空狩少女のヒーローアカデミア (布団は友達)
しおりを挟む

プロローグ:入学前
一話「アイスこそ至高」


おお、これがハーメルン……!!


 人類の超能力発現が普及し、それらは“個性”と一語に納められ、以降は常識の如く、さも生来から持ち合わせぬ者は欠陥品とでも謂われてしまう超常現象が当たり前の世界となった。

 強力且つ神秘的な力を有した人間は、力を個々の信念、私欲の為に行使するようになり、時に超能力社会黎明期には体制が不安定だった所為もあって、抑止力となる法律なども確立しない不安定な時代に、一種の界隈では専ら他者を考慮しない悪党の身に堕ちる者が居た。

 

 そんな彼等を止めるべく、目には目を、歯には歯を、超能力には超能力――かの復讐法ではないが、対抗策としては同等の力が必要だった。

 故に、次第に悪党を抑止する存在が立ち上がり、いつしかそれは公職として認められ、皆の羨望を浴びる英雄の形となった。

 これこそ、現代で言う――『ヒーロー』である。

 

 時代は経過し、悪党もヒーローも跳梁跋扈する世。町中でのビル倒壊や拉致事件も日常茶飯事、互いに拮抗する正邪の働きは、しかし一向に鎮まる気配を見せない。

 しかし、ある時に一人の圧倒的ヒーローが現れ、瞬く間に仄暗く社会の底に燻る悪意の火焔を消し去り、火種の再発を最小限に留める存在へとなった。

 今は誰もが識るヒーロー――我等が『オールマイト』だ。

 

 

 

 

 

**************

 

 

 

 中学三年の夏――。

 

 帰宅途中の少女は、家電製品売場の窓から覗くテレビの画面で、近所で発生した連続強盗殺人事件の犯人による被害状況を放送するニュースを見た。

 心強い抑止力が存在したとて、やはり人の悪意はいつの時代も消えない。無感動に画面を見詰めながら棒アイスを咥え、ソーダ味を噛み締める。

 いつまでも窓の前に立ち止まった彼女を、道を通行する皆が見遣る。茹だる暑さ、地面から蒸し上げられるような暑さに疲労の蓄積は加速する中で、少女は汗一つすら掻いていない。

 いや、視線を集めるのは、偏に彼女の容貌ゆえなのだろう。

 

 薄紅のストレートショートに整えられた頭髪は、寝癖なのか何本か自由に毛先が跳ねている。同色の瞳は興味があるのか無いのか、テレビを凝視していた。

 空いた片手には、黒い猫耳の形がある帽子を持つ。恐らく、店までは熱中症対策として被っていたのだろう。

 夏の日射に当てられてなお、日焼けすら無く、寧ろ透き通って見てる白皙の素肌。

 倦怠感で微かに瞼を伏せたつり目がちだが、口や鼻は小作りで鼻梁の整い、だらしなく棒アイスを咥え、笑顔を振り撒けば周囲を誘惑する可憐な面貌。

 少女の無表情さや色白の肌が相俟って、精緻な人形なようであった。

 服装は大胆に、というよりは衆目を全く意に介さない本人の性格が顕著に表れていた。臍や腹部を晒したノースリーブのクロップドTシャツ、レギンスにサンダルの姿は完全に寝間着であるが、肉置きは平均的といえど所作の一つずつが艶やかで異性の気を惹く。

 本人は意図しておらず、下心満載の視線も把握していない。

 しかし、間の抜けていて、しかし艶麗な外貌とは別に、注視を募らせるのは頭頂部でぴくぴくと動く獣の耳。三角の形の耳介は、尖端が白く頭髪の中では目立つ。猫と思われる細身の尻尾もまた、本人の感情を代弁しているのか、だらしなく垂れ下がる。

 

 路傍に屯していた男達が、誰が遊びに誘うか、その手法などについて詮議している。遂に作戦実行に動いた男達は、不意に発見した優良物件たる少女に狙いを定めて歩み寄った。

 少女の肩に手を置いて、一人が笑顔で話し掛ける。

 

「やあ、お嬢さん一人?」

「…………?」

 

 所謂ナンパを受けた当の本人――少女は、周囲を一度だけ見渡してから、小首を傾げて自分を指差した。頑固にも、会話を求める相手を前にして、アイスを口から放す積もりは無いらしい。

 マイペースな彼女に苦笑しつつ、それでも男達は挫けず攻勢に出る。

 

「良かったら、一緒に遊ばない?ご飯も奢――」

「アイス以上は存在しない」

 

 無表情だが、どこか生き生きと断言する少女。

 溶けたアイスを心惜しげに眺めてから、早々に齧りまくり、ソーダ味に閉じ込められていた骨子であった棒を暴く。

 

「……なら、良い店、知ってんだぜ?案内しようか?」

「そうだよ、俺らと来たら楽しいよ」

「どうよ、どうよ?」

 

 逃がすまじと、男は詰め寄る。

 良い店……少女はぽつりと呟き、顎に手を当てて思案顔になる。目前の男の秘めた下品な心なぞ感知しておらず、純粋にアイスのみにしか趣向が無い。尻尾が悩ましげに『?』の形を作る。

 あと一歩と考え、強引に連行せんと肩に手を添えて催促しようと男が歩く。

 

 ――その寸前で、背後の空気が炸裂音を立てた。

 空気が爆ぜた音、瞬間的な閃光。男達がびっくりして振り向けば、鬼の形相で佇む(ヴィラン)――否、少年が掌中で“個性”を小さく、何度も爆裂させていた。

 

 それこそ、自身の“個性”でも直撃したかの如し爆発頭の無造作な乱髪。前髪の下で鋭く細められた三白眼は、およそ一般人が発せられる類いではない殺意を孕んでいる。本来ならば端整な面差しも、これでは台無しだ。

 タンクトップにカーゴパンツ、サンダル姿だが、鍛えられた筋肉は憤怒の感情に血管を浮き立たせていた。

 

 男達が怖気を震って後退りする中、少女が片手を挙手して挨拶する。すると、少年が忌々しげに舌打ちした。

 

「てめぇ、どこそこほっつき歩くなッてんだろが!」

「貴方のペットじゃない。私を飼いたくば、養える程の経済力と……その犯罪者面を矯正してから来て、勝己くん」

「ああン!?喧嘩売ってンのかテメェ!!!」

 

 男達が隙を見て逃走したのも知らず、怒号を響かせて躙り寄る少年――爆豪勝己は、片手のビニール袋を少女の胸に突き付けた。

 

「頭の血管が心配……でもなかった。そのままご臨終して下さ――痛い痛い頭を摑まないでニャン」

「媚びて今さら猫ぶってんなクソが、無表情だと効果ねえっつの。それがアイスを奢って貰ったヤツの態度かよ、アァン?」

 

 アイアンクローから解放された少女は、自身の頭を押さえて頭蓋の調子を確かめると、ふむと頷いて歩き出した。

 勝己が渋々とその隣を歩き始める。ふと、彼は横で動く猫耳を見た。……楽しい時の反応だ。

 その視線を訝った少女は、振り向いて首を小さく傾げた。

 

「触りたい?」

「思ってもねぇんだよ、爆発したろか」

「良いよ……勝己なら、私……」

「ちょっ、おまっ、はぁぁあ!!?」

 

 少女が目を潤ませ、勝己の体に寄り添う。両手を彼の胸に置き、一度だけ見上げてから頬擦りする。急接近に狼狽する彼の様子などお構い無しであった。

 蠱惑的な彼女の体温と体の柔らかさに、勝己は口の開閉を繰り返していた。平時の罵倒癖で跳ね返すところだが、少女相手では全てが無効になる。

 逡巡の末、躊躇いがちに耳に手を伸ばす。

 

「――うん、やはり男は単純だね」

 

 無機質な少女の声、それと同時に体が離れる。

 また無表情で歩き出す相手に、呆然とする勝己だったが、自分が弄ばれていたと察して、手中で連続爆破を行いながら、凶相で走り出す。

 少女は無表情、しかし、白い肌がわずかに蒼褪めた。……やり過ぎた、との後悔である。少女も足を稼働させ、全力疾走で逃れんとする。

 

「待てやクソ女ァア!!いっちょテメェの根本から躾てやらぁ!!」

「私を飼い慣らした積もりなら、勘違いも甚だしいぞ爆殺王」

「てめッ……俺が密かに考えてたヒーロー名を――」

「悲しいよ、知り合いが刑務所なんて。私は面会には行かないよ」

「俺は敵じゃねぇぇええ!!」

「お務め御苦労様です」

 

 力走する少女と猛追する少年の画。

 勝己の友人である二人組は、夏休みの情景としてこれを何度も見ていた。喫茶店のオープンテラスの席に腰掛けて、それをいつものように見送る。

 

「凄ぇ煽るな、捉把(そくは)のやつ」

「てか爆豪がぶっ殺す言えないの、アイツだけだもんな」

 

 疾駆する少女――捉把を見て、二人は頷いたのだった。

 

 

 ~~~~~~~~~~

 

 二人が知り合ったのは、今年の春である。

 今や巷で有名なヘドロ事件にて、幼馴染の少年の活躍に、無自覚な焦燥などで荒んでいた勝己が、気晴らしに拉麺店にて強烈な辛味を注文した時だった。飯が来るまで、とカウンター席で苛立ちながら水を飲んでいた彼は、ふと隣で食事する少女を見た。

 何やら、自分が先程頼んだ品に悪戦苦闘であるらしく、無表情だが顔色は赤く、箸を止めて見下ろしていた。

 ざまぁねぇ、と嗤っていたが、突如として横から麺を数本箸で取った少女は、勝己の口許に運ぶ。慌てて回避した彼が睨むと、彼女が途方に暮れた顔だった。

 

『物欲しそうに見ていたのに』

『……今は気分が良くねぇ、絡んでくんならぶっ殺すぞ』

『君、確か……そう、ヘドロに脳まで汚染されて言動にまで影響があったなんて。傷は深い、か……』

『はァん!?殺されてぇってんなら、正直に言えやクソカスがぁ!』

 

 キレっキレの面罵の最中に、口内に麺を叩き込まれて勝己は閉口する。少女が嫣然と微笑み、箸を引いていく。中学校では才能の塊と継承されるが、さしもの勝己でさえ理解が追い付かぬ状況だった。

 少女は麺の終端から飛び散った汁で汚れた彼の口許をティッシュで拭う。

 

『美味しい?』

『…………おう。?ッて何してんだゴラァァァアッ!!』

『まだ動かないで』

『!!?』

 

 急に真剣な眼差しの彼女に射竦められ、停止した勝己は為されるがまま、口を拭かれた。

 少女が再度笑った。――が、それは嘲笑の類いである。

 

『面白いね、君』

『殺す、これは俺の決定事項だ。絶対ぇ爆殺する!!』

『服だけ爆発で破いて、私を美味しく頂戴する心算か』

『んな器用な爆撃がある訳ねぇだろうが!?』

 

 ふっ、と少女が笑った。

 

『出来ないの?見かけ倒しだね』

『クソが、出来るわボケ!!!』

『今はやめてね。あとおじさん、追加注文で警察をお願い。ここに敵予備軍がいます』

『『注文、警察一丁ッ!!』』

『呼ぶなクソがぁぁッッ!!!』

 

 これを始点に、紆余曲折を経て勝己は捉把と町で度々遭遇し、彼女に振り回されている。

 また、勝己が自身の志望と同じ私立雄英高校を目指し、勉強している事も知って、捉把が家に押し入って勉強会を催し、強制的に彼を教師役に就かせて日々受験勉強に励んでいる。

 

 

 ~~~~~~~~~~

 

「爆豪にも春が来たんだな」

「聞こえたら殺され――っぶねぇ!!」

 

 聞いていた爆豪が“個性”で放ったゴミが弾丸と化し、頭を掠めて行く。

 

「一般人に攻撃とは、貴方は本当にヒーロー志望?」

「その減らず口、今すぐ潰したらァ!!」

「口で?」

「んなッ……!?」

「ぷっ」

「殺す!!」

 

 商店街を賑わせる二人を見送る人々が苦笑した。

 彼等は予感もしていないだろう。

 この二人――否、これから二人が出会い、共に学んで行く仲間達が、未来のヒーロー界を大きく震撼させる存在に成長するとは考えてもいない。

 

 これはそんな面子の一人――空狩(そらがり)捉把(そくは)の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 

捉把「捕まった、さすが勝己くん」

 

 彼の自宅に到着する頃には、首根っこを摑まれた捉把が居た。肩で呼吸をする勝己とは違い、敗北感すら滲ませぬ涼しげな顔である。

 およそ捕まったとは思えぬ緊張感の無さであった。

 

勝己「てめ……足だけは……早ぇ……クソが……」

 

捉把「そうだね、少なくとも勝己くんよりは。これから勉強会第二回戦を始めるにあたって、それでも私を追い詰めたんだから、ご褒美あげるよ」

 

 勝己がまたキレる前に、膝に手を付いて前傾姿勢の彼の汗ばんだ額に口付けをした。

 唖然として、暫くして顔が真っ赤になる。

 

勝己「テメェ……絶対ぇ他ではやんなよ」

 

捉把「え、駄目なの?私の母さんはよくやってたけど」

 

勝己「どうやら、テメェのクソみてぇな脳みそを一回ぶちまけてから、積め直さなくちゃなんねぇみてぇだなァ……!!」

 

捉把「???どうし――あ、やめて、それやめて」

 

 爆豪家に悲鳴が轟いた。

 

 

 

 

 

 




処女作です。
批判なども受け付けております、宜しくお願い致します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話「唐揚げ一つで許す」

連続投下!!


