王に成れなかった女の話 (石上三年)
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花の魔術師の話
あの子の子供の頃の話?
確かに、もうあの子が子供だった頃を知る者なんて私を除けば誰もいない。
父は言うに及ばず生母とも死別しているし、あの頃の使用人たちも皆年老いるなどして彼女のそばから居なくなってしまった。
そうだね。話をしよう。王になれなかった女の話を。
●
まず彼女はウーサー王が意図せずして愛妾に生ませてしまった子供だった。
母親となった女性はウーサーが戦場で、つい保護してしまった若い娘だった。身分なんてないただの村娘さ、恐らくね。
彼女は最初、恩を返すためにウーサーに召し使いとして仕えることになったのさ。それがどういうわけか、私の知らないところでウーサーと彼女は懇ろな仲になった。ウーサーは結局最後まで何があったのか教えてくれはしなかったよ。
彼女のそばに居る時、ウーサーは冷徹な王ではなくただの人間でしかなかった。
だからね、ウーサーは顔には全く出さなかったがあの子が彼女の腹に宿った時王として喜び人として嘆いていた。王として世継ぎが生まれる可能性に喜び、数少ない愛する人を政に巻き込んでしまう可能性を嘆いたのさ。
まあ、彼女、面倒事に巻き込む前に死んでしまったんだけどね。
彼女が死んでモルガンが生まれた日のことはよく覚えているよ。ウーサーがあんなにも悲嘆にくれたのは後にも先にもあれだけだった。
産婆と共に、産気付いた彼女が扉の向こうに消えた時、王と私は執務のために一度その塲を離れた。
しばらくしてウーサー王の居城全体を揺らすような振動が起きた。揺れは一回だけだった。ただし、ウーサーが焦って飛び出すのには十分な異常だった。
私は城の異常をこの目で探りながらウーサーを追いかけたよ。
それでウーサーが真っ先に向かったのは彼女が出産を終えているはずの部屋。
明らかにおかしかった。扉の向こうから大きな篝火でも焚いたように熱気がただよっていた。私が中の様子を確認する前にウーサーが扉を開けようとして、私は千里眼で先に中を見ていたから、慌ててウーサーと彼の開けた扉の間に身を挟んだ。
すると熱気と夥しい血の臭いが、私とウーサーの顔に叩きつけられた。
部屋の中の様子は凄惨というにふさわしい有り様だった。
産婆は上半身が消え失せていた。断面は焼け焦げたように黒ずんでいた。ただ断面以外はきれいなままだ。
彼女は寝台に寄りかかった状態で、下半身から下が消え失せていた。いや、壁にかけられた板のような状態というのが正しいかな。
彼女はその状態で、自分の腹のあたりでぐずついている赤子に腕をのばしているように見えたよ。
産婆の断面や、彼女の下にあった床は、燃えた炭のように真っ黒なのに表面は水晶のようにつややかだった。
それを見て私とウーサーは何があったのかすぐに察しがついた。
モルガンはウーサーと同じくブリテンに伝わる原初の呪力をその身に宿していて、産声を上げた途端にそれを暴発させてしまったのだろうさ。
彼女がモルガンを抱いてから悲劇が起きたのか、悲劇が起きてから彼女がモルガンを抱こうと瀕死の身で腕を伸ばしたのかは、誰にも分からないままだった。
ウーサーはそれから、後継者候補としてモルガンを育てることに決めた。
ウーサーは自分の武器がヴォーティガーンに届かないことを予測していたが、子供の頃から鍛練を積んだ同じ呪力の持ち主の剣なら届くと思ったんだ。
ブリテンの未来を少しでも長く存続させるには我々を裏切り蛮族たちと盟を結んだヴォーティガーンをいずれ取り除かなければいけないことは明白だった。
この時にウーサーは生まれた赤子に名を与えた。
あの子にケルトの戦女神にして大いなる女王に連なる名を与えたのさ。
モルガンという名をね。
まあ、今思えばこの名を与えたからこそ彼女は我らが王の敵になる運命をたどってしまったのかもしれない。
多分私もウーサーも初手を間違えていたんだろうね。
●
ウーサーは彼女の死んだ惨劇を忘れられずモルガンに接することを苦痛に思っていた。
憎んでいたわけじゃないが、父親らしいことなんて頭を何度か撫でるぐらいしかしてなかったね。
王としての教育は私に丸投げされてたし。その延長で私は魔術を彼女に教えていた。
彼女は何事も熟すことができる優秀な子だったよ。
武芸は槍が得意で並の騎士ではすぐに相手にならなくなったし、魔術を習い始めて1年程度で壊すことと殺すことに関しては私を上回るようになった。
聡明で齢十を数える頃には、政に関する知識は教えることがなくなってしまったし、あとは経験を積むだけというところまでいってしまった。
人間の王、その世継ぎとして女であることを除けばあの子はどこまでも優秀だった。
ただそれでもあの子は後継者候補に過ぎなかった。
彼女の生母を殺した例の呪力が彼女の意思ではちっとも発現しなかったんだ。
だからウーサーはモルガンへの教育と並行して、モルガンより優れていてヴォーティガーンも倒せる後継者を作る可能性を探っていた。
モルガンは父に誉められたい一心で、王としての修行を頑張っていたのにね。
私は不思議だったよ。
なんでろくに話しもしない父親に、そんなに親愛を抱けるのか。
で、直接聞いてみたら驚いたね。
