GRIDMAN F (細野龍元)
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序章ーPROLOGUEー

この作品は特撮番組『電光超人グリッドマン』及び雑誌企画『電光超人グリッドマン 魔王の逆襲』、アメリカのTV番組『スーパーヒューマン・サムライ・サイバー・スクワッド』、日本アニメ(ーター)見本市の『電光超人グリッドマン boys invent great hero』、そしてTVアニメ『SSSS.GRIDMAN』の物語、もしくはそれに似た事件が同じ世界で起きたという設定で執筆しています。
また、没となった続編企画『電撃超人グリッドマンF』の設定も一部取り入れております。



 1993年4月、東京の桜が丘に『魔王』が降臨した。

 その名はカーンデジファー。『ハイパーワールド』という世界の出身で、様々な次元を侵略した悪魔である。

 カーンデジファーは中学生の藤堂武史のパソコンへ寄生、地球侵略の第一歩として機械と繋がる異次元世界『コンピューターワールド』の掌握を目論んだ。

 コンピューターワールドを破壊・改変すれば機械は暴走し、玩具は強力な兵器に変わり、空間湾曲やタイムスリップさえ引き起こす。それに目を付けたカーンデジファーは、優れたハッカーで暗い過去と孤独な現状から歪な心を持つ武史を手駒とした。

 同じ頃、中学生の翔直人、馬場一平、井上ゆかが組み上げた自作パソコン『ジャンク』に、カーンデジファーを追う『ハイパーエージェント』が宿り、一平が描いたCGの姿と名を借りて実体化、直人と合体してコンピューターワールドを守る超人『グリッドマン』となった。

 それから武史に怪獣を作らせるカーンデジファーと、一平が製作した『アシストウェポン』などを駆使するグリッドマンの戦いが始まった。そして12月、失敗続きの武史を見限ったカーンデジファーは自ら出陣したが、直人たちの説得と懸命に戦う姿を見て改心した武史の協力で消滅させられた。

 後に『カーンデジファー事件』と呼ばれる戦いが終わり、グリッドマンは直人、一平、ゆか、そして武史に別れを告げた。直人たち4人も新たな友情を結び、世界に平和が戻った……はずであった。

 しかし、それは長い戦いの始まりに過ぎなかった。 

 カーンデジファーの弟『ネオカーンデジファー』が地球へ侵攻、グリッドマンやその弟『グリッドマンシグマ』と激闘を繰り広げた『ネオカーンデジファー事件』。

 1994年9月、アメリカ軍の人工知能がネットワークに拡散したカーンデジファーのデータを取り込み暴走、ある少年を唆し『メガウィルス・モンスター』と呼ばれる怪獣を暴れさせた『キロカーン・クライシス』。

 各国でコンピューターワールドの研究が進むなかで多発した、『魔王の欠片』と呼ばれるカーンデジファーのデータに影響された機械の暴走。

 2015年、残存する魔王の欠片が結集して不完全ながらネオカーンデジファーが復活、東京の荻窪に怪獣を出現させた『荻窪大災害』と、その後始末の過程で偶発的に発生した世界規模の事件記録および記憶の改竄。

 DCW(コンピューターワールドに起因する災害)と呼称されるそれらの事態は、ジャンクを通してネットワークに流れたグリッドマンやアシストウェポンのデータを取り込んだ少年たち、ホワイトハッカー、各国のDCW対策機関、再来したグリッドマンシグマの手で解決した。

 そして2018年、世界には新たな脅威が迫っていた。

 

*****

 

 桜が丘の隣町、ツツジ台。ベッドタウンだけあって真夜中は静寂が支配する。その上空を2機編隊の『F15-J』が飛行していた。航空自衛隊の百里基地に駐屯する『第305飛行隊』の所属機だ。

 パイロットの1人が計器と外の景色を確認し、通信を入れる。

 

『こちらELBOW、「BLACK」の反応、ロスト。目視でも確認できない』

『了解。警戒を怠るな。引き続き「BLACK」の捜索にあたれ』

 

 指示を聞いたパイロットは通信を切り、僚機と共に捜索を続行する。

 レーダーサイトが東京上空に出現した飛行物体を捉えたのは10分前のことだ。通常の航空機なら侵入される前にキャッチできるはずだが、今回は一切前兆なしだ。即座に『ホット・スクランブル』が発令され、F-15Jが発進した。管制の指示に従って飛行物体を追跡した飛行隊だが、ツツジ台上空で飛行物体は姿を消してしまった。なお、飛行物体は黒い球状であるため、『BLACK』のコードネームが付けられた。

 

『さっきまで反応はあったんだが。DOM、どうだ?』

『こちらも同じだ。いきなりロストした』

 

 僚機と通信を交わしつつ、2機のF-15Jは油断なく旋回を続ける。

 

『これも怪獣の仕業、なのか?』

『わからん。どっちにせよ「オギクボ」は動くだろう』

 

 カーンデジファー事件とネオカーンデジファー事件は各国に衝撃を与え、日本でも防衛体制の大幅な見直しが行われた。これは現在も続いており、第305飛行隊の移駐計画なども立ち消えになっている。

 同時にコンピューターワールドの研究も開始され、5年前にそれまで各省庁が独自に設置していた研究・対策部門を統合し、内閣府所管のDCW対策機関『CDCR』が設立された。なお、『オギクボ』とは本部が荻窪にあることに由来する俗称である。

 怪獣とコンピューターワールドが密接な関係にあるのは関係者には周知の事実である。しかしあらゆるモノがネットワークと繋がった現代にそれを公表すれば社会全体が大混乱に陥る。

 なのでコンピューターワールドの存在は認めつつも全容は不明、というのが各国の公式見解である。CDCRも名目上はサイバーテロに対処する機関、ということになっている。

 パイロットたちはそれが方便だと知っているが、どこまで研究が進んでいるかは知らない。すでにコンピューターワールドへ出入りできるのかもしれないが、関係のないことだ。

 

『とにかく、今は飛行物体だ。舐められたままでは困る』

 

 DOMというTACネームで呼ばれたパイロットがそう告げ、2機のF-15Jは無言で捜索を再開する。

 その頃、黒い飛行物体はツツジ台に降り立っていた。住宅地に着陸すると大きさが縮み、ほぼ人間大のサイズになったところで人型に姿を変え、最終的に2つの人影になる。

 その姿はどちらも黒いマントに尖った頭、後頭部から噴き出す炎、サングラス、歯を思わせる口元の電飾モニターとまさに異形といった佇まいだ。ただし、片方はサングラスが赤く炎が青なのに対し、もう片方はサングラスが青く炎が赤と正反対だ。

 赤いサングラスの個体は『新条』と表札が掲げられた民家を見上げる。すると青いサングラスの個体が電飾モニターを赤黒く点滅させて話しかける。

 

「……ここか、貴様が見つけた新たな贄の居場所は」

「人聞きが悪いねえ。パートナーと呼んで欲しいな。正確にはまだ候補だけど」

「呼び方などどうでもよかろう。所詮は妄念を搾り尽くされるだけの矮小な存在に過ぎない。それより、分かっておろうな?」

「もちろんだとも。私は彼女を楽園に誘い、君は彼女の楽園を守る。私は彼女に怪獣を創らせ、君は怪獣で世界を壊す。そして私は彼女の感情で虚無を埋めて、君は怪獣の破壊で衝動を満たす。そういう取引だろう?」

「ならば、いい。さっさと済ませろ」

「相変わらず愛想がないねえ……我がことながら心配になるよ。それじゃあ、彼女をこの退屈な世界から救ってくるとしようか。後はよろしく」

 

 赤いサングラスの個体は姿を禍々しい黒い球体へ変え、吸い込まれるように民家の一室へ入っていく。

 

「……こちらも始めるか。いずれ、狗どもが嗅ぎつけてくる」

 

 青いサングラスの個体も同じく球体に姿を変えて飛び立つ。

 

 その日、ツツジ台から一人の少女が忽然と姿を消した。

 物的証拠がなく、母親が仕事で帰りが遅くなるとメールした直後に一言だけ返信があった、という証言しか出なかったこともあり、警察の捜査は難航した。事件に巻き込まれたことも考えられたが、誰かが侵入した痕跡も、自分で家を出た形跡もないことから暗礁に乗り上げた。

 

 これが大事件の始まりであったなど、当時は誰も思いはしなかった。

 

*****

 

 9月17日。都立ツツジ台高校。隣町の都立桜が丘高校と違って進学校とは言えないが、アルバイト禁止以外に目立った校則がない自由闊達な校風と、イベントには全校一丸となって全力で取り組む気質は桜が丘高校と変わらない。特に毎年10月に実施される両校の学園祭は、互いをライバル視してより面白いものにするか切磋琢磨している。

 そんな高校も真夜中は静かだ。警備員が巡回する校舎も足音以外何も聞こえない。

 ライトで視界の先を照らしつつ、警備員は手順通りにチェックしてぼやく。

 

「しかし、ツツジ台も騒がしくなったよなぁ……道路の陥没といい小火(ぼや)騒ぎといい、怪獣の蜃気楼といい」

 

 ここ最近、ツツジ台で話題なのは多発する道路の陥没や小火(ぼや)、そして怪獣の形をした『蜃気楼』だ。

 道路の陥没は老朽化と整備が疎かになったツケ、小火も原因が別々なため単なる偶然、蜃気楼に至ってはたまたまそう見えただけ、というのが警察や消防、役所が出した見解で、警備員もそうなのだろうと思っている。ただ、一度だけ見た蜃気楼には思うところがある。

 

(やっぱり、あの怪獣だよな)

 

 25年前、関東一帯が毒ガスに覆われた際に映像が空へ映し出された。そこに映った怪獣と蜃気楼は酷似していた。警備員もそれを目撃しており、怪獣の姿は鮮明に覚えている。ただの見間違いとは思えないが、本物の怪獣ならば今ごろツツジ台は跡形もなくなっているだろう。

 巡回を終えて宿直室へ戻ろうとするが、突然火災報知器がけたたましい音を鳴らす。

 

「火災!? どこで!?」

 

 警備員は慌てて駆け出しながら無線のスイッチを入れ、待機中の同僚に連絡を入れる。

 

「こちら村石、火災報知器に反応あり! そっちはどうか!?」

 

『こちら佐川、報知器が鳴った個所を……確認した、体育館だ!』

 

「了解! 通報を頼む!」

 

 すぐに無線を切って勝手口から外に飛び出すと、体育館の方から黒煙がもうもうと上がっている。体育館が見える位置まで移動すると、体育館全体が火柱を噴き上げていた。

 

「なんで、体育館が……?」

 

 10分前に巡回したときは異常などなかったはずだ。放火の可能性も考えたが、先ほど付けたばかりにしては火勢が強すぎる。唖然とする警備員のもとに同僚が駆けつけ、呆然と炎を見つめる。

 その後、消防隊によって火は消し止められたが体育館は全焼、校舎の一部も焼ける被害が出た。

 原因究明の調査も行われたが、天井の電球が一斉に加熱・発火したことが原因と推測されたものの、なぜ加熱されたのかは不明に終わった。

 

「まだ実体化には程遠い、か」

 

 その一部始終を、赤い炎と青いサングラスの異形が校舎の屋上で見届けていたことなど、誰も知る由はなかった。



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EPISODE1 接触ーCONTACTー

 9月25日。都立ツツジ台高校の体育館は全焼した時のままだ。瓦礫が散乱し、周囲に立入禁止の標識テープが張り巡らされている。放課後は帰宅部の学生も学園祭の準備をしているが、体育館跡には寄り付かない。今、その敷地内に黒いスーツを着た男が数名立っていた。

 眼鏡をかけた男は中央部で天井の残骸を見ていたが、隅に敷かれたブルーシートに向かう。そこに置かれた照明器具の残骸を白手袋を嵌めた両手で掴み、瓦礫に乗せて取り出したタブレットと見比べる。

