魂と宙の成層圏を不死鳥は飛ぶ (加賀崎 美咲)
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不死鳥を追う語り手

好評なら続けるかも?

追記:
続きました
追記2:
本編に合わせタイトルを一時変更


 満点の星空が見える。IS学園の沿岸部は灯りとなるものが少なくて、首都圏にありながら山頂のように星が見えていた。

 

 こんな綺麗なものがあると教えてくれたのはあなただった。

 

 あなたは無邪気にはしゃぎながら星と一緒に踊っている。

 

 そんなあなたを追いかけながら私は歩みを進めている。

 

「ねえ、(かんざし)ちゃん」

 

 あなたは私に呼びかける。

 

 何? っと答えるとあなたは笑みを深くして星空を仰ぎ見た。

 

 星を抱きしめるようにして腕を伸ばし、楽しそうに声を弾ませる。

 

「これだけ星があるんだから、きっとどこかの星にはボクらと同じように星を見上げてる誰かがいると思わない?」

 

 そう言うあなたの瞳は瞬く星を写して、キラキラと輝いている。

 

 遠い宇宙を見上げるあなたはまるで千年も会えない恋人を見るようにして、じっと見つめている。

 

 そういうあなたの視線が私には送られないことを寂しく思いながら、あなたの見る場所を追うようにして宙を見上げる。

 

 綺麗な星空だ。

 

 プラネタリウムで見られる完全な星空と比べてしまうと人の作った灯りのせいで陰りがある。でもあなたといると見えないはずの存在すらも確かに感じられて、特別な星空だと感じる。

 

「会いたいなぁ……」

 

 期待するように、諦めがつかないようにあなたは悩みを漏らす。

 

 その誰かもきっと彼と同じように宙を見上げているのだろう。そしてそんな誰かを想像して、感じとってあなたは苦悶をもらしているのだろう。

 

 私には見えないナニカをあなたは確かに見ている。

 

 ねえ、お願い。どうかあなたの横で一緒に星を見る私がいることを忘れないで。

 

 そっと誰にも聞かれることなく、私は星に願いを込めた。

 

 

 

  ●

 

 

 

 風を切る高速の中、白い機影が飛ぶ。場所は太平洋沖数百キロ。日本海と外海の狭間でかすかに視認したそれを追い詰める。

 

「今度こそ見つけたぜ、理多(リタ)!」

 

 少年、織斑一夏は準音速の中、確かに黄金の姿を捉えて追いかける。そして姿を消した幼なじみの名を叫んだ。

 

 呼びかけに反応するように小さな減速があった。そして見えなかった姿をやっと目で捉える。

 

 それは黄金に輝くISだった。篠ノ之束(しのののたばね)博士が開発したマルチフォーマルスーツ、インフィニット・ストラトス。

 

 縮めて『IS』。女性にしか使えない兵器。空を飛び、過剰とも言える兵器を操るそれは世界の縮図を大きく変え、今や世界の中心となっているものだった。

 

 そしてそれは女性にしか使うことができないものだった。

 

 しかし何事にも例外はある。今ここにいる織斑一夏(おりむらいちか)がそうだった。世界で初めての男性操縦者。

 

 そして彼が追いかけるのがもう一人の世界唯一。

 

 もう一人の男性操縦者、篠ノ之理多。

 

 黄金の不死鳥を思わせる全身装甲のISに搭乗する彼は行方不明になっていた。正しくは1ヶ月前、夏休み直前に起きた『銀の福音事件』の際に彼は虹の光の残光を残して行方をくらませていた。

 

 そして同時期に世界各国の紛争地帯で起きた黄金のIS目撃例。

 

 黄金のISはその紛争地帯に現れると、その場における武力と呼べるものすべてを無効化しては消える。

 

 漆黒だったはずの色こそ変わっていたものの、形状は彼が操縦していたIS『灰の不死鳥(フェネクス・バーンド)』に間違いなかった。

 

 世界各国がこれを捕らえようとした。所属不明のIS。捕まえれば各地の紛争地帯を治める力が手に入ると同時に、篠ノ之束博士にしか作れないISのコアと呼ばれる部品を手に入れるチャンスだった。

 

 各国は自国の利益のため、そして理多の級友たちIS学園の面々は彼を連れ戻すため、IS『フェネクス』を捉えるための共同作戦、不死鳥狩りに参加していた。

 

 ISの限界速度によって発生する急激なGに耐えつつも一夏はなんとかフェネクスに追随する。事前に予定していたコースに入り、一夏は無線に連絡を入れる。

 

 そして黄金の影を叩き落とすように斬撃が降ってきた。

 

 飛来したのは紅のIS紅椿。理多の双子の姉である篠ノ之(ほうき)は奔放な弟に声をかける。

 

「バカ理多! みんなに心配をかけて! 早く帰ってこい!」

 

 その呼びかけと同時に放たれた追撃は容易く黄金に避けられた。

 

 しかし避けたことで減速が起きる。

 

「よし、一夏と箒は予定通りだな。ではB班追撃に入る」

 

 モニターで各機の現在位置を確認していたラウラ・ボーデヴィッヒは予定の座標にことがうまく運んでいるのを確かめ、狙いを定めて過充電していたレールカノンをフェネクスめがけて解き放った。

 

 放たれた弾丸をフェネクスは予見していたように急停止して目の前を素通りさせて回避する。

 

 しかしそれは分かっていたこと。予知能力に近いフェネクスの回避能力を一夏たちは知っている。故にB班の役目は足止めと追い込み。

 

 巨大な水しぶきを上げて海中から三機のISが現れた。

 

 セシリア・オルコットが操る青の『ブルーティアーズ』。

 

 凰鈴音(ファン・リンイン)が操る黒の『甲龍』。

 

 シャルロット・デュノアが操る『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』。

 

 三機は砲門の数に物を言わせて弾幕を張る。しかしその弾幕はフェネクスを撃ち落とすためではない。撃ち落とすのではなくただ追い込む。時折、予定のコースから外れようとするフェネクスに牽制の一撃をラウラが叩き込む。

 

 同時刻のIS学園。不死鳥狩り作戦本部として使われている教室の中、束は空に向かって打ち上がる弾丸の雨をかわすフェネクスを上空の人口衛星から送られる映像で見ていた。

 

「ふふ、リっちゃん上手いことかわすな〜。でもそれは全部囮。本命は最後に出してこそだよ」

 

 彼女は笑みを深くした。

 

「よし、予定座標に入った! 頼むぜ、簪!」

 

 作戦内容が記載された地図を見て、今こそと判断した一夏が呼びかけた。

 

 瞬間、空が砕けた。

 

 正しく言えば超加速に耐えきれなかった空間が発生したソニックブームによって大きく振動して光による実像がブレた。

 

 そして空を切り、海上に姿を現した6機めのIS。それはもはやISとは呼べないものだった。通常、自動車ほどの大きさしか持たないはずのIS。しかしそれは大型トラックと比肩して遥かな巨体だった。

 

 まず目に入るのは大型の荷電粒子砲『春雷・改』。ラウラの持つそれよりも5倍ほど大きそれが全体のシルエットから突出していた。さらに12機×16門の巨大ミサイルコンテナ武装『山嵐・改』がその全体像を膨らませていた。その他、大小20もの武装を積んだアンバランスな重武装IS『打鉄弐式(うちがねにしき)不死殺し(ナラティブ)』は脚部と背部に設置された4門の大型ロケット用ブースターによってバランスを崩す前に機体を前に押し出すことで全体を支えていた。

 

 音速を優に超える加速の中、簪は空を飛ぶフェネクスを視界に捉える。

 

「やっと見つけた。やっと会えた。やっと追いついた!」

 

 コンソールを操作し、左右それぞれの操縦桿に力を込めて前に突き出し、さらなる加速と武装のリミッターを解除する。体にのしかかるGの重さを感じながら確かに先行するフェネクスを捉える。

 

 本来、ISには操縦桿など存在しない。PICと呼ばれる補助機能が操縦者の脳波を読み取り操縦を支援するため、そもそも操作自体が必要ない。

 

 しかしフェネクスはこれを乗っ取り、敵対するISを戦わずに無効化する単一仕様機能を持っていた。故に世界で唯一、意図的にPICを排除したマニュアル操作であるこの打鉄弐式のみがフェネクスに近づき、追跡できる機体だった。

 

 一夏たちが入れなかったフェネクスの単一仕様能力の効果範囲に侵入する。本来ISが入れないはずの距離に簪が入った来たことに驚いた仕草を見せるフェネクス。追跡から逃れる様にして再度加速を入れ、さらには常人には耐えられないような複雑な軌道を描いて飛び去ろうとする。

 

「逃がしはしない! 全門斉射!」

 

 打鉄弐式の武装、そのうちミサイルに関係するもの全てを放つ。12機×16門、合計192発のミサイルがフェネクスめがけて飛んでいく。恐るべきは全てのミサイルがフェネクスが干渉できる自動照準ではなく、簪による手動誘導であること。マッハ8の打鉄を操作しながら同時にミサイルを操作するその並外れた処理能力こそ簪がフェネクスを追跡する役に選ばれた理由だった。

 

 否、それだけではない。能力だけが彼女がここにいことを定めた理由などではない。

 

「行かないでリタくん! まだあなたと話し足りないことがたくさんあるの!」

 

 悲痛な声が空にこだまする。追いかけても追いかけても距離は一向に縮まろうとはしない。それでも大切な人を取り戻すという執念が少女をさらに高みへと上げていく。

 

「まだ、あなたに空の向こうになんて行かせない!」

 

 呼び出したコンソールを叩き、遠隔操作のミサイルを操る。無軌道だったそれらは四方八方からフェネクスを囲うように接近し、やがて逃げ場をなくすように命中しようとする。

 

 囲った、逃げ場など存在しない。

 

 瞬間、物理法則が崩壊した。フェネクスは虹の光を纏い、それが大きくなり周囲を虹が覆う。後に残ったのは変わらず在るフェネクスと部品単位にまで分解したミサイル群だった。パーツ単位にまで崩壊したミサイルだったものは推進力を失い、海へ雨となって降り注いだ。

 

「あれがフェネクスの『時を操る虹(サイコフレームの光)』!」

 

 報告は受けて話は聞いていた。目の前で見るまでは簪には誇張された法螺話だと心の中で少なからず思っていた。

 

 しかし現に目撃したことでそれまであった容易な油断は危機感へと変わる。そして否が応でも知った友人が今ある法則の境界を越えた存在に成り果てていることを突きつけられる。

 

 それでも簪は彼を、フェネクスを追う。

 

「そうやって一人で勝手に理解して、みんなを困らせて。いつも言ってるあなたの悪い癖だよ!」

 

 人を超えてしまった怪物であろうと簪はただの友人として扱う。他の者たちがフェネクスを脅威と見る中、彼女にはそれに搭乗した天真爛漫な少年しか見ていなかった。

 

 ミサイルが無効化され、簪は次の手段に入る。

 

「本命はいつも最後にとっておくもの!」

 

 コンソールを操作して使い切ったミサイルコンテナをすべて破棄、そして空いた空間から隠し球である武装、大型レーザー砲である『雪花』を呼び出す。

 

 巨大な『春雷・改』よりも更にふた回り大きい砲身、それも二丁装備することよって打鉄そのもののフレームが大きく歪み、軋んだ音を立てる。マッハ8の速度で空中分解などすれば乗っているパイロットの命など一欠片も生存できる余地などない。

 

 しかし簪はそれを承知の上で引き金を躊躇なく握り潰すように押し込んだ。

 

 濁流と形容すべき熱光線が放たれ、砲身を動かすことで斬撃のように光線を振り回す。

 

「あっ! あぶねえ!」

 

 簪の後方で追随していた一夏に、僅かに熱光線がかすった。ほんの小さくかすっただけのはずなのに白式のシールドエネルギーは3割ほど削られた。そしてそれがなによりも放たれる熱光線の威力を物語っていた。

 

 いかに亜光速で飛べるフェネクスであろうと減速させられた状況では逃げることなど出来るわけもなく、迫る二本の熱光線に飲み込まれる。

 

「やった! ついに一撃入れたぞ!」

 

 少しづつ置いていかれながらも、なんとか二人に追いつていた一夏と箒は理多を止められる可能性に歓喜の声を上げる。

 

「いいや、まだだ。よく見ろ!」

 

 しかしそんな歓喜は長くは続かず、濁流のごとき熱光線を浴びているはずなのに撃墜された様子もないことで不審に思った箒が注意を喚起する。そしてその不安は的中した。

 

 放出されていた熱光線が、燃料が底をついたことで出力を失っていく。そして光線が薄くなったことで熱光線にさらされて隠れていたフェネクスの姿が視認できた。

 

「嘘だろ!」

 

「残念ながらあれが現実だ!」

 

 一夏が驚愕し、箒も現実に打ちのめされた。

 

 命中したと思われていた熱光線はあろう事か防がれていた。

 

 フェネクスの背部に備え付けられたフェネクスの唯一の装備にして最大の特徴ともいうべき、不死鳥の翼を連想させる推進ユニット兼、シールド『アームド・アーマーDE』が膨張し、変形する事で虹の光を発生させている。

 

 フェネクスに命中するはずだった熱光線は虹の光が生み出した力場によって完全に湾曲し、フェネクスに当たらないように軌道を変えられていた。

 

「それだって織り込み済みなんだから!」

 

 しかし簪には動揺はない。

 

 むしろこの状況こそが彼女が引き寄せようとしていたものだった。熱光線を放ったまま、追加のブースターを呼び出して装着、一気に距離を詰める。

 

 ついに耐久性に限度が来た打鉄弐式の外部フレームが崩壊した。が、構わず加速する。今ためらってしまえば、もう追いつけることはないと簪は直感していた。

 

 最後の加速を得るために操縦桿を前に出す。

 

 いかに熱光線を弾く力場であろうともそれは物理的な防御力はなく、ついに逃げおおせるフェネクスは打鉄弐式のマニピュレーターその両肩を掴まれた。

 

 強制通信用のケーブルをフェネクスに突き刺し、通信のためのパスを開く。

 

 簪はすがるように呼びかける。

 

「リタくん! ねぇ、リタくんなんでしょ⁉︎ どうして答えてくれないの、どうして飛び去ってしまうの!」

 

 いくら呼びかけようとも返事はこない。フェネクスは自信を掴む打鉄弐式を振りほどくこともせず、ただ加速を続ける。

 

「リタくん、どうして……」

 

 呼びかけても答えは来ず、悲哀に涙が頬を伝ってゆく。

 

 その時、心を通り過ぎて行く光があった。忘れもしない、忘れることができないニュータイプによる心の声、理多から伝わる言葉だった。

 

『泣かないで簪ちゃん。君の声はちゃんと届いているから……。でもゴメンね。今はまだ君の元へは帰れないんだ。まだボクにはやらなくちゃいけないことがあるんだ……』

 

「みんなを心配させてまでやらなきゃいけないことって何!」

 

 申し訳なさそうに謝る理多の声に簪は痛みをこらえるように問いかける。

 

 しかし理多は答えない。無言のまま二人は加速だけを続けていく。

 

 永遠とも思えた二人の逢瀬を一条の閃光が途切れさせた。

 

 察知したフェネクスが先に動いた。掴みかかったままの打鉄を払いのけ、飛来する熱光線と打鉄の間に立ち、背部の翼を展開して先ほどやったようにして無効化する。

 

「『亡国企業(ファントム・タスク)』! またお前らかよ!」

 

 やってきた襲撃者の正体を察した一夏が怒りを声に滲ませる。何もフェネクスを狙っているのは国だけでは無い。彼らのような非合法組織もフェネクスの圧倒的な力を欲していた。遠くには無人機と思われるISが十数機飛行し、フェネクスを狙っている。

 

 そもそも理多がこうなったのはお前らのせいだ!。と心の中で一夏が叫ぶと同時に近接武装である『雪片』を呼び出し、斬りかかろうとすると、追い越すようにしてフェネクスが先行した。

 

 フェネクスは両手を広げ、何度も見せた虹の光を展開すると一帯にいた無人機全てをパーツ単位にまで分解して見せる。それを終え、周囲にもう無人機や脅威が無いのを確認するとこちらを振り返ることもせず飛び去っていった。

 

「待って、リタくん!」

 

 諦めきれない簪がリタに向かって手を伸ばす。しかし伸ばした手が届くことはなく、虚しく空を切る。なんとか追いかけようと再度操縦桿をつかもうとして箒が制止した。

 

「落ち着け簪! その機体ではもう追いかけるのは無理だ。それはお前が一番分かっていることだろう!」

 

 言いながら箒は変わり果ててしまった打鉄弐式を見る。脚部はブースターによって発生した熱とGにより融解し、装備していた武装も多くが摩擦熱で焼け焦げ、見える全ての装甲が無残にひしゃげていた。もはや自力で飛ぶことはおろか、箒が紅椿で支えていなければ、誘爆するか自重で崩壊しかねない有り様だった。

 

 フェネクスは再度成層圏に姿を消し、唯一追跡出来る打鉄弐式は飛行不能。誰の目にも作戦は失敗だった。

 

 だがそれがどうした。そんなものは諦める理由にはならない。フェネクスが消えた星空を涙の跡が残る瞳で見上げて誓う。

 

「あなたを絶対に一人になんてさせない。あなたが見せてくれた宙に必ず追いついて見せる」

 

 変わらず輝く星は宙に瞬いていた。

 

 泣きはしない。あの宙のどこかに必ず探している人がいるから。

 

 



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起1 大きな宇宙、小さな巡り会い

こんなに早く読み手からの反応があると思わなかったぁ?
(続きを)書いちゃうんだなこれが!(失敗作並みの発言

TIPS

感情とは違う人が獣でなく人であるがための機関。人間らしさの証左。人は目に見えず存在の証明ができないこの概念の存在を何故か確信している。魂とはむき出しの物であり、理性に由来する感情とは切り離されている。
感受性の高い理多はこれを頭の中で響く声として他者から感じ取り、魂の存在を確信しておいる。そしていずれこの魂がたどり着く場所を知りたいと思っている。


 四月。それは出会いと新天地の季節であり、それはこのIS学園でも変わらない。世界の中心である兵器、ISの操縦を学ぶためのIS学園でも新しい季節に胸を膨らませる生徒が大半だった。

 

 新しい環境、新しい人、今までとは違うなにもかもを感じながら、みな新しい友達を作って新しい環境に適応しようとしていた。

 

 でも私はそんな大きな流れから取り残されていた。教室の隅窓際の一番後ろ、アニメで言うところの主人公席と呼ばれる座先で誰とも交わらず、私は黙々とコンソールを叩いていた。

 

 そんな輝かしい主人公席に座りながらしかし、私は言ってしまえば新しい環境に不適応を起こしていた。

 

 教室の中で話しかけてくれる親切な子たちの話を話半分で聞き流し、コンソールに集中しているなどと言い訳をしながら目を合わせず、私が日本という国のIS操縦者代表候補だと知って興味深そうに話しかけてくる子をとある劣等感から冷たくあしらってしまったことで新学期初週から私は悪い意味で目立ち、みんなから腫れ物を触るように避けられていた。

 

 そんな私とは対照的に良い意味で目立ち、初週にしてこの環境に完全に適応してクラスの中心になりつつある少年がいた。

 

 そう、少年。

 

 本来、女性にしか扱えないはずのIS。それをどういうカラクリか男性でありながら起動させられた二人目の男の人。年は私と同じ15歳。

 

 一人目は有名だ。織斑一夏。あの世界最強のIS操縦者、織斑千冬の弟。入学前からそのルックスでも雑誌に取り上げられてISを動かしたことで一躍時の人となった有名人物。

 

 そして私にとってはとても憎い人だった。

 

