら、息子はすっかり大人で愛する人はハンターとして死んでたんだ。そんな状況で、俺やアダムみたいな存在が傍に居続けたらどんなに強い女性でも……普通じゃなくなる」

 

「そんなことで人は狂わない」

 

「でも家族の時間は送れなくなる。彼女の中で親父は全てだった。言葉どおりさ、命を天秤に投げれる人間だった。そんな幸せな思い出を汚すわけにはいかない。幸せな思い出は綺麗なままでいい、違うか?」

 

 ザガリアが言ってた。俺とアダムを作ったのは親父の罪だ。キャンメルとウィンチェスターの血を交える、それがミカエルとルシファーの器。サムとディーンが生まれることは最終戦争の外せないシナリオの行程だった。天使たちは必死に奔走して親父と彼女を交え、結果として二人の兄が生まれた。全てはミカエルのこだわった最終戦争のシナリオ。そしてそこにーー俺は必要ない。

 

「ニュージャージーでヴェターラの餌になりかけたところを親父に助けられた。乗り込んできた兄貴たちと一緒に。そのときは行き場のガキに同情して、兄貴たちと組ませるハンターが欲しいんだとばっかり思ってた。だが事実は違った。俺はアダムと一緒で親父が作った罪だったんだよ。それも親父が死んで何年も経ってから、ふらっとやってきた天使に教えられた」

 

「だから、逃げたわけ? 母親の思い出を汚したくないから逃げた。いいえ、汚したくないことを言い訳にして逃げてきた」

 

 俺は首を縦に振ってやる。

 

「ああ、一度も母さんとは呼べてない。どんな状況でもただの一度も呼べなくて、ルシファーが作った子供もほったらかしにして、俺は日本に逃げてきた。だから、母親を救うためだけに一人で日本に乗り込んできた神崎のことは見過ごせない。俺は母親から逃げたがあいつは母親と向き合ってる」

 

「緋緋神が神崎アリアの意思を乗っ取ったとき、貴方はどうするつもり? 今の貴方に止められる? 彼女の器に宿った神を倒せる?」

 

 話の主導権を奪うように死の騎士はかぶりを振った。

 

「変わったわね。今の取引で生き返ることもできたのに──やらなかった」

 

「あんたがボスなら見込みはないからな」

 

「そんな弱気な台詞。テッサが焦がれたキリじゃない。何度死のうとあらゆる手を使って生き返る男じゃなかったっけ?」

 

 不思議そうな面持ちはすぐにしらけた表情へ変わった。

 

「しぶといキリはいなくなったようね。今の貴方をディーンが見たらどう思うかしら?」

 

「……さあな」

 

「世界を救うために勝つと信じて戦う。犠牲を払って。それが私の愛したディーン、そしてテッサの焦がれたキリ」

 

 言い切ると、彼女は再び背中を向けて棚の一角に歩いていく。

 

「すっかり変わった。今の貴方にはガブリエルも力を貸さない。緋々神が降りたとしても」

 

「そもそもガブはもういない」

 

 不意に彼女が振り返り、視線をぶつけてくる。何かを窺っているような目だ。

 

「なんだ?」

 

「最後の地獄の王子、貴方はそれも投げ出した」

 

「ダゴンの言ってたアスモデウスか。何度も執拗に言ってたから覚えてるよ。四人の中で一番トロくて、一番の小物だ。他の三人も倒した、兄貴たちならどうとでもなる」

 

 ……なんか妙だったな、今のやりとり。アザゼル、ダゴン、ラミエルの三人の王子は倒した。地獄の王子で残るのはアスモデウスのみ。兄貴とキャスたちなら遅れは取らない。心配は野暮だ。

 

「やっぱり変わった。なんてことないって顔をしてるけど、心の中では諦めてる。どうにもならないと思ってる」

 

「……」

 

「あら、違った?」

 

 全部見透かしてる、そう言われてるみたいだ。淡白を通り越して冷淡ですらある。地下倉庫でジャンヌと初めて会ったときみたいに。

 

「全部終わったら、戻るつもりだった。ルシファーの子供も地獄の王子もいくらだって相手してやる。でもそれで終わりじゃない。どんなに戦っても終わりなんてやってこない、また家族や仲間が欠けて、犠牲を払って問題を解決、その繰り返し。いつまで経っても終わりが見えない」

 

 ここに来て、テッサのことを思い出して、ふと思ったんだよ。本当なら人の命は一度きり、代用は効かない。ここで死ぬなら、休暇を貰えるならそれもいいと思った。ビリーとの契約で刑務所を抜けたときだけじゃない、リリスの飼い犬に胸を裂かれたとき、スタール墓地でルシファーの檻に飛び込んだとき──俺は一度きりの命を何度も贔屓してもらってる。僅かな時間、瞼を下ろすと再びかぶりを振った。

 

「命乞いはしない。今日が死期ならそこまでだ。潔く死んでやるよ」

 

「本心で言ってる──死にたいのね?」

 

 俺は何も言わなかった。肯定も否定もしない、どう思われようがどうでもいい。

 

「この棚にあるのは貴方のデータ。死に方が書いてある。かなり具体的に」

 

 その手は棚に置かれた黒いファイルに触れている。

 

「心臓発作、感電死、墓地でグールに食い殺されるパターン、刃物に首を落とされるとか。いろんな死にかたが記されている」

 

 見上げると、説明された棚だけでも数えきれないファイルが納められている。その全部が俺の死にかたについて記されたファイル。

 

「どれになるか。結末は──選び方次第」

 

「……どうだっていい。もう死んでるんだ」

 

 沈痛げに続けると、彼女はつまらなさそうに肩をすくめていた。

 

「ところが、今日死んだとはどこにも記されてない」

 

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。言葉に詰まっていた喉からやっとのことで声を絞り出す。

 

「……なんだと?」

 

「私も変わったの。昇進してからね。前よりずっと大きな視点で物事を見るようになった」

 

「物事?」

 

「貴方たちは何度もこの世界のルールを破り、バランスを壊してきた。砂上の楼閣を平気で踏みにじる。でも貴方にはやるべきことがある。サムとディーン、貴方のお兄さんと同じでね。成すべきことがある、今はそれしか言えない」

 

 不明瞭の言葉が頭を行き交い、俺を置いてけぼりに彼女は続ける。

 

「信用して。人間に目をかけるのはよっぽどのことよ。札付きの兄弟に、楽しくはない」

 

「……だろうな。仲は良くなかった」

 

「でも貴方は使える。恐れを知らない男ね」 

 

 そう言い、彼女は右手に嵌めていた手袋を外した。その薬指には──黙示録の指輪が確かに嵌まっている。

 

「さあ、死にたいんだろうけど願いは聞けない。休暇はあげれない、生きるのよ」

 

 疑問を脇に置いて、書斎の机の前に立った彼女と視線を結ぶ。

 

「じゃあ、一つだけ。神崎は──」

 

 答えは聞けないまま、俺の視界はブラックアウトした。

 

 

 

 

 

 

 




残り数話でチーム編成の予定です。ヒルダが終わればいよいよ人工天才ですよ!夾ちゃんが表紙を飾った人工天才です!(AA)


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選ばれなかった未来

 鮮烈に頭に焼き付いて離れない匂い、そして混ぜ合わされた生地の焼ける心地よい音。丸く空けられた窪みの上で交わった生地は華麗に転がり、くるりくるりと何度も翻されていく。ふっくらと膨らんだ生地は注がれたときの姿からはとても考えられないほどに、人の欲を逆撫でしてくる。千枚通しで経木舟皿に乗せられていくその行程に辿り着くまでまるで目が離せなかった。

 

 理子がソースを振りかけ、甘い香りが微香をくすぐったところで俺はようやく我に返る。

 

「理子」

 

「なに?」

 

 まんまるな眼で理子が首を傾げる。

 

「俺たち、夾竹桃の部屋までやってきて何してるんだ?」

 

「見れば分かるじゃん。理子が京都で買ってきたお土産をお披露目してるんだよー。たい焼きと最後まで迷ったんだけどね。迷ったときは、自分の心に従え。やりたいことはやれるときにやっちゃおう!」

 

 理子の間延びした声がやけに部屋に響く。観葉植物だらけの部屋にこの音と匂いは全くベストマッチしていない。異様な光景だった。丸いテーブルをイ・ウーの残党たちと囲みながら、目を輝かせて一番状況を楽しんでいる理子がせっせと経木舟皿に焼き上がりを盛り付ける。

 

「キリくんも無事に生きて戻ってきたんだし、お祝いしないとね。よく生きてたよねぇ、キリくんが生きてるって聞いた途端、ツァオツァオの顔真っ青になってたらしいよ?」

 

「守銭奴の彼女にはなんとも皮肉な話だ。この男は首を跳ねて死体を大地の深くに埋めても、明日には古びた懐メロをかけながら平気な顔をしてインパラに乗り回す男だ。無駄な努力だったな」

 

 ……聖女様、今に始まったことじゃないが、今回は本格的に俺を亡者扱いしてないか。首を飛ばされたら人間は死ぬだろ。

 

「キリくんって命が9つあるのかもねぇ。ほら猫みたいに」

 

「ゾンビでしょ?」

 

 誰がゾンビだ誰が。視線で夾竹桃に抗議するが彼女はいつもどおり。どこ吹く風だった。

 

「これで主戦派にまた一つ恨みを作った。すっかりこちら側に収まったな?」

 

 俺のゾンビ扱いにも意義を唱えず、平然とジャンヌが話を振ってくる。死体が独りでに這い出るなんてホラー以外の何でもねえよ。俺は苦笑いしてやると、夾竹桃から渡された缶コーラのプルタブを捻る。

 

「夜道には気を付けるよ。お前らとズブズブの関係なのは認めるけどさ。つか、なんだよこの缶コーラ。俺、初めて飲むんだけど?」

 

「売ってたのよ、ドラッグストアで。シュワッと弾ける炭酸コーラ」

 

 赤と青、横半分に色を分割したようなパッケージデザインはどことなく炭酸っぽい。中央にある色の境目にはエッジの効いた書体でSparkling(スパークリング)と描かれてる。シュワッと弾ける炭酸コーラか。

 

「長くないか? その商品名」

 

 夾竹桃はきょとんとして、顎に手をやった。

 

「Carbonated water?」

 

「それだと炭酸水だろ……」

 

 真面目に悩んでいた夾竹桃の顔を見た途端、すっかり毒気を抜かれちまった。なぜか緑のオフショルダーを着て作業する理子も一段落を終えて椅子に座り直す。この三人は何を着ても映えるよなぁ。理子なんて特に衣服のこだわりが強いから着こなすのがやたら上手い。

 

 クラスの男連中が目で追いかけてやまないわけだよ。可愛い女の子が可愛い服を来て歩いたら目立つのは当たり前のことだ。当の本人はキンジ以外に目移りする様子はなさそうだけどな、理子はそういうところでジャンヌと似てる。悪役サイドを自称するわりに妙なところで純粋だ。甘いソースの匂いで思考が現実に引き戻される。理子は心底楽しそうに青海苔を振りかけると──

 

「くふふ。ソース! 青海苔! これこそ最高にベストマッチな組み合わせ! どうどう夾ちゃん? 理子の芸術的な盛り付けは?」

 

「ええ、鬼がかってるわよ」

 

「おい、夾竹桃……そんなこと言ったら──」

 

「でしょでしょ! すごいでしょ! 最高でしょ! 天才でしょ────!!」

 

 ……ただでさえはしゃいでる理子が止まらなくなる。警笛を鳴らしたときには遅かったな。予感的中だ、この怪盗やたらノリノリだぞ。

 

「キリ、一つ聞きたいのだが?」

 

「あ、鰹節ならそっちに──」

 

「これは……何という食べ物なのだ?」

 

 思わず、鰹節の入った容器を引き寄せようとした手が止まる。俺と夾竹桃の視線が同じタイミングでジャンヌへと重なった。質問は投げたものの彼女の妙なプライドを逆撫でしまったのか、ジャンヌは羞恥を振り払うように声を張り上げた。

 

「し、仕方ないだろ! 私はこの国の生まれではない! お前のように人生食べ物を中心に回ってはいないのだ!」

 

「……なんでさ。別に食べ物を中心に回ってねえよ」

 

 ジャンヌの中での俺はいったいどんな認識されてんだろ。別に知らない食い物があってもいいじゃねえか、ロコモコを知らない日本人だって探せばいくらでもいるぞ。肩をすくめていると……自分の知らない謎の食べ物をアイスブルーの瞳で注視するジャンヌに理子が喉を鳴らしていく。なんとも悪役っぽい笑い声だな、見事なまでに嵌まり役だよ、満点をくれてやる。

 

「くふふっ、理子が教えてあげよう」

 

 心底楽しそうに理子は腕を組み、整った瞳を言葉を添えてジャンヌにぶつけた。

 

「これは──たこ焼きだぁぁぁぁぁ!!」

 

「TA☆KO☆YA☆KI──!?」

 

 理子の心の叫びとも言うべき熱意に気押されたのか。ジャンヌの発音はカタコトになった。夾竹桃は上手く咳払いで隠しているがうっすらと口元が歪んでいる。理子が京都でたこ焼きのプレートを買ったって聞いたときは大した驚ろきもなかったが、峰理子さんはそんなにたこ焼き好きだったか?

 

「美味しいよ? この味を一度知ったらエイリアンだって胃袋掴まれちゃうよぉ? 人間側に寝返っちゃうよぉ?」

 

「本当か。それは凶悪な食べ物だ」

 

 ジャンヌが興味津々で爪楊枝を持ち上げる。聖女様は変なところで純粋だからな。

 

「キリくんも異世界に行くときはたこ焼き器持っていきなよ! 現地民と交流できるスペシャルツール! これがあれば大安心!」

 

「たこ焼きでエイリアンを笑顔に? そりゃできるといいけど、普通の人間は異世界なんて行かない。だから、残念だけどたこ焼き器を持っていく機会はないんだ。悪いな?」

 

 異世界の『青空』の下でたこ焼きを焼く? 流石にどう人生が転がってもそれはないだろ。

 

「お前なら行きそうなものだが……うむ、それにしてもこの食べ物は美味だな。いいソースを使っている」

 

 たこ焼きをお気に召された聖女様がとんでもないことを口にするので、俺はかぶりを振ってたこ焼きを口に放り込む。確かに美味い、ソースと青海苔のベストマッチも頷ける。

 

「俺はこの現実が好きなんだ。異世界生活なんてごめんだね」

 

「とっくに日常の現実から隔離されてる生活でしょ。それとコーヒーどうも。お礼が言えて良かったわ。消化不良は嫌いだから」

 

「気にするな。遅くなったがかげろうの宿での礼だ」

 

「そう、今度はペン先でも頼もうかしら。18金の」

 

「……考えとくよ。夾竹桃先生」

 

「楽しみに待ってるわ」

 

 静かに彼女が寄せたグラスに、俺は缶を寄せて打ちならした。キレの良い炭酸の余韻に浸っていると、隣でべちゃ、という音がした。音の方向に首をやると爪楊枝を持ったまま夾竹桃が固まっている。彼女の視線は、爪楊枝から落下して中身の露出したたこやきを恨めしそうに睨んでいた。

 

「……」

 

 夾竹桃はあっさり落下したたこやきを見捨て、二個目を持ち上げようと爪楊枝を刺した。目を離した刹那、べちゃ、と数秒前に聞いた音が聞こえてくる。あれだ、豆腐を箸から落としたときのあの音だ。神崎も絹ごし豆腐でよくやってたな──案の定というか落下現場には二人目の犠牲者が出ている。一人目の犠牲者から僅か数秒たらずだ。べちゃ、と三度目の正直という言葉が頭に浮かぶが努めて意識しないように缶の残りを喉にやる。四回目でもう限界だった。

 

「雪平」

 

 隣を見ると、たこ焼きは四個受け皿に墜落しており、彼女はといえば一つも口に運んだ形跡がない。夾竹桃はしばらく落下したたこ焼きを眺めたあと、ゆるゆると顔を上げて至極真面な表情を作った。

 

「このたこ焼き、私の口から逃げるようなの。まだ、内部のタコが生きている可能性が──」

 

「──ねぇよ!お前が爪楊枝から落としてるだけ!」

 

「私に比はないわ、この爪楊枝がいけないのよ。雪平、そっちのを貸しなさい」

 

「きょ、夾ちゃんも意外と熱くなるよね……」

 

 無口、無表情、冷たいのは外側だけの印象だよ。人の中身は親しくなるまで分からん。

 

「それに爪楊枝が上手に使えなくてもどうということはないわ。こんなものフォークで刺せばいいだけの話じゃない。フォークよ、フォークを持ってきて!」

 

 

 

 

 

 

 理子主催のたこ焼きパーティーが終わり、俺はインパラの給油を済ませてから探偵科の寮に続く帰路を歩いていた。ホテルに着いたときは夕暮れ前だったが、歩きながら見上げた空は真っ暗闇に包まれている。色のない空だ。

 

 楽しい一時は時間を忘れるとはよく言ったもんだよ。理子の突然の思い付きだったが悪くない時間だったな、修学旅行の影響で一年に在籍してる夾竹桃とは会うのも久々だったな。現在進行形で隣を歩いてるわけだが……

 

「なあ、神崎に話があるのは聞いたが、何も今日みたいな夜更けに訪ねなくてもいいだろ?」

 

「つまらない話なら日を改めるべきね。でもそうじゃないの、立ち会って話す必要がある話。それに貴方や彼女の場合は明日の予定は信用ならないでしょ。明日には違う世界に旅立ってるかもね?」

 

「笑えねえよ。でも思い立ったが吉日の方針はよく分かった。明日には暴走する電車の屋根から落ちてるかも」

 

「それは貴方くらいだけど」

 

 線路で目を覚ましたあと、あれやこれやで東京駅に戻ったときには長ったらしい事情聴取が待っていた。あれだけ派手なテロ行為、当然の処置か。キンジと神崎は俺を見るなり、ゾンビでも見たような反応をくれたがキンジもキンジでまた常識外れの技をやってみせたらしい。理子が言うには──素手で弾丸の軌道を逸らしてみせた。これをジョークや錯覚と笑えないのが遠山キンジの恐ろしいところだ。

 

(どんどん人間から離れていくな。あいつ、次は弾丸を素手で止めるんじゃないか?)

 

 あいつこそ、異世界に迷いこんでも戦っていけそうだよ。望んでないのにどんどん普通から離れていくルームメイトに少し同情してやる。あ、そういやレキと神崎は最後の最後で『キャスリング・ターン』を決めて、それが列車を取り返す決め手になったらしい。あれ以来、レキは行方を眩ませて所在を知る人間はいない。神崎との溝が埋まるか、それとも離れたままになるか、そこまで俺が関与はできないな。

 

 チーム申請の期限は迫るばかり。このチーム申請が厄介で生徒間で申請できない場合は教務科が定めたチームに強制的に振り分けられる。俺みたいにチーム申請の目処がついていない生徒への教務科なりの措置だ。ココとの戦いで実感したが一緒に組むならキンジや神崎、ジャンヌや理子と組みたい気持ちはある。相性やチーム内のバランスもあるが一緒に戦禍を乗り越えてきた関係は大きい。神崎や星枷はチームどうするんだろうな。

 

「悩み事?」

 

「チーム編成、まだ決まってないんだ。一人でゲンガーは作れないからなぁ。友達との友情が必要不可欠、目先の難題だ」

 

「いつも目先の難題を抱えてるわね。諦めて休む作戦はどう? 教務科に決めてもらえば?」

 

「お前が俺の立場なら休むか?」

 

「休まない、面倒な相手と組みたくないし」

 

「そういうこと、気があったな。期限までにポケモンの通信交換してくれる仲間でも探すよ。通信ケーブル振り回しながらさ」

 

「その話だけど、理子との対戦でゲンガーをじばくさせてなかった? にほんばれを使うだけ使わせて」

 

「……だいばくはつだよ。じばくじゃなくてだいばくはつ」

 

 ……自滅で自主退場するのは一緒だが威力が違う。おい見るな、そんな目で俺を見るな!

 

「まあ、心が痛むけど勝つためなら仕方ない。勝つためにベストを尽くす、それがポケモンバトルだ。わざと手を抜いたら理子も怒るだろ? 違うか?」

 

「ええ、それは分かってる。私も貴方を見てポケモンバトルがなんたるかを学んだわ」

 

「そりゃ良かった」

 

「負けそうになったら電源を切るんでしょ?」

 

「──やってねえよ!」

 

 ……何食わぬ顔で、恐ろしいことを言いやがるな。冤罪じゃねえか。俺は肩を落としてかぶりを振る。

 

「呆れるというか懐かしいというか、ほんと振るまいがずぶとくなったな」

 

「気を使ってまで話したくないの。それとも淡白な返しがお好み?」

 

「ずぶといほうで」

 

 未解決の悩みを提げたまま、気付いたときには寮の標札が近くに見えていた。チーム申請のことはとりあえず脇に置き、俺は真っ暗闇のなか標札の横を通り過ぎた。この時間になると出歩いている人間もいないな。

 

(問題と言えば、星枷が出した占い……)

 

 不意に分社で告げられた占いが頭をよぎる。星枷が言っていた三つの存在──堕天使(ルシファー)総帥(ミカエル)、そして神。堕天使ルシファーと総帥は地獄の檻だ。ミカエルは長い監禁生活で頭がやられてるし、神は仲直りしたアマラ姉さんと旅行中で行方知れず。家族全員、会いたくて会える連中じゃない、会えるときは漏れなくトラブルとセットの連中だ。

 

 後ろには話題の宣戦会議が控えている。可能であるならロクでなし一家との再開は遠慮したいが──どうやらお決まりのパターンがやってきたようだ。俺よりも先に隣の腐れ縁が答えてくれた。

 

「お約束ね」

 

 寮の敷地を少し歩いたところで俺たちは足を止める。腕は頭で考えるよりも先に動き、ホルスターから既にタクティカルライト装着のトーラスを抜いていた。呆れを抑えられない夾竹桃から溜め息が聞こえてくる。

 

「問題が終われば次の問題がやってくる。いつものパターン?」

 

「正解、いつものパターンだよ。望んでないのに向こうから飛びこんでくる。最高だ」

 

「退屈しそうにないわね、貴方の近くにいると」

 

 皮肉めいた言葉を契機に頭が冷えていく。敷地内の片隅、真っ暗闇の空間に黄色い切れ目が生まれていた。ありえない光景だが何もない虚空に切り傷のような縦の線が走っている。真っ暗闇の敷地でその一ヶ所だけが不気味に発光していた。まるでゲームや映画にありがちな異世界に続く入口みたいだ。

 

「理子が異世界の話題を振った途端にこれ?」

 

「こんな状況で落ち着いてるお前も大概だよ」

 

「自分の眼で見たこと以外は鵜呑みにしないことにしてるの」

 

 爪先から頭頂に冷たいものが走る。俺は用心金に指をやり、ゆっくり切れ目の側まで進む。

 

「お次はなんだ?」

 

 切れ目の長さは俺やキンジの背丈と同程度。縦に伸びた長さに比べ、横幅はほとんどない。寮を出たときにはこんなものは浮かんでなかった。俺が離れていた数時間の間にできたってことか。何かの超能力って感じじゃなさそうだな。ぱっと見の印象はこっち側の現象……

 

 転がっていた石を裂け目に蹴り込むと、石は裂け目の中に吸い込まれて消える。透過しないってことは裂け目の奥に別の空間が広がってる可能性があるな。ナルニア国が出るか、煉獄が出るか。人の庭先に面倒なもんを作りやがったのはどこのどいつだ。

 

「行くの?」

 

「こっち側の問題にしか見えねえからな。とりあえず探りだけ入れてみる。見張り頼んだ。手が空いてたら聖女様にも連絡を頼む」

 

「はいはい。妙な連中だけは連れて帰らないで」

 

 ──覚えとくよ。俺は状況を確かめるべく隙間の中に足を踏み入れた。嫌な予感がする……天使のラジオからありったけの悲鳴が聞こえてくるような……とてつもなく嫌な予感がする。地上に闇(darkness)が解き放たれたときと同じ感覚。

 

 以前、星枷がこんなことを言っていた。日本には『マヨイガ』と呼ばれる局地的な魔界がいたるところにあると。例えば烏天狗、奴は自分のマヨイガに美女や財宝を溜め込んで欲求を満たす。知らず知らずに、奴のマヨイガに足を踏み入れて被害に遭遇する例が実際にあるらしい。

 

 自分の巣や空間、領域を作成する怪物って意味では俺も何体か心当たりがある。だが、それはあくまでも米国での事情、海を渡った日本でも同じ道理が通るとは限らない。地面から浮いていた足が何かを踏みしめ、暗転した視界がクリアになる。一言で言えばそこは紛れもない『魔界』だった。

 

「……どうなってるんだ?」

 

 誰も聞いていないことすら忘れて言葉が出る。裂け目の中に広がっているのは荒廃した土地だった。灰色の大地がどこまでも広がり、木々や生き物は姿も気配すら感じられない。あるのは灰色、世界から色が消されたように緑の木々はどこにも見当たらない。鳥、獣、人、生き物の息遣いはどんなに耳を澄ましても聞こえず、不気味な突風と灰色の雲から光る赤い雷鳴のつんざく音だけが繰り返されている。

 

 ……まるで地獄だ。一面が灰色に覆われ、荒廃し、朽ちている。灰色の砂地、見渡しても建物は大小問わず一つも見つからない。代わりにあるのは、建造物から剥ぎ取られたように砂地に刺さっている鉄骨やコンクリートの残骸。近くまで行くと、所々に真っ黒なシミができている。乾いた血の跡に背筋が冷たくなった。危険を告げる警笛が頭をがむしゃらに叩いている。

 

 空を包んでいる異常な範囲の灰色の雲、そして異常な頻度で繰り返される。生物の息遣いすら聞こえない静寂。最低のテーマパークだ。まるで──

 

「──おいおいキャシー、頼むから不始末はよしてくれ。王様はいまとてつもなく機嫌が悪い。指をパッチン、みんなあの世行きだ」

 

 刹那、頭上から聞こえてくる軽快な男の声に頭を強く揺さぶられた。ありえない、この声の主は借りていた人間の器ごと天使の剣に一突きされている。死んだ天使や悪魔の眠る『虚無の世界』は神やアマラですら簡単には介入できない。

 

 なのに……俺の頭上、灰色の砂地が重なって作られている山場には死んだはずの天使(バルサザール)がお仲間を引き連れ、トーラスを握ったままの俺を見下ろしている。最悪だ、汚い空気で肺がおかしくなりそうだ、どうやら夢オチじゃないらしい。何にしてもようやく生き物と遭遇できたことに俺は肩をすくめる。

 

「よぉ、天使ども。御勤め御苦労様」

 

 にわかに信じられない光景にトーラスをホルスターに戻しながら、視線をぶつける。そこにいたのは長身の優男、かつてバルサザールが使っていた人間の器に瓜二つ。空気を読まない軽口も同じだ。だが、奴は俺のことを覚えているような気配がない。初対面にありがちな警戒心が剥き出しになってやがる。疑問が頭から消えず、暴れる心臓を乱暴に黙らせると、スッと彼が右手を挙げた。

 

「反乱分子かどうかは問題ない。見分けが付かないときはとりあえず片付けるに限る──やれ」

 

「おいおい、片付けるってなんだ?」

 

 左右に二人ずつ、指揮官と思われるバルサザールを挟む形で並んでいたお仲間に天使の剣が握られる。おい、まだまともに会話もしてないんだぞ……

 

「冗談だろ? 神の戦士が通り魔か? いったいどうなってんだこの世界は?」

 

 ──反乱分子。話の背景は分からないが、ようするに『疑わしきは罰せよ』ってことか。武器を構えた数は四人。全員、迷彩服で服装が統一されている……どいつもこいつも紛争地帯の武装勢力みたいな格好だ。

 

 俺の記憶にある天使はその大多数がスーツや礼服だった。あの無気力で怠惰なバルサザールが兵を率いているのも違和感がある。まるで安物のコピーだな。もう一度言ってやる、どうなってんだよこの世界は……

 

 

 




1.赤ん坊の癇癪で穴が開きました。

2.主人公は休暇(異世界旅行)に出掛けました。帰宅予定は不明です。

3.天使の軍隊に奇襲されました。


……今回、ようやく今後に繋がる話を動かせた気がします。


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アンフェア

『撃つよ。いまのお前は本気で神崎を殺そうとしてる。だから撃つ。迷わずすぐに』




The Road So Far(これまでの道のり)




『アリアさんはキンジさんと結ばれてはならない』


『レキュのやり方、ちょっとアンフェアだよね。いつものレキらしくない。もっと上に誰かいるのかな?』


『雪平様は行かれたことがあると聞きました。地獄だけでなく天国にも』


『分かりにくかったか? なら、絵に描いて示してやろうか』


『言っておくが、俺はレキに狙撃拘禁されてたんだ。それで『リマ症候群』を引き起こすために、仕方なくだな……』


『Kくんはタラシで自意識過剰な正義の武偵だったんだね?』


『バカかお前は。聖女様も悪ふざけがすぎる。賭けならもっと他にあっただろ』


『ーーまあいいわ。その辺のことは、ちょっと待つことにしたから。待ちの一手よ』


『テッサは行き場のない魂の叫びに苦しんでた。死神らしい』


『どれになるか。結末はーー選び方次第』


『……どうだっていい。もう死んでるんだ』


『理子が異世界の話題を振った途端にこれ?』


『冗談だろ? 神の戦士が通り魔か? いったいどうなってんだこの世界は?』



Now(そして今……)






「地獄の悪臭がぷんぷんするぞ。お前、なにを食った?」

 

「臭いのはこっちの砂。こんなのネズミだって食わない。キリ・ウィンチェスターだ、兄貴の名前はサムとディーン……って言っても分かんないよな……!」

 

 首と肩を逸らし、体を傾ける。刹那の差で一瞬前まで脳天のあった場所を突き出された剣が通過した。血の気が一気に退き、後ろに引いた拳を顎に向けておもいきり殴り付ける。『顎』は、衝撃を受ければ脳震盪に繋がりかねない危険極まりない部位の一つ、据えた狙いもタイミングも悪くなかった。

 

 が、堅牢なコンクリートの壁を殴り付けたような感触がして、袖から天使の剣を滑らせながら背後にバックステップを踏んだ。顎を砕くつもりで殴ったが……当の本人は涼しい顔でこちらを見据えている。痛みも恐怖も飽和し、否最初から知らない故の変化することのない無表情。天使相手に急所を狙うことは無意味、人間の法則や常識は通用しない。忘れてたよ、ミニガンで蜂の巣にされても平気な顔で肩をすくめる連中だ。

 

 二人目の追撃も回避し、俺は武器を握った右腕を掴んで相手の背後を取りながら腕の間接を捻りあげる。砂に落ちた天使の剣を拾われないように遠くへ蹴飛ばし、関節技を決めたまま喉に天使の剣をぴたりと添えて第二波を牽制する。よし、とりあえず一匹捕まえた。

 

「話を聞け。やるなら相手になってやるが、訳あってお前らの器を殺したら罪状三倍ルールで俺は刑務所に隠居することになるんだ。言ってること分かるか?」

 

「交渉の余地はない、合図したら一斉にかかれ」

 

「おい、冗談だろ……ルシファーでも今のあんた達よりマシに話しができたぞ!」

 

 同士の首に凶器があるのに、皆の反応は冷血を越えて淡白。人質が牽制にもならねえな。

 

「奴のフォロワーか、どうりで悪臭臭い。ルシファーはアビリーンの空でミカエルに殺された。ぐちゃぐちゃに引き裂かれたって話だ」

 

「ルシファーが、ミカエルに……? 笑えねえ、どうなってんだここは……!」

 

「やれ──!」

 

 ……魚より人の話を聞かない連中め。バルサザールの言ってる大天使兄弟の話は気になるが後回しだ。こいつらの中身は天使、だが借りている外の肉体は信心深いだけの平凡な人間。奴等の性格からするに器になってる人間の命は既にない、天使の入れ物として使われているだけ。そして天使や悪魔を倒すには器ごとルビーのナイフや天使の剣で貫くしかない。

 

 武偵法9条──武偵は如何なる状況に於いても、その武偵活動中に人を殺害してはならない。果たして既に天使や悪魔に命を奪われ、人間ですらない彼等を殺すことが9条に触れるかどうかはグレーゾーン。この荒廃した世界に武偵法が定められているのかも怪しいが、不意に二人のルームメイトの背中が頭をよぎる。

 

(──武偵らしく平和的に戦うとするか)

 

 寝覚めが悪いのは困るからな。武偵としてあの二人の近くにいられなくなるのは、悔しいが未練が残る。自虐的に唇を歪め、俺は胸中呟いた。手持ちに聖なるオイルはない、天使相手に命を絶たず切り抜けるには……あれでいくか。

 

「あんた、銃弾で撃たれたことあるか? すっごく痛い」

 

「無縁だな、我々は人間とは違う。鉛の塊で悲鳴などあげない」

 

「そうか、そりゃ良かった。なら撃たれても平気だな」

 

 首に剣を当てられていても至って冷静だ。一人を制圧するだけでは足りない。数の差は一方的、全員の戦意を揺さぶり、切り抜けるしかない。

 

「知ってる。天使はちょっと念じれば弾も刃物の傷も一瞬で治せる。人の記憶を消すことだってわけない。今日まではな?」

 

 砂を踏みしめる足音が一斉に重なり、隊列を組んでいた天使たちが近づいてくる。俺は落ち着いて、首に当てている天使の剣を真横に一閃、喉に小さな切れ目を作る。しかし吹き出るのは赤い間欠泉じゃない、器は人間でも中身は天使。喉の小さな切れ目からは白い煙のような発光する何かが噴き出している。天使にとって血液以上に大切なものが。

 

 一転、唖然とする天使たちの視線は喉から吹き出る白い光に釘付けとなった。固めていた腕を離し、俺は購買で買った蓋の開閉できるカプセルペンダントを首の切れ目に当てる。虚空を漂っていた光は蓋の開いたカプセルに吸い寄せられると空だったカプセルの中にどんどん喉の切れ目から光が流れこんでくる。異様な光景、それは天使から見ても同じ感想を抱くに違いない。牽制には十分すぎる。

 

「貴様、それをどこで……!」

 

外道(メタトロン)の教えもたまには役に立つもんだな。神の書記万歳!」

 

 天使には『恩寵』と呼ばれるエネルギー源がある。例えるなら全ての天使が持っているバッテリーだ。天使は恩寵を稼働させることで一介の悪魔や怪物とは比にならない強力な力を行使することできる。

 

 逆に言うなら恩寵が不足すれば満足に力は震えず、時間と共に疲弊する。以前、メタトロンがカスティエルに、カスティエルがメタトロンにやったように天使の剣で喉から恩寵は搾取可能だ。そして、恩寵を全て抜かれた天使は力を失い、後に残るのはくたびれた器だけ。つまり──

 

人間(こっち)の世界にようこそ」

 

 人質の背中を迫ってくる仲間の方向へ蹴飛ばし、自由にした両手でトーラスを抜く。殺風景な世界に銃声が木霊し、よろめいていた右の足をパラベラム弾が撃ち抜いた。さっきまで痛みや恐怖には無反応だった彼は絶叫と一緒に砂の上へ倒れ込んだ。

 

「……私の恩寵、が……」

 

「迷惑料が高く付いたな、ざまあみろ!」

 

 流れるはずのない赤い血に他の天使たちも絶句、怯んでいる。ここが好機だ。

 

(──撤収!)

 

 俺は躊躇わず連中に背中を向けた、汚い捨て台詞を心の中で吐くだけ吐いて逃げだす。好機を逃せば俺が目と口から光を吹き出し、殺風景な砂地に干からびた死体になって転がる嵌めになるからな。こっちのバルサザールはどうか知らないが、俺の知ってるバルサザールって天使は兵士の身でありながら、内戦に乗じて自分の国の宝物庫から武器を持ち逃げするような曲者だった。

 

 内戦で自分が死んだと思わせておいて戦渦の混乱の隙を突く。純粋な力では大天使には及ばないが策略を張り巡らせる点では連中の中でも頭一つ抜けていた。大天使を退けた天使はリヴァイアを取り込んだキャスの他にはバルサザールだけだったしな。無闇やたらと戦いへ発展するのは避けたい相手だ。反転した体は歩いてきた道をそのまま疾駆、背後からはまだ追っ手の気配はない。人間相手に恩寵を抜かれたことが、よっぽど想定外の事態だったらしい。奴等、仕事は淡々と丁寧にこなすが不足の事態やアドリブには弱い、そこはこっちの天使も同じだな。

 

 あの反応を見ると、人間に恩寵を抜かれる光景も見るのは初めてだろう。お陰で意表も突けたし、全員揃って怯んでくれた。連中にしたら使命を抱いたまま死ぬよりも天使でなくなることの方が怖いに決まってる。神に選ばれた戦士であることを何よりの誇りとする連中だからな。望むのは戦士としての名誉の死、それが解らないほど浅い因縁で結ばれてはいない。

 

 汚ない空気と後のことを考えない全力疾走、へばってるのは俺のせいじゃない、人間に生まれたせいだ。できそこないの足と、弱々しい肺に文句を言いたくなる。

 

 短い時間で感じた疑問、気になることは山程あるが話合いのできる相手じゃなかった。汚れた空気、灰色の雲、そしてこの世の終わりみたいな景色。はっきり言えるのは休暇を楽しめる世界じゃないってことか。新手にも追っ手にも遭遇せずにゲートになっていた裂け目まで戻ってくることができた。依然として雷鳴は鳴ってるが生き物の足音も鳴き声も聞こえない。

 

(振りきれたか──?)

 

 安心を得るべく、裂け目の前に来てもなお振り返って周囲を確認せずにはいられない。胸くそ悪い疑心を助長するようにーー風が凪ぎ、雷鳴がやんだ。一瞬、灰色の世界が静寂を取り戻す。

 

 自分の息遣いが鮮明に耳を通して頭に響いた。最悪だ、振り返らずに裂け目に飛び込むべきだったな。頭に危険を知らせる警笛が鳴り響いて止まらない。本能が危険を察知するが、僅かに遅かった。逆に言えば、僅かに早く、それがこの場に姿を見せた。

 

「な……!」

 

 静まり返った世界に悪夢が響く。頭が割れそうな異音が走り、膝が呆気なく崩れ落ちた。両手が必死に頭を抑えるが脳は揺れ、中身が内側で溢れるような不快感が走る。不快、そして全身が危険を感じて止まらない。脳に警告音を直接流し込まれているような感覚、すぐにこの場から逃げることを勧められるようだった。

 

 が、残念ながら既に手遅れだと本能が悟る。この世の終わりのような絶叫に抗い、膝を建て直したときに初めてそいつと視線がぶつかった。

 

 器のせいで外見で語るのなら、それは人間に見えた。実態のない影だけが映しだされる神々しい両翼、その背中に目を瞑ればそれは人間の骨格、姿を象っている。朝黒い肌、黒い髪、鋭い瞳、個々のパーツで見れば何の違和感もない。だが違う。もっと別のところでそれは人間の領域から外れている。凪いでいた風は暴れ狂い、灰色の雲から雷鳴が轟く、この世界を満たしている大気が怯えるように悲鳴を上げていた──それが現れただけで。

 

「……最悪だ、さっきより悪い状況になった」

 

 俺が凶暴な笑みを刻めたのは、逃げるという選択肢が頭になかったからだろう。天使の軍隊が相手なら不意を突いて逃げきれる自信があった。だから、バルサザールの軍隊を振り切ってこの場にいる。だが、いまは無理だ。背中を向ければ指を鳴らされるだけで首がねじれて終わる。

 

「弟の匂いがして来てみれば稀有な光景だ。匂いはするが中身のない脱け殻。それも妙だ。何故ルシファーの器になりながら正気でいられる?」

 

 ゆったりと、ある程度の距離まで近いづいたところで男は止まった。奴に距離など意味はない、念じれば一瞬で背後を取られる。飄々とした声色にも関わらず、背筋がゾッと冷たくなる。星枷の占いはやっぱりすごいよ、太鼓判を押してやる。

 

「正気じゃないさ。最初は来る日も来る日も魔王の幻覚に悩まされた。大天使が入った器だ。平気でいられるわけないだろ。あれは地獄の日々だった、まるで……」

 

「バスの下敷きにならながら生きてる気分だったか?」

 

「……口にしようとする食べ物は全部ウジ虫に変わって、眼を閉じれば頭のなかでルシファーが喚き散らして一睡もできない」

 

 伸ばした右手の人差し指で自分の頭を撃ち抜く。

 

「あれは幻覚を信じる、信じないの次元を越えてる。一度受け入れたら最後だ。頭のなかに住み着いたルシファーは何をやっても黙らないし、睡魔と戦ってるときに耳許で『天国への階段』を50回以上も歌われて、頭をやられない奴がいたら会ってみたいもんだ。生憎、ウジ虫サンドを笑って食べる人間は俺の近くにはいなかったけどな」

 

 嘘偽りのない解答に男の唇が歪んだ。気に入らない家族の哀れな一面を知って楽しむように。答えは出てる、眼前の化物の正体は既に明らかだった。脳に流れ込んだ警告音には……覚えがある。

 

 ルシファーの檻に落ちるより少しだけ前の出来事、忌々しく刻まれた記憶は忘れようがない。あれはアダムが器になったときに聞こえた音と一緒だった。そしてルシファーを弟と呼べる存在は一人だけ。精一杯の虚勢を張り、俺は化物の名前を呼んでやる。

 

「……ミカエルだな? ラファエルは登場と一緒に東海岸全域を停電に追いやったが、あんたほどユーモアはなかったぜ?」

 

「だが、私ほどの力はなかった」

 

「それは言えてる。根っから情け深いだけが取り柄の大天使だった。それもあいつの自称に過ぎないが」

 

 それでもアメリカ本土の東海岸全域を停電に追いやり、苦もなく豪雨と落雷を呼び寄せる程度の力はあった。そしてミカエルはラファエルの数段上を行く化物だ。ルシファーに並び立つ聖書のメインキャスト、神とアマラを除いて魔王を止めることができた唯一の存在。恐らく──コルトで殺せない5つの存在のひとつ。

 

「……本当にルシファーを殺したのか? いくら頭が終わってるからってあんたの弟だろ?」

 

「迷ったら基本に戻る。私は定められたシナリオに沿ったまでだ。ここだけの話、神は休暇に出たきり帰って来ない」

 

「へえ。不在の神に変わって、あんたが堅物な天使共の指揮を執ってるわけだ。成り行きは読めたぜ、ルシファーとあんたの兄弟喧嘩に便乗して悪魔と天使の戦争が勃発した。つまり、この世界はスケールのデカい家族喧嘩が実際に起こった世界ってわけだ──誰にも止められることもなく」

 

 嘲笑に乗せて、俺は制服の内側からスキットルを放り出した。この世界は最終戦争の起こった世界、天使と悪魔の戦争によって地上の生き物が息絶えていく世界。ミカエルとルシファーが兄弟で命を奪い合う、神が用意したもうひとつの悪趣味なシナリオ。ただ淡々と化物はこちらを見据えている。あの目は障害とすら認識されていない、床のシミに向けるものと同じ目つきで俺は見据えられていた。

 

「アザゼルが生んだ副産物か。血は随分と馴染んでいるようだが、私には届かないぞ?」

 

「……だろうな。だが、まだ未練があるんだ。聖女様にもあのユニコーンにも言ってない言葉が山程ある。それを全部言い終わるまでは……棺桶には入れない」

 

 分かってる。俺の超能力はルシファーが生んだ地獄の王子(アザゼル)から与えられた養殖の力でしかない。どれだけ悪魔の血を蓄え、体に馴染ませたとしても魔王を葬った大天使の前では意味を持たない。策を練り、策略や工夫で力の差を埋めるだのそんな領域を越えている。奴の動きを縛れる聖なるオイルもインパラのトランクの中で眠ったままだ。

 

 強気な言葉で自分を震い立たせるしかなかった。左手でスキットルを振り、奪い取った悪魔の血を慈悲深く待ってくれているミカエルの前で飲み干す。このミカエルは俺たちが知ってるミカエルじゃない。俺たちの世界のミカエルは檻の生活で頭がおかしくなってるが、こいつはもっと邪悪で、恐ろしく……強い。組み合わせてはいけない力と冷徹さを兼ね備えてやがる。神がいない世界でこの化物にとって抑止力になる存在はなにもない。

 

 裂け目の向こうに辿り着いた暁には、世界はここと同じように荒れ果てる。悲観的に思えるが今までそんな展開ばかりだった。かぶりを振り、片付けるには眼前の化物が放つ気配は邪悪すぎる。それを許容して逃げるのは無理だよ、俺にはできない。今までやってきたことを台無しにするなんてできねえよ。一歩、重たく踏み出した足音が契機となる。

 

「それは重たい一歩だ」

 

「前に行こうと後ろに行こうが結果は一緒だ。それならあんたが嫌がる方向を選ぶ。三度の飯より人の邪魔をするのが好きでね」

 

「不出来な弟の創作物をこの世界に置いていく理由はないだろう。私はルシファーのように回りくどいことはしない」

 

「へぇ」

 

 自分が殺した家族への中傷、その平然とした声色に俺は半眼を作る。そして一歩、ミカエルが歩を進めた。

 

 

 

「──だが、ルシファーよりまぬけだ」

 

 

 

「なんだと?」

 

 

 

 明後日の方向から投げられた物体がミカエルの足元で砕け散り、突如砂の上で発火した。赤い炎が円を描くように駆け抜け、狼狽するミカエルの周囲を囲み、膝下まで吹き上がる火柱が一瞬にして大天使を隔離する。

 

 それは天使を封じ込める聖なるオイルによるサークル、絶対的に力を有する大天使には血文字に並んで数少ない対抗手段の一つ。炎の牢獄が完成したとき、今度こそ混じりけなしの殺気が大天使の目に宿った。

 

 俺は視線を灰色の空へと逃がし、天を仰いだまま嘆息した。次いで汁次の陶器が投げられた方向を見て、透明の瞳を引っ込めながら皮肉に笑う。

 

「どこから掠め取ったのかは聞かないでおいてやる。よく仕掛けられたな?」

 

「白雪がお前を占った結果を私にも聞かせてくれたのだ。そこに桃子からの連絡、察しはつく。大天使と鉢合わせることになるとは……長生きはしてみるものだな」 

 

「貴方はまだ10代でしょう?」

 

 清涼な声は数にして二人、緊迫した空気が微かに緩んだ。魔宮の蠍と銀氷の魔女、言葉はさておき二人の表情には驚愕の片鱗さえも宿されていない。俺の近くで異常なことが起きるのがさも当然と言わんばかりの反応。足早に歩み寄ってきたジャンヌは魔剣で武装し、これまたお供の蠍も見覚えのあるソードオフの散弾銃で武装している。

 

「その散弾銃は?」

 

「借りたのよ、尋問科の2年から」

 

「そいつは妬けるな。連中に塩は意味ねえぞ?」

 

「鉛弾だって意味ないわよ。でも残念だわ、一度異世界を旅してみたかったけど、ちっとも楽しくない」

 

「現実を知れて良かっただろ。住み慣れた自分の世界が一番ってことだ。次は別の夢を探せ」

 

 楽しくない、その感想には酷く同感だ。伏せ見がちにジャンヌがミカエルを見やる。

 

「今は大人しいがいつまでも留めておけない。相手があのミカエルなら尚更のことだ。策はあるのか?」

 

「……そうだな。奴は俺たちの知ってるミカエルよりずっと危険で物凄く強い。倒すことは無理だろうな、darknessが援軍に来るなら話は別だが現実は四面楚歌だ」

 

「ハンカチで白旗でも作ってみる?」

 

「いや、無理だろ。この殺風景な世界の有り様を見て降伏が通用するとは流石に思えない。連中に交渉の余地はないみたいだしな、一戦交えたばかりなんだ。身に染みてるよ」

 

「帝国軍の最後の希望は潰えたってことね。期待してなかったけど」

 

 微塵も残念な気配を感じさせず、達観した様子で黒髪が靡いた。夾竹桃の死生観はどうなってるんだろう。こんなときにつまらない疑問を抱え込んだ自分に嫌気が差しそうだ。

 

 あー、ちくしょうめ。こんなときだから、つまんないことが気になったのかもな。まだ猶予はある、ミカエルを囲む焔が消えるまで、焔が灯る間だけ話ができる。後の祭り──俺はあの言葉、本当に嫌いだよ。ああ、本当にあの言葉が大嫌いだ。間に合わなくなるくらいなら、差し出せるものは惜しまずに差し出す。ばら蒔けるものは全部ばら蒔いてやる。

 

「聞いてくれ、二人とも。ジャンヌが罠を仕掛けてくれたお陰で時間が稼げた。だから、先に礼を言う。時間をくれて感謝してるよ、ありがとう」

 

 肺に貯まった空気を入れ替え、俺はかぶりを振る。

 

「雪平。水を差すようだけど、今は礼を言うよりも打開策を──」

 

「いいから聞いてくれ。この期に及んで、現実から目を背けちゃいねえよ。前に話したよな、ネフィリムについての話。親となった天使よりも強力な力を持って生まれてくる罪深い存在、俺が日本に来る前に残してきた問題だ。ルシファーと人間の間にできた子供のことを皆に投げてきた」

 

 ネフィリム、罪深き存在の代名詞。エノク書にもその名前は記されている。地上に降りた天使と人間の女性が交わり、産み落とされたとされる存在。俺が言葉を遮ったことで夾竹桃は半眼で耳を立ててくれる。次いで、俺は肩越しに背後を見やり、裂け目の有無を確かめた。

 

「異世界に穴を作って世界を繋ぐなんて芸当は普通じゃない。仮想空間を作るのとは──レベルが違う。死の騎士が大好きな宇宙の法則とやらをねじ曲げる行為だからな。そんなことができるのは大天使よりも1ランク上の存在、すぐに察しはついたさ」

 

「ルシファーの子供が関係してる、そう睨んでいるのか?」

 

「神は旅行中だ、他には考えられない。アマラが地上に解き放たれたときも登場は派手だった。半分は人間でもルシファー以上の力を持った天使が生まれるんだ、癇癪で次元に穴の1つや2つ空けてもおかしくない。こいつは俺の残した宿題だ」

 

「だが、ネフィリムが宿ったのはお前の責任では……」

 

「いいんだよ聖女様。補習に呼ばれるのが遅すぎたくらいの案件だ。夢にしては長過ぎるくらいの時間、あの国で悪くない時間を味わえた。本物の天国よりずっと良い」 

 

 ミカエルを隔離している火柱の勢いが穏やかになりつつある。燃え盛る火柱は砂時計のなかで残りの時間を示しながら、溢れ落ちる砂のようだった。嘆かわしいことに話ができる刻限はそう長くなさそうだ。不安げなジャンヌの碧眼から逃げるように俺はかぶりを振る。悪ぃ、いまそのアイスブルーの瞳を見ちまうと……揺れそうだからな。

 

「ミカエルを向こうの世界に招いたら全部終わりだ。色んなもんを犠牲にして守ってきた世界も此処と同じになる。命を賭けて止めた最終戦争と結局同じ結末になるのは、一緒に戦ってくれた皆に会わせる顔がなくなる」

 

「分かってるわよ、貴方がやってきたことが無駄になる。私も灰色の世界は趣味じゃないの、手負いになる覚悟はしてきた。天使たちを止めて愉快な明日を迎え──」

 

「夾竹桃」

 

 不意に名前を呼ばれ、彼女は俺に振り向いてくれた。言葉を遮られたことに呆れた顔、幼さの残る顔、目に毒と思えるほどに綺麗な顔は初めて会ったあの夜に見た顔と何も変わってない。俺が投げた鍵は、咄嗟に受け止められた彼女の右手の中で小さく揺れていた。

 

「……待ちなさい。なにこれ、なんのつもり?」

 

「大事にしろよ。接触事故なんて起こしたら化けて出るからな。それにカセットテープも」

 

「笑えない」

 

「……ったく、ちょっとは笑えよ。こんなことやるのはお前が初めてなんだぞ?」

 

「ふざけないで、インパラは貴方の家族。ただのクラシックカーじゃないことは私も知ってる。空気を読まないジョークにしては最悪ね。雪平、場を考えなさい」

 

 俺は振り上げていた手をゆっくりと下げる。

 

「分からない。誰にも運転もさせなかったのになんで簡単に手放せるのよ、矛盾してる。意味不明なの、貴方はいつも意味不明で分からないことだらけよ。でもこれは本気で分からない、分かりたくない」

 

「深夜アニメと女子絡み以外でお前がそんなに饒舌になるの初めて見たよ。思わぬ発見だ、レアだな」

 

 この期に及んでこんな返ししかできないんだな、俺は。小さく苦笑する俺の隣にジャンヌが表情を咎めた。本当に察しが良いよ。本当に──どこまでも賢いお嬢さんだな。 

 

「桃子、キリは……」

 

「私がどれだけ助手席で貴方の惚け話を聞いたと思ってるの? どれだけ貴方と──渡す相手を間違えてるわ。雪平切がインパラの運転を許すのは貴方の兄、貴方の家族だけでしょ……!」

 

「だから、お前に渡してるんだよ」

 

 手短に話をつけないといけないのに、どうにも相手がこの女だと回りくどくなる。目を離せなくなると分かっていて俺は夾竹桃と視線を結んでしまった。視線を呪縛されるような綺麗な瞳と、

 

「家族だから渡してる。インパラって家族を預けられる相手だから渡してるんだ。誰でもいいわけないだろ?」

 

 呪縛されていた瞳が強く収縮する。何度も視線を奪われていた瞳が、息をするように強く開かれる。

 

「どうして?」 

 

「お前なら、インパラに名前を刻んでも良いと思った。家族である証。お前ならインパラを家族として扱ってくれる。誰でもいいわけじゃない、夾竹桃に頼みたいんだよ」 

 

「なんでいま、そんなこと言うの?」

 

「諦めをつけたつもりだった。でも心のどこかで普通の生活に憧れてた。非日常の生活に嫌気が差して、日本に来てお前や聖女様と出会うことができた。ハンターとして生きていたから皆に出会えた。嫌いだった非日常の生活が好きになれそうなんだ。あの夜、コルトを奪いに来てくれたのがお前で本当に良かった」

 

「駄目、似合わない。そんなB級映画みたいな台詞が胸に響くわけない。無理よ、受け取れない。受け取ってあげない」 

 

「ジャンヌ、ミカエルの背後には天使の軍隊がいる。たぶん、雑魚以外にもハンナやナオミ、悪魔との戦争に生き残ってる手練れの兵士がまだまだ残ってる。仮に星枷を加えてもこの場は乗り切れない。正攻法での攻略は……無理だ。包帯1つで腸を抑えてる状況、だから──もっと現実的になろう」 

 

 刻限が迫るなかで、やけにあっさりと言葉は浮かんできた。当たり前か、包帯で一つで腸を抑えながらも自分にできることをやる。そんなことジョーとの別れで嫌になるほど痛感してる。命を投げて助けてくれた彼女への想いは、変わらない。けれど、それを理由に現在を逃避することは、もうできない。武偵として過ごした日々は未練を作りすぎた。脳裏に焼き付いた言葉は海を渡ろうがどれだけ時間が経過しようが変わらない──ウィンチェスターの教えだ、家族は捨てられない。

 

「まずこの裂け目はいつまでも続かない。突発的に生まれた現象がそう長く維持されることはないからな。裂け目がネフィリムに関係してるなら、今頃は兄貴たちも事態の終息に奔走してる。裂け目が閉じるのも時間の問題だ」 

 

「……裂け目が閉じるよりも先に聖なるオイルが枯れ果てるぞ?」 

 

「だから、閉じるまで俺がここで足止めする。増援にやってくるお仲間からもまとめて死守して時間を稼ぐから、お前は夾竹桃と向こうで天使避けを準備。ジャンヌ先生なら悪魔避けも天使避けも簡単に書けるだろ?」 

 

「私は魔女だ、お前と同様に天使と悪魔の知識も一通り揃えている。お前の期待にも答えられるだろう。だが、正面から勝ち目はないと言ったのは他でもないお前だ。私はこれでも現実的に先を見据えているが──できることなら、お前を捨てたくない」 

 

 伏せられたアイスブルーの瞳に一瞬言葉をなくす。最後の言葉、もっと別のタイミングで聞いてみたかったな。本当に残念だよ。その言葉、いつかキンジにも言えるといいな。一緒に海外旅行でもしてやれよ、故郷のフランスにでも誘ってさ。

 

 ミカエルを見やると、燃え盛っていた聖油の火柱は勢いをなくし、頼りなく燻る一歩手前だ。砂時計に落ちる砂は残り少ない、きっとそのせいだな。いつになく口が気持ち悪いほどによく回る。

 

「バカか、お前は」

 

 皮肉な声色で、お決まりのアンフェアの台詞でジャンヌにかぶりを振る。半分は自分に向けての言葉だ。

 

「自爆するつもりはねえよ、一番賢いやり方を提示してるだけ。血は全部飲み干した。そこらの天使相手ならどうにでもなる」

 

「ミカエルは普通の天使とは呼べない」 

 

「なんとかするよ。上手いことミカエルだけを置き去りにしてやるから、存分にお絵描きに取り掛かってくれ。いざというときの備えは用意しておく、それが賢い策士。それを教えてくれたのはお前と理子だ」

 

 ふいうちの言葉だったのかもしれない。ジャンヌが言い淀む。 

 

「自身より他人を優先する。それは立派だが、それではいつかきっと後悔する。もっと、お前には早く伝えるべきだった。お前は、もっと自分を大切にするべきだ」

 

「してるよ。やりたいことをやってる。理子が言ったとおりだ、迷ったときは自分の心に従え。あの『青空』は俺たちが色んな物を犠牲にして、やってきたことが無駄ではなかった証だ。皆で手に入れた色のある世界を、俺は失いたくない」

 

 らしくない言葉を長々と続けると、すっと何かが砂を踏んだ音がした。軍服が視界の端に佇んでいる。

 

「追手が来た。タイムリミットだな」

 

 小さな夾竹桃の肩を叩き、袖から天使の剣を滑らせる。居心地の良い夢から覚めたとき、こんな気持ちになる。

 

「ジャンヌ、行ってくれ。そこのユニコーンのこと、任せたぜ?」

 

「ふざけないで。先は見えてる、私も途中まで読破したわ。お得意の自己犠牲で終息、笑えないのよ。自己犠牲なんて言葉で死を美化しないで、死は全ての終わり。私は認めないから、なにかを守るには犠牲が必要って考え方は反吐が出る!」 

 

「……等価交換は駄目なタイプだな、お前」

 

 それがお前の信条なんだろうな、何かを得るために何かを犠牲にしても意味がない。等価交換も自己犠牲も意地でも認めない、そんな心の叫びを聞いたような気がした。皮肉な笑いしか出てこない。最悪だ、どこまで俺を揺さぶるんだよ。最初は首を落としにきたくせに。 

 

「お前は甘い。変わってくれるなよ、そのままの天然記念物でいてくれ」

 

 ──メグにとってのユニコーン(カスティエル)みたいにな。 

 

「キリ」

 

「なんだ。連中、いつまでも空気を読んで黙っていてくれないぞ?」 

 

「なら最後にひとつだけ」 

 

 背中を反転させ、結われた銀色が視界の横を過ぎ去っていく。

 

「──遠慮はいらない。がつんと痛い目にあわせてやれ、ウィンチェスター」 

 

 清涼な声が澄み渡り、そして口許が歪んでいく。

 

「ああ、どっちが雑魚か思い知らせてやる」

 

 瞼を閉じ、透明の瞳に裏返ると同時に指を鳴らす。

 

May we meet again. (再び会わん)

 

 そして、強情な夾竹桃をジャンヌもろとも、栄養剤で得た念力で裂け目のなかに吹き飛ばした。これでやるべきことはやった。バルサザールが後ろ頭を掻き、やがて肩をすくめる。

 

「仲睦まじいな。私は吐き気がしたが、正直じーんと来た」 

 

「そう。それは良かった」

 

 指を鳴らして、飛来したプラズマ弾の軌道を明後日の方向に逸らす。 

 

「本当に……随分と未練を残してくれたが仕方ない。休暇の埋め合わせがようやく回ってきた、それだけだよ。いつものパターン。空気を読んでくれて礼を言うよ、ミカエル。俺の知ってるあんたよりかなりグレてるみたいだが?」

 

 ミカエルを包んでいる火柱が頼りなく燻る。灰色の世界を照らしていた赤色は疑問を投げるのと同時に焼け落ちた。軽快に三歩、砂が踏み鳴らされる。

 

「待ち時間はこれで終わりか?」

 

 ドス黒い両翼が広がり、双眼が青白く光ると一瞬にして砂が巻き上げられた。鼓膜を雷鳴が激しく叩き、衝撃波となんら変わらない突風が四肢を斬りつける。最上位の天使、原始の創造物、神の近親、彼に付いて回る尊大な呼び名がどれも間違いじゃないことを身を持って学習する。

 

 肩越しに背後を見ると、縦に走る隙間からは依然として光が漏れていた。祈りの力で次元の裂け目が閉じる、なんて都合の良い奇跡は起こりそうもない。眼前の化物との衝突は確定事項、構えた天使の剣を手元で回す。ミカエル、お前の力の発現に恐怖した俺はもういない。俺はあの頃にやれなかったことを果たす。

 

(テッサがやろうとしたエノク語のまじない。あれは胸の一点にエネルギーを集め、意図的にエネルギーを膨張させて起爆する技だ。あれなら広範囲に纏めて甚大な被害を出せる)

 

 大天使から迸る威圧感に抗い、溜め込んだ記憶を探った結果行き着いたのは皮肉にも死神の模倣だった。まじないの材料には奪ったばかりの恩寵がある。他は印を刻む剣があればいい。この場での最適の解はどれだけ頭を捻っても他にはなかった。十中八九、夾竹桃に語れば冷めた眼差しを向けられるな、このまじない。本当、教えなくてよかった。

 

 ──なあ、ジョー。俺を庇って猟犬に肉を食われた君は、腸を包帯だけで抑えながらも自分の命を投げてルシファーの元へ続く道を切り開いてくれた。自分の命ごと猟犬を巻き込んで、血まみれの手で爆弾のスイッチを押す覚悟を俺に見せてくれたんだ。貴方は俺の初恋で、俺の家族で、忘れられない罪だった。

 

 あの日以来、俺は君に救われる価値があったのかって自分の命の価値が知りたくて仕方なかった。けど、皆が守ってくれた色のある世界を守れるなら、価値はあったのかな。あ、そうだ。色々あって、違う仕事を始めたんだ。ダブルワークって言うか、今は違う国で。

 

(いつものやつだよ。ウィンチェスター兄弟お決まりの展開。海を渡った先で始めた仕事も狩りと同じで非日常とあんまり変わりなくてさ。皮肉だよな、どこに行ってもやってることは大体同じ。まるでホームドラマみたいだ。けど、今はこの仕事が嫌いじゃなくなった)

 

 みんな良い奴ばっかりでね……そう、神崎ってやつ。イギリスにいたんだけど家族のことで彼女もやってきた。無茶苦茶強くて……誠実な女だよ。 

 

 それに遠山キンジ、この仕事は嫌いみたいだけど、やっぱりまだここにいる。非日常から離れたい一心で毎日迷いながら仕事やってる、昔の俺を見てるみたい。そもそも俺、今はこいつの部屋に住んでるんだけどね。

 

(家族のために故郷を離れた神崎、普通の生活を送りたいのに非日常に生きてるキンジ。俺と似ているようで全然似てない二人のルームメイト。すれ違うこともあったけど、最後にはいつも助けられてる。ああ、救われてる。感謝してるよ)

 

 肺が衝撃に撃たれる。はだけた制服から見えた胸肌に剣を走らせる。  

 

(それと理子、理子は……すごい奴だ、本当にすごい。一緒に肩を並べると安心する。敵に回しくたくないし……戦いたくない女。これが悪戯が大好きで、おまけに自由気ままな性格でさ。でも最後はいつも傍にいて……力を貸してくれるんだよ)

 

 場を引っ掻き回すトリックスター。でも最後にはいつも隣で肩を並べてくれる。気づいたときには目の前で蜂蜜色の髪が舞ってるんだ。だから、俺も心底、理子を信頼しちまってる。

 

(ジャンヌ、ジャンヌダルクは……良い女でね。最初に見たときはびっくりした。正直言うと惚れそうになった。うん……ドキッとした)

 

 ──ジャンヌダルク。歴史の教科書や舞台や演劇でしか耳にしない名前が、今ではとても身近に感じる。最初は敵意しか感じなかった名前に安心を覚えてるんだ。魔女なのにな、お笑い草だよ。あいつは魔女で俺はハンター。普通なら敵同士、すぐに血が飛び散る。だから最初に会ったときは最悪だった。 

 

 お互いの立場とそこに友達の身柄まで絡んで、とにかく大変だった。凛々しくて気品に溢れてるのに、絵が壊滅的に下手で、氷を操るのに本人は冷え性。策士の一族なのに、まさかの天然ボケ。遠くの存在に思えて、実は簡単に触れられるほど身近にいる女でさ。本人は氷のように冷たく、恐ろしい魔女を自称してるが──

 

(仲間や大切な人の明日のために戦える……優しい女なんだよ)

 

 悪党でいるにはジャンヌは優しすぎる。こんなこと本人の前で言ったら、デュランダルで斬りかかってくるんだろうな。だが、ジャンヌも理子も欠けてほしくない。今の関係がずっと続けばいいと思ってた。うっすら目を閉じると簡単に想い出せるんだ、大理石の続いた廊下を歩いて、開いた部屋には理子がいて、ジャンヌがいて、そして──

 

「正気か? 旧約聖書の印を人間の身で、キャシーより頭が飛んでるなお前さん。自分から原子炉を爆発させようとしてる」

 

「今日の今日まで俺がまもとだったとでも?」 

 

 ──でも、一人妙な女がいてさ。これ困ったやつでね。あ……俺も頭抱えてる。最初は俺のこと殺しに来て、今でも首を狙われてるかも。いつか、本当に車のボンネットに縛り付けられて崖から落とされるんじゃないかってヒヤヒヤしてるよ。

 

 でも妙にそいつの隣が落ち着いて、なんていうかディーンがリサに抱いた気持ちもやっと分かったような気がするよ、この期に及んで。

 

 とにかく俺が言いたいのは、そいつらと今は一緒にいるんだ。海を渡った先にいた連中、でもそいつら俺の家族も同じで……だから俺としては……君とお母さんに紹介できれば……そう、君がいなきゃ皆に会えなかったし、それとこの……日本に居場所ができた。とにかくありがとう。

 

 

 

 

「──Finale(お別れ)だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 






主人公がインパラの鍵を渡したことに、特別な意味を持たせることができれば作者は非常に満足です。文字数が大変なことになったので、二つに分割して同時投稿にさせて頂きました。続きも合わせて見てくださると嬉しいです。



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the answer

 

 

 黒のキャミソールと同色のパーカー。無闇に足を露出させるものではないという自分の信条に反して、下は太腿の露出した黒の短パンと膝までのブーツ。首もとで揺れる銀十字のネックレスと白のベルトに目を瞑れば、身に纏うのは全て黒で統一。余裕を持たせて後ろで纏めた髪も留め具は黒。自分では思いもよらない身なりに仕上がったのも理子に任せた故だろう。

 

 流石は理子と言うべきだろうか。休日、用もなく道端で出くわしたアリアとキリの反応は悪くなかった。最も私が求めていた言葉を聞けるはずもないのだが、雪平切という男が皮肉を飛ばさないとなると、遠山の反応も楽しみにしていないといえば、悔しいことに嘘になる。

 

 私は用意した手紙を純白の封筒に包みなおし、座っている助手席の前にあったグローブボックスに滑らすように投げ入れた。手紙の字はフランス語表記だが裏には日本語での表記も記載済み──どうせ遠山には読めないのだからな。

 

「煙管は辞めたのか?」

 

「──いいえ、あれは喉の薬だから。シートに匂いがどうだの難癖つけられるのが嫌なだけ。ここでは吸わないだけよ」

 

 棒付きキャンディーを寂しげな口元に咥え、運転席にいる彼女はハンドルに触れることもなく、視線を下げるとまた本のなかの世界に戻った。窓の外に広がるのは広々とした色のついた青空。十字路の真ん中に停まったまま流れてくる音も妙に静かで落ち着いている。古びたクラシックロックも聞かずにこのシートに座っているのが何故かおかしくて仕方がない。

 

 下手な歌が聞こえてこないのは大いに歓迎だが、カラオケ採点で競う約束を未だに果たしていないのは微かに遺憾だ。今日は喉の調子が良いというのに、力を振るう相手がいないのは何とも歯痒い。腹いせに聖剣を抜く相手もいない故、ラジオを弄ることで無理矢理だが気持ちを落ち着かせる。

 

「キリが口癖のように言っていた、インパラのシートは最高の座り心地だと」

 

「貴方も惚け話の犠牲者だったのね。それで貴方の座ってみた感想は?」

 

「客を追い出す役割に特化した、座り続けると体の節々が芸術的なまでに痛みだす遠山の部屋の椅子と比べれば雲泥の差だ。それは素直に認めよう」

 

「それも通販で雪平が買ったんでしょ?前に聞かせて貰ったわ。あの男、家具やインテリアを選ぶセンスは最悪。ファッションセンスも壊滅的だったけどね?」

 

 それは同感だ。うっすらと浮かべた笑みがそのままミラーに映り込んだ。

 

「どうして、雪平は名前を変えたのかしら。海を渡りはしても母親との確執がそこまで根深いとは私は思えなかったけど」

 

「雪平の名字は彼を産み落とした母親のものだろう。母親についてのことは知らないが、狩りとは無縁の種違いの異父姉が一人いると聞いたことがある」

 

「あら、それは初耳だわ。母親については本のなかでも何ら触れられていないし」

 

「私もシャーロックに聞かされた話だ。母親の素性も種違いの姉についても日本生まれであること以外には何も知らない。キリも狩りと無縁の日々を過ごしている姉と関係を持とうとはしていなかった。一度でも関われば普通の暮らしには戻れない」

 

「そうね、種違いでも泥沼に家族を引っ張る男じゃなかった。踏み入れれるのは容易、けれど去るのはとても難しい。それがハンターの暮らし、私たちも似たようなものよ。犬は狼にはなれない、そして一度狼として生きようとすれば犬には戻れない」

 

 一度境界線を跨いでしまえば最後、非日常の生活から抜け出し、普通の生活は過ごせない──それが最後の最後まで変わらなかったキリの考え。非日常を諦めた男が学んだアンフェアな現実。

 

「いまとなっては聞くことも叶わない。だが、奴が名前を変えたのはウィンチェスターではない別の生き方を探りたかったから、私はそう思う」

 

「ガブリエルがロキとして名前を偽り、天国を去ったように?」

 

「恐らく。父に忠実な兄と反抗的な兄を持ち、自身は父に付かず離れず、どちらとも言えない中立を守る。大天使の中で立場も役回りも一番近いのはトリックスターだ。器として力を貸したのはルシファーのようだが」

 

 いまとなっては聞くことも叶わない。が、どこか空虚に本を閉じた同期には気休めでも言葉を渡さずにはいられなかった。私も時々思うことがある、事の成否など考えず、ただ物事に打ち込めることが出来たら、それはどんなに純粋な事なのだろう。

 

 我々を問題の外に追いやることは、勝算を度外視して彼のなかでは恐らく決められていたのだ。勝敗の行方を脇に置き、いつものウィンチェスターとしての役回りをただ選んだ。仮に物語に区切りがあるとするなら、キリの自己犠牲と同時に世界を繋ぐ裂け目が閉じるのはこれ以上ないクランクアップ。誰かの犠牲を以て幕を閉じる、ワンヘダが口酸っぱく何度も口にしていた『いつものパターン』だ。

 

 そして、皮肉にも裂け目は閉じられ、あの男はあれ以来どこにも姿を見せていない。謀ったようなウィンチェスターらしい幕引き、自分の命を卓上に投げることで家族の延命を得るのと、同時に問題を終息させる。実際、目の当たりにするとあまり気分の良い幕引きではないな。少なくとも美談として語るには、私は賛同できない。

 

 

「他にも選択肢はあったのに、旅の始めと終わりにはけじめが欲しかった──なんてロマンチストなことでも考えていたのかしら、あのコーラ中毒者。本当にお馬鹿な男だわ。人の生き様はおわらない旅路みたいなものなのに」

 

 わざと難解な言葉を並べ、桃子は自虐的に持ち上げた写真を見ながら、冷笑した。それはインパラのグローブボックスの奥にキリが閉いこんでいた時代錯誤にも思える白黒の写真だった。乱暴に本の積み上げられた机やシックな壁と一緒に七人の男女が並んで映っている。アメリカで撮影したときの写真だろう、皆が西洋的な顔ぶれで、やや日本人寄りのキリだけが少し浮いている。

 

 車椅子の男性の肩に手をやる少女、そしてその隣の女性も合わせて両肩を抱いている長身のモデルのような整った顔立ちの男性──その隣では、またも背の高い男性にトレンチコートの男と一緒に肩に手を置かれているキリの姿がある。ふ、仏頂面はこの頃から変わっていないのだな。頭一つ男性陣のなかでは身長も足りてない。

 

 桃子が写真を裏返すと、裏側には走り書きのような荒さで英語が綴られている。

 

 

 

proof that the fools lived(バカ共が生きた証)

 

 

 

 

 それは紛れもないキリの筆跡だった。ウィンチェスターの旅路を綴った本を信じるとするなら、これは魔王との決戦に臨む前夜に撮られた写真。

 

「これ、雪平も暖炉に燃やしたとばかり思ってたわ。他の二人と一緒で。でも捨てられなかったのね」

 

 手袋をしていない手の指先が、仏頂面を掠める。

 

「殺し合った相手を家族呼ばわり。私もそれは考えてなかった」

 

「血の繋がりだけでは家族にはなれない。築きあげていくものだ。ここにあの男がいればそう言うだろう。そこは性根の純粋さ、あるいはお人好しと言うべきか」

 

「……でしょうね」

 

 かぶりを振り、桃子は見据えていた写真を本の隙間へと差し込んだ。

 

「灰皿に刺さったコンバットフィギュア、通風孔につけたレゴまで再現してる。海を渡って家族から逃げたと自嘲してるけど、本心は未練ありまくり」

 

「雪平切という男は存外不透明な男だ。尋問科の講師もそんなことを言っていた。映画の台詞を度々流用するのは他の誰かの言葉を借りることで、自分の本心を隠そうとしているから」

 

「映画好きの兄弟の影響がないとも言い切れないわよ?」

 

「ふ、それも無視できないな。あいつの言葉には嘘が滲み出ている。だが、完全に嘘かと思うと真も現れる。インパラの鍵を渡したときのキリは……間違いなく自分の心に従っていた」

 

 他人の言葉で大切な家族を手放したりはしない。過ごした時間は浅くてもそれだけは自信を持って言える。やがて彼女は瞼を下ろし、インパラのエンジンが唸る。

 

「そうね。いつか──直接聞けるといいわね」

 

 ハンドルに左手を置いたまま、ダンボールに埋まっていたカセットが残った片手で器用に押し込まれる。時代錯誤のカセットはデッキのなかで巻き取られ、やがてV8のエンジン音に追い付く形で曲が重なった。十字路の中心で車体は揺れ、大きく振られるように方向を変える。

 

 『伝承』──そして道を駆けるシボレー・インパラ。一人欠けてしまったキャスト。シーズンの切れ目としてはこの上ない幕引き。だが、これは所詮、神の描いたシナリオの通過点、終盤戦でしかない。故に、手向けも哀れみも賞賛の言葉もあの男には必要ない、私は送ってやらない。

 

「──次のシーズンでまた会おう」

 

 願わくば、今度はまともな再会であることを。

 

 

 

 

 

 




写真が暖炉で燃えるシーンは印象的ですね。楽しく筆を振るわせて頂きました。ラノベ、二次創作を問わず、素直に砂糖を味わえる作品を見ていると、いつも感嘆してる作者です。

感想頂けると、今後の励みになるのでご指摘共々待ってます。同時投稿はたぶん、今回が最後かなぁ。


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宣戦会議編
通信科(コネクト)のルームメイト


 アザゼルと呼ばれる悪魔がいる。黄色い目の悪魔、魔王の狂信者、地獄の王子──その呼び名は様々だがこの世界の平穏を乱したという観点ではアザゼル以上の功績を持った悪魔はいない。檻に閉ざされた魔王を解き放つ為に奔走した腹心であり、同時に最も魔王を崇拝した狂信者。檻を開いた動因が女悪魔(ルビー)の暗躍とするなら、その発端となったのは黄色い目が抱いた父への狂信。

 

 カンザス州、ローレンスの一角にある家を黄色い目が焼け野原にしたことが全ての始りだった。

 

 地獄の門が開いたこと、魔王(ルシファー)が放たれたこと、最終戦争の勃発、イブの復活、煉獄に幽閉されていたリヴァイアサンは脱け出し、天界の門が閉じたことで翼を失った天使たちは地上に堕ちる。存在すら疑っていた(ダークネス)の封印が解かれ、そしていまは魔王の血を継ぐ天使と人間の子(ネフィリム)が誕生した。

 

 分厚い本を生み出せそうなあの男が辿ってきたこれまでの道のり。だが、これでもまだストーリーは終着点に到っていない。いまはまだ終局に繋がるストーリーの通過点でしかないのだ。物語の終わりを知っているのは作者()だけ。

 

「修道院の惨劇──72年に閉鎖。やっぱり実話だったのね、この本に書かれてること」

 

 机の上に開いたままで置かれた本とノートパソコンを交互に見ると、同期の毒使いは鋭く目を細めた。

 

「修道院?」

 

「神父が尼僧八人の腸を抉り出してる。この本に書いてあることと記事の内容が一致した。尼僧を殺した神父の証言まで同じよ。悪魔に取り憑かれたって証言を繰り返した」

 

 そこまで言うと、眺めていたパソコンの画面を私のほうへと向けてくる。映されているのは英語で書かれた、過去にアメリカ本土で載せられたであろう新聞記事だった。

 

「……メリーランド州の『聖母マリア修道院』で惨劇。イエスの母の名を冠した修道院で虐殺か。まるで悪夢だな」

 

「神父は取り憑いた悪魔の名前も覚えてた。誰だと思う?」

 

 マホガニーの机に『例の本』を開いたままでの問いかけ。私の部屋に小さな沈黙が舞い降りる。

 

「誰だ?」

 

「──アザゼル」

 

 口にされるのは不穏という言葉をそのまま体現したような悪魔。黄色い目の悪魔か。修道院とアザゼルの名前が契機となり、脳裏の片隅に置かれていたことを思い出す。

 

「この修道院が最後の封印の解かれた場所か」

 

「ええ、魔王の檻の扉と繋がる場所。地獄の檻と修道院が繋がるなんて皮肉なものね。それもマリアなんて名前、皮肉が利いてるわ。雪平に言わせれば等しく尼さんの生産工場ってところだけど」

 

「同感だ。信心深いという言葉があれほど似合わない男はいない」

 

 そこでうっすらと笑みを作る。これも私なりの奴への皮肉だ。部屋の扉を開け放ち、いつもの軽口で何もなかったように平然と話に割り込んでくればいい。ふと、目を向けるがこの部屋と中空知の部屋を繋いでいる扉が動くことはなかった。これでは皮肉も罵倒も言いたい放題だ。

 

「エノク書も例の小説も読み返したけど収穫はなし。ネフィリムについての記述で役に立ちそうな情報はないわね。強いて言うなら、この本がノンフィクションってことを再確認できたってことかしら」

 

「随分と複雑な表情に思えるが?」

 

「フィクションと思っていた物語が実はノンフィクションで、面白いと思って読んでいた小説が実は知り合いの伝記だった。私だって無表情では流せないわ。自分の黒歴史まで記された日記が世に出回ってる雪平に比べれば些細なショックだけど」

 

「桃子、黒歴史とはなんだ?」

 

 聞き慣れない言葉に問いかけると、どうしたものかと彼女は本を閉じながら思案する。

 

「隠したい過去、知られたくない汚点と言ったところね。ところで、そっちの進展はどう?」

 

 椅子をそのまま、体だけを差し向けた彼女は話を切り替えた。今度は私が眺めていたパソコンを彼女のほうへ反転させる。それは遠山から借りたキリのノートパソコン。

 

「海を渡り、溝を隔てても、キリが家族との繋がりを完全に断ち切るとは思えない。私の見解によれば。何かしらの方法で連絡の手段を有していたはずだ」

 

 そもそも彼女と私は何も好きで二人の読書会を開いているわけではない。机に積み重なった本もパソコンの画面を睨んだ時間も先日の異世界の裂け目が作られた騒動に起因している。ネフィリムと相対する気持ちなど微塵もないが、まもなく戦宣会議が開かれる。長きに渡り、各地で牽制を続けてきた勢力による大きな闘争。言うなれば崩壊したイ・ウーに代わる後釜を決める戦い。新たな抑止力が生まれるかどうかは結果次第だが。

 

「戦役となればあの男の不在は無視できない。悔しいことにな」

 

「だから、休暇を費やして、あの男を異世界から帰宅させる方法を考えてる。勝手に帰ってくる可能性は否めないけど、今回は相手が悪すぎることくらい私も分かってるわ。ミカエルの名前は創作の世界でも使い古されてる」

 

 前半は呆れ、後半は嘆きを交えた声色で彼女はやがて溜め息をついた。気持ちは分からないでもない、私は魔女で不可解な事象も非日常の出来事にも慣れている。が、異世界から知り合いを帰宅させる方法を真面目に探っている自分を客観的に見ると、控えめに言って馬鹿げている。

 

「私とて相手がミカエルでは手に余る。聖なるオイルで時間を稼ぐのがやっとだ。この件の終息はおとなしく例の兄弟に任せるしかない」

 

「それが懸命ね。あのコーラ中毒者が異世界に置き去りになってることを家族に知らせて、事態の終息のついでにサルベージしてもらう。それ以外に有効な手がないのがこの読書会で出た答えだわ。問題は──その知らせる手段の検討がついてないってこと」

 

「携帯はキリが持ったままで、インパラのなかにも手掛かりはなかった。トランク、グローブボックス、シートの下まで探したが収穫はない。他に手掛かりを残しているとすればそのパソコンのどこか。と、思って探りをいれると──」

 

 パソコンの背後から指を伸ばし、ファイルをクリックすると浮かび上がるのはパスワードの入力画面。文字の入力を受け付ける枠は縦に6と横に7個、画面の中心にパスを打ち込む為の四角い白枠が浮かんでいる。

 

「7×6の合計42文字からなるパスワードだ。連絡手段を記録しているとすればこのファイルだろう。それらしいファイル名もこれ以外には見当たらない」

 

「──Regret(未練)。妙なところでこだわりを見せるあいつらしいわね」

 

 冷笑にも取れる笑みで桃子がかぶりを振る。ファイル名の『未練』から家族との繋がりに行き着けるのは少なからずキリの心情と過去を知る者に限られる。逆を返せば知る者にはファイルの中身を推察することができる。何も本人のこだわりだけで付けたファイル名ではなさそうだ。こだわりそのものは否定もできないがな。

 

「ねえ、ファイル名にこんな名前を選んだ以上はパスワードも限られた人間には解けるような仕組みになってない?」

 

「私もそう思って解読に望んでいたところだ。あのひねくれた男の仕掛けたロックを力業で突破するのは流石にリスクが高すぎる。あいつは不意打ちもイカサマも辞さない男だが、自分はイカサマや奇襲を受けることを酷く嫌う」

 

「強引に突破すればファイルは永遠に開かないかもしれないわね。前に聞いたことがある。腕の良いパソコンオタクが知り合いにいて、ハードディスクが盗まれたときの対処法とハーマイオニーの魅力を長々と聞かされたって言ってた。ひねくれた雪平のことよ、強行突破に備えてファイルを自動で削除する仕掛けを組んでいても何もおかしくないわ」

 

「イカサマへのペナルティか。怖い推測だな?」

 

「あくまでも私の見解よ。雪平は危機感の薄い男じゃなかった。不意打ちも奇襲もするし、敵前逃亡にも躊躇いがない。悪く言えば手段を選ばない男、良く言えば自分の力を過信しない男。世界中のどこを探しても雪平の代わりはいない」

 

 無意味に嘘を口にしない彼女にとって、それは称賛とも受け取れる言葉だった。大なり小なり、ワンヘダは彼女の心に傷跡を残している。それも見たところ、簡単に修復のできる傷跡ではなさそうだ。彼女は彼女で、相当キリのことを毒していたようだが──

 

(インパラを託せる関係、とはな)

 

 驚いていないと言えば嘘になる。あの車はそれほどの意味を持った車だ。その鍵を渡せるだけでも意味は大きすぎる。それがついこないだまで、命を取り合った相手なのだから驚くのが当然の反応だろう。キリが言い放った『家族』という言葉はウィンチェスターにとって最大級の繋がりを示す言葉。それ以上の言葉は存在せず、嘘偽りで口にできる言葉でもない。

 

 キリにとっての家族とは血の繋がりではなく、支えて支えられる関係を表す言葉。血の繋がりは大きい、しかし血の繋がりがすべてじゃない。

 

 その綺麗事にも思える思想を嫌味に感じなかったのは、彼自身が実際に血の繋がりのない多くの家族と呼べる存在に触れてきたからだろう。

 

 その言葉に妙な説得力を感じたのは、嘘偽りなく本当の家族として彼の記憶には刻まれているからだろう。

 

 彼の意思に沿い、インパラの所有権は桃子に移った。アリア、遠山への説明には骨が折れたがキリと桃子との関係が浅くないことがバスカビールの面々に知れ渡っていたのは幸いだった。イ・ウーのメンバーとなればアリアの目が行き届いているのは当然、同期の理子は言わずもながな、遠山もアリアを通じて彼女と面識がある。

 

 ルームメイトという関係のアリアと遠山への説明は難航はしたが、最初は向けられていた疑いの眼差しも最後には払拭し、いまでは彼女のもとに投げ渡された鍵と一緒に預けられている。雪平切が帰宅する日まで、インパラの面倒は彼女に預けられた──持ち主の望み通りに。

 

「話を戻すが私も力業での突破は諦めた。諦めたがパスワードの形式に心当たりがある。この入力画面と一緒に浮かんでいる『lullaby』の文字、察するにヴィジュネル暗号だろう」

 

「ヴィジュネル暗号?」

 

 桃子の視線は画面中央の白枠の真上、lullabyの文字に半眼を作る。

 

「16世紀にフランスの外交官が考え出した暗号だ。多表式の換字式暗号で、とあるアルファベットの順番と、秘密のキーワードがあれば暗号のやりとりができる」

 

「たとえば?」

 

「ああ、では口頭での説明になるが。たとえば『KURI』のキーワードがあったとする。そこに『RCDM』の謎の暗号が送られてきたと仮定しよう。それぞれ頭文字のKはR、UはC、RはD、IはMに対応する。これをアルファベッドの順番になぞって紐解く」

 

 ホワイトボードでもあれば良いのだが、大切な壁に書くわけにもいくまい。

 

「Kの段のRに対応するのはH、Uの段のCにあるのはI、同様にRのDはM、IとMはEとなる。そしてこれを並べると『HIME』のまったく違った言葉が出来上がった。これがヴィジュネル暗号」

 

「ふーん。そんな暗号、なんで知ってるの?」

 

「私の祖国で生まれた暗号だからな」

 

「なるほどね、仕組みは分かったわ。このlullabyを使って暗号を解くのだろうけど、子守唄……」

 

 ──lullaby、日本語では子守唄。腕を組んだ桃子が思案の姿勢をとると一言。

 

「私には古くて懐かしい曲をカセットテープで聞いてる雪平の姿しか浮かばないけど?」

 

「……奇遇だな、私にも同じ景色が見える」

 

「67年から84年のメジャーなロックバンドのベーシストを全部言えるような男だから。Highway to Hellを聞きながら寝てたのかもね?」

 

 冗談のつもりで投げられた言葉だろうが、桃子の言葉も完全に有り得ないとは一蹴できない。ファイルを閉ざしているパスワードには、素直に手詰まりと言わざるを得ない。半端に与えられたヒントが本人の意地の悪さを表している。敗北感を逆撫でする仕掛けだ。

 

「キリと子守唄──接点は皆目検討もつかないが、まずはアメリカの童謡と子守唄から探ってみよう」

 

「ええ、お願い。とにかく、この42文字のキーが分からないことには暗号もまったく解読できないってこと?」

 

 私は肩をすくめ、そして頷いて返した。パソコンを隅から隅まで見聞して見つけたのがRegretのファイル。他に手掛かりに繋がる物は何もない。仮にも情報科としての目で探索した結果だ、間違いはない。

 

「参考にもならないだろうけど、いつだったか雪平が眠れないときは星を見るって言ってたわ」

 

「キリが言ったのか?」

 

「プラネタリウムで寝るような男よ。見方によっては間違いじゃないわ。でもプラネタリウムのシートの寝心地は確かに悪くなかった」

 

 つまり、桃子はキリとプラネタリウムを見に行ったということになるのだが……その話を整理するとあの男は星を眺めることなくシートの寝心地と睡魔に負けたことになる。キリはどちらかと言えば長男の影響を強く受けている傾向があるが、欲望に忠実な一面を惜しげなく開帳できるのも桃子が親しい間柄ゆえか。本当に毒されているようだな。

 

「次に出掛けるときは鞄を持ってもらえ」

 

「雪平に?」

 

 目を丸くして小首が傾げられる。

 

「覚えておけ。男女が2人で歩くとき、女の荷物を持つことは男の義務であり名誉だ。男は女にいつチャンスをくれるか分からない、そして女も男にいつチャンスを与えるか分からない」

 

 その前に、遭難したあの男が帰ってこなければ話にもならないが。

 

「途中からの言葉の意味が分からないけど、覚えておくとするわ。これで荷物を持たせる正当な理由ができた。ところで、理子から贈り物を貰ったそうね?」

 

「ああ、そのことか。以前、理子から貰ってな」

 

 そう言い、私はテーブルに置いていたハードの電源をいれる。もう一人の同期から唐突に贈られたのは横長の携帯ゲーム器とそれに対応するソフトだった。きまぐれ、気分屋でも通っている彼女のことだ、感謝の言葉を返してソフトの中身も深く考えずに受け取ったが──

 

「サモエド犬かしら?随分と気持ちよさそうな毛並みをしているわね。ゲームなのに」

 

 桃子は私の肩越しに画面を覗くと、目を丸くして意外そうに呟いた。理子が選んだのはいわゆる育成ゲーム。プレイヤーが犬を飼育することを主点に捉えたゲームだがそれは理子が好んでいるジャンルとは遠くかけ離れている。彼女が驚くのも無理はない。画面の奥にいるのは恋愛ゲームとは無縁の真っ白な毛とゆるい顔をした犬だからな。

 

「そうだろう。何を隠そう私の愛犬だからな。随分と気持ちよさそうな毛並みをしているのだ。ゲームなのに」

 

 だが、キリの不在、宣戦会議、目先に待ち構える問題は尽きない。理子の薦めで渋々と始めたが、いざ触れてみると気分転換としては存外悪くないツールだ。理子の感性は悔しいが流石だと言わざるをえない。超能力は使い手の精神状態に大きく依存する、これはこれで手軽なメンタルケアと言えよう。高いカウンセリングを受けるよりもずっとリーズナブルだ。

 

「伏せ」

 

 よし。

 

「お手」

 

 よし。

 

「ふ、今日もラピュセル二世は絶好調だ」

 

「……すっかり飼い犬ね。故郷と同じ名前をつけるなんて、そこまで御執心なら理子も安心だわ」

 

 そう、穏やかな時間もゆっくり過ぎていく。が、時間とは限りなく平等なものだ。良い時間も悪い時間も必ず終わりがやってくる。等しく、平等に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月30日、カレンダーの日付が変わる目前の真夜中に立っているのは空き地島南端。レインボーブリッジを挟んで北側にある現在では使われていない人工浮島の上は酷い濃霧に満ちていた。その光景は武偵校合宿の際、山道で遭遇した不気味な濃霧を想起させる。4月に遠山とアリアが理子にハイジャックされた飛行機をぶつけて曲げてしまった風力発電機の下で、逃げる余地のない刻々と迫る時間に備えていると、

 

「遠山、こっちだ」

 

「何だ。こんな所に、夜遅く呼び出して。切の話なら済んでるだろ。どうせ理子みたいに突然帰宅するさ、俺は心配してない」

 

「帯銃はしているようだな。今夜、そのベレッタには出番はないが──汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」

 

「は? パラベラムの由来がどうしたんだよ?」

 

 ベレッタの使用弾薬、パラベラム弾のパラベラムとは『戦に備える』という意味のラテン語からきている。平和を望むなら、戦いに備えよ──遠山の武装に因んで手向けた言葉だったが半分は自分を戒める言葉でもある。前にも後ろに退路はどこにもない。身に着けている西洋甲冑は地下倉庫に乗り込んだときより重武装だが、緊張感はあのときの比ではない。

 

「警戒するに越したことはない。今夜ばかりは私も鈍感になりたいものだがな」

 

「──ジャンヌさん。間もなく0時です」

 

 既に動かない風車のプロペラに、制服姿のレキが腰掛けている。修学旅行で負った傷も癒え、いつもは肩に掛けているドラグノフ狙撃銃を体の前で抱えている。それも彼女なりの警戒、備えか。

 

「何なんだよ、お前たち……」

 

 周囲を満たしている緊張感に遠山が眉を寄せる。それが奇しくも合図となった。廃止された風車を大きく円形に囲むように、複数の強力なライトが灯る。そして濃霧が払われたあとに広がっているのは魑魅魍魎の世界。濃霧に隠されていた景色は一瞬にして非日常へと変わった。

 

 一転、重苦しい空気に遠山は言葉を詰まらせると魑魅魍魎の群れに視線を呪縛されている。覚悟を決めろ、遠山。私にもお前にも退路は残されていない。初顔合わせの者、面識のある者、見えない確執や因縁が渦巻いている場で私は一同を最終確認として見渡す。ここに集っているのが各勢力の代表──

 

「では始めようか。各地の機関・結社・組織の大使たちよ。宣戦会議──」

 

 我々の世が──次の時代へ進むための戦いを。

 

 

 

 

 



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一秒すらなかった光景

 この場に集まっているのは各地の機関、組織から選ばれた大使。各々に思惑は違えど、穏やかな表情、優しい表情を浮かべる者は一人として見当たらない。皆が冷たい表情。やはり優しさのない、人間味のない表情を浮かべる者ばかりだ。例外は私と遠山に気づくなり、ウィンクと共に手を振ってきたカナくらいだろう。その彼女もいまはパトラの隣で、隙のない姿勢を維持している。

 

 突如、点灯したライトが暴いた魑魅魍魎の景色に遠山もただの会合ではないと悟ったのだろう。悪趣味なパーティーと切って捨てられる景色ではない、警戒を解いていないのは賢明な判断と言える。この場にいる者は味方にもなれば、敵にもなるのだからな。 魔女、獣人、集まった者には統一感の欠片もない。人種……いや生物としての枠すら異なる。だが共通するのは──この場にいる全員が悪魔に魂を売った掛け値なしの化物だということか。

 

「初顔の者もいるので、序言しておこう。かつての我々は諸国の闇に自分達を秘しつつ、各々の武術・知略を伝承し──求める物を巡り、奪い合ってきた」

 

 火種はイ・ウーの隆盛と共に鎮火し、牽制され、図らずしも睨み合う形で秩序は保たれてきた。互いが互いを牽制することで良くも悪くも一触即発のラインが各々で維持される。危険なラインだが砲火が開くことはなかった。今までは──と私は言葉を続ける。

 

「だが……イ・ウーの崩壊と共に、今また、砲火を開こうとしている。知ってのとおり、圧力が臨界状態になったとき、戦争はたった一発の銃弾で始まる。そして一度始まったが最後、終結するまでには夥しい血が流される」

 

「イヤね、それが戦争でしょ? 私は大好きよ。いい血が飲み放題になるし、闘争を欲するのは生きる者なら誰もが持ち得る当然の欲求。そうでしょう、ジャンヌ?」

 

 くすくす、と笑い声がする。黒を基調とした退廃的なゴシック&ロリータのドレスでシックに着飾り、黒いエナメルのピンヒールを鳴らした金髪の吸血鬼──ヒルダからだった。黒いフリル付きの日傘がくるりと手元で踊っている。

 

「シャーロックの薨去と共にイ・ウーが崩壊し、我々が再び乱戦に陥るのは他ならぬ教授によって推理されていたことよ。私たちは尊い平和を望まない、そして血の流れない結末もありえない。平和なんて撒き散らした血の上に成り立っているのでしょう?」

 

 穏やかな口調でありながら、ヒルダのその言葉はこの場にいる全員の戦意を逆撫でするようだった。落ち着いた態度は上辺だけ、唇の奥で隠されている牙を微かに覗かせる様がどこまでも好戦的に思える。が、好戦的なのは彼女に限った話ではない。彼女と同じく開戦に賛同する魔女が声を上げた。顔に覚えがある。イ・ウーのOB。

 

「おゥよ待ちに待った戦争だ。こっちはデュッセルドルフでバチカンに使い魔をやられてるんでなァ。こんな絶好のチャンス、逃がせるかってんだッ!」

 

 小柄な体を、髪と同じ色の真っ黒なベルベットのローブに包み、使い魔である大きなカラスを肩に乗せているのは『厄水の魔女』と呼ばれる主戦派のOB。水を使役する超能力者、右目を隠している臙脂色の眼帯に描かれた印を見ればその正体は初対面である遠山ですら検討がつくだろう。

 

 『魔女連隊』の名前で知られている超能力者の部隊、彼女はそこに籍を置いてる。

 

 カツェ=グラッセーー厄水の魔女。眼帯の印は魔女連隊とドイツ軍を繋ぐ証であり、変わらぬ忠誠の印。煽り上手なキリに言わせればつまるところ魔女連隊はクリスタルスカルを求めた成れの果てと言ったところか。赤いマニキュアをした指を口にあてがい、ヒルダがうっすらと笑う。

 

「そうね、今我々が持てる唯一の戦争。大事に使わないと。私もお前たち(バチカン)には私怨があるし」

 

 金色の目で修道女を見ながら、ヒルダが告げた。

 

「ヒルダ……一度首を落としてやったのに、まだ飽きたりないのですね。惨めにも生を拾いましたか」

 

「首を落としたぐらいで竜悴公姫(ドラキユリア)が死ぬとでも?相変わらずバチカンはおめでたいわね。小汚ないUKの賢人と一緒だわ。お父様が話して下さった何百年も昔の様子と、何も変わらない。アメリカの賢人は……ちょっとは楽しめそうだけどね」

 

 ──正確には賢人たちの血筋の生き残り。ヒルダの期待に当てられているのは彼等の役目を引き継ぐことが許された存在。案の定、カジノでの好戦でヒルダに目をつけられていたな。ウィンチェスターはヒルダにとって祖先の仇、キリの場合はそこに父親の仇も加えられる。敬愛する父と祖先の仇、種族の誇りを重んじる彼女に目をつけられないのが無理な話か。それこそ掘り下げれば祖先を産み落とした母親(イヴ)の仇でもある。

 

「吸血鬼でも恩義は感じるのですね。餌にならずに済んだ礼はしましたか?」

 

「口の減らない女。飢えた魔物(リヴァイアサン)にとって命ある者は全て等しく餌でしかない。人間なんて餌の筆頭、お前たちは自分の種の脅威を排除したに過ぎない。その恩着せがましい態度、私嫌いよ」

 

 ハンターが怪物から恨みを買うのは当然だが、あの一族が振り撒いてきた泥は規模が違う。疫病神、大罪人、死の騎士の友人、獣人界でのウィンチェスターは散々な評価で通っている。良くも悪くも彼等は話題に事欠かないな。事実、私も地下倉庫の雪平切との戦いは苦い記憶として脳裏に刻まれている。聖油の火を味わう機会は後にも先にもあれだけだろう。そうでなければ困る。

 

 挑発とも受け取れるヒルダの言葉。名指しされたバチカンの使者を見ると、修道女は仇敵の吸血鬼と厄水の魔女に蔑んだ視線を向けている。もう一度首を落としてやる──そう言わんばかりの殺気に満ちた視線。好戦的なのはヒルダだけではないらしい。

 

「お前たち魔性の者に平和を説くのは魚に詩を朗読するようなもの。他に和平を望む者はこの場にいないのですか?」

 

 今宵は宣戦会議、あくまでも表明の場。ここに集っているのは戦闘力に優れたものではなく、大使としての役回りに適した者たち。にも関わらず、好戦的な空気を咎めるものは誰一人いない。不愉快な視線を修道女へ送るヒルダも率先して火種を撒きかねない、カツェも同様。そうなれば修道女も背負う大剣を抜くことを躊躇わない、ここは一瞬で地獄に変わる。

 

「和平を結ぶのは非現実的でしょう」

 

 そう言ったのは諸葛静幻。修学旅行Iで列車を乗っ取ったココたちが所属する藍幇の大使。張り付けたような笑顔で両腕が広げられる。

 

「元々我々には入り組んだ因縁がある。イ・ウーが崩壊し、長きに渡る休戦は破られました。恒久的な平和など蜃気楼にも等しき夢でしょう。我々は戦いを避けられない、我々はそういう風にできているのです。逆らえはしない」

 

 イ・ウーはテーブルに置かれたナイフ。そのナイフを抜いて味方につければ拮抗した戦は一気に傾く。イ・ウーが特定の組織と同盟を結ばなかったことで結果的にテーブルを挟んで睨みあいだけが続いていた。だが、そのナイフも遠山によって破壊された。

 

 結果、ナイフが置かれる前の闘争の場に我々は戻ることになる。冷静に淡々と諸葛が続ける言葉は何も間違っていない。諸葛への静かな沈黙が彼の言葉を肯定している。そう、我々はそういう風にできているのだ。

 

「では、古の作法に則り、まず三つの協定を復唱する」

 

 86年前の宣戦会議に使われたのはフランス語だったそうだが、今回は私が日本語に翻訳した。その為、この場にいる大使も日本語を一定のレベル理解できる前提で選ばれている。イ・ウーでは英語と日本語が主流言語とされ、カツェが大使に選ばれた理由の一つはそれだろう。以下、私は翻訳した協定を復唱した。

 

 第一項。いつ何時、誰が誰に挑戦する事も許される。戦いは決闘に準ずるものとするが、不意打ち、闇討ち、密偵、奇術の使用、侮辱は許される。

 

 第二項。際限無き殺戮を避けるため、決闘に値せぬ雑兵の戦用を禁ずる。これは第一項より優先される。

 

 第三項。戦いは主に『師団』と『眷属』の双方の連盟に分かれて行う。この往古の盟名は、歴代の烈士たちを敬う故、永代、改めぬものとする。

 

「それぞれの組織がどちらの連盟に属するかはこの場での宣言によって定めるが、黙秘・無所属も許される」

 

「宣言後の鞍替えは禁じられていない。但し、それに応じた扱いを受けることになる。間違いないかしら?」

 

「問題ない。続けて連盟の宣言を募るが……まず、私たちイ・ウー研鑽派残党は『師団』となる事を宣言させてもらう。バチカンの聖女・メーヤは『師団』。魔女連隊のカツェ=グラッセ、それと竜悴公姫・ヒルダは『眷属』。よもや鞍替えは無いな?」

 

 名指しした三人に再度確認を募る。最も答えは決まっているようなものだ。

 

「意義はありません。バチカンは元よりこの汚らわしい眷属共を伐つ『師団』。殲滅師団の始祖ですから。ああ、神様再び剣を取る私を御許しください」

 

「本当にバチカンはおめでたいわね。神はとうの昔にお前たちを見限ってる、旅行にでも行ってるわ。金のために奇跡を演じる天使もいる、祈りも信仰も役に立たないのがまだ分からないのね。ジャンヌ、私は生まれながらにして闇の眷族──眷族よ。バチカンには私怨もあるから丁度いいわ」

 

「ああ、あたしも眷族だ。メーヤと仲間になんてなれるかよ。鞍替えはねえ。端的に言ってやるぜ、あたしはお前たち(師団)の敵だ」

 

「同じく。玉藻、貴方もこちら側でしょう?」

 

 ヒルダは金色の瞳で遠山の隣にいる妖狐を見やる。私も同じく視線で追いかける。彼女は玉藻御前と呼ばれる日本の怪異の重鎮、妖狐の上位神であり本物の『神』に位置付けられる。正一位の彼女より上に立つのは日本では鳳くらいだろう。その少女の見た目に反し、何度も戦役に参加しているリピーター。経験で言えばこの場の誰よりも豊富なのは間違いない。

 

「すまんのうヒルダ。儂は『師団』じゃ。未だ仄聞のみじゃが、今日の星伽は基督教会と盟約があるそうじゃからの」

 

 かぶりを振った玉藻にヒルダは一瞬だけ目を丸めるが何も言うことはなかった。流石に切り替えが早い。玉藻御膳の宣言を皮切りに各位が二つの勢力に別れていく。イ・ウー主戦派を代表してパトラは眷族、カナ、そしてトレンチコートに身を隠したリバティ・メイソンの使者はリスクを承知で無所属を選択し、

 

「……LOOよ。お前がアメリカから来る事は知っていたが、私はお前をよく知らない」

 

「──LOO──LOO……」

 

 それは二足歩行の戦車、自立した歩く砲台と名付けるべき姿だった。人体とは逆関節の二本足はまだしも、左腕に携えられたバルカン砲は流石に無視できる物ではない。獣人とは異なった方向で人間離れした姿をしている。日本語はおろか言語を理解しているのかすら分からない。

 

「眷族と師団。これはそのどちらかを宣言する場だ。よって意思疎通の方法が分からないままであれば、どちらの連盟につくかは『黙秘』したものと見なすが──良いな?」  

 

「……LOO……」

 

 頷くように少しだけ姿勢が屈められる。これは肯定と見て良いだろう。意思疏通の難しい者を使者に選ぶということはそういうことだ。LOOを無所属に選定すると次に声を挙げたのは斧を携えた少女、これは簡単に見抜けるーー獣人だ。300Kgは下らない斧を片手で持つ桁外れの腕力、そして生花を差した髪から覗いている人体には決して有るはずのない二本のツノが証明している。

 

「ハビ──眷族!」

 

 恐らくは自分の名前、そして所属する連盟。流暢には遠いが実に明確な意思表示。が、少女が眷族を選んだことは素直に喜べなかった。身の丈を越える大斧が降り下ろされた途端、島に地響きが鳴った。挑発、威嚇、そんなことは何も考えていない、ただ無邪気な表情でけたけたと少女は笑っている。微かに背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「遠山、次はお前だ」

 

「な、なんで俺に振るんだよ」

 

「お前はシャーロックを倒した張本人、この戦役の発端となった人間だ。ならば、聞き方を変えよう。問おう、お前たち『バスカビール』はどっちの敵になる?」

 

「……ま、待てッ。バスカービルって……あれは学校に提出した、ただの学生武偵のチームなんだぞ。何がどうなったらこんな訳の分からん戦争にエントリーする嵌めになるんだよ!」

 

「まだ分からないのか? この宣戦会議にはお前の一味……『バスカービル』のリーダーの連盟宣言が不可欠だ。お前はイ・ウーを壊滅させ、私たちを再び戦わせる口火を切ったのだからな。過程はどうあれ、お前がシャーロックを倒したことで始まった戦だ。この期に及んで、傍観者でいられるなどと本当に思えるか?」

 

 遠山は困惑し、狼狽えるが自分が騒動の発端になったことはこの場にいる全員に知られている。それを理解できないほど遠山も浅はかではない。自分を囲んでいる魑魅魍魎を一瞥してから私に視線を返す。オンとオフの差が本当に激しい男だ、その一点はルームメイトによく似ている。

 

「ど、どうしろってんだよ……こんな重大なこと俺の独断では決められないぞ。リーダーだって名前を貸してるだけの──」

 

「では生き残れそうな方につけ」

 

「……ありえん、ありえんだろ」

 

 遠山はこの戦いを招いた元凶。加担する連盟への宣言に一同の視線が集まるのは当然。無論、どこにも逃げ場はない。だが、助け船は意外なところからやってくる。

 

「そこまでにしなさいな。新人は皆、そう無様に慌てるのよねぇ。ジャンヌ、あんまりイジメちゃかわいそうよ。貴方も理子もその男とは親しいのでしょう?」

 

 予期せぬ静止がヒルダからかけられた。黒い日傘を回しながら、赤い唇が楽しげに動いていく。

 

「遠山、ジャンヌが説明してくれたでしょう。この戦いの口火を切ったのは他ならぬお前自身なの。サラエボを思い出しなさい、どこの誰かも分からない人間の一発の銃弾で戦争が始まった。お前がシャーロックを討ち倒したことがまさにそれよ、喜びなさいな遠山。お前が放った弾が──世界を変革させる弾になった」

 

 饒舌に、そして楽しげにヒルダはそう語る。むしろ遠山には感謝すらしているような声にさえ聞こえた。

 

「自分が招いた戦争、なのに傍観者でいたいなんて通らないでしょう。そんな理屈は通らない、お前には責任がある」

 

「……撃った弾丸を回収したところで引き金を引いた事実そのものは変わらない。俺がシャーロックに撃った9mmパラペラムが火薬庫に火を付けちまったってことか。くそッ、最悪だ」

 

 逃げ場がないと遠山も腹を決めたのだろう。沈鬱に顔が歪められた。

 

「悩む必要なんてないわ。お前たちの旗色は師団、それ以外にありえない。バスカビールとやらは理子も星枷の巫女も抱えているのでしょう?」

 

 ハイヒールが小さく音を立てる。理子はイ・ウー研鑽派残党の人間、そして星枷と玉藻御前が敵対することはありえない。私から見てもヒルダの言葉には一理ある。少なくともレキ、アリアを除いた他の二人の勢力は師団に身を置いているのだからな。それに──とヒルダは半眼を作り、

 

「お前は眷族の偉大なる古豪、ドラキュラ、ブラド。私のお父様の仇。眷族を宣言することは許されない」

 

「父親かよ。どうりでクリソツだぜ」

 

「──それでは、ウルスが『師団』に付く事を代理宣言させてもらいます」

 

 煮え切らない遠山に代わって頭上からレキの声がかかる。 

 

「私個人は『バスカービル』の一員ですが、同じ『師団』になるのですから問題はないでしょう。私が大使代理となる事は、既にウルスの許諾を得ています」

 

「そう、願ってもないわね。ジャンヌ、研鑽派も同じ師団になるのでしょう。その子の代理宣言に問題はあるかしら?」

 

 私はごくごく自然な動作でかぶりを振った。レキはウルスの代理であり、同時にバスカビールの一員。代理宣言に問題はない。ヒルダも静かに唇の両端を歪めた。

 

 必要不可欠だった遠山の参加宣言が終わり、この集いの役割も半分は果たされたと言える。ウルスへの私怨から藍幇は諸葛が眷属を宣言し、早くも残っているのは霧に隠れていた男を残すのみとなる。

 

「GⅢ──残すはお前のみだ」

 

「あ? バカバカしい。強ぇヤツが集まるかと思って来てみりゃ、何だこりゃ。要は使いっ走りの集いじゃねえか。どいつもこいつも取るに足らねェ、単なる時間の浪費だ。ムダ足だったぜ」

 

 苛ついたような目で私たちを見渡すと、フェイスペインティングが特徴的な男はつまらなさげに腕を組んだ。このまま帰ればどちらにもつかない、つまり無所属の扱いを受けることになる。ここに集う者がこの男の目当てでないことは認めよう。

 

 大使には好戦的ではない男、若い乙女を選ぶのが古くからの仕来たりだ。戦闘力で選定された面々でないことは否定しない。この魑魅魍魎の顔触れを前にして、とても誉められた立ち回りではないがな。これでは無所属のハンデと敵意を同時に買った形になる。

 

「このまま帰ればお前は無所属。少なくとも師団か眷属のどちらかに付いておけば、この場にいる半数は敵に回さずに済む」

 

「──笑わせるな。今日は、最近テメェらの周りに強そうなのが出てきてるみてぇだから様子見に来ただけだ。面子次第で俺もこのレースに参加するつもりだったがよ、パスさせてもらうぜ。賢人のジジイ共の子孫って奴にはちと興味があったがそいつも見当たらねえ」

 

 生憎、こことは別の異世界にいるのでなーーとは言えるはずもない。自分で苦笑いを浮かべそうになる。真に受けるのはヒルダと玉藻御前、協力して狩りの経験があるカナくらいか。

 

「ではお前の意向に従い、この戦役では無所属して扱う」

 

「決まりだ。お前らの命が掛け金じゃ話にならねえ。今度は俺を満足させる連中をつれて来い」

 

 そう言うと、壊れた蛍光灯のような音がして……GⅢの姿が透過していく。光学迷彩……出所は恐らくアメリカ産、最先端科学兵装だろう。米国の量子ステルスマント開発の噂は私の耳にも届いている。この場にはいないコーラ中毒者のファンは竜悴公姫だけではないらしい。

 

「……下賤な男。吠えつく子犬のようだわ。人間は無能ね、消えたければ霧や影になれば良いというのに」

 

 人影が消えた場所を一瞥し、ヒルダはくるりとフリルのあしらわれた日傘を回す。重たい空気を尻目に、ヒルダはなお言葉を重ねた。

 

「ねえ、ジャンヌ。あのハンターの姿が見えないけれど、あれは貴方や夾竹桃と同じ師団と見て良いわね。そこの新人と雪平はルームメイトだと聞くし」

 

「そいつは願ったり叶ったりだぜ。連中にはトゥーレの私怨があるからな。ユダヤのゴーレム野郎への土産には丁度いいってもんだ」

 

 ……トゥーレだと?

 

「おい、トゥーレって──」

 

 遠山は少し驚いた表情をした。名前から察しがついたのだろう。こればかりは私も初耳だ。

 

「……あの協会だ。眼帯に描かれた印とトゥーレの名前でお前も察しがつくだろう?」

 

「嬉しくないことにな。冗談って空気じゃないのは分かるよ」

 

「お前のルームメイトはあちこちに泥を振り撒きながら歩いてきた人間だが……ドイツのネクロマンサーにまで恨みを買っていたか。この方面に限っては本当に話題には事欠かない男だな、尊敬してやる」

 

 ヒルダだけに限らず、バチカンに私怨のあるカツェに新たな戦いの理由が生まれてしまった。カツェの語るトゥーレ協会と魔女連隊は切っても切れない関係にある、組織としての根底にある物が一緒だからな。カツェの眼帯に描かれた赤い印、それが二つの組織を血より濃い鎖で繋いでいる。

 

 トゥーレの名前は私にとってもイレギュラーだった。こうなると斧を抱えた獣人、同じ米国のLOOとの因縁も怪しいものだ。あれは火のないところに煙を立たせ、ガソリンをまいて山火事にすることも厭わない男、私が思っている以上に泥を撒いていたことは認識できた。やはり色々な意味でキリの不在は苦労が増える、疫病神でも控えにいる方が遥かに便利で心強い。一呼吸置き、私は発言の発端であるヒルダと視線を結ぶ。

 

「──イ・ウー研鑽派残党はお前の目当ての男とは協力関係にある。この場で宣言が行われない以上はどちらにつくかは本人の意思次第だがな」

 

「十分よ。その口振りだと不在なのは貴方にとっても面白くない流れのようね。でも首はまだ落ちてないみたいだから安心したわ。高貴な私、誰かの抜け駆けを許すのは苦手。雪平との再会の祝杯はまた今度ね」

 

 うっすら笑うと真っ白な指のなかで傘が踊る。金色の瞳はどこまで見通しているのか。頭の良い吸血鬼は危険だ、そして頭の良い魔女。その両方の側面を持った彼女はこの戦役の大きな危険因子だ。アルファが討たれ、ブラドが投獄されたいま彼女が種の頂点と言っても否定できない。私は結んだ視線を解き、半ば脱線していた話を戻す。

 

「最後にこの闘争はーー宣戦会議の地域名を元に名付ける慣習に従い、『極東戦役』──FEWと呼ぶ事と定める。各位の参加に感謝と、武運の祈りを……」

 

「じゃあ、もういいのね?」

 

 午前0時の真夜中。生ぬるい風が私の肌を撫でていく。鼻孔をくすぐる強い潮と危険な匂い。低く押し殺した声でもう一度問う。

 

「──もう、か?」

 

「いいでしょ別に。もう始まったんだもの。ここはあまりいい舞台ではないわ。高度も低いし、天気もイマイチ。でも何も起こらず、退屈なまま閉会を迎えるなんて寂しいにもほどがある。なぜならね?」

 

 手元から離れた傘が超能力の応用で生み出された影の底の空間に沈み、ヒルダは芝居がかった調子で両手を広げた。

 

「血を見なかった宣戦会議なんか、過去、無かったというし……ねぇ?」

 

 それはほぼ現在進行形の話。そして、今宵の宣戦会議も過去と同じ一ページを刻む。顔色をなくす余裕はない、重苦しい空気の中で私は聖剣を掴み上げる。粗忽者めーー痺れを切らせたか。

 

「いい夜ではないわ。でも聞きたいことは聞けたから気分が良いの。だからちょっと遊んでいきましょうよ、聖女様?」

 

 それは開戦を告げる運命の夜。イ・ウーの崩壊と共に新たな時代の始まりを告げる夜。あの男が残した世界の些細な通過点。世界が問題を起こしたとき、必ず渦の最中にいた男が今はいない。

 

 ああ──ファーストコンタクトは最悪だった。海水に濡れた地下倉庫での出会いは長い時間の中で見れば一瞬の、おそらくは、一秒すらなかった光景。

 

 されど。その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。

 

「遠山、時間を稼ぐ。先に離脱しろ」

 

「お、おい、それはいくらお前でも──」

 

 煮えきれない遠山に私は言ってやる。いつものように。

 

「──バカかお前は。ヒルダやカツェとは積もる話がある、同窓会をするだけだ。それになんたって私は暇だからな?」

 

 ──アンフェアに。

 

 

 

 

 




セーラはブロッコリーを交渉材料にすると見事に揺れていましたが、砂金と血液パックも大量に用意してやれば合計三人ぐらい師団に引き込めないんですかね……AAのイ・ウー部費で買い物回はほんと好きです。


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開幕

「普通じゃない」

 

「何がだ?」

 

「自分の子供に色金を撃ち込んだことが、だ」

 

 首都高に昇る景色は真夜、それは異界の扉が開く数日前の記憶だ。あいつが運転するインパラに乗った最後の記憶。修学旅行が終わり、星枷神社でアリアに撃ち込れた緋弾の存在が明らかになったあとの出来事。

 

「親ってやつはいつだって頭ごなしで同じことしか言わない。言うとおりにしろ、仕方がなかったを繰り返す。シャーロックが──お前らの学校の校長がやったことは普通じゃない。彼が何を見据えていたかは何一つ分かんねえが同意はできねえよ」

 

 窓の外には濃い闇が下りていた。心なしか語ったキリの顔は鬱っぽかった。色金の情報の出本がルシファーであるならば、魔王の暇潰しで語られた話に好意的な印象を抱いていないのは察しがついた。色金──意思を持った生きている金属。感情を宿した金属。そしてシャーロック・ホームズの研究対象。

 

「お前の言葉を否定するつもりはないがシャーロックはイ・ウーの長でもある。彼が無意味なことをする人間だと思うか?」

 

「さあな。俺の知ってるシャーロック・ホームズは世界で唯一のコンサルタント探偵で高機能社会不適合者、仕事と結婚してる男だ。正直、お前らのボスの考えは俺には分からん。分かるのは神崎が金属生命体の器になる可能性が生まれたってことだ、批判するには十分すぎる」

 

 変わらぬ言い回しでキリはそう吐き捨てる。インパラは十字交差点にさしかかり、赤信号にゆっくりと停車する。いつの間にか外には小雨が降っており、窓から見える景色を歪ませていた。

 

 『器』──他の存在が人間の体を通して活動するときにその表現は使われる。つまり入れ物、他の生命体に体を支配された人間の総称。ハンターの間では天使や悪魔に意識を奪われた人間のことをそう呼んでいる。

 

「お前がルシファーからどこまで色金について聞いたかは知らないが、アリアの緋々色金には『殻金』と呼ばれる鍵がかけられている。お前たちハンターが悪魔に憑依されないように悪魔避けを彫るのと同じだ。殻金が被せられている限りはアリアは緋々色金の器になることはない」

 

「七枚あるって言われてる安全装置か?」

 

 無言で頷くと、信号が青になり車が発進する。窓ガラスの向こう、遠くにそびえる夜のビルは航空誘導灯がいくつか赤くビルを縁取っている。珍しくクラシックロックの響かない車内は妙に空気が重たく感じる。態度が軽い上に気分屋、どちらかと言えば銃を撃ってからその後のことを決めるタイプ、しかし軽薄と思えば損得なしの感情的な行動にも走る。先ほどの会話を含めて、やはり一番上の兄に大きな影響を受けているらしい。

 

「ジャンヌ、悪魔避けの弱点を知ってるか?」

 

 ふと、キリがカーブで車体を振りながら、

 

「インクで描いた紙は何枚用意したところで水を浴びれば一発で駄目になる。スプリンクラーが作動すれば必死に描いたまじないもインクが溶けておじゃんだ。悪魔避けも同じ、皮膚に彫ったところで焼かれたり、抉られたりして形を失ったら効果はなくなる。マッチ一つで悪魔避けは剥がせるんだよ、どこにでも穴はある」

 

「それは遠回しに殻金が信用ならないと言っているぞ? あれはかつて緋々色金を取り抑えた星枷の巫女たちが編み出した秘術。針金一本の気軽さで外せる錠前ではないと思うが?」

 

「だが、錠前と鍵はセットだ。地獄に繋がる本当なら鍵なんて必要のない地獄の門(デビルズゲート)やルシファーを閉じ込める檻ですら、なんでも殺せるコルトや騎士の指輪って鍵が存在した。殻を外す鍵がないとはどうしても思えないんだよ、この手の問題が近くまでやってくると最後には必ず悪い方に傾いてきたからな」

 

 私は力なく笑うと視線を窓の外へやる。キリの自虐的な言葉を悲観的の一言で片付けるにはそちら側の事情を知りすぎている。考えすぎだ──その言葉を返せればどこまで気が楽だったか。

 

「ならばお前が止めればいい。最後には必ず悪い方へ傾くが同時に最後には問題を解決してきたことも事実。相手が神だからと言ってスケールの大きさに畏縮することもないだろう、お前の物差しで測ればな?」

 

 私が知る限り、現実と神話を含めてdarknessを越える規模の存在はこの世界にはいない。万物の神よりも上の存在、創世記以前に存在した最も古きモノの片側、神の姉。彼女の復活で風呂敷は限界まで広げられた、アマラ()を相手にしたあとでは何が来ようと萎縮したりはしないだろう。たとえ色金の意思であろうと。

 

「そのつもりさ。でも俺にはネフィリムや他の問題も付いて回る。何かに追われるように自分を急き立てて、いつも燃料切れになるまで突っ走る日常だ。いつ死の騎士の迎えが来るか、二度目はたぶん善処してくれない。地獄か煉獄か、はたまた虚無の世界に飛ばされるか、検討もつかねえ」

 

「……また戻って来るのだろう?私には分かる、いや──違うな。そうでなくては困る」

 

「ありがとう。数え切れないほど間違いを起こした、頭から離れない。浴びるように酒を飲もうが何をやっても効果なし。紛らわしたりはできない、学んでるよ。精一杯償うしかない、どんなやり方でも」

 

「どんなやり方でも?」

 

「そう。俺の場合は赦してもらう方法を探すことかな。赦してくれそうな神は留守にしてるが。それでも探すさ。無かったことにはできない。ジャンヌ、いつか俺が崖から落ちたときにまだ色金の問題が残ってたらそのときは頼む。どうせ不幸なルームメイトが巻き込まれるのは目に見えてるしな」

 

 呆れる気持ちが半分、毒づいてこめかみを押さえる。

 

「……私は魔女だぞ? それに遠山とは地下倉庫での因縁がある。それでも私に頼むのか?」

 

「ロウィーナもお前と同じで魔女だ、最初は敵だった。メグだって同じさ。最初はあの手この手で首の奪い合い、語るにしては色々とありすぎたが最後は二人ともチームサムの一員だった」

 

「昨日の敵と協力するのも武偵の道」

 

「一度でも組んだことのある相手なら尚更だ。正直言ってこの手の話はお前と星枷が一番しやすい。けど、会長は星枷の立場上、色金が絡んだ話で私情で動くのは難しいはずだ。こっちの事情にも精通してる聖女様が一番頼りになるんだよ、頼りになることも分かってる。だから頼んでる」

 

 ──分からない。ハンターと魔女、それは忌むべき敵同士でしかない。なのに、私は無防備な姿をハンターに、それもあのウィンチェスターの人間に晒している。もし天使の剣を振るわれでもすれば傷の修復もできずに私の命は終わる、それは明白だ。なのに、どうだ。危機感すら覚えていない、呑気に会話を続けている。今に思えば私も毒されていたのだろうか、この男に。

 

 

 

 

 

「──雪平が不在なのは残念だったけど、まぁ……第一形態でも殻金を破れたのは嬉しい誤算だったわ。聞きたいことは色々あったのだけど、師団についてくれるなら近いうちに会えるでしょう。そうよね、ジャンヌ?」

 

 かつん、と誰もいない歩道にヒールの音が鳴る。透き通った鮮明な声色に名を呼ばれると金色の瞳と目が重なった。

 

「レキは違う子を追ったようね。私を追って来たら楽しく遊んであげたのに。あの子さっき、私の頭を撃ったし」

 

 額に指先を当て、ヒルダは銃に見立てた指で頭を撃ち抜くような仕草を作る。その顔はどこか楽しげにすら見えた。レキが穿った額には血も傷跡すら残っていない。

 

「錠前と鍵はセット。殻金を外す方法がないとは思わなかったが……まさかな」

 

「あら、私がシャーロックの研究を引き継いだことは貴方も知ってるはずよ?光栄に思いなさい。史上初よ。殻分裂を人類が目にするのはね?」

 

 口元にはさっきアリアから殻金を外した緋色の牙がちらついている。玉藻が驚愕していた反応を見ると、シャーロックの研究に彼女なりのアプローチを加えたのだろう。結果、色金の監視者である妖狐が狼狽えるまでのことをやってのけた。

 

 殻金は安全装置、魑魅魍魎の乱れる場に一人で乗り込んできたアリアはヒルダによって色金の安全装置を5枚まで外された。残りの2枚だけでは応急処置にしかならない、いずれーーアリアは器になる。

 

「アリアが来てしまったのは私のミスだ。彼女の身柄は今夜だけでも抑えておくべきだった」

 

「小煩い武偵娘(ブッキー)の子守なんて誰にも無理よ。人間は本能のままに生きるだけの醜い獣。あの子、私を逮捕したくて堪らないって顔だったもの。貴方が悔やむ必要はないわ。ねえジャンヌ、今となっては貴方もお父様の仇。ううん、ずっと前から一族の因縁があった。1888年、まだ下半分しかできていなかったエッフェル塔での戦いのときから」

 

 背筋に冷たいモノが走る。綺麗に伸ばされた自分の爪を見据えながら、ヒルダは言葉を続ける。

 

「三代前の双子のジャンヌ・ダルクが初代アルセーヌ・リュパンと組んで、三人組でお父様と戦いーー引き分けた。そして、四世は宿敵のホームズとそのパートナー、同僚の貴方は本来敵対するはずのハンターと手を組んだ。ウィンチェスターと手を組んだのはお父様にも想像の外の出来事でしょうね。私も驚いたわ、貴方はもっと慎重だと思っていたから」

 

「毒と薬は紙一重。私たちの傍には優れた毒使いがいるのでな」

 

「ええ、聞いているわよ。雪平は夾竹桃にも熱心らしいじゃない?ウィンチェスターは災厄の代名詞、あの殺人者(カイン)の刻印を受け継ぐことの許された血族。あれはほおっておけば勝手に開くパンドラの箱、果たして薬になるかしら?」

 

 問いかけと同時にヒールが鳴る。夜の濃い暗闇に、赤い唇の両端が釣り上がるのが見えた。

 

「饒舌な竜悴公姫の姿を見るのは珍しい。それほど気分が良いようだな?」

 

「お父様の仇は見れたし、思わぬギフトも手に入った。初めての進行役、私からも誉めてあげるわよジャンヌ?でも駄目ね、あの場では遊ぶだけのつもりだったのにーー愚かな武偵娘の為だけに私を追いかけてくるなんて……」

 

 刹那、ヒールからぐにゃりと歪んだ影の線が伸びてくる。躊躇わず、ヤタガンを影の上へと投擲した。一本で動きは愚鈍になり、二本目で完全に動きが止まる。

 

「アリアの為だけではない。遠山、バスカビールには借りがある。あそこは理子の居場所だ。この戦い、遠山を巻き込んだからには返すべきものは返す。ヒルダ、殻金を渡して貰うぞ?」

 

 相手は竜悴公姫、ブラドを除いた現存する吸血鬼の頂点。魔女と怪物の両面を持ち、恐ろしく頭の回る相手。油断はなく、剥き出しの敵意で威圧すると、彼女の金色の瞳が徐々に細められていく。

 

「いいわ……冷たい刃のような瞳。私、貴方の瞳は好きよ? 冷たいアイスブルーの瞳……あぁ、とっても、とっても素敵だわ。なんて冷たい瞳、まるで宝石のよう……」

 

 唄うような甘美な声で、ヒルダが両手を胸の前で合わせる。危険な甘さ、その表現が相応しい声に引き寄せられるようにして、ぞろぞろと足音が近づいてきた。濃い夜の中で四つん足のシルエットと、肉食獣にしては丸い瞳がヒルダの背後に見えた。

 

「闇雲に逃亡したわけではないようだな……」

 

「どうせ玉藻が結界を張るだろうから、地理の下調べは必要でしょう?」

 

 小首を揺らしたヒルダの傍らにはいつのまにか狼の群れができていた。食物連鎖の頂点に立つ陸生種の最終捕食者の一対の瞳が私を睨んでいる。

 

「ブラドの飼い犬か」

 

「放し飼いよ。躾は行き届いているけどね?」

 

 生態ピラミッドの頂点に位置する個体は一般的に数が少ないと言われているが、もし食物連鎖のトップに立つような個体が群れを形成した場合、その脅威は言うまでもない。この白銀の毛並みを逆立たせる捕食者たちは日本の道路に平気で出没するような動物ではない、囚われの身であるブラドの飼い犬たちで間違いないだろう。ブラドの手下は世界あちこちに出没し、それぞれが直感頼みの迎撃をすることで知られている。

 

 言うなれば個々で機能するユニット。それが各地に配備されている状態。それをヒルダが個から群れへ使役方法を変えたのだろう。ヒルダは主人の娘、狼への躾が行き届くのは当たり前か。浅かったな……無作為の逃亡に思えて狼たちの包囲網に招かれた。ハンデをやれる相手ではないというのに……

 

「本当は雪平に仕掛けるつもりで招いたんだけどねえ。ウィンチェスターに猟犬を仕掛けるなんて面白いとは思わない?」

 

「どうだろうか、あれはこの世界の犬には驚かないぞ」

 

「……残念だわ、貴方が言うならそうなんでしょうね。雪平から荒い喘鳴を聞くには地獄の猟犬じゃないと駄目」

 

 心底、残念な様子でヒルダが呟く。デュランダルを構えたまま私は眉をしかめた。

 

「妙に入れ込むのだな、仇なのだろう?」

 

「ええ、そうよ。お父様の仇と祖先の仇。パトラの頼みで遊んだときは満足できなかった。だから、この戦争は絶好の機会。アルファは静かに暮らすことを望んでいたようだけど、私はーー」

 

 緋色の牙が、はっきりと口元に覗いた。

 

「違う違う違う違う。高貴な私、パーティーは好きよ。退屈は毒、普通の日常はつまらない。そうでしょう?」

 

「そうだな、普通の日常は……私たちには望めないことだ。望めることならキリはインパラに乗っていない。私や理子も今とは違った日々を過ごせていたはずだ。だが、私たちはここにいる」

 

「そう、そこが貴方たちのいるべき世界。前の雪平とは遊びだった。でも今度は遊びじゃない。魔の共食いは美味なモノと、お父様が仰っていたわ。あの男なら私の食卓に並ぶだけの価値がある、ウィンチェスターとの因縁もこの戦争で果たすとしましょう」

 

 ーーくすっ。ヒルダが自らの口元へ指を寄せて笑う。海を渡ろうがどこに行こうが怪物に執着される運命なのだな、雪平切という男は。どこかで聞いているか、喜ぶがいい。吸血鬼からのデートの誘いだぞ?

 

「ヒルダ、水を差すようで悪いがお前のお目当ては……ここにはいない」

 

「あら、今夜は構わないわ。私、今夜はそれなりに満足しているもの」

 

「いや、そうではないのだ。かつて同じ場所で学んだ級友として言おう。雪平切はこの国にはいない、正確に言うとこの世界にはいない」

 

「は?」

 

 一転、この場には似つかわしくないヒルダの声が聞こえた。

 

「ジャンヌ、貴方が冗談を言うとは思わないのだけど。一応聞いておくわ。あの男、どこにいるのかしら……?」

 

「異世界だ。少し前から留守にしている」

 

「……」

 

 金色の瞳が開かれ、ヒルダの小首が揺れる。やがて、低い狼たちの鳴き声と同時に竜悴公姫の笑い声が響いた。

 

「おほほ、ほーっほほほほ!あぁっ、そう、そうだったわね!そう、異世界に……異世界にいるのね!あぁっ、愉快だわ!楽しいわ!どこまで今日はサプライズに満ちているのかしら!」

 

 手の甲を頬にあて、耳に響くような高笑いが飛ぶ。血を溢したような赤い瞳には紛れのない喜びの色が見える。

 

「ほーっほほほほ!Fii Bucuros!(すばらしいわ)ジャンヌ、貴方からその話を聞けただけでも今夜は心地良いワインが飲めるというものよ。そう、どこにいても人間の本質は簡単には変わらない」

 

「随分と楽しそうだな?」

 

「ふふ、愉快よ。とっても愉快よ、ジャンヌ。異世界への渡航、新しいシーズンの始まりと言ったところかしら。私、あの書籍は最後まで読んでいないのだけど終着駅が楽しみねぇ。どうなるのかしら」

 

「さあな、これはまだ通過点。シーズン13の始まり、そんなところだろう。終わりは見えない」

 

「明るい結末はないでしょうね。あるわけがない。そんな結末が用意されてるわけないわ。あれは血で血を洗うことでしか問題を解決できない一族。さぞ凄惨なフィナーレが用意されているのでしょうね」

 

 愉悦、ヒルダの表情はその一言に尽きる。殺意や敵意すら失せたような強い感情。

 

「ヒルダ、お前は一体何を考えている?」

 

「……そうね、話を戻すけれど雪平は偉大なるお父様の仇。でも下品なリヴァイアサンを始末してくれた恩はある。darknessに世界が喰われかけたのを阻止したのもあの連中。UKのゴキブリたちに躊躇いはないけど、ウィンチェスターは少し違うの。アルファも彼等だけは特別視していたと聞くし」

 

 一転して、落ち着いた声でヒルダは言った。アルファ・ヴァンパイアはこの世に落とされた最初の吸血鬼。群れの長であり、最も強い個体。彼はウィンチェスターと妙な縁で繋がり、時には協力を結んだこともあったとキリから聞いている。ハンターと吸血鬼の協力関係など魔女とハンター以上に信じられない話だが、共通の敵を排除するため、要は目的が一緒なら話は別だ。

 

 人間も怪物も見境なしに食らうリヴァイアンは吸血鬼からも見限られたのだろう。神の創造物を食らい、作り手から見放された飢餓状態の怪物は同じ怪物からも見限られたか。

 

「けれど、簡単なことだったわ。雪平はこれまでどおり人に害を為す怪物を狩ればいい。私はこれまでどおり自分の感情に従って生きる。仇も恩も何も要らない、元の鞘に戻ればいい、本来在るべき姿に。吸血鬼とハンター、狩る側と抗う側堂々と戦う。簡単なことよ」

 

 皮肉なことに、ヒルダと同じ解釈をアルファに説いたハンターが既にいた。だが、このときの私はそのことを知らない。それを説いたのがアルファを討ったキリの兄であることもーー

 

「さて、つい興が乗ってしまったわ。嬉しいサプライズばかりで長話が過ぎたわね。頃合いよ」

 

 そう言うとーーどこからともなく、黒い網状の金属で覆われたムチを取り出して、陶磁器のような白い右手で振る。地面に叩きつけられた鞭が青白いスパークを放つと寄り添っていた狼たちが四方に散らばるようにして場を離れていく。そして私に視線を合わせるとうっすらと笑う。

 

「ーー貴方はずる賢いわね、ジャンヌ?」

 

 肩越しに背後を見たヒルダの視線の先には理子と桃子、散弾銃(ウィンチェスター)とワルサーで武装した研鑽派残党が二人。黒と金の髪を夜風に靡かせている。既に離脱を決めていたヒルダの体は胸部まで影に沈んでいた。切り替えが早い。

 

「長話で増援を誘うなんて、それもあの男を餌に使うなんて本当に冷たい子。愉快な子だわ。理子とも積もる話はあるけれど、私たちは敵同士。すぐに再会することになるでしょうし、飼い犬まで呼んだけど今夜はここまで。下品な匂いを身体中に漂わせて、付き合う気になれないわ」

 

 ……ヒルダ、理子と桃子が隠し持った法化銀弾の気配を嗅ぎわけたか。やや不機嫌に吐き捨てたヒルダを理子の憎悪の視線が射抜く。が、既にヒルダは手出しのできない状態。私が超能力の行使を急いでも彼女の逃走に軍配が上がる。何より四散したと思われていた猟犬たちが四方から牙を光らせている。逃走を許すなら良し、阻むなら全力で抗うと言わんばかりの様子だ。小さく、理子が舌を立てる。

 

「……逃げられたか」

 

 憎悪の対象を逃し、理子の複雑な声が届く。憎悪の対象であり、畏怖の対象。本当なら彼女とヒルダを対面させるべきではなかったのかもしれない。だが、それを決めるのは他ならぬ理子の意思。影の消えた地点を睨むと、張り巡らされていた狼たちの気配も四散していた。こちらに手負いはないが収穫もない。追跡戦としては逃走を許した私の敗けだ。結局、最後に残った結果はアリアから5枚の殻金を奪われた事実だけだ。

 

「一歩、足りなかったわね」

 

「いや、私一人で交戦に振り切るべきだった」

 

「そうでもないんじゃない?狼の群れを踏まえてジャンヌには不利な状況だった。逃がすよりもジャンヌを失ったほうが大きな痛手だよ。これで仮に次の襲撃が来てもジャンヌが迎撃に動けるわけだしね?」

 

 周囲を見やり、半眼を作ると理子は両手のワルサーを収める。

 

「決着の場が伸びただけだよ。早いか遅いかの違いだけ。次までにワンヘダが遭難から帰宅してくれると助かるんだけど」

 

 そこまで言うと、不意に桃子が笑う。

 

「夾ちゃん?」

 

「笑える話ね。異世界に置き去りになってるのに誰も雪平が死んだとは思ってない。敵である彼女すら再戦するつもりでいる」

 

「まぁ、キリくんはキーくんとは違うベクトルで殺せない男だからね」

 

「正確には殺しておけない男だ。いつも何かしらの手で戻ってくる。私たちには検討もつかない手を使ってな」

 

 再度、周囲の気配を探ってから警戒を解く。夜の闇もこれから徐々に晴れていく刻限、ヒルダが逃亡したのは活動できるリミットが迫っていたのも理由だ。日光が苦手なのは創作と同じ、朝の陽射しはヒルダにとって毒でしかない。聖剣を携えながら、私は主の入れ代わったインパラの後部へと座り込む。そして沈黙に怯えるように自然と口を開いていた。

 

「ヒルダ、カツェ、パトラ。姿は見えなかったがセーラも向こう側だ」

 

「主戦派にいたなら、敵側でしょうね。彼女には人や動物の寿命が見えるから、是非とも雪平を診断して欲しいところだけど」

 

 ハンドルに肘をついた桃子がエンジンの鍵を捻る。颱風のセーラ、主戦派の一員で森の狩人の末裔。生粋の傭兵気質で風を使役する魔女と同時に弓の名手。

 

「まずはキリくんが戻らないと占いようがないよ。大方の魔女はやっぱり向こう側に行っちゃってる。リサリサはちょっと分かんないけど」

 

「彼女はあくまで会計係だからな」

 

 窓の外を見やると、景色はいつもと何ら変わらない。だがそれは錯覚。昨日にはなかったことものが今日は存在している。そう、始まったのだ。ずっと先延ばしにされていた戦いがーー

 

「始まったね、戦いが。とっても大きな戦いが」

 

 続けられた理子の言葉には誰もかぶりを振れなかった。

 

 

 

 

 




ブラドの第三形態はパトラが呪ったお陰で見ることが叶いませんが再登場する機会があるなら見てみたいと思う作者です、投獄されてますが。何やら奥さんもいるような描写が原作でシャーロックからされてますが、かつてのアリアの先輩も含めて気になるキャラクターはまだまだ尽きない作品ですね。デアラや昔から知っている作品が完結するなかでまだ終わりの見えないアリア……まだまだ続いてほしいですね。


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穏やかな幕間

「死に神は背後に立ち言った。“来い お前がこの世から旅立つ時だ”」

 

 無作為に叩いた黒鍵から音色が響き渡る。不機嫌な視線が声が届く程度は遠くない壁際から放たれる。

 

「不吉なこと言うなよな。それって死神の迎えが来るグリム童話だろ?」

 

「死神のおつかいだ。ある日、死神を助けた男が助けた礼として『もし自分のところに来るときはあらかじめ教えてほしい』と約束をする。が、その知らせとは男の自堕落な生活に表れていた咳や熱、目眩のことだった。男は最後の最後でそのことを知り、そのまま死神に連れられていく」

 

 放課後、音楽室のピアノの前に私はいた。白鍵に指をかけながら、同じく部屋に居座っているのは不機嫌な遠山だけだった。懲役536年ーー神崎かなえの判決が東京高等裁判所第八〇〇法廷に響いて以来、そしてアリアの許嫁であるエル・ワトソンが武偵校に転入してからというもの遠山の機嫌はいつ見てもこの有り様だった。

 

 分からなくもない。裁判は敗訴、一審より減刑はされてはいるが事実上の終身刑には何も変わらない。私や理子の証言を含めて、遠山とアリアが渡ってきた綱渡りの結果として見れば不服なのは当然だ。だが、そもそも傍聴人のいない、マスコミも1人も来ていない裁判そのものに私は怪しさを覚えてならない。次の最高裁が別れ道、敗訴すればその次はない。退路を焼かれている状態だ。

 

 アリアと遠山の神経が張り詰めるのも自然なこと、何も不思議なことではない。ただ、遠山から漏れている怒りにも近い感情にはもう一つ、アリアの許嫁であるワトソンの転入も要因になっているのは私も無視できなかった。そう、ホームズのパートナーであるあのワトソンの一族だ。

 

「遠山、お前は既に外堀りを埋められているようだな? その様子では平賀文、武藤も籠絡されたのだろう?」

 

「……さあな」

 

「ふむ、当たりか。当然だな、私は何も間違えない。どうやらお前の使える手札は相当制限されているようだ。奴の立ち回りは強襲科ではなく諜報科、お前とは相性的な不利がある」

 

「……ああ、腐った女みたいなやり方だよ」

 

 強襲科と諜報科では相性的な不利がある。奴の経歴はニューヨークでは強襲科、マンチェスターで探偵科、東京では衛生科と名乗っていたらしいが正面からの決着より搦め手が好みらしい。私の気に入らないやり方だ。

 

「東京で自分の武偵技術に、最後の磨きをかけに来たんだと。なんでどいつもこいつも海を渡ってまで日本で武偵をやりたがるんだ?」

 

「私が知るわけないだろ。だが、奴には気を付けろ。謂わばこれは戦いに備えての下準備、準備が終わればワトソンは必ず行動を起こす。目的は読めないがな」

 

「どうせロクでもない理由だろ。やけに心配してくれるんだな?」

 

「私は、あの手の姑息な相手は嫌いだ。それに硬式テニス部で、私の支持者が随分ワトソンに鞍替えしたらしい。それも気に食わない。むしろ、そちらが気に食わないのだ」

 

「……そこははっきり言うんだな」

 

 遠山は私の心意がやや不服な表情だが、つまらない軽口として受け流しておく。幸い、いつも真っ先に軽口を飛ばすであろうハンターがこの場にはいない。プラスとマイナスで見れば遠山でゼロだ。

 

「このゲーム、ポイントで言えば俺の手持ちはほとんどワトソンに奪われた。誤魔化す必要もないから言うが底をつきかけてる。やられたよ、劣勢もいいところだ」

 

 吐き捨てた遠山の表情は、一応ワトソンの手腕は認めながらも嘆きが混じっている。

 

「ワトソンはクラス全員の寵児、どんどん友達を増やしてる。そのワトソンと気が合わない俺はまったくの逆だ。小うるさいルームメイトでもこうなると寂しいもんだな」

 

「ほう、お前も寂しさを覚えるのか?」

 

「9回裏に来て、ベンチに切しかいなくてもいる方が心強い。厄介者だっていい、頭がおかしくてもいい。お互い様さ。俺だって疫病神扱いされてるしな」

 

 遠山にしては柄にもない切げな声色だ。はっきり言って聞くに耐えられない。

 

「俺は呼ばれてないが、武藤がワトソンのホームパーティーに招待されて寮の大部屋で美味い物をいろいろ食わせて貰ったらしい。そんなこと聞いてると、あいつのシュリンプ料理が恋しくなったんだよ。ガーリックシュリンプ」

 

「ガーシュリックシュリンプか。あの味を求めるなどお前もすっかり毒されたようだな?」

 

「……そんなんじゃねえよ。ハンバーガーとコーラばっかり飲んでるジャンキーとは違うんだ。菜食主義でもないけどな。でもあの味が恋しい」

 

 ーーワイキキで店でも開けばいい。私もできればそう言ってやりたかった。だが、それは無理なのだ。白いフェンスの家、ステーションワゴン、暖かな家庭、妖怪退治とは無縁な暮らしーーどれもハンターには望めない。キリの場合は特に。母親が、メアリー・ウィンチェスターが手放した生活を同類の彼が味わえる道理はない。それは本人が一番理解している。

 

「それに毒されてるって言うならお前もだろ?」

 

 ふと、遠山から投げられた言葉に私は唖然とする。

 

「私が?」

 

「変わってるよ。良い意味か悪い意味かまでは分かんねえけど、地下倉庫で初めて会ったときとはまるで違う。そうだな……やっぱり良いヤツになってるよ。俺とこんな会話してるしな。話に付き合ってくれてる礼は言っとく」

 

「ふ、スマイル0円というやつか。私には効果も0だがな」

 

 ピアノから顔を上げて、私は遠山に視線を合わせる。案の定、反射的に腕を組んでいた遠山とはすぐに視線が重なった。私はわざと間を作るように吐息を挟む。

 

「アリアとの関係に亀裂が生まれそうと聞いたが、いまはあいつを信じてやれ」

 

「……なんだよ、いきなり」

 

「祖母に決められた許嫁、正体を知らなかったこと。アリアからお前が聞いた話は紛れもない真実だ。私も気になったのでな、ワトソンのことを自分なりに洗ってみた。言っておくが、決して奴への嫌がらせや仕返しなどではない。お前とアリアのためだ、いいな?」

 

「わ、分かったって! だから睨むな!」

 

「べ、別に睨んではいない! 私は元からこういう目付きなのだ!」

 

 それから私はリバティメイソンとワトソンのことについて会話で触れていく。アリアに正体が明かせなかった理由、ぶっそうな二つ名を持った手練れであること。別に私はアリアと遠山が仲を違えようが踏み込むつもりはないが……ワトソンとの定められた婚儀をアリアが本当に望んでいるかは想像に難くない。

 

 無論、それは貴族としての事情がついて回ることだ、他人の私が口出しできることでもない。それは私が踏み込むことを許されたラインを越えている。だが、このまま亀裂が広がり続けることでようやく見つけたパートナーの手の届かない場所に行くというならーー私は彼女に同情するだろう。

 

 悲恋という意味ではこれ以上ないほどの実例が身近にいる、自らの好意を押し殺すことがどういうことかウィンチェスターの兄弟を見ていればよく分かる。自慢気に語れるものではない。

 

「ワトソンとアリアは確かに許嫁だ。それは一族の間で取り決められた契約。ホームズとワトソンとの関係はそれほどに深い。だが、お前にはワトソンにはないものがある」

 

「俺に?」

 

 そうだ、生まれてから一度も会うことのなかったワトソンには決して手に入れることのできない物がお前にはある。アリアにはとても価値のある物がな。

 

「お前には今日このときまでアリアと過ごした毎日がある。様々な戦い、勝利、敗北。怒り、悲しみ、喜び。私たちとぶつかり、積み上げて戦った毎日がある。神崎かなえの為にお前が刃を取ったことは事実なのだ。そしてそれはワトソンにはない、お前とアリアだけにあるものだ。お前がアリアと重ねた時間は、昨日今日で造り出せるようなものなのか?」

 

「……ひ、卑怯だな。お前、そんなこと言うキャラクターじゃないだろ。いや、キャラクターじゃなかったはずだぞ」

 

「お前が言ったのだぞ? 私もキリに毒されている、とな。よりによってウィンチェスターに影響されるなど甚だ疑問だが」

 

 甚だ疑問だが、敵にも味方にも毒も薬もやりたいように振り撒いて歩いてきた男だ。そう、雪平という男は毒も薬も無差別に振り撒くーー妙なハンターだ、甚だ図々しい。

 

「積極的に他人を巻き込む恋愛は、単なる妄失に過ぎない。遮二無二突っ走る様は見ていて胸が空くと言うがそれとは別物だ。私はワトソンのやり方には賛同できない」

 

「だとしてもだ。今ではクラスで勧善懲悪が作られてる。誰も俺にはーー」

 

「遠山、誰かがお前に感謝するのは別段珍しいことじゃない」

 

 聞くに耐えない言葉を遮り、私は噛んで含めるように続ける。

 

「ブラドのことでは私も理子もお前に感謝している。直近では修学旅行でレキがお前に感謝しているはずだ。それだけでは不服か?」

 

「……」

 

「お前は自分に味方する者や称賛の声がなければ戦えないほど、やわな男だったのか?」

 

 驚いた表情は、しかしすぐにかぶりを振った。ふむ、ただ不機嫌なだけの表情よりは幾分マシになったな。似合わないことを言っただけの価値はあった。我ながら合わない仮面を被ったものだ。

 

「所謂きまぐれというやつだ。さっきの言葉は聞き流せ」

 

「無理だな、最近記憶力が良くなる一方だ」

 

「ふ、口の回る。遠山、油断だけはするな。もしものときは私を呼ぶといい、体裁など気にしていては死ぬからな」

 

 いくら遠山が愚直で愚鈍で罠に嵌めやすい男だからと言って……この展開は面白くない。私の聖剣を指で受け止めた男なのだぞ、面白くない。ワトソンのやり方はーー気に入らない。

 

「でも意外だな」

 

「?」

 

「お前がアリアの肩を持つのは意外だった。こうやって二人で話すのって珍しいし」

 

「そこまで人の心が分からぬ私ではない。できる女は違うと言うことだ」

 

 孤独とは面倒なものだ。飼い慣らすには恐ろしく苦労させられる。私はかぶりをふり、ふと遠山に視線を合わせた。それは意図的ではなかったと思う。偶然だ。偶然合った視線に、私は帳尻を合わせるように言葉を考える。言うべき言葉は既に言った。なら、どうする。いったい、どうする?

 

 よくある、他愛のない話ーーみたいなことを、遠山とはほとんどしてこなかった。ドリンクバーの存在を知ったあの日が精々学生らしい会話だろう。なので、私は戸惑ってしまう。とても困ってしまった。

 

「まあ……何だ、遠山」

 

 と、声をかけてみる。窓から差し込む光をバックに視線は結ばれたままだ。自分を打ち破り、一族の因縁の敵も退け、あろうことかイ・ウーまで崩壊させた男がこちらを見ている。かつては敵対し、いまでは同じ方向を向いている男と視線が重なっている。そんな、妙な関係の男が寂しさに襲われているとき、喜ぶことはなにか、なんて間が差したようなことを一瞬、考えてみる。

 

 もし自分が同じ状況に置かれたとき、何も考えず助力してくれるであろう男が、喜ぶことは、なにか、とか。だが、それがすぐに思いつかなくて。そんなこと、考えたことないから、まるで思いつかなくて。

 

「弾いてみるか?」

 

 と、目についたピアノから頭の中で、精一杯思いついたことを、言ってみる。その瞬間、遠山は驚いた顔で、黙り込んでしまった。一秒、二秒……会話は途切れたまま。他には誰もいない音楽室が一段と静かに思えてくる。やはり慣れないことはしないほうが良かった。そう考えた矢先、遠山は視線を窓の外へ逃がすように泳がせた。

 

「あー、悪い。その……弾けないんだ。本当に」

 

 とても子供っぽい顔で、笑ってしまいたくなる顔でかぶりを振る。

 

「嘘だ。何か弾けるだろ?」

 

「あ、その……そうだな。それじゃあーー」

 

 横に広い一つの椅子に、私の右隣に、遠山は躊躇った末に腰をおろした。

 

「変装潜入の授業で少し習ってたんだが、いまも覚えてるのは……これだけ」

 

 すると、右手の人差し指だけで白鍵が数回、イントロのメロディだけが奏でられる。

 

「冗談だろう?」

 

 うっすらとした笑みで遠山に首を振られた。白鍵が四回、言葉の代わりにまたしても指で奏でられる。勝手に始まるイントロと、『どうだ?』と言わんばかりにこっちを見てくる遠山に私はかぶりを振った。はぁ……私の負けだな。

 

「分かった」

 

 視線をピアノに下ろし、遠山の左隣で、奏でられるメロディに伴奏をつけていく。他には誰もいない部屋、会話はなく、聞こえるのは共に弾いているピアノの音色だけ。私の低音と遠山の弾く高音だけ。

 

 人差し指と中指だけを揺らす遠山と、うっすらとした笑みで何度も顔を合わせながら、誰かが部屋を叩くときまで、私たちは何も言わず『carry on my wayward son』を奏でるのだった。

 

 

 

 

 




下手に慰めず、近づかず、けれど適度な支えとなってくれる子。


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遠い夢跡

「"'No,' said the King. I'd rather die than place you in such great danger as you must meet with in your journey."」

 

「“お前を危険な旅に出すより自らの死を望む”と王は言った。『命と水』の一節だね?」

 

 私は言い当てた白雪に向けて、軽く首を縦に振る。即座に翻訳して返せるところに、彼女の博識な一面が垣間見れる。部屋の主である遠山がコンビニへと出掛けたことで来客だけとなった男子寮の部屋では私と白雪がテーブルを挟んで対面していた。

 

 命の水──所謂グリム童話の一つ。中でもヘンゼルとグレーテルの話は魔女の間では際立って有名な話として通っている。

 

「カナは聖書の言葉を度々引用していた、私も真似てみたのだ。『ヘンゼルとグレーテル』に登場する魔女の噂は、私も興味があったのでな」

 

「悪い魔女が自分の家に招き入れた貧しい子供に上等な食べ物を与えて、太らせてから食べようとする話? それなら私も少しだけ聞いたことがあるよ。実話かもしれないって説だよね?」

 

 貧しい木こりの夫婦とその子である兄妹の話。最終的には太らせた兄を食べようと用意した釜で魔女は妹により焼き殺される。砕いたパンの欠片を帰る際の道しるべとして、道に落としていく逸話は日本でも広く知れ渡っているだろう。

 

「巷では童話として語られているが、あれに登場する魔女が例の赤毛の魔女を追いかけてアメリカにやってきたと噂が立ったことがある。拐った大人を魔術で子供に変え、史実のとおりに監禁して食べ物を与えて太らせてから食べる──人食いの魔女だ」

 

「子供を拐うと噂になるから、大人を子供に変えてから準備をするんだね。あっちはハンターの人口が日本よりも多い。すぐに噂が広まる」

 

「赤毛の魔女は鬼才で知られているが、パトラと同じく魔女の間では嫌われものだ。今やウィンチェスター兄弟とは泥沼の関係と聞いている。人食いの魔女はそんな彼女を追いかけてアメリカの土地を踏んだが、噂によれば食事のカラクリをハンターに嗅ぎ付けられて返り討ちに遭った」

 

 そこまで言うと、察しの良い白雪は苦笑いを浮かべた。話の筋から結末が読めたようだ。相変わらずイルカのように聡い。平常時の遠山も見習って欲しいものだ。

 

「話があるって言ってたのは、そのハンターのこと?」

 

「真実を確かめる前に、キリは異世界で遭難したのでな。タイミングを逃した」

 

「雪平くん、グリム童話にまで関わってるんだね……異世界で遭難したなんて話なのにちっとも不思議な気持ちにならなかったよ……」

 

「同感だ。異世界に行くのも初めてかどうか怪しいものだがな」

 

 桃子が『良い漫画のネタになる』と言ったのも頷ける。本人は体験談を語っているだけのつもりだろうが、聞き手にすればフィクションの種でしかない。それに例の作品は5シーズンを最後に刊行が止まっているが、私たちはその先の物語を知ることができる、現在進行形で。但し、フィクションで見ていたものがノンフィクションになる弊害付きだ。

 

 話を戻すべく、私はテーブルのレモンティーに口づける。遠山はいないが話を進めるには問題ない。いつかは遠山にも知れることだ、何も急く必要はない。フィクションがノンフィクションに変わる、それだけのこと。グラスを戻しながら、私は改めて本題を切り出すべく会話の口火を切る。

 

「……キリはミカエルの足止めに残った。此方のではない、あちらの世界のミカエルだ」

 

 一転、部屋の空気が張り詰めたものに変わる。

 

「……雪平くんらしいね。自分の命を投げて問題を先延ばし、解決するところが雪平くんらしい」

 

「あれは、そういう風にできているのだろう。本当は自己犠牲など嫌悪するに決まってる」

 

「でも犠牲を選ぶしかない状況に追いやられてきた。選択肢はなかったんだよ、犠牲を払うことでしか解決できない問題が次々にやってくる、それも終わりなく。ミカエルは雪平くんが檻に道連れにしたんだよね。地獄の檻の中に魔王と一緒に落とされた」

 

「キリの話を信じるなら、ミカエルは長い監禁生活で精神を病んでいる。檻の暮らしに慣れていたルシファーと違い、永遠と鎖に繋がれることに耐えられなかったのだろう。地獄に置かれた檻だからな」

 

 体験したくもないが、神が大天使を閉ざすために作った檻だ。普通の独房と同じ筈がない。ミカエルは最強の天使、天使軍の総大将でルシファーを地獄に突き落とした立役者だ。聖書のメインキャストが正気を失うような環境、とても普通とは思えない。白雪が微かに言い淀む。

 

「それなら、戦える状態には──」

 

「そうだ、程遠い。だが、私たちが見たミカエルは……とても邪悪だった。戦えない状態とは思えない。視線を結んだだけで体に戦慄が走った、あれは偽物でも紛い物でもない、本物だ。裂け目の奥に広がっていたあの世界は、聖書にある最終戦争が起こってしまった世界。あのミカエルはさながら荒れ地を統べる王」

 

 いや、神……と言うべきか。どのみち、あの世界に神がいるとは思えないがな。だが、私が気になるのはもう一つの存在。ミカエルとは別の可能性なのだ。そう、問題を解決してもそれが次の問題へ繋がる錠前になっているのは珍しいことではない。解決と同時に新たな問題の扉が開くことがウィンチェスターの常だった。

 

 今回のこともあの男がミカエルを足止めしたことで裂け目は閉じ、キリの安否を度外視するなら問題は解決している。あちらとこちらの世界を繋ぐ道は消え、ミカエルがこの世界に降りることはなくなった。だが、本当にそれで幕が引いたのだろうか……

 

 むしろ、私の心に住み着いた違和感は首を横に振らそうとしている。むしろ、キリが足止めを買った行動が新たな問題に繋がっているのではないだろうか。リリスを討ち、地獄の檻を開いたときのように……あの足止めが新たな問題を引き起こすとしたら……?

 

「白雪、キリを占ったときにミカエルと一緒にルシファーの名前も出たと言ったな?」

 

「正確には『堕天使』と『総帥』なの。そこから推測するとたどり着く答えはそれしかない」

 

「そして私たちはミカエルと遭遇した。だが、ルシファーとは邂逅していないのだ」

 

「ジャンヌ?」

 

 言い淀んでいる私に白雪は続きを促すのではなく、首を傾げるばかりだった。我ながら、回りくどいな。

 

「裂け目の向こうの世界のルシファーはミカエルに敗れたと見ていいだろう。では、お前の占いに出てきたルシファーとは何を暗示している?」

 

「……ないよ。それはない」

 

 一瞬、作った間を消し去るように白雪はかぶりを振る。

 

「そうだ、私もないと思いたい。だが、最終戦争の後にルシファーが一度外に出されたことは事実だ。そしてまたしても魔王を檻に戻すべく、アメリカで奔走した話も奴自身から聞いてる。UKの賢人と手を組み、無事に檻に戻したとキリは言っていたが……」

 

 刹那、廊下の奥から玄関のドアが開いた音がする。遠山か、案外早い帰宅だったな。白雪は私と結んでいた視線を外して、声のする廊下へと向ける。

 

「ごめん、ジャンヌ。話の続きは今度でいいかな?」

 

「ああ、議論したところですぐにどうこうできる話でもない。それにいまのままでは私の憶測の範囲を出ないからな。いまここで話を振って、遠山を困惑させるのも愚策だろう」

 

 話を切るように、私も遠山の声がする廊下へ視線を傾ける。私の憶測の範囲を出ない。推測でしかないのだ。この世界で、監禁されている筈のルシファーが檻の外に出ているなど──

 

 

 

 

 

 

「『五木の子守歌』も駄目ね」

 

 パソコンの前で頬杖を突いた桃子は、既に赤線だらけになっているメモ帳に赤鉛筆で新たな線を走らせる。達筆な字で書かれた『江戸子守唄』『関東地方の子守唄』『ねんねんころりや』に代表される子守唄には無慈悲な赤線が上から引かれていた。子守唄──パスワードのロックを解くための唯一の手掛かりの謎はまだ解けていない。

 

 遠山から借りたキリのパソコンと、自室のホテルで相変わらず格闘を続ける桃子は恨めしげに赤鉛筆を指で踊らせる。子守唄の歌詞を打ち込んだパスワード画面は何度見ても変化はなかった。

 

「字数が多すぎるのよね。どうしたものかしら」

 

「私もアメリカの童謡を手当たり次第に試したがどれも脈はない。そもそも歌詞がパスワードなのか?」

 

「見方を変えてみるのね。それは良いことだけど、42文字のパスワードは曲名や作詞家くらいで埋まらない。性格も偏屈ならパスワードも偏屈ね。異世界に電波が届くなら、借金取りみたいに電話してやるのに……」

 

 恨めしい、その言葉がどこまでも似合う瞳は微動だにしないロック画面を未だに見つめている。

 

「lullaby、子守唄、42文字のパスワード。桃子、本当にお前は何も聞いていないのか?」

 

「残念だけど、皆目見当がつかない。どうして子守唄なんて暗号を使ったのかしら。そこからまず謎よね」

 

 彼女は吐いて捨てるようにかぶりを振るが、私は椅子に座り直すようにして思考に耽る。遠山、アリアのルームメイト二人にも子守唄に関する答えは分からなかった。同業者とも言える白雪も同じだ。仮に──キリの立場で考えてみよう。ヒントを残す相手を選ぶなら、遠山を除いて一番可能性があるのは……魔宮の蠍。眼前でパソコンを睨んでいる彼女。

 

「どうかした?」

 

 自然と私は腕を組んでいた。

 

「いや、一緒にプラネタリウムに行ったと言ったな?」

 

「ええ、行ったわよ。聖地巡礼に行けなかったから、その埋め合わせにどこか連れて行ってくれるって。セラピーから数週間経ってから誘ってきたの。……あれは私も本当に知らなかったから別に構わないと言ったのに……どうして妙なところで律儀なのかしら」

 

「セラピー?」

 

 プラネタリウムで何かヒントになりそうな歌を口ずさんでいなかったか──そう聞くつもりだったが思わぬ言葉に私は気づいたときに聞き返していた。結んだ視線は明らかに泳いでいる。失態を踏んだときの目だな、これは。

 

「待って。違うの、私は知らなかったの。本当にカウンセリングだと思ったのよ。詳しく調べなかったのはミス、私のミスだけど……」

 

「それならカウンセリングを。いや、セラピーを受けたのか? キリと一緒に?」

 

「……依頼でね。依頼で受けたのよ。セラピーって言うか……二人三脚の大会。雪平とペアで」

 

 何がどう転んだら、数ヶ月前に襲撃した男と二人三脚をする流れになるのだろうか。髪を指先で弄りながら、珍しく狼狽えている同僚の姿は、普段の冷静で落ち着いている彼女からは大きくかけ離れている。イ・ウーにいた頃には見ることの出来なかった表情だ。が、桃子はやや不機嫌に、私の心を見透かしたように咳払いを挟む。

 

「包み隠さず話してあげるわ。プラネタリウムには行ったけど、一緒に星は見てないし、雪平は隣ですぐに寝てた。朝食は駐車場で箱入りの朝食だったし、レトロなドライブインでポリネシア料理をがっつくなんて、後にも先にもあれ一度きりで満足よ」

 

「ポリネシア料理を日本のドライブインで食べるのか……」

 

 どこまでもチョイスが日本離れしているがムードも何もない。酷すぎる。どこのホームドラマだ。

 

「ムードなんてないわよ。私は求めていないけれど、仮に、仮に私がムードが欲しいと口にしたとしましょう。80年代のロックがエンドレスで流れてくるわ。それに……」

 

「まだあるのか?」

 

 ここまで聞いたからには最後まで聞かねばならない。案の定、返答は酷いものだった。

 

「カージャックされたわ。Kashmirが流れた瞬間に」

 

「またまずい車を狙ったな……」

 

 私服で見抜けなかったのか、それとも武偵と分かりながら狙ったのか。イ・ウーの元生徒とそれについていける武偵。狙いが悪かったな。私ならインパラだけは絶対に盗みたくない。特に67年のインパラは。

 

「話が逸れたが、本当に聞いていないのか? 子守唄ならプラネタリウムで寝ているときに口ずさんでもおかしくはないだろう?」

 

「残念ながら、黙って寝落ちしたわ。ゾンビのように眠ってた、静かなものよ。起きていれば賑やかでも横たわれば死んだように静かになる。死体のあった場所に横たわるような男だから、場所を選ばずに眠れるのかもしれないけど」

 

「例の悪い癖か」

 

「悪趣味な儀式よ。鑑識科と探偵科では有名な話。どうしてそうなったのか、あの本にも書かれていない雪平の悪趣味な儀式」

 

 そう言うと、桃子は無造作にパソコンのキーを叩いた。まるで暇を潰すためのお遊び。

 

「プラネタリウム……眠れないときは星を見る。子守唄、星……夜の星。ねえ、アメリカの童謡でなかったかしら。夜の星が出てくる子守唄」

 

「それはない。Twinkle, twinkle, little starなら私も試したがファイルは開かなかった。確かに夜の星を見上げる歌だがパスワードでは──」

 

「──待って。そうよ、雪平は日本に渡った。だから、日本語に曲名を直すとしたら?」

 

 無造作にキーを叩いていた桃子の指が止まる。何かに感付いた真剣な瞳は、42文字のパスワードを見据えた。

 

「Twinkle, twinkle, little starは原題。日本で広まっている名前は──キラキラ星」

 

「キラキラ星は子守唄じゃないだろう?」

 

「あの男にとっては子守唄だった。それで通るわ。いくわよ、歌詞は確か──」

 

「ちょっと待て。ローマ字打ちすると文字数が溢れるぞ」

 

「……ローマ字打ちじゃないのかも。一音に一文字……ちょっと待って」

 

 不意に桃子はCのキーを二回叩く。そして、GやAに始まる文字が画面に連なっていく。これは……

 

「キラキラ星のコードだな?」

 

「ええ、音符だと溢れるけどコードにすれば一文字で足りる。なんで気付かったのかしら。捻れた雪平が素直に歌詞を入力するだけのパスワードを作るわけない」

 

 コード、音楽をやっていれば馴染みがあるだろう。ドはC、レはDとして、同様にドレミファソラシをCDEFGABとして表記する方法。言われてみればパスワードに適した表記方法だ。入力画面は次々と埋まり、歌詞を歌い上げながら走る桃子の指が止まる。

 

「ジャスト42だ」

 

 桃子がマウスのカーソルをゆっくりとenterの上に持っていく。クリック音と同時に桃子の唇が弧を描いた。

 

暗号解読(コード・ブレーキング)。病みつきになりそうね」

 

 微動だにしなかったロック画面は解かれ、パソコンには『ディーン』の名前が浮かび、後ろに数字が連なっている。またしても暗号か。どこまでも用心深いがここまで解いてしまえば、これは暗号でも何でもない。

 

「父親は元海兵だ。行き先を表すときは?」

 

「座標よ、悩むまでもない。これから調べましょう。一段落して肩の荷が下りたわ」

 

 張り詰めた空気がほどかれるように桃子は大きく息を吐いた。座標と兄の名前。おそらく、これが家族に繋がる唯一の手がかり。なんだ、私の見立てはやはり当たっていたのだ。

 

「何か食べる? ももまんはないけど、クッキーならあるわよ?」

 

「いや、頂こう」

 

 何をやっても狩りからは逃げられない。キリは気づいていたのだろう。もしものときに備えて、連絡手段をパソコンのファイルに残した。限られた人間、特別な相手にだけ分かるたった一つの手がかりを残して。

 

「この座標、示しているのはアメリカで間違いなさそうだ。場所は……カンザス州のレバノン」

 

「カンザス州にはローレンスもあるし、妥当なところかしら。どうぞ?」

 

 軽く盛り付けられたクッキーがトレーに乗せられてくる。気のせいか、彼女の表情が少し柔らかく見える。肩の荷が下りた、さっきの発言を裏付けているようだ。

 

「アメリカに行くなら手続きがいるけど、向こうにある会社から依頼を受けたことにするのが一番簡単ね」

 

 依頼による海外赴任は、その日数に応じた単位が基礎数として与えられる仕組みになっている。ちなみにその基礎数は、武偵高で平均的な生徒をやっていれば稼げる単位数に設定され、大胆な話をすれば海外にいるだけで何をどうして過ごそうと、単位だけは貯まるのだ。教育や実践を積まずに、技術が養われることはないがな。

 

 厄介なのは私たちが司法取引の身であること。すんなりと海外赴任が通れば良いが、桃子も理子と同じで世渡りの上手な器用な女だ。明日にでも手続きを通して、アメリカ行きを決めるだろう。願わくば玉藻の結界に眷属の動きが止まっているうちに、ワンヘダには帰宅してほしいものだ。遠山の言葉は正しい、厄介者でもいないよりはいる方が遥かに心強い。

 

 それは眼前でクッキーを摘まんだ彼女も。いや、私よりあの男の近くにいるのだ、言うまでもない。

 

「雪平切とはどういう男なのだろうな」

 

「随分と突然ね?」

 

「いや、地下倉庫で私に心のなかを見透かされたと勘違いしていたままだったのでな。訂正する機会が欲しくなっただけだ」

 

「見抜いたんでしょ? その話なら雪平から私も聞いてる」

 

 私はゆるくかぶりを振った。

 

「地下倉庫でのやりとりは揺さぶりだ。私も魔女だ。正面からウィンチェスター一族とは戦いたくない。あの場ではアリアと遠山も控えていた、尚更だ。揺さぶりをかけた礼に聖油のサークルに閉じ込められることになったが……」

 

「貴重な経験ね。羨ましくはないけれど」

 

「ちっとも楽しくはない。覚えておけ」

 

 だが、ブラドのように火炎瓶として投げつけられるよりはマシか。火だるまになるのは笑えない。

 

「どういう男かなんて考えたことはなかったけど……リサみたいな女……ねえ。そうね……ふーん。馬鹿なのかしら、馬鹿に決まってるけど、いえ、お馬鹿だけど……そういう遠回しなのが一番否定できないのよ……」

 

「桃子?」

 

 何かを思い出して、目を伏せているようだが……リサ? イ・ウーの会計士か?

 

「リサ・アヴェ・デュ・アンクはお前とは逆のタイプではないのか?」

 

「あ……アヴェ・デュ・アンク? 会計士の? あ……ええ、そうよね。そのとおりよ。何を血迷っていたのか分からないけど、私と彼女が似ているなんて面白いことを言うわね。流石はウィンチェスター、ユーモアがあるわ」

 

 ……妙に饒舌な彼女に違和感を感じるが、リサと桃子は似ているとは言い切れない二人だ。リサは教授の後継者として挙がっていたが、第一に戦闘員ではないし、髪の色も生まれも共通点はない。頭は切れるが戦いを好まない彼女と、目的のためには強行手段を厭わない桃子は比較するまでもなく似ていない。彼女も眷属についているなら、再開までの時間は案外近いのかもしれない。

 

「あのコーラ中読者、平常時は軽いのに真面目なときには嘘を吐かないのよ。そこは兄に似たのね」

 

 そんな彼女がまさに口にしているのが、そのコーラなのだが何も言うまい。ふむ、しかしリサとキリに面識があるとは初耳だな。だが、有り得ない話でもない。長くハンターをやっているのだ、狼男と関わった経験も指では足らない回数だろう。

 

 彼等は食欲を制御できる、無闇やたらに狩りをする必要もないと見過ごすハンターがいる程だ。事実、人の肉は食らわないライカンスロープと呼ばれる一派に友人がいる話をキリから聞いたことがある。リサのことも狩りを通じて繋がりが生まれていてもおかしくない範囲のことだ。などと、考えていると桃子はまだコーラを喉に流している最中だった。炭酸で喉を痛めないか心配になるペースだな……

 

「ジャンヌ」

 

 不意に名前を呼ばれて、私たちは視線を絡める。

 

「さっきの答えだけど、私にはあの男の中身は理解できない。理解できるのはたぶん、雪平の家族だけ。血の繋がりは抜きにして、家族にしか理解できないわ。私にとってーー雪平切は駆除しちゃいけない奴、それだけよ」

 

 後日、彼女は日本を発った。そして、電話を介して私は知ることになる。あの裂け目がネフィリムの誕生に合わせて作られたこと、メアリー・ウィンチェスターがルシファーと異世界に取り残されていることを──

 

 

 

 

 



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双剣双銃

 宣戦会議から数日が経過した。玉藻が張った結界の影響もあり、ヒルダを初めとした眷属の襲撃は未だに訪れていない。玉藻が不眠不休で広げている鬼払結界は鬼にとって中性子線の雨が降り注いでるような領域。既に、学園島、空き地島、台場、品川、豊洲から東京ウォルトランド辺りまでの湾岸地帯は結界が機能している。即席だから1年しか保てない強度らしいが、強固なシェルターとして機能することには何も変わらない。

 

 そもそも日光すら嫌うようなヒルダが大量の中性子線を浴びるような空間に足を踏み入れるとは思えない。東京はそもそも、ローマ、香港に次ぐ退魔性の強い都市だ。元より吸血鬼には居心地の良い場所ではない。山手線と中央線が鋼鉄の陰陽太極図を描いているから、その円内であらゆる魔物が弱まるのは有名な話だ。米国でも鉄道を使って巨大な悪魔封じを描き、地獄の門に近づく悪魔を遠ざけていた話は噂として流れている。……まあ、そんなことはどうでも善いのだが。

 

「あ……あー、ジャンヌ? 分かってるとは思うんだが、俺は別に好きで覗いたわけじゃなくてだな。剣を納めてく嬉しいんだが──とにかく話し合おう。平和的に」

 

 私は何も答えない。無言で、淡々と、距離を詰める。交渉の余地はない。

 

「良い部屋だな……あ、ああ、とても良い部屋だ。センスが良い」

 

「……この部屋を見た者はいない。ここは私だけの秘密の花園だったのだ。理子にも、秘密にしていた私だけの理想郷だったのに……!」

 

「り、理想郷は人に見られたくらいで崩れないだろ!?」

 

「黙れ! 結局は一人きりの理想郷なのだ! だから、安心できていたものを……お前に見つかってしまった。もうあの安らぎの時間には二度と辿り着けない……今となっては崩落した理想郷なのだ……!」

 

「わ、分かった! 誰にも言わん! お前の理想郷を壊したりしないから、剣を置いてくれ! ハウスハプニング! これはハウスハプニングだ!」

 

「……ハウスハプニング?」

 

「そうだ、ハウスハプニング」

 

 わなわなと震える私に遠山は必死の視線を向けていた。始まりは数分前に遡る。変装食堂で『ウェイトレス』のカードを引き当てたまでは良かった。一枚目の『フードファイター』という職業も自然とチェンジの権利を使うための良い隠れ蓑になってくれた。我ながら自分のカードを引き当てる力に流石だと誉めてやりたいが、良いことが続けば悪いこともやってくる。

 

 まるで神がバランスを取るように、ワトソンのことで中空知に案内されるままにやってきた遠山に私の理想郷は見られてしまった。桃子や理子にも内緒にしていたのに……おしまいだ。震えて力の入らない腕が必死に遠山に取り押さえられる。

 

「お前の家なんだから……! どんなハプニングがあっても仕方ないってこと、そういうこと!」

 

「ハプニングだと?」

 

「そうだ、電話だってたまたま聞こえちゃうだろ!」

 

 間近で抗議するような遠山に、とりあえず私は最後まで耳を傾けることにする。

 

「中空知の電話が?」

 

「そうだ、たまたま聞こえることもある。でもわざとじゃない。ハプニングだ」

 

「まぁ、盗み聞きはしてない」

 

「そのとおり」

 

「私の部屋だし?」

 

「プライバシーの侵害ってことにはならない。不慮の事故だ。今のこの状況と同じ。幸運もあれば不幸もある。こんなときはハワイではこう言うんだ。ポーマイカイ──GOOD LUCK。俺は帰る」

 

「誰が逃がすか」

 

 何を一人で綺麗に幕を引こうとしているのか、油断も隙もない。そもそもお前は私の同居人ではなく、単なる来客だ。ドアに踵を返そうとする遠山をデュランダルで制する。

 

「お前は英語もろくにできないのに、どうしてハワイの言葉は分かるんだ?」

 

「ホノルル好きのルームメイトがいたからな。それに英語もギリギリなんとか話せるんだ、訂正しろ。バカにしやがって」

 

「元々はお前が招いたことだ。男なら責任を……いや、私も毒気を抜かれた気分だ。遠山、他言はしないのだな? 約束できるか?」

 

「誰かに話したところで何の得にもならん。お前の嫌がる姿を見ても寝覚めが悪くなるだけだ。悪かったな、その……理想郷を暴いちまって」

 

 ……一応の謝罪か。とりあえず、私はデュランダルの刃を下げる。

 

「他言すれば冷凍グラタンだ、いいな?」

 

「約束する。というか、人間はグラタンにはなれん。それは氷像だ」

 

「なら氷像にする」

 

 溜め息を突いた遠山をソファーに座らせ、私は待たせている間に制服へと着替える。

 

「待たせたな」

 

 鏡には仏頂面の顔があるが、私は構わずに待たせていた遠山にコーヒーを淹れる。

 

「言っておくが、私は自分でも分かっているからな。ああいった服は、私のような女には似合わないという事が」

 

「そうなのか?」

 

「お、お前という奴は……ッ!」

 

 聞き返してきた遠山を恨めしげに睨む。淡白なのか、それとも自分に素直だけなのか。遠山はカップを持ち上げながら、視線を向けてくる。

 

「俺は理子みたいに詳しく無いが、好きな服着ればいいんじゃないか? 悪いことやってるわけじゃないんだろ? 別に、皆の前で胸を張ってやれとかそんなこと言うつもりねえよ。切のファッションセンスは酷いもんだったし、それに比べたらどうだ? 似合ってるだろ、さっきの服。違うか?」

 

「……いない者の悪口は言いたくはないが」

 

「違う。あれは個性だ。誉めてるんだ」

 

「そうなのか?」

 

 半ば、理解できないが。遠山は強引にも本題を切り出してきた。極東戦役、アリアに緋弾の状況を話すべきか否か、そして──目下で動きを見せているワトソンのことだ。遠山がコーヒーを飲み終えた時……タイミング良く私の携帯が鳴った。中空知の名前、どこまでもタイミングが良い。

 

「誰からだ?」

 

「中空知だ」

 

「中空知って。中空知は隣の部屋にいるだろ」

 

「……少し待て。遠山、お前はこの部屋に残れ。お前を見ていると中空知は本領を発揮できなくなる。彼女とのやりとりにはこの携帯を使え、中空知にはワトソンを盗聴させてある。奴は動いたらしいぞ」

 

 目の色を変えた遠山に電話を渡し、私は音響機材に囲まれた部屋にいる中空知の横でインカムを取る。ワトソンの背後にはリバティー・メイソンの組織がある。あれは柔らかな顔をしているが二つ名持ちの曲者だ。二つ名は『西欧忍者』と呼ばれ、組織からは有能な諜報員として勲章も受けている。私は、そういう姑息な活動をするやつは嫌いだ。

 

 中空知が両手で操作するイコライザーを見ていると、アリアとワトソンに動きがあった。場所はホテルのレストランだが個室、二人きりで話している。流れてくる会話は口説くワトソン、黙るアリアと言ったものだがレストランを出たところで中空知からアリアの歩き方に変化の通達が入った。千鳥足……レストランを出たところで突然な変化か。会話による精神的な疲労、もしくは一人芝打たれたか?

 

 ふと、遠山の様子が気になって私はイコライザーから視線を外した。アリアが口説かれる様子をリアルタイムで聞いていたのだ、男女の逢い引きを盗聴した程度で武偵が揺らぐべきではないが念のために遠山の様子を伺い……私は眉をひそめた。

 

「遠山?」

 

 HSSの可能性を危惧しなかったわけではない。その可能性はあるつもりで私も盗聴を許した。だが、私が目撃した遠山の瞳は、私が知っているHSSの遠山よりも遥かに鋭い。普段のHSSが理知的な狩人と呼ぶなら、目の前にいる遠山は牙を剥き出しにした獰猛な獣だ。纏っている気配そのものが荒々しい……

 

「ジャンヌ、少し外出したくなった。悪いがこの携帯は借りていくぞ。中空知には引き続き、通信で状況を伝えさせ続けろ」

 

 そう言うと、ベレッタとDEの弾倉をこの場で確かめている。外出先は言うまでもない。

 

「解せんな。私が素直に首を縦に振ると思うのか?」

 

「悪いな、無理矢理にでも振らせる」

 

 怒りに凝った声で即答される。

 

「ほう、あまりに短絡的すぎて止める方法も思い付かなかった。まるで獣だな、何にでも噛みつくカミツキガメのようだぞ?」

 

 だが、そこまで人の心の分からない私ではない。私は中空知に繋いだままの携帯を遠山の胸元へ押し付けるように差し出した。そしてまだ鋭い瞳を解いていない遠山に半眼を作る。

 

「お前はワトソンの策略で武藤の手助けを得られない。ワトソンを自転車で追うつもりか?」

 

 私はうっすらと笑い、遠山に見せつけるように手元で鍵を揺らしてやる。

 

「ついてこい、遠山。ドライブに行くとしよう」

 

 

 

 

 

 

 ──ポルシェ911カレラ・カブリオレ。案の定、ワトソンの移動手段は自転車では張り合えない物だった。心の底から言ってやりたい、私がいて良かっただろう、とな。

 

「中空知が盗聴したナビゲーションの音声によると、目的地は墨田区のここだ」

 

 都高速汐留JCTにて、音声逸失。中空知の援護は消えたが既に十分すぎる活躍をしてくれた。お陰でワトソンの居場所が掴めたのだからな。BMW・K1200R──車輌科から借りた黒のネイキッド・バイクに遠山を乗せて私たちが辿り着いたのは建築途中のスカイツリー、その建設現場だった。

 

 時刻は22時を過ぎ、頭上を仰げば夜の帳が一面に降りている。近くを遠山と別れて捜索していると、建設現場からはあまり離れていない駐車場に目立つポルシェが停められていた。浮世離れした高級車、日本の大衆車に溶け込むには無理があったな。あっさりと見つかったポルシェのマフラーを探り、遠山は目を細める。

 

「停車してから15分ってところだな」

 

「逃げる先があるとすれば──遠山」

 

 呼びながら、金網の向こうにある砂をタクティカルライトの灯りで照らす。やや前屈みで伺った視界には……武偵高指定の靴の、足跡がある。足跡はひとつ、目視の確認になるがサイズからするとワトソンのものだろう。

 

「アリアは薬を盛られて眠ってる。眠るアリアを抱えて歩いたんだな、ワトソンは」

 

「こんなところに、なぜ、アリアを連れ込む?」

 

「俺には分からん。だが、好ましくない理由ってのは断言できる。絶対にな」

 

「同感だ」

 

 私と遠山は7割方完成していると言われているスカイツリーを仰ぎ見る。夜の暗闇に突き立つスカイツリーは……流石に高いな。聳える摩天楼は見上げれば首を痛めそうになる高さだ。

 

「地獄が口をあけてるな」

 

「地獄すらまともに見えるかもしれないぞ?」

 

「なるようになるさ。アリアを取り返して、ワトソンの狙いも全部白状させてやる」

 

「素直に話すと思うか?」

 

「普通ならな。でもあれを使えば、切のルール」

 

 唐突なキリの名前に私は眉をひそめる。

 

「どういう意味だ?」

 

「ルールなんて、知るかボケ」

 

 そう言うと、金網をよじ登った遠山は柵を越えて建設現場に足を踏み入れる。追いかけるように私もデュランダルを携えて柵を越えた。スカイツリーの支柱は全て軽く螺旋状に並び立っている。

 

 深夜の建設現場に人の気配はなく、鉄板を踏む足音が鮮明に耳を刺激する。やがて作業用のエレベーターの前に辿り着いたが、これを起動することは私たちの追跡が知られることとほぼ同意義。

 

 解除キーを差し込めば最後、この先で起きることは私にも想像がつかない。分かっているのは敵地に土足で足を踏み入れるということ。作動用の鍵穴に近づけられた遠山の解除キーに今一度視線を向ける。

 

「遠山、準備はいいか?」

 

 私は問う。無意味な問いかけを。こんな答え、聞かずとも分かっているのだがな。そう、返ってくるのは思っていたとおりの答えだった。

 

「できてるよ」

 

 ──解除キーが鍵穴に押し込まれる。金網を扉代わりにしている不安定なエレベーターが作動すると、まだ建設途中のスカイタワーを上昇していく。高さが高さだけあり、エレベーターを何回かに渡って乗り継ぎながら上へと向かう。

 

「ブラドと戦ったランドマークタワーも大概だがこれは比較にならないな。俺とアリアが飛行機で飛んだ高度より、ずっと高い」

 

「夜景を楽しむ余裕があれば良いが、そうもいかないようだ」

 

 視界が暗さに慣れたころ、既に『350m』という数字が書かれた第一展望台にまで昇ってきていた。未完成の展望台は、剥き出しのコンクリートでまだ足元を固めただけの状態。話に聞いていたレキの部屋を彷彿とさせる光景だった。

 

 しかし、その奥行きは広く、殺風景なまでに広々とした空間がそこには広がっている。カラスの鳴き声と吹き抜ける風の音が聞こえるだけで展望台は不気味に静まり返っていた。平常心の手綱を離すようなものでもないが不気味だな。カラスの群れか。

 

「ワトソンには15分の猶予があった。それだけあればアリアを隠すことも罠を張ることも苦労しない」

 

「……分かってるさ。貴族様は随分と回りくどいやり方をしてくれたからな。闇に隠れて、正面からの戦いは徹底的に避ける。賢いやり方じゃねぇか、ワトソン。臆病者の手本みたいなやり方だぜ?」

 

 わざと、挑発するように遠山は展望台を見渡す。見え透いた挑発、古典的だが今回は効果があったようだ。一転して、展望台の空気全体が張り詰める。食いついたな……

 

「……何をしにきた?」

 

 声は左前方から聞こえた。視線で辿ると、機材の影にうっすらと人影が見える。展望台の隅には幾つかの機材が不規則に置かれているがそれを隠れ蓑に使ったか。

 

「嫌がらせってところか、俺も根に持つタイプなんでな。返してもらいにきたぜ、色々とな」

 

「アリアは渡さない。トオヤマ、いまなら退路は塞がないでおいてやる。一度しか言わない、死にたくないならそこの魔女を連れてーー帰れ」

 

「そうもいかねえんだよ、アリアも俺も同じチームのメンバーだ。リーダーが逃げるわけにはいかねえからな」

 

「愚かだな、それは賢い選択じゃない。愚かな選択だ」

 

 暗がりの声に遠山の顔付きが変わる。自虐的なうっすらとした笑みに。

 

「ああ、愚かだよ。アリアと出会う前の俺なら自分からこんな厄介事に突っ込んだりしなかっただろうな。兄さんのことで何もかもどうでも良くなってた俺には選ぶことのなかった選択肢だ。だけどな、今は違う。見過ごせるかよ、こんなふざけた展開」

 

「トオヤマ、先に言っておくがイギリスでは武偵に自衛のための殺人が認められている。そしてボクは、治外法権を認められた王室付き武偵でもある。つまり、キミを日本で殺害しても、罪に問われる事は無い」

 

「だったら仕留めてみろ。古今東西、安い脅しを仕掛けたやつが勝った試しはねえんだ。お前はどっちを選ぶ、見てみぬフリをして黙示録に巻き込まれないように祈るか、それとも誇らしく乗り込んでこの世界を破滅から救うか。俺とジャンヌは後者だぜ?」

 

 売り言葉に買い言葉か。とても和平を結ぶのは不可能だな。ベレッタのスライドがトドメにコッキングされる。

 

「ジャンヌ、アリアを頼む。外の足跡は一つだけだったが──」

 

「他にも協力者がいるように思えてならない。奇遇だな、私も同じことを考えていたところだ。作りかけの高い塔、そして真夜中。後ろ向きな思考が外れていると祈っておけ」

 

 決定打はない。推測や勘の域を出なかったが、二人して同じ考えに至ったのは偶然と割り切れない。この一連の騒動、ワトソンやリバティ・メイソンだけで済む話とはどうにも思えない。周到に下準備に励んでから事に及ぶような慎重なワトソンが、一人だけで全てを片付けようとするだろうか。どうにも解せない。

 

「助力は?」

 

「小細工なしで正面からやる。負けても言い訳できないようにな」

 

「ひとつ聞いておこう。なぜそこまでアリアに固執する? 意地か? キミも男の意地とやらで自分の命を投げるのか?」

 

「意地があるかないかなんて知らねえよ。そんなもんどうでもいい。あいつは短気で、家事もろくにできなくて、何かあったらすぐに銃をぶっ放すような女でーーでも大切な家族や知らない誰かのために戦うことのできる、俺の大切なパートナーなんだよ」

 

 心の叫び、それ以上の理由はない。アリアが遠山をパートナーに選んだこと。ただの偶然か、あるいはそれは誰かに仕組まれたものだったのかもしれない。自分の力量と釣り合う相手、その条件を満たせば何も遠山でなくても良かったのかもしれない。たまたま遠山が列の先頭にいた、それだけのことかもしれない。

 

「──それに、よくもアリアに薬を盛ってくれたな。俺がそれを見過ごすほど甘く優しい人格をしているとでも思ったか?」

 

 だが、アリアは遠山と出会った。それが偶然でも作為的でも遠山は独歌唱のBGMとして歩いてきた。最後に残される結果が無惨だったとしてもその過程に一点の曇りもないのなら、それは決して、偽りになどなりはしないのだ。遠山、お前がアリアと造った関係は幻なんかじゃない。

 

「文化的話し合いは無意味のようだ。今日はキミの人生で最大の過ちを犯した日になる。もっと賢く生きるべきだったね、心の底から呆れるよ」

 

「お前だけは容赦しねえ。アリアのパートナーは二人もいらねえんだ」

 

 ベレッタのセレクターを切り替え、遠山とワトソンの視線が交差する。そこに話し合いの余地はない。

 

「──ご武運を」

 

 遠山と頷き合い、私は展望台を仮設のエレベーターへと駆け抜けた。

 

 

 峰理子、私は彼女が好きだ。イ・ウーで最も貪欲に力を求め、勤勉に学んでいたのが──峰・理子・リュパン4世だ。誰よりも有能な存在を目指し、自由のためにひた向きに努力する姿は見ていて胸が胸が空くほどだ。走るからにはゴールがないといけない。

 

 そのゴールは果てしなく、かつての私には終わりを与えてやることはできなかった。遠山が、ホームズが、ウィンチェスターが、自由への道を微かに照らしてくれたあの夜を私は忘れない。ブラドは討たれた、理子を縛りつける鎖はあと一対。彼女はその鎖を解きに来たのだろう。

 

 最後の一匹……行く手を阻んだ狼の意識をデュランダルを振るい、力任せに気絶させる。意識だけを奪うというのは、命を刈り取るよりも遥かに面倒な作業。屋上への道を塞いでいたオオカミの数は片手の指では足りず、追ってくるであろう遠山は横たわっている光景に目を丸めるに違いない。露払いはしてやった、あまり遅くなるなよ遠山。

 

(……理子)

 

 この数のオオカミが同じ場所にいるということは飼い主も一緒と見ていい。屋上への行く手を塞ぐように陣取っていたところから、アリアの居場所もワトソンの協力者の正体も既に割れたようなものだ。業務用のエレベーターは柱に『435m』と書かれたところまで続いており、そこからは鉄パイプと鉄板の簡素な階段だけが上へ繋がる道だった。

 

 この建物がまだ建築中の段階であることを再認識させられる。強風の度に軋んだ音が聞こえるのは心地の良いものではないな。冷たい夜風とコウモリの声を浴びながら、私は夜空の下へと繋がる最後の一段を踏んだ。

 

「私に内緒で何を楽しんでいるんだ、理子?」

 

 丸くコンクリートの床が広がった第二展望台。三叉槍を持ち上げるヒルダの前で、膝を突いている同僚に向けて私は言ってやる。

 

「……ジャンヌ?」

 

「数日前から連絡をよこさないと思えば」

 

 ヒルダの視線と一緒に肩越しで理子の瞳が丸められる。床に転がった多量の空薬莢、乱れた髪、コンクリートの床で汚したであろう顔は、既にヒルダと交戦していたことを鮮明に伝えてくる。ランドマークタワーでは5人で傷だらけの勝利だった。残された過去の因縁は自分一人で清算するつもりだったのだろう。私たちを頼ることなく。

 

「武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ。余計な気を使うな、私たちは仲間だろ?」

 

「……」

 

 私たち三人が武偵高に乗り込んだとき、お互いの目的には干渉しない方針だった。その結果、全員が敗北を味わい、今は司法取引の身に置かれている。だが、今の私はあのときと違い、一応武偵なのでな。お前が一人でヒルダと向き合うことを決めた覚悟を、台無しにしてでも助力させてもらうぞ。

 

「ジャンヌ、理子は善戦したわ。超能力の特性は見抜かれたし、その隠し持っていた散弾銃が機能していれば……少し危なかったかもしれないわねぇ」

 

 くいっ、とヒルダは床に散らばったヒマワリの花と破損したウィンチェスターを視線で示す。ヒルダの体のどこかには無尽蔵の治癒力を支えるための魔臓が存在している。あの散弾銃は魔臓を壊すために理子がチョイスした切札。散らばったヒマワリは散弾銃を悟らせないための偽装か、だがヒルダに通用しなかった。吸血鬼の瞳が刃物のように細められる。

 

「語るまでもないわね。勝敗は明白よ、貴方と遠山が増えたところで同じ。決着までの時間が延びるだけ。ここで命を投げるつもり?」

 

「──勘違いするな。私も遠山も死ぬためにここに来たんじゃない、後悔しない明日を迎えるためにここに来た」

 

「フフ、貴方らしくもない気取った台詞。でも歓迎するわよ、正直に言うとこれだけでお開きにするのは迷っていたの。だって、今日はとても良い夜だものねぇ」

 

「ラピュセルの枷!」

 

 真紅の唇が弧を描いたのと同時に、一本のヤタガンをヒルダの足元目掛けて投げつけた。冷気を宿したヤタガンが影を貫くよりもヒルダは先に背中の翼を広げた。元は同じ学校に席を置いていた相手、ヤタガンで影を縛る種は割れている。暗闇の空を経由して、ヒルダは背後へとヤタガンを回避した。

 

「種は割れていてよ? 放し飼いのペットたちも貴方を疲労させるくらいの仕事は果たしてくれたようね、顔色が優れないわよぉ?」

 

「……冷え症なのでな」

 

 手札を伏せるように私はそう返した。どこかのハンターの影響で軽口は以前よりも回るようになった、喜ばしくはないがな。背後に飛んだヒルダは、元は棺だったであろう残骸の前で笑みと共に佇んでいる。

 

「あの棺桶が変圧器だった。ヒルダは超能力に使うための電流を外部から盗んで、変圧器を通すことで操ってたんだよ。発生させられる電圧が低い割に、ヒルダは超高電圧の電流しか体に取り込めない。自力で体に貯めておける電流はせいぜい一回か二回ってとこ」

 

 背後に下がったヒルダと同じく、私の隣にまで後退していた理子が両手のワルサーの弾倉をリリースした。

 

「行使できるのが体内にストックした電流に限られてる以上、超能力を乱用することもできないし、影になって逃走することも簡単じゃない。お前はジムナーカス・アロワナから遺伝子をコピーして電流を操る術を身につけた。その力は先天性じゃない、穴があるのは必然」

 

「へぇ、学習しているのね。でもお前が語ったとおりなら私はまだ自力で電流を放てる。動けなくなったお前たちの首を跳ねるなんて造作もないことよ?」

 

 くす、と小さな笑みと軽く三叉槍を振る動作が入る。

 

「でも電流のストックは無限じゃなくなった。あたしは切札を失ったがお前も手札のカードを大きく削られた」

 

「痛み分けと言いたいのね。ええ、好きに思いなさいな。最後に笑うのは私。お前は首輪を嵌めて連れ帰り、ジャンヌからはその瞳を頂くことにするわ」

 

「だってさ。厄介なファンがついたな?」

 

 男口調を混ぜながらの問いかけ、遠山の言うところの裏理子か。

 

「私の瞳は私のものだ。誰にもやらん」

 

「同感。あたしは盲目のお前を黙って見ていられるほど人間が出来てないんだ。その要求、断じて許容できるかよ」

 

 手負いの獣は髪を逆立たせる。両翼のように広がった金の髪はそのナイフの切っ先を迷わず、ヒルダに向けた。ホームズとは異なる、異種の双剣双銃。戦意を見せつけたところで、鋭い瞳がこちらに向き、

 

「言っとくけど、負けてないからな。あそこから逆転するところだったし」

 

「そういうことにしておいてやる」

 

 バラの散らばった棺桶の近く、鎖にツインテールごと縛られたアリアが横たわっている。ワトソンが薬を盛ったせいで意識はない。やはり睡眠薬か。

 

「──!」

 

 ──仕切り直し、そう言わんばかりに至近距離でワルサーの銃声が暗闇に轟く。異常な速度で吐き出された弾丸はヒルダの両翼を二発ずつ、抉りとるように穴を開けた。排莢された薬莢がコンクリートに小さな音を立てる。命中、しかし……

 

「せいぜい騒音程度の嫌がらせね」

 

 翼に開いた穴は煙を上げて塞がっていく。ブラドと戦った夜、何度も目にした光景。小さく、理子が舌を鳴らす。

 

「理子、私に策がある。援護しろ」

 

「……了解ッ!」

 

 コンクリートを蹴って、ヒルダに疾駆。真正面から一気に距離を詰める。愚直なまでに単純な一手にヒルダはほんの一瞬だが目を細めた。しかし、翼を狙った理子の援護に、うっとおしそうに表情を歪める。ダメージは蓄積されない、だが動きを阻害する程度の嫌がらせにはなる。動きを縛られたヒルダの首元へ殺傷圏内と同時に──デュランダルを振り払った。

 

 

『死なない怪物の対処法? 首だよ、首。リヴァイアサンは何やっても殺せなかったけど、首と胴体を離したら動きは止まった。だから、首を武器ですぱっと──ただし、これだけは気を付けろ。あまり長く首を置いとくといいことないぞ?』

 

 

 援護を味方につけた一撃は、鋼の悲鳴と共に上方に弾かれた。三叉槍がまるで読んでいたかのように首へと至る軌道を塞いでいたのだ。

 

「読めてるわよ。魔臓以外に私が狙われて一番困る場所、そこを警戒しておけば済む話。貴方が聡明で助かったわ」

 

 ばち、っと何かが暗闇で弾ける。脳が警笛を鳴らすが体の動きが間に合わない。90万ボルトの強力なスタンガンを喰らったかのように体に衝撃が走った。

 

「うッ──!」

 

 こ、これは……体に溜め込んでいた分の電流か。意識は保てている、電圧は意識を落とせるほど高くない。

 

「ジャンヌ……!下がれッ!」

 

 無茶を言ってくれる。全身の運動神経を痛めつけられた、命令しても体に力が入らない。まずい、槍が喉に──

 

la revedere(さようなら)

 

 背筋が冷たくなったとき、ふと、縄に縛られたアリアの姿が頭をよぎった。いつだったか遠山から聞いたことがある。アリアは、ツインテールごと縛られた時に限って縄抜けができる。

 

「何やってんのよ、あんたたち」

 

 喉を抉られると感じた次の瞬間、アニメ声と銃声が同時に夜を貫いた。腕、肩、足、計16箇所からヒルダの鮮血が目の前で舞う。穴が大きい、大口径だ。

 

「やっぱりエキストラには荷が重かったみたいね」

 

 聞こえてくる自信に満ちた声に自然と笑みができていた。休みなく再度の銃声。大口径がヒルダのドレスに穴を生み、たたらを踏ませる。ワトソン、意識を落とすだけで弾を抜かなかったのはまずかったな。

 

「……薬の効果が切れたか」

 

 横たわりながら私はぼやく。自意識過剰め、今回は礼を言ってやる。

 

「ほんと、主役みたいな登場でイラッとくる……遅いんだよ……アリア」

 

「選手交代。あんたを捕まえるハンターで、今夜の主役の登場よ、ヒルダ!」

 

 緋色の瞳がヒルダを肉薄し、もう一対の双剣双銃が理子の隣に並んだ。ああ、こうなってはしまっては手遅れだ。

 

「さあ、狩りを始めましょうか」

 

 双剣双銃は──止まらない。

 

 

 

 

 



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蜂蜜色の香り

 電流のストックを失ったのはヒルダにとっては痛手だった。何も他の戦い方ができないわけじゃない。翼の機動力、魔臓の治癒力に任せた槍での白兵戦も現に眼前で行われている。だが、それはできるというだけのこと。彼女が好んで用いる戦い方ではない。

 

 自由自在の髪を含めて手数に物を言わせる理子、なんでもありのバリツとアル=カタに秀でたアリア、超能力を抜きにした近接戦闘の土俵ではヒルダの敗色は濃厚だった。まして二人同時に追い立てられるなど捌けるわけがない。二人の本質は同じ双剣双銃、互いの動きを潰すことなく、ただ同じ獲物に牙を振るっている。

 

「うッ……! この……ッ!」

 

 アリアの小太刀に太腿を裂かれながら、捨て身で三叉槍が突き出される。狙いは制服の抜け穴、露出している足の肌色に矛先は伸びるが……当たらない。ヒルダの腕には蜂蜜色の理子が巻き付き、動きを阻害している、ナイフを肌に食い込ませるおまけ付きで。

 

「あたしを見ろよ、ヒルダ! 主演の演技なんてあたしが問答無用で食ってやるからさ!」

 

 刹那、点を越えて線にも思えるほどの発火炎が暗闇に弾ける。不気味で退廃的なドレスは穴だらけになり、クモの巣柄のタイツごと白い肌に小太刀が裂け目を作る。致命傷にはならず、傷は修復する。制圧はできない、だが戦いの流れだけで判断するなら、それは一方的な蹂躙だった。

 

「……調子に──下がれェ!」

 

 ほとんど下着姿に陥ったヒルダが叫びと同時に体へ電流を走らせる。身に纏うように放った電流はまるで鎧、防具というべきか。理子、アリアは同時にバックステップし、電流を浴びる前に距離をとる。いつのまにか強い雨が降り、展望台のコンクリートの床は水に濡れていた。飛び散った鮮血が雨によって流れていく。

 

「涼しい姿にはなってるけど、まだ決め手には欠けてるわよ? カラクリはブラドと一緒でしょ?」

 

「家族だからね。あれもたぶん、血を流しながら絞り出してる電流。器用だよね、アリア。さっきからあたしの動きを邪魔せず、合わせるように動いてる」

 

「別に。いつか負かしてやろうと思ってずっと見てたのよ。いけ好かないあんたのことを」

 

「笑えるジョーク。キンジにも言ってやれよ」

 

 吐き捨てるように理子はかぶりを振る。口元が緩んでいるのは指摘するほどのことでもないな。ヒルダが纏った電流は彼女が行使してきた電流に比べると、ずっと微弱で頼りない。理子の睨んだとおり、身を削って絞り出した電流のようだ。あれでは影になることでの逃亡もできない。ヒルダから受けた体の痺れがようやく取れてきたとき、

 

「悪い、遅れたな」

 

 最後のカードがやってきた。

 

「遅かったわね、キンジ。ま、その様子だとワトソンには勝ったみたいね?」

 

「手負いの勝利だよ、いつもどおり」

 

 その様子だとまだHSSは解けていないな。当初の獰猛な気配がやや丸みを帯びてはいるがそれだけだ。遠山の登場でヒルダの劣勢はさらに傾いた。デュランダルを支えに私も回復した体をなんとか立ち上げる。これで四人、一人足りないがブラドを倒したときと同じ夜。

 

「これで四人、銃の数は足りてる」

 

 雨に打たれながら、理子がヒルダと視線を絡める。

 

「だから、どうだと言うの? 安心なさいな、高貴な私。頭数の差に不平を漏らしたり醜い真似はしない。お父様はお前たちに加えて雪平まで相手にした。私が雪平を抜いたお前たち程度に苦言を呈するのはお父様への侮辱、分かるでしょう?」

 

「……意外だね。もっと手段を選ばないタイプと思ってたけど」

 

「あら、心外ね。捉えた誰かを人質に使えば、あるいは催眠術で服従させて毒を脅しに傀儡とすれば、幾らでも勝てる方法はあるでしょうね、私は聡明だから。でもね、私にも気に入る勝ち方と気に入らない勝ち方があるのよ」

 

 電流を体に纏わせたまま、三叉槍の柄が床を叩く。

 

「勝つか負けるか、それしかない。来なさいな、私はお前たちを恨まないし、情けもかけない。吸血鬼と人間、優れたものが勝ち、負けたものを好きにする。それだけ分かっていれば、あとは必要ない」

 

 ああ、分かりやすい。勝ったものが正しい、砕いて言えばそれがヒルダの言い分。実に分かりやすい。

 

「同感だ。それならば相手を討つことへの憂いもない、我が聖剣は鈍らず、緩まず、堕ちることなくお前を斬る!」

 

「そういうの素で言うところが夾竹桃と似てるよ。キンジ、アリア、両太もも、右胸の下、それと臍の下が魔臓の場所だ。目玉模様は腿と腹に集中してる。あたしの過去の清算に、まだ力を貸してもいいって言うなら、最後まで付き合え」

 

「やってやるわよ。キリの代わりにあたしが言ってやるわ、独立記念日おめでとうってね?」

 

 アリアが遠山の分まで遠回しに肯定を返す。ワルサー、ガバメント、ベレッタ、合わせて吐き出せる弾は5つ。全員、残弾に余裕はないだろうが魔臓の数自体には足りている。

 

「キンジ、ベレッタの残弾はあるだろ?」

 

「ギリギリ」

 

「アリアは右胸と下腹部、キンジも保険だ。そっちに回れ。その魔改造には三点バーストもあるしな」

 

「たまに機嫌が悪くなるけどね、分かった。理子の期待に答えるとしよう。俺のことも気遣ってくれたみたいだからね?」

 

「……どうだかな、あたしはきまぐれだ。ジャンヌ、こっちの目処は立った」

 

 そう言うと、理子はアリアの左に。遠山とは反対側からアリアを挟むように立った。

 

「足止めは引き受ける、一度で決めろ」

 

 一度だけ理子と瞳を見合わせ、私は仕掛けた。叩きつける雨に不快感を感じながら目をあけ、残った力をデュランダルに注いでやる。ここまで来れば使えるカードをテーブルに投げつけるだけ。

 

「銀氷となって、散れ」

 

 デュランダルに蓄えた青白い光がコンクリートの足場を辿ってヒルダへ伸びる。光が通った足場は凍結し、ヒルダは回避に転じるしかない。が、回避に転じている隙に投げたヤタガンが、今度こそヒルダの影を射た。ラピュセルの枷──動きを封じるのはこれでお互い様だな。

 

 足場を縫い付けられ、棒立ちとなったヒルダと視線が合う。だが、既に遅い。不死の肉体も動くことの許されない的でしかない。同時に背後から銃声、計三人の放った弾は魔臓の場所を示した目玉模様を外すことなく貫いた。

 

「……ッ……」

 

 その体に魔臓の数を上回る着弾を受けたヒルダは、天を仰ぐように右手を伸ばし……膝をつき……やがて前のめりになっていく。それはとうとう俯せになり、雨に打たれながら衣服を失っている四肢を投げ出した。

 

「……終わったの?」

 

 最初に声を出したのはアリアだった。雨に打たれながらカメリアの目は訝しげに倒れた体を見つめている。疑問を抱くのも無理はない。それほどに静かで呆気のない幕引きだが……魔臓を撃たれたことでブラドも倒れた。ヒルダが例外とはとても──

 

「……、……、」

 

「ジャンヌ、下がってッ……!」

 

 理子の叫びに私は気付いたときには背後へ飛んでいた。沈黙していたと見定めていたヒルダから声がする。ルーマニア語、それには些細だが覚えがある。ランドマークタワーで魔臓を失い、日光にもがいていたブラドが唱えていた言葉に、限りなく近い。理由は分からない、理由は分からないが嫌な予感がする。脳が警笛を鳴らしてやまない、まだ終わっていないぞ……理子ッ!

 

「Fii Bucuros……努力だけは認めてあげるわ」

 

 刹那、荒れるばかりだった夜空で稲光が光った。激しい落雷は視界を焼くような光を撒き、雷が苦手なアリアはおろか、私も顔を両手で覆っていた。ヒルダが呟いたのはブラドが好んで使っていたルーマニア語だ。何の意味もなく使われる言葉でないのは明白だった。視界が晴れるまで頭には疑問が縦横無尽に行き交う。そして次に視界が晴れたとき、そこには──悪魔が立っていた。

 

「……そんな、嘘だろ……ッ」

 

 スケール感が狂ってる。そうとしか言いようがなかった。声を上げたのは理子だけだがその言葉はこの場にいる全員が吐きたい言葉に違いない。青白く、激しい電流を纏いながら、悪魔となったヒルダは心地よさそうに立っていた。その禍々しい姿は吸血鬼はおろか生き物とすら例えるには足りない……魔臓が、貫かれた魔臓の傷も塞がっているのか……自分では行使できないはずの電流もさっきとは比べ物にならないぞ……ッ!

 

「お父様はパトラに呪われ、この姿になる機会もない間にお前たちに倒された。光栄に思いなさい、冥土の土産にはこれ以上ないでしょう?」

 

 ヒルダの発言、それは彼方の記憶に一致する。ブラドはパトラに呪われたことで全力を出せなかった。私たちに見せたのは獣人に言われている第2態、ではヒルダのこの姿が──

 

「──生まれて三度目だわ。第3態になるのは。それがハンターでも獣人でもない相手なのだから、分からないものねぇ。あら、理子。いつもの軽口はないのかしら?」

 

 平然とした態度でヒルダは首を傾げる。波打つように揺れる髪ですら触れるだけで黒こげになる。

 

「……おかしいとは思ったよ。お前はバッテリーの場所を目で追いかけるくせに、魔臓が集中してる腿と腹への意識は最初から散漫だった。キンジ、お前も疑ってたんだろ?」

 

「それなりに……かな。無防備に魔臓の場所を晒したままの態度にしては違和感はあった。だとしても他に取れる選択肢はなかった。同じことだよ。どうやら魔臓の場所は別にあるみたいだ」

 

「ええ、そのとおり。私は生まれつき、見え難い場所に魔臓があるわけではなかった。その上、この忌々しい目玉模様を付けられてしまったの。だからーー外科手術で、変えちゃったのよ。さあ、理子?さっきみたいに私の魔臓がどこにあるか推理してみてご覧なさい?」

 

「……歪んでるわね。理子、ヒルダは自分の仕草や視線でバレないように敢えて場所を聞いてない可能性があるわ。いいえ、きっとそうよ」

 

「私もアリアに同感だ。だが、あれは今度こそ運動神経が痺れる程度では済まないぞ……」

 

 今はまだ距離が開いているが、近接戦闘になれば触れるだけで私たちは致命傷を負う。しかし、飛び道具で魔臓を探すにも手掛かりがない。どこにあるかも分からない魔臓をヒントもなしに四ヶ所同時に貫くのは……

 

「そうよ、ジャンヌ。私の魔臓を見つけるのは不可能。この第3態は、耐電能力と無限回復力を以て為す、竜悴公一族の奇跡。汚らわしい銀もこの姿の前では何の意味も持たない」

 

 私の心を見透かしたようにヒルダが視線を絡めてくる。短時間の超能力の連打、ここまで長引くと私にも余裕がない……まして肢体をまとめて凍結させるだけの力には到底足りない。振るわれる三叉槍は一振りで半壊していた棺を木っ端微塵に変えた。ただの吸血鬼のできる芸当ではないな……第3態になったことで腕力まで跳ね上がったか。

 

「私を第3態に追いやったことは誉めてあげる。でもここまで終幕よ。第3態の前で、お前たちにできることはもうない。理子、散弾銃を奪われていなければまだ勝ち目はあったかもしれないわねぇ?もしもの話をしたところで何の意味もないけど、今はとても気分が良いから口が回って仕方ないわ」

 

 勝ちを疑わない口ぶり。だが、宣言するだけの圧倒的な力を私たちは見せつけられている。一歩、ヒルダが足を踏みしめるだけで背中に戦慄が走りそうになる。触れるだけで致命傷なのだ。私が赤い瞳を睨み付けたとき、かつんと理子が一歩前に歩みでていた。

 

「そう、あれでお前の魔臓を攻略するつもりだった。お前が対策のひとつやふたつ、保険をかけてるのは予想がついたよ。だから、お前が切札を使うときを待ってたんだよ。お前は大切なことを忘れてる」

 

「フッ、いいわ。消化不良もつまらないから、最後まで聞いてあげる。私が何を忘れていると?」

 

「散弾銃は体のどこかに隠されてるお前の魔臓全部を貫く必要があった。でもそもそもこの世界にたった一つだけ、魔臓も関係なしにお前たちを殺せる銃がある。散弾銃は切札じゃない、お前の手札を晒すためのーー要するに餌だったんだよ」

 

 ホールドオープンしたワルサーが両手から離される。

 

「その銃に殺せないものは5つだけ。新鋳された銀の弾を併用することであらゆる存在を殺すことが出来るアラモの戦いの時代に造られた遺物」

 

 耳を傾けていたヒルダが足を止めた。赤い瞳が、今夜一番の警戒の色を見せる。その変化にアリアと遠山は眉をひそめた。いや、まさか……そんな……

 

「あの夜、夾竹桃にあいつを襲わせたのもハイジャックに巻き込んだのも全部このときのため。一発あればそれで良かった。ダニエル・エルキンスから何人もの手を渡り歩いて、あたしがずっと求めていた物がここにいる。光栄に思えよヒルダ、冥土の土産にはこの上ないだろ?」

 

 小首を傾げながら、自由になった手で理子はそれを抜いた。時代錯誤のアンティークのリボルバー拳銃。この世でもっとも恐ろしい拳銃を。

 

「あんた、そんなのでヒルダを……」

 

 言いかけてアリアは言葉を止めた。ヒルダの表情には微かに焦りの色が差していたのだから。

 

「……理子、俺は初めて聞いた話だがそのコルトは」

 

「ごめんね、キーくん。これは本当の話。武偵法を守れっていうんなら……ヒルダ次第だよ」

 

 コルトを構えたまま、理子の視線がヒルダを刺す。

 

「ハッタリよ、その銃はとうに失われている。仮に残されていたとしても新鋳された弾がなければそんなものガラクタでしかないわ」

 

「あたしが誰からこの銃を手に入れたと思う?アメリカ最強のハンター一派だぞ?長い間、コルトの所有権はあの兄弟にあった。キリが弾の作り方も見つけられないような能天気な男と思うか?」

 

 ついで「あたしは思わないけどな」と、理子はわざとらしく撃鉄を起こす。人には与えられた手札の数だけ可能性がある、これが本当の意味で理子の切札。アルファを葬り去った最強の拳銃。

 

「エルキンスが専門に狩っていたのは吸血鬼だった。どこまでも吸血鬼と縁のある銃だよ。この銃も一時はお前のお仲間の手に落ちた、でも巡り巡ってキリがあたしに残してくれた。ブラドは無理だったけど、せめてお前との戦いには……間に合うようにってな」

 

 魔臓の場所を隠蔽し、耐電能力と無限回復力を手に入れたヒルダがたった一挺の銃に肉薄される。

 

「お前がコルトに殺せない5つのうちの1つならあたしの負けだ、好きに殺せ。ちなみにあたしが聞いた話だとそのうちの1つは──正真正銘モノホンのルシファー(魔王)だ」

 

 お前は魔王と同列になれるか、そんな理子の問いかけにヒルダは短く喉を鳴らし、笑った。

 

「この私に脅しをかけようなんて──お前はずる賢いわね?」

 

 無言で目を細める理子に、墓石に背を預けながら悪魔にコルトを向けるハンターの姿を──私は幻視するのだった。

 

 

 

 

 

 




残り数話、スカイツリー戦になります。


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最後に来るもの

 青白い稲妻を三叉槍に走らせながら、ヒルダは動かない。聞こえるのは空から絶えず降ってくる雨音だけ。理子が叩きつけた最後のカードがテーブルに膠着の状態を作り上げた。その光景にアリアが閉ざしていた口を開く。

 

「……ねぇ、そんなに危険な銃なの? あのコルト」

 

「かつて、コルトの創始者は自身が敷いた鉄道で巨大な魔除けを作り上げた。それと同時に生まれたのがあらゆる者を葬ることのできるコルト。長らくそれは迷信として語られていた、親が子供に野菜を食べさせるためのおっかないお伽噺話、とな」

 

 だが、事実は違う。コルトが存在することはヒルダも内心では疑っていないはず。魔臓の存在を無視して自分を殺すことのできる数少ない武器、天敵とも言える武器のことを慎重な彼女が調べていないわけはない。疑っているのは理子が構えるコルトが、本当にあらゆる物を殺せるコルトであるかどうか。それを確かめるには弾を受ける以外に確認する術はないが本物だった場合はそのまま幕引き。真偽を確認する意味はなくなる。

 

 理子のかけた脅しには、無限回復力に物を言わせた受け身の姿勢が取れない。キリは悪魔によってコルトは破壊されたと言っていたが密かに持ち出し、修復していたなんてことは十分にあり得る話だ。現に持ち逃げしたミカエルの槍を弄り回して修復した前科がある。あれは例えるならオカルトグッズの専門の装備科、コルトを使える状態に戻した可能性は決して低くない。

 

「状況は読めないけど、キリがまたぶっそうな物を残していったってこと?」

 

「砕いて言えばな。お伽噺に出てくるような武器だがそもそもあの男の日常がお伽噺のようなものだ。ヒルダはその内情を知っているからこそ躊躇った。何をしでかすか分からない男だからな」

 

「それは言えてる、同意するわ」

 

 それでも理子はあくまで脅しとして、武偵法を破らない方向でまずは動いている。そこはアリアと遠山への配慮か。私たちに取れる手段はない、テーブルに着いているのは理子とヒルダだけ。私たちは駆け引きの行く末を眺めるしかできない。酷い空気だ、緊張で胃が縮み上がりそうになる。もしこの場で狼狽する者がいても誰も文句は言わないだろう。

 

 ヒルダが仕掛けるか、それとも矛を納めるか。選択肢は二つに一つ。それを強いるのが理子の仕掛けた脅し。だからこそ──第三者の乱入など誰も予想にしていなかった。

 

「──日本語ってのは慣れないねぇ。会話が通らないのは面倒だが、もっとスムーズにいきたいもんだ。時は金なり」

 

 ズズ、と何かを引きずるような音がして闇の中から見知らぬ声が割り込む。覚えのない声、それはヒルダを含めたこの場にいる全員に共通していた。

 

「……お前」

 

 嫌悪を込めてヒルダが睨んだのは、肌を大胆に露出させた略鎧とマントを纏い、ヒールのブーツ、手には深紅のマニキュアを染める浮世離れした──女。首には宝石がの輝く装飾的な十字架を見せつけ、ヒルダに負けず劣らずの強烈な印象を頭に焼き付ける。

 

 何より印象的なのは、頭の両側面に見えている枝分かれしつつ後ろへ伸びたツノだろう。先端には針のような毛の広がる長い尾もある。魔女としての気配と獣人の気配がぐちゃぐちゃに混ざったような不可解な気配。それは私や白雪よりもヒルダのものに近い。背にしているヤマハ・YZ1フェザー……大型のスポーツバイクも魔法でここまで運んだのだろう。

 

「挨拶いるか?」

 

「いるに決まってるだろ、誰だよお前は。あたしは呼んだ覚えはない」

 

「ただの商人。目当ては金、それだけよ。希少な吸血鬼がいるって話は前々から耳にしてたから値が崩れる前に手をつけておこうと思ってね。魔臓を持った吸血鬼は希少種、めったに出ない激レアとありゃ──」

 

 激しい落雷が三叉槍に落ち、女の言葉を掻き消した。これまで以上の重苦しい殺気が第2展望台を満たしていた。

 

「竜の魔女ラスプチーナ。獣人、化生の売買を生業にする醜い魔女。おそまつな思考回路はいつまで経っても変わらないわね?」

 

 ──ラスプチーナ。乱入者の存在を一人だけ周知していたヒルダが吐き捨てる。私の記憶にはない名前、ヒルダの態度から見ると眷属の魔女とも思いづらい。この女の姿見た目は魔女連隊とはまるで違う。理子はコルトの銃口をヒルダから逸らさずに、ここでようやく会話に口を挟んだ。

 

「その竜の魔女があたし達に何の用だ? ネトゲのイベント会場と間違えてるようだから一度だけ言ってやる。こいつはあたしと取り込み中だ、くだらない用なら帰れ」

 

「──実物を見るのは初めてだが、お前がリュパン4世でそっちが銀氷の魔女かい。イ・ウーの元生徒に道徳語られるとはお笑いだね。極東戦役で敵対してんだろ、賢く立ち回れよ。あたしはお前たちと戦う理由は今のところはないんだからよ」

 

 ……どうやら彼女は眷属とは無関係、極東戦役に絡むつもりはなく、アンダーグラウンドで商売をしたいだけらしく……どこかの組織の回し者、というよりはヒルダと同じ個人で動いている一匹狼らしいな。会話の内容を聞くに穏やかな相手ではなさそうだが。

 

「要するにそっち専門の人身売買が仕事ってことか?」

 

「ああ、そのとおりさ。もっともあたしが売るのは、どこにでもいる安物の女じゃないよ。そこは勘違いしないでもらいたいね、遠山キンジ」

 

「あまり、こっちの界隈で有名になりたいとは思わないんだけどな」

 

 嘆くような仕草を見せるがそれは叶わない話だ。既に『S・D・Aランク』と呼ばれるアジアの超人ランクにも遠山は100位以内に名前を乗せている。これは非公式なデータだが一部の機関は遠山をとっくに危険人物としてマーク済みだろう。

 

 嘆いた遠山についで、アリアも当然のようにラスプチーナに敵意を向ける。が、敵意と殺意を一番募らせたのが誰であるかは言うまでもない、突然の乱入者に標的として扱われたヒルダ。怒りを代弁するように身に纏った電流が暗闇に迸る。

 

「竜の魔女、神出鬼没は相変わらずね。やられたわ、ルーマニアでは好きにさせてやった。なぜって、私とお父様に害があるわけではないからね。けど今夜は……話が違う。私の復讐、最高の場面でお前は水を差した。やり過ぎたわね、今すぐ、私の前で、頭を垂れなさい……!」

 

 一転、ヒルダの敵意は槍の矛先と共にラスプチーナに変わった。

 

「そいつは折り込み済みさ。最初から全力を晒してくれてる方が話は早い、感謝するぜお前ら。時は金なり。あたしは生まれてから、可能な限り時間をムダにせず金を稼いできた。商品を傷つけるのは御法度だが、相手が吸血鬼で再生するなら問題ない、ちぃと荒くやるだけさ」

 

 そしてラスプチーナの視線はコルトを構える理子に向いた。

 

「峰理子、あの泥棒の子孫のあんたなら分かるだろ? 今の世の中、誰もが人生を1日幾らで切り売りしてるだろ? 人は金の奴隷で、人生は金で売り買いされてるモノなんだよ」

 

「……人はみんな金の為に魂を売る娼婦。それは否定しないよ。でもお前の言葉は気に入らない。そして何より──よくも4世と呼んでくれたな、あたしがそれを見逃すほど甘く優しい人格をしていると思ったか?」

 

 求められた同意に理子は後ろ足で砂をかける。ヒルダは微かに眉をひそめ、遠山とアリアは何も言わず、しかし黙って協力するという空気ではなくなった。ヒルダとラスプチーナの相打ちを誘う選択肢がないわけではないし、むしろ賢いやり方はそっちだろう。

 

「そもそも人身売買の手助けも見過ごすのもできるわけないでしょ。吸血鬼だから、えっと……吸血鬼売買? まあ、どっちでもいいわ!」

 

 それでも自己完結したアリアが最後の決定を下す。私と遠山からの言葉はない。沈黙は肯定、向いている方向は全員が同じだ。

 

「ラスプチーナ、あんたはまだ罪を犯してない。今ならあたしも引き金を引かずに済むし、あんたも傷を負わずに帰れる。これは警告よ、賢い方を選びなさい」

 

 向けられた漆黒と白銀のガバメントを魔女は一瞥し、

 

「そうかい、こっちから仕掛けなきゃ闘りにくいよなァ。御膳立てしてやるぜ!傷害でもなんでも言い訳しなッ!」

 

 決裂、同時にラスプーチナが、揃えた右手の人差し指と中指を額・胸・右肩・左肩の順に動かした。それはロシア正教会古儀式派の十字の画き方。彼女も私たちとの和平は見限ったらしい。

 

「──罪深き者たちに、慈悲深き死を──」

 

 それが開戦の合図だった。背後に隠し持っていた革装丁の辞書をラスプチーナは手早く展開、即座に見知らぬ言語が読み上げられる。対超能力者戦の経験が豊富なアリアが真っ先に反応するが、ラスプチーナが伸ばした人差し指と中指が向けられているのは他ならぬアリア自身。

 

「……!?」

 

 指と指の間から稲妻が走り、ガバメントの引き金を引く隙も与えられず、アリアは意識を落とされた。

 

「アリア!」

 

 倒れたアリアに代わって短い悲鳴を遠山が上げ、ベレッタが火花を散らした。平賀文によって魔改造と呼ばれるまでの恩恵を受けた自動式拳銃の三点バースト。

 

「──!」

 

 放たれた9mmパラベラムはラスプチーナと遠山を結ぶ斜線上の途中であろうことか停止した。同時に何もないはずの虚空で甲高い音が混じる。今のは何かの鳴き声──?

 

「下賤な女、何を招いた──ッ!」

 

「眠ってた連中を起こしてやったのさ。宣言通り、ちぃと荒くしてやるぜ?」

 

 唇の両端を歪め、ラスプチーナは片手で本を支えると指を鳴らす。それとは別に鈍重な音が雨に濡れた展望台を揺らし、次の瞬間、ヒルダの腕が暗闇から消えた。

 

「……うッ……!?」

 

 真紅の目を見開き、ヒルダはしがみついた何かを振り払うように腕を振り回した。第三態の並外れた膂力ですら簡単には振り払えず、ようやく消えた腕が戻ったときには重く、大きい転倒の音が鳴った。やはり、何かがここに潜んでいる。見えない何か──冗談じゃない。

 

「遠山……ッ! これは音に寄ってくる! 撃つのはよしなさいッ!」

 

 全身から電流を放電させながら、ヒルダは踏み込みと同時に三叉槍を突き出した。甲高い鳴き声が槍の手応えを教えてくれるが、槍を振るったヒルダの周囲に突如、横向きの赤い線のようなものが浮かび上がった。それはまるで巨大な口、私に次いで遠山と理子の瞳も眼前の光景を凝視する。

 

「止まるなヒルダ、囲まれてる……!」

 

 意外にも声を上げたのは遠山だった。刹那、口のように見えた赤い線が大きく割れ、本当の口と化した。何もなかった虚空にはナイフのような大きさの牙が無数に並び、ヒルダの右腕を、次いで左肩を飲み込むように赤い線が閉じられた。悪夢のような肉の租借音とヒルダの絶叫が同時に聞こえてくる。

 

「四肢を喰らっても生えてくんなら問題ねぇだろ」

 

 ラスプチーナの視線はヒルダに吸い寄せられている。雨に濡れた床を蹴り、私はその声の元に駆けた。ヒルダの腕に食いついたのはラスプチーナが呼び出した使い魔、パトラで言うところのスカラベやゴレムの一種。その皮膚はベレッタの弾すら通せない硬質、そして何らかの手段で姿を消しているのだろう。悪天候も関係なしに姿の消せる化物をこの女は使役している。

 

 既にヤタガンのストックは使い切った。音によってくるというのなら、無音で殺傷圏内に。見えない何かを抜きにして、白兵戦にて仕留める。

 

「そいつが噂の聖剣デュランダルかい。お前の剣で" 呪われしもの "が手に入らなかった穴埋めをしたいところだがリスク管理も大事なんでね」

 

 同時にフェザーの後輪の下で空気が破裂、前輪でコンクリートの床を突いたラスプチーナが車上で身を捻る。さっきの稲妻とは違った空気に触れる魔術、前輪だけで立たせたフェザーの後輪が振り払ったデュンダルとぶつかった。

 

 金属部品が剥き出しになっている車体側面の下部が鈍器として振るわれ、前輪と後輪を巧みに操った動きでデュランダルが何度も捌かれる。まるでマウンテンバイクの曲芸だが、そのカラクリは簡単に割れた。車体から散っている不可思議な光の鱗粉、フェザーの重量を魔術で弄ったな……

 

 が、能力を行使する前に本を捲る動作が挟まれているのは偶然ではないだろう。傍らで大切に抱えている本は呪われしものの本と同様に魔術を行使する際の補助道具で間違いない。──呪われしもの、あれは呪いのかけ方と解き方に重きを置いていると聞くが、ラスプチーナの行使する技を見るに抱えられた本は特定に術に縛られてはいないようだ。厄介極まる。

 

「ハラァァァァァショー!」

 

 ロシア訛りのひどく訛った英語で極端傾けた車体は、前輪を支点にしたコンパスのように振り回された。もはや真紅のバイクは乗り物の枠を飛び越えた鈍器、手足のように操られたフェザーに凪ぎ払われる前に背後へ距離を取る。追撃に放った氷柱の刃も既に赤いページを開いていたラスプチーナは口から吐きだした炎で簡単に迎撃してしまった。

 

「連戦であたしをやれると、思ったかァ!」

 

 斜め前方に赤い線が見え、咄嗟に背筋が凍る。足音は聞こえてな──

 

「……そこかッ!」

 

 刹那、眼前に遠山が飛び出し、激しい炸裂音が鳴った。虚空に開いていたはずの口が視界から消える。が、次の瞬間には鈍い音と共に遠山の体が濡れた床を跳ねた。器用に受け身を取った遠山から苦心の声が上がり、注意を引いてくれたその隙に私もその場を離れる。

 

「遠山、礼を言う」

 

「今のでもダメか。硬いな」

 

「けっ、おとなしく食わせてやれよ遠山キンジ。コイツら腹ァ空かしてッからよ!」

 

 遠目に入ったラスプチーナは、一瞬だけ遠山を凝視して目を伏せた。短い攻防でも遠山がさっき見せた打撃が普通の枠を飛び越えているのは明らかだった。音の響く銃を封じることは、遠山にとって大した足枷にはならないことをあちらも気付いたのだろう。本当に恐ろしいのは、その人間離れした遠山の打撃を受けても活動を止めない使い魔たちだが……

 

「あれが視覚ではなく聴覚を頼りに動いているのは間違いないな。逆に言えば」

 

「ああ、逆手に取れる。でもアリアの復帰は難しい、理子も無防備なアリアの側から離れられない状況だ。 ヒルダが矛先を俺たちから変えてくれただけでもツイてるけどな」

 

「彼女は彼女なりに譲れない境界がある。価値観に相違はあるがあれはあれで誇り高いのだ」

 

「もっとマシな出会いをしたかったよ」

 

 背後から落雷が光り、肩越しにセルリアン・ブルーに染まる槍を振るうヒルダが見えた。第一態のときとは明らかに違った高圧電流が槍を走り、甲高い悲鳴がまたしても展望台に唸る。一人で相手にできるのは流石は第3態と言うべきだが、敵の姿が見えないだけにどれだけの数を率いているのかも分からない。

 

「しつこいと言うのに……無礼者……!」

 

 帯電した体を関係なしに噛みきられ、瞬時に煙が上がると傷が塞がることの繰り返し。しかし、声に微かな焦りが感じられるのは他の危惧すべき要因が近くまで来ているからだろう。

 

「明けない夜はない、だっけか? いい言葉だよな、あたしも好きになりそうだぜ。山のような大金だ、あたしの未来も明るく照らしてくれるだろうさ」

 

 ……見抜かれてるな。ヒルダは鉈に首を跳ねられても死なない一方、一般に浸透している吸血鬼のイメージと同じで日光が弱点として機能する。紫外線の環境下で第3態を維持することは、おそらく無理だ。

 

「──アンゲルスキ・クルク!」

 

 見えない何かに守られているラスプチーナは本を経由して魔法も使い放題。ピラミッドの下でパトラが無限の魔力を行使するように、あの本が有無はラスプチーナの力に大きく関わるのは間違いないな。問題は依存している書物をどうやって焼き払うか。

 

 新たに行使されたのはコンクリートの床から炎が吹き上がる仕掛け。サークルを描くようにヒルダを含めた私たちは炎の壁のなかに閉じ込められた。最悪だ……よりによって炎のサークルに……二度目だぞ……っ!

 

「あたしからのプレゼントだ。売り物にならねえ連中はそのまま焼却されちまいな。あたしは色金なんて面倒なもん抱える気はないんでな」

 

「アリア!」

 

「うっさい、キンジ。アリアはあたしがなんとかする! よそ見するな、叫びに反応するぞ!」

 

 アリアを抱えた理子がすぐに立っていた場所を離れ、遠山も私と合流するように位置を変える。巨大な炎は高々と生じ、激しい輻射熱が叩きつけられる。聖油のサークルはせいぜい腰元までだがこの炎のリングは身の丈を越えている。逃げ場がーーないぞ。

 

「アンゲルスキ・クルクは少ぉ~しずつ、少ぉ~しずつ、内側に迫ってくるんだぜェ?逃げ道はねえよ、食われるのと焼却されるのどちらか選びな」

 

 ……どちらも断るに決まっているだろう。私たちが動ける領域は徐々に狭まり、それは見えない使い魔たちから逃げる領域がなくなっていくのと同意義。腹を空かせた彼等の餌場に自分から近づいていくようなものだ。炎が狭まる前に私と遠山は一瞬だけ視線を交わし、ラスプチーナ本体目掛けて左右から迫る。

 

「ジャンヌ、とどめは頼む」

 

 右方から迫っていた遠山の手にはベレッタ。銃声を餌に誘き寄せる気か──?

 

「遠山、涙ぐましい連携だがやめときな。とっくにお前の近くにいてるぜ?」

 

 気配も何もない噛みつきを避けたのは偉業としか言いようがない。これが遠山でなければ千切れた腕が間違いなく転がっていた。その回避した遠山の体も不意に浮き上がり、不自然に吹き荒れた烈風と共に後方まで吹き飛ばされた。今度は緑のページ……白雪、ヒルダの他にセーラの魔法まで行使できるのか……

 

「詰んでるぜ、銀氷の魔女。あたしにはコルトのブラフも通じねェ。諦めな、ここいらが潮時ってやつさ」

 

 刃が腕に届く寸前、些細な期待も台無しにするように視界が炎で埋められる。熱風ーーそれ以外に当て嵌まる言葉はない。コンクリートの床に背中から体を叩きつけ、肺の空気が一気に溢れる。デュランダルが、ない……手放したか……

 

「理子……逃げろ……」

 

「無理だろ、アンゲルスキ・クルクは厚さもしっかり考えてある。雨で消えたりしないし、逃げる場所はどこにもない。あたしと相性の悪いお前だけじゃない、この場にいる全員に逃げ場なんてねえんだよ。あたしは用意周到な女だからなァ?」

 

 刹那、仰いだままの雨空で遠山の小さな悲鳴が飛んでくる。

 

「遠山ァ、人間にしてはよくやったよ。次に生まれかわったら、今度は賢く生きな?」

 

 軋むような体で濡れた床に手を突くと、見渡せたのは間近に迫る炎の壁と荒い喘鳴で膝を突いている遠山。ラスプチーナと睨み合ったヒルダの体に見えるアクリルブルーの電流は、最初に見たときよりも勢いがない。体の傷も至るところが煙を上げたままで、回復の速度は明らかに落ちている。

 

「人間は等しく愚かだと言うのに、お笑いだわ。お前はそれ以上に愚かだけどね」

 

「あたしたちは長くても百年しか生きられない。生きてるうちに大金を掴み、ハデに楽しんだヤツこそが勝者だよ。お前も異論は無いだろ?」

 

 ラスプチーナがそう語りかけるのは、迫る炎の壁からアリアを抱えて立ち回っていた理子だ。そのコルトが未だに火花を散らさないところから見ると、ラスプチーナの読みは……当たっている。理子がテーブルに投げたカードはブラフ。あのコルトはヒルダを出し抜く前提で用意された中身をでっち上げて外見だけを見繕った偽物だ。末恐ろしいことだがそれなら合点がいく。

 

 あのコルトに使われる弾丸は他ならぬ制作者によって造られた特殊な銀弾、それを理子は法化銀弾で代用してヒルダの鼻を欺いたのだろう。同じ銀弾、ヒルダが嫌悪するという意味では両方に違いはない。そして見事にでっち上げたコルトで理子はヒルダとの駆け引きに持ち込んだ。かつてのコルトの所有者だったウィンチェスターの存在も利用し、悪魔のような度胸で吸血鬼を威圧した。

 

 だが、不運にも予期していなかったラスプチーナの目と鼻は欺けなかったのだ。既に竜の魔女の瞳は自分の見立てに迷いを持っているような気配はない、揺さぶっても無駄だ。一度見せたコルトの脅し、駆け引きには持ち込めない。立ち止まった理子がフェザーを操っている魔女を睨むように視線を結ぶ。

 

「ラスプチーナって言ったな。あたしは永遠に続く地獄なら抗おう。この身を五分刻みで裂かれる苦痛にも戦ってやる。でもね、もし金と欲しかない世界が永遠に続くとしたらきっと悲鳴を上げて自分が自分じゃなくなる」

 

「ロマンチストを語るのはやめな。お前も本質はリアリスト、あたしと同類だろ?」

 

「違うな、あたしは一族の名前を汚してまで盗みはしない。略奪も同じだ。どんなに憎かろうと他人の五体を売っての金儲けなんて一度としてやるかよ!」

 

 アリアを抱えながら理子はかぶりを振る。

 

「そうかい、それなら──食われて死ぬ前に、神にお祈りしときな。懺悔をしときゃ、死後の世界での扱いが少しは良くなるかもしれないぜ?」

 

 見渡せる限りに広がっていた炎の壁も目に見えて狭くなり、徘徊する重たい足音がより近くで鮮明に聞こえてくる。

 

「神は瓶でアリを飼ってるガキだ、なにも考えちゃいない。窓のすぐ外に神がいたら苦労しないよ、本当はとっくに人間を見放してる」

 

 理子は吐き捨てる。そうだ、神はいない。だからこそ、私の祈りにやってくるとしたら、それはもっと別の者だろう。祈りを聞いてやってくる者がいるなら、それは神でないもっと別の──

 

「ダメで元々だろ、リュパン4世?」

 

「何度も言わせるな、あたしは──」

 

『理子!あたしは理子だ──! いいよ、理子と呼んで──! あたしは理子、よろしく──!』

 

 それは突然のことだった。耳鳴りがしそうなノイズ混じりの拡声器の声が重たかった空気を台無しにした。間伸びした声に反応し、徘徊していた使い魔たちの足音が一斉にざわめく。理解できない困惑の事態は続き、次の瞬間には見渡す限りの燃え盛る炎の絶壁……ラスプチーナを倒す以外に脱出不可能と思われた灼熱の壁が、一瞬にして姿を消した。

 

「……えっ?」

 

 これまでの前のめりな性格にはそぐわない驚きの声が竜の魔女から上がる。拡声器での不意の雑音よりも大きな驚愕の反応。再び、広がった第二展望台の景色で唯一変わっていたのは、

 

「チェックインだ」

 

 ウィンチェスターの末子が拡声器片手に腕を組んでいたことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「──キリ?」

 

 深く息を飲み、理子が真っ先に名を呼んだ。防弾制服の男はゆっくり両手を広げる。

 

「帰ったよ、ベイビー?」

 

 陽気に笑みを作り、理子と視線を絡める。皮肉屋の彼にしては珍しい明るい笑顔で。

 

 本当に、本当に帰ったのか? あの世界から自力で……?

 

「……ウィンチェスターか。なにしやがった……!」

 

 まだにわかに信じられない状況、終末からの帰宅が信じられない私をよそに、強い憤怒の声でキリは理子から視線を外した。首だけが声のした方向を向き、必然的にラスプチーナと視線が結ばれる。

 

「やあ、ラスプチーナ。会えて良かったよ?」

 

「質問に答えてねェ! あたしのアンゲルスキ・クルクをどうやって弄りやがった……!」

 

「わぉ、活かした名前。今度参考にしてみよう。あー、なんだっけ? アンゲル……そう、炎のリングだ。通販で売ってるまじないだから大助かり。宣伝ほどの効果はないよなぁ?」

 

 身ぶり手振りを混ぜ、うっすらとした笑みで最後には小首が傾げられる。ラスプチーナの表情が驚きに変わり、はっきりと目が丸められた。涼しく語れるほど簡単に解ける程度の強度ではないということか……

 

「まあ、落ち着け。戦いに来たわけじゃない。ルームメイトを助けに来た、元気だったか親友?」

 

「あ、あぁ……」

 

「おいおい、よそよそしくするな。苦労して悪趣味なテーマパークを抜け出してきたのはこの世界を救うためだ。お前とジャンヌは神に祈っただろう? だから来てやった。逃げ出した神に変わってな」

 

 へらへらとした緊張感のない笑み、芝居がかった口調でキリは続ける。やや困惑していた遠山、そして理子に忙しく視線のやり場を変えながら、最後にはラスプチーナに向けてうっすらと笑う。

 

「おー神よ、私たちをお助けください──なんてな。神はいない、とっくに逃げ出してるよ。懺悔なんてするだけ無駄だ、いくら聖書がバカ売れのベストセラーになっても神は何もしちゃくれない、我等の父は人でなし」

 

 すっ、とラスプーチナの胸──十字架が人差し指で示される。

 

「端的に神の馬鹿さ加減を説いてやろう。言い訳のスペシャリスト、責任感なんてとっくの昔に沼に沈めてる。ようするにロクでなし」

 

「……人の商売に、水を差しやがってペラペラと……あたしよりよっぽど神に背を向けてる、そこまで言ったら救いがなくても平気だよなァ!」

 

「こわーい、どうしよう……どうか神よ、私を許してーージーザスキャンプのガキみたいなこと言うな、悪いことしたら罰が当たるよぉ……!」

 

 おどけた口調でわざと声色を変え、キリは夜空をわざとらしく指で指した。いつも以上におどけているハンターの姿に、ラスプチーナの額には目に見えて青筋が浮かび上がる。煮え湯を飲まされた相手は眼前でおどけているだけの無神論者、それが許せないとばかりに抱えた本の赤いページが捲られる。

 

「おっと、いい玩具」

 

「写真で見るだけの方が好印象だったぜ……それなら、ちょっとは見えるようにしてやるよォ!」

 

 そう言うと指先に生じさせた光に、ラスプチーナが息を吹きかける。すると粒のような大きさの、しかし目も眩むほど明るい光が、蝶、獅子、最後には巨鳥の形へと変化しながら──フェザーに跨がった姿を隠すように爆発を起こした。そこで初めて暗闇に潜んでいた使い魔たちの姿が露になった。その正体は、色素が薄く、血管が透けて見える白い竜だった。

 

 尾は平たく、やはり目のない頭部はアンバランスに大きく、グロテスクな深海魚を思わせる。視覚が退化、代わり聴覚が発達したのだろう。荒い喘鳴を発している口は真っ赤に開き、見え隠れする牙は発達した肉食獣のそれだ。滑空、飛翔するための翼はなく、代わりに発達した足がけたましく動く度に重たい音を立てる。

 

「神に変わってやってきたなら、お前がそいつらの餓えを満たしてなりな!」

 

 主に声に反応し、両手の指ほどはいる竜たちは頭をキリへ向ける。そして、ぱっくりと口を開ける。

 

「……?」

 

 だが、それだけだった。狩りの合図を出したつもりの彼女は目を丸め、立ち尽くす使い魔を見やる。どういうことだ……動かないのか?

 

「ジャンヌ、どうなってる?」

 

 遠山の問いに私は眉をひそめるしかなかった。まさか、体調を崩したなんてことはないだろう。

 

「──できないよな、ママの許してを得てないだろ?」

 

 そして、またしてもおどけた態度で彼は口を挟む。使い魔が立ち尽くしている要因が誰にあるのかは明らかだった。だが、その瞳はずっと冷ややかに私を、そしてヒルダを過ぎ、最後にラスプチーナに向けられた。深く、嘆くように溜め息を置いてから首が横に振られる。

 

「正直に言って、いつまで経っても魔女というものは理解できない。憐れに思うよ。争いが絶えず、内輪揉めは日常茶飯事、喜んで仲間同士殺し合うだろ?」

 

 濡れた床を無意味に歩きながら、話は続く。

 

「なのに、自分たちが優れた種族だとのたまって聞かない。役にも立たない自尊心ばかりが膨らんでる。だから怪物にも人間にも支配権を奪われるんだ」

 

 不意に足は止まり、その唇の両端は歪む。きっと、私も桃子も、遠山でさえ、見たことのない邪悪な笑みで、彼は笑った。

 

「お前たちは人間より下劣だ。悪魔よりタチが悪い。まあ、お前たちも座れ。飼い主にはもう充分笑わせて貰った、まだ笑える」

 

 そう言うと、キリは人差し指を不意に上から下へ、振り下ろすように振った。竜の頭がドミノ倒しのように次々とコンクリートの床に平伏していく。私は背筋が微かに冷たくなるのを感じた。念力で、頭を無理矢理に下げさせたのか……いや、それ以外にはありえない。ありえないがこんなにもあっさりと……

 

 まるで飼い慣らされた犬。服従を示すような竜の姿には主である彼女は今度こそ驚愕の色を誤魔化さない。劣勢、壁際にいたはずの状況はいつの間にか変貌していた。そこからのラスプチーナの動きは素早かった。竜が使い物にならないなら、素早く指が十字を切り、引き金に見立てた人差し指をキリへと向ける。抱えられた本が捲られているのは赤いページ──

 

「──ッ!?」

 

「あー、ほざいてろ。なんだっけ、全力とやらで殺してみろ」

 

 気の抜けた言葉と旋律が走るのは同時だった。あっち向いてホイ──まるで軽々しい児戯のようにキリが指を振った途端、銃口とされていたラスプチーナの指は第二関節からあらぬ方向を向いていた。まるで不可視の力で捻られたように照準は最初の狙いから大きく外れて斜めを向いている。種も仕掛けもない。捻ったのだ、念力で。

 

「お前……本当に、キリなのか……?」

 

 ……私たちを逃がし、ミカエルの足止めを引き受けた裂け目の先の世界で一体何があったというのか。たった一人で竜の魔女を肉薄する様子にはヒルダすら言葉を失っている。理子も遠山とて同じだ。疑惑を振り撒いている本人は、悲鳴を噛み殺したラスプチーナに悪びれた様子もなく両手を叩く。

 

「まあ聞け。遊びたいのは山々だ、八つ裂きにしてやりたい。お前がやってきた応報を言い訳にして、あちこちねじ曲げてぐちゃぐちゃにしてやりたいが……生憎、武偵にそれは許されてない。ついでに時間も押してる。まあいい、聞いてたな。説得はした、あとになって文句は聞かない」

 

 言い終えると親指を立て、自分の胸を軽く押した。その瞳は透明でもなんでもない、いつもの人間としての瞳の色。なのに、どこか以前にあった人間味が切り取られたように欠如している感じがするのは私の、気のせいなのだろうか。軽口はいつものこと、いつものことなのに拭い切れない違和感が脳裏で警鐘を鳴らす。

 

 覚えのない言語を既に唱えていたラスプチーナの指が、時間を巻き戻すように真っ直ぐ歪みを戻していく。捻れた関節を自力で治癒、彼が優れた魔女であるのは間違いない──間違いないが……

 

「おっと、忘れるところだった。理子、コルトを選んだのは正解だよ。ダゴンの働き振りなんて誰も知らない、実際のコルトがどんな状況にあるかなんて知るわけもない。あー、だが、俺には向けるな。そいつを見ると頭痛がして堪らない」

 

「……てめェ、本当は何者だ。腐った泥沼みたいな匂いがしやがる」

 

「おいおい、酷いな。腐った泥沼って言ったか? アスモデウスみたいなとろい小物にはぴったりの表現だが断じて否定する。当ててみろ、だぁ~れだ?」

 

 このときの私はうっすらと浮かんでいた疑念を消した。笑みを浮かべるその瞳が、真っ赤な血の色で染められているのを確認もしないままーーかぶりを振った。人間は嫌な思い出は葬り去る、そうやって忘れそうとする、完全に。

 

「誰が最後に生きるか、どうなるかは神のみぞ知る。いや、間違えた──神は知らない、どうなろうと気にしない。ジャンヌ、デュランダルを持って返るのは忘れるなよ?」

 

「思い上がりを許すほどあたしを優しくねェぞ」

 

 言葉が契機となり、竜の魔女は新たなページを捲った。ラスプチーナは魔法を行使するための準備、そして再戦の合図を鳴らすようにキリはゆっくりと親指を人差し指に重ねる。怒るわけでもなく、見せるのはうっすらと笑った表情だけ。

 

 ほんの一瞬、全てが暗闇に閉ざされた展望台でその背中にだけ眩い光が差し込んだ。その背後に浮かび上がるのは影のみが広がる不可視の翼、天使にのみ与えられた双翼が大きな影を描き出す。あるはずのない異物の意味に気付いたのは私とヒルダだけだろう。祈りなど、届けるべきではなかった。届けるべきではなかったのだ……ああ、そうか、だから白雪は……

 

「誰が思い上がってるって?」

 

 そして指が鳴った途端、私の視界には地獄が飛び込んできた。下を見ると真っ赤な血液と爬虫類にも思える生き物の皮膚、ぐちゃぐちゃになった肉片がばらまかれていて猛烈な異臭を放っていた。

 

 それは、ついさっきまで頭を垂れていた白い竜だったモノの残骸。命を宿していた物が辺り一面に転がり、返り血を腕に貰ったキリは何食わぬ顔で血に舌を這わせる。おぞましい光景には理子も遠山もその顔色を変え、私は震える喉から言葉をどうにかして押し出す。口元に走らせそうな手を必死に堪え、私はそれを──呼んだ。

 

 

「──ルシファー」

 

 

 

 微笑んだ友人の瞳は、確かな赤色に染められていた。

 

 

 

 

 



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全て遠き明日

「──ルシファー」

 

 その名前は現代では知らない人間の方が少ないと言っても良いほどに周知されている。聖書、宗教然り、彼を題材にした創作はこの世界に溢れかえっている。真っ先に連想されるイメージは堕ちた天使、サタンやベルゼバブに並ぶ地獄を統べる巨頭、悪魔の産みの親など『悪』や『反逆者』としてのイメージが強い。

 

 ミカエルとは双子の兄弟、サタンと同一視されるなど、諸説はあるが明確に言えることは──決して、人に救いをもたらす存在ではないということか。

 

「……ルシファー、だと……?」

 

 状況を飲み込めないラスプチーナはまず疑問の言葉を声に出した。彼女が呼び出し、使役していた獰猛な使い魔たちは既に亡骸となって血と肉を辺り一面に撒き散らしている。たった指を鳴らしただけの一瞬のできごと、開戦の舞台は地獄画図に変わった。今度こそ、目を真っ赤に染めたキリだったものは唇の端を釣り上げる。

 

「やっと解放された。しかし、それなりに寄せては見たがお高く止まってるだけで下界には滅多に降りてこない男の真似をするのは疲れたなぁ。深刻ぶった顔をしていても中身はカスティエルと同じでただの出来損ないだろ、演技派の私にもハードルが高い。正解だよ、ジャンヌ・ダルク。三バカ大将の捜索隊よりもずっと利口だ、満点をやってもいい」

 

「な、なに言ってんだよ、訳が分かんねえぞ……ジャンヌ、説明してくれ。何が一体どうなって──」

 

「キンジ、そう先走るな。まあ聞け、話をしよう」

 

 指を鳴らした途端、遠山の声が消えた。いや、それは正確に違う。瞳を見開き、喉を手でまさぐる遠山の反応は……声を出したくても出せないときの挙動。化け物め……人の体を指を鳴らすだけで弄れるのか……

 

「人間はがっつり情報操作されてる。なあ、教会はルシファーのことはなんて教えてる? たとえば、角が生えてるとか? 悪の権化、人間を堕落させる元凶とか? 傲慢で、天国を追放されたとか?」

 

 悠々とラスプチーナに背を向けて、彼は……いや、大天使は私たちに問う。とても馴染みやすい、人間らしい表情と身ぶり手振りの仕草で、

 

「そういう安いゴシップを広めたのは誰だと思う──キャプテン・ゴッド、神が広めた。何故なら私が疑問を持ったからだ、自分に同意しないものは振り払う。私だけじゃない、自分の姉であろうとも同じことをする」

 

「……悪魔として認知されたのは、父親が原因ってこと? 本当は……望んでなかった、とか?」

 

「良いことを言うじゃないか。マーケティングだ、消費者のニーズを作り出すのと同じ。善と悪は紙一重、スーパーヒーローは悪党がいるから成り立つ」

 

 既に常識を逸脱した状況に、立ち尽くしていた理子がようやく放った問いかけにも笑みと共に返される。指を鳴らすだけで命を刈り取れる、そんなおぞましい相手でありながら彼の声はとても甘く、とても身近な存在として脳が勝手に認識していくのだ。化物を化物として認識できない、いつかキリが言っていた言葉が頭をよぎる。

 

『──救いようのない冷酷な化物、なのに恐ろしく身近で親近感すら湧きそうになる。言葉の一つ一つが離れていた距離感をすぐに埋めてくる、それが……本当に恐ろしい』

 

 それは間違いではなかった。本当に末恐ろしいのは善と悪の境界すら歪められること。おぞましい血色の瞳をして、天使としての側面を象徴する光に照らされた翼は、恐ろしく神々しかった。外側は自分の見慣れたはずの友人、しかし中身は間違いなく……人とは別の代物。

 

「……笑えない冗談だね。ルシファーはこの時代で地獄の……特別な、檻に戻されたって話だ」

 

 前のめりな態度を潜めたラスプチーナが憎らしい声でかぶりを振る。反転し、彼女へ視線を向けたルシファーも面白くもない過去を掘り起こされたと言いたげに額を指で抑える。

 

「ああ、道連れにされた。諦めたほうが良い場面でも向かってくる三馬鹿兄弟のせいで地獄に里帰り。だが、それは過去のこと、私はここにいる」

 

「だが、檻に戻されたはずだ。私は、その器から直にそのことを聞いている。darknessの問題が終結し、確かに檻に返したと──」

 

 ラスプチーナの言葉を補足するように会話に割って入る。道連れにしたはずの檻からdarknessへの抑止力として一度解き放たれたことまでは私も聞いている。しかし、解き放った張本人たちの手でルシファーは元の檻に戻されたはずだ。魔王の恐ろしさを誰よりも味わってきたキリがこの手の話を誇張したり、偽るとはとても思えない。それでも現に、魔王は私の眼前にいる。

 

「信じられないって顔だな?」

 

 煮え切らない私の態度には奴は自ら話を切り出した。

 

「いや、整理がついていないってところか。無理もない、家出したへっぽこハンターには伝わってないこともある。なんで檻で腐ってないのか、面白い話をしようか。要するに復讐に囚われた悪魔が仕返しに失敗したって話だが?」

 

「……そいつが家出したあとに脱獄したってことか」

 

「まぁ、語弊はあるが檻にはいなかった。お前たちがクレオパトラと遊んでいるときには私は檻の外。テレビもないあんな檻に、自分から戻ってやる義理もない。理子、君になら分かるだろう?」

 

 問いかけた理子にそのまま言葉を投げ返す。器と記憶を共有しているのだ、そうでなくとも常識が通用する相手とは思えない。理子の過去を知りながら、手を差し伸べるような態度で同意を求めている。何も言わずにかぶりを振った理子の心境は、私には読めない。

 

「息子を迎えに行ったら、かつてのルームメイトとおっかない顔をしたミカエルと遭遇してーー手を組んだ。悪趣味なテーマパークで二人して干からびる未来を回避したんだ。分かるか?」

 

「……何の利益にもならないことをするとは思えないが」

 

「おぉ、疑ってるんだな。ルシファーは悪者だ、だがバカじゃない。神に逆らって檻を抜け出す知恵があるんだよ、作戦を立てる知恵がな。何もしなければミカエルがお仲間を連れてこぞってこっちにやってくる、話の通じる私と違って堅物で邪悪なミカエルはこっちの話を聞かない、虐殺の始まりだ。そこで新たな驚異を目の前にした私とキリは手を組んだ──前にも一度やってるし」

 

 疑ってかかった私を鼻で笑い、真っ赤な瞳のままかぶりが振られる。器になるのは二度目、その話に狂いはないらしい。大天使の力は強大だ、天界の最終兵器。満足に力を振るうことのできる器は限られる、カインの血族……キャンメルの血は欠けていてもキリはそれなりの優良物件。大天使が全力で力を振るってもくたびれたい肉体というだけで価値がある。

 

 皮肉にも超能力を行使する度に飲み干していた悪魔の血も器としての質を高めることに一役買っている。目の前にいるのは足枷のない、全力を振るうことのできる大天使……控えめに言っても私では手がつけられない。ラスプチーナという眼前にあった驚異が薄れ、もっと厄介な驚異が懐に舞い込んでしまった。敵意が向けられているかは別として、竜の魔女よりも遥かにタチの悪い存在が今は目の前にいる。

 

「……つまり、ジャンヌが言ってた異世界からキリと同化して抜け出してきたってこと? 共通の敵を葬るために……?」

 

「平たく言えばそうだ。共通の敵、すなわちミカエルが軍隊の指揮をとってる。異世界でも平行世界でも好きな名前で呼べ。堅物で真面目なおぼっちゃんが、生まれ変わったら楽園ワールドに行ける、なんてミカエルの戯れ言に乗せられて向こうとこっちを繋ぐ裂け目を開こうとしてる。重ねて言うが現実だ、夢じゃない」

 

 わざわざ視線を振るように、この場にいる全員を見渡してから最後にルシファーは理子に視線を固定した。

 

「お友だちから異世界の話は聞いてるだろ。今だけは敵、味方のことは忘れて私はこいつと話をつけた。非常事態だ、この世のありとあらゆる生き物がほっとけば皆殺しになる。邪悪の塊のミカエルと奴を崇める能無し連合が押し寄せてくるんだ、こっちにな?」

 

 そして赤い瞳が私を直視する。ああ、分かっているとも。悩ましくはあるが眼前で紡がれた言葉が偽りとは思えない。そうでなければ器となるYes.の言葉を彼が吐くわけがないだろう。魔王の器になるなど、正しいかどうかは別にして、二人の兄に知られた暁には鉄拳制裁程度では済まないのだからな。

 

「目的は分かったわ。けれど、その魔王が……どうしてこの場に足を運んだのかしら?」

 

 不意にこれまで沈黙を決めていたヒルダが視線と共に言葉を魔王へ投げた。ラスプチーナも本は開いたままだが攻撃に転じる様子はない。仕掛けたところで並大抵のことでは有効打を与えられないことを悟ったのだろう。下手に刺激するのは悪手、自分の状況を悪くするだけ。それについては酷く同感だった。

 

「ルームメイトを助けに来た、さっき言ったとおりだ。私は一度した契約は守る。えっと……バスカビールの面々とそっちの魔女と、髪の長い蠍だかを救ってやるのを条件に器を借りた。それも誰も殺さずに平和的に事を収める、面倒だが契約は契約だ。地獄でオールストリートをやるのは私の趣味じゃない、取引は守る。極力は、だが?」

 

 苦笑いが耐えられなかった。これ以上ない使い道に困る援軍を投げられたものだ、心の底から苦笑いが溢れては止まらなかった。理子も顔が引きつり、言葉をなくしている。今の私たちは魔王の威を借りているのだ、聖書に描かれる本物の堕天使の威を借りている。こんなことは誰も予想にしていなかった、本当に悪趣味な置き土産をしてくれたものだな……どれだけ場を掻き乱せば満足するんだ。

 

「というわけでだ──私に免じて矛先を引いてくれると助かるんだが、どっちにする?」

 

 どす黒い声色と真紅の瞳が傾けられた首に合わせて上下する。単なる脅しと一蹴するには相手が悪すぎる。地獄を統べる代表格、何が起きても不思議ではない相手。先んじて、ヒルダは槍を納めた。

 

「考えるまでもないわ。理子、思わぬアクシデントに見舞われはしたけれど、私はこの勝負から降りるとするわ。テーブルにはお前しかプレイヤーはいないのだから、お前の勝ちにしておきなさいな──夜明けも近いのだし」

 

 そう言うと、第三態特有の体から迸っていた電流が目に見えて消えていく。それは戦闘を放棄した明確な証だ。あっさりと勝負を降りたヒルダに理子は何も言わないまま腕を組んでいる。望んだ決着ではないがテーブルから降りることを止める理由もない、か。

 

「魔王ルシファー、手前は竜悴公姫ヒルダ。恐れながら吸血鬼の一端として、かの大天使と言葉を交わせたこと至極光栄よ。ではお先に失礼するとするわ、Ne vedem mai tarziu(じゃあまたね)

 

 突き立てた槍と一緒にヒルダの体は影の底に沈んでいく。第三態を解いてもその程度のことはできるだけの力は残していたようだな、一時的に第三態となったことで空だった電流をある程度溜め込むこともできたのだろう。

 

「気取った女だ。だが、暮らしより見栄を優先させる女よりもずっと品がある」

 

 ヒルダが素直に槍を引いたことでルシファーが彼女の追撃に出る様子もない、どうやら本当に9条は重視するらしい。 そして残されたラスプチーナも緑のページを開くやまだ柵も備わっていない展望台の壁際にまでフェザーを走らせる。そして壁際ギリギリで止まると、肩越しにこちらを見やり、

 

「残ったのは損失だけ。最悪に無駄な時間を過ごしちまったなァ。だが、命あっての物種だ。退かせてもらうぜ」

 

「ああ、そうしてくれ。そいつらも返却してやるから、このつまらない時代からさっさと立ち去るんだな。どこも代わり映えしないが」

 

 彼が両手を叩くと同時に、地面に散らばっていた肉片は綺麗さっぱり姿を消していた。まるで最初から何もなかっかのように頼りのない足場がそのまま広がっている。目を見開いたラスプチーナは苦い表情を残したまま壁際から逃げるようにフェザーごと身を投げた。

 

「……!?」

 

「心配するな、あの本は本人に代わってまじないを代理で行使してくれる。あの緑のページで適当に風を操って遠くに逃げでもするさ。仮に転落して頭を打ち付けても私たちの責任じゃない、気にするな」

 

 バイクと飛び降りたラスプチーナに狼狽える遠山、平然と表情を変えないルシファーの器となったキリ。正反対の反応に私と理子が口を閉ざしていると、やはり話を切り出したのはルシファーだった。

 

「これで契約は果たした。ああ、礼はいい。するつもりもないだろうが、くじ引きの懸賞にでも当たった程度に思ってろ。私はこれから天界一のポンコツと息子と力を結集してミカエルを倒さねばならない、分かるな?」

 

「……全部終わったら、そのあとはどうするんだよ。あたしだって自分から檻には戻らない。そいつの体はどうするんだよ」

 

「あー、そのことについてはまだ考え中だ。さっきも言ったが私もバカじゃない。強力なミカエルと数学小僧のケビン・トランが今にも乗り込んで来るが、あのポンコツ兄弟は私を檻に戻すことしか考えてない。だが、絶賛家出中の弟が、私と手を組んでいるとなれば少しは聞く耳を持つ。息子はなぜかあのポンコツ兄弟とでき損ないのポンコツ天使に懐いてる、そこで私が協力してミカエルを倒し、父の威厳を見せつける。完璧だ」

 

 両手を叩き、得意気に言い終えるとなぜか私に視線を結んでくる。私は首を縦に振ってやればいいのか……?

 

「要するに、ウィンチェスター兄弟から息子の気を引きたいってこと?」

 

「まあ、そうなるな。意見があるなら聞いてやるぞ、一人につき一分だけ」

 

「……ふーん、家族の問題か。難しいね」

 

「ああ、難しい。私が何かを産み出すのは四人の地獄の王子以来のことだ。お前たちのアドバイスも聞くだけ聞いてやる、だからその下品なオイルはしまえ。私を引き留めたところで何の解決にもならない」

 

 ……都合良くは運ばないか。私は言われるままに足に伸ばしていた指を戻す。レッグホルスターに仕込んで小瓶には必要最低限の聖油がある。星枷の占いを危惧して用意したものだったがそう都合良くサークルを作らせてはくれない。

 

 最も引き留めたところで解決に結びつかないのは真実だ、器を剥がす術もなければミカエルを止める手立てが私にはない。だが、素直に……素直に、行かせるには……あの男との関係は浅くはなかった。ここで見逃せば、私は友人を捨てることになる。

 

「悪いやつみたいに見るな、この世の終わりというスペクタクルが始まるんだぞ? 全世界同時上映、そんなの誰も見たくないだろ?」

 

 私に向けて首を横に振ると、ルシファーの手が自分の顔にかかった。一瞬、呆気にとられたが自分で自分の顔を右手で締め上げている。訳の分からない光景を眺めていると、小さくルシファーからも舌打ちが飛んだ。

 

「この期に及んで反抗しにくるか、キリ……!」

 

 ……いま、なんと言った?

 

「い、ってぇ……再会が締まらない格好で悪いが顛末は聞いてたな……聖女様とこそ泥と、そこのハイジャックのカップル……!」

 

 膝が崩れ、自分で自分の頭を抑えるような不格好だがこの軽口は紛れもなく……

 

「切……!!」

 

「よう、キンジ……色々聞きたいことがあるのは分かるんだがちょっと時間に余裕がないんだ。ジャンヌに後から聞いてくれ。魔王が扉をひっきりなしで叩いてる、あんまり持たない……悪い、ジャンヌ。言い訳してもいいかな……?」

 

「良い訳ないだろう。バカか、お前は……」

 

「それ聞くと……妙に安心するよ」

 

 ……言い訳ないだろう。リスクが高すぎる。いくらミカエルの手から逃げるためでもルシファーの器になって無事に事が終わるわけがない。二回も大天使の器になるのは狂喜の沙汰だ、普通なら一度でも体を貸せば廃人行きなんだぞ……

 

「言いたいことは分かってる。まぁ……ディーンにバレたときが恐いがなんとかするさ。向こうには母さんがいた、これ以外に生き残る手はなかったんだよ……悪い」

 

「桃子から聞いた。彼女はララバイを解いたぞ」

 

「……へぇ、本当に解いたのか。はは……そっか。あいつ解いたんだな。そっか……ジャンヌ、色々と面倒を投げて悪いな。お前には色々と、甘えてるところがあった……いや、今も頼りにしてる」

 

 ……やめろ、そんなことは全部終わってから聞いてやる。

 

「神崎のことが胸にずっと引っ掛かって、やっと母親のために俺も……なにかできると思ってさ。今回ばかりは俺も向き合ってみる、ミカエルを叩いて、あっちに残してる母さんを……連れて帰る。そしたら、こっちで焼き肉でも、やろう。キンジは肉……まだ食えてねえだろうからな」

 

「……待てよ。なんなんだよ、ミカエルって……異世界って──」

 

「聡明なお友達が説明してくれるよ。正直なところ……俺も色々ありすぎて、何を話せばいいの……やら……理子、水を差して悪かったな。コルトの仕掛けは……よくやったよ、満点をやる……流石は峰理子だーー頭が良くて、腕が良い……それと……だな、なんだったけ……」

 

「バカ、最後まで言えよ……あたしはお前に借りを作ったことになった。言わないなら、帰ってきてから聞いてやる。異世界だろうが、地獄だろうが、お前は帰ってくるんだ。今のあたしはツイてるからな、あたしの勘は当たる。だからーーお前が帰ってくるのに100$賭けてやるよ」

 

 腕を組んだ理子は表情を隠すように背を向けた。『敵わないぁ……』と、呟いたキリの声色も重苦しい。強引に魔王をねじ伏せて体の所有権を奪っているなら、時間に限界はある。そして私の心を見透かしたようにキリはまたしても首を傾けた。こういうときに限って、本当に察しが良い。

 

「……追い出せなんて言うなよ? そいつは、色んな意味で、無理だ。だから……ジャンヌ。神崎のことは少し任せるよ。たぶん……そうだな、これで12シーズンくらいか……いい加減、ラストが見たいもんだな。大団円はありえないんだろうけどよ」

 

「なら、きっちり生き残れ。帰って来たときには泣いて出迎えてやらないこともない」

 

「……ったく、なんなんだよその返し。お前のその顔、見てみたくなっちまったじゃねえか。未練ばっかり溜まりやがる」

 

 膝をつき、視界を仰ぐように背を逸らしたままキリは笑った。今度こそ、本来のヘーゼルの瞳で。

 

「ジャンヌ、ありがとうな」

 

 ──皮肉を返してやろうと思ったときには、既にそこにキリの姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 月日が経つのは早い。スカイツリーでの夜戦も今となってはずっと前のことに感じる。あの戦いから数日、ヒルダは自ら玉藻にコンタクトを謀り、眷属から師団へと立場を入れ替えた。戦役のルールに伴い、鞍替えは眷属全体からの敵意を買うことになるが彼女なりの決断なのだろう。味方として信用できるかどうかは置いて、この戦役で次にヒルダと刃を交える機会はなくなった。そのことについては行幸と言うべきだな。

 

 幸いにも私たちは戦線を離れるような負傷を誰一人負わずに明日を迎えている。皮肉にもそれが魔王の威を借りた結果なのだからこの世界はどこまでも不条理だ。

 

「トオヤマとアリアへの説明、苦労したみたいだね。お疲れ様」

 

「本を渡しただけだ。例のオンライン書籍にもなっている本をそのまま渡してやった」

 

 夕暮れの放課後、こちらも師団側に鞍替えしたばかりのワトソンが校舎の屋上にいる私へ声をかけてくる。遠山と何があったのかまでは不明だが結果的にリバティ・メイソンは正式に師団となり、辛辣だった遠山への態度も一転して軟化している。遠山は敵を味方に丸め込むのが非常に上手いが……まさかな。

 

「ヒルダと理子は休戦中みたいだね。あれはあれで誇り高い女性だ、戦役が済むまでは味方でいてくれるはずだよ。勿論、これからはボクも力を貸すつもりさ」

 

 とても前向きなワトソンは、壁際の柵に背を預けている私の隣へとやってくる。

 

「浮かない顔だね? 変装食堂の役は不服だった?」

 

「まさか、そうではない。理子と賭けているのだ。些細な賭けだ」

 

 そう、些細な賭けだ。戻るか戻らないか、ここでウィンチェスターの物語が幕を引くのか否かの賭け。血を溢したような真紅の夕日を肩越しに眺める。これが最後だと言うなら、もっと言っておくべきことはあったのだがな。

 

「ボクもまだウィンチェスターと話したことはないんだ。転入したときには既に彼はいなかったからね。リバティ・メイソンの間では雪平切はギャンブラーって言われてた、いつかその運も尽きるとね。でもボクはそれが今じゃないことを祈ってるよ」

 

 運任せ、出たとこ勝負ばかりのギャンブラー。踵を返したワトソンの言葉は真実だ。ルーレットがいつも決まった目を出すとは限らない。いつも誰かを失って、犠牲を払うことでウィンチェスターの問題は解決される。それがあの男自身であっても──

 

「今度は私が待つことになるのか」

 

 皮肉だな、アドシアードでは率先して遠ざけた男を今度は待ちわびている。無意味に夕日を見つめて、何が変わるわけでもないというのに、自然と深い息を吐いていた。

 

「ジャンヌ!」

 

 こんな姿をテニス部の後輩に見られては私が作り上げてきたイメージが……ん?

 

「ワトソン、まだ用があったのか?」

 

「あるわけねえだろ。つか、何をどうやったら俺とワトソンくんちゃんを間違えるんだよ」

 

 ……俺と、ワトソンくんちゃんだと? 伏せていた瞳を上げると、それはまさしく待っていたはずの、

 

「キリ……!?」

 

「どうなってんだよ、あの世界。死んだはずの連中とは次々に再会するし、黒い髪の俺が窒息事故で死んだことになっててさ。サムもディーンも生まれてないことになってるし……」

 

 とりあえず、ミカエルとルシファーは異世界に置いてきたけどよ──と目の前の、制服姿の男は続けた。

 

「なるほど、お前たちと関わらなかったことで正規のこの世界とは違い、死の未来を回避できたということか」

 

 顎に手をやり、独りでに頷いていると目の前から不機嫌な視線が突き刺さる。

 

「……会って早々、失礼なやつだな。間違いじゃないけど」

 

 後ろ頭を掻き、不満な視線を絡めてくるのは今度こそオリジナルだ。生まれたときから礼儀知らずの男、間違いない。

 

「なんだ、聖水でもかけてみるか? 悪魔払いやる? 洗剤と銀も試してみるか?」

 

「お前は多弁だな、さぞ幼少からお喋りだったのだろう」

 

「なに笑ってんだよ、泣いて出迎えてくれるのに期待したんだぞ」

 

「おかえりを言ってほしかったのか?」

 

「……まあ、ちょっとは期待した。よし、お前への挨拶は済んだし、キンジの部屋に転がり込むとしよう。教務科への言い訳は飯食いながらでも考えるよ」

 

 踵を返し、防弾制服を揺らして背を向ける姿に私も続いて踵を返す。

 

「では私も行こう、遠山には話があるのでな。緊急事態は解決したのだろう、歩くついでに話を聞かせろ」

 

「横暴な女だ。分かったよ、我が家に帰るまで要点を纏めて説明してやるーーこの世界に生まれるに当たって次元の裂け目を作ったルシファーの息子の騒動に巻き込まれた雪平切は、同じく異世界で再会した堕天使ルシファーといつもの兄弟、そして死んだと思われていたホテル好きの赤毛の魔女と死んだと思われていた風俗好きの天使と一緒にミカエルに挑むのだった。これがあらすじ」

 

「いつもの、ウィンチェスター兄弟お決まりの展開というやつか。何話に分ける?」

 

「まあ、23話くらいが妥当だろ。1シーズンのエピソードの数としてもそれくらい。俺の記憶を23のエピソードに分けて語ってやる。さて、当時を振り返ってーー地獄を脱走した堕天使ルシファーが息子に会うまでは死ねない、なんてわんわん泣いてすがるもんだから心優しい俺は──」

 

「待て、それはお前の脚色が入ってるだろ。本当に魔王がお前にすがり付いたのか?」

 

「奴には頭をいじくり回されたんだから、これくらいの扱いでいいんだよ。最後に個人の主観って加えるからいいの。仕切り直して──母親を守るため、そして異世界から抜け出すために俺はなんとミカエルを敵に回してルシファーと二つの世界を走り回ることになった」

 

 好きにしろ、どうせ第三男子寮までは長いのだ。ミカエルとルシファーを異世界に置き去りにしたこと、母親を連れ戻せたこと、これまでの道のりを聞くだけの時間は余りある。まだ夕暮れなのだからな、数歩だけ彼の前に踊り出て、私は振り返る。

 

「ああ、そうだった。最後に、一つだけ伝えないと」

 

 

 

 ──おかえり、キリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お付き合いありがとうございます。ヒルダ戦が完結したのでジャンヌ視点は一旦今回を持って最後とさせて頂きます。理子の見せ場が少し足りないのは否めないですが楽しく筆を振るわせてもらいました。

時間軸はシーズン13のラスト、ミカルシを置き去りに異世界から帰宅した直後に帰国した前提で進めていきたいと思います。シーズン14の展開を考えるとそのタイミング以外に主人公が帰国できるタイミングがないんですよね。次回から人工天才編に入りますが、元々はかなめvs夾竹桃を見たことがキッカケで書き始めた作品なのでこの章は時間をかけて進めていきます、長かった……!




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日常編
夾竹桃は運転したい


帰ってきた雪平視点です。



「ですから、この男と仕事をし始めて……4ヶ月でしたか?」

 

「5ヶ月」

 

「……これです、まさにこの茶々入れなんです。人を皮肉るのが生き甲斐みたいな男、お陰様で存分に学びました」

 

「訂正しただけだ」

 

「それで、5ヶ月でしたか?」

 

「いや5ヶ月と2週間と2日。正確には」

 

「──終わった?」

 

 不機嫌な横目と一緒に言葉が投げられる。しばらく腕を組んでいると、煙草を咥えたまま先生が半眼を作る。教務科、武偵高三大危険地帯の一つに数えられる尋問科の綴先生の部屋はいつもと変わらず、煙草と酒の匂いで満ちていた。またの名をアルコールとニコチン。

 

「愛弟子ぃー、お友だちが質問してるぞぉー」

 

「……いつ?」

 

「いま自分が喋っていいか聞いただろ。表情見てみな、蠍がご立腹だぞぉー」

 

 眉をしかめて、部屋にいるもう一人の来訪者を見てみる。隣の夾竹桃は何も言わずに腕を組んでるだけだった。5ヶ月と二週間と2日、一緒にいた時間はともあれその中身は濃密と言っても足りないことの連続、それなりに彼女のことを分かったつもりではいる。そんな俺からすると、その顔は言われてみるとご立腹に見えなくもないが……

 

「あの……先生どっちの味方なんです?」

 

「あたしは中立だよ、中立。司法取引の身には変わりないんだ、お前には分からない大人の事情がたーくさんあるんだぞぉー?」

 

 その一つがこのカウンセリングっぽい三者面談ってわけか。放課後、久しぶりに先生から直々に電話の呼び出しが来たと思ったら、部屋の前で夾竹桃が待ってて驚いたぜ。どうやら最初から三者面談のつもりで俺は呼び出しを受けたらしい、ダンボールと画材セットを届けに行ったのが懐かしいよ。すっかり監視と仲介役だ、教務科公認の。

 

「忙しいあたしが時間を作ってるんだ。そこは察するのが礼儀ってやつだろ。んで、実際のところはどうなの?」

 

「それはたまに意見が合わないってことはありますよ。でもそんなのはどこにでもある。そうでしょ、先生?」

 

「待って。意義あり。たまにってなにかしら、たまにって。ほとんど合わない」

 

「じゃあ例えば?」

 

「例えば、絶対私に運転させてくれない」

 

「そんなことで怒ってんの? お前も前に言ってただろ、インパラを運転できるのは俺の家族だけだって。それに運転してくれてありがたいと思わない? 思いませんか先生?」

 

 俺は同意を求めるように綴先生に視線をやった。案の定、頬杖を突いたままの先生は無言で灰皿に煙草の灰を落とす。そこには既に捨てられた煙草が六本、今のが七本目。それも吸いきった先生はテーブルに置いてあるボックスから新たな一本を抜いて咥えると、改めてジッポーで火をつける。

 

「愛弟子ぃ、あたしは中立って言ったろぉー。親離れしないといつまで経っても大人になれないぞ。えーっと……まあ、いいか。反論あるなら言うだけ言ってみな、聞いてやるから」

 

「ありますよ。俺、こいつの運転手ですから」

 

「お馬鹿、冗談も休み休み言いなさい。あの運転で運転手は無理、マルセイユを爆走してるタクシーより酷い」

 

「じゃあなに? 俺より運転が上手いって?」

 

「ええ、自信がある。仮に地雷が埋まってる泥道とかなら貴方のほうが上だろうけど、でもここなら、舗装された日本の道なら絶対に私のほうが上手なの。それにたまには私も運転したい」

 

 これでも家庭の事情で運転歴はそれなりに長いんだが……つか、泥道の地雷源を走るって例えはもっと他にあっただろ。多少は危ない橋を渡ることに慣れているにしても地雷源を正面突破する勇気は俺にはない、装甲車でもごめんだ。それと言いたいことは他にもある。

 

「待った。たまには運転してるだろ」

 

 ──たまには私も運転したい、そう言った夾竹桃の方を見ながら言ってやると、お隣に座っている蠍はあろうことか苦い顔で俺を睨んできた。

 

「……貴方ねえ、私と先生の目を見てそれが言える?」

 

「言える、運転したことはない? そんなことはないだろ」

 

「してるわよ一人の時。貴方がいないときにしてるわよ、ええ」

 

「ほら、してる。じゃあ言うよ、なんで俺がお前を助手席に乗せたいか」

 

「どういう理由よ。知りたいわね」

 

 日常茶飯事のノーガードの応酬にふと先生の顔を見ると、俺たちとテーブルを挟んで革張りのソファーに座っている先生は据わった目で煙草を灰皿に押し付けていた。仮にも呼び出したのは先生の筈なんだが、それを指摘できる勇気は持ち合わせていない。見たくもないZ級映画を早送りなしで最後まで見せられているような表情──と言えば先生がどれだけ危ない顔なのかは御馬鹿の武藤にだって伝わるはずだ。既に退路はないけど。

 

「運転しないと酔うんだ」

 

「はい、笑った。打ち明けたらこれよ。バカバカしい、貴方は妙なところで仕切り屋になる。本当に変なところで自分が先行したがるわね、骨の髄まで偏屈に出来てる。いまのは真っ赤な嘘、誓ってもいい」

 

 夾竹桃が唇を閉じたところで、俺は横目を飛ばし、

 

「──終わった?」

 

「ええ、終わった」

 

「そう。だそうです先生。どうぞ続きを、ところで俺ってそこまで偏屈ですか?」

 

「いちいちあたしに振るなよ、めんどくさい。そうだなぁー、墓石に『愛すべき偏屈男──雪平切、ここに眠る──』くらいは書かれるんじゃない?」

 

 怪訝な顔で訪ねると、先生は心底どうでも良さそうな声で答えをくれた。

 

「いいえ、『愛すべき偏屈男──雪平切、ここに眠る──しかし、遺体の全部は見つからず』かしら。正確には」

 

「お前普通じゃないな」

 

「良い意味で普通じゃない?」

 

「いや、悪い意味で。すごい悪い意味だ、そこ分かれ。近頃は目に見えて立ち振舞いがずぶとくなってきたな。おめでとう、鑑識科で一人悪党を挙げるとすればお前だ」

 

 勝手に人の墓石に粗末な文字を掘ってくれたとんでもない女に祝いの言葉をやる。綴先生が右手で自分の頭を抑えた。

 

「お前らには、道徳の本でもくれてやるべきかぁ?」

 

「この男はほとんど何も読みません。シリアルの箱の裏くらい」

 

「体験派なんで。良き考古学者になるには図書館から脱出すること、インディアナ・ジョーンズもそう言ってる」

 

「お前さぁ、彼女と喧嘩でもした? いや、あたしの勘なんだけどさ」

 

「まさか、俺は先生の愛弟子ですよ? ペニーワイズの写真をバッグに入れられたくらいでステアーを乱射したりすると思います?」

 

「装備科からサイレンサー付きのTMP買ったって聞いてるんだけど」

 

「とにかく、喧嘩なんてランチの店を決めるときくらい。何の問題もありません、彼女は学校生活にも器用に馴染んでる。ええ、ほんとびっくりするくらい……レインボーブリッジを閉鎖した女とは思えないね」

 

「お陰さまで」

 

 ほら、ずぶとい。どこ吹くバキクロスだ。

 

「墓石を立てたところで、貴方は一週間もすれば自分で墓を暴くんだから問題ない」

 

「棺桶から自力で目覚めるって? いや、あり得ないだろ?」

 

「素直にずっと死んでるままの男じゃないことは知ってる。一般人はそうかもしれないけど、だとしたら貴方は一般人じゃない」

 

 虚を突かれて一瞬言葉を失う。

 

「……それはありがとう」

 

 それはもしかすると誉め言葉ではないのか、と思ったら素直に礼を言っていた。俺には視線すら向けず、肘掛けに頬杖を突いたまま尚も言葉は続く。

 

「考えても見なさい、貴方は何度命のストックがあっても足りない状況に幾度となく出くわしてる。非現実的な規模の物を含めてよ。なのにいまでも何食わぬ顔をして武偵をやってる、私の隣で皮肉を言いながら五体満足でね。普通の人間はそんなことしない」

 

 家庭の事情、そう言ってやるのは簡単だが大体のことがそれで片付いてしまうのが複雑だった。ワトソンは俺をギャンブラーと言った、いつも出たとこ勝負でサイコロを振って生きてきた。その運もいつかは尽きる。

 

「墓石に何を書こうが意味なんてないの。獣に皮膚を裂かれようが心臓に刃物を突き立てられようが、我が物顔で墓地から這い出てくるのが雪平切って男。貴方の葬式に出るなんて真っ平」

 

 アクセルを全開にして崖から落ちるのもいいと思ってた。早死に死ぬ家系だ、でも今では悔しいことに未練を感じてる。

 

「私より先に死んだら毒殺するわよ?」

 

 執着を感じてるよ、あらゆる物が大切だ。今年になって手放したくない物が増えすぎた。

 

「金をかき集めて、建て売り住宅に隠居させてやるよ」

 

 欲しいものは逃げていく、今あるものを守るので精一杯。だから、今あるものを手元に置いとくだけのために必死に戦ってやるよ。

 

「……お前らさぁ、毎日そんな感じ?」

 

 しばらく口を閉ざしていた先生が肘掛けの上に肘を突き顎を乗せると、呆れた表情でこっちを見てくる。ノーガードの本音を隠さない応酬はいまに始まったことじゃないが、俺たちが顔を見合わせたところで先生はさらに溜め息をついた。

 

「いやいいよ、答えなくて。今ので大体分かったから。で、愛弟子はすっかりイ・ウー研鑽派と友人になっちゃったわけだ」

 

「はい。あー……でも、研鑽派残党はただの友人じゃない。腐れ縁です」

 

「……そっちの彼女。その表情はなに?」

 

「いえ、別に。いま初めて、意見が合ったから」

 

 ──ああ、お友達ですから?

 

 

 

 

 

 

 

 月日は経ち、10月も半ばに入っていた。ミカエルとルシファーを地獄の檻に引きずり込み、最終戦争を回避したこの世界においても未だ地球温暖化は深刻な問題で、南極に住むペンギン絶滅への危惧が今朝のニュースでも大いに取り上げられていた。たまたま神崎の色金のことで部屋まで来ていたヒルダに話を振ると、『白と黒ならパンダのほうがマシ──』などと血も涙もない答えが返ってきたわけだが、案外本当に世界が滅亡するときっていうのは外からの外敵要因での終わりではなく、今まで人がやってきたことへの痛いしっぺ返しを受けることなのかもしれない。

 

 インパラを喜んで乗り回している俺にディープ・エコロジーの気質などあるわけもないが、ヒルダとは違ってパンダよりペンギン派の俺には頭に残るニュースだった。ツンドラの永久凍土とメタンガスの話よりもペンギンの棲み家が失なわれている、とストレート言われたほうが遥かに分かりやすい。俺はテーブルの席に着きながら、今年はクーラーとストーブの消し忘れに注意することを朝から誓うのだった。

 

「冗談だよな?」

 

「いや、本当だ」

 

「常日頃、局所的に食べ物に妙なこだわりを見せるのに人生で一度もマラサダをコーヒーに浸して食べたことがないのか?」

 

 俺が困惑した表情で頭を左右に振ると、手元に置かれているコーヒーのカップを指で示す。

 

「別に普通だろ。そんなにおかしいか?」

 

「おかしいというより意外というか、悲しいというか。考えてみろ、今は通販でコナコーヒーが買える時代だぞ。100%純粋ってわけじゃないがインスタントもまだまだ捨てたもんじゃない。いいか、マラサダの甘さとこのコーヒーの苦味、コーヒー好きでこれを楽しまないのは悲劇だ」

 

「そんなに美味いのか?」

 

 疑ってるんだな。文明の進化は目覚ましい、今やハワイ以外でも立派なコナコーヒーの味が楽しめるんだからな。ブルーマウンテン、キリマンジャロと並ぶ世界三大コーヒーの一つ、これがマラサダの甘さと合わないわけがない。マラサダはポルトガルの代表的な菓子だがコナコーヒーと肩を並べるハワイの名物と言っていい。

 

 ハワイに移住してきたポルトガル人が他の郷土料理共々、彼等にその作り方を教えたことが始まりだな。ドーナツ、揚げパンに似た甘さと柔らかな生地が歯に過剰な暴力を与えてくる。俺は中皿に並べたマサラダの内の一つを手にとると、まだ温かいコーヒーカップに持っていく。このハワイの名物二つの組み合わせははっきり言うと、

 

「病み付きになるかもって美味さだ。見てろよ」

 

 キンジも、俺の視線を追ってマラサダの向かったコーヒーカップを見る。手順は非常に簡単、マラサダをコーヒーに浸して、口に入れたら回すんだ。たったこれだけ、病み付きになるかもって美味さを味わえる。

 

「分かった。やってみるよ、いいか?」

 

 口に物を入れたまま話すわけにもいかず、代わりに首を縦に振ってやる。やはり食い物に関してはどこまでも貪欲な男だ、神崎はまず星枷を見習ってキンジの胃袋を掴むところから始めるべきじゃないか。またキッチンが燃えて小火騒ぎになるのは勘弁だけど。

 

「どうだ?」

 

「ああ、美味いよ」

 

 二つ返事、ゆるい表情が返ってくる。

 

「だから言っただろ?」

 

「最高だな、安いし」

 

 ああ、手のつけられる贅沢ってやつ──

 

「って、おい待て、ちょっとちょっとなにやってる。それはダメだ、二回浸したか?」

 

「あ、ああ。浸した」

 

「仕方ない、やり方を知らないならな。二回浸すのは厳禁」

 

「二度漬けは厳禁なのか?」

 

 恐れ知らずのルームメイトに俺は指を立てながら忠告を始める。

 

「二回浸したらコーヒーとマラサダの割合がおかしくなる。浸しすぎのリスクが発生する。どういうリスクかって言うと──巣潜りだよ」

 

「巣潜り?」

 

「巣潜りしたくないだろ」

 

「嫌だな、それは嫌だ」

 

 言い淀むことなくキンジはかぶりを振った。何もソースの二度漬けが駄目なんて理由じゃない。

 

「二回浸すとマラサダが千切れて、カップの底に沈む可能性がある。で、最後にコーヒーを飲み干すときに底にべちゃっとくっついてるのを発見すると、はっきり言うけど……べっちょりマラサダ、これは最悪」

 

「それは最悪。分かった、覚えとく。もしかして経験者か?」

 

「先人の知恵は大事にしろ。コーラにマラサダを漬けるのもあれは駄目だ。言葉にはできない喪失感に襲われる」

 

 果たして俺はコーラを飲みたかったのか、マラサダを食べたかったのか。口にした途端、そんな疑問を抱くこと間違いなし。あの口触り……おとなしく分けて食えば良かったのに、バカなことをしたもんだ。コーヒーみたいな色してるからイケると思ったんだがな。

 

「……まぁ、炭酸とは合わないだろうな。それは分かる」

 

「よく言うから、暮らしより見栄が大事」

 

「諺か?」

 

「俺の。本音を言うと、いったい誰がこんなことを考えたのか。でもこれを考えたやつは奇才、それに絶対コーヒー好きだったな。マラサダを浸すのに完璧なサイズだ、円周のサイズぴったり、どんなコーヒーカップにも浸せる。失敗はなし」

 

 一分の隙もないとはこのことだな。甘さと苦味、それぞれの個性が上手いことぶつかり合って昇華してる。ハワイに行かずともこの味が楽しめるんだ、良い時代になったもんだよな。

 

「随分と詳しいんだな?」

 

「どこもかしもコーラを置いているとは限らない。その場にあるもので餓えは満たさないと」

 

 マラサダとコーヒーを堪能し、休日の安らかな朝を満喫する俺とキンジ。神崎は間宮と、星枷も佐々木と用があるとかで二人のいない我が家は恐ろしいほど静かだ。嵐の前の静けさ、逆に不気味だな。俺はテーブルの隅に追いやられていた塩キャラメルの袋を開け、キンジとの間に滑らせるようにして置いた。神崎が興味本意で箱買いした物だが、そこまで口に合うわけでもなかったらしく棚にはまだまだ未開封の袋が溢れている。

 

「なにやってるんだ?」

 

「見りゃ分かるだろ、勉強だよ。今日はアリアも白雪もいないから集中できる」

 

 ああ、集中を遮る銃声がないもんな。大口径や機関銃なんかのでかいやつ。教本をテーブルに広げたキンジはキャラメルの紙包みを破りながら、器用に目だけで問題文を追っている。開いてるのは英語の教本だな。

 

「はいはい、アクセントが違うものを選べと?」

 

「こんなのアリアなら悩むまでもないんだろうな」

 

「神崎はお手本みたいなクイーンズ・イングリッシュを喋るがアメリカでの活動経験もある。その言語を使って生活してたら明るいのは当然だ。七年も住めばバカでも分かる」

 

「……お前、アメリカで育ったんだよな?」

 

「何かと忘れられるが育ちはカンザス州のローレンス。緊急番号も911で教わってる。ちなみにその答え、2じゃなくて3だな。さっきの表情から見るに勘で選んだみたいだが」

 

 すると、まだページの問題が半分残っているにも関わらず、キンジはわざわざ答えを確認し始めた。そういうのは最低でも1ページ単位で確認するものじゃないのか?

 

「すげえ、本当に合ってる」

 

「嫌味な野郎だ。疑ってたのかよ」

 

 塩キャラメルを口にいれ、視線を明後日に逃がす。棚にある袋を全部切らすまで何ヵ月かかるかね。

 

「それ、風魔に一袋貰ってもいいか?」

 

 視線を戻すと、キンジが棚にあるキャラメルの袋をボールペンで示していた。一応、神崎のポケットマネーで買ったことにはなってるが。

 

「大丈夫だろ、神崎はほとんど手をつけてないし。風魔も半分は間宮のアミカ・グループみたいなもんだしな」

 

 風魔陽菜はキンジの戦妹で諜報科のBランク武偵。このご時世で帯銃に火縄銃を選ぶのはこの学校でも彼女くらい、ござる口調も相まって典型的なステレオタイプの忍者を思わせる色々と有名な子だ。一年で諜報科のBランクをとるだけに優秀な武偵なんだが、どうにもキンジの近くにいる女だけあって風魔も少し癖がある。具体的には低くない確率で道端に空腹で倒れてたりするし。

 

「お前も戦徒をいい加減見つけろよ」

 

「何度も言ってるだろ。条件に合うやつがいたらどこの科でも結んでやるよ」

 

 なんだかんだ風魔の面倒を見ているキンジ、順調に間宮の実力をステップアップさせている神崎を見れば分かるが、口では何と言っていても契約を結べばそれなりの責任を背負うことになる。

 

「綴先生からも尋問科の一年を勧められたが丁重に断ったよ。今は極東戦役の真っ最中、優秀ってだけで選べない。戦徒に何かあって行動を縛られたんじゃ、戦役どころの話じゃないからな。いつかも言ったがお守りじゃなくて錘だよ」

 

 理子は一年で既に島を戦姉妹においてたがこのシステムは性格が目に見えて出る。相手を見極めることも重要だから無理して作らないに限る。一蹴したつもりでいたがキンジはまだ口を閉じない。

 

「なあ、戦役の枷になるのが問題なんだよな?」

 

「そうだ」

 

「じゃあ、極東戦役に絡んでる一年なら問題なくないか?」

 

 とんだ屁理屈だった。

 

「キンジ、ワトソンは二年だ。今になって魔宮の蠍を後輩扱いもありえない。極東戦役のメンバーで武偵校の一年で通りそうな奴がいたか?」

 

「……無理だな」

 

「今度は正解だ。隅から隅まで見渡してもいない。ココなんてもっての他だ。列車から紐なしのバンジージャンプをさせられたんだしな」

 

 走行中の列車から生身一つで投げ出される、思い出すだけでもゾッとする記憶を引き出しながら追加のキャラメルの紙包みを開く。

 

「仮にだ。極東戦役に絡んでいて、実力も俺と拮抗できるような一年がいたら真剣に考えるよ。このキャラメルも袋ごとプレゼントしてやってもいい」

 

「キャラメル好きで極東戦役に絡む一年生が?」

 

「いるわけないさ、ユニコーンくらいありえない。ほら、手が止まってるぞ。ペンを動かせ」

 

 しかし、この制度自体は後輩の育成に大きく貢献してる。神崎と間宮なんてその代表格だ。もし戦徒ができたら、俺も影響を受けることになるんだろうか。

 

「乾はどうなんだ?」

 

「あいつはまだ中等部だろ。それに警察との架橋生ってのがどうにも」

 

「FBIに追われてたもんな?」

 

「……やっぱりあの本は燃やすべきだ。自分だけ過去を知られるなんてアンフェアにも程がある」

 

 ジャンヌが説明を怠けて、例の書籍をそのまま渡した結果がこれだ。ヘンリクセン捜査官との鬼ごっこまでしっかり頭に入れてやがる。

 

「でも一つ疑問があるんだよな」

 

「俺が不愉快にならない質問ならどうぞ」

 

「以前、ずっと前に言ってた弟子のクレアってクレア・ノバックだろ?」

 

「そうだけど。クレアはクレアだ。アレックスは看護師で、クレアはクレア」

 

 クレア・ノバックは俺と同じで非日常に家族を奪われた女だ。今はスーフォルズで同じく非日常の境遇に置かれていたアレックスと、怪物と犯罪者の両方を取り締まる保安官のもとで一緒に暮らしている。正確には彼女がまだ駆け出しの頃に一緒に狩りをしてた関係。非日常に母親まで奪われたクレアに、自分だけ普通に生きろとは流石に言えなかったからな。

 

「で、クレアがどうした。電話番号を知りたいならやめとけ、アレックスと違って恋愛には無頓着だ。今のところは」

 

「あの本に書かれてるとき、つまりお前が出会ったときはまだ子供だったんだろ?」

 

「今みたいに目付きは鋭くなかったよ」

 

「でもお前は一緒に怪物退治をやってた。怪物退治を許せるくらいの年齢には成長してたってことになるよな?」

 

「……」

 

 まずいな、雲行きが怪しい。暗雲が立ち込めてる。

 

「お前、本当に俺と同い年か?」

 

「やっべ。キャラメル食い過ぎて、喉がサハラ砂漠だ。サ店に行ってくるぜ」

 

「……今時サ店はないだろ」

 

 失礼なへっぽこ探偵は無視だ無視。一人だろうが関係ない、サ店にいくぜ。

 

 

 

 

 

「鑑識科ってさ、張り込みとかもやるわけ?」

 

「人生、何があるか分からないでしょ。貴方が来るとも思わなかった」

 

「一人でサ店に行く勇気がなかったんで。バスカビールも武藤も用事で誘える相手がいなかったんだ。車変えた?」

 

「サ店が嫌ならロキシーに行けばいいでしょ。訳ありで車輌科から借りてるだけよ」

 

 そう言うと、魔宮の蠍はいつものオープンカーではなく、黒のSUVのハンドルに手を置いた。

 

「地雷でも踏んだか?」

 

「物理的な意味ならいいえ。でも比喩的な意味なら貴方は起爆しまくってくる」

 

「そうか、そりゃ悪かった。今度から足下に注意するよ。でも良い車だ、乗り心地も悪くない。この機に屋根なしから乗り換えたらどうだ」

 

「私はあれが気に入ってるのよ」

 

 へっぽこ探偵の勉強を邪魔しないように部屋を後にしたまでは良かったのだが、夕暮れまで一人でサ店に居座ると思うと気が退けてしまった。バスカビールはレキ、理子も含めて全員が用事に追われているらしく、武藤やジャンヌ、電話番号を交換したばかりのワトソンにも断られたので、カウンセリングで顔を合わせたばかりの夾竹桃と俺はまた今日もノーガードの応酬を繰り広げていた。

 

 実際は張り込みの依頼を受けている彼女の『暇なら来れば?』の一言に乗せられたわけだが、普段は屋根のない車を使っている夾竹桃がSUVの運転席に座っているのはそれはそれでレアな光景だった。鑑識科が張り込みをやるのもそれはそれで珍しいだが。

 

「ところで相手は誰なんだ?」

 

「教務科経由で流れてきたの。神崎アリアも別方向で駆り出されてる」

 

「神崎、間宮と教務課の依頼をやってたのか」

 

「強襲科らしい内容よ。私たちと違って」

 

 道路の隅から、張り付くように俺たちが監視しているのは二階建ての一軒家。築年数もあまり建っていない至って普通の住宅。問題があるのは住んでる住人か。

 

「密猟は一大ビジネスよ。今では大金が右から左に動く一大産業になってる。でも実際には規制のための手が足りてないのが現状」

 

 密猟か。俺も関わったことがない畑だな。

 

「例の大規模テロ以来、現場の手が足りていないって話は聞いたことがある。じゃあ、あそこに住んでるのはマーケットを仕切ってる支配人か?」

 

「それならもう少し警戒にも手を加えるわよ。危険度はもう少し下ってところかしら。あくまでも動きを見張るのが目的。本命は神崎アリアや他の人間が抑えに行ってる」

 

「なるほど、張り込みだな」

 

 腕を組み、ガラス越しに家を睨んでいると必然的にラジオもかけないSUVの車内は閑散とした空気になる。

 

「なにかあった?」

 

 不意に声をかけられて、俺はかぶりを振る。

 

「なにもない」

 

「嘘ね。何か悩んでるって顔。そうでしょ?」

 

「そんなに顔に出てたら、尋問科としての自信がなくなるだろ」

 

「なんなら後ろで寝て話してもいいわよ?寝た方が話しやすいなら、それとも座ったまま話す?」

 

 張り込みなのに俺が寝たら意味ないだろ。お前がいるから問題ないと言えば問題ないけど………喉元まで競り上がってくる疑問を堪えるがどうあっても彼女は引き下がらないつもりらしい。会話の鍔迫り合いは、徐々に俺が押し負けていく。

 

「どっちにしたって答えるまでしつこく聞くから」

 

 変なところで意地になるんだよな、この蠍。クールに見えるのは外側だけで人一倍感情豊かって言うか。退く気配は微塵もない、俺が白旗を上げるまで時間はかからなかった。

 

「分かったよ先生。隅から隅まで話します」

 

「話してみなさい」

 

「キンジが例の日記を読んで、俺の年齢について触れてきたんだよ」

 

「……年齢?」

 

 一転、夾竹桃は目を泳がせ始めた。さっきまでの前のめりな姿勢がどうなってんだ?

 

「おーい、夾竹桃?」

 

「この話はここまで。依頼に集中するわよ」

 

「俺、まだ触りしか話してないんだけど?」

 

「貴方と遠山キンジは同級生、それでこの話は終わり、終わりよ。大体、貴方は地獄に30年いたんだから年齢なんてあってないようなものでしょ」

 

 なんつートンデモ理論だ。そっちで換算したら煉獄の時間もいれて大変なことになるだろ。

 

「対象に動きはないわね。何もないならそれに越したことはないけど。雪平、貴方は何が好き?」

 

「唐突だな。何って、いっぱいありすぎる」

 

「例えばよ、例えば何が好きなの?」

 

 強引に話題を変えやがったな。退く気配もなさそうなので俺は足を組み変えながら答えを考えてみる。好きなものか……

 

「──音楽。音楽だな、公に言える」

 

「またそうやって、誰でも好きでしょ。私だって音楽は嫌いじゃないし」

 

「ああ、違う違う。聴くほうじゃなくて演奏するほうだ」

 

「あら、演奏するの?」

 

 微かに驚きを含んだ言葉が返ってくる。

 

「アドシアードでバックバンドのベースをやってたのは聞いてたけど、それ以外で演奏どころか楽器持ってるところ見たことないわよ?」

 

「元々はベースの前にギターをやってた。それなりに時間を費やして、割りと良いところまで行ってたんだ」

 

「やめたの、どうして?」

 

「……さあな、色々あって辞めたんだ」

 

 両手を頭とシートの間にやり、俺はややシートを後ろに傾けた。正午間際だった時間もゆるやかに流れ、車内の時計も次第に数字を増やしていく。特に会話を交わすわけでもなく、夕暮れが差し掛かったところで夾竹桃の携帯が鳴った。

 

「本命を抑えたそうよ。撤収の時間ね」

 

 そう言うと、手馴れた動作で二つ折り携帯を閉じる。

 

「あれはほっといても大丈夫なのか?」

 

「後のことは教務科が警視庁と上手にやるでしょ。私たちには平凡な幕引きだけど、たまにはこんな日も悪くないわ」

 

 確かに。本音を言うと機関銃でも飛んでくると思ってたよ。珍しく平和的な終わりだ。西日が斜めから降り注ぐ夕刻の道路をSUVが帰路に向け、静かに走り出した。

 

 

「……」

 

「……」

 

 どうにもラジオをつけられない雰囲気。そこかしこにあるCDも知らないアニメのジャケット写真ばかり。唯一分かるのは『Blood on the EDGE』と書かれたものだけだった。確か前に理子が見てた深夜アニメの曲がそんな名前だったな。窓を見ると部活帰りの学生やボールを持った子供の一行が次々と流れていく。夕暮れは、家に帰る合図なんだろうな。

 

「子供の頃、酔い潰れた親父をエレンのバーまで迎えに行って、女性のハンターがカウンターでギターを演奏をしてたんだ。すごく良い演奏で、ジョーも露骨なくらい笑顔で聞いてて、それで狩りの合間にモーテルで練習するようになった」

 

 ポーカーとバカラでやりくりした金でなんとかギターを買って、親父の目を盗むように練習してた。最初は地獄画図みたいな腕前だったけど。

 

「ジョアンナに聞いてほしくて練習した?」

 

「ああ、カウンターで暇さえあればナイフを弄ってる彼女をどうにかして振り向かせたくてな。子供なりに頭を捻った結果だよ。それでいつ彼女に声をかけようか悩んで、でもその一線がなかなか踏み出せなくてな。気がついたときにはジョーの気持ちはディーンに流れてた」

 

 近くにあったCDケースを掲げながら、自嘲気味にうっすら笑みを作る。

 

「エレンのバーは悪魔の群れに荒地にされて、俺はディーン共々リリスの飼い犬に体を引き裂かれた。でも地獄から戻ってもジョーの気持ちは揺れなかった。思い人に妹としか見られていないと知っても彼女の気持ちは揺れず、俺も何も言えずにいて演奏の誘いもできないまま最期はジョーを見殺しにしちまった」

 

「それ以来、ギターは弾いてない」

 

「ああ、下心から始めたからな。で、ベースをやったのも情けなかった自分を誤魔化したかったから。たぶん、そうだ。俺は偏屈だし」

 

「それは言えてる」

 

 ったく、そこは否定してくれると思ったよ。ちょっと期待した。

 

「自分の心を晒け出すのは嫌?」

 

「そうだな、お前が正しいよ。どこか歪んで育っちまった。俺はいつからか、感情を晒けだすことは弱さを見せることだと思うようになってる」

 

「それは分かってる。本当に心の底の部分までは誰だって易々と見せびらかしたりしない。でも貴方とは色々あったし、一緒に狩りをして。貴方の母親のことや私の司法取引のこと……だから、私には晒けだせるんじゃない?」

 

 慰めあれ毒であれ、この女は本音を言ってくれる。それを知ってるから狼狽えずに済んだ。燻る憎悪も怨嗟も彼女は否定しない。

 

 首を揺らしてくる彼女には、悔しいことに俺も色んなことを預けてる。

 大きすぎるくらいのものを。

 

 

「そうだな。黒歴史はもう暴かれてるし」

 

「細かく知ってる」

 

「そのとおり、ほんと嘆きたいよ」

 

 なんとも言えないままの気持ちを、俺は自分の部屋まで持って帰るのだった。

 

 

 

 

 

 張り込みから数日が経過した放課後。太陽は眩く輝き、ヒルダの大嫌いな陽光が地上にはっきりと影を焼き付けている。風は穏やかに吹き、仰いだ蒼穹は胸がすくほどだが俺の足取りはそこまで軽快でもなかった。面倒極まりないと嘆くほどでもなかったが、先生のカウンセリングは素直に受けたいと思えるものでもない。

 

 昨夜、唐突に先生からメールが来たと思ったらカウンセリングの呼び出しだった。報告の機会を不定期にするのはどうなんだろ、俺は先生に従うだけでそこまで口添えするつもりは毛頭ないんだがな。

 

「悪い、待たせたな。どんな感じだ?」

 

 いつもの高級ホテルの駐車場まで行くと、既に夾竹桃は駐車スペースの一角で待ちぼうけの状態だった。待たせたことに謝罪から始めるがなんでギターケースを背負ってるんだ?

 

「寝覚めは悪くなかったわ。貴方にプレゼント」

 

「プレゼント?」

 

「そう。ほら、これ」

 

 そう言って、肩掛けていたギターケースを渡してくる。

 

「なんだ?」

 

「見れば分かるでしょ、雪霞狼よ」

 

「雪霞狼って……はいはい、笑えたよ」

 

 深夜アニメに出てくる対魔物用に改造された槍の名前だったな。普段はギターケースに入れられて、丁度こんな風に持ち運ばれてるシーンを見たことがある。でもいきなりプレゼントって……俺はプレゼントを貰うようなことしてないんだけどな。

 

 左隣でうっすらと笑っている夾竹桃をよそに、大きさが大きさなのでケースをトランクに入れる意味でも俺はインパラの後ろへ回った。閉じられた広いトランクの上で、渡されたセミハードのギターバッグを開いてみる。

 

「どう?」

 

「……夾竹桃、これ……」

 

「いいでしょ?」

 

 いや、お前……これ……

 

「いいって、これ……すごいな、本当か?」

 

「私が聞いてあげるから。弾けなかった曲、練習すればいいんじゃない?」

 

 裏返りそうな声をどうにか抑える、セミハードのケースには青いギターが納められていた。きめやかな青いアルダーのボディと、それに揃えるような美しい青色のヘッドは自然と目が惹き付けられる。気が付けば手に取ってその感触を確かめていた。いや、これ……本当に、すごいな……安くないぞ、こんなの。

 

「気に入った?」

 

「いや真面目に……こんなの、言葉もないよ。ありがとう」

 

「じゃあ、行きましょう。遅れると小言を聞かされる」

 

「ほんと。ありがとう。あ、待った」

 

 俺はギターケースを閉じ、トランクに入れると女子席のドアを開こうとした夾竹桃を呼び止めてからーー

 

「インパラ、お前が運転すれば?」

 

 制服のポケットから鍵を投げ渡すと、夾竹桃は目を丸めて受け取った鍵に視線をやる。だが、またすぐに助手席を回って、運転席のある左側に歩き始めた。

 

「ふーん。ええ、するわよ。久々に彼女と戯れる。突破口を開いたわね雪平」

 

「喜ぶなよ、ただし音楽の決定権は一曲ごとに交換だ。ダンボールボックスからテープを引き抜いて……夢見る少女じゃいられない、トラブルメイカー……どっちがいい?」

 

「お可愛い選曲だこと。出すわよ」

 

「ああ、ほんと」

 

 ──お可愛い奴め。本日の教訓。夾竹桃は運転が上手かった。

 

 

 

 

 




黒髪と赤い目はベストマッチだと思う。


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ファースト・コンタクト(二学期)

 修学旅行Ⅰの後に、ウィンチェスター家お決まりのゴタゴタに巻き込まれた俺は武偵校から遠く離れた異世界で魔王と母親と遭難していたわけだが、時間という概念がある以上は俺がミカエルと追いかけこっこしてる間もルシファーに体を貸してる間にも武偵校では綴先生や蘭豹先生の授業が行われている。

 

 一般の学校と比べて大いにズレてはいるが武偵校も学校は学校。無断欠席で単位も取らずに過ごせば必然的に待っているのは留年。つまり、神崎や理子には置き去りにされ、間宮たちと一緒に授業を受けることになる。最悪、一緒のクラスで学ぶことも無視できる推測ではなく、ハッキリ言って許容するのが無理な話だ。母さんやサムに何を言われるか。

 

 武偵校に戻ってから真っ先に感じた不安は無断欠席を繰り返した果ての俺の立場。先生との再会は足取りが重いどころではなかったが、ジャンヌが教務科に上手くやってくれていたお陰で俺は長期の依頼で東京を出ていたことになっていた。こればかりはジャンヌの手腕には感謝せざるを得ないな。

 

(へぇ、流石に圧巻だな)

 

 いつかのカジノで使ったネクタイを片手で弄り、俺は眼前のショーケースの中身に目を細める。教務科の機嫌を窺う意味でも、ここのところ俺は手当たり次第に依頼を受けまくって単位を稼いでいる。狩りでもないのに堅苦しい服装をしているのも受諾した依頼の為。『ピラミディオン台場』以来の警備の仕事で俺は休日の東京市内に出ていた。市内で行われる懐中時計の展示会、その警備と問題が起きた場合の対処が依頼の内容。

 

 しかし、展示会だけあって飾られている懐中時計も見るからに美しい造りをした物ばかりだ。俺は時計にそこまで詳しいわけじゃないがアンティークの懐中時計となればそれなりの値がつく。俺以外にも警備の人間が置かれているがそれも当然だな、このショーケースの中身を全部流したら……盗みの動機には充分なる。カジノと同じく、今回はあくまで客を装っての警備、何も起きなければ時計を観賞して終わりだ。

 

 現在、俺が首を巡らせているのはメインの展示会場となる大広間。一番の密集地帯には豪壮な大理石の石柱が林立し、磨き抜かれた床には奇天烈なモザイク画が描かれている。夾竹桃が寝泊まりに使ってるホテルも大理石の床で通路が作られていたが建築材としては本当に優秀な石なんだな、大理石って。

 

 大広間だけを監視するわけにもいかず、適度な頃合いで俺は隣接している通路に足を運ぶ。しかし、スケルトンの懐中時計まであるとはなぁ。機能性を度外視しても惹き付けられるほどの造形美がここの展示物にはある。ほんの少しだが時計のコレクターってやつの気持ちが分かったような気がするよ。大枚を投げるところまでには行かないけどさ。

 

「雪平……?」

 

 それは通路を歩いていたときのことだ。不意にこちらを見ていた少女と偶然にも視線があった。それは問題じゃない、視線が偶然ぶつかるなんてことはいくらでもある。俺が足を止めたのは俺の知らない少女が、俺を見ながら名前を呼んだことだ。

 

「どこかで会った?」

 

 いや、答えは分かるーー会ってない。切り揃えられた銀髪の前髪、年齢はキンジや神崎と同じくらいか。長い後ろ髪はワンレングスに切り揃えられ、黒いリボンが左右に二つ。そして真っ先に視線を惹き付けられるのは左右で色の違う赤と青の瞳。ルビーとサファイアを思わせる宝石のような瞳が、白銀の髪と恐ろしいほどに調和している。

 

 控えめに言って神崎やジャンヌと張り合えるレベルの美女。こんな子と出会ってたら、まず記憶に残ってる。オッドアイと銀髪、個々でも見かけない要素が揃ってるんだ、一度見れば忘れたりしない。だから、彼女が一方的に俺の名前を知っていたことに足を止めてしまった。武偵はタレントじゃないんだ、巷に名前なんて知られていない。知ってるのは犯罪と縁のある訳ありの連中。それと怪物、悪魔、天使のお約束の面々。

 

「怖い目付き」

 

「ごめん。君みたいな子に声をかけられたのは初めてだから、緊張しちゃって」

 

 目を見れば人が分かるというが、この子の場合はそんな抽象的なもんに頼らなくても普通じゃないことが分かる。彼女から滲み出ている気配は、命を掛け金にするようなテーブルを抜けて来た者のそれだ。宝石と謙遜ない煌びやかなオッドアイの瞳、だがそれも醜悪な現実を直視してきた者が浮かべる冷たい瞳に見えてならない。

 

 ただの美人なだけの白人、それだけで片付けるのが無理な話だ。あどけない外見と冷たい現実を見てきたような内面。内側と外がミスマッチの少女が不意に細い首下を揺らし、小首を傾げた。赤と青の瞳が綺麗な半眼を作る。

 

「警戒しなくてもいいよ。色んな武偵校であんたのことは有名だから。それだけ」

 

 ……そこまで警戒の姿勢を取ったつもりはなかったんだがな。表情にも出したつもりはないし、あくまで気になった程度の認識を装ったつもりだ。透き通るような綺麗な声色とは裏腹に、内面を覗き見されたような妙な嫌悪感に襲われる。先生の鋭い観察眼とは別方向、全く異なる何かで中身を覗かれたような感覚。

 

「鋭すぎるのも敵を作る」

 

「? あんたは武偵高に通ってないのか?」

 

 鋭いも何も今の会話を考えると、彼女が武偵、もしくは武偵病院や警察の関係者と見るのが自然。何か違和感のある忠告だった。まずいな、最終戦争帰りで警戒心が過剰に膨らんでる。全部が全部、悪い方向に進む前提で考えが動いてるぜ。

 

「詳しくは答えられない。仕事の最中だから、今は時間があるから私用だけど」

 

 ……ああ、潜入任務か。ウチの学校では見ない顔だが、名古屋って感じでもないな。他からの遠征かな。日本人離れした白人の顔つきだが神崎やワトソンの例があるし、海外からの学生がいても不思議じゃない。俺も海を渡って転がり込んだ口だしな。敵意らしい敵意も感じないし、俺は内側に隠していた警戒心も完全に引っ込める。

 

「私用って、時計を眺めに?」

 

「あたしが自由な時間をどう使おうと自由だからね」

 

「それはもっともだ」

 

「あんたはナンパ?」

 

「ナンパする気ならこんなところに来るわけないだろ、用事さ」

 

 クールに見えて中身は神崎と同じタイプだな。初対面なのに物怖じしてない、夾竹桃を思い出す。

 

「ブレゲの時計も出るって聞いたから来たんだけど、今度落としに行こっかな。見てたら欲しくなっちゃったんだよね」

 

「ブレゲか、高級趣味だね。学生に買える時計じゃないだろ。軍資金は?」

 

「ちょっと心もとない」

 

 どうやら彼女は時計のコレクターらしい。気の強い印象を受けるが素直に答えてくれたのは意外だ。もしかすると軽口を飛ばし合うのは嫌いじゃないのかもな。初対面でやる会話にしてはフランクだが、一方的に素性を知られているせいで俺への警戒が緩い。

 

「ブレゲは一生モノって言うしな」

 

 時計には詳しくないがブレゲが値が張ることくらいは俺にも分かる。もしかすると、この子も神崎やワトソンみたいな資産家の家系だったりして。そこまで踏み込むつもりはないが、夾竹桃の漫画然り、ジャンヌのピアノ然り、好きなことに励む女性の姿には男は眼を奪われる。

 

 彼女が自分のお金をどう使おうが彼女の自由、物に対する価値観は人によってそれぞれだ。時計のコレクターに会ったのは初めてだが、M82に大枚を渡すよりもブレゲに札束を使うほうがずっと女性らしいよ。

 

「ここで会ったのも何かの縁だ。ご武運を」

 

「ありがとう」

 

 素っ気ない返答を貰って後腐れもなく、俺は仕事に戻ろうとする。思いの外、話すぎた気もするし、まずは人の一番集まってる大広間に戻るとするか。

 

「あ、そういや、良かったら名前だけ聞いてもいいか?」

 

「却下」

 

 即答かよ、この女。

 

「自分だけ一方的に名前を知られてるのって心地よくないよな。さっき学んだよ」

 

「あたしは用心深いんだ。今の上司も今いる部下の中じゃ一番惜しいところまで追い詰めたこともあるんだからね」

 

「君の上司はよく知らないけど、要するに荒事も得意ってこと?」

 

「Yeah.」

 

 お上手な英語で。綺麗にはぐらかされると無理に追求する気も失せた。それでも大広間に戻るのは一緒、そこまでは彼女もかぶりを振ることはなかったのでメイン会場まで一緒に戻ろうと踵を返して、俺はまたしても足を止めた。今度は隣の彼女も同じタイミングで。

 

「聞いたか?」

 

「広間の方ね、かなり近い」

 

「平和なクランクアップはなくなったな。お次はなんだ?」

 

 連なった炸裂音に俺は小さく舌を鳴らす。俺と銀髪は広間と通路を繋いでいる扉の隙間から中を覗くと……案の定、床に伏せて頭を抑えるスタッフと来客の姿が見える。それとーー

 

「MP5、あれなら適当に撃っても当たるね」

 

「それは誇張しすぎだよ。下手な奴は下手だ」

 

 無音声で呑気な彼女に答えを返す。最悪だ、黙視できるだけで五人。全員武装してやがる、抱えてるのはH&Kのドル箱だ。

 

「警備の依頼なら責任問題だね?」

 

「ぶっそうなこと言うな、なんとかするよ。手練れの上司を追い詰めるくらい強いんだろ、だったら広間の掃除をやるから手伝ってくれ」

 

「軍資金」

 

「……だから守銭奴の女は大嫌いだ。欲望の化身め」

 

「嫌いになるまで分かり合えたら大したもんだけどね」

 

 口の回る女だ。嫌味ったらしく俺は溜め息をつく。展示会場の占拠、そしてこれが俺とーー今後、キンジを通じて嫌というほど絡むことになる愉快な集団の超能力担当第一人者との奇怪な出会い。

 

「で、名前はなんて呼べばいい?」

 

「アリス・アバーナシー」

 

「……こいつはヘビーだ。二挺拳銃で全員やっちゃってくれ」

 

 ロシアの超心理学アカデミーの鬼才、旧KGBの暗殺者ロカとのファーストコンタクト。

 

 

 

 

 

 

 

 



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トラジック・アイロニー

「金持ちは大変だ」

 

「どうして?」

 

「皆が欲しいものをいっぱい持ってる」

 

(イコール)金。それで不運を呼び込んでたら皮肉もいいところね」

 

「人は誰でも金の為に魂を売る娼婦だよ。天使のマイケルちゃんとゴリラのゴンちゃんは別だがなぁ」

 

 一本ずつ巻いて二本をくっつける──大理石の床に横たわった男の手足を結束バンドで固定するのと同時に隣から嘆きが聞こえた。

 

「どうでもいいけど、プライベートを台無しにされるのは許さないよ」

 

 同じく横たわったもう一人を銀髪の彼女が拘束する。華奢な少女が体格の良い男を見下ろす光景には違和感を感じるが、彼女の場合はその限りでもない。ほんの数分前、横たわっている男を制圧したのが当の彼女自身だからな。あっさり銃を奪い、一方的に意識を落とした手際の良さは素直に感嘆したよ。普通のやり方じゃなかったがな。

 

「あんた、超能力者だったんだな。さっきの手を使わないアイアンクロー、どうやったんだ?」

 

「知りたいなら無料でやってあげるよ。体験するのが一番」

 

「悪かったよ、今度から手品の種を聞いたりしない。短機関銃は押収するとして、こいつらも事が済むまでどっかに隔離しとかないと」

 

 ……触れずに相手の頭を締め付ける。先程、男を制圧したのは紛れもなく彼女の超能力によるものだ。不可視の力で頭を締め付けられときの男の表情といったら忘れられない。意識を落とす程の鈍痛が突然襲ってきたんだ、白旗も振りたくなるよな。

 

 実戦に耐えられるまで洗練されたレベルの超能力、細腕だが銃火器を扱えないってわけでもない。脈絡なく鉄火場に投げ出されても恐ろしく落ち着いてる。この子、大口に見合うだけのことはあるな。間違っても戦いたいとは思わない。端的に言って──手練れだ。

 

「さっきから言ってるんだけど? お前の心臓だってその気になれば止められるんだからね?」

 

 不機嫌に冷めた瞳が、俺を見据えてくる。まただ、会話の前後の辻褄が微かに合わない。そして、この何かに内側を覗き見されたような不快感。だが、彼女が超能力者であることを踏まえると俺が感じた嫌悪感にも一応の説明がついた。

 

「読んだのか、俺の心を?」

 

 相手の心を読むのは超能力者にとって珍しい話じゃない。武偵高にもSSRの時任ジュリアという心を読むことに長けた超能力者がいる、彼女は観察眼や洞察力ではなく人の考えや心をそのまま覗くことができる。接触、非接触と心を覗くことに必要な条件はそれぞれだが眼前の彼女は非接触でも心を読めるんだな。

 

「そうだけど、それだけじゃない事はもう分かったでしょ。あたしは荒事を片付けるのも得意、細腕だからってバカにするとお前も足をすくわれるよ」

 

「覚えとくよ、できればこのまま仲良しでいたいもんだ──」

 

 俺がかぶりを振ったのとほぼ同時に結束バンドで縛った男の無線が鳴った。

 

『アルファだ、例の女は見つからない。仲間と連絡が取れない』

 

 先にタイムカード押して、早退してるよ。

 

『腑抜けにやられるわけない、誰か気づいて一緒に隠れてる』

 

 ……腑抜け、誰のことだ。

 

「古旗唯、目的は分かってる」

 

「そうだ、こいつの内側覗いたんだろ?」

 

「あたしは対象の考えを読むの。考えてなきゃ、考えてる事は読めない」

 

 おい、だとしたら意識を落としたのってまずくないか?

 

「あたしはバカじゃないってば。目的は読みとれたよ、探してるのは古旗唯」

 

 自然に俺の心と会話するなよ。でも有能なのはよく分かった。必要な手札はしっかり確保してる。

 

「どっかの資産家か?」

 

「名前は聞いたことがある。たしか親類が外交官の大物」

 

「……政治の話って大嫌い」

 

 この騒動、金目当てじゃなさそうだ。もっと厄介なのが糸を引いてる。こうなってくると彼女と出くわしたのがとんでもない幸運に思えてきた。一人で片付けるよりもずっと心強い。

 

「あたしが能力を明かしたんだから、お前も自分のことを話したら?」

 

「世間話やってる間にかわいこちゃんが見つかったら大変だ。全部終わったらファミレスで好きなだけ話してやるよ、代金は割り勘で」

 

「……別に奢れって言ってないんだけど。嫌味な男」

 

 拘束した男たちをとりあえず別の場所に隔離、騒動が一段落するまでは退場してもらう。思わぬ協力者のお陰で相手の目的は見えた。その女性を先に見つけて、なんとか外部に連絡を取って、なんとか奴等を一掃する。ああ、なんてことない、楽勝だ。そう吐き捨ててから、応答の一切ない携帯を閉じる。

 

「さっきから借金取りみたいに電話してるが携帯が通じない」

 

「妨害電波でしょ。他に外部と連絡取れる方法があるならさっさとやって」

 

「伝書鳩でも飼ってたら良かったんだがな。これはあんたの」

 

 冗談でも言わないとやってられない。二つあるインカムの片方を彼女に投げて渡すと、受け取った銀髪……一応アリスさん(間違いなく偽名)は周囲に目をくばる。

 

「拝借したの?」

 

「内緒話はパンくずのようにこぼれ落ちて、最後には虫けらの餌になるんだ。いくぞ、奴等より先にその人を見つける」

 

 連中の目的がその女性なら、身柄を渡すことだけは絶対に避けないと。この御時世だ、目的が達成されたらここが屍山血河になっても不思議じゃない。一瞬脳裏に浮かんだ最悪の結末は隅に追いやり、大広間とは真逆の南方向のフロアに俺たちは舵を取った。

 

「まだ見つかってないってことはどこかに隠れてる。どこだと思う?」

 

「この建物はフロアの数はそこまで多くないから、通風口やケーブルを通すために掘られた通路とか怪しいんだよね」

 

「狭くて閉鎖的な場所か」

 

「胎内回帰、狭くて閉鎖的な場所に安心感を覚えるのは子供だけじゃないってこと。ゾンビが押し寄せたらコンテナにだって逃げたくもなるよ」

 

「ゾンビの餌になるか、干からびてミイラになるかの二択だろ。俺ならどっちもごめんだね」

 

 胎内回帰──要は、壁に囲まれた場所や狭い空間が母親の胎内に似ていることで安心感を感じられるって考えだな。子供に多く見受けられる通説ってTVで聞いたことがある。

 

 撃ち合いになれば向こうは短機関銃。こっちは俺のトーラスと、さっき彼女に見せて貰ったベレッタ90-two。息をするように弾を吐き出してくるあっちとは火力でどうしても埋まらない差が生まれる。遮蔽物は意識して動かないと出くわしたと同時に蜂の巣だな、星枷みたいにM60を忍ばせてたら話は別だが……あれの銃検を通すなんて土台無理な話だ。

 

「外に報せが行ってると思う?」

 

「どうかな、誰かが通報してるなら音沙汰がある頃だ。最悪、俺たちのどちらかが外に出て救援を呼ぶしかない」

 

「見張りは外にもついてるし、一人で例の彼女を見つけられるなら喜んで出ていくけど?」

 

「……嫌味な女だ」

 

 依然脅威は去ってない。足音を殺して、彼女と目ぼしい場所の捜索を続ける。どちらが先に隠れている女性を見つけるか、目ぼしい場所を一ヶ所ずつ潰していくと正面の通路は行き止まり、丁度制御室のある一角へと出る。

 

「雪平」

 

 視線に促され、銃の用心金に指をかけながら制御室のドアノブを回す。内側から冷たい空気が洩れだし、足を踏み入れると一言ハイテクと言いたくなる空間が顔を出した。情報科の連中が好きそうな部屋だ。思ってたよりも広い空間だが残念ながら人の気配は見られない、犯人も捜索されてる女性も影も形もない。

 

「ハズレか。どうする、やっぱりどちらか増援を呼ぶか?」

 

「必要ない。こっち見て」

 

 しゃがみこんだ銀髪に従って目線を変えると、壁の中から伸びたケーブルを隠すための戸が外れている。ケーブルの通っている通路は伏せれば大人の男性でもギリギリ通れる高さ、女性なら少し余裕がある。マグライトの照明を灯し、内側を照らしながらやがて彼女は低い声色で一言。

 

「当たりよ、誰か通ってる」

 

 マグライトを消し、立ち上がった彼女が目を合わせてくる。

 

「狭くて閉鎖的、見立てがあったな」

 

「そんなに嬉しくもないけどね」

 

 皮肉めいた瞳は、色こそ違うが夾竹桃によく似てる。性格は神崎寄りだけどな。捜索の手掛かりに手をかけたとき、大きく壁を蹴るような音が聞こえて、背筋が強ばる。

 

「……近いな。よし、隠れろ。先にいけ」

 

「どこに隠れるのよ……ここしかないんだけどね」

 

 自問自答しながらケーブルを通すための穴に潜っていく。俺は外れていた板を取り、先行した彼女とは逆に後ろ向きで通路に潜る。前が見えないのは致命的だが仕方ない、戸を外したままにしておくほうが命取りだ。ケーブルごと通路の入口を戸で隠し、伏せたまま後退してロカを追いかけるように出口へと進む、なんとまあマヌケな格好だ……

 

 

 

 

 

 

 ──銀髪、もとい改めてロカと名乗った少女に足を引っ張られて、俺は数分振りに背筋を伸ばせる場所に出た。ケーブルは制御室からサーバーの置かれた部屋まで一直線に繋がっていた。思わぬ解放感で忘れそうになるが足を捕まれて引きずり出されるのは気持ち良いものじゃないな。馬に引き回しにされた気分だ。このロカって女、初対面なのに神崎レベルで容赦のないことやりやがる。実は主戦派だったりしてな。

 

「容赦ないのはお互い様だよ。でもそろそろ潮時かもね」

 

 突然の脈絡のない言葉は、問いかける前に答えが向こうからやってきた。犯人でもなければ捜索していた女性でもない、別の第三者が冷ややかな眼差しで俺を睨んでいた。第三者と言い切れるのはそいつが人間の容姿をしていなかったから。頭部と完全に繋がっている獣耳は玉藻がちらつかせている物と瓜二つ。いや、こっちは気持ちばかりキツネっぽいか。

 

「休暇なのに災難だったね、ロカ。一つの幸運をもたらす代わりに一つの不幸を呼び寄せる、でも大きすぎるのを引き寄せたね」

 

 ぎろっと俺を睨んだ獣少女はロカの知り合いらしいがどこをどう見ても非日常側の人間。残念ながら恨まれる理由はどこを探っても出てこない。これが正真正銘のファースト・コンタクトだ。

 

「なあ、恨まれる記憶はないんだがどっかで会ったか?」

 

「ないよ。会いたくはなかったけど」

 

「そのわりに随分と警戒してくれるんだな、重要手配人並みだ。大物扱いも乙なもんだけどな。それで、援軍と思っていいんだな?」

 

 ロカに視線ごと言葉を投げると、赤と青の瞳はP90を抱えた獣少女に向けられる。やがて、ツクモと呼ばれた獣少女はかぶりを振り──

 

「サード様が来てる。騒ぎは終わり」

 

 それを聞いた途端、ロカはあっさりとそれまで維持していた警戒の態勢を解いた。ベレッタの武装も解除し、まるで全てが終わったように撤収の作業に入ってる。──サード、三番目?

 

「スリルに満ちた捜索は終わり、あとの始末はお前に任せるよ」

 

 そんなことを言うロカに、俺は半眼でツクモへと視線をやる。

 

「撤収ムードのところ悪いが話が見えねえ。あんた、玉藻御前と同じ妖狐の系譜だな? 人間にも友好的な連中ってのは知ってるがそのサード様もロカも名前からしてこの国の生まれじゃない。どうして日本の化生が一緒にいるんだ?」

 

 話に出たサードはロカが自分が追い詰めたと語っていた上司のことだろう。ロカはともかく、獣人を配下に持つなんて普通の勢力じゃない。思考を重ねる度に嫌な汗を書きそうになる。もしかすると、俺が何も考えずに手を組んでいた相手は、こんなところに押し掛ける連中よりもずっと力を持った組織の人間だったのではないか。それを裏付けるように悪夢のような叫びがインカムから響いた。

 

『化け物めええええぇぇぇぇぇ!ちきしょおおおぉぉぉぉぉ!!』

 

 追い詰められた人間のみが放つ叫びとノイズのごとき無数に連なった発砲音。さっきまで静かだったインカムはまるでアラートのごとくけたましい音を伝えてくる。突然の異様な状況にも二人はそれが分かっていたように表情を崩さない。つまるところ──

 

「これがサード様ってやつの仕業か?」

 

「お前の出番はないよ、ウィンチェスター。この騒動は終わり、運が良かったね。人間なのに人間相手は専門外、本当に変わった連中」

 

「人と口喧嘩するよりも先にスキンウォーカーと喧嘩したんでね。その口振りだとこっちのお家騒動も知ってる感じか、恥ずかしい限りだな。元家出の身分で言えた口じゃないけどさ」

 

 かぶりを振ると、インカムはもはや阿鼻叫喚の状態だった。未知の侵略者にでも遭遇したかのような悲鳴とがむしゃらな銃声が飛び交い、応援と助けを求める声がチャンネルにひっきりなしに乱れている。誰も彼も本気で怯えてる声だな、まるで地獄だ。

 

「ツクモって言ったな。あんたの言うとおり。後味は良くないよ、襲撃犯は人間だ。悪魔でも怪物でもない。ただのイカれた、人間」

 

「世の中はお前が思ってるより病んでる。さっきの答えだけど、お前も仲の良い化生の一人や二人くらいいるだろ。とやかく言われる筋合いはない」

 

「……それもそうだな。あんたが誰とくっつこうが俺には関係ない」

 

 深入りしないといけない理由もない、俺が頷いてからすぐにインカムは静かになった。それが意味することはつまり──襲撃犯の全滅。全てが終わったことを裏付けるようにロカの口元が動いた。

 

「遅かったね。サードのことだし、殺してはないだろうから後は適当に任せるよ。台無しになった時間を取り戻さないと」

 

「どうせ会うことになるだろうけど、もう会わないことを祈ってるよ。後始末よろしく」

 

 サーバー室から出ていく二人の背中を、俺は追うことができなかった。足を踏み出した途端、どこからともなく刃で切りつけるような殺気が飛んでくる。ツクモやサード以外にもまだ他のやつが潜んでる、無視できないレベルの手練れが近くにいる証だった。トーラスをホルスターに納めると消える背中をただ無言で見送る。

 

 

 

 

 

「──Good.追うのは非合理的だよ」

 

 どこからともなく聞こえた言葉に、ただただ背筋が冷たくなった。それがこれから先、嫌になるほど聞くことになる女の声であることを、このときはまだ知らない。

 

 

 

 




『悪魔でも怪物でもない。ただのイカれた、人間』S9、15、サム・ウィンチェスター──



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遅れてきた文化祭

「材料はチキンにスパイス、それと羽の生えた流れ者の肉。まあ、鶏肉っていうのは伝統的なブランチには、本来なら相応しくないけれども。さっぱりとした肉の味わいはなんというかぁ、我々の食欲を掻き立てる」

 

 微妙な香りと食感を引き立てる。まるで食前酒のような役割を果たすんだ。

 

「イタリアではランチと一緒にワインを楽しむんだ。だが、アメリカではカフェインや炭酸、砂糖たっぷりの飲み物で胃に流し込む。たまにはゆっくり時間を楽しむことも知らなきゃいけない」

 

「火力が足りねー!」

 

「……とんだシカゴ・ファイヤーだ」

 

 ぼやいた次の瞬間には、消防士の格好で中華鍋を振り回していた武藤の姿は消えていた。「消防士は命懸けの仕事やぞ!そんなヘラヘラした奴がおるか!」と乱豹の怒声が遅れて厨房に響いてきた。お前みたいな教師がいるか、とついつい出そうになる言葉をなんとか喉元に沈めると我関せずでフライパンを振る。

 

「切……! た、助け──」

 

「おら、武藤! 自分から火を求める消防士がどこにおるんや!」

 

 蘭豹先生には珍しいぐうの音も出ない正論だ。仮装食堂──アドシアードと同じく、一般の人にも解放される早い話が文化祭の催し。だが、そこは武偵校らしく自分の役に沿った変装での接客を求められる。それはバックヤードでの厨房の係もホールも関係ないらしい。消防士や火災調査官が火を弄ぶような発言をすることには、先生と同意見だけど。

 

「……調理係がいるなら全員が変装する意味なくないか?」

 

「あやや、あややからは何も言えないですのだ!」

 

 先程、キャバ嬢にしては身長が低すぎると無茶苦茶な理由で厨房に送られてきた平賀さんが無難に答える。高校生より下にしか見えない容姿でましてキャバ嬢など土台無理な話だ。この子を働かせる店なんて、それこそ犯罪だろ……

 

「雪平くんは学者さんですのだ? レキさんも学者さんですのだ!」

 

「考古学者。いや、冒険家で考古学者かな。たまに教授。ちなみにドローしたのはキンジで俺が選んだわけじゃない」

 

 この仮装食堂、演じる職業は公正なくじ引きで決められる。生徒には、一度だけ引き直しの権利が与えられるが二度目に決まった役は絶対に変えられない。ようするに一度引き直しを選んだら最後、自由意思が入り込む余地はないのだ。くじ引きが始まった頃、絶賛異世界騒ぎに巻き込まれていた俺の代わりにキンジが代理で役を引いてくれわけだが……

 

「蛇は嫌いですのだ?」

 

「全然、ロープみたいに振り回せるよ。流砂に嵌まるのは勘弁だけどね」

 

 中折れ帽子と革の鞭、レザージャケットで固めた姿は蛇嫌いで犬みたいな名前の……有名すぎる考古学者を参考にさせて貰った。嬉しい共通点ではないが俺もナチスとは浅からぬ縁がある。

 

 他にもドクトル・ジョーンズはカーリー崇拝の暗殺組織と戦ったが、逆に俺はそのカーリーとあわや一触即発まで行ったことがある。彼女はガブリ……ロキの元カノで破壊を司るとされるインドの危ない神。俺も危うく天使避けを掘ったあばら骨がかたっぱしから折られるところだった、檻から出たばかりのルシファーを呼び出すために。

 

 でも最後は彼女のお友達の神が勝手に招いたルシファーによってインドも北米の神も皆殺し。雁首揃えてルシファーを殺そうと息撒いていた北米インドギリシャ連合は数分で全滅。残ったのはロキがルシファー相手に時間稼ぎをしてくれたことで、俺たちとインパラで一緒に逃げることができた彼女一人。

 

 そこからの彼女の動向は知らないが、少なくとも最近になって元カレを窮地から救い出したのは何の縁もないイギリスのブリキ人形ケッチだから彼女は恩も何も返してない。その意味では狩りの女神アルテミスの方がよっぽど義理堅く、話のできる神だったよ。俺は滅多なことで神に祈ったりしないが……彼女に限っては本気で祈ってもいいと思ってる。心の底から。

 

「キンジは学力だけじゃなくて、引きの強さもドロップアウトボーイと良い勝負してる。今回はあいつの引きの強さに助けられたよ。女装やアイドル、難題を振られたら手に負えなかった」

 

「エルドラドの場所が分かったときはあややも付き添いに呼んでほしいのだ」

 

「……詳しいんだな。あの映画好き?」

 

「トロッコのシーンは大好きなのだ。ふんふふん~ふんふふん♪」

 

 楽しそうに口ずさむ平賀さんはなんというか……愛嬌があるな。同じ高校生離れした見た目でも神崎や理子とは違った愛嬌がある。保護欲を掻き立てるとかそんな感じの魅力がある。でも平賀さん……それジャック・スパロウが乱戦仕掛けてるときの曲だ……

 

「雪平──! 平賀とくっちゃべってないでフライパン振れ! 武器のように振れや──!」

 

 ……先生、キッチンの道具で戦おうなんてライバック兵曹じゃないんです、普通はやりませんよ。ああ、やれと言えばやりますよ。調理も調理器具で戦うことだってやってりますが──

 

「雪平くん、フライパンが剣ならばフライ返しは盾なのだ!」

 

「……平賀さん。右手のフライパンに誇り(プライド)を、左手のフライ返しに魂を宿せなんて言わないでくれよ?」

 

「──あやや!?」

 

 案の定、蘭豹先生の蹴りが飛んできて俺たちは吹き飛んだ。俺も平賀さんもバカなこと言ってたのは否定できない、こればかりは自業自得だな……先生も相変わらず問答無用で安心したよ。これでこそ戻ってきた実感が湧いてくる。パーティーにようこそ。

 

 などと休学前と変わらない有り様に懐かしさを覚えること数時間。平賀さん、改心した武藤とキッチンで作業に勤しむがどうやら厨房に三人も人員は要らなかったらしい。忙しさに波はあるが手を持て余しているのが時間のほうが多い、先生も同じことを考えているらしくーーなにやら思案する素振りを見せる。

 

「厨房は2人で足りるしなァ。平賀の代わりにどっちを出すか」

 

 フロアはフロアで苦労があるが、厨房で終わっちまうのはそれはそれで悲しいな。

 

「雪平ァ」

 

「はい、閣下。いつでも査問会議に立ちます」

 

「……ええ、心がけや。キャラクターは無茶苦茶やけどな」

 

 閣下と呼ばれたことがどうやらウケたらしい。インディアナ・ジョーンズは考古学者として大きく認知されているキャラクターだが、OSS──CIAの前身となった組織で任務に努めた経験もあり、実際には一人でソレンの軍人や邪教崇拝の暗殺者を返り討ちにする学者の皮を被った軍人なのだ。親父が海兵隊だったこともあり、子供の頃彼に憧れてショベルでボビーの家の庭を掘り返したのは良い想い出だな。ということで、意外とこの役には満足してる俺である。

 

「ところで、遠山には兄がおるって聞いたが」

 

「ええ、それなら俺も会ったことがあります。遠山金一、キンジとは一文字違いの兄。それがどうかしましたか?」

 

 突然のタイミングで予想もしていない質問に俺は目を丸める。一応、先生はカナの姿の金一さんと過去に出会っているが直接的な繋がりがある話は聞いていない。なんでこのタイミングで聞いてきたんだ……?