 

 教室で静かな時間を過ごす。

 初秋の風は未だ熱を帯びているが、外気の温度はそれを上回るため、一度吹き抜けば皆は涼風と言う。感覚を利した詐欺ではあるが、結局はそれが憩いである事を否定できず、猫耳の中学少女――空狩捉把は、顔には出さずとも心中悔しげに歯軋りした。

 

 受験本番まで残り四ヶ月に迫る中、未だ和やかな空気を見せるクラスの面々。雄英高校を志望する人間として、LHRにて進路に関する話題で質問攻めに遭ったが、今や皆が其々の旅路に向けての下準備を始めているため、捉把に集っていた人の環も消えている。

 捉把は基本的に寡黙であるが積極的な行動、高い学習能力によって好成績を維持していた。無論、三年初期から何者かによる掩護で確固たるものになっているとは、教師陣も未だ知らぬ事。

 人物像は才色兼備、容姿端麗の優等生と聞こえは良くも、クラスでは友人関係が疎かで孤立気味だった。爆豪勝己を弄びに行きたいが、彼曰く「校内で気安く絡むなクソが」らしく、自重している。

 しかし、孤独ではなかった。マイペースな性格が幸いし、話題に付いて行けずとも落胆する事は無く、寧ろ皆が話しているのを聞いているだけでも楽しかった。だが、やはり彼女も人の子であり、話し相手を求めるのは必然の理。

 

 弁当を手にした捉把は席を立ち、教室で静かに食事をしている友人の机に移動した。無言で彼女が動くと、男子生徒が機敏に察知するのは周知の事実。その一挙一動が注視の的となるのは仕方ない。

 この時ばかりは捉把も周囲を気にしたが、歩調を緩めずに目的の座席の前に椅子を拵えて座る。対面するように座ると、座席で何やら独り言を呟いている友人の頭頂に手刀を叩き込む。

 

「出久モード中断」

「あたっ!えっ、あ、空狩さん!?」

「そこはプリティキャットで良いんだよ」

 

 捉把の冗談に、友人――緑谷出久は朗らかに笑った。

 繁茂する樹林の如くもじゃもじゃと膨らんだ緑の髪に、円らな瞳とそばかすが特徴の少年。気弱で幼い頃から爆豪某による冷遇を受けているが、それでも日々憧憬するヒーローに向けて邁進する強い精神力の持ち主である。

 他人に気圧されて道を譲る性格、それでも時折凄まじく頑固で譲歩すら許さない一面があり、大抵が弱者を虐げる相手への義憤に任せ、行動に移す――云わば、根幹からヒーロー気質である存在。

 捉把の人生でも稀有な人柄で、優柔不断で困惑する様子に愛嬌を覚え、弟も同然に接している。

 しかし、最近は疲労の色が濃く見受けられ、目許の隈や顔色から鑑みても健康とは言い難い。授業中も密かに筋力トレーニングや居眠り、早朝から何処かへ出掛ける姿を何度か目撃(用事で偶然にもすれ違った)した。

 志望校のヒーロー科合格に向けた増強によって、着衣時は判らないが、その筋肉は成長している。それでも友人として捉把は、些か心配になってしまう姿であった。

 

「出久くん、無理は禁物だよ」

「……僕は、空狩さんやかっちゃんみたいに、凄い人になりたいんだ。それに、期待だってされてる、だから……」

「成りたいモノを目指すのは良いよ。でも、その為にも自分の体を考えて」

「でも……」

「頑張り屋さんの君に期待してくれる人は、きっと倒れる事を望んでない。私だってそうだから」

 

 捉把の言葉に口を噤み、出久は頭を下げた。

 

「ごめん……ありがとう、空狩さん」

「礼には及ばないよ。唐揚げ一つで許すから」

「あはは、矛盾してる……」

 

 捉把は箸で相手の弁当箱から唐揚げを取り、口許に運ぶ手を寸前で止めた。すると手元を翻し、怪訝に思って見つめる出久の口に突っ込む。強引に入れた所為で、白目を剥きそうになっていた。

 唖然とする彼に微笑んだ。男子生徒がカメラを起動させる寸前で、女子生徒による鉄拳を喰らって吹き飛ぶ。貴重な一枚は、いずれ量産され多くの人間が買い募る事となる未来しか無い。阻止した女子生徒に、他の全員が拍手している。

 そのクラス風景のなかで、呆然とする出久は瞬く間に赤面した。

 

「むぐっ!?んっ……ちょ、空狩しゃん!?」

 

 席を立った捉把は、出久の足下に屈むと、脚部や胴、腕や肩を服越しに撫でる。艶かしい動きに思わず生唾を呑んだのは男子だったが、出久ばかりは表情に異なる色を浮かべていた。

 捉把が神妙な顔である、珍しかった。黙って検査を受ける出久は、暫し黙り込んだ彼女の言葉を待つ。

 

「食事、何か具体的なメニューに従って生活してる?」

「え、あ、うん」

「見せて」

 

 出久は食事制限について、ある人から頂いたメニューを手渡す。内容を検めた捉把は、頭を横へ振る。

 

「これでは駄目。体に全然吸収されない」

「そうなの!?でも……」

「出久くんがそこまで言うなら、任された」

「何も依頼してないっ!?」

 

 彼女の真意が判らず、始終当惑する出久の前で、捉把は紙の裏にペンで何かを書き付ける。何度か虚空を睨んで、腕を組んで物思いに耽る仕草をしたり、修正を加えたりと手元は忙しい。黙視するクラスメイトの視線など空気の如き扱いであった。

 書き終えた捉把は、出久にそれを渡した。

 改善されたメニューは、およそこの場で即座に組み立てたとは到底思えぬ計画性に基づいて構成された物だった。これを目にして、彼も漸く悟った。

 筋肉の発達の程度、手触りで確めた硬さなどで疲労具合、日々見ている居眠りの時間帯や頻度や復調までの所要時間の平均、そして食事メニューから摂取される栄養等の諸情報を脳内で統計したのだ。

 この場で、それも出久の鍛練法を全て把握していないにも関わらず、この身体を考えた彼女なりの最適な解答を導き出した。

 

「……やっぱり、凄いよ空狩さんは」

「それで頑張って。もし良ければ、君のお母さんの手伝いもするよ」

「いや、充分だよ、本当にありがとう」

 

 微笑んだ出久、しかし――

 

「ところで――この『夜食のアイス』って何?」

「しっかり食べるんだぞ」

「もしかしてこのメニュー、アイスで完成されてる!?」

 

 修正しました。

 

 

 

***********

 

 

 

 

「これは――夢なの……?」

 

 

 緑谷引子は、玄関で出迎えた息子と、彼が伴って帰宅した人物に瞠目する。隣に立つ美麗な少女に、言葉を失っていた。予想通りの反応に、出久は含羞に顔を紅潮させて俯く。飄々と構えているのは捉把のみだった。

 未だ動揺の熱も冷めぬまま屋内へと案内する。挨拶をして入る捉把に、未だ信用できないといった面持ち。

 出久は断っていたが、立案者であり初日とあって効果の如何を確認したい捉把の言葉あって、今夜の食卓に参加する為に緑谷家を訪れた。

 引子は息子を引き寄せ、小声で話す。

 

「あんな可愛い子、一体どうしたの!?」

「クラスメイト、なんだけど……少し変わってて」

「知ってるわよ、あの勝己くんのお嫁さんでしょ?」

 

 商店街で有名となれば、主婦の間に伝聞が広まるのも必然である。将来有望な勝己と、彼を唯一制御しうる美少女との風聞であり、事実とはあまりに異なるとはいえ、外観としては誰にもそう映ってしまう。

 耳敏い捉把は翻身し、出久の腕に身を絡めた。もはや銃弾すら防がんばかりに硬直する出久と、膝から崩れ落ちそうになる引子。

 

「踏めば唸るだけが能の爆弾より、可愛くて気遣いが出来て優しい出久くんの方が好みです」

「え、えええええ!?」

「尤も、この子は私にとって可愛い弟です。恋愛対象として、あの地雷も出久くんも論外ですからご安心を。きっと息子さんは将来、良い恋人を連れて来ます」

「あ、そう……」

 

 やや悄然とする出久の隣で微笑む少女に、引子は戦いて引き攣った笑顔になった。

 

 それから夕飯の仕度を引子とした捉把は、夜のランニングから帰った出久に新メニューの食事を供する。「捉把ちゃんの手作りよ!」と息巻く引子を諫めた。

 いや、実際には引子の手腕のみ。

 捉把は指示しか出していない。

 出久は一口目から驚愕を味わわされる。以前のメニューとは違い、激しい運動後にも胃が受け付ける優しい献立だった。皿の上を眺めると、素人でも判る栄養が充分に備わった簡単に作れる物だった。

 滂沱の感涙を流し、けれども手を止めずに食する姿に捉把は満悦の相で頷く。引子の負担にならず、出久の体を可能な限り癒す食事――これを考案した己を自画自賛していた。

 皿を平らげた出久が篤く礼を言った。これは重畳、思い残しは無い。

 自分の分も完食した捉把は、片付けまで手伝った後に帰る事にした。引子の指示もあり、出久が途中まで見送りに出て行く。

 同じ中学校に通学する事情もあり、近所であるため、あまり意味が無いとも考えたが、気紛れに夜道に出久を伴って歩く。帰り際に引子と連絡先も交換し、交遊関係も築けたとあっていつも以上に上機嫌だったが、やはり表情が希薄で余人には読み取り難い。

 

「空狩さんは、受験に向けて何かしてる?」

「私……?」

「!あっ、愚問だったよね!君が何もしてないなんて――」

「やばい、何もしてない」

「――へぁ?」

 

 真面目な顔で夜空を見上げて呟いた捉把の言葉を疑った。出久は暫し放心してから、それでも残酷な現実に引き戻されて悲鳴を上げる。

 捉把とて、準備もせず受験に挑戦する積もりは無かった。勉強面は勝己という秘密兵器を十全に活かし、“個性”の鍛練も怠らず、日々精進していた……あの日が懐かしい。

 最近は勝己に「テメェなら、もう問題ねぇだろ」と勉強会を解散され、最近は趣味の散歩や読書に耽溺し、鍛練もあまりしなくなった。――そう、確実な怠惰である。

 己の醜態に蒼褪め、決然とした眼差しで出久に振り返った。

 

「出久くん、お願いがあるの」

「!?ぼぼ、僕に出来る事なならなら、な、何でも」

 

 出久の両手を自分のそれで包んで胸元に引き寄せた。

 

「私も君の鍛練、一緒にさせて欲しい」

「そ、それは駄目だっ!女の子にさせちゃ……」

「お願い、出久くん」

「ぐっ……ぅうッ……!空狩さん、一体どこでそんなスキル……お願いの仕方を教わったの?」

 

 捉把はきょとん、としてから答えた。

 

「母さん。友人へお礼やご褒美を上げる時は額にキス、あとなるべく声を震わせて上目遣いして頼めば、大概は処しきれるって」

「うううんぅぅ!!否めないのが凄い!!」

 

 一人悶絶する出久の回答を待った。

 無茶難題であるとは先刻承知であった。献立をより詰めようかと提案する際、運動に関する情報提供を求めたが、出久としては事情があるらしく断られてしまった。他人の私生活へ安易に踏み込むべきではないが、漸く察知した危機感と微かな好奇心に捉把は踏み出した。

 暫し考え込んだ出久は、携帯を徐に取り出して誰かと通話を始める。

 

 

 

 

 そして――。

 

「緑谷少年、空狩少女、準備は良いかい!?」

「はい、オールマイト!!」

「イエス、サー」

 

 廃棄物によって水平線を蔽われてしまった海浜公園の開拓作業。従前通りに重い物を運ぶ出久、ゴミの山が形成する地勢(フィールド)を利用して“個性”を鍛える捉把。

 冷蔵庫の上で監督を務めるオールマイトは、日によっては来ず、代わりにマネージャーの八木俊典が来る事がある。出久が訓練を受けている事に驚いたが、それが“平和の象徴”と呼び讃えられし英雄と知って、その驚愕は一入だった。

 何故に彼等が交流する事になったか、出久に訊ねてはいないが、捉把はこれが一線なのだと自戒した。流石にこれ以上は踏み込んではならない、そう感じたのである。

 何よりも、オールマイトの助言を貰える身とあっては、口止め料として充分すぎる代価だった。“平和の象徴”の薫陶を受けた彼は、いま誰よりも恵まれている。その実感は本人にもあり、焦燥を加速させる自身が生み出す圧力や不安材料になっている。

 それを危ぶむオールマイトの心中を察せぬほど、捉把は愚鈍ではなかった。

 

 休日とあって、海浜公園のゴミの上で食事を摂る三人。途中から八木俊典と交代し、オールマイトは仕事へ。筋骨隆々としたオールマイトと、長身痩躯の八木俊典の差異(ギャップ)が激しく、捉把は戸惑うこと頻りである。

 握り飯を片手に舟を漕ぐ出久を見て、八木俊典はコートを肩に掛けた。休憩中ならば睡眠も仕方無い、彼の努力は狂気じみていて、誰もが見ていて心配になる。

 

「出久くん」

「んぇ……?」

 

 だからこそ、鍛練を共にする捉把には、彼を支える役目を己にも課していた。

 出久の額に唇を軽く当てる。途端に顔を赤らめ、蒸気を立てん勢いで目を見開く反応に頷く。少年の慌ただしい様子に八木俊典も「おお」と感嘆の声を漏らした。

 興奮の熱も冷めぬ間に、捉把は出久の頭を引き寄せ、自分の膝の上に寝かせる。クロップドタンクトップのばかりに、胸部が見え隠れする角度であった。

 出久がさらに混乱するが、捉把は判らず、それでも微笑みを称えて膝の上の少年を見た。

 

「頑張ってるご褒美。これから宜しく、出久くん」

「は、はひぃ……!」

「空狩少女、やめてあげて」

 

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 

「だめ!頑張らないと、おじさんアイスは買わない!」

 

 鍛練で弱音を吐いてすり寄る捉把に、オールマイトは昂然と胸を張って突き放す。

 

吝嗇(ケチ)だね。“平和の象徴”は、目の前で苦しむ少女が居るのに助けないなんて」

「その言い方は卑怯だよ空狩少女」

「私のお腹の平和を、どうか」

「うん、駄目だめ!おじさんの意思は固いから!」

 

 倒れた出久に二人が駆け寄る。

 

「出久くん、大丈夫?」

「少し休もう、緑谷少年!!」

「オール……マイト……」

「なんだい!?」

 

 出久が苦しげに顔を上げた。

 

「空狩さんに……アイスを……」

「私の、“平和の象徴”は……ここにあった……!」

 

 出久が意識を失って再び地面に伏せた。

 無表情のまま、されど震えながら捉把は彼を抱き締め、腕の中に眠る“平和の象徴”を癒した。

 

「緑谷少年……君、毒され過ぎだよ、おじさん割りと君の将来が心配だよ」

 

 大人の憂いは積もる。

 

 

 

 




緑谷パートでした。
勝己はまた……後々やりますね。

次回も宜しくお願い致します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話「そうだ、焼肉にしよう」

受験当日に、オリジナル展開ぶっこみます。
シリアス展開、出久と勝己とも違う捉把の戦いと“個性”発動です!!