 彼が現れたせいで本来私に回されるはずだった技術者が、世界にたった一人という貴重性を理由に織斑の方へと動員され、結果として私に与えられるはずだった専用機は開発が頓挫、意地になった私は未完成のそれを引き取り、自分で完成させると躍起になっていた。

 

 こうして今一人で孤立しているのも、元を正せば彼のせいと言うのは逆恨み以外なにものでもないことは分かっていた。それでも募ってしまう悪感情で胸は熱く焼けていた。

 

 だが彼は一組。私のすぐ側にいるのは織斑ではない。

 

 もう一人の男性操縦者はそんな織斑よりも圧倒的に有名だ。

 

 名前は篠ノ之理多。女の子のような名前だがれっきとした男の人だ。

 

 そして篠ノ之という名字を聞けば、否が応でも彼の家族が誰なのかが分かる。

 

 そう、彼はISという世界を変えてしまった兵器の生みの親、篠ノ之束博士の実の弟であり、さらにどこにも所属しないでおきながら専用のISをその束博士直々に与えられている。

 

 そんな生まれと環境にいるからどんな天才で傲慢ちきかと思えば、彼は驚くほど天真爛漫だった。

 

 束博士が人を寄せ付けない人物であることは世界的に有名だが、彼は驚くほどその真逆をゆく、天真爛漫さと人懐っこさが印象的な少年だった。

 

 同じ教室に居ながら、今のところ一度だって話したことはないが、彼の人と成りは同じ教室にいながら良く伝わる。

 

 よく喜び、よく怒る、よく泣く、そして何よりもよく笑う。まるで感情が乱数表のように変わるのに、違和感やおかしな人が持つ不快感もなく、彼がいることにどうしてか感情がしっくりくる。そんな男の子だった。

 

 教室に入れば誰かと話す彼の声がよく聞こえる。決して声が大きいわけでもなく、怒鳴っているわけでもなく、ただ彼の声は良く耳に入りやすかった。

 

 そんな彼が男性のIS操縦者というラベルと共に周囲から放って置かれるはずもなく、彼の人当たりの良さもあってクラスの中心となるのに時間はかからなかった。

 

 そんな彼に私は距離を置いていた。自分からは話しかけようとはしなかった。

 

 同じ男性操縦者という点が、私にとって恨み言が尽きない織斑を連想させるという理由もあったし、もともとクラスの中心人物に積極的に話しかけられるような性分でもなかった。

 

 しかし何よりも大きな理由は彼が自分の姉、篠ノ之束についてどう思っているのか知るのが怖かったからだ。

 

 私にも姉がいる。私の名前は更科簪。姉の名前は更科盾無。

 

 姉はロシアのIS操縦者代表であり、その実力は世界に知られている。そんな優秀な姉に対して私は一国の代表候補止まり。劣等感を抱くなというのが無理な話だ。

 

 無能な私はなにもしなくていい。優秀でなんでも出来て、なんでもしてくれる姉は言外にそう言っているような気すらしていた。

 

 そんな優秀な姉にコンプレックスを抱く私にとって、世界を変えてしまうような姉を持つ彼が、そんな姉をどう思っているのかというのは実に気になることだった。

 

 そして彼はきっと言うのだろう。「優秀な姉だけど、僕の姉さんだから大好きだ」って。

 

 聞かなくても分かる。彼はきっと優秀な姉に対して欠片も劣等感やコンプレックスを感じていない。

 

 そんな彼を知ってしまうと途端に自分が惨めに見えてきて、それを事実として目にしたくないから、私は彼を気にしながらも話しかけられないでいた。

 

 しかしそんなそんな日々はいともあっさりと崩れ去ってしまった。

 

 

 

  ●

 

 

 

「いってらっしゃーい」

 

 棘のない澄んだ声が教室で聞こえた。昼休憩となり、女子たちが固まってトイレに行ったことで男子である篠ノ之は一人教室で彼女らの帰りを待つことになった。

 

 出て行った彼女らの見えなくなったドアに手を振っていた篠ノ之は突然動きを止めると何かに気づいたかのようにこちらを見た。

 

 それに私は驚いて小さく声を漏らしてしまう。

 

 だってそうだろう。普通、視線を感じたからとって視線の主にタイムラグなく振り向けるはずがない。普通はどこからだろうと周囲を見回すはずだ。

 

 しかし篠ノ之はそんなそぶりを一切見せず、間も開けずに私を見つけていた。まるで最初から私が見ていることに気づいていたかのように。

 

 私と目が合うと篠ノ之はその優しそうな少し垂れた目を興味と喜びでいっぱいにして見開き、こちらへとやって来た。彼は雑誌で見た束博士によく似ている。違うのは不機嫌そうな束博士とは似ても似つかない、その底抜けの笑みだ。

 

 その満面の笑みがこちらへと向けられている。

 

「初めましてだね! 僕の名前は篠ノ之理多。キミは更科簪さんだよね?」

 

「名前……」

 

 驚いたことに彼は私の名前を知っていた。昔から友達に読み難いと言われ続けた、私の苗字や名前の漢字読み間違えることはなかった。私はそれに驚いた反応を見せると彼は嬉しそうに手を合わせ、

 

「うん! 同じクラスになったクラスメイトだからね。頑張って、みんなの名前を覚えたんだ。キミと話すのは最後になっちゃったけど、一年間よろしくしてくれると嬉しいな!」

 

 話してみて分かる。これは確かに人を惹きつける。容姿や生まれなんかじゃない。彼のあり方、話し方は確かに人を惹きつける。

 

 いや違う、惹きつけるのではない。どちらかというと通じ合う?

 

 私は奇妙な言葉で彼を表現していた。話しているのだから通じ合っているのだろう。しかし彼が見せる通じ合いはどこか人と違っている。

 

 まるで心を読み取られているような。

 

 はじめての感覚に戸惑っていると彼が会話を繋げてくれた。

 

「簪さんはいつもピコピコを触ってるね。いつも何をしてるんだい?」

 

「それは……」

 

 ピコピコと呼んで彼は私のコンソールを指差す。

 

 お前の片割れのせいで開発が遅れた自分の専用機を開発している。などとは口が裂けてもいない。それくらいの理性や社交性は私にだってある。

 

 私が答えに詰まり、何も言えないでいると、彼は遠慮も見せずにコンソールを覗き込んだ。

 

「……ISの開発プラットフォーム? ……あっ」

 

 機械をピコピコと呼ばわりする割には開発プラットフォームが理解できるらしい。

 

 画面から目を離し、私を見て、そしてまた画面を見る。それを何度か繰り返すと篠ノ之は何かに確信がいった様子を見せる。そしてみるみるうちに先ほどまでの明るい表情が消えていき、どこか申し訳なさそうな謝るような表情へと変わっていく。

 

「……あぁ、そっか。ボクや一夏のせいでキミの専用機完成しなかったんだ」

 

 まるで今答えを見たように一言一句正しい事実を当てられた。突然のことに驚き、思わ後ろへと一歩慄いてしまう。一歩の距離しかないはずなのに気がつけば、私は海よりも深い隔たりを篠ノ之に感じていた。そう例えてしまうほどに前の彼が理解不能だった。

 

 勘がいいとかそういうレベルではない。まるで心を読んでいるようだった。

 

「ボクたちのせいで君にとても迷惑をかけてしまったんだね。でも、ごめんなさい。ボクもここに目的があってやって来たんだ。だからボクらがここに来なかったら、とは言わないよ。でも、もしボクたちが力になれることがあったら言って欲しいな」

 

 彼はどこまでも友好的だった。

 

 彼の言葉を聞き、一つだけ引っかかりを覚えた。

 

「IS学園に来た目的? あなたは偶然見つかった操縦者じゃないの?」

 

「ううん、違うよ。一夏はそうだけど、ボクは自分から頼んでここにやって来たんだ」

 

「それはどうして?」

 

 私は問いかける。そして篠ノ之は身を翻して窓際に立って外の景色、青く澄んだ空を見上げて、そして答えた。

 

「ボクと姉さんの夢を叶えるためさ。そのためにボクはISという翼を選んだ」

 

「お姉さん、篠ノ之束博士の事? その夢というのは何?」

 

 気がつけば自分でも信じられないほど、私は饒舌になっていた。感情的になっている訳でもなく、心を引き出されているようだ。

 

 身を翻し、彼は私の質問を受け取ると大事な宝物をこっそり見せるように、真っ直ぐに水平線の彼方を指し示した。

 

「あの空の向こう、まだ人が到達出来ない宙の果てをボクと姉さんは見たいんだ!」

 

 その声と同時に頭がカァっと熱を持つ。自分の足で立って篠ノ之を見ているはずだったのに、あたかも白昼夢のような感覚で私は見たこともない景色を見ていた。

 

 透き通るような青い成層圏を抜け、白玉のような月を追い越し、火星や土星といった図版でしか見たこともないようなそれらの実像を通り抜け、光も届かぬ外側へと私は飛び、そしてその終着で私は小さく瞬いて存在を主張する小さな虹を見つけた。

 

「ハァっ、ハァっ、ハァー……」

 

 気がつけば私は大きく深呼吸をしている。しかしそれは息苦しさからくる辛いものなどではなく、まるで生まれて初めて美しいものを見たかのような冷めない興奮から来る、途方もない期待で体が熱くなっていた。

 

 今の映像は一体何なのだろう。どうして見られたのだろう。分からない。でもそれが素晴らしいものだということは直感的に理解できた。

 

 目の前に立つ篠ノ之は笑って私を待っている。

 

 そして私は彼に手を伸ばそうとして。——恐ろしくなった。

 

 伸ばしていた手を引っ込め、私は彼と対峙する。

 

「どうしてなの! どうしてあなたはお姉さんを怖いと思わないの!」

 

 支離滅裂なことを話していると自分でも分かる。しかし衝動は理性を離れていた。噴出する出所のわからない怒りが止まらない。

 

 いや、出所は分かっている。私が彼に抱いていた疑問。黙っていようと思っていたものを、私は自発的に解き放っている。

 

 そんなめちゃくちゃな私を見ても篠ノ之は少しも動じていなかった。

 

 変わらず平素通りの笑みを見せる。

 

「君はお姉さんが怖いの?」

 

 彼の言うお姉さんが篠ノ之博士ではなく、私の姉を言っているのは明らかだった。どうして姉を知っているのかなど今更聞きはしない。心に直接振れるような言葉が頭を揺らす。

 

「嫌いだよ。ずっと目障りだった! あんな人、私の人生にいなければよかった! そうしたら私はもっと普通に幸せになれたんだ。いつも誰かの影に怯えることはなかったんだ!」

 

 ドス黒い憎悪が言葉となり、口から泥となって吐き出していく。汚い言葉を吐いていくほどに体が空になって空虚になっていくようだった。

 

 そうだ、ずっと私はそう思っていた。姉を憎いと——。

 

「でもそれは違うんでしょ?」

 

 ピシャリと私が吐いた泥は断ち切られた。

 

「君がヒーローに憧れるのはどうして?」

 

 それがどうしたと言うの。それが今何の関係があると言うの。ただ私はそれに答えなければならないと感じていた。

 

「ヒーローは強くて、カッコよくて、 誰にも負けなくて……」

 

「それで困っている誰かが助けて欲しいと願っていると救いに来てくれる。そういう人と君は自分のお姉さんを重ねて、そんな人に君はなりたいんでしょ?」

 

「——っ!」

 

 息が止まった。篠ノ之の言った言葉に私は反論することも、否定することもできなかった。

 

 その言葉はまるで私の影になっていた足元を暴き、衆目に晒す光のようだ。

 

「君はお姉さんを憎いだなんて思っていない。それどころか誰も憎んじゃいない。ただお姉さんが眩しくて、憧れていて。君は姉さんに追いついて、ただ対等でいたいだけなんじゃないのか?」

 

 優しい言葉はしかし、その柔らかさとは裏腹に躊躇なく私の心を切り開いていく。

 

「何の確証があってそんなことが言えるの……。私のこと何も知らないくせに!」

 

「それは君が教えてくれるか——」

 

 しかし彼の言葉は最後まで続かなかった。

 

 気がつけば私は前へと歩き、私を見る篠ノ之をはたいていた。こんな風に人を叩いたことなんて初めてのことだった。弱々しい小さな乾いた音が教室に響く。

 

 篠ノ之は避けられるそれを避けようとしなかった。弱々しい手弱女の一撃を、のろまでブレブレのそれを逃げようとはしなかった。

 

 叩いてしまってから気づく、彼は私に向き合おうとしたんだ。

 

 飾りの無い真っ直ぐな言葉で私と対話しようとしていた。それなのに私は自分が傷つくのが怖くて、かれをだまらせようと叩いてしまった。

 

 あくまで誠実にあろうとした彼にしてしまった自分の仕打ちがとても恥ずかしいものだとすぐに気づいた。しかしもう叩いてしまった後だ。

 

 私は私に向き合ってくれる人を自分から拒絶したのだ。

 

「ご、ごめんなさい。叩くつもりはなかったの。ただそんな痛いことをされたら誰だって、——怖いよ!」

 

 そう告白すると私は彼から逃げるようにして教室から飛び出した。途中、すれ違うクラスメイトたちはどうしたのだろうと私に声をかけようとする素ぶりを見せるが、頬を赤く腫らした篠ノ之を見つけると、私のことなど二の次になりみんなそちらに言ってしまう。

 

 自業自得といえばそれだけのこと。一度もまともに話したこともない赤の他人よりも少しだけ話したクラスメイトを優先しただけのことだ。

 

 自分はどうしたら良かったのか。答えは出ず、私は逃げ場を探して前へと落ちていった。

 

 

 

  ●

 

 

 

「ねぇ、リっちゃん」

 

 上の方の姉さんがボクに話しかける。

 

 二人で星を見上げながら話すこの時間はボクは好きだった。頭の良い姉さんはボクに色んなことを教えてくれる。ボクが興味のあることだったり、よく分からないような難しいものだったり、そして何よりも多かったのは、

 

「あそこの星には誰かいるのかな?」

 

 期待に声を弾ませながら、姉さんは夜空に目立つ赤い星を指差す。でもボクは首を振る。

 

「あそこには誰もいないよ」

 

「そっか……」

 

 呟く姉さんの声。でも心の中ではガッカリしている。ボクはそれが嫌だった。大好きな彼女にはいつでも楽しそうにして欲しい。

 

「嘘だよ、そんなことなかった。よく見ればあそこにも誰かいる気がする。ホントだよ?」

 

 自分では上手く誤魔化せている気になっていたが聡明な姉さん、いや、姉さんでなくとも、誰だってボクが嘘をついていることなど手に取るように見え透いていたのだろう。

 

 ボクのせいいっぱいの嘘を聞くとお姉ちゃんは優しく笑みを浮かべてボクの頭を撫でた。

 

「嘘。本当は誰もいないんでしょ?」

 

「……うん」

 

 嘘を見抜かれたことでボクは恥ずかしくなり顔を赤くする。

 

「どうして嘘をついたのかな?」

 

「だってお姉ちゃんにガッカリして欲しくなかった……」

 

 言い訳は見苦しく、絞り出すような声だった。

 

 でも姉さんはそんなボクを許し、近くに抱き寄せ宙を見上げた。

 

「リっちゃんは私がガッカリしたって感じ取ったんだよね? すごいなぁ……。束さんには出来ないや。今だってそこら有象無象の考えなんて束さんは分からないし、あんな遠くの、人の技術で捉えられない場所のことなんて束さんにはさっぱり見えないよ」

 

 少し残念そうな姉さんの声は何処か遠くへと向けられていた。

 

「りっちゃんの才能はすごいよ。きっと君は私たちが今までの到達できなかった場所に行ける。きっと。いつかお姉ちゃんもそこに連れていってね?」

 

「お姉ちゃんも宙の向こうに行きたい?」

 

「行きたいね。古い私たちとは違う、リっちゃんだけの才能、いわばニュータイプと呼べるそれは人をいつかあの場所へ届けてくれる」

 

 でも、と姉さんは言葉を切る。

 

「忘れないでリっちゃん。どれほど高度に外を感じ取れても、理解をしていても、それが外からの理解を得られるとは限らないということ。君の才能は人と分かり合える架け橋であるのと同時に、残酷に人を壊せてしまえる力なんだ」

 

「あっ! もちろん束さんは人を傷つけるなとか言わないよ? 所詮、有象無象が何を思おうと束さんたちには大して関係ない。ただ、その力を扱って何かを感じる自分はそこにいるんだ。自分がそうしたいって思う方向、自分で決められるそれを見つけてね、リっちゃん?」

 

 きっとそれは姉さんなりの家族への心配、そして助言なのだろう。あくまで世界にいるのは自分と興味がある人だけというのは姉さんらしいが、

 

「——そうそう、束さん、リっちゃんが割と容赦なく人の心を読み取って、その人が無意識に欲しがってる言葉を際限なくあげちゃうの、リっちゃんの悪い癖だと思ってるから。直したほうがいいよ、さっき怒ってる箒ちゃんとすれ違ったし。また何か余計なことを言っちゃったの? おー、コワコワだよ!」

 

 それまであったしんみりとした空気はどこへやら、いつも通りのおとぼけた姉さんに戻ってしまった。

 

 気温もすっかり下がり、肌寒い空気を走り抜けてボクたちは家へと帰った。

 

 



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起2 大きな宇宙、小さな巡り会い

TIPS

晴れた空に映るもの。空を通じて現れる光の具現。人は決して虹の反対側へはたどり着けず、そのたもとは見ることすら出来ない。空からの光を見える形にしたものであり、そのたもとにはこちらを見る誰か、どこかの星があるのかもしれない。


 理多を叩いてしまった簪は恐ろしくなってその場から逃げ出してしまった。教室に戻ろうとしていたクラスメイトとすれ違いながら、呼び止める声を無視して彼女は一人になれる場所を探して走る。

 

 己の息を吐く音が頭に響くようにして聞こえる中、授業を知らせるチャイムの音を簪は聞き逃していた。

 

 本当は聞こえている。ただ、あのまま教室に戻りたくないと思った。戻ってしまうとまた篠ノ之と顔を合わせてしまう。その可能性が彼女の耳を塞いだ。

 

 きっと周囲は赤くなったを頬を見てどうしたのだと彼を問いただすだろう。そうしたら犯人である簪は追い込まれてしまう。

 

 彼が本当のことを話せば簪はクラスメイトに暴力を振るった乱暴者だと思われ糾弾されるだろう。そして彼が本当のことを伏せて取り繕ったような嘘をつけば、皆は本当のことを知らず、簪は彼に嘘をつかせてしまうことになる。

 

 きっと彼は優しいから後者を選ぶだろう。そして私はその優しさに甘んじる自分への罪悪感に耐えられない。どちらに転んでも私は自分が可愛いが為に傷つく。それが恐ろしく、まず最初に自分の保身を考えてしまう自分が受け入れ難くて、私はあの場から逃げることを選んでしまっていた。

 

 簪はそう思った。

 

 簪の足は人目を避けるようにして人気のない方へと彼女を運び、気がつくと彼女がいたのは学園のある人工島の中でも整備が行き届いていない植林場だった。

 

 環境への配慮のための植林という、見え透いた世間への言い分のために植えられた木々。自分が傷つかないために人を黙らせ逃げた自身と、環境への配慮なんて心にもない自分を良く見せるお題目のために植えられてそのまま放置されている木が、今は同じものに思えた。

 

 その中の一つ、幹が太く元の場所から無理矢理引き離され、見知らぬ新天地に植えられてしまったのだろう傷ついた木を背にして、簪は自分を守るようにして丸くなって塞ぎ込んだ。

 

 こんな場所を誰が見つけられるのか、という当たり前のことから目を逸らしながら、やはり誰も探しにきてきてはくれないのだ、私は必要とされていないのだ、と自分の態度や行動を棚に上げて不貞腐れる。