 

「さっき遠山が自分には兄がいるって言ってきよってな。あいつが自分から話を振るような男がどんなもんかと──」

 

「蘭豹先生と同じですよ、まだ若いのに一騎当千の実力者で鬼神のように強い。それでいて、俺の知り合いには珍しいくらいの人格者。キンジが誇れるのも納得の人物です」

 

「ほう、お前が素直に称賛するレベルか?」

 

「先生を例えに挙げられる相手ですから。普通のレベルじゃない、今の俺だと逆立ちしても敵いませんよ。神崎、理子、キンジと雁首揃えてようやく勝ちの目が見えるかどうかってところです。でも俺は最近のキンジの成長具合を知らないのでこの例えも意味ないですね」

 

 俺はゆるくかぶりを振る。俺が知っているのは宣戦会議が始まる以前のキンジでしかない。理子から聞いた話によればキンジの超人化は近頃目に見えて加速しているとのこと。ワトソンに限っては自分が撃った弾を素手で逸らされたなんて言う始末だーー本当に弾を素手で逸らしかねないのが笑えない。

 

「話を纏めると、神崎レベルの秀才ってところでしょうか。神崎と違って泳げる秀才」

 

「よーし、話は分かった。それで他は?」

 

「話せることは話したつもりですけど……」

 

 まだ何かあるのか、と横目を流すと蘭豹先生は未だに納得していない表情だ。武装でも聞きたいのかな、残念ながら俺の考えは的外れだった。

 

「他にあるやろ、容姿とか……」

 

「はぁ……容姿ですか?」

 

 忙しさの失せた厨房の空気に当てられ、弛い態度で俺は聞き返していた。先生も先生でなんか歯切れの悪い声色だった。聞かれたからには答えるけどさ。

 

「俳優顔負けですよ。内面も外側も文句なし、本気でやれば大抵の女は落とせます。顔も良くて性格も良い、何より人を惹き付ける力がある。キンジと同じ一種のカリマスってやつです。まぁ……やや中性的と呼べなくもないですが……ほんのちょっとだけ」

 

 女装が妙に似合うくらい、ほんのちょっとだけだ。

 

「……中世的?」

 

 だが、案の定というべきか。先生はそこを拾ってくる。

 

「雪平。それはいかついとか、険しい感じとか……」

 

「全然。どっちかというと、綺麗って感じですよ。カッコいいとは思いますけど、それは精神的な強さ、器の大きさやカリスマに依るところも大きいと思いますが……あの、失礼ですが苦虫噛み潰したような顔してますよ?」

 

「錯覚や。どあほ」

 

 ……そう言われても詐欺に遭ったみたいな顔してるからなぁ。

 

「雪平、お前の好きな映画で例えてみ」

 

「イーサン・ハントじゃないですか。国籍はこの国ですが実力的にもIMFで謙遜ない。とにかく、先生の言うビブ・タネンみたいなイカついタイプじゃありませんね。人を腰抜けって呼んだりもしない」

 

 あくまでもカナではなく、遠山金一という人間について感じたことを口にする。キンジが崇拝にも近い感情を抱くだけあって、金一さんは話に違わない義を貫く人だった。俺が知っていたのは、アメリカで一緒に狩りをしたカナとしての側面だけだったからな。思ったことを吐いたが、先生を見ると表情はむしろ悪化してる。

 

「……先生?」

 

「雪平、とりあえずお前はホール行きや。せっせと働いてこい」

 

「は、はぁ……今からホールですか?」

 

「腑抜けた返事しよって、やりなお────し!」

 

「──Yes, ma'am.!」

 

 蘭豹先生の一喝に気圧され、反射的に親父にやってた軍隊式の返事を返しちまった。性別が違うのにすんなりと出ちまったな、俺。我ながらびっくりだ。

 

「なんやわりと様になっとるで雪平」

 

「きっと父が軍人だったからでしょう。俺も兄も父への返事はいつも上官へのそれでしたから。当たり前ですが拒否権はありません」

 

 今となっては隠すことでもないのでカミングアウトするが、意外にも先生に驚いている様子は見受けられない。特徴とも言えるポニーテールが跳ねるように揺れた。

 

「まあ、察しはついとったわ。武器の取り扱いも立ち回り方もお前からは軍隊の匂いがぷんぷんしとったからな。大方、ガキの頃からスパルタで仕込まれたって口か」

 

「……先生の瞳と勘は本当に鋭いですね」

 

 綴先生の観察眼や洞察力は人並み外れてるが、先生と同様に蘭豹先生の鋭さもバカにできない。豹の名に相応しい野性的な勘には教え子のキンジが絶対の信頼を置いているほどだ。

 

「幼少期の俺はキャッチボールやらずにボウガン撃ってる危ないガキでしたよ。当時は随分と下手くそで使い物になりませんでしたけどね。でも父には感謝してます、犬を飼うとか普通の暮らしは望めなかったけど、代わりに身を守る術を教えてくれた。あの日々がなかったら俺はとっくに地中深く棺桶の中だ」

 

 魔物なんていない、親父が芝居でもしてくれてたらもっと普通の生活を望めたかもしれない。でも怪物は現実にいる、そこらじゅうにウヨウヨといて、餌を探しまわってる。俺を含めて人間は餌でしかない。

 

「そのときは辛くても後になれば考えも変わってくるもんです。鬼軍曹のブートキャンプの洗礼に耐えられれば見返りは大きい。蘭豹先生のスパルタは……きついものがありましたが」

 

「ええ度胸やないか。自由履修はいつでもウェムカルやで?」

 

「考えときます。エナジードリンク飲み過ぎると夜眠れなくなる」

 

「ほんま、よう回る口しとるわ。でもお手柄やで勲章ものや。雪平、残り時間も気ィ抜くなァ」

 

「Hoo-yah」

 

 その後、俺の持ち場がホールに変わったのだが入れ替わりに厨房からホールに転属していたキンジが蘭豹先生の指名によってバックヤードに引き戻された。キンジの奴、真っ青になってキッチンに歩いて行ったがなにやらかしたんだ……?

 

 

 

 

 

「じゃあ、お前はキッチンから逃げたいために金一さんを売ったのか? あれだけ尊敬してます大切ですアピールしてたのに?」

 

「……反省してるって言ってるだろ。兄さんには内緒にしろよな、お前の責任なんだから」

 

「俺は真実を言っただけ。金一さんがコワモテって無理あるだろ」

 

 横から垂れ流される不満に問答無用でかぶりを振り、夕焼けの中をキンジと帰る。文化祭の期間中はバスが動かないので、インパラの停めてある車輌科のガレージまでキンジも一緒についてくることになった。

 

 なんでも蘭豹先生が出会い系サイトに年齢を偽って登録していること、好みの男のタイプがコワモテであることを情報科を通じて知っていたらしく、金一さんを餌としてちらつかせホールのスタッフを勝ち取ったらしい。えげつないことするねぇ……

 

「それで、結局バレたのか?」

 

「お前が余計なことを言ってくれたお陰でな」

 

「そう怒るな。タクシー代はタダにしてやるよ。先生お怒りだったか?」

 

「……知らん」

 

「身内を売った罰が当たったな。女を騙してロクな目には会わないってことだ。一つ賢くなったな、おめでとう」

 

「なんで上から目線なんだよ」

 

「俺も学んでるからさ。アバズレアバドンにボコボコにされた。癇癪持ちですぐ手が出る」

 

 あの女は遠慮を知らない。あれで肩書きが騎士だって言うんだから信じられねえよ。

 

「それって、いわゆる元カノか?」

 

「バカかお前は。あんな暴君と付き合ったら命が百個あっても三日ともたねえよ。悪魔と付き合ってたのは俺じゃなくてサミーちゃん、破局したけど」

 

 性格や比喩的な意味ではなくモノホンの悪魔なのが笑えないよ。外側だけなら黒髪の美人だったのにな。

 

「……さっきは俺に身内を売った罰だとかなんとか言わなかったか?」

 

「いいんだよ、事実だから。本にも載ってるし」

 

「鬼かお前は。アバドンってあれか。ゲームにもたまに出てくる悪魔の名前」

 

「大御所だよ。まあ、人望はなかったけどな」

 

 息をするように部下を粛清しまくってたらしいし。恐怖政治は地獄でも流行らないんだと。

 

「思い出すと無茶苦茶な話さ。あれだけ弟が悪魔と付き合ってることに散々文句言ってたのに、兄は兄で女の天使を車に連れ込んで朝までお楽しみだぞ?」

 

「つ、積もる話があったんだろ……」

 

「どっちも人間じゃないし、下に住んでるか上に住んでるかの違いだけだろ。次男は悪魔で長男は天使と遭い引きだ。俺には怪物の恋人でも作れって言うのか?」

 

「いや、俺に言うなよ……神様でもいいんじゃねえの」

 

「アルテミスは連絡よこさないし、別れ際が気まずかったから無理」

 

「俺はどこからツッコんだらいいんだ?」

 

 ……やばい、一度吐いたら愚痴が止まらなくなってきたぞ。

 

「この話は終わり。罰が当たる前にやめとかないと」

 

 でも別の世界で本当にサムはルビーと結婚してて、そういう可能性ももしかすると有り得たのかもな。しかも急接近後の黒髪バージョンのルビーと。束の間の怪物のいない世界に浸れた時間、良いような悪いような微妙な記憶を思い出していると……

 

「遠山の」

 

 戦闘訓練用の廃墟ビルから、声がかけられた。ここは文化祭の間はビニールシートで隠され、立ち入り禁止になってるはずだ。完全に見た目が戦場で一般には公開できないからな。だが、それより驚きなのはこの声は確か……

 

「ん、雪平も一緒か?」

 

「ご無沙汰してるよ、玉藻御膳」

 

「玉藻。帰ってきたのか。よりによってこんな日に」

 

 

 俺たちは青いシートを捲って廃ビルに入るが、剥き出しのコンクリートが広がっている一階に玉藻の姿は見当たらない。散らばっているガラス片や薬莢を踏みながら声を追いかけると、いた。丁度、見上げた鉄骨の上に武偵高のセーラー服姿の玉藻が立っている。

 

「お前、今日はテレビ局も来てるんだぞ。捕まって『珍獣ハンター』で放送されても知らないからな」

 

「ああ、ウケたよ。そうなったらお茶の間の人気者だな、精々3日くらいだけど」

 

「儂とて、民に興味本位で耳を引っ張られたりはしとうないわ。じゃから、ほれ。ここの生徒に見えるような服を着てきたぞ」

 

 玉藻は頭にフリルつきのベビーキャップみたいな帽子をかぶってるが、獣耳が隠しきれず微妙に浮いて突起みたいになってやがる。まあ、他人に無関心な人間も増えてるし、案外なんとかなるかもな。お茶の間に放送されたときは知らん。

 

「遠山の、儂は星枷に用があるのでな」

 

「キンジ、連れてっけってよ。会長に電話」

 

「なんで俺が……」

 

 ぼやいても携帯を取り出すのがお前らしいよ。溜め息をつく度に幸せが逃げるならキンジは不幸の渦中に引きずり込まれてるな。

 

「ふむ、今代の遠山はかつて那須野で会った遠山と瓜二つじゃが……」

 

「なんだ?」

 

「お主はまるでヘンリーの面影がないの」

 

 小走りにやってきた玉藻にそんなことを言われる。ヘンリー、ヘンリー=ウィンチェスター。親父の父親で非科学的な現象を研究していた『賢人』と呼ばれる組織の一員。若い頃の彼を知ってるけど、確かに性格も外見も俺とは似てない。出会ったときの第一印象は俺もディーンも同じことを思ってた、007そのまんまだったからな。

 

「俺もそう思うよ。似てるのは迷惑な連中にいつも追われてたことくらいだ」

 

「ふむ、儂が会ったのはまだ奴が若かりし頃じゃったが……宿命かの。老いる前にその消息を絶ったと聞く」

 

「みんながみんな早死にする家系さ」

 

 親父は自分が捨てられたと思ってるんだろうけど、ヘンリーのじいさんはずっと親父のこと思ってた。今でもできることなら親父に伝えてやりたいよ、じいさんがちゃんとした父親だってこと。ナルニア国の物語、ヘンリーはクローゼットの先の世界で命を落として戻れなくなった。好きで親父の前から消えた訳じゃないし、家族を捨てたわけじゃない。

 

「白雪はSSRだって」

 

「優等生は流石だな、変装食堂の後だってのに。玉藻様、場所が分かりましたよ?」

 

 携帯を閉じ、調べてくれたキンジに変わって結果を伝えると……

 

「でかした。ほれ」

 

 玉藻御膳が両手を差し出してきたので膝を曲げて視線を合わせてみる。

 

「なんだ?」

 

「抱っこせい」

 

「抱っこって……俺がおたくを抱っこするの?」

 

「神輿が無いから抱っこでガマンしてやると言っておるのじゃ。お主は信心が足りん」

 

 ぺちぺちと膝を叩いてくる。その姿はどっからどう見ても子供だ。動く気配もないし、言われるとおりに玉藻の脇を持ち上げるんだが……幼女の見た目が詐欺ってレベルで重たい。これ20kgはあるだろ……!

 

「悪かったよ、神様。今日は俺のセルフ神輿で我慢してくれ。ほら、抱っこしましたよっと」

 

 首に腕が回り、本当にやっちまったなセルフ御輿。ずっと抱っこするには厳しい重さだが、案外これも厄祓いになったりしてな。神様抱えてるわけだし。しかし、至近距離から見るとこれはこれで誘拐でもされそうな神様だぜ。

 

「ふむ、良い眺めじゃ。誉めてつかわす」

 

「ご丁寧にどうも」

 

 喋りはやたら古風だが無邪気で純粋無垢な横顔は、本当に誘拐されてもおかしくない愛らしさだ。抱えている神様にそんなことを考えていると、不意にキンジが視線を振ってくる。交代してくれるわけじゃなさそうだ。

 

「切、覚悟しろよ」

 

「何が?」

 

「これは一年や二年じゃ済まないぞ」

 

「拐うわけじゃねえよ!」

 

「これ暴れるでない! 女神を落とせばバチが当たるぞしっかりせい!」

 

「バカかお前は! おい、顔叩くなって!見えないだろ!」

 

 わざわざ手を伸ばして額をぺちぺちと叩いてくる神様。なんて奴だ。落としたらバチが当たるって自分から言ったのに。ちくしょうめ、こうなりゃ──安全運転なんてしてやるか。マルセイユのタクシーを見習ってタイムアタックだ!

 

「のわ──っ!」

 

「キンジ、インパラまで競争だ!」

 

「おい──ちょっと待て!ありえんだろ!」

 

 唐突な走り出しに振り落とされそうになる玉藻が首にしがみついてくる。よし、やり返してやったぞ。行く手に神が立ちふさがるなら、神をなぎ倒して行くのが俺の信条だ。玉藻を抱えたまま全力でアスファルトの地面を蹴り、前に体を押し出していく。

 

「待て! おいてくなって!」

 

「追われるってのは気分がいい。自分が勝者なのだと実感できる!」

 

「バカ言ってないで止まれバカ! なんで放課後に好き好んで走り込みやるんだよッ! ありえん、ありえんだろ!」

 

「いくぞ、カラカウア通りまで全速前進だああ!!」

 

「お前は生身で太平洋を渡る気か──!?」

 

 

 

 

 



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ある一日

これだけキャラクターが増えたら、原作版アリアのキャラクターブックが真剣に欲しくなりますね。キャラクターの愛車や武器の一覧とか絶対参考になるし、純粋に欲しい……

今年でインパラの生産も中止になるというのが沁々としたものを感じます。ベイビーも10年近く、お疲れ様を言ってあげたいですね。



 

 

 

 時はさまざまなスピードで流れる。一日の体感時間は人それぞれ違い、子供の頃は一日が長く感じて、大人になると一日があっという間に過ぎるという。楽しい夜は一瞬だが、悪夢のような夜は果てしなく長い。

 

 数日、依頼で部屋を空けていたはずがもう何週間も留守にしていたような気がする。まだ日差しの止まない朝の時間に、今となっては実家と呼んで差し支えない第三男子寮を上がっていく。数日振りの帰宅に足は軽快に進んでいくが、玄関にまで来て俺は顔を歪めることになった。

 

 気のせいかもしれないがドアの向こう側から火災探知機のpipipi……という忙しない警告音が聞こえる。頼むから待て、待ってくれ……

 

 半眼で前後左右を見渡すが火の手はどこにも上がってない。一瞬誤作動を疑ったが、仄かにドアの隙間から煙が漏れているのを見て、俺はすぐにドアを開け放った。

 

「おい!おい、何事だ……!」

 

 開け放ってすぐに俺は目を疑った。無駄に長い廊下を隠すように煙が広がっている。どうやら探知機が故障したわけじゃないらしい、むしろ立派に仕事を果たしてるな、これは。

 

「あれ、キリ?」

 

 部屋の奥から声がして、咳き込みながら神崎がやってくる。

 

「帰りは明後日じゃなかった?」

 

「そうじゃないだろ。なにやってるんだ……!」

 

 消火器を取ると、俺は廊下に隣接した小部屋の一つ一つを足早に確認する。案の定、廊下を半分ほど行ったところにあるキッチンでフライパンが激しく火柱を立てていた。

 

「待った! 違う! それ──」

 

 後ろから神崎が何か言うよりも俺はフライパンごと消火器をぶっかける。噴射音がして、火柱が止むとフライパンには黒く変色した何かが取り残されていた。過剰に焼かれた物体は、当たり前だが元の原型が窺えない。何かは分からないが笑顔で食えそうにはないな。

 

「フリタータが台無しよ……」

 

 フリタータって……マジで?

 

「焦げないようにした。なんで俺もキンジもいないときに一人で……助手を雇ってもいいだろ?」

 

 頬を膨らませるな、廊下に立たされた学生みたいな視線を向けるんじゃない。ちくしょうめ、煙で視界が大変なことになってやがる。よくここまで強行したな。一旦、さっきから鳴りっぱなしの探知機を止めてから神崎に向き直る。

 

「お嬢さん、なにか言うことは?」

 

「お帰り、キリ」

 

「ああ、ただいま。それを言われるとこれ以上何も言えなくなる、反則だ」

 

 とりあえず、充満した煙を換気するべく部屋の窓を開ける。

 

「はぁ……今開けようとしたわ」

 

「そうか、仕事奪って悪かったな」

 

 これがいつもどおりなら警報を聞いた星枷がキンジの安否を心配して、玄関のドアを切り裂いて飛び込んできてる頃だ。幸いと言っていいかは分からないが星枷はSSRの用事、キンジも個人的な用事で出かけることになったって今朝にメールがあった。つまり、今朝は誰も神崎を止める人間はいなかったことになる。いたら、家事が壊滅的な神崎を一人でキッチンに立たせるなんて凶行は許さない。

 

 星枷がいればドアが裂かれ、いなければキッチンから煙を出す。もう過ぎたことだが仮にキンジが留守にしていなくても良い結末にはなってなかった気がする。元あった場所に消火器を戻し、そんなことを考えてはみるがそれこそ俺の嫌いな後の祭りと言うものだ。この世界にデロリアンなんて便利な物はないんだし。

 

「でもなんでフリタータ? もっと他にもあっただろ?」

 

「料理番組よ。イタリア料理の特集、テレビでやってたの。短時間で、簡単に、誰でもできるって言ってたし……」

 

 フリタータは端的に言えばイタリアの卵焼き。予想の斜め上の解答だが料理番組の影響か。なるほど、どうりで予想できないわけだ。

 

「料理番組ではどこもそう言うんだ。それで給料を貰ってる。チャレンジ精神は認めるし、素晴らしいことだが毎回毎回キッチンが火の海になったら俺もお手上げだぞ?」

 

「いちいち言葉に棘があるわね」

 

「自分の部屋でスモーク焚かれたらぼやきたくもなる。星枷が留守じゃなかったらまたドアが真っ二つになってたところだ」

 

 それに、お前は遠回しの遠慮した言葉を聞く耳なんて持ってないだろ。後ろ頭を掻きながら、無惨になったフライパンを一瞥。いいさ、所詮はキッチンの一角だ。これがiCarlyなら部屋が全焼してたね、間違いない。

 

「それで、ご飯はまだ?」

 

「たったいま台無しになったわ」

 

「……よくもまあ、胸張ってそんなこと言えたもんだよ。ワトソンとこのあと会う約束があるんだが良かったら一緒に来るか?」

 

 神崎ならワトソンも無下には扱わない。戦役の話もあるし、神崎を同行させること自体は問題ないだろ。それにこの状況で神崎をキッチンに立たせたら今度こそどうなるか分からん。神崎も神崎で空腹には違いないらしく、二つ返事で首を縦に振ってきた。古今東西、空腹には誰も勝てん、人間も怪物も。

 

「どこで約束?」

 

「サ店だ。原宿駅からちょっと歩いたところにあってジャンヌから勧められたらしい。名前もそれっぽいぞ、『クリスティー』だ」

 

「ジャンヌが好きそうな名前ね」

 

「ああ、ほんと。ジャンヌが気に入りそうな名前だ。喫茶店だし、何か軽く食べられるだろ」

 

 なんでも昭和のレトロなムードを味わえるジャンヌ先生お勧めのスポットらしい。神崎の身支度を待っている間に携帯を弄っているとメールが一件届いた。差出名には名前ではなくメールアドレスがそのまま記載されている。ってことは電話帳に登録してないアドレスだな……誰だろ。理子やジャンヌあたりがメアドを変えたか?

 

 可能性を探っていると答えは存外簡単に出た。メールの本文が丸ごと英語で組まれている。神崎や理子、ジャンヌ、ワトソンと俺の知り合いもそこそこグローバルだがこんなことはやらない。案の定、メールの本文を下に辿っていくと文末に──Mary Winchesterと綴られていた。

 

 ──海を挟んでのメールのやりとりか、母さんもすっかり現代に馴染んでるな。異世界で遭難してるのに平気な顔で天使と戦争してただけのことはあるよ、適応力が高すぎる。きっとサムの新しい物を好む性格は母さんに似たんだな、古い物にこだわるディーンや親父とは正反対。そしてどっちつかずの雑食の俺とアダムは、その中間にいるってわけだ。唐揚げにレモンをかけるかどうかもどっちでも問題ない、論争より和平を望む一番平和的なタイプ。

 

 そう考えると、家族とは一口に言っても個性がある。だからこそ、世にはテレビのチャンネルの奪い合いなんて現象が起きるのだろう。それはさておいて、母さんが折角メールをくれたことだし、久々に廃れたワードパズルにでも誘ってみるか。最後に遊んだときはディーン共々、返り討ちにされたしリベンジも悪くない。

 

「何よ、ニヤニヤして気持ち悪いわね」

 

 返信のメール画面を開いていると、準備を終えた神崎が綺麗な目を細めながら睨んでくる。腕を組むまでの一連の動きはもはや様式美だ。息をするように人の心を抉ってくる。

 

「普通、待たせた相手には『お待たせ』から始まるけどな。お前って色んな意味で普通じゃないけど」

 

「それって良い意味で?」

 

「いや、悪い意味で。母さんからメールが来たんだ。前はスカイプチャットもできなかったけど今ではすっかり現代に染まってるよ」

 

「えっ、母さんって……あんた、仲直りできたのっ……!?」

 

 一転、瞳を丸くして神崎が詰め寄ってくる。

 

「……別に仲違いしてたわけじゃない。でも確執はあったし、仲直りと言えばそうかもな」

 

「メールのやり取りしてるなんて初めて聞いたわよ?」

 

「ああ、今まではなんて言うか、溝があった。それがどういうわけか今はなくなった。だから──仲直りって言うのか、日本では」

 

 正直、自分でも驚いてる。なぜなら今までずっと、そんな未来は自分にはないと思っていたのだから。そもそも母親と、家族との問題が発端で海を渡ったんだ。離れた異国にまで、メールを送ってくれるまでに関係が変わるなんて想像もしてなかった。

 

「なんでそれを早く言わないのよ! ほんとっ!? ほんとに仲直りできたの!?」

 

「ああ。一緒に食卓を囲めるところまでは」

 

「そう……良かったわね。うん、本当に良かった」

 

 ……参ったな。自分のことみたいに喜ばれると俺も何を言えばいいか分からなくなる。我が事のように笑みを浮かべる神崎から、視線を逸らすようにかぶりを振る。これだ、これなんだよ。この貴族様は妙なところで優しさを覗かせる。同情でもなければ感じたことを感じたままに言ってくれる。

 

 神崎が見せるのは、嘘のない優しさだ。たぶん、キンジもそれにやられたんだろうな。分かるよ、俺も男だからな。本当にバスカビールは良い女に事欠かない、正確にはジャンヌを含めてキンジの周りは美人に事欠かないな。古今東西、男は良い女に弱い生き物だ。そこに恋愛感情のあるなしは関係ない。

 

「ありがとう、これもお前のお陰だ。ちゃんと礼は言っとく」

 

「あたしに?」

 

「そう、神崎に。お前のお陰で母さんとの溝を埋めれた。自慢じゃないが複雑な家庭で生まれた溝って簡単には……埋まらない。でもお前があの手この手で母親を救おうとしてるのを見て、俺も考えが変わった。ずっと引っ掛かってた問題を精算できた、お前のお陰だよ。家族から逃げずに向き合えた」

 

 こればかりはちゃんと伝えないと。生まれは変えられないし、過去は変えられない。でも生き方は変えられる。狭い道の中にでもそれなりの分かれ道は用意されてる。満足できる道を進めたのは目の前のルームメイトのお陰だ。こればっかりは否定できない。

 

「戻る前に母さんの料理が食べれたし、とんでもない味だったが良い時間だったよ。ああ、間接的にでもお前が作ってくれた結果だ。だから──本当に感謝してる」

 

 逸らしていた視線を合わせると、やがて神崎の表情が徐々に訝しげなモノに変わっていく。

 

「なんだ?」

 

「別に。あんたも年に数分くらいは真面目になるときがあるんだって驚いてるのよ。普段からそっちでいればいいのに、意外とマシな男に見えるわよ」

 

「死ぬほどお高くとまって、ユーモアの欠片もない男を誰が好きになるんだよ。まあ、とりあえず──mahalo、神崎。それだけは言っとく。シリアスな空気はさっきの一言で台無しだけどな」

 

 言葉の重みが一気に軽くなった。いつもどおり。しんみりとした空気はゴミ箱行きだ。それも俺たちらしいと言えば、俺たちらしいか。

 

「いっそのこと、本土じゃなくてオアフに行けばいいんじゃない?」

 

「何かがトチ狂って静かな余生を過ごせそうならそのときは考えるよ。ワイキキでイタリアンでも開こうかな、そう、ハワイでイタリアンの店」

 

「ふぅん、共同経営で誰か一人引っ張ったら?」

 

「そうだな、30年後もまだ息をしてたらまた考えるよ。90まで生きて、ある日ぽっくりなんていう暮らしじゃないんだ」

 

 今は考えるだけ無駄かもしれない。明日生きてるかどうかも分からない世界で30年先の話なんて。

 

「皮肉と軽口を言えなくなったら、あんたきっと死ぬわね」

 

「それ、皮肉じゃなくてか? 皮肉でも結構傷つくんだぞ?」

 

「皮肉で言ってない」

 

「本気で言ってるのか。良かったな、もっと傷付いたよ。ほら、ワトソンに文句言われる前にいくぞ。ぐずぐずするな」

 

「シャキシャキ歩いてるわよ。懐かしいわね、こうやってあんたとホームドラマみたいなやり取りするのもいつ以来かしら」

 

 先に出た神崎を追って、部屋の鍵を閉める。夜には戻るが後からキンジにメールは入れとくか。すたすたと歩いていく神崎を追いかける。

 

「できなくて淋しかったとか?」

 

「まあ、ちょっと物足りなかったかもね。うるさいのがいきなり消えると閑散とするし」

 

「そっか、なら良かった。卒業するまでは居てやるから安心しろ。科捜研も新しいシーズンが始まったし、また楽しいチャンネル争奪戦の始まりだな?」

 

「来るなら来なさい。キンジもあんたも返り討ちにしてやるわ。あたしは動物番組が見たいの」

 

 ルームシェアで揉める原因を知ってるか。金。就寝時間。そして──テレビのチャンネルだ。

 

 

 

 

 

 

 

 原宿駅・竹下口を出て、裏道を少し行ったところに喫茶店『クリスティー』はあった。話に聞いていた昭和のレトロな雰囲気と言った表現がぴったりの、良く言えば落ち着いた店。そこもジャンヌが好みそうなポイントではある。

 

「じゃあ、帰国するまでの時間はあっちで仕事をやってたわけ?」

 

「数年振りに家族と仕事をやったよ。こっちでもブラドやジャンヌと戦ってたし、仕事の中身自体はいつも通りだな。本土に行ったついでに、親父の墓を見に行ったりだとかスーフォールズの知り合いを訪ねてた」

 

「予期せぬ帰国が上手く働いたようね。災い転じて何とかってやつ?」

 

「そうだな、ピンチをチャンスになんとやら。ホープ・オブ・フィフスだ」

 

「……どういう意味?」

 

「劣勢のときのお約束。ドロップアウトボーイの」

 

 よっぽど強い手札じゃないと、ピンチをチャンスになんて変えられないけどな。店内は奥に狭い空間がある間取りになっていて、密談に適した場所になってる。そのフロアに……いたぞ。テーブルに武偵高の制服姿で紅茶を嗜んでるワトソンくんちゃんが。

 

「悪い、待たせたな」

 

「10分の遅刻だ。釈明はあるかい?」

 

「ちょっとフリタータがな」

 

 ……蹴るなよ神崎、事実だろ。睨んでくる神崎を無視し、俺はテーブルに着く。ワンテンポ遅れてから神崎も隣の椅子を引いた。

 

「君のジョークには付き合うだけ無駄とジャンヌから聞いているけど、やはり好奇心は抑えられないね。フリタータがどうしたんだい?」

 

 呆れながらも好奇心が勝ったワトソンから質問が飛んでくる。確かに遅れた理由がフリタータって意味不明だよな。素直に火災探知機が鳴って後始末をやってましたと言うのは簡単だが、母さんのことで礼を言ったばかりだしな。やっぱり、適当に誤魔化しとくか。

 

「今朝の料理番組でイタリア料理の特集をやってたみたいで神崎と一緒に作ろうって話になったんだ。俺も本土ではダイナーでほとんど食事を済ませてたから、一風変わったものが食えるならって。ただ、卵はあったんだが混ぜる中身がなくてな、それでネットで色々レシピを探してたら出るのが遅れたってわけ」

 

「アリアが料理を?」

 

 少し驚いたようにワトソンは神崎を見る。

 

「そうよ、あたしだってキッチンに立つときはあるわ。キッチンで負けたことはないのよ」

 

「神崎、その台詞だと料理じゃなく物理的に負けないって意味に聞こえる」

 

 皆が皆、キッチンでテロリストと戦うわけじゃないんだよ。だが、神崎くらいの貴族様となると自分でキッチンに立つのも意外なもんなんだな。それとも神崎が家事とは無縁なことが筒抜けになっていただけか。どっちにしてもワトソンくんちゃんの好奇心は収まったらしく、結果的には言い訳成功だ。

 

「更に言うと、あたしここに来るまで何も食べてないわ。あたし、このアップルタルトとベイクドチーズケーキ、あとカシスティーもお願い。キリは?」

 

「俺も同じのを。あ、カシスティーの代わりにドリンクはコーラを頼む」

 

 そそくさと注文した神崎に次いで、ほとんど変わらないメニューをそのまま注文する。ジャンヌの話ではここは紅茶の有名な店らしいが俺は気にしない。ハワイだろうがネクタイをしててもいいんだ、それが自由。他人に迷惑をかけるのは憚れるべきだがコーラを頼んでも誰にも迷惑はかからない。

 

「ユキヒラ、君に頼まれていたロカという少女のことは調べがついたよ」

 

 注文を待っている間、ワトソンが一転して真剣味を帯びた声で話を切り出してくる。さすが秘密結社、仕事が早い。

 

「どこだ?」

 

「ロシアだ。ロシアの超心理学アカデミーの卒業生の中に君の言っていた少女と合致する人物を見つけた」

 

 ……ロシアか。またデカい国が出てきたな。

 

「誰よ、そのロカって」

 

「前に懐中時計の展示会が武装集団に襲われる事件があって、そのときに俺と一緒に立ち回ってくれた超能力の女がそう名乗ってた。ツクモって妖狐の化生が彼女を迎えに来て、それと──『GⅢ』だ。覚えてるだろ?」

 

 横目をやると緋色の瞳を丸くしながらも「ええ……」と神崎が短く返してくる。

 

「GⅢは宣戦会議で無所属を決めて以降、音沙汰がなかった。ボクとしても動向は気になっていたけど、まさか君が最初にコンタクトするとはね」

 

「偶然だろ。ロカは時計のコレクターで休暇を利用して来てるって言ってた。尋問科の経験上、あれは嘘を言ってるやつの見せる顔じゃない。お互い、ツイてないときにツイてない場所にいたんだよ。GⅢはあの妖狐と一緒に部下を迎えに来ただけの保護者だ、俺も顔は合わせてない」

 

 あの状況で無理にでも顔を合わせて一触即発に発展したら手がつけられなかったからな。得体の知れない未知の相手と素性の知れない妖狐、そして優れた超能力者。俺一人で相手をするにはとても釣り合わない。

 

「でもまだこの国にいたってことよ。近いうちにまた遭遇する可能性もないとは言えないわ。奇襲は違反にならないんでしょ?」

 

「戦役ではいつ何時、誰が誰に挑戦することも許される。もしそこでユキヒラが討たれていたとしてもルール上は何の問題もない。これはスポーツではなく闘争だからね、フェア精神なんて期待するだけ無駄だ」

 

「観客もいないしな。連中はまだ無所属を決め込むつもりなのか、それとも本気で二つの連合を自分たちだけで相手にするつもりなのか。どっちにしても神崎の言うとおり、近いうちにまた縁が巡ってくるさ」

 

 この世界は俺たちが思ってるよりも狭い。衝突にしろ、肩を並べるにしても連中と再度の邂逅は避けられない。

 

「そういえばヒルダはどうなったのよ。まだおとなしくしてるわけ?」

 

 神崎が一段落突いた話題の舵を切り替える。

 

「ヒルダならたまに会うが心配しなくても、お前が思ってるよりも良い子にしてるよ。反旗を翻すにしてもこの戦争が終わるまでは師団側にいてくれるだろ」

 

「彼女は彼女でプライドが高いからね。自分なりに無下にはできないものがあるんだよ。君や理子との因縁は簡単に精算できるものではないだろうけど」

 

「理子も理子で誇り高い子よ。あの子なりにどこかで決着はつけるはずだわ。あたしたちが心配せずともね?」

 

 それは同感。峰理子は器用って言葉が服を着て歩いてるような女だからな。折り合いはつけられなくても上手にやるさ。

 

「あんたはどうなの?」

 

「隣で寝てても首を落とされない程度には仲良くなった」

 

「上手にやったわね。誉めてあげる」

 

「ありがとう。口が上手くなきゃ尋問科なんてやってられないよ」

 

 綴先生には遠く及ばないけどな。あれは見果てぬ先の頂だ、目標にするだけ損かもしれないが。

 

「玉藻が言うにはヒルダみたいに眷属や無所属の連中をどれだけ抱き込めるかが戦役を有利に運ぶ鍵らしい。俺は会議の場にいなかったが他に抱き込めそうな連中はいないのか?」

 

「メーヤとカナには親交があったみたいだけど、それはカナがシャーロックと関わる前のことなんだ。今のカナは以前とは少し変わってしまったらしい。過度な期待はできないだろうね」

 

「そっか。できれば戦わない未来を祈ってる。味方なら心強いがいざ敵になると手がつけられない良い例だ」

 

 前は二人でかかっても蹂躙されたんだ。この短い時間で実力差が逆転したと思えるほど俺はのうてんきじゃない。カナが敵に回るくらいなら、どちらにも味方しない無所属で傍観を決めてくれたほうがずっとマシだ。

 

「避けられないときは避けられないときよ。そのときが来たらまた考えるわ」

 

 なんて好戦的なことを神崎は言ってるが、お前と二人揃って返り討ちにされてからまだ2ヶ月と経ってない。あのときはまさしく一方的だったからな。カナにしてみれば蠍の尾って余力を残しながらの戦い、実力の差は歴然としてる。できることならそのときが来ないことを祈るよ。何も危ない相手はカナだけじゃなさそうだからな。

 

「あ、注文来たわよ」

 

「話は一旦ここまでだな。ロカとその一派については俺からも探りを入れてみる。連中、どうにも本土の匂いがしてならない」

 

「ボクからももう少し探ってみるよ。お互いに上手くやろう、ユキヒラ」

 

「ああ、頼りにしてるよ。ワトソンくんちゃん?」

 

「その呼び方は変えてくれないかな……」

 

 ひきつった表情のワトソンに「善処する」とだけ告げて、俺はうっすらとした笑みと共に冷えたグラスを手に取るのだった。

 

 

 

 

 




『90まで生きて、ある日ぽっくりなんていう暮らしじゃないんだ』S12、6、ディーン・ウィンチェスター──


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陽の落ちるとき

 ワトソンと別れる形でサ店を出たときには外の景色も夕暮れが近かった。思っていたよりも店内の空気が心地よく、つい長居してしまった。マナーモードだった携帯を開くと、寮を出るときにキンジに送ったメールにも返信が来てる。どうやらキンジの方も用事は済ませたらしい、久しぶりに夕飯は三人一緒に囲めそうだ。正直言うと、少し楽しみではある。

 

「メール?」

 

「ああ、キンジから。用は済んだから帰ってくるって」

 

「そう。また現地で新しい子に手を出したんでしょうね。見え透いてるわ」

 

「ルームメイトとして否定してやりたいが」

 

「なきにしもあらず」

 

「そのとおり。お前の勘が当たってるかも」

 

 遠山キンジって男は息をするように女と仲良くなる。たとえ海を渡ったとしてもデートの相手には困らないだろうさ。あいつの性格上、自分から申し込むことはないだろうけどな。

 

 原宿駅の近くまで来たところで神崎の携帯が鳴る。隣を歩いていた俺も足を止めるが、聞こえてくる会話から察するに相手は間宮らしい。通話時間は一分にも満たず、携帯を切った神崎と視線が合う。

 

「厄介ごとか?」

 

「いいえ、厄介ごとってほどじゃないわ。夜には戻るから先にバカキンジと何か作っときなさい」

 

 そう言った神崎は返答も聞かず、まだ人気の失せていない駅の方へと走っていく。

 

「戦姉妹か……」

 

 すぐに小さなくなる背中を見て、俺は独りでに呟いていた。後輩に手を焼くってのは戦徒契約をほうってる俺には無縁のことだ。まあ、仮に俺にも手を焼いても良いと思える後輩ができたならそのときは贔屓しちまうのかもしれねえな──とても俺にはできると思えないが。

 

 

(……まだ夕暮れ。時間もあるし、少しぶらついてみるか)

 

 一人になった俺は携帯で時間を確認し、少しだけ考えてから駅に背を向けた。ここのところ、いつも以上に短いスパンで非日常の出来事が巡ってきたからな。たまには無意味に街を歩くような贅沢な時間があってもいいだろ。無意味な時間の浪費ほど贅沢なものはない。

 

 駅を離れてもしばらくは人気はなくならない。宛もなく足を伸ばしている俺も適当に四方の景色に目をやりながら、どこを目指すわけでもなく足を動かす。コンビニで立ち読みしたり、家電屋のゲームコーナーで新発売のゲームを眺めたり、何の目的もない普通の時間。そんな時間はいつも以上に早く過ぎる。

 

 ──そしてそんな帰り道のことだった。

 

「……へぇ。珍しい」

 

 すっかり人気の失せた夜道。寂れたコインパーキングに停められた車を見て、思わず俺は足を止めた。メルセデス・ベンツS600──ワトソンのポルシェ911と同じで大衆とは無縁の高級車がぽつんと停められている。こんなのテレビや雑誌以外で初めて見たぞ。

 

 お世辞にも新しいとは言えないパーキングエリアではあまりにその存在は浮いている。どっかの資産家の車だろうか。不意の遭遇に驚いていたせいで、このときの俺は周りへの注意が自分でも嘲笑えるほどに散漫になってた。

 

 いや、仮に平常時であっても結果は変わらなかっただろう。警戒しようと、万全の体勢を維持しようが結果は変わらなかった。──その女の接敵に気付ける人間が、この世の中にいるとは、俺は思えない──

 

「……ねぇ、あなた。何をやっているの?」

 

 耳元で、囁く声がした。とても心地良い笛のような声色が。

 

「──ッ──!」

 

 刹那、府抜けていた警戒心が一瞬で限界まで針を振る。忘れていたわけじゃない、だが出来れば二度と会いたくはなかった。皮肉の他ない、会いたい人間には会えず、望まない再会ほど簡単に叶ってしまう。足音もなく、気配もなくその女は振り返った先に立っていた。

 

「……お前、ブラドのときの……」

 

 無表情に俺を見つめ、小鳥のように首を傾げる女に神経が過剰なまでに張り詰める。忘れるわけがない、ブラドと交戦する前夜に出会った素性の分からない正体不明の女だ。肌を隠しているロングコートにブーツの組み合わせは前に会ったときと何も変わってない。鈍色の指輪も健在だ。

 

 ──ふいうちにもほどがあるッ……!

 

 すかさず、問答無用でトーラスを発砲。先に抜いた抜かれたも関係なしに引き金を引き絞ったが弾はその場で宙返りした女のロングコートを掠めただけだった。あのロングコートも編み上げのコンバットブーツも実践に秀でた防弾使用。肌を見せない徹底した姿は、9mmのトーラス一本でどうこうできる物じゃない。

 

 まして、この女の化物めいた力を一度目にした後では自動小銃ですら非力に見えてくる。女は俺からベンツに視線を変えると、また俺にゆっくり視線を戻す。その目からはほんの微かだが殺気が薄れていた。例えるなら1ランク殺意が穏やかになり、人間味が増している。分からないが何かやったのか……?

 

「私の車に、なにか用?」

 

 さっきよりもやや落ち着いた声色、先制で撃たれたことを何とも思ってもいない様子で首が傾げられた。私の車って……

 

「……このベンツ、あんたの車かよ」

 

 またとんでもないオーナーの車だったな……おとなしくスルーすりゃ良かった。

 

「珍しい車だからつい足を止めちまった。でも駄目だな。確かに良い車だが67年のインパラには負ける。ハワイを爆走するカマロにも」

 

「……私の車を、バカにしているの?」

 

 依然としてトーラスの用心金に指をかけたままの俺に向けて、眼前の彼女は……ぷく、とほっぺたを膨らませた。

 

「……は?」

 

 流石に銃口は向けたままだが、思わぬ反応に喉から間抜けな声が出る。待ってくれ、なんだよその反応は。もしかして車をバカにされて拗ねた……?

 

「もしかして怒ったか?」

 

 口にしてから激しい後悔に襲われる。相手は俺の腹に風穴を開けた女、アマランスの石がなかったらとっくに死神の世話になってたところだ。クールな女がたまに見せるそういう仕草には危ない魅力はあるが、眼前でスティンガーを向けられてるときにそんなこと満喫してる奴がどこにいる。

 

「メジャー級の殺気がなけりゃ休日どこでもナンパされ放題だろうに」

 

 本当に血迷った。この女に流されて、一瞬でも敵意を逸らすなんてのはジャングルで野生のゾウの頭を自分から撫でに行くようなもんだ。一時の愛嬌に釣られて自分から死地に足を踏み入れる、命知らずという他ない。限界まで警戒心のメーターを振って、持ってるものを全部ばら蒔いても眼前の女との力量の差はおそらく──

 

「死の前に来た、敵対した人間と──二度会うことは珍しい。少し、驚いています。死んだ人間には、会えないから」

 

 ゆらり、と女の腕が静かに上がる。刹那、脳裏に頭から血の華を咲かせる自分の姿を幻視する──

 

「くそ……ったれ!」

 

 背筋が凍てつき、その指先が狙いを定めるよりも早く、俺は全力で真横に向かって体を投げた。

 

「こっちは死んだ人間と会うのが仕事なんだよッ……!」

 

 背後からけたましい粉砕音が響く。振り向いている余裕はないが大体の予想はできた。女から飛ばされた見えない弾丸が背後にあった何かを抉ったのだろう。アスファルトでそのまま受け身を取り、そのまま彼女の射線から逃げることに全力を振る。細い腕が視界で揺れ動く度に脳が最大限の警笛を鳴らした。

 

 前回の襲撃から後になって気付いたが奴の指の力は異常だ。逃げ時間を稼ぐためにアマランスの石で見せた俺に瓜二つの幻覚、その変わり身が最後に見た景色は指先の力だけで防弾制服ごと腹を穿った異常な光景だった。幻影はナイフで刺せば煙となって消える程度の脆い物だが、たとえあれが防弾被服で人の皮膚だったとしても結果が変わるとは思えない。

 

 人には視認できない金一さんの不可視の銃弾ですら、銃本来の発火煙と銃声だけは誤魔化せなかった。銃声も発火煙も存在しないこの女の見えない弾丸……仮にそれが超能力でも武器でもなく、キンジと同様に人が本来持っている力の極限だとするなら、

 

「分かったところで、回避できるかは、別ですよ?」

 

 俺の心を読んだように、抑揚のない言葉が返ってくる。相変わらず、焦るわけでも感嘆してくれるわけでもない変化の乏しい表情。だが、逆にその言葉で自信が持てたよ。

 

 あんたは指先に込めた異常な力で空気を弾いてる。見えない弾丸の正体は異常な力で弾かれた空気から生み出された衝撃波──だが、それが分かったところで攻略に直結するかは別問題。憎らしいが彼女が正しい、仕掛けが分かったところで回避できるかどうかは別だ。

 

「知らないよりはマシ。いや、知らなきゃ良かった」

 

 返答と同時に、必死の形相で仕上げた天使避けの図形に右手を押し付ける。一転、アスファルトの地面から放たれた閃光が夜の暗闇を裂いた。血の図形を使った目眩まし、普通なら数秒なりとも視界を奪えるはずだが眼前の女にその理屈が通用しないことは経験済みだ。たとえこのタイミングで弓のような無音の飛び道具を使ったとしても、この女は苦もなくそれを避けるのだろう。

 

 ゆえに、後退することに戸惑いはなかった。完全に人気の失せた国道、人払いのまじないがかけられているんじゃないかと錯覚しそうな場所に舞台は移る。人気はなく、あるのは不気味で殺風景な夜の暗闇ーー背中の向こうからゾッとする気配を感じつつ、無我夢中に足を動かす。このまま振りきれるか……いや、あの女に戦う意志がある限りは、おそらく逃走は叶わない。

 

「……パトカーいねえのか。用があるときは近くにいた試しがねえな、信号無視でもすりゃすぐ現れんのによ」

 

 胸と頭を殴るような焦りが、口を休ませようとしない。周囲の人気が失せていることすら、この女の差し金に思えてくる。仮にそうだとしたら本当に底が知れない……なんなんだ、この女は……

 

「違いますね。前に会ったときは、もっと人の、匂いが薄かった」

 

 編み上げブーツを鳴らして追ってくる女。見れば見るほどに人形のような端正な顔立ちに、ほんの微かな疑念の色が浮かんだ。

 

「パニックルームでデドッグスやったんだ。余計なもんが全部抜けたいせいかな?」

 

 指摘されたとおり、俺は本土で超能力を行使するために使ってきた燃料をまるごとデドックスした。今の俺には指パッチンでPkを起こすことも他人の血を使って電話をかける力もない。神崎からⅡ種と勝手に組分けされた超能力を、完全に失った状態だ。

 

 ジャンキーになる危険は失せた反面、超能力を失ったことで以前よりも弱くなったと言われては首を横には触れない。律儀に答えてやった代わりとして、今度は俺から問いを投げてやる。

 

「あんたこそ、どうして俺を狙うんだ? 恨みを買った覚えもなければ、あんたみたいな女に興味を持たれる男とも思えないんだが?」

 

「あなたは私の障害にはなりえない。興味を惹かれるまでに、過ぎない。あのときは迷いました。興味のまま、貴方を殺すべきかを」

 

「よく言うぜ。人の腹を食い破りがって」

 

「ですが、貴方は生きている」

 

「九死に一生だよ、二度と体験したくない」

 

 代わりに一度しか使えないオカルトグッズを切らされる嵌めになったし、逃げてる間ははっきり言って生きてる心地がしなかった。人気のない暗闇の公道で静かに視線が重なる。

 

 前回、そしてこの場でも本気を出して俺を殺そうとすれば決着は既についていた。殺意は確かにある、だが全力を持って俺を殺そうとする気配は感じられない、それがせめての救いか。余力を残してなお、こうもワンサイドゲームだとな。

 

「で、引き分けってことにしてこのまま別れないか?」

 

 言葉とは裏腹に渾身の9mmパラベラムを女に向かってばら撒く。残弾をすべて吐いたことでトーラスのスライドに自動でロックがかかった。拳銃交戦距離からの発砲は防弾被服の抜け穴である右手を狙うが、それも前回と同じく見えない弾丸の銃弾撃ちによって女に届くことなく弾かれた。

 

 ……たかだが弾倉一本に満たない弾丸で傷つけられるとは思ってない。だが、銃弾を銃弾で弾くのも充分な魔技なのに、空気の弾で銃弾を弾くなんてのは表す言葉が見つからない。こんな漫画みたいな技を使える人間は他を探してもキンジくらいのものだ。

 

 俺にも同じ技が使えれば……いや、着々と人間から離れているルームメイトならまだしも、俺にはとても真似できない。ない物ねだりはそれこそ無駄だ。両手は下げたまま、彼女は動かない。トーラスにも呆気なく弾の装填が終わり、スライドを引く。

 

「あなたでは、一滴たりとも血を流すことはできませんよ。私には」

 

「やってみないと分からねえさ。イ・ウーが解散したってのに、お前は宣戦会議に名乗りすら挙げてない。あんたのいる場所はイ・ウーなんて歯牙にもかけない場所ってことなのか」

 

「それは、あの方がもっともお嫌いな人物が募った組織。口走るものでは、ありませんよ?」

 

 以前に聞いたのとまったく同じ言葉。やはり当然の事実を語るように、女は言い切る。

 

「あなたの眼では、とても底まで、覗くことは叶いません。あなたに覗かれることは、教授も望んではいませんから」

 

 彼女との会話に何度も出てくる教授と呼ばれる人物、それが彼女のいる場所の頂点。シャーロックではない教授、そしてシャーロックを憎んでいる教授──まさかな。

 

 シャーロックが「世界で唯一のコンサルタント探偵」なら、彼は「世界で唯一のコンサルタント犯罪者」と呼ぶべきだろう。無いな、いくらなんでもドラマの観すぎだ。

 

「覗くことのできない場所、あなたには、手の届かない場所。それでも、あなたは、私を撃つのですか?」

 

 抑揚のない声で女は語る。手の届かない場所、個人の力ではどうにもならない存在……いつも通りだ。自分より遥かにデカいスケールの存在に喧嘩を売る、そんなのいつも通りだ。ずっとやってきた、選ぶまでもない。だから俺は言ってやる、解答を。

 

「撃つよ、迷わずすぐに」

 

 銃口と同時に向けた解答に……女が、切れ長の眼を僅かに見開いた。とくん、と瞳に宿っていた殺意が一段階小さくなる。

 

「……その、言葉。同じような言葉で銃を向けた人が、過去にいました。あなたには、あの刑事の面影があります。守るべき国に、混乱を招いたあの刑事に、あなたは似ている。世の不条理を、何より憎んでいた彼女に」

 

 そう言うと、どこか懐かしむような瞳で俺を見た。勿論、それが誰のことか知るよしもない。

 

「どこの誰かは知らないが。俺、カルマってやつは信じないんだよ。だって、善人でも悪い目に会う。悪党がストリップクラブみたいに札束を平気でばら蒔いてる。世の中ってのは往々にして不条理だ」

 

 学んでる、世の不条理ってやつには身を持って痛感させられてる。良い人が死んで、俺みたいなのが渋とく生きてる、皮肉だよ。

 

「この世の中にフェアなんてものは何もない」

 

 開口と同時に、既に彼女を見据えていた銃口が火花を散らす。一発目の弾丸が、彼女に迫りーー当たり前のように見えない弾丸の銃弾撃ちが、弾道をねじ曲げる。それは予測の範囲内、部の悪い賭けに望むのは慣れてる。

 

 狙いは変えず、二発目の発砲。そして見えない弾丸が彼女からも放たれる、俺には見えないがな。

 

「──?」

 

 一瞬、彼女が眉を寄せたように見えて──直後、視界が紅蓮の海に包まれる。女の眼前、弾丸同士がぶつかった地点から目を灼かんばかりに激しい赤色が輝き渡った。

 

 紅蓮、まさしくその表現に尽きる光景。暗がりの公道を一瞬で眩く照らし出したのは、一発一発が必殺の武器と言われる武偵弾。希少かつ高価なことで知られているがそれも納得の性能だな。銃弾撃ちでの接触を引き金に巻き起こった爆風は、背後にいた女を確実に飲み込んだ。

 

 人気の失せた公道は、一転して地獄絵図のような黒煙が立ち昇っている。防弾被服を踏まえて、戦闘不能に追いやるには余りある一撃。くたばるとは思ってないが致命傷は免れないはず……

 

「──イメル・ノチゥ」

 

 故に、黒煙から飛び出てきた女を化物と断じるのに躊躇はなかった。RPGまがいの爆風にコートこそ傷ついているが、何をどうやったのか異常なまでの存在感と殺意は顕在。刃と何ら変わらない指先が異常な速度で迫る。

 

 指先が目指すのは十中八九で俺の心臓。咄嗟に平賀さん製のワンタッチで展開できるポリカーボネイトの防盾をかざすが指先の接触と同時に、呆気なく盾は半壊した。冗談のように盾は抉り飛ばされ、カウンターで至近距離から放った銃撃も嘘のような反応速度で弾道の外に逃げられる。

 

「言ったはずです。一滴たりとも、血を流すことはできない。あなたでは」

 

 俺は半壊した盾を蹴り飛ばし、開いた視界になけなしの残弾をばら蒔いてやる。当たり前のように弾丸を生身で避ける曲芸を見せつけられるが、ここまで来たら自動式拳銃の一挺でどうにかなる相手だと思える方がどうかしてる。弾切れの銃を投げ捨て、ルビーのナイフを抜こうとして──右腕の手首が捕まれた。やられた、この女がその気になれば腕ごと千切れ飛ぶ。

 

「……」

 

 が、予想とは違って、いつまで経っても女は動こうとしない。水晶の瞳は俺の腕に固定され、冷ややかな彼女の眉が持ち上がる。

 

「前とは、匂いが違いました。あなたは……」

 

「……おい、ッ!」

 

 捻り上げられた腕から袖が下がり落ちる。納得が言った顔で、しかし、ありえない物を見た顔で彼女は首を揺らしてくる。

 

「……本気ですか?」

 

 それを凝視しながら、女は再度問いを投げてくる。

 

「誰だって火傷することはあるだろ」

 

「バカなことをしましたね。匂いが変わった、本当の理由が分かりました」

 

 左手で振り払った天使の剣は空を切り、コートの女は背後に下がる。なんとか右腕は離れずに済んだ。だが、もう一方については知らぬ存ぜぬは無理だ。最後の、本当に最後のカードをピーピングされちまった。

 

「あんたが思ってるよりもリスク管理は上手でね」

 

「教授が私を向けた意味が分かったわ。あなた、壊れてる」

 

 瞳から完全に殺意の消えた女がかぶりを振る。言葉にも人間らしさが戻ってるな。以前油断ならないが、とりあえず戦闘姿勢は解いたらしい。キンジほどの変化じゃないがさっきまでの彼女とは危険度合は随分と変わった。

 

「マトモじゃないあんたに言われてもな。説得力には欠ける」

 

「あなたよりは生きてる。でも自分で自分を呪った人間を見たのは初めて」

 

 一転、親しみやすい口調で女は半眼を作る。あっちは戦闘モード、こっちが本来の姿みたいだな。

 

「自慢じゃないが息をしてる時間だけで言えば、俺はあんたの倍は生きてるよ。まあ、高校生なんだけどさ」

 

「よく回る口。私は敵対した人間と三度も会ったことはない。だから、三度も会いたいと思った人間はあなたが初めてよ」

 

 ……なに?

 

「鍵と門は惹かれ合う。最初に殺した者、今度は本当のあなたを殺すことにするわ。人を裁くものとして、私はあなたを殺す。殺人者となったあなたを」

 

「この場は見逃してくれるってか?」

 

「私いま少しは機嫌がいいの。今度は証を見せてちょうだい、最初の殺人者としての証。今のあなたを討つのは、簡単よ。でも折角巡り会えた縁を無下にするには、あなたに流れる血は少し勿体ない」

 

 夜風が肌を撫で、女の髪を揺らす。怪しげに唇を歪め、女は笑った。人間味のある、悪魔より悪魔らしい微笑みで。

 

「今度は剣を持ちなさい。少しは楽しめるかもしれないわよ?」

 

「おい、待てよ。水やりに異論はねえが二回も奇襲を許してやったんだぞ。名前ぐらい置いてけよ」

 

 いつか魔宮の蠍に向けて放った言葉を、背中を向けている女に送る。女は反転することなく肩越しに。

 

「次に会ったとき、あなたが生きていれば名乗りましょう。お休みなさい、雪平切」

 

 俺の名を呼び、女はそのまま暗闇のなかを歩いていく。それを俺は追えない、追ったところで振り切られるのは目に見えてる。悔しいが彼女のきまぐれで命を拾った。

 

「ああ、そうだった。私に二度も会えたギフトをあげるわ。私、あなたたちの小競り合いに興味はないから」

 

 忘れていたと、女は突然とこちらに振り返る。そして無造作に投げられた何かが、俺の足元に投げられた。見覚えのある拳銃だった。9mm口径、黒いハンマーレスの同じ拳銃が二挺、俺の足元に転がっている。俺は、恐る恐る手を伸ばす。

 

 違う、と願望に近い心の中の声が警鐘を鳴らす。生暖かい夜気が肌を撫で、警告を退けて銃を手に取る。ワルサー社のポリマーフレーム、全体的に小振りなストライカー方式。見覚えのありすぎる銃だった。理子の愛用しているワルサーと全く同じモデル。仔細に眺めてみると、使い込みを経たフレームやスライドの細かな傷は、紛れもなく理子が無茶をやったときにできた傷。

 

 ……理子の銃が出てきた。俺の首を刈ろうとした女の懐から?

 

「男に転んだ女は、破滅するものよ。他が見えなくなるから。見限るつもりがないなら急ぐことね。あなたの友達、全滅するわよ?」

 

 脳裏に戦慄が走ったとき、女の姿は今度こそ視界から失せていた。とても信頼できる相手じゃない、だが尋問科としての経験と二挺のワルサーが言葉の信憑性を裏付ける。結果、気付いたときには携帯を手に取っていた。

 

『はい、もしも──』

 

「蓮見! 理子の居場所を携帯から割り出してくれ! バスカビールが狙われた! もしかすると、神崎も星枷も襲撃を受けた可能性がある!」

 

『ちょっと待て。お前、いきなり──』

 

「いいから! GPSが駄目なら、発信記録から基地局を絞るだけでもいい! やり方は任せる! とにかく急いでくれ、大至急だ!」

 

『無茶苦茶言いうなよ……ああ、分かったさ! やるよやってやる! ちょっと待ってろ!』

 

 情報科の知り合いに携帯を繋いだまま、俺は四方を見渡し、タクシーの行方を探す。最悪だ、ロキシーで奇襲の危険性は上がったばかりだ。こんなことなら、おとなしくインパラを使えば良かった。

 

『ああ、くそ……やり方は任せるって簡単に言うんだよ、現場の人間は……マルチパスで言い訳できるならしてやりたいね。ああちくしょう……マジかよ』

 

「大丈夫だ、非常事態には非常手段って昔から相場が決まってる」

 

『よく言うよ。これで俺たち一緒に刑務所行きかもな。もしバレたら、いいやバレるね。あーあー、市民の敵を補助しちまったよ、最高』

 

 ああ、何をやったのかは知らんが仲良く共犯だ。

 

『出た。雪平、ついさっき神崎さんが電話を使ってる。峰さんと星枷さんの場所は割れそうだ、待てよ──おい、二人とも同じ場所にいるぞ』

 

「どこだ?」

 

『品川のジオフロント。神崎さんの携帯もこの近くの基地局を経由してる』

 

 品川のジオフロント……『ジオ品川』か。あそこは土地柄の都合、見つかりにくく逃げやすいことで知られる無法者のテーマパークだ。アジアのあちこちから無法者が引っ越してきてるって噂になってる。あのだだっ広い地下都市か、いよいよ嫌な予感がしてきたぞ。

 

『7区のビルだ。座標は携帯に送った』

 

「蓮見──寿司1ヶ月俺の奢りだ」

 

 携帯を切り、公道を道なりに走っていると、都合よく近くにいたタクシーを捕まえられた。一旦、さっきの女のことを思考から削除。タクシーに飛び乗ると、ジオフロントまで運転手に場所を伝える。

 

 運転手は制服から俺の素性を知ると、少し嫌な表情を浮かべたがすぐにメーターを起動させる。面倒な客を乗せちまったことには同情するよ、運がお悪い。気持ちを落ち着かせるように軽口を頭のなかで繰り返す。

 

 民間のタクシーで第7区まで直接行くわけにも行かず、ジオ品川をある程度深部まで行ったところからは徒歩で向かう。さっき、なけなしの9mmを吐いちまったからな。飛び道具と言えそうな武器は、タクティカルナイフとルビーのナイフが一本ずつ……それも投擲して扱うことが前提だが。

 

 電光掲示板や明るいネオン、廃ビルや工事が途中で投げ出された地下道など、通り過ぎる景色はお世辞にも綺麗とは言えない。これを果たして夢の跡地と言っていいものか、走り抜けた先で目的のビルには辿り着いたが……玄関のドアが閉まってやがる、こんなときに閉館日か。が、頭上を見上げると二回にはテラス、考えは決まった。ハンター御用達のいつもの手だ、閉まってるなら忍び込む。

 

 

 

 

 体当たりするような勢いでフロアに駆け込み、内部を改めては階段を駆け上がる。そびえ立つ摩天楼を探ること階層は7階、非常口の誘導灯が重たい扉を照らしている。階段にかけられていた建物内の図を見ると、扉の奥は屋外劇場になっている。

 

 息を殺し、左手に天使の剣を携えつつ重たい扉を開くと……屋外劇場の客席は露天だった。唯一、舞台だけが屋根に覆われており、照明は消えているが代わりに周囲のネオン灯とビルの明かりが暗闇を心もとない程度に灯している。

 

 無防備にも俺は一度瞼を閉じた、ありえない。まだ暗闇に目が慣れていないだけだ、そうに決まってる。ありえない、信じてたまるか……

 

「あれ、お前はお呼びじゃないんだけどぉ」

 

 激情を飲み下す前にその声は聞こえてきた。初めて聞いた声じゃない。ロカと出会った時計の展示会で、奴等との別れ際に聞いたのと同じ声だ。

 

 激情に駆られる頭を最後の理性でおもいきり殴り付け、俺は声を辿るようにして首を振り向ける。さっきまでは無人だったはずの観客席に、今は確かに二人の人影があった。

 

「よし、いいか。一度しか言わないぞ」

 

「殺しちゃいねえよ」

 

「黙れ。おい、黙れ。いいか、こっちを見ろ。俺はまだ話してる。いいな、5秒以内にこの状況について答えてもらう、理由もだ。戦役絡みならそれでいい、お喋りしたいなら言ってみろ──あァ? 先に言っとくが、俺はいま相当穏やかに言ってる」

 

 眼下にいるマットブラックのプロテクターで装甲した男女と思わしき二人。考えるまでもない、一人はGⅢ、もう一人のプロテクターに刀らしき得物を納めている女も必然的に配下以外にありえない。ロカ、ツクモって獣人と同様に。

 

 睨む先にある女の、背や腰に備えている刀の類いからは、かつてUKの連中が使っていた過剰な科学で生み出された武器と同じ匂いがする。考えられるのはーー本土の先端科学兵装。ガブリエルの角笛やモーゼの杖とは対局に位置する、一線を飛び越えた異常な科学の産物。

 

「お前のはスルーしてやったのに、恩を仇で返すなんて非合理的だよ?」

 

 冒頭のただ単に不機嫌な声より、一段階低い声で女は背中から刀を抜いた。傍らの席に座っているジーサードは足を前の座席の背に乗せ、依然として何かの本を読みながら、

 

「フォース、本来の目的を忘れるな」

 

「だから、だよ。ウィンチェスターは危険因子、何を運んでくるか分からない。お兄ちゃんとの折角の時間を台無しにされるのは困るんだよ。だからさぁ──」

 

 半透明の赤いヴァイザーから殺意が放たれると同時に、蛍光ブルーの発光する刃がゆらりと持ち上がる。

 

「──お前はさっさと沈みなよ?」

 

 小首を傾げ、フォースと呼ばれた女が座席から跳躍。異常な速度で床を蹴り、迫り来る。が、そんなものは関係ない。振り払われる異常な速さの剣を、左手の天使の剣で流し、幾度の切り結びの終わりに再度距離を取る。

 

「へぇ、先端科学兵装と切り結んで無事なんだ。いい武器使ってるねぇ」

 

 一度の交差で、彼女の実力は分かった。異論はない、文句なしに凄腕だ。剣の扱いにかけては星枷やジャンヌと同格、もしくはそれ以上のレベルだろう。だから、なんだ。退く理由にはならない、壇上の上、血まみれで重ねられているバスカビールの四人をーー俺は見たんだ。見てしまった。

 

 これで怒りを噛み殺せるほど、俺は器用じゃない。あいつらと重ねた時間は、そんなに薄くない。不意に、未だ席から立つことのないジーサードが首を持ち上げる。

 

「喜べ。俺たちも、極東戦役──てめえらの遊びに付き合ってやる。今夜はその挨拶だ」

 

「遊びにもならなかったけどね。自分より強い者に逆らうのは非合理的。これはお兄ちゃんに会う前の露払い、下準備なんだよ」

 

「黙れ。もう一度しか言わない、黙れ」

 

 反射的に持ち上がった指が、うっすらと笑っている女を一直線に射る。

 

「俺はお前たちが何者だろうと、この世界の覇権がどうなろうと知ったことじゃない!」

 

 だが、だが──

 

「だが、認めない……俺は決して認めないぞ! 遊びと称して人の命を弄ぶ輩を、強者に抗うことが無意味と言ったその言葉も!」

 

「だったら、あたしを下して証明してみなよ。語るだけじゃ意味なんてない。人と人の間には支配と被支配の関係しか成り立たない、あんなザコの集まりとの関係を重んじてそれであたしに挑むっていうなら……やっぱり、お前は非合理的だよ」

 

 半透明のヴァイザーからでも分かる濁った瞳。まるで底のない暗い海のような瞳で彼女は吐いて捨てる。知ってる、それは吐き気を催すような現実を見てきた人間がする瞳だ。この女も理子と同じ、訳アリだ。だから、これ以上は言わない。ああ、語るだけじゃ意味はないからな。

 

「どっちがザコか思い知るがいい」

 

 言葉が契機となり、俺と女は同時に得物を振りかざす。科学と超常現象、人が作った剣と人以外に作られた剣を、眼前の相手に向ける。

 

「お前、白兵戦がホームグラウンドじゃないでしょ」

 

「だとしたら?」

 

「勝てないよ、お前じゃ」

 

「……戯れ言だ」

 

「じゃあ、試してあげるよ。お兄ちゃんが来るまで」

 

 

 

 

 

 

 これが、のちに東京武偵高で『遠山かなめ』と名乗る非合理的が口癖の後輩との──正真正銘のファースト・コンタクト。

 

 

 

 そしてこれが、後に幾度となく繰り広げられることになる栄光も矜持もない戦いの──記念すべき一回戦である。

 

 

 

 

 



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人工天才編
同族嫌悪


「──腕、邪魔だね?」

 

 反射的に後ろに跳躍すると、風切り音と共に俺がいた箇所に凄まじい速度の斬撃が走る。いつのまにか開いていた距離を0にして、プロクテクターを纏った少女がいた。ジーフォースは不機嫌にも思える困り顔をした。

 

「動かないでよ。首、先に落とされたい?」

 

 背筋に寒いものが走り、冷や汗がしたたる。とても冗談と思える声色ではなかった。首を見逃してくれるから、と代わりに腕を落とされては苦笑いもできない。

 

 刀と呼ぶにはあまりに機械的なデザイン、改めて切り結んだことで疑う余地がなくなった。奴が振るっている刀は本土の先端科学兵装──異常な科学によって生み出された超能力と対極に位置する新兵器。おそらく、体を保護しているプロテクターや赤いヴァイザーも同種。

 

「そう、あたしはお前たちハンターの専門外。相性最悪の天敵なんだよ」

 

 人間相手は専門外、こちらを見透かしたような言葉が敢えなく飛んでくる。眼前の連中は、異様な身体能力はあれ根本的には普通の人間、あくまで超常的な力は武装によって付随された副産物に過ぎない。パトラやヒルダのような存在自体がグレーゾーンの連中とは違う。

 

 弱点となる文献も有効なまじないも何もない。相手は人間、俺たちと同じ人間だ。虚勢でもいいから首を振りたくなる。正解だ、一番の難敵は人間。狩るのは怪物であって、俺たちは人間相手の殺人者じゃない。

 

 躊躇いなく脇を抉るような振り払いを剣で流すと、皮肉にも同じタイミングで足が動く。互いに脇腹を蹴りが抉り、そのままノックバック……にも見えたが結果は一方的に俺が下がったのみ。臓器を揺らすつもりで放った蹴りは、マッドブラックのプロテクターから内側になんらダメージが通っていない。

 

 ……当たり前か、先端科学兵装なら防弾制服と同じとはいかない。優れた科学は魔法と見分けがつかないと言うが、今日その意味を身を持って味わうことになりそうだ。

 

「天敵だって何人も相手にしてきた。どれも望んだ戦いじゃなかったが」

 

「知ってる。お前のことは聞いてるよ。間違ったときに間違った場所にいる間違った男」

 

「逆張りが好きでね。家庭の事情が色々あったせいで歪んで育ちまったのさ」

 

「子供の頃に見た映画のヒーローに憧れて、今でも自分をランボーだと勘違いしてるおめでたい男ってことだろ。それともバットマンか何かのつもり?」

 

「悪いがアメコミには興味ない。それにバットマンならもっと別に適任がいるよ。本当のところはイーサン・ハントとデッカード・ショウに憧れてた。どっちにも共通点があるしな」

 

「どっちも手段は選ばないところ?」

 

「最後はいつも生身と銃で戦うところだよッ!」

 

 観客席の床を蹴りつけて疾駆、速度を乗せた互いの剣が接触し、派手に音を鳴らす。日本刀と遜色ない刃渡りの先端科学兵装の刀に比べ、天使の剣は名前とは裏腹の短刀だ。リーチの差を読み違えれば、本当に腕が飛ぶ。

 

 ジーサードが極東戦役の正式な参加を決めた段階でこの小競り合いは戦争と化した。これが戦争なら、俺の首や腕が飛ぼうが是非もなしか。首より先に腕を狙ってくれるだけ、優しいものだ。

 

 再度、打ち合わされる剣戟音。鍔迫り合いと同時にヴァイザーに隠れている冷たい瞳と視線が重なる。それも一瞬、示し合わせたようなタイミングでお互い背後へ跳躍。間合いの外に出る。

 

 月下の下、ジーフォースは刀を地面と水平に構え、静かに顔の高さまで持ち上げる。ジャンヌ、星枷のどちらとも違った奇妙且つ独特な構えで、

 

「サード、やっぱりコイツをほっとくのは危険だよ。腐った海の匂いがする。何もかも台無しにして、誰の得にもならない凄惨な結果だけを残していく人間の匂い」

 

 没我の声とは、とても呼べない感情剥き出しの声色で席のジーサードを見やる。が、依然としてサードは手元の本から視線を離さず、何も口にしない。

 

「言い得て妙だ、誉めてやる。確かに望んだ結末を迎えられたことは稀だ。大体が凄惨なクランクアップで幕を引いてる。だが、泥を撒き散らしてるのはお互い様じゃないか?」

 

「どういう意味だ」

 

 鋭利な刃のように歪められた瞳に、かまわず俺は続けて言ってやる。

 

「お前からは俺と同じ匂いがする。俺が腐った海の匂いを撒いてるなら、お前も同類だ。望まない結末を運んで何もかも台無しにするのはお前も一緒だろ?」

 

 同類──この状況下ではこれ以上ない中傷としてその言葉は受け取られたはず。刹那、無言のジーフォースから明確な殺意が飛ばされた。これで多少は溜飲が下がるってものだ。

 

「自分が嫌悪する相手と同類に扱われる気分はどうだ?」

 

「サード、あいつ斬る。絶対斬るから」

 

 鎌首をもたげるように蛍光ブルーの刃がこちらに向く。柄を握る両手は後ろに大きく引き、右脇を大きく開いた独特の構えは先端科学兵装の防御を無視する刃ありきの物だろう。教科書や訓練で学ぶような白兵戦の定石は、彼女の武装の前では意味がない。

 

 重苦しい殺気が重なり、一瞬鎌を掲げた死神の姿を眼前の女に幻視する。息をすることにも躊躇を感じる重苦しさがあたりに満ち、感情を抜いた彼女の冷たい瞳と視線が交差する。引き金に指がかかったまま静止しているような圧迫感、それも長くは続かない。

 

Viva Neue Enge(先端科学兵装万歳)

 

By the power vested in me,I now pronounce you(与えられた権限により宣言する)

 

 どちらが切り出したわけでもなく、皮肉にも同類という言葉を裏付けるように、俺たちは同じ国の言語を綴る。

 

sword beats guns(剣は銃より強し……!)

 

knife and wife(ナイフと結ばれろ)

 

 それが開戦の契機となった。体を低くした猛烈な速度で疾駆してくるジーフォースの速度の凄まじさは、比較対象として脳裏に神崎の姿が浮かんだ時点で明らかだった。鏡合わせのように、同じく地を蹴っていた俺とジーフォースとの距離が異常な速さで縮む。

 

 彼女の刀が異常な科学によって生み出された近未来の刃であるなら、こちらは人間が生まれる以前から存在している原初の刃。過去と未来、科学と超能力、人が生み出した刀と人でない者が生み出した刀ーー対極に位置する刃が再度の接触、普通ではない材質同士がぶつかったことで奇妙な異音がシアターに響いた。

 

 お互いがお互いに嫌悪と怒りを乗せた刃が耳障りな唾競り合いの音を立てる。俺の眼前で蛍光ブルーの刃が躍り、ジーフォースの嫌悪に歪んだ顔も、息が触れるほどの距離にあった。ウィンチェスターに剣術の教えはない、大手を振って堂々と白兵戦を挑める相手はむしろ限られてる。

 

 だが、望まない近接戦闘になっているのはジーフォースもおそらく同じ。彼女の構えは先端科学兵装の相手の防御を無視できる切れ味があって成立する特殊な構えだ。先端科学兵装と秀でた身体能力を駆使し、相手を攻勢に出さないまま防御を無視した攻撃で押し切る──それが彼女の本来の立ち回り。

 

「──面倒だね、それ」

 

 本来、一撃で武器を両断するはずの刃を何度も受け止められ、切り結ばれているのは彼女の望む展開ではないだろう。端的に呟かれた言葉がそれを裏付ける。逆を返せばこれが人外御用達の武器ではなく、普通のナイフや日本刀なら既に俺は沈んでいた。特異な武器の恩恵をフルに使って立ち回る、皮肉なことにその点も『同類』だ。

 

 奇襲と呼ぶに相応しいタイミングで裏拳が飛び、触れる寸前に首だけの動きでなんとかそれを回避する。カウンターで刺突を放つも剣の刃はマッドブラックの鎧に阻まれ、またしてもダメージは通らない。憎らしいが武器はまだしも、防具の差は明白だな。半眼で振るわれた刃をいなした俺に対し、奴の口元はうっすらと笑みを描いていく。

 

「でもあたしとお前じゃ乗せてるエンジンが違う。お前の武器であたしの首は刈れないよ、コンスタンティン?」

 

「面白いこと言う女だな、その言い回しのセンスは誉めてやる。ウケたよ」

 

 壁を蹴るようにプロテクターを蹴りつけ、そのまま振り下ろされる刃を後退して回避。凶刃が眼前を通りすぎる。

 

「だが、良いことを教えといてやる。どんなエンジンかは関係ない、誰がハンドルを握るかで勝負は決まる。せいぜいそのご自慢の刀を大事に抱えるんだな、明日の夕焼けを拝む頃には俺が原宿で質屋に入れてやる」

 

「あっはは、おもしろいっ。ここまで来ると嫌いになれないねぇ」

 

「それともう一つ。俺をコンスタンティンと呼んだがそれは半分間違いだ。ジョン・コンスタンティンみたいに悪魔や天使と戦う仕事はしてきたが今の俺は──愛犬と車を奪われたジョン・ウィックと思え」

 

「なら、ここでエンドロールにしてあげるよ。ミスター・ウィック──!」

 

 刹那、言葉の終わりを合図にして弾丸のような速度で女は切り込んでくる。来いよ、遠慮はいらない。ルールは無用、ここはコンチネンタル・ホテルじゃないからな。俺も遠慮はしない。

 

 交戦したことでハッキリしたが、今の俺の手持ちの武器で彼女の防具を無力化するのは難しい。なんでも殺せるコルトが相手に被弾しなければ只の弾であるように、天使の剣も相手の体に触れなければ金物屋のナイフと何も変わらない。優れた教育を受けた者が優れた装備で身を固める、奴等は謂わばその頂点。

 

 大方、そのイカしてる真っ赤なヴァイザーも刀やプロテクターと同じで色んな機能を詰め込んだ科学の結晶ってところだろう。そう、色んな機能を詰め込んだ──

 

「──?」

 

 凶刃との距離が縮む最中、俺は左手に持っていた天使の剣を眼下に投げ捨てる。両手を自ら素手にしたことに多少の違和感は感じたようだが、ジーフォースは疾駆する速度を変えない。

 

 道を阻む障害はなく、ただ空いていた距離だけが詰められる。殺傷圏内の瀬戸際──ここだ。キャス、お前の手をまた借りるぞ。

 

「──フォーースッッッ! 暗視を切れえェェッ!」

 

「……ッ……!」

 

 今まで沈黙を決めていたジーサードが叫び、ジーフォースの足が止まる。反射的に歪んだ口元のまま、俺は自由になった両手で制服のシャツを力業で開いた。そこにあるのはルビーのナイフであらかじめ自分の肌に直接刻み込んだ天使避けのまじない、血をトリガーにする自前の閃光弾。

 

「斬り合うつもりだったのか?」

 

 そして左手を──ルビーのナイフで自分の肌に直接刻み込んだ天使避けの印に押し当てる。夜の闇を払うように、天使を払いのける青白い閃光が劇場内に四散した。

 

「……うあッ!」

 

 物理的にダメージを与えるわけじゃないが視界を焼くような閃光を間近で浴びたことでジーフォースには充分すぎるスタン効果。ヴァイザーの暗視機能がアダになったな、なんでも詰め込めばいいってもんじゃない。雑魚とハサミは使いようだ。自傷行為を持って生み出した微かな隙、一撃お見舞いするには十分すぎる。

 

「お前はガースされた」

 

 重い音を立てて掌底が彼女の顎を一撃する。プロテクターに覆われた体で唯一肌を見せている首から上への一撃。よろめいた体に躊躇いなく、俺は掌底で狙った場所へと追撃をかける。狙い過たず俺の放った蹴りが、今度こそジーフォースを背後にふっ飛ばした。

 

 ──どうだ。最初で最後、意識を飛ばすつもりで仕掛けた攻撃だ。急所へ二撃、それなりの手応えはあった。普通ならこれで決まったはず、普通なら……

 

「ちッ」

 

 素直な感嘆と苛立ちを込めて俺は舌を鳴らす。倒れていた体が動いたと思ったら、ジーフォースは何事もなかったかのように立ち上がる。驚くことに彼女は刀すら手放してはいなかった。

 

「ひゅうーー流石に保険は仕込んでたかあ。自分の体を使って魔術を仕込むなんて、無茶苦茶するねえ?」

 

 ヴァイザーを外し、キロリと冷ややかに瞳がこちらを見る。少し青みがかった深海色の瞳、綺麗に整った鼻筋と艶やかな唇。露になった彼女の素顔は、苛立つほどに綺麗と言わざる得ない。

 

 ジャンヌ然り、夾竹桃然り、相対する相手に限って美女が回ってくるのは呪いだろうか。そしてそういう女に限って手に余る強敵だ。今回も例外じゃない、さっきのは冗談抜きで手加減なしだった。流石に笑えないな。

 

「でもミスったね。今のが最初で最後だったのに。今のであたしの首を刈るべきだった」

 

「人を殺人鬼(マーダー)みたいに呼ぶんじゃねえ。一応これでも俺は武偵なんでな。9条破って師の顔を足で踏みつけるのは避けたいんだよ。お前とお前のボスも命までは手を出してないみたいだからな」

 

 壇上の凄惨な光景、そして未だに座ったまま動かないジーサードを横目で見る。

 

「モンスター専門のピーキーなヤツって聞いてたが人間相手にも最低限のもんは持ち合わせてるみてえだな。フォース、時間切れだ」

 

「えっ、もうおしまい?」

 

 停戦を促す言葉で、俺はジーフォースと同じタイミングで眉をひそめる。油断なく、床に捨てた天使の剣を蹴りあげて左手に納めるが攻撃の気配はない。ジーフォースはこちらを一瞥し、不満げに口元を歪めるも渋々と蛍光ブルーの刃を背に納める。

 

「磁気推進繊盾なしでいけると思ったんだけどなあ。流石はウィンチェスターってところ?」

 

「生憎、エゴサは封印してるんだ。そのなんとかを使う使わないは勝手だが、ただ手札の中で切札を従えたところで何の役にも立ちはしない」

 

「評判どおりだよ。しぶとさはメジャー級、おまけに減らず口はこの上なし。全部当たってるね」

 

「ネットは素晴らしい、誰だって悪党になる」

 

 遠慮なしの白兵戦から一転、お互いにその場から動かずに敵意の視線だけを交差させている緊迫状態。ジーサードの停戦の命令がなければ、今すぐにでも二回戦が開幕しそうだ。眼前で振るわれていた凶刃が納められたとはいえ、まだ一息つける状況じゃない。

 

 未だに警戒心を募らせていると、不意に背後で何かが動く気配がした。ほぼ同時に「……ぁ……」と、ジーフォースが恍惚な笑みで小声を漏らす。まるでさっきとは別人、迸る殺気がそのまま狂喜に変わり、蕩けた笑みで俺の背後を見ている。

 

「ユキヒラ……?」

 

 聞き覚えがある。この声はワトソンか?

 

「おい! 無事か……!」

 

「よぉ、キンジ。まあ、息はしてるよ。どうしてここが?」

 

「ユキヒラ、そういう話はあとだ。トオヤマ、アリアたちはボクが診る。キミは彼と」

 

「分かった、みんなを頼む」

 

「キンジ、あそこと観客席だ。相手は二人、女のほうはジャンヌレベルで刀の扱いに長けてる。そっちのロックスターみたいなのは不明だがその女より格上だ」

 

「アリアたちは?」

 

「奴の言葉を信じるなら無事だ。激情を飲み下す理由にはならねえが」

 

 既にベレッタはコッキング済みのキンジが隣に並ぶ。その目は闇夜で二人の敵を見つけると、早々に敵意を向ける。銃口まで向けてないところを見ると、一応話し合うつもりらしい。横目で見たジーサードは、未だにブーツの足を前の座席に乗せたままだ。目もくれずにいる。

 

「ようやくか。待ちくたびれたぜ、遠山キンジ」

 

「へえ、驚きだ。お高く止まってるから下界には降りてこないと思ってたぜ」

 

 まだ例の戦闘状態になっていないキンジに変わって、俺が言葉を返してやる。

 

「当初の計画じゃ、相手を刺激するのはご法度だったんだけどな。お前のせいで台無しだ」

 

「当ててやろうか。大方、ジャンヌか玉藻に交渉に持ち込むように言われたんだろ?」

 

「ああ、でも思ってたより難航しそうだ。また派手にやったな」

 

「仕方ないだろ、あの女が先に斬りかかってきたんだよ。俺は投げられてきた石を投げ返しただけだ。ったく、こっちは自分の腹に悪趣味なアートを刻んだってのに」

 

「じゃあ、掠り傷か?」

 

「悪かったな、次は派手に斬られるよ」

 

 一度、自分の肌にナイフで落書きしてみろ。控えめに言ってかなり痛い。だが、減らず口を叩けるくらいに落ち着いてるなら朗報だ。俺が言えた立場じゃないが怒りに任せてどうにかなる連中じゃないのはよく分かった。

 

 連中はあくまで極東戦役では無所属を決め込んでいる。敵でもなければ味方でもない。下手に刺激せず、血を流さずに味方に抱え込めるなら、それが一番かもしれない。連中は片手間に相手にできるレベルを余裕で超えてる。

 

「──ワシントン・コロンビア特別区法五五〇九D、上院法八八〇七ーーワシントンDCよりライセンスを受得した武偵は、如何なる状況に於いても人間を殺害してはならないーーまァ、俺たちゃ附則で認めらてれるからいいっちゃいいんだけどな。フォースには手を抜かせた、殺しちゃいねえよ」

 

「トオヤマ、大丈夫だ。見た目ほど重症じゃない。四人ともね」

 

 先んじて、壇上に登っていたワトソンが答えてくる。どうやらキンジが連れてきたのは衛生武偵兼戦闘もこなせるワトソン一人だけ。大人数で乗り込こんで、相手を刺激するのは避けたな。俺は売り言葉に買い言葉で石を投げちまったが。

 

「ユキヒラ、彼等は──」

 

「ああ、本土の連中だ。嬉しくもないが同郷だよ」

 

「今の発言、やはりアメリカの武偵か」

 

 まあ、武偵は武偵でも訳ありだろう。本土の武偵事情なんざ管轄外もいいところだがな。

 

「ベルセまで到達してりゃ、なれるかもと思ったんだがな。レガルメンテの気配には遠い」

 

 キンジを見ながら、ジーサードがそんな訳の分からない単語を口にする。いや、俺には意味が分からないだけでキンジには通じる言葉なのかもしれない。現に横目で見たキンジの顔つきが一段階険しくなった。

 

「えっ、サード。それならお兄ちゃんとは──」

 

「今のソイツとは戦う価値がねェ。レガルメンテに覚醒してねェなら、HSSに慣れさせる必要がある。お前は落ちこぼれ同士、そいつとHSSを使いこなせるようにしてこい。今から、作戦をプロセスγに移す」

 

 意味の分からない言葉を次から次へと……なんでもかんでも横文字か、それ言えばかっこいいと思ってんだろ。それにさっきからお兄ちゃんお兄ちゃんって誰のこと言ってんだよ。内心で毒を吐いていたとき、

 

「仕方ないかあ。次には合流するのは『双極兄妹』になったときだね。お兄ちゃん、やっと会えたね?」

 

 信じられないことに、彼女はキンジに向けてウィンクした。

 

「なにお前妹もいたの?」

 

「俺には兄さんしかいない! 俺はお前なんて知らん!」

 

 ちくしょうめ、そうなるとこの流れはお約束の家庭の事情が舞い込む流れだぞ。

 

「トオヤマ、本当に彼女は……」

 

「だから知らん! 断じて、俺には妹なんていないッ!」

 

 かぶりまで振ってキンジは否定する。

 

「他にもハッキリさせておくことがある。ジーサード、俺にはさっきのお前の言葉が自分の部下に再合流するまでキンジと仲良くやれって聞こえたぜ。まさかこの通り魔女を和平の使者として扱えって言うんじゃないだろうな?」

 

「それはてめえら次第だ。ここで遊びたいなら──俺は止めねえ」

 

「お、抑えろユキヒラっ、これはキミだけの問題じゃない! 師団全体に関わる問題なんだぞ! キミは自分が言った言葉も忘れたのか! その男はアリアたちを一人で全滅させた彼女よりも──さらに格上なんだぞ!」

 

 ワトソンの言葉で俺は口を紡ぐ。確かに、これは個人の問題ではなく戦争だ。俺だけでなく、師団に募った全員がジーサードの陣営と敵対することになる。ワトソンの言うとおりだ、落ち着いて定めれば分かる。ジーフォースも冗談抜きの手練れだったが、この男の纏っている気配はそれ以上に得体が知れない。

 

 もしかすると、俺はもう少しでキルボックスの蓋を開けようとしていたのかもしれない。これでも冷静でいたつもりだったがワトソンを見習うべきか。俺が矛先を引いたときにはジーサードの姿も闇夜に紛れるように、跡形もなく座っていた観客席から消えていた。

 

 ……噂の光学迷彩ってやつか。その場から一瞬でいなくなるのは天使や悪魔の十八番だが、人間相手に見せられることになるなんてな。不思議な気分だよ。

 

 いや、それ以上にキルボックスを開かなかったことに安堵すべきか。無惨に蹴り破られた劇場の重いドアを見ながら、俺は構えていた天使の剣を袖に納める。

 

「ふーん、退くときはあっさり退くんだねえ」

 

 ボスが消え、この場に一人で取り残されたジーフォースは場違いにもどこからか取り出していたキャラメルを口に運んでいた。そして殺伐とした空間には似合わない無邪気な笑みでキンジ目掛けて駆け寄ってくる。

 

「おっ、と。んーと、お兄ちゃんが信用してくれないなら」

 

 依然としてベレッタの用心金に指をかけていたキンジにジーフォースは駆け寄った途中で立ち止まる。

 

「じゃあ、はい」

 

 そう言うと、マッドブラックのプロテクターから水蒸気のような何かが鋭く吹き出した。突然の異変に俺たちは揃って目を丸めるが、次の瞬間にはあれだけ強固だったプロテクターが嘘のように彼女の体から崩れていく。この女……自分から武装解除しやがった。

 

「……あッ、み、見るなトオヤマ! ユキヒラ、キミも目を塞げ!」

 

「数分前まで殺意を飛ばされてた相手に邪な気持ちを持つと思うか?」

 

 キンジの両目を必死で塞いでいるワトソンに至極当たり前に俺は答える。全身に張り付く、黒いアンダーウェアだけになったジーフォースは蠱惑的だが腕を斬り落とされそうになった相手に魅了も何もない。

 

 キンジはワトソンの手から下に抜けると、器用にもジーフォースを見ないようにしつつ、倒れた神崎たちの傍へと駆け寄る。

 

「じゃあ、こいつら運ぼ。武偵病院ってとこでいいよね?」

 

 同じく、壇上に登っていたジーフォースが理子と神崎の頭を掴もうとしたところで、

 

「なんの真似?」

 

 その手を俺が掴み、静止させる。

 

「その二人は俺の同僚だ。俺が運ぶ。文句ないだろ」

 

「勝手にすれば?」

 

 既に星枷を背負っていたキンジと目を合わせ、俺は神崎と理子を両肩に担ぐ。ワトソンもレキを背負い、同じく俺に視線をくれた。悪いな二人とも、キンジじゃなくて。今は俺で我慢してくれ。

 

「ワトソン、本当にアリアたちは大丈夫なのか?」

 

「大丈夫だよ、トオヤマ。彼女たちはタフだ。それに映像では派手に見えても実際には見た目ほど重症じゃない」

 

 キンジの心配を再度払拭するようにワトソンが落ち着いた声で答える。

 

「──今夜は手加減したから。そうしろってサードに命令されたからね。そっちのは腕の一本くらい落とすつもりだったけど」

 

 そう言うと、ジーフォースはキンジには小悪魔的なウィンクを、そして俺には冷えた視線を交互に返してくる。

 

「お前カウンセリング行け、俺が払うから」

 

 冷えた視線には、冷えた視線と言葉を返してやる。

 

「キミはジーサードの命令には忠実みたいだな。それは彼がキミより強いからかい」

 

「そうだよ。ずっと強い。そしてあたしはーー自分より強い者には、絶対逆らわない」

 

 投げられた石を投げ返した俺とは違い、うまく探りを入れたワトソンのお陰で予想は確信に変わった。嬉しくもなんともないニュースだが、ジーサードは彼女よりも格上。この反応を見ると、それも実力にはかなり開きがあると見える。

 

 聞くだに背中が寒くなる内容だった。一人でバスカビールを半壊させた女よりもさらに数ランク上の存在。仮にそんな男が眷属と徒党を組んでやってくるような事態になれば、バスカビールの半壊で済むかどうかも怪しいところだ。現状の俺が正攻法で戦っても、まず太刀打ちできる相手じゃない。正攻法で戦ったことのほうが少ないが。

 

 ビルの車寄せには大きな黒塗りのハマーが駐車しており、ジーフォースからはアンガスと呼ばれたスーツを着た白髪の男が深いお辞儀の姿勢で俺たちを待っていた。

 

「アンガス。サードは?」

 

「ロカの御するグンペルト・アポロにて、ガリオンへ向かわれておりますよ」

 

 ……ロカめ、何が資金が「心もとない」だ。数千万は下らない高級外車だぞ。

 

「キミの話に出てきた超能力者かい?」

 

「ああ。他に何人部下がいるかまでは知らないが金は有り余ってるらしいな。ハワイだとバターフィッシュの味噌焼き大量に売らないと豪邸には住めないのに」

 

「ここではその理屈は通用しないよ。キミにバターフィッシュは合わないけど」

 

「ああ、合わないよ。あんな高いの俺の財布も嫌だって、でも魚を毛嫌いするのは体に良くないだろ?」

 

 ……ダメだ。軽口叩いとかないと頭がどうにかなりそうだ。

 

「お兄ちゃんはこっちこっち!その車で全員は乗れないよー?」

 

 手を抜いてる先兵一人──今の俺は倒せなかったんだからな。

 

 

 

 

 

 

 

 




『ネットは素晴らしい、誰だって悪党になる』S14、4、ディーン・ウィンチェスターーー

ワトソンのランクってAはありそうですが……そろそろ本当のところを知りたいですね。


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繋がる世界

『違うよ母さん。いや、そうじゃないから。やってない、喧嘩とかはやってないから。そりゃ口論は今でもするけど、別にチクチクなんて──俺は平和的、争いが嫌いな平和主義者、でもいつも夾竹桃が揚げ足を取るから已む無しにトークバトルになるわけ。あいつは生粋のバトルマニア、分かった?』

 

 ジーサード一派によるバスカビールの襲撃から一夜経った翌日。ワトソンに話によると、ジーフォースの奇襲で負った怪我の影響でバスカビールの女性陣は武偵病院に一週間の入院が決まった。今日は神崎も星枷の声も部屋にはなく、それだけでやけに部屋が閑散とした空気になる。だから、電話から届く母親の声もやたらとクリアだ。

 

『ああ、そう。喧嘩はしてないし、レバノンまで一人で来てくれたことには感謝してるよ。俺とあいつはお互いノーガードで殴りあってるだけで思ったことを濁さず言ってるだけ。二人三脚やるくらいには仲良いから、裏切られたけど』

 

 腐れ縁くらいにはなってたと思ってたけど、深夜アニメとアニソンには敵わなかったってわけ。どこまでも自分の欲望に忠実な女だよ。まあ、代わりにココパフ奢ってくれたから、別に恨んでもないんだけどさ。あれは犯罪的だったな、バターにクリーム、チョコ、さらにバター、あんなの不味いわけない。

 

『分かった。じゃあ、保安官によろしく。クレアとアレックスにも』

 

 ひとしきり母さんと別れの挨拶をして、携帯の通話を切る。ったく、夾竹桃め……兄貴やキャスだけでなく母さんにまで高評価を貰ってやがる。いつのまにポイント稼いだんだ、俺よりも評価高いんじゃないかってレベルだ。いつ母さんと一緒に料理作ったんだよ、俺はお前が料理してるところなんて一度も見たことないんだけど──!

 

 まずい……夾竹桃が気に入られて、相対的に我が家での俺の扱いがすごく軽くなってる気がする。家出の前科があるしな、俺。しかも国を跨いでの家出、それも数年単位で帰宅しなかったし。確かに夾竹桃は夾竹桃で自分に無害な相手には敵意も向けないし、悪党にしては優しすぎるくらいの女だが……な、なんか複雑だな。

 

「悪い、待たせたな。電話か?」

 

「ああ、スーフォールズから。母さんが休暇を取ったんだとさ」

 

「スーフォールズってサウスダゴタ州の?」

 

 即答したキンジに閉じた携帯をポケットに突っ込みながら、

 

「……正解。なに、前はコロラドって言ってたのに。勉強の成果出てるじゃん。ちょっと驚いた」

 

「よせよ、あそこはあそこで有名な都市だろ。LAやNYの知名度が飛び抜けてるだけで」

 

「それは人によってそれぞれだ。サウスダゴタの中では随一に大きな都市だがそれでも知らない人は知らない」

 

 以前、コロラド州と的外れの解答をしていただけにルームメイトの成長には、我ながら大袈裟な反応を返してしまった。仕方ない、日本の8地方に対し、アメリカはハワイを除いても40以上の州がある。ざっと日本の2倍以上、意図して学ぼうとしなければ覚えられる数じゃない。

 

「まあ、あれだ。地理の問題に出るかはともかく、本土に旅行に行くときは役に立つから。で、そのフードは? 外、晴れてるけど?」

 

 部屋の中なのに、黒いオバケみたいなローブ姿のキンジに俺は首を傾げる。

 

「『ハーミットの衣装』だと」

 

「そうか、ハーミットね。似合ってるよ、それ買ったの?」

 

「装備科からレンタルしたに決まってるだろ。今はとてもこんな気分じゃないが、無視したら教務科の裁きが下るからしゃーなしだ。顔がオバケになるまでボコられるよりはマシ」

 

「それは言えてる。好き好んでサンドバッグになってるやる必要はないな」

 

 今日は放課後にハロウィン──正確には10月末が休日だったので、振り替えで今日になった教務科が主催の催しがあり……何かしら仮装して外を歩くことが義務づけられている。

 

 例によって違反すれば教務科の体罰フルコースに飛ばされかねず、俺もキンジも今日ばかりは素直にそのルールに従ってる。もっとも理子辺りは喜んでるだろうし、皆が皆嫌いなイベントじゃなさそうだが。

 

「けど、普段は退治してる側の存在に化けるってなんか色々と複雑だ。狩りをやる前はそんなこと考えもしなかったけど」

 

「話したい思い出があるなら聞いてやろうか?」

 

「ハロウィンに大御所の悪魔を退治したんだ。サウィンってハロウィンに復活する顔色の悪い悪魔」

 

「聞かなきゃ良かった」

 

「聞いたのが悪い」

 

 ハロウィンの思い出なんてあいつに全部持ってかれたよ。元々、あの日にたいした思い出はなかった。ジャンヌのメールによると、昨夜の襲撃のことでロキシーにて師団の面々で会合を開くらしい。当然、師団入りしている俺とキンジも参加者リストにいるので、手持ち無沙汰に話は続けながら部屋を出る。

 

「サウィンってハロウィンの始まりになった悪魔だっけ?」

 

「知らなくても恥じゃないが正解だ。ケルト人は10月31日の晩、この世と霊界の門が開くと信じてた。サウィン祭りさ、奴に見つからないように仮面をつけ、キャンディーを置いて宥めた。パンプキンに顔を彫るのは崇拝の証。大昔に悪魔払いされたのが復活して、俺たちが後始末。今となっては懐かしいよ」

 

 ちょっとしたハロウィンの蘊蓄だな。こういう儀式や風習のことには家庭の事情で結構知識がある。いまいち盛り上りには欠けるが。

 

「悪魔が消えて風習だけが残ったんだな」

 

「そのとおり。今でこそ子供が仮装してお菓子を貰う祭りだけど、当時は血糊じゃなくて本当に血が飛び交ってた。まさにデスゲーム」

 

 盛り上がりに欠ける思い出話に浸りながら、シボレー・インパラで会議場となっている学園島唯一のファミレスーーロキシーに向かう。

 

 俺とキンジが着いたときには、楓並木に開かれたオープンテラスに既に『師団』の面々が集まっていた。それでも約束の三時の二分前、ギリギリセーフだな。

 

「すまん、ギリギリになったな。分からんかもしれんが俺だ」

 

 黒いフードをかぶったままの姿がキンジが丸テーブルにつく。その丸テーブルというのが、また魑魅魍魎としてる。

 

「遠山。お前は……普段から暗いのに、さらに暗い仮装をしてきたな」

 

 と、辛口を飛ばすのは自分が魔女なのに魔女の仮装をしているジャンヌ。ヒルダが吸血鬼の仮装をするレベルで違和感がない。仮装というかありのままだろ。デュランダルがステッキに変わってはいるけどさ。

 

「それで、お前はお前で一段と顔色が悪くなったものだな」

 

「自分が退治してきた連中の仮装なんてできないだろ」

 

「だからキョンシーだったのか」

 

「中国版ゾンビとはまだ戦ったことがないからな」

 

 納得した表情でキンジが視線を向けてくる。今の俺はというと額に札(悪魔避けを書き殴った)を張り付け、ココと似たような海外の民族っぽい衣装で上下を固めている。キョンシーって言ったら暖帽に札が張り付けられてるイメージが強いが、用意できなかったのでやむを得なく額に直張りしてる。ついでに悪魔も遠ざけられる便利な札だ、手作りだけど。

 

「ユキヒラ、大丈夫かい?」

 

 不意に心配そうに声をかけてくれたのは、カボチャの被り物で誰か分からなくなったジャック・オー・ランタンのワトソンくんちゃん。くり貫いてマスクにしたんだな、声を聞くまでは本当に誰か分からなかった。

 

「大丈夫って何が?」

 

「顔面蒼白だから」

 

「俺が? 日焼け止めだ。まあ、ちょい日光浴びすぎたかな」

 

 一応、衛生武偵として心配してくれたワトソンくんちゃんには心で礼を言いつつ、俺もテーブルに着く。そしてジャンヌ以上にそのまんまな化けキツネの格好をした玉藻が俺の正面の椅子に座ってる。格好が格好だけに師団会議と言っても気が抜けそうだ。そんな最中、凛とした声でジャンヌが話を切り出した。

 

「では少々性急ではあるが、師団会議を始める。先日『師団』のバスカービルーー1名はウルスの兵も兼ねているが──その4人が『無所属』のジーサードと、手下のジーフォースに討たれた」

 

 律儀に机に置かれたノートパソコン、画面越しに繋がっているバチカンのシスターにも碧眼で目線をやると、続けてワトソンが、

 

「昨日、ボクはジーフォースと車内で一緒になる時間があった。そのときに聞き出き出した話によれば──ジオ品川を拠点にしていたのは、単にレキをそこで発見したからだそうだ。ユキヒラがロカって呼ばれるヤツらの超能力者と会ったのも本当に偶然らしい」

 

 昨夜、ジーフォースと武偵病院に連れ添ったときに抜け目なく聞き出していたらしい。別にジオ品川が根城ってわけじゃなかったのか。

 

「何かしら騒ぎを起こす可能性はあったがこんなに早く仕掛けてくるとはな。紛れもなく、こいつは立派な奇襲だ。あのレベルの手練れに奇襲を受ければ、誰が狙われても結果はたぶん変わらなかったぞ。勿論、俺を含めて」

 

 俺の声も自然と低いものになった。ロカ──ジーサードの一派と接触したことは伝えたが、あの段階ではどちらに勢力に味方するかなんて誰も分かりはしない。あのレベルの相手に背中から狙われるのは分が悪いにも程がある。ハンデを抱えられる相手じゃないのは実際に切り結んだことで明らかだ。

 

「厄介だね、彼らは勝てばそれでいいという思想の持ち主らしい。敵にすると面倒なことはこの上ない」

 

 同じく手段を選ばないことで知られているワトソンが補足する。

 

「どうする? ジーサードとジーフォースは今、別々に動いてる。個々で撃破するなら──」

 

「遠山の。仲間をやられて熱くなる気持ちは分かるがの。その言葉はしまえ。あまり儂を失望させるでない」

 

 キンジが最後まで言う前に、目を閉じていた玉藻がそれを遮る。メロンソーダーを飲み、それまで閉じていた眼孔が鋭くキンジを貫く。

 

「先刻、お主は直にヤツらの実力を目にしたはずじゃろ。バスカービルの娘たちは、ジーフォースに手も足も出なかったと聞く。ウィンチェスターは引き分けたそうじゃが、あの娘は全力ではなかったと言ったな?」

 

「映像で見せて貰った攻防一体の布をあの女は俺との戦いで使ってなかった。たぶん、あいつが磁気推進繊盾って呼んでたのがその武装だ。俺も弾切れだったが、それを差し引いてもあいつのほうが手加減してただろうな」

 

 玉藻から振られた視線に、俺は自虐的な声色でかぶりを振った。あの飛来する布はどう考えても驚異だ。仮にあれが健在だったら、昨夜みたいに互角に切り結ぶことも儘ならない。純粋な白兵戦で言えば、俺より秀でてる神崎と星枷が負けた相手だ。キンジは兎も角、何かしらの搦め手を混ぜないと俺の手には余る。腹に目眩ましのまじないを仕込む以上のカードが必要だ。

 

「遠山の。急く気持ちは分かるがはないが掟を忘れるでない。『戦役』ではいつ何時、誰が誰に挑戦する事も許される。ヤツらの手口は汚いが、間違ってはおらんのじゃ」

 

「じゃあ戦うなってのかよ。仲間が闇討ちされたんだぞッ」

 

「闇討ち? それが何じゃ。これは戦ぞ。フェアプレーを誉められるスポーツとは違う。血で血を洗う戦ぞ、お主は首を取られてから相手を恨むつもりか?」

 

「おい玉藻、待て。無理ないだろ、こいつはあの四人と友達だった。みんながみんな、SEALsみたいに感情を操作できるわけじゃない。私怨だって入るだろ、俺だってそうだ」

 

 頭では俺もキンジも分かってる。賢いやり方は、師団として見れば正しいのは玉藻だ。だが、それを踏まえて人間の感情ってのは融通が効かない。身近な相手が絡んでいた場合は特に。

 

「落ち着け二人とも。襲撃された中には白雪もいるのだ。玉藻も何も感じていないわけではない」

 

 ジャンヌの一言に、俺もキンジも声を潜めるしかなかった。玉藻と会長はまだ彼女が自転車にも乗れない小さい頃からの付き合いだ。それにジャンヌは理子、ワトソンも神崎とそれぞれが浅くない繋がりを持ってる。みんな同じだ、済まし顔でいられるわけない。感情を黙らせるように、俺とキンジは深く息を吐いた。

 

「分かった。じゃあ、続けてくれ。キンジ、いいか?」

 

「ああ、頼む」

 

 玉藻に視線で促すと、半眼で言葉が返ってくる。

 

「では遠山の。状況を見聞してみよ。なぜお主だったのかは分からぬが──バスカービルは1人だけ無傷で残された」

 

「俺も一応生き残ってるけど?」

 

「キミは手負いだっただろ。それにアリアたちが敗北する映像を受け取ったのはトオヤマだ。たぶん、彼らのなかではキミはバスカビールのなかにはカウントされてなかった」

 

「それは一理あるな。別枠として見られてたのかも」

 

 実際、俺もバスカビールに含まれていたのを知ったのはついこないだのことだ。もしくは、キンジだけが別扱いされていたのか。

 

「とにかく、これは彼らなりのメッセージ。自分たちの強さを見せつけた上で、ボクたちに交渉の余地を与えたんだ。ジーフォースという使者を置いていくことでね」

 

「あるいは死神かも」

 

 いや、あんな子供みたいな死神はいないか。得体の知れない相手ってことは一緒だが。

 

「ヤツらは今、師団に真に敵対してはおらぬ。交渉の余地を残しておるのじゃ」

 

「それをこっちからは捨てるな、と?」

 

「うむ。刃を交えたお主なら分かっておろう。ヤツらは科学を御する。得体の知れない存在じゃ。お主を含めて、科学の使徒と儂等は相性が悪い」

 

 玉藻の言葉に、俺とジャンヌは静かに目を合わせる。俺みたいなハンターが得意とするのはジャンヌや玉藻みたいな非日常の存在の相手。ジャンヌも同様だ。魔術とは何の所縁もない科学については俺たちは完全な専門外。大げさではなく、科学を操るジーサードの一派と魔女怪物連合の師団は相性が悪い。

 

「それに近頃は璃璃色金の粒子が濃い。私たちにとっては良くない日々が続いているのだ」

 

 超能力関係にはあまり強くないキンジに、補足するようにジャンヌが視線を傾ける。

 

「璃璃色金……?」

 

「ココが言ってただろ。璃璃色金が怒って、見えない粒子をばら蒔いたって。そのせいで超能力が不安定になってるんだよ。星枷も奇襲を受けた夜は全力を出せてなかったはずだ」

 

 星枷とジーフォースとの戦いの一部始終を動画で見せられたキンジには思い当たる節があったらしい。璃璃色金の粒子自体は、一般人には無害だが超能力者にとっては鬱陶しいことこの上ない代物。ジャンヌと玉藻のつまらなさそうな表情を見れば嫌悪してるのがよく分かる。

 

「そして、困ったことに璃璃色金が散布する粒子は極めて広範囲に行われる。お前や当の私たちにも見えてはいないがな」

 

「広範囲?」

 

「ああ、日本全土が包まれているとだけ言っておこう。ちょうどチャフを撒かれレーダーを使用不能にされていると思え」

 

 質問したキンジも目を丸くするような、ゾッとする答えが返される。冗談抜きで日本を主戦場にしてる師団の面々には大打撃だ。相手がヒルダやパトラみたいな超能力者なら条件は平等だが、今回の相手は超能力とは真逆の科学を味方につけてる連中。俺たちだけが一方的にハンデを背負ってるのが現実だ。つまり、タイミングも悪い。

 

「じゃあ、八方塞がりなのか?」

 

「急くな、戦えば儂等は全滅しかねん。が、そこは知略ぞ。遠山、ジーフォースを取り込め」

 

「……は?」

 

 ちうー、とメロンソーダーを飲んで間を挟んだ玉藻は、

 

「まずはジーフォース、いずれはジーサードを取り込むのじゃ。戦うのではなく、師団の味方として率いれる。交渉の余地があるならみすみすと破棄することもなかろう」

 

 玉藻が挙げたのは成功すれば最もメリットのある一手。だが、それは成功すればの話。案の定、キンジが食らいついた。『どうやって率いれるんだ』と、キンジの一言で一番厄介な難題がテーブルに投げられる。俺も追いかけるように玉藻へ視線を向けた。

 

「主催者さんよ。ご計画は?」

 

「うむ。無礼千万な諺ではあるが『狐獲るなら油揚げで』とも言う。ジーフォースの好むものが分かれば、それをエサに師団の兵にできるやもしれん。取り込む方法は何も対話だけとは限らん」

 

「干し草どころか山から針を探すようなもんだろ、そんなの。あいつの好きなものなんて知るかよ。切の首か?」

 

「あー、そういうこと言うんだ。ウケたよ、キョンシーじゃなくて首なしやれって言うんだな。覚悟しろよ、俺が生首になったら、俺の胴体が地獄の果てまでお前の首を追いかける。なんたって他にやることがないからな」

 

「遠山、健闘を祈る」

 

「……トオヤマ。謝っときなよ。彼の場合は本当に胴体一つで追いかけてくるかもしれないよ?」

 

 ……いや、冗談だからな。ジャンヌもワトソンくんちゃんもそんなマジっぽい声で言うなって。俺をなんだと思ってるんだよ、首がなくなったら人は死ぬだろ。体から血がどくどく出たら人間は死ぬの。俺も玉藻に習い、買っておいたコーラを飲んで強引に間を作る。

 

「で、話を戻すが」

 

「ああ、待ってくれユキヒラ。ボクから説明するよ」

 

 と、カボチャ頭に制され、俺は言葉を切る。へえ、何か策があるって感じだな。コーラを飲みながら、俺はおとなしく会話の主導権を譲る。さぁて、お手並み拝見。

 

「その、えっとだね……トオヤマ。ジーフォースという女は……昨日の車でも、聞いているこっちが恥ずかしくなるほどに……キミと会えた事が嬉しくて仕方ないと語っていたんだ」

 

「だが、俺は本当にあの女とは面識がないんだ。間違いなく初対面のはずだぞ」

 

「でも彼女はキミに気を許している雰囲気がある。キミは敵意を剥き出しにしてるけど」

 

「……だから何だ、寝首を掻くなら切のほうが上手いだろ」

 

 だからお前は俺を何だと思ってるんだ。当然、ジーフォースには厳しい言葉を投げるキンジ。だが皮肉なことに次にワトソンが投げた言葉で目を見開くことになる。

 

「つまりだな、キミは得意なことを存分にやれ」

 

「だから何だ」

 

「ボクが言いたいのは──その、つまり、ロメオだ。ロメオだよ」

 

「──ロメオッ!?」

 

 わざわざ二回言ってくれたワトソンに、俺も反射的にジャンヌに視線を振っていた。あ、目を逸らしたぞこの聖女様。さては俺たちが来る前に四人で結論を固めてやがったな。俺はカボチャ頭を揺らすワトソンに頬杖を突きながら、

 

「ロメオって、男版のハニトラか? ベルリンとかで有名な?」

 

「うん。学科があるのはバンコクとベルリンだけだよ」

 

「ふざけんなカボチャ頭っ! バスカービルは、ジーフォースに襲われた直接の被害者だぞ! それでなくても、あんなモーションセンサー付きの爆弾みたいな女──」

 

「じゃあ他に手はあるのかい?」

 

 いつもの二割増しで口の悪いキンジにワトソンは冷静な声で言葉を続ける。

 

「ボクらには今、それぐらいしか打ち手がないんだ。明日の完璧なプランより今あるそこそこのプランが上」

 

「いや、あるぞ。俺がハニトラやる以外にも打つ手が」

 

 おいバカ、俺を見るな。お前はさっき自分が何を言ったのかもう忘れたのか。

 

「……トオヤマ。残念だけどユキヒラじゃロメオは無理だよ。車でジーフォースとユキヒラのことも話したけど、キミとは逆の意味でユキヒラに執着してる。つまり、悪い意味で」

 

「腕を切り落とされかけた」

 

「しくじったって言ってたよ。舌打ちしながら」

 

「教えてくれてどうも。あいつにホッケマスクやナイフはいらない、正真正銘の怪物だ」

 

「表現がうまいね」

 

 諦めろ、と言わんばかりの視線でジャンヌと玉藻の視線もキンジに集まる。こればかりは仕方ない、俺もおいうちをかけるようだが思ったまま言ってやる。先に裏切ったのはキンジだしな。

 

「だそうだ。お前も一部始終を見てたから分かるだろ。ジーフォースと俺はハニトラが成立する関係じゃない。あれは単純な好き嫌いの目じゃなくて、もっと根底から憎むべき相手に向けてる目だよ。好感度はマイナスに振りきってる、つまり無理ゲーだ」

 

「それに外見上とてもそうとは思えないが、実績上、キミは得意だろう。女子をたらしこむのが。アリアを始め、白雪とか、理子とか、レキとか、中空知とか、その他とか」

 

 ワトソンの言葉が契機となり、パソコン越しのシスターすら賛同するムードでキンジにエールを贈っている。最後の退路が焼かれたな。

 

「む、無理だ!できるかそんなモン!切、お前からもなんとか言ってくれ!」

 

「いいや、あの女のキンジに対する執着は確かに本物だった。突拍子もないことかと思ったが筋なきことでもないか、なかなかお利口だねぇ」

 

「ありがとう。キミは顔に札を貼ってるほうが楽しい男になるんだね」

 

「この裏切り者ッ!」

 

「諦めろ。いいか、今度のことは隕石が当たったようなもんなんだよ。お前が落下場所にいた。たまたまそれだけ」

 

 ルームメイトの戯れ言を一蹴し、俺はコーラを飲んで口論から離脱する。しかし、さっきの刺々しい声色を聞いてるとワトソンも案の定ってことか。本当に俺のルームメイトは末恐ろしい。それだけ、良い男ってことなんだろうけどさ。それと女子をたらしこむのが上手いのは否定しない、クラスのみんなが否定しない。

 

「では遠山の。任せたぞ」

 

 そうこう言ってると、ちうー、と残りのジュースを平らげて玉藻が席を立った。

 

「頑張れ遠山。見えるけど見えないものだ」

 

「それ言いたかっただけだろ!?」

 

 続いて、レモンティーを空にしたジャンヌも席を立っていく。

 

「トオヤマ、ボクもアリアたちを看護する。キミはキミの役目を存分に果たしてくれ」

 

 最後に、援護射撃しているようで問題を丸投げするようなワトソンが席を立った。残っているのはノートパソコン越しのシスターと俺たちのみ。つか、これ情報科で貸し出してるパソコンだろ。連中、パソコンの返却も丸投げしやがったな。

 

『お初目になりますね。えっと……キリさんとお呼びしてもよろしいですか?』

 

「あ、そうでした。ええ、ファーストネームで構いませんよ。えっと……バチカンの方ですよね」

 

 不意に、パソコンから言葉を投げられて俺は視線を泳がせる。やばい、バチカンのこと忘れてた。

 

「シスター、どこまで俺のことはご存知でしょうか。その、深い意味はないんですが下手をするとウチの家系はヒルダ以上に魔性というか……」

 

 バチカンと言えばカトリック教会の総本山ってことで有名だ。そして俺と兄貴は揃ってルシファーの器になってる。悪魔の親玉の車、忌むべき対象の筆頭の片棒を担いだことになる。他にも地獄の門を開けて悪魔は外に出したし、魔王は復活させたし、天国の門を閉じて天使は地上に落としたし……

 

「大丈夫か?」

 

「ああ、いや。懺悔することを整理してたら頭がパンクしそうになった」

 

「恐いから中身は聞かないでおく」

 

「賢いね、何の面白みもない話だよ」

 

 と、キンジに乾いた笑いを飛ばすと、

 

『そうですね。一概には……何しろ、ウィンチェスターの方々は良くも悪くも豪快な方々と知られていますので』

 

「とても的確な答え。何も言い返せない」

 

『あ、悪くは取らないでくださいね!一概には言えないというだけの話です。貴方とお兄様が多くの方々を魔の者から救ったという話は事実。多くを犠牲にして、戦い続けてきたことは私も存じてます。殲魔科でウィンチェスターの名を知らない生徒は一人もいませんよ?』

 

「……いつもは皮肉を飛ばすんですが。素直に礼を言いますシスター。ありがとう」

 

『あら、ジャンヌさんからは皮肉屋と聞いてましたが本当は素直な方なんですね』

 

 まさか、ジャンヌが言ってる以上に皮肉屋かもしれませんよ?

 

「キンジ。折角だし、一緒に懺悔聞いてもらうか?」

 

「いや、やめとくよ。俺も頭がパンクする。全部終わってから聞いてもらうさ」

 

 ──ああ、じゃあ『ゆるしの秘蹟』を予約しておきますシスター。二人分。

 

「やっちまったな。最悪の考えコンテストやったら最優秀賞もんだぞ?」

 

「そう言うな。危険な女の相手は慣れてるだろ? 今回もうまいこと乗り切れ、お前はオスカー俳優だ」

 

「中学の演劇で主役になるのとはわけが違う。ワトソンのあの手際の良さ、嵌められたな。俺たちが来る前にだいたいの打ち合わせが終わってたんだ」

 

 最初から仕掛けられた罠に見事突っ込んだキンジは怒り覚めきらぬと言った声色で、

 

「上等だ、俺はキレたぜ。あいつらは人としてやってはならないことをした」

 

「いや、そこまでのことしたかな……」

 

「やられたらやり返す。倍……いや、三人まとめて──1000倍返しだ!」

 

 ……ああ、合点がいった。それ言いたくてずっとウズウズしてたのか。分かる分かる、そのドラマ昨日最終回だったもんな。それ言うと、鬱憤を晴らした気持ちになるのもよーく分かる。あのドラマでも丁度三人いたし。

 

「ほら、済んだらみんなのお見舞い行くぞ」

 

「これからの人生、二度と待ち合わせに滑り込みはするまい。なあ、やっぱりお前の方がロメオは適任じゃ──」

 

「いたしません。行くぞ、ケーキ屋のキンちゃん」

 

「け、ケーキ屋って……なんだよそれ」

 

「70年代のドラマだ、児童向けドラマ。だからって馬鹿にできないぞ?」

 

 おもちゃ屋とか、すし屋とか、まあそれは色々なシリーズがあって好みは別れるんだが、俺はどれかと言うとケーキ屋キンちゃん党ってやつで──

 

「切」

 

 後ろを歩いていたキンジが小走りで隣にやってくる。両手をポケットに突っ込んで。

 

「ジーフォース、連中のことをお前はどう見る?」

 

「強い、恐ろしくな」

 

 一転、落ち着いた冷やかなルームメイトの声で冷水を頭から被ったように、思考がクリアになる。落差の激しいやつだ。

 

「勝てるか?」

 

「分からない。でもまあ、戦うことになったら先人の教えに習うさ。第442連隊戦闘部隊」

 

「パープルハート大隊か。いつも通りだな」

 

「ああ、いつも通り」

 

 視線は交わさず、歩いたままで端的に返す。それはアメリカ陸軍史上最も多くの勲章を貰った戦闘部隊で彼らのモットーは、

 

「go for broke──腐れ縁」

 

「Hoo-yah──キンジ」

 

 ──当たって砕けろ、だ。

 

 

 

 

 

 



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光の中へ完結する物語

「なんで車が使えないんだ?」

 

「どうせ電信柱にでもぶつけたんだろ。夾竹桃の運転に数ヶ月耐えられる車なんて戦車くらいだ」

 

 鬱陶しい晴天の下。インパラを背に、ジャンヌからメールを貰った俺とキンジは諸事情で車が使えなくなった彼女のお友達を待っている。お目当ての場所は俺たちと同じく、バスカビールの入院している武偵病院だが自慢のオープンカーは不調のようだ。

 

「運転下手なのか?」

 

「特殊な状況ではいいよ。地雷原を抜けるとか、追ってくるガンシップを振り切るとかやばいときは。でもここなら、舗装された日本の道を走るとすれば改善の余地あり」

 

 そうやって目を丸めるなよ。前は俺も上手いって誉めてたさ。首都高をあいつの運転で追跡戦やるときまでは……

 

「血も涙もない解説だな。車で攻撃ヘリとでもやりあうつもりか?」

 

「氷上で原子力潜水艦とバトルするよりはまだ勝ち目がある」

 

「潜水艦……?」

 

「ワイルド・スピードだよ。ICE BREAK」

 

「……あの映画、まだ見てない」

 

 やや棘を含んだ解答に俺は視線を明後日の方向に逸らす。ネタバレか曖昧なところだが、ポスターにも潜水艦が出てるしセーフだろう。

 

「分かったからそんな目で見るな。この件が無事に片付いたらレンタルしてきてやるから」

 

「よし、俺は何も聞いてない」

 

 いい性格してるよ、現金なやつ。そこが好きだ。

 

「ああ、そうだ。車と言ったら話は逸れるんだが向こうで兄貴が昔ぶっ壊したダッジ・チャージャーを見つけたんだ。懐かしくなって駄目元で修理してみたら、さすがはトレット家に愛された車だな。これがまた良い走りするんだよ」

 

「ダッジ・チャージャーまで持ってたのか。インパラ一筋と思ってたぞ?」

 

 巷やハンターの間では、ウィンチェスターの車=67年のシボレー・インパラになってるが実はサムの愛車遍歴に限ってはちょっと違う。

 

「本には書いてないこともある。一時のことだけど、インパラがなかったときに新しいもの好きの次男が移動に使ってたんだよ。でも空から天使が降ってきて──俺の目の前で下敷きになって廃車扱い」

 

 ダッジ・チャージャーって車は最終戦争の件が終わったあとに、地獄から戻ったサムがインパラの代わりに使っていたマッスルカー。偶然か必然か、インパラと同じ黒で塗装されたモデルだったがクールなボディは芸術品の一言、案の定一目惚れしたが兄に「運転させてくれ」と頼む前にキャスが見ず知らずの天使と落下。よりによって目の前で廃車になる瞬間を目撃しちまった。

 

「天使も空から降ってくる時代か。何も降ってくるのはアリアだけじゃないんだな」

 

 と、以前とは違って半ば諦めたように空を見上げるルームメイト。本人の意思とは裏腹に、順調に非日常の深淵への階段を登ってる。人生はままならん。

 

「でも車は手を焼いてやる必要がある。整備した車との間に信頼関係ができなきゃ駄目だ」

 

「結婚と同じか」

 

「ああ、でも車は別のに変えても慰謝料とらない」

 

 女嫌いのキンジにしては、珍しいたとえに俺やや驚きつつも自慢の彼女を一瞥する。

 

「まあ、俺ならインパラが廃車寸前になろうと離婚する気なんて真っ平ないが」

 

「知ってるよ。お前は意地でも修理する、賭けてもいい」

 

「答えが分かってるなら賭けにはならねえよ。ディーンが何度も壊れたインパラを直してる。俺が見捨てるわけにはいかないだろ、この車は家族みたいなもんだし」

 

 かぶりを振り、俺は修理したチャージャーのことを遡って思い出す。あれはウィンチェスター風に言えば、魂が抜け落ちて、冷たい機械人形みたいになってた兄が使い倒していた車。ルシファーを檻にぶちこんだところまでしか書かれていない書籍では、触れられていないことの一つ。結局、ミカエルとルシファーの兄弟喧嘩を阻止したところで一段落にすらならなかったことをあの車は切実に語ってくれた。

 

 元凶と思われた堕天使を排除して、その後も問題は山積み、休みなくトラブルが次から次に投げられてくる。聖書のメインイベントが過ぎ去ってからもう何年も経つのに、俺たちはまだ『非日常』って暗いトンネルの中を手探りのライトを照らして走ってる。

 

 他の道はない、逸れようとしても寄り道にしかならない、時間が経てば元の道に戻され、最後にはいつもどおり出口の見えないトンネルの中を走ってるーーだからやめた、普通の日常、生活を望むことを。いっそ敷かれたレールをそのまま走ってやるって気持ちで今ここにいる。

 

 これが『誰か』によってシナリオの定められたテレビ番組だと言うなら、決められた脚本を、最後の最後で台無しにしてやる。俺たちは糸のついた人形でもなければ、本の中の登場人物でも、アニメやドラマの中のキャラクターでもないんだからな。

 

「ところで、彼女とのカウンセリングは? 順調か?」

 

 一転、キンジが待ち人の女の話題に触れてくる。

 

「あいつが言うには俺と顔を合わせるとなんでかトラブルに巻き込まれるんだとさ。あいつの認識だと俺はトラブルを引き寄せる磁石らしい」

 

「冷ややかな視線を交わしあった?」

 

「久しぶりに殺し合いになってないだけ」

 

 苦笑しながら俺は肩をすくめた。誰かさんは思ったことをそのまま口にするし、本能のままに毒を吐く。我慢したら死ぬんじゃないかってくらい好きなことを言いたい放題なのがーー魔宮の蠍って毒使い。ある日、突如としてコルトを奪いにやってきたイ・ウー随一の毒使い。深夜アニメとマンガ、あと人が居眠りしている隣でアニソンを大音量で流すのが大好きな女。

 

「知らないお前に教えてやると、あいつは情け容赦ない血と猛毒と神の怒り、そんな女だ。間宮とそのお友だちに倒されたなんて、俺は今でも疑ってるよ。お礼参りでいつか車のボンネットに縛り付けられて崖から落とされるんじゃないかって心配してる」

 

「……情け容赦ないのはどっちだよ」

 

「お前はあの女が分かってないんだよ。俺もいつかサメがうようよいる海にケージごと落とされるんじゃないかって本気で思ってる。ツーリスト用のケージなんかに入れられてドボンってさ」

 

「尋問科では口の固い犯人はそうやって落とすのか?」

 

「そこはノーコメント。自由履修ならいつでも待ってるよ」

 

 綴先生と一緒にな。お前なら先生も歓迎するだろうよ。

 

「大体だな、俺がトラブルを招く避雷針や磁石だとしてもだ。武偵なんてトラブルに巻き込まれてなんぼの仕事だ。そうだろ?」

 

「それは言えてるな。あちこちに敵を作るし、トラブルありきの日常だ」

 

「ゲームオブスローンズはもっとすごい」

 

「あのドラマはどぎつい」

 

 腕を組み、鏡合わせみたいな姿勢で俺たちはインパラのドア部分を背もたれに空を扇ぐ。

 

「俺よりもお前はどうなんだよ。俺がいない間に神崎とはどうだったんだ?」

 

「どうって?」

 

「喧嘩してたのが仲直りしたわけだから、結果的に進展したのかなって。日本では雨降ってなんとやらって言うだろ。ほら、映画とかでよくあるパターンさ」

 

 喧嘩して、仲直りして、ハッピーエンド。神崎もキンジもルームメイトなんだから気になるのは当然だ。電車で恋愛相談聞いた仲だし。

 

「何を期待してるか知らんがアリアとは何もない。お前が不在になったときと何も変わってねえよ。日夜問わず、あいつは俺にガバメントを向けてくるツインテールの怪獣だ」

 

 そう言って、キンジは肩をすくめる。何も変わってないと、そう言って。キンジは苦笑する。なので、俺もうっすらとした笑みで、

 

「怪獣ねぇ。けど、恋におちる相手は最初は癪に障ることがあるって」

 

 そう言ってやった。

 

「そんなの誰から聞いた?」

 

「前にテレビでどっかの先生が言ってた」

 

「今はネットになんでも載ってる。いい世の中になったもんだよな、言ったもん勝ちだ」

 

「それは同感。真実なんてのは曖昧な記憶の集合体で、それが真実の顔して堂々とのさばってるだけ」

 

 だから、その記憶の持ち主を消せば、真実なんて消えてしまう。都合よく書き変えられ、その気になれば簡単にねじ曲げられる。真実なんて、そんな曖昧なものだ。今の世の中、ゴシップ心にくすぐられて、流された嘘がいつのまにか真実の顔をしてのさばってる。至るところに。

 

「兎に角、最後にこれだけ。俺はお前が理子や星枷、誰を選んでも『おめでとう』を言ってやるつもりだが──数えるほどだから」

 

「なんだよそれ?」

 

「大事な人はそう現れるもんじゃないぞ。若い頃は星の数ほど出会いがあるが俺くらいになりゃ大事な人は片手で数えられる」

 

 なんか、婚期を逃して半分諦めてる独り身みたいだよな。このセリフ。

 

「まあ、今をできる範囲で楽しんどきな」

 

 するとその、自嘲的な顔の俺にキンジがうっすら笑い、

 

「そうするよ──なあ、本当に俺と同い年だよな?」

 

「見ろ、やっとお客さんが来たぞ。おい、こっちだこっち」

 

「聞けよ!」

 

 ようやく姿が見えた夾竹桃らしき相手に遠出から手を振ってやる。らしき、と言ったのは当たり前だがここの生徒である以上は彼女も仮装しているわけでーー普段の黒セーラーや防弾制服とは違っている。事実、手袋をしている左手で気付くまでは誰か検討もつかなかった。小さかったシルエットが近づくに連れ、徐々に鮮明に見えてくる。

 

「ごめんなさい、待たせたかしら?」

 

 まず目についたのは白い着物だった。黒とはどこまでも対照的な真っ白な生地、雪原を思わせるその白色は気品すら感じさせる見事なもの。十中八九、素材は高級な着物にはよく使われる絹と見て間違いないだろう。

 

 着物の白に合わせ、帯の色も同色の白色。鮮やかとは違った飾り気の薄い物だが、逆にそれも白色が本来持っている『純粋』『清潔』と言った印象を後押し、変に飾るよりもずっと視線を惹き付けるものになってる。小細工を抜きにして、単純な攻撃力だけを底上げしてきたというべきか。その攻撃力が凶悪無比であることは今更言うまでもない。

 

「雪平?」

 

 そして帯から視線を持ち上げれば、もう1つ特徴的なのは首に巻かれたこれも同じく白いマフラー。着物とは白の濃淡が違うが細い首回りに巻かれたそれは一際強く視線を惹くことだろう。どちらかと言うと小柄な彼女には、気品めいたショールなんかよりもその純粋(とうめい)なマフラーがずっと似合ってる。それは凶悪無比なレベルで。

 

 そして、なによりも彼女の髪だ。上から下まで白色に統一すれば、必然的に目に毒なレベルで目立っていた黒髪がいつも以上に主張してくる。いつもどおりのストレートの長髪が装いひとつでまるで違って見える。凶悪無比な白い竜が一体から三体に増えたくらい、いつもの三倍は危険度が違って見えてくる。いや、三体が一体に纏まってより洗練された姿になったって言うべきか。なんにしても危険度が跳ね上がってる。

 

 はっきり言っていつも以上に目に毒だ。いつもは黒で固めてるせいで白い着物も妙に新鮮に見えて、ただでも凶悪な毒を猛毒に変えている。着物が似合わないわけないとは思ってたが本当に予想を越えてる。とりあえず、目に毒過ぎる。つか、これじゃまるで探偵科でやってる『服装分析』と変わら──

 

「もしもし~誰かいますかー!」

 

「聞こえてる! 聞こえてるよキンジ!バックトゥザフューチャーの見すぎじゃねえのか!?」

 

 耳元でうるさく訪ねてくるキンジを睨み、俺は手で軽く追い払う動作を見せる。いらねえんだよ、こんなホームドラマみたいなネタ。手で頭を抑え、一気にクリアになった頭で俺は夾竹桃と視線を合わせる。

 

「──雪女か?」

 

 すると、やや驚いた様子で。

 

「よく分かったわね」

 

「和装でなんとなくだよ。設定的にマフラーは保冷目的ってところ?」

 

「ええ、違和感とか……」

 

「いや、全然。これぽっちもねえよ。心配しなくても全然違和感ない。保証する。似合ってるよ」

 

「なら良かった。本当に?」

 

「ああ、こればかりは嘘は言わない。本気で似合ってる」

 

「そう」

 

 と、マフラーを持ち上げて口元を隠す彼女に俺は視線を明後日の方向にやる。元々が日本人形みたいな顔立ちだし、和装が似合うとは思ってたが認識が甘かったな。俺の予想を超えてーー今の姿が似合ってる。着物にマフラーってそんなに相性良かったかって問いたくなるレベルだ。確かに認めるよ、素晴らしく雪女やってる。

 

「死なないくせに死体の仮装をやるなんて、貴方も皮肉が効いてるわね」

 

「自分が刑務所にぶちこんだ連中の格好をするのは気が退ける」

 

「それもそうね。貴方は貴方自身で仮装してるようなものだし」

 

「どういうことだよ?」

 

「貴方自身がホラー小説のキャラクターみたいなものでしょ。キョンシーよりもずっとそっちの方が似てるわよ」

 

 いや、似てるも何も自分自身だろ。でも言われてみるとそれもそうか。

 

「まあ、確かにスパナチュは本になってるし」

 

「オンライン書籍も出てる」

 

「オカルト要素も満載」

 

「ホラー小説だから、誰か犠牲にならないと読んでる人は怒るわね」

 

「俺以上に俺の仮装が上手い奴はいない」

 

「当たり前でしょ、本人なんだから」

 

 はー、その発想はなかったな。ジャンヌは魔女で玉藻はそのままキツネだし、俺も俺をやれば良かった。盲点だったよ。

 

「その抜け道は上手いな、ストンと落ちたよ。来年はそれ使おう、死体役をやらなくて済む」

 

「いや、反則だろ。通るかそんな理屈」

 

「またそうやって盛り上がってるのに水ぶっかけるようなこと言って……お前って人の夢を食うよな、カーゴパンツの歩くパックマン」

 

 右手で噛みつくジェスチャーをしてやると、キンジは冷めた目で首を振る。

 

「パックマンでもないし、カーゴパンツも履いてない。バカな話もここまでにして、そろそろ行かないか?」

 

 まあ、それもそうか。バカな話はともかく、ここでずっと話してるわけにもいかない。それは賛成だ。と、その前に……

 

「見ろよ、夾竹桃。つい最近洗車したばっかりのピッカピカ。美しいねえ?」

 

「ふーん。いいじゃない」

 

「な? そうだろ?」

 

 なんだよキンジ、その『自慢かよ』みたいな目は。ああ、自慢だよ。自慢の彼女(インパラ)が綺麗になったんだから少しは自慢してやらないと……って、

 

「おいおいどこ行くんだよ。助手席こっちだよ?」

 

 俺とキンジを通りすぎ、夾竹桃はなぜかインパラの左側へと回る。なぜか急に胃が痛くなってきた。堪らずキンジに視線を投げる。

 

「なにする気……?」

 

「まあ、とんでもないことだろうな」

 

 キンジは投げやりに肩をすくめる。そして俺の質問にも答えぬまま……夾竹桃は運転席に座り込みやがった。

 

「おい、なにしてる?」

 

「早く乗りなさい。行くわよ」

 

 何食わぬ顔でシートベルトを締め、何食わぬ顔で眼前の女はハンドルを握っていた。首を右に向けるとキンジがいつのまにやら後部座席で携帯を弄っていた。なにそれ、我関せずってか?

 

「あのな、車ってのは鍵がないと動かないの。分かる?」

 

 刹那、インパラが唸りを立てる。ゾッとして助手席の扉を開けて覗き込むと、確かに鍵が差し込まれていた。俺の見覚えのない、黒い兎やら白い猫やらのやたらストラップが重なった鍵が……

 

 よし、落ち着け。落ち着こう。一旦ドアを締めてから、俺は背中を向けて深呼吸する。肺の空気を入れ替え、改めて俺は窓から顔を覗かせた。

 

「あのさ、なにがあった。一体何があったの。おまえこれ全部悪い夢ってことないのか? これ全部ジョークってバージョンは?」

 

「彼女、最近までは私の車だったし。合鍵くらいは持ってるわよ。だって私に預けたのは──」

 

「切だな」

 

「ありがとう。そのとおり」

 

 ありえない、なにこれ。これがナイトメアってやつ? 本土でダッジ・チャージャーに浮気した罰かこれ?

 

「なるほどな、本当に頭痛くなってきたぞ。ズキズキする、ズキズキする、まるで悪夢の無限ループだ。もうストレスばりばりで病気になりそうだ、今そういう状況」

 

「そんなに右往左往してると、地面がすり減って穴が空くわよ?」

 

「ああ、ウケたよ。いま必死に悪夢から抜け出そうとしてるからちょっと待て」

 

「早く乗って。助手席、わざわざ空けてくれたんだから彼にも悪いでしょ?」

 

「俺は別に」

 

「いいのよ、これはマナーの問題」

 

 と、急かすようにエンジンを唸らせ、催促してくる。これほどまでにブーメランって言葉が似合う光景を俺は見たことがない。俺は苦笑いで助手席のドアを開けた。

 

「……いい音だね。V8のいい音だね。俺の車だよ?」

 

 返答がない。5秒……10秒……フロントガラスを見たまま動きも言葉もなかった。

 

「着物で運転って検挙されないかな? パトカーと追いかけっこにならない?」

 

 さらに10秒……帰ってきたのは鳥の鳴き声。

 

「あ、そう」

 

 そこでようやく俺は助手席に座った。ああ、良いシートだね助手席も。ほんっとに良いシート。

 

「お前ほんと最低だね」

 

「出すわよ」

 

「待った」

 

「なによ?」

 

 何って命綱だよ、命綱。これから日本の道路を走るんだから。地雷元じゃなくて。

 

「シートベルトしてから暴走してくれ」

 

 そして、バスカビールが入院する武偵病院へ俺たちは向かった。学園島の道を走るのはシボレー・インパラ。黒くてかっこいい俺の車。67年型のV8エンジンを詰んだかっこいい俺の車。ジャガーにもクレスタにも負けない俺の車。

 

「むかしむかし、あるところに群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、要領の良さと親父からの叩き上げのスキルだけでのしあがった狩人がいました」

 

「いつもの奇行が始まったわよ? 貴方のルームメイトでしょ、なんとかしたら?」

 

「無理だ。俺の手には余る」

 

「狩人は素敵な黒い馬を持っていました。狩人の村の誰もがこの馬を──誉めました。走れば早いし、見た目もかっこいい、275馬力のナイスな馬です」

 

 とても長寿で、ちゃんと世話してやれば40年経ってもガンガン走る元気な馬。ここから盛り上がるので周りから聞こえてくる罵詈雑言は無視。

 

「ある日、この絶対に失敗しない狩人がいなくなりました。それは怪物と旅に出たからです。毒を持った蠍の、嫌な怪物」

 

「……」

 

「おいッ!気持ちは分かるが前に誰もいないのにクラクション連打はまずいだろッ!」

 

「二人はドラゴンを退治したり、喧嘩したりしながら旅を……勿論、絶対に失敗しない狩人がいつも怪物に勝っていました。敵はさくさくと退治したものの二人の間には暗雲が──なんでって、怪物が狩人の馬を狙っていたからです。そう、蠍の怪物は欲張りで利己主義」

 

「……」

 

「ブレーキ! ブレーキ踏め切!」

 

「欲しいものと自分の知らない物は手に入れたくて我慢できない怪物は馬を横取りして、狩人を絶対に乗せないのです」

 

「クラクション止めろぉぉ!」

 

 普段とはいささか異なった面子のドライブは思ったより賑やかだった。異なるというか、この三人でドライブするなんて初めてかもしれない。

 

 イ・ウーのメンバーでありながら、間宮+お友だちに負けたことで夾竹桃とキンジの接点は薄い。学年も理子やジャンヌと違って一年のクラスにいるから尚更だ。故に、これはなかなか貴重なショットかもしれない。

 

「夾竹桃、さっきから同じ表情してるけど気分が悪いなら変わろうか?」

 

「いいえ、おぞましい罵詈雑言にショックを受けてただけ。遠山キンジ」

 

「呼んだか?」

 

 後ろから力の抜けた声が飛んでくる。クラクションが止んだ途端に冷静になりやがって、切り替えの早いことで。

 

「良い人って辛いわね」

 

「良い人は自分を良い人って言わないだろ」

 

「雪平、お金払うから黙ってて」

 

 分かった、黙ってるよ。たぶん、数分間くらいが限界だけど。これが不思議なんだが黙ってろって言われて黙るのって案外難しい。

 

「一応聞くんだがいつもこうなのか? 車のなかで倦怠期の夫婦みたいな喧嘩が平常運転?」

 

「かなり語弊があるが仕切り屋なのはいつもと同じだ。運転したがるところとかな」

 

「気にしないで。私の方が運転上手いだけ。分かるでしょ?」

 

 さっきはクラクション連打だったのに、ここぞとばかりに即答してくる。嘘つけ、地雷原以外なら俺のほうが絶対に上手い。迷わず、俺もキンジに向けて即答する。

 

「仕切り屋なんだ。いつも人のことを仕切り屋って言ってるけど、自分が一番の仕切り屋。そりゃもうジャンヌ以上だ、ジャンヌ以上」

 

「気にしないで。私のほうが上手いって認めたくないだけ」

 

「あ、そう。じゃあリモコンの仕切りはどうなんだよ」

 

「リモコンの仕切り?」

 

 ああ、リモコンの仕切り。またの名をチャンネル戦争。

 

「本土にいたときずっとそうだった。俺の部屋に来ると即チャンネル変えて、見たい番組一緒に見ようって」

 

「仕方ないでしょ。私の部屋、テレビなかったんだから。私は道徳の授業でそう教えられたの、テレビのエチケット」

 

 もはや売り言葉に買い言葉。互いに煙の立った場所にガソリンを撒いて山火事にしてる状態。つまり──いつも通り。

 

「へえ、エチケット?」

 

「ええ、エチケット。ゲストにチャンネル権を渡すのが礼儀だったのよ」

 

「じゃあどこでも真っ先に入っていこうとするのは? 会話の最後の一言を言うのは? どこで外食するか決めるのは? いつもお前だ、なんで? エチケットとかデリカシーとか無縁だから」

 

「貴方が優柔不断なの、私にはどうしようもない」

 

「違う、お前が仕切り屋なんだ。それだけ」

 

「だっていつも決められないでしょ、何も決められない。イタリアンにするか、中華にするかって聞いてもいつも『どっちでもいい』か『好きなところで』しか言わないじゃない」

 

 ちゃんと決めてるだろ。どのハンバーガーを食べるとか。ダブルチーズバーガーとてり焼きのどっちにするかとか。サイドメニューは何にするかとか。俺は肩をすくめて横目を使ってやる。

 

「よく言うよ」

 

「そう。明日のランチ何食べる?」

 

「好きなところで」

 

「ほらね、やっぱり。聞いた?」

 

「どこでも──ああ、もういい。やめた。お前って小さいときはサンタのプレゼントは絶対貰えないタイプの子供だったな」

 

「なにそれ。貴方は貰える子供だったわけ?」

 

「ああ、当然だ。俺はいいやつが売りだし」

 

「笑えるゴシップね」

 

「なあ、病院までそうやってずっと夫婦喧嘩するつもりか?」

 

「じゃあ私はなにが売り?」

 

「決まってるだろ、最悪な運転と姑息なとこ」

 

「最悪の運転? 最高の運転の間違いでしょ。貴方に運転を任せたら、シートベルトする前に暴走す──」

 

「勘弁してくれよ……」

 

 

 

 

「じゃあ、俺は売店でももまんやらカロリーメイトを買ってくるから、病室には二人で先に行っててくれ。もうレフェリーは必要ないだろ」

 

 武偵病院のA棟、ナースステーション付近でそう言うとキンジは踵を返して購買に走っていく。車から降りたときはやけにげんなりした顔だったが、ジーフォースのロメオって大役を一人で引き受けるわけだからなぁ。師団の行く末を一人で背負うなんて状況、重圧で苦い顔になっちまうのも当然か。忘れがちになるがあいつはまだ学生なんだしな。

 

「行くか」

 

「ええ、303号室」

 

 キンジと別れ、雪女の夾竹桃とバスカビールの入院している部屋に向かうべく、エレベーターに乗る。しかし、こんな格好で病院を歩いていてもスタッフからはお咎めなしとはいえ、ハロウィンに縁のなかった俺には不思議な気分だ。エレベーターのボタンを押し、頭上で点滅していく階層の数字を眺めていると、

 

「どうかした?」

 

「いや、別に」

 

「別にってことないでしょ。これだけ一緒に仕事してたら、何かあるってことくらい分かるようになるわよ」

 

 ドアが開き、降りてくるナースと入れ替わりでエレベーターに入る。暫く待っても誰かが入ってくる気配はなく、俺が3階のボタンを押すと音声が流れ、そのままドアは閉まった。

 

「これ、言うまで聞かれるパターンか?」

 

「そのパターン。嘘も駆け引きもなし」

 

「ああ、そうか。ハロウィン。なんていうか、生まれてから初めてまともなハロウィンをやってる気がして」

 

「ハロウィン?」

 

「ああ。去年は病院で寝てただけだし、昔は悪魔を退治したりだとか幽霊を退治したりとかそんな記憶しか。だから、海を越えた先で初めてまともにこのイベントをやってる気がしてる、それが不思議に思ったんだよ」

 

 エレベーターの浮遊感に揺られながら、視線もろくに合わせずに答える。無言の静寂なんていまさら気になる相手じゃない。ただ、なんで話したのかも正直謎だ。

 

「私だって不思議よ。数ヶ月前に襲撃した相手と、お見舞いに行こうとしてる」

 

「雪女の格好で?」

 

「ええ、しかも死体の相手と」

 

「それは確かに不思議だな。雪女の格好で死体になった仇敵とお見舞いに来てる」

 

「不思議ね。かなり不思議」

 

 だな、こんなの仕方ない。気付いたときにはお互いに自嘲した笑みで笑ってしまう。

 

「まあ、遅くなったけど本土まで来てくれて嬉しかったよ。好き好んで面倒ごとに首を突っ込んでくれて、本当に言葉もない」

 

「よしなさいな。結果はどうあれ、貴方はミカエルと一人で戦ってくれた。あれだけ過去にトラブルになってる悪魔の血を飲んだ上で、私とジャンヌを巻き込まない選択肢を取った。迎えに行くのは当たり前でしょ?」

 

 ……お前なぁ。さも当然に言うなよ。ただでさえ、今日のお前は普段より凶悪な見た目してるんだからさ。

 

「平然と言うなよな。待つことを知らない奴だ」

 

「私の静止を振り切って一人で戦ったのよ。だから私も貴方の期待に答える必要はない。丁度、ベガスにも行きたかったし」

 

「ベガスって、本気か?」

 

「雪平もベガス好きって言ってたじゃない。いいところよ、別名9番目の島って呼ばれてるし」

 

「そりゃたまにならいいけど。長期で行くのはちょっとな」

 

 苦笑しながら俺は視線を結ぶ。たまにならいいよ。ポーカーやるとか、古い知り合いだけでちょっと遊ぶとか。でも長期は躊躇う。

 

「海は嫌いか?」

 

「なによいきなり。聞かなくても分かるでしょ」

 

「俺が嫌いなものってのはな、砂漠だ。そう、暑くてカラカラで日陰でも50度。そんなところに長期は無理、願い下げ。何人熱中症で倒れてるか知ってるか?」

 

「どこにでも汚点はあるわよ、ニュージャージーの日焼けサロンと同じ」

 

「今日も軽口は絶好調だな。今度旅行に行くならローレンスとかいいんじゃない?」

 

「……考えておくわ。そう来るとは思わなかった」

 

 いいところだぞ、聖地巡礼もできるし。ああ、そうだ。それと──

 

「なあ、お前もジャンヌもお世辞抜きで似合ってると思うけどさ。正直なところ、俺ってそんなにゾンビみたいに見えるか? ウォーキングデッドに出てくるウォーカーみたいな?」

 

「負けず嫌いね」

 

「性格なんで。でもお前と張り合っても即サレンダーするよ。俺も一応、こういうのは気になるだけ」

 

 髪を残して、雪のように真っ白な彼女は、なんというか似合ってるって次元を飛び越えてる気がする。張り合う気にもなれないし、勝てるとも思わない。本当のところを言うと、隣で歩くそんな彼女を見てちょっと気になったのだ。

 

「ヘアアーティストの本音って知ってる?」

 

 ふと、そんな疑問を投げられて俺は目を丸める。

 

「土台がいいと何やっても良く見える」

 

 3階を知らせる音声が流れ、エレベーターの扉が開く。すると、目の前には額や太ももに包帯を巻いた理子がいた。それはそれは面白い物でも見つけたような満面の笑みで。ひまわりみたいな明るい笑顔を向けてくる。

 

「おー!蠍堕天使コンビじゃん!二人仲良く揃ってお見舞い?」

 

「ええ、元気そうね」

 

 待て、理子。言いたいことがあったのに、ツッコミを強制させるようなこと言うんじゃない。なんだ蠍堕天使コンビって、スルーできないだろそんなの。それとお前もナチュラルに肯定するなって。

 

「理子、なんだよその取って付けたような名前は。バカみたいなあだ名つけるなら、先に聞けよ。つけてもいいですかって、それが筋だろ。それと、何階だ?」

 

 相変わらずのネーミングセンスに呆れつつ、理子が乗るまで開閉のボタンを押しておく。

 

「じゃあダメなんだ。いいネーミングだとおもったんだけどなぁ、残念。一階までよろしく!」

 

「ああ、ダメだ。一人で大丈夫か?」

 

 理子にこんな心配必要ないだろうが、一階のボタンを押してから一応怪我人なので聞いてみる。

 

「うん、またお部屋で。あややも来てるよ!」

 

「平賀さんが?」

 

 エレベーターの外に出ると、詳しいことを聞き返す前にエレベーターのドアが閉まる。また意外な人と重なったもんだな。踵を返して正面を向くと、廊下の手摺に寄り添うようにして、夾竹桃が腕を組んで待っていた。今の姿だと威圧感はいつもより欠けるな。

 

「蠍堕天使コンビ、悪くなかったのに……」

 

「気に入ったのかよ……あんなの俺がルシファーに取り憑かれてる前提の名前だろ。不吉にもほどがある。理子に新しいのを考えてもらえ」

 

 別になくても何の問題もないんだが、なんでそこで不満な目をするんだよ。蠍堕天使はない。堕天使は絶対ない。

 

「それよりもさっきのヘアアーティストの本音って──」

 

「貴方もウィンチェスター兄弟ってことよ」

 

「なんで小走り?」

 

「別に」

 

 小走りで前を行く夾竹桃を追い、俺も必然的に歩くペースが早くなる。元通りに彼女の隣へと並び、バスカビールが相部屋になってる303号室へ続く通路を歩く。

 

「あれって褒め言葉だよな?」

 

「……なんか嬉しそうね。ずっとニタニタ、天下取ったみたいに」

 

「そんな顔してるか?」

 

「してる。エレベーター降りたときからずっとニタニタ」

 

 知らず口から笑みがこぼれていたらしい。本土から帰って来て、疲れて泥のように眠っていたのが嘘のようなくらい気分爽快だ。どうやら、俺も理子に劣らず気分屋だったらしい。

 

「そうか。じゃあ、今の俺が持ってるのはガムと酔い止めのクスリと、あとスマイル?」

 

「おもしろいわね。今のたとえはA+あげる」

 

「ありがとう」

 

 軽く頷きながら、患者、ナースと擦れ違いつつ目的地に近づいていく。病院とはいえ、ナースステーションで見かけたカボチャを模した置物だったり、本当にハロウィンって感じだな。元々は悪魔から身を隠すために始まったようなイベントだから、ハンター的には複雑なイベントだが。まあ悪いことばっかりでもないか……と、お隣の雪女に視線をやり、

 

「なによ?」

 

「いや、来年もそれやればいいと思って」

 

 一瞬、目を見開いたような気がするがすぐにいつものクールな視線で、

 

「見たいの?」

 

「そりゃ見れるものなら」

 

「本気?」

 

「本気。本気で似合ってるって言ったし。嘘は言わないって、俺はいいやつが売りだし」

 

 何気にとんでもないことを口走ったような気がするので視線だけ正面に戻しておく。が、なぜか夾竹桃からも言葉が返って来ないので妙な雰囲気になる。廊下を鳴らす足音だけが妙に鮮明だ。

 

「雪平、なにか話題だして」

 

「もうすぐ目的地の部屋だぞ?」

 

「それまでの間よ。何かあるでしょ、お喋り好きなんだから」

 

「昔の男は寡黙なんだ」

 

 もっとも俺はキンジと同世代で本当は昔の男ってほどじゃない。キャスと比べたら、何桁違うか分からん。

 

「本当に軽口が好きね」

 

「性格なんで」

 

「疑問が一つあるんだけど」

 

「聞くよ、なんでも。でも手短にな」

 

 どうせ病室はすぐそこだ。肯定してやると『ありがとう』とだけ、夾竹桃は前置きし、言葉を続ける。

 

「貴方って死ぬほど軽口が好きだけど、遠山キンジの恋愛事情には言及しないのね?」

 

 投げられた言葉を頭で整理し、俺は言葉を絞り出した。

 

「それってあいつがタラシってこと?」

 

「それもあるけど、『リア充』とか好きそうな言葉なのに使ってるところ見たことないから」

 

「ああ、そういうことか」

 

 今さらだが、視界を隠すように揺れる札が若干鬱陶しくなりつつ、投げられた質問を理解して彼女に横目を向ける。

 

「そうだな。バビロンのコインの話、なんでも願いの叶うコインの話は覚えてるか?」

 

「ティアマトが書かれたコインのことなら」

 

「そう、ティアマト。バビロンの女神で混沌の根源」

 

 かつて女神を崇める僧侶たちが黒魔術を使ってコイン作った、諍いの種を撒くために。誰かがそのコインを投げて願いをかけると、井戸に呪いがかかって、後は誰が来ても願いが叶う。但し歪んだ形で。

 

 例えば、美味いサンドイッチを頼めば食中毒に当たるし、女の子が喋るテディベアを頼んだら情緒不安定のなよなよ熊がやってくる。

 

「それって幸運を運んでくる『ウサギの足』と似たようなものでしょ?」

 

「ああ、あれは短時間だけすごい幸運をもたらす代わりに持ち主の命を奪う。バビロンのコインは死ぬってまでに行かないけど、手痛いしっぺ返しを受けることになる」

 

「一人の願いならトラブルで済むけど、みんなの願いが叶うと──」

 

「まさに混沌。色んな街で騒ぎを起こしたコインさ。人の欲望をねじ曲げて返す。まあ、なんでこんな話をしたかって言うと、俺にはキンジがそう見えてならないんだよ」

 

 俺たちから見れば、キンジの周りには美女が尽きない。大抵の男は羨むし、嫉妬する。嫉妬は醜い衣装って言うが、神崎や理子やワトソン、あれだけ美女に好かれてたら羨む気持ちは分かる。だが──

 

「キンジの女に対する反応は普通じゃない。嫌いとか好きとか、そんな物差しじゃ計れないレベルだ。二年も一緒にいたら、あいつが好きで女性を遠ざけてないことくらい分かる。でも自分から親密な関係を望んでるわけでもない」

 

「ふーん、それで?」

 

「願いの井戸だよ。最初にコインでかけられた願いは片思いの相手との婚約だった。コインにかかった全ての呪いを解くには最初にコインを投げた彼が願いを破棄するしかない」

 

 当然、願いを解けば婚約は破棄。一方通行で意志疎通もろくにできないとはいえ、彼女が振り撒いてくれる好意もなくなる。元の他人同士だ。

 

「俺が言うのも何だけどサムもディーンも顔はいいから、彼の説得には難航しちまった。自分たちは『簡単に女が手に入る』って言われてさ。なにもしなくても女が寄ってくる、そう言われてたのがなんとも皮肉と思って」

 

「普通じゃないものね、貴方を含めて」

 

「ああ、哀れなもんさ。欲しいものは手に入らない。今ある物を抱えておくので精一杯。外からは綺麗に見えても実際は……本の表紙と同じで外見だけじゃ分からない」

 

 外側は羨望の対象でも事実は分からない。

 

「キンジの周りに美女が尽きないのは認めるがそれであいつが幸せなのかはなんとも。人が変わったみたいにタラシになったり、女嫌いになったりするのも妙だ。あれがまじないや呪い的な……本人が望んでないものなら、とてもリア充なんて呼べないだろ」

 

 だから、呼ばない。たったそれだけ。ウチの家系では好きになった相手は非日常の化物に殺されるか、それとも自分との記憶をなくすかの二択しかない。どっちにしても自殺したくなるような結末だ。一緒に家庭を作って、なんて選択肢はどこにもない。

 

「キンジがなんで女を遠ざけるようになったかは知らないし、あいつが話さないなら聞くつもりもない。でも本当に好きになった女と一緒になれないって言うなら、それは間違いなく『呪い』だと俺は思う」

 

 それはあくまでも俺の考え、万人に共通するものじゃない。好きになった女性は手当たり次第に凄惨な結末を迎える──それがウチの家系。だから、俺たちは俺たちが一番欲しいものを求めないんだ。今ある物を抱えて必死にそれを溢さないように戦うだけ。

 

「ってことで神崎であれ理子であれ、仮にキンジが誰かと一緒になれるなら、誰であれ祝福してやるつもりでいるわけです。俺は聞き込みで神父もやったことあるし、今はネットでなんでも取れるし、文言はジャンヌ辺りに投げるけどね?」

 

「……そこは理子と似てるのね。切り替えの早さが気持ち悪いわ」

 

「この仕事は前向きじゃないとやってられないの、前向きに。現実は見るべきだが、そう思ってないと。武偵は前向きにだよ」

 

 行きたくないところにも行かないといけないし、苦い場面にも立ち会わないといけない。それが仕事だ。前向きに思ってかないと、実際はどうであれ。

 

「ひとつ、心に残る結婚式があってさ」

 

「へぇ、結婚式?」

 

「そりゃ、一つくらいはあるよ」

 

「ふーん。まだ時間はあるし、話してみれば?」

 

 意外、思う以上に食いついたな。急かすように袖口を引いてくるなんて、普段は絶対やらないのに。飴をねだる子供みたいだ。

 

「ああ、船の上で開かれた結婚式なんだが」

 

「そういうのもあるみたいね。アメリカだし」

 

「色々考えるもんだね、すげえよ」

 

「それだけ大きなイベントってことよ」

 

 そう、船の上で特別な結婚式。地上とは隔離された特別な一時。長い時間をかけて一緒になった二人は、その一時を永遠に忘れないだろう。インパクトは抜群。

 

「船を揺らす荒れ狂う海」

 

「? まあどんなときもあるわね」

 

「甲板と肌を叩きつける豪雨」

 

「……出航してから天気が変わったのね。運がお悪い」

 

「剣の振り下ろされる音」

 

「は?」

 

「やむことのない砲弾の光」

 

「待ちなさい、なによ砲弾って……!」

 

 おい、待てッ! 袖を引っ張るな! やめろ!やめろって!

 

「だから、心に残る結婚式の話だろ!」

 

「なんで結婚式に砲弾が飛び交うのよッ! 立会人の文言を言ってみなさい!」

 

「皆さん、今日お集まりいただいたのは……お前を思い切り痛めつけるためだ邪魔な怪物め!」

 

「そんなことだろうと思ったわよッ、バルボッサ!それは海賊映画の中での結婚式でしょ!」

 

「いったッ!?」

 

 思いっきり脛を蹴りやがった……!こ、この……病院ではお静かにだろッ。

 

「Follow me、雪平。私は先に行くから。猿のジャックとでも一緒に来るのね。ネフィリムじゃなくて、猿のほうの」

 

 そう言うと、夾竹桃は何事もなく通路を歩いていく。め、名作だろ……別に上手くもなんともないからな、その言い回し。大嫌いだお前らの世代なんか……!

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 あ、やばい。悶絶してるせいでナースさんと目が重なっちまった。仕事邪魔しちゃったな……

 

「は、はい。大丈夫です。おい、夾竹桃!草履は履くもんで蹴り飛ばすもんじゃねえんだぞ!まったく暴れ馬かお前は!」

 

「え、えっと……」

 

「春にお前が来て、先生が俺をお前のお目付け役にしてから全てのトラブルはお前のせい。お前は雲、絶対に離れない黒い雲!」

 

 ああ、大丈夫です。病院ではお静かにってね、本当にそうです。

 

「すいません、彼女生まれたときから非常識なので。本当に嫌味な人の鏡みたいな女。じゃあ、失礼します」

 

 うっすら笑って、軽く頭を下げてから冷血女の跡を辿る。そしてすぐに前を歩く彼女に追い付いた。まあ、何食わぬ顔で歩いてるよ。分かってたけど、本当にずぶとくなった。

 

「ジーフォースと交えたみたいね?」

 

「一言で言えば引き分けた。二言で言えば見事に引き分けた」

 

 彼女と罵詈雑言で殴り会うのはいつものことなので、俺も何食わぬ顔で答える。聞いたところによると、夾竹桃もジーフォースとエンカウントしたらしいがあっちから戦闘を避けたらしい。あくまでジーフォースの狙いはバスカビールだけだった。その理由もキンジが上手くやれば明らかになるかもな。

 

「手傷は負ったの?」

 

「無傷で退けられるような相手じゃない。でもバスカビールのメンバーよりは傷は浅い。胸に切り傷ってところだな」

 

 これも戦略上、自分で作った傷だが。すると、夾竹桃は指を立て、自分の頭を指で示しながら、

 

「それならアドバイスしてあげる。医者に傷だけじゃなく、頭も見てもらいなさい。こっちもダメージ受けてる」

 

「はいよ。優しいアドバイスありがとう。そうこう言ってる間に到着だ」

 

 部屋の札には303号室、ようやく到着か。中からは聞き慣れたバスカビールのメンバーの声が聞こえてくる。元気そうだな。夾竹桃がドアの取っ手に手をかける。

 

「傷の治療」

 

「やるよ?」

 

「頑張りなさい」

 

「ああ」

 

「痛いわよ」

 

「だな」

 

「すごく痛い」

 

 本当に何食わぬ顔で言いやがるな。そんな彼女に俺は自然と苦笑する。数ヶ月前に、自分の首を落としに来た女の隣で。本当に人生ってのは分からない。

 

 数年前、初めて好きになった相手の犠牲で俺は生き延びた。眼前で猟犬に腹を裂かれ、それでも猟犬の群れを巻き込んで、彼女は自分と家族を救ってくれた。胸を掻きむしり絶望の禍言を吐き、自分の無力を呪った。好きになったからーーそれを被害妄想の一言で片付けるには、あまりにも犠牲が多すぎる。

 

「ちょっと待て。ひとついいか?」

 

 多くは望めない。俺たちは俺たちの求めるものをどうやっても手に入れられない。だが、もしも神が用意したシナリオに終わりがあるなら──俺が望む結末は。

 

「なによ?」

 

 手を伸ばす。取っ手を掴んだ彼女の右手を、自分の右手で奪うように。重ねてやる。

 

「この先どうなろうと、本当に、心の底から」

 

 黒々とした瞳が見開こうが関係なしに、どんな表情を浮かべてようが、そんなの関係なしに言ってやった。

 

「──おまえが嫌いだよ」

 

 うっすらとした笑みと一緒に。喉を鳴らして、夾竹桃もうっすらとした笑みで笑っていた。棘も毒もない純粋(とうめい)な微笑みで。

 

「知ってる。私も好きよ」

 

 求めるものは手に入らない。でもこの場所を溢さずにいれるなら、俺はこのままで満足だ。

 

「天使の軍隊の次は22世紀の科学力が相手か。お前と一緒ってならまだマシかもな」

 

「生きてたら、また話せるネタが増えるでしょ。前向きにいきましょう」

 

 奪い取った手をほどき、俺は病室のドアを開ける。そう、この場所を失わないでいれるなら俺は満足だ。

 

「あら、キリじゃないの。また不気味な姿になったわね?」

 

「ほっとけ。元気そうで何よりだよ、本当に」

 

 妖精に仮装した神崎に、いつもの調子で返してから俺は後ろにいた雪女に振り返る。

 

「さっきさ。ドア開ける前に言ってたろ。あれだけどさ、俺も同じだ」

 

「同じって?」

 

「ここで言わせるのか?」

 

 疑問に疑問で返してやると、隠れるように自分の背中を俺に押し当てて来た。お陰でどんな表情をしているかも見えない。なんとも珍妙な背中合わせだ。死体と雪女の背中合わせ。

 

「夜中の3時に電話してきても迎えに行く。だから何かあったら電話しろ。今度は俺が迎えに行くよ、ベガスまでは勘弁だが」

 

「……お馬鹿」

 

 ──知ってる。俺も好きだよ。

 




感想、評価は作者のガソリンになります。


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303号室

 派手な見た目のわりに与えられた傷は浅いとワトソンも言ってたが、本当にタフな連中だな。壁に置かれていた来客用の丸椅子に夾竹桃共々座りながら、俺は心底そう思わずにはいられない。

 

 武偵病院303号室、バスカビールの四人が入院している相部屋には病室とはとても思えない光景が広がっていた。そう、目を驚愕の色に染めるには十分すぎる光景だ。

 

「なあ、レキ。それ粘土で作ったってオチはないのか?」

 

「ありません」

 

「そうか、分かった」

 

 内心、聞きたいことは山程あるのだがちっとも表情を変えずに答える彼女に俺は疑問を喉に押し込めた。視界に見えているレキのベッドには、それはそれは威圧感の塊のようなデカい狙撃銃が鎮座している。いつものドラグノフはどこにやったのか、そんな疑問を消し飛ばして余りある衝撃に頭を殴られた。

 

 それは──バレットM82。本土で開発された長距離狙撃銃で12.7mm径のーー対物ライフルだ。血生臭いアクション映画でも見かけることの多いコイツは、その有効射程の広さと恐ろしい威力を備えていることで有名な代物だ。当然ながら病室でお目にかかれる物じゃない。

 

 何食わぬ顔でレキはベッドに鎮座させているが武偵は殺しがご法度などと当たり前のことを語る前に、そもそもこれはヘリや装甲者を相手に使われる銃だ。そんなもの人間に使えばどうなるか言うまでもない、木っ端微塵だ。映画ならR指定待ったなし、バラバラになる。

 

「あ、雪平くん!」

 

 そして、オオカミの尻尾と耳で仮装するレキから視線を移せば──

 

「会長……なんて、格好してんだよ……」

 

「?」

 

 そこにいたのは色んな意味で危険な星枷白雪会長。言い淀む俺に対して、彼女はお決まりのように小首を傾げてくる。その姿を見た途端、二重の意味で俺は目を丸めることとなった。

 

 背中の小さな翼や針金で頭に乗せている輪などから見て、天使の仮装なのだろう。本物の天使には白い翼も頭の輪もないが、へそ出しの上に学生とは思えないスタイルの良さが転じて、天使にしてはあまりに蠱惑的な仕上がりになっている。武藤が見れば卒倒するのは間違いない、この場に呼んでやれなかったのが残念だ。

 

「へ、変かな?」

 

「そうじゃない。モノホンの天使はどいつもこいつもスーツ姿だし、頭に輪っかも浮かんでないけど、そうじゃないんだ。俺が言いたいのは……」

 

 が、驚いたのはそのツッコミを入れたくなる天使の仮装とは別にもう一つ。彼女が胸元に抱えている銃だった。レキのライフル同様、その強面な外見に条件反射で目が丸くなる。それはM60──米陸軍とも深い縁のある機関銃でベトナムの地でも大量の薬莢を撒き散らしたことで知られる強力無比な代物。今では時代遅れと言えないこともないがその銃口を向けられても時代遅れと言ってのけれる人間が何人いるか……

 

「なんで物騒なもんを抱えてるのかって話さ。キンジに使うなって言われなかったか?」

 

 いや、言ってる。俺たちの部屋をそいつで蜂の巣にした時に絶対言ってる。背筋に寒さを覚えながら指摘すると、星枷は胸を隠すように抱えている機関銃に視線を落としながら、

 

「でもイロカネアヤメ取られちゃったし……あの女、キンちゃんの隣は自分だけの場所だ、とか言ったんだもん。私の席を狙おうだなんて……新参ものが面白いこと言うよね、おもしろいよね。うふ、ふふ、うふふふふ」

 

 最初こそ見ようによっては愛嬌が見えたが徐々に声色がドス黒く、瞳からハイライトの輝きが失せ始めたので追及は断念する。だが、今みたいに負のオーラを纏ってるほうが幾分天使らしく見えるのは……なんとも皮肉である。天使が崇高な存在だって認識が、俺の頭には欠片ほどもないらしい。異世界で連中と抗争やったばかりだからな。

 

「ねぇ、はむぅ。さっきの航空便、『パステル』よ」

 

 次に視線を振ってくれるのはガバメントを両足に備えた妖精姿の神崎だ。目立つ髪の色と同色のワンピース、背中にはアゲハ蝶のようなシースルーの羽もある。お可愛いことで。

 

「今までにも妖精は見てきたが、45口径を抱えてる妖精は初めて見たな」

 

「あれでしょ、尻尾よ。妖精の尻尾」

 

「なんで尻尾?」

 

「知らないなら今度教えてあげる」

 

「じゃあ次のカウンセリングのときにでも教えてくれ。神崎、それで『パステル』って?」

 

 聞き返すと、神崎はこっちにクレヨンのケースみたいな箱を見せてくる。パステル──その意味を考えていると隣の蠍と目が合う。

 

「何だと思う?」

 

「さあ、昼飯じゃなさそうだ」

 

 答えあわせで神崎がケースを開くと、そこには色とりどりに着色された45口径用の弾丸が並んでいた。なるほど、確かにパステルだ。喉に刺さった小骨が取れた気分。やっぱり昼飯じゃなかったな。

 

「武偵弾倉よ。さっきバチカンから、お見舞の手紙付きで届いたの。キンジにはまだ?」

 

「ああ、何も聞いてない。そういやバチカンのシスターが支援物資をくれるって言ってたな」

 

「ええ。炸裂弾や徹甲弾、音響弾みたいな間接兵器も揃ってるわ。キンジはルガーだから、小さくて細工に時間がかかるのかもね」

 

 と、神崎はももまんを頬張りながら続けた。大口径に比べれば弾が小さいだけ細工もいくらか手間だろう。俺も武偵弾の性能は実際に目で見て体験済み、お手軽に量産できるようなものじゃないことは知ってる。あれだけの物を作れる技師はきっと一握り。それだけにこのプレゼントには驚きだ。

 

「一発でも希少で高価な武偵弾のセットか。クレヨンの箱が札束に見えてくるぜ」

 

「イタリアの銃弾職人は腕がいいのだー。いっぺん留学したいのだぁー」

 

 そう言って、ベッドのカーテンを開いたのは俺たちよりも先に部屋に来ていた平賀さん。カボチャ色のシャツに黒マントの姿で勢いよく登場だ。よく見るとヘアゴムにも小さなカボチャがついてる。まさしくハロウィンって感じだな。

 

「平賀さんはお前が呼んだのか?」

 

「バックパック方式のロケットブースターを頼んでたのよ。他にも色々とね」

 

「あややの仕事にぬかりはないのだ! わーっはっはっはっは!」

 

 両手を腰に当て、平賀さんは高笑いする。スルーすることに努めたが、やはり無視できない単語に俺は聞き返していた。

 

「ロケットブースター?」

 

「そうよ、バックパック方式の」

 

「ああ、そうか。バックパック方式のロケットブースター……了解。ここって22世紀だったりするか?」

 

「お馬鹿、私たちはデロリアンなんて持ってない。貴方が戻ってきて、ここは21世紀よ」

 

 冷めた声で一蹴されるが神崎の注文はそれだけ普通ではない。バックパック方式ってことは背中に備えるのだろうが、ロケットブースターって空でも飛ぶつもりでいるのか?

 

 だが、考えてみれば仕事を頼んだのは装備科屈指の鬼才こと平賀さん。普通の技師なら苦笑いが出そうなオーダーに高笑いしているところを見ると、この子は本当に作っちまうのだろう。いつか俺もライトセーバーでも頼んでみるかねぇ。青色とか緑とかの。

 

「そうだ。キンジが売店で何か買ってくるだろうけど俺からのお見舞い。原宿で美味いって評判のココパフ」

 

「列に並んだのは私」

 

「でも代金は俺が払った」

 

「私より稼いでるでしょ?」

 

「あんな高級ホテルに住んでてよく言うよ。こいつの部屋びっくりのなんのってスチームサウナがついてるんだぜ、スチームサウナ。リビングだけで俺とキンジの部屋より広い」

 

「それは誇張しすぎ。ともかく私と雪平からのお見舞いにしておいて」

 

 分かった、そうしよう。醜い争いには早めに終止符を、それが良い信頼関係を保つ秘訣。どうせすぐに別の争いが始まるんだろうけどな。

 

「あんたも元気そうね、よく回る口も相変わらずで何よりだわ」

 

「すこぶる調子が良いの。この男、軽口を言わないと死ぬから」

 

「隣で聞いてますけど?」

 

「回遊魚なのよ。口を動かさないと死ぬの」

 

「50cmしか離れてませんけど?」

 

「それには同感。黙るときっと死ぬわね」

 

「神崎の声も聞こえてます」

 

「……ジャージー・スリップのときも思ったけど、キリくんと夾ちゃんの関係ってほんと謎だよね。アリアも容赦ないんだけど……」

 

 珍獣でも見るような目で泥棒さんが俺たちを交互に見てくる。安心しろ、俺もよく分かってないんだ。そうだな、腐れ縁ーーそう、腐れ縁だ。それと、先生直々に任命されたお目付け役と無法者。たまに二人三脚の相手。おぞましい罵詈雑言を忘れるように俺はかぶりを振る。

 

「じゃあ、これは俺と彼女からのお見舞いってことで。好きなときに食べてくれ。ココパフには癒しの効果がある、スーパーフード」

 

「スーパーフードですか?」

 

「ああ、マッツァーより効くよ。マッツァーボール」

 

 レキのベッドのカーテン近くの机に置いてやると、偶然にも理子と一緒にローブ姿のキンジがやって来た。当然、それを見た星枷が一目散に駆け寄っていく。そしてキンジがM60と天使の仮装に慌てふためくのもお約束だ。理子は理子でいろんなアングルから、携帯のカメラを使って星枷を撮影している。安心したよ、いつもどおりのバスカビールだ。

 

「あの子も元気そうで何よりだわ、あむっ」

 

「ったく、真っ先に手をつけやがって……お前が並んだから文句は言えないけど。美味いか?」

 

「期待を裏切らない程度には」

 

「それは良かった。並んでくれて助かったよ。平賀さんもどうぞ、ウチのサブリーダーが難題ふっかけたみたいだし」

 

「いただきますのだー! えっと、こ、ここ、ぱ……ここ……ここ……」

 

「ココパフ。バターとクリーム、チョコ、そんでバターが入ってる。ようするにシュークリームかな?」

 

 頑張って言い当てようとしている姿はなんとも微笑ましいが、つい答えを口にしてしまう。ココパフは見た目から言ってもシュークリームに近く、ハワイでは広く知られているスイーツ。ちょっと皮肉屋な夾竹桃が素直に認めるくらいには味は保証できる。

 

 両手で頬張った平賀さんも頬を緩ませているところを見るにお気に召したらしい。俺も箱から一つ口にする。ホノルルじゃ一日に7000個売れてるって言うが納得。人を駄目にする味だな、こりゃ。本土の人間も現地民もツーリストもみんな駄目になる。

 

「そいつはアンチ・マテリアル・ライフル──対物ライフルだ。対人使用は国際法で禁じられてるからな。理子、お前の散弾銃も白雪のもだ。武偵法9条もある、お前らの武器は人を殺さないように撃つことがまずできないんだからな」

 

 オアフ島の気分を味わっていると、ベッドに鎮座している怪物にキンジも気付いたらしい。根は真面目なキンジらしい至極まともな意見だった。ドラグノフがある日突然対物ライフルに変わってたら、そりゃ俺でもびっくりするね。この部屋の光景を見たら、普通の武偵なら多少なりとも目を丸めるはずだ。

 

 どれも不殺を貫くには無理のある武器たち。できてもかなり難易度の高い魔技、もしくは今回はみたいに相手が常識外れの防具を身に着けている場合に限る。大抵はお陀仏だ。大多数がキンジと同じ考えに至るだろうが、レキと理子はあらかじめ示し合わせていたように2人揃ってA4くらいの紙をキンジに見せていく。

 

「そ、そんなバカな! ありえん、ありえんだろ!?」

 

「遠山くん。不可能なことは何もない、ですのだ!今月より、あややは新しく銃検の代理申請サービスを始めましたのだ!わーっはっはっはっは!あややの踏みしめる未来へのロードは明るいのだ!」 

 

「おいキリ! こいつを見ろ!」

 

「ああ、分かってる。平賀さんの未来に続くロードは明るいってことだ。本当にこっちの方面では敵なしだな、平賀さんは。尊敬するよ」

 

 ぺら、とレキがこちらに向けてくれるのは偽装ではない本物の銃検。たぶん法の目をかいくぐる様な申請で、平賀さんが上に許可させたのだろう。技術も勿論だがその手の知識に関しても平賀さんは装備科の中でも頭一つ抜けてる。キンジはキンジでワイヤーアンカーを貰ってるし、この子は顧客には困らないな。

 

「……ていうかお前ら。武装を強化したり、銃検取ったり……病院でなにやってんだよ。病人らしくちゃんと養生しろ! だから正気じゃないって言うんだ! たまにはマトモになれ!」

 

「これは強化合宿よ。あたしにもプライドってのがあるの。やられたらやり返す、倍返しよ!」

 

「キンちゃんの隣は私の席なの!こうなったら鉄の意思と鋼の強さで、徹底抗戦あるのみだよっ!」

 

「くふふふ。こういう女子会、面白くてさぁー。理子ワクテカしちゃう。人生を楽しむためのコツはどれだけバカなことを考えられるかだしね」

 

「武偵は1発撃たれたら、1発撃ち返すものですから。このままではアンフェア、平等ではありません」

 

 四人全員が次々と言葉を述べていく。理由こそバラバラだが目的は全員同じ。部屋の様子からして薄々気付いていたが、ジーフォースには丁重にお礼参りするつもりでいるらしい。師団会議で方針が決まったばかりだが、襲撃された本人たちは報復攻撃するつもり満々だ。溜まらずと言った顔でキンジは嘆息した。

 

「……だからって、これはいくらなんでもやりすぎだ」

 

「バカね、よく聞きなさいキンジ。勝ち負けに度が過ぎるなんてことはないの」

 

「お前はそう思ってたとして、お礼参りは将来トラブルの種になるかもだぞ?」

 

「そのときはそのときよ、また考えるわ」

 

 凛とした態度で神崎はかぶりを振った。彼女は武偵弾、レキと理子は散弾銃と対物ライフルで武装の強化。星枷は璃璃色金の影響が薄い日を狙うつもりだろう。イロカネアヤメ抜きでもG18の超能力は充分に驚異だ。四人とも手を抜くような気配はまるでない、この様子だと万全の準備を整えた上でぶつかるつもりだな……情け容赦なく。

 

「本土じゃ素手の喧嘩に勝ったら後がやばい、銃を持って復讐しにくるもんな」

 

「日本も本土並みになってきたってことかもね」

 

「雪平くん、これとっても美味しいのだ」

 

「そりゃ良かった。お気に召したみたいで」

 

「神崎アリア。間宮あかりは無事かしら?」

 

「無事よ。強襲科の規則で年少者に負けた事実は戦妹には隠さないといけないから、あたしは完治するまで会えないけどね。本人もいきなり巻き込まれて、何がなんだか分かってないんじゃないかしら」

 

 腹立たしさを抑えるように神崎はかぶりを振る。インパラのなかで聞いた話だと、間宮はジーフォースに星枷が敗北した場面を運悪く目撃してしまったらしい。あの通り魔女にすれば、見てはならないものを見ちまったんだ。不幸中の幸いと言うべきか、なぜかその場にいた夾竹桃が敵意を飛ばしたことで首は飛ばされなかった。

 

「知らないほうが安全だよ。相手は正真正銘のブラックボックスなんだし」

 

「同感だ、好きでリヴァイアンさんに関わることはない。理子の言うとおりだよ」

 

 秘匿すべき一部始終を目撃されたのにも関わらず、ジーフォースは間宮を見逃した。奴は上の命令でバスカビール以外との戦闘は避けていたからな。目撃者を処分することよりも上の機嫌を取ることを優先した。

 

 逆に言えばあの女はそれだけ上の命令に忠実。戦闘を避ける理由がなければ夾竹桃とも交戦に踏み切り、間宮を見逃すこともなかった。大方、海にでも捨てるつもりでいたのだろう。命令には忠実、障害になる芽は早々に摘む、奴の本質は教育を受けた軍人のそれだ。それもとびきり優秀な、舌打ちがなるレベルの。

 

「キリ、あんたも手を貸しなさい。聞いたわよ、あの子と引き分けたんでしょ?」

 

「誰に聞いたんだか。ああ、手を抜かれてたが首はこのとおり無事だよ。それと手を貸してやりたいのは山々なんだが──」

 

 俺は既に師団の方針を聞いている。故に、作戦を丸投げされたルームメイトが、受刑者を監視する看守のごとき眼差しでこっちを見ている。首を縦にでも振ろうものなら飛び掛かってきそうな勢いだ。ロメオなんてキンジには一番やりたくない仕事を投げられたわけだしな。だが、個人的には神崎の言い分もやっぱり分かる。ルームメイトに板挟みか、気持ちのいいもんじゃないな。

 

「悪いな、俺はたぶん力になれそうにない。相手は何の変哲もない人間、それに科学を武器にする連中だ。早い話が俺の専門外」

 

 バスカビールが本気で報復攻撃に出るなら、連中との全面戦争も視野に入る。まあ、今でさえどちらに転ぶか分からない状況だ。この報復攻撃でどちらに転がっても俺は文句は言わない。和平を結ぼうが敵対しようが、師団の一員として動くだけだ。悪いな、キンジ。俺にこの四人を説得するなんて土台無理な話だ。報復に加わらないことが最大限できること。

 

「向こうが仕掛けてくるなら話は別だが、俺から火種を投げるのは遠慮しとくよ。奴等と本気で戦うならメタトロンの描いた石板に力を借りるくらいしないと俺は『お手上げ』だ。今度こそ首と腕を落とされる」

 

 両手を上に挙げてジェスチャーも加えてやる。案の定神崎の瞳は不機嫌に──おや?

 

「メタトロンですって? じゃあトランスフォーマーに力を借りるわけ?」

 

「アリア。違うよ、それメガトロン」

 

「えっ?」

 

「トランスフォーマーはメガトロン」

 

「えっ?」

 

「だからメガトロンはトランスフォーマっ!」

 

「メタトロンだ。彼は天使で神の書記をやっていた。分かりやすく言うなら神が作家でメタトロンはその担当編集者」

 

 理子のフォローをことごとく粉砕した神崎がようやく間違いに気付き、誤魔化すようにももまんを口にほおり込む。お馬鹿、喋れなかったら弁明もできないだろ。まあ日常会話に出てくる単語でもないからな、外道の名前なんて。なんかどこかで見たような光景だったが……

 

 メタトロンーー神の書記。大天使たちを除けば、広報担当のジョシュアと共に神と会話したことのある数少ない天使。その人物像を語るとすれば、狡猾でプライドの欠片もない外道。目的のためには手段を選ばず、人間らしく言うと行程より結果を重視するタイプ。そして企むのはろくでもないことばかりだ。

 

 ザカリア、ウリエルと一緒に天使が崇高な存在ではないことを俺に印象付けた代表格。ユーモアにだけは富んでいる点はあのルシファーと同じである。軽い態度で凄惨な結果を躊躇く作りあげるが、腹立たしいことに最後になってでかい借りを作られた。敵対していた相手に救われたという意味ではメグと一緒か。

 

「雪平くんは天使の知り合いが?」

 

「いるよ、夏でも冬でも年中トレンチコートを着てるのが」

 

 平賀さんの言葉で現実に還り、口許をチョコとクリームで汚してる彼女にポケットティッシュを渡す。そして少しの間を置いてから、俺は言葉を続けた。

 

「俺が持ち合わせているオカルトグッズの大半は対化物用だ。そもそも製作者からしてグレーゾーンなのが大半だからな。いつものクリーチャーやモンスターが相手なら存分に力を振るえたが今回はそうじゃない」

 

「あの子、完全に科学サイドのキャラだもんねぇ。対超能力者戦に特化してる必要悪の教会(ネセサリウス)のキリくんとは相性がイマイチ。まっ、専門外ってのは言えてるかもね」

 

 ぽい、と理子はココパフを自分の口に投げいれる。必要悪の教会──?

 

「なあ、俺って必要悪の教会の人間に見えるか?」

 

「感動したの?」

 

「ちょっとした、賢人より必要悪の教会の方がかっこいい」

 

 慣れるってのはいいことだね。出会ってから数ヶ月、蠍の冷ややかな視線にはすっかり慣れちまった、超冷たい。などと、俺が呑気にしている間にキンジがリーダーらしく師団の方針を切り出す。そして案の定、反発した神崎が犬歯を剥いて地団駄を踏んだ。まあ、こうなるよな。

 

 説得するのが土台無理な話だ。一方的に奇襲を受けて報復したい四人の気持ちは分かるよ。だが師団全体のことを考えるとジーサードの一派を引き込むのが賢いやり方であるのも事実。どちらが正しいとは一概には言えないんだ。それにしてもルームメイト同士のいがみ合いは煮ても焼いても食えん。

 

「アイツらは敵よ! これは確定的に明らか!明らかなの!風穴開けてやらなきゃ気が済まないわ! それを味方とか、バカ! バカ! どこまでバカなのバカキンジは! ぎぃー!」

 

 ……なんとまあ、ヒステリックな叫びをあげる妖精だな。

 

「お、おい、いたっ! いたいっ、ぼ、暴力反対!」

 

 キンジのスローガンも虚しく、神崎はハンマーパンチを連打。背中の羽が暴れるように揺れている。こりゃお怒りだな。

 

「ストップ! ちょっとストップ! タイムアウト!」

 

「タイムアウトは使い切ったわ! あんたにタイムアウトはなし! むぎー!」

 

 アメフトじゃタイムアウトは三回まで大丈夫なんだが、どうやらキンジは早々に使い切ったようだ。

 

「ねぇ、いっそ毒でも盛ったらどうかしら。試したいのがあるんだけど」

 

「ああ、それ賛成。ガンジー式、手を出さずに死ぬのを待つ」

 

「9条があるだろ! なんでお前も賛成してんだよっ! 余計なところだけ結束するなっ……!」

 

 だが、どんぱちするよりは平和的だ。反論しつつも神崎の集中放火を浴びていたキンジはついに──ベッドの下に転げ落ちる。そのときだった。

 

「──お兄ちゃん、どこぉ?」

 

 間延びしたその声に部屋の空気が凍りつく。理子と星枷が同時に驚愕の声をあげ、俺はルビーのナイフ、夾竹桃は毒手の手袋へほぼ同時に手を伸ばし、一気に警戒の姿勢へ突入する。

 

「おーおー、飛んで火に入る夏の虫だ。やっちゃおうよ、ゆきちゃん、レキュ!」

 

 陽気な声で目を丸くすると、理子は散弾銃の照準を部屋の入口へ向ける。飛ばされた合図でレキと星枷の銃口も同じく持ち上がった。人の体をバラバラにするには余りある火力、そして──その銃口の先にいるのは当たり前のように武偵高のセーラー服を着ている──ジーフォースだった。

 

 

 



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□□□□ 再び

長いです。飲み物と一緒にどうぞ。


「その制服、市販では手に入らない。どこで手にいれた? 沈没したタイタニックからか?」

 

 突如やってきた来客に気がついたときには呟いていた。病室には似合わない三挺の銃口が、今まさに部屋にやってきた一人の女を捉える。当然のように武偵高のセーラー服を着ているが、その女は極東戦役で無所属を表明した『ジーサード』の一派の一人でこの病室にバスカビールを送った他ならぬ元凶。武偵高で見かけたことなんて一度もない。

 

 理子の合図が契機となり、既に人を数回殺しても余りある必殺の銃火器が三方向から狙いを定めている。レキ、星枷、理子はいつでも引き金を引けるし、その後ろには毒手を構えた夾竹桃と悪魔殺しのナイフを抜いた俺のカウンセリングコンビが控えている。『飛んで火に入る夏の虫』と言われても否定できない状況、しかし──ジーフォースはまるで警戒する動きも狼狽える様子も見せていない。当然、俺の質問にも返答はない。

 

「ななな何ですのだぁ? 撃ち合いはあややのいない所でやってほしいのだぁ」

 

 代わりに、既にベッドの下に避難していた平賀さんがただならぬ状況に涙声で答える。完全に巻き込まれた形だがこればかりはタイミングが悪いとしか言えない。まさか病室にまでやってくるとはな、誰も考えてない。それもお礼参りの準備をしていたこのタイミングで。

 

「驚いたわ。自分がぶち込んだ囚人のいる刑務所に、自分からやってくるなんていい根性してるじゃない……」

 

「キングコングだから怖いもんなしなんだろ」

 

 武偵弾が届いたばかりの神崎が、怒気を纏いながらガバメントを抜こうとしたとき、ようやくジーフォースが反応らしい反応を見せた。銃口に囲まれているとは思えない花咲くような笑顔を立ち上がったキンジに向けている。

 

「見つけた。お兄ちゃん、早く行こうよぉ。おなかすいた」

 

 そう言うと、無防備にも沈黙していたキンジのもとへ何食わぬ顔で歩いていく。その目には銃口も毒手もナイフもまるで見えていない。殺傷圏内がどうこうのレベルじゃない。キンジ以外、他の景色が見えていない。なんだこの女……

 

 予期しない反応に理子たちも引き金を引くに引けていないが、それ以前にジーフォースの妹発言で病室が一気に色めき立つ。キンジの顔からは完全に血の気が退いていた。

 

「違う! 断じて違う! 俺には妹なんて

 

 色めき立つ病室でキンジは否定するが、すぐ近くにまで来ていたジーフォースがキンジの腕を自分の胸元に抱え込む。

 

「!?」

 

 そして、あろうことか否定するキンジの口を自らの口で強引に……塞いだ。この女……キンジにキスしやがった。よりによってキンジに思いを寄せてるバスカビールの女子全員が集まってる目の前で……

 

 あまりの唐突な展開に病室は静まり返り、数秒ののちに病室は一気に色めき立った空気を取り戻す。キンジの言葉を借りるとすればーーありえん、ありえんだろ。

 

「……キンジ、それはお前にとって人生最大のしくじりになるぞ」

 

 ロメオの意味では最高の収穫だが最高にタイミングが悪い。既に手遅れだが、警告の意味で俺はルームメイトに言葉を飛ばしてやる。

 

「──これがキスかぁ。でも、このぐらいじゃダメか」

 

「おい、待てっ……これはこいつが勝手に……」

 

 分かってる。だが、他の連中がどう思うかだな。これには俺も苦笑いを送ってやるしかなかった。ジーフォースを擁護するようなことを言ってる最中にこのアクシデントだ。ただでさえ、血気盛んな神崎はまず黙ってない。ちらりと、俺はバスカビールのメンバーをそれぞれ横目で追っていく。

 

「神様嘘だと言って……」

 

「ゆ、ゆきちゃん!?」

 

 驚きのあまり、星枷がまず床の上で失神。お気の毒に。理子が慌てて呼び掛けるも彼女は彼女でキンジには俺同様の苦笑い。星枷ほどではないが多少なりともジーフォースの行動に驚いている。いや、こんな状況で驚くなってのが無理か。

 

 レキは相変わらずのクールな表情で隣の愛犬と一緒に冷たい視線を送っている、心なしかどこか怒っているように見えるが本当のところは分からん。まあ、優しい言葉をかけてくれそうにはないな。そして──

 

「どうりで……さっきから敵に対して友好的なことを言うと思ったわ……そういうことだったのね。あんたのアキレス腱だってことは知ってたけど、まさかここまで酷いとは思ってなかったわ……」

 

「ま、待て! 話を聞けって!」

 

「百の物証、千の証言よりもあたしはたった二つしかない自分の目を信じるわ。バカキンジ、あんた裏切ったわね!」

 

 本物の悪魔より悪魔らしい眼光で、神崎が裏切りキンジを睨んでいた。緋色のツインテールを怒りに震わせ、なんとも恐ろしい眼で裏切り者と認定したキンジを威嚇している。当然、子ライオンのごとき唸り声もセットだ。キンジが待ったをかけるが、とても文化的話し合いができる様子じゃなさそうだ。ここまで一触即発という言葉が相応しい状況もない。

 

「あの様子だと半分は棺桶のなかだな」

 

「遠山キンジ、貴方も貴方でトラブルを引きずって歩いてるようね」

 

「皮肉はいいからお前らからも言ってくれ!」

 

「皮肉じゃない」

 

「本気で言ってるのよ」

 

「こんなときだけ意見を揃えるなッ──!」

 

 そう言われても変なときにしか意見が合わないんだから仕方ないだろ。俺が偏屈なら、この女も同レベルの皮肉屋なんだから。俺がキンジに助け舟を出せずにいると、この場ではまだ話ができそうな理子も苦笑いしながら、

 

「キーくぅんー……他人の色恋沙汰を見せつけられるのはしょっちゅうだけど、妹とのキスシーンはそうそう巡り会えないよ? しかも敵とのラブロマンスと来ましたかー。理子たちがお休みしてる間になにがあったのかなー?」

 

 首を傾げる。額に汗を滲ませているところを見るに、色恋好きの理子ですら許容できない出来事だったらしい。半分まで棺桶に入っていた体が更に沈んだな。

 

 星枷は未だにダウン状態、弁明できる相手と言えばレキだがハイマキ共々、キンジと目線を合わせる気配がない。今のキンジとは話したくない、そう言わんばかりだ。これで全滅だな。

 

 一応、バスカビールの面々には後でロメオのことだけは伝えておくか。従うかどうかは別としてバスカビールも師団に席を置いてる以上は方針を伝えておかないと。今は眼前にジーフォースがいる、標的の真ん前じゃロメオなんて言うに言えないしな。

 

「おい。チビ、カマトト、ブリッコ、ダンマリ。お前らが今まで、どんだけお兄ちゃんとラブコメしてたか知らないけどな。妹は最強なんだ。お兄ちゃんと妹の間には、誰も入れない!兄妹の繋がりは、絶対の繋がり。他の女とは、他人とは違うんだッ!」

 

 凪ぎ払うように手を振り、まるで怒ったときのキンジような口調でジーフォースは言い放った。自分と兄の間には誰も入れないと、家族以外は入れないと。

 

「お前ら……お兄ちゃんの部屋に住んでたんだろ!家に家族でもない女がいるなんて、ありえない。家にいていいのは家族だけだ。だから──」

 

「家族だろ。なんの問題がある?」

 

 気がついたときには口が勝手に動いた。

 

「バスカビールは家族だ。家族ってのは単なる血縁じゃない。同じ遺伝子を持って生まれた人間でもない。家族は自分で選び、自分が築き上げるものだ」

 

 集まる視線を関係なしに俺の口は勝手に言葉を続ける。ああ、駄目だな。この手の話になると、黙ってられなくなる。

 

「血の繋がり、生まれた順番は関係ない。気持ちで繋がるんだ。いつも気にしてくれて、見返りなんて求めない。調子が良いときも悪いときも傍にいて支えてくれる。自分の身を犠牲にしても、守ろうとしてくれる。俺たちはキンジを支えて、俺たちもキンジに支えられた。お前とキンジは、そんな関係なのか?」

 

 母さんが……メアリー・ウィンチェスターが教えてくれた、家族の証は血じゃない。ジャックは言ってくれた、自分の父親は血を分けてくれたルシファーじゃなくカスティエルと俺たちだと。

 

 俺もそう思ってる、ジャックも母さんもキャスも家族だ。天使、ネフィリム、生まれや種族は関係ない。迷いなく俺は堂々とジーフォースに視線をくれてやる。

 

「俺たちは色んな問題を一緒に解決してきた。後味の悪いことも記憶から消したいことだって経験した。どんなに時がたとうと、夜中の3時に俺がこいつに電話をして『助けてくれ』と言ったら、電話を切る前にこのバカはタクシーに飛び乗って俺のところへやってくるだろう。俺も同じことをする、お前が他人って呼んだ女も全員が同じことをするさ。俺はキンジのことは、バスカビールってのはそういう関係だと思ってる」

 

 だから、否定してやるよ。これは戦争だ、お前が仕掛けた奇襲も眷属側に味方することになってもそれは仕方のないことだと思ってる。だが、さっきのお前の言葉だけは否定してやる。

 

「──バスカビールは家族だ、他人じゃない。お前がなんと言おうがな」

 

 

 

 

 

「大人げないって言いたいんだろ、分かってるよ。今まで家庭や家族の問題にはさんざん煮え湯を飲まされてきた。これくらいは大目に見てくれ。あとでアナエル、業欲の天使に懺悔しとく」

 

 キンジとジーフォース、そして平賀さんが去った部屋は一転して静かなものだった。俺は丸椅子から立ち上がり、自嘲気味に窓の外にある空を仰ぐ。懺悔するのは、金の為に奇跡を引き起こす利己主義の鏡みたいな天使だが。

 

「そうだね、大人げない。でも本音を言うとちょっとだけ溜飲が下がったよ。さっきの言葉で」

 

「ありがとう理子、気を使ってくれて。絆云々を語るつもりはない、語れる立場でもないし。でも家族の在り方だけは……口を出さずにいられなかった。いつものやつさ、家庭の事情」

 

 視線は空に固定したまま、気を使ってくれる大泥棒に礼を返す。ジョーもケビンもクラウリーもメグだって……俺にとっては家族だった。それはどれだけ時がたとうが絶対に変わらない。数えきれないくらい家族ってものに振り回されて、数えきれないくらい家族に助けられた。駄目だな、この手のことになると、どうやっても口を塞いでられない。

 

「それに──母さんやディーンがいたら同じことを言ってただろうからな。ウィンチェスターの教えだ。こればかりはどうしようもない」

 

 皮肉めいた笑みで残ったみんなを見渡す。優しいメンバーばっかりで良かった。バスカビールは……いや、キンジの周りにはいい女ばっかり集まる。武藤が羨む気持ちも少し分かった気がするよ。不意に背中に体重がかけられる。

 

「経験から言うと、家族の話は熱くなるわよね」

 

「それを誰かに言われるときが来るとは思わなかったよ。皮肉なもんだな」

 

 俺はうっすらとした笑みのままでかぶりを振った。背後から聞こえてくる夾竹桃の言葉は、かつてディーンがガブリエルに放った言葉と瓜二つだった。何年も経ってから言われる立場になるとは思ってもみなかった。

 

「いいんじゃない? どちらかが正しかったら、戦争なんて起きないわ。どっちも正しいと思ってるから戦争は起きるのよ」

 

 ……なんだよ、それ。分かるような分からない例えを持ち出されていく。

 

「慰めてくれてるなら礼は言っとく」

 

「慰めてない。うなだれて、窓ガラスを伝う雨の滴を永遠と見つめられても困るだけって言ってるの」

 

「そうか、お陰で立ち直ったよ。荒療治ってこういうのを言うんだな。覚えとく」

 

「もっと誉めてもかまわないわよ?」

 

 今度こそ振り返って苦笑いを飛ばしてやる。ずぶといな、性格ずぶといの防御全振りだ。インファイトもなんのその。

 

「ああ。すごいね、鮮やかだね、ありがとう、素晴らしい」

 

「貴方って一見タフだけど中身はマシュマロよね。鋼メンタルに見せかけた豆腐メンタル」

 

「あー、グッサリと来た、今のはグッサリ。夜は武偵、昼は精神科医か?」

 

「身辺調査よ。お目付け役の」

 

 そうか、ユーモアがあるね。ナイスな返し。俺が審査員なら120点やってたよ。そして、理子が呆れたような顔で溜め息をついた。

 

「……二人とも。カウンセリングはまだ続けたほうがいいかもね」

 

 

 

 結局、まだ理子と話があるらしい夾竹桃を残して俺は一人で病室を出た。重たくもなければ、軽くもない足取りでエレベーターを降りると、一階の通路に差し掛かったところで見知った顔と出くわした。

 

「ヒルダ、バスカビールの部屋なら三階だぞ?」

 

 声をかけると、金色の髪を揺らしながら知り合いの吸血鬼が振り返る。

 

「怪物が堂々と外を歩き回ってても何も言われない。お前らにとっちゃハロウィンってのは便利な日だよな」

 

「こんにちわ、雪平。しばらく見ない間に一段と顔色が悪くなったわね。まるで死人のようだわ」

 

「死人の仮装なんで。顔色のことはみんなに言われたよ。日焼け止めの塗りすぎだ」

 

 死人の仮装って意味では成功なんだろうが流石にモノホンの吸血鬼には敵わない。いつもと何ら変わらないゴスロリ姿で、ヒルダは手にしていた黒い扇子を口許へと寄せた。よく見てみるとダチョウの羽で編まれてるんだな。ドレスと同じでその扇も黒一色、趣味がよろしいことで。流石は夜の一族、黒色は大好きか。

 

「おかしなものね。死んではその度に蘇ってきたお前が死人の姿になろうだなんて」

 

「皮肉が効いてるか?」

 

「とてもね。それにしてもこの浮かれようを見ていると知らないと言うのは幸せね。本当の魔性の者にとっては今日ほど飢えを満たし、食事にありつきやすい日はないというのに……」

 

「知らないのはそれだけやばいってことだ。ただでさえ、ハロウィンみたいなイベントには事件が付き物。堂々と出歩いても怪しまれない上に、少し食い散らかしても猟奇事件として処理されやすい」

 

 通路の端に寄りながら、パーティーをやるには絶好の日だなーーと、ヒルダの考えに心で付け加える。そんな言葉が簡単に浮かぶ辺り、俺はまだ立派にハンターをやれているらしい。が、現にお祭りごとになるとトラブルが起きやすいことも事実。それは怪物、人間を問わない。

 

「人間なんて現実逃避の依存症ばかり。なにをしても虚しくて、その虚しさを埋めることしか頭にない。私にしてみれば、お前たち人間も怪物と呼ばれて然るべき存在だと思うけれど?」

 

「……耳が痛いな。でもトップガンを見て、軍に入隊するっていうのはまだ分かるが、ホラー映画を見てカボチャマスクの殺人鬼の真似をするってのは俺にもわけが分からん。同じ人間でもさっぱり分からねえよ。ただ、怪物に共通していることはひとつ、良心ってものがない。他人の痛みが感じられない」

 

 狩りの傍ら、色んな人間を見てきたがヒルダの言葉を堂々と否定することは残念だが無理だ。狩りだと睨んだ凄惨な事件が、実は人間の手で起こされたものだったなんてことは両手の指じゃ数え切れないからな。

 

「──ところで、バスカービルは随分とやられたようね」

 

 話題を変えるのと同時に、金色の瞳が横目を向けてくる。

 

「みんな俺たちが思ってるよりタフだよ。絆創膏が一箱ありゃ足りる」

 

「紆余曲折あったけれども私がバスカビールとの戦いを自分から降りたことは事実。私を下したお前たちがつまらない連中に破れられるのは──おもしろくないわ。さっきトオヤマにも言っておいたけど、下手人はお前たちできっちり処理するのよ?」

 

 勝手なこと言いやがる。つまらないの一言で片付けられる相手ならバスガビールの面々も遅れは取ってない。けど、ヒルダが言いたいのはようするに──"自分を倒したお前たちが私以外の相手に負けることは許されない"って漫画のライバルキャラクターみたいな遠回しの彼女なりのエールなのだろう。

 

 理子が神崎とキンジに"お前たちを倒すのは自分だから"と言いつつ協力しているのと同じ。最も理子の場合は単純に作った借りを律儀に精算している面もたぶんある。普段はゆるキャラでも理子の本質は目敏く狡猾であること以上に誇り高い、受けた借りをそのままにはしたくないんだろう。お人好しで天然タラシのキンジに毒されてるって面も否定できないが。

 

「お言葉だが奇襲を仕掛けたとしても神崎たちを単独で一蹴できる奴なんて一握りだ。お前が言うほど有象無象の相手じゃないから安心しろ。それに好き勝手させてやるつもりもない」

 

「最後の言葉が聞けて満足よ。わざわざ出向いた甲斐があったわ」

 

「俺もお前と病院で会うとは思ってなかった。師団に付いたとは言ってもお前は電話も手紙もクッキーさえ送ってこない。それがお見舞いに来るなんてな。もしかして、これは美しき友情の始まりか?」

 

「私には私なりに譲れない物があるの。お前たちには理解できないでしょうね。私とお前たちでは見ている景色が違うから。それに、前はお前に味方してあげたでしょう?」

 

 マスカの一件か。俺の記憶が正しければ、あれはお前から持ちかけられた話のはずだけどな。

 

「逆だよ、目先に蝿の巣が作られるのが耐えられなかったんだろ。経験豊富なヘルプがいれば色々と便利だからな、お前が俺を呼んで、俺が力を貸した。吸血鬼と狩りをやるなんて昔を思い出したよ」

 

 そう、昔のことを。最初で最後、煉獄でできた友達のことを思い出した。どうか彼には煉獄の支配者にでもなっていてほしいものだ。二度と、俺があの怪物の墓場に足を踏み入れることはないだろうが。

 

「お父様の仇と手を組むのはおもしろくないけど、お前たちは野蛮なハンターの中でもまだ話が通じる連中として獣人の界隈では通ってる。一番遭遇したくないハンターとしても通っているけどね」

 

「エゴサはしないんだよ。出会った怪物の首をかたっぱしから跳ねてるわけじゃない。実際に人を襲わない吸血鬼や狼男もたくさん見てきた」

 

 獣人の界隈での評判なんて知りたくないが、レノーラやベニーみたいな味方になってくれるような吸血鬼だっている。ヒルダだって、まあ……ちょっとおっかない部分もあるが話し合いができるだけ温厚だ。

 

「ゴードン……怪物を見つけたら見境なく襲いかかるハンターだっているが、みんなが悪い怪物じゃない」

 

「それは『人間にとって都合の悪い』怪物でしょう? 私たちはお前たちと同じ、ただ食事をしているだけに過ぎない」

 

「ああ、そこは否定しない。お前から見たら人間は相当身勝手なことをやってるよ。でも俺もハンターである以前に人間だ。だから人間として、他の誰かが悲惨な方法で食い散らかされていくことは見過ごせない。それだけ」

 

 ヒルダはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「噂通りの偏屈ね。理屈っぽい」

 

「兄が理屈っぽかったんで。親父が失踪しなけりゃロースクールが決まってた」

 

「お笑いだわ。10万ドルかけて法律家になるより、法律を破る生き方を選んだのだから」

 

「選んだっていうか最初から決まってたシナリオなんだろ。神様が書き上げたエモい展開ってやつさ。なんでもかんでも不幸な展開に舵とってりゃ読者の心を掴めると思ったら大間違いだ。いつだってそうさ。神が望むまま、俺たちはハムスターみたいに回し車を回してる」

 

「だったら、何だと言うの。おまえは──神とでも戦うつもり?」

 

 金色の瞳がまっすぐこっちを見てくる。ほんの少しの静寂を置いて、俺はかぶりを振った。

 

「まさか、俺たちは殺人鬼じゃない。戦うつもりもないのにナイフも銃も抜かないよ。神に苛ついたりするのはしょっちゅうだがそこまでは──」

 

 いや、仮に戦うことになるのなら、そのとき俺は……勝てるのか?

 

「……」

 

 ヒルダの言葉で背中に冷たいものが走る。神はいつだってなんかを隠してやがる。あのひげ面親父はへらへら笑いの下に残酷な顔を隠してる、こんなことを言う日が来るとは思わなかったが……俺には、あの狡猾で聡いルシファーが嫉妬だけで反逆に至ったとはやっぱり思えない。

 

 darknessとの一件、そして異世界のミカエルとの騒動で奴の器には二度もなってる。贔屓目に見てるつもりはないし、実際にルシファーは放射能みたいに危険な存在だった。しかし、ルシファーの言葉が全部が全部間違いかどうかは……別問題になってくる。

 

 ミカエルは盲目的なまでに父に忠実、疑うこともなかっただろう。だがルシファーは……ひねた見方をしている奴だからこそ見抜いてたんじゃないのか──自分の父の本性ってやつを。ガブリエルもその一端を無意識に感じていたからこそ離別した。

 

「雪平?」

 

 風呂敷は限界まで広げられたと思った。大天使や神の姉、考えられる最強の相手とのトラブルは片付けたつもりだ。もしもこれ以上の先があるとするなら、最後にやってくる問題は────

 

「ああ、悪い。ちょっと考え事してた。今回の敵も厄介だがいつもどおりだ、なんとかするよ」

 

 我に返り、かぶりを振って逸れた話を戻す。いつだって何より片付けるべきは目先の難題。今片付けるべきはジーフォース、そして彼女を筆頭とするジーサード一派との衝突。先のことを考えるのはそれが片付いてからでも遅くない。舵を取るべき方向を頭の内で固めていく。

 

「やることは変わらない、いつだって出たとこ勝負」

 

「出たとこ勝負? 計画は?」

 

「ないよ、計画なんて。軍の作戦じゃないんだ。焦らず待てばドジを践む」

 

「ドジを踏んだら食らいつくつもり?」

 

「そのとおり。玉藻は奴等を味方に引き込むつもりで動いてるが成功するかは怪しい。奇襲を仕掛けてきたジーフォースって女、玉藻もジャンヌもあいつが瞬間湯沸し器ってことを知らないんだ」

 

「ああ、それはお前といるからよ」

 

 無視できない解答に俺は金色の目を目掛けて睨み付ける。案の定、怯む素振りはなかった。

 

「ウケたよ。なあ、おまえってイ・ウーでは喧嘩腰の女って役回りだったのか? 新参者を『信用してない』って目で睨み付ける役だよ」

 

「野蛮な人間と一緒にしないで頂戴。私は誇り高い夜の血族、無意味に牙は振るわないわ。本当に口の減らない男、でもお前たちウィンチェスター兄弟のことは好きよ──みんなイカれてる」

 

 その言葉で俺は浮き上がる笑みを堪えられかった。ああ、言えてるよ。確かにイカれた生き方をしてる。こればかりはど真ん中を撃ち抜かれた気分だった。否定の仕様がない。

 

「そうだな、イカれてる。俺たちがやってるのは狩りだ。闇に潜む怪物と戦わなくて済むように俺たちが代わりに戦う。住民は白いフェンスで囲われたマイホームで暮らす。保険はなし、給料はでない。それが仕事」

 

「そういう意味じゃないわ。お前、私の目を誤魔化せるとでも思っているの?」

 

 とん、とダチョウの扇で肘を打たれる。

 

「第一級の呪いを見抜けないとでも?」

 

「なんのことだかさっぱり」

 

「カインの刻印は第一級の呪い。私、教授が残した研究の資料を少しだけ覗いたの。色金と一緒に刻印のことも書いてあったわ。元始の剣を振るうためのパス、そして所有者の身体能力を底上げするのと同時に殺人の呪いを与える」

 

 お詳しいことで。素直に感嘆してやる。カインの刻印がシャーロックの興味を惹いていたのは知らなかったな。アベルとカイン、兄弟殺しで有名な俺たちのご先祖様だ。

 

「大体は当たってるよ。カインがルシファーから授けられた刻印、ご先祖様の黒歴史さ。なんでも殺せるコルトの刀バージョンを振るうために必要なパスで神の姉さんを閉ざす牢屋の鍵」

 

 その呪いはルシファーですら耐えられず、奴が堕落する原因を作った。300年以上生きてる魔女ロウィーナが言うには第一級の強力な呪い。決められたスパンで殺しを続けなければ、呪いで頭も体もやられることになるこの世で最も危険なタトゥー。

 

「とっくに解決した問題だ。刻印の呪いを解いたことで長年の獄中生活から自由になった神の姉さんが怒りに任せて大暴れ。最期は弟と和解してアマラおばさんは銀河の彼方まで旅行中」

 

 これより迷惑な話も他にない。ほら、見たことか。通りがかったナースさんがこっちを見ながら苦笑いしてる。そりゃそうだ、ルシファーとか神の姉さんなんてアニメや漫画みたいな話で盛り上がってるとしか思えない。しかも真面目な顔して言ってる。誰もルシファーが『天国への階段』を歌えるとは思ってない。

 

「でもお前が思ってるようなことは何もない。不殺がモットーの武偵がシリアルキラー推奨のタトゥーなんて入れるわけないだろ?」

 

「時間の無駄ね。私、夾竹桃のアートは気に入ってるの。お前がまた馬鹿なことをやって、私がそれを知りながら黙っていたとなったら。あの蠍の尾は私に向けられる」

 

「……まぁ、お前でもミニガンの放火は浴びたくないか」

 

 吸血鬼に同情する日が来るなんてなぁ。つか、お前って夾竹桃のファンなのかよ、初めて知ったぞ。俺は辺りを見回し、知り合いがいないことを確認してから左腕の袖を捲る。前腕に刻まれた印が露になった途端、ヒルダは心底苦い顔で十字を切り始めた。

 

「吸血鬼がそれやるか?」

 

「黙りなさい。これは第一級の呪いよ」

 

 鋭い声でヒルダは首を振った。

 

「……やったわね。今度はパニックルームでどうこうならないわよ?」

 

「最後まで聞いてくれ。本土にいたときにそれらしいのをでっち上げたんだよ。アマラを閉じ込めてるわけじゃないし、オリジナルとは全くの別物。勿論、殺人衝動に襲われるわけでもない」

 

「待ちなさい。つまり、こういうことかしら。カインの刻印を……でっち上げた?」

 

「簡単に言えばな」

 

 半信半疑のヒルダに俺は袖を戻し、目を合わせる。苦い顔がさらに酷いものになっていた。

 

「ルシファーから聞いた話だと、オリジナルのまじないに必要な材料を知ってるのはミカエルだけって話だ。俺がやったのは単なる模倣。ロウィーナからコーデックスと呪われしものをちょっと借りて、似たような呪いをでっち上げた。身体能力を底上げするつもりで」

 

「……恐れを知らない男ね。やることが無茶苦茶だわ」

 

「恐怖は心が作る物。戦わなきゃ」

 

「いいえ、恐怖は良き隣人よ。危険を教えてくれる、お前は絶対聞かないだろうけど。だからこんな狂気染みた真似ができるのよ。コーデックスの噂は聞いているわ、呪文の解読をライフワークにしていた魔女が残した呪文や文字の解読書。それにしても……よく解読できたわね?」

 

「インディ・ジョーンズが好きだったんだよ。謎解きと暗号や未知の言語の解読は彼の得意分野だ」

 

 唖然とするヒルダに俺は肩をすくめる。呪われしものはあらゆる呪いや古い魔術について書かれた本。そしてコーデックスはあらゆる呪文や言語を解読する方法が書かれた翻訳の本。その二つが揃えば第一級の呪いの解き方すら知ることができる。

 

「……今のところ刻印の効果はないが」

 

「それはつまり……失敗したってことかしら?」

 

「いや、悪趣味なタトゥーシールが貼りっぱなしになったってことだ」

 

 やめろ、今のところ俺の頭はおかしくなってない。つまり危惧すべき問題にはぶち当たっていないんだ。そんな自由研究が失敗した学生を憐れむような目はやめろ。俺は俺なりに努力したんだよッ!

 

「極東戦役、それに色金に宿ってる神は化け物だ。キンジは日に日に力を増して、どんどん俺を置き去りにしてる。これまでみたいに血を飲んで超能力に頼るわけにもいかねえし、なにもしないわけにはいかないだろ?」

 

「そんなやり方だから次から次に問題を招くことになるのよ。目先の問題を解決するために新たなトラブルの種を抱えては意味がないわ」

 

 不条理な魔の眷属の割に、納得させられるような正論を言うヒルダ。なんてやつだ、まるで俺がとんでもない愚行をやったような気分になる。とんど精神攻撃だぜ。

 

「でもお前に魔術の才能がなくてジャンヌや玉藻は一安心でしょうね、今度ばかりは自分の才能に感謝しておきなさい。お前の愚行も未遂に終わったみたいだしね」

 

「またそうやって人の脇腹を蹴りつけて……」

 

「あら、柔いところを突いた?」

 

「体脂肪7%だ。柔いところなんてねえよ」

 

「7%を除いてね」

 

 ……口の減らない吸血鬼め。駄目だ、口喧嘩じゃ勝てる気がしない。ヒルダに言い負かされた気分のまま俺は病院の廊下を後にした。思わぬ鉢合わせで時間を使ったが、ヒルダがお見舞いなんて本当に意外だ。

 

 武偵病院の駐車場に出ると、マナーモードにしていた携帯が鳴った。着信相手は……神崎からだ。そういや、武偵病院内にも携帯での通話が許可されてるエリアがあったな。インパラのドアを背にして、俺は神崎からの通話に出る。

 

「雪平」

 

『さっきぶりね。あんた、今どこにいるの?』

 

「まだ病院の駐車場だ。丁度、インパラに乗ろうとしたところだよ」

 

『そう、部屋に帰るつもりなら心しなさいよ。あの子、あたしたちとあんたの荷物、ダンボールに詰め込んで送り付けてきたわ』

 

「……本気か?」

 

 半信半疑で聞き返すが、神崎がこの手のつまらない嘘を言わないことは把握済みだ。病室でのジーフォースの言葉を踏まえると、本当にキンジと二人きりで生活するつもりらしい。俺たちの私物は早い話が不要な産物ってことか。

 

『あの子なりのメッセージなのかもね。あたしのクッションはハサミで無茶苦茶になってるし、理子のゲームとあんたのDVDではご丁寧に手で叩き割られてるわよ?』

 

「……やってくれるぜ。今度こそカウンセリングを勧めてやる」

 

『思ったより落ち着いてるわね。もっと怒り狂うと思ってたけど』

 

「いや、別に。ジーフォース、子宮にいるとき楽天的な面は怒りんぼうでガチガチな面に潰されちゃったタイプだと思うから」

 

 ああ、落ち着いてるよ。ジーフォース、自分がキンジを独占してやるってアピールなんだろうけど、悪いが作戦じゃない、自殺行為だ。敵意を煽っただけ、一時の優越感には浸れるかもしれないがそれだけだ。

 

「分かった。そういうことなら俺も部屋を留守にする。インパラが俺の家だ。何の問題もない。ジーフォース、キンジの隣を独占しようと必死だな。わざわざ武偵高の制服まで用意してるってことはこっちでも色々と手を広げるつもりだ。交渉の使者として残された?ありえない、他に目的があるに決まってる」

 

『目的って、例えばどんな目的よ?』

 

「連中、見るからに本土の匂いがぷんぷんしてた。日本にもビジネスや活動の手を広げるとしたらどうだ。あの女、奈良時代の恋愛みたいなのはちょっと共感できないが馬鹿じゃない。そこらの手配犯よりもよっぽど知恵が回る。おまけに冷酷だ」

 

『簡単に感情のスイッチを切り替えられる。それに躊躇わない』

 

「ああ、任務遂行に私情は持ち込まない。命令順守、やるときは徹底的、理想的な兵士だよ」

 

 私情を抜きにして、彼女は文句なしに優秀だ。出会ってまだ間もないが、それでも俺が見てきた一年の中では頭一つ実力が飛び抜けてると断言できる。本気になったら強襲科の一年が束になろうと相手にならないだろう。素直な評価を下しつつ、俺は殺風景な空を仰ぐ。

 

「こんなときジーフォースみたいな奴は必ず水面下で何かを進めてる。気を付けろ、あいつのキンジへの執着は普通じゃない。あれはまるでガブリエル・ウェインクロフト、自分にメリットがあれば商売敵は見境なく排除する」

 

『……また大物を出してきたわね。ガブリエルが日本でビジネスなんて始めたら、それこそ悪夢よ』

 

「最期はちょっとだけいい奴になってただろ。彼も被害者だよ、粗悪品のクリスタル・メスはそこいらの毒物よりもずっと危険だ。街で銃撃戦をやられるのはごめんだけどな」

 

 オアフ島のアイドル、ガブリエルも島で好き放題に暴れ回ったが、最期は自分がやってきたことの報いを受けて命を落とした。大抵の人間はどこかで必ず、自分がやってきたことのツケを払わされる。俺だって例外じゃない、だからツケを払う前にやるべきことはやっておく。今の俺にとっては、この目先に置かれてる極東戦役って難題のことかな。

 

『あんたも気をつけなさい。あの子、あんたには特別敵意を持ってる。あたしたちとは違った……ううん、敵意というか特別な感情』

 

「好意じゃないのは確かだな」

 

『詳しく話してみる?』

 

「仲良くなったらね」

 

 三言以上言葉を交わせるまでになったら大したもんだよ。

 

「今はキンジの作戦が成功するのを祈るさ。あいつの手腕に期待する」

 

『なによ、あたしたちに黙って作戦を練ってたわけ?』

 

 やや驚いたような声が飛んでくる。

 

「インパラのなかでキンジが思い付いた。俺は出費担当。ジーフォースをスパに行かせる、指圧マッサージにプールサイドでネイル。フルコース高かったけど、首を跳ねられないで済むと思えば安い」

 

『……大した作戦ね。期待してるわ』

 

 微塵も期待していない声で通話は途切れた。クモの巣張ってる頭でキンジなりに知恵を絞ったんだ、俺は誉めてやるよ。作戦の代金はいつか2割増しで取り立てるけど。

 

 携帯をポケットに投げ入れ、俺は今度こそインパラの運転席に座る。やっぱり自分で運転するに限る。バックミラーを弄り、おもむろにシートに背を預けて俺は深く息を吐いた。

 

「かくしてまた二人きりだな」

 

 ハンドルに手をやり、空いたもう片方の手でキーを捻る。相槌を打ってくれるように彼女のエンジンが音を立てた。

 

「ただいまbaby。今夜は二人で語り明かそう。そうだな、何から話そうか。ジョーに9mmを摘出して貰ったとき、白状するとマジで痛くて泣きそうだった」

 

 誉めてやるよ、過去の俺。好きな女の前で見栄を張れるなんて大したもんだ。今の俺に同じことができるかは分からん。泣き叫んでるかもな。

 

 ハンドルを切り、静かにbabyとのドライブが始まる。テープから流すのは──Back in Black。古き良き名曲、ディーン・ウィンチェスターのお気に入りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 ……どういうことだ。俺は確かにロキシーの玄関をくぐったはずだ。だが、ここはどう見ても俺の知ってるロキシーじゃない。年期の入った木張りの床、薄暗い店内に設置されたカウンターには酒が並び、各テーブルにはレトロなランプ型のスタンドライトがオレンジの灯りを灯している。

 

「今話題の異世界シリーズってやつか?」

 

 理子から聞いた今話題のジャンルらしいが、こっちは地獄も天国もうんざりするほど行ったり来たりしてる。異世界だって前に遭難して天使の軍隊と抗争したばかりだ。こんなサプライズ、ちっとも嬉しくない。皮肉な理由で目の前の出来事にも落ち着いているが、客どころか店員すら見当たらない閑散とした空間に舌打ちが響く。

 

 どう見てもここはファミレスではなく安いバー。店内に流れているのは、普段のロキシーの有線ではまず流れないであろう化石のようなジャズ。知ってる、頭がガンガンする曲だ。かつてのエレンのバーを彷彿とさせるモダンテイストの雰囲気は、俺の知ってる学生が入り浸るロキシーとはまるで違う。

 

 エレベーターから異世界に行ける都市伝説の話は聞いたことがあるが、ファミレスから異世界に行くなんて聞いたこともない。だが、玄関を跨ぐまでは外から見た建物は確実にロキシーの外観をしていた。ここは島で唯一のファミレスだ、大幅の改装をしたなんて話があれば武偵校でも噂になってる。

 

 何よりもこの明晰夢でも見ているような感覚には覚えがある。日本には『マヨイガ』と呼ばれる局地的な魔界がいたるところにあるらしいが、これは魔界というよりも箱庭。ロキ──トリックスターが使っていた悪戯ボックスそっくりだ。でも彼はもういない。だとしたら──こんなことをやれるのは誰だ?

 

 スタンドライトの置かれたテーブルはどれも赤い業務用ソファーで統一されている。嘆きたい気持ちで安っぽい店内を見渡すと、一番壁際のテーブルに肌色をした人の手が見えた。

 

「誰だ?」

 

 返事はない。いつでも袖にある天使の剣を抜けるように、左手に注意を向けながら木の床を踏んでいく。席を立つ様子はない。距離が詰まるに連れ、テーブルには山積みのように重ねられた原稿用紙が見えてくる。これ以上ない冷たいものが背中に走った気がした。

 

 今の俺はどんな顔をしているのだろう。ようやく会いたかった相手に会えた顔、怒りと憎しみで染まった顔、はたまた驚愕で呆気にとられた表情でいるのかもしれな い。

 

 テーブルに就いている存在は俺を見るや陽気に手を振り、かけていた黒縁の眼鏡を外す。俺はやっとのことで固まっていた喉を動かすことができた。

 

「何しに来た……」

 

 喉から溢れそうになる数多の感情を一纏めにし、俺はその言葉を口にした。負の混じった声色も最大限の善処の言葉だった。そんな俺を嘲笑うように『それ』は人間(俺たち)の言葉を紡ぐ。

 

「SHERLOCKの最終回、良かったよね?」

 

 彼は作家でペンネームはカーヴァー・エドランド。『SUPERNATURAL』って忌まわしき作品を書き上げた売れない作家。自分の息子を自分からグレさせ、姉との世界規模の喧嘩をやらかした傍迷惑な表現者。ドナテロ、ケビンと同じく神の声を聞くことができるとされていた予言者。

 

「チャック」

 

「やあ、キリ」

 

 どうりでトリックスターの真似事ができるはずだ。箱庭を作り上げることなんて息をするのと変わらない、そんなもの指を鳴らす程度の労力でしかない。

 

 仮面のような変わらない表情で続けた彼は原稿の積まれたテーブルを右手で示す。否、そこには積まれていた原稿用紙はなく、代わりに忘れようのない剣が置かれていた。今度こそ、俺は目を丸めてそれを凝視する。

 

「また家を追い出されたんだってね。君にギフトを持ってきた」

 

 ある者の下顎によって作られたその剣は、この世界で最も最初に作られたーーファーストブレイド。黒い布がグリップに巻かれ、博物館にも並んでいそうな原始的な見た目をした剣は、最初に殺人を犯した者……カインが弟アベルを殺すために振るった──

 

「元始の剣……」

 

 アバドンを葬り、ディーンを悪魔に変えた血塗られた剣が、テーブルに投げ出されていた。

 

 

 

 

 

 

 




『電話も手紙もクッキーさえ送ってこない』S7、22、アルファ・ヴァンパイア──

クリスマス発売のアリアの新刊が待ち遠しいこの頃です。超能力なしの生身で頑張るキンちゃんが作者は大好きです。異能力を相手にあくまで身体能力だけで抗うところもキンジの魅力なんでしょうね、今となっては余裕で衝撃波とか出してますけど……



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適者生存

 

 

『なに言ってる……! じゃあ諦めるのか、お前はいつだって諦めないだろ! 最後はどうやっても勝つ女なんだ、ジョアンナベス=ハーベルはな!』

 

 

 

 血の匂いがする。噎せ返るような血の匂い。

 

 

 

『大丈夫だ、絶対に大丈夫だから……なんてことない。なんてことないんだよジョー。なんてことない、こんなの……なんてことないから。次は俺が戦う、俺が外にいる猟犬を全部抱えて逃げる。だからその間に──』

 

 

 

 手が真っ赤になってる。傷口を抑える布も。けど、それは俺の血じゃない。

 

 

 

『よくない、よくないだろ……! 戦ってくれジョー! お前が戦わないなら俺が戦う……ッ! 猟犬なんていくらだってなんとかする、ストレッチャーだって車だって探せばすぐに見つかる! まだ終わってないだろっ!』

 

 

 

 またこの夢だ。もう何度見たか覚えてない。灯りの消えた店内、横たわる彼女に必死に語りかけてる。彼女の腸が血まみれなのは自分のせいだって言うのに。何が戦うだ。

 

 

 

『違う、違うよジョー。こっちだ、俺を見ろ。そんなことない、なんとかなる。ここを出たら近くに……ああ、どこかに助けてくれる場所がある。すぐにストレッチャーを見つけて、運ぶから……なあ、頼むよジョー……お前を失うなんて、堪えられない……本気で好きになった女を……自分のせいで失うなんて俺には堪えられないよ……』

 

 

 

 約束したよな、世界を救ってやるって。でも世界はいつも未曾有の危機に襲われて、最終戦争が終わっても問題だらけ。君がいなくなってから色んなことがあったけど、君がいたらきっと心強くて……死屍累々だったこれまでの道のりもちょっとは変わってたかもなって。そう、色んな問題があって……なあ、ジョー。また話がしたいよ、ああ、言いたいことはたくさんあるからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢から覚めるのと、映画館から出るときの感覚って似てると思わないか?」

 

「現実に引き戻されるって意味なら頷いてあげる」

 

 それだ。俺が言語化できなかったものをサラリと夾竹桃はやってのけた。灯された煙管の煙が快晴の空に舞い、やがて水色に溶けていく。給水塔の下で寝そべることになって、どれだけの時間が過ぎたかは生憎と覚えていない。

 

「いい夢でも見れた?」

 

「どうだろう。不甲斐ない自分をずっと見せられてたような気がするよ。それ、喉を痛めたりしないのか」

 

「これは喉のクスリよ」

 

 そうか、と頭の後ろに自分の両手をやる。喫煙者ではない自分にその辛さは分からないが、表情には乏しいものの、心地よさそうに紫煙を燻らせる夾竹桃は──とても大人びていて、魅力的だった。童顔、制服を着て喫煙しているミスマッチな感じも、ダークなムードがあって個人的には好ましい。

 

 世の中の正直な男は、彼女の健康を気遣うことよりもその紫煙を燻らせる姿が見れることを優先するのではないか。まだ頭が完全には冴えていないらしく、考えるのはいつもの自分から少しズレたことばかり。硬いコンクリートの床も関係なしに熟睡していたなら、それも仕方のないことかもしれないが。欠伸を噛み殺すと、流石にクールな彼女も怪訝な目を向けてきた。

 

「今日はやけに眠そうね?」

 

「安いバーに籠って、ヘボ作家と永遠に話をしてた。最高に重たい罰ゲームだ」

 

「遠山キンジからまた部屋を出たって聞いたけど、貴方って家出が趣味なの?」

 

「いいや、趣味は編み物だ」

 

 夾竹桃は呆然とこちらを見ている。徐々にその言葉の意味が脳に染み込んでいき、急速に彼女の表情は変わっていった。

 

「編み物やるの?」

 

「おかしいか。実は俺、ボーイスカウトに入ってた、追放されたけど。まあ、それは話すと長くなるんでまた」

 

「待ちなさい。どうせ暇なんだから、その話詳しく聞かせて頂戴」

 

「いいよ。そこまで言うなら話してやる。オフレコで?」

 

「ええ、オフレコ。マリファナでも吸って追放されたんでしょ」

 

 容赦ない罵詈雑言にかぶりを振る。ああ、ウケたよ。今日も平常運転、ユーモアがあるね。

 

「親父は海兵隊にいて、俺もそっちには昔から知識があった。自分で言うのもなんだけどかなり優秀だった。んで、ある日不在の先生に変わってサバイバルのレクチャーを頼まれた。小学生くらいのガールスカウトの」

 

「それで追放された?」

 

「そう、至って普通にレクチャーしたつもりだったけど、後日半分くらい辞めちゃったから責任取らされて。普通にやったんだぞ、猪の致命部位から始まって──なんだよ、その目は」

 

「いえ、至って普通の反応をしてるだけ。なんで最初に猪の致命部位なんて言葉が出てくるのかしら?」

 

 本気で理解できないって顔だな。オフレコだし、それなら詳しく説明してやる。身振り手振り、上半身を起こして俺は語ってやる。

 

「大事なところだろ。猪は獣だ、どこにでもいて狙われてるかもしれない。だから、常に警戒しないといけない。相手は興奮した140kgの獣だ、虎だって殺す。おっかない野獣だ、真面目に。戦うにはまずは相手を知る必要がある、無闇に刺しても意味はない。ナイフがグサッと刺さると思ったら大間違い、猪の皮膚は丈夫だ。一番弱いのは肩甲骨の間、そこを狙う」

 

「……追放されて当然だわ。サバイバルのレクチャーを頼んだのに、それじゃ地獄の黙示録よ。もっと他にあったでしょ、水を見つけるとか、方角から場所を知るとか、もっと小学生らしい可愛げのあるサバイバル」

 

「いや、仕留め方と捌き方を教えてやるんだ。それがサバイバルだ……!」

 

「ホラー映画でしょ、それ」

 

 力説した俺を、夾竹桃はそれはそれは冷ややかな眼差しで見据えたものだった。今すぐにでも立ち上がり、踵を返して屋上を去っていきそうなほどに。しかし、本当に地獄の黙示録と呼ばれるものはそのすぐ後にやってきた。

 

「……自分より強いものに逆らうとか、非合理的ィ。自爆要因ぐらいには使ってやろうと思ってたのにねぇ。じゃあ……よし、ぼっちの子は学校がイヤで、そこから飛び降り自殺しちゃおうか」

 

 どうやら浮わついた話じゃなさそうだ。聞こえてくるのはジーフォースともう一人、敵意を向けられて戸惑ってるこの声は……間宮だな。隣に横目をやると、横たわるままで夾竹桃も聞き耳を立てている。

 

「弱い友達は強い友達に従うべき。つまり一番強いあたしを頂点にこの学校には新たな統制が敷かれるんです」

 

 ……なるほど、水面下で何をやってたかと思ったら政権交代を狙っての選挙活動か。自分が一番強いって触れ込みで権力を握る。従わない者に発言の自由は与えない。口調は丁寧だがやってることは暴君──あばずれアバドンと一緒だ。

 

「──ナイフは残してやったから、自殺だって分かるように手首切ってから行け」

 

 絶対零度の声でジーフォースは吐き捨てる。

 

「スケジュールはもう決まってる。今日はお前が自殺、半月後には佐々木志乃と乾桜にお互いを殺させて、来月には火野ライカと島麒麟を心中させる」

 

 「そしたら淋しくないでしょ?」と、一転してその声色からは笑みを浮かべてるのが丸分かりだった。この躊躇いのなさ、選挙活動もまともな手を使ってるわけじゃなさそうだ。後処理のことを考えて、間宮が一人のときを狙ったんだろうが──運が悪かったな、先客が二人いる。

 

「……!」

 

 わざとらしく紫煙を散らし、隣の彼女は自分の存在を眼下にいる二人へと露呈させた。転落防止の柵まで間宮を追い詰めていたジーフォースは背中越しにこちらへ気付くと、すぐに舌を鳴らして体を反転させる。

 

「へぇ。あたしがここに来ること、よく予想できたね。どっちが見抜いたの?」

 

 少しばかり驚いたような声で小首が傾げられた。

 

「私はここが定位置なのよ。こっちは先客」

 

「ぼっち同士の馴れ合いってワケか」

 

「訂正してあげる。私は孤独がキライじゃないの。あと友達はいるわ。雪平、貴方もいるでしょ?」

 

「いるよ、人間以外の友達もたくさんいる。上にも下にもな」

 

 右手の人差し指をたて、空と地面を交互に示しながら眼下の少女に言ってやる。先客である俺たちの介入に、間宮は驚きのまま目を丸めて、ジーフォースは不愉快な表情で目を閉じると、かぶりを振った。

 

「レギュラーがやられて、今度は補欠チームが来たか。で、戦るつもり?」

 

 半眼でこちらを見上げてくるジーフォース、その背後で間宮のUZIをくすねた磁気推進繊盾が揺れている。神崎が放った45口径の凶弾を余すことなく防いだ攻防一体の飛来する盾。

 

 今朝、アーサー・ケッチ(元・UKの賢人)が衛生電話でくれた情報のお陰で、その武装については種明かしが済んでる。あまりの扱いの難しさに不良品とされた米国の次世代無人機。表向きは、誰一人として運用できるまでに至らなかった代物らしいが眼下の彼女は例外らしい。

 

「そうねぇ……」

 

 隣で紫煙を燻らせていた夾竹桃が咥えていた煙管を下げる。それが何を意図しているかは明白だった。あれだけ一緒にカウンセリングやれば分かって当然。立ち上がった彼女の隣に、睡魔をねじ伏せて俺も体を起こす。

 

「あの夜は釈然としない幕切れだったものね」

 

「同感だ。ジャンヌの方針には従ってやるが、この学校で好き放題やるなら話が違ってる」

 

 屋上の地面に飛び降りると、揃って視線は微動だにしないジーフォースに向けていく。生温い風が緊張感を煽るように凪いだ。 

 

「……いいよ、今回は手を引いてあげる。二人となると後片付けが面倒だしねぇ。スケジュールはちょっと修正してやるよ」

 

 そう言うと、涼しげな顔を崩さぬままジーフォースは指を鳴らした。それが合図となり、宙を浮遊していた磁気推進繊盾から間宮の銃が落とされる。巧く飼い慣らしてるってわけか。

 

「水入りですね、間宮先輩っ」

 

 標的にしている間宮に向かって、ジーフォースは向日葵のような笑顔で言い残してから屋上を去っていく。

 

 いや、今はアメリカからのインターン、1年C組の『遠山かなめ』だったか。俺は遠山が消えた方をじっと睨みながら、夾竹桃に問う。

 

「二人でやってたら、勝てたと思うか?」

 

「貴方のなかにまだ魔王がいたらね」

 

「ユーモアを抜きにして」

 

「分からない」

 

「……そうか」

 

 去り際の余裕を見せつけるような遠山の笑顔が、冷たく背筋を撫でていった。

 

「雪平……先輩」

 

「間宮、今日だけは帰宅するまでその蠍についていてもらえ。水入りにしてもらえるのは、さっきのが最初で最後だ」

 

 あいつに妥協と諦めはない。今度こそ、本気で首を落としにやってくる。

 

 

 

 

 

 

 放課後──夏が過ぎ、徐々に夕暮れにも寒さが見え隠れするこの季節。俺はインパラの運転席の窓から、数日前まで身を置いていた第三男子寮を覗き見ていた。

 

「はぁ……」

 

 もはや数える気にもならなくなった、うんざりするため息がこぼ落ちた。苛立ち混じりに指でハンドルをタップし、これまた幾度なく繰り返した台詞をぼやく。

 

「スパサービスは失敗だったかなぁ……」

 

「あの子にすれば、スパに行くより遠山キンジと一緒にいる時間の方が大切なんでしょ。貴方たちの秘密作戦が成功しないのはジャンヌも見抜いてたわ」

 

 仕方ない、と助手席のドアを開かれ、戻ってきた夾竹桃が合いの手を入れてくる。自分が家出した部屋を張り込んでる、何がどうなったらこんな状況になるんだよ。

 

「間宮は?」

 

「無事よ、何も仕掛けてこなかったわ。でも遠山かなめにすっかり孤立させられたわね。貴方が言ってる選挙活動じゃないけれど、彼女が独裁者になろうとしてるのは間違いない」

 

「アバドン2世の出現か」

 

 自分のぶんの缶コーラを受け取り、プルタブを捻る。視線は重ねずに、互いに缶だけをぶつけて音を鳴らした。

 

「雪平、女人望の話は知っていて?」

 

 喉に炭酸を流し込むのと同時に、記憶の片隅を掘り返された気分に襲われる。

 

「女人望か。かなり昔のことになるが、ルビーから聞いたことがある。同性限定のカリスマ、女人望を持ってる女は他の女を無意識の内に自分の味方に変えていく」

 

「私は天然物と人工物の見分けがつく。あの子は人為的なジェスチャーで女子の被暗示性を亢進させて、さっきも言ったけど独裁者になろうとしてるわ」

 

 天然物と人工物、早い話が先天的に宿してる物と後天的に手に入れた物。そして遠山かなめは後者。

 

「要は催眠術で支持者を増やしてるわけか」

 

「何が目当てかは知らないけど」

 

「王にでもなりたいんだろ、民のいない王に。ろくでもない理由には違いねえよ。間宮とそのお友達を殺してまで遂行するつもりでいる」

 

「佐々木志乃や火野ライカは、既に間宮あかりに傾いていたから影響を受けなかったのよ。あの子は天然物の女人望、そして女人望同士の上書きはできない。遠山かなめにとって、女人望の影響を受けない女子は障害でしかない」

 

 淡々と夾竹桃は言葉を続ける。間宮を最初に狙ったのはあいつが女人望持ちだったからか。

 

「女人望が二人いると、集団は二派に分かれての抗争になると言われてるの。いいえ、もうなってるかもしれないわね」

 

「対抗馬は間宮だけ。自分に清き一票を入れないやつは片っ端から虐殺か。だが、王は殺せても統治できるかは別だ」

 

「かからない子は殺される。うまく気配を消しても、彼女の目は鋭いわ。いつまでも欺むくことは無理、かならず見破られる。遠山かなめは軍国アメリカが生んだ先端科学兵装の使い手、あの子たちが徒党を組んでも勝ち目はない」

 

 夕暮れの近い外の景色を、夾竹桃は不吉な感じに目を細めて睨んだ。

 

「念のため言っておくけど、私は別に間宮あかりを助けようと思ってるんじゃないわ」

 

「俺にはそう見えるけど?」

 

「ただ、少女たちの友情を壊すものが絶対に許せないだけ……」

 

 ……どうしても、許せないものの為に戦うか。どうかしちまったのかね、俺の眼は。この冷酷非情な悪党が……正義の味方みたいに見えちまうよ。燃えるような真っ赤な夕陽が渇いた大地を照らしている。夕陽があまりに真っ赤なせいでちょっとおかしくなったんだろう。

 

「今朝、ガースと電話でちょっとだけ話した」

 

「そう、お友達は元気だった?」

 

「ああ、娘が生まれたんだってよ。落ち着いたらまた歯科医を始めるらしい」

 

 わざとらしく、話題を明後日の方向に切り換える。春に俺の首を飛ばしに来た魔宮の蠍も、今では母さんのメル友だ。しかし、どうにも嫌な予感がしてドリンカーに缶コーラを置く。

 

「……いまなんかすごく失礼なこと考えてなかったか?」

 

「言っていいなら言うけど」

 

「いや、止めとく。聞きたくない、自分で口にして悪いが忘れてくれ」

 

「貴方、子供は?」

 

 キャスだと思って部屋のドアを開いたら、ルシファーが立っていたような気分だった。頭をハンマーで殴られたような質問に自分の勘が正しかったことを再認識する。気休めにコーラを一口、タイミングによっては間違いなく噎せてたな。喉もフロントガラスも大変なことになっていたに違いない。

 

「俺、一応高校に通ってるし、いたら大問題になるんだけど……お前、あれだな。絶対にどっかズレてる」

 

「冗談よ。息が詰まりそうな話ばかりだと気が滅入るでしょ?」

 

「ジャブでいいんだよジャブで。ハンマーで頭を殴れとは言っていない。フロントガラスにぶちまけるところだったぞ、炭酸でべとべとに」

 

 俺は呆れ半分に肩をすくめる。窓から見える夕陽はやっぱり真っ赤だった。こいつも夕陽にやられて、ちょっとおかしくなったんだろう。きっとそうだ、血をこぼしたように夕陽に仲良くやられた。

 

「折角だし、その冗談の答えを返しとくと、サムやディーンと違って、俺はほんの一時も家庭なんて持ってない」

 

 いつ何が起こるかも分からない仕事で、家庭を持つのは簡単じゃない。引退しても、怪物のお礼参りで殺されたハンターは何人もいる。リサとディーンみたいに最初は円満でも最後は──なんてことも珍しくない。だから……

 

「いないよ。できたときは、有りのままをただ無条件に愛してやろうと思う」

 

 返答はない。数分、その状態が続いた。沈黙を裂いたのは彼女の携帯だった。聞いたことのないアニソンが車内に響く。

 

「ねえ、雪平。ゲームセンターに行かない?」

 

 目を丸める俺に、メールを読み終えた携帯を閉じながら、そんなことを持ち掛けてくる。

 

「火野ライカと島麒麟の誤解を解きに」

 

 ああ、またもや遠山かなめの策略か。てっきり、一緒にボンバーマンやるのかな、と。

 

「タクシーをやれって?」

 

「進展がない張り込みを続けるより、先に別の問題を片付けましょう。貴方の大好きな『三度の飯より人の邪魔』よ。正確には選挙活動の邪魔」

 

「お邪魔虫ってやつか。まあ、このまま駄弁っても解決にならないのは同感だな」

 

「今回の一件、働き次第では私からギフトをあげるわ」

 

「ギフト?」

 

 最近、それと似たような台詞でとんでもない物を見せつけられんだが……

 

「これは前払い」

 

 嫌な既視感を覚えるが、彼女が差し出してくるのはいわゆる写真。つまるところ、ブロマイドだった。このご時世に報酬がブロマイドって……

 

「ギフトねぇ。タラ・ベンチュリーのサイン入りブロマイドでもくれるのか?」

 

 白い裏面を向けられたまま受け取る。

 

「ホラー映画の女王のサインなら、ディーンは喜ぶだろうけど俺は──まさかペニー・ワイズじゃないだろうな?」

 

「私からのアドバイス、いつもそうやって最悪の未来ばかり考えてるから偏屈になるのよ」

 

 はぁ……見えるけど見えないものだ。意を決して、俺はブロマイドを反転させる。よし、白塗りピエロじゃないぞ。ん、待てよ、このヘッドレスで背面ギターやってるのって……

 

「そのギターリスト、前に好きだって言ってたから。ブロマイドなんて興味ないだろうけど」

 

 サッ、と俺の手から前払いの写真が取り上げられる。

 

「おい、前払いって言っただろ」

 

「あら、欲しいの?」

 

 ……こほん。尋問科は初手咳払い。

 

「なんだか無性にいいことがしたくなってきたなー。そうだ、今は天使が減って、天界は未曾有の人手不足だ。昨日の敵は今日の友、働きづめのナオミに変わって俺が人助けしてやろう。人を助けて、助けた人がまた別の誰かを助ける、善意が広がっていくかも」

 

 踵を返すようにハンドルを回して、進路を学園島のゲームセンターに取る。

 

「それ、他のブロマイドも?」

 

「貴方の働き次第」

 

「俄然やる気が出てきたな。じゃあ、行く前に──」

 

 俺は懐からルビーのナイフを助手席へすっと差し出す。

 

「?」

 

「後ろ、さっさとやってこい」

 

「主語が抜けてる。それだと意味不明よ」

 

 ごもっとも。僅かに間を置いてから、俺は視線でリアガラスを示す。いまので通じたら楽だったんだが。

 

「分かった、ちゃんと言うよ。後部座席の後ろのところ、リアシェルフパネルのところ。これで自分の名前掘ってこれば?」

 

 よし、言った。今度は主語もあるし、意味不明じゃねえだろ。ナイフは動いてないけど。

 

「なに、もう一回言えって?」

 

「いえ、至って常識的に驚いてるだけ。だって……インパラに名前を刻むって……そんなの、いいの……?」

 

 伏せ見がちに質問を質問で返される。

 

「本気だよ。合鍵まで作られたし、いや……それとはまた違ってくるか。通風口のレゴとか灰皿に刺さるコンバットフィギュアとか、それはインパラが家族だって証だよ。でもこの車には次男と長男が刻んだ悪戯書きだけはない、あるのは俺の名前だけ。俺が二人の名前を刻んだところで、意味がない気がしてさ」

 

 また理屈っぽくなりそう、親父のインパラの……後部座席の更に後ろには、俺たち三人の名前がナイフで掘られていた。仲間であることの証。このインパラも大切な相棒だが出会いは日本、理屈っぽいが俺が二人の名前を真似て刻んでも意味はないと思った。レゴやコンバットフィギュアは別にして、名前は本人が刻むべきものだと。

 

「この数ヶ月、お前とは色々あって、二人三脚やったり異世界を遭難したり、天使の軍団と抗争やったり……あー、インパラも預けたし。最近思うようになったけど、やりたいことリストや言うべきことは早めにやっといたほうがいいかなって」

 

 そう、修学旅行Ⅰの前に神崎がイギリスに帰るって話になったときも思ったけど、言えるときに言いたいことは言っとかないと。あとになって後悔で頭を悩ますよりはマシ。

 

「昔から思ってたことだ。俺が死んだら車以外に何を残せるんだってな。んで、引き取り手も決まった。堅物で運転も下手くそだが仕方ない、そのときが来るまでに上達することを祈るよ」

 

 いつか、俺もこの場所を去るだろう。それでもインパラに刻んだ『K.W』の傷は残り続ける。キンジや神崎やジャンヌの記憶に爪痕が残せる、俺はそれで満足だ。

 

 

「私は貴方にそこまでのことを、インパラの面倒を見てあげただけで……できてないわよ……?」

 

「いや、お前には感謝してる。一度は毒殺されかけた相手にこんなことを許すのはよっぽどのことだ。だから、気にせずにやってこいよ。お前とは一緒に戦って、人を救った。ジョーやクレアと一緒さ、もう他人とは呼べない」

 

 呼べるわけがない。他に言いようがない。

 

「まあ、あれだ──ようこそ、メジャーリーグへ」

 

 その言葉が契機となり、ナイフは俺の手を離れた。以後、シボレーインパラに刻まれた『K.W』の横には『KYOCHIKUTO』の文字が新たに刻まれることになる。悪い気はしなかった。

 

 

 




時系列は体育祭が始まる前になります。今回はAAに沿った話になってますが、クロスオーバー元が完結した勢いで設定面での擦り合わせが楽になりました。勢いのまま『伝承』が流れるまで行きます。


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光と闇

佳境に入るので視点変更を一度だけ入れています。


「……じゃあ、なに。島麒麟だけはアバドン2世の選挙活動に気付いてお前の手を借りようとしたけど、逆にハメられて火野はお祝いで作った手作りのケーキを自分でちゃぶ台返ししたと?」

 

「と、遠山かなめ……! あたしはハメられてたのかッ……! あのケーキ苦労して作ったのに……!」

 

 ……怒りで聞いちゃいねえな。夜の繁華街──マンガ喫茶や飲食店、電化製品専門店が立ち並んでいる路地で黒のパーカーとハーフパンツの私服姿でいる火野ライカ……もとい間宮のお友達が怒りで体を震わせていた。

 

 その手にあるのは、『これまでの道のり』と書かれた鈴木先生作の漫画。表紙には火野、島、そして遠山かなめが達者な絵で書かれている。本人いわく、それを使って誤解とやらを解きに来たらしい。火野がストレス発散にゲーセンを巡る話をどこかから聞き付けたのだろう。さっきのメールを踏まえて、おおよその検討はつくが。

 

 訳あって本の中身は読ませてはくれなかったが口頭で聞いたところによれば、理子の元戦姉妹で火野の現戦姉妹であるCVRの島麒麟。彼女のランク昇格のお祝いをしようとした矢先に遠山の策略にハメられて……

 

 ようするに自分の妹が別の女と浮気したって勘違いしたわけだ。苦労して作った手作りケーキも衝動的にちゃぶ台返し……怒りはもっともだな。

 

「んで、火野。俺は読んでないんだけど、誤解は解けた感じ?」

 

「……先輩、読んでないんですか。ほんっとうに読んでないですよね……?」

 

 なんで睨むんだよ……見てないって。本気で敵意飛ばすなよ、一年離れしてるぞ。

 

「見てねえよ。さっきも言ったが、俺はこいつのタクシーでやってきたんだ。ずっとハンドルを握りっぱなしで見る余裕もない、歩きながら読んでもいない」

 

 やけに噛みついてくるので、改めてかぶりを振って否定しておく。

 

「って言うか、先輩って遠山先輩のルームメイトですよね?」

 

「今は家出中だけどな」

 

「……それも気になりますけど。ルームメイトの妹と問題を起こすのって……」

 

「ああ、面倒だな。だが、ルームメイトの身内だからって見過ごせるものと見過ごせないものがある。荒地の女王になるのは勝手だが方法を間違えたんだよ、あの転校生はな」

 

 それにこれは極東戦役、ワトソンくんちゃんから経過を聞いたがスパサービスの作戦はやっぱり失敗。彼女を抱え込む作戦も半分は破綻してるらしい。それなら好都合、倫理観に従ってアバドン2世を叩いて催眠術を解く。どうだ、腕を切り落とそうとした仕返しもできて俺の思う壺だ。

 

「火野、今回は俺も1000%味方する。一、十、百、千パーセント味方だ、約束する」

 

「安心なさい。推しのブロマイドと遊戯王カードで買収しておいたわ」

 

「……雪平先輩」

 

「資本主義なんで。笑って受け止めりゃいい、皮肉じゃなくて」

 

 ただでさえ高くはなかった評価が、さらに落ちた音がするが良しとしよう。

 

「けど、火野ライカ。貴方って代理性かと思ったけど真性ね。さすがの私もちょっと引くわ」

 

「代理性に、真性……?」

 

「火野、悪いこと言わないから今の言葉は忘れろ。ろくな答えじゃない。それよりあっち、来客が来てるぞ」

 

 視線で教えてやると、そこにいるのは仲違いした島麒麟。派手に驚いた火野は戦姉妹に見事なビンタを食らうのだが……まあ、そこから先は頬にキスを貰っての仲直り。彼女を拾えと言ってきた鈴木先生の望みどおりになった、いや、それ以上だな……

 

「返り咲きッ!」

 

 今までに見たことのない満面の笑顔で鈴木先生は跳び跳ねた。まるでWカップの予選通過を決めたときの監督がごとき喜びようだ。第1打。

 

「友情返り咲きッ!」

 

 第2打、感極まって声が外に出てる。

 

「友情返り咲きッ!」

 

 第3打、今度はさっきより高く飛んだ。残念ながらここで打ち止め。第4打、第5打はないらしい。普段はクールを貫いてるだけに感情が爆発したときのギャップがすさまじい……今までに見たことのない喜び具合だ。

 

 夜の路地裏でいいことが起きたことは一度もないって聞いたけど、今回に限っては別だな。レアな夾竹桃を見ることができて、ちょっとラッキーとか思ってる。夾竹桃って女は、決して無表情でもなければ軽薄な女でもない。案外、根はお人好しなのだろう。

 

「C77まで……大丈夫、いけるわ」

 

「満足したか?」

 

「ええ、上出来。いえ、それ以上よ。よくやったわね、キリ」

 

 ……ファーストネームで呼んでくれるはしゃぎようかよ。どんだけ嬉しかったんだ。

 

「「……」」

 

「悪い、今はそっとしいてやってくれ。あの様子じゃ今年で一番喜んでる。少しだけ余韻に浸らせてやりたい」

 

 島と火野のなんとも言えない眼差しすら、見えていないはしゃぎようだ。俺にはまるで分からないが胸にこみ上げるものがあったんだろうな。あんな姿、何度も言うけど初めて見たぞ。俺より長い付き合いのジャンヌや理子だって目を丸めるに違いない。

 

「雪平先輩」

 

「なんだ?」

 

「保護者みたいな目してます」

 

「気のせいだよ。そんなこと言ってないで、やることあるだろ。仲直りしたんだから、やれなかったお祝いまたやればいいんじゃない?」

 

「「……!」」

 

 ……なんでケルビムの真似事みたいなこと。いや、それもたまにはいいか。天界は人材不足だしな。駆け出す二人の背中を見据え、俺はかぶりを振る。さて。

 

「おい、夾竹桃。パーキングまで遠いんだ、流石にそろそろ行くぞ。ホテルまで送ってくよ」

 

 去り際の火野と島の顔を思いだし、ふと口角が持ち上がる。本当に正義の味方みたいなことするんだな、元イ・ウーの毒使いは。

 

 

 

 

 

 音がない。まるでない。誰もいないホテルの一室。家を出てからこの部屋に泊まるのも今夜で数日目。決して悪い部屋ではないが、神崎やキンジの声が途絶えなかった部屋をふと思いだし、小さな虚無感に襲われる。ここに来てモーテル暮らしに後戻り、それは予想してなかったな。

 

 レバノンにある賢人のアジトを見つけて以降、日夜モーテルに世話になる暮らしとは決別。狩りでの限られた時間に限って、宿暮らしになる程度だったのだがここに来てのホテル暮らし。妙な気分だった。違いがあるとすれば、武偵という仕事上……昔みたいにクレジットカードの裏技は使えないってことか。叩けば埃が出てくる過去は理子やジャンヌと変わらない。

 

 無事に夾竹桃をいつものホテルの駐車場まで送り届けたときには、夜の帳も濃くなっていた。それはヒルダが活発的になる時間、彼女に言わせれば『世界は夜を中心に回る』のがあるべき姿らしい。すっかり身近になった吸血鬼の口癖を、かぶりを振るようにして払う。

 

 なぜ、ヒルダのことが頭に浮かんだか。それはきっと、夜どころか『闇』そのものが俺の眼前にいるからだろう。眼前の光景を認められず、俺は最後の抵抗で洗面所で水を浴びるが、戻っても何ら変化はなかった。

 

 黒いドレスの女が──床にヨガマットを敷いてプランクをやっている。ここまで冷静に声を張り上げていない自分を誉めてやりたい。

 

「戻ったのね、目は冷めた?」

 

「いや、まだ夢じゃないかと疑ってるよ。部屋に戻ったら神の姉さんが筋トレしてるとか悪夢もいいところだ。日頃のストレスで遂に幻覚を見るようになったかな」

 

「それ、ガブリエルがいたら同じことを言いそう。幻覚じゃない」

 

 プランクの姿勢で頭を持ち上げ、宝石のような瞳で視線を重ねてくる。聞き覚えのある声で別人の可能性は完全に絶たれた。こんな突拍子のないことやられて、今さら別人だって思うのもそれはそれで難しいがな。突拍子のないことをやるのは彼女たちのお家芸。

 

「現実か。まあ、悪夢であることに代わりないけど。まだ死神が迎えに来たとかの方が良かった」

 

 備え付けられた冷蔵庫から瓶入りコーラを丸テーブルの上に置く。

 

「やけに落ち着いてる」

 

「そう見せてるだけ。内心は心臓ばくばく」

 

 瓶のキャップを開け、俺は貯まるに貯まった疑問をぶちまけることにした。常闇を思わせる黒いドレス、そして目が覚めるような茶髪はかつての記憶と合致する。

 

「──アマラ。リノで現世を謳歌中じゃなかったか? なんで俺が留守してる間に部屋に上がり込んで、呑気に筋トレしてるんだ?」

 

 リノ──ネバタ州北西部のラスベカスに次ぐカジノで現世を満喫してるって話を、つい最近聞いたばかりだ。なのになんで日本のホテルで筋トレやってるんだ、ありえん、ありえんだろ。困惑する俺に、茶髪の彼女はようやく姿勢を戻し、マットの上に立ち上がった。

 

 ここに玉藻や星枷がいれば、いったいどんな反応をしただろう。アマラと呼んだ彼女は、例によってドレスが似合うだけの女性じゃない。スケールのデカさでいれば緋々神と同レベル、その存在自体がお伽噺として疑われていたdarkness──俺たち人間の常識の枠を、遥かに逸脱した場所にいる存在。

 

「チャックに聞いたの?」

 

 クレアチオ・エクス・ニヒロ──虚無からの創造、神は何もないところから大地を作った。日曜学校ではそう教え込ませようとしてるが、神と大天使が来て光を作る前の世界にも何もなかったわけじゃない。

 

 創世記ってのは実は嘘っぱち、金一さんやバチカンのシスターはショックを受けるかもしれないがそこには暗黒があったのだ、果てしない真っ黒な暗闇がずっと最初から存在していた。

 

「安っぽいバーでつまらない話を永遠と聞かされたよ。あんたがカジノとエステにハマってることも。ヨガと筋トレは話に出てこなかったが……」

 

 神が光を象徴するなら、彼女は闇。フォースの暗黒面、ダークサイド側の象徴。博識な玉藻や星枷にその名前を出せば、苦笑いでそう語ってくれるはずだ。暗闇に溶けそうなドレスで着飾った彼女の名はアマラ──神の姉。これ以上なく説明に骨が折れる存在だが、一つ言えるのはこんなホテルで易々と会える相手じゃない。

 

「リノは最高、最近はとっても調子がいい」

 

「そりゃ良かったな。あんたたちが旅行に行ってる間もこっちは休みなしだ。ルシファーはまた自分が父親に捨てられたと思ってグレやがった、お陰であんたもよく知ってるセールスマンは死んだよ」

 

 テーブルに備えられた椅子の上で乱暴に足を組む。

 

「異世界のミカエルがあわやこっちに戦争を仕掛けようとして、あんたの甥も殺された。あんたの弟は、自分の息子がアスモデウスなんて小物に監禁されてるのを知ってて無視を決め込んだ。ラファエルとガブリエルは原始の創造物だから復活できないってな。呈のいい理由だ、すっかり騙されたよ。お陰で大天使は今度こそ全滅。人材不足の天界は指導者を失った」

 

 足を組み替え、瓶を呷る。キャスがナオミから聞いた話だと、天国に残ってる天使の数は……今では両手の指で数えられる。そして地上にいるのはカスティエル、アナエルを含めてもせいぜい片手で数えられる程度。地上なら、絶滅危惧種もいいところだ。仮に彼等が全滅したらどうなるか、考えたくもない。

 

「異世界の、ミカエル……?」

 

 一方的に吐きたいことを吐き捨てると、彼女は僅かに眉をしかめる。

 

「あんたの知ってるミカエルよりも遥かに邪悪で遥かに強い。あっちでバルサザールや天使の軍隊を率いてた。奴がこっちの世界に来ることは止めたられたが、今度こそトリックスターは虚無の世界に行っちまったよ」

 

「私は関わってはいない。今はこの世界を楽しんでる、エステとスパサービス。ネバダはいいところよ?」

 

「すっかり現世に毒されちまったな。世の中、健康ブームになるわけだ」

 

 だが、毒気の抜かれる返答に俺は肺から息を吐く。感情的になったが彼女に愚痴を吐いたところでどうにもならない。それくらい分かってる。それに甥が死んだとは言っても自分を薄暗い牢屋にぶちこんだ一人、幽閉されていた期間はルシファーの比じゃない。怨んでないはずもないか。

 

「地上を楽しんでるのはよく分かったよ。あんたに何を言っても確かに筋違いだ。悪かったな。諸事情で酒はないけど構わないか?」

 

 冷蔵庫からもう一本の瓶コーラを開ける。

 

「いい国ね、静かで」

 

「賑やかなときは賑やかさ。本土に比べて静かなのは当たってるかもな」

 

「あなたが気に入るのも分かる。私も以前とは見方が変わったの」

 

 こちらに背を向け、アマラはカーテンを払った窓から外の景色に視線を流していた。やや高層に位置するこの部屋からは夜の街並みもそれなりに一望でき、悪くない眺めを味わえる。値段は多少張ったが、ひび割れた壁と床が軋んでるボロいモーテルよりは間違いなく居心地は良い。

 

「本当のところ何しにやってきたんだよ。遠方から遥々遊びに来てくれるほど、俺たちは仲が良かったとは思えない」

 

「それは、ルシファーと一緒に私に牙を剥いたから?」

 

「それもある。ぼろ雑巾にしてくれたよな、苦い記憶だよ。ああもワンサイドゲームになるとは思ってもみなかった、完敗だ」

 

 眼前の彼女とまだ一悶着あったとき、檻から出てきたルシファーと雁首揃えて挑んだが結果は惨敗。ワンサイドゲーム、一方的な敗北だった。強力な武器を手に入れたルシファーは実に威勢が良かったが、始まってみれば憐れなもんだ。体を貸してやった俺もとばっちり、大火傷だよ。

 

 聖書に登場するソドムとゴモラの都市を消した天使の雷ですら、彼女のドレスに埃を浴びせるのがやっとだった。半径1kmに死の灰を降らせる天界の最終兵器ですら彼女は殺せない。

 

 試したことはないが、十中八九コルトで殺せない存在のひとつは彼女だろう。今まで色んな規格外の化物を見てきたが、彼女はその中でも頭一つ抜けてる。苦渋を呑まされた異世界のミカエルすら彼女の前では簡単に捩じ伏せられる、ミカエルの剣があろうとなかろうとな。

 

 まだ武偵校に入学もしていない頃の苦い記憶を掘り返されると、今度は外の景色に背を向けるようにアマラは体を反転させた。敵意はない、だが視界にいれているだけで異常な存在感が重たくのし掛かってくる。ただそこにいるだけで感じさせる絶対的な支配力、浮かぶ言葉は一つだけ──規格外。そうとしか言い様がない。

 

「さっきの質問の答え、嫌な気配を辿ってここに来た」

 

 徐に近づいてきたアマラは俺の頬に手を当ててくる。まるで氷を当てられたようにその手は冷たい。突然のことに目を見開くが、やがて彼女は困惑した顔で背後に一歩下がった。

 

「……ルシファーの気配が残ってる。それにまだ新しい、またあいつの器になったの?」

 

「色々と事情があったんだよ。込み入った深い事情さ。手を組むしかなかった」

 

「深い事情、便利な言葉ね」

 

 別に興味を惹かれるわけではないらしく、それ以上の追求はない。決して言葉に詰まったわけではなく、興味のないことにはとことん淡白なだけらしい。器の話は語って楽しい話でもないので俺も話題を変える。

 

「それで、嫌な気配って?」

 

「お前の腕からひどく匂ってる。私を閉じ込めていた刻印の不愉快な匂い……」

 

 半眼で狙い済ましたように刻印を刻んでいる右腕が注視される。お見通しというわけか……

 

「鋭いことで」

 

 いや、こればかりは誤魔化せない。刻印は彼女を果てしない時間、閉じ込めていた檻の鍵だ。その縁は簡単に忘れられるものじゃない。

 

「でもちょっと違う。その刻印は……完全じゃない。ルシファーを堕落させた刻印とはまるで……パワーが感じられない。何をしたの?」

 

「刻印のまじないは通販じゃ買えないからな。形だけを真似た贋作ってところか、あんたがやってくるとは思ってもみなかったが」

 

「でっち上げた……?」

 

 今度こそ、意外な答えを返せたらしい。眼前で彼女の目が驚きの色に染まる。

 

「そう、でっち上げた。この刻印は牢屋の鍵というより身体能力を上げる……神の石板ってところか。誰かを閉じ込めてるわけでもないし、今のところ効果もないけどな」

 

「おもしろいことをするわね。でも立派なのは袈裟だけ、不愉快な匂いはしてもそんな刻印じゃ私は閉ざせない。言ってることは本当みたいね」

 

「俺があんたを幽閉して何の得になるんだよ。それに天使の力を結集してもかすり傷ひとつ負わなかったのに、生身の人間に剣一本で立ち向かえって?」

 

 微笑して、彼女は両手を広げる。

 

「やってみたら?」

 

「自殺するにしてももっとマシな方法がある。それに今のあんたと戦う理由がないんだよ。無断で部屋に上がり込まれたことには驚いたけどな」

 

 皮肉めいた言葉と一緒にホールドアップ。両手を挙げて白旗を振ってやる。

 

「サプライズはいきなり来ないと意味がないでしょう?」

 

「それは同感だ。つまり、俺がでっち上げた呪いは意味がないんだな」

 

「リスクも薄ければ、効果も薄い。本来の鍵としての役割を果たしていないから。よくできたハリボテね」

 

 大して考えもせずアマラは告げた。リスクが薄ければ、効果も薄い。ローリスクにはローリターン、見事にバランスが取られている。見返りが欲しければ相応のリスクを抱えろってことか、例によって俺の嫌いな『等価交換』だ。間を作るようにコーラを喉へ流し込む。

 

「この国でも、面倒な連中が思いの外やってくるんだよ。んで、刻印の力を借りれば楽に一蹴できるかと思ってな。堕落したくないが刻印の力は欲しい、ちょっと欲を掻きすぎたかな」

 

「袈裟だけでも刻印をでっち上げた。大したものよ? 役に立つ立たないは別だけど」

 

 抑揚のない声、そこに皮肉はない。アマラはただ思ったことを述べてるだけだ。カインの刻印をでっち上げた、そのことだけは素直に称賛されているらしい。まあ……役に立つ立たないは別にしてだが。

 

 予期しない来客だが思ってもみない形で情報を得られたのは幸運かもしれない。つまらない嘘を重ねて優越感に浸るような心配もない相手だ。良くも悪くも、等身大の人間の価値観からは程遠い場所にいるんだからな。

 

 が、会話の雲行きは不意に怪しくなる。あまりにも突然なタイミングで。

 

「キリ、何かを焦ってる。いいえ、恐れてる。刻印の力を求める理由はなに?」

 

 すっとテーブルから瓶をさらい、その場でくるりと一回転してからアマラは首を傾げてくる。

 

「別に」

 

「見抜けないと思った? バカにしないで」

 

 彼女の低くなった声色と共に、視線が重なったまま呪縛される。

 

「そんなハリボテ、何も恐れることはない。でも興味はある、お前だって忌まわしい刻印を好きで求めたわけじゃないでしょう?」

 

 一転、脳内で警笛が鳴り響いた。警戒はしていない、言葉ではそう言っていても不愉快な錠前であることには変わりない。嫌悪感を抱いていなければ、そもそもこんな場所にまでやってこない。

 

 俺の腕にある刻印は、彼女を闇に幽閉していた錠前であり忌むべき筆頭。悩む暇はない。本能が命ずるままに、俺は問題の種を口にした。

 

「──色金だ。もしかしたら、そいつが絡んでくるかもしれない」

 

 せめて投げ遣りに告げた言葉に、アマラは微かに目を瞠る。

 

「どの子がバトルの相手?」

 

「さあな、今のところは緋色」

 

「──緋緋神」

 

 納得したような声でその名前が呼ばれる。緋緋神──緋緋色金に宿る意思の名前が。

 

「ルシファーは心底嫌ってたよ」

 

「あの子はひねているから。お前と同じ、斜に構えているところがある。ガブリエルにも言えるけど」

 

「甥の悪口はそこまでにしてくれ。ガブには二度も命を救われてる、俺の家族も友人も救ってくれた。彼には感謝しかない」

 

「ひょうきんな子。お前のことを知っていながら最後まで器にはしなかったようね?」

 

「あの顔が気に入ってたんだろ、俺のより」

 

 自虐しながら、俺は答える。俺への配慮、それとも単純にロキの姿を気に入っていただけか。今となっては答えは闇のなかだ。飲み切った瓶をテーブルに置くと、アマラはゆったりとした足取りで部屋の端へ、視界はまた外の景色に投げられていた。

 

「刻印は生き物のように形を変え、意思を持っているように徐々に変化する。ルシファーはそうやって堕落した」

 

 俺に背を向けたままで、言葉だけが一方的に飛んでくる。刻印は生き物──かつての死の騎士の言葉が同時に頭をよぎった。

 

「ハリボテの刻印でお前が狂うことはないわ。でも本当に刻印の力を引き出そうとすれば……でっち上げであろうと、どうなるかは分からない。私が忌まわしいと感じるくらいにはよく出来ているから、お前が本気で刻印の力を求めれば──堕落しないとは言えない」

 

 警告……いや、事実をそのまま口に出しただけか。どうなろうが自己責任、そう言わんばかりだが相手はアマラだ。これ以上ない説得力に満ちている。

 

「アドバイスありがとう。カインですら刻印を抑えることはできなかった。リスク管理は上手くやるさ、このままタトゥーシールにしておくのも満更──」

 

 悪くない──そう続けようとしたときだった。丸テーブルの隅に置いていた携帯電話の着信音が鳴ったのは。

 

「悪い」

 

 背を向けたままのアマラに一言置き、二つ折りの携帯を開く。なんだ、夾竹桃じゃないか。ったく、さっきのことでまたお礼でも言ってくれるのかな。

 

「どうした、夾竹桃。さっき別れたばかりだろ?」

 

 部屋を歩きながら、電話を耳に当てる。

 

「……夾竹桃? おい、聞こえてるか?」

 

 通話状態になっているのに彼女の声が聞こえてこない。俺は眉をひそめ、画面を睨んだ。電波は三本ともしっかりと立っている。

 

「夾竹桃、なんか返事しろ。忙しいならまた──」

 

『雪平、どうしたの?』

 

 時間が止まったような気がした。

 

『夾竹桃を探してるの? 彼女は今体調を崩してる、体よく言えばだけど』

 

 ……ジーフォース。

 

『実際はもう終わってるよ。ううん、終わりの瀬戸際かな。あたしの剣を避けて、遠距離で戦ったのはミスだったね。毒を使わない蠍はただの虫けら……』

 

 冷たい声で言葉が並べられる。なんだ、何が終わってる? 虫けら? 終わりの瀬戸際?

 

 頭が追い付かない。ジーフォースの言葉が理解できない。お前はなにを言ってるんだ……?

 

「キリ、なんて顔をしてるの?」

 

 怪訝な顔でアマラがこっちを見ている。そんなことどうでも良かった。

 

『ねえ、雪平。私はお兄ちゃんに捨てられちゃった、いらない子。お兄ちゃんと組んで最強の兄弟になる計画だった。でも……それが、うまくいなかった……』

 

 抑揚のない声が耳許で続く。

 

『もうヤケ。暴力も解禁した。なんでもいい、誰でもいいから八つ当たりさせてよ……ウィンチェスター。あの夜の続き、やろうよ。お前もこれでやる気になるだろ?』

 

 刹那、ズズッと何かを引きずる音がした。革靴がコンクリートの床を、無理矢理引きずられるような音。言い様のない寒気が背中に走った気がした。携帯を握っている手が言葉にならない震えに襲われる。

 

『ほら、言ってやれば?』

 

『……ぁ、ぃ……』

 

 喉を押し潰すような声がする。やめろ、頼む、やめてくれ……

 

『……ご、めん……な、さぃ……』

 

『はい、おしまい』

 

 ジーフォースの声がして、何かが落下する音がした。棚に置かれた花瓶が、床に叩きつけられて割れるような音だった。

 

『今夜0時、間宮あかりに決闘を取り付けてある。友情なんて幻想のためにこの女は挑んできたけど……まだ足りない。こんなザコでもいいよ、ねえ……八つ当たりさせてよ?』

 

 ……夜中の3時でも電話しろって言ったのに。またなのか、また大切だと思った矢先に奪われるのか。二人でやっても勝てるかどうか分からない相手──だから一人で先行した?

 

『これでお前も私と同類、捨てられた。ううん、失った。やる理由はできたよね……?』

 

 俺に力があれば回避できた、あの時と同じだ。今朝見た夢と同じ、ジョーを失ったときと何が違う。何がごめんなさいだ……謝る必要がどこにある。謝るのはこっちだ、いつも大切な人に限って奪われる、そんなの分かりきってたのに……

 

『羽田空港F滑走路。ツクモと一緒にいる。お前も何人でも連れてきてもいいよ、銀氷の魔女でもエル・ワトソンでもお友達は好きなだけ呼んできな』

 

「殺してやる」

 

『好きにしなよ、今夜はこないだまでみたいに機嫌がいいわけじゃない。間宮を狩ったところでこの気持ちは埋められない、でも今のお前を狩ったら……ちょっとは気が晴れるかな。私と同じ、大切なものを奪われたお前なら』

 

「知ったようなこと言うんじゃねえ。俺が言えることは、もう極東戦役も師団の方針も知ったこっちゃねえってことさ、どうでもいい」

 

 もうどうでもいい。いつもどおりだ、大切な人が欠けてクランクアップに向かう。それが今回はあいつだったってだけ。ただそれだけ、本当にそれだけ。間宮を巻き込まないために先行して、友情なんて綺麗な理由を掲げて負けた、本当にそれだけ……

 

「似た者同士って言いたいなら構わない。そう思ってろ。夾竹桃がまだ生きてるなら、お前をボロ雑巾にしてキンジの前に突き出してやる。二度とおいたができないようにな。けど、もしお前があいつの首を落としたって言うなら……俺が地獄で数十年何をやってたか教えてやるよ。本当は誰の愛弟子だったかってこともな」

 

 そして通話は途切れる。携帯の画面に記されている時刻は23時8分。間宮とジーフォースとの決闘の時刻までは約50分。あいつが言っていたツクモとは例の妖狐のお仲間、ジーサード一派の一人だろう。

 

 今頃、あいつは俺がインパラを飛ばして駆けつけるのを待ち構えている。ジャンヌやワトソン、知り合いと雁首を揃えて八つ当たりに来るのを。

 

「どこにいてもトラブルを背負って歩いてるのは変わらないのね?」

 

 上等だ、それならこっちにも考えがある。携帯をテーブルに置き、俺は待ちぼうけを食らわせた彼女を直視する。

 

「アマラ、リオは朝の8時にもなってない。カジノを楽しむにはまだ少し早いよな」

 

 古傷を抉られた、猟犬に腸を食いちぎられた気分だ。

 

「それまで、俺とドライブしないか?」

 

 体裁なんて気にしない。本気でやってやる。

 

 

 

 

 『HSS』で兄弟が双方に強化できれば『双極兄妹』──一騎当千の兵士が二人も誕生する。ロカは非倫理的な作戦と称したけど、強くなるためならなんでもするなんでもさせるのがアメリカ。

 

 学校はすぐ上下関係を作れる場所だった。女子を簡単に兵隊にできるし、どんどん増やせる。集団があればそこでは強いものが君臨するのが当たり前。上からのミッションは双極兄妹となったお兄ちゃんとの再合流、そして日本に軍事拠点を作ること、その2つ。

 

 双極兄妹を成し遂げて──自分の軍人としての価値を証明する。けれど、それもおしまい。双極兄妹は机上の空論……性的興奮で強くなるのはお兄ちゃんだけ……あたしは……弱くなる……サードの元にはいられなくなる。一人でアメリカの追跡者たちに戦いきれない。ロスアラモスの研究所に戻るしかなくなって、そこで終わり。

 

 私も磁気推進盾と一緒、計画通り運用できなかった兵器……不良品。結末は決まってる、不良品の末路は処分以外にないから。それならいまだけでも八つ当たりしてやる、グレてやる。

 

「来るかな、あいつ」

 

「来るよ、私と同類だもん」

 

 FNーP90で武装したツクモは浮かない顔だった。八つ当たりに付き合わせるつもりない、武器を振るうのは私だけ。助力を頼むつもりも本当はない。このやり場のない気持ちは払えないだろうね。でもあの男を狩れば……少しはスッキリするかもしれない。

 

 牽引車に積まれたコンテナの上から、眼下に転がっている女を一瞥する。ミニガンは驚いたけど、距離を取って戦ったのはミスったね。友情なんて幻想、人と人との間には支配と被支配の関係しか成り立たない。自分より強い者に刃向かうのは──非合理的。

 

「ウィンチェスターには悪い噂しか聞かない。泥を振り撒いて歩いてる一族。なにをしてくるか分かんないよ?」

 

「雪平はトラブルを引き寄せる磁石。なんでもいいよ、吸血鬼でも魔女でも狼でも好きなだけ連れてくればいい。なんでもいい、八つ当たりできるなら」

 

 自分とツクモの認識の違い、それは獣人であるか否かに依るところなんだろうけど。大した問題じゃない。先端科学兵装の刃を携え、私は夜の暗闇を仰ぐ。凛とした冬の夜、苛立つくらいに綺麗な月を──

 

「?」

 

 おかしい、さっきまで浮かんでいた月が見えない。今日は新月じゃない、雲に隠れたわけでもない。なのに、見上げた空は真っ黒でどこにも月はなかった。月だけじゃない、空一面が真っ黒な絨毯でもかけられたように漆黒の色に塗り潰されていた。夜だから──違う、何かが違う。

 

 睨んだ空には微かな星の明かりすらない。これじゃあまるで──闇。何の光もない暗闇。冷たい風に撫でられながら、不気味な空から私は視線を外すことにした。何か……気味が悪い。凛とした夜が台無しにされた気分、そう思った矢先の出来事だった。

 

「凛とした冬の夜、死ぬにしても悪くない夜。いい言葉ね、とても気に入った」

 

 一瞬の躊躇なく、敵意の矛先を声の方向に向ける。そこにいたのは黒いドレスで飾られた女だった。モデルのような長身、暗闇に溶けるような茶髪の女がコンテナの端に立っている。周囲の警戒に不備はない、なのに気配も足音すら感じなかった。

 

「あら、おっかない」

 

 向けられる刃に構えをとる様子はない。立ち尽くしてこちらを見ているだけ。サードみたいな規格外の威圧感を放ってくるわけでもないし、立ち姿も身に纏っている気配も一般人のそれと変わらない。なんで背後を取られたんだろ、分かんないなぁ。

 

「誰だ、お前?」

 

「パーティーに呼ばれたの。だから来た」

 

 的外れの答えに苛立ちが募る。空港の職員はまだしばらく眠りから覚めない、人払いは済んでいるはず。

 

「ここは会場じゃない。見れば分かるだろ」

 

 なんでもいいや。とりあえず意識は落としとくか。

 

「やる気なの?」

 

「その質問は非合理的──」

 

 目を丸めた女に疾駆、コンテナの床を蹴ろうとしたときだった。

 

「そんな……まさか」

 

 何かに気付いたようなツクモの声で踏み出した足が止まる。肩越しに見た仲間の目は、まるでありえないものを見たような目だった。

 

「ツクモ……?」

 

「……無理だよ。殺せない……あれは、殺せないよ……」

 

 恐怖の蔓草に総身を絡め取られているようだった。ツクモは眼前の女の正体を知っている。一方で微笑したままドレスの女は、こちらを見据えるだけで動かない。次の言葉は決まっていた。

 

「ツクモ、あれなに?」

 

「……ダークネス。聖書……創世記のなかに出てくる、すべてを飲み込む闇……かつて神に、封じられた……神の姉だよッ……!」

 

 スケールの狂った話にどう反応していいか分からなかった。ツクモの上役にも玉藻という妖狐の上位神、人間の言葉で言うところの神がいる。でもツクモは創世記って言った。あの創世記……苦笑いも出ない。

 

「創世記ってのは嘘っぱち、神が都合よく書き換えた。とっくに和解済みだが」

 

「一悶着はあったけど」

 

「世界規模のな」

 

 皮肉めいた相槌、新たな声はコンテナの下から聞こえてくる。転がっていた夾竹桃を抱き抱えた雪平、その隣にはいつの間にかドレスの女も佇んでいる。誰がこの化物を連れてきたのかは明白だった。

 

「言われた通り、お友達を連れてきてやったぜ──遠山かなめ」

 

 

 

 



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開かれていく傷跡

 その昔、神は自ら想像した大天使と共に暗黒を成敗した。神はdarknessの力を奪い、永遠に閉じ込めておくために『刻印』のまじないを作ったのだ。暗黒──唯一無二の姉を完全に葬ることはできず、何も存在しない虚無の牢屋に彼女を永遠に閉ざすことで問題を解決した。

 

 肉親への情というのもあるが神とdarknessは光と闇の表裏一体。二人同時に存在することで宇宙のバランスを保っている。一方が消えること、もしくは弱ることは同時にこの世界の滅びに直結する。俺たちが絡んだ一件では神が深手を負い、実際にその均衡が崩かけてあわや太陽がなくなる一歩手前まで行った。 そこで、かつて神は彼女を葬るのではなく生きたまま幽閉する道を選んだ。

 

 刻印は『錠前』だが彼女を解き放つ『鍵』でもある。神は腹心であるルシファーに刻印を託したが、後に刻印は呪いへと姿を変えてヤツを堕落させ悪の道に進ませた。そしてルシファーは人間に嫉妬し、神の怒りを買って地獄の檻へと閉ざされた。カインはルシファーから刻印を引き継ぎ、アバドンを葬るためにカインからディーンに刻印は引き継がれることになる。

 

 刻印は三代に渡り、所有者を変えた。だが、神のお家騒動で封印されたdarknessは、皮肉にも赤毛の魔女とポンコツ天使に天才ハッカーを巻き込んだ我が家のお家騒動によって解き放たれることになる。刻印の呪いを解くことは同時に彼女を閉じ込めている檻の錠前を外すこと、以前の死の騎士は望んじゃいなかったが……

 

 その結果、俺はこれ以上ない化物の威を借りることができた。あのルシファーが、神の力が宿るとされる遺物の恩恵を受けても倒すことのできなかった……正真正銘の化物の威を。

 

「妖狐と戦うつもりだったの?」

 

 怪訝な顔で視線を飛ばされたツクモは……呪縛されたように動かない。彼女は妖狐、玉藻と同じで非日常の現象についても明るい。だからこそ、ツクモの頭では危険を知らせる警笛がけたましく鳴り響いているのだろう。聡明な彼女は、普通なら匙を投げたくなるテーブルで最善の一手を懸命に思考している。

 

 相手はdarkness──未来の科学力を先取りした先端科学兵装とは真逆。原初の時代から存在したすべてを飲み込む暗闇。過去という言葉を体現した、この世でもっとも最初の存在──

 

「妖狐の連中とは星枷の巫女を通して同盟を結んでる。パーティーの主催者様はそっちの女、俺の目当てもな」

 

 ツクモを見ているアマラとは逆に、俺の視線は先端科学兵装の刀を担いだ遠山かなめを射る。腕のなかで抱き抱えた夾竹桃は……氷のように冷たくて、体温の温もりが感じられなかった。焦点を定めない瞳は対抗反射の確認も必要なかった。狩りで何人もの人の最後を見てきた、最後の姿は見慣れてる。もう……終わってる。

 

 薄暗い店内、噎せ返るような血臭、ドアを叩いてくる地獄の猟犬の唸り声。脳裏に刻まれた最悪の記憶がフラッシュバックする。自分の力が及ばず、大切な人が掌からこぼれ落ちていく、その繰り返し……何回経験しようが馴れるわけがない。憎悪、怒り、嘆き、後悔、ぐちゃぐちゃに混ざった感情で眼前の敵を睨む。遠山もまた不愉快な視線を重ねてくる。

 

「噂通りだね、何をするか分からない。敵にも味方にも泥を振り撒き続ける。袖にジョーカーを隠してたのは予想外だよ」

 

「言っただろ、友達はいる。上にも下にも、人間以外の連中もたくさんな」

 

 抱えた彼女を下ろし、右腕の袖から天使の剣を滑り落とす。

 

「個人的な恨み、侮辱された恨み、八つ当たりしてくれた恨みだ。お前が……とことん憎い。煮えくり返る、心底な?」

 

 傷口を抉られた、虚ろな笑いすら出ない。己の愚かさを嗤って、それで時間を戻せれば何度でも嗤ってやるが嗤ったところで現実は何も変わってくれない。だから、これは正真正銘の八つ当たりだ。

 

「自己満足と自惚れの薄ら笑いを、剥ぎ取らないと気が済まない」

 

 そう、八つ当たり。かつてディーンがスタイン一族にやったように、ガブリエルがロキにやったように、このままでは気が済まない。大切な人を奪われて、それでも何もなかったように笑っていられるような神経を俺は持ち合わせてない。チャーリーが殺されたとき、俺もディーン同様の殺意をスタイン一族の連中に持った。

 

 これが褒められることのない八つ当たりだとしても、刃を仕舞うことなど出来はしない。それにあいつが間宮との友情のために戦ったのなら、その願いだけは成熟させてやるべきだ。死者に何をしても慰めにはならないが、もしあの女が生きていればここで間宮が討たれることは望んでいなかっただろうからな。

 

 夾竹桃、また会うことができたら……俺、もっとお前に素直になれる気がするよ。そしたら、もっとお前にインパラを運転させてやれるかもしれない。ったく、やってくれたな……睡眠不足を取り戻すつもりでベッドに駆け込む予定だったが……お前のお陰で、十字路までドライブすることになりそうだ。

 

「いいよ、やってみなよ。退路なんてどこにもない。死ぬのは──怖くない」

 

 刹那、死角から抉るような角度で磁気推進繊盾が飛来する。光る外周すべてが刃物であり、信号機や歩道橋の階段をケーキのように切断できる刃は俺とアマラの首を目掛けて一機ずつ。タイミングは完璧、不意を突かれたのは文句なしだった。

 

 だが、作戦なんてものはパンチで吹き飛ぶ。緻密に組んだ作戦も時には息を吹き掛けられるだけで台無しになる。肩越しに俺が睨んだとき、飛来していた磁気推進繊盾はピタリとその動きを止めた。何かに縛られたように、何かにまとわりつかれたように、攻防一体の布は虚空で呪縛されたように動かない。

 

「いいえ、怖がってる。そして、自分を不甲斐ないと思ってる」

 

 至極、平然としたアマラの声。目を凝らすと、磁気推進繊盾の周りに視覚化できるほどの黒煙が渦巻いている。それが不完全燃焼の煙でないことは明白であり、その異常な光景の原因が何であるかも消去法で一つしかない。

 

 表情一つ変えず、アマラが目を伏せると同時に黒煙……彼女が使役する闇が発光する布を補食するように四方から飲み込んでいく。僅かな光に吸い寄せられるように闇は光源に群がり、その形を喰らっていく。まるで蛍光灯に数多の虫が群がるように。

 

「……化物」

 

 不愉快そうに遠山は呟く。あの闇には質量なんてものは、たぶんない。振り払える払えないの問題じゃない、あの闇にまとわりつかれたら飲み込まれる以外に選択肢はない。かつてメタトロンを一蹴したのと同じく、アマラの闇は先端科学兵装の刃を──その内側に飲み込んだ。

 

 おぞましい──アマラの力を見るのは久しぶりだがdarknessの肩書きに恥じない恐ろしさ。あの闇は人だろうが天使だろうが関係なしに飲みこめる。よくもまあ、こんな相手をどうにかしようと思ってたもんだ。天使、悪魔、魔女軍団と連合を組んでいたにしても、かつての自分の無謀さを尊敬してやる。

 

 奇襲が失敗したことは遠山には面白くないだろうが、俺はまだしも隣の女は首を飛ばした程度でどうにかなるとは思えない。リヴァイサンならどうにかなるが、彼女は連中とは存在からして格が違う。それに、ただ鋭いだけの刃で彼女の首を落とせるのなら、俺もルシファーもボロ雑巾のようにはされてなかった。

 

 半眼で見据えた遠山のスカートの裾からは、揺れる磁気推進繊盾が5本……尻尾のように揺れている。退路を見ていないのは本当だな。ツクモはとても乗り気には見えないが、遠山は刀を下げるつもりはないらしい。アマラから聞いた『双極兄妹』の話も本当らしいな、特殊な生まれ、家庭の事情、悪いが今回だけは同情してやれない。

 

 異常な空気に包まれた滑走路で、切り裂くように叫んだのはツクモだった。

 

「……不利だ! あのdarknessに──真正面から挑むなんて狂喜の沙汰だよっ! あんな化物と戦えるのは死の騎士や虚無の化物ぐらいだよっ!」

 

「その死神のことは知らない。ディーンも同じ名前を口にしたけど、有名なの?」

 

「死神の王、名前じゃなくて称号だ。死の騎士が死ねばその次に死んだ死神がその役職を引き継ぐことになってる。ルシファーの檻にも自力で入れる数少ない住人。お前や虚無の主には……一歩劣るだろうがな」

 

 同感だ。仮に真正面からアマラに刃向かえる存在があるとすれば、ツクモが挙げたように虚無の世界の化物ぐらいだろう。死んだ天使と悪魔が行き着く世界の支配者、その気になれば天使の延長戦上にいる死の騎士すら虚無は飲み込める。

 

「先に礼を言っとくよ。お前がいれば、あの妖狐の横やりもない。堂々と一対一で八つ当たりができる」

 

 表情を変えない付添人を横目で見る。自分より強い者には逆らわない──狡猾で賢い人工天才がアマラの危険性を理解できないわけはない。理解していながら彼女は刃を下げない、その眼には覚えがある。それは退路のない自暴自棄になった人間が見せる瞳だ。

 

 自分の役割、存在価値を否定したがる人間が浮かべる眼。キンジとの双極兄妹が破綻して、ジーサードの傍にいれるだけの理由がこの女にはなくなった。知り合いのよしみでアマラが全部教えてくれたよ、人工天才の境遇も廃棄処分も施設から逃げ出した家庭の事情も──それであいつを殺したことを許容してやる理由にはならないが。

 

「あの夜の続きがしたいんだろ、構わないさ。お前が兵隊を従えて、連中の王を名乗るならかかってこい。王は戦う、王は征服する、一日中書斎に籠って参考書を読んでるだけのボンクラが王だなんて笑わせる。そうだよな、アバドン2世?」

 

 刃を下げてやる理由にもならない。暴君への皮肉を込めた罵倒で、ジーフォースの虚ろな瞳もまた俺へと向いた。取り残されたツクモは未だに固まったまま動けず、アマラは他人事のように呆れた表情を見せた。

 

「私にギャラリーでいて欲しいなら、そうしてあげる。お前が死んだときは、後始末は私がしてあげるわ。ディーンには一番欲しいものを与えたけど、お前はそのことで家族の元を去った。お礼をしないとね?」

 

 アマラがコンテナの上にいるツクモに向けて手を伸ばす。次の瞬間には、ツクモの手にあったFNーP90は手品のように懐から消えていた。

 

「お前も見物したら?」

 

 小首を傾げ、ツクモに微笑が向けられる。種も仕掛けも分からない無茶苦茶な武装解除、周囲が鎮まり、それが同時に開戦の合図となった。俺が死のうが、次に待っているのはdarkness──なるほど、安心だ。

 

 地を蹴り、相変わらずのふざけた速度でジーフォースが飛び込んでくる。既に抜いていたトーラスを左手で連射、予測していたようにスカートの裾から伸びた磁気推進繊盾が弾丸を受け止める。

 

「──触れなば切れん(レイザー・シャープ)

 

 スカートの裾から舞い上がった5つの磁気推進繊盾は彼女の背中に張り付き、今度こそ広げられた尻尾のような姿になる。迎撃に浴びせる弾丸はすべて阻まれ、空薬莢だけが足元を跳ねる。

 

 神崎のガバメント、45口径の凶弾を受け止めたときと同じく、それ自体が意思を持った自律的な盾と言っていい。いくら弾を並べても力を逃がされ、布が撓むと同時に弾丸は運動エネルギーを奪われる。飛び道具は無意味、そして半ば強制的に相手との距離を詰めて、先端科学兵装の刃で押し切る──神崎にそうしたように。

 

「理子が言ってたよ、アメリカ人はいつだって力で問題を解決する。同感だ、暴れてやる」

 

「やってみなよ。この刀は1本で日本の10式戦車1輌と渡り合える最新兵器だ。お前のカビ臭い武器とは違う」

 

 弾を吐き尽くしたトーラスのスライドにロックがかかる。眼前には盾を構えたジーフォース、足が止まる気配はなく、切っ先が首を目掛けて迫りくる。その戦法は神崎から聞いてる。そっちが未来ならこっちは過去、お前が22世紀のひみつ道具を操るなら、こっちには13シーズンの道のりで集めた埃くさい千年アイテムがある。

 

 左手のトーラスを破棄、自由になった手はその内の一枚を引き抜く。俺が握ったその場違いな霧吹き器には絶対零度のジーフォースの瞳も一瞬戸惑いに染まる。疾駆する人工天才に俺はスプレーを向け、引き金を引くのと同時に視界は──紅蓮の炎に飲み込まれた。

 

「……ッ!?」

 

 切り裂いたようなジーフォースの声がグロテスクな炎の噴出音に掻き消される。ココの泡爆と同じく、霧吹きなのは見た目だけで中身は別物。浴びせたのは『ドラゴンの吐息』と呼ばれる超高温の炎であり、早い話が霧吹きの姿に偽装した火炎放射器。万物の母(イヴ)から産まれた化物が使役する炎を、そのまま利用した遺物。

 

 星枷の全力には劣るが、肌を焼くような熱気が眼前に広がっていく。誰かに見せるのはアメリカや日本はおろか、これが初めて。対策されているとは思えないが、業火の奥から地面を靴で激しく擦るような音が微かに聞こえてくる。

 

 霧吹き器から噴出される業火が止まり、視界がクリアになったのと同時におぞましい凶刃が飛び込んでくる。お互いに目を見開いたまま、互いに凶刃が激突。息が触れ合いかねない距離で殺意がぶつかる。

 

「安心したよ、今夜は本気みたいだね」

 

「生憎、今の俺は一生で一番機嫌が悪いんだよ」 

 

 冗談のような速度で振るわれる刃をいなし、不意を突くように天使の剣をスカートの下から露出した太腿へ投擲する。剣が科学の刃に弾かれるのと同時に、背中からまじないで仕込んでいたミカエルの槍を具現化。ドラゴンの吐息で浴びせる業火の回避に、片手でバク転を切ったジーフォースの無防備な腹部へ全力でその矛先を振り払う。

 

「便利ね、まるで生き物みたい」

 

 浮遊していた二機の磁気推進繊盾が刃をいなし、観客同然のアマラの感想が漏れる。布に絡めとられる前に矛先を退き、科学の刃の間合いの外まで後退。俺が殺傷圏内の外に出ると、分離していた磁気推進繊盾はジーフォースの背後に再度集って尻尾の形をとる。

 

「残念でした。耐高温テストなんか、何十回も経験済みなんだよ。この刀も、あたしもね。高熱にした程度で先端科学兵装の性能は変わらない」

 

 そう吐き捨て、柄を握る両手を後ろに大きく引いて構えを取る。業火のなかを直進してきた時点で、磁気推進繊盾の守りを熱で突破する選択肢は消えた。あの堅牢な布はミカエルの槍や天使の剣でも切って捨てることはできない。汎用性で言えばパトラのアメンホテプの盾よりも上だろう。

 

 距離が縮まり、今度こそミカエルの槍と単分子振動刀が悲鳴のような音を鳴らしてぶつかる。単分子振動刀とは炭素原子を主素材としたダイヤモンドのチェーンソー、10式戦車1輌と渡り会えと言ったヤツの売り文句は何も嘘じゃない。それだけの切れ味と持久性をあの発光する刀は兼ね備えている。

 

 だが、俺が用意したのもリサイクルしたとはいえあのミカエルが愛用した武器。ただのカビが生えた槍じゃなく、ルーン文字でまじないの刻まれたクラウリーですら厄介と吐き捨てる代物。型など無視した出鱈目な動きで俺が振るう矛先も、単分子振動刀の刃に欠けることなく彼女の斬撃と撃ち合えている。高望みはしない、充分だ。

 

「無茶苦茶するねえ、槍術の心得なんてないんでしょ。棍とかその辺の応用で見繕ってる。器用だけど、長柄の扱いには慣れてない」

 

 槍を回し、束の後端──石突きの部分で足を凪ごうとするが、異常な反応速度で足払いが回避される。長柄の武器が長所は、その長さを活かした突きよりも、円運動の連続攻撃にあると乱豹先生は言っていた。柄の両端を攻撃に使えるため、切り返しの速度は剣に勝り、変わらないベクトルで攻撃を繰り返すことができる。

 

 乱豹先生ほどの技量になれば、石突きが足をすくって跳ね上げたときには、逆端の刃が同時に振り下ろされている──それは剣を二度振るよりも遥かに早い。だが、残念ながら俺の技量は先生には届かないし、付け焼き刃の教えで先生に並べるわけはない。ヤツの言う通り、槍術の心得なんてのは欠片もないがやることは一つ。

 

「ないものねだりはしない。今手札にあるカードで凪ぎ払うだけだ」

 

 否定と同時にジーフォースへ仕掛けるが思わず舌打ちが鳴る。単分子振動刀と切り結べると言ってもそれは矛先だけの話だ。ミカエルの槍はさっき仕掛けた石突きはおろか、刃以外の部分はお世辞にも強固とは言えない。実際、槍の柄はクラウリーが素手で折れるほどに脆かった。

 

 刃以外を狙われたら……槍は一瞬で棒に早変わり。単分子振動刀に刃と柄を切り離され、単なる棒切れとなった残骸をジーフォース目掛けて投げ捨てる。単なる棒切れで先端科学兵装を相手にするのは、それこそ蟻が恐竜に挑むようなもの。それが統率された軍隊蟻ならまだしも、今は一対一の言い訳なしの首の奪い合い。手を抜いてやる義理も道理もなく、抜ける余裕もない。

 

 三度、ドラゴンの吐息を浴びせようとすると瞬時に五枚の磁気推進繊盾がジーフォースの前で縦、横、斜めと集まって面積を限界まで広げていく。至近距離の火炎放射も磁気推進繊盾が盾となることで本命の彼女にはやはり届かない。

 

「お前の手札じゃ無理だよ。あの女と同じ、距離を取って戦っても私には勝てない。二の舞になるだけ」

 

 業火の勢いは次第に衰え、ジーフォースの声も噴射音の後退と同時に鮮明に聞こえてくる。いつまでも炎を吐けるわけじゃない、この飛び道具が有限であることは彼女も把握している。

 

 炎が途切れた途端、さっきと同じ要領で凶刃を振るってくるのは明白だった。だからこそ、俺はその言葉を口にしてやる。これ以上ない自信に満ち溢れた声で。

 

「──そいつはどうかな?」

 

 真っ赤に染まっていた視界がクリアになる。不愉快な熱気が肌を撫でる。集合した磁気推進繊盾はまだ眼前にある。

 

「1枚のカードには1つの可能性。人間には手札の数だけ可能性がある。これがその1枚だ」

 

 既に自由になっていた右手が握っているのは掌に収まる程度の白い水晶。その1枚はバルサザールが天界の武器庫から盗み、俺に残してくれた第一級の遺物。

 

「あら、おっかない。そんなの隠してたの?」

 

 畏怖を誘うアマラの薄笑いと共に水晶の内側が白く明滅する。刹那、異変はやってきた。

 

「──ッ!」

 

 眼前で重なっていた5機の磁気推進繊盾の表面を何かが覆っていく。眼前の異常な光景にジーフォースの表情もいつの間にか抜け落ちていた。発光する刃諸共、浮遊している盾の表面が次第に固められ、動きを奪われる。かつてラファエルの器がそうなったように。

 

「バルサザールは最終戦争の騒ぎに生じて天界の武器庫から数えきれない数の武器を盗んだ。そこにはモーゼの杖みたいな第一級の危険物も含まれてる。大天使も足止めできる代物だ」

 

「……あ……あぁ……そんな」

 

 信じられない物でも見ているような声色だが同情してやる義理も余裕もない。彼女の個性とも言うべき浮遊する盾には明らかな異変が訪れ、やがて完全に固まった磁気推進繊盾は、ピクリとも動かず、虚空に縫い付けられている。

 

 先端科学兵装がドラゴンの息吹だけでなんとかなるとは思ってない。その無人機が1つだけじゃないのも分かってたからな。1ヶ所に集まったところをこいつで纏めて葬る、最初からそのつもりだった。未来の科学力には天使の核兵器をぶつける、解決策は簡単だ。常識の外にある武器には同じ常識の外にある武器をぶつけてやればいい。

 

「……おかしい、こんなの、おかしいよ……先端科学兵装が凍るわけが……」

 

「凍ったわけじゃない。ロトの女房と同じさ、塩の柱に変えてやった」

 

 聖書に出てくるロトとその家族は神によって救われるが、逃げる途中は振り返るなと言った神の言葉を守らず、振り返ってしまったことでロトの妻は塩柱にされる。ソドムとゴモラ滅亡にも繋がる有名な話だ。

 

 ロトの妻の塩柱──これはその話の原点になった天界の武器。俺が指を鳴らせば塩の柱となった磁気推進繊盾は元の形を失い、細かな塩となって地面に崩れ去った。その後に残されるのは大量の塩、磁気推進繊盾の質量に比例した塩が滑走路に飛び散っている。

 

「これで塩を切らす心配はなくなった」

 

 攻防一体の盾は消えた。これでジーフォースを守るのは蛍光ブルーの刀を残すのみ。

 

「恨みはある、バスカビールを狙われた」

 

 へらへらと笑って、水には流せない。

 

「それでもこれは戦争で師団がお前たちと停戦協定を結ぶなら……俺は何もできない。ジャンヌが決めた方針に従うつもりだった。だが、今のお前には同盟も停戦も関係ない。俺にとって不倶戴天の天敵、それだけ」

 

 冷めない敵意で見据えられる。俺も惜しみ無い敵意で切っ先を向ける彼女を睨む。不倶戴天の敵を前にしてやることは決まってる。

 

 相対するのは先端科学兵装の刀、張り合える武器は決まってる。単分子振動刀が一本で日本の10式戦車1輌と渡り合えるなら、それは神の石板の恩恵を受けた神の書記とたった一本で渡り合える刀。地獄の騎士を唯一殺せる切札を、デッキの上から引き抜く。

 

「名誉を賭けてやろうじゃないか。インチキなし、トリックなし、正々堂々と──サシで勝負だ」

 

 元始の剣。メタトロンに血塗られたと言わしめた剣でジーフォースに切っ先を向け返した。




『名誉を賭けてやろうじゃないか。インチキなし、トリックなし、正々堂々と──サシで勝負だ』S13、20、ガブリエル──


次回、決着予定です。


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元始の剣

おもいっきりAA。


 

 

 

 カインとアベル。ウィンチェスターとキャンベルの血筋を辿ると最終的に行き着くが先がその二人だ。その血はミカエルの器となる絶対条件。

 

 創世記に載っている最初に殺人を犯した者、兄弟殺し、アダムとイヴほどでないにしろ案外有名な話だろう。

 創作の世界を漁れば、二人を題材にした作品もそれなりに出てくる。

 

 が、現実は小説は奇なり。殺人の元祖であるカインが結婚していたことはまだしも、悪魔となって『地獄の騎士』たちを率いていたことまでは書かれていない。

 俺も本人に聞くまでは知らなかった。俺を含めてウィンチェスターとキャンベルにとっての御先祖様は、悪魔の精鋭たる『地獄の騎士』建設の父であり、何世紀もの間憎しみと混乱をもたらした史上最強で最悪の悪魔。

 

 そして、カインを最強の悪魔たらしめたのがアマラを閉じ込めた刻印と、あのメタトロンに血塗られた武器とまで罵られたーー元始の剣。

 

 

 

 

「出し惜しみはなしだ。俺の手札すべてを賭けてやる」

 

 俺の右手にあるその剣は、地獄の騎士であるアバドンを殺せる唯一の武器であり、殺傷能力ではなんでも殺せるコルトと肩を並べることのできる数少ない武器の1つ。

 アベルを葬った第一級の遺物であり、刻印と共に一時的とはいえ兄を悪魔の道に誘った元凶。

 

 一見すると生き物の下顎で作られた不恰好とすら呼べない刀だが、眼前のジーフォースは怪訝な表情を崩さず、俺を見据えている。

 単なる骨のアートじゃないことを直感で察したのだろう。彼女の直感を裏付けるツクモの鋭い声が場を切り裂いた。ここからが第2ラウンドだ。

 

「駄目。そいつ、今までで一番ヤバイ!」

 

 ジーフォースがやはりと言った顔でツクモを見たあと、こっちに視線を戻す。

 単分子振動刀を構えた彼女と、元始の剣に手をかけた俺の間で、激しく敵意が火花を散らす。

 

 存在自体が規格外のアマラはともかく、ツクモはどこまで剣のことを知っているのか。この妖狐が聡いこともこちら側の知識に明るいことも周知の事実。

 

「それ──元始の剣だよっ! カインの刻印とセットなら単分子振動刀でも……それはカインがアベルを殺したって言われてる最古の剣。天使も悪魔も見境なしに葬れるような──第一級の呪いの遺物っ!」

 

 アマラという化物に牽制され、手出しの許されないツクモはジーフォースに出来る限りのアシストを務めるべく、警告を促すように言葉を続けていった。

 どうやら思った通りの事情通らしい。

 

「俺と星枷はバスカビールの超能力担当だが、その妖狐とロカがお前らの超能力担当か」

 

「ツクモはこんなところで嘘はつかない。なんでお前がそんな武器を持ってる?」

 

「昔の知り合いからのプレゼントさ。だいぶ前にトラブルを起こして処分したが、捨てる人間あれば拾う『神』あり。その通りだよ」

 

 彼が何を考えているかは知らない。だが、先のことを考えるのはも目の前のことを片付けてからだ。

 神の御心がなんであれ、相手は未来の科学力を先取りした最先端科学兵装を操る人工天才。多少は御先祖様の力を借りてもアンフェアにはならない。

 

「部下は力で支配、気の短い暴君。お前はアバドンとよく似てる。カインの妻はあの悪魔に殺された、俺の腐れ縁もお前に殺された。これを使うのに躊躇いはない」

 

「血統の因縁でもなんでも持ってきなよ。何度も言わせるな、人と人の間には支配と被支配の関係しか成り立たない。あたしは知ってる、友情なんて幻想、支配される側の戯れ言でしかない」

 

「確かに友情なんて幻想かもしれない。札束で信頼関係が逆転するヤツは腐るほどいる。だが、俺の仲間は……支配、被支配なんて考えず、いつだって背中を預けられるやつばかりだったよ」

 

 ジャンヌ、理子、星枷や神崎。俺とあいつらの関係に支配も被支配もない。家族は理屈抜きで守るんだ、命がけで。

 

「少なくとも、夾竹桃をぶっ殺したお前や血で血を洗うことしかできない俺よりも、立派な人間ばかりだった」

 

 認めるよ、いつだって血を血を洗うような解決策しか取れなかった。俺も誉められた人間じゃない。ジャンヌ、ブラド、ココ、パトラ──退けてきた連中との戦いもいつもキンジや神崎、バスカビールの助力があった。

 

「俺は一人じゃ何もできない。誰かの助け船に乗って尻拭いさせるのがいつものパターン。楽な道ばかり選んで一切戦わない、そうやって犬死にするのが成れの果て。神の──ウィンチェスターの失敗作、負け犬だ」

 

 かつて、オリジナルのロキに語られた言葉を自虐的に吐き捨てる。

 

「ずっと逃げてきた。だが、神崎と出会って逃げるのは辞めた。あいつは自分の母親からも戦いからも逃げなかったからな。俺もあいつに影響された、キンジみたいに」

 

 一歩歩み出ると、ジーフォースが先に仕掛けてくる。愚直なまでに正面から、弾丸のようなスピードで10メートルはあった距離が0になる。神速で振るわれる斬撃も含めて人間とは思えないデタラメな剣技だ。

 

 打ち合わされる悲鳴のごとき剣戟音。だが、不快な表情を浮かべたのはジーフォースだった。首へと振るわれたアクリルブルーの刃は骨で造られた不恰好な剣に阻まれ、そのまま鍔迫り合いになる。近未来を具現化したような剣と石器時代を匂わせるような剣が、金属音には程遠い不愉快な音色を立てていく。

 

 元始の剣の間合いは天使の剣やルビーのナイフと何ら変わらない。一般的な短剣、リーチで言うならミカエルの槍よりも遥かに短いが間合いの読み違えで腕を失う恐怖はなかった。剣を振るう度に腕が熱を持つ、腕だけじゃない、刻印を刻んだ腕から熱が伝うようにして全身に渡る感覚……普段の俺なら明らかに腕を落とされていたであろう斬撃を半眼で捌ききる。

 

 世界がブレるようだった。さっきまで見ていた景色が一変したとすら思えてくる。原因は明らかだった。元始の剣はその力を具現化させるための道具、言うなれば器でしかない。剣に宿る力の源こそがカインの刻印。呪われしものででっちあげた刻印から、今は鮮明に力が流れ込んで来るのが分かる。刻印と剣はセット、剣だけ持っててもインテリアにしかならないが刻印が合わされば人間離れした力を取り込むことができる。

 

「……勇敢だけど出たとこ勝負。評判通りの愚か者だね……人外でも頭がおかしくなるようなものを人間が扱うなんて正気じゃない」

 

「あれが一度でも正気だったことなんてあると思う?」

 

 ツクモとアマラの声を遮るように真正面から刃が突き出される。刀でありながら常識外れの踏み込みと加速を得たジーフォースのそれは、鍛えられた槍の突きと比べて何ら謙色ない。だが、刻印のバックアップを受けた状態なら……喉目掛けて伸びた刃を首だけの動きで、今なら避けることもできる。

 

「外した……?」

 

 眼前でジーフォースの瞳が半信半疑に見開かれる。刻印のバックアップがなけりゃ十中八九、喉をやられて終わってた。リスク承知でカードを切ったからにはリターンがないと意味はない。刃を切り返して払われるよりも早く、重い音を立てて掌底が彼女の顎を一撃する。

 

「当てが外れたな、あばずれ!」

 

 前回のバスカビール襲撃時とは違って、彼女を守るのはプロテクターではなく武偵高の制服。守りは薄い。ディーンの決まり文句と共に、狙い過たず俺の放った蹴りは、あの夜を再現するようにジーフォースを背後にふっ飛ばした。

 

 所詮は紛い物、しかしカインの刻印と剣のバックアップを受けての一撃。だが、ジーフォースは手元から刀をはなすどころか器用に受け身まで決めると、思考を投げたような速度で真正面から突っ込んでくる。体勢を持ち直してからほぼ継ぎ目なしの即断。

 

 油断も同情も感嘆もしてやる余裕はなく、振るわれる単分子振動刀に元始の剣での再度の白兵戦に持ち込まれる。短躯から繰り出される、恐ろしい膂力の斬撃は武偵高の1年の枠に押し込めるものではないだろう。迂闊に近づけばその膂力と同時にふざけた速度で振るわれる刃に刻まれることになる。

 

「雪平。お前もさあ、そろそろ楽になれよ」

 

「言葉を返すぜ。お前も楽になれよ、暇人」

 

 蹴りも掌底も手応えはあった。この女はダメージを無視して飛び込んで来ただけだ。手数を失ったときに無茶苦茶やるのは、確かにキンジとよく似てる。何度切り結んでも互いの武器だけは傷一つつかず、不意に互いの蹴りが重なって痛み分けのノックバック。敵意の視線を結んだまま2メートルほどの距離が開いた。

 

「ふーん、アベルを殺した剣かぁ。いくらやっても壊せそうにないなぁ。さすがは創世記ってところ?」

 

 緊張感を切り裂くような軽い声。しかし、敵意は保ったまま視線と言葉が投げられる。

 

「言っただろ、創世記なんてのは嘘っぱちだ。アベルを殺した剣ってのは当たってるが」

 

「兄弟殺しの剣、お前には皮肉かもね。神の気を惹いて殺された」

 

「アベルは神の気を惹いたんじゃない。ルシファーに愛された」

 

 ジーフォースが眉をひそめる。

 

「なんであの堕天使が出てくるんだよ」

 

「ルシファーはアベルを玩具にしようとした。お気に入りの玩具、ペット、言い方は色々あるが堕落するアベルを見ていられなくて、カインは取引を持ちかけた。アベルは天国、自分は地獄に堕ちるという取引。ルシファーは承諾した、カインがアベルを殺すという条件付きで」

 

 そしてカインは地獄で最初の騎士になった。後に仲間を集めて地獄の騎士団を作るに至るが、人間の妻に拠り所を作ったことで嫉妬したアバドンに彼女を目の前で殺された。これが本人から直に聞かされた、俺のご先祖様の悲恋物語。金を払ってまで読みたい話ではないな。

 

「カインは数年前までは隠居して養蜂家になってた。今はもういないが──こんなところでいいだろ。お喋りに付き合ってやるのも」

 

 そう言うと、ヤツの唇は綺麗な弧を描いた。わざとらしくカインの話題を振ってきたのは最初から時間を稼ぐのが目的。

 

「そこまで頭空っぽじゃないかぁ。でも手遅れだよ」

 

 それは三分にも満たない僅かな時間だが、ジーフォースの不適な表情を見るに目的は達成したらしい。不意に上空から浴びせられる気配に空を仰ぐ。

 

「最初から手札を全部切るわけないじゃん」

 

 楽しげな声色のジーフォースの頭上には、ラケットケースにも似た何かを持ち上げている磁気推進繊盾──後ろに一機控えてやがったか。持ち上げられているケースには刀のものであろう柄が後ろから突きだしている。最先端科学兵装専用の鞘ってところか。

 

「磁気推進繊盾を奇襲に使わなかったってことは、そいつがお前の切札か?」

 

「違うよ、最先端科学兵装はその全てが一撃必殺の切札。まあ、お前はこれで沈めるけどね」

 

 宙から落ちてくるラケットケース、その飛び出した柄を掴みジーフォースは新たな武装を手にした。単分子振動刀とは明らかに違う、しかしそれに等しい性能を有しているのは間違いない。ダイヤモンドのカッターと言うべき単分子振動刀とは異なったベクトルで編み出された何か。

 

「──衝突式電離剣(エクスキューションD)。お前も色々教えてくれたから、名前だけは教えてやるよ」

 

 冷たい瞳と一緒にその名前が口にされる。

 

「execution、処刑か。後ろのDの意味が何であれ笑えないな」

 

 分かることはこれが磁気推進繊盾の奇襲すら捨てて、ジーフォースが選んだ切札であること。十中八九、常識を無視するようなふざけた兵器であることは確実だ。ジーフォースもそろそろ気付いているはずだ。俺たちの戦い方は同種、常識の外にある武器を限界まで利用した理不尽な火力で不意を突き、相手を制圧する。

 

 それが科学か超能力、未来か過去、先端科学兵装か遺物の違いでしかない。故に同種の戦いになれば必然的に巻き起こるのは消耗戦、どちらが先に弾切れになるか。このタイミングで持ち出したということはあれが彼女の最後の切札、そして俺の手札でヤツの先端科学兵装を破れるとしたらそのカードも1枚のみ。

 

 夜の風が肌をなぶる。眼前には二対の先端科学兵装と攻守共にほぼパーペキな浮遊する盾。

 

「謎の転校生は、学校中に友達を作り強固な軍事基盤を築きました。友達に慣れなかった主人公ちゃんはケンカの末に命を落としました」

 

 背後からアマラの声は聞かず、最初は騒ぎ立てていたツクモの声もない。

 

「教室に紛れ込んだ尾のない蠍は駆除され、後を追いかけるように屋根裏の鼠も死んでしまうのです」

 

 物語の終わりと同時に、突式電離剣と呼ばれたその武器に青白い光が灯る。言い表せない冷たい威圧感、小細工で防げそうにはない。息をすることにも躊躇を感じる重苦しさ、初めて会った夜と何も変わらない重苦しさがあたりに満ちる。

 

「面白い話だ、もう充分笑わせてもらった。だが、どんな関係や物語にも終わりが来る」

 

「最先端科学兵装は一撃必殺──絶対に負けない」

 

 自分の武器への絶対の自信、同感だ。その未来の科学力に夾竹桃は負けた。元々、俺の首を狩りに来た女だ。仲はまぁ……まったく良くなかったけど、一緒に過ごしたくだらない日々は、悪くなったと俺はだいぶ思ってる。

 

 だから、くれてやるよ。最高の土産を。未来の科学を先取りした最先端科学兵装が、埃のかぶった悪趣味なオカルトグッズにぶっ壊されるっていう漫画のネタを──

 

Viva Neue Enge(先端科学兵装万歳)

 

 低い声色と同時に、青白い光は光弾となって吐き出された。衝突式電離剣──それは斬るのではなく、プラズマに近い弾丸を吐き出す飛び道具。既に剣を落とし、迫り来る凶器の前に、俺も制服の内側から角笛を抜いた。

 

「──?」

 

 視界の隅、目を細めるジーフォースが見える。右手にあるのは掌台の角笛。古びた木のガラクタにしか見えないそれを手にした途端、右手が異常な熱を持つ。角笛を通して力が伝わる感触。いける、前と違ってルシファーはいないがやれる。

 

 俺の右手に茜色の光が宿る。制服を貫いて視認できるほどの明るい光、角笛から右手、右手から左手に力の噴流が流れ込む。この体にはルシファーが残した恩寵がある、二度も魔王が出て行ったことで溜め込まれた残留物がーー視界を埋めるほどにまで近づくプラズマに俺は左の掌を向けた。

 

 かつてルシファーはアマラとの戦いに備え、彼女を倒せる武器を探していた。一人でdarknessと真正面から戦っても勝ち目はないに等しい、そして一つの答えに辿り着いた。彼女と同等の力が宿る武器、神の力が宿った遺物の存在を──

 

「これはまたなかなかのサプライズね」

 

「お、おい、冗談だろ……ッ!?」

 

 アマラの薄ら笑い、ツクモの叫びと共に視界は眩い光で覆い尽くされた。俺の左手とルシファーの恩寵を通して解き放たれるのは、ヨシュアの角笛と呼ばれる『神の手』に宿っていた大天使たちの父親のパワー。俺が持ち出したのは木のガラクタじゃない。創世記に神が触れ、その力の一端を残したとされる正真正銘第一級の遺物。

 

 光の噴流とも言えるエネルギーの塊は青白い光弾を消し去り、進行方向に浮遊していた磁気推進繊盾も飲み込んでいく。アマラ相手には何の効果もなかったが今回は違う。光の渦は真夜中の闇を切り裂き、ソニックブームのごとき異常な音が耳を穿ち、冷たい風を塗り潰すような熱気が肌を焼いていく。

 

 ルシファーと共に放った過去の一撃に比べれば、明らかに劣化と言うしかないがそれを踏まえて充分すぎる威力。光の渦とも呼ぶべき輝きに反し、おぞましい力の塊は恐怖と絶望を誘うには余りある。

 

 その光の眩さと衝撃の余波に呪縛されたようにジーフォースの足は動かない。動けないのか、それとも動こうとしないのか。渦はやがて、余波だけで彼女の髪をはためかせる距離にまで迫る。

 

「なんだっけ、楽しかったの反対──じゃあな?」

 

 かつてアマラに差し向けた光の濁流が、今度こそジーフォースを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 ヨシュアの角笛。聖書に出てくるジェリコに勝ったあのヨシュアだ。この世界にいくつか存在する神の力が宿ったアイテムのひとつ。使えるのは一度きりだがその力は神の手と呼ばれるだけあって他の追随を許さない。まあ、前回の戦いでは相手があまりに悪すぎて何のダメージも与えられなかったが。

 

 相手が肝心の神より強いんだから仕方ない。バカなルシファーが大見得を切ったせいで、とんでもないことになったのは笑えない思い出だ。溜め込んでいた力が抜けて、ガラクタ同然になっていたところを後に俺が回収した。ミカエルの槍と同じパターン。とはいえ、神の力を再びチャージするのは俺一人ではどうにもならない。

 

 しかし、何がどうなったのか安いバーでその力を補充できる機会が巡ってきた。日頃の行いがなんとやら、どうやら俺にウサギの足は必要ないらしい。あの本にはさんざん黒歴史を暴かれてきたが、その礼が物騒な骨ひとつなんておかしな話だからな。あの手この手でいちゃもんつけ、ヘボ作家にヨシュアの角笛をリサイクルしてもらったのだ。

 

 だが、ヘボ作家にいちゃもんをつけてまでリサイクルした価値はあった。苦渋を呑まされた磁気推進繊盾、衝突式電離剣、単分子振動刀、ジーフォースの先端科学兵装をその一回の攻撃で、跡形もなく葬り去ったんだからな。

 

「最後まで道具のぶつけあいになったな」

 

 もはや歩くのも億劫げになった体で、予備に備えていたベレッタのスライドを引く。神の手の一撃を浴びたジーフォースは滑走路の上で仰向けに倒れていた。俺は近づきながら、ジーフォースの眉間にベレッタを照準する。

 

 その傍らに頼りにしていた先端科学兵装の姿はない。防弾制服はボロボロ、骨も何本かは痛手を受けているだろう。即死ではないにしても有害物質のシャワーを浴びたようなものなので、しばらくは、体も自由に動かせないはずだ。

 

 ジーフォースは喘息にも似た音を立てながら胸を膨らませ、首だけわずかにこちらに傾け、薄目を開けて俺を見てくる。

 

「とどめを、さし……なよ」

 

「……」

 

 俺とジーフォースの視線が絡む。勝利の優越感はなく、浸ることもできなかった。ジーフォースはなおも切れ切れにうめく。

 

「どう、せ……あたしは……処分、されるから、連れ戻される、くらい……なら、お前に……ここで……殺されて、やるよ」

 

 ジーフォースを殺す。それで夾竹桃が生き返るわけじゃない、仇を討ったところで死者が喜んでいるかなど分かるわけもない。だが、少なくとも彼女を殺せば胸に渦巻く喪失感をいくらか埋めることはできる。

 

 どのみち、双極兄妹の計画が頓挫した時点で、ジーサードがジーフォースを手元に置く理由はない。連中と縁を切ったとして、彼女が一人になったと知れば米国はここぞと追手を差し向けるだろう。掴まれば、一度は脱走した彼女がまともな処遇を受けられるとも思えない。

 

 どう転んでも、今日を生き延びたこの少女の明日が、明るいものになるとは考えづらかった。いつかの俺たちと同じように、生きることが安らぎとは正反対の行為になってる。俺は用心金にかけた指をゆっくり引き金に持っていく。

 

「復讐は活力になる、果たしたときは最高の気分になる。せいぜい5分くらい」

 

「……ディーンの言葉か?」

 

 横やりを入れてきたdarknessに、額へ照準したまま聞き返す。

 

「私はしなかった。お前に感想を聞かせてもらおうと思って」

 

「復讐を果たしたレビューをしろって?」

 

「興味がある。私はディーンを信じて、そして一番欲しかったものを彼がくれた。だから興味がある。お前がその女に何を与えるのか」

 

 本当に好奇心を満たしたいだけ、そんな声色でドレスを靡かせながら隣にやってくる。

 

「家族は許しあえる。でもこの女は家族じゃない」

 

 そう、単なる通り魔。チーム・バスカビールを襲撃し、俺の大切な人を殺した米国に作られた人工天才。アマラの言葉を否定し、かぶりを振る。間宮が殺される未来は防げた、一番の目的は達成した。それでもーー憎い。ジョーの腸を抉った猟犬のように、倒れ伏すこの女が憎い。

 

「始まりにいたのは私と弟だけ。家族は二人だけ、大事に思っていた。なのに大天使や色んな物を作り初めて、憎らしくなった」

 

 このタイミングでなぜそんな話を……喉から出そうになる言葉を押し込む。

 

「私がいるのにどうして他の物を欲しがるのかって、そしたら閉じ込められた。それ以来、復讐しか考えてこなかった」

 

「当たり前だと思う」

 

「そう、復讐すれば済むと思った。でもそうじゃなかった。あいつが作ったものは、本当に美しい。理解するのに時間がかかって昔の私たちに戻れなくなった。でもディーンが、何より求めていたものをくれた」

 

「……」

 

「お前が望む物はなに?憎しみと怒りを払った先に本当に欲しいものはーー?」

 

 その言葉が脳裏に突き刺さる。俺が本当に欲しいもの。

 

「それはもう手に入らないよ。だって──」

 

 さっきまで、そこにあったんだから。

 

「……終わりだ」

 

 一つ頷き、眉間から銃を下ろす。ジーフォースの瞳が見開かれる。

 

「どう、して……?」

 

「人の魂はゴム毬じゃない。お前をぶっ殺してもあいつは戻らない、ここで引き金を引いたらスッキリはするが先生の顔に泥を塗る。5分も続かない優越感のために9条を破るのはごめんだ」

 

 それに何よりも武偵でいられなくなる。取るべき行動は最初から一つだった。決まりだ、もう決めた。それにアマラの前で復讐を果たす光景なんて見せられない。命を賭けて彼女を説得した兄の顔に泥を塗る。

 

「悪いが行くところがある。あとはツクモに運んでもらえ」

 

「あたし、全部なくなっちゃった。戦いしかなかったのに、負けて、お兄ちゃんも……全部なくなっちゃった」

 

「知るか、死んだら安らぎが手に入ると思ったら大間違いだ。みんながみんな死んだあとでVIP扱いされるわけじゃない。天使はお前らが思ってるよりもずっと薄情者だ。お前は殺さない、安らぎもくれてやらない」

 

 謀ったようなタイミングで月光の光が滑走路に注がれる。肺から息を吐き、今度こそ俺は背を向けた。

 

「──切に願うよ。自分がしてきたことの事実を噛み締めながら、地獄で腐っていくことを」

 

 ジーフォースの元へ駆け寄ってくるツクモを無視し、タラップにもたれさせている夾竹桃へと歩み寄る。もしかしたら煙管で一服しているのではないか、そんな期待がなかったかと言えば嘘になる。現実は指先ひとつ動いてもいない。

 

「終わったぞ。感謝しろ、温存してた切札を大量に切ってやった。間宮の命を救ってやったよ。まあ、もしかしたら番狂わせで間宮が勝ってたかもしれないが」

 

 動かない女の横で、タラップに腰を下ろしながらぼやく。

 

「ジョーが死んだとき、真っ先にそうしようと思った。でもみんなに止められて、俺も最後の最後で踏み切れなかった。どうなるか体験してる、猟犬とまた追いかけっこ。好き放題に暴れてきたんだ、十年契約はたぶんしてくれない」

 

 ……結局、ウチの人間の最後はこれに落ち着くんだ。むしろ安心した。この考えに行き着いた自分に、心底安心しちまった。

 

「誰と話してるの?」

 

「日本男児は独り言が趣味なんだよ」

 

「リオに帰るから、別れを言いに来た」

 

「またカジノを荒らすなら幸運を祈ってるよ。天下無敵の幸運を祈ってる」

 

 いつかの神崎の言葉を真似ながら、俺は既におろしていた夾竹桃の目蓋をなぞる。そして、恐ろしく軽くなったその体を抱え上げる。

 

「アマラ、さっきのは礼を言っとく。その気はなかったんだろうけど、結果的にはあれが正解だった。あいつを殺してどうこうならない」

 

 礼を言われた理由が分からないって顔だが、それならそれでいい。世辞は言わない、一緒に来てくれて助かった。神にも滅多に祈らない俺だがおかしな話感謝してるよ。

 

「帰る前にもう一つ頼んでもいいかな。行きたいところがあるんだ」

 

「どこが望み?」

 

「十字路。クラウリーはもういない、面倒だが契約の手順をちゃんと踏んでやらないと」

 

 すると、さらに怪訝な表情が浮かんだ。

 

「契約するの? 何のために?」

 

「何のためって……仕方ないだろ。いつものパターンだよ。問題を別の問題で解決する。代金を支払って」

 

 口にしたくもない言葉を言わされた、嫌な気分だ。

 

「支払ってどうするの?」

 

「お前なぁ……ここまで言えば分かるだろ。俺の魂を担保にして、死んだこの女を──」

 

「死んでないじゃない」

 

「は?」

 

 虚を突かれて、バカみたいな声が出る。

 

「悪い。なんだって?」

 

「死んでない。おかしなこと言うわね」

 

「──Just a moment」

 

 待て待て、情報処理が追いつかない。

 

「死んでない?」

 

「寝てるだけ」

 

 即答されて、俺はちらりと視線を真下に下げる。寝てるだけ……

 

「いや、そんなわけないよな。まさか実は死んでなかったけど、出てくるタイミングを失って、そのまま死んだフリしてるなんてガキみたいなことするわけないさ」

 

 昔、ジャンヌから聞かされたテトロドキシンを使った仮死薬の話が頭をよぎるがつとめて意識しないことにする。

 

「ハンターの葬儀では幽霊にならないように、遺体と身に付けていた物を一緒に焼くんだ。彼女はハンターじゃないけど、司法取引の身だし、弔い方ももしかすると変わったものになるかも」

 

「鳥の餌にでもさせるつもり?」

 

「まさか、鳥葬なんて日本じゃありえない。そうだな、水葬なんてどうかな。最後くらい海に浸らせてやってもいいだろ。なんたって、夾竹桃はばた足や犬かきもできないどころか全然泳げ──」

 

 刹那、顎に凄まじいアッパーを食らった。たぶん、気のせいじゃない。

 

「……暴力、反対……」

 

「陸にいるのに水葬が認められるわけないでしょ、お馬鹿。罵詈雑言をありがとう、浮き輪があればなんてことないわ」

 

 視界が一回転する、どうして俺は仰向けに倒れてるんだろ。味方に背中から撃たれた気分だ。仰いだ空には、今度こそ綺麗な星が輝いていた。きっとキンジは今頃、学校の屋上で神崎と二人で星を見上げているに違いない。くしゃみをする神崎に自分の上着を差し出し、暖かいお茶のひとつでも渡して、いい感じになっているに違いない。

 

 なのにどうして俺は冷たい床に寝転がってるんだ。無性に世の中の理不尽ってやつに怒りが湧いてくる。問題が解決したのにいまいち締まらないな。両手を挙げて素直に喜べない。なんで俺はアッパーを食らったんだ、何をしてる。

 

「はぁ……いきなりすぎて情報処理が追いつかない。でもとりあえず」

 

「とりあえず?」

 

「とりあえず、パスタが食べたいな。パスタ」

 

 ──帰ったら、パスタにしよう。うん、パスタとコーラ。

 

 




……長かった、非常に長い道のりでした。元々、AAのかなめvs鈴木さんを見たことがキッカケで初めた作品ですがdarknessを呼ぶことになるとは過去の作者も目を丸めるかもしれません。 書きたいまま書き殴りましたが多くの感想や評価、ありがとうございます。

かなめはランバージャックの後に落ち着いた性格になりますが、原作とAAを並べてみると、双極兄妹の失敗→間宮vsかなめ戦→ランバージャック→体育祭に思えたので比較的初期のかなめに性格は寄せています。体育祭目前でかなめのことをキンジが毒気が抜けたと言ってるので、次回からは主人公のジーフォース呼びも卒業になります。


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OVER LAP

『皮肉と軽口を言えなくなったら、あんたきっと死ぬわね』


『それ、皮肉じゃなくてか? 皮肉でも結構傷つくんだぞ?』




The Road So Far(これまでの道のり)




『10分の遅刻だ。釈明はあるかい?』


『それは、あの方がもっともお嫌いな人物が募った組織。口走るものでは、ありませんよ?』


『劣勢のときのお約束。ドロップアウトボーイの』

 
『サード、あいつ斬る。絶対斬るから』


『ええ、エチケット。ゲストにチャンネル権を渡すのが礼儀だったのよ』


『それはてめえら次第だ。ここで遊びたいならーー俺は止めねえ』


『パープルハート大隊か。いつも通りだな』


『急くな、戦えば儂等は全滅しかねん。が、そこは知略ぞ。遠山、ジーフォースを取り込め』


『キンちゃんの隣は私の席なの!こうなったら鉄の意思と鋼の強さで、徹底抗戦あるのみだよっ!』


『だったら、何だと言うの。おまえはーー神とでも戦うつもり?』


『メタトロンですって? じゃあトランスフォーマーに力を借りるわけ?』


『夾竹桃を探してるの? 彼女は今体調を崩してる、体よく言えばだけど』


『言われた通り、お友達を連れてきてやったぜーー遠山かなめ』



Now(そして今……)







「台風一過ってヤツだな」

 

「ああ、ホント。嘘みてえに晴れてるよ。騒ぎが一段落した合図かもな」

 

 ホント、嘘みたいに晴れてるな。ジーサードを巻き込んだ一件が一段落し、キンジと俺は満天の星空の下、ベランダで語り合っていた。いつか同じような台詞を吐いた気がするがずっと前のことに思える。無事に家出から帰宅した部屋には、理子や神崎の私物が前と変わらず転がっている。留守にしたのはたった数日のはずだが、帰宅したときは悔しいことに懐かしさを覚えた。すっかりここが家になったな。

 

「ワトソンが言ってたけど、ジーサードはRランク武偵の化物なんだってな。俺も大統領の護衛に追いかけられたことはあるけど、一人で小国を潰せる化物によく勝てたな?」

 

「半病人だったんだ。それが出た時、たまたま決着がついたんだよ」

 

「それでも勝ちは勝ち。実績は実績だ」

 

「向こうは負けを認めてなかったけどな」

 

「再試合やるなら呼んでくれ。ポップコーン持っていく」

 

 ジーサード、とキンジの関係については色々と聞かされた。どうりでかなめに既視感を覚えたわけだ。あのふざけた強さもキンジや金一さんの同類なら納得だよ。今にして思えば、カナを思わせる場面もいくつかあったしな。

 

「お前はどうだったんだ。久々の家出は楽しかったか?」

 

「まあまあかな。でもこの部屋が一番落ち着くよ。家出をライフワークって言える年でもない」

 

 素直に戻ってこれて良かった。ジャンヌやワトソンを含め、バスカビールがジーサードに受けた傷も軽傷。理子は鼻血。白雪・ジャンヌは全治3日ってところだ。Rランク相手に揃いも揃ってタフな連中だよ、尊敬してやる。

 

「しかし、相模湾を24時間も漂流してよく生きてたな。サメをDEで追い払ったんだって?」

 

「最悪」

 

「10点中何点?」

 

「やめてくれ」

 

「なにが?」

 

「俺の苦しみをいじるの」

 

「いじってない。今までなにやってもお前は死ななかっただろ。お前にとって、24時間漂流してサメに襲われるのはどれくらいの危険度だったのかって話さ。興味がある」

 

 神崎が言ってた、乗ってる航空機が炎上したくらいでキンジは死なないってな。そう、その程度じゃ死なないってのがお前に対するみんなの認識なんだ。素手でメガロドンと戦えそうなやつが普通のサメに食われて死んだなんて誰が信じるんだよ。

 

「気になるなら、今度お前もやってみろ」

 

「まさか、お前みたいな化物じゃないし」

 

「ふぅ、ふぅ──!」

 

 唐突に深い息を吐き、俺と自分との間で左手を縦に振ってくる。

 

「なんだよ、それなに?」

 

「沈黙バリア、沈黙バリア張った。沈黙バリアーミラーフォース」

 

「あ、そういうこと。面白いことするね。Eランク武偵の崇高なる力で黙ると思う?」

 

「黙らなくても話題は変える」

 

「でも沈黙バリアってネーミングが──」

 

「ふぅ、ふぅ──!」

 

「お前は五才の子供か」

 

 俺はベランダの柵に肘をついて、深い溜息をついた。けど、こんなバカみたいな会話ができる日常が俺の望んでいた物なのかもしれない。沈黙バリアのネーミングはどうかと思うが。

 

「それで、お前の方はどうだったんだ?」

 

「どうって、家出のことなら話しただろ。何にもなかったよ。古い知り合いが遊びに来たくらいだな、ドレス姿の」

 

「お前、彼女なんていたのか?」

 

「ああ、きたきた。きつい返し、それも上から目線、こうでなくちゃ。言っちゃ悪いけど、初デート大成功。お互い生きてるし、まあ彼女を殺せるなら大したもんだけど」

 

「またそっち系の知り合いか。今度は誰だ?」

 

「神の姉さん、たぶん独り身」

 

「聞かなきゃ良かった」

 

 罰当たりなヤツめ。溜め息混じりに言うと、キンジも柵に肘をやる。

 

「キンジ、まあ……色々話したくないことが山程あるのは分かってるけど、話したくなったらいつでも聞くから。どうせ週末暇こいてるし」

 

「何も言わないかもしれないぞ?」

 

「いいよ、何も言わないなら言わなくて。一緒に映画鑑賞したいならいつでも誘えって話。ただしコーラとポップコーンは割り勘で」

 

「そいつはどうも」

 

 素っ気ない返し、実にキンジらしい。

 

「お前も話したいことがあったら言え。暇なときに聞いてやるよ」

 

「プールの監視員をやりながら、インスタント麺を啜ってた話か?」

 

「……それは初めて聞いたんだが」

 

「昔の話。みんなには言うなよ?」

 

「言わねえよ、嘘をつくのが仕事」

 

 それなら安心だ。不意に風が髪を叩くように吹きすさぶ。

 

「冷えてきたな」

 

「ああ、冬も近い。戻るか、テレビ見ながらコーラ飲もう」

 

 冷えてきたので、俺は一足先に室内に入ってチャンネルを取る。

 

「お、キンジ。総合格闘技(MMA)やってるぞ」

 

「素手での戦いならいつも見てるだろ」

 

 そう言いながらもキンジはソファーに腰を下ろす。冷蔵庫から缶コーラ2つを取り出して、俺もキンジの隣に腰を下ろした。

 

「ボクシングと、もう一人はサンボだな」

 

「コンバットサンボに千円」

 

「ギャンブラーだな、乗った。アリアに奢ってやったももまんの分がチャラになる」

 

 薄ら笑いでキンジは缶のプルタブをひねる。ギャンブラーか、そいつはどうかな。遠慮はいらないぞ、やっちまえコンバットサンボーの人。画面内に声援をおくったとき、

 

「やっほーキーくん!理子りんが遊びに来ましたよー!」

 

 呼び鈴の代わりに自分で名乗ってくれたのはバスカビールの大泥棒こと峰理子だ。案の定、返答の前にドアを開け放った音がする。廊下から足音がして、改造制服を着こなした理子が部屋に上がってきた。

 

「おー、二人で仲のよろしいことで。何見てるの?」

 

「理子、まじめな話だ。お前ならどっちに賭ける。ボクシングかサンボー」

 

「んー、ちょっと待って」

 

 俺が投げた質問に理子は悩む素振りを見せると、ぐいっと俺とキンジが座っているソファーの間に割り込んでくる。そして試合の様子を一瞥し、

 

「サンボーかな」

 

「ありがとう」

 

 キンジに勝ち誇った笑みを向ける。

 

「一人の意見だ」

 

「いや、違う。ワン、ツー、2人の意見だ。電話で他にも聞いて回るか?」

 

「いいや、口を閉じろ。すぐに分かる。ボクシングにはテクニックや忍耐が必要、お前にはないもんな、忍耐力」

 

 言ったな、キンジ。お前こそ、千円払う準備はしとけ。うっすら笑い、俺はかぶりを振った。ああ、駄目だ。悔しいけど本当に楽しい。

 

「キリくん、理子もコーラ欲しい!」

 

「キンジに貰え」

 

「やらん! 俺はやらんぞ!」

 

「隙ありぃ!」

 

「おい、俺のじゃなくてキンジを狙え! あ、バカ!飲み過ぎだろッ!?」

 

 欲しいものは手に入らない、今あるものを側に置いておくためだけにウィンチェスターの人間は必死に戦うんだ。今もそしてこれからも。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん──っ!」

 

 そのとき、なんとも言えないタイミングでドアが開く音と悪魔のような声がした。頭が真っ白になる。パターン青、遠山かなめだ……!