 吐息が白く煙る冬の日。

 遂に空狩捉把は念願の国立雄英高校受験当日を迎えた。清涼な空気で門を潜り、道行く受験生の波に押し潰されぬよう堂々と歩く。制服の上を猫耳帽子とマフラー、コートの防寒具で強固にし、体を温めている。

 試験内容は主に実技と筆記の二種に分かれる。

 本日は前者を行うに当たり、捉把の気迫は平生のものとは異質であった。夜食のアイスを食し、早朝にオールマイトから願掛けのアイスを追加で貰った以上、誰よりも加護を授かっている。

 “個性”については、オールマイトの的確な助言(解決法がたまに筋力解決な場合もあって信頼性は五分五分)を貰い、弱点の改善と成長を入念に行った。地勢や状況を想定し、その場合の対処法と利用できる応用も網羅した。

 同じ中学の仲間とも、今回ばかりは競争相手。普段親しくとも、結託は勿論、応援する余裕も無い。真に個々の実力が試されるのだから、出し惜しみする訳にはいかないのである。

 捉把は拳を握り締めた。

 

 この日に全身全霊を注力する所存であり、ライバルたる受験生の面差しは、さながら戦場に赴く兵の面相であった。今更ながらに、アイスのみで鼓舞された自身の剽軽な性格を恥じる。

 不意に目前に緑谷出久の後ろ姿を発見し、駆け寄ろうとした。

 

「俺の前を歩くんじゃねぇ、デク!!」

「私は良いの?」

「うっせ!!」

 

 音圧で背を打つように豪快な怒声を響かせる爆豪勝己に出久は肩を跳ねさせて飛び退く。険相のまま通過する幼馴染の背に何を想うか、円らな瞳を決意に光らせた様子に捉把は心中で応援した。辛く厳しい修練の時間を共有した仲だからこそ、誰よりも彼の努力を知っている。

 オールマイトが認めた男として、そして無個性を嘲られた人生に、試験に懸ける想いは誰よりも強い。確実に変わっている、ヒーローへの一歩を踏み出している。

 前とは違う!出久は決然と一歩前に踏み出し――た瞬間、足を縺れさせて前傾姿勢のまま地面に突っ込もうとする。捉把が慌てて“個性”を発動し、彼が地面と熱烈な接吻を交わす前に救出する積もりだったが、その体が空中で静止した事に驚いた。

 中空で足を振り、混乱する出久の隣には、同じ受験生の少女が立つ。

 全体的にふわふわとした茶の髪にやや丸みのある輪郭の顔、それが肥満体型ではなく彼女自身の雰囲気を和やかで麗らかなものにしていた。

 少女が何かを言って合掌すると、出久の体が地面に着いた。互いの健闘を祈りながら暇乞いを告げた少女を呆然と見送る出久に、捉把は共感してその肩を叩いて頷く。

 

「女の子と喋れた、良かったね」

「君も女の子だよ??」

 

 そんな二人の隣を、虚ろな目をした双子の少年が過ぎて行く。

 癖のある紫の短髪に、長身であった。本来ならば燃える火を連想させるであろう真紅の瞳は昏く翳っていた。

 捉把はそちらに顔を巡らせた。奇妙な感覚だった、何やら不気味な気配が背中を撫でる悪寒に出久の袖を握る。

 戸惑う出久もまた、彼から目を離さなかった。

 

 

**************

 

 

 

 プレゼントマイクの説明を受け、其々の試験会場に配置する受験生。形のみとはいえど、市街地を擁する演習場を幾つも所有するのは、広大な敷地面積を誇る雄英高校だからこそ可能な試験である。模擬市街地で仮想敵ロボットを撃破し、ポイントを稼ぐ単純明快な仕組みだが、その分力量が瞭然と判る。個体にも種類があり、それに依ってポイントも異なるのだ。なお、途中から妨害となる0ポイントの敵も乱入するとの忠告。

 意気込む者の団塊の中でも、寒風に震える事すら無く、タンクトップにハーフパンツにスニーカーという、如何にも武装というには心細い姿で捉把は立つ。

 外気に晒されたその肢体は、闘志が漲り寒気を跳ね返していた。今や戦闘体制の心構えに入った捉把の雰囲気は周囲を圧する。彼女を中心に円形に人の居ない空間が生まれていた。皆が避けているのだ、試験監督すらも息を呑む。

 薄紅の髪をポニーテールにし、準備が完了した。後は事前に受けた説明通り、殲滅する事を意図するのみ。他の受験生を妨害せず、ただロボットを潰せば良いのだから、彼女としては何の造作もない。

 ふと、捉把は集団の中に先程の少年の姿を見咎めた。体操着を着て門前に構えているが、やはり目に光は宿っておらず、蛻に見える。もう一人がいない。

 体調管理を怠ったのか、それとも当日に悲しき訃報を受けたか、どちらにせよ捉把には関係ない。

 しかし、それでも……彼が異様に思えて仕方がなかった。

 

 合図に備えていた全員は、号令の下に開かれた門へ一斉に募る。捉把も例に漏れず、市街地の中へと馳せた。遅れを取る訳にはいくまい、誰よりも殲滅数を稼ぎ、合格への切符を獲得する。

 ――そうでなくては……母が浮かばれない!

 街路を一人疾駆する捉把に、頭上よりビルの影から人よりやや大きな影が出現する。足を止め、耳を澄ませた捉把は、周囲の気配を探った。

 ――路地裏から騒がしい跫、全方位、数は……三〇!

 捉把が泰然とその場に構えると、予測通りに三〇体の敵が押し寄せた。退路は無い、相手は体格の大きさもあり行動速度には自分に劣るが、その分の攻撃力が高い。

 その場で地面を爪先で軽く叩く。

 すると、捉把を中心に半球状の薄く透明な膜が現れた。何の違和感も懐かず踏み込む敵は、膜に触れても害は無いと知って、進む足を更に加速させる。

 姿勢を低くして、敵を迎え撃つ。

 前後から挟撃を仕掛ける敵は、(アーム)を全力で振るった。しかし、後ろを確認せずとも音で先んじて感知していた少女が屈み、仲間で同士討ちとなった。

 高く跳躍し、空中で身を丸めた捉把が五指に力を込めると、爪が著しく伸びて長い鈎爪のようになった。敵が見上げる中、宙でその鋭利な武器を縦横無尽に振った。

 何もない虚空を斬る、その行為は何なのか、カメラで確認する試験監督も注視した。

 捉把が敵の一機の上に着地する。全勢力がそちらへ殺到し、今まさに攻撃を開始せんとする――寸前で、総てが停止した。

 

「――空間断裂」

 

 少女の声は死の宣告だった。

 告げられた時、半球状の領域に侵入した敵の殆どが爆発した。中には不発の個体もあり、部品は綺麗な断面が完成するように両断されている。

 少女は続く別の敵も破壊して行く。

 モニタールームで観戦する教師陣が歓声を上げた。その中でも、長身痩躯の男は不敵に笑っている。あの強力無比と称して相応しき“個性”では、あの敵では何の足留めにもならない。

 

 “個性”――発動型:『空間』。

 自分を中心に半径十五メートルの空間を支配する。内側に侵入、または元より実在していた物体でも、足を踏み換えたり、肩を動かすだけで空気振動が起き、その位置や体格、距離までもが捕捉される。空間把握能力の究極の一つの理想形である。

 なお、内部ならばどんな現象も起こせる反則級。

 先程のは、空間内に鋭利な爪で裂いた時に空気振動の刃を形成したのだ。対象が鋼鐵や金でも、尋常に防げる物体は無い。

 更に、あの高い身体能力もまた“個性”の一つ。

 “個性”――異形型:『獣性』。

 獣の如く鋭敏な感覚器官、身体能力を発揮する。夜目も利く上に、爪を伸ばして攻撃するなど多彩過ぎる。

 

 既に彼女の存在を嗅ぎ付けて来た個体も含め、五十体以上も撃破した捉把は、爪をしまって周囲を眺め回す。市街地の空に響く受験生の蛮声を遠くに、額に浮かぶ汗を手背で拭った。

 勝己ならばこんなものではない。出久も奮闘している筈だ、まだ立ち止まる時ではない、慢心などしない。捉把は極めて冷静に、そして厳しく己を律する。その精神自体が、彼女に隙が生まない理由である。

 駆け出す捉把は、負傷した受験生を攻撃するロボットを横合いから蹴りを叩き込んで退かす。その子を抱え、門の前まで運んだ。

 

「あ、ありがとう」

「うん」

 

 再び街路に躍り出た捉把を出迎えたのは、数の暴力であった。一斉に振り向いたロボットが急迫する。『空間』を展開しても捌けるか判らない。

 撤退を考えた捉把だったが、ロボットの郡の中心で憤然と破片が宙に飛散するのを目にした。雄叫びと共に、ロボットの破壊音が接近する。

 遂にロボットを押し退けて現れたのは、全身を硬化させた黒髪の少年である。快活な印象を受ける笑顔で拳を後ろ手に振るい、敵の一機を粉砕していた。

 

「大丈夫かっ?」

「うん、ありがとう。君も随分疲れているね」

「そうなんだけどよ、逆に敵が多いと滾る、男って感じだろ!?」

「そうだね、女の私には判らないね」

 

 少年と会話をしていると、違う方角の街路から悲鳴が響いた。二人で振り向いた先では、常に絶叫が聞こえる。耳の鋭い捉把に判別出来たのは、これが一人では無い、集団が何かに恐怖しているという事だけだ。

 

「向こうで何か起きてる」

「あの0P野郎の仕業じゃねぇのか?」

「そうだとしても、やる事は決まってる」

「お前……男だな!」

「失礼だね、私は女だよ。出久を見習って欲しい」

 

 悪態をついて、少年と共に件の場所へ。

 然して離れていない事から、現場と思しき地点には大した時間を要さずに到着した。土煙が周囲に立ち込めて、視界が塞がれている。

 塵が目に入らぬよう注意していた捉把は、ふと鼻先に漂った悪臭に顔を押さえて踞る。少年が直ぐに駆け寄り、状態を確かめた。

 

「ど、どうしたっ!?」

「君……臭わない?」

「何がだよ、俺には判んねぇ――」

 

 少年も間もなく、口を閉ざした。

 晴れて行く土煙の下に、手足を切断された受験生達が倒れている。中には出血量が尋常ではない者、頭を真一文字に断たれた骸まであった。

 少年の顔から血の気が引いていく。捉把でさえ、心臓が凍りそうになった。喩え超難関高校であっても、それは疑似的な戦闘――ただの試験、その筈だった。

 捉把は煙の先に、一人立っているのを発見した。

 少年は生存者がいないか、半ば涙目になって叫んでいる。人影が声に反応して近付く、ゆっくりと歩くその姿から鋭い何かが生えていた。まずい、何か、何か嫌な予感がする。少年は気付いていない、これは、まさか。

 

「少年!全身を硬化して!」

「あ?」

 

 人影が消えた。

 その瞬間、少年の居た方向で金属音が鳴り響く。捉把が振り向くと、そこに肘から生えて湾曲した銀色の刃を持つ人物である。少年は辛うじて硬化に間に合ったのか、負傷は見られないものの、刃を防いだ際の衝撃で捉把の隣へと転がった。

 恐怖に凍り付く捉把だったが、目前の敵、いや受験生に既視感があった。

 あれは、試験前に見た双子の片割れである。まさか彼が、よもやこの惨状を作り出したのか!

 呆然とする捉把に、少年が問いかける。

 

「おい、コイツは何なんだよ!?」

「受験生の一人だよ、試験前に見た。でも何で……判らない、誰かに操作されてるのかもしれない!」

「やべぇぞ、結構速かったぞ!」

「少年、私を少しの間守って!」

 

 捉把は深呼吸をしてから上空に向けて大声を発した。肘の刀を軽く振って、此方に向けて謎の受験生が疾走する。救助を求めるならば、その前に潰すと考えてだろう。

 だが、それはただの悲鳴ではない。個性『獣性』により、狼の遠吠えを再現した。寒空に谺し、模擬市街地全域に伝播していく。無論、それは門で待機している試験監督にもである。

 無防備に曝された捉把の喉元に肘刀を一閃したが、十字に組んだ少年の硬化した腕が受け止めた。両者の間で火花が散る。鍔迫りの様に押し合って、謎の受験生が退いた。

 

「ごめん、助かった」

「これで助けが来るかもな」

「うん」

「これは不祥事だ、受験生は大人しくしてなくちゃならねぇ」

「うん」

「判ってる、判ってるさ」

「うん」

「……だけどよ――」

 

 周囲を見渡し、少年が悲壮な笑顔を浮かべた。

 

「こんなに人が殺されてんのに、黙って退くのがヒーローかよ?男としても、それは出来ねぇ」

「全く以て同感だね、女だけど」

「時間稼ぐ、でもお前は」

「私も戦うよ」

 

 捉把も両腕を掲げて構える。

 唖然とする少年だったが、少しして笑っていた。死体が転がる道路の中央で、二人は獰猛な笑顔で凶悪な敵を前に立ち塞がる。ここで野放しにすれば、別の受験生も同じ被害に遭うだろう。それを看過できない、二人はヒーローとして立つ勇気で自分を前に奮い立たせる。

 

「見た目に反して、根性あんな!気に入ったぜ、俺は切島鋭児郎!!」

「私は空狩捉把だよ」

 

 前を見据えた少年――切島鋭児郎と共に跳躍の準備に入る。

 

「切島くん、試験が終わり次第、一緒に食事しよう」

「おうよ」

「そうだ、焼肉にしよう。苛々した時は、人間肉を食うのが一番だしね」

「……あぁ、そうだよな」

 

 謎の受験生が咆哮を上げ、再び飛び出した。

 

「成敗してやる、悪党」

 

 

 

 

 




オリ主の“個性”紹介です。





 ~空狩捉把:個性『空間』~

 自身を中心として、半径十五メートルの範囲に半球状の“領域”を展開する。内部に存在する物が動作を起こせば、僅かな空気振動で“領域”の基部である自分に位置や大きさ、距離が伝達される。
 また、その空間内部ならば様々な現象を自在に操れる。但し、“領域”で感知する数が多いほど負担が大きくなる。

 ~空狩捉把:個性『獣性』~

 獣としての感覚器官などを持ち、常に五感が常人よりも優れている。様々な動物の生態などを再現可能な反面、エネルギー消費が激しいため濫用は危険である。






次回も宜しくお願い致します。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話「ポテチを買ってあげよう」

午後の部、開始!
切島と捉把、熱々の共闘です!