 男が残骸を戻すと、別の場所を調べていた男が駆け寄る。

 

「副課長、当たりです。出火元と発信源が一致しました」

「DCWの可能性が高いな。作業班に連絡を。課長には私から報告する」

「はい!」

 

 副課長、と呼ばれた眼鏡の男は部下の男へ指示を出し、携帯を懐から取り出す。

 

「藤堂です。先日検知した異常データの発信源が割り出せました。照明器具のコンピューターワールドが改変されたかと。作業班には田宮から連絡します」

 

『お疲れ様です。副課長は引き続き指揮をお願いします。こちらはもう一度、発信源を洗います』

 

「わかりました。何かあれば連絡を」

 

 副課長……藤堂武史は電話を切り、作業着姿の男たちが標識テープを越えるのを出迎える。

 武史はコンピューターワールドに起因する災害、通称DCWの対策を担う内閣府管轄の機関『CDCR』の職員だ。現在はDCWの原因究明や被害状況調査、DCWの電子的な防護や対策も行う『調査部第一課』の副課長を務める。

 第一課は課長以外『外様』ばかりだ。武史も以前は防衛装備庁の電子装備研究所でコンピューターワールドの研究を行っていた。そこを大学時代の先輩で長年の友人でもある課長に声をかけられ、CDCRの設立と同時に転籍した。

 作業班が機材をトランクから出し、残骸にケーブルを接続するのを見ながら武史は傍に来た田宮へ声をかける。

 

「田宮、現地調査は続行だ。私と大神、三船は一週間前に半壊したビルへ向かう。君は村崎、榎本と残ってくれ」

「わかりました、後は任せてください」

「ああ。君たちなら大丈夫だと思うが、トラブルがあれば連絡を」

 

 田宮の肩を軽く叩き、一瞬微笑みを浮かべた武史はその場を後にする。

 すぐに大神と三船が隣につくと、武史は誰に言うでもなく呟く。

 

「田宮も落ち着いてきたな」

「嬉しそうですね、副課長」

「気に入っている、だけではないみたいですけど」

「指揮を執れる人間が増えるのはいいことさ」

 

 民間企業出身の田宮を筆頭に、第一課は官公庁以外の出身が大半で、いずれも曲者ぞろいだ。そうした面々をまとめるのも武史の仕事になる。

 田宮は第一課では最年少だが、武史に次ぐ知識やスキルを持つ優秀な人材だ。ゆえに武史も目にかけている。

 そしてもう一つ、田宮を気にかける理由がある。

 

(皮肉なものだな。かつて嫉妬した相手を右腕と恃むなんて)

 

 田宮は知らないが、二人の縁は25年前まで遡る。

 当時、田宮はスニーカーを名乗るハッカーで、電子掲示板にしたグリッドマンに関する書き込みを武史が見つけたのがきっかけだった。武史はIDから個人情報を割り出し、偵察に向かった。

 田宮は交通事故が原因で車椅子生活を送り、ハッキングで憂さ晴らしをする歪な人間だった。シンパシーを感じた武史だが、武史の同級生3人組がスニーカーの正体を突き止め、友達になろうとして田宮に拒絶されたのを見て、すぐ嫉妬と憎悪に変わった。

 親からは都合のいい操り人形扱い、友達もいない孤独な自分ではなく、田宮に救いの手が差し伸べられたこと。そして田宮がそれを拒んだことが原因だ。

 武史はカーンデジファーに進言し、怪獣を使って田宮を含むハッカーを洗脳、全世界のコンピューターを攻撃させた。作戦は順調だったがグリッドマンの介入で失敗し、田宮も改心して車椅子から離れ、新たな友達を作った。一方で武史は孤独に苛まれる結果に終わった。

 もっと早く動けば孤独から抜け出せたかもしれないが、当時は歪な思考に支配され、カーンデジファーを唯一の友と思っていた。

 グリッドマンたちの助けで改心し、ネオカーンデジファーとも戦った武史だが、罪悪感が消えることはない。これから先も消えることは決してないだろう。

 自分だけが孤独で不幸という独り善がりが事件を引き起こし、犬とはいえ命まで奪った。その責任を取ることは一生かけても難しい。

 だからこそ命ある限り戦い続けると決めた。カーンデジファーに協力したおかげで、コンピューターワールドの知識や干渉する技術はあり余るほど身に付けた。それを社会に役立てようと思ったのだ。幸か不幸か、コンピューターワールドの存在と危険性は世界レベルで認知されたため、機会はすぐ見つかった。

 大学へ進学後は志を同じくする教授や学生と研究に取り組んだ。MIT(マサチューセッツ工科大学)へ留学した時には、キロカーン・クライシスの当事者で昔の自分と同じ立場だった男と知り合い、過ちを繰り返させないと固く誓った。

 しかし、力不足を痛感している。3年前の荻窪大災害ではグリッドマンの力を借りなければならなかった。

 そんな過去を顧みて歩く武史の頭に、バレーボールが直撃する。

 

「ヤバッ! ごめんなさーい!」

 

 ボールを拾い目を白黒させる武史たちの前に、慌てた様子の女子高生が走ってくる。

 

「ホントにごめんなさい! すいません! うっかりサーブ外しちゃって!」

「サーブ?」

 

 きょとん、とした顔で広場へ視線を向けると、ジャージ姿の女子高生が数人、遠巻きに見ていた。

 状況を理解したところで、女子高生は両手を合わせて拝み始める。

 

「マジですいません! 反省します! ……反省しました! だからボールを返していただけないでしょうか!」

「……あ、ああ。これかい? どうぞ」

「ありがとうございます! それじゃ、失礼しました!」

 

 一気にまくし立ててくるのに押され、ボールを渡すと礼もそこそこに走り去っていく。

 

問川(とんかわ)、だからやめようって言ったのに」

「しょうがねーじゃん! ツツ工の体育館使えないんだし!」

「よく言うよ……四葉先輩を待ってるだけっしょ?」

「バレた?」

「バレー部、でしょうか?」

「今日は『ツツジ台工業高校』の体育館が使えない、みたいですね」

 

 女子高生の会話を遠巻きに聞きながら、大神と三船が呟く。

 現在、バレー部などの練習は近くにある『ツツジ台工業高校』や小中学校の体育館を間借りしている。借りられない場合も自主練をする学生がいるらしい。問川と呼ばれた女子高生は少し違うようだが。

 

「けど災難ですね。ああいうヤツはどこにでもいたもんですが」

「災難なのは彼女たちだ。体育館が焼けなければ外で練習しなくてよかったはずだ。我々が悔やむべきはそれを防げなかったことだ」

「おっしゃることはわかりますが……」

「こう言った方がいいか? ボールを当てられるなんて慣れっこさ」

 

 武史がズレた眼鏡を直すと大神と三船は顔を見合わせて肩を竦める。

 直後、携帯から警報が鳴る。DCW発生時の異常なデータを感知したようだ。

 

「車に戻るぞ!」

 

 武史たちは表情を引き締め、校門前に停めた中継車に似た車へ乗り込む。

 内部には大型のコンピューターが設置されている。CDCRの専用車両だ。各自がキーボードにつき、インカムを着けると課長から通信が入る。

 

『副課長、ツツジ台で異常なデータ発信を検知しました! 直ちに防護プランAの実行を願います!』

 

「了解! 16:00、DCW防護プランA発令!」

 

 通信が切れた直後に武史はキーボードをめまぐるしく操作し、部下も続く。

 DCWの対処は時間との勝負だ。DCWは有線無線を問わず様々なネットワークを通して拡散し、その被害を拡大させる。特にコンピューターワールド間を直接繋ぐ超次元通路『パサルート』に拡散すると非常に危険だ。しかも、怪獣の流入などで常時開通した状態を除けば、現実世界からパサルートへの接続は現状運任せだ。

 

「発生源は……市街地か! 三船!」

「周辺ネットワークへバリアプログラム注入、異常データ流入を阻止します!」

「パサルートとの接続急げ! 大神、汚染率は!?」

「半径100m圏内の汚染率、40パーセントを突破! 間もなく現実世界への波及が始まると予想されます!」

「三船、緊急修復プログラムを投入しろ! パサルートとの接続はこちらで行う!」

「はい!」

 

 それから車内は武史の指示と部下の報告が飛び交う戦場と化した。

 DCWの防護プランのうち、Aは初期対応用だ。発生源の周辺に異常データが流入するを防ぐバリアプログラム、破壊・改竄されたコンピューターワールドの緊急修復プログラムを投入し、被害を抑える。同時に発信源との接続を確立、修復する。

 そこで終わらなければ周囲一帯のネットワーク隔離、コンピューターへの電源供給阻止を経て、最終的にコンピューターワールド自体を破壊するプログラムが投入される。場合によっては『作戦部』に権限が委譲され、物理的な破壊で停止を図る。

 現状、DCWに対処できる人員がほとんどいない。専門部隊の育成が急務だが、立場上大々的に人材を集められないのが痛い。

 車内のコンピューターが稼働するなか、武史の正面モニターに映像が出る。電子回路の基盤を思わせる大地、所狭しと立ち並ぶ建造物、瓦礫の山、中央に鎮座するねじれた形状の塔。DCW発生源のコンピューターワールドだ。

 

「パサルートへの接続確立! 改変レベルは……2か。異常存在はなし。修復に取りかかる!」

 

 手早く状況を確かめた武史はキーボードを操作し、修復プログラムを送信する。映像では空に赤い穴が開いて光の玉が飛び出し、塔に当たってスピーカーがついたビルへ変化させる。

 少ししてスピーカーから眩い光が放たれ、瓦礫の山が消えて建物が再建される。最後に規則的な街並みが見えたところで映像が消え、警報がやむ。

 

「修復完了。異常データは?」

「現在は送信ありません。他からの発信もです」

「そうか……16:21、異常データ送信の停止を確認。待機フェイズに移行する」

 

 武史が一言告げると緊張の糸が切れ、大神と三船は大きく息を吐く。

 

「どうにかなりましたね、今回は……」

「いや、これからだ。被害状況を確かめなければならない。恐らくビルのスピーカーだろうが……すぐに出発だ」

 

 大神を武史がたしなめると、三船が運転席に向かう。その間に武史は本部へ連絡する。

 

「藤堂です。発信源の修復が完了、怪獣などの異常存在は確認できず。発信源の同定と被害状況の確認へ向かいます」

 

『了解です。詳細な場所は割り出しました。タブレットで確認を』

 

「わかりました、では」

 

 課長に報告を済ませた武史はタブレットを確認する。

 場所を頭に叩きこんでいると、運転席に座る三船が声をかける。

 

「あの、副課長」

「どうした?」

「……蜃気楼、です」

「あれか……大神、カメラを」

 

 近くに怪獣の姿をした『蜃気楼』が出たようだ。

 カメラを受け取った武史は外に出て、街の方に向ける。確かに怪獣の姿がある。微動だにしないが、その姿に見覚えがあった。

 

「ベノラ……」

 

 かつて武史が製作した怪獣の一体だ。見間違えるはずがない。怪獣は全て友であり、自分の分身だったのだから。

 

「どうかされました?」

「いや、なんでもない」

 

 運転席から顔を出した三船にそれだけ告げ、撮影を続行する。

 

(ただの『災害』ではなさそうだな)

 

 途中、胸騒ぎを覚えた武史は内心不安を漏らしていた。

 

*****

 

 その日の深夜、航空自衛隊の百里基地。正体不明の飛行物体の相次ぐ侵入を許しているため、最近は緊迫したムードが漂う。

 基地のアラート待機所に4人のパイロットと飛行管理員が詰めていた。4人は第305飛行隊のF15-J搭乗員、『イーグルドライバー』だ。2人は仮眠を取り、残り2人はソファーに腰かけている。飛行管理員は読書中だ。

 腰かけるパイロットの1人が軽く身を乗り出し、コーヒーを飲むもう1人に話しかける。

 