 

 誰も言葉を発さない木々は彼女に考える時間を与えた。

 

 時刻は昼過ぎ、本来であれば生徒たちは授業を受けている時間だ。

 

 しかしそんなことに何の意味がある。誰とも交流せず、ただ教室の一席に陣取り話を聞いて、そしてまた姉への劣等感を払拭するためのIS開発にのめり込むだけの日々にどうして価値が生まれるか。

 

 こんな場所で塞ぎ込むのと何も変わらない。場所が教室から木々の中に変わっただけ。ただ一人でいるだけだ。

 

 身一つで孤独な時間は何も生まず、ただ思索にふけることだけは簡単だった。

 

 ——君はお姉さんと対等にいたいだけだ。

 

 強く彼の言葉が頭の中で蘇る。

 

 彼の言葉は間違ってなどいない。彼の言葉を聞いて私は確かに納得していた。

 

 彼は寸分違わず私が思っていたことを探り当て、私が隠していたことを暴いた。

 

 だからこそ私は心の奥底を暴かれたことに、情けない自分を晒し上げられたことに怒り、それ以上情けない自分を自覚することを避けるため、彼を言葉を遮るために暴力を振るった。

 

 それが間違ったことだということなど分かっている。

 

 しかしどうしたら良かったというのだ。自分をよりも優れた人に劣等感を覚えるなと言うのか。そんなものは無理だ。人間は神じゃない。どれだけ聖人のように立派な人だって心の中に悪感情が存在しないはずがない。悪感情も知らないで、間違いを知らないままに、その反対の正しさを知るはずがない。

 

 だというのに彼は私の中の悪を断じた。私が求めていた言葉を私に断りもなく無遠慮に突きつけたのだ。

 

 でも間違ってしまったのは彼だけではない。彼に暴力を振るった私も同じように悪だった。

 

 誰も正しくない。対話という手段は適切に行わなければ、ただ争いを生み出す火種にしかならない。それは如実に形になったのだ。

 

 お互いに歩み寄ろうとせず、互いの利己を優先する。有史以来、人間のやってきたことで、人の歴史の根底にはいつもその摩擦があった。

 

 勝手な履き違えと一方的な歩み寄り。それこそ人が人を誤解なく理解でもしない限り、なくなることなどあるはずもない。

 

 しかし目下、私が考えるべきなのは壮大な人類の行く先などではなく、どうやって人を叩いてしまったことを収めようかという、実に小さく個人的な問題だった。

 

 そしてそんな個人的大問題の解決法は明白だった。

 

 古今東西、今も昔も、過失を起こしてしまった時の解決方法は相手に謝るという一点に尽きる。

 

 先ほども言ったように人は神ではない。起こしてしまった事実は覆すことなど出来るはずもなく、非力な人に許されたのは謝り、相手に許しを乞うというただ一つの手段だった。

 

 しかしそれこそ虚しいことだ。謝るなど本当は相手に許しを乞う行為などではない。ただ相手に許しを乞う姿勢を見せ、自分が許されたいのだという利己を相手に押し付ける行為でしかない。

 

 しかしそうしなければ人は傲慢であることの型にいること強いられ、結局は許されないで終わってしまう。

 

 許されたいがために許しを乞う行為は自身の非を認めているよう見えて、それ自体が自分のためでしか成り立たないのだ。

 

 その実、相手が許してくれているのかなんて、謝った側は永遠に分からない。

 

「謝って、そしたら許してもらえるのかな……」

 

 小さく自問する。

 

 つまるところ私の問題はそこに起因する。過失の事実はなくならず、謝るという手段しか彼女には残されていない。そしてそれを実行したところで許される保証もなく、何かが明確に変わるわけでもない。己の自己満足のための消費にしか思えず、浅ましさを覚える。

 

 どうやってもやってしまったことへの後悔はなくならず、問題に向き合うことすらも億劫になる。

 

 どこかへ遠くへと消え去りたい。そうすればこんなことを考える必要もない。

 

 思いついたのは逃げるという選択肢だった。

 

 姉はきっと彼女が何もかもを投げ出したいと言っても、どれほどか予想もつかない引き止めの言葉を放った後に何も言わず、居させてくれるだろう。簪には確信があった。

 

 情けなく、何も成せず、何も残せず、今を空虚に生きているだけ。それでいいじゃないと簪は唇を噛む。

 

 自分には成すための能力が無かった。それだけのことだったと簪は結論づけた。どうして今まであんなに一生懸命になっていたのか、今の簪には分からなかった。

 

 ただここを去ろう、何処か遠くへ行こう。前など何も見えない理由で立ち上がって、簪はすでに日が落ち先がほとんど見えない木々の間を歩き始めた。

 

「ねえ、待ってよ」

 

 そして彼女を引き止める声があった。

 

 月明かりを背にして篠ノ之理多はそこにいた。

 

 

 

  ●

 

 

 

 暗い面持ちで足元だけを見ていた簪は重い首を持ち上げて顔を上げた。

 

 前を見るとそこに理多が立っていた。

 

 簪は笑った。

 

「何しに来たの? 叩かれたことに文句を言いに来たの? それとも情けないやつ、って笑いに来た?」

 

 自嘲するような声色だ。

 

 しかしそれを聞いても理多は表情を変えない。何も言わず、脇目も振らずに簪を見ている。

 

 薄く赤い瞳が簪を見つめ、まるで己の内側を覗いているような錯覚を思えさせる。

 

 簪は己の感情がまたしても高ぶるのを感じる。

 

「何か言ったらどうなの! そうやって黙っていれば、自分は何でも分かってるって態度をとって、そうしていれば傷つかないと思って!」

 

 当てこすりのような罵倒にしかし、理多は反論しなかった。そうやって無抵抗な相手を責めることに、それに何も言わない理多の態度に簪は己の浅はかさ、情けなさを諭されたように思う。

 

 そして簪がそれ以上何も言わなくなると理多は意を決した表情を見せ、一歩、また一歩と彼女と空いていた距離を埋めていった。

 

 それまでの無言から打って変わり、迫ってくる理多に簪は気圧される。

 

 もしかしたら仕返しに来たのでは、自分がやったように叩かれるのではと思った。

 

 草を踏みしめる音が恐怖の迫る音へと変わった。

 

 どうしたらいいのか分からない。何が起きようとしているのか分からない。何も分からず、未知から顔を背けるようにして、簪は自分を守るようにして腕で顔を隠した。

 

「ごめんなさい。更識さんの気持ちも考えないで、全部ボクの独りよがりだった。それで君を傷つけてしまった。本当にごめんなさい」

 

 殴られることも責められることもなかった。やってきたのはそれ以上何もない、ただの謝罪だった。

 

「……へ?」

 

 呆気にとられた。顔を覆っていた腕を戻し、目端に溜まった涙で滲む視界の中、簪は何も言わず頭を下げた理多を見た。

 

 困惑する簪は何も言えずにいる間、理多は何も言わず頭を下げたまま動かない。

 

「どうして……?」

 

「ボクは君にひどいことをして、君を傷つけた」

 

「なぜ謝るの?」

 

「君と仲直りがしたいから」

 

 そして簪は黙ってしまう。そして動かず簪の言葉を待つ理多の姿を見て、一つのことに思い当たる。

 

 ——忘れていた。こんな単純なこと。

 

 ただ謝るだけでそれ以上何も言わない理多。彼の言葉を聞き、彼の姿を見て簪は一つの思い違いをしていたことに気づく。

 

 謝罪は確かに自分のための行為でしかないのかもしれない。しかし謝り許しを乞うて相手の許しを得たいということ自体は正しいことだ。正しく在ろうということ、それ自体がどうして悪だと一方的に弾ぜられなければならない。

 

 それは違うと、簪は理多を通して見つけた。利己という悪と正しく在ろうとする善が同時にいられないと誰が決めた。聖人が悪意を持つのが人の真実というなら、罪人が善意を持つことが不実であることが成り立たないはずがない。

 

 悪意と善意、その両方を人は持つ。その当然に人は人に人間らしさを見出す。それが事実かどうか簪には分からない。だが今彼女が理多に感じている超然とした資質でない、素朴な人間らしさは確かにそこにある。こんな時どうしたらいいのか簪にはすぐには思いつかず、

 

 しばし沈黙があった。

 

 そして——、

 

「その……、もう頭は下げなくていいから」

 

 簪は彼を許すことにした。

 

 

 

  ●

 

 

 

 夕陽が落ち、すっかり暗くなった時間。

 

 理多と簪は桜の木を背に座り込んでいた。

 

「いつも箒ちゃん、あっ、ボクの双子の姉さんね、が言うんだよ。ボクはいつも余計なことをしてるって。今回も更識さんが思っていても言われたくなかったことを言っちゃった。ごめんなさい」

 

「……簪でいい。苗字で呼ばれるのはあまり好きじゃない」

 

 小さく簪が答えた。今回の件はもういいという意思表示であった。

 

 その言葉を聞いて理多はうなずき、確認するように聞いた。

 

「お姉さんと比較されるから嫌なんだよね」

 

 またしても、誰にも言えなかったことを知られていると簪は驚いて目を見開き、彼を見た。

 

 理多はまた失言をしてしまったことに気づき、慌てて余計なことを言わないように両手で自分の口を塞いだ。

 

 それを見ていた簪は不思議そうに見つめていた。疑問が不安定な確信へと変わり、簪はそれを確かめようとした。

 

「篠ノ之くんは人が何を考えているのか分かるの?」

 

 簪の質問に理多何かを思い出しては落ち込んだ様子を見せ、ポツポツと呟き出した。

 

「小さい頃からずっといろんな声が聞こえるんだ。人の心の声もその一部。」

 

 簪は自分の疑問が正しかったことに少なからず驚いた。

 

 理多は続ける。

 

「でもどれほど聞こえても、ボクはそれをうまく聞き分けられない。誰かの言っていいことも悪いことも一緒くたに聞こえて、それなのに言って欲しくないのに言って欲しい願望も表裏がない。だから何かを深く思い悩んでいる人をボクは容易に傷つけてしまう」

 

 いつもは悦喜に染まった顔も今は暗く萎んでいた。

 

「人の心が分かっても分かり合うのは難しいね」

 

 力なく理多は呟いた。

 

 簪はその通りだと思った。たとえ肉親であろうとも相手が何を考えているのか、どうしたらいいのか分からないのだ。不特定多数、玉石混淆の声すべてを聞き取ってしまう理多にはもっと分からないのだろう。

 

 もしも誰も彼もの声を聞き取り、それを正しく受け取ることができれば、それはもう今までの人という型に当てはまらない人の革新というべき存在へと至るのかもしれない。

 

 しかしここにいるのはまだ到達点も遥か先の歩み出したばかりの巡礼者。革新へはまだはるか遠い。

 

 そう思えば、誰もが満ち足りていない。簪も、理多も、誰かも、誰もが欠けて苦しんでいる。

 

「みんなが分かり合えるように生まれていれば良かったのにね」

 

 簪の呟き。それは理多の言葉への答えだった。そして無遠慮だった理多の言動に対する許しでもある。

 

 捉え違えた簪の心を痛めつけてしまった理多の言動を、そもそも初めから分かり合えればいいのにと簪は言った。

 

 理多は驚いたように簪を見た。

 

「許してくれるの?」

 

「自分が思っていることが相手に伝わらないのは私も同じだから」

 

 姉への劣等感を自身で蓋する簪には、思いを正しく受け取れない理多に自分と同じようで異なる弱さを見出した。

 

 それを聞いた理多が嬉しそうに顔をほころばせる。

 

「それじゃあボクたちはもう友達……。いや、マブダチだね」

 

「マブダチ?」

 

 聞きなれない単語に簪は首を傾げた。

 

「小学生の時、一夏から借りたマンガに書いてあったんだ。喧嘩して仲直りしたらそれは友達を超えた特別な友情、マブダチだって」

 

「マブダチ……。特別……。そっか、私たちもうマブダチなんだ。高校入って初めてできた友達がマブダチって、なんだか変なの」

 

 可笑しくなって簪は堪えようとして、止められず笑い声を小さく漏らす。

 

 同じ気持ちの理多も笑い。

 

 そして二人は一緒に笑った。気持ちはきっと同じだった

 

 

 

  ●

 

 

 

 ひとしきり笑って落ち着くと簪は立ち上がった。

 

「もう暗くなったから帰りましょう? 私授業を抜けてきちゃったからきっと怒られるわ」

 

「ボクもだね、やっぱり簪ちゃんを放って置けなかったから。途中で教室から出て行っちゃった」

 

 辺りはすっかり暗くなっている。この時間では授業の無断欠席だけでなく、寮への帰宅時間もとっくに過ぎていることだろう。担任の教師と寮長である織斑千冬に怒られると思うと二人は気楽にはなれなかった。

 

 まあ、二人で怒られるならいっか、と簪は一人納得していると隣から理多が手を叩く音がした。

 

 驚いてそちらを見ると何かを思いついた様子の理多。

 

「もう怒られるのが分かってるなら、理由が一つ増えても同じだよね?」

 

「え? それってどういうこと?」

 

「こういうことさ」

 

 言うと理多は首元に隠していたネックレス、羽ばたく鳥を象ったそれを取り出して掲げた。そしてネックレスは理多の意思を反映して輝き出した。

 

 簪はこれを見知っている。待機状態のISが展開されるときに見せる特有の輝き。

 

 眩しさで隠していた視界の先、光が収まるとそこにいたのは黒いISに搭乗した理多だった。

 

 初めて見る機体だ。全体的にシルエットは細く、対照的に背部に搭載された鳥の翼のようなスラスタが印象的だった。

 

 一般的には見えるはずのIS搭乗者も、この機体は全身装甲らしく、外の空気から断絶するように肌を覆っていた。

 

「この子の名前は『フェネクス』。姉さんがボクとの夢を叶えるために設計した。ボクたちの夢のための翼」

 

「篠ノ之博士が作ったIS……」

 

 それがどれほどの価値を有しているのか簪には途方もなかった。ただ分かるのはこれが理多と束にとっては兵器以上の意味がある大切なものだということ。

 

 理多はフェネクスのアームを使い、抱きかかえるようにして簪を持ち上げた。

 

 突然のことに簪は驚いて小さな悲鳴を上げてしまう。

 

「篠ノ之くん、急にどうしたの」

 

「篠ノ之じゃなくて、理多って呼んでほしいな。ボクたちもう友達でしょう?」

 

 そしてフェネクスは小さく周囲の木々を揺らしながら大空へと上昇して行った。

 

 腕の中、簪は驚くほど自分に負担がないことに驚く。かかるはずの空気の抵抗がなく、驚くほど快適な飛行。理多の操縦技術がなせる技だった。

 

「リタくん? どうして急に? 無許可でISを飛ばしたら厳罰ものだよ」

 

 慌てて止めようとする簪に理多は笑いながら首を振る。

 

「それは兵器のISが守らなきゃいけない規則でしょ? フェネクスは違う。この子は戦うための力を一つも持ってない、ただ飛ぶための機体なんだ」

 

「そんなISが?」

 

 ISはスポーツ用と銘打っているがその実態はどう取り繕うとも兵器でしかない。どのISも命を奪うための兵器を積み込み、容易く人の命を終わらせられるのだ。しかしそれらとフェネクスは違うと理多は言う。

 

 そう言ってる間に二人は天高く飛んでいく。

 

「簪ちゃんだけに見て欲しいものがあるんだ」

 

「え……?」

 

 フェネクスは速度を緩めることなく分厚い雲へと突入した。

 

 何も見えない雲はしばらく続き、周囲には雷鳴が低い音で唸っている。これが少し怖くて簪は落ちないようにフェネクスに固くしがみつく。

 

 そしてフェネクスは雲を突き破った。

 

 雲も風もなく、ただ静かな雲の足場の上。二人だけがいた。

 

 周囲を見てもないもなく、遠くを見れば青い水平線が見えるだけだ。

 

 そして上を見上げて大きく息を吸った。

 

 目を見開いて写ったのは満点の星空。雲の上で見るそれは地上のどの場所からでも比較できないほど澄んでいた。

 

 大きな極星も、消えてしまうそうな瞬きも等しく星としてそこにある。手を伸ばせば届きそうな距離の中、アームから腕を抜いた腕を広げ、理多は簪に宙抱きしめようとした。

 

 しかし宙はあまりにも広く、遠く、届くことはない。

 

 理多は幼い笑顔を作る。それは子供の頃の夢であった。

 

「これだけたくさんの星が空を埋め尽くしているんだ。どこかにきっと宇宙人がいると思うんだよ」

 

 理多は話し始めた。

 

「ねぇ、魂って、本当にあると思う? 魂はどこへいくのかな?」

 

「どうだろう。私にはわからない」

 

 簪は明確な答えを持てなかった。

 

「姉さんはボクが感じ取っているものはそれだって言うんだ。そしてボクは宙に瞬くあの星に惹かれるんだ」

 

 いくつもある宙の星。そのどれを見ても大小様々な光が美しい。

 

「もしかしたらあのどこかに誰かがいるかもしれない。そう感じたら、会いに行こうと思わずにはいられないよ。もし魂がどこかへと行くならボクはあの星のもとへ行きたい」

 

 遠く、会えない人を理多は夢想する。上昇を続けていたフェネクスが動きを止めた。

 

 その場所は青く、そして黒い。星と宙が交わるその境界に二人はいた。

 

 遠く、これからやってくる太陽が小さく水平線から顔を覗かせている。その眩さに宙の星たちはかき消されてしまう。これ以上先へ行くことはできない。

 

 スラスターが停止して二人はゆっくりと来た道を堕ちていった。遠くなっていく宙、陽光にさらされて虹がかかっている。

 

 これが最後だと理多は口を開く。

 

「虹のふもとはどこにあると思う? 虹はね、光を通して生まれるんだ。この虹の向こうには光を生み出す星がどこかにあるはずなんだ。そこにはきっとボクたちと同じように虹を見上げる誰かがきっといるんだ。ボクはそう感じる」

 

 手を伸ばせども虹は遠のいていく。

 

 堕ちていく浮遊感の中で聞く理多の夢想はどこか遠い場所を見ている。

 

 離れてしまわないように彼にしがみついた簪は空を見上げた。そして視界の端、そのどこかに意思を持って瞬いた光を見つけた気がした。

 

 もう一度確認しようと見回したがどこにもなかった。見間違いだったのだろうか。

 

 いや、簪は確信した。遠いどこかに必ずいる。血と知を持った誰かの存在を根拠もなく確信する。

 

 一度そう感じたら、胸の鼓動が興奮で早鐘を打つのが分かる。

 

「私もあの場所に行ってみたいな」

 

 自然と簪は口から思いを打ち明けていた。

 

「いけるよ、きっと。ボクたちにはあの場所を指し示めしてくれる魂があるんだから」

 

 寄り添う二人は昇る太陽を見た。そのまばゆい陽光でもかき消することのできない、遠い宙にある魂の瞬きを天と地の狭間から見上げていた。

 

 

 

  ●

 

 

 

 陽光も星の瞬きも届かない闇の中。悪意に塗りつぶされた闇の中で、ボサボサの髪を束ねた少女は壁越しに星空を見上げた。少女は小さく舌打ちをした。

 

 どこか遠くで自分に似たやつが楽しそうにしている。その気配だけで気を悪くするのには十分だった。

 

 部屋に一つしかない扉が乱暴に開かれた。現れた女性に少女は嘲笑うかのように見た。

 

 それを見て女性は少女を睨みつけた。

 

「おい、エイプリル仕事の時間だ。……何笑ってやがる」

 

 理由なく笑うエイプリルに女性、オータムは不快感を隠そうともしない。エイプリルと呼ばれた少女はオータムを見下して言う。

 

「劣等種には分からんだろうなぁ。これほど分かりやすく存在を主張しているのに気配すら感じ取れんとは」

 

「んだとテメェ!」

 

 エイプリルの挑発するかのような物言いにオータムは激高し、掴みかかろうとする。しかしエイプリルはその動きを初めから分かっていたかのような動きでかわした。

 

 容易く避けられたことでオータムは舌打ちした。

 

「チッ……、バケモンが」

 

 しかし言葉は続かなかった。いつの間にか展開された白いISが彼女にビーム兵器の銃口を突きつけていた。

 

「見苦しいぞ、オールドタイプ。その鈍い感覚で世界のほんの一欠片も見通せない愚物が。いっそ死んで見せて、少しでもこの星を綺麗にするか?」

 

 悪意を纏うエイプリル、その身には白き一角獣を象ったIS。しかし穢れなき白はむしろ穢れ全ての存在を許さない断罪者として現れていた。無垢にして不純の抹殺者。それがエイプリルだ。

 

 オータムへの興味を失い、エイプリルは室内から見えるはずがない空を見上げる。濁りきった汚濁が星を包み遠くが見えず、見慣れた汚らしさに虚しさを覚えて少女は嗤う。

 

「母なる星は辱められて、その腹の上にはこんなにも汚らしい人間に満ち満ちていやがる。こんなもん一回、何もかも焼き払わないとどうにもならねぇ。だったら、だったらさっぱりさせようぜぇ!」

 

 オータムは目の前のエイプリルが誰に向かって喋っているのか理解できず恐ろしく感じる。しかしエイプリルは確かに遠くに感じる誰を睨みつけ、呼びかけていた。

 

 




しばらく更新が止まります(悲しみ
次話はおそらく二月になってしまうかなと。私だって書きたいんじゃい!