モルガンが誉められたいからって勉学の成果なんかをウーサーに見せに行ったんだそうだ。
成果を見たウーサーは「よくやった」とだけ言って、あの子の頭を撫でた。その時の手つきはお世辞にも上手とは言えなかったそうだよ。傷つけまいとして恐る恐る触れるような弱い手つきだったそうだ。
たったそれだけで、モルガンはウーサーがウーサー成りに大事してくれているのだと思って、ウーサーを慕うようになったのさ。
今の彼女しか知らない者には信じられないくらいに素直なところもあったんだよ、昔はね。
もちろん今の彼女の、魔女としての一面に通じる酷薄さもその頃から垣間見えていた。
その辺は王として不適格じゃないのかって? 我らが王をご覧よ。正しく優しいだけでは王は務まらない。モルガンの性質は、私から見てもウーサーから見ても十分許容範囲だった。
幼くとも聡明なあの子は、いずれ自分は王族の務めとして政を行うのだと考えていた。そのために教育されているのだ、と。
彼女は幼いながらにやろうと思えば、むしろウーサーよりも冷徹に王という務めを果たせたかもしれないね。
私とウーサーを切り捨てでもブリテンのために奉仕する、時に暴君を演じる自我を必要とされない道具。
モルガンは、あの二人に出会って人間としてだけの純粋な愛情を向けられていなければ、魔女にならない代わりに冷徹な暴君や横暴な女神のように君臨していたかもしれない。そう思うんだ。ある意味あの二人に出会ったからこそ、彼女は完成した王になれずに人間になってしまったのさ。
あの二人とは誰か? 一人は君も朧気でも覚えているんじゃないかな。
一人はアーサー王の生母、碧き瞳のイグレイン。
そしてもう一人はアーサー王の異父姉、ウーサーとの戦で殺されたティタンジェル公ゴルロイスとイグレインの間の娘、モルゴースさ。
本当にね、父親を殺し殺された者の娘たちと思えないほどに仲がよかったんだ、あの義理の姉妹たちは。
モルゴースが命をかけてモルガンを救おうとする程度には。
おや? そんなに驚くことかな?
そうだね、じゃああの母と娘がモルガンに出会うまでを説明しよう。
○
モルガンが生まれてから、ウーサーはモルガン同様に原初の呪力を持った子供が生まれないか色々と試してみた。
結果としてモルガンが生まれてからアーサーが生まれる前までに、7人の娘たちが生まれた。うん、問題の呪力を持った子供も、王子も、生まれなかった。まるで呪われたように、一人も。
ウーサーは王族として政略結婚に使えそうな娘には王妃になるものとしての教育を与えるように指示を出して他所に預け、そういった機微に疎そうな娘は早々に大陸側の修道院に出家させてしまった。
ウーサーの元で育った実子はモルガン一人だけだった。
やがてウーサーは呪力を宿して生まれた子供を待つのではなく、呪力が無くてもヴォーティガーンを討ち果たせる子供を作ればよいのではないかと考えるようになった。
その考えと計画に基づいてつくられた絶対なる理想の王 、それが我らのアーサー王さ。
ウーサーと私は王と、母体の中にいる胎児に竜の因子を与えて竜としての機能を持つ人間をつくろうと考えた。
竜と人の血を混ぜ合わせることができる適性を持つ女、母体としてそれを持っていそうだったのがティタンジェル公ゴルロイスの妻「碧き瞳のイグレイン」だ。
まあ、戦にかこつけてイグレインを騙してウーサーの子を孕ませて戦が終わったら拉致してしまおうとしたんだけど、むしろこっちが一杯食わされた。
その時まで僕も気づけなかったのが悪いんだけど、彼女、ドルイドの末裔だったんだ。
ゴルロイスの振りをしたウーサーに気付かないふりをして、夫婦だったら違和感の抱きづらいような娘に過保護な母親のフリで会話をして、イグレインはドルイドとしての知と技でウーサーにギアスを結ばせたのさ。
戦が終わったら娘モルゴースに対して彼が考えうる最善の待遇を与えて結婚相手を選べ、とね。
つまり、ウーサーは戦が終わったその瞬間から自分にできる最善の待遇でイグレインの娘モルゴースを扱わなければいけなくなったのさ。
そうしてウーサーの居城に、ウーサーが後継者の母体として確保したイグレインと保護しなければいけないモルゴースが やってきたのさ。
うん、ウーサーは自分の居城が当時一番安全で、母と娘は一緒に居るのが良いことだと信じていたんだよ。自分は実の娘とその母とを七度も引き離したのにねえ。
イグレインはウーサーと私から同じ城に居るモルガンの生い立ちを聞いて、憐れに思っているようだった。
母の愛を知らず、父に王族として都合の良い手駒にされていると想像すらしない、あるいはそれが王族なのだと受け入れてしまっている。モルガンはイグレインがウーサーの後継者足る子を生まなければいずれ戦場に王として立たなければならず、生めば王の後継者として積んだ経験のほとんどが無駄になる。
彼女はそう考えて、自分が与えられるだけのものを与えようと、実の娘モルゴース同様にモルガンと接することにした。愛情だけでなく様々な知識や技もさ。モルガンがドルイドとしての技と知を持つのは、イグレインから与えられたからなのさ。
本当にモルガンの使える魔術は多種多様なんだよねえ。
しかも魔術に関しては天才といって差し支えないし、僕の手元を離れてから独学で色々と学んでいたようだし。
おっと、話が逸れたかな?