 

 国立雄英高校入試試験にて殺人事件発生。

 突如として錯乱した受験生による無差別な殺傷は、後の計算によれば、模擬市街地演習場Ωにいた受験生の五割を、犠牲者として名簿に連ねる結果となった惨事。

 門から約十分の位置にては、特にその凶行は苛烈さを増し、そこに死臭の立ち込める地獄と化した。監督は未だ把握しておらず、遠くより聞こえる悲鳴も破壊の轟音で遮られて判らずにいた。

 上空を飛翔する小型カメラ――雄英教師陣が監視を行う場所に接続しており、撮した光景はモニターへ送信される。教師陣すらも愕然として、演習場Ωの惨状を目の当たりにしたのだった。

 受験生が血肉を貪るかの如く人を殺害する姿、そして、また阻止せんと行動を開始したのも、現場に居合わせた受験生である。凶悪な犯行を及んだ少年は、精神状態は語るべくもなく異常、“個性”も強力とあってプロが対象すべき敵であった。

 しかし、二人は敢然と立ち塞がって構える。怯えこそ見えるが、勇敢に相手から一歩も退かない。称賛に価する行為であるのに変わり無いが、危険であるのもまた当然。

 教師陣の環から、一人の男――イレイザーヘッドと世に呼ばれるヒーローの相澤が動き出した。少年の様に異形型の“個性”は、彼の苦手とする分野ではあるものの、鎮圧の能力ならば問題無い。

 廊下を走りながら、現場の試験監督に連絡を取り、至急救援へ向かう旨を伝えた。受験生同士の戦闘行為、それも片方は仮想敵ロボット以上に強い、二人を危殆に晒す訳にはいかない。

 相澤の足でも、会場までは二十分要する。その間に監督が制圧を遂行しているのは自明だが、果たして子供相手とあって躊躇う事も考えうる。

 嘆息して、市街地を目指した。

 

 一方で、雄英高校とは別の土地で会場を観る男が居た。深く椅子に腰掛けながら、画面に映った戦況を見詰める。口許は愉悦に微かに綻び、暗室の中にて一人で笑っていた。

 

「試運転の予定だったけど、良い物が見られたね。空狩捉把くん、か。――面白い」

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

 演習場Ωの戦闘は激化していた。

 鳴り響く金属の衝突音は間断無く市街地を伝う。もはや受験生が退却したとあって、周囲は閑散としているからこそ、音の反響がいつもより大きかった。

 燃える瓦礫の中で、三つの影が乱舞する。音源はここにあり、義憤と狂気が目まぐるしく交錯していた。

 謎の受験生は、両腕の臂から突出させた刃を振るう。形状や現出した部位が臂とあって、格闘術で拳足が放たれると、遅れて凶刃が相手を狙う形となる。ただの拳撃でも、躱したと油断していれば振り抜いた後の刃に狙い撃たれる。

 交戦する捉把と切島は、凶刃の雨を掻い潜り、その間合いに踏み込む戦法を敢行していた。主に金属音は攻撃を防ぐ切島であり、強固な楯として相棒の捉把を庇い、幾度も吹き飛ばされていた。

 “個性”もそうだが、謎の受験生の膂力は凄まじい。空振りした拳で鉄骨入りの支柱を粉砕する銃弾以上の破壊力。刃は防げても、拳骨を喰らう事までは避ける。直撃すれば死は免れても、意識を刈り取られてしまう。

 喉元に閃いた剣閃、切島の硬い皮膚に阻まれた。冷や汗を掻いた、全身硬化が無ければどうなっていた事か。想像するほど総身を恐怖で染め上げる、だが次の瞬間に振り抜いた腕の力で首を加圧され、衝撃で後方へと吹き飛んだ。

 

「っぉお!?」

 

 建物の壁に激突する。

 切島は喉元の衝撃で呼吸を遮られ、僅かに緩んだ硬化の間に背を打ち付けた痛みを感じる。相手が同じ受験生である、同じヒーローを志す仲間であるという認識が、どこか彼を束縛していた。喩え相手が常人離れした怪物だったとしても、拭い切れない気持ちに悔しくなる。

 しかし、捉把は冷徹にも戦闘行為で相手を傷付けるのに何ら逡巡すら見せない。相手の高速の刃閃にも、持ち前の俊敏な体術で応じる。切島の様に強靭な肉体強化の能力が無い以上、相手の兇手へ回避に徹するのは必定。

 謎の受験生が右臂を振り抜いて攻撃する。

 捉把は身を低く対し、相手の拳を掻い潜って内懐に侵入すると、至近距離にて両手の鋭い猫爪で切り裂く。傷は浅くなるよう力を抑えたが、その加減では相手は止まらない。続いて、左拳が捉把を狙う。

 謎の受験生を挟んで向こうに切島が近距離に居る以上、『空間』による攻撃が容易に発動できない。空間を固定化する事で相手の動きの一切を封じられるが、“個性”の維持も辛く、いつまでも抑えられないのだ。加えて、その隙に攻撃をしようと動いても、空間固定の所為でそれすら届かない。こちらとしても手が出せなくなるのだ。

 捉把の“個性”は単騎だからこそ真価を発揮する。故に、共同戦線を張った切島の存在が、意図せず捉把の能力を封殺していた。

 それでも足枷にはならない。

 建物の壁を蹴り、戦線に復帰した切島は、謎の受験生が握り込んだ拳打に合わせて、硬化した己のそれを激突させる。相殺とまでは行かず、再び殴り飛ばされるのを踏み堪えて、両腕で手首を摑んで抑え込んだ。

 その間に、捉把は逆立ちの要領で地面に手を付き、空へ振り上げた爪先で謎の受験生の顎を打ち抜く。骨を噛み砕く剛力ではなく、鋭く急所を叩く繊細な技であった。

 脳震盪を起こして少し踏鞴を踏んだところに、腹部へと切島が渾身の右拳を打ち込んだ。人に使うには躊躇っていたが、相手の行動を鎮めるには強烈な一撃が必要である。切島から受けた痛撃に、謎の受験生は地面を転げて倒れる。

 捉把は立ち上がると、親しみを込めて切島の肩を軽く叩いた。奇妙な友情でも芽生えた感覚に、彼もまた破顔する。それでも内心では驚嘆と、一種の憧憬すら懐いていた。

 卓越した戦闘技術、冷静な判断力。どれも一般中学生の技量を超えている。この不思議な存在に、切島は敬意を以て接した。

 倒れる謎の受験生、人間ならば既に失神している。切島自身の拳は強い威力を有していたのだから、確信を持っても良い。だが、それでも彼の愁眉は開かれない。

 機敏に表情を察した捉把が訊ねる。

 

「切島くん、手応えは?」

「……クッションを殴ってる感覚だぜ。威力を吸収されてるっつーか……」

「私と同じで複合型の“個性”?」

 

 二人の眼前で、沈黙していた謎の受験生の体が跳ね起きる。胸の傷が蒸気を上げてみるみる治癒して行き、虚ろな瞳が前方を向いた。臂刃がより長く太くなり、服を内側から膨張した筋肉が引き裂く。

 慄然とする二人の前で、獣の咆哮が上がった。体躯は二倍にまで大きくなり、容貌魁偉な怪物が大きな跫を立てて躙り寄る。あたかも、死が権化した姿だった。

 負傷を即時回復させる『再生』、臂には相手を殺傷する『刃』、如何なる打撃をも無に帰す『衝撃吸収』。二人が短時間の戦闘で得た情報でも、既に相手は三つ以上の“個性”を有していた。異質だ、明らかに人間とは異なる何かである。それこそ、本物の――化け物だ。

 少し身を屈めた怪物の動作に、捉把が振り下ろした踵で地面を蹴り、即座に“領域”を生み出す。身構えた切島の手首を摑んで、攻撃に備えた。

 

「飛ぶよ」

 

 捉把が合図すると、怪物が跳躍した。地面が盛大に爆ぜて、瓦礫が四方八方へと飛散する。少年少女に向けて、肥大化した拳骨を高らかに叩き落とす。道路には久茂の巣状に罅が入り、地面が不規則に隆起する。

 手元を確かめて地面から腕を引き抜くが、そこに肉塊や血の痕は見受けられない。首を傾げて困惑する。

 数瞬遅れて、捉把と切島は怪物の後方に出現した。切島は戦々恐々、感嘆と恐怖が綯い混ぜとなった複雑な笑顔。展開した『空間』で、怪物の過去位置にある空気と自分達の立ち位置を置換したのである。

 跳躍の予備動作を見抜かなければ、今頃は圧殺されていた。捉把は死の未来を予測して、自身の思考に委縮すらせず、瞬時に回避行動を開始した。その判断が僅かでも遅れていたなら、予想通りの結末を迎えていたであろう。

 窮地は免れた――いや、まだだ。

 攻撃を躱したとはいえ、敵は視認の難しい速度で動く。単純な火力では通用しない、空間断裂で四肢を斬り落としたとて再生されるし、先述の固定化では限界がある。劣勢を覆すだけの策が、現状では見当たらなかった。

 足許を睨み、背を向けていた怪物の姿が残像を残して消える。先程よりも明らかに早い!『加速』の“個性”も持ち得ているのか。

 完全に反応が遅れた捉把が諦観し、悔しげに目を閉じる。折角、ヒーローへの一歩を刻む為に雄英高校を受験したのに。

 

 炸裂する轟音。

 周囲に竜巻を生まんばかりの威力が大地を震動させる。捉把の体が強張り、踞った。……だが、いつまで経っても意識が消える事は無い。瞼の裏を、死の闇が包み込んで永久の眠りに誘う感覚すらなかった。

 恐る恐る目を開けた捉把は、前景に驚愕して言葉を失う。

 振り下ろされた怪物の右腕を、正面から交差させた両腕で受け、踏み耐えた切島の勇姿があった。全身を硬化させた彼だったが、鋼の如し身体強度でも封殺し遂せなかった威力で、眦から血涙を流し、強く食い縛った齦からも血が滲む。

 彼の片腕が脱臼で力無く垂れ下がった。

 捉把は前に踏み込み、切島の肩から身を乗り出し、後手を突き出す。強力な空気震動を発生させ、怪物を突き放す。

 だが、それでも踏み堪えた怪物が再度突撃を開始する――が、体が動かなかった。関節を少しも曲げられない、それどころか、次第に全身が胸部を中心に圧迫され、折り畳まれて行く。

 目の前では、捉把が虚空に伸ばした手を握り締めようとしている。その挙措に合わせ、怪物は次第に球状の肉体へと変貌し、無理矢理畳まれた肉体から血飛沫が上がる。捉把の鋭い殺意の瞳に射竦められ、本当に球状の肉塊になった。

 

「空間圧縮」

 

 完全に捉把が手を握り締めた時、中空に夥しい流血で直下の地面を濡らす塊が完成した。もはや手加減無し、救出は不可能と断じての抹殺である。

 捉把は指を拡げて解放する。肉塊は地面を転がり、それを切島が戦慄して眺めていた。敵の成れの果て、仲間を傷付けられた彼女の敵意に触れた故の凄惨な末路である。

 哀れな最期、つい先刻まで人の形を留めていた物から目を逸らした。その隣で、顔色の悪い捉把が瞼を閉じて倒れる。寸前で片腕を伸ばして抱き止めた切島の胸で、彼女は息絶え絶えとなっていた。

 

「おいっ、しっかりしろ!」

「敵……は?切島くんは、無事?」

「おう、ピンピンしてるぜ。アイツは倒れた、ヒーローとしちゃどうだか判んねぇけど……それでも――」

 

 骨の鳴る音に、切島の口が止まる。

 そちらに振り向いた彼は、その相貌を隅まで恐懼に歪めた。人の貌を取り戻して行く肉の弾、血塗れのまま静かに四肢を生やしていく様は正真正銘の怪物。あれを人だと思っていた己の認識が甘いと自覚した。

 捉把さえもが唖然としている。空間圧縮で肉体を強制的に収縮されれば、如何なる生物でも生命機能を果たせずに絶命する。だが、その死の理からも逸脱した怪物に、為す術無しだと今度こそ項垂れた。

 怪物が復活の咆哮。

 絶望に打ち拉がれた二人へ、悠揚と歩み寄る。獲物を捉えた目が細められる。

 

「畜生……空狩、お前だけでも“個性”で回避しろ!」

「無理……反動で、今使えない」

 

 もう逃げられない。

 怪物が両手を組んだ腕を高らかに振り上げた。空から下ろされる裁きの鉄槌、切島は傷付いた体に鞭を打って、捉把を庇う様に腕を拡げて立つ。それも意味は無い、二人もろとも粗挽きの肉へと変容するのみである。

 怪物が筋肉を力ませ、全身の力で腕を振り下ろす。

 

 ――が、その動きが直撃寸前で停止した。

 

 困惑する切島と捉把の前で、怪物が静かに地面に倒れた。憮然とする二人だったが、座りながら後退りして距離を置く。

 

「し、死んだ?」

「流石の再生力も、限度があったんだ……」

 

 その時、怪物の横臥する地面が黒い泥に変化した。死体はゆっくりと沈んで行き、息を呑んで硬直した二人の前から忽然と姿を消す。

 二人は安堵のため息をついて、地面に仰臥した。同時に、会場内には試験終了の号令が告げられる。その途端に顔を蒼白にさせて、二人は青空にも勝る顔色で引き攣った笑顔を浮かべた。

 

「忘れてたぜ……試験を」

「うっ……やばい、勝己くんに怒られる」

 

 暫く不安に空を仰いでいた二人だったが、切島が呵々と大笑する。

 

「生きてるぜ俺たち」

「犠牲者は……どうにもならないけれど」

「それでも、やれる事は充分やったぞ、ヒーローとして」

「うん」

 

 漸く反動から僅かに立ち直り、上体だけを起こす。まだ足は動かない。

 

「切島くん、焼肉行くよ」

「せめて試験終了後にしてくれよ?まだ筆記とかあるしよ、いつつ……利き腕やっちったぜ」

「この功績に、帰りは自分にポテチ買ってあげよう。あ、切島くんにもご褒美あげるよ」

「あ?何それ」

 

 捉把は這う這うの体で寄り、切島の額に口付けした。

 

「……お前、これやらない方が良いぞ」

「何か勝己くんにも言われた。凄い怒っていた」

「そいつ、まさか……可哀想でならねぇ」

 

 数分後の救助が来るまで、二人は暫し談笑した。

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

「あ、勝己くん」

 

 医務室で、小柄な白衣の老婆――ヒーロー・リカバリーガールの治癒を受けた捉把は、迎えに来た勝己に手を挙げて挨拶した。怪我人を心配して迎えに来てくれる、意外と優しい一面もあるのだと感じて、直ぐに後悔した。

 既に爆発寸前の勝己が、青筋を浮かべた凶相で接近する。捉把は仕方無く、体が痛む演技策を講じる。立ち止まった彼が、今度は冷や汗を浮かべ、怒声を撒き散らしながら捉把の肩を抱いた。

 

「おいテメェ……クソ女の癖に無茶すんな!!」

「勝己くん、おんぶ」

 

 舌打ちと共に背を向けて屈む勝己。

 自分を本当に気遣ってくれてるのだと考えて嬉しくなるのと同時に、悪戯心が芽生えた。

 捉把は彼の背中を踏み台にして跳躍し、医務室の扉前に着地する。扉を開けて廊下に半身乗り出したまま、隙間から顔を出して呆然とする勝己を嗤う。

 

「甘いのだよ、少年」

「ッッ……もう容赦しねぇ、ミンチにしてやらぁ!!」

「静かにせい!」

 

 勝己がリカバリーガールにサンダルで叩かれるよりも先に、捉把は医務室を後にした。

 

 

 

 




どんどん更新します!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話「〆の一杯にコーラだね」


五話です!平和です!