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起3 大きな宇宙、小さな巡り会い

TIPS
篠ノ之理多
劇物系コミュ障。
篠ノ之さん家の末っ子。束の弟で箒の双子の弟。身長は一夏よりも少し低い。顔は束そっくりであり、見た目は男になった短髪の束。余りにも似ているため、一時期千冬は束によるクローニングを疑っていたが正真正銘実普通の姉弟。受容感覚が他人とかけ離れているため、深く知り合えばするほど話し相手は彼の特異性に気がつき不気味に思って離れていく。普通に話す分には少し年不相応なくらい天真爛漫な少年。
趣味は天体観測と野鳥観察、鳥に餌をやること。IS学園に来るまでは文鳥を飼っていたが入学に合わせて、当時の保護プログラム担当官に預けてきた。
幼少期にISの訓練で試しにと銃を撃ってみたところ泣き出すほど驚いたため、束はそれ以降は理多のISには武装を最低限のものも含め、一切載せないことにしている。割と恥ずかしい思い出なので本人は出来る限り隠している。
好きな女性のタイプは巨乳。本人は束や箒、千冬などとしか関わりがなかったため実は気づいていない。


 授業の無断欠席、寮帰宅時間の無視、ISの規定範囲外での起動など、その他の余罪も含めた理由により担任の教師と寮長である織斑千冬にこってり絞られ、更に理多への千冬による個人的な説教を終えた翌日。理多は簪に誘われて教室棟から離れたIS整備区画側の建物に来ていた。

 

 マブダチと呼ぶ簪の誘いとあらば理多が断るはずもなく、その日の放課後、彼は教室の外で待っていた簪と合流して二人は目的地へと向かう。

 

 聞くところによるとここはIS整備の授業や実習で使うことになる建物とのことだが、入学して間もない理多には初めて来る場所だ。

 

 各ISが整備や調整のために忙しく運ばれ、時々上級生のものらしい怒声や指示の声、それを受けた下級生の急ぎ足が行き交っていた。それが中央タラップを歩く簪と理多、特に男性である理多を見つけると急にしおらしくなるものだから、それを見て二人は少し笑っていた。

 

 理多が先を歩く簪に続いていると、目的地についたのか一つのガレージの前で簪は足を止め、理多の方へと振り返った。一度、目があった。

 

 簪は少しためらった様子を見せ、一度大きく息を吸って吐くと、改めて理多へ向き合った。

 

「リタくん、昨日はありがとう。そしてごめんなさい。私のせいであなたも怒られちゃったわ」

 

「気にしないでよ、ボクが好きでしたことなんだ。それにフェネクスに乗って君を空に運んで怒られる理由を一つ増やしたのはボクな訳だし……」

 

「それはそうなのかもしれない。だからこそね……。これをリタくんに見て欲しい」

 

 簪が扉の開錠ボタンを押した。簪の指紋を認識すると重く閉ざされていたシャッターが開かれ、中の空間に入れるようになる。。

 

 非常灯と廊下側の照明が灯りとなり、部屋の主人が浮かび上がった。

 

 黒いIS。日本産のISの中で最も普及している、侍甲冑をモチーフにした「打鉄」にその機体はよく似ていた。しかし防御重視の打鉄とは違い、装甲の大部分が取り外され、増設されたスラスターが通常ものもとは違う唯一性をみせる。

 

 しかしISに乗る者が見れば、一目でわかる程度に未完成であった。装甲をはじめ、足りないものが多すぎる機体だ。

 

 そんな機体に心当たりのある理多は未完成のISをよく見て、確認するように簪を見る。

 

「あれが簪ちゃんの完成しなかった専用機?」

 

 簪は頷いてそれを肯定した。しかし悪感情は見せず、朗らかに笑って見せた。

 

「うん、完成しなかった私の専用機。名前は打鉄弐式。今日はこの子をリタくんにも見せたかった」

 

 前向きな面持ちで向き合えるようになった打鉄弐式を簪は理多に見せた。しかし来ると思っていた、驚いたような声や興味深そうな感想もやって来ない。

 

 よく見れば理多はどうしたらいいのか分からない様子で固まっていた。どうしたのだろう、もしかして打鉄が期待に添うものではなかったのだろうか、と不安が簪の胸によぎる。しかしどうやらそうではないらしく、理多は困った顔を作り、簪とようやく顔を合わせた。

 

「……アレも見せたかったものなの?」

 

 理多は暗いガレージ内の一角を指差す。その先に簪が視線を移すと、まず目に入ったのは自身が泊まり込みの時に使った簡易ベット。そして周辺には着替えの山、持ち込んだ食べ物の容器の入ったゴミ袋、そして見終わった後に片ずけをサボったアニメのDVDの塔。一言で言えば生活感満載の空間がガレージの隅に形成されていた。

 

「きゃ……」

 

「きゃ?」

 

「きゃあーっ! 見ないでー!」

 

 叫び声とともに簪はガレージの中に飛び込んで行った。もちろんシャッターを閉じることを忘れず。

 

 閉じられたシャッターの向こう側では何かが割れる音やゴミ箱に叩き込まれる音、収納する音がひっきりなしに聞こえる。閉じられたシャッターの前、理多は微妙な表情を作り、準備を終えるまで待っていた。

 

 待つこと10分。ようやく中からの騒音が収まり、閉じられていたシャッターがゆっくりと開き、中から中身の見えない大きなゴミ袋を持った簪が出てくる。

 

 彼女は顔を赤くして、持っていたゴミ袋を力一杯ダストシュートに投げ込み、

 

「いつもは、もっと綺麗なんだから。今日は特別、例外的、前例がなく汚かったの」

 

 理多が何かを言う前に焦った様子で言い訳を始めた。

 

 それを何も言わず見ていた理多は、

 

「ソウダネ。イツモハ、モットキレイナンダネ」

 

 片言の発音と焦点の合わない目から本音が漏れている。

 

 事実は分かっていたが、こういう時は嘘をつくのが自分と相手のためだと理多は学んだ。

 

 

 

  ●

 

 

 

 簪は、コホンと喉を鳴らしてまだ少し赤い顔を誤魔化すように仕切り直し、ガレージの奥に掛かっていた防塵シートを引き摺り下ろした。

 

 そして隠されていたそれが姿を見せる。姿を現したのは日本産第三世代IS「打鉄弐式」。

 

 二人は簪の専用ガレージで彼女の専用機を見ていた。

 

 理多は興味深そうにして打鉄弐式に近づくと、博物館で恐竜を見る少年のような笑顔で周りを囲うように歩きながら観察して、一通り見終わって簪の隣に戻った理多は不思議そうに聞いた。

 

「この子が打鉄弐式なんだね。でも良かったの? 完成まで誰にも見せたくなかったんでしょ?」

 

「……うん、良いの」

 

 簪は先ほどとは違う理由で頬を赤く染める。恥ずかしいのか、ときどき指先を遊ばせては肩を小さくする。そして踏ん切りがつくと理多の顔を見て少しづつ話し始めた。

 

「私がしたかったのはこの子を私の力で完成させること。……それに昨日、リタくんはあんなにも綺麗なものを見せてくれたのに、私にはこれの他に見せられるようなものは何もないから……」

 

「そんな気にしなくて良いのに……、でもありがとう。ボクたちマブダチでしょう? 友達に遠慮はナシだよ」

 

「なら、私はマブダチだからこの子をリタくんだけには見せて良いと思ったの。……迷惑だった?」

 

 遠慮がちな簪の様子に理多は苦笑していた。

 

 そう言われてしまうと、理多が取れる返答は一つしかない。

 

「そういう言い方、卑怯って言うんだよ。まったく、もう」

 

 しょうがないな、と苦笑する理多の視線を簪は恥ずかしそうに受けとめて小さくなる。

 

 そんなやりとりを終え、改めて二人は並んで打鉄弐式を見上げた。

 

 完成とは程遠い、打鉄弐式の姿を改めてみて、理多は少し悲しそうにして顔を曇らせる。

 

「この子、本当に未完成のまま君に引き渡されたんだね」

 

「……うん。倉持技研がいくらでも代わりのきく代表候補性よりも世界で唯一の男性IS操縦者、今はそうじゃないけど、彼の専用機を担当できることになるなら、きっとそうするのが宣伝にもなるし仕方がない事だというのは分かってる」

 

 当時のことを思い出して簪は悔しさに唇をかんだ。暗に倉持技研から、お前は織斑一夏よりも価値がないと言われたも同然なのだ。気持ちがいいものであるはずがない。

 

 簪は手を伸ばし、装甲がまだ埋められていない打鉄弐式の剥き出しのままの骨格に触れる。

 

「それでも私の力になってくれるはずだったこの子を見捨てることが、私には出来なかった。必要のない子の私がこの子を一人で完成させれば、私はお姉ちゃんと対等になれると思ってた」

 

「……そっか」

 

 短く答え、理多は簪が持つ複雑な感情を受け止めた。感情は声となり理多に伝わる。暗く淀んだ悲鳴、でもその芯は明るく前を向いていた。

 

 理多は少し考えて。そして、それが良いと自分に結論を以て一つの決断をした。

 

 首にさげている翼の飾りを掲げると光が理多を包んだ。光が開けると理多は漆黒のフェネクスを纏っていた。そしてすぐに理多はフェネクスの全身装甲を解除するとフェネクスを展開したままの状態で降りる。

 

 情報記録端末をフェネクスのコンソールに挿入して操作すると、抜き出したその端末を簪へと差し出した。

 

 差し出されたものが何であるか、すぐには分からず簪はキョトンとした顔で理多を見た。

 

「これは……?」

 

「フェネクスのだいたい()()()の稼働データとそのOSのコピー。これがあれば、飛ぶだけなら、すぐにどうにかできると思う」

 

「じゅ、十年⁉︎ そんなものがあるなんて……。でも私はとてもじゃないけど受け取れないよ」

 

 十年、それはつまり最初のISである『白騎士事件』のIS、白騎士と同時期もしくはそれよりも早くにフェネクスが製造されたことを意味している。つまるところこのデータは世界で現存している最も長いISの稼働記録であり、篠ノ之束の後追いをする形でISの開発を進めた各国からすれば喉から手が出るほど貴重なサンプルデータだ。

 

 そんな貴重なものを渡されても容易くに受け取れるはずもなく、差し出されたそれを簪は突き返した。

 

 突き返された端末を受け取った理多は肩を落とし、落ち込んだ様子で簪を見た。

 

「君の専用機が完成しなかったのはボクと一夏のせいだ。でも一夏もボクも君の邪魔がしたくてこのIS学園に来たんじゃない。一夏もボクの友達だ。ボクの友達に、ボクの友達を恨んだり嫌って欲しくない。君の力になりたいんだ」

 

 力強く言う理多に簪は嫌とは言えなくなる。確かに一夏への恨み言はある。しかしそれは目の前の友達を困らせてまで持ちたいものではない。

 

 そして理多は少し照れ臭そうにはにかんで、

 

「それに誰にでもコレをあげるとは言えないよ。簪ちゃんが僕のマブダチだからあげてもいいと思うんだ。迷惑かな?」

 

 先ほど自分が言ったことへの意趣返しなのか、理多は簪の口調を真似てそう言った。

 

 さっきの自分がなんだかクサいことを言ったのだなと改めて見せられたことで思いつつも、それでもそう言ってもらえる友人の存在、その申し出に簪は嬉しく思った。

 

「そう言われちゃうと反論できないよ……。でもありがとう、リタくんがそう言ってくれるなら、リタくんの力を貸してもらっていいのかな?」

 

「もちろんだよ! なんてったって僕たちマブダチダチなんだから」

 

 心の底から嬉しそうに言う理多に簪も笑って応えた。

 

 

 

  ●

 

 

 

 数週間が経ち、場所はIS訓練アリーナ。今日は学年クラス対抗戦が行われる日だった。

 

 準備に忙しそうな教師たちを尻目に理多と簪はボーッと対戦順が表示されたモニターを見上げていた。

 

「ねえ簪ちゃん? ホントに良かったの?」

 

 口を尖らせ、少しつまらなさそうに口を開いた理多がアゴでモニターに書かれた名前を指す。クラス対抗の対戦表、そこにはクラス代表の簪ではなく理多の名前が表記されている。下には小さく代理の文字が書かれ、理多が簪の代わりに出場していることを意味している。

 

 そんな理多の問いに簪は乾いた笑いをした。

 

「本当は出たかったけど、リタくんのおかげで操作系は問題が解決したけど武装面のシステムがまだだからね……。代わりに出てくれてありがとうね?」

 

「簪ちゃんがいいならいいけどさー……」

 

 やはり納得がいかないのか理多はまた子供っぽく口を尖らせた。先日の理多の協力によって、打鉄弐式は飛行面ではほぼ完成と言ってもいい状態になった。

 

 フェネクスに搭載されていたOSは自動的にシステムを構築し自己進化する機能があったらしく、打鉄弐式は飛ぶためのシステム周りをほとんど完成させていた。しかし武装関係のシステムはそうもいかなかった。と言うのもフェネクス自体にそもそも武装が一切搭載されていないため、その方面のシステム自体がもともと存在していなかった。だから武装に関しては簪が自力でやる必要があった。

 

 中途半端な助けしかできなくて申し訳なさそうにする理多を、もともと全てを自力でやるつもりだったからすごく助かったと簪がなだめる場面があり、今日まで簪は武装面に関しての開発を頑張っていた。しかし流石に新学期が始まったばかりのクラス別対抗戦には間に合わず、未完成の機体で出たくないという簪のお願いを受けて理多が出ることとなった。

 

 しかしそれは果たして良いのか、元はと言えば男である自分と一夏が現れたことで簪の専用機が完成しなかったのだ、そう思うと悪いことをしているような気が理多はしていた。

 

「簪ちゃんがいいならいいけどさー……」

 

 引っかかるものがあり、リタはもう一度呟いていた。

 

 モニターを眺めていると試合の準備が終わったらしく、一組と二組、三組と四組の代表がそれぞれ呼び出された。名前を呼ばれた理多は立ち上がり、入場のための発射台がある区画へと向かい歩き始めた。隣に座っていた簪もそれに倣って続く。

 

 少し不貞腐れた顔の理多を簪が覗き込むようにして見つけ、悪いことをしてしまったと思い、簪は眉を下げた。

 

「もしかして出たくなかった?」

 

「そう言うわけじゃないけどさ、なんだか世の中は理不尽だなって……」

 

 その言葉で理多の心中を察したらしい簪は表情を強張らせた。乾いた笑いを漏らしつつ、そして罪悪感から目を合わせられずにそのまま話し出した。

 

「その……、怒らないで聞いてほしいのだけど……。本当はね、もともとリタくんに出てもらおうって思ってたの……」

 

「と言うと?」

 

「クラス対抗戦で優勝すると学食のデザートが一年間無料になるパスポートが貰えるらしくて……」

 

「あっ、ふーん……」

 

 簪は理多からこの時ほど低い声を聞いたことがなかった。何も映さない紅く暗い瞳が半目になって簪を見つめている。

 

 思い出せばクラスメイトたちも妙に理多が代理になることに積極的だった。自分はどうやら上手いこと担ぎ出されたらしい。それほど甘いものは女子を団結させるらしい。理多には分からないことだった。

 

「……、…………。簪ちゃんがいいならいいけどさー……」

 

 力のこもらない声で再度、理多は呟いた。

 

 

 

  ●

 

 

 

 フェネクスを纏い、アリーナの中で理多は相手選手が準備を終えるのを待っていた。専用機を持つ理多と違い、対戦選手である三組の生徒は専用気持ちではないようで訓練機の用意に時間をかけていた。専用機持ち同士である一組と二組の試合はもう始まったらしく、ハイパーセンサーが遠くの対戦によって起こる諸々の音を拾っていた。

 

 スラスターが爆炎を吐く音、ISが風を切る音、一夏と知らない女の子の話す声。それぞれが同時に聞こえて来て、いかに盛り上がっているかがよく分かる。

 

 戦うことはそんなに好きではないがデザート一年パスが欲しいと言うクラスメイトの要望を受けて、気合いを入れるために手を合わせようとした時、上空にある異物感に気づいた。

 

 小さな違和感。ハイパーセンサーの感知範囲外の遥か上空、気がついたのは理多だけらしい。違和感の正体を見極めようと上を見上げた理多を観客の生徒たちは不思議そうに見るか、なんだろうと同じように上を見上げた。

 

 上にあるのは白い雲ばかり。天気は曇りであり太陽は薄っすらと雲の向こうに顔を透かせている。

 

 しかし理多が見ているのはその少しした。陽光に隠れるようにして小さな黒い点がポツリとあった。

 

 鳥だろうか? はじめ理多はそう思った。しかしおかしい。黒い点はだんだんと大きくなり、確かな二つの影となった。

 

 それの正体に理多が気がついた時、影はスラスターに火を入れ、一気に加速を得て降りて来た。

 

 ISだ。それも二機。二機のISは加速を得ると一組と二組が試合をしている第一アリーナの方へと向かって行った。アリーナのシールドを破く音、それまでなかったビーム兵器やスラスターの音が一夏たちのいるアリーナの方から聞こえ、やってきた所属不明のISが彼らと交戦していることが分かる。

 

 遅れてやってきた三組の対戦相手が第一アリーナの方を心配そうに見ている観客たちの状況を飲み込めずオロオロとしていた。

 

「え、えぇっと……、篠ノ之くんこれってどういう状況?」

 

 状況がわからず三組の生徒は目の前の、一夏達がいるアリーナ見たままの姿勢で固まった理多に話しかけた。

 

 やっと彼女の存在に気がついた理多が彼女の方へ向き声をかけようとした瞬間、理多は跳ねるように上に再度顔を向けた。目を大きく見開き、焦った様子で動き出した。

 

「危ない!」

 

 言うや否や、理多は背中のアーマードDE使い、フェネクスを緊急発進させた。圧倒的な加速を得たフェネクスは直進し、正面にいた三組の生徒を掴みながら壁に激突した。

 

「何⁉︎ 一体なんなの⁉︎」

 