モルゴースの方は聡明で美しい義理の妹にすぐに夢中になった。
あと、モルゴースはあまりゴルロイスと接した時間もなく、ゴルロイスが決していい父親ではなく嘆きようもなかったのがこちらにとって幸を奏したというべきか。そうして、本当に家族としての愛情と近い年頃の娘としての友情を育んだ。
アーサーが生まれるまでの約10ヶ月。
モルガンにとっては人生初めての、幸福ばかりの時間だった。
敬愛する父、温かな愛情を惜しみ無く与えてくれる義母、優しい義姉。優秀な師。
え。自分で言うなって?
少なくとも知識を教えるものとして優秀だったのは本当だし、あの子の初恋は私だったんだぞ。
あの頃のあの子が私に向ける感情は本当に私にとって好みでね、あれで慕われてなかったとかないない……。
……ああ、これモルガンの前で言ったらモルガンが本気で私を殺しにくるから絶対他言しないように。私も命が惜しくないと言ったら嘘になってしまうから。
●
モルガンにとっての幸福な日々が崩れたのはアーサー王がこの世に生を受けた日のことだ。
ウーサーは政務に、私は生まれたアーサー王の魔術的な調整のために、別の場所に居たからそれが起きた時のことは推測でしかわからない。
モルガンの呪力が、彼女の生母を殺した日同様に暴走した。その場に居合わせたのはモルゴースだけ。
暴走した呪力は何もしなければ、内側からモルガンの魂と肉体を焼き尽くしていただろう。
あの時モルゴースが瞬時にモルガンの身に起こったことを理解できたのは、普段からよく互いに師から習ったことがらについてよく話をしていたからかなあ。
モルガンを内側から焼き尽くす呪力をモルゴースは自分の中に引き寄せた。何故それができたのか、というと彼女が生まれつき持っていた魔術の才能としか言いようがない。
モルゴースが行動しなければモルガンは死んでいたし、周辺にも被害が出ていたよ。
モルガンとその周辺を見捨てればモルゴースは助かったのに、彼女はそうしなかった。ウーサーに仕えていた魔術師として私は感謝した。
けれどモルゴースのその試みが成功しただけでも奇跡だ。当然、モルゴースは無事ではすまなかった。
呪力の暴走が終わったあと、モルガンもモルゴースも油断を許さないような状態だった。
この時点でイグレインはアーサーを生むのに耐えられずに死んでいたから、私は彼女たちに優先順位をつけたよ。ヴォーティガーンを倒せる可能性があるから、アーサーとモルガンを優先した。
モルガンの意識が回復した時、彼女の義母は亡くなっており、義姉は彼女のせいで命と魂を削ってしまっていた。モルガンは自分を責めた。
あと、彼女があの髪と目の色になったと分かったのもこの時だ。
彼女は母親似でウーサーとは余り身体的な特徴は似ていなかった。
ウーサーは金褐色の髪に青い瞳だった。
この青い瞳の色だけが、彼女が見た目でウーサーから受け継いだ唯一の特徴だったよ。
モルガンはこの日までは、灰色の綿のような髪に青い瞳をしていた。
しかし呪力が暴走した折、彼女の瞳は深紅に染まってしまった。
奇しくもその名前の由来であった女神と同じ色になってしまったのさ。
モルガンが目覚めた後、私はアーサーの調整にかかりきりになった。
モルガンは目覚めて間もなく、かの呪力の暴走後の苦しみようが嘘のように回復していた。
モルガンはモルゴースを必死に看病をしたから、モルゴースが一命を取り留めた。
看病の間、モルガンはイグレインの死も自らの変わりようも嘆く暇などなかったよ。モルゴースを助けたい一心で、その他のことを考えれば潰れてしまうかもと可能性を自覚していたんだから。
そしてこの頃。
モルガンが頻繁に、川の浅瀬で槍を持つ戦士の死に様を何度も夢に見ているのだと言うようになったのは。
ウーサーと私はモルガンを王の後継者候補から除外すると決めた。
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