「お前とのアラート任務もこれで最後か……あっという間だな、フライ。いや、もう翔って呼んだ方がいいか?」

「よしてくれ、ハスキー。任務中だ。最近は国籍不明機(アンノウン)の侵入を許しているしな」

「そうだな……最初に出た黒いヤツと9月の初めに来た赤いヤツ、そして先週確認された青いヤツ。いずれも航空機じゃない」

「しかも目的は不明。攻撃はないのがますます不気味だ」

「どっちにしてもいい迷惑さ。そう言えば、あの辺りに実家があるんだよな?」

「ああ。ツツジ台の隣町さ」

 

 コーヒーを飲むパイロットはTACネーム『フライ』こと翔直人。もう1人は『ハスキー』こと岡野光。今は5分待機の組に入っている。

 直人がカップを置いたところで、岡野の顔が変わる。

 

「なあ、考え直さないか? 俺たちは高度3万フィート、6.5Gの世界を飛ぶことを許された特別な人間だ。ましてやお前はもう少しで40歳の壁を越えられる。身体は問題ないんだろう?」

「今は、な。だが歳が歳だ。39までしがみつけただけ上等さ」

「しかし……」

「それに話しただろ? 理由はそっちじゃない」

「蘭子ちゃん、もうすぐ10歳か。具合はどうなんだ?」

「今は問題ない。でも半年前に医者から言われたよ……次に発病したら助かる確率は20%を切るって。そして手術可能になるのが先か、再発が先かの勝負、とも」

「そこまで、蘭子ちゃんは……」

「……俺は夢を叶えて好き勝手出来たし、ゆかと蘭子に散々迷惑をかけた。だから身体が無事なうちに残りの人生を家族のために使う。そう決めたんだ」

 

 直人が静かに告げると、岡野は押し黙って座り直す。

 一人娘の蘭子は先天性の難病に侵され、幼少期から入退院を繰り返していた。今も体育は見学ばかりだ。手術をすれば完治が望めるが、蘭子の体力的に投薬である程度治す必要がある。

 多忙だった直人は入院にあまり付き添えず、半年前に倒れた時もすぐ駆けつけられなかった。妻のゆかは仕方ないと慰めてくれたが、これからはゆかや蘭子に寄り添って生きると決めた。幸い、同郷の自衛隊OBが営む航空会社に再就職が決まった。あとは時間との勝負だ。

 沈黙が続く待機所に、突然サイレンとベルが鳴る。飛行管理員が電話を取り、叫ぶ。

 

「スクランブル!」

 

 声が終わる前に直人と岡野は立ち上がり、ドアを開けて駐機されたF15-Jへ駆け出す。

 コックピットに入り出撃準備を整え、格納庫の扉が開く。2機のF15-Jは滑走路に到着し、離陸する。

 直人たちに管制塔やレーダーサイトからの通信が入る。

 

(機種、国籍不明。推定飛行速度マッハ10以上でこの低高度……間違いない、例の発光体だ)

 

『さしずめ4番目、「FOURTH」と言ったところか』

 

 入った情報から正体を確信する直人に対し、岡野が通信越しに呟く。そこからは通信の受け答えと操縦に専念する。

 しかし、新たな情報が入ると岡野が声を上げる。

 

『もう1体だと!?』

 

 今度の飛行物体は2つらしい。緊張が身体を走りつつもツツジ台上空に到着する。するとレーダーの端に謎の機影が映る。位置的に目視出来そうな岡野へ通信を入れる。

 

『レーダーコンタクト、視認できるか?』

『ああ……「FIRST」、「BLACK」だ』

『最初の黒いヤツか』

 

 1体目は最初の黒い飛行物体のようだ。直後、別の反応がレーダーに映る。こちらは直人機に近い。

 

『2体目、姿は確認できないがかなりの速度だ』

 

 外部の通信が慌ただしくなり、2組目のスクランブル発進が決定される。

 レーダーで飛行物体の動きを見ていた直人が、あることに気付く。

 

『こいつら、交戦中なのか?』

 

 両者は急接近してまた離れるのを繰り返しているのだ。ぶつかり合いで勝負しているらしい。

 しかし、何度目かの衝突で両者が大きく弾き飛ばされ、『BLACK』がその場を離脱し、もう一方も追うように加速する。

 

『俺たちは4番目を追うことになりそうだな』

 

 通信を聞いていた岡野が告げると、すぐに命令が下される。2人は4番目の飛行物体の追跡を開始する。

 しばらくしても発見出来ず、操縦桿を握る手に力が入る。すると岡野機が急に振動し始める。

 

『なんだ!? 急に計器が……!』

『ハスキー、帰投しろ!』

『しかし!』

操縦不能(アンコントロール)になれば墜落だ! ここは任せろ!』

『すまん……頼む!』

 

 岡野は悔しげな声で応え、基地へ帰投する。

 直人機は特に異常もなく飛行を続ける。レーダーの反応はすぐ近くだ。

 

『パーチ・ポジション、もうすぐか……』

 

 突然、レーダーから光点が消える。

 

『ロスト!?』

 

 反応が消えて混乱する直人だが、ある考えがよぎる。

 

(上!?)

 

 次の瞬間、眩い銀色の光が頭上から降ってくる。

 そして激しい衝撃、炎と爆発音が全身を包んだ。

 

*****

 

 懐かしい記憶が浮かぶ。幼馴染みの馬場一平と井上ゆかと出会った時のこと。最初の大喧嘩をした時のこと。一平が危うく別の高校へ行きそうになったこと。ゆかと結婚したこと。娘が生まれた時のこと。

 しかし、一番鮮明に思い出したのは、中学2年の時に3人で『ジャンク』を作ってからの9カ月だった。

 

『ヤッホー! あったあったあったぞー! オプショナル・3Dグラフィクアニメーションボード、1677万7216色のフルカラーだぜ!』

『やりぃっ!』

『一平よく小遣いあったな?』

『ヘッヘッヘッヘッ……パーツ屋のゴミの中にあったんだ』

『ゴミ? 大丈夫なの?』

『繋いでみりゃ分かるさ!』

『……よし、これで完成だ』

『やった! 動いた!』

 

 3人で小遣いを出し合い、交渉して中古のパーツを値切ったり、ゴミからパーツを抜き出して作り上げた、3人だけの『マイコン』だ。性能は正直低かったが、愛着はそれを補って余りあるものだった。そんなジャンクに『彼』がやってきたことで、3人の日常は一変し、魔王との戦いが始まったのだ。

 

(なぜ、こんなことをーー?)

 

 朦朧とする意識の中、ようやく直人は我に返る。その間も思い出が脳裏に浮かんでは消える。走馬灯だろうか。

 

(冗談じゃない……! 死んでたまるか! 俺には、帰らなくちゃならない場所があるんだ!)

 

 その瞬間、闘志と反骨心が湧き上がり、意識を無理矢理覚醒させて瞼を開く。そして状況をようやく把握する。

 直人は、光の中で浮遊していた。上下左右、360度全てが銀色で、たまに白い光が空間を走る異様な光景だ。

 

(飛行物体の中?)

 

 漫然と思考していると、前方から黄色の光が迫る。身体を動かそうとするが指一本動かない。人間よりずっと大きく、暖かい輝きだ。光は眼前で静止し、形を逆雫型へ変える。

 すると黄色の光を中心に無数の赤い線が飛び出す。線はワイヤーフレームのように細かく張り巡らされ、『何か』を形作っていく。

 

(これは……?)

 

 疑問に思う直人の眼前に、赤いワイヤーフレームで出来た巨人が姿を現し、両目に輝きが宿る。

 その身体が急速に肉付けされ、要所に装甲が装着される。最後に黄色い光と胸の赤いプロテクター状の器官、そこから伸びる青いエンブレムと額の青いランプを除き、全てが銀に染め上げられる。

 巨人の姿に、見覚えがあった。

 かつて一緒に戦った『夢のヒーロー』だ。

 体色は銀色で頭も兜を被った感じだが、共通点が多すぎる。

 

『ちょっと! 落書きばっかやってないで席空けて!』

『落書きじゃねえぜ。見ろよ、カッコイイだろ?』

『なんだいこれは?』

『ジャンクの守り神だ』

『守り神?』

『そう、名前は電光超人ーー』

 

「グリッドマン、なのか……?」

 

 自然と口が動いてその名を口にした直後、意識が途切れる。

 次に目を覚ましたのは、どこかの公園だった。

 身体が重く、まともに動かない。

 それでも首を強引に動かし、周囲を確認する。

 

(これは……?)

 

 周りにあるのは火がくすぶる金属板一枚と、使用済みのパラシュート。そして背中にあるコックピットのシート。

 

(ペイルアウト出来た、のか? あの状況で)

 

 意識を失う前のことを思い出し、なぜ公園にいるのか推測する。

 光と衝突した後、無意識のうちにペイルアウトして着陸出来たのだろうか。明らかにおかしいが、もっと奇妙な体験をしたことと、今後どうするか考えるのに手一杯ですぐ忘れ去る。

 今のところ、救助隊が近くにいる様子はない。機体は空中で爆散したはずなので、捜索範囲が絞り切れていないのだろう。ならば自分から動いた方がよさそうだ。シートベルトを外した直人は立ち上がり、ゆっくり歩いてその場を離れる。

 幸い、すぐ人は見つかった。高校生くらいのカップルだ。足を無理矢理動かし、近付いていく。

 

「ひっ……!」

 

 カップルのうち、先に気付いた少女が顔を引きつらせ、怯えた様子で少年の背中に隠れる。遅れて気付いた少年は少女を守るように前に立つが、顔は強張っている。

 ようやくボロボロの対Gスーツを着た自分の異様さに気付き、精一杯の愛想笑いを浮かべる。

 

「で、電話を、貸し、て……」

 

 しかし言い終える前に倒れ込み、意識が薄れる。

 

「こ、これって……だ、大丈夫ですか!? ちょっと!」

「さきる、119番だ!」

 

 最後に、カップルの慌ただしい会話がかすかに聞こえた。

 

*****

 

 翔蘭子が起きたのは、日付が変わった直後のことだ。。

 寝惚け眼を擦って静かにベッドを離れ、自室からリビングに向かう。

 リビングでは母のゆかが誰かと電話していた。その表情は強張っている。

 

「はい……まだ基地から連絡がなくて。はい、ではまた」

 

 ゆかが電話を切ると、リビングに入ってきた蘭子に気付き、険しかった顔を無理矢理いつものそれに戻す。

 

「どうしたの? あんまり夜更かししちゃダメだって言ったでしょ?」

「……ごめんなさい、喉乾いちゃって。仕事中だった?」

「え、ええ、打ち合わせが長引いて。うるさかった?」

「ううん、勝手に起きただけ。電話中みたいだったから。お母さんも水、飲む?」

「ありがとう、貰うわ。私もちょっと喉乾いちゃった」

 

 笑顔を作る母に微笑み返すと、蘭子は冷蔵庫からペットボトルを出してコップ2個に水を注ぎ、お盆に乗せてリビングに運ぶ。そのままテーブルに置いて椅子に座り、コップを手にして水を飲み始める。

 

(お父さんに何かあったのかな?)