 巡るましく変わる状況についていけず、壁に叩きつけられた生徒は抗議の悲鳴をあげる。しかしそれ以上言葉は続かなかった。

 

 彼女が何かを言う前に桃色の閃光が柱となってアリーナのシールドを突き破り、彼女と理多がいた地点を抉っていた。

 

「危険だから君は早く中に!」

 

「え、でも……」

 

「いいから! あれは大丈夫じゃないんだ!」

 

 今まで見せたことがない理多の剣幕に押されて少女は閉口する。

 

 言いながら理多は三組の生徒を入場用カタパルトの中へ押し込み、外から操作して出入り口を閉じた。そして振り返り、アリーナのシールドに開いた大穴からゆっくりと降りてくる白いISを見上げた。

 

「ユニコーン、なの……?」

 

 動揺で声を震わせながら理多は一人呟く。降りてくる白いISに覚えがある。忘れるはずもない。

 

 理多が乗りこなすフェネクス、その兄弟機、そして最初の試作機。サイコフレームの実験機であり、宇宙空間航空での問題を理由に廃棄されたかつての相棒。

 

 もう喪われたはずだった白き一角獣を象った機体がやって来たことに少なからず理多は動揺していた。搭乗しているのは束だろうか。いやそれはない。あのフルサイコフレーム機は彼女には扱えず、サイコフレーム同士が強固に連結してしまったがために分解することも出来ず、廃棄されたはず。ならば、誰かが廃棄したはずのユニコーンを回収して搭乗していることになる。

 

 ならばあれは誰だ。

 

 見上げていたユニコーンから通信が入る。若い女の子の声だった。全身装甲を外し、日に焼けた肌と髪が露わになる。家族を見るような暖かな視線が真っ直ぐに理多を捉えた。

 

「はじめましてだな、我が同胞(はらから)。今日はお前の顔を見にきてやったぞ」

 

「……同胞? ——!」

 

 困惑した声を理多は漏らした。

 

 同胞。兄弟を意味する言葉。彼女は理多をその言葉で呼びかけた。そしてその意図はすぐに分かった。困惑は驚きへと変わる。

 

 彼女と目が合い、感情が伝わってくる。暗い鉛のような感情、感じたことがないような憎悪が強すぎるが故に痛みを伴って流れ込んでくる。突如流れ込んできた気持ちの悪い感情がやってくると同じく、理多は自身の感情が流れ出ていくのを感じた。

 

 流れ出た理多の暖かい色はまっすぐ、目の前の少女へと伝わっていく。理多が人の心を音として感じるように彼女はそれを流れる水の感触として受け取っていた。

 

 自分が感じ取るだけでなく、自身が受信される初めての感覚に理多は驚き彼女を見上げる。驚き、震えた声で理多は問いかける。

 

「君も、もしかして()()なの?」

 

「私と()()でありながら、随分と日和ったやつなのだな、お前は。まるで痛みを受けていない、本当にお前は私と同じなのか?」

 

 互いが初めて遭遇する己と同質の存在に困惑する。世界で初めて出会った自分に近い存在のはず、しかし互いが相手に感じるそれは致命的に違うものだった。

 

 逡巡が終わり、しかしその違いもまた良しとユニコーンの少女、エイプリルは理多を見下ろし口を開いて語りかける。

 

「シオンの地、約束の地に辿り着くには人間は罪に穢れきってしまった。だからこそ迎え入れられるために私たちは自らの手で自然に対し、地球に対して贖罪しなければならない。お前もそう思わないか?」

 

「君はそんなにも人が憎いの?」

 

 言葉の端々から滲み出るエイプリルの憎悪に理多は気持ち悪さを覚える。どうしたら、ここまで泥水のような淀み切った憎悪を無差別に人に向けられるか理多には分からなかった。

 

 しかし否が応でも彼女の憎悪が像となって次々と刻が見える。

 

 廃れた砂漠を歩くなじられた人々、響く銃声と飛び散る血しぶき、動かなくなった親兄弟、銃の反動に震える腕、覆いかぶさる脂ぎった中年、食べ物へと変わった友人、そして厚い雲を破って舞い降りた白き一角獣。

 

「憎いからって、自分が傷つけられたからって誰かを殺していいはずがない。そんなのは間違ってる!」

 

「間違っているのは人間たちの方だ。間違ったことは全て正して導く、それこそが正義なのだとなぜ分からん!」

 

 真っ向から二人の意見は対立し、並行する。一方的なエイプリルの物言いに理多は初めて怒りを示す。

 

「どうして自分が正しいなんて言える。人が誰かを傷つけていい権利なんてあるわけがないよ」

 

「あるとも。この身に宿った才覚こそがその証拠。劣等種であるオールドタイプを滅ぼせという天の啓示であり、そして天はこの身に巨悪を裁く力を与えたもうた。私が正しいからこそ今もこうして生き残り、そして私の思いにこのユニコーンは応えた。疑うのなら刮目せよ。これこそがニュータイプの輝き、正義の証左」

 

 ユニコーンがその身を震わせる。装甲が膨張して開き、変身というべき変化を遂げたユニコーンの装甲の隙間から輝きが漏れる。エイプリルの胸を焦がし続ける憎悪が姿を変えたほの暗い虹の輝きをユニコーンは放ち、重圧となって理多はその場から動けずにいた。

 

 そして理多に呆れた視線をよこし、エイプリルは今更と言いたげに口を開く。

 

「それに、お前は人を殺してはいけないと言うが、別にお前はその人間どもに思い入れなどない、自分とは違うナニカだと思っているだろう?」

 

「な、何を言って……。そんなこと——」

 

「そんなことはない、などと言わせんぞ。お前は感じているはずだ。自分と同じ形をしているはずなのに自分とは異質な存在への違和感を。他者を理解しようとしないオールドタイプへの気持ち悪さ。お前が外宇宙への未知に期待を賭け続けるのはそれ故なのだろう? ここにいない彼らならば自分と同じかもしれない、そう感じているくせに人間を殺すなと、どの口が言う?」

 

 エイプリルの責め立てる口調に理多は何も言えずにいる。ずっと宇宙の果てに行きたいと思っていた。しかしその明確な理由は分からず、いくつもの理由が束ねられて今の願いがあり、エイプリルの言う一人しかいない人類の革新であるが故の孤独感は、ないと言えば嘘になる。誰もが自分のようであったのならと、そう願ったことは確かにあった。そしたら自分は他者ともっと上手くやれていたのではと思うことはあった。

 

「君ならボクを助けられるって言うの?」

 

 自分の暗い一面を見抜いたエイプリルを理多は弱々しい眼差しで見上げ、それに答えるようにエイプリルは腕を伸ばす。

 

 彼女が見せるのは微笑。世界でただ一人の、お互いの理解者を彼女は求める。

 

「私ならばお前の孤独を埋めてやれる。そしてお前はお前の力を私に寄越せ。二人で力を合わせ、人の咎に裁きを下し、清い身一つを持って外なる宇宙に住まう新たなる血と知に会いに行こう。そう、悪い話でもなかろう?」

 

 エイプリルの持つ絶対の自信が彼女の言葉を響かせる。ユニコーンの放つ輝きは物理的な力を伴って理多をその場に釘付けにし、エイプリルの質問に答える以外の選択肢を奪う。

 

 冷や汗が額を伝う。理多は予感した。彼女の言葉に頷き、彼女について行けば自分は目指した場所へとたどり着ける。それは間違いのないことだった。しかしその旅路は血に染まり、彼ら以外の人はいなくなった世界。夢と良心が秤にかけられる。正しいことがどちらかなど分かっている。

 

 それでもあの場所にたどり着けるという事実が理多の判断を鈍らせ、言葉を躊躇わせる。

 

「間違っているのかもしれない……。でも、それでも、あそこに行けるのならボクは……」

 

 エイプリルの言葉に理多は抗えなかった。遥か先の星光に手を伸ばすように、理多は手を伸ばし、自身に向けられるエイプリル手を取ろうとして、

 

「ダメだよリタくん! そんなものをあなたが見せてくれた星空とそれを一緒にしちゃいけないよ!」

 

 繋がろうとしていた理多とエイプリルの意思の間を簪の言葉が断ち切った。放送室にいる彼女はマイクを使い、自身の言葉を届けていた。

 

「その人はリタくんの見ているところと同じ場所を見ていない、ただ憎しみをぶつけることしか見てないよ、そんな人の言うことを聞かないで!」

 

「簪ちゃん……」

 

 二人しかいなかった空間に簪が乱入したことで張り詰めていた空気が形を変えた。エイプリルの放つ重圧が簪にも向けられる。その重圧に簪は慄くが、重圧が分化されたことで理多は落ち着き考える余裕を取り戻した。伸ばしていた手を払い、エイプリルの言う人類への粛清に拒否を示した。

 

 息を大きく吸い、肩で息を吐き、ふらつく体で、それでも理多はエイプリルを拒むように見上げていた。それを見てエイプリルはつまらなさそうにそれを見下ろす。簪にはいちべつせず、興味すら示さない。

 

「そうか、オールドタイプごときに耳を傾けるのがお前の答えか。……まあ、いい。今回はお前の顔を見に来ただけ。別に今すぐにお前を連れていこうと思わんよ。どうせ、お前はいずれ元へやってくるのだ、それまで気長に待つことにしよう。それにもう潮時のようだしな」

 

 エイプリルはもう一つのアリーナの方へと視線を向けた。理多はそこで、そちらの方から聞こえていた戦闘音が止んでいることに気がつく。

 

 そして目の前の脅威であるエイプリルから視線を逸らしていることに気づき、慌てて正面に向き直る。振り返るとユニコーンはアリーナから飛び立とうとしているところであった。

 

 ISの広域通信にエイプリルからの別れの言葉が入る。

 

「ではまた会おう同胞。いずれかの場で、我らはニュータイプであるが故に、必ずもう一度巡り会うことになる。その時、お前の答えを楽しみにしておく」

 

 通信が切れると同時にユニコーンの姿がぶれた。ハイパーセンサーですら追えない光の速度にまで加速したユニコーンは飛び去って行き、空を割るようにして暗い虹の残光を残していった。

 

 



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承1 星の魂を覗き見た不死鳥

TIPS

空とは意味を異なる。空とは人の今存在している領域の外周であり限界。その領域の更に外側である未踏の世界そのものを指す言葉。
星空として表現されることもあり、そこには人類とは異なる血と知を持った誰かがいるのかもしれない。
星を見上げるものたちが夢を羽ばたかせる場所。


 無人機と白亜のISの襲来から時間が経ち、一学期も残りわずかとなった。

 

 あの日から簪と理多はそれほど言葉を交わせないでいた。話さないわけではない。ただふと気がつくと理多が姿を消し、次に姿を見せるのが次の日の始業の時間という日が続いていた。大丈夫かと周囲が心配しても、理多の笑い顔もどこかぎこちなく落ち着かない様子だった。クラスメイトたちはこの間のことがショックだったのだろう、少しの間そっとしておこうという風に落ち着き、思いやりという動機で皆は彼から距離を取っていた。

 

 そんなぎこちない空気の中、一学期は過ぎて臨海学校がやってきた。海辺の民泊、閉じられたIS学園から離れ、広々とした砂浜での授業とあってうら若い生徒たちは浮き足立っていた。

 

 各々が自由時間に砂浜や照りつける太陽を満喫している中、簪は一人浮かない顔でいた。正直なところ、この臨海学校に来るつもりはなかった。専用機持ちたちが各々の専用機の新装備を試用するなどすることがプログラムされていた。それを思い出すと臨海学校に行く気がしなかった。しかしこの普段と違う場所でなら、普段の空気を脱して理多と話せるきっかけができると思い、参加することを決意した。

 

 騒がしく盛り上がるクラスメイトや同学年たちを尻目に砂浜を横切って歩いていく。しかし歩けども理多はどこにもいない。

 

 どうしたものかと思い悩み、照りつける陽射しに汗を垂らしていると、背後から声がかかった。

 

「あれ? かんちゃん? どうしたのそんなところで黄昏て。もしかしてお腹痛い?」

 

 簪をあだ名で呼び、声をかけたのは布仏本音だった。彼女は更科の家に使える従者の家系であり、簪にとっては幼馴染みであった。本音は表情が芳しくない簪を見つけ、心配そうに覗き込んでいた。幼馴染みを心配させてはいけないと簪は気丈に振る舞ってみせる。

 

「ああ……、本音。大丈夫、日差しが強いからちょっとクラクラきただけだから……」

 

「えぇ! そんなになるまで歩くなんて心配だよー。でもどうしてそんなになるまで歩いてたの?」

 

「それはその……、篠ノ之君って分かる? 四組の。彼を探していたの」

 

 簪に聞かれて本音は少し考え込むようなそぶりを見せ、何かを思いついたようで手を叩いた。

 

「そうだ! 誰かがおりむーと釣りに行ったなー、って思って見てたけど、あれがモッピーの弟くんなのかな? そうだとしたら二人とも堤防の方に歩いて行ったのを見たよー?」

 

「——! そう! ありがとう本音、行ってくる!」

 

 本音の言葉を聞き、簪は飛び出していた。走り去る簪の後ろ姿を本音は嬉しそうに眺めていた。久しぶりに話した幼馴染み、しかし相手は誰かを追いかけてすぐに走り去って行く。しかし不思議と本音は悪い気がしなかった。それよりも姉の後ろ姿ばかりを見ていた簪がもういないことの方がずっと嬉しく思う。

 

「かんちゃん、すっかり青春だねー」

 

 本音の嬉しさと寂しさをないまぜにしたつぶやきは潮騒の音にかき消された。

 

 

 

  ●

 

 

 

 女子生徒たちが集まる砂浜とは打って変わり、堤防沿いはとても静かだった。釣りをする一夏とその隣に腰を下ろす理多の上を飛ぶ海鳥が時々鳴いて夏の海を魅せている。

 

 ここではない遠くをぼんやりと見る理多が呟いた。

 

「ねぇ、一夏。僕はどうして宇宙に行きたいって思ったのかな?」

 

「さあな、俺に聞くなよ。ずっと言ってたじゃないか、宇宙に行って宇宙人に会いたいって。昔から束さんと一緒になってなんか色々やってたんだろ?」

 

「そうなんだけどね? 最近、どうしてあの時そう思ったのか、自分でも今更分からなくなったんだ。」

 

「もしかしてこの間のことか? 俺と鈴が無人機と戦ってる間、侵入者となんか話したんだろ?」

 

 一夏の質問に理多は溜息で肯定した。そして息を吸って、さらに深い溜息を零す。

 

「ボクがこんなのだから、みんな気を使ってくれて一人で考える時間が出来たから考えてたんだ。それに驚いた。あの子、ボクと同じだった」

 

 理多の言葉に一夏は驚いた。

 

「理多と同じってことは……、ニュータイプ、だっけか? 昔束さんがそんなことを言ってたような……。でも理多と同じっていうなら良い奴なのか?」

 

 一夏の質問に理多は首を振って否定した。

 

「怖いくらい人を憎んでた。最初は親を殺した人、次にその人が所属していた集団、人種、国家、どんどん恨む相手が大きくなって憎悪ばかりが膨らんでいって、まるで火種が集まって生まれた火柱みたいだった。あんなに何かを憎んでいられる人初めて見た」

 

「そうか……」

 

 この世界のどこか、自分が見えないどこかで辛い目に遭っている人がいる。言葉にすればそれだけのこと。しかし理多の言葉を通じて一夏にもその辛い感情が手に取るように分かるとそれ以上何も言えないでいた。

 

「彼女、言ったんだ。彼女だけがボクを助けられるって、僕と同じ彼女だけがボクの孤独を癒せるって。それを聞いてボク、正直彼女について行っても良いと思った。悪いことだって分かってるのに」

 

「ごめんな理多。俺や千冬姉じゃあ、お前と同じものが見られなくて。もし俺も束さんの言うニュータイプだったらお前にそんな思いをさせずに済んだのにな……」

 

「一夏が謝ることじゃないよ。こんな才能、なくたって良かったのに。みんなと同じならこんなこと考えなくて済むのに」

 

「でも俺は理多のそういう感覚すげえと思うぜ? それも全部含めて今のお前がいるんだから、一つ欠けたってお前じゃない。そういう風に悪いところばっかり見てないで良いところも見ろよ。お前の良いところは俺だって知ってるんだからさ」

 

 励ます一夏の言葉に理多は薄く笑みをこぼす。小学校の頃以来、久しく会っていなかったがどうやらこの幼馴染みの良いところは変わってないらしい。気が軽くなった理多はからかうように笑い、

 

「そういう優しいことはボクにじゃなくて、女の子に言いなよ。まったく……、君は相変わらずの唐変木みたいだね。これじゃあ、箒姉さんも苦労するわけだよ、もう」

 

「なんでそこで箒が出てくるんだ。今は関係ないだろ?」

 

「ふふふっ、そうだね」

 

 やはり変わらず鈍い一夏を見て、そんなところも変わっていないことに忍び笑いする理多。どうして理多が笑っているのか一夏は分からなかったが、笑われているらしいことは流石に分かった。しかし先ほどまでの暗い表情とは違い、明るく笑うようになった理多を見て何もいう気にはならなかった。

 

 原因を考えていると垂らしていた釣り竿に魚が引っかかった。引き上げてみると二匹の魚が釣れた。

 

 白い魚と黒い魚。似ているようで確かに異なる二匹の魚。勢いよく引き上げられた釣り竿に引かれ、二匹の魚は地面の上に転がる。食べるのに小さく持って帰るわけにもいかず、逃がすために針を外しながら一夏は呟いた。

 

「こいつらも似ていても、よく見れば違うんだ。同じニュータイプだからって理多とその女が何もかもが一緒とは限らないだろう? ——それにほら」

 

 一夏は二匹の魚を海に放り投げ、そのまま右手で水平線を指差す。つられて理多もその方を見た。凪いだ海が静かに潮騒の音を立てている。

 

「これだけ広い海には他にもまだまだ魚がわんさかいるんだ。宇宙も広いけど、地球だって信じられないくらい広いんだ、まだ見たことないだけで、もしかしたらまだ他にいるかもしれない……。なら、何も今すぐに宇宙に行くこともないだろ?」

 

 一夏自身、自分が何を言っているのか分からなかった。理多を慰めようと思いつきで話していた。しかしそれでも一夏なりに見せる気遣いに理多はクスクスと堪えるように笑い出す。

 

「そっかそっか、ボクは一夏からしてみれば魚も同然ってわけだ。そうだね、もしかしたらまだ見えないような深いところにニュータイプがいるかもだね」

 

「そんなに笑うなよ。こっちだって思いついたことを頑張って言葉にしようとしたんだからさ」

 

「ごめんごめん。ところで、そんな一夏にお知らせだけど。今日の晩ご飯はお刺身とかお寿司らしいよ?」

 

「……この流れでそういうこと言うなよな」

 

 一夏の頭の中では酢飯のベッドに横たわる理多がこちらを手招きしている。

 

 変な想像をしてしまったと、一夏は妄想図を叩き出すように自分の頭を頻りに小突いていた。男子同士の気負いしない会話に満足したのか、背筋を伸ばして理多は立ち上がった。

 

「うーん、話したらなんか気が楽になった。ありがとう一夏」

 

「気にするなよ。それよりもさ、お前には俺よりも話さなきゃいけない人がいるんじゃないか? ほら、最近話してないんだろ?」

 

 一夏が理多の後ろを見るように促してそちらを見ると、来たばかりの簪が息を切らしながら立っていた。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……、やっと見つけた」

 

 よほど焦っていたのか、そう言って簪はその場にへなへなと萎れるようにへたりこむ。理多は近づくと手を差し伸べ、立ち上がるように勧める。簪は差し出された彼の手を取って、立ち上がった。

 

 息を切らして少し苦しそうにしたままの簪を理多が心配そうに見つめる。

 