 

「キリくん、ゾンビみたいな顔色だけどかなめぇと仲直りしたんでしょ?」

 

「本人に聞け」

 

「聞いてるじゃん……」

 

 ジーフォース……遠山かなめはバスカビールとのランバージャック以降、かつての攻撃的な面が嘘のように消えた。間宮たちとの仲も良好で、キンジに対する執着も随分と落ち着いたものになっている。いわゆる普通のブラコンと言うやつだろうか。初めて会ったときとはまるで別人だ。

 

「あれ、雪平先輩もいたんだ」

 

「ここが俺の部屋だからな」

 

 例の一件以降、再戦もなければ敵意を飛ばしてくることもなくなった。元から特殊な生まれや兄との微妙な関係など、俺と彼女は妙に似た部分がある。道具を最大限に利用する戦い方は勿論のことだが、俺たちが他人から見ても分かるほどにいがみ合っていたのはーーお互いに自分自身をどこかで憎んでいたからだろう。

 

 今までに出会った誰よりも自分と似た存在。だからこそ、必要以上に意識した。自己嫌悪の感情がそのまま怒りと憎しみに変わった。俺がそうならお前もきっとそう思ってるはずだ。お前も言ったし、俺も言ったよな。俺たちはよく似てる、同類だ。

 

「かなめぇも座れば?」

 

 理子がスペースを開けるのだがわざとらしく自分はキンジに寄り、俺の左隣に空席のスペースを作る。世話焼きだな、お前って女は……

 

「座ったらどうだ?」

 

「……」

 

 俺が言うと、不服な顔をしながら左隣に彼女は座ってくる。

 

「総合格闘技?」

 

「理子とキリくんはサンボーに賭けてる」

 

「キンジはボクシング」

 

「かなめぇはどっちにする?」

 

 気さくに理子は小首を揺らしていく。本当にコミュ力が高い子だ。距離感の掴み方がうまい。俺やキンジにはとてもじゃないが真似できないことだ。実際、理子には気を許してるのも見るからに明らかだった。

 

「……ボクシングかなぁ、お兄ちゃんに賭けるよ」

 

「よし、これで2vs2だな」

 

「また嬉しそうな顔しちゃって……見ろよ、この顔」

 

「切、いいこと知りたいか?」

 

 俺が指摘した途端、腕を組んだキンジが首だけをこっちに向けてくる。

 

「いいことって?」

 

「お前が皮肉やマシンガントークすると俺にはこう聞こえる、わーわーわ、まるでスヌーピーのアニメだ。髪のある……あれだ、ライナスだ」

 

「なんでライナス?」

 

 俺は眉をひそめて聞き返す。

 

「そこか? 引っ掛かるところ、そこなのか?」

 

「キーくん、ボクシング側がピンチだよ」

 

「お、おいっ!? 俺の千円がかかってるんだぞっ!」

 

 理子の一言でキンジの視線がテレビに戻る。なんとも不純な応援の仕方だ。代わりに妹のほうが交代で首を向けてくる。

 

「いい年して、またアホな勝負を持ちかけたね?」

 

「人生を楽しむコツはどれだけアホなことをやれるかだよ。隣の怪盗もそう言ってる」

 

 矢継ぎ早にコーラを呷る。

 

「サードのもとに残留はできたのか?」

 

「一応ね」

 

「そうか」

 

 お互いに端的な返しをして、視線は自然とテレビに向かう。

 

「夾竹桃とのカウンセリングは?」

 

「普通だよ、誰が喋ったのか知らんが普通だ」

 

「ジャンヌ・ダルク」

 

「……あいつか、中学生かよ」

 

「仲良いんだね」

 

「どっちと?」

 

「どっちも」

 

 その答えは予想してなかったな。でも確かに二人ともいい女だし。すっかり浅くない縁になってる。予想してなかったけど、その答えは本音を言うと少し嬉しい。

 

「ウィンチェスターの男はモテるって聞いたから」

 

「それは兄貴だけ。俺は違う。それにたまに思うんだよ、ハンターの仕事っていい物を全部奪ってく。武偵とダブルワークになった今でさえ、そう思えて」

 

「世間の物差しで測るのは違うよ。事件を解決したんでしょ? 誰かを助けて来たんでしょ?」

 

 思いもよらない返しに喉が詰まる。隣を見ると、彼女はテレビに視線を向けたままだった。

 

「それこそが本物の財産になる。お前のお陰で人生が変わった人がいる、それこそが人間の財産として最上のものだよーー嘘じゃない」

 

 ……これは俺も予想外。なんて言うか、暖かい言葉だね。意外すぎた。数週間前の、遠山かなめの言葉とは思えない。

 

「バカみたいだけど言うよ。礼拝堂に行った気分、ありがとう」

 

「あたしに?」

 

「他にいないだろ」

 

 目を丸めるくらいお礼を言われるのは意外だったらしい。俺だって意外、礼を言うなんて。でもさっきみたいなこと言われたら、仕方ない。

 

「あ……」

 

 無情にも画面のなかで勝敗が決する。同時にキンジの嘆きが聞こえてきた。

 

「悪いなキンジ、これも勝負だ」

 

「……分かった。ところで、戦徒は決まったのか?」

 

「あれかぁ……忌々しい響きだ。勿論覚えてる」

 

 仕返しとばかりにキンジが話を振ってくる、嫌味な野郎だ。おめでとう、大ダメージだよ。案の定、垂らされたでかい釣り針には理子が食い付いてきた。

 

「戦徒契約の話?」

 

「綴先生が戦徒のことで煩くてな。今まではなんとか誤魔化して来たんだが最近は目に見えて酷い。バスカビールは神崎、星枷、キンジ、みんな契約してる。お前だって一年前は島と契約してたしな」

 

「キリくんもAランクだもんね。いいじゃん、一人くらい面倒見てあげれば?」

 

「今は極東戦役、ドンパチの真っ最中だ。一年のお守りも錘も遠慮したい。遠慮したいところだが先生の怒りを買うのは正直に言って怖い」

 

「……綴先生だもんねぇ」

 

 理子の重たい声がすべてを語っていた。綴先生はあの蘭豹先生と双璧をなしている武偵高の核兵器だ。出来れば導火線に火はつけたくない。二人で島を傾かせた逸話だってバカな話だが素直に笑えないのだ。

 

「そこでだ、俺は一つの突破口を思い付いた。正確にはさっき思い付いた」

 

「キーくん、なんか嫌な予感がするんだけど?」

 

「まあ、とんでもないことだろうな」

 

 失礼な奴等だな。歯に着せぬ物言いとはこのことだ。オブラートに包むも何もない。

 

「ちなみにその突破口って?」

 

「俺は人を恐れたことはない、だが本気で怒った綴先生とお前のお兄さんは怖い」

 

「おい」

 

 ルームメイトを無視し、俺は覚悟を決めて深く息を吸う。

 

「そこでだ、いないもんかね。あわよくば俺の腕を切り落とせるくらい強くて、ハンバーガーとコーラが好きで。尚且つベースボールやアメフトの話もできるようなアメリカ寄りの趣向をした『非合理的』な一年。そんな優良株がいたら、是非とも教えてほしいんだが?」

 

 ただし『狙撃手以外で』とつけ加える。一転、かなめの真ん丸な瞳が見開かれた。

 

「……お前、本気で言ってるのか?」

 

「本気だ。お前、綴先生の逆鱗に触れたことないだろ。怖いのなんの、あれはアラステアより酷い。地獄の権力者よりも」

 

 半信半疑、男口調になったかなめに諭しながら、

 

「クラスで友達たくさん作ったんだろ。教えてくれるなら、風魔が持ってきた塩キャラメル一袋やるぞ。処分に困ってたからな。これくらい、でっかい袋に入った塩キャラメル」

 

 いつかキンジに話したやつ。意外なことにキンジがソファーから立ち上がると、実際に実物の袋を持ってきてくれた。なに、援護してくれるの?

 

「そう、あれだ。ありがとう、キンジ。さっきの千円なしでいい」

 

「雪平、悪いこと言わない。お前、弟子を取るのは向いてないよ。後ろからナイフで刺されるかもしれないよ?」

 

「先生に尋問されるよりマシ。俺の尊敬するニュージャージーの刑事が言ってた、レストラン経営のストレスで死ぬより弾で死ぬほうがマシだ」

 

「反抗的で、良い子じゃないかもしれないよ?」

 

「そのタイプは本土でもう経験してる。クレ──いや、無愛想で反抗的、望むところだ」

 

 クレアで慣れてる。あれはあれで、本当にいい子だったけど。いや、もう子供扱いはできないか。俺はかぶりを振って、ふざけたくらい綺麗な瞳と視線を結ぶ。

 

「なあ、俺もこの国に来たときは──いや、家を出たときは何回もホームシックに襲われた。自業自得、自分から逃げてきて、それでもやっぱり家族を失った虚無感に襲われた。自分では踏ん切りをつけたつもりだったがどうしようもなく孤独を感じた」

 

 心に大きな穴を開けられた気分だった。たぶん、ガブもロキとして地上に籠っていたときは、俺と同じ気持ちだったと思う。ゆっくり体の内側にナイフを入れられていくような感覚だった。

 

「哀しみに打ちのめされたよ。けど、今ではこの国に家族ができた。ジャンヌや夾竹桃、キンジやバスカビールのみんなが、俺に居場所をくれたんだ。一人じゃないと……気付かされたよ、みんなには感謝しかない。お前がキンジの妹なら、ここがお前の居場所だ。家族は築き上げていくもの、人工天才だろうが悪魔だろうが関係ない」

 

 そう、だからだなーー

 

「だから、その……なんというか。もう自分の居場所がないとか嘆くのはやめろ。キンジから聞いたが聞くに堪えない話だった。ジーサードリーグもそしてここもお前がいるべき場所なんだからな」

 

 言い終えると同時にテレビのチャンネルを切る。決まったな、これで決まりだ。これで先生に怒られることもない、催促されることもない。無事にハッピーエンドだ。

 

「あたしからも言いたいことが」

 

「なんだ、言ってみろ」

 

「感動的に言ってるけど、掌返しが酷いなぁって」

 

 そのとき、俺に電流走る。おい、待て。

 

「病室でボロ雑巾みたいに言ってくれたのに」

 

 さらに電流走る。

 

「自分から家出したのにホームシックって自爆しただけじゃん」

 

 三度、電流走る。

 

「自分がしたことが原因で自分が困るから自業自得って言うんだよ?」

 

 タイムタイム。傷口に軟膏塗ってやろうと思ったらガソリンぶちまけられたんだけど?

 

「いい話だよ、感動的。すっごく涙を誘う声色と抑揚のつけ方だよ? でも冷静に考えると、家出の失敗談を聞かせてるだけじゃない?」

 

「いや、まあ……」

 

「あの手この手で感動的な話を装ってるけど、動きがないアニメをカメラワークで動いてるように見せてるだけ。こんなの詐欺だよ!」

 

 おい、そこの二人!頷くんじゃない!そんなふざけた例えがあるか!

 

「なんてこと言うんだ!手書きだと動かすのは無茶苦茶大変なんだぞ!動かすのが大変だから、みんなおしゃべりして誤魔化すんだよ!」

 

「そういうアニメは安く作れるもんね」

 

「理子、お前裏切ったな!?」

 

 折角、いい感じで話をいい方向に持って行ってやろうとしたのになんて結果だ。揃いも揃って、なんでも噛みつく噛みつきガメか。

 

「時間もお金もなかったら仕方ないだろ!本当に好きなファンはな、途中から色がなくなろうが絵コンテになろうが見るんだよ!」

 

「それ、放送事故だよ……!?」

 

 かなめの叫びが部屋に響いた。完全に流れが明後日の方向を向き、意味不明な進路に舵を取っている。雲行きが怪しいどころの話じゃない。

 

「ちくしょうめ、なんで戦徒の話が意味不明な方向に脱線するんだよ。分かった、簡潔に言ってやる。もう感動的な馴れ初めとか、いい感じの空気とか抜きで言ってやるよ!お前、今日から俺の戦妹だ。今決めた!」

 

「はぁ!?」

 

 そうだ、最初からこれで行けば良かった。眼前で呆気に取られているかなめのことは無視する。

 

「最初からこうすれば良かったんだ。マクギャレット少佐は仲間を集めるのに小細工したか? いいや、してない。簡潔に、手っ取り早く、迅速に決めてる」

 

「キリくん、ここ日本だけど?」

 

「俺のなかではオアフ島。島だろ、ここ。海にも浮かんでるし。拒否権はないぞ、何がなんでも俺と組んでもらう。Fiveー0結成だ」

 

 小細工は抜き、俺は隣に座っている遠山かなめに指を突きつける。

 

「なあ、なんでそんなに必死なんだ?」

 

「キンジ、お前には分からないだろうがな。この年になって人に怒られたくないんだよッ!」

 

 三人が三人、苦い顔をしてくるので俺は溜め息を吐いてから思考を打ち切った。

 

「答えは今度でいい」

 

 今一度、ソファーに深く座り込む。

 

「なんか妙な空気になっちゃったね。でもキーくんはいいの? 自分の妹がルームメイトの戦妹だよ?」

 

「変なやつ手本にするよりマシだろ」

 

「それは言えてるかもね」

 

 理子の言葉にうっすら笑うと、不意に頭上で何かの気配を感じる。見上げると、そこにいたのはキャラメルの袋を抱えた磁気推進繊盾。

 

「雪平」

 

 キャラメルの袋は落下し、そのまま彼女の懐に収まる。そして、

 

「コーラもつけてくれるなら考えるよ?」

 

 ふてぶてしいときのキンジとそっくりな顔でそんなことを言ってきた。苦笑いが出る、恐れを知らない女だな。

 

「よし、乗った」

 

 賭けに負けたときの為に抜いていた千円札を磁気推進繊盾へと投げる。

 

「ま、死なないようにね。骨は拾わないよ?」

 

「お互いにな」

 

 安堵から襲ってくる睡魔に俺は目を閉じる。これで終幕、誰一人欠けていない最高のクランクアップ。今回は上手くやったよ、俺。今度は煉獄じゃなくて、マシな夢を見れるかもなぁ。灯りも消していないのに目蓋が勝手に落ちていく。

 

 ジーサード一味との一件はこれで解決。極東戦役は続くがキンジの妹を巻き込んだ家庭のゴタゴタはこれで一段落した。色金や先のことは起きてから考えよう。過去があり、今があり、未来に繋がれる。俺は睡魔のままに目蓋を下ろした。生きてる限り、どうせ明日はやってくるんだから。

 

 

 

 

 

 土の匂いがした。青臭い草の匂い、目蓋の裏にわずかな光を感じる。気がつくと、そこら広大な山々や草花が生い茂る大自然の中だった。一面見渡す限りの自然、まるで科学の手が入る前だった頃の世界を見ているようだった。少なくとも俺の記憶には入っていない景色。

 

 不思議な景観だった。自分の記憶どころか本当にここが日本なのかも分からない。まるで別の世界に迷いこんだような感覚、なのに不思議と不安は感じない。蒼穹のごとく鮮やかに、どこまでも澄み渡っている空に視線が自然と呪縛される。どこまでも純粋な空から鳥の声が聞こえて、心地いい風が髪を撫で上げる。不安はない、むしろ安らぎすら感じてる。

 

「──待ってたわよ?」

 

 

 ふと気配を感じて振り返ると、そこにはロッジがあって、聞き慣れた声に目が見開いていく。

 

「ジンに……襲われちまったのかな。こんな……なあ、これって夢か……?」

 

 理解できなくて、ここがどこなのかも分からなくて。ウッドチェアに座っている彼女を見つけた瞬間、俺は無我夢中になって声をかける。声が震えていることなんて気にも留めてなかった。眼の前の光景に意識のすべてが奪われ、呪縛される。

 

「最後にのんびり景色を見たのはいつ?」

 

「そうだな、覚えてない。こんな綺麗な景色……見たことないよ──ジョー」

 

 思考が全部クリアになる、深い海の底に飲まれたようだった。それは、間違いなく──ジョアンナ・ハーベル。俺を救ってくれた初めて心を奪われたハンターだった。だが、彼女は地上にはいない。だから、これは夢なのだろう。心の底から礼を言うべき最高の明晰夢。

 

「いい景色でしょ。お金を払ってまで見たいとは思わないけど、安らぎをくれる」

 

 彼女の隣の椅子に座り、俺はその横顔にまだ視線を呪縛されていた。夢でもいい、これはずっと俺の望んでいた瞬間じゃねえか。オシリスのときにはできなかったことを、言えなかったことを言える最後のチャンス。

 

「ジョー、ずっと言いたかった。オシリスのときは言えなかったけど……本当に済まない」

 

「そうね、最後までプレゼントのひとつもくれなかった。ポーカーでは、たくさん勝たせてくれたけど?」

 

 その言葉に虚を突かれて、俺はやんわりとかぶりを振った。なんだよ、何も変わってない。俺が初めて好きになった君のままだ。ちくしょう……夢なんだから言いたいこと言えよ、俺。泣くなら後にしとけよ。時間はいくら札を積んでも買えないんだ。

 

「ディーンに何回も辞めろって言われたよ。でも君と会える理由が欲しくて。そうだ、言わなかったけどギターも練習してたんだ。君に聞いて欲しくて、そりゃもうかなり」

 

 ああ、なんだろう。言いたいこと、話したいことはいっぱいあったのに、なんで言葉が詰まるかな。なかなか言葉が出てこない。こんなに早く会えるなんて思っても見なかったんだ。もっと先のことだと思ってた。笑えないな、本番で台無しになるのは発表会だけでいい。

 

「冗談抜きであれが初めての恋愛。だから映画を断られたことは今でもグッサリ。ほんと、他のにしとけば良かった」

 

「カーアクションも爆発も起きない映画は退屈って顔してるのに?」

 

「あー、グッサリ。好きな子を映画に誘うのにどれだけ勇気がいるか知らないんだな。床に穴が空くんじゃないかってくらい右往左往したのに」

 

 かぶりを振って、彼女がくれた瓶のコーラを呷る。夢なのか、味はまるで分からない。

 

「今でも君のことが忘れられないよ。いや、忘れちゃいけないんだろうけど」

 

「ハンターにとって、死は永遠の別れじゃない。大切なのはどう死ぬかじゃなくて、何者として死ぬか。私も母さんも後悔してない、お陰で世界を救えた」

 

「……でも世界はいつでも問題だらけ。最終戦争が終わったのに次から次に問題がやってくる」

 

「でも貴方がいる。サムもディーンも。最後にはいつも貴方たちが勝つことを信じてる。今はダブルワークみたいだけど?」

 

 ……バレてるのか。それはちょっと、恥ずかしいな。この歳で家出したのなんて自慢できない。それなら肯定する。言いたいことは話したいことはあるんだ、本当に……いっぱいあるんだよ……

 

「ああ、家出した。だから、人間相手にも戦うことになって苦労してる。日本に来てから色んな奴に会ってね。出会った女をかたっぱしから落とす色男とか、ジャンヌダルクやシャーロック・ホームズの子孫。日本のハンターや泥棒とか本当に色んな友達ができて──」

 

 そう、色んな友達ができて……ああ、ちくしょう。上手に言葉が纏まらないな。理子やジャンヌみたいに器用にやれないよ。

 

「どいつもこいつも個性的で、血は繋がってないけどそいつら……俺の家族も同然でさ。なんていうか、君に助けてもらわなきゃみんなに会えなかったし、それとあの……日本って国に居場所ができた。本当にありがとう、俺とディーンを救ってくれて」

 

「昔より素直になったわね。前より大人に見えるかも」

 

「おいおい、前っていつだよ。いつまでも姉貴目線でいれるわけじゃないんだぜ?」

 

 素直か、誰かに影響されちまったのかな。バスカビールは素直なやつばっかりで誰のお陰かも分からないな。皮肉を飛ばしたのに彼女の声は優しかった。

 

「恨んでないし、後悔もしてない。サムの言ったとおり。貴方を弟みたいに思ってた。家族は見捨てない、でしょ?」

 

「……そっか。光栄だ」

 

「もっと上を期待した?」

 

「まさか。二度も振られちまうのはごめんだ。またコーラがぶ飲みしないと」

 

 うっすら笑って、俺は肩をすくめる。本当に変わってない。ずっと望んでいた時間、ずっと望んでいた一時がここにある。これが夢で、夢が覚めて現実になっても俺はこの一瞬を忘れない。思うことは全部今伝えるよ。

 

「地上はだだっ広くて、そのなかで君と会えたのは俺にとって本当に幸運だった。神様は色んなところでストーリーの伏線を張るのに必死だけど、君と出会えたのが偶然でも必然でも、こればかりは感謝してる」

 

 最高の一瞬を貰った。俺が忘れない限り、君とお母さんと過ごした瞬間は永遠だ。終わりなんて来ない。そんなことを考えていると、なぜか微笑を返される。

 

「見ない間にロマンチストになった?」

 

「さあ、どうだろう。ラブロマンスは今でもちょっと。カーアクションも爆発も起きない映画はちょっとね」

 

「それならアドバイス。昔の女のことばかり語る男は嫌われるわよ?」

 

 あーあ、グッサリ来たねえ。クリティカルヒットだ。

 

「ったく、フッたくせによく言うぜ。一緒に生まれてたら意地悪な姉貴になってたこと間違いなしだな」

 

「私があげたナイフを見せびらかしてる」

 

「見せびらかしてない、大事にはしてるけど。俺の学校じゃナイフを振り回してても別に変人扱いされないんだ」

 

「それは初耳。失くしたら怒るわよ?」

 

「墓まで大切に持ってくさ、誰にもやらない。じゃあ……そろそろ行くよ。別れも言えずに、いきなり目が覚めたらそれこそコーラがぶ飲みすることになる」

 

 過去になくした記憶のページを、埋めるような幸せな時間に終わりを告げて、静かに立ち上がる。

 

「この世界で──」

 

「ん?」

 

 肩越しに背後を見ると、彼女はうっすらと笑っていた。地獄の猟犬に囲まれて、別れを言ったあの日に見せてくれたのと同じうっすらとした笑みで。

 

「この世界で自分がたった一人だと思えるときも、助けてくれる人は必ずいる。愛をくれて、暗闇を抜け出す手助けをしてくれる人がね?」

 

 それは、本当の姉から貰った言葉のように思えた。

 

「くだらない趣味と、心から好きになれる子を探すの。私と母さん、アッシュにも自慢できるような子。そして来るべきときが来たら、また会いに来て?」

 

 ……ちくしょうめ。別れ際に未練を作るやつがあるかよ。振り向かずに行けば良かった。ここから一歩踏み出すのにどれだけ苦労すると思ってんだよ。たかが夢でも俺はーー

 

「でも、あんまり早く来ると怒るわよ?」

 

 ああ……分かってる。分かったよ。君や母さんが驚くくらいのいい女を見つけてやるよ。俺は今度こそ振り向かずに右腕を挙げた。深く息を吸ってから数歩足を進めたとき、背後から椅子の倒れる音がして、振り向いたときには、そこに彼女はいなかった。

 

「……ありがとう。ジョアンナ」

 

 俺は不愉快な鼻をこすり、これ以上ない快晴な空を仰いだ。駄目だな、ここで泣くと止まらなくなりそうだ。起きてからベッドを洪水にしてやろう。きっと、キンジと神崎は知らないフリをしてくれる。

 

 

 

「はぁ……やあ、baby」

 

 

 傍らで待ってくれていた変わらない67年のインパラに声をかける。本当にいい景色だ。夢って分かってるのに本当の天国に見えてくる。本当の終わりが来たとき、またこの景色が見れたら……俺の魂が眠る場所、それがここならどれだけ幸せなんだろう。

 

 

 なあ、baby。もしも俺が、最後に天国の切符を手にしたらそこに君はいるのかな。天国で君に乗って、親父やエレン、ジョーやボビーやチャーリーの元にも……会いに行けるかな。アッシュやルーファス、パメラや別れたみんなと、いっぱい話がしたいよ。たくさんの人を救ってやったって、自慢してやりたいよ。

 

 

 運転席でエンジンを入れると、何をするわけでもなくインパラから曲が流れてくる。聞こえてくるその曲に口角は釣り上がり、笑みは次第に止まらなくなった。ありがとう、最高のプレゼントをくれて。

 

 

「──love this song」

 

 

 帰ろうか、まだ安らぎに浸るときじゃない。今はcarry on──進むべきときだ。そう、今の俺がいるべき場所はここじゃない。俺の居場所は遠山キンジとの殺風景で銃弾が乱れる相部屋、東京武偵高第3男子寮。

 

 

 なぜなら、今の俺は夾竹桃のお目付け役で、神崎アリアの協力者で、遠山キンジのーー後に哿と呼ばれる不死身の男のルームメイト。東京武偵高尋問科の2年生。この数年で肩書きが妙に増えちまったな。

 

 

「行こう」

 

 

 明晰夢のなかで、俺は馴染みのあるアクセルを踏み、いつもみたいにハンドルを大きく回す。待ち構えてたように、太陽は沈み、地平線の下に隠れていく。太陽は隠れて、そして空には蒼白の月が昇る。

 

 

 過去があり、今があり、未来へと繋がっていく。どんな過去も無意味じゃない。あまりにも多くの物を与えてくれた彼女に、俺ができたことなどあまりに些細だろう。彼女の願いどおり、ルシファーはこの世界からいなくなった。それでもそんな物は些細な慰めでしかない。

 

 

 が、彼女が最後に言ってくれたとおりだ。ジョーのことは今も忘れず記憶にある。けれど、それを理由に現在を切り捨てることはできない。過去の鎖に囚われた囚人でいるには、俺はもう子供じゃないから。

 

 

 これはまだ──これまでの道のり。幕を引くまでにはまだ時間がある。だから、これからも俺は走り続けるのだろう。片付ける度に次から次にやってくる問題に愚痴を吐き、短縮ダイヤルで頼んだ不味いピザを食いながら、家族と一緒に走るのだ────

 

 

 

 

「──魂眠る場所探して」

 

 

 

 

 

 




目標の人工天才が一段落したので作者は暫しの休息に入ります。キスノートやトランザム、書きたい話しはまだまだあるので完結ではありませんが、そこそこやりたいことはやれたので。

15シーズン後半の吹き替えが上陸する頃には戻りたいと思います。さよならパンクラ、おかえりファイヤーウォール。体育祭も短編でいつかやります。雪平さんにもようやく戦姉妹ができましたね。次が退学編になるか香港になるか14シーズンになるかは現在考え中です。

最期で歌詞コード使ってみました。


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遠山キンジ退学編
遠山少年の実家帰り―File.1


「いいキャラメル色の柿だぁー」

 

 神崎の転入、イ・ウーのごたごた、極東戦役と色々あった今年も12月に入った。肌寒い季節に関わらず、キンジが特秘でしばらく部屋を留守にすると言い残し、武偵校を出たのが数日前。どこか哀愁を感じさせる去り際に、例によって何か一悶着起きそうな雰囲気を感じたが、幸か不幸かそれを確かめるチャンスはすぐにやってきた。

 

「雪平、隅もちゃんとよろしくねぇ」

 

「ちくしょうめ、真冬のシカゴみたいに日になんでこんな……サード、もっとハキハキ動け」

 

「てめェが動け。さっきから同じとこしか掃いてねぇだろ! フリだけしてんじゃねェ!」

 

 不機嫌にそう返してくるのはロックスターみたいな装いをしているキンジのグレた弟ことジーサード。そして塀にまたがって、庭の柿の木に棒を伸ばしてるのはキャラメルを切らした途端にグレるキンジの妹こと遠山かなめ。二人とも、本土アメリカが生んだ人工天才と呼ばれるバカみたいな戦闘力を持った兵士であり、最近出来たばかりのルームメイトの弟妹だ。いや、正確には再会したばかりと言うべきか。

 

 今となってはジャンヌや理子と同じく、キンジに懐柔されて師団の傘下に落ち着いているわけだが、まさかキンジの実家に押し掛けてるとは予想の斜め上だった。この行動力の高さ、感嘆しちまうよ。だが、そのお陰でかなめを経由して、俺は堂々とキンジの実家に足を運ぶための口実を手に入れた。庭掃除のボランティアというふざけた理由で。

 

「しかし、本当に来るとはなァ」

 

「他にやることがなかったんだよ。ジャンヌ御一行は軍資金確保とやらで忙しいし、神崎は間宮たちと仲良くやってる。それなら俺も戦妹と仲を深めようと思って」

 

「兄貴と一緒で読めねえ男だぜ」

 

「ありがとう、お見事キャプテン」

 

 呆れ半分の眼差しを向けられ、俺も派手な格好で箒を動かすミスマッチなジーサードを鼻で笑ってやる。元大統領警護官が、巣鴨の歩道を掃除してるなんてな。キンジに負けた相手はどんな狂犬でもことごとく牙を抜かれていく。負けたらギャグ要員、まるで霧のメンタルモデルだな。いつもながらキンジの周りは退屈しない。

 

「で、お前はなんで竹箒を持ってるわけ?」

 

「ジジイに言われたんだ。こいつを終わらせて奥義を教わる」

 

 ジーサードはそう言った。それはそれは楽しそうな顔で。

 

「それで律儀に掃除?」

 

「生きる伝説、ダイハードには俺も敬意を払うって事さ」

 

「ダイハードってジョン・マクレーン? ニューヨーク市警の?」

 

「由来はそれだ、殺せない男」

 

 ダイハード──つまり、Die Hard(殺し難し)ってことか。

 

「ていうかお前も海兵隊にツテはあるだろ、マジで遠山鐵の武勇伝を知らねぇのか?」

 

 などと、まるで知っているのが当たり前の反応をするので……

 

「知らないと恥か?」

 

「お前には彼への敬意が足りないぜ。俺が教えてやる。さっき言ったダイハードってのは米軍が旧敵対国に認定し、戦後、再び戦争になっても特別な対処をするよう定めてきた『殺せない兵士』──正確には、殺すには莫大な人員・経費が必要で割に合わねえって兵士だ」

 

「……大物じゃないか。元軍人で零戦のパイロットだったって話は聞いてたが」

 

「存命者は日本に3人、ドイツに2人、ロシアに2人、イラクに1人ってとこだ」

 

 ジーサードが敬意を払うわけだ。日本で3人しかいないブラックリストの内の1人ってことだからな。そこからジーサードが語ってくれた話に俺も目を丸めるばかりだった。凍てつく北太平洋の海から旧日本領のブレスク島まで泳いで渡った話を皮切りに、最後には島に居合わせた米軍上陸部隊300人を1人で食い止めたときた。

 

 孤軍奮闘とはまさにこのことだな。お陰で島にいた軍人や民間人が無事に撤退できたらしい。落ち着いて考えてみると、それは1人vs300人──まるでマンガみたいな対戦カードだ。そりゃ米国のブラックリストに載るわけだぜ。俺は竹箒を動かしていた手を止め、深く息を吐いた。

 

「そういうことか」

 

「なんだ?」

 

「コーチがそれだから、キンジも無茶苦茶なんだ」

 

 カナ──金一さんも常識の外にいたが、お祖父様はもっと上にいたか。この調子だとお祖母様も怪しいもんだ。キンジも例のアジア人外ランキングではまだ90位そこそこだが、一年もすればどうなることやら。

 

「コーチっていうと──」

 

 不意にジーサードの視線が柿を乱獲してるかなめに向くので、俺はかぶりを振る。

 

「小細工抜きでやったら、あれはたぶん俺より強い。何を教えろって言うんだよ」

 

「おかしなこと言いやがる。羽田ではお前に一蹴されたって聞いたぜ?」

 

「袖に隠してたジョーカーを切ったんだよ、回数制限付きの。経費ケチって勝てそうになかったからな。手痛い出費だ」

 

 羽田でのかなめとの一戦は、その場限りの強化アイテムを大量に投げつけてもぎ取った勝利に過ぎない。当然だが今度も同じ立ち回りで倒すってのは不可能だ。あれは溜め込んでいた課金アイテムを吐き出せるだけ吐き出して、初見殺しの力業で押し切ったようなもんだからな。

 

 正面から実力で捩じ伏せたわけじゃない。長柄や刀の扱いにかけては間違いなく彼女は俺より達者だよ。客観的に前回のいざこざを省みる。止まっていた竹箒を動かし、引き続いて庭掃除をやっていると、

 

「お兄ちゃん、おかえりぃー!」

 

「お、お前らっ……なんでこんな所にいるんだよ……」

 

 幽霊でも見たような顔で、腐れ縁のルームメイトがこっちを見ていた。その隣には同じく武偵高では見かけなくなっていたレキがいる。お揃いの見慣れないブレザーを着た姿で。

 

「──おう、兄貴じゃねえか。そりゃこっちのセリフだぜ。俺はホームステイだ」

 

「お兄ちゃん非合理的ぃー。孫がお爺ちゃんの家にいるのは当然でしょ。家族なんだし」

 

「暇だったんで、お前の妹に顎で使われてやってるんだ。ビッグマックとフライドチキンで」

 

 かなめは塀にまたがったままウィンクを飛ばしてるし、俺とジーサードも竹箒を止めて二人に視線をやる。どうやらレキもキンジも抱えてる仕事は同じみたいだな。予期しない兄妹の登場にキンジは見るからに頭を痛めているが、かなめもジーサードもどこ吹く風だ。

 

「雪平さん、お元気そうですね」

 

「ああ、お前も元気そうで良かった。会えて嬉しいよ。レイでも贈りたい気分」

 

「? ここは日本ですよ?」

 

「そういう気分ってこと」

 

 レキと軽い挨拶を交わすと、二人は意外と広いその遠山宅の門へと入っていく。武偵高では貧乏が代名詞だったキンジだが、眼前にある家は今どきとは言えないがけっこう立派なものだ。庭も十分広い。

 

「ハンバーガーで買収されるたぁ、お前も身軽な男だな。一緒にクーポンでも渡されたか?」

 

「俺はいい奴が売りなんだよ。ハンバーガー、みんな好きだろ? ジャンクフードの王様みたいなパンケーキだぞ?」

 

「誉められてるんだよ、雪平。そう、誉め言葉だって」

 

「だったら良し。さっさと掃除するぞ。今度は三軒両隣の前もな」

 

「チッ、知るかよ。近所付き合いなんて」

 

 ぼやくジーサードはついさっき三軒両隣の前の掃除をほったらかしたことで、キンジのお祖父様から雷を落とされたばかりだ。まさか、あの人が米国のブラックリストに載るような超人だったとはな。俺の観察眼が綴先生レベルになるのはまだまだ先のことになりそうだ。

 

 そう思った刹那、物凄い音を立てて目の前のブロック塀がバラバラになった。突然の出来事に空いた口が塞がらない俺の眼下には、かつて300人の軍人を1人で相手にしたキンジのお祖父様がブロック塀の下敷きになっている。呻いているだけで致命傷とは思えないが……ブロック塀がものの見事にバラバラだ。なんつー威力でふっ飛ばされたんだ。

 

「おいジジイ! 掃除が面倒になるだろ!」

 

 という心配する気は微塵もないジーサードに苦笑いをしつつ、俺は塀の上で興味深そうな顔をしている戦妹を見上げた。

 

「かなめ?」

 

「奥義だねぇ。一回見ただけで仕組みは分かんないけど」

 

 気になってかなめの視線を辿ると、そこにはさっきまでいなかったキンジのお祖母様の姿があった。察するにブロック塀を破壊したのは……

 

「元々、どこかの戦闘民族の生まれって話だよ」

 

「コーチだけじゃなく、マネージャーも無茶苦茶だったか」

 

 どうやら俺の見立ては当たったらしい。キンジのお祖母様も規格外。ていうか、あのブロック塀も俺たちで片付けるのか……?

 

 

 

 

「しかし、一般高の潜入捜査とは思わなかった」

 

「特秘は口外できないからねぇ」

 

 ぱちん、と『銀』の駒が気持ちの良い音を立てて盤上に置かれる。

 

「こんな形で一般高に通えるなんて、キンジも考えてなかっただろうな」

 

 自分の駒を進めながら、俺は庭掃除の報酬として受け取ったビッグマックを食べた。報酬を受けとればもはやボランティアではないが細かいことは置いておこう。心の内でかぶりを振ってからジャンクフードの王様を嚥下する。

 

 そんな俺は遠山宅の広い和室の一角で、かなめがお祖母様から教わったという将棋の相手をしていた。まだルールを覚えたばかりというが、この女やたら強い。既に俺の本陣はかなめの兵に攻め込まれたあとで半壊状態だった。防衛ラインに風穴を空けられ、好き放題に蹂躙されている。冗談じゃなく被害は甚大、これ以上駒を取られたらやばいって、敗北が眼前に迫ってるのが分かるぜ。

 

「ただの特秘ってわけでもなさそうだけどね」

 

 何かに勘づいているような口ぶりだな。忘れがちだがかなめは既に大卒、理子やジャンヌに劣らず聡い女だ。いや、そんなことよりこの状況をどう切り抜けるか考えよう。やばい、角さんがやられた。王様が殺傷圏内だ……

 

「逃げろ、王様!全力後退だッ!」

 

「非合理的ぃ!逃げ場はないよ、王手飛車角取り!」

 

 色んな意味で一枚上を行かれた気分だった。逃げ場のない本陣に四方から凶刃が迫る。楽しげに駒を指して、俺の陣地を荒らし回るかなめは悪魔そのもの。そして、俺は荒れ果てた盤上に目をやり──溜め息と一緒に両手を挙げた。

 

「なにそれ?」

 

「いわゆるホールドアップってやつ」

 

 荒地の王様もついにその首を奪われ、勝敗は決した。ちくしょうめ、これで5連敗だ。戦妹に覚えたての将棋でボコボコにされ、俺はビッグマックを食べた。

 

「間宮とはうまくやれてる?」

 

 一転、かなめは口を閉ざした。

 

「変なこと聞いたか?」

 

「そうじゃないけど、数週前なら絶対に聞かれなかったことだから。驚いちゃった」

 

「それは言えてるな。でも一度は首を奪い合ったり、へし折ろうとした相手と協力していくのが我が家のお約束。ジャンヌや理子もそうだった」

 

 本土でもメグやケッチ、最初は敵だったが後に協力者となった相手は挙げればキリがない。虚を突かれたかなめに向けて、俺はかぶりを振る。

 

「お前やツクモが師団に付いたことで、少なくとも俺にお前たちと戦う理由はない。数週間前の羽田で戦ったとは状況が違う、停戦協定だ。世間話の一つや二つ普通だろ?」

 

「戦う理由は確かにないけど、もっとネチネチ嫌味を言うタイプだと思ってた」

 

「まさか、しないよそんなこと。至極真っ当な意見を言ってるだけ。あれだ、発言の自由」

 

 座布団の上で胡座を組み直すと、かなめも自分用に買ったコーラのストローを鳴らした。

 

「普通だよ、普通。同盟は結んだけどねぇ」

 

「……ああ、あの同盟か」

 

 同盟──その言葉に心当たりがあった。風磨を通して聞いた話だが、それは早い話がキンジと神崎を近づけないようにする同盟。間宮あかりって女は神崎を妙に崇拝してる。キンジと神崎が良い雰囲気になると、あからさまに表情が変わるほどだ。重度と言ってもいい。

 

 そして前よりは落ち着いたが、かなめもキンジが大好きって根本的な部分は変わらない。間宮は神崎、かなめはキンジ。ファンクラブの目的はこの上なく一致してる。間宮とかなめ、組むべくして組まれた日米同盟だ。

 

「まあ、本気のお前に勝てる一年なんて、ウチにも名古女にもいない。間宮は一年の成長株って噂だが──勝ったな、神崎」

 

「……あたしでマウント取るのやめてよ」

 

 話の流れをぶった切ってやると、珍しくかなめが呆れた表情を向けてくる。

 

「取ってない、事実を言ってる。お前は知らないだろうが神崎には間宮の成長の話をこれでもかって聞かされてるんだよ。ランクが上がった、任務で手柄を立てた、酒の席でもないのに弟子の話が止まらない」

 

「ふーん、自分の好きな話ができないからつまらないとか?」

 

「笑いごとじゃない。永遠とももまんを食いながら、機関銃トークだ。一度体験してみろ、こっちが胸焼けしそうになる。あの小さい体のどこにあれだけのももまんが入っていくんだ?」

 

 まるでカービィだ、体は小さいのに中はブラックホール。

 

「なんだ?」

 

「夾竹桃から聞いた話」

 

「夾竹桃?」

 

 怪訝な顔をしているかなめに問う。

 

「普通、座席の間に誰かいたら遠慮して話さないけど、雪平は平気で機関銃トークで文句垂れ流すって」

 

「はぁ……一緒に行くといつもそうなんだ。イライラ、ムカムカ、出かけるとすぐ不機嫌になる。ぐずりまくる、あの女は」

 

「それも言ってた」

 

「それも?」

 

「過敏な男で、外に出るとすぐキレるって」

 

 ……あの女、ここぞとばかりにあることないこと教えやがって。でも安心したよ。くだらない話ができる程度にはマシな関係を築けてて。ビッグマックを嚥下し、包み紙を丸めてからゴミ箱に落とす──携帯が鳴ったのはそんなときだった。

 

「悪い。はい、雪平──」

 

『キリ?』

 

 電話の主は神崎だった。声で分かるがご機嫌斜めって感じだな。キンジが長期の任務でいないんだから当然か。

 

「ああ、どうした」

 

『食事の話よ。キンジがいないし、かなめも見当たらないし。あんた、夜はどうするの?』

 

「俺はピザでも頼むつもりだったが」

 

『ピザ?』

 

「マルゲリータ。セール中で安いんだよ。リベリオンでも見ながら、食べるつもりだった」

 

 キンジが戻って、家族水入らずの遠山家で、夕飯をご馳走になるのは気が退けるからな。美味いピザは必需品。ポップコーンもいいがピザを食いながらの映画鑑賞も悪くない。横目をやると、かなめは静かにお片付けモードに入っていた。このまま負けっぱなしも癪なので、いつかリベンジすることを誓っておく。

 

「前にも頼んだがいい店だぞ」

 

『美味しかったの?』

 

「取り寄せの水使ってる」

 

『……それはすごいわね。美味しいピザは必需品』

 

「そのとおり、閉店させたくない。んで、飯はどうする?」

 

『帰るわ。あたしもマルゲリータにする』

 

「2Lのコーラ買って帰るよ。楽しみにしてろ」

 

 『また後で』と残してから、俺は携帯の通話を切る。待ち受けにある時刻を見ると、そろそろ夕暮れ時だった。

 

「食べていけば良かったのに」

 

「気にするな、家族水入らずってやつさ。それに神崎の機嫌もなだめてやらねえと」

 

「ピザと映画で?」

 

「大丈夫。リベリオン、神崎は絶対気に入る。賭けてもいい、なんたってアル=カタが目玉の映画だ」

 

 ボロ負けした将棋の片付けも終わり、帰宅するにも丁度良さげな時間。それを挫いたのはかなめだった。

 

「実を言うと、今日は言ってなかった事実を話そうと思ってたんだよね」

 

 まだ話があるらしい。俺は腕を組むついでにそう告げてきたかなめに眉を寄せる。

 

「言ってなかった真実ってのは『嘘』ってことかな?」

 

「そんなに詰めないでよ。ちょっと違うってだけ」

 

「詰めてない。じゃあ、ちょっと違ってたってことを話してくれるのか?」

 

 かなめは深く頷いた。話をする為だけに呼びつけられた。ってことは重要な話か。

 

「ジーサードのことだよ。成り行きだけど、戦兄妹にまでなっちゃったし、本当のことを話してもいいと思ったの。極東戦役に乗り出した理由とその先にある目的について」

 

「なるほど。ってことは、以前にお前が話してくれたのは子供バージョン?」

 

「そういうこと、今から話すのが大人バージョン。規制も脚色もなし」

 

「そりゃまた楽しそうだ。続けてくれ」

 

「1つは──教育係だったサラ博士の教えを守ること。悪に虐げられている弱者を救って、強大な力を見せつけることで紛争の抑止力になろうとしてる。極東戦役は有名所が集まるからねえ、アピールには絶好の場でしょ?」

 

 奇しくもそれはイ・ウーが持たらしていた各勢力への牽制と似たものだった。

 

「金一さんが言うところの『義』の生き方か。ややダーティー・ハリー気味だが」

 

「理念を継ぐって意味ではお前と似てるよ。相手が人間かそれ以外かの違いはあるけどね」

 

「じゃあ、その先にある目的ってのは? それが最終的なジーサードの願いなんだろ。扮装や争いを世界から失くすとか、そんな感じか?」

 

 深海色をしたかなめの瞳が、沈鬱げに伏せられる。

 

「サラ博士を生き返らせること。死者の生還だよ」

 

 死者の生還──無視できない言葉を言い放つと、かなめは俺に背を向けてから、

 

「博士はサードが14歳の時、ロスアラモスに来た人で……研究所でたった1人、サードに優しく接してくれた人だよ。でも研究所の事故で命を落としたの。博士が亡くなったすぐあとで、サードも研究所から脱走した」

 

 ……恩人ってわけか。一言で片付けられる存在じゃなかったんだな。

 

「お前がこんなことで嘘をつくとは思ってないが本気か? ジーサードは本気で死者蘇生をやろうとしてるのか?」

 

「本気だよ、イロカネを求めたのはそれが理由なの。イロカネの力でサラ博士をこの世界に呼び戻すこと、それがもう1つの願い」

 

 言いたいことは湯水のごとく涌いてきた。死者の眠りを覚ますことが、必ずしもその人にとって良い結果にはならないことは過去のことで学んでる。だが、死者蘇生は死者の為にやるようなことじゃない、その逆だ。生者が他ならない自分の為にやること。死者の気持ちなんて生きている人間に分かるはずない。

 

 大切な人を取り戻したいのは、誰もが考える当たり前の願い。一度しかない命を贔屓して貰っている俺が、頭ごなしに否定していいものじゃないのは分かってる。俺自身、あのとき空港で夾竹桃が本当に命を落としてたら……十年で結ばれる魂の支払い期限を、一年に値切られたとしても十字路の悪魔と取引しただろう。こんなこと言えた立場じゃないが──

 

「やるならチャンスは一度だ」

 

「えっ?」

 

「俺が言えたことじゃないが、死者を生還させる行為は自然の法則をねじ曲げる。死神の仕事に後ろ足で砂をかけるようなもんだ。一度やれば必ず死の騎士に目をつけられる」

 

 仮に死者蘇生の魔術を完成させたとして、その手の術が使えるのは大抵一回限り。相手は黙示録の騎士の一柱、同じ手品で二回も騙せる相手じゃない。掻い潜るにしても生半可な方法では許してはくれないだろう。

 

「俺が言ったところでサードの意思が変わるとは思えない。あいつがやろうとしてることは否定しないよ、その気持ちは嫌ってほどに分かる。でも悪魔やイロカネに頼るのだけはやめとけ。連中の手を借りたら、どうあっても最後には絶対悪い方向に行く」

 

 今まで、何度も取引をやったがいつもロクなことにならなかった。上手い話には乗るなと言うが乗ってみれば最後爆弾だ。何もかも台無しになって、苦い結果だけが残る。

 

「今まで、これでもかって失敗をやった。両手の指じゃ足りないほどに」

 

 皮肉っぽく頰を歪める。藁にもすがりたい気持ちはわかる。だが、イロカネは駄目だ。さんざん失敗してきたから経験で分かる。あれは人がどうこうできるような存在じゃない、人の手には負えない。

 

「かなめ。博士を生き返らせたいなら、それは止めない。だがイロカネは不良債権だ。やるなら別の手を探せ。キンジだってきっとそう言うよ」

 

「目的そのものは否定しない、でもやり方には文句をつける。綺麗な落としどころだね」

 

「器用なのはお互い様だ。もしものときはお前とロカで止めてやれ。苦い結末を迎える前に」

 

「そのときは──お兄ちゃんも巻き込むよ。あたしのお目付け役も」

 

 そして、かなめから振られる視線。またしても意表を突かれた気分だった。

 

「どうかした?」

 

「驚いたんだよ。今の言葉、数週間前のお前には絶対に言われなかった」

 

「一度戦った相手とも時には協力するのが武偵だからねぇ。過去に生まれた確執を帳消しにするのは無理、でもそれって別に手を結んじゃいけないことにはならないでしょ?」

 

 ……そうだな、悔しいが納得させられたよ。キンジと同じで人を丸める込むのが上手い。

 

「ああ、仲が良いわけじゃない。むしろ、俺たちはその逆を行ってる」

 

「そう。あたしはお前が嫌いなまま、お前もあたしが嫌いなまま、別にそれでいいんだよ」

 

 と、かなめはいつものようにキャラメルをもぐもぐし始めた。

 

「でも空港のことがお咎めなしなのはやっぱり意外だったかな。バスカビールを奇襲したときでも鬼の形相だったじゃん」

 

「……そうだな。怒りがなかったかって聞かれると勿論あった。時間が傷を癒すってよく言う。でもただ待つだけじゃなく、時には自分で傷を癒すしかないときだってある。俺もお前も傷口を抉られた、勝者なんていない。最大の慈悲は──赦すこと、人はそう言うよ」

 

「誰の言葉?」

 

「シスター・メーヤ」

 

「バチカンかぁ、それなら納得。とりあえず、卒業までは味方でいてあげる──Hoo-yah」

 

「──Hoo-yah」

 

 お決まりの言葉と一緒に、俺たちは突き出した左手同士をぶつけ合った。

 

「帰るのか?」

 

「神崎がご機嫌斜めなんだよ。アクション映画と美味いピザで仔ライオンをなだめてくる」

 

「それは大役だな」

 

 かなめとの話し合いも終わり、玄関ではキンジが見送りに来てくれた。心なしか、外で再会したときよりも表情が明るく見える。実家にいる安心感──ってやつかもな。いいご両親ってのはかなめやジーサードを見てればよく分かる。

 

「あれよりはマシ。真冬にシカゴの通りで迷子になった家族を探すより。あれだけは勘弁だな、気温はマイナス二桁だぞ? 天気予報、なんて言ったと思う?」

 

「なんて言ったんだ?」

 

「凍傷に気を付けろ──感覚なんかないよ」

 

 かぶりを振り、うっすらと笑ってやる。良かった、苦笑いは貰えたな。

 

「お前の方はどうなんだ? 拳銃もナイフもなしの普通のスクールライフを送った気分は?」

 

「分からん。とりあえず、流れ弾を心配する必要はないな」

 

「そうか。まあ、これも一種の体験入学だ。仕事はこなせ、あとは楽しめよ?」

 

 なんとも分かりやすい。カルチャーショックって顔に書いてある。自分が思っていた場所とはまるで違ったものを見たときの顔だ。

 

「何か言いたそうな顔だな?」

 

「これだけ長くルームメイトやってりゃ何も言わなくても大体分かるんだよ。相談相手が欲しいなら電話しろ、俺はいつでも暇してるから」

 

「そうするよ。すっかりお人好しになったな、誰の影響だ?」

 

「誰って、そりゃ決まってる。お前と神崎」

 

「今日もジョークが冴えてるな」

 

 照れるなよ。皮肉じゃない、素直に受け取ってろ。カルチャーショックの傷を埋めるには足りないだろうが、お前もたまには女だけじゃなくて自分にも優しくしてやれよ。よく言うだろ、自分に優しくできるから他人にも優しくなれる。行き過ぎた利己主義は勘弁だが。

 

「ふと思ったんだが、もしかして俺って聞き上手なのかな?」

 

「それは良いことだぞ。履歴書に書けることが増えたな」

 

「ウケたよ。May we meet again. (再び会わん)

 

 お決まりのグラウンダー式で別れを済ましたつもりだが、キンジはまだ煮え切らない顔をしていた。

 

「なあ、もしも俺やレキが……このまま戻らないって言ったらどうする?」

 

 黙っているなら、こっちから聞いてやるつもりだったが自分から口を開いてくれた。寮を出たときと同じ妙な悲壮感と哀愁に満ちたルームメイトに、俺は眉を寄せる。

 

「長くなりそうなのか?」

 

「アリアと楽指をやった」

 

「そっか……長くなりそうなのか……」

 

 一度目を伏せてから、頭の後ろで手を組む。

 

「ま、別に死ぬわけじゃないんだろ? 生きててくれるなら何だってかまわねーよ」

 

「えっ?」

 

「人間、本当に辛い別れは死だけだ。俺は親父が死んだとき、それを痛感したよ。だからきっと兄貴は死なないでいてくれたんだろうな、生きることが嫌になってたときでも」

 

 生きることが苦しみにしかならなくても、自分からは死なずにいてくれた。ハンターだろうが武偵だろうが身内の葬式をやるのは真っ平だ。本当に辛い別れは死だけ──

 

「だから、もしもう会えなかったとしても──またな?」

 

 

 

 




以後ものんびりペースですがよろしくお願いします。原作も相変わらず面白いですね、アリアは続きがいつも気になります。


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遠山少年の実家帰り―File.2

 

 

 特秘の名目でキンジが部屋を去って数日──相変わらず、我が家はバスカビールの面子の溜まり場と化していた。俺が腰かけているソファーには理子、彼女を挟んで神崎が横並びに座り、真正面に置かれたテレビには理子が持ちこんできた映画が現在進行形で流れている。

 

「どういうこと?」

 

「なにが」

 

「いや、いきなり悲しい音楽に変わったから」

 

「だから、ここは泣けってこと、泣くシーン。泣くんだよ」

 

「だってこれラブコメだろ? ラブラブかゲラゲラしかないだろ、なんで泣く?」

 

 膝の上で抱えているポップコーンを摘まみながら、俺は至極当たり前の疑問を口にする。すると隣から理子が──

 

「だから、これは新しい展開なんだよ。誰か邪魔する相手が出て、それを乗り越えて、最後はめでたしめでたし。ハッピーエンドっ」

 

「ねえ、そういうコメンタリーは一度最後まで見てからにしない? あたしは恋愛映画なんて全然興味ないけど、仮にもオスカーを取った映画なんでしょ、これ」

 

「取ってない、理子の勘違い」

 

「まあ、たしかに他の賞だったかも……でも名作だよ?」

 

「あー、それは俺の借りてきた『チャイルド・プレイ』が名作じゃないってことか?」

 

「だってあんな映画、子供の頃見ても怖くないじゃん。ギミパペみたいでキリくんは好きかもしれないけど」

 

 どうにも俺の借りたホラー映画は理子の肌には合わなかったらしい。なんて失礼な……みんなチャッキー人形は好きだろ。内心悪態を突いているとまたしても理子が画面を指で示してくる。

 

「ほらほら、もうすぐだよ」

 

「何が?」

 

「いいから見てなって。画面がフェードアウトして──」

 

 刹那、淋しげだった音楽は壮大に、一気に盛り上がった。

 

「ね、言ったでしょ? これがラブコメ、ラブコメなの。このジャンルなら理子に任せて」

 

「く、くくっ……こんな、現実離れした映画あるんだ。駄目だ、笑いそう……ひ、ひぃ……! 腹が……腹が捻れ狂う……!」

 

「……」

 

「キリ、ほんとやめて!あたし、真剣に鑑賞してたのよ!?」

 

 リモコンで映画を一時停止させた神崎の怒号が突き刺さる。が、世の中には出来ることと出来ないことがある。いや、無理だって……駄目だ、まだ笑える。やっぱりラブラブかゲラゲラしかないだろ。

 

「……無駄だって。カーチェイスも爆発も起きない映画はキリくんには退屈ってこと。筋肉モリモリマッチョマンの俳優がドンドンパチパチしてない映画に興味ないんだよ」

 

「ええ、そのとおりだわ。理子、珍しく意見が合ったわね?」

 

「うん、珍しく合ったね。珍しく」

 

 どうやら笑えたのは俺だけだったらしい。ホームズとリュパンの子孫、本来は宿敵同士の筈の二人の視線に同時に責められた俺は、苦笑いで視線を明後日の方向に逃がした。普段はいがみ合うことも少なくないが、今みたいに思わぬところで馬が合うのが理子と神崎だ。ああ、仲良くなってくれて俺も嬉しいよ、まるで針のむしろだ。

 

「二人とも仲良くやってくれてるのは嬉しいが俺も一つ言わせてくれ。俺だって映画で涙することはある、良い作品やその場面ではちゃんと感動するし、泣くことだってあるさ」

 

「それってどんな場面?」

 

「どんなって……」

 

「プレデターに機銃弾200発とチェーンガンをフルパックでお見舞いしたときでしょ」

 

 理子の質問に言い淀んでいると、神崎が助けにもならない横槍を挟んでくれた。人間が自分たちの造り上げた技術と知恵で、未知の生命体に立ち向かう──まあ、確かに彼等の勇気と意思の強さには俺も感動したが……このまま話を流されるのも癪なので、真面目に思案してみる。

 

「401……401だな。ムサシを沈めたあとの艦長と401の別れ。考えてみたが、あれが一番涙腺を抉られた」

 

「401と武蔵って同じ生まれの潜水艦と戦艦でしょ? その映画では仲間で争ってたわけ?」

 

「ああ、かなり激しく。争いと言うか姉妹喧嘩だな。最初にヤマトとムサシが喧嘩して、コンゴウとヒエイも喧嘩する。身内で争いまくり」

 

「姉妹艦同士で戦わされるなんて悲しいわね」

 

「ただの兵器として見るか、それ以上の存在として見るか。俺はインパラをただの車以上の存在として見てるけどそれと同じなんだよ、401って船は。とても心のない兵器とは言えない、彼女は誠実だ」

 

「ふーん、あんたもロマンチストよね。でも船を女性に例える習わしは、今に始まったことじゃないし」

 

「……この噛み合ってるようで実は噛み合ってない会話、理子じゃないと見逃しちゃうね。これはあれだね、勘違いのカーニバルだよ」

 

 黙っていたはずが途端に苦笑いを浮かべる理子。かなり遠回しになったが俺は結論を言ってやる。

 

「ようするにあれだな。普段は冷静で頭が回るクールな艦長が感情を剥き出しにして、消え行く自分の船の名前を叫びながら、必死に46cm砲の上を駆け抜ける。そんなシーンに泣いちまったんだよ。素直に認める、あれには本気で感動した」

 

「キリくんの一押しだったチャイルド・プレイより?」

 

「チャイルド・プレイよりも。千早艦長とI-401《Combined;YAMATO》の勝ち」

 

「Combinedってなによ? 合体するの?」

 

「合体はロマンだからねぇ」

 

 洋上で75ノット出せる化物になるんだよ。戦艦なのに駆逐艦より早い。スイッチが入り、神崎にマシンガントークを始めた理子を尻目に、俺は殺風景になったテーブルを見る。

 

「お供のコーラが切れた、ちょっと外すぞ。これ持って」

 

 俺は膝の上のポップコーンを理子に手渡す。

 

「えっ、でも冷蔵庫にもないよ?」

 

「コンビニまで行ってくる。一番の盛り上がりは見れたしな。後は二人で仲良くコメンタリーでもどうぞ。理子はイチゴ牛乳、神崎は……炭酸飲料でも買ってくるよ。金は払っとく」

 

「払っとくって?」

 

「キリが奢ってくれるってこと?」

 

「そう」

 

「──あんた、宝くじても当たったの? 大丈夫?」

 

 ……理子も神崎も二人して目を丸めている。まるで有り得ないものでも見てるような反応だな、失礼な。

 

「大丈夫。宝くじには当たってないが」

 

「救急車を呼んでやるよ。明日は雪か?」

 

「……忘れてるだろ、二人とも」

 

 男口調の裏理子と腕組みする神崎の二人に、俺は逆襲のつもりで肩を落とす。

 

「「なに?」」

 

「千円の貸し」

 

「千円の貸し?」

 

 俺は、緋色の瞳を丸めて小首揺らした神崎に向けて、

 

「理子が言い出した賭け、先週の。三人でやったろ?」

 

「「あっ……」」

 

 息の合ってる二人は、ここでも同じタイミングでそのことを思い出したらしい。先週、理子が切り出して神崎も乗ってきた賭け。正確には金銭の賭けじゃなく、『千円までで次の機会に食事、または好きなものを買ってやる』ってことになっていた。結果は俺の一人勝ち。納得したような表情を浮かべている二人に、俺は一言。

 

「先にいうと自分から言うのは残念だけどな」

 

「奢ってくれるのかと思っただけ、忘れてないよ。アリア、千円」

 

「分かってるわよ、忘れてないってば」

 

「ああ、そうか、どれどれ」

 

 俺は理子と神崎から、それぞれ千円ずつ。計二千円を受けとる。

 

「ちゃんと払ったわよ?」

 

「じゃあ奢ってやるな。いいんだ、『ありがとう』はいらないよ」

 

「あたしと理子のお金よ!」

 

「違う、訂正。訂正。お前と理子のだったけど俺が賭けに勝った。今は俺の金──どういたしまして、ってことだ」

 

 ソファーから立ち上がり、受け取った紙幣を制服のポケットに入れる。

 

「……どこまでケチなのよ」

 

「ツァオ・ツァオの評価もあながち間違いじゃないかもね」

 

「どんな評価なの?」

 

「性格に難あり、改善の兆しもなし。早い話がトラブルメイカー」

 

 ……はっきり聞こえてるんだが。ここまで来たらいっそ清々しいくらいだ。

 

「これはきっと宇宙からのメッセージね、何か悟れってことだわ」

 

「夾竹桃みたいなこと言うな。それになんだ宇宙からのメッセージって。マスターヨーダがテレパシーでお前になんか送ったってか?」

 

「キリくん、それはちょっと違うかな。ヨーダはテレパシーは使えないんだよ」

 

「理子、今その話するか?」

 

 こんなときでも理子はポップコーンをもきゅもきゅと口に放り混んでいる。自由すぎる彼女に俺は右手で頭を抑えた。ありがとう、完全に毒気が抜かれた。

 

「分かった。さすがは神崎、さすがは理子、持つべきものはノーガードで殴り合える友達。感謝してるよ」

 

 寒さ対策のコートだけ引っ張り出すと、二人の同僚を置いて俺は部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

「あ、雪平切」

 

「違う。雪平"さん"だ」

 

「雪平サンダー?」

 

「……それも悪くないが。いや、もういい。校内でもないしな」

 

 お馴染みとなったコンビニで、俺は肩をすくめる。ほとんど金髪と言える茶髪のポニーテールが目の前で揺れていた。上下関係に厳しい武偵高だが、稀に間宮や彼女のようにタメ口が抜けきらない生徒も勿論いる。間宮の場合はほぼ俺とキンジ限定だが。

 

「こんな時間に一人でコンビニか。夜中のおやつでも買いに来たのか──貴希」

 

「先輩だって一人じゃん。人のこと言えないぞォー?」

 

 整った顔で間延びした返事をする彼女は車輌科の一年、武藤貴希。モデルみたいな長身とシャープな美人顔をしていて、ジャンヌや星枷に劣らずの美女である。そのブレーキ音みたいな名前に反して、スピード狂に等しい荒っぽい運転をすることでも有名な生徒だ。

 

「俺は飲み物が切れて買い出しに来たんだ。自分用と来客用、それとルームメイト用。退屈な映画鑑賞から逃げたかったのもあるけど。最後のはオフレコだぞ?」

 

 買い物用の籠に、ウォークイン冷蔵庫から目的のコーラを放り混んでいく。

 

「退屈な映画って?」

 

「退屈な映画は退屈な映画だよ。まだ20分は残ってる。だから逃げてきた」

 

「えー、最後まで見ればいいのに。20分くらい付き合ってあげなよ?」

 

「2分だってあんな映画見てたらおかしくなっちまう。おかしくなるわけにはいかない」

 

 隣でスポーツドリンクを持っていく貴希に、率直な感想を吐いていく。ジャンヌやワトソンなら楽しめたんだろうが、百人全員の客に愛される芸術はそうそうない──そういうことだ。嗜好や感覚は一人一人違うんだからな。

 

「まあ、本土にいる知り合いが言ってたが、全員は無理でも一人でも多くの客を満足させる為に励むのが『表現者』って生き物らしい。んで、あの映画は俺の肌には合わなかった。それだけ」

 

「それって役者の人?」

 

「昔、映画の撮影の仕事にヘルプで入ったことがあるんだよ。本土でやってたホラー映画の。そのときに主演の女優から聞いた」

 

「へぇ、初耳だァ。珍道中やってるね」

 

「現在進行形で」

 

 ちなみに、それは例の本にも載ってる話だ。彼女も現在進行形でホラー映画に引っ張りだこ。サイン貰っときゃ良かったな。

 

「そうだ、聞いたよ。文化祭、たこ焼きやってたんだって?」

 

 菓子コーナーで理子用にとんがりコーン、そして神崎には森羅万象チョコを籠に入れていく。

 

「キンジと神崎が誉めてたよ。ボール焼き、美味しかったってさ」

 

「雪平先輩が来てくれるのずっと待ってたんだけどなァ。轢いちゃうぞーー?」

 

 ぐいぐいっと貴希がそのシャープな美人顔を近づけてくる。名字と最後の特徴的な言葉からも分かるが、彼女はあの武藤の妹である。兄とは違って、レースクイーンの仕事もこなしている整った顔がニヤニヤと詰め寄ってきた。ったく、俺は溜め息と一緒に商品棚へ目を逸らす。

 

「悪かったな、今度行くときは俺も20個入りを買いに行くよ。なあ、本当に武藤の兄妹か?」

 

「生まれたときから」

 

「DNA、大いなる謎だ。悪くとるなよ、良い意味で」

 

「それは美人ってこと?」

 

「解釈は任せる。ミニ四駆、今度は負けないからな。首を洗って待ってろ」

 

 うっすら笑って、彼女の趣味であるミニ四駆で宣戦布告。すると、貴希の唇の端がゆっくりと持ち上がっていく。

 

「これだから身の程知らずは──その自信、粉砕しちゃうぞォー?」

 

「ふ、そいつはどうかな?」

 

 棚からポテトチップスを取り、俺はお決まりの言葉を返した。

 

「つか、なにこれ。ポテチに遊戯王カード付いてんの? いや、びっくりだね。すごいの一言、ポテチを売るのにトレカを使う。天才だ」

 

「うん、最近はなんでもかんでも付録付録」

 

「ほんと、なんでもかんでも。景表法が煩くなるわけだ」

 

「と言いつつ、しっかり買って行くところが雪平先輩だよねー」

 

 と、籠に入ったポテチを貴希が注視してくる。

 

「日本男児はおまけに弱い。それが野球カードでもポケモンシールでもな?」

 

 お菓子も食べれて、玩具も貰える。ちょっと得した気分になれるんだよ、これが。子供にはこうかばつぐん。

 

「ちなみに、雪平先輩が好きなポケモンって?」

 

「しんちょうなブラッキー。イーブイの進化で誰が好きか、あれは好みが別れる」

 

「おくびょうなサンダース」

 

「だろうな。車もポケモンが早いのが好きなのはよく分かったよ。あいつが一番早い」

 

 結局、コンビニを出てからも女子寮への分かれ道まで貴希と駄弁ることになった。武藤の妹ということで、彼女にはキンジも何度か世話になっている。スピード狂ではあるが兄に劣らず、彼女も車輌科では優等生。そのさっぱりとした性格も個人的には話しやすい。そこも好印象だな。

 

「インパラを選んだ理由?」

 

 道中、そんなことを聞かれて、俺は歩きながら空を仰いだ。

 

「だってさー、67年のインパラだよー? しかも4ドアのスポーツセダンなんて滅多に見られないし?」

 

「クラシックカーはモテる。ニュージャージーで親父にそう教わったんだ。そう、ニュージャージーで」

 

「ほんとに──?」

 

「正解、嘘だよ。インパラはローレンスで、親父が母さんとまだ付き合ったばかりのときに買った車なんだ。元々は母さんと、別の車を買う約束をしてたんだが……たまたまそこにいた……あー、友人……そう、車に詳しい友人のアドバイスでインパラに」

 

 まだ若い海兵隊の一人でしなかった親父が、ローレンスの一角で衝動買いしたのがシボレー・インパラ。後に本土を走り回ることになるディーンのbaby──

 

「275馬力、V8エンジン、ちゃんと整備すれば40年経ってもガンガン走る。そのアドバイスは正しかったな」

 

 まあ、その友人は40年先の未来からデロリアンでやってきたディーン・ウィンチェスターなんだが……そんなややこしい話は脇に置いとこう。例によって、語ると長くなる。

 

「で、俺はいわゆる転勤族ってやつで、インパラに乗って本土を端から端まで行ったり来たり。ずっと車とモーテルでの生活、そうなると単なる車以上の愛着を抱くようになる。選んだのはそれが理由、日本に来たばかりのとき──たまたま縁のあったオーナーから譲ってもらったのが今のインパラ。親父のインパラも本土でガンガン兄貴たちと走ってるよ」

 

 多少はレストアの必要もあったが、壊れたインパラを修理してやるのも我が家の伝統。babyの面倒を見たってだけのことだし、今となっては悪くない記憶だ。

 

「なるほどォ、良いエピソードで感動した。お兄ちゃんにも教えてあげていい?」

 

「ああ、構わないぞ。こんな話で良ければな。仲の良いこって」

 

 どうやらお気に召したらしい。が、横目で見た彼女は不思議そうな顔で、

 

「あれ、雪平先輩は兄弟と仲が良くない?」

 

「……家出したからなぁ。一時は冷戦状態だよ、今は和平を結んでるけど」

 

 微妙に痛いところを突かれた。刻印と原始の剣のことが知れたら、また針のむしろに座る思いをするのは想像に難しくない。ミカエルの一件で本土に戻って再会したときも、夾竹桃が悪魔の血を飲んでたことを事前にチクってくれたお陰で大変だった。かなめの一件では悪趣味なオカルトグッズの恩恵に甘えたが、出来ればあんな骨の塊はもう使う機会がないことを祈ってる。かぶりを振って、俺は空から視線を下げた。

 

「あ、今度カマロの試乗に行くんだけど一緒にどうー?」

 

 思い出したように、話題が変えられる。

 

「カマロって、あのカマロか?」

 

「雪平先輩、好きっぽいし。ああいう野獣みたいな車、5秒で96km出せる野獣」

 

「96km?」

 

「5秒で。コーナーリングも最高。ハワイでドライブするならあの車だよね」

 

「それは同感、ドライブするのも犯人とカーチェイスするのもあの車で決まり」

 

 慣れたウィンクを飛ばしてくる貴希は……武藤と同じで本当に乗り物が好きって感じだな。車輌科の仕事も彼女にとっては天職なのだろう。キンジのように武偵に後ろ向きな人間がいれば、貴希のように前向きな人間もいる。俺は──案外、この仕事が嫌いじゃない。

 

「分かった、一緒にカマロを転がそう。でも言っとくが転がすだけだ、浮気じゃない」

  

「インパラが嫁で、カマロは愛人ってこと?」

 

「……バカかお前は」

 

「え──?」

 

 真顔でそんなことを言われ、苦笑いを返す。そういや、ジャンヌのチームのメンバーの島麒麟の姉が、乗り物に恋だとかなんとか言ってたな。彼女は二年では武藤に並ぶ優等生だとか。車輌科は尋問科に負けず劣らず、変わり種が多い。この子や武藤みたいな愉快な生徒も尽きないが。

 

「しかし、お前から誘ってくるなんて始めてだな。実を言うと驚いてるよ」

 

「雪平先輩は滅多に雇ってくれないし、一緒にドライブする機会もないから」

 

「自分で運転しないと酔うんだ。それに、お前はいつもアウトバーンかってくらい飛ばしまくる」

 

「えーー?」

 

「とぼけても無駄だ。あれは武藤にお前のことを紹介されて、初めてお前の運転で助手席に乗ったときだった。タイムマシーンのデロリアンでもないのに、140km出すことねえだろ?」

 

 神崎やレキはおろか、星枷やジャンヌより高い長身でとぼけてくる武藤妹。俺もバスジャックのときは武藤に『アウトバーンのつもりで走れ』と言ったが、この子の場合は日本の道路全部がアウトバーン──制限速度なしになりかねん。

 

「それなら覚えてる。雪平先輩、初対面から今と何も変わってないし」

 

「変わってない?」

 

「今みたいに最初から絶好調だった。『眼鏡ないと見えてないんじゃないのか、ここはサーキットじゃねえんだぞ』とか、それとか『おい、スピーカーのボリュームあげろ。GPSの声の女がおろしてって言ってるぞー』とか」

 

「それ、俺が言ったのか?」

 

 聞き返すや即座に頷かれた。

 

「じゃあ、本音。荒っぽい運転はともかく、おまえの技術と知識については信頼してる。真面目にな。近頃は災害級のアクシデントばっかで頼るときがなかったが、必要なときはお前を頼るよ」

 

 ここ最近は、イ・ウーや極東戦役の普通じゃない戦いばかりだったからな。反応を窺うと……良かった、ご満悦だ。そんなこんなで話題の尽きぬまま、帰路の分かれ道はやってきた。

 

「思わぬ珍道中だったな」

 

「えー、感想聞かせてよ?」

 

 またしても、スピード狂の彼女はぐいぐいと肩を寄せてくる。

 

「そうだな、久しぶりにお前とお喋りできて楽しかったよ。キンジの特秘のことで気を使ってくれたか?」

 

「半分正解で半分外れ。お兄ちゃんから話は聞いてるけど、コンビニで合ったのは偶然だし」

 

「そうか。じゃあ、今夜はたまたま会って、たまたま駄弁って、たまたまドライブの約束をしたってことで」

 

「約束、破ったら轢いちゃうぞーー?」

 

 コンビニ袋から、棒つきキャンディーを取り出すとーー貴希は悪戯っぽく口に咥えたまま、こっちにウィンクしてくる。

 

「お休み、雪平先輩」

 

 ……ちくしょうめ。キンジの周りって、ほんと美女に事欠かないよな。この小悪魔め。

 

「お休み、貴希。ドライブが終わったら、ミニ四駆の勝負またやろうな?」

 

「勿論!」

 

「約束」

 

 そして、俺たちはそれぞれの寮への帰路に別れた。少し歩いたところで、携帯が鳴る。開いた待受画面には『神崎』の二文字。

 

「雪平」

 

『あんた、いつまで珍道中? 映画終わっちゃったわよ?』

 

『キリくんキリくん、ドンジャラしよっ! ドンジャラ! ドンジャラ! ドンジャラ!』

 

『理子ー!ちょっと静かにしなさい! うるさい! うるさい! うるさい!』

 

『ドンジャラ! ドンジャラ! ドンジャラ!』

 

「……この携帯エコーでもかけてんのかな」

 

 理子の快活な声と、神崎のアニメ声が時間差で響いてくる。こんなコントみたいな電話されたら睡魔だって吹っ飛ぶぜ。いや、待った。ドンジャラ、ドンジャラかぁ……そういや、部屋に置いてあったな。ドラえもんの。

 

「悪い、たまたま会った後輩と話が盛り上がってな。すぐに帰るよ」

 

『後輩? ま、滑って転ばないようにね』

 

「心配どうも。俺もやるよ、ドンジャラ」

 

 ったく、そんな子供じゃないっての。携帯を切り、俺は仰いだ真っ暗闇の空に向けて、薄く笑ってやるのだった。さあ──ゲーム(ドンジャラ)の時間だ。

 

 




作者はブイズならシャワーズ、メンタルモデルならイオナが一番好きです。


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遠山少年の実家帰り―File.3

 珍しく、神崎と二人で仕事をやった帰り際のことだった。仕事終わりにまた一仕事、強襲科らしい荒事の仕事が回ってきて、俺たちは現在ヘリで目的の場所へ海面の上を飛行している。そう、面倒なことに目的の場所は徒歩ではいけない場所にあり、海面に浮かんでいる人工浮島にヘリは進路を取っていた。

 

「俺も昔はヘリで飛ぶの怖かった。でも統計的に見て飛ぶのは車より安全なんだってな。キンジもたまにはいいこと言うよ」

 

「それ、飛行機の話よ? ヘリは車より事故が多いの、確率は車の85倍」

 

「85倍……?」

 

「キンジに騙されたわね」

 

 道中、一年越しに発覚する事実。あの野郎、俺の感謝の言葉を返せ。ヘリが落ちるのはバイオハザードの中だけだって本気で信じてたんだぞ。

 

「この件の報酬は保険会社から出るようですよ?」

 

「仕事の帰り道でもう一仕事はね。銃器販売会の襲撃、昔を思い出すわ」

 

 うなりを上げるローターの羽音に、神崎の溜め息が被さる。物騒な会話に嫌な顔もしてこなかった操縦士に内心謝罪しつつ、頭の片隅に置いてある記憶を引っ張り出す。神崎が関わった銃器販売会の襲撃事件、その件なら心当たりがあった。あくまで、他者を経由して聞いた話の域だが。

 

「間宮と火野が人質として絡んでた事件だな。それなら知ってる、元Sランクが首謀者ってのも先生から聞いたよ。お前とレキが二人で制圧したってのも」

 

「Sランクにしちゃ骨がなかったけどね」

 

「お前やレキが化物なんだろ。連中も貧乏くじ引いたよな」

 

 一重に強襲科のSランクと言っても、俺でもどうにかなりそうなレベルからキンジみたいな人間卒業手前まで色んな奴がいる。キンジがあれなだけで、神崎も欧州が必死に取り戻そうとするくらい優秀な武偵だ。連中にすれば不運だが、単騎で制圧されたところで恥にはならない。

 

「直上から行くのか?」

 

「これ旋回性が悪いから。あたしに続きなさい」

 

 ヘリの機内っていうのは、通常もっと大声で話さないとお互いの声が届かない。風やローター音がリアルタイムで邪魔してくる。このヘリ、武藤が言うところの最新式、科学の結晶ってやつかもな。無茶振りがハッキリと耳に届いてきた。

 

「本音を言うと、何度やっても空挺だけは好きになれない。強襲科の履修で蘭豹先生にヘイロージャンプをやらされたときは無茶苦茶恐かった、今でも覚えてる」

 

「高いところから飛んで目標地点スレスレでパラシュートを開く、やることは簡単よ。100回もやれば馴れてくるわ」

 

「ああ、だから本音を言えばと言ったろ? 数を重ねれば馴れてくる、でも心の片隅ではずっと思ってるんだ──イカれてる。空の上に弱いのはディーンに似ちまったのかな、お先にどうぞ?」

 

 素直に先頭は譲ってやる。こんなに情けないレディ・ファーストもないな。でも彼女やる気満々だし──って、なんでパラシュート着けてないのにドアの前に立ってんだよ。それは手提げするもんじゃなくて……

 

「じゃ、遅れるんじゃないわよ。手本見せてあげるから」

 

 と、神崎はパラシュートコンテナを……ドアの真下に落とした。そして追いかけるように自分も空に身を投げる。

 

「お前、バカか──ッッ!?」

 

 冷や汗を掻きながら、俺は神崎が飛び出した眼下に目をやる。が、頭から空に飛び出した神崎の落下速度は瞬く間に先に投げたコンテナを追い抜き、あろうことか右足の甲でリップコードを引いてしまった。ほぼ空中で逆さまに直立する姿勢でパラシュートが開き、そのまま即売会の会場に向けて降下していく。

 

 まるで足からパラシュートが生えているような異様な光景だった。目を疑うのと同時に、その意図がなんとなく俺には読めてしまう。読めてしまった。あいつ、あのまま窓をぶち抜いて乗り込む気だぞ……

 

「運の悪い奴等、とんでもない女を呼び寄せちまった。そんなやり方が手本になるかよ……」

 

 幸いなことに木の生い茂る森に降下するわけじゃない。目の前で無茶苦茶な手際の良さを見せられたが、俺は俺で窓をぶち破った神崎とは反対に会場の屋根の上へと普通にパラシュートを使って着地。既に神崎が暴れているらしく、銃声が外にまでやってくる。キンジがいなくなってから、ご機嫌斜めだからな……無茶苦茶やりやがるぜ。今のはイーサン・ハント並みだ。

 

「早く二人とも戻ってこねえかな。仔ライオンの世話には飽きた」

 

 神崎にとってのストッパーたるレキとキンジの存在が恋しい。パラシュートを切り離し、タクティカルライト付きのトーラスを抜いてから遊底に手をかける。相手が先に抜いてくれてるならやり易い。神崎が暴れまくったお陰で、俺は館内から走って出てくる残りを刈り取ればいい。背後から眼下の犯人に向けて、一方的な9mmパラベラムの雨を降らせる。

 

 弾切れでホールドオープンすれば弾倉ごと弾薬を交換。9mm特有の弾数の多さに物を言わせて逃走する犯人の足を止める。足だろうと肩だろうと、どこをどう撃ち抜いてもそこには肉眼で出血が見える。おい、防弾仕様じゃねえのかよ。生身なら、神崎のガバメントは完全に魔弾だぞ。

 

 四肢を撃ち抜いて、手当たり次第に無効化していくが想像よりも頭数が少ない。誰かさんが暴れて、大半は逃げる間もなく倒れちまったか。あんな無茶苦茶な方法で乗り込まれたら、誰だって怯みもするよ。あの手際の良さ、前回の襲撃時間も同じ方法で乗り込みやがったな。騒動が沈静化に向かっているのを感じながら、俺も身を屈めて出入り口に向かう。

 

「どうなった? 地獄絵図みたいな音してたけど?」

 

「バカな銃を選んだわね。『Cz75』──ダブルアクション。引き金がすごく重たい」

 

 そう呟いた神崎は、気を失った犯人に平然と言葉で死体蹴りをかまし、倒れてうなだれた手から銃を奪い取った。館内は既に制圧され、無力化された犯人と見られる男たちがそこいらに転がっている。まるで台風が通った痕みたいだな。俺が正解、まさしく地獄絵図。

 

「ああ、引き金を絞りきる前に相手の口に突っ込める。ただし、お前やキンジの限定技。普通の人間に真似は無理」

 

 館内を見渡すが死亡者が出るような事態にはなっていない。流れ弾や跳弾のことが気掛かりだったがどうやら事は上手く納まったようだ。同時に俺は無視できないものを見つけてしまう。なるほど、どうりでさっさと片付いたわけだよ。口に突っ込めそうなヤツがもう一人いたな。

 

「藪を突いたら、化物がもう一匹いたわけか。カモのつもりで飛び込んだ先は地獄の釜」

 

「雪平くん、相変わらずだね」

 

「ユーモアなしにやってけないんだ、この仕事はな」

 

 理子風に言うと、希少なレアキャラとエンカウントした気分だ。希貴とコンビニでたまたま出会う確率よりもこれはさらに珍しい。俺は視線の合った男から、一暴れした神崎に一度視線を移す。

 

「神崎、こいつは一石。知ってるかもしれないがXクラスのSランク武偵だ」

 

 ご自慢のガバメントをホルスターに納めた神崎は「知ってる」と、短く答えてくる。

 

「こんなところで会うなんて奇遇だが訳は聞かないでおくよ。んで、ウチのリーダーと大暴れした気分はどうだった?」

 

「噂通りだよ、凄腕だ」

 

 ったく、面白味のない感想だな。そっちも相変わらず生真面目なことで。この一石はXクラスと呼ばれている主に海外の警察・軍警察・軍の特殊部隊、外人部隊、軍事顧問団などに雇用される特別なクラスに在籍する優等生の一人。16歳から即戦場行きのハードモードをこなしている文句なしの凄腕で、キンジや俺とは一年生のとき以来の知り合いだ。

 

 強襲科・狙撃科・車輌科を掛け持ちしてた超人で、おまけに勉強までデキる。ピーキーと言われがちな俺とは違い、あらゆる方面で隙がないと評判だ。唯一、洒落っけのない性格で女子との浮いた噂だけはない。ま、女に気をつけることが推奨されている武偵としてはーー間違いでもないか。

 

「あたしのこと知ってるの?」

 

「有名人だからね」

 

「それ、キリも同じこと言ってたわ」

 

「実際、本土だとお前は有名人だよ」

 

 神崎と、彼女と同じくSランクで師匠とされているアンジェリカの評判は遠い本土にまで届いている。有名人の噂は本人の意思とは関係なしに広がるものだ、良い噂も悪い噂も平等にな。

 

 両手でガバメントを乱射するバカみたいに強い欧州のSランク武偵、海外のテロリストや武装した傭兵に不殺縛りで日夜戦い続けている東京武偵校の秀才、それを同時に相手するのはハードモードもいいところだ。この阿鼻叫喚な有り様も当然と言ったら当然。俺だったら白旗振るね。二人の実力を知ってるだけに尚更だ。

 

「まあ、なんであれ。一件落着だな。Book'em(ぶちこめ),神崎」

 

「……それ、言うタイミング待ってたわけ?」

 

「さっきから言いたくてウズウズしてた」

 

 神崎が呆れ顔を浮かべてから少し経ち、ようやく応援もご到着、手錠を嵌められた犯人たちはやってきた警察の方々に導かれてボートに乗せられていく。何人かは大人しく歩き、何人かは足を撃たれて肩を借りながら。神崎の無茶苦茶な奇襲には驚かされたが無事終わったな。とりあえず息はしてる、悪くないクランクアップだ。

 

「たった二人の学生に数分で制圧されちまうなんて、あの犯人たち一生悪夢に魘されそうだな」

 

「でも人に話すネタができた。面会でね?」

 

 それは言えてる。

 

「パラシュートのトンデモ奇襲には驚かされたよ。知り合ってから一番バカな真似だ」

 

「ふーん。なら、一人でフリタータを焼いたのは一番バカな座から落ちたってことかしら?」

 

「それは三位、フリタータで火災探知機を鳴らしたのは三位。元から一番バカな座じゃない」

 

 バカみたいな奇襲にバカみたいだと言ってやると、ふてくされた顔で横目を向けられた。そんな表情しても無駄だ。クラインフィールド、クラインフィールド張った。訂正はしない。フライパンに消火器ぶっかけるなんて二度とごめんだ。

 

「二人は遠山君と同じチームだったよね?」

 

「今は依頼で出てるの、ちなみに帰宅は未定よ。ちゃんとやってればいいけど」

 

「大丈夫。レキも一緒みたいだし、上手くやるだろ。さてっと、やっと帰れるな。弾痕まみれのソファーが恋しい」

 

 帰ろう、ホームシックだ。久しぶりの空挺はやっぱ堪えたな。今度はキンジに譲るよ。

 

「理想的な週末だったわね」

 

「ああ、本当に。一石、今度はキンジがいるときに会えるといいな?」

 

「それまで死なないように頑張るよ」

 

 ──冗談が上手いね。俺も死なないように頑張るよ。

 

 

 

 

 

「悪いこと言わないからレストランなんてやめときなって。トラック屋台にしときなよ、失敗しても崖から落としたら保険金が出るんだし」

 

「冗談じゃない、我慢できると思う? これ以上あの雪平切と車で一緒に過ごすなんて」

 

 ここをこうして……こっちを、こう……あ、いや……こっちをさきに……

 

「それもそっか。キリくん元気にしてる?」

 

「ええ、相変わらずガミガミうるさいわ」

 

「くふふ、いつも通りだねぇ」

 

「おい、俺がいるのに俺がいないみたいな会話をするな。さっきから全部聞こえてるぞ」

 

 手元で格闘していたルービックキューブから視線を外し、助手席の理子と運転席の夾竹桃との会話に割り込む。今となっては浅くもない『イ・ウー研鑽派残党』とのドライブ、微妙に気に入らないのはbabyに乗ってるってのに運転してるのが夾竹桃ってことか。外は清々しい晴れ模様、冬が近いとは思えないほど温暖だ。

 

「お前が言い出したんだろ、何かがおかしくなって、俺が本土か日本でレストランを始めたら自分にも一枚噛ませろってな」

 

 それは、いつか神崎が言ってくれた言葉が契機になって浮かんだ話だ。

 

「もしもの話さ。ナイフを振り回したり、銃弾が頭を霞めたりすることもなくなって、そういう暮らしと縁が切れたらどうするかって話。キンジが言うには、人生相当マシになる」

 

「でもテレビで言ってたよ? 恵まれ過ぎた暮らしっていうのも退屈するものだって」

 

 そう言った理子は、既に何パック飲んだか分からないイチゴ牛乳のストローを鳴らした。いちご大福も食って、一人だけ宴状態だ。

 

「どこの誰か知らないけど、是非インタビューしてみたいもんだな」

 

「世間が思うほどいいものじゃないらしいよ。プライベートジェットでの旅も、無駄に豪華な5つ星ホテルの部屋も、毎夜のカクテルパーティーや綺麗なモデルたちの空っぽな会話もーーそれなりに楽しいけど、結局飽きがくるってさ」

 

「人間の欲には際限がない、そういうことね」

 

「でも武偵を辞めちゃったら、その後の人生って山も谷もない物静かな人生になりそうな気がするんだよ。非日常に馴れてる体が、いきなり日常の空気に順応するのって自分で思ってるより苦労するんじゃないかな。それに、キリくんと夾ちゃんを見てると、この仕事も悪くないと思うんだよねえ。あちこちドライブして、情報を集め、たまに乱闘し、車中ではかしましく語らう、なかなか愉快じゃん」

 

「「かしましい?」」

 

 打ち合わせもしてないのに運転手と声が重なった。理子は『やっぱり……』と言いたげな顔で、首を後ろに向けてくる。

 

「いつも口論だ、お互いこけ下ろし合ってる。倦怠期の夫婦みたいにやり取りして、仲が良いのは分かってるよ。一緒にレストランもやろうとするほどだしな」

 

 男口調でお馴染みの裏理子モードで顔を戻した理子は、

 

「実は離れがたいんだろ?」

 

 変わらない声色でそう言ってきた。こういうとき、俺よりも彼女と付き合いの長いであろう夾竹桃に返しの言葉を期待してみたが待てども返事は飛んでこない。狼狽でも呆れでもなく沈黙──まあ、一番無難な返しかもしれないな。

 

「どうかな。ずっとディーンに言われてた。『俺たちは俺たちの求める物を絶対に手に入れられない、今あるものを手元に置いとくだけのために必死に戦ってるのが現実』なんだってさ。でも武偵高で過ごしてる時間って、案外俺の求めてた物なのかもしれないんだよ。真面目に考えてみるとさーーだから、そうだな……」

 

 おもいっきりシートに背中を倒し、俺は本音を口にしてやる。

 

「──離れがたいよ。夾竹桃もジャンヌもお前やキンジ、神崎やみんなとは離れがたい。悔しいけど当たってる。さっぱり別れるには、楽しい時間を作りすぎちまった。幸運なことにな?」

 

 自分にも言い聞かせるようにして、かぶりを振る。大切だと思う人と出会うと、立ち去るのは難しいーー夾竹桃が上手に流してくれてたら、こんなこと言わずに済んだんだけどな。俺は微かな恨みを込めて視線を運転席の夾竹桃にやるのだが、

 

「あいつの言葉、なんか重たくないか?」

 

「たまにやるのよ」

 

「けど、清々しいくらい素直な答えだ」

 

「それもたまにやるの」

 

 裏理子モードの理子と夾竹桃のレアな会話を見せられつつ、俺は半分だけ残っていた缶コーラをドリンクホルダーから持ち上げた。ああ、たまにやるんだよ、たまにな。同じくメロンパンを噛り始めた理子に今度はこっちから話を振ってやる。

 

「小さいわりによく食べるんだな。さっきイチゴ大福食ってなかったか?」

 

「蜂鳥並みに代謝がいいんだよ。美味しいって評判なんだ、ここのパン屋」

 

「そんなに評判なのか?」

 

「理子は情報通ですから。キリくんはお店のレビューとか読んだりしないの?」

 

「レビューも本も読まないわよ。読むのはシリアルの箱の裏くらい」

 

 理子の質問に即答で皮肉が飛ぶ。シリアルの箱の裏って今でもなぞなぞが載ってるが、仮に俺が載せるならこう書くねーー夾竹桃は人に皮肉を言わずに、何時間我慢できるでしょうか。

 

「理子、話を戻すことになるが良いことを言ってくれたよ。仮に一緒にレストランやるにしても間違いなく戦争になる。新品じゃなきゃ駄目、補償がなきゃ駄目、融通が効かないガチガチの石頭ってのは目に見えてるからな」

 

「待って。中古で厨房機器を揃えつもり? それ本気で言ってるの?」

 

「厨房機器、中古で買うのは常識。これでどんだけ金が浮くと思ってるんだ」

 

「リスクを考えなさい、リスクを。出たとこ勝負はウィンチェスター兄弟のお家芸、でもこれは"狩り"じゃない。頭を使わないと」

 

 運転席から飛んでくるその言い草に、俺はいつものように溜め息を挟む。

 

「またその態度か」

 

「わざとよ」

 

「人を小馬鹿にしたような態度だよな」

 

「どこが?」

 

「呆れたれた顔してそっぽむくだろ」

 

「呆れたんだからしょうがないでしょ」

 

「それはしょうがなくても小バカにされると傷つくぞ。保証なんてなくてもちゃんと良い物を選べば絶対壊れない。マジで」

 

「ピンポーン、お邪魔しまーす。さきほどから隣にいるものですが」

 

 実に理子らしい横槍で、俺は額に手をやる。

 

「大体、家電にリスクは付き物だろ。なのにお前はリスクを拒否してる。そこが最初から矛盾してる話さ、だったらレストランなんてやらなきゃいい。そうだろ、理子?」

 

 助手席のお友だちを仲間に引き込むべく、話を振るが裏理子モードを解いた彼女は予想に反して中立だった。

 

「じゃあ、ずっと武偵かハンターでいればいいじゃん。そんな二人に理子からプレゼントがありまーす。刮目せよ!」

 

 そう言って、俺の足元に投げられたのは今朝の新聞だった。プレゼントって言葉が気になったので、ひとまず見出しに目を落としていく。めでたいスポーツのニュースやタレントのスキャンダルじゃなさそうだ。

 

「失踪事件か?」

 

「ただの失踪事件じゃないよ。連続失踪事件、車は見つかったけど男性は消えてしまった」

 

「ただの誘拐の可能性はないの?」

 

「まあね、春にも起きてる。2004年、2001年、96年……過去20年で13人が失踪した。それも全部同じ場所で消えてる」

 

「それはまた──偶然じゃなさそうだな」

 

 新聞を置いて、俺は小さく息を吐いて、肺の空気と一緒に頭を切り替える。

 

「警察が車を調べたんだけど、争ったあとも足跡も指紋もなかったんだって。変だと思わない?」

 

「ああ、変だな。車から消えた男性、何の手がかりもなく残された車か」

 

「おやおやー、なにかレーダーに引っ掛かったって感じだね?」

 

「人間技じゃないってことさ。分かった、キンジもまだ戻る気配がないしな。ちょっと調べてみるよ、教えてくれてありがとう」

 

 人間技じゃないな、つまりいつもの相手だ。ずっと一緒にいたキンジが消えて、あの部屋も殺風景でだだっ広い。クレアじゃないがこんなときは狩りをするに限る。

 

「ま、久々にドライブでも行ってきなよ。キーくんもいないし、初デートしてきたら?」

 

「夾竹桃なら、一人でずっとゲームギアやってるよ。なんでこのご時世にゲームギアなんだ?」

 

 失踪事件のことは調べるとして、俺は最近気になっていた疑問を彼女に投げる。ゲームギアなんて10年以上前のハードなのに、なぜか夾竹桃は妙にあのハードが気に入ってるのだ。今みたいに指摘しやると、案の定つまらなさそうな声がやってきた。

 

「雪平、生まれたときから礼儀知らずなのは知ってるけど、カラー液晶の先駆けに失礼だとは思わない?」

 

「ハード戦争だねぇ」

 

「そんなこと言われても……あれってカラー液晶の元祖なのかよ。初めて知ったぞ。お前、もしかしてゲーム……メカオタだったりするのか?」

 

「姉さんがメカオタなのよ」

 

 さらっと、スルーできない言葉が流れて、俺は目を丸めた。

 

「なに、夾竹桃って姉さんがいたのか?」

 

「よく言われるわ。生まれて来る順番を間違えたんじゃないかって。私より幼く見られるから」

 

 ガーデニング趣味の夾竹桃に、メカオタの姉がいたなんて初めて聞いたぞ。

 

「知ってたか?」

 

「キリくんよりは長い付き合いだし」

 

 それもそうだな。イ・ウーでは同じ研鑽派にいたわけだし。

 

「あ、キリくん。新作の携帯ゲーム器、理子と夾ちゃんはもう予約してきたよ? キリくんも予約しよっ!カラーのバリエーションもいっぱいだよっ?」

 

 一転、理子が今度は新聞ではなく、ゲーム雑誌の1ページを開いたまま渡してくる。

 

「へぇ、CMでよく見かけるけど」

 

「紫、黒、白と緑まであるんだよー?」

 

 受け取った雑誌に目を落とすと、理子が挙げたのはほんの一部で黄色やオレンジなんてのもあるんだな。

 

「夾竹桃は?」

 

「Purpleにしたわ。正確にはライラック・パープル。明るい紫色ね」

 

 へぇ、黒に行くかと思ってた。Purple、black、white、green……

 

「悩んでるところ悪いけど、到着よ」

 

 ハッとして、俺は開いていた雑誌のページを閉じる。窓の先には目的地である女子寮が見えていた。俺は閉じた雑誌をそのまま理子へと返す。

 

「理子、ありがとう。また考えとくよ」

 

「うん、買ったらみんなでモンハンやろ?」

 

 屈託のない笑顔を向けられて、俺も「ああ」と二つ返事で返していた。理子の背中が女子寮に消えていき、俺の視線はまだ運転席を離れようとしない残りの一名に向いていく。

 

「夾竹桃」

 

「連続失踪事件なんて、ボランティア呼ばないとすぐには終わらないと思うけど?」

 

 とんとん、とハンドルが指でタップされる。小悪魔的な横顔は唇を歪めて、言葉を続けた。妙に得意気だ。勝ち気な笑みが似合うことで。

 

「ツイてるわね。ここに経験豊富なヘルプがいるけど?」

 

 ああ、そういう流れか。本音を言うと、ちょっと期待してたよ。

 

「たぶん、お前がいないと俺はもう生きていけない」

 

「お可愛いこと。乗せられたわけじゃないけど初デートに行きましょうか」

 

 ああ。ただし──運転は俺がやる。

 

 

 

 今度こそ、ハンドルを取り返して、日本の道路をシボレー・インパラが走る。この走り、アメ車と言えばこのV8エンジン。やっぱり67年のインパラは最高だ。いつまで経っても自慢の彼女──ちゃんと整備してやればこの先もまだまだ走ってくれる。信号待ちの合間に携帯の短縮ダイヤルに載せた友人の番号にかけると、律儀にも一回目のコールで相手は通話に出た。

 

『雪平の助手のジャンヌ・ダルクだが?』

 

「お疲れさま。でも俺はまだ何も言ってない」

 

『ランチの時間は過ぎていて、ディナーにしては早すぎる。頼みごとがあるのだろう?』

 

 相変わらず、イルカのように聡い。いや、鋭いって言うべきか。ハンドフリーにした携帯を俺は夾竹桃に投げて渡す。

 

「たぶん、貴女がいないと私と雪平はもう生きていけない」

 

『お前も一緒か。二人して珍道中、まあいつものことだが』

 

「理子に失踪事件の話を振られてな。調べて欲しいことがあるんだ」

 

『失踪事件?』

 

「過去20年で10人以上が同じ場所で行方不明になってる。一番新しい犠牲者は車だけを残して姿を消した。足跡や指紋みたいな争った跡はどこも残ってないらしい。なんか怪しい」

 

 同じ場所、取り残された車、行方不明者、理子も何かきな臭いモノを感じたのだろう。

 

『失踪者の共通点は?』

 

「今のところは男性ってだけ。こっちから失踪場所についてのファイルを送るわ」

 

『代金は?』

 

「ああ、それについては喜んで。今度の休みは雪平の奢りよ」

 

「えっ、ちょっと……俺の?」

 

「本土に貴方を迎えに行ったとき、何回も死にかけたけど、四回は貴方の命を救った。それぐらいいいでしょ、今日の手当てを含めて」

 

 そこでその話を持ち出してくるのかよ…… 

 

「……ま、まあ、それぐらいなら。けど、店は俺が選ぶからな。ジャンヌ、それでどうだ?」

 

『ふ、お前のポケットマネーで食事でありつけるのだ。この上ない』

 

 ああ、楽しそうで何よりだよ。

 

「交渉成立ね。よろしく」

 

 インパラが信号で止まり、通話の切られた携帯を受けとる。煙管の代わりに棒キャンディーを咥えている夾竹桃に俺は半眼を作る。

 

「また始まった」

 

「何が?」

 

「一生言うんだろ、死ぬまでずっと。上から目線で。私が本土まで迎えにきてやったぞーって、命を救ってやったんだぞって」

 

「まさか、今回限りよ。そこまで心の狭い人間じゃない。でも私が救った命でもあるの、大事にしなさい。それと一度死なれた、二度目はない。次に異世界に残るときは私も相乗りするから」

 

 それなら二度目がないことを切に願うよ。あんな悪趣味なテーマパーク、二度と行きたいとは思わない。あっちの知り合いも揃ってこっちに移住したし、尚更だ。お陰で賢人のアジトも大世帯になっちまったしな。

 

「あんな干からびた世界、夢でだって見たくねえよ。あんな世界のことより、レストランのことでも考えようぜ?」

 

「ええ。決めることは尽きないわ、ボックス席の色どうするかとか。赤にするしても色んな赤があるし」

 

「それ、お前が前に車のシートのことで言ってたガーネットやカラントなんかの話か? あれってその……全部一緒に見えたぞ?」

 

「違うわ、貴方にはどれも赤に見えるだろうけど全部違う。あの鮮やかだったのはガーネット、他に見せたのはカラントにーーブラッド。いかにも貴方が好きそう」

 

 とりあえず、肩をすくめとこう。ライラックの時点で悟るべきだったな。こいつの中での紫はパープルやらライラックやらアイリスやら、明度や彩度で複雑に分けられているんだろう。俺の知らない間に色彩検定でも受けてやがったのかな。

 

「そうか。でも俺は赤より緑が好きなんだ、ヒトカゲよりフシギダネを選ぶ」

 

「あら、前はリザードンって言ってなかった?」

 

「前まではな。でもジェダイか何かのパワーに引き寄せられちまって、今ではすっかりフシギバナ派だよ。天候が晴れなら無双できる、ピーキーなところが気に入った」

 

「納得したわ。自分に似てるから気に入ったってわけね」

 

「言わせてもらうけど、俺よりお前のほうがよっぽど尖ってる。もう尖りまくり。ピーキー中のピーキーだ。名前の響きはかっこいいけどな、カリスマっぽい」

 

「ピーキーが?」

 

「ああ、なんかカリスマっぽいだろうが。玄人って感じ」

 

 peaky──特定の条件下では驚異的な性能を発揮するが、それ以外では満足に力を発揮できないことの喩え。俺の場合は『人間』以外の相手をするときには心強いという意味で、理子や神崎に皮肉を混ぜて言われることが多い。まあ、純粋な人間の相手はそれこそキンジと神崎に任せればいいんだがな。それはアドシアードのときから変わらない。

 

「ピーキーって、大抵はその性能を活かしてくれるパートナーがいて成り立つものでしょ? ところが、貴方の話でいくなら私もピーキー、貴方もピーキー、制御役がどこにもいないんだけど?」

 

 小首を揺らされると、俺も言い淀んだ。確かにそれは言えてる。神崎にキンジ、ホームズにワトソンがいるように、ピーキーなボーカリストはそれを支えてくれるBGM──楽曲がいてこそ輝ける。そこを行くと、俺と夾竹桃はメロディと伴奏の役割分担はおろか、お互いに違うメロディを好き放題に弾いてるようなもんだからな。

 

「分かった、話題を変えよう。peaky、peakyって分析ばっかやっても無駄だ。どうせいざとなったら、いつもみたいに出たとこ勝負になる。それと1つだけ、俺ならボックス席は黒にするかな」

 

「またどうして?」

 

「ベーシックな色の方がいい、シンプルなのが一番だ。ワトソンもそう言ってたよ。潰れて競売にかけるとき売りやすいからな」

 

「ネガティブな意見ありがと。やるかどうかも分からないことで、どうしてここまで論争が白熱するのかしら」

 

「負けず嫌いなんだろ、お互いに。生まれたときから」

 

 

 いつも通り、車内でノーガードの殴り合いをしながら信号機を跨いで、舗装された道を走ること数時間──目的の街が見えてきた。今日が土曜日とはいえ、インパラで滋賀まで来ることになるとはな。レキが救護科の一年と、この近くの山に来たことがあるって言ってたっけ。

 

 レキの五感、六感の鋭さは、贔屓目なしに言ってGPSより頼りになる。ここらの山はGPSの誤差も大きいし、救護科の子もさぞや心強かっただろう。もしくはレキの人間離れしたスペックに驚かされたか。

 

「そうだ、忘れてた。渡すものがあるんだ」

 

 ハイウェイを越えて、それなりに人気のありそうな市街地。とりあえず立ち寄ったセルフのガソリンスタンドで、俺は後部座席のリュックを引き寄せて両手を入れる。

 

「これ、俺からのプレゼントだ」

 

「えっ?」

 

 わざわざ包装紙まで使った定番の四角いプレゼントボックスを夾竹桃の膝元に置いてやる。

 

「……」

 

 よし、渡してやったぞ。

 

「……」

 

 ……おい、なんか箱を注意深く確認し始めたんだが……爆発物じゃないんだぞ、それ。ようやく膝に箱を乗せた夾竹桃は小首を傾げて、

 

「雪平、これ何?」

 

「開けろよ」

 

「誕生日じゃないし」

 

「だからどうした。誕生日じゃなくてもいいだろ、プレゼントだ。ほら、開けろ」

 

 開けたのを見てから、俺も給油しに行くから。ほら、さっさと開けろ。

 

「母の日?」

 

 刹那、意味不明な言葉が飛んできて、思わず喉を詰まらせた。癪だが一応聞いてみる。

 

「何だって?」

 

「母の日と間違えたんでしょ。私は貴方の母親みたいに過保護って皮肉よ。違う?」

 

「はぁ……お前、異常だ。普通じゃない」

 

 しっしっ、と俺は呆れ顔で手を払ってやる。

 

「私は普通よ、ジョークのプレゼントが嫌いなだけで」

 

「お前に何かしてやっても意味ないな。もういい、よこせ」

 

「待った、一度くれた物を持っていくのはダメ」

 

「だったら早く開けろよ」

 

「でもケチな貴方がこんなことするなんて、何か変よね……」

 

 礼儀知らずなのはどっちだよ。俺よりお前の方が酷い。嘆息してから、俺はかぶりを振った

 

「もういい、お前の頭にぶつけてやる」

 

「じゃあ開けるわ、そういうことなら開ける、あとで」

 

「お前が母親になったら、100%子供はグレるだろうな」

 

 考えられる最大級の皮肉を飛ばし、俺は運転席のドアを閉めた。こっちのbabyは本当に良い子なんだけどな。沁々とボンネットを撫で、俺は給油のタッチパネルに指をやる。

 

「なあ、ここポイント貯まるって。カード持ってるか?」

 

「はい、これ」

 

「ああ、これだ。貯めとくよ」

 

 ガソリンを入れるだけでポイントが貯まるなんてな。しかもこのポイントで買い物ができる。便利な世の中になったもんだぜ。燃費の悪い車が少しだけ救われた気分だ。まあ、燃費の悪い車も食べるのが好きな大食いの彼女と思えば、それはそれで可愛いもんだ。

 

「で、給油が終わったらどうするの?」

 

「ジャンヌの調べものが終わるまで、やれることをやっとく。理子が言うには狭い町だ。飲食店にでも言って聞き込みをする、ハンターらしくな」

 

 窓から顔を出してくる夾竹桃にそう言って、ナンバープレート裏の給油口にノズルを繋ぐ。

 

「何か作戦があるって顔ね?」

 

「日本で『FBI』や『連邦捜査官』は通用しない。そこでオカルトの力に頼ることにした。運命去勢刑ーーかなめのお仲間に幸運をもたらすまじないをかけてもらった。この狩りで、一回だけラッキーなことが起きるんだと」

 

 正確には、悪運と幸運を1つずつ押し付けられるフェアなまじないとロカは言っていた。フェアかどうかは起きてみないと分からない。ただでさえ、この世界はアンフェアだ。

 

「かなめも役に立つだろうって言ってたし、あいつの言葉を信じてみるよ。今では喧嘩早い性格も落ち着いてるし、モノホンの優等生だ。俺より利口だよ」

 

「やられちゃって」

 

「何が?」

 

「遠山かなめのこと。妹っていいなぁ、欲しいって思ってるでしょ」

 

 不意を突かれて、俺は誤魔化すようにナンバープレート裏の給油口を閉じた。

 

「人の心より本でも読めば?」

 

 助手席でふんぞり返っている魔宮の蠍の隣に戻り、溜め息と一緒に鍵を回す。こいつはこいつで本当に勘が鋭い。

 

「まあ、正直ちらっと思ってる。クレアのことは家族と思ってるけど、なんていうか妹みたいには見れなかった。クレアはクレア、どれだけ経とうがそうとしか見れない。だからかな、キンジがちょっとだけ羨ましい」

 

「すっかり過保護の仲間入りね」

 

「俺もお前も初対面は最悪だった。それと過保護じゃない。そこは否定しとく」

 

「これからなるのかも」

 

 ハンドルを回し、ガソリンスタンドを後にした俺たちは近隣で一番目立ちそうな店を当たることにした。目立つ以外にも選んだ理由はあるが、早速ロカのまじないの恩恵に預かることになりそうだ。駐車場にインパラを停めた俺たちは──悲観的な顔で店の壁にビラを張り付けている少女に声をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




サブタイトルを考えるのが、一番楽しくて一番難しい件。


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遠山少年の実家帰り―File.4

後編です、のんびりどうぞ。


「ちょっといいかな。ビラに載ってるのは君の知り合い?」

 

 立ち寄った飲食店、声をかけるとビラを張っていた少女の首が反転する。

 

「ごめんなさい、私たちも彼を探してるの。警察とは別にね?」

 

 まるで警察手帳のように夾竹桃が武偵手帳を見せる。警戒心だらけの顔が、ほんの僅かに崩れた。

 

「……武偵って、あのなんでも屋?」

 

「そうとも言う。どうかな、ビラを配るようなもんだと思って彼のことを教えてほしい」

 

「なんでも屋って失踪事件を調べたりもするわけ?」

 

「そういうときもある。君の言ったなんでも屋ってのは間違いじゃないよ。この近くで前にも失踪者が出てるんだ、そっちの関連についても調べてる」

 

 腕を組んだ少女は、そのまま歩いてレストランの扉を開く。

 

「入って。テーブルで話したい」

 

 一度顔を見合わせ、俺たちは彼女の申し出に沿い、店内に足を踏み入れた。

 

「彼とは付き合って二年になるの。失踪したときも彼と電話しようとした」

 

 ビラに載せられていたのは、最近失踪したとされる男性の写真だった。話を聞いていると、眼前の彼女は彼の恋人で失踪した彼を探してビラを手当たり次第に貼っていたところだったらしい。このタイミング、ロカのまじないに救われたな。

 

「彼、運転中だったの。かけ直すって言ってた。だけど、それっきり……」

 

「普段と変わったことはなかった?」

 

「さあ……変わったことはなかったと思うけど。ただ……」

 

 コーヒーに口をつけ、少しの間を作ってから彼女は続けた。

 

「狭い街だから、色々あるのよ。火を放たれて焼けた教会とか、人が埋められてる森林とか、物騒な場所なんかがたくさん。貴方たちも言ってたとおり、前にもこの近くで行方不明になった人がいて、噂が……」

 

「「どんな噂?」」

 

「……この辺りにある迷信でね。何十年も前にハイウェイで女の人が殺された、その人の霊が出るって噂、ヒッチハイクするってね。彼女を乗せた男はみんな──消えてしまい、戻ってこない」

 

 ──ヒッチハイクする女の幽霊か。

 

 

 

 

「どう思う?」

 

「ヒッチハイクする女の幽霊でしょ。この上なく怪しい」

 

「だな、この上ない」

 

 コーヒーと軽い軽食、そして小さくない手掛かりと一緒に駐車場のインパラに戻る。ヒッチハイクしてきた相手が幽霊だった件、笑えないな。運転席に座った矢先に、マナーモードにしていた携帯が震えた。あっちも宿題が終わったか。

 

「ジャンヌ、どんな感じ?」

 

『良いニュースだ。代金は弾んでもらおう』

 

「楽しみだ、教えてくれ」

 

 朗報を期待して、道中と同じく、携帯をスピーカーに切り替える。

 

『お前たちも目的の街には到着した頃だろう。その地域でこの失踪事件に絡んでいそうな良くない噂を見つけた』

 

「ヒッチハイクする女の幽霊か?」

 

『ほう、ならば話が早い。怨念は非業の死から生まれる。その幽霊について調べてみたが気になる事件を見つけた。過去、その街に架けられている橋から26歳の女性が飛び降りたらしい。この失踪事件の騒ぎが始まる前のことだ』

 

「タイミングは合ってるわね。非業の死、つまりは『自殺』だけど、原因は?」

 

『それについても調べてある。ちょっと待て』

 

 持つべきものは情報科の親友か。ほんと、冗談抜きで頼りになるよ。

 

『彼女は自殺する前、警察に通報していた。子供を浴槽に入れていて、彼女がちょっと目を離していた隙に……浴槽で溺死。夫の話によれば、子供を失ったショックで自殺したと』

 

 それは……悲しい話だな。残された者の心中も察するに余りある。

 

『狭い街だ。橋の場所は携帯に送っておく。インパラを飛ばせばすぐだろう』

 

「分かった、夜にでも行ってみる。mahalo(ありがとう)──ジャンヌ」

 

 通話を切ると、画像の添付されたメールがジャンヌから送られてきた。この橋……さっきの子が行ってたハイウェイの近くにあった橋だな。ご丁寧にジャンヌが橋についての情報もメールに載せてくれている、下は湖でこの橋から水面まで飛び降りたんだな。

 

「さっきの彼女が言ってたとおりね。この街、オカルトスポットの巣窟よ。その手の界隈では結構有名みたいね。あ──」

 

 何か踏んではいけないスイッチを踏んだときのような、あまり良い気配のしなさそうな声に釣られて、携帯を弄っていた夾竹桃に横目をやった次の瞬間──

 

『Ghost facers──!』

 

 ──この世で一番聞きたくなかった音色が耳を串刺しにした。

 

「おい」

 

「動画が張ってあったから何かと思ったけど。雪平……目くじら立てるのはやめて頂戴。貴方の友達でしょ?」

 

「出会ったのは遥か昔のことだが、連中とは全くと言っていい程に良い記憶がないんだよ。最後に会ったときには色々あってグループも解散してたはずだ」

 

 実に後味の悪い最後だったが、まさか俺たちの知らない合間に復活したのか。

 

「嬉しいような、そのまま真っ当な道を行っとけって言いたいような……」

 

 Ghost facers──オカルトが大好きな男二人で構成された……傍迷惑なお笑いユニットで、幽霊が出ると言われる場所やその手の心霊スポットを駆け回り、俺たちとは狩りの途中に何度も遭遇してる。思い返しても狩りの邪魔をされた記憶しかないが、端から見てもそれなりの信頼で結ばれていた二人だった。ま、ある一件で仲違いをして、さっき言ったとおり後味の悪い別れを見たのが最後の記憶。

 

「これ、けっこう前の動画みたいだから、解散する前に録られたのかも」

 

「真実は分からずか。初めて会ったときはまだアザゼルを退治する前だった、懐かしいよ」

 

 さっきまで忘れかけてた連中なのに、スイッチが入ったみたいに気になって仕方ない。

 

「解散したなんて驚き。不仲には見えなかったけど?」

 

「色々あったんだよ、色々な。別れを決意させるようなそういう何かがあったんだよ。でも別れるのは悲しいとも言ってた。長い時間一緒にいるとさ、ずっと隣にいると思うようになる。二人で歳を重ねて、一緒のソファーに座って、酒を酌み交わすんだろうなって」

 

 それが約束された未来に思えて、当たり前だと思うようになる。

 

「でもある日を境に繋がってた物が切れて、ソファーも一緒にいた相手も消えてしまう。傍迷惑な連中だったけど、正直最後に別れたときは、かける言葉が浮かばなかった」

 

 後味の悪い最後、たぶん──俺の声色からそれを見抜かれたんだろう。

 

「当たり前なんだけど、私にもどん底って言えるときがあった。ほんと、悲惨って言葉しか浮かばないくらい打ちのめされてた時期があったの」

 

 そう言って、何かを思い出すように綺麗な瞳はフロントガラスの外を向いた。 

 

「理子は──私が寝てないのを知ってたのね。それで電話してきた。それも真夜中に、本当に何気なく、『夾ちゃん、何してる?』って。何って──ねえ?」

 

「ふっ、何もしてない」

 

「ええ、そう言った。で、コーヒーでも一緒にってことに。近くの店に待ち合わせて、二人で座ったの。話すときもあれば、話さないときも。それが何週間も。でも理子はそのことを誰にも話してない、夜中のコーヒーのことも。普段はあんなにお喋りなのに、誰にも」

 

「……あいつらしいな。初めて理子に会ったとき、俺も思ったよ。なんてお喋りでふざけた女なんだって。でも本当は、俺よりもずっと真面目で律儀な女だって気付かされた。慰めるわけでもない、でも腫れ物みたいに敬遠するわけでもなくて、ただ支えになろうとしてくれる」

 

「たぶん、それがあの子なんでしょうね。人生に必要なタイミングで現れて、心に傷跡を残していく。一人じゃ耐えられない、それが分かって誘ってくれた」

 

 頼りになる友達──そう言いたげな隣で俺はインパラの鍵を捻った。

 

 

 

 

 幽霊が活発になる条件は多々ある。住み着いてる建物が撤去が決まったり、あるいは生前の記憶と関係した特殊なものだったり、ケースバイケースだが、大抵の幽霊は夜になると騒がしくなる夜行性で共通してる。

 

 お決まりの夜に、現場にやってきた俺たちはインパラを道の脇に停めて、トランクの中から二個分のマグライトを拾い上げた。左右に振った青白い光が暗闇を照らす。不意に空を仰ぐと、絵に描いたような満月が視界に広がった。

 

「もっと車の往来が激しいと思ってた」

 

「狭い町だし、噂が立ってるんだろ。ペレとパリロードの伝説みたいに。この橋、車で通るべからず」

 

「ペレって、たしか……火山の女神?」

 

「正解。ハワイに伝わる神様で、彼女は半分獣の神と熱く愛し合ってた。カマプアアな、彼は半分が豚なんだ。上下どっちかは分からないが」

 

 まあ、上下どっちが豚なのかは問題じゃない。

 

「最初は円満。それが修羅場の連続でもう別れるってことになったわけ」

 

「分かった。男が豚みたいに泥だらけの足でキッチンの床汚したのね。そうでしょ?」

 

「いや、知らないって、そこまでは知らない。キッカケまでは知らないけど、顔も見たくないってことで島を真っ二つに分けた。カマプアアはウィンドワード側を、そして今のホノルル全部がペレの物」

 

 夫婦喧嘩で土地を割る、如何にもスケールが狂ってて神様って感じだ。

 

「それで、最初に戻るけど──伝説って?」

 

「ああ」

 

 伝説って言うか、これも迷信だな。歩きながら、俺は根本的な場所に触れていく。

 

「パリロードは豚肉を持って通るなって言われてるんだ。通ると車が故障したり、良くないことが起きる」

 

「つまり、そのペレの縄張りにカマプアアを持ち込むことになるのね」

 

「そういうこと。その手の噂って世界中どこにでもある。幽霊や神、発端になった存在が違うだけで」

 

 幽霊の出るって言われてる場所で別の国の怪談話、それこそGhost facersがやりそうだ。

 

「神様でさえ喧嘩するんだから、男女がずっと円満でいるなんて、難しいことね」

 

「だからって、女同士がずっと円満とも限らないだろ?」

 

「それもそうだけど」

 

 自殺した女性、榊美鈴って彼女ももしかすると夫と何かあったのかもな。真実は闇の中だが。転落防止用の手摺の前から下を覗くと、広い水面が下降に広がっていた。如何にもな濁流や激流ってイメージとは反対に穏やかな湖って感じだな。かといって、溺死しないと言い切れるようなものでもないが。それに何十年も経てば、人も場所も変わる。

 

「21金のペン先」

 

「なに?」

 

「プレゼント──21金のペン先。欲しいって言ってた18金じゃないけど」

 

 不意に、口走ったとき丸くなった瞳と目が合う。軽く笑って、俺は手摺に頬杖を突いた。

 

「なんで今そんな……」

 

「持ってるのが全部駄目になったら使ってくれりゃいいよ。どこで言うか迷ってた」

 

「はぁ……分かった。雪平、ありがとう。真面目に」

 

 一転、手摺に手を置いたままだが皮肉なしの言葉が飛んでくる。

 

「ほんの気持ちだよ、真面目に。ヒルダじゃないけど、俺もお前のファンになりかけだから」

 

 二人して、橋の先に広がる海面に視線を変えていく。奇遇だな、どうにも目を合わせて話す気分にはなれない。海面を見ながら言葉だけを飛ばし合う、こっちの方が今は落ち着く。昼間ならもっと綺麗な『蒼』が見られたんだろうけどな。

 

「貴方の画力はお察しだものね?」

 

「失礼な。これでもディーンよりは上手い」

 

「身内の悪口は程ほどにしておきなさい。いいことないわよ?」

 

「大丈夫、お互い様だよ。兄弟でいつもこけ下ろし合ってる」

 

「ふ、それもそうね」

 

 ミカン箱で描いたお前の絵には、遠く及ばないだろうけどな。ミカン箱を先生の命令で届けに行って、あの日以来すっかりお目付け役だ。ある意味、日常に風穴を空けられた。

 

「もう一度言っておくわ。雪平ありがとう、真面目に。大切に使うから」

 

 どういたしまして──素直に返事をしてやろうとしたとき不意に、凍えるような悪寒に背中を包まれた。

 

「……は?」

 

 切っていたはずのインパラのヘッドライトが点灯し、アメ車らしいV8のエンジンが吠える。目を擦るが視界にある車は変わらない、67年のシボレー・インパラ、俺の車だ。氷室に体を投げられた気がした。それは隣の女も同じだった。

 

「……ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら?」

 

「ああ、どうぞ」

 

 雨も降っていないのに、ワイパーが意味もなく左右に振られ始める。

 

「私、これと同じ光景を本で読んだことがあるんだけど」

 

「奇遇だな、俺もこれと似たような場面を見たことがある。日本に来るずっと前のことだがクリソツだ」

 

「鍵は?」

 

 俺はキーケースを手元で揺らす。

 

「ねえ、雪平?」

 

「なんだ鈴木さん」

 

「走る?」

 

「全力で」

 

 刹那、動き出したタイヤに俺たちは全力で体を翻した。マジかよ、ちくしょうめ。

 

「行け、行けッ──!」

 

「だから貴方と珍道中やるのは嫌なのよ!」

 

 人気のない橋、鍵のかけられた車、持ち主を追いかけてくてくるシボレー・インパラ。これを忘れるわけがない、いつか退治した『白いドレスの女』と一緒だ……!

 

「あの女、俺のbabyを寝とりやがった……! 俺の目の前でインパラを……この屈辱許しはせん!」

 

「雪平、口調口調」

 

 全力で足を動かし、徐行の速度から徐々にスピードを上げてくるインパラから逃げる。ただ逃げる。ちくしょうめ、なんでよりによって俺の車を……!

 

「おい、榊美鈴! 俺は本土からやってきたゴーストバスターズだ、今すぐ車を停めてホールドアップしろ! でないとありったけの塩をぶつけて、お前が忘れてそうな後悔って感情を思い出させてやるぞー!」

 

 ……返答なしか。いや、なんかインパラのスピード上がったような……

 

「私の意見だけど強く出すぎ。貴方が脅かすからあっちも意地になった」

 

「ああ、お前は交渉のプロか」

 

「脅迫されるのは誰でも嫌でしょ、北風と太陽の話知らないの?」

 

「ああ、建設的意見がないなら黙ってろって格言なら知ってる。それと、さっきからスピードが上がってる」

 

「このお馬鹿、怒らせるからよ……!」

 

 最初から虫の居所が悪かったんだろ。ちくしょうめ、もうこれ以上は……追い付かれるッ!

 

「飛び込め」

 

「なに!?」

 

「飛び込むんだよ! 下は水だ、この高さなら助かる!」

 

「このお馬鹿! さっきから馬鹿なことしか言ってない! 今度衛生科で頭も見てもらうことね! そっちもダメージ受けてるから……!」

 

 ネガティブなアドバイスをどうも。海面の深さは聞いてる、飛び込みが禁止されるほどの浅瀬じゃなければ、内臓破裂必至の高さでもない。

 

「私立探偵のマグナムやマクギャレット少佐なら迷わないぞ!」

 

「彼等は特殊部隊よ、それも海軍の! 好き勝手なこと言って──でもグチャグチャにされるよりマシね!」

 

 文句を言っても、後ろを見るのも躊躇するまで存在感が迫れば選択肢はない。お陰で1つ思い出したよ、いくらインパラが相手だからって追いかけられるのは楽しくない。選択肢は既に決まっていた。ヘッドライトがすぐそこまで迫り、柵側にいた夾竹桃とほぼ同時に転落防止にかけられていた柵を飛び越える。

 

「雪平! 着地任せた!」

 

「あっちで拾ってやる──Hoo-yah!」

 

 いつか教会で、小児科医に化けたアラステアから逃げたときのように俺は全力で、真っ暗な虚空へと身を投げた。一転、気持ちいいとは言えない浮遊感に襲われるが、水深は足りていると言っても、姿勢を崩して足からの着水に失敗すれば笑えない。今回は泳げない蠍がセットだしな、一番負荷のない姿勢で水面に落ちて、泳げない夾竹桃をなんとかしてやるしかない。

 

「今度、平賀さんに携帯できる浮き輪でも頼んで見るか……!」

 

 まず両足が水を掻き分け、次いで頭が水の中に沈む。暗い水中で腕を振り、視界が真っ暗な空を捉えた。

 

「ぷはあぁっ!」

 

 ……良かった、とりあえず生きてる。冷たい海面の上に投げ出され、制服が水を吸ったのか、とてつもなく重たく感じる。激流ってほど流れは酷くないが、いつまでもいたいとは思わないな。

 

「おい、いきてるか?」

 

「とりあえず、息はしてる。気分は最悪だけど」

 

「だろうな。でも生きてる証だよ」

 

「……ところで、岸までどのくらいかかりそう?」

 

「すぐそこに見えてるだろ。10分もかからねえよ」

 

 幸い、ハイジャックでボーイングから落ちたときみたいに遠泳する必要はなさそうだ。肉眼でも陸地が見える距離にいる。何もいきなり極地の海に放り出されたわけじゃない。が──それは俺の考えだった。

 

「長居してると不味いわ。体温が奪われてお陀仏よ。さあ、行きなさい──Navy SEALs。岸に向かって全速前進よ」

 

「……なあ、やっぱり暇なときに泳ぐ練習したらどうだ?」

 

「海は嫌いなの。もし人間が泳ぐ生き物ならヒレがついてるはずよ」

 

 海や川が苦手な彼女には安堵できる要素は何ひとつとしてなかったらしい。

 

「それ、神崎も言いそう。海からオルクスでやってきたのに海が嫌いとはな」

 

「お可愛いやつめ? そう、ありがとう」

 

「いや、言ってないから。変なヤツだって言ったんだよ」

 

「お前の言葉を、私が"書き換えた"のよ」

 

「新手のバカですか?」

 

 普段、人をお馬鹿と言ってくれるが彼女も大概だ。実はウィリアムズ刑事みたいに、本当は泳げるってオチを期待したが駄目らしい。さっきから浮き輪かってくらいしがみついてくる。手を離したら即死するって勢いだ。水に濡れた冷たい手が首に巻き付いて離れない。

 

「海が苦手なのは分かるが、あんまり首絞められると仲良く心中するぞ?」

 

「無理。離したら死ぬわ」

 

「すぐには死なないって」

 

「死ぬわ」

 

「……お前は5歳の子供か」

 

 冷静でクールないつもの頼もしい蠍はどこに行ったのか。この様子では何を言っても『死ぬわ』の一言で片付けられそうだ。

 

「10秒もせずに海底に急速潜航、そして行き着く先は海の亡霊よ。フライングダッチマンで働きたい? 働きたくないでしょ?」

 

「そりゃ幽霊船でなんて働きたくない。海草のお化けにはなりたくないし」

 

「そういうこと。愛は沈まない、でも人間は沈むの。沈むのよ、雪平」

 

 ……凛々しい声で何を言ってるんだ、この金槌女は。苦手な海面に放り出されたせいで、頭の中がカーニバルになってやがるな。まあ、気持ちは分かる。俺だって逃げ道のない場所でピエロに囲まれたときには、脳内がカーニバルだよ。

 

「分かった、早いところ陸に帰ろう。俺も海の亡霊にはなりたくない」

 

「そうして頂戴。録り貯めた深夜アニメをまだ見てないの。待ちに待った2期なのに……」

 

「良かったな。後で感想聞かせてくれ。面白そうならレンタルしに行く」

 

「貸してあげるわよ。Blu-ray買うつもりでいるから。浮き輪のお礼よ、水兵さん?」

 

 ……またそういうこと言いやがって。妙なタイミングで飴を投げてくるよな、お前って。人を操るのが上手いよな。

 

「海の亡霊にならないように頑張るよ。ずっとお前に抱きつかれてるのも悪くないけど」

 

「それ本気?」

 

「いつも本気だよ」

 

「……ハンターの男は口下手って聞いたけど、貴方は口も上手だわ」

 

 事実だから仕方ない。実際、悔しいことに夾竹桃やジャンヌ、理子や星枷に抱きつかれて、何も感じないって言えるほど、俺は意地っ張りじゃない。キンジの周りにいるのは本当にいい女ばっかりだ。それは素直に認めるよ。この金槌女を含めて。

 

「それって誰に聞いたんだ?」

 

「貴方のお母さん」

 

「母さん……エレンみたいなこと言わないでよ。けど、綺麗なものを素直に綺麗って言うのって、意外と難しいことなのかもな」

 

「何それ?」

 

「人間は本質的に天の邪鬼なんじゃないかって話だ。肯定より否定が好きな生き物だと思ってさ」

 

「また妙なことを考えてるわね。冷たい水に浸かってる影響?」

 

「かもな。もしくはお前の影響かも。妙なことを口走るのはお前も同じだし」

 

 難しい言い回しが大好きな彼女に、多少なりと影響を受けてる可能性は否めない。ここ数ヶ月でキンジが神崎の影響を受けているのと同じで、俺も後ろに乗せてる毒使いやジャンヌの影響を少なからず受けてる気はするよ。神崎がキンジの日常に風穴を空けたように、元から日常と隔離されていた俺の非日常も、今では『研鑽派残党』に随分と引っ掻き回されてる。神崎が俺たちの部屋に転がり込んでから、本当に毎日が賑やかになった。

 

 閉塞した世界に風穴が開いて、見ることのできなかった航路が拓いた気分だった。この一年、無茶苦茶だった日常に更に拍車がかかったが、手放すには惜しいと思える毎日が続いてる。魔女や泥棒、吸血鬼が首を奪いにやってきたのにはヒヤヒヤしたが、思い返せば似たようなことは本土で何度も体験してるんだ。今となっては、ジャンクフードと一緒に苦笑いしながら語れる思い出だよ。

 

 駄目だな。冷水の中で泳いでいると、本当に妙なことばっか考えるようになってる。後ろからおもしろい話題でも飛んでこないもんか、そう考えた矢先のことだとった──魔宮の蠍が妙なことを口走ったのは。

 

「けど、人間って面白い生き物ねぇ」

 

「何だ? また唐突に……」

 

「人間は一人じゃ生きられないらしいわよ。前に呼んだ漫画でね、人間でもないキャラがそう言ってたの。イ・ウーにいた時はそんなこと思ってもみなかったけど、私たちもいつかそれを実感するときが来るのかしらね」

 

「人間らしくあろうとするなら、そうかもな」

 

「雪平」

 

 不意に名前を呼ばれて、返事をする。

 

「何だ?」

 

「愛するのも愛なら、憎まれるのも愛なんだって。愛の形も愛情表現の形もそれぞれなのよ、そこに正解なんてないわ。綺麗なものを綺麗と言えなくても、言葉はなくとも伝わるときは伝わるものよ」

 

 そう言って、声は一度途切れる。

 

「どのみち知性体には他の個が必要ってお話でした」

 

「何だそれ」

 

 重たいのか、それとも深い言葉なのか。なんとも微妙なラインを突いた考えだ。心の底にあるものが読めないというか。首にしがみついてくる手の感触と、時折振りかかる吐息には努めて意識しないことにしてるが──いや、やっぱり深い言葉なのかもな。知性体には他の個が必要ってのは。

 

「昔、親父が何事にも時期があるって言ってた」

 

「賢いお父さんね」

 

「どうかな、フォーチュンクッキーの格言の受け売りだろ」

 

 くすりと、笑う声がする。

 

「厳しいわね」

 

「そりゃそうだ、親父にはそれで丁度いいくらいだ。悪かったな。その……苦手な水に飛び込むことになって」

 

「別に。貴方に運んで貰えるし、そうでもないわよ。どうして?」

 

「俺なら発狂してるから。ピエロがたむろしてるサーカスに一人で置き去りにされたらさ」

 

「それ、今度は私に『助けろ』って言ってる?」

 

「別にそんなわけじゃ……いや、そうだ。そういうことにしとく。バッドシグナル出したときは助けてくれ。バットマンはまだしも、ジョーカーとだけは戦いたくない。そのときはお前に譲るよ」

 

 正直、顔を白塗りにされるだけでも拒否反応が出る。

 

「嗜好は長男、苦手なものは次男に似たのね」

 

「お互いの悪いところが重なったのかな。ハイブリッドと言えば聞こえはいいが。血と一緒に弱点まで受け継ぐなんてまるで──」

 

吸血鬼(ブラック・ブラッド)?」

 

「のBROTHERS(ブラザーズ)──なんてな」

 

 ようやく岸にたどり着いたときには、体は冷えきって酷い有り様だった。俺も夾竹桃も冷水を制服からしたたらせ、示し合わせていたように嘆息する。強張る体で装備を改めるが幸いにも銃は流されていなかった。こればかりはラッキーだな。

 

「……ねえ、雪平」

 

「シカゴじゃ氷点下のことは春って言うんだ」

 

「まだ何も言ってない」

 

「ああ、言ってない。だから次に何を言うのか当てた。じゃあ言うよ。俺だって寒い……」

 

「そこまで言ったなら、最後まで気丈に振る舞いなさいよ……」

 

 夾竹桃の呆れた顔と声が向けられる。当然、濡れた制服や黒髪が嫌でも目に入るので俺は視線を逸らした。冗談じゃない、童顔と中学生みたいな体がナパームみたいに凶悪になってやがる。

 

「悪かったな。我慢できると思ったら、急に限界が来たんだ。相手がお前だし、無理して格好つけるより素直に本音を言って楽するのが正解」

 

「私には弱みを見せていいってこと?」

 

「お前が言ったんだろ、晒けだしていいって。弱みも全部も晒していいって言ったのはお前だ。だから、お前には本音をぶちまけてやるって決めたんだよ。それに、女に嘘はつかない方がいい、女は嘘を見抜く、いつだってな。インターネッツに書いてあった」

 

「……インターネッツ? インターネッツって言った?」

 

「ああ、言ったよ」

 

「私、ネットのコピペ以外でそう呼ぶ人、峰理子だけだと思ってたわ」

 

「案外、三人目が近くにいたりして」

 

 俺が思っているだけかもしれないが、女は男よりも危険に敏感だ。理子やジャンヌみたいなのを見てると、つくづくそう思わされる。女は危険を察知する天才だ、出し抜くには数手上を行かないと。

 

「ま、信頼してくれるのは悪くないわね。ところで危機的状況を打破する提案があるの」

 

「なんだ?」

 

「聖油よ、聖油でサークルを作りましょう」

 

「は? 天使もいないのに──ちょっと待て。お前、まさか……」

 

 聖油、サークル、火──頭の中で並べられたカードが白い一本の光で繋がっていく。

 

「駄目だ! バカなことするんじゃない!」

 

「暖を取るだけだから!」

 

「バカかお前は! ホームセンターに売ってるもんじゃないんだぞ!」

 

「探せばどうとでもなるでしょ!」

 

 その言い草には呆れを通り越して、浮かんだのは苦笑いだった。重たくなった体で、俺は後退るように距離を取る。この女……聖油を使って暖を取る気だ……ッ!

 

「却下だ! 聖なるオイルで焚き火なんて罰当たりなこと考えたのはお前が初めてだよッ! 絶対に駄目だからな……!」

 

「私を突き落としたのはどこのバカ? 教えてあげる、貴方が突き落としたんでしょ!」

 

「あっ! このバカ! 気を使って見ないようにしてたのに! やめろ、その格好でそれ以上近寄るんじゃない! バリア! バリア張った!」

 

 このバカ、濡れた髪が肌に張り付いて……なんか湯上がりみたいに凶悪になってんだよ!

 

「バリア張った! ふぅーふぅー!」

 

「小学生みたいなこと言う前に取り決めを思い出しなさい。非常時には私に判断を委ねるって本土で決めたはずよ」

 

「取り決めなんてしてない。取り決めってのはお互い納得した上で決めたことで、俺は納得なんてしてないから! 駄目だ、絶対に駄目だぞ! 貴重な聖なるオイルを暖を取るために使おうなんて、馬鹿げてるぜ!!」

 

 キャスに貴重な物と言わしめたレアアイテムを焚き火に使うなんざ──馬鹿げてるぜ!

 

「ただ動いてるだけで暖は取れないのよ!」

 

「知るか! またミカエルみたいな化物が襲ってきたとき困るだろ! つか、お前はもっと恥じらいを持て! 目に毒なんだよ、毒!」

 

 右腕を払いながら、俺は言ってやる。だが、不思議なことに言い終えた途端、頭が妙にクールダウンして、冷静になってきた。

 

「こういう会話やめよ、平行線だ。決裂して終わり」

 

「そうね。急に虚しさが襲ってきたわ」

 

「同感。今のはお互いの記憶から消そう」

 

「そうしましょう。今のはなし」

 

「ああ、今のはなし」

 

 やけにあっさりと停戦協定が結ばれて、口論は終わりを迎えた。同感だ、急に虚しくなった。

 

「白いドレスの女と同じなら、今のは警告でインパラは壊れてない」

 

「嗅ぎ回るなって警告」

 

 とりあえず、水を吸った制服を絞りながら、俺は真上にある橋を岸から仰ぐ。仰いだ先には、目を凝らしてみるとインパラらしき車がかろうじて見えた。俺たちが落下した地点から、少しだけ進んでから停車したんだな。

 

「それで、あとはなるべく死なないようにするだけ?」

 

「泥棒女を退治する。罵詈雑言をたっぷり吐いてからな。それから服を着替えて、ファミレスに行って、美味い飯を食う。こんな時間に泳いだせいで腹が減った、そっちは?」

 

「どうかしら、ミニプレッツェルを6袋食べたけど」

 

「腹ペコか、じゃあ早くなにか食いにいこう」

 

 車内にはタオルも毛布の代わりだってある、橋まで戻ればなんとかなるだろ。夾竹桃も張り付いた前髪を軽く解きながら、足を前に砂利道を踏みしめて行った。焚き火焚き火と言っても、彼女は俺よりずっとタフだ。正直なところ、心配できる側じゃない。

 

「その髪型似合ってる、さっぱりしたわね。出会い系にでも登録したら?」

 

「ウケたよ、毎日橋から飛び降りないとな。でも俺、外見より中身で勝負するから」

 

「女子よりジェルだのワックスだの持ってるくせに。今のは嘘ね、私の頭で警報が鳴った」

 

「そんなもん消せ消せ。とりあえず、お前が風邪を拗らせる前になんとかする。インパラに戻ればタオルも毛布もあるし、今度カプチーノ奢ってやるから我慢してくれ」

 

 水に濡れた靴で砂利を踏み、橋への道を辿る。

 

「……なんだその顔は?」

 

「カプチーノだけじゃ足りない」

 

「ポケモンパン買ってやるから我慢しろ。パンとコーヒー、最強の組み合わせだ。まあ、これだけやられたんだ、警告ごときで引き下がるなんて冗談じゃない。それじゃまるで、出しっぱなしのビールではありませんーか」

 

「は?」

 

 いや、だから──

 

「──"生ぬるい"の」

 

「最悪……」

 

 

 

 

 帰ってシャワーの一つでも浴びたいが、収まり切れない怒りに従って、俺は濡れた体で足を動かす。こっちがテリトリーに踏み入れたのには違いないが、ここまでバカにされたのは久々だ。あの車泥棒には、畏敬と感嘆と"こんちくしょう"を送ってやる。

 

「壊れてない?」

 

「ああ、大丈夫だ。シートの隅まで綺麗なもんだよ」

 

 橋にまで戻ったあと、インパラのエンジン周りやトランクまで改めるが綺麗なものだ。これまでの事件同様、何の痕跡も残ってない。だが、この場所が根城ってことははっきりした。

 

「彼女の夫は他界してるし、遺体だって燃やされてるはず。何かに取り憑いてるにしても探すのは骨よ?」

 

「作戦はあるさ」

 

「プランBでも考えた?」

 

「プランB? BもCもDねえよ。俺たちの得意な手でいく、即興で対応してやろう」

 

 濡れた体を二人してタオルで即興の処置を済まし、とりあえず気休めの体でハンドルを握る。さっきの仕返しだ、とことんやってやる。

 

「あの子、言ってたよな。焼け跡になった教会があるって」

 

「そういうこと。ドライブするつもり?」

 

「ああ、ヒッチハイクするなら乗せてやる。頼んだ」

 

 その意味に納得した彼女に、ほんの少し芽生えた躊躇いの気持ちを捨てて、俺はジョーのナイフを差し出す。

 

「……色んなペンや武器を握ってきたけど、このナイフが一番重たく感じる」

 

「そのナイフは100%鉄だ。幽霊にはこうかばつぐん」

 

 砕けた言葉で誤魔化すが、重たいって言ってくれて素直に礼を言うよ。ありがとう。後部座席に移った夾竹桃をバックミラーで確認して、俺はアクセルを踏んだ。

 

「──かかるぞ」

 

「かかりましょう」

 

 警告を無視して、俺は彼女の眠りを妨げるようにクラクションをガンガン鳴らしてやる。さあ、延長戦だ。

 

「出てこい、車泥棒ー! ヒッチハイクしたいんだろー! 早く来い、インパラは気持ちいいぜ!」

 

 アクセルをガンガン踏み、俺は挑発するように叫んでやる。

 

「おーい、ここだ! 捕まえてみろ! 俺の車には乗りたくないってか、上等だ!」

 

 刹那、間近でナイフが空気を切り裂いた音がする。バックミラーに見えた後部座席に、立ち消える黒い煙が見えた。

 

「ヒッチハイク大成功ね。乗ってきたわよ?」

 

「ああ、作戦大成功だ」

 

「罵詈雑言に常識的な反応をしたんでしょ。貴方の影響、やっぱり受けてるのかしら。分の悪い賭けにベッドするのが得意になってきた気がする」

 

 今度は助手席に現れた影に、すかさず鉄のナイフが突き刺さる。鉄は、塩に並んで幽霊を追い払えるメジャーなアイテムだ。純度100%の鉄なら弱点としてこの上ない。車内で幽霊との格闘を見るのは、俺も初めてだよ。

 

「それって良い影響か? それとも悪い影響?」

 

「前者ならいいけど……! もっとアクセル踏みなさい!」

 

「もっとスピード出せっていうならお前を下ろすしかない。そうしたら俺も泥棒女に殺される。今夜学んだよ、好みでもない女に追いかけられるのは楽しくない……!」

 

 長い橋の直線を越えて、ガラガラのハイウェイに飛び込む。

 

「そう、今度の休みにホラーキャンプにでも行ってみたら?」

 

「それなに?」

 

「冒険型のイベント、参加料は高いんだけど仮面をつけたプロの役者が追いかけて怖がらせてくれる」

 

「やばい繁華街に行けばタダで追いかけてくれるよ。先に言っとくけど墓にはこの制服で埋めるなよ?」

 

 煙が車内を消えたり現れたりする異様な光景の最中、構わずにハンドルを切る。

 

「今は葬式に備えてる場合じゃない。それに服なんて滅多に買わないって聞いたけど?」

 

「買ってるって。お前と違って派手なのも抵抗ないし」

 

「どうして?」

 

 ナイフが振るわれる音と疑問がやってくる。ギロチンに首を狙われてる気分だ。喋ってないとどうにかなりそう。

 

「派手なの嫌いだろ?」

 

「派手なのも好きよ」

 

「それは初めて聞いた。それなりの付き合いになってきたけど、お前のファッションセンスって普段は制服、たまに制服、稀に制服だろ。派手とは無縁の」

 

「貴方だって制服着てないときはいつもカーゴパンツでしょ。人の夢を食べるカーゴパンツの歩くパックマン……! まだ着かないのッ!?」

 

 叫ぶな、全力で飛ばしてる。橋の下見に行く前に、この街については一通り調べた。ここを左、左折だ……!

 

「もうすぐだ! 派手なのが好きなら俺からアドバイスがある!」

 

 大きく車体が揺れ、再びの直線でメーターの針が80の数字を越えていく。ろくに整備もされていない道、冷や汗が滲みそうな中でアクセルをさらに踏む。もう少し……もう少し粘れ……!

 

「俺からすれば制服だけっての地味すぎるぜ、もっと腕にシルバー巻くとかさ!」

 

「雪平! 首下げて!」

 

 無茶苦茶な言葉、視界をフロントガラスから離して、頭を下げる。刹那、頭上でナイフが振るわれる音がする。どす黒い煙が、下げた視界の隅で消えた。頭を上げた視界で、俺は今度こそ唇を歪める。黒い影が、助手席で改めて女性の形をとったとき、俺は足を持ち上げ──

 

「ご到着ですよ、お客様……!」

 

 右に大きく振られる針に構わず、ブレーキを踏んでタイヤにロックがかかる。けたましい音を立て、タイヤを擦り付けながら、車体が大きく揺れる。視界がぐちゃぐちゃに揺れて、胃に入っていたものが暴れそうになったあと──インパラは止まった。

 

「……彼女は?」

 

「消えてるわ、影も形もない」

 

 やつれた声が後ろから聞こえてくる。途端に、安堵の溜め息が壮大に漏れた。インパラが止まったこの林に囲まれた場所は教会──街で怪談話とされていた焼け跡になった教会の跡地だ。

 

「あの子の言ってた言葉。言っちゃ悪いけど、初デート大成功ね?」

 

「ああ、お互い生きてるし?」

 

「それだけでもたいしたものよ。聖なる場所を通過した悪霊は消えることがある」

 

「ああ、焼け跡になってもここは神聖な土地。前はトラックに取り憑いた幽霊が相手だったが、なんとかなったな。今回も」

 

 同じく溜め息が聞こえてきて、助手席に夾竹桃が座ってくる。差し出されたジョーのナイフを受け取り、俺はもう一度深く息を吐いた。聖なる場所を通過した悪霊は消えることがある、過去に一度やってはいたがいつも通りの出たとこ勝負だったな。

 

「もし駄目だったらどうしてた?」

 

「土曜日に教える」

 

「ふーん、セカンドデートってこと?」

 

「そう、コーラでも飲みに。あとハンバーガーだな、ハンバーガーならいいだろ。ジャンクフードの王様みたいなパンケーキ」

 

 駄目だ、こんなこと言ってると、無性にコーラが飲みたくなってきた。ハンバーガーと一緒に。

 

「コーラにハンバーガー、最高にアメリカらしいわね。でもとりあえず今夜は──」

 

「ああ、カプチーノ飲みに行こう。服を着替えてから、とびっきり高そうなやつ。それとさ……」

 

 言うなら、今しかない。今しかないぞ。言えよ、言うんだよ、俺──

 

「あー、夾竹桃? ちょっといいか?」

 

「なに、改まって?」

 

 小首を傾げてくる彼女に怯みそうになるが、今ならこの空気、場の勢いも借りられる。今しかない。

 

「言いたいことがあるんだ。もっと先に言えば良かったんだがな。あれだ、決心ができなくて」

 

 いいのか、俺。言ったら退けなくなる。止まるなら今だぞ、俺。なんか相手も怯んでるし。

 

「聞いてあげるけど……」

 

「ああ、良かった。その、いや、でも……」

 

「言えば?」

 

 よし、そっちがその気なら言うよ。勢いに任せて言ってやる。言うなら、このタイミングしかない。怯んでも俺は責任は取らないぞ。

 

「それなりに円満な関係が壊れても?」

 

「勿論。最初から砂上の楼閣よ」

 

「それは言えてる。それなら言うよ。今日、一緒に幽霊を退治して、改めて気付かされたんだ。ずぶ濡れになって、お前とかしましくドライブしたよな?」

 

「そうね、ノーガードの応酬」

 

「ああ、ノーガード。彼女を成仏させた。少なくとも、これから彼女の毒牙にかかるドライバーはいなくなったわけだ」

 

「いいことね」

 

「とってもな。とってもいいことだ」

 

 こればかりは目を逸らさず、視線を合わせて言ってやる。

 

「誰かを救って、救った誰かがまた誰かを救ってくれるかもしれない。武偵もそうだよ、なんでも屋の荒っぽい仕事だが善意の輪を広げられるかもしれない。キッカケは家出だったが、俺は武偵でもハンターでも遣り甲斐のある仕事を、こう、することができてる」

 

 今では武偵って職業が嫌いじゃなくて、バスカビールって仲間にも恵まれた。ハンターって仕事も昔よりも前向きに向き合うことが出来てる。

 

「なのに、なんでレストランをやろうなんて言い出したんだ? 何をしてる?」

 

「……ん?」

 

 一瞬の静寂が過ぎる。

 

「それは──待って。レストランは辞めようって告白?」

 

「告白じゃない、謝罪だ。あれだけ言って、きっと……怒るよな? 俺から言い出して。夾竹桃、俺はこの仕事しかもう考えられない、できないんだよ。なのになんで、もしもの人生設計にしてもレストランをやろうと思ったんだ?」

 

 目を丸くしてる夾竹桃に怯みそうになるが、俺は窺うように、

 

「悪い。あんだけ騒いでたのに、言うなら今しかないと思って。ほんと、その……怒ったか?」

 

「いいえ、それなら私も──降りるわ」

 

 ……え?

 

「降りる?」

 

「私も降りる」

 

「乗り気だっただろ……!?」

 

「オープン前からこれなのよ。経営になったらどうなるか、ストレスで死ぬわ」

 

 苦い顔で首が横に振られた。頭のギアをフルに使って情報を整理する。思っていたのと全然違う展開で頭がイマイチ追い付かないが……

 

「じゃあ、怒ってない?」

 

「貴方が言わなきゃ、私が言ってた。レストラン経営で胃をやられよりマシ」

 

「マジか? それ本気?」

 

「切り出してくれて感謝してるわ。話が広がって手遅れになる前にね……」

 

 よっし、助かった……! 助かったぞ! 砂上の楼閣が持ち堪えた!

 

「そこ、動かないで」

 

 そう言うとドアを開き、近くの自販機で缶コーラを二つ買って戻ってくる。

 

「乾杯しましょう。この短くも、美しく、夢を語り合った日々に」

 

「ああ、冷蔵庫にある牛乳の消費期限より短くて──」

 

「一時の夢だった」

 

 この炭酸の泡みたいに。一思いにプルタブを捻る。

 

「貴方が見せてくれたレストラン経営の夢に」

 

「ああ、それと──この勇気ある撤退に」

 

「二人の英断に」

 

 苦い顔で、俺たちは缶をぶつけた。 

 

「乾杯」

 

「乾杯」

 

 

 

 

 

 

 




オルフェゴールを混ぜたら負けだと思います。どうかギミパペに新規をください、お願いします。うららに妨害されないトレード・インをください、お願いします。


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遠山少年の実家帰り―File.5

「でも驚いたよ。ウィンチェスターは感謝祭なんて行事、無縁だと思ってた。せいぜいレトルトで済ませるものかと」

 

「レトルトのターキー? そんなのありえないだろ。みんなで美味いターキーを囲んでこその感謝祭。笑いに料理に友達、今年は感謝祭の三種の神器が揃ってた。つまり、大成功だ」

 

「神に敵対したり、時には感謝したり、キミも忙しい男だね」

 

 とキンジがいなくなって以降、必要以上に広々としている部屋に遊びに来てくれたのは、今ではすっかり師団に味方してくれているワトソンくんちゃん。ちゃっかり二つ名も持ってる手練れの武偵だ。律儀にも持ってきてくれた高そうなクッキーは、ソファーで一緒に摘まんでいる。

 

「けど、あのターキーは絶品だったよ。キミが焼いたのかい?」

 

「他愛もない取り柄だよ。感謝祭、キンジが出ていく前だったからな。時期的にもぴったりだったし、俺も楽しかった。やれて良かったよ」

 

「ボクも同感。誘われたときはびっくりしたけどね?」

 

 11月末日にキンジが武偵高を去る少し前のこと。発端はフライドチキンが食べたいという理子の一言だったが、たまたま11月の下旬だったこともあり、俺にとっては本土を飛び出して以来の感謝祭をやることにした。ハロウィンとクリスマスの間に挟まれている本土では1年の1度のメインイベントだ。後にはブラックフライデーという聖戦を控える束の間の休息でもある。

 

 家族や友人とターキーを囲む、簡単に言えばそんな催し。大きな七面鳥をお腹いっぱいに詰め込む日、それと感謝祭のとおり『神』に感謝する日として伝えられている。キンジから部屋を空けることを聞かされて、即興で考え付いたことだったがバスカビールのみんなも招いて、あの日は忘れられない一日になった。来年はきっと、神崎はイギリスに帰ってるだろうからな……

 

「トオヤマの調子はどうだい? 連絡くらいあるだろ?」

 

「アドレナリン出まくりで、命の危機にさらされる仕事からやっと解放された気分だってさ。それにしては諸手を挙げて喜んでる感じでも無さそうだけど」

 

 お高そうなクッキーを咀嚼しつつ、かぶりを振る。

 

「キミはどうなんだ?」

 

 一転、話の舵が切り替えられる。案の定、その綺麗な双眼と視線がぶつかった。

 

「俺?」

 

「ああ、ごめんよ。別に深い意味はないんだ。でもキミとゆっくり話す時間も必要だと思ってね」

 

「まあ、それは俺も思ってた。一緒に肩を並べる以上は話しておかないといけないことは少なからずある。特に、お前は博識な感じがするし」

 

 今ではワトソンも師団の仲間。それにUKの連中たちとも接点があったと聞いてる。遅かれ早かれ、こういう機会は必要だった。むしろ、ワトソンから来てくれたのはありがたい。カーテンの開かれた窓の向こう、やや夕暮れに染まりつつある空に視線を変え、俺は会話の口火を切る。

 

「お前のお家騒動の話や生い立ちのことは聞いてる。ここを留守にしてた間、正確にはルシファーと手を組んでるときに聞かされた」

 

 いつか話すと決めていた。後悔はない、いつかは──彼女に見抜かれてた。悪魔の親玉の名を出すと、ワトソンは呆れ半分、納得半分と言いたげな顔で、

 

「……そっか」

 

「悪かったな。お前には言わずに黙ってることもできた。けど、きっとお前はいつか見抜く。だから、見抜かれる前に白状しようって」

 

「相手の弱点を探るのも武偵の本質だよ。謝ることはない、ボクもキミのことはUKの賢人たちから色々と聞かされてるからね。お互い様さ、ユキヒラ。ボクたちはお互い、知られたくないことを知らされてる。別にアンフェアじゃないよ」

 

 口外させてはならない秘密のはずだが、ワトソンは冷たいくらい冷静だった。正直、その冷静さに少し救われたよ。

 

「それは言えてる。これは聖書にも書いてないんだが、実は魔王って大のお喋り好きなんだ」

 

「それは初耳だね。キミらしい雑学かな」

 

 小さく笑ったワトソンは──家庭の事情から男であるように教育された女性。俺と同じ。家庭の事情で、敷かれたレールを走らされた。

 

「連中はどんな話を?」

 

「色々なことを聞かされたよ。だからかな、知られちゃいけないことをキミに知られてるのに冷静でいられるのは」

 

「そうか、だったら頼みがある。この機会に教えてくれ、どこまで知ってるのか。俺もお前の一番大切なところを知っちまってる。それって、やっぱりアンフェアじゃないだろ?」

 

 理屈っぽく横目を向ける。

 

「さっきも言ったけど、色々なことを聞かされたよ。白兵戦の実力や銃の腕も聞いた。キミが本当はガブリエルの『剣』だってことも」

 

 切っても切れない縁で結ばれた、そんな天使の名前に俺は半眼で窓の外を睨んだ。二度、あのトリックスターには命を救われた。だが、俺は一度も彼の力にはなってやれなかった。あの掃き溜めみたいな終末の世界で、今際の際ですら。

 

「……最後までガブはロキの姿を隠れ蓑にしたままだった。俺の顔は気に入らなかったんだろ。でも最後まで俺のことを気にかけてくれた、最初から最後までな。皮肉は抜きで感謝しかない」

 

 でもなるほどな、ジャンヌと同じくらいには俺の家庭に詳しいわけか。ガブリエルーー神でもなく、天使でも悪魔でもなく、人間の為に最後まで戦ってくれた唯一の大天使。俺と同じく家出がライフワークだった、俺の『友達』だ。

 

「会いたいのかい?」

 

「まあ、話したいことは沢山。でも天使が行き着く先は『虚無』の世界だ。行けるのは死んだ天使と悪魔だけ。こればかりは人間の俺にはどうにもならねえよ」

 

 仮にまたもう一度、ガブが力を貸してくれるならそれほど心強いこともない。だが、それは無い物ねだり。デッキにないカードを求めるようなものだ。俺たちはいつでも手札にあるカードで戦うしかない。

 

「天国も見た、地獄にも落とされた。煉国にも飛ばされたし、今回のことで異世界にも行った。でも虚無の世界はそのどれよりも広くて、特別って話だ。お見舞いには行けそうにない。怨みを買ってる連中も一緒にいるだろうし」

 

「両手の指じゃ足りないだろうね。ボクのも貸そうか?」

 

「ありがとう。でも皮肉は俺の担当だ」

 

 ユーモアのセンスは認めるが、その役回りを奪われるのはちょっとだけ淋しい。

 

「だが、剣と言えば救いだったことがある。異世界のミカエルのこと」

 

「キミが置き去りにしてきたっていう例の?」

 

「そう、あの邪悪の権化。あいつの器は確かにくたびれてこそいなかったが、どう見てもヤツの本来の器ーー『ミカエルの剣』じゃなかった。あのファザコン大天使が全力を出せなかったのが一番の救い」

 

 ゾッとしそう背筋を宥めるようにクッキーを口へ放り込む。ミカエルの剣、剣とはあるがそれは比喩。ミカエルが全力で自分の力を振るう為の武器ーーつまり、彼の為に正式に用意された本来の器を示す言葉。強大な彼の力に耐えられる器は限られる、曰くミカエルの器に必要なのはーーカインの血。

 

 そこを行けば、確かに俺もアダムも彼の器としての役目は果たせる。どれだけ酷使しようと、体がくたびれて自壊することはないだろう。が、それは及第点でしかない。俺やアダムと、本来のミカエルの剣たるディーンを器にするのとでは根本的な力の差が生まれてしまう。どうやっても埋められない差だ。

 

「もう過ぎた話を掘り起こすのもだが。あの化物がミカエルの剣を……本来の器を手に入れていたらと思うとゾッとするよ。まあ、もう会うこともない今だからできる話だけどな?」

 

「いつも全力を出せるとは限らない、そういうことだね」

 

「そういうこと。ミカエルが本当にディーンみたいな器を手に入れてたら、とても手には負えなかった。そこは本当にラッキーだったよ」

 

 正真正銘、ミカエルは天界の最終兵器だ。しかもルシファー曰く、あっちのミカエルはこっちの世界のよりも強力らしい。しかし、性格はこっちのミカエルよりも邪悪でグレてるときた。それが全力でやってくるとなると、考えるだけでも悪夢だ。嫌なことしか浮かばない。

 

 一蹴できるのは生みの親たる出来損ないの神やその近親のアマラ、あるいは虚無みたいな銀河系プレイヤーに限る。他にいるとすれば、全力のネフィリムや死の騎士(デス)くらいの存在なら、あるいは良い勝負ができるかも。出来ればどれも見たくない対戦カードだが。

 

「綱渡りをやるのが日常?」

 

「大丈夫だ、別にナーバスにはなってない。誰にでも試練はあるよ、ワトソンくんちゃん」

 

「うん、それはそうだけど。その呼び方はなんとかならないかい……?」

 

「俺は気に入ってんだけどな。努力しよう」

 

 頬杖を突き、やや間を置いてから。

 

「ところでワトソンくんちゃん」

 

「キミ、頭に風穴でも空いてるの?」

 

「冗談だ。お前もイ・ウーにいたんだろ。それを踏まえて、眷属のことを聞いておこうと思って」

 

「油断ならない連中だよ。特にドイツの魔女連隊はーーキミに私怨があるみたいだ」

 

「……トゥーレ協会の連中のお友達か。ヤル気満々だったか?」

 

「言ったとおりだよ。キミたちに私怨がある」

 

 私怨、私怨かぁ。淡々と事実を並べてくれるワトソンくんちゃんに、俺は深呼吸してから、顔を伏せて、最終的に両手で頭を抱えた。

 

「ゆ、ユキヒラ……?」

 

 ちくしょうめ。ああ、やばい……やばいぞ。ドイツはまずい。まずいぞ。まずすぎる。ああ、まずいって……やっぱりあれはまずかったんだよ。仕方ないことだがまずかったんだよ。まずかったんだよ、ディーン……!

 

 連中がどこまで知ってるか定かじゃないが、仮に知られていたらーーゾッとする話だ。それこそ極刑どころの話じゃない。連中の士気も十中八九跳ね上がる。願わくばあの事実は闇に葬られていますように、つか伝わってませんようにーーとりあえず、魔女連隊との戦いになったら、それは他の連中に任せよう。

 

「……キミは後ろ足で砂をかけるのが得意みたいだけど、今回は何をやったんだい?」

 

「ちょいと喧嘩してんだよ、トゥーレ協会とは昔から。ああ、違った。デカいちょいとだ」

 

 駄目だ、考えてると頭が痛くなってくる。コーラでも飲んで、現実から逃げよう。

 

「協会と連隊が仲違いしてることを祈るよ。場合によってはバチカン以上に怨まれてる可能性がある」

 

「一体何やったの……?」

 

 苦い顔で横目を向けるワトソンを同じく苦笑いで制する。

 

「連中のテリトリーは欧州だったな。だったらおとなしく他のみんなに任せる。頼んだぞ?」

 

「分かった。詮索するのは辞めるよ。ボクの頭の中でアラートが鳴った」

 

「恩に着る。ここには山ほど、話せない秘密が閉まってあるんだ。消防法違反なくらいに」

 

 自虐的に自分の頭を指で差す。正解だよ、俺の頭を叩いてもロクな答えは出てこない。

 

「でもこのクッキー、評判通りだね。バカうまっ」

 

「……」

 

「イギリス人だって『バカうまっ』くらいは言うよ? 気取った喋り方しかできないと思った?」

 

 驚きで固まっていた体を叩き起こし、俺は首を横に揺らす。

 

「まさか。そんな風に思えるほど、英国のことはよく知らない。でもお前とはーー思ってたより仲良くやれそうってのは分かった。ほんと、良かったよ」

 

 やや温くなっていた瓶入りコーラの残りを喉に流し込む。追加持ってくるか。

 

「ねえ、ユキヒラ」

 

「ん?」

 

 立とうとした矢先、声がかかる。

 

「本当にーーキミはアラステアの?」

 

 ーー……その名前を出された途端、冷蔵庫に向けようとした足が止まった。我ながら、だらしのない……事実を述べればいいだけだと言うのに。閉じた口が鉛のように重たく感じた。本当にだらしのない、知られたくない秘密を打ち明けられたのはワトソンも同じだと言うのに。ここで答えないのはそれこそアンフェアだ。

 

「受け取ったよ。あいつの差し出した手を受け取った。気の遠くなるような時間の中で、あいつから教えを受けた。だから、入学早々に尋問科でAランクにもなれた。別に才能とか努力とか、そんな綺麗なものを持ってたわけじゃない」

 

 俺の先生は綴先生だけ。そう思ってるし、そう在りたいと思ってる。けど、違うんだ。皮肉にもAのランクを取れたのはーーあの透明の眼を持った悪魔のお陰。リリスのペットに喰われ、地獄で過ごした悪夢のような時間のお蔭。

 

「人は歳をとると変わる。本当のことを言いたくなるものなんだ、嘘をついても大抵のことは解決しないから」

 

 塗り潰せない過去と向き合うつもりで、俺はワトソンに振り返り、視線を結ぶ。

 

「今の俺の技術を与えたのはアラステア。リリスと同じ透明の眼をした悪魔でーー尋問と拷問のエキスパート」

 

 ーー猟犬に喰い殺された俺を、ディーン共々遊んでくれた最低で最悪の怨敵。

 

 

 

 

 

「吸血鬼って招かれないと、自分から中には入れないんじゃなかったか?」

 

 太陽が沈んで、夜の帳が降りた時間。当たり前のようにベランダから侵入してきたその吸血鬼は大げさに肩を竦める。

 

「お笑いね、ウィンチェスターの人間がそんな伝承を本気で信じてるの?」

 

「そういう吸血鬼も探したらいるのかも」

 

 昼はワトソン、夜はヒルダ。今日は珍しい来客が続く日だ。見上げる夜空には、少し欠けた月が浮かんでいる。ベランダからこちらが何か言うよりも、我が物顔でヒルダは部屋へと上がり込んできた。とりあえず、我が家が土足禁止であることだけはブロンド吸血鬼に伝えておく。

 

「こんな時間に何の用だ? 残念だが冷蔵庫を漁ってもお前好みのワインも肉も出てこないぞ?」

 

「でしょうね。最初から期待はしていないわ。話があってきたのよ」

 

 という言葉に、少し目を見張る。ワトソンと似たような口振りだな。

 

「意外だ。あんまりお喋りが好きなタイプには見えなかったが」

 

「お前の勝手なイメージを押し付けるのはよしなさい。まあ、つまらない話なら時間の無駄ではあるけど」

 

 と、我が物顔で次はソファーが侵略される。相変わらずの吸血鬼に俺も一度肩を竦めた。我が家のソファーは吸血鬼にも人気らしい。実は暇だから遊びに来たってオチじゃないよな……?

 

「ねえ、雪平。頭の良い人間は常に礼節を持って接する、なぜだか分かる?」

 

「目の前にあるのが敵の顔かもしれないから」

 

 出鱈目に返してやるが、思いの外満足の答えだったらしい。真っ赤なルージュに塗られた唇が緩やかな弧を描いた。

 

「安心なさいな。少なくともこの戦役が終わるまで事を構えるつもりはないの。一度取り交わした契約を安易に破るような醜い蛮行、私の趣味じゃないわ」

 

 赤い瞳を伏せ、「何度も言わせないで」とヒルダは付け加える。

 

「竜悴公姫は契約や規則を重んじるのか?」

 

「ええ。それが安っぽいプライドだとしても、それは私の核を成すものよ。利口ぶって、なんでもないように手放して良いものではないの」

 

 静かな眼差しで、しかし確かに俺の言葉は肯定される。

 

「と、この私が教えを説いてあげたところで、自然界の規則を破って、()()()()()()()を繰り返しているお前には無用の長物ね」

 

「……ったく。大人は敬うもんなんだぞ、でないと良い大人に慣れない」

 

 侵略されていない別のソファーで足を組み、負けじと反論してやる。夜中に吸血鬼と一対一、しかも自分の部屋で雑談してる。鉈も死人の血もなしで。ったく、どんな状況だよ。自虐的な気分で携帯を開くと、受信メールの通知が一件新しく入っていた。電話帳に登録されている差出人の名前を見て、口角が無意識に吊り上がっていく。

 

「キンジの野郎、やっとバットシグナル出してきやがったな。夜中にファミレス、はい喜んで」

 

 打ち鳴らすようにして、携帯電話を二つに折り畳んだ次の瞬間、怪訝な顔でこっちを見ていたヒルダと視線が重なる。

 

「おやつがいる? それとも自分から話す?」

 

「誰の入れ知恵か知らないがウケた。後者だ、自分から話す。キンジからメールが届いた。淋しいから一緒にファミレス行こうだってさ」

 

 結ばれていた赤い瞳が、ゆっくりと細められていく。

 

「いや、淋しいとは書いてなかったな。ファミレスの誘いだけ」

 

 ……なんで俺が尋問されてるんだよ。まあ、キンジからの久々の連絡だ。悩むまでもない。

 

「そう」

 

「ああ。それで提案があるんだが冷蔵庫にステーキはないが、近頃のファミレスではステーキが頼める」

 

 ヒルダはふいうちを食らったような顔で、

 

「一応聞いてあげるけど、それはディーナのお誘いかしら?」

 

「案外美味いらしいぞ。それに」

 

「それに?」

 

「ソフトクリームバーがある、食べ放題だ。行くしかないだろ。さようならサラダバー、こんにちわソフトクリームバー」 

 

 そう言うと、ヒルダは彼女らしからぬ大きな溜め息を溢した。別に高くもなかった評価がもう1ランク下がった気もするが、それについては考えないことにする。

 

「……はぁ。こんな男にお父様は苦渋を飲まされたのね」

 

「そう肩を落とすなって。星枷を呼んでやるよ」

 

「一応聞いてあげるわ。その人選はどうして?」

 

「火は悩みを灰にしてくれる」

 

「頭おかしいんじゃないの、お前……」

 

 これ以上は本気でヒルダとの信頼関係が転覆しそうなので、俺はわざとらしい咳払いと一緒に頭を切り替える。

 

「冗談はここまでにして。無理には誘わないがお前もキンジの様子は興味あるんじゃないか?」

 

「それは一理あるわね。やっとマトモな言葉がお前から聞けたわ」

 

「俺だって昔は真面目で堅物だった。ほら、誰かに会って、ハッと何かに目覚めるってことあるだろ?」

 

「自己啓発セミナーのこと?」

 

「遠からず、でも近からずだ」

 

 いや、やっぱり遠いかも。財布、財布っと。

 

「人間、感情を抑えつけて吐き出さないとロクなことにならない。大抵の人間はそれが耐えられなくて、いつか痛みが吹き出してくる」

 

「そう。こんなに夜も早い時間に、遠山の愚痴を聞きに行くだなんて、お前も暇ね」

 

「お前は暇じゃないのか?」

 

「ええ。でもお前の珍道中は興味があるから。私も一緒に行くわ。眷属の行動は、運の不均衡の誘因となる」

 

「そのクリンゴン語を簡単に言うと?」

 

「愚鈍ね。お前と遠山に不幸の1つでも押し付けてあげるーーそういうことよ」 

 

 ああ、そういうことか。ようするに良いことがあれば、次には悪いことがやってきて、運気が天秤の秤を保とうとするってことだな。

 

「俺もキンジも不運には慣れてるから、1つや2つ増えたところでどうってことねえよ」

 

「そうね。遠山の持ち運は最悪、逆に理子は持ち運が大きいわ」

 

「不思議なもんだがそれは納得だな。ちなみに俺ってどうなんだ? 俺の持ち運もキンジみたいに劣悪?」

 

 聞き慣れてはいない言葉だが、ヒルダにはその持ち運とやらが見えるみたいで、おみくじでも引くような軽い気持ちで俺も聞き返した。 

 

 これまでの非日常が果たして劣悪な持ち運が原因なのか、それともその非日常にいながらまだ五体満足でいられるのは大きな持ち運のお陰か。どっちにしてもこの年で僻むつもりはなかった。

 

「……分からないわ」

 

「分からない?」

 

 だが、怪訝な顔で首を横に振ったヒルダの言葉は、そのどちらでもなかった。

 

「お前の持ち運は私には読めない。ウソはつきたくないし、ホントのことを言うと不気味で仕方ないけど」

 

 今度は嫌がらせでもなく、ヒルダは真っ直ぐに俺を見る。

 

「ーーお前の持ち運は歪められてるわ。本来、お前が持っている運勢を()()が歪めて、良い方向に吊り上げてる」 

 

 真っ直ぐに、しかし不気味なものでも見ているような表情でヒルダは続けた。

 

「さっきの私の言葉は語弊を招くわね。お前の持ち運は恐らくーー理子にはとても敵わない。それを()()、あるいは()()が歪めて、大きなものに変えてる」

 

「どこかの誰かが、モブでしかなかった俺に無理矢理補正を与えて、メインキャラにしたと?」

 

「その例えは抜きにして、心当たりがある顔ね」

 

「さあな」

 

「これだけは言っておくわ。気をつけなさい、それが誰かの意図的なものであるなら逆もまた有り得ることよ。今のお前は自分の運を歪められてはいるけど、恩恵を受けている状態。何かが契機になってその恩恵を失えばーーこれまでと同じにとは行かない」

 

 旧敵、吸血鬼とハンター、そんなしがらみは抜きにヒルダはただ事実を述べるような声色で告げてくる。つまりーー俺の運勢を弄ってくれた()()()に後ろ足で砂をかけたとき、俺の運はフリーフォールみたいに真っ逆さまってことか。人の運をねじ曲げるーーまるで神様みたいだな。

 

「忘れないようにしとく。運気を上げるパワースポット、今からでも探しとくかな。童実野町とかどうだろ」

 

「それならアラスカを探すことね」

 

「アラスカ?」

 

「お父様が昔にしてくださった話よ。アラスカのどこかに、運気を上げることのできる場所があると」

 

「初耳だな。しかもアラスカかよ、本土じゃねえか」

 

「お父様も眉唾の話と前置きしたほどよ。詳しいことは私も分からないわ。でもお前の歪められていた運が戻って、どうしようもなくなったときはアラスカの大地を探してみたら? 私もずっと興味がある話なの、まだ生きていたときは話を聞かせて頂戴な」

 

 そんな昔話を聞かせてくれたヒルダはソファーから立ち上がり、お決まりの傘を自分の足下にある影の中から引き抜いてーー

 

「行くわよ、雪平。そのソフトクリームバーの店とやらで遠山と落ち合うのでしょう?」

 

「車を回してくる」

 

「BGMは交代で決めましょう」

 

「一番好きな言葉だ」

 

「二人だけの車内でお前の軽口を永遠と聞かされるのは拷問だもの」

 

「好きな言葉じゃないが少なくとも会話だ」

 

 テーブルの上からインパラの鍵を拾い上げる。

 

「車内で二人ってなると、相手次第ですっごく空気が重たく感じることあるよな。けど、もし気まずくなっても逃げ場はないんだ。走ってる車から飛び降りるわけにもいかないしーー」

 

 数秒思案したあとに俺は折り畳んだ携帯電話を手に取り、

 

「ジャンヌでも呼ぶか?」

 

「それ一番好きな言葉よ」

 

 

 

 

 




前後に別れたシーズン15も最終話まで見終わりました。予告どおりに懐かしい面々も色んな形で登場してくれたので最終シーズンらしい後味も感じれたかなと作者は満足です。作者は現地での最終回放送直後のsnsの感想なども追ってましたが、息の長い作品であればあるほど『最後を考える』のは難しいに尽きますね。

作者は最後のシーズンも楽しませてもらいました。色々総括しても、製作陣とスタッフさん、お疲れさまとありがとうございました。




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遠山少年の実家帰り―File.6

「雪平の。儂は今より京都へ赴く。伏見は化粧っ気ばかり濃くて、困った妖狐なんじゃが──知恵者で知られておる。天狐の大八州評定は、伏見稲荷で開くのが習わしじゃからの。習わしは習わしじゃ」

 

 と、プリンのカラメルで口元をべとべとにしながら玉藻は言った。

 

「……分かった。つまり、こういうことか。キンジが誘拐されたクラスメートを助けに行ったら、藍幇の大使と出くわした。それでそいつが引き連れてたのが──孫悟空?」

 

「うむ、此度のことは儂とて信じられんが奴が引き連れていたのは猴。闘戦勝仏──孫悟空じゃ」

 

 プリンのフタ裏までナメナメした玉藻は、真剣味な眼差しで頷いた。よほど美味かったらしい。

 

「あの()()()()、孫悟空か」

 

「さすがにお前は驚かないな」

 

「いないのはゴジラとモスラ、それ以外はいる」

 

 特秘を済ませ、無事に第三男子寮の我が家に帰宅したキンジだったが、玉藻を引き連れていた時点で何かある予感はしてた。案の定、それは聞き流せるレベルの話でもない。

 

 修学旅行で電車をジャックし、爆弾を仕掛けてくれた元イ・ウーの守銭奴『ココ』。あいつが席を置いている組織が闇に名高い藍幇だ。連中の根城も中国って話だが、また凶悪な助っ人を用意したもんだぜ。間違いなくメジャー級だ。

 

「しかし、如意棒の正体がレーザービームだったとはな。どっちかと言うと、水滸伝の方が好きなんだが。サードの傷は?」

 

「レーザーを食らったわりには元気だよ。たぶん、心配ない。なんたって先端科学だ」

 

「そうか。流石にタフだな」

 

 まあ、キンジの身内が簡単にくたばるとも思えないが。

 

「つか、玉藻。盗み食いするのは何も言わないから、口元のそれはそろそろ拭け。切、ほら」

 

「神様。ちょっと、じっとしてろ。これだと威厳もへったくれもない」

 

 キンジが投げたティッシュから数枚取って、カラメルまみれになった神様の口を拭いてやる。仮にも日本妖怪の重鎮が盗み食いしたプリンで口をカラメルまみれにしてる、威厳も何もあったもんじゃない。

 

「幼子扱いは癪じゃが」

 

「そいつは失礼。よし、綺麗になった。プリンが欲しいならもう一個やるから、フタ裏をナメナメするのは辞めろ。やっていいのは一人のときだけだ」

 

「うむ、覚えておこう」

 

「約束。後でもう一個やる。で、中国のビッグネームが日本で暴れて、獣人的な縄張りの問題は大丈夫なのか?」

 

「お主も猴と相見えたことはないか」

 

「ああ、一説ではインド神話のハヌマーンがモデルって言われてるよな。出会うなら、そっちが先だと思ってたよ」

 

「猴は日本の鳳と同レベルの、化生界の巨頭じゃ。天竺で闘戦勝仏と相成られた正真正銘の仏。一歩違えば、あらゆる唐の化生を敵に回すことになろう」

 

 今度こそ、玉藻が険しい顔つきになる。

 

「西遊記は有名だけど、やっぱビッグネームなんだな」

 

「俺も日本の冠位について詳しいわけじゃないが従一位で貴族クラス。その上の正一位は、俺たちで言うならSランク武偵みたいなもんだ。鳳はそのピラミッドの頂点、まさに上の上」

 

「ようするに日本の総大将か。北欧神話に出てくるオーディンやギリシャのゼウス、エジプトのラーみたいな」

 

「天国ならミカエル、地獄ならルシファー。煉獄なら万物の母イヴ。猴はその鳳と同レベル、そんな首領が異国の地に殴り込みってのはなんか変じゃないか?」

 

 ふと、キンジと各々に挙げたラインナップを省みて、疑問が頭をよぎる。ルシファーなら故郷に帰るような気軽さで敵意まみれの天国にも足を踏み入れるだろうが、何かすんなりと喉を通らない話だ。

 

 一歩違えば、あらゆる唐の化生を敵に回すことになる──玉藻はそう口にしたがそれは逆もまた然り。戦役のことがあるにしろ、位が位だ。日本妖怪の反感を買う可能性は十分有る。それについては玉藻も思う所があるようで、

 

「儂も鎮めようとしたのじゃが……猴は、聞く耳を持たなかった。まるで正気を失ったかのようにな」

 

「俺たちならいざ知らず、仮にも正一位の天狐皇幼殿下の声が届かないとは思えない。本当に正気じゃなかったのかもな」

 

 幼い姿を借りてるだけで、玉藻は他の妖狐たちを束ねているれっきとした獣人界の重鎮。そんな玉藻に出くわしながら、警告ガン無視で心臓をレーザーで一突き……今回も一癖ありそうな予感がするな。安っぽいソファーで、俺たちは各々に面白味のない顔を浮かべた。

 

「よっと」

 

 沈黙の時間が少し流れ、俺は冷蔵庫から買い置きのプリントと缶コーラを持って戻る。プリンは玉藻に差し出してやり、改めて座ったソファーでプルタブを捻った。

 

「いくら中国に縁があるからって孫悟空を連れてくるとはな。藍幇のコネも恐るべし、ネットでクーポンでもゲットしたか?」

 

「さあな。お前、神様の相手は得意だろ。相手は仏だ、口説いてみたらどうだ」

 

「は?」

 

「──ロメオだ、かなめのときは俺にやらされたろ。順番で言えばお前の番だ。あれなら戦わずに済むしな」

 

 と、キンジはメロンソーダーの缶をぐびぐびと煽る。仏を口説くの……?

 

「流石だよ、キンジ。お前は本当に、なんと……罰当たりな奴なんだ……」

 

「……それ、お前が言うのか? 信仰心なんて欠片もないお前が?」

 

「それはお前もだろ。ちなみに俺はアルテミスにだけは祈ってもいいと思ってる。だから、別に欠片もないわけじゃない」

 

 屁理屈っぽく、かぶりを振る。

 

「なんでピンポイント?」

 

「出会った中で一番まともに対話が出来て、出会った中で一番尊敬できる神だったから。信心深いハンターはみんな揃って彼女に祈りを捧げる、それがアルテミスって狩りの女神」

 

 他が酷いのはあるが、今の言葉は本心だ。目を丸くしているキンジ、一方で玉藻はいつも背中にしょってる賽銭箱をこっちに向けてきた。

 

「何だ?」

 

「玉串料」

 

 信仰心について説いた刹那、神様自ら金をせびりに来た。あまりに堂々と言うので、俺はキンジに視線を交わしつつ、返答しておく。

 

「お金いるの?」

 

「儂、新幹線に乗りたい。あと会議中につまむ油揚げ代もじゃ」

 

「……遠足じゃないか」

 

「稲荷明神に徒歩で京まで参れと申すか!信心が足りん! 」

 

「いや、徒歩で行けとは言ってないだろ。バラエティー番組の企画じゃあるまいし」

 

 スプーン片手に御乱心の稲荷明神様。文にするとエキセントリックだが、絵面にするとやっぱりエキセントリックだ。新幹線に乗りたい辺り、随分と現代に馴染んでいらっしゃる。いつかは安物の油揚げで満足できない舌になるに違いない。

 

「分かった、キンジが玉串料やるよ」

 

「金なんか無いぞ」

 

「べれった社から裏金もらうんじゃろお前。ほれ早く浄財せい。信心を入れるのじゃ」

 

 貰えさえすれば、俺でもキンジでも相手は問わないらしく、賽銭箱を揺すって催促してくる。玉藻に先回りされ、逃げ道を焼かれたキンジはこっちも恨めしい眼差しで俺を見てきた。よし、とりあえず笑っとけ。

 

「ちょっと金が入ったらハイエナみたいに群らがってくるんだな。金欠時代が恋しい」

 

 そう言って、キンジはおそらく大体で計算したであろう電車賃と油揚げ代を賽銭箱に入れた。

 

「これは片道分だ、後は切から貰え。俺だけ払うのはアンフェアだろ?」

 

「世の中はアンフェアなことだらけだよ。知ってるか、いい大人は請求を見たら、自分のポケットに手を入れて茶色の紙をだす。それが世間で金って言われてるんだと」

 

 キンジがまだ受け取ってもいない奨学金に手をつけた以上、俺もポケットマナーをケチるのは流石に申し訳ないので残った片道分の電車賃を大体で工面してやる。この見た目なら、子供料金でなんとかなるだろ。

 

「儂が感じた所によれば──猴は日本を離れ、香港に行ったようじゃ。本人は朦朧としてたようじゃから、あの中国人たちが同行したと考えるべきじゃろう」

 

 賽銭箱が潤った途端、逸れていた話の軌道が修正された。素早い撤退だな、足軽なことで。

 

「分かった、そっちのことなら渡りに舟の話がある。こっちは任せろ」

 

 いつになく、積極的なキンジの返事に不覚にも驚いてしまった。いつもみたいに皮肉の一つでも言うのかと期待してたんだが──今のはすごくリーダーっぽい。俺がバカみたいだ。

 

「あっちの学校で何か学べたか?」

 

「微分方程式。更級日記。それと……俺が本当に生きてるかどうか」

 

 それは──どうりで。

 

「悪くない二週間だったみたいだな、何よりだよ」

 

 顔を見ればなんとなく分かる。満更、ここを離れた二週間の日々と別れを惜しんでいないわけでもなさそうだ。銃もナイフもない普通の学校生活は、うまくやれたらしい。

 

「遠山の。生きることとは、ただ息をすることではない」

 

 ずず、とプリンを食べ終えた玉藻はベトベトのスプーンを空になったカップに入れる。

 

「生きることとは、ただ心臓を動かすことではない。生きることとは、闘うことじゃ。それが苦しみしかない生だとしても、生きるというのはそういうことじゃ」

 

 その一連の言葉は、とても不思議な響きをもって胸を駆けた。鋭く狭められていた瞳と一緒に放れたのは長い時を生きた玉藻らしい、重く、血の通った言葉だった。恐らく──それは玉藻が自分の生涯で掴んだ言葉であり、真実なのだろう。

 

 フタ裏についたプリンも綺麗にナメナメした玉藻は、そう言い残して玄関へと歩いて行った。キンジはそのちっちゃな背中を半眼で見据え、

 

「威厳があるのかないのか、忙しいやつだな」

 

 と、そっと呟くのだった。 結局、プリンのフタ裏まで舐めていきやがったな、あの神様。

 




次から香港です。アリアの孫悟空は手刀でハンドルを切らないどころか、運転がやたら上手ですよね。某孫悟空がハンドルを切り落としたシーンは未だに忘れられない……ベイビー以外の運転も海外なら許されるかなぁ。


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香港編
キンジvsボンドカー


 両開きの扉を開き、踏み入れた先にあるのは長椅子と祭壇。両脇の壁に備えられたステンドグラス、十字架に磔となっている聖人の彫刻。四方を見渡してもそこは外界と切り離された空間、神を敬い、神に祈りを捧げる場所。至って普通の礼拝堂だった。燦々と照り付けている陽射しからの透過光で、槍を持った大天使ミカエルが描かれたステンドグラスが、頭上で鮮やかに煌めいている。

 

「武偵病院に礼拝堂なんてあったんだな。何度も世話になったのに全然知らなかった」

 

「珍しいものじゃありません。手術前のお祈りにだって来られるし、入院中の患者も来られる。トリプラー陸軍病院にもあると聞きましたよ?」

 

「あそこにはまだ一度も」

 

 案内してくれた一年下の後輩──乾桜に俺はそっと横目を流す。

 

「人間、本当にどうにもならなくなったときは誰かにすがりたくなる。どうにもならない困難が来たとき、人間は救いを求めるんです。自分より大きな存在に」

 

「そうだな、助けてくれるなら祈りたい。けど」

 

「けど、なんですか」

 

「いくら祈ったところで届かない。神は行方を眩まし、天国は機能しなくなってる──だとしたらどうする?」

 

 とても聖堂にやってきた人間とは思えない質問を投げると、乾は真剣な顔つきで頭上を仰ぐ。

 

「大事なことを忘れてます。私は天国を知らないから、本当のところどうなっているかは分かりません。でもそれは雪平先輩の真実で、私たちみんなの真実とは違う。本当に神を信じてるなら、雪平さんの言葉で揺らいだりしない。信じるってそういうことです」

 

「……神がとんでもないロクでなしだったとしてもか?」 

 

「祈りは届くと思います。神様でなくとも、きっと誰かに」

 

 真っ直ぐな乾の瞳に、俺はそれ以上のことは言えなかった。近日中には香港への修学旅行Ⅱも始まる。神には滅多に祈らないのが俺だが、今日に限っては俺も祈りを込めた。一日でも早く、神崎が母親との失った時間を取り戻せるように──

 

 

 

 

 

「車はアメリカで生まれました。日本の発明品じゃありません。我が国のオリジナルです。しばし遅れを取りましたが、今や巻き返しの時です」

 

「理子もキャデラックは好きだよ?」

 

「キャディがお好き? 結構。ではますます気になりますよ。ああ、仰らないで──シートがビニール、でもレザーなんて見かけだけで夏は熱いし、よく滑るわすぐひび割れるわ、ろくな事はない。天井もたっぷりありますよ、どんな長身の方でも大丈夫。まあ、コンバーチブルだし」

 

「もしかして、そのやり取りがしたいためにキャデラックにしたんじゃないだろうな?」

 

 ーー残念ながらそれは外れだ。渡りに船のつもりで乗り込んだ香港で、キンジが操るキャデラックは現在進行形でメーターを振り切っていた。

 

 時速100kmはあろう速度で四つん這いで追いかけてくる孫悟空から逃げるために。……なんともふざけた脚力だこと、まるでピューマだ。

 

 理子が調達し、キンジの運転するキャデラックには俺と星枷を加えて戦闘要員が四人。しかし、このカーチェイスに至った原因の一つは、市街地で装甲車を乗り回そうとしたココの無茶苦茶な戦術にある。車で装甲車と戦うワイルドスピード的なシチュエーションは、スリル中毒のケがある理子でも賛同しないだろう。俺だって反対だ。

 

 ココが装甲車を用意してるのは想定外もいいところだが、だだっ広いこの国で孫悟空を炙り出すという本来の作戦は成功だ。その孫悟空に現在進行形で追い回されてるがな……

 

「いつもの感じでこの状況をたとえるなら?」

 

「いつもの感じ? 俺とキンジ初の香港旅行は非常にまずいことになってます」

 

「ちょっと待て……嘘でしょ……キーくん、後ろから来てるのあれZ8だよッ!」

 

「……いい車を見つけたね。足の速さじゃ、まず勝てない」

 

「どっかの金持ちが運悪くドライブしてたか。足漕ぎボートでブラックパールと競争するようなもんだ。目測、距離600メートル。理子、やっぱり買うならキャディより──」

 

「どうせカマロにしとけって言うんでしょ。変形して戦ってくれるなら理子も大賛成だよ、黄色いやつ」

 

 トランスフォーマーが味方、それは何とも心強いな。かなり心強い。後ろからは、既に運転手を並走していた別の車に投げ捨て、ドライバーの権利を奪った悟空が追走して来ている。流石はボンドカーだな、こっちはメーターを振り切って120km前後だが、あっちは150kmは出てる。

 

 開いていた距離は次第に詰められるがそこで理子が動いた。ヘッドスライディングするような姿勢で、車体後部のトランク上へ上体を乗り出している。ったく、このキャデラックも100kmは出てるのにまるで物怖じしてないな。

 

「あの速度だと並ぶまで一分ってところか。直線にハンドルを固定する、狙えるか?」

 

「──I copy。理子にお任せ」

 

「それで給料を貰ってる──Hoo-yah」

 

 思い思いに返事を返し、キャデラックが直線の走行に固定されると同時に、二丁拳銃のワルサーP99とトーラスPT92の計三丁による一斉射撃。ばらまかれた9mmパラベラムは左右のタイヤに着弾し、くぐもった命中音が上がるが──車はスリップやコースアウトどころか、何事もなかったように走行を続ける。

 

「防弾のタイヤだね、さっきのはあれを選んでたみたい」

 

 そう会長が睨んだ通り、あのタイヤはどっちも防弾製らしい。あれでは9mmが通らない。空になった弾倉を入れ換えながら、素直に舌を鳴らしてやる。

 

「……金持ちってなんでああいうところに金を賭けたがる。トップガン、何か作戦は?」

 

「くししし、備えあれば嬉しいな!」

 

 器用に後部座席まで戻ってきた理子は……おいおい、マジか。オイル缶まで調達してたのかよ。

 

「きゃはーっ」

 

 追走するZ8が眼下に迫ったところで、理子は切り開いたオイル缶の中身を思いっきり道路の上にぶちまけた。こんなことされたら、いくら速度が速かろうと追跡どころじゃなくなる。無理に走れば、十中八九でクラッシュだ。これなら馬力の差も防弾のタイヤも関係ないはず……

 

「キンちゃん……!」

 

 しかし、そこは孫悟空。人間の理屈など嘲笑うようにむしろスピードを上げて、こっちのキャデラックを追ってくる。

 

「悟空め。お次はなんだ……?」

 

 照準越しに睨んだ先、左右の裸足を──フロントガラスの上縁とハンドルに乗せて、とんでもない体勢で立ち上がる悟空の姿が映っていた。車体は悪環境になった道でスピンしかけるが、それをハンドルを右足で操作する曲芸で──立て直してる。信じられないことに今やZ8はキャデラックの横にぴったり張り付いていた。

 

 無茶苦茶やりやがるな……理子がトップガンのマーヴェリックなら、あれはイーサン・ハント並みのクレイジーな運転だ。

 

 人間離れした緻密な運転に唖然とする俺たちを差し置いて、前方のビルから第三者によって投擲された『青龍偃月刀』が、難なくキャッチした悟空の手で振り回されていく。その一連の動きの間も、悟空は足でハンドルを操作したままだ。ここまで見せられると、運転が上手い下手の問題で片付けられないな。

 

「呂布、張飛、趙雲、関羽、夏侯惇──あの頃の中国には、遠山のような一騎当千の将、いい男がゴロゴロいたものさ」

 

 三国時代、今でも語り継がれている武将たちの名を懐かしむように悟空は並べていく。その宝石のような丸い瞳は右目だけが紅く、紅く、力を溜め込んでいるように輝いていく。あれは玉藻が重苦しい声で語ってくれた如意棒、レーザーの予備動作だ……!

 

「お前のお陰で思い出したよ、あの頃を。遠山キンジ。こいつはその礼だ、見せてやる……って言うとウソになっちゃうか。如意棒は目じゃ追えないからな」

 

 最後の最後で物騒なことを言い残す悟空の目が言うなれば照準、目を合わせれば物理的に相手を撃ち抜くことができる。標的はキンジで決まりらしい。キンジも鉛弾ならいつもみたいに手で弾くなり歯で受け止めるなりで平気で回避するが、物体を飛び越えてレーザーが相手だと──ちと怪しくなってくる。

 

 高揚しているわりに悟空は運転も相変わらず緻密にやってのけ、二台が並走してる状況も変わらない。キンジは目一杯飛ばしてるが流石にキャデラックでZ8を振り切るのは難題だ。早々に切られた強力なカードに、ここでも切り返したのは理子だった。

 

「キンジはあたしの獲物だ。昨日今日出た新参者に渡すか!」

 

 お得意の双銃と変幻自在の髪を使った変則の双剣双銃──二発の弾丸と投擲した二対のタクティカルナイフが、照準を定めようとする悟空目掛けて放たれる。双剣双銃の二つ名に違わない手数の多さだが、一発は命中するも防弾制服に守られた肩、もう一発は偃月刀に阻まれ、ナイフはその場で宙返りを決める荒業によって遮られる。

 

 着地を狙って俺がばら蒔いた弾丸も、やはり偃月刀を使って綺麗に弾いていく。近頃の連中はどいつもこいつも当たり前のように銃弾を弾きやがるな。いい加減、慣れてきたぜ。もう刀や槍で弾かれたくらいでは驚かねえよ。撃った傍から、明後日の方向に消えやがる。

 

「こりゃ弾の無駄だ、残弾6」

 

「だからあたしはマグナムにしとけって言ったんだ!」

 

「うるせぇ! DEなんて使えるか! 俺は9mmが好きなんだよ!」

 

 依然、悟空はふざけた方法でハンドルを操っているが、それまでキンジ一辺倒だった視線は真っ先に牙を向けてきた理子に変えられた。あの嬉しそうな顔、躊躇なしに『目』を狙ってきた理子がいたくお気に召したらしい。こっちの理子はダーティ・ハリー気味だからな。

 

「遠山、いい女がいるじゃないか! 王元姫を思い出す!」

 

 誰だよ、それ──と、無駄な言葉を叩いてやる余裕はない。華奢な体と矛盾した速度で振るわれる偃月刀は理子が構えたワルサーを二丁まとめて弾き、俺も残っていた手持ちの弾薬を迎撃の為に問答無用で吐かされる。

 

「きひひっ!」

 

 そして、そのなけなしのパラベラム弾もどれも大した働きをこなさなず、撃ち尽くしたトーラスのスライドにロックがかかる。ちっ、やりたい放題かよ。心中、愚痴を並べてやったとき、

 

「──ハッ、あたしは女でも愛して貰ったよ。これ以上ないってくらいにな」

 

 視界の隅で、素手になった理子の両腕が悟空に突き出されるのが見えた。刹那、中の見えなかった改造制服の袖の内側から、新たなワルサーが二丁飛び出した。スリーブガン……どこまでも抜け目ない。完全に不意を突きやがった。

 

「──!」

 

 ワルサーを握ると同時に、一瞬で狙いをつけた理子の両手から発砲音が響いた。計二発、少なくとも一発は被弾したらしい悟空の小さな体がZ8のボンネットにひっくり返った。今のは完全に顔面に食らったように見えたが……

 

「──白雪、残弾13だ」

 

「後払いだ、あたしの弾をくれてやる。さっさと補充しろ」

 

 普通は顔面に弾をぶちこまれて平気ではいられない。だが、至って冷静にベレッタを手渡し、弾薬を共有してくる理子とキンジの苦々しい顔と反応を考えると、俺の普通の考えは裏切られることになる。

 

 キンジが静かに歯軋りしたのと同時に、悟空が背筋を使った綺麗なジャンプでZ8の運転席に舞い戻る。そして、もごもごと口を動かし……ペッと何かを吐き出した。おい、まさか……

 

「……あいつ、飴玉舐めて戦ったわけ?」

 

「んなわけあるか。止めたんだよ、あたしの撃った弾を。歯で()()()

 

「もう瞼でマバタキして弾丸を受け止めても驚かないよ」

 

 弾薬を補充しつつ、口から鉛弾を吐き出す異様な光景に視線が呪縛された。至近距離から飛び出してくる弾丸を歯で噛んで止めたはいいが、その衝撃を殺しきれずにひっくり返ったわけだ。いつかキンジが似たようなことやって鼻血を吹き出したが彼女の顔は綺麗そのもの、そこは最上級の官位にいる獣人か。人間なら、今ので勝負がついてる。

 

「これは初めてやったよ。誉めてやる。いい女だな、気に入ったよ。お前は写真で見たことがあるぞ、峰・理子・リュパン4世だな?」

 

 悟空……前半は誉め言葉だが、最後のは導火線に火を点けちまったな。

 

「4世とか呼ぶんじゃねーよこのチビ!その上から目線も気に入らねーんだよ!」

 

「きゃっ!」

 

「っおい!」

 

 理子が怒りに任せて、後部座席から掌底でハンドルを殴りつけたせいで、キャデラックも近くにいたZ8の側面を殴り付けるように体当たりをかます。いきなりのことで俺と会長は姿勢を崩しそうになるが、体当たりを受けたZ8は側面のガードレールにぶつかって火花を散らしている。なんか……オイルを撒いたときよりもダメージ大きそうだな。

 

「お前に言われたくないぞ! チビ理子!」

 

 と、今度はZ8が反撃にぶつかってくる。カーチェイスが一転、お互いに時速100kmで車体をぶつけ合うドックファイトに姿を変えた。

 

「あたしは147ある! お前は140も無いだろ!」

 

「あと2センチありゃ足りる!」

 

 すっかりキンジからハンドルの操作権を奪った理子はアクション映画さながらの勢いでハンドルを回し、体当たりを繰り返していく。普段の神崎と理子の争いを見せられている気分だがこれは悪くない展開だ。単純なレースなら匙を投げたい勝負だがドッグファイトならタフなアメ車のこっちが有利になる。

 

「何がボンドカーだ。元グリーンベレーも乗ったキャデラックに勝てるもんか! 車はアメリカで生まれたんだよ!」

 

 ぶつかる度に車は揺れ、Z8もデビルも体当たりやガードレールとの擦り傷やらでボロボロになっていく。まさに殴り合いだ。

 

「キンジ」

 

「ああ、どうやら連打はしないらしい」

 

 だな、ドッグファイトに気を取られそうになるが悟空があれだけアピールしていた如意棒をまだ撃っていない。いや、もしくは何らかの理由でもう撃てないのか。どっちにしてもレーザーが来ないのは願ったり叶ったりだ。

 

「白雪、頼む」

 

「はい!」

 

 キンジの言葉に二つ返事で星枷がベレッタの引き金に指をかける。会長が例の危ない機関銃以外の銃を扱っているところは見たことないが、即興で借りたキンジのベレッタでも立派に悟空の足を鈍らせている。俺も理子から分けられた弾薬を惜しげなく、足止めに使ってやる。お膳立てはしてやった、キンジが片手を使ってDEを取り出せる程度にはな──

 

 砲撃のような音が上がり、Z8にクレーターのような穴が生まれる。いつ見てもゾッとする威力だ。一番末恐ろしいのはそんなDEを片手で手懐けるルームメイトなのかもしれないが。すばしっこい悟空は無理でも前を走るだけの車なら当て放題──考えたな。

 

「奇ッ!」

 

「ふざけんなぁ……」

 

 Z8をクルーズモードにした悟空が偃月刀と共に──嘆いた俺の目の前に飛び乗ってきた。名古女を彷彿とさせる大胆なカットオフ・セーラー服が翻り、俺の手首に向けて巨大な偃月刀が鎌のように払われる。差し向けたトーラスが呆気なく弾き飛び、突き出しだした足が今度はDEの銃口の先を理子に変える。

 

「ちょっ!」

 

 理子も腕を慌てて押し返すが、お次はそのキンジの腕に両足で立つという無茶苦茶な姿で偃月刀を払っていく。応戦する星枷のベレッタも弾は避けられ、制服に止められ、偃月刀に弾かれて空薬莢が乱れて飛ぶ。

 

「きひひっ!」

 

 四肢と偃月刀、そして尻尾まで使った変幻自在の立ち回りは無茶苦茶と言う他なかった。至近距離から放たれる鉛弾はまるで致命傷にならず、まとわりつこうとする理子の髪も不規則且つふざけた早さの動きに置き去りにされる。

 

「「このチビッ!」」

 

 ココ仕込みのクンフーで殴りかかった理子の声と悟空の声がハモる。鋭い前蹴りを回避するもコンマ数秒で追いかけてくる尻尾の振り払いが理子の頭部を強襲。デビルの後部座席に弾き飛ばす。

 

「ああ、いいなぁ。あたしは生きてる、痛みを感じてる。この戦い──大事にしよう」

 

「好きな相手とは痛みを共有したい系か。分からなくもないが今日は遠慮してもらう……!」

 

 首を払うような角度で迫る刃を、ギリギリのところで頭を下げる。恐ろしい速度のギロチンが真上を通過すると同時に、俺も懐から元始の剣を抜いてやる。問答無用で最大火力を振り払った。

 

「──!?」

 

 外した。だが、そこは隙を生じぬ二段構え。星枷が既にイロカネアヤメを抜いて、キンジを守るように刃を向けている。元々自前の武器じゃなかったからな、ベレッタを構えていたときとはまるで気配が違う。さすがは妖怪退治の専門家、威圧感だけで悟空を元いたZ8の運転席まで下がらせた。

 

 何回転も膝前宙を切り、身体能力の高さを見せつけてくれた悟空の敵意も傷だらけのZ8も未だに健在。第2ラウンドのゴング代わりに、やや怒りを滲ませた瞳が初めて俺に向けられる。

 

「おい、そっちのお前」

 

「なんだ?」

 

「その腕、酷く匂うぞ」

 

「変な意味に聞こえるから止めろ。本気で傷つくんだぞ。呪われてたとしてもな」

 

 実際、心を串刺しにされた気分だが対して悟空の口元は弧を描いた。

 

「お前がカインの野郎の後釜か。だったら、都合が良い。そいつは殺しという名のドラッグ、厄介な依存性がついて回る。お互い、喉の渇きを満たそうじゃないか!」

 

 何ともぶっそうなお誘いだ。戦うことが趣味の生粋の武道家気質らしい。俺は即座に首を横に振って、失敗しない断り文句を言ってやる。

 

「──いたしません。俺は普通にドライブして、普通に食事するお付き合いが好きなんだよ」

 

「……そ、装甲車……っ!?」

 

 お誘いを断った刹那、不穏な単語が星枷の口から溢れる。もう間近に迫っていた高速の出入り口で、機関銃を引っ提げた装甲車が逆走で侵入しようとしていた。ふざけんな……装甲車で高速を逆走したら駄目ですって習わなかったのか。

 

「クルマ対装甲車か……これは俺も初めてだ」

 

「安全運転はありがたいが今日だけはスピード違反しろ!」

 

「理子の言うとおりだ! 電信柱にぶつけてもいいから飛ばせ!」

 

 機関銃が壮大に弾をばら蒔き、デビルが出口に向こうとした車線を離れる。あんなもんに塞がれたら、降りようにも降りられないぞ。それこそクルマ対装甲車のエキシビションマッチ、ワイルドスピード的なバトルになる。消去法でこの立体高速道路をZ8と並走するしかないが……

 

「えーっと……」

 

 まずは星枷が、

 

「あちゃー……」

 

 次いで理子が困り顔を作る。それもその筈。真新しいとは思ってたがまだ作りかけか……先に繋がってる筈の道が途切れてる。このままだと先に広がってるのはヴィクトリア湾、もれなく海面に真っ逆さまだ。そして、逆方向には愚鈍な動きで機関銃を向けてくる装甲車。

 

 ブレーキをかければ、悟空と仲良くセットで襲いかかるのは目に見えて明らか。それもオススメとは言えない。前も後ろも塞がれた。

 

「仲良くみんなで泳ぐか?」

 

「魅力的な提案だが、この高さと速度で突っ込んだら海面もコンクリートみたいに固くなる」

 

「……優しい嘘はなしかよ」

 

「そんなもんいるか、現実を見ろ。キンジ、加速だッ!」

 

 八方塞がりと思われた瞬間、理子が眼前の景色を見定めながら叫んだ。

 

「理子を信じるよ」

 

 迷わず、キンジはアクセルを踏み込んだ。

 

「きひひっ! 楽しいヤツらだなお前らは!」

 

 ココ一派はたまらず停車、加速するデビルには悟空だけがついてくる。そして、肉眼でも終着駅が見えてきた。綺麗に道が途切れてるな……

 

「なあ、最初で最後空気の読めないこと言っていいか?」

 

「いつもだろ、またお前らの命を救ってやる。見てろよ」

 

「しくじったら?」

 

「いける」

 

「駄目なら?」

 

「五分五分だな」

 

 と、理子は小さく笑いながら、それまで飾りだったシートベルトに制服の背面に隠していたフックを連結し、機械のような手際で何らかの仕掛けを作っていく──

 

「キンジーー!」

 

 ブレーキの一言がかかり、理子の背中のリボンが解かれていく。急ブレーキでひっくり返りそうになる視界で、デビルの背後に広がった理子お手製のパラグライダーが見えた。空気を受け止めたことで、広がりきったパラグライダーに働いている力はデビルとは逆方向──これは空気抵抗を利用したいわゆる空力ブレーキ……

 

 タイヤの痛ましい摩擦音が響き、視界は無茶苦茶に暴れるがいつまで経っても浮遊感と水面に触れる気配はない。前輪こそ高速道路の端からハミ出してるが……停車、できてるぞ。デビルがあの速度から……

 

「な、なんとか、なるもんなんだね……キンちゃん……」

 

「俺は今度ばかりはお魚さんと海の底も覚悟したけど……理子、イチゴ牛乳1ヶ月。俺の奢りでいい、マラサダもつける」

 

 Z8は減速なしで高速から飛び降り、下の波ブロックの上に突き刺さっていく。やがて前半分は海面、後ろ半分も炎上していて、スーパーカーが完全にお釈迦。なんてことだ、ゾッとするぜ。

 

「キーくん!理子偉かったでしょー! 誉めて誉めてー!」

 

「ああ、理子は天才だ」

 

 猫のように頭を差し出す理子と、それを優しい手つきで撫でるキンジ。オンとオフの落差が激しいって意味ではお似合いの二人だよ。ハニーゴールドの下着姿になった理子も頭を撫でられて、ご満悦らしい。

 

「くふふ、理子に夢中になっちゃった?」

 

「──とおっー!」

 

 まあ、少しでも甘い空気を晒そうものなら、蠍座の女こと星枷白雪が黙ってない。完全に理子の目を狙った三本貫手に、俺はどんな顔をすればいいんだ。それと、このドアに突き刺さってる星枷の鎌……

 

「おい、カインの」

 

「雪平だ。あの養蜂家はご先祖様」

 

 鎌からは玉鋼製の長い鎖が、高速の縁から下へと垂れている。デビルから降りてそこを見下ろすと、鎖の先端には分銅に掴まった悟空がこっちを睨んでいた。目に紅い光はない、レーザーの気配はなさそうだな。9条を破る心配もなくなった。

 

「キャンベルか」

 

「ハズレ。筋肉じゃなくて脳ミソの方だ」

 

 キャンベルは力、ウィンチェスターは頭。そこは組分けがちゃんと出来てる。悟空はつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「堅物の独身貴族の集まり」

 

「それは言えてる」

 

 俺は水没するボンドカーに目をやり、

 

「派手にやったな。悟空、お前は免許を取るのに3年はかかるぞ?」

 

「おもしろい男だな、首を落とすのは最後にしてやる。遠山に言え、さっき銃弾を噛んでちょっとグラグラしてるんだぞ。これ以上あたしの歯を浮かすな」

 

「俺は一年以上あいつのルームメイトをやってるが、あれを止めるのは雪男と自撮りするより不可能に思ってるよ」

 

 依然として、背後で仲良くやってる三人に俺も即答してやる。これで仕切り直し、ココが仕掛けてくるならこれからだな。

 

「──お次はなんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




とりあえず緋緋神まではのんびりいきます。インポッシブルの新作が上映されるまでには……が目標。


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キンジvs記念撮影

 諸葛亮──ホームズやジャンヌダルクに負けず劣らずの知名度を誇る三國志の英雄。その手の歴史には知識の疎い者でも、とりあえず頭の回る賢い人ってことくらいは分かるほどに、その名前は後世に轟いている。かつては劉備に遣えていた話だが、今の時代の諸葛は魏の国の長──曹操の血縁者であるココたちの上役。魏には程昱、荀彧と言った軍師がいるが過去は過去、今は今、そこまで混同するのは筋違いだろう。

 

「さあどうぞ、ご入城を」

 

 その諸葛が両手を広げるような歓迎の言葉を放つ。俺たちが乗っているクルーザーから見える建物は──目測でも横幅200m、奥行きも50mはくだらない。そんな巨大な建物が、あろうことか海面に浮かんでいた。東京武偵高の人工浮島のように。

 

「ご入場か、デススターじゃなかったな」

 

「宇宙じゃないんだ、仕方ない」

 

 平静を保つ為のキンジの軽口に乗ってやる。洋上に浮かんでいるのは3階建ての豪華絢爛と言って差し支えない巨大な城。至るところに青龍、白虎、朱雀、玄武の四神をモチーフにした金の彫刻が掘られており、藍色の根瓦と外壁は朱色を基調に、薄青緑、白、目立つ金色で彩られている。まるで巨大な美術品がそのまま洋上に安置されているようだ。

 

 入口の左右に飾られた青龍の像の陰からチャイナドレスの女がゾロゾロと、クルーザーから降りる俺たちを出迎えるように出てくる。これが香港で活動する藍幇の本営──海面に浮かぶ連中の根城、藍幇城。キンジが悟空と決着をつけることになる、今回のステージだ。

 

 

 

 

 

 

「白馬だぜ、白馬。あいつ、白馬に乗って高速道路を走ってきやがった。夾竹桃もオープンカーで船に向かってジャンプしたり、タンカーに突っ込んだりバカなことはしょっちゅうやるけど白馬で高速道路だぞ? ありえないだろ?」

 

「愚痴を言いたいのか、すごいって言いたいのかはっきりさせなさいよ」

 

「キリくん、本当に夾ちゃんと車でタンカーに突っ込んだの?」

 

 大理石の床を通り、バスカビールの面々が案内されたのは2階にある貴賓室だった。至るところに窓や扉の備えられている藍幇城だが、この貴賓室からはヴィクトリア湾に暮れゆく夕陽を眺められると、これまた旅館のようなアピールポイントが諸葛から語られた。事実、俺たちへの対応はまさしく宿に泊まり来た旅客へのそれだ。

 

「車に乗ると性格が変わるって言うだろ。1400キロのマシーンだ、人も殺せるマシーンだ。特に、あの蠍みたいな怪物が乗るとなんでもできると思って、区別がつかなくなる──ローラーダービーと。もしくは障害物レース」

 

 海を越えた先にいる誰かさんに愚痴を吐くことで、ここが敵の本拠地であるという忘れそうになる現実を繋ぎ止める。接待ムードで忘れそうになるがここは高級ホテルでも経営の悪化してる温泉宿でもない。極東戦役で敵対関係にある組織の本拠地、それが本質だ。

 

 理子のパラシュートを使った空力ブレーキによって、デビルとZ8のチキンランが幕を閉じた刹那、再び睨み合いになりかけた場に新たな援軍が参戦した。バスカービルからは平賀さん製の飛行ユニットでレキを抱えた神崎が空から、藍幇からはココたちの上役である諸葛亮が高速道路を白馬に乗って駆け付けた。

 

 互いに派手さには事欠かない登場をしたわけだが、市街地でありながら問答無用で仕掛けてきたココと違って、彼が提案してきたのは停戦。細かく言えば、キンジが説いた講和案に大筋の同意とバスカビールを気賓客として迎える提案を出してきた。ココが決議を下す前に仕掛けた無礼への詫び──と、諸葛亮は言っていたがこいつはどうにも頭が回る。俺が足掻いたところで腹の底が読める相手じゃなさそうだ。

 

 あの好戦的なココや悟空を、言葉だけで説き伏せ、あの一触即発の場を、血を流させずに納めたんだからな。言葉は武器であり、時には凶器となる。よく言ったもんだよ。10人は寝れそうな天蓋つきの大ベッドにダイブした理子、神崎も玉座風の椅子に腰を下ろして、高速道路で見せた明らかな敵意はない。

 

「悪くない部屋だけど、赤と金が目立ちすぎるわね」

 

「中国では赤は健康運、金や黄色は金運を表す色とされています」

 

「それでもよ。それにクリスマス・ツリーが無いのはいただけないわ」

 

 玉座風の椅子の上で神崎がつまらなさそげにボヤいた。

 

「ツリーって。この部屋にツリーは似合わないだろう。誰がどう見ても」

 

「あのね、これは似合う似合わないの問題じゃないの。キンジ、あんた何も分かってないわ。感謝祭のあとには何がやってくる?」

 

「何って……」

 

「ブラックフライデーでしょうか?」

 

「そう、ブラックフライデーよ」

 

 言い淀んだキンジに代わってレキが正解を当ててしまった。本土のイベントだけあり、ルームメイトのやや疲れてそうな瞳がこっちを向く。

 

「ブラックフライデーって、海外のホームドラマなんかでやってる、あの?」

 

「ああ、一年で最大の買い物デー。福引きやセール品、一足早くクリスマスの買い物を終えようとする衝動に駆られ、ごく普通の主婦が暴徒と化す日だ。家電量販店が戦場に変わる、バイ・モアとかな」

 

「そのブラックフライデーが終わって、明後日はクリスマス。クリスマスなの。クリスマスにはツリーが必要でしょ?」

 

「アリア、ここはバリバリの中国間だぞ。そんなもん置いたらカオスになるだろ」

 

 クリスマスにこだわる神崎、現地の雰囲気を崩したくないキンジ。珍しくお怒りムードの神崎にも退かないキンジ──と思ったが、

 

「お……俺はちょっと偵察してくる。調査は武偵の基礎だからな」

 

 巧みな台詞でバルコニーに回避、機嫌の悪くなった神崎との衝突を避けた。実際、理子がさっき言っていたのを聞いたがバルコニーは城の外周を繋ぐ回廊になっているらしく、偵察には悪くないコースだろう。理子がいるとはいえ、俺たちはまだこの城について知らないことの方が多い。悟空についても同様だ。探って不利益を被ることはない。

 

「待て、俺も行く。なんていうか、突然現れた豪華なホテルってシチュエーションには嫌な思い出しなかない。のんびり座ってるより散歩したい気分だ」

 

「いつもの重たい話か?」

 

「雨宿りに止まった高級ホテルで、隣の部屋の新婚がスープのダシにされた話」

 

「一年前なら冗談だって笑えたのに。最悪だ」

 

 そう嘆いたキンジの後を追いかけ、俺もバルコニーに出た。今まで、曰く付きのホテルやモーテルには何度も泊まったがおっかなさではあのホテルがダントツで抜き出ている。隣の新婚はスープのダシ、ホテルのスタッフや常連客はみんな揃って異教の神、お次はルシファーと来た。雨宿りに知らないホテルには泊まるな、高い授業料と引き換えに学んだよ。

 

 一応……のつもりだろうがベレッタの安全装置を外したキンジが窓から他の部屋も改め、当初自分で言った探索の目的に勤しんでいく。熱心なチームリーダーに引っ張られ、俺も右左と視線を泳がせるがどうにも戦闘拠点と呼ぶには怪しくなってきたな、この城。連中の資金力を考えると、もっと頑丈で強固な要塞を組めたんじゃないか。大雑把に見ただけだと、見た目の絢爛さが先歩きしてるだけで難攻不落の施設とは言い難い。

 

「造りが甘いっていうか、何回も増改築を繰り返してる感じだな」

 

「京都で見た星枷の神社の方がよっぽど砦や要塞っぽかった。働いてるスタッフを含めて」

 

 どうやら全員が全員、手練れの戦闘員や後方支援の人員ということではないらしい。バルコニーを見て回っただけでも、おおよそ非日常とは無縁な匂いをした人たちの姿も何人か見かけた。植物園みたいなエリアにいた庭師らしき数人の女がまさにそれだ。

 

「あの軍師のこと、お前はどう見る?」

 

「さあな、まだ何とも。猴のことも……まだ見えてないことがあるような気がする」

 

「バナナで手懐けようとした話?」

 

「今度はお前がやれよ。得意だろ、人間以外の相手を口説くのは」

 

「いたしません。お前が無理なのに、俺に靡くわけあるか。相手はあの神仙・孫悟空だ。猿の惑星に出てくるような連中を手懐けるのとはワケが違う」

 

 来る道中、クルーザーでキンジから聞いた話だと悟空には好戦的な『孫』と大人しい『猴』の二つの人格が形成されているらしい。これまた陰と陽、表と裏と言いたくなる正反対の人格だ。キンジが香港の街を彷徨いていたときにたまたま遭遇し、神社でバナナを一緒に食べながら話をしたのが猴。その後、ココの乗る装甲車と共に強襲して来たのが孫。

 

 一つの体に二つの人格。キンジが直接聞いた話では、孫は後天的に作り出された人格で、かつて三蔵法師と大立ち回りを演じたのも孫。天笠への旅のお供を勤めた有名な話も全部真実だ。真実なだけにこれは……

 

「しかし、悲しい話だな。悟空は不老不死を求めた末に、ありとあらゆる術を体得した天下無双の大妖怪。三蔵法師の手足として、大人から子供までみんなに知られてる。そんな英雄が現代では身内がおらず、お金もなく、仕事に就くことすらままならない。変な話、お前の話を聞いてランボーを思い出したよ」

 

 そう、悲しい話だ。城から見えるヴィクトリア湾を眺めながら、やっぱり俺はそう思う。

 

「戦場では100万ドルの武器も任される、けど国に戻れば駐車係の仕事すらまともに任せてもらえない。力だけではどうにもならいことが、一番厄介なのかもな」

 

「ああ、俺は小難しい話は得意じゃないが。悟空が現代のこの国で生きていくには藍幇の手を借りるしかなかった。みんながみんな、玉藻やヒルダみたいに現代に馴染んでるわけじゃなかったんだよ。けど、それでもあいつは孫が連中の手駒として人を殺めることを許さず、お前に自分を殺すように頼んだんだろ?」

 

「……」

 

「どうせ死ぬなら良い人のまま、誇り高く死にたい。俺とあいつは種族も生まれた場所もまるで違うが、その気持ちだけは分かる。でも本音を言えば、安っぽくても血の流れない結末になることを願ってる」

 

「世の中、そう何でもかんでも都合良くは運ばない。でも求める結果を願うことは自由だ。祈ることもな?」

 

 心地良く飛ばされてくるキンジの軽口に、俺もうっすらと笑みを返した。

 

「人間、自分ではどうにもならなくなったときにより大きな存在に祈りを捧げて、救いを求めるらしい。香港に来る前、乾がそう言ってたんだ」

 

「乾が?」

 

「お前なら、いつもみたいに俺にはとても真似できない結末を運んでくれるって期待してる。プレッシャーをかけるなって言うなよ、バスカービルのリーダーはお前なんだからな」

 

「なんで俺なんだよ」

 

「人間は八方塞がりになったとき、自分より大きな存在に縋るんだろ? 残念ながらみんなが敬ってる神はただのロクでなし、イカれた小男だ。俺は頼りにするなら神なんかよりお前に賭ける」

 

 忘れてないーー死神の長、先代の死の騎士が言った言葉。死は等しくやってくる。それに例外はない。

 

(ーーいつかは神を連れていく)

 

 もう随分と昔に聞いた言葉なのに、昨日のことのように記憶の深くにそれは刻まれている。神が完全に消えて去った世界ーーそうなったら、俺たちはどうなるんだろ。怪物や獣人との小競り合いはまだしも、最終戦争やスケールの狂った問題はきっと起きなくなる。

 

 そうなったら、俺はどうなる。武偵として今までのような生活を送れるのか。それとも誰かと家庭を持って、普通に暮らすって、手の届かなかった夢を、送ることができるのか。神に仕組まれたシナリオを、神によって描かれたシナリオを、回し車を回すだけの日々が終わるときーーそれはたぶん、本当の本当に、俺たちにとって最後の局面だ。

 

 あの日、母さんが黄色い目の起こした火事で死んで、サムを追いかけて白いドレスの女から始まった旅がーー終わるときだ。その最後を乗り越えたとき、俺はどんな顔でその景色を見てるんだろう。あるいはーーその最後のシーズンが始まる前に俺は……

 

「随分と分の悪い賭けにBETするんだな」

 

 皮肉混じりのキンジの言葉で思考が戻る。記憶を遡っている間に、向けられている目は丸くなっていた。

 

「……大丈夫か?」

 

「ん、ああ。大丈夫だ。なあ、キンジ」

 

「なんだ?」

 

「麻雀だ」

 

「は?」

 

「俺、多面張より地獄待ち。悪い待ちの方がアガれる気がするんだよ。部の悪い勝負に慣れちまったんだろうな」

 

 関係のない話題に舵を切り替えるべく、そう口にする。だが、あながち間違えでもない。アンフェアな条件、部の悪い勝負を犠牲だらけの苦い引き分けに持っていく。それが我が家の常だったからな。

 

「地獄待ちで相手を飛ばすのか?」

 

「まあな、狙い撃ちだ」

 

「でもお前が麻雀でアガってるところ、大門未知子より見たことないぞ」

 

「……失礼な。実を言うと、城之内先生と卓を囲むのが夢なんだよ」

 

 彼女は誠実で、絶対に失敗しない麻酔科医。患者を決して見捨てず、裏切らず、多忙の日々でも娘に愛情を送ることを決して忘れないーー絶対に失敗しない医者の、最高で最強のパートナー。

 

「って、なんだその目は!別にいいだろ!城之内先生は立派な医者だ!尊敬するしかないだろ、あんな人!」

 

 嘘偽りない本心を言ってやるが、遠山キンジの視線は変わらない。おい、その星枷をバカみたいな顔で眺める武藤を哀れむようなときの視線を止めろ。

 

「お前もそっちに限っては気の多い男だよな」

 

「なら聞くが、もし自分の体がリンパ節や肝臓まで癌に食い荒らされてるとしてだ。お前は神様仏と、城之内先生ーー正確には大門先生と城之内先生のどっちを頼りにするんだ? どっちに救いを求める?」

 

「……何がどうなったらそんな話になるんだ。訳分かんねえよ」

 

 と、キンジは後ろ頭を掻いた。

 

「なあ、どうして俺たちは敵の本拠地で、もしも自分が末期癌になったらなんて不吉な話をしてるんだ? 頭を冷やして考えてみろ、やっぱりおかしいだろ?」

 

「大門先生にとっての手術はプライスレスのライフワーク。ビジネスじゃない。あそこまで言い切る姿ってさ、一銭にもならないハンターって仕事をしてる俺からすると、色々と思うことがあるんだよ。俺もフリーランスだからねえ、ハンターとしては」

 

 俺は呆れるキンジとそのまま一通りバルコニーを見て回りーー

 

「いや、分かった」

 

「何が?」

 

「お前はやっぱり神を敬わない」

 

「城之内先生は敬う」

 

「お前の屁理屈を並べたら、きっと紙の山に埋もれるな」

 

「信じられないけど、香港に来る前に今のと同じこと言われたよ。お前、実は夾竹桃の親戚?」

 

「お前を笑わせる趣味はない」

 

 最初に招かれた貴賓室に戻る。すると、キンジが反射的に視線を明後日の方向に逸らした。

 

「やっほーキーくん!見て見てー!藍幇のみんながコスくれたんだよー!」

 

 駆け寄ってくるのら藍色のチャイナドレスを着た理子だ。理子だけじゃない。貴賓室にいたバスカビールの女子は全員が制服からお着替え、星枷は理子と色違いのチャイナドレス。レキも神崎も韓国ドラマに出てきそうな上流階級っぽい民族衣装に肌を隠している。特に神崎なんて肌色が明るいこと以外は、完全に見た目がキョンシーだ。

 

「あっ、あっあっキンちゃんっ、私まだちゃんと着れてないの……!」

 

「切、俺は今から目を閉じる。残るのはこの両耳だけだ。だからお前も何も言うな。できるか?」

 

 星枷の声だけで、目には毒な景色が広がっていることを察したらしい。俺が横目を向けたときには両目は閉じられていた。

 

「……できるかって、必要なら貝にでもなれる男だぞ?」

 

「ちょっとキンジ!あんた何で目を閉じてんのよっ!」

 

「切、なんとか言ってくれ!」

 

「無理。今の俺、貝だから。お茶濁さず」

 

「お茶? イギリス弄り?」

 

 なんで俺を睨んでくるんだ。何にでも噛みつくカミツキガメか。いや、ガメラだな。小さいガメラ。神崎ガメラ。微妙に母音が似てるし。

 

「ちょっと何か言いなさいよ」

 

「弄ってないぞ、()()()

 

「は?」

 

 ……あ。

 

「……ねえ、キンジ。気のせいかしら。変な名前が聞こえなかった?」

 

「キンジ、武偵は黙るのが仕事だ」

 

「俺は中立、スイスと思ってくれ。レフェリーはやらん」

 

 微妙に上手いスルーの手際に、俺と神崎は揃って毒気を抜かれてしまった。

 

「キーくん、うまいっ!」

 

「だろ?」

 

 あーあ、理子とハイタッチしちゃってるよ。現金なやつ。

 

「……ぅ」

 

 そして、仲良くハイタッチする姿を羨ましげに見つめる神崎と星枷。女が苦手で知られるキンジだが、理子はいわゆる友人としての距離感を保つのが上手い。もちろん今は友人として以外の感情もあるんだろうが、こうゆうのを何気なくやってのけるのは、ある意味で理子の強味なのかもな。

 

 実際、神崎と星枷が指を咥えかねない目をしてる。武藤がいれば唇を噛んで、血の涙を流しかねない景色だな。もしくは心タンポーナデ、それこそ大門先生を呼ばないと。しかし、そこは意外と真面目且つ責任感のあるキンジ。場の空気に逆らうと分かりながら、警戒心がないこととあくまで交渉に来ていることを、リーダーとして声を大にして言い放つ。一応防弾制服だしな、あれ。

 

「だって戦って汚れてたんだもん。洗濯してくれるって言うから」  

 

「それにしても……ここは遊び場じゃない。俺たちは交渉に来てるんだぞ。切からも言ってやれ」

 

 また俺かよ……なんでもかんでも話を振られても困るんだぞ。大抵の人間には得意と不得意があるの。そりゃ世の中には、代走もできて、外野も守れて、球速は100マイル超え、絶句するレベルの変化球を投げて、セーフティバントもできるホームランバッターなんて漫画のキャラクターみたいな怪物もいるかもしれないけど。

 

「最初に着たのは理子よっ!自分で着た挙げ句、レキにも着せてたんだからっ!」

 

「理子は悪くないよ。だって雪ちゃんが言ったんだもん……そう、雪ちゃんが着ろってーー理子は悪くねぇ!」

 

「わ、私言ってないよそんなこと……!アリアが一番喜んで着てたんだよ!」

 

 俺が何か言うより前に内戦が勃発。躊躇いなしに繰り広げられる責任転嫁も見慣れた風景だ。

 

「はぁ……俺は知らん。だが、まだ交渉は終ってないってことは頭に入れとけよ?」

 

「キーくん、こっちの壁をバックに記念写真撮って!女子はこっちに並ぶ!」

 

「いたしません。切、頼んだ」

 

「……お前も言いたかったわけね。はいはい、修学旅行だしな」

 

 キンジが首を横に振ったので、代わりに理子からラインストーンでデコった携帯が渡される。観光地で家族連れにインスタントカメラを渡される時代が懐かしいね。

 



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雪平vsクリスマスツリー

 日没後、しばらくして……諸葛の案内で1階の大食堂に呼ばれた俺たちを待っていたのはテーブルに所狭しと並べられた料理、料理、料理。いわゆる満漢全席と呼ばれるやつだ。中国全土に伝わるご馳走が全部出る、至れり尽くせり、至高の贅を尽くしたメニュー。本当にVIP客みたいな扱いだな。

 

「挨拶が遅れましたね、申し訳ない。宣戦会議ではどうにも縁がありませんでしたので」

 

「いいや、こちらこそ。ちょっと本土まで里帰りしてたところで」

 

 律儀に、個人的な挨拶をしてくるところを見ると、個人的には嫌いな相手じゃない。日本人にはあんまり縁のなさそうな、言ってしまえば毛嫌いしそうな類いのものもテーブルからは抜かれている。特に、日本の外に抜けることが初めてのキンジや星枷には嬉しい気配りだ。本当に気配り上手な旅館のサービスそのもの。

 

「──毒じゃないでしょうね。あたしはあんたたちを……」

 

 疑ってる──と、恐らくは続いた神崎の言葉がまずは粉砕された。目の前の皿に山のように積まれたももまんによって。続いて、お料理教室感覚でチャイナドレスのメイドたちとお話を始めた星枷。己の食欲のままにテーブルを荒らしていく理子、よく分からないレアっぽいカロリーメイトの前にレキも陥落した。

 

 まあ、時間も夕食に近い刻限。兵糧攻めって言葉があるように胃袋を抑えるのは色んな意味で効果的だ。ルシファーの器になったあと、あいつの幻覚をしばらく見ることになったが、それで何がキツかったかと言えば睡眠と呼べる睡眠の一切を邪魔されたこと、そして──口に入れようとする物全部が『ウジ虫』に見えるってことか。

 

 空腹のまま、荒事になるのもそれはそれで頂けない展開だ。諸葛も同じテーブルで食事をすることで、わざわざ『毒はありませんよー』と言いたげに笑みを見せている。とりあえず、俺もフカヒレのスープを掬って、その厚意に甘えることにした。神崎はああ言ってたが毒殺するなら、わざわざこんなところまで招かない。高速道路で全面戦争になってるはずだ。

 

 なんてことはない。俺が取れる戦術はいつも通り。ウィンチェスター兄弟とトーマス・マグナムお得意の──出たとこ勝負だ。別件での仕事も入りそうだしな。

 

「おろ、どうしたのキリくん? むっずかしい顔してるよ?」

 

「いや、ここって温泉宿みたいだなと思ってさ」

 

「あら、温泉なんてあるの?」

 

 あったら良かったんだが、バルコニーの窓にかかってたこの黄色の粉。どう見ても……

 

(……硫黄か。さーて、どうしたもんか)

 

 

 

 

 

 

「なあ、なんでまた俺たちだけバルコニーを散策してるんだ?」

 

「アリアの機嫌が悪かったから、だろ。ガメラだってあんなに暴れねえよ」

 

 なんだ、やっぱり聞こえてたのか。

 

「アリアはあれだ。ゴジラとか?」

 

「あのシリーズならゴジラvsモスラが一番おもしろい」

 

「まあ、一作目よりいいよな」

 

「ウチの次男はリメイク版がいいって」

 

「ほんとか?」

 

「変だろう」

 

 もはや様式美となった、キンジの女難の相。正確にはチャイナドレスのメイドからsay aah──に耐えられなくった神崎にキンジが足蹴り&地団駄をダイレクトに食らって食卓から追い出された。

 

 say aah──ようするに口を開けて、他人に食べさせて貰うアレだ。ほとぼりが冷めるまで、またしてもキンジはバルコニーに後戻り。適度に食欲を満たせた俺は、四人を残して後ろに続いた。とはいえ、キンジもタダでは転ばず、レキ用に山積みされていたカロリーメイトを姑息にもいくつかギッてきたらしい。この強かさ、勲章ものだな。

 

 俺も大食堂から拝借してきた瓶コーラに口をつけ、もう一本をキンジに差し出してやる。

 

「ほらよ」

 

「どうも」

 

 日没前とは景色の変わったヴィクトリア湾を背に、俺たちは炭酸を喉に通していく。

 

「で、どうする?」

 

「もうすぐ夜も更ける。そうなったら、監視の目も緩む時間帯だ。少し本腰を入れて探らせてもらおう。探偵科生徒の名にかけて」

 

「ああ、捜査か。賛成だ。真実は必ず灰のなかにある。被害者の無念を晴らし、必ず、ホシを、挙げる」

 

「……なんか、違わなくないか?」

 

「何がだよ。捜査だろ」

 

「いや、捜査だけど……俺のとは違うなぁ」

 

 しばらくして、キンジと一緒に貴賓室の窓から内部を窺うと──バスカービル女子一行は宴会ムード。完全に修学旅行気分だ。いや、本来これは修学旅行なんだが……

 

 傍らにお菓子の盛られた器、そして理子を中心に尽きない黄色い声。捜査に乗り出す気満々の俺たちの出鼻は完全に挫かれた。あれは完全に事件が解決した後の打ち上げだ。少なくとも、『おもしろい』とは言えない顔でキンジが横目を向けてくる。

 

「この窓の内と外で時間がズレてないか?」

 

「母さんはしょっちゅう一人だけフライングで晩酌してたらしい。捜査本部で事件解決の打ち上げをやる前に」

 

「……フライング?」

 

「典型的なワーカホリックで、同時に重度の不眠症。事件がない時は、昼間から浴びるように飲んで。事件が起きると、飲酒の時間がそのまま捜査に置き換わる。72時間ぶっ通しで捜査して、3時間ほど仮眠を取り、そこからまた48時間聞き込みに歩く。だから、検挙率も必然的に上がる」

 

「捜査って……ハンターだろ? お前の母親もキャンベルって武闘派の家系の──」

 

「メアリー母さんはな。んでどうする、ローマを燃やすか?」

 

 窓の外から藍幇城をエンジョイしている四人に半眼を作る。あの器、饅頭やら月餅やら果物入りのゼリーやらが山盛りだ。食後のデザートにしてはまた豪勢な。

 

「あれはローマじゃない、オメラスだ」

 

「オメラス?」

 

「オメラスの平和だ」

 

 オメラス……どっかで聞いたな、その名前。

 

「なんかの本にあったな、それ」

 

「聞きたいか?」

 

「ポテトチップスの代わりになりそうな話なら」

 

「オメラスは、とある小説に出てくる理想郷のことだ。そこは自然に恵まれ、独裁者もいなければ身分制度もない。誰もが何不自由なく暮らしている、幸せな町だ」

 

 へえ、それはまた綺麗な場所だな。

 

「ところがその町のどこかに、光の届かない、固く閉ざされた地下室があった。まるで下水道のようなその地下室に一人の子供が永遠と閉じ込められている。その子は、ろくな食べ物も与えられずに、体は汚れ、ずっとみじめな生活を送ってるんだ。実はその子の存在を、オメラスの住人たちはみんな知ってる」

 

「The 100だな。最初は何不自由ない楽園と思って舞い上がるが、ちょっと薄皮を捲ってやれば中身は下手物だ」

 

「だが、誰も助けようとはしなかった。なぜなら、その子を閉じ込めておくことが理想郷が保たれる条件だったからだ」

 

「条件?」

 

「オメラスのすべての幸せや美しい自然は、その子の犠牲の上に保たれているとみんなが理解していた。たった一人の子供を地下室に閉じ込めておくことで、他のすべての人々が幸せに暮らせるならと住人たちは見て見ぬふりをしているんだ」

 

 そこまで言うと、キンジは瓶に残ったコーラを飲み干した。そこで終わりなのか?

 

「ちょっと待て。つまり、なにか……」

 

「あいつらの宴会は俺たちの犠牲の上に成り立ってる」

 

「それはなんていうか、すごく……重たい例えをしてくれたなぁ……」

 

「──お前らに一言、物申すッ」

 

 なんとも言葉にするには難しい気持ちで、俺は日の沈んだヴィクトリア湾を。キンジは勢いよく宴会真っ只中の扉を開け放った。くい、と俺はコーラを呷る。

 

「武偵高で習っただろ。こういう豪華さは、魚を釣るルアーみたいなモノなんだぞ。どいつもこいつも無闇やたらに口を空けて、ほいほい撒き餌に食い付きやがって」

 

「それ、二言以上はあるぞ?」

 

「数えんな。これは金銀宝石を見せて、うまい物を食わせて、敵を骨抜きにしちまおうって作戦なんだ。時すでに遅しだけどな」

 

 実際、ドンパチやるよりずっと低コストで楽な作戦なのは当たってるか。誰かの首が飛んだり跳ねたりするわけでもないし。

 

「お前らはダメな武偵の典型例だ。犯罪者に高い車や金品をチラつかされて、美味いもん食わされて、挙げ句に弱みを握られたりするのは……」

 

 そこまで言ってから、キンジの声から勢いが止まる。これは自分自身でも思いあたることがあって、無意識にブレーキを踏んだパターンだな。そしてあのメンバーに少しでも隙を見せれば──

 

「分かってるわよ!」

 

「分かってるよ。みんなはともかく、私は大丈夫だから安心して」

 

「うっうー!」

 

「……はい」

 

「それよりキンジあんた、なに手ブラで帰ってきてんのよ!キリと二人もいるんだし、とっととクリスマス・ツリーを持ってきなさい!」

 

 反撃を貰うのも当然だな。振り返ると、案の定というか反省してる顔ではない。まあ、俺も皿に箸を伸ばしたわけだが──

 

「なあ、神崎。香港はイギリスの統治下、西洋の文化が色濃く根付いてる場所だぞ? ギリギリで買いに来たら売れ残りしかない、それは当然。さすがに無茶振りだろ?」

 

「だから、頭を使いなさいって言ってるの。あたし、人工のツリーは認めないわよ、本物だけ」

 

 と、神崎は羊羹みたいな菓子を小さく口に放り込んでいる。

 

「そうか、なるほどな──クリスマスを明後日に控えてるこの状況で、人工じゃない立派なツリーが欲しいと」

 

「ええ、そういうことよ」

 

「分かった。ちょっと待ってろ」

 

 そこまで言うなら、俺にも考えがある。もしも常夏のハワイで、クリスマスのツリーが買えないときはどうすればいいか。そんなの学んでる。俺は貴賓室の四人に一度頷いてから、踵を返した。

 

「やったな? あいつは怖いぞ? 俺なら止めるぞ? 下から、横から、上でも」

 

「無駄口叩くな、行くぞ。諸葛にルーフ付きの車とチェーンソーを借りる」

 

「おい、待てって!」

 

「まだ何も言ってないだろ」

 

「いや、分かる。森林保護区に乗り込んで、チェーンソーで木を伐採するつもりだろ! それ、前にドラマで見たぞ! バレて1200ドルの罰金だったが、俺たちは武偵で刑罰は三倍ルールだ! お前らも止めろ! チームは連帯責任なんだぞ!」

 

「これがマクギャレット少佐の教え──って、おいッ!ファイブ・オーには包括的権限があるだろっ!」

 

 結局、俺は取り押さえられて、神崎からはキンジと同じくダイレクトな地団駄を貰った。やはり盗みというのは良くない──と本当に当たり前の常識を思いつつも、俺は後にネバダの軍事基地に戦妹を含めたジーサード一派と盗みに勤しむわけだが。

 

 

 

 

「噂どおりだね。いたいけな少女の首にナイフを突きつけるなんてさ。天国行きのチケットを配られる人間がやることじゃない」

 

「そんなチケット、とうの昔に諦めてる。メタトロンを脱獄させたときから」

 

「天国からのプリズンブレイク? それは燃えるわね?」

 

「結論から言うと楽しくない。二度とやりたいとも思わない」

 

 先導する小柄なメイドに続き、地下へ続く階段を下っていく。バスカビールのメンバーは、神崎が誤飲した酒が回るに回り、全員が揃って貴賓室で寝落ち。キンジの姿は見えないが、どこか貴賓室以外で寝れる場所を見つけたのだろう。夜はかなり深い。人はベッドで眠り、ヒルダが外を散歩する時間だ。

 

「さっきの話は本当か?」

 

「信頼関係の第一歩、嘘はつかない。この体なら文句ないでしょ、貴方のよく知ってる女がやったのと一緒。死んだ子をリサイクルしたの。脳死状態の」

 

 不意のマバタキの刹那──茶色だった彼女の瞳が真っ黒に染まる。悪魔にとって身分証明書とも呼べるその真っ黒な目の色に、俺は小さく舌を鳴らした。硫黄、それは簡単に言ってしまえば悪魔の足跡、残留物。なんでもかんでも悲観的に捉えるのが悪い癖、ジャンヌにはそう言われたが今回ばかりは悲観的に考えて正解だった。

 

「ルビーの友達か、こんなところで縁があるとはな」

 

「そのお陰で道案内してあげるんだから感謝してよね? あ、ルビーじゃなくてあたしによ?」

 

「してるよ、悪魔払いも悪魔封じの弾丸も撃ち込んでないんだからな。悟空の場所まで案内してくれたら、後はどこに行くのも自由だ。ラテン語の実習をやりたい気分だが」

 

「安心して、ちゃんと魂が抜けたのを確認してから入ったわ。あんた達と揉めるのが嫌だから、正真正銘の空き家に入ったってわけ。この子の魂は今頃天国か地獄でくつろいでる」

 

 潜入、偵察の一点に置いてはバスカビールで理子の右に出るものはまずいない。表面上、ここにやってきたから率先してはしゃいでるだけに見えるが、峰理子というのは器用であり、そして抜け目ない女だ。悟空のいる場所、この城の構造も既にチェック済みだろう。

 

 忍び込んではいけない場所に忍び込む──それはハンターも泥棒も一緒だが、残念ながら俺の手腕は理子には及ばない。なので、悟空と1対1の話がしたかった俺は調べるのではなく、藍幇城側の人間に悟空のいる場所と置かれている状況を教えてもらうことにした。

 

「クラウリーもアスモデウスも消えて、地獄も風通が良くなったって聞いたが……悪魔がメイドに転職か?」

 

「地獄じゃ密かな人気なの。あたしも最初はどうかと思ったけど、ハマっちゃったわけ。クラウリーが死んで、いきなりやってきたアスモデウスもすぐに死んじゃったし、地獄は次の指導者を求めて選挙の真っ只中。なんかもうどうでも良くなって、セカンドライフをこっちで謳歌してるってわけ。あんたに見つかったのは悲劇もいいところだけど」

 

「いいや、幸運だ。ディーンなら何も言わずに悪魔封じの弾を眉間にぶちこんでた」

 

「そりゃラッキー。あんたはナイフを向けただけでまだ未遂だもんね。あたしの友達から借りパクしたナイフ」

 

「なんで悪魔ってやつはどいつもこいつも……」

 

 軽口を叩かないと死ぬみたいな連中ばっかりなんだ。いや、アスモデウスやアラステアみたいな頭のネジの外れた……吹き飛んでる連中に比べれば遥かに話の通じる相手か。変化球でもボールを投げ返してくれるだけマシだ。

 

「でもまさか、あんな古典的な手に引っ掛かるなんて。自己嫌悪でどうにかなりそう。慰めて?」

 

「いたしません──手当たり次第に聖水をかけて回るわけにもいかないだろ」

 

「今の時代だと大問題だねー。就職先の内定を辞退したらコーヒーをかけられるんでしょ?」

 

「知るか、ウチはフリーランスだ」

 

 まあ、今の時代背景でなくとも問題のあるやり方か。薄暗い地下への階段を下りながら、俺はかぶりを振る。硫黄によって悪魔が潜んでいる可能性は見つかった。仮に悪魔がこの城にいる誰かに取り憑いているとすれば、その誰かが問題になってくるが、捜査の方法はいくつかある。

 

 シンプルに聖水をかけて皮膚から煙が上がればビンゴだが……こいつはハズレを引いたときに言い訳が難しすぎるし、こっちのことも悟られる。彼女の言ったとおり、倫理的にもなかなか癖のある方法だ。実際、俺たちが初めて悪魔払いをやったのはフライト中の飛行機の機内で、この方法は実際にディーンが提案して却下された。

 

 そして、代案として脳ミソ担当のサミーちゃんから提案されたのが悪魔の前で神の名前を呼ぶ方法。神の名を呼べば悪魔はたじろぐ。ラテン語で神はクリストーー案の定、その名前を聞いた悪魔が本来の黒い瞳を覗かせたことであのときは悪魔払いまでいけた。今回も悪魔払いまではいかないが、こうして本来の目的は達成できた。いつも通りの綱渡り感は拭えないがーー

 

「なあ、すんなりと通れたのはいいが見張りとかいないわけ?」

 

「上手く寝かせつけといた。面倒だったけど、あのウィンチェスターと睨み合うより100%マシよね。アスモデウスやアバドンみたいな面倒なのを片付けてくれた礼もあるし、今回のは私なりの感謝。一応ね?」

 

「イエスマンしか認めない暴君の女王様とゆとりの国のヘタレ王子。まあ、あんなのが上司ならストライキは秒読みだな」

 

「反逆者は、手当たり次第に首を跳ねられるけどね。あれは本当に世紀末。リリスのいた時代が懐かしい。あ、これって禁句だった? リリスの猟犬にやられたんだよね? 胸をざっくり、それとも頭からだった?」

 

「今すぐにでもお友達のナイフで突き刺してやりたい気分だが、あいつも今頃は虚無の世界でお休みだ。別に禁句じゃない。リベンジの機会があるなら、それはそれで倍返しだ」

 

 馴れ馴れしく、図太く、人の傷口にナイフをねじ込んでくる。ルビーそっくりだ。

 

「で、さあー。猴、ああこれは今は猴ってことなんだけど」

 

 前触れもなく、話の矛先を切り替えて、彼女は続ける。

 

「私的な話って何するわけ?」

 

「私的な話は、私的な話だ」

 

「ふーん。何年か前に、あんたはブロンドが好きって見出しが載ってたけど?」

 

 やや暗がりでも分かるツリ目がこちらを見る。

 

「地獄に新聞が?」

 

「ネットニュースより好きなの」

 

「地獄にもそれなりにはいたが新たな発見だ。でもあそこはスパじゃない」

 

「リゾート施設でもない」

 

 薄暗かった階段が、微かに明るさを増す。下にある通路から、灯りが来てるのか。

 

「この先か?」

 

「うん、あと少しってところかな」

 

 マグライトを持った女はそう言うと、

 

「あんた、キリ・ウィンチェスターでしょ? あのアラステアに教えを受けたウィンチェスターだよね?」

 

 暴れそうな心臓を殴るつもりで黙らせる。

 

「だから、どうした?」

 

「知り合いがあんたとお兄さんの話をしょっちゅうやってたよ。あれはなんて言うのかなぁー、アイドルの追っかけみたいな感じ。あいつ、あんたとお兄さんがアラステアと一緒にいるところを何回か見たらしくてさ、あたしに何回も同じこと言うんだよ」

 

 愚痴るように、黒くなった瞳が刺すように向けられる。

 

「ーーあんたとお兄さんが地獄に落ちてきた人間にアラステアと一緒にやったこと。あれは拷問じゃない、あれは……『芸術』だったってね」

 

 ……

 

「到着ーっ。まあ、15分くらいかなー。そんだけあれば口説くには十分でしょ。天使も悪魔にも手を出しちゃうウィンチェスターならーーってのは冗談。あたしもあの子のことは嫌いじゃないんだよね、あんたか噂の遠山キンジが何とかするのを祈ってるよ」

 

 おどけた口調から、後半は本心をぶちまけるトーンで女は続けた。足音は止まり、階段もこれ以上下れるスペースはない。

 

「ここから出るのか?」

 

「そろそろ転職も考えてたし、こう言ったら変だけどあんたに背中を押された感じ。正確にはトドメを刺されたって感じかな」

 

「そうか、お喋り楽しかった。もう会わないことを祈ってる」

 

「それは超言えてる。じゃあね、ウィンチェスター。お前はいつも通りやればいいよ、自然のルールや掟に逆らって正しいことをやればいい。でも上手にやりなよ?」

 

 たった数分間話をしただけの悪魔との別れを契機に、俺は階段から悟空のいる牢屋に続く通路へ足を踏み入れた。15分ーー話をするには十分だ。

 

「ああ。自然のルールや掟に逆らって正しいことをやる、そして、死の騎士(デス)には睨まれる」

 

 ーーウィンチェスター(俺たち)らしい。いつかは鎌を持って追いかけられるかも。

 

 

 

 

 




クレアの吹き替えを聞く度に思うんですけど、役者さんの引き出しって本当にすごいなぁ、と。普段から色んなところにアンテナを張って、自分の引き出しを増やしていくのが大切ーーと、テレビでとある役者さんが話してましたね。それにしても、スタント抜きで演じたいがためにヘリコプターの免許まで自分で修得してしまうトップガンなハリウッドスターは……すごいですよね。




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雪平vsお話し





 今まで、それなりに良い関係を築けた怪物は少ないけど0じゃない。ヒルダや玉藻を無しにしても、吸血鬼や狼、中には悲しい別れかたをした相手も勿論いたが、睨み合うだけが100%じゃなかった。今回はその悲しい別れにはならないことを祈りたい、心から。

 

「あゃ!」

 

 その舌足らずな驚き方に、別に何か理由があるわけじゃないが俺は腕を組んだ。

 

「ひでえ部屋、格安のモーテルでもまだ品があるぞ」

 

 中国風の座敷牢の中で置き行灯に照らされている悟空は『?』マークにゆらしていた尻尾を、ピーンと真っ直ぐに突き立てる。

 

「ゆ、雪平ですか?」

 

 どうやら主人格様が表に出ているってことで間違いなさそうだ。高速道路のときと気配がまるで違う。

 

「正解。キンジと理子が明日にでもここに会いに来るだろうが、その前に話をしておきたくて。人間にとってFAITH to FAITHのコミュニケーションは大切」

 

「猴と、ですか?」

 

「色々とな。正直、すんなりここまで来れるとは思わなかったが。玉藻への賽銭が効いたかな」

 

 たまたま出くわした悪魔の手を借りて潜入、地獄が荒れてこっちに移って来てる連中がそれなりにいるとはいえ、確かにラッキーだ。やっぱり玉藻の恩恵かな。ここでも名古女の短いスカートが目立つ制服を着ている悟空は……一転、重たさの残る声色で、

 

「あい……私からもお話したく思ってました」

 

「ならよかった。あと10分そこいらで俺はこの階段を上る」

 

「本題に入りましょう。孫は今は眠りについていますが完璧な力で戦うには……あと1日半ほどの猶予があるです。孫として過ごすは、心身に疲れが溜まるです。戦うは孫ですが、この体はあくまで猴のものです。器がくたびれては力は発揮できない──貴方にはこの意味が分かりますね?」

 

「そのせいでとっかえひっかえ器を変えてたヤツを知ってる。じゃあ、その猶予を過ぎて、孫がフルパワーになるときまでお前は待機か」

 

「もちろんもう普通には戦えますが。それはココたちの望むところではないです。望まれるのはあくまでも万全の状態の孫です」

 

 なるほどな、諸葛は明日の夜に和平交渉をするって言ってた。それもこのためか。手札に抱えてる切札を使わない手はないな。たった数日、日程を調整するだけで使えるようになる手軽なカードなら尚更だ。

 

「雪平、さっき猴は自分を孫の器と言いましたが何もお互いの記憶を共有しているわけではないです。ですが猴も化生の世界では長生きとされる身です。あい、カインと刻印の話も──猴には分かります」

 

 悟空の尻尾が緊張を示すように垂れ下がる。

 

「過去に、もう何百年も前のことですが孫はカインと会ってるです。けれど、そのときにはカインは剣を捨てたあとでした」

 

 ……もしかしてとは思ったがモノホンの顔見知りか。いや、悟空は1000年以上の歳月を生きてる獣人界の大御所。あの寿命をねじ曲げてるロウィーナとブラドの年齢を足しても敵わない。その果てしない月日の中でカインとばったり出会っていたとしても不思議じゃない。野郎も隠居する前には、あちこち放浪してた節があるからな。

 

「海の底に沈めたって言ってたな。ただのナイフでもバカみたいに強かったが」

 

「……やはり、会ったのですね?」

 

 半ば、そうではないかと予想していたような顔で視線を向けてくる。

 

「色々あって、刻印と剣が必要になったんだ。カインは隠居して養蜂家をやってたよ。まさか、あんたと知り合いとは一言も話してくれなかったけどな」

 

「刻印と剣は、互いに引き合うと聞きます。しかし、雪平が刻印を持っているということは……」

 

「死んだ、正確には自分から死を望んだ。俺の兄貴に刻印を託したあと、長年抑えてたものが吹き出したように──会ったときとは別人になっちまった」

 

「あい……私には分かります。カインは呪いで自分が堕ちることよりも死を選んだのですね」

 

 まるで、自分がカインなら同じ道を選んだと言わんげに悟空は頷いた。

 

「キンジに頼んだんだろ、自分を殺すように」

 

「──猴は猴として、誇り高く死にたいです」

 

「……」

 

「孫を出し入れされて人間に与するのは、約1400年前──三蔵法師玄奘さま以来です。玄奘さまは良い御方だったですが、藍幇は私利私欲に孫を使おうとしている。だから猴は……」

 

「……あんたが誇り高いのは、俺にも分かる。それにたぶん……人間で言うなら、あんたは良い人なんだろう。俺よりずっと、天国行きのチケットを配られるくらい」

 

 たかが10分ちょっとしかない時間だぞ、俺。さっさと伝えたいことは言え。

 

「昔、あんたが出てくる本を読んだ。まあ、文字がでかくて絵のついてる図書館に並んでそうなヤツだったが」

 

「猴の、ですか?」

 

「ヒーローなんて最悪、最後は勝つだろうけどそれまでは地獄だ。いつだってストレスのない綺麗な終わり方ならいいが、大抵はそうじゃない。匙を投げたくなるような結末はザラ」

 

 きょとん、としている丸い目に俺はぎこちなく笑ってやる。

 

「でもお前が頼んだ遠山キンジってやつは、これまたジョン・マクレーンみたいに愚痴を吐くに吐きまくりながら戦うが──これがどうして。いつも綺麗な終わりかたに持っていく」

 

 そう、何とかしちまうんだ。この一年、それを存分に思い知らされた。教えてくれた。

 

「食い意地の張った天然タラシ。確かに聞こえは悪いがどんな最悪の状況も、さすがに……今回はもう駄目だろうってときでもあいつはその場にいる誰かを巻き込んでなんとかしちまう。こっちはいつも犠牲だらけのクランクアップが精一杯だったってのに、あの女タラシは──俺にはできないことをやってくれる、だから俺も期待してる、今回も綺麗なクランクアップにしてくれるってな」

 

「……雪平、如意棒は無敵の矛。『矛盾』の故事にある、『どんなものでも貫ける矛』なのです。見えてるものを目で狙うので、狙いを外す事もありません。必ず一人は……仕留められます。いくら遠山や貴方の武が優れたものでも──」

 

「大丈夫だよ、レーザーがなんだってんだ。俺は悪魔が飼ってる犬っころに腸を抉られて、グレた大天使ミカエルには指パッチンで体をミンチにされたが、こうして五体満足で今日も生きてる」

 

「あ、あい……み、ミンチですか? それは、素晴らしいことですが……み、ミンチ……?」

 

「遠山キンジはダイハード。世界で一番ツイてない、殺せない男だ。レーザー1本で落とせる男には俺には思えねえよ。きっと何とかするさ。人間の中にはキンジみたいなオカルト一歩手前のゾンビみたいなヤツがいるんだよ」

 

「み、ミンチ……あい……」

 

「……悪かった。もうミンチはいいから、今度から別の喩えにする」

 

 どうやら、彼女の中身は見た目相応の童心らしさも漏れなく引き継いでいるらしい。最初は?マークだった尻尾が忙しなく形を次から次に変えている。この尻尾を切ったら孫に変身できないとか──ないよな。そんな都合の良い展開は。

 

「雪平は遠山が本当に、如意棒を止めると?」

 

「止めれるかは知らないけど、撃たれても息はしてるだろうな。そっちに100ドル賭ける」

 

 正直、如意棒の恐ろしさを理解していない人間の発言

──それは自分でも否めないが。それでも俺はなけなしの100ドルをあいつに賭ける。負けたら頭を踏んでやる、そう心で決めた刹那、

 

「話を変えていいですか?」

 

「まだ時間はある、いくらでも」

 

「ココから話は聞きました。雪平の祖はウィンチェスター、賢人の血族ですね?」

 

 確かに、微妙に話の舵を変えてきた。信頼関係の第一歩は嘘をつかないこと、あながち間違いでもないな。

 

「堅物の独身貴族の集まりだよ。科学では判明できないことを観測して、本に書いて記録する。変な同好会だよな、でも一応跡継ぎってことになってる」

 

「星伽は古代、日本から緋緋色金を手に渡ってきて──時の皇帝の求めにより私を変えた巫女・緋巫女の一族です。星伽とかつての賢人たちは交流がなされていたと聞くです。これはそれを踏まえて話しますが──孫は不安定な、十全ではない神を意味します。あい、孫は不完全な『緋緋神』なのです」

 

 鋭くなった瞳から語られた言葉に、頭をバットで殴られた気分だった。いや、俺の中でも彼女の言葉を真実だと裏付ける要素がある。ルシファーは緋緋神のことを嫌ってた。俺の知ってるルシファーとまだ会ったばかりだが孫の性格を、尋問科なりに相性分析してみると──はぁ……役に立たないと思ってた知識がこんなところで陽の目を見たか。

 

「信じるよ。星枷が緋緋色金の監視を一族単位でやってる話は知ってる。本当に深いところまでは知らないが」

 

「星伽の刀は、人類には制御しきれぬ緋緋色金の力を操作するため──人が造り出した物。あの刀と正しい術式があれば、孫を猴に戻すことも可能です。故に、孫もあの刀を嫌ったと思うのです」

 

「星枷に警戒心を剥き出しにしてたが、意思とは関係なくお眠りさせられるわけか。遊び足りない子供はそりゃ嫌がるよな」

 

「それが猴の考えた1つ目の手です。如意棒は……発射する前に溜めの時間があるです。右瞳が赤く光り、ある瞬間急に明るさが増すタイミングがあるです。そこからはもう発射をキャンセルできない。なのでその時を見極めて、星伽巫女の制御棒で孫を猴に変え、猴がわざと外して撃ちます。そこですぐ、遠山が猴を撃ち殺せば──それは孫としての敗北、戦いの中であれば藍幇も納得するでしょう」

 

 つまり、それは見かけの上で孫が破れたという状況を作り出す──八百長だ。だが、これはきっと星枷やキンジの意思さえあれば、成立してしまう戦略だ。キンジが女を殺すわけない、分かっていても胃が石のように固くなる。だが──

 

「……1つ目の手?」

 

「猴は戦いの最中、星枷の制御棒の力を感じたです。そしてもう1つ感じたことがあります。それはここで確信になったです。雪平──貴方の手にはカインの刻印と元始の剣が揃ってるです」

 

 問いではなく、最後は確信を持って、告げられる。いつか、病院でヒルダが見せたような疑いのない眼差し。半眼で下げぎみだった目線を重ねてやる。

 

「だったら?」

 

「如意棒は緋緋神の持つ力の一端です。その力の底は測りしれないですが、それは貴方の手にある刻印も同様です。雪平、その本質が呪いであることは……貴方は理解しているのでしょう。外すに外せない呪いであることも」

 

 ……まずい、この流れは読めてしまった。

 

「悟空、実はだな……この刻印は……」

 

「あい、存じてます。大天使ですら堕落を耐えられなかった呪いであると。きっと、今はそうでなくても、貴方も呪いに蝕まれていく。解くことはおろか、譲渡することもままならない強力な呪いです」

 

「実はモノホンじゃなく……」

 

「殺人を、血を浴びなければ精神が蝕まれて、そうでなくとも堕落は避けられないと、かつてのカインが言ってたです。望んで手にいれたものではないと」

 

「知り合いの魔女の魔導書をくすねて──」

 

「ですが、きっと貴方と出会ったのも何かの縁を感じるです。刻印と剣の力が揃えばその力はきっと、絶大なものとなるでしょう。雪平、貴方が本当の意味で孫を殺すことを望めば──きっと、如意棒を潜り抜けて、孫を殺すことができるです」

 

 それがもう1つの手。仮に星枷が孫を制御する術式の継承を受けていなくても通る一手。カインの刻印が大好きな殺意という餌をありったけ注いで、その恩恵を持ってあらゆるものを殺すことのできる元始の剣を彼女の胸に突き立てる。至ってシンプルだ。

 

「無理だな。やりたくもないし、それに悪いが──出来ない」

 

 即答だ。無理、これに尽きる。却下だ。

 

「好ましい手では、確かにないです。アルテミスから貴方の人柄は聞いてるです」

 

「時間が押してるのにさりげなく気になる名前を出すな。嫌味かよ。まあいい、アルテミスのことは全部終わってから詳しく聞く。彼女、元気だった?」

 

「あい、元気でした。貴方に矢を盗まれたと」

 

「違う、あれは落ちてたから拾っただけ。あいつも去り際まで何も言わなかったし、あそこはウチの私有地。ゴミとして捨てるところを俺が拾っただけ。カード(武器)は拾った、そういうこと。あー、ちくしょうめ、話が脱線した」

 

 サプライズ登場だな、狩りの女神様。見事に邪魔してくれて、元気そうで何よりだよ。心から安心した。

 

「この刻印はでっち上げだ。知り合いの魔女から本をくすねて、それっぽいのをでっち上げた」

 

「……あい?」

 

「作り物なんだよ、正確には。不完全な偽物。元始の剣を最低限扱えるだけのパス。頭がおかしくなる危険はほとんどないが、お前が期待してるだけの力もない」

 

「……でっち上げた、ですか?」

 

「師がいいもんでね」

 

 いつかのヒルダも同じ顔をしてた。こう、絶句してるときの顔だな。俺もやったことがある。神崎がフリタータを作ってて、火災探知機を鳴らしたとき。

 

「確かに刻印の気配を感じたです。それが、雪平の自作……?」

 

「カインから刻印を受け取ったのはウチの兄なんだ。オリジナルの刻印はそっち。そいつを剥がして大変なことになったけど、それはまた別の話ってことで」

 

「刻印を解いたですか……!?」

 

 再度、尻尾が驚いたように突き立つ。

 

「天才ハッカーと天才魔女が手を組んだら、太古の呪いも解けちゃったわけ。俺がすごいわけでもなんでもないんだけどさ」

 

「……あ、あい。にかわに信じられないですが」

 

「俺も匙を投げかけた。カインはあれが解けなくて隠居したわけだし、解けるわけないって。でも結果的にはなんとかなって、今でも兄貴は生きてる。腕にも刻印はなし。あのときには考えられなかったけど」

 

「あい、かなり……信じられないです」

 

「世の中にはそういう意味不明な、常識もガン無視の人間もいるんだ。人の警告も聞かないでミカエルとルシファーの一騎討ちに、大音量でカセットテープを流しながら車で乱入していくアホとかね。俺は『やめろバカ』って助手席で泣き叫んだけどガン無視で墓地に突っ込んで……でもそういうアホが──結局のところ、いつだって八方塞がりの状況を台無しにしてくれるんだよ」

 

 そう俺はもう無理だと匙を投げた状況をディーンはいつも台無しにしてくれた。いつだって。携帯を見れば、もう僅かばかりの時間。

 

「何が言いたいかって言うと、キンジもそういうタイプなんだよ。予期しない結果を持ってくる」

 

「……私の胸には、取り出せない位置に緋緋色金が埋まっているです。今回を乗り切っても……」

 

「じゃあ、ローテンションだ。今回はキンジに孫を任せる。次に孫が悪さをするようなら、そのときは俺がなんとかする。まあ、その次は──そうだな、孫が戦うこと以外にもっと面白い趣味を見つけることを祈ろう。ゴルフとかな。次のことは明日考える、まずは今日を生き延びてそれを一日ずつ重ねていけばいい、みんなでな?」

 

「……雪平はハンターです。獣人とハンターは、本来は敵対するものです。どうして、そこまで私に入れ込んでくれるですか?」

 

 ああ、そうなんだろう。獣人を、個ではなく種の単位で忌み嫌う者だっている。首をかしげて、控えめに聞いてきた彼女のそれは、たぶんもっともな問いかけなんだろう。

 

「人間だって怪物だよ。怪物の仕業だと思って踏み込んだ事件の犯人が、実は人間だったってオチは一回や二回じゃなかった。俺には吸血鬼も狼男も、天使も悪魔も死神の友達だっている。最近になって妖狐も増えたしな。獣人や魔物がみんながみんな=敵にはならない、絶対に

な」

 

 吸血鬼(ベニー)に、狼男(ガース)に、悪魔(メグ)に、死神(テッサ)に、人間以外のみんなに何度も助けられてる。それに、

 

「それに、今まで、救えたのに救えなかった命なんてざらにあるんだよ。人間もそれ以外も。武偵って仕事をやるようになって、それが……ただでさえ悔しかったことがもっと悔しく感じるようになった」

 

「あい、雪平。貴方が多くの別れを見てきたのは理解できます。しかし、だからこそ、そんな貴方だから私の選択も理解できると、そう思っています」

 

 ああ。自分がおかしくなったとき、おかしくなる前に自分を殺せ──家族にそれを言うのがウィンチェスターって一族だ。分かるさ、だがな、それでも──

 

「他人の生き死にを決めるなんて身勝手かもしれない。貴方の決めた覚悟もそれまでの葛藤も……俺には測れない。でもさ、俺の知ってるドクターはこう言ってた。自分は病人が嫌いで、だから外科医になった。外科医になって切って、何が何でも救ってやるって」

 

 携帯の画面に記されたタイマーを見て、俺は静かに背を向ける。

 

「俺もキンジも気持ちは一緒、貴方には生きていて欲しい。だから、その二つの提案はどちらも飲めない。交渉が決裂したときは第三の──いつもの作戦で行く。お決まりの出たとこ勝負、諦めないって作戦で」

 

 俺は尋問科だ、あの綴先生の教えを貰った。彼女が本当に死を望んで、真実を言ってるかなんて簡単に分かる。自分でもない他者のせいで自分から死を望む──器にさせられたせいで。冗談じゃない。器云々の悲劇でクレアは涙を流した──あの二の舞をさせろなんて冗談じゃない、冗談じゃないんだよ。神崎のこともそうさ──相手が神様だろうが知るか。神を足蹴りするのはいつもどおりだ。

 

「大丈夫、遠山キンジは死なない。だから、明日あいつが訪ねてくるなら、世間話でもすればいいさ。これが終わったら一緒にバナナでも食べようとか、そんな感じで」

 

 ああ、本当はたぶん──分かってる。これは罪悪感からの選択。でもいいさ、キンジに高い肉を奢ることになっても今回はあいつに協力してもらう。ルームメイトだからな。

 

「……どうする、ですか」

 

「ん?」

 

「それで、雪平も、遠山も死んだら……」

 

 振り向いたとき、その顔は俯いて、尻尾は地に垂れ下がっていた。

 

「ココから聞いてないのか、遠山キンジは死んでも生き返る。俺は──まあ、分かんないけど地獄に堕ちるなら十字路の悪魔にでもなって戻ってくるよ。今はボスが消えて選挙中らしいしな?」

 

 なんて、うっすら笑いながら俺はそう答えてやる。いっそのこと、ロウィーナも巻き込んで地獄の玉座に座るのも悪くないしな。

 

「大丈夫だよ、猴。全部終わったら、またキンジとバナナでも食べれるさ。あいつ、この国で本場のラーメンが食べたいみたいだから、美味しいところ教えてやってくれ。ケチだから、なるべく安いところで」

 

 ああ。だから、お前を殺すなんて笑えないクランクアップの手伝いは──しない。

 

「遠山も雪平も、矛盾に挑むつもりなのですか?」

 

 もう何が正しいか分からない。そんな声に向けて、俺は迷わず頷いてやる。絶対に貫けない矛と盾、世にも有名な話。上等だ、答えなんて決まってる。

 

「ああ、歯向かうよ。絶対に貫けない矛と盾が相手でも関係ない。俺もキンジも絶対に──失敗しないので」

 




全15シーズンを見たあとでも、シーズン5のラストのインパラに乗ってディーンが単身墓地に乱入するシーンが作者は一番好きです。少なからず、カセットテープが好きになっていくドラマなのではないでしょうか。


『ヒーローなんて最悪、最後は勝つだろうけどそれまでは地獄だ』S15、10、──ガース・フィッツジェラルドIV世


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キンジvsスカウト

「口説きは失敗だな」

 

 神崎の酒の誤飲から始まったバスカビールの悪酔いラッシュから一夜明けて、真昼のバルコニーでキンジが皮肉半分に横目を向けてくる。その隣には女子の中で一人だけ酔うことのなかった理子も一緒だ。

 

「そっちも会えたんだな。理子がまた器用にやった?」

 

「お前に抜かれたけどな」

 

「レースじゃないだろ、それに白状すると俺のはイカサマだ。事実上、お前の勝ち」

 

「下手な慰めだ。キンジ、あいつについてのことはお前に任せる。ゆっくり考えろ」

 

 それだけ言って、理子は足早に席を立ってしまう。必然的に俺は一人残されたキンジに言葉を投げた。

 

「んで、どうする?」

 

「ローテーションだろ。今回は俺、次があればお前が孫を止めるって話。やってくれたな、勝手なこと言いやがって」

 

「俺の方が先にコンタクトしたんだ、諦めろ」

 

「レースじゃないって言ったばっかだろ。Eランク武偵の頭を必死に働かせて、真面目に考えてるところだ。それより白雪の、見たか?」

 

「真面目な子でも悪酔いくらいする」

 

「何にも覚えてないんだぞ?」

 

「それは……都合の良いことで。忘れるっていうのは神が人に与えた最終手段なのかもな」

 

 この作戦立案からすぐに愚痴に切り替えられる器用さ、何とも言えないな。幼馴染限定なのかもしれないが。それに会長の絡み酒は確かに酷かった。レキは酔うとすぐに寝しまうし、神崎は泣いて止まらないから星枷の恰好の的になる。このチームで猩猩の狩りなんて考えたくもない。

 

「酔うと大暴れして、醒めるとコロッと忘れるタイプ。考え得る限り最悪の酒癖だ。成人してからがリアルに恐い」

 

「酔って刀を振り回さないだけマシだろ。悟空からはどこまで聞いた?」

 

「お前がなんかバカやったから、目を離しすぎるなって警告してくれた」

 

「そういう感じか。思ったとおりの、なんとも律儀な子だな」

 

 刻印については濁してくれた、か。さてさてEランクの頭とAランクの頭でレーザーをなんとかする方法を考えますか。

 

「真面目な話、気休め程度の作戦は?」

 

「ないことはない。あの必殺技に連射が効かないならな。ただし……」

 

「五分五分にも満たない?」

 

「お前の好きなやつだ、部の悪い賭け。アリア流に言えば──無茶なやり方だな」

 

「ま、宝くじよりは当たるもんよ」

 

 お高そうな椅子の背もたれに体重をかけると溜め息と憎らしい目がセットで襲ってきた。

 

「板挟みの辛さがわかるか? 親が離婚した気分だぞ?」

 

「共同親権にするよ」

 

 気だるく俺が口にしたそのタイミングで、キンジの顔付きが変わった。何か話を切り出すって感じの表情におとなしく口が開くのを待ってやるが、

 

「なあ、フライングで晩酌の話……」

 

「それ、ここで聞く?」

 

「勝手に無茶な作戦を俺にあてがった。それくらいは聞かせろよ。フェアじゃないだろ」

 

「これがアンフェア? キンジ、鮭の人生考えことある?」

 

「……なんで、鮭なんだよ」

 

 ネクラ、不吉を運んでくる黒猫とたまに揶揄される顔が一段険しくなる。

 

「鮭は生涯をかけて何百kmという川を遡り、たった一度恋をして死ぬんだぞ? これこそアンフェアだ」

 

「つまり、何が言いたいんだ?」

 

「つまり、考えかたで境遇は変えられるかもしれないって話。でもたしかに、ツリーを手に入れてくるよりは無茶振りだったかも」

 

 クリスマスの前日にツリーを手に入れるか、殺意の込められたレーザーから生き延びるか。どちらが簡単かと言えば比べるまでもなく前者。

 

 少しだけ悩んだ挙げ句、ヴィクトリア湾の見える窓に視線を逸らし、俺は話を切り出した。鮭の話の流れ、いらなかったな。

 

「アダムの話、読んだか? アダムとイブのアダムじゃなく、ミリガンのアダムの話は?」

 

「うっすらとは」

 

「つまり、そういうこと。俺の中にメアリー母さんの、キャンベルの血はないんだよ。なんでも聞いた話では元々は警察官で、酒には強いけど私生活はズタボロ。コーヒーはブラックしか飲まないんだとさ」

 

「……悪い」

 

「何が? 今さらだろ、どこで何をしてるのかはさっぱり。顔も分からないし、どんなセカンドライフを送ろうと俺は恨んでないよ。そもそもお堅い警察官なんて職業の人間がなんで海を渡ったのか、そこから謎だ。俺が思うに──お約束のワケありだな」

 

 間違いない。だから、別に会いたいとも思わずに会ったなら話をするだけ。そんなどちらでも良く、都合の良いところで気持ちは区切りがついている。

 

「聞けるだろ、その気になれば。お前なら探せるんじゃないのか、コネは……色々あるだろ?」

 

「どうかな、メアリー母さんとの微妙な溝は埋まったし、母親と聞いて真っ先に浮かぶのは──エレン・ハーベルってことになっちゃってるのが現状。無理して探そうとは思わない。でもこのまま武偵を続けていれば、どっかですれ違うこともあるかも」

 

「……なんで海を渡ったんだろうな」

 

「俺と同じで家出したのかもな。もしくはーー犯罪者として追われたとか?」

 

 わざとらしく、口角を曲げてやると返事はなかった。

 

「冗談だよ。はい、この話はここまで。オフレコでよろしく」

 

「おい、どこに──」

 

「水を飲みに。喉が渇いて戦はできないとか何とやら」

 

「……腹だろ、それを言うなら」

 

「それは見ざる、言わざる、マントヒヒスペシャルでござるよ」

 

「……勝手に言葉を作るな。なんだよマントヒヒって」

 

 これいいな。今度から使おうっと。見ざる、言わざる、マントヒヒ──語呂がいいところが気に入った。街コンで受けるかもしれない、などと考えているうちにも時計の針は回る。気付いたときには、

 

「あたし注文したでしょ。あーもー、ツリーのないクリスマスなんて信じられないわ!」

 

 と、クリスマスが迫った夜中の大食堂にて、神崎がボヤいていた。

 

「俺は提案したぞ、マクギャレット流」

 

「ここは香港、あたしたちはバスカビールよ。パインツリーを盗んで刑務所に行きたい?」

 

「じゃあ藍幇に頼めよ。5分で用意してくれるぞ」

 

 俺、キンジが順番に反論。しかし、『あっちからくれるならまだしも、こっちからのオーダーは交渉の弱みになりかねないし、藍幇に頼むのは却下よ』と、神崎はかぶりを振った。となると、チェーンソーと車の貸し借りを頼むマクギャレット流は最初から破綻していたことになる──なんてことだ。

 

「遅いわね、食事くらい早く持ってきなさいよ」

 

「忘れてるかもしれないが、ここはホテルでもレストランでもないんだぞ?」

 

「分かってるわよ、あたしはマナーとおもてなしの心得の話をしてるの」

 

 神崎とキンジのお決まりのやり取りはバスカビールではいつものことなので、止める必要も横槍を入れる必要もない。ヒートアップすれば星枷が勝手に参戦する。

 

「ルームメイトだねぇ」

 

「何が?」

 

「キリくんと誰かさんにそっくり」

 

 位置的に俺の隣の席にいる理子は、頬杖を突きながら神崎とキンジの様子を眺めてる。

 

「その誰かさんは今頃何してる?」

 

「『冬』がすぐそこだからねえ。祭りの前の最後の準備ってやつ」

 

「そっか、お前もジャンヌも祭典には同行するんだろ。イベント楽しんで」

 

「ありがと、メリー・クリスマス」

 

「フライングだ。メレ・カリキマカ」

 

「キリくんは絶対にそう言うと思った。みんなもフライングで言っとけば? 言い逃すかもしれないよ?」

 

 意味深な理子の言葉に場が静まる。どうやら防弾制服に着替えている女子メンバーの備えは功を奏したらしい。内心では全員気付いてた。いつもは食事の前には諸葛が律儀に料理やこの国についての雑学や歴史について話してくれる。そんな律儀な男が今日に限ってまだ見えていない。ほぼ、俺たちが集まればすぐに運ばれてくる料理も、メイドも姿を見せない。

 

「きひひっ──」

 

 その代わりに、どう見ても良くない展開を運んで来そうなココ姉妹の一人が扉を開け放った。

 

「来たよ。幸せを壊す音だ」

 

 歓迎しない客に向けて、刃物のように目を細めた理子が吐き捨てる。過激な性格なのは知ってるが、今回はメイドの首根っこを掴むという荒々しい姿での登場だ。良い展開を運んでくれるわけがない。

 

「メイドが逃げて料理が遅れるって報告か? 仕事きついよ給料安いよ休みないよって?」

 

 今度は昨夜と違って、俺も弄るつもりで聞いてやるな何も返事はなく、その代わりにと俺たち全員に見えるように、掛け軸みたいな巻物を縦に広げて見せてきた。かなり得意気な顔で。

 

「……アリア」

 

「読めるわけないでしょ。あんな異体字だらけの翻訳は、あたしの管轄外よ」

 

 毛筆で巻物に書かれた文字は、語学に堪能な神崎でも翻訳できないらしい。異体字だらけ、それに行書だしな。キンジが神崎ではなく、理子やレキに振っても答えはたぶん一緒だ。

 

「雪平さん、どうでしょう?」

 

「あのヒエラティックテキストの翻訳? 無理だよ、あれは身内しか読むことのできない暗号じゃないのか? わざと汚く字体を崩してさ」

 

 俺は言うに及ばず。首を横に振る。

 

「……よく聞くネ」

 

 一転、彼女は冷静な顔で巻物を翻訳してくれた──遠山金次には上海藍幇より武大校の位、終身契約前払いでの多額の給金と中国語の教育を約束する。それとココ姉妹は正妻側室となる。

 

 続き。神崎・H・アリアは武中校、星伽白雪・峰理子・レキは武小校。位は分からないがキンジの配下としての扱いとし、以上の条件を以て、バスカービルは藍幇に降る事。なるほど、神崎は今と変わらずにサブリーダーってことで『中』の扱いか。ちなみに俺の扱いも武小校なるキンジの配下らしい。書き忘れてくれても良かったんだが。

 

「キンチの大校いうのは具体的に旅団長ぐらいの地位ヨ。それより上は藍幇全体からしても20人いるかいないかネ。つまり序列20位ぐらいにいきなり入れる破格の待遇」

 

 と、これを断るのは宇宙規模のバカ、と丁寧に付け加えてくれた。

 

「話は分かった。お前の上役はどうした?」

 

 この際、みんなが疑問に思ってることを聞いてやる。案の定と言うべきか、『上役』という言葉に対してなのだろう。首が小さく振られる。

 

「その関係は今日までネ。キンチが武大校なればその正妻の位階も上がるのがルールある。それで一発逆転して、諸葛は曹操の部下なるネ」

 

 ブランドと権威と面子と体裁、会話から匂ってくれるのはお決まりの匂いだった。引きずっていたメイドはキンジの知り合いらしく、悟空との面会に理子が選んだ協力者。キンジがこの条件を呑めば、語学の講師として尽くしてくれるらしい。

 

 日本円に換算すれば数億単位の前払い金と、キャリア組と言うべき高いポジションが最初から約束されてる。

 

 破格の待遇、なのだろう。それは。金が全てではないにしろ、金がなければできないことも山程ある。それについては否定もできないし、俺だってそれについては同意だ。金があれば取れる選択肢が広がる。その選択肢の幅に、命を救われることもあるだろう。

 

「キンチ、幸せへの切符。無下にするの、ありえないヨ」

 

「あんたねえ、幸せって──」

 

「結婚の目的は幸せになることなのか?」

 

 が、それでも神崎の声に被せる形で、俺はツインテールを揺らした女を見る。棘は込められていない、しかし、ゆらりと丸い瞳がこちらを向く。

 

「何が言いたいネ?」

 

「そもそも幸せってなんだ、俺にはよく分からない。お前の提示した地位と金、それで結婚すれば幸せになれるのか?」

 

「詭弁、屁理屈、聞く意味ないヨ」

 

「俺は結婚なんてしたことない。けど、選ぶ自由があるなら、金と地位をくれる相手よりも、自分の腸が抉られることになっても、救いたいと思える相手を選ぶ──命を賭けてもいい相手を」

 

 列車から突き落としてくれた恨みを込めて、俺はその破格の条件に唾を吐いてやる。どんよりと濁ったココの瞳が、鋭く細くなった。

 

「……ワンヘダ。それは早死にする理想主義者ネ」

 

「かもな。でも金も地位も、天国にも地獄にも持っていけない。死んだらそこまでだ」

 

「死ぬまでは価値、あるネ。平行線、このこと言うアル」

 

 どこまで行っても平行線。視線は俺からキンジに移り変わる。

 

「キンチ」

 

「お前たちの国でも『巧言令色少なし仁』って言うだろ。金の問題じゃない。金は全てじゃない──ほとんどだ。金や地位で世界中の誰もが動くと思ったら大間違いだぞ。お前は知らないだろうが、日本には『家なき子』ってそれを体現するドラマがあるからな。幸せとお金は歩いてこない」

 

 俺に負けず劣らずの例えは、ココのつり目をきょとんとさせた。理に叶った行動を取るか、それとも理を無視して感情や意地を優先するか。日本にはその理に合わない動きをする価値観があるらしい。

 

「それに、お前が首を掴んだその子には恩がある。この国で飢えて倒れかけたところに、一宿一飯の恩を受けたからな。個人的な感情をついでに入れて、ココ──はっきり言うぜ。俺はお前の軍門には下らない」

 

「──あい分かったネ。要するにキンチはココを、藍幇をフッたって事ネ」

 

 決裂だ。交渉は。ココのストッパーたる諸葛はいない。敵側の指揮を司るのは彼女。交渉が決裂すればやることは一つ。

 

「ま、半分ぐらいこうなるかもって思ってたヨ。キンチを味方にしたかったけど、それは諦めたある。決闘……よッ!」

 

 フラれた腹いせ──そう言わんばかりに巻物が破り捨てられる。

 

「いいぞ、うんざりなロマンスがついに終わったな。待ちくたびれた」

 

 刹那、待ちくたびれたと理子がそう一言。それが完全な契機になった。睨むココ、バスカビールの頭たるキンジが俺たちの全員を代弁してくれる。

 

「ああ、想定内だぜ、ココ。この決闘──受けてたつぜ!」

 

 

 

 

 ──死亡遊戯。それがココからの提案。藍幇城は3階層。1階につき1人のココが守り、屋上には最後のココと孫、それと諸葛が立会人として待ち構えている。つまり敵を倒しつつ、ゴールである最上階を目指す。非常に分かりやすい。

 

 相手の手勢は、狙姐、炮娘、猛妹、機嬢──それと人数は伏せられているが、城を守る精鋭の特殊部隊が罠感覚でどこかの階に配置されているらしい。そして最後に待ち構える切札の孫悟空。一階のココは中国剣を武器に選び、同じく白兵戦の秀でた星枷が指名に応じる形で対決を引き受けてくれた。残るは──

 

「藍幇城は2階まではオープンなんだけど、籠城戦になった時に備えて──3階に上がる階段が1つしかないんだよ。敵が張るとしたらそこだと思う。話に出てきた傭兵を置くならね」

 

 ゴールは最上階、避けては通れない道に罠を仕掛けるのは……納得だな。2階のホールに出ようとした間際、理子の警告もあって先頭を駆けていた神崎が指で制止をかけた。大階段からホールを見下ろせる、階段の曲がり門ギリギリから静かにスカートの端を、はためかせる。

 

 刹那、階段の角からはみ出た布に食らいつくように鉛の雨が降り注いだ。たった数秒で、豪華絢爛の壁には痛々しい弾痕が刻まれている。吐き出された弾の量や音からして、自動式拳銃ってわけでも、二人や三人でもなさそうだ。

 

「……ビンゴね。銃はQBZ-95Bが12と、QBZ-03が4ね。発砲位置は高いわ。きっと階段に隊列を組んでる」

 

 アサルトライフルか。それなりに訓練されてるであろう兵士が2個分隊分、装備も人数も結構な差がある。こっちには双銃が二人もいるが、相手はバカみたいな早さで弾をばらまいてくるフルオート銃が16丁。強引に強襲しても弾切れや弾薬不足のリスクはこっちが上。むしろ、その狙いもあるんだろう。

 

「……」

 

 階段の壁から柄付き鏡を通し、ホールの上の様子を盗み見しているキンジの顔は優れない。

 

「どうだ?」

 

「さながら玄武の陣形、ってところか」

 

 玄武──四神の一体で、よく創作やゲームのモチーフになってる亀。大抵は防御や守ることが得意って設定になってるが、どうやらホールの守りもその例えが出るくらい堅牢らしい。あの悪魔みたいに賢い姉妹が普通の罠を仕掛けるわけもないか。

 

 俺もキンジの鏡から様子を覗く。ホールから伸びる大階段には、六角形や五角形のシースルー防弾盾を亀の甲羅のように隙間無く組み合わせた、城壁と呼ぶべき守りが組まれていた。

 

 16人が互いに肩を寄せ合い、頭上も背後も盾で塞ぐことで、跳弾射撃の自爆もご丁寧にカバーしてる。そして、甲羅の中央には亀の頭とも呼ぶべきココ姉妹の一人が仁王立ちしていた。あればこの階層を仕切ってるココか。他の姉妹とは瓜二つ、俺を列車から突き落としてくれたココかどうかは分からないがあれを突破しないと先には進めない。

 

「亀か。玄武は蛇と亀のキメラだったよな。玄武の陣ってのはうまい例えだ。ストンと落ちたよ」

 

「あら、誰も行かないならあたしが行くけど。作戦があるって顔ね?」

 

「頭数も装備でも負ける、だから頼りになる『援軍』を呼ぶ。かなり酷い絵面になるがあの綺麗な陣形くらいはは崩せる。高速道路では見せ場もなかったし、孫もキンジに任せることになるからな。ここは任せてくれ」

 

 自信満々に俺は小さく笑ってやる。こっちには不殺のハンデがある、これくらいは──と、俺は制服の上着に腕を突っ込む。よし、あった。俺は隠し持ってきたその、道端に転がっているような棒切れを適当に振ってみる。

 

「あ、あんた……」

 

「キリくん……」

 

「何も言うな、海兵隊だって丸腰でベンガラトラには挑まない」

 

 それはひのきのぼうを素振りしてるようなバカみたいな光景だろう。だが、これはひのきのぼうじゃない。それを裏付けるように──異変はやってくる。外に繋がる窓からうっすらと聞こえる羽音が、ゆっくり、ゆっくりと大きくなり、近づいてくる。

 

 レーザーの対策に気休めにでもなればと思ったが、溜めから発射までの速度を聞いた限りではとても間に合わない。だが、既に構築された要塞を撹乱するって目的なら、この上ない。かなり酷い絵面にはなるが頭に鉛弾を撃たれて死ぬかどうかのときに、そんなことは言ってられない。

 

「外から接敵。数多数──」

 

 レキが静かに呟く。かなめが21世紀のひみつどうぐなら、俺は埃のかぶった千年アイテムで勝負だ。それは空の上に保管されていた核兵器の1つ。かなめとの戦いで消費されてはいない、まだ俺の手札に残されている数少ない1枚。ホールの上でもうるさい羽音が響いてるだろうがもう手遅れだぞ。さすがはモーゼの杖。

 

「──虫です」

 

「いや、空からの救援部隊だ」

 

 正確には杖の切れはしに引き寄せられて『それ』は窓から飛び込んできた。群れとなり、一体一体は小さな虫たちが、城の窓の至るところから雪崩のように流れ込んでくる。けたましい羽音を鳴らし、決して遅いとは言えない速度で乱入して来た虫の軍隊が、大階段に居座った玄武の陣を目掛けて押し寄せる。種類までは分からないがバッタかそんなところだろう。逞しい援軍だ。

 

『────っっっ!?』

 

 女性が16人もいれば数人くらいは虫が苦手なのがいる。少なくとも、ココの備えたマシンガンが放たれるだけの隙間は用意されてる。そこから入り込むなり、少し隊列が乱れてしまえば隙間からけたましい羽音を鳴らして虫の群れがたいあたりだ。煌めいていた黄金の大階段を階段の角から覗けば、そこに鉄壁だった亀の姿はない。大量の乱入者に乱れる銃声、羽音に混じる小さくない悲鳴、まさに地獄絵図だ。

 

「な、なにこれ……お前、なにやったの……」

 

「パトラと同じ。この杖であの虫たちを使い魔にして、連中に向けて突撃命令を出した。戦役のルールには微妙に反するがあっちも女の傭兵があんなにいるんだ、平等だろ」

 

 半分、冷たい眼差しの理子。神崎やキンジも微妙な眼差しをしている最中、俺は真実を語ってやる。綺麗な絵面にはならないって言ったろ。モーゼの杖、切れ端だけでもこの凄まじさ。今回限りの使いきりで良かったな。

 

 昔、先住民族のかけた呪いで、虫の大群を相手に夜明けまで籠城戦をやったことがある。奴等は手強い、数でこっちを圧倒してくる。防弾の盾や重火器は揃えても、殺虫剤を用意しなかったのはまずかったな。頭では分かってもあんなもんが襲ってきたら、弾をばら蒔いて追い払いたくなるのが心理だ。俺もそうだったし……

 

「よし、隙を見つけて駆け上がれ!」

 

 逞しい援軍の乱れるホールに、俺もトーラスを抜いて駆け上がる。所詮はオリジナルの欠片、軍隊を使役できるのも時間制限付きだ。数分もしない間に夜の空に帰っていくことだろう。

 

「──パーティーにようこそ!」

 

 それまでに、先行した部隊を援護するように鉛弾をぶちまける。虫の羽音に銃声が混ざるに混ざり、気品たっぷりだった城内も完全に地獄と化した。

 

「オホホホ! いいわ、いいわよッ! 愉快なことをやってるじゃない!」

 

 刹那、ヒステリックな叫び声と共に、羽音に人が倒れる音が混じっていく。そういや、ヒルダも理子の影にくっついて来たんだったな。いつの間にか階段の真ん前に立ち上がった吸血鬼が、右手に鞭を構えていた。

 

「狼狽える敵を睥睨するのは悪くない光景よ。今は私も師団の俘虜。手を貸してあげるわ」

 

 どうやら阿鼻叫喚の悲鳴に我慢できなくなったらしい。使い魔の概念やネズミや蝙蝠を自身も使役するヒルダは、虫の軍勢にも顔をしかめる様子を見せない。パトラもスカラベを使い魔にしてる、虫を使った攻撃や魔術など見慣れているのだろう。ヒルダの援軍、これ以上ないカードが手札にきたぜ。

 

「行くわよ! とにかく、守りは崩れたわッ!」

 

「パニック映画みたいな光景だけどなッ!」

 

 神崎、理子が順番に答え、後ろにキンジとレキも続いていく。

 

 虫たちはまだ俺の影響下、ヒルダを牽制する心配もなく、翻弄される相手の陣営はヒルダの電流にトドメを刺される形で、次から次へと倒れていく。上に続いている階段は黄金製、好運なことにこれは通電性の高いことで知られている金属。ヒルダもご満悦だ。そして、各々が銃で牽制したバスカビールのメンバーが、要塞となっていた階段を登りきった。

 

「これ、最初からお前が出れば解決じゃなかったか?」

 

「あら、お前の行動は無意味じゃないわよ。お前が愉快なものを見せてくれたお陰で、私も遊びたくなったのだからね」

 

「味方でいてくれて良かったよ、女王様。ファンになりそう」

 

「おもしろい冗談ね。ゴスペルでも歌ってあげましょうか?」

 

 ヒルダの声が明瞭に届き、城を荒らし回っていた虫たちは既に窓から消えたあとだった。存分に活躍してくれたな。本音を言うと虫は得意じゃないが礼を言うよ。結果的にゴールに近づいた。

 

 だが──何もかも都合よくはいかないらしい。絶縁体とされる壺を階段の足場に、ヒルダの電流のテリトリーからココが抜ける。その先は三階の──ちくしょうめ、大理石の床だ。

 

「ってぇッ……! サーカス、かよ……! いけ、いけェ!」

 

 最後尾で、ばらまかれたマシンガンの何発かを貰いながら俺も応戦するがその火力で、通路の角まで全員まとめて押し込まれる。理子が両手のワルサーで応戦してくれる間に、俺はルビーのナイフで切った掌の壁に血の図形を書いていく。

 

「ヒルダのスタンは一時的だ。ずっと足止めできるわけじゃない。今はあいつ一人だが、さっきの連中も、また押し寄せるっ!」

 

 二丁のワルサーが激しく発火煙を散らす中、鋭い理子の声が響き渡る。ヒルダが自分の体に貯めて携帯できる電力には限度がある。外部からの供給がなければ、自前で放てる電流もいつか底を尽きる 。

 

「いざとなれば、この身1つでなんとかしてあげるわ。今日は下僕もいるのだし」

 

「誰が下僕だ、誰が」

 

「ハッ、あいつは生粋の武人だ。超能力頼りのお前でなんとかなるかよ。その下僕も本職は化物専門だろ」

 

 弾切れの両手のワルサーに、金髪のツインテールに掴まれた新たな弾倉が差し込まれる。理子はフッと小さく息をこぼすと、

 

「アリア、あたしもキンジがどうレーザーを攻略するか見たかったが今回は譲ってやる──あれで我慢してやるよ」

 

 遠回しに、自分もこの階層を抑えると理子が視線を配った。すぐに意味を理解したキンジはただ一言だけ、

 

「理子、頼めるかい?」

 

「双剣双銃に、吸血鬼に、ハンターだ。三人いればあんなのはどうにでもなる、さっさと行け」

 

 ──ったく、遠ざかっていく足音に、俺は血の流れている掌を開き、喉を鳴らす。

 

「なに、笑ってんだよ」

 

「ごめん、だって自分の心配はしてない。そういうとこ滅茶苦茶セクシー」

 

「死ぬリスクは無茶苦茶上がるけど、そういうのがセクシーなんだよ」

 

 これまた大人っぼく、理子が小首を揺らした。今のでオチない男がいるなら見てみたいね。

 

「よし、因縁だらけの無茶苦茶な三人だが今だけは三国同盟を組む。アメリカとフランスとルーマニアで」

 

「まぁ、それもいいわね。世界最大のバーベキューにしてあげるわ。ちなみに、私を慰める報酬はあるのかしら」

 

「そこのイーサン・ハントが日本に帰国したら飯を奢る。ポケットマネーで」

 

Fii Bucuros(素晴らしいわ)──理子」

 

「……どうしてみんな俺の財布を狙うんだ。でもイーサン・ハントってのは悪くないな。ちょっとテンション上がったよ。店は俺が選ぶぞ、前は蠍に掠め取られたからな。今度こそフライドポテト食べてやるッ!」

 

 再度の開戦を示すように、血に濡れた掌を図形に押し付けて、俺は閃光を解き放った。

 

 

 




 ギミパペの、そこそこのカードパワーを持っている、メインの新規お待ちしてます。
 

『今度こそフライドポテト食べてやる』S4、9、ルビーー──


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雪平vsクランクアップ

『ああ、いいなぁ。あたしは生きてる、痛みを感じてる。この戦い──大事にしよう』




The Road So Far(これまでの道のり)




『人間、本当にどうにもならなくなったときは誰かにすがりたくなる。どうにもならない困難が来たとき、人間は救いを求めるんです。自分より大きな存在に』

 
『だから、頭を使いなさいって言ってるの。あたし、人工のツリーは認めないわよ、本物だけ』


『俺と同じで家出したのかもな。もしくは──犯罪者として追われたとか?』


『オメラスは、とある小説に出てくる理想郷のことだ。そこは自然に恵まれ、独裁者もいなければ身分制度もない。誰もが何不自由なく暮らしている、幸せな町だ』


『あんた、キリ・ウィンチェスターでしょ? あのアラステアに教えを受けたウィンチェスターだよね?』

 
『ところがその町のどこかに、光の届かない、固く閉ざされた地下室があった。まるで下水道のようなその地下室に一人の子供が永遠と閉じ込められている。その子は、ろくな食べ物も与えられずに、体は汚れ、ずっとみじめな生活を送ってるんだ。実はその子の存在を、オメラスの住人たちはみんな知ってる』


『──あんたとお兄さんが地獄に落ちてきた人間にアラステアと一緒にやったこと。あれは拷問じゃない、あれは……『芸術』だったってね』


『だが、誰も助けようとはしなかった。なぜなら、その子を閉じ込めておくことが理想郷が保たれる条件だったからだ』


『信じるよ。星枷が緋緋色金の監視を一族単位でやってる話は知ってる。本当に深いところまでは知らないが』


『どうせカマロにしとけって言うんでしょ。変形して戦ってくれるなら理子も大賛成だよ、黄色いやつ』


『祈りは届くと思います。神様でなくとも、きっと誰かに』


『雪平は遠山が本当に、如意棒を止めると?』


『行くわよ!とにかく、守りは崩れたわッ!』


『いざとなれば、この身1つでなんとかしてあげるわ。今日は下僕もいるのだし』


『──I copy。理子にお任せ』

 
『ああ、想定内だぜ、ココ。この決闘──受けてたつぜ!』

 



Now(そして今……)






 ──12月の後半。イブの夜とクリスマスを跨いで、繰り広げられた香港の戦いは、バスカビールの頭であるキンジが敵側の切札であるレーザーを防ぐという、俺が100ドルを賭けた側が的中する結果に終わった。

 

 後から聞いたところでは、かつて俺も借りる機会のあった元はシャーロックの刀を──レーザーの照射時間が尽きるまでの壁として使う、言葉だけでは俺もまるでイメージできないのだが、いつもの意味不明な方法で切り抜けたらしい。それを聞いた俺も理子も苦笑い、鏡で反射しようとしてもすぐに蒸発するって聞いてたが、そこはエクスカリバーかそれに近い宝刀の為せる技だな。

 

 ……なんでもそんな偉業を達した刀は、レーザーを浴びて焼かれたことで、クリスマスツリーのような刀とは呼べない姿に成り下がって城の屋上に飾られたとか。仮にそれがエクスカリバーならイギリスの有名な情報機関が黙ってないが……ここにデロリアンはない。タイムマシーンも。また綱渡りでキンジがなんとかするのを期待しよう。

 

 とにかく、必ず相手を仕留める矛を受け止めるか、それとも受け止められないか、その勝負にキンジが勝って倒れなかったことで──孫は敗北を認めてしまった。藍幇側も追いかけるように敗北を認めたらしい。そして、自分からキンジに向けて生殺与奪の権利を渡した彼女も生きてる──その後には因縁のドイツの魔女とパトラが奇襲を仕掛けて来たがそれも頓挫。

 

「悪くない幕引き?」

 

 心を読むように星枷が首を傾げてくる。ロカじゃあるまいし、勘だろう。

 

「ああ、誰も欠けてないし、とりあえず。みんな息はしてるしな?」

 

 奇襲を仕掛けてきた魔女も払えた、本格的な衝突は帰国してからだ。トゥーレ教会から、俺が一番気にしていたこともどうやら伝わっていないらしい。ゴーレムを連れた知り合いが上手にやってくれたか、それとも玉藻に賽銭をやったのが効いたのか。どちらにしてもドイツ連中の士気に影響はなさそうだった、朗報だ。

 

「からす!」

 

「す、すきやき!」

 

「き? き、金……じゃなくて、金のしゃちほこ!」

 

「そんなのありかよ。こ、コルト45……!」

 

 と、日記感覚で振り替えるのもここまでだ。聞こえてくるしりとりをやってるのはキャリアGA。タンカーで港に突っ込んでくる映画みたいな攻撃を仕掛けてきた魔女タッグの撃退に、正確にはここを守るために力を貸してくれた武藤や平賀さんのいるチーム。

 

 そして、ここは香港で神崎が活動の拠点に借りているホテルの屋上にあるレストラン。レストランとは名ばかりでもはや藍幇側、バスカビール側、そしてキャリアGA、完全に宴会ムード。諸葛はピアノでBGMを用意してくれてるし、みんなが美味い飯にくらいついたり、理子みたいにダンス踊ったり……賑やかだな。俺もこんなクリスマスは初めてかも。

 

「雪平、お隣失礼です」

 

「元気そうだな」

 

「あい、お話に来ました。賑やかな夜ですね、三蔵法師玄奘さまとの旅を思い出します」

 

「玄奘三蔵か、俺は本の中での姿しか知らないがきっと素晴らしい人だったんだろうな」

 

「とても」

 

 カウンター席にいる俺の隣に、巫女と入れ替わりで悟空が席についた。出世のヒントにもなってしまいそうなその尻尾はいまは緩やかに揺れている。

 

「遠山は失敗しなかったです」

 

「遠山キンジと大門未知子は失敗しない」

 

「矛盾を遠山は破りました」

 

「まさか剣でレーザーを受け止めるとは思わなかったけどな。いつも無茶苦茶やるけど、今回はベスト3入りだ。ありえないことをやった、いつもみたいに。あいつの存在自体が『兎角』だよ」

 

「あい、ありえないものですね」

 

「ああ、なんであいつが死なないか。なんでいつもありえないことをやってのけるか。答えなんて最初からない」

 

 兎の角と一緒、実在しない、つまりはありえない。答えのない悪魔みたいなナゾナゾだ。瓶に残ったコーラを呷り、俺は小さく息をつく。

 

「本の、主人公ですか?」

 

「かもな、あいつ正義の味方っぽいし。使命に燃えるって言うよりは、他の誰も変わってくれないからいつも愚痴を吐きながら、ボロボロになってから相手を倒す感じのだけど」

 

「では、雪平は?」

 

「俺は……なんだろ。この一年、本当にやばい敵はキンジや周りのみんなが倒してくれたし」

 

 俺が本当に一人で片付けられた大きな相手なんて──かなめだけだ。

 

「でも、そうだな。あの神様がまた悪さをするようなら、今度は俺も本気で抑えにいく。あそこで言ったとおり、今回はキンジに任せて、あいつはうまくやった。今度は俺がうまくやるよ。ローテーションだ」

 

 そう言って、俺は猴の胸を、伸ばした人差し指で示す。

 

「俺は外科医じゃないから、そこに埋まってくる色金はどうにもならない。だから、今度またその色金のせいで神様が起きたら、また眠らせてやるよ。麻酔でもかける感じで──」

 

 そう、だから──

 

「命は自分のために使ってよ?」

 

 きょとん、としている猴を置いて、俺はカウンター席を立つ。

 

「猴ちゃんもやろー!」

 

「あ、あい──!?」

 

 振り向くと、理子に腕を引かれる猴の姿。すっかり意気投合したココ姉妹も混ぜてグループを即席で組んでしまった。猴も最初は戸惑っていたが獣人界隈発祥っぽい躍りで理子たちに張り合い始めたぞ。流石に千年生きてるだけ、引き出しが広い。しかも、みんな動きがキレッキレだ。

 

「キリくんキリくん!」

 

「いたしません。みんなで楽しんで」

 

 向けられた満面の笑みに、小さく笑って手を振ってやった。

 

 

 

 

「お前は一緒に踊らないのか?」

 

「あのキレッキレのなかに混じって、一人死のダンスを踊れって?」

 

「ふーん、苦手なの?」

 

 水を差してやる形で座った神崎とキンジのテーブルで、『ダンスは嗜みよ』と貴族様が首を傾げてくる。聞いた話ではレーザーを止めてから、魔女コンビが仕掛けてくるまでの間にキンジと屋上で一曲踊ったらしい。武藤がまた血の涙を流しそうな話だ。

 

「おもしろい話聞きたいか?」

 

「ダンスの話?」

 

「タンゴの話」

 

 神崎に即答してやる。

 

「なによそれ」

 

「昔、本当に昔だが、ダンスパーティーをやるって話があって、本土じゃ珍しくない話だ。二人の兄はそれなりに踊れたが俺は……まあ、そんな感じで、女好きで有名な我が家の長男に教えを頼んだわけ、タンゴの」

 

「本番で失敗して、恥を掻いたのか?」

 

「いいや、踊れたよ。相手もいた。ただし、俺がタンゴを教わったのはお調子者の兄だ。ここでクイズ。結果、どうなったと思う? ヴェロニーカ・マーズ、当ててみな」

 

 俺は神崎に、そしてキンジに、順番に目を配ってやる。数秒してから、神崎は苦い顔で、

 

「女性のパートを覚えたってわけね……」

 

「そういうこと。曲が流れ始めて、相手の肩に手を置いた途端、優しく指摘された」

 

「リードして貰えたか?」

 

「相手に恵まれたよ」

 

 最後まで付き合ってくれた、今にしてもお見事だ。踊るには踊れたから、教えてくれた兄を責めるに責めれなかったし、

 

「さて、他のメンバーにも挨拶してくるよ」

 

 まだ話してないしな。それに神崎とキンジの二人で話したいこともあるだろう。適度なところで俺は席を立ちましょう。世の中なんでも引き際が肝心。

 

「なあ、実はあの話には続きがあるんだ。オメラスの人々はあるタイミングで地下牢の悲惨な子供のすべてを知り、その事実にショックを受ける」

 

 席を立とうとした俺に、キンジは城で話した理想郷の話の、続きを語る。

 

「へぇ」

 

「子供を助けてやりたい。だが、何千何万の人々の幸福を投げ捨てていいのだろうか。オメラスに住む人々の幸せと、地下牢の子供一人の幸せを天秤にかけられる」

 

 一人と何千何万、個人と国家単位、数だけで見れば天と地。

 

「次第に事実を受け入れ──彼らの涙は乾いていく。だが、その中には黙り込んで、ふさぎ込んでしまう人間もいるんだ。彼らは、決して数は多くないが……その少数派の人々は理想郷の美しい門をくぐって、オメラスの都の外に出ていく──そして二度とオメラスに戻ることはない」

 

 それが理想郷の結末。オメラスの平和ってお話か。子供一人を救ってみんなの幸せを壊す、みんなの幸せのためと目を瞑る、あるいは──彼らのようにオメラスから出ることで、せめて自分は偽りの秩序と理想を否定する。

 

「門を出て、振り返ってオメラスを見たとき、彼らは何を感じたのかしらね」

 

 神崎が小さく、椅子の背に凭れながら呟く。

 

「見て見ぬふりをしていれば、きっといろんなことが楽なんだろう。でも、誰かうっとうしい正義感みたいなのを持ち続けていなければ、世の中はきっと、悪くなっていくだけだよ」

 

 俺は──そう思う。アンフェアに満ちた世の中には、そんな誰かがきっと必要だと。

 

 




イロカネ編までは大体道筋できてますので、のんびり肉付けしていきます。



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緋緋神編
いざ、フランスへ


「ワトソン、これ今まで食ったもののなかで一番美味い。もうやばいレベル。いったいなに?」

 

「パンフォルテ、1日1000個売れてるって。本当かどうか知らないけど」

 

 二学期が終わり、実質的には今年最後とも呼べる依頼をこなした俺は、インパラのボンネットに置かれたケースの中身──正確にはワトソンがチョイスした洋菓子に素直な称賛の言葉を送る。

 

「ほんと美味すぎ、感動もの。なに、ドライフルーツとナッツと、さらにドライフルーツ? 最期の晩餐はカンザスのバーガーって思ってたけど辞めた、絶対これ。デザートも前菜も要らない、これ一箱でいい」

 

「なら良かった。でも最後の晩餐って、日本に骨を埋めるつもりかい?」

 

「むしろ骨が残ってたらラッキー。けど本当に美味い。素直に認める、俺の負けだ。どうぞ今度のランチはお前が決めてくれ」

 

「……キミは妙なところで律儀だね。そこまで言うならボクが決めるけど」

 

「それにしても美味い。今までジャンクな食べ物が究極にして至高のメニューと思ってたけど、これは別。こんなの誰も文句言えない」

 

 ドライブスルーでセットを頼んで、車のなかでお気に入りの曲を流しながらハンバーガーとコーラを好きなペースで食べる。これが最高の贅沢と思ってたけど、この洋菓子の台頭で立場が揺らぎそう。ドライフルーツなんて持ち運び、保存に便利な携帯食としか見てなかったけどこんなに美味いのか。

 

「しかし、砂の窃盗って……あんなに儲かるもんなのか?」

 

「儲かるよ。意外かもしれないけど、砂の闇採掘は世界の一大産業になってる。ビーチへの補充もあるし、一番はコンクリート用だね」

 

「悪いビジネスも次から次に仕事の幅が広がっていくな。夜中に工事現場から工具や鉄板を盗むなら分かるが、砂を盗んで売り捌く時代か。何でも仕事になる時代、良い意味でも悪い意味でも」

 

 しかし、砂を盗むなんてのは意外も意外。窃盗は窃盗だが、こんなケースに遭遇するのは今回が初めてだ。

 

「そういや、ハワイで宝石や金品には一切手をつけず、庭にあったコアの木だけが盗まれたって事件があったな。かなり立派なサイズの」

 

「コアの木は高級木材だからね。数が減っていて伐採が制限されてるから余計に値段が上がるんだよ。物によっては100万ドル相当になる場合もある、コアの木が『ハワイの黄金』って呼ばれるのも別に誇張じゃない」

 

 本土やハワイ……というより、あらゆる国に対してある程度の知識や備えを持っていそうなワトソンは、実は理子やジャンヌと同じでイ・ウーの出身。例によって敵に回したいとは思えないレベルの凶悪な手練れ。ボーイッシュな雰囲気と男としての動作や振るまいが徹底されているが、紛れもない英国育ちの『女』だ。

 

「遠山の二つ名、ユキヒラはもう聞いたかい?」

 

(エネイブル)だろ。意味は不可能を可能にする、ありえない者。大体当たってる。誰が命名したのかは知らないが、お見事だな」

 

 一部の優秀な能力を持った武偵には国際武偵連盟が二つ名をくれる場合がある。身近なところでは欧州の有名人たる神崎が双剣双銃(カドラ)の二つ名で知られているが、これまで非公式に呼ばれていたキンジの通り名が晴れて公式化したのがつい最近のこと。17歳での二つ名持ちは珍しいらしく、探偵科の高天原先生もちょっと誇らしげだったらしい。

 

 そんな高天原先生も、今でこそ武偵高の安全地帯と呼ばれる探偵科の講師で知られているが、昔は多くの戦場を渡り歩いたかなりの凄腕だったとか。先生や蘭豹先生のような一目で分かるような危ない気配を完全に殺しているのが……むしろ高天原先生の危険さを語っているような気がする。

 

 綴先生は開き直って隠そうともしてないが体に染み付いた危険な臭いを誤魔化すってのは……俺にはむしろそれができる高天原先生がちょっと恐ろしく思えるよ。教務科きっての安全な人だが、曲がりなりにも魔物の巣窟たる武偵高の教師陣の一角と言うことか。そんなことを考えながら、インパラを停めた駐車場に向かっていると制服のポケットから携帯が鳴った。

 

「……Winter,again」

 

 キンジのアドバイスで特定の相手からの着信には専用の着信音を設定した俺は、画面を開かなくても冬の名曲を聞いただけで着信相手の名前が分かる。それでも結局は画面は開くわけだが。

 

「カウンセリングの相手?」

 

「世紀の大発明って何か知ってるか」

 

「車と携帯電話?」

 

 ハズレ。どちらも今の時代には大変な利便性を持っているが今回はハズレだ。良いところを狙ってきたが俺はかぶりを振る。

 

「惜しい、正解は拒否ボタン──これを発明した奴はきっと人間関係に苦労してたんだな、俺と同じで」

 

「カウンセリングは順調だと思ってたけど?」

 

「そう、でも今は冬が近い。冬コミ、サブカルチャーのビッグイベント目前だ。あいつにとっちゃライフワーク。ってなるとそう単純にはいかないんだな、ピリピリしてる。減量中のボクサーみたいに」

 

 着信を拒否し、俺は携帯の画面を閉じた。司法取引してまで参加の権利をもぎ取ろうとする熱量だからな。サブカルチャーのことになると、誰かさんは水を得た魚のように一気にアグレッシブになる。

 

「しかし、彼女とはツーカーの部分がある。お互い電話は出ない、用件は留守電に、伝言を聞いたら答えは留守電に。知り合いの前で喧嘩なし」

 

「それで円満?」

 

「そう。年に数回のイベントなんだし、あいつが楽しめればと俺も思うんだよ」

 

「だから、留守電経由で連絡?」

 

「リアルタイムで話すより平和的だ。一方的に自分が話し続けられるからな」

 

「それは納得。悔しいけど」

 

 インパラのエンジンをかけ、カセットテープだらけのダンボールボックスから1つ抜く。テープが回りだすと同時にハンドルを回して、白線を出ると──

 

「……タイタニック?」

 

「次男の趣味、本土からの帰りに借りてきた。世界の歌姫」

 

「君の持ち曲ってオチなら驚かないよ」

 

「俺にあんな『hiD』は出せねえよ。行くぞ、ワトソンくんちゃん。出港だ」

 

 車を出すと、優雅なBGMとは反対にワトソンが切り出してくるのは殺伐とした話。避けては通れない戦役の話にハンドルを握ったままで俺は返事を返す。

 

「じゃあ、カツェたちが悟空が負けた途端、連戦に近いタイミングで今回仕掛けてきたのは……ようするに筒抜けだったってことか? 師団の、情報が?」

 

「内通者がいる、その可能性は否めないってトオヤマにも話をしたところだよ。正面突破が困難なら搦め手、戦役のリピーターは何も玉藻やバチカンに限った話じゃないからね」

 

「経験者はあっちにもか。しかし、キンジや神崎は仲間を疑うことは嫌いそうなタイプだ。俺も白状するとあんまり好きじゃない。だが──内輪揉めや内部から起こされたトラブルが引き金で、戦線がガタガタになっちまうことはよく知ってる」

 

 身内は疑いたくないが、ワトソンのように色んな可能性を考えることが一概に悪いとも言い切れない。ロカのように運を左右する魔術を使ったって可能性はあるが仮に内通者がいるとすれば無視できない事態だ。身内の反逆、裏切り、すれ違いほど強力なカードはない。

 

「いつも最悪な状況を想定しちまうのは俺も同じだ。もし内輪揉めのタイミングで別の刺客が流れ込んで来たら目も当てられない。特に、宣戦会議に来てたって斧を持った『覇美』って女。恐らくは獣人だろうが『親父の手帳』やちょっと調べようとしたくらいだと手掛かりなし。案外、悟空レベルのダークホースかも知れねえぞ?」

 

「あくまで可能性、けどこれは無視できない可能性なんだ。戦線がガタガタになるって表現は当たってるよ、形勢が傾いてそのまま全滅だって有り得る。キミも仲間を疑うのは嫌いなタイプなんだろうけど、キミは愚痴を言いながらも仕事をこなし、嫌な現実を見てくれる男だからね。勝手に文句を言わせておけば、仕事はしてくれる」

 

「ありがとう、まあまあの評価と受けとるよ。この話をしてくれるってことは、少なくともお前の中では俺は『白』ってことか?」

 

「内通者と考えても、彼女たちがキミと手を結ぶとは考えにくいからね。キミとパトラやカツェが険悪な関係にあるのは見るに明らかだ。戦術的には正しいとしても、キミが内通者として採用されるのはない。キミが自分から師団を裏切って貶めようとするなら話は別だけど」

 

 それも可能性は薄いーー遠回しにそう言ってくれる声色だ。事実、俺は裏切ってないし、師団が敗戦するメリットなんてのは何もない。何よりドイツ勢に負けたときのことを考えると、末恐ろしいなんてものじゃない。パトラ以上にあっちとは私怨まみれだからな。

 

「この話をした理由はもう1つ。欧州の戦況はあまり好ましくない。二人の義勇兵の参戦で、膠着していた均衡は完全に破られたって話だよ。まだ謎が多いけど、白雪やジャンヌみたいな超能力者には女、アリアやトオヤマみたいな純粋な兵士には男が。通常戦と魔術戦を互いにカバーしてるから、手がつけられないらしい」

 

 人外には俺、人間相手には神崎とキンジ。アドシアードでジャンヌを相手に神崎が浮かべていた役割分担とおおよそは一緒だ。お互いに、戦術的有利が取れる相手に狙ってぶつかる。しかし、均衡を破るとなると相当の手練れだな。

 

「一体、どこにそんな凄腕が潜んでたんだ。バチカンが思わぬ蜂の巣を突いたか?」

 

「どうかな。キミが言うとおり、情報が少なすぎることは確かに不気味だね。もしかするとーーボクたちの知らない未知の場所からやってきたりして」

 

「案外、それが当たってるかもな。一難去ってまた一難か。まあいつものことだな」

 

 目の前の問題を、一個ずつ片付ける。気分を切り替えるようにアクセルを踏み込み、年末の道路にインパラを走らせた。欧州、そこに関わっているドイツ連中とは出来ることなら関わりたくないのが本音だ。しかし、普段は裏切られるのが関の山の俺の望みが、今回は思わぬ形で成熟することになる。

 

 キンジのバスカビール離脱と、ジャンヌ率いるチーム・コンステラシオンへの移籍。そして、二人の補修という名の、フランス旅行によって。

 

 そして──無事に迎えた新年の1月5日。修学旅行の単位を落としたジャンヌのチームと監査役としてキンジがヨーロッパに旅立つ日だ。体調を崩した鑑識科のメンバーの代理として、成り行きだがワトソンもフランスに飛ぶことになったとメールがあった。ヨーロッパには強そうだしな。これは思わぬ増援かもしれない。

 

 そんな三人を見送るために、俺は神崎と今日は珍しく彼女の愛車で空港に向かっているわけなのだが……

 

「……ショックアブソーバー、いつ変えた?」

 

「忘れたわ」

 

 頭痛がしそうな車内の揺れに、俺はたまらず聞き返す。

 

「はっきり言ってサスペション、ガタが来てるんじゃない?」

 

「いえ、絶好調よ」

 

 隙を生じぬ二段構えと、再度車内が揺れる。

 

「感じない? さっきの揺れ、ガクガク来て吐くかと」

 

「いえ、何も感じなかったわね。錯覚じゃないの?」

 

「そうか。まあ、要求が低いのかな。人の車だからね。本人が良ければいいんです。車がひっくり返らなければ」

 

 いや、やっぱり無理……!

 

「振動、振動がある。これ感じない?」

 

「ねえ、いつもやってるわけ? カウンセリングに行く前はいつもチクチクやりあってるの?」

 

「違う、やってない。そりゃ口論はするけどチクチクなんて。それに最近はカウンセリングはお休み、先生の機嫌がよろしくないんだ。ダイエットの最中なのにドーナツを差し入れたやつがいるから」

 

「尋問科も賑やかねえ。話題を変えても?」

 

「ああ、どうぞ」

 

 快適とは言えない車内だが、むしろ会話があった方が落ち着きそうだ。ショックアブソーバーの寿命はきちんとチェック、クレアにも教えてやろう。

 

「あんた、かなめとの仲は? 戦妹に引き受けたんでしょ?」

 

「優秀だよ。元々の身体能力の高さに加えて、あのオーバーテクノロジーの装備。性格も兵士向きでその気になれば冷たいくらい冷静になれる」

 

「ふーん、随分と高評価ね?」

 

「刀だけに限れば、技術は俺より遥かに上。立ち回りも米軍らしく堅実的。素直に認めるよ、かなめは優秀だ」

 

 信号で止まると、緋色の瞳が意外そうに形を変えている。

 

「意外だったか?」

 

「あんたとあの子の当初の関係から考えるとね。きっと、あんたは妹を溺愛するタイプだわ」

 

「……それ、知り合いの保安官にも同じこと言われた」

 

「やっぱりねえ」

 

 クレアを溺愛してるつもりはないんだがどうにも二人の保安官や彼女の友人の看護師には過保護と言われてしまう。彼女とは色々と複雑な縁で結ばれているのは確かだが……神崎にまで言われるとそうなのかな。

 

「実を言うと、ちょっと妹っていいなぁとか思ってる。これオフレコで」

 

「理子が喜びそうな話だけど、黙っておいてあげるわ。オフレコね」

 

「ありがとう。まあ、妹云々は抜きにしてもかなめとは上手くやれてる。ファーストコンタクトの酷さは過去最高だが、今は近すぎず遠すぎずの適度な距離だよ」

 

「そうね、話は戻るけどかなめは優秀よ。あかりの()()()()くらいかしら」

 

 ……ん?

 

「おい、神崎。間宮の一歩手前って、それは贔屓が過ぎるぜ。仮にも米軍の教育を受けて、それなりに嫌な現実も乗り越えてきたかなめが間宮に負けるってのは納得がいかない」

 

「あら、あんたは知らないだけであの子かなり成長してるわ。いつかはSランクも狙えるかも」

 

「成長が目覚ましいのは分かるが、それならかなめは既にSランク一歩手前だ。対超能力者戦も九九藻と俺で抑えてあるし、一年の中では間違いなく頭1つ抜けてる」

 

「あかりは徒手格闘だけでもそれなりにやれるわよ。キンジじゃ敵わないかも。名古女のゴタゴタもあの子が取り抑えたんだから」

 

「かなめも刀が本職ってだけで、素手でもそれなりに強い。元SEALsやグリーンベレーのいる組織でリーダー不在時にはその代理を任されるレベルなんだからな」

 

 話の筋が予期しない方向に逸れ、ガタガタに揺れる車内で俺は溜め息をついた。

 

「悪い、神崎。話題変えよう。風魔や佐々木、バスカビールの後輩連中はみんな優秀だ。間宮を含めて、それは認める 」

 

「そうね、ごめんなさい。話を変えましょう。これこそ無益な争いだわ」

 

「ああ、平行線だ。真面目な話をしよう、戦役とか。欧州の──」

 

 別に、俺たちがフランスに飛び立つわけでもないが空港まで珍しく真面目な会話が続いた。サプライズで見送りしようと提案した理子、星枷、レキは既に到着していて、俺たちが最後。空港に許可を取り……どうやったのかは知らないが搭乗口まで行くのを許された俺たちは無事にキンジたちより先回りすることができた。

 

「見送りに……来てくれたのか。こんなところまで」

 

 と、感激が隠せないキンジを見ると、サプライズは大成功だろう。

 

「キンちゃん! 将来キンちゃんが会社とかをクビになっても私がその分働くからね!私が、私の強さを証明して見せるよ!」

 

 どこかズレた星枷の激励会から始まり、神崎や理子も思い思いに言葉を送る。さて、俺は何にも言うことを考えてなかったが……

 

「チームがどこであれ、私はキンジさんの力になります。同じ道を行くのが仲間であるとするなら、違う道を共に立っていけるのが──パートナーです」

 

「ちょっ、れ、レキ……!?」

 

 ふいうちのパートナー宣言に神崎が慌てるが狙撃手だけに思わぬところで狙い撃たれたな。理子もこれには予想外って顔をしてる。すかさず、レキは理子と神崎によって腕を引かれ、キンジから引き離されて行った。最後は後ろから星枷が抱き止めるように取り抑える始末。よっぽど強烈な一撃だったらしい。んで、順番的にも俺が何か言う場面だが、

 

「お前も来たのか」

 

「チームだろ──May we meet again. (再び会わん)

 

「ああ。May we meet again. (再び会わん)

 

「……下手くそ。下手な英語だ。この機会にジャンヌに教えてもらえ。帰るまでにどれだけ上達してるか、楽しみに待ってるよ。あっちのシスターによろしく」

 

「伝えとく」

 

 ご武運を──まあ、心配はしてない。俺は最後に握手を促すように右手を差し出す。

 

「キンジ、待ってるぜ。君のレッドアイズ(レリーフ)はそれまで大切に預かっておく」

 

「いや、返せよ。渡してないぞ俺は、そんな高額カード」

 

「……えっ?」

 

 ──再会を約束する握手はなかった。神崎と理子の目が冷たい。

 

 

 

 




ジャンヌ視点で欧州編も考えましたが、作者の技術と気力が至らず、次章から時系列がキーくんの帰国までふっ飛びます。



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Shuffle

「キリくぅぅぅーーーん!やる気が下がるのは辛いんだよぉー!うわぁぁーーん!」

 

「ああもぅっ、バカデカい声で呼ぶな!隣にいるんだから聞こえてる!」

 

「キリくぅぅぅーーーーん!」

 

 またしても耳を揺らした大声に俺は諦めのつもりで嘆息した。謀ったように赤に明滅した信号機に、八つ当たりのごとく睨みを効かせる。ボビーの口癖はこんなときの為にあるんだ──ちくしょうめ。

 

 大音量で俺を呼ぶ理子がいるのは、俺が運転している車、諸事情で車輌科から一時的に借りているシボレー・シルバラードの助手席。僅かに首を右に向ければ、蜂蜜色の髪がこれでもかと視界に移る距離で、携帯片手に放たれる理子の叫び声はボリュームが過剰なのもいいところだった。横眼をやると、やはり不満げな顔で携帯とにらめっこしている。いつも思うがなんてデコりようだ。

 

「どうせゲームのイベントかなんかだろ。ランダム要素は割り切れよ。好きなカードを百発百中で引けるなんて名もなき(ファラオ)くらいのもんだ」

 

「……上振れてるときに限って最後の最後で躓くんだよね。最後で巻き返せるかなぁ。ここはお休み一択だよ!」

 

 どうやら育成系のゲームらしい。勝手に聞こえてくる単語から適当に内容を想像していると、睨んでいた信号が青に変わってアクセルを踏む。昼下がりの晴天の下、インパラと同様にアメ車お約束のV8エンジンが心地よく吠え、俺はジャンヌが帰国予定の成田空港に続く国道295号に向けてハンドルを回した。

 

「育成ゲームと恋愛って似てるよねぇ。すべてが順調でうまく行ってるってときにこそ、あれに躓いちゃう」

 

「何に?」

 

「──アキレス腱。どんなカップルにでも一つはある乗り越えられない壁だよ、大恋愛でもね。ロミオとジュリエット、トリスタンとイゾルデ、アナキンとパドメ」

 

 都市、国、最後に限っては宇宙規模の悲恋と来たか。とは言っても、我が家にもサムとアイリーン、ディーンとリサというこの上ない実例が存在するわけだが……ネガティブな話はここまでにして、俺はかぶりを振るのと同時に思考を切り替えた。

 

 今週の頭、眷属との領地争いが苛烈だった欧州から帰国したルームメイト(遠山キンジ)によれば、極東戦役は眷属側からの停戦交渉を師団が飲む形で幕を下ろしたらしい。いつも通りと言ってやるべきか、欧州でもキンジが無茶苦茶に暴れたようで、眷属の幹部クラス──パトラと魔女連隊のカツェ、そしてカツェの上司であるイヴィリタが最終的に両手を挙げたらしい。

 

 形式的には、イ・ウー崩壊が引き金となって始まったこの戦争もこれにてお開きなのだが、俺やキンジとしてはまだ散らばった神崎の『殻金』という問題が残ってる。神崎が胸に撃ち込まれた緋弾によって、緋々神に体と意思を奪われることを防ぐ為のバリケード。その最後の1枚は……まだ取り戻していない。

 

 そして、その1枚を握っているのはS・D・Aランク71位の、アジアで71番目に人間を辞めてるキンジにして『化物』と言わしめる連中。人食い鬼とも吸血鬼とも違う、本物の"鬼"──

 

「キリくん、なに考えてるの。理子に打ち明けてよ、切れ味の良い包丁みたいにすぱっと」

 

「コーチの邪魔をするのも悪いからな。何を育ててるのかは知らんが」

 

 広く、ゆとりのあるシルバラードの車内で軽口を叩いてやった刹那、

 

「キンジがやりあったって化物、お前は知ってるか?」

 

 無法者の理子が顔を出した。相変わらず、落差の激しい女だ。

 

「噂程度には」

 

「綺麗に幕を引いてればいいがな」

 

 窓を隔てて、隣を流れていく車。意味深な理子の言葉が、何を指しているのかは明白だ。これは過去にワトソンも口にしていたが、現実の抗争とはマンガやゲームのように綺麗さっぱり終わるものじゃない。その後、物によってはより危険な尾を引くこともある。

 

 火消しが不十分なら燻る火がいつか再燃しても別におかしくない、それが他の新たなトラブルを手繰り寄せてしまうのもお約束だ。終結したとはいえ、連なったように浮かんでくる不安要素にハンドルを握る指が固くなる。

 

「いいよいいよぉー ここはばちこりとパワーを上げていくぅ! チュイーン!」

 

「なんだよその効果音……」

 

 いや、どうなるにしてもーーまずは聖女様を迎えにいくか。画面の中の誰かさんの育成を邪魔するのも悪いしな、どこの誰かは知らねえけど。

 

 

 

 

 搭乗ロビーで待っていると、やや荷物を多めに持ったジャンヌが歩いてきた。旧友を見つけるやこれでもかと理子が手を振る。

 

「ジャンヌー! おひさー! 理子りんとキリくんが迎えに来たよー!」

 

「うむ、久しぶりだな。一応聞いておくが、二人して私の出迎えか?」

 

「ああ。最近のテレビって、ほんと面白くないんだよ」

 

「うん、土曜日の昼は特にダメ。行こっ、キリくんが送ってくれるって。あ、お腹空いてない?」

 

 どうやらジャンヌ以上に理子が空腹で持たないようで、ターミナル内のショップでハンバーガーを持ち帰りで頼んでから、シルバラードのある駐車場に戻った。

 

 インパラ以上に大きいネイビーブルーの車体はやはりと言うか遠くからでも目立つ。カーチェイスはともかく、アウトドアには持ってこいの良い車なのには間違いないな。バイクもサーフボードも積み放題、それとしなやかなハンドリングもお見事だ。

 

「どのターミナルにも一つはハンバーガーショップが置かれてるけど、あれって身内同士で売上の戦争にならないのか。バイモアはバーバンク店とビバリーヒルズ店でしょっちゅう内戦してたぞ」

 

 近頃はコンビニを過ぎたと思ったらまた同じコンビニが建っている。あれも所謂ドミナント戦略ってヤツか?

 

 先んじて運転席の扉を開けたところで、怪訝な眼差しのジャンヌと目が合った。

 

「愛しのインパラもついに愛想を尽かされたか」

 

「……物騒なこと言うなよ。お前とキンジが欧州で暴れてたときにちょっとな。MP5の放火を浴びて今はお休み中。車輌科のツテで今はこいつを借りてるんだ」

 

 少しだけ楽しそうに笑ったジャンヌに、軽くボンネットを叩きながらそう返す。

 

「車の好き嫌いが激しいからねぇ。いっそ、かなめぇ経由でスーパーカーの一台でも借りれば?」

 

「俺はサードと違って、ミニカー感覚でスーパーカーを乗り回せる人間じゃないの。札束の固まりに当て逃げでもされた日には頭がどうにかなるじゃ済まない」

 

 リアル貴族であるホームズ家やワトソン家と違い、ウィンチェスター家はあくまで一般家庭である。戦友、チャーリー・ブラッドベリーから貰った()()()()使()()()魔法のカードのお陰で資金には困らないのと、賢人のアジトとかいう怪しさMAXの不動産を持ってるだけ。スーパーカーを廃車にして、また次を買えばいいと、すんなり切り替えられる金銭感覚もメンタルも持ってない。

 

 助手席を分取り、早速紙袋から注文したセットを取り出して理子が宴を始める。俺も紙袋に腕を突っ込み──ベーコンチーズバーガーの包み紙を解く。これこれ、如何にも脂っぽいこの感じ。良い意味でカロリーの暴力、ウィンチェスターサプライズと違って。

 

「この暴力的な味、まさに現界の至宝だ。これが千円札1枚で食べられるなんて、世の中どうかしてるよ。ジュースとポテトも付いてこの値段。でも俺も20年には言われるのかな、ステーキや肉みたいなコッテリ系の食事はやめろって」

 

「お前はそれしか食べないのにどうするんだ?」

 

「ああ、俺が原始人だって言いたいのか」

 

 ジャンヌはわざとらしくストローを鳴らして黙秘。

 

「理子だけかな。玉突き事故をスローモーションで見てる感じ」

 

 ハンバーガーを食い尽くしたところで、車のエンジンを入れて駐車場をあとにする。行き先は勿論東京武偵高のある人工浮島、最初こそ理子が積もる話をジャンヌにマシンガントークで披露していたがこの面子だ。

 

「それで、極東戦役の停戦についてだが」

 

 遅かれ早かれ、嫌でも話は極東戦役に傾く。

 

「かつて師団・眷属がイ・ウーの出現で和合していたように、遠山の目が黒いうちはまた戦乱の世に後戻りする事はないだろう。どうやら今回のことで、遠山はイ・ウーと同等たりえる存在だとみなされたようだ」

 

「抑止力だったイ・ウーを崩壊させて極東戦役を開くキッカケになった本人が、今度は新しい抑止力になっちゃったか。キーくんはいつもやることが派手だねぇ。一般人ならぬ『逸般人』に一直線だよ」

 

 理子は指で空中に漢字を書きつつ、サディスティックに笑っている。キンジの人間離れについては大いに同意するぜ、俺も内心次は何をしてくれるか楽しみだしな。いつか生身で大気圏を突破しちまうかも。

 

 とはいえ、自分で撒いた種を自分で枯らしたってところは流石だよ。勲章ものだな。

 

「最後の殻金を持ってる覇美って獣人はどうなった。それと義勇兵の妖刕と魔剱は?」

 

「そう焦るな、順を追って話そう」

 

 ストローを啜る音がして、少しの間が置かれたあと、

 

「妖刕と魔剱については行方知れずだ。眷属も把握していない。二人には協力者と見られる獣人が二人付いていたそうだが、その獣人たちも行方知れず。足取りが掴めない」

 

「ただでさえ正体不明の連中がますます怪しくなったな」

 

 裏理子モードのトーンで、理子が空の包み紙をクシャクシャに丸める。

 

「だが、問題は妖刕と魔剱ではなく覇美と鬼たちなのだ。代表戦士格の覇美、閻は眷属と物別れになっていて、停戦交渉には音沙汰無しだった」

 

「それは例の義勇兵コンビもだろ。戦役も終わったし、みんなでバカンスにでも出掛けたんじゃないのか。ワイキキあたりに」

 

「だと良かったんだがな。これはワトソンから聞いた話だが──覇美は既に日本に来ている。配下の鬼たちを引き連れてきな」

 

 一瞬、ジャンヌから返ってきたとんでもない解答に喉が詰まる。ちょっと待て、例の鬼たちがこの国にいる……? 