 

 電話口でゆかが基地と言っていたので、内容は父の直人のことだろう。父は航空自衛隊のパイロットだが、今月一杯で除隊することになった。理由は体力の限界、と言っていたが、本当の理由は分かっている。自分と少しでも一緒にいるためだ。

 

(私が病気だから、またお父さんとお母さんに……)

 

 先天性の病気を持つ蘭子は身体が弱く、両親に大きな負担をかけてきた。特に父は多忙にも関わらずいつも見舞いに来てくれた。だからこそ、身体のこと以外で両親に心配をかけまいと頑張ってきた。

 学校もちゃんと通い、勉強はきちんと取り組んで成績はトップクラスだ。校則違反もしないおかげで『真面目ちゃん』と揶揄されたが、趣味が合う友達数人と仲良く学校生活を送れている。

 それでも半年前に倒れたことで、父は家族との時間が取れる仕事に就くと決めたのだろう。

 父と一緒の時間が増えて嬉しいのは確かだ。話すときはいつもとびっきりの笑顔で空の青さを話してくれる父が今でも大好きだからだ。

 だからこそ、自分のせいで父が除隊するのは心苦しい。なぜパイロットを目指したのか聞いた時ははぐらかされたが、空を飛ぶのが好きなのは話を聞いてすぐ分かった。今度の仕事もパイロットとはいえ、戦闘機とは速さも高度も雲泥の差だ。きっと満足出来ないだろう。それでも自分のために受け入れたのだ。

 浮かない顔をする蘭子に、ゆかが微笑んで話しかける。

 

「また、自分のせいでお父さんがパイロットやめるんだって考えてた?」

「え? ううん、そんなことは……」

「隠しても無駄よ、すぐ顔に出ちゃうんだから」

「……ごめんなさい」

「謝らなくてもいいの。気持ちは分かるから。でも、お父さんはきっとこう言うわよ? 俺のワガママなんだから、蘭子が気にすることじゃないって」

「でも……」

「それに戦闘機のパイロットは40がヤマだからね。むしろちょうどいい機会だって」

 

 ゆかが気丈な表情を作って答えるのを見て、蘭子は黙り込む。

 言えなかった。父に何かあったのか、などとは必死に平静を保つ母に訊けなかった。

 

「それより、明日も学校なんだから早く休みなさい」

「うん。おやすみなさい、お母さん」

 

 ゆかに促された蘭子はコップを片付け、軽く頭を下げて自室に戻る。しかしベッドには戻らず、携帯でニュースサイトを閲覧する。

 少し画面をスワイプさせて、ある新着ニュースを見つける。

 

(多摩上空で自衛隊機が爆発って……!?)

 

 母の顔が強張っていた理由を悟る。乗っていたのは、父だ。恐らく基地から第一報が入ったのだろう。

 慌てて他の記事を見るが、パイロットの生死はおろか続報すらない。

 

(もっと、何か情報を……!)

 

 居ても立ってもいられず、蘭子は傍らに置かれたノートパソコンに手をかける。

 

『ーーか? 私の声が聞こえているか? 聞こえているなら、パソコンを起動してくれ』

 

「え?」

 

 その瞬間、脳裏に響いた聞き慣れない声に反応してノートパソコンから手を離し、周囲を見渡す。

 当たり前だが誰もいない。そして手を離してから声が聞こえなくなった。

 もう一度触ると、また声が聞こえる。とにかくパソコンを起動して欲しいらしい。

 

「……よし」

 

 意を決してノートパソコンを開き、スイッチを入れる。いつものように起動画面が映り、パスワードを入力してデスクトップに移行する、はずであった。

 しかしディスプレイに映るのは銀色一色に輝く背景だ。そんな壁紙を設定した覚えはない。キーボードを弄るが、何の反応もない。

 不審に思う蘭子だが、ディスプレイの中に無数の赤いワイヤーフレームが走り、人の形を作ってポリゴンが集まり、あるCGを形作っていく。その姿には見覚えがあった。

 

「グリッド、マン?」

 

 両親の親友でCGアーティストの『一平おじさん』が描いたオリジナルヒーローにそっくりなのだ。グリッドマンとは頭の形やカラーリングこそ違うが、シルエットやパーツの構成やほぼそのままだ。

 姿を現したグリッドマンのそっくりさんは唖然とする蘭子に話しかける。

 

『私はハイパーエージェント、ファイター。この世界に暗黒宇宙の魔王アレクシス・ケリヴが逃げ込んだ。君の協力を要請する』

 

「喋った? と言うか、ハイパーエージェントに魔王って……」

 

 あまりに突飛な話に混乱する蘭子だが、そっくりさんことファイターは話を続ける。

 

『君の声はこちらに聞こえない。キーボードかマイクを使ってくれ』

 

「キーボードを使うしか……」

 

 戸惑いながらもキーボードに触れ、質問を打ち込む。

 

【ハイパーエージェントって何?】

 

 少し間を置き、ファイターが身振りを交えて答える。

 

『ハイパーエージェントとは次元犯罪者を取り締まり、全ての宇宙の平和を守る者だ。こことは別の宇宙、「ハイパーワールド」を拠点に活動している。君たちの世界で言う警察官に似たものと思ってくれ』

 

(いわゆる並行世界から来たってことなのかな……)

 

 どうも、ファイターは別の宇宙から来た警察官らしい。

 蘭子は再びキーボードで質問を入力する。

 

【アレクシス・ケリヴって誰?】

 

『暗黒宇宙に一大帝国を築いた魔王だ。5つの怪獣軍団を従えて様々な次元世界を侵攻してきた。30年前、魔王カーンデジファーとの抗争に敗れ、帝国を滅ぼされてからは姿を消していた。しかし先日、この宇宙へ逃げ込んだことが分かった。そこで私の仲間が後を追っていた』

 

【仲間って、他にもハイパーエージェントがいるの?】

 

『ああ。すでに2人のハイパーエージェントが送り込まれたが、連絡が途絶えてしまった。2番目の仲間は救難信号を発していたが、最初の仲間は……』

 

【アレクシスにやられたの?】

 

『その可能性が高い。私も交戦したがかなり手強く、逃げられてしまった』

 

 ファイターが答えてくれたところで蘭子は入力を打ち切り、思案する。

 途中で話が出たカーンデジファーという名前には聞き覚えがある。25年前、両親の故郷桜が丘を中心に怪事件を起こした魔王だ。すぐ後に怪獣が街に出る大事件が起きたこともあって、事件の概要はWikipediaにも記事がある程度には知られている。

 ようやく最初の話を理解できたところで、ある疑問をぶつける。

 

【どうして私のパソコンに入っているの?】

 

 するとファイターは少し沈黙し、言いにくそうな様子で話を切り出す。

 

『すまないが、私にも分からない。正確に言えば、覚えていないんだ』

 

 あまりに意外な返答に蘭子は絶句するが、慌ててタイプを再開する。

 

【覚えていないって、どういうこと?】

 

『アレクシス・ケリヴを追跡していたことは覚えている。しかし逃げられてから先が思い出せない。気が付いたらこの中にいた』

 

【記憶喪失ってこと?】

 

『そのようだ。更に言えば私の力も大半が失われてしまった。今は戦うどころか、君に話しかけるくらいしか出来ない』

 

【それでもアレクシスを追うの? 戦えないんでしょ?】

 

『戦えずとも情報を集めることは出来る。そこで君に改めて協力を要請したい。私の代わりにこの世界の情報を集めてくれないだろうか? アレクシス・ケリヴがいる以上、何か事件が起きているはずだ。そして仲間と合流出来れば状況を打開できるはずだ』

 

 ファイターの話を聞いて再度沈黙し、考え込む。普通に考えれば与太話だが、カーンデジファーの件があるし、何よりもファイターの話しぶりが嘘と思えない。

 答えを出せない蘭子の耳に、慌ただしい足音が聞こえる。ゆかが来るようだ。

 

【ごめん、答えは明日出すから。もう寝ないと】

 

 それだけキーボードに打ち込むとファイターが何か言う前にディスプレイを閉じ、ベッドに潜り込む。

 タッチの差でドアがノックされ、ゆかの声が聞こえる。

 

「蘭子、起きてる?」

「うん、今起きたよ……」

 

 問いかけに、わざと寝惚けた声を出して応える。

 

「ごめんね、起こしちゃって。さっきお父さんの勤め先から連絡があったの。乗っていた飛行機が落ちて、救助されたけど入院するって」

「お父さんが!?」

 

 父の墜落と生還を知り、驚きと喜びが入り混じった叫びを上げて飛び起きる。すぐにベッドから抜け出し、ドアを開ける。

 

「お父さん、怪我したの!? ちゃんとご飯とか食べられる!?」

「落ち着いて。命に別状はないって。詳しいことは教えてもらってないけど……とにかく、今から病院に行ってくるから」

「私も行く! 身体は大丈夫だから、行かせて!」

「……いいわよ。お父さんも蘭子が来てくれたらきっと喜ぶから」

「うん!」

 

 許しが出ると満面の笑みで頷いて部屋に戻り、大急ぎで支度を始める。ゆかも黙って微笑み、一旦その場を離れる。

 途中、ノートパソコンを見てファイターの姿を思い浮かべる。

 

(……お母さんには話さない方がいいよね。信じられない話ばっかりだし、私のせいでまた余計な苦労をさせたくないもん)

 

 ファイターの存在とその話は秘密にすることにし、着替え終えた蘭子は部屋を出る。

 その判断が悪手だったと、この時の蘭子は思いもしなかった。



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EPISODE2 予兆ーFORETASTEー

 10月15日。万城目航空という小さな航空会社で直人は仕事に励んでいた。

 社長の佐原が同じ桜が丘の出身で、その縁から採用が決まった。佐原だけでなく先輩社員の桜井と西條もフレンドリーで働きやすい。

 予定のフライトを終えて社屋に戻ると、佐原が笑顔で出迎える。

 

「今日もお疲れさま、翔さん。予定のフライトは全部だね。あとは飛び込みがあるかだけど、入るかなぁ」

「よく言いますよ……この前だって泥棒捕まえるのに飛行機出したんですから。おかげで感謝状だけじゃなくて大目玉を貰っちゃって」

「いいんだよ。相手が時速300kmオーバーのスポーツカーを使ってたんだから。社会正義のためさ」

「これだもの。やっぱり桜が丘の人って頭がおかしいんですかねえ……」

「ちょっと西條くん、翔さんも桜が丘の人なんだけど?」

「え? あ、いや! そういう意味じゃなくてですね!」

「大丈夫ですよ。頭がおかしいってたまに言われますから」

「いや気にしてるじゃありませんか! とにかく、ホントにごめんなさい!」

「気にしてませんから、頭を上げてください」

 

 今日も佐原や桜井、西條と談笑しながら休憩室の椅子に座って伸びをする。

 

(除隊できたのはよかったが……)

 

 除隊直前、発光体と衝突した直人は無事生還し、ツツジ台の病院に救急搬送された。意識を取り戻したのは翌朝で、駆けつけたゆかと蘭子に泣かれたことが辛かった。

 しかし精密検査でも異常はなく、身体もすぐ動かせたため、3日で退院して基地に戻った。

 

(それにしても、なぜ査問があんなに短かったんだ?)