「大丈夫、簪ちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」

 

 何度か息を吸って、吐いて息を整えようとして。それが自分を落ち着かせるための深呼吸に変わっていき、意を決して簪は理多を見た。

 

「リタくん。私、リタくんに聞きたいことがあるの」

 

「うん、ボクも簪ちゃんに聞いてほしい話があるんだ。だから今日の夜、待ってるね?」

 

 簪の言葉は理多に遮られてしまった。笑って理多は言う。一方的な待ち合わせの約束。場所を何も明らかにせず、しかしお互いに話がしたいと認めていた。驚いた簪は目を丸くする。

 

 しかし理多はそれで十分なのだと言いたげに、簪の返事を聞かずクラスメイトたちがいる砂浜へと歩き去った。

 

 呆けたままの簪はその後ろ姿を眺めているしかできないでいる。

 

 背景に黙って徹していた一夏は眉をひそめて一人呟く。

 

「これってデートの約束……、ってやつなのか?」

 

 それを耳にした簪は少し顔を赤くした。

 

 

 

  ●

 

 

 

 午前の自由時間も終わり、臨海学校らしく授業が始まった。専用機持ちたちが各々の追加装備を試用する中、それとは別の理由で空気はざわついていた。

 

 それも当然だろう、ISを作った生みの親、篠ノ之束がこの場に乱入していたのだから。そして彼女は自らが持ち込んだIS赤椿を己の妹、箒に渡していたのだから。世界各国が第三世代ISを開発している中、第四世代ISである赤椿が現れたことでざわめきはこれ以上ないものだった。束は赤椿のセッティングを終えると周囲を見回し、彼を見つけて動き出した。

 

 ホップ、ステップ、ジャンプ、空中きりもみ、俗にルパンダイブと呼ばれる姿勢で飛んだ。

 

「愛しのマイブラザー、リっちゃん! 逢いたかったぜ、ヤッホーイ!」

 

 飛び込んでくる姉を危なげなく抱きとめ、理多は再会を喜んだ。

 

「うん、久しぶりだね束姉さん。三年ぶりくらいかな?」

 

「うう……、束さんだって逢いたかったんだぜ? ほら、リっちゃんの中学の卒業式も見たかったんだからー」

 

「大丈夫だよ、ボクのそばにはいつも束姉さんの作ってくれたフェネクスがいるんだから、心細くはないよ」

 

「うれしいことを言ってくれるね、このこのー。背もすっごい伸びたよね。この間まで束さんの膝の上になるくらいだったのに、いつのま間にか大きくなっちゃって」

 

「もう、束姉さん。一体いつの話をしてるのさ」

 

 束を抱きとめた理多が回りながら、束は理多の胸元にグリグリと頭を押し付ける

 

 どこか芝居掛かった姉弟の感動の再会のような何かを気がすむまでやると、冷静になった二人は早速と作業に取り掛かった。

 

 特に合図もなく理多がフェネクスを展開すると束は手持ちのパソコンに繋げて操作を始める。

 

 パソコンに次々と表示されるグラフや記録を見て束は呟く。

 

「うんうん、リっちゃん、相変わらず上手く操縦しているみたいだね。束さんが作ったフェネクスをこんなに大事にしてくれてお姉ちゃん感激ー」

 

 それを聞いて理多は表情を暗くした。

 

「ねぇ、束姉さん。ユニコーンのこと覚えている?」

 

「最初に作ったやつ? すぐに廃棄しちゃったけど、あれはちょっともったいないことしちゃったかな?」

 

「うん、それなんだけどさ。この前、ユニコーンに乗って操縦している子に会ったんだ」

 

 ピタリと高速でパソコンにタイピングしていた束の指の動きを止めた。

 

「……は? リっちゃん、そういう冗談、束さん嫌いだよ?」

 

「本当なんだ。彼女、ユニコーンに乗ってボクの前に現れたんだ」

 

 改めて聞かされて束が納得がいかないような表情を作る。

 

「そんなバカな、だってあれはコアを抜いてサイコフレームの装甲だけをチャレンジャー海淵に沈めたんだよ? あんな深いところにあんな重いもの、どうやったって今の人類の技術じゃあ回収できないんだよ? それをどうやって回収したって言うのさ、それこそユニコーンが独りでに飛んでったって言うくらいのことが起きないと……」

 

 そこまで言って束の表情が固まった。信じられないものを見るように理多を見て、疑いが晴れないと言いたげになり、

 

「……その子がリっちゃんと同じだって言うの?」

 

「そうみたいなんだ……」

 

 それを聞いて束は少し考える様子を見せ、そして軽く笑って見せた。

 

「そんなわけないじゃーん。理多の才能は世界でたった一つの特別なんだよ? 大方、サイコフレームがそいつの感情かなんかを拾って増幅してユニコーンを動したんでしょ。それでそいつ、自分が特別だって思い込んでるだけのイタイ奴ってオチじゃないかなー?」

 

 あくまでも束はエイプリルを理多と同じニュータイプとは認めなかった。それを聞きながら理多は束の中に巣食う荒れ狂ったような激情を感じ取っていた。まだ見たこともないその誰かに束が敵意を向けていた。ニュータイプは特別なのだと、リタこそが特別なのだと束はそう言っている。

 

 束は冷静さを繕ってパソコンを操作しながら、フェネクスのOSの中の不審な履歴が目についた。

 

「うん? これはフェネクスのOSをコピーしたのかな? リっちゃん誰かにフェネクスの駆動系OSをあげたりした?」

 

「うん、友達の簪ちゃんにお詫びも兼ねて、彼女を手助けしようと思って」

 

「ふーん……、どのコ?」

 

 束がそう聞くと理多は遠巻きに眺めていた簪を指差した。そうなの……、と束が簪を見つめて言うと彼女はそのまま立ち上がって簪に向かって歩き出した。

 

 遠巻きに眺めていた生徒たち束を避けるため、がモーゼの奇跡のように左右に分かれて道をあけた。突然こちらを見て離さない束に驚いた簪がどうしたらを慌てていると、すぐそばに束がいた。座ったままの簪を立った束が見下ろし、簪の顔を覗き込むように腰を曲げた束の顔がすぐそこにある。

 

 目の前にいるのはISの生みの親にして、友達である理多の姉。両方の方面から失礼のないようにと、慄きながらも簪は懸命に自己紹介をしようと束と目を合わせた。

 

「あ、あの! 初めまして、私更科簪です。リタく——」

 

「お前、リっちゃんの何?」

 

 懸命な簪の頑張りは冷水のようにかけられた束の言葉に遮られた。能面のような、なんの色も映さない無表情と、氷のような睨みつける視線が簪を射抜いている。これほど恐ろしい人間の表情を簪は見たことがなかった。怖がって言葉を失った簪にイラついたのか、変わらず束は同じ質問を投げかけた。

 

「お前、リっちゃんの何?」

 

 まるでそれ以外興味がない、お前がここにいる理由はこの質問に答えること以外ないという態度だった。人を人と思わない怒りよりも恐ろしさが勝る。どうすればこれほど人を物のように見ることができると言うのか。

 

「わ、私はリタくんの、その、お、お友達です」

 

 瞬き一つしない視線にビクつきながら、簪はなんとか言葉を絞り出すように答えた。

 

「……そう、お前が。まあどうでもいいや。あーあ、時間無駄にした」

 

 それだけ言って束は簪から興味をなくし、理多の元へと戻って歩いて行った。

 

 

 

  ●

 

 

 

 時間が過ぎ、夕食も食べ終えて就寝時間までの間、自由時間となった。同室のクラスメイトに一言断って、簪は旅館を抜け出して外を歩いていた。夏といても外は暗くなればそれなりに冷え、簪は浴衣の上に薄い上着を一枚羽織って歩いていた。どこで待ち合わせと理多は言わなかった。事前にどこかと決めたわけでもなかった。目的地もなく、簪は外を歩いている。

 

 ふと気がついて上を見た。空は暗く、星が見え始めている。しかしここが比較的田舎とは言っても人口の明かりが多く、それほどはっきりとは星が見えない。周囲を見渡し、海岸線の防風林の向こう、浅瀬の砂浜がある場所は電柱も建てられず人の明かりが少ない。もっとよく星を見ようとその方へと簪は足を向けた。進めばもっと暗い場所が分かった。明かりの多いことをから暗い方へと歩いて行き、いつの間にか簪は一本の木が生えているだけの崖に来ていた。

 

 その木の根元、空を見上げるために仰向けになった少年がいた。理多だ。近づいてくと足音に気がついた理多がこちらを見た。

 

「簪ちゃん来てくれたんだね」

 

「……うん。星が見える方に行けば、きっとリタくんがいると思って」

 

「アハハ、そうか。ボクってそんなに分かりやすいか。まあでも、ここがこの辺で一番よく星が見えるんだ」

 

 少し照れて顔を朱に染め、簪は俯いた。

 

「隣、座ってもいい?」

 

「いいよ」

 

 簪は静かに理多の隣に腰を下ろした。座ってから気がついた。二人で一緒に背もたれにするには、木の幹は少しばかり細く、星をよく見ようと理多が動くと小さく肩が触れ合う。それほど二人は近くにいる。

 

 空の星から目を動かさず、理多は話し始めた。

 

「昼は姉さんがごめんね。多分、怖かったでしょ?」

 

 そんなことはないと言おうとして、しかし簪は違うとは言えなかった。黙ったままの簪の感情を読み取り、理多は苦笑する。

 

「そうだよね。束姉さん昔からそうなんだ。ボクが特別だって言って、ボクに近づく人たちみんなを威嚇するんだ」

 

「それだけお姉さんはリタくんが大切ってことなのかな。私とは真逆だね」

 

 姉の楯無を思い出して、簪は自嘲する。姉と仲が良い理多のような人がいれば、自分のようにほとんど姉と話さないくらい仲が冷え切っている人もいる。おまけに自分は劣等感から姉を遠ざけている。姉と仲が良い理多が少しうらやましかった。

 

「そうじゃないよ」

 

 しかし理多は簪の言葉を否定した。

 

「束姉さんにとってボクは神さまみたいなものなんだ」

 

「リタくんが神様?」

 

「そう。天才の束姉さんにとって、世界はとても詰まらなくて、自分と比べれば世界の誰もが自分よりも劣ってるんだ。でも子供の時、ボクが遠い宇宙にいる誰かを感じ取った。それで束姉さんは宇宙の果てにいるその人たちに会おうと、人類がまだ成し遂げたことがないことをしようって、生まれて始めて人生で目標を作れたんだ」

 

「……人生で初めての目標?」

 

 世界的有名な天才である束の根幹が驚くほど、どこにでもある平凡なもので簪は思わず聞き返していた。それを理多はうなずいて答える。

 

「そう、人生で初めての目標。普通の人が人生をかけるような途方もなく大きな目標も束姉さんからしたら片手間ですぐに出来ちゃうんだ。だからこそ、そんな天才の束姉さんが自分の人生をかけてまで達成したい目標ができたことはきっと、束姉さんの人生の中でそれまでで一番大きな衝撃だったんだと思う。だから束姉さんはボクを神様みたいに扱うんだ。……まるであの子がユニコーンを通して神様を見ているみたいに」

 

 束は自身に生きがいを与えた理多を特別視したいたように、エイプリルはユニコーンを通じて自身が憎悪を持つことを肯定していた。

 

「リタくんとあの人は同じじゃないよ」

 

 数週間前、突如襲来したエイプリルと彼女の言葉を思い出して簪は首を振った。エイプリルは理多が自分と同じニュータイプだと言い、そして彼女こそがリタと唯一同胞となれると言った。

 

 しかしあれほど憎しみを見せるエイプリルと星を見上げて笑う理多を簪は同じにしたくなかった。

 

「じゃあニュータイプってなんなんだろうね? 特別に何かを感じ取れる才能? それだけだと彼女もボクも同じだ。でもボクと彼女が違うって言うなら、簪ちゃん。ニュータイプにもある違いって何だろう?」

 

 理多の質問に簪は考えた。そして一番最初に思いついたことは色だった。理多とエイプリルが見せたそれぞれの光。空を割っていた暗い虹の残光を思い出して言う。

 

「あの子が見せたユニコーンの虹の色はすごく暗かった。まるで底なしの井戸の暗闇みたいだった、でも、同じ暗闇でもリタくんの見せてくれた星空は星が瞬いている綺麗な暗闇だった。似ているって言う二人から私が受け取った光は全然違った」

 

 言葉にしながら簪はどこかその説明に納得する自分がいた。どちらも目で見た光には違いない。しかしそのどちらも普段目にするものとは違い、はっきりとその人を連想させ、その人が放った光なのだと確信できる。きっとあの星空は理多がいなくては見れず、あの暗い虹もエイプリルがいなければ見ることはできない。

 

「人に見せる光がボクと彼女の違いなら、その違いはどこから来てるのかな?」

 

「……分からない。でもリタくんの星の光も、あの暗い虹の光もその人を通して私は見ていた。それなら、私はその人が中から発している光を受け取ったのかもしれない。リタくんが見せてくれたあの星空はきっとリタくんがいつも見ているものだって、それを私はリタくんを通じて見たんだと思う。」

 

「人の中から発した光……。なんだかよく分かんないね」

 

「人から発したものが、そんなに単純で分かりやすいものだとは思えない……。姉妹でも人は簡単に分かり合えないことを私は知ってる。やっぱり人は単純じゃないよ」

 

 その言葉を聞き、理多はどこか納得がいったように笑った。

 

「それならボクが感じ取ってる、人のよく分からない感情もそうなのかな。正反対の願いが一緒になっていて、何も決まってなくて、それなのに分かって欲しくて、それでいて分かりたいと思ってる。そんな光が人の魂とか心ってことなのかな」

 

「一つだけを向いていられる人はきっといない。いろんなものが束ねられてその人がいるのだと思う」

 

「でもそれほど人の中身が複雑になっちゃったら、どうやって人は一緒になれるのかな。それこそ魂が一緒に混ざり合いでもしない限り、バラバラな人が本当に分かり合うなんて無理に思えるよ」

 

 人が分かり合う、魂が混ざり合う。そんな想像に簪は人に聞いた天国の話を思い出した。この世界から飛び去り、肉体という枷を脱ぎ捨て、魂という身一つでいられる場所。魂にだけとなったのなら、余計なものが無ければ人は安らぎを得られるのかもしれない。

 

「天国なら……」

 

 言って、簪は言葉を止めた。天国なんて、死んだら一緒になれるなどと想像するのはどうにも縁起が悪い。しかし天国という言葉は理多にぼんやりとした想像に土台を与えた。

 

「天国? そっか天国かぁ……。そうだね、もし魂に行先があるなら、それが安らかなものだといいね。安らかな気持ちでいられるのなら、自分とは違うものを受け入れられるのかもしれない」

 

 魂が天に召される光景を想像して、空へと還っていく魂を想像して、その魂の行く先を確かめようと空に向かって理多は手を伸ばした。しかしどこかに届くはずもなく、もっと高く伸ばそうとして立ち上がる。しかし魂の行先も、宙に瞬いている星も果てしなく遠い。

 

 肉の体を持った自分ではどれだけ頑張ろうとも届くことはない。

 

 伸ばそうと頑張ってもそれは徒労に終わる。腕を上に向かって伸ばすことに使えた理多は腕を下ろし、簪の方へと振り向いた。

 

「ねえ簪ちゃん」

 

「何? リタくん」

 

 自分に魂があるのか、人に魂があるのか、宙の果てに誰かがいるというのか、人の中から発しているという光とはなんなのか、そして何よりも人は真に誤解なく分かり合えるのか。理多は自分が持ついくつもの疑問を一つに質問に集約する。自分でどれだけ考えても答えは見えて来ず、答えを見つけられない寂寥に胸を痛めながら、それでも期待するように簪を見つめて問いかけた。

 

「ねぇ、魂って本当にあるのかな? もし本当にあるんだったらボクたちの魂って一体どこに向かうんだろうね?」

 

 自身の在処を、人が分かり合える場所の存在を、真に分かり合える誰かがいるのか、それを理多は魂と呼ぶことにした。

 

 しかしそんなことを聞かれても簪が理多が求める答えを持てるはずもなく。簪は答えを待つ理多を待たせる。分からないと答えるのはそれが無いというのと同じ、知らないと答えるのは簪がそれを見えないと言っているのと同じ、簪は理多が満たされうる答えを持たなかった。故に答えは沈黙。答えが出せるまで答えを出さないことだった。

 

 期待に応えられず、簪は俯く。

 

「そんなに気に病まないで簪ちゃん。大丈夫今すぐじゃなくていい、君が示してくれる答えをボクは待ってるから」

 

 理多は身を翻してもう一度星空を見上げる。いくつもの星が変わらずそこにあり、名前ない星に名前をつけようとしても、もう星は見えなかった。

 

 



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承2 星の魂を覗き見た不死鳥

 翌日、臨海学校は緊張に包まれていた。ハワイ沖で演習が行われていたアメリカ・イスラエル共同製作のIS「銀の福音」が原因不明の暴走を起こし、日本政府からの要請により現場の一番近くにいたIS学園の面々がこれを対処することになった。

 

 しかし一度目の作戦は失敗に終わった。封鎖されていたはずの海域にいた違法漁船をかばって一夏が撃墜されたたのだ。重傷を負い意識を取り戻さない一夏の敵討ちのために代表候補生たちと理多は誰にも断らずに出撃した。

 

 そんな中で簪は武装が未完成、出力系も不完全を理由に他の生徒たちと同じく待機を命じられていた。心配する簪を見て思うところがあったのか、千冬は彼女の情報処理能力を理由に彼女に専用機持ちたちのサポートやモニタリングを命じた。圧倒的な軍事用ISである銀の福音に押されながら追随する理多たち、そして復活した一夏が参戦し、銀の福音は彼らの連携により沈黙した。

 

 朝焼けの中、旅館に向かって7機のISが飛んでいる。

 

「ふう……、なんとかなったね」

 

 エネルギーが切れて稼働を止めた銀の福音を抱えて飛ぶ一夏を眺めながら、理多は一安心という風に呟いた。

 

「お疲れ様リタくん。織斑先生が説教の準備をして待ってるから覚悟したほうがいいよ?」

 

 簪がからかうような口調で言った。

 

「もしかして簪ちゃん勝手に出撃したこと怒ってる?」

 

「いきなり飛び出していくんだもの。フェネクスには武装なんてないのよ? 心配をするなというのが無理な話」

 

「まあでもISの操縦なら千冬姉さんにだって負けないし、何だかんだ無事に帰って来たでしょ?」

 

「まったく、もう。朝食、できてるから。織斑先生のお説教が終わったら一緒に食べましょ?」

 

「うん、そうしよう。楽しみ」

 

 ここ一か月のぎこちなさは影も形もない。理多が無事に帰ってくることに簪は安堵する。そういえばこの後の朝食の内訳は何だっただろうと簪が気を抜いた瞬間、それまで沈黙していたモニターが一斉にけたたましく警報を鳴らした。

 

「なにごとだ、山田くん。銀の福音はどうなっている。まさか再起動したのか?」

 

 警報に動じることなく、千冬は何が起きているのかを把握しようと副担任の摩耶に確認を取らせる。しかし摩耶は対照的に計器が意味するところを理解して悲鳴をあげた。

 

「た、大変です! この旅館上空に人工衛星が現れました! 真っ直ぐこっちに向かって落下を始めています! でも、どうして……? こんな巨大な物体が動いていたら、普通すぐに気がつくはずなのに……」

 

「それは当然、普通ではないことが起きたのだよ」

 

 摩耶の悲鳴に答えたのはこの場にいる誰でもない。突如、中央のモニターに通信が割り込んできた。

 

「エイプリル……!」

 

 その顔を見て簪はすぐにその名前を呼んだ。

 