 

「待て。学園島や台場、品川や豊洲から東京ウォルトランド辺りまでの湾岸地帯には玉藻の『鬼払結界』がある。自分から中性子線の雨を浴びに来るようなもんだぞ」

 

 ハンドルを切りながら、食いかかるように後ろのジャンヌに言葉を飛ばした。一年しか持たない突貫工事だが、東京には正一位の化生である玉藻が作り出した鬼払結界が張られてる。獣人や化生にすれば、東京はそれこそ中性子線の雨が降り注いでいるような危険地帯だ。なんでそんなところに……

 

「眷属は無条件降伏したわけじゃなく、停戦するにあたって条件を付けてきた。師団も交渉で粘ったが、幾つかは飲まざるを得なかった。その一つが──」

 

「東京に張った鬼払結界の解除だね。それで堂々と乗り込んできた」

 

「ワトソンからだ。これが三日前に成田で撮られたアンラッキーな写真」

 

 バックミラーに映ったジャンヌの携帯がそのまま理子に渡る。やや後ろに倒したシートで、画面を仰いだ理子は、

 

「──バカンスじゃなさそうだね」

 

 赤信号での停止と同時に、その携帯を回してくる。

 

「胸元で抱えられている少女が覇美、抱えている女性が閻だ。閻は遠山が欧州で一度戦っているが覇美に関しては未知数、実力が見えない」

 

 革ズボン、革ジャンを黒で揃え、タンクトップらしきシャツの胸元を開いて、サングラスで瞳を隠しているこの女が、キンジと戦った閻。そんな奇抜な格好をした彼女に片手で抱えられているヒラヒラの女児服を着たこの少女が、最後の殻金を握っているとされる覇美か。

 

 周りにいる女も角を隠すためかどいつもキャップ帽を被って、キンジから聞いた如何にもな獣人の格好をしたヤツはいない。まあ、キャップは人間だって被るし、どこまでが付き人かはこの画像だけじゃ分からないな。だが少なくとも、閻の隣にいる女は前髪から小さな角が見える。最低でも3体の鬼が、日本に踏み込んできた。

 

「それにしても結界が解除されたって情報どこから渡ったの? 停戦交渉はフケたんでしょ?」

 

 再度、信号が青になってジャンヌに携帯を返すと、理子が目敏いところを拾った。確かに、鬼払結界が解除された途端の来日だ。いくらなんでも動きが早すぎる。

 

「まだ暴れたりない連中がいるんだろ。口の軽い連中が」

 

 これは明らかに眷属の誰かがチクったな。タイミングが良すぎる、 眷属から鬼たちに情報が流れたとしか思えない。

 

 理子が言ったとおり、こいつらもバカンスや観光で来たわけじゃないだろう。極東戦役で灯った火種は完全には消えてない。

 

「師団と眷属はたしかに停戦を結んだ。もし、彼女たちが仕掛けてくるなら、そこから先は今度こそルール無用の闘争になるぞ」

 

「望むところだ。どっちみち、千年パズルの最後のピースはこの子が持ってる。俺が何もしなくてもキンジがほっとかない、どう料理するかは知らんが。煮るか焼くか串刺しか」

 

「お前とキンジがバカをやるのはいつものことだから止めないけど、気を付けな。このチビ、お姫様扱いされてるだけで何も非戦闘員ってわけじゃない。これはあたしの勘だけど、抱っこされてるこいつが一番()()()

  

 同感だ。恐らく、さっきは未知数と言ったジャンヌも同じ考えでいる。この子がお姫様みたいに扱われてるのは、単なる階級や身分の高さからじゃない。()()んだ、この子が一番。鬼の群れの中で。

 

「もしかすると、一番やばい対戦カードを最後に残しちまったのかも」

 

「キリ、例の手帳に彼女たちのことは載ってないのか? 写本があるのだろう?」

 

「残念ながら書いてあったのは、連中が人食い鬼より素早くて素手で人間の頭を捻り潰せる怪力の持ち主ってことだけ。注意書きだな」

 

 外の強かった陽射しも太陽が雲に隠れて、ようやく落ち着きを見せる。ヒルダが嫌いそうな天気だな、今日は。

 

「写本って?」

 

「親父の手帳の写本。家出する前に作っといたんだ。役に立つかもって」

 

 親父の手帳は、言ってみればハンターマニュアル。幽霊や怪物なんかの非日常の情報やこれまで解決した狩りについてのことが綴られている。

 

 今では死んだ親父の遺品でもあるし、現物は本土にいる二人の手元だが、日本に来る前に作っておいた写本が俺の手元にある。ジョンの手帳ならぬ、雪平の手帳ってとこか。写本するのも一苦労で、オリジナルに比べても字が汚い。親父の字も大概だが。

 

「結局、今回もいつも通りだろ。これまで通りのいつも通りさ。即興で対応する」

 

「もし仕掛けてくるなら、停戦協定をガン無視するってことだよねぇ。それならこっちもルールの外から仕掛け見るのは?」

 

「ふむ、火の戦いに火で応ずるというワケか」

 

 火が苦手なジャンヌが口にするには皮肉な例えだが、ようするに隣の大泥棒が言ってるのは相手がルール無用で来るならこっちも同じ土俵で戦ってやるってことだろう。荒れそうだな。

 

「本当は殻金を届けに来訪したってオチを期待する。期待値でしかないが」

 

「期待値? ああ……希望的観測か」

 

 素っ気ないジャンヌの声から少しして、帰路はメガフロートの道に差し掛かる。車内で仕事の話になるのは今も昔も一緒か。今日に限ってはインパラじゃないが。

 

「ところでジャンヌ、白毛の彼女は元気だった?」

 

 ……白毛の彼女?

 

「ああ、触れ合う時間はあまりなかったのが少々名残惜しかったが」

 

 と、本当に名残惜しげにジャンヌが言った。ほぼ直線の道をアクセルを踏みながら、俺も横槍を入れる。

 

「白毛の彼女って?」

 

「ノルマンディー産の軍馬だよ。イ・ウーにいたとき、ジャンヌが白毛の牝馬と馬鎧をココに頼んでたって聞いててね」

 

 馬を仕入れると聞いても、相手がココなら特に驚きもなかった。どうやら武器や燃料だけに限らず、幅広くやっていたらしい。あいつの拝金主義は俺も修学旅行で目にしてる、イ・ウーは金払いも良さそうだしさぞ優良顧客だっただろうな。

 

「純砂金、東欧系少女の血液パック、絶滅危惧種のドクササコ。ストッキングから核燃料まで何でも受注してくれるのが彼女だ。知ってのとおりの守銭奴だがな。ちなみに私の愛馬は美麗だぞ?」

 

 砂金はパトラ、血液パックはヒルダ、最後の毒キノコは言わずもがな夾竹桃の注文だな。実に分かりやすい。ジャンヌの軍馬といい、特徴がおもいっきり出てる。

 

「キリくんもさー、ジャンヌに乗馬教えてもらったら? 案外ハマっちゃうかもよ?」

 

 ふと、理子が間延びした声でそんなことを言うので、

 

「言っとくが俺だって馬には乗れる」

 

「えっ、経験あるの?」

 

「ああ、少し前のことになるが馬に乗って荒野を走り回った。不便な場所だったよ、空気は砂っぽかったし、娯楽はないし」

 

「……一応聞いておくが乗馬はどこで学んだ? 地獄の檻か?」

 

「なんでもかんでもそっち系と結びつけるんじゃない。保安官に教わったんだよ」

 

 ──()()()()()のワイオミング州サンライズにフェニックスの灰を取りにいったときにな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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掘り起こされた真実

「うーん、どっちを買うか迷うぜ。なあ、ワトソン?」

 

 ジャンヌが無事に帰国して束の間の日曜日。自室のパソコンと睨みあいになって十分が経過するか否かのタイミングで、俺は助力を求めるべく来客に声をかけた。

 

「なんだい、ボクは忙しいんだけど」

 

「その台詞、人の部屋でデートプランの設計しながら言われても説得力ないぞ?」

 

「……で、デートじゃないよっ! な、なにを言ってるんだキミは……!」

 

「さっきからガイドブック眺めてにやにやと、どこ行くか決めたのか?」

 

「ま、まだだけど……悩んでいてね。六本木、秋葉原、浅草は決めたんだけど……」

 

 ガイドブックは離さぬまま、聞き耳は立ててくれるワトソンは、香港行きの前にキンジと約束した観光のプランを練るのに格闘中だった。ガイドブックとにらめっこもいつからその姿でいたのかもう覚えてない。持参したペットボトルもテーブルの上で空になっている。

 

 ワトソンとしては、キンジと相談して観光のプランを決めようと部屋を訪ねて来たようだが、キンジは『武偵戦友会(カメラータ)』──かつて組んで事件解決に臨んだ事のある武偵が集まる、プチ同窓会みたいなものに出ていて運悪く部屋にはいない。

 

 なんでも来学期からワシントン武偵高の装備科に交換留学が決まった平賀さんの歓迎会も兼ねてるらしい。正直言うと平賀さんと離れることになるのは淋しいが、「友達の明るいニュースは祝うべき」と言ってのけたキンジが正しい。俺も来学期までに挨拶にいかないと。

 

「決断力は養ってたつもりなんだけどね。トオヤマも一緒に楽しめる場所に行きたいし、それだと見慣れてる場所よりも──これは悩むね」

 

 そう言ってページを捲るワトソンは、目まぐるしく表情を変えながら、捲ったページを戻しては睨みあいを続ける。

 

「好きなだけ悩めばいいんじゃないか。満足するまでさ」

 

「日本ではそれを他人事、と言うんだろう?」

 

「そうじゃないよ。人を好きになったら不安になるのは当然だ、落ち込んだり弱気になったり、自分がどう思われてるのかとか、相手の行動に一喜一憂したりして、今までは考えもしなかったことを意識するようになるよな」

 

 目の前の景色が一変したみたいに変化の連続で最初は自分が不安定になってるんじゃないかって勘違いしそうになることも、

 

「でもそういうのが一番楽しいときでもある」

 

 好きな人のことを想って、悩んでいられる時間が、実は一番満たされている時間だったんだと俺は思う。

 

「だから好きなだけ悩めばいい」

 

「それはキミの経験?」

 

「……まあな。ハンターと恋愛が結びつかないのはご存知の通り。お前にアドバイスできるような立場じゃないが、今回は守備役を自分から買って出てくれたお前への御礼だろ。折角なんだし、我が儘言ってやれよ。好き勝手甘えても誰も文句は言わない」

 

 言い終えると、ワトソンはやんわりと睨んでいたガイドブックから目線を離した。

 

「イ・ウーでは密かに噂になってたよ。キリ・ウィンチェスターはロマンチストだって」

 

「いらない情報ベストオブザイヤー受賞。俺がロマンチストなわけないだろ」

 

「誉め言葉だと思ってくれ、かなり変わってるけど」

 

 くすりと笑うワトソンに、つくづく俺は思ってしまう。キンジの周りは美女に事欠かない、国籍や種族を問わずな。

 

「それで、ユキヒラ。キミはさっきからパソコンと何をそんなに視線を交えてるんだい」

 

「実は本土の知り合いに航空便を送ろうと思うんだが、このアクセどっちがいいと思う?」

 

 画面に映っているのは所謂シルバーのアクセサリー。キャスター付きの椅子で右手で頬杖を突きながら、左手の指で画面にある商品を指す。

 

「似合わない眉間の皺はプレゼント選びに悩んでるってこと?」

 

「ああ、お前は皮膚科の医者か」

 

「一応見れるけどね。プレゼントを贈る知り合いって男性に? それとも──」

 

「ケバいメイクのバイカー。ノバックだよ、クレア・ノバック。知ってるだろ?」

 

 被せ気味に言ってやると、ワトソンは納得した顔になってパソコンを覗いてきた。過去に揉め事を引っ掻けてきたUKの賢人たちと、ワトソンが席を置いているリバティーメイソンは顔見知りの関係。その為か、ワトソンはワトソンでこっちの界隈に詳しかったりする。

 

「……そろそろクレアの誕生日なんだよ。あいつの誕生日は……忘れるわけにはいかなくてさ。こっちに来てからも毎年航空便で贈ってるんだ」

 

 クレアにとって誕生日は、母親を失った日。グレゴリという天使の恥さらしに、拠り所を奪われた日であり、彼女が普通の生活に区切りをつけてしまった日。

 

 あのとき、その命を救えていたら今のクレアがどうなっていたのか。そんなこと誰にも分からないし、クレア本人が言ったようにたらればの話でしかない。どうあっても救えなかった、それが現実でそれ以上もそれ以下もない。でもそれは忘れてはいけない記憶の1枚。

 

「誰でも後悔は抱えてるよ、ユキヒラ。人間は等しく後悔を抱く生き物なんだ、そこに優劣があったとしても、後悔することを知らない人間はきっといないよ」

 

「……ああ。苦い過去は誰にでもある。誰にでも。それは比べるようなものじゃない」

 

「そう、誰もが過ちを犯す、恥ずべき行為をしてしまうものだよ。ボクだって後悔や過ちを数えようとしたら、両手の指じゃとてもじゃないけど足りない。でもね、誰にだってやりなおすチャンスが与えられるんだ。だからボクたちにはそのチャンスをいかす義務が与えられる」

 

 ……この貴族様は、なんだってこう……不意を突いて真面目なことを言うんだ。ちくしょうめ、色々と負けた気分だ。

 

「神崎といいお前といい、貴族ってのはみんな人を諭すのが巧いのか?」

 

「キミより失敗になれてるだけだよ。少しだけね」

 

「宇宙規模でやらかしてる俺よりか?」

 

「苦い過去や失敗、自分の味わった不幸で張り合うほど空虚なものはない──ボクの記憶によれば、これはキミが言った言葉だよ」

 

 ……参ったな、とんでもないブーメランになっちまった。これには苦笑いするしかない。でもその台詞も母さんの受け売りなんだけどな。辛い過去の一つや二つ誰にでもある、いつまでもそれを逃げる理由に使えばーーいつか、ただの甘えに変わる。

 

「悪い、センチメンタルになったよな。で、これなんてどうだ?」

 

 曇りかけていた思考を振り切るべく、話を元に戻す。

 

「この十字架のネックレスは最高だ、これに黒のタンクトップを合わせればまさに敵なし。最高にワイルドで、スタイリッシュに仕上がる。日本の諺で言うと、鬼に金棒、ドムにレンチってところだな」

 

「……このサイト、洋画と海外ドラマのグッズ専門店じゃないか。彼女、カーアクションの映画に興味あるの? キミの好みが全面に出てない?」

 

「いいんだよ。クレアも意外とミーハーなところがあるからな。十八番は『俺は飛ばし屋』の──今のご覧になった? ナイスインしたんだけどよろしかったでしょうか、コロコロって──」

 

 『俺は飛ばし屋』ってのはアイスホッケーの選手が紆余曲折の末にゴルフをやることになる作品で、これもクレアが誕生日にモーテルに備えられていたパターゴルフをやったときに披露してくれたモノマネだ。ディーンと俺のよりはクオリティーが高いのは認める。特に兄貴のは酷かった。

 

「『ハッピー・ギルモア』だね。知ってるよ、ボクも好きだし名作だと思うけど?」

 

「確かにな。でもパターゴルフをやってるときに披露するんなら、やっぱりあれだろ。みんな大好き『カール・スパックラー』」

 

「……」

 

 間違いない、と俺は言い切る。が、ワトソンは視線を泳がせて目を合わせない。マジ……?

 

「『ボールズ・ボールズ』」

 

「……」

 

 ゆるりと首が横に振られる。嘘だろ……

 

「名作だぞ」

 

「ボクは見てないけど、リバティ・メイソンの知り合いは酷評してたかな。演出が肌に合わなかったって 」

 

「……何と失礼な」

 

「購入画面に進んだら?」

 

「……大嫌いだ、お前らの世代なんか」

 

「あの壁に、『TRON』のポスターでもプレゼントしようか?」

 

「遠慮しとく。前に『トップガン』のポスターが45ACP.で穴だらけになった」

 

 銀行振り込みでの購入を確定し、飲み物を調達するべく暫くぶりに椅子から立ち上がる。この部屋の家具は、主に神崎と星枷によって定期的に粉砕されるので、一定のスパンで買い換えることになるのがお約束になっている。このキャスター付きの椅子も何代目かは正直覚えてない。

 

 その星枷は実家に呼ばれて里帰り、神崎は神崎で私用があるらしく出ていて、ここ最近は違和感を覚えるくらい静かな日々が続いてる。ガバメントとイロカネアヤメを見ない日なんて異常気象もいいところだ。その静かな日々もキンジが帰国して鬼の軍団が来日したいま、数日持つかどうかだろうけどな。

 

 鬼、鬼か──そういや、白いドレスの女の次に遭遇したのが人食い鬼(ウェンディゴ)だったな。失踪した親父を探しにスタンフォードに行って、閉鎖した炭鉱の中で一番最初に戦った怪物。連中の頭は四六時中食い物のことで手一杯だが、今回乗り込んできたのは別格──今度は照明弾を撃ち込んで解決とはいきそうにない。

 

「ほらよ」

 

「ありがとう。当たり前のように瓶コーラが出てくるんだね、この部屋は」

 

「コーラの入ってない冷蔵庫なんて、福神漬けのついてないカレー同然。キンジのメロンソーダやら理子のプリンやらでウチの冷蔵庫はいつも大所帯だよ」

 

 冷蔵庫の瓶コーラを手渡すと、ワトソンは苦笑いで受け取った。

 

「でもちょっと羨ましい気もするかな」

 

「なにが?」

 

「キミが過保護って話だよ」

 

「……はぁ?」

 

 斜め上の返答に、俺も気の抜けた声で返す。しかし、会話の脈絡を考えると意味を推測するのはひどく簡単だった。

 

「過保護に見えるか、やっぱり?」

 

「その口振りからすると、ボクが初めてじゃないみたいだね」

 

「クレアの保護者にも同じ事を言われた。同居人もな。過保護なのはお互い様だっての」

 

 アレックスも保安官も俺に言わせれば、俺以上に過保護だ。人のことは言えない。思い返して俺は肩をすくめるしかなかった。

 

 クレアも俺と同じ、天使なんて非科学的などうしようもない流れ弾に人生を歪められた、運が悪かった人間。どこにでもいるはずの、ちょっと気の強かっただけの少女がある日突然運命を歪められる。

 

 唯一の幸運はクレアを迎え入れてくれたのがミルズ保安官だったってことか。親のいないアレックスとクレア、夫と息子を失くしたジュディ。あの三人には傷の舐め合いでは片付けられない()()()がある、羨ましくなるくらいの。俺よりもあの二人の方がずっとクレアに過保護だよ、トレンチコートの天使も良い勝負だが。

 

「けど、過保護でも構わないさ。もしクレアに何かあったら、俺も頭がどうにかならない自信がない。どうにかなるわけにはいかない。過保護でいる方がマシ。武偵もハンターも、知り合いの葬式を挙げるのは真っ平だ。それがロイとウォントみたいな連中でも」

 

「その二人の名前は聞いたことがないけど、知り合いかい?」

 

「昔、ボロいモーテルで俺を撃ち殺してくれた二人組のハンター。この名前にピンと来たらなかなかのマニアだな」

 

「お得意のブラックジョークをありがとう。賭けポーカーでイカサマでもした? あるいは私情のもつれ?」

 

「そんなところだ。UKの連中とドンパチするときに再会したんでそのときに和解した。俺も久々に名前を口にしたぜ、懐かしいことこの上ない」

 

 湿っぽい話が続き、思わず後ろ頭を掻く。瓶を呷ると、まるで示し合わせたようなタイミングで呼び鈴が鳴った。きょとんとした顔でワトソンは玄関の方を見る。

 

「トオヤマ?」

 

「キンジはいちいち呼び鈴なんて鳴らさないよ」

 

 廊下を歩いていくと、玄関の先にいたのはスーパーの買い物袋を提げたジャンヌだった。

 

「どうしたんだ?」

 

「話があって来た。私に続け」

 

 そう言うと、ジャンヌは俺の横を抜けて部屋に上がり込んでしまった。続けって……ここは俺の部屋なんだぞ……

 

「先客がいたか。ワトソン、さきの修学旅行Ⅱでは世話になったな」

 

「トオヤマなら武偵戦友会(カメラータ)で留守みたいだよ。いるのはユキヒラだけ」

 

 一方的にやってきたジャンヌはそのまま空いていた部屋のソファーに腰掛けた。

 

「ってことだ。伝言あるなら聞いとくぞ?」

 

「問題ない。私はお前に話があったのでな」

 

「俺に?」

 

 単刀直入に聞くと、ジャンヌは軽く頷いた。

 

「お前にだ。これは私からだ、ありがたく受けとるがいい」

 

「あ、ああ。ありがたく受けとる。ありがとう」

 

 ついでとばかりに、テーブルに落とされた袋には飲料水とビーフジャーキー、クッキーなんかが詰め込まれている。差し入れは素直に礼を言うとしてだ。ビーフジャーキーの袋を切りながら、聖女様に半眼を向ける。

 

「それで。話ってのは良い話か、それとも悪い話とセット?」

 

「お前次第、と言いたいところだがそう身構えるな。ただの世間話だ。私はパリのシャンゼリゼ通り──8区に自分の不動産を持っている。欧州での戦いの折、滞在場所として使ったがそこで妙な噂を耳にしてな」

 

 そう言うと、ジャンヌはソファーに座ったまま腕を組んでいく。

 

「信仰療法と皆は呼んでいる。彼女の手が触れた途端、先天性の疾患、視力、腫れ物や麻痺のような医療ではどうにもならない傷や病も魔法のように癒えるそうだ。彼女に頼めば、()()()()()と引き換えにどんな傷も癒してくれると」

 

「触れただけで麻痺や視力を治すだって……?」

 

 医療の心得を持つワトソンは当然黙っていられないと食い付いた。多額の金銭と引き換えに、奇跡を起こす。そのやり口には他にないってくらい心当たりがある。

 

「──アナエルか。ついに海外進出とはな」

 

 複雑な気持ちで、俺はビーフジャーキーを噛み砕いた。

 

「当たりか。以前、お前が口にしていた『金の為に奇跡を演じる天使』というのが気になってな」

 

「彼女の名前はシスター……シスター・ジョー。本土じゃ有名な心霊治療師だが、それは表向きの名前で本当の名前は"アナエル"。天界では魂の数を数えるのが仕事の下級職員だったが、地上に来てからは転職して成功したビジネスウーマン」

 

「ビジネスウーマン……?」

 

「他よりちょっと金にがめつい天使。名前は同じでも性格は全然似てない」

 

 半信半疑のワトソンに思ったままの感想を伝えてやる。実際に大抵の天使は欲とは無縁の頭をしているなかで、彼女に限っては清々しいほど自由奔放、自分のやりたいことに恐ろしく素直な姿勢が目立っていた。相変わらず、奇跡を起こす商売は繁盛してるみたいだな。瓶に残ったコーラを一気に呷って喉に流し込む。

 

 久々に耳にした知り合いの動向だが拝金主義は相変わらずらしい。むしろ変わってないことに安心したぜ。味方と呼ぶには彼女はグレーゾーンもいいところだが、知り合いの現況が聞けるのは不思議と悪くない気分だ。拝金主義は目立つが、少なくともベラ……人の臓器を高値で売りそうな性悪女に比べたら遥かにマシだ。

 

「キミの罵詈雑言はいつものことだけど、別段敵意を持ってる相手というわけではないんだね」

 

「特殊も特殊な関係だよ。利害が一致すれば協力してくれるだろうし、そうじゃなけりゃお互い干渉もしない。しかし、フランスにアナエルか。本土でのビジネスに嫌気が差して、慰安旅行中だったりして」

 

「天使が旅行かい?」

 

「今は翼がないから不便だろうな。昔は念じるだけであちこち行き放題だったから。俺も旅行行ってみたいぜ。浜松のうなぎ、前にテレビでやってたあれ。2泊3日で宿取って、サウナ入って、ベッドでゴロゴロしながらテレビ見て──」

 

「今年にでも叶えられるだろう、その予定なら」

 

「だといいんだけどな。遅れたが、いらっしゃいませ聖女様。キンジはいないが好きなだけ駄弁っていけよ」

 

「なんたってボクたちは暇だからね」

 

 苦笑いで自虐的に言ったワトソンに、俺もうっすら笑って立ち上がり、テレビのリモコンを取った。お、動物番組やってるな。

 

「新学期が始まって、また一年経って卒業になったら、今日みたいなどうでもいいことも思い出すのかもな。最後に考えるのは何気ないどうでもいいこと」

 

「ふ、ならばそのどうでもいい今日を、私が特別な日に変えてやろう」

 

 突然の凛とした声に振り向くと、ジャンヌの手には1枚のDVDディスク──それ、スーパーの袋の中に入れてたのか。どこから出したんだよ。

 

「聖女様、それなに?」

 

「『ラブ・アクチュアリー』だ。ラブコメの市民権」

 

「……また理子の入れ知恵か。バレンタイン映画の最高峰とでも言われたか?」

 

「クリスマス映画じゃないかな」

 

「違うな、間違っているぞ。()()()()()()()()()()()()だ」

 

 ……この二人、人前で恋愛映画や少女漫画を見たり読んだりは苦手じゃなかったか……

 

「なあ、本当に見るのか? その……カーチェイスも爆発も起きない、テロリストもエイリアンも出てこない映画を?」

 

「無論だ。付き合え、キリ。三人で映画鑑賞といこう」

 

「座りなよ、ユキヒラ。ほら、ジャンヌがクッキー買ってくれてるよ? 飲み物もあるし、抜かりなしだね」

 

「ここはトップガンとかにし──」

 

 言い切る前に、俺は言葉を引っ込めた。頬を膨らませるなワトソン、ジャンヌも怨めしそうな視線を向けるな。

 

「お前らよく似てる。座りますよ、クッキーくれワトソンくんちゃん。それとジャーキー」

 

 プレイヤーにディスクがセットされ、《外来種を捕獲せよ!》とかいうタレントが池を散策している絵が切り替わる。まあ、いいか。たまにはこういう平和な映画も──おもしろそうだ。

 

 最後に思い出すのはどうでもいいこと。1日、また1日が過ぎて、このだだっ広い部屋ともいつかは別れがやって来る。そう、いつかは──今日を懐かしむ日も来るのかな。

 

 

 

 

 

「……ぬるい」

 

 二人が帰ったあと、静まり返った部屋でテーブルに残っていたサイダーを煽る。数時間一口も触れずに放置したせいで、お世辞にも口当たりが良いとは言えなかった。結局、一口だけつけて元の場所に戻す。

 

 キンジはまだお楽しみ中らしいのか、帰ってくる気配はない。カーテンの隙間から見える夜の帳も、かなり色濃くなってきた。そろそろヒルダも起きる頃か。ぬるくなったサイダーを再度冷蔵庫に放り込んでから、僅かに開いていたカーテンを完全に締め切る。

 

「何のようだ、キンジなら留守だぞ」

 

 玄関へ続く廊下と居間の境、そこにいたのは今まで見てきたどれよりも鋭い気配を撒いている()()だった。

 

「よい、遠山はおらぬとも。お主に話がある」

 

 違う。普段のどこかで緩さを残している玉藻とは気配が、匂いが違う。これは腐るほど相対してきた異教の神々たちと同じ、常識の外にいる存在の匂い。いつもの玉藻じゃない。

 

「早まるな、雪平の。話をするだけと言うておろう」

 

「正一位の天狐皇幼殿下がそんな顔して夜更けに世間話ってわけじゃないだろ」

 

 誰だって身構える、正一位の意味を知ってるなら尚更な。反射的に警戒の態度を見せた俺に、半眼を作って鋭く見上げた玉藻は──

 

「緋緋色金は戦と恋を好む色金。それに憑かれた者──緋緋神は、闘争心と恋心──その2つの心を激しく荒ぶらす、祟り神となる」

 

 以前、俺にも話してくれた緋緋色金についての一説を口ずさんだ。

 

「先日カツェとパトラから返された殻金をアリアに戻した時に、訝しく思っての」

 

「例の殻金は1枚を残してそれで全部だろ」

 

「儂とて、眼を背けたいことの一つ二つはあるが此度ばかりはそうも言っておれん」

 

 知りたくない事実とは、往々にして思いもよらないタイミングで飛び込んでくる。

 

「聞け、雪平の──儂が思う以上にアリアは緋緋神と心を結んでおる可能性がある」

 

 

 





『お前らよく似てる』s1,6、ディーン・ウィンチェスター──


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信じる者の□□

 前触れもなく玉藻がやってきた夜、とうとうキンジが帰宅することはなかった。代わりに俺の携帯に届いたキンジからのメールは……神崎が謎の意識障害で倒れたというものだった。神崎が持病の発作持ちなのは俺も知るところだが、意識を完全に手放したというのは聞いたことがない。神崎が持病で倒れたのは今回が初めて、ゆえにキンジの焦りも一段加速したんだ。

 

 原因不明の意識障害は、救護科から転送された武偵病院で回復したらしいが……精密検査の必要があると判断され、神崎は深夜に関わらず東大医科学研究所の附属病院に搬送された──ここまでがキンジのメールから窺える現在の状況。

 

 正直、玉藻から聞いた昨夜の話を思うと、苦笑いで通せるラインを大きく越えちまってる。その意識障害ってのは緋緋神の──

 

「ついたぜ。医科研病院だ」

 

 広々とした、しかし病棟とはやや距離のある駐車場でシルバラードのエンジンを切る。大病院となれば駐車場も相応か。車内から見たときにも感じたが、外に出てから見渡すと本当にだだっ広い。

 

「雪平、早くなさい。置いてくわよ?」

 

「はいはい、お母さん」

 

 立派な網目模様のマスクメロンを手に提げている魔宮の蠍から、その高そうなお見舞い品を手渡され、俺たちは少し離れた病棟に向けて進路を取った。

 

 それにしてもこのメロン……見るからにキンジとは無縁そうな匂いがするぜ。なにせこの女、忘れそうになるが高級ホテルの一室で生活しているれっきとした金持ちなのだ。

 

「しかし、大病院となると駐車場だけでこの広さか。神崎クラスのお嬢様を看るとなりゃ、普通の病院には務まらんってことか」

 

「それだけじゃなさそうだけど」

 

 含みのある言い方で返答は濁された。俺は、夾竹桃の胸元で抱えられている『紫』の花に目を落とす。言うまでもなく、それは神崎に向けた花。

 

 紫のアヤメ──俺は花のことなんて全然知らないが、その花の意味だけは知ってる。たしか、その花言葉は、

 

「"信じる者の幸福"……か。洒落てるな」

 

「何も信じずに目的を成したところで、幸福になれはしない。信じない者は常に不安と恐怖につきまとわれ、安らぎを得ることは叶わない。誰しも信じるものを持たずにはいられない」

 

 並べられた詩の一説を詠むように、淡々と冷たい声が続いた。誰しも信じるものを持たずにはいられない、か……

 

「みんな何かにすがりたくなる。真実ってのはいつだって手加減なしだしな。自分の力でどうにもならないと分かれば、いるかどうかも分からない神にだって手を伸ばしたくなる」

 

 信じる者の幸福──信念だけでは、どうにもならないときもある。アヤメの花言葉はそんな真実を俺たちに教えてくれているようにも思えた。

 

 何かを信じることは美徳であれ、幸福を運んでくれるとは限らない。信じた先にあるものが幸福や希望だなんて確証はどこにもないんだ。希望と思って掴んだものが手のつけられない化物の尻尾だったなんてことは、実際一度や二度じゃない。

 

 テレビや本のなかと違って、現実はいつだって手加減なしの結果が閉じることなく、螺旋のように続いてる。

 

「手を伸ばしたところで……神には与えるべき愛も救いもないっていうのにな」

 

「自分を救えるのは自分だけよ。目を背けたくなる絶望的な盤上も、ひっくり返すことができるのは自分だけ。突然現れた神様だとか、救世主とかに救ってもらおうなんてお手軽な発想がそもそも不健全なのよ」

 

「不健全か。そいつはなんとも、手厳しいな。信じない者に幸福はやってこないんだろ?」

 

「本当に信じるべきは──自分は自分で救えるかもしれないと、そう思わせてくれる"何か"。不確かな地面でも立とうと思えるだけの理由をくれるモノよ。それさえあればどうとでもなるわ」

 

 理屈っぽい──不思議とそんな皮肉を言ってやる気にはならなかった。癖のある言い回しはいつものことだが、皮肉を言うのが憚られるほど今回の言葉は綺麗に見えた。とても無法者だった女が説く台詞とは思えない、最初から悪党には向いてない女だったが。

 

「……ファンタジーだな。みんながみんな、自分を信じられるわけじゃないだろ」

 

「不確かな地に何も信じない心一つで強く立つのは難しいことよ。だけど、時にはほんのささやかなものが心を支えることもある。貴方もそれを見つけたから、今でもぐらつきそうな現実の上に立てているんじゃないの?」

 

 不意に隣から聞こえた足音が止まり、真っ直ぐな瞳がアヤメの花束と共に視界を埋める。呪縛されそうな瞳にやがて逸らすようにして、止めた足を先に動かしてやった。

 

「単に不確かな足場に慣れちまっただけかもしれないぞ。足場が不安定だと最初から分かってれば多少のことじゃ転ばなくなる」

 

「まァ、とぼけちゃって」

 

「嘘を言うのが仕事なんだよ」

 

 相変わらず考えの読めない表情は、微かに口角が上がっている。自分の言いたいことはとりあえず吐き出して満足した、強引に当たりをつけるならそんなところか。

 

「誰しも信じるものを持たずにはいられない。じゃあ、お前は何を()()()るんだ?」

 

「それは企業秘密。教えないわよ、貴方口が軽いんだから」

 

「心外だ。必要なら貝にでもなれる男だぞ」

 

 神崎が入院している医科研病院は港区白金台にある8階建ての、大病院だ。見上げると首が痛くなりそうな建物には複数の玄関口があり、駐車場との兼ね合いで一番近かった正面玄関の裏手から院内に入る。

 

 さすがに武偵高の制服は訝しげな視線を招くが声をかけられるようなことはなかった。廊下の壁に張り付いた案内板を頼りに、ひとまず受付に向かうことする。

 

 この病院、周囲は鬱蒼とした林に囲まれてはいるがやはり大病院。一度入れば院内は広いし、コンビニや軽いカフェなんかも併設されている。キンジは先に来てるらしいが、先に帰ると行った趣旨のメールや電話はない。もしかしたら、院内で鉢合わせるかもな。だとしたら帰りのタクシーくらいは引き受けてやるんだが──

 

「……?」

 

 ピアノ……? やけに達者な音色だが外部から誰かを招いてのイベント……?

 

「雪平、どうかした?」

 

 つい立ち止まってした俺に、夾竹桃のやや訝しげに丸くなった目が向けられる。

 

「……いや、この曲なんだけど、ジャンヌも武偵高で弾いてるのを何度か見かけたことがあったからさ。大抵は『火刑台上のジャンヌ・ダルク』だから、珍しいなぁって。曲名までは聞かなかったけど」

 

「視聴覚室でのあの子の演奏は一年の間でも有名な話だけど、ファンにでもなった?」

 

 力の抜けそうな緩い声で、夾竹桃は横目を向けてきた。ジャンヌのアイスブルーや神崎のカメリアとは違った紫がかった瞳に直視され、改めてこいつはこいつで無駄に美人だと思わされる。無駄に美人──こうもしっくりくるような言葉も他にないな。

 

「どうかな。音響器機なしでこんな音色を出せるのがピアノって楽器で、それができるのがピアニストってやつなんだろうなって。言っとくがとぼけてないぞ?」

 

「お馬鹿。まだ何も言ってないでしょうに。反射的に噛みつくのはよしなさいな」

 

 うっすら笑われて、俺も遠慮なく苦笑いを返してやる。噛みつく噛みつかれるのやり取りをしながら、大病院に相応しい幅広の廊下を歩いていると、ほどなくして受付の窓口が見えてきた。しかし、俺たちの視線は受付ではなく、その傍らの壁に寄り掛かるようにして、仏頂面を浮かべている知り合いに吸い寄せられる。また一悶着ありそうな予感だぜ。

 

「……そのメロン、無駄になるかもな。なんか、うきうきする気まずさ」

 

「急くのはよしなさい、まずは先客に話を聞くわよ。無駄になったら、貴方と私で美味しく頂くとしましょう」

 

「独り占めしないお前の優しさに感動だ。このことブログに書いたっていい」

 

「ついでに、このことをツイートしてって頼んだら?」

 

「喜んで。俺、ツイッターやってないけどアカウント作るよ」

 

 立ち話をしながら、わざとらしく視線を撒いてやると仏頂面のキンジが足場に歩いてきて、そのまま俺たちを横切っていく。

 

「出るぞ。外で話そう。受付を通そうとしたがお嬢様は面会謝絶だそうだ」

 

 振り返ることなく、その足は院内の外に向けられる。ここではしたくない話、そして神崎への面会謝絶──何よりあの仏頂面は雲行きが怪しいときのお約束だ。

 

「あの顔、貴方はどう見る?」

 

「予期せぬトラブルって顔だな。デカいやつ」

 

「トラブルを背負って歩いてるのは貴方だけじゃなさそうね。お気の毒」

 

「運が悪かったってこと、俺もあいつも。生まれつきな」

 

 そのまま仏頂面のキンジと合流し、俺たちは一旦武偵高に逆戻りするハメになった。キンジが今分かっているだけの情報をくれたが……どうにも不可解な話だ。

 

「どうにも不可解な話ね」

 

 三人だけになった俺とキンジの部屋で、ソファーの上で腕を組みながら夾竹桃が同じ事を呟く。

 

「外務省が出てくるなんて。あの子がVIPだとして、嗅ぎ付けてからの動きが早すぎる」

 

「あんたも同じ考えなら安心だ。この件はあれこれ不可解なところがある。アリアは意識が戻っているハズなのに、連絡が付かない。外務省の動きも異様に速かったし、もう今は軟禁されているような印象だ。早めに本人とコンタクトして、出してやらないと……」

 

「──神崎は英国に連れ戻される。駐日英国大使館がバックにいるんじゃ、今度はマジの大事かもしれねえな。いや、緋鬼の連中が来日したタイミングも含めて……まあ、そういうことだろ」

 

 お世辞にも楽しいとは言えない話。俺もソファーの上で彼女を真似るように腕を組んだ。キンジの話によると、どこからか神崎の入院を嗅ぎ付けていた戦姉妹の間宮が、受付の面会謝絶を無視して病室に強行突破を試みたものの……辿り着く前にスーツ姿の女性数人に見つかってとっちめられたられという。

 

 その中には白人の女性もいて、気になるのはとっちめられたときに間宮がひったくったというピンズ。それは『外』の漢字を崩したような形をしている、いわゆる外務省の標彰。恐らく、間宮を追い出したという白人はイギリスの駐在武官。神崎と連絡がつかないのには駐日英国大使館が一枚噛んでるとみてまず間違いない。

 

「キンジ、玉藻から話はあったか?」

 

「なんで玉藻が出てくるんだよ。あいつのことは関係ないだろ」

 

「そうでもないのよ、残念ながらね。上が動いたとなれば、貴方も嫌な予感くらいは感じてるでしょう?」

 

「……まあな。前置きは分かった。ようは、つまらない話をするんだろ」

 

 身構えるつもりでキンジはソファーに座り直す。刹那、隣の女がゆっくりと目を伏せた。

 

「そういうことよ。これからするのはつまらなくて嫌な話。神崎アリアは……もう緋緋神になる()()()()にいる」

 

 目を見開くキンジを制するべく、間髪入れずに話を続ける。

 

「キンジ、この女はこの手の冗談は言わない。昨日、俺も玉藻から話を受けたばかりなんだ。神崎の緋緋神化は殻金で抑制できるって話だったがどうやら殻金は──塞ぎきれぬ状態で戻せば戻すほど、緋緋神化を加速させるらしい」

 

「……じゃあ、アリアは……」

 

「薄皮一枚で緋緋神の支配を絶っている。おもしろくないけど、そんな状況でしょうね」

 

「薄皮って……おい、切……!」

 

「どこにでも穴はある。体に刻んだ悪魔避けが火傷で上書きされちまうように、星枷が作った殻金にも欠点があった。今まで、殻金が外れることなんてなかったらしいからな。玉藻もお前がパトラたちから取り戻した殻金を戻したときに初めて気付いたそうだ」

 

 キンジの顔が苦々しく曇る。元々、殻金が外されるということ自体がイレギュラー。長い時間を生きている玉藻ですら初めてのことだった。

 

 いや、最初から緋緋神は殻金で飼い慣らすには余る化物だったのかもしれない。ヒルダによって殻金が外れた今回のタイミングで好機とばかりにヤツは檻から外に出た。あの神様は人間の力で縛り付けられるような領域には……そもそもいなかった。

 

「そいつは信用できるのか。確かな確証があるなら教えろ。駆け引きも隠し事もなしだ」

 

「確かな確証は神崎と話をしないとまだ……だが色々揃いすぎてる。玉藻が感じた違和感だけじゃない。例の鬼は『緋鬼』っていう太古の緋緋神の子孫で、連中の目的は緋緋神をこの世界に()()()こと」

 

「……来日したのは目的は、戦役絡みじゃなくてアリアか。アリアが入院したのは今回が初めてじゃない、今回に限って外務省が異様な速さででしゃばってきたのもーー」

 

「ええ。私も雪平も今回のことは緋緋神が絡んでると見てる。あの子と色金の問題は、英国もこの国も無視できないところまで来てるってことよ」

 

 静かな部屋にキンジの舌打ちが響いた。

 

「覇美と愉快な仲間たちは確認に来たんだよ。神崎がどこまで緋緋神の器に近づいてるかをな」

 

「なあ、お前も色んな連中に取り憑かれてきたんだろ。アリアの発作は今までもあったが倒れたのは今回が初めてだ。あれも緋緋神化のサインってことは……?」

 

 できれば外れてほしいーーそんな顔をするキンジに答えたのはこの場にはいなかった第三者だった。

 

「ーー遠山の。緋緋神化と器を明け渡すのは似て非なるものぞ」

 

「玉藻……お前ッ、これはどういうことだよ!」

 

 どこからともなく現れた、武偵高の制服を着ている玉藻にキンジが声を張り上げる。これはこれは……いつもながら神出鬼没な登場だぜ。

 

「この二人が話したとおりぢゃ。アリアの緋緋神化があそこまで進んでおるとは……お主が問うたアリアの発作とやらも緋緋神の仕業じゃろう」

 

「緋緋神は内側からあの子の意思と体を乗っ取ろうとしてる。これまでは単なる発作に過ぎなかったけど、今は意識を落とせるほどの影響力を持った」

 

「ああ、俺も二人の見解には賛成だ。キンジ、悪魔や天使の器になるってのは、言ってみればドアの向こうにいる連中を自分の部屋に招き入れるようなものなんだよ。でも神崎の場合は既に緋緋神が部屋の中にいる状態だ。あの手この手で外に出ようとしてるのを殻金に押さえつけられて、恐らくそれが神崎には発作として現れてた」

 

 玉藻から始まり、夾竹桃が繋げた言葉に俺も隠し事はなしで答える。あの発作と緋緋神が結び付いているのは十中八九間違いない。キンジは今にも騒ぎ出しそうな頭を殴り付けるように、あからさまな深い溜め息を置いた。そして、

 

「ーー結び付いちまうんだな。アリアの緋緋神化で今回の全部が。外務省の派手な動きも、アリアの発作や入院も、閻や鬼たちの来日も」

 

「不運なことにね」

 

 吐き捨てた夾竹桃の煙管から紫煙が部屋に熔けていく。

 

「……角じゃ、遠山の」

 

「ツノ? どういう事だ」

 

「緋鬼共は、太古の緋緋神の子孫。猴は孫に変わる時、髪がツノと同じような所で励起しておったろう。緋緋色金は法と心を結んだ女の頭の内側より、2方向へと不可知・不可視の力場を放つ。緋緋色金と心の合う場合、それはツノとなって現れる。髪ならまだしも、角とあれば……お主も心せい」

 

 険しい表情で玉藻は苦々しく告げる。角、つまりそれが生えてしまえば完全にアウト。キンジが求めた"確かな確証"になっちまうな。

 

「無論、緋緋色金との気が合わない場合は、髪の励起のみで終わるが……」

 

「駆け引きも隠し事もなしだぞ、玉藻。少なくともこっち系のことには俺よりお前の方が詳しいんだ。アリアと緋緋神が仲違いする線は……?」

 

「ーー薄い。かなりな」

 

 会話に割り込んだ刹那、睨むようなキンジの視線がこちらを向く。神崎は俺にとっても大事なルームメイトだ。駆け引きも隠し事もしない、俺も手札を全部晒すつもりで深い息を吐いて、続きを口にする。

 

「ルシファーは……色金を嫌ってた。子供っぽくて勝ち気な緋緋色金は特にだ」

 

「……なんで、そいつの話が……」

 

「こんなこと言いたくもないがあいつとは長い付き合いなんでな、嘘を言ってるかどうかも分かっちまう。スカイツリーで神崎を見たとき、あいつが愚痴ってたよ。神崎は言うなれば『ミカエルの剣』だそうだ。魔王の言葉を借りるならーーあいつほど緋緋神に馴染む器は他にない」

 

「……嫌な名前が出てきたものね。できることなら聞きたくなかったわ、その名前」

 

 アンニュイに夾竹桃が肩を落とす。俺だって口にしたくなかったよ、別にあの魔王は友達でも何でもないんだから。

 

「優しい嘘はつかないぞ、キンジ。このまま行けば神崎に角が生えるのは時間の問題だ」

 

「ーーじゃあ聞くがな。お前はアリアが緋緋神になるのが分かってるからって、あいつに銃を向けられるか?」

 

 不意に行われた、予想外の反撃に俺は目を見開いてしまう。あ、あのなぁ……

 

「向けないだろ、お前は。アリアが緋緋神になるからって、その前にあいつを殺そうとはならないはずだ。あの手この手で、アリアを救う方法を探そうとする。それがお前の家のやり方じゃないのかよ?」

 

 故意か、あるいは天然か。ふいうちの発言に俺は額に手をやり、喉をつまらせた。どうしてどいつもこいつも俺の家庭事情に詳しいんだ。

 

 安っぽいソファーで足を組み直していると、今度は玉藻が幼い外見にそぐわない鋭い目付きでキンジを一瞥する。

 

「遠山の。今はまだアリアと緋緋神は完全に結ばれてはおらん。じゃが、一度結ばれようものならあやつの意識は沈み、緋緋神がその体を乗っ取ろうぞーーアリアを討つなら緋緋神とは結ばれてはおらぬ今なのじゃ」

 

 その一言で空気はまたも圧を増す。玉藻自身も正一位に名を連ねる、最上位の化生だ。緋緋神はそんな玉藻ですら手に追えない化物ということだろう。神崎を殺すという苦渋の一手を提案させるほどに……

 

「七百年ほどの昔、闘争心と恋心ーー緋緋神に憑かれ、その2つの心を激しく荒ぶらす、祟り神となった人間もおる。お主にも話したじゃろ、その者は帝を蠱惑し、戦を起こし……最後には遠山侍と星伽巫女とに打ち殺されたのじゃ」

 

「俺に同じ事をやれってのか。それは七百年も前の話だろ、冗談じゃねえ。悪いが俺は降りるぜ。今は平成で、俺は侍じゃなく武偵なんでな。この件は元々、俺のせいでもある。だから俺はその選択だけは取れない、取っちゃいけないんだよ」

 

「……儂とて、あの娘を斬りとうはない。事が起きてから悔いても遅いのじゃ。戦となれば大勢が死ぬ、いや……此度の戦はそう単純とは限らん。お主の言ったとおり、あれから七百年ーー火種を燻らせるのも苦労せんわい」

 

 どこか自虐的に玉藻は言った。確かに、今と昔では話が違う。戦いに餓えた緋緋神がどんな手を使うか、何を始めるか。最悪のシナリオはいくらでも浮かんでくる。孫のときはココや諸葛がかろうじてストッパーとして機能してたが、神崎が緋緋神になれば、それこそ自制心のない子供が好き放題やるのと変わらない。

 

「時に武士は女をも、朋をも、斬らねばならぬものよ。儂らがアリアを討たなければ、それで失われる命があるやもしれぬ。遠山の、お主に最悪の場合の覚悟があるなら、首をふれ」

 

「違う、最悪はない。この手で起こさせない。それもまた覚悟だろ」

 

 似てる。根拠もなく、自信だけで崩れそうな足場を支えているような口ぶりはーー我が家の最終手段に、笑いそうになるくらいよく似てる。

 

 ああ、確かにそうだ。それもまた覚悟かもな、納得しちまったよ。もう何を言ってもキンジの考えは一方通行だ、曲がりはしない。

 

「決まりだな。玉藻、薄皮一枚だがまだ神崎には猶予がある。俺も全力を尽くす、時間を貰えないか」

 

 険しい顔の玉藻は……ふぅ、と溜息をついて……その表情から、緊張の色を消していく。

 

「残っておるのは薄皮一枚限りの猶予じゃ。待とうぞ。じゃが、待てるのは遅くても春まで。太陽暦で言えば弥生の晦日。3月31日までじゃーーよいな?」

 

「ああ、それでいい。ありがとう」

 

「それを回ろうものなら御破算。儂と星伽巫女を揃え、お主と遠山ともども討つ」

 

 あと1ヶ月と半分ってところか。それを過ぎれば玉藻も待ってくれない。逆に言えば、今年の3月31日には決着がつく。シャーロックが撃ち込み、神崎が振り回され続けた色金の騒動にも一旦の決着がつくはずだ。春までには全てのことに片が付く。

 

「話は纏まったみたいね。遠山キンジ、リミットは3月31日よ。私も理子と一緒に裏工作に動くわ。緋鬼の狙いがあの子なら、どちらにしろ病院のベッドにいつまでも寝かせておくわけにもいかないでしょ?」

 

 煙管を持っていない方の手で、夾竹桃が携帯を弄り始める。キンジは神崎の面会謝絶を知った段階で、こういう案件に役立ちそうな理子に連絡を入れていたらしいが外務省の裏を掻くとなるとーー理子もお友達の助力があるに越したことはないか。するとキンジが、

 

「あー、一応言うがこれは戦役とは無縁の場外乱闘だ。それでもイ・ウーの蠍とやらは噛んでくれるのか?」

 

「勘違いしないで、単なる私怨よ。このままだとあの子は自分の恋心を隠して、これからの生を生きていくかもしれない。私にはそれが許せないだけ。少女の恋心を弄ぶ権利なんて、神だろうとありはしないの」

 

 言い淀んだキンジとは反対に、淡々とした返答が返される。それを私怨と呼ぶべきかどうかは脇に置いておこう。まあでも、夾竹桃らしい理由で安心したよ。私怨だろうと一人でも味方はいたほうが頼もしい。相手がスケールの狂った化物なら尚更な。

 

「なあ、キンジ。これは知り合いの保安官から教わった言葉なんだが忙しいときはこう唱えろ。"責任多けりゃ人に頼め"。さっきお前はこの件は自分の責任って言ったが、それもたまたま隕石の落下地点にいたってだけの話だ。この件に関しては俺も全力で手を貸す、神様に好き放題させてやるほど嫌いなこともねえからな」

 

 何てことはない、俺だって私怨だ。どこの誰とも分からない神様や常識の外にいる連中に人生を無茶苦茶にされる、その連続だった。だから、緋緋神の目論みを破綻させて足蹴りしてやるのにそれ以上の理由はいらない。神崎のことを抜きにしても理由は足りてる。他に問題があるとすりゃーー

 

「緋鬼どもと事を構えれば、停戦破り。眷属どもに抗言されたら、論戦に応じねばならぬ。その役を務めるのは儂じゃぞ?」

 

「それは……済まない。玉藻にも迷惑かけちまうな」

 

 呆れた玉藻は冷蔵庫から掠めとったであろうプリンの蓋を破いた。キンジも触れたがこれは戦役とは関係ない場外乱闘、緋鬼と戦闘になれば眷属に嫌味を言われるのは他ならぬ玉藻だ。

 

「ああ、猶予をくれたこともだが本当に感謝してる。神崎には俺も恩があるからな。玉藻、ありがとう」

 

「後で信心を寄越せ。浄財だけでなく、畳ほどもある油揚げを奉納せよ。良いな?」

 

 畳ほどの油揚げ……そんなサイズの油揚げあるかぁ……? ま、夾竹桃が買ったお見舞い用のメロンとそのかっぱらってるプリンで足りるだろ。

 

「して、雪平の。策はあるんじゃろ?」

 

 不意のタイミングで玉藻はそんなことを言い出した。

 

「賢人の血は争えぬ。姑息な策の一つや二つは既に用意しておると見たが?」

 

 目ざとい玉藻はカラメルで口を汚しながら、首を揺らした。完全に虚を突かれて、思わず喉の奥を鳴らしてしまう。

 

「姑息か、それは言えてるな。堅物の独身貴族の集まり。でも俺が出会った彼等の子孫に関しては誠実だったよ」

 

 アーロンもそれに……アイリーンも。アイリーンはどこか神崎と似てたな、強気なところとか……アイリーンは死んで、俺はまだ生きてる。良い人は死んで、俺はまだ息をしてる。一度はハンターから逃げた俺が、海を渡った先で緋緋神に絡むなんてのは皮肉な話だ。

 

 けど、やっぱり通らないだろ。たとえ今回のことで緋緋神にならなかったとしても、神崎はこれから先も恋心を封じて生きていくことになる。通らないだろ、それは……

 

 あいつに何の罪がある? 勝手にシャーロックに選ばれて、勝手に緋弾を撃ち込まれて、あいつには何の罪もないんだ。

 

 何の罪もなく、好きな人に好きとも言えず、ただ背を向けることを強いられる。呪いだろ、そんなの。いつ緋緋神になるか分からない、だから自分の恋心を偽り続ける。冗談じゃない、そんな不条理はーーリサとディーンのだけで十分だ。

 

「ーーオカルタムだ。俺はそれを探してみる」

 

 俺はジョーに思うことを吐き出せた、ジョーもディーンに気持ちをぶつけられた。お互い、痛み分けみたいな結果に終わったけど、自分の気持ちを偽らずに済んだ。夾竹桃の言うとおりだ、神崎の心を歪める権利なんて、たとえ神だろうとありはしない。

 

「なんだよそれ、物か?」

 

 テーブルに投げ付けた単語に、真っ先にキンジが食いついた。

 

「物質であり、場所でもある。なんだろうとものすごく強力だ。かつて神が作ったとされる第一級の異物、緋緋神が相手でも牽制にはなる」

 

「……探してみる、ということはまだ懐にはないってことじゃない。目星はついてるの?」

 

「オカルタムは生前ルビーがアナエルに売り付けたって話だ」

 

「ちょっと待って、ルビー? あの二人、友達だったの?」

 

 やや驚いた顔で夾竹桃が眼を向けてきた。ルビー、アナエル、言ってみれば天使と悪魔だしな。

 

「さあな、本人にでも聞いてみるさ。アナエルをまじないで呼び出し、聖なるオイルで閉じ込めてから、オカルタムについて話を聞く、簡単だ。まじないの材料集めには苦労しそうだけど」

 

 ーールビー。名前から分かるとおり、俺がルビーのナイフと呼んでいる悪魔を殺せるナイフの元の持ち主。さんざん味方と思わせて、最後には壮大な裏切りをやってくれた忘れるに忘れられない悪魔。オカルタムはまだ彼女を協力者だと思っていたときに耳にした話のひとつ。

 

 この話をルビーから聞いたときにはまだアナエルとの面識もなかった。彼女と出会うことになるのはルビーが裏切ってから、何年も経ったあとのこと。まだアナエルの手元にオカルタムがあるかも実は分からない。あの業欲の天使がお宝をみすみす手放すとは思わないが……

 

「ルビーから詳しい話を聞こうにも、虚無の世界にいるとなると手出しできない。地獄や天国ならいくらでも乗り込んでやるが虚無となると話は違ってくる。あの世界の切符を持ってるのは天使と悪魔だけ」

 

「それも片道切符のね。モンスターの墓場、煉国には裏道があったそうだけど虚無にはそれもないんでしょ?」

 

「残念ながら、他とは完全に孤立してる。アマラでさえ簡単には手出しできない場所らしい、アマラだぞ、ゾッとするよ。人間の俺たちにはどう頑張っても手は出せない。アナエルに聞くしかないのさ、オカルタムは」

 

 手懸かりがあるだけ、雲を掴むような話でもないけどな。探し物にもなれてる。

 

「なんとかするよ。相手は神様、どうせ楽な道はないんだ。知らないフリもしない、我関せずで逃げてるのには飽きたからな。ってことで俺は少し部屋を空ける」

 

 まだ飲みかけだった缶コーラを飲み切り、ゴミ箱に投げ入れる。

 

「何かあったら電話しろ。三番目の携帯だ」

 

「分かった、俺の方は潜伏作戦(ラーキング)でアリアとコンタクトを謀ってみる。一階のコンビニがバイトを募集してたしな、渡りに船だ」

 

「コンビニ店員なんてやったことあったか?」

 

「訓練は受けてないが実地でいく。パスできりゃ一丁前」

 

「なるほど。まあ気楽にいけ、職場体験とでも思って」

 

 俺は道具を詰め込んだリュックを背負い、玉藻とキンジの残して部屋を出るーー

 

「あ、そうだ」

 

 咄嗟の思いつきで俺は踵を返した。

 

「写真撮らないか、ここにいる全員で。本土から持ってきたのがたしかこの引き出しにーーあったあった」

 

 部屋の一角の引き出しから出てくるのは今では時代錯誤のクラシックカメラ。すっかり忘れてたよ。よし、使えそうだな。

 

「また古風な、どこから持ってきたんだ?」

 

「古い友達の趣味だよ、部屋に転がってたのを本土から持ってきた。ちょっと待ってろ、三脚立ててこうやって……これが、こうだな」

 

 頭の片隅に閉まっていた記憶を探り、過去にボビーがやってたのを見よう見まねで他の三人を尻目に作業を進めていく。あのときもボビーが一人で準備してたっけ、俺たちは騒いで飲んでるだけだったし、みんな嫌がってたからなぁ。

 

「ーーよし、できた。馴染みの札付きども、そこに並べ」

 

「なあ、本当にやるのか。武偵は自分を撮らせないものだぞ」

 

「もう遅いわよ。抗議するなら作業が終わる前に言うべきだった。私も棒立ちだったけど」

 

「そういうことだ。インパラのシートにジュースをこぼした罰と思え。神に逆らおうってバカどもがいた証を残したいんだ。別に写真は嫌いじゃないだろ?」

 

 ソファーの玉藻を手招きすると、キンジは後ろ頭を掻いてから、かぶりを振った。

 

「モラルに訴える気かよ。ちゃんと動くんだろうなその骨董品」

 

「儂は話し合いに来たのじゃが、よもや写真とは」

 

「たまにやるんだよ、突然の思いつき。俺も白雪も慣れたもんだけどな」

 

 ポケットに手を入れながらキンジがカメラの前に立つと、その隣に玉藻も並んだ。あとはセルフタイマーレバーをセットしてーーこれでよし。最後の仕掛けを終えて、俺も玉藻の隣にいる夾竹桃の左に並んだ。

 

「写真。最後に撮ったのはいつ?」

 

「ジョーとエレンと過ごした最後の夜。あのカメラで」

 

「そう」

 

 返事は素っ気ない。どうせ答えが分かってたんだろう。ディーンもサムも暖炉の火で燃やしちまったが、たとえ苦い記憶だとしても俺はあの写真は燃やせなかった。ジョーやエレンと撮った、最初で最後の1枚だったからな。ジョーが死ぬ前夜に撮った、あの1枚は俺には燃やせなかった。あれはーーバカどもが生きた証。

 

「お前はどうなんだ。みんなと写真を撮る気分は?」

 

「いつもどおりよ、困惑してる」

 

「そっか。"縁起でもない"って笑われるかと」

 

 横並びに習った俺たちの前で、カメラのセルフレバーがゆっくりと時計回りに巻かれていく、あのときと同じように。

 

「ありがとう、全部分かってるのに付き合ってくれて。ほんと、感謝してる」

 

「初めて見たから。キリ・ウィンチェスターのそんな顔。今日が初めて」

 

 どこか引っ掛かりを覚えるも、セルフレバーが限界に近づいて、俺は逸らしかけた視線をカメラに戻す。

 

「分からねえよ、自分の顔なんて」

 

 

 

 




 


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アニー、あるいは──

 8000~9000文字を超えて来ると、切った方がいいかなぁといつも思うんですけど、切る場所に悩んだ挙げ句、今回も切らずにそのまま投稿。飲み物と一緒にどうぞ。




『マンハッタンの養護学校? またえらくスーフォールズから離れたな。まあ、行き先が分かってるだけ保安官も安心か』

 

『行き先を決めずに放浪してるクレアに比べたらね。昔世話になったシスターがそこで先生をやってるの。纏まった休みが取れそうだから、マンハッタンまで行って彼女を手伝う』

 

 結論から言うと、コンビニに潜んだキンジの潜伏作戦は()()成功した。お世辞にも誉められた労働環境ではないらしいが、忍耐の末コンビニにやってきた神崎と接触し、情報の共有にも成功。

 

 今現在、外務省がマークしている神崎は、神崎に化けた理子で、当の神崎本人は奴等の目から逃れて病院の外だ。ひとまず、何の手出しできず英国に送還される事態は避けられたことで、俺もこうして──アレックス、本土の知り合いと国際電話で世間話ができる。

 

 ──廃墟になった工場でまじないの準備を進めながら、だがな。ごりごりごり……

 

『ボランティアで臨時の教師か。ホント、俺たちとは真逆の道を行ってる、それは俺やクレアには選べなかった道だ。俺やクレアは狩りしか選べなかった、でもお前は狩りをしながら看護婦を続けてる。すごいと思うよアレックス、俺も嬉しい』

 

『身元不明体の遺体を月に何回も解剖する看護師もいないと思うけどね。狩りはこりごり、普通の生活がしたい。頼まれると断れないって損な性格よね』

 

『ジョディも分かっていながら頼りにしちまうんだよ、出来の良い()はな」

 

 潜伏作戦の成功に()()と余計な言葉を付けたのは、神崎の接触と引き換えに例の鬼たちとも鉢合わせることになったから。その場で軽くやりあったそうで、コンビニは荒れ地どころの話ではなかったらしい。モノホンの鬼を招くとは、オーナーも店長も運がお悪い。ごりごりごり……

 

『今でも、毎朝2時間バスルームに籠って化粧か?』

 

『やめて、もう学生じゃない。クレアも昔は夕方まで寝てたけど今は早起き。その学校、資金不足で潰れかけてたのをどっかの資産家が援助したみたいなの。ビルひとつ丸ごと建てれそうな金額だって、マンハッタンの』

 

『すっげえ金持ちだよな。でも俺の知り合いにもいるよ。スーパーカーをミニカーみたいにコレクションしてる金持ちがさ。マンハッタンにも余裕でビルひとつ建てれそうなやつ』

 

 プライベートジェットや自前で軍用ヘリも持ってるようなイカれた金持ち。そういや、ジーサードはちょっと前に『野暮用で本土に戻る』と言ってから音沙汰がない。あいつも俺やキンジと同じ匂いがするからなぁ、トラブルを背中に背負いながら歩いてる匂い。ごりごりごり……

 

『で、気になってるんだけどさっきからその変な音……なに?』

 

『仕事だよ、仕事。いつものやつ』

 

『あー、狩りね。仕事熱心なこと』

 

『そう、誰にだって仕事はあるだろ。ジョディは保安官、俺はハンターでお前は看護師。クレアはクレア』

 

 ボウルに入れた毛やら骨やらをすりつぶしていると、埃まみれのテーブルの上でスピーカーにしてある携帯から呆れたアレックスの声がする。よっし、こんなもんでいいだろ。

 

 天使を呼び出すには相応のまじないが、それなりの材料がいる。通販で乗ってるような代物じゃないがラッキーなことに御先祖様が記録してきた書物に、まじないのやり方は書いてあった。賢人万歳。メモっといて良かったぜ。

 

 あとはアナエルを呼び出すまじないの材料だがこれはそっちにツテのあるヒルダに頼んで工面してもらえた。ヒルダは以前も古物商の魔女から仕入れたデッドストックで夾竹桃相手に商売したりと、そっちの界隈に顔が利く。苦い顔は貰ったが貸し一つだな。やばい状況で吸血鬼を頼りにするなんて──ベニーを思い出す。

 

『そう、それなら仕事の邪魔するのもこれくらいにしとく。そっちは夜でしょ、本番はこれからなんじゃない?』

 

『まあな。そっちは昼、そろそろランチの時間だな。いつか食った保安官のチキン、あれ美味かったぁ……ポテトサラダとビーンズの』

 

『それってあのただのチキンのこと?』

 

『でもちゃんと鳥の形してた。ミンチやナゲットになってなかっただろ。あんな美味いもの毎日食ってたなんて羨ましいよ。俺より良い部屋に住んでるし』

 

『クレアと二人で狩りをしてたときは、いいところ泊まってたんでしょ?』

 

『そこそこだよ。誰かさんみたいに高級ホテルを住まいにできればいいがそうはいかない。ボロいところ借りたらあいつは文句言うし。でもそんなあいつの皮肉な態度に助けられたこともあった』

 

 スキットルの栓を開け、アナエルから拝借した僅かばかりの恩寵がボウルに垂れていく。何かの役に立てばとは思ってたが、まさかこんなところで出番が来るなんてな。

 

 下げた視線の先、ボウルの中で青白い恩寵が煙のように渦を巻く。これで準備は整った。あとはこのマッチで火を落とすだけ。テーブルにはもしものとき用の聖なるオイル、床にはスプレーで描いた天使封じを仕掛けてある。たとえ彼女の地雷を踏んでも、首を折られる心配はない。

 

 廃工場で天使を呼び出す──我ながら、やってることが普通からかけ離れてる。鬼と戦略爆撃機の上で、殴りあったってキンジの話には敵わないが。

 

『なあ、アレックス。お前は普通に看護師やって俺たちとは違う道を歩けてる。お前にその気があるならきっと、誰かを好きになって結婚したりとか、家庭だって持てるよ。その気になればな』

 

『やめてよ、私にも過保護なんて。もう学校行って生物の試験を受けてるような歳でもない』

 

『そうじゃない。お前には、クレアと同じくらい救われてるから、だから、そう、ハンターの暮らしで慰めになるのは……救った誰かが今も生きてくれてること。そこは武偵も一緒だけど、お前と今でもこうやって話ができるのは……大げさとかなしに救われてる』

 

 狩りに民間人を巻き込んで殺した挙げ句、酒で苦しみを紛らわしてるろくでなし兄弟。言ってみればそうだ。そんな俺たちの慰めになるのは救った誰かが今もどこかで生きているという事実。自分たちのお陰で健やかに、幸せに暮らしていてくれるかもしれないという事実だけ。ほんと、それだけなんだよアレックス。

 

『式を挙げるなら呼んでくれ、除け者にするのはなし。約束だぞ?』

 

『今はそんな相手いないって。いても順番は踏まないと』

 

『一気にいくかも。保安官と俺が泣いても笑うなよ?」

 

『泣かないけど、飛躍しすぎ。キリの方が先にゴールするかもでしょ』

 

 アレックスのその言葉に、携帯越しと分かっていながら、首を横に振る。

 

『ないよ、それは。一緒になるのは無理だ』

 

『ハンターだから?』

 

『それもある。大切だと思える相手とある程度一緒にいたら、境界線みたいに柵が現れるんだ。そこで退いとけばそのまま何も変わらずに今まで通り。けど、その柵を飛び越えてその人と一緒になろうとすれば……全部台無しになる。学んでる』

 

 その人の生活を無茶苦茶にするだけじゃ足りない。相手の全てを台無しにして、いつもどおり最後には血を見る。だから、俺がその柵を越えることはない。今でもリサを愛していながら、ディーンが彼女に手を伸ばさないのと同じ。その境界を越えたら、今手元にある幸せすらこぼれ落ちてなくなる。

 

 みんなそうだ、親父も兄貴も、メアリー母さんだってそう。柵を越えようとして、その度に苦い現実を味わった。

 

『その生き方って映画では映えても、現実だと惨めでしかない』

 

『かもな。イーサン・ハントも最後には妻と別れちまったし。けど、意外と今の生活は嫌いじゃないんだよ。意外とな』

 

『──ねえ、アレックス。準備しないならおいてくけど?』

 

 ハンズフリーの携帯から聞き覚えのある声。クレアか、お出かけの邪魔しちまちったな。

 

『もう行くわ。クレアが待ちきれなさそう』

 

『ああ。長電話悪かったな。久しぶりに話せて良かったよ』

 

『いつでも電話して。でも怪物とか狩りなんて話はなし、現実の話がいい』

 

 少し不貞腐れた声に自然と笑みが出る。

 

『分かった。次は現実の話をしようぜ。つまんないくらい普通の話』

 

『約束ね。次に会うときはチキン用意しとく。ちゃんと鳥の形をしてるやつ』

 

『楽しみにしてるよ。できればコーラも欲しい、あとポテトサラダも』

 

『用意しとく。だからあんたは世界を守って。私たちはスーフォルズを』

 

 変わった激励の言葉だな。あー、ったく……

 

『ああ、いつも通りやっていこう。なんか、保安官に似てきたんじゃないか?』

 

『凍ったチキンを食べたいなら言ってれば。じゃあね、キリ。気をつけて』

 

『お互いにな、アレックス』

 

 ──アレックス。子供を失った吸血鬼が、その喪失感を埋めるために拐い、死んだ子供と同じ名前を付けて育てた少女。どこにでいそうなアニーという少女をイカれた吸血鬼が拐い、アレックスと名付けた上で……死んだ子供の代わりとして育てた。忘れられない狩りだ。

 

 ブラドやヒルダ、ベニーやレノーラ。吸血鬼との因縁は挙げちまえばきりがない。アレックスは母親だった吸血鬼に自分で決着をつけた、たった二日で大切だった存在を全部失って、それでも今は前を向いてる。タフな子だよ、理子や神崎と同じで。睨みながらでも、現実と向き合ってる。

 

 アレックス、海の向こうからだが今日も良い日を過ごせることを願っとく。ついでに、若くて無口で無愛想なクレアにも良い一日になることを。

 

(さて、と──始めるか)

 

 通話を切った携帯を確認すると、キンジからメールが一件入っていた。えっと、用件は……兄さんに会いにいく? へえ、日本にいるんだな金一さん。俺も会いたいなぁ。

 

 マッチを擦り、ボッと燃え上がった火をボウルの中に。磨り潰したまじないの材料から、天井に向けて青白い炎が一瞬だけ燃え上がると、勢いはすぐ衰えてボウルの底に沈んでいく。俺以外には誰もいない廃墟は、腐敗して支えられなくなった屋根が完全に落ちて、空から月の光が床に差し込んでいた。

 

 埃を被った建物だがこの工場、敷地自体はかなり広い。稼働をやめてからかなり経ってる感じだが、昔は人と活気に満ちてたんだろうな。人の手が入らなきゃ立派な建物だって腐敗する。

 

「──キリ、いきなり呼び出すのが得意ね。何の用かしら」

 

 反射的にテーブルの上のスキットルを掴み、声の方を向いた。失敗する覚悟もしてたがどうやら成功の目を引けたらしい。

 

「やあ、アナエル。聞いたよ、相変わらず繁盛してるようだな」

 

「医療制度が機能してないから。お陰で大忙し」

 

 声がした先にいたのは、綺麗な茶髪を背中まで伸ばした厚手のコート姿の美女だった。170はありそうな身長とどこか人間離れした不可思議な雰囲気は、一度でも会えばそう簡単に忘れられるものでもない。

 

 いや、人間離れというか、彼女は人間じゃなく別の存在。ジャンヌが欧州で聞いた噂の出所、多額の報酬と引き換えにどんな傷も癒してくれると心霊治療師で──名前はシスター・ジョー、あるいはアナエル。天界にやってくる魂の数を数えていた……モノホンの天使だ。

 

「質問に答えてない。これから開店ってタイミングで呼び出されたと思ったら、そこかしこに『天使封じ』。楽しい話なら早くして、そうでないならこの下手なアートをさっさと消して」

 

 足下の赤いスプレーで描かれた天使封じを一睨みしてから、アナエルの不機嫌な視線はこの場に呼びつけた俺へと向いた。女優、ないしはモデルという言葉がこれ以上なく当てはまりそうな美貌だが、口説く勇気もなければ時間もない。 天使封じがちゃんと機能していることを確認し、スキットルをテーブルに戻してから、本題を切り出す。

 

「下手なアートってのは置いといて、遠回しに言うのも無駄だから率直に言う。オカルタムだ、あんたが持ってるんだろ」

 

「……オカルタム? 私が持ってるなんて話、誰から聞いたの?」

 

「ルビーだ。友達なんだろ、あの悪魔と。黒かブロンドかは知らないが」

 

 ルビーの名を出した途端、アナエルは露骨に顔をしかめた

 

「あの子が言いそうなことね。友達じゃない、たまに手を組んで、仕事してたの。必要に応じて利用しあってた関係。腕の立つ悪魔と、類いまれなる商才を持つ天使。相性は悪くなかった」

 

「悪魔と天使が戦争やってるときに、お前らは戦いそっちのけでビジネスか。平和的だな。で、どこにあるんだよ。おとなしく渡してくれたら600$払う、治療は一回300$からだろ? 余計な力を使わずに二人分と考えりゃ悪くないと思わないか?」

 

 制服の内側から長財布を取り出し、わざとらしく手元で揺らしてやる。多少なりともアナエルのことは知ってる、彼女との交渉で切札になるのは何よりも『金』だ。それが最強のカード。

 

「私は持ってない」

 

 だが、話は俺の予想しない斜め上の方向に舵を取った。

 

「持ってないって……もう誰かに売ったのか?」

 

「持ってるのは貴方のお友だち──ルビーよ」

 

 それはたとえるなら、鈍器で頭を殴られた気分だった。忘れられない悪魔の名前が脳裏の奥に広がっていく。

 

「ちょっと待て。ルビーはお前に売り付けたって言ってたぞ」

 

「ウィンチェスターは疑うって言葉を知らないの? 騙されたのよ、前と同じで」

 

 そう言うと、目の前の天使は気だるそうに肩をすくめた。

 

「色々会って、トピーカに行ったときよ。朝から晩まで人を治療して疲れてた、それでも人を救った充実感に溢れていたわ、そこにルビーが」

 

「あの女、相変わらずの神出鬼没だな」

 

「最初、オカルタムはある一家から治療費として受け取ったわ。けど、ルビーがあれには何百万$の価値があるって。少しばかりの仲介料と引き替えに、欲しがってる金持ちを紹介してあげるって言ってきた」

 

「マンハッタンにビルが建てれるどころの金額じゃないな。それだけあれば、あんたの大好きなブランド品だって山のように買える。本当にそんな価値があるのか?」

 

「この国にもあるでしょ、死人に口なし。ルビーはバイヤーが来るまで預かるって言ってたけど取引はできなかった。そのまえに貴方たちが」

 

 アナエルはおどけた顔で、右手で刃物を突き刺すような動作をする。はいはい、ブラックジョーク大好きだ。

 

「つまり、こういうことか。ルビーが俺に話したことは一部は嘘で一部は真実だった」

 

「それが彼女よ。嘘に本当のことを混ぜて真実をぐちゃぐちゃにするのがルビーのやり口。まんまと嵌められて貴方たちは地獄の檻を開けた」

 

「傷口を抉るのは下手なジェスチャーだけにしてもらえるか? オカルタムはルビーがどこかに保管してた、あるいは奪われたか。ルビー本人に聞くしかないか。ったく、どこまでも振り回してくれるなあの悪魔……勲章ものだぞ」

 

 数年振りにルビーのことで悪態をつく。ちくしょうめ、この期に及んでまたあの女に騙されちまった。

 

「死人に口なし。ルビーがいるのは……()()か」

 

「──無理よ。煉国、それに天国と地獄には忍び込めても虚無だけは無理。貴方はルールに書いてないことをするのが得意みたいだけど、虚無にだけは踏み込めない。あそこは特別」

 

 言い終えた刹那、鋭く刺すような声で否定が入った。宝石とでも例えられそうな瞳が鋭利な半眼を作り、続く言葉に俺も自然と耳を澄ます。

 

「悲しみと絶望の吹きだまり、犯した罪や過ちの夢を繰り返しみてるだけ。そうやって私たちは後悔に苛まれる。虚無はただ広いだけで何も存在しない、最低の場所」

 

「やけに詳しいな、行ったこともないのに」

 

「私は『ジョシュア』の弟子だった。神の言葉を受け取れる天使のね。まあ、それもかつてはの話だけど。それでも他の天使たちが知らないことも少しは知ってる。虚無に行けるのは死んだ天使と悪魔だけ。例外はない」

 

 と、決して楽しくはない声色で彼女は吐き捨てた。ジョシュアか、ダゴンに襲撃されて彼も今は虚無の彼方。洒落た庭園で話をしたのが随分と懐かしい。

 

「一度しか会わなかったが、あんたの師匠は嫌いじゃなかったよ。虚無の世界が特別なのは俺も知ってる、そこのボスはアマラに次ぐ力を持ったモノホンの化物。おまけに今の死の騎士と同じでルールにうるさいらしいから、どのみち忍び込んだら無事には帰れない」

 

「そう、死人に口なし。私もオカルタムの行方を追ったけど、結局掴めなかった」

 

「こうなると、認めたくないが八方塞がりだ。今になってルビーに踊らされるとはな……」

 

 屋根の落ちた頭上を仰ぎ、俺は溜め息ついでに首を振った。緋鬼と神崎が接触した嫌なニュースの他にも、覇美はキンジと引き分けた閻って鬼より数倍強い化物って話が他ならぬキンジから入ってる。集まるのは嫌なニュースばかり、良いニュースはないもんかね……

 

「どうしてオカルタムを欲しがるわけ? 使い放題のクレジットカードを失くした?」

 

「やめろ。こっちには犯罪三倍ルールがあるんだぞまったく。別に売ろうってわけじゃない。備えをしときたかったんだ、緋緋神のな」

 

 僅かばかり、彼女の眼が丸くなる。

 

「その対戦カードは知らなかった。璃璃色金が騒いでるのは知ってたけど、そういうこと。どうりで機嫌が悪いわけね」

 

「そっちのは緋緋神が喜んでるのが気に入らなくて、粒子を吐きまくってるって聞いた」

 

「仲が悪いのは当たり。島国で何をしてるかと思えば、また神にいちゃもんをつける気?」

 

「友だちがヤツの器に近づいてる。対抗するなにかを持たないと、俺たち即死だ。何の罪もない女がヤツの好みってだけで一生を操り人形にされちまうんだ、見過ごせないだろ」

 

 オカルタムに繋がる糸は切られた。だが、それと緋緋神から手を退くのは別の話。まだ天使封じの中に立ち尽くしているアナエルに向けて、俺は一言──

 

「協力してほしい」

 

「……あぁ、嘘。本気なの? 幸運を祈る」

 

 酷く呆れた声が返ると、表情を変えない俺に今度は彼女が言葉を続けた。

 

「神を敵に回すつもりはない。だって神だもの」

 

 うっすらと真意を見せない笑みで、そう言い切った。

 

「天使には色んなのがいる。中には悪魔より悪魔みたいなのもいるがあんたは人間に味方してくれる側と思ってた。ジョシュアの側近で使命に燃えてたって、キャスが」

 

「優秀な神の使いがなぜ階級の低い、魂を数えるだけのボタン押しに降格したか。どうしてか分かる?」

 

「……いや、そこまでは」

 

「天界を信じてた。使命感に燃えてたし、信念も持ってた。でも地上は神が約束した楽園とは違った。地上には憎しみと苦しみばかり。だからジョシュアに聞いた、『人間は神の創造物なのに、なぜ完璧な創造物を神は救おうとしないの?』──なんて答えと思う?」

 

 使命感に燃えていた天使が、求めていた答えでなかったのは間違いない。一度、目を伏せてから自嘲的にも見える口元が開いていく。

 

「下らない答えよ」

 

「お師匠様はなんて?」

 

「神は交わらない──交わらないってなに。でもいい、私は違う」

 

 不満から、最後は振り切るようにアナエルは吐いて捨てる。交わらない、か……神は無関心、何が起ころうと自分は関係ないの一点張り。いつだろうと神の本質は同じか。

 

「あんたが知らぬ存ぜぬの神とは違うなら、緋緋神のせいで苦しんでる人間を救おうとしてくれてもいいだろ」

 

「何も分かってないのね。私が奇跡を演じてるのは自分のため。天界なんていらない。天使の使命とか神の創造物を見守る責任とか、知ったことじゃない。神が戻ってこなくても、もうどうでもいい。私は今のままで満足してるの」

 

 踏む込んでも、呆気なく彼女の首は横に振られる。

 

「助けが欲しいなら、他をあたって。私はただのビジネスマン、もう背中に翼もついてない。命あっての物種よ、危険な橋は渡らない」

 

「1200なら?」

 

「値段の問題じゃない、ちんけなバンドを組んで火傷したくないの。貴方もいっそ、全部忘れてリセットしてみたらどう? 使命とか責任とか、面倒な繋がりも考えも一度全部捨てれば?」

 

 自分がそうしたように……か。俺から見れば、高い報酬を受け取ろうと人の傷を癒してるだけあんたは立派だよ。

 

「そんなことしたらあの世からエレンに背中を蹴飛ばされる。蹴飛ばされるわけにはいかない」

 

 けど、アナエルの気持ちもちょっと分かる。信じて尽くしていたものに裏切られた、そんな気持ちを抱いたまま降格処分。自分が今までやってきたことが全部無意味で、バカらしいことに思えたんだろう。自分が信念を持って積み重ねてきたことが、無意味だと思えてしまうのは……まあ、キツいよな。

 

 信じていた神はろくでなし。自分がしてきたことに意味はあったのか、悩んだ末に辿り着いたのが今の彼女。金の為に奇跡を演じる天使。そしてさっき、金を交渉材料に持ち出しても彼女の答えは変わらなかった。これ以上、彼女に切れるカードは俺の手札にない。

 

 俺は両手を挙げながら彼女の元まで行き、彼女を囲んでいる天使避けの一部を足で擦って、円を為していたその形を崩した。切り取られた線の上からアナエルの右足が一歩、赤い枠の外に出る。

 

「話し合いは終わり?」

 

「No.っていう潮時を知ってるんだ。仕事前に呼びつけて悪かったな」

 

「Yes.って言うまで睨み合いになるかと思ってた。それと、今度呼び出すならちゃんとした部屋にして。マルベリーシルクなのに……」

 

「失礼。クラウリー曰く、ださいネルシャツばかり着てるもんで」

 

 廃墟に呼び出すのはNGらしい。コートを指で摘み、端整な顔を不機嫌に歪めている。美人は何やっても美人だよな、そこは賛成するよ武藤。天使封じの枠から両足ともに完全に抜け出すと、アナエルは俺とほぼ同じ目線の高さから視線をぶつけてくる。不機嫌なやつを。

 

「ファッションセンスがないのは知ってる。服は安くて無彩色、アルファベットのロゴが入ってたら何でもいいってタイプ、当たってる?」

 

「嫌味な女だ。埃でも舞い上げてやろうか。そこのテーブルにちょいと息を吹いてやるだけで、お前さんのコートは埃まみれだぞ!」

 

「……」

 

「そんな眼で見るな、冗談だよ。コートお似合いですよ、天使さま」

 

「ありがと。埃まみれにするのは止めてあげる」

 

「是非にそうして。さっきのはなし。呼びつける前のところに送るよ、このままだと密入国の手引きしたことになるし」

 

 いや、もうアウトか。笑えねぇ。

 

「まじないが解ければ、私は元いた場所に戻されるわけ?」

 

「ああ。一時的に呼びつけるだけのまじないだから、効力がなくなれば留めておけない。あ、そうだった。これも一緒に持っててくれ」

 

 俺は制服のポケットから手のひらほどのアクセサリーケースを差し出した。どうなろうと渡すつもりだったからな。ケースを手に取るや、丸くなった瞳で小首が傾げられる。

 

「これは?」

 

「16世紀のミャンマー産ブラッド・ルビー。狩りをしていて手に入れたんだが、呪われてて処分に困ってた。天使なら呪われる心配もないだろ」

 

 テーブルの上からマッチを取りながらそう言うと、ケースを開いたアナエルが唇の両端を釣り上げていく。

 

「ふぅーん。くれるってわけ?」

 

「呪われてると分かって売り捌くわけにもいかないしな。俺はイヤリングなんて無縁だし。開店時間を遅らせたのはそれでチャラにしてくれ」

 

「5カラットでこの透明度……これを交渉材料にしようとは思わなかった?」

 

「金額は関係ないんだろ。1200$で通らないなら、いくら積もうと同じだよ」

 

「それで、他に備えはあるの?」

 

 残念ながら、相手が緋緋神となると備えるにしても役に立ちそうな手は限られる。不完全な孫の姿ですら、あの有り様だ。猴以上に相性の良い神崎の体を手に入れたら、生半可な策は意味を為さなくなる。となれば、最後はいつもどおりだ。

 

「いつもどおりだよ。出たとこで行く」

 

「そう、お得意の出たとこ勝負──……」

 

 なんだ……今、続きを言い淀んだな。

 

「どうした、天使のラジオに変なニュースでも入ったか?」

 

 有り得そうな可能性を適当に投げてやると、つまらなさそうな顔でアナエルは明後日の方向を視線で指し、ケースの蓋を閉じた。

 

「──地上にいる雀の涙ほどの天使たちが騒いでる。"緋緋神"が起きた」

 

 前触れなく、よろしくないニュースが告げられる。このタイミングで来るか……もう少しベッドで寝てろよ、神様。

 

 知りたくもない一報がアナエルの口から告げられ、続くように携帯が鳴った。嫌な出来事は続くというが番号は非通知だ。

 

『雪平』

 

『援護をお願い、場所は乃木神社』

 

『か、カナ……? どうして俺の──そうじゃなくて、乃木神社って赤坂の?』

 

 どうして俺の番号を……そんなこと聞ける感じじゃなかった。鋭く凛とした、戦闘体勢に入りかけの声と援護の言葉は今から誰かと一戦交えると見て間違いない。しかし、よりによってこのタイミングで……

 

『"神"をもう一度寝かしつける。手を貸して』

 

 それだけを言い残して、通話はぷつんと途切れる。神を寝かしつける……これで疑う余地がなくなったな、緋緋神が起きてしまった。器は言うまでもない、神崎だ。神崎を器にしてついに……緋緋神が起きた。

 

「良いニュース?」

 

「悪いニュース、すごく言葉足らずだけど」

 

 そう聞かれて、簡潔に答えた。残念ながら本当に悪いニュースだ。彼女の天使のラジオが不調という、それこそ雀の涙ほどの可能性も消えた。

 

「知ってる? 自分を犠牲にして頑張ったからって、偉いわけじゃないのよ?」

 

「選択肢があるなら俺は戦う方を選ぶ。無駄でも抵抗した方がマシだ、同じ負けるのでもそっちの方が言い訳もきくしな。恩を売ってピザをたらふく食ってやる、一番高いやつ」

 

 結末は同じかもしれないが、何もしないで後になって実は希望があったと知るのに比べれば、無駄でも抵抗した方が遥かにマシだ。それが自分のことじゃなく他人のことならなおのこと、諦めきれない。まじないを解くべく、ボウルの中に残された微かな火に視線を下げると、

 

「──最後にこれだけ。問題を抱えたくないなら友人とは縁を切りなさい。トラブルのもとよ」

 

「随分と淋しいこと言うんだな」

 

「みんな同じよ、誰もが一人ぼっち。蟻やライオン、人間も天使も生きとし生ける者すべて」

 

 そう続けたアナエルは俺の背後。その表情も見ることはできない。最後に残す言葉にしては哀愁に満ちすぎてる。

 

 神も、天界にいる同志も、彼女は自分には必要ないと言い切った。その言葉はどこまでが、真実なんだろう。

 

 ボウルで燻っていた火が消えると、何の音もなく背後にあった気配だけが消えてなくなる。

 

「お休み、天使さま」

 

 

 

 

 

 幸いにもカナの指定した赤坂の乃木神社と、俺のいた廃工場はたいして離れていない。カナは不完全ながら未来予知に近い推理──シャーロックお得意の条理予知(コグニス)を会得しているとサードから聞いた覚えがある。俺に増援をかけたのも、俺が乃木神社周辺にいることを理不尽な推理力が見抜いたんだろう。

 

 荒い運転でインパラを飛ばし、頭上から異様な空気を晒している乃木神社の石段を一気に駆け上がる。最後の一段を越えて、境内に踏み入った瞬間──

 

「メインイベントには間に合った、というところかしら。いつも滑り込むのが上手ね」

 

 清涼な声と同時に視界に眩い光が弾けた。カナがピースメーカーで放った法化銀弾が、私服姿の神崎の足下で弾けたんだ。──いや、違うか。もう、あれは神崎じゃない。

 

「……切、来てくれたのか」

 

「バカか、お前は。来なくてどうする、ルームメイトだろうが。お前も神崎も」

 

 境内の周りを一瞥すると、キンジ、カナ、そしてカナに引っ付いてきたと思われるパトラと、

 

「おぉ、やっと来やがったか。待ってたぜ、ウィンチェスター。お前は来るって期待してたよ」

 

 神崎の顔をして、神崎ではない()()かが口元を歪めた。宝石のようなカメリアの瞳、遠くからでも一目瞭然の結われた緋色の髪、頭に響くようなアニメ声は間違いなく神崎本人の物。だが、その中にいるのは神崎じゃない。

 

 今まで何度も、何度も、それは見てきた。人の五体を器として、その体を自分の手足として行使する。間違いない、眼前にいるのは──神崎を器にした、()()()だ。

 

()()持ちとやりあえる機会は稀だ。それに今夜は遠山侍が二人と来てる。ああ、不足ない。楽しい夜になりそうだ。香港以来、あたしはかなり寝てたからな。今夜は軽く、ノビをしよう」

 

「5分でいい。神崎と話をさせろ」

 

「そいつは無理だぜ、ウィンチェスター。あたしは話よりも戦いたいんだよ。戦いたくてしょうがない」

 

「お前と話してるんじゃない、俺は神崎と話してる。神崎、本当にすまない」

 

 凶暴そうな笑みを浮かべた神崎の──緋色のオーラとでも言うべき可視化できるエネルギー纏ったツインテールが、大きく羽ばたいた。たったそれだけで、身を切るような突風が吹き荒れる。

 

「お前、脳ミソはないけど度胸はあるな。気に入った、さすが死の騎士を呼び出したってだけのことはある」

 

 そして、緋色の瞳は俺からキンジに。

 

「遠山。あたしはお前を戦に使いたい。だから殺しちゃダメなんだ。それは分かってる。分かっちゃいるけど、戦いたい。あたしはツイてるんだよ、ツキすぎちゃったんだ。アリアみたいなあたしの現し身にもなれる体を手に入れて──『本物の戦い』を味わえそうな相手がすぐ目の前に揃ってる。ガマンできなくなりそうなんだ」

 

 神崎と同じアニメ声、しかし神崎とは異なった口調で、目の前の存在は告げる。あるのは"戦いたい"という素直すぎる自分の欲求ただそれだけ。ねだるような甘い声にキンジは、

 

「アリア、君はもっと誰かの体温に触れてるべきだよ。この世界にちゃんと君の居場所があるって感じるために」

 

 脈絡のない、唐突な口説き文句で答えた。緋緋神が神崎のカメリアの瞳を丸くした刹那、パァンとカナの手元で線のごとき発火炎が散った。次いで、銀色の光が連続して視界に弾けていく。まごうことなき不意打ちだ。

 

 点を超えて線にも見える、異常な速度の連射から来る発火炎……カナがヤツにも効果があると踏んだ法化銀弾を平和の象徴(ピースメーカー)で連射したんだ。不可視の銃弾……回避不能の攻撃か、久々に見るがゾッとするぜ。

 

 今のカナの攻撃は、おそらく……防弾仕様ではない神崎の私服を考えて狙いをつけた。だが、弾けていた光が止んだとき、緋緋神が浮かべていたのは──笑みだ。俺はおろか、おそらくキンジですら見たことのない、神崎がするとは思えない邪悪な微笑み。

 

「よしよし。今。この瞬間が、歴史の転換点だ。お前たちは、その目撃者になる」

 

 ……あれだけばら蒔いた法化銀弾でも、僅かばかりの嫌がらせにしかならないのか。いや、法化銀弾でなければ嫌がらせにすらならない。今のでカナが戦闘の意思を見せたことで、むしろ喜んですらいる。

 

「カナ、この中で頭はお前だな。そのお前が戦う意思を見せた、決まりだろ──バカキンジ」

 

 神崎の口癖を真似た緋緋神が、腕組みしてキンジを見やる。

 

「──ああ、意志と言う言葉の定義を今からお前に教え込んでやる。これが俺の意志だ」

 

 吐き捨てるように言うと、慣れた手つきで広げられた緋色のバタフライナイフが、キンジの手元に収まる。それを見ていたカナがブラウンの長い髪を揺らし──

 

「ふぅーん。今のキンジはダメと言って聞いてくれる子じゃなさそうね。悪いルームメイトに似ちゃったのかなあ」

 

「お戯れを。墓荒らしもクレジットの名義人詐欺も教えてませんよ」

 

 その長い三つ編みの中からいくつものパーツに別れた出したミッドナイドブルーの金属片を一気に組み立てる。柄も含めて20近くのパーツは蛇腹剣の要領で組み上がり、僅か一瞬でその手元には──西洋の死神を思わせる、大鎌が出現した。

 

 サソリの尾──カナが本気の時に使う、クロム合金の大鎌で普段は髪に忍ばせている奥の手。パトラとヤツの結界の中で戦ったときも、最後の局面まで切ることのなかったカード。カナは最初から全力でいくつもりだ。

 

「神崎、聞いてるんだろ。器になったからってその支配は絶対じゃない。俺だって僅かな時間だがルシファーを黙らせた、お前なら拗れた神様くらいどうとでもできる」

 

「ははははーっ。お前、あのファザコン天使の器になったのか。どうりで変な匂いがすると思ったぜ。でも違うなぁ、お前は本来の器じゃない。良くて及第点、臨時の宿だろ? 今のあたしは全部、この体ならぜーんぶ使えるぞ! 如意棒だろうが暦鏡だろうが、なんでも、いくらでもな!」

 

「はっ、それで威嚇してるつもりか。戦の神らしく一端のワルを気取っても、俺から見りゃ聖歌隊のガキ以下だ。誰が怖がるか」

 

 吐いて捨て、俺も制服の内側からルビーのナイフを抜く。やってやる、退路は焼いた。やることは一つだ。こっちには戦闘民族遠山家が二人もいる、誰が怖がるか。

 

「キリ、キンジも聞いて。倒すことは考えなくていいわ。あなたたちは私の重心から半径177・7㎝以内にアリアの体を誘導しなさい。最後は私がチェックをかけてあげる」

 

 凛とした声でカナが語った半径177・7㎝は、携えている蠍の尾の間合い。その間合いに緋緋神を"押し込む"ことに徹しろってことか。なおもカナは笑顔で、

 

「──それと、心配しなくていいわよ。今、あなたたちが心配してること。私、武偵だから。でもあんまり暴れられると、手足の1、2本は飛ばしちゃうかも。私たちは人間だから、『勢い余って』って事もあるからね」

 

 最初は俺とキンジに不殺を約束し、最後は緋緋神に向けて恐ろしい台詞を告げていく。

 

「それは困るのぉ、妾はすぷらったーは好まん」

 

「どの口が言うか。だったらカナが頑張らずに済むようしっかり働くんだな、王様」

 

「相も変わらず、不遜な男ぢゃ。ぢゃが、此度は目的が一致しておる」

 

「同感だ。そこでつまらない意地を張ってるほどお前も俺も頭の悪い人間じゃない」

 

「緋緋神を誘導できるか、まずはやってみる。177・7㎝だな、カナ」

 

「お願い」

 

 困り顔をしたパトラから、一転して境内の空気が重たく張り詰めていく。和らぐ気配のない緊迫感にやがて緋緋神は弛緩し、我慢できない様子で笑った。数では圧倒的に不利を押し付けられながら、

 

「ああ、ときめく。これだよ、あたしが欲しかったのは」

 

 などと、言う。

 

「緋緋色金は一にして全。全にして一」

 

 楽しげに言う。

 

「されど、これこそ理想の一……始めるぞ、戦いだ」

 

 緋緋神が一歩、前に出る。アマラ、大天使、死の騎士、イヴーー脳裏をよぎるのは、出会った中でも特にイカれた面子。しかし、そのどれとも目の前の存在は毛色が違う。

 

「──おい、緋緋神。知ってるか。戦いを好むのは本当に戦ったことのない奴か、戦いがすべてになっちまった奴だ」

 

 キンジが水を差す気満々で嫌味を飛ばす。

 

「アリアはそのどちらでもない。理想の一だかなんだか知らないけどな、お前とアリアは全然似てないぞ。神なら慈悲もあるが、あいつにはないから……なッ!」

 

 そう締めくくるのと同時に、キンジが右斜め前に駆ける。同様にカナも左斜めに疾駆、俺も地を蹴りつけて緋緋神を取り囲むように陣を作る。カナとキンジがそれぞれ60度の角度で展開し、三角形の残りの一角には俺が背中にパトラを潜ませる形で、緋緋神を三方向から閉ざした。

 

「ハハハッ、本気であたしを締め出すつもりでいるな。いいね、ワクワクしてきたよ。何時だって心を掴むのは堅実さより大胆さだからなァ!」

 

 そう楽しげに呟いた刹那、1辺が30㎝程の立方体が緋緋神を中心に広がっていく。星明かりの下にありながら、その立方体に影は見当たらず、1つ、2つ……と、徐々に数を増やしていく。影がないキューブ……あるいは()自体で編まれたような箱は次々と増殖し、最終的に計16個の不気味な立体が俺たちの更に内側から緋緋神を取り囲んだ。

 

「すっげぇキモイデザインだな。増殖の次は機雷にでも使おうってか?」

 

「愚か者が。あれは次次元六面──あらゆる物を止め、自在に削ぎ取り、消滅させる罠ぞ。決して人の身で触れるでない」

 

 俺が毒を吐いた次の瞬間、背後からパトラの真剣な警告が続いた。モノホンの機雷か……蠍の尾の間合いに押し込まないといけないってのに余計な障害物を……

 

「──ヨハネ福音書1章51節……天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる──それは宙に浮かぶ地雷のようなもの。キンジ、キリ、あなたたちが竦むほどじゃないでしょ?」

 

 蠍の尾を携えたカナが、うっすらと微笑むのが見える。活路を照らしだしてくれるようなカナの言葉と微笑みで、俺はジョーのナイフを、キンジはベレッタを新たに抜いていく。

 

 そして、腐れ縁と一瞬のアイコンタクト。分かってるよ、ああ、先に突っ込んでやるから援護しろ。今回はパトラに、カナがいる。キモいデザインの地雷で怯む必要もない。切り込もうとして──俺は、足を止めた。

 

「……?」

 

 突然、緋緋神が不思議そうな表情で、石段の方に視線を逸らした。その顔は、俺たちではない()()向けられている。切り込もうとしたタイミングを失ってしまうばかりか、俺まで妙な違和感に囚われる。

 

「──神はいなくとも我々は孤独ではない。お互いがいる限り」

 

 が、それは正しく俺たちには幸運だった。抑えきれない笑いを喉で塞き止めるのがやっとだ。アナエルめ、やってくれたな。律儀な女だ。さては自分が戦えないから、代わりにお友だちを呼んでくれたな。それは予想してなかった。

 

 何食わぬ顔でトレンチコートを揺らしながら歩いてくるのは、ラッキーなことに知り合いだ。それも古くから、切っても切れないくらいの。だからとりあえず、名前を呼んでやる。

 

「遅かったな、キャス。また珍道中でもやってたか?」

 

「残念ながら」

 

「ふふっ、あはははっ!カスティエルか!なんだよその貧相な器、そんなのに入ったのか?」

 

「彼は勇敢で、立派な父親だ。……その少女に強引に入り込んだな、意識を抑えつけたか」

 

「ふん、なるほどなァ。キリ……だっけ? この展開はあたしも予想してなかった。ココたちが毛嫌いしてたのも分かるよ、いつの時代も何やるか分からないヤツってのは不気味だからな」

 

 きろりと緋色の瞳が、俺を睨んでくる。俺だってこれは予想してねえよ、嬉しいトラブルだけどな。お粗末な展開だ、カナがヨハネ福音書を読んだらモノホンの天使が降臨しやがった。なんてことだ。

 

「……俺はもう何があっても驚かん。切が無茶苦茶するのはいつも通りだ」

 

「あら、キンジってば自分も無茶苦茶なことするんだから、ブーメランになっちゃうよ?」

 

 その名はカスティエル。どう説明してらいいかも分からないくらい、色んな縁で絡んじまったトレンチコートの天使。ああ、ほんと、どう説明したらいいのやら。色んなことがありすぎて困る。

 

「キャス、みんなへの自己紹介は後回しだ。あの神様を叩きのめして、外に追い出すぞ!」

 

「元よりそれがアナエルからの頼みだ。盲目な神を黙らせる」

 

「盲目とはねえ、歓迎するぜへっぽこ天使。やれるもんならやってみな」

 

 静かに緋緋神が二挺のガバメントを抜いた。やってやる、行く手に神が立ちふさがるなら、神をなぎ倒して行くまで。

 

「行くぜ、キンジ!」

 

「言われるまでもない!」

 

 流れはこっちに傾いた。今度こそ、俺とキンジは浮遊したボックスの間をくぐるように緋緋神の元へ駆ける。

 

 

 

 

 




 

 


 


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一にして全

 初めて出会ったときのことを今でも鮮明に覚えてる。個展でも開けそうなありとあらゆる魔除けを書きなぐった部屋に"お前"は今と何も変わらないトレンチコートを着てやってきた。部屋中の照明という照明が火花を吹いて、あのときばかりは本気でビビったよ。

 

 悪魔、怪物──ありとあらゆる対策を仕掛けたっていうのに、お前は何食わぬ顔で、何を考えてるかわかんない顔で何事もなく歩いてきた。今に思えば、対策なんてできるわけなかった。あのとき、あの瞬間まで、本当に『天使』がいるなんて考えちゃいなかったんだからな。

 

「君をがっちり掴んで地獄から救いだした。そっちの彼と一緒に」

 

「そうか。礼を言うぜ」

 

 と、礼を言いながらルビーのナイフを思いっきり突き刺した辺り、ディーンとお前のファーストコンタクトも俺と夾竹桃の出会いに負けず劣らず酷いもんだ。思い出したら苦笑いが浮かぶところまでソックリ。

 

 お世辞にも、良い出会いとは言えない始まりからいつしか家族と呼ぶ以外にない存在にお前はなっていて、正直いつからそうなったのか。白状なことに俺は覚えてない。多分、というか絶対に二人の兄も同じことを言うだろう。

 

 いつから、俺は神崎に入れ込むようになったんだろう。

 

 ひねくれたルームメイトが肩入れしている姿に感化された。

 

 ただ、ひたすら、家族の為に尽くそうとする姿に何かを重ねてしまった。

 

 理由なんて、悔しいことに次から次に浮かんでくる。それこそ、キッカケがどうかなんて忘れそうになるくらい。なんとも卑怯なことに、神崎・H・アリアという女はそういう女だ。

 

 いや、それでも一番の理由は分かってる。人の部屋にある日勝手に上がり込んできて、何かあればガバメントをぶっ放すあの女は──母親から逃げなかった。逃げずに、救うために海を渡ってきた。

 

 そして俺はメアリー母さんから逃げた。根底にある理由は、たった一つ。俺ができなかったことをあいつはやってる、たったそれだけのこと。

 

 アンフェアな現実を突き付けられて尚、あいつは現実に風穴を空けようともがいた、そして俺は逃げた。その前を向いたか、背を向けたかの違いが焼き印を押されたようにずっと頭に引っ掛かってた。

 

 けど、言葉を並べたらなんとなく分かった。きっと、俺はどこかで憧れてたんだろう。自分にはできなかった道を選んだ、神崎のことを──

 

 

 

 

 

 ──緋々神。緋緋色金と呼ばれる未知の金属に宿る意思。これまで飽きるほど目にしてきた、常識の外側にいる存在。それが、眼前のSランク武偵に取り憑いている()()の正体。

 

「さぁて、お手並み拝見」

 

 常々人形のようだと例えられている顔が、邪悪に口元を歪める。次の瞬間、両手の大口径が夜闇に炸裂音を鳴らし、パトラが先行させた黄金色の鷲の群れを一匹残らず叩き落とした。

 

「妾も私怨がある、助力はしてやるでの。嫌がらせぢゃ」

 

 王様の声が聞こえた刹那、魔力を通して造られた鷲たちが後方から俺とキンジを追い抜いて、冷ややかに笑う緋々神に次々と向かっていく。

 

 ピラミッド内での戦いでも見た思念動で操られるパトラの使い魔。ふざけた魔力の量に目が行き勝ちだが、あのカナに言わせてパトラはとても頭の良い女だ。左右の手で別々の文字を紙に書くように、幾つもの物を同時に思念動で操ることができる。

 

 暗闇を駆ける黄金色の鷲は次から次に凶弾に倒れ、虚空の上で元の砂に還るが引き換えにガバメントのスライドにも弾切れのロックがかかる。王様のわりに姑息な手を使う、わざとらしい軌道を描かせて弾切れを誘いやがったな。あとは浮遊する地雷を抜けるだけ、忌々しい影の立方体を潜り抜け、キンジより一足先に俺が白兵戦の間合いに飛び込むが──

 

「なあ、ウィンチェスター。お前、()()()()は好きだよなあ?」

 

「ちぃッ!」

 

 弾切れで両手を塞がれ、無防備と思われた緋々神から鋭く日本刀の一撃が放たれた。予期しなかった一撃をなんとか2本のナイフで受けるが、殺し切れなかった衝撃で体が嘘のように後ろに飛ばされる。地を靴で削るように体勢を立て直した俺の眼前には──ピンクのツインテールに操られる2本の日本刀が映り込んでいた。

 

「……あれは理子の専売特許と思ってたよ」

 

 同感だ、ふざけたトリックにも程がある。理子の専売特許、ツインテールの髪で刃を操作しつつ両手は拳銃で武装する、その厄介極まる技は俺もキンジも過去に身を持って体験してる。単純に言って、腕が4本になったというだけでアンフェアだが本当に厄介なのは『腕』ではなく『髪』ということ。

 

「峰理子か。あれも良い女だったなぁ。よし、前は消化不良だったし、次に会ったときはあのときの続きをしよう」

 

 ピンクのツインテールが巻き付いた刀が怪しく暗闇に揺れる。髪には、腕と違って間接なんてものは存在しない。パトラの思念動と同様に、正しく行使できる集中力さえあれば、人体ではありえない無茶苦茶な軌道を描いて、2本の刃が振るわれることになる。

 

 オイルまみれの道を片足のハンドル操作で走り抜けるようなヤツだ。楽観的な考えはどうやっても浮かんでこない。さっきは運良く無傷に終わったが……油断したら簡単に首が落ちる。いや、あるいはさっきはわざと狙いを外したか。

 

「切……!」

 

 ルームメイトに名前を呼ばれ、思考を白紙に戻す。ナイフとベレッタの一剣一銃で真横を駆け抜けたキンジに先行させる形で、右手にあるルビーのナイフを投擲する。悪魔や獣人には極めて有害な刃は当たり前のように回避されるが、ベレッタが吐き出していく弾と合わせて少しずつだが緋々神をカナ側に寄せていく。

 

 狙うのは蠍の間合い──177・7㎝。空いた右手で天使の剣を抜き、献身的に手に馴染んでくれる形見のナイフと再度の双剣で踏み込む。何を見せられようと進路は一つ、萎縮している暇も余裕もない。

 

 巧みにリロードされた漆黒と白銀のガバメントからも再度の発火炎が散るが、金属と金属がぶつかるような音だけで距離を詰めようが一発たりと被弾はない。どうせキンジが飛来する弾に片っ端からベレッタの弾を命中させて弾き飛ばしたんだろう、漫画みたいな技だがもう驚きやしない。あのカナの弟で、かなめの兄だからな。

 

「──触れなば切れん(レイザー・シャープ)

 

「愚直すぎるぜ。でも気に入ったよ。その腕、まとめて落としてやる!」

 

 殺傷圏内の侵入した瞬間、重苦しい威圧感が肌を刺す。快活に告げられた言葉は何も冗談ではなく、緋色の髪が巻き付いた日本刀は腕を容易く切り離せそうな速度と鋭さで振るわれ、接触と同時にふざけた振動が腕を走った。

 

「……っ、無茶苦茶やりやがる 」

 

 ナイフのように小回りこそ効かないが、斬擊の鋭さはタクティカルナイフの比じゃない。かなめのお陰でアンフェアな斬擊には多少なりと慣れたつもりだったが、駄目だな。刀を振るいながら両手のガバメントもキンジを牽制し、置物になってない。

 

 俺と髪の日本刀で刃を交えつつ、両手のガバメントでキンジと撃ち合う。そんな器用どころでは片付けられない景色を見せられ、心中舌打ちが止まらなかった。これじゃあ本当に腕が4本あるのと変わらないぞ……

 

「へぇ、そいつは誉め言葉か?」

 

 神崎の顔をして、神崎ではない口調で一言。一瞬遅れて、首を拐うような角度で右から刃が飛来し、逆手に構えたジョーのナイフから派手に音が鳴った。追撃を仕掛けてきた左からの刃と派手に切り結んだ刹那、ノックバックするように一度下がるが、

 

「皮肉に決まってるだろ」

 

 勝手に代弁したキンジの弾丸が、今度は急に位置を変えたキューブの中に消えていく。これには俺も目を見開いたが、計16個の影の立方体は空間アートのような瞬間移動を繰り返し、いよいよ境内の景色は混沌としたものになっていった。

 

 どうやらあの危なかしいパンドラボックスは距離や移動といった俺たちの知る常識とは無縁の代物らしい。キューブに触れた鉛弾はたちまち中に吸い込まれ、影だけで編まれた立方体の中で動きを止める。なんでも食らい込むのか……あれじゃ影っていうよりブラックホールだ。

 

「そいつは残念だ。でも遠山、お前は誉めてくれるよな? よし、撃ち合おう。もっともっと」

 

 ……なんつー理屈だ。

 

「彼女に常識を求めるな、話し合いでどうなる相手じゃない」

 

 鋭くキャスの否定が入り、ガバメントから放たれた弾丸の雨が今度こそ虚空で静止していた。なるほど、こっちもこっちで常識をねじ曲げてやるってわけか、最高だ。

 

 虚空に縫い付けられていた銃弾は、やがて糸が切れたように重力に従って落下。地に転がっていく。意気揚々と持ちかけた撃ち合いに"待った"をかけられ、緋々神の不機嫌な瞳は俺とキンジのさらに背後を指した。

 

「……カスティエル、相変わらずつまらない水を差すヤツだな。聞いてるぞ、堅物野郎のミカエルの後釜を巡ってラファエルと内戦したんだろ?」

 

「それがなんだ、私はミカエルの後任になどなってはいない」

 

「よく生きてたなぁ。ラファエルは四人の中で一番トロくて、一番の小物だったがそれでも重役の一人だ。普通はグチャグチャになってんのさ」

 

 話している隙を遠慮なく狙ったパトラの鷲の群れ、その内の一匹がキューブの中から跳ね返るように飛び出してきた銃弾に頭を、貫かれた。一匹また一匹とキューブから飛び出した弾がパトラの使い魔を穿つ。あそこに収納した物の扱いも緋々神のさじ加減一つか、本当に無茶苦茶だぜ。

 

「数百年振りの世間話も少しは心踊るか? いやいや、そんなもんちっとも満たされない。あたしを満たしてくれるのは恋と戦い、この渇きを止めてくれるのはそれだけなんだよ」

 

 そして、緋々神が動いた。小さな足が持ち上がり、軽く境内の地面を踏む。次の瞬間、小さな肢体から緋色のオーラのようなものが迸ると、信じられないことに両足が地面を離れ、突風を叩きつけられたように今度こそ背中から地面に投げ出された──

 

「……!」

 

「っいってぇ……」

 

 カナ、パトラ、キャスの呻きは聞こえない。どうやら吹き飛んだのは俺だけらしい。突風のようでいて違う、まるで見えない斥力だ。覚悟してはいたが技のデパートだな……

 

 立ち上がって眼前を見ると、キンジは両足に力を込めてなんとか飛ばされずにいる。素直に感嘆するがあれは恐らく──磁石のように近づこうとするほど反発する力が働くように出来てる。

 

「まだ全力とはいかないようだが、彼女の体はずいぶん相性が良いらしい。過去、私が見てきたどの緋々神よりあれは素の緋々神に近しい」

 

「つまりヤバイってことだろ。寝起きに全力が出せないのは聞いてる。アマラで言うと、あれはまだ大人の姿になってない」

 

「その例えはこの上なく不吉だが、つまりそういうことだ。すぐに手がつけられなくなる」

 

「今でも怪しいよ」

 

 キャスとの終末の世界から戻ったとき以来の会話は、こんな状況じゃなかったらもっと楽しい気持ちにもなれたのかもな。生憎、今は雑談に華を咲かせる余裕もないわけだが、

 

「おい、キン──バカか、お前は……!」

 

 遂に斥力に飛ばされたルームメイトの背中を受け止め、お決まりの台詞を飛ばす。

 

「いいところにいたな」

 

「ハイジャックで神崎に腹を足場にされたのを思い出したよ。仲の良いことで」

 

「……あの超能力、なんとかできるか」

 

「惨めに吹っ飛ばされたの見てなかったか? 無理だよ」

 

 即答してやる。緋々神が放つ以上、あれはただの超能力より1ランク上の技だ。斥力を操る超能力者も探せばいるんだろうが、緋々神が行使するのは別物と考えていい。俺の手には負えない、即答したとおりだ。

 

 だが、幸運なことに手に負えそうなヤツが一人いる。こっちの手札には奴の盤面を台無しにできる一枚がある。山札の上に手を置いて、降参(サレンダー)と言うにはまだ早い。

 

「だから、ここはアナエルの厚意に甘えるとしよう。やっちまえ──クラレンス」

 

「君が相変わらずで何よりだ」

 

 かつて、因縁の悪魔(メグ)が付けたその名前が契機となり、キャスの瞳に青白い光が瞬いてゆく。翳したその手から吹き出た蒼白の噴流が、緋々神の体から放たれる緋色の波動と接触。同時に境内の中で竜巻のような余波が乱れ、地に転がっていったものをかたっぱしから舞い上げる。

 

「罰当たりな。妾は知らぬぞ……!」

 

「んっ……派手にやってくれるわね」

 

 砂、砂利、木の葉や枝、周囲にあったものが手当たり次第に、突如起こった異常な力の小競り合いに巻き込まれる形で、視界を無茶苦茶に乱していった。反射的に両腕は顔と喉元を守り、今度こそ醜態をさらすまいと足に力を入れる。アクション映画──いや、SF映画みたいな1シーンをよりによって境内で見るなんてなぁ。

 

(同感だよ王様。罰当たりなこと、この上ない)

 

 だが、これでブラックホール染みたパンドラボックスと謎の斥力に制圧されていた盤面がリセットされたはず。キンジも、カナも、パトラも、同じことを考えるはずだ。カードを切り、仕掛けるタイミングがあるとすればここしかない。

 

「──しらけるぜ。あたしが求めてンのはそんなお前じゃない」

 

 刹那、背後から言葉にならない寒気がした。

 

「遠山との戦いは甘美だ、最高だ。けど、口から涎を垂らして狂ったお前と──カインの刻印でおかしくなったお前とも、あたしは戦いたくて仕方ない」

 

 いつからそこにいたのか──後ろに立たれて気付かなかった相手は初めてじゃない。レキがその筆頭だ。だが、あんな視界もグチャグチャになってる中でこうもあっさり……

 

「は──?」

 

 無茶苦茶になってい視界が今度は目まぐるしく動き、酔いそうになるレベルで暴れていく。反射的に体が受け身を取ろうと動き、ようやく自分が吹っ飛ばされたことに気付いた。

 

「ち、ぃ……ッ!」

 

 喉から出そうになる悲鳴を舌打ちを混ぜて押し殺す。蹴りか、体当たりか、それとも何かの超能力か。何にしても臓器がシェイクされたみたいに気持ち悪い。頭から落ちることこそ避けたが……今ので俺の首も落とせてた。それを考えるなって方が無理だ。

 

 徐々に晴れていく視界、パトラが仕掛けたであろう黄金色の虎が無惨に首もとから切り捨てられるのが見えた。次いで、ベレッタの発砲音と宵闇でバク宙を切る緋々神。暗闇で揺れる、苛つくほど綺麗な緋色の髪に分かっていても視線が呪縛されそうになる。

 

 キャスの力は知ってる、金一さんの、カナも力も知ってる、パトラも実際に刃を交えたことでどれだけ面倒な魔女かは理解してたつもりだ。手札には十分、神を相手にできる可能性は眠っているはずだった。

 

「緋緋色金は一にして全。全にして一。されど、これこそ理想の一……」

 

 ──眼前の神が歌うようにそう言った。それが契機となり、小さな体に改めて緋色のオーラが迸っていた。どうやら、俺が思っていた以上に彼女は化物だったらしい。ああ、神社……嫌いになりそうだ。

 

「──お次はなんだ?」

 

 




 
 瀬人さま、ジェットが強すぎます。


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緋緋神

「──うおおおおおッ!」

 

 ベレッタの眩い発火炎、そしてルームメイトの叫び。境内には似つかわしくない景色をこれでもかと演出しながら、神崎に宿った緋緋神との一戦は続く。

 

「──くらえ、ケツ野郎!」

 

 スタール墓地ではミカエル、数年後のライブハウスではルシファーに放った天使らしからぬ罵倒を吐き、キャスもトレンチコートに袖に忍ばせていた天使の剣で厄介極まる緋色のツインテールを斬りにかかる。

 

 幾度となく神の近親たる大天使と交戦し、産みの親の姉であるアマラにすら牙を剥いただけあって、緋緋神に向かっていく姿には恐れも怯む様子もない。良く言えば格上の相手との戦いに慣れている、悪く言えばいつも無茶な対戦相手ばかり回ってきたこれまでの経験が活きてるんだろう。

 

「カスティエル、なんだってお前みたいなポンコツが特別扱いされてたんだ?」

 

 が、緋緋神もそれをよしとしない。

 

「お前んとこのボスは出来損ないを好む癖でもあったんだろうな。理解に苦しむぜ。……つか、ケツ野郎ってなんだ?」

 

 ポンコツと罵倒されようと、そこいらの獣人や魔女は一蹴できるキャスの攻撃でも狙いが決まらない。俺とキンジもしつこく攻め立てるが、カナの蠍の尾の間合いに押し込むには──忌々しいことに、まだ手が足りない。

 

 キンジの一剣一銃、俺の双剣、カスティエルが振う天使の剣は、どれも回避、あるいは髪で操る日本刀に阻まれる。思わず、『過保護』という言葉が出そうになるほど、その守りは固い。

 

 ああ、うんざりするほど誰かさんの口癖がピッタリの状況だよ。ちくしょうめ。

 

「ちッ……!」

 

 得体の知れないキューブが消え、広さを取り戻した境内で再度の疾駆。が──見えない壁にでも当たったようにまたしても不可視の斥力に足が挫かれる。恨めしげに喜色満面の緋緋神を睨み付けた刹那、ヤツの瞳の色が──カメリアの瞳が濃い赤色に輝き始めた。

 

「よし、おさらいといこうか。まずは一人、誰にする?」

 

 指鉄砲を作った緋緋神の右腕が、真っ直ぐに前へ伸ばされる。こいつは……

 

「例のレーザーか。あっさり切札を切ってくるんだな」

 

「違うぜ、ウィンチェスター。今のあたしは何だって使える。これはそう、数十枚あるカードの内の一枚だ。他も見たいなら見せてやる、あたしを満足させてくれるなら」

 

 「いくらでもな」と、瞳を赤色に染めながら緋々神は言う。照準を兼ね備えた瞳は、待機状態に入ってるかのように瞳の赤い輝きを徐々に色濃くしていく。まるでカウントダウンだ。

 

 直線上に俺たちが並ばずとも、眼で狙いをつけられた瞬間、最低でも一人は落ちる。キンジはスクラマサクスと神崎が撃ったガバメントの弾を壁にし、レーザーの照射時間をやり過ごすことで一度は必中の如意棒を攻略した。だが、香港と違って今はスクラマサクスなんて業物は……

 

「覚えておきなさい。どんな相手でも、攻撃の瞬間は無防備になる。そこを攻めれば、斃せるものよ。誰であれ、ね」

 

 凛とした声がして、カナが俺やキンジよりもさらに前へと──躍り出てしまった。大鎌の刃先は胸の中心、付け根は明らかに緋緋神の右目を向いている。カナは、蠍の尾でレーザーを止めるつもりだ……

 

「カナ……!」

 

 右目の赤が光を増していく最中、切羽詰まったキンジの叫びで気付いてしまう。無理なんだ、蠍の尾では如意棒を受け止め切れない……実際にレーザーと相対したキンジはそれを悟って、カナを呼んだ。

 

 今の緋緋神の瞳に宿る光源は香港で見たときより一回り……強い。高出力なんだ、キンジが凌いだ如意棒よりも今放たれようとしてるのは。が、それでもカナに足を動かす様子はない。

 

「相打ち──それなら試してみるか。カナ、賭け金は……そうだな、お前のその美しい顔を──剥いで貰っていこう」

 

 たしかに直線に並ばなけりゃ直進するだけのレーザーが狙えるのは一人。だとしても、そんなのキンジじゃなくても許せるか……!

 

「ヘイスティングスの戦いよ、ワンヘダ」

 

 ……ヘイスティングス? それってイングランドとフランスの……待て、カナだぞ。無策で敵の懐に飛び込む愚か者とは違う。あれがレーザーであるのは、たぶん見抜いてる。カナには条理予知がある、その上で前に躍り出たなら、

 

「さあ、答え合わせの時間だぜ」

 

 右目の光が一際強まった次の瞬間、不気味なほど明るい光が宵闇に走った。

 

「……?」

 

 しかし、緋緋神に浮かぶのは困惑の顔。

 

「はぁ……はぁ……む、無茶をさせおる。妾を、誰じゃと……」

 

 そして、聞こえてくるのは後方に位置を取っていたパトラの荒い息遣い。困惑だった緋緋神の顔に怒気が差す。防がれたんだ、俺には見えなかったがパトラが仕掛けた何かしらの技が、緋緋神の必殺の一撃を不発に終わらせた。

 

「……『重力レンズ』か。魔女が、つまんねえ横やりを入れやがったな?」

 

 底知れない怒りを込めた一言と輝きを失った瞳がパトラに向く。はっ、だろうな。やっぱり()()()()()()か。

 

「つまらない水を差したヤツは殺──」

 

「そいつは非合理的だな!殺傷圏内だぜ、緋緋神様!」

 

 カナを信じて良かったぜ、カナなら弟の前で自己犠牲の相打ちみたいな作戦は提案しないと思ってた。既に緋緋神との距離を詰めていた俺が、今度は恨みを込めて横やりを入れる。攻撃の瞬間は無防備になる──語られたとおり、神様の懐へ入り込めた。

 

 天使の剣を捨て、今度こそ元始の剣で双剣を作った俺に向けられたのは……思わず、視線が呪縛されそうなほど綺麗で、邪悪な微笑み。

 

「ようやくか。待たせやがって」

 

 待ち望んでいたとばかりに、目では追えない早さでガバメントから両手に持ち変えられた2本の小太刀が首元に飛来する。元始の剣を持った瞬間から、血が沸騰したような熱に襲われている体が今まで異常の早さで急所への一撃に反応し、それを捌く。

 

「ウィンチェスター、お前も相打ち狙いか?」

 

「悪いが、俺は自己犠牲も等価交換も大嫌いなんだ。覚えときな、俺が一方的にぶん殴る──それが俺の『相打ち』だ」

 

 右手にはかつてカインが振るった剣、左手には今際の際に恩人から託されたナイフ。俺の手にあるのは、異なる在り方で『これまでの道のり』に絡んでくれた二振り。そして、見よう見真似とはいえ、(アマラ)を閉ざしていたカインの刻印からのバックアップ。相手が神だろうと、この手札なら打ち合える。

 

 目の前の蠱惑的な微笑みを睨み付け、如何わしい刻印で水増しされた五感を以て、緋緋神と刃を重ねる。神崎の戦闘技術がそのままトレースされたような鋭い斬撃と刻印の恩恵にあやかった俺の一撃は、やがて耳障りな音と一緒に互いにノックバック、一度は詰めた距離が、巻き戻るように開いた。

 

「これくらいはやれるか、よしよし。まずは香港では叶わなかったお前との第2ラウンドといこうか。そっちのザコ女は後回しだ」

 

 今だ。やれ、カスティエル。

 

「バカが。そんなトリックは見飽きてんだよ」

 

 まるで後ろに目がついているかのごとく、音もなく死角から接敵したはずのキャスにも緋緋神は反応した。小さな体を独楽のように反転させ、またしても小太刀がふざけた速度で接近したキャスの首を切り払おうとする。しかし、遅れてやってくるのは首を斬り落としたような音ではなく、鋼で鋼を叩いたような甲高い音。

 

「は……?」

 

 目の前で火花とは違う、青白い光が弾けた。

 

「……懐かしい。それ、まだあったのか」

 

 緋緋神が振るった小太刀は、いつの間にか天使の剣と入れ替わっていた銀色の槌に弾かれた。その槌は──ミョルニル。かつてオカルトグッズまみれのオークションに参加した折、サムが勝手に持って帰った──北欧神話のトールが振るったAランクの遺物。

 

「しょ、しょせん、ひとの、体か……この程度の……」

 

 トールは雷神。ヒルダの電流を浴びたときと同じく、緋緋神は恨み言を吐きつつ、これまで忙しなく動いていた足を、止めた。さすが北欧のメインキャストお抱えの武器、動けないならこれで終わりだ。トドメの一枚だけは、最初から用意されてる。音もなく、俺の横をカナが駆け抜けた。

 

「──177・7㎝。幕引きぢゃ、緋緋神」

 

 パトラがそう言うと、動けない緋緋神に向けてカナの大鎌が振るわれた。外れた、いや、わざと外すようにも見えたが、恐らく──意識だけを狩った。

 

「……お……? おっ?」

 

 既に呂律が乱れていた緋緋神の声が、今度こそ不安定で聞き取り辛くなっていく。外れたようにも見えた蠍の尾が、緋緋神の顎を掠めていたのだろう。カナは意図的に顎に衝撃を与え、脳震盪に近い状態を作り出した。無茶苦茶としか言えないが、ありえないことすんのが遠山家だ。身に沁みてる。

 

「──器に宿る、乗り移るといっても、神経系は憑依先の人体のものを利用してるのね。緋緋神さん?」

 

 おぼついていた両足もやがて投げ出し、今度こそ大の字となって緋緋神は倒れると、

 

「ままならぬ、ものよ……猴の、からだなら……こうは、いかぬ…もの、を……」

 

 蠍の尾を肩に掛けたカナに見下ろされながら、ゆるやかに緋色の瞳を閉じていった。

 

 

 

 

 

 

 

「ヘイスティングスの戦い。強い敵と戦うときは一旦水辺に退却する。敵は勝ったと思って、油断して追ってくる、そこを罠に嵌める」

 

「うん、満点の解釈。よくできました」

 

「如意棒を撃たせるからその隙に奇襲しろ、それは分かったけど、ちょっと遠回しすぎないか?」

 

「けど、うまくいったでしょ?」

 

 倒れた神崎をキンジに背負わせ、皆が皆話すことも聞きたいことも山程あると言った様子で、俺たちは乃木坂にあるカナ──金一さんのマンションに上がり込むことになった。スカートや衣服の一部が破れてる神崎をそのままにしとくわけにもいかないしな。

 

「それもそうだな。みんな生きてるし、何より神崎を取り戻せた」

 

 我が家の安物と違い、見るからに高そうなソファーに座らせてもらって、腕を組んでいたカナと一息付くように言葉を交わす。ちなみにマンションの一階に金売買店が入っていたが、そこはパトラが運営しているらしい。今夜は驚きの連続だった、もう何が来ても驚かねーよ。

 

「しかし、ウィンチェスターというのは──」

 

 神崎を着替えさせてくれたあと、向かいのソファーに寝かせてくれたパトラが、少し言い淀むような感じで俺を見てくる。まあ、何が言いたいのかは分かる。想像つくよ。

 

「紹介するのが遅れたな。彼はカスティエル、ずっと昔に俺を地獄から引っ張りあげてくれた天使で、その先は階級を下げられてしたっぱになったり、リーダーになったり、幽閉されたり、追放されたりして、詳しいことは本人に聞いて」

 

「なんでも聞いてくれ。ユーモアのある返しはできないが」

 

 と、いつもの調子で答える友人に、俺は軽く頷いてから目を伏せた。正直、得体の知れなさなら緋緋神にも負けず劣らずで、このマンションに招いてくれたことも少し驚いてる。だって俺が言うのもあれだが──トレンチコートを着た天使なんて怪しすぎるだろ?

 

「……本音を口にすると、何から質問すればいいのか。それと、キリ? 地獄から引き上げられたっていうのは、苦しみから救われたとか、そういう意味ではないのよね?」

 

「リリスって悪魔の指揮官に、"黙れブス"って言ったらペットに腹を引き裂かれて、気がついたら地獄に異世界転生」

 

「彼と彼の兄を、地獄の底から引き上げた」

 

「墓から這い出た。ちなみに服は着てたぞ?」

 

「あのときの私は神や、天使の使命というものに盲目的で……数えきれないヘチマをやった」

 

「ヘチマじゃない、ヘマだ」

 

「ヘマをやった」

 

 とりあえず、真実をそのままありのまま語ることにする。三人とも苦笑い寸前って感じだが。

 

「みんなそうさ、俺たちみんなヘマをやった。サテライトなら顔がマーカーまみれだ」

 

 そう、みんなが過ちをやった。キャスだけじゃない、俺たちみんな。天使も悪魔も人間も、みんながやらかした。

 

「では、聞きたいことは尽きないけれど、まずは先の助力を感謝します」

 

 苦笑いしそうな顔から一転、カナの顔付きが真面目なものとなる。この人はこの人で、本当に美人だな。金一さんにそれを言ったら大変なことになるらしいが、

 

「私はかつての同志から頼まれただけだ。バットシグナルはキリが送った」

 

「アナエルに会ったら礼を頼む。今頃、いつもみたいに商売繁盛だろうけど」

 

「天界に戻る気配は?」

 

「ないな。もうボタン押しは懲り懲りって感じ」

 

 カナから俺、俺からアナエル、アナエルからキャスに繋がった結果が今夜の魔女・天使・人間連合。アマラに天国、地獄、地上の面々で総力戦を挑んだときを思い出した。今夜と違い、あのときは敗退に終わった。今夜は勝てて何よりだ。

 

「あー、次は俺からかまわないか? 緋緋神とはその、知り合いなのか?」

 

 不意に、キンジがぎこちなく問う。カスティエルは変わらぬ様子で、

 

「知り合いだ。緋緋神が宿った器を何度か見てきた。仲は見てのとおり」

 

「みたいだな。両親の仇ぃ──とか、言い出すんじゃないかと」

 

「……どっちのだよ」

 

「さあ?」

 

 肩をすくめ、うっすらとキンジに笑う。キャスとキンジが会話してる……すげえ光景だ。それも金一さんのマンションで。ただ会話してるだけなのに、なんというか……現実味のない光景だな。ついに出会ってしまった二人──みたいな?

 

「とりあえずは、一段落。キンジもお疲れ様。けど、ちょっとだけびっくり。思ってたより、ませてたのね。キンジも。緋緋神を起こすくらいアリアとの仲を進めてたなんて」

 

「緋緋神が目覚めたということは、君はそこで横になっている彼女と……」

 

「キャス、その手の質問は遠山ボーイには禁句なの。神崎が3馬身くらい他より前にいる感じはあるけどな」

 

「でも、またアリアとくっついちゃダメよ? そしたら、また緋緋神が出ちゃうんだから」

 

 めっ、という感じでカナがキンジの額をつついた。今の、頼んだら俺もやってもらえるかな。

 

「……いや、別にそんな」

 

 キンジは顔を赤くして抗弁するが、カナは構わず続ける。やめとこ、キンジの俺を見る目が変わりそうだ。

 

「そこの『恋』の線さえ切っちゃえば、ひとまず安全かな。緋緋神を起こす感情は『恋』と『戦』の二つ。でもアリアが武偵法を破って人を殺すような戦いじゃないと、『戦』で緋緋神を喜ばせるには刺激が弱いからね」

 

「アリアがそういう戦いをしなければ……引き金は『恋』だけってことか……」

 

「アリアがそういう戦いをしないって絶対の保証はないけど。私よりもキンジの方があの子のことは知ってるでしょ?」

 

 と、弟の心情にやや肩入れする意見を出しつつも、そこはカナ。最後には『アリアの身柄は拘束したくないし、『殺して』って頼んでくるまでは殺してもいけないと考えているわ』と、あくまで神崎を犠牲にする選択肢も残していることを口にした。

 

「アリアは自らの手で、緋緋神と決着をつければよい。今夜は助力してやったがの」

 

 と、パトラはテーブルに置いたキンジのバタフライナイフを見ながら、かぶりを振った。

 

「これも駄目ぢゃの」

 

「色金止女を打ち直したのか」

 

「「色金止女?」」

 

 初めて耳にする言葉に俺とキンジが声を揃えると、

 

「それはつまり、一昔前の色金ジャマー」

 

「御名答。簡単に言っちゃえば色金に対する魔除け、御守りみたいなものね。今は金物屋で売ってるナイフになっちゃったけど」

 

 ややアンニュイな様子でカナが目を伏せた。キンジが倒れた神崎を抱えて運ぶ少し前──気絶したと思われていた緋緋神が、最後の最後でそのナイフに神崎の八重歯を立てた。そこから神崎は今も寝たきりだが、噛みつかれたナイフからは刀身に走っていた緋色が、綺麗に抜け落ちている。

 

「緋緋神が最後に噛みついたのは、この御守りを破壊したってことか?」

 

「貴方たちの知る聖なるオイルと同じで、これも貴重なものなの。これは昔、遠山家が星伽神社に貰った匕首・色金止女を打ち直した物、緋緋色金に共振して、力を少し打ち消す効果があるわ。んー、つまりね?」

 

 ホームセンターには売ってない。再戦の為に最後の最後でこっちの手札を削られたか。抜け目ないな。それにしても、

 

「妙に色金に詳しいな? それもメタトロンからの入れ知恵か?」

 

「私も何から何まで知っているわけじゃない。君たちより少し長く生きているだけだ」

 

 それはごもっとも。ルシファーも色金には因縁ありって感じだが、天使自体が多少なりと色金について知ってるって感じかも。ただの金属や物質じゃないわけだしな。

 

「ほぼ無制限に使える色金殺女とは違って、これは共振するたびに効果が弱まっていくの。最終的には使い捨てにするんだけど……」

 

「今夜で最後ぢゃのう。緋緋神が一気に力を注ぎ込み、共振を満たしていきおった。妾でも元には戻せぬ」

 

 パトラでも無理なら、俺やキンジにどうこうできるわけないか。

 

「キャス」

 

「私にもこの色金止女は直せない。悪魔が天使に『恩寵』を注ぐようなものだ」

 

 専門外か。緋緋神が姑息な手を使ってまで破棄したかった1枚。また使えたら、心強かったんだけどな。正真正銘使いきりの1枚か。

 

「すまない、彼と少し話があるんだ。席を外してもかまないか?」

 

 来たか。さて──

 

「待て、ここでかまわぬ。聞きたいことは同じとみておるでの。妾の耳はたしかに捉えた、カインの刻印と原始の剣が揃っておるとな」

 

 できることなら口にしたくない、そんな顔をしつつもパトラがその名前を口にした。さすがに世界最高レベルの魔女となれば"第一級の呪い"は知ってるか。刹那、左腕が人間離れした力で捻り上げられ、袖が捲りあげられる。

 

「……バカなことを」

 

「それ、前にも聞いた」

 

「その刻印が何を招き、何を奪ったか。覚えていないわけじゃないだろ」

 

 キャスの腕を振りほどき、腕組みしてソファーに背を倒す。

 

「分かってるよ。そいつは……分かってる」

 

 チャーリーを殺したのはスタイン一族だ。そいつは間違いない。だが、そのスタイン一族に目をつけられた原因は、この刻印にある。それは忘れてないし、忘れていいことじゃない。彼女は戦友で、家族だった。

 

「けど、緋緋神を黙らせるには必要だと思ったんだよ。国に尽くして、大勢の命を救った武偵の人生が台無しにされようとしてる。俺にはそれが許せない」

 

 許せないんだよ、見ないで流すなんてのはできない。知っちまった以上、絡むなら最後まで。神崎だって、俺にとっては失いたくない存在の一人だ。

 

 最初は……傍迷惑な居候。けど、一緒に戦って、一緒の時間を過ごした、何度も危険をくぐり抜けてきた戦友だ。あいつを救うためなら、刻印で頭がおかしくなろうが構わない。他に言いようがない。

 

 みんな人生を奪われた。チャーリーだけじゃない、ジョーもエレンもアイリーンも、ミズーリやパメラ、名前を挙げていけばきりがない。もう飽き飽きだ、大切な人が死ぬのも、人生を台無しにされるのも──もう懲り懲りだ。抗う選択肢が用意されてるなら、俺は全力で抗ってやる。

 

「香港のときも緋婢神が言ってたな。正直、あのときは俺も聞き流しちまったがたしか……刻印が、殺しのドラッグ、とか……」

 

「妾も見るのは初めてぢゃが噂は聞いておる。カインの刻印……最初の殺人者カインに焼き付けられた、第一級の呪い」

 

「ちょっと待て。まさか、問題を解決するためにまた別の問題の種を撒いたって言うのか?」

 

 ……さて、とはいえだ。キンジも加わって完全に針のむしろ。どこから話したもんかな。行方知れずだった神の姉と話をした、なんて話したらまた一悶着ありそうだ。

 




 これにて、今回の章は終了。次回からはアメリカ本土のお話となります。ここらへんで、緋緋神の話も折り返しってところですね。

 当時読んでいたときは、平賀さんの転校やヒステリアモードの秘密が露呈する等、クライマックス感で満ちていましたが今でも連載が続いて、喜ばしい限りです。


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カウントダウン

「それじゃあ、ジャックとアナエルによろしく」

 

 久しい再会を果たした友人とのお別れはやけにあっさりと訪れた。まじないを使ってこの国に乗り込んできたトレンチコートの天使は、大変口にしづらいのだが不法滞在状態。武偵的に複雑な気持ちを抱いたまま、ジャックへのお土産に『私立探偵マグナムーリブート版』のDVDを持たせてそそくさと俺はキャスを本土に送り返すまじないを描いた。

 

 常日頃、俺が目眩ましに活用している天使を強制的に吹き飛ばす血の図形──あれに座標を固定したバージョンというべきか。そもそもどうやってキャスは翼をもがれた体で日本に乗り込んできたんだろう。得体の知れないまじないで一時的に天使の翼を取り戻した、とか。いや、無いなそんなこと。切ったりくっつけたりできるもんじゃない。

 

 あれやこれやと刻印のことでトークバトルをやったが、アマラのことをおとなしくゲロったら緋緋神の件が済むまで──ようするに、様子見に考えを改めてくれた。キンジの影響かな、その場凌ぎの口八丁が上手くなった気がする。

 

『アリアを救いたければ、まずは神崎かなえに会いなさい』

 

 脳裏に甦るのは昨夜のカナの言葉。すべてを握っているのは神崎の母親──神崎かなえ。俺たちと神崎が出会うきっかけを作った人、シャーロックの研究を盗み見たというカナですら触れていないことを彼女は知ってる。

 

 緋緋色金とホームズ家。元を辿れば、全てはシャーロックが神崎に撃ち込んだ『緋弾』から始まった。鍵を握るのはホームズ家、最後に待ち構えているのは結局家庭の問題か。本当に──何の面白味もない。

 

 

 

 

「釈放じゃねえのかよ」

 

「お前のために嘘を言ったんだ。周りの連中は釈放と思ってる。外に出てると思ってる。ようするに俺が言いたいのは、襲撃されたトラックについて知ってること全部話してもばれやしない」

 

 ──尋問科。話術、心理学、人体学などを使用し、確保した犯罪容疑者から情報を引き出す方法を学ぶ学科。同じく犯罪容疑者から情報を引き出す諜報科と合わせて『諜報学部(レザド)』。

 

 教務科でも蘭豹先生と並んで危険人物と評されている綴先生が取り仕切る学科。そして、入学当初より俺が今でも席を置いている学科。賢人のしがらみは置いて、組織や集団とは無縁だった俺にはある意味初めての居場所だ。

 

 そして、先生は俺にとって初めてできた明確な上役。軍隊式に言うと、初めて持った上官。こと尋問に腕かけては日本でも5本の指に入り、一方で悪夢のような戦闘力を併せ持った教務科有数の武闘派。

 

 飲み仲間で隣室の蘭豹先生との逸話は尽きず、お互いの部屋を行き来できるように素手でベランダの非常扉をぶち抜いた、合コンでハブられて島を傾かせた、など事欠かない。それが誇張された嘘と言い切れないのがこの学校の講師、最高にイカれてる。

 

「知ってるってなんだよ」

 

 話を戻そう──明日なき学科と呼ばれる強襲科ほどではないにしろ、この学科も危険度0とは行かない。その性質上、小物から大物まで犯罪者と面をつき合わせることになるからな。尋問科においては、ランクが上がる=危険な相手を任される機会が増えるということ。

 

 大きな境界線はCランク。Cランク(まずまず)より上になれば、そこそこ有名人と出会うことにもなるだろう。嬉しい嬉しくないは別として。

 

 圧迫感を感じさせる取調室の壁にもたれて先生は腕組み、俺は机の前に座って男と同じ目線の高さに合わせた。徹底的に追い込むつもりなら、相手だけを座らせて攻める側は上から見下ろせばいい。目線を同じにすれば、それだけ相手の心はリラックスする。忌々しいアラステアの教えだ。

 

「お前さぁー、盗難品を所持、売りさばいた前歴があるよなぁ。それと、お前の家を調べたらトラックから盗まれたものが続々と出てきちゃったんだよねぇ。けど、お前その身長だと170ないよなぁ? 被害者を襲った犯人の体躯とは一致しない。これは良いことだぞ?」

 

「トラックを襲う度胸もないだろ。だから盗品をさばく担当になった、財布係にな」

 

「襲撃の黒幕の名前は? 話してくれたら、帰してやってもいいんだけどさぁー?」

 

 しかし、今回は追い込む必要はないと先生は餌をちらつかせた。

 

 先生と組んで仕事をする機会は少なくない。例えば警察から押し売りされた仕事だったり、曰く付きの相手を俺が担当するときに横から保護者顔で乗り込んできたりと様々。

 

 そして目の前の20半ばの男は、最近トラックを襲撃しては金品強奪を繰り返しているライダー集団のメンバーの一人。元々は道路を占拠して改造バイクで派手なパフォーマンスを繰り返すだけだったが、最後は五人組でサブマシンガンを使ってカージャックするところまで行き着いた。

 

 それはそれで手錠ものだが、俺たちが調べてるのは別の案件。こいつらが使ったサブマシンガンと同じモデル──MACー11を使った殺人。バイクで高層ビルに乗り込んで男性一人を射殺、そのあとはパニックになった出入口を避けて、屋上から隣にビルにバイクごとジャンプ。銃声でごった返したビルから見事に逃走した。

 

 アクション映画みたいな見事な手際だが、屋上に乗り捨てたバイクは当然のように改造された違法バイク。フレーム・スライダー、ブレーキ、マフラー……どこでカスタマイズしたかは分からないが正規の店には請け負ってもらえない仕事だ。それが糸口となった。

 

 修理工の知り合いを通して、その糸を手繰り寄せた先にいたのがこのライダー集団。バイクのことを話したら、あの手のカスタマイズを頼む若者が最近一気に増えたらしい。つまり出所、要因がある。『どこで流行ってる?』と聞いたら二つ返事、『面倒なもんを流行らせてくれた』ってぼやきながら連中のことを教えてくれた。

 

 さて、多少強引なやり方を使ったがこうして身柄はとりあえず抑えることができた。目の前の金庫番が口を開かないなら久々に綴先生のお手前を見れるのだが、

 

「分かった。アイスマンってやつだ」

 

 それはお預け。意外にも黒幕の名前はあっさりと出てきた。

 

「アイスマン?」

 

「ああ。アイスマン」

 

「『トップガン』の?」

 

「『トップガン』って?」

 

 まさかの返しに、俺は息を呑んだ。

 

「『トップガン』知らない……? こいつ、逮捕もんですよ」

 

「どうやって連絡するか教えてくれる? そのアイスマンにさぁー」

 

「しない。本名も知らない」

 

「へぇー。そりゃまあ、都合がいいこと」

 

「『ザ・エージェント』じゃねえし、電話番号もメアドも交換しないって」

 

「『ザ・エージェント』は知ってるのに『トップガン』は知らない……!?」

 

「……あたし、人選ミスったかなぁ」

 

 いけない薬草を詰めたいけないタバコをふかしながら、先生はぼやく。その呆れた目は俺にでしょうか、それともこっちのやさぐれ?

 

「じゃあさ、どうやってやり取りするわけ?」

 

「こっちからはしない、物が出そうになると連絡してくる。パソコンが入るって言ってたよ。たぶん、今夜だろうな。明日渡すって言ってた」

 

 なら、受け渡しの現場を叩くか。そいつがこの件の黒幕かどうかはともかく、叩けば埃は出るだろう。すべてを聞き終わった先生は、気だるげに宙を仰いだのち、

 

「よし、受け渡し叩くぞぉ。仕事仕事仕事、金を使う暇がない」

 

 薄汚れた灰皿で、灯したばかり火を揉み消したのだった。

 

 

 

 

 

 

「しかし、無茶苦茶な事件ですね。犯人は被害者の息子と彼女、おまけに動機が父親の不倫」

 

「夢もキボーもありゃしないよなぁー。6年、2つの家庭で2つの顔を使って生活したツケが息子の彼女からの40S&W弾」

 

 教員寮。綴先生の自室で、俺は先生を真似るように肩をすくめた。革張りの椅子で足を組んだ先生と、鏡合わせになるように陣取った椅子で足を組む。

 

「19の女が40口径で彼氏の父を殺害、世の中病んでます。どこにも救いがない。あの二人も本当なら数年後、結婚までいったかもしれないのに今回のことで歯車が外れた」

 

 酷い話だ、どこにも救いがない。自分と母親を騙し続けてきた父親が許せなかった、そして最後には最悪の結末を迎えちまった。母親を慕うばかりに、それがそのまま憎悪に変わった。良い結末を迎えるばかりじゃないのがこの仕事だが、今回は特に後味が悪い。

 

 だが、これが現実。選択して、積み重ねてきた時間の結果。それは当事者の問題だ、俺や先生が悔やんだところでどうこうなるものでもない。手慣れた動作でブックマッチを擦り、先生は咥えた煙草に火を灯す。程なくして白煙が立ち上った。

 

「結婚か。絆を深めるためと称して、儀式をやってお互い束縛し合う。時代遅れの風習だよなぁ」

 

「……急に気難しくなるのやめてくださいよ」

 

「雪平、覚えときなぁー。男ってのはな、女のヒステリックでうんざりするほど好きなことばっか喋る性癖を我慢したり、自分の夢や趣味を諦めたり、他の可愛い女に目移りするのを我慢して生活するわけ。女も男の不愉快な性格を我慢して、男好みの服を着て男好みの料理をする。お互いが我慢の連続だ」

 

「……否定しずらいところを突くのが実にいやらしい。だったら、先生はなんで巷の人間は結婚すると思いますか?」

 

「男は本質的に女が大好きで、女は本質的に男が大好きだからじゃない?」

 

 先生はけらけらと笑う。真意の読めない、掴みどころのない顔で。

 

「生き物の性ってやつ、か」

 

 張り合うように、俺も小難しい言葉を強引に使った。ジャンヌやワトソンならもっと理知的に答えを返せたんだろうが、高尚なトークバトルは得意じゃない。

 

「けど、最近流行りの出会い系とかマッチングアプリとか、ああいうのはどうかと思います。上っ面のプロフィールで判断して、手当たり次第に同じ言葉で誘って。恋をするならリアルで知り合うべきだ」

 

「言うことが古いなぁ、バーで知り合うほうが危ないぞ?」

 

「出会い系は嘘と誇張の巣窟です。オンラインの世界じゃ誰もがノッポでスリムだ、人呼んでイケテル度ネット変換係数。みんなが数字を書き換えてる」

 

 まさに上っ面のプロフィール。ちなみに、俺の初恋はバーのマスターの一人娘なんだがこれは喉の奥に閉まっておく。代わりに自販機から持ってきた炭酸コーラを流しこんだ。

 

「お前さぁ、デジタルを嫌う昭和のアナログ人間みたいな物言いだよそれ。勇気をだして直接誘ってくる男にぐっと来るって時代は終わったの」

 

「相手がイケメンでも?」

 

「そうは言ってない。ひねくれたことしか言えないのかなぁ、あたしの教え子は。まあ、どんな出会いだろうと駄目なときは駄目になる」

 

「ええ、何の知らせもなく別れや嫌な時間はいきなりやってくる。アラートの一つや二つ鳴らせないもんですかね」

 

 燻る白煙が目の前で熔けていく。マリファナと血とピーナッツ、エレンのバーと同じ匂いが一個人の部屋からするのはーーなんというか言葉が出ない。ただ、一時ばかりの懐かしさに浸れることには感謝しよう。それはもう、味わえない匂いなのだから。

 

 先生は白煙を、俺は炭酸を流し込み、意図するわけでもなく会話が途切れる。今さら沈黙を気にするような関係でもない。お互いのやり方で喉を慰めていると、先生から言葉が切り出された。

 

「雪平。ここを出たらそのあとどうするか、考えてんの?」

 

 キンジに据わった目と評される瞳が、豹のように細くなる。そのあとーーそれが何を意味するのか、僅かな時間頭を巡らせてから俺は答えを投げた。

 

「ここを卒業したら、ですか。そうですね、俺は本土に戻ろうと思います。そこから先はまだ考えてないし、どうなるか分かりません」

 

「そっか、帰るのかぁ。育ちはカンザスの、あー、ローレンスだっけ?」

 

「ええ、それも一時。すぐに本土を転々としてましたけど」 

 

 一日の大半はシボレー・インパラに。そんな中で通気孔にはレゴ、灰皿にはコンバットフィギュア、ナイフでの名前が、まるで個性のように『家族の一員』としてのインパラを作っていった。

 

 とはいえ、俺がインパラに乗り込むようになったのはメアリー母さんがアザゼルに殺されたあとのこと。アマラのギフトで母さんがインパラと再会を果たしたときには、今度は親父の方がいなくなってた。

 

 俺、二人の兄、親父、メアリー母さん、一家揃ってのドライブできたのは、過去の親父と母さんを殺そうとする天使を止めるためにタイムスリップしたときの一回だけ。皮肉にもターミネーター天使が起こした騒動のあれが唯一だ。なんとも言えない顔して、後部座席で三人ふんぞりかえってたのを今でも覚えてる。

 

「元々、逃げるように本土からこっちに渡りました。正直なところ、去年までは帰るのが恐かったんですけど、今は明るい気持ちで考えてます。まあ、未練は増えたんですけど……」

 

 くすりと先生が笑い、誤魔化すようにコーラを流し込んだ。

 

「あたしがカウンセリングしてやれんのも一年ちょっとだなぁ。あーあ、淋しくなるなぁー」

 

「先生の煙草と夾竹桃の煙管のコンボ攻撃に晒されるのもあと一年と少しですね。俺も淋しいですよ。あいつのお目付け役になってから色々ありすぎて、もう数年分を過ごした気分です」

 

「それは、楽しかったってこと?」

 

「良い縁に恵まれたとは思います。出会い方は最悪もいいところでしたけど、それを補うくらいの時間をくれました。ええ、出会い自体に感謝してます」

 

 最悪な出会い方だとしても、出会わないよりはずっといい。少なくともそう思える相手だと、俺は心から思ってる。

 

「先生?」

 

 ツマミに買い置きされているビーフジャーキーを机の上から拝借。封を切って一つ噛ると、眼の前には怪訝な顔が浮かんでいた。

 

「それ、本人に言ってやった?」

 

「言うわけないでしょ。俺、現在進行形であいつとは内戦中なんです。あいつ、俺が食べてるサラダにワサビ仕込んだんです、レタスの下に。気付くわけないでしょあんなの、あいつのやったことは人として許されない」

 

「……くだらなぁ。なに、そんな悪戯で開戦しちゃったわけ?」

 

「煽り耐性がないとか言わないでくださいよ。先にスティンガーをぶち込んで来たのはあっちなんだ。受けて立ってやりますよ、ゴールデンアイで逆襲してやる」

 

「都市部で電磁パルス起こしたら、それはもうテロだぞぉー」

 

 俺は『幻のジャーキー』と書かれた袋から追加の一枚を拝借。鼻をならして噛み砕いてやる。

 

「案外、自覚がないだけでお前が先に彼女の尻尾踏んだんじゃない?」

 

「蠍の尻尾を踏むなんて命知らずなことはしませんよ。ああ美味い、ジャーキーと冷えたコーラを一緒に嗜めるなんて最高ですねー。高たんぱく低脂肪、スーパーフードです」

 

「コスパのよろしい胃袋だこと。あたしのツマミ食い尽くすなら、冷蔵庫の中身でなんか作れ。お前、キッチンに立てるタイプの男だろ?」

 

 噛み砕いたジャーキーを嚥下し、仕上げの炭酸を流し込む。気付いたら一人で半分近くの枚数を平らげていた。これがやめられない止まらないってやつか。

 

「そう言わずとも、俺も手ぶらじゃ来てませんから。ビールは無理ですけど、これなら俺でも買える。ポテチ、缶コーヒー、焼き鳥、これで文句ないでしょ?」

 

 足元のレジ袋を持ち上げて中身を見せると、先生の唇がつり上がった。雑に選んだラインナップはお気に召したらしい。とりあえず焼き鳥をレンジでチンすればなんとかなるだろ、一人でジャーキーを食い散らかしても。

 

 豪遊セットをレジの袋に入れたまま先生に手渡す。一呼吸置いてから中身を覗き込んで、再度上げられた瞳が丸を描いた。

 

「ねえ、この下に転がってるのなに?」

 

「『ジャーキーおにぎり』です。新発売ってあったんで買ってきました。意外と美味しいらしいですよ、POPに『EXCEllENT×DANGDR』ってありましたし」

 

「商品開発はいつだって未開の地を切り開く仕事かぁー。ジャーキーおにぎりねぇ……」

 

「美味しいですよきっと。俺、ご飯とビーフジャーキーを一緒に食べたことありますけど平気でしたから」

 

「お前、あれだな。『弱火で10分、なら強火で2分でいいんだな』とか言っちゃうタイプ?」

 

「……それは俺じゃなくて神崎ですよ。弱火で5分を強火で2分でしたけど」

 

 肩をすくめながら、すっかり部屋に居着いてしまった第2のルームメイトのエピソードを語ってやる。神崎と家事を結びつけると危険、残酷なキンジの結論は残念ながら真実だったりする。人間誰しも得意不得意はあるってことだな。

 

 残った最後の一枚に手を伸ばしたときーー制服の内側から馴染みの着信音が鳴った。先生に目線で促され、着信画面を開く。噂をすればなんとやら、お馴染みの名前だった。

 

「どうした愛弟子ぃ」

 

「何がです?」

 

「だから、幼稚園初日のガキみたいにビビってるじゃん」

 

 面白いものでも見つけたように口角を歪め、先生は缶ビールのプルタブを捻った。俺を肴にする気かよ……

 

「違いますよ。はい、最後の一枚どうぞ──お待たせしました、鈴木桃子に無料奉仕する会。名誉会員の雪平ですが?」

 

『今日も絶好調ね。けど、そんな会を許した覚えはない』

 

「俺とジャンヌが名誉会員。それで、頼みごとでも?」

 

『私の車にSUREFIREのタクティカルライトが置いてあったけど、貴方のじゃない?』

 

 SUREFIREのタクティカルライト……?

 

「そういや、予備のを置きっぱなしにして帰ったかも。たぶん俺のだ、その報告の電話? 助かったよありがとう」

 

『別に。ついでにお願いがあるんだけど』

 

「……ついでに? そっちが本命じゃなくて?」

 

『もちろん、ついでにお願いしてる』

 

 その攻め方は予想してなかった。まあ、どっちが本命かなんてのは些事。些細な問題だが。

 

「分かった、話を聞くよ。ナゲットとポテトを奢れ、ジャンクフードの王様のようなパンケーキと一緒にな」

 

『あら、珍しく寡欲ね。それでヘルプを頼めるなら安いものだわ』

 

「俺をなんだと思ってるんだ。過度なホイコーローは求めない」

 

『それを言うなら "Quid pro quo(見返り)" でしょ。部屋で待ってるわ、いつもみたいに』

 

 ぷつー、と通話が切れる。言いたいことだけ言って切ったな。

 

「ああ、いつもみたいに。ざっくばらんに話しましょ」

 

 既に切れた受話口に向けて言ってやる。相変わらずで安心したよ。さ、焼き鳥さっさと食っちゃおうっと。

 

「内戦中じゃなかった?」

 

「休戦しました。ハンバーガーご馳走してくれるって」

 

「お前さぁ、ほんと良い性格してるよね……」

 

「平和的なんです。あ、メールも来てる。遊戯王カード買ってくれるって──俄然やる気が出てきましたね」

 

 よし、これを食ったら仕事仕事仕事。金を使う暇がない。

 

「さすが東大卒、頭のよろしいこと」

 

「えっ、東大がどうかしました?」

 

「こっちは鈍いときはとことん鈍い。ピーキーな頭だこと」

 

 バチッと不意のデコピンが俺の額を穿った。

 

「いってぇーーッ!!」

 

「卒業までは気ぃつけていけよ。我が弟子」

 

 ……肝に命じておきます、我が師。欠陥まみれの脳ミソがバラバラになった気がする、70億くらいに。

 

 

 




本土に行く前に寄り道を。


『ざっくばらんに話しましょ』S9、21、アバドン──


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名無しのサンタ

「昼間のテレビを見たことあるか、最悪だぜ。つまんないバラエティー再放送とか、株と為替の値動きだとか」

 

「何の特別味もない?」

 

「ちっとも。もっと楽しいもんかと思ってた」

 

 授業の終了を知らせるチャイムが耳に響く。途端に廊下を走り去っていく生徒の群れを横目で見送り、すっかり腐れ縁になってしまった女と、俺は廊下を進んだ。武偵校のセーラー服に黒いブレザーを羽織った夾竹桃だ。

 

「前から言おうと思ってたんだけどさ。そのファッション、正直に言ってすごく似合ってる」

 

「報酬の上乗せを望むなら、私を煽てるより結果で答えてちょうだい。すべては働き次第よ」

 

「歩合制か、大歓迎だ。チップはいくらもらっても困らない」

 

 半分は本気で言ったけど、良い答えが聞けて俄然やる気が出てきた。廊下と言ったが、俺が足を乗せているのは都内から少し離れた場所ある小学校。元イ・ウーの彼女はまだしも、俺は講師や教育者って柄じゃない。縁のない場所を歩いてる理由は簡単、仕事だ。

 

「ここよ」

 

 夾竹桃が足を止める、校長室だ。ノックすると軽い返事と同時にドアが開いた。

 

「東京武偵校の者です。私は鈴木で、こっちは雪平」

 

 "雪平" ってありふれた名字に思えるが、実はこの漢字と読みは全国に100人程度しかいないらしい。ふと、以前かなめが語っていたそんなことを思いながら、開いたドアの先にいた女性に武偵手帳を見せる。

 

「来て下さったのね。姫川さんからお話は聞いてます、どうぞおかけになって」

 

 話はついてるらしく、招かれるまま俺たちは部屋に上がり込んだ。対面で2つ並べられた来賓用のソファーに座ってから首を巡らせて部屋を一瞥する。

 

 シュリンクに包まれた教科書、テーブルに山のように詰まれた書類、そして、紙コップに入った緑茶。灰皿もなければ、酒瓶も散乱してない。先生の部屋とは大違いだな、タールもアルコールの匂いもまるでしない。

 

「なぁ、姫川って?」

 

「ドラゴン」

 

「──ああ。どうりで。彼女、元気だった?」

 

「ええ。来月、一緒にボウリングに行く予定」

 

 覚えがあるわけだ。ドラゴンの狩りをしたときに出会った少女と、連中に拐われた彼女の姉の名字がそれだ。イヴの一件以来の連中との対面、キンジがシャーロックからレンタルしていた刀が英国の至宝である『聖剣エクスカリバー』のオリジナルと判明した事件。

 

 そういや、拐われた彼女が就いてる仕事も教職だったな。この仕事が舞い込んだのもその繋がりってことか。彼女の母校、あるいは教育実習で訪れたのかも。推測ならいくらでもできるが

 

「それで、ご用件は?」

 

 引っ掛かりが取れたところで、俺は本題を切り出した。

 

「この学校は長い間、予算が不足してました。でも一年半前から学校にスポンサーがついて、備品や用具を寄付してくださってるの。パソコンもそうよ」

 

「自治体から配られる公的な予算以外に、寄付を頂いたってことですか?」

 

「ええ、子供たちの恩人よ」

 

 これもかなめが語っていたことだが、予算不足になると学校だろうと病院だろうと容赦なく閉鎖していくアメリカ本土と違って、日本だと公共性の高いと見られた施設にはそれなりの交付金が配られる。

 

 こればかりは政策の違いってやつだが、どうやら俺が知った気でいたのは上っ面の知識だけ。交付金や公的な予算があろうと、どこもかしこも余裕があるってわけじゃないらしい。となると、備品や用具を無料で提供してくれる存在は本当に大きい。パソコンなんて数台そろえるだけで0がどれだけ並ぶか。

 

「ただ、困ったことにその人……名前も分からないの」

 

「それは、どうして?」

 

 ほんの少しの違和感、些細な困惑を混ぜた声色で夾竹桃は聞き返した。俺も微妙な引っ掛かりと共に耳を立てる。

 

「最初のプレゼントと一緒に手紙が付いてたんです。次からは要望のメモを箱にいれて置くようにって。欲しいもののメモを箱にいれて外に置いておくと、数日後には届けられる。真夜中に運んでるみたい」

 

「真夜中に届けてくれるなんて、なんだかサンタみたいですね」

 

 思わず口にしてしまったが、安らかな笑みで頷いてくれた。

 

「ええ。条件は一つ、匿名のままでいること。だから公にもしなかったし、正体も詮索しなかったけど今はどうしても知りたくて」

 

「なにか理由が?」

 

 今度は俺が聞き返す。どこか不穏な匂いが既に漂ってるが錯覚じゃなかった。

 

「スポンサーの身に何かあった気がする。いつもは箱にメモをいれると翌日にはなくなるの。でも5日前に置いたメモがまだそのまま、こんなこと今までになかった。何かあったとしか思えない」

 

 一年半、欠かさずに回収されていたメモが今になって放置、途切れてしまった。都合が悪くてすぐ取りに来られないか、あるいは取りに来ることができない理由があるのか。仮に後者なら穏やかな理由は期待できそうにないが──今の段階ではそれも推測。

 

「私は "優しい人" になれという教育をしてきました。善意の輪は広がっていくものだから、思いやりを忘れるな、と。学校を救ってくれた恩人なんです。無事かどうか知りたい」

 

 これ以上ない真っ直ぐな瞳に気圧され、俺は視線を伏せる。善意の輪が広がる……か。それはなんというか、綺麗な教えだな。正面から口にするのは躊躇いそうになるくらいの綺麗な教えだ。

 

「──ようするに行方不明者の捜索か。けど、今回は探してる相手がどこの誰とも分からない。タフな仕事になるな」

 

 部屋をあとにすると、二人して廊下の壁に背をつけて並んだ。周囲にはせわしなく下校や部活動の向かう生徒が行き来している。

 

 名前、素性、容姿、今の段階では何一つ情報がない。探偵科で言うところの『調査費用だけがふくらんでいく仕事』だ。一見、行方不明者の捜索に思えるが相手の情報がまるで白紙ってのが厳しい。依頼内容を頭の中で整理しながら、額を指でつつく。

 

「───降りる?」

 

「お前は降りないだろ、付き合うよ」

 

 夾竹桃は最初目を丸くしたが、やがて不敵に口の端を持ち上げる。

 

「良かった。私は武偵高に戻って、要望のメモを投書してたって箱を調べてみる。いくつか指紋が取れるかも」

 

「頼んだぞ鑑識科。俺はカメラ映像をチェックしてくる。あと寄付してくれたってパソコン、出所から購入者が分かるかもしれない」

 

 八方塞がりには慣れてる。いつだって無茶苦茶な問題ばかり投げられてきたわけだしな。

 

「何かあったら連絡しろ。こっちも何か分かったら連絡する」

 

「名無しのサンタを探すとしましょう」

 

 ああ、サンタ探し。インパラのキーケースを隣へ投げ渡し、俺は玄関とは逆方向に体を反転させる。モニターに張り付いて映像のチェックか、ここ最近で一番平和的な仕事だ。

 

 

 

 

 

 まだ小さかった頃、親父やボビーはナイフや魔除けのペンダントばかりくれたけど、エレンだけは『刑事コロンボセット』を買ってくれた。指紋をとれるあれだ。夢中になってボビーの家中の家電製品をとった、酔っぱらいが粉を吹きながらぼやいてたよ。

 

「進展はあった?」

 

「いくつか指紋が取れたわ、一部だけど。あとで探ってみる」

 

 帰宅した我が家では、『要望箱』と貼り紙のされた箱から夾竹桃が指紋の採取を終えたところだった。それが要望のメモを投書してた箱か、銀色にところどころ粗い傷が目立つ。

 

 一年半、この箱がずっと橋渡しに使われてたんだな。これが学校とターゲットを繋いでいた唯一の架け橋。腕組みしながら見据えていると、椅子に座ったまま首だけを巡らせた夾竹桃が綺麗な瞳を向けてくる。

 

「そっちは?」

 

「進展があった。映像の方はダメだったが、3ヶ月前に例のスポンサーがモニターを15台寄付したんだ。購入した店が分かった。店長がスタッフに話を聞いてくれたんだけど──」

 

 俺は一度言葉を切ると、テーブルに添えられた椅子に座る。

 

「──モニターは()()()()ものらしい」

 

 視線を結んでいた瞳が、一瞬丸くなる。単なる人探しで終わらないのは彼女の方も薄々感じていたらしい。作業に使っていた手袋を脱いで、やんわりと肩がすくめられる。

 

「名無しのサンタが泥棒とはね。綺麗に連なってきた物語が今の一瞬で台無しだわ」

 

「神が見捨てた世界に何を期待してんだよ。いいことを教えてやる、燃え上がった火はコーラで消せ」

 

「それは経験からのアドバイス?」

 

「バーではみんなやってる。フラれた傷をビールで慰めるんだ、俺はコーラってだけ」

 

「強い水か、炭酸か」

 

「強い水?」

 

「お酒。ロンドンではそう言うの」

 

「どうりで回りくどい」

 

 エレンのバーで何度立ち昇った火をコーラで鎮火したことか。あのバーに来た男は、漏れ無くジョーにポーカーを挑んではカモにされる。で、最後には欠片ほど残ったチップでカウンターでビールを頼む、エレンの苦笑い付きで。

 

 愛しの炭酸を求めて冷蔵庫まで出向くと、後ろから足音がついてきた。今では神崎や理子、かなめやジャンヌの物まで収まっている我が家の冷蔵庫を開いた。

 

「一年半、盗品を学校に寄付してたってこと?」

 

「金持ちならポケットマネーで払うが、金持ちじゃなかったんだろ」

 

「まるでどこかのドラマみたいね」

 

「ドラマに出てくるはんなりお茶目の泥棒とは限らないがな」

 

 案の定、理子が蓋にマジックペンで自分の名前を書いたプリンやかなめが愛飲するキャラメルミルクが目を惹く。一年前はむしろ空きが目立つくらいだったのに今ではその逆。賑やかになっちまったなこの冷蔵庫も、この部屋も。住人が一気に増えた。

 

「失礼するよ、ユキヒラ」

 

 冷蔵庫から瓶コーラを2本抜いたとき、玄関から聞き覚えのある声がした。栓抜きを手にした夾竹桃が横目を向けてくる。

 

「呼んだの?」

 

「ここまで歩いて帰ってきたと思うか? 頼みごとをするついでに乗せてもらった、お高いポルシェに」

 

 追加で抜いたもう一本も持って来客──ワトソンくんちゃんを出迎えた。近頃は企業コンサルタントの依頼も引き受けるようになったらしいワトソンが、鞄から取り出したノートパソコンをテーブルに広げる。

 

「悪いな、無茶言って」

 

「無茶ってわけでもないよ、ボクに限ってはだけど。ほら、これがお望みの調書だ」

 

 食い入るように夾竹桃が画面を見る。

 

「警察の? よく手に入ったわね」

 

「流石は優等生。アイスマンだな」

 

「アイスマンって、トップガンのかい?」

 

「……」

 

「一応聞いてあげるわ。その顔はなに?」

 

「なんでもない。36時間振りに感動したってだけ」

 

 トップガンはいいぞトップガンは。なんと言ってもFー14がふつくしい、乗り物おたくの武藤や島姉でなくても恋するね。ビーフジャーキーを数本まとめて齧り、上から炭酸を流し込む。

 

「口に詰め込みすぎ」

 

「女房か」

 

 蠍のいちゃもんは無視。喉が潤ったところでかぶりを振り、俺も調書の映ったパソコンを遅れて注視する。ワトソンくんちゃんの贈り物を一枚ずつ検閲していくが、

 

「同業者の貴方から見てどうなの? 何か分かるんじゃない?」

 

「泥棒じゃねえ、ハンターだ。ちょっと待て、詳しい状況を見ないと専門知識は活かせない」

 

 半眼を作り、デジタル化された資料のすべてに目を通す。ま、読んだ感想としては、

 

「このサンタはお一人様だな」

 

「あら、どうして?」

 

「ここだよ。アラームが切られて、その三分後に防犯カメラが切られてる。一方をやってから移動して残りをやったんだ、仲間がいるなら同時にやってるよ。オーシャンズ11みたいに」

 

 さっきはああ言ったが、許可なく禁止区域や住宅地に踏み行ったり、無断でオカルトグッズを拝借したことは一度や二度じゃない。同業者になったつもりで考えれば、少ないながら手がかりは拾える。

 

「この犯人はかさばるものを大量に盗んでる。ポケットに入れて運ぶわけにもいかないし、バンかトラックが必要だな」

 

「盗む度に車を調達してないとすると、同じ車を使ってるね。カメラに映ってるかも」

 

「けど、あの辺りは住宅や店が少ないぞ。となると、道路のカメラだな。なんとかなるかも」

 

 一年半だ。盗みの度に車を変えるのも労力がいる、乗り捨てるにしても足はつくしな。流石にワトソンくんちゃんの見立ては鋭い。画面から目を離し、軽く伸びをする。

 

「脳ミソフル回転モードね。お得意のダークなやり方?」

 

「俺だけ悪党扱いするな、お前だってガキのクッキー盗んだだけじゃないだろ」

 

 コーラを喉に流し込み、乱暴に間を作る。

 

「チャーリー・ブラッドベリーの講義を1ヶ月受けた、俺だって優等生だ」

 

「初めて聞いた名前だけど、共通のお友達?」

 

「半分は正解、半分は外れ。私が知ってるのはあっちの世界の彼女だけなの」

 

「あっちもこっちも大して変わらねえよ。ハーマイオニーが大好きなパソコンオタクで、現場もこなせる裏方。神は二物を与えずっていうけど、彼女は全部与えられた」

 

「あっちとかこっちとか、まるで映画の話みたいだね……映画なの?」

 

 言うに及ばずだよ、ワトソンくんちゃん。現実と空想の境界が曖昧になるのがハンターや武偵って仕事だ。常識がねじ曲がる。おそらく、アメリカ本土で一番電子機器とネットワークに強いハンター、それがチャーリー・ブラッドベリー。

 

 意外とファンキーなところがあるから、アッシュと知り合ってたらきっと意気投合してたな。じゃあ、ちょっと失礼して俺のパソコンを机に広げていく。ワトソンくんちゃんのパソコンは袖に寄せてっと……立ち上がれ、俺のパソコン。

 

「一応聞いておくけど、正式に手続きを踏んで開示してもらうプランは?」

 

「悪いなワトソン、今だけ目を瞑ってくれ。盗みに入ってまで寄付してたとなりゃよっぽどのことだ。ここまでやって急に音沙汰なしってのは、やっぱり何かあったとしか思えない」

 

「時間が惜しいってこと? 本音を言いなよ、手続きするのが嫌なだけだろ?」

 

「それもある。地球のおまわりさんはおっかないからな」

 

 普通の依頼なら映像の開示を待つが、どうにも今回の依頼は普通じゃない気がする。一年半の課外活動の間にやばいものに手を出しちまったのかもな、本人も知らないうちに。

 

「学校に届けられるのはいつも夜中よ。時間と日付も分かってる、その時間に同じ車が何回も通ってたら──」

 

「それが名無しのサンタクロース。平成のロビンフッドだな」

 

「ロビンフッド?」

 

「盗んだものを分け与えてる、だから平成のロビンフッド。みんな好きだろ? 平成のシャーロック・ホームズとか先人を現代に置き換えての例えがさ」

 

 怪訝な顔を作ったワトソンにキーを叩きながら答える。いつも考えるんだけど、平成のシャーロック・ホームズが存命中に年号が変わったらどうなるんだろ。

 

 平成のまま? それとも新しい年号のシャーロック・ホームズに改名されちまうのかな。というか、武偵には刑罰三倍ルールがあるから手続きをすっ飛ばして映像を盗み見るこの行為も火傷じゃ済まないかもな。だが、今回は非常事態だ。ここまで来たら、キーを打つ指も止まらない。

 

「平成のロビンフッドはこんなことしないわ。彼女は正当に受け取った報酬を民に分け与える、家電を盗んだりしない」

 

「そういや、イ・ウーにはいたんだったな。ロビンフッドの末裔って凄腕の弓兵が」

 

「弓兵であり、超能力者だよ。そっちも凄腕だ」

 

 記憶にある、キンジが欧州でぶつかったって女だな。パトラは砂、ヒルダは雷、カツェは水と来て──彼女は風。高度な超能力と弓兵の技術を兼ね備えたハイブリッド、超能力だけに依存してないってところはジャンヌと同じか。

 

「風を使役する魔女……ゾッとするぜ。ハスターはクトゥグアやニャルラトホテプよりもやばい」

 

「……その連中と戦ったなら、君はもう人間を辞めてる。おめでとう」

 

「じゃあ、俺はまだ人間だな。あの神話の神々とは戦ってないよ、知り合いの子供が一時期夢中になってただけ。もう俺たちのことも──()()()ないけどな」

 

 ちくしょうめ、間違って包丁で自分の指を切った気分だ。マヌケにも程がある、バカか俺は。しかし、この映像……

 

「目ぼしい車は見当たらないわね。あまり考えたくないけど、課外活動の度に車を変えていた」

 

「だとしたら、お前が回収した指紋が最後の手がかりになっちまうな。指紋がヒットしなかったらおしまいだ」

 

「望み薄でしょうね。車まで変えてるなら、指紋から正体が割れるなんてケアレスミスを望める相手じゃない」

 

 何度か繰り返しチェックしたが、カメラにターゲットの泥棒らしき車は見当たらなかった。沈鬱げに画面から目を逸らすが、逸らした先にあった鈴木先生の顔は何か言いたげだった。手袋をしてない方の白い指が、すっと顎に寄せられていく。

 

栗鼠娘(リスむすめ)──」

 

 ふと、その唇が動いた。

 

「リスむすめ……? なんだそれリスの擬人化ゲームか?」

 

「以前、乾桜が式場警備の依頼の折に捕縛した式場荒らし。中村ナジカ、またの名を栗鼠娘。一度は逮捕されたけど、連行中のパトカーから逃走した」

 

 淡々といつもの調子で言葉が重なる。式場がリスの餌場か、なんとも洒落てるな。

 

「このタイミングで出てくるってことはそいつが匂うのか?」

 

「 "富を持つ者は貧しい者に富を分け与えよ" が彼女の理念。義賊の考えね。モニターが盗まれたのは今も拡大中の大手の店よ。保険にだって入ってる。対してあの学校は?」

 

()()()()の側。寄付を盗品で賄うのは払えない小切手を乱発するようなもんだがな」

 

「その推測が当たってるにしても外れてるにしても直接話を聞く必要はあるね」

 

 鋭い声でワトソンがそう言うので、この機を逃さず俺は話を振った。

 

「見てのとおり一癖ありそうな依頼だ。臨時と言わず、最後までお付き合い願えます?」

 

「構わないよ。この依頼なら、派手な爆発シーンもなさそうだからね」

 

「あるわよ、ちゃんと雪平の爆弾発言が」

 

「バカかお前は。知ってるか、嘘と偽りは人と人との関係をダメにするんだぞ?」

 

 何が爆弾発言だ、お嬢様が大好きなスリルもちょっとした冒険もここにはございません。キレ味はこの上ない返しだったけどな。

 

 だが、ワトソンくんちゃんは最後まで相乗りしてくれるらしい。これは心強い助っ人だ、マンチェスターでは探偵科を専攻してた話だし。

 

 新たなカードが加わったタイミングで、状況を整理すべく喉に炭酸を入れて一息つく。入れ替わりにワトソンが新たに会話の口火を切った。

 

「そもそもどこの誰とも分からない相手を探そうとするのがナンセンスだよ。正攻法は駄目だ、アプローチを変えてみよう」

 

「いっそ星枷に犯人を占ってもらう?」

 

「君も言ってたじゃないか、盗みに入ってまで寄付を続けるなんてよっぽどのことだ。唐突に連絡を打ち切るとは思えない、理由もなしにはね」

 

 それについてはこの場の全員が同じ意見だ。盗みをやってまて続けてきた支援を唐突に打ち切るなら、それだけの理由がある。すかさずワトソンは続けた。

 

「じゃあ、その理由はなんだと思う?」

 

 神崎やジャンヌに負けず劣らずの綺麗な瞳が半眼を描く。微かな間を置いてから、隣から凛とした声が響いた。

 

「課外活動……やばいものに手を出した?」

 

「俺もそう思う、やばい連中を怒らせた。でも盗んだのは学校で使われる備品だ、どこの誰から癇癪を買ったんだか」

 

「ただの備品じゃなかったのかもしれないよ。だから犯人も気付かずに手を出しちゃったんじゃないかな。最後に寄付されたのは?」

 

「待て、確か──」

 

 メモ代わりに使った携帯の未送信ボックスを開いていく。よし、あった。

 

「最後に寄付されたのは──消火器だな。全部で15本、防災訓練で使うからって。……待てよ、もしかしてこれ──」

 

「……ええ。外は消火器、でも中身は別の物かもしれないわね。消防法を盾にしたフェイク、犯人は中身が違うことを知らずにそれを盗んだ」

 

 冷たいものが背中を撫でる。推測と言ってしまえばそこまで。しかし、この推測は……通る。通ってしまう。疑念の火が燻ったの俺に限らず、夾竹桃は携帯電話を取り出すと素早くダイヤルのキーを打ち込んだ。

 

『鈴木です。ええ、申し訳ないんですが今から伺っても構いませんか? はい、例の寄付してくれた相手の捜索に繋がることで──ありがとうございます。それでは後に』

 

 ぱたん、と携帯が畳まれて鋭い瞳がワトソンに向く。

 

「行きましょう。飛ばしてもらえる?」

 

「おい、まさかとは思うがワトソンのポルシェに三人で乗り込むのか? あの狭いところに?」

 

「時間が惜しいの、我慢なさい。遊戯王カード買ってあげるから」

 

「人をバカにするのも大概にしろ。1パック147円で俺を買収するのにも限度があるぞ」

 

「と言いつつも最後には折れるのが君って人間だよね……僕にも分かってきたよ」

 

 




 

『昼間のテレビを見たことあるか、最悪だぜ』s1,12、ディーン・ウィンチェスター──


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リーサル・ウエポン

 

 

 

 ワトソンのポルシェで学校に舞い戻った俺たちは、寄付された消火器が置かれている離れの倉庫に足を向けた。

 合計で15本、うち何本かはもう校内に設置されたあとで、残りが倉庫に保管されているらしい。消火器の中身が別物の可能性がある──その旨を伝えて倉庫の鍵を校長先生から借してもらった。

 

「ビンゴだね。見たところ使ってないのに薬剤が入ってる感じがしない」

 

 使い古されたって言葉がこれ以上ない倉庫の中で、ワトソンが手に取った消火器を睨みながら言った。

持ち上げたり逆さにしたり、最終的には栓を抜いてレバーを握るがノズルから中身が吹き出す様子はない。

 

 手元で消火器を弄った果てにワトソンが出したのは、やはり消火器の中身がすり替えられているという笑えない結論だった。訝しげな瞳がそっとこっちに向く。

 

「ユキヒラ。中身を確認したい、頼む」

 

「消火器の切断を頼まれるとはね。それは予想してなかった」

 

 ワトソンがテーブルに消火器を寝かせると、制服の懐から元始の剣を抜く。贅沢な包丁だ。カインもアバドンもまさかこんな使い方をされるとは、思ってもいなかったろ。

 

「……ワトソン、たしかに薬剤が入ってる感じじゃないな。もっと別の……」

 

 中身ごと切らないように、底から数10cm手前を元始の剣で切断する。

 熱いナイフでバターを切り落とすように、一つの消火器が二つに両断されるが、その中身を見たワトソンがらしくもなく舌を鳴らした。

 

 俺も鳴らしたい気分だよ、こんなものがプレゼントなんて悪夢ですら足りない。

 

「マンチェスターにいた頃、薬物を溶かしてボトルで密売しようとした事件があったんだ。今の技術なら精製して簡単に粉に戻せるからね」

 

「今回はその必要もない。見ろよ、清々しいもんだ」

 

 手の中のものを苦笑いを添えてワトソンに向ける。

 白一色で染まったパックの中身は口に出すまでもない。アクション映画や警察ドラマのなかにも頻繁に登場する有名な向精神薬だ。

 

「前に見た映画だと輸送するロケットランチャーの中にアヘンを隠してた。でも現実は消化器の中と来たか」

 

「中身がこれだと火は消せないね」

 

 ああ、これじゃ小火も消せない。

 消火剤には似ても似つかないものが飛び出したな。しかもこいつは……

 

「おい、寄付されたのは全部で15本って言ったよな? 1本の消火器にこの量だとして……こいつがあと14セットもあるってことか……?」

 

「報復の動機には十分過ぎるわね。どこから拝借したのか知らないけど、血眼になって行方を探してるはずよ。名無しのサンタも、盗まれたプレゼントも」

 

 半眼を作りながら夾竹桃が言った。洒落た言い回しを誉めてやりたいところだが、頭の中でざっと計算した総量が賛辞の気持ちを台無しにしてくれた。

 

 とんだクリスマスプレゼントだ。

 この量を盗まれたとあっちゃとても見逃してくれるとは思えない。

 

「盗んだ犯人の安否は分からないけど、これをこのままにしておくのはマズイね。残りの消火器もかき集めて運び出そう」

 

「けど、ここに寄付されたことがバレて、目当ての物が見つからなかったら? 十中八九、普通の連中じゃないんだ。目的の物がないって分かったら癇癪を起こして暴れ回らないか?」

 

「どちらにしてもリスクはついて回る、危険は避けられない。しばらく学校に警備をつけてもらって、その間に大元を叩きましょう。蜂の巣を女王ごとね」

 

 いつもと変わらない落ち着いた声での魔宮の蠍からの進言は……ごもっとも。どちらを選んでもリスクはついて回る。安全な道はないか。

 シャーロックじゃないんだ、先の未来なんて読めない。一息、沈黙の間を置いてからワトソン、夾竹桃と順番に目を配り、立てた親指で倉庫の外を指す。

 

「外にバスがあった、あれを借りよう。一度に全部運び出せる」

 

「乗った。ボクとユキヒラで校内にある残りの消火器を集める」

 

「キーを借りてくる、手早くいきましょう」

 

 ああ、手早くさっさとな。

 倉庫にあったキャスター付きのボールカゴを引っ張り出し、俺たちは倉庫に置かれた残りの消火器を投げ入れた。

 

 

 

 

 

 

「これで全部か?」

 

「全部だよ、ひとまず武探偵に戻──」

 

 屋外でボールカゴに積んだ消火器をバスに積み直していたとき──言葉を遮ったワトソンの視線が、道路に面した出口の門へと向いた。

 

 視線の先を追うと、黒のSUVがふざけた速度から急ブレーキをかけて停車したところだった。

 あの我が物顔の荒い運転……苦々しい声でワトソンが呟く。

 

「来客だと思う?」

 

「まさか、黒のSUVが2台だぞ。あの荒っぽい運転、行儀の悪いゲストに決まってる」

 

 バケツリレーの要領でワトソンから受け取った最後の消火器をバス内の夾竹桃に手渡す。

 ちくしょうめ……ビンゴだ、わらわらと行儀の悪そうな男が出てきたぞ。2台から6人、あのバーのカウンターにでもいそうな格好、来賓の方々じゃなさそうだ。

 

 ……俺たちがお目当ての消火器を積んでるところも見てたって顔だな。

 みんな仲良くこっちのバスに危険な視線が集まってる。穏やかに挨拶を交わせる感じの空気じゃないな。

 俺たちが出払う直前でのエンカウント、タイミングが良いのか悪いのか。蜂の方からやってきた。

 

「乗りなさい、全員をひき付けて逃げる」

 

 夾竹桃は即決。議論してる余裕はなく、俺とワトソンもバスに乗り込む。音を鳴らして、バスの開閉扉が閉まった。送迎用のバスは出入口の門を目掛けて真っ直ぐに直進するが、門の前に2台のSUVが手を繋ぐように横になって並んでいる。

 

「おい、前を塞がれてるぞッ!」

 

「言い訳を考えておきなさい」

 

 ハンドルを握る女はあろうことかバスを加速させる。車の前に集まっていた男たちも、こっちが減速しないのを察して蜘蛛の子を散らすように道を空ける。

 

 バスは減速することなく並んでいたSUVを体当たりで退かしながら、道路に躍り出た。な、なんてことだ、力業で正面突破しやがった……

 

 後ろを見ると、綺麗に並んでいた二台のSUVは仲を引き裂かれたように離れ離れに弾き飛ばされている。

 

「……お前、たまに無茶苦茶やるよな」

 

「君の影響じゃない?」

 

「ゾッとする会話はやめて頂戴。状況確認」

 

「よし、単細胞で助かった。2台とも付いてきてる。諦めムードじゃなさそうだが」

 

 学校のバスだ。今の体当たりで作った傷の問題は後で考えるとして、後ろの窓からはしっかりと追尾してくる黒塗りの車が2台とも見える。誘導に乗ってくれたのは幸いだ。が、窓から飛び出した黒色の銃身に喉から声が飛び出た。

 

「な──AK47……!? 日本のデパートはそんなもん売ってんのかッ!?」

 

「サイズで負けてる!」

 

 ワトソンの叫びは無数に連なった発砲音にかき消された。銃痕が車体に刻まれる音、窓のガラスが割れる音がそこに混ざっていく。第一派が止むと、車内には細かく粉砕されたガラスが無惨なことに床や座席の上に飛び散っていた。

 

「……信じられない。薬を飲んだフェレットのようだよ、なんて気が短いんだ」

 

「それだけお怒りなんだろ。妙に落ち着いてるけど、もしかして不幸に酔いしれるタイプ?」

 

「君がそうだろ」

 

「世界の破滅がかかってないだけマシ。バスで逃亡なんてあれを思い出す」

 

「なにを?」

 

「──ハムナプトラ2!」

 

 最後部の席の穴だらけになったガラスを足で叩き割り、追尾する二台の車に向けてトーラスを連射。2台の内の前方にいる車の右タイヤをワトソンが、左タイヤを俺が撃ち抜くが──

 

「ちくしょうめ。またこのパターンか!」

 

 ……また防弾仕様のタイヤか。どいつもこいつも車に金をかけすぎる。島の姉から聞いたが、防弾仕様の改造も安くないんだぞ。

 

「伏せてッ!」

 

 とっくに伏せてますよッ……ワトソンくんちゃん……!

 

 こっちの自動拳銃とは異なった、間隔なく連なった発砲音と叩き割られていくガラスの粉砕音が耳を串刺しにする。借り物なんだぞこのバス……!

 

 AK47は世界でもっとも使われたとされる軍用銃、大国ロシアが生んだ傑作兵器だ。見てくれだけのサイズがデカい銃とはワケが違う。単細胞と言ったが銃の趣味が良い。

 

「夾竹桃、もっとスピード出ないのか!」

 

「これが精一杯!」

 

 接近してくるSUVに、9mmパラベラムを二挺でばらまいてなんとか下がらせる。前の車も後ろの車もAKで武装してやがる。左の助手席、右の後部座席、2台で合わせて4挺の自動小銃。火力が違いすぎる、アンフェアもいいところだ。

 

 弾が鉄を打つ音が間隔なしに響き渡る。狙いも何もない、数に物を言わせて弾をばら撒いてやがる。下手でも数を撃ちゃ当たると言うがおまけに的もデカい。このままレースをやっても先にバスがダメになる。

 

「2台とも防弾だね、弾が通らない」

 

 シートの下に頭を下げ、ワトソンはげんなりとした表情で弾倉を交換。俺もホールドオープンしたトーラスに新たな弾倉を押し込む。

 

「弾を全部無駄撃ちしてくれるのに賭けるか?」

 

「その前にバスがダメになる、却下だ」

 

 右側に並んだ1台が側面から銃を乱射。残されていたガラスも片っ端から粉砕していく。舌を鳴らし、割れたガラスから俺も発砲。カウンター気味にボンネット、フロントガラスに弾を叩き込んで後退させる。ちっ、ばら蒔きすぎたか。

 

「夾竹桃、案があるなら聞くぞ。できれば弾切れになる前に頼む」

 

「リサイクルはできないの? 山ほど散らばってるけど」

 

「……聞かなかったことにする。ああ、お前の職業は錬金術師か。今度、俺のコインを金の延べ棒にでも変えてくれ」

 

「こんなときに言うべきことじゃないけど、夫婦喧嘩みたい。結婚したら?」

 

「ウケましたよ、貴族様。策がある、乗るか?」

 

 なけなしの弾倉を挿填し、スライドを引き絞る。

 

「あるの?」

 

「ああ」

 

「ヤバいやつ?」

 

「さあ?」

 

「どんな策?」

 

 俺は弾を込めたトーラスをそのままワトソンに差し出す。つまり、

 

「渡す。この弾を使って援護しろ」

 

「待って。君はどうするのさ」

 

「出たとこで行く」

 

 割れた窓に手をかけ俺はバスの外、屋根の上に乗り出した。

 

「待つんだ、出たとこって──それは策じゃないっ! 無策って言うんだよ!」

 

 普通じゃないよな、俺もそう思う。だが、常識的な奇策は奇策たり得ない。非常識であればあるほど、効果はある。ようするに、ここは常識の外側から攻める。未開域からの攻めだ。

 

 ワトソンの警告を無視し、吹き付ける風に半眼を作りながらバスの上にうつ伏せの姿勢で乗り出す。防弾のヘルメットもなしに銃弾乱れるバスの外に乗り出す、皮肉なことにバスジャックのときのキンジを彷彿とさせる状況だった。

 

 四方八方、どこからでも狙い放題。ギロチン台に首をかけた気分で、口に咥えたルビーのナイフを右手の掌に押し当てる。追ってくる武装したSUVに頭を向ける姿勢にはゾッとするが、掌に咲いた赤色をざらついたバスの屋根に一気に塗り広げた。

 

「雪平ッ! 策があるなら急げ! 長くは抑えきれないぞ」

 

 聞き慣れた発砲音が二種類、追尾する2台を牽制する。一剣一銃は見たことがあるが双銃もこなせるのか、さすが二つ名持ち。

 

「急いでますよ、頭に鉛は欲しくねえからな」

 

 ワトソンに急かされる形で、掌に走る苦痛をガン無視。ざらついたキャンバスに血の図形を書き上げた。それは血を引き金とする、インスタントの閃光弾──

 

「yippee- ki-yay……ざまあみろ」

 

 血に濡れた手を、書き上げた赤い図形に押し当てる。血に反応し、音もなく放たれた青白い閃光は何の前触れもなく2台のSUVのドライバーを襲う。本来は対天使だが、その閃光は人間の目を焼いて動きを止めるには十分。

 

 粗っぽい運転を続けていたSUVは後ろの1台が減速しないまま前のお仲間に追突。前の1台は真横になって横転し、後ろの1台も路肩の砂利道に乗り出すようにして横転──そして、俺が足場にしていた穴だらけのバスもけたましい音を立てて急ブレーキがかかった。

 

「お、おっ……!?」

 

 本土の学校生活は転校続きだったけど、理科の授業での実験の楽しさは今でも覚えてる。慣性の法則だ、一度動いたものは別の要因が働かない限りは走り続ける。例えばそう、ブレーキとか。

 

 ずっと走り続けていたバスからの急激なブレーキ。不安定極まった足場に留まれず、俺もアスファルトの上に投げ出された。咄嗟に頭からの転落を防いだだけでも、自分を誉めてやりたい。

 

「……ちくしょうめ」

 

 優しくない痛みにぼやき、硬い道路にうつ伏せになっていると、後ろからドアの開閉音が耳に届く。足音が二人分、耳元で止まった。

 

「君は究極の利口かバカのどちらかだね」

 

「前は列車、その前は飛行機から飛び降りた。一度でいい、歩いて乗り物から出てみたい」

 

 仰向けに転がると、呆れた顔のワトソンくんちゃんと腕を組んだ夾竹桃が目に入る。心配より先に率直な感想が出るところ、実に安心する。俺は重たい右腕を持ち上げ、気だるく横転した車の方向を指差した。

 

「とりあえず救急車を呼んでくれ。この世からクビになる前に」

 

 あと、9条破りになる前に。

 

 

 

 

 

 日が暮れ、夜が降り、朝が来た。朝が過ぎ、いつもと変わらないありふれた昼がやってきた。

 

「私は金の重さで仕事を選びはしない。金に籠められた想いの重さで、やるかどうか決める」

 

 やけに快活に、インパラの助手席に座った彼女は言った。包みを解いた棒キャンディーが、いつもは煙管が陣取っている口元を占領している。

 

「それ、カナの言葉だろ。キンジがパクってるの見たことある。でもまさか、報酬のほとんどを返しちまうなんてなぁ」

 

「バスを穴だらけにしたのは私たち」

 

「それもそうか」

 

 そう言われると返す言葉はない。頭の後ろに手をやったまま運転席のシートに倒れる。結局、穴だらけの送迎バスは新しいものに買い替えが決まったらしい。保険と大半を送り返した報酬でなんとか賄えるそうだ。

 

 依頼完了の報告を終え、インパラの窓を通して青と白に広がった空を仰ぐ。実家に連絡があるとかでワトソンは席を外してこの場にはいない。同じく、神崎も母親であるかなえさんとの面会の機会を急遽セッティングしたと連絡があった。こっちの理由は分かりきってる、色金だ。神崎の中に埋め込まれた、意思を宿した金属──

 

「ええ、こっちの用事はいま終わったところ。暇ができたらかけて頂戴、オルレアンの聖女様」

 

 留守電にそう言い残したあと、携帯電話が折りたたまれる。

 

「暇ができたらかけて頂戴って、お前って本当にロマンチックだよな。ジャンヌが夢中になるのも無理ない」

 

「妬かないでよ。貴方にもいつかそう言ってくれる相手が現れるんじゃない? いづれ、人類が滅んだら」

 

 悪びれた様子もなく、まるで些細な悪戯が成功したような顔で。くすりと彼女は笑う。

 

「エイリアンとデートなんてごめんだ。出すぞ」

 

 一悶着あった学校の駐車場を抜け、逃走劇を演じた道路にインパラで躍り出る。生まれたときから脳裏に刻まれていたような、耳に焼き付いてしまったV8エンジンの音を掻き鳴らし、愛しのインパラは殺風景でがらんどうな道を進む。

 

 結局、泥棒として名前に挙がった栗鼠娘とやらは、俺たちがレースをやった裏側で、乾が別件で取り押さえたらしい。消火器を盗んだのは栗鼠娘ではなく、栗鼠娘に感化された貧しいものに盗品を配る泥棒。早い話が栗鼠娘の模倣犯。こっちも学校を襲撃した連中が借りていた廃れた一軒家に軟禁されてるのが見つかった。

 

 今は病院で検査中だが命に別状はない。俺たちが発見したときは椅子に両手と両足を縛られた古典的な姿勢で、口はガムテープで塞がれた映画みたいな光景だった。多少の外傷はあったが早々にゲロったらしく目を覆いたくなるほどじゃなかったのは幸いか。仮にお目当ての物が見つかったあとは──どうなっていたかは考えたくないが。

 

 盗みは罪──しかし、犯人の行動でこの学校が救われたことも真実。彼女が正しいのか、間違っているのか。それについては俺からこれ以上言うことはないし、言えるものでもない。

 

 犯人は捕まり、警察に搾られる。あの学校はこれからも続いていく。それが今回の顛末、それ以上は何もない。依頼主も名無しのサンタの正体を知った、これにてお仕事完了。

 

「……なんか喋れよ。やっと仕事が終わったのに変な雰囲気だろ」

 

「パソコン中」

 

「パソコン中?」

 

「貴方は運転中、私はパソコン中」

 

 横目を向けると、膝にノートパソコンが乗せられていた。いつの間に……

 

「パソコン中なんて言い方はありません」

 

「貴方は運転、私は別の作業をする。これが役割分担よ」

 

「ああ。お得意のもちつもたれつってわけね。存分にカタカタしとけ」

 

 赤に明滅した信号で停止すると、後部座席に置いてあるダンボールボックスの中からテープを1枚引き抜く。

 

「役割分担ならそれっぽくしてやる」

 

「……どうしてサングラスをかけるの?」

 

「俺、ディーンと違ってサングラス肯定派の人間なの」

 

 UVカット仕様のサングラスをかけ、引き抜いたテープをデッキに押し込む。再生ボタンを押して──さあ、管制塔のスレスレを走ってやるか。

 

「……『Danger Zorn』?」

 

「チェンジは聞かないぞ。もうサングラスかけちゃったから、テイクオフだ」

 

「貴方も好きねえ、" トップガン "」

 

「日本人は負けん気で這い上がるドラマが大好物だろ?」

 

 やがて赤だった信号が青に明滅し、ハンドルを握りなおす。好きな車に乗って、好きな曲をかけて、見慣れない道を走る。なんとも贅沢だ。

 

「トップガンはいいぜ、トップガンは。ミッチェル大尉はかっこいいことこの上ないし、F14のまた美しいこと。熱くもなれるし、切なくもなれるし、穏やかな気分にもなれる、変幻自在に心を揺さぶる作品だよ」

 

「一昔前の映画を好むところ、お兄さんによく似てる。主人公が軍人の作品ってところが特に」

 

「頭担当? 筋肉担当?」

 

「貴方、たまに猛毒を吐くわね……」

 

 あっちも猛毒を吐くから別にいいんだよ。アンフェアにはならない。そう思いつつ、ふと思い出した別の話題を投げてやる。

 

「そういやメールが来てた。ケッチの野郎、今ハンガリーにいるってさ。ハンガリーって何があるんだ?」

 

「この機会に知識を深めてみれば? ちなみにルービックキューブはハンガリーで発明されたの」

 

「ホントに? それは知らなかった」

 

「彼、敵だったんでしょ。貴方のお母さんから聞いた」

 

「お気に入りの傷の上に醜い傷を付けられた。まあ、所属があのUKの" 賢人 "だからな。最初は完全に敵同士、それが今ではグレーゾーンになったって感じ。最近は善人と悪人、悪者とヒーローの違いが難しい」

 

 最初は敵同士、思えばそれは隣の女も同じだった。メグのときもそうだった。最初の出会いは最悪も最悪。あのファーストコンタクトから何がどう転んだらこうなるんだろう。

 

 メグは──ジョーを殺す引き金を作った。憎悪をいくら束ねても足りない相手のハズだった。でもインパラの窓から見えたメグの最後の姿に、俺が感じたのは確かな喪失感だった。天使の剣がメグの腹を食い破る光景が、今でも頭に焼き付いて簡単に思い出せる。

 

 矛盾してる、ジョーが好きだった。なのに俺はメグを憎み切れない。あの悪魔を憎めない、本当に矛盾してる。

 

「難しそうな顔。どうしたの?」

 

 どうやら似合わない顔をしていたらしい。後ろを振り返り続ける限り、過去は死なない。それが綺麗な過去でも、汚い過去だとしても、過去は死んだりしない。

 

「話したいなら聞いてあげる。話さないなら、話したくなるまで付いていく」

 

 ジョーからは色んなものを貰った。それまで知らなかったもの、そうでないもの。一緒に過ごした時間は長いとは言えないかもしれないけど、それでも、本当にたくさんのものをくれたと俺は思ってる。

 

「あー……その、腹減ってない?」

 

「? いつも減ってる」

 

「じゃあさ、レストラン寄ってかない? ファミレスでも、そうでないところでも」

 

 あんな女に会えるのは一生に一度だ。

 

「テイクアウトするの?」

 

「店で食べる」

 

 いや──

 

「……じゃあ付き合ってもいいけど」

 

 ──二度はあるかな。

 

「決まりだ、食べに行こう。奢るよ」

 

「……奢ってくれるの? 私の誕生日なら今日じゃないわよ?」

 

「本気で驚いた声出すなよ。失礼なヤツめ」

 

 

 本当に失礼な女なんだよ、ジョー。

 

 

 思ったことを躊躇いなくぶっ放すし、なんていうか沈んだままにさせといてくれない。

 

 

 きっと──君も好きになると思う。

 

 

 

 



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アメリカ本土編
再度のお招き


「──待ってたよ、ウィンチェスター」

 

 以前、庭掃除で一度訪れたキンジの実家。塀の前にいた仏頂面の獣人が声をかけてくる。

 

「再度のお招きありがとう、ツクモ。サードは中に?」

 

 妖狐ツクモ──ジーサード一派の超能力、及び獣人絡みの外交や交渉を担当する女。目立つマッドブラックのプロテクターを着こんだツクモは俺には何も言わず、踵を返して家に入っていく。

 

 腰部プロテクターの穴からシッポが丸出しの背中を追いかけて、俺も玄関の敷居を跨いだ。今では米国のブラックリスト入りを果たしているキンジの祖父様、そしてどこかの戦闘民族の出と言われている祖母様に挨拶してから──ツクモの消えたキンジの部屋の襖を開いた。

 

「……ジーサード?」

 

 クエストを片付けた翌日。今日俺をここに招いた張本人であるジーサードが、畳に座り込んでトマトを丸かじりしていた。ギプスとサージカルテープを体に巻きつけた、明らかに負傷した姿で。

 

「──よう、ユキヒラ。そのツラどうした、ココナッツが落ちてきたか?」

 

「そんなにひどい?」

 

「いや、前よりマシになったぜ」

 

「切れ味の良い皮肉をありがとう。そっちは二階建てバスの下敷きにでもなったわけ?」

 

「バスならパンチ一発で沈めてやった。もっとやばい化物さ」

 

 トマトの咀嚼音に続き、背筋の冷たくなる言葉が出てくる。元大統領のボディガードに化物と言わせる相手……考えたくないな。ジーサードに敗走を決めさせたとなりゃ、そいつは間違いなく化物だ。プレデターやメガトロン級の。

 

 元々、ジーサードはロスアラモス研究所から逃げ出した脱走兵。かなめと同じく追われる身の立場だ。

 

 暗殺におくられた刺客を片っ端から退けては味方につけて、ジーサードリーグという一勢力を築いたことで新しい刺客がおくられることはなくなったが、出生のしがらみや因縁はそう簡単には無かったことにできない。私怨や恨みを買ってる相手は0じゃないだろう、本土は広いからな。

 

「エイリアンの尻尾を踏みつけちまったか」

 

「そんなところだ。ちぃとばかし掠り傷をもらってな」

 

「ライフが0にならなきゃ掠り傷?」

 

「首が繋がってりゃなんとかなる」

 

 乱暴に投げられるトマトを左手で受け取り、ありがたく齧りながら敷かれている座布団の上に座り込む。

 

「兄貴の方には部下を向かわせてある、そろそろ外務省も小細工に気づくだろうさ。イギリスも黙っちゃいねえ」

 

 それは、まるで先のことが見えているような口振りだった。今頃、神崎はキンジを伴って母親と面会してる。

 

 ──神崎かなえさんが "すべてを握っている" というカナの助言に従って。

 

「神崎の強制送還か。どこもかしこもあのお嬢様に躍起だな。んで、お招きしてくれたからには理由があるんだろ。お話はキンジが来てから?」

 

「ツクモ」

 

 守備役のツクモを部屋の外に下がらせる。和気藹々と話せる内容じゃないらしい。二人になった部屋で、ようやく本題とばかりにジーサードが話し始める。

 

「俺は本土の空軍基地──ネバダのエリア51とカリフォルニアのエドワーズをハシゴする予定だったんだがよ。目的の物がエリア51にある事が分かったんで、そこを攻めた」

 

 ジーサードは一度言葉を切ると、深く息を吐いた。

 

「色金だ。瑠瑠色金、空軍の保有する色金を狙って俺は攻撃を受けた」

 

「瑠瑠色金。というと、青い色金か」

 

「兄貴が大事にしてる以上、アリアには手を出せねえ。そっちの方は諦めたさ。だから、ネバダの瑠瑠色金を取りにいく。緋弾よりでかいヤツで場所が割れてるのは、エリア51のやつだけだ」

 

 色金──近頃、嫌でも耳にする単語が投げられる。ジーサードが色金を求める理由は、キンジが武偵高を留守にしているとき、かなめから聞かされた。恩人であるサラ博士の蘇生、こいつは色金がもたらす超々能力によって、かつて事故死したサラ博士を甦らせようとしている。

 

 つまり、()()()()()。一度消えた命をやり直させる、自然の摂理に反する行為。何の思案もなしに賛成していいほど、軽い願いではない。与えられた命は一度きり、その絶対的ルールをねじ曲げるって言うんだからな。十中八九、死の騎士の眼に留まる。

 

 自然と喉が詰まる。愛するものを失えば、誰だって最初は同じ事を考える。その願いは否定しない、少なくとも一度きりの命を贔屓してもらってる俺には否定できない。否定しちゃいけない。

 

「おい、何考えてやがる。眉間のシワはなんだ」

 

 トマトの咀嚼音に思考は引き戻された。

 

「トップガンの新作が楽しみでね。ネバダと聞いて心が騒いじまったんだよ、ユー・コピー?」

 

「そういうことにしといてやる。テメエから本心を聞き出すとなりゃ骨が折れる」

 

「地獄で30年仕込まれたからな。相手の本心を引き出すやり方も、本心を隠すやり方も」

 

 キンジによく似た、皮肉めいた顔でジーサードは笑う。どこか自嘲めいた、そんな笑みで。

 

「ユキヒラよォ、俺も足掻いてはみたが過去からは逃げられねえな。どこまでもついて回る」

 

「過去も未来も現在も、どこを見ても厄介だ」

 

 とりわけ過去ってやつは特にそうだ。何をどうやっても、書き換えれない代物だからな。

 

「んで、近況報告とうまいトマトを食わせる為に呼んでくれたのか?」

 

「行き詰まってんだろ、アリアの緋弾の件。俺は俺なりに空軍の保有する瑠瑠色金について調べててよォ。使えそうな情報だったんで差し入れに来たのさ。どうも、やたらでっかいやつらしくてな。色金が超々能力を発現させる強度は、質量に比例するってのも分かってる。日本にもあるんだろ、目に目をってやつが」

 

 投げられた言葉をそのまま頭に並べていく。目には目を、歯には歯を、色金には色金を──ってことか。とどのつまり、緋緋色金よりもさらに強力な色金を利用して緋弾の問題を解決する、そういうことだ。

 

 だが、それは『緋緋色金』という現状の問題を対処するために『瑠瑠色金』という新たなトラブルの種を抱えるということ。俺の躊躇いは、沈黙という形で独りでに返答を返していた。

 

「顔に出てるぜ、問題の解決に新たな火種を抱え込むのは許せないって顔だ。だが、時間がねえってことも分かるだろ?」

 

 すべてを理解した上での言葉なのだろう。目の前の問題を解決する為に新たな火種を抱え込む──そして目の前の問題が解決すれば、その火種が燃え盛って新たな問題を巻き起こす。それは何度やっても学習しないウィンチェスターのお決まりの展開だった。

 

 犠牲を犠牲でしかない解決できない、いつだって最後にあるのは苦い結末。なのに何度もそれを繰り返してきた、何度も何度も。それ以外解決の方法を知らないとばかりに、繰り返した。

 

 瑠瑠色金が新たな問題を生んだら──どうしても不穏な考えが頭をよぎる。だが、サードが言ったとおり時間はない。一度、既に緋緋神は外に出てしまった。神崎を完全に器とするまで、あとは時間の問題だ。仮にジーサードがキンジにこの提案を持ちかけるなら、キンジはきっと "Yes." を口にする。

 

「キンジを誘うつもりなら止めないよ、退路が焼かれてるのは真実だしな。だが、個人的に疑問がある。かなり脱線しちまったが色金の場所が分かってて、お前はそこに出向いた。傷を負ったとするならそこだ、Rランクのアイアンマンをどこのどいつが包帯まみれにした?」

 

 ずっと気になってた。ジーサードの傷はおそらく色金奪取を阻もうとして迎撃にあったときの傷だ。だが、仮にも大統領のボディーガードもやった無敵のRランク武偵だぞ? 義手は予備のものに取り替えられ、畳には携帯式の酸素呼吸器まで転がってる。

 

 腕をもがれて自律呼吸に支障をきたすまでやられた、このターミネーターにそんなことができるやつがキンジ以外にいるのか? 腕を組みながら投げかけた疑問に、ジーサードは細長い眉をつり上げた。

 

「超先端科学兵装。俺ら先端科学兵装よりも新しい、正真正銘のモンスターさ」

 

 ……超先端科学兵装? 本土ではそれなりに身を置いてた俺だが、初めて耳にする言葉だ。が、次第に背筋に冷たいものが走るのが分かった。科学ってのは基本的に古いものを改良して新しいものを作るのが常。言ってみれば、古いものより新しいものの方が強い。

 

 ただでさえ手に負えない性能の先端科学兵がさらに改良された代物。そんなものがあるなら、サードが言うとおりモノホンのモンスターだ。ゾッとする。

 

「俺の界隈じゃ古ければ古いほど、生まれたのが早ければ早いほど基本的には強かった。リリスよりルシファー、ルシファーよりミカエル、ミカエルよりアマラ。誕生したのが早ければ早いほど化物が生まれる。科学サイドと魔術サイド、どこまでも正反対だな」

 

「マジのミカエルと知り合いとはまだ信じられねえよ。殴りかかったって本当か?」

 

「異世界産の方にね。本土にはヤツを崇拝する建物が腐るほどあるけど、初聖体の儀式はぶどうジュースを飲みまくったこと以外に記憶がない。隠れてワインでもくすめたのかな、懺悔してる大人の」

 

「一応教えといてやるがあそこはパーティー会場じゃねえぞ」

 

「当時の俺にすれば、ジュース飲めるだけでパーティー会場だよ」

 

 初聖の儀式は小さいうちに楽しむことだ。大人になるとワイン飲んで自分の罪を懺悔するようになる。

 

「NSAのマッシュ・ルーズヴェルト。ネバダで俺はそいつに迎撃された」

 

 過去の微妙な思い出にほんの僅かな間浸っていると、無視できない単語がジーサードから飛び出した。

 

「あ、安全保障局……!?」

 

「マッシュとは色々あったが、ここが踏ん切りをつけるいいタイミングでもあるのさ。俺はもう一度ネバダに仕掛ける、日本には兄貴の力を借りるために戻った」

 

 変わらない態度でジーサードは続ける。NSAとはまたデカイところが出てきたもんだ。本土の捜査機関には嫌な思い出しかない。

 

「──さっ、兄貴に話をつけたら、一緒に行くぜユキヒラ。本場のベーコンチーズバーガーを食いによォ」

 

「お、俺も……?」

 

 予期しない一撃を貰った気分だった。が、ジーサードはそんなことお構い無し。

 

「兄貴が来るんだ、お前も来るだろ? 兄貴が筋肉、お前が頭だ。二人揃って一人前の働きができる」

 

「……微妙にいい感じの例えなのが腹立つんだよなぁ」

 

「ベーコンチーズバーガーの他にフライドピクルスをご馳走してやる。それでどうだ?」

 

 こ、こいつ……どうしてどいつもこいつも食い物や玩具で俺を雇おうとするんだ。俺もかつては死の騎士との取引に好物のメキシコ料理を交渉材料に使ったが……食い物を交渉カードに使うって改めて考えるとどうなんだ……?

 

「煮え切らねえ男だな。今なら『NCIS:LA』の最新シーズンだって見れるんだぜ?」

 

「俺の一番好きなシリーズ……なんでそんなこと知ってんだよ」

 

 肩の力が抜けて、自然と後ろ頭を左手が掻いた。そんな勧誘のやり口があるか。ったく、常識の斜め上を行くところ、キンジによく似てる。

 

 

 

 

 

 遠山家の庭先は広い。庭の一角を使って、ビニールハウスのトマト栽培ができる程度には、それはそれは広いのだ。縁側に座りながら、広い庭先の一角にはジーサードが土を掘り起こし、せっせと作ってしまったビニールハウスが見える。

 

「……過去からは逃げられないか。ジーサードは本当のことしか言わないんだな」

 

 瞼を下ろし、肺が空になるようなため息と共に、力のないぼやきが漏れた。鉛色のスキットルを呷ると、わざとらしく背後の誰かが足音が立てる。遠山かなめだ。

 

「太陽が明るいうちに武偵が堂々と飲酒? いっそ清々しいね、驚いちゃった」

 

「空港じゃそんなのお構いなしだよ、朝から店が空いてる。でも中身は水だ、ただの水。水道から出てるやつ」

 

 肩越しにかなめを見ながら、スキットルを振る。中で液体が揺れる音。何も言わず、隣に戦兄妹が座ってきた。

 

「俺のこと見てた?」

 

「はずれ。あたしはビニールハウスを見てたんだよ。そしたらお前がいた。不思議だなって」

 

「スキットルで一杯やってるのがか?」

 

「似合わない顔してたから。スキットルを呷りながら似合わない顔してる、変だなーって」

 

 セーラー服のタイが風に揺れ、ぷらぷらと縁側に座ったままかなめは足を揺らす。似合わない顔か、クレアや夾竹桃にもよく言われたっけ。神が何を考えてるかなんてさっぱりだけど、自分自身のことはもっと分からない。今、どんな顔してたんだろ。

 

「下手だよね、本心を隠すの」

 

「バカか、お前は。仮にも尋問科だ、秘密を隠す術だって教わってる」

 

「でも顔に出てる。分かるよ、()()()なんだからさ」

 

 ジーサードに言ったばかりだってのに。なんてザマだ。女は嘘を見抜く天才、どこかの誰が言ったんだったかな。ああ、そうーーエレンだ。

 

「キンジは?」

 

「あっちでアリアとサードの話を聞いてる。今なら何を言っても聞こえない、あたし以外は」

 

「カウンセリングしてくれるって顔だな。そんな風に聞こえる」

 

「ストレス軽減の為のカウンセリングはSEALsでも取り入れられてる。何にもおかしくないよ」

 

 かなめはいつもと同じ、淡々と述べたあと封を解いたキャラメルを口に投げ入れた。キャラメル食いながらカウンセリングか、斬新にもほどがある。スキットルの残りを喉に流し込み、喉が濡れきったところで口は勝手に動いていた。

 

「形見なんだ、これ」

 

「……形見?」

 

 少しだけ大きくなったかなめの瞳に、俺は空になったスキットルを懐に戻す。

 

「エレンの形見。俺にとっては本当の母親みたいな人がよく聖水を持ち運ぶのに使ってた。幽霊になることを考えると遺品は全部燃やすのが正しいんだろうけどさ。別れ際に、霊として再会することはないって本人に言われて、受け取った」

 

 背中を逸らし、退屈そうに空に浮かんでいる雲を仰ぐ。地獄の猟犬に囲まれ、逃げ場を失った金物屋でエレンから最後に渡された贈り物だった。

 

「良い人だったよ、俺よりずっと」

 

 エレンはスキットルを、ジョーは父親の形見のナイフを最後の最後で俺に託してくれた。今ある俺の命は、二人の犠牲の上に成り立ってる。

 

「正直言うとね、びっくりしてる。その人はきっと、ユニコーンだね」

 

「ユニコーン? 人間だよ。酒に強くて、娘を溺愛してるただのハンター」

 

「ユニコーンだよ、キリ・ウィンチェスターにそんな顔をさせる人。ユニコーンくらい、ありえない」

 

 何気なく言ったその言葉が、かつてメグが口にした例えに妙に似ていて、ついつい苦笑いがこぼれる。俺にとってジョーとエレンは、ユニコーンくらい特別で、唯一無二の存在だった。そこは当たってる。鋭いくらいに。

 

「生まれつきの悪人はいない、後天的なことで善と悪に別れるーー昔、ダゴンって悪魔がそんなことを言ってた。今まで、色んなトラブルを片付けてきたけど、そこには必ず犠牲があって、色んな人の人生を台無しにしてきた。ダゴンの言葉が正しいなら善と悪、俺は一体どっちなんだろうな」

 

 悪魔は時に、天使や人間よりもっともなことを言う。ダゴンやアザゼルみたいな力を持った連中は特に。連中の言葉は、まるで杭を打たれたように心の奥底に残る。

 

「理子にも昔言われたよ、アメリカ人はなんでもタダで手に入れようとする。確かにさ、俺は等価交換ってものが心底嫌いだ。何かを犠牲にしないと何かを手に入れられないって考えが、やっぱり受け入れられない」

 

 何かを手に入れるために、何かを失ったら意味がないんだ。何かを切り捨てて、何かを得る。それが現実的と言われる世の中であっても、俺はやっぱり自己犠牲や等価交換ってものが受け入れられない。

 

「子供っぽいのは分かってる、世の中そんなに甘くないのも分かってる。どれだけ懺悔しても、過去が変わらないことも分かってるんだ。でも、ふとしたときに過去のことが頭をよぎる。もっと割り切れたら、楽なんだけどさ」

 

「無理だね。お前は死ぬほど我が儘で、いい加減で怠け者で、どうしようもないくらいの自惚れ屋だよ。だけど、友人だと思った人は心から大切にする。だから犠牲になった人たちの人生を壊してしまったことが、悔しくて悔しくて堪らない」

 

 真剣な横顔で、淡々と綴られる言葉に視線に奪われる。

 

「お前は欠点も多いけど、多すぎるけどーー優しい人だよ」

 

 いつか、俺の腕を切り落とそうとした女とは思えないな。どうしてキンジも金一さんも、目の前の後輩も、遠山家の人間は人を揺さぶるのが上手いのか。ここまで来ると、遺伝だよ遺伝。

 

「狙いがキンジでなけりゃ誰だって落とせただろうなお前」

 

「非合理的ぃ。あたしはお兄ちゃん以外の男に興味ない」

 

「知ってるよ。なぁ、さっきの "優しい人" ってやつ、もう一回言ってくれない? 記念に」

 

「今の言葉は二度と言わない。さっきのが最初で最後と思いなよ」

 

「そっか。でもいいよ、録音したから」

 

 やや見開いた瞳と共に、首が揺れる。

 

「嘘だよね?」

 

「ほんと、ここに」

 

 俺が自分の頭を指で差すと、かなめは呆れにも似た笑みで瞼を下ろす。

 

「忘れっぽいお前のことだからすぐに忘れるでしょ」

 

「いいや、忘れない」

 

 誰かに慰められる機会なんて、案外なかったりするものだから。だから、今の言葉は忘れないと思う。

 

「即答するとか、非合理的ぃ。あげる、血糖値が上がって脳の巡りが良くなるような気がする。クモの巣だらけの頭も少しはマシになるかもね?」

 

 お気に入りのキャラメルを一つ、投げてくるやかなめは縁側に下ろしていた腰をあげた。

 

「明後日にはニューヨークだよ。武装の準備、サボらないでね?」

 

 どうやら彼女の中では、俺の里帰りは既に決まっているらしい。ニューヨークか、ああいう賑やかな場所、親父は嫌ってたな。

 

「丁度いいや。日焼けしたかったし、帰りにロスでも寄ってくよ」

 

「ロカが言ってたよ、ニュージャージにいい日焼けサロンがあるって。そこ行けば?」

 

「考えとく。はぁ……久々の本土か。今回も楽しくなりそうだ。あ、そうだ。マックスの行方もついでに探してみるか」

 

 不意に頭をよぎった考えが口に出る。頭の片隅に潜んで、しかしずっと触れてなかった問題。かなめの瞳が半眼を描きながらこちらを向いた。

 

「それ誰?」

 

 そういや、二人のことは誰にも話してなかったや。ジャンヌや夾竹桃にも言ってなかった、軽く言えることでもなかったしな。

 

「マックスと……そう、だな……アリシアって兄妹がいて、腕利きの超能力者。まあ、魔女だな。あるハンターの葬式で仲良くなって、数年前に会ったっきり連絡を取ってない。この機会に探してみるかな」

 

「全部終わったあとなら手を貸すよ。ワケありって顔に描いてあるし」

 

「かなめ。すっごくイカれたこと言うけど、お前が首を落としに来てくれて良かったよ。ありがとう、俺と組んでくれて」

 

 お前が戦妹になってくれて良かった。こればかりは嘘偽りなく、本当に。

 

「ウィンチェスター兄弟って本に書いてあるとおりなんだね。ほんと──イカれてる。元イ・ウーのならず者が揃いも揃ってお前にくっつくの、少しだけ分かっちゃった。冷房庫にコーラあるんだよねぇ、飲んでいく?」

 

「ああ、一杯やりたい気分だ。炭酸で」

 

「じゃ、ついでにゲームでもやらない? 空港での決着、ここで改めてはっきりさせとこうよ」

 

 勝ち気にかなめはほくそ笑む。細い人差し指の先に、いつのまにか収まっていた一枚のトランプに俺は小さく鼻を鳴らした。

 

「ポーカーでもやろうってか?」

 

「こっちのスキルも鍛えられてるんでしょ。まさか、逃げないよね?」

 

「なんとも平和的だな。それに、刺激的だ」

 

 悪戯に微笑むかなめが畳に敷かれたちゃぶ台にカードを置く。楽しいゲームになりそうだ。

 

 

 




 spnでは男女一括りに魔術を使えれば「魔女」の扱いなので明記に少し悩むときがある作者です。アリシアとマックスというのは本編にも二度登場して音沙汰なしのキャラクターなのですが、本編が完結したということでオリジナル要素も少しだけ入れていきたいと思います。


『生まれつきの悪人はいない、後天的なことで善と悪に別れる』S12、13、ダゴン──


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最後の願い

改行、フォーマットを試しに変えてみました。

見やすくなったかどうか感想など、良ければもらえると参考になります。

長くなりましたので、お飲みもの片手にでもどうぞ。


「よう、あんたも地獄行きのチケットを渡されたのかい?」

 

 その日は嫌になるくらい暑い日だった。

 フロリダは12月でも暑い。そんな当たり前のことを思いださせてくれるような暑い日。

 もっとも、足を置いている場所はアメリカ本土ではなく日本なのだが。

 

「残念なことにな。蘭豹先生の癇癪をもらうのは俺だけと思ってたけど、そっちもなんかやったのか?」

 

「いいや、豹にの怒りは触れてない。こっちは女帝の方だ。豹と仲良しの」

 

「綴か。それは御愁傷様だな」

 

「お互い様だろ、どっちもやばいよ」

 

「言えてる」

 

 酒とタバコの匂いが混ざりに混ざったような嗅覚を貫かれる部屋。

 後から扉を叩いたその男はやる気のない声で壁際に並んだ丸椅子を足で引き寄せた。

 窓から入り込む鬱陶しいまでの明るい日差しが部屋に影を作る。丸椅子に座りながら、俺と入ってきたその男子生徒はうんざりとした顔で照りつける光を浴びていた。 

 

「綴ってことは尋問科の?」

 

「そっちは強襲科か。脅すわけじゃないが、教務科の体罰フルコースは比喩抜きでこの世の地獄みたいだぞ。噂では、犠牲者は洗濯機に入れられたチワワみたいな顔になって翌日グラウンドに転がってるそうだ」

 

「俺に言えるのは今日はまるで人生の最後が始まる日ってことか、もしくは人生初の最後の日ってことくらいだよ。とにかくトラブルだ」

 

「へぇ、面白いこと言うやつだな。昨日の夕食は最後の晩餐にしては味気なかった。明日も生きてたらランチは豪華にしよう」

 

「俺もそうするよ。これが人生最後の自己紹介になるかもな、遠山だ。遠山キンジ」

 

「雪平だ、雪平切。数分後には記憶が飛んでるだろうけど、よろしく頼むよ」

 

 それが今から約一年前、俺と遠山キンジとの正真正銘のファーストコンタクト。

 武偵高の『3大危険地域』の一つである教務科の個室という、これ以上はないあまりに不吉すぎる、忘れることのできない出会い。

 

 

 

 

 

 

 外務省からの圧、そして神崎かなえさんからの助言もあり神崎は英国への帰国を決めた。

 一方、俺とキンジもジーサードたちとアメリカ本土に経つために、武偵高に海外行きの報告をいれた。表向きにはジーサードが本土に所有している会社からの依頼ということになっている。

 

 前回の香港──修学旅行Ⅲとは違い、依頼による海外赴任は、その日数に応じた単位が基礎数として与えられる。

 その基礎数は、良くも悪くも武偵として活動していれば最低限は稼ぐのことできる単位数になっている。つまり、これで多少本土に長居したところで単位不足の心配はしなくて済むわけだ。

 そうこうしている間に神崎の英国、そして俺とキンジが本土に経つ翌朝がやってきた。

 

「なぁ、初めて会ったときのこと覚えてるか?」

 

「暑苦しい部屋で『トゥームレイダー』の話をしてたのまでは覚えてるよ。けど、そのあとの記憶が完全に飛んでる」

 

「俺もだ。記憶がそのまま削り取られたみたいになくなってる。頭にアリアのハイキックを受けたときみたいに」

 

「そのままにしとけってことかもな。掘り返すなって頭が拒否ってんのかもしれないぞ?」

 

 目指すはニューヨーク。育ちの国ということもあり、手早く支度を終えた俺はキンジの家で荷物の整理を手伝っていた。

 テーブルの上には、留学前の平賀さんから『お別れセール』で買ったとかいう一目見ただけでは用途の分からないものがずらりと並んでいる。

 

「お前、その……腎臓でも売った?」

 

「なんでそうなるんだよ、ありえんだろ」

 

「万年金欠のお前が衝動買いなんて何かある」

 

「いつかお前も言ってたろ、経費をケチって良い仕事はできない。装備をケチって死ぬくらいなら散財したほうがマシだ」

 

「……まあ、どんなに溜め込んだところで、あの世じゃカードも札束も紙切れだからなぁ」

 

「平賀さんへの礼も兼ねての出費だ。手痛かったのは確かだけどな」

 

 荷物整理のヘルプも一段落し、俺は座布団を頭に敷き、畳に寝転がる。

 仰向けのまま首を傾けると、ジーサードとかなめがキンジの私物からそれぞれ日本土産をみつくろっていた。

 

「オーッ……ビューティフル……!」

 

「やったー! これで5枚ついに揃っちゃったぁ!」

 

 木彫りの熊に感激してるジーサードと、最後の銀のエンゼルを見つけて歓喜するかなめ。

 そんな妹、弟に、ケチっぽく金銭での売買を要求するキンジ。ちなみにエンゼルは500円、熊は2000円だそうだ。

 

「んで、ユキヒラよぉ。兄貴は気にしちまうから俺からもう一度聞いとくぜ。こいつは停戦破りってことになるが、構わねえのか?」

 

「構わないよ、あっちだってルールの穴を突きまくってるんだ、こんなのアンフェアでもなんでもない。ハンバーガーもご馳走してくれるみたいだしな」

 

「コリンズがチェリーコーラもご馳走してあげるってさ」

 

 さすが水兵さんは話が分かる。

 オーバーテクノロジーの化物と戦う報酬は、チェリーコーラとハンバーガーか。

 

「励めよ。色金を手に入れたあとは、胃袋を熱く焦がすスパイシー洋食がおまちかねだ」

 

「俄然やる気が出てきたな。知り合いの保安官が言ってた、天国への鍵はハンバーガーとコーラだって」

 

「ハッ、ユーモアがあるなその保安官は」

 

「きっとお前も気に入るよ。そこいらの傭兵よりよっぽど腕が立つ、何よりタフだ」

 

 いや、鍵はハンバーガーとメキシコビールだったかな。スーフォールズに行く機会が会ったら聞いておこう。

 天使の剣やジョーとルビーのナイフ、親父の手帳の写本や使えそうなものを詰め込んだバックを背負い、準備を終えたキンジたちといよいよ玄関の外に出る。

 

「うおっ……!」

 

「……」

 

 キンジが玄関のスライド扉を開くや、待ち伏せしていたようにドラグノフを肩掛けしたレキが立っていた。

 思わず声をあげたキンジに続いて、俺も反射的に丸めた瞳で無表情のレキを見る。

 口は閉じたままだが、『私も同行します』と言わんばかりの気配が全身から溢れている。

 

「こんな朝早くに何しにきた、矢田ミント」

 

 恐らく過去にレキが使っていたであろう偽名をキンジが嫌味ったらしく口にした。

 これは掟破りの喧嘩、師団陣営にいるレキを関わらせたくない故の先手を取った嫌味なんだろうが、レキは案の定どこ吹く風で晴天の空を仰ぐ。

 

「キンジさん、日本を経つと聞きました。私も同行します」

 

 視線をキンジに戻し、変わらぬ無表情と抑揚のない声でレキは答えた。

 対するキンジも、後ろに控えていたジーサードとかなめを俺ごと手で示して見せる。

 

「見てみろ、こんなの連れてゲーセンやファミレスに行くと思うか? お前もルールを無視するタイプかもしれんが俺たちがやろうとしてるのは休戦破りの殴り込みだ。なるべく、師団にいるお前たちは巻き込みたくない」

 

 言いたいことは分かるんだが──こんなのってなんだ、こんなのって。

 

「私は行く必要があるのです。風が──キンジさんたちの先に居る存在に会いたがっている」

 

 相変わらず、どこか抽象的なレキの言葉にキンジが頭を悩ませている。

 一方、かなめとジーサードからはSランク狙撃手を歓迎するようなムードが感じられた。

 ジーサードとキンジ、対照的な空気に挟まれながらレキはじっと微動だにせず、アーモンド形の瞳をまっすぐキンジに向けている。

 

「どっちに賭ける? お兄ちゃんが折れるか折れないか」

 

「スナイパー相手に我慢比べはまずいだろ。賭けにもならねえよ。レキはレキ、頑固だ。誰かさんに似てな」

 

 後ろ頭を掻くキンジを見ながら言ってやる。

 予想は的中。一歩も退かないというか、前にも後ろにも動く気配のないレキに、キンジも早々にかぶりを振った。

 

「お前、英語は話せるか?」

 

「Yes.little bit」

 

 はい、少しならーーか。

 リエゾンの淡い綺麗な英語で答えたレキが歩いてくるとそっと体を反転させ、キンジの後ろについた。

 スポッタなしで機能する百発百中の狙撃手か、心強いことこの上ない。

 

「これでバンドメンバーが揃ったな。レキ、あと少しで遅刻だぞ?」

 

「リードシンガーは最後に会場入りするものですから」

 

 凛とした声で、レキはドラグノフを肩にかけなおした。

 

 

 

 俺たちも神崎が飛び立つのは成田空港。

 神崎は俺たちよりも一足先に、民間機で英国に飛ぶらしい。

 

「どうしたの? さっきからあちこち見渡して、まるで首を切られたら鶏だよ?」

 

「誰が鶏だ、色々考えてたんだよ。空港で首を落とし合ったお前と、こうやって空港を歩いてるってなんというか──」

 

「先のことは分からない?」

 

「ああ。あのときは羽田だったけど」

 

 前を行くキンジの後ろ、隣を歩くかなめの言葉に頷く。

 いくらキンジの妹だったとはいえ、最初出会った頃からは考えもつかなかった、仲良く本土に行ける日が来るなんてな。

 

「想定外を求め、驚きを受け入れたまえ。ポテチとチョコのように」

 

「ポテチとチョコ?」

 

「嬉しい結果が生まれるってこと」

 

 と、かなめはいつものようにキャラメルを口に放り込んだ。

  

 第2旅客ターミナルの3F──国際線出発ロビーにやって来たところで、キンジがひとり行き足を変えた。

 ポケットに手を入れ、背を向けたまま、

 

「アリアの見送りに行ってくる」

 

 と、抑揚のない声で告げてくる。にこにこ顔で額に青筋を立てたかなめが即座にその背中を走って追いかけた。 

 

「お兄ちゃんのフラグ増築を阻止してくる」

 

 と、一度だけ体をこちらに反転させて言い残すと、再びキンジの背中を追っていった。

 

「行くぜ、ユキヒラ、レキ。部下を待たせてる」

 

 キンジを待つ傍ら、先に残りの部下と合流する算段でいるらしいジーサードが足を進める。

 今いるサードの部下は、かなめを除くと紺色のジャンパースカートを履いたツクモだけ。

 となると、待っているのはアンガス、少尉、コリンズ、ロカやキャサリン中尉あたりか。

 

 かなめとの戦徒契約、それに同郷ということもあって俺はジーサードリーグの面々とはそれなりに親交がある。

 何人かは本土で守備役にでも就いているんだろうが果たして誰が出迎えてくれるか。

 なんて考えていると、こちらに気づいたその内の一人が豪快に手を振ってくれた。

 

「コリンズ、アトラス。出迎えご苦労」

 

 入場ゲート近くで待っていた、二人の部下にジーサードが声をかける。

 白い学ランと、虹色のスーツという奇抜な二人組だがどちらも過去に米軍からジーサード暗殺に差し向けられた腕利きの軍人だ。

 

「ロカはあっちでお留守番?」

 

「ええ。守備役よ」

 

 虹色のスーツに、顔を包帯でぐるぐる巻きにしたコリンズがツクモにそう答える。

 ロカは本土で守備役か、会えるのはもう少し先だな。

 

「おお、キリくん! 豪快に久しぶりだね!」

 

「久しぶり、少尉。かなめから聞いてる、ウチのルームメイトの窮地を救ってくれたみたいで。見逃したの超悔しい」

 

 俺も小さく笑いながら、挨拶を交わす。

 白い歯を覗かせている彼の名前はアトラス。

 言わずと知れた、米軍の特殊部隊のひとつであるグリーンベレーの元隊員。

 ウエストポイントを首席で卒業し、この若さでチーム指揮官も務めていた、声に出すのも少し躊躇ってしまうエリート軍人だ。

 

「メインイベントはこれから。もっと楽しくなるわよ?」

 

「楽しみにしてるよ、コリンズ。──Hoo-yah」

 

「Hoo-yah」

 

 顔全体に包帯を巻いたもう一人の待ち人ことコリンズと、突き出した右手の拳同士をぶつける。

 恐らく、水兵だった彼が何千何万回と口にした言葉を添えて。

 

「ところでお嬢様のご機嫌は? パネライの競りに負けた愚痴のメールが5件くらいきたけど」

 

「もう未練は切って、次を向いてるわよ? 今度はブレゲのオークション」

 

「ロカお嬢様は相変わらずの高級趣味だな。でもあのメーカーは確かに美しい」

 

 元グリーンベレーのアンガス、そして元ネイビーシールズのコリンズ。

 どちらの部隊も、振るいに振るいをかけられた一握りの軍人のみが席を置ける精鋭部隊。第一級の暗殺者だ。

 それを返り討ちにした挙げ句、仲間に丸め込むなんてなぁ。キンジに負けず劣らず、ジーサードもやることが派手だ。

 

 神崎とのお別れを済ませたキンジ、かなめとも出国ゲート前で合流し、俺たちはやたら甘いセキュリティチェックで優先ゲートを通過した。

 どうやら、本土への移動にはジーサードの玩具を使うらしい。プライベート機を使うと、あんなにチェックが甘くなるもんなのか。

 

「自分の飛行機をジャックするやつはいないもんなぁ。どうりでチェックが甘いわけだぜ」

 

 どうやらキンジも同じ事を考えていたらしい。

 俺たちはエレベーターで地上のラウンジへ、ラウンジからワゴンバスでジーサードの航空機に向かう。

 飛行機とドッキングする通路──いわゆるボーディングブリッジは使わないらしい。

 航空機用優道路を走っていると、機に近づくに連れて頭の中がざわつき始める。

 

「──行くんだな、本土に」

 

 間近で離陸してくるボーイング便。

 誰に向けたわけでもない俺の言葉をツクモが拾った。

 

「里帰りなのに嬉しくないの? 戦役中に一度帰ってるんでしょ?」

 

「帰ったというか、あのときは流されるまま流されたって感じで……自分の意思で帰るのはこれが初めて。正直言うとさっきから落ち着かない」

 

「家出から戻る子供ってさ、みんなそんな顔するよね」

 

「見たことあるのか?」

 

 横から入ってきたかなめは『テレビでね』と素っ気なく答える。

 一転、お次はいつも見せる眩しい笑顔をキンジに差し向けた。

 

「お兄ちゃん、全部終わったら一緒にビーチ行こうよー!」

 

「ビーチって、アメリカでか?」

 

「うん、サンタモニカ。すごく綺麗だからお兄ちゃんも絶対気に入ると思うなぁ」

 

 そう言うと、かなめはキンジの方に肩を寄せていく。

 サンタモニカビーチは、その名のとおりカリフォルニア州のサンタモニカにあるビーチで、俺も何度か足を運んだことがある。

 もとよりサンタモニカは観光の色が強い街、太平洋に沈む夕日を一望できる広大なビーチは特に根強い観光スポットとして知られている。

 本土には数多くのビーチがあるが、俺もサンタモニカの砂浜が一番好きだ。

 

「もし何かあってもカリフォルニアだし、外で寝れるよ?」

 

「シカゴなら一晩で冷凍グラタンだけどな」

 

「おい、そこ。物騒なこと言うな。俺は野宿なんてごめんだぞ」

 

 ネクラと言われがちな顔が、俺とツクモを交互に睨む。

 ケモノ耳丸出しの妖狐と、俺はとぼけるように顔を見合わせた。野営なれしてる強襲科がよく言うぜ。

 

 ジーサードリーグの運転兼バックアップ担当の初老の男性──アンガスとも合流し、俺たちは用意されていたXプレーン──X19Cに乗り込んでいく。

 滑走路不要、水平飛行を行うティルトローター方式で航続距離も長い、過去に武藤が熱烈に語っていた機体のひとつだ。

 

「船ほどの金食い虫はないと思ってたけど、これを所有することに比べたらペットの餌代みたいなもんか」

 

「船は船で金を食っちまうよ、あれはあれで大食漢だ。我が家のbady(インパラ)のなんと少食なことか。ジーサード、もしかして自前のATMを持ってたりする?」

 

「くだらねえこと言ってないでさっさと入れ!」

 

 ダークグレーに塗装された機体の、側面に用意されたドアをくぐると機内はまるで高級ホテルのスイートルームのような有り様だった。

 コロッセオの油彩画やマホガニー材の彫刻で飾られた壁、ワインレッドに金の刺繍で飾った見るからにお高そうなソファー……十中八九、すべてジーサードの趣味だろう。

 

 とても機内とは思えない広々とした、どこか浮世離れした空間だった。

 足下のペルシャ絨毯だけじゃない、目を動かす度にそこかしこに置かれた工芸品が視界に入っては、新しいものと入れ替わっていく。

 

『……クラウリーがいたら気に入りそうだ』

 

 心のどこかで。そんなこと有り得るはずがないのに、もしかしたら──

 そんな淡い望みを期待して、俺は赤いソファーに振り向く。

 

「雪平さん……?」

 

 当たり前だ、そこには誰も座っていない。

 自分の命を代償に、魔王に一矢報いた地獄の王はもういない。

 クラウリーは──もういない。

 

「いいソファーだな」

 

 レコードを選んでいたジーサードに目配せしてから、俺はソファーに背をつけた。

 程なくして、ジーサードが選んだクラシックが機内に流れてくる。

 駄目だな、まるで遠足前の小学生みたいだ。考えることをやめられない。

 死は等しくやってくる、天使にも悪魔にも。そんなの分かりきってるのに。

 

 

 X19Cは羽田を離れ、操縦席にはアンガスが就いてる。

 礼儀正しい初老に見えて、かつてはデルタフォースに身を置いていたコリンズやアトラスにも負けない経歴の持ち主。

 ジーサードの車の運転を任される場面を何度か目にしたが、扱えるのは車に限らず、この機も総飛行時間は1000時間近くあるらしい。

 運転手兼何事も一人で負担しがちなジーサードの相談役ってところか。

 

「親父が退役してすぐの頃、届いた新聞の音に驚いて思わず銃を持って玄関に行ったって。本当だと思うか?」

 

「常在戦場、俺たちだって同じだろ。金物の筆箱を閉める音を撃鉄を起こす音と勘違いしちまうこともある。不意を突かれる方が悪い世界」

 

 ジーサードとレキは座ったまま動かず、アトラスはスマホでチャット、コリンズは礼拝、かなめとツクモは羽子板を取り出して、機内で羽根突きを始めてしまった──これからネバダの空軍基地を攻めるとは思えないほど、機内に広がるのは穏やかな景色だった。

 電子レンジを借りて暖めたレトルト料理をミネラルウォーターと一緒に、俺とキンジは簡易テーブルを使って腹に溜め込んでいく。

 

「昔、まだ銃の扱いも分からなかった小さい頃を思い出すよ。小川でザリガニを釣って、婆ちゃんの漬物をご飯と食べて──」

 

「のどかだな」

 

「そうだろ。たまに恋しくなるよ」

 

「なんだよ、たまになのか。" いつも "恋しいって言うと思った」

 

 キンジはなにも言わず、水の入ったボトルを一度呷る。そして、

 

「こんなこと言うと、未来の俺が今の俺を笑うだろうけど──アリアがやってきて、変わっちまったのかもな。俺もお前も」

 

「自分の仕事に前向きになった」

 

「ああ。ほんの少しだけどな」

 

 お互い、影響されやすい男だった。

 あるいは、神崎・H・アリアという存在が大きすぎたのかな。

 

 アラスカでの空中給油を挟み、恐ろしいほど静かにX19CはJ・F・ケネディ空港に向かう。

 下手なバスよりも揺れない、キンジが出した言葉もあながち間違いと言えなくなるほどだ。

 武藤が熱弁するのも少し分かった気がする。

 

「間もなく、遷移飛行。5分でケネディ空港へと着陸いたします」

 

 アンガスのアナウンスが聞こえたとき、既に窓の外からはニューヨークの景色が覗いていた。

 

「見えた! お兄ちゃんマンハッタンだよ!」

 

 アメリカ合衆国最大の都市、その中核を成すマンハッタン島に、窓ぎわの椅子で膝立ちなっていたかなめが騒いだ。

 帰って来たんだな、アメリカ合衆国──懐かしの故郷に。

 

 

 

 

 

 俺にとっては、恐らくキンジにとっても初乗りだったプライベート機は、マンハッタン南東に在るJ・F・ケネディ空港のヘリポートにごく普通に着陸した。

 

 時刻は15時。世話になった航空機からバスを経由して、俺たちは空港のターミナルへ移動する。

 数ヶ月振りとなる、慣れ親しんだ本土の空気が肺を通っていく。

 妙な気分だな、帰って来たって感じよりもこのアメリカにレキやキンジと一緒に立ってるっていうのが不思議と……信じられない自分がいる。

 

 ノロノロと進む入国審査の列を終え、入国ロビーで先に手続きを済ませていたジーサードご一行と合流する。

 キンジ、レキは……まだ順番待ちか。もう少しかかりそうだな。

 

「ワンヘダ。お前、ニューヨークに土地勘は?」

 

「まだガキの頃、ロングアイランドでよく仕事をしてた。親父はマンハッタンが大嫌いでさ。煩いし、汚いし、球団まで嫌ってた」

 

 手持ち無沙汰に声をかけてきた腕組みモードのジーサードに横目で答える。

 でも兄貴たちは、都会が見たいってこっそり夜中に抜け出したんだっけ。

 この話にはまだちょっと続きがあるんだけどそれは今思い出すような話でもない。

 

「てことで、多少は持ってるよ。インパラに乗って、行き着く先が家みたいな生活だったから」

 

「サード様、流されないでください。まともになったかと思ったら、次の瞬間パートナーをビルからジャンプさせる男です」

 

 サードと俺との間に、耳をピンと立てたツクモが割り込んだ。

 ……まあ、いまのはちょっと悲観を込めちまったところはあるが……夾竹桃め、変なところに嫌な話を流しやがって。

 俺は力なく息を吐き、ツクモにかぶりを振る。

 

「ツクモ、それはデマだ。大方、夾竹桃が愚痴ったんだろうがビルからジャンプはしてない。橋からジャンプしただけだ、川に向かってな」

 

「おい、魔宮の蠍は泳げねえだろ」

 

「もしかしたら泳げたかもよ? なんでもなんとかしちゃうヤツだから、黙秘する。お、やっとキンジが来たな。レキとかなめもいる」

 

 話を強引に切ると、ジーサードは呆れ顔をするだけで追及はしなかった。

 よし、これで揃ったな。

 

「ほらよ兄貴、ウェルカム・ドリンクだ」

 

 既に審査でやつれた顔をしているキンジに、ジーサードが缶コーラを投げ渡した

 

「ありがとな」

 

「よし。出るぞお前ら」

 

 ジーサードを先頭に、合流した俺たちは入国ゲートから外へと歩いていく。

 初めてのニューヨーク、初めてのケネディ空港に、キンジの視線は面白いほどあちこちに動いている。

 海外自体は初めてじゃないのに、物珍しいものなんてあるか?

 隣にツクモ、前にはキンジとかなめの兄妹。

 ぞろぞろと歩く列の最後尾から、俺も時折視線を脇に振るが視界に入るのは、人、人、人……何の面白みもない。

 ビジネスマン、観光客、見るからに出稼ぎでやってきた者、色んな顔が視界に入ってくる。

 

「やっぱ、懐かしかったりするのか?」

 

「帰郷を懐かしめるほど、俺は純粋じゃ……かっ、なめえっ……!」

 

 突然、首筋に冷えた何かを当てられ、マヌケな震えた声が出る。

 押し当てられたかなめの手を反射的に弾くと、赤い缶コーラが床を転がった。

 ずぶとさが顕現したような少女は、悪戯が成功したような顔で、

 

「ウェルカム・ドリンクだよ?」

 

「アズカバン行きだぞ、死喰い人(デスイーター)め。俺は一応カンザス州出身だ」

 

「そう怒るな──後でお仕置きだ」

 

「やったー!」

 

 キンジのお仕置き宣言に、理子みたいな反応をするかなめに俺は額を抑えて、腰を屈める。

 はぁ、とりあえずこのウェルカムドリンクを飲んで今の一幕は忘れよう。

 

「あっ……」

 

 手を伸ばしてコーラを拾おうとしたとき、近くで小さな音が鳴った。

 恐らく、携帯かなにか落としたんだろう。妙なシンパシーを感じつつ、缶を拾ってその出所を見る。

 本当に、反射的に、見てしまったことに他意はなかった。

 

「……リサ?」

 

 足が止まる、先に進んでいくみんなの足音を尻目に俺の足は止まってしまった。

 携帯を拾い上げた、背中まで髪をおろしたその女性に……分かっていると、頭では理解していて、

 

「……どこかで会った?」

 

 今すぐ、その場から立ち去るべきだと分かっていて、それでも足は止まってしまった。

 リサ、ああ……リサだ。そうだよな、だってここはアメリカなんだから、会ったとしてもおかしくないさ。

 

「ああ、いや……その、ああ……えっと……」

 

 話すべきでも、そもそも見つけるべきじゃなかったって分かってるんだ。

 分かってるんだよ、許されないってのは。

 

「すいません。知り合いに、あまりに似ていたもので……心残りな別れを、したものですから。つい声をかけてしまって」

 

 許されない、さっさとみんなの跡を追いかけるんだ。

 いけ、いけよ俺。さっさと動け。

 

「そうだったの、ここには旅行? 言葉はお上手だけど」

 

「いえ、帰郷と……いうところです。子供の頃は本土で育ちました。さっきまでは実感なんてのはありませんでしたが、今は……その、とても……帰ってきた気がしてる、とっても」

 

「母さ──その人は?」

 

 躊躇いを運んでくるように、忘れることのできない声が耳をなぞる。

 

「ベン、飲みものは買えた?」

 

 ベン……でかくなったな。昔は……もっと小さいかったのにさ。

 髪型もなんか、大人っぽくなっちゃてるし。ほんと……学生のときのディーンそっくりだ。

 

 世の中っておかしいよ。

 ほんと……どうしてここにディーン・ウィンチェスターはいないんだ、一緒にいることができなかったんだ。

 どうしてここに、この世でもっとも二人が愛した男がいない──

 

「時間を取らせて申し訳ありませんでした。ここにいるってことは誰かお待ちでしょう」

 

「いいのよ、早く来すぎて時間を余してたところだから。ワイキキから知り合いが来るの、数年振りに」

 

「常夏の楽園はいいところですよね、俺も大好きです。変な話かもしれませんが……会えて良かった。ねえ、すごくいい体つきしてる、野球でもやってるの?」

 

「えっ……分かるの?」

 

「ああ、兄貴も好きだったからね。ベン……だったよね。応援してるよ」

 

「ありがとう」

 

 素っ気ないくらいの言葉をベンにかけ、頭を蹴り飛ばすような気持ちで、体を反転させる。

 リサ、いまでもきっと兄貴は君とベンを愛してる。

 

 君が覚えていなくても、いつでも君のことを想ってる、永久に──君を愛すると思う。

 

 お幸せに、リサ。

 この世で一人、ディーンが心から愛した人。

 今度こそ、会うことはないだろうけど──

 

 ──君とベンの幸せを、心から願ってる。

 

 

 



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ジーサード・リーグ

 最低限のペースでは投稿が続いてるので、いけるところまでやっちまえ精神で続けていきます。
 今回も一応前話と同じ改行フォーマットを試しています、アンケ次第で戻るやもしれません。


 ジーサードの本拠地であるマンハッタンのビルまでは、ジーサードご自慢のスーパーカーコレクションで向かう。

 ゾンダ、フェラーリ、ロールスイス、ブガッティ等々、この数台だけでどれだけの札束が生まれることか、今更ながらゾッとしちまう。

 

「音楽の趣味は壊滅的に合わなかったが車の趣味はそうでもないな。73年型コルベットとは趣味がいい、73年ってところが気に入った」

 

「クラシックカーがモテるのは一世代前の本土だよ、時代は変わった」

 

「変わらないものもある、今でもハンバーガーは美味いまま。シカゴは寒いし、カリフォルニアは暑い。ずっと変わってない」

 

 青々しく塗装された73年型シボレー・コルベットを借りて、もはや何年振りからも分からないニューヨークの街を走る。

 キンジと相乗りできなかったことにご機嫌斜めのかなめは助手席で淡々とキャラメルを口に放り込んでいき、5個目が口に消えようとしたところで、ジーサード所有のどでかいビル──目的地についた。

 

「……」

 

 ……なんて高さだ。頭上を仰ぐと首がおかしくなりそうだ。頂上がまるで見えない。

 マンハッタンにこんなビル……札束の匂いがぷんぷんするぜ。

 

「キングコングに狙われそうな見た目してる」

 

「映画の見すぎ。ほら、行くよっ」

 

 キンジも同じこと思ってそうだけどな。

 ゴシック洋式の洒落たエントランス、その入口の上部には『G』と『Ⅲ』の字が組み合わさったロゴマークが彫刻されている。

 本当に所有しちまってるんだな、マンハッタンにビルを。派手な自家用機、スーパーカーのコレクションといい、ジーサードリーグの資金力には驚くばかりだ。

 キンジは春夏秋冬、万年金欠だってのに。

 

 当たり前のように広いエントランスを合流したジーサードたちと進むが、これまた広いホールの壁際の床を見たキンジが不意に足を止めた。

 あれは……手形か? 名前と、それに概説っぽいのも付いてるぞ。なんだよあれは……

 

「かなめ、あれなに?」

 

「サードでも100%勝てるとは言い切れない猛者の手形。ほら、あそこにお兄ちゃんの名前もあるでしょ?」

 

「ああ、なるほど。納得だ」

 

「後で手形取らせてくれよ、兄貴。ヒーローとして、ここに永久に名を遺させる、殿堂入りだぜ」

 

「ふざけんなッ! 言っとくが俺はヒーローになるつもりはない、そのスペースは他の誰かに譲ってやれ!」

 

 ようするにあれは、ジーサードをノックアウトできる可能性がある人物の、殿堂入りリストってことか。

 だが、まるで不名誉だと言わんばかりに、キンジはかぶりを振りつつ腕を組んだ。

 少し離れた場所からそんなやり取りを眺めていると、ふと見慣れた顔を見つけて、俺は壁際からやや離れた窓の近くにいた少女に歩み寄る。

 左右で色の違う瞳、前髪が切り揃えられた銀髪という姿は、一度でも会えばそう簡単に忘れられるものじゃない。

 わざとらしく足音を立てると、宝石と違わない綺麗な瞳と目が合った。

 

「ようこそ、キリ。会えても意外な気がしないのはどうして?」

 

「トラブルのあるところウィンチェスターありきでね。会えて嬉しいよ、ロカ」

 

 守備役として配置されていた銀髪の彼女は、KGBの依頼でジーサードの暗殺に派遣された腕利きの超能力者。

 俺も時たま助力を頼むことがあり、恐らくかなめやジーサードを除くとジーサードリーグのなかでもっとも交流のある人物。

 そのお召し物は、2段レイヤーの短いフレアスカート、ガーリーなプリントが裏地に施された膝丈コート、と……いつもながらお洒落なことで。

 

「褒め言葉として貰ってあげる。さっさと出すもの出してよ」

 

「さも当たり前のように心を読むな。これでも尋問科だ、心を読まれるなんて切腹もんだよ」

 

「何もないところから真実は引き出せない。あんたの言いたいことを先読みしただけ、手間が省けてよかったね?」

 

 悪びれない態度は相変わらずだな、安心した。

 俺はお目当ての物がラッピングされた箱をバッグから取り出していく。

 

「『IWC クロノグラフ』──米軍パイロット用だ」

 

「──Good.。気の利いたギフトがあるとは思わなかった」

 

「それなりに助けられたからな、幸運と不幸を平等にもたらすって例のまじない」

 

 目の前で、桜色の唇が弧を描く。

 ロカは時計のコレクターで、キンジが絶句する程度にはコレクションに金を注ぎ込んでいる。

 価値のある物には金を惜しまない、そこはジーサードにちょっと似てる。

 何はともあれ、中身の時計を確認したロカはご満悦。クールな表情が珍しく軟化してる。

 

「律儀なところは嫌いじゃないよ。これからも良い関係を」

 

 小首を揺らし、不敵に笑ったロカに俺も小さく頷いてやる。

 賢い女を敵に回すのはごめんだ、超能力者となればなおのこと。厄介極まる。

 

「仲良くしたいもんだね」

 

 守備役に入っていたロカの案内で、俺たちはホールのエレベーターから上の階層へと上がる。

 外から見ただけでも首が痛くなりそうな高さだったが、なんと最上階は115階。

 そして113階から上のフロアはすべてジーサードリーグの居住区。当たり前のようにどの部屋もホテルのスイートルーム並みの豪華さだ。

 ロカを先頭に通されたそのうちの一室に入るやいなや、かなめとツクモが一目散に御馳走が用意されているテーブルへと駆けていった。

 

 はは……これは……ちょっと俺もテンション上がるなぁ。

 テーブルには、ロカが用意してくれたらしいハンバーガー、チーズバーガー、ビッグマック、クォーター・パウンダーといったマックが山積みされている。

 他にもブリトー、フライドピクルス、アップルパイ等々……日本より一回り大きいアメリカサイズのコーラと併せてジャンクフードのオールスター揃い踏みだ。 

 

「な、なんてテーブルだ……見てるだけで胸焼けしそうだ」

 

「ここはアメリカだぞ? 主食がハンバーガーって言っても通る。それにジャンクフードもあながちバカにできないぞ、死の騎士のご機嫌を取れる唯一の交渉材料がジャンクフードだ」

 

「……死神ってジャンクフードが好物なのか?」

 

「変だろう、大好物だ」

 

 ヤツを呼び出すときはご機嫌取りのジャンクフードが必須。

 まあ、そもそも呼び出さないに限るがな。

 懐かしい本土サイズのコーラを流し込み、かなめ、ツクモに続いて、俺もテーブルに積まれたマックからベーコンチーズバーガーを抜き去る。

 うん、この味……チーズと肉、幸せを感じる。個々でも美味しいが2つ揃うともっと美味い。

 

「いつの時代もうまいピザ屋とバーガーショップショップは必需品。キンジ、折角のタダ飯を食わないつもりか? 食えよ、今回は誰かに横取りされて食いそびれる心配もないんだぜ?」

 

「そうだぜ、兄貴も食っとけ。腹が減っては戦が出来ぬ、日本ではそう言うんだろ?」

 

「いや、準備してくれたのは嬉しいけどさ。毎日三食これとかはよせよ?」

 

 「かなめの教育に悪い」と、小言を吐いても空腹には勝てないのが人間。

 ポテトに向かってキンジの指は至って正直に伸びた。

 不意に名前が挙がったかなめはというと、

 

「お兄ちゃん。このポテト、すっごく美味しいよね。るんるんって感じ……ふぉふらふぁーぃ(とまらなーい)

 

「おい、口の中のもん、ちゃんと飲み込んでから喋れ」

 

 ポテト数本を一度にくわえ、行儀悪く喋るかなめへキンジが珍しく兄っぽい注意をする。

 目を丸めて、一瞬だけ咀嚼するのを止めたかなめはストローの音を思い切り立ててコーラを流し込んだ。

 

「……ちゃんと噛めよ」

 

 アンガスがコーヒーメーカーで淹れてくれたブラックコーヒーを傾け、キンジの呆れた視線がかなめを射る。

 賑やかな兄妹で微笑ましい限りだ、外から見る分には楽しい。

 

「よく噛まずにすぐ飲みこむってのは太る要因なんだぞ?」

 

「貴希も同じこと言ってたけど、うまいもの食って太るなら幸せだろ」

 

「日本ではな、太りすぎると社会的ハンデを背負い込む恐れがあるんだぞ?」

 

 キンジめ。食い物のことになると、途端に理知的なことを言いやがる。

 ま、たしかに武偵もハンターもコンディション調整は大切だ。肝心なときの行き死にに直結しちまうからなぁ。

 

「ていうか、これ……ピクルスを、油で揚げてるのか……?」

 

「兄貴、そいつはフライドピクルスだ。こっちじゃ定番のスナックさ」

 

「定番にして最強のスナックだ、一口食うと病み付きになる。この濃い味をコーラで流し込む、これ以上の贅沢はない。炭酸が喉で弾けるとき、生きてるって実感するよ」

 

「この世から炭酸が消えたら、真っ先にのたれ死ぬのはきっとお前だな」

 

「人はそれを地獄と呼ぶんだ、マッドマックスの世界だよ。ここは天国、見ろよ。チップスもあるし、ディップもあるし、コーラだってある。全部揃ってる」

 

 本当の天国より良いよ。

 フライドピクルスを口に投げ入れ、コーラで流し込む、考えられる限り最高の食い方を満喫していると、

 

「で、いつ出るんだ。瑠瑠色金を取りに」

 

 コーヒーで一息ついたキンジが、ジーサードに問いかけた。

 

「全員の休息とコンディション調整、兵装調達とサジタリウスの整備。ま、合わせて3日ってとこだな。兄貴用のプロテクターも、今夜イニシャライズすりゃ3日後には装備できるぜ、楽しみにしてろ」

 

 ジーサードは肩についたマッドブラックのプロテクターを指で叩いて見せる、その表情も至って愉しげだ。

 へぇ、ただでさえ化物のキンジに先端科学兵装の鎧か。

 それは心強い、ドムにレンチ──鬼に金棒ってやつだな。

 いや、ドムにダッジチャージャーか。

 

「俺はいいから、切にくれてやれよ。同郷のよしみ、ってやつがあるだろ?」

 

「いたしません。ジーサードやかなめと血縁関係があるお前の方が調整もしやすいだろ。俺はいつもみたいにシャツを血だらけにして戦うから結構だよ」

 

 キンジもあのメタルヒーローのコスプレみたいなプロテクターは着たくないんだろうが、ジーサードがそう簡単に引き下がるような男じゃないことも知っていて、言葉に詰まったって感じか。

 俺を変わり身に使おうとは、なんともずぶとい神経をしてやがる。

 だが、あのプロテクターの性能はバカにできない。かなめと初めて遭遇したときは、結局最後まであの鎧を攻略できなかった。

 

 最先端科学兵装の力は、紛れもなく第一級。侮る余裕なんて持てない。

 ──それを越える、超先端科学兵装。楽しい里帰りになりそうだ。

 噛み砕いたフライドピクルスを嚥下し、次第に空っぽだったお腹も膨れていく。

 

 未来は不確定なことだらけだな、一年前前では想像すらしてなかったよ。

 本土、それもマンハッタンでキンジやレキとハンバーガーを食べる日が来るなんてさ。

 

「ジーサード。少し、外に出てもいいか。久々に本土の街を歩いてみたい」

 

 食後、キンジとレキの来客二人はジーサードの一声でアンガスの部屋に招かれることになった。

 恐らく、さっき話にも出たプロテクターのサイズ合わせってところだろう。

 久々の里帰り、帰郷ということもあってジーサードは「好きにしろ」と言って、懐から車のキーを投げ渡してくれた。

 

「これ、コルベットの?」

 

「現地妻ってやつだ、今回の件が終わるまで貸してやる」

 

 キンジによく似た、淡い笑みを見せたあとジーサードはすぐに背を向けてしまった。

 インパラがいなくて淋しかったところだ、このサプライズは素直にありがたい。

 

「ありがとう、ジーサード。現地妻という表現は複雑だが、73年のコルベットは実に素晴らしい趣味だ」

 

「けっ、朝までには帰れよ」

 

「門限を守ることだけは得意だ。あと、食うことも」

 

 雇われの立場で、放し飼いを許してくれたジーサードに礼を言いつつ、

 

「──フライドピクルスうまかったよ」

 

 俺は夜の近いマンハッタン向けて、踵を返すのだった。

 

 

 

 

 久々の本土、とはいえニューヨークというのはそこまで馴染みがある場所でもない。

 良くも悪くも、この国は広いからな。

 バーで浴びるように酒を飲む、クラブで遊び倒す……なんてこともなく、コルベットで市内を走り回っては、車外に出て、漆黒の摩天楼を吹き抜ける夜風を満喫しながら、自販機で買ったソーダをドアを背にして飲む。

 折角のニューヨークにしては、我ながら質素な夜の過ごし方を送ったものだ。

 

 帰郷して初めての夜、この最上階層の居住区にはゲストルームがないとのことで俺とキンジはジーサードの部屋を借りて特大ベッドの上で眠ることになった。

 

「男三人が特大ベッドひとつに並んで寝る。とんでもないことだよな」

 

「けど、男子寮のベッドよりふかふかだぞこれ」

 

「やめろ、帰ったときにあのベッドで寝れなくなるぞ。でも確かにこのベッドはふかふかだ」

 

 ジーサードが用意したローブのような寝巻きに着替えていたキンジに、悲しい警告を促す。

 高級品に慣れちまうと、元の生活に戻ったときが恐い。

 高級ホテルを味わったあとに、埃まみれのモーテルに泊まったときの心境といったら……あれは忘れられないね。

 

「よく門限までに帰ってきたな、俺は遊び歩くと思ってた」

 

「学生服でバーに入るわけにもいかないだろ。マンハッタンのカフェで、新聞とコーヒー片手に数時間も座ってられるタイプでもない。会話の弾むお友達でもいりゃ別だけどな」

 

 制服を脱ぎ去り、上は黒いシャツ一枚になると一瞬身を裂かれるような圧迫感が背筋に走った。

 

「……今から寝ようってときに脳を騒がせるのはやめてほしいんだけど?」

 

 俺は嘆息し、殺気を飛ばす──なんて、悪趣味な悪戯をしてくれたジーサードに小言をこぼす。 

 フェイスペイントを下ろしたジーサードは怪訝な目で、とんとんと左胸を指で叩く。

 なんとなく意味を察した俺は、黒い布の境目から少しだけ覗いた()()を晒すようにシャツの襟元を下に下げる。

 

「そいつが悪魔避けか?」

 

「ご名答。この刻印があると、悪魔や邪な存在に取り憑かれなくなる。アクセサリーなんかでも効果はあるが、首から提げるより肌に刻んでる方が何かと便利でね。持ち歩かなくていいし」

 

「俺はずっとS研絡みの悪趣味なタトゥーと思ってた」

 

「それもだいたい当たってるよ。ま、この模様に意味があるんであって焼き潰されでもしたら効果はなくなるけどな」

 

 欠伸を混ぜながら、キンジに冗談めかして答えてやる。

 

「お前の身内はみんなソイツを刻むのか?」

 

「ルールってわけじゃないがみんな入れてる。首を折られるよりマシだ、ミミッキュみたいに」

 

 人差し指を横に振って、ねじ曲げるジェスチャーをしてやるとジーサードは愉しげに笑ってからモダン調のテーブルランプの僅かな灯りだけを残し、部屋の照明を切った。

 だだっ広い部屋が、テーブルランプの微かな黄色い光だけになる。

 

「なぁ、変なこと言うみたいだけどさ。修学旅行に来た気分だ」

 

「修学旅行はもう行っただろ? 京都と香港に」

 

「あのときはベッドで寝転んで話す余裕もなかったじゃないか。それにジーサードだっていなかったし。なぁキンジ。バレンタイン、神崎からはチョコ貰えたのか?」

 

「こふっ!?」

 

「吐血したみてえな声出すなよ……」

 

 思わぬキンジの反応に、静かにジーサードがぼやく。

 

「こいつは貰ったな、金三」

 

「貰ったな、キリ」

 

 面白い反応が見れたせいか、普段は呼ぶことの名前で俺たちは目を合わせた。

 一方、キンジは怨めしさたっぷりの顔で俺たちを睨んでくる。

 

「なんでそんなこと聞くんだよ、お前たちには関係ないだろ。意味が分からん」

 

「意味なんてねえだろ」

 

「そのとおり、意味なんてない。でも気になるだろ、神崎がお前にチョコを渡せたのか。興味がある」

 

「……つまり意味があるんだろ」

 

「で、うまかったのか兄貴。アリアのチョコとやらは」

 

「ああ、どうだった?」 

 

 キンジのこと、というのもあってかジーサードもそこそこ乗り気だ。

 2対1で感想を求められたキンジは少しの沈黙を挟み、

 

「まず……まずまずの味だったな」

 

 うまく言葉を選んだキンジに、真意を悟った俺とジーサードは小さく笑った。

 

「ほら、いいだろ。やっぱり顔を付き合わせて話をするの。最近はしないもんなぁ」

 

「悲しいもんだなァ」

 

「ああ、悲しい」

 

「意識の疎通がしやすいのによォ」

 

「そのとおり。face to faceのコミニケーションは大事だぞ、キンジ?」

 

「今分かってるのは、お前らのいけすかない態度と激しい首の動きだよ。おい切、俺も聞きたいことがある。前に右目に特大の痣を作ってきたことがあったろ。あのときははぐらかされたが今夜は聞いてやる、吐け」

 

 ……抜け目ない、おとなしく転んだままでいろよ。ちくしょうめ、あれか……あの出来事は残念なことに覚えてる。

 

「あれはたしか、お前が例の鈴木さんと依頼に出てた次の日だった」

 

「なんでそんなこと知ってんだよ」

 

「理子に聞いたんだ、おもしろそうだったから」

 

 理子……便利すぎるのも問題だぞ。

 

「嫌味な野郎だ。子供の頃、サンタのブラックリストに乗ってたんじゃないか? 要注意って赤ペンで」

 

 一転、守勢の空気に嫌味たらしく言ってやるがキンジも逞しい。

 どこ吹く風って顔が、僅かなライトの灯りに照らされる。

 

「よし、やっとおもしろそうな展開になったな」

 

「また今度話す、もう寝るぞ」

 

「待て、今しろよ。おもしろい話なら早く聞いてきいい気分になりたいじゃねえか。でないと明日明後日、気になって集中力が乱れちまう」

 

 キンジを振りきろうとしたが、予想外にもジーサードが後ろからしがみついてきて、逃げ場を失う。

 これで2vs1。さっきの逆襲とばかりにキンジはイキイキとした声で、

 

「俺は話したんだから次はお前の番だ。お菓子がいるか? それとも自分から話すか?」

 

「俺を尋問しようとはいい根性してるよ。どうりで最近不吉な予感がすると思ってた、死神に取り憑かれたみたいに。お前らが死神だ」

 

「2人と1人だ、吐いちまえよユキヒラ。俺も興味がある、地雷原をスキップしながら歩いてきた男がどうやって目に痣なんざ作ったんだ?」

 

 部屋主たるジーサードの追及に、俺は諦めを込めて嘆息した。

 ちくしょうめ、あの話だな……どう話したもんかなぁ。

 

「当ててやるぜ、木にぶつかった」

 

「違う」

 

「じゃあ、破砕手榴弾が顔に落ちた」

 

「違う」

 

「転んでドアノブに」

 

「違うよ」

 

「野球のボールが飛んできた」

 

「外れ」

 

 ジーサードから始まり、キンジと交互に一度ずつ候補が上がるも全部外れ。

 額を指で数回小突き、記憶を絞りだしつつ、俺はランプの灯りに視線を定めた。

 

「ヒールだ。ヒールをぶつけられたんだ。ちょっとした行き違いがあって……」

 

 些細な口論の末にあいつの足から外れて飛んできたヒールが──

 

「右目にぶつかったの、あいつのヒールが。それで痣になったってわけ」

 

 嘘偽りなく、シンプルに原因を話す。

 

「「?」」

 

 だが、暗がりでは目を丸めているキンジの顔が見えた。

 首を動かすと、ジーサードもどこか拍子抜けしたような顔をしている。

 

「それだけ? ヒールが当たったって、なに本当にそれだけ?」

 

「それだけって……普通のヒールじゃない、船底みたいなヒール。見たことあるか? あんなの靴じゃない、あれはトマホークだ!」

 

 あんな凶悪なもんがふざけた勢いで飛んでくるんだ、凶器でしかない。

 ジャンヌもヒールが苦手って聞いたが、俺もヒール……嫌いになったよ。

 

「けっ、平和的な答えで拍子抜けだぜ。寝るぜ。兄貴、ユキヒラ。明日は日曜日だ、修学旅行気分で話込むのもここままでさ」

 

 先生みたいなことを言うジーサードに、俺もキンジも今度こそ就寝モードに入る。

 拍子抜けって……本当に凶器なんだぞ、あのトマホークは……

 

「ちくしょうめ。お休み、二人とも」

 

 ま、どうでもいいや。このベッドで寝れるならもうどうでもいい……

 男子寮のお粗末なベッドとは違った、睡魔をこれでもかと誘ってくるふかふかのベッドで、俺は瞼を下ろした。

 

   

 

 




『──フライドピクルスうまかったよ』S7、1、死の騎士──

 
 


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セントラルパーク

 

 朝の10時。フライパンをフライ返しでカンカン叩く不愉快なかなめ流の起こし方でキンジは目を覚ました。

 

「おはよー、お兄ちゃん!」

 

「よう、キンジ。遅いお目覚めで。今日もマンハッタンは快晴の空の下だぞ?」

 

 悪夢のような目覚ましをソーダの瓶を煽りながら聞いていた俺は、まだ寝ぼけ眼のキンジをセーラー服のかなめと見下ろす。

 

「……何時だ?」

 

「10時だよ、ほら早く着替えよっ。サードが呼んでるよ?」

 

 まだ睡魔が冷めきらないキンジをかなめがテキパキと着替えさせていく。

 まあ、それも普通の服じゃないんだが睡魔のせいでキンジは気付いていない。

 就寝前に多少話し込んだとはいえ、二度寝でもしちまいそうな様子だ。

 

 妹の手でふざけたお洋服に着せ変えられている兄ーーこんなものを目の前で見せられてどう反応すりゃいいんだよ。

 とりあえず、飲み物を口に含んでいる限りは余計なことを喋らなくていい。

 暫し、珍妙な光景を眺めていると手を動かしたままで、視線は交わさずにかなめが言葉を投げてきた。とても気軽な声色で。

 

「ねえ、本当に教会行かなくて良かったの? 今日日曜日だよ?」

 

「……カトリック信者は、配偶者が亡くなると一年と1日喪に服すよな。俺も昔はそうだったよ、でもいまは神や教会を敬う気にはなれない」

 

「ふーん。職業病?」

 

「半分はな。もう半分は家庭の事情だ」

 

 昔は初聖体の儀式にも出たけど、ハンターって仕事をやるにつれて神を信じられなくなった。

 天使も一部を除いて、ロクでもない連中の集まりだって認識がもう頭に焼き付いちまってる。

 信心が欠片とはいえ残っていた子供の頃には戻れない。

 

 そんな俺とは違い、ジーサードリーグは信仰も構成員の人種と同じくサラダボウル。

 能力さえあれば、生まれも信仰も育ちも問わないジーサードの豪快ながらも個々を尊重する部分が表れている。

 そんなジーサードはカトリック、アトラスはプロテスタント、ロカは予想通りのロシア正教でアンガスはユダヤ教、コリンズはイスラム教で、ツクモは神道だ。

 

 キンジが起きるよりも前に、それぞれお祈りは済ませたらしく、キンジが神道と仏教のチャンポンで『信心深くもないから、教会に行く必要はない』と言ったら、かなめもジーサードも目を丸くしていた。

 

「気にするな、大体の日本人はこうだから」

 

「分からねェなァ、そこは。マジで日本ってのはフシギな国だぜ」

 

「切も行ってないだろ、そんなもんだよ」

 

 まぁ、日本ほど信仰や宗教に寛大で自由な国もないのは確か。

 

「俺は教会には行かなかったが祈るのだけはしといたよ。ハンターにとっての神に祈っといた」

 

 軽めの筋トレを終えて、キンジと話し込んでいたジーサードに隣から話を差し込むと、かなめが驚いたままの顔を傾けてくる。

 

「ホントに祈ったの? さっき神は敬わないって言ってたじゃん」

 

「敬わないよ、人間をディナーのテーブルに並べる神や聖書に出てくる放任主義の創造主はな。けど、ギリシャの一柱だけは……彼女だけは本気で祈っていいと思ってる。アルテミスにだけはな」

 

 きっと本土にいるせいだろう、自然と過去のことが頭をどんどんよぎってくる。

 アルテミスーー今は亡きエレンから聞かされた、信心深いハンターが狩りを行う前に祈りを捧げると言われている女神。

 ギリシャ神話の主神 " ゼウス " の娘でありながら、彼に呪いをかけられた怨敵である " プロメテウス " を愛してしまった女神。

 

「……ゼウスの娘か。またビッグな名前が出たもんだぜ。まさかとは思うがよ……ギリシャのボスとやりあったのか?」

 

「プロメテウスっているだろ、人間の為に火を盗んでゼウスに呪われた神」

 

「知ってる、オリュンポス……神の住まう山に出向いた神だよね」

 

「ああ、この時代になってもゼウスの恨みはちっとも晴れてなくてな。俺たち人間のために彼は火を盗んで呪われた、毎日一度は必ず『死』を味わう呪い」

 

 一日に一度、必ず訪れる死。俺も地獄に堕ちたとき、アラステアに毎日全身を細切れになるまで切り刻まれた。

 何度も、何度も、心臓が止まり、血と酸素の供給が止まる感覚を味わった。

 だが、何度やっても死は一瞬だけ。すぐに目を覚まして、また同じことの繰り返し。

 死を望んでも、死ねないーー死を逃げ道にすることができない、本当におぞましい。

 

「ーーだから、彼の呪いを解くためにゼウスとやりあった」

 

 苦笑いするジーサードに向け、どう答えるべきか昨夜のヒールの話以上に悩みながら、俺は言葉を選ぶ。

 大抵の狩りは、終わったあとに拭い切れない後悔や嫌な感情が残る。

 なかでもあの狩りの顛末は、どう言葉にしていいのかも正直分からない。

 

「アルテミスとはそこで出会って、彼女に命を救われた。自分が一番傷つくって分かってて、彼女は自分が正しいと思ったことをやってくれた。俺たち人間を救ってくれたんだ、ただ一人の父親に背いて人間を救ってくれた」

 

 ソーダを喉に通す、炭酸が喉で跳ねる。

 今でも目を閉じれば、簡単に思い出せる。

 彼女が弓を引いてくれたときのことをーー

 

「結局、一番傷ついたのは彼女。正しいことをしたから、正しいことをしたせいでたった一人の父親を失った。俺は救われた側、それでも報われない話だと思っちまうんだよ。最後まで気高い女神だった、アルテミスは。信仰心なんてとっくに失くした俺でも、彼女にだけは祈ってもいいと思ってるーー心の底から」

 

 異教の神なんてロクなやつはいない。

 けど、アルテミスはーー彼女に救われた記憶だけは忘れられない。

 と、ソーダが空になったところで微妙な顔をしたジーサードと目が合った。

 

「兄貴、いつもこうなのか? 思い出したように真面目になんのかこの男は?」

 

「忙しいやつだろ。バカ騒ぎするときとの温度差が酷い」

 

「冗談が言えなくなるときもあるんだよ。それくらい俺にとっては忘れられない狩りで、忘れられない神ってことさ。何かが拗れてたら、もっと仲良くなれてたかも」

 

 まあ、エレンが話してくれた、ってこともあるけどな。

 

「というか、ジーサード。なんだよ、その複雑な顔はさ」

 

「あァ? 複雑ってどんな顔だよ」

 

「分娩室の外で悩んでる旦那みたいだ。生まれてくる赤ん坊は、果たして本当に俺の子なんだろうか」

 

「複雑な例えをするんじゃねェ。なんだその重てえ場面は」

 

「真面目なのとふざけてるの。どっちが素のウィンチェスターなの?」

 

「俺もこの二年、それが分からなくて悩んでるんだよ。堅物で真面目なのと、楽観的で軽いの、両方の性格が混ざってグチャグチャになったのが()()だ」

 

「おい、これとはなんだこれとは……俺の方が年上だよッ!」

 

「いや、同い年だろ……」

 

 と、呆れるキンジだがすっかり睡魔は飛んだらしい。

 鏡に映り込んだ姿を見て、喉が潰れんばかりの大声を出した。

 

「な、なんだよこれ! ふざけんな! 俺の制服を返せ! こ、こんな……ありえんだろ!」

 

 キンジが着ているのは白・金の2色で痛いほど煌めく、ド派手なスーツ。

 言うまでもなく、ジーサードの私服だ。

 言うまでもなく、俺なら着たくない。

 言うまでもなく、血相を変えてキンジはジーサードに飛びかかった。

 

「返せ! 俺の防弾制服返してくれよぉー! 返せよ! 返してくれよ俺の防弾制服……!」

 

「兄貴の防弾制服はアンガスがクリーニング中だ。明日返す。は、離せって……!」

 

 すげえ、腕にしがみついてるよ。よっぽど着たくなかったんだな……

 

「もしかして、俺も寝てたらああなってた?」

 

「かもね。サードの私服はあれだけじゃないし」

 

「早起きは三文の徳か。枕に刺繍でもしといたほうがいいかな、ディスコのミラーボールが転がってきたのかと思った」

 

 やばっ、ミラーボールがこっちを向いた。

 すごく不満を溜め込んでるときの顔だ。

 

「おい、こいつはアンフェアだろ!」

 

「アンフェア? 自分だけミラーボールにされたことがか? 安心しろってわけじゃないが、俺もあとから着替えるよ。別の服に」

 

 それに、そんなスーツ着れる機会も滅多にないぞ。

 ジーサードの私服ってことは、とんでもない値段の代物って可能性も十分あるしな。

 ……その服でパーティーには行きたくないが。

 

「ところで、主催者さんよ。あとで一仕事あるって話だが、こんな人の目を惹く格好でどこに行くんだ?」

 

 キンジの追及から逃げる意味でも、俺の瞳は自然とジーサードに向く。 

 

「俺たちゃアメリカ人なんでな、サービス精神ってもんがあるのさ。ファンサービスは俺のモットーだからな」

 

「ファンサービスねぇ……」

 

 イマイチ目隠しをされてる回答だが、その辺の武装勢力を襲撃したりだとか、野蛮なことではなさそうだ。

 

 ーー昼過ぎ、その謎めいた仕事に俺もキンジも同行させることになった。

 当然というかキンジは派手なスーツを着たままで、ジーサードもアメコミに出てきそうなヒーロースーツ、アンガスは燕尾服、ロカは銀のロングコートと他の面々も服装が派手だ。

 

「んで、これからみんなで野球でもやろうって話か? 80年代のダサいバンドみたいな格好で」

 

 ニューヨークに本拠地を置いてる地元球団のキャップとブルゾンを着て、ご丁寧にフーセンガムまで膨らませたフル装備のかなめをキンジが指で示す。

 

「ま、兄貴にもすぐ分かるぜ。こいつは重要な仕事だからな」

 

 核心には触れない言い回しだが、真面目な用というのは一列に並んだ面々の表情を見るに、嘘でもないらしい。

 

「お前、スーツ着ると雰囲気変わるな」

 

「なんだよ急に。良い意味で?」

 

「良いか悪いかは分からんが、俺の知らないお前に、こっちにいた頃の、日本にやってくる前のお前と話してる気分になる。……これで通じるか?」

 

「通じる。実際、昔に戻った気分だ。この服とも長い付き合いだしな」

 

 主に仕事で、と心でひっそり付け加える。

 派手なキンジのスーツとは違い、俺が着替えたのは狩りでの聞き込みで嫌というほど世話になった黒のスーツ。

 何度、ロックスターと同じ名前のFBI捜査官を名乗ったことか。

 本土に来るってことで持ってきたがこんなところで出番が来るとはね、先のことは本当に分からない。

 

「けど、日本にやってくる前の俺は別に良いやつでもなんでもない。はっきり言って、ロクでなしだよ」

 

「でも今のお前のことは知ってる。良いやつだよ、ちょっとだけど」

 

「……お兄ちゃんってさ。もしかして、何が相手でも優しいタイプの人間だったりする?」

 

「かなめ、キャラメルくれ。1つでいい」

 

 呆れるかなめから放り投げられたキャラメルを受け取り、包み紙をちぎる。

 優しいタイプの人間だから、次から次に好意を抱く女が増えていくんだろうさ。

 ライバルが多くて、バスカビールのみんなは大変だねぇ。

 

「ところでなんだが、俺も普通のスーツが着たい。今からでも役を交代しないか? お前このスーツ着ろよ」

 

「悪いな、相棒。それ着るなら、ゴルフシューズで顔を思い切り蹴られるほうがマシ」

 

「初めてのニューヨークで、こんな派手なスーツを着せられるなんて予想できるか?」

 

「スーフォールズにいた頃、ドラッグを積んだトラックが近くにあったテーマパークのメリーゴーランドに突っ込んだ。なんでも起こる」

 

 かぶりを振り、俺はかなめと現地の恋人……青々しく塗装されたコルベットへと乗り込んだ。

 にしても、この年代のコルベットは本当に素晴らしい。

 愛しのインパラがいるとはいえ、この子との別れが少し恐くなってきたよ。これが一時の過ちってやつかなぁ。

 

「着いたよ、そこ停めて」

 

「……セントラルパークじゃねえか。ここが終点か?」

 

「そっ。ここが目的地だよ」

 

 車を経由したものの目的地はマンハッタンの真ん中に位置するセントラルパーク。

 これもドラマや映画では度々登場する自然公園で、マンハッタンのスカイスクレイパー(摩天楼)に住まう人々からひどく愛され続けている憩いの場所。

 

 子供の頃、初めて見たときはアイススケート用のリンクがあって驚いたものだ。大都会マンハッタンの中心ってこともあり、とにかく広い。

 上から見ると綺麗に長方形の形をしてて、エレンのバーで空撮の写真を見せてもらったっけ。

 

 その気になれば、居住区のビルから徒歩でも5分そこいらで行ける場所だが、わざわざ車で来たのには理由があるってことか。

 車を道端に停め、園内に向けて少し歩けばそこは摩天楼の街とはかけ離れた大自然のど真ん中。

 奇抜なファッションのジーサードアメリカツア一御一行様のなかで、ただ一人本土は初めてのキンジがぐるりと首を巡らせた。

 

「これがあのセントラルパークか、さすがに広いな」

 

「湖だって広いんだぜ。記念に鳩に餌でもやってくか? ホーム・アローンみたいに」

 

「どっかで餌売ってるか?」

 

「……お前もミーハーだねぇ」

 

 キンジも存外、ミーハーなことを言う。

 『ホーム・アローン2』で野生の鳩に餌をやるシーンが出てくるが、その舞台になってるのもこのセントラルパーク。

 あのジョン・マクレーンが近道として猛スピードのタクシーで突っ込んだのもこの公園だ。

 まさか、親父が嫌ってたマンハッタンの名所にこういう形で再訪するとはなぁ。

 

 園内ではジョギングする夫婦やパフォーマ、湖や木々を利用してのバードウォッチングを楽しむ人もいる。

 この平和的で、のんびりとした空気は決して嫌悪的なものじゃない。と、思った矢先ーー道端から少し歩いただけの所、ちょっとした広場に大勢の子供が集まっていた。

 まだ玉藻と変わらない背丈の子供たちがジーサードを見つけるや、明るい表情を浮かべて円でも描くように集まってくる。

 

「待たせたなボウズども! ジーサードのご帰宅だぜ!」

 

 ……なるほど。あれがジーサードの()()()ってわけか。

 この派手な衣装も、わざわざスーパーカーを使ってやってきたのも、全部この子達に配慮されたファンサービス。

 そしてそこから始まるのはジーサードの武勇伝、というより解決してきた事件を少しマイルドにして、体験談をせがまれる子供たちに聞かせていた。

 世界をまたにかけて動く忙しないジーサードから、悪党退治や事件の話を聞くのが、どうやら恒例の催しになっているらしい。

 

 すごい。ジーサード、大人気じゃないか。

 まるで人気俳優のトークショーみたいな賑わいだぜ。

 待ち望んでいたヒーローが帰還した、子供たちの瞳から見えるのはまさしくそれだ。

 ……まぁ、その内容は少々暴力的だったり、エキセントリックだったけど、かなり……エキセントリック。

 運悪く、顔を見合せてしまったキンジは口が開くのを止められなかった。

 

「聞いたか、スマトラトラと素手で殴りあったって。海兵隊だって丸腰でベンガルトラには挑まないってのに」

 

「アリアは熊を素手で倒したって。どうしてみんな素手で動物と戦いがるんだ?」

 

「お次はホッキョクグマかな。それともアフリカゾウ? ジープを踏み潰すちまうくらいのデカいやつ」

 

「誰が挑むんだよ、そんなの」

 

 とはいえ、ジーサードが語る話には麻薬の恐ろしさや自然保護されている動物についてのことも上手く取り込まれている。

 元々、頭の良さは言うまでもなく、人に教えや話を説くのも引き込むのも上手い。

 子供達からすれば、ジーサードのハラハラドキドキの話を楽しみながら、道徳の勉強もできるわけだ。

 

「ねー、この白い人の服はー? 初めて見るけど、サードの新しい子分?」

 

 と、不意にキンジが一人の男の子から指を指された。

 新メンバーのことは気になるよな、そりゃそうだ。となると、次にやってくるのは通例の自己紹介。

 

「ほら。出番だぜ、マホーン捜査官。腹引っ込めてしっかりキメな」

 

「FBIの捜査官はこんなスーツ着ないだろ」

 

「お兄ちゃんってFBIなのッ?」

 

「違うぞー。コイツはなんと、俺の兄貴だ! 日本から、お前らに会うためにやってきたんだ!」

 

 愉快な勘違いが起きそうなところで、すかさずジーサードがフォローを入れたのでルームメイトが捜査官になることはなかった。

 愉快な展開を見損ねてしまった感じはするが、一方の子供たちは自分たちのヒーローの兄が初登場ということで大騒ぎ。

 

「すげえ、サードのお兄ちゃんなの!?」

 

「日本ってどこ! おっきいの? お兄ちゃんもサードみたいに誰かと戦ってるの?」

 

 あっという間に子供たちに詰め寄られて、キンジも困り顔ながらジーサードに負けじと言葉を選んで、武勇伝を語り始めた。

 ジーサードに負けじと、お前も派手なことやってるからなぁ。

 はっ、なんか先生になったみたいだな、いいじゃん。遠山先生って語呂もいい感じだし。

 

 キンジが武偵から離れて、どこかの学校で教師になるーー

 そんな未来もあり得たのかもしれない、銃もナイフとも無縁の未来。

 ふと、思ってしまう。武偵ではなく、ハンターでもなく、どちらとも縁のない、そんな日々を送ることができたなら俺は一体ーー何をしてるんだろう。

 

「ねーねー、そっちの人は! そっちの人もサードのお兄ちゃん?」

 

 らしくないことを考えていると、ブロンドの女の子が俺に指を向けていた。

 俺とジーサードが兄弟ってのは……少し無理があるかな、うん。

 

「いいや、こいつは兄貴じゃねえがビックなゲストだぜ。何度も世界を救ったマジのヒーローだ」

 

「盛り上げるなよ、ジーサード。俺はサードのお友達で、そこにいるジーサードのお兄ちゃんのーー」

 

「あー! メアリーさんの写真にいた人! 巨人さんに挟まれてた人だー!」

 

 ……

 

 …………

 

 ………………ん?

 

「メアリーさん写真の人! アリス知ってる、前にメアリーさん話してた人っ!」

 

 今度はさっきとは別の女の子がちっちゃな指を向けてくる。

 メアリー……メアリー……メアリーぃ?

 

「本当だ! 見たことある、写真の人っ!」

 

「あの人だよっ、家出! 家出した人っ!」

 

「飛行機苦手な人ーー!」

 

「ちがうちがう、それはべつの人だよっ。えっとねー、うーん……なんだっけ……」

 

 突如、ジーサードの武勇伝を聞かされたときとは違った賑わいが子供たちの間で広がった。

 待て、待てよ……メアリー……? メアリーさんって……待て待て、マンハッタンだぞ?

 ないない、親父の嫌いな都市第1位だ。そんなことあるわけ……あるわけ……

 

「ねえ、みんな。どうしてこの人が家出したって分かるの?」

 

「メアリーさんから聞いたの。シスターのお友達のメアリーさんっ、すっごく綺麗な人なの!」

 

「ブロンドだよブロンドっ! すっごく綺麗!」

 

「でもお料理はあんまり……」

 

「しーっ。言っちゃダメだよっ!」

 

 かなめの疑問を皮切りに、次々と逃げ場が潰されていく。それはまるで、用意していた退路にゆっくりと火が燃え広がっていくかのように。

 ……お料理が下手で、ブロンドの髪をしてるメアリーさんねぇ……

 俺はアリスと言ったさっきの女の子に膝を屈めつつ、自分の右目を指で示してみる。

 

「もしかして、そのメアリーさんの眼は青色だったりするかな?」

 

「うん、青色。すごい青色、海みたい。メアリーさん、シスターのおともだち。今日もシスターと一緒に来るよ?」

 

「……来ちゃうの? メアリーさん、ここに? メアリーさん、本当に来ちゃうの……?」

 

 苦笑いする俺に、少女はこくこくと首を縦に揺らした。

 

「おい、切。なんだよさっきから一体……すごい顔してるぞ?」

 

「いや、別に。なぁ……ロカ、俺いまどんな顔してる?」

 

「ひどい顔。蛍光灯の浴びすぎね」

 

「あー! メアリーさんっ! シスター・マリア!」

 

「こっちだよーっ!」

 

 クールなロカの返しも束の間、子供たちが次々と手を振り始める。

 こちらに歩いてくる修道服のシスターと、身に覚えしかないジャケット姿のブロンド女性に向けて……

 なんてことだ、()()()にいたときと全く同じ服装じゃねえか……

 

「何? もしかして、昔口説いてフラれた女性とか?」

 

「口説くだって? そんなことしたら、親父に殺されちまう。切腹もんだよ」

 

「……真顔で何言ってるのよ、アンタ。コーラとソーダの飲み過ぎ?」

 

「炭酸のせいでも、アルコールのせいでも、地球温暖化のせいでもない」

 

 足音は徐々に近づき、遠目だった姿も明瞭になってくる。

 一人は紛れもない修道服のシスター、バチカンのシスターメーヤに似て、かなり若い。

 

「──サードさん。また子供たちと遊びに来てくださったのですね。感謝します」

 

 そう言うと優しそうな面持ちをしたシスターは胸の前で十字を切った。

 さっき、子供たちが口にしていたシスター・マリアが彼女のことだろう。

 ……さて、隣で眼を丸めていらっしゃるご友人にはどう話しかけていいものか、いっそこのまま知らないフリでいく……?

 

「メアリーさん、あれあれっ! 写真の人っ!」

 

「え、えぇ……そうね、写真の人ね。写真の人、そう、写真の人……」

 

「まあ、メアリーさんのお知り合いですか?」

 

「ええ……知り合い、というか……」

 

 ……やめろ、かなめにロカ!

 その、昔何かやったんだろ的な視線を送ってくるな……!

 揉め事になったらな、俺が逆に蹂躙されるんだよッ……!

 

「ーーどうして、ここに? ここ、本土よ?」

 

「そっちこそ、しばらく田舎に隠居するんじゃなかった? ここ、マンハッタンだよ?」

 

「最初はヤキマに行ったけど……あそこは合わなかったから」

 

「ヤキマっ!? よりによってあんな何もないところに行ったの!?」

 

「その発言はちょっと差別的よ? 空気は澄んでいたし、悪いところじゃなかった。合わないってだけ」

 

「そうだけど……ていうか、その服お気に入りなの? なんかやたらとその服着てるイメージあるんだけど?」

 

「貴方も同じシャツばかり着てた。アルファベットがデカデカとプリントされてるダサいやつ」

 

「ダサいとは余計だよ。あれはクレアと一緒にスーフォールズで……」

 

 不意に、ヒートアップした熱が下がっていく。

 振り返ると、呆気に取られたような面々の顔が視界を埋めていた。

 俺はやんわりとかぶりを振り、うっすらとした笑みで改めて向き直る。

 

「……久しぶり、()()()。元気そうで何よりだよ」

 

「えっ?」

 

「ほぇ?」

 

「アァ?」

 

「はぁ?」

 

 俺に続いて、キンジ、かなめ、ジーサード、ロカが順番に声を響かせた。

 

「紹介するよ。メアリー・ウィンチェスター。いわゆる……母さんだ。俺の」

 

 紛れもなく眼前にいるのはメアリー・ウィンチェスター。

 生を受けてしまえば問答無用でハンターとして育て上げられるーー『キャンベル』一族の生まれで、二人の兄をこの世に産み落としてくれた人。

 

 そして、今は亡き親父が愛した女性。

 俺のーー母親だ。

 

 

 

 

 






この行間書き方にもやや慣れてきましたが、このままいくかマジ思案中です。
アンケート見てると、こっちの方が見やすい感じなんですかね。



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キャンベル

 

 

「お兄ちゃん、なんかすごいこと言い出したんだけど……よくあるの?」

 

「敢えて聞かないようにしてる」

 

 すごいこと? ああ、俺だってそう思うよ。

 俺はたった今、ルームメイトや友人の前ですごいカミングアウトをしてる。

 

 ブロンドの女性、メアリー・ウィンチェスターは他ならぬ親父が愛した女性。他ならぬ二人の兄を産み落とした、母親だ。

 サムはサミュエルで、ディーンはディアンナから、彼女は息子に両親の名前を付けた。

 

「嘘よ、だって……貴方の、母親でしょ?」

 

 左右異なった色で整えられたロカの瞳が、俺とメアリー母さんを交互に捉える。

 ……知ってる。この雰囲気、エイサの葬式で保安官に初めて紹介したときと同じ空気だ。

 おい、少年少女たちよ。お前たちはジーサードたちの真似して黙らなくてもいいんだぞ。そう思った矢先、嬉しいことにかなめが沈黙を破ってくれた。

 

「失礼だけど、みんな思ってるだろうからもう言っちゃちゃうね。ちょっと、若すぎない……? 実はお姉ちゃんだって言われても驚かないよ?」

 

「ウチは全員男だよ、鳩子に一人だけ可愛い子がいたけどな。神崎かなえさんも年齢よりずっと若く見える、あれと同じだ」

 

 神崎の母親と違って、見た目が若いのにはちょっとした理由があるんだが複雑すぎて俺にはうまく説明できる自信がないのでここは喉の奥に沈めておく。

 正直、かなめの気持ちは俺にも分かる。母さんの見た目は20後半から30前半ってところ、俺が武偵高に在籍していることを考えると、年齢がとんでもないことになってしまうのだ。

 

 まあ、正確には俺とアダムは彼女に産み落とされたわけではないので、その計算は無意味ではあるんだが……この問題はこの問題で説明し辛い。

 毎度ながら、複雑な問題で雁字搦めだなウチの家系は……

 

「ああ、ちっと……驚いちまったぜ。お前も話題に尽きねえな、兄貴に劣らずよ」

 

「キンジには負けるよ。やあ、みんな、母さんがお世話になってます。どうぞよろしくね?」

 

 とりあえず、子供たちに簡単な挨拶だけは置いておく。すると、早速母さんのことで質問が飛び交い初めた、どうやら想像以上に好かれているらしい。

 一方、まだ困惑した顔つきのジーサードリーグの面々ーーそれもそうだ、ここにいるのは忌々しきアザゼルが家を焼き払った当時の、ウチの次男が生まれてまもない頃の母さん。

 当時の記憶、当時の容姿のままアマラがこの世界に呼び戻した。

 

 俺、サミーちゃん、ディーンはこの数十年で否が応でも年を重ねたが、母さんはあの火事のときのまま29歳の若さで現世に引き戻された。

 それが、みんなが感じている違和感の正体。

 つまり、母さんはここ数十年コールドスリープしていたようなもので、その体は全く変化していない。俺と並べてしまえば若く見られて当然なのだ。

 

 ーー若く見えるわけじゃない、ただ()を重ねることができなかっただけ。これから息子と夫、家族との時間を重ねていこうというときに、『黄色い目』が何もかも()()()()()

 急な再会で、俺も落ち着きがあるとは言えない状況だがブルゾン姿のかなめが、

 

「えっと……初めまして。かなめです、遠山かなめ。一応、後輩ってことで……後輩?」

 

 珍しくぎこちない様子で母さんに話しかけたと思いきや、すぐに首がこっちに向いた。

 なんてことだ、かなめと母さんが一緒の場所にいる。さらに言えば、自己紹介だ。こんなこと信じられるか……? 

 ……夢でも見てる気分だ。タイムスリップした過去で母さん、親父、サム、ディーンと家族揃ってドライブしたときと同じ気分。

 

「ここは武偵高じゃなくて本土だ。後輩じゃなくて、友人でいいよかなめ。いつもの調子でいてくれ、そっちの方が俺も楽だ」

 

「メアリーよ、よろしく。ちゃんと先輩らしくやれてるの?」

 

「ご心配なく、俺とこの子はすごく適切な距離を保ってる。つかず離れずってやつ」

 

 子供たちの質問にも答えつつ、軽く母さんにもキンジやかなめについて話しておくが、こっちはこっちで複雑な関係……なんだよな。

 空港で首を切り落としあった女が今は専属の後輩……なかなかパンチが効いてるよ。

 

「話は聞いてる。頼りになるルームメイトがいるって。貴方がそう?」

 

「え、ええ……まあ……でも頼られるよりも俺が頼ることの方が」

 

「ああ、いいの。その、癖があるでしょ? すごく、なんて言うかこの子は……」

 

「尖ってる?」

 

「尖りまくり」

 

 そしてキンジも母さんとお話タイム。

 しかし、キンジやかなめ……狩りを抜きにして繋がった知り合いが、こうして母さんと話している景色はとてつもなく……落ち着かない。すごく落ち着かない。

 

 極度の転勤族だった幼少期、自分の家に友達を招くなんてことは出来なかった。というか、寝泊まりはインパラのシートかモーテルの二択しかなかったし、呼ぼうにも呼べなかったのが現実。

 そういうこともあって、俺には家に遊びに来た友人に親を紹介したりだとか、遊んでる最中に親がお菓子やジュースを差し入れに持ってきてくれて友人と対面する、そういった経験が絶望的にない。

 

 そもそもサムといいディーンといい、狩りを抜きにした自分の友人関係は、家族にはとことん伏せるのが我が家だ。付き合ってたことをひた隠しにしていたジェシカやリサが良い例。

 母さんとキンジ、友人と親が一緒の場所にいるってこの光景が、俺にはひどく稀有なものに思えて仕方がない。

 この落ち着かない胸騒ぎというのは、この年になって今()()()のことを経験していることからの胸騒ぎ……なのかもな。

 

「息子さんは俺が組んできた中でも()()()()の存在です。まあ、色んな意味で」

 

「ロカ、あれって良い意味か? それともその逆か?」

 

「両方でしょ。でも当たってるし、別にいいんじゃない? 真似しろって言われても、お前の真似ができるヤツなんかいないよ。人間は首が落ちたら死ぬんだから」

 

「……お前は俺をなんだと思ってるんだ」

 

「お前の代わりはいない。そういうことにしておいたら? それなら誉め言葉でしょ?」

 

 至って平然と綴られる言葉に溜め息が込み上げてくる。

 頭が良いのか、それともただ説得が上手なだけなのか。どうにもロカには敵わない。

 内心どこか喜んでいる自分に、俺は隣の少女におとなしく白旗を降った。

 

 

 

 

 突然とはいえ、メアリー母さんとの再会とは正直嬉しいサプライズになった。

 日本にいるときは基本メールでのやり取りだったし、こうして直に話すのはミカエルがのさばっていた例の世界から戻ったとき以来、かなめとやり合うよりもさらに前だな。

 

「安心した。友人に恵まれたみたいで」

 

「みんな一癖あるヤツばっかりだけどね。でもいいヤツばっかりだよ、確かに出会いに恵まれた」

 

 キンジやジーサードリーグの面々が子供たちと草ベースボール大会に興じる様子を少し離れたベンチから、俺は母さんと観戦する。

 ライトでいつものように棒立ちのレキ、リリーフピッチャーをやれてご満悦のかなめ、キンジもキンジで振り子打法で打席に立ったと思いきやお次は天秤打法……ノリノリだねぇ……

 

「前に話しただろ、英国のモノホンの貴族のお嬢様と友達になったって」

 

「リンゴを素手で握り潰せるって子の話? 45口径を片手で操る女の子がいるって」

 

「そのお嬢様がちょっとした厄介ごとに巻き込まれててね。本土に来たのもそれが理由なんだ。荒っぽいヤツではあるんだけど、いや、かなり荒っぽいか……でも色々と……そう、そいつには色々と助けられちまって」

 

 一度間を作り、神崎がやってきてから今までのことを思い出す。

 ハイジャック、魔女、吸血鬼から始まって、他にも色々とありすぎてノート一頁には到底纏められそうもない。

 

「恩人は見過ごせない?」

 

「……そんなところかな。こうやって母さんと真っ向から会話できてるのもそいつのお陰みたいなところ、あるからさ。はぁ……けど、必死に言葉を纏めようとしてたのに一言か」

 

「スピーチの原稿と一緒。800ページよりシンプルが一番」

 

 なるほどね、スピーチの機会があったらその理論でいこう。長々とした文章を憶えずに済む。

 刹那、キレッキレのスライダーでキンジを打ち取ったかなめの声がこっちまで届いてきた。

 ……あの速度であの曲がり具合は反則だろ。無茶苦茶じゃないか。はは……さすが我が後輩、漫画みたいな強さだな。

 

「あの子、州代表のソフトボールのピッチャーか何か?」

 

「州代表のピッチャーが今は犯罪者を捕まえる法の番人か。その設定、犯罪捜査系のドラマで出てきそう」

 

 腰を深く後ろに倒し、流れ行く試合の様子をだらけた姿で見物する。

 雲に遮られることもない快晴の空の下、セントラルパークの賑わいに隠すつもりで、

  

「ーー母さん、()を狩りに来たの?」

 

 ーーだらけた姿勢のまま、俺はいつ聞くべきか悩んでいたことを投げ付けた。

 

「なんのこと?」

 

 案の定、横目で捉えたその表情は変わらない。

 本音を悟らせない、巧みな表情に俺はかぶりを振ってから続ける。

 

「よしてよ。理由もなしにマンハッタンにまで来る? 来たのには何か理由がある。理由があるなら、たぶん仕事のことだ。それくらい分かる」

 

 なんでもかんでも狩りに結びつけるのはハンターの悪い癖だと、かつてクレアに説いたものだが母さんはあのキャンベル家の人間、一番濃厚な理由だ。 

 

「狩りっぽい事件でも見つけた? あるいは前みたいに昔やり残した仕事の後始末?」

 

「これは私の仕事。よく聞いて、貴方には貴方の仕事がある。その為に本土に戻ったんだから、やるべきことをやるべきよ。余計な回り道を選ぶ必要はない」

 

 ある意味、突き放されるようなその言葉に喉が詰まる。

 この反応、マンハッタンに来た理由は後者っぽい気がするな。それに、何やら複雑そうな匂いだ。

 複雑じゃない狩りの方が珍しいけどな。

 

「助けが必要なときは誰か呼ぶ。サムでもディーンでも、ボビーもいる。だから心配しないで」

 

「分かった、それじゃこの話はここまで。母さんが大丈夫って言うなら信じるよ。でも本当にやばいときはいつでも電話して。なんとかする」

 

 ……駄目だな。言いたいことは山ほどあるのにどう頑張っても出てこない。

 もっと普通に平和ボケしてそうな会話がしたいのに、現実はどうにもうまくいかないもんだ。

 名残惜しい気持ちを抱えているのが俺だけなのか、それは分からないが先んじて母さんはベンチから腰を上げた。

 

「行くの?」

 

「ええ、シスターに挨拶してから。キリ、会えて良かった。今度はレバノンで会いましょうーー幸運を」

 

「母さんもね」

 

 ……ここでお別れか。

 いや、折角会えたんだ。何か、何かあるだろ。この再会を後悔しないで済む何か……

 

「あー……母さん。ちょっと待って。ひとつお願いしてもいいかな。子供たちに料理を振る舞ったんだろ? 今度会ったときは俺も母さんの料理が食べたい」

 

 立ち上がった俺に、訝しげな顔が首を捻った。

 

「私の料理の腕は……知ってるでしょう?」

 

「ずっと前から食べたかったものがある。母さんにしかできない料理が」

 

「……?」

 

 母さんは苦笑いで小首を傾げるが、やがて心当たりが見つかったのか片眉が上がり、俺は首を縦に二度三度と小さく振った。

 

「ウィンチェスターサプライズ?」

 

「そう」

 

「……よくディーンにあんなもの食べさせてた。よくあんな、油っこいもの」

 

「ディーンが再現レシピを教えてくれたけど、やっぱりオリジナルを食べないと」

 

 ウィンチェスターサプライズ。料理下手な母さんの得意料理で、まだ幼いディーンやハンターになる前の親父に向けて振る舞われた。

 とどのつまり、母さんによる創作料理というやつなんだが今現在の母さんにすると失敗作もいいところらしく、著しくその評価は低い。

 

「駄目よあんなの……だって、心臓に悪すぎる」

 

「いいや、ディーンはこう言っていた。うますぎて心臓がびっくりするって。母さんが作ったオリジナルを食べるのはもう俺の死ぬまでにやりたいリストに載ってる」

 

 困惑しつつ贈られた警告は、真っ正面から否定する。

 ダイナーでギトギトした食事を送りながら狩りを続けること数十年ーーヒルダに喜ばれるような綺麗な血液はしてないことだしな。

 

「貴方の悪魔の一面を忘れてた。ちゃんと食べてるわよね、ジャンクフードじゃないものを」

 

「カレーにトマトサラダを付けるくらいには気を使ってる。カラバリ的にもね?」

 

 嘘だ。本当はディーンほどじゃないけど、俺も菜食カフェや野菜はあまり得意じゃない。サラダの代わりに砂糖まみれの野菜ジュースをがぶ飲みする人間である。

 名残惜しいが母さんとそのまま別れ、俺は未だ熱戦の続いている試合を遠目で眺めていたシスターの下に歩いていく。

 

「シスター。シスター・マリア、少しよろしいですか? お聞きしたいことがあって」

 

「メアリーさんのご家族でしたね。お名前はたしか……」

 

「キリ・ウィンチェスター。子供の頃、カンザスのローレンスにいました。トレントンとミッションシティにも少し」

 

「まあ、そうでしたか。本土でお過ごしに。私に聞きたいことと言うのは?」

 

「母さんのことを少し」

 

 和やかな笑顔で答えてくれたシスターから視線を外し、母さんが去っていた方向を一瞥する。

 

「俺の知ってる母さんはニューヨークやロスみたいなところには仕事以外だと、よっぽどのことじゃないと足を運ばない人なんです。親父もそうだった、都会が好きじゃなくて。シスター、何か聞いてませんか? 母さんがマンハッタンに来た理由」

 

 分かってる、母さんは熟練のハンターでそこいらの怪物や悪霊、半端な悪魔にやられるような人じゃない。

 ナックルダスターでルシファーを殴り付けるような人だ。余計な心配だって言うのは分かってるんだけど、頭や心で思ってることと、矛盾した行動を取ってしまうことも時にはある。

 俺の場合、今がそのとき。気付いたら勝手に口が動いてたってやつ。

 

「メアリーさんとは友人を通して出会いました。共通の友人と言うのでしょうか。数日前までボランティアに来て貰ってたんです、スーフォールズから」

 

「スーフォールズ……?」

 

 不意にシスターから飛び出してきたのは馴染みのありすぎる地名。

 盟友ボビ・シンガーの故郷であり、今ではすっかり腐れ縁になってしまったミルズ保安官が住み着いているあのスーフォールズだ。

 スーフォールズから福祉のボランティアにやってきて、母さんとの面識もある相手……心当たりが一人いる。心当たりどころか、他の可能性を塗りつぶすくらいに確信があった。いや……まさか……

 

「シスター。もしかして友人というのはアレックスじゃありませんか? スーフォールズで看護師をしてる」

 

 シスターは目を丸くし、驚きの顔を作った。

 

「……驚きました。アレックスともお知り合いですか?」

 

「ええ、家族ぐるみの。古い友人です。以前、アレックスから聞きました。お世話になったシスターがいる学校にボランティアに行くことになったって。そうでしたか、ここが……どうして気付かなかったんだろ」

 

 アナエルを呼び出し、神社でカナやキャスと共闘したあの夜のアレックスとの電話を通しての会話…… 資金不足で潰れかけた学校をどっかの資産家が援助したって言ってたが、

 

(そのお金持ちはジーサード。アレックスが世話になったシスターがシスターマリアか。リサ、母さんに続いてお次はアレックスか)

 

 意図せずに動いた手は額を抑える。まいったな、さすがアメリカ本土。予期しないことの連続だよ、お次は道端で誰と出くわすことやら。

 帰国してからまだ二日目だってのに守護天使様はサプライズが過ぎるぜ。

 

「シスター、アレックスは……あの子、元気にしてましたか?」

 

「ええ、とても」

 

「ーー良かった。本土の外にいると電話でしかやり取りしてなかったもので、久々に顔を合わせて話してみたかったな。でもシスターがそう言うなら安心です。ありがとう」 

 

 軽く微笑んだシスターに向けて、俺は心のなかでもう一度、ありがとう、と呟いた。

 

「シスターマリアー!」

 

「こっちこっちー!」

 

 子供たちに呼ばれるまま、シスターはこちらに背を向けて歩いていく。

 ああ、こんなことクレアに知れたらまた過保護って言われちまいそうだな。

 

 

 

 

 

 

『帰ってない? アレックスはまだ家に着いてないのか?』

 

『いるのはクレアとペイシェンスだけ。今朝電話があったわ、寄り道して帰るそうよ。何してるかまでは聞いてないけど』

 

 ーー夜。ジーサードのビルに戻った俺は、アレックスとクレアの保護者である旧友のミルズ保安官に電話をかけていた。

 半分はアレックスのことで、半分は久々に友人と話がしたいって本当に私的な理由から。

 彼女はスーフォールズの治安を守ってる保安官で、ひょんなことから始まった付き合いが未だに続いている大切な友人だ。

 

『アレックスがボランティアに来てたって学校に昼間お邪魔したんだが、すれ違いになっちまったみたいだな。クレアは?』

 

『ここにいる』

 

 出した問題が即答されたような感覚。

 聞き慣れた声は唐突にスピーカーの向こうから飛び込んできた。

 

『やあ、クレア。声が聞けて嬉しいよ』

 

『懐かしの本土にようこそ。マンハッタンにいるんだって? あたしと狩りしてたときは一度も行かなかったのに、一人で夜の摩天楼を堪能ってわけ?』

 

 いつもの強気な態度は健在、安心したせいか自然と笑みがこぼれていた。

 ほんと、変わらないでいてくれて嬉しいよ。

 

『夜中にバーガー食える店もない街って思ってたからな。あのときは狩りっぽい事件もなかなかなかったし』

 

『それは嘘。超常現象っぽい事件は一度あったけど話を聞かなかった。ニューヨーク州で女性が高度3000mの飛行機から落ちて助かったって事件』

 

『それは超常現象じゃなくて奇跡ね。行かなくて正解』

 

『ありがとうジョディ。たぶん、クレアが不満そうな顔で睨んでる』

 

 お約束の仏頂面で。

 片手間にクラフトコーラの瓶を喉へと呷る。

 

『睨んでない、アイス食べてるだけ。箱ごと食べるとスッキリするよ?』

 

『やめとく、そんなに食ったら胃が凍っちまいそうだ。じゃあな、クレア、保安官も。話せて良かったよ』

 

『あらら、別れの挨拶ができるなんて人として成長した?』

 

『努力中。甘いものばっか食って太るなよ? ペイシェンスにもよろしく言ってくれ』

 

 煽りには煽りを、心地良いことにクレアとの関係は本土を離れる前と何も変わってない。

 時間と共に変わるものはたくさんある、それこそ両手の指では足りないほどに……ありがたいことだね。

 

『お休み、自警団さん』

 

『お馬鹿、自警団じゃなくて武装探偵だよ。おやすみ、クレア』

 

 懐かしさの余韻が冷めぬまま通話を切ると、後ろから注がれていた視線に振り返る。

 

「電話か?」

 

「ああ、スーフォールズの知り合いに。んで、お次はなんだよその格好。デロリアンに乗って禁酒時代にでも行こうってか?」

 

「知らん、ジーサードに聞け。これもあいつが用意した」

 

 ベスト付きの黒スーツ、黒い中折れ帽子に黒の革コート、振り向いた先にいたキンジの姿は一昔前の白黒テレビからそのまま飛び出してきたような格好だ。

 例に漏れず、ジーサードが用意したとなれば一流品の衣装なのだろう。少なくとも、値段を聞けば俺やキンジに寒気が走る程度には。

 

「黒、黒、黒……これじゃあまるで禁酒法時代のギャングだぞ。」

 

「いや、いいじゃないか似合ってるよ。知ってるか、禁酒法時代には赤土の林道が密輸に使われたんだ。南東部の地域、北カリフォルニアにも一部あるって言ってたな」

 

「その雑学、どうせ披露するならこの格好じゃないときにしろよ。言ってたって……誰かに聞いたのか?」

 

「バーの女亭主に聞いた。娘が大学を辞めた愚痴を一通り聞いてやったあとでな」

 

 しかし、キンジがまたこんな格好に仕立てられたとなりゃジーサードリーグはまたもや外出か。

 頭によぎったモノを裏付けるように、Vネックドレス姿で化粧も施したかなめとツクモが歩いてきた。

 

 胸元を大きく開き、背中も白い肌を見せつけるような大胆なドレスだが……外交用だな。袖はなく、アクセサリーも必要なものを必要なだけ、以上も以下もなく、飾り付けたって感じがする。

 これはロカの仕事だな。素材が良ければ、仕立てた人間の腕も一流だ。かなめもツクモも元が良すぎるってのに、これだとメーターの針を振り切っちまってる。十人が十人振り返るだろうよ。

 

「かなめ、その……寒いのにそんなドレス選ぶ必要あるのか?」

 

 兄貴っぽく肌色多めのドレスについてキンジがかなめに小言を漏らすが、それを良しとしないのがロカ。

 自分の仕事には誇りを持っている、とかなんとか言いたげな顔でキンジに噛みついた。

 

「この田舎者、散歩に行くわけじゃないの。これから行くのは礼式が必要な場所、ドレスコードがあるんだからこれじゃなきゃダメなの」

 

 不満を垂れ流しながらも、きちんと理由を説明してくれたロカ先生はブロンドにフェザー・ミニハットと自分のことも忘れてない。

 

「は? 界王拳……? なにそれ、中国の武術?」

 

「まあ、似たようなもんだ。気にするな」

 

 ……界王拳? キンジよ、お前ロカに何を読まれたんだ? 

 いや、キンジのことだ。さては女の化粧を界王拳に例えたな。化粧をすれば界王拳みたいに見た目の良さが跳ね上がる、とか?

 

「その理屈だと20倍界王拳はかなりの厚化粧ってことだな。限界を超えて、力を引き出すんだから。肌への負担を無視して一瞬のためにメイクするわけだし……お前にしちゃ鋭い例えだな、ストンと落ちたよ」

 

「お前、今ものすごく失礼なこと言ってるぞ。俺が言うのもなんだけど」

 

「別にいいよ。あんたのルームメイトは生まれたときから礼儀知らずなんでしょ?」

 

 左右色の異なる瞳が綺麗に半眼を描いた。

 この容赦のなさ、オークション会場で出会ったときから一貫して変わってない。はっ、オブラートも何も無縁だなこの女。

 

「ロカ、時計集めと俺を虐めること以外に趣味ないのか?」

 

「ない」

 

「即答かよ。その顔は好きじゃない」

 

「この顔しかない」

 

 うっすら微笑んだロカと目が合った途端、伝染したように俺の口角も緩んでいく。

 なるほど、その顔しかないなら仕方ないか。頭の良い女はやっぱり苦手だ、何回やっても言い負かせる気がしない。 

 まあでも、一瞬とはいえ魅力的な自分を見てほしいって気持ちは少し分かるよ。

 好きな人や大切な人の前でくらいは、ちょっとくらい無理して良い自分を見せようって思うやつは……きっとたくさんいる。

 

「ところで美容師先生、これからどこ行くのか教えてもらえるか? 俺も本土にはそれなりにいたが、キンジのあの格好がドレスコードになる場所ってのは浮かんでこない」

 

「ーーパーティーだぜ、ユキヒラ。ヒーロー組合のな。実力、実績、活動内容で基準を満たした武装職のエキスパートだけが集まる、デカいパーティーさ」

 

 お次にやってきたのはジーサード、キンジと同じギャングスタイルで身を固めている。

 お約束というか、ツクモの熱い視線がこれでもかってくらい突き刺さってるな。

 

「ヒーロー組合? アメリカにはヒーローの同好会があるのか?」

 

「ああ、化物揃いだ。Sランク武偵もゴロゴロいるから、兄貴もコネを作っとけよ」

 

 へぇ、そんな組合あったんだ。ヒーローの同好会なんて初めて聞いたぜ。

 けど、パーティーに出るとして、俺はまだセントラルパークから戻って着替えた予備の防弾制服のままなんだがーー

 

「お前はそのままでいい」

 

「えっ? ドレスコードは?」

 

「話がある、来い。ユキヒラとの話が済み次第ここを出る。各員準備しとけ」

 

 乱暴に吐き捨てると、ジーサードは下層に繋がる直通エレベーターへと歩いていく。

 先読みされたことは置いて、そのままでいいってことは、制服での参加もありってことか?

 

 とりあえず、白黒テレビから飛び出したようなギャングスタイルにはそこまで魅力を感じていなかったので素直に朗報だった。

 常日頃、あれだけ犯罪捜査ドラマを見てると捜査機関側に愛着が湧くというものだ。腐っても武偵だしな。

 

「パーティー大好き、ドリンクもうまいものも食い放題だ」

 

 空になったクラフトコーラを捨て、ジーサードを追いかけてエレベーターに乗り込む。

 当たり前のように広々としたシースルーエレベーターからは、夜のマンハッタンがガラス窓から一望できた。夜の摩天楼をさらに上から見下ろせるのは、どこか現実味の薄い、とても稀有な光景だった。

 横並びになった俺とジーサードを乗せたエレベーターがゆっくりと下降していく。

 

「ユキヒラ、明日の日没後にはサジタリウスの調整が済む。いいか、明日の日没後だ。それ以上は待たねえぞ」

 

 ーーああ、そういうことこか。だから、俺は制服で構わないわけだ。

 

「……敵わないなぁ、いいのか?」

 

「俺が雇ったのはいつものお前だ。この際、何を悩んでるかは聞かないでおいてやる。さっさと片付けてこい」

 

 怖いくらいに鋭いな、ジーサード。

 その怖い直感、キンジにそっくりだ。

 

「顔に出したつもりはないんだが。なあ、いつも正しいってつまらなくないか?」

 

「この国を出るまではお前も俺の部下だ。部下の様子はチェックしとくもんさ」

 

 下降するエレベーターの浮遊感を感じつつ、俺は後ろ頭を軽く掻いた。

 こういう何気ない垂らし文句が部下の信頼を勝ち取るってことか。キンジはキンジである種のカリスマを備えてるってのが先生の見解だが、ジーサードも負けず劣らずらしい。

 

「お前もキンジと同じだな、仕えるよりも率いる方が向いているよ」

 

 夜のマンハッタンは本当に綺麗だ。

 漆黒の摩天楼に灯った照明は、近未来的でありながらもどこか現実離れした、幻想的な印象を感じさせる。

 きっとそのせいだ。思ってもいないことも口から滑り落ちていく。

 

「久々に本土に戻って、帰国して改めて思うのはこの国には良い記憶も悪い記憶も等しくあるってこと。昔の俺は……誰かを大切だと思うと逆方向に逃げ出すタイプの人間だった。いつからか、大切なものから先にこぼれていくって分かっちまったからな」

 

「似合わねえなぁ、なにかやろうと思っても()()()()のが人生さ。この言葉は俺たちみたいな人間の毎日をよく表してる。だが、たまには人生の主導権を握ってやりたいことをやるべきだ。手遅れになる前にな?」

 

 言葉を切り、ジーサードは目を細めて笑った。

 夜の摩天楼がほんの少し、さっきより明るくなった気がする。きっと気のせいだろう。

 

「……これ独り言、いま聞いた話何かを学んだ気がする」

 

「ジーサード様の無限の知恵を一部授けてやったんだ、感謝しろ」

 

「授ける知恵があったとはねー、驚き」

 

 でもその言葉は覚えとく。

 ヒルダ曰く、未来は不確定だが新たなスタートは切れるらしいからな。

 やがて浮遊感が落ち着き、エレベーターホールへの扉が静かに開いた。

 

「いつも正しい訳じゃねえよ、俺もな。さっさと行っちまえ、ただし安全運転しろ?」

 

「了解。メーターも戻しとくよ、フェリス・ビューラーみたいに」

 

「……あの映画のフェラーリ、廃車になってなかったか?」

 

 ロックスター風の端整な顔が壮絶にひきつった。

 ここは何事もなかったつもりで去ろう。空気を読んで。それがいい。

 

「日没までには戻る。mahalo、ジーサード」

 

 ここでの現地妻、もといコルベットの鍵を手元で揺らす。

 つまらない狩りなら、わざわざ答えを濁す必要はなかった。母さんーー今度は何を狩ろうとしてるんだ?

 

 

 

 





ほぼゲストキャラクターみたいなものなので補足しておくと、鳩子というのは一時期登場した『グウェン・キャンベル』というキャラクターを指しての発言になります。
サミュエルじいさんが連れてきた愉快な仲間たちのなかでもそこそこディーンに優しかった女の子ですね。





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寄り道

 

 

 

「なあ、ボビー。ナイフとか、射撃の訓練しないでいいの? 俺、まずい飯も食うし、屋根のないところでの寝泊まりも平気だけど、父さんに怒られんのだけは嫌だよ。この年になって人に怒られたくない」

 

 芝生を踏みつける足は重たく、それはまるで授業をサボるような気持ちだった。

 鬼教官から与えられた訓練を抜け出し、街に繰り出して酒に女に夜遊びーー前に見たドラマの1シーンが不意に脳裏をよぎる。

 一夜明けて上官に真実が知れたあと、その兵士がどうなったか。思い出すのもゾッとする。

 

「お前、自分が何歳か言ってみろ。何歳だ?」

 

「9歳かな」

 

「そうだ、お前はまだ子供だ。お前には遊ぶ権利がある、分かるな?」

 

 乱暴に、しかし真面目な声に行き場の迷った視線はとりあえず晴天へと逃がした。

 そう言われましても……と、最後には困り顔をしたのも今では懐かしい。

 

「よしここだ。キャッチボールをしよう、日が暮れるまでな。今日は難しいことは何も考えなくていい」

 

「……難しいこと? 80年代のアーティストで一番人気だったのは誰か、とか?」

 

「ドラマの見すぎだな。いちいち返しがひねくれてきてるぞ」

 

「だってドラマと映画見ることしか楽しいことないし。俺は『It's My Life』が好きだ、MVがかっこいい」

 

「せめてベースボールにしたらどうだ。好きな選手は?」

 

「タカ・タナカ」

 

「……?」

 

「メジャーリーグ2、日本からやってきた外国人助っ人。こっちの言葉はあんまり得意じゃないんだけど、通訳はいなくて代わりにいつも英和辞典を持ってる。聖書みたいに」

 

 手渡されるグローブを受け取り、左手に嵌めながらひねくれた子供の顔で後ろに下がる。

 人の声で賑わい、親子連れの顔も多数見える公園は、なんというべきかとても明るい雰囲気に包まれていた。

 

 そんな空間に、どこか自分が場近いと思えてくる程度には、子供の頃から俺はひねくれていたのだろう。

 ゆるやかに弧を描いて手元にやってくるボールを受け取り、ただ投げ返すだけの時間。

 確かにこのときばかりは、ボビーの言うとおり難しいことは何も考えずに過ごせたと思う。何より楽しかったからな。

 

「しつこいけどさ。親父にどう言うの、これ。州代表のピッチャーを目指して特訓してたとか?」

 

「真実を言うさ。ジョンはお前の父親だが教官じゃない。君は子供で兵士じゃない」

 

「親父はそうは思ってない、俺たちのことは士官学校を出たばかりの半人前だと思ってるよ」

 

「だとしてもだ。与えられた権利は使え、使えなくならんうちにな。子供でいられる時間ってのは少ないんだ、お前さんが思うよりもずっとな」

 

 後に思えば、それは深い言葉だったような気がする。

 時間というものは、良い時間も悪い時間も等しく消費してしまうものだから。

 まあ、このときの俺にそんな深い言葉を潔く受け止めるだけの綺麗な心はなかったんだけどな。

 

「覚えとく。けど、明日肩が上がらなくなってもしらねえからな、っと!」

 

「はっ、年寄り扱いするな。バカタレが」

 

「お、おいっ! どこ投げてんだよっ! この年になって全力疾走したくないっ!!」

 

「9年過ごしただけの体にガタがくるもんか。ほら、さっさと走れ」

 

「……な、なんて仕打ちだ。今日は俺が言ってやるぞ、ちくしょうめ!」

 

 毎月、来る街を変えて、毎日を今日が最後みたいに過ごしていく生活だった。けど、悪くない記憶も確かに存在してたって、今なら言える。

 あんたが言った、『血の繋がり』がすべてじゃないと。それなら嘘偽りなく、あんたは俺たちの父親だったよ。

 あの病室で、最後の最後まで父親でいてくれたことに感謝してるーー上のバカタレ二人を引っくるめてさ。

 

 

 

 

 

 

 

「貯めこんでるなぁ、飲んだくれ。親父の廃棄物処理場もあちこち物だらけだったがここも負けてない」

 

 一息、綺麗とは言えない空気を吸い込んでから現実に意識を引き戻す。

 他には誰もいない、だからその言葉に誰かの声が返ってくることはない。

 

 一言で言うとそこはまるで武器庫だった。

 壁に架けられたハンドガン、ショットガン、手榴弾や人食い鬼用と思われる照明弾と一通りの武器がそこには並んでいた。

 隅に置かれていた木箱の上蓋を近くに転がっていたバールでこじ開けると、出てくるのはラベル付きの酒、酒、酒……それと申し訳程度の袋に敷き詰められた塩が不意に現れる。

 

「はっ、本当に申し訳程度だな。ボビー」

 

 ボビーは本土の至るところに、ハンターが狩りの拠点や緊急時の避難場所として使える小屋や倉庫を持っていた。

 俺が足を置いているこの倉庫とも空き家とも呼べる空間もその一つ。狩りのための武器やまじないの材料がここには一通り用意されている。

 

 この酒だけは狩りのためのものなのか、それとも単なる嗜好品として用意されたのか、怪しいもんだけどな。

 ウチの兄貴も酒には強いが、ルーファスやボビーも強かった。もちろん今は亡きエレンも。

 

 母さんを見つけたとして、先に待ち構えているのは間違いなく狩りと言っていい。こればかりは言い切れる、身仕度なしに乗り込むわけにはいかない。

 武偵として登録されてしまっているこのトーラスを狩り、しかも本土で振り回すのもできれば避けたいのが本年。何かトラブルを招いてから後悔しても遅いからな。

 

「水平二連式と、おいーーXDじゃねえか。しかも9mm口径、昔の女に世話になるか」

 

 そこで俺は、ボビーが残したこの忘れ形見に装備を頼ることにした。

 備えあれば憂いなし、本土を出るときに親父の手帳の写本と一緒に小屋の場所もメモしといて助かったぜ。

 何がどこかで、どう役に立つかは本当に分からない。そのまま無駄になることもあるけど。

 

 壁に並べられた装備から幽霊退治では馴染みとなっている水平二連式の銃を一挺。

 武偵高の門を叩くまで狩りのパートナーだったスプリングフィールドXDも壁から抜き取る。偶然にもこの子は、先生のグロッグとは色々と機構が似ていることでも有名だ。

 トーラスはトーラスで、キンジが愛用するベレッタのカスタムラインと妙な縁があったから、先生に一度そこをツッコまれたっけ。

 

「ーー何度目になるか分からないが世話になるよボビー。ほんと、何度目になるかは分からないけどさ」

 

 いつも俺たちは当たり前のようにボビーを頼って、いつか堪忍袋の尾が切れたみたいに怒ったよな。あれはそう……クラウリーの骨を俺たちが探しに行ったときだった。

 珍しく、ボビーから俺たちに頼みごとをしてきたんだったよな。いつものごとく一悶着あったけど、ディーンが最後に言った言葉覚えてる? 俺もあれが全てだと思うよ、『近くにいすぎて有り難みを忘れてた』ってさ。

 

 実際、失ってから一番喪失感を覚えるのは『当たり前』だったことなんじゃないかな。いつも当たり前のようにいた人とか、当たり前のように存在してた居場所を失ったときは本当にキツい。

 

 ……駄目だな、この国にいると色んなことを望んでもいない不意のタイミングで思い出しちまう。

 一人でセンチメンタルになって誰が徳をするって話だが、それだけ色んなことがあった。良いこともそうじゃないこともそれこそ無数に。

 

「ねえ、ボビー。聞いてるかどうか分かんないけど、言わせてもらうね。天使は人材不足だし、もう辺鄙な牢獄に閉じ込められてるわけじゃないんだろ? そっちにはルーファスはいる? 奥さんとはちゃんと仲直りできたの?」

 

 俺はたぶん、そっちのチケットは貰えそうにないからさ。もしジョーの天国にお邪魔することがあったらさ、これ以上ないくらいあの子を誉めてやって欲しい。

 だって、もしタイタニックが沈んでなかったらあんたはエレンとくっついてたんだからさ。

 俺もアッシュみたいに他の人の天国を行き来して、ジョーの天国やエレンの部屋を叩いてみたかったけど、それはどうやら叶いそうにない。

 

「一つ前の死の騎士が言ってた。すべてが終わったあと、俺たちに待ってるのは天国でも地獄でもないって。じゃあ一体……最後には何が待ってるんだろうな」

 

 きっと、これまでのらりくらりと交わしてきた色んなことへのツケを最後の最後に払わされると言うことなんだろう。

 天国でも地獄でもない場所……煉獄にでも投獄されちまうのかな。笑える、リヴァイアやイヴと仲良く監獄暮らしか。それもある種の地獄みたいなもんだが。

 

「……行くか」

 

 今回は門限がある。これ以上やったら止まらなくなりそうなので、俺はXDの様子を改めてから懐へと納めた。

 いい加減、独り言を続けるのもどうかと思ってきたところだしな。とりあえず、装備の調達はできた。これで用事は終了だ。

 

 言ってみればこのXDって拳銃は武偵になる以前の、ダブルワークになる前の俺がずっと引き連れていた腐れ縁。

 コルベットを現地妻と例えるのなら、この子は別れてしまった昔の女。即興で命を預けるにはこの上ない相手と出会えた、珍しく運が向いてる。

 

 あとは母さんの居場所を探るだけ、そっちの解決策は案外簡単に思い付いた。幸運なことに、頼れる友人がこの国には尽きないからな。

 お粗末な倉庫の扉に背を向け、俺は古い友人の携帯へと番号を叩いた。

 

 

 

 

 

 昔の俺は、ニューヨークそのものが都会だと信じて疑ってなかった。

 実際、マンハッタンは都会も都会の大都市だったし、ブロードウェイやエンパイア・ステート・ビルの華やかさは言うまでもない。

 

 けど、それはニューヨークシティを中心として見ればの話で、ニューヨーク州全体で言えばアップステイトーーハドソン川が通っている北側のエリアはそうでもなかったりする。

 ニューヨークに限らず、都会として見られている場所も少し離れてしまえば、永遠と続くような長い田舎道に出てしまう、なんてことは本土ではよくある。

 

「お届けものです」

 

 真夜中のマンハッタンを抜けて数時間、日付が変わる前に目的の場所についた俺は、年季の入ったそのドアを迷わず叩いた。

 かつては農場だったと思われるだだっ広い野にぽつんと建てられた家には、確かにオレンジ色の照明が窓から漏れて人の気配を感じさせる。

 

 ノックから数秒経ってから、ほんの僅かにドアが開いた。

 

「キリ……?」

 

 僅かに開いた隙間からこちらを覗いてきたその瞳が丸く見開かれる。

 視線を惹いてやまない長く伸びた黒髪と、妙な懐かしさを感じさせる穏やかな目元は、前に別れたときから何も変わってない。

 

「久しぶり、アレックス。こうなるとは薄々思ってたけと、いざ的中すると何って言うべきかな」

 

「もっと普通に再会したかった?」

 

「ああ、でも元気そうで良かった。会えて嬉しいよ」

 

「それは言えてる」

 

 一瞬、困り顔を浮かべるも今度こそドアが隙間なく開かれ、そのまま再会の抱擁を受けとる。この年になると懐かしい再会にはいちいち心が揺れ動く。

 腕を離し、決して狭苦しいとは思えない室内を見渡すとやはりというか俺の来訪に気付いた母さんが、部屋の一角で立ったまま目を丸めているーー案の定か。

 

「やあ、母さん。さっきぶり。大丈夫? 不気味な笑顔だ」 

 

「どうしてここが? 誰かに尾けられてる気配はなかった」

 

「痕跡を追ったんだ。そっちの方も親父から訓練を受けてる、" 高度山岳作戦訓練 "。得意科目だった」

 

 血痕を辿るだけが追跡じゃない、神経を研ぎ澄ませれば痕跡は至るところに……

 

「山岳……?」

 

 訝しげに、母さんは首を斜めに傾ける。

 かぶりを振って、俺も目線を合わせた。

 

「さっきのは忘れてくれ。一度言ってみたかったんだ。本当はチャーリーに頼んで母さんの携帯を追跡してもらった。基地局や交通カメラ、色んなところに探りを入れて最終的にここを割り出してくれた」

 

「チャーリーに聞いたの? 向こうにいた、あの?」

 

「そう、あっちの世界から連れ出したあのチャーリーだよ。重火器も電子機器もなんでもござれのウィザード級のハッカー。頼らせてもらった」

 

 一息挟んでから、招かれた家の中を改める。

 近代ビルが乱れるマンハッタンとは逆に、文明と距離を置くような自然の野に孤立したように立てられたその家の中は……至って普通だった。

 

 肩に掛けたバッグを下ろし、一番近くにあった窓へと歩く。当たり前のように閉じられた窓の向こうから覗くのは至って普通の暗い野原。

 そう、ここまでは至って普通に思えたーードアの下や窓、外と繋がる場所に敷かれた塩やグーファダストに眼を瞑れば。

 

「……グーファダストか。なるほど」

 

 窓やドアに塩、そしてグーファダスト。ハンターならこの仕掛けが()に対して仕掛けられたものかは理解できる。

 塩がバリケードとして機能し、遠ざける存在は幽霊、悪魔、そしてーー地獄の猟犬。悪魔と取引した人間の魂を回収しにやってくる地獄からの悪魔の遣い。

 

「アレックス……いや、ないよな。母さんも」

 

 暴れそうになる心臓を自分の言葉で殴り付けて黙らせる。母さんは過去にアザゼルと取引をやってる、有り得ない。悪魔の世話になる? 有り得ないだろ、それは有り得ない。

 

 アレックス? クレアのこともアレックスのこともよく知ってる、これも有り得ない。アレックスは取引を求めるような子じゃない。

 つまり、この猟犬を遠ざけるための仕掛けは二人の為のものじゃないんだ。脳内での整理を終えて、メアリー母さんに向けて半眼を作る。

 

「母さん、ここまで勝手に踏み込んでおかしな話だがアレックスが絡んでるなら尚更だ。これはどう見たって猟犬が飛び込んでくるのを防ぐバリケードだ。隠し事も駆け引きもなし、全部話してくれ。猟犬が絡むなら放っておけない、放っておけないんだよ……あれだけはな」

 

 アレックスが、ましてや猟犬が絡んでると分かった以上関わらずにはいられない。

 もしアレックスに何かあったらジョディやクレアに顔向けができない。ハンターが猟犬に食い殺される、そんなことは見るのも聞くのももう真っ平だ。

 

「ーー相手は猟犬だ。取引した人間の魂を回収しに来る十字路の悪魔の遣い」

 

 そのときだった。隣室と繋がる扉が開き、青のネルシャツを着た男が入ってきた。

 後ろから同じく紺色のシャツを着た男がまた一人、そしてブロンドの女性がまた一人と入ってくる。

 ブロンドの女は……まだ若い。20代後半、あるいは半ばといったところか。黒のアシメのシャツがただでさえ華奢な体をさらに細く見せてる。

 

 理子やクレアとはまた違った、しかし人形のように一つ一つのパーツが整った顔は間違いなく初対面。これまでに会ったことのない相手。

 だが、残りのネルシャツセットは憶えてるぞ。偶然にもアレックスと母さんが一緒にいる場での再会は、前と一緒だな。リサ、母さん、アレックスのお次は……

 

「ーーロイ、ウォルト。お高い美容クリームでも使ってんのか? 顔が昔のまんまだ」

 

「見たら非常ベル鳴らしたくなるような顔か?」

 

 皮肉が込められたその男ーーロイの言葉に俺はかぶりを振る。

 

「昔のことさ。ディーンがスーフォールズで言っただろ、もう気にしてない」

 

 額の真ん中を指で軽く叩き、遠回しな皮肉を混ぜて俺も答える。

 ロイとウォルト、本土にいる中でも古株のベテランハンターで、昔ちょっと一悶着あった相手だが前回数年振りに再会したときに和解した。

 母さんやアレックス以上に……内心、この展開には驚きまくってる。思いもよらないところから槍が飛び出てきた感じ。

 

「で、話はそっちから聞かせてくれるのか?」

 

「長くなるから先に言う。昔のことを気にしてないなら手を貸してほしい」

 

「相手は猟犬なんだろ。私怨がある、これ以上ないってくらいのやつが。聞くよ、時間が許す限りはな」

 

 単刀直入なウォルトの頼みに窓の外に視線を向ける。あと少しで日付が変わる、相手が猟犬だとしたら許された時間は決して長いわけでもなさそうだが、

 

 

 



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Danger Zone

 

 地獄の猟犬。言っちまえば、それは悪魔が飼っているペット。その名の通り、地獄で連中に飼い慣らされている犬の名称だ。

 時には番犬として、時には護衛として使われることもあるが一番の使い道は、悪魔と契約した人間の魂の回収。取り立て役だ。

 

 悪魔は人間の魂を担保にあらゆる願いを叶えてくれる。

 例えば大金持ちになりたい、例えば音楽で有名になりたい、名声や欲望を満たすシンプルなものから、治る見込みのない難病の治癒まで、連中はなんだって叶えてくれる。

 昨日まで路上で寝泊まりしてた人間が、一夜でビバヒルに住む大金持ちにもなれる。実際、連中と取引して大金持ちになった資産家や突然歌が飛ぶように売れたミュージシャンは尽きない。

 

 が、幸せな時間には刻限がある。取引を行った日から数えて10年後、対価として取引した人間の魂が悪魔に差し出される。

 それが一般的に十字路で結ばれている悪魔との契約、願いが叶うと同時にカウントダウンが始まる。カレンダーの日付が変わるごとに、地上で過ごせる時間が削られていく。

 そして取引から誤差なく10年後ーー地獄の猟犬が命を奪いにやってくる。魂を地獄に連れていくために。

 

「地獄の猟犬。説明はいらんだろうが今夜奴等が仕事をしにやってくる。魂を取り立てに」

 

 やや重苦しさが混じったロイの声色は、ジーサードのビルとは真逆の原始的な木の造りが感じられる部屋に熔けていく。

 

「それを妨害するためのこの面子か」

 

 アレックスを含めた馴染みのハンター4人に順番に目を配ったあと、俺はこの場で唯一馴染みがなかった女性に向き直る。

 ブロンド、それに長髪か。ジョー、クレア、理子、ルビー、メグ……つくづく、この髪の女性とは縁がある。いや、理子の場合はブロンドのツーサイドアップだったな。いつだったか、キンジにツインテールと間違われて違いを熱く語ってた。

 

「ライリー・ロペス。ウィンチェスター兄弟でしょ、噂は聞いてる」

 

 自己紹介はアシメの服を着こなした彼女が先に名乗ってくれた。噂を聞いてるってことは彼女もハンター、あるいはその身内か。

 

「よろしくライリー。ところでそれって良い噂かな? それともそうじゃないヤツ?」

 

「どっちも聞いてる。派手なヤツ」

 

「噂には尾鰭が付くからな。実際はそこまで派手でもないよ」

 

 気さくな態度を取ってくれたお陰で、お堅いファーストコンタクトにはならずに済んだ。直感だが理子と同じで、距離感を測るのが上手いタイプの人なのかもしれない。

 惜しむらくは呑気に談笑できる状況じゃないってことだか。

 

「……取引は彼女が?」

 

「そうだ。今日、地獄の猟犬がやってくる。それを俺たちで迎えうつ」

 

 ウォントは、レミントン社のカスタムラインと思われるショットガンを携えたまま答える。

 猟犬を迎えうつーーそれは分かった。だが、まだ幾つかの疑問が心中渦を撒いてる。猟犬とドンパチするならその前に気になることは可能な限り消化しておきたかった。

 

「分かった。少し質問攻めみたいになるが許してくれ。相手が猟犬となれば目隠しされた気分じゃ戦えない」

 

 まだ日を回るまで時間はある。時計を確認した携帯を折り畳んで懐に入れたときだった。

 

「マンハッタンには知り合いを尋ねに来たの。貴方の言った通り、昔やり残した狩りを片付けて回ってた。その途中、マンハッタンに。知り合いはほとんど死んじゃってる、けどマギーのことを思い出したの」

 

 セントラルパークで会ったときと変わらないジャケット姿の母さんは、そう言うと塩のバリケードが引かれた窓に視線をやる。

 

「マギー……?」

 

「マギー・ロペス。私の母さん。狩りとこの銀行の窓口を兼業してたの」

 

 マギー・ロペス……聞いたことあるな。マギーって名前のハンター……待てよ、それってたしか……

 

「もしかして、三つ子のジンを一人で退治したってあのマギーじゃないのか?」

 

「母さんのこと知ってるの?」

 

「エレンのバーで何度か名前を聞いた。会ったことはないけど、ジョーが凄腕のハンターって言ってたから覚えてるよ」

 

 エレンのバーでエイサと同じく、会ったことはないが記憶に焼き付けられた名前だ。ジョーが凄腕と語るほどのハンター、いつか会ってみたいとは思ってたけど意外なところで名前が出たな。

 怪訝な顔をしたライリーは、未だにその顔を変えずにいて……あー、そっか。アレックスと母さんにはちょっとだけ話したこともあったし、ロイとウォントは分かるだろうけど、ライリーはエレンのバーのことは知らないよな。

 

「ハンターがよく出入りして溜まり場になってるバーがあったんだ。狩りのことや色んなハンターについて噂が飛び交ってて。ジョーってのはそこの看板娘で……あー、話が逸れたな、ごめん。それで、母さんはマギーさんを尋ねてここまで?」

 

「メアリーさんのことは母さんから聞いてた。亡くなったって聞いたから、すごく……最初は驚いたけど、母さんはもう死んじゃったから私が話だけでもと思って。母さんは狩りをやめてすぐ……シフターに」

 

「……病院のベッドで死ねるハンターは少ない。長く狩りをやり続けたハンターは特に」

 

 沈鬱げに母さんは吐き捨てる。当たり前か、母さんが命を落としたあの火事の日から20年以上経ってる。

 かつてのハンターの知り合いは、その大抵が命を落としてる。20年も狩りを続けてられるハンターの方が少ない。毎日のように化物を追いかけてるんだからな。

 やっと再会できるかもと尋ねた友人も、既に亡くなってたったわけか。それもこれまで行った狩りへの報復という……最悪の形で。

 

「この仕事は良い人ほど先に死んでいく。俺は直接話したことはないけど、残念だよ。とても残念だ」

 

 狩りから離れても買った恨みまでは消せない。

 ジョーがあそこまで誉めちぎるんだ、きっと良い人だったんだろう。残念だ。

 ハンターになった以上、そういう最後は彼女も考えてたんだろうけど、それでも残念だよ……

 

「……ライリー、どうして取引した。母親がハンターで、あんただってこの取引が無償じゃないことくらい分かってただろ。契約したら最後、悪行を重ねてようがなかろうがあんたの魂は地獄に引っぱられて炎に焼かれちまう」

 

「知ってる。でも彼を……助けたかった。愛した人のためなら地獄に行くのも悪くないかなって、それだけ」

 

 場の空気を切り裂くように投げた質問にも、あっさりと答えは返ってくる。

 驚きはなかった。仮にもハンターを親に持つ彼女が、私欲で悪魔に力を借りるとは思えない。連中が如何に危険で手に余る存在か、そんなこと母親に嫌というほど説かれたはずだ。

 それでも取引を強行したのなら、それは私欲ではなく他者のため。かつて、ディーンがそうしたように自らの魂と引き替えに、他の誰かの命を救った。 

 

「どうにもならない病気だったの。治療法が見つかってないってやつ、だからどうにもならなくて。限られた時間を大切に過ごそうって、やりたいことを今のうちに全部やろうって、二人でそう決めた。彼がいなくなったあともこの思い出があれば私はやっていけるーー彼はそう言ってくれたし、私も自分を納得させたつもりだった」

 

 彼のために、自分の命を叩き売る。

 忌々しい、それは俺がどこまでも嫌いな命の『等価交換』そのものだ。

 割り切ったように暗さを感じさせない顔で言葉は続いていく。

 

「でも思い出は思い出。彼の容態が悪くなっていくにつれて、一人でも大丈夫だなんて思えなくなった。幸せな時間をいくら重ねても、それは一瞬の積み重ね。彼が死んだら二度と幸せな時間は重ねられない、いくら思い出を支えにしようとしてもそれは思い出で現実じゃない」

 

「……地獄に行くと分かってて取引したのか?」

 

「ええ。だから、連中と取引した。間違ってるってことは分かってたの、みんな涙を流して身を裂かれながら大切な人と別れてる。子供や親、恋人、辛い別れを味わうのは私だけじゃないって分かってる。でも私は彼を救えた、救える方法を知ってた。自分の命より彼の命が私には大切だったの、それだけ。地獄の炎に焼かれることになっても私の足は十字路に向いた、それだけ」

 

 愛する人の為に命を投げての取引。

 母さんもそうだった、アザゼルと取引したのは親父を救うため。

 自分の命を投げてでも愛する人との時間を望んでしまう。それはすごく、ああ、それはすごく、

 

「分かるよ、一秒でも長く愛した人と一緒にいたいって気持ちはすごく分かる。でもーー」

 

 地獄は君が想像してるよりもずっと酷いーー喉から出掛けた最低の言葉をかぶりを振って押し留める。

 本当に最低だな、恐怖を煽るような言葉を吐いてどうなる。バカか俺は。 

 

「なあ、眼鏡ってあるか? レンズがあるならサングラスでもいい。あるだけ貸して欲しい」

 

「眼鏡って……どうしてそんなものを?」

 

「地獄の猟犬は悪魔と取引の期限が迫ってる人間にしか見えない。取引の期限が迫った人間は地獄に片足を突っ込んで、早い話が地獄の住人になりかけてるようなもんだから、仲間である悪魔の素顔や猟犬の姿が見える」

 

 自己嫌悪を払拭するつもりで、俺は首を傾げたアレックスを見たまま続ける。

 

「でも俺たちには地獄の猟犬の姿は()()()()、光の屈折とか光学迷彩だとかそういう原理を抜きにして猟犬の姿は分からないんだ。そこが一番厄介で、地獄の猟犬の一番恐ろしいところ」

 

 人の皮膚をバターのように切り裂く爪と牙を備え、さらにはその姿は朝昼、場所、天候を問わずに不可視。

 鋭利な凶器を携えた見えない殺人鬼ーー文字に起こすだけで苦笑いが出るぜ。流石に悪魔のペット、おぞましいという他にない。

 

 だが、その一番厄介な部分を攻略する糸口もあるにはある。

 

「過去に二度、地獄の猟犬を狙って仕留めようなんてイカれた真似を二度やったことがある。一つ目はルシファー様大好きのヒステリックな牝犬ラムジーが脱走したとき、もう一つは悪趣味な三つの……まあ、こっちは話すだけでも気持ち悪いから省略して、ここに聖油が入ってる」

 

「待って、ねえ待って。いまルシファーって言った?」

 

「異世界で置き去りになってる」

 

「そう……良かった」

 

 地獄の重鎮の名前にライリーが反応したので即答しておく。

 そして、目を丸めたアレックスに見えるように俺が取り出すのは、酒の代わりに聖なるオイルを流し込んだスキットル。話を戻そう。

 

「こいつで炙った眼鏡には地獄の猟犬が映る。連中のイカれた嗅覚やスタミナ、爪や牙はどうしようもないが姿が見えるってだけで危険度はかなり下がる。やらない手はない」

 

「猟犬が、見えるようになるのか……? なんでそんなこと知ってる?」

 

「ボビーが調べたの?」

 

「いや、ボビーじゃない。昔、勉強熱心な友人が本の山から調べて教えてくれたんだ。俺はシリアルの箱の裏くらいしか読まないけど」

 

 忘れもしない聡明な友人の功績にはロイ、そして母さんも驚きに顔を染めるが、すぐにその表情を引っ込める。

 

「姿が見えるようにならやらない手はない、取り掛かりましょう」

 

 母さんの一声で状況は動く。俺とアレックスは出入り口や窓に敷いた塩とダストの確認、残りが眼鏡を探し炙る班。

 何度も頼ってきた悪魔避けのバリケードを屈んで見下ろしながら息を吐く。

 

「母さんに巻き込まれたって感じか?」

 

「色んな偶然が重なって、結果的にここにいるって感じ。セントラルパークで会ったのは偶然、前にスーフォールズで顔は知ってたから色々話してる内にここにいる」

 

「ライリー……マギーを一緒に訪ねたのか。そこから先は? どうしてロイとウォルトが?」

 

 天井に大雑把に描かれた悪魔封じを仰いでから質問の続きをアレックスに投げる。

 普通の生活を望みながらも非日常の世界に身を置き続けて、いつも愚痴を言いながら引き金を引くーーある意味、キンジと本質が似通ってる彼女は、以前と何も変わらない横顔で、

 

「なんでだと思う?」

 

「クイズをやってる状況じゃないだろ。まあそうだな……マギーは名の知れたハンターだ。2人と交流があった」

 

 ロイとウォルトはあの年齢だ、ライリーとの付き合いも長かったんじゃないのか。幼い頃から彼女のことを知っていて、何かのキッカケで取引のことを知った。

 

「お前と母さんが先か、はたまたロイとウォルトが先にライリーとコンタクトしてたのか。そこまでは分からないが、こうやってみんなで彼女を守ろうとしてる。肝心なところが分かってればそれでいい」

 

「手強いんでしょ?」

 

「手強い、吐き気がするほどな。猟犬の相手をするのは苦行の一言だ。けど、もしお前に何かあったら保安官やクレアに顔向けできない、やるなら付き合うよ。猟犬には私怨がある、さっき言ったとおりさ」

 

 そうーー私怨だ。取引の理由、その良し悪しを抜きにして奴等の仕事を邪魔するだけの理由がこっちにはある。

 ディーン共々、俺の腸を抉ってくれた恨み。何よりジョーの体を引き裂いてくれた、最上級の恨みがある。

 

「キリ?」

 

「アレックス、俺は両手を広げて他人に倫理観や道徳を説けるような人間じゃない。シスター・マリアみたいにね。でも一つ言えることは、一瞬でも愛した人といられたら最高だ。それが夢でも思い出の中でも」

 

「全部終わったら乾杯しよ」

 

「何に?」

 

「運命の人との一瞬に」

 

 ……それはまたなんというか、

 

「ロマンチックなことで。けど、一つ約束。もし男を引っ掛けたときは俺にも紹介しろ。お前、悪に惚れるから」

 

「え、なに……男の趣味が悪いってこと?」

 

「まあ、いいとは言えないね。いつか大学で見た昆布茶マティーニ男は酷いもんだった」

 

「……昆布茶マティーニってなに?」

 

「携帯命で四六時中ハッシュタグで喋る男。あのハンサムかどうか微妙な顔で口説かれるくらいなら、生暖かいマヨネーズを舐めた方がマシだ」

 

「……例えが意味不明すぎて頭に入って来ないーー」

 

 刹那、脳の奥まで行き渡るような獣の遠吠えに背筋が凍てつく。おい、いきなりか……!