 

 帰還して仲間と無事を喜び合うのもそこそこに査問会が開かれたが、驚くほどあっさりしたものであった。墜落時の状況説明は通り1遍の質問で終わり、残りは飛行物体のことばかり聞かれた。銀色の光に包まれたところまで話したが、あとは覚えていないと答えた。

 それからも様々な検査を受けて除隊がずれ込み、佐原たちに迷惑をかけてしまった。

 

(そしてあの時見た巨人は……)

 

 それ以上に気になるのが、巨人のことだ。

 あの日以来、巨人は姿を現していない。何者なのか分からず、事情が事情なので相談も出来ない。

 ゆかや一平、武史は信じてくれるだろうが、自分たち夫婦は新生活と蘭子のこと、一平は来月初めにサンフランシスコで開かれるコンペの準備、武史は怪事件の捜査に忙しい。落ち着くまで話せないだろう。

 コーヒーメーカーに向かう直人の視界に、無造作に置かれたチラシが目に入る。

 

「台高祭、か」

 

 ツツジ台高校の学園祭、通称台高祭のチラシだ。10年前から開催直前に飛行機でチラシを撒いているらしいが、今年は撒かれていない。

 手に取って眺めると、佐原が後ろから覗き込む。

 

「知ってるかい? 今年の台高祭、中止になったんだよ。体育館も焼けたりしたから安全を考えて、だってさ。生徒側は最後まで実行したかったらしいんだけどね」

「そうだったんですか……もしかして、金曜に来たのは台高の?」

「実行委員さ。ギリギリまで撒く予定でいたけど中止になっちゃったから、改めて謝りに来たんだ。律儀な子たちだよ」

 

 そこで直人は、入社してすぐ佐原へ会いに来た高校生たちを思い浮かべる。

 

「最近のツツジ台は騒がしくて心配になるよ……こんな時、グリッドマンがいてくれたらねえ」

 

 グリッドマンの名を出されて身体が反応しかけるが、平静を保つ。

 佐原は毒煙怪獣との戦いを目撃して以来、グリッドマンのファンらしい。自作のグッズを作って社屋にもポスターを貼ったりと、熱は冷めないようだ。

 直人とグリッドマンの関係は恐らく誰よりも深いが、流石に話していない。

 

(それにしても、どこにいるんだろうな……グリッドマンは)

 

 佐原の言葉を聞きながら、ふと直人は思いを馳せる。

 よもやグリッドマンが記憶と力の一部を失い、()()1()()()()()()()で戦っているとは思いもしなかった。

 

*****

 

 荻窪にあるCDCR本部ビル。調査部第1課のオフィスで武史は独りパソコンと向き合っていた。

 

(ツツジ台かと思えば今度は青梅か。まるで読めないな)

 

 現在見ているのはDCW発生地点のデータだ。最近、DCWの発生はツツジ台に集中していたが、1番最近のDCWは青梅市の山中で発生したものだ。一部宿泊施設で火災が発生し、山火事にまで発展した。

 そのため、第1課のメンバーは武史と課長を除いてツツジ台と青梅双方の調査に出た。課長も作戦部と調査部の定例会議に出席中なので、オフィスに残っているのは武史だけだ。

 

(それにしても汚染源が割り出せないのが……その場でDCWを発生させているのか?)

 

 自然発生にせよ何者かの作為があるにせよ、DCWには大元の汚染源が存在する。これを解消しないと終息しないが、まだ割り出せていない。痕跡を辿ろうと試みているが不調だ。直接コンピューターワールドに干渉したことも考えられるが、それが出来るのはカーンデジファーのような人智を越えた存在だ。

 現代の科学力ではコンピューターワールドの破壊プログラムこそ完成したが、連鎖反応で多数のコンピューターワールドに被害を与えるため、使うのは最終手段だ。自由な改竄などまだ先の話だ。

 どちらにしても、続発するDCWは何者かが裏で糸を引いていると考えた方が良さそうだ。

 そこでDCW発生地点のファイルを閉じ、別のファイルを開く。

 

(気になると言えばこっちもだな……高校生の連続失踪。DCWの疑いあり、か)

 

 こちらは年初から発生している連続失踪事件の記録だ。いずれも高校生が突然姿を消し、2週間から1ヶ月ほど間を置き自室で発見される、というものだ。失踪は5例確認され、失踪者は原因不明の昏睡状態で発見後、目覚める気配がない。

 この失踪にDCWの疑いがあるのは、どの事件も失踪者が家におり、誰かが侵入したり自分から外出した痕跡がないこと、失踪者の発見時に必ず不自然な故障をした電子機器があることが理由だ。

 そのため、DCWの疑いがある事件を管轄する調査部第3課が動き、公安警察や自衛隊の情報保全隊とも協力しているらしい。聞いたところによれば、失踪前後の状況からツツジ台のケースも6例目の疑いが濃厚らしい。

 

(そして6人目はまだ発見されず、か)

 

 6人目の失踪者のパーソナルデータを見て武史が呟く。

 その失踪は数ヶ月前にツツジ台で発生したが、まだ失踪者は発見されていない。

 失踪者はいずれも対人関係に問題や不安があったと証言された者ばかりだ。

 6人目は両親が家を空けがちだったこと、高校に進学したが上手く馴染めなかったことが分かっており、それが失踪に繋がったのではないか、というのが第3課の見解だ。

 ファイルを閉じた武史は肩を落とす。

 そこでノートパソコンを机から出し、電源を入れる。キーボードを操作するとディスプレイが白い光で満たされ、青い体色をした人型のCGモデルが姿を現す。武史はヘッドセットを着けて語りかける。

 

「おはよう、シグマ。身体はどうだい? 君を保護して1月経ったが……」

 

『おはよう、武史。あまり思わしくないな……今もこの姿を辛うじて取れる程度だ』

 

 ディスプレイにいるのはハイパーエージェントのシグマ。地球では『グリッドマンシグマ』の名で知られる。武史とは2度共闘した戦友だ。

 武史がシグマと再会したのは1か月前、ツツジ台上空に青い発光体が飛来した翌日のことだ。世田谷区砧に設置された機材を調整していたところ、入り込んでいたシグマが接触してきたのだ。

 当初はかなり弱っており姿も青い球体だったが、武史が組んだ治療用プログラムで少しずつ回復し、昨日グリッドマンの姿を取れるようになった。それでも力はまだ戻っていないらしい。

 今はノートパソコンで機材にアクセスしてシグマと会話している。見つかった場合は自作のAIと誤魔化すつもりだ。武史の過去やシグマとの関係は、親友3人を除くとアメリカの友人にしか教えていない。

 

「アレクシス・ケリヴ、暗黒宇宙の魔王が2人もいるなんて。そしてベノラを複製していたとは」

 

『正確に言えば、元は1つだったものが2つに別れたのだろう。ヤツらの反応は微妙に違っていた。それにベノラは君が製作したものと違うようだ。兄さんを苦戦させたものより戦闘能力は低かった』

 

「2つに別れる……そんなことが可能なのか?」

 

『我々は大きなダメージを受けるとエネルギーが一時的に散逸する。そのエネルギーにコアとなり得るデータが混じっていた場合、本体と別個の生命が誕生することがある』

 

「コアとなり得るデータ、とは?」

 

『相反する強い感情や親しい相手の記憶だな。それらをベースに新たな人格が形成された時、再誕が起こる』

 

「なるほど……ついでに1つ。どこのコンピューターワールドでヤツと戦ったんだ?」

 

『分からない。この世界で交戦中、ヤツが開いたパサルートを通って直接コンピューターワールドへ侵入した。それからは2体のアレクシスとベノラたちにかかりきりで、場所を特定する暇がなかった。ただ、ツツジ台のどこかに入り口があるのは確かだ』

 

「ありがとう。やはり鍵を握るのはツツジ台、か」

 

 シグマとの会話を1度切った武史は顎に指を添え、考える。

 そこでもう1つ、気になっていたことをシグマにぶつける。

 

「話は変わるが、グリッドマンはどうしたんだ? 別の任務についているのか?」

 

『いや、最初にアレクシスを追跡していたのは兄さんだった。しかし途中で連絡が途絶え、兄さんの捜索も兼ねて私が派遣された。今度は私たちの仲間が来ているハズだが……』

 

「新たなハイパーエージェント、か。4番目の飛行物体は君の仲間かもしれないな」

 

『飛行物体?』

 

「先月、自衛隊の戦闘機と銀色の発光体がツツジ台上空で衝突したんだ。詳しい話は自衛隊と作戦部のガードが固くて僕も分からないが、発光体は黒い飛行物体と戦っていたらしい」

 

『銀色の発光体……もしかすると仲間かもしれない。どちらにしても、今の私では仲間のエネルギーを感知することさえ出来ないが』

 

「そうなると振り出しに戻る、か。君の治療プログラムも新たに組み直した方が良さそうだ」

 

『すまない、世話をかける』

 

「気にしないでくれ。僕たちは仲間だろう? 他のみんなもそう言うさ」

 

 申し訳なさそうに頭を下げるシグマに対し、武史は笑って首を振る。直後に足音が聞こえるとシグマに断りを入れ、パソコンを落とす。

 少ししてオフィスのドアが開き、長い黒髪を束ねたスーツ姿の女性が入室する。武史が立ち上がって会釈すると、女性はデスクまで歩み寄る。

 

「お疲れ様です。何か報告は?」

「青梅の件もDCWであることが確定したこと、くらいですね」

「そうですか……となると、作戦部からの提案を受けた方がいいかもしれません」

「提案、ですか?」

 

 会議の席で作戦部から何か提案があったらしい。

 

「良い予感はしませんが……内容は?」

「DCWに関与していると思しき人物の捕獲です。調査部第2課が撮影した写真に写っていましたが、偶然とは思えないと」

 

 DCWが発生した地域の監視や聞き込みを行う調査部第2課の網に、『黒幕』が引っかかったらしい。

 続けて課長が数枚の写真をデスクに置く。不鮮明ながら、黒マントに赤い炎を靡かせた人影が写っている。間違ってもただの人間ではない。どれもDCWの発生地点付近で撮影されたものだ。目を付けるのも無理はない。しかし懸念がある。

 

「確かに関係ありそうですが……捕獲は早いのでは? 無関係ならばCDCRの正体を晒しかねないし、当たっていれば一筋縄ではいかない」

「私も同じ意見を述べましたが、作戦部第1課長から言われましたよ。調査部はお忙しいようだからお手伝いする、と」

「当てつけですか。予算の増額か、武力の誇示か、DCWを引き起こせる存在を捕獲して軍事的優位を得たいのか。いずれにしても第1課長の意向が強そうですね」

 

 捕獲作戦を立案したのが誰なのか、すぐ予想がついたことに課長共々渋い顔をする。

 作戦部はDCWの被害が拡大した際に現場へ急行、市民の避難や事態の収拾を図る実働部隊として創設された。官僚が多い総務や人事、経理部門、防衛省から民間まで幅広い調査部と違い、自衛隊出身者が大半を占める。トップの部長も前職は統合幕僚監部の運用部長だ。

 そして実働部隊を統括する第1課長が、『特殊作戦群』出身の佐藤だ。その手腕は万人が認めるところで、作戦部の権限拡大やCDCRと防衛省および自衛隊の連携強化に大きく貢献した。加えて、アメリカと共同で設立した対バイオテロ研究機関『BCST』の初代司令を務め、アメリカ軍にも独自のパイプを持つ。

 その姿勢は強硬的で、CDCRに所属するのも軍事利用のためにDCWの制御手段を見つけたいからだ、と噂になっている。

 課長は表情を戻し、話を再開する。

 

「向こうからの提案で、藤堂副課長にオブザーバーとして参加してもらいたい、と」

「私を、ですか?」

「ええ。DCWに関係する以上、それに通じた人物のアドバイスが欲しいそうで」

 

(それだけならばいいんだが……)

 

 本当の意図は別にあると武史は推測する。課長も疑っているらしいが、断っても作戦部との軋轢が増えるだけだ。

 

「分かりました。日程は?」

「追って連絡するそうです。遅くても今月中に実行するとか」

「やはり性急な気がしますが、準備は前からしていたのかもしれませんね」

 

 手回しの良さに最早感心するしかないが、こちらもそれなりの準備をした方が良さそうだ。

 

「では、田宮たちにも連絡しておきましょう」

 

 それだけ告げた武史は、まず田宮へ電話をかけるのであった。

 

*****

 

 放課後。とある小学校の美術室では数人の少女が思い思いに絵を描いている。全員、美術クラブのメンバーだ。その中に蘭子の姿もあった。

 今、蘭子は静物画を描く友人の姿を描いている最中だ。筆に水彩絵の具をつけ、下絵をベースに色を塗る。薄い鉛筆で表現された友人の姿が彩られ、周囲の光景も浮かび上がる。

 友人が静物画を描き上げ、他の友人も完成させた直後、蘭子のキャンバスにも友人が姿を現していた。

 

「よし、出来た」

「じゃあみんなで見せ合おうか」

 

 蘭子が筆を置くと、リーダー格の友人の提案で全員がキャンバスをどけ、イーゼルを移動させる。そして絵を陳列し、めいめい絵を観始める。

 