 それを横目に千冬はエイプリルを睨みつけた。

 

「貴様目的は何だ? 我々を人質にでもするつもりか?」

 

「そんな訳なかろう織斑千冬。単純な話だ。人工衛星を落としてお前と篠ノ之束を殺す。ヤンキーどもはいい時に暴走事件を起こしてくれた。お陰で専用機持ちたちが出払い、お前たちが逃げ出せない絶好の好機を作ってくれた」

 

 エイプリルは機嫌良さそうに笑みを深くする。

 

 しかしそれまで黙っていた束は小馬鹿にするような目線でエイプリルを見た。

 

「ふふーん、所詮はリっちゃんのパチモンだね。それくらいのこと束さんにとっては危機でも何でもない、とっととこの場からおさらばさせてもらうよ」

 

 所有するロケットの一つを呼び寄せて束は逃亡の算段をつけた。しかしそのために手元のリモコンを操作すると同時に旅館の外から爆発音と振動が起きる。

 

「——! どうやって、あのロケットは完全なステルスなはずなのに」

 

「別に見つける必要はない。このユニコーンが放つサイコフィールドを包囲するように広げただけのこと。それにぶつかって爆発したんだろ」

 

 それは落下する人工衛星から簪、千冬、束、摩耶、そしてIS学園の生徒たちが逃げることができないことを意味している。摩擦熱によって赤く染まりながら人工衛星が降りてくる。

 

「ISという人殺しの兵器を生んだ悪魔ども、お前たちはこのエイプリルが粛清する。そして次は我らの国を乱した白人どもの国、そしてゆくゆくは戦争を生み出す何もかも。これはその第一歩、祝砲は盛大にあげるとしよう!」

 

 その未来を想像して喜悦を堪えられられないと言わんばかりにエイプリルは声を大きく歓笑していた。

 

 エイプリルの笑い声が響く管制室、簪はただ大きくなっていく人工衛星の映像を見ているしかできなかった。

 

 

 

  ●

 

 

 

 そこまでの会話は理多たちにも聞こえていた。状況を飲み込み、理多は動揺したように一夏を見る。

 

「聞いた一夏?」

 

「いや、ヤバいだろアレ。ここからでも見えるくらいにデカイぞ」

 

 遠くには迫り来る人工衛星が見える。一刻の猶予もないのは明白だった。理多は周囲を見る。皆酷く疲労していた。武装を使わずに銀の福音を操縦によって翻弄して動きを制限していた理多とは違い、武装も尽き、期待も損傷している。

 

 この場でまともに動けるのは自分だけ。理多は覚悟を決めた。

 

「一夏。ボク、先に行ってくる」

 

「どうにかできるのか?」

 

「分からない。でもやってみる価値は絶対にある! フェネクス!」

 

 自身の愛機を呼び、理多はフェネクスの推進器の出力を最大まで解き放った。それまで並行して飛んでいたフェネクスは青い燐光を放ちながら加速していく。

 

 目に見える景色が過剰なフェネクスの速度によって歪んでいく。明らかに現行のISを凌駕する加速力を発揮しながら、迫るくる人工衛星の前へ理多は飛んでいく。理多が到着する頃、人工衛星はすでに成層圏に入り、摩擦熱によって表面は赤く光っていた。

 

 その状況はモニターを見ていた千冬も把握していた。彼女はリタが使用としていることがすぐに分かり、焦った声を指して制止しようした。

 

「すぐにやめろ理多! そんなことをしても摩擦熱とオーバーロードで自爆するだけだ! 私たちのことはいい、お前だけでも逃げのびろ! 頼む!」

 

「大丈夫だよ千冬姉さん、フェネクスは伊達じゃない。これくらい押し出せる!」

 

 しかし千冬の制止に理多は耳を貸さなかった。眼下の旅館にいるみんなは逃げることができない。理多が取った選択肢は落ちてくる人工衛星を受け止め、宇宙へと押し返すこと。人工衛星と比べれば豆粒にも満たないフェネクスが推進器の光の尾を引きながら取り付く。

 

 しかしどれほど異常な出力を持つフェネクスであろうと人工衛星を押し返せるほどの出力はあるはずがない。押し留めることはできたかもしれない、しかし少しずつ確実に人工衛星に押されていく。

 

 フェネクスに通信が入り、呆れたエイプリルが映し出された。

 

「頑張りすぎだ同胞。それがあまりにもナンセンスなことくらい分かっているんだろう? そうしていたって、あと五分もしないうちにそのフェネクスも焼け落ちることになる」

 

 小馬鹿にしたエイプリルに理多は初めて怒りを露わにする。

 

「どうしてこんなことをする。いくら自分が辛い目に遭ったからってこんな怨念返し、間違ってる! あそこにいる子たちは何の関係もない人たちなのに」

 

「そうだな間違ってるのだろう。しかし私の親も兄弟もそんな理不尽の内に死んでいった。自分がされたことをやり返さない聖人に私はなれん」

 

「そうやってやり返すことを止められないから、君の憎悪は鎮まることがないのがどうして分からない!」

 

「お互い何を言い合ったところで意味がない事くらい分かってるだろ。もうすぐその人工衛星は落ちる、そして篠ノ之束と織斑千冬は死ぬ。お前の才能は惜しい、死なない事だな」

 

 現にフェネクスの表面温度は限界値をとっくに超え、あらゆるセンサーと表示がこの場からの離脱を推奨している。そんな状況の中、罵り合いをやめない二人の間に一人の声が割り込んだ。

 

「リタくん!」

 

「簪ちゃん⁉︎ どうして」

 

 人工衛星を押し上げる姿勢のまま、理多は悲鳴のような声を出した。なんとか飛べるだけの打鉄弐式を操縦して簪がここに来た。人工衛星による加熱のなかに来れば普通のISなどひとたまりもないことなど簪の承知のはずなのにどうしてきたのか理多には分からなかった。

 

「私にも何か出来るかもしれないと思って……」

 

「ダメだよそんな機体じゃ。爆装をしていなくてもこんな場所じゃ、すぐにオーバーロードを起こして焼け死んじゃう。お願いだから離れてよ!」

 

「みんなを置いて逃げることなんて出来ない。どうせ逃げられないの。だったら私にも手伝わせて!」

 

 加速を最大限にかけて打鉄弐式も人工衛星に取り付いた。2機のISが人工衛星をどうにかしようと飛ぶが、それでも状況は何一つ変わらない。

 

 摩擦熱に軋む機体に体を押しつけながら、理多は刻々と落ちていく人工衛星の重圧を感じる。このままではどうにもならない。人工衛星は止められず、クラスのみんなは助けられず、束や千冬も死んでしまう。

 

 そして何よりも。隣を見る。打鉄弐式を操縦しながらコンソールを叩き、なんとか打開策を模索しようとしている簪が目に映った。

 

 彼女は諦めてはいない。しかしどうにもならない。このままでは自分も彼女も死んでしまう。目指した星の先も見ることなく、二人は無残に塵となり果てる。

 

 それだけは嫌だった。

 

「お願いだフェネクス。僕はどうなってもいい。でもみんなは、簪ちゃんには死んでほしくなんかない」

 

 心からの言葉。理多はフェネクスへ乞い願う。スラスターから青い燐光が鼓動するように放出される。

 

「もし本当にキミが束姉さんが言う、ボクを表現してくれるマシーンだって言うのなら、お願いだよ。こんな石ころ一つくらい、追い出してくれよ。誰にも死んでほしくないんだ。フェネクス!」

 

 その名を叫んで呼ぶ。その呼びかけに答えるように青い燐光が爆発的に放たれた。黒い塗装が熱によって剥がされていく。そして隠されていたフェネクスの真の姿が現れた。正体を隠すための黒が星の輝きを思わせる黄金に変わっていく。黄金のサイコフレームがその継ぎ目から青い燐光を漏らしている。

 

 乗り手の呼びかけに応え、フェネクスは己の全てを解き放った。瞬間、サイコフレームは膨張し、変形、そしてフェネクスは本来あるべき姿形を取り戻した。

 

 虹の燐光に視界の全てが埋め尽くされる中、理多は視界が光だけ出ないことに気がつく。サイコフレームが感応波を受信してだろうか、視覚によるものでない像が浮かんでは流れていく。肉の体が持ち得ない人のものでない超感覚。虹の向こう側、時間の流れすらも超越した境界の向こう側を理多はフェネクスの力を借りて感じ取る。理多が感じ取れば取るほどフェネクスは更にサイコフレームを反応させていき、限り無くその力を現出させていく、

 

 計器から状況を把握していた摩耶は自身が見ている数値を疑った。計器が出している数値は既存のISの数百倍、核爆弾が生み出すエネルギーが小火に見えてしまうほどのエネルギーが発生していた。

 

「フェネクスのエネルギー増加、なおも上昇中!……何ですかこれ⁉︎ どうしてこの中心にいて篠ノ之くんは無事なんですか⁉︎」

 

第2次移行(セカンドシフト)なのか……?」

 

 モニターに映る変身したフェネクス見て千冬が呟く。

 

 第2次移行とはISが持つ自己進化機能。しかしフェネクスのそれは明らかに違っていた。進化するのではなく、変身。隠されていたものが姿を見せ、解き放たれる。

 

 それを理解している束は恍惚とした表情でフェネクスを、理多を見つめて言う。

 

「違うよ、ちーちゃん。リっちゃんを完全に表現するためのフェネクスが、そんな小さな変化だけで終わる訳がない。これからだよ。これからが本当のフェネクスだよ」

 

 かねてからの望み、野望の成就の成り行きを束は眺めていた。

 

 

 

  ●

 

 

 

 青い燐光は虹の輝きへと変わっていき、それは波動となり力として表れる。フェネクスを形作るサイコフレームが理多の心を受け止め、増幅していく。場を満たしていく理多の光は溢れてゆき、行き場を求めるように人工衛星に殺到した。それまで落ちていくだけの人工衛星に変化が起きた。空気との摩擦で起きていた熱の一切が消失した。感じていた熱さがなくなり、簪はそこで初めて何かが起きていることに気がついた。周囲を見渡すと熱は消え、虹のような輝きだけがあった。

 

「熱くも、怖くもない……。むしろ温かくて、安心を感じる?」

 

 初めて目にする光に簪が困惑していると人工衛星の重さがなくなり、引力から弾かれるように人工衛星は落下を止めた。

 

 原理は分からない。しかし自分たちは助かったのだということは理解できた。

 

「リタくん、私たち助かったんだよ! ……リタくん?」

 

 助かった安心感に安堵して、簪は理多に呼びかけた。しかし呼びかけても返事がないことを不審に思いフェネクスを見た。フェネクスは姿を黄金に変え、虹と青い燐光を発しながら沈黙している。

 

「ねえ、リタくん大丈夫? どこか強く打った?」

 

 心配し、近づいて触れた。しかし返ってきたのは返事などではなかった。

 

「アハッ、アハアハ……。アハハハッ!」

 

 理多の狂ったような笑い声だった。理性から解き放たれた魂が虹へと姿を変えて空を包み込む。

 

 人工衛星を押しのけるようにして虹の光が空を満たしていく。発生源であるフェネクスの真横にいた打鉄弐式も同じように跳ね飛ばされた。

 

 なんとか空中で姿勢を直し、フェネクスを見上げる。フェネクスは虹に包まれながらその場から動かない。通信を使って簪は理多に呼びかける。しかし返事はない。あるのは狂ったように続く調子の外れた笑い声。

 

「あぁっ! 感じるよ、みんなの声。初めからこんなに近くにいたのに、どうして聞こえなかったの? でも、もう良い。これからはずっと聞こえるんだ!」

 

 簪には見えない誰かと理多は話している。憂いも思慮も投げ捨て、純粋に願いだけが彼の中を満たして意思の全てを染めていく。

 

 星など見えるはずもない朝焼けを見上げしかし、遠くにいる星を捉え呼びかける。その両目は星を見つめて離さない。

 

「待っていて、今行くから!」

 

 虹の燐光がフェネクスから吹き出て広がり、瞬きをする間に燐光は空を埋め尽くし、水平線の先にまでその輝きで地球を覆っていく。本来宇宙から天気を映すはずの映像は虹に覆われた星を写していた。先ほどと同じ虹の光のはずなのに、今度の輝きに簪は恐怖を覚えた。

 

 太陽がまるで早送りするかのように動いている。いや、違う。正しくは地球の方が動いて相対的に太陽が動いているように見える。地の底から反芻するような地響きがして、千冬は何が起きているのか分からず絶叫した。

 

「今度は一体何だ! さっきから何がどうなっている!」

 

「織斑先生、大変です!」

 

 泣きそうになった摩耶が映し出したモニターを指差す。そこに映されていたものは宇宙航空局が公開している地球の公転軌道の予測図、そして緊急警報が出され、地球が予想線から大きく外れて太陽系の外へ向かって移動しようとしている。

 

「このままじゃ、地球が自転運動で崩壊します!」

 

「何をしようと言うんだ、理多……」

 

 欲望のまま理多は地球を引き上げる。遠いあの星との距離を縮めるために。

 

「止まって、止まってよリタくん! どうしたらいいの……」

 

 同じく状況を確認した簪も理多を止めようと声をかける。広がり続けるサイコフィールドによる斥力のために近寄ることも出来ず、遠くから呼びかけることしかできない。

 

 何もできず、見ているしかできない簪の隣に現れたエイプリルが感心した様子で理多を眺めていた。

 

「あの二人を仕留めるつもりだったが随分と面白いことになっているな。お前もそう思わないか?」

 

「あなた、あれだけのことをしておいて……」

 

「ああなるように選んだのはやつ自身。原因は私だが、こうして地球を破壊してでも外宇宙に向かおうとしているのはやつの意思だ」

 

「もういい! それよりも早く止めないと……」

 

 理多にいくら呼びかけてようと、宇宙にある意思の一つでしかない簪一人の声を理多はもう聞き取れない。ならば直接理多に触れ、言葉を伝えるしかない。直感的に理解した簪は理多に触れようと打鉄弐式を操縦するが光の膜に触れると途端に跳ね飛ばされ近づくことができない。

 

「更識、どんな手段でも良い。早く理多を止めろ。早くしないと地球がもたない!」

 

 通信越しに慌てた様子で千冬が簪に命じた。しかし簪は苦しそうに待ったをかける。

 

「でも織斑先生、この打鉄弐式には武装も何もまだ装備していないんです。だから直接リタくんに呼びかけるしか……」

 

 跳ね飛ばされるたび、もう一度向かっていく簪。それを見ていたエイプリルは悪意に口角を吊り上げてた。

 

「健気だな。力を貸してやろうか?」

 

「……え?」

 

 エイプリルは腰にマウントしているビーム兵装であるビームマグナムを外すと銃口部分を掴んで簪へ差し出した。差し出された簪は困惑する。そんな簪の反応にエイプリルは満足そうに微笑んだ。

 

「武装がないのだろう? ならこれを貸してやろう。あの不完全なサイコフィールドを貫いてやつを撃ち落とす威力ぐらいはある」

 

「……どうして」

 

「選ばせてやろう。やつを見逃して地球諸共心中するか、やつを撃ち落とすか。私としては成り行きを見るでも死ぬでもいい。ホラっ」

 

 投げ渡されたビームマグナムを簪は危なげに受け取る。打鉄弐式のマニピュレーター越しに伝わる重さは人を殺す責任の重さだった。直感する、これで撃てば理多は無事では済まない。

 

 しかし今、理多を止めなければ地球は壊れてしまう。だから止めなければならばならないことは簪も重々承知だった。だからといって簡単に誰かを撃てるはずもなく、マグナムを握ったまま簪は強張った表情で動けずにいた。友情か世界か、そのどちらかを捨てることを簪は選ばざるをえない。

 

「それでやつを撃って、どうなるかは知ったことではないが。早く選ばなければ皆諸共だぞ?」

 

 心底愉快そうにエイプリルは横で茶化す。

 

「そんなの……、でも……、私に選べだなんてそんなの……」

 

 選べない。唐突に世界の命運と友人を天秤にかけて、気丈に振る舞える人がいるはずもなく、簪は追い込まれ、気がつけば涙を流していた。どうして自分なのか、他の人がやってくれたら良かったのに。無意味なことだと分かっていても誰かに押し付けたかった。

 

「ほらほらっ! あと10秒も余裕もないぞ⁉︎ 早く決断しな! アハハッ!」

 

 ユニコーンで地球の崩壊をシミュレートしていたエイプリルは簪を急かす。エイプリルの笑い声が響く空の中、簪は考える。

 

 一人か、70億の人か。そのどちらを取ることが正しいか、単純な計算の問題だ。そうだ、きっとこれを選んでも自分を誰も責めやしない。涙を飲み込んで目を見開き、簪はビームマグナムの銃口を理多に向けた。

 

 向けた銃口の先、手を伸ばして空を抱きしめるようにしているフェネクス。

 

「躊躇うな更識! 撃てないのは分かる。しかし、お前は理多に人殺しをさせるつもりか!」」

 

「——! ごめんなさい、リタくん……」

 

 悲痛そうに命令する千冬の声がした。教師として彼女は嫌でもその命令をしなければならなかった。その言葉が躊躇いながらも簪は決意を固めさせた。

 

 銃口を向けたまま目をそらすように俯いた簪は呻くように、意味のないと分かっていながら泣きながら言った。引き金に指をかけて引くと機構が動作し、エネルギーパックが充填を開始する。

 

 銃口に光が蓄積される中、簪は許しを乞うために何度も、何度も小さく嗚咽を漏らす。

 

 俯いていた顔を上げ、涙に歪む視界の中、フェネクスの燐光が星のように瞬いた。

 

 言葉が空を走った。頭が熱くなり、瞬きが言葉に変わる。

 

(ねぇ簪ちゃん。一緒に星空が見たいね。世界中のみんなで星が見えたならきっと楽しいだろうね)

 

 嘘偽りない理多の本心を簪は聞いた。たとえどれほど発狂して正気を失おうと彼は簪が知る彼のままであった。こんな状況でも変わっていなかった彼を目の当たりにして、自分が友達に銃を向けていることを意識させられる。

 

 そして充填が終わったビームマグナムから放たれた閃光がサイコフィールドの燐光を吹き飛ばしてフェネクスを飲み込んだ。

 

 すぐに放出が終わり、ぐったりと手足を力なくぶら下げたままのフェネクスが空中で静止している。

 

 動きが止まっていたフェネクスはぎこちない動作で簪を見た。ジッと簪を見てフェネクスは動かない。動いてしまった空が逆再生するように戻っていく。

 

「リタくん……?」

 

 どうなってしまったのか簪には分からない。目の前にいるフェネクスは沈黙し反応を示さない。

 

「ほーう、そういう……。また随分と面白い結果になった」

 

 唯一状況を正しく理解しているエイプリルは感心してその結果を生み出した簪と理多を見ていた。勝手な攻撃を始めてその結果、理多を撃たせることをじぶんに強いたエイプリルに簪は怒りを見せる。

 

「教えて、リタくんは一体どうなっ——」

 

 分かっているらしいエイプリルに質問しようとして、簪が聞こうとして言葉を発して止めた。目の前のフェネクスが突然動き出したからだ。

 

 翼にも見えるアーマードDEを広げ、虹の光を翼の形に形成してフェネクスはここではないどこかへ向かって飛び去っていく。

 

「リタくん、待って!」

 

 飛び去っていくフェネクスになんとか追いつこうと簪は打鉄弐式のスラスターを開く。加速し速度をあげていくが飛べば飛ぶほどフェネクスとの距離が開いていく。呼び掛けど返事はなく、その内フェネクスは小さな虹の光になり地平線の向こうへ消えてしまった。

 