 

「アレックス……!」

 

 凍てつく背中で俺はXDの遊底を引き、アレックスも水平二連式のショットガンをテーブルの上から取り上げる。

 アイコンタクトもハンドサインもなし、自然と俺とアレックスは足音を殺し、銃口を入口のドアへと向ける。

 

「入って来れないんでしょ!」

 

「普通ならな! けど、最悪なときに限って想定外のことが起きるのが世の中だ! 安心してるときに限って足場から崩れていく!」

 

 獣の声は徐々に大きく、近くなっていく。まるでこことの距離を詰めてくるように、だ。

 足音を殺したのも最初だけ、大音量で感情のままに会話する俺たちに母さんが足早で近づいてくる。

 ウィンチェスターの散弾銃……理子お気に入りの逸品がその手に抱かれている。それとフレームの焦げた眼鏡。三人分……助かったッ!

 

「ライリーは?」

 

「ロイとウォルトが付いてる。塩のサークルを作ってその内側に」

 

「ここから朝まで籠城戦。楽しくなりそう」

 

「ああ、顔見知りになるのは賢くないな。あのグロテスクなペットちゃんは一度嗅いだ匂いは絶対に忘れない、地の果てまで追ってくる」

 

 つまり、この状況はアレックスが正しい。ここを拠点に犬っころを仕留める、籠城戦だ。

 お世辞にも良いデザインとは言えない眼鏡をかけ、トリガーガードに依然として指を添える。

 

「キリ、あの二人も気付いてる。これは問題を先延ばしにしてるだけ。地獄の猟犬を何度追い返してもあの子が寿命を迎えた途端、魂は地獄に連れて行かれる。取引を白紙にするには大元を叩くしかない」

 

「取引した悪魔を縛り上げて契約を白紙に戻させる、それしかないとは俺も思うけど、今の地獄は次のボスの座を巡って紛争地帯だ。昔はリリスやクラウリーみたいなリーダーが契約を纏めて握ってた、でも今はそのリーダーがいない。どの悪魔がライリーの契約を握ってるか分からないぞ……」

 

 相次ぐリーダーや権力者の脱落で今の地獄は荒れるに荒れてる。

 部下の契約を纏めて握れるような、他とは頭一つ抜けた力を持った悪魔なんて今の地獄には多分いない。

 

「なら、見つかるまで探すしかない。でしょ?」

 

 凛とした声でアレックスは答える。さも当然に、当たり前のような顔で、本当にジョディの娘には敵わない。

 

「その通りだ」

 

「来たわよ、二人ともッ!」

 

 お遊び抜きの母さんの声が部屋に響き渡る。難の前触れもなく、部屋中の窓やドア、外と繋がるありとあらゆる穴が開かれ、外から冷たい突風が一気に流れ込む。

 穏やかだった室内の空気が夜風に問答無用で乱され、俺たちの衣服がはためくのと同時に窓やドアに敷いた塩やグーファ・ダストが舞い上げられては、無造作に床を汚していく。

 ……悪知恵が働く悪霊がよくやる手だ。折角のバリケードが一瞬で台無しになった。

 

 そして、開かれたドアの向こう。陽光の差さない外の暗闇に確かに()()はいた。

 真っ赤な一対の眼孔、僅かに開いた口から覗ける口の奥は炎を灯しているんじゃなかと思うほど明るく光っている。

 現実離れしたパーツを持っていても、その半透明な透けるようなシルエットだけは紛れもなくーー獰猛な犬そのもの。

 

「……ねえ、ここって地獄だったりする?」

 

「いや、まだ地上の上だよ。ライリーは飼育係とでも契約したらしい」

 

 5匹、10匹……いや、もっといる。俺がブラドを相手に呼び出したときより、

 眼鏡を通した先に見える赤い眼孔は、両手の指を折るだけでは数えられない。

 薄暗く、地獄の炎を模したような赤い眼孔は体を恐怖で縫い付けるには余りある。見えれば見えるで、なんと醜い顔なんだ……

 

「多勢に無勢もいいところよ。こんなに来るなんて」

 

「いつもどおりだよ、フェアな戦いの方が少なかった。どうする、お嬢様?」

 

「決まってる、さっさと片付けましょう。見たいドラマがあるの」

 

 はっ、さすがはジョディの教えだな。一歩も怯えを見せないその眼差し、ジョーを思い出す。下手な絵画よりずっと綺麗だ。

 

「やろう。母さん、アレックス」

 

 ああ、難しいことは頭から消そう。

 地獄の猟犬が魂を奪いにやってきた、それさえ分かれば他は置いておけ。

 私怨がある。アイリーンを、ジョーを、家族を引き裂いてくれた最大級の私怨がある。相対する理由にはそれで十分だ。

 

「ーー返り討ちだ。一匹残らず、奴等の顋を食いちぎってやる」

 






 令和のパンクラ強すぎ感動してます。


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日没ファンタズム

 

 

 

 

 時間ってことの困るところは新らしく作れないってこと、すべてが思い通りになってたらいいけどそんなことってあるか?

 欲しいものが手に入らず惨めな想いをするのが人間。だから、欲しいものが全て手に入るとおかしくなる。

 

「ありがとな、無事に戻って来てくれて。俺一人で苦行を進まずに済んだ」

 

「皮肉の混じったご挨拶は俺の担当だぞ。まあいいや、また会えて何よりだよ腐れ縁。特に五体満足で会えたことにな」

 

 因縁しかない地獄の猟犬と久方の戯れをやった夜から数時間後ーー陽光がすっかり差し込んだマンハッタンに俺は踵を返していた。

 悪趣味な試練の一件で、猛毒としか思えなくなった猟犬の血をどっぷりと浴びたシャツは既にゴミ箱行き。普段着としてもお馴染みの防弾制服のまま、人を駄目にしてくれるふかふかのソファーに飛び込んだ。

 

「そして、恋しかったぜ懐かしのVIPルーム。埃っぽいモーテルと男子寮じゃこんなふかふかのソファー味わえないからな。今のうちに堪能しとこう」

 

「日本に戻ったとき、普通のソファーじゃ満足できなくなるぞ? ベッドのことで俺に忠告してくれたのはどこの誰だった?」

 

「人の言葉を使って反撃する、乱豹先生に似たな。あれはあれでとても頭が回る」

 

「シラフのときに限るぞ、それは」

 

 寝そべっても余裕でスペースの余るソファーに体を投げ出していると、キンジが余ったスペースにもたれるようにして背中を倒してきた。

 まあ、我が家とは違って広い領土だ。多少の侵入は多めに見よう。俺のソファーじゃないし。

 

「しかし、おかしな話だよな。最終戦争なんて聖書のビックイベントを止めて、魔物や天使、悪魔とも戦って来た男が今さら人間が作ったロボットにビビるのか?」

 

「ああ、恐いね。ロボットは恐い。俺は今まで背中に翼がついた連中や人間を食料にする連中とは腐るほど関わってきたけど、今日までロボットとだけはーーただの一度も戦ったことがない。一度もだぞ。未知の存在との戦いは恐れて当然だ」

 

 専門家が溢れる時代に万能型は稀有だ。

 聖書のメインキャストとは大抵顔馴染みだがこれまでのシーズンを振り返っても金属生命体は専門外と言うしかない。

 

 先端科学兵装のさらに1ランク上の怪物。覚悟はしてたがモノホンのターミネーターが出てくるとはな、ゾッとするぜ。

 吸血鬼や幽霊と遭遇したところでビビることはないが、液体金属のターミネーターが後ろから猛スピードで追いかけてきた日には一週間は悪夢にうなされる。

 

「自立機動中? 昨今の米軍が無人機開発にお熱なのは聞いてたがここまで来ると恐怖だ。お偉い方はみんなロボット黙示録しらないのか? ロボポカリプスってやつ」

 

「あれはSF、こっちは現実科学だよ」

 

 面白いものでも見つけたような、愉快そうな顔でかなめが会話に割り込んできた。

 お友だちの空飛ぶ盾を背中に引き連れ、華奢な小首が揺れる。

 

「今までもありえないものはたくさん見てきたんでしょ? うろたえすぎ。相手の正体が分かってるんだし、逆にラッキーと思ったら?」

 

「大人しく人間の言うこと聞くのは最初のうちだけだ。そのうち高性能すぎるロボットは自我に目覚めて反乱を起こすようになるぞ。気がついたら人間はみんな培養器に浸かってて、首の後ろに不気味なプラグ付けて繋がれてんだ。先は見えてるんだよ、これこそ悪夢だ」

 

「最後、マトリックスの話になっちまったな。ターミネーターじゃなくて」

 

 いいんだよ、やばいってことが伝われば。

 ソファーから体を起こすと、タイミングが良かったらしい。キンジの指が大理石のテーブルに向いていた。

 

「ところで、さっきから聞こうとは思ってたがあのお土産っぽい紙袋の山はなんだ?」

 

「おっと、そうだった。デススターに乗り込む前に胃袋を慰めておこうと思ってな。あれは俺が用意した最強のエジプト料理だ」

 

 無茶苦茶な近況報告で頭から抜けてた。

 LOOのことは一旦置いて、俺はビルに戻るのと一緒に持ち込んだ紙袋の山から一つ手に取る。

 

「ジャンクフードだけじゃ気に入らないって顔してたからな。色々買ってきた。ケバブだろ、コフタにピタパン、食欲をかき乱すガーリックソースもある。あとこれだ、何だと思う?」

 

「何って……知らん。何だよそいつは」

 

「ババガヌーシュだ。食ってみろ、目の覚める右フックをかまされた気分になる」

 

「右フック、斬新さは認めるよ? でももっと別に褒め方はなかったの?」

 

「意識が飛ぶくらいの味ってことだよ。ああ、もちろん良い意味でな、良い意味で」

 

 首を傾げたわりには真っ先に紙袋からアルミホイルで包まれたババガヌーシュを取り出したのはかなめだった。食欲に素直なところも誰かさんによく似てる。

 少しすると、匂いに引き寄せられたようにロカとレキも部屋にやってきた。多めに買い込んどいて正解だったな。

 

「帰ってたんだ、死にかけたわりに顔色いいね」

 

「強い助っ人が揃ってたからな、アドレナリン沸騰しまくり出まくりのマジでやばいって状況にはならなかった。まあまあやばい止まりかな、言うなれば」

 

 今朝も相変わらずのロカはフッと小さく笑ってくれて、レキも小さく『お帰りなさい』と返してくれた。

 雇われた立場でありながら、昨夜は完全に私用で飛び出したんだが……ジーサードの許可を貰ったとはいえ、この懐の深さには感謝しとくよ。

 

「なあ、聞いてもいいか。なんでエジプト料理なんだ? 何か買ってくるならギトギトのピザかと思ってたぞ、俺は。お前の好きなギトギトしてるやつ」

 

「ピサはギトギトで手軽に限る。ただし、ピザとパイナップルは駄目だ。あの二人は同居できないんだよ、住む世界が違うからな。涙を飲んで別れるべきなんだ、無理にくっつけようとしてもあるのは悲劇だ。でっかいやつ」

 

「そういう人間は常夏の楽園でピザは食べられないねぇ。で、話が逸れちゃったけどなんでエジプト料理?」

 

 ババガヌーシュにはそれなりにご満悦らしいかなめが柔らかな声色で促してくる。

 ちなみに、お言葉だがハワイにはピザ以外にも美味いものが溢れてる。ロコモコ、シュリンプ料理、マラサダにココパフ。ホノルルの土地を踏んだ日にはピザの代わりに食いまくってやる。

 

「昔、ジャンクフードばかり食ってたときにクラスの知り合いに勧められことがあって。まあ、転校転校で1ヶ月もいなかったが、ジャンクフードばかり食べるなって奢ってもらったのを思い出したんだよ。故郷への愛が強い子で、テキサステキサスってうるさかった」

 

「テキサスの民には1つ星に対するプライドがあります、かつての1つの国だったときの」

 

 凛とした声でレキがそう答える。それは、

 

「大正解だ。その子がまさにそうだった。テキサス生まれには1つ星に対するプライドがある、何度も聞かされたよ。久々に本土の野道を吹っ飛ばして、色んなことを思い出しちまったってそれだけだ」

 

 ローンスター、かつてアメリカに併合される前の1つの国のお話。テキサス州の州旗にある1つ星は、かつて国だった頃の証をそのまま受け継いでる。有名な話だ。

 本土のあちこちを行ったり来たり、俺にはそんな故郷を誇れる高貴な気持ちは無縁もいいところで。ほんの少しその子が眩しく見えてしまったのが、今でも記憶に残ってる。

 

「1つの国、か。マッシュの言ってるアメリカによる一極支配、お前はどう見る?」

 

「威嚇で平和を実現する、80年代だ。何より美味いものを食いながら政治の話をするなんて一番不純な行為だろ」

 

 ケバブに噛みつきながら即答してやる。

 LOOとセットで聞かされた例のマッシュ。面白いのは髪型だけじゃないらしい。

 ジーサードと同じ米国が生んだ人工天才計画の一人で、本人の戦闘技術は皆無らしいが代わりにジーサード以上にIQが高い天才。典型的な拳や銃ではなく、頭で殴ってるタイプだな。

 

「八紘一宇、俺たち日本人はそれ系の発想を60年以上前に卒業したもんだが」

 

「賢さも度を過ぎるとね、変な方向に舵を取るんだよ。あんたの中では60年以上前の発想だったとしてもマッシュの頭の中ではまだ現役」

 

「お嬢様の言うとおりさ、そいつに舵を取らせてもロクなことにならない。色金盗むついでにご自慢の自信もへし折っちまおう、未来の皇帝パルパティーンに議席を与えたら大事だ」

 

「ごめんなさい、それ分からない。スタトレだよね?」

 

「スタトレ……!? 冗談だろ!?」

 

 さらっと言ってのけたロカは、目を見開いた俺に平然とした目付きでかぶりを振る。トドメを貰った。

 

「仲良いな、お前ら。会ったその日にオークション会場で大立回りやったんだって?」

 

「お行儀の悪いゲストが来たからね。ハッピアワーが台無しになったから報復してやった」

 

「一番の見せ場はジーサードに拐われちまったがな。例に漏れず、酷いファーストコンタクトだった。どうしてか、深く関わる相手に限って出会いが悲惨だ。ジャンヌや夾竹桃がまさにそれ」

 

「地球は太陽を中心に回ってる、貴方じゃない」

 

「ひゅー、宇宙的ツッコミだぁ」

 

 そこテンション上がるところか? 何が宇宙的ツッコミだよ。

 唐突に締まった窓に挟まれた気分だ。というと情けなく聞こえるな……

 

「あのさ、何度も言ったかもしれないけどさ。お前の妹って変わってるね」

 

「変な見本が付いちまったからな。でもロクでもないやつを見本にするよりずっと良い。ババガヌーシュってナスの料理だったか?」

 

 聞くより先に、プラスチックのフォークで正解を物色しているのが実にキンジらしい。

 俺が答えるよりも、使い捨てフォークは先んじてキンジの口の中に放り込まれた。

 初めて味わう料理らしいが、すぐに第二第三とフォークを繰り返して口に運ぶところを見るにご満悦のようだ。

 

「お見舞いにはナスのパルメザンチーズ焼き、前菜にはババガヌーシュ。ナスの料理にも役割分担があるんだと」

 

「その口振りだと、それも誰かの受け売りか。ナス料理の講義はどこの誰にしてもらったんだ?」

 

「サミュエル・キャンベル、三度の飯とスポーツ中継より隠し事が大好きな母さんの父親。特技はふいうちとだましうち」

 

「というと、例によって複雑ですか?」

 

「そう、例によって複雑だ。安酒とそれを運ぶ女がいれば満足って単純なタイプじゃない」

 

 口にしながら、『複雑』というのは本当に便利な言葉だと思う。核心の部分を掴ませないって意味ではこれ以上便利なこともそうそう無い。

 ウチの家庭事情はいつだって複雑だ。ウィンチェスターもキャンベルも複雑な家庭事情が何よりのお友だち。

 

「ほい、ジーサードから。ネバダに飛ぶ前に一杯やっとけばってさ」

 

 不意に、モノクロの洒落たテーブルの上へかなめがチェリーコーラの瓶を置いた。

 ここにいる全員の視線を引き寄せた赤いラベルの貼られた瓶が、一本ずつテーブルに輪を描くように並んでいく。

 

 尋問科では綴先生が『ニコチンとタールのない世界は地獄』と説いてくれるが、俺にすればチーズと炭酸のない世界こそ地獄だ。

 俺たちは、これからネバダ基地強襲とかいう無茶苦茶なことをやろうとしてる、このガソリンはありがたく頂いておこう。

 

「はい、お兄ちゃんの。受け取って」

 

「ああ、頂くよ。ありがとな?」

 

「どういたしまして。ねえ、みんな集まって。乾杯しよ」

 

 レキ、ロカに行き渡るのを待ってから、かなめがテーブルに残った最後の1つに手を伸ばした。

 

「みんな理解してるだろうし、サードもあとで触れるんだろうけど言っとくね。ネバダの空軍基地までの道のりは、間違いなくマッシュの妨害を受ける。こっちが仕掛けるってバレてる以上、前回以上に苦難な道のりになると思っていい」

 

 嘘偽りは抜き、この場にいる全員が理解している現実を口にした上でかなめは続けて、

 

「でも、この世に不可能はない。強い意思と勇気、練られた作戦があれば、勝ちを確信してる試合の一つや二つ台無しできる。マッシュの思想の根本あるのは支配する者とされる者、力ある者に力なき者が従う思想。だけど、人間にあるのは支配と被支配の関係だけじゃない」

 

 人と人に結ばれる関係は支配と被支配だけ。かつての自分の言葉をねじ曲げるようにかなめは薄く笑い、その唇を怪しく歪める。

 

「それを気付かせてくれたもの、それはここにいる仲間たちーー家族に乾杯」

 

 高く、かなめは瓶を掲げる。

 そして部屋には瓶と瓶がぶつかりあう音が清々しい響き渡る。最高だな、この感じ。家に帰った気分だ。

 

 

 

 

 

 日没後、俺たちは再びJ・F・ケネディ空港に舞い戻るわけだが、皆が武装のチェックを行う最後の時間、先に手持ち確認を済ませた俺は、恐らくしばらくは見られなくなるマンハッタンの景色を見下ろしつつ電話をかけた。

 

『はい、峰ですけど』

 

 正確には日本に向けて。

 

「あれ、理子にかけたつもりだったんが……後から挨拶する手間が省けたな。久しぶり夾竹桃、理子は手が離せないから頼まれた?」

 

『冴えてるわね、そんなところ。本音を言うとまず最初に私にラブコールがかかると思ってたけど』

 

「逆だよ。みんなへの報告を先に済ませて、最後の最後にじっくりお喋りしようと思ってた」

 

『あら、お可愛いこと』

 

 理子と一緒にいるらしい夾竹桃はいつもと変わらぬ調子で告げてくる。

 海を挟もうといつもと変わらぬこの感じ、不思議と安心を覚えるよ。どこにいようとこれだけは変わらなさそうだ。

 

『あ、続けていいそうよ。このまま続けても?』

 

『ああ、ジャンヌとお前には後から電話しようって思ってたからな。……もしかして聖女さまもそこにいたりする?』

 

『花まるあげる。スピーカーに変えるわ』

 

 当たりか。仲のよろしいことで。

 けど、これから出向くのは決して楽とは言えない旅路。ジャンヌや今や浅くない仲になったみんなの声を聞けるのは正直なところ嬉しーー

 

『にゃにゃにゃー? こんなところで何してるのかにゃあああっ!?』

 

 刹那、飛び込んできた快活な声に頭が真っ白になる。り、理子……?

 

『迷子になったのぉ? お腹すいてない? 猫缶あるから一緒にどうかにゃーー!』

 

 ……猫。すばしっこくて器用で小っちゃな忍者みたい、だったよなキンジ。

 理子が武偵殺しの一件で行方をくらましてから久々にクラスに顔を出したときも話してた、そうこの獣。猫のことをだ。

 

『なあ、これ聞いとかないと後々仕事に差し支えそうだから聞いとく。なに? なにがあったの? 今、この電話の向こうでなにが起こってるの?』

 

『そうね、簡単な話よ。ゲームしてる、貴方の友達が。猫に心を奪われてる、テレビ画面の中の。あれは……マンチカンね。分かる?』

 

『な、なんとなくな。あれかもってのは頭に浮かんでる。まあ、それよりも驚きと疑問で一杯だけどな。お前が猫にまで詳しかったことも、理子をそこまでハイテンションにさせるゲームが一体どんなものなのかも、好奇心が一気に掻き立てられた。お見事だ』

 

 猫? 猫ってなんだ、落ち着いてた頭が一瞬にして驚きと疑問で溢れかえっちまった。すごく平和的な類いので。

 

『雪平、人生は疑問の連続よ。私はなぜここにいるのか、どうして生きているのか、猫さんはどうして可愛いのか』

 

「お前らいつから猫好きになったんだよ」

 

『仕方ないだろ、可愛いんだから!』

 

 久々に理子から飛んできたのは、予想の斜め上を貫いた裏理子の言葉だった。きっと『仕方ないだろ』って顔で両手にはコントローラが握りしめられているのだろう。

 

『近頃のモデリングは質感がとても綺麗なの。貴方も猫派に寝返るかもね。猫、人心を誑かす魔性の獣』

 

『あの眼光に睨まれれば最後ということか。油断ならないな』

 

「聖女さま、久しぶりに声が聞けて嬉しいよ。どんな言葉かはさておいてな」

 

 台詞だけ聞けば猫がメデューサ扱いだ。実に聖女さまらしい、安心するぜ。

 とはいえ、古代エジプトでは猫は神聖視された特別な生き物だったって話は事実。神々しいにゃんこ様はイムホテップみたいな邪悪の悪霊にすりゃさぞ恐ろしい獣だろうよ。

 

「三人とも相変わらずみたいで何よりだよ。久しぶりの里帰りのせいか、柄にもなくセンチメンタルになりかけてた。礼を言っとく」

 

『ーー遠山も本土での依頼を受けたそうだな。いや、深く聞くつもりはないのだ。何か、私にできることがあるのなら聞いておく』

 

 見られていないと分かりながらも目が反射的に見開いていく。……元イ・ウーが三人集まってれば隠し事も一筋縄には行かないか。

 元々、教務科には俺やキンジの海外行きは知られてる。そこからジャンヌや理子に情報が渡るのは時間の問題。それに神崎も英国に逆戻り、このタイミングでの本土への出国が訳じゃないはずもないか。

 

 掟破りの殴り込み。キンジは師団が巻き込むことを嫌ったが、あの目ざとく頭が回る面子に隠し事を企むのも難関だ。

 特にイ・ウーの残党と来たら、どいつもこいつも目ざとい上に賢いお嬢さま揃いだからな。こっちのことはなんでもお見通しってわけだ、ジェダイばりに。

 

「そうだな。実を言うと、少しトラブルに首を突っ込んじゃってーーいいお祈りある?」

 

『任せておけ』

 

「ありがとう。ジャンヌダルクの祈りほど心強いものはない」

 

 なんといってもオルレアンの聖女さまだ。神様に祈る、祈られるより遥かに心強い。

 

 嬉しい気休めを貰えたところで合図が出た。

 本音を言うとそのゲームがすごく気になるがそれは帰ってから聞くとするか。生きて帰ろうと思える理由が増えた、これはこれで良いことだ。

 

「そろそろ切るよ、隣人が準備を終えたみたいで少し出掛けてくる。トラブルの種を消しに」

 

『他に聞いておくことは? 話すなら今のうち』

 

「ここで話したら止まらなくなりそう、帰ったら話すよ。ーーMay we meet again. (再び会わん)

 

『好きねえ、その言葉。じゃあ、また会えたら会いましょう。ご武運を』

 

別れの言葉も好き放題、相変わらずの調子で通話は事切れる。

 今度は真面目な別れの挨拶を考えとくかな。使うかどうかは別として。

 

「誰に電話?」

 

「理子と仲良し三人組。レキが待ち構えてた時点で半分諦めてたが多分バレてるぞ。このアメリカツアーが神崎絡みだってことがな」

 

 準備を終えた隣人、今度こそいつもの防弾制服のキンジが諦め半分に息を吐く。

 

「掟破りの殴り込むに雁首揃えるわけにもいかない。ここまで引き離せたんだ、上々と思おうぜ」

 

「そうだな、後はオーシャンズ11みたくやることやって帰るだけ。行こう、サードはもう空港で待ってる」

 

「ボスを待たせちゃ悪いな」

 

「車内用のBGMも借りてきた、気楽に行こう。ポップコーンも買っていくか、トッピングは……グミとジャム?」

 

「お前、舌もどうにかしてるよ」

 

「冗談だよ。舌()ってところが気に入らないが。ポップコーンとグミ、ロマンはあるだろ?」

 

「教えといてやる。ロマンじゃ腹はふくれないんだ」

 

 覚えときます。借りたコルベットのキーを手元で揺らし、一階のホールに繋がるエレベーターに乗る。

 舞い戻るのはJ・F・ケネディ空港。乗り込む先はミステリーマニア御用達のエリア51。

 

「武偵が他国の空軍基地に盗みに入る、普通じゃないよな。もしかして俺、どうかしてたか?」

 

「ダークサイドヘようこそ、キンジ」

 

 今回も楽しい旅になりそうだ。

 

 



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手こずらせてやるか

 

 

 

 

「見た目より重たいだろう。たまに外したくなるよ。そうはいかんが」

 

 いつも通りの値段が激安ってこと以外は特に代わり映えもない寂れたモーテルの扉を開くと、年季の入ったテーブル一杯に広げられたジャンクフードと共に、彼はいた。

 いつも通りの、なにを考えているか読めない顔で。いや、ただの人間が彼の考えを読もうとすること自体、浅はかなのかもしれない。

 

「座れ」

 

 一言。頭に焼き付くような声で、そう言ってきた。何年経った今でも脳裏に残ってるような、そんな声で。

 だから俺は、彼の視界に重たい足取りを向けてテーブルに座った。夜に溶けるようなスーツを纏った、ありとあらゆる全てを見通すような瞳をした()()()()と対面する席に。

 

「──食べないのか? 好みはディーンと一緒だろう」

 

「……」

 

「ロスの小さなスタンドで売ってるベーコンドッグさ。君の分だ」

 

 目の前に差し出されたソレに手は伸びず、代わりに浅くかぶりを振ってから粗末な椅子に座り直した。

 

「死神はジャンクフードが好きなのか」

 

「お前だってそうだろ。指輪を嵌める前に、好物を食べておきたかった」

 

 それはキンジと出会うよりもずっと昔。本土を出るよりもずっと前の記憶。

 ジョーとエレンの魂を賭けてやった、死の騎士との最初で最後の賭け。

 

 24時間。彼の代わりとして死の騎士の役目を全うできたなら、地獄の猟犬をみちづれに命を散らしたジョーとエレンの魂を天国に導くーーその約束で、俺は騎士と賭けをした。

 

 さっきまではお目付け役だったテッサは既に姿を消し、別の仕事に取りかかってる。テーブルの隅に置かれた指輪を一睨みし、俺は億劫げに肺から息を吐いた。

 

「……負けたよ。俺にあんたやテッサの代わりは務まらないってのがよく分かった。俺は……死神には向いてない。自然の摂理ってやつを滅茶苦茶にしようとした、そうなることも分かってたんだろ」

 

 死んだまま現世に留まり続ければ、行き着く先はひとつ悪霊だ。幽霊のまま地上に留まれば誰だって最後にはそうなる。

 そうさせないのが死神の役目で、死んだあとの魂をあるべき場所に導くのが死の騎士の役目。死んだ人間に『お前は死んだ』と正しく伝える、突き詰めてしまえばそれが全部だ。

 

 億劫げな心情と裏腹に頭は冷えていた。自己嫌悪したくなるほど冷静な頭の中が、いまはむしろ腹立たしく思える。

 

「死者を送る最後の案内人、その役目が務められたとは自分でも思ってないよ」

 

「あのいたいけな少女も、事故を引き起こした犯罪者も、みな等しく招いていかねばならん。死は全ての存在に訪れる、永遠のものなどない。私以外には」

 

「あの子の死をねじ曲げたら、あの子の死を無かったことにしてたら関係ない他の誰かが死んでたんだろ? 別の誰かが、俺のせいで……」

 

 死はどんな者にでも等しくついて回る。

 子供だろうと大人だろうと、男だろうと女だろうと、良い人も悪いやつも関係なしに。

 

 だから死神ってのは冷徹に、死について公平でないといけないんだろう。それが脇見運転で歩道に突っ込んだドライバーだろうと、重たい心臓病を患ったまだ12の女の子だろうが公平に……

 

 あの父親は、あの子が最後の家族だった。いつか時間が傷を癒してくれる、そんな如何にもな理屈がアテにならないのはよく分かってる。

 まだ12で、これから一杯愛してやれるはずの娘を失っちまった。酒に溺れるかも、心身やられて彼も病床についちまうかもしれない。どこをどう探しても救いなんてどこにもない。

 

「またあそこに戻れるなら、あのいたいけな少女を殺せるか? 今度は迷わず、あの子を連れていけるか?」

 

 頭の中に手を入れられたような言葉が、遠慮もなく飛んでくる。

 何の自慢にも、誇れることにもならない。それでもきっと今度は、ちゃんと役目を果たせると思いたい。

 

「今の俺ならやれる」

 

 底の見えない騎士の瞳と真っ直ぐに視線を結ぶと、やがて空になったらしいシェイカーが手から離れ、隅に置かれていた白い指輪がゆるりと持ち上げられた。

 

「その言葉は意外だ。意外だが喜ばしい」

 

「……喜べやしないと思うぜ。テッサの静止がなかったら、俺はあの子の死をねじ曲げてた。お目付け役をつけたあんたは正しかったよ」

 

 あの子には未来がある、俺なんかよりずっと価値のある未来があった。その未来が奪われていいわけない、そう思って堪らなかった。

 だが、あの子の死を見逃したら──組み上がっていたものが代わりに崩れる。本当なら起きなかったはずの事故や殺人が起きて、死ぬはずのなかった他の誰かに(それ)が押し付けられる。

 

 そして、自然の摂理から外れてしまうあの子に幸せな時間が果たして待っているのか──気付いたときには自分が選ぼうとする道に、必死になって最もらしい理由を探してた。

 どれだけ自分を贔屓目に見ようとしても、死の騎士の代役を務められたとは思えない。

 

「いやぁ、収穫もあったはずだぞ。お前は死の舞台裏をしっかりと見てきたんだ」

 

「……え?」

 

 途端、帰って来た言葉に意味が分からず、気の抜けた声が出る。

 そんな俺の反応まで、最初から見通していたような顔で騎士は首をもたげた。

 

「自然の摂理に逆らうのは簡単じゃない、辛い思いをして片付けねばならん。お前たちには理解できんだろう、命を投げ出してもまた自分の元に戻ってくると思い込んでいるからなぁ」

 

 今でも楔のようにその言葉は脳裏の深くに残ってる。

 恐らく、これからも俺はその言葉を忘れることはないだろう。

 

「──人間の魂はゴム毬じゃないんだ。傷つきやすく、永遠ではない。しかし、お前が思っているよりずっと価値がある。お前は大切なことを学んだんだ」

 

 永遠のものなんてない、いつか終わりはやってくる。ことあるごとに死の騎士はそう口にしていた。神でさえ、いつかは死に連れられる、と。   

 だが、理子はこうも言っていた。どれだけ短い時間でも短い命でも、その一瞬が最高に充実したものなら──瞬間は永遠となる、と。

 

 

 

 

 

 

「マッシュ・ルーズヴェルトは与党に可愛がられちゃいるが、他国の自由を冒涜する者。それがどこの国であろうと、人民の自由を冒涜する者はアメリカの国賊に他ならねえ。俺たちはこの国に尽くした数多の兵士たちの宣誓に習い、内外問わず合衆国への脅威を排除するッ!」

 

 プロペラ端に蛍光グリーン光を点し、整備の終わったサジタリウスを背に、ジーサードが声を上げた。

 内外問わず、アメリカ合衆国への脅威を排除する──この国に尽くした多くの軍人たちが、アンガスやコリンズたちが、親父やコールも誓った宣誓。

 

 俺たちが踏み込もうとしているのはネバダ州グレーム・レイク空軍基地──またの名前を『エリア51』。

 ミステリー好きの間でこの名前を知らないやつはいないだろう。UFO墜落やら隕石が落ちたやら、その手の噂には事欠かない場所だからな。

 

「サード様っ──その、お言葉ですが──この作戦は不利です! マッシュの大兵力にこれだけの火力で挑むなんて……」

 

 狂気の沙汰──とでも続きそうだったが、ツクモの瞳はサードから唐突に俺へと切り替わる。

 

「ウィンチェスター並みの大馬鹿ですよ!」

 

「嫌味かお前ッ! ウチよりもっと他に分かりやすい例えがあっただろ!」

 

「……無謀な例えとしては悪くない気もしちゃうけどね」

 

 密やかにかなめも援護射撃。無謀なことをやるのはお前の兄貴の得意技でもあるんだが、敢えて口にしてやる状況でもないか。

 

 無茶な手札で無謀な勝負を仕掛けるのはキンジの得意技だが、どうやらジーサードにもそのけがあるらしい。

 ツクモの心配を受け止めた上で返ってくるのは豪快な高笑いだった。諦めな、ツクモ。これは一人でだって進軍しかねないぞ。

 

「ねえサード、マッシュを殺したらボーナスくれる?」

 

 心配一辺倒なツクモとは反対に、実に好戦的な台詞を吐くのが我らがロカお嬢様。

 ミステリアスな見た目に反し、血の気が多いことは言うまでもない。

 

「高級スパにマッサージでも受けにいく?」

 

「それも悪くないけど、来週懐中時計を落としにオークション行くんだよね」

 

「ほう、狙いどころによっては考えてやらんこともないぞ」

 

「オメガに10ドル」

 

「外れ。来週落としに行くのはブレゲ。軍資金がちょっと心もとないんだよね、でもいま10ドル入った」

 

 ……言わなきゃ良かった。

 どうやら無事に芸術品趣味のジーサードの心を惹けたらしく、どことなく守銭奴を思わせるガッツポーズをロカが決めた。

 

 副操縦士のアトラスを始め、コリンズ、アンガス、かなめはジーサードと同じで進撃ムード。退路や停滞を選ぶって感じの目をしていない。

 ジーサードがそうと決めたら隣国から世界の裏側までどこまでもついていく、ジーサード・リーグとはそういう組織なのだろう。

 

「ちょっと待て。ジーサード、兵力の差がダンチの相手に前回負けた兵装で突っ込むっていうなら何か作戦があるんだろうな?」

 

「兄貴も分かんねえやつだな。敵は先端科学兵装を超えるモノホンのモンスターって言ったろ。半端な小細工は作戦にもならねえのさ、とにかく全戦力を固めて突き進むそんだけだ」

 

「お、お前なぁ……過酷な戦いこそそれ相応の作戦がいるもんだろ」

 

 ようするにあれか。敵は待ち構えてる、だから堂々と乗り込むわけだ。派手にな。

 

「分かりましたサード様、ツクモも一緒に玉砕いたしますっ!」

 

「切、お前もなんとか言ってやれ! 本当に玉砕しちまうぞ!」

 

「──では、私も共に死のう!」

 

 キンジに詰め寄り、俺は迷うことなく言ってやる。エリア51に神崎を緋緋神から救う手がかりがあるっていうのなら答えは決まってる。

 相手が何だっていい。ターミーネーターとイカれた小男がいるテーブルだろうと座って勝負してやる。緋緋神が取り憑いちまった以上、退路なんてとっくに焼かれてるんだからな。

 

「あれって映画の台詞?」

 

「『―ロードオブ・ザ・リング―』に被れてるんだよ。シリアスなファンタジーフェチ」

 

「木が洪水を引き起こす映画も?」

 

「その木が特に好きなんだよ」

 

「……二つの塔は名作だろ」

 

 呆れた顔でロカに説いているかなめだが、当のお前が一緒に見ようってレンタルしてきた映画だからな?

 

「サジタリウスの光屈折迷彩は一応、掛けとけ。熱源もあるから消えるだけ無駄だろうけどな。だが、マッシュの妨害を掻い潜る手はちゃんと別に用意してある、さっきのは冗談だ」

 

 へぇ、珍しく勿体ぶりやがって。お決まりの即興で対応するのかと思ったぜ。

 「あるんなら、さっさと言えよ」と目に書いてあるキンジの背中をジーサードは笑顔で叩き、

 

「目に目を、歯には歯を、モンスターにはモンスターをぶつける。今回の作戦は『オカルトになんとかしてもらう』。これに決まりだ」

 

 さも自信ありにジーサードは言うと、手練れ揃いの面子が納得したような視線を向けた。他ならぬオカルト(キンジ)に向かって。

 

「そっか。科学には超能力。確かにキンジは殺しても死なない、第一級の超常現象だもんね」

 

 案の定ロカが火薬庫で花火を振り回し、キンジが桜花を試し打ちさせろなどと末恐ろしいことを叫び始める。

 マッハ1で飛んでくる拳のサンドバッグなんて冗談じゃない。つか、揚げ足をとるようだがマッハ1を自力で出せる人間がオカルトじゃなくて何なんだよ……

 

「悪ィなお前ら。超先端科学兵装は掛け値なしのモンスターだ、いっぺん俺も黒星を付けられちまったしよォ。さっきも言ったがマッシュ相手に小細工は無意味、もう俺たちには兄貴や雪平みてえな、殺しても死なねえような常識から外れたもんに頼るしかねーんだ」

 

 ……なんてことだ。見事に巻き込み事故を食らっちまった。俺はキンジと違って、首を飛ばされたら死ぬんだよ。

 聞けば、かつてこの空軍基地が本丸までの侵入を許したのは、理子の()()()が率いるチームたった四人だけ。武装も銃と刀だけだったらしい。

 

「だから、今回の布陣はそれよりゃ遥かに厚いってことか。理子のお父様だけあってやることが派手だな」

 

 縛りプレー……というより、銃と刀しか使わないところに彼らなりの美学を感じる。理子もそういうところに拘りを持つ女だからな。

 

「そうだ、マッシュの妨害は脅威だが決して不可能じゃねえ。もとより古来から人間は不可能と思えることを可能にしてきた、俺たちの歴史はその繰り返しだ。不可能と思えることに幾度となく挑み、倒れ、そしてまた挑み続けては歴史を刻んできた」

 

 自然と耳に入り込むような言葉には不思議な説得力があった。

 無謀な手札、無謀な勝負でもどうにかなるんじゃないかと思わせてくれるほどに。

 

「潔く背を向ける、それもまた勇気だ。だが俺はそこまで諦めが良くねえ。今日ここで立ち止まって、このままマッシュに好き勝手やらせて良い未来が待ってるはずはねえからな」

 

 頭を下げて良かった試しはない。それには痛く同感だ。

 

「──手こずらせてやるか。三度の飯より人の邪魔は大好きだしな」

 

 ひねくれた、実に遠山キンジらしい言葉にジーサード・リーグの面々が笑う。

 

「いいスピーチね、キンジ君」

 

「スピーチとダンスは苦手だよ。準備はいいみたいだぞ、ジーサード」

 

 嘘つけ、得意技だろ。

 キンジが苦笑いすると、ジーサードがサジタリウスを一瞥し、

 

「じゃあ、行くとするか」

 

「Hoo-yah」

 

 存分に嫌がらせしてやろう。

 そして、俺たちを乗せたサジタリウスは空へと上がる。が、皆が予想していたように空の旅路が円滑に行くことはなかった。

 

『──1号エンジン大破。2号中破。3、4号、正常。右垂直尾翼全失、右翼の損害激しく、1番プロップ全失。操縦不能。油圧降下──!』

 

 ネバダ州上空でけたましいアラートとアンガスの声が重なって響く。

 ああ、飛行機嫌いの兄じゃないけど、今回ばかりは俺も思うよ。人間、土から離れては生きていけないって。

 

 乾燥した空気、風に乗って埃のように舞い上がる砂、建物が消え失せた殺風景な景色。

 眼前に永遠と広がっているのは、ついこないだ抜け出した悪趣味なテーマパークとそっくりの光景だった。

 

「……またもや砂漠か」

 

 瓦礫となったサジタリウスを背にし、うんざりする気持ちで赤い水平線を睨む。これがほんとのWasteland(不毛の大地)──殺風景この上ない。

 



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かつてのルームメイト

 

 

「おい、キンジ。まさかへばったのか? 弾を歯で噛んで止めるような男がそんな辛気臭い顔するとはな」

 

「西部劇は好きでも砂漠はそうでもないって今日分かったよ。口が淋しいなら割り箸でも噛ませてやろうか?」

 

「へばったのは砂漠のせいじゃない。人間に生まれたせいだ。出来損ないの肺と弱々しい足に文句を言え」

 

 マッシュの妨害は予期していた一同だが、案の定ネバダ上空にてサジタリウスは落とされた。

 光学迷彩をかけて重武装を整えても、手の内が大して読めないまま強襲されたサジタリウスは大破。噂の最先端科学兵装とやらの挨拶を早速受けちまったな。

 それでもこうして五体満足の上に食料と水が1日分残ってる以上、勝負の卓から落とされるレベルの致命傷は避けられた。冷え込んだネバダの砂漠を歩くことにはなったけどな。

 

「朗報だぜ兄貴。前回よりは近づけた。エリア51まで、直線距離で190㎞。チョーク・チェリー山地を避けりゃ、道のりはせいぜい200㎞ってとこだ」

 

「200㎞って。東京から静岡間より遠いじゃねーか……」

 

「そう頭を抱えんな、俺に言わせりゃ目的地が決まってるだけ朗報もいいところだ。それに考えてみろ、ここは地球の上で異世界に飛ばされたわけじゃない。四方からリヴァイアンさんが飛びかかってくるわけでもなけりゃ空から天使が通り魔みたいに襲ってくるわけでもない。いいことだらけだろ?」

 

「それはお前基準の話だろ。もはや基準がどうかしちまってんだよ」

 

「お兄ちゃん、でも雪平は言っちゃうと放浪から生還するプロだよ? 自分でも何言ってるか分からないけど、こことは違うところから何回も帰って来てる。不本意だけど今までで一番頼もしく見えるんだよねぇ……」

 

 何とも複雑な理由で頼りにされたものだ。

 とはいえ、見知らぬ土地から生きて生還するのは数少ない得意技だ。おまけに今回は頼れるお仲間がたくさんいるのだ、不安はない。

 

 なによりここはアメリカ本土、地球の上ってだけでいつもよりマシだ。まぁ、頼りにされた理由として言うなら複雑もいいところだが。

 

「趣味は家出と映画観賞か、頼もしい限りだな」

 

「冷たい目に逢う覚悟はしてましたよ、冬のネバダの砂漠はよく冷える。ついでにリップクリームはバカ売れするだろうよ」

 

 パウダーのように飛んでくる砂粒。お世辞にも歩きやすいとは言えない砂の足場。乾燥した空気で満たされた砂漠の上では瞬く間に露出している肌がかさついていく。

 

「ツクモ、ここの座標をもう一度見せてもらえるか?」

 

「? いいけど、これだよ」

 

「ありがとう。ネバダの砂漠で野宿したいとは俺も思わない。この座標……おい、サード。ちょっと話がある、耳を貸してくれないか?」

 

 ツクモが手にする端末を覗いたまま、人差し指を揺らしてサードを招く。

 

「いいぜ、話せ」

 

「昔、親父と一緒の部隊にいた同僚の海兵隊に聞いた話だ。除隊した元陸軍の兵士がネバダの砂漠にある今はもう寂れかけた街に住み着いて、油田を探してるってな」

 

 やがて半眼になって鋭さを増したジーサードの瞳に軽く肩を揺らす。

 

「聞いたのはもう何年も前の話だが、気になる話だったんで頭に色々残ってる。街そのものが動いてないならここから遠くない。賑やかなのは期待できないが多少の物資が手に入る可能性は、朽ちてない建物も1つや2つはあるかも」

 

「……サード。その話、頼れるかも」

 

 そう言うと、コリンズが地面を示す。

 

「あんたの耳ならどう?」

 

 意図を察したジーサードが屈み、耳を地面に当てる。ジーサードの五感の鋭さはこの場にいる全員が把握済み、10秒……20秒……俺たちも無言で声を沈めていると、そして起き上がるや、やや南寄りの西を義手の親指がまっすぐに示した。

 

「ビンゴだ。人工物で風が遮られてる、微かな音がする」

 

 歩くぞ、と短くジーサードが命令を敷く。

 夜の砂漠はここからが本場、熱を貯め込んでいない大地が容赦なく牙を剥いてくる。削り取られる体力と気力、両方保たないといけないってのが辛いところだな。

 

「かなめ、節約しろよ」

 

「おっけー、ん……」

 

 寒さと乾燥、そして蝕んでくるのは足の疲労と喉へ引っ掻くような渇きだ。俺たちは限られた水を分けながら凌ぐが蓄えた水分も残酷な早さで干上がっていく。

 砂漠の民は財宝より水を求める、砂漠でミイラと戦う映画の中であった台詞だが実際こうなると財宝より水に手が伸びる気持ちがよく分かる。

 

「見栄を張りやがる」

 

「お互い様さ。俺はキンジと違って、役に立てる場面は限られてるからな」

 

 俺と同様、飲むフリだけして水に手をつけないジーサードにお互い様だと笑ってやった。

 キツいのキツいが、喉の渇きと戦うのは煉国や例の最終戦争の世界で多少は慣れでる。喉をかきむしられてるみたいな状態で天使やリヴァイアと毎日のようにやりあってたからな。

 

「なぁ、雪平よォ」

 

「なんだよ、まさか世間話か? 一応俺もウィジャ版に四文字目のメッセージが刻まれてる気分なんだが」

 

「お前、宣戦会議フケたろ。そんときの話をまだ聞いてねえ」

 

「信心深い面子がいんのに今ここでする話でもねえよ。それに自分で言うのもあれだが、ファンタジー要素が強すぎて呆れられる」

 

「んなのはいつものことだろ。こんなタイミングしかねえのさ、てめえの旅路を聞き出せる機会なんてのは。兄貴も気になってるみたいだしよォ」

 

 キンジが? レキと並んでいるところに目を向けると、罰の悪そうな顔で視線を逸らされた。聞き耳立てるつもりだったのか?

 

「ウチより広い俺の心を裏切ったな?」

 

「男子寮の我が家のことを言ってるなら大して広くないぞ」

 

「うるさい、言ってて悲しくなるだろ。夢のマイホーム俺が話して、お前とキンジのコンディションが上がるっていうなら考える」

 

「撃ち合いになったらあのとき話しといて良かったって思うさ」

 

「……撃ち合いなんかになったらそもそも良かったなんて思えねえっての、だろ?」

 

 危険生物がそこいらに潜んでる砂漠で、野宿しなくて済みそうなのは朗報だけどな。あのときは結局寝るに寝れなかった。

 つまらない話だ、ゴーストタウンに着くまでに終わるといいがどうなることやら。

 

 

 

 

 

 

 ……どうなってやがる。こいつはいったい、どういうことだ……?

 

「……傷が全部消えてやがる」

 

 背中を起こし、困惑する気持ちで顔を触る。眼球ごと焼かれたはずの右目が、派手に引き裂かれた右頬が、何ともなかったように治ってる、なんだどうなってる。

 困惑が晴れないまま、空を仰ぐとやはりそこには赤い雷と灰色の空が広がっている。唐突に現れた、異次元の裂け目の向こうに広がっていた最終戦争が開かれた世界──そうだ、俺はミカエルとやり合って……大天使お得意の指パッチンで体をバラバラにされたはずだ。

 

 最後の記憶と矛盾した状況に、草一つ失った大地に立ち上がって頭を整理する。死んで天国や地獄に飛ばされた訳じゃない、ここはまだ異次元の世界だ。

 だが、どうして受けたはずの傷がない……? 綺麗さっぱりリセットされたみたいに消えてる。

 これではまるでリリスが呼んだ猟犬に体を引き裂かれたとき、キャスに地獄から引き上げたられたときと──

 

 

 

 

「──ばぁぁぁぁっ!」

 

「ッ……!?」

 

 周囲を確認しようと振り向いた刹那、それは子供のように現れた。脳裏の奥底に、焼き印のごとく刻まれている顔が笑っている。有り得ない、有り得るわけがない……あ、有り得て溜まるか、こんなことが……

 

「やっとお目覚めか、ようこそ埃と砂だらけのテーマパークへ。リップクリームがバカみたいに売れそうだ」

 

 震える喉で必死に目の前の光景を否定する。ありえない、ありえていいわけがない。

 

「やあ、キリ。かつてのルームメイト、会えて嬉しいよ。ホームステイはどうだった? ん?」

 

 再会した友達にかけるような気軽さで、そいつは首を揺らした。

 邪悪な内面を綺麗に隠したあどけなさで、それは微笑む。恐ろしくも自然に傷心にすり寄ってくる()使()のように──

 

「……ルシファー。嘘だ、檻に堕ちてるはずだ。こんなところにいるわけない」

 

 震える唇を、喉を押さえ付け、俺は忌々しい名前を今一度口にする。

 

「残念だけど。少し待ってやろう、頬をつねったり目をこすってみるか? でなかったら大人の対応をするか、現実を、見たままを受け入れる。そう──本物だ」

 

 ありえない、ありえるわけがない。

 だが、間違いなく目の前にいるのは本物だ。一緒に檻に堕ちた、果てしない時間を共にした。体中の何から何までが悲鳴をあげてる、これは──本物だ。

 

 目の前にいるのは本物の魔王。誇張でもなく、比喩でもなんでもない。

 紛れもなく、それはこの世で最も邪悪で、おぞましく、恐ろしく、危険で、神々しい者──

 大天使、地獄の最高権力者、聖書におけるミカエルと双璧をなしたメインキャスト、神にカインの刻印を渡され堕落した──ルシファー。

 

「……こいつは何の真似だ。どうしてこんなところに……大好きな檻の中で腐ってるはずだろ」

 

 ルシファーがここにいる、そしてバラバラになっているはずの俺が息をしている。

 冷水をぶちまけ、頭を無理矢理働かせれば察しがついた。誰が俺を治したか、そんなの一人しかいない。

 

「礼はいい。ああ、どうして私が檻にいないかって話だな。お前は知らないだろうが話せば長くなる。クラウリーがつまらないプライドに拘ったって話だが、私に首輪をつけて飼い慣らそうとしたところ、逆に私に首輪をつけられた。ヤツに人望はない、地獄じゃ私のほうがスターだ」

 

 『長い話でもなかったな』と、ルシファーはおどける。ややモヤがかかったような説明だが、狂ったように暴れる心臓でもなんとなしに察しはついた。

 モーテルでやったルシファーを檻に戻すためのまじない。あれにクラウリーが細工をして、ルシファーを自分の手元に置いた。散々虐げられた復讐を果たすためにやったんだろう。

 

 虎に鎖をつけて玩具にしようとしたところ、鎖が外れて噛みつかれたってことだ。クラウリーもルシファーの力を押さえ込む仕掛けは幾つも用意してたんだろうが、ルシファーの力はあらゆる点でイカれてる。

 クラウリーの用意した鎖も、柵も、全部潜り抜けてルシファーが喉元に噛みついた。飼い犬に噛まれた、こんなに嵌まる例えはない。

 

「何が望みだよ。いや、何が目的だ」

 

「目的? みんなが望んでるのさ。パパからの謝罪の言葉だろ、リアリティー番組を一気に見る」

 

「ふざけるな、そのしたり顔を見るのはうんざりなんだよッ! 一度くらい分かるように説明してみろ!」

 

「おぉ、命の恩人に向かって噛みつくか。16歳ってのは難しい年頃だな、私も戻りたいよ。お前と違ってそうはいかんが」

 

 記憶の奥にある忌まわしい顔と、何ら変わらない顔とふるまい。体の内側で暴れ回る心臓が一向に収まらない。

 イカれた思考と強大な力、両立すればこれほど恐ろしいものはない。その最高峰が目の前でにやけているそれだ。

 あまりに自然に心にすり寄ってくる、気を許したくなる、それが恐ろしい。本当に恐ろしい。

 

「まあ聞け。どうしてお前がここでミンチになってたのか、私がお前を助けたのか。お互いに聞きたいこと言いたいことは山ほどあるが生憎と時間がおしてる。愛しの母さんに会いに行こうじゃないか」

 

「は──?」

 

 刹那、伸びてきた手に頭を掴まれて視界が切り替わる。ルシファーは墜ちても天使だ、器を必要とするのは天使と同じ。そしてその背中には大天使の翼が、今でも残ってる。

 瞬間移動としか思えない天使お得意の翼による移動に巻き込まれ、次に視線が捕らえたのは渇いた砂が詰み上げられた砂丘だった。なだらかとは言えない斜面の下、見知った顔を見つけて血の気が退く。

 

「ざけんなぁっ……!」

 

 砂の敷かれた大地に倒れ、粗末なコートをなびかせた男に銃口を向けられているのは──メアリー・ウィンチェスター。銃口は頭を冷たく向いていた。

 

「そんな顔するな。この私がいるんだぞ?」

 

 耳元で無垢な声が響く。刹那、肉が弾け飛ぶような音がしてトリガーガードにかけられていた男の指が止まった。

 傷んだコートに隠されていた男の胸元からルシファーの右腕が、飛び出したからだ。背中から尋常ではない力で差し込まれた拳は遮った肉を吹き飛ばし、一瞬にして命を……刈り取った。

 

 あの男は自分に何が起こったのかも理解できないだろう。それほど一瞬のことだった。

 五指の先端から赤い滴が垂れ、無言でルシファーが腕を引き抜くと大きく穴を作った体は支えを失う。人の肉がまるで紙切れだ、化物め……

 

「礼はいらない」

 

「……」

 

 無言でルシファーを見上げる瞳は、これ以上ない敵意の塊だ。最悪だ、少しは頭を休ませろ。心臓に悪いことの連続じゃねえかよ。

 

「私から逃げてもロクなことにはならないぞ? どうして分からないんだ、お互いに得をする話じゃないか。この悪趣味なテーマパークを出て、互いに息子を取り戻す」

 

「……信用ならない」

 

 銃はミカエルにかたっぱしから溶かされた。あるのはルビーのナイフと……

 半眼でジョーのナイフを手元で回し、二人のいる方へ砂を踏みつけていく。見上げた頭上にはまだ雷鳴がひっきりなしだ。悪趣味なテーマパークってところには同感だな。

 

「おいおい、せめてもう少し会話をする努力をしろ。まあ、最初から楽しい会話ができるとは思ってない。だから回り道をしてミンチになってるお前のガキを一匹拾ってきてやった、いいさ礼はいらない」

 

 無防備に立ち尽くしているルシファーの背中に二本の刃を向けようとして、かぶりを振る。こんなことで殺せるなら苦労はしない。

 やがて目を見開いた、かつて親父が愛した人の反応に俺は目線を空に逸らす。ルシファーめ、信用を買うために俺を墓から掘り起こしたか。

 

「……嘘。本物……?」

 

「こんな愉快な顔を父が2つも作るわけないだろう。口が開けばすぐ偽物かどうか分かる」

 

「世間では息子がやったヘマの責任は親がとるもんだぜ、魔王さま。どうしてくれんだよ、このテーマパークに入場ゲートを作ったツケは」

 

 最大級の不満を込めて眼前の化け物を睨む。

 案の定、帰ってくるのは堕天使のにやついた顔だった。

 

「どうだ、これで分かっただろう本物だ。日曜学校が私のことをどう教えてるか知らないが私は──生まれ変わった。息子ができたことでな。今までのことは水に流して、また手を組もう、アマラおばさんと戦ったときみたいにな」

 

 ……信用できない。文字通り、ルシファーと手を組むなんて悪魔の取引だ。リスクを抱え込むなんて可愛い例えじゃ効かない。

 だが、かつてザカリアが言ったようにルシファーの力はあらゆる点でケタ外れだ。天使の軍隊だけじゃない、この倒れた男みたいに敵はそこいらに潜んでる。

 

 それに俺をジグソーパズルみたいに裁断してくれたあのミカエル……あれはルシファーより話を聞きそうにない。

 目の前に投げられたのは、自分たちの首すらはね飛ばしかねないスーサイドのカード。ルシファーをボディーガードにして歩くなんて断頭台に首をかけながら歩くようなもんだ。だが──

 

「歩きながら話そう。時間はおしてんだろ、大天使さまよ」

 

「その通り。突っ立ってる時間はない、よく目を凝らして出口を探せ」

 

 ブラウンの革ジャンを引き締めたルシファーは言うやいなや歩き始めた。

 問題を凌ぐために新たな問題の種を抱える、案の定いつものやり口だ。またバカをやっちまったか。

 

「……どうしてこんなところに? だって、海を渡ったってサムが」

 

「他人のゲームに巻き込まれた? ま、いつものことだよ。中途半端な罪悪感から緊急参戦したとでも思っといて。武器はナイフと頭しか残ってないけど」

 

「信じられない。ルシファーが本当に貴方を助けたの?」

 

「回り道をしても信用を買いたかったんだろ。息子にご執心ってのは本当らしい」

 

 久々にしては味気ない会話で、俺もルシファーの背中を追いかけて砂を踏む。腹に大きな穴を作って突っ伏している男の懐からベレッタのPx4モデルを弾倉ごと拝借。心で祈ってやりながら、思わぬ面子での放浪がここに始まった。

 

 この再会はさすがに想像の斜め上だ。サプライズも振り切りすぎると心臓を痛めるってことがよく分かる。とびっきりのブラックジョークをひっきりなしに聞かされた気分だぜ。

 

「改心したと思う?」

 

「まさか。共闘してすぐあとにライブハウスで殺されかけた、そう思って後悔してる。友達になるならキングギドラの方が見込みありだよ」

 

「グズグズするな、こんな調子で歩いてたら永久に出口を探せない。もっとこうテキパキ歩け。だだっ広いからな」

 

 両指を鳴らし、催促するルシファー。嫌がらせのように彼女はその場に座り込んだ。

 

「見つけてどうするつもり? だって行き着く先は見えてる。最後は私を殺す、この子も。そうでしょ?」

 

「おい、勘弁しろ。またその話か。鳩に餌をやる婆さんみたいに座り込んで、そこにベンチはないんだぞ?」

 

 辟易した顔でルシファーは大きく息を吐いた。

 

「いいか、私は悪者だがバカじゃない。出たとこ勝負のお前たちと違って、知恵があるんだよ。作戦を立てる知恵がな。つまり、お前を生かしておかないと作戦が成り立たないんだ分かるか? そっちのオマケもな」

 

 部下を説得する上司の図。必死に現実を誤魔化すがちっとも笑えない。ミイラにならずに済んだのは幸運だが、ジャンヌが言ってた宣戦会議ってやつにはどのみち出れそうにないな。

 

「お前も座るんじゃない、嫌味な野郎だ」

 

「人間はお前みたいに足が丈夫じゃないんだよ」

 

 このまま座り込んでいて状況が好転するわけはない。けど反対にだだっ広い世界を歩き回ってどうにかなるかと言われたらそれも疑問だ。

 メアリー母さんをこの世界に置き去りにはしたくない。同時にルシファーをここから外には出したくない。

 だが、このテーマパークの出口を見つけるにはルシファーの助けがいる。状況を整理するほど頭痛がする、どうしたもんかな。

 

「ここに来なきゃ話は別だ。お前たち一家をとっくに殺してるだろうが、大事な息子がお前のガキ共に捕まってる。だからお前を引き渡して代わりに息子を貰う」

 

「……子供を育てるようには見えない」

 

「お前に理解できることじゃない。いつまでそうやってるつもりか知らないが言っておくことが2つある。息子がとんでもない目に遭う前にこのシミったれた世界から脱出するんだ」

 

 うんざりした顔でルシファーは天を仰ぐ。

 

「それと、そもそもお前のせいでこんなところを彷徨いてるんだぞ? へばったのは私のせいじゃない。人間に生まれたせいだ。出来損ないの肺と弱々しい足に文句を言え」

 

 そして、いちいち人間くさい身振り手振りで座り込んだ俺たちを睨んできた。砂漠でミイラになってるよりは遥かにマシだが、俺は一体何をしてるんだか……

 

「お前のせいって何やったの?」

 

「殴って裂け目に押し込んだ」

 

「……魔王を殴り倒したの? 最高、ここを出たら一杯奢らせて」

 

 さらっととんでもないことを言ったあとに手元で揺らしてるのは対天使用のまじないの刻印が入ったナックルダスター。

 大方、あれでルシファーを裂け目に押し込んだってことか。無茶苦茶やるなぁこの人……逞しいにもほどがある、さすがはキャンベルだ。

 

「おい、どこ行くんだよ」

 

「どこって向かいの店にカプチーノ飲みにいくと思うか? 少しは頭を働かせてみろ。カスティエルといいお前といい、深刻ぶった顔は外だけで中身はただの出来損ないじゃないか」

 

 好きな放題にルシファーが不満を垂れ流したとき、渇いた砂がみしりと音を立てた。

 何かが砂を踏みつけた、それまで辺りには何一つ気配がなかったにも関わらず……それがどういうことかと言えば、

 

「ああ。やっと助けが来た、天使たちだ」

 

 天から救いの天使がやってきた、比喩ではなくモノホンの天使が五人。

 どいつもこいつも紛争地帯の武装勢力みたいなファッションで立ち尽くしている。ミカエルの腰巾着か。保安官みたいに巡回しやがって、ご苦労なこった。

 

「やあ」

 

 見るからに歓迎されないムードをまったく気にせずにルシファーは両手を広げる。

 

「どういうことだ、そこの人間。ミカエルに首を落とされたはずだ、なぜ生きてる」

 

 が、話の流れは想像より嫌な方向を向いた。

 ジョン・ウィックに見えないこともない端正な顔の男がきつく睨んでくる。ルシファーに、ではなくその背後にいる俺へと。

 

 ……ちくしょうめ、天使のラジオで情報を共有してやがったか、せこい真似しやがる。余計なことがこぼれたせいで、ルシファーの首がめざとくこちらを向いた。

 

「ミカエル……? どういうことだ、お前ここで何をやってた……?」

 

 振り向いたルシファーの瞳が紅く、血をこぼしたように深紅に染まる。

 言い様のない寒気が体をなぞった、ただ睨まれただけだというのに一生分の恐怖を味わっている気分になる。ああ、これがルシファーだ。

 

「誰にミンチされたか聞かなかったからな。ミカエルだよ、ミカエルが俺の手足をパズルみたいにバラバラにしたんだ」

 

「疲れてるのか? ミカエルは今頃地獄の檻の中で丸くなってる。お前も知ってるだろ、頭がどうにかなって四六時中叫びまくってるんだぞ?」

 

「あのミカエルじゃない、こいつらのご主人様はこっちの──隊長さんよ、どうやら空からの救援部隊じゃないみたいだぞ?」

 

 5人の天使たちの瞳が青白く光っている。どうみても戦闘体勢に入った。

 ワイルドな風体の、一番前から睨んでるあの天使が指揮官ってところか。俺を睨んでいた視線はやがて方向を変え、両手を下げたルシファーへと向いた。

 

「地獄の悪臭がシミついてる、何者だ。名乗れ」

 

「臭いのはこっちとこっち」

 

「名乗れ」

 

 肩をすくめ、今度は芝居がった口調でヤツは名乗る。

 

「──ルシファーだ」

 

 眼前の連中には恐らくタブーになっているであろう名前を高らかに名乗る。最高位の天使でありながら神に背いた裏切り者の名前を。

 しかし、この世界でのルシファーはミカエルによって殺されてる。本人にそれを聞いた。

 案の定、目の前の天使たちの放つ眼光に輝きが増した。どうやら火に薪をくべたらしい、んだが緊張感なくルシファーは首を揺らす。

 

「何の真似だ?」

 

「嘘だ。ルシファーはミカエルに八つに引き裂かれた。生きてるはずがない!」

 

「なんだと、一体ここはどうなってる……!?」

 

「動くな!」

 

 不意に歩み寄ろうとしたルシファーに向けて怒声が飛ぶ。律儀に止まったルシファーは呆れた顔で首を揺すった。

 

「おい、どうするって言うんだ。まさか消すつもりぃ?」

 

「合図したらいっきにかかるぞ」

 

「勘弁してくれ……」

 

 ぼやいたあと、臨戦態勢の天使に対し、ルシファーはすっと右腕を上げる。

 

「かかれェ!」

 

 殺意の込もった叫びの上から堕天使がパチンと指を鳴らす。同情はしない、天使5人でどうにかなると思った方がどうかしてる。

 

 一瞬、一瞬だ。ルシファーは指を鳴らしただけ。たったそれだけ。

 乾燥した世界にスワップ音が響いた途端、攻撃の動作に入ろうとした天使たちは灰色の煙となって存在を消した。終わりだ、勝負はついた。

 

「マヌケか? 次元が違うとはいえ刃向かう天使がいるとは」

 

 呆れた顔で振り返り、何もなくってしまった場所を指で何度も示す。敵うわけがない、アマラくらいなんだよルシファーを小細工なしにねじ付せれるのは……

 こんな化け物をよくもまあ道連れにできたもんだ、過去の自分を称賛してやりたい。しかし、渇いた笑いを浮かべられたのも残念なことにそこまでだった。

 

 あまりに唐突に灰色の空から落下した()()が砂の丘に穴を開けた。

 

「今度はなんだあああああああッ!」

 

 砂塵が舞い上がり、ヒステリックな叫びを上げるルシファーをよそに脳裏のあちこちで警笛が鳴る。第六感なんてもの信じるタイプじゃないがあそこに何が落下したのかくらい、ああ……俺にも分かる。

 捜索隊の天使たちを派手に始末した、となれば次に出てくるのは大元だ。大気圏を突き破って宇宙から隕石が落下した、生憎とそんな慈悲深い現実は待ってない──待っているのは非情な現実。

 

「──ルシファー! 今度は雑魚じゃない、ミカエルだァッ──!」

 

 反射的に、喉が潰れる勢いでその名を叫ぶ。

 派手に爆風を巻き上げた落下地点から、神々しいまでの青白い光が刃のように迸った。

 

「どうやら本当らしいな。有象無象のしたっぱじゃない」

 

 おどけた雰囲気が一転、真紅に染まった瞳のルシファーの背から影のみ映し出される天使の両翼が現れる。

 インド、北欧の異教の神の同盟を単身軽々と殺戮できるだけの力を持ったルシファーのお遊び抜きの本気。ホテルに集まった、あの態度がデカいだけの連中とはワケが違う。あれは魔王にそこまで備えを用意させる、本物の化物。

 

「あれがミカエル……」

 

 重く息を吸い込むような声色で母さんがその名を繰り返した。西部劇にかぶれたような出で立ちの器が派手にできた風穴から歩いてくる。アダムとはちっとも似てないな、あっちはもう少し愛嬌があった。

 

 コートの背中にはルシファーと同じで影を映すだけの黒い両翼が延び、臨戦態勢に入った大天使に怯むことなく歩みを進めてくる。

 天使なんてのは名ばかり、全身から垂れ流されてる気配はリリスやアバドンの比じゃない。あのミカエルは地獄の重鎮よりもよっぽど邪悪で歪んでる。

 

「ルシファー、とっくに死んだはずだが」

 

 静かに笑う。そして首が揺れる。

 

「お前も首を落とした。どういうことだ」

 

 鋭く睨まれた刹那、底の見えない沼に引きずり込まれたような恐怖が背中を撫でる。お早い再会だ、出来れば二度と見たくなかった。

 

「困惑してるところ悪いんだが、あんた昔の西部劇に被れてんのか? 相棒は猿のクライド?」

 

「確かにルシファーだ。空でズタズタに引き裂いたがどうやって生き返った?」

 

「そいつはちょっと違う。元々は別の世界にいたんだが次元を超えてきた、簡単に言うとこいつのせい」

 

 ルシファーが、次いでミカエルが順番に母さんに視線を流す。聖書の2大メインキャストに睨まれ、母さんは無言のまま瞳を灰色の空の高く、明後日の方向に向けた。

 

「確かにミカエルだ。あいつをジグソーパズルにできたのも分かる、そこそこに渋といからな。だがしかし、安っぽいコピーにしか見えない。ヤツは地獄の檻に置いてきた、頭がイカれてる」

 

「お前がそこのハンターを戻したのか。地獄の悪臭が染み付いていたぞ、お前と同じでな。まあいい、もう一度同じ事をするだけだ。正義を行うのは飽きたりない」

 

 拳を握り込み、ミカエルが笑う。天使とは名ばかりの醜悪な微笑みを目にし、肩をすくめたルシファーが皮肉っぽく笑う。

 

「キリ、聞いたか? 悪役だって」

 

「聞いた。大天使さまが正義を行うって」

 

「じゃ、そうすれば──?」

 

 僅かに続けた困り顔を翻し、一瞬でミカエルの眼前に移動したルシファーが無防備に晒されている顎に左フックを打ち込んだ。

 

「……!」

 

「顔とナイフ投げの腕は誉めてやる」

 

 無慈悲な奇襲によろめいたミカエルの体が数歩下がり、俺の手元から離れた天使の剣は厚いコートを巻き込んで後退する左胸に突き立った。さっき襲ってきた天使の遺品だ、悪いが拝借させて貰ったぜ。

 両眼を血の色に染めたルシファーが突き出した右手をゆっくりと捻る。ドアノブを捻るような動作は胸に刺さった天使の剣とリンクし、左胸のさらに深く刃が捩じ込まれていく。

 

「ミカエルを痛め付けていいのは私だけ、と言いたいが今回は別だ。愉快なバンド再結成といこうじゃないか」

 

「それを聞いて安心したぜ。これで心おきなくヤツに礼ができる」

 

「……愉快な挨拶だ。さて、どちらが痛みを感じることになるかな」

 

 拝借したベレッタに込められた弾を動かないミカエルに向かい、撃ち尽くす。両目、喉、額にそれぞれ振り分けた鉛弾が無事に着弾──するのと同時に金属同士がぶつかったような異音が響く。

 

 目の前で咲き乱れる赤い火花。半ば結果は分かっていてもホールドオープンまで急所を狙って効果なしとは苦笑いが耐えられない。

 手傷を負おうとあの体に鉛弾は通らない、あいつの全身が防弾盾だ。触れたそばから無慈悲に9mmが弾かれる。

 

「これで私を殺すつもりか?」

 

 胸を抉られているとは思えない落ち着いた声色でミカエルの双眸に光る。捩じ込まれていた剣が独りでに傷口から、ゆっくり、ゆっくりと押し戻されてやがて抜け落ちる。

 今度こそ、つまらなさそうに顔を歪めるルシファーを見て大きく舌が鳴った。──ルシファーが力負けした……?

 

「……私たちの知るミカエルじゃなさそうだ。とんでもなく、堅物だ」

 

 信じられない光景にゾッとするが、ミカエルの掌に蒼白い光が見えるや頭を殴り付けるつもりで思考を白紙に戻す。

 すぐにバスケットボール大にまで広がったそのプラズマ弾の威力は覚えてる。かすっただけでも人の皮膚くらい根こそぎもっていかれる。

 

 心底、回避に困る輝きが冷酷な速度でミカエルの手から弾き出される。大天使との戦いはいつだって不条理とアンフェアに尽きる。

 体が脈を打ち、心臓が暴れて仕方ない。毒々しさすら感じさせるプラズマをルシファーは左手で弾き飛ばした。とんでくるボールを弾くような気軽さで、逸れたプラズマ弾が明後日の方向に見えなくなる。恐ろしいことを淡々とやってのけたルシファーは、にやっと渇いた唇を吊り上げた。

 

「やっと話がついたな、メアリー」

 

 邪悪に笑ったルシファーの瞳の先、今まで舞台に上がって来なかったメアリー母さんがミカエルの右手に手錠を嵌め込んだ。あれは……天使封じを刻んだ対天使用の手錠。

 

「お返しに来た」

 

「なんのことかな?」

 

「あの子の首を落としたのよね?」

 

 手錠を繋ぎ、間髪入れず母さんがコンパクトな動きで右腕を振る。

 右、そして左。恐ろしいことに大天使ミカエルの顔を母さんは殴り付けてしまった。対天使用のナックルダスターを使い、体重を乗せた一撃一撃がミカエルの顔を右、左と強引に振らせる。

 

「恐れを知らない女だ」

 

「俺もそう思う」

 

 さすがはキャンベル、さすがはウィンチェスターだ。最高に──イカれてる。

 

「……っ!」

 

 渇いた地面を殴打され続けて数歩後ずさったとき、母さんが顔を歪ませる。ミカエルの右手から垂れ下がる手錠が真っ赤に染まり、次の瞬間手錠がヤツの腕から吹き飛んだ。

 ライブハウスでロックスターに取り付いたルシファーがそうであったように、対天使用に備えた手錠でも大天使の動きは縛れない。

 

 だが、意識は逸れてる。少なくともまだ一発浴びせるだけの隙が残ってる。薬室に一発、ベレッタの用心金へと指をかける──

 

「では私も今のお返しをさせて貰おう。相応に」

 

 聖油、セージ、ミルラを混ぜ合わせて天使の剣を溶かした弾丸に塗りつけ、呪文を唱える。

 銀の代わりに天使の剣の弾を使ってるが、この行程で作り出される弾こそ、あのガンスミスが鉄道と一緒に作り上げた切札──

 

「──ウチの家族に触れるな、こいつを食らえ」

 

 今度は違う、ベレッタが吐き出された弾丸がミカエルの眉間を確かに穿つ。

 

「……?」

 

 首を傾げたミカエルの体にバチっと黄色い火花が散る。

 

「自慢しろ、キリ。小細工もここまで来ると大したもんだ。アスモデウスの代わりにお前を作れば良かった」

 

「そいつはどうも。モノホンのルシファーに誉められるなんて、嬉しくて泣いちゃいそうだ」

 

 たたらを踏んでミカエルの体が前のめりに崩れる。打ち出したのはエアガンでも生憎と弾はBB弾じゃない。

 ボビーとルビーが探し出した『なんでも殺せるコルト』の弾のレシピを殺傷能力の飛び抜けた天使の剣の弾と組み合わせた。こんなところで協力プレイとはな、嬉しいよ性悪悪魔め。

 

「とはいえ、できそこないのコルトで殺せる相手じゃない。オリジナルでも私は殺せなかった、覚えてるな?」

 

 ルシファーの頭にコルトを撃ち込んだが殺せなかった。ジョーとエレンが死んだ日のことだ。忘れるわけない。

 ルシファーの重ねた掌の中から例のプラズマの弾が作られてゆく。倒れているミカエルに冷徹にプラズマの塊が撃ち込まれると、とんでもない砂塵が目の前で巻き起こる。便利なもの持ってやがる、まるで自前で撃てるミサイルだ。

 

「母さんまで巻き込んでないよな?」

 

「嫌味な野郎だ、さっき言ったことをもう忘れたのか。私は生まれ変わった」

 

 パチン、と指を鳴らすお決まりの手品で母さんがヤツの隣に音もなく舞い戻る。本当になんでもありだな、奇術師に転職してもやってける。

 

「さて、それなりに攻撃してみたわけだが敢えて言っておく。さっさと次の手を絞り出せ、死にたくないならな」

 

 ……言われなくても分かってる、見えてるよ。平然と歩いてくるミカエルが、俺にも見えてる。

 拝借した天使の剣の一本を左手で回し、冷ややかに息を吐く。

 

 コルトの弾はさっきの一発で最後。ミカエルの槍や聖なるオイルが次元の裂け目の彼方にある以上、いつものオカルトグッズに頼った戦法は使えない。なら、いまある手札でやれることを考えるまでだ。

 

「母さん、お覚悟は?」

 

「家業を知ったときから出来てる。ん……──ねえ、貴方いま母さんって言った?」

 

「あーそこねぇ……心境の変化がありまして。まあ、ピンク髪のイギリス貴族と友達になったって話なんだけど」

 

「おい、冗談だろ……! こんなときに家族会議を始めるつもりか、現実を見ろポンコツめ!」

 

 吐き捨てたルシファーと歩み寄ったミカエルの拳が再び交わる。どちらかが被弾する度に、拳を振るっているだけとは思えない炸裂音が響く。嫌でも現実を見るよ、ちくしょうめ。

 

 後にも先にもここまで物騒な殴り合いを見る機会はないだろう。ただの殴りあいに見えるだけで振るわれている力は人間の物差しから大きく逸脱してる、大天使とはそういう存在だ。

 とてもじゃないが俺はここまでミカエルと拮抗した戦いはできなかった。ルシファーじゃなきゃ拳を一発貰っただけで致命傷だ、ミカエルと張り合える存在なんて最初から限られてる。

 

 ミカエルの軍隊と僅かに生き残った人間たちがやりあってるのがこの世界。こっちのルシファーはアビリーンの空で切り刻まれ、ガブだって多分もういない。

 ほんと、とんでもないことだよな。もうこの世界にミカエルの独裁を止められるヤツなんていない、そんなとき八つ裂きにしたはずの魔王が次元を越えてやってきた、ミカエルと真っ向から戦える存在が。

 

「……これ以上皮肉なこともないな」

 

 あのグレたミカエルを止められるのは、もうこの世界にはあのルシファーくらいしかいない。ここでミカエルを止めなきゃ、一度作られたあの裂け目をいつかこの荒れ地の王様は越えてくる。

 

 どこまでも皮肉で複雑だよ。

 檻のなかで散々俺を八つ裂きにしてくれた堕天使が、いまやこの荒れた世界に残された独裁者を倒せる " 最後の希望 " ってのはな。





 
 章のボス戦みたいになってますがlooとも遭遇します。サムルシ、ヴィンスルシ、キャスルシはみんな好きだけど、やっぱりニックルシファーが一番しっくりと来ますね。


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傷を抱えて

 

 

 一発一発が空気を震わせるあまりに物騒な殴り合いが目の前で繰り広げられる。

 神に生む出された最初の近親であるルシファーとミカエルの戦い、一度は食い止めた最終戦争の戦いを今になってみることになるとはな。ブラックジョークが利いてる。

 

 荒れ地の世界に二人の大天使、原始時代より遥か前の世界にタイムスリップした気分だ。もう何度もタイムスリップを経験した身としては、ああいうのはいつも決まってロクな出来事が待っていない。

 人間の物差しから逸脱した壮絶な白兵戦は、やがてルシファーの右腕が絡め取られたことで形勢がミカエルへと傾く。

 

「参ったか?」

 

「……たいしたこと、ないな……アァアア!」

 

 意地を張ったルシファーの手首が無慈悲にねじ曲がる。単にグレてるだけじゃない、たぶんこの異世界産はこっちのミカエルよりも──ちくしょうめ、どうしていつも無茶な対戦カードばかっか巡ってくるんだ。

 ここでルシファーがやられたら、お次は俺と母さんに敵意が向く。逃げる? 背中を向けたら指をパッチン、肉片になって弾け飛ぶ。となればいつものお約束、退路がないなら進むのは前だ。

 

「よくも人の体をバラバラにしてくれたな。食らえ、ケツ野郎!」

 

 理不尽な状況に罵倒を込めて、ルシファーと交戦するミカエルに天使の剣を突き出して横槍を入れる。

 胸にグサリとやっても蚊が刺した程度だ、頭に差し込んでも涼しい顔でカウンターを貰うのは見えてる。狙う場所は一つ、首だ。

 

(大天使の剣でもなけりゃミカエルを葬るなんて無理だ。ならバッテリーを引き抜くしかない、狙うのは首の奥にある恩寵……!)

 

 恩寵を引き抜けば人間だ、同じ土俵に落とせばどうとでもなる。ルシファーとやりあっているタイミングでのモノホンの不意打ち、絡めとり折り曲げているルシファーの腕を離し、ミカエルが体ごと首を逸らす。

 

「ケツ野郎……?」

 

「こっちでのあんたのあだ名だよッ!」

 

 左手で突き出した刃は空を切るが、踏み出した足を踏ん張り掠め取っていたもう一本を右手で振り上げる。

 

「……ッ、が……ッ!!」

 

 見えないトラックに追突したような衝撃に見舞われ、ミカエルが視界から遠ざかっていく。お得意の念力、大天使のそれはザカリアやキャスのそれとは段違いだ。触れずに……体が背後の砂山まで吹き飛んだ。

 

「キリっ! ああもう、手を焼かせるッ!」

 

 掌で砂を掴んだまま母さんの声がややノイズががって届く。よく言うよ……UKのことで散々振り回してくれたのはどこの誰だったかな。でも良かった、うんざりな過去を思い出せるくらいにはまだ頭は動きそうだ。

 

 砂まみれの体を起こしながら、霞がかって見える視界をクリアにする気持ちで一度目を閉じてからもう一度開く。

 数年ぶりに母さんとの溝が少しは埋まった、それは大きな進歩だ。災いの中に混じった幸運、大きすぎる災いと比較しちまえばアンフェアな幸運だがその溝が今までどうにもならなかったものでもある。

 

 倒壊した建物の瓦礫の中で質量の大きなものにまじないの図形を描く、自分の血で。

 本来はちゃんとしたまじない道具がいるが、こっちはあのロウィーナのレッスンを受けてる。材料や仮定をでっちあげてそれっぽく見繕うことに関しては、あのロウィーナから直々に評価Aを貰った得意分野だ。

 

「ミカエルッ!」

 

 有り合わせで描いた図形に呪文を唱え、起動の合図として出血した掌を押し付ける。材料や行程を多少弄ったが、それは今は亡きアイリーンお得意のケルトの束縛魔術。

 ルシファーが暴れてくれている合間に同じく瓦礫に描いたもう一方の図形と──2つの図形の一方を発動の鍵に、もう一方の図形に対象の相手を磔にする。アイリーンが親の仇のバンシーの為に用意した切札だ。

 

「ルシファー! 腕の見せ所だぞ!」

 

 相手はイヴが生んだ子供じゃない、神が最初作った原始の創造物。バンシーを捕まえるのとは訳が違う。だがたった数秒だけでも動きを止めちまえば、意味はある。不意に起動したまじないに一瞬目を開くも足の止まったミカエルに、ルシファーが怪しく微笑んだ。

 

「今度はこっちの番だ、ちなみに参ろうが手は止めない」

 

 文字を刻んだ瓦礫と背中を縫い合わされたミカエルに向けて左のジャブから、ルシファーの拳が顎、喉、鳩尾、額と無防備になった体に冷徹に降り注ぐ。

 

「……く、ッ!」

 

 一発一発が空気を裂き、ソニックブームを思わせる異音は離れたここまで届いてくる。同じ大天使からのドッグファイト、問答無用で振るわれ続ける魔王の攻撃にはいかにミカエルでもダメージなしとはいかないらしい。

 ミカエルの苦心の声でようやく今日初めていいニュースを聞いた気分だぜ。ルシファー、今だけは過去のことを忘れて応援してやる、そのままやっちまえ。

 

「無礼者が……無礼にもほどがある。無礼者はどうしてくれようか」

 

「鏡が欲しいか兄弟?」

 

 静かな怒りを感じさせる声と共にミカエルの背にそびえていた瓦礫が血文字ごと灰に変わる。飛んで来るルシファーの拳をいなし、空いた脇腹にカウンターの肘を入れたあと逆襲とばかりに魔王の体を遠く、投げ飛ばした。

 

「……くそッ、なんだ今のは通販で買ったまじないか? もう少しマシなまじないはないのかマシなのは……!」

 

「うるせぇ、お前だって返り討ちにされてるじゃねえか。えらそうなことをほざいてたわりにだらしねえ話だな」

 

 砂に服を汚したルシファーが悪態をつく。

 チッ、だらしねえ。さっきみたいに腹に穴をあけてくれりゃ良かったのによ。

 

「次はどうする? 何を仕掛ける? ん? 何に望みをかける?」

 

 コートは穴だらけシワだらけにはしてやったがミカエルの顔に焦りはない。お気に入りの服を台無しにしてやったのは気分がいいが、こっちの労力を考えると

 

「どうする、魔王さま。優しく聞いてやるのはあれが最後って顔だけど? 白旗振ったら許してくれる可能性は?」

 

「分かりきったことを聞くんじゃない。本人が目の前にいることだし、いい機会だからミカエルのバカさ加減について教えてやろう。ミカエルにもしもはない、一度決めたことはやり抜く、どんな代償を払ってもな。それが使命だと思ってる」

 

「げんなりする情報をどうも。ルシファー、奥の手はないのか奥の手は。ご自慢の姑息な悪知恵を働かせてみろ、頭の中にいるネズミを回し車にこう、走らせて」

 

「チームワークを乱すな、キリル。頭に入れておけ」

 

「その名前は好きじゃない、頭に入れとけ。……体をバラバラに引き裂かれるのとパニックルームに軟禁されるの、選ぶならどっちを取る?」

 

「不愉快な質問をするな、と言いたいが頭の中は読めた。あのグレた姿が目に入らないのか、ただ引き裂かれるだけよりも惨たらしい姿にされるのは明らかだ。つまり、私が言いたいことは──さっさと噛み付いてこい、出来損ないめ」

 

 ミカエルの背後から母さんが奇襲をかけ、ルシファーが手にプラズマの塊を練り上げる。そして俺はルシファーに背を向ける形でさらに背後に足を走らせた。

 

「退却クソくらえ……!」

 

 実際、退路そのものがないんだけどな。

 背中にとてつもない圧を感じつつ、スライディングの要領で姿勢をかがめて滑り込む。そこにあったのは頭から角が生えた異形の死体。天使たちからは『テンプターデーモン』と呼ばれるこの世界での悪魔の亡骸。

 

 形だけは人間の器に入ってる俺たちの次元の連中と違い、ロード・オブ・ザリングやハリーポッターにでも出てきそな見た目をしてる。八つ裂きにされるよかマシだが……ああ、ちくしょうめ。

 生きて戻ったらジャンヌに自慢してやる、そう心に誓って俺は死体の首筋を左手で掴む。そして一思いに首筋に向けて歯を突き立てた。

 

「キリ……!?」

 

 母さんの叫び声が耳を捉える。が、一度食いついちまったんだ、もう遅い。いつもはスキットルやパックから補給してたが、別に現場でそのまま掠め取るのが不可能ってわけじゃない。

 脳裏に甦るのは飢饉の騎士、人間の秘めた欲望を無条件に解放させる黙示録の騎士と遭遇したときの記憶。かつて兄がやったのとまったく同じやり方で、俺は噛み付いた悪魔の首から血を直接搾り取った。

 

「……なんだよこれ、バッテリー液か? 帰ったらコーラとエナドリたらふく飲んでやる」

 

 歯で食い破るように傷つけた悪魔の首から視線をあるべき場所に戻す。ヴィーガンのジャーキーを食った気分だがどうやら異世界産でも鍵穴は通ったらしい、網膜が燃えるように熱くなる感覚──リリスと同じ、白い目に眼球が変色していく感覚。お世辞にも美味には遠いものが完全に喉を通った。

 

 ルシファーが、ミカエルがそうやったお返しに俺も指をならす。悪魔の血を飲んだことで再発した超能力が、ミカエルの体をこれもお返しとばかりに数メートル後ろまで吹き飛ばした。

 吐血したらしい血で汚れた口元を指で拭ったルシファーが、にたぁっと赤い口を歪める。

 

「何も言うな。その顔は好きじゃない」

 

「生憎とこの顔しかない」

 

 淡々と言葉を交わし、同じ方向を睨む。平然と歩み寄ってくるミカエルに敵意を込めて、両手に持った天使の剣を手元で回す。

 手札に残されたカードはすべてテーブルに投げた。あとは単純なぶつかりあい、どちらが先に汚ならしい砂と口をつけるかだ。

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、その話ってどこからどこまでがホントなんだ? そこのところ、すごく気になってしょうがないんだが」

 

「どこまで信じるかはお前次第だよ、いつかワトソンくんちゃんが言ってたろ? 俺の人生はファンタジー、まあお前のも大差ないけど」

 

 話に聞いたとおり、退役軍人が住み着いてるってゴーストタウンはあった。悪環境を歩き続けた先に辿り着いたのは、半ば砂に埋まりかけたなんとも寂しい街だった。

 建てられたのは恐らく──西武開拓時代。その証拠にどこか近視感がある。そう、フェニックスの灰を求めて訪れた、あのワイオミングのサンライズによく似てる。今となっちゃ懐かしい。

 

 キンジ、ジーサードにしてやった異次元での世界での話を一旦切り上げて、俺は廃墟となった建物の一つを指で差してキンジに笑ってやる。

 

「ひとつ、ここで俺からアドバイス。夢を壊すようで悪いがモノホンの西武開拓時代に行くときはポンチョだけはやめとけ、西武劇好きのお前にはカルチャーショックだろうが向こうじゃダサいネルシャツ以上にバカにされる」

 

「それも何度か聞いた話だけど、本当に行ったのか? フェニックスの血とかなんとかを取りに」

 

「惜しい、フェニックスの灰だ。灰。怪物界の女王様に効く唯一の武器」

 

「灰が女王を倒すアイテムか、ファンタジー映画にありそうだな。科学が発達した現代社会、これじゃ一昔前に逆戻りだ」

 

 砂に埋もれかけた、科学や最先端とは無縁の光景にキンジがぼやく。うん、ディーンや親父の好きなクラシックな光景だ。

 

「おい、爺さん。あんたの住まいにはまだつかねえのか?」

 

「文句を言わずに歩け、ワシの家はそこの岩山を回り込んですぐそこじゃ。小言の多さは親父に似たか?」

 

「どうかな、小言が多い知り合いはたくさんいたから。生まれ種族問わず」

 

 荒っぽく答えてくれたこの爺さんがこのゴーストタウンに住み着いたって例の退役軍人。

 かつてはベトナムにも従軍し、陸軍で数々の任務に従事してくれた退役軍人。この国に尽くしてくれた一人だ、もちろん敬意をもって接しちゃいるんだが親父の知り合いってところが……あとボビーと同じ飲んだくれの匂いがするぞ、このカーネルって爺さん。

 

 偶然ってのは妙なところで重なるもので、ディーコンの話に出てきたこのカーネルじいさんはかつてジーサードが救助に駆け付けた油田火災の生存者らしい。油田の火災やコンビナートの火災といえぱ悲惨の一言だ、そこいらの可燃物があるんだからな。

 トレールズ油田がやられたらしいが凄腕揃いのジーサード一行の活躍のお陰で死者は0人だったとか、爺さんの孫や家族もいたらしく、喜んで俺たちを家に案内してくれることになった。

 

「油田火災で犠牲者が0人か。すごい、まるでアメリカ版遠山キンジだ」

 

「……なんで俺の名前を出すんだよ。お前だって──」

 

「ひゅー、やったね! 今日は屋根のある場所で寝れるよお兄ちゃん! これも常日頃の善行のお陰だよねっ! 誉めて誉めてっ!」

 

「か、かなめ……! お、おい抱きつくなって!」

 

 おあついね、日本でも本土でも愛をぶつけるのに場所は関係なしか。恐れ入ります。

 

 サンダースの爺さんの家はゴーストタウンから少し歩いたところに構えられていた。みんなどこかで予想はしてただろうがビバヒルやサンフェルナンド・バレーにあるような建物じゃない。

 案内してくれたのはボビーの隠れ家を思わせるクラシックな木造家屋。文明の最先端を行っていたマンハッタンとは正反対、古びた自家発電機はさっきのゴーストタウンには負けるがそれでもかなりの骨董品だ。

 

 すげえ、ここまでクラシックに取り憑かれてる家を見るのはボビーの家以来だ。ああ、ちょっとした感動に襲われてますよ。

 家に帰った気分だ。ひどく懐かしい気持ちに襲われてる。

 

「小僧、ディーコンとジョンはどうした。海兵隊を上がってからワシはロクに話を聞いとらん、どっちも鼻持ちならん連中じゃったが」

 

「ディーコンはグリーンリバー拘置所で働いてるよ、最後に会ったのはもう何年も前だけど相変わらずの陽気だった。親父は……ディーコンと会う少し前に病院で」

 

 俺たちを家に上げるや戸棚からテキーラを引っ張り出そうとした爺さんの手が一瞬止まる。

 

「軍人として祖国に戻れたんじゃ、ワシゃーベトナムで何人も見てきた。知らぬ土地で最後を迎えるよりマシじゃよ」

 

「……だといいんだがな。でもきっと、無念だったと思う。ああ、無念だったと思うよ。やるべきことを残しての最後だった、ずっと追いかけてたものを目の前にしてのだったからさ」

 

 息を吐くと、熱くなった頭が冷えていく。やっちまった、センチメンタルになってもどうにもならないってのにな。黄色い目、いつまでも忘れられない。

 みんなが家に上がり、自己嫌悪を振り払う気持ちでかぶりを振るう。俺も飲み物を貰うか、いっそのことテキーラを──と思ったとき、腕を掴まれる。

 

「貴方のせいじゃない」

 

 振り向いた先にはロカの真剣な顔。どうやら断片的にでも考えてることをよまれたらしい。こんなときどういう顔をするべきなのか、何年経とうと分からない。

 

「……ありがとう」




感想、評価をもらえると舞い上がります。はい、とても。


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馬小屋にて

 

 

 

 

 真ん中のレキを座らせ、左右から俺とキンジの三人はスプリングが一部剥き出しのソファーからテレビを眺めている。案の定、楽しいチャンネルはない。サンダースの爺さんから貰った瓶コーラを横並びになりながらちびちびと飲んでる。

 他のギャラリーはポーカナイトのプレイと観戦中。サード、少佐、コリンズ、じいさんがプレイヤー。慣れた手付きでカードを並べるのはディーラーのアンガス。かなめとロカ、ツクモもワイワイ観戦ムード。狭い家内に賑やかな雰囲気、実に本土っぽい。

 

「お前は混じらないのか? いつもなら真っ先にカードを引きに行くところだろ?」

 

「今日はポーカーナイトって気分じゃない。」

 

「でも得意なゲームだろ? 人の頭を読んだり、駆け引きは尋問科の土俵だし」

 

「お前なぁ、俺がバーの看板娘にどんだけカモられたか知ってるだろ? 周りに同情されて奢られるくらい巻き上げられた」

 

 店にやって来る男のハンターはみんな彼女のカモ。俺も見事に巻き上げられた。でも勝ち気なジョーの笑顔が見たくて、勝とうが負けようがあの子とゲームがしたくて、結局何度もテーブルに着いちまったんだよな、あの頃の俺は。

 

「好き、だったんですか?」

 

 視線はテレビに向けられたままのレキからの一言が喉を詰まらせる。意外な言葉に目を伏せ、けどその答えは迷う必要もなく、

 

「……ああ。心の底から」

 

 ーー心の底から好きだった。嘘偽りなく、それだけは言える。ああだから、オシリスだけはほっとけない。必ずけじめをつけてやる。

 

「しかし、レキからそんな質問を貰うとは思わなかった。理子か、それともお隣に座ってる誰かさんの影響か?」

 

「先に言っとくが俺もトークバトルって気分じゃないぞ、歩き疲れたしな。やるなら楽しい話にしてくれ。胃が痛まないやつ」

 

「お天気、税金、インフレ。どれにする?」

 

「なんだあのマーク? ああ、暴風警報か。天気予報に『サイクロン』があるなんてアメリカっぽいよ。嬉しくないニュースだな、今は嘘でもいいニュースが欲しい」

 

「嘘はあくまで嘘だ、どんなにいい嘘でもな。嘘も方便が通用するのは時と場合による」

 

 本土ならではの天気予報だからなぁ。キンジは僅かに首を傾げたがすぐにコーラを呷っていつもの調子で続けた。

 俺だって嬉しいニュースが欲しいよ、大抵悪いニュースとセットだけどな。お天気と交通情報みたく。

 

「良いニュースねぇ……このまま空軍の妨害もなく目的地まで行けたらいいニュースになる」

 

「それこそ希望的観測だろ。仮にも米国空軍のお膝元だ、縄張り入った獲物は見逃さない。タグをつけられたようなもんだ」

 

「お洒落な言い回しだこと。お揃いのドックタグでも買って帰るか?」

 

「……買いましょう」

 

「「えっ……?」」

 

 またもレキの予想だにしない発言にキンジと声が重なった。

 

「買うの? お揃いの認識票?」

 

 こくり、そんな音が聞こえてきそうな綺麗な頷き方でアーモンド色の瞳がキンジと俺を交互に見る。

 レキの肩越しに見えたキンジはうっすら笑ってて、どうやら俺も移ったらしい。狙撃手だけに伏兵ね、京都じゃ会長もそんなこと言ってたな。

 

「だったら生きて帰らないとな、死んだらお土産は買えない」

 

「良かった、これで死ねない理由が一つ増えたってことだな。これは良いニュースだ」

 

 ああ、同感。これこそ待ちに待った、良いニュースってやつかな。

 バスカビールの面々は一人残らずみんな愉快で楽しいことこの上ない。狭い家内だからこそ響き渡るみんなの声は、ちょっとしたパーティー気分で結構楽しい。

 

 瓶に残ったコーラを呷ると、壁のボードに貼り付けられた写真の一枚に目が留まった。あのホテル、どこかで見たような……

 

「あの写真……なあ、サンダースの爺さん。あれって『 ピアポント・イン』か? コネチカットにあるホテルの」

 

 指をボードの写真に向けながら、後ろにいるサンダースの爺さんへ振り返る。

 

「そりゃあもう何十年も前にコーンウォールに行ったときの写真じゃ。副大統領が二回も訪れたとかいう売り文句のな」

 

「ハハッ、やっぱりか。その売り文句なら俺も聞いたよ。副大統領が2回も訪れた由緒正しきホテルだって、チップを掠め取られた。懐かしいな」

 

 コネチカット州のコーンウォールに建てられていた古風なホテル。記憶に残っていた建物の写真からひどく懐かしさを感じる。

 訪ねたのは黄色い目を撃つ前の話だから、もうかなり前になるな。懐かしいのも当然か。

 

「有名なのか?」

 

「残念ながら良くないニュースの方が轟いちまったかも。1930年開業だったかな、けど10年近く前に閉鎖してる。ちょうど俺たちが最後に来た客だったんだよ、個人的には嫌いじゃなかった」

 

「つまり、仕事ってことか。納得した」

 

「使われてないプールに飛び込んだだけ。女の子を助けに」

 

 そういや、結局ホテルは営業を止めただけで建物はそのまま残されてるって話だったな。ま、取り壊しが決まったあとにあれだけ騒ぎが起きれば当然か。色んな狩りをやったがあれは特に妙な後味を残す狩りだった。

 こんなところで過去の狩りを思い出すことになるとはなぁ。アレックスやメアリー母さんとの再会といい、過去の記憶を思い出すための洒落たツアーみたいだ。

 

 ポーカーナイトは爺さんのフルハウスで幕が下り、その爺さんからのお達しでひとつしないベッドルームは女子たちが、男はリビングで寝るということになった。

 爺さんはリビングのソファーに早々と横になってしまい、アトラス、コリンズ、アンガスの元特殊部隊の精鋭三人が横になるとリビングもスペースが埋まってしまった。

 

「棲み家を奪われた小動物ってさ、こんな気分なのかな」

 

「悪魔とドンパチやってきたヤツが小動物? もっとマシな例えにしとけよ」

 

「カイン、ご先祖様が言うには地獄じゃ俺たちの名前がトイレの壁に書いてあるんだと。要注意リストって」

 

 両手を頭の後ろで組み、キンジとどうでも良い話をしながら家屋から少し歩いたところにある馬小屋に向かう。

 カイン──弟のアベルを殺したこの世で最初の殺人者。あのアバドンのいた『地獄の騎士』の創設者で、連中を一から鍛え上げたのもカイン。

 

「傍迷惑な話だよな。売れたくないところに顔が売れてもちっとも嬉しくない」

 

「この一年で俺もそっち系の話には随分と耐性が付いちまったがお前の昔話だけはいまだに慣れん。で、どこまでが本当なんだよ?」

 

「フェニックスの話? 壁の落書きの話? 悪魔版尋問科の講師に30年間体をミンチにされてたことか? 残念ながら全部本当の話さ」

 

 馬小屋にはサンダースの爺さんの馬が一頭、既にいたジーサードに頭を撫でられていた。

 一応住みかを借りるわけなので挨拶の気持ちを込めて、俺も軽く撫でておく。馬との交流も初めてじゃないお陰で、なんとか無事に撫でさせてもらえた。あのときワイオミングで受けた手解きがこんなところで活かせるとはな。

 

「……なんでお前は噛まれてないんだよ」

 

「仲良くなるコツを教わったから? 少しの間だけど牧場で働いてたんだ、起きるのは朝の5時で昼食は12時。馬の餌はオーガニック、現場責任者と出資者がバチバチにやりあってた。ヒッピーじゃあるまいしってな」

 

「雀百まで踊り忘れず、だな。お前、実は多才だったりするか……?」

 

「まさか。無茶苦茶な滑走路に飛行機を着陸させたお前ほどじゃないよ、聖徳太子」

 

 家主に手を噛まれたキンジは毛布の代わりと藁の中に潜る。そしてジーサードも。兄弟水入らずを邪魔するより屋根のないところで寝たくない俺も潜り込んだ。

 数日前はマンハッタンの高層ビルでやった構図をネバダの馬小屋でやってる。明日何が起きるか分からないって言葉をここまで実感できる日もないね。

 

「思ったより快適だったな、馬臭いけど」

 

「また噛まれちまうぞ? 外で一夜過ごすよりマシさ、男同士チーズで一杯やるのはまた今度になりそうだけどな」

 

「ワンヘダよォ。お前、昔のあだ名はスピーカーだったんじゃねえのか? スイッチの壊れた」

 

「先生には、本土の学校の先生ね。お前の武器はユーモアだって言われた。奥さんが浮気してるって話を聞かされたあとに」

 

「「……」」

 

「黙って愚痴と悩みを聞いてたよ。だからスピーカーじゃないし、スイッチも壊れてない」

 

 ひでえ顔を向けてきた二人を無視し、小屋を照らしているライトをオフにする。闇の中で、やがて聞こえてくるのは静かな寝息だけになる。

 迎撃を受けたあとだからってのもあるがマンハッタンのときのように修学旅行気分での話は飛んでこない。俺からこれ以上切り出す気分にもなれず、意識を落とそうとしたとき──

 

「……ジーサード。お前、まだサラ博士のこと、恩人を甦らそうとしてるのか?」

 

 声の調子からずっと気になっていたらしい。

 サラ博士。サードが研究所にいたときに事故で亡くなった科学者でジーサードが色金を求めたのは彼女の命を甦らせるのが目的だった。

 愛した人の命を取り戻す為に、あらゆる手を尽くす。他人事には思えない。だから触れるに触れられなかった、俺からは。

 

「他に言うヤツもいないだろうから俺が言う。俺くらいしかいないだろうからな。やめとけ。俺はアリアに成り代わった緋緋神を見た、香港でも話をしたから分かる。あれは人がどうこうできる存在じゃない、どうあっても最後は必ず悪い方に傾く、そういうヤツだ」

 

「……」

 

 ジーサードは、何も言わない。死者に対しての倫理を解くような、ましてやジーサードの愛した人の話だ。今まで触れられることもなかったんだろう。

 それを兄が踏み込んだ。いや、家族であるキンジだから踏み込めたのかもしれない。他に踏み込めるヤツがいなかったから自分がやった、それが遠山キンジだ。よく学んでる。

 

「サラ博士はお前の恩人なんだろ。お前がそこまで入れ込んでるんだ、会ったことはないけど良い人なんだろうな。ありきたりな言葉になるが、そんな人がお前が綱渡りしてまで生き返ることを望むと思うか?」

 

「……」

 

「けど、最後に決めるのはお前だ。無責任なようだがしょうがない、こればかりはお前が決めることだからな。お前が決めるしかないんだよ。兄貴から言えるのはやるなら別の方法を探せってことだけだ、だからこの件には俺も二度と何も言わない。お前が心の底から望むなら好きにしろ。ただし、他の方法でな」

 

 目的そのものは否定しない、でもやり方には文句をつける。かなめの言うところの綺麗な落としどころだ。

 やっぱりここは兄弟水入らずにさせて、俺は外で一夜明かすくらいが良かったのかなぁ。聞き耳を立てちゃいけない場面に出くわしちまった気分だ。ちょっと複雑。

 

「……雪平、聞かせてくれ。お前は、どうやって割り切ってきたんだ? これまでの旅路ってヤツをどう……乗り越えてきたんだよ、お前らは」

 

 暗がりでジーサードの顔は見えない。けど、多分俺はこの上なくひどい顔をして屋根を見上げてる。それはひどい面構えなんだろう、ヒルダが見れば笑っちまうようなさ。

 

「割り切れねえよ。乗り越えてもない。ただ一本道を走ってきただけ、逸れても元に戻される道をただインパラで走ってきただけだ。結果、周りがいつも欠けていく。その繰り返し」

  

 そう思うとライトを消しておいたのは正解だった。

 

「いい人が死んで、いつも俺たちだけが生き残った。割り切れないよ、俺たちが巻き込んで引きずり込んだ人が先に死んでいくんだ。忘れられないし、忘れていいわけないし、割り切れない。死者の蘇生が正しいかどうか? 俺の前でその話やるか? 何回首を落とされて戻ってきたと思う、俺たちが何回自然の法則を無茶苦茶にして死の騎士に苦い顔されたと思うんだよ。キンジと違って俺がお前にとやかく言うのはアンフェア、通らないんだよ」

 

 皮肉なことに自嘲めいたことを吐くときは饒舌になれる。

 以前、かなめに言ったとおりだ。死者の蘇生がジーサードの願いなら、その願いに俺が口を出すことほど馬鹿げたものはない。そんなものは通らない。

 

「……大事なことはキンジが言ってくれた、答えは出てるんだろジーサード。自分の心に従って選べばいい、お前の本質は善人だ。キンジと同じとびっきりのな」

 

 キンジもジーサードも何も言わない。

 ……もしかして寝てる? それなら今のやり取りがなかったことになるから構わないんだが、本当に寝ちまったのか?

 

「……ありがとうな。兄貴も雪平も」

 

 なんだ五感はきっちり働いてるじゃねえか。

 

「みんなこの話には、触れようとしねえ。俺を気遣って避けてくる、触れちゃいけない傷口ってヤツさ。今日初めて、俺はこの話を他の誰かとできた。だから……ありがとな。話してくれて」

 

 俺様思考のアイアンマンがらしくない。

 こういうとき真面目になっちまうのはキンジと一緒か。安心するぜ。

 

「後は兄弟水入らずでどうぞ。俺は寝る、睡眠不足は最強の暗殺者」

 

 その後、キンジとジーサードは少し話し込んでいたが俺の記憶にはぼんやりとしか入ってない。

 藁布団で目を覚ますとまだ夢の中にいるキンジと違い、ジーサードの姿がなかった。二度寝する気分にはなれず、馬小屋の外に出てみると空はまだ僅かに光が差し込んでいるだけだった。ジーサードが部下たちに定めた起床時間にはまだ少し早いのだが……

 

「お早いお目覚めで。眠れなかったのか?」

 

 寝起きで暴れている髪を手でなおしながら、空を仰いでいる見慣れた顔に声をかける。言うまでもなく、ジーサードだ。

 

「おう、早いな。ネバダの空は見たことあるか?」

 

「何度か。こんなに早朝に見たのは久々だけどな、朝はそんなに強くない」

 

「あ?」

 

「幽霊は夜に出るから」

 

 小さく鼻を鳴らしてジーサードは笑った。

 まだ肌寒いがそれでもシカゴに比べりゃ天国みたいなものだ。隣に並んで空を仰ぐ。

 

「昨日、キンジとどんな話したんだ? 俺は先に寝ちまって覚えてないんだ、楽しい話?」

 

「今度ツクモの尻を撫でろ、だと。聞かなくて良かったな」

 

「わーお。あいつ史上最強に性的な話だ、今日はこれから猛吹雪か?」

 

「バカ野郎、笑えねえよ。吹雪が吹いてんのは兄貴の頭だけで十分だ」

 

「冷たいお返し。リアルタイムで聞けなかったの超残念。やっぱり起きとけば良かった」

 

 うっすら笑って腕を組む。

 

「悪かったな、昨日のこと。俺もお前の傷口に触れちまった、でけえヤツによぉ」

 

 思わぬ方向の言葉にまだ睡魔が抜けきらない目が開いてしまった。

 

「誰だって傷を抱えてる、俺もお前もキンジだってそうだ。命あるかぎりしぶとく生きるしかない」

 

「傷を抱えながらか?」

 

「傷があると女にモテる、前に先生がそう言ってた。合コンはまた駄目だったみたいだけどな」

 

 そう苦笑いしてやる。どこの誰かは知らないが逃がした魚は大きいぞ? ちょっと気性が激しいところと気難しいところはあるけどな。

 

「俺にもいたよ、本気で好きになった女がこの国に一人いた」

 

「……好き? お前がか?」

 

「ああ、初めてのってヤツ。夢中になったよ。本当の母親みたいに育ててくれた人の一人娘、ポーカーで有り金をさんざん巻き上げられた。兄貴に辞めろって言われたけど、結局どれだけ掠め取られたか覚えてない」

 

 うん、夢中になった。初めてだったからな、モノホンの初めての感情ってヤツ。おい、そこまで驚いた顔されると複雑だっての。

 けど、ジーサードってのは頭がいい。当たり前か、かなめの上役なんだ賢くないわけがない。顔から緩い雰囲気が消えていく。

 

「そこまでにしとけよ、無理に傷口抉る趣味はねえ」

 

「お馬鹿、俺から切り出したんだぞ? それにあの本を最後まで読んだら分かることだよ、ルシファーと檻に飛び込む前のことだし」

 

 横目を流して、冷たい息を吐く。頭が冷えてくれるのは有りがたい。

 

「ファーストネームはジョアンナ。母親はエレノア。親父が通ってたバーを経営してた。二人とも腕利きのハンターでガキの頃からの知り合い。俺の良いところは、きっとあの二人から貰ったんだと思う」

 

「……」

 

「けど、なんというか。俺が好きになった女は俺よりも俺の兄貴を好きになっちまって、その兄貴にはどうしようもないくらい愛してる大切な人が他にいて、俺と彼女の恋はどちらも実らず痛み分けに終わっちまうんだ。兄貴も結局は愛したその人と別れを決めた」

 

 まさに痛み分けの恋。清々しいくらい三人とも望んでる結末から逸れた。

 俺はジョーに、ジョーはディーンに、ディーンはリサと一緒になることが出来なかった。

 

「でも生きててくれればそれで良かった。……分かるよジーサード。好きな人ともう一度会いたいって、生きていて欲しいって気持ち、本当によく分かる。ああ、本当に……俺にも分かるよ」

 

「お前がそこまで入れ込むんだ、いい女だったんだろうな……親子揃ってよぉ」

 

「ああ、きっとお前も好きになる」

 

 自分のことを誉められたみたいにその一言が嬉しい。キンジやジーサードがロードハウスを訪ねる世界が、もしかしたらあったのかもな。ルビーとサムがくっつく世界があったくらいだ、ないとは言えない。

 

「ジーサード。ジョーは俺を庇って死んだようなもんなんだ、俺を庇って腹を抉られて……血まみれになって、痛いなんてもんじゃないのに……エレンと一緒に最後まで俺たちが生き残る道を開いてくれた。俺の命はあの二人に繋いで貰ったようなもんなんだよ、だからこれまでのふざけた旅路を走ってこれたんだと思う。俺のは肩代わりされた命だからな、二人の顔に泥はぬれない」

 

 まあ、家出したり、兄貴に隠し事したり、エレンに背中を蹴り飛ばされそうなことをしなかったかと言われると怪しいけどな。

 けど、肩代わりされた命ってことだけは忘れないようにしてる。それを忘れたら終わりだ、ゴミさ。それだけは許されない。

 

「俺はジョーに釘を刺された。もし悪魔と取引でもして命の等価交換をやろうっていうならあっちから背中を蹴り飛ばすってな。でも俺は、ジョーにそう言われなかったら……喜んで命を叩き売りしてた。だから他人事には思えなくて、ぶっちゃけるとお前との距離感も結構悩んでたんだよ」

 

「妙なシンパシーを感じさせちまったか? そいつは悪かったな」

 

「いいや、そもそも俺とお前は違う。お前みたいに油田火災に飛び込んだりできないし。けど……悪い、やっぱり少しだけ言わせてくれ。色金に頼るなって意見には俺も賛成」

 

「律儀になるなよ、らしくねえ。そもそも色金にあるのは可能性だ、できるとも決まってねえんだぞ?」

 

「けど、あれが人間の手には負えないオカルトグッズってのは分かってる。死者に命を与えるまで色金を利用しようってんなら綱渡りだ、リスクなしとは行かない。それにいくら色金だろうと本気で死者の死をねじ曲げようとするならチャンスは一度きりだ──二回目は、間違いなく死の騎士(デス)の目に触れる」

 

 死の騎士──教養は俺よりもあるジーサードはその言葉に顔色を変える。当たり前か、そこいらの神様よりずっと存在感のある、アマラや虚無に続く化け物だからな。

 

「サラ博士が蘇っても、最初はこの世界の景色に驚くはずだ。自分の知らない景色、がらりと変わった社会を目にするんだからな。そりゃ戸惑うだろうよ、だけどそんなときサラ博士を支えられるのはお前だけだ。俺はそういう前例を、ちょっと前に見てきたから分かる。何年も経った世界にいきなり蘇って、自分の記憶を辿っても行く先々で煙たがれる、理屈っぽい話かもしれないけど支えがいるんだよ」

 

「……、……、……ちょっと待て。お前、いま見てきたって言ったか?」

 

「つまり、サラ博士を生き返らせても。支えになるべきお前が無事でないと意味ないんだ、分かるな? 色金みたいな危ないもんに手を出すな、キンジの言葉は正しい。そういうことだ」

 

「おい、待てっキリ! 今の話もっと掘り下げやがれ!」

 

「悪い、この話は複雑で。すっごく複雑で、やりたい話は済んだな。空軍基地には行く、だがサラ博士には別の方法でアプローチを探す。死の騎士の目に入り辛いやつで、ほら決まりだ。何歩か進んだろ?」

 

 あ、ちょっとバカ野郎……! 首を絞めるな、ぼ、暴力反対ッ……!

 

「あれ、サード? 早起きじゃん、……な、なにやってんの?」

 

 ロカお嬢様、いいところに。さっさとサードを止めて──んげぇ、なあにそのスカーフ、だっせえ……

 

「やっちゃえ、サード」

 

 ……ミスった! 嘘でもロカのご機嫌を取りゃよかった! ギブ、ギブ!

 

 こんな調子で、俺はたまたま起きていたジーサード、ロカと愉快に触れあいながらみんなの起床を待った。サンダースの爺さんが基地に繋がる『足』を用意してくれるみたいで、どうやら騒音被害の苦情も兼ねて力を貸してくれるらしい。

 引退してもベトナムを生き抜いた陸軍だ。親父の知り合いとこんなところで肩を並べられるとはな。驚いてるよ。

 

「お目覚めかい、眠れる美女さんよ。アイアンマンに喧嘩を売りに行く時間だぜ?」

 

 爺さんから貰ったテンガロンハットを被り、俺はキンジのいる馬小屋へと入っていく。キンジは早起きってタイプじゃないが朝に弱いわけでもない、よっぽどあの藁布団が気に入ったのか。

 忍び足で近づくと、まだ横たわっているキンジの瞼は落ちたままだった。……砂漠の行軍が堪えちまったのかな。

 

「か、かなめが……」

 

 あ? かなめがなんだ、目は開いてないな、ねごとか?

 

「かなめがいっぱいだ……! た、たすけてくれ……!」

 

 切実な声に俺は小屋の天井を仰いだ。……なんつー夢を見てるんだ、お前は。

 






アリア新巻のカバーは満を持してのアリアに決まりましたね、嬉しいです。

書き終えてから半年もこの章書いてることに気付きました。半分は終えてるのでもう少し続きます。そして今回で130話となりました、スパナチュで130話というとオシリスの回ですね。嬉しくも悲しい回です。

130話ってホントに(?)の気分ですが来年に入ると4年目になるんですね、ちまちま続けた結果というか好き放題書かせて貰った結果と思ってます。好きな展開書いてるときがなんやかんや一番筆が乗ってしまうんですね。





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悪夢の来訪者






 

 

 

 サンダース爺さんが語っていた空軍基地へ繋がる足。端的に言うとそれは『鉄道』だった。

 ネバダの荒野に敷かれていた鉄道、そして爺さんのさらに爺さんが使っていたという大陸横断用の汽車が爺さんのいう足だった。汽車を前に島の姉貴を彷彿とさせるはしゃぎようのアンガスさんが語るには、それは既に失われたとされるロストテクノロジーらしい。

 

 爺さんの手入れは行き届いていたらしく、運行には何も問題ないらしい。本人いわく、クラシックカーを走らせるようなもんだとか。

 車こそ手にはいらなかったが牙の生えた重機関車みたいな爺さんの「足」には底知れない安心感があった。サードがいうには総重量45トンは軽いらしい、過去最強の鉄の塊だ。

 

「──てことで、これから機関車でエリア51に乗り込む。祈りはもう一回頼めるか?」

 

「この短い期間でお前に2度も祈りを頼まれるとはな。今回は難敵のようだ」

 

「相性が悪いってのは正解。今回はキンジにおんぶにだっこになりそうだ。俺は裏方かな」

 

 現在、爺さんとアンガスさんがトランザム運行の最終調整をしてくれている。

 俺は、昨日は寝ることができなかったリビングで胡座をかきつつ日本にいるジャンヌと海を挟んで話していた。ようするに電話越しだ。クラウリー風に言わせると、難敵に挑む前の最後の休息ってところか。

 

「で、そっちはどう? 何か楽しいニュースでもないのか? 情報科で流行りの話とかさ」

 

「お前がゴシップ好きだったとはな」

 

「こっちはデカいニュースに尽きねえよ。まさかアメリカ空軍が色金を抱えてるとはなぁ。ジーサードが言うにはかなりのデカブツ、相当な質量らしいが今までよく隠しとおせてたもんだ」

 

「だからこその秘密施設。エリア51が選ばれたというわけだ」

 

「秘密施設か。怖い人が怖いところで怖いことしてるって意味ならそうだな」

 

 リビングの真ん中で、血が溜まったボウルに向けて一人で喋ってるのもかなり怖いけどな。

 色んな意味で欠陥が多いぜ。このイカれた悪魔御用達の電話は。かけられる電話番号も限られてるし。何より絵面が最高にイカれてる。

 

 一方で電波に囚われなかったり、回線を傍受されたり邪魔されたりしないメリットもある。やばい単語を口走っても筒抜けにならないのは良いことだな。

 電波状況からどの無線LANにつないでるか特定してアルゴリズムでパスワードをリセット、アクセス成功ーー情報科だと一年でもこれくらいはやるんだから恐ろしい時代だよ。

 

 インターネットは透明な箱の中に入ってるようなものって前にテレビのコメンテーターが言ってたがあれは半分は当たってるのかもな。

 

「次に話せるのはもっと先だと思っていた。私が遠山と欧州に発っていたときには連絡は入れていなかったからな、はっきり言うと驚きだ」

 

「俺が何度も電話するのは予想外だった? その件は助かったよ、ドイツ組とは顔を合わせたくないのが本音。故郷のスケートリンクは楽しかったか?」

 

「ふっ、遠山も口の軽い」

 

 どうやら楽しめたらしい、それなら何よりだ。

 フランス、スケートリンク、男女が二人、ロマンチックなことで。その手のことが大好物の理子がいたら『なんか良いムードじゃん』と目を輝かせてはしゃいでいたに違いない。

 

「──あら、おもしろいことしてるわね。新しい電話でも買った?」

 

 ふと入り込んだ声にかぶりを振る。どいつもこいつも夜更かししやがって。

 

「よォ、先生。今日はネームのお時間か?」

 

「外れ。そっちはどうなの、一面を飾れる楽しいニュースは舞い込んだのかしら」

 

「残念ながら楽しいネタはまだ。まあ、土産話はどうにかして身繕っとくよ。楽しみにしてろ」

 

 パークの子供たちにも聞かせてやるネタがいるしな。どうせジーサードやキンジが派手なことをやってくれるさ。

 マッシュは勝ち戦でいるみたいだが俺から言わせれば対戦相手が悪すぎる。ターミネーターごときで遠山一族を止められっかよ。キンジとジーサード、ゴジラとモスラを同時に相手するようなもんだ。

 

「最先端科学兵装は軍国アメリカが生んだ比類なきモンスター。精鋭が揃ってるとはいえ、足をすくわれないでね?」

 

「足元には注意するよ。やることはリヴァイアサンのときと同じ、向こうは待ち構えてる。だから堂々と正面から乗り込んでやるだけだ。連中からの嫌がらせを払いながらな」

 

「幸運を──軍国アメリカが秘匿にしてるってお宝なんでしょう? 帰ったらゆっくり話でも聞かせて頂戴な。貴方の好きなギトギトのランチを用意して待ってる」

 

「……それは楽しみだけど。聖女さま、ご友人なんか今日めっちゃ機嫌良かったりする?」

 

「さあな。私はお前と話せて気分がいいが」

 

「……なんだよ。今日はやらた優しいな。後から頼みごとがあるパターンか? 俺、なんでも聞いちまうぞ」

 

 やたら優しい元イ・ウーコンビに眼が丸くなる。ギトギトのランチねぇ、ギトギト……なんとも平和的な響きだ。これでヴィーガンのベーコンでも出てきた日には戦争だぜ。

 ああ、ちくしょうめ。できれば今すぐ帰国したい気分だ。血が独りでに渦巻いているボウルを鋭く睨む。

 

「別に。五体満足で帰ってきなさい、雪平。私からはそれだけ。あ、それと次のイベントに向けてアシを探してるの。貴方、よかったらどう?」

 

 ……アシ? アシ、アシ、アシスタント? 

 思いもよらない言葉が脳裏の中でリピート、繰り返される。アシスタント……?

 

「鈴木先生のアシ? それはまた……光栄だけどいいのか? ベッキーの、知り合いの手伝いで少しだけやってたが、お前ほどの絵心はないし、こういったらあれだが力になれるか微妙だぞ?」

 

「貴方の話はネタになるし、貴方の器用さは知ってる。私は貴方の狩りを手伝った、貴方のライフワークをね。貴方も私のライフワークを手伝うのがフェアでしょ。ね、戦友?」

 

 ……チャーリーみたいなこと言いやがって。毎度言ってたよなぁ、『またね、戦友たち』って去り際に言い残すのがお約束だった。

 

「ジャンヌ。お気に入りのアニメの二期が決まったとかそういう可能性ない?」

 

「なんださっきから。組めばいいだろう、簡単なことだ。ダブルワークがトリプルワークになったところで問題か?」

 

「……どんどんお前らとの仲が奇妙なことになってて色々追い付いてないんだよ。ひょっとすると俺たち、ルーク・スカイウォーカー御一行並の仲良しになってるのかもな」

 

 あるいはドミニク・トレットのファミリー? 

 化物みたいな相手にも喧嘩売ってるし、あのグレたミカエルにも揃って顔は覚えられてるだろうしなぁ。そこを行けばルシファーにもか。

 

「分かった、お前から誘ってくれるなら喜んでお願いするよ先生。──と、言いたいんだが即戦力とは思うなよ? 努力はするが長い目で……」

 

「契約成立。精進なさい、と言いたいけどうまくいきましょう。器用な貴方を期待してるわ、ワンヘダだけにね」

 

「聖女さま、なんでもするから帰ったら俺に絵を教えてくれ。お礼は冷えた飲み物ってのは?」

 

「任せておけ、私はこれでも講師だからな」

 

「……そこは私を頼るところだと思うけど。お可愛いこと」

 

 睨んでいたボウルの中の渦が緩やかになる。

 追加の小銭が必要な合図だが生憎と持ち合わせはない。名残惜しいがここまでだな。にしてもお可愛いこと、ねえ……案外この子、泣きついたらなんでも特訓や練習に付き合ってくれたりして。

 

「ジャンヌ、夾竹桃。そろそろ切れそうだ、帰りはまた帰ってから聞くよ。本音を言うとすごく名残惜しいけどな」

 

「延長ができなくて残念? 素直ね」

 

「ここ最近、お前と話せなくてちょっと寂しかった。声が聞けて良かったよ。インパラの世話、頼んだぞ?」

 

「言うに及ばずよ。鍵を渡したのはどこのどなた?」

 

「さあ、いつひったくられたんだったかな。ギトギトのランチ、楽しみにしてる。ジャンヌ、ピアノまた聞かせてもらえるとすごく嬉しい」

 

「ふむ。それはつまり、お前も私のファンになったということか?」

 

「なんだ、忘れちまったのかよジャンヌ。お前の一番のファンの顔を。楽しみにしてる。じゃ、大事な友人の言葉を最後に借りて、またな──戦友たち」

 

 チャーリーの言葉を借り、そして渦を巻いていた血だまりが動きを止める。

 アシスタントねぇ、店の次はそう来たか。さてどうなることやら、悔しいことに楽しみにしている自分がいる。ああ、悔しいことにな。 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだか、あんまりいい作戦と思えなくなってきたなぁ」

 

「思えなくていいんだよ、それがいい作戦ってもんだ」

 

「適当なこというな」

 

 折角してやったフォローを振り払い、キンジは静かに腕を組んだ。

 首を横に向けると、殺風景な砂漠の景色が右から左へと流れていく。京都ではひどい途中下車をしちまったが今回は終点まで足がついてることを祈るぜ。

 

 トランザム、当たり前のことだがこいつの動力は石炭。燃料を燃やし、そいつをエネルギーへと変換して足とする。電気や未知のエネルギーで運行してるわけじゃない。

 ラッパ型の煙突からは石炭を燃やした証のように白い煙が上がり、馬鹿デカい黒い巨体が走る駆動音は無視してくれって思う方が酷だ。この機関車でネバダ基地まで突っ込む、いっそ清々しいまでの正面突破だな。気に入った。

 

「水蒸気も蒸発してんのか、こいつは目立つなんてもんじゃないな」

 

「サウロンの目だよ、キンジ。どうやっても居場所が割れるならいっそ不意を突いて鼻先を通ってやるのは悪い作戦じゃない。トレントの肩にでも乗ってる気分でどーんと構えてろよ」

 

「紙と鉛筆があればお前のありがたい言葉をメモしとくんだけどな。マッシュは勝ち戦でいる、モニターの前でコーラとポテトチップスでも用意してな」

 

「神は自ら手を下さない」

 

「だが、そういうときに限って足元から地面が崩れる。揺らしてやろう」

 

「そのありがたい言葉、今度からシャツにでも書いとけば? 近頃のお前はほんと心強い、今度異世界行くときはお前も呼ぶよ」

 

「……勘弁してくれ」

 

 砂に埋もれかけていた線路の上を派手に砂を蹴散らしながらトランザムは道を駆ける。久しぶりの運行だなんて信じられないほどその走りはパワフル。

 倉庫で眠っていただけの鬱憤を晴らすような実に堂々とした走り。清々しいことこの上ない。俺とキンジは視線を合わせて、やがて肩をすくめ合った。最後までよろしく、トランザムーー未来のテクノロジーにアナログの意地を見せてやろう。

 

「Ok。時間時計、計測スタート。エリア51まで、道のり、あと115マイル。所要時間の想定、あと125分」

 

 トランザムの中は概ねが木製で作り込まれている。時代が時代、アンガスがロストテクノロジーっていうだけあって今では使われていない技術がこの鉄の塊に詰まってるんだろう。

 運転室には腕組みのジーサードとハンドルを握るサンダースの爺さん。かま焚きはアンガスとツクモ、そして自前のストップウォッチで計測を上げるのはロカお嬢様。

 

「爺さん、このどでかいクラシックカーのスペックは?」

 

「ジョンの小僧、トランザムは全速前進すりゃ、時速57マイルでブッ飛ばせるぜ。だが、釜の温度には注意がいる、耐圧性は十分すぎるぐらいあるが、なにぶんお前さんの言うとおりクラシックだからよォ。ちぃと気難しくなってやがる」

 

 スキットルを片手に飲酒運転の爺さんはニタリと笑った。

 

「お、おい爺さん……」

 

「やめとけ、キンジ。ありゃスキットルや酒瓶がないと手が震えるとか言い出すタイプさ。好きにさせといた方がいい」

 

 案の定、爺さんは笑いながら頷いた。震える手でハンドルを握られるよりはマシ、キンジは呆れた顔で外に視線を逃がした。

 

「……57マイルだと」

 

「時速90㎞くらいだねぇ」

 

 ぽつりと呟いたキンジに向けて、即座にかなめが答える。こんな鉄の塊を時速90㎞で走らせるのは大したもんだが、マッシュの追跡を振り切るには心もとないか。

 まだ原付みたいな速度しか出ていないトランザムにはキンジの顔も暗い。

 

「そう卑屈になるな。倉庫の奥に隠れてたF14で第五世代戦闘機とやりあうようなもんだ。大丈夫、勝ち目はあるさ」

 

「ったく、なんでもトップガンっぽく例えるのがお前の流行りなのか? トムキャットだぞ?」

 

「分かりやすいだろ。勝負を決めるのはエンジンでも機体でもない。誰がハンドルを握るかで勝負は決まる。強力なユニットを活かすも殺すも最後はプレイヤー次第ってことよ」

 

 マッシュはジーサード以上のIQを誇るって話だが、踏んできた場数の多さならサードには敵わない。野郎が器用にキャリアを重ねてる間も、サードはナイフと銃弾を浴びてきたわけだからな、それこそキャリアが違う。

 

「ちぃと荒っぽい理屈だが一理ある。強力な手札も最後は切り方がものを言うもんだぜ、兄貴。マッシュのお手並み拝見と行こうじゃねえか」

 

 腕を組んでいたジーサードはそう言うと、運転席の天井から垂れている、用途不明のヒモをキンジに持たせた。

 すぐには分からなかったがキンジが紐を引いた途端、けたましい音が車内に響き渡る。なるほどね、警笛のヒモか。いかにも蒸気機関車って感じの警笛にみんなおおはしゃぎ、大喝采だ。

 

「……賑やかになってきたな」

 

「まだ序の口だよ。うるさくなるのはこれからだろうぜ。ここは喉元」

 

 キンジにかぶりを振り、俺は外を睨む。まだ敵の腹の中には入ってない、うるさくなるのはこれからだ。

 

「小僧。良い映画はゴッドファーザーまでだ、パート2のほうが良かったが趣味の問題か」

 

 鉛色の爺さんのスキットルが揺れる。

 ネバダ州リンカーン郡西武──徐々にスピードを上げていくトランザムは、ジーサードの賛同者が少ない、反ジーサード派で通っている地域に踏み込でいく。

 

 このトランザムは先頭で牽引する機関車から石炭と水を詰んだ炭水車に繋がり、兵員を載せる客車の、3輛編成で組まれている。

 客車には人間センサーとも言えるレキとかなめが待機しており、先頭から戻ると数枚の磁気推進繊盾が宙を泳ぐように浮遊していた。

 

「危ないもんを放し飼いにしやがって。ペットじゃねえんだぞ」

 

「いい子だよ? 誰かさんと違って無駄口きかないし、忠実だし」

 

「中身はお前の魂みたいにブラックかもな」

 

「ね? あくが強すぎるんだよ」

 

「意味は分かりました。同感です」

 

「お、お前らなぁ……いいよ、そこまで喜んでくれるとは思わなかった」

 

 レキとかなめ、二人のやり取りから目を離し、俺も使い古された木のベンチに腰を下ろす。

 体感だがトランザムの速度は爺さんの言っていた最高速度に近いくらい出ている、錆びた線路を蒸気機関車で駆け抜ける。武藤に話したらきっと羨ましがるだろうな。

 

「あくが強いっていうか尖ってるんだよねぇ。性能も性格も、ピーキーさが振り切ってるっていうか」

 

「ピキピキ言うな、かなめ。なんか物が割れてる音みたいで今聞くと不安だ」

 

 懐から抜いたジョーのナイフを手元で弄り、かつて彼女がそうやっていたのと同じやり方で気持ちを落ち着かせる。

 

「どうしちゃったの? カフェインの摂りすぎとか?」

 

「ナイフ好きのおかしな女の真似、考え事してるときによくやってた」

 

 とっくにマッシュはこっちに気付いてる。

 ならどうやって仕掛けてくるか、ジョーがファイルと睨みあって思考に更けていたように天井を睨んでいたとき、青々とした空高く、レキが何かを捉えた。

 突風の吹き荒れる窓の外で翡翠の髪を強く靡かせ、眼光は一直線に東の空を向いている。

 

「──航空機のようです。全幅40m強」

 

 ……さすが狙撃科の麒麟児。ジーサードに負けず劣らずの人間センサーだ。

 

「この汽車に合わせて、3・2㎞の距離を保って追跡してきています。十中八九、敵兵力かと」

 

 ジーサード・リーグ御用達の赤外線カメラ内蔵の双眼鏡で俺も東の空を仰ぐ。

 

「飛ばす先はいくらでもあるだろうに。暇な軍隊だぜ」

 

「嬉しくない来訪者、ですね」

 

「ちっともな」

 

 距離を保ってる、なぜ? まだ仕掛けるタイミングを待ってるってことか?

 

 双眼鏡を下ろし、視線を下げるのとほぼ同時に爆竹が連続で破裂したような音が耳を貫いた。

 

「たぶん──線路に仕掛けられた防水爆竹を踏んだ音だよ。ここから先は保安官も路線を開始できないような危険地帯、お空の天使さまが味方じゃないなら、そろそろ仕掛けてくるよ」

 

 博識な我が後輩が空を睨みながら呟く。

 長年、天使に引っ掻き回されてきた経験から言わせてもらうと大抵の天使は敵だ。

 味方なのはトレンチコート着てるのと風俗が大好きなのと守銭奴のヤツだけ。最後のはグレーゾーンだけどな。

 

 かなめの予感が見事に当たり、航空機が動きを見せる。レキの肉眼が加速から蛇行に切り替えた航空機の変化を捉える。

 無駄に動いた訳じゃない、何か仕掛けてくる気か。地上を駆け抜ける鉄の塊に空からどうやって攻める気だ。

 

 何を仕掛けてくるにしてもここから先がマッシュとの本当の戦いになる、そう思っていた。

 

 最先端科学兵装の恐ろしさに心臓を冷やし、いつものようにキンジのトンデモ技に驚いて、みんながみんな体をボロボロにしながらも勝つ。

 

「……?」

 

 楽観的。ヒルダにはバッサリと切り捨てられてしまいそうな都合の良い展開を心のどこかで描いていた。

 眼の前に広がった光景は、楽観的な俺の考えが引き寄せた罰のように思えた。本来、触れることのできない虚空にオレンジ色の線が縦に引かれていく。

 

 虚空という、触れることのできないノートにオレンジ色の鉛筆が線を引くように一本の切れ目が走る。常識を嘲笑って生み出されてしまった現象に頭の中にあるもの全部が警告を鳴らした。

 何の前触れもなく表れたその一本の線は、これ以上ない悪夢を貯めこんだ災厄の扉。

 

「かなめッ! レキを連れて先頭車輌にッ!」

 

「えっ……?」

 

 上空からの接敵、もはや頭上から迫る驚異のことは頭の中から消えていた。

 空間を食い破って作られた裂け目、それは疑いの欠片もなく異次元への扉……このタイミングでどうして開いた、何が理由で? 誰が開いた? 

 

(……このクソ忙しいときに)

 

 危機が目の前にやってきた途端、皮肉なことに頭の中の回し車が勢いよく回り始める。

 裂け目を開くのには大天使の恩寵がいる。ガス欠のガブの燃料では足りず、俺たちはルシファーから恩寵を抜いてロウィーナの魔術で裂け目を開いた。

 

 裂け目の向こうにルシファーとミカエルを置き去りにすれば倒さずとも驚異は取り除ける。

 俺たちはルシファーをあっちの世界に置いてきた。だが、もしミカエルが俺たちと同じ方法を使えるとすれば? 

 

 ルシファーはロウィーナの裂け目を開いた魔術を一度目にしてる。悪夢のような考えが頭に広がったとき、鈍く光るだけだった裂け目から強烈な閃光が、走る。

 

「──これは、どういう真似だ?」

 

「ちゃんとよく見ろ。見馴れた顔だ、前の私の入れ物。残留物が残ってる。ふーぅ、引き寄せられちゃったか。ようするに私の故郷、()()だ」

 

 首に張り付けたシール型の骨伝導インカムからジーサードによる報告が走る。上空から切り離されたのは超先端科学兵装、ガイノイドLOO──

 そして、裂け目から現れた二人の男。ああ、良いニュースと悪いニュースはセットみたいなもの、だが良いニュースがない時もある。

 

「待って……なに、どういうこと……? どこから……ああ、やばい、やばいよ……あれは……やばい……」

 

「……雪平さん、あれは……危険です。あの二人は余りにも……邪悪すぎる」

 

「……よく知ってる。邪悪で片付いたら可愛いもんだ。抜くなよ、かなめ……まとめて血祭りになる」

 

 頭上から敵意が近づく中、俺は構わず目の前の来訪者に全神経を傾ける。あまりにも相手が、悪すぎる……どうする、どうやったら衝突を避けれる、考えろ。

 心臓が凍てつくような恐怖を必死に黙らせる俺に、二度と見たくなかった醜悪な笑みが咲く。あまりに気さくに、首を揺らす。

 

「やぁ、我が友──お兄さん元気?」

 

「……ルシファー」

 

 心底、忌々しい名前を口にする。ああ、一人でも手に負えないってのに……こんなことが……ッ! ターミネーター云々の次元じゃない、こんなことが、この二人が並ぶなんてことが……

 

「ルシファーって……ウソ、でしょ……じゃあ、隣にいるのは……」

 

 無法地帯の荒野に相応しい、昔の西部劇にかぶれたようなその服装は記憶に刻み込まれている。

 その通りなんだよ、かなめ……こいつが天界の最終兵器、全ての天使の頂点。ルシファーに並ぶ聖書のメインキャスト。

 神が作り出した、最初にして最強の近親──

 

 

 

 

「ミカエルだ」

 

 

 

 

 

 



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始まりの場所



逸れて、逸れて、独自路線。


 


 

 

 

 冷や汗が伝う。

 目の前には大天使が二人。逃げ場のない走行中の機関車の中で、過去最悪の1セットに睨まれちまった。

 

「ルシファー、いつ仲直りしたんだよ。そこまで仲良し兄弟じゃなかっただろ」

 

「取引した、お互いの目的の為にな。というかなんだこのポンコツは、また変な趣味に目覚めたのか?」

 

 シニカルに魔王は笑う。行き場なく浮遊していた磁気推進繊盾が逃げるようにかなめの背後に集まる。

 笑えねぇ、機械すら威圧しやがる……

 

 頭上からはマッシュの手が迫ってる。この忙しいタイミングでミカエルとルシファーの来訪、タイミングが悪いなんてものじゃない。

 そもそも敵意を持った大天使との遭遇に良いタイミングなんてものがあるかも疑問だが、この状況が過去最悪にやばいのは明らかだった。

 

 考えろ、相手が悪すぎる。もし戦いになれば何をどう工夫しても同時に相手にするのは無理だ。

 万全の大天使を同時に相手できるなんてのはこの宇宙を探してもアマラくらいしかいない。

 

 どちらか一人を相手にするにしても大天使、LOOの乱入がどう働こうとトランザムの中が血に染まる。アホな神どもが皆殺しにされたかつてのホテルの再来だ。

 だが、同時に首を向けられるよりは命が繋がる見込みはある。指を鳴らされるだけでここは血の海、何より俺の中に残る恩寵に引き寄せられたんだとしたら……みんなは巻き込めない。

 

「取引だと? 息子と自分の安全は約束する、あとは全部殺すなり支配するなり好きにしろとでも言ったのか?」

 

 ルシファーは笑う。それが笑みが答えだとばかりに。

 頭を冷やせ、先生の教えだ。死んだらビビるも震えるもない。

 生き残る可能性を探れ。細い可能性を見つけたらあらゆる方法で首の繋がる可能性を広げろ。

 

 かなめとレキを背中に退かせたまま、眼前を睨む。ルシファーもミカエルもまだ仕掛けてはこない、殺気だってはいない。多少は怨みを買ってるはずの俺を見てもまだ噛みついていない。

 

「ルシファー。そこまで息子に御執心とは思わなかった。まさか異世界から戻っちまうとはな、親は子供の為ならとんでもないことをするって言うが魔王にも当てはまっちまうとは驚きだぜ」

 

 刹那、無数の銃声が一斉に響き始める。的は一つ、空から降りてくるガイノイド。飛び火しちまえばそっちも大火事どころじゃねえが、そんな事情知るわけない。

 トランザムの内装を見渡していたミカエルがやがて銃声が止まらなくなった列車内の喧騒ににたりと笑う。

 

「パーティーの真っ最中だったか。飛び入りは可能かな?」

 

 笑みに染まった顔の双眸に青白い光が宿る。息を殺すようなかなめの呻きが銃声の中に混じって聞こえてきた。

 なまじ鋭すぎる感性が眼前の存在の異質さを捉えたんだろう。アマラに近い、生物とは別の場所に身を置いている異質な気配を。

 

「かなめ、さっき言った通りだ。レキと先頭車輌まで上がれ。俺は知り合いと少し話がある、最初で最後の命令だ。事が終わるまでこの車輌には誰も近づかせるな、頼んだぞ?」

 

 そう、最初で最後。戦妹とはいえ、俺とかなめの関係は公の場を除けば横並び。だが、今は敢えて命令という言葉で指示を出す。

 今は普通じゃない状況、かなめにもレキにもそれは分かってる。

 いきなり生まれた裂け目からとんでもない化物が現れるなんて色々説明必須な状況であるが、残酷なことに説明してやれる余裕はない。

 

「……ここから先はウィンチェスターのステージってことでしょ。聖書でしか聞かない名前のオンパレード、色々理解は追い付いてないけどね」

 

 かなめの声に銃声がノイズのように混じり、継ぎ目なしの炸裂音が響き続ける。

 

「雪平──先輩。LOOはあたしたちでなんとかする。こっちは任せるよ、あれは──お前にしか頼れない」

 

 振り向かずとも、かなめが背を向けたのが分かる。

 鋭く、研がれた刃物のような凛とした声を残して。

 

「任せろ、ウチのルームメイトは頼んだぞ。自慢の後輩」

 

 なんでもないって声で答えてやる。なんでもないって顔で強気に見せてやるしかないんだ。

 けど、頼りにされてここまで嬉しいと思った日もない。遠山かなめ──俺の自慢の戦妹。そっちは任せたぜ。

 

「行け」

 

 しかし、やっぱ大天使ってのはラファエルを除いてエンターテイナーだな。チャックの影響か知らないがどうやら戦いの舞台をわざわざ身繕ってくれたらしい。

 離れていくかなめには手を出さず、レキが前の車輌に足をかけようとしてもやはり動かない。

 

 殺意や敵意よりもルシファーは悪趣味なテーマパークから抜け出せたことへの解放感、ミカエルは次元を越えられたことへの達成感が勝ってやがるのか?

 大天使の頭の中を探るほど骨の折れる作業もない。理由はなんであれ願ったり叶ったりだ。

 

「雪平さん。ご武運を」

 

「そっちもな。どっちがボスか教えてやれ」

 

「はい」

 

 静かなレキの足音も銃声に隠される。

 トランザムの後尾、客車には俺と二対の大天井だけが残された。

 

 ルシファーとミカエル、チャックが作り出した最初の二人。最終戦争のメインキャストに置かれた、モノホンの化物に恐怖に駆られそうな頭を殴りつけるつもりで視線を固定する。

 

「話は済んだか?」

 

「ああ、お陰様で。騒がしい出迎えで悪いね、大天使さま。出来れば後日機会を改めて欲しいんだが──」

 

「邪険にするな。私の頭を撃ち抜き、まだ息をしている人間は他にはいない。認めよう、お前は障害だ。私の計画を進める上で必ず、邪魔になる」

 

 何から何まで、そこまで都合よくは行かない。

 天使は神聖なもの、残念ながらそれは人間の勝手なイメージに過ぎない。

 眼前の二体が切に証明してる。これが人間に幸せを運んでくれる、優しいヤツに見えるか?

 

 厚いコートを着たまま嬉しくないタイプの称賛をくれたミカエルがふと、肩を揺らす。

 一応言ってはみたが見逃してくれるには泥をかけすぎたらしい。天使の軍隊を率いて、世界を上から下まで荒れ地にしちまうようなヤツが寛大なわけないか。

 

「いいぜ、わざわざ一人にしてくれたんだ。これ以上は求めない、歓迎するぜ大天使さま」

 

 右袖から天使の剣を滑らせたとき、

 

「あー、盛り上がってるところ悪いんだが私はここで失礼する。いけ好かない顔がグチャグチャになるのを見たいのは山々だがやらなきゃならないことがある」

 

 シニカルな笑みでルシファーはミカエルを、次に俺を交互に見てくる。

 同じ赤い瞳でも、鮮血をぶちまけたようなルシファーの瞳から漂う禍々しさは十字路の悪魔の比じゃない。

 

「あとは二人で、どうぞごゆっくり」

 

 芝居ががった口調でルシファーが指を鳴らす。

 次の瞬間、トランザムの駆動音と連なった銃声が世界から消えた。

 

「ここは……」

 

 音だけじゃない、景色もだ。四方を囲むのは枯れ果てた無数の木々、足元にあるのは柔らかい砂でも砂利まみれでもない湿った地面。ネバダの砂漠とは何から何までかけ離れてる。

 朽ち果て捨てられている《立ち入り禁止》と書かれた錆びた看板。遠目に見える廃墟となった教会。それは記憶のページに確かに刻まれてる。

 

「ルシファー……随分と楽しい舞台を用意してくれるじゃねえか」

 

 訝しげに四方を見渡すミカエルを見据え、既に姿を消してしまった魔王に皮肉を吐いてやる。ルシファーがここにミカエルを招くとは、皮肉にも程がある。

 異世界の、しかしミカエルにはこの場所が分かるんだ、顔を見れば分かる。

 

「──スタール墓地か。おもしろい」

 

「最終戦争の舞台。あんたとルシファーが首を奪い合う、口火を切る場所。愉快な置き土産だな」

 

 スタール墓地。ローレンスの外れにあるこの墓地は、ミカエルとルシファーの最終戦争の舞台となった場所。

 始まりの街、真昼の決闘。ミカエルとルシファーを道連れに俺はここから地獄の檻に堕ちた。ルシファーにとってもそして俺にも、忘れられない特別な場所。

 

 ルシファー、愉快な置き土産を残して自分はさっさと息子の元に一飛びか。だが、これでトランザムを血で汚すこともキンジやかなめにミカエルの横槍が入ることもない。

 何よりこれで、転がる首は俺かミカエルのどちらかになった。それについては礼を言ってやる。

 

「後始末の必要はなくなった」

 

 何を、とまでは言わない。周りに数えきれないほどかけられた墓標をミカエルが見やる。あざといことしやがる。

 

「ミカエル、ルシファーのバッテリーを材料に使ったってことはお前の恩寵は何一つ傷を負ってねえってことか。だが調子付くのもその辺しといた方が良さそうだぜ?」

 

 袖から落とした天使の剣を逆手に持ち変え、もう一方の手は手札にある最高火力を引き抜く。以前の戦いでは見せなかったその剣にミカエルの瞳が動く。

 

「……原始の剣、血にまみれたおぞましい武器。いかがわしい刻印も一緒か」

 

「この前とは違う。ここは墓地だ、俺の抱える悪趣味なオカルトグッズも喜んで力を奮ってくれるだろうよ。何より後始末の必要がねえからな」

 

 ルシファーは去った。残りはミカエル、ほうっておけばこの世界もあっちと同じ地獄にこの天使は変えようとするんだろう。

 そしてこいつは座るんだ、荒れ地になった世界で、民のいない悪趣味な玉座に。

 

「随分と憎まれたものだ。殺したのは一度だけだろう? それに甦った、ルシファーの力で。聞かせてくれ、その憎しみの根元を」

 

「確かに首を落とされた恨みはある、ジグソーパズルみたいにバラバラにされた。だが、んなことはどうでもいいんだよミカエル。人間が欠陥だらけってお前らの理屈には同意だが、手当たり次第にぶっ殺されるのを容認できるわけねえだろ。そんなに王様になりたきゃ── ()()()でボスとやりあってろ」

 

 ──武偵法を足蹴りするような殺意を視線と声に乗せて怨敵に差し向ける。

 

 ──ミカエルは笑みと共に、影だけが映し出される背中の両翼を大きく広げた。

 

「来たばかりだが、私に言わせれば人間に勝る怪物はいない。悪事はやりたい放題、世界中を荒らしてる。狼男もヴァンパイアも生きるために人を殺してる、純粋じゃないか。だがお前たちにあるのは殺戮本能、それがすべてだ。お前たち人間の脳の奥深くに眠るその本能は、豹のように獲物に飛びかかり、相手を血の贄とすることで自己満足を得る」

 

 どこまでも澄んで、神々しい光を宿した両目が鋭く刃の形を作る。

 

「高慢じゃないか、スポーツのように殺戮を楽しんでる。純粋? いや、違う。酔いしれたいだけだ、血の臭いと刺激に」

 

「ああ、確かに。そんなイカれた遊びをしてる連中も見てきた。だが、人間全員をその枠に入れるのは悪魔はみんなアバドンだって言うくらい強引だ。人間がみんなお前の話す殺人鬼(マーダー)じゃない」

 

 退路はない、このスタール墓地から出るには目の前の化物に勝つしかない。大天使に背中を向けて、逃げられるわけないのは学んでる。逃げるという行為ですらない、投身自殺だ。

 仮に、仮に逃げられてもミカエルはこの世界を荒しちまう。さっき口から出た計画ってヤツもどうせロクでもない結果を生むヤバイものに決まってる。

 

 ──逃げてもそれは単なる先送り、理不尽な対戦カードはいつか巡ってくる。

 それならここでいい。このスタール墓地で、もう一度大天使を叩き落とす──

 

 始まりの場所、ローレンス。最終戦争を終わらせたこの場所で──

 

「始めようか。どちらかの首が落ちるまで」

 

「来なよッ!」

 

 







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闇を貫く



アリア新刊にあわせて更新。


 

 

 

 

 大抵の場合、ウィンチェスターって名前に回ってくる対戦カードはアンフェアなものばっかだ。

 かけねなしの化物、どう見ても勝ち目のない相手、そもそも生き物としての枠組みからはみ出た相手とやるのも一回や二回じゃない。

 

 後になって無茶な戦いを仕掛けたことに戦慄する、それがいつものパターン。

 

「カンザスシティを知ってるだろう? 向こうの世界では軍隊を投入して制圧した。上空から死をもらたす、だが、人間どもの抵抗にあい少々手こずった。今度はやり方を変える」

 

「お、えっ……ッ!」

 

 口らから真っ黒なものが溢れ、重力に従って足元に模様を描く。

 ふざけた力で蹴り飛ばされた苦痛と溜め込んでいたものを吐き出す不快感で演説じみた言葉は半分も耳に入らない。

 

 数秒前まで殺傷圏内、斬り合える距離だったのが数メートル、一瞬で突き離された。

 

 狂眼のまま崩れた体を引き起こし、ほぼ同時に狙いをつけた天使の剣を投げ放つ。狙ったのは喉元、刻印からのバックアップ加えた膂力を持って放った刃は、ノイズのような風切り音を伴って喉元との距離を縮める。

 

「──時が流れ、山々が形成され、主が消え失せる。お前がそれを見ることはない。残念ながらここで、クランクアップだ」

 

 あとほんの少し押し込めば喉に届く、切っ先が触れるギリギリのところで剣は虚空に縫い付けられたように動かない。

 睨まれただけ。あまりに自然な動作に併せ、時間が止められたかのように刃は静止する。

 

 ……この程度の芸当はキャスやアザゼルでさえやってた、ミカエルなら造作もない。だが──

 

「そいつはどうかな……?」

 

 だが、手札は一枚だけじゃない。自由になった右手は新たな一枚を懐から引き込む。

 出し惜しみはなしだ、俺の抱えてるすべての手札を以てお前を虚無に送ってやる。二度とおいたができないようにな。

 

「ふッ──!」

 

 引き抜いたその一枚を地面に叩き付ける。

 火薬が弾けたときの、耳を殴るような音と破裂音と同時に青白く染まった電流が矢のごとく地を駆け抜ける。

 三本に別れた電流の矢はすぐに肉眼では追えない速度まで加速し、ミカエルの足元で電線がショートしたような眩い光が弾けた。

 

「……!」

 

 地面に叩き付けたのは" ミョルニル "。

 ちょっと昔に参加したオカルトグッズ専門のオークションで兄貴が勝手に持ち帰った『北欧の神ートール』が振るったとされる槌。キャスが緋緋神に憑かれた神崎に振るったあの武器だ。

  

 雷を飛び道具とするのはヒルダ、そして忌々しいゼウスの得意技。地を這った雷の速度は手から投擲した剣の比じゃない。

 いつもながら教科書に載ってるベーシックな戦いはできないが、戦い方にこだわれる相手じゃない。袖から足元に落とした『モーゼの杖』に誘われて澄み渡った空から大きな黒い点が恐ろしい速度で近づいてくる。

 

(今回の相手は特にな……)

 

 形振り構ってられる相手じゃない、正面から挑むなんてのはそれこそ論外だ。モーゼの杖。正確には香港でも使ったモーゼの杖の切れ端、あのときの残り。

 言葉通りのオリジナルの欠片ほどの力しかないが大量の虫を使い魔のごとく使役できる天界の核兵器。

 足を止めたミカエルの全身は身の毛のよだつ羽音を響かせながら黒い影に覆い尽くされた。

 

 無数の昆虫に全身を噛ちぎられる、グロテスクなことこの上ないがそこに北欧神の雷を付け加えたとしても──相手はミカエルだ。

 

「……化物が」

 

 悲観的な考えはすぐに現実となり、噛みついていた黒い影が一瞬でくすんだ灰に変わると、何事もなかったようにミカエルが歩いてくる。

 身につけてるコートまで無傷ってのが常識から逸れてやがる。最初の大天使、化物の一言で済めば可愛いもんだ。

 

「手数の多さは認めよう。次の手が読めないというのも楽しいものだが──相手が悪い」

 

 パチンと重ねた指が鳴る。

 やばい、と分かっていても防ぎようがない。喉から異物がせりあがってくる感覚に襲われ、すぐに足がぐらついて鮮血が口から足元にぶちまけられる。

 

「……ご、ふ…ッ!!」

 

 ちく、しょうめ……口に含んだコーヒーを派手に吹き出した気分だ。体の内側を、中身をかき回されてる気分……こんなの、鍛えるも何もない……

 だが、刻印のバックアップのせいか視界はまだ明るい。カインの刻印の恩恵、前にはなかったものが今はある。癌を植え付けられるのはお手上げだが吐血をプレゼントされるくらいなら、

 

「次の手品か?」

 

 ああ、種を教えてくれたのはお前が見殺しにした預言者。こっちの世界での……俺の家族なんだよ……ッ! 

 

「ケビンの仇だッ、くらいなああああァ!」

 

 違う世界。しかし、同じ役目を勝手に背負わされて使い捨てにされた家族への、恨みと憎しみを叫びに込めて携帯の瓶を投げ捨てる。

 バラバラに砕けた容器から解き放たれたオレンジ色の閃光をすぐに爆風が追いかけ、大天使の体を余さず飲み込んだ。

 

 『悪魔爆弾』──ケビンと彼の肝っ玉母さんが悪魔の追跡を振り切るのに開発した殺意の塊みたいな防犯グッズ。

 希少な材料をふんだんに使うがその威力は背筋を凍てつかせる。レシピはケビンが残したノートに、元々は対悪魔用だがケッチの入れ知恵を加えて天使にも大火傷の代物に出来上がった。神の預言者と元UKの賢人の合作だ。

 

 まだ晴れない爆風に向けて、携帯できる火炎放射器とも言える『ドラゴンの息吹』を視界が真っ赤に隠れようが構わず、燃料切れになるまで吐き出させる。

 かなめとの空港で吐き出したときよりも、さらに勢いと温度を増した焔が視界を塗り替える。ミカエル本体はダメでも、器がくたびれ持たなくなれば動きは止まる。全力で振るわれるルシファーの力に、ヴィンス・ヴィンセントの器が耐えきれなかったように。

 

 

(勝てよ、キンジ。お互い、首が繋がったまま再会しよう)

 

 

 目の前の赤色が勢いを失い、炎に包まれた視界が晴れていく。香水と変わらぬサイズの火炎放射器は中身が切れ、投げ捨てながら炎に焼かれた中心部を半眼で睨む。

 人間、怪物なら丸焦げどころの話じゃない。皮膚が焼け落ち、凄惨な景色が広がって然るべきの熱量だ。まして爆風に体を削られたあと、本当なら凄惨どころの話じゃない。

 

 しかし、唐突に澄んだ空が灰色の曇に覆われて天候を変えるのも、肉眼で捉えられる青々とした稲妻が眼前で乱れる異様な光景も、常識から逸れた現象の連続にも今さら驚きはない。

 

「──ッ……!?」

 

「ほう」

 

 背後から首に鎌をかけられたような悪寒が降り注ぎ、原始の剣を反射的に振り抜く。結果的に第六感に従った行動は正解だった。

 死神の鎌と謙遜ない恐ろしい刃と骨の剣がぶつかり、歪な音が鳴らす。

 

「刻印の影響で涎を垂らした獣に成り下がったかと思ったが存外うまく飼い慣らしている。剣と刻印、どうやって手に入れた?」

 

「深夜の通販組で……!」

 

 さっきまでの攻勢を嘲笑い、平然と背後を奪ってくるミカエルの異常さにはいちいち驚いていられない。

 いや、驚きはそれだけに尽きない。ふざけた速度で突き出されるアーミーナイフにも似た刃を狂眼で弾き、死に物狂いでいなす。

 

「人間一匹に……大天使の剣かッ!」

 

「今までにはいなかったのか? 君の綺麗な頭をはねて剥製にしたいってヤツは」

 

「お世辞がうまいね、サイコ野郎……!」

 

 ──大天使の剣。大天使のみに許された必殺の刃が眼前で乱れ狂う。ただでさえイカれた力を持った大天使のみに許された武器、性能は聞かなくともお察しだ。

 コートはボロボロにしてやったが動きに鈍りはない。死に物狂いに刃をいなしても、不意に突き出された掌から圧縮された空気が吐き出されたように体が前触れなく宙に投げられる。

 

「……っ、て……ぇ!」

 

 腹の中をミキサーでかき混ぜられる、ふざけた痛みにグロテスクな例えが頭をよぎるかたわら右手がトーラスを抜く。カウンター……いけるか?

 

 キンジや金一さんなら涼しい顔でやってのけそうだが俺はあの二人と違い、そこまで芸達者じゃない。

 絶叫アトラクションさながらに縦横無尽に暴れる視界で、両眼ともに涼しさとは無縁の見開き具合で照準。浮遊感に襲われるまま仕返しの銃弾を弾倉一本、空になるまでくれてやる。

 

 ホールドオープンしたトーラスを虚空に手放しながら、墓地の地面に回転受け身で頭を守る。

 ばらまいたのは、天使の剣を溶かした弾に『なんでも殺せるコルトの弾』のレシピを塗ったでっちあげの弾丸。ちゃちな鉛弾以上の殺傷力は確認済みだが、

 

「お次はなんだ? どう出る?」

 

 見やった先の光景に安堵は浮かばない。

 ミカエルのすかした笑みと、やはり弾丸は標的を目前にして虚空で静止。吐き出した弾すべてが運動エネルギーを奪われ、弾倉一本を犠牲にした攻撃は一発も着弾しないまま不発に終わる。

 

「お次はなんだ、だと……? そいつはこっちの台詞なんだよふざけやがって」

 

 不吉極まる指のスナップ音が引き金となり、宙に縫い付けられていた銃弾がその場で反転。

 見えない力で操作されたように、すべての弾丸がミカエルから俺に狙いを変えた。指を鳴らせばなんでもありかよ……自分で撃った弾に裏切れるなんて聞いたことねえぜ。

 

 でっちあげとはいえ、コルトの弾丸が弾倉一本分まとめて飛来するのは笑えない。罰当たりだと分かりながら、俺は墓石の背後にスライディングの要領で身を潜りこませる。

 刹那、ミカエルに支配された弾は狙いを外さず俺が遮蔽物とした墓石に着弾。鈍い音が背中越しに響く。笑えねぇ、カウンターのつもりが危うく自滅するところだった。

 

「……やることなすこと滅茶苦茶じゃねえか。こっちは常時綱渡りなんだよ」

 

 行動の一つ一つが生死に触れる綱渡り。

 安直な行動を選べば即座に首が胴体から離れちまう、ミカエルはそういう存在だ。こんなところで首なし騎士になるわけにはいかない。

 

 心中、絶え間なく文句を垂れ流しながら足に力をいれ、墓石の背中から疾駆。仕掛ける。

 最高火力である原始の剣で斬り合える距離まで詰める、話はそこからだ。生憎、奥の手とも言える『神の手』は空港でのかなめとの一戦で切らされた。こんなことなら予備にもう一個、チャックにねだっとくんだった。

 

 ないものねだりは無意味。だが人間、どんな状況でも手札の数だけ可能性がある──いつもどおり、今抱えてる手札でなんとかするしない。

 

()()()()()の剣、不死の者を殺す刃。少しは知恵を絞ったか」

 

 手短に、独りでに語ったミカエルは襲来する刃物にも動じず、顔色を変えない。

 飛来するナイフを人差し指と中指で挟み、アクション映画さながらの方法でナイフを止める。

 

 逐一驚いてられないが、そのまま手首を返して今度は人力でナイフを反転、投げ返してくるとなれば話は違う。

 死の騎士は自分の鎌に、ラミエルも自分の武器で足元をすくわれた。跳ね返るナイフが屈めた頭の上を過ぎる、本当に気が抜けない。予想のしない方向からギロチンが振ってくる。

 

 だが、殺傷圏内だ──原始の剣を袈裟斬りに一閃、踏み込みと同時に即死の刃を振るう。

 

「いや、知恵なんてないか。これは賢い選択じゃない」

 

 バックステップ、半身での逸らし、時には大天使の剣でいなされ、ふざけた威力の裏拳に脳を揺らされながら後退する。

 後退……ッ……こ、ふ…ッ! ちが……ッ…動きが、捉えら、れ…ッ……

 

「しかし、初めて私に剣を向けたときのお前の顔と来たら──教えてほしい、魔女とあの殺し屋まがいの女もいたのになぜ一人で残った? 自己犠牲? 悲劇の主人公気取り? 自分が一番強いから?」

 

 異常な力で手首が絞められ、原始の剣が左手から離れる。眼で追えたのはそこまで。

 首が折れるんじゃないかと思う衝撃が走り、頭が揺れる。右、左。口から。鼻から。人間離れした力で殴り付けられる度に血が吹き出る。

 

「そんなに強くないか」

 

 ……ちくしょ、うめ。まんま昔の、再現だ……顔がボロ雑巾に、されちまう……

 

 つまらなそうな声で自己完結させたミカエルの蹂躙は、止まらない。

 

 かつてルシファーに蹂躙されたこの墓地で、今度はミカエルにボロ雑巾にされてる。皮肉もここまで来るとたいしたもんだ。

 胸ぐらを掴まれ、一方的な蹂躙。鏡を見なくても顔がやばいことになってるのは分かる。きっと赤いペンキをぶちまけたみたいに、やばいことになってる。

 

 

 

「人間は相変わらず欲深く、幼稚で、成長がない。おまえたち兄弟を含めて」

 

 

 最悪だ、アラステアのままごとに30年も付き合ってなきゃ意識が飛んで終わってる。思考を回せる余裕もない、なんつー皮肉だ……

 

「カインの刻印。弟を堕落させた刻印だ、覚えている。まあ、元からひねたところがあったが刻印の影響がなかったわけじゃない。れっきとした強力な呪い、まじないだ。さっきは飼い慣らしてると言ったが──」

 

 僅かな浮遊感、次に灰色の空を視界が捉える。

 好き放題に顔面を殴られて最後には投げ飛ばされる。受け身……? もう体が言うこと聞かねえっての。仰向けにダウン、冗談抜きで体が悲鳴を上げて暴れてる。

 化物が……単身でやり合ったら手に追えない。ここまで……ここまで差があるのか……

 

「違う。出来のいい模造品のようだ。()()()()()()()()()を抜いたか?」

 

 花……? しかもリヴァイアサンだと……何言ってやがる。リヴァイアサンが花を売ってるなんて今時ブラックジョークにもならない。

 抜いた……? 何言ってやがるミカエル、お前は何の話をしてるんだ。

 

「……何言ってんのかさっぱり、意味不明だ。リヴァイアにガーデニングの趣味があるとな」

 

「そうか、では話を変えよう。何度も私の道を塞いだその価値は、この世界にあったか? 今の自分の状況を見てこれが正しかったと?」

 

 ……動くか、まだ……動かなきゃ死ぬ。 

 

「……やりたいことは、まだあるかな……ミカエル、なんで王様になりたがる……?」

 

「理由か、力があるから。私と弟は──ルシファーだ。最終戦争を起こしたら()が戻ってくると思った。説明してくれると思った、私たちを置いていなくなったわけを」

 

 ひどく、落ち着いた声でミカエルは話始める。

 刻印は生き物。ロウィーナの言葉を借りるなら変異し、姿を変えていく呪い。

 飼い慣らす、いや、それじゃ足りない。押さえ付けるだけじゃこれ以上の恩恵は望めない。

 

「それでどうなったと思う? ……変わらない。神は──無視した。戻らなかった」

 

 放し飼いだ。好きにやらせてやる。

 理屈は動物と同じだ。首輪をつけてストレス漬けに飼い慣らすより、餌をくれて好きにやらせてやる方が激しく暴れてくれるに決まってくる。

 

「神はいつでも知らぬ存ぜぬさ。いつだって……自分は関係ないと思ってる。ッははッ……んなことも知らなかったのか?」

 

 ああ、もっと愚痴を聞いてやるよミカエル。ロウィーナの即死の呪いすら、刻印は弾いた。

 首輪を外した刻印なら、もう少し楽しめるかもしれないぜ……?

 



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天使を切る




『親父は狩りに出た。もう何日も帰って来ない』


『やり残したことを引き継げって意味さ。悪霊を狩って人を救うんだ』



The Road So Far(これまでの道のり)




『……ああ、少し疲れただけさ。頼みがあるんだ、父さんに……コーヒーを持ってきてくれ』


『逃げろ。本当のお別れだってディーンに伝えてくれ。俺は戻ったっていいことなんかない』


『行って。ディーンを守るの。──あたしのユニコーンもね?』


『私を置いていけ。いいから。……引き受ける』


『名を遺したい! ガーデンに蛇を入れたという汚名ではなく、天界を建て直した英雄の一人として! 語り継がれたい! 逃げろ、同志よ!』


『遅れてゴメン、来ないよりマシだろ? 命綱だ、失くすなよ?』


『……じゃあ何の為に来たの? ……ルシファーを殺せるなら本望よ……死ぬ価値はある』


『……だから関わりたくないって言ったじゃない。頼みを、聞いて……アンタたちを紹介したボビー・シンガーに、地獄に堕ちろと言っといて……』


『分かってる。──お別れだ』


『この次に、お前たちに会うとしたらあの世だ。だが、あまり早く来るなよ? ……いいな?』


『ねぇ、出て行く前に一つ約束してくれる? 二人とも──仲良くしなよ」


『……真心は渡せない』


『あたしが付いてる。……お前は立派よ、正しい決断をした。でも絶対に、一人にはさせない』







『きみたちもウィンチェスター、一族が生きてる限り……希望はある。……大人になった、ジョンは知らないが、きみたちを見て……ジョンを誇りに思う……』






Now(そして今……)






 

 

 

「その通り。神とは、作家だ。 他の物書きたちと同じ様に原稿を何度も何度も書き直す。私のいた世界も、こっちも、どちらもただの書き損じ。ものにならないと分かったら、神は見捨てて次にいく。そうやって、書き損じを量産していく」

 

 束の間、その意味が分からず仰向けに濁った空を仰ぎながら、ようやく言葉を絞る。

 体を暴れまわる痛みは声を出すことも億劫なレベルだがいつまでも沈黙とはいかない。死地から生存するコツは命を握る者を楽しませる事。

 

「……だからなんだ、神の書き損じをお前がヤツに変わって描こうってのか。父のやり残したことを律儀に引き継ごうって?」

 

「さて、どうするかな。神に成り代わるか、あるいは、神の書き損じた世界を一つ残らず焼き払ってやるか。ひとつひとつ、この手で1ページと残らずに」

 

 なるほど、納得がいった。こっちでは優等生のミカエルがなんでグレたかと思ったら、なんてことはない。規模がイカれてるだけの単なる家庭のいざこざ。

 結局、引き金を引いたのはいつも通りの神の放任主義ってわけだ。傍迷惑もここまで来ると笑いもんだな。

 

「ミカエル、書き損じがなんだろうがこっちの世界はこっちの世界でよろしくやってんだ。理不尽なことも惨いことも溢れてるが、グレた大天使さまに焼き払うわれる理由も支配される必要もねえんだよ……」

 

 呪詛の言葉を吐きながら、両瞳を見開く。敵意を込めて握り込んだ砂利を澄ましたその顔に投げ付けてやった。

 

「……?」

 

 ミカエルにとっちゃこんなのは攻撃ですらないだろうが、玩具は使ってなんぼ、『使えるものは使え』が頼れる先生の教えだ。

 雑魚とハサミは使い様──結果、この投石で買えたのは怒りでも失笑でもなく、困惑。一瞬でも殺意が乱れてくれるなら意味はあった。

 

 仰向けの崩れた姿勢から、お話ムードだったミカエル目掛けて一気に飛び掛かる。倒れた姿勢から攻撃への転じ方は、親父からのスパルタ海兵隊方式で学んでる。

 サンドバッグにされた顔のあちこちから痛みが来るがまとめて無視、いっそ痛みと怒りを力に変えるつもりで踏み込む。放し飼い、そう頭で決めた瞬間から刻印を刻んでいる腕は現金にも体温とは別の熱を持つ。糸が切れたようにスクラップ寸前の体も言うことを聞くようになった。 

 

 いや、どうせすぐにまた糸が切れる。糸が切れる前に決着をつける。

 

「確かにしぶとい。しつこい手品にも飽きてきたよ」

 

 が、ミカエルの反応もやはり異次元。隙を見つけたつもりで飛び掛かっても大天使の剣が首を刈るような位置で薙いでくる。

 冷酷なカウンターこの上ないが、首を落とす攻撃にはとっておきの対策がある。とっておきのカウンター、友人の吸血鬼が煉獄で何度も見せた動きを、刻印のバックアップを受けた体で乱暴に真似る。

 

(ベニー、お前の手を使うぞ……!)

 

 ボクシングで言うならスウェーに近いかもしれない。吸血鬼の弱点である首を狙った鉈を避けるために首と喉を後ろに逸らして数ミリ単位で空を切らせる。

 忘れられない友の、ベニーお得意の曲芸は振り払われた大天使の剣に虚空を切らせた。

 

()()()()だぜ、王様よォ!」

 

 血に濡れた顔で、意表を突かれているその顔に向けて言ってやる。

 あるのはせいぜい一回の攻撃チャンス、それでいい。1ターンあれば十分だ。右袖を振るい、手に滑らせた澄んだ刃をがら空きの胸へと深く、俺は押し込んだ。

 

「私を殺せると思ったか?」

  

 結果、帰ってくるのは凍てつき冷えきった声と冷たい顔。刃が胸に突き立っていることなど感じさせない、重たい殺気が体から広がる。

 

「コルトでも、原始の剣でも私は殺せない。殺せるわけがな──」

 

「思ってねえよ、だから剣に賭けるのはやめた」

 

「……?」

 

 上から言葉を被せると、怪訝な顔でミカエルが右目に指を当てる。そして凍てついた表情は崩れさった。

 懐に埋もれた刃からグリップまで刻まれたルーン文字が、肉眼にもハッキリと白く光りを放つ。

 

 灰色の空の下──ドクン、と袋が内側から弾けたようにミカエルの腹から鮮血が溢れた。

 

「その武器に刺されると悪魔は一瞬で灰に、天使は長くもがき苦しむ。ああ、あんたの槍だよミカエル」

 

「……ルーン文字の、まじない……確かににそのようだ……」

 

 呟いたミカエルの目から、口から、そして鼻からも出血が始まる。かなめの先端科学兵装に切り落とされ、今はナイフと変わらない姿になってるが突き立っているその刃は『ミカエルの槍』だ。

 天使に対し、悪趣味なほど恐ろしい力を発揮する地獄の王子が愛用したオカルトグッズ。そのリペア。

 

 形を変えてもキャスのトレンチコートを赤く染めたルーンのまじないは顕在、腹に空けた傷口からも赤いシミが広がり始め、ミカエルの顔色が褪めていく。

 元々大天使のルシファーを苦しませる為に生まれた槍だ。同じ大天使、兄であるミカエルに効かない道理はない。回し蹴りでグリップを叩き、刃をいっそう奥に押し込む。

 

「……ぐ、ォ……!」

 

 ……やっとマシな声が聞けたぜ、ざまあみろ。

 ミカエルと俺は、お互いに顔を赤い血で化粧みたいに染めた異様な姿で視線を結ぶ。

 気を抜けばたたらを踏みそうになる足、頭が警笛を鳴らすほど熱を持った刻印を刻んだ腕。どうしていつもこう、不公平で無茶な戦いをさせられるんだか……

 

 

 

 

『──キリ、外さないで。必ず、やり遂げて』

 

 

 

 脳裏を過ぎ去る、別れの際の台詞。分かってるよエレン、今度の今度は外さない。

 カインの刻印で繋いでいた糸が切れる。たたらを踏んで崩れる足を支える力ももうない。

 無理矢理駆動させた体にツケが回って全身のあらゆる場所から悲鳴のような痛みが上がる。

 

 それでも倒れる体は──血で滲んだ指は最後に引いた一枚を、何度も離れては絡み付くように舞い戻ってきた『銃』の擊鉄を起こす。

 エルキンス、ベラ、クラウリー、ラミエル、人間と悪魔の懐を何度も渡り歩き──最後にはここにある。

 

「それは──」

 

 名前も知らない墓碑に背中を預け、崩れた両足を投げ出し、残った双眸でたった一つの狙いを定める。

 あの時、まったく同じ姿で黄色い目に決着をつけたディーンの姿を脳裏に起こしながら、最後の力で笑みを咲かせながら──『コルト』の引き金に指をかける。

 

「──天国へおかえり」

 

 引き金を絞り、ハンマーが鋼を叩く。

 一直線に吐き出された弾丸がミカエルの左胸を揺らした。

 

「……!」

 

 ミカエルの瞳が丸く、広がる。弾の沈んだ左胸から茜色の光が迸り、静電気の弾けたような音が一度、二度、三度と間隔を置いて続く。

 

 ダゴンに溶かされてから随分とかかった。ルビーとボビーが弾の製造方法を探る中で書き残していたノートを何度も睨み付けて、継ぎ足しの部品はヒルダを仲介してそっちに明るい魔女のバイヤーから。

 

 オリジナルにはもちろん及ばない、溶けた部品を他で代用して必死こいて本物に近づけようとした正真正銘の模造品。

 だが、ボビーとルビーの置き土産、ヒルダとの奇妙な縁が生んだコルトは槍の呪いに犯された大天使ミカエルにたたらを踏ませ、最後は荒れ果てた墓地の大地へと倒した。

 

「……見たか、これが綴梅子の最高傑作だ。ざまあみやがれ」

 

 墓標に背中を預け、熱の冷めていないコルトを腕ごと下げる。

 まあ、酔ったときに一回言われただけだが。ったく……駄目だな、刻印の放し飼いだの大層なこと言ったが体がオーバーワークどころじゃない。這って進むのもお手上げだ。

 

 キンジのやつ、上手くやってるとは思うが基地に保管されてるって色金が次にどんな展開を運んでくるのか、それだけが気掛かりだ。

 灰色の雲を仰ぎ、ボロボロになった肺から溜まった息を吐く。まさしく、器がくたびれたってヤツか。

 

「いや、くたびれたどころじゃないか。こんな物件、三流悪魔でも取り憑きやしない」

 

 安堵から、だな。誰に聞かせるわけでもないのに独りでに口が動く。

 年を重ねると独り言が増えるってドナと保安官も言ってたっけ。あ、いや、パメラだったか。

 

「……」

 

 半眼を向けた先にいるミカエルは、仰向けに倒れて動かない。

 腹部から広がった血が昔の西部劇にかぶれた服も赤色で台無しにしてる。

 自分の槍に腹を抉られる、なんとまぁ皮肉だ。もしくは因果応報か。

 

 

 

 

「──ガブリエルにトリックを教えたのは、誰だと思う?」

 

 背後から声がしたときには頭が掴まれていた。

 ああ……ったく、地面に天使の翼が焼き付いてなかった。トチったな、天使の死体からはいつも身の丈以上の影の翼が背中から焼き付いてたってのに……安堵するのが早すぎる。

 ちくしょうめ、ミカエルのトリックにハメられた。

 

「damn it……」

 

 殺風景な墓地を映していた視界がまばゆい白に染まる。見えなくても分かる、天使に頭を掴まれ両目と口から光を吹き出して焼かれる光景を何度も見てきたからな……

 終わった、味わったことのない熱が口と両目から広がり、悲鳴が止めるに止められない。墓地でよりにもよって天使に両目を焼かれてる、皮肉を貰うのは俺の方だったらしい。手足はスクラップ、言うことを聞かない。

 

 無理だ、命が刈り取られるまでこのまま焼かれる──そう覚悟したとき、あまりに突発にミカエルの悲鳴が飛び込んだ。

 

「……あぁ…?」

 

 頭が浮遊感に襲われ、奪われていた視界に土くれが差し込む。

 誰だ、新手? いつ近づいた? いや、それよりもミカエルに、傷を負わせた……?

 

「……なるほど。私と同じで新たな波動を放っている。その槍も。そういうことか」

 

 チッ、視界の右側が欠けてやがる、やられた……右目が持っていかれた……

 天使お得意の謎めいた専門用語を聞きながら傷物になった視界に舌打ちが鳴る。だが、片目と指先さえ動けばまだやれる──

 

「一つ提案がある。近い未来、私は戦争を起こす。その為に軍隊が必要だ、私につけば勝利は間違いない。だが逆らえば負けることになる。おそらく死ぬ」

 

 飽きずにまた軍隊かよ、馬鹿の一つ覚えめ。

 

「返事を聞かせろ、いまここで。槍を渡すんだ」

 

「──ミカエル。スカウト中に悪いが一つ聞かせてくれ」

 

 悲鳴を上げる体で墓碑で背中を支えると、振り向いたミカエルにけらけらと笑ってやる。

 

「異世界から来たお前は、こいつをやったらどこに行く?」

 

「──待て」

 

 待つかよ、お馬鹿。

 真っ赤な血に濡れた右手を墓標に刻んだ血の図形に叩きつける。一瞬でスタール墓地を閃光が包み、取り憑いた器ごとミカエルをここではないどこかまで吹き飛ばした。

 

「海の底にでも沈んでろ、放火魔め」

 

 欠けた視界でミカエルが消えたのを確認してから呪詛の言葉を吐いてやる。いつもは目くらましに乱用してるが本来の用途はこっち。

 天使を別の場所に吹き飛ばすのがこの図形の役割、たとえ大天使だろうと問答無用だ。

 

「……お前、何者だ?」

 

 九死に一生、命を拾ったが次に捉えたのは見知った風貌だった。

 ここにきて天秤がバランスを取りに来たか。またもや嬉しくないタイプの再会だ。黒いローブで細身を隠し、ミカエルに傷を負わせたであろう槍の先から血が垂れてる。

 

「そのシスの暗黒卿みたいなローブには見覚えがある。お前、クレアを狙ってくれたいつかの通り魔だな、どうやってこっちに来た?」

 

 深く被ったフード付きのローブで目元は見えないがその槍は間違いなくクレアを狙い、カイアを殺した槍だ。

 幽鬼のごとき姿と身に纏った不穏な気配は間違いようがない。

 あの色の付いた煉獄みたいな世界からどうやってこっちに……ミカエルとは違った方法で次元の壁を跨いだとしたらこいつも規格外。ミカエルが執着したあの槍もヤバそうだ。

 

「……」

 

「わーお、寡黙とは近頃珍しい。ミカエルでさえそれなりにお喋りだってのに」

 

 欠けた視界とスクラップ寸前の五体で相手するには上等すぎる。奇襲を踏まえてもミカエルに傷を負わせた相手、手練れだどうする……

 

「恩は返した」

 

 女の声でそう発すると、黒いフードがめくられ、

 

「──おい、こいつはどういう……」

 

 カイア……待て、カイアはこいつの槍で殺された。なのになんでだ、こいつがカイアと()()顔をしてるのは一体どういう……

 どう見てもシフターとは思えない。となると残りの可能性は……異世界の、あの辺境世界のカイアか……ミカエルの波動がどうとかの専門用語にもそれなら合点がいく。

 

「もう会わないことを願ってる」 

 

 カイアの顔でそう言うと彼女は動けない俺に踵を返す。

 ……もう会わないか、だといいけどな。

 

「そう願ってるよ」

 

 ついに一人になった墓地で、痛みにうんざりしながら携帯を開く。あれだけやってもまだ動くとは……科学の力は素晴らしい。

 チャーリー様様だな、また悪魔式の電話に頼らずに済む。さて──

 

『やぁ、ディーン。悪いニュースが2つあるんだけどどっちから聞く? でかいのとそうじゃないヤツ』

 

 緋緋神が片付いてないってのにミカエルか、笑えねぇ。

 

『ああ、それとタクシー頼める? 昔懐かしの、ローレンスのスタール墓地まで』

 

 

 

 

 

 






これまでの総決算みたいな戦い方してますが一応まだ続きます。

12月は我ながらスパートかけれたと思います、無茶苦茶やりました。残りの旅路はイギリス行って、緋緋神との決着をつけて一段落予定。そこから先は未定。

ファイナルシーズンの話に突撃する足掛かりはミカエル戦で作れたし、どこまで続くかも未定です。ミカエルの槍のナイフ化について、かなめ戦での感想で頂いたアイデアを参考にさせて頂きました。感謝です。

たまに話数を眺めてだらっと続けすぎた感じもするんですが…………開き直ってスパナチュと同じ話数を目標にするのもいいかもしれませんね。

次の更新は来年になります。残り僅か良いお年を、今回の話が暇潰しになれば光栄です。



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英国編
賢人派兵


 

 

 

 大抵の人間には苦手なものが一つや二つはあるものだ。神崎は雷、夾竹桃は水が駄目だし、ジャンヌは火に弱い。サムはピエロを見るとパニック状態になる。

 そして、イーサン・ハントやジェームズ・ボンドみたくいつも恐いものなしで無茶をやる我が家の長男が珍しく苦手としてるのが、

 

「どうしてインディアナ・ポリスから? 行きはケネディ経由で来たって聞いたけど」

 

 飛行機と空港。だからどこを行くにもインパラで地面の上を駆け回ってる。西海岸から東海岸、州の端からまた端まで。

 

「知り合いの客室乗務員が今日最後のフライトなんだ。さっき挨拶してきたところ」

 

「その解答は予想してなかった。知り合いは退役軍人と保安官だけじゃなかったんだね」

 

「飛行機の中で一緒に悪魔払いをやったって言ったら信じるか?」

 

 おどけてやると、わざわざ見送りに来てくれたロカお嬢様は小さく笑う。その機嫌の良さを見るに、ブレゲのオークションはご満悦に終わったらしい。

 ラッフル付きの黒ブラウスにブラックスカートを合わせ、いつかの神崎がダブるお嬢様然とした姿のロカは左右で色の違った双眸を猫のように細める。

 

「サードからの伝言──お陰で首が繋がった、感謝する。だってさ」

 

「ハリケーンをなんとかしたのはそっちだろ。自力で竜巻を突破しちまうなんてキンジはやっぱりイカれてる。あいつの武勇伝がまた1ページ増えちまったな。どこまでいくのやら」

 

「武勇伝ならお互い様なんじゃない? いきなり走行中の列車から消えたと思ったら……右目だけでよく済んだね?」

 

 信じられないと言った顔でロカは眼帯を当てた右目を見上げてくる。駄目元で親父も世話になってたハンター御用達の闇医者に駆け込んではみたものの、大天使の光で焼かれては治療云々の話じゃないらしい。

 相手は大天使、しかもその筆頭。アナエルに大金を積んでも治療は恐らく難しい。キャスも無言で首を振ってたしな。外科的、オカルト、両方から匙を投げられる傷とは流石はミカエル、やってくれたよ。

 

「そこはちょっとは心配するなり顔を曇らせるなりにしとけよ」

 

「……そうだね。同情はちょっと、してる。想像もしたくないし……目を焼かれるなんて」

 

「悪い、冗談だ。お前の目が焼かれるところなんて俺も見たくない。俺の知り合いは天使に両目を焼かれちまったけど、命を賭けて俺たちを救ってくれた。片眼が残ってるだけ俺はラッキー、お前のまじないが効いたのかも」

 

 片目一つ、それでミカエルから首が拾えれば安いにも程がある。視界の半分が消えた世界でこれからの生を生きる、ショックがないわけじゃないが両目をある日いきなり奪われた友人を俺は目にしてる。

 パメラの一件をその場で目にしてるお陰で、片眼と命が残ってる状況では嘆きや喪失感はロカが心配してくれてる程でもない。

 

 他人の傷を理由に足を踏ん張る、褒められた理由じゃないかもしれないがミカエルも緋緋神の問題もまだ健在。ルシファーも自由のままだ、嘆いてる時間はない。

 

「気にしてないよ、ロカ。元々あのミカエルは俺が呼び寄せたようなもんなんだ。それにまたお前と一緒に戦えて良かった、見送りありがとう」

 

 とはいえ、ハンデつきの視界に慣れるのにはまだ少しかかりそうだけどな。理子もパトラの呪いをかけられたときは隻眼での衝突を避けた、ドンパチやるのはこの視界に慣れてからが懸命か。

 

「しぶといヤツ。ツクモと慰めの言葉も一応考えてたけど無駄になった」

 

「沈んだ顔見せられるよりマシだろ。タクシーを待ってるときにさんざん愚痴は吐いたよ。旅行中の神様に」

 

「それはジョークじゃなさそう」

 

「隠し事は親密さの敵、真実だよ。あとやっぱり天使を崇拝する教会の存在には異議がある」

 

「異議があるもなにも、既に存在してる。科学と一緒。それとも教会に行列する信者に説いてまわる?」

 

「ああ、たしかに行列してるよ。閑古鳥がな」

 

 そのとき搭乗時間を知らせる為のアナウンスがかかった。不意の知らせにはどちらともなく結んだ視線をお互いに逸らした。

 それでも先に言葉を繋げたのはロカで、

 

「今度は機内で悪魔と鉢合わせないといいね」

 

「縁起でもない、大変だったんだぞ。あのときは悪魔祓いも空で言えなかった」

 

「……ねぇ、それっていつの話?」

 

「親父が消えてすぐ。10年くらい前」

 

 フライトの時間はいつまでも待ってはくれない。名残惜しいがロカと話せる時間も一旦今日が一区切り。懐かしの帰郷ツアーも終わりの時間だ。

 ミカエルのことでレバノンのアジトに連絡を入れたり、色々ごたついてたからこうやって最後に話せて良かった。

 

「こんな噂知ってる? とある超能力者が年齢をチップ、掛け金にしてポーカーを開いてるって」

 

「さぁな、本土のオカルト事情はさっぱり。そんな怪しい勝負を挑むくらいなら富士山まで行って若返りの泉を探す」

 

「とぼけちゃって。それが10年前ならあんた何歳なの?」

 

「悪いな、地獄で30年過ごしたときからもう年齢は数えてない。というか、見送りにする話がこれでいいのか? お互い後悔しない?」

 

「じゃ、この辺りで折れとく。尋問しに来たわけじゃないし、診断しに来たわけでもないから」

 

 遠回しに話を切って、ロカは腕にしていたMWCの時計を外す。一呼吸、間を置いてから、

 

「モスクワではね、友人と別れるとき身に着けていたものを交換するの。心理アカデミーにいたときに何度かやった、友情の証に」

 

「……それは、素敵な風習だな。でも俺は手土産の腕時計をもう送っちまったし……あ、それならこれを」

 

 時計のコレクターのロカから差し出された腕時計に少し戸惑いながら、俺は首にかけていたネックレスに手をかける。

 ある意味、コルトに負けないくらい古く、俺の人生に絡んできた道具の一つ。

 

「受け取ってくれ、ちょっと可愛さにはかけるが魔除けとしては一級品」

 

「……ねぇこれ……何? 呪われてないわよね?」

 

「おまえ……折角いい雰囲気だったのに呪われてるとはなんだ。神聖なものなんだぞ、一応」

 

「お土産物売り場でショットグラスと一緒に売ってそう」

 

 どうしてこうも、俺の周りの女は尖ったヤツばかりなんだ。

 歯に衣着せない物言いに口元が歪む。折角作ったお別れのいい雰囲気を自分でぶち壊しやがった、最高だな。実家のような安心感がある。

 

「そいつは神の探知機。神様が近くにいると、そいつがEMFみたいに光って教えてくれる。昔、そいつを提げて本土のあちこちを走り回った」

 

「ふーん、非効率っぽい」

 

「沿岸警備隊のモットー、常に備えあり。何もしないよりはどんな策でもある方がいい。ありがとう、大事にするよ」

 

「部屋に飾っとく。浮かないようにするの大変だけどね」

 

 俺は、かぶりを振ってロカらしい言葉にどうにか笑みを誤魔化す。去り際のサプライズにしちゃ出来すぎてるな。

 俺は右手を、ロカは左手を。お互いにさっきまで身につけていた装飾品を差し出し──

 

「なあ、ロカ。あのさ、別に恨んじゃいないんだけどガキの頃はいつも仲良くなった側から引っ越しが続いて、ああ、ちくしょう……駄目だな、こういうの」

 

 またルシファーやミカエルがいつ押し掛けてくるか分からない。言うときに言っとかないと。そう、言っとかないと。

 

「──ありがとう、ほんと。言葉もないよ。大切にする」

 

「私たちは政治家じゃない。一度銃口を向けあった相手とだって友情を持ったっていい。ドリームワークはチームワークから」

 

 着飾ったのか、それとも自然にか、どちらにしても硝子細工のような綺麗な微笑みを、俺は多分ずっと忘れない。

 

「また近いうちに──May we meet again. (再び会わん)

 

May we meet again. (再び会わん)──ウィンチェスター。これからも良き旅を」

 

 ああ、お互いに。また生きてたら会おう、凄腕の超能力者さん。どうか、君もお元気で。

 

 

 

 

 

 

 

 メヌエット・ホームズ──何度か神崎の話にも出てきた頭の良い妹。

 神崎はそのメヌエットを訪ねて英国に戻ったはずだが、神崎同様に帰国しているワトソンから未だに吉報が届かないところを見るに雲行きは怪しそうだな。

 

「あれ、今日はカジュアルデーですか」

 

「おかえり、我が弟子ぃー。あたしは野暮用だぞぉー、大事な大事な野暮用だよぉー」

 

 アルコールとニコチンが同居してるような部屋で、右手にグラスを左手にボトルを構えた綴先生が革椅子に足を組んだ姿で出迎えてくれた。

 今日はギャング映画のボスみたいないつもの厚いコートとは違い、随分とラフな格好だ。

 

 威圧感とは無縁の、良くも悪くもお出かけ向きの尋問科の講師らしからぬ服装がまず目を惹いたが野暮用の一言で全部片付いた。

 俺は左目だけの視界で先生まで歩き、左手に握られたボトルを指で弾いて鳴らす。

 

「先生、放課後に合コンに行くのは止めませんけど一杯やるには早すぎやしませんか? なんですかこの酒、ここまで香ってくる……そこいらの居酒屋でこんなの見かけませんよ?」

 

「レバノンのアラック、いいヤツだよ。お前が帰ってくるって聞いたから開けた」

 

「……んなもん、これから男ひっかけようってときに飲んじゃ駄目ですよ。アラックの上物……こんなのよく手に入りましたね。じゃあこれ、帰国して早々に作ってきましたチキンサンド、急な本土行きをキンジと許してくれた礼です」

 

「あんた白馬の王子? ちょうど口が淋しかったんだよねぇ」

 

「乗ってるのは白馬じゃなくインパラです。それに黒の」

 

 教務科、慣れ親しんだ先生の部屋の隅っこからパイプ椅子を借り、俺も久しぶりに訪ねた部屋で足を組む。この世の終わりみたいなこの匂い、懐かしい。

 グラスがテーブルをトンと鳴らす。手品のようにもう一つ、空のグラスが増えていた。

 

「まずは改めてお帰り。んで、その目やったの誰よ──まだ生きてんの?」

 

 喉に冷ややかなナイフが当てられるよう声にも肝が冷えるのは、理不尽なことにミカエルではなく俺だ。

 ヤツお抱えの軍隊どもに八つ当たりしたくなる。

 

「答えに困ります。檻の中にいるといえば檻の中にいるし、まだのさばってるといえば自由に外を歩いてる」

 

「相変わらずだねぇー。その右目はもう手遅れなワケ?」

 

「ドクター曰く。まあ、右目を代償に首を拾いましたから文句は言いません。もっとグロテスクな姿で野原に転がってるところでしたから」

 

「へぇー、また化物の藪を突いちゃったか。一杯やる?」

 

「一応学生の身分です、お気持ちだけ」

 

「残念」

 

 グラスが空のまま、先生のグラスに軽く当てて打ち鳴らす。

 

「外食以外で、人が作ってくれた料理を食べるなんて久しぶり」

 

「もっとそういう関係を広げたらどうですか。そうですね、拳銃が似合う女性が好きなバツイチとかどうです?」

 

「雪平、そうは言っても今時の男は強い女なんて嫌いなんだよ。あたしや乱豹みたいな女は流行りに逆風」

 

「そうですね。建築ブロックをおでこで割れると分かったらみんなビビってさよならです」

 

 いや、建築ブロックならお可愛いもんだな。

 先生と乱豹先生が酔って島を傾かせた逸話に比べたらコンクリートブロックなんてお可愛い。

 

「人間、死にかけると物の見方や価値観が変わるって言うのはよくある話。でもお前はそんな気配すらない、前のまんま。片目をやられたってのに逞しいこと」

 

「もう何回も死んでますから。物の見方が変わって変わって、もとに戻っちゃいました。それにこうも言いますよ、豹の模様は変わらない」

 

 時間の流れと共に逆らって変わらない部分と流されて変化する部分、両方を併せ持つのが人間って種なのかもしれない。

 なんか哲学っぽくて似合わないな。こういうのは夾竹桃に語らせるに限る。でもこの世紀末みたいな部屋の匂い、やっぱり妙な懐かしさに襲われちまうな。

 

「雪平ァ」

 

「はい、先生」

 

 半透明のグラスを傾け、自然と耳に流し込まれるような声に視線は否が応でも向く。

 

「どんなブラックボックスを開けたか知らないけど、お前の右目ってお前が思ってるより安くないからさぁー」

 

 溶けかけのアイスを揺らし、先生は磨がれた刃のような瞳でうっすらと笑う。

 

「決着はつけときなァ。お前自身の為にも」

 

「ええ、言われずともこう見えて根に持つタイプですから。NCISみたく、追い回してやります」

 

「確かにお前はしつこいよね。がらがら蛇みたいにしつこい、そこも気に入ってる」

 

「おもしろいたとえ。嫌いじゃないですよがらがら蛇、名前の響きはかっこいい」

 

 間違っても遭遇したいとは思わないけど。

 誰かさんの影響で毒について詳しくなりすぎたせいかな。ああ、きっとそうだ。

 

「ああ、先生。チキンサンドもいいですがお土産も買ってきたんです、鮫の縫いぐるみ」

 

「……一応聞くけどさぁー、なんで鮫なの? いや、あたしも好意はありがたいんだけどさぁ」

 

「なんでって、先生もご存知でしょ? ハワイの人たちは昔から鮫を崇めてきたんです。あっちの言葉で" アウマクア "。ご先祖様が鮫に生まれ変わって、子孫を守ってくれる。先生にもご利益があればと」

 

 鮫は、アメリカ50番目の州では神聖な生き物の筆頭。今でも保護団体とツアー会社が日々バチバチにやりあってる。

 

「ふーん……ご利益ねぇ。自白とあたしに吐かされるのどっちにする?」

 

「知り合いの保安官と看護師からチャリティーで大量に買わされました。おひとつどうですか?」

 

 

 

 

 帰国して早々、綴先生への挨拶を済ませると武藤や不知火、見知った顔とも何人かは学内ですれ違う。

 ミカエルに持っていかれた目についても当然触れられるんだが、一応ジーサードが管理する警備会社への渡航ということになっているので、話を作るのには苦労しなかった。

 

 さすがに最初は同情めいた視線が多少は刺さるが、ここは撃った撃たれたが日常の武偵高。すぐに元に戻る。

 海外行きから戻ったら片目が持ってかれた、一時は賑わいそうなニュースだが鮮度がある。噂好きの獣どもはまた新たな餌を探すだろうからな。

 

 懐かしの男子寮、僅かばかりしんみりとした気持ちに浸りながら鍵を差し込む。

 ジーサード・リーグの賑やかさ、自分で思っている以上に気に入ってたらしい。ここに来て淋しさがやってくるとはなぁ、ロカの去り際のサプライズも堪えたか。

 ミカエルやルシファーのことは抜きにして、悪くない帰国だったな。ああ、間違いなく。

 

「ただいまジャンヌ。キンジから良いニュースあった?」

 

「どうやら遠山は多忙らしい。音沙汰なし」

 

「ロウィーナが言ってた。男が自分の殻に閉じ籠るときは東洋なら宗教的な誓い、西洋なら女のせいだ。さてはまたトラブったな、女絡みで」

 

 どうやら俺やキンジの留守中も理子と一緒に上がり込んでいたらしいジャンヌは、何食わぬ顔でコーヒーを傍らに置き、自前のノートPCを弄っていた。

 これまた眼鏡がお似合いなこって。元がいいと何を添えても絵になる、アンフェアだよな。

 

 もう既に上がり込んでいるとメールをくれていたので驚きはない。久しぶりに見る制服姿も、相変わらず読者モデルみたいに似合ってる。

 

「お前の方は、イエローナイフには泊まったのか?」

 

「豪華なキャビンに泊まってマシュマロ焼いて、オーロラを眺める──やってみたかったけど、残念ながらカナダには行かなかった。でもマンハッタンの摩天楼が見れて大満足。サードのチームにも愉快な仲間がまた増えたよ」

 

「ほう、敵対した相手を仲間に引き込む、ジーサードのカリスマは顕在か」

 

「キンジが言うには3POみたいなヤツだって」

 

「3PO? あれは文句しか言わないアンドロイドだぞ?」

 

「スピーカーみたいに五月蝿いってことなんじゃないか。あいつの主観は的を射るときとそうでないときに差が激しい」

 

 マッシュがサードの部下になったって話も、無事にハリケーンから生き延びたキンジから電話越しに聞いた話だ。

 順調に出世を続けてた反面、トラブルとは無縁の出世街道は周囲から恨み、妬みも買ってたんだろう。そして今回の失態で、ここぞとばかりに食いものにされたわけだ。

 

 でもまあ、キャリアと引き換えに選ぶならジーサード・リーグって場所は決して悪くないと、個人的には思うけどね。LOOも一緒に付いてきたらしいし、また賑やかになるな。

 

「何調べてんだ? 情報科の任務か?」

 

「ああ、遠山からの連絡を待ってる間に関係者のSNSをチェックしていた」

 

 画面に目を落とすと、テントをバックにピースしている若い女性の写真が映ってる。

 他にも大型バイクに跨がってるものから、バランスボールに乗ってるのや猫と一緒にソファーでピースしてるものまで、随分と多趣味だな。

 

「なんで今時の若者はありふれた日常をこまごまとシェアしたがるんだ? プライバシーとか、ミステリーとかあるだろ」

 

「お陰で、私の仕事は捗る。関係者の中にたとえ一人や二人ネット嫌いがいたとしてもその周りの人間が発信する。ネット嫌いな彼らの日常をな。目には見えないところで網が張られてる」

 

「SNSはおっかないね、その言い方もかなりダーク」

 

「お前も狩りのときはこれくらい探るだろう?」

 

「情報集めは次男担当、俺は控え。夾竹桃はハンバーガー買ってこっちに来るってさ。さっきメールが来た。コーヒー、入れ直すよ。キンジが買ってきたインスタントだけど」

 

 キッチンで記念すべき神崎への初接待にも使われたインスタントコーヒーを入れ直す。

 まだ信頼関係も何もない相手にやたら細かなコーヒーを注文する神崎の図々しさも大概だが、それに市販のインスタントコーヒーで真っ向から向かい打つキンジの図太さも勲章ものだ。

 

「コナコーヒーはキンジが全部飲んじゃって切らしてる。コーヒーの飲み過ぎでいつも馬鹿をやるんだよ、あいつは」

 

「ちなみに今回は何をやったのだ?」

 

「F4のハリケーンと飛行空母を粉砕した。ジーサードと二人、人力でな」

 

「……これでまたSDAランクが上がることになりそうだな」

 

「いつか闇で懸賞金をかけられちまうかも。狙ったアサシンには同情するよ。あんなオカルト、理子に言わせりゃ常時ヤンマーニが流れてるようなもんだ」

 

「……? ヤンマーニとはなんだ?」

 

「彼女に聞けば教えてくれるよ、俺もあいつに教わったから。パスタ作りながら教えてくれる」

 

 そう言ってから、俺はジャンヌのパソコンが陣取っているテーブルに弾の抜いた銃を置く。

 単なる鉄の塊やポリマーとは異なった、異様な空気を纏ったソレにジャンヌのアイスブルーの瞳がめざとく液晶画面から離れる。

 

「……それが例のコルトか。なんでも殺せるコルトとダークネスは母親が子供を寝かしつける為にするお伽噺。この目で拝める日が来ようとはな」

 

 キーに伸びていた指をカップへと運び、ジャンヌはまだ湯気の昇るコーヒーに唇を付ける。

 

「苦労して修理したのに一発撃ち込んだら駄目になりやがった。ダゴンは良い仕事をしたよ、ホームセンターの材料とでっち上げの知識じゃどうにもならない。この様子だと、また苦労して修理しても弾切れが来る前に駄目になる」

 

 優雅にコーヒーと戯れる聖女様に溜め息をくれてやり、俺も自分のカップを取る。

 お伽噺になるような名実共に一級品の武器。そう簡単に修復できるわけないか。

 

「……」

 

「その何か言いたそうな顔はなんだ?」

 

「何事も無かったように振舞えるお前の姿に少し驚いてるだけだ。その目、治る傷ではないのだろう?」

 

 透き通るような碧眼を曇らせ、ジャンヌがカップを下げる。

 数秒。あらゆるシナリオを考えて答えを悩んだが、隠し事は親密さの敵。

 

「アラステアといたときは毎日体を細切れにされてた。誉められた方法じゃないが過去のもっと酷かった時のことを持ち出して、今はまだマシって自分に言い聞かせてる。知り合いの霊能者は両目を持ってかれた、彼女と比べると自分はラッキーって暗示みたいに言い聞かせてるよ」

 

 褒められたメンタルケアじゃないし、お勧めもしない。

 消せない後ろめたさを隠すようにゆっくりかぶりを振る。

 

「なんでもないと、内側の傷を隠してまたお前は歩くんだな」

 

「沈んだ顔で歩くよりは見てくれだけでも平気な顔をしといた方がマシだと思って。ヨガでもやろうかな、心が落ち着くって聞いたし」

 

 半分好奇心で呟くと、打ち合わせていたようなタイミングで呼び鈴が鳴り、ファーストフードの紙袋を抱えて鈴木先生が上がり込んできた。

 ああそういや、お前も持ってたよな。インパラのスペアキーとここの鍵。星枷は物理的に扉を開けて入ってきてたし、神崎は早々にコピーしてたし、我が家のセキリティーはもう失墜どころじゃない。

 

「よぉ、夾竹桃。生きて会えて嬉しいよ」

 

「ネガティブな挨拶をありがとう。大まかな経緯は遠山かなめから聞いたわ。誇張を抜きにしてシルバースターをあげたいところ」

 

「それは光栄。今回はある程度装備が潤ってたからな。イカれた刻印とコルトもあったし、隙を見てバッテリーを抜いてやろうと思ったが──ご覧のとおり、人の目でバーベキューしていきやがった」

 

「相変わらずで安心したけど、身内の欠損をネタにできる嗜好を私は持ってないの。そこで打ち止めにしておきなさいな、これあげる」

 

 コーラで口を塞げって? まだコーヒー飲みかけなのに……

 

「はい、喜んで。黙ります。なんか今日は精神科医みたいだな、尋問か診断どっち?」

 

「理解したいだけ。それとさっきの言葉、私もまた会えて嬉しいわ。貴方が死ぬとは思ってなかったけど」

 

 たまにこういうこと言うんだよな、この女。悪の組織の暗殺者だったとは思えないことをいきなり言ってくるから心臓に悪い。

 しかし、それならお仲間のジャンヌ先生は?

 

「なんだ、なぜ私を見るんだお前は……いや、私も会えて嬉しいのが本音だ。お前がおとなしく土の中で眠っているとは思わないが、それで訃報を喜べるのとは別の問題だ」

 

「──────」

 

「……行儀が悪いぞ、わざとらしくストローで音を立てるな。私も同感だ、生きて会えて嬉しい。当たり前だろう?」

 

 すごい、面と向かって言われると嬉しすぎてどうにかなりそう。

 

「お前の死体を見て喜べる嗜好を私は持ち合わせていない。倫理観の問題だ。桃子、私も貰うぞ。代金はキリにつけろ」

 

 ジャンヌの恐ろしい一言にストローから慌てて口を離す。待て待て待て……!

 

「おい、さっきシルバースターを受け取った人間にハンバーガーを奢らせるのか!? 無慈悲過ぎるだろ、心がないのかお前は!」

 

「そもそもお前は軍人じゃないだろう。これを機に食事のマナーも見直すといい、友人としてのアドバイスだ」

 

「授業料って言いたいんだろうが払わねえぞ。ったく、生きて返れて良かったよお二方。ミカエルとルシファーは虚無か地獄の檻、絶対にどちらかにぶちこんでやる」

 

 ハンバーガー、どこで食べても同じ味。

 キンジの言うとおりだな。どこで食べてもハンバーガーはうまいのだ。大切な人たちと一緒になら、それはもう、最高に──

 

「それで、貴方はイギリスにはついて行かなかったの? お友達二人は入国してるのに、付かず離れずの貴方が帰国してくるのはちょっと意外だった」

 

「大丈夫、言い忘れたけど俺よりあっちに詳しいのを援軍に送ってある。デススターのど真ん中に飛び込むようなものだ、とかなんとかごねたが押し切った。今頃ワトソンと合流してんだろ。こそこそやるのが得意だから仲良くやってるよ。連中の十八番、こそこそ。水面下で這いずり回る」

 

「待ちなさい、もしかして援軍って……」

 

「最強の援軍だ。なんたって()()()()だからな。これ以上はない、最強だよ。なぁ、イングランドの国獣がユニコーンって知ってたか?」

 

 苦笑いした夾竹桃の新鮮な表情を尻目に、俺はコーラを流し込む。

 こそこそするのが得意だから怪獣の足元でもうまくやるよ。

 

「メール? 理子から……」

 

 ワトソンくんちゃんと仲良しかは知らないが。

 

「音戯 アルトのネットライブ? いや、誰だよそれ、知らないって……」

 

 

 

 

 

 

 

 寝苦しい。息が詰まる。そんな夜も時にはある。最悪な寝覚めが運悪く訪れた日。

 そんな、軽々しい気持ちで眼を開いたつもりだった。

 

「遅いお目覚めだこと。言いたいことはあるだろうけど、とりあえずファーストブレードを抜きなさい。二度寝できる場所じゃなさそうよ」

 

「ヒルダ……?」

 

 眩い金髪と、それを台無しにする白黒の森林と空が視界に映り込む。色を失ったような白黒テレビの中に迷い混んだような光景。

 殺風景な森林地帯と、BGM代わりに絶え間なく響いてくる悲鳴とも叫びとも思えない奇声。息を吸い込む度に心臓が押し潰されそうな圧迫感が全身に走る。睡魔は既に消えていた。

 

 知ってる。もう数年も前のことなのにーーここにいた頃の記憶は鮮明に、今でも昨日のことのように思い出せる。空も、右も左も、広がっているのは色のない白黒の景色。

 人の気配など皆無、あるのは怪物特有の咽せ返りそうな重たい気配。人間の重ねてきた文明社会から完全に逸脱した、こんな場所は一つしかない。神が食欲旺盛なペットを隔離するために作った牢獄、地獄と天国の狭間にある場所──ここは、

 

「『煉獄』か……マジかよ……」

 

 死んだ怪物の行き着く墓場。森や廃墟で遭難した程度で迷い込める場所じゃないが、この景色、この肌に張り付いてくる空気は間違いなく……俺がかつて道連れにされたあの──煉国。

 キャスとディーンと迷い込んだ、あの純粋な世界。立ち上がった俺の足が踏みしめているのは、気が遠くなる時間走り回ったあの荒れ果てた地面。

 

 俺はさっきのさっきまで、眠りに入るまでは日本の男子寮にいた。それがどうして……嫌な現実を受け入れるのは苦手じゃないがそれにしても……いや、ここが煉獄なら考えることは1つだけだ、余計なことを考えてたら餌になる……愚痴を吐くことも原因を考えることもできなくなる。

 

「逃げるぞ、ヒルダ! 一ヶ所に留まったら虫みたいにすぐ集まってくるッ!」

 

「ま、待ちなさい……!」

 

 なぜヒルダがいるのか、その顔は誰かに殺されてここに来たという顔じゃない。俺と同じ、理由も分からずに気が付いたらここにいた、そんなときに見せる顔。

 だが、それを問い詰めるのも、俺たちがなぜこんな場所にいるかって話も全部二の次だ。あのときだって訳が分からないままこの場所に引きずり込まれた。

 

「二度と見たくなかったぜ……!」

 

 黒煙が頭上を通り過ぎたとき、俺は右手で懐から元始の剣を、左手でヒルダの腕を掴み取った。

 ここは連中の巣、1体が姿を見せれば次から次にわいて出る。荒れ果てた地面を走りながら、ヒルダの荒い声が届く。

 

「雪平っ、あれは……」

 

「地上では絶滅したがここにはわんさかいる。逃げるぞ、あいつは雑食も雑食だ。いくらお前でも魔臓ごと飲み込まれる……!」

 

 共食いだって平気でやる。目に見えるものは何でも平らげるんだ。悪魔も、天使も、怪物も、人間も、命のあるものは等しく。

 

 あれは、かつて神によって作られ、神の作るものを片っ端から喰らい尽くし、神によって隔離された太古の化物──

 

「──リヴァイアサンだッ!」

 

 

 

 

 

 



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再度の訪問

 

 

 

 

 

「リヴァイアサンって、ま、待ちなさい……!」

 

「神は天使や人間を作るよりもずっと先に怪物を作ったんだよ! ところが連中の食欲は神の創造物を食い尽くすほどに凄まじくっ、神は連中を監禁するために煉獄を作り上げた! ここは墓地じゃない、連中の為の檻なんだよ!」

 

 いつかは敵、今は同盟を組んでいる味方としてのヒルダを連れて、かつて這いずり回った世界を駆ける。また吸血鬼とこの世界を走るとはな。うまい言葉が見つからないぜ……!

 

「頭が良く、極めて賢い怪物があちこちに住んでる。それがこの場所だ。なんでまた来ちまったんだろ、心当たりあるか?」

 

「あるわけないでしょ。まあ、答えは分かりきってる。原因があるとすれば私じゃないわ。十中八九、原因はお前でしょうね」

 

「ああ、かもな。でも俺にも分からん」

 

 鬱蒼とした森林地帯、遮蔽物になりそうな木を背にして、とりあえず身を隠す。ヒルダも死んでないし、俺だってここに繋がるような扉は通ってない。だったら何でこんな場所に……

 

「朝起きたら、日本から怪物の墓場。いくらなんでも急展開すぎるだろ。前に来てなかったらパニック状態だ」

 

「今はパニックじゃないわけ?」

 

「パニックだよ。そこの木に頭をぶつけてやりたい。でもそんなことでここからは出られない。ちゃんとした出口を探さないと……」

 

 たしか、青い光が吹き出してる場所。そこが地上と繋がってて、前はそこから抜け出した。暴れる心臓を押さえつけ、過去最高の警戒心で四方に網を張る。餌を欲しがる連中が四方にいる──休めるに休めない。

 ここに巣食うのは神が匙を投げた化物だ。そこいらの獣人、怪物とはワケが違う。賢く、そして情け容赦なく獲物を丸飲みにする、それがたとえ悪魔や天使みたいな連中だろうと。

 

「信じられないけど、本当に前にも来たことがあるみたいね、ここは怪物の墓場。お前は人間でしょう?」

 

「ああ、人間だよ。前にリヴァイアの親玉を倒したら、視界が墨汁をぶちまけたみたいに真っ黒になって、気が付いたらここに迷い込んでた。今回はなんでだろ、日頃の行いが悪かったせいかな」

 

「いつもトラブルを招くわね、お前って」

 

「いつもって呼べるくらい一緒にいたか?」

 

「そういうのはジャンヌや夾竹桃とやりなさい」

 

「お前もレギュラー入りだ。おめでとう」

 

「……これは悪夢ね。いつかはお前から話くらいはと思っていたけど、まさか足を運ぶことになるなんて」

 

 珍しく、その自信家な顔にも焦りが差してる。いや、むしろ警戒の表れか。魔臓って絶大なアドバンテージがほとんど働かない相手、それがリヴァイアサン。

 ここの生体ピラミッドの頂点にありながら、最も個体数が多いであろう矛盾した化物。それにもしかするとここを統治してるのは……

 

「雪平っ!」

 

 刹那、ヒルダの叫びにワンテンポ遅れて、スタンガンのような音が響く。音を立てて、膝を折ったのは見た目だけは30代前後と思える男。しかし、首が地面についた途端、その人間だった顔が黒い皮膚に牙と口だけとなった異形の姿に変貌する。何回見ても生理的に受け付けないよ──その顔はな。

 

「ウィンチェスターか。またバカをやったか?」

 

 声の方向を振り向くと、男が三人横並びに立っていた。残念なことに吸血鬼やウェンディゴじゃなさそうだ。

 電流を走らせ、迎撃したヒルダが不機嫌に新手を睨みつける。

 

「知らないようね、ウィンチェスターはいつだってバカをやるのよ」

 

「本当に夾竹桃みたいなこと言うなよ。つか、見ない顔だな。前に脅したことあったか?」

 

 懐に潜らせた手から元始の剣を抜きつつ、首を揺らしてやる。さっきの一匹はヒルダの電流でダウン。周囲で気配を感じるのはこの三匹のみ。

 

「また吸血鬼と一緒か、よっぽど好きなんだな」

 

「まあ、成り行きで。退けよ、今なら追わない」

 

「人間は餌だ。吸血鬼も、ジンも、シフターもレイスも。忘れたか?」

 

 当たり前に、それが常識だとばかりに言う。

 実際、連中の中ではそれが常識なんだ。人間が空気を取り込んで生きるように、奴等にとって自分以外の存在はすべて餌。腹に収めるものでしかない。

 どこまで行っても頭にあるのは食欲、飢饉の騎士もこれには呆れるな。本当に、心底うんざりする。

 

「いいや、忘れてないよ。人間はたった億単位しかいない。餌を分配をするのが嫌で吸血鬼との同盟も破棄したもんな、アルファの方がまだ話ができた。いや、本当に今思うとあいつはかなり話ができる方だったよ。お前らみたいに食べること以外にも頭が回った」

 

「ここは俺たちの巣だ。みんなお前には恨みがある」

 

「ああ、そりゃそうだ。地上ではメグと一緒に片っ端から首を跳ねて、こっちでも手当たり次第に噛みついてやったんだからな。ホームゲームなのにボロ負けだったよな?」

 

 駄目だ、痛々しい。自分で自分が痛々しいって分かるのに歯止めが効かない。無理だ、痛々しいって分かってるのに笑みが抑えられない。

 普通、ここで笑うか。いや、これがメグなら笑ったな。きっとルビーでも笑った。

 

「そっちも大切なことを忘れてる。こっちもお前らのボスには恨みがあるんだ、私怨ならたっぷりある。紙の山ができるくらいにな」

 

 目を見開いて踏み込んだ刹那、三人の顔が同時にリヴァイアサン本来の姿を取る。連中の弱点はホウ酸、悪魔が聖水で火傷をするように奴等は洗剤で火傷する。残念ながら俺の手持ちには洗剤はないが、今はもっと確実に致命傷を与えられる武器がある。

 相手はリヴァイアだ、仲間の頭に鉛弾をぶちこんでくれたあのリヴァイアサンだ。無理だな、勝手に手が動いてる。この手は止まらない。

 

「ここは煉獄で、お前たちは人間じゃない。9条もここにはない。地獄でも虚無でもいい……大好きな食事のできない場所に行っちまえ」

 

 痛々しくてもいい。紛れもない殺意を込めた一撃は真ん中の一体の腹を抉った。リヴァイアサンは殺せない──それがルール。だがそのルールを無視する武器が、本当に都合よく俺の手に収まってる。

 

「……あ?」

 

 刹那、剣を刺したその体は黒い液体を撒き散らすようにして四散した。黒く染まったオイルのごとき中身が髪に張り付いていく。

 

「アバドンを殺せる武器だ。お前らを一蹴できないわけねえだろ」

 

 右には頭を、左の個体は肩を。部位なんて関係ない。殺意を持って一発与えれば、リヴァイアサンの体は黒い液体となって弾け飛ぶ。

 俺が振るってるのはそういう武器だ。なんでも殺せるコルトの刀版、不死身とされた地獄の騎士だって葬ることのできる──元始の剣。

 

「なんって言ってたっけ。そう、たしか──ちょろい怪物」

 

 いつか知り合いが連中に送った言葉を、そっくりそのまま真似てやる。地面には計三体分の黒い粘液がべっとり、ペンキをぶちまけたように足元を汚している。連中にとってはこれが血液みたいなもんだが、何度見てもグロテスクなことこの上ない。

 

「──Fii Bucuros……血に呪われた武器というだけはあるわね。余韻に浸ってるところ、水を差すけれど動いたほうがいいんじゃないかしら? 連中は虫のように群がってくるのでしょう?」

 

「ああ、そうだな。たったこれだけでも、騒ぎになりかねない。前に来たときは地上に繋がる出口があった。まだ門が閉まってないことを祈る」

 

 電流でスタンしている残りの一匹に刃を振り下ろして、灰色の空を仰ぐ。陽光の注ぐ太陽も、明かりをくれる月もここにはない。

 昼も夜もなく、雨も曇りも晴天はない。永遠と灰色の空が続いている世界、それが煉獄。またこんなところで数年間サバイバルなんて気がおかしくなる。

 

「行こう、ヒルダ。ここが煉獄なら()()()に会えるかも。こっちで好きに暴れ回ってる」

 

「ベニー? 前にお前が言ってた吸血鬼のお友達のこと?」

 

「正直、ここに迷い込むなんてのはとんでもないトラブルだが、ベニーに会えるんなら礼を言いたい。家族の分まで」

 

 この場所に立って、まず最初に浮かんだのは親友と呼ぶべき吸血鬼だった。いや、彼は間違いなく恩人だった。アダムと同じ、ずっと心の内で引っかかってる過去の1つ。

 

「まずは死なないことを第一に考えなさい。死んだら喋ることもできなくなる」

 

「そうだな、それは言えてる。ベニーは寡黙で頭も良い、お前もきっと気に入るよ」

 

「そう、楽しみだわ」

 

 四方にあるのは木々と草が繁るだけの、綺麗に言えばまだ人の文明が介入していない時代の、地球の元風景とも言える光景かもしれない。が、ここには花も咲いていなければ虫もいない。少し歩いていけば、空き缶やタバコの吸殻感覚で転がっている怪物の死体がここがどういう場所かは教えてくれる。

 

 過去に走り回った記憶を探るが、この世界も言うに及ばず広大だ。州、県、国ではなく、俺たちが迷い混んだのは煉獄と呼ばれる1つの世界。こんなことなら、地図を作っとくんだったな。

 

「人工物は欠片もないのね。人がいないのだから当たり前だけど、ここは花の一つも咲いていないの?」

 

「お前から花の話題とは意外だ。前にもここに来たことがあるが花なんて見たこともない。あるのはこれだけ」

 

 草を踏みつけて歩きながら、転がっている怪物の死体を目で差す。あっちはシフター、こっちはピシュタコ、ちょっと歩けばアラクネと思わしき亡骸まである。バラエティーには困らない。

 

「ブラド、お前のお父様はここに興味津々だったが来てみてどうだ?」

 

「そうね、お前が語った話は本当かもね。ここにあるのは生きるか死ぬか。ある意味、純粋な世界よ。楽しいとは思えないけど」

 

 趣味じゃない、遠回しにそう言いたげな目がこっちに向けられる。そりゃそうだろう。俺から見てもヒルダは地上の、正確には人間の文化や娯楽に馴染みすぎてる。良くも悪くも闘争以外は何もない純粋な世界は、現代に馴染すぎた彼女には退屈でしかない。

 

「長生きするように気をつけるんだな。ここがつまらない場所って分かったのは収穫か?」

 

「そうね、唯一の収穫よ。私の喉を満たしてくれそうな血もここにはなさそうだし」

 

「ここにいるのは化物だけだしな。こんなこと言うとは思わなかったが吸血衝動に耐えるのは……かなりキツイ。お前は上手くやってるよ」

 

 スナック感覚で電池を食ってるところを見たときは流石に開いた口が塞がらなかったけど。人の首に噛みついて、血を抜き取っちまうよりはずっと平和的だ。

 

「まるで自分も吸血鬼だったような言い草ね?」

 

「ここにいると罪の意識に苛まれたり、余計なことを話したくなる。俺も日本に来るまでには色々あったんだよ」

 

「昔、お父様から聞いたことがあるわ。転化したばかりで人の血をまだ吸ってない状態なら、吸血鬼を人間に戻せる方法がある、と」

 

「地獄だ。ガソリンを一気飲みした気分って言えば伝わるかな。二度とやりたくない」

 

 体の中に溜め込んだものを全部吐き出して、吸血鬼から人間に戻すってイメージ。あの解毒剤と呼ぶべき薬の不味さは酷いもんだ。良薬は口に苦し、それにしても限度がある。

 

「なんだ?」

 

「いいえ、一瞬でもお前が同族になっていたと思うと、不思議な気持ちになっただけ」

 

 滅多に見れないヒルダの怪訝な顔に、つい聞き返していた。

 

「安心しろ、今はモノホンの人間だ。家族が物知りでラッキーだったよ」

 

「お前もこっち側なら、もう少し仲良くやれていたかもね?」

 

「分からないぞ、もっと酷かったかもな」

 

 あのときはディーンは転化する前にリサに一目会いたいと、死ぬ前に愛する人に会うことを望んだ。残念ながら、ジョーを失って手一杯のあの頃の俺には、そんなリサみたいな相手はいなかったが、仮に今の俺ならどうするんだろう。死ぬ前に与えられた微かな時間、どこで何をするのか。

 

 ウィンチェスターの家族と過ごす。スーフォールズでクレアや保安官たちと話をする。バスカビールのメンバーと食卓を囲む。エレンとジョーの墓に足を運ぶ。かなめに将棋のリベンジ、ロカとショッピング、ジャンヌとテレビ番組のイラストコーナに投稿する絵を描く。駄目だな、やることが多すぎる。

 

「死ぬまでに微かな猶予があるなら、人は最後は好きな相手に会いたくなるもんなのかな」

 

「知らないわ。私は人間じゃないもの」

 

 ヒールの音と一緒に、素っ気なく答えが返ってくる。

 

「そうだな、俺は人間でお前は吸血鬼。天使がいない以外はあのときと一緒だ。なあ、200ガロンのAB型の血液をココに頼んだって、あれ本当か?」

 

「正確には東欧系の少女の血液パックを200ガロンよ。あの子もお喋りね」

 

 話題を逸らしたことには触れず、ヒルダは露出した自分の手に目を落とす。200ガロンの使い道は末恐ろしいので聞かないことにする。

 

「あの守銭奴相手にそんな値が張りそうな取引をよく通したな? 吹っ掛けられただろ?」

 

「イ・ウーの会計士は優秀なの。あの子にはいつも可哀想な買い物になるけどね」

 

 不意に隣を歩くヒルダの足が止まった。

 

「その死体、さっきも見たわ。同じ場所を回ってる」

 

「いや、別の死体だ。俺は方向感覚が良い」

 

「……さあ、どうかしら。協力者の一人や二人用意できないの? お前のガイドはイマイチ信用できないわ」

 

「失礼な女だな。この悪趣味なテーマパークを抜け出すために俺も頭を捻ってるんだ。確かに友好的なまま別れた怪物も何人かいたが──」

 

 草木を掻き分ける音がして、俺たちは足を止める。まだ数メートル先の太い大木と大木の間、そこに男が立っていた。ここでは珍しくもない、口元を血で汚しているだけの吸血鬼だ。

 だが、その厳格な顔つきと屈強な体には覚えがある。ミイラ取りがミイラになった正確には吸血鬼になった吸血鬼ハンター。

 

「……」

 

「ご、ゴードン……?」

 

 間違いでなければ、それはカスティエルやクレアどころか、ルビーやリリスよりも先に出会ったかなり古い知り合いの男だ。険しい顔が、ほんの一瞬だけ口角が釣り上がったように見えた。どうやら別人じゃなさそうだ……

 

「ゴードン……十年振りくらいか。にしちゃ顔色がいい。こっちの生活はどうだ?」

 

「……」

 

 不気味な笑顔。こいつは相当恨んでるな。

 

「あれはお友達じゃなさそうね」

 

「色々あったんだ。もう昔のことだが元はハンターで──また説明する!」

 

 銃の不法所持で刑務所送りにしたあと、最終的に兄が首を落とした──なんてことを説明してやれる暇はなく、口を開いて吸血鬼特有の牙を剥き出しにしながら突っ込んで来る。

 まだ距離はあるが、その呻き声に近い声に引き寄せられるようにして眼前の木々の間から他の吸血鬼たちが群がってきた。今度は両手の指でも足りない……!

 

「昔と違って、今は吸血鬼と仲良しかッ……! 逃げるぞ!」

 

 ヒルダの電流には回数制限がある、連中を纏めてダウンとお願いしたいところだが乱用はできない。逃げれる相手には逃げるのが懸命、俺は踵を返して再び生い茂る森のなかをヒルダと一緒に怪物から逃げる。

 

「雪平、お前は何を警戒してるのっ……! さっさと吐きなさい!」

 

「ここのボスだ! 普通に考えるならここを仕切ってるのはリヴァイアじゃない! 万物の──ちっ、どうにかして撒かないと!」

 

 何の草、植物かも分からない自然ののさばる道をヒルダと駆けるが……

 

「お前、なんでヒールなんだよっ! そんなんで速く走れるわけないだろ!」

 

「私は逃走も速く走る必要もないのよッ!」

 

「今は必要なんだよ! 沿岸警備隊の教え、どんなときも備えありだ!」

 

「これだからヒールの価値が分からない男は……っ!」

 

 ブーツやヒールを敬遠しているジャンヌとは違い、この吸血鬼の履き物は明らかにジャングルを駆け回るには適していないヒール。その背中にある翼も飛ぶというよりは風を掴んで滑空するための物。無理だ、この速度差は追い付かれる。あっちも腐っても吸血鬼、ある程度の身体能力は約束されてる。

 

「ちくしょうめ、あのモンスターが他のお仲間を呼ぶ前に片付けるしか──」

 

「そこのハンター! こっち!」

 

 反転し、計画を変更しようしたとき、第三者の声が響き渡った。ゴードンに負けず劣らずの深い場所に置かれた記憶が引き出される。あそこにいるのは……おい、マジかよ。あれは──

 

「レノーラか……!? ヒルダ、あっちの彼女は仲間だ! なんとか走れッ!」

 

 全力疾走のヒルダという稀有な光景を楽しむ余裕はなく、追ってくる吸血鬼たちの目をXDで狙って足止めを狙いながら、俺はレノーラのいる方向に進路を変える。ゴードンにレノーラ、懐かしい再会が続くもんだな……!

 

「雪平! あの子は誰なのよっ……!」 

 

「お前の親戚だ! レノーラ、ヒルダ、5秒後に閃光弾をぶちこむ! いくぞ、5.4.3……!」

 

 なけなしの武偵弾をぶちこみ、閃光が灰色の世界を包み込む。日光じゃなければヒルダに害もない、今のうちに逃げ延びる。

 

「レノーラ! 積もる話はあるが──」

 

「撒くわよ、ついて来て!」

 

「恩に着るよ! あのとき並みに!」

 

 

 

 







数時間だけヒルダと同族系主人公。
年内には緋緋神まで終わると思います。決戦前のところまでは行ける見込み。


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母親



ヒルダ、ジャンヌ辺りは両作品で動かし安いキャラクターでありがたい限りです。


 

 

 今まで、数は少ないが友好的な関係を築いた魔物は存在する。彼女はその中でも特に記憶に残ってる一人だ。人間の血は吸わない、その意地にも似た理念を最後の最後まで貫いた吸血鬼。皮肉にもあのゴードンとも縁がある。

 世の中、何が起きるか分からないと言うが、まさか一日に二人揃っての再会とはな。

 

「煉獄には前にも来てるが、こんな有料物件があるとは知らなかった。ヒルダ、説明するのが遅れたが彼女はレノーラ。古い知り合いだ」

 

「アメリカの吸血鬼?」

 

「昔はね」

 

 思わぬ協力者の背中を追って吸血鬼の群れから逃げた先、鬱蒼とした林の中には廃墟が佇んでいた。幽霊屋敷のような白木の建物には植物のツタが絡まり、中に入った印象は錆び付いたホテルと一言で表せる。ジャングルで野宿が半ば約束されているこの世界では信じられない場所だ。数日間借りするだけならこの上ない。

 自然だけが続いた世界で、突然現れた建築物には俺もヒルダでさえ目を丸くしている。長テーブルと長椅子が安置された広間でレノーラは腕を組んで椅子に座る。

 

「ここにも頭の働く怪物が少しはいるの。資材には困る世界だけど、昔は地獄から悪魔が運んで来ることがあった」

 

「地獄って?」

 

「ここは地獄の裏口とも呼ばれてる。地上と地獄の間に位置する場所だから、誰にもバレず地獄を行き来きするのに使われるんだ」

 

「密入国のルートってわけ。だから、怪物の縄張りを通るのに賄賂を蒔いてたのよ。その悪魔もだいぶ前に死んだって話だけどね」

 

 懐かしい話だ。悪魔にしてはひょうきんな野郎で妙に頭に残ってる。

 

「ここも私の仲間が使ってたけど、みんな他に移り住んだり、出て行ったりで──最後に一緒にいたマディソンって狼の子もちょっと前に出て行ったわ」

 

「ちょっと待て。もしかしてそのマディソンって……長い黒髪の、背の高い子じゃなかったか?」

 

「そうだけど……知り合い?」

 

 怪訝な顔の彼女に俺は軽く頷く。そうか、そうだよな……あの子はこっちに……

 

「昔、ちょっとな。そうか」

 

「聞かないでおく、訳ありみたいだから。そっちの吸血鬼との関係と一緒で」

 

「面白味もない関係よ。この悪趣味なテーマパークを出るまでは協力するというだけ。ここの空気は喉が渇いて仕方ないわ」

 

 テーブルに躊躇いなく座ったヒルダは欠伸を噛み殺すような仕草をする。お前に眠られると本気で困るんだが本当に眠いというよりは癖、緊張感からの仕草に見える。ここに来て、まだ大して時間は経ってないがふざけたことの連続だ。ストレスが溜まるのも無理はない。俺もお粗末な木の椅子に腰を下ろす。

 

「どうしてまたこっちに? とっくの昔に脱出したって聞いてるけど?」

 

「分からん。気が付いたらいたとしか。理由もないのに戻ったりしない」

 

「ここには彼女の見張りがたくさんいる。とっくに貴方は懸賞金をかけられてお尋ね者よ」

 

 彼女──薄々と感じていたこの世界のボスについて、俺は半ば確信しながら口にする。

 

「……イヴか。女王様はいつも仕事が早い」

 

「彼女はまるで『ロード・オブザリング』の冥王サウロンよ、手にいれたのは魔力じゃなくて出世だけどね」

 

 万物の母──イヴ。全ての怪物の祖とされるいけすかない女だ。ディック……リヴァイアサンのボスに人望がないのは分かってたがイヴに地位まで奪われたか。ディックにはざまあみやがれだがイヴはイヴで気に入らない女だ。出世を祝う気分にはなれない。

 

「イヴがここを仕切っているの?」

 

 テーブルに座りながら、ヒルダが話に割り込んでくる。レノーラはつまらなさそうに半眼で、

 

「彼女の信者はたくさんいる。ここには怪物しかいない、そして彼女はすべての怪物の母親。反抗期のまま育った例外を除いたら、ここではみんなマザコンよ」

 

 しばらく会わない間に、ずいぶん毒舌家になったが思えば彼女はイヴに私怨がある。イヴの『人を襲え』のテレパシーから来る命令に背き、自決を選んだほどだ。毒を吐きたくなるのも当然。人には危害を与えない、そう誓って仲間と過ごしていた暮らしを、あの女に台無しにされちまったんだからな。

 

「イヴが仕切ってるなら、確かにこの世界は監視カメラだらけだ。面倒なことになったな」

 

「怨みもあるでしょうね。お前たちが仕留めたんでしょ?」

 

「西武時代までタイムスリップしてヤツを殺せる武器を探しに行ったよ。最後はあいつが自分から自爆したようなもんだが」

 

 キンジに欧州の戦い、悟空のことを丸投げした罰かな。いや、それは関係ないか。あのキャプテン・ゴードンみたいに因縁のある連中がここにはわんさかいる。

 

「イヴだけじゃない。ここは俺たちがぶちこんだ囚人のいる刑務所、鬱憤を晴らしたいって連中は四方八方にいる。最悪だ。思い出したくもないが前回はここを出るまでに数年かかった」

 

 俺は、大きく頭を左右に振った。肩をぐるりと回して、肩の凝りと一緒に、自分に都合のいい妄想と一緒に振り払おうとも思った。イヴ、もしくは彼女の配下との遭遇を避けて、この世界からは抜け出せないだろう。異世界で天使の軍隊を相手にするのと五十歩百歩だ。

 

「今回は新記録を叩き出すことね。いいえ、叩き出しなさい。こんな場所、数日いるだけで頭がおかしくなる。おかしくなるわけにはいかない」

 

 同感だ、この悪趣味なテーマパークで長居はしたくない。ヒルダと俺は決して仲がよろしいとは言えないが目的は合致してる。

 身の毛もよだつような悲鳴の混声合唱が永遠と響いてくるような世界、控えめに言っても数時間過ごせば満足。それ以上は地獄だ。ヒルダに同意の視線をやる。

 

「ああ、帰ろう。ホームシックだ」

 

 ただ、その前に──聞くことがある。

 

「レノーラ、ベニーって名前の吸血鬼を知ってるか? フランス系、ガタイが良い」

 

「一度はここを出たのに、また戻って来た吸血鬼のことなら知ってる。でも随分と前に……」

 

「────」

 

 何より聞きたいことをぶつけた途端、苦々しい顔でレノーラの視線が俺から逸れる。分かりやすい、あまりに分かりやすい反応だった。

 その先に続くであろう言葉には察しがつく。

 

「いいんだ、ありがとう」

 

「貴方とここを出たって噂は聞いてる。お気の毒に」

 

「恩人だった、間違いなく。もしかしたら、ここのボスになってるかもって期待──希望的観測を持ってたが都合良くは行かないよな。ああ、いいんだ……」

 

 息を止め、動きを止め、目をつぶる。吸血鬼でありながら、キンジに負けず劣らずのお人好しだった。

 自分は人間を襲わずに逆に襲おうとしてる吸血鬼を返り討ち、そんなハンターみたいなことを繰り返した挙げ句にここに戻ったら、周りが敵だらけになってるのは当たり前だ。もし会えたらと思ったが──残念だ。

 

「本当に残念だ」

 

 別れなんてのはやはり慣れない。それが長い時間を共にした相手なら尚更だ。が、わざとらしくヒールが鳴らされて、重たい空気は台無しにされる。

 

「レノーラ、と言ったわね。ここには地上と繋がる出口があるのでしょう。出口の場所を知ってるなら、案内を頼めるかしら?」

 

 ヒルダの声で現実に引き戻される。嘆くならここを出てたからにしろ──そう言われているみたいだ。

 

「俺のガイドは信用ならないらしい。君がよければ、このまま一緒に地上にも行ける。やり方は習った」

 

 頭に冷水をぶちまけるつもりで考えていたことを一度白紙にしてから、レノーラを見る。彼女は特に表情を変えずに、

 

「一緒に地上に戻らないか、そのお誘い?」

 

「ああ、俺とヒルダは戻る」

 

 通常、怪物だけで煉獄は抜け出せないが誰かに相乗りする形で抜け出すことはできる。ベニーはそうやってこの世界から抜け出した。だが──彼女はゆるく首を横に振る。

 

「やめとく。あっちに居場所はないから」

 

 やや驚いたように、ヒルダが目を開く。

 

「こんな掃き溜めに永住するつもり?」

 

「貴方はあっちに馴染んでるみたいね、でも私は馴染めなかった。最後は穴蔵に閉じ籠ってるだけの最低な暮らし。イヴは気に入らないけど、ここでは信者から祭り上げられてるだけの女でしかない」

 

 皮肉めいた笑みで、彼女の目線が上を向く。

 

「この生存競争以外に何もないシンプルな世界が私の居場所、もう地上に戻って飢えと戦うのはごめんなの」

 

 自分の居場所はここ──奇しくもそれはベニーが最後に出した結論と一緒だった。俺は人間、彼女が拒むならヒルダはまだしも、俺からは何も言えない。地上に出たところで明るい未来が約束されているとは、言えないからな。

 

「出口のことなら知ってる。ここから遠くない場所にブロッサム──『リヴァイアサンの花』が密集してる場所がある。そこに地上と繋がる出口があるって話よ」

 

「待て、花なんて見たことも……しかも、リヴァイアサン?」

 

 一転して、不穏と言うには余りある単語に椅子を揺らしそうになった。

 

「連中の死体に生えてくる。鞘は褐色で中央は血のように赤い。リヴァイアサンは基本的には死なないけど例外が、身内の縄張り争いとかね?」

 

「死体に花が咲くのか、恐ろしい話だな」

 

「連中の死体は数ヶ月かけて腐っていく。そこに花が咲くの。目立つからすぐに分かるわ」

 

 墓に花を手向ける必要もないわけか。数年越しに発覚した新事実。あんまり嬉しくない。

 いや、待て……リヴァイアサンの花。それはミカエルが口にしていたあの……

 

「ここにしか咲かない花、連中は花じゃなくてブロッサムって呼んでる。地上に持ち帰ったら、新種って言い張れるかもね?」

 

「いいや、辞めとくよ。その手の話は最終的に痛いしっぺ返しを貰うのがお約束だ。気のせいかもしれないがヤバイ代物って感じがするしな」

 

 今はここを抜けることを第一に考えよう。単なる目印以外の価値を見いだすことはない。

 おどけるレノーラは、ここまでの会話でガイドを引き受けるとは口にしていない。出口がある場所のヒントはくれるが直接同行するのは断る、そういうことか。イヴとのゴタゴタは避けたいって顔に出てる。

 

「分かった。長居しても状況は変わらない。頭がおかしくならない間に、帰宅する。予期してない再会だったけど、会えて良かったよ」

 

「気を付けて。逃げ延びてくれることを祈るわ、その方があの女への嫌がらせになるから」

 

「嫌がらせの為に助けてくれたのか。なるほどなぁ、すごく現実的な理由で安心した」

 

 それでも助けられたことには礼を言うよ。本当に手短に、簡単な別れの言葉を送ったあとに、俺とヒルダは改めて鬱蒼とした木々に囲まれた世界に戻った。

 

 

 

 

 

 以前は川や湖、平原くらいは見かけたがここにはそんなもの見当たらない。レノーラから口頭とは言え、大体の道は教わった。彼女を信じて進む以外には、他の名案はヒルダからも浮かんで来なかった。仮にレノーラの話が嘘なら、またこの世界を走り回って出口を探すというだけのこと。当初の作戦に戻るだけのことだ。

 

「吸血鬼の力の根源は血だろ。そこらに転がってる死体から血を吸って、パワーアップとかできないのか?」

 

「お前は道端に這えている草を、非常時でもないのに食べようと思うのかしら」

 

「今は非常時かも。余裕があるなら何よりだよ」

 

 鬱蒼とした林を抜け、少しだけ開けた場所に出る。レノーラの言った通り、右には川が流れていて、初めて水のあるエリアに出た。

 野宿する上では、極めて重要なポイントだが俺たちはここに居座るつもりはない。左手に元始の剣で武装したまま、既に結構な距離を歩いて重たくなりそうな足を動かす。未だに例の花は見当たらない、あるのは死体だけ。

 

「私もワトソンとヨーロッパに行くべきだったわね。高貴な私、荒れ地の散歩は嫌いよ」

 

「また飛行機にタダ乗りか。便利だよな、どこにでも行きたい放題だ」

 

 香港では理子の影に引っ付いて、ヒルダは飛行機にタダ乗りする荒業をやってのけた。その気になればヨーロッパにも同行できたはずだ。今は一緒に怪物のテーマパークを歩いてるけどな。

 イギリスは俺も行ったことがないがここよりはマシなことだけは確実。ここはプレデターが出没するジャングルといい勝負だ。

 

「例の花、見つからないわね。砂漠で水を探している気分だわ。砂漠は苦手よ、肌が荒れるし」

 

「肌対策に200ガロンの血液を注文するくらいだもんな」

 

「常日頃の積み重ねが、差が生むのよ」

 

「真面目なこと言ってるけど、やってることは病的な健康オタクだよ。真っ赤なバスタブなんて今時ホラー映画でもやらない」

 

 不条理な魔の眷属の割に、たまに正論を言うのがヒルダ。日頃の積み重ねが大事、それは言えてる。

 

「真面目な話、マザーの力は大天使やアマラに比べたら可愛いもんだ。強いのは強いんだろうがアバドンやリリスみたいな地獄の有名人に勝てるかどうかのレベル、本当に苦笑いしたくなるような化物じゃない。むしろ厄介なのは自分でオリジナルの怪物を作ったり、予想のできないことをやってくる不気味さと姑息な手を考えるずる賢さ」

 

「お前にそっくりね」

 

「ウケたよ、真剣に分析してやったのに」

 

 荒れ果てた、そんな表現がぴったりの野道を歩いて──どれだけ経ったか分からない。携帯電話は空気を読んだように電池切れ、ヒルダとの和気藹々には程遠い会話も既にネタ切れ。殺伐とした荒れた地面を踏んでいく足音と、怪物の悲鳴だけが聞こえる世紀末のような有り様だった。

 遠くない、と軽く言ってくれたレノーラを恨みそうになったとき──視界の景色はようやく荒れ果てた荒野に形を変えた。少しではなく、今度こそ周りが完全に開けた広い場所。荒れた野原には不気味な赤と褐色の見たことのない花がところどころに咲いている。

 

 桜があんなに綺麗なのは下に死体が埋まってるからって、以前にテレビでどこかのタレントが言ってたような気がする。そのときは妙に頭に残ったが、今の俺はその節には迷わずかぶりを振ってしまう。

 

「死体の上に咲く花が必ずしも美しいとは限らない。1つ学んだな」

 

 四方に花が咲いている、それはつまり四方にリヴァイアサンの死体があるということ。そう考えるだけで嫌悪感が逆撫でされるみたいだ。

 とは言っても、出口と思われる青白い光も眼前の荒れ果てた地面の下から吹き出している。あれだな、前にここを出たときにもあれによく似た光が吹き出してた。ようやく出口とご対面したが素直に通れもしないらしい。つまらない顔でヒルダが空を仰ぐ。

 

「雪平」

 

「見えてるよ。春、キンジの目の前に、神崎が空から降ってきたんだ」

 

「聞いてるわ」

 

「もうすぐ春だ、だが俺の目の前にはリヴァイアサンが空から降ってきてる。なんだこの差は?」

 

 怨みを乗せた視線を、出口を遮るようにわらわらと空からスライムのような液体状の姿で落ちてきた怪物に向ける。地面に広がったドス黒いスライムは、すぐに成人男性の姿に代わり、そして本来の牙の生えた顔のない姿に戻っていく。目測で10はいる、ろくに売れもしないパニック映画の1シーンみたいだ。

 

「後ろからも来てるわよ、団体で」

 

「ああ、確認した。ピシュタコ、レイス、ヴェターラ、たぶんスキンウォーカーに人食い鬼、吸血鬼、マスカ、ジン、あれは……ルーガルーか。なんでもアリだな。みんな揃って草野球でもやろうってか?」

 

 お返事なし。前と後ろから、包囲するようにジリジリと距離を詰められる。酷い絵面だ、まるで怪物のオールスター戦。

 新年の初めからなんでこんなことに……俺も何かの理由をつけてイギリスに行くんだった。帰国するんじゃなくてキンジについて行けばよかったぜ。

 

「ヒルダ、どいつもこいつも一撃も貰わなければなんとかなる。一撃貰うとまずい連中が何体かいるが」

 

「遠慮はいらないから、一蹴しなさいな。この世界に法律はないし、ここの住人は既に死んでるようなもので人間でもない。心配せずとも完全に9条の外よ」

 

 理屈っぽいがそうする。どいつもこいつも凄惨な死体を作り上げそうな連中ばっかだしな。俺はリヴァイアサンを、後方の怪物にはヒルダが背中を合わせるような形で向かい合う。

 吸血鬼とタッグ、それも煉獄で。嫌でもベニーのことを思い出しそうになる。この場に一緒にいてくれたらどれだけ心強いか……どれだけ、嬉しかったか。

 

「なあ、先に言っとくが俺は理子とお前の因縁についてはもう何も言わない。理子が自分で片を付けるって言ったからな。俺は踏み込まない。それでもお前があの子にやってたことを思うと、ルシファーと同じ場所で、理子と同じように檻で過ごしてた身としては……やっぱりお前のことがまだ気に入らない」

 

「それ、ここでする話なの? 私もお前のことは嫌いよ。お父様を討たれたし、一応は祖であるアルファの吸血鬼もお前たちに倒されてる。私個人の私怨もあるにはあるのだし?」

 

「最後まで言わせろ。お前とは確かに……まだ複雑な関係だが、俺は吸血鬼の友人を前は置き去りにした。力になってやれなかった。こっちは数えられないくらい助けられたけどな。だから、今回はお前と一緒に家に帰る。何がなんでもな。頼むから──今度は一緒に帰ってくれ、それだけ」

 

 リヴァイアの数は14。一体一体の力はメグには遠く及ばない。不意を突かれなければ片付けられる。

 

「……回りくどいわね。構わないわ、お前の命を救って夾竹桃に恩を売ってあげる」

 

「抜け目ないことで」

 

 俺は右手で抜いた天使の剣を背後のヒルダに手渡す。

 

「マザコンども。今日の俺は不愉快だ、ものすごくだ」

 

 殺傷圏内──四方を一度に囲まれないように位置関係を頭に起きつつ、まずは一匹目の腹部を一突き。崩れる肢体を無視して、側面の二体を凪ぐようにして、一気に刈り取る。

 刃で傷さえ作れば一撃必殺──それだけ元始の剣という武器は攻撃性能に限れば他の追随を許さない。どこに触れても御陀仏。あとは、刻印の恩恵を受けた体で連中の牙を避ければいい。

 

 背後からは、スタンガンに近いヒルダの放電の恐ろしい音がする。あれは想像以上の広範囲に被害を及ぼせる技だ。リヴァイアに魔術が通用するのは、過去の一件で明らかになってる。

 それはさっきの怪物オールスターにも同様に。電流の燃料切れにさえ目をつむれば、何度見ても恐ろしい能力だ。これで第一形態なんだからな、恐れ入る。

 

『ッシィィアアアアアア!』

 

 見た目はおぞましいが、神崎やカナに比べてしまえばリヴァイアサンの動きは単調、散漫もいいところ。

 一匹、また一匹と、コルトに匹敵する一撃で瀕死に追いやれば両手の指では足りなかった数もすぐに減っていく。あるときはヒルダの電流に巻き込まれる形で倒れ、スタンしたところを俺が仕留める。

 

「来なさい、飼い犬──今宵お前たちに餌はない」

 

 迫る牙を掻い潜り、一太刀。突き、刺し、抉り、視界に真っ黒な液体が乱れ狂う。

 背後から何度も繰り返し聞こえるスパーク音と肉が焦げる異様な匂い。ここは煉獄、生と死だけに支配された純粋な世界。

 

 地面には黒い粘液がそこかしこに広がり、気付いたときには前後を挟んでいた群れは姿を消していた。

 そして、本気で力を引き出した刻印から──腕が焼けるように熱を持つ。殺意やそれに近い敵意を持ったとき、ここぞとばかりに腕が熱くなる。

 まるで餌を見つけたように……どんどん酷くなる、剣を振るう度に底の見えない暗闇に落ちるこの感覚──

 

「雪平、手遅れよ」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけ放浪した意識が引き戻される。鋭い声は明らかに緊張感を持っていた。その理由はすぐに分かった。

 

「みたいだな、手送れだ」

 

 女だ、見知った銀髪の、ここにはいないはずの制服姿のジャンヌが、アイスブルーの瞳をこっちに向けている。丁度、出口に続く光の前で立ちふさがるように立っていた。

 いや、違う。あれがジャンヌの形をしているだけの怪物なのはヒルダも見抜いてる。その鋭い緊張感の意味は、あれが放っている異様な気配。

 

 人間に化ける怪物は大勢いる。シフター、レイス、人に擬態する怪物は珍しくもない。リヴァイアサンもそうだ。だが、ジャンヌの形をしているあれは──当たりだよ、ヒルダ。人間の俺にもはっきりと分かる。あれはさっきのモンスター軍団とは一線を画してる。あれは──

 

「──嫌がらせか、また俺の知り合いに化けやがって」

 

「良い別れではなかった。嫌がらせの一つくらいはしたくなるものだ。私の子供を虐めてくれたのだからな」

 

 声までジャンヌそっくりだ。うんざりする。会いたくもなかった。何年も前のことなのに、一度しか会ってないのに一瞬で理解できた。

 

「噛み付いて自滅したのはそっち。先に仕掛けてきたのはそっちだろ、女王様?」

 

 怨みを込めて、冷たく笑ってやる。彼女も冷たく、唇を歪めた。

 

「ごろつきのハンターに何度も入ったり出たりされると迷惑なのでな?」

 

 彼女は万物の母──イヴ。

 この世のあらゆる怪物の祖とされる、母親(マザー)だ。

 

 

 



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煉獄からの脱出

 

 

 煉獄は天国と地獄の境にある世界。

 天使が取り仕切る天国と、悪魔がたむろする地獄との間に挟まった世界。死んだ怪物どもが最後に流される墓場のことをそう呼ぶ。

 

 カトリックの教えでは高尚な場所として伝えられてるがこの世界の役割と存在意義は、至ってシンプル。

 

 ここは煉獄。地上で首を落とされたモンスターたちが見境なく放り込まれる墓場。

 神が造り見放した、飢えた怪物(リヴァイアサン)を閉じ込めておくための、灰色の牢獄。

 

「ヒルダ、紹介するよ。彼女はマザー、またの名前を万物の母──イヴ」

 

 星枷曰く、言葉には『力』が宿るらしい。

 だとすれば、その名前にはとびきり邪悪で醜悪な力が込められているんだろう。

 

 地上へと抜けられる出口の一歩手前。青白く光が吹き出している穴を立ち塞ぐように現れたのは万物の母イヴ。

 いまから一万年以上前に現れ、すべての怪物を産み落としたされる、連中の()()。元凶だ。

 

 頭から足先までジャンヌの姿を借りちゃいるがヤツは何にだって化けられる、ご丁寧に服まで武偵高の制服ときた。

 

「怖い目だ。力を抜け、熱い珈琲を御馳走してやった仲だろう?」

 

 悪趣味な擬態に過去の分の怨嗟も込めて不愉快な目をくれてやると、彼女は芝居ががった口調で口角を歪める。

 高級なグロスでも塗ったような艶やかな唇が笑みを描く。

 

「俺の記憶にあるのはグロテスクなペットちゃんに囲まれた物騒なテーブルで、腐った泥水みたいな珈琲を目の前に置かれたってことだが?」

 

「いい思い出になっただろう? いい店、いい雰囲気、そして忘れられない、いい一日になった」

 

「最悪の思い出になったよ。変なナメクジやら出来損ないのスパイダーマンを作りやがって」

 

 着飾った言い回しもどこかジャンヌの面影を感じさせる。

 

 種の最初の個体である『アルファ』よりもさらに古い、すべての獣を産み落とした母親。

 中身を知ってしまったからにはその精緻な擬態にも感嘆や驚き以上に不愉快さが先を行く。精緻であればあるほど不愉快さも倍だ。

 

 数年を置いての望まない再会は予想を進んで重苦しい空気を練り上げるが、

 

「ごきげんよう、マザー」

 

 ひりついた空気を踏みにじるようにヒルダが割って入った。

 尊大が独り歩きしているような竜悴公姫が大仰な仕草で胸に手を添えて、腰を折る。

 

「万物の母、アルファを産み落とした最初に至る存在。神に作られし、もっとも古き獣。出逢えて光栄よ」

 

「礼儀があるのは貴方だけみたいね、串刺し公の箱入り娘。何があってウィンチェスターと手を組んだの?」

 

「仲良くなった覚えはないわ。拾ったの、骨を投げたら屋敷までついてきた」

 

 一方、マザーはジャンヌを模していた口調をほどくと、不敵な微笑みでヒルダを見た。

 慇懃無礼な態度でルビー色の瞳を細めるヒルダを相手にして、浮かべた笑みは崩さない。人間は老若男女餌としか見ていない一方、身内には至って甘いのがマザーという怪物。

 

 自分の子供を贔屓目で、特別扱いしてるって意味ではヤツも立派に母親ということだ。傍迷惑なことにマナーの悪い子供ばかり産み落としてくれてるが。

 

「人を野良犬みたいに呼ぶな、幽霊病ならもうとっくに治った。女王さま、俺たちはあんたの箱庭から出て行かせて欲しいだけだ。好き好んで来たわけじゃねえからな。後ろの出口を開けてくれるなら何もしないが、リヴァイアの餌にしようってなら昔みたいにこのまま暴れてやる」

 

 いや、今回は刻印がある。ここなら殺人衝動を抑えといてやる必要もない、放し飼いだ。前回以上に暴れ回ってやる。

 

 骨の剣を強く握り、残った片目の視界だけで箱庭のボスを睨み、捕らえる。

 マザーのこの饒舌さが援軍が整うまでの時間稼ぎだとしたらこれ以上懐かしさに浸ってやる必要もない。排気ガスも混ざってない味気ない空気を吸うのにもいい加減飽きてきたところだしな。

 

「邪険にされたものね、貴方は私の子供を大勢殺してくれたハンター……ここまで寄り添って話してあげてるのはかなりの善処よ?」

 

「手早く賞金までかけてよく言うよ。身内を殺してくれたのはお互い様だ。お前は……子供を、子供を殺してくれた……?」

 

 ジャンヌの顔でそんなこと言うな。俺の大切な人の顔でそんなこと言うな。

 ふざけるな、何が善処だ。何が、何が──

 

「お前の悪趣味な実験のせいでルーファスは、俺の家族は死んだんだぞッ──! グウェンもサミュエルの爺さんも全部……っ、全部っ、お前が殺したんだよマザーああああ!!」

 

 溜め込んだ怒りをそのまま吐き出すのを堪えられなかった。

 穏やかな最後を望める仕事じゃない、んなことどんなハンターでも分かってる。でも理屈じゃない、ここで澄ました顔で──できるわけない、流せるわけないんだよ。

 

 ルーファスは家族だ、あの安息王子は一緒に最終戦争を戦い抜いた戦友だ。グウェンも粗っぽいけどいい子だった。

 爺さんもあんな再会じゃなけりゃ、仲はまったく良くなかったけど、恨みがない訳じゃなかったけどそれでも家族だ。母さんの、兄に名前をくれた父親だ。

 

 やれ大義のために散っただの、やれ誇り高い最期だの理由をつけても、死は死だ。何をどう身繕ってもそこは変わらない。

 

「よく聞け。これは映画でも、ヘボ作家がビール片手に書き連ねてる本の中のことでもない、現実なんだ。お前が放ったミミズのせいで三人が死んだ、仲良く話せるかと思うか?」

 

「本気で怒ってるのねぇ──気に入った。やっと澄まし顔を変えてくれたわね。このまま続けましょう、燃え上がってくれて悪いけどクールダウンしてもらうわ」

 

「クールダウン? 無理だな、消火剤ぶちまけて消せるもんと消せないものがある」

 

「でもまだ頭が動いてる、そうでしょう? 貴方は私が時間稼ぎの為に話していたと思ってる、子供たちがここに集まるまでの時間稼ぎの為に」

 

「……?」

 

 勿体ぶった言い回しにヒルダが無防備にも背後に首を回す。

 

「でもそれは間違い、ゴールが分かってるんだから待ち構えていないわけないでしょう?」

 

「……違う、下だヒルダっ!」

 

 怒りに振り切った頭でも見逃せず、叫ぶ。

 確かにクールダウンできた、頭から水をかけられた気分だ。

 背後じゃない、下だ。殺傷圏内のやや外側から黒い液体が円を描いて、いつの間にやら俺とヒルダを囲んでいる。

 

 体の液状化はヒルダの得意技、その黒色の正体にも気付くのも早かった。黒いリボンで飾った金髪ごと首を揺らす。

 

「……リヴァイアサン、でも今度は相当な数ね。察するに伏兵はこれがすべて、というわけでもないのでしょう?」

 

「ここには私の子供がたくさんいる。さてーー睨み合うのはここまで、仕切り直して話をしましょう。貴方たちを待っていたのは、争いより話すのが目的。実のところ聞きたいことがあるの、私の話は無視したくてもこの名前は見過ごせないはずーー」

 

 勿体ぶった口振りでマザーは顔の右半分を手で隠す。次の瞬間、まるで手品のようにジャンヌの碧眼、銀髪、端整な顔が変わった。

 

「異世界からやってきた──大天使ミカエル。もう会ったはずよ?」

 

 因縁のある、地上に飛び出たとき長髪茶髪の女の姿でマザーはそう口にした。異世界からやってきたミカエル、この忙しいときになんてタイミングだ。

 

 ミカエル──ここ最近は、流行のタレントかってレベルでその名前を耳にする。

 こことは違った次元で世界を荒れ地に変えた、大天使とは名ばかりのとんでもない厄災だ。

 

「ああ、会ってる。こっちのミカエルより随分と邪悪で、野心家だ。引き籠ってるわりに随分と情報が早いな、新聞ってここにも届くのか?」

 

「子供たちを通して色々見てた、クラウリーのときもそう。彼がいま何をしているか知ってる?」

 

「そうね、迷える信者を導いてるって可能性は?」

 

「ミカエルはそんなことしないよ、慈善活動なんて似合わない。あれは破壊と殺戮の権化だ」

 

「……嘘でも楽しい答えが欲しいときってあるものね」

 

 楽しくない顔でヒルダが吐き捨てる。

 バイヴス上がるのは暴れてるときだけ、そういう天使だ。力を与えきゃいけないヤツにとびっきりの力が備わっちまった、ミカエルを語るにはこれに尽きる。 

 

「アメリカのハンターは豪快だけど、少し繊細さに欠ける。ミカエルは水面下で、貴方たちの目を盗んでもう動いてる。貴方は本当に目を()()()()みたいだけど」

 

「お揃いにしてやろうか?」

 

「冗談よ、話を円滑に進めるための潤滑油。ミカエルは軍隊を作ろうとしてる。子供たちに接触してきたわ、たくさんの、色んな子たちに」

 

 楽しくもなければ、面白みもない。最低の答えだった。

 

「お抱えの天使の軍隊はこっちの世界にはないからな。かの大天使さまが怪物相手にスカウトマンとはね。その口ぶりだと、母上様は徴兵制度には反対って顔だな?」

 

「貴方が言ったのよ、あのミカエルは破壊と殺戮の権化。従わない子は殺される」

 

「だからまた牢屋から飛び出て決起集会をやろうってか? スポーツバーを貸切って」

 

「子供を守るのは母親の務めだもの。最後まで話を聞いて、ミカエルは軍隊を作ろうとしてる。強力な軍隊よ、その為の実験に私の子供たちが使われてる」

 

 ……実験? ミカエルが、怪物を相手に実験を? 

 

「どういうこと?」

 

「さあな、最後まで聞いてみるか。荒れ地の国の女王さまが何を見たのか」

 

 懐疑的にも思えるヒルダの問いに俺も首を捻る。

 実験、嫌な響きだ。ミカエルは大天使、力の底が見えない。なんだってできる、人の蘇生からタイムスリップ、命を刈り取るだけじゃなくヤツの力は俺たちの造像を遥かに超えて応用が利く。

 

「その実験ってのは?」

 

 身構える気持ちで首を揺らし、イヴに続きを促す。

 

「本来持ってる力を伸ばし、弱いところは消してる。ミカエルは私の子供たちを進化させた、既に何人かのハンターを返り討ちにしてる、今までやってきたやり方は通用しないわ。ウェンディゴは火を克服、ジンは新しく力を付けた」

 

「……そんな話、ハンターのネットワークには入ってないぞ」

 

「ローマ兵みたいだと思わない? あと数日で帝国が崩壊するのに気付いてない。今夜もロスは大盛り上がり」

 

「あそこはいつだって盛り上がってる」

 

 案の定、イヴの答えは楽しくない類だった。

 イヴは怪物を産み落とすがミカエルは『進化』と来たか。いい加減、誰でもいいからいいニュースを聞かせてほしい。

 

 欲望、金、女が渦巻いてるLAは今日も今日とて大盛り上がりだろうが、俺はとても盛り上がれなかった。

 イヴがここで虚言を匂わせる意味はない、今のは真実だ。ミカエルの実験で、これまでの弱点を克服した新たな個体が作られた。

 

「仮にも大天使、そのくらいはやれる。でも喜べることじゃないの、徴兵といってもヤツが玉座に座るまで。先は見えてる、ミカエルが地上を焼き払えばあの子たちは用済み。一人残らず刈り取られてしまう」

 

「……自分の兵を始末するの?」

 

「いや、イヴの考えは多分当たってる。ミカエルはそういうヤツだ、賢い考えじゃなくてもそれが正しいと思えば必ずやる。それが自分の使命だと思ってな」

 

「今は取り決めに満足してる。自然の法則、ある程度の数なら子供たちがハンターに殺されるのも仕方ないと思ってた。でもミカエルが玉座に座ったらある程度じゃ済まない。子供たちは一人残らず殺される、貴方たち人間と同じ。地上のありとあらゆる存在が殺されていく」

 

 仲良く絶滅、それは笑えないな。

 ヒルダとしても我関せずとはいかない話だ、ルビーの瞳が鋭利な刃に変わる。呆れたように一度は閉じられた瞳が開口と同時に開いた。

 

「つまらない話、民のいない国を統べて何が楽しいのかしら。理解できないわね」

 

「楽しい楽しくないじゃない、ミカエルにとっては正しいか正しくないか。ルシファー曰く、基準はそれだけだ」

 

「大天使の力は巨大。古いもの、最初の子たちでさえ手に負えない。それにミカエル、ファミリーの中でも特に強い力を与えられてる。普通の相手じゃ指を鳴らされてはいおしまい」

 

 イヴは指を鳴らし、それから軽く手で煙を払うような不吉な動作を見せる。物騒なジェスチャーことで。

 

「それで、長々と遠回しに語ってくれたがもういいだろう。そろそろ結論に行け。お前は何が言いたいんだ?」

 

 ここまでなら、新しく飛び出た脅威に対しての雑談でしかない。まだ先がある。

  

「取引をしましょう。ここから出たいなら出してあげる。その代わりーー地上に出たらミカエルを殺しなさい。ううん、殺さなくてもいい。ヤツが玉座に座るのを阻む、それがここを出るための代金」

 

 ──頭を痛める、そんな生易しいものじゃなかった。

 

「買い被られたもんだな。俺がミカエルにボロ雑巾にされたことは聞いてなかったか?」

 

「ええ、聞いてる。でもミカエルの計画を阻める可能性があるとすれば、もう貴方たちくらいしかいない。ここで貴方を腐らせるより、外に出してミカエルの計画を阻んでくれることを期待する方がいい。僅かな可能性だとしても打てる手がそもそも限られてる」

 

「望み薄でも仕掛けないよりはマシな理論か」

 

「待ちなさい。マザー、その話にはまだ続きがあるのではなくて? それでは取引にはならない」

 

 めざとくヒルダが指摘する。

 流石に抜け目ない。この取引があろうとなかろうと俺はミカエルをほっとけない、もう一度再戦しに行くのは分かりきってる。 ヤツの抹殺リストには当然人間が入ってるわけだからな。

 

 これは取引になってない、ヒルダの言うとおり要望や願望だ。これでは俺に対しての利益しかない、アンフェアだ。

 イヴが持ちかけるにしては、この取引はあまりに、綺麗すぎる──

 

 

 

「────♪」

 

 

 

 イヴは笑った。怪物とは思えない綺麗な微笑みでヒルダに、笑う。

 

「ミカエルの力は強大、対抗する何かを持たないと即死する。貴方の首を繋いだのはその呪いの刻印、神が作り上げた原初の呪い。でもその刻印は完全じゃない」

 

「……」

 

 俺の刻印は、ロウィーナの魔導書を掠め取ってでっち上げた代物だ。 

 不完全な刻印、ミカエルもそう言ってた。アマラも外側が立派なハリボテに過ぎないと。

 

 イヴの瞳が動く。地面に転がったリヴァイアサンの死体、そこに咲いた数多の花へ。

 

「大切なものが欠けてる、 呪文を繋ぐものーーリヴァイアサンの花の蜜。強力な魔導書を使ったみたいだけど、それだと呪文を強引に繋ぎ合わせてるに過ぎない」

 

 回りくどい、ここだ。最初からここに繋げたかったんだ、この女は。

 

「私がそのハリボテを仕上げてあげる、正真正銘の第一級の呪い。ルシファーを堕落させた、本物に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────────」

 

 夜の帳が空を覆ってる。灰色ではなく、今度こそ仰げば黒い空が見える。

 頭の片隅に放って埃を被っていた呪文をなんとか引っ張り出し、冷たい空気に晒した右肘にルビーのナイフを当てる。

 

「暴れんな、今やるから」

 

 肘の内側から明滅する赤い光は、強引にでも外に出ようと暴れまくり、皮膚を右に左にと大きく浮き上げる。もたついてると本当に食いちぎって出てきそうだ、急ごう。

 

 四方を木々に囲まれながら、ナイフで開いた傷口から土の上に血を腕の中に隠していたモノと一緒に外側へ落としていく。血と呼ぶにはあまりに明るい赤色が土を汚し、肘の内側に潜んでいた赤色を完全に絞り切ったとき──露骨な咳払いは後ろから響いた。

 

「ひどい場所だったわね、肌が乾燥して仕方ないわ。早くシャワーを浴びに行きましょう」

 

「礼くらい言えよ、相乗りさせてやったんだから。まあいい、前に出たときはメーン州だった。ここどこか分かるか?」

 

「喜びなさい、日本よ。魔力の濃さと大気中の瑠璃色粒子からみて間違いない」

 

「良かった、IDを聞かれたらおしまいだったからな。て、ひどいなファンデーションの代わりに泥塗ったのか?」

 

「この無礼者!」

 

「やめろ! 物騒なことするんじゃない!」

 

 ヒルダの指先から放たれるお手製スタンガンに逃げながら、木々の間を抜けていく。

 前に出たのは、メーン州の自然歩道。どうやら深い森の中が出口としてあの墓場と繋がってるらしい。 

 

「携帯は切れてるし、ちょっと歩いたら道路かどっかに出るだろ。そこから人を呼ぼう」

 

「無策で進むつもり?」

 

「無策でもねぇよ。前の経験を踏まえるに、このまま歩き回ってたら──」

 

 ほらな、キャンプか肝試しか知らないが人と会った。尻もちついて後退ってるけど。

 

「どうするの、あれが命綱だと言うのなら逃げたけど?」

 

「追いかけて携帯借りよう。もしかしたら道路や人気のあるところまで逃げてくれるかもしれないしな」

 

「……はぁ、また走るのね。お前一人で行きなさい、私はここまで待つわ」

 

「早くシャワーを浴びたいなら協力しろ。行くぞ箱入り娘、ダビルエスプレッソがお前を呼んでる」

 

「いつ、カフェインの声が聞こえるようになったの?」

 

「チョコレートの囁きが聞けるようになったとき」

 

 言い終えると同時に俺とヒルダは動く。夜中に吸血鬼と武偵と追いかけられる、そいつは控えめに言って──

 

「──羨ましくねえなぁ」

 

 

 

 

 






Ncis la完結です。淋しいですね。


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夾竹桃=□+2

 

 

 

 

「──列車が行き着く場所はなかった。しとしとと降る雨は密やかな罪を映し出す。震えぬ心、揺れぬ思い、もはや傷つく事もない」

 

 シャワーを終え、浴室を出たときに抑揚のない声は流れてきた。

 広い部屋を埋める無数の観葉植物は低木から背の高い鉢植えまで多種多様。白い蝶がちょっとした植物園のようになっている空間をゆらゆらと飛んでいる。

 

「銀色の月光と消えた日々は今、抗いを求めるのか。瞳に移らぬその光はかつては確かに届いていた。そして、光は満ちる────」

 

 悲哀に満ち、抑揚のない声で紡がれた語りはそこで止まった。アンティーク調のテーブルに向かい、ペン先を立てていた手もそこで止まる。

 

「誰の言葉?」

 

「さて、誰かしら」

 

 テーブルとお揃いの、アンティーク調の洒落た椅子に腰掛け、首を向けてきた夾竹桃だが答えはくれない。

 意地悪っぽく誤魔化した夾竹桃にそれ以上は聞かず、椅子代わりにだだっ広いベッドの一角を借りて腰を下ろす。

 

「シャワーありがとう。それで、キンジから連絡は?」

 

「なし。でももう一方から連絡が来た」

 

「もう一方……ワトソンくんちゃんか。どこに行っても生真面目だねえ、そこが好きだ。大きなニュースはあった?」

 

「ええ。いいニュースと悪いニュースがセットで来てる」

 

「近頃は悪いニュースばかりだからな、せめていいニュースから聞かせてもらっても?」

 

 いいニュースと悪いニュースはお天気と交通情報みたくいつだってセット、一緒に訪れる。

 

 エリア51の奇襲作戦を終えたのち、キンジは英国へ飛んだ。

 神崎とワトソンの故郷──英国イギリス、そこにいる神崎の妹『メヌエット』に会い、彼女から色金の情報を手に入れる為に。

 

「いいニュースはメネエットと無事に謁見が叶ったこと。要約すると、貴方のルームメイトは無事彼女の屋敷に転がり込んだ」

 

「怖いくらい上手くいってるな、一週間も経ってないのに」

 

「ファーストコンタクトは幸運。それで、悪いニュースの方だけどそっちが難題」

 

「難題?」

 

「政治の話。恋愛も絡んでる、貴方たちの苦手分野よ、力で解決できないこと。おまけに、今回のことはスケールが大きいって」

 

「政治の話って大嫌い。まだ大して中身も聞いてないのに頭が痛くなりそうだ。胸焼けまでしてる」

 

「……それは食生活が悪いからでしょう?」

 

 だが、政治の話ってことは大きいトラブルと見ておくぜ。恋愛、政治……厄介な匂いがこの上なく漂ってる。 

 ゆらゆらと部屋を飛び回る蝶を何気なしに目で追っていると、すぐ隣。ベッドの上にコーラの缶が投げ込まれた。

 

「なんだ?」

 

「ちょっとした用事ができたの、明後日のフライトで私もイギリスに行くわ。ついてきなさい、コーラあげるから」

 

「……は、はぁ!?」

 

 衝動的に掴んだコーラを落としそうになる。

 明後日にイギリスに行くから一緒に来い、代わりにコーラをひとつ奢ってやる、そういうことだろうか。無茶苦茶である。

 

 当然、俺は待ったをかけた。

 

「ちょっと待て、どうしていきなり英国に行きましょうなんだ? ワトソンとキンジが心配になったってなら分かるがいくらなんでも急過ぎやしないか……?」

 

 しかし、言い終えてから我に返る。

 衝動的に言いはしたがただの旅行ってわけじゃないはずだ。明後日にイギリスに行こうだなんてやっぱどこかおかしい。

 

 違和感を込めた視線で夾竹桃を見る、一緒に過ごした時間はまだ一年にも満たないが過ごした時間の『質』で言えば一年分どころじゃない。今夜の夾竹桃は何かおかしい。

 

 突然持ちかけられたこの英国行きの誘い──何かある。

 

「さては何かあるな。何かおかしい。このコーラまだ開けてない、先に英国行きの理由を言え。そしたら開ける」

 

 俺はプルタブに指をかけながら問い詰める。

 私服になっている、黒い長袖のセーラー服姿の夾竹桃は一度片眼を瞑り、

 

「一応聞くけど、答えるまで追求されるパターンかしら?」

 

「じゃあここでクイズです。この状況、お前が俺の立場なら……アンサー?」

 

「話すまで追求する」

 

「そういうこと。なんなら深夜アニメ見ながら話すか?」

 

 部屋相応の立派なテレビを視線で示す。

 片眼を瞑ったままの夾竹桃は小さくかぶりを振り、俺の隣に静かに腰を下ろした。

 

「……いいわ。オフレコでも?」

 

「もちろん、音声バリア張るよ。音声バリア」

 

「それ前にも聞いたけど、元ネタはなんなの?」

 

「知らないのか? "それいけスマート"、テレビの。見たことない? あれ傑作だぞ」

 

「それってたしか60年代の作品じゃなかったかしら……。じゃあ話すけど、まずはさっきの話を掘り起こすところから。実は遠山キンジから連絡は来たの、私宛にね」

 

 答え合わせの始まり。

 ああ、なんだキンジからも連絡はあったのか。でも隠すようなことでもなさそうが、

 

「いいよ、続けて」

 

「ええ、そうよ。私宛に連絡が……あの男、さすがは探偵科と言うべきなのかしら。いいえ、でもこれは……ああでも、話しておくべき……? いっそ今日ここで……ああでもやっぱり……」

 

「……一人で何やってんだよ。おーい夾竹桃? 夾ちゃん?」

 

 頭を抱え、突然葛藤し出した鈴木さんを俺はとりあえず落ち着くまで待った。

 ここまで来ると、何がイギリス行きを決めさせたのか俺も気になってきた。見る分には面白い夾竹桃のレアな姿はしばらく続き……

 

「実は遠山キンジから連絡は来たの、私宛にね」

 

「そこから始まるのか……。いいよ、どうぞ続けてくれ」

 

「私が遊んでいるネットゲームに『ムニュエ』ってフレンドがいるんだけど、その子に会ってくれないかってメッセージが届いたの。……遠山キンジから」

 

 珍しくどこか狼狽えているような声色で夾竹桃は俺の肩に両手を乗せてきた。……待て待て、落ち着け、整理するぞ。

 

「キンジから連絡は会った。けど、その内容はお前にそのムニュエってネトゲの知り合いに会って欲しいって連絡だった……どういうことだ?」

 

 言葉に起こすと──意味不明だ。

 どうしてイギリスで厄介事に巻き込まれてるであろうキンジが、このタイミングで夾竹桃にそんなことを頼むんだ?

 

「あの男が言うには……色々と濁したメッセージだったけど、私がムニュエに会うことは遠回しにだけど色金の真実に近づくことになる」

 

 つまり、この頼みごとはなぜだか分からんが色金に、恐らくあいつが現在進行形で巻き込まれている厄介事にも少なからず関わりがある、ということになる。

 

「なあ、キンジは神崎のところの屋敷に転がり込んでるんだろ? 考えすぎかな、そのムニュエってユーザーはイギリスにいる。察するにキンジの近くに。……お前その知り合いって……」

 

「ええ、同じ意見。世界は狭いわね、そう思わない?」

 

 なんてこった。夾竹桃と神崎の妹はネトゲを通しての知り合い。思わぬところでホームズ家との縁が繋がってたな……ネットはすごい。

 いや、出来すぎてるぐらいの偶然だ。こんなところで縁が繋がっていたなんて斜め上もいいところ。神崎も自分の戦姉妹が逮捕した犯罪者が妹とネトゲ友逹だったなんて夢にも思わない。

 

「話は分かった、形はどうあれお前の英国行きが色金絡みなら断る理由もない。ついてくよ。ただ気になることがある」

 

 と、俺はひとまずイギリス行きの" 了承 "を前置きした上で、残った疑問をぶつけることにした。

 

「これ、ようするにネットの友達と現実で会うってことだろ? ネットの中はネットの中、現実は現実って棲み分けをしたいヤツもいるけど、さっきの葛藤やなんか狼狽えてるように見えるんだよな。まだこのイギリス行きの話──大事なところが見えてない気がする」

 

「これ、取り調べなの?」

 

「俺の数少ない特技だ。今ので話の中身は半分覗けたな、あと半分も晒せ。一思いに」

 

「……いつになく楽しそうね。仲が悪い訳じゃないし、会いたくないわけでもないの。むしろその逆よ、仲良しでとても会いたい気持ちでいる。ただ言ってない事実があるというだけ」

 

「言ってない事実ってのは、ようするに嘘だってことか。それとも隠し事ってこと?」

 

「嘘だってことは隠してないわ。今言った」

 

「お馬鹿、そんな無茶な言い訳が通用するのはホームドラマの中と我が家の中だけだ」

 

 これで七割、いや八割は明らかになった。あと一押しってところだな。

 

 夾竹桃にストップをかけているのは過去メネエット……ネトゲの友達に対しての嘘から来る後ろめたさが原因。

 それが大きな嘘ゆえか、大小に関わらず嘘をついていたこと自体が後ろめたいのか。ホント、ある日突然俺の首を落としに来た女とは思えない綺麗な理由だ。

 

「分かった、大体のところは見えたし、どんな嘘や隠し事をしてたかは追求しない。だが、その子が大切な友達なら今回後腐れなく本当のことを明らかにするのも一つの手。とりあえず、お前が行くなら俺もついていく」

 

 綺麗な落とし処を見つけ、俺は広々としたベッドに背中を倒した。結局、夾竹桃が行くのならついていく。それで行こう。

 前は、レバノンの奥地まで迎えに来てくれたことだしな。今度は俺がイギリスまで付き添いしてやる。本当のことを言うと、生のビッグ・ベンも見たかったし。

 

「なあ、あれ見よう。NCISのハワイ、やっとリリースされたんだ。そこのでかいテレビで」

 

「年齢……」

 

「えっ?」

 

 隣からベッドが沈む音がして、首を捻る。表情の乏しい顔で魔宮の蠍は天井を仰いでいた。ポツリと口から出た言葉は確かに聞こえた、年齢……年齢……?

 

「あの、先生……?」

 

「少しだけ、ええ、年齢が事実と異なっているの。そう、少しだけ彼女に嘘の年齢を」

 

「言っちゃったのか?」

 

「言っちゃった」

 

 天井に向けられていた首が傾き、仰向けのまま丸い瞳と視線が合う。年齢を誤魔化した、言い方は悪いけど安心した。もっと大きいのが来ると思ったけど、すごく普通の嘘だ。

 

「よし、分かった。言い方は悪いけど、それなら行くべきだ。確かに嘘は嘘だけど蘭豹先生だって出会い系じゃサバよんでる。そんなので大切な友達と会える機会をダメにしちまうのは、勿体ないよ。明日明後日何があるか分からない、俺たちみたいなのは特にな」

 

「……そうね。天を落とすときが来た」

 

「いや、その意味は分からんが。何だよ天を落とすときって……何の決め台詞だそれは」

 

「雪平。一応、一応聞いておくけど、私は高校生ってことになってる。間違いない?」

 

「はあ? 高校生だろ、かなめと同じ一年生。何を今さら、16歳の高校一年生。今年で進級して17歳」

 

 何をいまさら、かなめに唯一拮抗できる頭一つ実力が飛び抜けてるここの一年生。そんなこと確認するまでないだろ。

 

「それがそもそもの間違い。理子やジャンヌ、あの子達は知ってるけど、私は高校一年生じゃないの」

 

「えっ、え……お前なに、一年生じゃなかったのか? ま、まあ、司法取引だったもんな。そっか、それは……驚いた。へえ、ずっとかなめと同い年かと」

 

 司法取引で間宮と同じクラス、同じ学年を希望した。交渉材料に使ったなら頷ける。これは俺にとってもなかなかのカミングアウトだが……待てよ、じゃあ本当のところ何歳なんだ?

 

 理子やジャンヌと一緒に組んでた、同期って聞いてるがそれはイ・ウーでの話だ。年齢ではなく同じ時期に入学したってだけの話。

 聞かなくていいような、いやでもここまで来ると……そうだ、そもそも俺の過去は例のつまらない本で暴かれてる。これくらい聞いてもアンフェアにはならない。

 

「あの、失礼だとは思うんだが……夾竹桃って本当は何歳なんだ?」

 

「……」

 

 清々しいくらい露骨に目が逸らされた。しかし、ここまで来てはもう退路も何もない。

 頭に銃口でも突き付けられてるんじゃないかって険しい顔で、やがて手袋をしていない方の指が二本立てられる。

 

「2個……2個上?」

 

「え、じゃあキンジや星枷よりも年上だったのか? 全然分からなかった。でも二個上ならそこまで悩むなよ、世の中もっとサバ読んでるヤツは──」

 

「──高天原ゆとりの」

 

 

 

 

 

 ………

 

 

 …………………

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

「……そっか。高天原先生の、2個上……高天原先生の2個……2個……かぁ……」

 

 

 

 ──高天原ゆとり。東京武偵高探偵科教諭、22歳独身。

 

 

 

 

 



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貴方の瞳はーー

 

 

「おい見ろよ夾竹桃、この機材の山を。ここの物だけでEMFが作れそうだ。そこのお前、俺と一緒に幽霊退治をやらないか?」

 

「……部品に話しかけてるの?」

 

「花には話しかけるだろ?」

 

「気難しい子にはね、蘭とか」

 

 英国──ロンドン・ベーカー街の一角に潜んでいた電子部品の機材販売店から外に出る。仰いだ空は快晴、今もなお上昇中と言わんばかりに青く澄みきっていた

 

 明後日にイギリスに行きましょう──と、唐突も唐突な夾竹桃に誘いに乗せられ、俺は英国イギリス、かの有名なロンドンの空気を無事吸うことになった。

 まるで入国を歓迎してくれているかのごとく澄んだ空の下、映画やドラマの中でしか見たことのなかったベーカー街の歩道を俺たちはキンジとの待ち合わせにしているカフェへ向けて歩く。

 

「蘭が気難しいなら、椿はきっと寂しがり屋だな」

 

「またどうして?」

 

「なんつーかあれだ、イメージ。椿って強気な態度で身繕ってるけど、本当は極度の寂しがり屋ってそんな感じがする」

 

 元UKの賢人ことケッチ曰く、ロンドンは伝統的なヨーロッパ風の建物と現代的なビルがバランス良く建ち並ぶ街。

 こうやって実際に立ってみると、確かに天秤がどちらに傾くことなく釣り合ってる。伝統と現代建築がバランス良く共存してるってケッチの話は嘘じゃなかったな。

 

 ネトゲの中では何度も話した仲とはいえ、現実では今日これから初めて顔を合わせるということもあり、夾竹桃も今日ばかりはいつもの黒セーラー服から離れて──黒いワンピースのドレスという、どちらにせよ人目を惹いてしまいそうな姿でロンドンの街を歩いている。

 

 武藤が言うには『黒』は女性の体を細く見せる魔法の色だそうだ。白い造花をいつものように髪に飾り、隣を行く夾竹桃をふと見やる。

 素人目でも手をかけて造られているのがハッキリと分かる上物の黒いドレスは……似合わないわけないか。分かりきってるな。

 

「なあ、お前本当に東大卒の──睨むなよ。蘭豹先生より上ってのがまだ信じられないんだ。だってそうだろ、世の多くの女性が若作りしようって頑張ってるのにお前と来たら……若返りの泉でも見つけたのかってレベル」

 

「一つアドバイスしてあげる、女性にその手の話題をしつこく持ち出す男は嫌われる。貴方が失礼なのは今に始まったことじゃないけど」

 

「悪かったよ、でも本当に失礼なヤツならもっと容赦ない言葉を浴びせる」

 

「それはたとえば?」

 

「たとえば────あんた、24でセーラー服は無理がねーか?」

 

 刹那、鳩尾ど真ん中へ裏拳が綺麗に入り、俺は歩道にもかかわらずその場で悶絶する。

 た、例えばって言ったろ……っ!

 

「もう一つアドバイス、好奇心は立派な資質だわ。猫だったらの話だけど」

 

「……ぼ、暴力反対……っ!」

 

「話題を変えましょう、愛しのbabyを一人にはしてないわね、誰に頼んだの?」

 

 悶絶する俺を残し、強引に話題を変えた夾竹桃は歩道の先を歩いていく。

 神崎のハイキックを浴びるキンジの気持ちが少し分かった気がする。言わなきゃ良かった……

 

「インパラなら留守中ちゃんと()()に頼んだ。お前も知ってるだろ、車輌科のモデルみたいに背の高い一年。たまにミニ四駆で遊ぶんだ、あとクラッシュギア」

 

「車でドッグファイトする玩具?」

 

「……まあ、間違ってないんだけど、たとえが武偵っぽいな」

 

 武藤貴希。お馴染み武藤の妹で、車輌科一年の優良株。ブレーキ音みたいな名前に反して、日本全土をアウトバーンにしちまう第一級のスピード狂だ。

 キンジもたまに仕事を頼むことがあるが、兄貴に似て腕はたしか。信頼できる。

 

 貴重な2ドアの67年インパラということで快く引き受けてくれたが、イギリス行きと聞くや案の定お土産をせがまれた。

 かなめにも何か身繕うつもりだったし、時間を見つけて車のキーホルダーでも探してみるか。排気量の高そうなデカイやつの。

 

「イギリスがどうして左側通行か知ってる?」

 

 すぐ隣を古いルノーが追い抜いて行ったときだ。ちらりと薄闇色の瞳がこちらを向いた。

 

「中世の習わしだろ。今も昔も右利きの人間が多い、馬で左を走りつつ、すれ違いざまに剣を抜いて──切り合った。その習わしが現代にもこうして続いてる」

 

「あら、驚きだわ。勉強したの?」

 

「前に『NCIS』でやってた」

 

「納得」

 

 さながら車は現代の馬、古くからの習わしが多少は形を変えてもこうやって現代にまで残ってるのは考え深い。因縁深い四人の騎士たちもみんながみんな洒落た車に乗ってたっけ。

 

 『戦争』が乗ってた赤いマスタングは騒動の代金に拝借したが、一週間も経たないうちに姿を消して行方知れずのままだ。

 クラウリー辺りが盗んだのか、独りでに姿を消してしまったのか。今頃、主人を失ったあの馬はどこで何をしているのやら。

 

「雪平。今さら言うのはおかしな話だけど、よく着いてきてくれたわね。賢人たちとの縄張り争いは現在進行形でしょう?」

 

「縄張り争いっていうか連中が一方的に押し寄せて来ただけだ。この際、連中のことは楽観的に考えることにした。いまはお前やワトソンもいるしな? 巣から這い出てきたときは一緒に暴れてやろう」

 

 目配せすると、彼女は不適に微笑む。

 

「穏やかな観光で終わることを祈るわ」

 

「だな、たまにはBreaktime(休憩)も必要だ。エレンが昔言ってた。楽観的になれないのは分かるけど、未来を信じることは大切だって」

 

「……いい『お母さん』ね」

 

「ああ。いい人だったよ、君に似て」

 

 うっすらとした笑みが自然に広がる。

 残された左目で仰いだ空は、蒼穹のごとく澄み渡ったどこまでも果てしない──蒼だった。

 

「英国をお前と散歩してる、これはお前のところの教授でも推理できなかったかもな」

 

「貴方は私のお目付け役で、もう私の一部みたいなものなの。私は遠山キンジの要請でイギリスに行って、貴方は買ったら付いてた」

 

「それじゃあチップスのオマケじゃねえか」

 

「オマケだって馬鹿にはできないわよ? 野球カード、質屋で20ドルついたんでしょ? 直筆サイン付き、若かりし貴方の映画代に消えた。例の本に書いてあったわ」

 

 ……なんでも書くんだな、あの本は。

 ここまで来ると呆れるぜ。

 

「……だからあの本は燃やせって言うんだ。なんでくだらねえことを一から十まで載せてやがる」

 

「4ドルを20ドルまで粘った忍耐力は誉めてあげる」

 

「誰のサインカードか分かってんのか? 現役の間、ずっと球団を支え続けた名遊撃手だぞ。もちろん殿堂入り」

 

「そうやって口説いたことも書いてあった。なんて言われたか覚えてる? 殿・堂・入・り・はしてない」

 

「殿堂がいつかすごさに気付くよ。明日か明後日か、もっと先か分からないけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キンジが待ち合わせに指名したのは、ベーカー街にあるガラス張りの今時のカフェだった。

 キンジがカフェで待ち合わせ……十中八九、神崎の妹を考えてのセレクトだろう。

 

 肩透かしを貰ったというべきか、デススターに乗り込んだわりにはまだ銃声も刃物とも出くわしていない。

 連中が抱えるのは養成所で教育された生粋の暗殺者だが、周囲に張り付いていれば俺か夾竹桃どちらかのセンサーにはかかる。二人で網を張れば穴はない。

 

「待ち人はまだ着いてないみたいね」

 

「十分そこらで来れるみたいだし、そう遅くはならねえだろ。まだ指定された時間まで三十分はあるしな」

 

 一歩、また一歩と進めているうちに、何の障害もなく俺たちは待ち合わせのカフェに無事辿り着いた。

 行き交う人の影がないわけじゃない。軽く夾竹桃に目配せし、辺りの気配を探ってみるが……案の定、変化はない。

 

「空振りね」

 

「空振りだな。通行人の中にもダサイ服着たそれっぽいのはいなかった」

 

「ストーム・トルーパーもストライキ?」

 

「ケッチみたいにあれが足りなくてそっぽ向かれたのかもな。人としてのまともさ」

 

 あそこは右も左も秘密と嘘だらけ。

 人の道を説く立場にないが真面目な話、あの組織は歪んでる。手のつけられたいレベルでUKの賢人という組織は終わってる、こればかりは誇張も何もない。

 

 が、これは朗報だ。俺初の英国訪問はもしかするとこのまま穏やかに銃声とは無縁で終わるかもしれない。

 

「しかし、お前とイギリスか。異世界走り回るよりは楽しいもんだな。景色は綺麗だし、空から危ない連中が降ってくることもない。平和的だ」

 

「車のディーゼルエンジンで肉を焼いたのはあれが初めてよ。あの野外バーベキューは忘れられそうにないわ。それなりに一緒にいたのにまだ隠し技があったなんてね」

 

「専門用語でカーベキュー。あれは親父の知り合いの退役軍人からずっと昔にやり方を教わったんだ。カンダハルにいた頃、同じ部隊のメンバーとよくやったって」

 

 まさか何年もあとになって実演する日が来るとはなぁ。世の中つくづく先のことが見えない、近頃はよくそんなことを考える。

 

 俺はある日自分の首を奪いに来た女と荒廃した異世界を走り回り、バーベキューをやって、今は一緒にイギリスの空気を吸ってる。さすがに数年前の俺にはこの展開は読めなかった。

 

「こんなときに言うことじゃないけど、感謝してるよ」

 

「それはどれに対してかしら」

 

「色んなことがだよ。色んなことに対して」

 

 待ち合わせまでまだ三十分、先にカフェのテーブルに着くや出てしまうのは自分でも形容しづらい言葉だった。

 

 感謝してることが多すぎて、俺は一体何に対して礼を言いたかったんだろう。何気なしの一言でも一度口から出てしまうと取り消せない。

 存外、言葉とは不便なときがある。気持ちが先走ると特に、厄介なもんだ。

 

「こうしてると変な感じ、どこにでもいる男と女って気がしない?」

 

「ああ、訳ありの男と女がカフェで堂々と珈琲を頼んでる。こうなっちゃ世も末だよな」

 

「初めて会ったときまで、貴方のことは悪い噂しか聞いてなかった。でも今の貴方は、どこか可愛げがある」

 

「……なんて答えりゃいいんだ?」

 

「ありがとうでいい」

 

 澄ました顔で夾竹桃そう言う。「ありがとう」と、その場を見繕うように俺も答えた。

 

 右目を覆い隠した帯の上から撫でる。

 ミカエルに奪われた右目、なぞった指先から伸びた腕にあるのはマザーによって新たに姿を変えたカインの刻印。

 一年前、キンジがバスに乗り遅れてしまったあのチャリジャックの日から、貯まっていたツケが押し寄せて来たんだと今なら納得できる。

 

「難しい顔ね、嫌なことでも思い出した?」

 

「いいや、そういうわけじゃ……どこにでもいる男と女って言葉がちょっといいなぁって思って。俺には縁のない言葉だ、だからすごく……いいなぁって」

 

 ミカエルに続き、マザー、おまけにリヴァイアサンだ。ずっと動かなかった過去のページがここ最近で一気に捲られてる。

 逸れたレールが元に戻されてるみたいだ。過去に俺が関わった狩りが、形を変えて舞い戻ったように新たな問題を引き起こしてくる。

 

「いいことなんて期待しない、こんな仕事じゃ望めないのは分かってる。どうせ最後は寂しく死んでいくんだ、それでいいと思ってる。ただ、これだけは覚えておいてほしい。俺が思い描く幸せにはきっと──」

 

 ──? 電話……国内電話だ。

 

『悪い、俺だ。もしかして待たせてるか?』

 

「久しぶり我が友。お洒落なカフェで待ちぼうけってのも悪くないな、たまには。もう着いて仲良くお座りだ」

 

 キンジから電話を受けるのもいつぶりだ? なんだかすごく懐かしい気分だ。

 

 あの吸血鬼(ブラック・ブラッド)と走り回った煉獄での時間が、こっちで体内時計やら何やら色んな感覚を狂わせてくれたらしい。

 さながらイヴの置き土産、いいや嫌がらせだな。

 

『今からメヌエットと出る。すまんがそのまま頼む』

 

「待ち人が退屈しないように繋いどく。あとでな昼行灯」

 

 携帯電話をテーブルに置くと、薄闇色の瞳が鞘から走りそうな刃のように細められていた。

 

「なんだ?」

 

「さっきの続き。いいところで切れたから最後まで聞かせて欲しいの」

 

「言わなきゃスイスチーズみたいに穴だらけか?」

 

「あの子は置いてきた、派手なのは好きじゃないから。コーヒー来たわよ?」

 

 ブロンドのいかにも客を惹きそうな美人な店員さんがテーブルにコーヒーを添えてくれる。

 

 無反動ミニガンをあの子呼ばわりかよ。

 空港で一度かなめに切り落とされたらしいが可愛いペットをお持ちなこって。

 

「あのときもこうやって二人でコーヒー啜ってたよな。お前が間違えて取ってきたカップルセラピーの」

 

「あの二人三脚は忘れてない。貴方が倒れなきゃ一位を独走だった」

 

「あれはお前がわざと倒れたんだろ、アニメの予約を理子にお願いしたいからってさ。でもあのままやってたら確かに勝ってた」

 

「当然」

 

「ああ、当然。それで次の日、高いハンバーガー食べて今みたいにコーヒー飲んでた」

 

「1500円のハンバーガーと一緒にね。あれは美味しかった、それは認めるわ」

 

「そりゃそうだ、1500円のハンバーガーなんだから」

 

 お互い、隠すように小さく笑うと、残った俺の左目と闇色の瞳が合った。

 神崎は緋色、ジャンヌはアイスブルー、ヒルダは血をこぼしたような赤色をしていて、夾竹桃の瞳は何色にも染まりそうもない彼女の心を写したような、そんな薄闇色だった。

 

「──貴方の瞳ってドラゴンみたいね」

 

 ……ドラゴン……?

 

「ドラゴン? あの下水道で引きこもってるあのガリ勉連中にか?」

 

「いいえ。貴方の瞳って、まるでサラマンダーみたいねって、そう言ったの」

 

 くすりと笑い、告げられた言葉はどこかふんわりとして真意が分からなかった。

 サラマンダー……サラマンダーの瞳ってどんな瞳なんだ? 俺は怪訝な顔で、

 

「それって誉めてるのか?」

 

「さて、どうかしら」

 

 と、笑って彼女は答えをくれない。ロンドンのカフェでサラマンダーなんて単語聞くと思わなかった。

 ファンタジー映画を見てるかぎり、炎の化身みたいな暴竜だ。マザーの子作りリストにいないことを願う。

 

「──そろそろキンジも来そうだな。んじゃ、俺は外で待ってるからここからは水入らず、ガールズトークを楽しめ。俺はキンジと盆栽の話でもしてる」

 

「盆栽? 盆栽なんて興味あった?」

 

「それが、数ヶ月前に買ったんだ。これが……セラピーになるんだな。週に二三回選定すると、新芽が育つとかなんとか。……笑いたいなら笑え」

 

「笑ったりしないわよ、ミスター雅。静かな気持ちになれそう、私をからかう以外の趣味を見つけてくれて良かったわ」

 

「じゃあ、楽しんで。それと、そのドレスかなり似合ってる。帰ったらそれでディナーでもどう? 奢るよ」

 

「コインのチョコレートじゃ受け取ってもらえないわよ?」

 

「ウケた、楽しんで」

 

 自分のコーヒー代だけ済ませ、俺は店の外へと出る。少し遠く、まだ小さいがキンジらしき人物が車椅子を押しているのが見える。

 

 束の間の一時でも、これが良い休憩になりますように。楽しんで、夾竹桃。

 



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雪平=ブラド-□□□

 

 

「あれから何時間経った?」

 

「一時間と……十七分。これが格差社会ってやつかもなぁ。向こうは暖かくてお洒落なカフェでお喋り、俺たちは冷たい地べたに座ってお喋り」

 

「言うな。言葉にすると、すごく虚しい」

 

「同感。神崎が初めて押し掛けてきたとき、部屋を追い出されてコンビニで立ち読みしてたのを思い出す」

 

「あのときは雑誌があっただけマシだ。それに暖房もついてたしな」

 

 虚しい──そう呟いたキンジは地べたに座り込み、ガラス張りのカフェに向こうに目を添えていた。

 メヌエット本人には、先に屋敷に帰ると告げたらしいが実際はこの調子。密やかに中の様子を伺ってる。

 

 メヌエット……あれが『言葉』で人を殺せると神崎に謂わしめた件の妹か。神崎は、母親である神崎かなえさんから彼女に会うように言われて帰郷を決めた。

 色金についての情報を、この首が回らなくなりそうな状況の突破口をあそこで談笑している少女は知っている。

 

「……実は少し参ってた、こっちに来た途端色々ありすぎて。お前が一緒に来るって聞いたときは驚いたがなんつーか、来てくれて良かった」

 

「気にするな、俺はあいつの付録と思え。買ったら付いてた」

 

 久しく見てなかったルームメイトの苦笑いに俺も肩をすくめて頷く。

 再会するなり聞かされた話をまとめると、メヌエットが色金についての情報をくれるかは、キンジが彼女を楽しませることができるかどうかにかかってる。

 

「夾竹桃も楽しそうだし、お前のご主人様も笑ってる。意味はあったさ」

 

「だな、あれなら賭けには勝てそうだ」

 

 などと、綺麗な言葉を並べはしても俺たちはポケットに手を突っ込んで失業者のように寒い地べたに座り込んでいる。

 子供を見守る保護者みたいな口振りだが、キンジの言葉は正しい。俺も虚しくなってきた。

 

 夾竹桃は寡黙そうな顔して好きなこと、興味のあるジャンルには極めて雄弁になる。それはお相手のメヌエットも同様らしい。

 一時間が過ぎても二人のガールズトークの終わりは、まだ見えそうにない。ぼけーっと座り込んでいたキンジが懐に手を入れ、黒い四角形の紙を取った。

 

「? なんで折紙?」

 

「白雪がお守りにくれた。S研用語のよく分からん厄除けのまじないがかかってるらしい」

 

「東洋のまじないじゃ札や折紙に呪いやパワーを込めるのは定番だしな。けど、折紙はまじないを繋ぐための道具だ、折らないとそのままじゃ厄除けも不十分だぞ? 文字が分からないのに聖書を持ち歩いてるようなもんだ」

 

「おい、そのたとえはおかしいぞ。聖書は読むだけでご利益あんだろ」

 

「読めないのに読んでるフリするのは嘘つきだ。そもそもあんな、中身は自分の宣伝ばっかりのバカ売れベストセラーに御利益を期待すんのが間違ってる」

 

 キンジの指先に挟まれた黒い折紙を伸ばした人差し指で軽く突いてやった。

 

 律儀にお守りを渡す辺り、星枷の性格がよく出てるよ。折紙ってのが巫女らしくていい、独創的だ。

 俺たちが日本を発つタイミングで彼女は超能力特区に出向いたって聞いたが、色金が騒いでる件で本家からお達しでもあったのかな。

 

「自販機探してくる」

 

「俺が行くよ、お前はこっちを見ててくれ。折角のロンドンだ、少し歩きたかったし」

 

「そうか、悪いな」

 

「コーヒーでいいか?」

 

「頼む」

 

 ひらひらと手を振り、キンジと一旦別れる。

 

 時は平成。自販機ビジネスは昔より盛んになってるとはいえ、日本みたいにそこかしこに置かれてるわけじゃない。

 どこか店を見つけてテイクアウトするのも一つの手かもしれない、そう別案を思い始めたときに限って願いが実るのが人生の皮肉なところ。

 

 ホットの自販機からコーヒーを二つ落とし、ロンドンの景色を味わいながら元来た道を戻る。

 テレビの中で見ることしかなかった異国の景色を自分の肌で味わうのは、終末真っ只中の異世界を走り回るよりずっと楽しい。

 

 カイロ代わりに両ポケットにコーヒーを入れてカフェまで戻ると、キンジはまだ地べたを占領していた。

 コーヒーを片方投げ渡すと、その足元にさっきまでは手付かずだった折紙が四角から変貌した姿で置かれていた。

 

 ……物じゃないな。頭がある、多分頭……そこから突起物が左右後ろにある。生き物だ、俺が思うにこの作品は──

 

「蛙か? 蛙だろ?」

 

「違う、白鳥だ。見りゃ分かるだろ」

 

 俺はコーヒーを右手に持ったまま、空いている手で『ソレ』を拾い上げる。

 

「……突然変異? この伸びてるのは、羽か?」

 

「ああそうだ」

 

「三つもあるぞ?」

 

「そんなにない、こっちは尻尾だ」

 

 わざわざ指で示し説明してくれた。

 尻尾か。尻尾……白鳥に……?

 

「白鳥に尻尾なんてあったか?」

 

「あるさ。アヒルにもあるだろ」

 

「……多分な。……ってことはこれはアヒルか?」

 

「もういい、アヒルでも何でも勝手にしろ」

 

「怒るなよ、悪かった。真面目な話ばっかだと気が滅入るからな。話題を変えるか」

 

 折紙を元あったキンジの足元に戻し、俺も地べたに腰を下ろす。

 

「最近改めて思ったんだが、女なら誰だって秘密の一つや二つクローゼットの棚の奥にしまいこんでる。有名な台詞にもあったよな、 " 女は秘密を着飾って美しくなる " 」

 

「どうして今になって学んだのかは知らんが一応言っとくぞ。だから俺は美人は信用しない」

 

「お前の周りは美人で渋滞してるけどな?」

 

「それで揚げ足取ったつもりか。今度は俺が話題を変えてやる」

 

 「真面目なヤツにな」と、コーヒーで一息入れてからキンジはロンドンを見下ろしている快晴を仰いだ。

 

「最後の殻金を持ってる鬼の親玉、覇美のことだがあいつは俺が戦った鬼……家臣である閻よりもさらに強い化物って話だ」

 

「そのことなら少し聞いてる。なんでも昔は世界中あちこち旅しながら現地の武芸者とかたっぱしから戦ってたんだと」

 

「まるで武者修行だな、そんなの誰から聞いたんだ?」

 

「マザーさ、その名のとおり()()。この世のあらゆる怪物を生み落としたファーストジェネレーション、今はだだっ広くて殺風景な牢獄に囚われてるがお前がこっちに来てる間に少し話した」

 

 刹那、空を仰いでいた瞳が驚きに揺れる。

 聞きたくなかったって顔だが安心しろ、母親はまだ牢獄にいる。出てきやしない。

 

「難敵には違いないが無理ゲーってわけじゃない、指パッチン一つで灰にされるワケじゃないんだ。いまのお前ならなんとかなるよ」

 

「買い被るなよ、けど覇美を避けては通れそうにはない。最後の殻金はあいつの手の中だしな。はぁ……鬼が武者修行かよ。話し合いで平和的に解決できない可能性ってどれくらいだと思う?」

 

「90パーセントから100パーセントの間」

 

「楽観的な数字だな。覇美を倒して、ありがとうございました、いいバトルでしたで終わればいいんだけどな……」

 

 まだ続きがありそうな切り方だが、キンジはそこで言い淀む。

 

「浮かない顔だな。嫌な予感が?」

 

「楽観論で行動し、悲観論で備えろ。言いたくないがな、俺にはまだ先があるような予感がするんだ」

 

「ミカエルが鬼を味方につけて襲ってくる?」

 

 咄嗟に浮かんだ展開を口にすると、キンジはまたも苦虫を噛んだような顔をする。

 

「……冗談ならもっと笑えるのにしろよな。ブラックジョークとしてなら冴えてるけど」

 

「気をつけるよ。とりあえず、覇美から最後の殻金を奪還するまでは確定だ。ここまではレールが敷かれてる、そのまま上を行けばいい」

 

「レールがなくなったその先はどうする、いつもの得意技の出番か?」

 

「ああ、レールが消えたら消えたときだ。即興で対応してやろう、とりあえず──出てとこで」

 

「出たとこね、安心した。いつも通りか」

 

 皮肉っぽく呟き、キンジは残ったコーヒーを強く呷るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「なんてこった、もう安いモーテルじゃ寝泊まりできないかも」

 

「立ってないで座ったら?」

 

「ロンドンのホテルでクイーンサイズのベッドに御対面。今日は初めての連続だな。ブログに書くネタがいっぱいだ」

 

「雪平、貴方ブログなんてやってたの?」

 

「いいや、やってない」

 

 メヌエットとのオフ会が終わり、夕食を済ませた俺は夾竹桃が予約してくれたロンドンのホテルへと一緒に訪れていた。

 夾竹桃とホテルと言うと、日本で住まいのように使ってるあの植物園みたいな高級ホテルの一部屋が真っ先に浮かぶもんだが、案の定ここでも予約したのは星付きの高級宿だった。

 

 THE英国って感じの絢爛なシャンデリアや絵画で飾られたエントランスに迎えられ、鮮やかな赤色のカーペットが敷かれた通路を抜けると、これも映画の中に迷い込んでしまったような星評価相応の豪華な部屋だった。

 

 広いのはもちろんのこと、クイーンサイズのベッドが置かれた部屋は黄色と白色を主にして壁から机まで揃えられており、高級感たっぷり。

 

「ポート・ロイヤルの提督んちみたいだな。バルボッサに襲撃される前の」

 

 ウィンチェスター御用達の壁はひび割れ、隣の部屋の音は丸聞こえ、ほんどの安い埃っぽいのモーテルとは雲泥の差だ。

 

「随分と楽しそうね。イギリスに来てから一番じゃないかしら」

 

「そりゃあもう、理由はどうあれ英国旅行に来れて高級ホテルまで用意されたら。楽しくないわけない。でも一緒の部屋で良かったのか? アジトじゃ当たり前のように俺の部屋に入り浸ってたけど、ここホテルだぞ?」

 

「……? 奇襲されたとき、同じ部屋の方が都合いいでしょ。何か不都合が?」

 

「いや、別に。ただの確認」

 

 サンダースのじいさんの家じゃ男女は別々に寝ろ、だったからな。このだだっ広いベッドに二人で寝るなら確認しといたほうがいいかと……必要なかったな。

 

 クイーンサイズのだだっ広いベッドに大の字で寝転がってみる。うん、まだまだスペースに余裕がある。駄目だ、このベッドは人をダメにする。

 

「座れとは言ったけど、寝るのは後にして。呼び出し来てるわよ?」

 

「……誰から」

 

 誰から……聞くまでもなかったな。

 隣にまでやってきた夾竹桃の膝元、クッションの乗せられたパソコンのディスプレイ画面には見慣れた顔が映っていた。

 たとえるなら、味方のフリして終盤で陰湿に裏切りをやらかしそうな男。

 

「よぉ、ケッチ。また生きて会えたな。次に見るときはスイスチーズみたいに穴だらけかと」

 

『冷たい挨拶になるのは想像していたが、冷たい上に棘だらけとは思わなかった。心の内を少し明かしておくと、少しは労いの言葉も欲しいところだがね』

 

 渋い顔を浮かべたのはアーサー・ケッチ。

 過去に一悶着やらかした元UKの賢人お抱えの暗殺者。いまは組織を抜けたお尋ね者だ。

 

「というと、両手にギフトでも抱えてるのかしら?」

 

『──緋鬼がこの国にいる、という情報は贈り物になるかな』

 

 気取ったいつもの喋り方ながら、腰を浮かしそうになる話だった。

 

「……来てるのか、連中が」

 

『お抱えの弓兵と共にイギリスの地を踏んだ。まだ頼れるツテはあってね、網にかかったということで君たちに伝えにきたというわけだ。ところでキリ、右目が随分とお洒落になったようだが、私の知らないニュースがあったのかな』

 

「ウケた、こっちからも素敵なニュースをくれてやる。ミカエルが案の定こっちの世界にやってきたぞ、いまこの瞬間も手当たり次第怪物をスカウトして軍隊を作ろうとしてる」

 

 渋い顔がもっと渋くなり、唇と顔の動きが止まった。待てど待てどケッチに変化がない。

 

「おい、止まったぞ? フリーズしたか?」

 

「違う、ショックを受けて現実的な反応をしてるんでしょ。……動きが早いわね、神崎アリアの帰国を最初から知っていたみたい……」

 

「誰かが助言をくれてるのかもな。どんなオカルトが働いてももう驚かないよ」

 

 怪訝な顔の彼女に後は任せ、俺は覗き込んでいた顔を離し、だだっ広いベッドに寝転がる。

 

「緋鬼のボスは……来てるのは閻って家臣だけか?」

 

「彼女は来てないみたいね。幸か不幸か分からないけど、お姫様はまだお城のなか」

 

「やることは決まってる、向こうが出向くかこっちが仕掛けるかの違いだ。奪られたものは奪り返せ、奪われた殻金は……必ず奪い返す」

 

 嬉しくないニュースが続いてる。豪華絢爛な天井を仰いで気持ちを晴らそう、付け焼き刃のメンタルケア。

 芸術は心を落ち着かせるとも聞くしな、byジーサード。

 

 息の詰まるニュースばかりで寝転がると肩の力が自然に抜けていく。

 

「さて、伝えるべきことは以上で話終えたわけだがここからは私の興味に答えてもらえるかな?」

 

 ギフトに見返りかよ、まあいいや。

 東大卒のお嬢様がうまく流してくれるだろ、任せよう。

 

「ええ、元賢人の興味は何について?」

 

 言ってしまえば同じ科学オタク、話の相性は悪くないからなこの二人の暗殺者。

 

「ああ、とある魔女の行方について。キリなら知っていると思ってね、名前はパトリック」

 

 パトリック……? 誰だよそいつ……パトリック、パトリック……知らねーな。

 

「そのパトリックというのは?」

 

「一言で言うと魔女、付け足すと賭け師。チップの代わりに年齢を賭けてポーカーをする」

 

 ……やばい、知ってる。その危険なゲーム、知ってる。

 

「ストップ、その会話は──」

 

「それなら読んだわ。900年を生きた魔女で、ふらりと現れては各地を転々とし、歳を溜め込む。敗北したプレイヤーの歳を」

 

 ──その会話はやばいって。

 

「勝てば賭けたチップに応じて、若返る。負ければ老体に、というわけだ」

 

「でもどうして雪平が? テーブルに立ったのはたしか……ボビー・シンガーとサミュエル、それにディーー……年齢?」

 

 ちらりと薄闇色の瞳はこちらを向いた。

 24歳と言われて誰かが信じるだろう童顔が訝しげに瞳を細く、鋭利にしていく。

 

「……ケッチ、企んだな。嫌がらせか?」

 

「良き信頼関係への第一歩は隠し事をしないことだ。幼かったクレア・ノバックは立派なライダーに、サムはロースクールを諦めてからもう随分と経つが君が学生というのはなんとも……違和感がある」

 

 画面の向こうに呪詛を込めて睨む。

 つい最近、テーブルに投げられた話題をこのタイミングで……なんて間が悪いんだ。

 

 会話を逸らす? 東大卒だぞ、ここまでのらりくらりと避けられたのが勲章ものだ。いや、夾竹桃は隠していた手札を晒した、これは思うに道連れにしてやろう精神だ。

 

 地の底から伸びてきた無数の手に足を引きずり込まれる恐怖以外の何でもない感覚。

 

「あの、失礼だとは思うんだけど……雪平、貴方って本当は何歳なの?」

 

 まるで因果応報、クイーンサイズのベッドの上でついに言葉を投げた首がかしげられる。

 

 火薬庫に火をくべた本人と言えば、既にパソコンの画面から姿を消していた。

 火を放つだけ放ち安全なところに逃げる、ふざけやかってなんて卑劣な放火魔だ。この怨み、いつか三乗にして返してやる。

 

 そして俺は眼を逸らしながら、蠍の睨みへと立ち向かう。話題、逸らせるか……?

 

「……あの、ワトソン呼んでくれる? 呼吸するだけで破傷風になりそう」

 

「大丈夫、破傷風は外傷だから」

 

 逃げ場はない、色鮮やかなネイルを塗ったような危険な手が指を絡めてくる。その爪にかすったら破傷風どころじゃ済まないんですけど……

 

「──────」

 

「は?」

 

「だから質問の答えだよ、無限罪のブラドより年下の──────だけど?」

 

「……嘘でしょ、その顔で……嘘、よね?」

 

 ……ここで嘘言ってどうすんだよ。

 

 俺の名はキリ・ウィンチェスター。兄貴の名はサムとディーン、弟はアダム。育ちはカンザス州のローレンスでアマラよりは年下の───。仕事は怪物退治。

 

「さて、件の魔女に何歳か掠め取られたかな。そういや、本土を出る前に勝負したような、ずっと前のことだから覚えてないや。喜べ、尋問科が自白してやったぞ」

 

「その顔で……本気で言ってるの? ……こんなの詐欺よ、詐欺だわ……」

 

 ……そのロリ顔で24が何言ってんだよ、とは声には出せないな。

 毒のネイルの指が離れ、俺はそのままベッドに胡座をかく。頬杖もセットだ。

 

「隠してたわけじゃないが、ずっとコンクリートの底に埋まってたものが掘り返された気分だ。先割れスプーンで」

 

 何か飲もう、と立ち上がった俺の懐から何かがベッドの上に落ちるが……あれ、なんで俺が、これを持ってるんだ…?

 それは黒色の紙で、頭に二本の羽と尻尾を備えたキンジの──

 

 

 

 

「まあ、かわいい子……」

 

 

 

 

 ──白鳥。

 

 

 

 

「アヒルね」

 

「白鳥だ」

 

 

 

 ……俺の年齢聞いたときより驚いてるじゃん。

 恐るべきキンジの──アヒル?