「望海はポップな感じだね。枯れ木もこんな可愛くなるなんて」

「相変わらず涼香は荒いなぁ……なんというか、リンゴをここまで力強く描けるのはそうそういないと思うよ」

「正確さなら真弓かな。いつも思うんだけど、点描って大変じゃない?」

「慣れたらそうでもないよ。でもぶっちぎりは……蘭子だよねぇ」

「オーラからして別物だもん。こりゃあ賞を総なめにするよねーって」

「そんなことないよ? もらえたのはたまたまだし、みんなのいいところを真似しただけだから」

「真似でこんな絵を描けるかな……?」

「描けるよ。私がそうだったんだから」

 

 最終的に自分の絵に集まった友人たちへ、蘭子ははにかみつつ答える。

 両親の友人でアーティストの『一平おじさん』や、同じくCGアートの心得がある『武史おじさん』が身近に居たため、小さい頃からよく絵を描いていた。今でも1番の趣味で、クレヨンから始まり鉛筆、油彩画、切り絵、最近では点描や水墨画と色々やるが、一番好きなのは水彩画だ。

 それなりに上手い自覚はあり、全国規模のコンクールで何度か最高賞を受賞した。中には大人も参加したものも含まれる。

 ただ、自分の絵が優れているとは思っていない。受賞したのもたまたま審査員と感性が一致したからであり、合わなかったがゆえに酷評とともに作品を突き返されたこともたくさんある。

 酷い結果でも落ち込まないため、周りからは変人扱いされるが、賞のために描いたわけではない。コンクールに出品するのも、他人が絵を見た時にどう感じるのか、他の人がどんなテーマを選ぶのか、同じテーマでもどんな絵を描くのかを知りたいからだ。

 賞賛や批判には描いた時には思いもしなかったことが多々含まれ、それを聞く度に自分の世界が広がって嬉しくなるし、技術的なアドバイスはありがたかった。

 それは美術クラブも同じだ。メンバーの個性が刺激となり、モチベーションを高めてくれるし、誰かと一緒に絵を描くのが無性に楽しくて仕方がない。だからこそ、数少ないワガママとして週1回のクラブを続けている。

 

「そうは言うけど、私の絵のいいところって何よ?」

「あくまで私の感想だけど……千尋の絵はね、色遣いが千尋と同じなの」

「それどういう意味?」

「あったかくて心がポカポカしてくるって意味。このミカンの絵はそれがよく出ていて、いい絵だって思うんだ」

「じゃあ私の絵は?」

「伊遊の絵は、線が鋭いの。こう、何て言ったらいいのか……モデルの表面だけじゃなくて、その内側も切り取って見せるような鋭さを、自然に描けちゃうのが凄いなって思う。私はどうしても丸っこくなっちゃうから、こういう線が描けるのが羨ましい」

「私の絵はいいとこないと思うなぁ。ぶっちぎりで下手だし」

「遥は確かに下手かもしれないけど……その分、変に凝ろうとしてないのが素直でいいなって思う。私はたまに新しいことを試そうとして、こんがらがっちゃうこともあるから」

「下手なのは否定しないんだ?」

「上手下手は単純に技術の問題だからね。でも絵は描きたいから描くのであって、別に上手くなるために描くわけじゃないでしょ? どんな技術もまず描きたいものがあってのこと、自分の想いを表現できたんなら上手下手はどうでもいいんだよ」

「でもさ、蘭子だってたくさん勉強してるじゃん?」

「描き方が増えたら表現の方法も増えるからね。もっと描き方を知りたいって思うことはあっても、上手くなりたいって思ったことはないかな」

「未来のアーティスト様は言うことが違うね……けどありがとう、ちょっと気が楽になったよ」

「どういたしまして。じゃあ、片付けたら先生に声かけよっか」

 

 蘭子が微笑んで言葉を返すとその場にいる全員で後片付けを始め、最後に絵を教室の隅に並べて隣の準備室にいる先生に声をかけ、ランドセルを背負い退室する。

 そのまま固まって下校し、次第にメンバーが散り散りなって帰宅する。

 すぐにドアを開錠し、玄関に入って施錠し直す。

 

「今日は編集者さんと打ち合わせ、だもんね」

 

 蘭子は独り言を漏らし、自分の部屋に向かう。

 母はフリーのサイエンスライターで、主に医学系の記事を書いている。曰く、実家が病院なのと親戚の出産に立ち会ったこと、大学時代に医学部と共同で希少な症例のデータベース製作を担ったことで興味を持ち、迷った末サイエンスライターの道を選んだらしい。

 ただし、元々得意だったプログラミングもやめたわけではない。今でも自分のパソコンと携帯はカスタマイズしているほか、『ハッカソン』に参加したこともある。

 そのため、普段は在宅で仕事をしているが、取材や編集者との打ち合わせがある時は外出し、夕方まで帰ってこない。その時は祖父母や叔父、両親の友人たちが面倒を見てくれるのだが、今日はまだ来ていないようだ。

 部屋に戻った蘭子はランドセルを下ろし、中からドリルを取り出して机の前に座り、宿題を手早く済ませる。そして隅に置かれたノートパソコンを立ち上げる。デスクトップが画面に表示されたところで、蘭子はマイクを接続する。

 

「こんにちは、ファイター。起きてる?」

 

 すると間を置いて背景が銀色に変わり、人型のCGが姿を現す。

 

『おかえり、蘭子。私はいつでも起きている。今も調べ物をしていた』

 

「そっか……アプリの調子はどう? ちゃんと検索出来てる?」

 

『問題ない。君には感謝してもし足りない……私用の検索アプリまで作ってくれるとは』

 

「お礼はいいから。私が出来るの、これくらいだし」

 

 律儀に頭を下げるCGことファイターに、蘭子は笑って首を振る。

 出会った翌日にファイターと改めて話し合い、協力することを決めた。アレクシス・ケリヴの凶悪さを聞かされ、立ち向かえるのはファイターとその仲間しかいないと悟ったこともあるが、それ以上に困っている相手を見捨てられないのが大きかった。

 とはいえ、アレクシスと直接戦うことは出来ないので、情報収集の助けになればと、ファイターが自分で検索できるアプリを自作した。両親や『武史おじさん』の影響で、もう1つの趣味となったプログラミングが役に立った。

 なお、当初はキーボードでファイターとやり取りしていたが、今はマイクも併用している。家に誰もいない時はマイク、いる時はキーボード、という使い分けだ。

 

「それで、何かわかった?」

 

『ツツジ台の街で起きている怪事件、コンピューターワールドで異変が起きた可能性が高いということだな』

 

「コンピューターワールド……確か、コンピューターの中にある世界、だよね?」

 

『正確に言えば機械をゲートとして繋がっている異次元世界だ。この地球、我々が「ソリッドワールド」と呼ぶ世界とは密接な関わりがある。とはいえ、コンピューターワールドについては我々も分からない点が多い』

 

「そうなんだ……やっぱりアレクシスはツツジ台にいるのかな?」

 

『十中八九、そうだろう。事件の黒幕もアレクシスに違いない』

 

「話は変わるけど、仲間の居場所は分かった?」

 

『そちらはまだだ。早く合流しなければ被害が拡大する一方なのだが……』

 

「焦ってもしょうがないよ。私の知り合いにツツジ台の人がいるから、その人に色々聞いてみる」

 

『すまない、蘭子。ここに来てから君の力を借りてばかりだ』

 

「気にしなくていいの。私がやりたいって言ったことなんだから」

 

 仲間の居場所はまだ分かっていないらしい。改めて謝罪するファイターに笑う蘭子だが、玄関のチャイムが鳴るとすぐ表情を戻す。

 

「ごめん、誰か来たみたい。ちょっと待ってて」

 

 それだけ告げてノートパソコンを閉じると、小走りで廊下のインターフォンを取る。モニターに映るのはアロハシャツにソフト帽を被り、レイバンのサングラスをかけた男だ。不審者かと思いかけたが、声がすぐに打ち消す。

 

『ヤッホー! 一平おじさんだよー! 蘭子ちゃん、いますかー?』

 

「おじさん! 待っててくださいね、すぐ開けますから」

 

 訪問者は一平おじさんこと馬場一平、両親の幼馴染みだ。蘭子とも幼少期から交流がある。

 すぐに玄関へ走って開錠し、ドアを開けると一平が快活な笑顔と共にサングラスを外す。

 

「いやぁ、半年ぶりか。ちょっと見ないうちにすっかり美人になって。あと30歳若かったら求婚してたね!」

「大げさですよ、いくらなんでも。でもハワイで作業していたんですよね? コンペは半月後じゃ……?」

「いいんだよ、最後の仕上げくらいだから。ハワイやパリも悪くないけど、やっぱ日本が1番だし」

「じゃあコンペまではツツジ台のオフィスにいらっしゃるんですね……って、ごめんなさい! 玄関先で! よかったら上がっていってください。お茶くらいは出せますから」

「気を使わなくていいのに。俺と蘭子ちゃんの仲じゃん。でも、女の子の誘いを断ったら男が廃る、ってね。そんじゃお邪魔しまーす!」

 

 危うく玄関先で長話しかけたことに恥じ入り、そそくさとリビングまで案内する蘭子に、一平は軽口を叩いてドアを閉める。

 一平はCGデザイナーとしてアニメや特撮のメカから工業製品まで幅広く手掛ける。その一方で、『フラット・ワン』というペンネームでCGアートを発表している世界的なCGアーティストでもある。ちなみにペンネームは師事するアーティストで、蘭子の大叔父でもある『ジロー・ダイ』こと翔大次郎の影響で付けたらしい。

 一平は現在、ツツジ台に『デザインオフィス彩』という事務所を構えている。しかし世界中のコンペに参加したり、審査員などとして招かれることが多いため、1年近く事務所に戻らないことも珍しくない。

 今回もアメリカで開催されるコンペに出品する予定で、別の用事で訪れたハワイで製作を開始した、と聞いていた。

 アイスティーを用意してリビングに戻ると、一平はソファーでだらしなく足を伸ばしていた。しかし蘭子を見て足を引っ込める。

 

「悪い悪い。勝手知ったる他人の家だと、つい。蘭子ちゃんの教育に悪いよな」

「気にしないでください、家族みたいなものですから。アイスティーで大丈夫ですか?」

「全然オッケーだよ。ところでさ、絵の方はどうよ? この前のコンクール、最優秀賞だったんだって?」

「はい。大地叔父さんにお願いして、ちょっと仕事中の姿を描かせてもらったんです」

「大地の仕事って野生動物の研究だろ? 山とか海とか行ってると思うけど、大丈夫だったのか?」

「その時の調査は街に出たタヌキの追跡だったので、少しだけ同行させてくれて。一平おじさんは今度のコンペ、どんなテーマで描いているんですか?」

「詳しいことはナイショだけど、『いつか見た未来』ってテーマさ」

 

 父方の叔父で野生動物の研究者である大地の仕事に同行した話をきっかけに、蘭子と一平はそのまま互いの絵について話し始める。

 

(やっぱり本物のアーティストの人は違うなぁ……)

 

 話を聞いていると、一平の情熱と造詣の深さ、そしてあらゆる知識や経験を積み上げ続ける貪欲さ、何よりも発想力に圧倒されてしまう。しかし、真剣かつ心底楽しんでアートを語る一平の姿はとても輝いていて、自分も楽しくなる。

 だからこそ時間があっという間に過ぎて、日が西に傾いても全然気付かなかった。

 

「ただいまー、って蘭子、誰か来てるの?」

 

 帰宅したゆかが玄関で声を上げたことで我に返るが、一平が声を上げる。

 

「俺だよ俺! カワイイ一平ちゃんが日本に帰ってきたんだぜ!」

「一平!? アメリカでコンペがあるんじゃなかったの?」

「ほとんど出来上がってるから……それとおかえり」

 

 ゆかは呆れた声を出しながらリビングに入ると、一平が笑顔で出迎える。

 