 

 

 試験日の事件は大々的に取り挙げられた。

 鉄壁の警備体制を敷いていた筈の雄英高校に、敵と思われる侵入者の手で、数々の犠牲者が出た。侵入者の戸籍、家族関係などを調査したところ、明らかに捏造されたものである事が判明した。

 現場で生存した二名は黙秘を強制され、マスコミによる質問の猛撃を受けるとなっても、何も語る事はしなかった。世間の注視を浴びるとなっても、雄英高校は受験者に対して、合格通知書の遅送や延長などはせず、従前通りの期日に発送した。

 

 現場に駆け付けた相澤は、手元の書類に目を通している中、一人の受験者の情報に目を留める。今試験でも特筆すべき、異質にして最優の成績を記録した少女。筆記と実技は問題なく通過し、面接に於ける人格も、些か問題はあったが、事件遭遇の影響であると処理され、正常と判断された。見た目に反し、他人を救出する正義感がある。

 しかし、前述の“問題”――それは偏に、混在する冷徹な側面にあった。判断力、行動力、戦闘力、作戦立案は高性能、過去でも将来を属望された生徒となるし、合格する事は間違いない。それでも、人を救いたいと願う裏で、状況に応じて容易く不要な他人を切り捨てる、敵を滅するのにも躊躇が無い。

 一見して、一つの感情に己を統御する機能が失われ、危険な兵器にもなりかねない。ヒーローと(ヴィラン)の要素が混在した異質な存在である。推薦入学を果たす生徒よりも有能で、誰よりも危険性を垣間見せる。

 相澤は頭痛を覚えて、髪の毛を掻き毟った。何かあれば、自分が制御してやらねばならない。いずれは己を強く律する成長を見せるまでは。

 

 

 

*************

 

 

 

 合格通知の内容を確認した捉把は、机上にそれを擲ってからベッドの上に四肢を投げ出す。総合成績二位という良好な結果だった。忌まわしくも首位は爆豪勝己に奪われたが、自分は事件の真っ只中であったため、仕方無いと慰める。寧ろ、自分の事よりも切島鋭児郎の結果を喜んだ。

 筆記を除外すれば好成績。いっそ巻き込んでしまった罪悪感があったが、正義感の人一倍強い彼ならば、その遭遇は必至。それでも、実技では三位を確保するのだから相当に優秀な人物。連絡先も交換し、今では勝己よりも仲が良く、試験終了後には互いの合格を祝す際に焼肉を約束した。

 熱血という一語の相応しい切島と、冷淡な印象のある捉把では対照的だが、危地を共に脱した事の築いた友情は何よりも固く、信頼も出来る。ゆくゆくは同じクラスで励みたいとさえ願っていた。

 

 夕飯前に約束を果たすべく、予約した焼肉店へ向かう。独り暮らしとあって、無論食事を拵えるのは自分である。今晩は焼肉、決定事項であった。

 ふと出久の結果が気になったが、本人の告白があるまで待機する他無い。詰問して不合格の言葉を聞けば、数ヶ月の誼とあって、その後悔や無念まで伝わって来てしまう。まだ分かち合うべき時ではないのだ。

 切島との焼肉に向かう道の途上で、スーパーの出口から現れた勝己と遭遇した。彼が気付いて捉把の方へ闊歩し、昂然と目の前に立ち塞がる。見慣れた仏頂面に会釈して躱そうとしたが、再び進路を妨害する様に立つ。

 捉把は嘆息した。身長の高い彼に阻害されては、“個性”を行使する以外の手段では通れない。

 

「勝己くん、どうしたの?」

「てめぇ、結果教えろっつったろ」

「(初耳だよ)」

 

 合格と口にせず、ピースサインだけ示せば、それで察して勝己は舌打ちした。捉把は訊ねた理由について質問すれば、恐らく罵倒混じりに面倒臭く答えるだろうと予測する。件の焼肉店との距離、集合時間と現時刻を勘案し、勝己に拘っている場合ではないと悟って、再び進行方向を変えた。

 無言でまた妨害する勝己。

 捉把は物珍しく静かな彼に違和感を懐く。先日の敵と同じで、まさか知り合いに擬装したのか。瞳を見れば光はある、不機嫌な面の歪め方は平時の勝己そのもの。精巧な作りなのかもしれない。

 勝己が両手の袋を捉把の面前に突き出す。中身を適当に検めた捉把は、概ね夕飯の材料なのだと推測したが、だからといって自分を引き留める理由までは判らず、眉根を寄せて見上げた。

 

「俺んちで鍋だ」

「そうなんだ。私はこれから焼肉を予定」

「はぁ?……一人でか」

「友達と」

「てめぇに居ねぇだろうが、ンなの」

「実技三位の子だよ」

「んなモブ知らねぇんだよッ!」

 

 遂にキレた勝己に驚きつつ、暫く考えてから捉把は首を傾げる。鈍い捉把に対し、苛立たしく彼はその場で貧乏揺すりをしていた。傍から見れば、目付きの悪さと相俟って非常に威嚇的である。

 平然と正対する少女の顔に変化は無い。

 

「合格祝いしてくれるの?」

「クソババアがてめぇを誘えってうるせぇんだよ」

「申し訳無いけど先約だから。光己さんに伝えて」

 

 再び方向転換。

 今度は阻害されず、勝己の隣を通過した。その場に一人立ち尽くす彼の背中を肩越しに見て、不意に己の失念を想起した捉把は、慌てて彼の方に駆け寄る。

 何事かと振り向いた勝己の両頬を手で挟み、引き付けて額に口付けをした。商店街の人通りが、一斉に二人を見た。以前から知っていた者は、遂に結ばれたかと黄色い歓声を上げる。一方で、密かに彼女を想い慕っていた男連中は、悔恨に己の膝を叩いて絶叫する。

 騒々しい喧騒の中、勝己の耳には少女の声だけが聞こえる。それ以外の音がすべて取り払われたように。

 

「勝己くん。合格、おめでとう」

「……っせぇよ」

 

 小声で返す彼に手を振った。

 猫耳帽子を深く被り、コートの襟に顎を埋める。道の先々で皆に祝われるが、捉把には何事か判らない。全員に会釈しつつ、早々に商店街を立ち去り、電車に乗って目的の駅まで行く。尻尾を抱くようにして、座席の端の方に座を占める。

 異形型専用車両が存在するが、捉把はそちらには乗車しない。理由としては、彼等は体質上で一人で広い空間を占有する場合が多い。故に、団塊となれば人数が少なかれど、満員電車に似た状態となる。

 基本的に異形型でも体格が小さく、本来の人間の貌に近い捉把は、こちらを常に利用していた。猫耳は防止で匿せば良いし、猫の尻尾は抱え込んでしまえば場所を取らない。中学二年辺りから電車で痴漢行為を受ける事があってか、空席や広い空間を優先的に狙う。

 まだあどけなさが残る中学生だが、捉把の容貌は少し大人びた空気を醸す。感情の起伏が無い表情、白い肌が冬の新雪を思わせる一方で、薄紅の毛髪や双眸は情熱的に映える。そんな美少女を見て、興味を惹かれ卑劣な行動に及ぶ者がいた。だからこそ、護身には何よりも気を配っている。

 不意に、目の前の吊革を摑んでいる人物に視線が留まった。

 左右で紅白に分かれた頭髪、端麗な面貌は左に火傷の痕が残る少年。質素であるかに思えたが、ジャケットの下のシャツは、胸部に『ローン』とロゴの入った奇抜な服装。非常に残念なセンスに関しても、捉把は瞬きを数回するだけで目を伏せた。

 

「お前、この前に雄英のインタビュー受けてたろ」

 

 唐突に呼び掛けられて顔を上げると、先程の少年が見下ろしていた。捉把は自分を指差して確認すると、彼は首肯する。誰かと積極的に会話を求める気質では無い外見だが、少し好奇心に身を委ねて応じた。

 

「うん」

「合格は、したのか?」

「うん、総合二位だった」

「そうか」

 

 あとは興味が失せたのか、少年は黙り込む。

 

「もしかして、貴方も受験した?」

「ああ。……推薦だ」

「そう、じゃあ来年から宜しく。私は空狩捉把」

「……轟焦凍」

 

 目的の駅に到着し、捉把は尻尾を放す。前にいた少年――轟焦凍の頭に手を伸ばして撫でた。訝る彼に対し、少し儚げに微笑んだ。

 

「無理、しなくて良いんだよ」

「!?」

 

 瞠目する轟の両肩を叩き、捉把は降車した。

 振り向けば、車窓から愕然とした少年の相貌が筒抜けとなっている。軽く手を振ってから、改札口への階段を駆け降りる。発車も待たずに去った彼女に驚かされ、轟は表情の乏しい顔を硬直させたまま、今は無き後ろ姿を追って窓を凝視していた。

 

 改札を出て暫し、駅の地下に広がる街の中を散策すると、件の焼肉店を発見した。捉把は腕時計を確かめると、約束の時間丁度である。勝己との会話も僅かであったとはいえ、如何に自身がぎりぎりで外出していたかを痛感した。

 切島らしき者の姿は認められない。彼が遅刻かと思って、壁に背を預けてスマホを眺める。暇な時間を英単語帳や参考書で潰す身分ではなくなったため、安穏とした暇潰しが懐かしく感じた。

 捉把の前に赤髪の少年が立った。

 不意に振り仰いだ時、捉把はその人相に既視感があった。思いを巡らせ、正体を探る。――切島か。

 

「よっ」

「うん、何で髪?」

「へへっ、憧れのヒーローが居てな、そのイメージカラーに合わせて。それと……あんな状況下で、一番冷静に戦ってたお前よりも、もっと強くなるって願掛けだ」

「薄紅を濃くした紅、ね。悪くないよ」

「単純だって嗤うとこだろ」

「単純だけれど、切島くんの場合は嘲るべきじゃない、称賛すべきなんだよ。だから、嗤わない」

 

 捉把はスマホをコートの懐中に仕舞い、帽子を取って挨拶をする。切島も照れ臭そうに笑って応えた。

 

「ッしゃあ!先ずは食うぞ、めちゃ食うぞ!!」

「お金は大丈夫?」

「任せろ、結構あるんだぜ。お前は?」

「私はこれがあるから」

 

 黒い財布を取り出す。

 

「何だ、結構入ってるのか」

「勿論だとも。近所の友人と少し話して、その時に拝借したんだ」

 

 直情に投げ、回転する財布を摑み取る。

 額にキスをした際、密かに勝己の懐から盗み出した物である。無論、今頃気付いて怒り心頭であろう。冷静でなくとも、何者によって奪われたかは解る筈だ。

 鮮やかな手捌きに見惚れる切島だったが、眉を顰めた。ヒーロー科を受験した人間が、他人から窃盗をして来ている、それも死地を共に潜り抜けた友人である。

 

「お前、本当にヒーロー志望か!?でも平然とやって堂々としてる所が、男!って感じだな!」

「私は女の子だよ、失礼だね」

「一番失礼なのお前だろ!?」

 

 案内を受けて二人で入店した。

 個室がそれぞれ設けられ、座敷の様式となっており、個人的な話題を話すには何ら問題が無さそうであった。

 食事を始めてから、二人の時間は有意義だった。流石は雄英合格者なのか、始終ヒーローの話題である。先日の戦闘から互いの欠点などを炙り出し、改善点や補う為の策を考察した。始動(スタートダッシュ)で周囲と差を付ける――そうではなく、より理想のヒーローに近付く為に二人の思考は働いている。

 一頻り食事と会話を終えて、満腹状態で転がる二人。明日のスタートダッシュが遅くなるのは明確だが、先日から胸に蟠っていた煩悶は、肉と共に自然消化されてしまった。

 

「切島くん、やるよ」

「ああ、宜しくな!!」

 

 これからは雄英高校の生徒である。

 微かな高揚に、捉把は小さく笑んだ。

 

「さて……〆の一杯にコーラだね」

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

「オ゛ールマイド!!空狩ざん!!」

「誰それ!!」

「八木さんでしょ?」

 

 夜の海浜公園に呼び出された両名は、今は隣で吐血する八木俊典に呼び出されていた。合格祝いの挨拶かと思ったが、出久に熱心に語り聞かせる八木の傍では、いつ会話が終わるのかと星空を望洋と眺める捉把。

 振り向いた八木は、捉把の肩を摑んだ。

 

「空狩少女、良い成績だった!……らしいね」

「はい、頑張りました」

「これからは様々なライバルが――」

「う……吐きそう」

「君と競い合い、そして高め――」

「だ、大丈夫かい空狩さん!?」

「より己の中にあるヒーロー像に――」

「焼肉食べ過ぎた……」

「――ぃぃいん!人の話聞いて、おじさんガラスハートなの!」

 

 捉把は立ち上がって、正面から八木を見る。

 

「言いたい事は判りますから」

「……そうか、励みたまえ、此所が君のヒーローアカデミアだ!」

「それより、オールマイトに伝言を。アイス、まだなんですか?」

「君はとことん、アイスだねぇ……」

 

 

 




次から漸く雄英高校生活です。
面白く書きたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一章:空狩少女の入学
一話「葱無し蕎麦は邪道だよ」


今日も飛ばして行きます。


 迎えた朝。

 空狩捉把は寝台から飛び起き、軽い体操をしてから朝食のパンを食した。週間一度きり贔屓しているスーパーで販売される特製カレーパンを保存し、今朝に用意したのは意味がある。それは、これからの新生活を始める己を鼓舞する為の燃料だ。

 程好く焼いてぱりぱりとした食感を与える表面の生地だが、歯を食い込ませれば下で柔らかい感触が伝わり、内包されたまろやかなカレーの風味が鼻腔を甘く満たし、舌には程好い刺激を齎す。量産型カレーパンが多く持つ悩み、カレーのとろみという問題点を解消した一品は、彼女の好物たるアイスに追随する。

 朝食から満足し、合掌した捉把は顔を洗い清め、歯を丹念に磨き、髪を整えた。納戸から真新しい制服の袖に腕を通し、スカートの丈も一度確かめてから穿いた。

 身支度を整え、いざ往かん――!