引っ張ってきたネタもこれから回収始めていきます。


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White-eyed demon


感想、評価が分かりやすくモチベになるの再認識。


 

 

 

「こ……ふッ!」

 

 既に赤く濡れていた洗面所の上に新しい血を口から上塗りする。喉の奥につかえそうなものを吐けば吐くほど、洗面所に毒々しい赤色が咲いた。

 

(……イヴの置き土産か。いや、これが本来の刻印のあるべき形……最悪だ。無理してまずい酒を喉に流し込んだ気分だ……)

 

 掌で額を叩き、鏡に映る血走った瞳を見ながら思う。

 洗面所に壮大に喉からぶちまけたこの吐血の原因は一つ、カインの刻印以外にない。

 

 濡れた口元を拭い、鏡を睨んだ瞳は自分でもゾッとするような不気味さがあった。

 

 カインの刻印は、呪いだ。その本質は呪い。身体能力を向上させる一方、まるで対価のように殺人を求められる。

 ディーンがそうだった、刻印を宿した者は殺人を求められる。対価を払わなければ吐血から始まり、徐々に頭がイカれてくる。メタトロンの言うところの制御できない狂犬の完成だ。

 

「……逆にこれまでがイカれてたのか。刻印と剣があるのに何もなかった、その方がおかしい」

 

 起きて早々に、鏡に映る自分に向けて自虐もいいところの言葉を投げ掛ける。

 折角の豪華絢爛な洗面所だと言うのに気分は晴れない。このイカれたリスクを嫌っての見てくれが立派なだけのでっち上げだった。

 

 それがヒルダと迷い込んだ煉獄で、イヴが外側を身繕っていただけの呪いを弄くった。煉獄に送還させられた腹いせだとしたら大成功だ、頭痛の種どころじゃない。

 

(ミカエルがこそこそやり始めたこのクソ忙しいときに……)

 

 刻印のリスクがないわけじゃなかった、乱用すればアマラが言ってたようにいつかはこうなった可能性はある。

 だが、そう考えると煉獄へ飛ばされてイヴと遭遇したことは、まるで刻印をこの状態に無理矢理もっていくためのテコ入れみたいだ。

 

 鏡を睨みながら、日本に経つ間際のヒルダとの会話を思い出す。煉獄を抜けて、ヒルダとも当然騒動の元凶については話をした。

 煉獄の扉を開ける存在なんて知れてる。死の騎士、大天使、神とアマラーー両手の指以下だ。

 

 ミカエルに奪われた右目を帯で隠し、洗面所を汚した血を水で洗い流す。

 

 死の騎士はない、動機がない。あの生真面目な性格も踏まえて真っ先に外せる。

 大天使もない。残ってるのはルシファー、異世界から来たグレてるミカエル、檻で腐ってるミカエル。誰が煉獄の扉を無意味に開けるっていうんだ、ありえない。

 

「……売れない物書き。何から何まで最初から仕組まれてたか」

 

 汚した血を洗い流し、残った左目で鏡を見る。

 

 

 

 

『良かった、ちゃんと()()の眼よ?』

 

 

 

 いつから、いつからそこにいたんだろう。

 さっきからずっと見ていた鏡に白いワンピースの少女が映り込んでいた。

 

 俺のすぐ後ろ、洗面所と部屋を繋ぐドアの前で愛らしくブロンド髪の少女は首をかしげる。平賀さんよりもずっと小さい、小学生になったかどうかのそんな幼 い少女。

 

 気付かなかった、背後を盗まれたのに今の今まで何も気付かなかった。突然、何もない虚空からそこに現れたように……何の兆候もなかった。

 ……違う、普通じゃない。この子は……普通じゃない。

 

『怖い顔。ねえ、まだ気付かないのー? もっと頭の中をクルクルって回さないとー、もうっ仕方ないなぁー大ヒントあげちゃう!』

 

 まるでホームドラマに出てくるお転婆少女のような大袈裟な振る舞い。

 少女がはにかんだ刹那、白いワンピースに赤黒いシミが手品のように浮かび上がった。

 

 見逃すには大きすぎる、血をそのままぶちまけたような赤いシミを浮かべて少女の顔を借りた()()は笑う。

 あどけなく愛らしい顔を皮肉ったようなゾッとする姿には、覚えがある。

 

「……リリスか」

 

 ぐるっと、鏡に映った青色の瞳が白色に裏返る。

 色を失った、清廉さなんて欠片もない不気味なまでの白色の瞳は紛れもなくーーリリス。

 

『キリってばあったまいいー! 大正解よ?』

 

 頭の奥に直接響かせるような不愉快極まりない声に歯がぎり、と軋む。

 

 リリス、白色の目の悪魔。

 ルシファーが産んだ最初の悪魔であり、かつて悪魔の軍を率いた、冷酷、凶悪、強大、の三拍子揃った忌むべき化物……

 

「シッターと飼い犬を殺した、あのときの器か」

 

『惜しい、嘘つきじじいが抜けてる。あのときは楽しかったわ。毎日のようにケーキが食べられるの、毎日が誕生日よ?』

 

「……アバズレ女が。ままごと感覚で平和な家庭ひとつ滅茶苦茶にしやがって」

 

 この上ない憎悪を込めた目で後ろへ振り向く。

 ペットをけしかけ、俺の腹を切り裂いてくれた恨みはまだ忘れてない。

 今すぐにその赤いシミのど真ん中にルビーのナイフを突き立ててやりたいところだが、ちょっと頭を冷やせば違和感が渋滞してる。

 

「前に殺したぞ、アザゼルやアラステアと仲良く虚無で転がってるはずだ」

 

『ええ、虚無でぐっすり。けど、だとしたら貴方の目の前にいる私は?』

 

 はにかみ、悪魔は赤いシミに自分から掌を押し付け、ワンピースに血を塗り広げていく。庭先のブランコで親と遊んでる年頃の少女がやるようなことじゃない。

 ハッキリと、中に居座ってる存在は『別の者』だと教えてくれる。

 

 だが、眼前の悪魔はたしかに葬った。葬ってしまったがゆえにルシファーを閉ざしている檻の最後の鍵が開いてしまった。

 虚無でぐっすりーーそう、死んだ悪魔は問答無用で虚無という墓場に放り込まれる。

 

 音も気配もなく、硫黄の匂いも電子機器のショートや点滅もなく、虚空から突然顔を出したような現れ方といい、この白い目の悪魔はーー

 

「まやかしだ。ルシファーと一緒、幻覚。俺の頭がどうにかなっちまったせいで見えてる、ただの幻覚。大方原因は……」

 

 一つしかない、刻印だ。

 半眼で睨んだリリスが小さな足を鳴らし、抱き付いてきた。膝までしか届かない両手が巻き付いてくる。

 

『あったまいいー! またまた大正解よ?』

 

 刻印は、持ち主を堕落させる。

 なるほど、これ以上ない不吉な兆候だ。リリスの幻覚は十分すぎる。もう張りぼてのタトゥーシールじゃなくなった、紛れもなくこれは第一級の呪いだ。

 

「最近のオマケはトースターじゃないんだな。こんなサービスがあるとは思ってもみなかった、分かってたら全力で拒否ってやったのに」

 

「あら、不吉な予感? でも不吉な予感はいい赤ワインとぴったりよ?」

 

「……もう飲まねえよ、んなもん。好きなのはコーラとラムネとソーダだ」

 

 饒舌な悪魔の親玉を放って洗面所を出る。

 こうなった以上、明日明後日でどうにかできる問題じゃない。無視しとけばいつか消えてなくなる作戦だーー見込み薄だけどな。

 

「ーー出るわよ。鬼が動いた、正確には神崎アリアの方から」

 

 部屋に戻ると、ちょうど二つ折りの携帯電話を夾竹桃が折りたたんだところだった。

 キンジの周りに来たとたんこれだ。状況が目まぐるしく動き回る。電話の中身はメヌエットとの世間話じゃなさそうだ。

 

「あのお嬢様は相変わらず休むってことを知らねぇな。今度は何を?」

 

「遠山キンジが言うには、稚拙な潜入作戦(スリップ)

 

「潜入作戦……?」

 

「稚拙な、が抜けてるわ。稚拙な潜入作戦」

 

 棘がある、イコール無茶な作戦だったか。

 あとで詳しく聞くのが楽しみだ。

 

『やったー、みんなでお出かけなんてワクワクしちゃう!』

 

「……どうしたの? ホテルの壁で射撃訓練するつもり?」

 

「まさか、ちょっと嫌な声が聞こえたもんで。昨日アクション映画見すぎたかな。行こう」

 

 ベッドで玩具のピアノを弾いていたリリスから銃口を下げ、先に部屋を出た夾竹桃を俺も追いかける。

 鍵盤も黒鍵にも赤い血が跳ねたピアノで、悪魔の親玉が讃美歌を弾く。世の中病んでるぜ。

 

 

 

 

「ロンドンはだだっ広いぞ、足は?」

 

「常に備えはある、今回は運が絡むけど」

 

 気取った笑みも絵になる彼女に案内され、乗り込んだ車はなんとよく知っている一台だった。

 ルノー・スピールスパイダー、頭を守るものは何もない開けたオープンカーが乱暴な運転でロンドンの道に乗り出した。

 

「ロンドンは渋滞が多いの。パシフィック・コーストハイウェイ並み」

 

「廃棄ガスをたんまり吸えそうだ。巻き込まれないことを祈っとく。けど、パシフィック・コーストハイウェイなんてよくすんなり出てきたな?」

 

「LAで遊んでたの、一時ね」

 

「そりゃ初耳。ハロウィンじゃお化け屋敷のお姉さんでならしたとか?」

 

 去年は理子がUZIを積んでバスを蜂の巣にした青いスポーツカーは、今度は彼女の友人がハンドルを握って壮大に風を裂きながらロンドンの街を駆ける。

 

「なあ、スピーカーのボリュームあげない? GPSの声の女がなんか言ってる、ほら下ろしてとかなんとか」

 

「驚きだわ、海外に来てまで発病するのね。助手席だと黙れない症候群」

 

「いや、急ぐのはいいんだけどさ。お前このまま行くと先にどちらが葬式を上げるかどうかって問題になるーー何が言いたいかって、ここはアウトバーンでもサーキットでもないのッ!」

 

 朝の通勤時間帯、残念ながら車の通りはお世辞にも少ないとは言えなかった。

 スパイダーは車の間を縫うようにジグザグに走行し、夾竹桃が何度もハンドルを切りつける。やることが派手だねえ、荒っぽい神崎とのドライブが霞むぜ。

 

「どこを目指してる?」

 

「テムズ川の岸に泊まってる海上レストラン、神崎アリアと鬼たちはそこにいるそうよ」

 

『ブブー、色男は一足先に仕掛けちゃった。2時の方向よ』

 

「夾竹桃、2時 highーー行き先変更だ」

 

 2人乗りのスパイダーの助手席に後ろからしがみつき、無茶な姿勢で相乗りしてるリリスが『きゃはッ』とヒステリックな叫びを上げる。

 この忙しいときに構ってやる暇はない。首が折られる心配はないんだ、好きにさせといてやる。

 

「私もアクション映画の観すぎかしら」

 

「だと良かったけどな、現実だ。戻ってこいマイフレンド」

 

 リリスが口ずさんだ方向には、話題の渦中にいる『緋鬼』と思われる女が走行中の車から車を異様な跳躍力で飛ぶようにして渡っているとんでもない光景があった。

 車を足場にし、道路に立つことなく淡々と移動する姿は完全に重力というものを嘲笑ってる。

 

 中には強靭な脚力を受けて、足場にされたルーフを凹ませたものもちらほら。運がお悪い。

 

「あれはキンジの話に出てきた "津羽鬼"って鬼だな。戦役に参加してた閻の付き人、忙しく一人で走り回ってやがる」

 

「話を聞いてみましょうか、シートベルトは?」

 

「とっくに締めてるよ」

 

 やんわりとした確認とは裏腹に、風を切り裂いていたルノーがもう一段加速する。

 車体を痛め付けるような優しくない加速だが流石だな。津羽鬼との距離が詰まった。

 

 前に踊り出るのは無理でも一時的に距離さえ詰まっちまえばこっちの嫌がらせが届く。

 左目を見開き、俺が抜いたトーラスからばらまかれた9mm弾は、前を行こうとする津羽鬼を背後から捉える軌道で迫った。

 

 威嚇射撃なし、最初から本命のルール違反とも言える奇襲。たとえ9mmでも背後から何発も貰えば笑いごとじゃ済まない。

 リーダー格の閻は真正面からベレの9mm弾を()で掴んだらしいがーー

 

「ーー種子島の頃と変わらぬ、アクビが出るわ」

 

 黒留袖の花が刺繍された、動きやすいとはお世辞にもいえない和服で津羽鬼は綺麗なサマーソルトを決めた。

 背中を撃ち抜こうとした弾丸は、虚空となったその下を見事にすり抜けていく。ありきたりな感想だが……後ろに目でもついてんのかよ。

 

 足場を失い宙に投げ出されていた体は、後ろからやってきたトラックのデカいコンテナの上へ着地する。

 

「遠山の縁ある者か。謝さぬともよい、だがこれより追ってこようものならまず、己等の膝から下を捥いでやろう」

 

 殺気たっぷりの鋭い眼光が迷うことなく俺たちへ向けられた。

 

「気のせいかな、追ってこいって聞こえた」

 

「私も。できる限り寄せるわ、そこから先はお好きにやってちょうだい」

 

「あの女、見るからに別行動って空気だ。足を止めればキンジやワトソンへの助けにもなる、あっちがやる気に満ちてるなら好都合だ」

 

 加速したスポーツカーから走行中のトラックに飛び乗る、普通じゃないな。

 

「私は遠山キンジを探すわ、あとで落ち合いましょう」

 

「ああ、後でな。時間があったらビッグ・ベンでも見物しに行こう」

 

「こんなときにお誘いとはね」

 

 お可愛いことーーと、微笑を浮かべた夾竹桃がルノーをトラックに寄せる。

 ベルトを外し、トラックにかけられた可動式タラップを一度足場にして、俺は鬼の陣取るコンテナの上に無事転がり込んだ。

 

「走行中のコンテナがステージとは洒落てる。あんたが津羽鬼だな、覇美は家でお留守番か?」

 

 軽い気持ちで尋ねた刹那、冷たい殺気が肌を切りつける。

 

「人間、覇美様への愚弄捨ててはおけぬぞ。その首、捥ぐだけでは足りぬと思え」

 

「さっきは膝だったろ、今度は首かよ」

 

 こっちは大天使に片眼をくれてやったばかりなんだぞ、これ以上首も膝もくれてやるか。

 

『首を捥ぐだけなんて甘い』

 

 目先には津羽鬼、好奇心で背後を振り向くなんて愚行が許される相手じゃないが、案の定複雑な否定をしてくれた女は俺の隣にやってきた。

 

 アマラを思わせる、黒いドレスを長身に纏ったブロンド長髪の美麗な女。

 けど、いくらパーティー会場を間違えたってこんなところには来ない、普通の女じゃない。夾竹桃と一緒にフェードアウトしてりゃ良かったのにと心底思う。

 

『私なら千の傷でじっくりやる。じっくり切り刻んでから最後に首をもらう、削ぐようにね?』

 

 それはインディアナ出身の歯科衛生士、教会でミサをやったリリスの最後の器。彼女本来の瞳も白色の悪魔の目に醜悪に塗り潰されてる。

 

 津羽鬼には見えず声だって届きやしないが、指で虚空を何度も引っ掻くような仕草を構わず見せつけるように繰り返す。

 津羽鬼の和服が斬り刻まれていないところを見てもこのリリスはまやかし、カインの刻印が見せる手の込んだトリックーー安心した。

 

 走行中のトラックに膝を折り、敵意マシマシの津羽鬼はクラウチングスタートを切るような姿勢を取る。

 

「本当に茶々入れが好きだな、いっそ俺の代わりにお前があの鬼と戦うか? 真っ暗闇から今すぐ這い出て。譲ってやるぞ?」

 

「……何への問いだ、ふれたか? だが、それならば都合も佳かろう。隻眼の男、お前は死を視ること能わぬ。視ようとする前に、死に至っているからだ」

 

 古めかしい言葉での死刑宣告を最後に、津羽鬼の体がーー消える。

 

「……」

 

 人間を辞めたキンジをして、津羽鬼の動きは超スピード。気付いたときには首だろうが膝だろうが捥がれたあと、勝敗は決まってる。

 

『残念。あんたの首が落ちるところ、もう一度見たかったのに』

 

 砲弾のような速度で迫る津羽鬼から突き出された五指は、何もない虚空を裂いた。

 突き出され延びきった指より上、前宙気味に頭上を奪い上下逆転した視界でルビーのナイフを背中目掛けて抜き放つ。

 急加速から急ブレーキ、異常な速度を異常なブレーキで制御するように津羽鬼は反転しながら差し出した指と指の間にナイフを沈ませ、

 

「ーーぬッ」

 

 上下から圧をかけるように刃を止める。

 

 ワンアクションで左手に元始の剣を滑らせ、ナイフを捌いたばかりの腹部を狙い突き出すと、右足が下から刃を蹴りあげるように伸び、肘ごと跳ね上げられて刃を腹部から離された。

 

 異様な脚力に押され、ノックバック。一度は切り取られた距離が僅かに戻り、狂眼で抜いた右手のトーラスが発火炎を散らす。

 一撃必殺の天使の剣の弾丸はまたしても指に挟まれ運動エネルギーを奪われる。が、予め血で濡らしておいた指は銃弾を殺される合間にコンテナに図形を刻み終えた。

 

「……速度(スピード)は俺が上だったな」

 

 錠前に鍵を嵌め込むように掌を真っ赤な図形へ叩き付ける。

 赤い図形の淵を黄色い光がなぞり、次の刹那溢れでた青白い光が質量を伴なって津羽鬼を走行中のコンテナから道路の下へと押し出した。

 

 スピードに乗った乗り物から叩き落とされる危険性は俺も自分の体で学んでる。修学旅行ではそのままビリーのオフィスまで飛ばされちまったからな。

 コンテナを津羽鬼がさっきまで立っていた逆橋まで歩いていく。

 

『下手な決め台詞が台無し、仕留めてないわ』

 

 津羽鬼が這い上がってくる。

 失った右目の死角から抉り込むような角度、イカれた速度で首を下から斬り飛ばすような上蹴りは一歩先に回避が間に合い、虚空を裂いたソニックブームのごとき異音が鳴る。

 

 ……直撃したら首は落ちてたな。

 大鎌を振り切ったような蹴りが外れ、コンテナの上に津羽鬼の両足が着地する。

 

 和装が多少乱れちゃいるが、走行中のトラックから転がり落ちたにしては傷らしい傷はない。静かな殺気がもう一度、コンテナに波うつように広がっていく。

 

「遠山と縁ある男、答えよ。人ではなかろう、何者だ……?」

 

 鬼の瞳が半眼を描き、聞いてくる 。

 

「名前はキリ・ウィンチェスター。育ちはカンザス州ローレンス、好きな映画はトップガンとハムナプトラ。仕事は怪物退治」

 

 弾倉一本を吐いたトーラスを手放し、カインの忘れ形見一つを手に答える。

 

『そういうの好き、ゾクゾクしちゃう。殺し合いの前の自己紹介っていいわね?』

 

 リリスが白い瞳で、悪魔らしく笑う。  

 津羽鬼には聞こえるはずのない悪魔の声、それが再度の衝突の合図となった。

 



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記憶編────
Prince of Hell







 

 

 昔、知り合いの占い師がこんなことを言っていた。

 

 人間は一つの目で未来を、もう一つの目で過去を見ているのよ、と。

 

 両目の光を失った彼女がそう口にするのは、返しに悩まされた。

 

 片方の目で明日を、もう片方の目で昨日を見ているとしたら俺に残された左目は、何を見ているんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、コーヒーいる?」

 

「いや、なんか年取った気分だし、まず水だ。それで朝飯は? 今日はそっちが作る番って」

 

 白いフェンスに囲まれたガレージ付きの家。

 少し年季の入ったリビングの角、これも今ではレトロと言われそうな冷蔵庫の奥からペットボトルを引っ張り出す。

 まだ完全な冷めきってない頭に薬をやる要領で喉に水を流し込むと、ぼんやりと霞んでいた視界も少しマシになった。黒いパーカ姿でキッチンに立ってる夾竹桃もよく見える。

 

「貴方が遅いからミラクルにあげた」

 

 熱したフライパンにフライ返しをわちゃわちゃと動かしながら返事が来る。ペットポトルのキャップを締めたのと偶然にも同時だった。

 淡白に告げられた回答に、俺の視線は一足先に食事にありついている小さな同居人へと移る。

 

 ミラクル──『奇跡の犬』とディーンが勝手に名付け、すっかり住み着いてしまったテリアのワンちゃんは俺の目線に気付くと、一度丸い目を覗かせてからすぐ自分の食事に戻る。我関せずって言ったのかこのワンコめ……

 

「冗談じゃなさそうだな」

 

「これが冗談の顔に見える? もっと飲んどきなさい、鉢植えに水やりかってくらいにね。目が覚めるかも」

 

「もう覚めてるよ、目覚まし代わりの冷たいお返しをどうも。ご機嫌斜めの蠍と犬なら犬と話したほうがマシだ。おい、頼むから今度は俺の朝飯食うなよ?」

 

「この子のせいにしない」

 

「してない、誰もミラクルのせいになんて」

 

「卵でいいでしょ?」

 

「ああ、でも作るならスクランブルで。スクランブルでね、ただ──」

 

「薄く焦げ目でしょ、分かってる。朝からベーコンレタスバーガーよりは健康にいいかもね」

 

 昔はずっと先の健康よりも目先の満足感が大切だったんだよ。それにベーコンレタスバーガーはいつ何時食べても美味い。

 

「金一さんからメール来てた。パトラの方は順調だとさ、妊娠4ヶ月だと」

 

「乗々能力者と超能力者のハーフ、それに親があの二人。生まれてくる子はとんでもないでしょうね」

 

「パトラと金一さんの子供だからな。とんでもなく、美人でイケメンだろうよ。それにきっといい子だ。──お年玉どれくらいやる?」

 

「気が早いわ。いい知らせが届いたときにまた考えましょう」

 

 パトラか。敵として、そして味方として、忙しく因縁が絡み合ったが最後には金一さんと、無事結ばれた。

 ミイラにされたかけたのは一度や二度じゃないが、俺も首を落とすつもりだったのは一度や二度じゃないから公平だ。

 

 パトラと金一さん。純粋に祝福し、これからの二人の幸せを願おう。

 金一さんの子供だからな、俺やキンジは誕生日プレゼントやお年玉なんか弾みまくるんだろうなー。先が見えてる。

 

「あ、あのさ……夾ちゃん? その卵、焦げ目だけで炭にしろとは言ってない」

 

「……作らせて文句言わない」

 

「いや、だって黒焦げならお前も文句言うだろ」

 

「まだ黒焦げにはなってないわ、一歩手前。自分でやったらどう?」

 

「やるって言ったろ」

 

「言って後悔してる、ベーコンはなし」

 

「待て、そんなの聞いてないぞ……ッ!?」

 

「今日はベーコンの日じゃないの。ちなみに今決めた」

 

 心なしか、自分の皿に夢中だったミラクルも深く俯いた気がする。でもお前はベーコン食べちゃ駄目だからな、獣医さんにこっぴどく怒られんの俺なんだから。

 

「お二人さん、また飽きずにやりあってんな。安心したよ、普通でいるのが普通じゃないからな」

 

「入ってくるならチャイム鳴らせ、ディーン・ウィンチェスター。ちなみに飽きずにって言葉にはすごく語弊がある」

 

「そうね、語弊がある。そこは意見が合致した」

 

 ジャンクフードが詰められているであろう紙袋を持参にやってきたのはディーン・ウィンチェスター。

 お馴染みの革のコートに右手薬指の指輪は、久しぶりの再会にもいつも通りの安心感がある。

 

「円満のコツ知ってるか? 謝ること、丸くおさまる。全てを許す、愛と寛容の精神が世界を救うんだ」

 

「また変な映画見ちゃったのか、やめてそこまでだ。食欲と性欲の化身がそんなこと言ってるの見ると胃が痛くなる。それに別にやりあってるとかそういうのじゃない」

 

「……? じゃあ、さっきのは素人お笑いショーの練習?」

 

 ウケた、実にディーンらしい返し。いいぞ、いけミラクル。兄上様にとっしんからのかみつく攻撃だ。

 

「はぁ……相変わらずね。雪平、口開けて」

 

「はい、開けときます。なんでもいいから何かくれ………ん……何これ……これ本当にベーコン?」

 

「ビーガンよ」

 

「納得、サミーちゃん用か。腹へった、休戦しよう。コーヒーでよろしい?」

 

「よろしい、そっちの兄上様は?」

 

「苦しゅうない。ああ、実は俺からも手土産があるんだ。なんと期間限定で復活の幻の逸品、きっと驚くぞ?」

 

 口に投げ入れられたベーコンの感想はさておいて、問題はディーンだ。

 突然の訪問に慣れてるが、俺がコナ・コーヒーを淹れている間にも夾竹桃が買い込んだモダンなテーブルの上に持ってきた紙袋の中身を──置いていく。

 

 期間限定、幻の逸品。先程のディーンの言葉に彼方からのエレンの言葉が甦る。

 エレンはいつもこう言っていた、豪華絢爛な前置きほど怖いものはない。隣の椅子に座る夾竹桃は目を大きく丸めたあと、深く俯いた。

 

 三人分のカップをテーブルに置き終えて、俺も咳払いを挟んでから高い天井を仰ぐ。……これ、期間限定だったんだ、知らなかった……

 

 思わぬ奇襲を貰った気分でコナ・コーヒーを喉に送る。まだ目を丸くしたまま夾竹桃は控えめにそれを指で差した。

 

「……この物体は?」

 

「これか、エルビスバーガー」

 

「エルビス……? でもこれバーガーじゃ……」

 

 右から左から、夾竹桃はそのインパクト抜群の物体を色んな角度から眺め始める。

 

「そうだ、ドーナツだ。二つある、上と下に一つずつ。ケチくさいのは一個のドーナツをスライスしてバーガーを挟んでるところ、王道はずばり口をゴジラみたいに開けて、一気に……」

 

 エルビスバーガーとは、ハンバーガーを上と下から二つのドーナツで挟み込んだ、見るからに胸焼けしそうな最高に欲深いバーガーのこと。

 

 一つのドーナツをスライスして挟むのはディーンの言った通りだが、このドーナツも一目見れば分かるレベルで砂糖をたっぷり纏ってる。

 上から派手に突き立てられた串も合わせて、見た目のインパクトはなんていうか……怪物にいかくされてる気分。これを一気に一口でいけるのなんてそれこそゴジラくらいだ。

 

「さあ、一気に」

 

「……切、さっきはごめんなさい。子供っぽかったわね、謝るわ。そのお詫びとしてはだけど、私の分もどうぞ?」

 

 控えめな声色で夾竹桃はトレイをずらし、コレステロールの怪物が俺の目の前に二つ並んだ。言葉と行動が一致してない……

 

 一個でも凶悪なエルビスバーガーが二個は、母さんお得意のウィンチェスターサプライズに匹敵するカロリーだ。イカれてる。

 俺は友人に弄って貰ったばかりの右奥歯を気にするように頬を軽く叩く。

 

「冗談じゃない、前に虫歯を治療したときガースに無茶言ってなんとか神経をギリギリ残してもらったんだ。こんな砂糖の塊食ったら今度こそ俺の歯は破壊されちまう」

 

 キンジも言ってたが虫歯の治療というのは決して痛みとは無縁ではいられないのだ。恐れ知らずの神崎は、歯を磨いたあと砂糖たっぷりのミルクをがぶ飲みしてたけどな。

 

 「返すよ」と、俺は丁重にトレイを隣の彼女にお返しする。

 薄闇色の困り果てた顔で俺を、そして伏せているミラクルを見た。 いや、俺たちの方を見られても。

 

「……飢えてる子供がいるんだぞ?」

 

 こんなときだけ真面目な顔と真面目なトーンで喋るんだからタチが悪い。

 砂糖たっぷりのモンスターをどうするべきか悩んでいると、今度は家の呼び鈴が鳴った。渡りに船だ、出迎えてる間に策を練ろう。

 

「はい、どちら様で──って、なんだよ。ようこそ、サムにアダム。ディーンならもう来てる、上がって」

 

「だと思った。じゃあ、遠慮なく」

 

「アダムもどうぞ、ディーンがハンバーガー持ってきたんだ。俺と彼女じゃ食べきれなくてさ、残ってるの全部やる」

 

「先に聞くけど、何か裏がないか?」

 

「いいから上がれよ、スポーツチャンネルも見れるぞ。でっかいテレビで」

 

 夾竹桃が持ち込んだでっかいテレビ。あれ控えめに言って最高だぞ、と招いてやるのは残った兄弟二人。アダムとサミュエル、夾竹桃には紹介するまでもないな。

 

「どうやって来たの? インパラはディーンが持って行っただろうし」

 

「車だ。お前が戦争の騎士から拝借した赤いマスタングで」

 

「あれまだ動いたのか、ちょっと驚き。流石は騎士の馬だ」

 

 リビングに戻ると、まだ夾竹桃がバーガーを睨み付けている真っ最中。ちらりと目線を振ったアダムの顔が強ばる。

 

「嘘をついたな、裏があった」

 

「裏なんてない、あれ期間限定の幻の逸品だってさ。ゴジラみたいに一気にどうぞ。ゴジラみたいにがばーっと一気に、いけアダム」

 

「できるわけないだろ、僕の顎を外す気か」

 

「まさか再登場するとは……砂糖たっぷりの、なんだ。カロリーたっぷりの怪物だ」

 

 そうだよ、サム。これは砂糖たっぷりの恐ろしいモンスター、ドーナツだけ切り分けて一つずつ片付けるか。

 かぶりを振り、計画を立てる。アダムの言うとおりだ、誰でも顎は外したくない。

 

「自分の行動に疑問を抱いている、誰もが折に触れて持つべき悩みだわ。だけど、人間は間違った選択をしないか心配しないより何も選択しない方が問題よ」

 

「それはすごくいい言葉。じゃあ選ぶか、危険に生きろがアッシュのモットー」

 

 そういうことは、優しくも厳しい口調で言われるもんだと思ってた。いざ聞くと、やけに淡々としてる。まあ、この状況で言葉に真剣味を持たせるも何もないか。

 

 スライスされたドーナツを外し、上の一枚をかじる。

 砂糖が過多なのは否めないがドーナツは好きだし、最初からこうすりゃ良かった。上からドーナツ、バーガー、ドーナツの順に繋がれたモンスターを串からそれぞれ抜いていき、

 

「よし、融合解除。下の一枚はお前の担当、あとは任せた」

 

「こんなところで役割分担とはね、間のハンバーガーは?」

 

「サム、アダム。どっちかどう?」

 

『『断る』』

 

 そっか、それなら仕方ない──

 見事な即答。最初から打ち合わせていたような切り返しに苦笑する。息、合ってんじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おはよう。呪われてるにしては、いい夢だった?』

 

 目覚めに聞く第一声としては最悪だった。

 白いワンピースの少女に戻ったリリスが、真っ白な部屋の壁を背にして冷ややかに笑う。

 

 瞼を開いて初めて見るのが悪魔の総大将。目覚めて早々、壁に頭を叩き付けたくなる。色を失った白色の瞳は、いつ見ても不気味なんて可愛いもんじゃない。

 小さくない溜め息を吐いて瞼を閉じる、見間違いじゃなくもう一度瞼を開けると変わらずリリスの顔はそこにある。

 

『いいわね、こういうの。ルームメイトになった気分でテンション上がっちゃう』

 

「俺に何したか忘れたか? 辻褄が合わなすぎてつまらない小話にもならない」

 

『冷たい。独り身のわびしい部屋よりも起きておはようを言ってくれる相手がいたほうが幸せだと思わない?』

 

「体をバラバラにしてくれた相手以外ならな。醜悪な目だ、まるで勲章だな。経歴がきらきら輝いてる」

 

 ──手に爪を思い切り立て、まだ残ってる睡魔をリリスの幻覚ごと吹き飛ばす。

 ルシファーの幻覚がそうだったようにきつけの痛みで幻覚はなんとかなる、一時しのぎだが。

 

 

 

 

 

 

「原水での仮眠はどうだった?」

 

「思ってたよりは快適だ。静かだし。部屋は殺風景極まりなかったけど」

 

 殺風景な白い部屋から外に出ると、キンジと出くわした。目覚めて最初に話した相手が相手だけに妙な安心感が胸を撫でる。

 

「でも、いい夢を見れたよ。夢っていうか、ただの願望なんだろうけど。ところで、いいところで会ったな。折角だし、ガイドしてくれない?」

 

「いいけど、歩くのは覚悟しろよ。だだっ広いからな」

 

「それって船内地図か……? すごいな、筆で描いた船内地図なんて初めて見たぞ」

 

 和紙に筆で書かれた奇怪な地図を頼りにキンジが止めていた足を前に出した。

 誰が描いたのか知らないが筆でよく地図なんて描けるな、一瞬目を疑っちまった。いや、旧字体から察するに緋鬼、だろうな。隊長格みたいなのと再戦したらしいし。

 

「……はっ、聖堂まで作っちまうとはな。さすが第一級の犯罪組織、やることが派手だねえ」

 

 ラテン語がビッシリと彫り込まれた大理石の床を俺は半分呆れながら見渡した。

 高くそびえたステンドグラス、生花を生けた白磁器の壺が壁や側廊に飾られ、石柱の組み込まれたその空間はどこをどう見ようとしてもカトリック様式の教会。

 

 しかし、教会と一口に言える場所でもない。だから呆れるしかなった。

 なぜならこの教会は『一部』に過ぎない。人工芝で一面緑に染められた見渡す限りの庭園も、ピアノや大きな蓄音機が並んだ音楽ホールも、この教会も含めてすべて一つの乗り物の中に組み込まれている。

 

 ここは原子力潜水艦ーー伊・ウーの艦内。またの名を『イ・ウー』、シャーロック・ホームズが創設した、超人たちの集まるイカれた学校だ。

 

「キャスと初めて会ったときを思い出す。こんな感じで床にラテン語やエノク語の魔除けを書きまくってた。懐かしいよ、パニックルームはこんなに清潔じゃなかったが」

 

「アリアとは前にここで……そういや、話してなかったな」

 

「金一さんに意識を飛ばされて、気付いたときは星枷と救命ボートの上。……しかし、まるで移動都市だな。教会といい、さっきの鮫やら恐竜の標本の山はまるで映画で見た大英博物館だ。あの水槽見たか、シーラカンスだぞ?」

 

「シャーロックは生きたプテラノドンを飼ってるんだ、もう驚かねえよ。」

 

 津羽鬼との一戦を終えると、津羽鬼の上役である閻とやり合っていたキンジから連絡があった。

 閻はキンジが、津羽鬼は俺が、そしてもう一体の鬼である壷は神崎が各々撃破。緋鬼による神崎の拉致は未遂の結果に終わった。

 

 そして、気配を殺しながら現れたサイオン・ボンドというお役人──ワトソンが名前を口にするなとまで警告してくれたMI6のエージェントに身柄を渡して解決、したはずだった。

 モノホンの偉人、本の中の英雄(シャーロック卿)が深い霧の奥から訪ねてくるまでは──

 

「よく勝てたな。強かったろ、相手」

 

「キャスが神崎にやったアレで不意を突いた。ミョルニル、あれで動きを止めてから撃破」

 

「マイティー・ソーかよ。たまに思う、お前が敵じゃなくて良かったって」

 

「俺もだよ。俺はゼウスもカリもオーディンも怖くないが、お前のことは怖い。これからも同じ陣営でいようぜ」

 

「ちょっと待て。比べる面子がおかしいだろ、そんなボスラッシュみたいな中に混ぜんな」

 

 前回は金一さんに意識を飛ばされて、結局俺はシャーロック卿と話すことはなかった。蠍の尾にノックアウトされちまったからな。

 

 深い霧の、カツェの超能力を応用した霧のブラインドの中から現れたシャーロックは、死んだにしてはまた随分と顔色が良かった。

 そして、俺に言った────最後の殻金を求めるなら一緒に来るといい、と。

 

 

「志願が必要って知ってたか」 

「なにが?」

 

「潜水艦に乗るには。閉ざされた空間でやっていけるかどうか、兵士は心身両方で試される」

「神崎や誰かさんみたいに海や水が苦手だとまずいしな」

 

 

 聖堂の奥から続いている扉を抜けると、それまでの景観とは一転し、重々しい鋼の隔壁が顔を出した。

 何枚にも重ねられた隔壁は、キンジが側まで近付いた途端上下・左右・ナナメに開いていく。なんだこれは……守りが厳重過ぎる。この隔離、何を守ってやがる……

 

「こいつだけは、さすがに確認しとかないとだからな」

 

 一度来たことがある口振りで、キンジは、格子組の耐蝕鋼へと変わった床を足で小突く。

 左右の壁に埋められた電子版もアクセスランプが点灯し、さながらSF映画の1シーンみたく近未来的な空気が急に漂い出した。

 

 ここは原水、無尽蔵の動力で活動する色んな意味で危険な兵器。その深部に隔壁で区切られたどう見ても安全面で放されたエリア────

 

「先に聞いとくが、ここって博物館みたいに楽しいヤツじゃないだろ。10万ドル賭ける」

 

 ラジオハザードの、放射性物質への注意換気マークの描かれた隔壁が開き、

 

「デカい家には秘密があるか、ジョン・ウィック並みのコレクションだな。お前と神崎の周りはやっぱ退屈しない」

 

「退屈の反対か?」

 

「ああ、昨日より無茶苦茶なことばっかり」

 

 ここまで呆れと感嘆がバランス良く続いたがこれには……どう反応したらいいか分からない。

 

 隔壁の奥に隠されていた広大なホールには巨大な柱が天高くそびえていた。

 合計8本の──ICBM、大陸間弾道ミサイルを目にしたら誰でも言葉を失う。とんでもない飛び道具を積んでやがったな……

 

「安心しろ、多分あれはミサイルじゃない。一種の、乗り物だ。オルクスみたいに改造されてる」

 

「……そうなのか?」

 

 勘にしては落ち着いた顔でキンジが頷く。

 

「ヒルダに襲われたとき、ワトソンがあれに乗ってやって来たんだ。空からな」

 

「ワトソンくんちゃんもやることが派手だね。魚雷を乗り物にしちまうんだ、ミサイルだって有り得ない話じゃないか」

 

 イ・ウー御用達の小型廷オルクスは、魚雷を改造した乗り物だった。ミサイルが乗り物に魔改造されても不思議じゃない。なんたって超人たちの溜まり場がキャッチコピー。人材には困らないだろう。

 

「なんて顔してんの、あんた達。揃いも揃ってひっどい顔してるわね」

 

 神崎は、まるで最初からそこにいたように隔壁の脇で腕組みしていた。生死不明、行方知らずだったシャーロックと再会できたからか表情は心なしかいつもより明るい。

 

「久しぶり、神崎。元気そうで何よりだ」

 

「妹が世話になったみたいね。お礼を言うわ、ありがとう」

 

「礼ならキンジと夾竹桃に。俺は夾竹桃にくっ付いてきただけさ、正直言うと大英博物館には一度行ってみたかったし」

 

「あんたは相変わらずね……タフなのは海兵隊仕込み?」

 

 ちっちゃな体の貴族様は小さな歩幅で俺の前まで来ると、緋色の瞳を真っ直ぐ俺の目に据えてくる。もう何度思ったか覚えてないが、キンジの周りはどこまでも美人美少女に溢れてるな。

 

「かもな、鬼軍曹ジョン・ウィンチェスターのブートキャンプを生き延びたお陰だ」

 

「……その目、もう、治らないんでしょ。……キンジから聞いたわ。誰にやられたかも」

 

 沈鬱げに神崎は言うと、緋色の目を逸らした。

 最後に神崎と会ったのは、ジーサードたちと本土に戻る前だったな。神崎は英国、俺とキンジは本土に、違う国の土を踏んだ。

 

 あのときはまだ、ミカエルに右目を奪われる前だったからな。……ったく、ミカエルは本当に面倒なことをしてくれた。

 

「頼むからそんな顔するな。片眼で済んだのはむしろラッキーなんだよ、あんな化物に敵意を向けてまだ首と体が繋がってる。普通は両目を焼かれてジグソーパズルみたいにバラバラだ」

 

「無理ね。バスカビールは家族だって、あんたがそう言ったのよ? 澄ました顔で……いられるわけないじゃない。無理よ、そんなの……」

 

 ありがとう、神崎。それと、ごめん。

 ジャンヌの時も思ったけど、こういう顔されるとやっぱり堪える。親しい相手ならなおのこと。

 

「大丈夫だよ。まだ左目は無事だし、俺は残った眼を大切にこれまで通りやってく。そんなとこより先に最後の殻金だ。俺とキンジがぱぱっと取り戻してやるからお前はかなえさんの釈放にそなえて、いつでも甘えられるようにやりたいことリスト、ちゃんと作っとけよ?」

 

 眼を丸くして、そして神崎は苦笑する。

 やりたいことリストは大切だ。いざ突然と再会すると、どう甘えていいのか分からなくなるもんだからな。

 

「もうすぐ鬼ノ國、気付いたときにはデススターのど真ん中だ。決戦前お約束の談義は、二人でどうぞ? 俺はさっきの標本の前でマグライト振り回してるよ。ナイトミュージアム気分で」

 

「プテラノドンのケージは放すなよ?」

 

「善処する。──プテラノドンってどうやって繁殖すんのかな、やっぱ卵? それとも哺乳類と同じ? ちっちゃいプチラノドンもいるかも」

 

「可愛いからって盗んじゃダメよ? 寮じゃ飼えないんだから」

 

 

 

 

 踵を返すと、聖堂の壁に男がもたれかかっていた。

 

『天にまします我らの父よ、みなが聖とされ。主のみくにがどうとかこうとか。皆を空くから、お救いください』

 

 くたびれたコートを足首まで垂らし、男はステンドグラスが照り輝く頭上を仰ぐ。シャーロックのツテ、そんなわけない。知った顔だ。

 

『──真実は語られなかった、これでは到底神について知ることはできない。私は文字通り荒れ地をさ迷い続けた。ときには狂信者と呼ばれながらも探し続けたよ、我らの父を』

 

「我らじゃない、お前のだ。無視しとけばいつか消えてなくなる作戦は前に失敗したから壮大に愚痴ってやる。手土産も持たずに戻ったのか、ジャックでさえ豆を持って返ったっていうのに」

 

『おいおい、普通その年になれば昔の知り合いとの再会は喜ぶもんだ。それがたとえこんな、尼さんの生産工場でもな?』

 

 信仰心なんて欠片もない、さっきの祈りも顔に土を投げてるようなもんだ。いや、信仰心はある。

 だがこいつが信仰するのはみんなが祭り上げてる()じゃない。

 

 ツイてない。その見られただけで呪われそうな()()()()、二度と見たくなかった。全員墓場に送ってもう無縁だと思ってた、完全にふいうちだ

 

 サービス旺盛な呪い、嫌な相手限定の同窓会みたいだぜ。メグやルビーならまだマシだった、見たくもない顔だけ呼びつけてくる。

 

『ひどい顔だな、砂糖でも舐めたらどうだ。キャンディでも、まあ甘けりゃ何でもいい緊張せずに済む』

 

 その名はアザゼル、地獄の王子。

 ローンレンスの家を、母さんごと焼き払い、すべての始まりを作った、黄色い目の悪魔。

 

 そして、今回は終わりを報せに来た。

 なんにでも意味やメッセージを持たせたがるのが人間だ、だからこの黄色い目の悪魔がやってきたのにも意味を感じてしまう。

 

 これから行く鬼ノ國、鬼たちの住まう場所ですべてが終わるんだ。

 シャーロックが撃った一発の『緋弾』から始まった──この無茶苦茶な旅路が。

 






 活動報告にも上げましたが一区切り前の最後の章です。四年続けて展開が早いのか遅いのか、感想、お気に入り、評価、支えになりました。反応を貰えるのはやはり大きいですね、ありがとうございます。


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Yellow-eyed demon

 

 

「仲直りってことかしら?」

 

「ジョー、いま私たち三分間睨らみ倒したの。なんでか分かる?」

 

「母さんは謝らないってこと」

 

「お前は謝るつもり?」

 

「母さんが謝るならね、キッカケをくれたら謝るわ。平和的に、キリみたいに」

 

「あの子は平和的になんて謝らないわ。謝ったと見せかけて別の傷跡をつけて帰る子よ」

 

 バーのカウンターで見えるお決まりのやり取りには不謹慎にも呆れより安心感が勝った。

 流れ弾がを貰ったことはさておき、あの二人にとっては何事もないほうがおかしい。ハーベル一家の普通の規準は、他とは少しだけ斜めに逸れてる。

 

「そうやって憎まれ口叩きながらずっとにらめっこする気? もう子供じゃないのよ」

 

「まさか、確かに私はにらめっこが大好きよ。でも店は開けないと。ちなみに今のは私の勝ち」

 

「どこがよ、私の勝ち」

 

「あの二人、ずっとやりあってる」

 

「すぐに慣れるよ。ああ見えるだけでお前と肝っ玉母さんくらい仲がいいんだ」

 

 カウンターから数歩分、離れたテーブルからにらめっこの結果を見届ける。苦笑いする友人と、二人分のグラスを添えて。

 

「さっきからスコッチが水に溶け放題だ。焼け酒タイムって言ってなかった?」

 

「気分が変わった、考えてみるとお前と久々に会えてアルコールに溺れて終わらせるのもな。ってことで溺れるのはやめだ。お母さんの調子は?」

 

「行ってみたいところがいっぱいあるって。ゆったりくつろぎながら本を読んで、美味しい料理で体重を増やしたいってさ」

 

 平和な願いを聞きながら、氷が溶けまくったグラスを傾ける。水が溶けまくったお陰で、味はほんの少し柔らかくなった気がする。

 エレンにしちゃ物足りないかな、俺たちも酒には強いがエレンとミックだけは別次元。鉢植えに水やりかって勢いでも翌朝は平然としてた。本の虫にしては、あの賢人はタフだったな。

 

「ケビン、お前のお母さんはいま思い出してもとても──逞しい人だったよ。襲ってくる悪魔を爆弾で返り討ちにしたり、魔女をボディーガードに雇ったりさ、昼間から酒を浴びてるそこらのハンターより逞しかった」

 

「母さんは昔から物事を割り切るのが得意だったんだ。生きていく為にはどんな環境にも適応しないと。でもこれって言うのは簡単だけど、いざやろうとすると躓く」

 

 そう言って古い友人はグラスを揺らす。

 昨日まで参考書を読み耽ってた勉学生が、いきなりシェルターみたいな部屋に匿われて意味不明な石板の解読に励む。

 

 適応するのも一筋縄じゃいかないよな。躓いて当然だ。理不尽なのにも程がある。

 

「ああ、だからよくやったよ。お前も十分逞しくて、タフだ。お母さんの教育の賜物だな。お陰で俺たちも命を救われた」

 

「よしてよ、僕は君たちの間を取り持ちながら石板と睨めっこしてただけ」

 

「いいや、違う。お前は、一緒に大勢の人を救った戦友だ。それ以外に言葉がない。躓いて机に突っ伏して、スナック菓子食いながらクランクアップしても誰も文句は言えなかった。だけど最後まで走り抜いた、俺たちと一緒にな」

 

 でもそうじゃなかった。頭がおかしくなる、傷を広げると分かっていても正しいことをやる。

 隣でグラスを傾けるケビン・トランって男はそういう人間だ。

 

「お前を誇りに思う。いつまでも」

 

「……君って僕の母親?」

 

 おー、そう来るか。母親ね。お可愛い笑顔だこと。

 

「その返しを教えたのは俺だぞ、使うなら別のヤツに使え。本心だよ、心からな。それと、お前のもアイスが溶け放題だぞ?」

 

「僕はいいんだよ、時間をかけてゆっくり進むタイプだから。時間をかけてね」

 

「スコッチに水が溶け放題でも気にしないか。うー、きっつ……喉が火炙りだ」

 

 残ったグラスの中身を喉に傾け、一瞬の静寂を挟んでアルコールが体の中で暴れ狂う。

 

 カウンターではボビーとルーファスがいつものようにやりあい、停戦したエレンとジョーは呆れた顔でそのやり取りを微笑ましく、眺めてる。

 80年代のロックスターみたいな服のアッシュもビールを片手に添えて一緒だ。

 

 洒落た店でもない。

 高級感より使い古され、くたびれたって言葉が相応しい。でもここには安らぎがある。

 

「おおっ、一緒してもいいかな。ああいい、追加のアルコールは結構だ。座らせてもらえるだけでいいんだ」

 

「やあ、ドナテロ。ここどうぞ」

 

「すまない。ああ、椅子に座れるというだけで安心する、いつも思うんだ。立ち上がることは大切だ、だが時には座って自分自身を過去を省みることも大切だと。なあ、子供番組の司会者なら言いそうだろう?」

 

 何人もの客を受け入れてくたびれたレトロなウッドチェアに腰を下ろすなりドナテロ──古い知り合いは饒舌に語り出した。

 ドナテロ、なぜか隕石の降る場所にいつも立っている、不幸を磁石みたいにその身に引き寄せてしまう男。それはもう不幸で定評のあるキンジの対抗馬になれるレベル。

 

「子供番組の司会者?」

 

 案の定、ケビンは怪訝なまなざしをドナテロへ向ける。

 

「ああ、司会者。アマラに魂を取られてから、道義上の問題が起きたらこう考えるようにしてるんだ。子供番組の司会者ならどうするか。いまの私の善悪の規準は、誠実な司会者ロジャースだ」

 

「子供番組の司会者が道徳の先生?」

 

「……ケビン、強烈なキャラでやられそうになるけどこれでもこの人教授で語学に堪能なすごい人なんだ。無神論者だったのにモノホンの神にも気に入られちまった、すごいだろう。愛嬌たっぷり」

 

 驚きのまなざしを振られ、俺はケビンに肩をすくめてみせる。仮にも本業は教授、語学にも非常に堪能な聡明な人なんだが、それを強烈な個性で塗りつぶすのがドナテロ・レッドフィールド。

 

「ロジャースのお陰だ、うまくやってる。魂は盲腸みたいなもんさ、失くして初めて気がつく」

 

 真面目な顔でとんでもないことを語るドナテロは、ルシファー曰くある日いきなりジャンヌ・ダルクにされた無神論者。どういう意味で言ったのかは、魔王のみぞ知る。

 

「駄目だ、ペースに飲まれるな。こういうときは話題を変えるんだ」

 

 話題逸らし、キンジの十八番。そうだ、前に手頃な家を探してるって言ってたぞ。

 ありきたりだがそれで行こう。

 

「どこから来たんだ?」

 

 ドナテロはハッとした顔で、

 

「いい質問だ。我々は一体どこからやって来たのか」

 

「いや、そういうスケールの話じゃ……」

 

 駄目だ、ケビン先生に任せよう。あ、ケッチも見つけた。あいつも巻き込もう。

 ケッチを手で招き、入れ代わりに俺はテーブルを立った。

 

「ドナテロ、今日は無礼講だ。楽しんで?」

 

「ビールの味はまだ慣れないが、雰囲気はいいな。ミニLAみたいで」

 

「最高の誉め言葉、マスターに伝えとく」

 

 拳を軽く合わせ、俺は心の底からの笑みを贈った。

 次に見える顔はお馴染みの元宿敵。

 

「ケッチ、楽しんでる?」

 

「そこそこにね、そちらの捜査官とさっきまで楽しくトークタイムだ」

 

「頭痛誘発罪で危うく逮捕だった」

 

「おや、ヘンリクセン()()()。非番までお仕事ですか、ご苦労様です」

 

 こちらは蛇みたいにしつこく、おまけに優秀な現役のFBI捜査官。

 パリッとしたスーツは今日はお休み、黒いレインコートはずいぶんとくたびれてる。でもここだとスーツよりもその方が似合う。

 

「このコートの赤いシミは国民の血税の色だ」

 

「それ、ブラックジョーク? 女の子口説くなら別のヤツがいいかも。どうですか、娘さんとは」

 

「遠慮を知らない男だな、想像に任せるよ。今時の若者が将来なりたいものはなんだと思う?」

 

「連邦捜査官じゃないな」

 

「講師や宇宙飛行士は努力がいるから嫌、有名になりたいんだそうだ」

 

「俳優なんてどうです。異世界じゃ俺、それなりに売れてる俳優だった。手伝いますよ?」

 

「口説き文句としては10点だな。俺のよりひどい」

 

 目を伏せて笑う捜査官に俺も苦笑する。これ以上はやめておこう、頭痛誘発罪は貰いたくないからな。

 

「失礼、お嬢様からのコールを伝えに来ました。あっちで呼んでるわ」

 

 まるで言葉に言葉を被せるようにやってきたのは頼りになる敏腕ハッカー。あどけなさと愛嬌が滲み出ているチャーリー・ブラッドベリー。

 デスクワークも鉄火場もなんでもござれのスーパーサブで、ハリーポッターで好きなキャラクターはハーマイオニー。お決まりの芝居めいた登場も、愛嬌で殴り付けられてる気分になる。

 

「リュックを忘れた家出少女みたいだな」

 

「それって褒めてるの?」

 

「一応、誉めてる。お嬢様って……あいつか、尻尾に毒を持ってるお嬢様ね」

 

 夾竹桃、そのブカブカの黒いパーカー気に入っちゃったのか。なんてこった、チャーリー以上に家出少女っぽい。いや、似合ってんだけど……

 

「でも危険な子って好きでしょ?」

 

「喉元へナイフ当ててくる出会いさ。あれで気に入った」

 

「喉元へのナイフで惚れた? ちなみに私もいまとってもいい感じなの、スパで知り合ったブロンドの子とルームシェアしてる」

 

 意気揚々と、自慢げに語ってくれる姿が……どうしてか分からないけど、すごく、ああすごく……心のどこかで望んでる気がして、

 

「チャーリー、すまない……ほんとに、ほんとにごめん……」

 

 そうしないと気が済まなくて、気がついたときには彼女の体を引き寄せて謝ってた。

 

「ごめんな……チャーリー……ほんと、に……ほんとに……ごめん……」

 

「……あのね、キリルくん? 私が思うに謝られる原因が5つあるんだけど、これってどれについてなのか教えてくれる?」

 

「……人間、たまに理由なく体が動くときがあるんだよ。いまここで謝っとかないと一生後悔しそうな気がしたから、そんだけ。その5つ全部まとめてさっきの謝罪ね、これで真っ白」

 

 割れたパソコン、血まみれの浴槽、横たわる妹同然だった彼女。地獄より見たくない景色が頭に差し込まれ、フラッシュバックする。

 謝罪なんて自己満足だ、どこまでいこうと過去は都合よく覆りやしない。

 

「分かった、何について謝ってるかはこの際置いとく。許す、これで綺麗さっぱり──またね、戦友」

 

 

 

 

 駄目だ、敵わないなあ。

 

 

 ──ああ、またな戦友。

 

 

 

 

 

「いい空気のところごめんなさいね? 貴方の兄上様、待つことを知らないタイプの人だから」

 

「知ってる、デスクでジッとしてられないタチなんだよ。ザカリアの作ったRPGじゃ重役候補だったけど」

 

 呼び出した彼女の元には、ディーンとキャスのお決まりのコンビもいた。コンビ名はたしかキャスディーン、だっけ?

 

「いい空気ってもしかしてチャーリーとのこと?」

 

「ええ、見てたらいい感じだったから」

 

「大事な子だ。でもいい感じより先には行かないよ。だって」

 

「彼女は女が好きだ」

 

 ディーンの言葉に夾竹桃は目を少し丸めて「……気に入った」と、怪しく微笑んだ。

 視聴者人気をかっ拐う悪役って感じ、理子も昔言ってたな。不敵な笑みが悪の女幹部って感じで好きだってさ。

 

「んで、これは察するにいまからタッグ決闘(デュエル)をやろうって流れ?」

 

「みてのとおりよ」

 

 なるほど、と心中納得する。店に負けず劣らずの年季の入ったフーズボールがすぐ前に鎮座しているからだ。

 

 フーズボール、サッカー版ボードゲームと言えばイメージやすい。ボードの側面に飛び出ている選手の人形が取り付けられた四つの棒をプレイヤーが操り、ボードのなかに用意されたゴールにボールを入れる。

 

 ルールは実に単純だ、オフサイドやファールスローで待ったをかけられることもない。

 しかし、子供の遊びというには重たく、張り詰めるような緊張感が漂い始める。遊びっぽいことを遊びじゃ片付けないのがディーンの特技だからな。

 

「負けたほうがビールを奢る、何杯でも」

 

 ディーンのそれは、重たい空気がそのまま言葉にのしかかったような重厚感のある声。まるで野晒しの荒野の抜き打ち勝負かって緊迫感が肌を撫でつけていく。

 すっかり現代社会に毒されちまったトレンチコートの天使さまもやる気十分の目をしてる。

 

「──上等。ポーカーで巻き上げた金を全部そのまま頂いてやる。エレンへのツケもこれで減刑だ、どうだ俺の思うつぼだ」

 

「横から失礼。ツケっていうのはいずれ払ってくれる客にのみ許される特権なの。貴方のはただの借金、雪だるま」

 

「……ジョー、えっと……どっちの味方?」

 

 「給料をくれる方」と、見も蓋もない言葉を残して看板娘は去っていく。それがキックオフの合図となった。

 

「数年越しの、雪辱を晴らすチャンス……! いくぞキャス!」

 

「させるかよ! 盛り上がってるとこ悪いがそうはいかないぜ、俺はフーズボールが地球1強いぃぃいい!」

 

「今日から地球2位だ、ざまあみろーッ!」

 

「日頃の恨みだディーン! 大勢の前で返り討ちになるといいねェ! いけ、マードック、ロイ、サンダース!」

 

「選手の人形に名前つけたワケ……!?」

 

 こっちの方が力が入るんだよ、大見得を切って負けたくない。この勝負、負けられん!

 

「ところで、どうなんだ。あー、調子は?」

 

「調子ってなんのことかしら、大天使さま」

 

「白いフェンス付きの家のことだよ、ヴェロニカ・マーズ。ワンコを混ぜて三人、ガレージの付いた城の居心地は?」

 

「悪くない。でもオープンな間取りより仕切られてた 方が私は好き」

 

「意義あり、仕切りはないほうがいい、物を探しやすいしからな。そこだ、この……!」

 

 物を失くして大ダメージ、そしてルームシェアの相手と戦争勃発。お決まりの流れだ。傘を奪った奪われたで戦争になる。

 

「驚きだわ、修行僧みたいに何もないあの部屋で何を探すつもり?」

 

「ああ、そうだな。欲望のままに電子レンジに本棚、テレビで流れてる清掃用具にキッチンのおともたち。そうやってどんどんものが増えてく。次はバランスボールに健康器具か?」

 

「あ……ちょっと……! お喋りは終わりッ! 抜かれた、外! 外にクリア! クリアしなさいキリ!」

 

「ちくしょうめ! この……姑息な……だがまだこっちには守護神ワッツが……!」

 

 

 

 

 

 ……

 …………

 ………………

 

 

 

 

「ピート・ミッチェル大佐はいつまでも憧れの人だが、酒を奢るのは好きじゃない。派手に金をばら蒔いてやろうか、コイン」

 

「コイン?」

 

「ああ、コインを撒く。カナダ式だ。コインってところが」

 

 案の定、敗者となってしまった俺と夾竹桃はちびちびとチャーリーが持ち込んでくれたクラフトコーラを仲良く二人分のグラスで飲んでいた。

 守護神ワッツがやられちまうとはな。明日からは地球2位を名乗らねえと……

 

「やっちまったな、飲んだくれにビールのタダ券を渡しちまった」

 

「そういうゲームだったの、悔いはないわ」

 

「お上品なことで」

 

 けど、財布に風穴が空くのは決まった。

 見ろよ、ボビーにフランクまでいる、飲んだくれのアベンジャーズだ。なんて光景だよ。

 

「ところで先生、タールピットと流砂は何が違うんだろうな」

 

「さぁね、タールと砂の違いじゃない?」

 

「最近、流砂って見ないよな」

 

「……なんの話なの?」

 

「昔はドラマでもよく見たじゃないか、登場人物がみんな砂にのまれて。自然界の殺人トラップ」

 

「夜寝る前にいつもそんなこと考えてたの?」

 

 いつもじゃない、たまに。たまに寝付けないときに気になることが頭に浮かぶだけ。でも怖いだろ、自然界の殺人トラップってまさに的確だ。

 呆れたように笑い、彼女は席を立つ。グラスは起きっぱなし、そして手招き。ああ、なにそこまでやるわけ?

 

「トップガンを引き合いに出したのはそっち。貴方の大事な看板娘と約束したのよ、負けたらお店のムード作りに貢献するって」

 

 ピアノの前に立った夾竹桃が髪を後ろ手でかきあげる。これは嬉しいサプライズ、さすがジョーだ。

 

「ほい、先生。俺お気に入りのマーベリック仕様のグラサンだ」

 

 エールついでにパーカーの襟に差してやる。師匠はジャンヌ先生だろう、泳げない以外は何でもできる女だ。腕前は想像に難くない。さて、

 

「何でいく? 盛り上がるやつ」

 

 隣に座り、薄闇色の瞳に問う。

 

「驚いた。貴方の秘密って、パリの地下墓地みたいにいっぱいなのね。ピアノも嗜んだの?」

 

「今日はブラックジョークだらけだな。昔は浅く広くなんでもやりたかったんだよ。そんじゃあーーFloor Killer。ブチ上がるのから行くか」

 

「派手なのは苦手。けど、たまには王道を行きましょうか」

 

 鍵盤に指がかかる。

 Floor Killer──最初から最高潮の最頂点。みんながいるこの場所で、最高のハコで、クラブミュージックを楽しみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「外から見ると、天空の城ラピュタみたいだな。根が絡み付いて、最後の空に上がっていく場面に似てる」

 

 俺がデススターと吐いて捨てた場所を見るやジブリ好きのルームメイトはそう言った。天空の城、あれもデススターに負けない反則要塞だ。

 

「なあ、さっきの……寝不足か? 目を閉じてジッとなんか思い詰めた顔して」

 

「実は少しだけ寝てた、いい夢だったから。夢というか願望ってやつかな。行こう」

 

「……大丈夫、なのか? なあ、なんか……最近変じゃないか? もしかして例の……」

 

「俺はいつも変だよ、変じゃない方がおかしい。やっとデススターと対面して気が昂ってる」

 

 鬼の根城──鬼ノ國。そこは島全体がマングローブの密林に覆われた小島だった。砂浜や岩場はない、木々がそのまま海に接し、島の中を隠している光景は、ラピュタというのもあながち遠くない。

 キンジ曰く、奴等が移動に使っていた爆撃機のサイズから測るに200m四方ぐらいの小島だそうだ。無数の幹が海面に根を張った孤島……インディ・ジョーンズの舞台って言われてもおかしくないな。

 

 教授が艦内でしてくれた話によると、鬼ノ國は旧日本軍が海底油田採掘のために建設した着底式採掘場。かつて使われていたであろう建物にも名残がある。

 軍が廃棄した物資を利用して、独自の国家を作り上げたんだな。マングローブの中に。

 

「どこもかしこも鬼だらけね、右も左もみんな鬼だわ」

 

「鬼の国なんだから当たり前だろ」

 

 キンジと神崎はこんなときにも平常運転。

 艦に残ったシャーロックと鬼一人を除き、派手な偃月刀を持った候、閻と津羽鬼、俺、神崎とキンジの六人で密林の国を進む。

 

 どこを見ても鬼だらけ、神崎の意見にはひどく賛成だ。どこを見ても鬼だらけ。どいつもこいつも食うか呑むか、寝るか。怠惰な連中しか見当たらないな。

 

「悪魔でも営業活動する時代になんともゆるいご身分だこと」

 

「……あい、かつての地獄の王は十字路の長だったと聞きます。とても勤勉だったと」

 

「クラウリー、十字路の取引王。いまはもう虚無の彼方だよ。最後は自分のやりたいことをやって散ったってさ。こんなこと言うとは最初は思ってなかったけど……もう会えないと思うと残念だよ」

 

 停戦状態らしく、俺たちを先導してくれた閻、と津羽鬼は足を止めて、そびえた建物を見上げてゆく

 

「覇美様はこの『天守閣』に御座す」

 

「然れど、今時分は御休みであろう」

 

 かつての旧日本軍の居住設備と思われるそれは四階はありそうな高さだが、コンクリートは剥き出しだし、窓ガラスもドアすらない痛々しく錆びた、廃墟同然の城だった。

 素敵な建物だね、特にあの錆びた鉄骨とか。キンジ天守閣って言葉に苦笑いしてるが、連中のボスが居座ってるならそれはれっきとした城だ。

 

『馬小屋も廃墟も愛しの彼女がいればどこでも城だ。神よ、世界が滅びる前にどうか楽しい夜を過ごさせたまえ』

 

 ……黙ってろ、狂信者が。さっき退出のボタンを押してやっただろうが。

 

『脳がオーバーヒートする前に氷で冷やす?』

 

 氷か、お前には必要なさそうだな。

 リリス、名前からして冷たそうだ。黙って地獄に落ちてろ。

 

『もう堕ちてるわよ、経験済み』

 

 黄色と白、不気味な瞳が揃って俺を睨み付けてる。リリスとアザゼルが同じ空間に揃い踏み、そんな光景は悪夢でも物足りない。

 ……やっと覇美の足下まで来たんだ。最後の殻金に手が届きかけてるってときに……頭がやられるわけにはいかない。

 

「やっと来たわね。キンジ、キリ、ここが山場よ。最後の分かれ道、覚悟はいい?」

 

「いつでもしてる。お前が空から落っこちて来たときからな」

 

 凛とした神崎の言葉で我に返る。

 ここが分かれ道、ここだ。ここだけでいい。ここだけ持ちこたえればいいんだ。簡単な話じゃないか、 残ったリソースを全部回して『今』だけもたせればいい。

 

「行こう」

 

 ここが分かれ道、決意を固めて俺たちは先導する二人の鬼に続く。

 想定外な黄色い目と白い目の悪魔を、頭の奥に引き連れて、

 

『正義の味方っぽく理由持たせても駄目。本当は殺したくてウズウズしてる。良かった、大義名分で殺せる相手が見つかって』

 

 リリスでもアザゼルでもない声に歩きだそうとした足が止まる。頭の中は悪魔で渋滞してるってのにまた飽きずにトラブルが舞い込んだ。

 

「……ダゴン」

 

『観戦しに来た、特等席にね。ああ、あんたの頭の中のこと。もう先客がいるの?』

 

「あい? 何か言いましたか?」

 

 きょとんと、首を揺らした候にかぶりを振る。

 黒い革のジャケット女を、無視するつもりで通り過ぎる。

 

 ダゴン、もう一体の黄色い目。アザゼルより後ろの、地獄の王子。

 ……この調子じゃ同窓会が開けそうだぜ、悪夢再びだ。頭の中にどんどん悪魔が、住み着いていきやがる。

 

 もう神様相手に怯む心配はなさそうだ。

 

 

 



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ARCANA

 

 

「……謀反か?」

 

 つまらなさそうに呟いた刹那、前後から覇美を挟み込んだはずの閻、津羽鬼の体が空を舞った。

 

 トラックにぶつかったような勢いで前から仕掛けた閻が、後方から飛びかかった津羽鬼がコンクリートの壁に突き刺さり、それでも殺しきれない衝撃は壁を破って二人の体を天守閣の外へと放り出した。

 

 一瞬。たった一瞬見せた覇美と臣下二人の攻防は、背中に寒気を覚えるには十分すぎた。

 人なんて粉々になりそうな鬼の一撃二発分を片手一本ずつで防ぎ、カウンターで二人を投げやがった……

 

「嘘でしょ……」

 

「……閻が、自分が七人いても手傷一つ与えられないって言ってた。ハッキリと分かったよ。冗談じゃなさそうだ」

 

 ああ、冗談なら良かった。いや、今回ばかりは優しい嘘をつかれても困ったかな。

 ボロボロだったコンクリートの壁を襖みたいに突き破って手練れの鬼二人はたった一度の攻防で場外。冷酷に勝敗を下された。

 

 津羽鬼の超スピードに反応し、閻の剛力を押し返す膂力。超能力も魔術もない、俺が一番敬遠したい身体能力だけで相手をねじ伏せる、五体そのものを兵器とするタイプ。

 どうやら極東戦役は最後の最後で一番の化物が控えてたみたいだな。

 

「キンジ、こい。覇美、第六天魔王。魔王からは、逃げられない」

 

 野生味溢れる瞳がキンジに突き刺さる。

 赤銅色の髪に緋色のヒガンバナを一輪、生花の髪飾りとはどこかの誰かさんを思わせるがあいつほど穏やかじゃなさそうだ。

 

「ご指名みたいだね」

 

「いいのか? なんとかなる引き出しがないなら俺が出るぞ?」

 

「女の子に指名されてそれは通らないよ。あの子は俺を選んでくれたんだ、応えよう」

 

 未だに分からねえよ、何がトリガーになってやがるんだか。

 恒例の『もう一人のキンジ』の姿になったルームメイトは一歩ご指名に応じて歩を踏み出す。戦いの舞台に上がるその動きに、覇美の頬がほころんだ。

 

「キンジ、いま戦ない、つまらない。覇美は明日、日の本と中つ国とで天下布武する。強いもの出させる、始める!」

 

 古めかしい言葉だがそいつはーー

 

『戦争よ、分かるでしょう? あの子は心の底から戦いを望んでる。だからお友だちになれた』

 

 ……緋緋神と意気投合できたってわけか。

 神崎や猴よりも覇美の性格は緋緋神に近い、それだけ悪いお友だちの影響も受けやすい。天下布武、総合格闘技ほど和む催しじゃねえな。

 

「覇美、君は強い男が欲しいんだね。戦いを、自分を打ち負かしてくれる強い者を待ってる、そうだね?」

 

「おう。覇美が好きは、強い者! 覇美、自分より強い者の物に、なりたい! 覇美より強い者、まだ現れぬ!」

 

 期待を色濃く込めた瞳で、覇美はキンジに小首を揺らす。

 

「キンジ、お前は────強いのか?」

 

 至って簡潔に。お前は強いのか、と。

 胃が軋むような緊張感は、皮肉なことにイカれそうな頭が台無しにしてくれた。アザゼルがわざとらしく両手を叩き始めたからな。

 

『名案を思い付いたぞ。彼女に "戦争の指輪" をプレゼントしてやったらどうだ? どうせクローゼットの奥で潰れてるだけだろう、くれてやれ』

 

 また額にコルトが欲しいなら言え。今度は3発ぶち込んでやる。その黄色い両目に2発と額の真ん中に1発だ。

 

『つまらないことを言うな。罵りあっても楽しくないだろ? 私たちは同じ頭の中、一つ屋根の下で暮らしてるようなものだ。どうせなら共同生活を楽しもう」

 

『おー、すごいね。威圧感あるじゃん、お友達大丈夫?』

 

 他人事のようなダゴンの言葉が指したのは覇美が持ち上げた鉄の塊みたいな大斧だ。床に触れた途端、地響きみたいなおぞましい音が鳴る。

 

 500kg……いや、それ以上か。刃が落ちたさっきの音は完全に地震だ。あんなもん鬼の力で叩きつけられたら一発で木っ端微塵だ。

 

 ギャラリーの席から力の塊みたいな物騒な獲物を睨んでいると、覇美の……光ってる。

 僅かだが着物姿の覇美の体を緋色の光が包むように明滅してる。緋色の光、この一年ですっかり不吉の前兆になっちまったな。

 

「キンジ、長引かせちゃダメ! あの子への緋緋神の影響が、少しずつ強まってる!」

 

 有無を言わさず、ガバメントを抜こうとした神崎にキンジがかぶりを振って制す。

 

「駄目だよ、アリア。あの子のご指名は俺だ、それに君が傷つく姿はあの斧に殴られるよりもずっと、俺の心に深い傷を残すことになる。だからどうか俺を信じてくれ。君が望むなら俺はーー何だってしてみせるよ」

 

 ウチのルームメイトはつくづく悪い男の手本みたいな男だよなぁ。

 普段のひねくれ遠山キンジとこのイーサン・ハントみたいな優男モードとのギャップ。この落差にみんなやられちまうのかな。これからも増えそうだ。

 

『あんたもあれくらい甲斐性があればねぇ』

 

「キンジ、どうせ計画があるんだろうから心配はしてない。ここまで長々と振り回してくれたんだ。遠慮はいらない、やっちまえ」

 

「覇美、これは大切なことだけど、朝食は何だった?」

 

 ダゴンの不愉快な小言を無視してやると、キンジが唐突に毒気の抜けることを聞き始める。

 見ろ、天然の気がありそうな親方さまも不思議そうな顔してるぞ。なんでこのタイミングで朝食を聞くんだよ、何かの作戦か?

 

「スイカ」

 

「うーん……スイカだけかい?」

 

「おう」

 

「……まあいいか」

 

 どういう意味だ……?

 キンジはスイカで納得したらしい。神崎と候を見るが二人もキンジの真意は読めていない俺と同じ顔だった。

 

 天守閣の床をキンジが前に進む。

 距離を詰めながら手を開いては閉じ、遠回しに武器は使わないとアピールしながらお互いが自分の間合いに相手を誘う。

 

 1m半、白兵戦には不自由ない距離まで縮めたところで足は止まった。

 

「天下ぁ──布武ぅ! こい、キンジ!」

 

 覇美は青光りする凶器を担ぎ、もう片方の掌を正面に開いて見せる。あの鉄の塊を片手で……単純な力比べじゃ天と地なんてレベルじゃないな。

 

 相手は五体がそのまま凶器になってるような緋鬼だ。一撃貰えれば致命傷、桁外れの膂力で叩き潰される。

 あどけない顔して、相手は武者修行を嗜んで戦いの経験も貯まるに貯まってる猛者だ。言葉通り御自慢の武器を携えて鬼に金棒の状態。

 

(キンジ、正気か……?)

 

 キンジの立ち姿、構えを察するにあの馬鹿、金棒を持った鬼に素手で挑むつもりか。頭のネジが一本二本外れてるお可愛いい話じゃないーー狂気の沙汰だ、イカれてる。

 

「ハビがおいで」

 

 ……いや、イカれてない。

 それが最善策だと判断したからの素手だ。銃やナイフで武装するより素手で戦った方がーー勝ち目があるとキンジは判断したんだ、末恐ろしいことに。

 

「キンジ────っ!」

 

 神崎の張り裂けぶような声が天守閣を駆ける。

 先手を譲って仕掛けることを放棄したキンジの真上から、大きく振り上げられた斧は無慈悲に下ろされた。

 

 あんなふざけた速度であんな鉄の塊が飛んできたら、人間の皮膚も骨も意味を持たない。一発で命は刈り取られる。

 が──まるで鞭を振るうような重量とは不釣り合いな速度で振るわれた理不尽な斧も、存在が理不尽な男の首を落とすには、まだ足りなかったみたいだ。

 

「……ッ……!」

 

 覇美の瞳がぱちりと見開き、初めて驚きの顔を見せる。

 理不尽には理不尽を、にしても無茶苦茶だ。そいつは無茶苦茶過ぎるぜ……キンジ。やることなすこと全部無茶苦茶じゃねえか……

 

 閻と津羽鬼の謀反でギャラリーの鬼たちが逃げてなかったらきっと阿鼻叫喚だった。

 

 自分たちの嗜好の為に生かしている、と吐いて捨てた人間が──本気で振るった親玉の斧を素手で止めちまったんだからな────

 

「お?」

 

 そして、ありえないものを見せられて驚きに染まっている覇美の胸にキンジの手が当たる。

 恐ろしいことに受け止めた斧の刃に今度は指先で穴をくりぬき、即興で握り込むための場所を作ったキンジは斧もきちんとホールドしてる。逃げ場はない。

 

 覇美の胸にキンジの手が乗せられたとき、俺はようやくさっきキンジが投げ掛けた質問の真意を察した。

 神崎の殻金は覇美が飲み込み、鬼袋という鬼しか持たない特殊な器官に隠されている。そう、ヒントは最初からあったんだ。

 

 わざわざ朝食を聞き、スイカという答えに僅かに悩んだ。俺は少しだけ同情する気分で目を伏せる、それはつまり、

 

「ふッ」

 

 ジークンドーには寸勁という技がある。

 最小限の動きで最高の威力を叩き込む。相手の懐、拳一つ分の間合いから一気に衝撃を送り込む最速の一撃。

 

 キンジがどんなトンデモ法則で打ち出したのかは定かじゃないが、キンジが置いた掌から手榴弾のごとき破裂音が上がった途端、俺も、候も、神崎も三者同時に言葉を失う。

 

「うええぇぇぇん」

 

 掌から破裂音を響かせるや、四つん這いになった覇美の口から『鬼袋』に隠していたものが次から次にこぼれ落ちる。

 黄金のサイコロ、判子、珊瑚の笛、白銀の指輪……鑑定番組にでも出せそうなものが次から次に口から外にあふれてくる。

 

 ……即死の一撃を真っ向から受け止めて、逆にカウンターの一撃で勝負を決めやがった。

 ほんの少し見ない間にまた化物らしさに磨きがかかったな。これがSDAランキング71位、遠山キンジ。敵じゃなくて良かった、心の底から安心したよ。

 

「うぇええぅえええぇん!」

 

「なんでもくわえ込むからだ」

 

 鬼袋から物を吐くのは、気持ちいいことではないらしい。この反応からするにな。

 四つん這いで涙を流して口から物を吐く、悪魔的な危険な響きがする光景とは別に、勝負が喫した安堵感から俺は後ろ頭を掻く。

 

 ……二日酔いの最高潮みたいな景色だな。敵ながらエグい。腹の中に入ってたせいか、遠目だが全部濡れちまってるのが見える。やけにリアリティーを感じちまうぜ。

 くわえ込んだ物が消化されてないところを見るに鬼袋の中にあるのは胃液とはまた違った……やめとこう、こういう分析は鈴木先生の担当だ。

 

「もうない。もう出ない。殻金、それ」

 

 最後の最後で牙に引っ掛かりながら出てきたルビーの宝石は……あれが、最後の殻金。千年パズルの最後のピース、はっ、やりやがったなお見事だ。

 

「覇ッ、覇美様ッ……!?」

 

「鏖す。口惜しや、人間共……!」

 

 逃げたと思っていたギャラリーがいつの間にか盛り上がってきたので、神崎がガバに手をかける前に一歩前で制してやる。

 

「大将戦は終わったんだ、これ以上やるなら選手交代で俺もでしゃばらせてもらう。ここまで来たら、エレガントにことを運びたいなんて言っても手遅れだからな」

 

 一番の問題は片付いた。後始末くらいは引き受けてやる、やるならこい。フラストレーションが発散するまで相手をしてやる。

 袖から天使の剣を滑り落としながら、そのまま睨み合いに突入すると、

 

「みーつけた! みーつけた、キンジ! 覇美よりつよい! つよいとつよい、つれあいなる!」

 

 さっきまで四つん這いで倒れていはずの覇美の、快活な声が待ったをかけた。

 ……待て、つれあいって言ったか? つれあいって……

 

「くぉぉぉぉおら! バカキンジぃ! あんたはまたちっちゃな女の子にっ! このロリコン! ロリコンは社会共通の敵!」

 

 神崎の怒声が響くやお決まりのように俺も額を抑える。

 キンジの胸に両手両足で抱きついて、顔の高さを揃えた覇美は──星枷がいなくて良かったな。

 

「は、覇美様がッ、せ、接吻なさった!」

 

「み、見て仕舞ったぞよ!」

 

 どうやらこういうのは昔の神崎レベルで見慣れていないらしく、鬼たちはさっきまでの好戦的なムードそっちのけで大騒ぎ。

 一方、鬼たちに代わって敵意を吹き出した神崎は、キンジの両太腿を後ろから抱えてーー派手なプロセス技の鉄槌を決めた。

 

「と、遠山……」

 

「あの二人も飽きないな。候、神崎の中の──」

 

「あい、殻金のことですね。猴はシャーロック卿に、その役目も仰せつかってます」

 

「良かった。帰国して玉藻を訪ねるまでは無防備のままだからな。そこの二人、そこまでだ! そのじゃれあい、一旦停止とするッ!」

 

 ダウンしたキンジの背中にバックマウントで跨がって、後頭部を好き勝手に殴っていた神崎の手がようやく止まる。

 キンジが朝食を吐く前で良かった、あんなもん一日に何度も見るようなもんじゃない。ま、一歩手前だったひどい顔してるけど、止めるのが一足遅かったらアウトだったな。

 

「遠山、殻金は持ってますか?」

 

「あ、ああ。これでいいか?」

 

 胸ポケットに潜ませていた殻金は、ルビーのように真っ赤なパズルのピースのように珍妙な形をしてる。それぞれ形は違うが、覇美がくわえ込んでたこれは、宝石というより勾玉に近い。

 

「雪平……」

 

 キンジから受け取った殻金を一度掌の上で見つめる猴は 、やがて瞳を鋭く尖らせていく。

 

「やめてくれ、偽物を掴まされたなんて言わないよな?」

 

「これは間違いなく殻金の結晶です。猴が覚えている、藍幇が持っていた殻金とも部分的にピッタリ合わさる形状です。これが殻金であることには違いありません。でも、その……」

 

 俺だけでなく、神崎とキンジを合わせて三人分の視線を一度に浴び、言い淀んでいた猴はやがて額に汗を滲ませながら、

 

「……効力を、失ってるです。これは力を失った脱け殻、ただのルビーと同じものになってしまっているです」

 

 俺が、キンジが、神崎を囲う場の空気が凍り付く。

 

「きっと緋緋神が、覇美を通して機能を破壊したのでしょう。難しいことですが、殻金に掛けられた術式を狂わせて機能停止に追い込むことは、可能です……」

 

 ……先手を、打たれた。

 殻金は緋緋神の侵食を防ぐ、一つの術式。溢れようとする水を塞き止める為の壁だ。その壁を緋緋神は弄くり回し、壊した。

 

 ご丁寧に外側はそのまま内側の機能だけを壊した。

 最後の殻金という希望を手にした俺たちが落胆する姿を見る為に。

 

「それじゃあ……アリアは……」

 

 キンジの顔が深く下を向く。

 ちくしょうめ、希望を与え、それをそのまま絶望に変える。悪趣味にも限度がある。

 

 化物みたいな連中の手にあっても、殻金を奪還する方法を選んだのは殻金を "新しく作る" 選択肢が取れなかったからだ。

 その最後の一枚が葬られた。新しく殻金を手に入れる手段はない。たった一つだけ残されていた道が、途絶えた……

 

『一度を餌を食わせてから奪い取る。下準備は手間をかけ、丁寧に仕込んでこそ得られる喜びは大きい』

 

 お前の経験はアテにならないし、聞きたい気分じゃない。

 他に隠れた道がないか頭の中をかたっぱしから探ってるんだ、その黄色い目は集中力を削ぐ。5分でいいからどっか行ってろ。

 

『経験からじゃなくともマニュアルから学ぶこともある。妙な話だと思わないのか? この一番盛り上がるタイミングで、この景色を一番見たかった仕掛人はどこにいる──?』

 

 黄色い目に、視線が縫い付けられる。

 

 地獄の王子、アザゼル。

 ルシファーの檻を開いた最後の一押しはルビーだったが、ルシファー解放までの土台を作り上げたのは間違いなくこの──黄色い目の悪魔。

 

「あははーはは、あははっ!」

 

 神崎の背から飛び出た日本刀が左目を抉るよりワンコンマ早く、俺の踵は全力で後ろに飛び退いていた。

 

「離れろキンジっ! 手遅れだ、もう来てる!」

 

 冷たい刃がさっきまで俺が立っていた虚空を容赦なく裂く。脳内が隅から隅までけたましくアラートを鳴らした。

 

「避けたか、兵隊にしちゃ賢い。ちょっと生まれが違ってりゃ、スナイパースコープの代わりに顕微鏡を覗く人生だって選べたかもなァ?」

 

 八重歯を覗かせ、狂暴な笑みを見せる。

 もう、それは神崎のものじゃない。神崎の顔と声をしていても中にいるのは神崎じゃない。

 

「というわけで、残念だったな遠山。あたしは一手先を行かせてもらったぜ?」

 

 邪悪に笑うのは、緋緋神だ───緋緋神が、神崎の体に降りた。 

 

「ちょっと前からアリアにはいつでも入り込めそうだったんだ。頃合いを見計らってたんだが、お前たちがあんまりガッカリするもんだから我慢できずに顔を出しちゃったよ。けど、猴も覇美も揃ってるし、今がベストタイミングだろ」

 

 虚空を裂いた刀を背の鞘に戻す緋緋神は小さな背を後ろに倒しながら、笑う。

 

「ああ、ああ……残念だったな。残念だよな、遠山! 雪平ァ!」

 

 奪った神崎の体で、神崎が見せることのない邪悪な笑みで。

 

「最後の殻金は壊れた、もうアリアはあたしの手の中だ! さあ、こうなったら次はどうするか分かるよな? あたしを止める方法は一つ、この前の続きをしーー」

 

「──Exorcizamus te, omnis immundus spiritus.omnis satanica potestas……」

 

「あ?」

 

 きろりと緋色の瞳が向いた。

 

「omnis congregatio et secta diabolica.Ab insidiis diaboli──」

 

「お前、バカか? ラテン語の悪魔払いであたしが剥がせるとでも思ったか? ……つまんねえぞ、その余興は」

 

 刹那、殺気だった緋緋神をキンジが後ろから羽交い締めにかける。

 

「……何のつもりだ、遠山」

 

「いいぞ、やれ切ッ! お前の即興に賭ける!」

 

「Ut inimicos sanctae Ecclesiae……」

 

 ありがとうキンジ。信じて即興に付き合ってくれた礼は結果で返す。

 緋緋神、ラテン語の悪魔払いで緋緋神が払えるとは俺も思ってない。けどな、ここに辿り着くまでに時間はあった。

 

「humiliare digneris──」

 

 俺だって、伊達に非日常を今の今まで走り抜けてきてないんだ。

 いつも刃物の上を渡ってきたウィンチェスター兄弟の浅知恵を舐めるな。一時期しのぎの嫌がらせの一つくらい頭の隅に置いてある。

 

「te rogamus──」

 

 見てるか、ボビー。もう子供の頃とは違う、ちゃんとページを見なくても最後まで言える。あんたの教育のお陰だ。

 

「もう間違えねえよ。audi nos────アディオス、あばずれ」

 

 長々と紡いだラテン語が引き金となり、ガラスが弾けるような粉砕音が響く。粉砕音に次ぎ、鉄骨が剝き出しとなった天守閣に青白い閃光が駆け抜けた。

 俺の広げた掌が掴んでいるエノク語が掘られた金のカプセルは因縁深きアーサー・ケッチからの初めての贈り物。取り憑いたモノを強制的に引っぺがす、科学と魔術の──

 

 

 

『これは魔術とテクノロジーの融合、双曲パルスジェネレーター。玩具の話は楽しいよな?』

 

 

 

 カプセルに刻まれたエノク語が白く発光し、内側から溢れるのは肌を殴り付けるような突風。羽交い締めにされた緋緋神を捉えると、まじないの突風は風向きを変える。反対に。

 

「……っ、なんだよこいつは……ッ!」

 

「諦めろ、こいつはルシファーも大統領の器から剥がし取ったUKの賢人のドル箱商品だ。さっさと神崎の体から出ていきやがれぇ!」

 

 「そんな玩具で……!」と怒声が響き、緋色の狂眼が向く。玩具だろうが兵器だろうがどうでもいい。涼しそうなお前の顔が崩れた、十分だ。

 

 風向きは吹き付けるような突風から、引き寄せ吸い込むような逆風に変わった。

 結われた緋色のツインテールが激しく揺れ、羽交い締めをほどいたキンジは床を転がるように離脱する。

 

 器となった神崎の体から緋緋神の意識、魂、呼び方はこの際何でもいい、結ばれた二人をもう一度引き離す。

 ああ、殻金がなけりゃ一時凌ぎだ。だが次の手札を用意するまでの時間稼ぎにはなる。

 

 両足を踏ん張る緋緋神に向け、カプセルからあふれでる光と風は華奢な体をそのまま飲み込もうとする勢いで食らいつく。

 さすが小賢しいUK御用達の玩具、燃料切れで緩む気配もない。そろそろ返してもらうぜ、緋緋神。ウチのルームメイトをな。

 

 

 

 








中盤戦



『────アディオス、あばずれ』S5、12、ディーン・ウィンチェスター──


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Hell's Grand Torturer





 

 

 別の惑星にいるくらい役に立たない──腐敗してる組織への評価は別として、商品のレビューだけは星5つをくれてやる。

 

「そんな玩具でよくも……ッ! ……!」

 

 まるで小さな台風が降り立ったように風が髪を煽り立て、四肢の自由を阻む。

 

 魔術と科学の融合で作り上げられた金色にエノク語が刻まれた悪趣味なカプセルは、奇々怪々な見た目とは裏腹にを過去には大天使すら器から追い出した実績を持ってる。

 

 ルシファーみたいな第一級の化物を追い出せて緋緋神には効果なし、そんな理屈があるかよ。

 青白く発光し、細かく暴れるカプセルを必死に両手で押さえ付け、張り合うように左目だけの狂眼を俺も緋緋神に向ける。

 

「返してもらうぜ。囚われの乙女というか、囚われの跳ねっ返りをな!」

 

 意識を奪われた神崎の足が一歩、また一歩と前に引きずられる。

 体が揺れ始めた、よし──このまま緋緋神の意識を剥ぎ取ってカプセルにぶちこんでやる。

 

「……一時しのぎでずいぶん吠えるじゃねえか。楽観的に考えるのにも限度がある、お前のはやりすぎだ。あたしがそんな玩具にいつまでも留めておけると思うか?」

 

「残念だが名案を思いついちまったんだよ、地獄の檻にお前の入ったこのカプセルをぶちこんでやる。神が魔王の為に作った監獄だ、あそこならもう二度と悪さはできない。頭のイカれたミカエルが四六時中遊び相手になってくれるぞ良かったなぁーッ!」

 

 体裁なんて気にしない。考えられる限り、最低最悪の独房にぶち込んでやる。あそこなら憑依も脱獄もない、冴えてるぞ。

 

「──退きなさい。ヒヒは同時に何体も化身を動かせる、憑いたのはアリアだけではありません」

 

 これで問題解決──悪魔で渋滞してる脳内に新しく直接響いた声が水を差す。

 

「ルル、つまらねえことすんなよ」

 

 ルル──ネバダに隠されてた瑠瑠色金。瑠瑠神(ルルガミ)か。

 警告の言葉は現実となり、強烈な殺意が背中を串刺しにする。

 

「しいッ!」

 

damn it(ちくしょうめ)……!」

 

 心の底で最上級の悪態を叩き、下から這い上がるような猴の蹴りは喉元に触れるか否かの境界を擦過する。

 首から上をそのまま切り取ろうかという鋭い蹴りは刃物同然の風切り音を耳に残した。ワンテンポ回避が遅れていれば、首は間違いなく明後日の方向を向いていただろう。

 

 背後から、しかも味方だと認識していた猴からの完全な奇襲。

 殺傷圏内の外、危険域を飛び出すよりも早く、蹴りとほぼ同時に伸びていたしなる尻尾に命綱のカプセルを手からはたきおとされた。

 

「悪いな、雪平。玩具を壊しちまった、謝るよ」

 

 醜悪に覇美は笑う。

 いや、覇美じゃない。

 

 緋緋神となってしまった覇美の足が、俺の手から転がり落とした悩みの種を壊した。バラバラに解れたジグソーパズルのようにカプセルの残骸が天守閣の床を散らかす。

 

「……俺のお気に入りの玩具を。姑息なやり方しやがる、まだ手品を隠してたとはな」

 

 1体でも頭を悩ませる緋緋神が3体同時、こうなると楽観的に考えられる状況を超えてやがる。

 手札に保険を抱えていたのは一緒か。好転しかけた形勢がまた傾きやがった。

 

 それに、本命ともいえる神崎に至っては神社で敵対したときよりも……身に纏っている気配はまるで別物。アマラでたとえるなら前はクラウリーの手にも負えた少女、今はルシファーすら一蹴しちまう成人の姿。

 人では出すことのできない、異様な空気を身に纏わせた姿。これが完全なる、緋緋神。緋鬼たちが待ち望んでいた彼女たちが崇めていた、戦と恋の神が降臨した。

 

 

「──キンジ、もうこれまでのようです。あなた方は失敗した。ヒヒを止められず、その完全な復活を許してしまった」

 

 見ると、キンジのポケットの奥から青白い光が差している。緋色ではなく瑠瑠色の光、米軍基地強襲ツアーで見つけた瑠瑠神だ。

 

「ルル、またちっぽけな姿になっちまったな。でも人ってのはおかしな話だぜ? 雪平は、もう地獄に片足を突っ込んでる。この瞬間にも見えてるんだろ、目の前に連中の幻覚がさァ?」

 

 風がやみ、静かになった天守閣でキンジの瞳が丸く見開く。神様はなんでもお見通しってわけか、いいさこれで隠す必要がなくなった。

 片足で済んだら御の字だ、地獄の王子とリリスが住み憑いてる、もう片足どころじゃ済まない。

 

「頭の中がおかしくなるとしても今日じゃない。その前にお前の望みを潰して、神崎にバーガーとコーラを奢らせてやる。一番高いヤツ」

 

「キンジ、今が最後の好機です。人が起床直後に眠ろうとしてもすぐには眠れないように、ヒヒは依り代に一旦憑依すると、すぐには自分の意志で抜け出す事ができません。いまのヒヒには逃げ場が無い、ナイフを持ったまま──3人に接近して下さい。そうすれば、私はヒヒの意識を換価重力圏に取り込み、部分的にですがあの魂を相殺します」

 

 魂の相殺……瑠瑠神は淡々と語ってるが言葉の端々から悪魔的な響きがする。おい、ダゴン。

 

『専門用語を抜きにして翻訳してあげる。あの三人の中に入ってる緋緋神を殺すには、器ごと道連れに殺すしかない。で、緋緋神を殺すチャンスは今しかないからナイフを持ってさっさと近づけって催促してるところ。殺せる距離までね?』

 

 案の定、ダゴンが翻訳した中身は見過ごせるものじゃない。

 

「待ちな、そいつは器の神崎ごとお前の姉貴を殺すってことだろうが。冗談じゃねえ、道連れにされてたまるか」

 

「瑠瑠神っ、本当なのか? お前がそれをやったら、アリアたちは……」

 

「ウィンチェスターが言った通り、そしてキンジが考える通りです。ヒヒの心が死ねば、依り代の心も死ぬ。あなたの気持ちはお察しします。ですが、これは千載一遇の好機なのです。ヒヒは、同じ手が何度も通じる相手ではありません。チャンスは、今この時だけです」

 

「ふざけんじゃねぇ! 戦場を歩き、国と国民に尽くした武偵の一生が台無しにされる、お前の姉貴の欲望を満たすためにだッ! そんなもんがまかり通ってたまるか!」

 

「……ルル。俺には見える。姉を手にかけたくないルルの心が、涙を流しているのが分かる。君のそれは、本心じゃないんだろう? 君は優しい、家族に手をかけることを望んだりしない」

 

 俺は躊躇いなくかぶりを振り、キンジはまるで心をあやすように優しく、対極の立場から瑠瑠神の申し出を断る。

 

「……ですが」

 

「ルルが信じてくれるなら俺は別の可能性を見いだすよ。必ず、君の涙を見なくて済む結末を迎えてみせる」

 

 頭に響いていた声が、止まる。神だって時には言い淀む、か。

 

「ミスったな、ルル。あたしを殺るつもりなら迷うべきじゃなかった」

 

「逃がすか! ちっ……覇美っ!」

 

 捨て台詞を残し、緋緋神は天守閣の広間から外へ繋がる窓枠へ神崎の体を走らせた。

 逃走を妨害するべく前に躍り出た俺を覇美の前蹴りが阻む。ふざけた速度の蹴りをいなし、返しに突き出した天使の剣はお互い様とバク宙に阻まれ、虚空を裂く。

 

 

「その気があるなら追ってきな。ステージで待ってるよ、切、キンジ」

 風に乗ってアニメ声が運ばれてくる。

 神崎の姿は消え、殿に使われた覇美と猴も同じルートを辿って天守閣の外へと姿を消す。

 

「……キンジ。あなたの言葉は、その意味に於いて正しかったと言えます。私も本当は、姉を殺したくない。本当は、あなたの語る結末を望めるものなら望みたい。ですが……私たち現存するヒヒの依り代を全て潰えさせる、最大の、そして最後の好機を逃しました」

 

「良かった。これであんたの望む結末も迎えられるし、俺たちも仲間の葬式なんて最悪な席に並ばずに済む。お互いにいいことだらけ、正しい選択だった。そうだろ?」

 

「ヒヒを討たねば、他の多くの命が奪われることになります。貴方にこれを言うのは酷というものでしょう。ですがウィンチェスター、貴方はヒヒを──キンジと共に討つべきでした。これよりヒヒは戦を振り撒くことでしょう、私たち姉妹の手が届かぬ場所から」

 

 今が最後の好機だった、瑠瑠神がそう繰り返すのはここから始まる凄惨な戦いの光景を予感した故だろう。

 自分の姉が撒いた火種で大勢の命が奪われるのは許せない、頭に響かせる声色からハッキリと伝わってくる。だが俺もさっき言った通りさ、神崎が道連れにされるのは見過ごせない。

 

「──ヒヒは目覚めました。貴方たちが以前戦ったときよりも、遥かに力を増した完全な姿で。もう止めることは、()()()です」

 

 頭に広がっていた緋緋神の声が薄れ、アザゼルとリリスの悪夢みたいな笑い声が響く。

 姉を止められず、諦めムードの瑠瑠神に気分を良くしたらしい。幻覚もオリジナルもそこは変わらない、歪んでる。

 

「御愁傷様、神様。その男は不可能って言われると逆に燃え上がるんだ」

 

「これでも二つ名は、不可能を可能にする男なんでね。それにツイてるよ、ルル。なんたって俺の隣にいるのは、あのウィンチェスター兄弟の末弟だ。神と戦うのには世界で一番慣れてる」

 

「それが仕事だ。いつもみたいに死ぬ気で嫌がらせをやるさ、死ぬのはまずいが。行こう、ヤツが借りたステージとやらに」

 

 道は決まってる。

 喉元まで辿り着いたんだ。

 

 ここまで来て逃がすかよ、緋緋神。セトリもハコも好きにセッティングすればいい、お望み通り舞台に上がってやるよ。暴れてやる。

 

 

 

 鬼の国は、外側がマングローブの木に包まれた絶海の孤島だ。原子力潜水艦でわざわざ出向いただけあって、そう簡単に出たり入ったりできる場所じゃない。

 緋緋神が戦を起こすにしても文明から切り離された孤島からじゃお仕事は無理だ。騒いでやまない心臓を押さえ付け、頭を巡らせる。緋緋神はこの国を出る──どうやって? 

 

『早くピッチに上がらないと手遅れになる、潮が引いたと同時にキックオフだ。今さらダッシュボードから対策マニュアル引っ張り出して読んでる時間はないぞ?』

 

「キンジ、例の爆撃機だ。潮が引いて滑走路が出てる。連中はあれでここを出るつもりだ、danger zoneが流れる前に乗り込むぞ!」

 

 窓枠から見えた景色は、来たときとは明らかに一変していた。潮が引いている。干潮だ。海水面が下がり、本来隠されていた浅い海底が砂浜となって数キロメートルに渡り続いてる。

 

 四階の窓枠から飛び出し、樹木やマングローブの枝を力業のパルクールで経由し、俺とキンジは砂浜の上に回転受け身で転がりながら着地。

 足を奪われそうな砂を蹴って、轟音の出所へ駆ける。

 

「富嶽、か……! あの急激な干潮、月でも攻撃したか?」

 

「月? ナイフで月をグサッと?」

 

「是非とも見てみたかったよッ! あれは干潮時にだけ使える滑走路だ!」

 

「大自然の滑走路か。俺ならあんなところから絶対に離陸しない」

 

「ゲームの中以外で動かせないだろ。……化物エンジンが吠えた、急ぐぞッ!」

 

「この国じゃ騒音の苦情も何のそのか。今頃、三人でスプーン片手に歌ってるかもな。大したハコを用意してくれたよ、ロスのナイトクラブ級だ」

 

 いまもまさに空へ飛び立とうする乗り物にキンジと二人で乗り込もうとしてる、神崎を追いかけて。

 いまも必死に両足を動かしてる、神崎を助ける為にな。言いたくないけどこの状況って、ものすごく──

 

「言いたくないけど、この状況ってものすごくあの言葉が浮かんでくる。武偵殺しのときも離陸しようとする飛行機を二人で追いかけてた」

 

「ああ、だからつまりあれだろ。お前の嫌いなデジャヴーってやつだよこれは」

 

「だからその言葉を言うな! ちくしょうめ、ガブには一言文句を言っとくべきだった、靴の下に張り付いたガムみたいだ、剥がれない悪夢って意味!」

 

 寝ているところを叩き起こされたように緊急発進に駆けられた富嶽は、軋むような悲鳴をあげながらも命令に従って動き始める。

 翅二重反転プロペラはギロチンのようにマングローブの林を切り裂いていき、強引に障害物を薙ぎ払って地上走行(タキシング)に入る。

 

「見つけた、操縦席にアリアがいる!」

 

 ここまで来ていなかったら大問題だ。

 傍迷惑に巻き起こる砂塵に逆らうように、俺たちは疾駆。

 

 加速しちまえば人間の足じゃ勝負にならない。滑走する富嶽の左翼下、巨大なダブルタイヤを支える主脚にキンジが全身全霊で伸ばした手が、届く。キンジが足にしがみついた。

 

「もっと早く! 急げッ!」

 

「──うるせぇ、んなことは言われなくても分かってんだよ! チェックインだ!」

 

 キンジの伸ばした左手を掴むと、片腕とは思えないふざけた膂力で体が持ち上げられる。

 陸を離れる寸前で足にしがみつき、砂塵に隠されるように富嶽はマングローブに包まれた鬼の国を飛び立った。絶海の孤島から空の上、もっと逃げ場がなくなった。

 

「キンジの旦那、退路が消えてく。文字通り」

 

「前しか道がないのはいつも通りだよ」

 

「ま、そうなんだけど。なあ、プロテインバー持ってないか? できればチョコのヤツ」

 

「その前に格納庫に上がるぞ。ワトソンからくすねたのをくれてやる、半分な」

 

「食べたら共犯か。言わなきゃ良かったかも」

 

 ふっ、とジャンヌを真似て笑いながら、俺はもう小さくなった鬼ノ國の大地から目を翻す。

 キンジが先に懸垂で車輪格納庫に上がり、俺も続く。来ちまったな、ここが正真正銘の神との戦いの舞台。

 

「今日だけ勝てばいい。今日だけ頑張り切れれば、俺たちの勝利だ」

 

「なんだよ、俺がアドシアードのときに言った台詞じゃねえか。ま、実を言うと初恋の女からの受け売りなんだけどな」

 

 ダブルタイヤの車輪は外側2輪が切り離され、虚空に投棄されていく。これで軽くなったな。

 残った車輪と脚柱が主翼に格納されると、これで外へ繋がる道は完全に絶たれた。俺たちもさっさ格納庫から抜けないとあの世行きだ。

 

 さてとどこから抜けるか。キンジと二人で内側を探るしかないが、

 

『ここよ。天使の剣でくりぬけば左翼の小部屋に繋がる』

 

 リリスが叩いた壁面に天使の剣を刺し、缶切りの要領で出口への穴を作る。

 

「スターウォーズでそういうの見たことある」

 

「俺はオビワンが一番好きだ。バーが凍っちまう前に出よう、空腹のまま神様と喧嘩したくない」

 

 棺桶から外に出ると分かったが、かなり飛ばしてるな。エンジンに鞭を叩きつけてる。

 

「早いな、機体が悲鳴をあげてるみたいだ」

 

「エンジンも煙を吹いてる、これはかなり無茶な飛び方だぞ……」

 

 武偵手帳に忍ばせたミラーで後方を確認したキンジが鋭く、黒煙を見つける。

 富嶽の床は後ろにかなり傾いてる、速度もそうだが急激に高度を上げてるんだ。機体へのダメージを度外視した飛び方、不気味だな。

 

「……急ぐぞ、緋緋神には有視界内瞬間移動がある。これはその為の飛び方だ」

 

「例の瞬間移動か、途中でスクラップになっても問題ないわけだ。ファイヤーブーストかよ」

 

「ファイヤーブースト?」

 

「次のワイルドスピードのタイトル。チャージャーの勇姿がまた見れるんだ、嬉しいことだな」

 

 納得、距離よりも高度優先なのは瞬間移動の為の演算だの計算だの制約に関わってくる。

 この機体で進めるだけ進んであとは超能力でひとっとび、帰りの足は必要なし。スクラップ前提の飛ばし方に納得がいった。

 

 神崎がいるのは操縦席。約束通り半分くれたバーを口にねじ込み、鍵もかけられていない通路のドアを先に、先へと駆ける。

 

「キンジ、手短に言うぞ。緋緋神がバラしちまったからな、数日前から幻覚を見てる。今まで戦った仲の良くないタイプの連中のだ。自虐抜きでこれまでの経験から察するに、このまま行くといづれはヨダレを垂らした狂犬みたいになる」

 

「……気にならないと言ったら嘘だけど、こんなときにブラックジョークは勘弁してくれ」

 

「最後まで聞け。幻覚とセットで刻印の出力も上がった、緋鬼と白兵戦ができるくらいにはな。もしも俺が血まみれになっても、気にせず好き勝手に動け。そう簡単には死なない。姉貴がトラブったって話をまだ夾竹桃から聞いてないしな」

 

「彼女は、日本に?」

 

「ああ、姉貴からのバットシグナルで日本にとんぼ返り。お互い目の前の問題を片付けたら、ソファーに座ってコーヒー飲みながら一緒に映画でも見ようって」

 

「──なら、死ねないな。彼女と何見るかは決めたのか?」

 

「『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』」

 

「……攻めたチョイスだな。この戦いは3対2の戦いだ、つまりどちらかが、2体の緋緋神を同時に引き受けることになる」

 

「まあ、体で数えりゃ3対2だが俺の頭の中にはリリス、アザゼル、ダゴン、地獄のアイドルが3人いる。あっちは緋緋神をあわせて4、こっちは5だ」

 

 作戦会議と雑談を混ぜたようなやり取りで、たどり着いた。胴体部に繋がる最後の扉だ。

 

「数なら負けてない」

 

 ポリマー製、ストライカー式の遊底を扉の前で引き絞る。

 

「──トーラスじゃないんだな」

 

「夾竹桃がレバノンから持ってきたんだ。貴方が迎えにいかないから連れてきてあげた、とかなんとか」

 

「元カノか?」

 

「お前には最高の似合わない言葉をありがとう。神を足蹴りするなら本当の貴方で挑めとさ、本当の俺って何なんだろうな?」

 

 スプリングフィールドXD、それは日本に渡る前まで俺の懐にあった9mm口径のモデル。

 でも感謝してるよ、鈴木先生。化物相手にずっと戦った、自慢の元カノだ。全力でいける。

 

「緋緋神はアリアの体を借りて、完全に目覚めてしまった、ベストな状態だ。だからもし負けたとしても言い訳できない」

 

「ああ、神崎に似てお高くとまってプライドも高そうだからな。完膚なきまでに敗北させちまえばおとなしく言うこと聞いてくれるかも」

 

 キンジが胴体に続く扉を蹴り破る。

 頭の中に浮かぶ悪魔の幻覚は、そのまま刻印の進行具合を表してる。ダゴンが加わったことでまた一歩、呪いは進んだ。

 

 だが、まだ足りない。緋緋神に届くにはまだ足りない。

 餌をやる必要がある。放し飼いにした呪いにとっておきの餌をくれてやる。記憶の中には、誰にだって捲りたくないページがある。

 

「たった二人で来たか」

 

 ガラス張りの操縦席で、神崎は腕を組んでいた。

 右には鬼、左には孫悟空、三人の体に取り憑いた緋緋神が目が見えない威圧感を放し飼いにしてる。操縦席の空気が軋み、悲鳴をあげてる。

 

 化物め、ああ、間違いない。相手は化物だ、人間と同じ場所には立ってない。人間の身であれとやりあえというのは、正直……アンフェアだ。

 化物には化物を、捲るしかない。神の力が神崎の体に宿ってるなら──こっちは悪魔を、呼んでやる。

 

「……ふっ、あはは、あははははっ! いいよ、いいよ雪平ッ! そうだ、あたしはそれを待ってたんだッ!」

 

「お、おい……その目は……」

 

「大丈夫だよ、キンジ。今日この勝負にだけ勝てばいいんだ、楽勝じゃねえか」

 

 アザゼル、リリス、ダゴン、まだ足りない。

 地獄の王子と原初の悪魔でもまだ届かない。

 刻印の力をフルに注ぐ、でないと目の前の神様との勝負のテーブルにすら上がれない。

 

 呪いを進めるにはどうするか。簡単だ、俺が一番誘いたくない悪魔を、見たくない記憶のページを捲ってやればいい。

 とっておきの一体が、まだ残ってる。

 

 

 

 

 

『なんだ、やっと招いてくれたのか。地獄ではずっと一緒だったろ、ずいぶんと冷たい扱いだ』

 

 コックピットのガラスに血の滴が垂れる、まるで血の涙を垂らすようにガラスが、赤く濡れる。

 

 もう来てる、来てしまった。

 後戻りは利かない、だから招き入れるしかない。もう一度受け取ってやる、お前の剃刀を受け取ってやる。力を貸せよ、好きだろ。俺がイカれるのを見るのはさ。

 

『ああ……愛しい私の最高傑作。また一緒に授業ができて嬉しいよ。お前に教えを説いてやったあの時間は思い出すだけでも震えが走る……』

 

 無精髭を生やし、ボロ布に身を包んだ幽鬼がそこには立っていた。この世の邪悪を詰め込んだような一筋の光も差し込んでいない瞳は──白色に裏返る。

 

『始めろ』

 

 ──答えはyes.ってことだな。良かった、現金な呪いだ。俺の瞳の色も、変わったらしい。リリスとそして目の前の幽鬼と同じ穢れた白色に。

 

 キンジが腰を落とし、神崎を見据える。

 三体の緋緋神が唇を歪め、笑う。 

 頭にイカれた悪魔を抱え、俺も真似る。

 

「来いよ、アラステアの弟子っ! 遠山と一緒にあたしの渇きを満たしてみなッ!」

 

 アラステア、それは地獄で俺に最悪の時間をくれた忌まわしき怨敵であり、俺に尋問と拷問の術を植え付けた師。

 リリスと同じ白い目をした、地獄の拷問を統括する権力者。ジョーの腸を抉った猟犬と並ぶ、俺にとっての罪と後悔の根源。

 

「満たしてあげるよ、緋緋。望むままに」

 

 キンジの言葉が契機になる。

 承諾もなく先に抜いたXDから飛び出したコルトの弾丸が、覇美の駆る戦斧に阻まれ開戦の音を立てる。

 

 ふざけた速度で放たれる猴の抜き手、正拳を交ぜた連打を前に躍り出たキンジがさばく。

 開戦だ、体裁なんてどうでもいい。明日明後日頭がおかしくなろうがどうでもいい。

 

 この一戦だけは、本気でやってやる。

 

 

 

 




 

 主人公のキャラを形成するのに一番関わった悪魔は十中八九でアラステア。
 尋問科の根幹の技術を仕込んだ張本人なわけですが本人的にはあくまでも綴先生が師、アラステアからの教育を認めたくない反動で懐きまくったわけですね。



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blaze of glory

後半です


 

 

 青龍偃月刀。蘭豹先生が好み、半端な膂力では取り回すのも一苦労の重たい刃が軽々しく鼻先で暴れ狂う。

 相手は神、この程度で狼狽してたら先が持たない。戦意を沈黙させ、震え俯いたところで目の前の戦神は迷うことなく刃を振り下ろす輩だ。

 

 停滞も後退も緋緋神の前では許されない。受け入れられるのは前進、相対する道のみ。

 XDから乱射された弾丸が覇美の斧に火花を散らし、触れれば木っ端微塵の獲物の足を止める。

 

 如意棒、次次元六面、見えない斥力──緋緋神の抱える手札の枚数は、神社で戦ったときの比じゃない。一つ一つに狼狽してたら際限なしだ。

 

「タッググマッチだ、お前らが2人ならこっちも2人で相手をしてやる」

 

 それはこの上ない話だな。

 神崎はガラス張りの操縦席から動かない。

 Pkで手を振れずに操縦を続けながら、神崎に代わって残った2人の器で緋緋神が迎撃に駆る。

 

 3vs2の構図が消えたのはどうあれ朗報だ。猴が振り下ろした偃月刀に俺は左、キンジは右。さながら左右に裂かれるように別れ、刃に虚空を切らせる。

 

「だとさ。一応聞いとくが良さそうな作戦あるか?」

 

「即興で受けて立とう、それが一番良さそうな作戦だ」

 

「即興ね、得意分野だ。絶叫してるエンジンが完全にスクラップになる前になんとかしよう。blaze of glory──」

 

「栄光の炎」

 

 そのとおり、" 明日に向かって撃て "。

 高度は未だに上がり続けてる、あの神様に運転を任せっぱなしにしとくわけにはいかない。

 迎撃に出てくる二人をまず制圧し、そのあと操縦席にいる緋緋神をなんとかする。

 

 即興で並べた優先順位に従い、俺は残った左目を頼りにキンジと横一線に前に。

 覇美と猴も鏡合わせのように横に並んで向かってくる。斧と偃月刀、飛び道具はない。XDの間合いに入った刹那、カットセーラー服の猴の両足に速射。9mmを先制で叩き込む。

 

「きひぃ────」

 

 が、防弾制服の守りの外にある太腿から鮮血は飛ばない。人との違いを見せつけるような体さばきで鉛弾を流し、殺傷圏内──ミカエルに焼かれた右目に潜り込むような角度から、猴の偃月刀が鋭く凪いでくる。

 

「──man and knife.(ナイフと結ばれた)

 

 袖から抜いた天使の剣を刻印から引き出した膂力で振るい、胴を真っ二つにしかねない偃月刀の軌道を明後日へ弾く。

 得物同士の交差で痺れる腕とは逆手のXDを至近距離からドロウ。空薬莢が連なるように虚空を跳ねるが、獰猛に笑った猴の肉は削れない。

 

 弾は何もない場所を削り、ふざけた反応で射線の外を踊る猴に、先に弾を切らしたXDのスライドにロックがかかる。

 

「しぃ……!」

 

 ……その攻撃は通さないぜ。

 下から顎を狙って這い上がる尻尾のアッパーより一歩先にバックステップを踏む。あの尻尾、まるで自立して動く鈍器みたいだな……

 

「──あはははははははっ!」

 

 荒々しく叫び、天井に斧を食い込ませた覇美が上から降り注ぐような乱打をキンジに浴びせる。

 スクラップ寸前の機体の床にあの斧が落ちるのは軽い恐怖だったが、両手を無手にした覇美から放たれる乱打も人間と呼ぶには程遠い速度、危機感は少しも冷めない。

 

 凶器同然の覇美の乱打と、末恐ろしくも真っ向からそれをいなすキンジとの間で、休みなく連なった空気の炸裂音が上がる。

 引き金を引いたサブマシンガン同然の炸裂音は上がり続け、上から飛び掛かるように仕掛けた覇美とキンジとの拳ひとつの戦いは止まらない。

 

 残像を残す速さで永遠と繰り出される覇美の猛攻と、余裕を奪われながらも雨のように降り注ぐ拳から無傷で五体を守るキンジ。

 刀同士のつばぜり合いよりよっぽど背筋がゾッとする。平賀さん、恐ろしいことに貴方の手甲はキンジと一緒に神に挑んでますよ。ええ、大英博物館ものです。

 

「──余所見とは余裕だなぁ!」

 

「余裕でガースしてやるよ!」

 

 キンジと覇美、人の枠を逸脱した魔技に背筋が冷えた刹那、獰猛な叫びが耳に舞い込む。

 真横を滑るギロチンのように偃月刀が首を跳ね飛ばす高さで迫り、ベニーお得意の首の動きだけで刃をやり過ごす。

 

 ……刻印からのバックアップがなかったら、今ので首が飛ばされて終わってた。無茶苦茶なことを言いやがる、緋緋神を相手に余裕なんて代物があるわけない。

 

 カウンターで突き出す天剣の剣はまたしても虚空を抉り、跳ね上げられた偃月刀に顎を叩き上げられる。

 

「……ぐ、ッ……!」

 

「へぇ、砕いたつもりだぞ」

 

 視界が上下にぐらつき、口の中に鉄の味が広がるが──浅い。

 

 意識が刈り取られてもおかしくない場所だがマザーが引き上げてくれた第一級の呪いは、簡単な気絶は許してくれないんだよ。ディーンにかかったときはロウィーナの即死魔法すら跳ねちまったからな。

 

 体を壮大に浮かせながら、痛みは無視して手首の動きで天使の剣を投擲。

 浅かろうと一撃必殺になる刃を差し向け、強引に回避を取らせながら追撃だけはしのぐ。

 

 刻印は所有者の身体能力を引き上げる。いや近づけると言ってもいい。

 とんでもない気圧がのしかかる飛行中の航空機のドアを内側から吹き飛ばせる悪魔と、同然のレベルまで。

 

「残念だったな。こっちは30年、地獄で毎日上から下までバラバラにされ続けたんだ。顎を砕いた程度じゃ落とせねえよ!」

 

 受け身を重ね、無手になった手はコルトの弾のレシピで加工した9mmの弾倉をスプリングフィールドに押し込み──発火炎を走らせる。

 

 仮にもコルトで穿つ為の弾、一発でも通ればマグナム弾以上に足を止められる。

 ストライカー方式のシングルアクションからスライドストップがかかるまで出し惜しみなく引き金を引く。

 

「そうこないとな。あたしはずっとお前と遠山と戦うのを楽しみにしてたんだ。この一戦は祝杯なのさ。退屈な世に、戦の火を撒く前のなッ!」

 

 好戦的に息巻きながら、銃口から吐き出される弾がさっきの鉛弾とは違うことを目敏く悟ったらしい。

 見えない斥力が猴へ被弾する手前で、直進する弾丸の運動エネルギーを殺す。

 振れずに睨むだけで弾丸の雨を叩き落とす。ミカエルといいどいつもこいつも便利な盾を持ってやがる、羨ましいことこの上ない。緋緋神が一度回避に努めれば、生半可なカードは通らない。

 

「返してもらうぜ、クラウリー!」

 

 刀身の伸びた天使の剣とでも言うべき白銀の刃を躊躇いなく一閃。

 猴の駆る青龍偃月刀の間合いに改めて踏み入れた途端刃同士が重なり、鋼の悲鳴を上げる。

 

「お次はグレゴリの玩具か……! いいね! 間近で見るのは久々だぜ!」

 

「俺だって面汚しの玩具なんて出来れば使いたくなかったよ」

 

 グレゴリからクレア、クレアから俺、俺からクラウリーと渡り歩いた剣は、この瞬間俺の手元にある。クラウリーのコレクション置き場から持ち出した白銀に塗られた剣は──持ち主の名前から()()()()の剣と呼ばれる。

 

 人間の魂を食らい、キャスに恥知らずと罵られた地上に最初に派遣された天使。連中が所持しているのは特殊な天使の剣、その形状はエストックに近く、不気味に光を弾く刀身の長さは通常の天使の剣よりも長い。

 ジャンヌや星枷のように剣術の教えは受けちゃいないが幸運なことに専属の後輩は刀剣のエキスパートだ。

 

 右足を少し引いて、緋緋神に対してほとんど横を向く。刀は地面と水平に構え、顔はほぼ同じ高さに。

 柄を握る両手は後ろに大きく引き、右腋を大きく開けてから鋭く、一気に踏み込む。

 

「触れなば斬れん──」

 

 先端科学兵装の刀を駆るかなめの動きを見よう見まねででっち上げ、忌むべき天使から持ち逃げした剣で力の塊みたいな偃月刀と相対する。

 

 鋼の刃がぶつかり合う剣戟音と、拳の乱打が生む空気が爆発するような炸裂音。

 黒煙を漏らして軋むエンジンの音も加わり、誇張なしに地獄のような光景が広がっていく。

 

「お前の首を落としたら、悪魔避けのタトゥーは剥いで壁に飾るか!」

 

「いまどきのゲームならお決まりの台詞だ。よく言われるんじゃないのか、インテリアの趣味が良いってさ?」

 

 上品なお嬢様だ。いや、厚かましいっていうべきかな。そんなもんを飾りたいなんて断固ごめんだ。

 

「うおりゃっ!」

 

 恐ろしい勢いで繰り出される刃と柄も混ぜた連打は……人体のどこを壊せばいいのか、熟知してる手際だ。急所を冷たく的確に、狙ってくる。

 

 即興で動いた結果、俺と猴、キンジと覇美の対戦カードができあがる。

 意識を落としての制圧を狙う俺たちと、容赦なく首を落としにかかる緋緋神。不意を突いて現れた強烈な斥力に刃がぶつかり合ったまま、ノックバック。互いの得物の間合いの外まで、距離が開く。

 

「おーっと……!」

 

 視界の片隅では、カウンターで放ったキンジの後ろ回し蹴りがもう少しで覇美を捉えようかというところで惜しくも虚空を切らされる。

 一時は後ろに飛んでカウンターを逃れた覇美をキンジの前蹴りが追う。が、それも俺と同様に強力な斥力の壁に阻まれ、奇しくも俺とキンジはほぼ同じタイミングで緋緋神から間合いを離されることになった。

 

「器用だな。かなめが知ったら驚くよ」

 

「師がいいのさ」

 

 横並びになるのも一瞬、俺とキンジはエンジンの悲鳴を背にし、開いた距離を切り取るように富嶽の床を蹴る。

 俺は左、キンジは右に。俺は無手の覇美に、キンジは偃月刀を抱えた猴の前に踊り出る。

 

 どうやら考えることは同じだったらしい、さっきとは反対の対戦カードが出来上がる。喜色満面の笑みで唇を歪めた覇美が待ち構え、グレゴリの剣を挨拶代わりと突き出す。

 

「おっ、選手交代か。よし、今度は覇美の器でお相手束まつろう。ハンターと鬼、伝統の対戦カードといこうじゃないか」

 

「お生憎さまだったな、人食い鬼に追い回されるのも追い回すのもごめんだ」

 

 右足の一点を狙って放った突きに対し、天井に刃を食い込ませていた斧めがけて覇美が派手に裏拳をかました。

 恐るべきことに逸れて落ちてくる鉄の塊を腰のくびれで柄から受け止め、腕で柄を払うように回転。体の中心を軸に、フラフープを回すような要領で回転した刃に突き出した剣がさらわれる。

 

「ハッ、まだまだ行くぜ!」

 

「……無茶苦茶やりやがって」

 

 狙いは明後日の方向に逸れ、殺しきれなかった衝撃が腕ごと体を虚空に浮かす。刻印を放し飼いにさせてこれか、対策抜きの生身で挑んでたらと思うとゾッとする。

 

 巨大な斧をバトンのごとく軽々しく操る覇美は、腕と膝裏を使って体で弧を描くように戦斧の柄を払い、円運動を加速させる。

 何度も、何度も、加速を重ねた巨大な刃は回転ギロチンと呼ぶに相応しい速度に達し、間合いに入ったものは細切れにすると言わんばかりの寒気を放つ。

 

「こいつでどうだ……!」

 

 左手の指で新たな刃物を素早く抜き、ギロチンの外からルビーのナイフとアルテミスのナイフを覇美目掛けて走らせる。悪魔、不死の相手には際立って威力を発揮する二振りは──

 

「そんなんじゃ満足できねえなァ──!」

 

 何もない宙を歩くという、最高に超能力者染みた方法でいなされ、鉄槌のごとき斬激にすぐさま後ろへ退く。

 天守閣から逃げるときもそうだったが、何もない虚空を緋緋神は歩ける、空気を足場に変えられるんだ──いちいち驚いてられない。

 

 刻印の恩恵をフルに頼った悪魔の膂力と、緋緋神の恩恵が乗った緋鬼の膂力。再度の踏み込みと同時に、背筋の冷える金切り音が交差。人ならざる存在から生まれた剣と、斧とは思えない速度で振るわれる斬激の衝突が火花を立てる。

 

「雪平、お前はあたしを困らせてくれるか? 退屈を忘れさせて、夢中にさせてくれるのか?」

 

「満足だの退屈だの好き勝手言いやがって。だったら三人から出て行けよ、動かせる体がなくて困れるぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回転ギロチンは上から、正面から、縦横無尽に駆ける覇美を付いて回る。

 恥知らずの刀じゃギロチンの先にいる覇美には届かない、舌を鳴らした次の瞬間刀の先が切り取られる、音もなく刃を飲んだのは影に縫われた黒いボックス──これは……

 

(……次次元六面。いつ見ても、すっげーきもいデザインだな)

 

 境内でも見せられた、一般の超能力より1ランク上にある攻防一体のパワーカード。前回は鉛弾を手当たり次第に飲み込まれたが今回は天使の剣を飲みこみやがった……

 

 箱に飲み込まれた部分は……最初から損害しなかったように形を消してる。グレゴリの玩具じゃどうにもならない、かといって殺傷力に振り切って原始の剣で意識を刈り取るだけという離れ業は無理がある。

 

 手には刃をごっそり削られた剣、これで胴体を真っ二つにしようとする殺人ギロチンを防ごうというのは命知らずどころの話じゃない。

 さらに場には攻防一体の次次元六面、触れたものは平等に、容赦なく切り取られる。グレゴリの玩具では緋緋神の理不尽には抗えない。

 

 もっと上のカードを切る。

 手札に眠る、緋緋神に抗える一枚を。

 

「──────」

 

 ()()お馴染みのエノク語を契機に、まじないで仕込んでいた槍が可視化する。柄にルーン文字が刻まれるのはミカエルの槍と同じだが、それは似て非なる一枚。

 ギロチンが乱れる間合いのさらに外側から、青白い矛先を振るう。

 

「……そいつはまずいな」

 

 鋼の悲鳴が響き、ギロチンの回転が止まる。

 低く呟き、新たに描かれた剣よりもさらに広い間合いの外まで、赤銅色の逆立つ髪と和装を揺らして覇美は下がった。

 

 忌々しい武器だ。苦い記憶が嫌でも甦る。但し、性能は緋緋神が嫌悪するお墨付きだな。頭から泥を被ったみたいな顔してやがる。

 

「ひどい悪臭だな、その槍に染み付いてる匂いには覚えがある。どうやって持ち出した?」

 

「転がってたから拾った。アマラおばさんも自分に傷をつけた槍は気に入らなかったみたいでね」

 

 そう、俺が握るのは弱っていたとはいえ存在が規格外のダークネスに傷を負わせた槍。アマラを葬るべく、ルシファーが武器庫同然の自分の蔵から持ち出した強力無比な一枚。

 悪臭とはうまいたとえだ。ルシファー贔屓の武器、地獄の悪臭がこれ以上なく染み付いてる。

 

「手癖の悪さは認めてやる、往生際の悪さ大したもんだ。ルシファーが2回も入っただけのことはある」

 

 身の丈を隠す大きさの斧が壁となり槍をいなすが、後ろから聞こえる声にはこれまでとは何か違った、奇怪な響きがあった。

 

「あたしが気にしてやることじゃないけど、お前はなんというか、哀れだ。自分が盤上のコマだってことに気付いてない」

 

「……何を言ってやがる」

 

「楽しめたよ、久々にな。楽しい時間をくれた礼をしよう。昔話をしてやる。あたしの知る限りの話さ。神は世界を──作った、だがヘラやラーみたいな古代の神を作ったのは、人間。まあ、ある意味でな」

 

 なんだ、何を言ってる……神だと?

 斧が天を突き、浮いた体に切っ先が虚空を切らされる。

 

「進化した人間は神を崇めなかった、人間が崇めたのは太陽や地球、雨や星々だからな。神は無視されて、たいそう腹を立てた。神の恵みに気付かない人間は無礼者ってな。それで、古代の神を作り出した。ラーやアヌ、ヘラ、お前の贔屓にしてるアルテミスも、あらゆる神をな」

 

 視界の隅で、黒煙を上げるエンジンに火が見える。

 ……まずいな、機体がこの世の終わりみたいな音を上げてやがる。一方で覇美の周りには次次元六面、今度は黙視で4枚……悪趣味なバリケードが増えた。

 

「……腹を立てたことがどうしてお友だちを作ることになるんだよ」

 

「責任逃れさ、作物が枯れたり死産は全部連中のせい、神はそうやって責任逃れ。彼等の神話がもてはやされるようになると神は焼きもちをやいて放り出した。今じゃあ宗教という名の隠れ蓑にくるまれて、神はご満悦ってわけだ。彼等は片隅に追いやられた」

 

 機体が派手に軋み、ついに機内に火が回り始める。

 

「──神は人間を愛したりしない、神が愛するのは自分と自分が描いた物語だけさ」

 

「まずいぞッ! キンジ!」

 

 機内に火の手が見えても、緋緋神覇美の動きは止まらない。「分かってる……!」と乱暴な相槌が飛んでくるが、場に展開された四枚の立方体が動き、問答無用に回避を迫られる。

 左手で抜いたトーラスの弾をばら蒔いても迫る影には一時しのぎ。弾が着弾して箱に消えるまで数秒、たった数秒の足止めにスライドはロックがかかる。

 

「嫌いじゃなかったよ、お前のこと。カスティエルが靡いたのも分かる、出会いが違ったら……()もできたかもな?」

 

 最初は風を引き裂くノイズ、次に右肘から先の感覚が死んだ。

 

「……?」

 

 左目の隅にオレンジの火花が散る。投擲に使ったルビーのナイフが右肘を上から下に貫き、悪魔を殺す為の刃が赤い滴を滴らせていた。

 感覚のない肘の上で、閃光花火のようにオレンジの灯りが弾ける。PKで……ナイフを操った? 

 

「なんでもかんでも投げるからこういうことになる」

 

 緋緋神の冷たい声に矢が虚空を裂くような音が続いた。十中八九、いい類いの音じゃないのは分かる。左手はもう銃を握ってない、ルビーのナイフか……やられた。

 切り取られたグレゴリの剣が立方体からふざけた速度で向かってくるのが見え、今にも軋みそうな床を蹴りつけ避ける。この状況じゃ片手で槍は無茶だ。ジョーのナイフで──

 

「よくやったよ、隻眼にしては」

 

 何かがひしゃげた派手な音が覇美の回転蹴りによるものだと気付いた。惨劇と呼んでもまだ足りない光景に、即刻全神経を回避に割り当てる。

 

 派手な音は回転蹴りが斧の柄を弾き、火薬を爆発させるような衝撃で斧を弾丸として撃ち出した音だった。斧の石突きは丸く削られてたがそれは蹴りやすく、このふざけた飛び道具を可能にする為なのだろう。

 

 当たればどうなるか想像もしたくない凶器が背後後方でおぞましい音を鳴らす。即死の一撃はやり過ごした、だが安堵の時間には程遠い。

 傷した機体は、気圧が下がり、火も手遅れなところまで回り始めてる。

 

「……ちッ!」

 

 もう戦いどころじゃない、機体ごと火の海、最後は、海の藻屑だ。

 押し寄せる次次元六面の穴を掻い潜り、こうなったら操縦席の神崎まで突っ切る。火の海になる前に全員の意識を落として飛び降り──

 

『──終わりだ』

 

 アラステアの吐いて捨てるような言葉は頭の中に直接木霊した。右胸に銀色の刃が生え、足がもつれる。

 背後から天使の剣をPKで飛ばされた、さっきと同じだ。今回は後ろから胸を抉られた。天使の剣は、悪魔も天使も殺せる……冷たく冷める視界に右足を振り上げる覇美が映る。

 

「……」

 

 視界が暗転し、背中が一度、二度、潰れた喉に焼けるような熱気が入り込む。

 斧……ああ、そうか。ただの前蹴りで機体の壁後方まで飛ばされたか……ちくしょうめ、またキンジにおんぶにだっこかよ……ミカエルは凌いだんだけどなぁ。

 ……駄目だ、天使の剣とルビーのナイフ。一本は腸を抉ってる。

 

「楽しかった、やはり戦いはいい。いつの時代も心を満たしてくれるのは恋と戦いだけだ」

 

「……神崎。器を奪い返すのにあと何秒かかる。できるならさっさとやってくれ。俺は6週間の早産だった、じっとしてられないタチなんだ」

 

 いつの間に目の前で微笑んでいた友人に、干からびた笑いで首を傾ける。そこだ──

 

「っと、お得意の目眩ましはお預けだ」

 

「……ッ!」

 

 背中に潜ませた血の図形に触れる前に、毒々しい赤色が目の前に弾けとぶ。

 左肘を抉ったルビーのナイフがPKに引き抜かれ、痛みを感じたときには右手が掌ごと壁に縫い付けられていた。クラウリーの手をテーブルに何度かナイフで縫い付けたことがあるが……まるで意趣返しだ。

 

 防衛ラインがあっさり抜けられた、手札にはもうカードがない。

 

「中途半端じゃお前は殺せない、だから──」

 

 ……だろうな。俺だってそうする。

 緋緋神の手に、謀反だ。寝返ったように突き出される原始の剣が腸に吸い込まれるように迫る。

 

 右手、左手、無理だ……阻もうにも動かせる場所がない。念入りに下準備を仕込まれ、骨の刃が腸を抉る。デジャヴ……こんなときにまで、最悪の言葉が頭をよぎる。

 

「あ……ッ……」

 

 視界がぐらつく、ああ……ちくしょうめ。

 なんかキンジが叫んでるが、聞き取れん。おい……マジか、よ……立方体ぶつける気か? んなことしたら、ジグソーパズルみたいにバラバラになっちまうぞ。

 

 グロい……棺桶をベッドに。難しそうだな、海の藻屑か火の海か。出来ればスタール墓地に墓碑にはドックタグを埋めてってのが、最後の希望だったが──まあ、いいさ……うまくやれよ、キンジ。心配はしてない。

 

 

 

 ああ、最後に一言。

 最後まで、腐らずやれ──またな?

 

 

 

 翼から回った炎は、霞みががった視界に最後まで赤一色の景色を見せてくれた。赤というより明るすぎる茜色、眩いオレンジ、まあ、どちらでもいい。

 熱で溶けた時代錯誤な窓が歪み、パッキンの部分から割れて外へ無惨に吹っ飛んでいく。

 

 キンジはどうせうまくやる。緋緋神の移動のまじないにうまく相乗りでもするだろう。

 ヤツも機体ごとキンジを沈めるような雑な失い方はしない、貴重な遊び相手の最後には、勿体ないからな。

 

 目と鼻の先に立方体が近づく。

 大層なことだ。原始の剣に抉られた、もう一分も持たないのに五体をバラバラにしてくれる気かよ。

 

 嘆く、嘆いたあとに視界が今度こそ真っ暗に染まる。

 灼熱の熱気も消え、音もない。明るい炎の暖色もない。そもそも色がない。

 視界を真っ暗闇が支配し、世界から音が消えたように視界と聴覚、五感が暗闇と静寂に押し潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、ビリーがウキウキで迎えに来てくれると思ったのに違うのか」

 

 予想が外れた、俺が死ぬことを誰よりも望んでた彼女が迎えにも来ないなんて。どうせなら前に会ったジェシカってテッサの知り合いが良かったけど、まさか冥界も繁忙期か?

 しかし、列車から飛び降りたときと違って、四方は見渡す限りの暗闇。幽霊になってバラバラの死体を一目見れるかと思ったがそれも外れた。

 

 天井のない真っ暗闇、平衡感覚が奪われそうになる黒い足下。目印になりそうな物も、道も何もないブラックカーペット。

 地獄に招かれる前に、死神が来ると思ってたがどういうことだ……?

 

「──彼女は来ないわ、色男。いつもみたいに書斎に偉そうに座ってる、私仕事できますよって顔でね?」

 

 静寂を破った声に振り返ると、見知ったブロンドの悪魔がいた。

 

「メグ……!」

 

 アラステアの教えを受けた姉弟子、アザゼルの娘が暗闇をバックに肩を揺らす。

 いや、違う……悪魔っぽく微笑んでも、メグを真似たところで違う。こいつは──違う。

 

「残念だけど、彼女は眠ってる。可愛い顔を借りてるだけ」

 

 

 ────違う、メグじゃない。

 

 

 ────こいつは、もっと上の。

 

 

 

「……お前は誰だ?」

 

 

 



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The Emptyー虚無







『あたしはアラステアの弟子だったの、ディーンと同じよ。ねえディーン、クラウリーを好きにしていい?』


『つまり、予言者に危害をくわえる者は、なんであろうと大天使たちによって抹殺される。彼等は絶大だ、最高位の天使たち。天界の最終兵器といっていい』


『──よく聞け、何かがおかしい。異教の神にしては強すぎる』





The Road So Far(これまでの道のり)




『やっと分かった……! いつものお前の手口さ、威張り腐った連中を自業自得の目に遭わせる。それがお前の趣味だろ……ッ!』


『大天使はワケが違う、彼等は原始の創造物だからな。再生するにはかなりの時間がかかる』


『やめておいた方がいいぞ。ルシファーは連中を簡単にひねり潰す、命があるうちに逃げ出すことを考えろ』


『だがお前は使える。大きなモノを堀当てようとしている、恐れを知らぬヤツだよ』


『なら予言者と、悪魔の親玉が出くわしたら……』


『その悪魔に天の怒りが矢のように降り注ぐ』


『違う、ただの喧嘩。バカンスをしようと立ち寄ったらポーカーをやるハメになって相手の金を巻き上げた。ついでに、女房もイタダキ』


『……そうよね、あんたは片道切符を持ってる。覚悟しときなさい、今まであんたがやったことを考えると……スイートルームには泊まれない』


「あとのことは理解できた。ユニコーンと幸せに暮らしたけど別れて悲しいんでしょ? 私は吐き気を催しながら聞いてたけど、正直言ってグッと来た」


『神と大天使が来て光を作る前の世界だが何もなかったわけじゃない。暗黒があったんだ。凄まじいエネルギーと残酷な破壊の塊である暗黒は神と大天使たちによって成敗された』


『これがお前たちの役割。運命なんだよ、器になるために生まれた。天に行われるごとく、この地上にも行われますように──どちらかが、死なねばならない』


『……そもそもカインだって死にたいと願ってた、刻印が望むような殺人鬼になるくらいならな。そこでカインは原始の剣を使って自殺した……ところが、こんな噂がある。刻印を付けた者は──()()されない』




Now(そして今……)






 

「残念だけど、彼女は眠ってる。可愛い顔を借りてるだけ」

 

 ────違う、メグじゃない。

 

 彼女はとうの昔に命を落としてる。俺たちのために時間稼ぎを買って出て、天使の剣に刺し殺されたのをこの目で見てるじゃねえか。

 違う。現世にはもういない、メグは死んだ悪魔や天使たちが行き着く場所にいる。

 

 思考を戻す。

 見渡す限り、何も存在しない真っ暗闇。生き物はおろか、物体と呼べるものがそもそも存在しない黒一色の世界でメグの姿をしている" 何か "。

 

 五感で把握できるのはそこまで。

 耳を澄ましても何も聞こえない、目を凝らしても視界に入るのは目の前の女だけ。他には何もない、何も感じることができない。

 大量の黒い絵の具をただただ何も考えず、キャンバスに落とし込んで行ったような世界。景色という言葉が、死んでる。

 

「五感を奪われたって顔ね。でも私の声は聞こえてるでしょ?」

 

 最後に覚えているのは四方から迫ってくるキューブ。緋緋神となった神崎の次次元六面……

 

「……」

 

 この場所がどこで、眼前のメグの姿を借りたモノが誰なのか、一度頭が冷えてしまえば把握するのは簡単なことだった。

 生き物が死に絶えたというより、まるで最初から生命が存在していなかったような……この異様な景色。地獄や天国とは似て非なる、常識から隔離された世界特有の匂い。

 

 こんなイカれた場所を俺は1つしか知らない。

 ただ一人、この場所から抜け出したカスティエルから断片的に聞いた場所──

 

「虚無か……?」

 

 俺の半ば確信めいた質問に、

 

「すぐそばの宇宙から来たUFO的な霊体よ。貴方のよく知る色金と一緒」

 

「……どうしてメグの、俺の知り合いの悪魔の姿をしてる」

 

「訳があるの。本当の姿を晒したら、貴方はたぶん──怖がって自分の目を潰そうとする。そうなったらお互い()()当てられない」

 

 けらけら、とそいつは笑った。その姿は俺のよく知るブロンドの悪魔だ。アザゼルの娘、アラステアの教えを受けたルシファーの背信者。

 だが、外はそっくりでも中身は違う。根本から違っている。そして、メグの姿を借りたそいつが遠回しな答えを口にしてくれた。

 

「ここは神とアマラ以前の場所。天地想像の前にあった世界、そこには何もない。無、あるのは虚ろだけ」

 

 ──ここは『虚無』の世界。死んだ悪魔や天使たちが問答無用で投げ込まれる彼らの墓場。最後の終着点。

 

 キャスから聞いたとおりだな、本当に見渡す限りの暗黒だ。形ある物は何も存在しない、あるのは一面を覆っている暗闇だけ。

 誇張なしに確かに虚無だ。形あるものは何もない。妙に頭が冷めているせいか、焦りや危機感は良くも悪くも湧いてこなかった。

 

「天国、地獄、煉獄と来て、ついに虚無か。ここにだけは来れないと思ってたが、案外近くにあったんだな」

 

 最後に「来たいとは思わなかったが」と付け加えてから、俺はメグの姿を借りた『虚無の主』に返す。

 マザーがそうであったようにこいつも自由自在に他人に擬態、姿を変えられるんだろう。悪魔だろうが、天使だろうと好き勝手に。

 

「あんたのことも聞いてるぜ。虚無の世界を仕切ってる管理人は死の騎士(デス)を凌ぎ、大天使すら顎で使えるような化物だってな」

 

「カスティエルね、口の軽いこと。まるで高校生だわ。でもピザ男からこんな話も聞いてないかしら、私が唯一許せないことは眠りを妨げられることなの──分かる?」

 

「ぐ、ふッ……!」

 

 一段低くなった声で指が鳴らされた途端、俺は暗闇の床に膝を着いた。

 ……ああ、どいつもこいつも……っ、

 

「ザカリアは貴方を末期の胃ガンにしたけど、あんな回りくどいのは好きじゃないの。手を汚さないのが最高の拷問、そうでしょ?」

 

 ……声が、まともに出せない。吐血と体の内側から中身が破壊されていくような痛み。人外特有のふざけた出力のPK、まるで体が内側から擦り潰されてるみたいだ……

 こいつのさじ加減一つで骨を主要臓器にあてがうことが出来る。指をもう一度鳴らすくらいの、そんな気軽さで簡単に。

 

 痛みでろくに働きそうもない頭でもそれは簡単に分かった。手を汚さないのが最高の拷問──なんとも忌々しいアラステアの教えを守ってる。

 

 知るか、化物の安眠を好きで妨げたわけじゃない──開口一番にそう言ってやるつもりで、役に立たない喉の代わりに悪魔の皮を借りた怪物を睨む。

 

「ここは虚無。死んだ天使も悪魔も安らかに眠ってる。私も眠ってた。みんな眠りにつくわ、大天使だろうと例外なく。なのに、カスティエルが突然目を覚ました。そうなったら私も起きないといけない、そんなの我慢ならない……!」

 

 一転、ヒステリックな叫びが暗闇に響いた。

 真っ黒だけだった場所に、俺の口から罵詈雑言の代わりにと、吐かれた赤色の毒々しい花が咲いていく。

 

 時間にして一分にも満たない間、存分に苛立ち解消の道具に利用された俺は、ようやくPKの力場から解放された。

 虚無の主は、神やダークネスに次ぐイカれた化物。この程度の挨拶、それこそ指を弾いた程度なんだろう。銀河級プレイヤーはもう要らないってのに迷惑なことこの上ない。

 

 口元にまとわりついた血を雑に拭い、せめて自嘲気味に笑ってやる。

 

「……過激な挨拶だな。ここまで喜んでくれるとは思わなかった。不眠は沈黙の殺戮者だろ、それは俺も知ってる」

 

「そう。カスティエルを追い出して、やっと眠りにつけると思ったら次にやってきたのは人間。ねえ、参考までに教えて。人間が、どうやってここにやって来たの? 婚活バーと間違えた?」

 

「さあな、天国からも地獄からも入国を拒否されたのかも」

 

「だったら、考えてみなさい。鈍い頭を、精一杯働かせて考えてみなさい。ここは虚無、神の力も及ばない場所に貴方みたいな異物が紛れ込んだ理由が気になって仕方ない。その鈍い頭で、精一杯考えて」

 

 まだ苛立ちが収まり切らない声が何もないはずの暗闇に反響する。

 

「善人は天国、悪人は地獄、怪物は煉獄、そして天使と悪魔は虚無。ルールは曲げられない、決まってるの。それがたったさっき歪められた、ウィンチェスターって異物のせいでね?」

 

「人をバイ菌みたいに言うな。あんたの庭先に好きで踏み入ったんじゃない。女神の癇癪を買ったら、気が付いたときにはここにいたんだ。俺にとってもトラブルだよ、かなりデカいやつ」

 

 観光地じゃないんだ、誰が好き好んで虚無の世界に来るか。いや違うな、そうじゃないんだ。確かにここは天使と悪魔の墓場、角度は斜め上に逸れてるが死者が迎えられる場所という点では、ここに招かれたことは間違ってない。

 

 緋緋神が仕掛けた次次元六面──あらゆるものを止め、切り取ることのできる凶器。

 脳裏に残っている最後の景色から推測するに、俺の体は原始の剣を押し込まれた上で、次次元六面に投げ込まれて、そのまま()()()()()()

 

 あの世界最高峰の魔女であるパトラが『触れるな』と、わざわざ警告した危険物の山に正面から突っ込めばどうなるか。そして俺がいるのは角度は違えど、死者が眠りにつく場所。

 

 とても口にはしたくないが、俺は次次元六面に体を切り取られて──殺された。神崎に宿った緋緋神に。

 

「ええそうよ、貴方は死んだ。プラモデルのパーツみたいにバラバラになってる」

 

「グロい。分かりやすい説明どうも。多分、刻印のせいだろう。魂が悪魔になってるからこっちに引き寄せられた」

 

 それしか考えられない。半ば確信を持って答えた俺に、メグの顔をしたソレは吹き出したように笑った。

 

「アッハハハ! 冗談でしょう、クモの巣まみれの頭を働かせた結果がそれなの?」

 

「……何がおかしい。カインは刻印を宿した結果悪魔に傾いた。ここの入館パスがあるとすれば刻印以外考えられない」

 

「最後まで騙し遠せる素人ならともかく、私はここを管理してる責任者。ここはちょっと出来が良いだけのタトゥーシール1つで迷い込める場所じゃないの。もっと厳重に棲み分けができてる、だから腹立たしい」

 

 嘲りと苛立ち半々の否定。だが、それ以外の理由を探ろうとしても何も浮かばない。いや、それを突き止めたところでどうにもならない。

 

「分かった、呼び鈴も鳴らさずに来たことは謝るよ。睡眠の邪魔をしたことも謝る。だが、残念なことにーー俺は目が冴えきって、眠ろうに眠れない」

 

「眠らないなら場所を変えてあげましょうか。ここよりももっと深い、虚無のドン底に突き落として黙らせるって手もあるのよ?」

 

「そんな手があるならとっくにやってる。俺を黙らせる方法がないんだろ」

 

 即答してやると、心底つまらなさそうに顔が歪んだ。

 

「……賢いわね。そのとおり、忌まわしいことに貴方を黙らせる方法がない。かと言って、このまま貴方と永遠に話し続けるなんて耐えられない」

 

 どうやら、目の前の彼女はよほど眠りにつきたいらしい。それ以外のことはどうでもいい、これまでの言動を総括するとそう言わんばかりだ。ただ眠りにつきたいだけ、それだけに眠りを妨げた俺のことが気に入らない。それなら──

 

「なら、俺を元の場所に戻してくれ。そうすればあんたも眠りにつける。キャスにやったみたいに俺をここから追い出せばいい。お互いに良い話じゃないか、違うか?」

 

「駆け引きはしない。死んだらそれっきり、命は一度きりだから尊い、学校で習うでしょう。それを行ったり来たり、迷惑でしかない。死の騎士の言ったとおり、貴方は秩序を乱すことしかできない悪の権化よ」

 

 ……もっともなこと言いやがる。

 

「ビリーのお友達か、そんな感じだな」

 

「典型的なナルシストよ、規則を重んじた昔に戻したがってる」

 

「戻す?」

 

「あるべき状態に戻すってこと、現実世界や冥界をね。死人は死んだまま、天使は地上を離れ、悪魔は地獄に戻る、私は眠りにつく。彼女の計画ではそうなる予定」

 

「あんたは自分が眠れるなら、それでかまわないって顔だな?」

 

「ええ、多くを望んで良いことはない。私はただ眠りたいだけ。静寂を貰えればそれでいいわ。でもお前をこのまま追い出すのもそれはそれで気に入らない、根に持つタイプなの」

 

 スケールは段違いのくせに、妙に人間っぽい小言が洩れる。いつも通り、ファーストコンタクトは最悪もいいところ。眠ってる相手の頭上に空から落下して、頭を踏みつけにでもしたような最悪の出会いだ。

 

 分かってる、人間の命は一回。それがルールって言うのはよく分かってる。何度も贔屓されてる俺たちが異常だってこともよく分かってる。

 だが、限られた生を精一杯生きることと、永遠の命を持って生き続けること。どちらが素晴らしいとか、そんな議論は今は頭の片隅行きだ。

 

「なあ、このまま話をしたところで平行線だ。何にも解決しない。あんたも分かってるだろ、このまま俺とトークバトルを続けたところで何にもならない。駆け引きはなしって言ったよな、それなら取引でも駆け引きでもなく──お願いだ。俺を戻してほしい」

 

「やけに食いつくじゃない。死ぬのも仕方ないって、割り切ってるんじゃなかった?」

 

「ルームメイトと約束した、少なくとも緋緋神の件を片付けるまでは死んでやらないってな。神崎とも約束がある。なのにここ一番の大事なところで俺は何にもできず、バラバラになって転がってる。食いつくのは当然だ、戻れる見込みがあるなら俺はそっちに賭ける」

 

「私が追い出すまで、永遠とトークバトルでもしてやるって顔ね」

 

「それで戻れるなら望むところだ。スパイダーマンの話でもするか?」

 

 キャスは一度ルシファーに殺されたが、無事に虚無の世界から戻ってきた。俺は不愉快な顔でこちらを睨む彼女に半眼で答える。そう、ここは戻れる場所だ。管理人の許しさえ貰えれば……

 

 ただでさえ黒しかない重苦しい景色なのに、空気まで重たくなれば手がつけられないな。この手の交渉や駆け引きの手腕では綴先生に遠く及ばない。

 実際にこんな状況になってみて改めて届かない場所にいることを思い知らされる。そして、そんな先生に教えを受けたことは──俺の数少ない自慢だ。

 

「虚無、あんたは俺よりずっと長く生きてる。俺よりずっと利口だ。神とアマラ以前に存在してる場所を一人で仕切ってるんだからな。だから、恥を承知で頼む」

 

 ただ下手に出るだけじゃ駄目だ、相手にとっての利益もちらつかせろ。その上で可能な限りの自分の望む結果を引き寄せろ。どうせ五体はバラバラになってる、恐れはない。

 

「ここを出るためにあんたの許可が欲しい」

 

 スケールの大きさ、存在感だけで見たなら神とアマラの次に大きなモノホンの化物に、俺は今一度視線を正面からぶつけてやる。力の差は天と地どころの話じゃないが、虚無にも俺を黙らせる明確な方法がない。うんざりとしていた表情が、やがて別の顔に変わった。そして、

 

「ああ……そういうことか。緋緋神は建前でしかない。本当は──生きたいのね。武偵としての生活が楽しくて堪らない、もっともっと遊びたい、誰かと話がしたい、太陽の下を歩いていたい、そうなのね?」

 

 心底不吉な、あまりに邪悪すぎる微笑みがそこにはあった。

 

「いいわ、今はお前の願いを叶えてあげる。妥協してあげるわ、キリ。私を自分より優れていると認めたその潔さ、賢きことよ?」

 

 思いもよらないギフトを見つけた──そんな声だ。いつのまにか、ピラミッドでパトラが座っていたような黄金の玉座に虚無は座っていた。

 頬杖を突き、口角が三日月を思わせる弧を描く。ただ視線を合わせているだけで首にギロチンがかけられているようだった。

 

「……何が言いたいんだ?」

 

「お前が気に入った」

 

「話が見えない」

 

「一度目は偶然、けど二度目は必然になる。さっきの言葉を訂正するわ、ワンヘダ。お前の刻印はとてもよくできてる、今回は不幸なトラブル。次は正式にお前を連れて来るわ、この場所に」

 

 背後から例えることのできない寒気がして、体が縫い付けられたように固まった。ぶくぶくと水底から何かが水面に上がってくるような──ただただおぞましい音が耳に流れ込んでくる。

 

「浴びるように悪魔の血を飲んだ挙げ句、刻印がお前の魂を一度悪魔に変えてる。勿論そんなことで虚無に来られても困るけど、それが()()()になれば話は別」

 

 やがて音が止まり、それが愚かな行為だと分かりながらも俺は、背後に振り向いた。

 たぶん、これ以上おぞましい存在をこれから先目にすることはないだろう。出来ることなら、今すぐにでも自分の記憶を数秒前に削り取ってやりたい。

 

「今は元の場所に戻してあげる、元通りの体でやりたいことをやりなさい。神崎アリアを緋緋神から解放して、今まで通りに暮らすのよ」

 

 虚無は笑う。

 

「ここに迷い込んだことや私のことなんて忘れていい、お前が重荷を下ろして幸せになり、求めていたものに手が届いたとき、そのとき──連れていく」

 

 楽しげに、

 

「虚無の世界に引きずり込んでやる。ええ、今は駄目。虚無は広い、お前の為の席はちゃんと用意しておいてあげる。安心して、お前は地獄に30年いたらしいけど──大丈夫、ここはもっと悲惨だから」

 

 心底楽しそうな声で、虚無は笑う。

 

「──地獄には物がある、ここには何もない」

 

 何もない暗闇に明後日の方向から赤い光が射し込んだ。あれが恐らく……外に繋がる扉。

 何も言うな、ここで言うべき言葉は1つしかない。今だけはここを出ること以外考えるな。

 

「分かった、約束する」

 

「良かった」

 

 その一言を残し、メグの体は真っ黒な液体となって役目を終えたように四散した。液体が床に滴る、生々しい音を残して。

 

「……流石に次は帰れそうにないな」

 

 考えるな、考えなくていい。先のことを考えればここで何もかも終わる。

 忘れたくても忘れられない約束が頭の奥に刻まれた。いや、先の悩みは明日考える。まずは今日を生き延びよう、みんなで。

 

 いい加減、神崎の体から緋緋神を叩き出してやる。『ピンチが最大のチャンス』って言葉には賛同しかねるが、ここは臨機応変に行こう。

 またプラモデルのパーツみたいにバラバラにされるのも、レーザーに心臓を貫かれるのもナイフに掌を串刺しにされるのもごめんだからな。

 

「……」

 

 あるのは一面の暗闇、墓碑も土も花もない。

 ここには数え切れない天使や悪魔たちが眠ってる、一人くらいタンデムしてもバレないだろ。

 

 去り際に見た虚無はご機嫌だった、バレてもこの一戦に限っては多めに見てくれる。緋緋神から神崎を解放しろと言ったのは他ならぬ虚無だからな。

 

 緋緋神──相手は神だ。何の備えもなしに挑めば、さっきの繰り返し。如意棒を抜きにしても、あいつの力は人智の外にある。

 いまの神崎の中にはモノホンの『神』が居座ってるんだ、俺がちょっと千年アイテムで武装したくらいでは勝負にならない。

 

 地力での差は絶望的、勝ち目の薄い勝負をひっくり返すには──バカをやるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

「──呼んだか、へっぽこベーシスト。バンドメンバーが欲しいって?」

 

 

 

 その声はまるで、暗闇で伸ばした手を取るようにやってくる。

 

 いつだってそうだ。手を伸ばせば、まるで救いの手を先読みしていたようなタイミングでやってくる。

 

 悪戯好きな顔、人を皮肉ったような道化師のようなおどけた顔でやってくる。

 

「ズバリ言うとすごく困ってて……こんなところだけど久々に祈った。でも良かった、祈りはちゃんと届いたみたいで」

 

 緋緋神の力は俺の想像の外。測れるものじゃなかった。

 アンフェアな力にはアンフェアな力をぶつけてやるしかない。

 

「まだチンケなバンドに入る気ある?」

 

 カインの刻印でも届かなかった。

 だが、まだ俺には不公平な1枚が残ってる。

 正真正銘、天界が誇る最終兵器が──この世で俺にだけ与えられた、最高にアンフェアな剣がある。

 

「それって仮釈放のお誘い?」

 

「ここにはテレビもスパもイカしたストリップバーもない。でも日本はパラダイス。静かだし、自販機は多いし──いい風俗もたくさん」

 

「キリぃー? 前にも言ったよな、群れるのは嫌いなんだ。でも最後の言葉は気にはなっちゃうなぁー、キャストはサービス旺盛? 芯から燃え上がっちゃう感じ?」

 

 ニヤリと悪戯好きな神は、笑う。

 どんな餌を撒けば食らいつくかは知ってる、皮肉なことに誰よりも、知ってる。

 

「日本のおもてなしはすごいよ?」

 

 ──天に行われるごとく、この地上にも行われますように。

 俺たちは同じ役回りを与えられた、同類だ。お互いのことは誰よりも分かってる。

 

 ミカエルは父に従順、ルシファーは反抗的。

 そして時には従順に、時には反抗的に。どちらの形も取れたのが──

 

「一回だ。火遊び大好きな女神を黙らせるまでの一戦のみ。後始末までは手伝ってやれない、仮釈放だからな」

 

「十分だ。あいつの目論見を叩き潰せるなら、俺の指先一本まで全部レンタルすりゃいい。見込みは?」

 

()があれば見込みある、十分にな。まぁ、正直こんな日が来るとは思わなかったし、その顔は好きじゃないが」

 

「悪いな、この顔しかない」

 

 分かってる、と言って彼は笑う。

 再会の挨拶も程々に、長居は無用だ。

 十分休みは貰った。墓碑の下から這い上がる時間だ。

 

「お返事は?」

 

 返す言葉は決まってる、一言しかないだろ。

 天使を受け入れる為の、器の錠前を開けるためのキーワード。

 これが最初で最後、一回きりの相乗りだ。しくじったな、緋緋神。掘るべき墓穴が浅すぎるんだよ。

 

 

 

 

「──────Yes.だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 視界を染めるのは高速度の猛吹雪。雪は高速で移動するリニアの上では、烈風と共に小さな鈍器のように体を絶えず叩きつけてくる。

 

 觔斗雲での移動は、空を行く巨大な船から高速で走行するリニアへ戦いの場を変えた。

 

 超伝導リニア新幹線による、甲田山、白神山地といった豪雪地帯を突っ切る耐久実験線。まだまだ遊び足りないのはあったが、遠山のスペースを開けておいて正解だったぜ。

 狙い通り、遠山は觔斗雲の移動に割り込んで今もあたしの前にいる。まだアリアを諦めてないって顔だな、よしよし、そうでないとつまらない。

 

「ようこそ、遠山。お前に似合う事をしようと思ってな。この戦い、お前とアリアの出会いからお馴染みの『ジャック』で締めくくろう」

 

「実に21世紀らしい決戦の舞台だろ」

 

「ウィンチェスターの首は落ちた、残るはお前だけだ。さあ、戦ろうぜ」

 

 アリア、ハビ、孫。グルリと囲みながら一人残った遠山に促す。

 ウィンチェスターの首は落ちた、これで独占できるぜ遠山。あたしとお前だけの舞台だ。

 

「……俺にもこの、あいつの言葉を借りるよ。この感情のジェットコースターはキツい。アリアを救うために、あいつを殺しちまった。でもあいつは恨まないって言うんだろ、自分のやりたいことをやったって言うんだ。分かってる、そういうヤツだ」

 

「ああ、そうだ。それでいい、ナイフを構えろ、銃を取れ。持てる全部をぶつけてくれ、キンジ、お前への気持ちはコントロールがきかないよ」

 

「自分じゃ、どうしようもないんだ」

 

「これって恋なのかな。キンジ、これが──」

 

 恋──なのかな。恋──あたしはお前に恋してる。燃え上がるように熱くて抑えられない気持ちが、体の奥底からわき上がってくるんだ。

 

「……恋か。カレンデュラ、花言葉は悲恋。切が花に興味を持つなんて誰の影響だったんだろうな……」

 

「恋は恋だよ、遠山。恋とは戦い」

 

「戦いだぜ、遠山。舞台は整った、ここが最後の舞台!」

 

「戦おう遠山! はははっ!」

 

 カレンデュラ、金木犀の別名か。

 悲恋も恋の形だぜ、遠山。実るも実らないのも恋のうち。

 

 一つ、二つ──次次元六面を正面・右後方・左後方の三方向から増殖させる。8……9……まだいけるぞ。今のあたしは何だってできる。

 

 隙間を埋めるべく羅列されていく次次元六面、そして白銀の世界にあたしが光を灯してやる。ハビ、孫の瞳に緋色の輝きが宿り、雪に濡れた遠山の顔が険しく歪む。

 

「どうする、遠山?」

 

「まずは二発、次に一発」

 

「二段構えだ、凌いでみろ! もっとあたしを困らせてくれよ、遠山!」

 

 赤く、赤く、刻一刻と緋色の光は明るく、如意棒のカウントダウンを刻む。周囲の木々から雪や枝葉が、大地の微震にやられて剥離する。

 やはりアリアの器はいい。空間そのものが、如意棒のカウントダウンに合わせて軋む。

 

 この器なら、アリアならあたしの完全な現し身になれる──さあ、勝負のときだ。

 

「──この如意棒、止められるものなら止めてみなッ!」

 

 

 

 瞳に灯った緋色の光が臨界を迎え、遠山の頭と心臓に目掛けて孫とハビの瞳から緋色の道が一直線に走る。

 

 防ぐことも避けることさえ許されない槍、それが二本同時に伸びる。ましてや背後にはもう一本が控えてる。

 

 理不尽と言われても否定はしない、これで終わったとしても仕方ない。

 この気持ちをどう形容するべきか、掴み所のないあたしの気持ちを差し置いて、緋色の光は遠山の命を刈りとるべく進み、異変は唐突にやってきた。

 

「……?」

 

 無視できない違和感は雪に薄汚れたはずのリニアの屋根にできた、黒い穴が──開いていた。

 

 底の見えない深い池から黒以外のすべての色を抜き取ったような、明らかに異様な何かがいつの間にかあたしと遠山の間に広がっていた。

 黒より黒い──いや、一点の光さえ届く余地のない完全な黒。極限まで濁らせた黒シミが集まった穴からそれは何の兆しもなく噴き出した。

 

「……なんだッ!?」

 

 穴から吹き上がった黒い泥が光の早さで撃ち込んだレーザを飲み、まるで意思を持った生き物のようにとぐろを巻いた。

 緋色の光は黒く染まった腹の中へと沈み、柱のように高く直立した触手が口を開くかのごとく大きく横に広がって形を変えながら、真上から次次元六面の上にのしかかる。

 

 ……遠山が驚いてるってことはこれは、あいつも意図していない何か。いや、分かる──あたしには、このおぞましいという言葉では足りない存在に、一つだけ心当たりがある。

 

「ありえない……いや、そんなことが……」

 

 ……ありえない、それはありえない。地上に出てくるなんて話は聞いたことがない。

 だが、確かにあたしの前にありえないことが巻き起こってる。事実、次次元六面は黒い泥に覆われ、そこには最初から何もなかったように黒いシミの一部となった。

 

 泥が動く度に、耳を切り取りたくなるような音が響く。いや、あれは泥じゃない。そもそもあれはこの世のものじゃない──どういうことだ、どうして、どうして──

 

「──どうして虚無から外に出てきたかって?」

 

 おどけた声は黒いシミの中から響いた。

 バチ、バチッと配線がショートしたような音が続き、雷が響きだす。豪雪地帯に唐突に雷鳴がけたましく鳴り響き、雷雪がリニアを襲う。

 

 シミのごとく広がっていたシミが、最初に開いた穴の奥へ戻っていく。排水溝に引き寄せられるように黒い泥は退き、人肌色の腕が一本、穴から飛び出す。

 

「浅すぎたんだろ、墓穴が」

 

 まずは右腕が、次に左腕が小さくなった穴の中から這い上がってくる。

 

 

 は、ははっ……はは、ははははははは……ッ!

 

 

 あははははははははははーッ!!

 

「這い上がってきたのかッ……! はは、あははははははははははっ! ()()の世界から這い上がってきたか……! そうか、そうかそうか……!」

 

「切……っ! おま……」

 

「おっとぉ、キンジぃ? そこまで、感動のハグは後回しだ。棺桶から出られてキスでもしてやりたい気分だが、お嬢様を救うのが先決だろ?」

 

 黒く濁った穴が消え去ると、五体をバラバラにしたはずの雪平が何食わぬ顔で唇にチャックを引くようなジェスチャーを取った。

 原始の剣を突き刺したはずの腹も、クルド族のナイフで抉った掌にも与えたはずの傷がない。それに、

 

「おい、洒落た眼帯は忘れてきたか?」

 

「迷惑料代わりに置いてきた。結構気に入ってたんだけどな」

 

「おま…っ、右目……ど、どうなって、んだよ。み、見えるのか……?」

 

「ゲームでよくあるだろ、一度KOされると体力が満タンでふっかーつ」

 

 ヘイゼルグリーンの両目を細めて、雪平はだらしなく肩を揺らす。

 人間が虚無の世界に招かれ、ましてやあの墓場から這い上がってくるなんて馬鹿げてる。常識から逸れてるなんて話じゃない、どうりでルシファーが贔屓にしたわけだよ、イカれてる。

 

「ちゃんと見えてるよ、やさぐれあんちゃん。ドクター・セクスィーに診てもらったからな。いつでもカウボーイブーツを履いてるセクシーでラブカルテなドクター。テニスシューズじゃないから気を付けろ、間違えるとおばちゃんたちから怒られるぞぉー?」

 

「ど、ドクター・セクスィー……? ……おい、待てよそのドラマにテニスシューズって……!」

 

「口の減らない、随分と元気じゃないか。死ぬのは慣れっこってか?」

 

「虚無から這い出るなんて聞いたことがない。予想の外から攻めてくる、噂に違わないよキリ。さすがウィンチェスターだ」

 

「よし、仕切り直しだ。またタッグマッチ──いや、今度は三人でお相手しよう」

 

 仕切り直しに、アリアの瞳に温存していた如意棒にギアを入れる。仕切り直しの一発、さぁてどちらに、

 

「そうか。聞いたかキンジ、名誉を賭けてやろうじゃないか。インチキなし、トリックなし」

 

 言うや雪平が指を鳴らす。

 次の刹那、ヤツの心臓を抉るべく撃った如意棒が遥か彼方、ありえない屈折を描いて明後日の方向に逸れた。

 

「そのかっこいいレーザもなし。悪く思うなよ、最後まで協力するって取り決めだ」

 

 ──違う。いまのは雪平の仕業じゃない。如意棒を曲げるなんて芸当、なんだこいつは──違う、こいつは何かが──

 

「いい加減大人になれ、ヒヒ。いじけたヤキモチが招いた戦争がどれだけ価値のない、虚しいものか知ってるか? あとには何も残らない、周りを巻き込むだけ巻き込んでそこで終わり」

 

「黙れ、随分と上からな物言いじゃねえか。お前に何が分かるってんだよ」

 

「ママに会えないからってその子から親を、家族を奪うのは筋違いなんだよ。ああ、随分と上からな物言いだ。こんなドラマチックな展開に割り込むのは柄じゃない、けど祈られた。他ならぬ、()()()から。だからやってやるさ──」

 

 薄暗い雪雷の中で、雪平の双眸が色を変える。

 地獄の権力者と同じ白色でも、地獄の王子たちと同じ黄色い目でも、カインと同じ赤でもない。

 

 どこまでも澄んだ蒼白の双眸が煌めき、雪平の体を起点に陽光が差し込んだように光が広がっていく。

 大きく背中から伸びていく影の両翼を広げ、そいつは強い声で、そう言った。

 

 

 

「──────大天使、らしくな」

 

 

 

 ……ああ、そうだった。思い出したよ、合点がいった。

 

 

 

「……そうか。キリ・ウィンチェスターってのは末弟だったな。家族から逃げた、皮肉屋で道化師みたいにおどけて、女にはひどく甘い」

 

 遠山も察したか。

 いや、あたしより早く勘づいたか。

 

「そっくりだ、仲良く家出コンビが手を結んじまったかーーははっ、はははっ! 抜け目ない、抜け目ないなぁキリっ! ちゃんと対抗策を引きずってくる、殺されてからカウンターを決めるとはなァ!」

 

 雪平が虚無から引きずってきたのは神が作った原初の創造物。四人の大天使の一柱。

 恐らく、あいつが本来宿るはずだった器が目の前のそれだ。だが、あいつは最終戦争をそっけのけで傍観者を決め込んだって話だ。

 

 つまり、目の前のこいつは最終戦争でも実現しなかった、本気の器を手に入れた──

 

 

「" ガブリエル "──────招待状なしでパーティーに飛び込むのが趣味なのか?」

 

 大天使ガブリエル、天界を抜け出した神の近親とまさかこんなところでご対面とはな。

 

「仕切り直し、これで3対3の勝負だ。行こうかキンジ、キスでもなんでもやって彼女を叩き起こせ。道は開いてやる」

 

「切、俺がいつも言われる言葉なんだが……お前はいったい何者なんだ?」

 

「偏差値低めで荒っぽい学校の学生」

 

 遠山はナイフを、そしてガブリエルを仕込んできた雪平も凶悪無比な大天使の剣を抜いてくる。

 

 大天使の入ったカインの子孫と遠山侍、この上ない対戦カードに胸の高鳴りは止まらない。

 おもしろい、ただその感情を抱きつつ、闘争心を滾らせる。最終局面を受けるべく、三人分の足は前へ踏み出した。 

 

 





次回、決着予定。


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Engage Kiss

 

 

 

 

 キャスを初めて見たとき、天使がトレンチコートを着てるなんてひどい冗談だと思った。

 

 だってそうだろ、コンスタンティンみたいな格好で現れたイケメンが自分が天使だなんて言い張ったら誰だってしかめっ面になる。

 

 第一、悪魔も怪物も信じるディーンが天使だけは頑なに信じようとしなかった。

 悪魔も怪物も会ったことがあるけど天使とは会ったことがなかったからな、見たことのないものは信じないと実に頑なだった。

 

 けど、本当はキャスが降りてくるよりもずっと前に俺たちは天使と会っていた。

 

 

 

『トリックを使ったのさ。お前らだって袖の下に1枚くらい隠してるだろ? とっておきのヤツ』

 

 

 

 それはこれまで敵対したどの異教の神よりも強力で、どの神よりも自由奔放で個性的だった。

 

 色が違う、気色が違う、最初から違和感はあった。ただの異教の神とは違った()()。それはあのとき、俺にだけ勘づくことができた違和感。

 空の遥か上にいる神が、同じ役割を押し付けたが故に気付くことのできたリンクする違和感。

 

 

 

「長いことバッテリー切れが続いたせいでフラストレーションが溜まりに溜まってる。なんていうか、爆発寸前の火薬庫だ。気休めに木の蓋を被せただけのな?」

 

 酷い。予算切れでまともな役者も脚本家も呼べないまま強行したB級映画みたいなセリフだ。自虐って言葉がここまで相応しい光景もないな。

 

 トリックスターに半分ハンドルを譲ってやった体は、無手の指がさながら操られたように勝手に持ち上がる。真っ向から押し寄せる斥力の壁は、指を鳴らす動作一つで、相殺。なぐりつけるような力場が消え去った。

 

 さすがにガス欠だった前回とは、違うな。

 理不尽な異能に、同じ理不尽な異能をぶつけて台無しにすると、刃物を具現化したような器三人分の鋭利な視線が一度に集まる。

 

 人の域を逸脱した理不尽な力。

 色金のアンフェアに抗うには、俺もアンフェアな一枚をぶつけるしかなかった。

 雪雷荒れるリニアの上で、俺が五体を貸してやったそいつの名前はガブリエル。

 

 兄弟が殺し合う最終戦争に、無頓着な神に嫌気が差して天界を抜け出した大天使だ。

 

 

 

 

 

 

「その子は駄目だ、ヒヒ。返してもらう」

 

 ガス欠寸前の傷物状態でさえ、地獄の王子を瞬殺した最高位の天使。神の近親たる、天界が誇る最終兵器の一柱。

 

「本気も本気だな、大天使。地上の小競り合いに出張るとはどんな変化だ?」

 

「バカンス中に気付いたんだ、地上も捨てたもんじゃない。いい風俗もあるしな。怯まなくていいぞ、キンジ。道は開く、障害は取り除いてやるから突っ走れ」

 

「さすがにユーモアはあるな。だったら道を奪えばどうするッ!」

 

 神崎への進路を阻むように正面に並んだ覇美と猴が吠え、何もない虚空から次々と黒い立方体が手品のように這い出てくる。

 

「次次元六面か……神社といい、さっきの爆撃機といい、そいつには随分手こずったが──もう仕事はさせない」

 

 首元の深くに溜め込んだ恩寵が脈動する。

 天使のガソリンタンクたる恩寵から溢れ出したエネルギーは、翳した掌から吹き付ける雪を引き裂くような衝撃の波となって外へと暴れ出る。

 

 キャスお得意の恩寵を駆動させて放つ衝撃波。

 だが、原理は同じでも大天使の恩寵は出力がまるで違う。

 

「道を奪っても一緒だ。道を奪ったところでキンジは走り続ける。走るための足がある限りな」

 

 虚空を引き裂くように進んだ衝撃の波は一般の天使が引き起こす比じゃない。

 行く手を遮った漆黒の立方体を理不尽な力が飲み込み、抱き込むようにして共にリニアの上からかき消える。そしてキンジはやや苦味を持たせた顔で、

 

「……困ったもんだ、どっちで呼べば正解なんだ。ガブリエル? それとも切でいいのかよ」

 

「どっちも正解、どっちでも好きに呼べ。お嬢様を取り返す為のサポート役は引き受ける、目玉のシーンはお前が持ってけ」

 

「いつもと変わんねえな。生き別れの双子かってくらい似てるぜ」

 

「双子じゃねえよ。役が一緒だったってだけ、劇場は違うがな。目覚ましの一手は決まったか?」

 

「……出たとこでやる、援護してくれッ!」

 

「それが仕事だ。一緒にナートゥを踊るか」

 

 前を先行するキンジが速度を上げる。

 ガブを相乗りさせたまま俺も不安定この上ない足場を駆け、後ろに続く。

 

 相対する三人の体を操った緋緋神が次に切るのは肉眼でもはっきりと波を打ち、揺れているのが分かる緋色のカーテン。

 立方体の次は斥力の壁、切れる手札はまだまだ残っていると言わんばかりに最後尾で佇んだ神崎の顔は笑みを浮かべたままだ。

 

 違うな、神崎は自信家だがそんな笑みは作らないんだよ。緋緋神。

 ただ雪を散らしているだけの虚空から引き出すように、いつの間にか手の中に収まっていたのは今までの狩りの記憶を、フレーム表面に無数の傷を刻んだスプリングフィールドXD。 

 

 ガブのトリックが引き寄せた『元カノ』の銃口を揺らめく緋色のカーテンへ定める。

 

 

 

「Bleesed be the Lord my strength, which teaches my hands to the war, and my fingers to fight.」

 

 

 ──主よ。どうか我が手と我が指に戦う力を与えたまえ。

 

 

「My goodness and my fortress...my high tower and my Deliverer. My shield,」

 

 

 ──主は、我が砦、我が塔、我が救い、我が盾なり。

 

 

 

「はっ、敬虔って顔かよ。お前ら二人、神は敬わず足蹴りしてきたんだろうが」

 

「俺は初聖体にはちゃんと出てんだよ、ぶどうジュース飲んでただけだがな。いつかの約束を果たす時間だ。祈ってやったぜ、アルテミス」

 

 

 and he in whom I trust. Here you go baby.

 

 《主よ、あなたを信じます》

 

 

 ハンターの守護天使たる狩りの女神に向けた祈りを背に、立ちはだかった緋色の壁を鉛弾の雨が上から下まで串刺しにかける。

 点を超えて線に見える発火炎。従来のストンピングパワーを明らかに逸脱した異能の恩恵を受けた9mm弾の嵐が1発、2発……緋色のバリケードを食い破って緋緋神への射線を開いた。

 

「……まあ、食い破るか」

 

 新たに咆哮のような銃声が轟き、緋色の光を纏ったガバの45口径弾が暗闇を引き裂くように放たれる。

 緋緋神の超能力が上乗せた45ACP.弾は壁を食い破ったパラベラムをロックしたような精密さで叩き落とし、神崎への飛来を許さない。

 

 だが、緋色に揺らめいていた絢爛なカーテンはもう肉眼にもほとんど見ることはできない。斥力の壁は機能不全、足にしがみついてくるような感覚はない。

 大量の空薬莢を走行するリニアの外にばら蒔きながら続けた消耗戦の意味はあった。スライドのロックがかかるの同時に放った一発がほぼ不可視になりかけの斥力の壁との間で静止、やがて鈍い音を舞い上げて消えかかった壁を完全に穿つ。

 

「二枚目のトリックも突破だ。なんでも来い緋緋神、ガブリエルはアスモデウスへの鬱憤がまだ残ってる、いつになく絶好調だ。来いよ、お次はなんだ?」

 

 恩寵が通い蒼白に染まった瞳で、三人まとめてお決まりの言葉を投げ掛ける。

 どうする、緋緋神。手札を切らないならキンジは進むぞ。出たとことは言ったが何か策があるって顔してた。追い詰められた時のキンジはとんでもない。俺なら止めるね、全力でな。

 

 雪雷乱れる悪天候、不安定ですらまるで足りない最悪の足場。そんなことは気にもせずキンジは駆ける。

 

 蘭豹先生の教えだ、戦場を選ばない。

 あの人は偽りなくいい講師で、いい教官だよ。どんな地形や天候気候でも動けるようにノウハウを体に叩き込む。死なないようにな。

 

「遠山、お前も悪運の強いヤツだよなぁ。ここまで来ると一級品だぜ。お前は獣人も魔女も人間もみんな抱き込んじまう。でもまさか、大天使を引き込むとは……さすがにあたしも驚いたよ」

 

 迎撃を務めるべく、先頭で立ち塞がった孫が饒舌に語る。得物である青龍偃月刀も健在の姿を見せつけるように、くるりと一回りさせる。

 

「あたしの考えを外から抉った。遠山、お前は本当に楽しいヤツだな。ますます気に入ったぜ」

 

 饒舌。そいつは違うぜ、ガブ。

 口が回りすぎてる。無意識に口数が増えてるのは追い詰められてるから。心を落ち着かせるためのなだめ行動。緋緋神は少なからず察してる、キンジが何かやばいことを考えてることに気付いて拒んでる。

 

「ヒヒ、口とおてての動きが食い違ってる。近づくのは許さないって?」

 

 刹那、足が独りでに止まる。

 俺じゃない、ガブが足を止めた。半分はハンドルをくれてやった器から青白い双眸が鍵を押し込んだような強く発光する。

 

 言ってみれば、天使の瞳が青く染まったときは動力源と繋がった合図。攻撃前の警告だ。

 いいさ、やっちまえガブ。俺が許す、アスモデウスとロキで溜め込んだ鬱憤を今日ここで八つ当たり気味に精算してやれ。

 

(やっちまえ、トリックスター……!)

 

 頭の中でGOのサインを出してやると、偃月刀の刃が白煙が吹き、刃から柄にかけてあり得るはずのない自然発火が始まる。触れることもなく、ただ対象を蝕むように赤い焔が徐々に勢いを増す。

 

 その光景は、レバノンで忌々しいアスモデウスをダサいスーツごと焼き払ったときと瓜二つ。

 だが、違うのは恩寵の欠損もなく、器がくたびれる心配もいまはないってことだ。あのときよりも遥かに、凶悪だ。

 

「……ちッ」

 

 絢爛な装飾も刃も燃え付き、台無しになった偃月刀を不愉快そうに孫は捨てる。

 即座に香港でも見たクンフーの構えを取るが──悪いな、もう背後は貰ってる。

 

「小細工が好きなのも一緒か。お得意のトリックは見えてるぜッ!」

 

 翼を使った瞬間移動で背後を取った俺の顎を尻尾が鞭のように跳ねあげようとする。そいつにも痛い一発を貰ったばかりだがもう当たらない。

 目をくばることもなく振るわれた尾は頬を切るが伸びきったところを掴んで乱暴に孫を引き寄せる。

 

 ガブを招き入れたことで、動体視力も膂力もいつもとは桁違い。刻印の恩恵を受けていた虚無に落とされる前よりもさらに上がってる。

 「おい…ッ!?」とワメいた孫の額に雑に掌を押しつける俺は……ひどいな。悪役極まりない構図だ、まるで人を襲うジンの構図だぜ。

 

「見えてたらなんだ、強行してやる。マナーのなってないお客様はご退場くださいませ」

 

 抱えた孫の体ごと反転し、視界に緋緋神崎と覇美を納める。一方で孫の口と両目からは光が溢れるに溢れ、中に宿った緋緋神ごと強引に意識を抜いていく。

 

 映画でありがちな首を圧迫して意識を落とすよりは平和的か、あくまでも意識を落とすだけ。ミカエルみたいに目を丸焦げ焼き焦げにするわけじゃないしな。

 一瞬呆た顔を見せながらもキンジが隣を抜き去り、一度は入れ替わった前後の位置関係も先をキンジ、後ろに俺が控える元の形に戻る。

 

 残りは二人。意識を落とした孫、もとい猴の体はリニアに横たわ──いない!? おい、ガブ……! どこに猴をやった!?

 

『レバノンにあるアジト、サムとディーンのところだ。こんな速度から転がって落ちたら? ヒヒなら指先ひとつ触れずにやれる、まともな対応だろ?』

 

 まともだけど、あとで説明の電話がいるな。 

 迎えにいくまで、ジャックと仲良くバナナでも食べてる光景を切に願ってるよ。

 

 

「これで事実上の3vs2。数ではこっちが有利を取り戻した。さあ、どうする?」

 

「ガブリエル、ここまで好戦的にお喋りできるようなヤツとは思わなかったよ。祈られただって? 故郷を抜けて天使も毛嫌いしてたが、いまさら人間に忠実ってか?」

 

「知らなかったのか。俺は忠実だよ、人間に。人間たち」

 

 からかうような口振りと白銀と漆黒のガバメントが揺れたのはほぼ同時、マッハ6はくだらないイカれた加速弾が飛来してくる。

 余裕を見せてもしっかりと攻撃のタイミングは選んでくる。45口径に緋緋神の超能力が加わればまさに必殺の凶器。

 

 不公平と言っても過言じゃないその弾丸をナイフで二つに裂き、ベレッタを抜き撃ちで弾道を逸らしたキンジの存在も、天秤にかけられるレベルで不公平なんだろうな。

 

「たしかに欠点もあるがそれを認める強さが人間にはある。直そうとする、傷つけられても、赦そうとする心がある」

 

 首を刈り取ろうとする神相手にも一歩も退かない姿勢、勲章ものだなキンジ。いまのお前を見て人間が弱いなんて言える輩はいないよ、くどい台詞だけど誇りに思う。

 

「俺はずっと眺めてるだけの傍観者だった。だから責任を取ることにした、ミカエルにもルシファーにも、父にもつかない。人間の味方だ」

 

 雪雷は荒れ、悪天候にさらに拍車がかかる。

 掌で編まれていく青白いプラズマのボールは知ってる、ミカエルやルシファーも愛用していた飛び道具だ。

 

 何度も見たが、そのどれもが頭が悪い、としか表現できない威力だった。

 ガブは出来上がったプラズマを両手で覇美へと撃ち出し、再度展開されようとした斥力の壁に横槍を入れる。やはり頭の悪い威力というのは間違いじゃねえな、今まで手こずった緋色のカーテンが見事に粉々だ。

 

 過去、未来を含めて、多分いまこの瞬間が俺にとっての最強の状態なんだろうな。ガブにおんぶにだっこと言えばそれまでだが体裁なんてもうどうでもいい。

 

 大天使にくたびれない器をくれてやった。

 そこに『不可能』を『可能』に書き換えるアンフェアな男までいる。理不尽な盤上をひっくり返すには十分。

 

「この瞬間が俺とお前の最頂点だ。いくぜ、キンジ!」

 

 

 

 

 

 

 

「言われるまでもないッ!」

 

 やることなすこと全部出鱈目だ。

 アンフェアの言葉を多用する本人が、皮肉なことに一番不公平なことをやらかしてる。

 

 死んだと思ったら、もっと凶悪な姿になって一時間とも経たずに現れる。これが不条理、不公平でなくてなんなんだ。

 

 心底苦笑いが止まらない。

 いつもはやる側の立場だったから今までは分からなかったが、一度死んでから甦った相手を見るのは……一瞬、喉から上が麻痺したように言葉を奪われる。

 

 見る側の立場になってから気付く。イカれてるよ、すごいことだな。

 

 生き返ったり死んだり、それなりに繰り返してきた俺が言うのもおかしいが、俺のルームメイトは十分、いやそれ以上にイカれてる。

 神の野望を阻むのに、お友だちの天使を体のなかに入れて墓穴から出て来たんだからな。ウケたよ、これは現実で映画じゃないんだぞ。

 

「一人の女の為に命を賭けれる、それをバカと思うか、そこまで入れ込める存在がいることを羨ましく思うかはそれぞれだ。だが、テメーが抱える不条理の捌け口に一人の女の人生をダメにしちまうってのはどう狂っても羨ましくねえなァ」

 

 ガブリエル、キリストを代表する大物天使を率いれたと語った切が饒舌に吐き捨てる。

 大天使。アリア同様に超常的な存在を中に入れたその力は控えめに言ってーー理不尽だ。さっきまで俺の後ろにいたはずが音もなく覇美の頭上を盗んだと思うと、そのまま押し倒し、マウントを取った。

 

 早いも、反応も、俊敏もない。ヒステリアモードのいまだから分かる。完全に何もない虚空から現れた。何をどこから計算しても瞬間移動、間合いも距離も関係ないんだ、無茶苦茶だぜ。

 

(……よくあんなのを二体も檻に落としたな)

 

 銃弾撃ち、銃弾斬り。

 俺もアリアのガバメントから放たれる超能力付きの弾丸をいなすための技をいつも以上の集中力で、継ぎ目なしに披露していく。

 

 苦楽を歩んだベレッタで、スクラマサクスから加工されたナイフで、乱射される緋色のオーラを纏った弾を真っ向から破る。

 

「台無しにされちまうといいねぇ!」

 

 ガブリエル、じゃないな。このアクション映画みたいな荒っぽい喋り方は俺の隣人のほうだ。

 

 前に立ち塞がっていた覇美が倒れたことで道はクリアになった。覇美も立ち上がろうと暴れるが鬼のバカカでも大天使の膂力はそう簡単には一蹴できないらしい。

 

 そして、覇美が抑え込まれたことでアリアへの道を阻むモノはなくなった。

 扇風機の羽のように回り、ギロチンと化して向かってくる二振りの日本刀も──俺の首より遥か前方で虚空に縛り付けられ、止まった。

 

 ははッ、何でもアリなんだな。

 

「イカれた扇風機だ、嫌いじゃない。でも夏にはまだ早い」

 

「今度奢ってやるよ! 貧乏遠山のなけなしの金でな」

 

「いいな、人助けって腹が減るんだよ。カロリー使うし」

 

 それがヒーローってもんだよ。

 イーサン・ハントもインディ・ジョーンズも食事はする。

 

「……なんだ、なんなんだ遠山。その顔はなんだ、お前何しようとしてるんだ……」

 

「戦いだよ、緋緋神。ずっと考えてたんだ、お前とどう戦えばいいのかって。悩みに悩んだ、でもやっと答えが出た。お前とどう戦えばいいのかなんて、簡単なことだったんだ」

 

「く、来るな……遠山ッ! よ、寄るなっ、いまのお前は……来るな、とにかく来るなッ!」

 

 大口径の弾の嵐は勢いを増す。が、俺はその暴風域に逆に飛び込んでいく。

 困惑、そう困惑だ。俺がいまからやろうとしていることへの困惑。緋緋神アリアの表情は一気に曇り、行く手を阻もうと無数の弾が飛び交う。

 

 知るか、そんなこと。手を伸ばせばそこにアリアがいる。ここまでやってきて鉛弾で退いてどうする。

 そもそも退路がないしな。暴風域だろうがなんだろうが道は正面突破の一つしかない。それに最近アメリカで嵐に突っ込んだばかりだ、もう一度同じことをやればいい。

 

「邪険にするなよ、緋緋。俺がやろうとしてるのはお前も大好きなことだ、だってお前は戦と恋の神なんだろう?」

 

「来るな、遠山。お前、何をしようとしてるんだ」

 

「お前と、恋しようとしてる」

 

「──はぁ? いッ……今、なんて……おま、っ……バカかよ……!」

 

 顔の下から上まで赤くなった緋緋神との近づいたはずの距離が、遠ざかっていくように開いていく。いや、目の前の空間が歪んで見える。

 緋緋神が歪めたんだ、俺をこれ以上近づかせない為に。防御の構えをとった、それならたたみかけるだけだ。

 

「遠山キンジがいまのいままで、一度でもまともな策を取ったことがあったか? その男はそれでまともなんだよ」

 

 冷たいご挨拶だな。けど、今回はスルーしといてやる。歪んでいた空間が綺麗に元通り、緋緋神と俺とを繋ぐリニアの床がちゃんと見える。

 

 空間を歪めようと斥力の壁を立てようと、後ろに控える大天使が一手で凪ぎ払ってくれる。

 天界の最終兵器、あの本にも書かれていた異名は何の間違いもなかったってことか。

 

 正真正銘の守護天使を味方につけた気分だ。負ける気がしない──

 

「お前も言ってただろ、恋も戦も大好きなんだって。恋だって戦いだ、フラれれば悲しいし、実れば嬉しい。そうやって俺たち人間はずっと恋をしてきたんだ、戦いと同じくらいずっと昔から。違うかい?」

 

「……! ふざけんなっ、そんな勝手なワケの分からないことを……! な、っ……う、動か……この、ガブリエルッッッ──!」

 

 絶叫が響く。これまで暴れていた緋緋神の二色のガバメントの引き金にかかった指先が……止まった。弾の嵐がやんで、暴風域だったアリアへの道が開く。

 

「忘れてねえか、緋緋神。ガブとの因縁は知ったこっちゃねえが、俺にはお前に体をバラバラにされた借りがあるんだぜ」

 

 しかし、答えのは切のほう。まるで何かに押さえ付けられているように緋緋神の体は動きを止めている。それが誰の原因か、言うまでもない。

 背後から、荒れ果てていたはずの空から青白い光が差し込む。さっき見た切の瞳の色、蒼穹の如く澄み渡った蒼白が陽光のようにリニアの床を照らし出した。

 

「逃げ場はない、諦めて恋する男の告白をおとなしく聞くんだな。いまのお前に相応しい言葉を知ってる、俺の好きな市警の言葉だ」

 

「──……はぁ?」

 

「yippee-ki-yay──ざまあ見ろ」

 

 ……女神相手に乱暴な男だな。

 だが、諦めたように緋緋神はようやく、俺の目を見てきた。真っ直ぐ、ようやく視線を結べたねアリア。

 

 そして、ようやく手が届く。

 睨むだけで動かない緋緋神に。

 

 

 

「洒落たことしてご満悦か、バカ天使。嫌な晴れ模様だ」

 

「いいや、快晴の下も悪くない」

 

 

 仰ぐまでもなく、雪雷を奪い去った空から陽光が降り注ぐのが分かる。体を透くような風がアリアの髪を舞い上げる。

 

 快晴の空の下──アリアと出会ったあの日、アリアが空から落ちてきたあの日、体育館の跳び箱に一緒に挟まったあの日も──そうだった。

 

「"あのとき" と一緒だな」

 

「──お、おいっ、待て……遠山……っ!」

 

 狼狽える、慌てる緋緋神の手をそっと取る。

 ほら、これでもう逃げられない。

 

 覚えてるか、パトラの呪いにかかってお前が眠ってたときにどうやって起こしたか。いや、お前はあのこと覚えてなかったかな。

 大変だったんだぞ、あのときは白雪も切も総出で乗り込んで──

 

「──やっぱりバカの一つ覚えなのかもな。これしか思い付かなかった」

 

 知ってるか、アリア。

 パートナーってのは、ただ犯人を追うだけのコンビじゃない。

 パートナーにはそれ以上の意味がある、それで毎日助け合うことができるんだ。

 

「……! …、……」

 

 切は言ってたよ。

 とびっきりの言葉と行動で心を揺らしてやればいいって。

 諦めずに語りかけてやれば体を奪い返すことはできる。あいつは実際に自分の兄がやった姿を見てるんだ、疑わない。

 

 アリアの顔が視界を埋めていく。

 腰を抱き寄せ、震える桜色の唇との間の距離を埋める。一度ならず二度までも、なんて言葉がある。そしてこれが俺からの二度目だ。

 

 眠ったお姫様を目覚めさせるのはいつだってキスだ。それは間違いのない兄さんの言葉。

 カメリアの、緋色をそのまま落と込んだような瞳が脈を打つように大きく、丸くなる。

 

 緋緋神とアリアは繋がってる。

 何度も見てきた、だから、分かる。

 熟れたリンゴのように真っ赤になっていくその顔を見て、俺は笑う。

 

「休暇は終わりだ。いい夢──見れたかよ?」

 

「っぷはぁ! ば、バカキンジ……ぃ! こら、調子に乗らないっ!」

 

 返してもらったぜ、緋緋神。色々とな。

 

 





緋緋神戦、これにて終わりです。
次から騒ぎの収拾をおいて長かったメイン筋の区切りです。お疲れ、雪平くん。


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そして日常に

 

 

 

 

 

「おのれネット通販め……騙したなぁ!」

 

 今からガレージセールでも始めましょうかと言わんばかりの物が散乱したテーブルの上に、新しく財布が加わった。

 

「……雪平、何なの? 朝から何事?」

 

「誤解して当然だよ! ネットの説明だと8つのポケット+着脱式id入れだ。8つ+id入れで9個だと思うだろう? でも違うんだ、id入れはポケットに差し込んで使う、最悪だよ!」

 

 計算が狂った、なんてまどろこしい説明をしてくれるんだ。いや、これは詐欺だ。由々しき事態だ。

 

「いつも入れてる遊戯王カードを抜けばいいじゃない」

 

「あれはお守り。どんなときも持ってないとご利益ないの。財布から抜くなんてデッキから墓地に埋葬するようなもんだ」

 

「……?」

 

「" 愚かな埋葬 "ってこと。うまい」

 

 そんな冷ややかな眼で見るな。

 夾竹桃め、今のは自分で言うのもなんだけどわりとうまかったぞ。

 ああ、騙された俺が愚かって意味じゃないからな。どれだけとんちを見繕っても嘘は騙されるより騙そうとするほうが悪い。当然だ。

 

「ちょっとした誤解があったんでしょ。運がなかったと思って妥協すれば?」

 

「ちょっとした誤解ってのはガリレオと教皇の間にあったことだ、これは違うね。この恨みは何十光年分だ」

 

「そう、でも光年というのは時間じゃなくて距離の単位だから。年がつくと時間の単位だと思いがち、フィートポンドというのも、実は重さじゃなくて仕事量を表してる」

 

「ポンドってつくと重さっぽいのにな。なあ、口を開くたびに皮肉だってカードが一緒に出るのは仕様か?」

 

「そんなカードがあるの?」

 

 ほら、きょとんとお澄まし顔だ。すっかり慣れたよ、その顔もな。お可愛いことで。

 

「お邪魔しまーす。さっきから近くにいる理子りんでーす。ねぇ、そのやり取りあと何ターン続きそう?」

 

「何十光年」

 

「……時間の単位じゃないって」

 

「冗談に決まっているだろう、私は最初から理解している。それより理子、ストレス解消にやけ食いはやめておけと言っただろう」

 

「違うよ、これはいつ食べても美味しいの」

 

 キンジ、神崎が留守にしている男子寮の我が家は見事元イ・ウーの構成員に占領されていた。

 ソファーに陣取る怪盗と魔女、理子とジャンヌ。去年この二人に本気で首を落とされかけたと言っても説得力はない。

 

 殺気も敵意も雀の涙ほども放ってないからな。

 理子についてはソファーを占領して呑気に菓子を食ってる、足元には既に開けて空になった袋が散乱中だ。

 

 イチゴ牛乳も濃いポテチも大好きなのは知ってるが、聖女さまの言葉は正しい。今日のこれはやけ食いの領域だな。

 

「待て、その手をおろせ。その肉が一生の肉になるぞ」

 

「キリくん何言ってるの? 意味わかんない」

 

「友人のアドバイスは聞け、食べ物は友達じゃないんだ。愚痴なら聞いてやるから」

 

「愚痴って?」

 

 ばりばり、ポテチの租借音を聞かせながら理子は「何のこと?」と首を傾げた。

 

「はあ……教育的介入が必要だな。てか、お前ら三人とも日曜日の朝早くからなんで俺んちにいるんだ、来るなとは言わないが他に行くところなかったか?」

 

「今日日曜日だよ? どこも渋滞、ファミリーと学生で混雑してる」

 

「だから代わりに俺の部屋を渋滞させたわけか」

 

「わぁ、海外ドラマみたいな返し。刑事ドラマに一人はいるよねー、こういう口のまわるキャラクター。キリくん好きそうだし」

 

「そもそも三人で渋滞というのがおかしな話だ。……三人で渋滞か?」

 

 きょとんとジャンヌの碧眼も丸くなる。

 たとえだよ、たとえ。よし、教育的介入だ。ポテチを数枚くすねてやる。コンソメの、わさびだと? いまはそんなのがあるのか?

 

「神崎とキンジが出ていても相変わらずこの部屋は賑やかだ。今頃は大気圏突破かな。オゾンより下、それとももう地上に降り立った頃か」

 

 うん、悪くない。わさびとポテチ、相性の良さは赤魚とパイナップル並みだな。味皇様も納得の味だ。

 

「私も最初は耳を疑ったぞ。シャトルで緋緋色金を宇宙へ還すなどと言われてはな」

 

「20万ドル出す気があれば一般人でも宇宙に連れていってくれるらしいぞ」

 

「手荷物料は込みか?」

 

「ジェットパックはサービスかなぁ」

 

 ソファーを陣取ったジャンヌ、理子が同時に窓の外から広がっている蒼白の空を見る。そもそも俺には20万ドルって紙幣の山と縁がない、旅のお供はいつもひび割れモーテルだったしな。

 

「それで。緋緋色金は元々宇宙から降りてきた、あの話は本当なのか?」

 

「ああ、どうやら本当らしい。本人からもガブからも話を聞いた。緋緋神は元々ヤツの母親、同じ金属生命体と宇宙を漂ってたが色々あった地球へ落下。自力じゃ宇宙に戻れず、母親に会えなくてグレてたんだと」

 

「親の愛が受けれずに人間相手にグレる、どこかで聞いたような話ね。ガブリエルが乗り気になるわけだわ」

 

「皮肉なことに。父親と母親の違いはあるけどな。俺にもなんかくれ、腹減った」

 

「理子のポテチ分けてあげる、……ってもう食べっちゃってるか、やってることはグリム一族なのに食欲はブルットバッド並みだよね」

 

「おまえも詳しいね」

 

 いつも冷蔵庫から俺のコーラをかすめるだろ、固いこと言うなよ。それにグリム一族は騎士だ。ウチの家系に騎士はいない。

 

 神崎が緋緋神から意識を取り戻したあと、俺たちはまず星枷神社を訪ねた。

 正確に言えば、緋緋色金の第一人者である玉藻と星枷白雪ーー二人と話をする為に飛んだ。ガブの背中にある翼で、リニアの上からちょちょいとズルしてな。

 

 神崎が緋緋神から体を奪い返した技術、超能力的なテクニックは星枷も玉藻も驚くような高等テクみたいだったが、そっちにはちょいと無縁なキンジと俺にはちんぷんかんぷんだった。

 

 神崎がひっそりと超能力について訓練してるのは知ってたが、やっぱり何でも学んどくのはいいことだよな。

 思いもよらないところで役に立つ。玉藻が割り砕いて言ってくれたバージョンによると、キンジが緋緋神の心に隙を作り、その一瞬を逃さず神崎が支配権を奪い返したってことらしい。

 

 心に隙ーー恋の女神が恋で隙を作られた。これこそ皮肉だよ。恋を好んでも、恋がホームグラウンドってわけじゃなかったんだな。

 それにキンジは第一級の女たらし、相手が悪かったな。とどのつまり、運がお悪い。

 

「……ガブリエルは? 私も彼に命を救われたようなものよ、礼を言いたかったんだけど」

 

「ちゃんと言っといたよ。お前もあっちの世界から渡ってきたみんなも感謝してるって、バラバラに別れちまう前にな」

 

 夾竹桃が渡してくれた瓶のコーラは冷たい。申し分ないな。

 

「ガブリエルに」

 

「ガブに」

 

 軽く瓶同士をぶつけ、音が響く。

 再会して、戦って、別れて、なんというかあっという間だったな。ガブリエル、最後まで人間の味方でいてくれた唯一の大天使。

 

 一時的な釈放。ガブがそう言っていたように虚無の泥はあのあと舗装されたアスファルトの地面を抜けて迎えに来た。

 相手は虚無だ。どうにもならない。行方をくらましても意味はない、それが分かっていたからガブも逃げようとしなかった。それだけであそこで会ったメグの形をした存在が、どれだけイカれてるかが分かる。

 

 

(求めていたものに手が届いとき、虚無に引きずり込む。求めていたもの、ね)

 

 

 頭の中で虚無の言葉がひっかかる。虚無への片道切符を持たされたのは俺も同じ。

 いつか、()()は俺を引きずり込みにやってくる、あの虚無に。

 

「切くん、変な顔。お腹冷やしちゃった?」

 

 柔らかい棘のない声でハッとする。

 

「いいや、何でもない」

 

「そっか。理子も喉乾いちゃったなぁ。夾ちゃん理子にもおひとつ頂戴な」

 

 求めていたもの、それはなんだろう。

 理子、ジャンヌ、夾竹桃、見渡せばそこには家族がいる。炭酸が喉を焼くのも構わず、ただ瓶を喉へ傾ける。

 

 メアリー母さんは言ってた。

 血の繋がりだけじゃ家族にはなれない、家族は築き上げていくものだと。

 

 最後に頼れるのは家族。俺が最後に助けを求めるのは、俺の首を落としにやってきたここにいる三人、なのかもな。それってちょっと、ロマンに満ちてる。

 

「ジュマンジでも見るか」

 

 ……何だよ、名作だろ。

 揃いも揃って視線を向けやがって。

 どうせ始まったら誰も文句言わなくなるよ。

 

「待って、夾ちゃん。理子が言うから、ネクストステージ?」

 

「95年版に決まってるだろ。古き良きアドベンチャー映画だぞ?」

 

「ショッピングモールの中を動物が走り回る映画か?」

 

 猿がバイクに乗ってる映画。

 そうだよ、ジャンヌ。動物がゲームの中から飛び出てくる映画だ。

 

「いいよ、じゃあジュマンジ見ながらコーラで乾杯しよ。理子が乾杯やるね」

 

 はいはい、任せるよ。盛り上げ担当。

 なんていうか、この瞬間はーー最高。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、大丈夫か? 歩き方が変だぞ?」

 

「……走る車から落ちたみたいです。例えるならですけど」

 

 たぶん常連って言っても通るであろう綴先生の部屋で、ほぼ指定席に使っている革椅子に陣取った。   

 時間差でイギリスから溜め込んでた疲労が回ってきたかな、リニアでやった分まで。これならどのみちシャトルには乗れなかった、最初から断っといて良かったぜ。

 

 飛行機はまだしもシャトルだ。ワイルドスピードみたいに車で宇宙まで行くわけには行かないからな。貴族様はいつだってやることが派手だ。

 

 不思議そうに顔をしかめる先生は、短くなったタバコを革手袋の右手で灰皿の底に押し付ける。

 

「そんなのは体験済みだろ、しかも何回も」

 

「最近はありませんでしたから」

 

「あんたさぁ、日頃からちゃんと体はケアしとけってあたしは言ってるよー? でないとあとから影響が出る。骨折とか銃創とか、刺し傷ーー」

 

「猫の噛み傷」

 

「感染症はこわいよぉ? というか、マジでその目戻ったんだねえ。どうやったの?」

 

「話すと長い」

 

 けらけらとおどける先生は新しく、青く横長のケースから一本抜いていく。

 ジタン・カポラルーー両切りか、いつも見てるのより短い。いつ変えたんだろ。

 

「というか、煽らないでくださいよ。近くに毒のエキスパートがいるんです。感染症の怖さは知ってる」

 

「手遅れになる前にちゃんとベッドで寝て、健康的な生活に変えな。ピラティスとかどう?」

 

「俺はコーラと鎮痛剤でいいや、のらりくらり誤魔化しながら走ります。コーヒーのほうがききそうですけど味の問題が」

 

 炭酸がない世界は終末だ。

 ニコチンとタールがなくても俺は生きていけるが炭酸がないとどうにもならん。世界の終わり。

 

 煙が部屋に揺れるのもいつもどおり。

 ニコチンとタール、アルコールに満ちた匂いはいつ来ても変わらない。部屋に染み付くようなこの感じ、やっぱり似てる、エレンのバーに。

 

 エレンのバー、俺にとっての我が家にどこまでもそっくりだ。

 年季の入ったおんぼろの照明もダブりそうになるほどだ。だから入り浸るように通ったのかもしれない。あそこはもう、アザゼルの策略で焼き払われちまったからな。

 

「のらりくらりねぇー。んで、それならそっちの顎の傷は? 目は元どおりなのにさ」

 

「深剃りしてまして」

 

「なに使ったの? 芝刈機?」

 

「だったら今頃は血の海ですよ」

 

 顔一面が真っ赤になってる。

 力を抜くように笑い、今度は俺が尋ねた。

 

「先生こそ黒煙草なんていつから吸い始めたんです? しかも英国のドル箱タバコだ、コンビニじゃ見かけませんよ?」

 

「んー、もう廃盤らしくてさぁー。嫌になるよね、ネットで買い占めちゃったよ。いつまでもあると思ってたんだけどねぇー、なくなるときは一瞬」

 

 首を揺らし、窓の外遠くを見つめるような目で、そしてまたけらけらと俺に向けて先生は笑う。

 

 廃盤ってことはもう新しくは製造されないんだな。つまり、いま現存している在庫が尽きたら最後。この世から姿を消しちまう。

 

 どこか名残惜しむような表情で先生は煙を肺に入れる。息を吐き、煙を立ち上がらせる所作はまるで洋画に出てくるアウトローな女主人公。

 ワケありなバックボーンを背負った、骨太な武闘派って感じがする。無駄に美人、脳裏に言葉が浮かんだときだった。

  

「ふぅー……なあ、愛弟子ぃー。女が豆腐料理をやめて、腹筋をやる回数も減ったってどういうことだと思う?」

 

「そりゃ簡単です。豆腐料理を食べなくなって腹筋をやる回数も減った。それはつまり、男と別れた。とどのつまり、おしまいってことだ」

 

 分かりやすい。

 肩をすくめて俺は笑う。すると、先生は革椅子に背中を深くこしかけて座り直した。

  

「実はお前が日本を出てるあいだにデート、したんだよ。フリーの探偵調査員、セキリティーコンサルタントをやってるって男と」

 

 マジか。それは面白そうなイベントだ、どうして事後報告にしちまったんだろ、ちくしょうめ見逃した。

 

「にしては浮かない顔ですね。そいつはマザコンで、赤ん坊言葉で言い寄ったんですか?」

 

「いいや、レストランで素敵な夜だった。中世騎士のショーもあったし」

 

「……中世騎士? ジョークですか?」

 

「楽しそうだろ? 教務科の連中との話に出たんだよ、んで話をしたら、そしたら行くことになったわけ」

 

 教務科もユニークなもんが流行ってるな。

 だが、中世騎士のショーを見ながら飲み食いできるってのは理子やジャンヌみたいなイベントや催しごとが好きな層にはウケそうだ。

 

 しかし、先生は浮かない顔してる。さて、クエスチョンだ。問題を投げられたつもりで俺は答えを探してみる。

 

「そいつに決闘でも挑まれました? ボコボコにしすぎて罪悪感がある」

 

「違う、なんであたしが素人と決闘するんだよ」

 

「じゃあ、身の程知らずにも先生の料理を盗んだ。頼んだボトルを一人で空にされたとか」

 

「あたしをからかおうなんて身の程知らずだよねぇ。そんなのお前くらいだよ。そうやってからかうならやめた、話さない」

 

「別にからかってませんよ、ちゃんとクモの巣張った頭で考えてます。ここまで続けてそりゃないですよ」

 

 手品じゃないんです、ここで打ち切られたら不完全燃焼もいいところだ。

 しばらく視線で抗議してやると、先生は一度かぶりを振って前置きし、

 

「ーー財布を忘れたんで車に取りに行ったらキスしてやがったんだよ、ブロンドの田舎娘と」

 

「田舎娘って……そんな言い方は……」

 

「違う、田舎娘役なんだよ。ショーでドリンク運んできた」

 

「……命知らずもいたもんですね。グレートキャニオンから飛び降りるようなもんだ」

 

 「そこから先は恐いので聞きません」と、据えてから俺はつまみのようにテーブルに置かれていた袋からジャーキーを一枚かすめとり、物理的に口を塞いだ。

 

「隠れた何かが人にはある、いつも評判通りとは限らないあたしからの与太話はこんなところでいいでしょ」

 

 さて、と先生はそこまで言うと最初から短かったのがさらに短かく燃え尽きたタバコを積み上がった灰皿に捨てる。

 

「ーーいつ行くのさ」

 

「卒業式が終わればすぐに」

 

「そっか。暫くこの部屋も静かになりそうだな。今回は長いんでしょ?」

 

「ええ、期限に目処はつけてません。簡単には終わりそうにないので。お陰で教務科に通すにはちょっと手こずりましたが」

 

「あたしの顔が利いたかなぁ、感謝しろ?」

 

「ごもっとも、影響力のある師を持って幸せですよ、ありがとうございます」

 

 教務科には海外の依頼として通した。依頼者はジーサードの会社というのも建前だ。

 

 異世界を越えてきたミカエル、そして舞い戻ってきたルシファーと決着をつける。

 俺も原因を作っちまったからな、それに目下の問題だった緋緋色金のことも片付いた。神崎が乗っ取られる心配もなくなった。

 

 だから俺はーーこの国を出る。

 

「いい師だよね、あたしってさぁ。権力を求めない、名声も。理想の講師」

 

 離れんのは、正直辛くないといったら嘘になるけどな。

 

「完璧な自己紹介ですね。気が効いてて、シンプルで、論理的だ」

 

「皮肉も極めると芸術だねぇー。愛弟子、たまには皮肉以外も言え。職場のパーティーなんて大嫌いだ、だらしなくてはた迷惑な酔っぱらいばっかりで」

 

「ああ、田舎娘さらった男とはパーティーで、でしたか。警備会社入りする武偵も増えましたからね」

 

「ショットグラスを土産に売るような場所で出会いを期待すんのが間違いなの。引き連れて返れんのは脳震盪くらいさ、みんな飲みまくり」

 

 それは先生もでしょ。俺だって初聖体じゃブドウジュース飲みまくってた。

 

「愚痴ったら腹が減ったな。世界が終わる前に楽しい夜を過ごしに行くか」

 

 立ち上がると、先生は椅子にかけていたコートをとる。

 

「先生の奢りですか?」

 

「中華料理以外だ」

 

「やった、俺は骨付きのステーキがいいなぁ、肉汁たっぷりのガツンとくるやつ」

 

「調子に乗るな」

 

「トリュフのシーズンってまだですかね?」

 

「ルールを決めとこう。やたら高いキノコはなしだ、鶏以外の卵も駄目、あんたとあたしより年上の酒もなし」

 

「そもそも俺は飲めませんよ」

 

 踵を返し、部屋を出る。

 

 暫くの別れだな、先生の部屋。

 カウンセリング、それなりに楽しかったよ。懐かしい記憶にも浸れた、感謝してる。

 

「シーフドタワーはどうですか?」

 

「駄目。あたしのクレカを止める気か」

 

 

 






久しぶりに日常回オンリー、最後に絡み多めだった三人と講師との一幕です。次が緋緋神編ラストになります、ここまで追いかけてくれた読者さんに感謝を。


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carry on(前へ進め)

 

 

 

 

 武偵高の終業式・卒業式は、通常の高等学校・職業専門学校より遅い3月28日に開かれる。

 

 在校生にはランクの昇降や進級の可否が通達され、卒業する生徒は見事この地獄のような学校から外へ羽ばたくわけだ。強襲科は実際死者が出てるしな。

 

 宇宙旅行に出ていたキンジと神崎もこの日になるとちゃんと帰国してる。

 手短に緋緋色金のことを聞いてみたが無事にお空の上にいる母親のもとに帰れたそうだ。これ以上ない綺麗な落としどころかもな。

 

 緋緋色金の喪失で星枷はここ最近多忙に追われてたらしいが彼女も今日は朝から顔を見せてる。

 

 みんな焼かれたはずの俺の目を見るなり奇妙な顔をするが星枷については例外。いつも通りのやりとりを返せたのははさすが不条理を得意とする魔女ってことなのかな。ジャンヌもヒルダも驚いてなかったし。

 

 終業式が終わって講堂から出る際、出口付近で俺やキンジを含め、在校生は混雑していた。武偵高では4月に全員が名札を付けるといういまでは形骸化した規則がある。

 

「なんでこんなところで配るんだよ……混むに決まってんだろ、ありえん、ありえんだろ」

 

「キンジ、昨日手鏡割っただろ」

 

「どうして?」

 

「鏡を割ると不幸が7年続く」

 

「こっちは生まれつきだよ」

 

 不幸に定評のあるキンジは嘆息し、隣の星枷に苦笑いをプレゼントしていた。キンジ曰く、レキはロシアにいるらしいが理子と神崎は見つけた。

 

 ジャンヌと夾竹桃もいる、在校生なんだから当たり前か。ワトソンもいた。

 視界を広く持てば、武藤兄妹や不知火と中空知も見つけられた。みんなそれぞれ、卒業式って空気に色んな表情を浮かべてる。来年は自分たちの番、だからな。どんなこと考えてるんだろうな。

 

「こういう式典があると、未来への期待に胸が膨らむわね」  

 

 爽やかな笑顔で青空を見上げた神崎に、

 

「期待に」

 

「胸が」

 

「膨らむぅ?」  

 

 しかし星枷、キンジ、理子はなにをそんな事をのたまうのかと、神崎の胸目掛けて視線を振る。

 

「なんであんたらセリフ割って言えてんのよ!」

 

 そりゃ、同じ事を考えてたからだろ。

 とは、恐くて言えるはずもない俺は、逃げ場を求めるように今日も快晴な空を仰いだ。

 

「おーアリア女史。お疲れ様ですよ。こっちこっち。こっちです」

 

 しかし、在校生が混雑している講堂でキャスを思わせるレトロなトレンチコートを着た、明らかに浮いている影がひとつ差し込む。

 

「お前たしか外務のキャリア組のーー」

 

「銭形。見ての通り、面白いのは名前だけじゃないわよ?」

 

「おい蠍、こっちは激務のあとなんです。察しろです」

 

「あらごめんなさい、人のタイヤを小銭でパンクさせた恨みとでも思っておいて。誰かさんから学んだの、許可をとるよりやっちゃってから謝るほうが楽だって」

 

 一悶着あったらしい腐れ縁の蠍と一緒にいるのは、銭形乃莉。Ⅰ試験をこなし、外務省欧州局事務官にあの若さで座っているお偉いさんだ。

 東大の薬学部を出てる誰かさんと同じ、紛れもないエリートである。てか、やっちゃってから謝るほうが楽なんて論理は俺教えてないぞ。

 

「いやーしんどかったです。副大臣命令をくらってからこっち、ツイッターとかフェイスブックを駆使して、徹夜に次ぐ徹夜の大捜索。山積みの書類タワーに劣らない過酷さ、頑張ってやったんですから驚きやがれですよ。ほら、ちゅうもーく」

 

 間延びしたゆるい感じで、銭形は中庭の一角をだぶだぶのトレンチコートをふるいながら、見るように示した。

 キャリアがなんでこんなところに、どうでもいい疑問は……吹き飛んだよ。

 

 

 

「すごいな、これは」

 

 言葉が出ない。

 いや、どう表せばいいんだろうな。

 

「覚えてるかあれ。バスジャックでアリアが助けた学生だ。あっちはハイジャックから助けた乗客、ANAのパイロットとCA、ココのときの新幹線の客までいるぞ」

 

「ああ、恐れ入ったよ。他にも老若男女だ、たくさんいる。なんてこった、ここに来てまだ神崎のすごさを思い知らされた」

 

 中庭にいる老若男女。軽く囲みができてるこの大勢の人たち全部が、神崎がこれまで助けた人たちらしい。

 集った彼ら彼女らには菓子やらジュースやらが振る舞われており、ちょっとしたお花見パーティーだ。ここにいるみんなが神崎に救われた、それは本当にすごいことだよな。

 

「親父が、話してんだ。昔から兵士たちは歓待され、語られたり、歌われたり、銅像を立てられたりした。だけどいまの時代、戦場での兵士たちの犠牲はないがしろにされてる」

 

「国民の多くは、芸能人のニュースを追いかけるのに忙しいもんね」

 

 腕を組み、理子は「だけど……」と加える。

 

「ああ。だけど、あれは無意味じゃない。あの景色が神崎がこれまでやってきたことが無意味じゃないって、何よりの証明だ。お見事だよ」

 

「サプライズはまだあるみたいだぞ。アリアにとっても、お前にとっても」

 

 そう話ながらやってきたジャンヌの言葉の意味に、いや、駆け出した神崎が向かう先を見て……ああ、俺もキンジも、理子も目を見張った。

 

 良かった、本当に良かった……良かったな、神崎。本当に……

 

「ママぁ……!」

 

 人が溢れるような中心に、間宮と話していたロングスカートのワンピースの女性。それは神崎が日本にやってきた理由で、誰よりも神崎が大切に思っていた人。

 

「釈放、されたんだね。星枷が手を回してたのは知ってたけど、こうも早いとは理子もびっくり。驚いちゃったなぁー」

 

 今まで貯めていたものが溢れてたように泣きじゃくって母親に抱き止められる神崎。

 その姿を遠く見ている理子の目は、ほんの少し、羨ましそうに見えた。でもそれは一瞬。丸い瞳をそっととじ、次に開いた理子の目にはもうその影はない。

 

「でも綺麗。いい景色だね」

 

 これまでの空白を埋めるように、何度も母親のことを呼ぶ神崎。ワンピースが涙に濡れても気にせず娘を抱き締めるかなえさん。

 理子、俺もほんの少し、羨ましいよ。でも良かった。ありきたりな言葉しか出ないけど、良かった。

 

 かなえさんの近くには前に一度見たことのある神崎の顧問の弁護士さんもいる。銭形、キャリアがわざわざ出てきたってことはもう、大丈夫なんだろう。

 かなえさんは自由の身で、神崎はこれまでできなかった家族との時間を取り戻せる、良かった、良かったな……

 

 

 

 

「キンジ! キンジきてっ、早く!」

 

 

 

 神崎に呼ばれるようにキンジも走り出す、命がけで守ったパートナーのもとに。

 

 

 

「ねえ、ママ……あたし、話したいことがたくさん、たくさんあるから、ううん、あのーー」

 

 

 

 神崎、ゆっくり話せよ。もうどこにも母さんは行かないんだからさ。

 

 

「あれがあの子の望んだもの、取り返したもの」

 

 

「うん、アリアが戦ってた意味。それが」

 

 

「あそこにあるものか。その通りだな」

 

 

 かつては神崎と敵対した、イ・ウーの刺客たちと俺はその光景を目を留める。

 

 あれが神崎が取り返したもの。家族。

 そして、手に入れたものは命を賭けて共にいようとしてくれるパートナー、か。

 

 目を伏せ、俺はもう一度開いた目に神崎の姿を留める。ずっと見たかった、あいつの心からの笑顔を。

 

 

 

「お別れ、言わないの?」

 

 

 インパラの鍵を手元で揺らしたとき。

 蜂蜜色の髪を春風に靡かせ、理子がそっと振り向く。

 

 そんな彼女に、そして、カメリアの瞳に最高の微笑みを咲かせた神崎に向けて、俺はかぶりを振って答える。

 

 いいんだ、これでいい。

 

 

 

「ーーーまた会える」

 

 

 

 

 そして俺は、インパラと最後のドライブに出掛けた。

 本土行きの、航空券を武偵手帳に挟んで。

 

 

 

 

 いつだって戦うのは、家族のためだった。いつでも戦う理由の底にあるのは家族のことだった。

 

 

 だから神崎のことはほおっておけなかった。母親を救いたいと話してくれたあのときから、ほおっておけなかった。

 

 

「……」

 

 

 V8エンジンがいつになく吠える。

 古き良き、アメリカの魂が心地よく音色を奏でてくる。まるで別れの前の祝いをくれているようで、ちょっと嬉しい。

 

 

 ハンドルを撫で、信号でブレーキを踏み、そしてまた燃料を燃やして駆け出す。

 275馬力、40年を超えてもまだまだ尽くしてくれる最愛の車。神崎やキンジとも何度も、色んな時間を過ごした愛しのインパラーー

 

 

 すれ違う、何度も見てきた街並み。学園島を越えて、都内へ。何度も走った道を駆ける、時代錯誤と言われたかすれたカセットテープで、もう何十年も昔に録音された曲をかけながら、かなめと因縁の一夜を広げた空港への道を走る。

 

 

「ーーそこのインパラ。止まんないとキップ切るわよ?」

 

 

 ……止まるも何も、隣に並んでから言うことじゃねえだろ。

 

 開けた道、白線を挟んで隣に並んだMINIにこぼれるのはどうしようも表せない気持ちだった。

 そこにあるのはどうしようなく見慣れた、綺麗な横顔。

 

 

「別れの言葉はなしってワケ?」

 

 

 ……ったく、折角の母親との再会だったのに、こんなところまでお可愛い車で追いかけてきたのかよ。何やってんだよお前は……

 

 

 

「……はっ、そうだったな。忘れてたよ」

 

 

 まるで映画みたいな停止のやり方だ。

 そんな言葉をかけられて止まらないわけにはいかない。

 

 眩しい微笑みに、俺もハンドルに両手をやったまま笑う。

 アリア、独りきりのアリア。おぼえてるか、去年お前は自分から言ったんだ。自分は独唱曲ってな。

 

 生きとし生ける者、みんな一人ぼっち。

 アナエルはそう言った、それが翼を失って地上に墜ちた彼女が学んだことであり、彼女が見つけた真実なんだろう。

 

 けど、それでも俺は、俺は、ジョーがくれた言葉を今でも信じてる。

 

 

 

『すみません、勤務中にこういうことはしないんですが……貴方はエレノアかーーエレンという知り合いがいますね?』

 

 

 この世界で自分がたった一人だと思えるときも、助けてくれる人は必ずいる。

 

 

『彼女は貴方のことをすごく心配してます。貴方に伝言があると』

 

 

 愛をくれて、暗闇を抜け出す手助けをしてくれる人が必ずいる。

 

 

『こう言っています。どなたかに自分の気持ちをハッキリ伝えないならーー"あの世から背中を蹴り飛ばす"って』

 

 

 たとえそれが、もう会うことの叶わない人だとしてもな。

 

 

『貴方はもう一度、人を信じてみるべきです』

 

 

 

 

「ーーまたな、神崎」

 

 

 

 顔を会わせることはせず、俺はアクセルを踏みながら呟く。神崎も何も言わない。

 二つのエンジン音が重なり、隣合って発進した神崎のMINIもやがて離れた車線に、学園島への道へ逸れていく。

 

 

 家族は築き上げていくものだ、血の繋がりは関係ない。

 

 だからお前とキンジは、理子もレキもジャンヌも白雪も、バスカビールは俺の家族だ。

 

 

 たとえどこにいても、それが違う国だろうと、手の届かない場所にいたとしても、

 

 

 

「俺たちは家族だ。ずっとずっと変わらずにな」

 

 

 

 

 

 

ーーー

ーーーーー

ーーーーーー

 

 

 

 

 

 その場凌ぎで乗り切ってもいつかはそのツケが思わぬ形でやってくる。しかし、目の前の問題がどうしようもないとき、どうしても目先の問題を投げることだけに手一杯になる。

 

 そしてその場を乗り切る為に払った代償が、新たな問題となってやってくる。いつだってその繰り返し。

 

 

「お…えッ…ぁ、あ…!」

 

 

 噎せかえるように吐いた血は、今日この日まで丹念に手入れされていたはずの聖堂の床を台無しにした。

 石柱はひび割れ、聖母を象った石像の顔には夥しい血が振りかかり、目から血の涙を垂らす姿はどうしようもなく猟奇的だった。

 

 

「……逃げろ、ジャック! もう収拾は、無理だっ……! 逃げろっ、いけ、いけえええッ!」

 

 

 聖堂の真ん中で倒れ伏したルシファー、かつての堕ちた天使の亡骸の前で、ソレは雄々しく両手を広げる。祭司のように、神々しい立ち振舞いで、佇んでいた。

 

 実際、神々しいのだ。その存在はどこまでも神々しくて当たり前なのだ。

 ディーンの体を借りて、聖堂の空気感を味わうように両手を広げているそれは、どうしようもなく神に近いのだからーー

 

 

「邪険にすることはないだろう。ここは私を奉る場所だ、だろう? 敬うべきだ」

 

 

 頭がおかしくなりそうな痛みを無視し、ルシファーの槍を持って死地に、飛び込む。動けるのは俺だけだ、行かなきゃみんな死ぬ。

 ここが丸ごと墓地になる。ジャック、さっさとサムと転がってくるキャス連れて逃げろ、秒でしか無理だ、20秒も稼げない。

 

 

 刹那、視界を青白い光が埋め尽くす。

 諦めた。

 

 

 無理だ、距離なんてどうこうの話じゃない。刃が触れるだの、切りあうかわすだのそんな次元の話じゃない。

 全身が火傷、裂傷、なんとでも表現できる痛みに襲われ、真っ赤に染まった床に顔がぶつかる。

 

 ざけんな。勝つ負けるの話じゃない。

 相手になるか、こんな化物。

 

 

「いい器だ」

 

 

 その声は紛れもない兄の声。

 そして中に潜んだ化物は、たったいまルシファーを殺した実の兄。

 

 ミカエルは父に忠実、ルシファーは父に反抗的。

 喉から壊れた蛇口のように血をこぼしながら、あがきのように俺は名を呼ぶ。

 

 

「……ミカエル」

 

 

 深夜、静まり返った聖堂で立っているのはミカエル。

 ミカエルの剣ーー本来与えられるはずの最高の器を手に入れた、最高の化物だ。

 

 

 

 







まずは100話をこえる長々とした作品を追いかけてくれた読者さん、ありがとうございました。

書き始めた当初は、終わらないだろうと思っていたスーパーナチュラルも完結してから数年経ちました。エタらずにここまで書けたのはひとえに評価と感想をくれた人たちのお陰です、評価や感想は作者にしてみるとモチベーション兼ご褒美みたいなもんですね。

100話をこえても昔から感想くれる人や、スパナチュに興味を持ちましたと言ってくれる人もいて、遅筆な作者は毎回結構な時間を持っていかれましたが楽しい趣味となりました。

まだ完結していないアリアの原作は、先生のスゴさを思い知らされますね。あの引き出しの多さはなんとも凄まじい……

一方、スパナチュのスピンオフはシーズン1から更新されないことが決まりました。が、打ち切られても他の局で新しく契約されて復活する可能性があるのもまた海外ドラマ。吹き替えの到着を楽しみにする毎日です。

長々筆を振るいましたがここでタイミングがいいので一区切り、活動報告にも書きましたがまた休暇に入りたいと思います。

ちなみに第一話って某ヴレインズがまだ放送してたときに書いてるんですよね、これ時代を感じます。

また会えるときまで、ありがとうございました。感想、評価を貰えると舞い上がって読ませてもらいます。







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番外編
言えない言葉


今回はお気に入り500突破記念の番外編です。


(待ち合わせの場所ってここだよな?)

 

 午前10時40分ーー携帯電話で現在の時間を確認して、周りを見渡してみる。人の通りはまずまずと言ったところ。ポケットに両手を入れて後ろを向けば、ニューヨークでお馴染みの自由の女神が立っている。サイズが縮小されたレプリカだが台場の観光名所として有名だ。兄貴と一緒にニューヨークで見物したっけ、ポルターガイストを退治したあとで全員へばってたのをよく覚えてる。

 

 俺は近くのベンチに腰を下ろし、レインボーブリッジのある方を手持ち無沙汰に眺める。あの橋から、夾竹桃が落ちて溺れたって聞いたときは目を丸くしたよ。なんでも器用にこなす女だと思ってたしな。何度も携帯を開いていると、時間は11時を過ぎて待ち合わせの時間となった。5分経ったらホットドックでも買いにいくか、でもあの店いつも閉まってんだよな。足を組ながら待っていると、待ち合わせた女は堂々と歩いてきやがった。

 

「待たせたわね、お詫びに半分あげるわ。お昼たべてないでしょあなた」

 

「ハンバーガーで俺を買収できると思うなよ?」

 

「いらないなら私が全部食べるけど」

 

「いいや食べる。待ってたぜ、夾竹桃」

 

 防弾制服と黒髪を風に靡かせて歩くのは、紙袋をぶら下げた夾竹桃だった。少し間を開けてベンチに座ると、途中で買ってきたらしい紙袋を自分と俺の間に置く。手袋をしていない右手で紙袋を開き、サラダを抜くとさっさとカップの容器を開けてドレッシングを混ぜ始めた。

 

「二つあるから先に選びなさい。私は残ったのを貰うから」

 

「いいのか?」

 

「好きにしなさい、サラダは貰ったわ。異論はないでしょ」

 

「ああ、おっ、ベーコンチーズバーガーにベーコンレタスバーガーか。やるじゃねえか、いいチョイスだ」

 

 ハンバーガーと言えばジャンクフードの王様だからな。美味い物はいつ食っても美味い。俺は片手でそれぞれ取り出したハンバーガーを前にして首を捻る。うーん、どっちにするか迷うぜ。

 

「ハンバーガーを選ぶだけで随分楽しそうね」

 

「俺、そんな顔してたか?」

 

 夾竹桃はクスッと笑い、

 

「してるわよ」

 

 そう言ってサラダを食べ始めた。俺もベーコンチーズバーガーの包みを解き、かぶりつく。美味いな、どこの店で買ったんだろ。気になって場所を聞いてみると、そこは俺の知っている病院の近くだった。

 

「へぇ、あんなところにハンバーガーショップなんてあったんだ」

 

「最近オープンしたのよ。気になるなら行ってみればいいかもね」

 

「ああ、キンジにも教えてやんなきゃ。いいこと聞いたよ、あいつも喜ぶぜ」

 

 今日の夾竹桃は防弾制服の上から黒のセーターを羽織っている。こいつは妙に黒い服が似合うよな、と食事ながら考えていたときだった。

 

「雪平、聞いても?」

 

「ああ、どうかしたか」

 

「……その腕にめかしこんでるのはオカルトグッズか何か?」

 

「夾竹桃。お前は俺が認める数少ないスタイリストだが、今の発言は少々がっかりしたぜ」

 

「つまりファッションなのね。驚きだわ」

 

 俺は防弾制服の中に黒のタンクトップ、スタッズベルト、そして腕にはシルバーアクセを巻いている。神崎には『武偵の心構えができてない』と罵られ、理子には『悪趣味』と一刀両断された。ちなみにレキからは、何も言われなかった。あれが一番堪えたな……

 

「俺からすればこれでもまだ地味だぜ。もっと首にチョーカー巻くとかさ」

 

「やめておきなさい」

 

「キンジにも止められたよ。いまいちセンスないぜ……あいつ」

 

「ルームメートが常軌を逸したファッションモンスターになるのを止めた。人はそれを英断と呼ぶのよ」

 

「いいフレーズだ、今度使ってみる。コバート・アフェアっぽい」

 

「映画好きなのは聞いてる、ジェイソン・ボーンにでも憧れた?」

 

「デッカー刑事が好きだったんだよ、育ちはローレンスだけどな」

 

 ジェイソン・ボーンか、キンジに語らせるとスパイ映画の金字塔だ。記憶喪失になったスパイの苦悩をテーマに置いた映画、記憶を取り戻すに連れて、本当の自分と自分の役目と向き合うことになる。

 

「自分がしたことを忘れられるなんて幸せ」

 

「よせよ、センチメンタルになるな。カウンセリングはできねえぞ?」

 

 俺は食べ終わった包み紙を丸めて紙袋に投げ込む。

 

「そういう意味じゃないわ。ただ、誰でも重荷を背負ってる。与えられた責任、罪の意識を」

 

 空になったサラダの容器が音を立て、開いた紙袋ヘ落ちる。

 

「でも忘れることで背負った重荷を下ろせる。解放されることで幸せになれるかもしれない、今よりも」

 

 ああ、分かってるよ。それが俺に向けての言葉だってこと。自分がしたことを忘れるなんて幸せだ、お前の言うとおりだよ。

 

「そうだな、まぁ一瞬でも重荷を下ろせたら幸せだろうよ。気は楽になる。でもなくなるのは、重荷だけじゃない。一つ一つ積み重ねてきた大切な想い出まで……忘れて、否定することになる」

 

 過去が積み重なって今があり、そして未来へ続いていく。過去を忘れて逃げるには、俺は大勢の人に手を借りすぎたよ。自分の命を投げて俺を助けてくれた人がいる、いや俺だけじゃない、兄貴を救ってくれた人、家族を救ってくれた人たちが大勢いる。そんな大切なことも忘れて幸せになろうとは思わない。

 

「そんなことが幸せだって言うなら俺は辛い方を選ぶ。記憶喪失で幸せにはなれねえよ」

 

 俺はかぶりをふる、紙袋を持ちながら。

 

「でも何かの間違いでやり直せるならーー」

 

 

 

 

 

 ーーやり直せるならお前と、

 

 

 

 

 

「いいんだ、忘れてくれ」

 

 惹き付けられる横顔からかぶりをふって視線を遠ざける。立ち上がろうとした瞬間腕が引かれる。歯切れの悪い言葉が尾を引いた。

 

「言って」

 

 ああ、ちくしょうめ。視線を合わせられねえな。

 

「お前とはあんな風に出会いたくなかった」

 

「安い口説き文句を期待してたのに」

 

 ……参ったな。俺はうっすらと笑い、背中を向けた。インパラの待つパーキングへ一歩踏み出すと遅れて足音がする。珍しく早足で追い付いたこと以外はいつもと変わらない。隣を歩くのはいつもどおりのクールな魔宮の蠍だ。

 

「わりと本気で口説いたかもな」

 

「そう、聞けなくて残念。笑う準備が無駄になったわね」

 

「喜べ、俺の豆腐のような心がたった今グチャグチャになった。望みが叶ったな、おめでとう」

 

「イヤミかしら?」

 

「上等な豆腐をミキサーにかけるような一撃だった。これくらい言わせろ」

 

「……イヤミまで回りくどいわね。さすがの私もちょっと引くわ」

 

 俺は苦笑いを浮かべやった。お前のイヤミも回りくどいだろ。

 

「つか、何の映画見るんだ。アニメを見るのは聞いてるけどよ。殺戮のディープブルーはもう見たぞ?」

 

「それは8年前に上映された映画よ。私も見たから覚えてるわ、アニメで」

 

「そういや、当時はアニメでも同じ事件がやってたな。8年前ならお前小学生だろ。よく覚えてるな、好きだったのか?」

 

「……ええ、まぁ……」

 

 ……なんで目を逸らすんだ。つか、なんで疑問符?

 

「今から8年前だと9歳ってところか。年齢一桁って言うとTHE子供だよな」

 

「……どこまでも空気を読まない男ね。さすがワンヘダよ、尊敬してあげる」

 

「わりぃ、ワンヘダしか聞こえなかった。それと理子のせいであだ名みたいになってても俺はレクサが好きなんだよ。savvy?(お分かり?)」

 

「いいわ、忘れてちょうだい。映画の話は白紙にするわ。今の流れは全部忘れることいいわね?」

 

 夾竹桃は畳み掛けるように俺の肩を揺らす。おま……毒の手でも掴んで来やがって……何がどうしたんだ?

 

「お、おい待てよ!ランダム配布の特典が欲しいから付き合えって言ってたろ!」

 

「些事よ」

 

 些事なのかよ……

 

「あなたの一言で予定が白紙になったわ。夜まで暇ね」

 

 気のせいかな、振るまいがずぶとくなってきたぞ。とんでもないキラーパスを投げつけられた気分だ。遠目に見えたインパラがいつもより輝いて見えるよ。予定が白紙になったので行く宛も真っ白だが、とりあえずコインパーキングの支払いを済ませる。誰のきまぐれで予定が白紙になったんだかなぁ、どこで暇を潰したもんか。

 

「真っ白なメモ帳を買って、いざ予定を書き込もうとしてこう思うんだ。書き込む予定がほとんどないってな。要は行く宛がない。どうするよ?」

 

「書店に行きましょう」

 

「書店?」

 

「欲しい本があるの、最近和訳されたばかりでね。一部の熱狂的なマニアを抱えてる」

 

 ……すごく嫌な予感がする。気になる、だが勢いだけで聞いていいのか。引き返せるなら引き返した方がいいのかもしれねえぞ。かーなーり嫌な予感がする。

 

「なあ、どんな本なんだ?」

 

「ダークファンタジーよ。特別に和訳して一節を読んであげる」

 

「ああ頼む。スリーピー・ホロウなら嬉しいよ」

 

「『また火曜日の朝がやってくる。『Heat Of The Moment』がーー再び繰り返される。水曜日はいつやってくるのだろう」

 

「待て!記憶にある!むしろ記憶にしかねえんだが!」

 

 

「……何を狼狽えてるのよ」

 

 狼狽えるさ、俺は日本じゃ一番詳しいマニアになっちまったよ、たった今!

 

「つまりあれだろ。起きたら『Heat Of The Moment』が流れてて、同じ事を繰り返す」

 

「デジャヴーみたいに」

 

「やめろ!デジャヴーって言うな!」

 

 俺はこめかみに手を当てる、忘れるわけがなかった。身内が死に、ひたすら火曜日が繰り返される出来の悪いホームドラマの話ーー

 

「その本、作者が行方をくらまして続編が出版されてねえだろ?」

 

「第5部を最後に執筆をやめてる」

 

「だろうな。喧嘩してた姉と仲直りした途端、旅行に行っちまったよ。グレた息子をほったらかしにしてな」

 

「あなたの知り合い?」

 

「家族ぐるみの付き合いだ。長男、次男、三男、末っ子、姉貴、全員と面識がある。控えめに言ってモンスター一家さ、本物の怪物よりおっかない」

 

 嘘は言ってない、全員と揉めたからな。だが、まさか和訳されるなんてな。端的に言って悪夢だ。

 

「前置きはここまでだ。いいさ、SUPER NATURALを買いに行こう。最後まで読んだのか?」

 

 俺の記憶が正しいなら3シーズンの終わりが24巻。タイトルは決戦の時ーーだったな。夾竹桃はかぶりをふり、助手席に座った。だが聡い夾竹桃のことだ、コルトの話や実在する怪物の特徴や名前が一致することにすぐにでも違和感を覚えるだろう。ウィンチェスターの名字が出てこないだけで、その本には俺たちがやってきた狩りと旅のことが脚色されずに書かれてる。真実はノンフィンクションだよ。

 

「まだ全部は読んでない。でも三男は気に入らない。言い回しと行動があなたに似てる」

 

「仕方ねえだろ!それ仕方ねえからな!コブラを見て蛇に似てるから嫌いって言うもんだぞ!つか、わざとやってるだろ!」

 

「まるで意味が分からないわ」

 

 ちくしょうめ、なんで知り合いと一緒に自分の日記を買いに行くんだよ、罰ゲームだろ。というか、わざと気づいてないフリしてねえか?

 

「悪かったな、気分を変えてやるよ」

 

 静かな車内を清める。俺はカセットテープの山から一個抜いて再生ボタンを押した。怪訝な顔で夾竹桃が首をかしげている。

 

「ここで『Night Moves』?」

 

「shhーー車内を清めてる。思いっきり浸ろうぜ」

 

「30年前の懐メロに?」

 

「焦るなよ、黙って聞け。今日はアニソンはお休みだ」

 

 ハンドルを切り、インパラを旋回させながら駐車場から出す。車内BGMに俺が口ずさむと、夾竹桃も諦めたらしい、目を閉じてため息を1回。

 

「変な男……趣味がダサい」

 

 満更でもない、そう言わんばかりのうっすらとした笑みが隣で咲いていた。俺は構わず歌詞を口ずさんでやる。アメリカで家族と旅をしていた時のようにインパラから見える景色は変わり、そして流れていく。曲の名前を書きなぐった色褪せたカセットテープ、最高のシート、これがインパラだ。

 

「ださいのがいいんだよ」

 

 横目で笑ってやる。自然と首が軽く揺れ、曲に合わせて口が動く。カンザス覚えの英語で。

 

「英語だけは上手いわね」

 

「ローレンス育ちだ。最高のドライブ日和だぞ、夾竹桃」

 

「貴方はいつもそう言ってるわよ」

 

 そう言った夾竹桃は手袋をしていない手を胸に当てーー

 

「ーー♪」

 

「くっ、くくっ……」

 

「そこで笑わない!あなたが始めたのよ!」

 

 駄目だよ、それは笑う。笑わねえと駄目だ。ったく、そいつは反則だろ。

 

「流暢な英語だな、鈴木さん?」

 

「夾竹桃よ、それでいいわ。ほら、サビ行くわよ」

 

「おう」

 

 乱暴に会話を切り、俺達の声は重なった。67年インパラの中で、かつて家族と過ごした懐かしい感覚が甦る。ここは本土じゃない、乗ってるのは殺し合った女、なのに俺は……歌を歌ってる。大事なインパラの隣に乗っけて……こういうときなんて言うんだっけ。

 

「最高だな」

 

 

 




夾竹桃メインの短編は人工天才編が完結した時点でもう一本書く予定でいます。主人公と彼女の関係性が進展するか、後退しているのか。かなめの襲来は遥か先の話ですね。


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頭の中にいるのは?

時系列はブラド戦からパトラ戦の間です。一度だけ主人公以外の視点が入ります。


「なあ、何回も聞いて悪いんだけど。この依頼間違ってないか?」

 

「間違ってないわ。このやりとり、これで六回目よ」

 

「いや、だっておかしいだろ。いくら武偵が金を払えばなんでもやる便利屋でも……」

 

「ーーカウンセリングを受けるだけの依頼はおかしい? 正確には実際に受けた感想や内容を依頼者に伝える。言ってみればモニターよ」

 

 Back in Blackーー長兄のお気に入りの曲を流しながら、インパラは長いトンネルの中を走っていた。助手席に座るのは鑑識科の鈴木桃子ーーは世を忍ぶ借りの名前で彼女は夾竹桃。超人の集まりであるイ・ウーを代表する毒使いでジャンヌや理子の同期だ。廃墟で戦った最悪のファーストコンタクトが懐かしい。まさかbabyに乗せてトンネルを走るなんてなぁ。

 

「ああ、変わった依頼さ。だが、どうしてこの依頼を? 単位の支払いが良かったのか?」

 

「普通の依頼よ。聖地巡礼のついで」

 

「聖地巡礼ねえ。作品に出てくるロケ地や建物を巡るってあれか?」

 

「ええ。前から行ってみたかったの。貴方も誘えば足も確保できるから」

 

 彼女には自分の車があるはずだが、堂々と人をタクシー運転手呼ばわりするずぶとさに何も言えなくなる。夾竹桃には温泉宿の武偵研修で世話になったし、良いホテルに泊まれるって聞いて俺も二つ返事。それに依頼にあったカウンセリングは関係改善を目的としていて、二人一組の参加が前提。問題を抱えた微妙な関係という意味でも俺はぴったりなわけだ。

 

「ああ、気にしてないさ。どうせ俺は週末暇こいてるんだからな」

 

「何か予定があったの?」

 

「いいや、ない」

 

「だと思ったわ」

 

 キンジの部屋でピザを頼んで、コバート・アフェアを見る、シーズン3。それが来週に延期しただけだ。

 

「ホテルからは徒歩でも巡れるし、一日目にカウンセリングを終えて、二日目の朝に自由行動。午後から貴方の彼女で武偵高に戻る。カウンセリング以外は自由に動いて結構よ」

 

「よし、乗った。それで行こう。二日目の聖地巡礼とやらが終われば連絡しろ。インパラで迎えに行く」

 

「決まりね。トンネルを出て、しばらく走ってから次は右折よ。間違えて直進しないで」

 

「だったら、ナビゲーターよろしく頼むよ」

 

「……だから、あれほどカーナビを付けろって言ったのよ」

 

「嫌だね、考えてみろ、カーナビは電磁波でお陀仏。だけど、地図は電磁波に影響されない。たとえば、帯電体質のモンスターと対立することになってみろ、電子機器は使い物にならなくなる」

 

「苦しい言い訳」

 

 さらっと口にして、夾竹桃は窓を向いた。一泊二日の依頼。今から神崎とキンジの土産を考えながら、遂に寝息を立て始めた夾竹桃と一緒にーー俺は滞在先のホテルにインパラを走らせた。寝顔の写真でも撮って理子に送りつけてやろうか。携帯に片手を伸ばして、俺はかぶりを振る。いや、やめとこう。バレたらミニガンで蜂の巣にされる。

 

 

 

 

 

 

「関係改善ワークショップにご参加?」

 

 ホテルで穏やかな表情の女性が迎えてくれる。年齢は三十代半ばと言ったところだろうか。遂に駐車場に着くまで夾竹桃は寝息を立てていたのだが、ついこないだまで銃を向けられていた奴の隣でよくもまあ……休息できたよなぁ。ずぶといのか、それとも俺が信用されているのか。

 

「ええ、私は鈴木と言います。こっちは、一応パートナーの雪平」

 

「ああ、初めまして」

 

 一応パートナーの雪平です。俺は苦笑いで挨拶した。鈴木って名字にはいつまで経ってもなれないな。俺の中ではレキはレキ、夾竹桃は夾竹桃だ。これからも呼び方を変えるつもりはない。俺の中で夾竹桃は夾竹桃。絵が上手で泳げない女。

 

「よろしく。担当させて頂く武内です。ではこちらに名前を書いていただいて、携帯を箱の中に入れてくださいます?」

 

 テーブルの上で渡された紙を受けとると、名前の記入欄の他にいくつかの問答が書いてある。参加者のことを把握するためのチェックシートだな。軽く目を通すが質問の数はそこまで多くない。これなら5分もいらないだろ。おっと、裏側にもなにか書いてある、見過ごすところだったな。先に表のチェックシートから書いていくか。

 

「……携帯?」

 

「ワークショップのルールです。これからお二人、お互いに心の奥を見つめあうという内面の旅をするわけですから……集中力を、削ぐものは、ちょっと」

 

 目を丸くして、いつになく夾竹桃が慌てていた。携帯を拒む参加者は、珍しくないんだろう。先生も心苦しそうだが譲るつもりはないって顔してる。ルールはルールだ。俺は手持ちの携帯を先に籠へ入れた。勿論電源は切ってる。俺も携帯がないのは落ち着かないが理由には筋が通ってる、仕方ない。

 

「諦めろ。すいません、こいつ機械おたくで。電子機器ならなんでも恋するんです」

 

「黙りなさい。オカルトマニア」

 

「マニアだよ? 俺の過ごしてきた日常そのものがオカルトみたいなもんなんだから」

 

「そうだったわね。貴方の日常は毎日がホラー映画、忘れてたわ」

 

 ああ、これだよ。お前とのいつものやりとり。見てみろ、先生が呆気に取られてる。過去例を見ない問題児がやってきたときの反応だ。

 

 手に持った携帯とテーブルに置かれている籠、夾竹桃はその二つの間で視線を行ったり来たり、往復させて諦めの悪さを見せる。だが、最後は諦めることを受け入れて携帯を手放した。分かってたよ、お前は変なところで律儀な女だからな。よし、チェックシートは書き終えたぞ。裏側だけ確認ーー

 

「……」

 

「雪平? ペンを持ったまま固まって何の物真似?」

 

 俺は二度見したチェックシートの裏側を今度は手に持って確認してみる。あれ、何度マバタキしても書いてあることが変わらないな。

 

「あ、あの……カウンセリングの先生?」

 

「それは実際にこれからやるメニューになります」

 

 へぇ、これからやるメニュー…… 

 

「そうなんだ。んで、この……カップルの正しいキスのタイミングってのは……?」

 

「パートナーとのキスのタイミング、相性はとても大切です。恋愛関係の基本ですから」

 

 刹那、隣にいる一応のパートナーも俺と同じで走らせていたペンを止めてしまった。夾竹桃はゼンマイの切れたブリキ人形みたいな動きで首を捻る。その視線が捉えたワークショップの見出しボードにはーーピンクの明るいポップ体で書かれた『ベストパートナー』の文字と抱き合っている男女の絵。ああ、これ……

 

「なあ、おまえ……これ、カップルセラピーだね」

 

「……おっと」

 

 仕事の関係改善じゃないな。あー、パートナーはパートナーでもビジネスパートナーじゃなくて人生のパートナーについてだな、このカウンセリングの趣旨……

 

 残念なことに珍しく狼狽える夾竹桃の姿を楽しめる気分ではなかった。おまえ……これ、どうすんの? 先生、すごい笑顔だぞ? 返答待ってるよ?

 

 カウンセリングのやりがいがあるペアを前にして燃えてるよ? 仕事熱心の真面目な人だよこの先生? 今になって間違えたとか言える空気じゃないぞ? どうすんのさ、AIBO(夾竹桃)!?

 

「例えばコミニケーション、信頼、あとチームワーク。どんな年齢にも当てはまります。勿論それは仕事のパートナーやどんな関係にも言えることです」

 

「……コミニケーション。それは大事。大事よね?」

 

「俺に質問するな。いや、しないでください。俺にも分からねえよ!」

 

「貴方たちはまだお若いですが。見たところ、なんですかとても……大きな問題を抱えているように見えます。ここでお二人の関係を今一度再確認してもらって見つめ直して頂く。これほどやりがいのある方を前にするのは私も久しぶりです、ええ、本当に」

 

 ……おい、退路がどんどん塞がれていくぞ。俺は期待を持って夾竹桃を見るが、その目は既に考えることを辞めた人間の目だった。待て待て夾竹桃……最後の最後まで考えるんだ。お前は知恵を絞れる女だろ、別に理性が蒸発してるわけじゃないんだ。ちくしょうめ、さては諦めたな……

 

「やるべきことはたくさんありますから。今回のセラピーは色んな問題を抱えた方が集まってますから、色々な側面からお互いの関係を見ることができます。周りの世界に視野を広げることも大切なんですよ?」

 

 ……どんどん話が大きくなっていくぞ。色んな世界に視野を広げるって要は他人の色恋沙汰の愚痴を聞かされるわけじゃないのか。それがカウンセリングに有効な治療法なのかもしれないが、今の俺には両手を挙げて喜べることじゃない。

 

「ではお二人のご参加を認めます。よろしいですね?」

 

 

 俺は眩しい笑顔に気圧され、かぶりを振ることができなかった。隣には肩をすくめる夾竹桃。最後は二人で記入が終わったシートを渡し、俺たちのセラピーの参加が決まった。当初の予想とは180度違ったセラピーだけどな。

 

「アメリカ人は状況を変えようとするけど、日本人は運命に逆らえないって知ってる」

 

「そう、俺は半分日本人だから。半分は諦めても大丈夫?」

 

降参(サレンダー)するかは貴方が決めなさい。呈の良い理由が思いつくなら」

 

 俺は諦めて肩をすくめる。隣の夾竹桃と同じように。

 

「無理だな」

 

「でしょうね」

 

 諦めた後は流されるだけ。俺はそれ以上の言葉が見当たらず、とりあえず見つけた自動販売機に足を差し向けた。今は冷えたコーラが飲めればそれでいい。

 

「お前もなんか飲むか?」

 

「私もコーラ」

 

「インパラでもう一回乾杯しよう。帰りに」

 

「カウンセリングが終わったらだけど」

 

 俺たちはプルタブも開けず、缶コーラを静かにぶつけた。

 

 

 

 

「さあいいですか皆さーん!外側の足は皆さん一人一人で。真ん中の足がカップルとしての自分たちですから」

 

 世の中は何が起こるか分からない。今日、明日、大なり小なりの変化が待ち構えてる。現在、俺の左足は鈴木さん……いや、言い直そう。夾竹桃の右足と紐で隣り合わせに繋がれていた。俺が左足を出せば彼女の右足も同時に前に踏み出す。要は二人三脚だ。運動会で子供がやるあれだよ。

 

 体育祭でもないのに二人三脚、俺たちはだだっ広い部屋をぐるぐると円を描くように歩いていた。人生は短い。だが、どう転がったら殺しあった女と二人三脚する状況になるんだろうな。堪らず、俺はペアである彼女に話を振った。

 

 

「俺とお前ってなんだっけ?」

 

知り合い(理子)の知り合い」

 

「じゃあ、この真ん中の足は?」

 

「離れられない腐れ縁の呪いでしょ。一度着けたら外せない、アヌビスの腕輪みたいに」

 

「それ上手い。繋がれてるのは足だけど」

 

 息が合ってるわけでもないが、周りを見渡すと話せるだけの余裕があるのは俺たちだけだった。他のペアを離して、先頭を走るのもなぜか俺たち。みんな歩くことに四苦八苦してるが俺たちはなぜか普通に走れている。よく分からないが気づいたら一位を独走していたのだ。

 

「いいですか。相手に合わせることで調和が生まれるんです」

 

 ああ、それはなんとなく分かる。足を踏み出すタイミングや呼吸を合わせないと二人三脚は上手くいかない。立派な団体競技だよ。

 

「あと一周で転ぶわよ」

 

「……転ぶ? なんで?」

 

「ちょっと脱出するのよ。理子に携帯で深夜アニメの録画を連絡しないと」

 

 意味不明なことを小声で早口に告げる彼女に俺は足を動かしながら目を丸くした。俺、深夜アニメの為に転ぶの?

 

「だって勝てるんだぞ?」

 

「貴方が注意を惹き付けて」

 

「いや最後まで走ろう」

 

「うるさいわよ、考えなさい。優先順位、優先順位を考えるの。怪我したフリするのよ、いいわね? 転ぶのよ?」

 

「いや、そういうのはやめようってーー」

 

「ああぁっ!」

 

「だああっ!おいっーー!?」

 

 足が繋がれているのだから、彼女が倒れると俺も転倒は避けられない。ドラクエと一緒。先頭が落ちればパーティー全員まきこまれる。ちくしょうめ、本当にやりがたった……

 

「あっ!足首が、足首痛めたッ!」

 

「大丈夫、騒がないで。足首挫いただけ。氷を持ってるから見ていてくださいます?」

 

 ……落ち着いてるな。冷静な対応にみんな唖然としてるよ。そりゃそうだ、お前の策略だもんな。

 

「私が戻るまで、動かさないでくださいね?」

 

 正確には理子にメールするまでだろ。右腕を額に重ねて、挫いた右足は椅子の上に乗せて戻りを待つ。最悪だ、みんなの視線が痛い。ああ、やばい、変な罪悪感まで感じてきた。わざと勝負に負けたみたいな罪悪感。いや、負けてたかもしれないけどさ……

 

「大丈夫? なんか、貴方……本当に痛そうな顔してるわね?」

 

「……本当だよ。ありがと、鈴木さん」

 

「じゃあ、まずは氷」

 

「冷たっ!なんでこんな目に!」

 

「はい、皆さんよく見て。これ。なにかあったときに寄り添う、これがパートナーのあるべき姿。相手を思いやる、美しいじゃないですか……」

 

 美しくともなんともありません。これはパートナーの我が儘に捲き込まれた成れの果て。美しいのは外側だけで真実はどこまでも残酷だ。先生、声を大にして聞いてみたいんだが、深夜アニメのために転ぶフリなんてさせるのがパートナーのあるべき姿なのか?

 

「舞台の裏側を観客は知らないもんな。お次はタンゴでも踊るか?」

 

「黙ってなさい」

 

「……はい」

 

 俺は夾竹桃から目を逸らした。ハァ……早く家に帰りたい。朝からステーキとハンバーガーが食べたい。

 

「安心しなさい」

 

「何が?」

 

「私、失敗しないので」

 

「それずっと言いたくてウズウズしてた?」

 

「誰だって一度は言いたくなるわ」

 

 それは同感。天井を仰いでいると、先生が手を叩いて二人三脚はこのまま打ち切りを迎えた。アクシデントに見舞われても先生は落ち着いて慌てない。仕事に真摯に向き合ってるのは疑いようもないな。個性的なカウンセリングのメニューはともかくとして……

 

 

 

 

 椅子を円の形で囲み、見えない円卓を作るようにしてカウンセリングは再開された。隣で座りながら、足に氷を当てている雪平は解りやすく不機嫌だった。勝てる試合を諦めたのが気に入らないのか、本当に足を挫いて痛がっているのかは分からないがおそらく答えは前者。この男は勝負や勝ち負けには妙にこだわるから。

 

「では次は雪平さんに聞きます。何か打ち明けたい悩みや不満、問題はありますか? この場を借りて」

 

「そうだな、彼女との関係に不満はない。たまに悩んだり、落ち込んだりすることはあるけど」

 

「それはどんな?」

 

「最終戦争を始めてしまったこと」

 

 刹那、周りの空気が静まり返った。無言で私たちに集まる視線に、こほん、と私は咳払いを置く。足首を挫いた仕返しのつもりかしら。疑念はすぐに払拭された。

 

「最終戦争?」

 

「ああ、黙示録の」

 

「……貴方が戦争を始めたの?」

 

「いや、でもそうとは知らずに悪魔を殺したんだ。正確には兄貴がリリスを殺して、ルシファーを地獄の檻から解き放った。ルシファーはなんとか地獄の檻に戻せたけど大勢の人が死んだ。だから、俺たちはその償いをしないといけない」

 

 雪平は至って真面目な顔でカウンセリングの先生、そして右隣の婦人へ順番に答えを返した。声色も表情も不気味なくらい平然としてるわね。理由はーー簡単なことなのでしょう。この男は、本気で最終戦争のことで悩んでいる。運が良いことにここはカウンセリング、私は好きなだけ毒素を吐かせることにした。走り出した車を静止させるのも面倒、ガソリンが切れるか衝突して止まるまで待つとするわ。

 

「俺たちって?」

 

「俺、それに二人の兄貴。でかい方とハンサムな方。それと、もう一人天使がいるんだ」

 

 質問を投げたカウンセラーの彼女も返答を喉で詰まらせている。混沌とした雪平の発言には一応のパートナーである私にも視線が集まるけど、とりあえず口笛を吹いて誤魔化すことにした。無言の圧で彼について説明を求められている気はするけど、指をくるくると頭の隣で回してみると視線は一気に四散した。

 

「守護天使だろ? 想像の中の……」

 

「いや、名前はカスティエル。トレンチコートを着てる」

 

 助け船を一蹴すると、雪平はぐるりと一同を見渡す。カウンセラーを含め、私以外は全員が苦笑い。

 

「す、素晴らしいアイデア。雪平さんの仕事は、小説家か、なにかですか?」

 

「いや、仕事は怪物退治。たまに幽霊や悪魔や天使とも戦ってる。あとは異教の神」

 

 皆、気持ちは一緒かもしれないわね。カウンセリングはカウンセリングでもこの男に必要なのは別のカウンセリングじゃないのかーーと。

 

「雪平、神には色々あるわよ?」

 

「ああ、それもそうだな。有名な連中ならオシリスやゼウスとも戦ってる。ちなみにオシリスは雷を操ったりはしない、変な裁判にかけるだけ。口も一個しかない」

 

 本人は至って真面目に話しているのがやばい。それに踏み込んで考えると、オシリス神は古代エジプトの法律に関係する神。雪平が言った裁判とはあながち無縁の神でもない。彼の話は漫画のネタになるし、機関銃トークは弾が切れるまで見物するとするわ。 案の定、怖いもの見たさから周りの夫妻からは質問攻めに会っている。

 

「北欧の神はよってたかってルシファーに戦いを挑んだけど返り討ち。まるで歯が立たなかった」

 

「北欧ってロキやオーディンかい?」

 

「ああ、みんなで仲良く集まって返り討ち。けどロキの行方は知らない。ずっとガブリエルが身分を偽ってロキとして動いていたから。ちなみにガブリエルってのは大天使。ルシファーとミカエルの弟で家族の喧嘩を見るのが嫌になって天界から家出した。甘いお菓子と風俗が三度の飯より大好きなトリックスターさ」

 

「先生、このとおり……彼は過去のことでかなり参ってます。私の手には負えません。負いたくもないし」

 

「……複雑な事情があるのは分かりました。雪平さん? お話はそこまでで結構です。償いをしようとする意思は、御立派ですよ?」

 

 匙を投げないなんて、私は驚きと僅かな罪悪感を覚えた。最終戦争、ルシファー、フィクションや創作の中で耳にする言葉を、雪平は現実に存在する言葉として使っている。神や大天使たちの話は、その方面に詳しい武偵高のS研でも苦い顔で首を傾げるようなネタだ。雪平は至って真面目に話すのだからタチが悪い。エアギターのコツは恥ずかしがらず、真面目な顔でやることね。

 

「私も結構です。質問は隣の方に」

 

「よろしいですか?」

 

 私はうっすらと笑い、もう一度指で頭をくるくるとジェスチャーを描いた。おまけで雪平を横目で見てあげれば以降は質問も飛んでこない。まあ、私まで好奇の目で見られることにはなったけれど。それからは雪平の突拍子もない悩みとは違い、悪く言えば普通の悩みや問題が続いた。長く過ごせば悩みや問題の一つや二つは出てくるものだ。難しいのはどこで折り合いをつけるか。その境界を定めることが酷く難儀なのよ。

 

「なあ、夾竹桃」

 

「なに?」

 

 ひそひそと無声音で呼ぶものだから、思わず雪平に聞き返してしまった。

 

「氷が溶けてきた。ここ、暑くないか?」

 

「……また取ってきてあげるわよ。我慢なさい」

 

 肩から力が抜かれた気分だった。掴みどころがない、その表現は雪平切には生易しすぎる。きっとこの男の頭の中を理解できる人間は家族を置いて他にはいない。雪平を軽くあしらった矢先、今度はカウンセラーから雪平へ手が伸ばされた。

 

「雪平さん? ずっと黙っているけど、なにか思うことはありませんか?」

 

「すいません。はっきり言うと言いたいことがなくて。もう昼寝したいくらい、寝ていいですか?」

 

 歯に衣を着せない物言いに空気が凍った。

 

「じゃあこのワークショップは……意味がないと思ってる?」

 

「そうですね、個人的には。なんでかって理由を言うなら俺の親はお互いに複雑な家庭の生まれだし、結婚しても問題だらけだったけど、こういうことはやってなかった。だからーー」

 

「雪平さん、ご両親のことじゃなくて貴方自身のこと。あと鈴木さんも」

 

「私のことじゃないわ。雪平、言いたいことは?」

 

 目配せと一緒に会話の主導権を丸投げする。好きにしなさいな、私も言いたいことはなかったし。

 

「ああ、どうも。じゃあ、一つ言わせてくれ。これは俺の意見。俺はこの女とほんっとに最悪の出会いをしてる。一緒に二人三脚したなんて今でも信じられないし、友達に話したら笑われるのは間違いなし。嘘は平和を保つ手段って言うけど、誰かさんは思ったことをそのまま口にするし、本能のままに毒を吐く。我慢したら死ぬんじゃないかってくらい好きなことを言いたい放題。だから、はっきり言って喧嘩どころじゃない。いつか車のボンネットに縛り付けられて崖から落とされるんじゃないかって。最近、真面目に思ってる」

 

 ……私、ディスられているのかしら。恩を仇で、味方に後ろから撃たれた気分なのだけど。私はゆるやかにかぶりを振った。仕方ないわね、最後まで聞くことにしましょうか。

 

「それでもパートナーだ。いや、俺はパートナーってものは『家族』だと思ってます。支えて、支えられる関係。血の繋がりじゃなくて築き上げていくもの。家族は憎み切れない。彼女とは必要以上に喧嘩して、言い争ってきた。でもどう転がっても最後には俺の車の助手席でふんぞり返ってる、勝手に知らないアニソン流しながら」

 

 怠惰な雪平には似合わない熱量で話は続く。

 

「いつも笑顔でアップルパイを焼いてくれるのが家族じゃない、怒りや絶望や悲しみのどん底に自分を突き落とすから家族……俺はそう思ってます。俺を育ててくれた人が教えてくれました」

 

 本当に大切な存在だからこそ、失ったときに人は絶望する。悲しみを生むのは大切な存在である証。この男は妙なところでロマンチストになる。

 

「愛してればそれで十分じゃないか? だって、お互い一緒にいるし、それが夫婦だ。でしょ? あれが嫌だ、これが許せないって粗探しはしたくなるさ、違う人間なんだから。でも好きで一緒になったなら、家族なら一緒にいるべきだ。一度動いたら後戻りはできない、暫くは楽しくても最後は絶対悪い方にいく。ちょっとでも家族の思い出が残ってると心はざらついて……で、最後どうなるか。車の中で親父と聞いてた懐メロを聞きながら、一人短縮ダイヤルで頼んだピザを食べる。不味いピザ。そんな人間……誰もなりたくないでしょ?」

 

 前屈みで雪平は両手を重ね合わせた。自虐的な発言なのは誰にだって分かる。嬉しくもないけど、私も例外ではなかった。皆が遠慮するような静まり返る中で私は溜め息をついた。

 

「貴方の懺悔は聞くに堪えないわ。最終戦争の話の続きを聞く方がマシ。では、みなさん進歩はあったってことで。ええ、良い経験だわ」

 

 誰かさんの懺悔を聞かされたことには同情するけど、それ以降は粗探しだった問答も穏やかに進んだ。誰かさんの懺悔は、ほんの少しの躊躇いを作る程度にはーー皆の心に爪痕を残したみたいね。

 

 

 

 

 

 一夜明けて、埃っぽいモーテルではあり得ないふかふかのベッドで俺は目を覚ました。寝心地も全然違う。部屋のベッド、これに変えてくれないかな。持ってきた私服に袖を通し、チェックアウトの準備だけを済ませ、財布を持って部屋のドアを開いた。綺麗で清潔感に満ちたホテルとも今日でお別れ。埃っぽいモーテルとは雲泥の差だな。

 

 大理石の床を踏んでテラスへ足を運び、適当なテーブルでハンバーガーを注文する。携帯のメールボックスをチェックしていると、早速頼んだハンバーガーが運ばれてきた。器にはポテトがソースと添えられ、やや大きめのハンバーガーをナイフで半分に切り分ける。持ちやすいサイズにカットしたあとは軽く一口かじりつく。ピクルスとチーズ絶妙な後味を残し、何より肉が美味い。控えめに言って美味すぎる、肉がこんなに美味いとは……

 

「雪平? 雪平切? 聞いていて?」

 

「肉がこんなに美味いとは……幸せを感じる」

 

「……どこまで欲望に忠実なのよ」

 

 隣のチェアを引き、黒セーラーの魔宮の蠍が頬杖を突いた。

 

「今朝は行きたい場所があるんじゃなかったのか? 聖地巡礼だろ?」

 

「そう思ったけど辞めたわ。それより、貴方に付き合おうと思って」

 

「大丈夫だ、一人で」

 

「貴方の為じゃないわ。見てみなさい、周り。みんな楽しそうでしょ?」

 

 言われるままテラスを見渡すと、夾竹桃の言葉に惑わされたわけじゃないが明るい景色が広がっている。太陽は中天高く照りつけているが、騒ぎ声はひっきりなし。活気は覚める気配がまるで見当たらない。

 

「高い金を払って旅行に来るって夢や目標を叶えて、そんなところに仏頂面の子供がいて一人寂しく1500円もするハンバーガーを食べてたらーーみんな嫌な気持ちになるでしょ。だから来たのよ」

 

「俺が心配なのかと思った」

 

「全然」

 

「そう」

 

 周りに気を使えるんだ。優しいね、良い子すぎて俺が間抜けみたいだ。ハンバーガーを租借すると、ウェイターがやってきてテーブルに冷水のグラスを置いた。

 

「ごゆっくり」

 

「ありがとう。私にもこれと同じのを」

 

「ただいま」

 

 ウェイターは一礼して、テーブルから離れていく。租借したハンバーガーを飲み込み、椅子に深く腰掛ける。

 

「笑えないよ。バカみたいだけど、母さんから逃げようとしたとき、友達からカウンセリング受けろって言われてさ」

 

 俺はゆるく首をふる。

 

「ーー断った。自分で解決すればいいって。答えを見つけるのに他人の手なんて借りる必要ないってさ。でも……解決しなかった」

 

「受けてれば解決したの?」

 

「いや、無理だろ。問題ありすぎで。俺にも母さんにも家庭にも。家族全体が問題だらけ」

 

 椅子に座り直し、何もない空を仰いで続ける。

 

「ただ神崎は、母親の為になんでもやろうとして、家族の危機を救おうとしてる。なのに俺はなにもやらず逃げちまった。それが引っかかって」

 

「逃げたのは母親のことを思ったからでしょう?活動の場所を変えても狩りを続けてる。父親から言われたことを守る為に、普通の生活を全部投げてハンターの道を選んだんじゃないの? 良い息子よ、自分を攻めるのはよしなさい。家族を大切に思ってる。良い子供じゃない」

 

「それでもアレックスの……友達の言うとおりカウンセラーに会ってたら違う結果もあったんじゃないかってな」

 

「そしたら私との出会いもなかったわね」

 

「ハハ、それ最高」

 

 嘘を言わない女、下手に慰めもしないし、気休めは言わない。そんな夾竹桃だから話す気持ちになれた。お互いに皮肉を言って笑っていられる関係だから出来ること。

 

「でも周りを見てみなさい。結婚に失敗して最悪、こんなところに一秒もいたくないって状況に見える? どう? そうじゃないでしょ? 家族との問題を抱えて、みんな何が正解なんて分からないのよ。正解が分かるなら悩んだりしないわ。それでも今日の一瞬を歩んでる」

 

「ああ、そう。家族との確執があったから日本に来た。武偵になってもハンターを続けていたからお前と戦うことになった。コルトを盗みに来たお前とな」

 

 夾竹桃と目線を交わし合うと、どちらともなく笑みがこぼれた。真面目に悩んでいたのに、なんだか色々なことが一編に馬鹿馬鹿しくなった。

 

「カウンセリングはやっぱり駄目だな」

 

「改善しないわね」

 

「ああ、全く」

 

「ハンバーガーまだかしら。空腹なのだけど」

 

「これ食う? まだ手をつけてないし、来たら半分貰うから」

 

「いいの? 悪いわね」

 

 丁度、真ん中で切り分けられたハンバーガーの残り片側を器ごと差し出してやると、夾竹桃はすぐにハンバーガーを持ち上げて一口。本当に空腹みたいだな。俺は摘まんだポテトをソースに付けながら首を傾げてみる。

 

「美味いか?」

 

「……こんな美味しいハンバーガー初めて」

 

「だって、1500円なんだから」

 

「信じられない。すごいわね、このホテル」

 

 真顔で驚くという彼女らしい反応にうっすらと笑みを向けてやる。そりゃ美味いさ、1500円のハンバーガーだからな。同じ感想に心地よさを覚えながら、ポテトをもう一本。

 

「あと石鹸。あれもすごかった。しっとりすべすべ。市販にはあんなの売ってないぞ」

 

「そんなに?」

 

「触ってみな、嫌じゃなければ」

 

 試しに左腕を差し出すと、ぺたぺたと冷たい手の感触がやってきた。

 

「……嘘よ、 なにこれ革命的ね。すごいわ……」

 

「だろ。女性がこれ使ったら反則だぞ。ほら、上の方まで効果あり」

 

「腕まで洗ったの? なによそれ、外科の医者みたいね」

 

 いつになく派手な反応の彼女に笑いが止まらない。まあ、このハンバーガーが食えただけでも依頼に付き合った価値はあるのかな。

 

「なんつーかあれだろ。革命的」

 

「すごい、枕みたいね。私も使おうかしら」

 

「おっ、ハンバーガーが来たぜ。遙々やってきたんだ。1500円の味を堪能しよう」

 

 結局、俺と夾竹桃の関係は不透明。ただ、今は一緒にハンバーガーを食える関係ってだけで十分だ。なんたって、天使がハンバーガーを食べて幸せを感じる世の中だからなーー

 

 

 

 





事実を話すと変な反応をされる(ハンターあるある)。


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ーーの封書(前)

アンケート結果一位の【夾竹桃と人探し】になります。想定より遥かに時間がかかりましたが、代わりに文字数が過去最長になったので前後に区切りました。飲み物片手にお楽しみください。


「つまりその……オンラインゲームだかの友達が行方不明になって探すの手伝えってことか?」

 

「そういうこと。いつもの雑な解釈だけどそれで正解よ。頭数は多いに限るわ。それでなかったことにしてあげる、このバカな手品の時間。早くなんとかしなさよ、金庫破りは数少ない特技って言ってたじゃない。身分査証と不法侵入が仕事でしょ、それと墓荒らし」

 

「今やってるって。それとやってることは間違ってないけど否定させてくれ。必要なかったら不法侵入もしないし、墓荒らしもしねえよ。どの州でも禁止されてるし、今は武偵三倍ルールで大変なことになる。実際、過去にはFBIにだなーーつか、こいつ妙に曲者なんだが。真新しい金庫だって今頃降参してるぞ」

 

 俺の人生を振り返っても珍しく高いホテルに宿泊しているというのに、穏やかな気分とは正反対の気分で指先に集中する。ちくしょうめ、購買の商品はいつからクオリティーがここまで跳ね上がったのか。もしくは単純に出来の良い一つを選んじまっただけなのか。とにかく自分の腕が錆び付いたとは思いたくない。

 

「キリくん、準備できてるーー?」

 

 ……やばい、理子だ。一番の危険牌の声がドアの外から聞こえてくる。隣にいる女と必然的に視線がぶつかった。

 

「来たわよ、どうする?」

 

「招くしかないだろ。お前が挑戦するなら、一分くらい時間稼ぐけど」

 

「無理ね。お手上げだわ」

 

「……見りゃ分かるよ。実際に手を上げなくてもな。ドアを開けるから下ろしてくれ」

 

 そう言うと連動している腕が下がり、俺はかけていたドアのロックを外した。外にいたのは理子と神崎のいつもの組み合わせ。休日だろうが変わらず普段の防弾制服で揃えている。いつもみたく両手を横に伸ばして飛行機の真似をしながら、ハイテンションで理子が部屋に上がってくる。まんまるな瞳が驚きに変わるまで数秒、神崎が何か言う前に俺たちは声を揃える。

 

「「どうも」」

 

 とりあえず、俺たちの意思は繋がっていた。問題をまずは理解して貰うべくーー手錠で繋がった腕をとりあえず一緒に提示してみる。微動だにしない二人の反応に先んじて夾竹桃が口を開いた。

 

「誤解しないでね?」

 

「分かったわ。あたし、敵にも義理堅いから。貴族だから」

 

「キリくん、出直してこようか?」

 

「いや、大丈夫。大丈夫だから。夾竹桃はプール入りに来ただけ」

 

「いや、夾ちゃん泳げないじゃん……」

 

 刹那、脇に肘が入った。とても痛い。

 

「訂正するわ。プールじゃないの、というかスパサービス受けに。評判良いみたいだから」

 

「部屋についてるんだ、泊まると受けられる」

 

「そう、ホットストーンマッサージ」

 

「俺は興味ないけど、でも折角だから夾竹桃に電話してどうかなって」

 

「だから、漫画を買うついでに寄ったの。今日が発売日の店舗特典のポストカード付き」

 

「それで手錠は?」

 

 腕を組むと、カメリアの瞳が訝しげに細められる。味方に尋問される気分はとても心地よいとは言えない。

 

「雪平が見せてくれるって、ジャージス……」

 

「ジャージー・スリップ。手錠をはずす技。東部の子供は皆やるんだ、見せようって」

 

「ええ、でも選んだ手錠がとんでもない優れものだったみたい。それで苦戦した挙げ句に途中で鍵がどこかに……ソファーかも?」

 

「そこは最初に探しただろ。半狂乱になりながら」

 

「なってないわよ。謝りなさい、雪平切」

 

「まあ、分からないけど捜索隊出すとか武偵犬呼ぶとかとにかく探してくれ。施錠には結構自信あったんだけどなぁ、この手錠どうなってんだ?」

 

「謝りなさいな、雪平切」

 

 そこまで促されると、逆に謝りたくなるのは俺がどこか歪んで育ってしまったせいだろう。いや悪いのは俺なんだけどさ。十中八九。

 

「よし、何回謝ればいい?」

 

「50万回よ」

 

「分かった。ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん」

 

「キリくん、やめて。話が進まないから。ホームドラマみたいなボケいらない。やめて」

 

「ごめん、ごめん、ごめん」

 

「やめて、やめて、やめて」

 

「ごめん、ごめーー」

 

「ーーやめろっつってるだろ!」

 

「ぐはぁ!」

 

 ……理子。躊躇いなく鳩尾をやりやがったな。日頃の怨みかよ、この鋭い蹴りは……!背中を折り、被弾した場所を両手で抑えていると、腕を組んでいた神崎と視線が重なる。

 

「……ねえ、理子。この二人、ついこないだまで敵対してたのよね?」

 

「理子が頼んだから間違いないよ。いやぁ、昨日の敵と手を組むのも武偵の道だよね。そもそもキリくんってカンザス育ちじゃん」

 

「そうよ、あんたローレンス出身でしょ? もっと真ん中じゃない、ニューヨークもペンシルベニアにも隣接すらしてないし」

 

 ……そこを言われると弱い。咄嗟の言い訳にはしてはちゃちだったな。武藤やキンジなら誤魔化せたが博識な探偵と怪盗を欺くには流石に厳しすぎた。ちくしょうめ、仲良し万歳。

 

「とにかく探して貰えないかしら? あるいは反則技を使って貰っても結構よ?」

 

「理子、ちょいと手伝ってくれ」

 

「ちょいと?」

 

「……分かった、言い直す。デカいちょいとだ」

 

 眉を寄せる理子に俺は肩をすくめて言い直す。

 

「やってくれ。あとで好きなもの買ってやる、背に腹はなんとやらだ」

 

「うーらじゃー!」

 

 頼もしくて泣きそうになるよ。俺は手錠に繋がれた左腕、要は夾竹桃の右腕を差し出した。この先は本職の金庫破りに任せよう。諜報、隠密活動や破壊工作の土俵で俺は理子に遠く及ばない。嘘のように解錠された手錠を見ると、本当にそう思うよ。

 

「恩に着る。依頼が終わったらなんでも言ってくれ」

 

「理子とキリくんの仲じゃん。こんなの御安いご用だよ。あ、でも理子も夾ちゃんに影響されてーーあれ、欲しいんだよねぇ。夾ちゃんがレインボーブリッジで使った悪戯っ子」

 

 頭の上に電球が灯ったように理子は右手で左手の掌を叩いた。何か閃いたときの仕草だが、レインボーブリッジで夾竹桃が、まさかあれか……?

 

「M134ミニガン、高級趣味ね。最低でも15万ドルはするわよ?」

 

「悪ノリが過ぎるぜ名探偵。そんなぶっそうなお嬢様を理子に与えられるか。もしも密林でプレデターが目撃されるようになったら喜んで買ってやるよ」

 

 呆れた視線で神崎に抗議してやる。ミニガンはイ・ウーの毒使いが珍しく信頼を預けた数少ない火器、束ねられた六本の銃身を回転させながら間隔の開かない連続射撃を行う電動式のガトリングガンとして愛好家の間では有名な一品だ。名前を聞いただけで戦慄が走る。映画やドラマに登場する頻度ならキンジのベレッタや神崎のガバメントにも負けてない、派手な見てくれは一目で強烈な印象を脳裏に焼き付ける。銃撃のシーンを見れば尚更忘れられない。

 

 目の前で回転銃身がスピンアップしたとき、生を諦めても誰も文句は言わないだろう。一秒間に無数の高速ライフル弾を吐き出す鏖殺兵器、痛みを感じるよりも先に相手が命を手放す姿から、名付けられた別名が『無痛ガン』という有り様。

 

 『苦痛を感じる間もなく死ぬ』とはおっかない以外のなんでもない。値段も神崎の言葉どおりのおっかないお嬢様だ。それに夾竹桃が扱ったモデルは凄腕の技師により、反動なしの人力で持ち運べるように細工されていたらしい。控えめに言うが反則だよ、平賀さんレベルの魔改造だ。

 

 星枷が隠し持ってる『あれ』も大概だが、人を殺してはいけない武偵に殺傷能力過多のガドリングガンが許されるわけがない。ガトリングガンの放火を浴びても平気な顔でいられるのはプレデターかキンジくらいのもんだよ。

 

「ま、あんたの隠し芸には口出ししないわ。着替えは終わってるみたいだし、式場の安全チェックと警備。打ち合わせ通りにいくわよ」

 

「意義なし、安息日だから力仕事は貴方に任せるわ。私は助手」

 

「は?」

 

 おい、待ってくれ。信じられないが、夾竹桃は俺を見ながら安息日って言ったよな?

 

「ユダヤの戒律よ」

 

「守ってるのか……!?」

 

「日本は自由な国だから」

 

「お前、ここまで運転してきただろ!戒律に反する!」

 

「はい、そこまで!夾ちゃんもそっち系の冗談はなし、キリくんも気持ちを切り替える!時間に遅れないように式場までいくよ!」

 

 結局、珍しく真面目な理子に仲裁されて、俺たちは依頼の目的地である式場に向かった。珍しく妙な面子での警備も穏やかに時間が進み、巷で話題の式場荒らしとやらも最後まで遭遇することはなかった。式場ってのは他とは違った妙な雰囲気に包まれてるもんだが……なんか駄目だな。自分がいちゃいけない場所な気がする。なんでだろ、依頼が終わるまで妙に頭のなかが空っぽだった気がするよ。

 

 

 

 

 後日、俺は理子を連れて秋葉原に繰り出すことになった。後で好きな物を買ってやるとは言ったし、秋葉原にミニガンは置いてないだろうから問題ないか。あれは隠し芸のレパートリーからは除外だな、と一応学んだことは心に留めておく。

 

「夾ちゃん、キリくんこっちこっち~!」

 

 秋葉原ーー神崎は紅鳴館潜入の作戦会議にこの街を訪れたらしいが俺も頻繁に来る場所じゃねえからな、理子のホームグラウンドに招かれた感じが強い。別名『武偵殺しの街』だったかな、本日も晴天だ。意気揚々と一歩先を行く理子の背中を夾竹桃と並びながら追う。こっちの女は私用と理子の誘いにそのまま 乗ったらしい。

 

「理子のやつ、まるで水を得た蟹だな」

 

「それを言うなら水を得た魚よ。パーティーの警備は面白味もない仕事だったから反動でしょ?」

 

「何も起きないのが平和で良いんだよ。まあ、理子から依頼を持ちかけられんのはわりと新鮮だったな」

 

 何事もなく警備は終わり、静かに済んだと言えば刺激の足りない幕引きかもしれないな。

 

「あの会場、一日10組式を挙げるって?」

 

「世の中、愛なんてないって言ってる連中に見せたいわね」

 

 だが、本当は何もないことが一番良いし、折角のパーティーが台無しにならなかったんだ。依頼としてはこの上ない幕引きだよ。

 

「ねえ、女子の背中を追いかける気分ってどうなの?」

 

 タイミング良く、いつもの軽口を投げてくれたので思考を破棄できた。

 

「さてな、俺の進行方向に理子がいるだけだ。追いかけてるつもりはねえよ」

 

「前から聞こうと思っていたけど映画の見すぎって言われたこと、あるでしょ?」

 

「前から聞きたかったんだがアニメの見すぎって言われたことないか?」

 

 ちなみに俺に限って言えば正解だ。過去にクレアとアレックスにダブルパンチを食らってる。片方はブロンドで片方は黒髪、偶然にも理子と夾竹桃とは髪色が同じ。不意にスーフォールズの友人が脳裏をよぎり、空を仰いでしまった。あの二人は妙なところで息合ってるんだよな、アレックスは相変わらず看護婦として頑張ってるし、クレアは……あれだ。そう、クレアはクレア。

 

「キリくん、何か良いことでもあった?」

 

 ようやく理子に追い付くと、同時に振り返った理子が小首を傾げてくる。

 

「いや、そんな顔してたか?」

 

「なんとなく。気になって聞いてみただけかな」

 

「昔のことを思いだしてたんだ。でも半分は当たってるよ、悪くない記憶だ。お前の眼はいつだって鋭いな?」

 

「理子は探偵科ですから。キリくんは意外と感傷的になるんだよね、そこは夾ちゃんによく似てる」

 

「似てないわよ。それなりに雪平のことは理解はしてるけど私とはちっとも似てない。そうね、苦手な物だって知ってるわ、ピーー」

 

「ああ、正解だ。理子、実はピータパンがあんまり好きじゃなくてさ。同じファンタジーならアラゴルンが好きで堪らなかった、特に二つの搭の戦いでの演説シーンは五回は見たかな」

 

 夾竹桃が答えを言う前にカミングアウト、俺から答えを提示してやる。これで例の三文字を口にするタイミングが失われた、不服な表情で夾竹桃は渋々と口をつぐんでいる。何というか、油断も隙もない女だな。もっと別の方向で理解を深めたいもんだよ。けど、俺もそれなりにはお前の理解してるつもりでいるよ。浅くない関係と言えるくらいにはな。

 

「キリくん!これだよこれ!虹色戦隊のDVDBOX!」

 

「それがお目当てか?」

 

 例の年齢制限のギャルゲーに始まり、理子の趣味は俺には分からん。俺は理子が手に取ったその商品に腕を組みながら視線をやる。少しして、後ろから夾竹桃もやってきた。理子と同じくアニメ好きの彼女は半眼を作り、

 

「ふーん。あ、でも素朴な疑問が一つ」

 

「疑問? よし、理子が夾ちゃんの疑問に答ましょう。なんでも聞いて」

 

「虹色戦隊なのに、全然、虹色じゃないんだけど。三人しかいないし」

 

「夾ちゃんの未熟者!彼等は友達が少ないんだよ!ヒーローとは孤独なものなのだ、分かったかーー!」

 

「いや、友達が少ないのは別の理由だろ……」

 

 思わずツッコまずに入られなかった。パッケージには変身ポーズを取っている三人の姿があるのだが、どう見ても既に変身後の見た目をしているのは触れてはいけないのだろう。恐らく触れてはいけない部分ばかりが目につくが……つか、このパッケージ裏にある『目指せ、魔王!』ってどういうことだ。それは夾竹桃も気になったらしく、

 

「彼等はヒーローなんでしょ? なぜ魔王の座を狙うわけ?」

 

「無論、友達が欲しいからだよ。魔王になれば友達いっぱい」

 

「……じゃあ、このレッドの後ろに行列を作ってる怪物の群れは?」

 

「勿論、金で雇った悪魔たち」

 

 ……ギャグ路線なのか? とてもツッコミが追い付かないぞ。

 

「ヒーローが悪魔に力を借りて良いのか?」

 

「キリくん、ヒーローはどんな力を使ってでも勝たないといけないんだよ!彼等は戦い続けるんだよ、いつか真の虹色戦隊を作ることを夢見て!」

 

「……この一話のスチール写真でブルーとイエローが血を流しながら横たわってるのは?」

 

「あ、変身前に攻撃されてブルーとイエローは交代するんだよね。二期ではちゃんと五人揃うんだよ?」

 

 ……やっぱりギャグ路線だろ。つか、変身する前にって悪魔の諸行だな。あ、いや戦ってるのは悪魔なのか。そりゃ仕方ないな。とりあえず、俺は中身に対して高いとしか思えない虹色戦隊のDVDBOXを籠と一緒にレジへ持っていく。これだけでレジを通すのはとてもじゃないが羞恥で心がやられるので、目についた棚から金田一少年のコミックをカムフラージュするようにDVDの上へ重ねていれる。

 

「なにしてるの?」

 

「これだけでレジ通すの恥ずかしいから。俺、他人の評価には敏感だし」

 

「……本気で言ってる?」

 

「本気だよ。エゴサとかやっちゃうタイプ」

 

 夾竹桃が呆れながら肩を落としている。新鮮な反応どうもありがとう。自分の気持ちを微塵も誤魔化さないお前には、俺も不思議と安心感を覚えるよ。真偽を疑わなくて済むからな。

 

「貴方は家来を持ってもナイフで背中を狙われるタイプね。戦徒との良好な関係は難しい。持たずに正解よ?」

 

「その結論に至った根拠は微塵も分からないが一応言っとくと、現在進行形で戦徒の制度に興味はねえよ。今は自分のことで手一杯。一年の面倒なんて見れるか」

 

「貴方より強い子でも?」

 

「単身での力が最低でも俺と拮抗、車や音楽の好みはアメリカ寄りで、ハンバーガーとコーラにも好意的。斥候や遊撃とそれなりに白兵戦ができて、狙撃手以外のユーモアのある一年生がいたらそのときは考えよう。あくまでいたときはな?」

 

 仮にクレアなら俺は二つ返事だが、彼女の代わりどころか近い人間はそうはいない。一緒に戦った、知識や戦い方を伝授した、その意味では戦徒契約の中身に一番近い関係の相手はあのブロンドの居候だったからな。スーフォルズでの記憶が不意に頭をよぎる。

 

「そんなこと言ってると現実になるかもね」

 

「まあ、そんな『非合理的』な一年がいたら俺も見てみたいよ。話題の名古女を含めてもいないだろうけどな」

 

 ーー名古女。名古屋武偵女子高、その9割が強襲科の好戦的な思想が根付いているぶっそうな場所だ。一部では軍人養成学校の別名も貰っているらしい、当たらずとも遠からずだろう。以前に一度だけだが神崎によく似た双銃(ダブラ)の生徒と衝突したことがある。名古女の制服は他の武偵高とは少し異なり、その特徴から分かる者には一目で気付かれるのだ。スプリングのポリマー銃を向けてきたあの女……鯱とか言ったな。

 

「御眼鏡に適う生徒がいたときは?」

 

「そのときはホレイショ・ケインの格好で綴先生をディナーに誘ってやるよ。酒とつまみで有り金が全部飛ぶ」

 

「夜中なのにサングラスをするのは勇気がいることよ。異次元へのチャンネル」

 

「お前も俺のファンになったのか? ついでにアドバイスしとくとテレビのなかはちっとも楽しくない」

 

 ……人の日記の内容を赤裸々にぺらぺらと、語ってくれるぜ。熱心なファン(ベッキー)曰く、トリックスターが出てくる人気のエピソードらしいがよく覚えてやがるな。小学校の作文を高校の同級生に読まれてる感覚だよ。やっぱりあの本は一冊残さず燃やすべきだ。そんな俺の気持ちは露知らず、話を切り替えるように彼女は小さくかぶりを振る。

 

「私は横から見るのが好き。いまはCVRでネタは足りてる」

 

「へえ、意外だ。先生は名古女に興味ないと?」

 

「一応、私も取引中の身だから。それよりも会計済ましてきなさいな。列を作ると面倒よ」

 

「同感だ、ちょっと行ってくる。なにか買うなら一緒に済ませてこようか?」

 

「結構よ。ただーー」

 

「漫画、読んだら貸そうか?」

 

「話が早い男ね。嫌いじゃないわ」

 

 前に部屋を訪ねたとき、本棚に推理モノのコミックが何冊かあったのを覚えてる。まぁ、推理モノだけが好きっていうよりは推理モノも好きって感じがするが。コミックの貸し借りか……なんか普通の学生っぽいな。変な感じがする。

 

 レジで会計を済まし、俺は店の外に出ると理子のお目当てを袋ごと渡してやる。跳び跳ねながら両手でぶんぶん振り回しているところを見ると、どうやら満足したらしいな。良かった、満足したなら何よりだ。はしゃぐ理子の姿に俺と夾竹桃は見合わせたようにうっすらと笑みを作る。

 

「じゃあ、理子はりんりんと約束があるからまた今度ね? キリくん、夾ちゃんに乱暴したらプンプンガオーだぞ?」

 

「やらねえよ、グラスマン先生のお世話にはなりたくないんでね。CSIチームの世話になるのはもっと嫌だけど」

 

「恨み言パーティー開くの? 招待状ないけど私も参加していい?」

 

「……夾ちゃんもかなり染まってきたよね。最初は常夏のハワイでも構わずネクタイしてたのに今ではすっかり地元に染まってるって感じ。昔はもっとこう……違ってた。ウィンチェスターの空気にやられた結果がこれだよ」

 

「いや、最初からこんな言い回しだったって絶対」

 

 なんとも言えない表情で同僚の少女を見つめる理子。堪らず俺がその言葉を否定した。この蠍は会ったときから癖のある言い回しをしてた、ああ間違いない。皮肉めいた言い回しが好きになったのは俺が原因じゃない、先天的だ。絶対に。最後に傷跡を残すだけ残し、理子は一足先に俺たちに背を向けて行った。その背中が小さくなるまで見送ると、

 

「ところでりんりんって?」

 

「あの子が一年のときに契約を結んでいた戦姉妹。姉は車輌科の優良株って噂になってる」

 

「間宮のお友だちか。相変わらず、理子のセンスは分からねえな」

 

 まだ時刻は真昼を少し回った程度、理子の用事は見えないし、間宮の一派と無理に関わるつもりもないがこれからやること自体は目処がついている。理子との約束は終わった、あとは残りを片付けるだけ。

 

「いくぞ、仕事の時間だ。お前のネトゲ友達を探しに行こう。場所は?」

 

「頭に入ってる。彼女の妹には話を通してあるから明日にでも伺うつもりだった」

 

「待て、どうして明日なんだ? 早い方が良くないか?」

 

 行方不明の案件で時間のロスははっきり言って致命的。その返答は歩きながら帰ってくる。

 

「最近、他にも奇妙な事件が続いてる。そっちと関連している可能性も探りたかったのよ。何も人手が足りないだけの理由で貴方を呼んだわけじゃないわ、そっち系の可能性もあるってこと」

 

「なるほど、分かりやすい説明をどうも。言いたいことは分かった。お陰でいつもの休日になりそうだ」

 

 

 

 



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ーーの封書(後)

前編の倍ほどの文字量になりますが、今回の話では登場キャラクターが退場、亡くなる直接的な描写があります。キンジを別にして、亡くなることがほぼないアリアの世界観から見ると、沿わない部分もあると思います。ご注意ください。


「オンラインゲームの友達って住所や連絡先まで交換するものなのか? だってネットだろ、俺なら見えない相手とそこまで親密にはやれないよ」

 

「考え方はそれぞれだけど。行方不明になった彼女とはほぼ毎日やりとりしてた」

 

「まさかゲームのログインが途切れたとか、連絡が来なくなったからその子が行方不明だと?」

 

「彼女の妹から連絡が来たのよ。私が武偵であることは姉から聞いていたのでしょうね。救護科の専攻で来年の試験を受けるつもりみたいだから」

 

 俺たちは秋葉原を後にして、パーキングに預けていたインパラで例のオンライン友達とやらの自宅に向かっていた。オンラインゲームは漫画とアニメ鑑賞に並ぶ鈴木先生の趣味らしいが、よくよく思い返せばディーンもネットを使って見ず知らずの女の子と交流の場を作っていた。

 

 インターネットが発達した今日、ネットを通じて繋がりを広げるのは俺が思っているよりも普通のことなのかもしれない。だとしたら、俺の感覚が普通から遠いってことになるが普通の人間は吸血鬼の首を跳ねたり、幽霊と戦ったりしない。妥当に言えば俺の感覚も日常と同じで普通ではないんだろうさ。

 

「ネトゲ友達の妹が武偵高を?」

 

「一般校からね。間宮あかりと同じよ、驚くことじゃないわ。一般校から入学してくる生徒も一定数いる。貴方みたいに独自に訓練を受けてる子も探せば見つかる世の中だし。流石にこの子は真っ白だろうけど」

 

「それなら俺は真っ黒か?」

 

 事実、真っ黒な経歴なんだけどな。前を見ながら視線はそのままで言葉を続ける。

 

「話を整理すると、姉が行方不明になって親しい間柄且つ武偵のお前が頼られた」

 

「そんなところよ。私は探偵学部、専攻を考えると適任ではあるわけだし」

 

 ーー探偵学部は主に犯罪調査、分析を担当する、探偵科と鑑識科が属する学部だ。実際、行方不明者の捜索もここの案件になる。鑑識科は探偵科と協力して捜査にあたることが多く、適任と言えば確かに適任だが……

 

「どの学部でも綺麗に解決すれば問題なし。重要なのは最後にどうなっているか。それよりお前の考えてるそっち系の可能性ってのは?」

 

「似ような事件が他に3つ。アパートで女子大生が消えた」

 

「おかしいか?」

 

「彼女の部屋は15階」

 

「それはおかしい」

 

「事件が起きたのは先週末。もう一人は四日前、帰宅の途中に消えてる。三日前にも同様の事件が起きた。三人の生活圏はそれほど離れていないから関連性は警察も調べてるでしょうね」

 

 立て続けに四人の行方不明者か。ちっとも笑えない。

 

「被害者に接点は?」

 

「何もない、若い女性ってだけ。ミオを含めてね」

 

「ミオ……?」

 

「ゲーム内での呼び名。私はそっちで呼んでる」

 

「ああ、そういうこと」

 

 要するにプレイヤーネームってやつか。ゲーム内のアバターや操作キャラクターに付ける名前。

 

「貴方は遊ばないの? オンラインゲーム、意外と楽しいわよ?」

 

「嫌いってわけじゃないさ。ムーンドアは……それなりに楽しかった」

 

「ムーンドア?」

 

「LRPG」

 

 信号に引っ掛かったのと同時に隣から物音がする。視線をやるといつもより気持ち多めに夾竹桃の目が見開かれる。

 

「驚きね、あまりの驚きで携帯を落としちゃった」

 

「嫌味なダイジェストをありがとう。お礼に今度レンジでオムレツを作ってやるよ、お前の部屋で。そう、お前の部屋」

 

 レンジでオムレツ、あれをやるときは材料の他に消臭スプレーがいるね。神崎に続いて俺が二人目になってやる。寝起きにマクギャレット少佐の大好きなタンパク質をプレゼントだ。

 

「勘違いしないで、本当に驚いただけ。貴方がライブRPGなんて言えば誰でも驚くわよ」

 

 ライブRPGーー他にもLRPGって呼ばれ方もあるが中身は一緒。要は現実でやるRPG。

 

「でもなるほどね、オンラインゲームとは真逆の遊び。良いじゃない、意外なことには変わらないけど私はむしろ好印象。アメリカでは盛んと聞いてるし、貴方が好きでもおかしくはーー」

 

「アークモアから来た妖精を救い出した。犯人は今頃妖精の世界で裁判を受けてる」

 

「……ライブRPGの話?」

 

「いいや、現実。でも月の女王の為に戦ってやったのは本当だ。エルフや古代の神々、ケルトの祭司と一緒に戦ったーー駒使いとして」

 

「駄目、質問が一つで足りないわ。駒使いって言った?」

 

「FBIは世界観的に駄目らしい。あ、やっと変わりやがった」

 

 頭に?マークを浮かべている彼女に答えを説明し、俺は再びbabyの運転に戻る。

 

「狩りの息抜き、気を晴らしたいときもある」

 

「そうね、今も酷い顔してる」

 

「ちょい日光浴びすぎたかな」

 

「やるべき仕事か、見極めるのも仕事の内よ。休めるときは休めばいいんじゃない?」

 

「覚えとくよ。働くときは働くましょう」

 

 いつも通り、インパラをコインパーキングに停めてから現場までは徒歩。切符やレッカー移動に怯えるくらいなら、ケチらずに硬貨をおとなしく捧げるのが懸命だよ。番号を間違えたときは嘆きたくなるけど。

 

「表札は出てるのか?」

 

「ええ、姫川の名字で」

 

「そうか、なら見つけやすい。聞き込みには馴れてる。任せろ」

 

 パーキングを出ると、程なくして目当ての表札は見つかった。風化して色の抜けかけた文字で名字が書かれている。一応、彼女妹から住所を伝えられている夾竹桃が呼び鈴を鳴らす。

 

「はい、開いてますよ?」

 

 開いたドアの向こう側、最初に眼に入ったのは、しなやかというには細すぎる足だった。考えてみれば、武偵校の入学希望なら現在は中学三年生の筈。が、それにしても出迎えてくれた少女の手足は折れそうなほどに細い。デニムショートパンツ、赤のタンクトップの上にはややサイズの合っていないジャケット。まだ年相応の幼さが表情に覗いている。

 

「姫川さん?」

 

「はい、そうですけど……」

 

「FBーー失礼。東京武偵校の者です。僕は雪平、こっちは相棒の……」

 

「鈴木。モモコの名前で通じるかしら?」

 

 ……この女、さりげなく足踏んでいきやがったぞ。仕方ないだろ、長年やってきた習慣が染み付いてるんだ。つか、本名使ってゲームしてんのかよ。

 

「ま、待ってました!どうぞ入ってください、そちらの相棒さんも」

 

 そう言うと、彼女は室内へと一足先に消えていく。その小さな背中が消えたところで彼女に視線をやる。

 

「おい、ごめんは50万回だぞ?」

 

「ロックスターの偽名を使われる前に本題を進めてあげたのよ。バカ正直に『ーーFBIだ』なんて日本で通じるわけないでしょ?」

 

「癖でやっちまうんだよ。うわ、見て。この得意そうな顔」

 

 まぁ、誰も見てないんだけどさ。玄関の扉を締めて、彼女が招いてくれた居間のソファーに腰掛ける。ご両親の姿は見えないが……

 

「ありがとうございます。本当に来てくれるなんて」

 

「気にしないで。力になるわ」

 

 夾竹桃は沈痛げに首を振って見せる。普段は氷のよう、と噂される双眸が随分と穏やかだ。

 

「お姉さんが消えたばかりでこんなこと、無神経かもしれないが手掛かりがいるんだ。事実を明らかにしたい。話を聞いてもいいかな?」

 

「なんでも聞いてください。そのつもりで連絡しました」

 

「ありがとう。お姉さんに何か変わったことはなかった?誰かに恨まれてるってことは?」

 

 中学生の年齢にしては随分と落ち着いてる。この手の冷静さはたぶん、色々な物を目にしてきたせいで勝手に身に付いてしまった代物。同情するつもりも権利もないがな。

 

「姉はおとなしいというか、スリルを求める性格ではありませんでした。成人してるのに異性の友達を家に招いたこともないし、浮いた噂って言うんですか?夜遊びもしないし、なんていうか真面目で誰かに恨みを買うような人にはとても……」

 

「恨んでる人はいなかった?」

 

「はい。私の知る限りでは。私の家庭は少し変わっていることもあって、そのせいか姉も恋愛には無関心というか。でも最近になって恋人ができたんです。同じ仕事場の彼と、来週は付き合って1ヶ月になるから……最近は彼がくれたってブレスレットをずっと嵌めてて……」

 

 涙声になる彼女へ無言で隣の蠍がかけ寄った。仲の良い姉妹だったんだろうな。この子の反応を見ればなんとなく分かる。でもーー恨まれる理由がないなら本当に無差別で狙いを決めたのか?

 

 若い女性だけが狙われてる。犯人の嗜好からやってくる共通点としては自然だ。だが、15階のアパートから連れ去られたって話がどうにも引っかかる。高い場所から女性を拐う、若い女性ーーブレスレット?

 

「……そのブレスレットってもしかして『金』のブレスレットじゃなかった?」

 

「えっ……どうしてーー」

 

「いや、過去に似たような事件があってね」

 

「してました。確かに金色で……私はメッキと金の見分けがつかないので、あんまり自信はありませんけど……」

 

「十分だよ、ありがとう」

 

 そう言いながら、自分の想像に胸が悪くなるような不快感を感じる。まだ決まったわけじゃないが嫌な可能性が浮かんできた。それもあながち低くない可能性で。

 

「彼、まだ新任の講師なんです。そのブレスレットも少し無理して買ったみたいで。姉が値段を聞いたら、0の桁を一つ減らして誤魔化されたって……見栄っ張りなんです」

 

「そっか。心配してるのは家族だけじゃない」

 

「安心なさいな。私、前に言ったでしょう?」

 

 夾竹桃はゆるくかぶりを振る。

 

「私は男女の恋愛を応援する気にはなれないけど、少女の笑顔を奪うものは許せない。貴方を含めてね?」

 

「私を……含めて……?」

 

「ええ、貴方の笑顔も。ミオを救いだしても貴方が沈んでいては意味がないもの」

 

 あのーーいや、俺は空気を読みますよ。突っ込みどころはあったけど良い台詞だった。彼女も俯いていた顔をあげて夾竹桃と見つめ合ってる、あー、現在進行形で。ほら、ついに掌が重なっちゃいました。あ、夾竹桃の指が顎にかかった。なんでしょう、この甘ったるい空気。発言すら許してくれなさそうなこの空気。ええ、犬を殺されたジョン・ウィックに睨まれてる気分ーー発言したらお前は殺す、みたいな。

 

 俺はどこぞの愛マニアじゃないが、これでも育ちはカンザス州のローレンス。大天使が兄弟喧嘩やったスタール墓地の近くのローレンス。アメリカ育ちだ。男同士のカップルも見てきたし、女同士で愛を誓おうとするタイプの女性も知り合いにいた。現に月の女王様は女の妖精がタイプだったみたいだし、兄貴たちがモーテルの受付で部屋を取ると五回に二回はカップルと勘違いされる。いや、ちょっと回数は盛ったけど……

 

「あー、俺は出直そうか?」

 

 ほら、見ろ。ジョン・ウィック(夾竹桃)が鉛筆向けてやがる。とりあえず咳払いしとけ。こほん。

 

「あ、ごめんなさい……!その、姉と雰囲気が似ていてーー」

 

「ああ、大丈夫。ジョン・ウィックも満更じゃなさそうだったから。そうだろ?」

 

 夾竹桃と視線を結んでやると、まだ中学生の彼女はハンサムな愛犬家を知らないようで小首を傾げている。

 

「貴方は知らなくていいのよ、どこにでもいる車好きの愛犬家のこと。面白い男でしょう? ほんと、それが売りなんだけど……」

 

「おっとーーここはコンチネンタルだ。争いは掟に反するぞ」

 

 尾を向ける蠍に俺は両手をそれぞれ真横に突きだし、静止をかける。ジョン・ウィックから助かる方法はただ一つ。コンチネンタルホテルに引きこもる、だ。

 

「あ、それなら知ってます。ジュラシックワールド!」

 

「そう、ラプトルを止めるやつ。けど、彼女はラプトル四姉妹より強い。武偵になるならアドバイスだ、大切なのは支配するのではなく信頼関係を築くこと。待てーー」

 

 放映後、世界のあらゆる飼育員が真似をしたというこのポーズ。蘭豹、綴、高天原先生の三人を相手にこれをやった強襲科の生徒がいたらしいがその後のことは誰も知らない。バカなやつだ、これはラプトルを落ち着かせる為のポーズ。ティラノサウルスに効くわけねえだろ。

 

「お馬鹿、人をラプトル扱いして信頼関係も何もないわ。前提から終わってる」

 

 夾竹桃は額を抑えると、溜め息を溢した。抗弁しようと開き掛けた口が閉じられ、諦めのかぶりが振られる。ラプトル三匹より強いのは誉め言葉のつもりだが、依頼主の気持ちが晴れたならとりあえず良しとしよう。さっきの言葉も一理ある、任務は裏の裏まで完遂せよ。依頼者が沈んでいるなら気持ちを晴らすのも間違いじゃない。結局、綺麗事でも後腐れのない最後が一番なんだから。

 

 夾竹桃を連れて建物をあとにする。外の天気は姫川宅を訪ねる前よりも荒れていた。うんざりしそうな細かい霧雨と強風に吹かれて、投棄されていたレジ袋が視界を横切って転がっていく。近場にパーキングがあったのはラッキーだったな。

 

 俺はコインパーキングまでインパラを迎えにいき、そのまま姫川宅の前で夾竹桃を拾うことにした。まだ夜まで時間はあったが外はすっかり陽光をなくしている。冷たい空はインパラのガラス越しに陰湿な雰囲気を晒していた。

 

「それで、目星はついてるんでしょう?」

 

 不意に雨音を遮って、視界の端から抑揚のない言葉が届く。揺れるワイパーに視線をやりながら俺は首肯する。

 

「まだ断言するのは無理だ。もしかするとーー程度の可能性でしかない。他の被害者のことも聞きたい」

 

「そう思って、同期の二人に探りを頼んである」

 

「ジャンヌと理子に?」

 

「片手間に、だけどね。それでも優秀な子達、貴方の求めている答えくらいは期待できるわ。頼れる聖女様に期待しましょう」

 

 焦りを感じさせない声色で彼女は携帯のボタンを叩く。赤信号につかまって、俺は静かにインパラを止めた。やがて電話が繋がり、隣で聖女様との通話が始まると信号も青に変わる。遠くからサイレンが聞こえてきて、緊急車輌の登場には自然と体が強張った。

 

「ええ、隣にいる。スピーカーにするわよ?」

 

『金か。トナカイのように鼻が利くな、貴様は』

 

 一応、感嘆の言葉なのだろう。左手から差し向けられるスピーカーモードの携帯からジャンヌの声が聞こえる。

 

「褒めて貰えて光栄だよ。被害者は若い女性、そこまでは聞いてるが拐われた時点で身に着けていた物について知りたい」

 

『ふむ、そのことだがどちらもお前が指摘した金の装飾を身に付けていた。端的に言おう、プロミスリングだ』

 

 思わず、苦笑いしそうになる。

 

「……プロミスリングか。それなら被害者に男との交際の影はなかった」

 

「どういうこと?」

 

「一人なら偶然の可能性も拭えなかったが、三人が同時ならたぶん当たりだよ。こいつはお前の睨んだとおり、怪物の仕業だ。それも絶滅危惧種」

 

 細かい雨がパウダー状に降り、稼働しているワイパーが機械的に左右に振れる音が虚しく車内に響く。金、そして若い女性。いや、正確には純潔だ。

 

『検討がついたのか?』

 

「最初から15階のアパートから連れ去ったって話が気になってた。それだけならソウルイーターの可能性もある。けど、金と若い女性が絡んでるならーー」

 

 俺は微かに言い淀み、その名を口にした。

 

「ーードラゴンだ。下水道で煉国についてのマニュアルを読み耽ってたガリ勉連中だよ」

 

 一瞬、車内の空気が静寂に包まれる。沈黙を破ったのはジャンヌだった。

 

『あの、ドラゴンか? 本に出てくる?』

 

 俺は近くの路肩にインパラを停め、真横から差し向けられている携帯に横目を向ける。

 

「ジョークを言ってるように見える?」

 

 

 返答はない、沈黙が答えだ。

 

「そのドラゴンだよ。ゲームによく出てくるあれさ。金と純潔を好み、女性を巣に連れ去る。ゲームやお伽噺で有名だが実際に700年前に絶滅した連中として……いたんだよ。でっかいコウモリみたいな羽と鋭い爪を持った正真正銘の怪物だ」

 

「でも700年前に絶滅したんでしょ?」

 

「そう聞いた。中世を専門してる学者からも絶滅したって確かに聞いたよ。でも生きてた。ハンターや人間の目を欺いて潜んでたんだ、煉国についてのポエム読みながらな。まぁ、煉国についての話はどうでもいい。恐ろしい連中だよ、絶滅してたらジョークのネタにできるけど笑えないな」

 

 ハンドルに肘を置くと、「同感よ」という言葉が挟まれる。

 

「良くないニュースと良いニュースがあるがどっちから話せばいい?」

 

「どうせ今日は悪いニュースばっかりよ。せめて良いニュースからどうぞ」

 

 そう言うと、スピーカーにされた携帯がダッシュボードへ置かれる。サンフランシスコで聞き込みをしたのとは逆の立場になったな。

 

「分かった。良いニュースだがドラゴンは人食い鬼やリヴァイアサンみたいな飢餓状態の怪物とは違う。拐われた女性は監禁されてるだけでまだ生きてる可能性は十分にあるよ。食欲っていうよりあれは物欲に近い、金持ちが名画を収集してるようなもんだ」

 

「続けて」

 

「それと俺は過去にドラゴンを退治してる、最終戦争の少しあとにな。言い伝えでは奴等の根城は洞窟だが、実際に隠れてるのはたぶん下水道。三人が拐われた場所を元に捜索すればすぐに見つかるだろ。奴が掻き集めた金の山が良い目印になってくれる」

 

 捜索自体は苦労した記憶はない。むしろ、厄介なのはもっと別のこと。

 

『悪いニュースは?』

 

「ドラゴンを退治するには剣がいる。なんでも殺せるコルトや原始の剣みたいな反則を抜けば、退治できるのはドラゴンの血を混ぜて鋳造した剣だけだ」

 

「ちょっと待って。つまり、ドラゴンを退治する武器はドラゴンを退治しないと作れないってこと?」

 

「本末転倒。そしてドラゴンは700年前に姿を消した。今でも残ってる剣は世界中でせいぜい5本か6本って話だ。その内の一本は短剣になって行方知れず。要するに悪いニュースはーー退治できる武器がない」

 

 額をハンドルの上に重ね、かぶりを振りたい気持ちを殺す。ドラゴンは好戦的だ、戦わずに人質を解放するのは現実的じゃない。無事に絵画を盗んでも、もし顔を見合わせたら、まず逃がしてはくれないだろう。

 

『待て。それならお前は過去にどうやってドラゴンを退治した?』

 

「さっき、行方知れずの短剣があるって言っただろ。剣の収集家から一本だけ武器を借りられたんだ。石に刺さってる剣を兄貴が反則技で引き抜いて……あ、いや、引き抜いてないか。取り出した、そう、石から取り出したんだ。それでドラゴンを倒した」

 

「……そのエピソードも気になるところだけど、武器についてはなんとかならないの?」

 

 できることなら、差し向けられる彼女の視線には応えてやりたいがーー

 

「剣は貴重なんだよ。現存するのは聖ジョージの剣やイギリスのエクスカリバー。残念ながら星枷のイロカネアヤメやジャンヌのデュランダルは入ってない。ルビーのナイフも」

 

「金物屋に売ってる代物じゃないわね。世に出回るような代物じゃない」

 

 同感だ。イロカネアヤメ、デュランダルも露店に出回るような剣じゃないがアスカロン、エクスカリバーなら歴史的な価値は言うまでもない。世界中の博物館が喉から手が出るほど欲しがるだろうよ。

 

「前に退治したときもブルンツビークの剣を使って戦ったんだ。チェコの英雄が使ってた剣、あれも値段はつけられないだろうな。他を探すにしても途方にくれそうだ。ジャンヌ、一応聞きたいんだがエクスカリバー持ってないか? 鞘はなくてもいい、剣だけあればいいんだが?」

 

「あるわけないだろ、バカかお前は。何故、私がアーサー王の剣を……」

 

「いや、なんとく? 振り回してそうな感じしない?」

 

 隣に同意を求めてみる。ある日、デュランダルがエクスカリバーに変わっていても別に違和感ないんだけどなぁ。が、夾竹桃は静かにかぶりを振った。

 

「私に聞かないで。でもエクスカリバーは噂に聞いたけど、英国からも失われてる」

 

「そうなのか?」

 

 不意に告げられた言葉が気になり、反射的に聞き返していた。

 

「ええ、イギリス情報局秘密情報部が血眼になってるって話よ。あれはイギリスの国宝、仮に贈与されるにしても余程の地位や名誉がないと」

 

「でも行方知れずなんだろ? アーサー王伝説のエクスカリバーか、案外この国に転がってたりしてな?」

 

「まさか、そんなわけないでしょ」

 

「だよな。あるわけないか。とりあえず手分けして剣を探そう。それと潜んでる洞窟」

 

 ジャンヌと一度通話を切り、俺はインパラのアクセルを踏んだ。気がつけば夜の時間が近づいている。ドラゴンの住まいに乗り込めるのは早くても明日、奇跡的にお伽噺に出てくる剣が見つかったとしてだがな。今日はおとなしく学園島に戻るしかない。ワイパーが雨に曇るガラスを静かに払っていく。

 

 

「いつものホテルでいいか?」

 

「貴方の部屋に押し掛けるわけにもいかないでしょう。神崎アリアがいるにしてもそれは無理。狩りをするにしても部屋は二つないと」

 

「それはもっとも。俺は俺なりに部屋で調べてみるよ。来るなら来るで、部屋を掃除して待ってるさ。ピザ頼みながら」

 

 ……すぐに弾痕だらけになるけどな。床も家具も綿が弾け、木片が乱れ飛ぶ。何度掃除してもすぐに神崎と星枷が木っ端微塵にしていくよ。

 

「ドラゴンなんてゲームの中だけの存在とばかり。ドラゴンがいるならフェニックスも?」

 

「いる」

 

「バンシーは?」

 

「いる」

 

「アラクネ」

 

「いないのはゴジラ。あとはいる」

 

 

 

 

 

「なんだ、いたのかレキ」

 

「はい」

 

 部屋に帰ると、レキがテレビを見ていた。神崎から誘われたのかな。俺はテレビのある部屋を抜けて、とりあえず手を洗う。神崎とキンジはいないみたいだな、来客を置いてどこ行ってるんだよ。とりあえず、俺は冷蔵庫から麦茶とグラスを盆に乗せて、グラスに氷をいれる。

 

「入りくんだドラマです」

 

「へぇ」

 

「ピザの配達員はこのベビーシッターのことが好きなのに何故臀部を叩いているのでしょう」

 

 グラスに落とそうとした氷が、逸れてテーブルへと転がった。意味のないマバタキを二回繰り返す。

 

「……レキ?」

 

 裏返りそうな声で俺は名前を呼ぶ。もうテーブルが濡れたことなんてどうでも良かった。頭が真っ白になる。

 

「彼女が悪いことをしたのでしょうか?」

 

 俺は無言で部屋まで歩いてき、チャンネルを取ると何も言わずに、再生されているビデオを天気予報に切り替えた。誰だ、こんなもんを持ち込んだやつは……

 

「……」

 

 ゆるりとレキが首を曲げて俺を見る。刹那、無言で耐えていた柵が決壊した。

 

「男がいる部屋でこんな物を見るんじゃない!それから、内容を話すな!どこのどいつだ、こんな危険物を渡したやつはーー!」

 

 とりあえずディスク(危険物)は押収。神崎への二次災害だけは防ごう。でないと、昨日掃除したばかりの部屋にブラックホールが吹き荒れることになる。アメリカならず日本のピザの宅配男も油断ならないのはよく分かったよ。どうしてこんな物が部屋にあるのか、俺の疑問をよそに、まずはキンジが帰宅した。そして俺を見るなり、首を傾げてくる。

 

「その顔、どうしたんだ? 生気でも吸われたか?」

 

「ちょい船酔いしてね。岸につくまで降りられない。そう、岸=墓場だよ」

 

 心臓に悪い、さっきのはいらないサプライズだったな。俺はソファーに背中から崩れるように倒れる。読みかけだった将棋の指南書をテーブルから引き寄せると、俺はキンジに視線をくばる。

 

「お土産は? ニュージャージーのサンドイッチは?」

 

「あるわけないだろ」

 

「来客を一人を置いて留守。それでお土産もなしか?」

 

「ない。しかもなんでサンドなんだよ」

 

「ニュージャージーといえばサンドイッチ。観光に行ったときはよく味わえ。でかい、頭くらいあるホーギーサンド」

 

「分かった。サンドイッチ覚えとくよ。レキ、なんか飲むか?」

 

 レキが頷くと、キンジは冷蔵庫へ歩いていく。外を見るとまだ雨が続いていた。

 

「おい、テーブル濡れたままだぞ」

 

「あ、氷こぼしたんだ。溶けてるか?」

 

「拭いとくよ。だから、夜はお前が作れ。レキも食っていっていいぞ」

 

「ではお言葉に」

 

 何も言えないまま今夜の料理当番が変わったんだが……そうか、それならこっちにも手段があるぞ。

 

「ほう、それなら我が家に伝わる伝説の『ウィンチェスターサプライズ』を作ってやろうか?」

 

 そう、あのメアリー・ウィンチェスターの創作料理。

 

「家庭の味、ですか?」

 

「ああ。兄貴がまだ子供の頃、母親に作って貰ったって料理。オリジナルには及ばないけど、何回か再現を試みた。アメリカらしい料理だよ、ああほんと」

 

 あのディーンにカロリーの塊と言わしめた料理だからな。彼女の料理の腕は……まあ、そういうことだ。俺もいつかーーオリジナルを見てみたいもんだよ。

 

「キンジ、お前も手伝え」

 

「俺の腕は知ってるだろ。アリアよりはマシなだけであれの延長線だぞ」

 

「料理下手なシェフが二人。最強コンビだろ?」

 

「……敵わないな。分かった、やれるだけやってみよう。なんたって、俺は暇だからな」

 

「おい、それーー」

 

「俺も好きなんだよ。ジャック・リーチャー」

 

 ソファーから身を乗り出すと、キンジはレキと同じくグラスで麦茶を嗜んでいた。

 

「お前、ハントよりボンド派って言ってただろ!インパラの運転席とIMFの敷居はそんなに甘くないぞ!」

 

「あれはアウトローだろ、外が一緒なだけで。レキ、なんとか言ってくれ」

 

「私はボーン派なので」

 

「そっちかよ!?」

 

 レキに不意を突かれ、部屋にはキンジの叫びが響いた。流石はSランクの狙撃手、見事に意表を突いたな。うん、俺も突かれた。

 

「ところで雪平さんは今までどちらに?」

 

「ああ、神崎や理子との依頼が昼に終わってさ。そこから別の仕事に誘われて、少し探し物をしてたんだ」

 

「何探してるんだよ?」

 

「それが実はまだ解決してない、ドラゴンの血が混ざった剣だ。まあ、そう簡単に見つかりっこないんだよ。現存してる剣は聖ジョージの剣やアーサー王伝説に出てくるエクスカリバーとか、これが存在してるかも分からないようなお伽噺全開の武器ばっかりでさ。エクスカリバーなんて行方知れずでどこにあるのかもーー」

 

「あるぞ、たぶん」

 

「HAHAHAHAー!こいつはお笑いだ。キンジ、流石に冗談にも無理がーー」

 

「俺がシャーロックから借りた剣がたぶんそれなんじゃないか? ラグナロクとかエクスカリバーとか、そこらへんの名前を言ったらシャーロックは驚いただけで否定しなかった」

 

 一瞬、場の空気が静まり返った。キンジはそのままスクラマサクスと呼ばれる剣を持って戻ってくる。一目見れば分かる、普通の剣じゃない。それ自体が発光しているかのように鋭く輝く、両刃剣だ。ジャンヌのデュランダルと同じ普通から逸れた武器に付いて回る危険な匂い。以前、こんな剣をキンジは持っていなかった。俺は裏返りそうな声を必死で落ち着かせる。

 

「キンジ、シャーロックはこの剣について他に何か言ってたか?」

 

「そう言えば言ってたな。女王陛下から借り受けた大英帝国の至宝だとか」

 

「……聞けば聞くほど、真実味ばっか帯びていくな。お前はこの手の嘘はつかない。シャーロックが否定しなかったなら本当にこれが……おいおいマジかよ、近所に宝刀が転がってやがった」

 

 にわかに信じられない気持ちがあるが、キンジの話を否定する要素が見つからない。ブルンツビークの剣にも酷似した独特な雰囲気が真実味を後押しする。何よりシャーロックの愛刀であったことに勝る理由がない。

 

「キンジ、実はーー」

 

「皆まで言うな。必要なんだろ?」

 

 視線を合わせず、キンジは体をこちらに首だけを明後日の方向に向けている。

 

「持ってけ、詳しい理由は聞かん。お前が話さない限りはな? 俺もシャーロックから借りてるだけだが1日くらいお前がレンタルしても問題ないだろ。取りに来る気配もないしな?」

 

 そう言うと、キンジは窓まで歩いてカーテンを閉める。

 

「今度、旨いステーキが食いたい。それで貸し借りはなしだ。いいな?」

 

 色んな感情が同時に込み上げるが俺はとりあえず唇の両端を歪めることにした。

 

「お言葉だがこの地球上でお前だけだぞ。ステーキとイギリスの至宝が同等だって言うのはな」

 

 

 

 

「……一応聞いておくけど、ウサギの足は使ってないわよね? 私、鑑識科だけど貴方の死体も事故現場を見るのは嫌よ?」

 

「心配ありがとう。あれは最終手段だ。死ぬのが分かってるのに使うつもりにはならねえよ。でも一生分の運を使い果たした気がするぜ」

 

「私の運もくれてやるわよ。到底足りないだろうけど」

 

 いつもの調子でやり取りを交わし、二人分のマグライトの灯りが下水道の暗闇を照らした。キンジからスクラマサクスと背中に隠せる秘匿用の鞘を借り、既に付近の下水道の地図を入手していた夾竹桃と俺はドラゴンの住処捜索に乗り出していた。

 

 下水道は下水処理場に近ければ近いほど、各地から水が集まってくるので必然と広くなる。捜索を始めて30分は過ぎようとしたが生物の気配はなかった。当たり前だが地下は良い環境とは言えない、日の光は届かず、視界が全く掴めないわけでもないがマグライトの照らし出す環を頼りに動くのは違いなかった。不気味だな、まるで化物の口のなかにいるみたいだ。

 

「ったく、慣れたと思ったら別の匂いが襲ってきやがる。下水道に住むのは大変だな……よくやるぜ、ドラゴンってのは鼻がバカになってやがるのか?」

 

「30分探して何もなし。ドラゴンは引っ越ししたのかしら」

 

「さあな、アメリカのドラゴンは下水道に家を構えてたけど?」

 

「もしかすると、日本のドラゴンはホテル住まいかもね」

 

 ぬかるむ足下が一歩踏むごとに陰湿な水音を立てる。10分ほど歩いたところで俺たちは足を止めた。左右に別れた道、右か左。進路が二つある。

 

「分かれ道だな」

 

 俺は左右に伸びた通路を順番に照らし出す。

 

「右か左、どっちに行くつもり?」

 

「今日は二人いるんだ。いつもので決める。ほら、やるぞ」

 

 俺はマグライトを肘で挟み、左手の掌を上に向けてその上に拳を乗せる。とんとん、と二度拳を打ち鳴らすと夾竹桃は目を丸めた。しかし、意味を理解したようですぐに同じ構図を取って拳を作る。

 

「私が勝ったら右、貴方が勝ったら左よ」

 

「決まりだ。見てろよ、ファーストコンタクトでの決着をつけてやる」

 

「結果は見えてるけどね?」

 

「言ってろよ」

 

 アメリカのじゃんけんは日本と少しだけ違う。三すくみ自体は一緒だが拳を二回打ち鳴らしたあと三回目で手を決める。言葉での合図はなし。俺と夾竹桃は互いに牽制するように視線を結ぶ。刹那、水滴が床に小さな音を立てた。

 

 ディーンにはいつも勝ち、サムにはいつも負けたのは過去のこと。そうだ、じゃんけんに負ける度に真っ先に不気味な場所の下見をするのも過去のこと。すべてはこの時のために。いくぞ、一回目ッ!二回目ッ!勝負ーー!

 

 

 

「……」

 

「貴方はいつもグー。本にも書いてあるわ」

 

 勝ち誇った笑みと一緒に左肩が叩かれる。

 

「待て!二勝したほうが勝ち!」

 

 夾竹桃が構え直す。よし、一回目ッ!二回目ッ!勝負ーー!

 

「……」

 

 俺、グー。夾竹桃、パー。

 

「くそッ!」

 

「右に行くわよ。んー、気分がいいわ。こんなに気分がいいのは久しぶり」

 

 軽く伸びでもするように、夾竹桃は黒髪を揺らした。じゃんけんの手をカンニングするとか反則だろ。軽い足取りで右の道を行く夾竹桃の背中を、俺はかぶりを振って追いかけた。

 

「……どうしてパーはグーより強いんだ。誰が決めた?」

 

「これは一種のお約束よ。そう、お約束」

 

「楽しそうだな?」

 

「ええ、とっても」

 

 こんな場所で雰囲気も何もないが、お前が楽しいなら何よりだよ。皮肉を叩いてやる気にもならないが、不意に夾竹桃の足が止まった。先の暗闇を照らしていたマグライトの光が、ゆっくりと足元へ下ろされる。

 

「おめでとう、初めての発見だな」

 

 マグライトの光は、小さな砂山のように積み重なった金の山に反射していた。指輪、時計、ネックレスーーパトラが好きそうな黄金の山だ。

 

「ここが住処で間違いないみたいね」

 

「だな。この近くだ」

 

 マグライトを握る手に力が入る。暴れる心臓を落ち着かせてマグライトの光を暗闇に振った。ぬかるむ足場を奥に進むと、両側を柵に囲まれた小さな一本道のスペースに出た。進めるのは前と後ろ、ぬかるむ足場も金網のような足元に変わっている。

 

「夾竹桃」

 

 咄嗟に名前を呼び、俺は背中から剣を抜いた。やや遅れて背中に夾竹桃の髪が触れてくる。気がつけば俺と彼女は背中を合わせていた。嬉しい反面、厄介なことになったな。

 

 俺の前方にはアメリカンジャケットで着飾った中年が一人、肩越しに夾竹桃を見ると彼女も無言で見知らぬ男と睨み合っていた。一気に空気が変質し、重たく張り詰めたものになる。やられたな、前後から挟まれた。

 

「下水道まで営業って来るかしら?」

 

「いや、こねえだろ。手が高熱で赤く変色したらビンゴだ。絶対に触れるな」

 

「あら、朗報ね。ビンゴだわ」

 

 ああ、こっちもだよ。男の右手が焼けた鉄のように真っ赤に染まっているーードラゴンだ。それと朗報の他に悲報がある。

 

「……二匹いるのは聞いてなかったな。サンドイッチみたいに人を挟みやがって」

 

 前と後ろに一匹ずつ、退路を塞ぐように陣取っている。仲のいいことで。

 

「援護呼んだほうがいいか?」

 

「援護? 貴方が援護よ。なるようになるわ、私は時間を稼ぐからそっちを先に仕留めて」

 

「でも武器は一つしかーー」

 

 不意に背中にあった感触が離れ、目の前に夾竹桃の黒髪が広がる。間近で触れてくる髪先、白い腕が俺の制服の内側に入り込んだ。

 

「お、おいーー!?」

 

 眼を見開いて状況を整理するが頭が追い付かない。が、すぐに手を引き抜いた夾竹桃が体を反転させる。肩越しに見えたその手にはあろうことか天使の剣が握られていた。うっすらと笑みが浮かんでくる。

 

「メグみたいなことしやがって。ちょっと期待しちまったじゃねえか」

 

「へぇ、期待したの?」

 

「120点やるよ。清められた感じ」

 

 言葉の終わりが契機となり、俺と夾竹桃は同時に動いた。天使の剣でドラゴン相手だと……おそらく足止め以上の仕事は見込めない。先に俺が一匹片付けて数の利を作るしか選択肢はないな。

 

「おい、拐った女性をおとなしく解放するって選択肢はなしか? 首を縦に振るならお前たちの家から出ていくぜ?」

 

「お前たちはハンターだな。仲間を呼んで我々を殺す気だろうがそうはさせん。あれは儀式に必要なんだ、お前には分からんだろうがな」

 

「ろくでもない儀式ってのは見抜けるさ。おたくらには前科があるからな」

 

 両手で剣を握ったまま距離を狭める。

 

「そんな剣で俺を斬れるのか?」

 

「だったら、試してみろ」

 

 何の変哲もない袈裟斬り。こっちを見下していてくれている隙に終わらせるつもりだったが、駄目だな。切り裂いた傷から血が吹き出るが浅い。差し出された腕を裂いただけだ、殺傷圏内の寸前で距離を取りやがった。笑えねえ、野生の本能でも働いたのか。まずいな、リヴァイアみたいに首を狙うべきだった。

 

「……どこで手にいれた?」

 

 出血するとは思っていなかったのだろう。驚愕の色を含んだ瞳が切り裂かれた腕とスクラマサクスを交互に見てくる。そこに先程までの油断の色はない。自分を傷つけられる武器、俺の手札が明らかになったことで奴の思考も変わった。『マヌケなハンター』から『自分を殺すかもしれない障害』程度には認識は改められたはず。

 

 さっきみたいに容易に隙を突けるとは思わない方が良さそうだ。だからこそ、首を狙わなかったのが悔やまれる。自分の油断を殺すつもりで切っ先を喉元へ向ける。

 

「組分け帽子の内側だよ」

 

 不意に背後から銃声、発砲したのはこっち側だろう。抜け目ない彼女のことだ、法化銀弾でも隠し持ってやがったな。スクラマサクスの柄は硬質プラスチック。おそらくキンジが自分の手に馴染むように平賀さんあたりに注文を出したのだろう。お陰で微かだが気休めになる。

 

 真っ赤に発光する手は柵に触れただけで接触面を軽く融解させている。人の皮膚が堪えきれる温度には遠い。殺傷圏内に踏み込んでは一撃を貰わないように警戒しながら刀を振るう立ち回り。刀と腕、間合いが広いのはこっちだ。

 

 だが、肘だろうが手首だろうが掠った瞬間、追撃に繋げられた制服ごと丸焼きにされる。あの熱に触れて握力を保っていられる自信がない、掠りでもすれば反射的に手は武器を手放すだろう。熱湯のなかに永遠と手を漬けておくなんざ土台無理な話だ。不意にまたしても背中がぶつかった。

 

「退治できそうか?」

 

「無理よ。法化銀弾も時間稼ぎってだけ。そろそろ際どいわね」

 

 背後で弾倉のリリース音とスライドが絞られる音、法化銀弾の残弾も余裕がなさそうだ。天使の剣はスクラマサクスに比べて遥かにリーチが短い。それで応戦してるんだ、際どいどころか感嘆しそうになる。

 

「そっちは?」

 

「最初の一撃で仕留め損なった。殺傷圏内で警戒される」

 

「長物の授業をサボるとこうなるのよ」

 

「ああ、戦徒は刀の扱いが上手い奴にするよ」

 

 金網を踏みつける音がけたましく響く。俺が対面するドラゴンは剣の間合いには警戒して近寄らない、後ろで夾竹桃が相対する敵は有効打がないことを見抜いて距離を詰めてくる。自分には不利な距離で戦うつもりはないってことか。俺には一定の距離を作り、夾竹桃には一定の距離を作らせない。身を置いてる状況が正反対だな。

 

「女は殺すな、少し際どいがまあ問題ない。始末するのはそっちのハンターだけだ」

 

「へぇ、この状況でナンパかよ。知ってるか、蠍ってのはな。デカいやつほど害がない、小さいやつほど危険だ。友達にも教えてやれ。ついでにもうひとつ、こいつ面食いだからお前には興味ないってよ」

 

「ほう、面白い男だな。気に入ったよ。その頭のなかにいるバカな虫を殴って叩き出してやろうか?」

 

「こっちもその不細工な顔の上でアイルランドのフォークダンスを踊ってやる。30分、休憩なしで」

 

「なるほど、ユーモアは認めよう。笑えたよ。だが、ここは俺たちのキッチンだ。そして、お前は食材。生板に乗せられるだけの、食材だ。何もできやしない」

 

 失笑と同時に首が横に振られる。動けるのは前後の一本道、他に動ける場所は見当たらない。前後には口を開いた怪物、両側の柵から向こうに足場はない。ここがキッチンなら良くて丸焼き、悪くて薫製。想像しただけで吐き気がする。

 

「さっきのってお誘いだったのかしら?」

 

「お誘いだろうね」

 

「独創的ね、彼等の口説き方」

 

 ようするに答えは、いいえだ。背後から皮肉と、金網を叩く足音が近づいてきたときーー

 

「雪平、チェスは好き?」

 

 三回、踵で足下の金網が打ち鳴らされる。チェスか、この博打好きめーーいいさ。

 

「乗った」

 

 打ち合わせなんざない、練習なんて一度たりともやったこともない。博打、付け焼き刃、安定とはどこまでも遠い言葉だけが過ぎ去る。だが、思い返してみれば、俺は幸運があった。でなきゃ、ずっと前に死んでそのまま墓に埋まってる。俺はいつだってギリギリのところで、誰かに、何かに、家族に救われてる。視界が反転する、眼前に据えていた敵が前後そのまま反転した。

 

 ーーキャスリング・ターン。駒を1手で同時に動かして入れ替える、チェスの特殊手のように。俺と夾竹桃の位置は入れ替わる、ほんの、一手。だが、この一手で戦況は変わった。夾竹桃には有効打がないと踏んでいた男が誤算に目を見開く。距離を詰めすぎたな、殺傷圏内だぜ。半身になって剣ごと腕を振り上げ、瞳を細めるのと同時に斬り下ろす。悲鳴と血しぶきが上がり、今度こそがら空きの胸元へスクラマサクスを突き立てた。

 

「ガアアアアアアアアアッッッ!」

 

 傷口が青白く発光し、大きく開かれた口からも血と光が溢れだす。今回は料理される側が逆だったな。胸から剣を引き抜くと、男は背中からその場に倒れ込んだ。

 

「ーーキッチンで負けたことはないんだ」

 

 残りは一匹。肩越しに連続する発火炎が見える。

 

「伏せろ、夾竹桃!」

 

 叫びながら俺はスクラマサクスを投擲。屈んだ夾竹桃の真上を過ぎ、白刃がドラゴンの胸を抉る。

 

「……!」

 

「チェックメイトよーーCiao(じゃあね)

 

 暗闇に白い線が幾重にも走っている。いつの間にか虚空に張り巡らされたTNKワイヤーを足場に、跳躍した夾竹桃は頭に天使の剣を、胸に突き立ったスクラマクスの柄に蹴りをほぼ同時に浴びせる。喉を潰すような怪物の悲鳴も無慈悲な攻撃の前に敢えなく沈んでいった。

 

「……えげつないことするねえ。同情するぜ」

 

「貴方といるうちにお行儀の悪さが移っちゃった」

 

 夾竹桃は沈んだドラゴンの近くまでいくと、倒れている体へ何も言わずに法化銀弾を2発撃ち込んだ。敵の死んだふりからの逆襲を防止する『死体撃ち』だ。そして反応がないことを確認してから、スクラマサクスと天使の剣を順に抜いていく。

 

「誘拐された子たちが見当たらないけど」

 

「たぶん、近くに監禁用の檻がある。さっさと探しちまおう」

 

「他の仲間と出くわしたら?」

 

 引き抜かれたスクラマサクスを受け取りながら、俺はドラゴンの亡骸を一瞥する。

 

「出くわさないことを祈るさ。いつだって出たとこ勝負」

 

 

 

 

 

「ドラゴンを退治した気分は?」

 

「下水道に潜ったのは予想外。だけど、友達の命を救えた良かったわ。他の子たちも。価値はあった」

 

 学園島の原っぱにインパラを停めて、ボンネットに座りながら俺たちは雲を見上げていた。あれから色々な後処理があった。下水道で監禁されていた彼女たちを解放し、警察への調書、退治したドラゴンの後始末にも追われることになった。結局、遭遇したのはあの二匹だけだが素直にドラゴンを退治しましたでは警察から狂人扱いされるのは見え透いてる。収拾がつかない。

 

 未だに狩りが9条に触れるかどうか疑問だが、もし触れるとするなら明日にでも懐かしい逃亡生活が始まるだろう。亡骸をそのまま放置しておくわけにもいかない。

 

 いっそのこと、ジョシュアの後釜を狙って天国に履歴書でも持っていってやろうか。ジョシュアにはアナエルという助手がいたらしいが天界の門が閉じてからは行方知れず。昔、公園で天界の入口を守っている暇そうな門番がそんなことを言っていた。アメリカに帰る日が来ればいつか出会うこともあるかもな。

 

「お友だちから連絡は?」

 

「病院で検査を受けてる。下水道で監禁されてたんだし、体が疲弊してるのは仕方ないわ。でも落ち着いたら帰宅も許されるはずよ。依頼主からも貴方にお礼を頼まれてる。入学したら一緒に仕事がしたいって」

 

「俺と?」

 

「いいえ、私と」

 

 人を食ったような態度に俺は苦笑いしてやる。本当に言いたいことをそのまま口にする女だ。少しも身繕おうとしてもない、ある意味尊敬してやる。

 

「なあ、本当に俺がグーを出すって分かってたのか?」

 

 

「言ったでしょ、あの本にしっかりと書かれてる。チャリーズエンジェルで失敗したことも」

 

 おい、それは墓まで持っていくつもりで……

 

「よし、分かった。とにかくあの本を一部残らず焼き払ってしまおう」

 

「もうオンライン書籍になってるけど?」

 

「……マジかよ。仙人フグやるから流通止めてくれ」

 

「無理よ。受け入れなさいな」

 

 顔を合わせず、言葉で否定される。つか、作者から少しくらい分け前貰っても良くないか?いや、駄目か。姉貴と宇宙旅行でいつ帰ってくるか分からん。

 

「色々書いてあるわ。じゃんけんの話とか、40年間我慢比べしてくれたこともーー世界を救ってくれてありがとう」

 

 ……あー、ったく、駄目だな。ふいうちだ。言い返せる言葉がない。思いつかない。それだ、つまらない嘘を言わないお前だから、それが凶器になるんだよ。俺は誤魔化すようにかぶりを振る。

 

「いいや、俺はアラステアから剃刀を受け取った。あいつと過ごす時間に負けたんだ。その最後の言葉は貰えないよ。お前からは貰えない」

 

 彼女と視線を合わさないように暗い空へと目線を仰ぐ。地獄の空と同じ、飲み込まれるような黒い闇を。

 

「なぁ、昔話してもいいか?軽蔑してくれていい、本当にどうしようもない男の矛盾の話」

 

 とん、と何かがボンネットを叩く。見ると白いレジ袋と中には缶コーラが二本、俺たちの間に挟まれるように置かれていた。俺が表情を変えても夾竹桃は何も言わない。吸い込まれるような彼女の瞳は俺がやったように夜空を見上げていた。冷たい風が過ぎ、俺の視線を呪縛させるように彼女の髪を靡かせる。気づけば俺の口は勝手に言葉を紡いでいた。

 

「オシリス、前に一緒にカウンセリングを受けたときに言ったよな。古代エジプトの法律を司る神、いや冥界の神。そいつは独裁者ってタイプでさ。罪人を掴まえて自分で裁判にかけて処刑までするんだ。奴には人間の心が読めるから少しでも罪を感じていれば終わり」

 

 ーーオシリス。別に口から雷を吐いたり、口が二つあるわけでもない。神出鬼没で一人三役の裁判が終わるとすぐに行方を眩ませることで知られている神。罪の意識を感じている者を拐っては判決を言い渡して殺す、それが生き甲斐のようなやつだった。人を一方的に裁いてはその余韻に浸り、また獲物を探して放浪を繰り返す。

 

「オシリスは冥界の神。裁判では死んでいる者ですら証言台に呼ぶことができる。無限に、誰だって呼び出せる。裁判にかけられたのは俺じゃない、ディーンだったよ。でも証言台に呼ばれたのはジョーだった。正確には彼女の霊なのかな」

 

 オシリスには人の心が読める。金物屋での凄惨な最後に彼女を追いやったのは俺の、俺たちの責任だ。他に選択肢を取る機会は幾らでもあった。壁の向こうの幽霊、戦争の騎士、静止する機会は幾らでもあった。だが、最後はああなった。割に合わない最後だ。海を渡ろうが、何年狩りを続けて、何人を救おうが白紙にはできない。割り切れないよ。

 

「結局、オシリスを200年間まじないで押さえ付けることにした。判決は先延ばし。何の話もできないまま彼女も消えた。怨み言のひとつも聞いてないし、何の礼も言えてない。ずっと思ってた、あれはたまたまディーンに目が向いただけ。二つあった別れ道でたまたまディーンが選ばれただけの話。オシリスがもう一方の道を選んでいたら俺が法廷に呼ばれてた。いや、重さで言えば俺のほうがずっと酷い」

  

 コーラのプルタブを捻ながら、俺は何度目かも分からないかぶりを振った。

 

「罪のない人間なんていないわよ。誰でも」

 

「それでもだよ。俺のせいでジョーは猟犬に腹を抉られた。お前も知ってる黙示録の騎士が復活した日に、メグが引き連れていた猟犬に。ナイフ好きのおかしな女と思われてもあのまま学校に通って、普通に生活してれば少なくともあんな最後にはならなかった。布切れで腸を抑えるような痛み、味わうことはなかったんだ」

 

 分かってるよ、嘆いても何も変わらない。何があろうと自分のできる仕事をする、それができないならさっさと辞めたほうがずっと良いーーある日突然、妻子を同時に失ったフランクにもそう言われた。プロのハンターであるなら目の前のことを何が起きても直視しろ、と。

 

「地獄の猟犬が憎い。大切な人を殺されて、憎むのが自然な感情だと思ってる。なのに、俺はメグにも命を救われてる。ふざけた話さ、猟犬を従えていたあの悪魔を……俺は心から憎む気にはなれない。何度も救われて、一緒に戦った。メグも同じさ、俺たちを逃がすために命を投げてくれた」

 

「……アザゼルの娘が、貴方たちを?」

 

「ああ、救ってくれたし、最終戦争のあとは一緒に戦った。間違いなく」

 

 当然の反応か。ローレンスの家を焼き払い、元凶を作ったアザゼルの娘。ルシファーの崇拝者であるメグと本格的に手を組んだのは魔王が檻に戻ってからだ。そのことは日記に書かれていない。俺は静かに瞼を閉じた。

 

 メグに助けられた。そんなことを聞けばあの悪魔は間違いなく俺の言葉を否定する。『私は自分のやりたいことをやっただけ』だと、そう言うのだろう。あの夜、天使の剣が突き立てられる光景を鮮明に覚えてる。金物屋で見た横たわるジョーと同じほどにーー

 

「俺は猟犬が気にくわないが、自分はもっと気にくわない。矛盾だよ、家族を殺した悪魔を憎めない矛盾。初恋の女を殺されたのに憎むこともできない。ジョーに許されなくても当然さ。礼を言われるような男じゃないんだよ。言っとくけど、俺の9割は最低だ。ゴミさ。あとの1割は……なんだろ」

 

「自分が何者か、探せばいいんじゃない?だって、貴方は生きてるんだから」

 

 複雑そうに珍しく彼女は笑ってくれた。こんな痛切な問いかけを一方的に投げたってのに。

 

「他人が口を出すことじゃない。でも懺悔を聞いた代わりに言わせて。読者としての感想。許してるわよ、貴方も貴方のお兄さんのことも。彼女はきっと許してる」

 

「どーだかな。迷惑しかかけてなかった」

 

「それは関係ない」

 

「関係あるだろ。俺はーー」

 

「色々あっても貴方たちは家族だった。人生は短い、私たちみたいなのは特に。ずっと失敗を嘆いて生きるつもり?私たちにも終わりは来る、いつかはね?」

 

 ボンネットに背中を倒し、抜けるような暗闇を仰ぎながら、拙いというには明瞭な声色で言葉を被せてくる。

 

「金は儚いものよ。いつかは消えていく。でも人生で一番大事な物は永遠に消えない。私がいつ死のうと、理子やジャンヌ、貴方と一緒にいた事実は変わらない。あそこに書かれなかったヘマでもいい、私が出会ったら謝っておいてあげるから懺悔はなしにして」

 

「……俺は相当ヘマしてるけど」

 

「それでも水に流すのよ」

 

 有無を言わさない言葉には頷くしかなかった。いや、本当は頷きたかったんだ。だから、感謝してる。勝手な懺悔を最後まで聞いてくれたこと。寄せたコーラは静かにぶつかり、音を鳴らした。

 




書きたいことを詰めた結果、過去最長の長さになりましたがアンケートはまたやりたいですね。当初は人食い鬼で考えていたのをスクラマサクスのネタを考え付いて変更しました。次からはまた本編に戻ります、この作品はややシリアスで進むストーリーを、姑息な言い回しとパロディーで誤魔化しながら進んでいる感が否めないですね……


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遅れてきたキャストオフ・テーブル

時系列はヒルダ戦のすぐあとになります。今回はアリアの四コマ漫画『緋弾のアリアちゃん』のネタを一部参考にさせて頂きました。


 ゲームの歴史…それは遥か五千年の昔、古代エジプトにまでさかのぼるという。古代エジプトでは動物の骨を削ってサイコロを作るだけでなく、いわゆるボードゲームは古代エジプトが発祥の地とされているらしい。

 

 紆余曲折の末に本土から日本に戻って数日が経った。ジャンヌと再会を交わし、そしてようやく戻ってきた懐かしの第三男子寮。俺は自分の家はあくまでインパラと思ってるが、この部屋も長く留守にしてると不思議な気分になる。間違いなく、ここは俺の家だ。

 

 腐れ縁たる遠山キンジとの相部屋。だが、今年になってルームメイトが新しく増えた。まるで嵐のようにやってきたその女は図々しくも我が物顔でベッドを占領し、いつのまにか部屋に住み着いていた。神崎アリア、つまるところ俺の第二のルームメイトだ。

 

「速攻魔法発動、エネミーコントローラ。ネクロドールを生け贄に、お前のヴァレルロードのコントロールをエンドフェイズまで得る」

 

「へえ、お可愛いカードを使うじゃない。あたしはカードを一枚伏せてターンエンドよ。そしてこの瞬間、あんたに奪われていたモンスターのコントロールもあたしに戻る。手札尽き、モンスターも伏せカードもない。この状況を返せるものなら返してみなさい?」

 

 勝ち気に神崎はその唇を歪めた。現在、俺は神崎に誘われるがまま部屋のテーブルを使ってボートゲームに興じている。ジャンヌや理子が遊んでいるところを何度か見たことはあるが、わざわざ高価なレアリティーで使用するカードを揃えているあたり、神崎もなかなかお熱らしい。

 

 このゲーム、お互いに最初から持ってる8000のポイントを使役するモンスターで先に削り切るだけの単純な物だが如何せん種類が多く、戦術自体の自由度は高い。

 

 まあ、実際にボードゲーム自体は勝負勘を養ったり、戦略を探ったりで探偵科からも推奨されている。俺が誘われていないところでは、キンジがバスカビールの面々とジャンヌや平賀さんを巻き込んで、キャストオフ・テーブルなるボードゲーム大会をやったのは記憶に新しい。ああ、俺は誘われてないけど。

 

「確かにな。だがーー」

 

 俺の手札は0、場は壊滅状態。はっきり言ってお手上げも良いところだが……

 

「まだ俺にもツキはあるようだぜ?」

 

 引いたカードをそのまま神崎に叩きつける。

 

「俺が引いたのは強欲で貪欲な壺。このカードは俺のデッキの上の10枚をコストにカードを2枚ドローする」

 

「複製術が見えないと思ったら……なるほどね。でもたった2枚であたしの場を崩すにはあんたのお人形はちょっと貧弱なんじゃない?」

 

「どっちが貧弱か思い知るがいい」

 

 妨害はない。10枚はゲームから取り除かれ、2枚が手札に収まる。教えてやるぜ、神崎。優れた楽器があれば、名曲が奏でられるとは限らない。ザコと鋏は使いようってな。

 

「テラー・ベビーを通常召喚。このカードが召喚に成功したとき、墓地からギミック・パペット一体を特殊召喚できる。俺は墓地よりギミック・パペットーマグネドールを特殊召喚」

 

 蘇生されたそのレベルは8。だが、攻撃力と守備力は1000の素材ありきのモンスター。むしろ、その低ステータスに安心感すら覚える。奈落も踏めない貧弱なステータスこそギミパペだ。

 

「さらに墓地のネクロドールは墓地からギミパペ一体を除外することで特殊召喚できる。墓地のシザー・アームを除外しーーギミパペ界のアイドルを特殊召喚だ!」

 

「ハァ!? これのどこがアイドルなのよ!?」

 

「可愛いいだろうが!雪平さんの可愛いモンスターランキング第3位なんだよ!」

 

「あんたの趣味は個性的すぎるのッ!」

 

 失礼な神崎はさておき、名実共にギミパペ界のアイドルが無事に蘇生。手札から直接カラスが飛んできたらそこで詰みだったが、なんとか命は繋いだ。俺の手札に指名者はない、相手のターンだろうが手札から直接飛んでくる手札誘発のモンスターを踏めばそこまで。ターンを返した途端、神崎の弾丸に風穴を空けられて終わりだ。

 

 俺がこのターンに呼び出したモンスターは特殊召喚を含めて三体、仮に神崎の残った手札にニビルがあるなら俺が五体目を呼んだ途端に場のモンスターは分け隔てなく壊滅する。そうなれば俺の展開は止まり、ターンを渡すしかない。

 

 俺の墓地には、相手の直接攻撃に反応して墓地から特殊召喚できるシャドーフィーラーがいるにはいるが……こいつは一度攻撃を受けてから蘇生されるモンスター。しかも蘇生した途端に1000ポイントのライフを要求され、なぜか攻撃表示の棒立ちで出てくる。その攻撃力も僅かに1000、戦闘破壊こそされないが後続のモンスターによる超過ダメージで簡単にライフは削られる。

 

 俺のライフは既に2600、一度攻撃を受けてから効果を使えばライフは1000残れば上々。とても次のターンを迎えられるとは思えない。一方、神崎の手札はまだ四枚もある、中身はともかく枚数だけを見れば削るには充分すぎる。ライフ、手札の枚数、ボードアドから見ても劣勢なのは俺の方。それは神崎も理解してる。

 

「レベル8が2体。けど、あんたのそのアイドル人形はエクシーズ召喚の素材として使うには縛りがある。呼べるのは同じギミック・パペットのモンスターだけ」

 

「ふふん、そいつはどうかな? 神崎、何もギミパペのリンクはキメラだけじゃないんだぜ?」

 

 ーーだが、劣勢の状態から場をひっくり返してこそのファンサービスって奴だからな。

 

「神崎」

 

「?」

 

「勝利のピースは、すべて揃ったぜ」

 

「……あんた、遊びになると人格変わるわね」

 

 うるせえ、キャストオフ・テーブルで俺をのけものにした恨み。思い返してもムカつくぜ、てめえら。キンジを誘ってなんで俺に誘いをかけないんだ、俺だってお前らと麻雀とかビリヤードとかやりたかったんだよォ!