「もう、来るんなら連絡入れてよね。直人も喜ぶけど……ただいま、蘭子」

「おかえりなさい、お母さん。あとごめんなさい。一平おじさんのこと、電話すればよかったね」

「いいのよ。話に夢中で忘れてたんでしょ? 本当は一平が連絡しなきゃいけないんだから」

「相変わらず厳しいなぁ……蘭子ちゃんの前で説教すんなよ。カッコつかないだろ?」

「反面教師だからいいの。大体、適当な生き方してるからいつまでも結婚できないのよ」

「それ言うか!? 言ったら戦争だぞ! ……ホントのことだけど。それに蘭子ちゃんが大人になったら結婚する、って約束だしな」

「……ねえ、本気で言ってる?」

「冗談に決まってんだろ! 目が怖えよ! それにまだ結婚する気はないし……今は仕事で大忙しだからさ」

「それも結婚できない理由なんだろうけど。蘭子、一平に何かされたらいつでも言ってね?」

「ありがとう、お母さん。でもいつも優しくしてくれるから大丈夫だよ」

「昔から蘭子には甘いもんね、一平は。でもありがとう。私たちがいない時も面倒見てくれて」

「いいって。俺にとっても親戚みたいなもんだし、芸術家同士話してるといい刺激になるんだ」

「そっか……蘭子の趣味は一平と武史くん譲りだし、話は合うのかも」

「お母さん、晩御飯の支度は私がするから、おじさんと話してたら? 会うのも久しぶりでしょ?」

「晩御飯だけど、今日はお父さんが作るから。仕事が早く終わるし、餃子の材料買って帰るって」

「餃子って、つまり今日の晩飯は直人の餃子か!? あいつの餃子、店に出せるレベルで美味いからなぁ……」

「ちょっと、晩御飯も食べていく気なの?」

「もちろん! なんて、冗談だよ。一家団欒を邪魔する気はないぜ」

「あの、一平おじさんも一緒にどうですか? お母さん、ワガママかもしれないけど、もっとおじさんの話を聞きたいし……」

「まったく、しょうがないわね。直人には連絡しておくから」

「よっしゃ!」

 

 それからはゆかも交えた3人で近況を聞き合ったり、思い出話で盛り上がり、途中でゆかが着替えに行っても蘭子と一平で話し続けた。

 しばらくして玄関のドアが開く音がすると、戻ってきたゆかと3人で出迎える。直人が帰ってきたからだ。

 

「ただいまーって、なんだよみんな、お出迎えなんて」

「おかえりなさい。お父さんが帰ってくるの、みんな楽しみに待ってたんだよ?」

「蘭子とゆかはともかく、一平は餃子目当てだろ?」

「バレたか……そして久しぶりだな、直人。身体の方はどうだ?」

「久しぶり、一平。まだまだ現役さ。トレーニングもやめちゃいないしな。一平こそ調子はどうなんだ?」

「アイディアが枯れるどころかますます湧いてきて、いつも絶好調だぜ!」

「ほら、玄関先で長話しない。明日も時間は同じなの?」

「ああ。早朝のフライトは入っていないからな」

「じゃあ今夜は久しぶりに3人で盛り上がろうか! 蘭子ちゃんは途中までな? 遅刻したらいけないし」

「遅刻ギリギリの常習犯が言うと説得力が違うな」

「直人、お前だってそうだっただろうが!」

「そうなんだ? お父さん、いつも早起きして出勤しているのに」

「自衛隊できっちり叩き直されたのよ。一平と違って」

「だから俺をけなすなって! はい、もうこの話は終わり!」

 

 無理矢理一平が話を打ち切ると、買い物袋を3人で直人から受け取り、キッチンへ向かう。

 

(こんな時間が、ずっと続いたらいいのに)

 

 笑みを浮かべて両親や一平と話しつつ、蘭子は内心呟く。

 両親は隠しているが、今の生活が危ういバランスの上に成り立っていることは分かっている。次に発病した場合、助かる確率はかなり低いだろうと直感的に理解していた。

 しかし、決して他人の前では口にしないし、悟らせない。自分のために頑張る両親やその関係者の悲しむ顔は見たくない。

 

(やっぱり言えないよ、手術が怖いなんて)

 

 蘭子は、病状が安定した後に待つ手術に不安を抱いていた。

 他に助かる道がないのは分かるが、失敗した時のことを考えると無性に怖い。死んだら全部消えて幽霊にもなれないのではないか。自分がいなくなった後、両親や友達はどうなってしまうのか。なるべく考えないようにしているが、少し考えてしまうだけで不安で胸が苦しくなる。

 

(って、これじゃダメだよね)

 

 しかし不安をすぐ押し殺し、食材を冷蔵庫に詰めていった。

 

*****

 

 1週間後の真夜中。ツツジ台の街を数台の兵員輸送車が走る。向かう先はツツジ台高校だ。校門前に車両が停まると夜間戦闘用の装備を着けた兵士たちが続々と降りる。

 最後に隊長らしき男とスーツ姿の男が下車し、一旦集合する。そしてすぐ散開して敷地へ入る。

 その様子を見たスーツ姿の男がポツリと呟く。

 

「果たして、上手くいくものか」

「上手くいくかではない。任務は必ず達成する。それだけだ、藤堂副課長」

 

 スーツ姿の男こと武史に、1人残った戦闘服姿の男が答える。

 今、武史はCDCR作戦部の実働部隊、通称『鵺』と行動を共にしている。『鵺』は真っ先に現場へ乗り込む即応部隊で、捕獲作戦が提案された時点ですでに出撃体制を整えていた。

 先週写真で見た不審者はツツジ台高校周辺で集中的に目撃されており、情報部第2課が監視を強化したところ、1時間前に侵入したところを発見した。そこで『鵺』の出動が決定し、武史もオブザーバーとして同行した。

 『鵺』の隊員たちは音もなく敷地を駆け抜け、班ごとに別れて探索する。その動きは見事だと素人の武史も感じてしまう。

 しかし、不安は多い。相手が人外なら『鵺』の装備が通用するか怪しいし、まだツツジ台高校にいるのかも不明だ。一応、監視中の第2課曰く敷地を出た様子はないとのことだが、監視を欺いた可能性もある。

 漠然とした不安を抱きつつ、武史は隊長と共に報告を待つ。

 一方、校舎の屋上では2つの影が『鵺』の動きを観察していた。それぞれ赤と青のサングラスと炎を纏う、よく似た姿をした黒い異形だ。

 まず赤いサングラスの個体が口元の電飾を点滅させる。

 

「おやおや。こっちの世界は物騒だねえ……」

「フン、有象無象がいくら集ろうと問題ない。それより、あやつはどうした? 怪獣の製造が遅れているが」

「最近連敗続きでね。次はどんな怪獣を作るか頭を悩ませているのさ」

「もう心が折れかけているのか、情けない。だから言ったのだ……脆弱な小娘などすぐ潰れて使い物にならなくなると」

「おいおい、あんまり悪く言わないでくれるかな。彼女の才能は実に素晴らしい。自分の心さえ怪獣に変えてしまえるほどに歪みきっているんだから。()()藤堂武史にも匹敵する逸材じゃないかな」

「買い被りすぎだ。あやつには全てを恨み、世界を壊せるだけの攻撃性と執念がない。歪みはしていても、所詮は己に都合のいい箱庭でしか暴れられぬ臆病者よ。だからこちらでは怪獣を実体化させられるだけのエネルギーがない」

 

 青いサングラスの個体が吐き捨てると、赤いサングラスの個体が顔を近付ける。

 

「君こそ彼女を侮りすぎだよ。今は仕込みの段階、いずれ一皮むけてくれる。お客様やアンチくん……出来損ないの怪獣の手も借りることになりそうだがね」

「客……ハイパーエージェントか。懲りない連中だ。ところで、いつまで留まるつもりだ? あやつに催促しなくていいのか?」

「アイディアを煮詰められるよう一人にしてあげたのさ。表向きは散歩、ってことにした。ま、一番の理由は二度も敵を侵入させた君への意趣返しだがね。特に2回目はわざとパサルートを開いただろう? どういう意図だったんだい?」

「知れたこと。確実に仕留めるためだ。毒煙の効きが悪かったのか、取り逃がしてしまったが」

「そんな理由か……彼のせいで毒煙怪獣が半分くらい倒されて、私も2回死んだんだ。彼女が気付く前に補充するのが大変だったよ」

「だからこそ、3人目はこちらで処理するつもりだった。勝手に消えたのは予想外だったがな」

「なるほどね。それでお出迎えだけど、私も混ぜてくれないかい? 久しぶりに身体を動かしたいんだ」

「好きにしろ。戦闘用の身体にはまだ変われぬが、十分だろう」

 

 そこで会話を打ち切った2体の異形は屋上から飛び降りる。

 同じ頃、一平が帰宅して全員が就寝した蘭子の自宅でも異変が起きていた。

 急な尿意で目が覚めた蘭子はトイレに入ったが、戻る途中、ドアが開く音を聞いて眠気が少し覚める。

 

(……誰?)

 

 泥棒かと思い息を殺して耳をそばだてるが、誰かが入ったのではなく、誰かが出ていったらしく、音が外から聞こえてくる。今、家に居るのは蘭子を除けば両親だけだ。

 すぐに自室へ戻って窓を開け、外を見ると誰かが自宅前の道路を歩いていた。そのパジャマ姿には見覚えがある。

 

「お父さん……?」

 

 父だ。人影はふらふらと歩いていたが、突然立ち止まり、空を見上げる。

 次の瞬間、全身が光に包まれ、一瞬人間とは別の姿になった後で光の玉となりどこかへ飛び去る。

 そんな異様な光景を呆然と眺めていた蘭子は、スリープ状態のノートパソコンを開き、マイクを着けて声をかける。

 

「ファイター……ねえ、ファイター……あれ?」

 

 しかし、いつもならすぐ返ってくる返事がない。ただ、ノイズが聞こえるだけだ。

 蘭子は少し考え込み、ノートパソコンと窓を閉じてベッドに向かう。

 

「……寝惚けてるのかも」

 

 それだけ呟き身体を横たえると、すぐ寝息を立てて眠り始める。

 蘭子が眠りに就いたころ、ツツジ台高校は戦場と化していた。

 

「こちらチャーリー、現在ボギー1と交戦中! アルファ、ブラヴォー、デルタ、イプシロン、応答せよ! ……ダメだ、無線が通じない!」

「クソ、電子機器は全滅だ!」

「渡瀬班は後退しろ! 対馬班と中山班は援護を!」

 

 隊員たちの電子機器が突然故障し、C分隊を黒い異形が襲ったのだ。現在、各分隊は応戦中だが、いくら銃撃を加えても異形は倒れるどころか怯む様子さえ見せない。内心、パニックになりかける隊員たちを、分隊長が叱咤して持ち堪えさせる。

 援護を仰ぎたいところだが、E分隊がいる体育館方面から爆発音が聞こえたので、そちらにも異形が出現したのかもしれない。

 

「おやおや、よくないねえ……我慢は身体に毒だよ? 怖い時はちゃんと悲鳴を上げないと」

 

 C分隊が対峙する異形は、赤いサングラスを掛けた個体だ。銃弾を一身に浴びても全く反応せず、フレンドリーな口調で語りかけてくる。

 ある隊員がグレネードを撃ち込み、殿を務める班が後退しようとする。

 

「これだから大人は強情で困る。しょうがない、君たちを人間に戻してあげよう」

 

 しかし目にも留まらぬ速さで異形が距離を詰め、当たるを幸いに次々と殴り飛ばす。殴られた者は地面を転がったり校舎の壁に叩きつけられたりし、全員が苦悶の声を上げて動きを止める。

 

「撃ち方やめ! 味方に当たるぞ!」

 

 援護していた別の班も、同士討ちを懸念して射撃を止め、一旦異形と距離を開ける。

 残された班の隊員たちはどうにか逃げようとするが、異形にことごとく阻まれる。

 