 捉把の新しい制服に、近所の皆が振り向いて察し、応援の一声を掛ける。勝己と騒ぎ続けた所為で、商店街とはひどく親しい間柄となっていた。軽く頭を下げて会釈し、駅までの道程をやや早足で急ぐ。

 電車に乗る前に、知り合い二名――出久と勝己の姿を探したが、既に登校しているのだろう。そう、如何に新生活が始まったと雖も、依然として制限時間通りに到着を志すその構えに変化は無い。故に、誰よりも遅く、しかし遅刻を咎められず。

 ふと、スマホが忙しなく震動(バイブレーション)している事に気づき、ポケットから取り出して確認する。不祥事に自動送信される緊急連絡かと思ったが、夥しいメール通知、送り主には「爆豪勝己」という字面からして強壮な印象しかない物に、捉把は若干顔が蒼褪めた。

 恐る恐る内容を見る。

 

『駅で待ってる(一件目)』

『まさか、まだ寝てんのかカス(二件目)』

『何分待たせる気だコラ、殺すぞ(三件目)』

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

『オラァ!!!いい加減にしろやぁ!!(一二〇件目)』

 

 捉把は拒絶反応に一斉削除し、スマホをポケットに捻り込んだ。まさか、勝己が登校に誘っているとは露知らず、安眠に浸りきっていた過去の己を想起する。早くも登校初日から流血を予感した。

 猫耳帽子の下で、耳が恐怖に萎縮している。車窓から見える景色も、新鮮な気持ちで見られるかと期待していたが、今や殺伐とした物にしか見えない。

 頭を抱えて心中悲鳴を響かせる捉把の様子に、始終車内の人間達は思案げに見詰めていた。あれほど願った輝かしき第一頁、青春の幕開けが勝己の罵声に支配されてしまう危惧で、憂いに満ちた足取りで降車し、駅を出て学校を前にするのであった。

 

 

 案内板を見て宛がわれた教室に向かう。

 道を走ったためか、五分ほど早い到着だった。引戸の前で立ち止まり、愁嘆の溜め息を溢しつつ、取手を摑んで横へ押しやった。

 開扉と共に集まる視線に、腰を直角に折って深く一礼した。面を上げて室内を眺め渡せば、合否発表の日に出会した推薦入学者の轟を発見する。あちらも気付き、捉把が手を振れば軽く頷いて応えた。

 他にも、教卓前で茶髪の女子と会話する緑谷出久が居る。会話を求めようとして、ふと寒気を覚えた捉把は、反射的に横へ振り向いた。

 其所に鬼が居た――机に両足を乗せ、眼鏡男子の注意を鬱陶しく払っていた知人、朝から捉把の理想を打ち砕いた悪鬼こと爆豪勝己である。もはや火山内部で胎動する溶岩さながらの憤懣を込めた視線で捉把を睨んでいた。

 一目見ても顔面偏差値の高いクラスの女子でも、一際異彩放つ美少女の登場に歓喜した複数の男子だったがらその彼女が、およそ入試を一位で通過したと疑わしき狂言を宣う問題児の男と見合っている。

 

「おい、テメェ……俺に言う事、あるよなぁ?」

「……勝己くん……」

「あ゛ぁん?」

 

 少女が満面の笑みを浮かべた。

 無表情から放たれるそれは、後光が差している錯覚を周囲に与える。その神々しい笑顔から、似つかわしくない言葉が告げられた。

 

「百件以上とか、狂気じみて些か精神状態を疑うよ」

「オメェの所為だろうが、ハァン!!?」

「でも常時安定していないし、無理もないかな」

「喧嘩したいんだな、判った表出ろや」

 

 勝己の行動を想定していた捉把は、接近してその内懐に然り気無く踏み込み、彼のシャツの襟を正す。停止した勝己に対し、ここぞとばかりに笑顔を作った。

 

「制服が似合うんだから、しっかり着て。明日から一緒に登校するのに、これじゃ勿体無いよ」

「……ッ!っせぇ!!俺はこれで良ンだよ!今日は許してやるが、次は処刑だぞ、判ったかコラァ!?」

「ごめんね」

 

 耳まで赤く染め、反抗しつつ身嗜みを少し整える勝己の反応に、教室が愕然とした。あの暴風のごとき爆発男がこうも容易く鎮静されてしまったのだ。

 神業を成した少女は、一転して平生の無表情に戻り、密かに嘆息して肩を竦めていた。……成る程、名女優も斯くやといった演技である。果たして、彼女の言葉に真意はあったのか否か、神と彼女のみぞ知る。

 捉把は正直、暗澹とした気持ちであった。明日からは少し早く起床しなくてはならないのである。まさか一日目にして、自流の生活リズムの改善を要求されるとは予想だにしなかった。

 一連の出来事を静観していた切島鋭児郎は、笑顔で捉把の傍へと駆け寄る。彼もまた制服姿であり、勝己よりは正しく着こなしていた。

 

「おはよう、切島くん」

「おうよ、似合ってんぜ制服」

「有り難う、髪の毛が違和感無くて良かった」

「見るのそこかよ!?」

 

 切島と談笑していると、勝己が険相で二人の間に割って入った。女子の一団が歓声を、紫の団子を頭頂に抱えた髪型の男子は怨嗟の声を送る。

 当惑する切島に、勝己は視線のみで射殺さん殺意を込めていた。捉把は彼の背中で何も見えず、暇潰しに出久と話していた。

 

「気安く手ェ出してンじゃねぇぞ、クソ髪!!」

「あれ、空狩って彼氏居ないんじゃなかったっけ?」

 

 捉把は余計な誤解が生じる前に戻った。

 

「実は私は、中学時代から彼にペット扱いを受けている。だから助けて欲しい――轟くん」

「……俺か」

 

 環の外に居た轟が反応する。

 立ち上がって捉把の隣に立ち、勝己から遠ざける。

 

「何してんだ半分野郎……!!」

「強制は一種の虐待だ」

「よく言った、よしよし」

 

 捉把が頭を撫でると、心無し轟の表情が柔らかくなる。対して、勝己が掌中で爆破を起こし、全身が紅潮する程に激怒していた。切島が背後から羽交い締めにして制止し、混乱する場を掻き乱す捉把は、既に出久の所へと避難している。

 轟と勝己が正対し、ヒートアップする教室に一声が通る。

 

「お友達ごっこしたいなら他所に行け。ここはヒーロー科だぞ」

 

 一瞬の沈黙。

 皆が教室を見渡し、声の主を探った。すると、捉把は教卓の所で寝袋に包まれた不審者を発見し、その近くへと屈み込む。寝袋の弾力を確かめるよう指で触れ、暫く考えた。

 

「その寝袋、後で下さい」

「却下」

 

 にべもなく不審者に断られ、渋々と引き下がる。

 外貌からは、誰の目にも怪しげに映る姿の男性だった。寝袋から這い出て、軽く首を傾けて肩凝りを解すと教卓に頬杖を突いた。

 手入れの無い無造作な長髪、薄く細い、そして長く扁平なマフラーを幾重にも首元で巻き、趣向というものの欠けた無地の服。無精髭を見るに、自身に無頓着な性格の持ち主である。

 捉把の肩を摑んで背後に回し、男性との間に勝己が入る。警戒と敵意の眼差しで刺す彼も眼中に無く、その男性は教室全体を望洋と見る目で告げた。

 

「……ハイ、静かになるまで七秒かかりました。時間は有限。君たちは合理性に欠くね」

「すみません、計算が苦手なんです」

「大馬鹿者」

 

 マフラーの終端を投げ、勝己の背後へと屈折し捉把の頭を叩く。口答えする少女にも淡々と注意していた。二人が無表情な所為か、奇妙な江面となっており、場違いにも切島が笑いを堪えていた。

 咳払いをした男性が目に掛かる前髪を軽く捌いて自己紹介する。

 

「担任の相澤消太だ。よろしくね」

「「「(担任!?)」」」 

「トイレに行っても良いですか?」

「話を先に聞け」

「「「(マイペース!!)」」」

 

 担任を名告る不審者――相澤消太は、全員の前で黒板に文字を綴る。皆は自分の名前を書くのかと見たが、そこに白チョークで刻まれたのは『個性把握テスト』の文字。

 次いで教卓に立った捉把が、斜線を引いて『自習』と書く寸前で相澤の黒板消しに妨害された。顔に出ずとも落胆する捉把の頭を軽く叩く。

 

「早速だが、体操服(コレ)着てグラウンドに出ろ。個性把握テストを行う」

「「「個性把握……テスト?」」」

「先生、トイレ休憩」

「待て」

「「「(マイペース!!)」」」

 

 急展開に追い付かず、クラス一同が騒めく。

 

「入学式は!? ガイダンスは!?」

「ヒーローになるならそんな悠長な行事に出る時間ないよ。書類読んどけば十分だろ」

「これを読むんですね、判りました……休憩時間はっと」

「俺のスケジュール帳は読むな」

 

 訴える生徒には、素早く鋭く切り伏せて、相澤は淡々と物事を進める。隣の捉把の頭を摑みながら、生徒全員に指示を出す。

 

「雄英は自由な校風が売り文句。そしてそれは先生側もまた然り」

「つまりトイレも自由」

「だから待て、話の腰を折るな」

 

 呆れながら、相澤は生徒を睨んだ。

 マイペースな捉把以外が、視線に体を僅かに硬直させる。威厳の欠片も無い姿の教師だが、その眼力の鋭さに内心で彼を嘲っていた者の心臓が凍り付く。配付された体操着を、皆がおずおずと手に取る。捉把のみは手渡しであった。

 

「さっきそこの連中が騒いでいた理由も含め、テストが終わるころには実感できるだろ。――じゃ、早よ着替えろ」

「先生、頭が痛い」

「お前は少し話がある」

 

 勝己に見送られ、相澤に引き摺られながら退室した。

 廊下を暫し歩いた所で、相澤は握力を緩めて捉把を解放する。細身でありながら、存外力強い担任の力に痛む頭を擦りながら感心した。また怒られると感じ、背筋を伸ばして直立し、相澤を正面から見詰める。

 しかし、一向に彼の口から語られる言葉は無く、捉把との間に沈黙が流れた。次第に緊張の糸が弛み、欠伸をして壁に凭れ、そのまま床に座ってしまう。相澤はそれでも廊下を眺めていた。

 二人の下に近付く跫を聞いて、捉把の耳が動く。そちらに振り向いた彼女の挙止を、横目で相澤は盗み見ていた。微かに細めてから、再び前に視界を戻す。

 二人しか居ない場所へ足を運んだのは轟だった。面食らって僅かに目を見開く捉把の隣に、彼が並び立つ。漸く相澤が腕時計を見て嘆息した。

 

「着脱の所要時間も遅い、とことん合理性に欠ける」

「すみません」

 

 捉把が首を横に振って否定した。

 

「轟くんも年頃の男子です。一つや二つ、他者に見せるには憚られる身体的秘密があっても可笑しくありません」

「空狩、こいつを想うなら、それは口にしない方が賢明であり、優しさだ」

 

 相澤は二人を交互に見て、一枚の書類を渡す。

 受け取った捉把は、文字の羅列を目で追った。どうやら、轟と自分に関する注意事項、及び以後の立ち振舞いや役目などが記されている。轟は先刻承知だったのか、特に反応は無かった。

 その場で体操着に着替えようとした捉把を手刀で叩いて制止し、轟に更衣室の案内を言い渡す。肯いた轟と隣で頭を押さえる捉把に、相澤が再度正面から向き直った。

 

「予め伝えておくが、クラス内でもお前の“個性”が特段危険だ。空狩捉把の監視役として轟焦凍を付ける」

「先生、それは私が問題児という事ですか」

「そうだ」

「友人と同視されるのは遺憾です」

「それは残念だったな、爆豪より厄介だよお前」

 

 相澤は背を向けて歩き出し、後ろへ「五分後にグラウンド集合」と簡潔に告げて去った。取り残された捉把は、やがて轟によって女子更衣室に案内された。手早く着脱を済ませるが、途中で更衣室前に待機した轟と会話をする。

 

「私の監視役、受けて良かったの?」

「……お前に興味がある」

「私に身体的秘密は無いよ」

「そうじゃない」

 

 捉把は嘆息した。

 恐らく、あの実技試験で敵を空間圧縮で肉塊にしたのを見た教師陣が、捉把の『空間』に存在する危険性を御す為に轟を指名したのだ。己の“個性”の強大さは自覚していたが、何者かによる間接的管理下に置かれると、いよいよその深遠な意味を実感する。

 轟焦凍が指名されたとなれば、捉把の『空間』を抑えうる強力な”個性“の所有者であるのは当然。推薦入学者の実力は教師からの信頼もあり、伊達ではないのだと知る。

 

「轟くんの“個性”って何かな?」

「『半冷半熱』だが、俺は左は使わない」

「……どうして?」

「どうしても否定したいヤツがいる」

 

 捉把は着替えを終えて更衣室を辞し、待機していた轟を正面から見据える。

 

「もしかして、“個性”婚ってやつかな」

「……知ってるんだな」

「うん、私も似たモノだから」

「!!」

 

 捉把の真剣な表情に轟は固まった。

 

「轟くん、好きな食べ物って何?」

「?……冷たい蕎麦」

「葱無し蕎麦は邪道だよ」

「?」

 

 捉把は先に廊下を進む。

 その後ろを轟が追った。

 同じ存在だと、捉把の言葉に未だ動揺の熱が冷めない。“個性”婚――子へと己の“個性”を引き継がせ、より強大にするのを目的にし、見合う“個性”の所有者と結婚するもの。確かにこれまで、強力な“個性”を持つヒーローが輩出され、その中にも“個性”婚が出自である例も多い。

 轟はずっと苦しめられていた。彼の胸裏に、好奇心の火が燻る。捉把の持つ視点では、一体どう映るのか。

 

「“個性”は確かに親の物でもさ、それでも使用者によって生み出せる結果も変わる。自分の物じゃない、否定したい気持ちでいたら、成りたいモノにもなれない。夢が、夢のまた夢の話になってしまう」

「…………」

「ただ“個性”婚の事だけで、自分を束縛するのは可哀想だよ。轟くんが左を厭うのは、自分が見てきた使用者が酷かったからでしょう?