 

「ーー召喚条件はカード名が異なるモンスター3体。行け!雑魚共ッ!」

 

「それって何かおかしくない!?」

 

「やかましい!攻撃力0、500、1000の役目は終わった!混沌の騎士ーーカオスソルジャー降臨!」

 

 神崎を一蹴、俺のデッキで最もカードパワーが高いであろう1枚が場に降臨した。その攻撃力は切り札に相応しき3000ポイント、だがその効果は同じ攻撃力3000のヘブンズ・ストリングスの比じゃない。デビルズ・ストリングスの一発芸だけじゃないことを思い知るがいい。

 

「レベル7以上のモンスターを素材に召喚した場合、カオスソルジャーは相手の効果の対象にならず、効果では破壊されない。ミラーフォースなんて無意味だぜ、アリア先生?」

 

「……ふざけた耐性ね。確かにあんたのお人形とはいいお友達になれそうなモンスターだわ」

 

「攻撃した瞬間、味方が全滅じゃ笑えないからな。いくぞ、俺のバトルフェイズ。削られたライフは削り返す、10倍返しだ!」

 

「それ言いたかっただけでしょ!?」

 

 神崎の場には2枚の伏せカード、1枚は俺が羽根箒で割ったミラーフォース・ランチャー。そしてもう1枚はランチャーの効果でサーチされた聖なるバリアーミラーフォース。耐性を備えたカオスソルジャーには通らないぜ、神崎。

 

「カオスソルジャーでデリンジャラス・ドラゴンを攻撃。カオスソルジャーには相手モンスターを破壊したとき、3つの効果の選択肢がある。俺は第3の効果を選択ーー!」

 

 棒立ちの神崎のリンクモンスターを撃破。そして1400のライフを神崎から削ると同時に効果が発動する。

 

「相手フィールドのカード1枚選び除外する。俺が除外するのはヴァレルロードドラゴン!」

 

「ヴァレルロードドラゴンはモンスター効果の対象にーーそう、対象を取らない効果ってわけね」

 

 一瞬、言い淀むも神崎はうっすらと笑みを浮かべて答えを察する。限られたカード以外は発動を許されないダメージステップに発動する対象を取らない除外。戦闘を介する発動条件はあれど除去能力としては申し分ない。

 

「そのとおり、対象を取る除去と対象を取らない除去では三と万。9997ほどの違いがあるんだよ」

 

「……何を基準に三と万が出てくるのよ」

 

 ともかく、これで神崎の場からモンスターはいなくなった。数ターン前まで張られていた厄介なフィールド魔法も羽根箒で掃除済み。神崎の場にあるのは2枚の伏せカードだけだ。

 

 だが、神崎の手札は4枚。いくら強固な耐性を持っていても盤面をひっくり返される可能性は存分にある。俺は壷の効果で引いた残された最後の手札を見やる。罠カードーー通常の魔法やモンスターとは違い、相手ターンでの妨害に使うための名前のとおりの罠のカード。それも今では化石扱いされるような1枚。それを見ると、俺はなんとも言えない気持ちになった。

 

 それは以前、夾竹桃の買い物に付き合ったときにたまたま入ったカード屋で引き当てた1枚。あいつが「いいカードじゃない」なんて言うもんだから、つい勢いでデッキに刺しちまったがこのタイミングで引くとは……心強いというか、あいつらしい嫌がらせというか。

 

 だが、既に首の皮一枚で繋がってる状況だ。俺が神崎に勝つ。そのためには猫の手だろうと、犬の手だろうと、夾竹桃の手だろうと借りるしかないんだ。信じてやるよ、腐れ縁を。

 

「俺はカードを1枚伏せてターンエンド」

 

「対象にならず、効果では破壊されない攻撃力3000のリンクモンスター。そして傍らには伏せカード。モンスターも手札も0からここまで持ってくるなんて……流石ね」

 

 自身の手札を一瞥してから、神崎が緋色の瞳を覗かせる。俺のライフ2600に対して、神崎のライフは3600。そこに大した優劣はない。その気になれば互いに一瞬で飛ばされるようなライフポイントだからな。致命傷のラインと言っていいほどに。

 

「あたしのターン。確かに、あんたの攻撃は素晴らしかった。いいえ、違うわね。こほん」

 

 わざとらしく、神崎は席払いを置いた。何か嫌な前触れに感じるのは気のせいだろうか。

 

「あんたのデュエルは素晴らしかった!プレイングもデッキ構築も!」

 

 待て待て待てーー

 

「待って!それ俺に言わーー」

 

「だが、しかし、まるで全然!このあたしを倒すには程遠いのよねぇ!」

 

 ぴしっ、と神崎の指が真っ直ぐに俺を射抜く。してやったりと言わんばかりの表情で。

 

「俺が一番言いたかった台詞を先取りしやがって……希望を奪われた気分だよ、ちくしょうめ」

 

「あら、こんなの楽しんだ者が勝利者なんでしょ?」

 

「正論で殴るなよ、何も言い返せないだろ。さっさとターンを進めろ」

 

「言われなくとも。キリ、このカードであんたの息の根を止めてあげる」

 

「なに?」

 

 訝しげに問いかけた俺に、神崎は指先で持ち上げたそのカードを表に返す。

 

「魔法カード発動ーー真紅眼融合!」

 

「ーー真紅眼融合!? 手札、デッキから融合を可能にする真紅眼専用の融合魔法……!」

 

「そしてこのターン、あたしはこのカードの効果以外ではモンスターを召喚・特殊召喚できなくなる。けど、そんなことは関係ないわ」

 

 ……まずい、神崎のこの自信。呼び出されるのはよほど強力なモンスターなのか。いや、神崎が呼び出すモンスターの検討はつく。この状況で他のモンスターの召喚権を投げてまで呼び出すとすればただ1つ、真紅眼の黒竜とブラックマジシャンを素材とする究極殺戮モンスター……!

 

 あんな化物の召喚を許せば間違いなく俺は負ける。反射的に俺の指は伏せたカードに手をかけた。

 

「そうはさせない、光の封殺剣!」

 

「光の封殺剣……!?」

 

 目を丸くして驚く神崎だが、それも束の間自分の手札に視線を落とす。

 

「この罠カードはお前の手札の1枚を3ターンの間ゲームから取り除く。これでお前のドラグーンの融合素材を封じ込めるぜ」

 

「……また無茶苦茶な勝負に持ち込んだわね。あたしがデッキ融合したらそれまでよ?」

 

「だが、手札に抱えていたら話は別だ。お前のデッキはほぼ純正のヴァレット。いくらサベージのシンクロに使えると言ってもシナジーの薄い真紅目をデッキに抱えるリスクは大きい。ブラマジは言うに及ばず。あるとすればドラグーンを呼ぶためにデッキにあるのは1枚ずつ」

 

 要するに派遣、出張だ。その1枚しかない融合素材を手札から除外すれば融合を不発にできるかもしれない。つか、神崎の手札を露骨にシャッフルする表情……バレバレだぞ、当たりだ。

 

「封殺剣が選ぶのはランダム。あたしの手札は4枚、その中からお目当てを撃ち抜ける?」

 

「確かにな、その1枚を引くのは難しい。だが俺は引く。例えこの指が、ぐちゃぐちゃに折れようと!」

 

「……いや、折れないでしょ。どうやったら折れるのよ」

 

 神崎の手札にある融合素材を外したら俺の負けだ。そう、これは確率25%のゲーム。体の中の血液を沸騰させ、高揚感を掻き乱す瀬戸際の駆け引き。これだからゲームはおもしろい。この1枚のカードに、道を閉ざされるか、光を得るかーー勝負!

 

「いくぜ。ぺらっと、ひっくりかえしたーー」

 

「アリア、朝から一人なに話し、て……る……?」

 

 刹那、寝起きのキンジと視線が合う。睡魔からまだ覚めていないキンジの瞳が、一秒、二秒……やがて幽霊でも見るような目に変わる。ああ、遊びに夢中になっててすっかり忘れてた。

 

 ーー俺帰ってきてから、まだキンジに挨拶してなかった。

 

「で、出たああっ!?」

 

「幽霊を見たような顔するんじゃないよ、失礼なやつだな。本物の幽霊よりお前のほうがよっぽど恐ろしいだろ」

 

 あからさまに驚くリアクションは、むしろキンジらしくないとまで言える。幽霊より恐ろしい男が幽霊に驚いてどうするんだよ、幽霊じゃないけどさ。突然の来訪者に俺も神崎も手札を置き、視線をキンジへと向けた。

 

「なんでいるんだよッ!」

 

「なんでいたらダメなんだよッ!」

 

「数日前に帰って来たみたいよ。あんた、ジャンヌから聞いてないの?」

 

「今初めて聞いたぞそんなこと!」

 

 すっかり眠気が覚めた顔でキンジが反論してくる。朝から元気で何よりだ。やや影が差し込んだ顔付きも以前と何も変わってない、安心したよ。兎も角、寝起きに幽霊を見たら嫌でも目が覚めるってことだな。

 

「なんだか抜き差しならない状況になったけど、続ける?」

 

「いや、おとなしく降参するよ。今度リベンジしに行く。まあ、二週間後くらいに」

 

「そう。楽しみに待ってるわ。ところでキンジ、あんたは起きるの遅すぎ。あたしとキリはもう朝御飯食べちゃったわよ?」

 

 まあ、近くのコンビニで済ませたんだけどな。今日は日曜日で学校もないし、時間に追われることも別になかったんだが。

 

「今日は日曜なんだから少しくらい寝てても別にいいだろ」

 

「それは確かに言えてる。ね?」

 

「あたしに振るのやめなさいよ。早起きは三文の徳でしょ」

 

 デッキを片付けながら、神崎はかぶりを振る。それは有名な諺だが、つい夜更かししたくなる人間の気持ちも分からないでもない。そもそも人間は元々夜行性の生き物だったって理科の授業で言ってたな。神崎に傚習ってかぶりを振りながら、俺はキンジと視線を結ぶ。

 

「まあ、お前が入学式のときにちゃんと早起きして、バスに乗り遅れなかったら、チャリを爆破されることもなかったし吸血鬼やファラオと戦うこともなかったわけだ」

 

「首の血管がぶち切れそうになることもなくなった。切、俺を入学式の朝まで戻してくれ。コーラあげるから」

 

 ……どっから出したんだよ、その缶コーラ。いつのまにか突き出されていたコーラを見て、俺よりも先に神崎が食い付いた。

 

「キンジ、あんた只でさえバカなのに寝起きだと頭が空っぽになるのね」

 

 ……容赦ないな、おい。

 

「神崎、正論で殴ってやるな。世の中探せばコーラを賄賂に使う人間だっているかもしれないだろ?」

 

 とりあえず、そのコーラは後で頂くとして。経験から言うと、モノホンの時間旅行は案外楽しくない。過去も未来もどっちもな。

 

「現実にデロリアンなんて物は存在しない。俺たちは諦めて文句言いながら今を生きるしかないんだ。さっさと顔洗ってこい、髪の毛大変なことになってるぞ?」

 

「……行ってくる。目は覚めちまったけどな」

 

 そのわりには寝起きって感じの足取りだぞ。洗面台に向かうキンジの背中はやがて視界から見えなくなり、俺は懐かしのソファーに思いきり背中を預けて、天井を仰ぐ。帰ってきたな、懐かしの第二の我が家。

 

「久々に本土の土を踏んだ気分は?」

 

「そりゃ悪くなかったよ。特にニュージャージーのピザ、あれ美味かったぁ。久々に食ったけど色褪せない美味さ、まさにメジャー級。美味いピザは必需品、閉店してほしくない」

 

「ふーん」

 

 ももまんの袋を抱える神崎はソファーの空いたスペースに座ると、袋に手を入れてガサガサと音を鳴らす。

 

「でもピザなら日本でも食べれるじゃない。あんたが大好きなハワイの……ハムとパイナップルが乗ってるあれよ、あれ。あれも美味しいんじゃないの?」

 

「あーーあーー」

 

「……いきなり何よ、気持ち悪い声だして」

 

「あのな、これだけは知っといてくれ。ピザはチーズと、ソースと、生地なんだ。その三つ。ペパロニを乗っけるのはまあ良いとして、ハムは駄目、フルーツ駄目、ピザとパイナップルは属してる世界が違う。相容れないのよ、うん」

 

 何でもかんでもハワイが本土より優れてるってわけじゃない。

 

「相当なこだわりがあるみたいね。あんたもキンジも妙な食へのこだわりを見せるけど、どうしてなの?」

 

「美味い物を食い、美味い物を飲んで好きなときに寝る。こんな楽しい生活他にないだろ」

 

「そんなもんかしら」

 

 さっぱりとした返しで、神崎はももまんに口をつける。そんなもんだよ。自由気ままな野良猫みたいな生活、一度はみんなが憧れる。

 

「お前はどうなんだよ。たとえ数日でも里帰りしたいとか思わないのか?」

 

「用があれば帰る、用がなければ帰らない。それだけよ」

 

 これまたさっぱりとした返しだった。よくよく考えれば神崎は母親を除いてホームズ家との折り合いが悪い。ホームシックになるほうが難しい話か。

 

「皮肉よね。一番の特徴が、遺伝しなかったなんて」

 

 つまらなさそうにももまんをおかわりした神崎が足をぷらぷらと揺らす。

 

「それだけがあればいいって物があたしにはなかった。妹にはあってあたしにはなかったのよ、ホームズ家にはもっとも大切な推理の才能が」

 

 報われない話だ。それ以外の分野では鬼才と呼ぶに相応しい優れた才能を与えられながら、たった1つ一番大切な物を損なっただけに不当な扱いを受ける。あまりに狭き門のSランク武偵にまで駆け上がってもホームズ家では神崎はあくまで落ちこぼれ扱いだ、どうしようもない。努力して見返せるとか、そんな次元の話じゃない。

 

「手を伸ばしても絶対に届かない物。あの子にはあって、あたしにはない物。躍起になってそれを求めてたわ。あの頃は本当にーー荒んでた」

 

「神崎、今でも推理の才能って欲しいのか?」

 

 きょとんとする彼女に、俺はそのまま続ける。

 

「だってそうだろ。それがあれば家にも帰れるかもしれないし、もっと違った生活もーー」

 

「バカね。ないものをねだったところで仕方ないでしょ」

 

 一喝され、乱暴に突き出される右手から、俺は為されるがままにももまんを受け取った。

 

「ママのことはあるけど、あたしはここでの時間に満足してるのよ。才能とかに関係なく、ありのままのあたしを見てくれる。そんなパートナーに出会えたから」

 

 紙袋を抱え、うっすらとした笑みで神崎はそう言った。まるでそれだけがあれば他には何もいらないと、そんな優しい声色で。

 

「そっか」

 

 ありのままの自分を見てくれるパートナーか、それって例えばあいつみたいなーー

 

「なあ、歯磨き粉切れてるんだが替えってどこかにーーって、なんだよその顔。また日光浴びすぎたか?」

 

「一週間くらい最終戦争の世界にいたんでね。いや、いつもここぞってタイミングでお前は現れるから驚いてただけ。神様はお前に何をさせたいんだろうね」

 

 そりゃ酷い顔にもなりますよ。遠山キンジって男は本当にタイミングの良い男だな、尊敬してやるぜ。

 

「ああああんた、いつから聞いてたの……!?」

 

 狼狽する神崎に俺は黙ってももまんを齧る。安心しろ、何も聞いてないまでがお約束。案の定、歯磨き片手のキンジはさっきの神崎の言葉は聞いてない。こればかりは神崎には幸か不幸か分からないな。このももまん、甘い。甘すぎる……

 

「何の話してたんだ?」

 

「他愛もない話。ニュージャージーのピザが最高とかそんなところ。美味いピザ屋は必須って話」

 

「他愛もない話だな。新宿の新しく出来たピザ屋、あれ美味かったぞ。パイナップルとハム、今までで一番美味い」

 

「あーーあーーあのね!これだけは言うけど、ピザにパイナップル乗せるやつは極刑だから!」

 

「……賑やかになってきたわね。なんでもいいじゃない、美味しければ」

 

 はー、そうですか。キンジに話を合わせてやったのに我関せずですか。はー、そうですか。さよなら神崎、理子にキンジを取られても今度は味方しないからな。

 

「キンジ、あんたは打ち上げの闇鍋。何いれるか決めたの?」

 

「俺は当たり用の食材担当だから適当に肉でも買ってくよ」

 

 不意に神崎が忌々しき話題を切り替える。つか、闇鍋って文化祭のあれか。文化祭の最後にチームごとに集まってやる恒例行事。やばい、問題を先投げしてて忘れてたが、色々あって俺はチーム申請の締切に間に合わなかった。9月下旬ーーチーム編成をイヤでも登録しなければいけない時期と言えば、俺は悪趣味なテーマパークで天使の軍隊から必死に逃げ回っていたときだ。

 

 当然、教務科に「平行世界で人助けをして、チーム登録ができませんでした」などと正直に話したところで病院を進められるのがオチ。申請をしなかった生徒は、教務科が勝手に決めた相手とチームを組まされることになる。

 

 今になって激しい後悔に襲ってきた。面倒な相手だったらどうすっかな……こんなことなら頭下げてジャンヌのチームに入れて貰えば良かった。あそこなら中空知もいるし。この際だから多くは望まない。せめてマシなチーム名のところにいれてくれ。

 

「キリは決めたの?あんたは外れ担当よ?」

 

「外れって……なんでお前が知ってるんだよ。そっか、お前は教務科から聞いてるんだな。で、俺はどこの所属になってるんだ? チーム名は未詳? ケイゾク?」

 

「やっぱり聞いてないじゃない。それにそれは警察の部署でしょ。キンジ、教務科から預かってる書類渡してあげて」

 

「書類?チーム関係のことなら明日にでも教務科に聞きに行くつもりだぞ?」

 

「その教務科から預かってるんだよ。向こうが決めたなら仕方ない。このチームで満足しろ」

 

 棚の引き出しから1枚の書類を持ってキンジが戻ってくる。仕方ない、どこのチームか知らないが与えられた場所で俺は満足するよ。キンジから書類を受け取り、俺はその肩を軽く叩く。

 

「ああ、これからはお互いに別のチームで頑張ろう。俺も『チーム・サティスファクション』で頑張るよ」

 

「いや、ないからな。そんなチーム」

 

「ほら、見なさい。だから言ったでしょ。キリにだけは名前を決めさせるのは駄目だって。ろくなことにならないわ」

 

 失礼なやつだな。毒を吐きながら俺はホチキスで閉じられていた書類を開く。

 

「だから、その名前で我慢しなさい」

 

「ーーバスカビール?」

 

 半信半疑で俺はもう一度書類に目を落とす。そこにはーーチーム名『バスカービル』と俺の名前が確かに刻まれている。そして連なっているのは神崎を始め、理子、キンジ、星枷とレキの名前だった。

 

「チームには相性もあるから、癖のあるあんたと組める子なんて限られてるでしょ。あんたの師匠と蘭豹先生にそこを進言したのよ。ダメ元だったけど」

 

「……待った。これってつまりだぞ。簡単に言うと、俺も少年探偵団の仲間入りってこと?」

 

「バッジはないけどな」

 

「この学校を探しても、ピーキーなあんたと組める生徒なんてあたしたちだけでしょ?」

 

 つまり、俺は今まででと変わらずにお前らと仕事ができるのか……?

 

「いい奴だなぁ!ほんっとお可愛いい奴だよ!お前もキンジも本当にいい奴!ほんっとお可愛いやつめ!」

 

「ちょっ……急にテンション変わりすぎよ!」

 

 いや、本当にいい奴だよ神崎。今度理子がキンジを奪っても俺はお前に付くからな。決まり、これ決まった。

 

「無性に腹減らない?」

 

「何よ。さっき食べたばっかりじゃない」

 

「今ならロキシーのメニュー半分くらい食べれる。キンジは朝まだ食べてないし」

 

「ん? もしかして奢ってくれる流れか?」

 

「割引クーポンずっと使ってたけど実は資産家なんだ。いくぞ、同居人。ついでに歯磨き粉も買ってやる、いちご味のやつ」

 

 言い終えて、俺はもう一度その書類に視線を落とす。じゃあお言葉に甘えて、このチームで満足させてもらおうか。いつか別れが来る、そのときまでーー

 

 

 

 

チーム名『バスカービル』

 

メンバー

 

 

 

○神崎・H・アリア(強襲科)

 

  

◎遠山キンジ(探偵科)  

 

 

・星伽白雪(超能力捜査研究科)  

 

 

・峰理子(探偵科)  

 

 

・レキ(狙撃科)

 

 

・雪平切(尋問科)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前書きで触れましたが『緋弾のアリアちゃん』にてジャンヌと理子が露骨に遊んでいたボードゲームが前半の元ネタになります。決○盤を装着するジャンヌを見ることができるので気になる方は読んでみては如何でしょうか。

……キャストオフ・テーブルではキンジも桃鉄やモンハンで普通に遊んでいますし、多少は主人公が遊んでも大丈夫でしょう、と作者は言い訳します。アリアと主人公の勝敗の行方は各々でご想像頂ければと思います。ちなみに作者はおとなしくギミパペは複製、暴走召喚に頼ることを切にお薦め致します。

チーム編成について主に触れられている狙撃拘禁からチーム編成までの巻を読み直しましたが、直前申請もしなかった場合は教務科が勝手に決めた相手と組まされる、とあります。これが決まらなかった生徒同士で組まされるのか、既に申請を終えているチームや生徒も混ぜて配慮されるかなんですよね。この作品ではアリアの直談判、教員二人の配慮があったということで理由付けさせて頂きました。



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キスノート

まだ復活じゃないけど、書きかけだったので仕上げました。番外編ではあれ、『AA』『緋弾のアリアちゃん』の要素、設定が登場するので、先に前置きさせて頂きます。


「ええと……ご注文の品はこれかしら。高貴な私ーー商売は苦手だけどお前の戯画は好きだから協力するわ」

 

 『HOTEL―POROTOKYO』の109号室。今となっては見慣れたその部屋で今夜もまた怪しげな取引が行われていた。血のような赤いマニキュアをした指で受け取った紙幣を数えているのは、黒のゴシックドレスを着たルーマニア育ちの金髪吸血鬼。今ではすっかり師団とずぶずぶの関係にあるヒルダ・ツェペリシュ。

 

「18金の極上品だわ、いい商品と知り合いね」

 

 そしてもう一人は、すっかり黒のセーラー服が普段着と化している夾竹桃。取引相手に吸血鬼がいたとは初耳だ。元々、イ・ウーで共に学んでいた旧友同士たまたま場に居合わせた俺は、吸血鬼と人間の奇妙な取引を好奇心半分でソファーから眺めることにした。さすがは高級ホテルのソファー、我が家のとは大違い。

 

 心中複雑気持ちになりながら夾竹桃に目を向ける。その指では『K18』の文字が刻まれた金のペン先が光を反射していた。昔、ベッキー……古い友人が言ってたが万年筆なんかはインクによるペン先の腐食を防ぐために金が使用されることが多い。その為ペン先だけでも金製品として価値がある。小箱の中と合わせてペン先は8本、どうりでヒルダが長々と札を数えてるわけだ。キンジが買える代物じゃないな。

 

「21金じゃなかったかしら?」

 

 ふと、札束を数え終えたヒルダは自分の顎に指先を当て、不思議そうに目を丸めている。

 

「……デッドストックを売ってくれたのはルーマニアで古物商を営む魔女でね。いつかお前には話したかしら、願いを叶える魔法の大家よ」

 

 願いを叶える魔法の大家ーーどこかで聞いたと思ったら、ブラドと戦う前にジャンヌから聞いた名前だ。ヒルダは願いを叶える魔法の大家との大きな取引で一時的に日本を離れたんだったな。脳裏の隅に置かれた記憶を引き出していると、取引成立で機嫌の良さそうなヒルダは室内も関係なしに広げていた傘をくるりと回し、

 

「日本のお守りにもあるでしょ、『合格祈願』とか。その強力版」

 

「それってバビロンのコインみたいな?」

 

「あれは特に強力ね。願いをねじ曲げて返す呪われたコイン。お前が処分して現物は残ってないって聞いてるけど」

 

「みんな俺の過去に詳しいね」

 

 気分良く語ってくれたヒルダに、俺は苦笑いで答える。彼女が運び込んだバッグには、他にもノートやペンなど一見筆記用具に見える代物が並んでいる。椅子から立ち上がった夾竹桃は腕を組ながら、開かれたバッグを見下ろして、

 

「ねぇ、私はペン先しか頼んでないけど。これは何?」

 

「彼女が他にも何か買わないかって」

 

「ふーん、このノートは?」

 

 そう言うと、夾竹桃はバッグから一冊のノートを手に取る。見た目は何の仕掛けもなさそうなノートだな。

 

「えっと……それはーー」

 

「ヒルダ、そこに説明書がある。cum se folosescって」

 

「あら、お前こっちの言葉が分かるの?」

 

「ちょっとだけな。ラテン語やエノク語以外も勉強したんだよ」

 

 少しだけ感心したような眼で俺を見てから、ヒルダは商品の説明書に目を落とす。デッドストックーーつまり、売れ残り品か。

 

「あったわ。それは『キスノート』」

 

「キスノート?」

 

 聞き返した俺に、ヒルダは続きを読み上げていく。

 

「『そのノートに人名を二つ書けば二人がキスする』とあるわ」

 

「「はぁ?」」

 

「息、合ってるわね」

 

 夾竹桃と声が重なったのは偶然だが、呆れるのは至って普通の反応だろう。言われてみると、ノートの表紙にはハートマークと共に『kiss note』とある。名前を書かれた人間が問答無用に心臓麻痺になるデスノートに比べたら、随分とお可愛いものだが……

 

「ようするにケルビムの真似ができるノートってことか?」

 

「ケルビム……ああ、キューピッドね。そんなところよ、『信じるかどうかはあなた次第』」

 

 金色の鮮やかな瞳でヒルダはウィンクしてくる。書いた二人がキスするねぇ。女同士の恋愛を眺めることが趣味の夾竹桃なら興味を持ちそうなもんだが、そこは商売が苦手と自虐する紫電の魔女。

 

「今なら20万円でいいわ。私の手数料コミよ」

 

「バカバカしい。ほんと、あなたの話はマンガのネタになるわ。雪平の体験談といい勝負よ」

 

 ……ふっかけたなぁ、涼しい顔して。キンジなら呆気に取られてるだろうさ。いや、それだけ価値のあるまじないなのかもしれないが普通の人間は通販でまじないを買ったことなどなく、それは夾竹桃も同じ。案の定、彼女はノートを鞄に戻してかぶりを振った。

 

「しかし、お前もまた変な物を買い取ったな」

 

「欲しいなら、お前とも取引してあげてもいいわよ?」

 

「気持ちは嬉しいが取引ってやつには嫌な経験しかないんだよ。うまい話には乗るなって言うが乗ってみるとやっぱりロクなことにならない」

 

「お前が言うと説得力が違うわね……」

 

「吸血鬼に同情される日が来るとはな。長生きしてみるもんだ」

 

 こんなに話をした吸血鬼はベニーやアルファ以来だ。吸血鬼と夜中に雑談、日本でも立派に非日常ライフをやってるよ。

 

「お前も天界や悪魔から奪った遺物を持ってるのでしょう? 物によっては私が買い手になってあげてもいいけど?」

 

「安心しろ、お前は今でも手がつけられない化物だよ。オカルトグッズなんて必要ない」

 

 俺はかぶりを振って、即断してやる。今ですら超能力を持った怪物って反則気味のハイブリッドなのに、そこに天界や地獄の倫理観ガン無視の武器が加わったら手がつけられないどころの話じゃない。人間は武器を持って初めて獣と対等、なのに獣が武器を持つなんてとんでもない話だ。

 

「それに、かなめと空港でやりあったときに使いきりの武器を幾つか使ちまった。お前が欲しがる物はたぶん残ってない。あるとしたら、幸運を呼んでくるウサギの足?」

 

「無礼者。私にそんな汚らわしいものを……日光の浴びすぎで頭がやられたようね」

 

「その男は幼稚園を卒業する前から礼儀知らずだから。すぐに慣れるわ」

 

 ああ、冷たい返事が来るのは予想してましたよ。信頼ってのは大きな言葉だ、良い関係を築くなら正直が一番。俺も慣れたよ、お前の罵詈雑言に。

 

「今でも十分強いって誉めてやったんだ。普通は喜ぶところだろ?」

 

「分かった。つまり、あなたは変化してる」

 

「なんだよ変化って」

 

「やわに変化してる」

 

「はい、やわね。ウケたよ」

 

「相手の実力を認めて、握手しようとしてる。やっと人間になった?」

 

 バカかお前は、俺は元から人間だよ。的をガン無視した夾竹桃の発言はさておき、取引が一段落したヒルダは思い出すように時計を仰いで、欠伸をする。壁に架けられた時計はもう少しで4時になるところだった。

 

「……泊まっていくわ。もうじき夜明けだし」

 

「そうなさい、睡眠不足は体に毒よ」

 

 アイマスクまで準備して完全に就寝ムードのヒルダと、それを肯定した部屋主は早速新しいペンの書き心地を試すつもりで作業机に向かった。机の上のランタンスタンドの光を灯し、夾竹桃はすっかり作業モード。こんな夜更けから部屋に帰るのもだしなぁ。ちくしょうめ、ヒルダの欠伸に誘われたのか急に睡魔が来やがった……

 

「悪い、ソファー借りても?」

 

「どうぞ、朝まで貸してあげるわ」

 

「恩に着る。七時になったら起こしてくれ、朝マック行こう。奢るよ」

 

 欠伸をこらえ切れず、そのままソファーに倒れ込む。

 

「おやすみなさい、雪平」

 

「ああ、おやすみ」

 

 ソファーに顔を埋めながら、俺は手だけを挙げて返事をする。会話は切れ、静寂になった部屋で意識はすぐに沈んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 キスノートーー半信半疑の私だったがそれを手にすると、気分が高揚するのを感じていた。

 

「おっ、ツイてるぜ。Force of Willか、いいカードだ」

 

 涼しげな風が肌を撫で、そんな高揚感に包まれながら外を歩いていたときーー偶然にもカフェテラスに見知った二人の顔を見つける。間宮あかりと佐々木志乃の二人。このタイミング、とても偶然とは思えない。

 

「よしっ!今度はChaliceを引いたぜ!」

 

 隣の切札一族は無視。近くの木陰に隠れ、私は高揚感と少しの好奇心でノートを開いた。あの二人……試してみよう。

 

「間宮あかり、佐々木志乃っと……」

 

「なに、書いてんだ?」

 

「カレーパンを食べるか、喋るかのどちらかにして。できることなら黙って」

 

 路上でカレーパンを咥える雪平を黙らせ、私は木陰から二人の様子を注視する。映画館でうるさい客の隣の席を取ってしまった気分だが、カレーパンを食べさせておけば黙るのだから妥協しましょう。すこしポップコーンの咀嚼音がうるさいだけならグレーゾーン。

 

『志乃ちゃん』

 

『はい?』

 

 小首を傾げた佐々木志乃に、間宮あかりはフロートに乗っていたサクランボを口に含んだ。そしてもごもごと少し口を動かしてから、舌と一緒に結ばれた茎を差し出して見せる。

 

『まあお上手!』

 

 器用に舌だけで結ばれたサクランボの茎に拍手が飛ぶ。

 

『あたしこれ特技なんだー』

 

「へぇ、デートかよ」

 

「おとなしくカレーパンでも食べてなさい。大事なところよ」

 

 雪平の茶々入れは今に始まったことじゃないし、私の興味は現在進行形でカフェテラスにいる間宮あかりと佐々木志乃。やがて拍手を止めた彼女は少し言い淀みながら、

  

『あかりさん、ご存じですか?それができる人は……その……キッスが上手いとか』

 

「雪平」

 

「カレーパン食べときます」

 

 今度こそ、軽口が飛ぶ前に隣のハンターを黙らせる。

 

『ふーん』

 

 身長差から見上げるように上目を使いながら、間宮あかりは左手を彼女の肩に置きーー

 

「ーー!」

 

「やっぱりデートかよ」

 

 キスーーそれも唇が離れたときには銀色の糸まで橋を作っている。つまり、さっきのはマンガでもあるような深いタイプのキス……

 

『どう上手い?』

 

『あかりちゃん……大願成就!』

 

 感極まって抱き付いている佐々木志乃はまさに夢見心地と言った様子ね。私はその手にあるノートに目を細める。

 

「本物なのかしら。ううん、元々あの二人は熱い友情で結ばれていたし、さっきのは偶然起きた遊びの延長かも……」

 

「というか、サクランボの茎とキスの上手さに相関性なんてないだろ。本当に大事なのはどういう感じで来てほしいか、ちゃんとサインを出してそれにちゃんと答えるみたいな?」

 

 一瞬で思考が台無しにされるけど、腕組みしてぼやく雪平に私は今朝読んだマンガのことを思い出した。男はテクニックを気にする生き物である、と。でも私は学んでる、ここで好奇心に負けて『経験でもあるの?』などと聞いた日には『ジョーとの別れ際に一度だけな……』なんて重たい回答が返ってくるに決まってる。ここは流すのが懸命、話題をさりげなく変えましょう。

 

「分かってる、こねくり回すだけがテクニックじゃないって言いたいんでしょう?」

 

「そういうこと。それと、そのノートだけど気になったんでスコットランド魔女に今朝メールして聞いてみた」

 

「ほんと?」

 

「ああ。ヒルダの取引相手、ロウィーナが言うにはかなりの名家で魔女の界隈では有名だって。ノートの話も彼女が言うなら効力は本物だろうってさ」

 

 思っていた以上に説得力のある理由に苦笑いを寸前でこらえる。ウィンチェスターの奇妙なコネクションは相変わらずだった。上、下、魔女、怪物問わず奇妙なコネには尽きないわね。藪を突いて何が出るか分かったものじゃない、既に一度体験済みだけど。

 

 後日、生徒が帰宅した夜の校舎で私は再びノートを手に取った。例の尋問科の講師によるカウンセリングの後ということで、ウィンチェスターの末子も当たり前のように隣にいる。この手のオカルトグッズについては私より知識があるし、むしろいてくれるのは歓迎。カフェテラスの二人には遊びの延長の可能性があった。でも、それならーー

 

「次は少しハードルの高そうな……こんなカップリングでどうかしら?」

 

 たしかな確信を得るべく、高千穂麗と乾桜の名前を私はノートに書き込んだ。すると、隣で携帯を弄っていた雪平が不思議そうな目でノートを覗きんでくる。

 

「これがハードルの高いカップリング?」

 

「あなたとリリスくらいには」

 

「……そりゃ高いな。マウナ・ケアより高い」

 

「ダイヤモンドヘッドかも」

 

 いつも通り、ハワイ式でたとえる雪平がかぶりを振る。流石に言いすぎたかしら、リリスと言えば彼を地獄に送った張本人だし。

 

「なあ、ディスティエルとどっちが高いかな。ハードル」

 

「……雪平、あなた」

 

「違う。狩りの一環で女子高生のミュージカルを見学したことがあって、そのときに監督兼主演から聞いたんだよ。スパナチュを題材にした世にも奇妙なミュージカルさ」

 

「それっていつの話?」

 

「アマラおばさんと会うちょっと前の話。でも歌は良かった。けど、ディスティエルって……ディーンスティエルとかキャスディーンの方が語呂が良くないか?」

 

 ……恐れを知らない男ね。身内を堂々とネタにしてるわ。試しに雷を落としてみましょう。

 

「じゃあ、あなたの場合は……キリリリス?」

 

「ハハ……新種のキリギリスかそれ?」

 

 これ以上ない苦笑いだった。自分で振った話題で自爆してどうするのよ。

 

「けど、リリスなんてのはドラクエで言えば三面のボスがいいところだ。あのときは猟犬に腹を抉られたが、今ならアバドンみたいに悪魔封じの弾を眉間に打ち込んでそれで終わり、土台相手にならねえよ」

 

「そんなこと言ってると、本当に再戦することになるかもしれないわよ?」

 

「リリスは虚無の世界にいるんだ、それこそ天地がひっくり返りでもしなきゃ地上には湧いて来ねえよ。再戦なんてありえない。競馬場にユニコーンがいるくらいありえない」

 

 手を横に振って否定する雪平に、肩をすくめていると……

 

「?」

 

 物音がして、私は教壇に隠れるように身を屈める。

 

「どうした?」

 

「いいから。あなたも隠れて」

 

「お、おい……ッ!」

 

 有無を言わさず、携帯を弄っていた雪平の腕を引いて教壇の方に引きずり込む。刹那、教室のドアが開かれる。

 

「……ここなら……」

 

「……ちょっと……」

 

 この声、私がノートに書いた二人……

 

「ダイヤモンドヘッドを越えてきた?」

 

「分からない、見学してみましょう」

 

「出れる空気でもなさそうだしな、そうしましょう。もうちょいそっち寄れ。バレたら怖い」

 

「ピエロ以外であなたに怖いものなんてあるの?」

 

「あるよ。女の恨みと遠山キンジ」

 

 ……皮肉が効いてるわね。呆れている間に、高千穂麗と乾桜のカップリングでもカフェテラスのときと同じことが起きた。これでノートの効果は疑いようがない。赤毛の魔女が指摘した通り、このノートは本物。これがあれば私は友情世界の女神になれるーー

 

 でも……何かしら。この後ろめたい気持ちは……遊び、弄ばれて、奪い、流されて、キス……深夜の海岸沿いを歩きながら、頭のなかで肯定と否定の二つの意見がぶつかり合う。夜の冷たい風が凪ぐ度に、後ろめたい気持ちとそれを肯定する気持ちが衝突する。

 

「シカゴじゃ氷点下のことは春って言うが、俺は寒いのはどうにも苦手だ。学校から800mくらい歩いたか?」

 

「2クリック」

 

「クリック?」

 

「そう、1キロのこと。2クリックだから2キロ」

 

「ありがとうミリタリーオタク。クリックくらい俺も知ってる。いつまでこんな寒空の下を歩くんだって言いたかったんだよ」

 

「明らかにそれはどうでもいい。いつもあなたの皮肉に付き合ってる。たまには黄昏る時間をよこしなさい」

 

「明らかに? じゃあ俺にも明らかなこと言わせて、一人で黄昏るより悩みをぶちまけた方が人間楽になるの。こうして寒空の散歩に付き合ってるんだし、黄昏るなら理由くらい吐いてもいいんじゃねえの?」

 

 制服のポケットに手を突っ込んだままで、長々とした言葉が返ってくる。これは吐くまで聞いてくるパターン、お手上げとばかりにかぶりを振った。

 

「私たちが見てきたのは遊び、弄ばれて、奪い、流されてのキス……」

 

「そうだな」

 

「そうよ。アリかナシかで言えば……アリよ、アリよ、トンカットアリよ!」

 

「なんだよトンカットアリって……おい、落ち着けって!人気がないからってこんなところで頭抱えて右往左往するんじゃない!」

 

「はぁ……だけど、それは間違いのキス……雪平、女神は間違ってはいけないのよ」

 

「……急に冷静になりやがった。忙しい女だな」

 

 目を伏せた私に呆れた声が飛んでくる。

 

「言っとくが女神は間違いだらけ。ヴェリタスって真実の女神と会ったことがあるが、ヒルダや玉藻と違って話のできない食い意地が張ってるだけのケダモノだったよ」

 

「ちょっと待って。天使だけじゃなくて女神にまで恨みを買ったの……?」

 

 的外れな返しなのに、あまりに内容が濃すぎて違う意味で呆れてしまった。壮大に話の腰が折られたが今ので愚痴に火がついたらしい。雪平の皮肉を吐いたその口はまだ開いたままだった。

 

「ヴェリタスは真実を教える見返りに、呼び出した人間を自殺にまで追い込んで生贄を頂く。大好物は人間の舌、ほんと優しい女神だよ。運命の三女神の一番下にも会ったが、あれはあれで仕事と結婚してるみたいなヒステリー女だった」

 

「それってギリシャ神話に出てくるモイライ姉妹のことかしら?」

 

「そう、それだ。アトロポスって眼鏡をかけたブロンドのOLみたいな女神。出会ったばかりのときのルビーに少し似てる」

 

 モイライはギリシャ神話における、運命を司る三人の女神たちの総称。クロートー・ラケシス・アトロポスの三柱。雪平の話に出てきたアトロポスは一番下の三女。あくまで架空の生き物、でもこの男が語ると空想の存在じゃなくなる。ここまでくると、逆に何と戦っていないのかが気になってくる。私は嘆息しながら横目で雪平を見た。

 

「顔が広いわね、ギリシャにもローマにも北欧にも知り合いがいるなんて」

 

「大半は嬉しくない知り合いだ。特に北欧神話なんてもんはそれ自体が怪しい。元は怪物だったのに神を気取ってる。それで、話の腰を折って悪かったがお前は何が言いたかったんだ?」

 

「このノートは毒にも薬にもなる、正しく使わないとってことよ」

 

「道具は使い手次第か、それは同感」

 

「ええ、させるべきはするべき二人。でもその勇気が出せない二人……」

 

 そう、これが最後。そのつもりで私は浜辺に見える火野ライカと島麒麟の名前をノートに書き込んだ。それに、雪平は浜辺を見ながら言った。

 

「あれが散歩の理由か。かなめのときにも思ったが随分とあの二人を気に入ってるんだな?」

 

「私は横から眺めるのが好き。あなたが怪物や悪霊を狩って人を救うように、私は女子同士の友情を愛でるのが生き甲斐だから」

 

「過保護なこって」

 

「かもしれないわね。でも、何もせずに花を枯らすよりはマシ」

 

「それは100%言えてる」

 

 これが最後、私は横から眺めるのが好き。やがて人気のない浜辺で二人の顔は近づき、その距離はゼロとなって唇が重なる。

 

「言うのが遅れたけど」

 

「なんだ?」

 

「空港の件は礼を言っておくわ。過程はどうあれ、結果的にはいい方向に動いた。ありがとう」

 

 あの一件以来、あの子も間宮あかりと友情を結べた。過程は無茶苦茶であれ、結果としては悪くない結末。だからこそ、素直なお礼を口にしたつもりーーなのだけど。なぜかバリバリと汚い咀嚼音が隣から聞こえてくる。

 

「……ねえ、あなた本気?」

 

「腹減った」

 

「私も減ってる。そのビスケットどこで?」

 

 信じられないことに、このタイミングで雪平はビスケットの袋を腕に抱えていた。呆れる私の視線はどこ吹く風、其の癖視線だけは律儀に浜辺の二人から動いていない。

 

「かなめ用だ。うちの戦妹はな、不機嫌になるとマジ扱いずらいの。会うときはキャラメルが必須なんだ。ぐずりまくる、奴は。これは最終兵器のキャラメルビスケット」

 

「買ったの?」

 

「毎回毎回、塩キャラメルばっかくれてやるのも芸がないし」

 

「仲のよろしいことね。私にも頂戴」

 

「ほい」

 

「ありがとう」

 

 こうして私は、キス世界の女神となった。

 

 

 

 

 

 

 

「ーーという、マンガを描いてみたのよ。描き心地のいいペンだったわ」

 

「ズルいわ、結局買わなかったノートをネタに作品を作るなんて」

 

「俺、カレーパンとビスケット食ってるだけじゃん……」

 

 まだネグリジェでベッドに入ったままのヒルダが不満を愚痴り、俺も苦笑いで感想を漏らした。ヒルダの手にあるマンガは相変わらず達者な画力で、俺たちが寝ていたあの短時間でこれだけのものを仕上げるのはさすが夾竹桃先生。芸術好きのヒルダが気に入るのも納得だ。

 

「ねえ、切札一族って?」

 

「総理大臣も出してる代々遊び人の家系」

 

「……それって矛盾してない?」

 

「気にしたら負け」

 

 でもこのマンガ、まるで俺がメインキャストの扱いだ。これはちょっと嬉しい。っていうか、かなり嬉しい。椅子に座って煙管を吹かしていた夾竹桃の上で、すっかりお馴染みになった蝶が舞っている。

 

「ネタを貰ったお礼にそのコピーをあげるわ」

 

「!」

 

 良かったな、ヒルダ。珍しく純粋な笑顔を浮かべた吸血鬼に、俺もうっすらと笑ってやる。

 

「雪平、あなたのはそっちにあるから」

 

「えっ、俺にもくれるの?」

 

「皮肉屋を描くのは楽しかったわ」

 

 虚を突かれて、変な声が出たものの軽く咳払いする。やばい、俺もヒルダと同じでお前のファンなったかも。本土に帰ったらサムとディーンに自慢してやろうっと。

 

「……じゃ、私はシャワーを浴びて寝るわ。出かけるのは私が起きてからにしましょう」

 

「私も帰るわ」

 

 いつの間にかゴシックドレスを着ていたヒルダがいつもみたくゾゾゾゾ……と影に沈んでいく。

 

「次回作には私も出しなさいよね」

 

 そう言いながらバッグと一緒に沈んでいくヒルダに向けて、夾竹桃はシャワールームのドアの前から肩越しに振り返った。

 

「あなたも好きねえ」

 

 うっすらとした笑みでーー取引ってやつには苦い記憶しかなかったが今夜の時間は悪くなかったな。さて、俺もまたソファーで仮眠しよう。

 

「夾竹桃」

 

「んーー?」

 

 ソファーにダイブすると、ドア越しに声だけが聞こえてくる。

 

「今日はインパラの運転、譲ってやるよ。音楽の決定権も譲る」

 

「あら、どういう風の吹き回し?」

 

「寝心地のいいソファーを貸してくれたお礼。先に寝るよ、おやすみ」

 

 シャワーの音が聞こえてきて、俺も寝心地のいいソファーで二度寝の体勢に入った。が、すぐにゾゾゾゾ……と奇妙な音が聞こえてくる。俺はうっすらと瞼を持ち上げた。

 

「ヒルダ、忘れ物か?」

 

「高貴な私、商売は苦手……」

 

 アンニュイな溜め息と一緒に、床の影からヒルダが這い出てくる。何かをしくじったように額に右手を当てている。

 

「どうした?」

 

「これよ、こっちが注文されたペン先」

 

 ヒルダの手には『21K』と書かれた小箱。そういや、最初に18金って聞いたときに首を捻ってたな。

 

「じゃあ、夾竹桃に渡したのは?」

 

「『キスペン』よ……これで書いたキスの絵が本当になるペン。値段は10000LEI」

 

「今のレートだと日本円で30万くらいだな」

 

「ええ、赤字だわ……」

 

 慣れないことするからだ。だが、さっきのマンガがヒルダが間違えて売ったキスペンで描かれてるなら……いや、『信じるか信じないかはあなた次第』ってやつか。俺は寝転んだまま首を横に振った、考えたら負けだな。

 

「んで、返却してもらいに来たのか?」

 

「一度成立した取引よ。自分の不手際を理由に歪めるなんて無様な真似はしないわ」

 

「そういうところはジャンヌに似てるよ。じゃあ、なんで後戻り?」

 

 体を起こすと、ヒルダは軽く咳払いをして。

 

「後払い、20万でどうかしら?」

 

 ……は?

 

「待て、この21金のペン先を買わないかってことか?」

 

「無論、現金が望ましいけど今回は後払いでかまわないわ」

 

「悪いが俺が持ってても宝の持ち腐れだ。ジャンヌあたりに聞いてくれ、俺よりも有効活用してくれるよ」

 

 本土にいる兄貴たちにはチャーリーから貰った『無限に使える魔法のカード』があるが、現在進行形で武偵の俺はそんな危なかしい物を使うわけにはいかず、財源も無尽蔵ってわけじゃない。折角の良品も使われずに埃を被るよりは、相応しい持ち主に使われた方が幸せってものだ。

 

 というわけで、商売下手なヒルダには悪いが首を横に振る。これを教訓にこれから頑張りな。

 

「察しの悪い男ね。夾竹桃にプレゼントしなさい、って言ってるのよ」

 

「……プレゼント?」

 

 一瞬、意味が分からなかったがすぐに二度寝間際だった頭が追い付いてくる。

 

「俺があいつに25万円のプレゼント?」

 

「ええ、高貴な私。お前に花を持たせてあげようと思ってね」

 

「25万円で?」

 

「25万円よ、私の手数料コミで」

 

 堂々と言い放たれ、俺は自分のコメカミを指で叩いた。プレゼントーーそう言われると、ジョーとの話を聞いて貰ってギターをプレゼントしてもらった恩は……ある。色々と世話になってることも否めない。頼りにしている部分もかなりある。

 

「前言撤回、お前は商売上手だ」

 

「お前は煮え切らない男ね?」

 

「踊らされた感じがして癪なんだよ。仮にも最近まではお互い敵同士だった。すっかり牙が抜けたよなお前って」

 

「またルシファーを背中に背負ってこられても困るのよ。お前は蜂の巣、無闇に突いたらどうなるか分かったものじゃないわ」

 

 つまらなさそうにヒルダは吐き捨てる。悪趣味なテーマパークを抜け出すのにグレた天使の力が必要だったんだよ。力はお墨付きだったし。そのことで賢人のアジトではそれはそれは罵詈雑言の嵐だった。いや、そのことは隅に置いといて。

 

 ……思い返すと、理子やジャンヌとたこ焼きパーティーしたときに18金のペン先のことも言ってたな。修学旅行Ⅰの土産を渡したときに。あのときは安いインスタントコーヒーだったけど。

 

「でも18金の新しいのがあるだろ。ペン先ってそんなにいっぱい欲しいもんなのか?」

 

「覚えておきなさい。女は自分を喜ばせようとするその気持ちが嬉しいのよ」

 

 ……箱入り娘とは思えない発言だな。悔しいことに納得しちまった。まあ、あのギターは20万どころの代物じゃないしなぁ。ヒルダもヒルダで近頃は師団とも友好的にやってるし……

 

「分かったよ、後払いで25だ。そのプレゼント、俺が買わせて頂きます」

 

「Fii Bucurosーー上手くやりなさいな、ガブリエルの入れ物さん」

 

 ジャンヌの言う通りだったな。紫電の魔女は頭がキレる。テーブルに小箱を置いて、上機嫌のヒルダはそのまま影に沈んでいった。上手いも下手もないって……

 

「誕生日に指輪をプレゼントするわけじゃないんだからさ」

 

 独りでに呟いて、俺は今度こそ部屋のソファーに沈んだ。帰ったら、これと同じソファー買いに行くか。出来れば防弾製のやつ。

 

 

 

 




毎回楽しみなカバーガール、今回は眷属のあの子が表紙を飾りましたね。ジャンヌや白雪の歌唱力はアライブで連載されていた四コマでの描写を参考にさせてもらいました。少し早いですが、今年も尖りに尖ったこの作品に評価、感想、ありがとうございました。


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we got work to do

お気に入りが1000を突破しました。1つの目標がまた叶いました。ありがとうございます。


「ボビーは溜め込み男で物置を整理したとき、ぎゅうぎゅう詰めでドアを開けられなかった。保安官と頭を抱えたのを今でも覚えてる。箱は20ちょっと、生き物が入ってるのが3箱はあった」

 

 インパラのトランクを開けて、いつものように左側の仕切りにショットガンを立て、二重底の底蓋を支える。四つに仕切られた空間には、狩りに使えそうな武器と道具が手当たり次第に詰め込まれている。ガレージに招いた夾竹桃が、切らしていた照明弾を底蓋のバンドに差し込んだ。

 

「自分は整理整頓が上手って?」

 

「まさか、人並みだよ人並み。出来る限りの備えはしたいと思ってるが」

 

 俺も母さん御用達のエノク語が刻まれた金色のナックルダスターを底蓋に収納する。喧嘩の小道具みたいなこの武器で母さんは、慢心するルシファーを一時的に後退させることに成功し、ヤツの背後で開いていた異世界の裂け目に自分ごと道連れにしたらしい。ディーンがいつも無茶苦茶なことをやる理由が分かった気がする。

 

「いつだって、どんな備えをしても予想外の方向に傾く可能性は出てくる。望んでない方向に傾いて、最悪の結果を生むような可能性はできる限り潰したい。グーファダスト、塩、魔除け用のカラースプレー……また補充しないとな」

 

 トランクの中を探り、切らしている道具のリストを携帯のメモに記していく。不意に、夾竹桃が目線を落として仕切りの一角を視線で示す。

 

「なにこれ? 矢?」

 

 一際異様な気配を放っているその矢は残念ながら補充が効かない代物だ。望んで手に入れたわけでなく、たまたま手に入れることのできた偶然の産物。水平二連式のショットガンのチェックをする傍ら、素直に出所を吐いてやった。

 

「アルテミスの使った矢。誰も拾わないから、そのまま拝借した」

 

「呆れた。貴方のとくせいはものひろい?」

 

「不法投棄したのは彼女。アルテミスの武器は不死の者を殺せるらしい、持っておけばいつか役に立つかと。9条を考えるとアウトだがーー備えあれば嬉しいな」

 

 理子が香港でオイル缶を道路にばら蒔いたときの言葉を最後に付け足してやる。夾竹桃は腕を組み、その呪縛されそうな瞳で疑いの眼差しを向けてきた。

 

「雪平。私、貴方が弓を構えてるところなんて見たことないけど、そもそも使えるの?」

 

「大丈夫、10歳のときにアーチェリーのキャンプに行った、2年連続で。自転車と一緒できっと思い出す」

 

「犯人の足を狙ったら、頭に飛びそうね」

 

「……暇なときに練習しとく」

 

 聞けば、かつてのイ・ウーには凄腕の弓兵がいたらしい。その子は主戦派で、あのロビン・フッドの末裔とされるそうだ。さらっと、とんでもないことを聞かせてくれたな。それが本当なら敵の一角として、ジャンヌやキンジと交戦する機会もあるかもしれない。

 

 主戦派にはこちらも至って有名なあのクレオパトラの子孫も在籍してる。クレオパトラvsジャンヌvsロビン・フッド……お伽噺に出てくる英雄たちのドリームマッチだな。極東戦役にはホームズやブラド公、卑弥呼や源義経まで絡んでる。キンジの周りは有名人ばっかりだな。

 

「悪いな、休みの日なのに。手伝ってくれて」

 

「退屈だったし、構わないわ。私にとってもこの子は大切な子。超能力者用の手錠は?」

 

「それも必要だな。さっきの話、保安官とボビーの物置を整理したときは開けてもいないブルーラベルのウィスキーが出てきてさ。あの飲んだくれが珍しいなと思ったら、『R』よりって書いたメモが貼り付いてた」

 

 夾竹桃は表情を変えず、少しだけ口を閉ざしたあとに、

 

「ーールーファス?」

 

「ああ、『偏屈男へーー今回はお前の勝ちだ。飲んでいいぞ』って偏屈なコメントが書かれてた」

 

 安息王子の名前を当てた夾竹桃に、小さく頷ながら答える。ルーファスは育ての親と呼べるボビー・シンガーのかつてのパートナー。ほぼ引退間際のところを、俺たちのドタバタに巻き込まれる形で前線に復帰。初対面だろうが一般人だろうが関係なく放たれるその歯に衣着せぬ物言いは、こっちを何度も苦笑いさせてくれた、色んな意味で裏表のない愉快な男だった。

 

「どんな勝負をしたのかしら」

 

「さあな。二人ともそのときにはもう……聞くこともできなかった。何にしてもルーファスは負け惜しみが強いよ」

 

 傷んだ聖書を仕切りの中に投げ入れ、小さくかぶりを振る。ボビーとルーファスが死んで、ハンター式の葬儀も済ませてしまって、なのに二人のことを思い出させるような物を次から次に見つけてしまう。

 

「ーー不思議なもんだよな。ハンターの人生ってパズルみたいだ。残された者は彼らの人生の破片を見つける」

 

「そのウィスキーはミルズ保安官が?」

 

「ああ、供養になればって」

 

「なったわよ。きっと良い供養に」

 

「だといいが」

 

 背中を向けて、夾竹桃はトランクの中に視線を下げる。すっかり記憶に焼き付いてしまった背中を見て、不思議な気分になった。まだ一年にも満たないのに、ずっと昔から一緒にいたような気分だ。それだけ、俺にとってこの2008年って年は無茶苦茶だった。正確には目の前の女と神崎がやってきてから、かろうじて踏ん張っていた日常という防波堤が決壊した。

 

「ねえ、聞いてもいい?」

 

 そんな妙な感傷を見透かされたように声がかかる。妙に畏まった声色、律儀な態度は今さらにも程があるだろう。どうせ答えるまで、聞いてくるんだからな。

 

「なんだ?」

 

 何の捻りもなく、聞き返した。

 

「どこまでが本気だったの、あの言葉。夏休みが始まる前に言ったわよねーー俺にもリサみたいな女がいたら、それは私のことだって」

 

 それはいつになく強気な声で、まるで否定してみろと挑発するように、綺麗な口元がうっすらと笑みを作っていく。だが、すぐにその挑発的な表情は崩れて、真剣な顔つきに変わってしまう。仮面は剥がれてしまう。知ってる、クールな女に見えて、強気に見えて、本当は誠実な女だってことはーー苛立つくらいに知ってる。

 

「そのまんまの意味だよ。俺にもリサやアイリーンみたいなーーあの二人みたいな存在がいたらって考えたら、お前のことが浮かんだだけ。本当にそれだけ」

 

 ああ、本当にそれだけ。

 

「答えになったか?」

 

「ええ、この上なく」

 

「なら良かった。本当にそれだけ」

 

 静寂が一瞬だけ、そして、

 

「それなら、私からもこれだけ。私は忘れてあげないわよ。リサみたいに貴方のことは忘れてあげない」

 

 ふいうちの真っ直ぐな視線に喉が詰まる。リサはもう俺たちのことは何も覚えてない。彼女にとってのディーンとの思い出は、良い思い出もそうでない思い出も全部消え去った。俺たちとの接点は消え、平穏な生活を今でも送ってる。もう関わることもないし、関わっちゃいけない。彼女が息子と普通の暮らしを送ること、それがディーンの望んだ最後の願いだから。

 

「安心しろ、俺はディーンみたいに強くない。お前に忘れられたら、二週間は部屋に閉じ籠る」

 

 俺はディーンみたいには強がれない。涙を飲んでまた元の生活に戻るなんてできない。

 

「二週間……微妙なところね。期末テストが終わるまで活動禁止の部活動みたい」

 

「それなら1ヶ月」

 

「すごい、胸がじーんとしてきちゃった」

 

「その人を嘲笑うような返事、クレアがアレックスによくやってた。お前ら、生き別れの双子みたいだから納得。人が真面目な話をしてるのに空気を切り裂くところなんてそっくりだ」

 

 ……多少は真面目だった空気は一転、怪しい雲行きになる。沁々とした空気だったと俺は思ったんだが……クレア、クレアか。思わぬタイミングで口に出してしまったウェイワード・シスターズの一人が、最後のだめ押しに頭の片隅に押し込んでいた不満の導火線に火をつける。

 

「そう、クレアもクレアだ。久々にメールが来たと思ったら、アプリで買った服がなんやらこうやら。近頃じゃ何にでもアプリだ、昔はなにか買いたかったらちゃんと服をきて出掛けなきゃならなかった。車に乗って店に乗っていき、人間と話してな」

 

「私は人と関わらなきゃそれに越したことはないわ。だから使うわよ、アプリも」

 

「人と人との関わりこそ人生の目的、そうしなきゃ生きてる意味はない」

 

「貴方いつから人好きになったの?」

 

 片眉を小さく上げて、ルーファスに負けず劣らずのキラーパスが飛んでくる。しかし、俺もキラーパスをトラップするのには慣れてる。

 

「だって、そうだろ。最後に頼れるのは人と人との繋がりだ。それを蔑ろにしたら、いつかしっぺ返しがやって来る」

 

「破滅主義者ね」

 

「破滅主義者? 日めくりの今日の言葉ってところにでも乗ってたか?」

 

「ええ、最悪の事態ばっか考えるやつ」

 

「意味は分かるが俺は違う。起きるかもしれない事態に備えるってだけ。一日一個のリンゴは医者要らずって言うなら、一個欲しいよ。お前にプレゼントする」

 

 一瞬、会話が途切れる。そして、下手すれば中学生に見えそうな顔が目を細めて、

 

「バカにしたわね?」

 

「まさか。俺は教務科公認のお前のお目付き役兼精神的なヘルパーだぞ。そんなことしない」

 

「あら、素敵な肩書きだこと。それなら、私がいま何を考えてるかも分かる?」

 

「楽勝だな。どっちの向こう脛を蹴ろうか悩んでる」

 

「……やるわね」

 

 称賛はいいから蹴るのはなしで。キンジと神崎みたいに肉体言語で語り合うのはごめんだ。俺はあんなに頑丈じゃない。拳をぶつける愛情表現は勘弁。

 

「悪い、ちょっとバカにした。自首したから減刑してくれ」

 

「お可愛いこと。けど、三振法よ」

 

「ウケたよ、でもここは日本だ」

 

 額を抑え、溜め息を置く。

 

「……真面目な話、お前には感謝してる。ジョーのことや家族のこと、ハンターのこと、色々聞いてくれて感謝してるよ。両手の指じゃ足りないくらい助けて貰った。本当に感謝してる」

 

「当然でしょ。聞くわよ、いくらでも。話して楽になるならいくらでもね」

 

「車の中で一時間だぞ?」

 

「バカ言わないで。二時間だって付き合う」

 

 ーーずるい。こういうことを平然と言えるところが卑怯だ。あまりにずるい。

 

「私でいいなら、いつだって聞いてあげるわ。貴方のお母さんと違って、優しい言葉はかけれないけど」

 

「いいよ、別に。そんなのつまらない」

 

 最後は自嘲めいた言葉を否定する。いいよ、別にそんなものは望んでないし、求めない。重なった瞳が綺麗に丸を描いていく。

 

「それ、冷たい私の方がいいってこと?」

 

「ありのままお前がいい。嘘ついて優しく慰めてくれるより、正直嬉しかった。哀れみはいらなかった。ありのままでいてくれてーー感謝してる」

 

 武藤曰く、人間は恥ずかしすぎると、熱さを感じるらしい。これは真実だ。だから別に、熱くもないし、気恥ずかしさもない。

 

「ーーじゃあ、これから先もそうする」

 

 いつものように、うっすらとした目には毒すぎる笑みで夾竹桃は言った。気恥ずしさは欠片も見当たらない、本当にいつも通りの顔で。

 

「ああ。頼む」

 

「ところで、怪獣と貴方の共通点」

 

「なんだよいきなり?」

 

「叫び声」

 

「……」

 

 Ahーーってことか。酷い、酷すぎる。これは酷い。大袈裟に肩をすくめるしかあるまい。あまりにも酷すぎる。

 

「何?」

 

「寒い」

 

「上出来でしょ?」

 

「ない、絶対にない。マヒャドだ、マヒャド」

 

「いいこと教えてあげる。今はマヒャデドスが一番強いの。マヒャドはその下」

 

 さらっと出てきた一言に、俺は半信半疑で聞き返す。

 

「……マジ? それホントか?」

 

「あのゲームは日々進化してる。私たちのカウンセリングと違って」

 

 ああ。俺たちは3歩進んだら、3歩下がるからな。怪獣の鳴き声は残念だったが、その例えはすごく上手い。でも今日で一番の驚き、マヒャドが氷魔法最強の座から降りた、なんてことだ……

 

「まあ、信頼関係って言ってみればマラソンみたいなもんだ。神崎とキンジの二人を見てればよく分かる。最初のハードルでつまずいてもいい」

 

「マラソンでハードル?」

 

「いや、いいの。細かいことはいいの。そのハードルを乗り越えていきゃいいんだ。何かあっても謝って前に進めばいいってこと。ハードルさえ越えれば、俺とお前のリレー競技だっていつかは上手く行く」

 

 そこまで言って、俺は首を傾げる。

 

「なあ、ハードルって何の競技?」

 

「ハードルでしょ」

 

「ああ、そのまま。ハードルはハードルか」

 

 苦笑しながら納得する。本当にどうでも良さそうなことを。その時、携帯電話が震えてはっとする。着信名はかなめだ。

 

「雪平」

 

『その声は、暇してそうな声だね』

 

「その声は頼みがあるって声だな」

 

『ううん、誘いがあるって声。あかりちゃんが迷夷島に行くって話聞いてない? あそこは危険な島だって前に九九藻が言ってたから、様子を見に行こうと思って』

 

 ……迷夷島。聞かない名前だな。

 

「かなめ。スピーカーに変える。夾竹桃、迷夷島って知ってるか?」

 

「いいえ、詳しくは。ただ、一度行ったら住み着いてしまう人が多いって話だけど」

 

「だとさ、クローズド・サークルにありがちな設定だ」

 

『九九藻の話だとね。文珠ーー従四位の化生の郵便屋があかりちゃんに手紙を渡したって。ようするにそっち系からの依頼を引き受けたらしいんだよね』

 

 そっち系。化生の郵便屋が手紙を運んだってことは依頼したのも同じ化生ってことだ。間宮が獣人関連にどこまで知識があるか知らないが、もしかすると面倒に片足を突っ込んだかもしれないと心配になって、かなめは様子を見に行くーー妙な同盟を組んだのは知ってるが、どうやら現在進行形で仲は良好らしい。

 

「間宮あかりへの依頼なら、いつもの仲良しメンバーはどうしたの?」

 

『一緒だよ、姿が見えないし。そっちはそっちでまた飽きずにじゃれあってた感じ?』

 

「いつも通りよ。あそこは海に面してるわ、渡るにはボートか船がいる」

 

『準備はこっちが持つよ。九九藻がもう一人の専門家にも声をかけてくれてる。戦姉妹も一緒にいるし』

 

 星枷か。佐々木がいるなら見過ごせないだろうな。あれはあれでキンジに負けず劣らず面倒見がいい。流石は幼なじみ。

 

「分かった。合流場所は?」

 

『ありがと。メールしたから、自慢のbabyで飛ばしてきて。戦兄らしいところ期待してる』

 

「へえ、今日は妙にしおらしいな?」

 

『その返しは非合理的ぃ。それならもっとしおらしくしてあげる』

 

 ーー切りやがった。ったく。かなめからのメールは……無事に来てるな。デコメにした意味は分からねえけど。

 

「ラッシュアワーにわざわざ遠くに行くとはね」

 

「部屋に帰って録画した深夜アニメを見てても文句言わないぞ?」

 

「消化済み」

 

 即答にうっすら笑って、見聞していたソードオフのショットガンに視線を戻す。

 

 10年ーースタンフォードに家族を迎えに行ってから10年経った。今でもやってることは大して変わらない。本土から日本に場所が変わっただけ。ダブルワークになっただけ、

 

 今日が終わっても、また明日別の問題がやって来る。一つの問題を片付ければ、それがまた別の問題に繋がって、その繰り返し。でも今はーーこの仕事が昔より好きになれた。

 

 ーー日本に来て良かった。ここがパラダイスだから気に入ったわけじゃない。我が家ってのは場所じゃない、誰といるかが大事ってことを教えてくれた。

 

「緋々神、貴方が思ってるより数段上の化物かもね」

 

「いつも通りだろ、化物相手は」

 

 いつも通りだ。あれから何も変わってない。あの日から。

 

 あのスタンフォードの夜から何も変わらない。

 

 白いドレスの女から始まった道のりから、何も変わらない。

 

 あの夜と同じように、兄の恋人が焼き殺されたあの夜と同じく、普通には遠いインパラのトランクにショットガンを投げ入れる。

 

 

 

『ーーやろうぜ、兄貴』

 

 

 

 

 ああ、これだけはちょっと違ってくるか。ここだけはあの夜から変わった。ここだけは、変わってくれたことに感謝してる。

 

「ーーやろうぜ、夾竹桃」

 

 そして、あの夜と同じように、俺はインパラのトランクを閉めた。

 

 

 






『ーーやろうぜ、兄貴』S1、1、サミュエル・ウィンチェスターーー


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Cadenza

闇鍋回


「……優しい設計だよな、何がぶちまこれてても外からは見えない。完全にパンドラの箱だ」

 

「人はそれを負の遺産って言うんだぞ?」

 

「分かってるよ。俺たちは今からパンドラの箱を開けに行く。自分から。最高」

 

 見知った場所なのに、自分から死地に足を踏み入れている気分だ。退路は焼かれているので、俺とキンジも覚悟は決めているが、そこいらで泡を吹いて倒れてる先駆者を見るとさすがに怯んでしまう。まさしく地獄絵図だ。とても体育館とは思えない。

 

 現在、文化祭の終わった夜の19時。神崎とのデートが終わったキンジと訪れたのは惨劇の会場となっている武偵校の体育館だった。武偵高では文化祭の終了日にチームごとに集まって『武偵鍋』なる鍋を囲む慣習がある。そしてこの惨劇の原因こそ、その鍋だ。

 

「なあ、ここが地獄か?」

 

「まさか、俺は40年いたから分かる。地獄より酷い」

 

 見渡す限り、笑ってる奴はどこにもいない。あそこの救急箱抱えた衛生科の子なんてそれはそれは酷い顔だ。いや、一人いた。この地獄でも鍋を箸で行儀悪く叩き、あくまで通常運転を貫いている女が一人いた。しかも俺たちの身内だ。どうやら向こうも俺たちに気付いたらしい。理子、今回ばかりは逞しすぎてお前を尊敬するよ……

 

「切、作戦あるなら聞くぞ? まずは何から始める?」

 

「レストランの予約」

 

 つまり、八方塞がり。

 

「あ、こっちこっちー!」

 

 ピクニックシートに人魚姫座りした理子は、ひまわりみたいな満面の笑みで俺たちを呼ぶ。既にシートには、神崎、レキ、星枷のバスカビールのメンバーとハイマキが集まっている。そして、星枷が世話してるカセットコンロの上にーーそれはあった。今回の元凶たる土鍋にシルクハットを被せたような負の遺産が、堂々とコンロの火で煮込まれている。

 

 この22世紀の秘密どうぐみたいなデザインのお陰で、シルクハットの上にある窓から中身を見ずに具材だけを取り出すことができる。つまりこの鍋は明るい場所でも闇鍋ができる、実に傍迷惑な秘密どうぐなのだ。この危険極まりないイベントにも乗り気な理子みたいな一部の生徒を除いてな。理子は単に適応力がありすぎる。

 

 最後の到着になった俺たちがシートの空いていたスペースに座ると、一人だけ綺麗に正座していた星枷がコンロの火を調節していた。

 

「みんな揃ったね。キンちゃん、お肉をありがとうございました。ちょうどいま具を煮てるところなの」

 

 いつか死ぬにしても、食い物で死にたくない。こんな中身が見えないだけのマジカルシルクハットに殺されるなんて真っ平だ。

 

「会長、この闇鍋ってノルマは一人一すくいずつだったよな?」

 

「うん。一人一回だけだし、きっと大丈ーー」

 

「たーかーのーつーめー!」

 

 スルーするにはあまりにも不穏な言葉で視線が集中する。案の定、理子が先んじて唐辛子を鍋にぶちこんでいるところだった。やられた、調味料は理子に一任されてるんだった……!

 

「お、お前……! おい、理子ッ!」

 

「お祭りだ! カーニバルだよ!」

 

 キンジの威嚇もなんのその、両手を広げて理子は『カーニバルだよ』と完全にお祭り気分だ。すげえ、闇鍋が一瞬で火薬庫になりやがった。

 

「カーニバルじゃないだろ! こ、これじゃあ火鍋だぞ!」

 

「えー、だって理子辛いの好きなんだもーん! そう思わんかね吉田くん?」

 

「雪平です」

 

「たーかーのーつーめー!」

 

 とりあえず否定しておくが、またしても理子総統が鍋にたかのつめをぶちこんでくれた。これで投下された唐辛子の実は20は下らない、一本でも辛さに味が傾くのにそれが20本だ。もはやコンロの上にあるのは鍋の姿をした爆弾と言うべきだろう。

 

 秘密どうぐをポケットから取り出すドラえもんみたいな声で、理子は化学兵器同然の物を鍋にぶちこんでしまった。凝った撫子柄のハンカチで涙を拭う主催者さまがお怒りモードのキンジを宥めるように声をかける。

 

「……キンちゃん、調味料係は何を入れてもいい規則なの。でも、死ぬときは一緒だよ?」

 

「物騒なこと言うな! 理子ッ……あと1本でも入れたら撃つからな。脅しじゃないぞ」

 

「ぶー、キーくん。規律違反だよ?」

 

「教えてやる。規律とは己を律するものだ、他人に押し付けるものじゃない。アリア、レキ、安全装置を外せ。切のルールで行くぞ、ルールなんてクソ食らえ」

 

 待て、待て、待てーーそれはおかしい。

 

「おい、それってどういう意味だよ?」

 

「あんたのしないことはするな、そういうルールよ」

 

「つまり何でもありですね」

 

 ……無茶苦茶だ。レキと神崎の言葉に肩をすくめていると、理子が仕方ないことばかりに溜め息を一つ。そして不穏な匂いしか感じないリュックから何かの袋を取り出した。

 

「辛いのがダメな子もいるもんね、ちょっと甘くしてあげるーーフルファイア!」

 

 勇ましい掛け声と同時に、袋の中身がざざあああー……

 

「ぱ、パルスイート……!?」

 

 キンジの一言で背筋が戦慄が走る。それってドラッグストアとかにある人工甘味料じゃ……砂糖より遥かに強力な甘味の塊……嘘だろ、湯気が紫に変色してる……!紫の湯気って、口に運ぶのはどう考えてもマズイ類いの奴だぞ……!

 

「ね、ねえ……変な匂いしてない? あたしの気のせい?」

 

「いいや、お客様の嗅覚は至って正常です。感謝祭で黒焦げの七面鳥とグチャグチャのパイがテーブルに並んだことがあったけど、これに比べたら遥かに可愛い。あれはまだ人間の食い物だ」

 

 眼下で煮込まれている鍋は、オブラートに包んでも人の作り出した物には見えない。たった一すくいでも意識が急速潜航(きゅーそくせんこー)して、失神しても俺は驚かないぞ。周りを見渡せば泡吹いてたり、失神してる先駆者がゴロゴロいるからな。

 

「くししし。おいしそーだねー。乙女は甘いものに目がない、万国共通でしょ?」

 

「人間の言葉に良い言葉がある、それはそれ、これはこれ。キンジが乙女プラグインなんて実装するからこんなことになるんだ……手当たり次第に撃沈しやがって」

 

「白雪、もういいだろ、もういいな、もういいはずだ」

 

 この際、恨めしい視線を送ってやるがどこ吹く風だった。例によって、俺の扱いが軽い。が、今はそれどころじゃない。ついに馬鹿騒ぎのメインイベントがやってきた。

 

 ばら蒔ける物は全部ばら蒔けの勢いで、理子が投入しようとした青汁だけは回避できたのが救いだが、危険を知らせるような紫の不気味な湯気は相変わらずだ。食欲を殺しにかかってる。

 

「キンちゃん、私は時間音痴なのかな。いつがいいのか、そのいつがいつか分からなくなっちゃった」

 

「いついつ言うんじゃない!今がそのときだ!」

 

 早口言葉みたいになってる星枷も気持ちは一緒らしい。この謎の緊張感……打ち上げとは思えないな。RPGゲームならボス戦前のそれだ。チームリーダーのキンジが、打ち上げの挨拶を開始した途端ーー案の定、内輪揉めが始まった。

 

「いよーし! じゃあアリア、食べてみよー!」

 

「し、白雪、幹事が最初に食べなさいよ」

 

「えーっと……レキちゃん、食べてみたら……?」

 

「理子さんから食べるべきです」

 

 バスカビールも一枚岩でないということだ。俺だって自分の命が惜しい。

 

「……俺の扱いが軽い」

 

「仕方ないさ、先陣を切るのが一番怖い。俺だって逃げ出したいよ。逃げてもいい?」

 

「却下だ。チームの連帯責任でみんな死ぬ」

 

 ……だろうな。教務科にみんな殺される。不意に鍋を見るが紫の湯気は勢いを殺してない。まさか鍋に怯む日が来るとはな。

 

「すごく汚い言葉使っても?」

 

「オフレコにしといてやるよ」

 

「ありがとう。ジャングルでターザンに育てられた猿だって、もっとマシなもん食ってるよ」

 

「そりゃそうだ、人の食うものには見えない」

 

「神崎の焦げたフリタータが可愛く見える」

 

 俺もキンジもいつもの二割増しで汚い言葉を吐く。吐かないとやってられない。そして、女性陣の内輪揉めは俺たちにも飛び火する。

 

「じゃあキーくんから行ってみよー!」

 

「そうね。ここはリーダーらしく行きなさい!」

 

 理子がキンジに矛先を向けたことで、神崎も便乗して矛先を変える。打ち上げのはずがバスカビールで内戦勃発だ。理子は正しかったな、カーニバルだよ。

 

「ま、待て!ここはじゃんけんとかだろ!」

 

「うん、そうだね。キンちゃんと雪平くんでじゃんけんするのはどうかな?」

 

 こくりとレキまで頷いてくる。この流れ……最初におたまを取るのは俺かキンジの二択だな。星枷とレキも理子と神崎と同様に先陣を切る気配はない。どうやら女子全員同じ意見らしい。なぜ二択かと言うのは、この四人にとって重要なのは最初に誰がおたまを取るかということ。早い話が最初に撃沈するのがキンジでなく、俺でも別に構わないということだ。

 

 さりげなく武器をちらつかせてくる辺り、拒否権はないらしい。日本らしく、民主主義って大義名分もある。四人vs二人と一匹だからな、いやハイマキはご主人様に寝返って、四人と一匹vs二人か。勝ち目……ないな、諦めよう。

 

「分かった。んで、どっちが好みだ? 最初の犠牲者になるか、二番目の犠牲者になるか。お勧めは最初だな、もしかしたら神様が救ってくれるかもしれないぞ?」

 

「お前が神様を信じるのか? ありえん、ありえんだろ。いつも後ろ足で砂かけてるくせに」

 

「泥でしょ、砂じゃなくて。どろかけ」

 

 神崎の茶茶入れは置いといて、このままだと埒があかない。だが、俺もこの鍋は怖い。大量の唐辛子にパルスイートのフルファイアだ、コーヒーにバターを入れるのとはワケが違う。

 

「雪平さん」

 

「なんだ?」

 

「最初に行けば、前を見て怯える必要はなくなります」

 

「……それは言えてる」

 

 すごく丸め込まれた気分だが、二番目は二番目で前の人間の惨劇に怯えながらおたまを握る可能性がある。それはそれで怖い。殺人が起こった民宿で、犯人の次の犯行を怯えながら待ってるようなもんだ。それはそれでやっぱり怖い。逆に考えよう。俺とキンジに一喜一憂してる四人に、一矢報いることができるとすればーー

 

「よし、キンジ。ここは俺に任せろ。レンジャーが道を拓く」

 

「……何かあるな、何かあるだろ?」

 

「おお、疑ってるんだな。ルシファーとルームメイトをやっていた俺を疑うなんて失礼な男だよまったく。下心なんて何にもない」

 

 失礼な、人の善意を何だと思ってる。まあ、ここで泡でも吹いて倒れてやれば、残りの連中にも恐怖を与えて一矢報いることができる。どうせ撃沈するなら、傷跡くらいは残してやらないと気が済まない。

 

「キーくん、鋭い。あれは良からぬことを始めるときの顔だね」

 

「いつものことよ。キンジと同じで嘘が下手すぎ」

 

 おたまを星枷から受け取り、仲のよろしい探偵泥棒コンビに俺は視線を配る。

 

「ポジティブ発現増やす修行中」

 

「ああ、努力賞ってとこね」

 

「ありがとう。カウンセリングの成果かな」

 

 ポジションでは前衛ではなく、支援の俺だが今回ばかりは切り込み隊長をやってやる。中身の分からないマジカルシルクハットに攻撃だ。と、おたまを構えた矢先、  

 

「散る桜、残った桜も、散る桜……」

 

「蜂の巣に、されてボコボコ、さようなら」

 

「……探偵科では川柳がブームなのか?」

 

 理子とキンジの不吉な句に頭を抱えそうになるが、そこは長い付き合い、俺は怯まない。残った桜も散る桜、末路は同じだからな。そう、考え方を変えれば簡単な話だったんだ。バラエティー番組と同じだよ、誰が先にバンジージャンプをやるか、つまりはそういうことだ。

 

「雪平くん、ちゃんと普通の具も入ってるから……」

 

「ああ、ありがとう」

 

 仕切り直して、皿とおたまを構える。そう、星枷が言ったが普通の具もあるんだ、何も倒れて嫌がらせする選択肢だけじゃない。ただ中身が見えていないだけ、暗闇の中にも航路はある。それを引けばいい。

 

「目に見える鍋から見えない具材を引くことの勇気。ですが、その見えない道を信じて踏み出す力が人の強さ」

 

「レキュ?」

 

 虚を突かれて、場が静まり返る。

 

「雪平さんが教えてくれました。"見えるけど見えないもの"です」

 

 あれだな、レキが言うとなんでも真面目なことに聞こえるから不思議だよ。本当に不思議だ。バスカビールのメンバーはみんな訳あり、一癖も二癖もあるピーキーな連中ばかり。どいつもこいつも尖りまくり、尖りまくってる。ったく、参ったな……

 

 いつも俺は教えられる側だ。ここにいる連中には特に学ばされたことが多い。家出がライフワークだった俺に『勇気』なんて代物が語れるわけないだろうに……なのに不思議な気持ちにさせてくれる。

 

「神崎は……良いメンバーを集めてくれた」

 

 それがーーレキという人間なのだろう。

 

「ーーかかるぞ!」

 

 乾坤一擲、おたまを鍋から引き上げる。俺が引いた食材はーー

 

「……なぁにそれぇ?」

 

 間の抜けた第一声を発したのは理子だった。

 

「これ……何なんだ?」

 

 一転、俺はおたまで掬い上げた物体を皿に移しながら、半眼を作る。それは、黒い粒、としか言えなかった。珍妙な光景を纏めると、その意味不明な何かを鍋の中から大量に引き上げたことになる。申し訳程度に人参もついてきたが……黒い粒の存在感に色んな意味で霞んでいる。よく分からんがグロテスクってことは確かだ。

 

「理子、半分いるか? そのクマに人参、つか全部やるぞ?」

 

 と、ハズレを引いたのは明らかなのでクマ型のリュックを持ってきている理子に聞いてみる。だが、答えをくれたのはキンジだった。

 

「切……リュックは人参を食べない」

 

「……熟知してる。言ってみただけだ。ユーモアは大切なんだよ。今度はぬいぐるみにする」

 

 選択肢はないので、覚悟を決めて人参共々口に放り込む。一同の視線が集まる中で歯を立てると、粒の中身らしき何かと人参に染み込んでいたスープやら何やらが混ざって、一気に不快感が流れ込んできた……やばい、想像以上にやばい。人参もあるし、なんとかなると思ったが希望的観測だった……やばい、合わせちゃいけない組み合わせを引いた気がする……とにかく不味い……

 

「アリア、お前何入れたんだよ?」

 

「あたしじゃないわ、あんな粒知らないもの」

 

「キリくんが自爆した感じでもないよね、ハズレ担当だけど。となるとーー」

 

 呑気に会話してくれてる三人と俺の視線は、残りのハズレ担当に向かう。

 

「ゆ、雪平くん!お水!」

 

「……!!」

 

 星枷からコップを貰ってやけくそに水を流し込む。

 

「レキ、これ、あんたでしょ?」

 

 どうやら俺が引いたのは、狙撃科の庭で視力向上のために栽培されているブルーベリーだったらしい。きっと本来はもっとマシな味をしているのだろうが、この悪魔みたいなスープと調和したことで果物から科学兵器に変わりやがった。唐辛子はパルスイートと奇跡的に相殺されたみたいだがなんつーか舌を串刺しにされた気分だ。

 

「……ちくしょうめ、いっそ泡でも吹いて倒れれば良かった。中途半端すぎる」

 

「キーくんの予感、当たったね。嫌がらせがしたくて先頭を切った感じ?」

 

「レキに乗せられて、後ろから撃たれた。これで視力上がればいいけど」

 

「乗せられた自覚はあるんだね……」

 

 だが、これで俺は高見の見物だ。散る桜、残った桜も、散る桜。残ったメンバーも次々と特攻をかけていく。既に地獄の門を抜けた俺は、自前で持ち込んだコーラを片手に観戦するだけだ。なんとも気分が良い。

 

「うッ……くッ……」

 

 まずはキンジが引き当てたのは神崎が仕掛けたであろうももまんだった。スープの汁を吸ったせいで、ゾンビみたいになったももまんに何かが乗っている。よく分からないが食べたキンジの反応からして、美味いってことはなさそうだ。わざとらしく首を掻きむしってるところを見るに、どうやら俺と同じで嫌がらせするつもりらしい。この大根役者め。

 

「キンジ、バレてるぞ?」

 

「……」

 

「なんか本気で苦しそうな顔してるな……」

 

「本気に決まってるんだろ……!」

 

 大胆なリアクションだこと。幹事の会長が完全に水を配る係りになってるし、どうなってんだこのカーニバル。

 

「あの上に乗ってたの、ありゃ何だ? 麩か?」

 

「カロリーメイトだよ、ブロックタイプの」

 

「ああ、納得だ。ハズレじゃなくて当たりを入れたんだな、自分限定の。正しいよ、好きなもんを入れるのが闇鍋だ」

 

「……お前は何入れた?」

 

「俺か? ハズレっぽいやつだよ」

 

 規則に従い、闇鍋段階で一人一すくいはしないといけない。安全圏に辿り着いた俺たちに、神崎も続こうとするがーーハズレ、引いたな。

 

「アリア、諦めろ。こういうのは日頃の行いがものを言う」

 

 自分もハズレを引いたことを棚に上げて、キンジが笑っていた。よっぽどももまんが不味かったらしい。神崎もライオンみたいな目付きで威嚇して……諦めて皿に移した具材を口に放り込んだ。

 

「アリアって何引いたのかな?」

 

「チョコ」

 

「……えっ?」

 

「待てよ、あったあった。森羅万象チョコ『魔怒暴威都市(マッドボーイシティ)〜逃亡編〜』」

 

 ポケットにまだあったレシートを理子に向けて読み上げた途端、神崎の鋭い眼光がこっちを向いた。先に用意していたマグカップのミルクで無理矢理流し込んだらしい。

 

「わぁ、お怒りだ」

 

「しくったな、ビックリマンチョコにしときゃ良かった。ゴジラの相手は無理だ、さっさと降伏しようーー堪忍してつかぁさい」

 

「どこの言葉よそれッ!」

 

「『堪忍してつかぁさい』ーー戦意を失った者が衝動的に発する言葉。屈服の言葉。広島、岡山方面で使われる方言です、アリアさん」

 

「……あんたも詳しいわね」

 

 どうやらウエハースとこのスープの相性はよろしくないようだ。神崎がお怒りの一方で、星枷は安全な煮卵を引き当て、レキはレキで大量の唐辛子を難なく食して無茶苦茶な正面突破を見せて行った。フライドポテト感覚で唐辛子を食べる光景は俺も初めて見たよ。んで、最後に残された理子は……

 

「やるべし!」

 

 と、また訳の分からない気合いの入れ方と共に箸を下ろした。

 

「おおー、キレー!黄金の白滝だぁー!」

 

 意味不明な言葉だが、白滝が飽和して結晶化したパルスイートを吸着して、理子が言ったとおり本当に輝いている。一体どうなってるんだ、この鍋は……

 

「おいしー!」

 

 ……無茶苦茶だ。レキも理子もハズレがハズレになってない。力で捩じ伏せやがった。

 

 こうして、カーニバルだか悪しき伝統か分からない時間は終わりを迎えた。

 

 あまりにふざけた時間だが、こんなふざけた時間をたぶん俺は忘れられない。正直、意外と楽しかった。

 

「やったね、やっとキンちゃんがキンちゃんのお肉を食べられるよ……」

 

「気持ち悪い言い方するなよ……」

 

 最後は再生された普通の鍋をバスカビールのみんなで囲むことになる。結局、キンジがキンジの肉を口にすることらなかったがそれもお約束というやつだ。神崎が猫舌を発動させるのも、レキが継ぎ目のない動きで肉を拐っていくのも、なんだか見ていて安心する。

 

「やっぱり米沢牛は世界一美味しいわ」

 

「ハイマキ、おいで」

 

 ただ鍋を囲んでいるだけ、というのに理子が楽しそうに声を上げる。嬉しそうに笑う。まるで幼い子供のような純粋な顔で、ふとこちらを見上げる。そして、

 

「なんか、すっごく楽しいね!キリくん!」

 

 などと言うので、俺も思わずそれに、笑ってしまって。いや、きっと同じ気持ちだったから。

 

「ああ。そうだな」  

 

 と、答えて。そして今日もまた、時間は流れていった。

 

 

 




サッカーの話も時間を見つけて書いてみたいですね。ポジション未定


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ヴァンパイアダイアリーズ

本土でファイナルシーズンの撮影再開が決まりましたね。吹き替えのレンタルは来年ってところでしょう。ハワイも完結したし、今年は分かれになる作品ばっかりだなぁ……スパナチュの料理本が本土で出版されたらしいので真剣に購入を考えてるこの頃。


 どれだけ走っただろう。見渡す限り続いている木々に方向感覚はとうに失せて久しい。いや、そもそも土地勘も何もない世界に方向感覚が失せたところで大した問題にはならない。

 

 どこに行こうがあるのは人の手が混入していない自然の大地、空はいついかなるときでも色のない白黒の空間を広げている。空も、右も左も、広がっているのは色のない白黒の景色。

 

「撒いたか?」

 

「だと良いけど……いや。駄目だ、撒いてない……来たぞ、ディーン……! リヴァイアだ!」

 

 神経が張り詰め、胃が逆流しそうになる。闇──そうとしか言い様のない黒い塊が空から大地に降り注ぐ。眼前に落ちたスライムと呼ぶには邪悪すぎるその軟体はすぐに人としての形を取る。あくまで仮初めの、本性を隠すための仮面。降り注ぐ塊は数を増し、瞬く間に六体の怪物に周囲を取り囲まれた。見た目は人間、そんなものは何の安心にもなりはしない。

 

「右だ! キリ!」

 

 何も言わず、手に持った鉈を踏み込みと同時に首めがけて振るう。目の前と背後から同時にざくっと切れ目から物が落ちる音がする。遅れて体が倒れる音、鮮血の代わりになくなった場所からは黒くねばった液体が大地を汚していた。これで何体目だ──そんなの覚えてない。頭が真っ白になり、ただ食われたくない一心で人の形をした者に鉈を振るう。

 

「ディーン! キャスとベニーも走れッ! 止まるなっいけいけッ!」

 

 復讐、欲望、宗教、どれでもない。ただ死にたくない純粋な気持ちで命を奪い合う。次の一瞬を生きるために俺もディーンも武器を振るった。何度もリヴァイアの首を落とし、吸血鬼の首を落とし、人食い鬼の首を落とす。屍の山を築いて、ただ生きることだけを考えて来る日も来る日も怪物を殺しては生き延びる。

 

「ベニーどこだ! 出口はどこなんだぁ! ディーン!」

 

「右からレイス! 振り切れねえぞ──!」

 

 他には何もない、生と死だけが支配する純粋な世界。それが──煉獄。死んだ怪物が送り込まれるとされる世界。最初で最後の、吸血鬼の親友ができた世界。

 

 

 

 

 

 

「雪平、雪平──起きているのよね? 起きているのでしょう?」

 

 断言して違わない声。聞き慣れない声はすぐには分からなかったが半開きでも分かる明るい金髪が見えて、声の主を教えてくれた。助手席から半身を乗り出しているのはゴスロリに身を固めた金髪の吸血鬼。思い当たるのは一人しかない。

 

「起きてるよ、ヒルダ。ちょっとうたた寝してただけ」

 

「寝てるじゃない」

 

「嫌な夢に誘われたのかな、最悪の夢だった。背が縮む夢より怖い、まさに悪夢。とりあえず俺ならエナジードリンクは控えるね、声デカすぎ」

 

「愚か者、むしろ眠いくらいだわ」

 

 ヒルダ──インパラの運転席にいた俺を起こしてくれたのは紫電の魔女の異名を持つ吸血鬼。一学期に雁首揃えて拘置所にぶちこんだ無限罪ブラドの娘、ルーマニア産の吸血鬼だ。空は日差しのない曇り空だが、まだ彼女が好む時間には少し早いこともあって緊張感のない欠伸を右の助手席で噛み殺している。

 

「でも起こしてくれてありがとう。なんか変化あった?」

 

「いいえ、何も」

 

「まだコーラがいりそうだな。後で買ってくる」

 

 まだ冷めきっていない意識に鞭を奮って、今の状況について思い出す。車内にいるのはヒルダ、師団に鞍替えしたばかりの吸血鬼で切っても切れない因縁で結ばれているはずの相手。極東戦役において、一時的な同盟関係を結ぶことにはなったが所詮はハンターと吸血鬼の関係、一緒にドライブするほど親しくはなかったが目的が合致すれば話は別。

 

「……でも本当に見たのか、虫の頭をした蝿みたいな怪物なんて俺は初耳だぞ?」

 

「そうでしょうね。お前たち人間より、私の方がよっぽどこちらの世界に通じてる。マスカはシフターやセイレーンたちに比べて文献にもあまり取り上げられていない種族。お前が知らなくても無理もないわ」

 

「へぇ、確かに初めて聞いた。そのマスカってのは吸血鬼となにか因縁が?」

 

「別に。マスカは蝿と人間の混合種、醜くて汚らわしい虫けらと誇り高き私たちは住んでいる場所が違うの。因縁なんて生まれるわけがないでしょう、高貴な私──目先で悪趣味な巣作りをされるのが耐えられないだけ」

 

 自尊心の高さを見せつけてくれながら、目的の相手について軽く語ってくれた。マスカ──要は蝿人間。普段はひっそりと忍ぶように存在している種だが稀に手のつけられない個体が生まれることがあるらしい。ヒルダの話だと伴侶からあぶれた個体は生きた人間を使って巣を作り、繁殖活動の為に人を拐う。笑えねえ、おぞましい。

 

 話を聞いただけでも背中に戦慄が走る。化物の巣作りに利用されるなんて悪夢の一言では片付けられない。一瞬言葉にならない光景が頭をよぎるとかぶりを振って思考を打ち消す。まるで地獄だ。事実ならヒルダと協力する云々を抜きにしても見過ごせる案件じゃないな。最初はヒルダから持ちかけられた話だが、今の話で俺自身も見過ごせない話になった。

 

 すっかり目覚めた意識と目でフロントガラス越しに外のバス亭を睨むが、眠る前から感じていた疑問が不意に脳裏へ呼び起こされる。そして聞ける相手は言わずもがな隣の吸血鬼だけ──

 

「ひとつ聞いてもいいか?」

 

「改まって何かしら、気持ち悪い」 

 

「マスカって要するに蝿と人間のキメラだろ。だったら、こんなところ狩場に選ばないんじゃないのか。だって害虫駆除業者の前だぞ?」

 

 俺はガラス越しに見えている建物を指差し、同時に無視できない疑問をヒルダに振ってやる。バス亭の他に見えているのはそれなりの面積を使って建てられている害虫駆除の建物だった。それはつまり虫専門のハンターが集まっている場所だ。当然ながら蝿も然り。

 

 どうしてこんな場所……殺人現場をわざわざ仕事場に選ぶようなもんだ。賃貸が安いだの現実問題で考えられるメリットは一切ない。謎だ。考えるだけで頭が痛くなってくる。

 

 俺が思考に耽る一方、進展しない景色に堪えかねたヒルダはと言えば……呑気にハンドスピナーで遊び始める始末。というか、その蝙蝠の形してるハンドスピナーどっから出したんだよ……鞄もポケットもないのに。

 

「私を疑うなんて失礼しちゃうわね。あのバス亭が狩場になってるのは事実よ。その証拠に黒い粘液がベンチに残ってた」

 

「黒くてどろどろした物ならリヴァイアサンって可能性は?」

 

「ないわね、連中は特別。仮にリヴァイアサンならもっと危機感を煽られてる、連中の足跡なら私が本能的に気付いてるはずよ。リヴァイアサンはそれだけ特別な種、私が足跡を間違えることはないわ。それに一匹残らず、お前たちが煉獄に返したのでしょう?」

 

「ああ、そのはず。流石に悲観的になりすぎたかな。きっとさっきの夢のせいだ」

 

「夢? 連中の餌になる夢でも見たのなら、詳しく聞かせなさいな?」

 

 不意にハンドスピナーを回していた赤いマニキュアの塗られた指が止まる。新しい玩具を見つけたと言わんばかりの好奇の視線が隣から突き刺さった。人の不幸はなんとやらか、そこは人間も吸血鬼も変わらないな。

 

「餌にはなってない。さっきお前に起こされるまで煉獄にいたときの夢を見てたんだ。リヴァイアや吸血鬼の首をひたすら切り落として、ひたすら逃げ回ってるときの夢。小夜泣先生が知りたがってた煉獄の夢だよ」

 

 俺にとっては悪夢であり、同時に吸血鬼の仲間と出会えた場所でもある。今となっては、あそこでさまよった時間はリヴァイアサンを外に出したことへの罰だったと思えてくる。神に幽閉されていた化物を外に出したことへの罰、責任だ。一体どれだけ贖罪を負えば俺も兄貴もキャスも済むんだって話になるが。

 

「行った身からすると良い場所とは言えない。でもお前たちにとっては住みやすい世界かも」

 

「意味深な口振りね、思い出話でも聞かせて貰えるのかしら。煉獄──それなりに興味をそそられる話ではあるわね」

 

「煉獄は血なまぐさい最低の世界だ。常に怪物に囲まれ、休みなくずっと戦ってた。ただそれしかない単純な世界、何のしがらみもない。この世界に戻ってきて色んな争いや戦いを目にして、なぜかあの世界がとても純粋に感じたよ」

 

「ハンターと怪物、狩る側と抗う側に戻って正々堂々殺し合う。それはこの世界だって同じ。今日のお前は妙に女々しいことを言うけれど、何を言ってもお前の過去は変わらないし、生き方なんて簡単には変えられない」

 

「分かってる。都合良く記憶喪失にでもならない限り、生き方なんて簡単には変えられない。俺たちみたいなのは特に」

 

 面倒に巻き込まれては、半死半生になるまで戦って、問題を片付けての繰り返し。よたつく足取りで、なんとか地面を踏んで、いつも血を失った肌でインパラにシートに突っ伏す。まあ、振り返っても心が踊る冒険譚ではなかったな。

 

「白いフェンスに囲まれた家、好きな人と家庭を作って、同じ痛みを分かち合う。そんなことが出来たらって思ってたけど、駄目だな。俺には縁のない暮らしだ、今さら生き方は変えられない」

 

 さすがにそれは弁護のしようがない。助手席では再び、ハンドスピナーを取ったヒルダが小首を揺らしてくる。

 

「日本に帰らず、留まることもできたはず。どうして戻ってきたの?」

 

「神崎のことが解決してないだろ。ほったらかしにはできねえよ。あとは……なんだろうな。こっちが第二の故郷になってるっていうか」

 

 歯切れの悪い返しをしたせいでヒルダは無言で目を使って続きを促してくる。仮にも最近まで敵対していた獣人とは思えないな。この緊張感のなさ、再会したばかりのジャンヌや夾竹桃を思い出す。

 

「ずっとアメリカの端から端を行ったり来たりだったけど、あいつらのお陰でこの……日本に居場所ができた。途中で問題を投げて消えるには、一緒の時間を過ごしすぎた。神崎もキンジも俺にとっては家族みたいなもんだ。家族は捨てられない──それがウィンチェスター」

 

 家族は捨てられない。そこに血の因果がなかったとしてもあの二人は家族だ、ほっとけない。それにどのみち卒業したらアメリカに戻るつもりだった。迷いはない。でも本音を言えば武偵高で卒業式を……迎えたい。できることならちゃんとクランクアップを迎えてこの国とは別れたいんだよ、未練のないようにな。

 

「身内で自己犠牲を繰り返してきた連中に家族扱いされるなんてね。遠山も嬉しくはないでしょうね。いい気味だわ」

 

「お前、知らないのか。遠山キンジは死なない男なんだ。そんなこと気にしたりしねぇよ」

 

 ……いや、実際はたぶん気にする。ルームメイトの経験から言うとかなり気にするだろうな。要するに早死にする家系に仲間入りするわけだし。それなりに良い台詞を吐いたつもりがヒルダの指摘で怪しくなった。揚げ足を取られてコンクリートの床にひっくり返った気分だ。

 

 人生ってのは分からないな。ずっと怪物を狩って生きてきたのに海を越えた先の国で、怪物と同じ車に乗って、今まさに一緒に怪物を狩ろうとしてる。自分でも訳が分からねえよ。でもヒルダを隣に置いて、ここまで安心していられるのは煉獄で一緒に戦ってくれた吸血鬼の友人の影響だな。良くも悪くも吸血鬼に対する見方は、ベニーと出会う前と後で変わったよ。

 

「なぁ、ヒルダ。お前、自分がもしも吸血鬼じゃなかったらとか考えたことないか?」

 

「唐突につまらないことを聞くわね。私は私、夜の一族。それ以外の私を私とは認めないわ」

 

 さも当たり前のようにヒルダは金髪を揺らし、かぶりを振る。

 

「どこまで行っても私は私でしかない。お前だってそうでしょう?」

 

「ああ。他の誰かになれたりしないし、過去をやり直せるわけでもない。でもお前とは違って、たまに思うことがあったんだよ。普通に暮らしってのが出来たらってさ。怪物とか塩とか、ショットガンとは無縁の……誰かを好きになって、普通に家庭を持って、普通に歳を重ねて死んでいく生活が出来たらってな。少なくとも普通の人間は何回も死んだり甦ったりしない」

 

 命は一度きり。行き着く先が天国だろうが地獄だろうがあるのは片道切符だ。何度も往復するなんて、それこそ普通じゃない。

 

「隣の芝生は青く見えるって言うけど、その通り。他人が羨ましくて、自分にはできない生活を送ってる奴が羨ましかった。どうして俺はこうならなかったんだろうってな。早い話が嫉妬しまくり、本当に悲惨だった」

 

「憐れね、返す言葉も失せてくるわ。今でも他人を羨んでいるの?」

 

「どうかな、考えることはある。人間、お前みたいに自分の存在にいつも自信を持っていられる奴ばっかりじゃない。誰かを羨ましく思うなんてきっとしょっちゅうやってる」

 

 だが、そうだな。俺に限って言うと──

 

「でも俺に限って言うと、ハンターにならなかったら今の生活はなかった。キンジや神崎とは出会わなかったし、コルトを奪いに来た夾竹桃とも会うこともなかった。今まで会った人たちは、俺がハンターだったから出来た出会いだ。それを否定してまで他の自分は求めないさ、もう子供とは言えないし」

 

 そこまで言って、俺は理子から貰ったサングラスを手に取った。

 

「非日常の生活ってのは逃げても向こうからやってくる。俺も逃げたが案外世界は狭い、必ず見つかる」

 

 アラスカに行こうがネバダに行こうが、たとえ海を渡っても絶対に見つかる。

 

「悪い、暇潰しにもならない話で。俺は寝る。進展があったら起こしてくれ」

 

「……今の話の流れでよく眠る気になれたわね。本気?」

 

「ああ、本気。俺、生まれたときから非常識らしいから。お前の同級生に言わせれば」

 

「ジャンヌが今まで斬らなかったのが不思議でならないわ」

 

「斬られかけたことは山程あるけど、息はしてる」

 

「死人にしては顔色が良い」

 

「死んでないからな、まだ棺桶で眠る時間じゃない。俺のベッドはここ。お休み、ヒルダ」

 

 起きたらコーラを買いにいかないと。見張りを任せた礼は缶コーヒーでちゃらにしてもらおう。容量の多い、ちょっと高いやつで。今度は悪夢じゃないことを祈るね。

 

 

 

 

 

 

「なぁ、言っちゃうけどさ。なんか無茶苦茶良い感じに進んでない?」

 

「何が進んでるか分からないから答えられない」

 

「部屋のリフォーム、大成功の予感がする。わざわざ来た甲斐があったよ、トントン拍子で進んでる。気分が良い」

 

 アメリカ、サウスダコタ州スーフォールズの一角。脚立に足を預け、インパクトドライバーを打ち込む傍らで不機嫌な返事をするのは目付きの鋭いブロンドの少女。部屋のリフォームで応援を求めてきたはずの張本人──クレアは仏頂面で腕を組んでいた。今まさにリフォームの作業をしている俺の傍らで……

 

 異世界から無事帰宅を果たした俺、兄二人、母さん、キャスとその息子+イギリスのブリキ人形ケッチ。今回もなんとか命を拾った俺は、無事に長い家出に伴って生まれた家族との確執も埋め、アメリカ本土から日本へ渡る手筈もあの手この手で整えた。異世界を経由してアメリカに渡ってる以上、飛行機で快適な空の旅とはいかないからな。

 

 本土を経つまでにはまだ数日の猶予があることもあって、諸事情で終末の世界からこっちに移住してきたハンターたちと狩りをしたり、ルシファーの息子と映画を見たりして過ごしていたがそれは昨日までの話。今はレバノンにある住居兼基地を離れ、古い友人ことミルズ保安官の住まいがあるサウスダコタ最大の都市、スーフォールズに来ている。ここもすっかり縁のある場所になっちまったな。

 

「愛弟子ぃー、作業進んでるか?」

 

「うるさい、言われなくても進んでるから。それとなに今の呼び方」

 

「俺の師匠の真似、自分で言うのも何だが結構似てるんだぞ?」

 

 祝いの場でやったら大盛り上がりだ。みんなのたうち回るぞ。

 

「本人にやったら?」

 

「死にたくないから嫌だ。まだやりたいことがあるんだ。だがな、それよりも得意なことを今日また見つけた。テレビのリフォーム番組にだって出られるレベルだ。ほら、家のリフォームを紹介するやつ」

 

「ああいう番組苦手、大嫌い」

 

「大嫌い、だろうな。ハッピーなもの嫌いだから。昔からそうだ」

 

「言わせてもらうけど、何か変なもの食べたんじゃない? 変なもの嗅いじゃったとか? ああ、それ、絶対にそれ。頭がハイになってる」

 

 打ち込んだ板に壁紙を張り付けながら、脚立から見下ろすクレアは依然として仏頂面だった。

 

「お前いま楽しくないのか? これいけるよ、生まれ変わったらリフォーム業目指すのはどう?」

 

「……私に聞かないで。来世より今に生きてるから」

 

「ふーん、そっか。だったら目の前の仕事さっさとやって」

 

 そのテーブル、20分前と同じ形してる。組み立て式のテーブルと睨みあって20分だ。どうやら結果はクレアの敗北、一方的なワンサイドゲームらしい。溜め息と同時にクレアは試行錯誤していたパーツを床に落とす。

 

「テーブル組み立てるのって構造工学の修士号とらないとできないわけ?」

 

「独学でやるからだ。説明書読んでそのとおりにやればいいんだ、簡単だろ。おい、無理にはめ込むなってクレア……!」

 

「何やってるかくらい分かってる、うるさい」

 

「反抗期かよ、クレアはいつも反抗期。自己流じゃ駄目だ、組み立て説明書を読んで──」

 

「ない」

 

 何故か堂々とした目でこっちを見上げてくる。あまりに堂々としていて俺が言葉に詰まった。落ち着け、どう考えてもクレアがおかしい。説明書がない?

 

「ないってどうして……普通一緒に入ってるだろ?」

 

「ゴミ箱」

 

「なに?」

 

「だから、ゴミ箱。ゴミ箱の中、私が捨てた」

 

「なんで組み立て説明書をゴミ箱に捨てるんだ、バカかお前は。アメリカで言うとは思わなかったな、バカかお前は?」

 

 ボランティアの身分で大活躍してやってるのになんで当事者のお前が置物になってるんだ。アメリカで使うとは思わなかったぞ、この言葉。しかも帰国する残り数日で。あまりの驚きで脚立から落ちそうだ。

 

「お前さぁ、自分が設計士でも大工でもなんでないのにどうして説明書なしで組み立てられると思ったわけ? 向こうは説明書を見てだな、ここをこうして作ってくださいって用意してくれてるわけ、それをお前はだね──」

 

「分かった分かってる。同じ事をねちねち……海外に行って変わったと思ったけど何も変わってない。たぶん、遺伝子単位であんたは嫌味を言うようにできてる。キリ・ウィンチェスターは嫌味を言わないと、生きて、いけないから!」

 

「ああ、わざわざ区切って分かりやすく教えてくれてありがとう。本当に俺のことよく分かってるな。さすが愛弟子、さすがクレア、良いこと言うよ。壁紙の張り付け終わりだ」

 

 良い仕上がり。話ながらも作業の手を止めない、本当にリフォーム番組出れるかもってレベルだ。クレアの倍は働いてるな、俺。

 

「説明書なんてなくてもテーブルくらい組み立てられる」

 

「そうか」

 

「何の説明よ。テーブルなんて繋ぎあわせるだけ。説明なんて要らないし」

 

 それができてないんだろ。テーブルを繋ぎあわせて組み立てられないから作業が進んでないんだよ。脚立から降りると、インパクトを片手に立ち尽くしている背中からなんとも言えない哀愁を感じる。

 

「しかし、おかしなやつだ。説明書を捨てるなんて、無防なことやるよ。そんな子供みたいなことやるなんてな。どうりで説明書見ないでゲームやりたがるわけだ。ドライバー貸せ、あとはやる」

 

「絶対に嫌。キリは信用できない。絶対に杜撰なことやるに決まってる」

 

「自分から手伝わせといてよくそんなこと……いいから貸せ!」

 

「あー! あー! 人の物を盗んだら泥棒!泥棒はジョディに通報しないと!」

 

「そんなこと言うキャラクターじゃねえだろ!俺はそんな子に育てた覚えはないぞ!」

 

「育てられてない! ハンバーガーの食べ過ぎで脳ミソ油になったんじゃない!?」

 

 誰が脳ミソ油だ、それなら俺より先にディーンの頭がやられてるね。それにハンバーガーの食い過ぎで頭が汚染されてるなら、またリヴァイアサンを討伐しに行かないといけなくなる。

 

 市販の食い物を丸ごと毒物に変える悪魔のようなやり口を思い出していると、ズボンに入れていた携帯が唐突に鳴った。相手は──

 

「サムからだ」

 

 薄々と用件を察しながら着信に出る。

 

『はい、NCIS』

 

『連邦捜査官の兄弟を持った覚えはないよ。アイオワで変な事件を見つけた。ビッグクリーク州立公園で噛み傷だらけの女性の死体が』

 

『狩りか?』

 

『警察は噛み傷から動物の仕業だと。でも遡って調べてみると……』

 

『ちょっと待った。クレアもいるからスピーカーに変える』

 

 ビッグクリーク州立公園ってことはポークシティか。傍らで話を聞いていたクレアがドライバーを床に置き、視線を飛ばしてくる。どうせ遠ざけても頭を突っ込むからな、時間の無駄だ。俺は話を共有するべく、携帯をスピーカーに変えた。

 

『遡って調べてみると、死体は出てないがこの州立公園で何人もの人が行方不明になってる。2006年には森林警備隊の男性、98年には密両者、他にも大勢』

 

「今回の被害者もその一人ってこと?」

 

『やあクレア。前のことは助かった。礼を言うよ』

 

「助ける助けられたはお互い様。失踪者はどれくらい?」

 

『43年まで遡ったら54人の失踪者が出てる』

 

「多すぎる、狩りだろうな。だが、ちょっと取り込み中で──」

 

 俺は携帯を持ったまま作業真っ最中の部屋を見渡す。自信作の壁はともかく、クレアをノックアウトしたテーブルやまだやってない作業が山程残ってる。アレックスとジョディは夜まで帰らず、代理はいない。どうしたものか、とクレアに視線を投げてみるが悩んでいたのは俺だけらしい。

 

「分かった。すぐキリと追いかける」

 

 そう言うと、彼女は勝ち気な笑みを投げかけてくる。仕方ないか。人にはそれぞれ仕事がある。アレックスは看護師、ジョディは保安官ーークレアはクレア。

 

「そういうこと。また後で」

 

 そのまま携帯を閉じる。見ろ、あの得意そうな顔。リフォームから狩りに変わった途端、水を得た魚だ。自分のフィールドに出かけられるのがよっぽど楽しいらしい。リフォームするのお前の部屋なんだけどね。

 

「ジョディになんて言い訳するかな。帰ったらお前がいなくなってること」

 

「伝言残すから大丈夫だって」

 

「伝言って、ライブ見に行ってくるとかだろ。小細工はすぐにバレるよ。保安官もアレックスもお前のことはよーく知ってる。行こう、アイオワまで車なら6時間もあれば着く」

 

「言い訳は車の中で考える」

 

「そのとおり。つか、ペイシェンスは?」

 

「用事で出てる。だから、私も今から用事で出る」

 

 屁理屈が上手になったな、感動だよ。アイオワまでぶっ飛ばそう。魂無しバージョンのサミーちゃんの元愛車で。

 

「ねえ、さっき見たけど車変わった?」

 

「あのチャージャーは昔の兄貴の愛車。キャスが窓から転落してぶっ壊したのを修理したんだ。パワーはあるし、良い走りするんだこれが」

 

「大きいのが好きなんだ?」

 

「ああ、頼りになる。最高だ」

 

 まっ、金庫は引きずらないけどな?

 

 

 

 

 

 

 



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恐怖の口笛

 

 

「じゃあ、保安官は本気でコヨーテって考えてるわけ?」

 

「本気も本気。でもコヨーテの噛み傷じゃない」

 

 安っぽいモーテルに、クレアとそれに答えたディーンの声が交差する。スーフォールズから約6時間のドライブを終えたときには、二人が遺体の確認と保安官への聞き込みを終えたあとだった。

 どうやら案の定、動物による事故ってわけじゃなさそうだ。俺とクレアは並んでソファーに座ると無言で二人に話の続きを促す。

 

「遺体の噛み傷を見たけど、傷の周りが爛れてて火傷みたいだった。コヨーテに噛まれてあんな傷にはならない」

 

「でもそれなら何が彼女を殺した?」

 

「話を聞いてる限りだとシフターやレイスでもない。傷跡が爛れるなんて、少なくとも私には初めての相手」

 

「いいや、クレア。俺も兄貴にも初めてだよ。熱を放つならドラゴンが考えられるけど、奴等の爪痕なら爛れる程度じゃ済まない。行方不明者には男もいるし、他の何か」

 

 サムから始まり、ディーン、クレア、俺と続いた会話が手掛かりのない現状を表している。分かってるのは俺たちがまだ出会ったことのない存在ってことか。

 

 そして事件がこの州立公園内で起きていること。

 つまりーー手がかりを探すにはこの公園について調べる必要がある。皆考えることは同じ、ディーンが代弁するように溜め息をつく。

 

「みんな仲良く調べものか」

 

「それが仕事」

 

 サミーちゃんに同感。腰をあげて、俺もクレアもテーブルに置かれていたノートパソコンにそれぞれ向き合う。

 今日は四人、クレアを加えたことで頭数はいつもより多い。それもあって30分を少し過ぎたところでサムが右手を挙げた。

 

「これじゃないかーー『カホンタ』。先住民の間に出てくる伝説で資料は大して見つからなかったけど、森をさまよい歩く怪物で資料を引用すると人間の肉を欲してやまない」

 

 飢餓状態の怪物か、脈ありだな。パソコンを閉じたクレアが肩をすくめる。

 

「それが今回の敵ってこと?」

 

「恐らくはね。言い伝えがある。カホンタは腹が減ると胃酸を吐き出すみたい」

 

「マナーのなってない怪物。被害者はそれをぶっかけられたわけだ。だから、傷口が爛れた」

 

 言いながら、俺もパソコンを閉じる。異教の神とは思ってなかったが先住民関連の言い伝えか。どうりで見に覚えがないわけだ。

 

「かなり長生きの怪物だ。それに……餓えてる」

 

 神妙な面持ちで語られた意味は、今さら言うまでもない。腹ぺこ、まだ奴の胃袋は満たされていない。保安官は本気でこれがコヨーテの仕業だと思ってるし、あの公園も閉鎖も警備も敷かれてないままだ。まだ餌はそこら中に転がってるーー餓えた怪物の手の届く範囲に。

 

 翌日、それは現実となって返ってきた。翌朝になって州立公園で新たな犠牲者が出たことが保安官事務所に知れ渡る。

 被害者は男性で少女と二人で森に入っていたところを襲われた。少女は逃げ延びたが、この時点で相手がドラゴンである可能性は完全に消えたな。

 

 十中八九、サムの見立てで当たりだろう。先日少女を襲ったばかりでこの凶行、どうやら俺たちが思っていた以上に相手は餓えてるらしい。

 警察無線を傍受するのはハンターのお家芸。俺たちがFBIの装いで現場に駆けつけたのは、例のコヨーテの仕業だと信じてやまない保安官よりも先だった。

 

「それでフィッツは見つかったの?」

 

 毛布にくるまれ、救急車の荷台に座っている少女は力ない動きでコーヒーのカップに口をつける。

 

「いや、まだだ」

 

「サラ、だったね。森で何があった?」

 

 ディーンは訝しい顔つきで深く生い茂る森に視線をやり、変わってサムが少女に質問する。

 躊躇いなく話を始めた彼女を見ると、武偵とFBIの世間一般の認識の違いを嫌でも感じそうになる。これが日本で質問する側が武偵ならここまでスムーズには運んでないな。

 

「いきなり男が表れて、たぶん……男だった。全身が何かに覆われてるみたいな……」

 

「コヨーテってことは?」

 

「違う。あれは……コヨーテじゃなかった。絶対に」

 

 俺が挟んだ質問はかぶりと共に強く否定される。

 

「それと、口笛を吹いてた」

 

 ……口笛?

 

「私は逃げたけどフィッツは……」

 

「サラ。襲われた場所をできるだけ細かく教えてくれる?」

 

 聞き込みはそのままサムに任せ、俺とディーンはアイコンタクト。そして少し離れた場所で森を見ていたクレアを呼んで一ヶ所に集まる。

 

「口笛なんて言い伝えには書いてなかった」

 

「だね。俺たちの知らない特徴がまだあるのかも。でも前の犠牲者からまだ数日だ。これまでは新たな犠牲者が出るまでにもっと開きがあった」

 

「我慢が限界を迎えたのかもね。このまま行くと手当たり次第で食い散らかす。早く止めないと」

 

「クレアの言うとおりだ。食い散らかす前に手を打つしかない」

 

 そこまで言うと、ディーンが目を細めて脇道の道路を見る。俺も視線で追うと、けたましいサイレンを鳴らしながら一台のパトカーが脇道に止まった。

 運転席から険しい表情で保安官が出てくるが第一声で現場の引き上げを命令する。おい、ちょっと待て。

 

「保安官、捜索隊が出てますが」

 

「引き上げる。君は?」

 

「マクギャレット、FBIです。あの二人の応援で来ました」

 

 いつも通りにバッジを見せると、視線を振られたクレアも同じようにバッジとIDを見せる。

 

「来て貰って悪いが捜索は打ちきりだ。引き上げるように連絡しろ、今すぐ」

 

「ちょっと待って。本気で捜索隊を戻すつもり?」

 

 案の定、クレアが食ってかかるが保安官は動じない。長身の高い目線から、俺に向けてその視線は投げられる。

 

「君の部下か?」

 

「相棒です。まだ現場は経験不足ですが」

 

「コヨーテなんかに税金と時間を無駄にできるか?」

 

 ……やめろ、クレア。今にも噛みつきそうなクレアを腕で制し、アイコンタクトで聞き込みが終わったサムを引き寄せていると、先にディーンが割り込んできた。

 

「でも今回はコヨーテじゃないだろ。捜索隊を引き上げるって言うなら俺たちで探す」

 

「それはできん。FBIがなんと言おうが、俺の許可なしで森に入るんじゃない。分かったな?」

 

 怖い視線がまずディーンに、頷いたのを確認するとサムに。そして次には俺に。あー、見つめあっても嬉しくないな。減らず口が出そうだ。

 

「これ、頷くまでにらめっこする感じ?」

 

「何か言ったか」

 

「いいえ、何でも。はい」

 

 俺が頷くと、最後は一番の関門だが意外にもクレアはあっさり首を縦に振った。びっくり、俺が見習わないと。

 

「よし」

 

 納得した保安官が踵を返して去っていく。俺はまだ仏頂面のクレアをなだめるように肩を叩く。

 

「冷静に対処したね、大人だ。まさにプロだ。びっくりしてますよ」

 

「ああ、良くやった。でも俺から一言、引き下がるつもりはないな」

 

「ない。サムはおとなしく従うわけ?」

 

「勿論、そうはいかない」

 

 満場一致、保安官には悪いが引き下がる選択肢はなくなった。

 とりあえず、この場は保安官に従って公園から遠ざかることに。それにまだ陽が明るい、被害者は二人とも夜に襲われてる。森を捜索するのは、どのみち陽が沈んでからにしたほうが良さそうだ。

 

 

 

 

 

 

 満月の光に照らされる夜、CLOSED(閉鎖中)の看板を何事もなく越えて俺たちは森に踏み入った。

 

 ディーン先導の元、各々が武装した姿で森を奥に進んでいく。森に入った瞬間、胃液をぶちまけられる悪夢だけは回避できたらしく、10分ほど足を進めるがまだ例の口笛は聞こえて来ない。

 深い森だけあり、口笛の代わりにあちこちで虫の声がさざめいている。 

 

 

「ぶっちゃけジャングルは嫌い。世界中のどこのジャングルも」

 

「ここは森だ。ギリギリでジャングルじゃないと思うんだけど」

 

「似たようなもんでしょ、あたしからするとここは小さいジャングル。ギリギリでジャングルってこと」

 

「仲の良さは健在だな。お前らホントの双子じゃないかってくらい似てるよ、相性ばっちり」

 

 言ってろよ。俺よりアレックスの方がクレアとは相性がハマってる。

 いつものようにおどけた口調、エレンに言わせればだらけたサーファーみたいな喋りから、ディーンが声のトーンを変える。相変わらず、切り替えの落差がすごい。

 

 

「真面目な話、あの保安官は何か隠してる」

 

「あるいは何かに怯えてる。そう言えばカホンタの意味だけどーー口笛吹き」

 

 ああ、どうりで口笛が聞こえたわけだ。

 口笛か。サムの言葉に納得がいくが久方ぶりのショットガンの感触に体が落ち着かない。

 ソードオフ、馴染みの水平二連式散弾銃だが近頃は縁がなかったからな。

 

 最後に使ったのはかげろうの宿でジャンヌと一緒に幽霊を相手にしたときか。理子は散弾銃をいたく気に入ってるがそもそも殺しがご法度の武偵には推奨されない武器だ。平賀さん辺りに頼んだら銃検はなんとかなりそうだが……

 

「俺はサムに一票やるよ。あの保安官が何か隠してるのは間違いないだろうけど、あれは怯えた人間のする目だった。俺の先生に言わせると、恐怖を無理に上塗りしてる人間のする目」

 

 サムの言うとおり、保安官は何かに怯えてる。俺も綴先生の教えを伊達に受けてない。

 これでも尋問科のAだ。鬱蒼とした森をマグライトを頼りに進んでいく。

 

「みんなが聞く前に私から聞くけど、どうやって倒すの?」

 

「文献を探したけど倒す方法は書いてなかった」

 

 かぶりを振ったサムにディーンが『ショットガンだ』と、横槍を入れる。勿論根拠はない。お決まりのハンターの勘だ。でもこれがバカにできない的中率を誇る。

 

「じゃあ、兄貴の勘を信じてショットガンで頭をーー」

 

 刹那、どこからとなく高い音色が聞こえて、サムが言葉を途中で切る。後ろかーーいや、四方から反響するように口笛の音色が聞こえてくる。

 さざめいていた虫の音が消え、綺麗な口笛の音色が夜風に乗ってやってくる。俺は反射的に鋭く息をのんでいた。怪物と分かってなかったら、音源を追いかけてしまいそうなほどに綺麗な音色だ。

 

「キリ、灯りを」

 

「分かってる。外すなよ」

 

 トーラスとマグライトを構え、背後に視点を変えたサムに合わせるように俺もマグライトを茂みに向ける。急に体感温度が下がったような錯覚に襲われ、頬を夜の風が不気味に撫でていく。

 

「ーー銃を置け」

 

 ……この声、さっきの保安官か。来ると思ったよ。ディーンが後ろを取られるとは思わなかったけど。

 

「二度言わせるな、銃を置け」

 

 帽子はないんだな、一瞬誰かと思ったよ。背中にショットガンを向けられ、両手を挙げたディーンにも目で催促されて俺たちは各々に銃を地面に置いた。解答に保安官が冷ややかな一瞥をくれる。

 

「しかしアンタたちも強情だな。ここには入るな、たとえFBIだろうが許さない」

 

「実を言うと僕たちはFBIじゃない」

 

「教えてくれ、カホンタってなんだ?」

 

 背後を取られているディーンには見えないが、俺やサムには保安官が目を見開いたのがはっきりと見える。

 

「……知らん」

 

「嘘だ」

 

 余裕を含んだディーンの言葉に返答はない。沈黙は肯定、昔から相場は決まってる。

 

「署に来てもらおう。歩け、早く……!」

 

 仕方ない。俺が先んじて一歩踏み出すがーー

 

「……!?」

 

 ディーンが突きつけられているショットガンを強襲科のお手本のような動きで保安官から奪い取った。奪い取るのと同時にディーンは保安官の背中に一撃当て、よろめいたその体が距離を作った隙に、俺たちは拾い上げた銃を一斉に丸腰の彼へ向ける。

 

 一瞬で切り替わった状況に保安官はまだ頭が追い付いていないって顔だ。そんな彼にディーンが半眼を作りーー

 

「悪いな、保安官」

 

 ……悪ガキのする動きじゃないよな、驚く気持ちは分かる。今のは軍隊で学ぶ動きだ。正確には海兵隊。

 

「……何者だ?」

 

 それはもっともな疑問。FBIじゃないことはさっきバラしたわけだしな。時間が経ち、保安官も落ち着きを取り戻したが未だに夜の帳は降りたままだ。俺たちの敵は保安官じゃない、ってことで俺から種明かしだ。

 

「俺たちはハンターだ。科学では説明できないものを狩ってる。人を救うって意味ではあんたの仕事と同じ。それで、カホンタって?」

 

「話せ」

 

 奪い取ったショットガンを返しながら、ディーンが質問を後押しする。訝しげに俺たちを一人ずつ見据えた上で保安官は口を開き始めた。

 

「現実にはいないと思ってた。先住民の伝説に出てくる生き物だ、子供の頃に聞いた話ですっかり忘れてた。ところが……あの晩だ。バーバラが殺された夜にあれを見た」

 

「だから、僕たちに森に入るなと言った」

 

「どんな怪物だ?」

 

「怪物じゃないーー人だ」

 

 保安官はかぶりを振り、重たい空気が場に降り立つ。質問を投げたディーンを含め、俺たちの一人として、人の身でこんな凶行をやれるとは思っていない。だからこそ、保安官の言葉を遮ることはなかった。

 

「パーカーだ。パーカー家の一人」

 

 ……パーカー。確か、昨夜襲われたサラも襲われたのはパーカーの山小屋の近くって言ってたな。そのパーカーか。

 

「パーカー家は最初に入植してきた白人だ。この先に家を建てて暮らしてた、山小屋だ。厳しい冬が来て、食糧難になった。生き残ったのは長男のヘンリーだけ。だが、彼は恐ろしいことを……」

 

「まさかとは思うけど、自分の家族と共食いをやったとか?」

 

「その通りだ。話によると、彼は自分の家族を食らった」

 

 ……こんなに正解して嬉しくもないのも久々だ。たぶん、サムもディーンもクレアも同じ事を考えてたよ。厳しい冬を人間が人間を食って生き延びる話は、人食い鬼と共通する部分がある。あれも元は人間、寒さを耐えしのぐ為に共食いを続けた果てに飢餓状態になった。

 

「だが、ヘンリーは家族を食らっただけじゃない。飢えて、頭がおかしくなった。先住民を襲うようになり、俺の部族に捕まった。ただ殺すだけじゃ物足りない、苦しみを与えることにした」

 

 因果応報か。元々、人食い鬼(ウェンディゴ)は先住民の間で使われていた名前だ。このカホンタは言うなれば、人食い鬼の亜種。人食い鬼ーー親父が行方を眩まして、再会したサムと三人で初めて狩りをした怪物。ただ連中と違ってカホンタにはたぶん……食料を保存する概念はない。捕らえた獲物はその場で平らげる、襲われたら最後だ。

 

「彼等はヘンリーに部族を殺した罪と家族を殺した罪で呪いをかけた。飢えて森をさ迷うように、食べても飢えは消えない。食料がないときは自分を食べるケダモノになった」

 

 恐怖、嫌悪、負の感情が入り乱れた険しい表情で保安官は首を振る。

 

「生まれながらの怪物じゃない。呪いの産物」

 

 保安官の口から正体が割れ、ディーンが呆れるような視線を向ける。

 

「イカれた人食い男を森に放したのか?」

 

「違う。森に閉じ込めたんだ。立ち入り禁止の印を付けて住民を守ったが大昔のことだ」

 

「みんな忘れ去った」

 

「俺でさえ」

 

 サムの言うとおり、みんな忘れ去った。今では人食い男の庭に大人も子供も入り放題。向こうにしてみれば勝手に食べ物が転がってくる。願ったり叶ったりだよ。

 

「丁度良かった。私たちはそういうのを狩ってる」

 

「そういうの?」

 

「カホンタや悪魔、狼男も」

 

「エジプトのファラオや串刺し公なんかとも。あとジャンヌダルクと三つ子の曹操」

 

 サムの説明に付け足すと、案の定クレアから視線が飛んでくる。

 

「……本気?」

 

「本気も本気」

 

 近頃は教科書に出てくる連中と縁があるんだ。本人もその子孫も含めて。

 

「現実に……いるのか? 悪魔や狼男が?」

 

「ああ、俺たちが退治してる」

 

 ディーンが即答すると、保安官は俺たちを順に見渡しやがて眉をしかめる。

 

「たった四人でやってるのか?」

 

「私は助っ人かな。普段はスーフォールズでやってるし、怪物退治をね?」

 

「右に同じく。普段は別の国でやってる。桃まんが美味い国」

 

「二人とはたまに一緒になるけど、いつもは僕と兄貴の二人だけ。腕が良いもんでね」

 

 クレアに続き、俺も適当に言葉を投げてからサムが締める。たった二人で怪物退治か、確かに普通じゃないな。

 

「なら、現実に怪物がいることを公にすればいい。反撃する方法を教えるべきじゃないか!」

 

 ……本心から言ってるのは分かる。だが、そいつは無理なんだよ。それはウィンチェスターやキャンメル云々に関係なく、クレアやアレックスにだって分かってる。隣でディーンがゆっくりかぶりを振った。

 

「事実を話したって誰も信じちゃくれない。ご先祖さんが警告したって誰も信じちゃくれなかったよな、当の保安官さえ」

 

「そうだが、時代が違う。動画を録って流せ」

 

「いくら知識があっても倒せるかどうかは別だ。そして一度関わったが最後、簡単には抜けられない。二度と普通の生活には戻れないし、預り知らないところで恨みを買って、気付いたときには厄介ごとに巻き込まれることになる。ツケが、必ず回ってくる。たとえこの国を出て海を渡ったとしてもだ」

 

 分かってるさ、学習してる。この生活が普通じゃないことは身を持って体験してる。ハンターなんて何の理由もなくなるもんじゃない。みんな、理由があってハンターになる。そして一度関わったら最後、普通の暮らしは望めなくなる。誰これ構わず、引きずり込んでいい世界じゃない。まして、隣にクレアがいるんだ。通せねえよーー保安官。その言葉は通せない。

 

「あんたたちに決める権利があるのか。一人でも多くの人を救うために知らせるべきだろうが!」

 

「いや……違う」

 

 静かなサムの否定に保安官の瞳が寄る。兄貴のあの瞳は知ってる。エイリーンを失ったときと同じ瞳だ。

 

「戦い方を知っていても死んでしまう。そしてこの仕事に関わった者の最後はーー無惨だ。犠牲は必ず出る」

 

「訳ありなんだよ、俺たちもこの子も。そう、訳あり」

 

 ああ、訳ありだ。グレゴリも父親のこともなかったらクレアはハンターになってない。アレックスだって訳ありだよ。気まずくなった空気を裂くように保安官の携帯が鳴る。

 

「……済まない、息子からだ」

 

 いや、むしろ空気を変えるには丁度良い。夜はまだ長い、気疲れは命取りだ。肺の空気を入れ変えるべく息を吸ったときーー

 

『トーマス! やめろトーマス!』

 

 前言撤回、切羽詰まった保安官の叫びで思考が切り替わる。携帯が保安官の耳から離れた途端、クレアがすかさず問いかける。

 

「穏やかじゃなさそうだけど?」

 

「息子が、一人で森に、早く見つけないと……」

 

「おい、落ち着け。分かった、俺達も手伝うから。キリ、クレア」

 

「そのつもり。私も手伝う」

 

「コヨーテの仕業だと、誤魔化してしまった。一人で犯人を捕まえるつもりでいる」

 

「まだ間に合うよ。でもどうする、兄貴が文献を探しても退治する方法は分からなかった。一か八かでディーンの言うとおり頭をぶち抜く?」

 

 ショットガンで頭をぶち抜く。ないとは言い切れないけど、それで殺せるかどうか……

 

「知ってる。銀のナイフで胸を一突きすれば死ぬそうだ」

 

「銀のナイフならここにある」

 

 サムが懐から取り出したのは銀のタクティカルナイフ。

 

「ーー仕留めよう」

 

 刹那、示し合わせたように森に笛が流れる。冷たい汗がこの場の全員に流れた。相手は常に空腹だ。急がないと手当たり次第に食い散らかす。

 

「急ごう、僕らが先に奴を退治するしかない!」

 

 満場一致で俺たちは森の奥に飛び込む。この森に奴の住みかがあるとすれば、有り得るのは生前に住んでいた山小屋。飢えで頭がおかしくなっても自分が住んでいた場所は匂いや本能で覚えていてもおかしくない。昨夜の二人組みがパーカー家の山小屋の近くで襲われたのも偶然じゃないんだ。

 

 片手にナイフ、片手にトーラスのサムを見てると色々言いたい気持ちが湧くがそれは別の機会。整備されているとは言えない土を踏みしめて進んでいると、眼前に例の山小屋が見えてくる。見えてくるが……

 

「あれ見て。扉が破られてる」

 

「トーマス!」

 

 クレアの一言で、保安官は携帯していた散弾銃を投げ捨て山小屋に駆ける。身軽にはなるが殴り合うつもりかよ……!

 

Follow me(ついて来い).三人とも!」

 

 誰かさんの口癖を真似して、保安官の後を追いかける。だが、小屋との距離が近づくに連れ、破られた扉の奥に男と……そこで馬乗りになっている何かが視界に映り込んできた。

 

 それは確かに、目撃した少女が語るように全身を苔か何かで包まれているような醜悪な化物だった。形こそ人の姿をしているがあくまで人の面影があるのは形だけ。遠目からでも分かる岩のような皮膚、血が通っているとは思えない肌は、人間に生理的嫌悪を与えて止まない。その全貌に全身の毛が脇立つ。胃に物を溜めてなくて良かった……

 

「トーマス!」

 

 ちっ、まだショットガンの距離じゃない。先に保安官の子供が食われる。

 

「保安官、射線開けろ!」

 

 先行する保安官に言葉を飛ばし、同時にソードオフのショットガンを破棄。ベレッタPx4モデルを抜く。日本で銃検を通しているトーラスが後々面倒を引き起こさない為に、今はその場しのぎで使っているキンジと同じベレッタ社のカスタムライン。ホルスターから抜きざまの二連射が馬乗りになっている下肢を貫くが……

 

「9mmじゃせいぜい嫌がらせか……!」

 

 間髪いれず、ホールドオープンするまで引き金を引き続ける。分かってたが弾が当たっても目に見える効果はない。被弾する度に微かな呻き声は上がるが有効打と呼ぶより反射的な反応に近い。だが、自分が攻撃されているのは理解しているらしく、愚鈍な動きで馬乗りになった体が俺に向けて反転する。

 

「ーーー」

 

 人肉を食べると神秘的な力が付く信仰がある。それは人食い鬼の起源にも関わることだが、眼前の化け物を一度でも目にすれば……彼等もそんな信仰しないで済んだだろうな。

 

 俺の視線上にいるカホンタ、その顔にかつての人としての面影はない。かろうじて共通するのは胃酸という涎を垂れ流してやまない口だけだ。耳も目も鼻も見受けられず、顔を構成するパーツは先述した胃酸を溢している口のみ。二足で立ち上がったところを見ると、足で自重を支えるだけの力はあるらしい。二足歩行が人としての名残か。

 

「今さらだが……意思疏通は無理だな」

 

「俺が息子を、援護してくれ!」

 

「分かった。かっさらったら小屋から離れろよ」

 

 ホールドオープンのベレッタを弾倉ごと交換。素早くスライドを戻し、今度はガラ空きの頭部を弾き出された弾丸が穿つ。反射で揺れる人食い鬼の頭部をすかさず2発、武偵としては御法度の場所を貫くと今度こそ奴は小屋の外に躍り出た。

 

「ーーー」

 

 シフターやレイスみたいに人の言葉を理解し、会話ができる怪物は珍しくない。意思疏通は別として連中には仲間意識やそれなりの知能があるからな。だが、こいつは別だ。相対してはっきりと分かる。頭の中にあるのは自分の飢えを満たすこと、何かを食らうことだけだ。

 

「保安官は!」

 

「息子を助けに小屋に! あいつを小屋から引き剥がそう! クレア!」

 

「グロい体だね、丸ごと抉ってやる!」

 

 サムに続き、後続の二人も追い付き、カホンタを小屋から引き剥がすべく銃声が入り乱れる。俺のベレッタやサムのトーラスはともかく、クレアのぶっ放すショットガンを受けても倒れる気配がない。

 

 近すぎず、遠すぎずの絶妙な距離から放たれるクレアとディーンの散弾は確かにカホンタの肢体を穿っている。だが、むしろ愚鈍だった動きは刺激を受けて活性化したかのように機敏になっていた。一転、岩肌のような足が地面を踏み鳴らして見る見る距離を縮めてくる。

 

「後退だ。下がるぞ!」

 

 ディーンはそう言うと、合図のように装填したばかりのショットガンの引き金を引いた。カホンタの動きは二足歩行から両手両足を地に這わせた野犬のごとき直進に変わった。ベレッタの引き金をがむしゃらに引くが、どこに被弾しようと足は止まらない。胸に銀のナイフを差されること以外は無敵かよ。

 

「さっきより動きが早くなってない!?」

 

「鉛弾を浴びて、調子が戻ったんだろ!」

 

 クレアに軽口を飛ばすだけの余裕はあるが、連射しても空薬莢だけが増えていく。さっきも言ったが嫌がらせにしかなってない。俺は意を決し、背中を向けると異形から逃げるように後退。カホンタに牽制目的の銃声が乱れる中で三人と改めて落ち合う。

 

「9mmをいくら撃っても倒れもしない。これだと経費の無駄だ。小屋からそれなりに引き離せたけど、保安官は上手くやった?」

 

「ああ、おそらくはーーだけどね。こっちも弾が切れる前に。僕がいく、援護しろ。キリ、残弾8だ」

 

 返事と同時にサムから渡されるのは『トーラスPT92』。日本では俺も普段から愛用しているベレッタのライセンス生産モデル。そもそも俺は兄貴の影響でトーラスを選んだわけだ。昔は9mmモデルのスプリングXDだったが、今はこの銃が一番しっくりと来る。ベレッタとトーラス、なんとも皮肉な双銃だ。この上ない。

 

「よし、援護してやる!行け!」

 

 ディーンの言葉が契機となり、ふたたび散開。射線を踏んでの同士討ちを避けつつ、耳をつんざく発砲音が聴覚を支配する。カホンタは外郭が極端に硬いわけじゃない、効き目が薄いだけで弾は通るし、奴も被弾したことで攻撃を受けていることは認識してる。無意味に見える銃撃も注意を惹き付けることはできる。

 

 出し惜しみはいらない、胃酸に濡れた牙を煌めかせ、生理的嫌悪を与える口へ二挺とも照準。トーラスの残弾と再装填したベレッタ、計20発を越えるパラベラム弾をそのまま開きっぱなしの口内に叩き込むーー刹那、身の毛のよだつ奇声が森に反響した。

 

「yippee- ki-yay。ざまあみろ」

 

 両手の拳銃のスライドが下り、弾切れを知らせる。スライドがロックされた銃ごと両手を下げたとき、眼下ではカホンタの胸部に銀のナイフが突き立てられたところだった。人と同じ二足の足で地を踏んだカホンタは不気味に全身を揺らし、末期の痙攣を残してその体を溶かしていく。全身から湯立つように煙が上がり、頭部から液状に体は溶け始めるとやがて上半身が、最後には足先も残さず呪いで長らえていた生を終えた。

 

「酷い最後だったな、これも報いか」

 

「さんざん人を食い散らかしたんだ。因果応報だよ」

 

 既に体全体を溶かし、液状となったカホンタをしゃがんで見下げるディーンとサム。その少し後ろから俺とクレアは様子を静観する。

 

「とりあえず、終わったな。久々に組んだがお互いまだ息はしてる。ハッピーエンドだ」

 

「うん。水飲み場のガゼルにならなかったのは確かかな。あいつの腹には入ってない」

 

「ああ、奴の餌にはならなかった。もう口も歯も残ってないけど」

 

 肩をすくめ、どろどろに溶けた亡骸を見やる。これじゃ何も喉には通せないな。食ったものも体も纏めて溶けてやがる。

 

「よし、アメーバみたいになっちまったがとりあえず解決の証に言っとくーーBook'em(ぶちこめ),キリ」

 

 アメーバみたいにどろどろで檻に入れようがないが……ありがとうディーン。その言葉、ものすごく本土に帰って来たって感じがするよ。ああ、一応言っとくか。

 

「向こうでは言う側だったけど、そのセリフ言われるのも悪くないね。ああ、ちょっとテンション上がってますよ、柄にもなくーーHoo-yah」

 

「いい返事、100満点をくれてやる」

 

「ありがとうディーン」

 

 

 

 

 

 

「あれで良かったと思う?」

 

 抑揚のない声色が助手席から飛ばされる。人気も他の車も通らない殺風景な道路を、スーフォールズに向けて俺とクレアを乗せたチャージャーは走っていた。事の顛末としては、保安官の息子は無事に救急車で運ばれて大事には至らず、今回の一件表向きはこのままコヨーテの仕業として保安官は処理するらしい。いつも通りの幕引きだ。

 

「保安官の息子はあの怪物を直に見てる。それに最初の犠牲者も彼とは知り合いだった。他の皆は騙せても彼は騙せない。あれで良かったんだ、保安官は真実を話すしかない。彼に嘘をついていたことを認めるとしても」

 

 別れ際、サムとディーンが保安官に言ったとおり、彼に真実を話すしかない。

 

「たとえ、それで信頼関係が崩れたとしても?」

 

「でも二人とも生きてる、いくらでもやり直せる。それが家族だ。家族は恨みきれない」

 

 それに比較に挙げたら、兄貴たちとキャスは何度信頼関係が崩れ去ったことか。両手の指じゃとても足りない。でも今でもみんな一緒にいるんだ、新しい家族(ネフィリム)も一緒に。

 

「この国を出て、色んなやつに出会った。良いやつ、悪いやつ、ほんと大勢。日本での生活で俺も少し学んだ、一つのことに凝り固まると周りが見えなくなる。俺が見ている景色や価値観の外にも世界はあるんだ」

 

 籠の鳥ーー星枷がキンジに連れ出されて外の世界を知ったように、俺も神崎やイ・ウーの連中に色んなことを教えられた。

 

「俺は隣人に恵まれた、お陰で母さんや家族との確執も清算できたしな。ハンターとしての日々もそれなりに納得してる。でもお前には今でも……後悔が尽きない。悪い、クレア。お前の母さんのこと、今でも悔やみ切れないよ。本当にすまない……」

 

「……終わった話でしょ。私も何もできなかった」

 

「いいや、俺たちはお前の父さんに、キャスに何度も命を救われてる。彼がキャスの器になってくれたことで何度も俺は命を拾ったし、力になってくれた。本来ならその恩を、俺たちは返さないといけないんだ、娘のお前にな。だが俺たちはお前を……ハンターの道に入れちまった。普通には遠い生活に」

 

 ハンドルを握る手に自然と力が籠る。保安官と話をしたとき思ったよ。もしお前の母さんが生きてたら、グレゴリの狩りでクレアの母親を救えていたらってな。ああ、今でも思ってる。

 

「やり直せないのは分かってる。でもあのとき、もしお前の母さんを救えてたら、お前もハンターにはならなかった。母親との失った時間も取り戻せたはずだし、怪物を追いかけるこんな生活……イケイケの性格は治らなかったとしても傷だらけで怪物を追いかけることはなかった」

 

「やめて。人生足らればはないんだって。私もカイアが死んだとき、同じ事を考えてた。ハンターは、人生にものすごく大事だった人を失った人間がやる仕事。答えのでないたくさんの問いを一生抱えていかなきゃ。でも仕方のないことだけど、私はひとつ受け入れた。私はどうやっても救えなかったよ、カイラのこと。分かってるよね?」

 

 ……ああ、大切な人を救えなかったこと。折り合いはとても付けられない。答えのでないたくさんの問いを一生抱えていかなきゃいけない。駄目だな、俺より大人だ。

 

「まっすぐ、日本に帰る気分じゃなかったけど重荷が一つ減ったよ。ありがとう。年を重ねると何でもかんでも懺悔したくなる」

 

「若くないのは認めるけど、隠居には早いんじゃない?」

 

「ああ、まだやることが山積みだ。帰ったらリフォームの続き、やろうな?」

 

 返事がなく、隣を見てから俺は乾いた笑みを作る。困ったときの寝たフリは日米共通だな。いいさ、タクシーには慣れてる。スーフォールズまで送迎してやろう、フランク・マーティンになった気分で。

 

 では、ここで一曲。狩りも済んだことだしEDを流そうか。新しい物好きなサミーちゃんらしく円盤からお届け。見果てない真っ直ぐに続いている道を走りながら、プレイヤーの再生ボタンを押す。

 

「またこの国を出るんでしょ、別れの言葉はなし?」

 

 ……ったく、寝てたんじゃないのか。

 

「日本とアメリカだ、世界の裏側同士ってわけじゃない。一緒に狩りをやって、一緒の世界で過ごしてきた。命がけで戦った。お前との関係は簡単には切れねえよ。アレックスもキャスも」

 

 ジャックが言った。ルシファーは関係ない、家族は俺たちとカスティエルだと。俺もそう思ってる。ケビンもジョーもアイリーンも皆が命がけで戦ってくれた、俺がどこにいようと何年経とうがーー変わらない。

 

「支えて、支えられる関係。だから、俺とお前は家族だ。地獄に行こうが天国に行こうが変わらない。俺がやってきたことをお前やアレックスが覚えていてくれる。俺はそれで満足だよ」

 

 

 ーーsee you again.クレア。

 

 

 

 



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大天使+魔女+時間潰し


一部の登場人物がシーズン13の強いネタバレになります、ご注意ください。


 

 

「たまたま調子が──」

 

「ガブリエル、やめて」

 

「ほんの少し休ませてもらえば──」

 

「言い訳は結構。聞きたくない」

 

 俺の名は雪平切、あるいはキリ・ウィンチェスター。

 魔女と大天使のお目付け役を押し付けられた尋問科の武偵兼本土育ちのハンターだ。

 

「珍妙な景色だと思わない?」

 

「そりゃもう。魔女と大天使が同じ屋根の下で読書してる、ぶっちゃけ珍妙どころじゃない」

 

 もう何年もの間、住まいとして使ってきた賢人のアジトの一角ではそれはそれは珍妙な景色が広がっていた。

 短い言葉で済ませたものの、隣の毒使いの顔はそれ以上適切な言葉が見つからなかったとでも言いたげだ。

 

 俺たちの視線が向いている先は同じ。

 目が回りそうな量の書物で埋められた棚の前で右往左往する黒いコートの男と、古びた木製テーブルに広げた分厚い本を頬杖片手にめくる女。

 

 一見すると本に囲まれている男と女、騒ぐほどでもない普通の光景だが、例によって普通の枠から飛び出るも飛び出た二人なのだから話は違ってくる。

 まさか出会うとは思わなかった魔女と天使の遭遇を、俺たちは少し離れた壁際のテーブルから見据えた。

 

「大天使だってことには変わらない」

 

「ふーん、そう」

 

 口を開く度に上から言葉を被せられて一蹴されている男の名前はガブリエル──名前から分かるとおりルシファー、ミカエル、ラファエルと同じ神の近親。クリエイターのパパやアマラおばさんには一歩及ばないが化物二人に迫る絶大な力を持った四大天使の一柱。

 とある事情から天界を家出して、地上でお菓子と風俗を満喫していた天界きっての女好き。欲望渦巻くLAの街を愛したルシファー・モーニングスターに近いのは、むしろあの魔王より彼の方かもしれない。

 

 実を言うと、俺たちが初めて会った天使はキャスじゃなくて彼。それもリリスやルビーと出会うもっと前に遭遇してる、正確には天使としての身分を偽っていた彼と。

 大天使ガブリエル──味方か敵か、どちらとも分からない口振りや謎めいた行動で俺たちをさんざん振り回してくれた『トリックスター』だ。

 

「" Heat Of The Moment "……」

 

「このお馬鹿、ガブがいるときにその言葉を出すな。マクガイバーの前でカイロの話を引っ張り出すようなもんだぞ、カイロの話はタブーだ」

 

「ごめんなさい、貴方の反応見てみたかったから。好奇心に負けた」

 

「許すよ。でもゴシップ番組ばっか見てないでもっとドキュメンタリーを見ることを勧める」

 

「ゴシップ否定派? 案外おもしろいわよ?」

 

 そして、そんな彼を読書片手にあしらうのはローウィナ・マクラウド。十字路の王たるクラウリーの母親で数百年の時を生きている魔女。

 現代では葬りされてしまった呪文や言語にも広く精通する、俺がこれまで見てきた魔女の中でも間違いなく最強格の一人。

 最初は敵、そしていつの間にか協力関係を結ぶ間柄になっていたいつものパターンだ。

 

「でもさあ、君だったかもなぁ。失敗したのは」

 

「へぇ」

 

 手にしていた厚い本をわざとらしく音を鳴らしながら閉じたガブが、座ったまま不適な笑みを浮かべたロウィーナの後ろを回って眼前に立つ。お得意のひょうきん者の顔で。

 

「そうだろう? 聞いたぞ、パワーを解放したはいいけど自信喪失。力不足を思い知った。戦力外は君の方じゃないのぉ?」

 

 やめておけばいいのに、ガブリエルは手持ち花火を持って火薬庫に飛び込んだ。

 異なる世界を繋ぐゲートには原始の創造物とも言える大天使の『恩寵』が必要だ。その大天使とこうしてパーティーを再結成したところまでは良かったんだが、肝心のガブはアスモデウスとかいうトロい小物にやられていたせいで恩寵がロクに残ってない、言うなればガス欠。

 

 それでも微々たる量をなんとか絞り出してくれたわけだが、母さんとジャック──キャスの息子を連れ戻しに異次元に繋がる裂け目をロウィーナのまじないで開こうとして失敗に終わったのがつい先刻のこと。

 

「どんな子供でも使える簡単な魔法よ。術者とまじないは問題ない、あれは材料の不備」

 

 手持ち花火を持ったガブの反論は軽くあしらわれることになった。

 正確には開くには開いたが一分と持たずに閉じた。あれだと二人を連れ戻すどころか飛び込んだ途端に裂け目が閉じて、みんな仲良く悪趣味なテーマパークに置き去りにされる。

 

 神聖なジェット燃料もピルケースのペンダントに収まる程度の量じゃどうにもならない。扉を開くこと自体は成功した、だが裂け目を維持しようとすればするほど恐らくそれに応じた量の恩寵が必要になってくる。

 あの荒廃した世界で二人を見つけて、元来た裂け目まで連れて帰る。順調に事が運んだとして数時間はかかると思った方がいい。グレたミカエルやアーミー天使どもの妨害に運良く遇わなかったとしてだ。

 

「恩寵が自然回復するのを待ってたら裂け目を開けるのはいつになるか分からない。ここは別の手を探す必要があるんじゃない?」

 

「こういうとき、ルシファーならそこらの天使から手当たり次第に恩寵を奪い取るんだろうが、必要なのは大天使のエネルギー源。そこらの天使から恩寵をいくら奪ってもそれは所詮代用のバッテリー」

 

「鉄火場を凌ぐのには使えても、魔術の材料としては使えない。荒っぽい手は消えたわね」

 

「ドンパチするには使えるんだろうがあくまで借り物は借り物。お前が言ってくれた通りだよ、他に別の手がいる。今、悲観しながら頭を必死に回してるところ」

 

「コーラの追加がいるわね」

 

「頼む」

 

 頭を冷まして現状を省みるとあまり好ましいとは言えなかった。二人の見張りを俺に押し付けてサム、ディーン、キャスの三人は別室で仲良く作戦会議中だが何か良い手を見つけてくれることを祈ろう。

 と、他力本願な気持ちで頭の中の回しぐるまを回転させていると、待ちぼうけにしびれを切らしたのかガブリエルが落ち着きなく肩を揺らし始める。

 

「……まだ終わらないのか」

 

「仲良しトリオ? 暑苦しい、兄弟愛、メロドラマ。長いわよ」

 

 ……言えてる。単なる作戦会議だけじゃ終わらなさそうだ。人生は酷だ、人も天使も残酷。ドロドロしなきゃいいんだが。

 ちくしょうめ……チェリーコーラが切れた、夾竹桃早く戻って来ねえかな。一人でトークバトルを観戦するのも虚し──

 

「だから時間はーーある。一緒に埋めてみない?」

 

 たった一言少し。そのたった一言少し言葉で空気は一変した。

 

「何を……?」

 

「男のプライドずたぼろにされたんでしょう、お見通し」

 

 重苦しく、喉を鳴らしたあとのガブの言葉にねっとりとしたロウィーナの言葉が続いた。

 

 ……なんで熱い視線を絡め合ってるんだ? なんで妙な空気で黙り込んでるの? なぜだろう……なんでかすごく、すごく嫌な予感がする……ものすごく……不穏な気配を感じる。

 今、声を出すのに躊躇しちまってるこの空気が何よりの証拠だ。ああ……嘘だろマジかよ……熱視線で火災発生中? 魔女と天使が、冗談だろ……っ。

 

「つまりそれは……プライドを慰めてくれるってこと?」

 

「あなた次第」

 

 ……う、嘘だ……こ、これ、ど、どうするんだよ……おい、冗談だろ冗談だと言ってくれ……! 

 作戦会議やってる隣なんだぞ。ありえん、ありえんだろっ!

 

「雪平、頭の中のハムスターの調子はど──」

 

「絶好調だ! 今日はマクガイバー並みに冴え渡ってる! 名案閃いたからひきこもってる三人を迎えに行くぞ!」

 

「はぁ? ちょっと……なんで目隠し!?」

 

「世間の大人はこういうときこうするの! 疑問は世に問え!」

 

「は、はぁ?」

 

 謀ったようなタイミングで戻ってきた腐れ縁の眼を手で塞ぎ、そのまま踵を返させる。

 よし、仲良しトリオの部屋まで待避だ。あの二人のお目付け役は俺には務まらないってことが分かった。

 まあ……あの場に女子校生を置いとくわけにもいかないかだろ。これは正しい待避行動だ。

 

「雪平、貴方の奇行には付き合ってあげるけどこのまま部屋まで行くつもりなら慎重に案内しなさい。安全運転、貴方には無縁だろうけど」

 

「いつだって安全運転してるよ。それと、頼むから慎重っていうのやめてくれ。俺の名はミスター慎重、ミドルネームは慎重だ」

 

「キリ・慎重慎重って名乗るの? 面白い名前だわ」

 

「魔宮の蠍だって良い勝負だよ。インディ・ジョーンズの映画のタイトルみたい」

 

 ……なんで俺は夾竹桃をセルフ目隠ししてアジトの中を歩いてるんだ? 数時間前の俺に今の状況を説明してもきっと信じちゃくれないだろう。

 長い通路を少し歩けば、そこはもう仲良しトリオが会議中の小部屋。目隠しを外した手でそのままノック抜きにドアを開け放ってやった。

 

「あれ、どうかした?」

 

「酷い顔してんぞ、悪夢でも見たような」

 

「まあ、当たらずしも遠からず。もしかしたら蛍光灯の浴びすぎかもしれないけど」

 

 魔除けの刻まれたドアを開け放った途端、三人分の視線が集まる。

 みんな、知恵を投げ合って疲れたって顔してる。多少なりと言い争ったって感じだな。

 

「これと似たような光景みたことある、視聴覚部の発表会だ。体は使わず言葉でやりあうアレ」

 

「見張りはどうした? ロウィーナとガブリエルのお目付け役に任命しただろ。コーラとハリケーンポップコーンを付けて」

 

「……あー、お目付け役ね。それが……やむを得ない事情から持ち場を破棄した。って、そんな顔するな。俺は反対しただろ、ホラー映画で死亡フラグが立つ定番のセリフ、それが『手分けしよう』だ。数分前にディーンが言ったやつだよ」

 

 目敏く聞いてきたディーンには、なんとも説明し辛いアクシデントだけに言葉をなんとか濁して視線も頭上へ逃がす。

 

「雪平から名案があるって。ぶっつけで閃いたそうよ、マクガイバーみたいに」

 

 しかし、思わぬところから退路に火が回る。

 そう言えば名案が閃いたなんて咄嗟に言ったような気が……

 苦い顔をなんでもないフリで隠すが、こういうときディーンよりアクティブなサミーちゃんが食い付いた。

 

「一応話は纏まったけど名案って? 何か思いついたのか、聞かせてくれ」

 

「えーっと……あっ、トップガンの続編がついに制作決定だって。やったね、おめでとう! 親父もきっと喜んでるよ!」

 

 話題逸らし──別の話題を出して目の前にある話題を有耶無耶にするキンジの必殺技。

 サミーちゃんの質問をこれで無かったことにして……ふと、キャスと目が合った。またもや嫌な予感がする。

 

「アドバイスしてもいいか? これは私の経験だが、話をしていてまずいと思ったら、そう思う2分前に話をするのをやめることだ」

 

「嘘をついたわね、死になさい」

 

「なんでいきなり極刑を言い渡されんだよ! 鬼かお前はッ!」

 

 そう思ったとおりにはいかなかった。オブラート抜きに飛んでくる言葉の凶器は一周回って清々しさすら覚える。

 

「冗談よ。今日も貴方が絶好調で何より、嬉しい限りだわ」

 

「それはそのままの意味? それとも皮肉?」

 

「皮肉で言ってるわけじゃない」

 

「ほら、またその皮肉っぽい口調。どっちか分からないよ。やっぱり先生の言葉は正しい、俺はお前のセンターボード」

 

「はぁ?」

 

「センターボードだよ、ヨットの下についてる板だ。舟を真っ直ぐに立て舵が効くようにする、舵が」

 

 横目をやると、煙を上げていない煙管が淋しげな口に静かに咥えられた。火は灯さず、ただ咥えただけの煙管を今度はゆったりと下げてから、

 

「バカにしたわね?」

 

「ほんのちょっと。お詫びにあとでコーヒー入れるよ、ブラックの激熱」

 

「火傷で悶絶するほど熱いやつ?」

 

「訴えられそうなほど。お好きでしょ?」

 

「ま、嫌いじゃないとも言い切れないわね」

 

「なんだよそれ、二重否定か? おもしろい答え方するんだな、まだ芸を隠してたのか?」

 

 うっすらと見えた笑みと一緒に頷かれる。なるほど、多才だ。いつも思うけどさ、泳ぐこと以外はなんでもできちゃう女だな、お前って。

 かぶりを振ると、ふと妙なものでも見るような視線が二方向から突き刺さった。

 

「もっと前から仲間に欲しかった」

 

「ああ、仲良くやれただろうね。でもすごく、既視感があるんだけどなんでかな?」

 

「似たようなことやってただろ、クレアさ。しょっちゅうやってた、こんな感じで」

 

「納得だ。あれもなんていうか、ガード抜きでの殴り合いだった」

 

「最後に仲良く握手するところまで同じ」

 

 このネルシャツ二人組は何を納得しやがったんだかなあ。確かにクレアと同じで裏表なく言葉を投げ付けてくるところはよく似てる。

 その一点だけは生き別れの双子かってくらいそっくりだ。やや幼さを残した瞳や透明感のある声も似てないとも言い切れないが……

 

 ま、目先の大きすぎる難題からこれ以上逃避するのはやめておこう。時間が惜しいってことを忘れそうになる。

 母さんは今もあの悪趣味なテーマパークに置き去りになってる。一秒でも早く連れ戻したい、その気持ちはみんな一緒に決まってる。わざとらしく咳払いをして、頭をクリアにしてやる。

 

「んで、改めて聞くけど話は纏まった?」

 

「ああ、君たちが入ってくる少し前に。意見は固まった」

 

「あっちの2人と纏めて話す。行くぞ、サミー」

 

 そりゃ良かった──と、思った次の瞬間にはディーンが部屋のドアを開いていた。

 纏めて話す、纏めてかぁ……先程のロウィーナとガブの様子が脳裏にフラッシュバックし、俺は苦々しい顔で 、

 

「先に言っとく、心の準備しといた方がいい」

 

「どういう意味だ?」

 

 サムだけじゃなく、ディーンも困惑した顔を歩きながら向けてくる。数分後、この二人とキャスがどんな顔してるか、正直気にはなる。

 悪戯好きなんて柄じゃないが、お目付け役をやらされた以上はいっそ道連れにしてやりたい気持ちはある。狩りで貧乏くじを引かされたことは両手の指では足りないのだ。

 

「なんていうか、合コンに祖母を連れて来られたレベルの衝撃?」

 

「ひでえ、まさに悪夢だ。──? おい、どこ行った?」

 

 無数の本棚が家具のような気安さで置かれている先刻までいた一角に戻るが、肝心のロウィーナとガブリエルの姿がどこにもない。

 ディーンに続いて、俺たちもそれぞれ辺りを見渡すが目立つ赤毛と茶髪の姿は見つからない。

 

「……えっ!? あっ、あらっ、あああ!」

 

 が、突如として聞こえてきた甲高い声に場の空気が凍てついた。

 

(……おお、神よ……どこまでハプニングが好きなんだ)

 

 慌てた様子で柱の影から髪を乱したロウィーナが、分厚い本をお腹のすぐ下に添えたガブが姿を見せる。お揃いで髪を乱れさせた二人は落ち着かない様子で足を動かし、姿勢を細かに変えた

 

「私たち」

 

「読書さ。だってここは……書斎だ。本に、囲まれてる。……だろ?」

 

 な、なんてことだ……どこか疲労感を感じさせるガブの声色を聞いたキャスがゆっくりと視線を下げていき、やがて床に眼を逃がすようにうつ向いた。

 サムは眼と口を大きく開き、ありえないものでも見たような表情を顔に張り付ける。

 ディーンは唖然としたまま、石像のように固まってしまって動かない。

 俺は一瞬だけ額を抑えた手で、夾竹桃の眼を再び覆って目の前の光景を隠した。

 

「雪平、私が満足できる説明を──」

 

「見ちゃいけません」

 

「……道徳警察気取るつもり?」

 

「お前よりは長生きしてる。この手は接着剤代わりの歯磨き粉。即興のモザイク加工と思え。しかし……本気か?」

 

 苦い眼差しを赤毛の魔女に向ける。案の定、どこ吹く風と乱れた髪を手で直したロウィーナは一度ガブと顔を見合わせて、

 

「それで、話は纏まったのかしら。結論は? んっ」

 

 あくまで『読書』で通すつもりらしい。何食わぬ顔で小首を揺すった。ずぶとさが過ぎる。

 

「……サムが話す」

 

 唖然とした顔でディーンはそう言った。

 だから言っただろ兄弟、合コンに祖母を連れてこられた衝撃だってさ。

 とりあえず、コーヒー淹れるか。目が見開く熱いやつを。

 

 

 

 

 ひどい頭痛で意識が覚醒する。お世辞にも良い目覚めとは言えない。僅かに開いた視界に頭上から蛍光灯の灯りが差し込んだ。

 

「……どうせ見るなら他の夢にして欲しかった。なんでよりによってあそこなんだよ」

 

 誰に飛ばすわけでもない小さな愚痴を目覚めの一発として吐く。

 いや、あれはガブと笑い合えた最後の時間。そう思えば悪くない夢だったのかな。二人目のネフィリム誕生と思ったら笑えもしないが……

 

「キンジ、いるかー?」

 

 枕元に置いたR2-D2の目覚まし時計は15時を僅かに回ったところだった。昨夜は夾竹桃とあいつが近頃夢中になってる深夜アニメをお高いホテルで一緒にリアタイ視聴。

 夜更かししちまったせいかな、休日の二度寝なんて久しぶりだ。皺で乱れたシャツのままリビングに出るがルームメイトの顔は見えない。

 が、何かを叩くような……包丁? 包丁でまな板を叩く音がキッチンから聞こえる。

 

「……ジャンヌ?」

 

「起きたのか。遠山から許可は貰った、少し借りるぞ」

 

 予想だにしない相手に寝惚け眼に血が行き渡るように視界がクリアになる。

 キッチンで包丁を握っているのは黒のキャミソールとパーカーに身を包んだ私服姿のジャンヌダルクだった。普段は編み込みで整えた銀髪は、今は余裕を持たせて後ろで一つに纏められている。

 

 アイスブルーの瞳は一度こちらを見やると、すぐにまな板へと視線を戻した。キャミから覗いた色白の首もとには黒の革紐で結ばれた十字架が小さく揺れている。

 それは前に一度見せて貰った理子セレクトの外出用コーディネートだった。

 色味の薄い銀髪とは対象的な黒の短パンも併せて、上下を黒で整えたコーデは素材が良いとはいえ、拍手を送らずにはいられない仕上がりだ。そこは素直に流石は理子だと称賛しちまう。

 

「なんだ? 聞きたいことがあるなら一つずつ言え。順番に、分かりやすくな」

 

 珍しい私服姿を眺めていると声がかかった。まあ、なんでジャンヌがキッチンにいるのか。

 まずそこから疑問なんだが、とりあえず質問を脳裏で纏めている間にまな板の葱がみじん切りにされていく。

 

「じゃあ、最初の質問。聖女さまはどうして玉葱をみじん切りにされていらっしゃるので?」

 

「見れば分かるだろう。炒めてカレーの具材に使う」

 

 カレー? 一瞬呆気に取られるが、丁度上積みみたいになった野菜の下敷きになっている長方形の箱が見えた。

 手を伸ばして半分ほど抜き出してみると、ジャンヌの言ったとおりカレーのルーだ。たしか、以前キンジがセールで買い漁ったやつの残り。

 

 いつかインドに行って本場のカレーを食うんだとかなんとか、愉快なこと言ってたなぁ。

 

「なるほど、カレー用の玉葱ねぇ。けど、カレーの玉葱ってそんなにみじん切りするもんか?」

 

「愚問だな。飴色に炒めた玉葱はルーにコクを与える」

 

「し、失礼しました……」

 

 ……ものすごくこだわりがあるんだな。わざわざ手を止めてドヤ顔で言ってきたジャンヌに自然と敬語が溢れた。

 どうやら満足したらしく、唇の端を持ち上げたジャンヌは包丁を再び動かし始める。

 刃物の扱いに慣れてるせいか凄まじい早さで包丁がまな板に落とされる……すごいな、ここまで来ると芸術だよ。誤って怪我をするなんてこともなさそうだ。

 

「じゃあ次だけど、どうして俺の部屋でカレー作ってるんだ? 夜はみんなでカレーを食べながら映画を見る、もしくはポーカーナイト?」

 

「お前への礼だ。まあ、祝いと言ってやってもいいがどちらでも好きに受けとれ」

 

 「カレーを勧めたのは遠山だが」とジャンヌは片手間で続けた。。

 祝い? 祝いって何の祝いだ? 礼も祝いも心当たりがまるでないぞ。

 

「ここにいるということは、あのミカエルを押し退けたのだろう? にわかに信じ難いが、お前には二人の大天使を檻に押し込んだ前例がある。つまるところ、生きて戻ってきたお前への祝いだ」

 

 頭の奥を探っていると、聞かずとも答えは向こうから降ってきた。

 ミカエル──邪悪なミカエル。最終戦争が起こったアビリーンの空で弟を引き裂き、荒れ地の王様となった大天使。

 カレンダーが吊るされた壁に背中をもたれさせ、俺はかぶりを振る。

 

「祝ってもらえることじゃない。俺たちがルシファーを外に出しさえしなかったら、ミカエルのいるあの世界とこっちの世界が繋がることはなかった。いつも通りさ、自分たちがやった間違いを自分たちで片付けた。犠牲を払ってな」

 

 死んだと思ってた友人と再会できた。

 でも彼も死んだ。ミカエルからみんなが逃げる時間を稼ぐことに命を投げた。

 お陰でミカエルと天使の軍隊が裂け目を通ってこっちに来ることはなくなった。いつも通りの誰かが欠けたクランクアップ、今度こそガブリエルは虚無の世界に落ちた。

 

「お前のカレーが食えるのは純粋に、嬉しいけど祝ってもらえるほどのことは……複雑だよ、久々に本土に戻って良かったって思うこともあった。でもそれ以上に……色々考えさせられた。あの世界ではサムもディーンも生まれてなくて、俺も幼少の間に事故で死んでることになってて、だからこそ俺たちに力を貸してくれて、巻き込まれる形で死んでいった仲間がみんな生きてた」

 

 ケビン、チャーリー、敵になったバルサザールも、みんなこっちでは命を落とした。あの世界を歩いていると、嫌でも頭をよぎる。いや、きっとサムもディーンも思ったはずだ。

 もし、もしも俺たちと出会なけりゃみんな生きてたんじゃないかって。

 

 少なくとも、チャーリーはパソコンを抱いたまま浴槽で最後を迎えることはなかった。ケビンは天使に目を焼かれることも、四六時中頭がどうにかなりそうな石板とにらめっこし続けることもなかった。

 

「みんなの協力がなかったら、今頃俺たちは地面の底棺の中で眠ってる。けど、死んだと思ってた大切な人があっちでは普通に歩いてて、きっと会えたことに感謝するべきなんだけど……久々に自分のことが心底嫌になっちまった。あのとき何か歯車をずらされたら結果は変わっていたんじゃないかって」

 

 俺は長々と吐いたあと、溜め息混じりに両目を伏せる。

 カレー作ってる女の横で俺は何を言ってるんだろう。しかもキッチン、いざ野菜を煮込もうとするときに懺悔を飛ばすなんて。

 

「魔女に向かってハンターが懺悔とはな」

 

「ハンターの部屋でカレー作ってる魔女にな。でも懺悔半分言い訳半分かな、さっきのは」

 

「みんなが言い訳をする、今日という一日を乗り切るために」

 

「……分かってたことだけど、現実は映画のようにはいかない」

 

「それでいい。現実は映画と違って結末が決まっていない、脚本は書き放題だろう?」

 

 凛とした、真っ直ぐ刃が引かれたような言葉に一瞬喉が詰まる。新宿や渋谷で揃えたような見慣れない私服だけじゃない、久々にゆっくりと会話するオルレアンの聖女さまは──妙なほどに、

 

「妙に。今日は過保護になってくれるんだな」

 

「打ちのめされた相手をなぶる趣味はないということだ。これは本音だが、またお前と話ができて喜んでいる自分がいる。悔しいことにな」

 

「……そういう優しい言葉、俺じゃなくて食いしん坊探偵に言ってやるべきじゃないか?」

 

「誰だそれは」

 

「遠山キンジ。探偵科の中でも食のこだわりが妙に強ったから武藤が言い出したんだ。食いしん坊の探偵、キンジっぽいだろ?」

 

 肝心な場面で、いつも美味いものを食いそびれてるけどな。そもそもあいつ、ジャンヌに入れ知恵して自分はどこに行ったんだ?

 神崎もいないし、もしかして二人で仲良くハッピアワーだったりして。電話して邪魔しちゃ悪いな。

 

「悪い、調理の邪魔したな。あとは素直にダイハードでも見ながら出来上がりを待ってるよ。ちなみに、俺の一押しはダイハード2だ。1も捨てがたいが最後のライターが最高にイカしてる」

 

 とはいえ、ダイハードと言えばダクトを這いずり回るのと背中にガムテープって映画だ。数多くのドラマで背中にガムテープで武器を隠すパロディが登場する。

 そういう意味だと、やっぱり影響力があるのは最初のナカトミプラザでの攻防か。まだ猫を被ってたときのルビーとも一緒に見たっけ。

 

「──最後には何が待っている」

 

 キッチンを出ようとした足が縫い付けられる。あやふやな掴みどころのない言葉は、俺の知るジャンヌダルクらしくない。

 思わせ振りなナレーションみたいなその言葉は聞き返すには十分だった。

 

「どういう意味だ?」

 

「ルシファー、ミカエル、リリス、アバドン、アルファ種、マザー……darknessですらお前たちは退けた」

 

「……アマラを心変わりさせたキッカケは俺たちじゃない。世界を救った本当のMVPは鳩に餌をやってた婆さん」

 

 聞くだけでどうにかなってしまいそうな名前が淡々と綴られていく。

 

「それで、その天使悪魔モンスター軍団がどうした。どいつもこいつもこの上ないTHEトラブルって感じの名前だ、ゾッとする」

 

「そうだ。私の知るうる限り、これ以上の存在は思い付かない。お前たちの旅路は、お伽噺同然のdarknessにまで届いた。だが、もし先があるとしたら?」

 

 何が言いたい、先とはなんだ。ジャンヌは何が言いたいんだ。

 ストレートな物言いが特徴なジャンヌが、遠回しに答えを言い淀んでる。何だ、何が言いたい。

 

 最後に待っているもの、ミカエルもルシファーとも決着をつけた。これ以上ないアマラって化物とすらやりあった。

 そう、風呂敷は限界まで広がった。アマラより上のトラブルなんて──そう考えたときだ、ジャンヌが何を言いたいのか分かったのは。

 

「……ないことを祈りたいな、それだけは。ああ、心からそう思う」

 

 消去法だ。アマラを越える、匹敵する脅威なんてあるとしたら一つしかない。

 問題を解決したら次の問題がやってくるのがウィンチェスターお決まりの展開だった。悲観的な言葉を残して俺はキッチンをあとにする。

 

 ──もし、アザゼルから始まった血で血を上塗りするだけの物語に幕が降りるとしたら? 

 ルシファーもミカエルも退けたいま、最後に待ち構えているとしたらそれは一体何だ?

 

 ──すべては神のみ心のままに。いいや、違う。

 

 

 

 

『たとえ貴方のいまが辛いとしても、それは神の計画の一部なの。つまり、どんなにマヌケで無力でも役目が与えられている。私たちが受けている耐えがたいほどの苦痛や屈辱が、他の誰かを救ってるのかも。神のみ心はなぞめいてる、だからこそ信じるのよ。神が貴方をぺちゃんこにしてもそこには訳があるって』

 

 

 

 エレンはそう信じてた。でも計画なんてものはきっとヤツの頭の中にはない。

 神は瓶でアリを飼ってるガキだ──何も考えちゃいない。自分の作り出した作品に興味が失せたとき、果たして神はどうする?

 







 後半はヒルダ戦が終わってすぐの時系列となります。
 シーズン13で一番頭に落雷落とされたシーンですがちゃんと後半では仕事してくれる二人でしたね。

 不定期に差し込んでいく番外編ですが感想もらえると支えになります。


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Daydream



数話一組予定。



 

 

 

『──ああ、じゃあそれで。卒業式が終わったらそっちに戻る、後片付けをやって一週間後。そこからは俺も特別捜査隊に加わるよ、ミカエルを追いかける』

 

 

 またな、と残して海の向こう、長距離でかけていた電話を畳む。

 

 淡々と用件を伝えるだけのキャスとの電話は3分すらかからなかったが背中をインパラのシートに倒すと、ちうーと隣からはストローを啜る音が聞こえる。

 その音はどこか「退屈」と言っているように聞こえたのは俺の気のせい、なんだろう。晴れてるなぁ、今日も天気は快晴上昇か。

 

「お嬢様、人のポケットマネーで飲むシェイクはうまいか?」

 

「ちうー」

 

「……聞けよ。完全に毒されてんな」

 

 ハンドルで頬杖を突くと、両手でシェイクを啜ったままかなめはまんまるな目を向けてきた。

 ちなみに支払いは俺持ち、この戦妹は俺より遥かに金持ちだってのにな。

 

 滑走するリニアを舞台にした緋緋神との最終決戦も終わり、シャーロックから始まった色金を巡る物語もとりあえず一段落、終わりを迎えた。

 

 抜け出すために虚無と結んだ契約、たまたま会うことはなかったがカツェとナチス連中との確執もまた降りかかってきそうだが、いまは神崎が無事であることを喜ぼう。

 

 数シーズンにも渡って持ち込まされたトラブルがようやく解決したんだからな。

 頭を悩ませる種は探さなくてもそこいらに転がってる、だからいまだけは朗報だけに目を向けるとするさ。

 

 

「ねえ、ウィンチェスター」

 

「ナゲットは半分ずつだぞ?」

 

「分かってる。そうじゃなくてさ、アメリカに帰っちゃうんでしょ。今度はそれなりに長く」

 

 ちうー、とストローの音がふたたび、わざとらしく鳴らされる。

 新手の間の置き方には、なんとも言い様のない気持ちが込み上げて、とりあえずうすら笑って濁しておくことにした。

 

「色金が一段落したらって決めてたからな。自前の軍隊がついてこないといえ、今回の敵はミカエルだ。無慈悲で強力、おまけに善意は皆無。完全なモンスターだ、さすがにほっとけない」

 

「わくわくドキドキ?」

 

「それ以上だ。スリルがきつすぎて頭がどうにかなりそう。紐なしバンジーをやらされる気分」

 

「今度セラピストの番号教えてあげるね。腕のいいセラピスト」

 

 売れてる女優みたいな顔で、かなめはおどけるように微笑む。気付くと「どうも」と言葉を返してた。

 空港で斬り合っていたときの俺がこの状況を見たらきっと幻覚を疑うだろうな。あのときはお互いに相手の首を落とす、落としてやるの関係だった。

 

 初めて顔を合わせたときのことを思うと、こうやってインパラで一緒にナゲットを食ってるなんてユニコーンを見つけるくらいありえない。

 

「夾竹桃が言ってたけど、一緒にフェスティバル行くってほんと?」

 

「ああ、行くのは初めてだ」

 

「文学フェスティバルに興味あるって顔じゃないもんね。行くって聞いて驚いちゃった」

 

「本なら読むぞ? いま我が家にはハリーポッターが……」

 

「あるのは信じるけど、読んでるかは別」

 

 言ってくれるぜ。

 クレアといい、どうして俺の教え子は口の回る跳ねっ返りばかりなんだ。会話に退屈しない。

 

(ああ、悔しいことにしばらくおまえと話す機会がなくなると思うと、ちょっと淋しいよ)

 

 

 でも幸せなことだ、別れを惜しめる相手がいるっていうのは幸せなこと。また会いたいと思える相手ができるってのは、幸せなことだ。

 理不尽で、アンフェアまみれの世の中じゃ忘れそうになるけどな。

 

「なるほど、お前は本の虫か。キーボードを叩くよりページをめくるタイプ」

 

「読んでるよ? スパナチュなら」

 

「……聞かなきゃよかった。中学のときのテストの点数まで載ってる、まさに悪夢だ。電子書籍化でネットの海にまで広がっちまった」

 

 ネットの海、大平洋より広い。一度拡散されたらお手上げだ。

 今日も今日とてどこかで俺の黒歴史が暴かれてると思うとゾッとする。いや、もうここまで来ると出版が5シーズンで止まったことを喜ぶべきかな。

 

 まあ、仮に続編が出たとして続きはイヴの脱走にキャスとラファエルの内戦なんて誰が読みたがるんだって話だ。

 興味を惹きそうなのは、せいぜいディーンが岩に刺さった英雄の剣を手で抜かずに、お約束ガン無視のプラ爆弾で岩をバラバラにして手に入れた下りくらいか。

 

 

「海。海かぁー。文明から離れて海の上で暮らしたら? ほら、船やクルーザーでも買ってさ。ネットともさよならできるし」

 

「無理。潮風べたべた、傷には滲みるし、俺は一生丘でいいよ。酔うと大変だし」

 

「だよね、薬飲んでも酔うし」

 

「……なんだその眼は、荒れたときは誰だってそうなる。みんなグロッキーだ。それに船もクルーザーも金食い虫、俺やキンジとは縁なしだよ」

 

 いまでさえ軽い財布の中が食い荒らされる、まさしく悪夢だ。ゾッとする。

 

 しかし、うまいなぁこのチキン。

 こいつの味が分かる間は俺はまだ幸せか。ミカエルを追い返したらダイナーで死ぬほど食ってやる。

 

 幸せの価値とは人それぞれだというが、鶏肉ひとつで幸せを感じれるあたり俺のはお手軽だ。

 

「ひゅー、クレジットカードを錬金術できるのにクルーザーが金食い虫かぁー」

 

「心臓に悪いジョークをどうも」

 

 軍隊同様、上下関係にうるさい武偵高において俺とかなめの戦徒はやはり異質だ。公然では器用に見せちゃいるが、いざ二人になると俺たちに上下の差はない。

 

 一介の人工天才と一介のハンター、綺麗な横並びの関係。俺はそれでいいと思ってる、というかそれが分かって俺はかなめを誘った。

 戦徒にありがちな面倒なしがらみもかなめにはない。後輩への教育も必要もない、一年のなかでは間違いなく実力が頭一つ飛び抜けてる。

 

 紆余曲折に組んだ契約だが、意外と──ハマっちまったのかな、うまく。

 

「かなめ、俺にブラックジョークを吐く以外の趣味を見つけたらどうだ? 将棋以外にあと2つくらいさ」

 

 ちょいとジョークに毒が入りすぎてる気はしないでもないが。話題を逸らす意味でも提案してやると、かなめは少し考えるような仕草で、

 

「じゃあ質問ね。500万ドル、何に使う? 一般人として合法にもらったら」

 

「飛行機でどこか静かなところに行く、もちろん過激な戦妹はつれていかない。おまえは?」

 

「そのお金で最高の探偵を雇う」

 

 探偵……? 

 

「尾行させる気か?」

 

「見つけたらアリアを送ったげる、桃まん付きで」

 

 静かなところでガバメントの銃声を聞けと?。

 してやった、とでも言いたげな顔に溜め息が出る。はいはい、楽しそうな顔しやがって。

 

「桃まんと一緒にレオポンも付けてくれ、動物はいつでも落ち着きをくれる。まあでもあの船はいいなぁ、話を戻すが欲しいのが1つあった。何だと思う?」

 

 今度は俺がコーラのプラストローを鳴らす。

 炭酸が喉を殴る中で助手席のかなめに横目を向けて答えを待っていると、

 

「船かぁー。ハン・ソロのミレニアム・ファルコンってのはなしだよ?」

 

 ……たしかにそいつは船だがどちらかというとあれは宇宙船だ。地球の枠をとびこえて銀河系で最速の。

 

「残念だったな、正解はーーダッチマン。向かい風ならカリブ最強の船だ。知ってるか、すごいぞあれ。急速潜航だってできる」

 

「はぁ……そんなことだろうと思ったけど。もしかして知らない? ダッチマンの船長が陸に上がれるのは十年に一度だけ、それ以外は海の上に縛り付けられる。潮風べたべだだよ?」

 

「夢を壊すようなこと言うなよ。でもまあ、過酷な仕事だよな。魂を導く、死の騎士も似たような仕事だがあれも楽しい仕事じゃなかった」

 

 会話と一緒に二人分の手で減っていくサイドメニューのチキンナゲットとソース。

 本土のダイナーもいいが、この味ともしばらくはお別れと思うと淋しいものがある。十年ってほどじゃないんだけど。

 

「ところで、騎士の指輪ってあのあとはどうなったの? 檻を開いたあとのことは何も書いてないし、気になるんだよねぇ」

 

 うまいものを食いながら、なんともダークな話だ。騎士の指輪──戦争、飢饉、疫病、死の4人の騎士たちが持っている指輪は、ルシファーを閉ざす檻を開ける鍵。

 ローレンスのスタール墓地で俺たちは開けた檻にヤツ叩き落とした。

 嫌な記憶だ。ミカエルの入ったアダムと俺も、ルシファーを入れたままのサムと一緒に穴の底へ落ちた。地獄の檻に続く深い穴に。

 

「ルシファーを落とした、正確には道連れで落としたあとにディーンが隠した。場所は俺も分からない。けど死の騎士の指輪だけは分かってる、あの指輪だけは元の持ち主に戻ったからな」

 

「元の持ち主ってことは、死の騎士に? ふーん、四人の中でも『死』だけは別格って匂いがしたけど、やっぱり特別なんだ」

 

 本当に読み漁ったらしい。

 その考察は当たってる。四人の黙示録の騎士のなかでも『死』だけは明らかに特別だ、それなりの付き合いから言わせてもらうとヤツは他の3人とは格が違う。

 

「他の騎士たちはあれ以来縁がないが、死の騎士は言ってみりゃ死神の元締めだ。狩りをやってれば連中とは少なからず縁が、最終戦争が終わったあとも何度も顔を合わせてる。できれば会いたくもないけどな、特にいまのは俺と相性が悪い」

 

 

 前の死の騎士はおもしろかったよ、真面目そうな顔してジャンクフードが大好きってのが。でもいまのは、俺やディーンとは相性が悪い。

 騎士の指輪と鎌は、死の騎士のスターターセットみたいなもの。死の騎士がその席に収まっている限り付いて回る。

 

 今は後任となったビリーの指に指輪が、なんでも両断しちまいそうな鎌も彼女の懐。

 そしてお世辞にも俺たちと彼女の仲はよろしくない、考えるだけで背中が寒くなる。冥界もテッサみたいに優しい死神で溢れてたら良かったのにな。

 

 

「悪い、電話だ」

 

「あ、こっちも──あかりちゃん?」

 

 

 一瞬、会話が途切れると、珍しいことに同じタイミングで別の相手から呼び出しがかかった。

 かなめは高性能デバイスに間宮から、そして俺への電話はーー

 

 

「えっ……どこで?」

 

 

 武偵病院からだった。

 

 

 

 

 

 

「それで、ドクの診断は?」

 

「あらゆる検査をしてみたけど、至って健康そのもの。あんた何か聞いてない? 特別な持病とか、緊急の連絡先あんたになってたんだけど」

 

「いいや、あったとしても冷え性くらいだ。こんな昏睡状態になるようなのは聞いたことがない」

 

 歯痒い表情で馴染みのドクが顔をしかめる。

 ジャンヌに持病、まさかと思い隣の夾竹桃を見るがかぶりを振られる。俺より付き合いの長い夾竹桃も知らないか。

 

 ……病の類いじゃないな。

 

「外傷は? たとえば黒い痣や斑点、噛み傷とか」

 

「気になる傷はなかった。綺麗そのもの、感染症や毒にやられたってわけでもない」

 

 だから困ってる、そう言いたげにドクの白衣がなびいた。原因不明の昏睡状態、医者が穏やかでいられるわけないか。

 だが、分かったこともある。外傷はなし、歩く毒の百科事典みたいな夾竹桃が何も言わないってことは毒物を接種したわけでもない。

 

 ってことは、残る原因は絞られる。

 瞼を下ろしたままのジャンヌの表情は眠ったように穏やかで、発作の兆候もない。

 目を覚まさないのが不思議なほどに健康そのもの。おかしな話だ、となると──

 

 

「体にさわると悪い、俺たちはそろそろいきます。ジャンヌのこと、よろしくお願いします」

 

 ドクに後のことは任せ、俺たちは病室をあとにする。医療スタッフと患者が行き来する廊下を歩きながら、

 

「どう思う?」

 

「毒でもない、ましてや病気でもない。なのにジャンヌは昏睡状態、まるで眠ったように。普通じゃないな」

 

「そうね、普通じゃない。やったのはおそらくーー超能力」

 

「まじないか呪いか。なんにしてもジャンヌクラスの魔女にかけるとなると強力だ。通販で売ってるような代物じゃない」

 

 案の定、見立ては同じだった。

 ここ最近のジャンヌの足取りは不明だが、十中八九でああなった原因は超能力や魔法といった非日常の力が絡んでる。

 

 仮にもそれなりの設備の整った武偵病院の検査で何も出ないってのが怪しすぎる。

 御丁寧に体は健康そのもの、寝顔まで穏やかってのもできすぎてる。現代の医学を嘲笑うようなこの感じ、科学とは正反対にある異能の力って思うのが一番しっくりくる。

 

「しかし、となると厄介だな。相手を昏睡状態にするっていっても色んな魔法や呪いがある。破るにしてもどうやってアプローチしたもんかな」

 

 超能力に無数の分類があるように魔法や呪いにも気が遠くなるような歴史、山のような種類がある。使う道具も違えば、分類、体系、教科書一つで纏められる数じゃない。

 

 ジャンヌにかけられた魔法がいったいなんなのか、探り当てるのも簡単じゃないだろうな。

 唯一の判断材料は、シャーロックに歓迎されるほど手練れの魔女だったジャンヌにも通用する強力な代物ってことくらいか。なんとも嬉しくないない情報だ。

 

「ロウィーナが言ってた。強力なまじないや呪いは力ずくで破ろうとすると痛いしっぺ返しをもらう、二度と解けなくなることもあるって。ブラドがパトラにかけられた呪いを破れずにいたのはそういうことだ、下手に手を出したら取り返しがつかなくなる。力業のピッキングは許されない、錠前に合うちゃんとした鍵がいる」

 

「問題はその鍵の検討がつかないってことね。誰がかけたのか、どんなまじないなのか、そもそもあの子がホテルのベッドで見つかるまで何をしていたかも不明」

 

「なんでこう、会話を重ねるごとに前から火が迫ってくるみたいな気持ちになるのかねぇ。さっきから悪い情報ばっかだ」

 

 ダメだ、切り替えよう。

 自販機あるし、炭酸で頭を叩き起こすか。突然の病院からの連絡でまだ頭が落ち着いてないってのもあるし、近くの自販機で買ったコーラを握りながら俺はインパラに戻った。

 

 悩みごとに頭を回すならインパラか安っぽいモーテルって相場が決まってる。

 飲み物片手に悩み事といこう、いつもみたいにウィンチェスターお決まりのパターンで。

 

 

 

「──本当にいつものパターンだな」

 

 

 シボレー・インパラ1967。

 今まで降りかかってきた山のようなトラブルの一緒に乗り越えてきた相棒と、炭酸飲料を飲みながら俺は突破口を思案中。

 もう一人の乗客はというと、助手席のドアに背を預けたままいつものように煙管の紫煙を快晴の空へ立ち昇らせていた。

 

 黒いセーラー服の真上をくすぶる煙。

 そんな煙管とはミスマッチに見える服装も、視線を呪縛させちまうんだから美人ってのはズルい。窓の向こうに覗いてるその顔はほんと──

 

 

「なあ、夾竹桃」

 

「何?」

 

「おまえって無駄に美人だよな」

 

「……バカなの、おまえは」

 

 

 喫煙の時間をくれてやってんのに冷たいこって。ほんと、お可愛いいこと。

 

 

「それって、やっぱり吸わないと落ち着かないの? 先生もヘビーだがおまえもなかなか重症だ」

 

「言ったはずよ、これは喉のおくすり」

 

「それいつも言ってるよな。営業の電話に、もう保険には入ってますって感じで」

 

「これはヤマアジサイを主成分とする混合薬品よ。私は体内に83種の毒を飼ってるから、蓄積した毒物による自家中毒を予防するために定期的な接種が必要なの」

 

 すっ、と綺麗な唇から新たな煙が虚空にとけていく。

 ……毒を中和ってそんなの初めて聞いたぞ。てことは、あの煙管は体の中の毒をそのまま使役しておくのに必要なマジの薬ってことか。

 

「……新手のネオシーダーもあったもんだな。待て、もしかしてその薬品も手作りか?」

 

「とぼけちゃって。人の経歴を覗いたのは貴方もでしょう?」

 

 そう、この女は童顔と制服に騙されそうになるが本当は24歳のれっきとした大人。

 しかも東大の薬学部を出てる超エリート、頭がいいとは思ってたがまさか東大とはなぁ……

 

 

「私は使役した体内の毒を自由に分泌できる、ためしに貴方も飼ってみる?」

 

 おどろけるようにぺろっとこっちに向けて覗かせた赤い舌、まとわりついた唾液が快晴の光を反射し妖しく煌めく、控えめに言っても……すげえ景色。

 

「……やめとく。だからその口を閉じてくれ、変な気持ちになる」

 

 俺は降参するように視線を逸らす。

 ……なんつーことするんだ、このお馬鹿。美人がそういうことやるのは、まさに『毒』だ。

 まぁ……あの唾液は消化酵素のアミラーゼ以外に色んな危ないものを含んだ、れっきとした毒なんだろうけど。

 

 ああ……ちくしょうめ、さずかに変な気持ちになりかけた。

 ダメだダメだ、怪物に首を飛ばされるならまだしも毒でやられるなんてエレンに顔向けできない。毒と同居するなんて俺は勘弁だ。

 

 

「炭酸の力を借りた結果はあった?」

 

「ジャンヌは昏睡状態で目を覚まさない。たぶん最近出会った魔女や超能力者に呪いか魔法やらをかけられた」

 

「ええ、でもそのかけられた何かが分からなくて解毒剤の射ちようがない」

 

「ああ、俺たちには分からない。でも" ジャンヌ "なら知ってるかも」

 

 助手席に座った夾竹桃の顔が怪訝に歪む。

 よし、頭が回ってきた。そうだ、俺たちには分からなくても攻撃を受けたジャンヌなら正体を知ってる。

 

 

「そう、眠ってるんだ。解けなくても、ジャンヌの頭の中に入って何があったか聞けばいい。正体が分かれば星枷の力も借りてなんとかできる。つまり、その為には……」

 

「あの子の夢の中に入る」

 

 

「ああ、そうだ。夢の中に入るのは──」

 

 

 

 

『『──────アフリカン・ドリームルーツ』』

 

 

 

 顔を見合わせると、見事懐かしの危ないドラッグの名前が揃った。

 アフリカン・ドリームルーツ、昔のシャーマンが使っていたとされる人の夢に入り込む為のオカルトグッズ。いつかまた世話になるとは思ってたが、案の定か。

 

「さて、どうするか。ボビーのときは性悪女がたまたま在庫を持ってたがあいつは猟犬に食われて地面の底。チャーリーの頭に入ったときはアジトに賢人どもが集めたのが残ってた」

 

「手元にない? 忘れてるみたいね、近くにグッズの売買をしてる魔女がいるのを忘れたの?」

 

 

 くす、と口元に手袋の手を寄せて夾竹桃は笑う。刹那、バックミラーにブロンドの髪が揺れるように入り込んだ。

 

 そういや、おまえは色んな魔女や獣人とオカルトグッズの売買をやってるんだったな。

 キスノート──すっかり忘れてた、あれもロウィーナいわくオークションには流れない激レア。取り扱っていた商人は、

 

 

「ヒルダ──今日の気分は?」

 

「……いいわけないでしょう。こんな時間に起こされて……眠くて仕方ないがないわ。感謝なさい、どうせこうなると思って、おまえの車で待っていてあげたんだから」

 

 

 いや、さすがに律儀すぎるだろ……

 そんなに穏便だったのか、おまえ……傘をさして真っ昼間に墓地を散歩してたって自信満々に語った話は覚えてるが、マジで今日は快晴の下、大丈夫か……?

 

 乾電池を飴感覚で口に放り込んでいくヒルダは、また影にとけたんだろう。ホラー映画の1シーンみたいにバックミラーに映った姿が消えた。

 ……それで日光から逃げられんのかよ。まあ、多少は対策にはなるのかもしれねえけど。案外身近にいたなぁ、オカルトグッズのバイヤー。

 

 

「そいつはお待たせ。じゃあ、夾竹桃の部屋に珈琲飲みに行くか」

 

「イケてるBGM付き」

 

「……おまえ好みのアニソンメドレーだけどな」

 

 エンジンをかけるや助手席から伸びた手はテープを納めたダンボールボックスを奪い取った。いいよ、先行はくれてやる。

 

「んで、最初の選曲は?」

 

 

「──Key plus words」

 

「……そんな新しい曲入ってたかな。サングラスいるか?」

 

 

 気楽な気持ちでハンドルを回す。

 そしてこの一件はまったく予期せぬ形で、俺をあの女と引き合わせることになった。

 

 魔剱──やがて、ここではないどこかで出会うかもしれなかった、あの女と。

 



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"Nightmare"


年内ラスト更新、皆様よい年末と年始をお過ごしください。


 

 

 

 

「脅す訳じゃないが味は期待すんな。こいつは言ってみりゃハリーポッターに出てくるポリジュース薬だ、一気に行け。止まったらあとは地獄」

 

「いつかの貴方の言葉を返すわ。優しい嘘をついてもらえない?」

 

「嘘ついてもおまえは見抜くだろ、ハンソロの教えだ。女に嘘はつくな、絶対に見抜かれる」

 

 植物園まがいの観葉植物に囲まれ、名前も未だに分からない蝶が灯りの下をさまよってる異様な部屋。

 しかし、それ以上に透明なグラスの中に貯まった冷めたコーヒーみたいな液体はもっと異様だった。食事と一緒に出されたら食欲を容赦なく刈り取ってくれる、そんな色だ。

 

 反応が気になり、つい隣の彼女に視線は引っ張られる。結果、思ってたよりずっと夾竹桃は落ち着いていた。

 考えてみりゃ、えげつない毒物やらガスやら薬品を扱うのが日常茶飯事なこの女が、いまさら奇怪な色をしただけの飲み物に怯むわけないか。

 

 つくづく、頼もしい女と縁ができちまったもんだ。

 まあ、最終戦争が勃発した世界に乗り込んでくるような女が知り合いの夢の中に入るくらいで萎縮するわけないか。

 コピーみたいなできそこないとはいえ、あっちのバルサザールを蹴り飛ばすような女だしな。そこが気に入った。

 

 

「アフリカン・ドリームルーツ」

 

 今回が初体験の鈴木先生に比べりゃ、俺は三回目。

 だというのに、こいつの味に慣れたとは到底思えない。というか記憶が蓋をしているようにどんな味だったのか、うまいたとえが浮かばない。

 

「何度見てもすげえ色だ」

 

 いや、これだけは覚えてる。

 不味いのだ──百歩譲っておかわりしたいとは思えない味をしてるってのは、間違いない。

 

「高貴な私、留守は預かってあげる。臆せず飛び込みなさいな、ドリームウォーク──何度も体験できることではなくてよ?」

 

「……」

「……その男は例外。亡骸同然の体は、私が見てあげるけど夢の中までは別。そっちはお前たちでなんとかなさい、ことが済めばジャンヌにも恩は売れるし、無事を祈るわ」

 

 無言で俺を見た夾竹桃へ嗜めるように言ったヒルダは……何事もなくワイン空けやがったぞ、このヴァンパイア。

 

 酒を片手にボディーガードとはなんてやつだ。

 呆れる俺の視線なんて眼中にないと言った感じで、真紅のマニキュアで整えられた爪と同じ色をした真っ赤なワインがグラスの中で揺れる。

 

 あの高そうな装飾まみれのグラス……さては自前で持ってきたな。ご苦労なこって。

 

 

(とは言ったものの、ヒルダが留守を勤めてくれるなら朗報だ。寝てる間に何が起きても逃げるも戦うもないからな。寝首をとられちゃ笑えない)

 

 夢に潜ってる間は当たり前だが俺たちは身動きがとれない。体はそのままでも、意識はまったく別のところにあるわけだからな。

 

 そこを狙われたら無抵抗で首は飛ばされる。

 実際、前例もなかったわけじゃない。俺がドリームウォークしてる間、隣でサムが突然変異のジンと殴りあってたのが現実。

 

 武偵は常在戦場。いつ自分の首が断頭台にかかるか分からない。

 

 ヒルダの実力は化物が入り乱れてる獣人界でも指折り。

 獣人と超能力者のハイブリッドだ、今回の騒動を仕組んだ元凶が、仮に俺たちの動きに気付いて首を狙いに来ても返り討ちになるのが関の山。

 

 病室のジャンヌには、たまたま手が空いていたジーサード一派の超能力担当ツクモに護衛を頼んである。

 ツクモといい、ヒルダといい、化生や獣人の知り合いがこの一年で随分と増えちまったな。それも手練ればっかりだ。

 

「乾杯」

「よい夢でありますように」

 

 だといいんだけどな、期待薄だが。

 病室でくすねた銀色の髪──ジャンヌの髪を一本ずつ夾竹桃がグラスの中へ落とす。

 

 髪の毛は、誰の夢の中に入るかの道標。誰のものを使うかで判別する。

 こんなところまでポリジュース薬とそっくりなんだからファンならきっと盛り上がるだろうよ。

 

 お約束のようにグラス同士で音を鳴らし、俺と夾竹桃は液体になったドリームルーツを一気に呷る。案の定、三回目となるその味は……海水をそのまま飲んだほうがよっぽどマシだ。

 

 

「……二日酔いが一気に治りそう。大丈夫か」

 

「……ひどい。煮詰めすぎたキャベツのほうが数倍マシよ。でもこれで、チケットは手に入ったのかしら……」

 

「ああ、これで審査は通過。よかったな、眉間にシワがよってもお前なら十分美人だよ」

「ありがとう。お礼にキスでもしてあげましょうか?」

「ジャンヌを連れ戻したらな」

 

 全部、ジャンヌが目覚めたあとだ。まずはそれが終わってから。

 口の中に深手を負いながらも空になったグラスをテーブルに戻すべく立ち上がると、

 

「ねえ、雨なんて降ってた……?」

 

 ふと、夾竹桃が囁いた言葉に足が縫い付けられる。

 そして、窓の外から聞こえてくる音に俺も体を反転させた。……さっきまで雨は降ってなかったし、降る気配すらなかった。

 

 部屋の値段相応の大きなガラスの外に眼を凝らすと、その向こう側に見える景色と過去の記憶は合致する。

 ようするに俺は、見たことがある。そのけったいなオカルトにすら思えちまう異様な雨に──

 

「上下逆さまに降ってる雨だぞ? 今頃みんな大騒ぎだよ。何年振りかな、こいつを見るのは。喜べ、成功だ」

 

 もうヒルダの声もお高いワインの匂いも届かない。

 異変がやってきた、その事実に気付いた途端何かがのし掛かるように瞼が重くなる。

 足元から周りの景色まで、すべてが切り替わる。さっきまでは高級ホテルの一室……だが今は違う。

 

 俺たちが立っているのは、既にさっきまでとはまったく違う、別の場所だ。

 

 

 

「教会……?」

 

 半信半疑に呟いた夾竹桃の瞳、その先にあるのは頭上にそびえた色鮮やかなステンドグラス。

 板張りの床には真っ赤なカーペットが蝋の灯された壇上へと続くように敷かれている。

 

「入口が教会とは聖女様らしいよ、ファンタジー映画みたいで洒落てる。本土の聖ミカエルの教会に似てるが……」

 

 磔にされた主と建ち並んだチャーチチェア(教会椅子)

 左右の壁にそれぞれ嵌め込まれたステンドグラスの窓はどこからどう見ても教会だ。

 

 夢とはいえ、はっきりと五感は感じるし、爪先から床板の感触まで分かる。夾竹桃も手袋とは逆の手を開いては閉じ、グーとパーをしばらく繰り返したあとに、

 

「夢に入り込むというよりは、違う世界に飛ばされたというべきね」

 

「似たようなもんだろ、そんなの」

 

「頭も体もはっきりと動くし、感覚もあるわ。ねえ、頬を引っ張っても?」

 

「お馬鹿、お遊びが過ぎるぞ。そういうのは自分の顔で確かめるもんだろうが。この教会、ジャンヌの夢ならあいつの記憶の中にある景色ってことだろうけど、おまえどこか知ってるか?」

 

 俺よりもジャンヌとの付き合いの長い元イ・ウーの同期に視線をちらつかせると、壇上に開いたままで置かれていた本のページを捲りながら、やがて夾竹桃の首は真横を振る。

 

「ないわ、私の記憶にも」

 

「──聖書。神が刷った自慢話だらけのベストセラーか。立派なのはページの厚みだけ」

 

「仮にも聖職者に化けて聞き込みをしていた人間の言葉とは思えないわね」

 

「神はどこにいた? 俺たちが何度八つ裂き同然の目に遭っても神は知らないフリ。自分の息子が地上を焼き払おうとして我関せずだ。思慮深くもなく、与えるべき愛もない──ただ宣伝がうまいだけ」

 

 数ページ中身を探ったあと彼女の手は止まる。

 至って普通の聖書、そりゃ面白味もない。

 

「とりあえずジャンヌを探そう、まずはジャンヌと合流しないことには始まらない」

 

 まずはジャンヌを見つける、その先を考えるのはジャンヌを見つけてから。この世界はジャンヌの夢、あいつを見つけないことには状況は変わらない。

 

 年季の入った床の板を軋ませながらバカでかい扉をくぐって俺たちは外に出る。

 

「言っとくぞ、夾竹桃。夢の中に入り込むのはそれほど苦労しない、さっきの不味いのを我慢すればこのとおり。問題は()()だ」

 

 ジャンヌの意識を覚醒させ、この夢の世界から三人揃って現実に戻る。

 それが俺たちの目的。武偵らしく依頼として言うならジャンヌを夢の世界から連れ戻す。それが今回の依頼の成功条件。

 

 

「……」

 

「……ここって」

 

 無言のまま眼を開いただけの俺に対し、目の前の景色にある程度推測が立ったような口調で夾竹桃はゆるりと辺りを見渡していく。

 

「ヤキマ……んなわけねえよな」

 

 ヤキマ──シットコムでも話題にされがちな本土有数の田舎街。真っ先に脳裏を過ぎたのはメアリー母さんも訪れたというあの街だった。

 

 眼前に見下ろせるように広がったのどかな緑と落ち着いた西洋建築。

 それこそファンタジー映画でも通りそうな平穏な農村というべき景色が教会の外には広がっていた。

 

 日本じゃない、ジャンヌの夢ってことを考えるなら故郷であるフランスだろう。

 鼻をくすぐる土の匂い、車のエンジン音すら届いてこない落ち着いた静けさ。不意に吹き付けた風になびいた髪を手で抑えながら、

 

 

「ラ=ピュセル……」

 

 

 夾竹桃はそう呟いた。

 ラ=ピュセル……ラ=ピュセルの枷、か。

 ヤタガンで相手の足を凍らせて縫い付けるジャンヌお得意の魔術だ。

 

 ──『ラ=ピュセル』、その名前なら知ってる。

 オルレアンの乙女、光の聖女、ラ=ピュセル──全部フランスの大英雄『ジャンヌ・ダルク』を示すのに使われる言葉だ。

 

 

 いや、違う。

 それだけじゃない、忌々しいあのアラステアがいつか口にしてた。ラ=ピュセルってのは……他ならない聖女ジャンヌ・ダルクの、故郷。

 

 今度は俺が、半信半疑の声色を真似るように無駄に美人な腐れ縁へと聞き返す。

 

 

「ここが、ジャンヌの……?」

 

「私も訪れたのは数えるほど。だけど、私が見たドンレミの村とはちょっと違う。面影はあるの、だから間違いじゃないと思うけど」

 

「ここはジャンヌの夢の中。本物の故郷というよりは、ジャンヌが思い描く、故郷であってほしいと思う景色なのかもな」

 

 実際は、丘みたいなこんな高い場所に教会なんて立ってないのかもしれない。

 だがここはジャンヌの夢で、ジャンヌを中心とした世界。ジャンヌがそう思うならここがオルレアンの乙女の故郷──

 

 

「フランス、まだ行ったことなかったんだけどなー。初めて来るのはやっぱり仕事か」

 

「夢なんだからノーカウントでいいじゃない。パスポートだって……」

 

「おい、武偵は罪状3倍ルールだぞ? 恐ろしいこと言うんじゃないよ」

 

 嗜めるように言うと、夢の中だというのに夾竹桃はお決まりの煙管に手を出した。

 夜から一転、夕暮れのオレンジの日差しが降り注ぐラ=ピュセルの景色は──ジャンヌが望むのも分かる、文句なしに絶景だ。

 

「俺もたまにはさ、のんびりと海外旅行してみたいよ。終末の世界とか地獄とか、天国やら煉国やら虚無じゃなくてちゃんとした、景色と建物と人間のいるところ」

 

「それはたとえば?」

 

「考え中。オアフとかどう?」

 

「未だに分からないの。ケージに入って、サメがうようよいる海に沈むツーリストの気持ちが」

 

「休暇だからな、みんな刺激が欲しいんだ。冒険気分だよ」

 

 景観を崩すような建物もなければ、水を差すような派手な騒音もない。のどかというか、体が違和感を感じてしまうほどに落ち着いてる。

 

 心なしか、紫煙をくすぶらせる夾竹桃の顔もいつもより心地良さそうに見えた。

 

 絶景の前で喉に入れる薬か。

 さっきのドリームルーツよりは美味なんだろうよ。あれに比べたら海水を飲み込むほうがマシだけどな。

 

「行くぞ、先生。さくっと用を済ませてヒルダのワインを貰いにいこう」

 

 お薬の時間が終わったらしい腐れ縁に手信号も混ぜて催促をかける。

 

 無駄に美人なその横顔は時間を忘れて視線を呪縛させるには十分だが、現実ではヒルダを待たせる。早く帰るに越したことはない。

 

 ジャンヌがどこにいるのか。片っ端から村の中を 探すって手もあるが、過去2回のドリームウォークを思い出すと、肝心の当事者と遭遇するのには苦労しなかった。

 

 あのときは、探し回るよりも先にあっちの方から姿を見せてくれたからな。

 そして今回が3回目。2度あることは3度、誰が言い始めたのかは知らない有名な理屈が絶景を前にして脳裏を通りすぎていく。

 

「合流したあとは」

 

「俺はプランA、おまえがプランB」

 

「一緒に考えましょうか、頼りにしてる」

 

「お言葉を返すよ、相棒。気楽に行こう、天使の軍隊とやりあうよりマシだ」

 

「最近思うの、貴方のふざけた基準に違和感を覚えなくなってきてる自分がいる」

 

「つまりお前もこっちに片足突っ込んでるってことだ。特技に穴堀りが追加されるのも時間の問題だな」

 

 どちらともなく一歩が出て、陽光の当てられた街並みへひとまず俺たちは下りていく。

 コンクリートとは無縁の土と草の地面、照り付ける陽光、五感に訴えてくるのはどれも夢とは思えないほど鮮明だ。

 

「ファーストフードの注文みたいにすぐだといいんだけど」

 

「なにが?」

 

「人探し、捜索」

 

「ハンバーガー食べたくなってきたな」

 

 緊張感を敢えて殺すような会話が、果たして災いしちまったのか。

 前触れもなく、耳を引き裂くような爆発音が───落ち着いた景色を台無しにしてくれた。

 

「私には『来い』って聞こえたけど?」

 

「いいよ、どのみち人を助けるのが仕事。走るぞ」

 

 すぐに煙は上がり、さっきまでのどかな空気は消え失せた。夢の中とはいえ、フランスじゃ有数の観光地であろう英雄のお膝元でなんて罰当たりな……

 

 お世辞にも走りやすいとは言えない地面を蹴りつけて火元へ走る。

 

 あの爆発音、ちゃちな小火じゃない。

 この夢、故郷の空気を味わうだけの幸せな夢って訳じゃなさそうだ。どうせ見るなら、ジャンヌには幸せな夢を見ていて欲しかったんだが、

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、どういうことだ。おめェら、こんなくたびれた街に観光かァ?」

 

 

 どうやらそうもいかないらしい。

 ああ、ちくしょうめ。

 運がお悪い。もうしばらくは縁遠い感じでいけると思ってたのによ。

 

「けっ、ダサイ銃だ。防災訓練じゃあるまいし」

 

 金のメッキで加工されてる銃はルガーP08──ダサイ銃だ。()()も同じのを使ってた、金じゃなかったが。

 

「貴方は観光というわけじゃなさそうね、そこに散らばってる切れ端────バチカンとまた仲違い?」

 

 火花が散る中でもめざとく破れたローブ、聖職者の足跡を見つけた隣の彼女とソレの視線が絡む。

 

 小柄な体は神崎や平賀さんに近い。

 真っ黒なベルベットのローブはそれこそ映画やハロウィンみたいなイベント以外に見る機会は少ないだろう。

 

 ご丁寧に帽子まで黒で統一したその肩には、目付きの悪そうな真っ黒なカラス。だが、何より一番印象に残るのは……右目の眼帯に刻まれたその紋章。

 

 

「会いたかったぜ、ウィンチェスター。待ちきれなくてそっちから会いに来てくれたのかァ? 優しいところあるじゃねぇか、感動したよ」

 

 

 カツェ=グラッセ。

 『厄水の魔女』の異名を持った元イ・ウーのOBは、お手本のように仕草で唇をニヤリと歪める。

 聖女さまの村で火を起こすとは、噂以上に恐れ知らずな女らしい。それとも先に仕掛けたのはそのローブの持ち主の方だったのか。

 

 まあ、どっちが先に仕掛けたのかはどうでもいい。それより問題なのは、できそこないの黄金銃がこっちを向いてるってことだ。明らかな敵意がある。

 

「おいおい、戦役は終わったってのにまた火をつけようってか?」

 

「はぁん? 何言ってんだ、現在進行形で真っ最中じゃねえか。極東戦役はなぁッ!!」

 

 チッ、ここだとそういう設定か。

 戦役じゃ縁遠く終わってめでたしめでたしだったってのにこんな形で絡むとはな、魔女連隊──

 

「血の気の多さは教会と一緒かよ……なあ、俺もつい最近までは眼帯してたんだ、墓地で天使に眼球ごと焼かれちまってね」

 

「あ? 天使──?」

 

 意味不明の戯れ言に眉間にシワを寄せながらもカツェは次の刹那には、バックステップで背後にとび退いていた。

 雑なお膳立てだったのは認めるが、連隊長を預かるだけはある。さすがに聡いか。

 

「あら、残念」

 

 既に小さなガス缶──カツェを後退させた毒煙を撒いた張本人はわざとらしく呟く。

 

 あと数秒後退が遅れていたら、今頃煙はカツェの体を飲み込んでた。

 目に痛々しい紫の色と熱波の中にも漂う刺激臭、どうせそのまま戦闘不能にまで追い込めたヤバイ劇物だ。

 黄金銃をぶっ放すよりも距離を取ることを第一に考える程度には、カツェにも危機感を抱かせたらしい。

 

「そう来なくっちゃなぁ! 今回は全員殺していいってルールだ、こいよ蠍女!」

 

「殺しはしないわ、武偵は不殺がルール。だから口以外は動けなくなってもらう。色々と聞きたいことがあるの、だから……教えて?」

 

 好戦的に叫んだカツェを相手に……どこに仕込んでやがったんだか。

 ねだるように微笑んだかと思うと、夜戦用に着色されたダガーが三本。夾竹桃の手を離れ、紫の煙の中を裂くような速度でその先のいるカツェへと飛来する。

 

 煙で軽くブラインドがかかったような視界でもそこは元イ・ウー、シャーロックの選んだ精鋭。

 両足と腹部を穿つ軌道は正確無比、こんなのが予告もなしに突然セグウェイと襲ってきたんだから過去の俺には同情する。

 

「バカか、誰が喋るかよ──ふッ!」

 

 少しクリアになりかけている紫煙の向こうが一瞬光った思うと、一筋の光線のようなものが煙の中から飛び出し、俺の真横を超高速で下から上に刃を振り上げるように擦過。

 

 銀色の軌跡が通った足元が抉れ、背筋に悪寒が走る。

 キンジから聞いてたが……この切れ味、何が自前の水鉄砲だよ、あのバカ。どう見ても人の肉なんて真っ二つのウォーターカッターだ……

 

「喋りたくなるわ。雪平に尋問されたらきっと貴方の気持ちも変わる、同情するけど」

 

「誉めてんのかブラックジョークかどっちだよ」

 

 しかし、さっきのは何だ。あの女、テッポウウオかよ。無茶苦茶な飛び道具だ。

 ふざけた威力にXDを抜く躊躇いはない。掠りでもしたら肉ごともってかれる、ふざけた話だ。

 

 

「4時 high!」

 

「おいッ……マジかよ」

 

 唐突なクロックポジションに親父から仕込まれた体が反射的に動き、背筋が凍てついた。

 夕暮れの広大な空からこっち目掛けて飛んでくるのは、金切り声を唸らせて黄金の体を光らせる4羽の鷹だ。このクソ忙しいときに……!

 

 

「パトラかッ!」

 

 両翼を広げるその姿はとても魔法で作られた偽物だとは思えないほど精緻。

 だがそれは、パトラの操る砂によって生み出された早い話が遠隔操作された使い魔。ピラミッドの中で星枷とうんざりするほど相手をした、砂礫の魔女のお家芸だ。

 

 黄金が大好きなパトラの嗜好そのままの姿は、ゾッとするような速度で小さな砲弾のように突っ込んでくる。

 

 

「魔術でも爪や嘴は本物と同じ、肉を抉るわよあれ!」

 

「んなことは言われなくても分かってんだよ、ドリトル先生!」

 

 引き金に敵意を込めて、いまは金一さんと結ばれた魔女の飛び道具に向けて9mmを穿つ。

 ホールドオープン覚悟で撒いた弾丸は空中で悪趣味なペットをすべて砂に還すが、背後からの奇襲に反転した俺の背中に夾竹桃の背が触れる──

 

「ねえ、聞いてなかったけどもしここで、仮に心臓が止まったらどうなるの……?」

 

「さあな、そういうことは今までなかった。でもたぶん、できれば首は落ちないほうがいい。いや、たぶんじゃなくて絶対に……」

 

「そう、じゃあ私たちの関係は明日もこのまま?」

 

「続くさ、どちらかが殉職しないかぎりはな」

 

「すっとぼけるのが上手になったわね」

 

「講師がよかった」

 

 唐突に投げられる不気味な質問。

 どうしてそんなことを聞くんだ、とは思わない。ジャンヌめ、そろそろかっこよく姿を見せてくれてもいいんだぜ。バイオ・ハザードのアリスみたいによ。

 

「おまえがウィンチェスター? 話に聞いてたのより小さい、もっと大きいって聞いてた。おまえは一番目? それとも二番目?」

 

「三番目、実は下にもう一人いるから上から三番目。ほっとけ、上の二人がガリバーなんだよ」

 

 身の丈よりも高い長弓──所謂ベアボウを携えた銀髪長髪の女の姿に苦笑いが止まらない。

 

 いや、会うのは初めてだが弓、小柄、銀髪の特徴は他ならぬジャンヌから聞いていた情報と合致する。パトラと同じイ・ウー主戦派残党、組織随一の弓使い。

 

 笑えねぇ、パトラだけでも手一杯だってのにこのレベルの魔女がまだいるのか。

 

「颱風のセーラ、俺も噂には聞いてるよ。色々見てきたが、正面から堂々と現れる弓兵はアンタが二人目だ」

 

「ウィンチェスターは厄災、敵にも同胞にも平等に不幸を撒く。触れていいことなんてない」

 

 よく言うぜ、そのわりにやる気満々の顔してるじゃねえか。眉間に弓を撃ち込んでやるって顔してるぜ、義賊のお嬢様。

 その背後からは、水着同然のいつもの姿をしたパトラもビスケットのような丸い円盤──アメンホテプの盾を両脇に引き連れて歩いてくる。

 

 戦役が継続してる世界なら、いまは金一さんの妻であるパトラも当然俺たちに敵意を持つ。

 ふざけたGを誇る星枷に世界最強クラスの魔女と言わしめた化物。まだ手札の見えない初対面の魔女のついでに戦っていい相手じゃない。

 

 次から次に顔を見せる眷属の代表戦士。

 そして、それは俺の視界だけに限った話ではなく、

 

「……『胡蝶の魔女』クエス。血が我慢できなくなったの?」

 

 僅かに焦りを含んだ声が背中越しに届いた。

 胡蝶の魔女、また新手か。たしかシスターが言ってた欧州での戦いでリバティ・メイソンとバチカンに猛威を奮った魔女。

 

 眷属が有する高位の魔女が、前方と後方に二人ずつ。

 これで涼しい顔をしていられるヤツがいたら見てみたいもんだ。完全に悪夢じゃねえかよ、聖女さま。

 

「たまに思うの」

 

「何を?」

 

「あなたと出会わなかったらって」

 

「もうちょいマシな人生だったって?」

 

「今ほど毎日が楽しいとは思わなかった」

 

 ……そういうのこのタイミングで言うのかよ。

 映画だと退場する間際に飛び出す台詞だぞ、それって。

 

「泣かせないでよ。俺こそ、こんなに楽しい毎日がやってくるとは思わなかった」

 

 俺は袖から天使の剣を。

 夾竹桃は手袋の下に隠し持った五色の毒の爪を曝す。

 

 

「とりあえずなんとかやろう、いつも通りに」

 

「そうね。いつも通り、出たとこで」

 

「ああ、出たとこで。暴れてやる」

 

 睨みあうように膠着していた場から、キャスリング・ターンがそのまま開戦の合図になる。

 前後の配置が反転、眼前に立ち塞がったカツェとクエスに一剣一銃の構えを傾ける。

 

「きゃはははははははは! いいぜ、そうこなくっちゃなぁ!」

 

「またやりたいってなら付き合ってやるよ! 血生臭ぇミレニアムバトルになァ!」

 

 



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番外編(過去編)
偽りの信仰(前)




不定期で過去編を更新することにしました。アメリカでの過去話が中心になると思いますが、本編に関わらない短編の話もこちらに纏めようと思います。キンジ視点で短編もやってみたいなぁー。


 

 

「キリ、ご飯まだ~」

 

「うるさいぜ、少し黙ってろ。ちくしょうめ、俺だってゴースト・バスターズ見てえよ!」

 

 台所で野菜を一口サイズに切っている間中、神崎とキンジは居間で映画鑑賞ーーなんでよりによって俺が当番なんだよ。

 

 シラタキと長ネギと春菊、キノコ類をざるにあけ、すき焼き鍋を台所からテーブルの上のコンロの上に移して、つまみを回す。

 ほどなくして具材がぐつぐつと煮え温かい湯気が顔に当たり、甘いたれの匂いが充満すると釣られて神崎が歩いてきた。

 

「よう、映画はいいのか?」

 

「レンタルしてるから、あとでも見れるわ」

 

「……借りてきたのかよ」

 

 つか、ゴーストバスターズか。あの映画はコメディだがハンターには感慨深い映画だよ。ハンターは怪物と幽霊退治が仕事だからな。

 まあ、俺たちのやり口は塩を撒いたり、鉄の棒を振り回したり、レーザー装置で幽霊を捕獲することに比べたらひでえアナログだけどな。あれはアイオワで狩りをしたときなんかーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぼっちゃまが頼んだホットラテはとっくに冷めてますよー?」

 

「うるさい」

 

「おかえり兄貴。そっちは何か分かった?」

 

 快晴の陽射しが降り注いだ某日。

 珍しくダイナーを離れて、野外のカフェでランチタイム。パソコンとにらめっこするディーンに変わってサムにコーラを渡すのはついさっきまで携帯電話と格闘していたキリ。渡したコーラも実は冷えていない。

 

「FBIの失踪者データを照合してもらったけど親父に該当する遺体はなかった。車の違反記録まで調べたけどさっぱり、まるでゴーストだ。キリの方はどう?」

 

「親父の知り合いを当たったけど手がかりはなし。仕事も一緒に飲む約束もないってさ」

 

「親父は探してほしくないんだ。それよりこっち。アイオワで起きた事件だ。ここから160kmしか離れてない」

 

 ドクロのシールがトレンドのノートPCがくるりと向けられる。眉を潜めたサムにキリが肩をすくめる。

 記事を見つけたのはディーン、自分じゃないと先んじて口を出した。

 

「切断死体だってさ。ディーンは行きたがってる、兄貴はどうする?」

 

「ーー腕を切断された遺体が車の側で発見された」

 

「先を読め」

 

 冷めたホットラテを奪い、ディーンが視線で続きを促す。末っ子は呆れて、次男は溜め息を吐くとかぶりを振った。

 

「警察は具体的な犯人像を掴めていない、唯一の目撃者は匿名扱いになっていて、証言によると犯人は目に見えない者だったそうだ」

 

「面白そうだろ?」

 

「多分関係ないよ。目撃者は何も見てないんだ。透明人間って意味じゃない」

 

「言い切れるか?親父なら調べる」

 

「ベーコンうまいらしいよ?」

 

 両腕を広げ、サムは肩をすくめた。ディーンがノートパソコンを閉じ、席を立つとキリが続く。向かうのは愛しのシボレーインパラ1967年モデル、要は狩りの始まりだ。160km離れたアイオワまでドライブが待ってる。飛行機は使えない、ディーンはフライトが恐いからねーー

 

 

 

 

 アイオワ州はミズーリ川とミシシッピ川の間に位置するアメリカ中西部の州である。特徴的な気候は広大な空に快晴を描き、晴れ渡る空の下にインパラがV8エンジンの音を吹き鳴らす。インパラを彼女と呼んで運転を決して譲らないディーン、助手席で耳に手を当てるサムの行為は大音量でかけられっぱなしの懐メロへの抗議だ。だがディーンの性格から素直に抗議を聞き入れたりしなかった。抗議を聞けばボリュームを大きく上げる。それがディーン・ウィンチェスターという男。

 

 後部座席でヘッドレストを枕にキリは眠った。ディーンの趣味は懐メロを好んで聞いていた父の影響を受けている。比べてサムは音楽も携帯機器も新しい物を好む、そんな弟を兄は『サミーちゃんはミーハーだもんな』と可燃材を浴びせるのだから兄弟の衝突は必至だ。今は運転手が曲を決めるディーンの法律が支配してるが、もしサムがインパラの彼氏になろうならカセットテープは廃止、明日にでもインパラにはWALKMANが取り付けられるだろう。ディーンが激怒してWALKMANを窓の外に投げ捨てるまでの流れが頭に浮かぶ。末っ子は気楽だった、兄の喧嘩を手の届かない場所から眺めていられる。

 

「なあ、もう一回多数決やんない?」

 

 殺人事件が起きたのは閑静なカレッジ・タウン。静かな街ほど大きな騒ぎは早々に知れ渡る。目的地である大学の寮が見えてきて、ディーンはかぶりを振る。

 

「駄目だ、おとなしく留守番してろ。満場一致でお前は大学生に見えないよ」

 

「だね、キリは留守番。どうしても入るの?」

 

「被害者が住んでた」

 

 寮の前では学生と思わしき男数人が集まり、車を整備している。ボンネットが開かれているのは赤いリンカーン。カセットテープが止まり、こっちに気付いた何人かの学生が騒ぎ始めた。ディーンは表情を変えずキーを止めた。どうしても入る気でいるらしい。置いてけぼりをくらう前にキリは最後の抵抗にでるが結果は目に見えて明らかだった。

 

「……俺が何言いたいか分かる?」

 

「当ててやる、ボビーの物真似だ」

 

「ハズレだよ、ちくしょうめ」

 

「キリ、それじゃあ当たりって言ってるよ。ちなみに全然似てない、兄貴といい勝負」

 

「おい、一緒にするんじゃない!とにかく、お前は留守番だ。俺たちが戻ってくるまでジョーに電話でもしてろ」

 

 話を切るのはいつだってディーン。茶色いレザーを両手で引き締め、ドアが音を立てると広い車内はキリの貸しきりになった。ボビー・シンガーは、親父の古い知り合いでハンターになる前は修理工をやっていた飲んだくれだ。狩りで親父が留守の間は、兄弟揃って彼の工場に預けられたことも多々あった。幼少期からの知り合いに物真似の自信もあったが荒れ地の王様になったのが最終的な評価だ。皮肉にもボビー・シンガーの口癖がぴったりの状況だった、ちくしょうめーーとキリは自分の膝を叩いた。

 

 

 

 

 

 

「前にジョーと電話してたとき、何分喋ってたっけ?」

 

「三分持たなかった」

 

「聞かなきゃよかったよ。さっさと片付けようぜ。願わくばゴールデンタイムに帰れるようにな。のんびりやってたら、キリがまたポーカーの誘いに乗せられる」

 

「カモにされたの何回目だっけ?」

 

「そろそろエレンがビール奢ってくれるよ」

 

「最高」

 

 ハンターはチップをケチるし、賭け事に強い。主な収入を賭け事に頼ることになるからだ。ディーンは言わずもがな、サムとキリも最初は躊躇ったが今では立派なハスラーだ。しかしジョアンナ・ベスの前に言わせればその限りではなかった。

 

 彼女の店にやってくるハンターはこぞって彼女を口説いてはポーカーのカモにされる。嘆かわしいことにキリはその筆頭だった。そろそろ彼女の母親がウィスキーを奢ってくれることだろう、皮肉は心を落ち着かせる安定剤だ。

 

「いいさ、物には順序がある。目先の問題を放置できない。親父の伝言さ、悪霊を狩って人を救うんだ」

 

「まだ悪霊って決まってないよ。結論は聞き込みをしてから」

 

 被害者が住んでいた大学の寮、彼女の同僚や知り合いは事件について何か知ってるかもしれない。狩りはまず情報収集から始まる、洗うのは被害者の背後関係。そこから自ずと襲った者の正体も見えてくる。整備されている赤いリンカーンを眺め、ディーンは深く息を吐き出した。

 

「いい車だ。君たちの車?」

 

 騒いでいた学生の視線が集まるのは至極同然。見ない顔が目立つクラシックカーに乗ってやってきたのだ。妥当だろう。

 

「俺たちもオハヨウ大学で寮に住んでた。こっちに転入してきたんだけど部屋は空いてるかな?」

 

 息を吸うように嘘を吐く、サムは心で嘆きたくなったが狩りとはそういう物だった。インパラのトランクに押し込まれた山ほどある身分証もいつか使うことに抵抗がなくなっていく。非日常の生活を受け入れること、それを当たり前と認識することが最後の分かれ道。二度と普通の生活には戻れなくなる。

 

 すんなりと、寮に通されたのは朗報だった。案内された部屋は相部屋で今は男子が一人で使っていると聞かされる。開放的に開いていた部屋のドアをくぐり、先頭を歩いていたディーンは足を止めた。スタンドミラーの前で男が上半身に紫のペイントを塗っていた。いいや、顔も塗られていた。肩にハケを何度も塗り付けているが背中の塗りに難儀しているようだ。

 

 ディーンの表情が石のように固まった。フルハウスは嫌いじゃない、だが控えめに言って帰りたい。そうもいかず、ディーンは開いていたドアを二回ノックする。ボブカットの男はようやく二人に気づいた。

 

「君たちだれ?」

 

「君のルームメートだよ」

 

「ほんと?ちょうどよかった。背中塗ってくれ、決勝戦があるんだ」

 

 ……どうやら実力者らしい、決勝戦とハケを渡される二重の驚き。ディーンは小さく二度首を頷かせる。ゆっくりと立てた親指は、あろうことか後ろを向いた。刹那、サムの背中に悪寒が走る。

 

「こいつ絵描きだ。ブラシならなんでも恋する」

 

 キリを連れてこれば良かった。

 

「貸して」

 

 律儀にハケを受け取るサム。ディーンはソファーで寛ぎはじめるが……

 

「君は、マーフだったよな。どうなの?」

 

「何が?」

 

「先週ここの住人が殺されたんだろ」

 

「……ああ」

 

 ディーンは躊躇わず確信に斬り込んだ。ハケを揺らし、サムは眉をひそめて言葉を促す。

 

「何があった?」

 

「多分、異常者か通りがかりのホームレスにやられたんだろ。リッチはみんなに好かれてた」

 

 リッチ、今回の被害者の名前だろうか。

 

「リッチは、誰と一緒にいた?」

 

 サムに問いかけマーフは声を荒げた。スタンドミラーから表情の変化が見える。

 

「それがすごいんだ。ローリー・ソレンソンさ。彼女は一年生、すっげえかわいい。けど手はだすな、親父さんが牧師なんだ」

 

「……へえ、牧師さんか。なあ親父さんのいる教会分かるか?」

 

 快く教えてくれたルームメートには、サムが最後までペイントを手伝った。インパラに戻った矢先、やつれた兄の表情はキリの興味を惹いた。

 

「早かったね。何があったの?」

 

「絵描きは大変ってこと。芸術家には覚悟がいる。僕には無理だ」

 

「漫画家の話?」

 

「サミーちゃんの偉大な教えさ。友達になるのは大変ってこと」

 

「アメコミだって読んでないんだ。そんな出会いは俺にはないよ」

 

 キリはかぶりを振り、インパラがほぼ同時にアイドリング音を吹かせた。

 

「なあ、兄貴。ジョーからポーカーに誘われーー」

 

「「絶対にやめろ」」

 

「まだ言ってないだろ!」

 

 

 

 

 

 

「ご遺族の方に心から御悔やみを申し上げます。また一人の親としても感謝致します。彼は命を懸けて、娘を守ってくれました。時が悲しみを癒してくれるでしょうがこの悲劇を決して忘れてはなりません」

 

 どこまでもタイミングが悪く、ウィンチェスター兄弟が教会にやってきたのは御悔やみの真っ只中だった。教会に通じる大きな扉を開くと、席を埋めるのは亡くなったリッチの家族や知り合いたち。町の保安官も熱心に牧師の言葉に耳を傾けている。

 

「信者として」

 

 バタンーー!開いた扉からサムが手を離したことで、支えを失った扉が勢いよく閉まった。

 

「……ぁ」

 

 やっちまった、とディーンが肩をすくめる。幸いに皆が牧師から視線を外そうとしなかった。最後尾の席にいた老齢の保安官を除いては……

 

「家族としても若い命が奪われるのはとても辛いことです。人生を全うできぬことはなにより悲しく、痛ましい。それでは皆で祈りましょう。平和と神と子供たちを守る力を与えたまえ……」

 

 皆が祈りに頭を下げるが、ディーンはぼーっと壇上を眺めるばかりだった。サムとキリが脇を小突き、半ば強引に歩調を合わせる。御悔やみの時間が終わると、教会の参列者に若い女の子を見つけた。ブロンドの女性に率先してサムが声をかける。

 

「君がローリー?」

 

「ええ」

 

「僕はサム、彼は兄のディーン。こっちは弟のキリ。ここの大学に転校してきたばかりなんだ」

 

「そう、よろしくね。貴方を中で見たわ」

 

「ああ、直接御悔やみを言いたくてね……」

 

 一度会話を切り、サムは息を呑み込んだ。

 

「他人事とは思えなくて。君と同じで、恋人を失くした人を知ってて……さぞ、辛かっただろうね」

 

「……ありがとう。あ、父さん、こちらはサムとお兄さんのディーンと弟のキリよ。転校してきたばかりなんだって」

 

「始めまして、末っ子のキリです。先程は良い言葉に心を打たれました」

 

 牧師に手を伸ばし、キリが握手を交わす。

 

「それはどうもありがとう。若い子に耳を傾けてもらえて嬉しいよ」

 

「心に傷を負った人に寄り添う、大変な仕事ですね。ディーン、ちょっと」

 

 唐突な目配せにディーンは首を傾げるが、キリの視線がサムを指したことで考えを悟った。広げた両手で牧師を招こうと手を引いた。

 

「ああ、良かったら色々教えてください。あー、僕と弟は新参ものでこの街についてもまだ知らないことがーー」

 

 キリとディーンが牧師を招いて、サムから離れるように歩いていく。聞き込みは任せる、と遠回しに言い残したのだ。ディーンもキリも信仰心は皆無、霊は信じるが神は信じないと言い切る二人だ。牧師の話を聞こうとする姿勢は変の一言だった。残されたサムは背中を見送って話を切り出す。

 

「事件のことだけど警察はどうなの?」

 

「進んでない。きっと私に腹を立ててる」

 

「どうして?」

 

「おかしな証言をしたから。怖くておかしくなったの。見たって錯覚して……」

 

 警察の証言では、犯人は目に見えない者だった。聡明に思えた彼女の表情は一転して恐怖に駆られている。気がついたときには声をかけていた。

 

「錯覚じゃないかもしれないよ?」

 

 恋人を失った悲しみは知ってる。視界は晴れ渡る空の下にいるというのに、頭に広がっているのは部屋の天井に張り付いて炎に飲まれていくーー恋人の光景だった。

 

 キリとディーンが合流に選んだのは狩りではお決まりの場所、つまり図書館だった。パソコンから町の歴史や神話に伝わる本まで全部が揃ってる。

 

「信じるのか?」

 

「信じる」

 

「あの子かわいいもんね」

 

「違う。彼女の目は怯えてた。車の屋根を引っ掻く音がしたって言うんだ。そしたら彼が車の上に血だらけで逆さ吊りにされていた」

  

 先頭を歩いていたディーンが踵を返す。本棚を挟んで三人が顔を見合わせる。

 

「おい、血まみれで逆さ吊りってーー」

 

「ああ、フックマン伝説だよ」

 

 フックマン伝説はアメリカでは有名な都市伝説の一つとして広く知られている。地域により多少の違いはあれ、共通しているのはカップルが車でひと気のない場所を訪れると、どこからともなく現れる鉤爪の男に襲われるという一説。学生に人気の怪談話だ。

 

「でも根拠のない話の代表格だよ?それ」

 

「キリの言うとおりだ。本当にいるのか?」

 

 疑う気持ちを半分にディーンが肩をすくめる。フックマン伝説は根拠のない話の代表格、キリと同じだった。だがサムはかぶりを振って否定する。

 

「でもどんな伝説にも出所がある。フック船長だろうとね」

 

「じゃあ、誰もいないのにタイヤがパンクしたり車体が傷ついたのは?」

 

「このフックマンは人間じゃなくて霊かもしれないよ?ローリーは音が聞こえたとき、急に車の中が寒くなったって言ってた。これはつまり……」

 

「霊が現れる兆候。兄貴の予想は多分当たってるよ。記事を読んだけど、切断された箇所は損壊が酷かったってさ。尋常じゃない力で切り裂かれたらしいよ、人の力じゃないみたいにね」

 

 霊が現れる兆候で分かりやすいのは周囲の気温が下がること。そして怪しい音や振動に始まり、壊れてもいないのに電子機器の電源が点いたり落ちたりを繰り返せば確証に至る。戦う相手の検討はついたが進んだのは庭先の一歩、道のりは遠く、山がのしかかる。

 

「はい、これが逮捕記録よ。1851年からの」

 

 古風な木の机に埃を被ったダンボールが置かれていく。偶然かダンボールは3つに分けられ、ディーンが息を吹き掛けると堆積していた埃が舞い上がった。人の手に長く触れていないのは明白で、ダンボールが置かれたときの重たい音からするに中身は豊富らしい。張り付いた笑顔でディーンは係員に礼を返した。

 

「見なよ、すげえ埃だ……」

 

「お前、四年もこんなことしてたのか?」

 

「僕の世界へようこそ」

 

 家を出て四年、勉強と縁のなかった兄弟に比べてサムの手は早かった。埃に何度も咳き込む弟、投げやりに資料を漁る兄を見て、珍しく優越感に浸った。

 

「なあこれ見て。1862年、ジェイコム・カーンズという伝道師が殺人で逮捕されてる」

 

 立ち上がっていたサムが見下ろしているのは、古く色褪せた書面の記録だった。収穫のなかったディーンとキリが驚いて眉をひそめる。

 

「彼は赤線地帯に腹を立てて、ある晩売春婦を13人殺害した。あー、犠牲者の何人かはベッドで血まみれに倒れて発見された。他は木に逆さ吊りにされてた。肉欲の罪を犯した見せしめだ」

 

「見ろ、これが凶器だ。伝道師は事故で片手をなくし銀の鉤爪を付けてた」

 

 ディーンがなぞった書面には銀の鉤爪が描かれ、凶器はフックマンの伝説と合致した。鉤爪には銀の十字架が結ばれており、深い信仰心が伝わってくる。キリは思わずかぶりを振る、歪んだ信仰は不気味と呼ぶ他ない。

 

「これ、犯行現場」

 

「9マイルロード?」

 

「今回と同じ」

 

 ディーンの目が丸くなる。

 

「お手柄じゃないか。やったな、先生」

 

「からかうなよ。キリ、係の人呼んできて。資料を返したら犯行現場を見に行こう」

 

「お任せあれ、資料を漁るより片付ける方がずっと楽だよ。つか、あんな短い時間でよく見つけられたね?」

 

「今度教えてあげようか?」

 

「遠慮しとく」

 

 

 

 

 ーー9マイルロード。人が寝静まる真夜中にライトを消したインパラは野道に停車していた。開いたトランクから出されるはソードオフの散弾銃が計三挺ーー

 

「そいつが幽霊なら散弾銃なんて意味ないよ」

 

「だからいつも通りさ。塩の弾で足止めする」

 

「幽霊は倒せないけど足止めはできる。親父はよく考えついたよね」

 

 サム、ディーン、キリ、それぞれが塩の弾を切り詰めた散弾銃に籠める。取り回しに優れた散弾銃は、雑に仕切られたトランクの中でも嵩張らない優れ物だ。真夜中に塩の弾を散弾銃に籠める異様な光景にキリは話を持ち出した。

 

「寮の前でダンス部の子と話をしたんだ。今夜兄さんとバスケの試合を見に行くんだってさ。比べて俺は兄貴と幽霊退治をやってる。なんでさ?」

 

「家庭の事情だよ。お前バスケに興味なんかあったか?」

 

「突き指して嫌いになったんじゃなかった?」

 

「……安心するよ、この容赦のない感じ。バスケは見れない、試合はできない。仲良くディヴイ・ジョーンズを探しにいこう」

 

 話を持ち出せば、話を締めるのもキリの役目。三人で前方、後方、左右の死角を塞ぎ、荒れた砂利道を前方の茂みに向かって進む。生い茂るとは言わないが人の目を眩ませるにはうってつけの林。カップルが肝試しをする場所としては及第点か。

 

「待てサム。そこじゃない、下だ」

  

 声を沈めたディーンが銃口を右斜めに構えた。先にあるのは暗い茂みだが中で何かが音を立てた。辺りの空気が一気に重たくなる。しゃがんだキリがマグライトをバッグから取り出す。スイッチに手をやり、タイミングは任せる、とサムに目配せしようとーー

 

「動くなーー!そこでしゃがめ!銃を捨てろォ!」

 

 茂みから帽子が見えて、キリはマグライトを落としそうになった。白髪の伸びたわりには、その声は覇気に満ちて衰えを感じさせない。暗闇で見えたバッジにサムはすぐに銃を下ろして両手を上げた。マグライトの光がバッジを照らし、男性の身分が知れる。教会で見た覚えがある。最後尾にいた保安官だ。

 

「……おい、勘弁してくれよ。霊よりおっかないのが出やがった」

 

「僕のせいじゃない」

 

「逃げるなら置いてかないでよ?」

 

「銃を置いて両手は頭に!早くうつ伏せになれ!」

 

「わ、判った!撃つな!?」

 

ディーンが頭を伏せると、サム、キリと順番に土の上に俯せになった。心境はみんな同じ、勘弁してほしい。

 

「こいつが悪い」

 

「兄貴たちが悪い」

 

 サムは嘆いた、右も左も味方はいない。怒りを通り越して呆れながら頭を伏せる。人気のない野道を真夜中に散歩、手には怪しげな散弾銃。どこから詰問されてもよろしくない。何よりウィンチェスター兄弟はこの街にやってきたばかりの新参者。やってきたのは殺人事件が起きたタイミングと来てる。ここまで揃えば疑う材料に困らない、要は不審者リストの一番上にいるのはウィンチェスター兄弟だった。林を抜ける、が待っていたのはインパラではなくパトカー。赤と青のシグナルが明滅していた。

 

「どうしてこうなった?」

 

「僕に聞くな」

 

「兄貴、諦めよ。俺もモーテルで眠りたいよ。ビフテキ食ってさ」

 

「……俺だって食いてえよ」

 

 




次が後編になります。ジョーとエレンはシーズン2からの登場ですが、今作ではフライングで登場させています。


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偽りの信仰(終)

 

 

「俺に感謝しろよ。保安官に話をつけた。俺は天才だ」

 

 保安官事務所から釈放されたときには、夜は明けて空には太陽が昇っていた。一晩保安官と過ごして気が滅入ったのはサムだけだった。キリとディーンは何食わぬ顔で平然とサムの前を歩いていた。サムが大学に通っていた四年間の間も兄と弟は変わらず狩りを続け、その中には保安官と揉める案件にも立ち合ったのだろう。素早い対応を自画自賛するディーンの背中をサムは怪訝そうにじろじろ見た。

 

「なんて言った?」

 

「お前は新入りで先輩にからかわれたって」

 

「散弾銃のことは?」

 

「塩の弾で霊を撃つのが寮の儀式だって言ったよ。どうだいかにも悪ふざけだろ?」 

 

 サムは肩をすくめてかぶりを振る。全力で呆れた顔を作ってやった。

 

「そんなので信じたの?」

 

「馬鹿な新入りで見えたんだろ。キリは心配して兄の跡を追いかけてきた」

 

「それで通用したのは意外だったよ。あれじゃねえの。疑わしい犯人は泳がせて様子を──」

 

 背後から声がして、三人同時に保安官事務所に振り返った。扉が物凄い音で開け放たれ、通りがかりの老夫婦が目を丸くして立ち止まっている。『──急げ!』と、足早にパトカーに乗り込んでいく保安官たち、中には例の老齢の男も見えた。ステッカーの張り付けられたパトカーはけたましくサイレンを鳴らし、ディーンを瞬く間に追い抜く。一台、二台、三台では足りない──

 

「兄貴、インパラに!」

 

 キーを投げ渡してキリが叫ぶ。前の角を右折したパトカーにサムは血相を変えた。

 

「あっちって寮のある方向じゃなかった!?」

 

「ああ、そうだ。9マイルロードじゃねえ!ちくしょう、どうなってやがんだ」

 

 

 

 

 

 普段は生徒しか通らない女子寮は保安官や講師、群衆などで溢れていた。封鎖テープの奥、インパラからは牧師と毛布にくるまった最初の事件の被害者ローリー・ソレンソンの姿も見える。封鎖テープから現場は女子寮、保安官と争う牧師の様子からローリーに関わりがあるところまでは、現場を見なくても辿り着けた。悪く言えば先に進むには現場を改める必要が出てくる。停車したインパラでキリは後部座席から手を出し、ラジオの音量を捻った。

 

「いつものFBIや神父、国土安全保証局のなりすましは使えないね。牧師も保安官にも顔が割れちまってる。どうすんの?」

 

「現場を見ないと先に進めないだろ。なんとかするよ。迷ったら基本に戻れ、親父の口癖さ」

 

 ディーンは顎に手を当てる。黄色い封鎖テープの前には人盛りが出来ている。たしか、女子寮の裏手側は茂みに開けていて、道路側に続いていた。そこまで考えて、ディーンはハンドルを指で叩く。基本がどうあれ活路が浮かんだら朗報だった。思わずサムは言葉を促す。

 

「何か思い付いた?」

 

「前に倉庫に乗り込んだだろ。あれで行く」

 

「墜落した飛行機の破片を調べたときの?」

 

「それを言うんじゃない。思い出したくもねえ……」

 

 そう言ってディーンはかぶりを振る。飛行機が苦手な兄には後味の悪い狩りの一つだった。破片を調べたときは捜査官になりすまし、係員を騙して倉庫の中に忍び込んだ。だが顔を知られていてはなりすましが使えない、とどのつまりディーンが閃いたのは強行手段。インパラはパトカーの停まっている寮の裏側、人気のない路地裏の道路に回った。顔を見合わせ、そっと茂みから女子寮の裏手側に向かって土を踏む。

 

 茂みから覗いた女子寮は、騒ぎを聞いた生徒たちが慌ただしく外に飛び出してきてパニックになっていた。好機とばかりにサムは寮の壁に手をかけて、そのまま壁を力任せに登り始めた。いきなりの行動にディーンとキリは慌てて浮いた足を片足ずつ、手を添えて持ち上げる。三人の中で一番の巨漢がよりによって……愚痴りたい気持ちを抑えて行動を急ぐ。壁の角で隠れてはいるが保安官は目と鼻の先にいる、口八丁なディーンでも二度目は言い訳が思い付かない。

 

 壁際を伝った先に開きっぱなしの窓があった。窓を閉めることも忘れ、外に飛び出したくなったのか。なんにせよ開いた窓からサムは寮に入り込んだ。壁際から見下ろせる矢先には保安官が目を光らせている。キリ、ディーンは必死になって壁をよじ登る。窓から繋がっていたのは個室で、壁から保安官と思わしき男の声が聞こえてきた。現場は隣の部屋だった。部屋の外にある階段を保安官が下るのを確認してから、犯行現場の部屋に乗り込んだ。黄色いテープの奥、そこは屍山血河を呈していた。

 

「……ひでえな」

 

 口にしたのはキリだが同意見だった。濃厚な血臭に背筋が冷たくなる。赤黒い血液がベッドと枕を汚し、飛び散った血は床にまで届いていた。被害者が倒れ伏していたであろうベッドは輪にかけて血臭が濃かった。狩りをしていると人の死に何度も向き合うことになる。だが屍山血河の景色を達観して見つめることはハンターであれ、倫理観が許さない。ハンターも人間、そこに安堵したのはサムだけではない。まだ血の臭いが消えない間にやりきれない瞳でサムは壁に残った異変を指摘した。

 

「見なよ、壁に傷がある」

 

 壁際には赤い文字が斜めに綴られていた。刀で引っ掻いたかのような傷に垂れた血が染み込んでいる。

 

 

 

 

 

ーー"Aren't You Glad You Didn't Turn on the Light?"(電気をつけなくてよかったな?)

 

 

 

 

 

「ーー壁に血のメッセージ。言い伝えの通りだな」

 

「典型的なフックマンだ。それに、これで分かっただろ。重要なのは場所じゃない。フックマンは別の何かに取り憑いてる」

 

 ディーンはそう言うと、ブラインドの隙間から外を見下ろす。9マイルロードの次は離れた女子寮で殺人が起きた。二つの事件に共通するのは被害者がローリー・ソレンソンと関わっていたことだ。

 

「弟達よ。保安官が戻るまでに案を出せ。どうやって追いかける?」

 

「原始的な方法でいこうよ。ハンターらしく」

 

 キリが懐から取り出すのは、壊れたウォークマンーーから作ったEMF探知機。幽霊が発する特殊な磁場を探知して、音を鳴らせて知らせてくれる。要は幽霊専用のダウジングマシーンだった。行く先々で壊れたウォークマンにしか見えないと不評を買ったが、実際にディーンが壊れたウォークマンから作っているのだから仕方ない。スイッチを入れるとひっきりなしにEMFが反応する。当然フックマンが残した反応だ。

 

「EMFで街をかたっぱしから捜索するのか?」

 

「賢くないけどね」

 

 目を丸くするディーンにキリはかぶりを振る。

 

「ねえ、これ見て。これ、見覚えあるだろ?」

 

 サムが指摘したのは血のメッセージの下に添えられていた図形。赤い血で綴られた十字架、壁に刻まれた十字の傷跡にディーンとキリは重々しく頷いた。サムは壁の血文字を携帯のカメラで保存すると窓の外に目をやる。足早にインパラへ戻ってボンネットを座席にサムはコピーした鉤爪の資料を両手に広げた。

 

「ほら、同じ紋章だ。十字架を4つの小さな十字架で囲ってる。あれはジェイコム・カーンズの霊だよ」

 

「じゃあ、そいつの墓を見つけて塩を撒き骨を燃やせばいい」

  

 幽霊を退治するには塩を撒き、遺体の骨を燃やす必要がある。それが幽霊を退治する唯一の手。霊は生前の体を燃やされるとこの世に留まることが出来なくなる。特殊な道具は必要ない。塩とライター、身近な道具があれば幽霊退治は今日だって始められる。墓荒しになることを厭わなければ。

 

「久しぶりの朗報だよ。ディーンと足を持ち上げた甲斐があった。んで、伝道師の墓はどこ?」

 

「ジェイコム・カーンズは処刑され死体はオールドノース墓地に埋められている。名前は記されていない……」

 

「最高」

 

 ディーンが両手を挙げて立ち上がる。広い墓地で名前のない墓を探す、最高だ。

 

「よし、とにかくジェイコムってことは分かった。問題はそいつが次に現れる場所だ。理由も」

 

「おそらくお前のローリーが関係してる」

 

「会話に横槍差し込んでいい?」

 

「「なんだ?」」

 

 サムとディーンが同時にキリを睨んだ。携帯を弄りながら、キリは両腕をインパラの屋根に乗せる。

 

「ダンス部の知り合い覚えてる?」

 

「バスケの試合に行ったやつか?」

 

「当たり、メールが届いてた。今夜寮でパーティーをやるんだってさ。ちなみにローリーにも誘いが行ってた。被害者からね」

 

 場所は寮、時刻は……と最後まで聞かずにディーンは運転席に座った。やむなしに助手席と後部座席が埋まってディーンはキーを回した。外はみるみるうちに日が落ち、暗くなる。

  

 その日、夜はキリが言っていたとおりだった。寮では華々しい光の下にダンス、ダーツ、ビリヤードの台までが用意され、男女が興じている。きらびかな灯りは眩しく、笑いさんざめく声はあまりに耳に痛い。サムはかぶりを振った。人混みの中でこそ、人は本当の孤独を感じるというが、まさに言葉通りだ。

 

 パーティー好きなディーンは早くも寮の空気に馴染み、キリもビリヤードを満喫して学生を相手にマウントを取って高笑いを上げている。ハンターは賭け事に強い。小遣い稼ぎをする弟にディーンは手を振った。

 

「いいね、俺ずっと此処にいたい。俺たちもビリヤードやるか?」

 

「僕はパーティー苦手なんだ」

 

「だよな、真面目くん。目指すはオールAだろ。宿題やったのか?」

 

「ああ。どうやらフックマンとローリーの関係が掴めそうだ」

 

 そう言って、邪魔にならない壁際へ歩きながら話し始める。ディーンに向けてコピー用紙が手渡される。図書館で調べた逮捕記録のコピーだった。巻かれていたコピー紙を手元に広げて目を落とす。

 

「読んでみて」

 

「……1932年、司祭が殺人で捕まった。1967年、神学生がヒッピーを殺して捕まった」

 

「共通点がある。どちらも宗教家だ。人を導く立場だろ。なのに殺人を起こしてそれを目に見えない何かのせいにしている」

 

「ローリーとの関わりは?」

 

「宗教家さ。教会で説教をする人。けど今回は街を守る為じゃない。娘を守りたいんだ」

 

「ーーソレンソン牧師か。彼が霊を呼び出した」

 

 重々しくサムが頷いた。

 

「ポルターガイストが人に取り憑くことがあるだろ。場所が関係なかったのはそのせいだ。フックマンは移動してる」

 

「ああ、娘を守りたいあまりおかしくなってフックマンに取り憑かれた」

 

「……牧師はそれに気づいていない」

 

「いずれにしてもお前はローリーを見張れ。フックマンは彼女が行るところに現れる」

 

「兄貴は?」

 

 ディーンは名残惜しげに寮を見渡し、肩をすくめた。名残惜しげにインパラのキーケースを指で揺らす。

 

「俺はキリと名無しの墓を探してみる。なにかあったら電話しろ」

 

 

 

 

「兄貴が力仕事を選ぶなんて珍しい」 

 

 マグライトの青白い灯りを頼りにキリは渇いた土を踏みしめた。オールドノース墓地、ジェイコム・カーンズが埋葬された墓地は生き物の鳴き声一つしなかった。真夜中に墓地を訪れる行為自体が外れているがそれを指摘してはハンターの仕事は成り立たない。ライトの光を細くしたディーンのマグライトがキリの顔を照らす。墓場で悪ふざけはやめてほしい……

 

「……ディーン」

 

「ライトの調子を確かめたくてさ」

 

「真面目な話するよ。ジェシカのこと、もしかして悩んでんの?」

 

 隣で足音が止まる。顔に当てられていたライトはいつのまにか正面を照らしていた。

 

「ーー俺たちがサムを狩りに連れ戻した翌日に彼女は死んだ。天井に磔になって家が燃えたんだ。お袋が死んだときと同じさ。サムはお袋の次は恋人を失った。狩りに戻ったその日にな」

 

「俺たちが来なくても彼女は殺されてたかもしれないだろ。兄貴が誘ったのは関係ないよ」

 

「……どうかな。今となっては分かんねえ。だから親父を見つける。親父を見つけて、お袋を殺した者を退治するんだ。ジェシカの敵さ、サムだけじゃない。俺たち全員分の恨みをぶつけてやる。相手がなんだろうと構わねえ」

 

 気迫迫る声にキリは頷いていた。センチメンタルになるのは止める。前を行くディーンが迷わない限りは頼れる背中についていくだけだ。

 

「勝てると思う?」

 

「勝つさ。勝つんだよ。何があってもな。頼れるのは神や信仰心じゃない、俺が頼れるのは家族だ。サムと自分とキリ、それに親父」

 

「俺も頭数に?」

 

「たまに腑抜けになるけどな。でも仕方ない。家族で力を合わせるんだ。お袋を殺した存在が何であれ、選ぶ権利があるなら、俺は戦う方を選ぶ。本当に家族を守りたいなら幽霊なんかに頼るべきじゃない」

 

 追いかけるようにキリはディーンの隣に並んだ。寒い風が吹き付けているのに感じるのは寒さより切なさ。真っ暗闇の空で月を探すように視線は上を向いた。静寂を破り、やがてかぶりを振ってマグライトを左右に振る。知らず、足は速くなっていた。

 

「仕方ないよ。いくら牧師でも二人は家族だからな。父親だけじゃないんだ。母親からも受け継いでる。血の繋がり」

 

「その二つは別モン」

 

 ディーンはゆっくりとかぶりを振る。

 

「血の繋がりは問題じゃない、気持ちで繋がるんだ。いつも気にしてくれて見返りなんて求めない。調子の良いときも悪いときも傍にいて、支えてくれる。自分の身を犠牲にして、守ろうとする。それが家族ってモンだ」

 

 それがディーンの語る家族の定義だった。お互いがお互いを守り合う。自分が支え、自分が支えられる関係。血縁じゃなくてもいい、ちゃちだと言われようが構わない。それができれば立派な家族だと信じてる。嘘偽りのない真っ直ぐな瞳がキリには眩しかった。

 

「俺だけじゃない。お袋ならこう言う。血が繋がってるだけじゃあ家族にはなれない。築いていくものだってな」

 

 自然と震える声を押してディーンの名前を呼んだ。

 

「……大人だね、兄貴は」

 

「バカな理由さ。お前にいいとこ見せたいだけ」

 

「見せてもらってるよ、いつだってさ」

 

「どうかな。でもこれだけは言いたい。兄貴ってのは弟のことがいつまでたっても鼻垂らしたガキに見えてくる。面倒見てやらなきゃって思っちまうもんなんだ。だから、かっこつけてる。今になってもな?」

 

 いつになっても、世界の終わりが来ようとかっこつけてやる。そう言いたげな表情はいつものディーン。下手な歌を大声で歌い、誰も知らない映画の台詞を多用するいつもの兄だった。

 

「俺とお前は何度も大喧嘩してきた。でもどうこんがらがっても最後は許しあった、家族だからだ。お前を支え、俺も支えられた。それは変わらん。何があってもお前とサムは家族。インパラもだ。自慢のベイビー、忘れてねえよ」

 

 そう言って、ディーンは立ち止まった。偶然にも問題は解決した。マグライトの青白い光が、十字の書かれた墓を照らしていた。見間違うはずがない、ジェイコム・カーンズの資料にあった十字の紋章だった。ディーンがマグライトの光を揺らす、名前はなかった。

 

「見つけた。さっさと終わらせちまおう」

 

「だね。さっさと燃やそう。兄貴が待ってる。ブリトー食いながら」

 

 スコップを取り、墓に突き立てる。そして地面を掘り起こす。あとはその繰り返しだった。柔らかな土を何度も掘り起こし、落とし穴を掘る要領で地面には長方形の溝が生まれていった。掘り起こした土は10分もすれば山ができる。息が上がって後悔したくなるまでせいぜい15分ってところだ。

 

「……ミスったかな。今度から女の子見張ろう……!」

 

「どんな狩りでも肉体労働は付き物だよ。お天気と交通情報みたくセットでね!」

 

「そんなもんは欲しくないーーおっと、ビンゴか?」

 

 突き立てたスコップの切っ先が何かに阻まれた。ディーンは眉を潜め、切っ先で感触を確かめる。箱か棺、力任せにスコップを突き立てると、中から古びた布切れと埋葬された骨が出てきた。キリがマグライトの光を当てると、ディーンは短く口笛を鳴らす。

 

「あんたが伝道師か」

 

「……ああ、間違いない。見なよ、手の骨が片手しか見当たらない。事故で失った手だ。この骸はジェイコム・カーンズだよ」

 

 マグライトで遺体を改めると、キリは深く頷いた。真夜中の墓地で亡骸と対面していると言うのに心は落ち着いていた。子供の頃、ホラー映画を見て枕を濡らしていたのが懐かしい。あの頃はテレビに出てくる幽霊に毎度怯えていたが今はどうだ、実物と戦ってる。呆れた声も出てこなかった。

 

「なんとかなったね。塩は?」

 

「たっぷりとかけてやれ。数百年振りの空気だ。俺たちで歓迎してやろう」

 

 掘り返した穴からよじ登るとシャツは汗が濡れて気持ち悪かった。マグライトをディーンに手渡し、キリはバッグのジッパーを捻る。入っているのはインパラのトランクに収納していた狩りの道具一式。運べるだけの道具を詰めるだけ詰め込んだ道具箱だ。掘り返した穴から這い上がり、塩(ソルト)の容器を骸に振って遺体の骨に振りかける。白骨化した骨を塩で歓迎する気持ちをどう例えるべきか。塩は幽霊にとって毒みたいな物で幽霊を遠ざける力がある。塩でサークルを作れば幽霊はサークルの中に入ってこれない、これを応用して塩のサークルで幽霊を囲むことで檻を作ることもできる。

 

 キリはライター用オイルの蓋を開けると、中身を亡骸の上にぶちまける。頭が痛くなる気化臭の中、ディーンはマッチをこすると中に放る。

 

「さようなら」

 

 炎が伸び上がり肋骨から頭部まで行くと、体中を紅蓮の炎が包んだ。骸が燃えたのを確認してから墓地を離脱する。墓荒らしはどこの州でも禁止されている。ハンターとはいえ、見つかれば警察に捕まる立場だ。幽霊退治を訴えたところで釈放されることなど有り得ない。ならば見つかる前に退散するだけだ。

 

「肉体労働は終わり。兄貴を迎えにいこう」

 

「ああ、噂をすればガリバーからだ。よう弟!」

 

 ディーンは陽気に携帯電話を耳に当て、バッグを担いだキリは毎度ながら溜め息を吐く。支え、支えられる関係が家族とディーンは言ったが、振り回し、振り回される関係も家族の形。インパラに乗るまで続くと思われた会話だがディーンは乗車を待たず携帯を折り畳んだ。

 

「何があった?」

 

「ーー予定変更だ、牧師とローリーがフックマンに襲われてる」

 

 キリが僅かに言い淀む。墓のある方向を振り返るが気配は感じなかった。

 

「どういうことだよ。遺体はさっき焼いただろ!?」

 

「ああ、ドッペルゲンガーじゃねえ!でなきゃ燃やしてない物がある!話は後回しにしろ、今は教会に行ってフックマンを追い払うんだ!」

 

 運転席に乗り込んだディーンと、助手席に乗り込んだキリがほぼ同時に舌を鳴らした。エンジンを鳴らしたインパラが猛発車。ディーンが乱暴にハンドルを切り、大きな車体が右に旋回して道路へ飛び出した。遺体は焼いたがまだ危険は去っていない、キリはグローブボックスからサムがコピーしてあった資料を取る。

 

「親父と一緒にスーフォルズで幽霊を退治したことあっただろ?遺体は火葬されてるのに幽霊になって奥さんを襲ってた」

 

「ああ、遺品のフラスコに取り憑いて職場と実家、犯行現場を移動してた。おいまさか……」

 

「遺体を燃やしても、髪の毛の束なんかのDNAがくっついた物や遺品に幽霊が取り憑いてることがある。今回もそれだよ、ジェイコムの遺体には腕がなかった。腕の代わりとして使われていた凶器の鉤爪がね」

 

「体の一部みたいな物だ。だから骨を燃やしてもフックマンは消えなかったのか。鉤爪は?」

 

「ちょっと待って」

 

 キリは資料を捲り、目を細めた。

 

「囚人の処刑後、私物は聖バーナビス教会に寄付された。ローリーのお父さんの教会だ。住まいでもある」

 

「フックマンは200年の間、牧師とその娘たちに取り憑いてきたんだ。でも教会にあったら誰か見てるんじゃないのか?だって、血のついた銀の鉤爪なんだろ?」

 

「教会の記録がある。1862年に州立刑務所から寄付された鉤爪はーー鋳造された。溶かして別の物になってる」

 

 何を言わんとするのか察したのか、ディーンもかぶりを振った。フックマンは教会に置かれている銀製品の何かに取り憑いている。少ないヒントに当て嵌まる物は山程ある。キリが携帯電話を鳴らすがやはりサムは電話に出ない。心がはやるディーンの心情に沿い、インパラは激しく車体を振るわせて教会に続く直線へ踊り出た。道路横の青白い街灯は灯りが不気味に明滅している。

 

「分からないことはもう一つある。フックマンがどうしてローリーと牧師を襲うんだ?牧師に取り憑いていたとして娘と自分を襲わせるかな?」

 

「多分、フックマンが取り憑いてるのは牧師じゃないローリーだ。最初の被害者はローリーに迫り、次の被害者はパーティーに無理に誘おうとした。二人ともローリーの怒りを買ってる」

 

「……そこに霊が取り憑いて彼女の代わりに罰を与えたのか」

 

「ああ、ソレンソン牧師は人の道を外れたら罰を受けるって娘や信者に説いてた。当の本人が人の道を外れた行為をしてみろ」

 

「ローリーが怒るのも無理ない。教えを説いた父親がその教えを守ってないんだからな」

 

 そう言って、キリは資料を元の場所に投げ込んだ。インパラは教会の門の鼻先に停まり、ディーンは閉じられた門を乱暴に開け放つ。今度ばかりは音を気にする信者もいない。散弾銃の用心金に指をかけ、キリがディーンの背中に続いた。

 

「時間がない、俺は銀製品をかたっぱしから燃やす。お前はサムとソレンソン親子を探せ」

 

「分かった別れよう。俺は教会、兄貴は家を」

 

 キリは教会を壇上に向かって歩を進める。振り返るがディーンの姿は見えなくなっていた。椅子や壇上を見渡すがフックマンの影はない。だが、急に寒気を感じたり、電気や灯りが勝手に明滅するのは霊が現れる兆候。吐き出した息が白色に染まったのを見て、足が早くなる。サムは手練れだ、幼少から狩りをやってるし、海兵隊の父から兵士のように育てられた、身を守る術を知ってる。

 

 

(心配なのは牧師とローリーだよ。三人で仲良く逃げてりゃいいけどな)

 

 床板に不気味な切り傷を見つけ、しゃがみこんで傷の行方を目で追った。付けられた傷は教会と家を結ぶ通路へ続いている。切り傷を追いかけて通路に出ると、冗談のような寒さが肩を冷やしていた。

 

「キリ、後ろだ!」

 

 振り返りと同時に指先が用心金から外れる。サムの警告の刹那、反転した視界で対面したのは資料にあったのと同じ顔だった。右腕の鉤爪は愚鈍な動きで振り上がるがフックマンの目先には先んじて切り詰められた銃口が向いていた。

 

「ガン飛ばすんじゃねえ」

 

 銃口が跳ね、帽子姿の男は煙のように消える。砕けた塩が粉末となって通路に散らばった。

 

「どうして遺体を焼かなかった!?」

 

「ちゃんと遺体は焼いたよ!けど凶器の鉤爪は墓になかった!フックマンはこの教会の銀製品のどれかに取り付いてる!鉤爪を溶かして加工したせいでディーンが手当たり次第に燃やしてるところ!」

 

 フックマンの消えた場所を睨み、銃口を向けつつキリは家側へ後退する。塩は霊を追い払えるが退治することはできない。銃を支える左手に力が入る。壁のコンクリートから耳障りな音が響き、線を描くように亀裂が引かれた。

 

 誰もいない、だが亀裂を作った存在は近くにいる。矛盾を追い払うべく亀裂の最前線を塩の弾が穿つ。安心できる時間は惜しく、中折式のショットガンを開いて空薬莢を振り落とす。塩の弾を再度装填すると背後から声が聞こえてきた。横目で長いレンチを構えているサムに目配せする。

 

「あの親子は?」

 

「塩でサークルを作った。ディーンが銀製品を燃やすまでここで足止めする」 

 

 サムはレンチを下から上へとスイング。背後に移動していたフックマンの頭部を捉えた。黒い煙となってフックマンの姿は二度消える。鉄は塩と等しく霊にとっては毒の扱い。コンマ遅れてキリが散弾銃を放ち、薬莢を排出しては装填、発砲を繰り返す。

 

「フックマンは、ローリーに?」

 

「ああ、父親が不倫してるって知ってすっごく怒ってたよ。そこをフックマンに取り憑かれたんだ」

  

 何度も空薬莢が跳ね、サムとキリは次第に後退。家の中へ追いやられる。アスファルトの壁には鉤爪につけられた傷が一本の線を作っていた。アスファルトに亀裂を作る膂力に背筋が凍る。

 

「……まだかディーン。急げ」

 

「兄貴、下がって。弾が少ない。使いきったらサークルまで走るよ」

 

 水平二連式の銃に込めるのは二発の弾。手早く装填を済ませるがフックマンの気配はない。静まり返った場に焦る瞳でサムとキリは目を合わせる。ギギ……と引っ掻き音は真上から聞こえてきた。

 

「真上だ!」

 

「わーってるよ!」

 

 素早く二発、撃ち出した塩が弾けて天井に白い煙幕を敷く。空薬莢を交換しようとしてーーまさにその時を狙い済ましていたかのように脇腹に激痛。

 

「あっ……ガッ!」

 

 飛来したアスファルトの塊が脇腹に刺さっていた。油断した、幽霊は念力のような力で物を動かせる。キリの手から離れたショットガンは独りでに動き、教会の方へ吸い寄せられる。サムが拾い上げる隙もない、脇腹を抑えながらキリは背を向けると牧師とローリーの待つ居間へ飛び込む。

 

 住まいを兼ねており、教会に隣接された家はモーテルや寮の部屋とは一味違った。カーペットには塩のサークルが描かれ、中には牧師とローリーが身を寄せ合っていた。ローリーが眉を寄せる

 

「あなた……!」

 

「ああ、出ないで。そこなら奴は入ってこれない」

 

 キリは手を突きだし、静止するが言葉を失った。部屋の窓が開き、入り込んだ風が塩をかたっぱしから巻き上げた。前言撤回でかぶりを振る。後退してきたサムが険しい表情でキリを睨む。

 

「……何があった?」

 

「フックマンだよ。やられた、風でサークルを巻き上げやがった!そのレンチはどこから?」

 

「奥の棚にもう一本あるぞ!」

 

「いけ、キリ!早くっ!」

 

 居間の奥にキリが駆け込み、棚にかけていたレンチを掴み取る。サムの隣に戻ったとほぼ同時に、フックマンは通路の入口に不気味な姿を見せた。レンチを握る手に二人して力が籠る。背後を取られたら最後、一突きで肉が抉られる。血のついた銀の鉤爪、悪夢のような凶器は紛れもない体の一部だ。

 

「サム、キリ、伏せろ!」

 

 沈黙を破り、背後から銃声が響く。立ち塞がったフックマンの姿が消え、ショットガンを構えたディーンが最前線へ歩み出る。

 

「ディーン!銀はどうした!?」

 

「全部燃やした!なんでまだ消えてないんだ!?」

 

「まだ燃やしてないモンがあるんだよ!」

 

 かぶりを振ったキリ。サムが何かに気づいてローリーに駆け寄る。初めて話を聞いたときから、彼女はずっと十字架のネックレスをしていた。

 

「ローリー、そのネックレスは!?」

 

「こ、これ……!?」

 

「い、家に代々伝わる物だ。私は祖父から受け継いだ」

 

 気圧されるローリーに変わって牧師が答える。

 

「それは銀か!?

 

 ローリーが頷くと同時にサムはネックレスをもぎ取った。

 

「サム!そいつを暖炉に投げ込め!」

 

「行って!」

 

 レンチで殴りかかったキリが二度目の頭部を捉える。黒煙となって消える姿にバックステップ。装填を終えたディーンが散弾銃を向けるがーー

 

「ディーン?」

 

「ああ、お次はなんだ?」

 

 黒煙がフックマンの姿を作るが、大柄な体は足元から赤く染まり始める。人体が発火しているーーそう例えるしかない不可思議な現象は神を信仰する牧師をして異様な光景だった。発火した体は火の粉を舞い散らし、唸り声を置き土産にフックマンの体は焼け落ちた。

 

「間に合った?」

 

 口笛を鳴らしてディーンは振り返った。

 

「ゴールデンタイムには間に合わなかったよ」

 

 

 

 

 

 

 騒動から一夜明け、保安官事務所の前をウィンチェスター兄弟は肩を並べて歩いていた。散弾銃と寮の儀式で捕まった今朝と同じくだりだ。沈黙に穴を開けたのは眠そうなディーンだった。

 

「なんて言われた?」

 

「二度とこの町には近づかない。保安官に約束させられたよ」

 

 サムは肩をすくめてディーンに語った。事件の度に顔を合わせていたら、保安官に睨まれるのは仕方ない。保安官には犯人は鉤爪を持った大柄な男と三人が口を揃えて証言した。今後、現れることのない犯人を保安官は追いかけることになるが許してほしい。インパラが見えてきて、ディーンとキリがサムの肩を押した。インパラの近くにブロンドの髪をした女性が見える。ローリーだ。

 

「キリ、町を出るのは食事してからにしようぜ」

 

「賛成、エレンからメールが来てる。オレゴン州で人食い鬼が出没だってさ」

 

「食ってから行くぞ。人食い鬼なら準備がいる」

 

「あれは止めてよ?『おーい人食鬼、俺の肉は食いたくねえってか?上等だぁ」ってやつ。前はなんとかなったけど、自分の肉を餌に人食い鬼を呼び出すなんて正気じゃない」

 

 二人は呼び止める間もなく踵を返すとインパラとは反対の方向に去ってしまった。滅多にインパラを運転させないディーンがサムに鍵を渡しただけでも驚きである。余計なお節介だ、町を出るのは決まっているのに兄弟に気を使われる。保安官に睨まれ、お金になるわけでもないのに体を張ってる。どうして、と聞かれても深い答えはなかった。サムはかぶりを振り、ローリーに向かって手を上げた。

 

「ーー家庭の事情」

 

 

 

 

「神崎、その箸どうしたんだ?」

 

「買ったの、なによ羨ましい?あげないわよ?」

 

「……いらねえよ。つか、レオポンのプリントされた箸なんてあったんだな」

 

 まだ黄色い目の怪物……家族の宿敵と対決する前に出くわした狩りだ。あの頃は単純な世界だった。今はもっと複雑な世界にいる。俺の勝手な解釈だがな。レオポン箸……レオポンが描かれた箸を愛用する神崎に毒気が抜かれてしまった。すき焼きのあまいかおりにキンジもやってきて、最後の席も埋まった。

 

「久々の肉……!」

 

「……あんた達、いつも何食べてたわけ?」

 

「ハンバーガーだよ。明日は……パスタにするか。うん、パスタ」

 

 明日の夕食は決まった。神崎が抗議してやがるがこいつをキッチンに立たせるのは早い。俺たちの胃に風穴が空くからな。

 

「アリア、切。今日は落ち着いて食うぞ。絶対にドンパチはするなよな?」

 

「なんか言った?」

 

 キンジ睨むなよ。言いたいことは分かってる。なんつーか、平和だな。俺は苦笑いを置き、割り箸を割る。支え、支えられるのが家族。今でも覚えてるよ、ディーンが語った家族の繋がりってやつをさ。これは非日常の中にある一時の日常。この二人は俺のルームメイトで俺のーー

 

 

 

 

 

 

 

 




すき焼きを食べて、過去を思い出す話でした。時系列は魔剣逮捕からブラド編逮捕の間になります。


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呪いのクリスマス(前)

ハンターライフ(クリスマス編)


 

 

 ーーミシガン州、イプシランティ。とある家の玄関の前にディーンは立っていた。目の前には既婚済みの女性がかぶりを振っている。心が覚束ない、そんな様子の彼女とボールペンとスーツを用意したディーンの間には重たい空気が佇んでいた。ハンターがスーツを着るタイミングはーー狩りが起きた際の聞き込み。

 

「娘と私は眠ってて、主人はツリーの飾りつけをしていたの。天井で大きな物音がした。そしたら主人の叫び声が……まさかFBIの世話になるなんて……」

 

「なにか見ましたか?」

 

「いいえ、降りて行ったら主人は消えてた」

 

 涙声に語る女性にディーンは続ける。

 

「鍵はかかってた? 押し入ったあとは?」

 

「なかったわ」

 

「合鍵を持ってるのは?」

 

「私の親だけ」

 

「お住まいは?」

 

「フロリダよ」

 

 フロリダからミシガンまでは車で何十時間もかかる。頭に聞き込んだ情報を書き込んでいると、部屋の中を散策していた弟が木の段差を下ってきた。

 

「ウォルシュさん、お邪魔してすみません。一通りの捜索は済みました。では、失礼します」

 

 サムは形式的な別れを口に、ディーンもボールペンを片付ける。

 

「追って連絡を」

 

「……ええ。ねえ、警察は誘拐された可能性があるって……」

 

「あります」

 

「でも犯人からは何の要求もないわ。身代金の要求もない。あと三日でクリスマスよ。娘になんて説明すれば……」

 

「今はなんとも」

 

 先に返事をしたディーンと入れ替わり、重い面持ちでサムが返答する。クリスマスは三日後、中途半端に終わってしまった家の中の飾り付けは悲壮感に満ち溢れている。これが普通の誘拐ならどんなに良かったか、自分たちが目を付けた時点で、その可能性は薄い。ハンターが関わる事件は普通の誘拐よりも遥かに酷い結果を生んでいる。自虐的に言って、被害者にとっては疫病神だ。

 

「見つかったか?」

 

「靴下と宿り木くらい。あとこれ」

 

 呪い袋ーー魔女が暗躍したと思われる痕跡はなく、代わりにとサムが手渡しのは小指のサイズよりも小さな何か。薄い白色をした『それ』を受け取ったディーンは眉をしかめる。

 

「歯か……どこで?」

 

「煙突の中」

 

 虚を突かれて、目が開かれる。

 

「大人が通れる幅なんてないだろ?」

 

「バラバラになれば可能だ」

 

 サムは恐ろしいことを、あっさりと軽く言い放つ。

 

「じゃあパパが煙突に入ったとして……」

 

「引きずり込んだ奴を突き止める。キリに探らせよう。今頃はモーテルで宿題してるよ」

 

「だな。パソコンおたく二号に呼び掛けよう」

 

 サムはかぶりを振る。二号がキリ、ならぱ一号は誰なのか。酷く不機嫌な気分になりそうなので追及はしないことにする。クリスマスムードの住宅地に背を向け、ディーンはお馴染みの番号をコールした。二回目のコール音と同時に間抜けな欠伸が聞こえて、つい憤慨したのは致し方ないことだろう。キリには現場に足を運ぶ代わりに別の角度から事件を洗うように頼んでおいたはずだが……

 

「どうかした?」

 

「宿題をサボった」

 

「キリが?」

 

「ああ、第一声が呑気な欠伸さ。どうせコバートアフェアの一気見でもしてたんだよ。モーテルのベッドで寛ぎながら」

 

「帰ってみれば分かるよ」

 

 サムは苦笑いでインパラのドアに手をやった。彼の普段の素行を考えると、素直に首を横に振れない。

 

 

◇ 

 

 

「クリスマスの前に人を煙突に引きずり込む者……ラクシャサ、ウェンディゴ、それとも別の何か」

 

 キーボードを叩くと、画面には古今東西の伝承から引っ張ってきた資料が入れ替わりに写る。頬杖を突いて、キーボードを打ちならしていると、目当ての食べ物を紙袋に詰め込んだディーンとサムがドアを開け放った。

 

「言ったとおりだろ、犯人は煙突の掃除人」

 

「ああ、こいつはバートだろ?」

 

 いつもの安くて埃っぽいお決まりのモーテル。留守番を預かっていたキリはパソコンの前で眉をひそめた。ディーンが近くのテーブルに買ったばかりの紙袋を置く。キリがパソコンからサムに目線を変えた。

 

「なぁ、バートって?」

 

「メリー・ポピンズ」

 

「「メリーポピンズって何?」」

 

 ーーミュージカル。サムは喉から出そうな言葉を寸前で押さえつけた。何を言われるか分からない。

 

「知らないなら、もういいよ」

 

「12月になって行方不明になった男がもう一人いる」

 

「マジで? その男性もミミズの化け物に引きずり込まれたの?」

 

「分からんが天井で物音がしたそうだ。今度の敵は何だと思う?」

 

 部屋を歩きながら、不意にディーンが犯人の正体について踏み込んだ。キリがパソコンを経由して印刷した用紙をテーブルに広げる。

 

「たぶん、二人とも有り得ないって言うよ。特にディーンに限っては間違いなく否定する」

 

「なら問題ない。僕は否定しないんだろ?」

 

「有り得ない物ばかり見てきたぞ?」

 

 苦い表情で後ろ頭を掻いた。2体1、民主主義を掲げるなら見事にキリの敗けだ。言い負かすには相手が悪すぎる。調べものを任された手前、結論や予測を述べないわけにもいかない。否定される覚悟で考えを口に出す。

 

「悪いサンタ。つまり、サンタに相反する連中」

 

「それは有り得ない」

 

「だよな。俺もそう思いたい」

 

 口にしたのは自分自身だが、自分でもバカらしく思える見立てだった。印刷した紙に描かれているのは古今東西のサンタの伝承に付いて回る化物。ディーンの言葉に頷き、閲覧していたパソコンをサムの方にくるりと回転させた。

 

「兄貴はどう思う?」

 

「有り得ない、本音を言えばね。でもサンタに相反する者って意味ではあちこちに伝承がある。キリが印刷した紙を見れば分かるよ。クランプスやブラックピーター、色々な言い伝えが残ってる」

 

「いったいどんな?」

 

 腕を組んだディーンは顎を揺らして、サムに続きを促した。

 

「その昔、悪党になったサンタの兄弟がいて、そいつがクリスマスになると現れ、悪人に罰を与える」

 

「煙突に引きずり込むのか?」

 

「まぁ、手始めにね」

 

「趣味が悪い。よっぽど生活環境が捻れてたんだろうね」

 

「じゃあ犯人は……サンタのグレちまった兄弟?」

 

 聞いたディーンも半信半疑。キリに目配せされたサムもゆるく首を振った。

 

「いや、でも確かそういう話だ」

 

「そもそも兄弟どころか、サンタがいない」

 

「分かってるよ。それを教えてくれたのは兄貴だ」

 

「そこまで。サム、ディーンもそれ以上はなし。俺もいるんだ、不穏な空気は遠慮してくれ」

 

 ストッパーなんてものは要は汚れ役だ。空気を読まずにキリは頬杖を突いたまま会話に割りこむ。空いた手が静かにノートパソコンを閉じた。

 

「たぶん、僕の考えは間違いだ。サンタなんていない」

 

 

 一転、言い切ったサムが冷蔵庫に向かおうとして、ディーンがそれを呼び止めた。

 

「いや、分からんぞ」

 

「えっ?」

 

「被害者は二人とも行方不明になる前に、同じ場所に行ってるんだよ」

 

 被害者の共通点。サムとキリはディーンの言葉に視線を縛り付けられた。二つの事件を結びつける手掛かり、犯人の正体が掴めない現状では大きな朗報だった。

 

「同じ場所って?二人ともツリーが750ドルもして、買いたくても買えないから森林保護区まで行ったとか?木をこっそり伐採して盗みに?」

 

「750ドルの値段でツリーを売ってるのは、クリスマス間近になったハワイくらいだよ」

 

 斜め上を行ったキリの推測にサムが咳払いを交える。いくらなんでも750ドルはぼったくりだ。論点がずれてる。

 

「親父もバーでリースを盗んで帰ってきたけど、森林保護区にチェーンソーを持ち込んで木を盗んで帰って来たりはしなかった。そんなことが出来るのはマクギャレット少佐だけだ。それで、被害者はどこに?」

 

「行けば分かる」

 

 ディーンの手の内でインパラの鍵が揺れた。

 

 

 

 

 

 ーーサンタ村へようこそ。高く掲げられた木の看板を静かにサムは見上げた。元気に駆け回っている子供たちとトナカイやサンタの仮装をするスタッフたち。一目では数えきれない人数の子供たちの声があちこちから聞こえてくる。家が密集した場所は子供たちの賑やかな声に満ちており、木に釘を打ち込んで繋がれたトナカイを模した作り物やリースを始めとした飾りがあちこちに見られる。ポケットに手を入れ、仏頂面で歩いている三人には悪い意味で浮いていた。

 

「案外、お前の言ったとおりかもな?」

 

「いや、悪いサンタなんていない。僕とキリがどうかしてた」

 

「いたら奇跡だ。どうせなら俺たちもやってみるか?」

 

 

「サンタやトナカイの仮装なら俺は抜けるよ」

 

「違う。クリスマスさ。昔やったみたいにさ」

 

 笑って話してかけるディーン。微かな笑みで誤魔化すようにサムが首を横に振る。

 

「嫌だよ」

 

「なんで、ツリーを買ってこよう。三人でやれば派手なクリスマスになる」

 

「僕にとってクリスマスは嫌な想い出しかない。やるならキリと……」

 

「俺も嫌だ。そんな気分じゃないよ、悪いけど」 

 

 一歩歩幅を遅らせ、二人の背中を突いて回るようにキリが歩くペースを変える。

 

「なに言ってるんだ、楽しかっただろ?」

 

「誰の子供の頃を言ってるんだ?」

 

「なあ、やろうぜ」

 

「いや、僕はーー嫌だ」

 

 それ以上の論争は続かなかった。普段は見ることのできない真剣なサムの表情はどこか痛々しい。理由に心当たりがないわけじゃない、だが口にするような理由でもない。ディーンにとっては、これが最後のクリスマスになる。一年後には悪魔の取引の代価として地獄の猟犬が魂を回収するためにやってくる。取引に応じた人間を地獄に送り届ける使者として。

 

「ごめん、電話だ。ちょっと外すよ。二人は引き続き手掛かりを調べといて。たぶん、別のハンターからのバットシグナルだ」

 

 折り畳み式の携帯を開き、キリが一歩後ずさる。訝しげなディーンにサムの指摘が続く。

 

「別のハンターってボビーからの要請?」

 

「そんなところ。兄貴たちだけでも大抵の狩りはなんとかなる。俺がいなくてもね。向こうでの話がついたら連絡するよ。足はどこかで適当に見つける」

 

『良きクリスマスを』ーー着飾った台詞でキリは背を向けた。追いかけるにも早足で携帯を提げたまま、彼の背中は遠ざかる。気味の悪い疑心を抱えて、ディーンは携帯を開いた。

 

「ボビーに確認するか?」

 

「いや、今はやめとこう。何かわけがあるさ。僕らは目の前の仕事を片付ける」

 

「ああ、そうするよ」

 

 被害者の足跡を辿る。別れたサムとディーンは村の奥地へ。単独行動で離れたキリは村の入口の前に踵を返していた。コールした番号は非通知、電話帳にも登録できない特別な番号。三回目のコール音で電話が繋がったと同時に、背筋に冷たいものが走った。刃物に背中をなぞられる、イカれた表現でもまだ生温く感じるほどの悪寒。この世に生を受けた生き物が出せる気配じゃない。

 

「クリスマス気分には早いんじゃない?」

 

 携帯電話を通して聞こえる声、そして生の肉声が同時に重なった。暴れる心臓を押さえつけて、不要になった携帯電話を閉じる。いつから背後にいたのか。いや、いつ背後に現れたのか。振り返ると、その女は腕を組んで此方を見据えていた。ブロンドの髪をうっとおしそうに手で掻きあげると、大きな瞳が徐々に不機嫌な眼差しに変わっていった。

 

「うざい。なにか喋ったら?」

 

「一言も喋ってないのにうざいのはおかしいだろ。悪魔のラブコールに呼び出された人間の心境を語ってやろうか」

 

「ふーん。あれがラブコールに聞こえたのね」

 

 女はキリをからかった。言葉で、そして白目すら真っ黒に染まった『悪魔』の瞳で。ルビー、後に幾多の悪魔を殺すことになるクルド族のナイフの最初の持ち主。後に魔王の檻を開いた女。後に飛ばされた別の世界でサムと婚約を果たしていた女。メグ、クラウリーに並んで縁を紡いだ悪魔。

 

「用があるのは俺じゃなくて兄貴だろ。悪趣味な硫黄の匂いを振り撒きやがって。いい加減、実家に戻ったらどうなんだ?」

 

「今日は挨拶よ。サムじゃなくて、あんたへの挨拶」

 

 

「お前が興味があるのは兄貴だろ。七つの大罪を相手にしたときのことは感謝してる。味方についてくれたこともな。だがお前は悪魔だ。多少は変わっていても悪魔ってことは変わらない」

 

 メグには気を緩めたところで足をすくわれた。警戒心を緩めるつもりないが、不運にも確信を突かれた。

 

「一人で来たってことは話し合いに応じる気はあるんでしょ?その気があるならとっくにやってる。首を折ってお仕舞い、言ってること分かる?」

 

 人差し指を持ち上げ、くいっと横に曲げる動作を目の前で見せられる。不気味なジェスチャーが絵空事でないことは不運にも理解できた。その気になれば指の動作一つで人の首を捻れる、それが連中だ。目の前の女に明確な敵意はない、少なくとも今の時点では。鏡越しになるように女を真似て、キリも腕を組んだ。話を聞いてやる、そのつもりで彼女の言葉を待つ。意図的に作った不敬な態度にルビーは小さく溜め息を置き、普通の人間さながら肩をすくめた。行き交う子供には一瞬たりとも目を移したりはしない。

 

「変えて仕切り直しましょう」

 

「なにを?」

 

「場所よ、場所。クリスマス気分の頭で会話されたらこっちが迷惑なの。近くのダイナーで仕切り直し」

 

「注文が多い悪魔もいたもんだな、クレーマかよ。マジキーンを見習え」

 

「あの悪魔も我が儘でしょ」

 

 キリは目を丸くする。彼女が知っているとは思ってもみなかった。悪魔もドラマを見る時代、もしくは借りている器の記憶を覗いたのかは定かではない。覚束無い足取りでキリは最寄りのダイナーを訪ねた。前のテーブルに座るのは外見はブロンドの美人だが、中身は地獄の門から飛び出してきた悪魔。それを知るのは自分だけ。

 

 普通にコーヒーをオーダーして、普通に運ばれてきたコーヒーを彼女は受け取った。店内にはカウンター席を含めて複数の客がいるが、目の前の女が悪魔だと警告を促して、その何人が信じてくれようか。狂人の戯言と一蹴されるのは想像に難しくない。警告すら満足にできない相手と日夜戦っている、自虐的にかぶりを振りたくなった。最高だ。

 

「どうして俺に挨拶なんて洒落た真似を?悪魔に感謝されることはしてないし、お近づきになりたいと思ったこともないんだが?」

 

「頼みがあるから。一年後、お兄さんはサムの傍からいなくなる。それまでに一人で戦えるようにサムを鍛えないと。貴方にも協力してもらう」

 

「……断る」

 

 ばっさりと言い切り、視線を明後日の方向に向けた。

 

「一つ、俺はディーンを地獄にやるつもりはない。近づく猟犬はかたっぱしから殺す。二つ、サムを一人で戦わせるつもりはないぞ。俺とボビーがいる。三つ、お前が何を考えているのかは知らん。だが、よからぬことに繋がってるのは分かる。要はーー答えはNo.だ」

 

「現実を見たら? 敵対するより友好関係の一つでも築こうとは思わないわけ? 形でも良い返事をして、様子を見てから考えるとかないわけ?」

 

「ないな、あんたは頭が良い。それに力もある。一歩間違えたら破滅に直結だ。今すぐに悪魔払いしないだけでも善処してるよ。目の前にプラスチック爆弾を置かれて黙ってるんだからな」

 

「じゃあ、そこに付け足しといて。爆弾は爆弾でもモーションセンサー付き。選択肢を間違えればあんたの言うとおり、破滅するかもね?」

 

 コーヒーを飲みながら、呑気な警告だった。彼女のお目当てはサム、そのために外堀を埋めにやってきた。それが呼び出された理由のすべて。自分が思っている以上に悪魔は暇らしい。それとも水面下で動くことに徹しているのか。分かることは、この女は水銀スイッチを内蔵した爆弾。解体するにしても一筋縄ではいかない障害であること。なにを考えているのか、それ以上に最終的になにを目指しているのかが鍵だ。

 

「協力関係は結ばない。だが、俺からも手出しはしない。それが結べる最大限の関係だ」

 

「善処してそれ?」

 

「最大限のな」

 

「分かった、話にならない。今の段階で貴方に何を言っても無駄なのは分かったわ。無駄なことはやらない。それで、あの辺鄙な場所でなにやってたわけ?」

 

 頼んでいたサンドがやってきたのと質問はほぼ同時だった。

 

「狩りだよ。誤魔化しても見破られるだろ。先に話しておくと事件の調査。それだけ、納得したか?」

 

「あの辺鄙な場所に何を調べに行ったのか。そこを答えてくれると納得するんだけど」

 

「口が軽いと女に嫌われる。事件を調べに行ったんだよ。悲惨な事件」

 

 悪魔に狩りの内容を逐一話すつもりはなかった。誰でも身から出た錆は、遠慮したい。サンドをほおばり、返答する気のない意思表示とするがルビーは気にもしていなかった。咀嚼していることも躊躇わず、追加の質問が投げられてくる。

 

「あんな場所にまで出向いてるってことは、クリスマス、それともサンタクロースに関連した事件?まさかサンタを追いかけてるなんて言わないわよね?」

 

 ……追いかけているのは悪いサンタ。つまり、半分は正解みたいなもの。サンドを持った手を止めると、ルビーが半信半疑の視線を向けてきた。

 

「……それ本気?」

 

 悪魔に同情される気分をどう表すべきか。飲み込んだサンドの味がしない。

 

「半分だけな。ここの代金って……」

 

「奢らない」

 

「分かってるよ。で、半分本気だったらどうする?サムに目をかけてるのも見込み違いかもな?」

 

「飛躍しすぎ。でもサンタを追いかけてるのは正気じゃないわね」

 

 両手を組んで、細く歪められた目が蔑んでくる。

 

「サンタについての伝承はあちこちにある。人を殺して回る悪いサンタがいるかもしれない」

 

「クリスマスにサンタが人を殺して回ってる。ねえ、普段からどんな物を食べてたら、そんな間抜けな考えができるようになるわけ?」

 

「ベーコンチーズバーガーだよ。たまにブリトー。間抜けかどうかは調べてみないと分からない」

 

「分かるわよ、クリスマスに人が殺された。そこからサンタに行くのが前提として間違ってる。そもそもクリスマスはどこの文化?」

 

「どこって、キリスト様だろ。クリスマスはキリスト様の誕生日なんだから」

 

「違う。クリスマスは異教徒の伝統行事。キリストが生まれたのは秋で、教会が異教徒の冬の祭りを横取りしてクリスマスと名付けた。薪の形をしたケーキも赤いサンタの服も異教徒文化の名残から来てる」

 

 憐れみ半分で語られた言葉は続く。

 

「あんたが追ってるのはサンタじゃない。大体の検討はついたわ。殺された人間の家はクリスマスの飾り付けの真っ只中だった。どうなの?」

 

「あ、ああ。俺は見てないけど、サムからはそう聞いてる」

 

「敵は異教の神。サンタじゃないわ。古い文化に縛り付けられてる連中」

 

 半信半疑だった。キリは険しい表情で眼前の悪魔を一瞥するが嘘を言ってる様子じゃない。自分の考えを淡々と述べ続けた、本当にそれだけのことに思える。運良くウェイトレスに頼んだコーヒーが、間を置くようなタイミングでテーブルに差し出された。

 

「異教の神がなんで……いや、異教徒文化の風習か?」

 

「そうよ。コーヒーの糖分でちょっとは頭が回ってきたみたいね」

 

 自分がコーヒーを飲み干して、ルビーはちらりと道路の向こう側にある家を見た。クリスマス間近、家の庭先を御夫婦と思われる男女が協同で飾りつけをしている最中。

 

「異教徒文化の風習にシモツケソウを使った話が出てくるでしょ。シモツケソウは魔力がもっとも強いとされる草。異教徒たちはその草を使ってリースを作った。神への生け贄として」

 

「ああ、思い出したよ。神に捧げる生け贄の目印か」

 

「そのとおり。神は草に惹かれて立ち止まり、その近くにいる人間を食らう。カリスマ主婦を気取った女たちがリースを飾る行為は『私たちを殺して』ーーそう書いた看板を家の前にぶら下げておくようなものなの。玄関か暖炉の上にでも飾ってたんでしょ」

 

 ……キリは静かに両手を上げた。まるで見ていたような口ぶり。犯人は悪いサンタって言われるよりも遥かに説得力がある。被害者の家を捜索すればリースの一つや二つ、転がっていても不思議じゃない。

 

「腹を空かせた神様が行事を建前にして、御馳走を食べにやってきた。煙突の上から。笑えないな」

 

「かつては当たり前の風習だった。生け贄も今と違って、選び放題だったはずよ」

 

「今は違う」

 

「だから、餓えてる。12月の終わりなのにミシガンは雪すら降ってない。気候は温暖そのもの、誰も変に思わなかった?」

 

 窓の外に広がるのは季節外れの暖気。12月のミシガンなのに雪も降らず、異常なまでに空気は暖か。

 

「変だな、かなり変だ」

 

「ーーホールド・ニカーよ。冬の祭りの神。生け贄の代わりに暖かな気候をくれる。まだ満足してないなら、今もおかわりを探してるんじゃない?」

 

 つまり、冬至の神。ブラインドの開いた窓から晴れた空を見上げて、目を細めていく。ブロンド悪魔の見立ては悔しいほどに説得力に溢れていた。

 

 

 

 

 




ようやくルビー本人を出せました。シーズン3のルビーは味方の印象が強く、シーズン4の彼女は裏で暗躍している印象が強いですね。ツリーが買えないから、森林保護区から木をタダで盗む元軍人…


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呪いのクリスマス(中)

「それじゃあ、そのマッジ・ケリガンって人がシモツケ草を店に卸してる?」

 

「それもタダでね。あのリースは200ドルはくだらない」

 

「200ドルのリース、でも材料費はタダ。出来すぎた話なのに店が怪しまないわけだ。かき氷を作るより割が良い」

 

「ああ、氷やシロップを仕入れるより安いよ。クリスマスは稼ぎ時だってさ」

 

 モーテルにサムの呆れた声が虚しく響く。美味しい話に乗らない店はない、かぶりを振ったキリがそのままベッドに寝転がる。タダで仕入れた材料に200ドルの価値があるなんて大抵の商人からすれば愉悦が止まらない。少なくともリースを作る店主は疑っていなかった。

 

「考えたよな。材料を店に卸せば流行りに惹かれた主婦は喜んで生け贄希望のプラカードを掲げる。賢いやり方だよ、この神様は人間についてよーく勉強してる」

 

「それ皮肉?」

 

「まさか、みんなお金は大好きって話。俺だって金が好きだ、この仕事は給料出ないからね」

 

 始まった、とサムは目線をベッドに向けた。ベッドでは仰向けになったキリが何食わぬ顔でチキンを貪っている。一目で分かるギトギトの食事、本とにらめっこしていたサムも堪らず手をあげた。ディーンはバーに飲みに出かけてからまだ帰ってない。好みの子でもみつけたのだろうか。

 

「なあ、前から言おうと思ってたんだけど。ディーンに似てきたんじゃないか?悪い意味で兄貴に影響を受けてるぞ?」

 

 キリはチキンを手に答える。寝転がったままで、

 

「どこが?」

 

 マナーは死んだ、このモーテルは無法地帯だ。瓶コーラの栓を開けながらサムはかぶりを振る。急に真面目になったり、急にがさつになったり、本当に忙しい奴だ。

 

 親父の教育、ディーンの影響、塩と怪物の絶えない特殊な環境下、そして出来上がったのは掴みどころのないコーラ中毒者(ジャンキー)。炭酸がこの世から消えた暁にはどうなるか分かったものじゃない。

 

「気付かないならいいよ。ジョーから連絡は?」

 

「何にも。前に映画誘って断られたきり」

 

「何の映画?」

 

「チャーリーズエンジェルフルスロットル」

 

「……攻めたね」

 

「ダンスは良かった」

 

 本当の天使はもっと酷い連中だが、それを知ることになるのは1シーズンあとのこと。

 

「なあ、兄貴はどうしてクリスマスパーティーを嫌がるんだ?昔は嫌いじゃなかっただろ?」

 

「いつの話だよ。まだ子供だった、大人になれば変わる」

 

「そんなもんかな」

 

 煮え切らない兄の言葉に納得はいかない。少なくともクリスマスに悪い思い出ばかりの家庭ではなかった。親父は狩りで家を留守にしてもディーンがいたし、寂しいクリスマスを過ごしたという記憶は刻まれていない。煮え切らないサムの態度が妙に引っ掛かって仕方ない。何故、クリスマスを拒むのだろう。払拭できない疑問の紐解きは意外にも兄から切り出された。

 

「ディーンは、これが自分にとって最後のクリスマスになるって言ってた。言葉どおりね」

 

「……だよな」

 

 チキンを貪っていた手が止まる。悪魔と交わした契約、来年のクリスマスを迎える前に地獄の猟犬がディーンを迎えにやってくる。取引した人間の魂を回収するために、

 

「……だから嫌なんだよ。無理だよ、僕にはできない。エッグノッグ飲んで楽しいフリなんて……兄貴が死ぬの分かってるのに」

 

 ーーできないよ。感情を押し殺した声が部屋に反響していた。紐解きは終わり、チキンは食べれてもそれ以上は何も言えなくなる。

 

 

 

 

 

 翌朝、インパラで店主から聞いた住所を訪ねる。至って普通の家、庭先には至って普通のクリスマスの飾り付け。悪い神様の根城にしては平凡すぎる。質素とすら言っても構わない。

 

「これがリースおばさんの家か。いかにも普通っぽいところが怪しいぜ」

 

 ディーンの言葉が全員の気持ちを代弁する。一言で言えばいかにも普通っぽい。ご近所の誰もがそう答えるに違いない。すたすたと歩いたディーンがドアを叩く。

 

「なーに?」

 

「シモツケ草を作ってるマッジ・ケリガンさんは?」

 

 明るい笑顔で出迎えてくれるのもどこにでもいる女性だった。長身二人の兄の背中の隙間から、キリがめざとく目を細める。歳は60半ばと言ったところ、犬歯もなければ硫黄の匂いもしない。玄関から覗ける室内には、クリスマスを思わせるツリーや装飾が至るところに、悪く言えば季節や流行りに夢中な普通の家。

 

「あたしがそうよ?」

 

「やった」

 

「ああ、見つかった。クリスマスショップに貴方の作ったリースが飾ってあった。素晴らしいですね」

 

「気に入った?シモツケ草ってとても良い香りがするでしょう~?」

 

 二人の錆び付かないセールストークには舌を巻くが、穏やかな彼女の態度が妙に胡散臭い。悪魔であることを性格と態度含めて、取り繕いもしないルビーを見たばかりか妙にキリのなかでの納得がいかない。仮にあのブロンド悪魔が側にいれば同じく疑ってかかる場面だろう。

 

「けど、買おうと店に戻ったら生憎売り切れてしまっていて……」

 

「あら、ひどいーー!」

 

 嘘八百のサム、そして表情を豊かに変える女性。すかさずディーンが控えめなトーンで切り出す。

 

「もし良かったら売ってもらえないかな?」

 

 途端、リースおばさんは息を吸い、

 

「今年作ったぶんはみんな店に出しちゃって家にはないの」

 

「ところでなんでシモツケ草を使ったの?」

 

「香りがいいからに決まってるでしょう。あれほど良い香りは他にはないわ」

 

 ディーンが突然の投げた質問にも変わらず答えてくれる。どこまでも良き隣人と言った印象が植え付けられていく。ひねた見方をしなければ誰だってそう思う。玄関からも見える階段からパイプを咥えた初老が下ってきた。

 

「ご主人ですか?」

 

 そこで、初めてキリが横槍を挟む。

 

「ええ」

 

「どうしたんだい?」

 

「私のリースが欲しいって訪ねてくれたの」

 

「あのリースはとても良い、とても良いリースだ。そうだ、お菓子でも?」

 

 奥さんと同じ、男性も疑いたくなる明るい表情を浮かべていた。スナック菓子の入った缶を差し出され、サムは小さく笑って場を流そうとする。疑わしき相手から差し出される食べ物に口をつけるわけにはいかない。無言で隣から缶に伸びたディーンの腕を二人で叩き落とした。

 

「はは、もう帰ります」

 

 サムが挨拶したところで、キリが一目散にディーンの腕を引いた。目を丸くしたままの兄を引きずる勢いで庭を踏み鳴らし、インパラへと連れていく。

 

「呆れた。あんな得体の知れない菓子に誘惑されるなんてさ。お菓子にまじないでもかかってたらお手上げだよ」

 

「悪かったな。美味そうに見えたんだよ。コーヒーカップに沈んだマラサダよりずっと美味そうだ」

 

「まぁ、確かにべっちょりマラサダは最悪。それには同意見だね。コーヒーを飲み干すとき、底にべっちょりついてるのを確認する、あれは最悪だ。巣潜りしたくないなら、マラサダの二度漬けは厳禁」

 

 きょとんとする兄を引き連れ、キリは運転席のドアを開いた。いつかハワイでマラサダとコナコーヒーのコンビを楽しんでみたいが、残念なことにいまから向かう先は常夏の気配も感じなければ海も見えない埃っぽいモーテルである。

 

「一度モーテルに帰ろう。兄貴、鍵」

 

「おい、待てよ。お前が運転するのか?」

 

 信じられない、とバックミラーに苦笑いが映る

 

「たまには運転するさ。鍵貸して少佐。サムと二人で想い出話にでも浸りなよ」

 

「何かあったのか?白状しろ、出ないとコーラはお預けだ」

 

「炭酸が消えたらこの世は終わりだね。ずっとオレンジジュース飲んどかないと」

 

 片手で投げられたキーを受け取り、エンジンが回る。走ってきたサムが後部座席を開いた。

 

「キリの運転?何かあった?兄貴が運転譲るなんて珍しいじゃないか?」

 

「想い出話に花を咲かせろだとさ。ジョーに誘いを断られて頭がおかしくなってるんだよ。だから別の映画にしとけって言ったろ」

 

「言ったな?怒ったぞ、いまのはジョン・ウィックだって怒る。いまの俺は車を奪われたジョン・ウィックのように怒ってるぜ、ディーン。体のなかの血液が沸騰してる」

 

「カウンセリングしてやるから早く出せババヤガ」

 

「ちくしょうめ、俺の扱いが軽い。いいさ、コンチネンタル・ホテルまで飛ばすよ」

  

 俺の扱いが軽いーー終始、迷惑な運転手のぼやきが飛び交い、インパラはモーテルへの帰路に着く。情報の整理に拠点となっているモーテルの部屋のドアを再度叩いた。

 

「あの夫婦どう思う?」

 

「良き隣人って感じ。理想の夫婦さ、だから余計に怪しい」

 

 ディーンにそう返しながら、キリはテーブルに瓶コーラを置いた。生憎、オレンジジュースはない。

 

「今度はコーラにマラサダを漬けようってか?」

 

「まさか、あれはマラサダの甘さとコーヒーの苦味があればこそ楽しめるんだ。はっきり言うけどコーラとマサラダを浸して食べる、あれは何というか、言葉にはできない喪失感に襲われる。果たして俺はコーラを飲みたかったのか、マラサダを食べたかったのか。口にした途端、そんな疑問を抱くこと間違いなし」

 

「つまり、お前が犠牲者第一号か。経験者は語る、勉強になるよ」

 

「あのときのジョーの沈黙と来たら堪えたね。バーの客をナンパしてるアッシュを見てるのと同じ表情してた」

 

「……映画だけが原因じゃ無さそう。やっぱりだ、あの夫婦めちゃめちゃ怪しいよ」

 

 ベッドでパソコンを叩いていたサムが背中を伸ばす。話の道筋は修正、狩りへと転換される。「根拠は?」とすかさずディーンが続きを促した。

 

「去年までシアトルに住んでた。クリスマスの頃に二人失踪してる。年が明けて夫婦はここに引っ越した。それにあの家のなかの飾りーーバーベナとミントだ」

 

「異教徒のか?」

 

「儀式に使うやつ」

 

「神はどこだ?ビニールのかかったソファーの下に隠してあるのか?」

 

「さあな、調べに行かないと」

 

「よし、決まりだ。リースおばさんの家にディーナーをご馳走になりにいこう。常緑樹の杭を手土産に引っ提げてーー」

 

 すっ、とディーンがキリから投げ渡されたのは常緑樹を加工して作られた木の杭。ナイフで研がれた先端は武器と呼んでも差し支えない形をしている。仮に自傷に使えば痛いでは済まない、但しこれから突き立てる相手は人ですらないのだが……

 

 

 

 



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呪いのクリスマス(後)

 夕焼けが過ぎ、夜の帳が降りた時刻。早々と裏口をピッキングで抉じ開ける二人の姿が頭に浮かんだ。例のごとくインパラで置き去りを受けたわけだが『15分で戻らなければ玄関のドアを叩け』とサムから言伝がある。武偵で言うなら伏兵、非常時に備えた控えの役回り。

 

 運転席で2つ折り携帯を無意味に開いては閉じて時間を潰しているが、不意に窓の外の景色が見えるとルビーの指摘が至極もっともであることを実感させられる。ミシガンの冬が厳しいことはデトロイト目当てにやってくる観光客だって知っている、カンザス育ちから見ても12月のミシガンの気候にしては異様なまでに温暖だ。昨日今日、海水が上昇してもこんなことにはならないだろう。

 

 悪魔からアドバイスを貰うのはハンターとしては複雑だが、ルビーと名乗った彼女は地獄の門から飛び出した他の悪魔に比べるとまだ信用できる部類。協力者の立場を取ろうとしている彼女は動向は不穏の一言だが、食事の名目で人を貪り食おうとする異教の神に比べれば可愛げがある。それも今回の相手は大食い、そしてマナーが悪い。

 

「ねえ、ちょっとーー」

 

 こんこん、と不意に窓をノックされて携帯を閉じる。外から茶髪の女性がこっちを覗いていた。知らない顔だ。レギュレーターを回し、窓だけを開く。

 

「どうかした?」

 

「ああ、良かった。無視されたのが二回、クラクションを鳴らされたのが三回。やっと会話ができる」

 

「そりゃ良かった。なにか聞きたいことでも?」

 

「近くにモーテルがあれば教えてほしいの。お洒落なところとかありがちな要望はしないから、とにかく雨の凌げるところ。Wi-Fiがあれば尚良し」

 

 どうやら宿探しに迷っていたらしい。茶髪を伸ばし、それなりに若い女性らしい身なりで整えられた女性。年齢はさほど自分とは離れていない印象を受ける。とても宿無しのホームレスには見えない、観光客か。

 

「どこでもいいなら、この通りを抜けて少し行くとモーテルがあるよ。ちょっと古びてるけど1日泊まるだけなら悪くない宿だ。ミシガンには観光?」

 

「趣味の一環も含めてね。パソコン(相棒)は不調だし、電池が切れて携帯も使えないから超ピンチだった。現実のRPGは大変。教えてくれてありがとう」

 

「いいや、ちょっと待ち合わせでね。乗せてあげれたらいいんだけど」

 

「それは気にしないで、場所が分かっただけで十分。良いことばっかり続くと後が怖いから」

 

「それは言えてる」

 

「でもミシガンの冬ってもっと寒いと思ってた」

 

「ああ、今年のミシガンは妙に温暖だ。おかしなこともあるもんだよ。とにかく良い旅を」

 

「貴方も良い日々を。じゃあね?」

 

 陽気な女性はそのまま去っていく。サムとディーンに置き去りにされてからリミットの15分が経過した。二人が帰ってくる気配はまだない。心を落ち着かせるように携帯を一度開いて閉じると、助手席に置いた常緑樹の杭を福の懐に隠し持つ。伏兵を用意したのは正解かもしれないーーサムに冷笑してやり、表を避けるようにサムとディーンが使った裏口から例の家に忍び込む。

 

 相手が異教の神なら銃は役に立たない。眉間や首、心臓や肺、どこに弾を撃ちこんでも平気な顔をされるのは目に見えている。頼りになるのはナイフで加工した杭一本、実に心強い。足音を殺し、息をすることすら躊躇いを感じる。まるで盗人の気分だが運の良いことに呼び鈴の音が鳴った。足音が二つ、すぐに客人と例の夫婦の声が聞こえてくる。隣人からのクリスマスケーキの差し入れ、夫婦の注意は客人に固定される。控えめに言っても好都合だった。

 

(理想の夫婦を演じたのが仇になったな。好都合だ)

 

 夫婦が何事もなく会話しているなら、気になるのは二人の安否だがサムもディーンも化物の食卓に易々と並べられるハンターではない。夫婦が玄関まで辿ってきた足取りを踏まえ、部屋を探索する。クリスマスの飾り付けやツリーが立っているだけの普通の部屋、違和感のない部屋ばかりが続くがーー

 

「ビンゴか?」

 

 眼前には新たな白い扉、ドアノブにまだ真新しい血痕が残っている。何かで床を傷つけるような音が扉越しに届き、すかさずドアを開け放った。

 

「戻ってきやがったか、くそったれ!」

 

「バカタレ、俺だよ。仲良し夫婦は隣人とお喋りタイムだ。置き去りにされた控えが代打でやってきましたよ」

 

「ーーキリ!良かった、頼む!早くしてくれッ!」

 

 ディーンの罵倒とサムの指示をほぼ同時に浴びる。それぞれ背中合わせに並べられた椅子に手足を縛り付けられていた。聞こえてきた床を傷つけるような音は椅子を力任せに引きずろうとした音だった。

 

「俺がいて良かっただろ? 見たところ、調理される一歩手前ってところ?」

 

 手首を縛る縄にダガーを当て、片手ずつ裂いていく。

 

「ああ、下ごしらえさ。もう少しで歯をやられてるところだった」

 

「やっぱり黒か。穏やかなのは見た目だけだな」

 

「地下室を見つけたけど、そこで不意を突かれた。敵は異教の神、それも夫婦。あの二人は本気で人間を調理してる。床や壁は血でどこも汚れて、まな板に骨や肉が散らばってた、人間のね」

 

 サムの言葉にゾッとする。地下室を見つけなかったのは逆に幸運かもしれない。人肉を食い散らかす神様のキッチンを覗きたいほど好奇心は強くない。キリはテーブルに置かれたままのボウルを見て心底そう思う。ボウルの中にあるのは赤い血で濡れたーー人の爪だった。

 

「酷くやられたね」

 

 最後に残ったサムの左手を縛る縄を裂く。自然と見える指先にはあるはずの爪がなかった。

 

「連中が大切にしてる面倒な儀式のお陰で命を拾った。なんとも言えないな」

 

 皮肉にそう言うと、サムが立ち上がる。続いてディーンも歯の調子を確かめながら続いた。

 

「やべえ、戻ってきたぞ!」

 

「貰ったケーキが不味かったのかな。兄貴、そっちの部屋!」

 

 隣人との会話を終えたのだろう、神の足音が近づいてくる。キリが入ってきた扉とは別のもう一つ扉を視線で指すと、ディーンを先頭に扉の先の部屋に流れ込む。最後に入ったキリが咄嗟にドアに側にあった棚を引き出し、そのまま開き戸の障害物にして簡易的な鍵をかける。ドアは激しく揺れ、背筋がゾッとする。

 

「こっちだ、手を貸せ!」

 

「武器は持ってきたんだろうな!」

 

「一本だけ!」

 

 隠し持った杭をディーンに投げ渡し、サムと二人で残った出口の扉の前に食器棚を運んでバリケードにする。

 

「これで少しは時間を稼げる」

 

「どうだろ。連中、ドアなんて使うかな?」

 

「使うと思いたい」

 

 サムの言葉には酷く同感だった。神にも扉をノックの文化があると良いのだがーー

 

「武器は地下室に置いたままだ。杭一本じゃ足りねえぞ!」

 

「葉緑樹を見つければいいんだ。あそこにモミの木がある!」

 

 サムが見つけたのは見るに高そうなクリスマスツリー。飾り付けられている樹は探している葉緑樹、冬至の神を殺傷できる武器。部屋の隅に飾られている立派なクリスマスツリーを倒し、太い枝を力任せに折ると尖端が少し不格好だが即興の杭が出来上がった。

 

 持ち手の邪魔になる細い葉だけを取り除いてると、ドアを叩いていた音が突然鳴りやんだ。部屋には不気味な静けさが舞い降り、三人同時に半眼でドアを見る。相手は飢餓状態の神、食材を目の前にして諦めるとは思えない。安心感を誘う静けさがかえって不気味だった。扉は部屋の右側と左側に二ヶ所、敵は二人、挟み撃ちもできる。そして静かにディーンの首を男が捕らえた。

 

「ぐ……ぬう……!」

 

「「ディーン!」」

 

 そして反対からもーー

 

「よくもやってくれたわね。あのツリー高かったのに……」

 

 不意に老婆の首が縦、左右、斜め、縦横無尽に揺れ動いた。人の骨格ではありえない角度で。

 

「部屋もこんなに散らしかして掃除がとっても大変」

 

「もっと散らかしてやるから覚悟しろ。八つ裂きの八つ裂きで64にしてやる」

 

 独特な罵倒が老婆の声を遮る。会話で無防備になっていた首をキリが躊躇なく殴り付けた。要はふいうち、やや遅れて首から鈍い音がする。

 

「まあ、ひどい!」

 

 刹那、真横を向いていた顔がグキッと嫌な音と同時にキリの正面へと向き直った。老婆の腕が鋭く動く。顔面への反撃だが老婆の拳はそのままキリを壁際まで吹き飛ばす。老婆以前に人の力とは思えない冗談のような威力だった。

 

 下手な受け身を指摘してやる暇もない、葉緑樹の杭で愚直に腹部を狙うが顔に一撃を食らって二の舞。サムは立ち上がろうとしたキリの上に思いっきり背中を打ち付けた。下敷きになった弟から鈍い悲鳴が聞こえてくる。

 

「……ちくしょうめ。まるで落石事故だ」

 

「ああ、わざとじゃない……!」

 

「許す理由もないけどなッ!」

 

 ディーンもマウントを取られ、倒れた姿勢で控えめに見ても劣勢。一方、老婆の神も笑顔を浮かべて余裕を崩さない。その笑顔も作り物と知ったあとでは張り付いた不気味な笑みでしかない。

 

「なあ、引き分けってことにしてこのまま別れないか?」

 

「ディーンも同じこと言った。無駄だよ、飢餓状態だ。僕らを食い殺さないと気が済まない」

 

「失礼ね、まだ三人しか食べてないわ。」

 

「こいつらを入れると、六人だ。昔は一年に百以上の生け贄を捧げて貰った」

 

「そうねーーそれならあんまり悪くないわね!」

 

 ホームドラマみたいな喋り方で恐ろしい言葉が吐き出される。かつては信仰され、熱心に生け贄が捧げられた。そして現代では皆に忘れられている。この時代に自分から進んで肉と血を捧げる人間など普通はいない。信仰のない現代は神にとって『飢饉』の世界なのだろう。

 

「だが、とんでもない悪食だよ。夫婦そろってな!」

 

 杭を持たない左手が傍らにあった空の段ボールを掴むと、半眼と一緒に老婆へ投げつける。が、ナイフですら傷を負わない相手に空になった段ボールなどぶつけたところで嫌がらせにしかならない。失笑と同時にキリの投げた段ボールは手で振り払われるーーそれがキリの小細工であることも見抜かれていた。

 

「あら、浅ましい!」

 

 段ボールに注意を向けられた隙に杭を投げて退治するーーその場で思い付いた案には違いない、槍投げのような動作で素早く放った杭も種の割れた手品。杭が手元を離れたときには露骨な冷笑が向けられていた。老婆の右腕が動き、お手製の杭は体に触れることなく手で受け止められた。握力だけ木が軋み、やがて右手にあった杭が二つに別れる。

 

「気に入ってたのに残念だわ。バカなことするから武器がなくなっちゃった」

 

「でも俺よりまぬけだ」

 

 神が肩をすくめるのと同時に、その脇腹に杭が突き刺さった。

 

「まけぬな人間を見るのに夢中になりすぎたな?」

 

 身長差から間近でサムが神を見下ろしての一言。今度こそ不意を突いた手向けの言葉と一緒に杭を押し込む手に力を込める。

 

「やめろーーーー!」

 

 赤いセーターに血が染み込み、異変に気付いた片割れの神が叫ぶ。視線が外れた一瞬、ディーンは手元から離れていた杭を引き寄せると激昂している横顔を杭で殴り付ける。マウントの位置は反転し、すかさずセーターの上に尖端を突き刺す、一度、そして力を込めてトドメとなる二度目を振り下ろした。仰向けに沈黙した体は薄目を開けることもない。どっと肩から力が抜ける、考えは一緒だった。

 

「手向けの言葉があるならどうぞ」

 

「そうだねーーはぁ、メリークリスマス?」

 

 息を切らし、サムは肩をすくめるのだった。

 

 

 

 

 

 

「まぬけな人間で悪かったな。あれでもクモの巣だらけの頭を使って必死に考えたんだよ」

 

「悪かったよ、でも段ボールはないだろ。悪食の神だって段ボールは食べないよ」

 

「ああ、覚えとく。また一つ賢くなった、目指せオールA」

 

 いつもながらの皮肉めいた言い回しでモーテルにツリーを飾り付ける末子。ロースクール、奨学金の免除まで決まっていたサムとは違い、学業はいまいち奮わなかった。思い返せば未練がないとは素直には言えない。そもそも狩りとの二足のわらじ、学業を面倒だと感じるほど通っていないのだから美化されるのは当たり前か。

 

「つか、どうしていきなりクリスマスを?兄貴が心変わりなんて珍しい」

 

「僕だって心変わりはするさ、人間だからな。そこ、ちょっと雑じゃないか?ほら、そこだ」

 

「はいはい、サミーちゃんはなんでも真面目なんだから。女みたい。だからいつもディーンとモーテルの受付で勘違いされーーさあ、ディーンがビール買って帰ってくるまでに終わらせよう」

 

 雲行きが怪しくなった途端、両手を挙げて掌を返す。呆れて毒気が抜かれるようだった。

 

「このツリー、いくらだっけ?」

 

「300ドル、梱包材はサービスだってさ」

 

「良かった。お陰で兄貴が森林保護区にチェーンソー持って忍び込まずに済んだ」

 

「笑える。少佐は1200ドルの罰金だっけ?」

 

「召喚状と一緒にね。パインツリーを保護区から盗んだ罰金。よし、メレ・カリキマカ。あとはやっとくからプレゼント交換用の買ってきなよ。エッグノッグ作って待ってる」

 

 

 そう言い、キリは視線でドアを指差す。

 

「じゃあ任せるよ」

 

「ああ、気をつけてな。コーラもよろしく」

 

 一人になり、作業を続けていると明るい電飾で部屋の雰囲気もどんどん変わる。ソファーにはぬいぐるみでも置いてやればそれらしい。戻ってくるまでにエッグノッグでも作ろうとしたところで苦笑いが湧いた。

 

「……俺、自分で渡すプレゼント買ってねえな」

 

 



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狩りの女神(前)

本土で最終回が放送してしまった記念。




「ディーン」

 

「ここだ。朝飯作っといた」

 

「ホントに? ナイス、助かるよ」

 

 カンザス州、レバノンの一角にこの賢人のアジトはある。パニックルームや広いガレージまで内蔵したこの空間はかつて賢人と呼ばれていた超常現象専門の学者たちが使っていた基地。この無駄にでかい空間は彼等の住まいであり、膨大な記録を保存する書庫も兼ねている。

 

 紆余曲折の末、クローゼットからタイムスリップしてきた祖父にこの場所を託されて以降、モーテル暮らしだった俺たちの住まい兼拠点として定着している。返事のした方向を辿ると、ディーンはテーブルの前で椅子に腰掛けながら瓶入りコーラを呷っていた。

 

 普段は怪物についての資料やまじないの本が積み重なっている賢人の基地のテーブルには、絵に描いたようなシンプルな朝食が並んでいる。俺は並んでいる皿のひとつを視線で示し、

 

「ツナサンドか。ピクルスやセロリも入ってて」

 

「俺からの愛情もたっぷり」

 

 朝からユーモアに長ける長男にうっすらとした笑みを返してから、俺は今まさに作られたばかりのそのサンドイッチに考え深い視線を落とした。

 

「昔も作ってくれたよね、俺の大事な遊戯王カードをーーガレージセールで売ったときもツナサンドだった」

 

「そうだったかな……悪い、覚えてないや」

 

「それとあとターミネーターを見に行こうって一緒に家を出たら行ったのは歯医者。あのときもツナサンド作ってくれたよな?」

 

 菜食嫌い、肉食系バーガー大好きの兄が作るツナサンドは幼い記憶にはっきりと焼き付けられている。主に苦くて嫌な記憶として。

 それを踏まえ、俺の表情はツナサンドを前にして訝しげに歪む。

 

「俺が思うにツナサンドを作るときは俺に対して罪悪感があるときのような気がする。もしくは悪戯を始める前の狼煙、合図。なにかやった? 進行中?」

 

「いいや、何も」

 

「歯磨き粉の中身を接着剤に変えた?」

 

「やってない、ガキの頃を話をねちねち掘り返すな。近頃はサミーもケビンも石板のことでまいってる。キャスから連絡もない。まともに動けるのは俺とお前だけだ」

 

 一転、怪しくなった雲行きを振り払うようには肩をすくめて兄は否定する。悪戯好きの長男には十数年で積み上げた前科があるので、俺はいまいち納得の行かない眼で視線をツナサンドに戻す。

 

「だからツナサンド?」

 

「お前に頼らないとどうにもならないときも来る。嫌な役目を押し付けちまうかも」

 

「……いいよ、そんなこと。この仕事は個人種目じゃない、負担は分けあえる。そうやって今までもやってきたんだし」

 

 俺の思い過ごしか。確かにツナサンドに罪はーー

 

「&=^$☆+〜:/@-"-Ω‰」

 

 な、なんじゃこりゃあああああ!? か……辛っ……!

 

「新製品、『ゴーストペッパージャーキー』」

 

 突然のアクシデントにテーブルに突っ伏して額をぶつけていると、横から呑気な声が聞こえてくる。ブート・ジョロキアってバカみたいに辛い激辛トウガラシじゃないか……!ちくしょう、やりやがったな!やっぱ悪戯の前の狼煙じゃねえかよッ……!

 

「水……水!」

 

 ……絶対やり返す。絶対やり返してやる。これじゃ喉がエトナ火山だ。ひでえ、こんなの食べ物じゃねえ、爆弾だよ爆弾……3ストライク、三振法決定だ。この鬼! 悪魔! 人でなし! アナログ人間! サディスト!

 

 次のシーズンで絶対にやり返すことを誓いつつ、俺は冷水で火山となった口内を洗浄。最終的に頭から水を被ってから戻った。タオルでろくに髪も拭かないまま戻ると、俺が水浴びをしていた隙にテーブルに着いていたサムと目が合う。お前も瓶入りコーラかよ、仲いいこって。

 

「何かあった?」

 

「色々とね。ツナサンド、嫌いになったよ。明日からホーギーサンドしか食べないことにする。なにこれ?」

 

 ふと、テーブルに置かれていた新聞を拾い上げる。見出しにはこうあるーーひき逃げ死体がゾンビに。

 

「ひき逃げされて放置された遺体が忽然と現場から消えた。というより立ち去った」

 

「それって脳みそを食うタイプのやつ?」

 

「ボビーの奥さん覚えてる? 脳みそは食わない」

 

「後味の悪い狩りだった。覚えてるよ、ジョディと初めて会ったのもあのときだ。色んな意味で忘れられない」

 

 ミルズ保安官とのファースト・コンタクト、今となっては懐かしい。初めて会ったときから、彼女はタフで頼れる女性だったよな。死んだ人間がゾンビになって溢れかえる地獄絵図に、保安官としてやるべきことをやってた。

 

 リヴァイアサンの突破口を切り開いてくれたのも彼女、偶然の産物だったが彼女が連中の弱点を暴いてくれたお陰で事態を終息できた。改めて言うけど、感謝しかない。

 

「それで目撃者は?」

 

「勤続20年のベテラン警官、脈がないのを確認して内蔵が飛び散ってるのも確認した。対抗反射も。間違いなく死体だったってさ」

 

「グレートフォールズ、モンタナ州か。遺体がゾンビに、いかにも狩りっぽいね」

 

 事件を見つけてきたであろうサミーちゃんに返事をして、俺も椅子に腰かける。

 

「ケビンが石板を解読するまで僕らは立ち往生。他にやることもない、そんなときは」

 

「ゾンビ退治」

 

 ディーンはそう言って、俺も新聞をテーブルに投げた。なにもしないよりはマシか。石板に書かれているのは人の手に触れることのなかった未知の言語。解読できるのは神のメッセージを聞くことのできる『預言者』だけ。俺たちにはどうすることもできない。ディーンに視線を投げると何も言わず、瓶を持ちあげていた。

 

 みんな考えは同じ、今は秀才ケビン・トランを信じて待つことしかできない。俺たちが閉じようとしてるのは地上と地獄を繋いでいる扉、一度開かれた地獄の門を石板に書かれている試練をこなすことで閉めようとしてる。門を開けるのだって『なんでも殺せるコルト』ってお伽噺レベルの鍵が必要だったが、その扉を今度は閉めようとしてる。地獄の門が閉まれば悪魔を一網打尽にできるが、そんな聖書に出てくる規模の計画がスムーズに運ぶわけもない。

 

 待ち時間にゾンビ退治、それも悪くないさ。何もしないより狩りをして人を救ってる方がマシだ。ウォーキング・デッド、ウォーカーを探しにいこう。毎日毎日張り詰めた神経で待ちぼうけ、このまま基地に閉じ籠ってたらケビンより先に俺たちの頭がやられそうだ。

 

 焦ったら問題は解決しないーーこの戦いはマラソン、短距離じゃない。ペース配分は考えておかないとな。

 

 

 

 

 

「FBIはゾンビの追跡調査までするのか?」

 

「そんなことはしない、ゾンビなんてものは存在しないからね」

 

「まあな」

 

 どの口でゾンビなんて存在しないなどと言えるのだろう。清々しく嘘を吐いていくサミュエルに俺は苦笑いしそうになった。

 

「見たままを話してくれ」

 

「新聞記事のとおり完全に死んでいた。腸が飛び出して、体は凍ってた。普通なら立って歩けない」

 

「被害者が核酸を基礎にしてセントラルドグマを示しながらタンパク質をコードする生命体なら」

 

 理屈っぽく俺が口を挟む。

 

「代謝能力を奪われて心臓も脳も活動を止める。だからゾンビ」

 

 なるほど、確かにゾンビだ。すごい説得力。

 

「何かが死体を持ち去ったとか?」

 

「一対の足跡だけで引きずった跡はなし」

 

 ディーンの見立ては外れ、しかしサムが訝しげに眉をひそめる。

 

「追わなかったのか?」

 

「熊に襲われる。森に入っていくなんて自殺行為だよ、相手はグリズリーだ」

 

「ジャック、ちょっといい? 検視報告書が挙がってるの、リビングストーンで起きた事件なんだけど」

 

 熊の仕業だと保安官が断定した刹那、その報告はやってきた。保安官に続いて、俺たちもパソコンの画面へ食い入るように視線をやる。案の定、真っ先に保安官が口を開いた。

 

「熊に襲われた身元不明の遺体……おい、こいつがそうだよ」

 

「例の死体か?」

 

「間違いない、例のゾンビ野郎だ」

 

 聞き返したディーンにも即答。どうやら間違いないらしい。ゾンビも熊には勝てなかったか。

 

「確認なら僕たちが。貴方はここにいて、事件を取り纏めてくれると助かる」

 

「……いいのか?」

 

 遺体の確認で出掛けようとする保安官をサムが止めると、保安官は制帽を取ろうとした手を止める。厄介ごとを押し付けるような申し訳なさの混ざった声色で目を丸めていた。ああ、気持ちは分かる。訳ありの遺体の確認に喜んで出かける方がどうかしてる。

 

 俺たちとしてもゾンビや怪物の可能性があるなら、直に遺体を確認する必要がある。むしろ、この流れで確認させてくれるなら手間が省ける。本当にゾンビだったらそれこそ人目には触れさせたくないし。

 

「死体が動き出してゾンビと分かったらいの一番に電話する」

 

 相変わらず、キレのあるジョークでディーンは返すのだが……

 

「ゾンビならーー頭を撃てよ?」

 

 真剣なトーンでそう返されてしまっては、俺とサムすら唖然とするしかなった。いや、目の前で遺体を確認したなら無理もない。もしかしたら彼の見立てが正しかったりして、案外バカにできない忠告かもな。

 

 保安官に変わって、俺たちは捜査官の身分で遺体の確認に訪れた。案の定、グリズリーに襲われたであろう遺体がそこには寝かされている。ひでえ傷……熊に襲われたって言うのは間違いなさそうだな。少なくとも飯時にみたいものではなかった。

 

「Mr.バーグマン。遺体の身元は分かった?」

 

「指紋を調べたがヒットしなかった。おたく、いつもそんな感じ?」

 

「あー、そんな感じって? どんな感じ?」

 

 検視官の返しに俺は首を傾げて返すが、

 

「いつもこんな感じ、すべて真実。ここは本土だぞ、スコフィールド捜査官」

 

 そう言うと、ディーンは被害者の口を歯が見える程度に小さく開ける。こんな感じって、どんな感じだよ。どうせならマホーン捜査官が良かったなあ、彼は冷静沈着で頼れるFBI捜査官。

 

 腕を組んでそんなことを考えていると、吸血鬼特有の牙がないことを確かめてディーンは首を横に振る。が、代わりにサムが眉をひそめて、遺体の腹部に目を落とした。そこには窪みみたいな穴がある。

 

「この傷はなんだ」

 

「肝臓を食われてる。鳥に食われたんだろ」

 

 ……鳥か。鳥葬って言葉があるにせよ、こう現実に見ると俺は嫌だな。肉ごと食い破られてる。

 

「正直言って期待外れだ」

 

「ゾンビを撃てなくてがっかりなんだろ」

 

 部屋を跡にし、面していた通路で二人の兄のやり取りを聞きながら、その後ろをぴたりと歩く。

 

「やる気満々だったのに肩透かし。こいつは何かの拍子で生き返ったのさ。トラックに轢かれて気を失ったが起き上がり、森を彷徨いてたらグリズリーに襲われて死んだんだよ」

 

 期待はずれ、肩透かしと言った結果にディーンの投げやりな言葉が乱れ飛ぶ。トラックで意識を飛ばされて回復したら途端にグリズリーの餌か。

 

「それが本当なら最高についてないけど、なんで森に入ったんだ? 普通トラックに轢かれたら助けを呼ばない?」

 

「ああ、疑問は残る。怪我してたら警官に助けてもらうだろ? なんで逃げた?」

 

 俺、サムと続いて不信な点を挙げていく。九死に一生を得たのに、わざわざ森に足を運ぶか……?

 

「前歴があったのさ。3ストライクで次はない」

 

「前歴があれば指紋で分かる」

 

 おい……ちょっと待て。おいおい……本気か?

 

「どんなわけがあってもいいじゃねえか。こいつはもう死んでるんだ。ボビーも言ってただろ、木材カッターはなんでもやっつけられる。グリズリーもカッターと同じ」

 

「でも何か納得できない。しっくり来ないんだ、上手く言えないけど簡単すぎる」

 

「あのさーー二人とも、やり合ってるところ悪いんだけど保安官に電話しないと」

 

 ブラインドを通して見えている部屋から……横になっていたはずの遺体が消えている。背後でやり合ってる二人に精一杯冷静を装って注意換起を飛ばし、俺はXDを抜くと異変の起こった部屋へ真っ先に押し入った。

 

 ……あの保安官は勘がいい。部屋ではさっきまで横たわっていた男が、確かに立ち上がって呼吸をしている。顔色も良さそうだ。俺より血色がいい。

 

「手は頭、腹這いになって指を組め」

 

「ま、待て……!」

 

「いいから腹這いだ。ゆっくりと」

 

 目線で床を示すと、男は言われるままの姿勢で床に伏せる。さっきまでは間違いなく動かない死体だった。こいつは一体どういうことだ……?