「ダメじゃないか、命乞いをしないと。君たちの悲鳴、苦悶、恐怖、絶望……それが私の渇きを一時でも癒してくれる。だからこそ、生かしてあげたんだよ?」

 

 表情が伺えない顔から飄々とした言葉が吐かれると、銃を向けてあがく隊員たちの腕を折り、足を砕き、抵抗する力を奪い始める。それでも隊員たちは絶望せず、這ってでも逃げようとするが、それを見た異形は呆れたような声を出す。

 

「まったく、張り合いのない……もういい、次だ」

 

 そして倒れた隊員たちの首を片っ端から踏み砕いて絶命させるが、校門の方で爆発が起きたのを見て中断する。

 

「あっちは派手にやってるねえ。ちょっと見てこよう」

 

 そのまま異形は跳躍し、校舎を飛び越えて現場に向かう。

 校門付近ではC班以外の『鵺』が集結し、防衛線を敷いて青いサングラスの異形を迎撃していた。とはいえ、攻撃が全く通じていないのだが。

 

「グレネード!」

 

 複数の隊員がグレネードを投射し、いくつかは直に当てて爆発させたが、異形は足を止めるだけでダメージを受けた様子はない。

 

「無駄なことを」

 

 そして鼻で笑った異形が風と共に接近し、グレネードを発射した隊員たちの首を無造作な腕の一振りで千切り飛ばし、鮮血が散る。周囲の隊員たちも必死に攻撃を加えるが、接近された瞬間に拳で頭を吹き飛ばされ、あるいは胸を貫かれて数を減らしていく。

 

「そう、この感触だ! これこそが我に生の実感を呼び起させる。もっと砕けよ! 我を悦ばせろ! 下等種族が!」

 

 異形は狂喜の叫びを上げて虐殺を続ける。

 一方、最後尾に控えていた武史は隊長に詰め寄っていた。

 

「これ以上戦えば犠牲が増える! すぐに撤退を!」

「まだ撤退は許可されていない! 自分だけで逃げろ!」

「分からないのか!? 真っ向勝負でどうにかなる相手じゃない!」

「言われなくても分かっている! それでも戦うのが我々の任務だ!」

 

 隊長も手に負える相手ではないと理解しているが、命令が出ていない以上、引けないのだろう。そうしている間にも隊員が犠牲になっていく。

 

「やあやあ、お楽しみのようだね」

「もう1体だと!?」

「C分隊との連絡が途絶したのも……!」

 

 更に校舎を飛び越えた赤いサングラスの異形を見て、隊長と武史は絶句する。敵が2体いるとは完全に想定外だ。

 

(こいつら、シグマの言っていたアレクシス・ケリヴか!)

 

 そして目の前にいる異形たちこそが、シグマから聞いたアレクシス・ケリヴだと武史は確信する。

 

「クッ、撤退だ! 信号弾を上げろ!」

「おっと! 逃がさないよぉ!」

「折角の余興だ。生かしては帰さん!」

 

 2体のアレクシスはまず信号弾を放とうとした隊員を撲殺し、赤いサングラスの個体が校門の外に飛び出して逃げ道を塞ぎ、その隙に青いサングラスの個体が隊員を殺害していく。

 

「判断が少し遅かったねえ、隊長さん? 残念だけどここまでさ」

「クッ!?」

 

 そして赤いサングラスの個体と最接近する羽目になった隊長は武史を庇い、数名の隊員の銃撃に合わせて拳銃を撃ち込む。しかし、全く効果がない。

 

「無駄と分かっていても抵抗するしかない。悲しいサガだねえ。でも、終わりだよ」

「ここまでか……!」

 

 隊長が歯噛みし、武史が睨みつけてきても赤いサングラスの個体は軽い調子を崩さず、一歩ずつ歩み寄る。

 途中、その背後から銀色の光が差し込み、武史たちが思わず顔を背ける。

 

「ん? 援軍かな?」

 

 赤いサングラスの個体も振り返ったところで、武史たちは光源を視界に収める。

 そこには、銀色に光る人型の『何か』が立っていた。全身のパーツは眩しすぎて見えないが、シルエットはアレクシスたちとは違う。

 

「新手、か……?」

 

 隊長たちは身構えるが、すぐに勘違いと気付く。

 

「誰だか知らないが、いけ好かないねえ……先に始末しようか」

 

 赤いサングラスの個体がそう吐き捨て、いきなり殴りかかったのだ。仲間ではないようだ。

 そしてマントから出た右拳が乱入者の顔面を砕きにかかるが、あっさり受け止められる。

 

「ほう、ならこれは……!?」

 

 左拳で追撃を入れようとしたアレクシスの顔面が、乱入者の拳で砕かれる。続く前蹴りで上体が吹き飛び、残った下半身も溶けてなくなる。

 

「なんだ、こいつは?」

 

 隊長が思わず呟いた直後、乱入者は大ジャンプで校門を飛び越え、今度は青いサングラスのアレクシスの前に降り立つ。

 

「また敵か!?」

「待て!」

 

 隊員が一斉に銃を向けるが、撃つ前に隊長が制止する。

 

「貴様、ハイパーエージェントか?」

 

 アレクシスが誰何するが、乱入者は答えない。

 

「フン、我が前に立った以上はどちらでもいい。貴様も打ち砕いてくれる!」

 

 またしても高速で接近して拳打を放つが、乱入者は左手で打撃を捌き、逆に右拳をアレクシスの腹に打ち込み、後退させる。

 

「小癪な……!」

 

 腹を押さえてたたらを踏むが、アレクシスも負けじとマントを翻らせつつ回し蹴りで頭を狙う。それを手刀で叩き落した乱入者は、逆に中段蹴りを胴体に浴びせたところに逆回し蹴りを放ち、アレクシスの顎を蹴り抜き大きく怯ませる。そして接近すると左右のコンビネーションパンチで一方的に殴り続け、最後に殴り飛ばしたところで光が弱まり、その姿を晒す。

 乱入者は全身銀色の異形であった。薄い西洋甲冑を纏ったような全身、鉄兜に似た頭部、全てが銀一色だ。例外は両目と胸の中心部にある黄色い光、その周囲にある赤い装甲版、そして額の青いランプだけだ。

 全員が絶句するが、武史だけがポツリと呟く。

 

「グリッドマン、か……?」

 

 自分と縁の深いヒーローの名前を呟いたところで、乱入者が再度動き出す。

 

「調子に、乗るな!」

 

 苛立ちを露にしたアレクシスが突進し、手刀で一撃を浴びせる。それを手の甲で受けた乱入者だが、火花が散って微かな光が漏れる。しかし慌てる様子もなく、膝蹴りで間合いを取って上段足刀蹴りで喉を蹴りつけ、怯んだ隙にドロップキックを決めてアレクシスを吹き飛ばす。

 また向かってくるアレクシスに対し、乱入者は腰を落として右足を下げ、力を溜めるように膝を曲げて静止する。すると右足の先に光が集まって電流火花が飛び散り始める。

 

「臆したか!?」

 

 逃げも隠れもしないことを嘲られた直後、乱入者は跳躍し、空中回転で勢いをつけつつ右足をアレクシスに向ける。

 

『テヤァッ!』

 

 そして非常にくぐもった掛け声と共に飛び蹴りが放たれ、カウンターでモロに食らったアレクシスが吹き飛ぶ。地面に叩きつけられた後も後退を続け、校舎の数m手前でようやく止まる。

 立ち上がったアレクシスのマントは蹴られた部分が消し飛び、胸に足跡が残されていた。それでも歩き出すが、急に膝が崩れる。

 

「馬鹿、な……!?」

 

 驚きの声と共に、アレクシスの身体が爆発して火柱が噴き上がる。

 着地した後も油断なく構え、爆炎を眺めていた乱入者だが、全身から光を発して銀色の球体へ変化し、どこかへ飛び去る。

 

「なんだったんだ、今のは……」

 

 一部始終を眺めて呆然としていた隊長だが、炎が収まると通信機を確認する。

 いつの間にか、通信障害が直っていた。

 

「……各隊、撤収だ! 負傷者の収容を急げ! 後始末は『火車』に任せろ!」

 

 すぐに撤収を指示し、隊員たちも負傷者の収容とC分隊の捜索を開始する。

 

(彼が3人目、なのか……?)

 

 一方、武史は乱入者の正体に当たりをつけつつも、釈然としないものを感じていた。

 姿はグリッドマンに酷似していたが、自我が感じられなかった。本能に身を委ねた、一種の無我の境地にあったように感じた。

 

(どちらにせよ、シグマに話した方がよさそうだ)

 

 撤収作業が進む中、武史は一足先に車へ戻る。

 

「こちら『天狗』。『G』らしき飛行物体を捕捉。追跡を開始する」

 

 そして『鵺』とは別の部隊が密かにツツジ台高校付近で待機し、レーダー等を駆使して乱入者の追跡を開始したことを、この時の武史は知らなかった。

 

*****

 

 同じ夢を見た。

 銀色の流星になって夜空を飛び回る夢だ。

 戦闘機よりずっと速く、もっと自在に飛翔する、人間には到底味わえない体験だ。

 しかし、楽しさはなかった。いつも黒い塊と激しく争っていたからだ。

 何度もぶつかり合い、競り合い、空を所狭しと駆け回ることを続ける。

 それも渾身の衝突でどうにか競り勝ったことで終わりを告げる。

 態勢を立て直すためか、一旦離れていく黒い塊を追って加速する。

 不規則な軌道、目まぐるしく変化する高度に対応すべく、乱高下を繰り返す。

 そして真下に逃げ込んだ黒い塊に追いつくべく、一気に高度を下げた時、それが起こった。

 1機のF-15が運悪く降下コースに入ってしまったのだ。

 そして躱す暇もなく衝突してしまい、衝撃と炎が全身を包み、何かが身体から抜け落ちる。

 ぶつかる直前、F-15のキャノピー越しにパイロットといつも目が合う。

 その顔はー-。

 

「うわっ!?」

 

 そこでいつも、直人は弾かれるように目を覚ます。

 ベッドから跳ね起きたまま周りを見ると、隣で寝息を立てるゆかの姿。朝の5時を示す目覚まし時計。ここ最近の起床風景だ。

 

(またあの夢か……)

 

 銀色の発光体と衝突して以来、直人は同じ夢を見続けていた。おかげで眠りが浅くなったが、まだ誰にも話せていない。

 得体のしれない夢の内容に胸騒ぎを覚えながらも、ベッドを静かに抜け出した直人はそれを誤魔化すべく『日課』にとりかかる。

 別室に移動すると、まずは横になって腹筋のトレーニングを始める。最初は数をこなし、それから負荷を上げて回数を減らしていくのを3セット、休憩を挟みつつ行う。自衛隊時代からずっと続けている自主トレだ。こうしていると、自然に夢のことを忘れられる。

 腹筋が終わると次は腕立て伏せだ。うつ伏せになって、いつものように両手をついて身体を支える。

 

「痛ッ……!」

 

 しかし、右手に鈍い痛みが走って一度膝をつく。

 右手の方を見ると、手の甲に切り傷があり、周囲がわずかながら腫れていた。覚えはないが、寝ている間にどこかへぶつけたのだろうか。

 

「ま、これくらいならいいか」

 

 しかし出来ないほどではないと判断し、トレーニングを再開する。

 やがて腕立ても終えて背筋や柔軟など他のメニューも一通りこなしたところでゆかが起床し、部屋に顔を出す。

 

「おはよう、相変わらず早いわね。もう除隊したのに」

「おはよう。どうも身体に染みついちまったみたいで、やらないと起きた気分になれないんだ。起こしちまったか?」

「全然。それじゃ朝ご飯作るから」

「ああ、ありがとう」

 

 笑顔でゆかと会話を交わし終えた直人は、もう一度手の甲の傷を見る。

 

「夢について、いつかは話さないとな」

 

 そして蘭子が起床するまでの間、直人のトレーニングは続くのであった。

 



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