 なら、遣り方を変えれば良い。その人とは違う道で、その人よりももっと素敵な使い方があるよ。少なくとも、私はそういう事にした。

 それに……ね?」

 

 捉把は振り返って、悲しげに微笑む。

 

「手を抜くなんて、全力で戦う皆に失礼だよ。葱抜くなんて、蕎麦を楽しむ人間に失礼だよ。

 夢を叶えたいと一心に励む人に全力で応えないのは、きっと君が嫌厭する“左”よりも酷い事だから」

「……俺は……それでも許せない。右一本で、ヤツを超えてやる」

 

 捉把がとんとんと跳んで近寄ると、轟は後頭部と背中に腕を回して抱き寄せられた。茫然自失として動けぬまま、彼女の腕の中に収まる。心地好い体温、撫でられた手の感触が、記憶の奥にあるモノを呼び覚ます。

 ――自分を撫でる母親の手に似ていた。

 捉把はあやすように彼の背を撫でた。

 

「無理しないで」

「…………ああ」

 

 ぱっと身を離した捉把は、再び無表情に戻り、グラウンドを指差す。

 

「五分過ぎたから、轟くんのトイレを理由にして良い?」

「……それは勘弁してくれ」

 

 二人は仲良くビンタを頭に受けた(捉把は二回)。

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

「出久く~ん、癒してぇ」

「わっ、ちょっ、空狩さん!?」

 

 説教を受けた後、出久に抱き着こうとした捉把だったが、襟首を背後から摑まれて停止する。威圧感を背に犇々と感じて、ゆっくりと振り返れば、そこに勝己の顰めっ面があった。

 背後に控える切島の服は、連続して爆破を受けた痕跡が見受けられる。捉把は摘ままれた猫も同然に、彼に連行された。

 

「クソナードに話しかけてンじゃねぇぞ」

「勝己くん、切島くんの体操着が」

「知ったこっちゃねぇわ、カスが」

「君は黙っていれば、良い男なのにね」

「っせんだよ」

 

 地面に降ろされた捉把に、勝己の顔が急接近した。

 互いの吐息を膚に感じる距離で、眉間の皺は消えないな、いつになく穏やかな表情の勝己が囁いた。

 

「テメェは俺だけ見てりゃ良いんだよ」

「…………それは難しいね」

「けッ!!」

 

 舌打ちした後、捉把に背を向けて歩き出した。後ろ姿からでも判るほど、勝己の耳は真っ赤に染まっている。明らかに己の言動を恥じているようであった。

 切島が感情の機微を読み取って、面白そうに笑う。捉把に伝えようと彼女の前に回った。

 しかし、いつも無表情な捉把の顔に変化を感じて、切島が注視した。そんな彼にも気付かず、捉把は呟いた。

 

「……びっくりした」

 

 僅かに頬を赤らめ、捉把はふっと細く息を吐いた。

 

「空狩ってエロ」

「峰田、お前は黙ってろ」

 

 

 

 

 




『爆発三太郎と猫耳の和え物~最後に胸キュンを添えて~』でした。味は如何でしょうか?
……あ、次行け?すみませんでした。

よし、次はテストですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話「褒美に串カツを賜そう」

 

 

 波乱万丈の個性把握テストを終えた。

 成績上位者に名を列ねた空狩捉把は、朝の相澤より受けた問題児通告、及び監視役の轟焦凍の存在を明かされ、入学早々に教師陣から厳しい目で見られる立場に立たされた。自身の“個性”が孕む危険性の云々は自覚していたが、他者からの指摘を受けると鋭い響きとなって心痛にまで及ぶ。

 相澤に至極簡潔で必要最低限のみを述べた明日以降の趨勢などが説明されたHRさえ終了した。退室前に再度注意をされたが、校内では実力に於いて信頼に足る生徒、或いは轟焦凍を伴っての行動を義務付けられる。

 捉把は嘆息して、机に腕枕で伏す。仕方が無かったとはいえ、それでも……これでは自分の方が化け物ではないか。

 皆が感情の機微を読み難い捉把、だからこそ今落ち込んでいるのにすら誰もが気付かない。薄紅の瞳で初日から親睦を深めるべく談笑する生徒を見遣る。聞き耳を立ててみれば、明日の授業に皆が興奮気味である。特にそれが顕著なのは出久だった。

 個性把握テストの最中、出久に“個性”が発現している事を知り、一驚させられてしまった。自身の肉体をも破壊する超金剛力、勝己は混乱の余り激昂して問い詰めんとしていたが、黙っていた捉把も問い糺したい気分である。

 オールマイトに認められた少年、元から誰よりもヒーロー然とした資質の持ち主、ただ無個性であるばかりに虐げられた真の英雄の卵。“個性”の状態から鑑みて、ふとオールマイトに酷似した部分があった。肉体への反動が大きく彼とは違うとはいえ、相澤の制御不能を指摘する言葉を認めていた言動からしても、異質極まりない。

 もしや……いや、あり得ない。

 己の推察が、あまりに荒唐無稽だと感じて否定する。仮にそんな現実が可能なら、出久の将来が誰よりも苛酷な道程となってしまう。一人で背負うには、身に剰り過ぎる負荷だ。

 情けなく伏していた机上に、鞄が叩き付けられた。寸前で鞄が降下する風の音を知覚していた捉把は、直撃の寸前で器用に身を捻って回避する。それでも震動する机に揺すられて良い気分ではなかった。

 気懈げに見上げた捉把の頭上では、三白眼が睥睨していた。クラスメイト、友人以前に人に向けてはならない凶器も同然の眼力である。見慣れた敵の襲来に身を起こし、首を傾げて本人を見詰めた。

 言葉無く見合う時間が長いと、勝己の方から舌打ちを鳴らして顔を逸らし、捉把の襟首を摑み上げて立たせる。やや不機嫌面であり、やはり個性把握テストでの驚愕の余響が収まっていないのだろう。

 強制的に起立させられ、捉把は机の隣に掛けていた自分の鞄を持たせられた。勝己は力無い捉把の様子も構わず、ずかずかと歩き出してから、扉の前で立ち止まる。

 

「何ぼさっとしてんだ、帰んぞ」

「下校中に貴方の相手は辛いかな。今日は一人か、それとも切島くんや出久くんの方が休まるんだけれど」

「俺が許可しねぇつってんだ、早くしろや」

「……強引なご主人様だよ、ホント」

 

 猫耳帽子を被り、捉把は鞄の肩紐を摑んだ。

 幸先の悪い学生生活の開始、明日の授業に合わせ帰宅後の生活改善案を考えていると、席を徐に立ち上がった轟が傍まで歩み寄って来た。捉把が戸惑いがちな見上げる。

 轟は何か言葉を探し、視線を足下に這わせて右往左往していた。たった一日の交流でも、彼が口下手である事を重々承知している捉把は静かに待つ。扉の前で噴火寸前の火山が煮え滾っているが、今はそちらに構う必要が無い。

 捉把が下から覗き見ると、轟は少し驚いて一歩後退した。

 

「……ありがとうな」

 

 逡巡の時間を経て、漸く出た一言。

 捉把は首を緩やかに横へ振って、彼の両頬を手で叩く勢いで挟む。長く待たされた事にも苛立ちは無く、寧ろ幼子の成長を目にしたかの様な穏やかな心であった。これを聞けばら轟も少し嫌がるだろうが、捉把の人柄上では諦める他に無い。

 こちらに突進を開始する勝己を“個性”で縛りつつ、紅白色の頭髪を撫でた。左側から感じる熱は痛々しく、右の冷たい肌さえも、どこか寂寥感を懐かせる。それでも、捉把は憐憫を面に出す事はしなかった。

 

「その言葉は、君が本当の意味に気付いた時、気付かせてくれた人に贈るんだよ」

「そうなのか」

「うん、私が断言する。きっと皆が救ってくれる」

「……そうか」

 

 捉把は満足げに頷いて手を振った。

 

「それでは、また明日」

「ああ、またな」

 

 勝己の下に駆け寄ると、彼はまたも顰めっ面で捉把を睨んでいる。何が気に食わないのか、轟と捉把の二人を交互に見遣る。特に前者への視線は敵愾心を全面に出していた。

 個性把握テストの時といい、最近の勝己の対応に困っている。捉把に対する独占的な態度、自分以外の男子が会話をするだけでも敵意の対象。捉把はあれほど玩ぶに好適だった勝己の心中が判らず、真意を探って顔を凝視する事しか出来ない。

 すると、勝己もまた捉把を見詰めていた。

 

「私の顔、何か付いてるの?」

「猫みてぇな鼻と口」

「じゃあ、アイドルだね。ヒーローやめようかな?」

「自分で言ってたら世話ねぇな」

 

 呆れ笑いを浮かべた勝己に続き、そのまま退室する。

 帰路に着いた二人は、途中でコロッケを食べた。

 

 

 

 

 

************

 

 

 

 二日目の授業は、想定以上の疲労を感じた。

 捉把は授業中に何度か居眠りをし、その都度に勝己が鋭くシャー芯を擲ち、首筋を突き刺す妙技を披露する。繊細な力加減と正確な投法が作り出すそれに見惚れる度に、誰もが捉把の跳ね起きる姿を見る事となった。

 初日から強烈な印象を与えた彼女だが、座学に関しては苦手であるかと問えば、実際は全く異なる。眠っていても、教師から指名されれば黒板の計算式を飄々と解き、求められた解答を即座に切り返す。流石は総合二位の実力、こればかりは仏頂面だが、何処と無く自慢気な勝己を微笑ましく見る切島だった。

 午前の授業を終えれば、捉把は完全に机に倒れてしまった。勝己が力強く椅子を蹴り上げなければ、昼食すら摂らなかっただろう。弁当を忘れた彼女は、結果的に切島と勝己の物を分けて貰った。

 クラス内でも天賦の才を輝かせる狂犬の爆豪勝己を制御する不思議な少女、一見して話し難い神秘的な雰囲気を持つが、質問された事には素直に応える性格である。趣味は読書と散歩した先での昼寝、好物はカレーパンとアイス。女子全員に集られても鷹揚に応対していた。

 ただ、男子からの視点では違う。

 八百万百、麗日お茶子など魅惑的な肢体を持つ彼女達よりも細く、肉置きが平均的であるのに、他とは一線を画する妖艶な印象があった。眠そうな目、必要が無ければ動かぬ倦怠感に満ちた言動、それでも髪を少し掻き上げたり、瞼を閉じたり、首を傾げたり……何ら特筆すべきでもない動作のすべてが艶かしく見えてしまう。

 無論、そんな彼女を血眼で凝視する峰田は背後から爆豪の爆撃を受け、暫し意識を失う羽目になった。

 

 午後の授業が始まると、廊下を轟然と馳せる気配を壁越しに察知し、捉把は座席に腰を下ろしたまま身構えていた。その気配が自分達の教室の前で急停止し、扉を盛大に開け放つ乾いた音が鳴る。

 

「わ――た――し――が――普通にドアから来た!!!」

「遅いですよオールマイト、早く着席して下さい。もう授業は始まっているんです」

「おっと済まないね、空狩少女!では私も教科書を……ノンノン!!私は教師だよ、やめてよ危うくおじさん乗せられるところだった!!」

 

 捉把の冗談に応える男――“平和の象徴”ことオールマイトその人である。

 後ろに撫で付けて整った髪型だが、異様に逆立つ一房の髪がVの形を模している。服を内側から押し上げる逞しい筋骨は、人間が己を極限まで練磨した末に獲得し得る極致の一つと形容するのが相応しい肉体。数ある活躍した時代の中でも、“銀時代”と呼ばれる戦闘服(コスチューム)を纏う姿は、成る程いまや子供の憧れるヒーロー理想像の一つそのものであった。

 最も強く彼を崇高する出久は、今や憧憬の熱に語り始める。出久のみではなく、皆が興奮する中でも、極めて冷静だったのは捉把と彼女を見る勝己、そして轟であった。

 

「私の担当はヒーロー基礎学!ヒーローの素地を作る為、様々な訓練を行う課目だ!」

 

 前以て、省略されたガイダンス用の書類にすべて目を通した捉把には既知事項であった。しかし、授業として受ける時とは別の実感が胸を摑む。

 彼女が望んだヒーローへの第一歩、その具体的な形を呈するのが、この授業である。密かな興奮を胸に、口端を微かに上げた。

 

「早速だが今日はコレ!戦闘訓練!」

「戦闘……!」

「訓練……!」

 

 オールマイトが「BATTLE」と書かれた札を掲げると、いよいよクラス内の興奮が最高潮に達する。勝己は首の骨を鳴らして獰猛な笑みを浮かべ、出久も緊張とは裏腹に凄然とした熱意を滲ませていた。

 

「そしてそいつに伴って、こちら!!入学前に送ってもらった個性届と要望に沿って誂えた……戦闘服!!」

「「「おおお!!!!」」」

 