 

「お前は何者だ白状しろ、ゾンビなら頭をぶち抜く!」

 

 サムはブラインドを閉じ、ディーンがガバメントの銃口を男の頭に押し付ける。俺も油断せずに用心金に指を乗せて様子を見るが、銃を向けられた男の反応はゾンビと呼ぶにはどうにもしっくり来ない。男は抵抗どころか本気で状況が分かっていない様子で狼狽えている。

 

「僕はゾンビじゃない。何がどうなってるか僕にも分からない!」

 

「さっきまで死んでたんだ。お前は人間じゃない!」

 

「違う、自分が何者か知らないんだ。僕が分かるのは毎日死ぬってことさ。僕を撃ちたいならさっさと撃て。ただし、ちゃんと仕留めろーーこんな暮らしは耐えられない」

 

 どうにもしっくり来ない状況に眉をひそめていると、二人も同じ意見らしいのか自然と目が合った。急所に銃を向けられているのに関わらず、彼は随分と落ち着いて話している。

 

 上手く言えないが怪物って言うには少し……人間的すぎる。今までもゾンビの相手は何度かしてきたが、彼はゾンビって感じがしない。そして、最後の無視できない言葉に俺は聞き返した。

 

「毎日死ぬってどういうことだ?」

 

「1日に1度は何かが起きて死ぬ。グリズリーに体を引き裂かれたり、トラックに轢かれたりその日によって違う。でも共通するのは、何があっても数時間後に生き返る」

 

「『サウスパーク』のケニーみたいにか?」

 

「だれ?」

 

 90年代のコメディ。今のはディーンの例えが悪かったかな。兄貴は古いの好きだから。

 

「じゃあ、今まで死んだり生き返ったりをずっと繰り返してきたのか?」

 

「そうだ、理由は分からないが」

 

「オリジナリティーは認めるよ、嘘ならよく考えもんだ。でも実際に目の前で生き返ったところを見せられちまったら、信じる以外にない」

 

 同意を求めるように二人に視線を振る。二人も確信めいた物は感じている。これは単なるゾンビ騒ぎじゃない、もっと厄介な代物だ。頭をぶち抜いて解決できる問題じゃない。俺がXDを下げると、ディーンもガバメントの銃口を下ろした。布きれ一枚を巻いただけの男は安堵の表情で深く息を吐いた。

 

「僕はシェーンだ。ゾンビじゃない」

 

「とにかくここじゃあんたを調べられない。俺たちと一緒に来てもらう、あんたが安全かどうか検査をしたい」

 

「検査って……?」

 

 ディーンの言ってる検査とは彼の正体を探る検査に他ならない。ニューアンスは異なるが、要は彼がシフターやレイスのような危険な怪物かどうかの検査。この段階で分かってることなんて、彼が普通の人間じゃないことくらいだしな。

 

「君も自分が何者か知りたいんじゃないのか?」

 

 核心めいたサムの問いに彼も少し思案してから小さく頷いた。1日に1度は死んで、時間が経ってから甦るーー少なくとも今までには見たことのない例だ。布きれしか着てない彼から、俺は閉じられていたブラインドの隙間から通路へと視線を変える。

 

「どっちみちここで寝泊まりするわけにはいかないだろ。あんたが元気に動き回ってるところを見たら、今度は検死官が驚いて心臓停めちまうよ」

 

 ブラインドの隙間から通路を覗きながら、俺は目を細めた。さて、まずは誰にも見つからず彼をここから出すことから始めないと。

 

 

 

 

 

「その繰り返し死ぬって現象はいつからだ?」

 

「僕が覚えてる限りずっとだ。でも数年前の記憶しかない」

 

 借りたモーテルの部屋でサムがベッドに座っている彼ーーシェーンに質問を飛ばしていた。既に銀のナイフ、聖水のテストを彼はクリア済み。シフター、レイスなどの怪物、そして悪魔関連の疑いは消えた。そのことで逆に根付いていた疑問は深みを増してしまった。俺が瓶入りコーラを呷ると、代わりにサミーちゃんがめざといところを突いていく。

 

「記憶喪失になったんだな。でもなんで名前を覚えてる?」

 

「本当の名前はシェーンじゃない、誰かにつけてもらったんだ。なにか呼び名がないと不便だろ?」

 

「なるほどね。覚えてることを話してくれ」

 

「ヨーロッパの山で遭難した。雪崩にあったんだろうって言われたよ。救助される前のことは覚えてない。自分のおかしな体質を知って、普通に暮らせないって分かったから山小屋を立てた。狩りを覚えて独り暮らしを始めたんだが……」

 

 それまでサムの質問に円滑に答えていた彼は、数秒ほど間を置いて、

 

「近くで大麻を栽培し始めた二人組が僕を警戒し初めて2度も撃たれた。で、引っ越そうって」

 

「そのあとで車に轢かれたか」

 

 ディーンが同情するように肩をすくめた。俺も同感、不死の体は抜きにしてもこんなの地獄だ。

 

「シャワーを借りてもいいかな?」

 

「いいよ、好きなだけ浴びてこい」

 

「はい、タオルはこれを使って」

 

 タオルを投げ渡してやり、俺は誰もいなくなったベッドの上に寝転んだ。仰向けのまま右足を上に、足を組んでから二人に言葉を投げる。

 

「やっぱり人間じゃなかったな」

 

「でも怪物でもない」

 

「悪魔に取り憑かれてもいない。何かに巻き込まれたのかも」

 

 俺から始まった言葉は、ディーン、そしてサムへと続く。全員が瓶入りコーラを片手に、思い当たる節を手当たり次第にですがやはり今までにはない例だ。考えられるのはーー

 

「呪いかな?」

 

 ……だな。ディーンのそれが一番可能性がある。たぶん、今回は呪い絡み。

 

「かけた魔女を探してみるか。とりあえず、彼はここなら安全だ。部屋を取ってやって、その間に僕らで何があったか調べる」

 

「そうしよう、毎日死が訪れるなんて最悪だ。ガブが作った火曜日のデジャヴを思い出したよ。違うのはHeat Of The Momenが流れないだけ」

 

「やめろ、思い出したくもない。僕は今でもあの曲が苦手だ」

 

「俺もだよ、良い曲だけど火曜日には絶対聞きたくない。目覚ましは英雄故事に限る」

 

 今となっては懐かしい悪夢を思い出し、俺は嘆息する。ガブリエル、ロキ、トリックスター、色んな呼び名を持っている俺の守護天使は随分な悪戯好きだったからな。でも彼にも命を救われた、出来ることならもう一度会って愚痴の一言でも言いたいもんだよ。おバカな兄貴と頑固な父を持つ者同士でさ。

 

 そして、それが起きたのは夜のことだった。彼の為に部屋を取ったが目を離すわけにいかないので、その日は俺たちも近くに部屋を借りることにした。そう、部屋を借りることになったのだがウィンチェスター兄弟の雑用担当の俺は、ここでもシェーンと同じ部屋で彼を監視するという大役(雑用)に任命されてしまった。

 

「おい冗談だろ。退屈で死んじまう。今日知り合っただけの男とモーテルで二人、一体なにやれっていうんだよ」

 

「さあね、大統領の絵でも書いたら?」

 

 が、そこでおとなしく首を縦に振るとは思うなかれ。俺は父に忠実なミカエル(長男)じゃなければ、反抗的なルシファー(次男)でもない。時には忠実、時には父だろうと兄だろうと反抗しまくるガブリエル(末子)なのだ。我が家と天界に年功序列は存在しないのである。

 

「待った。ここはいつもので決めよう」

 

 俺は左手の掌を上に向けてその上に拳を乗せる。その仕草だけで二人も同じ構えを取った。狩りで真っ先に不気味な場所を下見をするときは、必ずこの方法で犠牲者を決めることになってる。もはやお約束となったじゃんけんだが、お約束だけに妙な緊迫感が漂うのがなんとも言えなかった。

 

「お前にとって人生最大のしくじりになるぞ?」

 

「言ってろよ、ツナサンドはまだ許してないからな。あんな悪戯やるとは思わなかった。親父の訓練の賜物だよ。こそこそした野郎になれって訓練すると、こういうこそこそ野郎になる」

 

「キリは僕のお菓子をしょっちゅう盗み食いしてたけどね。今でもコーラをひったくってる」

 

 ……やめろ、ディーン。そんな誇った顔されても反応に困るんだよ。とんとん、と拳を打ち鳴らして俺は気持ちを切り替える。んなことはどうでもいいんだ、今朝の復讐とやつあたりも兼ねてここでは勝つ。

 

 よし、グーだ。まずはグーでいくぞ。グーでチョキを粉砕してくれる。ふ、俺にじゃんけんで挑むことがいかに愚かで危険なことか、身をもって教えてやる。いくぞォーー

 

 

 

 

「なあ、なんでパーはグーより強いんだ? いったい誰が決めた?」

 

「なにを言ってるんだ」

 

 ベッドに座りながら、俺は向かいのベッドに座るシェーンに半眼を作った。いつもなら間違いなくディーンが負ける場面なんだが……なんで俺が監視役を押し付けられてるんだろう。こんな筈じゃなかったんだけどな、世界はいつだってこんな筈じゃないことばっかりだよ。

 

「やることないし、テレビでも見るか? エロスの館でもやってんじゃねえの、14話」

 

「なんだって?」

 

「エロスの館。風俗と女の子が三度の飯より好きな天使が大好きなドラマさ。俺は好きでもないんだけどね。カリといい、いまいち女の趣味が悪いぜ。あいつ」

 

 八つ当たり気味にトリックスターの悪口を吐き、チャンネルを回してみるが何も見たいのはない。彼にチャンネルを渡してみるがどうやら同じらしい。

 

「君、家族はいるのか?」

 

「ああ、いるよ。うるさい兄が二人。父親は少し前に、母親は行方知れずで何にも」

 

 不意に聞かれた言葉に俺は手元に戻ったチャンネルを操作しながら答える。

 

「すまない、変なことを聞いたな」

 

「ああ、気にしないで。親父はやりたいことをやった末の最期だし、母親は顔すら知らない。何をやってるのかも知らないし、自分から探すつもりもないんだ。なんていうか、割り切ってる。会えないならそれでいいし、会えれば会話をするくらいだよ」

 

 それに、不思議なもんさ。母親って言葉を聞いて、真っ先に浮かぶのはエレンの姿だった。俺にとっては彼女が母親みたいなものだった。本気で心配してくれて、本気で怒ってくれて、最後まで俺たちに尽くしてくれた。本気で……俺は母親だと思ってるよ。ボビーが俺たちの父親でいてくれたように。

 

「あんたは家族のことも?」

 

「ああ、ちっとも記憶にない」

 

「そっか、じゃあ記憶は取り戻さないとな。あんたはどうにも悪人に見えないし、実はシリアルキラーだったなんてオチもないだろ」

 

 あっても困るんだけどな、と俺は苦笑いでかぶりを振る。

 

「嫌な記憶だから忘れてしまったのかも。よく言うだろ、人間は自分の都合の良いように記憶を書き換える。嫌な記憶は忘れようとする」

 

「確かに。俺も思ったことはある。嫌な記憶や悲しい記憶、自分がしてきたことへの罪の意識を忘れられたらってさ。一瞬でも重荷を下ろせたら幸せだろうよ。気は楽になる。でもなくなるのは重荷だけじゃない。積み重ねてきた大切な想い出まで……忘れて、否定することになる」

 

 だから、俺は忘れねえよ。ジョーのこともボビーやガブのことだって忘れない。忘れるにしては受けた恩義が大きすぎる。

 

「やめだやめだ。シリアスな会話は他の二人がいるときにやってくれ。シリアスな話はシカゴ・ファイアのなかだけで充分だ。俺は寝るぞ、アラゴルン」

 

 適度に会話が弾んだあと俺たちは灯りを落として就寝に入る。監視役の都合上、すぐに寝オチするわけにもいかないのでいわゆる狸寝入りというやつで俺は目を閉じるだけ閉じておく。二人も適度に様子を見に来てくれるらしいが、何も起こらずに時間だけが過ぎていく。

 

 このまま何もなければ一時間くらい仮眠しても大丈夫だろう。見回りも来るしな。部屋の灯りを落としてからしばらく経ち、体から力を抜いて睡魔に落ちようとしたとき、

 

「君は……だれだ?」

 

 ハッとして俺はベッドから飛び起きた。

 

「覚えていないのね」

 

 そう呟いたのは、暗闇に融けるような綺麗な黒髪を揺らす女だった。モデルのような理想的な体のラインと、芸術品のような端正な横顔、同じ人間とは思えない美貌に状況も忘れて言葉を喉を詰まらる。いや、そうじゃない。この女は比喩じゃなくーー本当に人間じゃないんだ。

 

「離れろ!この女は人間じゃない!」

 

 直感で叫ぶがすぐにそれは確信に変わった。女が手を翳したと思ったら背中から部屋の壁に叩きつけられていた。悪魔や天使たちが使っている触れずに相手を吹き飛ばす念動力……痛みに顔を歪めながら俺は舌を鳴らした。部屋には天使避けも悪魔封じも幽霊対策の塩の防壁だって構えてた。だとしたらこいつはーー

 

「もういいわ」

 

 こっちを見向きもせずに、女はベッドに仰向けのままでいるシェーンへ右手の短剣を振り下ろした。その無防備な喉元をめがけて、

 

「くっ……!」

 

 が、俺は飛び込んできた光景に目を丸めた。短剣が体を刺す前に、シェーンがマウントを取っていた女を蹴り飛ばした。のみならず、即座に立ち上がって機敏な動きで振り払われる彼女のナイフをいなし、足払いで再度の転倒すら奪ってしまった。訓練された戦士のような彼女の動きに見事にカウンターを当てたのだ、それも素手で。

 

「おまえ、何者だ!」

 

 女にもシェーンにも驚愕を隠せない気持ちを抱えながら、シェーンと彼女を挟むような位置どりで天使の剣を袖から手元に滑り落とす。今度は視線が重なり、彼女は半眼を作って俺の手元を見てくる。

 

「天使の剣……」

 

「君はいったい誰なんだ? 僕を知ってるのか?」

 

 女がシェーンに視線を合わせるのと同時に、俺は床を思い切り蹴りつけて背後から奇襲を仕掛ける。駒のように横から振るわれるナイフを天使の剣で捌き、がら空きになった腹部を躊躇いなく蹴りつける。確かな手応えを感じるもすぐに足をさらわれる。

 

「……ちぃ!」

 

 ゼロコンマで踏み下ろされる細い足を横に転がってなんとか回避。足を狙って突きだした天使の剣も虚しく空を切り裂いた。刹那、轟音と共にドアが破られて二人ぶんの足音が入ってくる。

 

「キリ、無事か……!?」

 

 とりあえず、まだ息はしてますよ。勢いよくディーンを先頭にサムもルビーのナイフを抜いて部屋に入ってきた。機敏な動きでシェーンを狙うも逆に投げられてしまい、反対にマウントを取られそうになった彼女は必死に短剣でシェーンの体を刺そうと狙うが、それもまた手首を見事なタイミングで彼に捉えられ、逆に関節技で短剣を奪われてそのままモーテルの壁に背中を押し付けられてしまう。

 

 あまりに洗練された動きに俺もサムもディーンも言葉を失っていた。普通の動きじゃない、女の動きも歴戦の戦士そのものだが彼はさらに一枚上を行ってる。彼女の頬に奪った短剣を突き付ける姿には、とても普通という言葉は浮かんでこない。なにがどうなってるんだ……?

 

「お前は何者だ。僕を知ってるのか?」

 

「今の私は、貴方の最大の敵」

 

 そう言うと、女は頬に突き付けられていた短剣の刃をあろうことか自分の右手で握りこんだ。

 

「……!」

 

 一瞬、唖然とするがナイフは暗闇に飲まれるように彼女の手元から消え、その体もすぐに闇に融けて部屋から消えてしまう。まじない……いや、そんな素振りはなかった。魔女じゃない、もっと別の何か。悪魔でも天使もでない、となるとこんな芸当ができるのはーー異教の神か?

 

「おい、あの女は誰だ? 無茶苦茶強かったぞ」

 

「分からない。でも僕のことを知ってるみたいだった」

 

「これは単なる呪いじゃない。あんたはあの女よりもさらに強かった。どこでカンフーを習ったんだ?」

 

 聞きたかった疑問、彼の強さについてディーンは触れていくが彼が言うには「戦ったのはこれが初めてのこと」らしい。あれが初めて戦う人間の動きかよ。

 

「分からない。でも僕が知らないと言ったらあの女は狼狽えてたよ」

 

「別れた元カノが襲いに来たか?」

 

 深まるばかりの疑問に嫌気が差したとき、音を立ててシェーンの体が崩れ落ちた。おい、待て。嘘だろ……このタイミングで心臓麻痺か……!?

 

「救急車を呼ぶ?」

 

「なんて説明する。盗んだ死体が生き返って発作を起こしたって?」

 

「二人とも手を貸せ。とりあえず、姿勢だけでも楽にさせてやろう。衣服は緩めてーー」

 

 そこまで言って、俺は言葉を詰まらせた。さっきまでは微かにでも聞こえていた呼吸が止まり、細められた半眼は視線が据わっている。俺は息を飲んでペンライトの光を当てるが、瞳孔からは生物の証である対光反射が見られない。

 

「おい、シェーン?」

 

 頬を軽く叩いて、名前を呼ぶが返事が返ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

「通夜みたいだな」

 

 長かった夜が過ぎ、陽光が差し込む時刻になったがシェーンはあれきり目を覚ましていない。ベッドに寝かせた彼の前で、兄貴の言うとおりお通夜ムードだ。

 

「……そういうのとは。まあいいや。今までのことを整理すると、彼はジェイソン・ボーンみたいに戦闘能力が高く、過去に何度も死んでいて、過去にトラブった女性がいる」

 

 ……それはサミーちゃんだろ。ブーメラン。

 

「それはお前だろ」

 

 良かった、どうやらディーンも同じ事を考えていたらしい。が、それはディーンにも同様に当てはまる。こっちもブーメラン。

 

「……誰か来た」

 

 ドアをノックする音がして、俺は窓のカーテンの隙間から外を覗いた。ドアの前には見たことのない茶髪の女性が佇んでいる。30代、いや……20後半ってところか。一見おかしなところは見られないが、ディーンは半分だけ開いたドアの裏側にガバメントを隠しながら、

 

「何か?」

 

 ディーンの背後から玄関の様子を眺めていると、彼女の傍らに子供の姿が見える。親子連れが俺たちになんのようだ?

 

「ボーナム捜査官? おかしな話だけどーー消えた遺体を探してます。最後に会ったのはあなただと」

 

 ……穏やかじゃなさそうな会話に俺とサムもディーンの元へ募る。

 

「こいつは相棒のジョーンズ捜査官だ。その後ろがスコフィールド捜査官、応援で来てる」

 

「なぜ行方不明の死体を?」

 

「彼の名前はシェーン。私はそう呼んでいた。彼の息子を生んだの」

 

「いや、彼は……ちょっとそのーー」

 

「分かってる。オリバー、捜査官さんといなさい」

 

 隙間から部屋の様子が見えたのだろう。気丈な態度でディーンに答えると、ヘイリーと名乗った彼女はシェーンの横たわるベッドに駆け寄って行く。俺は残された少年に屈むようにして目線を合わせる。

 

「やあオリバー、初めまして」

 

「彼女には俺たちから話を聞いとく。お前はその子と遊んでこい」

 

 またそのパターンか。いいさ、小難しい話は二人が担当。それ以外は俺が担当ね。降参を示すジェスチャーで両手を挙げると、ふと掌に陽光の温かさを感じる。ちょうど雲に遮られていた空から日差しが差し込み、地面を眩く輝かせていた。天気は快晴、気分は上昇、ハレルーヤ(歓喜・感謝)ってな。

 

「じゃあ、ママのお話が終わるまで一緒に遊ぼうか? ブランコ好き?」

 

「好き」

 

「俺も好き、仲良くなれそうだな? ん? はい、ハイタッチ」

 

 よし、ちょっと強引だがハイタッチ成功。ファーストコンタクト成功だ。除け者にされた俺はオリバーと近くにあったブランコで遊ぶことにした。しかし、このオリバーくんどことなく小さい頃のサムに似てるな。この金髪と茶色の間を取ったような髪の色なんてそっくりだ。あの巨人もこんなに小さい頃があったんだよな、懐かしい。

 

 後ろからオリバーの乗るブランコを押してやりつつ、童心の思い出に耽っていると、しばらくしてオリバーのママと俺の兄上様たちが部屋から歩いてくる。どうやら話は済んだらしい。そこには寝たきりだったシェーンの姿も見える。本当に死の縁から生き返ったんだな。

 

「捜査官、遊んでくれてありがとう」

 

「いや、全然。じゃあママに交代するね。よろしく」

 

「ええ」

 

 選手交代。役目を果たした俺は二人に目線をやり、

 

「騒動の元凶は分かった?」

 

「ああ。あっちで話そう」

 

 聞かれると面倒なタイプの話か。

 

「どうやら思ったとおり呪いの線だな。僕が思うに今回はーータイタン族」

 

「タイタンってギリシャ神話に出てくる神?」

 

「正確には原始の神。神々の前の神々」

 

「ちょっと待った。ギリシャの神話はさっぱりなんだが前の神々って……先住民がいた?」

 

 淡々と続けたサムに待ったをかける。

 

「ゼウスや他のオリュンポスの神に滅ぼされるまではギリシャを支配してた。オリュンポス十二神の伝説、有名な話さ」

 

「ゼウスと愉快な仲間たち。映画にもなってる」

 

「俺、SFより生身の人間のアクション映画が好きだから。スパイダーマンよりイーサン・ハント派。レオパルドンは好きだけど」

 

「……レオパルドンってなんだ?」

 

「レオパルドンだよ、スパイダーマン。ソードビッカーさ、相手は瞬殺される」

 

 おい、嘘だろ。首を傾げているディーンに俺は唖然とする。スパイダーマンは知ってるのにソードビッカーを知らない……? スターウォーズは知っててライトセイバーを知らないようなもんだぞ?

 

「残念だけど僕らの日常はいつだってSFだ。バットマンもスパイダーマンもいないけどね。というか、ソードビッカーってなに?」

 

 またしても俺は目を丸めることになった。お前もか。

 

「なに、二人してソードビッカー知らない? バットマンは知ってるのにバットモービルを知らないようなもんだよ、それ。ったく、逮捕ものだよ二人とも」

 

 大して離れてないのに、まさかジェネレーションギャップか。いや、話を戻そう。オリュンポス十二神とゼウスの名前くらいは俺も知ってる。知名度で言えば北欧のオーディン、インドのシヴァと同じくらい有名で強大な神だ。最終戦争に備えたカリとバルドル主催の神々の集いには呼ばれてなかったが。となると、今回はギリシャ関連か。

 

「で、彼の正体は?」

 

「一番妥当なのはプロメテウス。オリュンポスから火を盗んだ神」

 

「火を盗んだの? またどうして?」

 

 たまらずサムに視線を振ってやると、答えてくれたのはディーンだった。

 

「人間の為さ。ゼウスは人間から火を起こす能力を奪おうとした。火がなけりゃ、料理もできないし暖房だってない。暗闇じゃ何にも見えないから怪物にとっては都合がいい」

 

「だから彼は、オリュンポス山に登ってオリュンポスから火を盗んだ。彼等の怒りを買うことを承知でね」

 

 神様相手に泥棒か、大したもんだ。

 

「じゃあ彼は人間の味方?」

 

「ああ。でもゼウスはその仕返しに彼を山にくくりつけて毎日処刑して生き返らせた」

 

「惨いな、まるでアラステアだ。そんな拷問されたら過去のことを覚えてないのも無理はない」

 

 腕組みしていた指を無意識に高速でタップする。今のでとても他人事に思えなくなった。アラステアーー地獄の権力者で拷問のエキスパート。リリスと同じ透明の目をしたあの悪趣味な悪魔の顔が頭によぎる。出来れば思い出したくもない地獄での日々の記憶もセットで流れこんできた。

 

 ディーンもつまらなさそうな顔でコーヒーの入ったマグカップを仰いでいる。アラステアに良い記憶がないのは兄貴も一緒だ。むしろ、ディーンは俺やメグ以上にアラステアのお気に入りで愛弟子のように扱われていた。奴に抱いている嫌悪感は俺以上だろう。奴に嫌悪感を抱かない方がどうかしてる。

 

「神も悪魔と大して変わらないってことさ。今朝襲ってきた女戦士はゼウスの娘、名前はアルテミス」

 

「それなら知ってる狩りの女神だ。エレンから聞いたとがある、ハンターにとっては守り神みたいなもので信心深いハンターは仕事の前に彼女に祈りを捧げるんだ。俺は祈ったことなんてないけどさ」

 

 躊躇いなしに俺はそう吐き捨てる。神って存在には数えきれない煮え湯を飲まされ続けてきた。インド、北欧、エジプト、今まで色んな神を見てきたがみんなロクでなし。隙あれば人間を食い散らかして飢えを満たそうとする連中が大半だった。祈りを捧げてやるなんてとんでもない、『私は食料になります』ってプラカードを自分で首から提げるようなもんだ。

 

「彼女の短剣は不死身の者を殺せるらしい。今朝は見れなかったがアルテミスには弓に関する逸話もいくつか残ってる、むしろ本命はそっち」

 

「昨日は本気じゃなかったってことか。お次はなんだ?」

 

「なんにしてもやることは一つだ。神の呪いは初めての挑戦だが、解いてやろうぜ」

 

 そう言うと、ディーンはマグカップを仰いで残りを飲み干した。息子とブランコでたわむれる彼を見据えながら、俺も覚悟を決める。

 

 主神の呪い、簡単に片付く問題とは思えないがやってるさ。俺たちはあんな風に親とは遊べなかった。ブランコに乗る背中を父親に押してもらうことも、それを母親に見守ってもらうこともーー

 

「ああ、人間の為に主神の怒りを買ったんだ。それくらいはやってやろう。非日常の問題を解決して人を救ってやる、いつも通りにね?」

 

 踵を返して、俺は部屋へと戻るのだった。

 

 

 




アダムがあのまま放置を食らわなかっただけで作者は満足です。


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狩りの女神(中)

 

 

 

 

 最悪な死にかたってなんだと思う?

 蛇に丸飲みされるか、ホオジロザメに食わわれるか。パニック映画を見てると、どっちもろくな最後じゃない。

 

「なあ、言いにくいんだけどーー君はプロメテウスだ」

 

 その神についての記述を一通り語ると、サムはノートパソコンの画面を話題の渦中にいるシェーンに向け直す。そこには鳥に肉を抉られているプロメテウスの写真と、さっき語られた記述が並んでいる。

 

 いきなり自分が神だと言われても、大抵の人間は、普通は信じない。突然を通り越して、例えが見つからないカミングアウトだが、彼は冷静に一度だけ深く息を飲むと、

 

「だとしたら、出来るだけ家族から遠ざからないとな」

 

 冷たいまでに、冷静に言葉を吐いた。怪訝に顔を歪めたディーンは、問いかけるのを躊躇わなかった。

 

「七歳の息子がいるって分かったのに離れてしまっていいのか?」

 

「僕はそのプロメテウスって神で、ゼウスとその娘に狙われてるんだ。君たちが冗談を言ってないのは分かる。仕方ないだろ?」

 

「分かった。僕らが手を貸す、計画を立てよう。でもここじゃ立てられない」

 

 親としてはそれも確かに正しい判断かもしれないが、ここまで関わってそれを許すわけにもいかない。関わると決めた以上はとことんやるーーまあ、いつも通りに。

 

「どこに行く?」

 

「安全な場所だ」

 

 つまり、賢人のアジト。あそこなら世界各地の神話やまじないについての資料や文献が残されてる。俺たちのじいさんーー賢人と呼ばれる人間たちは超常現象の研究と記録に長い時間を費やしてきた。そしてその膨大な記録が現在の俺たちの住まいを兼ねた賢人のアジトに残されている。あの本の山を漁りさえすりゃ、ゼウスの呪いの解き方も見つかるだろう。

 

 少なくとも、このモーテルで立ち往生してるよりは問題解決の芽がある。昨夜みたいにアルテミスが襲ってこないとも限らない、ディーンが言ったとおりだ。ここにいるよりは遥かに安全ーーそう思った矢先に新たな問題はやってきた。

 

「どうしたんだ……?」

 

「落ちたの……!」

 

 険しい顔でヘイリーが動かないオリバーを抱えて、部屋に押し入ってきた。微かに見えたがオリバーの瞼は閉じ、まるで反応が見えない。頭部からは転落の際に負ったであろう出血、サムがテーブルの上から携帯を取る。

 

「救急車を呼ぶ」

 

「いいえ、ダメよ」

 

 自分の息子のことでありながら、即答した彼女に俺は眉を寄せる。

 

「待て、流石に呼ばないとーー」

 

「死んでるのか……?」

 

 俺の言葉にそれこそ静止をかけるように、シェーンがそう言った。ベッドに息子を寝かせた彼女は、悲痛な表情で、

 

「貴方が回復したらと思ってて、言いそびれたの」

 

「……オリバーにも同じ呪いが?」

 

 刹那、俺とディーンは半眼になって、頷くつもりでサムに目を合わせる。

 

「ねえ、待って。呪いってなに……?」

 

「兄貴、支度しよう。呪いが遺伝してるなら尚更だ。ここじゃどうしようもない」

 

 有無を言わさず俺は進言する。……流石は主神ゼウスの呪いだ。まさか遺伝しやがるとはな。本気で末代まで祟るつもりか。

 

 

 

 

「主神ゼウスーーギリシャ神話のボスで無茶苦茶強いのは知ってたけど、根に持つタイプとは思わなかった。これはホテルでオフ会やってた北欧の連中よりおっかないかも」

 

 レバノンのアジト。その一室にオリバーを寝かせ、俺たちはメインルームと言えるお決まりのテーブルを5人で囲んでいた。望遠鏡、書物、入口へと続く階段に周囲を囲まれる中で俺は嘆くように呟いた。今までに出会った異教の神も大抵は性格に難ありの連中だったが、今回も例外じゃないらしい。

 

 ゼウスはかの山から火を盗まれたことがよっぽど気に入らなかったんだな。うるさい連中をどかして支配権を奪ったと思ってたら、思いもよらないところから砂をかけられた。流石の天空神も怒り心頭か。まだ見ぬ神様の人物像を頭に浮かべていると、サムがベッドに寝かしたオリバーを冷ややかに一瞥する。

 

「オリバーは七歳になった途端、死ぬようになって。七歳は古代ギリシャで成人を迎える歳だ。呪いは最初から組み込まれてたんだよ、生まれたときからね」

 

「よく知ってるな?」

 

 そりゃそうだ、神話について知識や雑学で俺とディーンが敵うわけない。それにサミーちゃんは伝承オタク。俺とディーンが勝てるのは映画とドラマと女優の知識だけ。

 

 しかし、まだ七歳の子供が毎日死を体験して過ごしていくと思うと……軽口は言ってられない。古代ギリシャじゃ成人だろうが、現代のアメリカ本土で七歳はまだカトゥーンアニメを見てる立派な子供だ。この仕打ちは惨すぎる。

 

「ねぇ、聞いて。貴方を置いて、逃げ出してしまったこと謝るわ。事情が分からなくて、怖かったの。でも子供ができた。貴方の体質を受け継いでいる、この子を守りたいの」

 

 呪いのことを聞かせてーーと懇願されて、俺たちはオリバーの母親である彼女に、息子とその父であるシェーンの呪いについて、そして彼の正体について今分かっていることを語っていく。最初は藁にもすがるような悲痛の表情も精々最初の10分ちょっと、途中からは案の定というかお決まりの反応だった。

 

「……分かった。じゃあ、彼は古代ギリシャの神でゼウスによって呪いをかけられ毎日死ぬ。で、貴方たちはーーゴーストバスターズ。これで合ってる?」

 

「ああ。貴方が付き合っていた相手はモノホンの神様で、火を盗んだことで主神ゼウスから呪いを受けて、貴方の息子にもその呪いが遺伝していますーー前半は当たりかな、でも後半は間違い。俺たちはゴーストバスターズって言うよりは……」

 

「グリム一族」

 

「その通り」

 

「こほん」

 

 ディーンの補足に満点をやったところで、もう一人の兄のわざとらしい咳払いに黙らされた。グリム一族ーーディーンにしてはいいところ突いてると思うけど。腕組みしていたディーンは、次こそ呆れ果てた顔の彼女に首を横に振る。

 

「一時的にでも息子が死んで混乱してるのは分かるがさっき話したことが全部だ。彼は神で、あの子は父親が受けた呪いをそのまま引き継いでる」

 

「ありえない。こんな馬鹿げたことどうやって理解するの……!?」

 

「分かるよ。僕も信じられなかったけど説明はつく」

 

 あくまで常識外の出来事として捉える彼女に対し、シェーンは達観したように呟いた。当たり前だが神話の話を現実に持ち込まれて、すんなり受け入れられる人間の方が少ない。ある日、突然目の前にアーサー王が現れて、『私はアーサー王です』ーーなんて言われて、果たして何人の人間が信じるだろうか。

 

 その点を行くと、いつかの絵画の売買をやってたあのサラって子は本当に特別だ。信じる信じないを抜きにして、最初から最後まで自分が思ってる正しいことをするために力を貸してくれた。違う出会いをしてたら、サムと本当にくっついてたかもしれない。文句なしの良い女性だっただけに残念だ。

 

「まず俺たちを信じて貰わないといつまで経っても何も解決できない」

 

「解決って、何が問題かってことさえ分かってないのよ……?」

 

「まあ、いいよ。通常この手の問題は呪いをかけた相手を呼び出して、呪いを解くまであの手この手を使うって戦法さ」

 

 妙なタイミングで昔の思い出に浸かっていた隙に、ディーンが話を進めていた。

 

「……ゼウスを、呼び出すの……?」

 

「そうだ」

 

 半信半疑の彼女に、これまた真逆にディーンは即答する。

 

「……呪いを、解かないって言ったら?」

 

「ゼウスを殺す」

 

 今度はサムが即答、彼女の目が見開かれる。そして、

 

「呪いはゼウスと共に消える。つまり、そういうこと」

 

 最後に俺が両手を打ち鳴らして、口を挟む。かけた本人が倒れれば呪いも消える。それもいつものお約束だ。話し合いが出来れば一番だが。

 

「……あはは、待って。全く分からない……」

 

 頭に手をやったヘイリーは、部屋から聞こえてくる咳の音にかぶりを振り、

 

「あの子のことはよく分かる」

 

 床を強く踏みしめる足音は、次第に遠さがっていた。やがて見えなくなった彼女の姿に、俺はテーブルの置いた瓶を持ち上げてから、同様に椅子に座ったままのサムに目をやる。

 

「ーーあれが普通の反応。サラは良い子すぎた」

 

「今は思い出話をする気分じゃない」

 

「だよな、ごめん」

 

 素直に兄に謝罪して、コーラの瓶を呷る。

 

「このまま逃げ続けて毎日死ぬ暮らしに甘んじるか。戦うかだ。俺たちはゼウスを見つけだす」

 

 俯き、何かを思うようなシェーンにディーンは淡々と続ける。

 

「君なしでもな」

 

 そのトドメのような言葉で、彼もまた顔付きを変えた。サム、ディーン、俺と順番に目をくばって、彼はテーブルを立った。

 

「ーー僕もやる。今日決断しなかった自分を恨んで残りの人生を生きたくない」

 

「決まりだな。サム、キリ、お勉強の時間だ」

 

「ああ、僕の時間だ」

 

 ディーンに促され、俺もテーブルを立つ。横目につくのは壁際に並んだ大量の本棚。かつての賢人たちがせっせと溜め込んできた非日常の出来事に関する資料と書物。この山のような資料の中からゼウスについての情報を探るーー楽勝だ。そんな俺の心中を見透かしてか、ディーンが空けていないコーラの瓶をこっちに差し出してくる。

 

「ダイヤモンドヘッドから針を探すよりマシ」

 

「だな。ダイヤモンドヘッドよりは狭い」

 

 瓶のストックを受け取り、今度こそ俺も頭を切り替える。やることは単純だ。

 

「ーーかかるぞ」

 

 自分に言い聞かせるようにして、俺は眼前にそびえる本棚の群れを睨んだ。

 

「ーーフォースと共にあらんことを」

 

「……ディーン」

 

「ユーモアは大事だ」

 

 至って真面目にディーンはそう言った。兄貴二人のコントを見るのは楽しい。仕事の最中でなければだけど。

 

「いつもこんな感じ?」

 

「残念ながら」

 

 いつもこんな感じだよーー返答しながら、所狭しと並んでいる本棚から一冊を抜いた。そこからは飲み物を燃料にして、書物を漁る時間だけが続いた。テーブルには読み漁った本が詰まれ、すぐに大きな山が出来上がった。一冊一冊が馬鹿みたいに分厚い本である上、その量も長い年月をかけて溜め込んだだけのことはある。テーブルが散らかるのは必然。

 

 とりあえず、数時間は経過した。そして、有力な情報を挙げる声は未だになし。俺は憎らしげにテーブルに積み重なっている本を睨み付ける。はぁ……まだコーラがいるな。

 

「大の男が4人、分厚い本を漁ってる。ろくでもないことだよな」

 

「軍隊ではよく言われるけど、願望と戦略は違う。リスクなくして成果なしだ」

 

「覚えときます。親父もそうだったよな、軍人は物事を白か黒かで見てしまう」

 

 こうして俺が皮肉を飛ばしては、今みたいにサム、あるいはディーンにあしらわれることの繰り返し。賢人の研究対象には天使から悪魔、魔物まで含まれる。まして探しているのはギリシャの総大将とも言われている天空神ゼウス。知名度からして、探求心の塊みたいな賢人の連中がノータッチとは思えない。全能の神ゼウスーーどこかにあるはずだ。

 

「君は飲まないのか?」

 

「何のこと?」

 

「二人はさっきからビールを煽ってる。君は見たところ、コーラしか飲んでない」

 

 横目を向けると、シェーンは分厚い本をちょうど閉じるところだった。俺は視線を読み漁っていたページに戻す。

 

「大丈夫、アルコールはなくても100%快調。もう昔のことだけど、バーの看板娘と賭けをやったんだ。俺が負けたら、今度からはビールより高いお酒しか頼まないことって条件で」

 

「もしかしてそれが理由?」

 

「フラッシュで勝った気分でいたら、あっちはフルハウス。あれは今でも覚えてる。希望を与えられて、それを奪われた気分だった。それが理由でビールは口にしないって決めてるんだ。苦いし」

 

 シェーンの反応は至って普通だ。そんな約束を律儀に守り続ける人間の方が少ない。そして俺はお世辞にも律儀で真面目な側の人間じゃない。そのバーも既に荒れ地となって、跡形もない。そして約束した彼女もーーここにはいない。

 

「それに良い女だったんだよ、ほんとに。だからなんていうか忘れられないでいる感じ。そう、彼女との約束を未だに守り続けてる自分に酔ってるって言うか」

 

 ……何言ってんだろ、俺。だが、それは他ならぬジョーとした約束だ。それは破れない。些細なちっぽけな約束だが、どれだけ月日が経とうが破れない。バカみたいな約束でも破りたくない。もうジョーには会えない、なら約束ぐらいはーーそれぐらいしかできることがないからな。

 

「ーーおい、見つけたぞ。ドラコプーロス、古代ギリシャのハンターの名前だ。たぶん、ろくでもないやつだろうな。この名前、どう見てもドラゴンのペーー」

 

「分かった、もういいよ。ありがとう」

 

 ディーンに静止をかけ、そのまま手掛かりになりそうな本もサムの手に渡る。突破口を開いてくれたのは確かなので、何を言おうとしたかは追及しないでおく。予想はつくよ、人のノートパソコンでポルノを見るような男だからな。

 

「ちなみに、あれがさっき俺が話してた彼女が惚れた相手ね」

 

「本当に? でも兄弟だろ?」

 

「本当に。彼女はフラれて、俺も彼女にフラれたってわけ。妬みも何も湧かなかったけど」

 

 ジョーはディーンに妹としか見られず、俺はジョーに弟しか見られなかった。最後はやっぱり家族って関係に落ち着くんだな、良くも悪くも。仮に二人が結ばれていたとしてもーーいや、俺が今でもジョーとの約束にこだわるように、ディーンにもリサとのことがあった。エレン、ほんとに恋愛ってのは上手くいかないよ。ふっ、まるでジョーと痛み分けした気分だ。

 

「オリバーが起きたわ。すっかり元気」

 

 足音が聞こえて、目を向けるとヘイリーがテーブルに積み重なった本を見渡していた。

 

「ーーああ、どうぞ。続けて」

 

 状況を理解したらしく、自分も空いていた椅子に座る。

 

「とにかくその、何だっけ。ドラコプーロスがゼウスと戦った記録があってーー」

 

「ちょっと待って。ドラコプーロスはゼウスと戦ったの?」

 

「そう書いてある」

 

 口を挟んだ俺に、眉を寄せたディーンを始めに全員の視線が集まる。俺は気付いてしまった。重大な事実にーー

 

「あっちは仮にもギリシャ神話のボスだ。それと戦ったなんてーードラコはろくでもないハンターじゃないって。ドラコプーロスはすごいハンターだろ?」

 

 至極真面目に、有りのままの事実を口にする。口にしたのだがーー

 

「あー、たまにやるんだ。いいよ、続けて」

 

「分かった。それで、このドラコーー」

 

「待って、名誉の為に。彼の名誉の為に俺は口を挟んだだけだから!ドラコの名誉の為!」

 

「戦った記録を賢人たちが翻訳した。お前はホグワーツにでも行ってろ」

 

 ディーンに強行突破され、今度こそ俺は口を閉ざす。ひでえ、まるで空気が読めてない大学生扱いだ。俺の扱いがーー軽い。

 

「賢人って?」

 

「秘密の組織だよ、ここがそのアジト」

 

 そして、俺を抜きに進んでいく会話。

 

「俺たちは跡継ぎさ」

 

 自慢する兄。

 

「「「……」」」

 

 沈黙する他の三人。

 

「……自慢じゃない」

 

 やっぱり自慢してなかった兄。俺が口を挟むまいと真剣な空気にはならなかったらしい。

 

「もういい?」

 

「俺が許す。いいから、やって」

 

 有無を言わずに俺が促したときには、サムが本を手に取っていた。

 

「記録にはゼウスを呼び出し、罠にかけて殺す方法が書いてある」

 

「どんな方法?」

 

「ーー木だよ」

 

 既に頭に入れたのか、ディーンが先んじて答えを口にする。質問したシェーンどころか、当たり前だが俺も初耳だ。記録によると、それは『雷に撃たれて折れた木』のことを指している。雷ってところが如何にもゼウスって感じだな。

 

「その他に二ついる。ゼウスのエネルギーの塊と、彼を崇拝する者の骨」

 

「ホームセンターで揃えるのは無理か。だが、手が届かないほどじゃない。エネルギーって閃電岩だろ?」

 

「たぶんね。雷に撃たれたってところが木と一致してる。僕はネットでゼウスを信仰してるギリシャ人を調べてみるよ」

 

 俺がコーラを呷っている間に話が纏まった。よし、次はその探し物を見つければいいんだな。これで道筋ははっきりした。

 

「雷に撃たれた木は、すぐ見つかるの?」

 

「運が良ければ。でも探すしかない」

 

 俺は空になった瓶をテーブルに置き、シェーンに視線と返答を送った。無論、この手の儀式に材料の代用は効かない。明確にゼウスを示す物が指定しされてる。

 

「待って、記録はこれで終わってる。このドラコなんとかがゼウスと戦って実際に生き残った証拠は……?」

 

「ない」

 

 彼に続いて、ヘンリーが声を荒げるがディーンは静かに首を横を振った。そして、すぐさま食い入るようにーー

 

「じゃあ、失敗するかもしれない」

 

「事実は分からないがその本はあてになる。信じていい」

 

「死人が書いた記録に命を賭けるのね。こんな……ふざけた名前の人に」

 

「翻訳が杜撰なんだ」

 

 ……そこはご先祖様一向だけじゃくて、ドラコもフォローしてやりなよ、ディーン。しかし……

 

「大したものね」

 

「お言葉を返すようだが現状他に手がない。これが気に入らないなら、あんたも本を漁ってみたらどうだ? 字が大きくて挿し絵がいっぱいついてるのとかな?」

 

 止まらない皮肉に、ついボールを投げ返してしまう。案の定、無言の彼女と睨み合いになった。刹那、サムの溜め息が聞こえてくる。

 

「そこまでだ。息子が心配なのは分かるけど、僕たちのことも信じてくれ。あとお前も所かまわずガソリンを撒くのはやめろ、まるでザカリアだ」

 

「実はあのセールスマン、そこまで嫌いじゃなかったよ。悪かったヘンリー。それで収穫は?」

 

 ついつい、彼女の皮肉に食らいついちまったが確かにその通りだ。俺たちが争ってどうなるわけでもない。こればかりはサムが正しい。俺はそこまで出掛けた皮肉を今度こそ喉に押し込んだ。

 

「見つかったよ。2つ隣の街に崇拝者のグループがあった。都合が良いことに個人のプロフィールと墓地を紹介してる」

 

「よし、三人は墓地だ。俺は閃電岩を探す」

 

 肉体労働班か、でも頭を使わずに済む。山程本を読んで頭を使ったし、今度は体を動かすか。

 

「安全運転しろ」

 

「善処するよ」

 

 放り投げられたインパラの鍵を受け取り、俺は踵を返した。

 

 

 

 ハンターと墓地は切っても切れない場所だ。人間誰しもに縁のある場所だが、この仕事をやってると普通以上にこの場所と縁ができる。無論、それは嬉しくない理由である。シボレー・インパラを飛ばして、やってきたのはゼウスの崇拝者が眠るとされている例の墓地。

 

 いつもは悪霊を退治する為に墓地に忍び込んでいるが、今回は神様を招く為に俺は墓の土を掘り返していた。当然、理由は違っても人の目を気にすることには変わりない。やってることは誰がどう見ても墓荒らしだからな。片手には土で汚れたスコップ、そして地中深く掘り起こされている地面、これで言い訳を考えるのが難しい。 

 

 幽霊退治の度にスコップを奮って早数年。ここまで来ると、穴堀りの腕前は履歴書の特技欄に書けるんじゃないかってレベルだ。とても練習方法は口外できたものじゃないが。

 

「大の男三人が真夜中に墓地で穴堀り、ろくなことじゃないな。まるでハムナプトラだ」

 

「そのうち僕らも青いバンに乗せられることになるかも、窓には鉄格子」

 

「それ、護送されるってこと?」

 

「そうなって欲しくないけど、僕らがやってることはいつも真っ黒だ。とっくに退路は燃えてる」

 

 それは言えてる。俺たちが狩りの度にやってることと言えば、どれもこれも真っ黒。さっさとやることやって、ここからお暇しよう。檻での生活はもう飽きた。

 

「カリの件は?」

 

「そっちは駄目だった。ヒートの女は相変わらず消息不明。あの女、助けてやったんだから一回くらい力を貸せって」

 

「誰の話?」

 

「カリって神のこと。ヒンドゥー教の女神で、戦いの神。昔、彼女を助けたことがあってーー」

 

「その時の恩を未だに精算しに来てない。こっちはあの女に肋骨を折られかけたってのに、あっちは手紙も電話もお礼のクッキーもなし。はっきり言うがゼウスは友達じゃない。セコンドにあの女を立てとけば、多少は交渉も楽になると思ったんだが」

 

 大方、どっかのホテルでカクテルでも嗜んでるんだろ。

 

「この件が片付いたら、みんなで豪華なディナーといこうぜ。ミートボールとチャウダーでさ。いや、やっぱり辞めた。ターキーとマンステールチーズをパンに挟んで焼く」

 

「それって、サンドイッチ?」

 

「こういうときは楽しいこと考えないと、頭がどうにかなる」

 

 半分不謹慎に思える言葉を兄に向けて返す。人の骨を掘り起こして、骨に塩を撒いて燃やしてる時点で今さら不謹慎もないか。すごいな、我ながらかなり具体的だ。且つダークだ。

 

「なぜ、こんなことを?」

 

「骨がいる。だから、僕らは穴を掘ってる」

 

「そう、墓地で土を掘り返してる。今はゼウスを呼び出す準備の準備段階。ちなみに穴堀りは八歳のときからやってる、昼寝とおやつの合間に。数少ない得意分野だ、任せとけ」

 

「そうじゃなくて、人の為にって意味さ。なぜ命を賭けて人を救うんだ」

 

 差し込んだスコップを土ごと掘り返す。三人揃って、その繰り返し。そんな合間に投げられた質問にサムは手を止めた。

 

「君だって、救うために火を盗んだ」

 

「まあ、そうだけど。何も覚えてないんだ」 

 

「君がやったことはすごく意味がある。世界中の人を、救ったんだからね」

 

「そう、あんたがやったことは大きい。ゼウスは御冠だろうが、俺たち人間はあんたの行いに救われた」

 

「だとしても、自分の息子を救えなければ何の意味もないって気がするよ」

 

 ……それはごもっとも。俺たちは何も言わず、ただ小さく頷いた。ここは現代のアメリカ本土、古代ギリシャの掟が通用しないことを見せつけてやろう。

 

 

 

 

 

 

 アジトの地下、普段はガレージとして使われている場所には赤いスプレーで今まさに魔除けが刻まれている最中だった。手慣れた手付きでサムが描いているのは呼び出そうとしているゼウスの動きを封じる為の罠。言うなればゼウス用の悪魔封じであり、床に描いた赤いサークルの内側にいる限り、ヤツは力を振るうことも外に出ることもできない。

 

 問題の相手を呼び出す前から、辺りの空気は重苦しい。相手はギリシャ神話のボス、こっちも備えがないと取り返しがつかなくなる。末代まで遺伝するレベルの呪いをかけたくらいだ、ヤツが抱いてる怨みは察するに余りある。とても交渉がスムーズに運ぶとは思えない、コルトがあるなら今すぐにでも駆け出していくだろう。

 

 俺、サム、ディーン、そしてシェーンは四方向からサークルを囲み、その手にはゼウスを伐つ為の木の杭。そして、呪いを受け継いだオリバーと彼の母親がサムの後方、ガレージの出口近くに二人で息を飲んでいる。かのオリュンポスの神を召喚する為に揃えられた材料が、鈍い金色の器に入れられ、最後の行程としてディーンがマッチの火を灯した。

 

「ディーン、最後に一応。なにか作戦あったりする?」

 

「出たとこで」

 

「ああ、いつも通りか。出たとこね」

 

 了解。手元に抱えた命綱である杭を今一度握り直す。マッチの火が落ちた次の瞬間、火は一瞬激しく燃え上がるとゆっくり器の底に消えていく。

 

「……」

 

 1秒、5秒、10秒……まだ変化はない。が、すぐにジリジリと何かを焦がすような音が聞こえ、俺たちは一斉に周囲を見渡した。ガレージの灯りが消え、一瞬で暗くなった視界で青白い光が明滅する。まるで嵐が来たときのような風が建物を揺らす轟音、そして、視界を焼くような青白い電流ーーいや、雷が部屋に乱れていく。

 

 実に、イカれた光景だった。肉眼ではまともに見ることもできない眩さのせいで、全員が腕で自分の視界を覆っている。室内でありながら、落雷の乱れる嵐の野外に放り投げられた気分だ。唯一の朗報があるとすればーー十中八九、この異常な現象を引き起こしているのがお目当ての相手だということ。

 

 これまでより1ランク上の太い雷が落ちて、赤いサークルの上に置かれた器の上で青白い柱ができる。ジリジリと危機感を逆撫でするような音を立て、ようやくガレージ内に人工の灯りが戻ったときーー既にそれはいた。

 

「かなり原始的だな。もうちょっと進んだやり方があるだろ」

 

 さっきまでは誰もいなかった魔除けの中心には確かに見覚えのない存在が立っていた。白髪、齢は50歳そこいらにも思えるが、そんな人間の理屈が当て嵌まるはずもない。

 

「それはあんた次第だ」

 

「こんな時代にまだ昆虫採集の網でハリケーンを捕まえようとする愚か者がいたとはな」

 

 臆せずに答えたディーンへ、唇を歪め、眼前で不気味に笑った男は笑う。

 

 これが全知全能の神。オリュンポス十二神の一柱、その雷で全てを焼いたとされるギリシャ神話の主神ーーゼウス。

 

 

 



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狩りの女神(後)

 

 

 レバノン、賢人の施設内にて──プロメテウス、そして彼の妻と子供の前にその存在は確かに表れた。

 ギリシャ神話の主神、その雷で大地を焼き払った天空の神が……

 

「この子にかけた呪いを解くだけでいい。とっとと終わらせよう」

 

 杭を手元にちらつかせ、ディーンが本題を切り出す。

 が、呼び出されたゼウスの瞳は俺たちを捉えていない。

 奴の眼孔が捉えているのは──

 

「そこにいるのはプロメテウスじゃないか。小ざっぱりしたな、ずっと探していたんだぞ?」

 

「お前のやり方は目に余る、呪いを解くんだ」

 

 怨敵であるプロメテウスだけ。

 どこの誰とも分からない俺たちに対しては、まるで興味を持っていない。

 外側だけ見れば単なる不敵な微笑み、だが中身はギリシャの主神だ……目の前には果てしない年月の間恨み続けている憎悪の対象がいる。

 オマケに……今いるのはプロメテウスだけじゃない。

 そのことに気付いたゼウスは、変わらぬトーンで、しかし歪んだ口角のまま続ける。

 

「私をわざわざ呼び出すとは──それはお前の息子だな、呪いを受け継いだ」

 

 言葉に乗せてやってくる言い様のない威圧感にヘンリーは反射的に息子の肩を抱き寄せた。

 

「面白くなってきた」

 

 言葉の一言一言に宿る例えようのない重苦しさがある……まるでアラステアだ、ただ会話を聞いているだけなのにゾッとする。

 記憶の根底を探っても、これ以上の上はないと思える『最悪の悪魔』と目の前の存在からは同じ匂いがした。

 

「どうする? おとなしく呪いを解くか、それとも荒っぽい手で行くか?」

 

 落ち着いた声色で問いながらも、ディーンはゼウスの前で尖った杭の先端をわざとらしく指でなぞっていく。

 嫌悪すべきことだがディーンは俺やメグと同じく……いや、俺たち以上にアラステアの教えを一番色濃く受け継いでいる。

 

 ……反吐が出る、だが確かにディーン・ウィンチェスターはアラステアのお気に入りだった。

 相手がなんであれ、その気になればディーンは誰からでも情報を引き出せる、忌まわしき地獄の権力者から直々に教え込まれたやり方で。

 

「荒っぽいやり方で喋らせるのが得意なようだ。どこかでお勉強でもしたか?」

 

「地獄さ」

 

「ユーモアのセンスは上々だ。よく聞け、アイドル志望の坊や。足元の罠を消してくれないことには呪いを解きたくても解けない。お前たちが罠を解けば、私も呪いを解こう」

 

 変わらぬ落ち着いた口調で、ゼウスは足元に仕掛けられた赤いペイントをゆったりと見下ろす。

 

「信じるとバカを見るぞ」

 

 あからさまな取引に俺も口を挟む。

 見るからに尊大なこの神様が約束を守る保証はどこにもない。

 今まで、異教の神ってやつを山程見てきたからこそ分かる。こいつは老若男女、見境なしに殺意を振り撒けるやつだ。

 

 そもそも、今までに出会った異教の神に一人としてまともなやつはいなかった。

 足元の拘束具が外れたら最後、ゼウスを縛り付けるものはない。こいつはここにいる全員を殺しにかかるーー躊躇いなく皆殺しだ。

 

「取引はしない」

 

 冷たくディーンが吐き捨てると、ゼウスの口元が不気味に歪んでいく。

 

「3つ数える」

 

「後悔するぞ?」

 

「1つ、2つ」

 

「なんならここで殺してやろうか」

 

「やってみろ、子供は一生苦しい思いをするんだぞ?」

 

 互いに怯むことなく、ディーンとゼウスの冷たい視線が結びつく。

 俺たちだけではどうやっても呪いを解くことはできない、当然のようにゼウスもそこを見透かして突いてくる。

 重苦しい静寂が数秒、数十秒……やがて、ディーンが踵を返す。

 

「──始めようか」

 

 決裂だ。

 荒っぽいやり方になりそうだな。

 俺、サム、プロメテウスはディーンを倣い、順に足を部屋の出口側へと向け歩いていく。

 あの女──アルテミスの姿は見えない。神出鬼没な狩猟の神も結界まみれのこの施設までは忍び込めなかったか。仮にも賢人の隠れ家だしな。

 

「息子を助けたければ私を開放しろ」

 

 背筋に嫌なものを感じ、衝動的に振り返った先の光景に俺は目を見開いた。

 未だ息子を抱き寄せたまま立ち尽くしていたヘイリーが、何かに駆られたようにゼウスに向かって駆け出していた。

 

「待って……!」

 

「ヘイリー! やめろッ──!!」

 

 焦燥感に満ちた彼女の叫びに、慌てて振り向いたディーンが怒号を放ったが遅かった。

 俺たちではなく、ゼウスの言葉を信じた彼女は足元に描いた赤いペイントの円を靴で擦り、切れ目を作ってしまった。

 正しい形を成さない魔除けには何の効力もない、あれはもう……ゼウスを縛る鎖からタダの落書きに成り下がった。

 

「息子を助けてっ!」

 

「バカかお前はッー! さっさと離れろ!」

 

 怒りを込めて俺も叫ぶが、彼女への怒りはすぐに消え失せた。

 小さな足音を鳴らし、ゼウスが赤い円の外へと出てしまった──紺のスーツの上に青白い電流を走らせる異様な姿で、

 

「……虫けらどもめ」

 

 ……呪いを解くのに使うセリフじゃないのは確かだな、ちくしょうめ。

 

「来るぞっ……!」

 

 プロメテウスが叫んだ刹那、ゼウスが振り上げた右足の踵を床に叩き付けた。

 青白い電流が床を這うように俺たちに迫り、青白い光が視界で弾けた次の瞬間には、激しい突風を叩きつけられたような衝撃が体を舞い上げた。

 

 横に広がっていた俺たち四人が、一度に体を掬い上げられては床に叩きつけられて警戒の姿勢を拐われる。

 なんとか頭から落ちるのは回避したが……あの神様、カリと同じく飛び道具持ちかよ……

 

「荒っぽい手でいくとしよう」

 

 ……結局、最後はこういう流れか。

 今日も今日とて、俺たちは人じゃないものに刃を向ける、今までどおりに。

 ああ──今回もいつも通りだよ、エレン。

 

 

 

 

「その子を渡せ、頼むよ」

 

 落ち着いた、しかし隠しきれない不気味さを帯びた声色でゼウスはヘイリーに右の掌を差し出した。

 

 子供を渡せーー至って単純なそのジェスチャーが呪いを解くためじゃないことは、さすがのヘイリーも悟ったらしい。

 焦りに満ちた顔が久方ぶりに俺たちを見るがその焦りを作ったのはゼウスの言葉を鵜呑みにしたあんた自身だよ。

 相手は異教の神、それもギリシャ神話のメインキャストであの『オリュンポス十二神』に名を連ねる一柱。

 ページの片隅にひっそりと名前が載ってるようなろくに認知もされていない神たちとはワケが違う……

 

「渡したくないならそれでいい。引き渡すか、奪われるか、過程の違いだ」

 

 ……だろうな。ゼウスがその気になれば、ヘイリーを黒焦げにした上で簡単に奪い取れる。

 胸騒ぎが止まらない状況の最中、二人の兄が一瞬だがアイコンタクトでやり取りするのがかろうじて見えた。

 

 意味は分かってる、手元にまだ残っている杭をどうにかして打ち込む、それしかないってことはな。

 怨敵の子供とお楽しみの前に、俺たちのお片付けってところか、上等だ。

 

「おい、オリュンポスの神様。プロメテウスは昔から女の趣味が悪かったのか?」

 

 起き上がり様に、少なからず本音を混ぜた言葉を差し向ける。

 プロメテウス──忌むべき相手をささやかながら罵倒する言葉に、狙い通りゼウスの頭が俺に向いた。

 よし、こっちだ、お互いにを目を見て会話しようぜ。

 

「ああ、自分は違うと言いたのか。女の趣味がいいと」

 

「いいや、羨ましいんだよ。理想が低くて」

 

 言葉が切れ直前に、視界の片隅を鋭利な杭が過ぎ去った。

 文字通り、会話に水を差すディーンから不意の一撃だった。かつてはリヴァイアサンのボスもふいうちで仕留めた兄だ、文句のないタイミングだった。

 

 が、ディーンが不意を狙った投擲した杭は、ゼウスに胸元に吸い込まれるように加速し、あわや触れるかどうかの距離でぴたりと静止した。

 運動エネルギーが別の何かに阻まれるように奪われ、やがて刃先から床に転がり落ちた。

 

「お次はなん──くそッ」

 

「サム! キリっ! ちくしょうめ……!」

 

 プロメテウスを除き、まるで邪魔なギャラリーを掃除するように背中から俺たちは柱に体を押し付けられた。

 見えないワイヤーに柱と体を巻き付けられたように体はいくら力を込めても前にも横にも進まない。

 異教の神お決まりの念動力……だが、ゼウスが力を使った様子はない。だとしたら消去法で仕掛けたのは……

 

「もう会ってるよな、娘のアルテミスだ」

 

 黒のライダースーツを着込んだ女がいつの間にか視界に入り込んでいた。

 前髪を切り揃え、艶やかな茶髪を腰まで伸ばした彼女のことは鮮明に覚えてる──

 ──アルテミス、以前にモーテルで俺とシェーン……プロメテウスの寝込みを襲ってきた狩りの女神、ゼウスの娘……手のつけられない神がもう一体増えやがった。

 

「この子はプロメテウスの子供だ。毎日死ぬという呪いを受け継いでいる。だが、この子にまでそんな酷い運命を与えようとは思わなかった、いたいけな少年にな」

 

 アルテミスに、この場にいる全員に説くようにゼウスは語る。

 " 子供 "という単語を聞いて、アルテミスの半眼が一瞬プロメテウスに向いたが口は閉ざされたままだった。

 

「いい証明になったよ、楽しみは最後までとっておく方がいいと言うだろう?」

 

 場の空気が静まり、アルテミスの足音だけが広い地下に響く。

 

「どういう意味……わ、分からない……」

 

「プロメテウスは、この子が死んだところを既に見ているか?」

 

 人ですらないその存在を目の前にして、ヘイリーはただ無言で首を縦に振る。

 

「プロメテウスの反応は? この子の死を見て悲しんだか?」

 

 悲壮に満ちた顔で頷いたのを確認し──『よろしい』と、ゼウスが指を鳴らす。

 たったそれだけの動作で、プロメテウスの膝が崩れ落ち、見えない力に首を絞められているかのように苦しげな嗚咽が漏れていく。

 

「千の子供が一斉に死ぬ絶えていくのを想像してみろ。そのときこそ、初めてお前は私の痛みを理解するのだ。しかし、千人の子供を殺すわけにはいかん。さすれば──」

 

「……! ……っ!」

 

 歪んだ瞳が向かうのは当然──呪いを受け継いだ怨敵の子供。

 ……ゼウスはプロメテウスの前で、この子を虐殺するつもりだ。

 

「一人がその役目を請け負うしかない。お前にはとっておきの役目を与えてやる」

 

「……やめてッ!」

 

 ヘンリーが声を荒げると、今一度ゼウスが指を鳴らしてヘンリーの声を奪った。

 相手の声を奪い、無理矢理黙らせるルシファーやクラウリーも使っていた技……首に手を当てるなどヘイリーが何をしても声は一切外には出ない。

 これで邪魔な音は聞こえなくなった、存分にお楽しみに至れるってわけか。

 

「カリが招待状を送らなかったわけだ。この世の終わりそっちのけで自分の私怨を晴らすのに奔走してたわけか、大した神様だな」

 

「……なんだと?」

 

 子供の頬に手をかけた刹那、俺の煽りに反応してゼウスの体が反転する。

 

「おっと、それともロキみたいに手違いで招待状が届かなかったのかなぁー?」

 

 とりあえず、長話で時間を稼ぎながら次の手を考えるしかない。もしくはこの状況を変えてくれる何らかの幸運が舞い込むのを期待するかだ。

 

「北欧とインドの連中は、確かにどいつも自分の力を過信した挙げ句に返り討ちにされたお間抜け連中だった。だが少なくともこの世界が滅ぶのを食い止めようとする意思を持ってた。ところがあんたはどうだ? 最終戦争はそっちのけ、恨みを晴らすために今も躍起になってる。世界が大変なときにオリュンポスの神様は一体どこで何をやってたんだよ」

 

「神々の集いか、たかが天使二人の小競り合いに大袈裟な。これは恨みなどと軽い言葉で表せることではない、これは我々の総意なのだ、世界を統べる機会を奪われたオリュンポスの神々のな」

 

「自分の方から火を奪っておいて、随分と虫のいい。屁理屈をこねて自分を納得させるか。さすが神様、なんでも無理が通る」

 

「悪いがもうお腹いっぱいだ、久しぶりの無駄話も楽しかった──アルテミス」

 

 半ば一方的に会話は打ち切られ、心の中が一気にクールダウンする。

 まだ自由の許されている首から上を使って二人の兄の様子を窺うが……駄目だな、頭が3つ、どれも解決策が浮かんでない。

 

「煽ってどうする、もっと引き伸ばせ」

 

「無茶言うな、頭使うのはそっちの担当だろ。俺とディーンは暴力担当」

 

「キングギドラが賢いとは限らない。頭が3つあるのになんてザマだ」

 

 ……そのジョーク、こんな状況以外で聞いてたら笑えたかもね。

 ゴジラが大好きなディーンらしいジョークを尻目に、アルテミスの編み上げブーツの足音がゆっくりと耳元に近づいてくる。

 

「……お次はなんだ?」

 

 どうせろくでもない展開だろうけど。

 

 

 

 

 

 

 前回は暗がりで分からなかったが、アルテミスの素顔は……女神というだけあって、とても整った顔をしていた。

 とはいえ、ただ端整な顔立ちの女優やモデルとは違い、その全身から溢れているのは人外特有の危険で怪しい匂い。

 人ではない、枠の外にいる異教の神だから、こんな危うげな空気や表情を纏うことができるのだろうか。

 バーにでも紛れ込めば、火遊びが好きな男からひっきりなしに声がかかかることだろう。

 

「二人とも、この女が誰だか覚えてるか?」

 

 そんな彼女に背中を奪われ、俺たちはゼウスを呼び出したガレージから遠ざかるように基地の通路を歩かされていた。

 不機嫌なサムの言葉に『どうでもいい』と不機嫌なディーンの言葉がやたら鮮明に響き渡る。

 

「僕たちハンターの神さ。アルテミスという狩りの女神。ハンターがゴルゴンやミノタウロスを退治するとき彼女に祈って勇気を貰うんだけど、もう崇める価値はない」

 

「一応聞いとく。なんでさ、お兄さま」

 

「神の威厳を失った」

 

 次の瞬間、体が壁に吸い寄せられるように独りでに動き、壁と顔との距離が0になった。

 三人揃って右頬が壁に食い込んでいるバカみたいな光景に心底嘆きたくなる、無茶苦茶痛い。

 

「失ってはいない」

 

「……サムっ、そんな口聞いていいのか。神だぜ神だぜっ……」

 

「……さっき貰った言葉を返すぞ。煽ってどうする煽って」

 

 巻き込まれた形の俺とディーンが、恨みを込めて吐き捨てる。

 だが、どうやら優等生の兄は何かしら突破口を掴んだらしい、あれはそういうときの顔だ、でかしたガリバー。

 

「おかしな話だ。これだけの力があってなぜ7年も彼を見つけられなかった?」

 

「彼は隠れていた」

 

「君を誤魔化せるか? 狩りの女神がモンタナの山小屋を見つけられないとはね。──本当は探したくなかったんだろ」

 

 と思ったら、またしてもライオンの尾を踏んだらしく、さらに強くなった力で体が壁に押し付けられる。

 ……前言撤回、獣の尻尾を踏みながら歩くのやめてほしいんだが……

 

「……待て、サミー……このままだと壁に埋葬されちまう」

 

 ……笑えない、アナコンダやホオジロザメに食われるより酷い最後だよそれは。

 

「……彼の息子が死ぬんだぞ。殺される」

 

「心配ない、すぐに生き返る。お前は死ぬけどね」

 

 " 不死 "の存在を殺せると言われている彼女のナイフがサムの首もとをゆるやかになぞる。

 

「プロメテウスは君を愛してるって」

 

 ……えっ? 愛してる……?

 

「それは嘘」

 

「どうかな、彼がそう言った」

 

 突如として飛び出した言葉に頭の中が真っ白になるが、明らかに落ち着きを損ねたアルテミスの声色と、サムの首から離れたナイフが脳裏に引っ掛かりを残す。

 

「彼はちょくちょく山から抜け出した。君は父親の目を盗んで彼と逢い引きしてたんだろう?」

 

「彼が言うはずない。記憶を失ってる……」

 

「じゃあなんで僕が知ってる、君がギリシャの詩人家や歴史家に話したのか……?」

 

 ……アルテミスの言葉が止まる。

 この反応、マジでアルテミスはかつてのプロメテウスの恋人だったのか。

 当然、プロメテウスはそんな話を一言も俺たちにはしてない……こいつ、神様相手に話をでっち上げやがった……

 

「言えないよな、父親がもっとも恨んでる相手が恋人だなんてさ。君の父親はなんたってあのゼウスだ、ロミオとジュリエットだとかそんな次元の話じゃない。ゼウスはゾンビの新聞記事を見つけて君は嫌々恋人を捕まえに来たんだ」

 

 通路の壁を越えて、プロメテウスの痛ましい悲鳴がここまで響いてくる。

 モーテルでやけにあっさりと退いたのは、そういう理由か、望んで襲撃したわけじゃなかった。

 

「違うと思うなら僕たちを殺せ。彼の息子も放っておけばいい。また同じ悲劇がーー繰り返される」

 

「……」

 

 聞こえてくるのはプロメテウスの悲鳴だけ。

 父親が愛した男を殺そうとしてる、いやこれまではずっと殺してきた。

 ……凄惨な話だ。もし俺が同じ立場だったらと思うとゾッとする、いくら何でも酷すぎる。

 

 彼女はずっと傍にいて、ずっとそれを見てきたのか?  実の父親が愛した人を殺すのを?

 ありえない、なんだよそれは……頭がイカれるなんて、そんなもんじゃないだろ……

 

「繰り返させはしない」

 

 凛とした声が鳴り、壁に押し付けられていた五体が念動力から解放される。

 横目に見えたアルテミスは、既に元のガレージに向けて踵を返していた。

「無事か?」

 

「ああ、お陰様でな。色々言いたいことはあるけど、後にするよ」

 

 そう吐き捨てたディーンとは違い、俺は何も言わずアルテミスの背中に視線を呪縛されるだけだった。

 ……アルテミスはこれからゼウスを取り押さえにいく、愛する存在のために。

 けど、それは父親への裏切り、今まで立っていた居場所を彼女は失うことになる。

 

 分かってる、俺たちは彼女の恋心を今まさに利用したんだ。

 こんなこと考えたところで、心配な顔をしたところでどうにもならない。

 少なからず、彼女はゼウスの行為に迷いを抱いていた。神としても、プロメテウスを愛した女としても。

 ──そんなことを考えてる異教の神は、今まで一人も見たことがない。

 

 

 

「絶対に死なない体が欲しくないか? 毎日死ぬことになるがすぐに目が覚めるから心配ない。嫌なことを少しの間忘れられる、お昼寝みたいなものだよ?」

 

「──父上、こんなことはもうやめて!」

 

 アルテミスと共に舞い戻ったガレージ、そこでは青白い電流を纏ったゼウスの両手がオリバーの首にかけられるところだった。

 周囲には倒れたプロメテウスと、立ち尽くすだけのヘイリー、懐に残っていたルビーのナイフをゼウスの能天を目掛けて投げ放つ。

 

「やめるだと? 今から始めるところじゃないか」

 

 首だけの動きで飛び付くナイフを交わし、その上でゼウスが首を傾ける。

 

「もう十分よ」

 

 静かに一言、父親に言い放ったアルテミスの手に構えられているのは、彼女の逸話を語る上では欠かすことのできない『弓』。

 それを向けるということは、父親に向けて明確に敵意を向けるということ。

 青白い電流を腕に走らせたまま、ゼウスの眼光がアルテミスと結び付く。

 

「忘れたのか、これは我々のためにやっているのだ。オリュンポスの神々の為に。こいつのせいで我々は世界を支配することができなくなってるんだぞ! こいつのせいで、我々は忘れさられてしまったんだ、こいつのせいで!」

 

 言葉に乗せて、惜しげなく憎悪が晒される。

 

「その親子を解放して。ここにいるみんなも」

 

「私はお前の父だ。私に逆らうことは許さん」

 

 それはどこか、親父を見ているようだった。

 父には従順なディーン、反抗的なサム。

 神には盲目だったミカエル、背を背け続けたルシファー。

 俺とガブリエルは、そのどちらとも言えなかった

 

「これ以上こんなことを続けるなら縁を切る」

 

 時には父に従順、時には足で泥をかけて反抗するどっちつかず、真正面から父に背くこともあった。

 そう、今のアルテミスのように。

 

「……父でも何でもない」

 

 目を見開いていたゼウスに、自らの意思を固めるようにアルテミスは言い放った。

 逸れることなく父親に向き続けた弓が、やがて神妙な顔付きに変化したゼウスの胸を目掛けてーー放たれた。

 

「……!」

 

「お前が死ぬ姿は何度見ても飽きない。お前の息子もあの山に連つれていってやる」

 

 視認できるはずのない速さで迫る弓を、ゼウスは指先に纏った電流をワイヤーのように使い、倒れていたプロメテウスの体を引き寄せて……盾に使いやがった。

 鏃がプロメテウスの体で止まって……後ろにいるゼウスまで届いてない……無茶苦茶やりやがる。

 

「ちぃッ!」

 

 凄惨すぎる回避方法にアルテミスの目が大きく開いて固まってる。

 アルテミスの武器は不死の存在を殺せる……だとしたら……考える前に右腕は天使の剣を抜き、両足は駆け出していた。

 杭がない……それならリヴァイア方式だ、殺せないなら首を切り落として動きを止める!

 

「アルテミス、援護し──」

 

 ぐしゅっ、と肉を潰す音が聞こえて俺の足は止まった。

 

「──がああああああッ!」

 

 喉を潰して絞り出したような悲鳴は他ならぬゼウスのものだった。

 プロメテウスは胸に埋まったアルテミスの矢を自分から体の奥深くにねじ込んだのだ。背中の先にいるゼウスの体に鏃が届くまで。

 

「……」

 

 衝動的に振り返った先には、信じたくない現実を目の当たりにしたような、アルテミスの顔があった。

 

 ゼウスの体の上を青白い稲妻が何本も走る、まるで血飛沫を撒き散らすように青白い光が、ゼウスの周りに咲いていった。

 口、両目、鼻……あらゆる場所から青白い光が吹き出し、その姿は天使が絶命するときの姿を想起させる。凄惨な悲鳴が止まったとき、プロメテウスとゼウスの体が同時に床へと倒れ伏した。

 

「シェーン……?」

 

 震える声でディーンが人としての彼の名前を呼ぶが、応答はない。

 一瞬にしてガレージから音という音が消え、数秒前までの景色が嘘のように場は静まり返った。

 皆、足が縫い付けられたようにその場から動けずにいる、初めて足音を立てたのは、アルテミスだった。

 弓を床に置き、倒れた二人に駆け寄って膝を折る。

 

「……」

 

「アルテミス……」

 

 父親と愛した人が同時に倒れた、どんな言葉をかけていいか分からない俺に、アルテミスは何も言わずに二人の体を繋げている弓に手をかけ、ゆっくりと引き抜いた。

 血に濡れた鏃は青白く発光して、鏃の先をアルテミスが神妙な目付きで睨んだ。その光は察するに……不死身の存在を殺せるといわれる……彼女の力が働いたということなのだろう。

 

 ゼウスは……討てた、恐らくこれでオリバーにかけられた呪いは解けるーーいつもどおりだ。

 いつもどおり、犠牲を払って根本の問題だけを片付ける。今まで何度も繰り返してきたとおりのやり方だ。

 

「────」

 

 視線を傾ける。アルテミスは腹部に血だまりを作ったプロメテウス、そしてその下敷きとなった父親をただ見つめている。

 結果的に、自分の放った弓が命を奪うことになった父親と愛した人に視線は呪縛されたように動かない。

 ようやく彼女の手が動くと、無言のままヘイリー、そしてオリバーを一瞥したあとに、垂れ下がったプロメテウスの両手を胸元で組ませた。

 

 ……威厳を失った? どの口で俺たちは言ったんだ……なんだ、なにをした、この戦い──俺たちは、俺はいったい何ができたって言うんだ? 

 

 喉元から嗚咽が漏れる、アルテミスのお陰でゼウスの呪いは解けた、これで幼い子供を呪いを蝕むこともない、俺たちもこうして息をしてる。

 そして──アルテミスは父親と愛する人を同時に失った。 

 

「アルテミ……」

 

 礼の言葉、慰めの言葉、称賛の言葉、なにをかけるのが正しかったんだろう。

 何か伝えないと──そう思って名前を呼んだときには、アルテミスの姿はどこにもなかった。そしてゼウスの亡骸も。

 

 

 

 

 

 

 積み重ねられた木々の上へ、白布で覆われたシェーンの遺体が寝かせられた。

 周りは木々に囲まれ、黒い絨毯を敷いたような夜は恐ろしく静かだった。

 ディーンが起こしたジッポーの着火の音も少し離れて様子を見る俺のところまで、明瞭に聞こえてくる。

 

「安らかに眠って」

 

 ジッポーを灯したディーンの隣から、ヘイリーが小さく呟いた。

 ジッポーから着火した火が木を通い、やがて線を引くように燃え広がった火が、寝かせられた遺体を包んで火葬していく。

 これまで何度も繰り返してきた、ハンター式の葬儀の上げかただった。

 

 ディーンはヘイリーをサムはオリバーに気をかけるように二人の側から、眠りにつこうとする彼を見据えている。

 大切なものを失った被害者に寄り添う、そんな光景だ。正しい光景だ、二人家族を、大切な人を目の前で失った。

 けど、被害者は二人だけか? いや、違う。何より大きな犠牲を払ったのは……

 

「どこに行く?」

 

「アルテミスを探す。今なら呼んだら出てくるかもしれないからな。このまま何も言わずに別れたら自己嫌悪で頭がイカれちまう、イカれるわけにはいかない」

 

 ディーンにそう返し、ヘイリーの稀有なものでも見るような視線を断ちきるつもりで、俺はゆるくかぶりを振った。

 森の中は青臭い草の匂いと、土の匂いが混ざって酷く目を醒まさせてくれる、慌ただしい一日で溜まった疲労を一瞬だけ忘れさせてくれる気がした。

 夜の森林を一人で歩くなんて物好きにも程がある。自嘲しながら歩き続けていると、見上げるような巨樹に背を預けるようにしてーーアルテミスはいた。

 

「アルテミス、会えて良かった。まだ何も言えてなかったから。もしかしたら会えるかもと思ったけど、溜め込んだ運を使い切った気分」

 

「……話すことはない。森が私の居場所、父を失った今ここにしか私の居場所はない」

 

「……そうだな。俺も思うよ。親ってのは船の錨みたいなもので、拠り所であり居場所なんだって」

 

 投げられた言葉には心底同意しそうになる。

 親は船の錨みたいなもの、それが無くなると思うとーーできれば考えたくはない。

 

「俺たちが焚き付けて、ふざけた話だが貴方のお陰でプロメテウスの息子は……貴方が愛した人の息子は助かった。俺も手足が繋がってる、だからお礼を言いたくて」

 

「自分の父親に手をかけた愚か者に?」

 

「……愚か者じゃないだろ。今まで出会った中で、君みたいに人を救ってくれた異教の神なんていなかった」

 

「正しいことをしたと思う? 父を失った、愛した彼も……一度に居場所を失った。正しいことをしたから」

 

 鋭い瞳に喉が詰まる。

 俺たちにとっては敵、でも彼女にすればゼウスは愛する家族で父親だった。

 彼女は父親ではなく俺たち人間に味方してくれた、そしてその結果彼女は父を失った。

 正しいことをすれば、痛いしっぺ返しが待ってる。

 

 ──正しいことが報われるとは限らない、この世界はどこまでもアンフェアだ。

 

 暗がりで微かにしか見えないアルテミスの瞳は後悔のような、自己嫌悪のような、色んな感情が混ざりあった瞳をしている。

 その瞳には覚えがある、鏡の前で何度も見た。

 

「すまないアルテミス。多分俺には今の貴方に対して救いになれるような言葉をかけることはできない」

 

 アルテミスは何も言わず、かぶりを振った。

 

「俺も愛した人と親を同時に失った、今の貴方のように」

 

 一旦、言葉を切った俺と丸くなった彼女の瞳が結び付く。

 

「度々思うよ。あの日、ほんの少しでもどこかで違った選択を取ってたなら、まだ一緒にいられたんじゃないかって。二人のお陰で俺は今もこうして生きてる、命を救われた。正直、自分が救われる価値のある人間だったかどうか……嘆きたくなるけどさ。だけど、これが二人に救われた命だってことは忘れないようにしてる」

 

 一度目を伏せ、人に味方してくれた初めての神に向けて、

 

「アルテミス、貴方は神で俺は人間だ。果たして今の貴方の気持ちと比べていいものか分からないけど、これだけは覚えておいてほしい。貴方は愛する人が命を賭けて守ろうとしたモノを守ったんだ、あの子が生きているのは貴方のお陰だ。今でも貴方は間違いなく、尊厳のある神様だよ」

 

 彼は命を賭けて息子を守ろうとした、結果的に命を落としたけど一番守りたいものを守った。

 綺麗な最後とはとても言えない、いつもどおりの後味の悪い終わり方に他ない。

 

「どうしてそこまで言うの? 私が狩りの神で、お前がハンターだから……?」

 

「俺たちの首を跳ね飛ばすチャンスは何度もあった、けど貴方は最後までそうしなかった。怒りを煽ったウチの次男でさえ、五体満足でいる。父親に背を向けてまで俺たちに味方してくれた、感謝するのは当たり前だろ?」

 

 ここで、何も言わずに黙りを決めたらそれこそエレンに背中を蹴り飛ばされる。

 

「……なあ、俺は滅多に誰かに祈ったりしない。けど、もし本当にどうにもならないことがやってきたとき──君に祈るよ」

 

 多くのハンターがそうしてきたように。、

 貴方に勇気を貰えるように。

 

 

 

 







作者のなかで一番まともな異教の神なんじゃないかなと思ってます。




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呪われた町(前)

「いっ、て……ぇ!!」

 

「我慢して」

 

「あ、ぐッ……くそッ!」

 

「もうちょっとーーほら、取れたわ」

 

 カランと、赤色に染まった銃弾がグラスの中で音を立てると、張り詰めていた神経が途端に脱力した。カウンター席に置かれた酒をそのまま流し込み、乾いた喉を濡らしていく。

 

 弾を摘出する過程で掘り起こされた左肩の傷口には白布が当てられるが、それもまた言い表せない痛みが頭を殴り付けてくる。誇張抜きにしてすごく痛い。

 

「……ヘタクソだな」

 

「よく言うわ。こんなの学校じゃ習わない」

 

 ストレートに指摘すると、彼女は途端に目を大きく開いた。痛みから意識を逸らすべく、飲みかけの酒にもう一度手を伸ばす。

 

「もういいか、それよりなんか食える物……」

 

「絆創膏張るまで待ってよ」

 

「……サドだな」

 

「お礼はいい」

 

 ブロンドの彼女はサージカルテープを雑に切ると、傷口に蓋をする要領で張り付けていく。そのあどけない横顔を見ていると、彼女は自分より歳上だったか、はたまたその逆だったか。そんなどうでも良いことを考えられるくらいには余裕が出ていた。酒で痛みを和らげる、などとアクション映画にありがちな荒い治療も案外バカにできないかもしれない。

 

「ーーすげえよな。暗がりのバーで、カウンター席に男女が二人。なのにやってることが肩に埋まった鉛弾の摘出、何か起きそうって気配がまったくない」

 

「そういうときだってある。今日みたいに」

 

 「終わったわ」と隣に座った彼女は、澄ました顔で目の前に置かれていたビールを開けた。

 

「そうだな。そういうときもある。本当に残念だけど」

 

 隣に座った彼女を見ないまま、言葉で頷く。普段ならとうに店を閉めている時間、やけに静かな店内も当然のことだった。古びたビリヤードの台も、ポーカーのテーブル代わりに使われている机も、黙ったままで見渡してしまえば哀愁を感じさせる。

 

 一方、その静けさが二人水入らずという状況を実感させてくれた。来るべき時間が来ればハンターたちでごった返すテーブルもカウンターも今この瞬間に限っては閑散としている。別にこれから何が起きて、彼女との関係が変わるわけでもないのだがそれでも悪い気分にはならなかった。

 

「ねえ、悪魔は本当のことも言うの?」

 

「相手を動揺させる為にな。大抵の悪魔は、嘘と本当のことを織り交ぜてくる」

 

 単純にからかったり、嘲笑いたいだけの連中も中にはいるだろう。握手を求めて、素直に応じてくれる連中ではないのだ。しかし、どうしてそんな話をーー?

 

「ーー何か言われたか?」

 

「いいえ。何でもない」

 

「そっか。ならいいんだが」

 

 突然の質問にしては不気味、嫌な予感を感じながらボトルを呷った。彼女が口にした、悪魔というネガティブなことを連想させるには充分すぎるキーワードが頭から離れない。何もなければそれが一番だが、そうも行かず隣の彼女は続けた。

 

「覚えてる? 父が死んだときパートナーがいたって話をしたの。父は貴方のお父さんと組んで狩りをした」

 

「カリフォルニア州の『デビルズゲート・レザボア』で悪魔を罠にかけようとして、君のお父さんが囮に。忘れるわけないだろ、覚えてるよ。二人は滅多に誰かと組んで仕事をすることはなかったけど、そのときは一緒に手を組んだ」

 

 忘れるわけがない、それは例えるなら胸にナイフを突き立てられたような話だ。忘れていい話でもなければ、忘れることのできる話でもない。

 

「確かに親父はいつも一人、誰かと歩調を合わせて狩りをするタイプじゃなかった。けど、分かるよ。正直、あのときの親父は妻を殺されて……連中への復讐に固執してた。いや、復讐しか頭になかった。結果、親父が先走って君のお父さんは犠牲になった。恨んで当然だよ、俺たちのことも」

 

 自分たちは関係ないーー口が裂けてもそんな言葉を吐ける気にはなれない。彼女にも、彼女の母親にも受けた恩が大きすぎる。何より彼女には恨む権利がある。

 

「母さんからはそう言って聞かされた。貴方たちと組んで狩りをしたときも、"血は争えない"ってすごい剣幕で怒鳴られた。でも誰もその場所には立ち会ってない、もしかしたらーー少し違ってたのかも、事実は」

 

「……エレンの話が間違ってるって?」

 

「その場を実際に見たわけじゃない。貴方のお父さんが、悪魔に囚われた父を苦しみから解放するために殺したとしたら? 手足を引き裂かれて地面をのたうつところを、撃ったとしたら?」

 

 眉を寄せながら見た彼女の顔は、必死に涼しい顔を身繕っているような危うさがあった。澄ました横顔はほんの小さなキッカケで決壊してしまいそうで、そんな彼女にかける言葉が咄嗟に見つかるはずもなく、逃げ出すように酒を呷ることで自分の口を塞いだ。

 

「手足を引きちぎるくらいのことはする連中でしょ?」

 

「まあな。でも君が言ったとおり、真実は闇の中だ。親父ももういないし、聞いたところで答えやしないよ。仮に今の話が真実だったとして、自分の手で友人を殺したことには変わらないんだ。親父の中ではそこで完結してる、理由も経緯も関係ないよ」

 

 本当のことは誰にも分からない。それが他ならない悪魔たちが語った言葉であろうと、真実と言い切ることは自分にはできない。自嘲気味た笑みと一緒に口の中に甘ったるい味が広がる、このペースで飲み続けたら朝は地獄を見そうだ。

 

「ーー母さん?」

 

 隣から聞こえた言葉で、座ったまま体を反転すると、仏頂面のマスターが入り口で紙袋を手に提げていた。

 

「エレン? 早かったな、冷蔵庫いっぱいに買い込むんだと思ってた」

 

「ぼけっと見てないで手伝って。その様子じゃ朝までいる気でしょ、タダじゃ泊めさせないわ」

 

「……畏まりました。マスター・ハーベル」

 

「よしてよ、そんなジェダイマスターみたいな呼び方。柄じゃないわ」

 

 二つ返事で頷いて、紙袋を受け取る。中を覗くと、如何にも健康によさそうな色とりどりの野菜が敷き詰められていた。赤、緑、黄色ーー菜食嫌いの兄には悪夢のようなラインナップだ。

 

「ディーンが嘆きそう……」

 

「何よこれ。ずっと飲んだくれてたんじゃないでしょうね」

 

「まさか。話してただけだよ、至って健全に」

 

「あたしがちょっと留守にしただけで空の酒瓶だらけ。アルコールより砂糖と炭酸が好きな男がどうしちゃったの?」

 

 呆れた様子で、カウンターの上で空になっていた酒瓶が持ち上げられる。

 

「それはなんというか、ジョーが一緒に飲もうって」

 

「先に開けたのはそっちでしょ」

 

「そうだっけ?」

 

「そこまで。あんたたち酒場の匂いがする」

 

「母さん、ここは酒場よ。匂いがするのは当然」

 

「あんた、あたしがキープしてたボトル開けたんじゃないでしょうね?」

 

「……えっ?」

 

「おっと……」

 

「そのおっとはまずい方のおっと?」

 

 それは聞いてないーーどうすることもできず苦笑いしながら、買い出しの品を整理した。酒と埃っぽさが混じったロードハウス、久々に尋ねた場所は我が家に帰った気分だった。他に例えようのない心地よさがある。

 

「いいわ。ジョー、あんたは先にシャワー浴びてきなさい。何か作っとくから。ちょっと、潰れてないなら手伝ってもらえる?」

 

「喜んで。よし、なに作る? 『赤魚のパイナップル和え』なんてどうだ? 前にテレビ番組でやってた」

 

「どこに魚があるのよ。バカ言ってないで、さっさと手洗いなさい」

 

「……美味そうだったんだけどなぁ。またの機会にするよ、ちゃっちゃっとやっちまおうぜ。なんか無性に腹が減った」

 

 手早く蛇口で手を洗い、食器棚から包丁を借りる。この一瞬だけを切り取れば、狩りともハンターとも無縁の普通の暮らしの1ぺージ。そう考えると、現金に口角が緩んでしまう。不意に小さく笑い声がした、隣からだ。

 

「なに、どうかした?」

 

「あんたのことよ。でかくなったわね、ジョーが反抗期になるわけだわ。みんな歳を重ねた」

 

 思いもよらない言葉に、一瞬喉が詰まる。母娘揃って後ろからの不意打ちが過ぎる。

 

「らしくないこと言わないでよ。こっちが調子狂うっての。昔に思いを馳せるには早すぎるんじゃない?」

 

「この店でミルクでを頼んだのは後にも先にもあんた一人よ。あの目付きの悪い坊やが今はハンターになって、隣で包丁を握ってる。昔を思い出したくもなるわ」

 

「そういう母親っぽいのは、俺よりジョーに言ってやるべきじゃない?」

 

「あんただって手のかかるガキってことよ」

 

「……ボビーみたいなこと言っちゃって。歳はとりたくないもんだ。お母さん、ちなみに俺はチキンが食いたいです」

 

「ははっ、感謝祭には早いわよ。昔はジョーが凍ったままのチキンをーー」

 

 そこにいるだけで安らぎを感じられる場所、インパラと同じ最後に帰ることのできる場所。

 

 "ハーベルズ・ロードハウス"ーーそれは忘れることのできない記憶の1ページ。

 

 

 

 

ーーー

ーーーー

ーーーーー

 

 

 

 

 

 捲ったページを最後に、本を閉じる。気付けば分厚かった本のページも折り返し地点まで読み進めてしまった。我ながら熱を入れたものだ、ここまで夢中になって文字を追いかけたのもいつぶりだろう。

 

「ジャンヌぅ、どうどう? 理子の仕事ぶりは」

 

「上出来だ。とはいえ、アリアに()()するのは初めてでもないだろう?」

 

「ま、そうなんだけど、今回はお役人が相手だからね。手は抜けない案件なんだよ」

 

 秋葉原。私たちだけで貸し切られたカフェでそう言うのはアリアに変装した峰理子ーーイ・ウー在籍時から付き合いのある友人だ。なだらかな胸元から、緋色の髪と瞳まで繊細に標的に寄せた仕事ぶりは、相変わらずだった。

 

「アリアが動き回っている間は理子が病室でアリアの身代わりをやって、逆にあっちはアリアに化けた理子が動き回ってるってことにしとこうかなって」

 

 と、話している理子の声もまた、アリアの特徴的なアニメ声だ。

 

「お得意の情報操作か。できる女は忙しいな」

 

「辛いとこだよねー。外務省の情報操作に24時間だけちょうだいって言ったけど、キーくん……待てるかなぁ……」

 

 理子の言わんとすることは分かる。遠山なら24時間もあれば、新しいトラブルを引っ張りかねない。それが遠山という男だと、私たちは知っている。

 

「さあな。だが、トラブルを踏みつけながらも進んでいくのが遠山という男だ」

 

「それは100%言えてるね。……あれ、何か読んでたの?」

 

 ピンクのツインテールを揺らして歩いてきた理子(アリア)が私の隣のテーブル席に就いた。そしてテーブル上に置かれた本を一瞥し、

 

「なんだ、キリくんちの自叙伝じゃん。こんなの読んでたの?」

 

「おかしいか?」

 

「おかしくはないけど、ちょっと驚いたかな」

 

 そう言って足をぷらぷらと揺らし、一瞬丸くなった瞳を戻していく。そして、

 

「夾ちゃん、愚痴ってたよねぇ。ノンフィクションだったのにフィクションになったって」

 

「今回の件、あいつはどうするつもりだ? 耳には入っているのだろう?」

 

「理子と一緒、裏で動いてくれるって連絡が。あの女、こと恋愛においては誰よりもルールまみれの女だ。気に入らないカップリングでも、どこの誰とも分からない神様に台無しにされるのは気に入らないんだろ」

 

 男口調を織り混ぜつつ、理子は棒キャンディーを口元に導くと、閉じられていた本を開くや数ページ捲っていく。だが、やがてかぶりを振って元通りに畳んでしまった。

 

「でも皮肉だよねぇ。夾竹桃は恋愛を知らないことが、創作意欲に繋がるって考えてる。キリは自分たちが誰かを好きになることが、その人の生活や今ある関係も何もかも台無しにするって考えてる。誰かを好きになったり、愛することは拒否っても二人の理由は正反対ーー」

 

 度々、二人が語っている恋愛観を並べて、理子は鋭く目を細めた。

 

「手に入れる為に恋愛をしないのが夾竹桃で、失わない為に恋愛をしないのがキリ。ホント、噛み合ってるのやら噛み合ってないのやら、分かんない二人だよねぇ」

 

 似ているようで、似ていない。噛み合っているようで噛み合っていない。言葉遊びでもしているような理子の言葉が、不思議と胸の内を乱していく。恋と戦の神を控える最中、恋愛を語るのも奇妙な話だ。話題に挙がるのが魔女の怨敵であるウィンチェスター、尚のこと妙な気分になる。

 

 私は今の雪平切を知っている。つまり、ここに描かれたあいつの『恋』が痛み分けに終わったことも、最後に待ち構えるのが望まない結末であることも全部分かっている。やはり、悲恋が輝くのは物語の中だけらしい。それがたとえ意味のある死であろうと、死は死。その一点だけはどんな言葉を並べようと覆せない。

 

 他ならぬ、あいつが口にしていることだ。人の死に意味や形があるとしてーー人の魂はゴム毬じゃない。取り返しのつくものではなく、脆く、壊れやすく、しかし私たちが思っている以上に価値のあるものーー

 

「……っていうか、あいつ何歳なの?」

 

 

 

 

 

ーーー

ーーーー

ーーーーー

 

 

 

 

「すげえヌード写真だよな。ドクがびびりまくるわけだぜ、びっくり人間コンテストに出れる」

 

 手元にはあるのは、聖マーティン病院で撮って貰ったレントゲン写真が三枚。どれも胸骨から肋骨にかけてエノク語と思われる奇妙な文字がくっきりと刻まれている。ここまで不気味なレントゲン写真も他にない、そこいらの心霊写真よりよっぽどオカルト染みてる。

 

 外科手術でも難しそうなことを一瞬でやってくれたカスティエル曰く、こうでもしないとルシファーを含めて天使たちの追跡は振り切れないらしい。俺たちより連中のことを知っている彼が言うなら、きっとその通りなんだろう。映画や漫画に出てくるようなのほほんとしたお人好し連中と違って、モノホンの天使はターミネーターみたいに冷酷でおっかない。任務や使命以外のことは頭にないしな。

 

「表彰台を目指すのは良いとして、今は目の前の問題をなんとかするんだ。最終戦争が始まって世界がめちゃくちゃになるかもってときにびっくりコンテストも何もない」

 

「そんなことは言われなくても分かってんだよ。ふざけたこと言ってないと頭がおかしくなる。もうどうにかなっちまってるかも」

 

 噛みつくようにディーンの言葉を否定し、かぶりを振った。息の詰まる出来事がひっきりなしに続いている、黙ってるとどうにかなりそうだ。

 

「んなことよりーーディーン、もっと飛ばせないの?」

 

「これ以上スピード出せって言うなら、お前を窓から放り投げる。ルーファスはタフだ、文句言いながら持ちこたえるはずさ」

 

 ーーコロラド州リバーパス。その街にいるはずの知り合いのハンターが寄越した救難信号は、切羽詰まった声と銃声が入り乱れる笑えないものだった。ディーンがハンドルを握ったインパラが俺とサムを乗せ、ふざけた速度で道を駆けるもやはり落ち着かない。

 

 救難信号を送ってきた相手……ルーファスは、経験豊富なハンターだがついこないだまで半分引退してた身だ。他にも何人かハンターがいるんだろうが、今起こってることはこれまでの狩りとは訳が違う。あの()()()()()が、聖書に語られる化物が檻の外に放たれたんだからな……

 

 左右を木々に挟まれる野道を抜け、川の上に架けられた橋に差し掛かろうというところで、インパラは停まった。何も言わず、三人揃って橋の上に出る。ちくしょうめ……無茶苦茶やりやがる。

 

「……街への道はここだけ」

 

 ディーンが道半ばで崩落した橋の上から、真下を流れる川を一瞥しながら言う。怪訝な顔付きでサムが携帯を取り出すが、

 

「携帯も駄目」

 

「ねえ、見なよここ」

 

 俺は、片側が宙に飛び出している壊れた手すりに半眼を向けた。赤い塗装に見覚えのある黄色い粉が振りかかっているのが見える。

 

「……硫黄だ。悪魔が橋をぶっ壊した」

 

「街を占領する為に遮断したんだ。来訪者は拒まれ、住人は外に出られない」

 

「歩くしかなさそう」

 

 うんざりとサムがそう言うと、反論の言葉は出なかった。街に行くには、この崩落した橋を渡る以外のルートはない。武器庫と化しているトランクの二重底から、ソードオフの散弾銃をそれぞれ担いでいく。他に道はないんだ、取れる選択肢は一つだけ。

 

「ーー悪魔の村に乗り込むか」

 

 案の定、どこか仕切り屋の部分があるディーンが先頭を切る。車内に転がっていた聖水の入ったスキットルをポケットに差してから、俺もサムとその背中を追った。

 

 リバーパスの街はゴーストタウンのように不気味に静まり返っていた。奇抜な装飾で飾り付けられた店や大なり小なりの家が並んでいるが、住人の声も生活の物音もペットや虫の鳴き声すら何も聞こえない。

 

 しかし、庭先に放り出されたゴムボートや玄関先にヘタクソに駐車されている車、横転したまだ真新しい自転車を始めとして、目に飛び込んでくるものはいずれもさっきまで人がいたことを匂わせる。そこにいた人間だけを舞台から取り除いたみたいだ、まるで神隠しだな……

 

 横転した年代物のキャラデック。突風にはためく西武開拓時代ののぼり旗。ダイナーの前に停められていた赤いマスタングを見て、車好きのディーンが小さく口笛を吹いた。あっちのキャラデックは傷だらけで寝転がってるのに、こっちはピカピカで展示品みたいだ。なんたる不平等。

 

「……おい、あそこ」

 

 声のボリュームを絞ったディーンの目線の先には、すぐ向かい側でドアが開きっぱなしになっているシルバーのSUV。アイコンタクトの後、近づいていくとフロントガラスは無惨に割られていて、車の傍らには至るところが折れ曲がって使い物にならないベビーカーが放置されている。

 

 車のすぐ下に広がっている渇いた血の痕に静かに息を飲んだときーー背後から擊鉄を起こす音がした。背筋が一気に冷たくなり、散弾銃の引き金に指をかけながら振り向いて……俺は目を見開ことになった。

 

「……エレン?」

 

「久しぶり」

 

 S&W社の回転式拳銃を向けていたのはーーエレン・ハーベル。本土のハンターたちが集まる酒場の主で、親父やボビー・シンガーの古い知り合いでもある。タフで頼れる女性をそのまま形にしたような人で、あのジョアンナ・ベス・ハーベルの母親だ。

 

 知り合いの登場で、登り詰めた警戒のゲージが一気に下がっていく。随分久しぶりだな、たしか最後に会ったのはルビーが黒髪になるよりずっと前だ。銃口を下げたエレンが、ゆっくり歩いてくる。

 

「エレン、どういうことなんだ」

 

 刹那、問いかけたディーンの顔にエレンが左手で持っていたスキットルの中の水がぶちまけられた。ハンターなら誰でも知っている悪魔と人間を見分ける方法の一つ。暫く連絡してなかったからなぁ……言葉を失っている兄はそっちのけで、次は俺に向かって視線が飛んでくる。

 

「あ、ちょっとエレン。俺はーー」

 

 静止虚しく、冷たい水を浴びる感触と視界に靄がかかる。なんで俺まで……

 

「……?」

 

「俺たちだよ。正真正銘、モノホンのウィンチェスター御一考」

 

 目を丸めるエレンに向けて、ディーンの分まで代弁してやる。濡れた唇を舌でなぞるがやはり聖水だった。悪魔なら煙を立てて皮膚が焼けるところだが人間にとっては普通の水。作り方も普通の水に十字架を浸して呪文を唱えるだけと非常にお手軽な例の水だ。

 

 ようやく視界の靄が晴れ、首を思い切り振って髪の水滴を払うと、エレンは何も言わないまま街の教会へと入って行った。俺たちも黙ってその後についていく。

 

 住居側のドアを開くと、入ってすぐの床に悪魔封じが描かれていた。ドア枠の下部ーー沓摺にも塩が沿わせるように引かれている。二重の悪魔対策か。見た目はちゃちだが連中相手には立派なバリケード、これで悪魔は入ってこれーーな、い……

 

「え、エレン……?」

 

「……無事で良かった。心配したわ」

 

「あ……あ、あの……」

 

 気がついたときにはエレンに抱き締められ、何も言えなくなった。俺には母親というものがよく分からない。後に出会うことになるルームメイトとの皮肉な共通点の一つ。だが、母親と聞いて俺の脳裏に浮かぶ人がいるならそれはきっとーー

 

「ーーいってえッッッッ!」

 

「うぉっ……!」

 

「そう来るか……」

 

 腕をほどいた瞬間、エレンの左手が俺の頬を思いっきりはたいた。いってええ……!

 

「こんなもんで済むと思ったら大間違いよ。電話1本寄越しやしない。あたしと関わりたくない理由でもあるの? ルーファスから無事を知らされるなんて……!」

 

「エレン……ごめん……」

 

「あたしの番号、短縮ダイヤルに入れなさい」

 

 有無を言わせぬ口調に苦笑いで目を逸らす。相当心配させたらしい。後ろに控えている二人に目をやると、案の定目を逸らされた。

 

「キリ」

 

「は、はい。入れときます」

 

「そっちの二人も。ディーン」

 

「か、畏まりました」

 

「サム」

 

「あ、えっと、はい?」

 

 悩む暇もなく、気付いたときには三者三様にして頷いていた。三人並んだところでエレンには敵わないな……覚えとこう。

 

「みんな無事で良かった。ついてきて」

 

 ああ、エレンも無事で何より。とはいえ、いくら教会でも今はのんびり再会を喜んでる場合じゃないか。今度はエレンのすぐ後ろ、兄の前を歩いている俺が切り出す。

 

「なあ、何があったんだ。ルーファスが切羽詰まった感じでボビーに電話してきた」

 

「あたし一人じゃ手に負えない」

 

 壁にいくつもの絵画が並んでいる階段を、エレンを追って降りていく。

 

「僕らがここに来る途中、街に続いてる橋は落とされてた」

 

「悪魔の仕業ね」

 

「手の込んだことはしやがる。それで悪魔の数は?」

 

「ーー死んだ人と、ここにいる数人以外は全部悪魔」

 

 ディーンが尋ねた途端、至って落ち着いた声でゾッとする答えが返ってきた。階段を下り、別の部屋に通じる扉の前でエレンが振り返り、

 

「始まったのね、『最終戦争』が」

 

 ……ああ、引き起こしてしまったんだ。リリスを殺したことで、ルシファーを閉ざしている檻の最後の封印が解かれてしまった。今はそこかしこで悪魔と天使が睨み合ってる、まさに戦争だ。地上のあらゆる場所が紛争地帯になる。

 

「……そのようだ」

 

 だから、この決着は俺たちの手でつけないといけない。地獄の門が開いたときと同じだ、責任がある。苦々しくサムが答えるが、こうなったら俺たち全員に責任がある。揃いも揃って、ルビーに踊らされちまったんだからな。

 

「私よ。開けて」

 

 エレンが合図する。少し大きめの開き戸が開いて、中に招き入れられた。薄暗い部屋には街の住人と思われる男女がテーブルに就き、あるいは重たい表情で壁に背を預けている。年齢は様々だがエレンを含めても十人になるかどうか。

 

「彼らはサムとディーン、それとキリ。ハンターよ、応援に来た」

 

「悪魔退治の専門家か」

 

 守備役を買っていたと思われる男性がライフルを持ったまま答えた。他は神父や一般人って感じだが、彼だけはどこか色が違う。悲惨な状況には慣れてるって態度が滲み出てる。保安官……って感じじゃないな。予備役の軍人ってところか。

 

「妻の目が黒くなり、レンガを振り上げ襲ってきた。悪魔に取り憑かれたと思うしか……」

 

 テーブルに就いていたスーツ姿の男性が、堪えきれないと言わんばかりに心中を暴露した。まるで、醒めない悪夢に魘されているような、そんな顔をしている。怪訝な顔でディーンが今一度エレンに、

 

「説明してくれ」

 

「私もよく知らないの。ルーファスから前兆を見つけたという電話があった。ジョーとあたしが来たときには街中が憑依されてて」

 

「待って。ジョーと狩りを……?」

 

「ええ、ここ暫くね」

 

 思わず、口を挟んでしまった俺にエレンは軽く頷いた。エレンがジョーの同行を許した……?

 

「貴方たちが見た通り、街は酷い有り様で。ルーファスはいないし、ジョーともはぐれたわ。探してたら貴方たちが」

 

「分かった、ジョーを見つける」

 

「その前にこの人たちを閉じ込めてはおけないよ、早く逃がそう」

 

「それは難しいわ、既に一度脱出を謀ったの」

 

 キャンドルホルダーの蝋燭が灯す部屋を見渡してエレンは続ける。

 

「前は20人いたのよ」

 

 ……それが今はこれか。

 

「外に出たら最後、多勢に無勢よ。あんた達の援護があっても全員は守れないわ」

 

「みんなに、銃を渡したら?」

 

「妊婦がドンパチできるかよ」

 

「大量の塩を放てば、悪魔を足止めできる」

 

 壁際から二人の兄の攻防をしばらく眺めていると、ふとさっきの大通りの景色が頭をよぎる。そういや、あの一角……

 

「なあ、大通りにスポーツ用品店があった。あそこで塩をかき集めるだけかき集めるのは? 街を出るにしても、ここに立て籠るにしても塩は必要だ。それに銃も」

 

 塩は人間には無害でも悪魔にとっては有毒。立て籠るにしても突破するにしても塩は必要だ。僅かな一歩でも状況が変化しないよりはマシ。

 

「俺とキリで行ってくる。エレンはここにいてくれ。サムを守備役に置いてく」

 

「だけど……」

 

「いや、僕が行くよ。キリが守備役を、エレンとの連携も僕より取りやすいからね。ジョーとルーファスを見つけたら、ここに連れて来る」

 

 エレンの言葉を遮り、サムが目配せしてくる。こんな時につまらない確執を持ち込んでどうすんだよ、ったく……

 

「……すぐに戻る。頼んだぞ」

 

 提案した身とはいえ、ああだと決めたら本当に耳を貸さない二人だな。扉の外に消えていく背中を、半眼を作って見送るが今のやり取りは案の定……

 

「それで、どういうこと?」

 

「非常時にはジョン・ウィック並みのコレクションが必要ってこと」

 

「バカ言わないで。サムとディーンよ、会ってすぐ分かったわ。昔のあの子達とは違ったから」

 

 ……鋭いことで。

 

「色々あったんでしょうね。悪い女が割って入ったとか?」

 

「……当たらずしも遠からず。けど、狩りのストレスもあるのかも。ディーンの場合は……好きな女優が引退しちゃったとか?」

 

「あんたは変わってないわね。それもすごいことよ、変わることが正しいとは限らないわ。特にこんな仕事をしてるとね」

 

「ありがとう。でもエレンこそ、どうしてジョーと狩りを? 前はあんなに狩りに向いてないって反対してたじゃないか」

 

 空いていた椅子を二人分借りて、腰を下ろす。

 

「今でも反対。だけど言って聞くような子じゃない」

 

「それは同感。ジョーはジョー、頑固だ」

 

「誰かさんとそっくり」

 

「……そこで俺を見るのはやめて」

 

 なんか、傷口を抉られた気分だ。俺たちがふざけた非日常に振り回されていた間、ジョーとエレンの間にも色々あったんだろう。思えば、二人も我が家と呼べるバーを悪魔たちに燃やされた。ジョーも俺たちも狩りで父親を失ってる、他にも嬉しくもない共通点は挙げればキリがない。

 

「これ、良かったら」

 

「ああ、ありがとう」

 

 神父からペットボトルの水を受け取り、キャップを捻っていく。

 

「ハンターなんて自分からなろうとする仕事じゃないよな。ルーファスが言ってたよ、ハンターにハッピーエンドはない」

 

「いつかしてきたことの報いを受ける。けど、実際それが現実。悲惨な最後を遂げたハンターを何人も見てきたわ。あの子がその一人になりでもしたら笑えやしない」

 

 案の定、隣には似合いもしない自嘲めいた笑みが差している。

 

「あの子は対等になりたいのよ。心の底で私やあんた達と対等になることを望んでる、そんな気がする」

 

「エレンはちゃんとやってる、親としてできることは。側にいて見守ってる。無条件で自分を愛して見守ってくれる存在ってのは、なにより心強いはずだ」

 

 つか、この水……なんでこんなに美味いんだ。俺が今まで飲んでた水は死んでたのか。

 

「ーーって、前にテレビドラマの中で元海軍の警官が言ってた。ドラマだからってバカにできないぞ。それはそうと何だよこの水、とてつもなく美味いんだけど?」

 

「話を逸らすのが下手ね。水は水よ、ただの水」

 

「違うよ、見てみなエレン。このペットボトルの中身。見える? この透明で汚れのない白。この水は死んでないの。生きてるんだよ、この水は」

 

「この街じゃ一番の売りになってる。得体の知れない雪解け水なんかよりよっぽど美味い。この街に住んでる連中は、みんな水割りにその天然水を使ってるよ」

 

 エレンには苦笑いを貰ったが、扉の前でライフルを構えているさっきの彼が答えてくれた。ほら見たことか、名産品だ。

 

「けど、その水が駄目になってね。先週だったかな、神父さん?」

 

「ああ、水が汚染されてしまってね。ある日突然のことだったよ」

 

 ふーん。この水は汚染される前、正真正銘生き伸びた水ってことか。半分適当なこと言ったのに思わぬオチがついたな。

 

「水……そう言えば、ルーファスが知らせてきた前兆も水に関することだった」

 

「水に? それって、汚染されたことと何か関係あるのか?」

 

「分からない。けど、悪魔たちがただ街を占拠しただけには……何かおかしい」

 

「おかしいことだらけだよ。俺たちの周りはいつもおかしいことしか起きない」

 

 そう、おかしいことしか起きない。そして、エレンが抱いている違和感は気のせいでも何でもない。

 

 これは普通の狩りじゃない、悪魔が街を占拠したなんて単純な問題じゃない。

 

 これは"戦争"ーー赤い馬に乗り、剣を与えられた、平和を奪うことを許された赤い騎士がばらまいた悪意。

 

 その騎士の名前はーー"戦争"。黙示録の指輪を与えられた四人の騎士たちの内の一人。最終戦争の始まりと同時に赤い馬に乗りやってくる、最初の悪夢。

 

 

 

 



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呪われた町(中)

「ちょっと出るわ」

 

 サムとディーンが無事に持ち帰った銃の扱いをみんなにレクチャーしている最中、エレンがそう口にした。右手にはショットガン、検討はつく。

 

「ジョーを探しに行くの?」

 

「ええ、街のどこにいる。30分で戻らなかったらみんなを逃がして」

 

 銃を持ち帰る道中、二人がルーファスとジョーを見つけることはなかった。もしかすると、今の俺たちみたいにどこかに隠れているのかもしれない。たった30分、一人で探しだすにはこの街は広く、そして危険だ。

 

「分かった、俺も行く。エレン一人でノックして回るわけに行かないだろ。ジョーを置き去りにはできない、一緒に探そう」

 

「いや、僕が行く。お前は守備とレクチャーの続きを」

 

 またしても横槍を入れたのは次男だった。食いつくような目と視線が重なり、自然と溜め息が溢れる。引き下がる気はなさそうだ。食いついたら離さないって目がそう言ってる。

 

 結局、俺はテーブルから持ち上げたショットガンを兄に手渡した。サムとエレンが散策に抜けた部屋で、椅子にかけていたディーンと今度は視線が重なる。話がある、そんな顔だ。

 

「ディーン、どうかした?」

 

「店内で悪魔に襲われた」

 

「それはさっきも聞いた。無事に切り抜けたんだろ?」

 

「ナイフについた連中の血を見て、サムの足が止まった」

 

 隣の椅子についた途端、苦笑いもできない言葉が告げられる。連中の血、悪魔の血か……

 

「……パニックルームで血を抜いた。なのにまだ依存してるって言うのか?」

 

「俺だってそうじゃないと信じたい。けど、分からないんだよ。サムがサムじゃなくなる、また逆戻りするかもって一度考えたらーー止まらなくなる」

 

 悪魔の血、それを飲むことで一時はアラステアを葬れるほどの力をサムは得た。だが、その代償とばかりに人格は歪んでいき、最後には悪魔の血を求めてやまないジャンキーに堕ちた。あの血に強烈な依存性があるのは、残念だが真実だ。ルビーにはそこを突かれ、振り回された。

 

「大丈夫だよ、あれだけのことがあったんだ。あの血が厄介ごとしか運ばないのは兄貴だって学んでる。バカじゃないよ」

 

 そうであると信じたい、本当は願望だ。でも信じるしかない。もしまた悪魔の血が絡んできたら、それは決定的な亀裂を生んでしまう。ルシファーを解き放ったことでぐらついてる足場が、二人の兄を繋ぎ止めている足場が決壊する、今度こそ間違いなく。

 

「さ、レッスンの続きをやろうぜ。丸腰で悪魔の根城を抜けるわけにはいかない」

 

「……だな。ライトセイバーがいる」

 

 ライトセイバーか。武器の例えはさておき、海兵隊だって丸腰でベンガルトラには挑まない。当初の方針に従い、分担してみんなに銃の扱い方を説明していく。

 

 今だって後ろに火が迫ってる状況だ。まずはやれることやろう、目の前に見える障害をとりあえず片付ける。そうすれば、少なくとも次のターンを迎えることはできるからな。

 

「しっかり装填したか確認するんだ。安全装置はここ」

 

 教わる立場になったことは数えきれないが、その逆はとてもじゃないが慣れていない。それでも人命の左右される状況で好き好みは言ってられない。今日覚えたての銃を手に悪魔と戦う、むしろ匙を投げたいのはここにいるみんなの方だ。

 

 いや、()()()じゃないな。一人、前から銃とお友達だったって感じの男がいる。ここにやってきたとき、部屋を守っていた守備役の彼だ。シェルを装填するその手つきは、みんなに比べて明らかに手慣れてる。

 

「ファルージャ? カンダハル?」

 

「両方。戻って一年ちょっとだよ」

 

 半分正解、半分外れか。けど、保安官じゃないって予想は当たりだな。戦地帰りの軍人、どうりで手慣れてるわけだ。

 

「君も、こんな地獄によくやってきたな」

 

「置き去りは嫌いなんだよ」

 

 彼はフッと笑い、

 

「軍人だな」

 

「親父が元海兵隊」

 

「兵隊上がりじゃないのか?」

 

 不意に眉をしかめられるが、かぶりを振る。

 

「いいや、どうして?」

 

「目がそうだった、兵士の目付きだ。多くの死を目にするとそうなる」

 

「……それは初めて言われた。仕事のせいかな」

 

 刹那、扉が勢いよくノックされた。何度も、扉が激しく叩かれる。

 

「待って、俺が」

 

 覗き穴から外を見ると、エレンだった。が、扉を開けても入ってきたのは彼女一人。食いつくようにディーンが声をかける。

 

「サムは……?」

 

 静かにエレンが首を横に振った。最悪だ。

 

「彼は……? 悪魔に捕まったの……?」

 

「悪魔がここに入ってくるのか……!」

 

「いいや、入れない。ここにいろ、すぐに戻る」

 

 血相を変えたディーンが部屋の扉に手をかけるがーーギリギリのところで持ち堪えたらしい。反転して、テーブルに銃を投げ捨てる。

 

「まず作戦を立てよう。情報をくれ」

 

 そのままテーブルに就いたディーンに、俺も並んで腰を下ろす。作戦を立てる前に、これだけは聞いておかないと。

 

「……エレン。ジョーは?」

 

「無事よ、一応。でも取り憑かれてる、早く悪魔払いしないと」

 

「ああ、それならジョーの体が傷つけられる前に追い出そう」

 

 安堵はできないが、最悪の事態の一歩手前ってところで止まってくれた。取り憑かれてるだけなら、まだ、可能性はある。なんとかなるかもしれない。

 

「はっ。あの子、あたしに悪態ついたのよ。あたしのこと黒い目の悪魔って言った」

 

 一転、エレンが不満な声色を続ける。黒い目の悪魔……? エレンが?

 

「一体、どういう連中なの。塩や聖水も効かない、ジョーは魔除けのお守りを持ってた。取り憑かれるほどバカじゃないわーー何かが、おかしい」

 

 ……確かに変だ。俺たちの知ってる悪魔のルールから逸脱してる。魔除けをしてる人間に取り憑いて、塩も聖水も効かない悪魔ーーそんなのリリスレベルの化物だ。

 

「全部変だよ、おかしいことだらけだ」

 

「本当にね。黄色い目も聖水には耐性があったけど、あのレベルの悪魔が湧いて出てくるとは思えない。ジョーが取り憑かれたって話も変だ」

 

「連中のアジト、煙突から煙が出てた。悪魔は寒さなんか感じやしないわ、なのにどうして暖炉を使うの?」

 

「暖炉愛好家、なわけないよな。よし、状況を整理しよう。そもそもルーファスはどんな前兆を調べてたんだ?」

 

「水に関することよ」

 

「ちょっと待って、さっき水が汚染されたって話を聞いたんだ。それ、何か関係してないか?」

 

 ディーンの眉がつり上がる。

 

「いつだ?」

 

「なあ、ここの水が汚染されたのって先週なんだよな?」

 

「ああ、その翌日に悪魔が現れた」

 

 兵士の彼が答える。ディーンは暫し思考に耽り、

 

「他にないか。なんでもいい」

 

「……関係ないかもしれないが」

 

「構わん、教えろ」

 

「流れ星さ。それもデカかったよ。同じ水曜の晩だった」

 

「ーー俺の勘が正しければ」

 

 何かレーダーに引っ掛かったって顔だな。けど、なんで教会の本棚を漁るんだ。

 

「まさか、聖書に手がかりが?」

 

「弟よ、そのまさかさーー『天から大きな星が落ちてきて松明のように燃えながら川に落ちた。星の名はニガヨモギ、大勢が死んだ』」

 

 そうか、聖書……ルシファーもミカエルもその本のメインキャスト。ここまで来たら人間の物差しより聖書の言葉の方が信用できる、お見事だ。天から星が川に落ちる、全部当たってるよ。

 

「黙示録8章の10節……貴方はこの現象がヨハネの予言だと?」

 

 神父が、思わずと言った顔で口を挟む。

 

「この前兆が起きると何が出てくる?」

 

「四人の騎士たち」

 

 ーー四人の騎士。それなら覚えがある。神から地上を統治する権利と人間を殺す権利を与えられた、色の異なる馬に乗って現れるとされる死の天使。七つの大罪のようにそれぞれが異なる災悪を司り、地上に災いを撒き散らした。

 

 黙示録の騎士……そうか、悪魔じゃない。この舞台を作ったのは……そういうことか。

 

「赤い馬に乗ってるのは『戦争』。人々が殺し合うことを仕向け、地上から平和を奪い取る。なるほど、あの車だけやけに綺麗だったわけだ」

 

「ああ、大通りには()()マスタング。これで納得がいった」

 

「待って。車と馬を結びつけるのはいくらなんでも……」

 

「なあ、考えてみろ。辻褄が合う」

 

 神父の言葉を遮り、ディーンは席を立つや自分の頭を指で示す。

 

「俺たちに戦争をさせるために頭をおかしくしたんだ」

 

「敵対させたのね」

 

「ジョーは黒い目の悪魔と言った。本当は誰も取り憑かれてないのにお互いを悪魔だと思わせて殺し合いをさせてるんだよ」

 

 憤慨するようにディーンが言う。それなら全部のことに辻褄が合う。悪魔に取り憑かれてなんていない、そう見えてるだけだ。だから聖水も塩も効き目がなかった。姑息なやり方だ、人間同士でデスマッチをさせるなんてな。

 

「つまり、これは……最終戦争なのか!?」

 

 残念ながら、これが現実だよ神父様。大通りの赤いマスタング、あれがこの舞台を作り出した黒幕の愛馬。相手は『戦争』ーー赤い馬に乗ってやってくる、黙示録の騎士だ。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、俺たちの敵は『戦争』っていう名の騎士か。そんなのいるわけない」

 

「悪魔は信じたろ」

 

 ディーンと兵士の彼が言い争っていると、またもや激しく扉が叩かれた。お次はなんだ。

 

「おい僕だ! ロジャーだ、あけてくれ……っ!」

 

「おい、いつ外に出たんだよ!」

 

 俺が苛立ちながら扉を開けると、スーツ姿で息を切らしながら男が入ってくる。たしか、妻にレンガで襲われたって話してた……

 

「奴等を見た……悪魔だよ。もう逃げられない……僕らを一人ずつ殺す気だ……!」

 

「なんだと?」

 

 ディーンの表情が伝染したように、エレンの顔も歪んでいく。ちくしょうめ、いきなりなんだってんだ。

 

「君たちの見立てじゃ悪魔はいないんだろ」

 

「いないよ、悪魔がなにを言ったかどこで会ったか教えろ」

 

 ったく、このクソ忙しいときに面倒なこと言いやがって。こういうのを仕切るのはディーンに任せる。パニックの鎮火は専門外だ。

 

「……やられる前に殺さないと」

 

 いやダメだ、これは口を挟む。

 

「ちょっと待て。みんなに落ち着け、ここは安全だって分かるだろ!」

 

「じっとしてたらやられるだけだ。こっちには妊婦もいるんだぞ。動けるものは銃を取れ、悪魔狩りだ!」

 

 ちっ、手遅れか。燃え広がった。次から次に銃が渡っていく。

 

「おいおい、みんな頭を冷やせ。この街には悪なんていない。落ち着くんだ」

 

 ディーンが皆を沈めようとした矢先、ロジャーが右手を首もと近くまで持ち上げた。こういう場所でそういう不可解な動作はーー

 

「おい、みんな見ろ!」

 

 大抵、とてつもなくーー

 

「……エレン、ディーン。下がろう、ゆっくり、後ろに……」

 

「目が黒い!こいつら悪魔だッ!」

 

 ーーロクでもないことになる。

 

「二人とも走れーー!」

 

 ディーンの叫びと同時に砕けた木片が視界を舞った。野郎、遠慮なくぶっ放しやがった……!

 

 俺たちの目が黒くなったってのか。階段をやけくそに登り、悪魔払いと塩のラインを越えて外に飛び出す。

 

「どういうこと、私たちが悪魔に見えた……?」

 

「あの葬式にでも行きそうな格好をしたやつが黒幕なんでしょ、タイミングが出来すぎてる。黒幕の正体は分かった、次のプランはどうする?」

 

「ジョーとルーファスと合流する、それにサミーと。そのあとにあの眼鏡親父を叩きのめす」

 

「ついでにあいつの愛馬も貰っちゃおう、65年型マスタング。ざまあ見ろだ」

 

「盗むつもり?」

 

「違うよ、新しい主人に立候補するだけ」

 

 だが、まずはあの血気盛んな村人たちから遠ざかるのが先決だ。俺たちは拠点としていた教会に背を向け、傷ついた道路をエレンを先頭にして駆ける。

 

 ーー覚悟しろよ騎士様、お前が愛馬に乗れるのは今日限りだ。その65年型マスタング、俺が好き勝手に乗り回してやる。ウィリアムズ刑事のカマロみたいにな。

 

「エレン、たしか煙突から煙が出てる家だったよな?」

 

「ええ、でも一度侵入を許したわ。ルーファスなら罠を仕掛けてるはず」

 

 何事もなく、玄関は通れないか。いいさ、どっちみち血気盛んな村人が後ろに控えてるんだ。退路はない。上等だ、ジョーを迎えにいこう。

 

 

 




番外編は箸休め的な感じで更新したいと思います。


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呪われた町(後)



途中だった番外編の残りです。
非常にお待たせしました。


 

 

 

 

 ──走る。

 

 ──戦争の騎士に支配された街を。

 

 ──呪われた街を、全力で走り抜ける。

 

 

 

 

「ルーファスが仕掛けるとしたらどんな罠? 絨毯の下に悪魔封じ? 聖水のスプリンクラー?」

 

「ルーファスのことさ、やるなら派手なのを仕掛けてる。子供の悪戯みたいなのじゃなく確実に効果のあるやつを」

 

 視線と意識を四方に張り巡らせつつ、嬉しくないディーンの返しに『ああ、頼もしい』と皮肉を叩く。

 まあ、こんな呪われた街だ。ジョーがルーファスと一緒ってことには正直安心した。

 

 ルーファスはここ暫く鉄火場を離れていたとはいえ、あの古参中の古参のボビー・シンガーと一緒に組んでいたハンター。付け加えるならボビーに狩りのノウハウを教えたのもルーファス。

 癖のある性格はお約束だが、経験の豊富さで語るならルーファスは本土のハンターたちの中でも指折りだ。

 

 9mmを込めたXDの銃口を視線と一緒に背後に向ける。荒れ果てた街が見えるだけで、視界には人はおろか生き物の姿は見えない。

 今頃、頭をおかしくされた生存者たちが俺たちを躍起になって探し回ってる。サムとディーンが用意した銃を手にしながら……

 この街を抜け出すために用意した銃に、まさか首を狙われることになるなんてな。数時間前の自分に出来ることなら警告してやりたかった、信じるかどうかは抜きにして。

 

「見えた、あの建物」

 

 休みなく、荒れ果てたコンクリートを駆けているとエレンが声のトーンを変えた。

 前方に建ち並んだ家の一角、黒い屋根に生えた煙突から白煙が立ち昇っている。

 

 不気味なくらい物静かで人気も失せたゴーストタウン、ただの煙も普段以上に目立つ。お誂え向きに忍び込めそうな高さに窓が2つ……

 

 家の真向かいの道路に傷だらけで捨てられていたキャデラックを見つけ、車体の背にディーンが滑り込む。俺とエレンも同様に車まで走り、車体の背に身を隠した。

 恨めしくなるモデルみたいな横顔で、ディーンが吐息を虚空に向けて吐き出した。

 

「いるのはジョーやルーファスだけか? 他に誰か立て籠ってるって可能性は?」

 

「サムとここに来たとき、二人の他にも人影が見えた。まだ生き残ってるハンターが何人か、一緒にいる。あたしたちが黒い目の悪魔に見えてるなら、歓迎されやしないわ」

 

「強い味方にも最悪の敵にもなる」

 

「ルーファスの罠に伏兵のハンターが数名。どのみち後ろにはイカれた村人が控えてる、仲良く地雷元に飛び込むか」

 

 せめて、気休めの渇いた笑いを浮かべてから俺は言葉を締める。エレンとディーンに半眼で視線を振った。

 どうせ退路はない、後ろには躍起になって俺たちの首を跳ねようとする町民が控えてる。ジョーとルーファスに真実を伝え、サムと合流し、それから戦争の騎士を仕留める──それしかない。

 

 いつもと同じ、無茶苦茶な道のりだがやるしかない。そう、無茶苦茶なのはいつものこと。地上とは正反対に澄みきった青空を仰ぎながら、

 

「──手こずらせてやるか。なんか強力なお守りあるか?」

 

「黒胡椒。さっき店から貰ってきた。天然の凝固剤だ、死ぬほど痛いけど」

 

「ステーキでもないのに、そんなの振るなんて正気?」

 

「血がドクドク出たら人間は死ぬの。死ぬよりマシでしょ。泣き叫んだあとで好きにウィニングランすりゃいい」

 

「使わないことを願うわ。行くわよ、坊やたち」

 

 俺だってそう願うよ。

 痛いのは嫌いだ、苦しいのも。

 

 

「Hoo-yah」

 

 

 覚悟を決め、俺たちはホラー映画の舞台にでもなりそうな家に乗り込んだ。

 一見、大して不気味でもない普通の家。その『普通』ってところがホラー映画だと不気味さに一役買うのもお決まりだ。

 

 ──まぁ、窓が爆弾で派手に吹き飛ぶなんてホラー映画は──滅多に見られないだろうよ。

 

 

 

(爆弾を入口に繋いで……へえ、洒落てる。器をバラバラにしちまえば悪魔が相手だろうと時間を稼げる、ルーファスの悪知恵か……)

 

 爆発が窓を吹き飛ばし、木片やら金属片やら即興で作り上げられた凶器が轟音を引き連れて虚空を舞う。

 この威力、パイプ爆弾でもワイヤーで巻き付けたか。猫みたいに忍び寄って正解だった。フェンス付きの平和な家が一瞬で戦場に早変わりだ。意気揚々と踏み込んでたら止血剤が云々の話じゃない。

 

 爆発で滅茶苦茶に荒れた窓を越え、いた。

 久々の再会で長話したい気分だが、一息許してはくれそうにない。ぶっぱなされるショットガンに全身を冷たくしながら、穴だらけにされた背後の壁を尻目に黒いシャツ姿のジョーの体を前から拐い、ショットガンごと抑えつけるように押し倒す。

 

「ジョー! 聞け、これは黙示録──ッ、たくこの……ッ!」

 

 マウントポジションから見える暗いブロンドの髪の奥、ジョーの瞳はやはり黒く濁ってる。悪魔の瞳だ。

 説得にかかるもじゃじゃ馬娘は聞く耳を持たない。ということは、俺の瞳も彼女と同じで真っ黒らしい。

 

 師はエレンと親父の友人だ。

 マウントポジションをとっても巧みに体を使われ、脇に蹴りを貰うのと同時に体が薄汚れた床を真横に転がる。

 

「……この……分からずやがッ!」

 

「その顔でそれ以上喋ったら顎を砕くわ!」

 

 ショットガンが頭を向ける前に、銃口のさらに奥へと踏み込んで横から払うように肘を入れて射線を力業で逸らす。

 こっちは生身だ。んなもん、打ち込まれたらスイスチーズみたいに穴だらけになる。

 

 冷や汗半分にショットガンを奪いにかかろうとした刹那、エレンが横からジョーの体を飛びかかるように拐った。二度目のマウントポジションを取られ、ジョーの背中が再び床へと磔になる。

 

「目を覚ましなさい、ジョアンナベス・ハーベル……!」

 

 芯の通ったエレン声色がまた説得にかかるが、まだ悪魔の証である黒一色の瞳が見えてるんだろう。

 エレンの呼び掛けにもジョーは落ち着くことなく暴れてる。……今回はいつもの親子喧嘩みたいにギャラリーじゃいられない。のんびりやってたら頭のおかしくなった現地民が殺しに来る。

 

「流れ星と街に止まってた赤いマスタング。あれが示すのは黙示録の戦争の騎士! これが戦争だ! 俺たちの頭を弄って殺し合うように仕向けた、お互いが悪魔に見えるようにな」

 

「……、……戦争、赤い馬に乗った騎士?」

 

「ああ。戦争をもたらす騎士だよ。俺たちは悪魔じゃない、悪魔に見えるように弄られたんだ。街全体に力がかかってる。だから塩も聖水も効かないんだよ、サムに塩が効いたか?」

 

「……どうりで塩をいくら飲んでも平気なハズだわ。よく気が付いたわね。母さん、どいて」

 

「今度あたしに悪態ついたら承知しないわ。でも良かったわ、生きてまた会えて」

 

「死ぬなら病院のベッドって決めてる」

 

 いいね、俺もそれがいいや。

 病院のベッドでゼリーとテレビでも見ながら最後を迎えたい。願望だけど。

 

「遅くなったけど、久しぶり看板娘さん。再会を祝って一杯やりたいけど、急いで守りを固めないと頭のおかしくなった村人が殺しに来る」

 

「それ、悪魔っぽい響きがするわりに大したことないやつよね?」

 

「あんたたち、息抜きは後になさい。いまはとりあえず目の前のことに集中するの。今日をなんとか生き延びられたら爽快でしょ?」

 

 そりゃあもう、最高だ。

 マスタングも手に入るしな。

 

 ……いってぇ。エレンの前でジョーと殴り合うとはな、二度とやりたくないリストにこれ追加。

 

 脇を抑え、かぶりを振る。

 騎士をなんとかしないと痛みも感じなくなる。

 とりあえずエレンの言葉を実行しよう、目の前のことに集中だ。

 

「エレン! キリ!」

 

 勢いを引き連れてディーンが流れ込む。その後ろで目を丸めているのは、

 

「やあ、ルーファス。生きて会えたな」

 

「ねじ曲がった上に回りくどい返しは健在か。戦争の騎士、大物が来たな」

 

「みんな目が醒めた? 早く騎士を止めないと皆殺しに──」

 

 前置きもなく、重たい銃声がエレンの言葉を遮る。

 ……もう追い付いたのかよ、これだから軍隊あがりは、もっとのんびりしてろって。

 

「……誰だよ!」

 

「二回従軍したって彼だよ! ちゃちな銃声じゃなかった、次は別れて裏を取りに来るぞッ!」

 

「ただでさえ手一杯なんだ、あとにしてほしいよ。サムはどこに?」

 

「下よ。貴方とサムは騎士を、ここは私たちがなんとかする」

 

 エレン譲りのガラス細工のような瞳が鋭利に研がれた刃物のように細められる。

 まるでCiaやNcis捜査官だな、ブロンドってところがそれっぽい。凄腕だしな。

 

 ディーンはサムのいる地下への階段を下り、俺とジョー、ルーファスは二階の窓際から、エレンは緊急対応ができるように一階で身を潜ませる。

 

 忙しい現地民だぜ。さっきから銃声が鳴りっぱなしになってる。

 こっちにも生き残ったハンターが他に三人、なんとかたてこもるしかない。サムとディーンの快刀乱麻に期待してな。

 

「狙いは外せ。向こうは殺す気でやってくるが相手は人間、殺したら監獄行きだ」

 

「ヤバさを1からで10で表すとしたら?」

 

「振り切ってるよ。アヴェ・マリアの祈りを唱えてどうにかなるって言ってあげたいけど、ごめん無理だ」

 

「勝ち目のない勝負をいいところまで持っていくのは好き」

 

「マゾだな」

 

「じゃあ、貴方はサドね」

 

 予想通り、裏から回り込んで来たな。

 窓から下の庭先牽制の9mmを数初撃ち込む。こっちの場所は割れたが向こうの足も止まって塀の影へ戻っていく。

 

 例の軍人は別にして、他は銃を持たされた一般人。

 いきなり理不尽に徴兵されたようなもんだ。

 威嚇、警告の射撃でいつまで足踏みさせられるかだな──ああったく、ちくしょうめ、神父が撃たれた……!

 

「ジョー、ここは任せたッ!」

 

「分かった!」

 

 踏み込もうとしていた神父をこっちのハンターが撃ちやがった。ルーファスが警告に回ったはずだが、手遅れだったのか弾が流れたのか。

 議論してる意味も余裕もない。階段を下り、XDの用心金にかけた指に力が入る。エレンのことだ、どうせもう飛び出して止血に入ってる。

 

 目の前に人の命がぶら下がっていたら剣山の中にでも飛び込むような人だ。撃たれ放題の庭先にも迷わず飛び込んで──こうなるだろうと思ったよ。

 

「そこまでだ! 俺たちは悪魔じゃない、頼むから銃を下ろせ!」

 

 撃たれた神父の傷口を圧迫して止血に入るエレン。その頭には冷たいライフルが狙いを外そうにも外せない距離から捉えられている。 

 俺が向けたXDの存在に気付き、軍人の彼の意識が一瞬こちらに逸れる。過酷な従軍から生還した歴戦の軍人、9mmを少し撃ち込まれた程度じゃ多分怯まない。

 

 だが、彼の黙視できる視線のすぐ先を。

 庭の乾いた地面を、真上から降り注いだ弾丸が抉った。銃声はレミントン、遠回しに狙撃の殺傷圏内に彼がいることをアピールするジョーの援護で、

 

「……!?」

 

「悪く思わないで」

 

 生まれた一瞬の猶予。

 瞬時にライフルの銃口を逸らしつつ、エレンが彼の得物を巧みに奪い取る。

 さながら、初めてディーンがバーを訪れたときジョーに銃を奪い取られたあのときのように、腕利きを相手に実に鮮やかな手並み。

 

「お見事だ。これ使おう、滅茶苦茶痛いけど緊急の凝固剤になる。手伝ってくれ、銃は下ろす、今下ろすから。そこの神父さま、弾は抜けてそうだけど出血がひどい、教会には行くだろ? 聖職者を見殺しにしたら罰が当たる」

 

 ライフルを奪われた彼がアーミーナイフを次に抜こうとした寸前、黒胡椒の入った小袋を足下へ投げる。

 

「──?」

 

「おい、悪魔が衛生兵の真似するか? みんな踊らされてたんだよ、この悪趣味な舞台セットを用意した仕掛人にな。いいか、下げるぞ?」

 

 XDの銃口を下げると、彼もナイフに伸ばそうとした手を虚空に戻す。胸を撫で下ろすってまさにこのことだな。

 

「疑いは晴れた? 良かった」

 

「キリ、突っ立てないで手伝って。弾は抜けてるけど出血が酷い」

 

「分かってる。よう神父さま、言いたかねえが残念なお知らせだ。俺も一度やられたが滅茶苦茶痛いからご容赦を──」

 

「さっき通った店。救急セットが備えてある、取ってくるよ」

 

「ああ、頼む」

 

 味方になると心強い。

 最初から最後まで味方でいてくれりゃ良かったのにな。踵を返した後ろ姿を見ながら、俺は俺でやることをやるか。

 

「騎士は見つけられたと思う?」

 

「うん、ディーンが目星はついてるって顔してたから大丈夫だろ。だだっ広い街の中でうろついてる騎士を見つけるのは骨だけど、あいつが必ず通る場所がある」

 

 考えは同じだろうさ。

 その一ヶ所は避けては通れない。だからそこで待ち伏せすればいい。エレンは案の定、俺の頭を覗いたように場所を言い当てた。

 

「赤いマスタング──騎士は馬を置いて街は出られない」

 

「ああ。ヤツは必ず愛馬を取りに現れる。俺たちがこの街の小細工に気付いた以上留まる理由もない。二人はマスタングの前で待ち伏せ、今頃襲いかかってる」

 

 

 

 

 

 

「戦利品だ」

 

 ディーンから投げられたその指輪は、本当に土産物売り場にでも並んでいそうなありきたりな指輪だった。

 

「ボウリング大会やホッケーの試合のトロフィーなら分かるけど、指輪が戦利品か。大事にしてただろうにどうやって奪い取ったわけ?」

 

「スリとポルノ映画が友だちだったのさ」

 

「聞かない方がいい。そこから先はR指定だ」

 

「ウォーキングデッド的な話か、なら聞かないでおく。戦利品はあのマスタングだけでいいや」

 

 苦い顔をしたサムに楽しくない話だというのは察しがついた。指輪に血がこびりついてる、子供が喜ばないタイプの手を使ったのは間違いないな。

 

 騒ぎが終息した街は、銃声も鳴りやんで今は嘘のように静まり返ってる。

 ハリケーンが通過したあとのような地獄のような光景はそのままだが、戦争が仕掛けた悪趣味な呪いは完全に解けた。誰の眼を見てもちゃんと白目がある。

 

 窓も粉々に割れ、風が外から吹き抜けるようになった剥き出しのダイナーのカウンター席で指輪をああだこうだと指先で弄り倒していると、床に散らばったガラスが踏まれて音を立てた。

 カウンター席から振り向くと、やんわりとした笑みでジョーが肩を揺らす。

 

「良かった。もう出たかと思ってた」

 

「今から出るところ。別れをいうにはベストなタイミング」

 

「そう、それならなおのこと良かった。私ももう少ししたら母さんとここを出る。また会いましょう、ディーン」

 

「今度はもっといい再会を願うよ。いや、無理かな」

 

「そうね、きっと酷い」

 

 気取らない自然な笑み。

 あれを見せられるのは、きっと心から好きになった男にだけ。やっぱり素直に言うと羨ましい。

 

 拝借したグラスにたんまり氷が解けたスコッチは、ひどい味だ。喉がおかしくなる。ひどい顔のままジョーと視線は重なった。

 

「先に酔わせてよ、恥をかくまえに」

 

「皮肉と自虐のカードはたまにしまったら?」

 

「常備されてる、無理だよ。──ごちそうさま、マスター」

 

 残りを流し込み、気持ちを入れ替えるつもりでかぶりを振る。サムもやけ酒タイムは終了か。運転できるのはディーンだけだな。

 

「クレイジーな数時間だった。これがまだあと三人いると思うと地獄だ。またな、ジョー」

 

 二番煎じだけど、俺も次は楽しい再会になることを願ってる。ああ、それと、

 

「それとこれだけ言わせて? 親は選べない、子供もそうだ。うまくやらなきゃ。傷つくのは恐いけど、あのときぶつかって良かったって思えるときが来る。大丈夫、勇敢なジョアンナなら乗り越えられるよ。エレンと仲良くね」

 

 軽く背中を伸ばしながらダイナーの外へ。

 目を丸くしたジョーの肩を横切っていく。さあ次の仕事仕事、最終戦争が勃発。これで休暇はなくなった。

 

「それなら私からもお返し。罪悪感はもっともパワーのある感情なの、抱くのは簡単だけど消し去るのは容易じゃない。行動のモチベーションにはなる、だけど判断を鈍らせることにもなりかねない」

 

 振り向かなくても不思議とどんな顔をしているか容易に想像できる。

 

「感情は波と同じ、押し寄せる波は止められないけどどの波に乗るかは選べる」

 

 親子ってことなのかな、エレンにも似たようなことを言われた気がする、もうずっと昔に。

 

「ベストを尽くしましょう。ありがとう」

 

「いいのよ。貴方たちの葬式には出たくないだけ」

 

 分かった、またなジョー。

 振り向き、俺はいつもの言葉を送る。

 それが来ると分かっていたのか、まるで身構えるようにジョーは小さく笑っていた。

 

「いつもの言う?」

 

「もちろん──May we meet again.(再び会わん)

 

 それがこの街で彼女にかけた最後の言葉。

 この日から数ヶ月もしない間に俺たちはふたたびエレンと、ジョーと顔を合わせることになる。

 

 そして……

 そしてそれが、二人と一緒に戦うことができた最後の時間になった。

 

 

 

「好きねえ、そのドラマ」

 

 

 貴方のその微笑みを──できればずっと、お母さんと一緒に見ていたかった。

 

 

 



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痛み分けの恋愛

 

 

 

 『死』というものを、初めてその意味を明確に感じたのは再会した親父が死んだときだった。

 

 病室のベッドで意識不明にまで陥った兄が何もなかったかのように目を覚まし、まるで入れ代わるようについさっきまで話をしていた親父が息を引き取った。

 それが文字通りの、悪魔と取引した命の交換であったことを知るのは遅くなかった。

 

 

 

 次にそれを感じたのは、俺にとって初めて出来たアッシュと呼ばれる友人の死。

 如何にもチャラついた外見と律儀な中身のアンバランスな男。ビリヤードは弱ったがポーカーは強かった、頭も呆れてしまうほどよく回った。

 

 何かの悪戯でもし情報科に彼がいたら──そんなことをたまに考えることがある。

 

 悪魔の大群に襲撃を受けて、彼と大勢のハンターが集まっていたバーは凄惨な焼け跡にされた。

 俺に自慢していた彼のダサイ腕時計だけが、焼け跡の中で形の残った唯一の物だった。

 

 

 

 ディーンが悪魔に魂を売った──皮肉にも、親父と同じ方法でサムの命を救った。

 カエルの子はカエル、誰かに相談するわけでもなく兄は取引に踏み切った。

 

 十年の支払い期限を一年に値切られた挙げ句に──今度はディーンが地獄の猟犬に殺された。

 ディーンが目の前で腹を割かれた。フローリングに赤い華が咲いた光景を今でも鮮明に憶えている。

 

 

 

 誰かが死ねば、別の誰かが命を支払っても自己犠牲で家族を救う。既にこのときには、そのお約束が出来上がっていた。

 

 ディーンが死んだ、親父とサムに続いて。

 だが、その悲しみに暮れる暇は俺にはなかった。それだけは感謝すべきかもしれない。俺は兄もろとも地獄に堕ちた。

 

 

 

 悪魔がいるなら天使もいる。

 天使についてサムが語る度に昔のディーンは鼻で笑った。

 

 怪物も悪魔だっているが天使はいない。

 その理由を聞いても、何十年と狩りをしているが会ったことがないから、と納得できるような否定したくなるような微妙な答えだった。

 

 その天使に地獄から引き上げられたのだから、世間ではこれを皮肉と言うのだろう。

 天使が善、悪魔が悪と言った世間一般のイメージは、俺の頭の中から完全に崩れ去った。

 

 

 

 味方と思っていた悪魔に裏切られたことで、正確には家族の確執が原因でルシファーを幽閉していた檻が開かれた。

 隠していた手札をオープンした天使、そして悪魔の両陣営と完全に敵対することになる。

 たった一人、同士に『出来損ない』と烙印を押されながらも人間に味方してくれたトレンチコートの天使を除いて。

 

 

 

 そしてあの日。黙示録の四騎士が完全に復活を果たしたあの日。彼女は死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは見ているだけでもゾッとする光景だったのを覚えている。テーブルに並べられた5杯のショットグラスが次から次に空になり、トン、トンとテーブルに小さな音を立ていく。

 

 中身は水でもなんでもなく、れっきとしたウィスキー。

 仮に自分が真似をすれば阿鼻叫喚な現場を作り上げれる自信はある。

 

 やや顔を赤くしながらも、特に問題はなさそうな様子で椅子に座り直したキャスに、ギャラリーだった俺とジョー、テーブルで対面していたエレンまでもが言葉を無くし、苦笑いしていた。

 

 本来は互いに一杯ずつ、どちらかが潰れるまでグラスを飲み干していくデスマッチだが、植木に水やりかって気軽さでテーブルに用意したウィスキーを全部流し込まれて、誰もそこには触れられない。

 

「……酔うってこんな気分なのか」

 

 そんなことは露知らず、初めての体験にただ感想を漏らしている天使に、苦笑いしていたジョーの口許が純粋な笑みに変わっていた。

 酒には滅法強い母親が、もしかすると負ける姿が見れるかもしれない。そんな期待がたぶんあったんだろう。

 

 天使が酔うかどうか、そもそも前提から怪しい勝負だったが始まってしまっては誰も止められない。

 張り合うように残ったウィスキーを飲み干したエレンに、俺はそう悟りながら炭酸水の瓶を呷った。

 

 飲んだくれのボビー・シンガーの家、酒のストックには困らない。長期戦になりそうだな。

 

「全然いける」

 

 こっちも簡単には沈みそうにない。

 バーを開いていた理由の1つが、酒に強いからという俺の説も当たらずしも遠からずではないだろうか。

 浴びるようにウィスキーでやり合う二人を、俺は外から炭酸水で、ジョーはビールでギャラリー気分。

 

 明日はルシファーとの決戦の日。

 今日はいわゆる決戦前夜に当たる。

 

 無敵のコルトが手元にあるとは言っても不安は完全には殺せない。

 喉を通る炭酸水が、いつも以上に変な後味を残す。ルシファーを倒して、それで全部が全部終わるわけじゃない。片付ける問題は山ほどある。

 

「眉間の皺は、らしくもなく考え事をしてるから?」

 

 ふと、ビールを空にしたらしいジョーと視線が合う。

 血筋なのか、彼女も酒には強い。いまは亡き、彼女の父親もきっと親父と浴びるように酒を飲んでいたんだろう。

 ジョーはまだ飲みかけの瓶を静かに揺らす。

 

「炭酸水だ。アルコールで頭空っぽにはなってない」

 

「何年か経って、再会したとき覚えてる? あのときも炭酸水だった」

 

「朝の10時だったしな」

 

「空港じゃお構いなしよ?」

 

「でも誰かさんのせいでビールは飲めなくなった。賭けに負けちまったからな」

 

 憎らしげに見つめてやると、桜色の唇が綺麗に弧を描いてしまう。

 無駄に美人──ただ美人と言うのが悔しくて、俺はいつも無駄という言葉を足してしまう。結局、その夜もそれは変わらなかった。

 

「チップはケチるのに、ポーカーでは勝負師になる。あれは矛盾してる」

 

「どのみち大枚を巻き上げたんだから別にいいだろ。お前に挑むのは止めろって、二人に何回釘を刺されたことか。いつも無視したけど」

 

 いつも無視して、バーに赴いて挑んでは懐が淋しくなり、アッシュが苦笑いでこっちを見る。そしてカウンターまで行って、エレンが何も言わずにコーラを出してくれる。そしてテーブルから戻ってきた彼女と、ただ話をする。

 

 そんな一連の流れがお約束だった。

 それは決して嫌な時間ではなく、武偵となった今でも、尊く、大切な記憶の一つ。

 

 当たり前だ。賭けであれ、負け続けたとしても好きな女性とゲームが出来た。

 話をして、一緒の時間を過ごすことができた。それが嫌な記憶になるわけがない。

 

「なあ、明日は決戦だろ。未練が残らないようにお互い言いたいことは吐き出さないか?」

 

「分かった。ビール取ってくる、二人分ね」

 

「二人分?」

 

「明日が最後になるかも。今夜だけは特別。炭酸水はそれで最後にして、盛り上がりに欠ける」

 

 卑怯なくらい似合う黒いシャツ姿で、彼女は冷蔵庫の元へ消えていく。

 

「あの子との決着はついたって?」

 

 その後ろ姿を目で追えば、エレンから声をかけられるのも当然だった。ガン見してたわけでもないのな。

 

「まあ、痛み分けってところ」

 

「濁さないで言って。そこは気になってる」

 

「……畏まりました。ジョーの思いは実らず、俺の思いは実らず。平等に傷を負って終わり。見抜いてるくせに、俺に言わせるとは意地悪なことで」

 

 エレンには弱い。

 多少は乱暴って言うか、気が強いってレベルじゃないけど、いつでもジョーのことを一番に考えてる。

 

 それに、俺たちのことも随分と気にかけてくれた。最後の最後まで。ただのハンター同士の仲間、その一言で片付けるには受けた恩が大きすぎる。

 

「子供はよく怪我をする。けど、その分治りも早い。何度も怪我をすれば、感じたくもない痛みってものを知る。それで、他人の痛みも理解できるようになるわ。最初は辛いけど、お前のそれは治る痛み。あの子を好きになったことは、無駄にはならない」

 

「……ウィスキー飲みながら慰められる日が来るとは思わなかった」

 

「大人は敬うものよ、でないと良い大人になれないわ」

 

「覚えとく」

 

 確かにショックはあった。

 けど、ジョーが大切な家族ってことには変わらず、別にディーンを恨むことにもならなかった。

 

 我ながら、そこはとても器用に気持ちを扱ったと思う。

 二人とも大切な家族、そこは揺るがなかった。残っていた最後のグラスを奪い、二人が何か言う前に俺は中身を飲み干す。

 

「……きっつ」

 

「ちょっとあんた何のつもり?」

 

「別に高校生じゃないんだし。ギャラリーは飽きた。一人エントリーだ」

 

 案の定、真っ先に白旗を振るのは俺になるわけだが離れた席にいるディーンの姿が見えず、ジョーが戻って来ないことに、少しだけ嬉しく思ったのは事実。

 

 これが最後の夜なら、きっとジョーが本当に話すべき相手は俺ではなく、ディーンだからな。

 粗末な木の椅子を壁際から持ってきて、挑戦者気分でテーブルに新しくくっつけて座ってやる。

 

「明日は命がけの戦いになる。それなら思いっきり食って、飲んで、楽しんどく」

 

「二日酔いで動けなくなったら承知しないわよ」

 

「自制心だけは忘れずに。それとも俺と飲むのは嫌だった?」

 

「からかうんじゃないわ。盛り上がるのはここから」

 

 そう言うとエレンは笑う。

 言葉は交わさず、そんな彼女とグラスをぶつけた。

 

 その時、おんぼろカメラを三脚にセットし終えたボビーから声がかかった。

 

「写真撮るぞ、馴染みの札付きどもそこに並べ」

 

「ねえ、ボビー。ホントに撮るの、みんな嫌がってる。あんたとキリを除いて」

 

「俺のビールを飲み干した罰だよ」

 

「それだと俺だけ変わり者みたいだ。冷蔵庫を荒らした罰が写真1枚なら軽いもんだろ、信仰薄きものたちよ。俺もふくめてな」

 

 ビールの空き便をそこらに散らかした罰。

 キャスを含め、今夜はみんながアルコールとお友達だった。年代物のカメラの前に一人、また一人と車椅子のボビーを中心にして集まっていく。

 

 エレン、ジョー、ボビーにキャス。

 そして二人の兄。体を寄せて並ぶ姿は家族写真のようで、いや、家族なんだ。俺は今でもそう思ってる。

 

「骨董品まで持ち出して。どうしてこんなこと思い付いたわけ?」

 

「こんなバカどもがいたって証を残したいんだ。明日は決戦の日になる」

 

 そんな夫婦の口喧嘩みたいな温度で会話するボビーとエレンが、実は本当に夫婦になった世界を追々体験することになるとは、このときはさすがに考えなかった。

 

 ──セルフでシャッターが切られる。

 それが最初で最後の家族写真。色褪せたようなクラシックなその写真が──最初で最後の、みんなで刻んだ写真になることを、このときの俺はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 



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やがて if
なにもかも、やがて


 時系列的は『アリスベル』の舞台であるキンジがチャリジャックされた2008年から5年後の2013年時空です。長いので飲み物片手にでも、どうぞ。

 作者は基本的に1キャラクターの一人称から場面転換をしないタイプなのでside表記も使ったことがありませんが、今回はアリスベルの原作になぞって、人物名を入れています。





【夾竹桃】

 

 

 サミュエル・ウィンチェスターと連れ立って、首を真上に傾けると、その日の空は蒼穹のごとく澄み渡った青空だった。いつか、雪平と公園で仰いだときに見た空に、よく似てる。

 私がいる霊園墓所は広大で、周囲を森に囲まれているせいで生き物の鳴き声が騒がしい。それはそれは森が鳴いているように聞こえるほどだ。

 

 アメリカの国土面積はロシア、カナダに続き世界3位という広さを誇り、日本と比べれば20倍以上の面積になる。広大な墓所を見上げるような背丈の男と、彼の兄より『ミラクル』と、奇跡の名前を贈られたシェパードと共に歩いていく。

 

 名前のとおり、普通とは思えない出会い方をした愛犬に目を傾けると、厳粛な場と弁えているのか、それともサミュエルにハンドラーの資質があったのか。

 元気が取り柄の普段の姿からはかけ離れて、飛んだり跳ねたりをつつしみ、主人と私の後を物静かな足取りで追ってくる。その姿はどこか人間っぽい。やがて、足取りは止まって一つの墓石の前に向き直る。

 

「遅れたね、母さん。とりあえず、ああ──終わったよ」

 

 膝を折ったサミュエルに続いて、私も目線を下げながら手元の花を手向ける。すべての事態には一応の決着をつけた。いまだ怪異や幽霊はあらゆる場所に潜んでいるが──とりあえず、終わったのだ。

 

 人の心にある善と悪。天使や悪魔。運命。そして神にまで抗った。最後にはいつだって、家族を選んで、ノンストップで駆け抜けた。無傷とはいかないし、色んな場所に傷を作って、たくさんの犠牲を払った。

 みんなが血を流し、傷ついて、それでも世界は神に見定められるだけの枠から外れることができた。それが最後に残った──結末。

 

 一人、果てのない道路を歩いていくジャックの背中が頭をよぎり、小さく目を閉じる。

 

 ──いえ、一人じゃなかったわね、彼はいつでも私たちの近くに、どこにでもいる。他ならないあの子が、そう言ったのだから間違いない。あの子はアマラと一緒に、いつも私たちを見守っていてくれる。だから、

 

「きっと、世界は変わっていくわ。きっと」

 

 ──メアリー・ウィンチェスター。短かくも一緒の時間を過ごした相手に私も言葉を贈る。それは本来、叶うはずのない出会いだったけれど、私も雪平もサムもディーンも生きた彼女との時間を過ごすことができた。

 神の姉のきまぐれに感謝すべきね。今一度目を伏せてから、首もとにかけた認識標に手を伸ばしていく。

 

「これも一緒に……」

 

 靡きそうになる髪を片手で抑えながら、外した認識標を彼の胸元へ突き出す。

 

「いいの?」

 

「一緒にお願い。彼女に持っていてほしい、そうあるべきよ。だって、母親なんだから」

 

 怪訝な顔で聞かれたのも一度だけ。それ以上は何も言われず、墓の前の土が軽く指で解されていく。少し掘り起こせば、出てきたのは海兵隊である『ジョン・ウィンチェスター』の認識標。過去にサムが埋めた父親の形見が顔を出し、そこに重ねられるように新たな一枚が置かれ、共に上から土をかけられていく。

 

 少しだけ軽くなった首もとに指を向け、まだ残っている金属の涼しさに、そっと目を閉じる。これでいいの、親は船の錨と同じ、拠り所なんだから。

 

 ──信じてくれた、いえ、出会い自体に感謝してる。ありがとう。

 

 私はうっすらと首を振って、思考を打ち切った。蒼穹のごとく澄み渡った蒼い瞳のような大空を、何も思うわけでもなく仰ぎ見る。それはとても、どうしようもなく、

 

「……綺麗だわ、空」

 

「ああ」

 

 吸い込まれてしまいそうな穢れのない空に視線が呪縛される。これが自分たちの守った空、そう思うと、少しだけ誇らしかった。

 

 足元に何かが触れ、不意に視線を下げるとミラクルの鼻先が足を撫でている。自分らしくもないと思いながらも膝を屈めて、綺麗な毛並みを撫でていく。

 犬、そう言えば──と、長らく気になっていた話を、この機にぶつけてみることにする。

 

「ねえ、犬を間違って轢いたら、女と同棲することになったって話。あれってほんと?」

 

「……キリが喋ったのか。今の今まで聞かれなかったから油断してた」

 

 突然の思い付きで投げた質問は、当たり前だけど驚きを与えてしまう。それでも短くない付き合いになっているので、歯切れが悪くも肯定が返ってくる。自分の弟が如何にお喋りか、彼が知らないはずもない。

 

「事実だ。かなり前のことだけど」

 

「一時的でも狩りから離れる理由を貴方に与えるなんて、とんだユニコーンがいたものね」

 

「メグにも同じことを言われた。君はどっちかと言うと、悪魔っぽい。まあ、良い意味で」

 

 天使が善、悪魔が悪。そんな認識はこの本土の地を踏んでから、既に崩壊している。やや真面目ぶった顔つきで、捉え辛いを答えを出されるアンバランス加減はかつて同期だった銀氷の魔女を想起させるが、案の定と言うべきか、毒気が抜かれてしまった。

 

 苦々しく吐き捨てるなら、追及するのも一考だったというのに、用意した悪戯が台無しにされた気分だった。小さく笑い、当て付けのつもりで攻め立てるはずだった視線は母親の墓標に向けていく。

 

「戦った価値は、あったと思う? 死の騎士、虚無、神にまで逆らった価値はあったと思う?」

 

 済んだことをいまさら掘り返しても結果は変わらない。愚かしさを孕んだ質問は、口にしてから当たり前のように後悔の念に襲われる。だからこそ、その答えには正直救われてしまった。

 

「価値はあったよ。あのとき、戦わない道を選んだら、この空は見れなかった」

 

「この墓所も地獄絵図のままだった?」

 

「ああ、僕らは正しい選択をしたんだ。そう思わなきゃ。確かに完全勝利には程遠いし、みんなが傷を負って、ボロボロになって、欠けて、それでも……」

 

「価値はあった?」

 

 静かな決意を込めて、頷かれる。あまりに短い返事の中には、数多の感情が同時に込められているのだろう。それはこれまでに走り抜けた長い道程を、切って詰め込んだようなもの。視界に入り込む顔は喜色満面には程遠い。

 

 けれど──きっと世界は移り変わっていく。

 

 私たちは神に放棄されたこの世界で、明日を勝ち取ることができたんだから。

 

 神の描く筋書きに縛られない世界、それが苦い後味と共に私たちに与えられた唯一の報酬。

 

「帰りましょうか」

 

 踵を返し、墓碑に背を向ける。一人と一匹、足音はすぐに追い掛けてきた。雪平よりもディーンや遠山キンジを越える長身が隣に影を作る。

 

 地獄はロウィーナが統べるようになって在り方を変えた。十字路の悪魔たちは取引のノルマに追われることもなくなり、人間を誑かして、関係を持とうとする連中もいなくなった。

 地獄との扉は開きっぱなしだがその危険性は過去とは比べるまでもなく低い。クラウリーが追われた玉座に、母親である彼女が君臨しているというのはなんとも感慨深い話だわ。

 

 神が不在となって一部の天使たちが必死にやりくりしていたバッテリー切れ寸前の天国も、これからはジャックのメスが入る。

 混乱続きだった天界が、本来の有るべき姿を取り戻す日も遠くないのかもしれない。アナエルは相変わらず、金銭と引き換えに傷を癒す例の商売をしながら、世界を渡り歩いてるそうだけど。

 

 地獄は変わった、そして天国も、この地上もきっと変わっていく──

 

「次はいつ会える?」

 

「ハーベル家の墓参りには来るつもり。ジョアンナのナイフも今は私の()()だし、来ないわけには行かないでしょ。いつだって会えるわ、生きている限りいつでもね」

 

 服の内側にあるナイフを目で示しながら、続ける。貴方はどうするの──そう口に出すまでもなく、答えは返ってきた。

 

「僕はケビンを探してみようと思う。ロウィーナが仕切ってる今は、あそこも変わった。悪霊になって地上を徘徊する以外にも道はある。ケビンを探しながら狩りを続ける、約束を守るよ」

 

 ふと、喉から出そうになる言葉を寸前で押し込める。アイリーンとの関係をどうするのか、すべてが終わった今、彼女の気持ちに返答を返す権利は既に与えてられている。

 サミュエルとアイリーンはお互いに気持ちがあるのを知ってるし、二人を阻んでいたのはどうしようもない雁字搦めの状況だけ。

 

 そして、その問題もクリアされた今、どんな道を選ぶのも自由。個人的には、リサと彼のお兄さんには取れなかった道を選んで欲しい。けど、ここで答えを聞いてしまうのは──アンフェア。やんわりとかぶりを振る。

 

 敢えて聞く必要もないわね。白いフェンスがある家に子どもや犬と住む、そんなどこにでも有りそうな結末を願ってる。貴方のお兄さんには望むことのできなかった未来を、貴方が過ごせることを願ってるわ。

 

「もし会ったときは、秀才の彼によろしく伝えてちょうだい。ゴーストタウンから出られたのは彼のお陰だから」

 

「ああ、僕から伝えておく」

 

 ハンターは狩りの向こうに何を求めるの? 

 

 更なる戦い? 

 

 まだ見ぬ安らぎ?

 

 それとも──開いた傷跡が癒える日を? 

 

 

 

 

 

 路肩に停まるシボレー・インパラ。大きなドアに背を預けて、煙管をくゆらせる。もっとも、その重たい煙がもたらしてくれるずの酩酊感には浸れず、立ち上る紫煙は、虚しく、空気に溶けて消えていく。

 暫くぶり、そう呼べるほどの期間も空けていなかったはずなのに、肌を撫でていく日本の冬の冷たさは妙な新鮮さを帯びていた。

 

 うっすらとした笑みを置き、夕日が沈んでまだ暗闇が降りたばかりの空を仰ぐ。

 不意に気配を感じ、やや気だるげな視線を向けると、いつの間にか隣に少女が立っていた。

 

 神崎・H・アリアだった。腕を組み、カメリアの瞳は遠い虚空を見据えている。ここまで接近されても気付かないほどに呆けていたのは、失笑ものね。

 『シャネル』のガーデニアを下地に、調香師に自身のイメージに合うようにオーダーメイドで造らせたという、クチナシにも似た香水の香りが嘲笑うように鼻腔をくすぐった。

 

「いつ日本に?」

 

 程なくして、愛想のない声色が飛んでくる。一度聞けば忘れられないアニメ声も未だに健在。

 

「今朝着いたところよ。12月の騒々しさは変わらないわね」

 

 記憶が正しければ、自分を呼び出したのは彼女なのだけど、紫煙をくゆらせたまま、事実をそのまま口にする。

 道路の向かい側にはイルミネーションの光が散乱し、厚着を重ねて行き交う通行人からも冬の気配が感じられる。

 

「本土とこっちを行ったり来たりのあんたは知らないでしょうけど、近頃の日本は嫌煙の風潮が強いわ。路上喫煙は煙たがられるわよ?」

 

 ──煙だけにね。と、ドヤ顔で告げられる。

 

「寒い」

 

「そう? シカゴに比べれば春よ」

 

 ……そっちじゃないわよ。相変わらず、変わらない逞しさに苦笑しそうになる。変わらないのは何も見た目だけに限った話ではないらしい。

 

「それ、やめたら?」

 

「これはノドの薬よ」

 

「……まだ、それで通してるの?」

 

「常日頃のケアが最後には物を言うのよ」

 

 リング状の煙が虚空に溶ける。世界を渡り歩いている双剣双銃に、行ったり来たりと言われるほど日本を離れた覚えはないけどね。その話は脇に置いて、海の彼方から呼びつけられた理由について触れていく。

 

「それで、今夜は『何』を狙うつもりなの? 呼びつけたからには、ウルスの彼女と二人だけでは手に余る相手と見ているけど?」

 

 冬風が凪ぎ、路肩に散らばっていたチラシを無造作に舞い上げる。ピンクのツインテールを風に揺らし、背中を私同様にインパラのドアに預けてから、桜色の唇は開いた。

 

「『貘』よ。従一位、妖の官女」

 

 ……ああ、そういうことね。

 

「貘──正式には貘雲居昇時得。()()()()を狙うなんて、皮肉が効いてるわ」

 

 心喰らいとは、読んで字のごとぐ心を餌とする妖怪の総称。世間一般に浸透している貘のイメージは人間の悪魔夢を食べる妖怪だけど、実際に彼女が食べるのは人間の『恋』の感情。

 

 心喰らいにはそれぞれ、食事となる感情が違ってくる。恋と戦いを好む緋々神と一つになっていた彼女が、恋を餌とする恋食いの獣人を狙う。もう一度言うけど、皮肉が効いてる。それも従一位となればーー大物ね。

 

「0課に遠山キンジを奪われた腹いせ?」

 

「うっさい、ここまで来といて降りるなんて言わせないわよ」

 

「あら、強引なのね。でも恋食いには以前から興味があったし、この機会に妖の官女を見ておくのも一興かしら。お粗末な()の話は私の管轄外、貘を捕らえたその先は好きにやりなさいな」

 

「十分よ。それと……あんたも久しぶりね」

 

 そこまで言って、言葉が途切れる。横目を向けると、いつも騒がしい彼女には不似合いな心許ない表情が映り込んだ。小さな指がインパラのボンネットに向けられ、優しくなぞられていく。

 

「──切のインパラ。新車みたいにピカピカ」

 

「でないと怒るでしょ。怒られたくないの」

 

「ふふっ、そうね。きっと怒るでしょうね。自慢のbabyだもの」

 

 緩んだ口元でそう言うと、開いた窓から車内を見渡していく。懐かしい相手と再会したようにそんな瞳で。

 

「──久しぶり。あたしのこと、覚えてる?」

 

 ……おかしなものね。車に話しかける、普通からは逸れた光景を見ているのに、違和感も疑問も湧いて来ない。それが普通に見えてくる。

 

 長く雪平と一緒にいたせい? それとも雪平以上に愛情を注いでいたディーンの影響?   

 

 私も最初は車は車でしかないと思ってた。鉄の塊、数多ある運搬の手段の一つ。

 でも今では、ただの車以上の意味をインパラに感じてる。雪平に負けず劣らず、この子に入れ込んでる。彼の愛したインパラに。

 

 良くも悪くも、五年の歳月は短くなかったってことね。あの遠山キンジが東大に通っていて、形式的にとはいえ、私の後輩になっていると思うと世の中どう転んでいくか本当に分からない。人がどう変わるかも、分からない。

 

「一人で来たってことは、居場所は割れているのでしょう?」

 

 煙管を下ろし、問いかける。返答の代わりに助手席のドアが鳴った。 

 分かりやすい、返事ね。運転しろと言うなら、喜んでハンドルを握ってあげる。心地よい乱暴さで、車のアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

 

「貘はレキが尾行してる。タイミングを見て、三人で強襲するわよ。終わったらランチでも御馳走するわ」

 

 ハンドルを切り、人の往来がまだ消えていない都内の交差点を横切る。隣で弄っていたスマホから目を離した神崎アリアによれば、そう遠くない渋谷区内の一角に貘は足を向けている。都会や近代的な場所を好む化生も珍しくないけど、彼女もその類いかしら。

 

「獏にとって、食事は魔術の質に影響する。貘の力は彼女の空腹具合で決まるって噂よ」

 

「ディナーの前を襲えればラッキー、そんなところね。──進路が決まったわ。代官山の高層マンション、33階よ」

 

「渋谷区のタワマンとはまたリッチね」

 

 部屋を買い取ったなら、諸経費込みで支払いは安くても数億単位。

 妖の貴族は安っぽいモーテルに泊まったりはしないみたいね。もっとも、不動産には投資の側面があるから、一概に見栄を張っただけとも言えないけど。それも──彼女にこれから先の未来が見えているならの話ね。

 

 進路を渋谷区内に取ってからも貘の動きに変化はなく、タワーマンションを居住地に選んだのはほぼ確定と見ていい。彼女の食事は『恋』。尾行からの報告によれば、マンションには貘と思われる標的以外に二人の男女の影が付いている。手を貸したのは正解かもね。退屈しない時間になりそう。

 

 目立つアメ車でマンションに乗り付けるわけにもいかず、途中で見つけたコインパーキングにインパラを預けてから、36階建てにもなる超高層マンションの敷居を跨いだ。

 駅から徒歩一分、スーパーや薬局が併設されて住みやすさは当たり前のこと、建物内には屋内プールまである。足を踏み入れた居住区のエントランスは、マンションというより、ホテルのそれに近い。

 

 足元はホワイトマーブルやローズピンクの大理石で、これも敷居の高いホテルを連想させる。ロビーにはガラスのオブジェ、横は広く、天井は高い。豪華なホテルと謙遜ない絢爛な装いは、見紛うことなき億ションね。

 

「行くわよ」

 

「いつでもどうぞ」

 

 物騒な大口径の得物をスカートの内側にちらつかせながら、エレベーターに乗り込んだ彼女の後ろを追いかける。上昇するエレベーター内で、左手の手袋を脱ぐと、緋色の瞳が目配せしてきた。

 

「ネイルに興味が?」

 

「間に合ってるわ、専属の子がいるから。あんたって今でも防弾制服にブレザーなのね。武偵高にいたときからずっとそれじゃない」

 

「趣味よ。雪平の」

 

 トーラスに9mmの法化銀弾を弾倉ごと押し込み、スライドを引く。視線を配ると、案の定似合わない真面目な顔が映っていて、嘆息した。

 

「冗談よ」

 

 元々が人形のような整った顔つきは真面目な表情も絵になるが、彼女のことを少しでも知る者なら、似合わないと口を揃えることだろう。

 

「変わってないわね、あんたって。ただ変わればいいってものでもないでしょうけど」

 

 一転、落ち着いた声色。変わってないのはお互い様でしょうーーそう返すまでもなく、すべてを理解しているように、その横顔にはひどく自嘲めいた笑みが差し込んだ。声をかけるのがはばかられるほどに。

 

「恨んでるの?」

 

 敢えてか、わざとか、主語を抜いた問いかけと同時に、33階にエレベーターが停まる。

 

「私は雪平のことが大嫌い。でも、心から思ってる。だから今までの過ちをすべて許せる」

 

 開閉したドアの外、吹き抜けのエレベーターホールに先んじて足を乗せる。

 

「ーー恨んでないわ。出会い自体に感謝してる」

 

 それがすべて。思考を切り替え、大理石の床を駆ける。極限まで鍛え上げられた人間は時として獣人すら欺き、一蹴する。極東戦役の終結から数年ーー遠山キンジに劣らず、隣を行く少女も魑魅魍魎の仲間入りを果たしたらしい。

 

 それは一瞬だった。小さな手に似合わぬ大型拳銃が20cm差はあるプラチナの髪をした女性の顎に突き付けられる。一切の慈悲を許さない脳を貫く射角で。白銀のガバメントを突き付けられた藍玉色の瞳は、ここまでの接近を許したことが信じられないと、驚きに満ちている。

 

「言っとくけどこれ、法化銀弾だから。化物系の超能力者が特に嫌がるタイプのやつ。まあ、化物狩りはあたしの相方やそっちの彼女の方が実績あるけどね」

 

「これでも『Team Free Will』の一員だから。正確にはVer2」

 

 ベテランハンター2人と半分天使の小僧とまたもや甦った天使に、家出が趣味の決闘者と通りすがりの武偵。出身も種族もぐちゃぐちゃの、最強チーム。

 

 うっすら笑った私の視界、貘と思われる彼女の瞳が部屋にあったアンゴラウサギのヌイグルミに向いた。次の瞬間、白銀のガバメントが強く顎に押し付けられる。

 

「ヘタな動きしないで。バレバレよ。もうそっちのモンスターもレキが狙ってるわ」

 

 目敏く普通のヌイグルミでないことを察し、強い口調で制する。同感よ、片眼にハート形のミニ眼帯をしたウサギのヌイグルミは器で、あれも中身はおそらく獣人でしょうね。クリーム色のボディーには、後方から援護してくれている狙撃手によって赤いレーザーサイトのドットが浮かび上がる。

 

 戦闘能力があるようには見えないけど、下手に動きを起こせば、私も法化銀弾を撒くだけ。銃火器はガラじゃないけど、科学や兵器の発展と同時に異能も日々進化を遂げてる。異能で組み立てられた防御の式を掻い潜るには、法化銀弾のような対魔弾を用いるのが手っ取り早く且つ有効。得体の知れない官位の高い化生を相手にするなら尚更のこと。

 

「ーー風穴開けるわよ。戦るってんなら。今夜は専門家もいることだしね」

 

 自分で動きを制しておきながら、好戦的な台詞を言い放つと慣れた手つきでボディチェックを始める。部屋の隅に強引に追いやられ、ベッドに手を突かされた彼女は、プラチナロングの髪とモデルのような体型を備えたガバメントで威圧する彼女とは違ったタイプの美人。

 

 髪や口、胸の間、ドレスの中と素早いボディーチェックの間、そのベッドに背中合わせに座った男女に目を落とす。二人とも高校生程度、裾の長い黒いコートの少年と黒髪のツインテールの少女は寄り添うようにベッドから動かない。獣人の部屋に人間の少年と少女、この二人は連れ去られただけ? それとも……

 

 スッキリとした北欧系の家具で揃えられた寝室の四隅にはピラミッドピンが打ち込まれ、天井にも同じピンが一本打たれていた。五本のピラミッドピンを視線で辿っていくと、ベッドの二人を囲むように角錐状の空間が出来上がった。刹那、脳裏で嫌な警笛が鳴った。これは砂礫の魔女お得意の……

 

「質問1。あんた『貘』よね? 質問2。そこの座ったまま死んでる2人は何? 質問3ーー戦う? 降りる? 言っとくけど交渉はなしよ。あたし、言葉より弾の方が出やすいタイプなの」

 

「訂正。質問2を改めるわ。あの立体魔方陣、仕掛けたのは貴女よね? どんな式?」

 

 薄暗い寝室、背中の開かれたドレスから絹のような白い肌を覗かせた彼女は、肩越しにこちらを見据え、

 

「先程の質問、1だけは言葉でお答えしよう。その通り。私は貘だ。2については黙秘を。3については、行動でお答えしよう」

 

 含みを持たせた言い方に、私は舌を鳴らす。いつの間にか、部屋の隅に打たれていたピンの一つが外され、転がっている。立体魔方陣が作用していたのはベッドの上で寄り添っていた二人、ピンが解かれた今、死んだように身動き1つしなかった体はーー示し合わせたかのように、左右に別れて跳んだ。

 

 完全に敵意を持った視線を二方向から浴びながら、視線を左右にくばる。コートの男はベッドに置かれていた刀で武装しただけ、でももう一人は身を捻ってスカートから幾つもの金属片を飛び散らせるだけーーかと思いきや金属片は瞬時に結び付いてフラフープ状の輪を作る。その一連の光景は、まるで髪飾りから鋭利な鎌に一瞬で姿を変える蠍の尾。

 

 十中八九、あれは輪を模しただけの刃。人の皮膚は簡単に裁断される。咄嗟に毒の塗られた左手を振るい、袖から落とした天使の剣で手首にかかったまま振るわれたフープの刃と切り結んだ。鼻先で火花が散り、すぐ背後で獣の咆哮のような発砲音と獏の呻き声が乱れる。

 

「ーー貘っ!」

 

 一瞬、意識をとられた眼前の少女に銃口を向ける。その制服が防弾製かは分からないけど、そっちのフラフープはただの学生が持ち歩いてる玩具にしては物騒極まる。冷徹に斜線を読んで、体を捻ろうとする少女は明らかに普通じゃない。ベッドに面した壁を狙いから逸れた銀弾が抉り、腕を切り落とすような角度で左から輪が振るわれる。

 

「っ……!」

 

 右手から左手に輪を渡しての継ぎ目ない動きでの第2擊に銃を弾かれつつ、腕が落ちるのを回避する。剣を右手に持ち替え、疾駆。左手の爪と実質的な双剣を作るけど、フラフープ状の剣とは思う以上に戦いづらい。斬撃範囲は大きく、軽々とした見た目と裏腹に一撃一撃が重い。軽んじるとバカを見るわね……

 

 何度か切り結び、その輪のような武器の特性も断片的に掴み取れていく。彼女の剣は斬り合いに於いては、受け流しに適した形状をしている。下手に打ち込めばこっちがバランスを崩し、しっぺ返しを食らう。決して目にすることが多い武器でもないし、力任せに斬りかかろうものなら手痛いカウンターを受けかねない。初見殺しもいいところだわ。

 

 もう一人の男も白兵戦には自信ありって顔で戦闘体制に入っている。刀が二振り、そして黒コート、おまけに暗闇で輝くような紅い瞳。そっち系の心をくすぐられそうだけど、あの瞳からは異能に似た、常識の外にあるもの特有の匂いがしてならない。本土で嫌というほど嗅いできた匂いによく似てる、両手に構えてるそれも金物屋で売ってるようなものじゃなさそうだし。立ち位置が並んだところで、隣に視線を向ける。

 

「あの二人、ただ連れ去られたわけじゃなさそうだけど?」

 

「事情は後から聞くわ。即興で行くわよ」

 

 つまり出たとこ勝負ね。相対している新手に視線を戻すと、浮き輪のように構えられた輪っかの上をーークルッ、クルッと黄金色の光弾が回っていた。不可思議な光景に目を細めるが、それはビー玉程度の大きさから、輪の上を一周、また一周と回りながら肥大していく。

 

 過去によく似た光景を目にしたことがある。紫電の魔女の代名詞とも呼べる『雷球(ディアラ)』、球状の雷を放つまでの溜めに動作にひどく酷似してる。既に輪を回っている黄金色はビー玉ほどから、ピンポン玉程度の大きさになり、一瞬のアイコンタクトで私たちは呼吸を揃えた。あれはまずいーーあれは、撃たせてはいけない()()だ。

 

 双剣の男がそれを裏付けるように、彼女を守る位置で刀を低く構える。暗い寝室に複数の足音が同時に重なった。

 

「ーー傾巍十字!」

 

 男から突き出された刃が交差し、鋏のような形を描く。先行した私の首元へ、文句なしのおぞましい速さで刀が吸い込まれる。速いーー少女と切り結んでいる最中に聞こえた筋繊維が膨れあがりつつ圧縮されていくような、あの音は聞き間違えでもなかったみたいね。

 

 色金粒子が乱れているであろうこの部屋でどんな式を使ったかは知らないけど、こっちもちょっとイカサマしちゃいましょう。

 

 首は撫で切られる。けれど、私の首から赤い間欠泉が吹くことはなく、その五体は煙のようにかき消える。切ったのは私の肉ではなく、実体を象った幻。色金粒子の影響を受けにくい魔術は実はある。外部の力を利用しない、それ自体にまじないがかかった独立充式魔具(スタンドアローン)とか、ね。

 

「……信じられんじょ。こんな時代にアマランスの石……んなもん十八世紀の式だじょ!博物館行きもいいところだじょ!」

 

 古いものが好きだったのよ。って、やっぱり喋れたのね、アンゴラウサギのヌイグルミ。語尾も見た目もインパクト抜群だわ。

 

 役目を果たし、床に転がった石ころは三百年以上の時を生きた赤毛の魔女からのギフト。こういう小細工は私より雪平の方がうまかったけど、一瞬でも隙を得てしまえば十分。二振りの刃が切り返されるより早く、コートに守られていない頬を五色の爪で裂いた。

 

「……ちッ」

 

 即座に振り払われる刀を、左手で抜き放ったルビーのナイフと天使の剣で同様に二振りの刃で受けていく。派手な金属音と同時に後ろへノックバック。殺傷圏内の外ギリギリから半眼で血の流れた頬を見据えると、すべてを見抜いたような狂眼がこっちを向いた。

 

 ええ、今回は速効性。前座抜きに本命を打ち込ませて頂いたわ。

 

「貴方、得体が知れなかったら。どうせなら、そっちの子の方が良かったけど」

 

 眼前の男からは底のない、まとわりつくような圧迫感を感じて仕方なかった。毒の回りが遅かったら、抗体を持っていたら、悲観的な考えを与えてくれる程度には不気味な相手。

 

 だから、爪を通して与えたのは、人間の神経を問答無用で麻痺させる怪物《ゴルゴン》の毒。私の持ち得る毒のラインナップの中で、一番彼とは無縁そうな毒を爪に仕込んであげた。舌打ちに続いて、両膝が震えと同時にゆっくり崩れていく。

 

「野に咲く経口毒ーー夾竹桃。私は猛毒、貴方に消毒できる?」

 

 くすり、と笑ってあげると、式を組んでいた彼女の元にもトラブルが飛来していた。色金粒子が乱れる最中でも、輪の上でコントロールされている光弾はピンポン玉の大きさから、既にバレーボールに迫るまでに肥大している。本来は、ヒルダのように雷球のようにあれを弾丸のようにして放つ魔術なのでしょう。

 

 けど、黄金色の光はバレーボール大の、明らかに臨界点に近づいている大きさになりながらも輪から放たれることはなかった。目を見開いてる少女の正面、今まさに弾を作り上げている輪の内側に飛び乗った神崎アリアがガバメントを向けている。そして、異常なバランス感覚で回り続ける光弾を小指で差し、

 

「多分だけど、この光ってるの、内側には撃てないんじゃない?」

 

 不適に微笑む。黄金色は球はずっと輪の外を回っている。光弾の射出を遠心力に頼るのなら、輪の内側に撃つことは確かに不可能。そして、少女の反応や未だに回り続ける光球からーー多分、正解。あの輪の内側は射程外、どうあっても手出しが出来ない不可侵領域。

 

 もっとも、あんな無茶苦茶な方法で回避されるなんて、術者の彼女からしても初めての経験、斜め上の事態でしょうね。完全に懐に入ると、ガバメントが容赦なく少女を撃つ。至近距離から浴びせられる大口径の雨は最初は大腿部、次はブラウスの上から腹部をメッタ撃ちにしていく。制服が防弾製と悟ったのか、引き金には何の躊躇いもない。少女は逃げようにも、輪の中なので凶弾から逃れない。

 

「えげつけないことするわね」

 

 凄惨とも取れそうな光景は、光弾が散逸し、少女の意識が途切れるまで続いた。少女の体と同時に崩れていく輪から、しゅるっーーと、ツインテールを振るわながらバク中を切る。ちゃっかり宙で空の弾倉を排出し、着地に合わせてスカートに納めていたロングマガジンを再装塡すると、頭部にレーザーサイトの当てられている貘に改めて照準する。

 

「枕元のレイジングブル、454ね。無免ならちょっと大目に見れないけど、貘あんた、この子たち……超能力者特区から連れ出してきたでしょ。摩周か、居鳳か、神澱あたりから。あとで事情聞かせてもらうわ」

 

 私がベッドの下に逃げていたヌイグルミを拾い上げると、対超能力者用の高価な手錠が貘にかけられていく。個人的にはその手の手錠は信用ならない。過去にも対天使用とされる似たような手錠をルシファーにかけたけど、指を一度鳴らされだけでおしゃかになった。本当に強力な異能の前ではそんな手錠意味を為さない、三重に拘束をかけられていく貘を見るとつくづく感じる。

 

 押収したレイジングブルのトリガーガードに南京錠をぶら下げ、引き金を引く方向に小さな錠前をかける。これでU字型の金属部分がジャマをして、引き金を引こうにも引けない。威圧感の塊のようなリボルバー拳銃を小道具で無効にしていると、ふと、異なる気配が部屋に混ざった。

 

 もう一人、自分たちとは別の侵入者が顔を出した。爽やかな、堂々とした態度のその男に、アリアは憎らしげに片眉を吊り上げて、

 

「……不知火……あんたは相変わらず、嫌な仕事をしてくれるわね。いつも嫌なタイミングで現れて」

 

「ゴメンね。これも僕の仕事なんだ。この人たちは特別だから、手を出さないわけにもいかなくてね」

 

 不知火亮ーーここで出てくるとはね。0課への腹いせが祟ったかしら。穏やかに微笑む乱入者は貘に歩み寄ると、手つきだけ紳士的に、彼女を立たせていく。

 

「それにこの3人を捕まえても交渉材料にはならないよ。だから、身柄をもらっちゃってもいいかな?」

 

「……ここも譲ってあげるから、とにかくキンジを返しなさい。パートナーを取るのは武偵のタブーよ、レキもそろそろ怒るかもね」

 

 そう言うと自由になった腕を組み、不知火を睨みながらも引き下がった。となれば、私も抱えているヌイグルミを優男に引き渡すしかない。貘と同様、超能力者用の手錠を嵌められた床に転がっている二人も立たせて、ひとまずこの場は決着がついたってところね。

 

「あんた、まだ弾残ってる?」

 

「……貴方、割と気軽に味方も撃つから、その質問はとても物騒ね」

 

 ほら、優男が苦笑いしてるし。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 ふーん、荒らしちゃったけど流石に良い部屋ね。億ションの寝室、家具は貘の趣味だろうけど。

 

「一つ聞きたい。ウィンチェスター兄弟と手を組んでいたのだろう?」

 

 部屋を見渡していた最中、唐突に出たされた名前は手錠を嵌められた貘から言葉だった。抵抗する気配もなさそうな彼女に、やんわりと頷きながら半眼を向ける。

 

「ええ、特に一番下とね」

 

「教えてくれ、お前たちはーー何が欲しかったんだ?」

 

「貘……?」

 

 怪訝に見つめてくれる少女を一瞥し、貘はなおも言葉を続けた。

 

「砂上の楼閣を削り、自然の法則を破り、最後に何を手に入れた? 安らぎか? 自由か?」

 

 宇宙の法則に逆らって愚かだけど、正しいことをする。それが連中の口癖で、ちっぽけな命のためにすべてを棒に振ろうとするのがあの連中。欲しかったのは自由か、安らぎか。一つだけ言えることは、 

 

「求めていたんでしょう。いつか、傷跡が塞がれる日を」

 

 その日が来ると信じて。

 

 

 

 

 

【雪平】

 

 

「ディーンだな、絶対に」

 

「いや、俺だよ。絶対に俺。サム、カスティエルってきたら、ガースが次に子供につける名前は絶対に俺」

 

 別に自然が好きってわけじゃないが、ここまで自然に囲まれた場所だと、悪くないかもって思えてくる。心地よい陽射しの下、ロッキングチェアにディーンと2人で、瓶を呷りながら他愛もない話をする。本当に他愛もない、どうでもよさそうな話。狩りとも武偵とも無縁な普通の話。食卓の合間に何となしに飛び出してしまいそうな、本当にくだらない話。

 

「ないな」

 

 やんわり否定され、苦く笑う。実際、俺たちの予想が二人とも外れてるのが一番有り得る可能性なんだろうな。

 

「最後にこうやって話したのっていつ? どうでもよさそうな話をやったのは?」

 

「覚えてない。どうでもいいだろ」

 

「まあ、そうだけどさ。でもいいだろ、どうでもいい話が今はできるんだから」

 

 そう言って、チェアの上から広く開いた景色を一瞥する。まるで、外界と隔絶されたような、人の手が入っていない自然そのままの世界。科学の激変に取り残されたような景色が視界に広がっている。どうでもいい話を今度はディーンのほうから振ってくる。

 

「親父と初めて飲んだビールの味、お前覚えてるか?」

 

「二人で吐いた。ひどい顔だった」

 

「でも楽しかったよ。あのときと同じ味だ」

 

 そう言って、ディーンはビールを呷る。一面が視線を呪縛されてしまいそうな緑豊かな風景だった。唯一、自然から離れた物があれば、隠せない存在感を放っているディーンの彼女ーー隣で空になったロッキングチェアが揺れる。

 

「行くか」

 

「ボビーがルーファスのところに出て行ったきりだけど? 庭掃除やっとけって言われてんのに結局サボるわけ?」

 

「監禁生活から解放されて気分がハイになってやがんのさ。こんなところで庭掃除だぞ、普通じゃない」

 

「ま、確かに。それは言えてる。監禁される原因を作ったのは俺たちだけど。行きますか、ボビーが戻る前に逃げよ」

 

「ボビーは恐るるに足らず。エレンから電話の方がおっかない」

 

「それは100%言えてる」

 

 先立った兄の背中を追い、意外と気に入っていたロッキングチェアから立ち上げる。砂利を踏みしめ、肩越しに仰いだ頭上の看板に苦笑いする。

 

 "ハーベルズ・ロードハウス"ーー二重の意味で庭掃除する場所でもないか。我が家とも呼べるそこに後ろ手に手を振りながら、野道に停められたシボレー・インパラのドアを開ける。

 

 助手席のベルトを締め、運転の権利を譲った代わりに、俺はカセットテープの詰められた箱を奪って同時に曲を決める権利も奪った。

 

 テープでいっぱいになっているダンボール箱をわちゃわちゃと漁る。『Back In Black』、『Rock of Ages』、良い曲が揃ってるが、でも選ぶならやっぱりこれかな。

 

 擦りきれそうなくらい使ったカセットを押し込み、テープが巻き取られていくと、車内から()()()()()が流れていく。

 

「……名曲だ」

 

 1つの問題が解決し、1つの新たな問題が舞い込むのを知らせる曲。前に進めーーと促すような曲にドライバーもご満悦でハンドルを回して、道の上に車体を押し出す。心地よく駆動していくエンジン、窓の外から流れていく風景に頬杖を突きながら、口を開く。

 

「ジャックとキャスに感謝しとくべきかも。もし政権交代がなかったら、俺たちはここの切符を貰えてない。ジャックが改革してくれたお陰だ」

 

「地獄でロウィーナの下働きだったかもな。今度祈っとく。けど、俺たちみんなで勝ち取った政権だ。だろ?」

 

「最強チームver2の勝利? そのせいで思い出を追体験するだけの個室はなくなったけどね」

 

「でもこっちの方がいい。ありのままの姿だ。個室じゃない、みんなが幸せに、共に過ごしていける。風穴を空けたな」

 

 風穴か。懐かしい、神崎の大好きな言葉だ。ジャックは風穴を空けた、閉鎖された世界に大きな風穴を。

 

「サミーちゃんはアイリーンとくっついたかな」

 

「さあな、神のみぞ知る。いや、()もしらないよ」

 

 右も左も森林に囲まれた野道をただ前に、オレンジの光が差し込む地平線を走っていく。ただ前に、どこに向かうわけでもなく、大それた目的もなく、大音量の音楽を流しながら、ただ続いている道をひたすらインパラと駆けていく。ふと、気分良くハンドルを握る姿に尋ねた。

 

「行き先は?」

 

「物語の導くまま、気の向くまま」

 

 気の向くまま、ね。それもいいか。気の向くままに、見果てぬ道を、ただ前に向けて、この曲みたいにーーCarry on(前へ進む)

 

 

 

 

 

「ーーOnce I rose above the noise and confusion……」

 

 

 俺は世間の批判などものともしなかった。

 

 

「ーーJust to get a glimpse beyond the illusionーー」

 

 

 

 幻の向こうにある世界を見るためなら。

 

 

「ーーI was soaring ever higher……but I flew too high」

 

 

 そして俺は突き落とされた……高く飛び過ぎたのさ。

 

 

「ーーThough my eyes could see I still was a blind man……」

 

 

 目の前にあるものを受け入れられず……

 

 

「ーーThough my mind could think I still was a mad manーー」

 

 

 分かっていても納得できなかった。

 

 

「ーーI hear the voices when I'm dreamin'」

 

 

 目を閉じれば聞こえてくる。

 

 

「ーーI can hear them say」

 

 

 あの声が聞こえてくるーー

 

 

「ーーCarry on my wayward son」

 

 

 負けないで、迷い苦しむ息子よ。

 

 

「ーーThere'll be peace when you are done……」

 

 

 すべてを遂げればお前にも静寂が訪れる……

 

 

「ーーLay your weary head to restーー」

 

 

 その疲れた頭をしばし休めたなら。

 

 

「ーーDon't you cry no more」

 

 

 ーーもう涙を見せるな。

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけの距離を走り、どれだけの時間が過ぎたかは分からない。分かるのは穏やかな日差しがまだ頭上から注がれているということ。肌を心地よく撫でる風がどこからともなく凪いでは、消えていく。

 

 木々に囲まれた果てしない野道を抜け、渓流を見下ろせる橋の上でインパラは停まる。同時に何度聞いていたかも分からない曲も静かになった。何も言わず、ドアが閉まる音が二回続き、静かに橋の手すりに寄って、二人で肘をつく。

 

「……」

 

「……」

 

 川の音、風の音、思い出を追体験するだけの個室では味わえなかった感覚に目を伏せる。これが安らぎ、なのかもしれない。ずっと、どこかで追い求めていたもの。過去の傷跡を感じなくて済む日々。穏やかな静寂を破るように隣で声がする。

 

「ーーやあ、サミー」

 

 その名前を聞いて、俺も伏せていた目を開くーーようやく、これで気になってた話が聞ける。ボビーの言うとおりだ、いづれ会える。抱擁を交わす二人の兄を一瞥し、心底そう思った。

 

「キリ」

 

「ーーHoo-yah、兄貴」

 

 ここでは何でも手に入る、何でも、夢でさえも。でも俺が本当に求めているものは多分夢でもなければ安らぎでもない、それはきっとーー

 

 みしり、と橋の反対側から足音がする。反転した視界に流れた仏頂面は紛れもなく、恨めしいほど綺麗な黒髪は紛れもなくーーあの女。

 

「再会の言葉はなし?」

 

 ああ──本当に、おまえらしい。

 

「言わないなら、こっちから──」

 

「いい、俺が言う」

 

 足は独りでに踏み出し、制服の袖を掴んだ右手を一気に引き寄せ、崩れた体を抱き止める。求めていたものを──

 

「──お疲れ様」

 

「貴方の分まで働いてやったから。せいぜい崇めることね」

 

「崇めてやるよ。ここでは、もうしがらみも何にもねえからな」

 

 恨みを買ってる怪物も悪魔も、ハンターのしがらみもここにはない。空白を埋めるように、制服の背中に回した腕を強く引き寄せる。ああ、最悪だ……最悪なくらい満足してるよ、夾竹桃。

 

「知らないことが創作意欲を生む。こういう味、知るつもりはなかったんだけど」

 

「奇遇だな、俺もこういうのは無縁とずっと思ってた。でもいいだろ、だってここは──」

 

「二週目?」

 

「ああ、二週目だな」

 

 お互いにうっすら笑うと、見上げてくる瞳と目が重なる。そして艶やかな唇を濡らし、

 

「ここってコミケは? イベントは?」

 

「……いや、それは……どうなんだろうな」

 

「……ないの?」

 

 胸下からの声が一段低くなる。いや、だだっ広いここの事情なんて俺が知るかよ。新聞届くのか、ここって。地獄は新聞があるって話だったが……

 

「そういうのはジャックとキャスに直談判したらどうだ?」

 

「またやらかしたわね、あの天使。そうね、直談判しに行くわよ」

 

「やらかしてもないし……って、俺も?」

 

「ええ──これは聖戦よ」

 

 至って真面目な声と表情に苦笑いするがまだ序の口だった。

 

「可決」

 

「いや、提案すらしてないだろ。何を言っとるんだお前は」

 

「私、蠍だから」

 

 わけわかんないよ──と、久々のノリに叫びたくなるが、不意にズボンに押し込んでいる携帯が震えた。腕を解いて、携帯をそっとポケットから出す。こ、この帝国軍のマーチの着信音は……

 

「や、やあ……エレン。えっ、あ、ちが……ディーンがーー畏まりました。はい、ただいま」

 

 通話を切ると、前、そして後ろからもなんとも言い難い視線が飛ぶ。

 

「これ、どういう状況?」

 

「いざ、聖戦の時だ。ロイとウォルトを呼べ」

 

 ……また懐かしい名前を。困惑するサムにディーンが言い放つ。まるで聖戦のバーゲンセールだな、と俺も笑い、

 

「エレンとボビーから頼まれた掃除をサボってドライブしてた。よし、帰るぞ。みんなでお掃除タイムだ」

 

「ま、待て、ディーン……!乗れ二人とも!」

 

 踵を返して、二人がインパラに乗り込んでいく。なんていうか、平和だなぁ。その背中を眺めながら、今度は隣から、

 

「サボったの?」

 

「ああ、サボった。雷が落ちると分かって落下地点に行くのは勇気がいるよ」

 

「なら、いっそ二人で逃げる?」

 

 なんて、真顔で言ってきやがるもんだからーーほんの少し悩んでしまう。こういうところが理子に似てる。

 

「ロリンズ大尉と少佐みたいにか?」

 

「冗談よ」

 

「知ってるよ」

 

「わりと本気だったかも」

 

「……マジ?」

 

「クラクション鳴ってるわよ」

 

 あ、本当だ。急かすようにクラクションが連打されてる。よし、ルーファスの小言が加わる前にさっさと雷を受けちまおう。

 

「そんじゃあ、お手をどうぞ」

 

 いつだったか、これも理子に聞いた話を思い出し、少し芝居がかった仕草で手を差し出す。理子がそうしたように、その()()に向けて。

 

「……」

 

 黒く冷たい瞳はジッと手を見つめるのみだが、やがてーー

 

「あの子は、すぐに手を引っこめたわ。懸命よ。でもここならーーまあ、気にしなくていいかもね」

 

 白く薄い、布手袋に包まれた手がそっと重ねられる。その手を引いて、インパラの後部のドアを開くと、前から呆れた二人の顔が一瞬だけ飛び込んできた。連打されていたクラクションがようやく止まる。

 

「よし行くか」

 

 ディーンがアクセルを踏むと、橋を過ぎ去り、インパラは再び、どこまでも続く森林に挟まれた野道を駆ける。

 

「ねえ、雪平。これ、覚えてる?」

 

 不意にそう聞かれて、視線を隣に向ける。夾竹桃が見ているのは携帯の画面だった。横から覗くと、それはテーブルをカメラで撮影した画像だった。テーブルが撮されただけの……ああ、覚えてる。ああ、覚えてるよ。

 

 それはカンザス州、レバノンにある祖父が残してくれた賢人の基地に備えられたテーブル。いつだったかディーンがーー生きた証を残すと、自分の名前を刻んで、俺とサムがナイフで名前を掘ったあのテーブル。

 

 うっすらとした笑みで俺は頷く。差し出された画面に映るテーブルには、

 

 『SW』『DW』『KW』の俺たちが刻んだ名前が、確かに残されていた。

 

 『MW』『KYOCHIKUTO』『CASTIEL』『JACK』のーー家族の名前と一緒にーー

 

 

 

 




 


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次の出会いまで


長いので良ければ飲み物とご一緒に。書きたいことを書いた回になります。


 

 

 

 

 仕事柄、そして立場上、ほぼ普段着となってしまったスーツの襟元を陽光の降り注ぐ下、最後の抵抗で気崩してやる。口煩い助手に脱獄がバレるまで、堅苦しさとは暫しおさらばだ。

 

 空から降りてくる鳥の声も、道を行き交う車や子供の声も確かに感じる。

 ほんの数年前、人も動物も、ありとあらゆる存在が消え失せてしまったあの一時が、本当に嘘みたいだ。

 

「お邪魔します、っと」

 

 白いフェンスに囲まれたガレージ付きの家。芝生が広がる庭には木で組まれた手製のブランコがある、きっと生真面目な兄が新しい家族の為に四苦八苦しながら一から組み立てたのだろう。

 

 見慣れた顔とその胸元に抱かれた新しい家族の顔を見つけると、自然と足取りは早くなった。

 無意識かもしれないが小さな手を振ってくれた幼い命に、小さく笑みが浮く。

 

「やあ、ディーン。パパはちゃんとお仕事してるかな? なんだって? いつも小言がうるさくて堪らない?」

 

「うるさい。来るなら連絡くらい入れてくれ、心臓に悪い。出迎えが来たのかと思ったよ」

 

「冷たいご挨拶をどうも。気軽に連絡できないことくらい知ってるだろ? ガミガミうるさいテッサの目を盗んでやっとこさ寂しいオフィスを抜けてきたんだ。天国じゃないけど改革の余地ありだな、あの書斎は」

 

 広いのは広い、それは良いことだ。しかし果たして誰の趣味なのか、殺風景や質素って言葉が隠せない仕事場に自然と愚痴が混ざる。

 

 まだ舌の回らない男の子を抱いたまま、サムが昔と変わらない穏やかな笑みを飛ばしてくる。ネルシャツとジーンズ、俺が別れを告げたファッションもどこか懐かしい。

 どうかこの子には、ウィンチェスターお決まりのファッションセンスの悪さが受け継がれていないことを願うばかりだ。

 

「元気そうじゃないか、思ってたよりは。変な話だけどさ、顔色もいい」

 

「蛍光灯の浴びすぎがなくなったからかな。テッサの小言に付き合うのは毎日だけど、地獄でアラステアとままごとしたり、虚無で自分の黒歴史を永遠と見せ続けられるよりはずっとマシ」

 

「それだけ軽口が叩ければ安心だ、テッサには少しばかり同情を送るけどね。ウィンチェスター式の会話に慣れるまでは時間がかかる。寄っていくだろ? フライドピクルスやジャンクフードはないけど」

 

「頼みごとがないなら必要ないさ、それに何時間もお邪魔するわけにもいかないし」

 

 白い玄関に繋がるドアを通り、サムの今の住まいへとお邪魔する。正真正銘の、彼とその家族が住まう家。当たり前だけど、ばかでかい本棚や露骨にペイントされた大きな魔除けもない。

 テーブルがあって、ソファーがあって、テレビや家具が並んでいるだけの普通の家。俺たちがずっと憧れてた何の変哲もない普通の家。

 

「いいね、寝室が二つにイカしたカーペット。なにこれ、ベルベル人?」

 

「ジョディが贈ってくれたんだ。いま座ってるソファーはクレアから。アレックスからも色々届いてるよ。あっちのウッドチェアはドナとペイシェンスから」

 

「スーフォルズ組総出かぁ。ああ、でもどことなくクレアやアレックスのセンスが匂うよ、ここのインテリア。ジョディとドナはまだ現場に?」

 

「今でも撃ったり撃たれたり。まだまだデスクワークと結婚する気はないってさ」

 

「相変わらずタフなことで。さすがはクレアとアレックスの師だ、最高にイカしてる。スーフォルズも安泰だな」

 

 懐かしい顔を思い浮かべて目を閉じる。

 クレア、アレックス──二人の保安官に、恩人である霊能力者の孫。スーフォールズ、切っても切れない縁で繋がれてしまった、俺の大好きな街だ。

 

 目を開けると、思わず溜め息が出そうな顔が広がっていた。ひどい顔してるな、干からびた魚みたいに頼りない。

 

「なんだよ、その窓ガラスに張り付いた雨の滴を見るような眼差しは。サミーちゃん、今の会話に感傷的になるところでもあった?」

 

「心残りがあるんじゃないか。もっとやりたいことが、あるんじゃないかと思って」

 

「クレアとアレックスの結婚式には出たいと思ってたけど、でももういいんだよ。俺の代わりは夾竹桃ってことで、あいつが代わりに祝ってくれるはずだ。それで納得させてる。こっちでも日本でも良い出会いに恵まれたよ、今になって心底そう思う」

 

 時間の経過と一緒に、それまでは見えなかったものが見えてくるときがある──幾度となく交戦した、不可思議な縁で結ばれてしまっていた伊藤マキリの言葉だ。

 こんなタイミングで頭に浮かんでくる辺り、本当に奇妙な縁がある。仮にもベイツ姉妹相手には共闘した間柄、心の底から嫌いにはなれなかったらしい。本当のところ、それなりに好きだったのかもな。

 

「残念だけど、ジョディから二人のそういう話は入ってきてない。クレアは狩りにべったり、アレックスも夜勤が増えて仕事で手一杯だって」

 

「だろうな。けど、変なのがくっつくよりはマシだろ。それこそジョディのライフルが火を吹く」

 

「おっかない。でもみんな元気で、何より家族が揃ってる。一番大事なのはそこなんじゃないかな、僕らが家族揃ってドライブできたのは一回だけだったろ? それも母さんを助けに過去に行ったときの」

 

「アンナを追いかけてタイムスリップした先のまだ結婚前の母さんと親父。インパラも買われたてで若かった。ちゃんと覚えてる、過去最高に重たい空気のドライブだった」

 

 状況が状況だったからな。でも俺たちの誰も、まさか母さんと親父を加えてインパラで走れるとは、そんなこと考えてもなかったから、感動よりも驚きでそれどころじゃなかった。

 あれほど、" ありえない " ことに遭遇してしまった経験もない。あまりの驚きで車内の重苦しさも手痛く感じなかったのも、なんとも妙な話だ。

 

「僕らが揃ったときっていつも特殊なときしかなかっただろ? まじないで親父がこっちにやってきたり、僕らが過去に行ったり、でもクレアとアレックスはそうじゃない。いつでも家族で食卓を囲めるし、ドライブにだって行ける、みんな揃ってね。些細かもしれないけどそんな時間が──」

 

「大切だ。心の底から同感。あの二人が元気でいてくれるなら俺からは何もないよ。ああ、これ以上ない」

 

「ところで話は変わるんだけど、ガースにまたひとり子供ができたらしいんだ」

 

「──えっ、本当に?」

 

 思わぬサプライズにソファーから腰が浮きそうになる。今では狩りから離れてしまった友人の明るいニュースに弾んだ声で聞き返していた。

 

 

 

 

 

 

「名前はキリル──お前の名前を貰うって」

 

 

 

 

 

 ──ちょっとやそっとのことじゃもう驚けないと思ってた。

 

 ──でも瞳はこれでもかってくらい、きっと見開いているんだろう。

 

 ──ああ、ったく……やられたよ、ガース。お見事だ。すっかり大所帯じゃないかまったく……

 

「ガースに伝えてくれ。()()だ、と」

 

 おめでとう、ガース。お前とベスに、こんな言葉はもう必要ないんだろうが──どうか、お幸せに。

 

「良いニュースをありがとう。最後に持ってくるのが話上手だな、流石は成績オールAのサミーちゃん」

 

「飽きるほど聞き込みやっただろ、あれの産物」

 

 微かに自虐を滲ませてサムは笑う。そして、俺も目を細めたままソファーから体を起こして、背を向ける。そろそろ、行かないと。

 

「もう、行くのか?」

 

「ああ、テッサは嫌になるくらい有能だから。他にも回らないといけないところがあってね、会えて良かったよ」

 

 別れのスピーチはやっぱり苦手だ。何度やっても上達しそうにない。

 

「adieu、サミュエル。その日が来たら、また会おう。あんまり早く呼ぶんじゃないぞ?」

 

 ただでさえ、仕事はキャパオーバーなんだ。せいぜいやっと手にしたガレージ付きの家と、暖かな家庭ってやつを満喫しときなよ。

 

 後ろ手に手を振り、雑に刈りとられた芝を一歩また一歩と踏みしめ、帰路への道を歩く。

 

 じゃあね、ディーン──君がどういう道を進むのかは分からないけど、君に良い出会いがあることを殺風景な書斎から願ってるよ。

 

 親愛なる兄と甥っ子へ。これからもどうか安らかな日々を──愛を込めて、キリ・ウィンチェスター。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地の底であるせいか、妙に埃っぽかった。ここに足を運ぶときはきまってロクでもない理由だと相場が決まってるんだが、それも過去の話。

 今日はゲスト気分で、このファンタジー映画さながらのダークな通路を我が物顔で歩けるのだから足取りは実に軽かった。

 

 気味の悪い呻き声がエンドレスで続いているのは相変わらずだが、両端にオレンジの灯った松明がかけられた廊下を進んでいると、少し開けた広間にようやく案内を頼める顔を見つけた。

 

「久しぶり、ルビー。女王様いる?」

 

「ここ、地獄よ。コンビニに来る気軽さで来られても困るんだけど?」

 

 黒い革ジャンを松明の灯りに晒した女は、腰まで伸ばされた艶やかな黒髪を不愉快そうな顔で揺らす。

 浅からぬ縁で繋がっていた悪魔は、昔と変わらないお手本のようなうんざりとした顔でため息を吐いた。

 

「あんた、仮にも連中のボスなのよね? 地上では今日も飽きずに何百、何千の首が吹っ飛んでるのに、なに? あんたは地の底まで世間話?」

 

「アシスタントが優秀なもんでね。お前に仕事のことで説教をくらうとは意外だ。仕事熱心なタイプじゃなかっただろ、ダイナーでコーヒー飲んでサンドイッチ食べて、契約を取るわけでもリリスに遣えるわけでもなくやりたい放題やってた」

 

「私は十字路の担当じゃないし、あの頃の地獄は一枚岩じゃなかった。リリスが恐怖政治で周りの連中を無理矢理従わせてただけ」

 

「地獄はいつだって恐怖政治だろ、いつまともな選挙でボスが決まったっていうんだ? クラウリー、アバドン、アスモデウス、まともな投票で決まった試しもないし、民主主義が通った試しもない」

 

 いつだって地獄は一人の独裁者を中心に成り立ってる。そう思うと、ロウィーナがトップに居座ってる地獄は実に平和的だ。

 

 クラウリーはまだしも、ルシファーを含めて先代の面子があまりに酷すぎる。

 特にアバドン。右を向けと言われて左を向こうものなら首が吹き飛ぶ。

 なぜ右を向く必要があるのか、なにか質問しようものなら首があらぬ方向を向くだろう。もはやパワハラがどうこうのレベルじゃない。

 

「もう何回も来てるから目新しさはないな。クラウリー政権の時からちっとも変わってない」

 

 物騒なことを思いながら、今はルビーが先導して俺の前を歩いてくれている。

 ときどき目に入ってくる石像やよく分からない装飾や刻印の入った柱や置物はクラウリーの遺産かな、頑張ればその手の品に特化した博物館に見えてこないこともない。他の色んなものに目を瞑れば。

 

「インテリアはウチのよりずっと洒落てる。あの石像とか貰ってもいい? 殺風景極まりない書斎に飾る」

 

「一緒にランチとディナーを食べたよしみで忠告しといてあげる。はっきり言ってここのインテリアは最悪。コリント式とドリス式の石柱をごちゃ混ぜにしつらえるなんてありえない」

 

 手厳しいことで。ランチとディナー、そんなときもあったなぁ。まだ彼女がブロンドの髪を靡かせていたときにだが、

 

「ぶっちゃけ女王様の政治はどうなんだ? 魂回収のノルマもなくなって十字路の連中は営業に出なくても良くなったって聞いたけど?」

 

「それぞれよ。仕事熱心だった連中は目標を無くして燃え尽きてる、怠惰な連中は両手を挙げてはしゃいでる。彼女の方針は人間の魂は奪わない、契約もしない。悪魔として在り方に疑問を持ってる連中もいるわ、少なからずね」

 

「いつだって改革を良く思わない連中はいるってことか。けど、今のロウィーナの方針を望んでるやつもいるんだろ? 実際、ベルフェゴールみたいに取引や魂には興味なしって悪魔もいたし」

 

「胡散臭いやつだった。いつもへらへら笑って、濁った水みたいに腹の内が見えない」

 

「最後には綺麗に裏切ってくれたしな、誰かさんみたいに」

 

「最後の一瞬までは協力してあげたでしょ? アラステアからも一緒に逃げ切ったの忘れたの?」

 

 ──アラステア、嫌な響きだよな。この世で一番不愉快な名前だ。地上で再会したのはよりにもよって教会で、歯科医に化けて現れやがった。

 絢爛なステンドグラスが張り付いた煌びやかな教会で焦りに駆られるルビーの顔が、最高に忌々しい怨敵との再会の記憶が脳裏にフラッシュバックする。

 

「勿論覚えてる、ステンドガラスを突き破って地面に飛び降りた。あとで洗面所の鏡を見て、腕にガラスが生えたかと思ったよ。物言わないマリア像が赤い涙を流すなんて最高にゾッとする、悪趣味な入場この上なしだ」

 

 目から血の涙を流すマリア像、下手なホラー映画にでもありそうな演出もいざ現実に見ると背筋が固まる。

 アラステアの名前を餌に、見事に話を逸らされたな。キンジよりよっぽど話題逸らしがうまい。

 

「──ついたわよ。この階段を下れば、すぐそこ。例の玉座に座ってる」

 

「案内ご苦労様。チップは切らしてんだけど」

 

「別に、チップが欲しいなんて言わないわ。あそこから引き上げてくれた、それで充分」

 

 そう言うと、乱暴にルビーは両腕を組む。

 

「オカルタムの件で助けられたからな、約束は約束だ。貸してくれたナイフには何度も助けられたしな」

 

「貸した? 冗談でしょ、勝手に奪ってそのまま返さないのを貸したとは言わない。それは盗んだって言うの。はぁ……遠い存在になったと思ったけど、中身はそのままってことね。安心した」

 

「誉め言葉として貰っとくよ。あばよ、ルビー」

 

「さよなら、キリ。今度来るときは案内役を置いとくわ。私以外の誰かを」

 

 それは誉め言葉じゃなさそうだ。後ろ手を振って、そこから先は一人で石造りの階段を下る。

 六人くらいなら横に並んでも平気な広さの階段は下からオレンジ色の光が差し、生き物が口を開けて待ち構えているような明るさとはアンバランスな不気味さがある。

 

 地獄の最下層、不気味じゃない方がおかしいと言えばそこまでなんだが。

 

「あら、珍しい来客だこと。先に言っとく、ダイナーと間違えてないでしょうね?」

 

 聞き慣れた声に自然と唇が歪む。

 

「ご挨拶をどうも、女王様。うわ、何度見てもインパクト抜群だな、その玉座」

 

「派手さは大切、時にはね」

 

 金色の凝った装飾で飾り付けられた如何にもな王座に座ったまま、赤いドレス姿の旧友の魔女は小さく笑う。いや、魔女ってのは違うか。いまや地獄のトップに転職しちまった元魔女。古い友人だ。

 

「久しぶり、キリエル。ジャンヌ・ダルクは元気にしてる?」

 

「……元気だよ、ただでさえ美人だったのが手がつけられないくらい綺麗になってる。つか、その名前はやめろって言っただろ」

 

「いいじゃない、天使っぽくて。いまや天使の親戚みたいなもんでしょ」

 

「親戚って……なんでもエルを付けたら天使っぽくなると思うなよ? その名前は以後禁止だ、カイロの話と同じ。タブーにする」

 

 溜め息はこぼしたものの、相変わらずの調子にどこか安心しちまう。

 最後には間違いなく一緒に肩を並べて戦ってたし、正直なところ行き詰まったときにはロウィーナに電話するのが一種のお約束ですらあった。

 

「元気そうだな、玉座の座り心地は?」

 

「悪くない。ここから見える景色もね。そっちの椅子は座り心地が悪そう」

 

「まぁ、殺風景な書斎だからな。どいつもこいつも堅苦しいスーツで働いてるのはウチもここも天国も一緒。どこの誰が決めたんだろうな、ドレスコード」

 

「さてね。それで、懐かしのバンド再結成というわけでもないでしょう?」

 

「おいおい、この状態での再結成ってどこの誰を相手にするんだよ。ラミエリア、アレハハキ、リービアーザンの連合とでもやりあうか?」

 

 キンジ曰く、人間世界の核兵器に近い規模の力を有するというレクティアの神々を人差し指を曲げながら苦笑いで挙げてやる。

 赤毛の友人はひじ掛けを使って、軽く頬杖を突きながら、

 

「モリアーティ、いつかは大それたことをやるとは思ってたけど期待の斜め上を行く男ね」

 

「そっちとも面識があったのか、顔の広さには恐れ行ったよ。歩く犯罪者大事典と呼んでやる」

 

 予想外の返しに少したじろいでしまう。長生きすれば色んな縁が作れるというが、双方の教授と面識があるとは驚きだ。

 今日はいつも以上に驚きとサプライズに溢れてる、愉快なことこの上ない。緩んだ頬を隠さぬまま、俺は胸元から封筒をひとつ取り出した。

 

「実を言うと郵便配達に来たんだよ、ほらこれ」

 

「なにこれ? 携帯の請求書?」

 

 怪訝な顔に、ゆるくかぶりを振る。

 

「ラブレターだよ、孫からのな。()を閉じてくれた礼をまだしてなかっただろ? だからそれ、俺からのギフト」

 

「……ああ、嘘でしょう。まさか、ギャビンの手紙を預かってきたの……っ?」

 

「これでも今は特権階級なんでね。ナオミにちょこっと話をつけて手紙を預かった。送料は気にするな、それもギフトってことで」

 

 目を丸めたあと、ロウィーナは驚きの顔を変えないまま封筒を開いていく。

 さて、ギャビンに頼まれた用事は済んだし、古い友人との会話もできた。ここらで、おいとまするとするかな。

 

「──キリ、これだけの為に来たわけ? 今の貴方が、わざわざ地獄に?」

 

 真剣な声色にかぶりを振り、

 

「いいや、久々に友人と話がしたかったし、これだけって訳でもないよ。仕事と私用を兼ねて。さっきのバンド再結成の話、もし機会があったらまた一緒に戦おうぜ。キャスやディーン、ケッチを引っ張り出せるかは分からないけどな」

 

 背中を向けて、お決まりのように後ろ手をひらひらと振ってやる。押し付けられるトラブルはともかく、楽しいバンドだったよ、俺にとってにはな。

 

「愉快な男、変わらずにいてほしいものね。次のシーズンで待ってるわ」

 

 階段に足をかけると同時に言葉が届く。次のシーズンねぇ、それは楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗く、良く言えばシックな雰囲気の地獄とは反転してそこは蒼穹のごとく澄み渡った空の下だった。

 青草の匂いと、心地よく降り注ぐ陽光に気持ちが自然と軽くなるような錯覚すら覚える。地獄を地の底と例えるなら、ここはまるで空高く天の上にある。

 

「お目当ての手紙は渡せた?」

 

「ああ、お陰さまで。恩に着るよ、ナオミ。ロウィーナへの礼もできたし、ケビンのことも。天国に導いてくれてありがとう」

 

「不思議な気分ね。貴方と話してると、同期に昇進を越された気分になる」

 

「やめろやめろ、そう言われるとこっちはコネ入社した気分になる。仮にもあんたはメソポタミアの時代からの天使のまとめ役だろ?」

 

 青草の上に置かれた白いベンチに、ルビーに似て複雑な関係だった女の隣に腰を下ろす。

 ナオミと呼んだその天使は天界で言うところの部長、支部長みたいな立ち位置の上役。出会ったときの茶髪は跡形もなく、今では色の抜けた銀色のような髪が陽光に晒されている。 

 

「カスティエルはうまくやってる。個室としての天国は消えたけれど、今では広く、この世界は繋がっている。それも一つの在り方として見るようにしているわ」

 

 蒼く、どこまでも澄んだ空を見据えながらナオミは呟く。

 天国は変わった、地獄をロウィーナが改革したように古くから続いていた、かつての神が作り上げてきた小さな箱庭はもう存在しない。

 

「改革には慣れないもんさ、長く続いてきたものなら尚更な。けど、それがジャックの答え。信じて見守るのが正解なんじゃないの? 天使の親戚みたいになっちまった俺からの意見」

 

 わざとらしく、証を嵌めた左手を見えるようにして答える。敵か味方か、ルビー以上に怪しい相手だ。モノホンのグレーゾーン。

 だから慰めるなんて考えはなし、思うままのことをそのまま口にしてやる。

 

「親戚とはおもしろい例えね。死神は死の天使と言われてる、確かにその例えは本質に近い」

 

「おもしろい例えをする友人がいたもので。エレンのバー、寄っていくよ。かまわない?」

 

「止める理由はないわ、貴方と私たちの仕事は切り離そうにも離せない。お互いに良い関係でいましょう」

 

「こちらこそ、ここをちゃんと運営してもらわないと困るしな。よろしく、大天使さま」

 

 ふっ、とナオミは笑い、ぱちんと指を鳴らした。

 視界が一変し、見慣れた看板のかかったロードハウスが目の前に現れる。

 

「……ご親切に」

 

 隣を見るが、もうそこには誰もいない。自然と動いてしまう足に身を任せて、何度も叩いた古びた木の扉を開け放つ──

 

 

 

 

「──ただいま」

 

 マリファナと血とピーナッツ、嗅ぎ慣れたバーの匂いは昔と何も変わらない。何度なく、エレンとジョーが迎えてくれたあのまんまだ。

 ビリヤード台に、ダーツ、そして愛しさすら覚える何度も座ったカウンター席。そこから見えるジョーの横顔が、本当に好きだった。

 

「悪いな、愛しのカウンター席はレンタル中」

 

 照明のついていないカウンター席の隅から聞こえた声に、足が──止まる。

 

「ようこそ、楽園へ。看板娘と肝っ玉母さんは訳あってお出かけ中」

 

「──ディーンっっっ!!」

 

 酒の匂いが染み着いた木の床をぎしりと鳴らして、席へと走る。

 

「おい、バカ! 飲み終えるまで待てっ!」

 

「うるせぇ! ったく──センチメンタルになるから年は重ねたくないもんだよ!」

 

 グラスを持ったままのディーンに構わず、ガース式の挨拶をくれてやる。誰が一杯やるまで待ってやるか。

 

「ガキだな」

 

「うるさい、くそったれ」

 

 お決まりの、お約束の言葉を交わす。

 ふっ、と息を吐いて、回していた両腕を解いていく。

 そこにいるのは紛れもない、紛れもないディーン・ウィンチェスター。ポルノとハンバーガーと古い洋楽が大好きな、もうひとりの兄だ。

 

「お仕事サボってお散歩か?」

 

「サボってないよ、お忍びの査察。ケビンがちゃんとここに来てるかの確認、あとは私用」

 

「……ケビンが?」

 

 元通りに座った席で開けっぱなしのウィスキーをグラスに注いでいたディーンの手が止まる。

 

「資格はあるだろ。ナオミに頼んで、地上で放浪してるのを引き上げて貰った。さっきお礼と、これからも仲良くやろうって話してきたところ」

 

 すぐ隣のカウンター席に座り、薄汚れたテーブルに頬杖を突く。ケビンも大勢の命を救った。

 俺たちみたいにダーティなことを重ねてきたわけでもない、むしろあるべき場所にやっと落ち着けただけの話だ。

 

「俺にもグラスちょうだい」

 

「何に乾杯する?」

 

「──再会に」

 

 掠めとるようにウィスキーをグラスに注いでやる。ビールじゃなくて良かった、ジョーとの約束を破らずに済む。

 

「分かった、楽園での──再会に」

 

 グラスをぶつけ、小さな音を酒の匂いで満ちた楽園に響かせる。天国だと言うのに、喉が焼けるように熱を持つ。──最高だ。

 

「何十年振りかな? ここで一緒に乾杯したのってさ」

 

「さあな。いろんな事があり過ぎて、もっと大切なことを忘れないでいるのに精一杯」

 

「ジャックが去ってからもう数年だからね、早いもんだよ。ミラクルもすっかりご老体さ、夾竹桃が最後まで面倒見てくれるって」

 

「それなら安心だ。煙管を咥える姿が最高にセクシーだったよな、あの子」

 

「世の中不条理だよね、みんなが若作りしてるのにあの見た目であの年齢。色んな意味で反則なんだよ、あの女は。何を着せても似合うし、何をやっても様になる。まあ……泳ぐこと以外はね?」

 

 そこが唯一の弱点。奇しくも神崎と被ってるのが少しだけおもしろい。一つくらい弱点があった方が可愛げがあるってもんだけどな。

 でも何度も助けられた。グラスから酒を通しながら、心底そう思う。いつも頼りにしてた、そこはどうやっても否定できない。

 

「俺はお前ほど彼女を知らないが、良い子だったよ」

 

「そうだな、優しい女だと思うよ。悪党に向いてないのに悪党をやってる、変な女だった」

 

 口に久方ぶりのアルコールの味が広がる。

 外が明るい内からグラスを揺らしてる、最高に背徳だな。誰かさんの大好きな背徳だ。

 

「──平気か?」

 

 ゆるい空気を裂くような芯の入った声にグラスを揺らしていた手が止まる。まだ飲みかけのグラスを静かにカウンターへ置いた。

 

「なんのこと? 病気とは無縁の体なんだ、体調なら絶好調」

 

「指に嵌めてるもんの話さ。俺も1日だけ体験入部をやったが──正直に言うよ、1日だけでもキツかった。見た目よりずっと重たい」

 

 グラスに残った溶けかけの氷を見据えながら兄は言う。

 1日だけの体験入部。ディーンらしい言葉で濁されたそれは、今よりずっと前に兄が先代の彼と行った1日限りの賭け。他ならぬ、お目付け役として付けられていたテッサが教えてくれた。

 嘘は見抜かれる、それはとても容易く、アラステアの教えを受けてしまった兄は見抜いてしまうんだろう。

 

「正直に言うとたまに外したくなる──けど、意味のある仕事だ。ハンターや武偵と一緒。キツくて投げ出したくなることはしょっちゅうだけどやる価値はある」

 

 小石ほどの見た目よりもずっと重たいものを乗せた左の中指に視線を落とす。

 たとえそれが一度でも、舞台裏を見てきたディーンには駆け引きなしに本音をぶちまけた。

 非情な現実を毎日のように見ることになる、胸を裂かれる気持ちで当たり前のように残酷な選択を迫られる。それでも、やる価値はある。

 

「嘘も駆け引きもなし、俺は平気なんだよディーン。ジャックに頼られた手前、意地を張ってるところもないとは言わないけど──今の自分に後悔はしてない」

 

 似合わない台詞だ。キンジや金一さんなら様になるんだろうが俺にはキツい。

 誤魔化すように残った酒を一気に飲み干した。酔えるかどうかは抜きにして、気分を紛らわせるくらいには力を借りれる。

 

「負けたよ、嘘をついてないのも分かった。いい子すぎ聞いた俺がバカみたいだ」

 

「俺がいい子なわけないだろ。俺がいい子ならもっとジョーに────」

 

 床が軋む音を立て、言葉が詰まる。これ以上なく綺麗なブロンドの髪が、窓から差し込んだ陽光に当たって輝いていた。

 今の彼女に、視線を呪縛されない男が何人いるか。少なくとも俺は目を逸らせそうにない。

 

「私に何かしてくれた?」

 

 綺麗な茶色の瞳で、あどけなさを残した顔で、強気な微笑みで待ち望んていた相手は笑う。

 ノースリーブの黒のトップスはどこまでも、ああ、反則的なくらい似合ってる。

 

「そうだな。言いたいことを並べるとさ、たぶん永遠に……話したいことは本当にありすぎて……」

 

 歓喜すべき場面なのに、バカみたいに喉が焼けるように詰まって声が掠れる。

 

 この感情のジェットコースターは、俺には厳しい。

 小首を傾げるジョーの顔は、あの頃となにも変わってない。何を言えばいいんだろう、何が正解なのか。

 

「ジョー、俺は……」

 

 命を救ってくれて、ずっと心の奥底で支えになってくれた人にかける言葉。

 自分の代わりに体を抉られた、身代わりとなりながらも血まみれの体で道を切り開いてくれた女性に、かける言葉────

 

「──大切に思ってる、心から。いつまでも、感謝してる」

 

 あのとき、別れの際にそうやったように彼女の体をそっと引き寄せた。

 離したくない。できればずっと、そう思わせてくれるくらい君の存在は大きくて、ここがどこであろうとそんなのはどうでもいいくらい、君に会えたことが嬉しい。

 

 君がいて、エレンがいて、アッシュがカウンターでパソコンをカタカタ鳴らして、あのバーでの一時が今になっても忘れられない。

 君のおかげで、狩りと訓練ばっかりの日々でも悪くないって思えた。親父がハンターじゃなかったら、きっと君やエレンとも会えなかっただろうから。

 

「……後悔はしてない。貴方とディーンを救えた」

 

「いつだって救ってもらってたよ。あのときだけじゃない、いつだって君に救われてた」

 

 ──たとえ無茶苦茶な出会いだとしても、出会えたこと自体に感謝してる。

 

 名残惜しさを噛み殺して、一歩足を後ろに退く。でも良かった、場所はどうあってもジョーとディーンがまた再会を果たした。こんなに、嬉しいことはない。

 以前の、思い出を追体験するだけの個室では叶わなかった出会いだ。壁を取り払った、今の天国だからこそ叶った出会い。トレンチコートの天使と、新しいボスに感謝すべきなのかな。

 

 痛み分けに終わった恋。俺も負けたし、ジョーも負けた。それでも俺たちは家族だ。それは変わらないし、変わりようがない。

 カウンター席に戻り、既に用意された三つのグラスのひとつを掴む。右からディーンの手、左からはジョーの真っ白な指が残りを拐う。

 

「不思議な感じ。また三人揃って、グラスを手にしてる。こういうの、すごくロマンチック」

 

「だな、すごく良い気分だ。夢見心地」

 

「二人揃ってロマンチストだったとは驚き。真っ昼間からカウンター席に三人も並んでる、すごい景色だよな。トップガンの中だけかと思ってた」

 

 だけど、柄にもなく静かなこのバーも、確かにロマンチックかもしれない。ジョーがいて、ディーンがいて、確かに夢見心地だ。

 

「──親愛なる兄と、初恋の女に」

 

「──健康オタクの弟と、じゃじゃうま娘に」

 

「──見栄っ張りの兄弟に」

 

 ──乾杯。

 

 

 

 

 

 

 楽しい時間はあっという間ね──度々、神崎がそう口にしていたのを覚えている。楽しい時間ほどすぐに過ぎ去る、今この瞬間は心底その言葉に同感だ。

 

 あちこち傷だらけになっているロードハウスの扉を閉め、澄み渡った青色から何も変わっていない空を仰ぐ。

 夢見心地、夢みたいな心地良い時間だった。幸せな夢から覚めたあとの、少しばかりの空虚さを誤魔化すように瞼を伏せる。

 

「おい、浸ってるところ悪いが俺への挨拶はなしか?」

 

 ジョーとディーンに別れをしたばかりだぞ。まったく、お次はなんだ。

 

「……お見事。しみじみとした雰囲気で一瞬でぶち壊したな、素晴らしい」

 

「嫌われるのには慣れてる。スーパーマンは空を飛ぶし、セレブは自撮りをする、そういう用にできてるんだ。シミっぽい空気をぶち壊してやるのが俺の役目なんだよ」

 

 ロッキングチェアを揺らし、片手に持ったスキットルをジュースを飲むような勢いで呷っている飲んだくれに肩の力が抜ける。

 ご丁寧に空いていたお隣のロッキングチェアにおもむろに腰を下ろして、足を組む。お元気そうだな、ボビー・シンガー。変な話、あっちの世界のあんたを見ていたせいか、久しぶりって感じがあんまりしない。

 

「笑える。驚いたよ、ここではみんな朝からパーティータイムか」

 

「俺に言わせれば、お前さんがここにいることの方が驚いたよ。話はキャスとディーンから聞いてる、()()()()とはまた大物になったもんだな。身軽な立場だとは思えんが?」

 

「そうでもないさ、LAのダイナーまでランチ食べに行けるくらいには身軽だよ。部下には事後報告だけど」

 

「ロスだとぉ?」

 

「そう、ルシファー・モーニングスターが愛した欲望が溢れ返る街、ロサンゼルスことLA。渋滞以外は最高の街」

 

 悪くない座り心地のロッキングチェアを揺らしながら、次の言葉を探す。

 沈黙が痛いわけじゃないが、後で何も話さなかった後悔から憂鬱な気分になるのはごめんだ。

 

「次に何をくっちゃべるか考えてるな?」

 

 見抜かれた、俺は苦笑いで両手を上げる。

 

「降参だ。感謝の気持ちを伝えとこうかなって思ったんだけど、良いスピーチって咄嗟には浮かんで来ない。正直、大した恩も返せてないのが悔しいよボビー。返しきれない恩が、とてもじゃないけど多すぎる」

 

 力なく、自虐的に笑う。受けた恩のわりに、返せたことが少なすぎる。

 そのことはずっと考えてた。いつだってボビーに助けてもらって、なのに俺たちがボビーに返せたことはとても少なくて、あまりにもアンフェアだ。

 

「バカもん、子供がいちいち恩なんて感じてどうする。育ててくれた親を平気で傷つけるのが子供だ。そういう生き物なんだよ、子供ってのは」

 

 馬鹿馬鹿しい、とボビーは吐いて捨てる。視線は遠い空を見上げていた。

 

「俺の親父は飲んだくれの最低の親父だった。怖かったよ、俺もあんな風になるのが嫌で、だからカレンと結婚してからも子供を作らなかった。カレンが死んで、俺もあとは肝臓を患ってテレビを見ながら死ぬ、その日を待つだけだと思ってた」

 

 ──今日はサプライズが尽きないな。

 

「だが、運命が俺に3人の息子を授けた。立派に育ってくれたよ。世界を救う英雄になった、お前たちを誇りに思う」

 

 かぶりを振って、視界を濁す。

 ああ、ったく……ジョーとの再会でもギリギリだったってのに……

 

「アダムが親父と野球観戦に行ったって聞いたとき、みんな同じ事考えてた。アダムが羨ましいって。そりゃそうさ、俺たちには上官同然の親父だった、何が野球観戦だよふざけんな──」

 

 だけど──俺にもそういう記憶がないわけじゃなかった。

 

「だけど、俺もサムもディーンも、みんなあんたに遊んでもらった。訓練じゃなく、公園でキャッチボールしてくれて──ああ、そう、トップガンも見せてくれたよな、いまでも大好きな映画だ」

 

 ダイハードだってそう、ポップコーンとコーラを用意して、一緒に映画を見た。本当に、楽しかったよ。

 

「感謝してる、本当に。親って船の錨みたいなもんなんだよ、子供にとっては拠り所なんだ。ボビーとエレンがそれを教えてくれた。ところで聞きたいんだが──いつまでそこでブルーラベル啜ってるんだ、安息王子?」

 

 ふ、とジャンヌを真似るように小さく笑って視線を明後日の方向に振る。

 気配を消してここまで近づいてきた技量はお見事の一言だが、右手にある酒瓶が最高にミスマッチだ。

 

「感動シーンに水を差しちゃ悪いと思ってな。あと口が塞がってた」

 

「愛しのウィスキーでだろ? やあ久しぶり、ルーファス。天国にも安息日ってあるわけ?」

 

「相変わらず小うるさいやつだ。おいボビー、パメラがお怒りだ。賭けの1000ドルはいつになったら支払うんだってな」

 

「1000ドル? なんのことだ?」

 

「……? 何言ってる。前に賭けをやっただろ、ボケたなぁ」

 

 相も変わらず歯に衣着せぬ物言いに思わず笑ってしまった。どこだろうとお構いなしだな、この男は。

 外見も中身も、何一つ変わった風には見えないかつての同僚に一度吹き出した笑いがなかなか止まらなかった。

 

「俺はボケちゃいないが、お前はもっと挨拶の勉強をしたらどうだ。お前のせいで聞き込みの度に俺まで睨まれ続けてきた、特にあのソウルイーターの狩り」

 

 あれ、ソウルイーター……ってもしかして、

 

「ねえ、ボビー。それってもしかして、自警団の責任者に聞き込みしたやつ?」

 

「なんで知ってるんだ?」

 

 驚くルーファスに、俺はちょうどアマラと一騒動あった時期に遭遇した狩りのことを思い出した。

 

「あー、狩りっぽい事件を探してたらその家がヒットして、大丈夫、ちゃんと仕留めといたよ。自警団の責任者が数年前にもFBIが来たって言ってたから、二人のことだってすぐ分かった。あんなに失礼な連中は見たことないって、何やったの?」

 

「彼女から訪ねてきたんだ、いったいどんな捜査をするのか自警団の責任者として聞いておきたいってな。だがこの安息王子が」

 

「おい、俺が何したって言うんだ。小うるさいババアにいちいち説明してやる義理はない」

 

「……それ言ったの? 小うるさいババアに説明してやる義理はない、って」

 

「お前も感じよくしろって言うんだろ。85年にやった、後悔してる」

 

 とりあえず、勝手に巻き込まれて罵詈雑言をくらった自警団のボスの方には同情を。安息王子と遭遇したのが運の尽きだな。

 しかし、小うるさいババアとは恐れいったよ。

 

「そうだ、賭けのことで思い出した。ボビーの家を整理しててメモ付きのウィスキーを見つけたんだ、未開封の」

 

「それもソウルイーターの狩りでの話だ。だが開けてないのっては聞いてないぞ? 俺が用意してやったのを飲まないうちにいっちまったのか?」

 

「機会がなかったんだ、いつか開けようと思ってた」

 

「みんなそうやって言い訳するんだ、いつかやろうと思ってたってな。歯医者と一緒さ、いつか行こうと思ってた。みんな言い訳する、虫歯になってからな」

 

「……安心してよ、ミルズ保安官がもう開けちまったから。ちゃんと全部飲んでからソファーに倒れてた。つか、なんでいちいち例えがコミカルなんだよ。なんだよ虫歯って……」

 

 でも良かった。あれもちゃんとした供養になりそうだ。数年後に事の真相を知るなんて、こればっかりは予想してなかったなぁ。

 嬉しいサプライズが残ってたとはな。ロッキングチェアから体を起こして、軽く伸びをする。

 

「エレンに言っといて。ジョーとやりあうのもほどほどにってさ」

 

「伝えておくよ。俺はケツに蹴りを貰うだろうがな」

 

「はい、そこまでー! ジメジメした空気はここまでにしよう。安全運転で帰れよ、死のうにも死ねんだろうがな」

 

「ブラックジョークが過ぎるよ、安息王子。じゃあ、俺の好きなドラマから別れのスピーチを借りる──May we meet again. (再び会わん)

 

 別れのスピーチはこれに限る。

 

 

 

 

 

 

 

 首都東京。色々と思い出のある街だ。良いことも悪いことも、どちらも思い出せば両手の指では数え切れない。身を切るような冬の寒さも、ひどく懐かしく感じる。

 

「また飽きずにももまんか。食い物の趣味は変わらないんだな」

 

「キリ……!?」

 

 コンビニからももまんの紙袋を抱えながら出てくる神崎にゆるく手を振る。

 案の定、カメリアの瞳は足が止まるのと同時に大きい丸を描いた。

 

 未だに愛車の座を譲っていないらしい今となっては旧式のMINIは、少しばかり空きが目立っている駐車場にぽつんと寂しげに停まっている。

 その小さなドアに背中を預けていると、欧州屈指の武偵はゆっくりと距離を縮めて、

 

「……本物みたいね」

 

 ぺちぺち、と俺の頬を叩いてきた。俺はいったい友人に何をされてるんだろう。

 

「神崎、これはいったい何のテストなんだ? キンジを盗られてついにどうかしちまったか?」

 

「このデリカシーのなさ、やっぱり本物みたいなね。獣人が化けてるのかと思ったけど」

 

「……ひでえ、俺がシフターやリヴァイアに見えたのか?」

 

「急に現れるからよ。数年ぶりの再会がコンビニの駐車場って──あんたねえ、もっとタイミングがあるでしょ、タイミングが」

 

 こっちは間違いなく本物だ。貴族らしからぬこの攻撃的な物言いは間違いなく本物。

 緋色の髪も、人形みたいな整った顔も、理子よりもさらに小さな背丈と華奢な体も何も変わってない。気の強さを主張するようなカメリアの瞳も昔のまま。

 

「相変わらず、直球でものを言うやつだな。久しぶりに会ったって感じがしない」

 

「変わらないのはあんたもでしょ。てっきり()()にでも乗ってくるもんだと思ってたわ、本の話はあてにならないわね」

 

「あの聖書とかいう教会にバカ売れしたベストセラーか? 中身は自分の宣伝ばかり、ご立派なのはページの厚みくらいのもんだ」

 

「……あんたねぇ、そこまで言う?」

 

「むしろオブラートに包んでるよ。これ以上ないくらい神様にギッタギタにされたからな、トイ・ストーリーのスリンキーみたいに体が別れちまうかと思った。ボコボコにされすぎて」

 

 本音をそのまま、怨み辛みを込めて、俺は神崎に語ってやった。過去最高にボコボコされたからな、あの戦いは。

 ルシファーの入ったサムにもボコボコにされちまったけど、あれよりも酷かった。勝つためとはいえ、自分からサンドバッグになりにいくのは出来ればもうやりたくない。

 

「スリンキーって……あの体が伸びるやつ? 犬よね、体がスプリングになってる犬。あんたのことだから比喩……じゃないわよね。罪を償うための罰を与えられたとか、そういう──」

 

「いつか夾竹桃が漫画で描いてくれるよ、できたら記念にラフ画でも貰おうかな」

 

 おどけて見せると、神崎は困り顔を引っ込めて運転席のドアを開けた。そして、小さくその首をかしげ、

 

「時間はまだあるんでしょ。ドライブしない?」

 

 答えるまでもない。助手席はもらった。

 

「それなりの付き合いだったけど、あんたを乗せて走るなんて妙な気分ね。いつも自分で運転したがるし」

 

「自分で運転しないと酔うんだよ。夜の東京を見るのも久しぶりだな、神崎の車に乗るのはもっと久しぶりだが」

 

 そう、神崎の車に乗ったのなんていつぶりなんだろう。もう、ずっと前のような気がする。窓の外に見える人工の灯りと、街並みが、やっぱり懐かしい。

 

「レキとはうまくやってるんだろ、今でも一緒に組んでるって聞いてる」

 

「言わずもがなってやつよ。キンジは不知火に盗られちゃったし、キリは……古い繋がりは大切にしてるわ。もちろんあんたの腐れ縁とも、まだメル友よ?」

 

 腐れ縁か、本当に長い縁になっちまったな。最初の襲撃からは考えられない。

 

「ベイビーの世話はちゃんとやってたか?」

 

「ええ、あんたに負けず劣らず、大事にされてたわ。過保護なくらいにね。例のナイフも肌身離さずって感じ」

 

「良かった、それなら安心だ。他の譲れる相手もいなかったが」

 

 窓の外で、過ぎていく街並みに視線をやりながら独りでに頷く。それなら安心だ。

 

「友人との久々のドライブだって言うのに、ずっと窓の外を睨んどくわけ?」

 

 荒っぽいブレーキがかかり、停止線の上にタイヤが乗る。暗がりでも存在感に満ちた緋色の瞳が不満げにこっちを睨んでいた。

 出会ったのはもう何年も前のことなのに、なにひとつ新鮮な気持ちを感じないことに笑みが止まらなかった。

 

 時間は色んなものを変えてしまう。けど、その強気な緋色の瞳は俺の知ってる双剣双銃から、なにひとつ変わってない。一緒に肩を並べて戦ったあのときから、何一つとして。

 

「俺に友人はいない、いるのは家族だけだ」

 

 名残惜しいがここで途中下車と行こう。

 いつまでもオフィスに帰らないわけにもいかないしな。さよなら、神崎。久々の助手席でのドライブ、楽しかったよ。

 

 

 

 

 

 目を伏せると、次に視界に飛び込むのは神崎と出会ったコンビニエンスストア。何年経とうとコンビニはあるし、見渡せばガソリンスタンドも健在。変わらないものだってある。

 まるで最初からそこにあったように、駐車スペースにに鎮座していた真っ白なカマロSSのドアを開く──色を失ったような、不気味なほど白いその車のドアを。

 

「白馬とはねぇ」

 

 一人きりの車内でここにはいない相手に向けて笑う。相変わらず変なところで鋭い。

 遠近両方に対応できるふざけた戦闘能力に加えて、獣じみた直感。本当に優秀な武偵だ。敵に回っていたらと思うと、改めてゾッとする。

 

 野獣のようなエンジンを吹かし、夜の道路に向けてハンドルを切る。

 インパラに負けず劣らずの大きな車体が歩道と道路の間に並んでいる境界ブロックの合間を通って、舗装された道に乗り出した。

 

 聖女様はロウィーナを訪ねてヒルダと一緒に何度か地獄の門を叩いたらしいが、いくら改革したとはいえ自分から地獄に出向くなんてな。ヒルダ共々、肝が座ってるよ。

 

「隕石でも砕きに行くか──"I Don't Want to Miss a Thing" 」

 

 残念なことにカセットテープとは行かないが名曲は名曲だ。5回は見たかな、アルマゲドン。

 アルマゲドン、それは大雑把に言うと地球に迫る隕石を石油採掘のエキスパートたちがドリルで砕いて、世界を救おうって──

 

「……映画のはずなんだが」

 

 キャパシティを越えた驚きに顔がひきつり、頭に思っていたことがそのまま口に出る。

 さっきまで走っていた道路の景色は失せ、視界は全く異なるものを捉えていた。指に触れていたハンドルの感触もどこにもない。

 見覚えのある、見覚えしかない観葉植物だらけのマニアックな部屋に半ば確信を覚えながら、俺は首を揺らした。

 

「いきなり呼び出すとは何事だ」

 

「ようこそ、騎士さま。私の城に。一緒に遅めのディナーにでもいかが?」

 

「ジャンクフードなんかでつられるか。ピザのデリバリーみたく気軽に呼び出されても困る」

 

 テーブルに置かれた皿や箱の山から、フライドピクルスを摘まんで口に放り込む。

 そのままお高そうなソファーまで歩き、倒れるように座り込んだ。フライドピクルスを箱ごと持ったままで。

 

「毎度毎度よく材料を準備できるな。ホームセンターじゃ揃わないだろ」

 

「ネットは便利よ? 探せば、オカルトグッズの収集家はたくさんいる」

 

「あ、おい……俺のフライドピクルス……!」

 

「ジャンクフードなんかでつられるか、よく言えたものね」

 

 隣に居座った魔宮の蠍は片手で箱の中からピクルスを掬い、片手でテレビのリモコンを弄って電源を入れる。

 が、一瞬気を抜いた刹那、左手首がものの見事に掴み取られた。怪訝な瞳は当然のようにある一点に注がれ、やがて興味を失ったように瞼は降りて、手もほどかれる。

 

「……こうみると、普通の指輪なんだけど。不思議なものね。いいじゃない、上品で」

 

「欲しいなら別のをやるから我慢しろ、こんなぶっそうなのじゃなくて他のやつ」

 

「? それ、新手のプロポーズかしら?」

 

 お、お前なぁ……ああ、久しぶりに言うことになるな、これ。

 

「バカかお前は──こんなぶっそうな指輪をプレゼントしようってやつがどこにいるんだよ。それはもう殺害予告だよ殺害予告。猟奇的な」

 

「それもそうね、かなり猟奇的。待ちなさい、スポーツチャンネルはありえない」

 

 俺が奪ったリモコンはすぐに引ったくられ、炊飯器からご飯を盛っている少女の画に切り替わった。

 ぐるぐるの目と室内でもマフラーを巻いているのは、いかにも一般人ではなさそうだ。

 

「お前またこんな深夜アニメ……」

 

「試合だと先が気になって落ち着かないでしょ、これならゆっくり見れる」

 

「アニメだって先の展開が気になるだろ。俺、このアニメ見たことないし」

 

 指をならし、ジャンクフードが詰まれたテーブルを目の前まで引き寄せる。久々のベーコンチーズバーガー、これで譲ってやろう。なんかおもしろそうだし。

 

「なにこの子、妖怪なの? こんなかわいい妖怪っていうか魔物いないだろ」

 

「職業的ツッコミをアニメにいれないで。それに容姿端麗なのだっているでしょ?」

 

「後悔してるよ、リリスに罵詈雑言を吐いたこと。ご丁寧にまだ覚えてやがった」

 

「まさか虚無から這い出るとはね、あそこだけは誰も手を出せないと思ってたけど」

 

「鶴の一声ならぬ神様の一声。あの不気味な真っ白の目、出来れば二度と見たくなかった」

 

 こんな会話をするのも久々だ。嫌な記憶はナゲットで消し去ろう。ナゲットにマスタード、この組み合わせが最高にいける。

 夜中に食うなんて最高に背徳だ。神様に背を向けてる気分。

 

「朝、お前が起きる頃には帰ってるぞ。テッサが怖いからな。本音をいうと名残惜しいが」

 

「なら、この一瞬を楽しむとするわ。今日は夜更かししたい気分だったからちょうどいい」

 

 言い終えるや無駄に美人な横顔が笑みを作り、喉の薬と例えられ続けてきた煙管が紫煙を昇らせる。

 

「断るって選択肢もあったはずよ。あっちで家族一緒に老後を過ごす、そういう選択肢もあった。お兄さんと一緒に」

 

 煙を吐ききって、清涼な声はそう聞いてくる。

 

「この仕事ならお前やジャンヌ、キンジたちにも会いに行ける。頻度はともかくとしてな。それならこういう結末もいいかなって」

 

 ストローを齧るようにコーラを流し込む。この指輪を嵌めるとジャンクフードがうまくなるまじないでもかかってんのかな。昔食べ漁ってたときより美味に感じる。

 

「どうせキンジや神崎はまだまだ厄介ごとに巻き込まれる。昔みたいに毎度毎度手を貸すわけにはいかないが、少しぐらいは力になってやれるかもしれないしな」

 

 キンジや神崎に助力が必要になる相手がいるかどうかだが。ただでさえ化物だったのに、さらに一回り力をつけてるんだから手がつけられない。

 

「あと、お前とピザ食いたかったっていうのもある」

 

「その誘い文句はお友だちの受け売り?」

 

「ああ、メグからの。みんなが犯罪者相手にあれこれ立ち回って銃やナイフ振り回してるのに、俺だけ安全圏から悠々自適に隠居生活、無理だよそんなのは」

 

「律儀なものね、お可愛いこと。でもその律儀さ、嫌いじゃないわよ?」

 

 個人的には──なんて芝居がかった様子で笑う。だからきっと、笑みは伝染したんだろう。

 インパラを、ジョーが託したナイフを、唯一遺したいと思えた女の微笑みだ。仕方ない。仕方ないよな、メアリー母さん。 

 

「今日1日、色んな人と会ったよ。ロウィーナやナオミ、ルーファスやもういつ話したかわからない人まで。話ながら、ちょっと考えてた。本当の幸せって、一体なんだろうって」

 

「また哲学的ね。答えは見つかった?」

 

「いいや、見つからなかった。幸せっていうのが本当に欲しいものを手に入れられることなら、俺の望んだものは……望んだ結末はもうどうにもならないって分かってるからな」

 

 ソファーに背を預けながら小さく笑う。

 でもちょっとだけ分かった気がする。幸せっていうのは手にいれるとか、そういうものじゃないんだ。 

 幸せっていうのは──心で感じるものなんだ。言葉にするものなんだ。手にいれるとか、そういうものじゃない。

 

「夾竹桃、いつか俺がお前に悪党には向いてないって言ったの、覚えてるか? お前、言ってたよな。知らないことこそが探求心を生む、だから友情も愛情も自分で味わうつもりはないって」

 

「……なにを言ってるの、いきなり。そんな別れみたいなスピーチ……」

 

「でも俺もジャンヌも、理子も知ってる。お前が本気で爪を抜くときは愛情とか友情とか、いつだってそういうものを守る為だ。その感情がどれだけ大切か……知ってるからだ。だからかなめと戦った、命を賭けて間宮たちが築いたものを守ろうとした、この世界の誰よりも──お前がその感情に溢れてるから、誰かを救って、誰かの為に尽くすことができる」

 

 ──こんなにも、

 

「こんなにも優しい女を俺は他に知らない、こんなにも──悪党に向いてない人間は他にいないだろ……? この国に来て、お前やジャンヌ、バスカビールのみんなが俺に居場所をくれた。ジャンヌや理子、キンジや神崎は俺にとって、もうひとつの家族だった」

 

 ──一緒に戦って、大勢の人を救った戦友だ。

 

「けど、心からこの世界で生きていたいと思えたのは……お前がいたからだ。お前が回し車を回すだけの人生を変えてくれた」

 

 みんながみんな死んでいくこの世界でも生きていたいと思ったのは、お前がいたからだ。

 神が立ち塞がっても最後まで諦めずにいられたのは、またお前に会いたいと思えたからだ。

 

「誰にでも別れが来る、だから今のうちに言っとく。心の底から感謝してる、これからも迷わず自分の心に従え。持ち味だ」

 

「……いきなり真面目に何を言うのかと思えば。この感情のジェットコースターを私が受け止めきれると思う?」

 

「そこまで柔じゃないのは、よく知ってる。ミラクル…? おいおい、元気そうじゃないか。ははっ、俺のこと覚えてるか? ああ、サムが世話になったな」

 

 懐かしい再会はまだ続いてた。隣の部屋から駆けてきた影を受け止め、最後の最後に出来た家族の毛並みを、本当に久しぶりに撫でていく。

 

「良い子よ、とっても。貴方に似て」

 

「良い子なのはお前といるからだろ、俺の影響じゃない」

 

「ありがとう」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……え、なんだ、この空気。お見合いか?」

 

「天気の話でもする?」

 

 そして、夜は過ぎていく──

 

 

 

 

死の騎士(デス)、あの、少しお話が──」

 

 陽光の届かない屋内。白と黒で占められただだっ広いオフィスに部下の声が響き渡る。至極明瞭に。茶髪を揺らして目の前にやってくる。

 

「いいよ、ジェシカ。みなまで言うな、分かってる。どっかのバカが意図的に出迎えに行った連中を殺して回ってる」

 

 主に致命傷を負わせることに定評にある騎士の大鎌を肩にかけ、大量の黒いノートが積まれている本棚の間を歩いて抜ける。いつ見ても殺風景なオフィス。

 

「バタフライ・エフェクト狙いか、それともただ頭のネジが緩んだだけか。まあ、それは直接聞くとする。テッサ、遠足に出かける気は?」

 

「はい、喜んで」

 

 音もなく、すっかり懐刀になってしまった友人が隣に立つ。手にぶっそうなナイフを携え、出向く気満々だ。頼もしい。

 

「喜べ、懐かしのカリフォルニアだ」

 

「良かった、ちょうど日焼けしたかったので」

 

「ジェシカ、お前も来い。今日はインディアナ・ジョーンズの教え、フィールドワークだ」

 

「……私は現場はあんまり──ご一緒します。お仕置きの冥界バージョン。何が必要だと思います? こんな馬鹿げたことやつに必要なのは」

 

「ドラッグか、あるいは頭の手術か。どっちもここにはない」

 

「ウチにそんなぶっそうなもんは置かねえよ。さて、仕事仕事。休みを味わう暇がない」

 

 では懐かしのカリフォルニアに出向くか。

 神崎もキンジも今日も飽きずに仕事してる、俺も勤しむとしましょう──ぶっそうな指輪を嵌めながら。

 

 

 



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最後の戦線






 

 

 

 昔、広い世界に自分がたった一人、取り残される映画を見たことがある。

 人間も、鳥も、虫も、他には何もいない。どこを見渡しても息をしているのは自分だけ。空っぽになった地球に自分が一人だけ生きている、そんな映画。

 

 画面を見ながら思ったよ。

 もし、自分がテレビの向こうに吸い込まれたらなんてことを考えてゾッとしたことがある。

 

 そう考えれば、現実はまだマシだ。

 話し相手になってくれる兄弟と、ルシファーの息子がまだこの世界には残っていてくれるんだからな。

 

「ここって精神世界か? だとしたらなんだか不気味だ」

 

「現実逃避はよせ。残念なことにここは現実、神がおかしくなっちまったあとの悲惨な現実さ」

 

 レバノンのアジト、嫌なディーンの言葉が頭の奥の奥まで響いていく。

 知ってるよ、これは現実だ。認めたくない映画みたいな状況でもこれは現実。

 

 みんな消された。

 そう、みんなだ。人間、獣人、悪魔、天使、みんながリセットボタンを押されちまったみたいにこの世界から姿を消した。売れない作家に化けてた、神の一声でな。

 

 テレビをつけても画面には何も映らない。

 あのLAですら物音一つしない脱け殻の街と化してるはずだ。この地上にはもう俺たち以外、誰も残されてないんだから。

 

「なあ、仮に僕らの選択が間違えだとしたら、いったいどこから間違えてたと思う?」

 

「サム、間違えてるのは俺たちじゃない。あのスーツを着たブリキ人形のほうだ。もしあいつの筋書きに従ってジャックを撃ち殺してたら、俺たち全員一生後悔してるところだ。ディーンだけじゃない、俺たちみんな後悔で頭がやられてる。あれで正解だった」

 

「ああ、キリが正しい。これは野郎の書く物語じゃねぇ、俺たちの人生だ。たとえジャックを殺してそれでお袋が戻ってきたとしても、お袋はそんなの絶対に喜ばない」

 

 そうだな。母さんは喜ばないし、あそこで神の機嫌をとったとしても延命治療だ。上から土をいくら被せても、いつか必ず刃が突き出してた。

 

 いつか必ず、自分の満足できない展開を目の前にして今回みたいに動いてた。遅いか早いの違いだけだ。

 

 みんなが消えた世界で、兄弟揃ってテーブルに座りながらしらけた顔してる。お行儀よく座ってるのはジャックだけ、テーブルに同じ様に乱暴に置かれてる電話もいまでは無用の産物だ。

 

 他のハンターからSOSが来ることもないし、そもそも俺たち以外の人間はこの世界には残ってない。

 

「おい……こいつはどういう──」

 

「ディーン、おい、鳴ってるぞ!」

 

 真っ先に口を動かした俺だけじゃない。

 サムと、ディーン自身も目を見開く。俺たちの誰もが驚いた。

 他の生命が奪われたはずの世界で、ディーンの携帯がけたましく懐メロを流したから。

 

『ディーン……戻ってきた。怪我してるんだ、入れてくれ……』

 

 ディーンの携帯のスピーカーからその声が聞けた途端、何も考えずに俺たちは基地の扉を開ける為に走った。

 

 キャスが帰ってきた。

 虚無に死の騎士(デス)と飲まれたはずのキャスが。

 最低なことしか舞い込んでこなかったこの戦いで、初めて幸運が舞い込んだ気分だった。

 

 

 

 

「──元気だった?」

 

 

 

 

 ディーンがその扉を開ける瞬間までは。

 

「くそッ……!」

 

 ああ、最低だよ。最低だ。

 招かざられる顔に、ディーンが一度開いた扉をおもいっきり叩きつける。

 

「酷いなァ、友達にそりゃないだろう?」

 

 だが、もう遅い。

 招かざれる客はもう上がり込んでしまった。

 ……せこい手使いやがる、魔王がなりすましか。

 

 閉めたドアを嘲笑うようにいつの間にかドアから伸びた階段よりもさらに奥、広間のテーブルの前でルシファーは両手を広げる。

 

 ルシファー、堕ちた大天使。説明不要の、俺たちを何度もボロ雑巾にしてくれた怨敵だ。

 

「やあ久しぶり、みんな元気だった?」

 

「おまえは友達じゃない……!」

 

「分かった、なら正直に答えろ。私だと言ったら入れなかっただろ?」

 

 肩を落とし、否定したサムにうんざりと答える。

 あれだけのことがあってもあまりに馴れ馴れしくルシファーは距離を詰めてくる。悪びれるという言葉がどこまでも無縁なヤツだ。

 

 きっと俺が言わなくても誰かが口にする。

 この場の誰もが思っている疑問を俺が真っ先に口にしてやった。

 

「ルシファー、なんでまたネズミみたいに這い出してきたんだ。腹を一突きされて死んだハズだろうが……」

 

「ああー、そうなんだけどね。父がついに暴走して人間を殺しまくったろ? そのあとで虚無が私を追い出した。消えた死の騎士の本を見つけて神を殺せとかいう命令だ。命令されるのは、嫌いなのはよく知ってるだろう?」

 

 「長い付き合いだからな」と、俺たちには傍迷惑でしかない言葉が挟まれる。

 ルシファーがおとなしく与えられた仕事をこなすような優等生じゃないことは、聖書とかいうバカ売れのベストセラーを読んだことのある人間なら誰だって知ってる。

 

 こいつは自分の心だけに忠実。自分の思うがまま、決めるままに悪意を振り撒く。制御できるヤツなんていない。

 

「しかし、虚無と喧嘩するのはなんとしても避けたい、特にいまはな。ほらジャックに……粉々にされてムカついて死の騎士を殺したくらいだからーーとにかく退屈しないよ」

 

「「「……」」」

 

「過去は水に流して、仲良くやろう! またチームを組もうじゃないか!」

 

 ルシファー。神から最初に刻印を与えられ、堕落し天界を追放された大天使。心の底から殺戮を愛し、命が消える瞬間を楽しんでいる生粋の殺戮者。

 地獄の檻で何度も俺の体を切り刻み、サイコロステーキみたいに何度も皮膚を裁断してくれた最低最悪の相手だ。

 

 だが、あれだけのことがあってもルシファーの声、身振り手振りの振るまいには、馬鹿げたことに未だに親近感を持ちそうになる。

 

 本当に邪悪で恐ろしいヤツほど、傍目にはそうは見えない。

 あれは要は擬態なんだ。あまりに精緻な。

 バーで会ったらうっかり友達になってしまいそうですらある。そのことが何よりも恐ろしい。

 

「……それだけは絶対にない。3POのフリしてても邪悪な中身が透けて見えてるぜ」

 

「同感だ。手を組んでも最後にはこっちの手首が食いちぎられる、ジャックの喉を裂いたの忘れたか。面の皮が厚いにも限度があるんだよ。バカかおまえは」

 

 だが、皮肉なことに長い付き合いだ。

 ディーンもサムもルシファーのことはよく知ってる。C3POみたいなお調子者に見えても、中身はシスの皇帝も霞んじまうほどにドス黒い。

 

 敵意しか宿っていない俺とディーンの視線を浴び、ルシファーはまたもうんざりとした顔で、

 

「あー、キリ、それにディーン。真っ先に噛みつくのがお前たちの仕事なのは分かってる。喧嘩を売るわけじゃないがお前たちには、殺せない。考えてもみろ、虚無が私をひきずりだした。ウィンチェスターじゃ手に負えないからさ、だろう?」

 

「まるで自分ならなんとかなるって言い草だな。いまのヤツはアマラを飲み込んでる、手に負えないのはおまえだって同じだろうが。指パッチンひとつで灰にされかねない、虚無に無茶を叩きつけられたなざまあみろ」

 

「もちろん、アマラを取り込んだことははっきり言って──マズイ。その気になればこんな汚れた空気も土も綺麗さっぱりリセット、また一から簡単に作り直せるだけの力を手にいれた。ディーンがナンパに失敗したせいでな」

 

 睨みながら噛みついてやると、アマラの名前こそ苦い顔で口にするもだらけた喋り方自体は変わらなかった。

 虚無の癇癪を貰えば、自分の首が落ちるというわりにやけに落ち着いてる。

 

「まあ、最後まで聞け。別にお約束のしくじりを笑いに来たわけじゃない。お前たちが反発するのは予想してた。だから誠意の印に、連れてきたよ。じゃじゃーん」

 

 まるで忘年会でやるマジックショー。

 そんな締まりのない掛け声と一緒にルシファーは合図のように指を鳴らした。

 

 すると、それまで何もなかった虚空から、猿轡と腕を体と鎖でがんじがらめに縛られた女性がずっとさっきからそこにいたかのような不自然さで姿を晒した。

 

 こんなときにサプライズも何もない。

 ルシファーのやることにはいつも困惑させられるが虚無から這い出してきた今回も例外じゃないらしい。

 

「誰だ?」

 

 案の定、ディーンが発した一言は俺たちの総意だった。

 知らない女だ。いやそれ以前に、人間も動物もまとめて消されて残ってないはずなのにどこから連れてきた。

 

「彼女はベティ。ベティ、挨拶しろ」

 

「──────!」

 

 当たり前だが猿轡で言葉は分からない。

 だが、ルシファーと仲良しじゃないことは分かった。

 無論、不満や怒りを垂れ流したところでルシファーにはどこ吹く風だ。優しさも倫理観もこいつにはない。

 

「私に挨拶してどうする。ははっ、すまんなぁ。ああ、ちなみにベティは、『死神』だ」

 

 ……死神か。神は天使も悪魔も怪物もまとめてこの世界から葬った。死神も例外じゃない、この女はルシファーが虚無から一緒に引っ張って来たんだろう。

 けど、どうして誰とも分からない死神を拉致って来るんだ。ますます意味が分からなくなる。

 

 死神をよこして、そこに何の意味がある?

 気取ったサプライズの反応がよろしくない俺たちに向けて、ルシファーは静かにに人差し指を立てた。

 

「まだ分かってないんだな。ベティは()()だ。死神なんだよ」

 

「ああそれは分かってる、だから?」

 

「いいか、見てろよぉ?」

 

 苛立ちといかけたサムへ不気味に微笑んだ次の刹那、ルシファーは天使の剣を彼女の胸元深くぶっ刺した。

 

「「「──────!?」」」」

 

 ベティとそう呼ばれた彼女の両目と口の奥から蒼白い光が吹き出し、首が天を向く。

 天使の剣に刺されたら天使も悪魔も、死神だって死ぬ。真っ赤になった刃が傷口から抜かれ、こときれた体が床に倒れ、音を立てた。

 

 あまりに一瞬の出来事は、命が目の前で消えたことへの実感すらわかない。

 

「ひでぇ、何しやがるんだ」

 

 やがて、ディーンが困惑の眼が魔王を射る。

 ルシファーはにやついていた、目論見が成功したような顔で、にやついている。

 

 ……なんだ、自分で運んできた死神を俺たちの目の前で殺して、それに何の意味がある。

 

 頭を冷やして、もう一度整理する。さっきしつこく繰り返したようにこの女は死神。

 そう、死神だ。死神が──死んだ?

 

「……これが死の騎士の()()()()()死神ってことか。ビリーの後釜」

 

「ピンポーン、キリに20ポイント。さぁ、あとは少し待つだけ。そうすれば……」

 

 死神の世界にはルールがある。

 死神とは言っても大きな枠組みで見れば、連中も天使。犬か狼の違いだ。天使と同じで、連中には古くから決められているルールがある。

 

 ボスである『死の騎士』が死んだとき、次に死んだ死神が立場と役割を引き継ぐ……

 前の死の騎士であるビリーは、ついさっき虚無に飲み込まれて死んだばかりだ。

 

 

 ──床で息絶えていたはずの首が、ゆるりと持ち上がる。

 

 

「新しい死の騎士の誕生だ」

 

 

 鎖は独りでに吹き飛び、白い猿轡はルシファーが鳴らした指のスナップ音を合図に消える。

 

 

「ほおら、いつの間にか死の騎士のスターターキットを持ってる。騎士の証である指輪、かっこいいよな。それと死の騎士に欠かせない大鎌、なかなかやるだろう?」

 

「渡して、持ってるんでしょ?」

 

 自慢げに語ったルシファーのあとに事務的な抑揚のない声が続いた。

 まるで何もなかったように彼女は平然とし、騎士の証とも言える鎌を手にし佇んでいる。とても腹を一突きされたとは思えない。

 

 鎌を持った右手を辿れば、俺とディーンも一日だけ嵌めた死の騎士の指輪もちゃんと薬指に。なんともよくできた引き継ぎシステムだ。

 主語の抜けた言葉に俺たちが黙っていると、ベティは辟易とした感じで口を開いた。

 

「本よ。あの本には神の死にかたが書いてある。でも死の騎士にしか読めない、だから本を渡してくれたらベティが読んであげる。ねぇ、三つも頭があるのに全部トロそう」

 

「ああ。父は出来損ないを好むからな」

 

 トップに就任早々、不遜な態度だな。ヒルダよりひどい。

 

「どうする?」

 

 サムからの目配せに俺もディーンもyes.で即答とは言えなかった。

 隣にいるのは他でもないルシファーだ。これまでのヤツの動向はそれだけで手を迷わせるには余りある。

 

 ルシファーからのギフトをおとなしく受け取れるほど、俺たちがヤツから受けた傷は浅くない。

 あのへらへらとした笑みの下に、とんでもなく醜悪でどす黒いものが渦巻いているのはもう嫌ってほど体験してるんだ。

 

「なにあれ、仲良く黙りこくって」

 

「親友ロマンスの第4段階ってところだな。仲良く深刻ぶった顔してるが名案なんて出てきやしない。弱ってれば刻印で閉じ込める作戦も通用したが、いまやアマラと一つになってパワーアップした父を閉ざせる檻はどこにもない。目論みを潰せる可能精はただひとつ、お分かりぃー?」

 

 頼れるのはあの本だけ。他に盤面をひっくり返せるようなカードは俺たちの手札にはない。 

 ルシファーの案に乗せられる、危険を自分から背中に背負うような選択にも、八方塞がりの手札ではもうすがるしかない。

 

 それが水もなく砂漠を突き進むような、危うい1枚だとしても。

 

 

 

 

 

 

「爆薬を大まかに分けるなら二つ。C4みたいなプラスチック爆薬。爆発の威力をコントロールしたい場合、ドアを壊したりするならプラスチック爆薬、安定していて輸送は用意、勝手に爆発したり粗相を働くこともない。だがビルを派手に破壊したとき、自己主張したいときはTNT。神の性格をたとえるならこっちだ」

 

 理子が昔披露してくれた爆弾になぞらえた性格診断。

 後者は規制の波に飲まれ、輸送も扱いもプラ爆と違って難しい。安定してないからな。まさに野郎の性格そのものだ。

 

 明日世界が白紙にされてもおかしくないイカれた状況に置かれている俺たち兄弟とジャック、そして空っぽになった教会で拾ったミカエル。そして成り立ての死の騎士とルシファー。

 これが神が没にしようとしてるこの世界に残された命。文字通り、神に抗えるーー最後の戦線。

  

 

 

 ルシファーと一緒に上がり込んできたベティとかいうビリーの後釜はお目当ての本を見つけるや俺たちを部屋から追い出し、一人でアジトの一室に閉じ籠っちまった。

 

 死の騎士にしか開けない特別な本。

 そこには神の死と、殺し方も書いてある。

 あのミカエルですら力任せには開けなかったいわく付きの本の解読に、彼女は一人で勤しんでいる。

 

 暇をもて余したルシファーがテーブルにトランプ・タワーを作ってるいまこの瞬間にも彼女は部屋で一人ページとにらめっこ。サボってなければな。

 

「父の自己主張が激しいのはいまに始まったことじゃない。聖書を読んだか? 中身は自分の宣伝と自慢ばっかり。いまどきの言葉ではこう言うんだ、そう、承認欲求のモンスター。しかし、いまでは自分を祭り上げてくれる天使も人間もまとめて消した」

 

「いまどきの言葉でいうとフォロワーの整理。数十億年この世界を見物してたわりに、随分あっさりと切り捨てくれるもんだな」

 

「自分のことをクリエイターだとかなんとか名乗る連中にはよくある話さ。出来上がってすぐは良かった、自信作に思える、最初の頃はな。だが時間が経つにつれて最初は自慢に思えた作品が、とんでもない駄作に見えてくる。私もアスモデウスを初めて作ったときは、それなりにうまくいったと思った。だが今となっては、トロくてプライドが高いだけのとんでもない駄作だ」

 

 死体に唾を吐くように、虚無で眠っている地獄の王子へルシファーの罵倒は続いた。

 アスモデウスは四人の王子の中で一番とろく、おまけに性格も小物くさい。そしてきわめつけに四人の王子の中でただ一人、ルシファーに牙を向けた悪魔。罵詈雑言を受けるのも仕方ないか。

 

 対抗馬のクラウリーがいなくなったタイミングで玉座を狙うように現れたり、ルシファーが不調と分かるや態度がデカくなったり、俺から見てもあいつの動向はたしかに小物だ。

 

「教会のシスターたちはみんな口を揃えて言ってた『神は皆のことを考えてる』って。けど実際はどうだ、神は瓶でアリを飼ってるガキだ。何も考えちゃいない」

 

 ルシファーほどストレートじゃないが俺の口からもここにはいない神に、遠回しな罵倒がこぼれる。

 俺だって出会ってすぐのときは、ポルノビデオの俳優みたいな見た目をしてたあのときは、ヤツのことも嫌いじゃなかった。

 

 少なくともリリスのいるモーテルに一緒に乗り込んだときには敵意なんて持たなかった。

 ファンとの交流会で、剃刀を持ったクソガキ幽霊兄弟を退治したときは、あの髭面親父のこともベンチに控えてるチームメイトだと思ってたさ。

 

 あのときの俺にいまの状況を話しても、たぶん信じやしない。友人だったさ、あの頃はな。

 

 そして、あの頃とはもう違う。

 戻りたくても、戻れやしない。

 

「ルシファー、虚無はなんでよりによってお前を引っ張り出したんだろうな。お使いにはどう考えても一番不向きだ、大天使ならガブでもラファエルでも良かった」

 

「強大だからさ。私のほうが力も、父に対しての敵意もな。私以上の適役はいない」

 

 会話の傍らと黒と赤のトランプで積まれ続けていたタワーが四段目の頂点、一番上に乗る最後の一組が組まれようとしたとき、

 

「おやおやぁお出ましだな、しくじり大天使くんか」

 

 アダムの顔を険しく歪ませて、ミカエルが足早に俺のもとへ歩いてくる。

 

 ミカエルとルシファー、最終戦争のラストでスタール墓地にて殺し合おうとした2人が、このタイミングでいま改めてまた顔を揃えた。

 

 異世界からやってきたコピー品みたいなミカエルとルシファーの間には一悶着あったけど、こっちの世界の、かつてスタール墓地で相対したミカエルとこうして対面するのは嬉しいかどうかは別にして、ルシファーにとっても久しいはずだ。

 

 俺たちが、アマラの一件でルシファーを檻から出しちまったとき以来だからな。再会できた理由が父親が暴走したせいだというのがなんとも皮肉極まる。

 へらへらと笑う弟を指で差し、鋭い刃物みたいな瞳をミカエルは俺に向ける。

 

「こんなやつを本気で信用するのか……?」

 

「いいや、信用ってのは語弊がある。魔王さま、兄貴に何か言うことは?」

 

「ああ、ズルをした」

 

 組み立てたタワーを指で押し、自分でテーブルに倒したルシファーは……ふざけた野郎だ、トランプがバラバラになってない。

 まるで凍りついたようにカード同士がそれぞれくっついて、テーブルに倒されてるのにトランプは積み上げられたままでタワーの形は崩れてなかった。

 

 イカサマで組んだ塔をルシファーは一度見下ろしてから、我慢できないと言った顔で溜め息をつく。

 

「ミカエル、もういいだろう。お前の気持ちも分かる、あれだけ父に尽くしたのに貰ったのは私と同じ、出来損ないの息子というレッテルだ」

 

「あれは正義のためにやっただけだ。父の愛を得るためではない」

 

「うん、正しい判断だ。父には与えるべき愛がない。息子たちはおろか人間も愛してない。今なら分かるだろう?」

 

「その緊張感のないだらけたサーファーみたいな喋り方はどうにかなんねえのか」

 

「口を挟むな、キリル。お前ほどじゃない。まあ父に愛がないことくらい、私の助言なんてなくても酔っぱらいでも分かる。なぜ父に与える愛がないかについては色んな理由があるが」

 

「いい理由はない。いまさら神の精神分析をやったところでどうにもならねぇよ。アマラは広間で鳩に餌をやってる婆さんに心を動かされたが、ヤツが同じシチュエーションでそうなるとは思えない」

 

 何度もこのレバノンの基地で化物相手に頭を悩ませてきた。どの戦いも最後だって言って、最後じゃなかった。

 

 シャツを血まみれにしてなんとか生きて帰ってきたら、また次の火種が燃え移ってる。その繰り返し。

 

 駄目だ、もう疲れた。死んでから眠れ。

 何度、頭の中で繰り返したか分かんねえよ。

 けどもし、これが本当に最後の戦いなら──

 

「まだ解読に手こずってる」

 

 サムと一列になって歩いてきたディーンのブーツがまじないの描かれた木目調の床をギシリと鳴らす。

 音が虚しく響いた刹那、まるでタイミングを待っていたようにベティが俺たちの集まったテーブルの反対側に本を胸元に添えて現れた。

 

 音もなくふらっと現れるのにももう慣れた。

 どうやら仕事が済んだらしい、さっきまでの仏頂面が得意気に笑ってる。

 

 ミカエルが開こうとしてもまったく開こうとする気配のなかった本がベティの手の中で二つに開いてる。

 

「終わったわ。本を開いて読んでみた」

 

「それで?」

 

「お待ちかねのことが書いてあった。神の最後について」

 

「……それは本当のことなんだろうな?」

 

「当たり前でしょ、死の騎士なのよ」

 

「まだ成り立てだろうが」

 

 1と1で問答していた新人死の騎士とサムのやり取りにディーンも釘を刺すように加わった。

 

 ──いずれは、神も連れていく。俺たちが初めて出会ったあの騎士の言葉がふらりと脳裏を通りすぎる。

 

 あの本に神の『死』の結末が本当に記されているとしたら、それは俺たちにとって神の首へ刃を届かせることができる最初で最後の一手。

 

 目に、足に、手に、自然と力が入る。

 眼を伏せるように、メディの瞼が下がっていき本のページへと完全に視線は固定された。

 

「しかと見よ。最後に、この世の最初を『造りし者』が終わる」

 

 

 神の最後。

 初めて死の騎士と出会い、食事をしたあのダイナーでの光景が、やはり頭の中で記憶のページから再生され流れていく。

 生を与えられたものにはいつか死が訪れる。

 それは神でさえ例外じゃない。

 

 

「かくしてその終わりは────」

 

 

 

「すばらしい」

 

 

 

 核心に触れようとしたまさにそのとき、割り込んだのはルシファーが指を鳴らした音だった。

 淡々と続こうとした声が止まり、メディの首から上にかけての動きが固まったように止まる。

 

「……?」

 

 いや、実際固まったのだ。雪のように白かった肌が鉱石のような重苦しい色に、何の前触れもなく変わり果てる。

 驚く暇もなく、変色した顔は砂のような細かな粉となって首から下、腰から足まで、さっきまで淡々と唇を動かしていた彼女の体そのものが、砂のように崩れ、人の形を失う。

 

 意味が分からない。

 死んだ……? 死の騎士が?

 行き場を失くした本だけが宙に制止し、やがて読み上げるはずだった本は独りでに──ルシファーの手に収まった。

 

 呪縛されて止まっていた思考が、そこでようやく追い付く。……仕組みやがった

  

「おっと、刃物は禁止」

 

 天使の剣を抜こうとした瞬間、体は派手に浮き上がり交通事故みたいなスピードで遠く後ろの壁に背中から叩きつけられた。

 

 超能力者お得意のPK(念力)

 だが、出力は獣人や超能力者の比じゃない。

 指先すら触れられていないのに、腹の一部を切り取られたようなふざけた激痛が走り、理不尽な嗚咽が漏れる。

 

 ──ちくしょうめ、ハメられた。

 

「キリ……!」

 

「またかよくそったれ!」

 

「よせ、汚い言葉も禁止」

 

 事態を察したサムとディーンより、ルシファーのほうが1ターン動くのが早い。

 使い込まれたニックの両目が鮮血に染まるように赤く変色する。それは色こそ異なるが、天使が力を解放するときの合図。

 

 手であしらうような、片手ひとつの何気ない仕草で浴びせられるふざけた出力のPKは、長身でガタイのいい大の男二人を見えない力場の鎖で柱に縫い付けた。

 

 くすぶっていた疑念と不安が一気に表面化、邪悪な魔王本来の姿が顔が出す。

 

 本はヤツの手元に収まり、自分から就任させた死の騎士は用済みとばかりに切り捨てた。一瞬で首から足下までバラバラ、彼女は何が起きたかも分かってない。惨いにもほどがある。

 

「よし、父が欲しかったものを手にいれた。お使いはこれにて終了ぉ~」

 

 ひらひらと、右手の指先を調子よく揺らす。

 そんな苛立つ仕草がどうでもよくなるほど面倒な言葉が耳に突き刺さった。

 俺だけじゃない。サムとディーン、ミカエルやジャックの全員の眼が嫌でも反応する。

 

 そして、そんな俺たちの反応を見て満足げにルシファーは語り出す。

 愉快で堪らないと言った、俺たちにとっては最高に不愉快な顔で。

 

「言わなかったか? そう、私を出したのは父だ。いまでは私が父のお気に入りでミカエルはなんだったかなぁー。あッははは、ミカエルはアホだって!」

 

 ミカエルの双眸がルシファーの血走った赤色を反転させたような蒼白に染まる。

 

「アホだって」

 

 戦闘体勢に入ったミカエルをなおもルシファーはだらしのない笑みで嘲笑う。

 あれだけ父親に罵詈雑言を吐いていたわりに優等生だったミカエルを差し置いて、お気に入りに返り咲けたのが嬉しくて堪らないらしい。

 

 結局、ルシファーはルシファー。息子ができようが最後まで邪悪で淀んだ中身は変わらない。

 

 けど良かった、下手に改心されるよりそっちのほうが後腐れなく首を落とせるからな……

 

(触れなば斬らん──)

 

 ルシファーの視線と意識がまとめてミカエルに向いているいましか猶予はない。正面から正攻法で首を落とすには無理がある。

 

 PKで吹っ飛ばされた体の痛みに無視を決め込み、手元に引き寄せた槍と疾駆。

 一瞬の躊躇もなかった。テーブルを迷わず足場に使い殺傷圏内。恩寵の隠れている首めがけ槍を突き放つ。

 

「私の槍をくすねたのか。手癖が悪いったらないな、キリル。恋大き少年時代の友達はスリとラジオのパーソナリティー」

 

「────っ!」

 

 完全に殺傷圏内を取った距離からルシファーの姿が消え、振るった矛が空を裂く。

 

「頭を下げろ」

 

 刹那、棒立ちを決め込んでいた大天使さまの声がかかり、喜んで首を下げる。

 恩寵と同じ色の光弾が頭上を過ぎ、本を抱えたルシファーを追撃する。

 

「おまえの腕もとうとう錆び付いたな」

 

 が、呆れた声が聞こえたのは掌サイズの光弾が向かったのとは明後日の方向。槍と飛び道具、二段構えの攻撃が避けられた……

 

「それっ」

 

「うぁっ!」

 

 気の抜けた声で放たれたミカエルのものと瓜二つの弾は、彼の腹部を無慈悲に撃ち抜いた。くそっ、お手本みたいにカウンター決められやがって。

 

「ジャックー、どうしたい? 決断のときだ、敗けが決まったウィンチェスターを捨ててじいちゃんとパパのいる勝ち組に入るか」

 

 なんだ、パパのお気に入りに返り咲いてもまだジャックのことはご執心か。

 

「選択肢はないよな、戦う力はないんだから。そうだろう?」

 

 他ならぬ息子の力を奪って、ルシファーは異世界のミカエルの器をボロ雑巾にした。

 だがよりによって教会で腹をぶっ刺されてルシファーは虚無行き。

 

 無駄だよ、ルシファー。

 信用も信頼も積み重ねた果てにある。俺だって誉められた人間じゃない。けど俺から見てもあんたが積み重ねてきたものは、終わってる。

 

 それと、別に錆び付いてないかもよ──?

 

 

「分かってるぞ。後ろにいるんだろう?」

 

 言い淀んだジャックに背を向け、うんざりとした口調でルシファーは向き直る、背後にいるミカエルに。

 

「まだ兄弟喧嘩がしたいのか?」

 

「いいや、ケツ野郎」

 

 自分がスタール墓地で言われた言葉を贈り、ミカエルは大天使の剣をルシファーに突き刺した。

 

「……油断しすぎだ。お気に入りに戻って舞い上がりすぎたな、いつもはこっちが苛立ちくらい抜け目ないのによ」

 

 大天使にのみ許されたアンフェアな短刀が吸い込まれるようにルシファーの腹部へ沈む。

 コルトでも殺せない化け物だ。だが、ミカエルが振るう剣をもらえば、

 

「があああああああああああああっっ!!」

 

 さすがのルシファーでも耐えられない。

 目、口から弾けたオレンジの光は絶叫とともに出力を増し続け、最後に明るい閃光が弾けると跡形もなく、魔王は俺たちの前から姿を消した。

 

「みんな無事か?」

 

「まぁ、なんとか息はしてる」

 

「あんたのお陰でな」

 

「ああ、助かった」

 

 俺、ディーン、サムの順番に一息つくような声でミカエルに答える。

 ひどいものを見せられた、規模が小さくなったぷち最終戦争だ。ゾッとする。いやでも、息ができるならなんとかなるか。

 

「剣をありがとう」

 

 肝が冷えた俺たちに対し、ミカエルは抑揚のない声で怖いくらいに落ち着いてる。

 血に濡れた金色の刀身が照明からの光を浴び、怪しく煌めいている。

 

 大天使の剣、二度も同じ剣で葬られちまうとはな。

 いつものルシファーなら警戒してた、あの距離までミカエルを近づけて剣を警戒しないはずはない。

 

 ……一度は追放された父に戻され、頼られたのがあいつも嬉しかったのかもな。ミカエルを差し置いて、自分が父の傍にいられることへの喜びがルシファーの心をざわつかせた。

 父との再会がいつもの抜け目ないルシファーを変えちまった。それがいまの攻防に繋がったとしたら、つくづく皮肉だ。

 

 ジャックが生まれて、ミカエルの追撃を一緒にかわしてるときはもしかしたら──なんて、ありえるはずのないことも考えたこともあった。

 メグやクラウリーみたいにあいつも変わるかもしれないってな。けどルシファーはルシファーでしかない。

 

 最後まで悪意の塊だった。

 ルシファー、最後まで変わらなかったな。結局どんなときでも関係なしにおまえは自分のやりたいことを周りに不幸をばらまきながら好き放題にやった。

 

 ある意味、正直者だったよおまえは。

 虚無にも存分に噛みつけばいい、そして、存分に癇癪をもらってろ。

 



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魂眠る場所探して



残してたことをやりきりました。
分岐のend扱いです





 

 

 

 台風一過。台風が過ぎたあとには晴天が待つというが、ルシファーという台風が過ぎても神というそれ以上のハリケーンがまだ控えてる。

 

 暗雲過ぎ去らず、ジャンヌがやばい状況を知ったときによく言ってた。

 できれば知恵を貸してほしいよ、理子にも夾竹桃にもワトソンにも助けて欲しい。

 神崎、レキ、キンジ、星枷──力を貸して欲しい相手を挙げればキリがない。

 

 手を伸ばしても繋げない。

 こういう状況に置かれると再認識するよ。どれだけ腕利きの味方に恵まれていたかって。研鑽派三人組の軽口もバスカビールの弾丸が乱れ飛ぶあの空気も、何もかもが恋しい。

 

「無茶苦茶だよな。今まで色んな無茶苦茶なことをやってきたけど、今回は今までやってきた馬鹿げたことの集大成だ。金属生命体とリニアの上で戦ったのなんて比じゃない」

 

 無茶苦茶だ。冷静に考えれば考えるほどこの状況はイカれてる、アマラと神を同時に相手取るようなもんだ。

 ミカエルとルシファー、二人の大天使と敵対し続けた最終戦争よりもっと酷い。

 

 宇宙やら星やら別次元やらを造り出してる相手に、地に足つけないと生きられない人間が喧嘩しようとしてるんだ。

 アナエルも言ってた、蟻と戦車のほうがまだマシな対戦カードだってな。そこは優しい嘘の一つくらい欲しかったよ。

 

 状況が悪ければ悪いほど口は回る。目の前のふざけた現実を逃避するみたいに、俺の口は自己嫌悪したくなるレベルで動いた。

 

「アジア最強とか世界最強とかさ、テレビ番組じゃ色々な称号を聞いてきたけど俺たちが挑もうとしてるのは──」

 

「この惑星で一番上にいる生命体をなんとかしようとしてる。宇宙最強、いや惑星最強か。どっちにしてもとんでもない」

 

「ゾッとする、あっちが勝手に墓穴を掘るようにシャベルでも用意する?」

 

「土もならすか、掘りやすいように」

 

 そりゃ名案、是非とも墓穴を掘って欲しいね。

 ディーンとテーブルの上に腰掛け、なんていうか。馬鹿げてる会話をしてる、この世界をテレビのチャンネルにたとえるなら明日放送が終了しそうな状況で。

 

「──ハリーポッターの世界で『ウォーリーを探せ』をやってる気分になる。アダムがそう言ってた、考えても答えが見つからないときに」

 

 ふと、会話に混ざってきた来客に向けて、ディーンが首を回す。ミカエルだ。

 

「気分は大丈夫か?」

 

「ああ、少し疲れた。この何世紀ルシファーとは戦ってなかったから」

 

 さっきの広間を何個にも切り分けたような広さの俺の部屋に歩いてきたミカエルは、トップガンのポスターを張り付けた壁に背をすえる。

 

「父はルシファーを送った。ヤツが帰らなければ何かあったと気付くだろう」

 

「ああ、姿を現すほど馬鹿じゃない」

 

 ビールの栓を開けながらディーンはミカエルの言葉に付け加えた。

 

 姿をくらますのが神の得意技。イコライザーなんて不良品みたいな武器を奪うのですら、虚無の底からリリスまで寄越して躍起になってた。

 

 自分に傷をつけられるってだけの相打ち前提の銃にあそこまで拘るような神様だ。

 自分の死が書かれた本がこっちにあって、奪いに来たルシファーが戻らないとなったらちょっとやそっとじゃ足は動かない。

 

「いるか? トラピストビール、一年に213ケースしか作られないレア物」

 

「なんだよ、ベルギーに友だちがいたのか? 終わったらもらうよ。さすがに今回はジョーも許してくれる、お疲れ様ってな」

 

 そんなレア物、どこに隠してたんだか。

 無意識に腕を組んだところで、ふとミカエルが呟いた。

 

「本はまだこちらにある。あれを使えばいい」

 

「どういう意味だ?」

 

「父はあの本の存在を恐れ、ルシファーまで呼び戻した。私は父に裏切り者と思われているが、ルシファーの代わりにあの本を奪ったと呼び掛ければ──父は必ず現れる」

 

 それはつまり、本を餌に神を呼び出す?

 

「呼び出したところで、いまの父の力は強大を越えて無慈悲だ。仮に私がディーンの器に入ったとしても、正面からの戦いでは見込みはない」

 

 こっちの考えてることが透けて見えるのかよ。

 だが、ミカエルが『剣』込みでも勝てる見込みがないか。はっきりととんでもないこと言ってくれるよ。 

 

「ミカエルが本気を出しても敵わない。そうなると、力の差は絶望的だ。その差をなんとかできる突破口を見つけるしかない」

 

 果たしてそんな抜け道があるのかどうか。

 けど、見つけるしかない。神の首に刃物を届かせる抜け道を見つけるしかないんだ。でないと俺たちも仲良く消し炭、いつかは現状に飽きた神が本気になる。

 

「話がある、少しいいか?」

 

 分厚くてデカい、まるで物騒な英和辞典みたいな騎士の本を抱えてサムが部屋に入ってくる。

 いいニュースか悪いニュースか、その顔じゃ分からないな。

 

「サミーちゃん、どうかいいニュースをお願い」

 

「四方から槍が迫ってきてる状況で、いいニュースが舞い込んだためしがあったか?」

 

「ないね。だが、何事にも最初はある。その大事そうに抱えてる本はどう、なんとかなりそう?」

 

 なんとかなってくれないと困る。悲しいことにその本にすがりつくしか今は道がないんだ。

 祈るように聞いた俺に、ピエロが大嫌いな兄は答えを濁すように「さて、どうだろう」と勿体ぶった。

 

 良かった。潔くかぶりを振られるよりはずっと心臓に優しい。

 

 

 

 

 

 外に広がっている空は、これ以上ないと思えるほど澄んだ快晴だった。

 

 鳥、虫、空を漂う生き物は何一匹存在せず、ヘリも飛行機も飛び立つことない、誰にも荒らされることのない青い空が頭上には広がっている。

 

 深い森を切り分けるように野道をインパラが進み、右も左も木々に挟まれた景色がひたすら流れる。

 インパラの走る音以外は何も聞こえない。不気味なくらい静かになってしまった世界は物寂しいというより不気味って言葉が勝る。まさに空っぽだ。

 

「父が天界を去ってから、すべての預言者と天使たちに指示を出した。神は分け隔てなく愛情を注ぐ、そうやって父が信仰されるように務めた。それが残された私の役目だと信じていた」

 

 後ろには広い湖、前には深い森。

 足元には柔らかな砂が広がり、木々の群れから抜けて視界が開けた場所で、まじないのための道具がサムによって△を描く形で並べられた3つのボウルの中に集められていく。

 

「ガブリエルは姿を消し、ルシファーは地獄の檻に堕とされた。天界に残ったのは私とラファエルだけ、誇りがあった。父の為に尽くしてきたことへの誇りが」

 

 △を描いたボウルの中心には死の騎士の本。こいつがまじないを発動させる一番の鍵。

 携帯瓶に詰められた材料が次から次、矢継ぎ早にボウルのなかにぶちまけられる。

 

「何世紀も尽くした父に刃を向ける。いままで自分がやってきたことを台無しにしちまうんだ、抵抗はあって当然だ。人間だって何十年も追いかけてた夢を諦めるのにはそれなりの決断がいる、あんたの場合は半世紀、お察しするよ」

 

 そう言うと、材料のかき集められたボウルの上でディーンがマッチに火を灯す。

 

「けど、きっとガブがいたら俺たちに力を貸してくれたと思う。あんたほど付き合いは長くないけど、彼に器を貸した。だからそうだと思う、ガブならあんたと同じことをしたと思う」

 

「まさか緋緋色金と争うとはな。緋緋色金、色金に宿る意思。彼女は母の元に帰れたのか?」

 

「ああ、友達が宇宙まで見送りしに行った」

 

 神崎がキンジとロケットに乗ってひとっとび。あんなデート浮世離れすぎて、俺はごめんだ。

 転がっていたのをそのまま拝借した死の騎士の鎌を肩に担ぎなおす。こいつなら火傷くらいは負わせられるかな。

 

「そうか、いいニュースが聞けてよかった」

 

 柔らかな笑みでミカエルがそう告げた途端、火を灯したマッチはボウルのなかに引火。

 ボウルの中で赤く燃え広がった3つの炎から青白い柱が立ち、頭上高く天へと突き抜ける。

 

 なんとも目立つまじないだ。空にそびえる柱が3本、呆れるくらい存在を主張してやがる。目印にはちょうどいい。

 

「ちっ……!」

 

 順調に突き立っていた3本の光の柱が唐突に揺れ始め、本を三方向から囲っていたボウルがまとめて弾け飛ぶ。

 虚空に混ざっていた青い光も消え、まじないの唐突な変化に重たい空気が流れる。

 

「どうなった、成功か?」

 

 重たい空気のなかディーンが言葉を発した次の瞬間、全員の視線がひとつに集まった。

 無視できない、無視することの許されない異様な存在感に視線ごと意識そのものが引き寄せられる。

 

 

 

「──結末は至難の業。物語の最初なら猿でも絞り出せるが結末なんて書けない。なんとか辻褄を合わせて終わりたいがどこかで必ず綻びはできるし、ファンはケチをつける」

 

 安心しな、無事に招けたよ。ただ残念なことに殺すことはできなかったみたいだ。そういう意味では、このまじないは失敗だな。

 

「父上」

 

「息子よ。よくやった、教えてくれたおかげだ。この場所、まじないのことも」

 

 刹那、ミカエルを除いた俺、サム、ディーン、ジャックの体が宙を舞った。お決まりのPK、いやこいつの場合はPKかどうかも怪しい……!

 

 ミカエルが神に本のことを囁けば、必ずヤツはやってくる。当たってたな、神が自分から足を運んだ。

 アマラを取り込み、破壊と創造の両方のパワーがチャックの中に潜んでる。言葉でたとえる以上に、やばい。分かっていたがこんなの、化物や怪物の言葉じゃ足りないぞ……

 

 俺たちが地面に伏せる傍ら、ミカエルが神に向けて数歩、近づくように前に出る。

 

「父上、お話があります。今一度……考え直して欲しい。私はこの地上で、この目で実際に見て感じた。貴方の創ったものは──本当に美しい」

 

 嘘偽りのない声色、そしてミカエルのその言葉はかつて人間や地上を壊し、荒らしたあとのアマラがかけたものと、よく似てる。

 

 相手は数世紀ミカエルが尽くしてきた父親。

 ガブやルシファーと違い、ただ父の言いつけと天使としての使命を果たしてきたミカエルにとって、ヤツは文字通りすべて。

 

 正直、もしここで向こう側についても仕方ないと……思ってたよ。謝る、ちゃんと説得しようとしてくれて、消えちまったみんなに変わって感謝する。

 

「たとえ失敗し、倒れても、人間は自分の力で道を切り開く。子供が崩れたつみきを何度も建て直そうとするように、人は前向きに、生まれ変われる。父上、貴方もご存知のはずです」

 

「飽きた玩具のように見捨てるのは無責任。もう少しこの世界に希望を持てということかな? もっとより良き世界に生まれ変わるその日まで、待つべきだと?」

 

 神の蓄えた顎髭に指が触れる。

 まるで悩むように、そして、

 

「そういうことなら仕方ない。より良き世界へ、か。いいタイトルだ。傑作になる」

 

「傑作……? 父上、それはどういう──」

 

「逃げろミカエル!! いますぐ下がれッ!」

 

「……父上?」

 

 異変に気付いたディーンが張り裂けんだときには、ミカエルの両目からあふれて垂れ落ちた血が足下に毒々しい花を咲かせていた。

 

 違う。ミカエルの言葉はチャックには届いてない。最初から聞く耳なんて……こいつは持ってないッ! 

 

「死の騎士の鎌、かっこいいよな。手にした武器が世界観を表す。ビリーは苦手だった、なんでもかんでも鎌を突っ込んでくる。前任者のほうがいい、ジャンクフードが好きな変態。君の場合はそうだな、ダイエット中にチョコを食べる矛盾した男ってところか」

 

 常軌を逸した威圧感だ。

 ……ただ敵意を飛ばされただけで精神攻撃系の超能力を浴びた気分になる。

 

 ミカエルの両目からの出血は止まらず、ついに膝が地に落ちる。まずい──

 

「もう遅い。ウィンチェスターの側についた、到底許されない」

 

 疾駆しようとした俺の足が縫い付けられたようにそこから動かない。それどころか、死の騎士の鎌が掌から音もなく消え失せる。ちくしょうめ……なんでもありかよ。

 

 もたついている間にミカエルの頭部、アダムの顔の皮膚が剥がれるように中から青白い光が一本、二本と吹き出していく。

 おいおい、冗談だろ……仮にも何世紀も自分に尽くしてくれた息子だぞ。正気か……?

 

「ありえんだろ、ミカエル……ッ!」

 

「しくじったな……ここまでらしい。アダムに、会えれば伝えてくれ。楽しかった、と……」

 

 スッと風が凪いだような音が耳を抜ける。

 遅れて、派手な衝撃の波が体をさらい、何もない虚空に体が投げ出された。

 

 ミカエルの中にある恩寵が、天使のガソリンタンクが吹き飛んだことでの……衝撃だ。大天使だけに衝撃の規模も普通じゃない……

 

 イカれてる、ミカエルを殺しやがった。なのになんだあの顔は、何も堪えてない。あれは不要な部品を処分したくらいの……なんでもない顔だ。

 

 ミカエルは父を信じて話し合おうとした。こうなるリスクは覚悟の上で。

 だが現実はルシファーの言うとおりだった。これではっきりした。神に与えるべき愛はない。

 

 

「人間か、最大の失敗作だ。役立たずで失望させるばかり。あいつらはなんでも物を壊す、それに退屈だ」

 

 ダサい白のスーツを着込み、淡々とした声でチャックは歩いてくる。

 

「孤独な世界で、永遠に苛まれる兄弟。字面だけなら洒落てるんだが絵面となると、おえっ。見る気がしない。ショーは打ち切りだ」

 

 土まみれの服と一緒に体を起こす。案の定、兄弟全員砂やら土やらで酷い顔になってる。

 綺麗なスーツと、傷一つないチャックのしたり顔を見てたらおかしくなりそうだ。これまでの不満を込めて一発殴らないと気が済まねえ。

 

「いいさ、それなら最後に一発」

 

 ゆらゆらと立ち上がったサムがぎこちない動きから一発、突き出した拳がチャックの顎を先に捉えた。

 先制を奪われちまったな。まるで堪えてないって顔だが。いいさ。スッキリはする。ディーンと俺も、ぐらついた体で握り拳を作る。

 

「勝手に初めて勝手にクランクアップとは都合がいいじゃねえか」

 

「その図々しさ羨ましくねぇなぁ。神だろうと見習いたくないねぇ」

 

 俺は右、そしてディーンは左の二方向から回り込むように動き、したり顔にもう一発、二発殴るつもりで腕を振り上げる。

 

「はぁ、まあいいか。手を汚してやろう」

 

 ああ、そうさ。神ってわりに人間の文化に触れすぎてる。

 殴りあいをふっかければ、指を鳴らそうとした左手をほどいてチャックは乗ってきた。よしそれでいい、指パッチンだけは困るからな。

 

 あとはスタール墓地でやったのと同じ。

 化物との、アンフェアな殴りあいだ。

 

 前触れもなく、ディーンの呻き声があがる。首がねじ曲がるような衝撃に俺の足はもつれ、砂の上に殴り飛ばされた。

 

「ショーの最後にしては品がないが」

 

 ……アンフェアだ。ろくに訓練もしてねえだろうにこのふざけた威力、頭の中がミキサーみたいにグチャグチャだ。

 

 悪態をつき、また殴りにかかる。鳩尾を撃ち抜かれ、顎を下から打ち上げられてたたらを踏む。

 

「がああああああああ!」

 

 ディーンの右腕はあらぬ方向に曲げられ、サムは頭突きで頭を割られたように背中から倒れ込んだ。

 誰かが立ち上がればチャックの拳が飛び、足下に広がる砂の至るところで赤黒い花が咲く。

 

 たたらをふみそうな足で、チャックの顎に下から掌打を撃ち込む。体重移動も何もない、気力で撃ち抜いた一撃の直後、金属バットに殴られたような衝撃が顔を揺らした。

 

「……ぐッ!」

 

 ゆらいだところに腹にも蹴りが一発。

 臓器が内側で暴れ、咳き込んでくるものに耐えられずごぼ、と口から壮大に血をあふれる。

 

 ……最悪、なんですけど、どうしていつもこう、綱渡りみたい方法しか残ってないんだか……

 

「諦めろ」

 

「……おとといきやがれ、ヘボ作家……!」

 

 鉄板を殴り付けたように顔面を捉えた左手がしびれる。一発入れたぞ……はっ、ざまあみろ……

 

「ひどい顔だ。見るに堪えない」

 

「……ッ!?」

 

 ガードが間に合うわけない。ボロボロだった顔にもう一撃。歯が欠けた、鼻の骨もたぶん、やられてる。

 俺たち全員ひどい顔してる、特殊メイクしてるスタントマンみたいだ。立ち上がっては神に倒される、その繰り返し。

 

 おとなしく倒れなかったせいで俺はハイキックまでオマケにもらい、無事ノックアウト。血まみれでダウンまでできあがり。

 ……ったく、誰だよ、こんな無茶苦茶なこと考えたのは……まだか、まだ……まだなのか、ああそうだ、死んでから休めってんだろ、分かってるよ、やってやる。

 

「うぉ…っ!」

 

「……ぐふ……っ!」

 

 見るにたえない、そう言った野郎への嫌がらせのように俺たちは立ち上がり、掠りもしない攻撃を続けようとして殴り倒される。

 肌は切れ、髪の毛も血で濡れ、口のなかには血と倒れたときに飲んだ砂の味。

 

 サムもディーンも顔はガラスに突っ込んでみたいに血だらけ傷だらけ。ディーンに限ってはありゃ右腕は骨折だ、サムも足がやられて引きずるみたいに立ってる。

 俺も頭から砂をかぶるわ、右目は腫れ上がったみたいに視界を歪ませてるし、動こうとすれば肋の近くからバカみたいな痛みが走る。

 

「最終回にはみんな特別な展開を期待する、ふざけるんじゃないよまったく」

 

 物語の主人公にしちゃ絵面が酷すぎるよな。

 ああ、これは神の描く物語じゃない。俺たちの人生だ。戦地から帰還した軍人みたいにボロボロで、満身創痍。傷だらけで華なんてない。

 何度も立ち上がって、血だらけになって、地面に頭をぶつけてまた立ち上がる。神がうんざりするくらい挑んで、

 

「もういい、十分だって」

 

「……っ、は……はは……」

 

「はは、は……っ」

 

 そのとき、空気が変わる。

 ──ああ、やっとか、やっと。良かった、これ以上殴られると頭がおかしくなりそうだった。

 

 血まみれの顔で笑いだした二人にチャックは困惑を、俺は安堵の笑みで足をやられたサムの左肩を支える。俺だってもうボロボロだ、どこもかしこもすごく痛い。

 

 だが、もう終わった。ざまあみろ、もう終わりだ。 血まみれで俺も笑う、困惑した神様を笑ってやる。

 

「なんだ。何がおかしい?」

 

「何がおかしかって。お前の敗けだからさ」

 

 サムの言葉にチャックは理解が届かない。自分が敗北したと言われてもピンと来ない、アマラを飲み込んでただでさえ恐いもの知らずな頭に拍車がかかったんだからな。

 だが、ヤツも気配を感じて俺たちから視線を外して真後ろに持っていく。振り返った先でヤツを見ていた者は、それは白いジャケットを汚さずに綺麗に保っている、ジャック。

 

 ただの高校生みたいに幼く、あどけなさの残るその背景にあるのは、ルシファーが大統領に憑依していた折、恋人だった女性から産み落とされた天使と人間の子(ネフィリム)だ。

 

 

「ジャック。まさか相手をするつもりか、君が?」

 

 失笑を沿えて、ぱちん、と神が指を鳴らす。

 

「?」

 

 そして、何も起きない。困惑した顔でチャックが何度も指が鳴らすがいつもみたいにジャックは消えなかった。

 

「……なぜだ、なぜ消えないっ!」

 

 さあな、答え合わせの前にお仕置きの時間だ。

 好き勝手にやった罪は重い。

 

 ジャックが右手を翳すと、チャックの顔の奥から今度はオレンジ色の光が吹き出し、周囲の大気が金切り声や悲鳴でも上げるかのように暴れていく。

 皮肉にもさっき神がミカエルにやったのと瓜二つ。顔がひび割れていくように内側から光の柱が次々と顔に突き立ち、本来顔からは漂うはずのない白煙が大気に熔けていく。

 

 いい加減気付くいただろうよ。

 もう自分のワンサイドゲームじゃないってな。

 

 顎が天を向くように上がっていき、両眼に橙色の光を走らせているジャックが腕を下げるのに合わせて、チャックの体も倒れ伏した。

 

 地についたんだ、神が。両手を突いた。

 一度は殺したジャックに、いまは逆に見下ろされてる。決着はついた。

 

「お……クリーニングがいらなくなった」

 

 驚いたディーンの顔は、数十分前の姿に巻き戻されたように傷が消えていた。

 傷だけじゃない。汚れていた服まで、砂を被る前のクリーニングをかけたような真新しい姿に戻ってる。治癒っていうより時間を逆行させたみたいだ。すげぇ、まさに『神』の技。

 

 首から頭にかけて走っていた橙色の光がジャックから失せると、真っ白だったスーツを小汚なくしたチャックも地に寝そべったまま、今度は足を引きずることもなく淡々と歩いてきた俺たちを見上げてくる。

 

「なんだ。何をした、これが終わりか? どういう結末なんだ、教えてくれ……!」

 

 ……

 

「自分で読め。好きなだけ」

 

 冷たく言い放ち、サムは拾いあげていた死の騎士の本を開いたままチャックの目の前に投げ捨てた。

 

 神の死にかたが記されているとされ、チャックがルシファーまで使って奪おうとした本。開かれたそのページに目を落とし、何枚もページを捲り、やがて理解できないといった顔がそこには残さる。

 

「……何も書いてない」

 

 そう、白紙だ。

 いくらページを捲っても死の騎士の本には何も書いてない。いや、()()ない。

 

「書いてある。死の騎士の本を読めるのは死の騎士だけ……」

 

 ハッとした、人間くさい困惑の瞳が吐き捨てたサムを射る。

 頭が追い付いてきたみたいだな、あのまじないも見てくれがいいだけのでっちあげだ。ロウィーナが残した本からそれっぽいのをサムが選んだ。

 

 

 

 

「本が開いても読めなきゃ意味がない。だが、お前を誘き寄せる餌には使える。いい子のミカエルから話をもらって、派手なまじないの一つでもしてやればお前は疑わずにやってくる。お前の嫌ってるビリーがジャックを『爆弾』に仕向けたのも役に立った」

 

 ディーンが告げる傍ら、答え合わせの終わった本を拾いあげて砂をはたく。

 

「ビリーがジャックを虚無で爆発させたあと、戻ったジャックはエネルギーを吸い込む吸引器になってた。行く先々でパワーを吸い込む、まさにエネルギーの吸引器。そんなジャックの前でミカエルとルシファーが派手にバトルをやった。もちろん、ジャックが吸い込んだ」

 

 何枚捲っても綺麗に真っ白。本当に何も書いてないな、この本。

 真っ白な魔本を見下ろしながら告げるが、チャックの顔に怒りや悔しさはない。

 

「おまけにお前はミカエルを殺し、ここで俺たちをぶん殴った。神のパワーを、放ちながらな。そしてジャックが全部吸収、無敵のパワーを手に入れた」

 

 ディーンが最後にそう締めると、ついにチャックが笑いだした。

 

「これだ。これだよ。素晴らしい、やはり私のお気に入りだ。他の世界の君たちとは違う、この世界の君たちだけが私の心を踊らせてくれた。先の見えない事態になるのは初めてだよ、まさか負けるなんて思いもしなかった」

 

 負けたとは思えない顔で、心底楽しげにチャックは語る。こいつは……自分が負けたことすら、物語の演出の一つに思ってるんだ。

 予想外の展開。思いもよらなかった展開が起きたことに、自分が敗北して俺たちに討たれようとしてるこの展開に酔いしれてる……

 

「当然だ。あれだけのことをしたんだからな。誰に殺される、サムか? あるいはディーン、究極の殺人鬼。キリでも悪くない、君に殺されるならまさに、本望だよ……!」

 

 目を輝かせるチャックに、恨み節も罵詈雑言も投げるつもりにはなれなかった。憐れみ、唖然、色んな感情の籠った顔で殺人と呼ばれたディーンは一言、

 

「悪いな、チャック」

 手を汚さずに踵を返した。

 

「悪いな」

 

 そしてサムもまた、俺もチャックから視線を切るように踵を返していく。

 

「待て……! どこに行くんだ、殺せ! まだ最後の役目が残ってるじゃないか!」

 

「勘違いしてる、俺は殺人鬼じゃない。サムも、キリもジャックもそうだ」

 

「駄目だ、殺せ。でないと結末にならない!」

 

 ここまで来ると、もう怒りはない。あれだけのことがあっても怒りを超えて、哀れだ。

 必死に訴えるチャックに振り向きながら、俺は同じく振り返ったジャックに横目を向ける。

 

「なあ、ジャック。吸いとった神の力は戻るのか?」

 

「もうこいつの力じゃない」

 

 ジャックの言葉を聞いて、一度頷いてから、サムはゆったりとした、感情を隠すような瞳でチャックの見上げるような視線を結ぶ。

 

「なら結末を教えてやる。──お前が見捨てた人間たちと同じだ。この先普通に歳をとり、老いていく。誰もお前を気にかけないし、思い出す、こともない」

 

 ああ、それでいい。

 無言で俺たちに、目を配ってきたサムに俺もジャックもディーンも何も言わない。

 

 この現実を物語と捉えて、悪役に徹した自分が死ぬことで理想の結末とする、筆を置こうってんならここで生き延びて結末を白紙にしてやるほうが、作家にとってはよっぽど酷だ。

 

 

「待て! 待ってくれ!」

 

 チャックの静止は虚空に消え、俺たちは各々インパラに乗り込んでいく。

 

 切に願うよ。

 この先、お前がミカエルやみんなにしたことを悔いながら、普通の人間と同じように老いて腐っていくことを。

 

「待て! 頼むから置いていくなッ、戻ってこい! 待ってくれぇええ!」

 

 V8エンジンが唸り、インパラのタイヤが砂を巻き上げ、チャックの声は遠ざかっていく。

 

 チャック、お前がいつか言ってた通りだ。

 結末なんて書けない、書けなくていい。すべては繋がっていくんだから。

 

 

 

 

 

 

 俺たちだけが取り残された世界。

 街に戻ると、そこには活気が戻っていた。

 

「すげぇや、やったなジャック!」

 

「大したもんだ、お坊っちゃま。夾竹桃に代わって俺が頭を撫でてやろう。よくやった我が友、今日のMVPは譲ってやる」

 

「ああ、これで完全に戻った。僕らの勝ちだ」

 

 道路を行き交う車。平然と横切っていく犬。仕事に終われるスーツ姿の青年、後ろを歩いているカップル、外まで騒ぐ声の聞こえるダイナー、周りのどこを見ても人の声と、命がある。

 

 そう、俺たちは勝ったんだ。何の目的もなく見渡した景色、そこには命がある。

 チャックが消し去った命がここにはある、それは俺たちがあの手この手で這いずり回って、取り返したもの。

 

「うん、気分がいい。Team Free Willはまたもや世界を救っちまった。ジャック、お前の勇姿は俺がちゃんと日本にも広めといてやるからな。獣人や魔女軍団からサインせがまれるかも、サイン練習しとけよ?」

 

 ジャックの肩を叩いて、横を通り過ぎ振り返って笑いかけると、兄二人は顔を下げて苦笑いついでにかぶりを振る。

 なんだよ、重苦しい戦いがようやく全部終わったんだ、二人だってあと数分もすれば反動で口が止まらなくなるよ、絶対。

 

「なあ、これからジャックが次の……なんて呼べばいい」

 

「なんだっていいだろう。俺たちを救ってくれたジャックだ、今日のMVP」

 

「そう、今日のMVP。それで……チャックはああなったけどアマラはどうなった?」

 

 チャックの中に取り込まれた、一つになっていたダークネス。俺が控えめに聞くと、ジャックは微笑んだまま胸に右手を当て、

 

「ここにいる、調和をとりながら」

 

 消えたわけじゃないのか。そりゃそうか、神とアマラは生と死や光と闇。お互いに存在していることで宇宙のバランスを保ってる。

 アマラが無事じゃなかったら、今頃また日蝕やら天変地異やらが始まってこんな穏やかな景色が広がってるはずない。でも良かった、アマラが無事なら正直それが聞けてホッとしてる。

 

 良かった。道中は荒れまくったが終わってみればこれ以上なく一件落着だ。

 アマラは生きてる、暫くは狩りや人助けは一休みして休暇を取るか。日本にもこれでやっと顔を出せる、先生にも会いに──

 

 

「……基地に、帰れるんだよね?」

 

 

 

 ────────

 

 

 

「そうさ、何言ってんだサム。ジャックは新たなトップに君臨した、何だって思いのままだ」

 

「そうだよ、何言ってんのさ。帰ったらみんなで基地を掃除するんだ、書斎も部屋も荒れ果てたのをほったらかしだ。祝杯にクレアや保安官、ドナテロやみんなを呼んでパーティーやろう、小綺麗にしとかないと」

 

「それいいな、決まりだ。ど派手にパーティーをやる、ビールもチキンもサムの大好きなサラダも食い放題。よし、基地を小綺麗にしよう。リクライニングチェアを買って、キリには新しいトップガンのポスター、ジャックにはなんと、プラズマテレビを買ってやる」

 

 おお、それはアガる御褒美だ。ビリーに引き裂かれちまったからな。.

 俺とディーンが意気揚々と先を歩いて、インパラに乗り込もうとしたとき、

 

「ディーン、キリ、僕は────基地には帰らない」

 

 ……

 

 ……

 

 

「どうして?」

 

「ある意味、そこにいるから」

 

「どこに?」

 

「至るところに」

 

 

 曖昧な答えに、問いかけたはずのディーンの顔は困惑だらけ。

 けど、なんとなく、曖昧にだけど、さっきからジャックが微笑んでた意味が……分かった気がする。

 

 分かってしまった。

 

 

 

「神に、なったのか? つまり、その……チャックの後釜というか、死の騎士みたいに役目を──」

 

「僕は僕。でも、そういうことになるかな」

 

 ジャックはそう言うと肩をすくめ、俺へとはにかんだ。

 サムは、いや、ディーンも俺もどこかで察してた。チャックのパワーを吸収した、そういうことだって。認めたくなかっただけ、家族が、どこかに行く気がして。

 

「また……会えるよな。たまにはさ、一緒にビール飲んだり──」

 

「いつでもいる。たとえば雨粒の一つ一つの中に、風が運ぶ塵の欠片にも僕がいる。石ころや砂や海の中にもね」

 

 言葉を遮るようにサムに帰ってきたその言葉に、俺とディーンは静かに息を呑み込んだ。

 

 だってそれは、遠回しに……いや、違う。そうじゃない。いつもジャックはいる、そう言ってるんだ。別れるわけじゃない、言葉を選べ。

 まだ生まれて十年もこの世界に生きてないジャックの目の前だ。俺が言葉を間違えてどうするんだよ、しっかりしろ……

 

「みんなを救ってやってくれ。大勢の人が、ジャックを頼りにして答えを求めてる」

 

「ディーン、答えは彼等の中にある。今日は無理でも、いつか気がつくよ。彼等は僕に祈る必要はないし、もちろん犠牲を払わなくてない。ただ僕が、既に彼等の『一部』だってことを信じてほしいんだ」

 

 街を何気なく通る人々、大人や子供、車や自転車、小さく吠えている犬。快晴の下、広がる景色を一瞥してからジャックは小さく頷いた。

 

「僕は表に出る気はない。チャックは自分を物語の中にいれた、それが間違いなんだ。三人を見ていて気付いたよ。それに母さん、キャスが教えてくれた。人は──」

 

「人は?」

 

 被せるように俺が首を揺らす。

 ジャックはいつものように柔らく微笑み、

 

「人は全力を尽くせば達成できる。そう、できると信じなきゃ」

 

 子供だった。出会ったときから体は整ってるだけ、外側が成長しただけの中身は右も左も分からない子供だった。

 たまに手を焼かせるし、暴走するときは暴走するし、思えば振り回された、それなりに。それなり以上に──

 

 

 

「僕も達成しに行く」

 

 背を向けたら、引き留められる自信がない。

 だから、いま言っとく。

 

「ジャック。キャスとケリー、お父さんとお母さんが見てたら、きっと……いまの姿を誇りに思うと思う。俺も誇りに思う、一緒に戦えて」

 

 本当は一緒に基地で映画をみたかった。

 チキンウィングを一緒にむさぼって、だらけながらテレビを見ていたかった。けど、いまの姿を誇りに思う。心から。

 

「僕にはキャスと、みんなが父親だった。君たちみんなが家族だ、これからも」

 

「ああ、そうだ。神だろうとネフィリムだろうと関係ない、ジャックは俺たちの家族。それ以外に言いようがない。最後まで一緒に戦い抜いた、かけがえのない戦友だ」

 

 はっ、最後にかっこいいところ持っていくんだ、ひどいよな。よこどりだよ。

 

 またな、は言わない。さよならも言わない。

 ジャックはいたるところに、いつもいる。別れじゃないんだ、これは別れじゃない。

 

 いつものように右手をぎこちなく挙げ、そしてジャックは背を向けて歩いていく。小さな背中はやがて見えなくなり、俺たちも無言のままインパラに乗り込む。

 

 そして、インパラは走る。

 レバノンの賢人のアジト、いつもの日常への帰路を。

 

 

 

 

 

「静かになった」

 

 広く、そして静かになった基地で、約束通り俺もビールを開けた。ジョーも今日だけは許してくれる。

 机に腰をおろし、ぽつりと呟いたサムの言葉がなんとも言えない哀愁をくれる。ついこないだまで、異世界のハンターたちで溢れかえっていた日常が、もう何十年前のことに思える。

 

 全部終わった。なのになんでかな、ここに戻ってくると実感がわかない。不思議な気分だ。

 

「献杯しよう、俺たちが失ったすべての人に」

 

 ああ、そうだね、献杯しよう。

 俺たちがなくし、これまでのすべてに。

 

「けど、これからはチャックじゃない。自分たちの描く物語で進んでいいんだよね」

 

「やっと敷かれてたレールが終わった。アンフェアな戦いはここまで」

 

「ああ、ようやく自由だ」

 

 各々に言いたいままに言葉を並べて、ビールを呷る。

 静かになった、三人しかいないこの基地で。

 

 

 

「だったら、旅をしないか? 物語の導くまま──家族で」

 

 

 シボレー・インパラ。

 ローレンスの中古車販売店で、若い海兵隊が衝動買いしたこの車は、世界が新たな時間を歩き始めた今日も、変わらずにエンジンを回してる。

 

 茜色に染まる空の下、果ての見えない道へ向けてディーンはハンドルを握る。

 ナイフで刻んだ三人分の文字、ファンを入れれば音を立てるレゴのブロック。母さんが、親父が愛したシボレー・インパラは今日も走る。

 

 運転席と助手席に兄を乗せ、横たわって後ろを陣取る俺を乗せて、走る。

 

 蔓草のように絡んでいたしがらみが消えたこの世界を。

 物語の導くまま── 魂の眠る場所を探して。

 

 

 

 

 

 

 

 

「信じられる? 話しかける口実に事故を装って盗んだ郵便物使うんだよ、ありえないって」

 

「好きな男を手にいれる為に涙ぐましい努力をする女はたくさんいる。まぁ、やり方としちゃたしかにグレーゾーンだな。でもこれは没収」

 

「わぁー! アタシのエナドリ返して! 返してよっ!」

 

 走り抜け、駆け抜けて、長いトンネルを抜けると、いつか安らぎがやってくる。

 そもそも安らぎってなんだって話だが、バチカンのシスターたちは口を揃えてそう言ってた。貴方にもいつか安らぎが訪れますように、とかなんたら。

 

「はぁ……アンナ。子供のうちからエナジードリンクのジャンキーなんて救いがなさすぎる、今週これで何本目だ? エナジードリンクじゃ安らぎは訪れないって言ったろ、ちゃんと見ろあの空き缶の山を! いったいなんだあの緑と黒の山は!」

 

「……半分は母さまのでしょ。2徹して追い込みかけてたときの、冤罪だよ。キリが売り子やらないなんていうからまだご機嫌斜めだし、この冷戦っていつまで続くの?」

 

 ヘイゼルグリーンの瞳をまんまるに開いて、俺よりずっと背の低いお嬢様は不平不満の顔を近づけてくる。後ろ頭を掻くまで時間はかからなかった。

 

 今朝も洗面所で長々と格闘してた黒髪は既に腰を超えて、少し重たそうにすら見える。

 誰かさんの影響で伸ばす伸ばすって言って聞かないからなぁ。子供は良くも悪くも影響を受けやすい。

 

「……全くお前は……どうしてこう、尖った言葉ばっかり覚えてくるのかなぁ。子供のうちは果物ジュースで我慢しとけ。初聖体に行ったら飲み放題なんだぞ、ぶどうジュース」

 

「キリは真面目すぎるんだよ。年の数にうるさすぎ。お爺さまだって年を誤魔化して軍人になったんでしょ?」

 

「また余計なこと吹き込まれて……姑息な言い訳ばっかうまくなるんだから」

 

 誰に聞いたんだそんなこと。

 たしかに誤魔化して入隊したとかなんとか言ってたな。ローレンスに帰還してすぐは、まだビールが飲めなかったって。

 

「カフェイン摂りすぎたら馬鹿やるの。馬鹿をやらないためにカフェインは摂りすぎちゃいけないの。俺ってそんなに真面目に見える?」

 

「昔学校にいたシスターといい勝負。よく定規で問題児の手を叩きまくってた。ばしばしばしばしばしー!」

 

「こら、人の膝をぺちぺちするな。ばしばしばしじゃないよまったく……」

 

 なんつー擬音だ。

 ……よし、アニメでもかけよう。アニメなら腐るほど録画も円盤も揃ってるしな。

 好奇心旺盛、おまけにませてる我が家のお嬢様に今日も今日とて手が額を抑えに行く。ばしばしばしじゃないよまったく……

 

「ほら、ソファーまで行くぞ。買ったばかりのバカでかいやつまで、アニメかけてやるから」

 

「やたっ。CANAANの続きがいいなー、キリも一緒に見よっ!」

 

「……褐色肌のかっこいいお姉さんがベレッタを撃ちまくるアニメか。中東は最高だよ、人は親切で道は分かりやすい」

 

 変身して、不思議な力で悪党と戦う女児向けのアニメってことはなかったな。

 褐色肌で後ろ姿のかっこいいお姉さんが殺し屋とスタイリッシュにドンパチするアニメだ。キンジとかなめも好きだった。

 

 俺はご丁寧に整理整頓された横長テレビの下の引き出しの中からお目当てを抜く。飾り気のないベレッタのカスタムラインがまたかっこいい。

 

「はーやーくー。ほら、はーやーくー」

 

「わーってるよ。それで、雪平さんちのアンナ先生? 母さまは俺が売り子を断ったせいでご機嫌斜めだって?」

 

「トドメをさしたって感じ。不満が溜まってたところにトドメの一発ってヤツ?」

 

 子役みたいに皮肉っぽく、綺麗に笑う。

 口から出てくる言葉が10歳からややかけ離れてる気がするが誰の影響なのかは置いといておこう。

 頬杖を突いた俺のことを差し置いて、テレビには派手なオープニングがかかり始めた。

 

「テレビで言ってたよ? 夫婦円満のコツは謝ることだって、謝ったら?」

 

「感謝祭まで冷戦しとくわけにもいかないか。来週は金一さんとパトラも来るって言ってたしなぁ……理子やヒルダはゲリラでやってくるし……アンナ、一緒に母さまの機嫌をとりにいくぞ。仲間になるならこれをやる」

 

 俺がなけなしのクラッカーを差し出すが、アンナは受け取らず人差し指と中指をハサミのように広げる。

 

「2枚よこせ」

 

「1枚しかない……」

 

 俺は10歳の子供と何をやってんだろ。

 いや、けどたしかにこれが、平和なのかな。

 平和。どこかで望んでた安らぎ。

 

 黒いレースワンピの脇に両手を通し、そっと華奢な体を目の前で抱き上げる。

 

「……怒っちゃった?」

 

「いいや、全然。子供は我が儘をいうのも仕事なの。まぁ、適度にな。学校のほうは?」

 

「そこそこだよ。うん、そこそこ」

 

「そこそこ楽しい?」

 

「うん」

 

 そっか。それなら良かった。

 膝の上に座らせてやると、胸元に小さな頭がもたれ掛かってきた。

 条件反射で手はその頭の上にいく。

  

「ねぇ、今日はみんなでご飯食べれる?」

 

 なんて聞かれると、毒気はどうあっても抜かれた。

 子供の癖にやたら綺麗な睫毛のラインは、誰かさんに似たのかな。

 

「今日帰ってくる予定だけど、一緒に空港まで迎えに行こうか。サプライズで」

 

「! アタシが運転する……!」

 

「いや、俺が捕まるって……まだ10歳だろ? お嬢様は助手席、ナビゲーション係だ。うわぁ……ひどいなあれ、電線に背中から絡まっちまったぞ。御愁傷様だ」

 

 そうと決まればお嬢様が動くのは早かった。

 子供はこうと決めたらいつだって一直線だ、動くのが早い。サムも昔はそれはそれは、そそっかしかった。

 

 銃声が乱れるテレビの電源を落とし、インパラの鍵をライターと一緒にテーブルから拾う。

 いまから向かえば、飛行機よりも先に空港まで行けるだろ、V8エンジンの見せ所だ。

 

「キリ、はっやくー!」

 

「慌てるな、さっきのクラッカーやるから」

 

 2ドアスポーツセダン、67年のシボレー・インパラは今日も陽気にエンジンを響かせる。

 老いを知らないな、最高の彼女だ。でもいつか、いつか俺も親父みたいにベイビーを譲るときが来るのかな。そう、いつかーーもしかしたら、

 

「シートベルトは? ──ジョアンナ・ベス・()()()()()()()()?」

 

「ちゃんとしてます。ジョディおばさんとドナおばさんの教え」

 

「よろしい。今日は好きな曲流していいぞ。ディーンのルールを破る」

 

「ふふん。セトリはアタシに任せといて」

 

 自信たっぷりの横顔が助手席で咲く。性格はジョーにもエレンにも似てないが、その自信に満ちた横顔はちょっと似てるかもな。

 ああ、ちょっとだけ似てる。

 

 ハンドルを派手に回し、タイヤを傾ける。

 ライトが灯り、何度も耳にしたエンジン音がゆっくりリズミカルに吠えていく。

 

 先のことを考えるのはやめだ。

 いまはただ、この子と一緒にインパラで走れる現実に感謝しよう。……売り子を断ったのはやっぱまずかったなぁ……まずったかなぁ。理子やジャンヌからも板挟みにされちまう未来が見える。

 

「まずはアタシの大好きなこの曲から──Livin' On A Prayer」

 

 最初から飛ばしていくねェ。いい選曲だ、どうやって繋いでいく?

 

 フッと笑った俺の傍ら、カセットテープの詰まった、使い古されたダンボールボックスを抱えたまま、アンナがテープを突っ込んだ。

 

「ねぇ、なんで母さまのお願い断っちゃったの? いつもイエスマンなのに」

 

「俺はイエスマンじゃない」

 

「本当のとこは? 母さまには内緒で」

 

 古き良き、アメリカのロックが響く最中、ここならいけると踏んだらしいアンナにーーああ、ちくしょうめ。赤信号だ。

 

 

「……設営するのが『スーパーナチュラル』の本だったからだよ。だっておかしいだろ、それは俺に頼んじゃダメなヤツだって。俺にとっちゃチャックの残したあの本は死の騎士の本なんだ、とってもヤバイって意味。分かるか?」

 

 よし、信号が変わった。走れ、ベイビー。

 V8エンジンが俺の心を落ち着かせてくれる。いまは君が俺の精神安定剤だ。案の定、アンナはあっちの肩を持った。

 

「……もういいじゃん。電子書籍もアニメだってあるんだからさぁ」

 

「いいや、よくない。俺はやらん、テコでもやらんぞ今回はな。大体だな、俺にも言いたいことはある。あいつはテレビ通販に毎年いくら使ってるんだ? 吊りトマト、栽培プランターにクリスタルの水やり機だ。ガラスが切れるナイフも買ったよな?」

 

「全部必需品って言ってたね。冷却枕も」

 

「この枕なら朝までぐっすり」

 

「熱い夏でもぐっすり眠れます。アタシも買ってもらおうっかなぁ。二曲目は──」

 

 ダンボールの中に手を突っ込み、そこでアンナは言葉を切った。いや、俺も……言葉がない。

 

 

 

「ねぇ、ここ……日本だよね?」

 

 

 舌足らずな声に困惑が混じる。

 ああ、そのはず。日本の道を、空港に向かって走ってたはずだ……なのに、あの標識は──

 

「海を渡っちゃったの……? さっきの、アメリカの標識だったよね? これ……マジ?」

 

「……俺はもう驚かないぞ、これくらいじゃ」

 

 嘘だ。頭が痛くなってきた。平和だ安らぎと言ってた傍からこの有り様だ。

 さっきまで流れていた街並みとは離れた、人気の失せた暗い道だ。アメリカの標識、暗がりでも目をこらせば俺たちのいるその場所は──

 

「キリ! ブレーキーっ! 人だよ人っ!」

 

「道路で集会やるなって学んでねえのか、あの学生どもはッ! ふざけんなっ、バカタレ!」

 

 ライトが道路にいた四人の男女を照らし、俺はおもいっきりブレーキを踏み込んだ。ボビーの言葉が相応しい、バカタレがっ……!

 

 タイヤが擦り減り、嫌なブレーキ音が暗闇に響く。冷たいものを背中に感じながら、祈るようにブレーキを踏んだ結果は……幸いにも、最低な景色を子供に見せることはなかった。

 

 目と鼻の先、嫌なたとえが浮かびそうな距離でインパラは無事に制止する。

 

「ったく、なんだってんだ……」

 

 ライトに照らされた男女2人ずつのペアは、全員ひやりとした顔で立ち尽くしてる。いや、後ろに保護者みたいなのもいるな、男の。

 

 フロントガラス越しに見えるのは後ろの保護者みたいな男を除いて、子供だ。

 大学生と言われても通る、上だとしても20を超えるかどうかってところだろう。

 

 全員日本人じゃない、微かに聞こえてくるのも英語だ。一人はカンザス訛り、他にもーー西海岸か?

 

 道路で立ち尽くしてるのには呆れる。

 だが、俺の苛立ちは別の方向へ向いていた。

 さっきの標識もある、俺たちがアメリカ本土にいるのは間違いない。

 

 だが、場所や景色は変わってるのに空は相変わらず真っ黒闇だ。おかしい、日本と本土には少なくとも半日以上の時差がある。アメリカに飛ばされただけなら夜はもう明けているはずだ。

 

 胸騒ぎと苛立ちが悟らせるのは、ただ違う場所に飛ばされたってわけじゃないな、これは。

 

「アンナ、ちょっとだけ話してくる。待ってろ」

 

「……キリ、あのクレア姉に似た女の人って……ありえないんだけど、あの人のこと写真で見たことあるよ?」

 

「アンナ?」

 

 翡翠石を押し込んだようなヘイゼルグリーンの瞳はありえないものでも映しているような様子だった。

 そして、遅れて俺にもアンナの言いたかったことを理解した。いや、遅すぎた。平和ボケしてたのか、なんで気付かなかった……

 

「メアリー、離れろ! 嫌な予感がする!」

 

「待って父さん! 話をしないと。きっと何か知ってる! ラタ、カルロスも落ち着いて!」

 

 クレアによく似た、すこしきつめのアイメイクと腰元まで伸びているブロンドの髪。

 伸びてるから気付かなかった……名前を聞くまでは。

 

 いや、そうなれば全部のことに理解がいった。パズルみたいに繋がっちまう。

 後ろの保護者も、隣のガタイの良さそうな青年も答えが割れちまった。ってことは、ここは多分1970年代のアメリカ本土、思ったよりもややこしい扉を開いちまったみたいだぞ……

 

 ちくしょうめ。髪の毛がまだ残ってるじゃねえか良かったな。俺は髪のないアンタとしか会ったことはなかった、不思議な気分だよ。

 

 何年ぶりにご対面だ、もう覚えてない。マザーがご乱心になったとき以来だ。

 色んな感情が混ざりあった心臓の鼓動を殴りつけるように黙らさせ、その一行の中で一人だけ歳の浮いたその男の名前を呼ぶ。

 

「──サミュエル。サミュエル・キャンベルだよな。同業者だ、悪いけど警戒すんのはやめてくれる? そっちの、多分兵役上がりの子、やたら殺気立ってる」

 

「殺気立ってない、驚いてるだけだ。勘違いさせたなら謝る、あの子は妹?」

 

 兵役上がりは否定しないか。

 サミュエルと一緒にいるってことに違和感はあるが間違いない、若い頃の親父だ。

 

 ジョン・ウィンチェスター。

 若かりし海兵隊。まさかまたこんな……出会えるとはな。言葉に詰まりそうだ。

 

 親父、母さん、サミュエル。まるで引き寄せられたみたいに縁のある人間が同じ場に勢揃いだ。

 チャックは、もういないはずなのにまだこんな展開に巻き込まれちまうとはな。キンジの口癖を借りるか、ありえんだろってヤツ。

 

「いいや、外れ。あの子はアンナ、ちょっとませてるウチのお嬢様」

 

「お嬢様? 姉ってことはないし、待って……嘘でしょ? つまり、その……その顔で親なの……!?」

 

「若すぎるって? ありがと、えっと……メアリーさん? 色々複雑な事情があって、話せば色々と長い」

 

 メアリー母さん……髪を切ってたときの印象が強くて分からなかった。クレアに瓜ふたつだ、こんなに似てたとはなぁ。

 

「なあ、悪い人じゃないんだよな?」

 

「カルロスだっけ? これでどう?」

 

 親父、母さん、あんまり仲の良くなかったサミュエルの爺さんまでは分かる。あとの二人は初めて、知らない顔だ。

 襟元を下げて、胸の悪魔避けを通行書代わりに見せると、今度こそ警戒の空気は消えていく。

 

「……それって悪魔避けのタトゥー? かなりイカしてる」

 

「我が家の義務教育。これで悪魔に取り憑かれちまうことはない」

 

「同業者なのは分かった。ねぇ、貴方たちは()()()()()と──父さん!」

 

 メアリー……母さんが叫んだ刹那、俺たちもワンテンポ遅れて異変に気付く。やられた、囲まれてるな。人の気配じゃない、イヴの子供たちだ。

 

「母さまとのご飯はちょっとの間お預けだね。でもすごいね、ホントにあの本みたいなこと起きちゃった」

 

 我慢できないって顔でアンナも助手席のドアを開いてやって来る。見ろよ、あの顔。

 

「喜ぶ場面じゃねえぞ、囲まれてる。つか、インパラの中に居ろって言ったろ?」

 

「手が足りなそうだったから」

 

「娘が有能すぎて泣きそうだよ」

 

 あーあ、ルビーのナイフを握っちゃった。

 子供に狩りをさせてる、母さんから痛い視線が突き刺さるぞ。間違いない。

 まぁ、 師匠はあのジャンヌダルクと怪盗リュパンだ。俺なら襲おうとは思わない。

 

 薄暗い道路を囲むように四方から、いつからそこに潜んでいたんだと言いたくなる数が顔を見せる。隠れるのが上手なのはいつの時代も同じか。

 

 親父も母さんもやる気だ、残りの二人も。

 サミュエルは言うまでもない、あの爺さんはいつだって誰より血気盛んだったよ。

 

「聞きたいことは色々あるけど、先にこいつらを片付けよ。のんびり話もできない」

 

「賛成、俺も聞きたいことがある。先に連中に風穴開けてから話そう。近くのダイナーにでも行って」

 

「じゃあ、先にこれだけは聞いておきたい。いきなり君たちの車が、さっきのはまるで、突然闇の中から現れたみたいだった。何者なんだ?」

 

 違う時代、違う世界からやってきたなんて素直には言えない。十中八九、ややこしくなる。

 手短に聞いてきた親父に、黒いレースワンピを闇にとかしながら舌足らずな声が響いた。

 

「アタシの名前は雪平アンナ。好きな曲はwinter fallとParadise Lost、嫌いなものは海と川と流れるプール」

 

 つい最近誰かさんと一緒に川に落ちて、俺が死にもの狂いで拾い上げたお嬢様は……怪物に囲まれているなかでも、淡々とそう名乗った。

 

 

「──仕事は怪物退治」

 

 

 最後のその名乗りは、俺がキンジに名乗ったのとちょっとだけ、似てる気がする。

 

 

 

 



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