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転1 虹に成れない語り手は不死鳥を夢見る

「銀の福音事件」から一週間という時間が経過した。自室のベッドの上、明かりも点けないで簪は毛布を被って膝を抱えることで外界との接触を絶っていた。そんな彼女を心配する本音やクラスメイトたちとも言葉を交えることもなく、何をするでもなく、簪はずっと部屋に閉じこもって小さくなっていた。

 

「リタくん……、ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

 後悔を孕んだ懺悔が嗚咽とともに漏れる。何度も、何度も同じことを繰り返し呟いた。それが何一つ意味を成さないことを理解していても、それ以外に簪ができることなど有りはしなかった。己の手で彼を撃ち落とし、理多は精神を壊して飛び去ってしまった。

 

 旅館へと帰り、呆然としていた時に聞こえた束の千冬への説明で、サイコフレームと搭乗者の過剰反応により、サイコフレームが周囲に存在していたすべての精神を読み取ってしまい、流れてくる過剰な情報で理多の精神を焼き切ったという。

 

 同様の中で耳にした情報は簪の罪悪感を喚起させた。私が理多を撃ったから、ああなってしまったのだと、自分の手で誰かの人生をめちゃくちゃにして、それがもう取り返しがつかないことが恐ろしい。どうしようもない変えようのない事実に簪は打ちのめされた。

 

「それなのに……。それなのに誰も私を責めない……」

 

 枯れた声で一人簪は呟く。

 

 理多を撃ったことを一夏も、セシリアも、鈴音も、シャルロットも、ラウラも、千冬も、実の姉である箒ですらも、誰も彼女を責めようとはしなかった。

 

 よくやったなどとは言わない。しかし誰もがあれを仕方がなかった、簪が行動しなければもっと酷いことになっていたことを理解していたが故に、選択を強いられた彼女に同情し、あれは仕方がないことだった、あなたが悪いんじゃないと、彼女を傷つけかねない言葉を飲み込んでいた。

 

 ただ一人、束だけは事件収束後にいつの間にか姿を消したために彼女に何も言わなかったが、元々簪に興味の欠片もない束が簪に話しかけることもなかっただろう。

 

 誰も簪を責めなかったのは優しさによるものだった。だがその優しさがより彼女を追い詰めていた。

 

 自分は責められるべきことをしたはずなのに誰もが自分を被害者のように扱う。被害者は理多であり、加害者は自分であるはずなのに。簪を責めてくれるのは、他の誰でもない自分自身だけだった。誰にも責められない状況こそが何よりも簪を追い詰めていた。

 

 暗い部屋。唯一の明かりはつけっぱなしになったモニター。簪の好きなヒーローアニメが何度も何度も敵の幹部を必殺技でやっつけていた。銃を持ったヒーローが敵を撃つ。それが責められることはない。敵は悪でヒーローは正義。悪には何をしても許される。

 

 ヒーローに敗れ崖の向こうへと落ちて行く悪役。何度も見たその姿に薄く自分が撃ち落とした理多の姿が重なる。

 

 心臓を握りしめるような強い痛みが胸を走り、心に重さとなってのしかかり続けていく。重油のような暗い罪悪感は確実に簪を苦しめていた。理多のことやその理多を撃った自分のことを考えると動悸や吐き気が止まらない。食事はまともにとれず、最後に口にしたのは罪悪感を誤魔化そうと噛み付いた手の甲からの血だった。

 

 今も気がつけば手の甲を噛んでいる。溢れ出る血液は痛みとともに流れでいていく。酸っぱい鉄の味が口の中に広がり、その間も痛みは止まらない。甲の皮膚を噛むたびに傷が深くなってその度に痛みは深く大きくなる。その時、痛みが思考を塗りつぶして他のことを考えないで済む間、痛みを感じている間だけはどうしようもないものを許されている気がした。

 

 つまるところ簪は痛みに依存していた。もともと何かにのめり込みやすい性分だ。それ自体は悪いことではない。しかし今はその性分が、友達を傷つけてしまった罪悪感から逃れたいという欲求が悪い方へと簪を突き動かしていた。自分を傷つけることで許しを得ているという想像と苦しむことで自分は加害者じゃないという逃避の快楽を享受することで現実から逃げていた。

 

 そして時間が経ち、ふと冷静に戻ってそんなバカなことをしている自分に気がつき後悔と痛みだけが残る。

 

 またやってしまったと簪は目を伏せる。でもこうでもしていないと自分の置かれた状況に耐えられないのだ。誰にも責められないなら、自分で自分を責めるしかない。

 

 そんな風に自己を守ろうと言葉を並べてしかし、

 

「でも、リタくんを撃ったのは私なんだ……。許されないことをしたのに……、ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

 何もない空間に何度も空想の理多に謝罪する。許されるはずもないのに、自分を守りたくて意味のないことをしていた。そんなことをする自分も嫌だった。こんな苦しさから楽になりたい。でも傷つけてしまった理多を放置して自分だけが楽になることに更なる罪悪感を覚え躊躇してしまう。だから自分が苦しむことが正しいことなのではと考えてしまう。

 

「ごめんなさいリタくん。どうしたらいいの? どうしたら私は許してもらえるの?」

 

 懇願するように顔を枕に押し付けて吐きそうになる苦い感情を飲み込む。

 

「なら、リっちゃんに直接聞いてみたらいいんじゃないかな?」

 

 暗く止まったままの時間が唐突に壊された。

 

 重苦しい簪の心情とは正反対の朗らかな声が簪へとかけられる。声の方へと簪は顔をあげた。見上げるとこちらをニコニコした顔で見下ろしている束がいた。鍵をかけていた部屋に、突然どこからか現れた人物に簪は思考を止めて確認するように彼女の名を呼ぶ。

 

「し、篠ノ之博士……?」

 

「せいかーい! ハロハロー、ちょっとぶりだね。……ええっと、ナントカちゃん? まぁ意味の名前なんてそんなに重要でもないか!」

 

 まくしたてる様に話す束に簪は圧倒される。話していた束は簪が気圧されて喋れなくなっているとわかると、楽しそうな様子は消え去って少し詰まらなさそうな視線へと変わった。

 

「ふーん。リっちゃんのトモダチっていうから、一体どんな子なのかなって期待してたけど、なーんか普通の凡人なんだね」

 

 辛辣な言葉を使い、悪意なく束は簪をそう分類した。天才から見れば劣った大多数の一人でしかない簪、そんな彼女が束の興味を引ける要素は理多の友人という一点だけ。

 

 そんな彼女がなぜ自分に会いにきたのか、簪には分からなかった。しかしそんな疑問よりも簪の頭の中を満たしていたのは、自分が傷つけてしまった理多の家族が目の前にいるということだった。

 

「あ、ぁあの……、篠ノ之。わ、私……」

 

 あなたは私を責めるのかと問いかけようとしても音が言葉にならずに漏れていく。

 

「んん? ナニカナ、ナニカナ?」

 

 言葉にならない言葉を何とか絞り出そうとする簪に束は耳を傾ける。

 

「わ、私のせいでリタくんがああなっちゃって。そ、それなのに私は何もできなくて……」

 

「まぁ、あの時に君が出来たことなんて高が知れてるからね! 別にそんなに暗くなることもないんじゃないかな?」

 

 今にも罪悪感に押しつぶされそうな簪を思い詰め過ぎだと束は笑い飛ばす。それを簪は信じられない目で見上げた。肉親を手にかけた相手に仕方がないと済ませられるなど常人の精神ではない。和かな表情を崩さない束が人の形をした人ではないなに髪見えて簪は恐ろしくなる。

 

「私はリタくんをあんな風にしたのに……、どうしてそんなに笑ってらいられるんですか。おかしいですよ。リタくんは行方不明だというのに」

 

「……うん? なんか情報の齟齬がある感じ?」

 

「……え?」

 

 ごそごそとスカートのポケットと噛み合わない大きさのタブレットを出してみせた束はその画面を簪に見せた。どこかの都市の天候観測用のカメラ映像の奥、空の向こうで晴れているにもかかわらず雷のような閃光が走った。一時停止された映像が大きく引き伸ばされると、閃光のように見えていたのは雷のような自然現象ではなく、黄金に姿を変えて残像を残しながら通過する人工物。

 

 フェネクスだった。篠ノ之理多が搭乗するフェネクスが空を裂くようにして飛び去っていく。次から次へと映像が切り替わり、様々な場所で、同じようにフェネクスが飛び去る映像が続く。

 

「リタくん……」

 

 健在なフェネクスが飛んでいる事実に簪は理多がひとまずは無事であることに安堵した。しかし同時に疑問も現れる。どうして無事ならIS学園に戻ってこないのか。

 

 そんなことを考えているうちに映っていた映像に変化があった。黄金が空に筋を残していくだけの映像から、火花が飛び散るものへと変わる。空に浮かぶ黄金の影を追うようにして純白の追跡者が現れた。ユニコーン、『銀の福音事件』にて簪に理多を撃つことを強いたエイプリルが飛び去ろうとするフェネクスを撃ち落とさんと砲撃を続ける。しばらく続けるとエネルギー切れを起こしたのかユニコーンは諦めたようにどこかへ飛び去り、それを確認するとフェネクスも同じようにどこかへ消える。

 

 理多を追いかけ攻撃するエイプリルの姿を確認して簪は自然とこぶしに力を入れ握りしめていた。力の入った拳は怒りに震えている。

 

 ユニコーンが追いかけ、フェネクスが逃げる。そんな映像が何度も繰り返される。

 

 そしてそれが終わると最後に表示されたのは世界地図だった。黄金のジグザグした一本のラインが大陸と海を繋げるようにして模様を描いている。そして所々でラインの上に白い丸で目印が付けられている。

 

 映像を見せられていた簪はすぐにそれがなんであるかを察した。その表情を見て束が口角を上げる。

 

「そう、これはリっちゃんの移動経路、そしてこの丸は、あのエイプリルとかいうやつがリっちゃんを襲った地点。分かる? 少しづつ遭遇の頻度と戦闘時間が伸びていることに。あいつはもうすぐリっちゃんに追いついて捕まえる」

 

「それは……!」

 

「あいつがリっちゃんに何の用があるのかなんてどうでもいいけど、せっかく覚醒したリっちゃんを取られるのは癪だからね」

 

「……せっかく覚醒した? 何を言ってるんですか。あんな状態を、「せっかく」だなんて呼べるなんておかしいですよ!」

 

「リっちゃんを撃ったお前がいうのか?」

 

「——っ!」

 

 束の低い声に簪は心臓が大きく脈打つのを感じた。笑顔のままピクリとも変わらない不気味な表情で束は簪に少しづつ詰め寄っていく。

 

「ニュータイプが今ある形のままでいなきゃいけない理由なんてないんだよ」

 

 暗にあの状態の理多を束は問題ないと言っている。

 

「フェネクスはリっちゃんのためだけに作られた、リっちゃんを表現できるマシン。いずれリっちゃんは私とリっちゃんの夢を変えられる存在に生まれ変わる。その羽化まで待たなきゃいけないのにあのエイプリルがそれを阻害しようとしている」

 

 束は張り付いた笑顔を崩し、物憂げにため息を吐く。

 

「だから正直、束さん的にもリっちゃんに何かされるのは大問題。でもフェネクスのサイコフレームのせいで通常のISは近づくことすらできない。サイコフレームもすぐには増産できない。いやー、詰んだ、詰んだ」

 

 呆気からんとした様子でつぶやく束。しかし簪はそんな彼女を見ていなかった。両手で持ったタブレットに映ったフェネクスを後悔の眼差しで見つめ続ける。

 

「ごめんなさいリタくん。私があの時何かできていたら、こうはならなかったのに……。私がお姉ちゃんみたいに強かったら君に追いついて助けられるのに」

 

 どれほど後悔が積ろうと現実は好転しない。溢れ出した涙が頬を伝ってタブレットに映ったフェネクスにかかるが液晶はそれを機械的に弾く。

 

 あの時ああしていたら、もっと強かったのなら、もしもを考えても簪にそのもしもを叶える力はない。無情にも液晶の壁以上の隔たりが簪と理多の間にあった。

 

 悔しさに涙を流す簪の頬を両手で包み、束は簪に顔を上げさせた。親指で溜まった涙を拭い、身内にしか見せない笑顔で束は問いかける。

 

「そう。君に、リっちゃんに追いつく実力はない。不可能だ、断言してあげる。あのリっちゃんには私やちーちゃん、織斑千冬でも追いつけない。でも、その不可能を壊してリっちゃんに追いつく手段があると言ったら、……どうする?」

 

「そんな方法が……?」

 

「そのために今日、束さんは君に会いに来たのさ。リっちゃんの友達ちゃん? 選んで。このままずっと過去を引きずって安穏のまま部屋に引きこもったままでいるか、それとも辛い思いをして死にかけるような経験をしてリっちゃんに追いつけるかもしれない可能性に挑むか。君はどうしたい?」

 

 簪は束の問いかる視線から目を離せない。どうしたいかと問われ、簪はどうしたいのか、すぐに言葉にできなかった。複雑な感情が混ざり、溶け合い、雑多な音ばかりになって意味を成す言葉にならない。

 

 だからとても単純な思いを絞り出すようにして声にする。

 

「わ、私はただリタくんともう一度お話をしたい。ただ、あの時のことを謝りたい……」

 

 かすれて消えてしまいそうな声を、束は確かに聞き届けた。そして口角を上げ、これ以上ないほどの笑顔を作った。菩薩が浮かべるような微笑のまま、束は立つ上がり一歩後ろへ下がった。そして手を伸ばし、簪に問いかける。

 

「ならお互いに都合が良いよね? そんな君に束さんからのビッグチャーンス! 束さんと一緒にリっちゃんを連れ戻しに行かない?」

 

 伸ばされた束の手が、来るのなら私の手を取れと簪に囁きかける。行くか、行かないか。二択だった。

 

 どちらを取るべきか、この場でも簪は迷っていた。自分に出来るのだろうか、もう一度理多に会っても良いのか、これが本当に正しいことなのか。迷う。そして想像してしまう。この手を取らずにこの部屋に引きこもった未来。何もない。停滞した今が続いて、そんなものを守って何になるというのか。一体何のために自分がそこにいるのか簪には分からなかった。ならばどれほど先が暗闇であろうと、何もない未来よりも苦難を選ぼうと、恐しさと希望に背を押されて簪は束の手を取っていた。

 

 伸ばした手を取られ、束は満足そうに頷き、

 

「なら決まりだ。これから短い時間だろうけどよろしくね。え、えーっと……」

 

「更識、更識簪です」

 

「そう、簪ちゃんっていうんだ。じゃあヨロシク、カンちゃん」

 

 

 

  ●

 

 

 

 二週間という時間が経った。場所はIS学園アリーナ。

 

 その中心で二機のISが空を自在に駆け、火花を散らしていた。

 

 一体は白いIS。白式。織斑一夏の操るIS。『銀の福音事件』を機に、それまでのブレード一本という貧弱極まりない武装から、第2次以降を経たことで右手に雪羅と呼ばれる多機能の腕の武装が追加され、近接と遠距離の両方に対応でき、操縦する一夏も長い経験によって入学当時よりも操縦技術を向上させていた。

 

 しかしその一夏に対峙するもう一体のIS、灰色に近い白色のカラーリングが施された珍しい全身装甲のISは、彼と互角どころか翻弄するように動き、一方的に追い込んでいた。明らかに実力の離れた戦いは観戦していた生徒たちから、距離を少し詰めつつ確実に弱らせていく様子はまるで狩りのようだと評された。

 

「クソっ、こうなったら一か八かだ、『零落白夜』!」

 

 追い込まれ、後がない一夏は一発逆転を狙って白式の単一仕様能力を呼び出した。瞬間的な加速を得るイグニッションブーストとこの能力を組み合わせるのが一夏の勝ち筋の一つだった。

 

 加速し、一気に距離を詰める。後はブレードを振り上げ、振り下ろすだけ。灰色のISもこれは予想外だったらしく距離は詰められた。しかし現実が嘘をついた。

 

 一夏が迫る中、対戦相手のISのバーニヤが空気を焼き切る音がした。次に瞬きをした時、一夏は敵の姿を見失った。動揺したままハイパーセンサーを頼って周囲を索敵するがしかし、何故かハイパーセンサーは駅がいないはずの正面を示したまま。答えだけを先に言うと対戦相手はバーニヤを吹かして明らかに人間が耐えられないGが発生する機動で白式の下に潜り込み、突き上げるように銃口を叩きつけたのだ。

 

 しかしそんなことをすぐに理解できるはずもない一夏が次に見たのは、下から向けられるビームライフルの銃口だった。そして何か行動を起こす前にその銃口から光線が放たれ、白式のエネルギーが空になったことを意味するブザーがアリーナに鳴り響いた。

 

 試合が終わり、白式を仕舞った一夏はアリーナの待機室に戻ってきた。見ると先に片付けを終えていた対戦相手、簪がベンチに座って持ってきていたらしいアタッシュケースから注射器を取り出して自分に打っている場面だった。

 

「くっ! ……ふぅ」

 

 注射の痛みに小さく苦悶の声を漏らし、注射器の中身を全て注射し終えると空になったアンプルをケースに戻した。右手でアタッシュケースを持ち、去ろうとしたところで2人の目が合った。

 

 そこでやっと一夏の存在に気がついたらしい簪は力の籠らない笑顔を作った。

 

「あぁ、織斑くん。対戦受けてくれてありがとう……」

 

 無理やり作った笑みはぎこちなく、目の下には簪が来ている特注らしい漆黒のISスーツと同じように黒く深いの隈が刻まれていた。明らかに異様な様子に一夏は思わずたじろいでしまう。

 

「あ、あぁ。別にそれは全然いいんだけどさ。それよりもだ、更識さん大丈夫か? あんまり元気そうに見えないけど……」

 

「うん、大丈夫。さっき少し無理な機動したから左腕が折れちゃったけど、すぐに治るから平気、平気」

 

 ニヘラと簪は笑う。大丈夫だと平気そうに振られる左腕は二の腕の中央から間接が一つ増えた様に折れ、負傷した箇所は青ざめた様に鬱血していた。

 

 痛みを感じていないのか、平気そうな顔の簪はそれだけ言うと早足に去っていった。引き止めようとも思ったが、何を言えばいいのか一夏には分からなかった。

 

 二週間前、束が臨時教師としてIS学園にやってきた。逃亡中の彼女がどうやって潜り込んだのかは重要な問題ではなく、問題はこの二週間、簪が束と行動を共にしていたことだ。部屋に引きこもっていたはずの彼女はいつの間にか束と親密そうにして、何やら新型のISの開発を急いでいる様子だった。それと並行して簪はデータ集めとして、試作したISを用いて各国の代表候補生と模擬戦と1日数回のペースで行っていた。その度に明らかに彼女はやつれていった。

 

 簪は明らかに重傷に見える状態でも次の日にはどういうカラクリか回復していた。流石に不審に思った千冬が問いただそうとしても2人して沈黙、もしくは理多のためだと言ってはぐらかしていた。

 

 何か目に見えないことが、水面下で着実に進んでいることだけは、IS学園にいる誰もが察していた。そしてそれが良いものだとは、あのやつれた簪を思うと到底思えなかった。

 

 待機室に一人残された一夏は、備え付けのモニターに先ほどの試合の映像が流れていることに気がつき、そちらを見上げた。白式に対峙する灰色がかった白いIS名をナラティブ。意味は語り手だという。しかしあのやつれた簪が操縦する様子を見て、一夏はむしろナラティブが彼女を電池として消耗している様な気すらした。

 

 映像に映るナラティブが親友を連れ去った不死鳥にどこか似ているからそう思ったのだろうか。一夏には何も答えようがなかった。

 

 




随分と久しぶりとなってしまった更新。中の人は南船北馬という感じです。また時間ができたら更新したいなと思うこの頃。


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