 一人の前に、それぞれケースが置かれる。

 オールマイトは捉把の机にそれを安置する際、皆には読み取れぬ程度に小さく笑っていた。恭しく受け取った彼女は、勝己の方を見た。もう昂りが抑えられず、彼の握る取手が軋みを上げている。

 捉把もまた席を立ち上がった。戦闘訓練となれば、試験同様に親しき仲でも敵対すれば、相手は倒すべき対象に相違無い。徹底的に叩き潰す、捉把の脳が完全に戦闘体制に切り替わった。

 

「着替えたら順次、グラウンド・βに集まるんだ!!」

「「「はーい!!」」」

 

 教室から出て更衣室へと向かう中、勝己が捉把の隣で呟いた。

 

「容赦しねぇ、俺が一番だ」

「うん、応援してるよ」

「テメェもやるんだぞ」

「勿論、お互い頑張ろう」

 

 去って行く彼女の遠い背中に、勝己が囁いた。

 

「……怪我すんなよ」

 

 入試試験の際の事があって、彼女が傷付く姿を勝己は嫌っている。

 獣並みの可聴域を持つ捉把は、それを聞き逃さない。

 

「しないよ――その前に敵を撃滅するだけだから」

 

 

 

*************

 

 

 試験でも使用した模擬市街地の演習場。

 戦闘服に着替えた面々が、オールマイトの下へと集合する。其々が個性的な装束に身を包む。どれもが己の“個性”を活かした戦法に適する機能を付与した物。機能性、外見を考えて製作された物は、世界に一つだけの、正に自分を一人のヒーローとして確立する武器だった。

 勝己は重厚な手甲、膝当や厚い長靴、後方に付けて彼の気性の荒さを表現したかのような装飾の付いたアイマスクを装着している。依然として獣じみた凶悪な笑顔のまま、演習場へと闊歩した。

 捉把の姿を探し、周囲を見渡す。小柄である彼女だから発見が難しいのかと、次第に顔だけでなく、体さえも巡らせて捜索した。戦闘服に不備があって更衣室から出られないのか、或いは突然の体調不良、又はその両方なのだとすれば、あれだけ挑発的に宣言した過去の自分が恥ずかしい。

 必死にあの姿を追うと、背筋を冷たい刃物が軽く撫で上げる様な感覚に襲われ、後ろへと身構えて振り向いた。殺意でも敵意でもない、けれど実戦経験の少ない勝己でさえ感じ取れる異様な気配。

 遅れて来た出久が入口から駆け入って来た後ろから、悠揚と踏み入る少女が居る。見慣れた姿の筈なのに、勝己は胸中を騒がせる不吉なモノを突き止められず、ただ彼女を凝然と見据えた。

 袖を紐で絞った薄いパーカーの開かれた前身頃から、袖の無い高襟のクロップドのキャミソールが覗く。見えてはいないが、上腕の半ばから手の甲まで保護する布の手甲を装備している。質素なショートパンツと、膝上までの靴下、踝まで保護するサンダルは黒一色であった。ベルトに差し込める様式の雑嚢が腰に下げられている。

 軽装の空狩捉把を前にし、勝己は絶句した。

 ヒーロー、ではなく私服姿に等しい外観。強いて特徴が挙げられるとすれば、腰に雑嚢とは別に下げた短刀である。殺傷力を削減し、刃や鋒を潰して刃物を受け止める事のみしか用途の無い得物。

 捉把は前から向けられる勝己の視線に、その場で軽く一回転し、横ピースを無表情で決めた。

 

「どうでしょう」

「……舐めてんのか?」

「無駄に装備しても、私の能力は変わらない。だから、必要な物は大抵、この中に詰まっているんだよ」

 

 雑嚢を軽く叩いて肩を竦めて見せる。

 釈然としない勝己の胸を叩いた。

 

「貴方も中々似合ってるよ」

「当然だろクソが」

「もし宣言通りに勝てれば、褒美に串カツを賜そう」

「何様だテメェ……やってやらぁ!!」

 

 傲然と顎を上げて胸を張る彼に、捉把はオールマイトの方へ向かう。チーム振り分けの籤引きが始まったのだ。

 

「よし、頑張ろう」

 

 

 

 

 

 




はい、更新が随分遅れました。
次書こう、次。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話「慰謝料はうどんで」

更新しました!


 

 波乱を予感させる戦闘訓練が幕を開けた。

 第一戦の火蓋を切って落としたのは、因縁の組み合わせ天才の勝己と努力家の出久。幼い頃より相反する二人の戦いは、過去から積み重なる想いもあって白熱した。

 一時は出久の戦死すら危惧する威力で手甲の砲撃を開放する勝己。圧倒的戦闘力で制圧するかに思えたが、正面から激情に任せ対峙していたかに思えた出久の戦略により、決闘に関しては敗北したが、チーム戦の観点からは完全に出久と麗日の勝利だった。

 その結果は捉把を心底驚かせた。

 いや、本人が特に驚いていただろう。また、己への失意や出久の戦法に困惑し、一戦を終えても放心状態の勝己は、モニタールームにて床を虚ろな瞳で見下ろしている。今は不用意に話し掛けない方が身の為、そして彼の為である。捉把は自粛し、自身の戦闘に備えた。

 籤引きの結果もまた、奇縁としか言い表せない。

 

 ヒーローチーム  ヴィランチーム

 轟焦凍&障子目蔵VS空狩捉把&尾白猿夫

 

 初戦から最も危険視していた相手との勝負。

 この組み合わせは捉把に最大の警戒を与えると同時に、監視役の轟とどちらが力量としては上位者であるかを判然とさせる好機。尤も、入試の時と同じような技は通用しない――相手がそれ以上の力で来なければ。

 

 戦場となるのはビルの一棟。

 敵陣は屋上で核爆弾を所持して籠城し、ヒーローチームは核爆弾の確保、或いは相手チームの捕縛。捉把の勝利条件としては、制限時間まで爆弾をヒーローチームから死守する事である。相手が轟となれば、容易に事が進む事は無いだろう。

 相棒の少年――尾白猿夫も緊張していた。

 整えた頭髪に空手胴着を着ており、小さな瞳と物腰の低い姿勢。籤引きの際も相手に先を譲る紳士な性格であり、悪戯心がつい働いて、捉把が妨害しても激怒しない穏やかさである。“個性”『尻尾』を利用した立ち回りで、外見通り体術に優れた人物である。

 最上階に立った捉把と尾白は、迎撃の戦略を練る。

 轟焦凍の戦法は――捉把には考えるまでもなかった。『半冷半熱』という、一種の万能な“個性”で爆弾を刺激しない被害を最小限且つ迅速に敵を仕留める策がある。彼は間違いなく、それを実行してくる筈だ。

 捉把は尾白を自分の隣に配置し、戦闘の合図が降るのを待った。生半可な攻撃では押し潰される、最初から全力で迎え撃つ他に無い。

 

 オールマイトの喧しい合図で幕が上がった。

 ビル全体が冷気に包まれたかと思った途端、刹那の内に床や壁面、天井までもが氷結した。突然の事で誰も対応し遂せない。捉把も尾白も、脚を氷で地面に固定され、早くも行動不能に陥った。

 悠々と階段を上がって来る足音に、捉把が含み笑いを溢す。急激に冷却された室内温度と、不気味な雰囲気を放つ味方に怖じ気を震う尾白だった。

 捉把を中心に“領域”が展開され、半球状の空間内が震動する。能力圏内の氷が粉砕され、尾白と捉把の縛めを呆気なく解いた。無論、有効範囲に核爆弾が入らぬよう調節したため、ヴィランチームとしての戦闘も続行可能である。更には、震動で発生する音も範囲内から抹消し、事を轟達に悟らせぬ工夫を施す。

 勝敗に拘らず、如何にヒーローとして、ヴィランとして適切な行動と対処を為したか、それが評価されるべき点であるとは、最初の勝己と出久を見て弁えていた。

 捉把が合図を送ると、尾白は支柱の影に隠れた。彼女のみが部屋の中央で堂々と仁王立ちをして構え、不敵に立ちはだかっている。これで漸く、本当の勝負が始まるのだ。

 予想通り、室内に自若として踏み入って来たのは轟だった。しかし、室内の様子を見て僅かに目を瞠る。氷結を免れた捉把の立ち居姿に、少なからず感嘆したのだ。左半身を氷で封印したヒーロー装束は、彼の拒絶が垣間見える。

 捉把は腰元の短刀を抜き放ち、轟へと投擲した。鞘から手に取り、投射されるまでの速度が素人のものではない。轟は二度目の驚愕も、だが冷静に氷壁を生成して防御する。入試総合二位と個性把握テスト上位の肩書は伊達ではない、戦闘技術の特異さなど最初から知っていた。

 しかし、轟は違和感に眉を顰めた。

 投げられた短刀が氷壁に衝突する音が無い。何事かと壁から身を乗り出してみた。

 ――その転瞬。

 視界に捉把の手が飛び出し、轟の襟を摑んだ。今度はさしもの轟でさえ理解不能である。短刀の音を消して、此方が確認に顔を出したのを狙う奇襲作戦かと思って、部屋の中央に落ちた短刀を目にした。

 

 違う、これは――“置換”!

 

 捉把は擲った短刀と、自分の立ち位置を交換したのである。それによって刹那で間隙を潰し、見事に接近を成功させた。

 物陰から尾白が飛び出し、短刀を拾い上げてから捉把へ投げ渡す。受け取った彼女の皮膚に、僅かに氷が張ろうとしたが、その前に轟の姿が捉把と共に消えた。

 

 轟の視界が変転する。

 二人は尾白とは違う部屋の空中に投げ出されていた。捉把が轟の腹部に蹴りを叩き込んで弾き、お互いが壁際まで転がる。奇襲に次ぐ奇襲、相手の手の内を読ませぬ捉把の攻撃に些か狼狽えつつも、即座に体勢を立て直した轟は、ふと周囲を見渡して気づく。

 部屋全体は、前回の氷結攻撃で凍りついたままだ。しかし、天井の一部は氷塊が破砕され、綺麗に剥落している。どうやら、此処は最上階の下らしい。轟は悔しげに口角を上げて見せる。

 

「そうか、『空間』は半球状じゃなかったのか」

「そうだよ。地面の所為で半球に見えていただけで、地上から離れた高度なら性能を充分に発揮できる」

 

 轟が辿り着いた捉把の真実は、至って簡単だった。

 捉把の“個性”の有効範囲は、半球状の中――ではない。それは今まで、彼女自身の目の届く範囲がそうであっただけで、実際は球状に展開していたのだ。外貌だけでは判らない。

 足場が一滴の水すら通さぬ稠密な岩盤でも無ければ、捉把は別の空間を見付け、其処が有効範囲内であれば隔壁も無視した転移が可能。極めて汎用性に長けた“個性”である。半径十五メートル、要するにビルの殆どが彼女の射程圏内に収まる。

 弱点が見当たるとすれば、有効範囲は球でなければならない。形を自在に変える事までは能わず、しかしそれが唯一判る難点なのだ。

 それでも最上階の直下にある、それも天井を一枚隔てた場所なのは何故か。その理由も至極簡単であり、威力の高い轟の“個性”を封殺する為の地勢である。此所での戦闘の震動は、直上の核爆弾への刺激に直結する。人民の安全を最優先に考慮すべきヒーローの立場にある轟としては、此所で無闇に制圧の為に技の加減を注意しなくてはならないのだ――この強敵を相手に。

 目前では、捉把が手中でナイフをペン回しの如く回旋させて遊んでいた。対人戦術では誰よりも得意と自負する彼女の好む状況が作られたのである。

 轟は仕方無しと嘆息して、左拳に氷塊を武装して構えた。捉把は頭の帽子を押さえながら駆け出す。近接戦に持ち込む積もりで地面を蹴り――滑って転倒した。

 足場はまだ氷塊のまま、足を不様に掬われた捉把は腹で床を滑走する。

 捕縛テープを解いて、氷上を華麗に疾駆する轟。此所はまた、彼にとっても特異なフィールドでもある。間の抜けた不覚を犯した彼女なら、今捕縛するのに好機である。捕らえようと接近した轟は、彼女の目が細められたのに気付いた。

 捉把は氷面を叩いて前転し、持ち前の『獣性』の“個性”で得た高い身体能力を利して背中で跳ね、肉薄する轟の顎に目掛けて片足を突き出す。しかし、轟が瞬時に隆起した氷壁を足下から生成し、捉把の攻撃は防がれた。

 氷の壁面を蹴って、元の位置に戻ろうとした捉把は、自分を猛然と追走する轟に目を見開く。その背後からは、意思を得たかのような氷柱の先端が降り注いで来る。殺傷力を抑え、尖端は鈍いが一撃でも命中すれば行動不能なのは受ける前から明白。

 捉把はサンダルの剥き出しになった踵から、『獣性』で肉体を変化させて鳥獣の蹴爪を生やす。氷面に突き立てて、慣性の法則に従って後方に推移する体に勢いを殺した。静止した直後に、手甲を取り外した右腕が犀の角に変貌した。

 改めて前方に低空姿勢で飛び出し、捉把は正面から突き出した右腕の犀の角で、襲い来る氷柱の総てを衝突するだけで破壊した。

 引き合うように部屋の中央へ走行する両者。

 二人が今、互いの間合いに相手を納めんとした時――捉把の姿が景色に溶けて消えた。クラスメイトの葉隠のように、視認できぬ姿と化したのだ。

 轟が再び急停止し、その姿を探して顔を巡らせた時、横合いから脇腹を打擲した鳥獣の蹴爪の感触を覚える。床をもんどり返って、壁際まで転がった轟は直ぐに立ち上がった。

 まだ『空間』は発動中だ。

 恐らくは、光の屈折率を操作し、自身に反射する光の総てを歪曲させて、姿を完全に消したのだ。動物の視覚が物体の視認できる条件は、物体に反射した光を網膜が享受する事。それを取り除かれてしまえば、熱感知スコープでも無い限り捉把を捕捉出来ない。

 “個性”でカメレオンの生態を真似ても、ビルの配色には馴染めない。

 葉隠の超常とは違い、科学的な根拠を用いて成した透明化。

 

「やるな、空狩。でも――終わりだ」

 

 轟を中心に、半円状に氷壁が断続的に対岸の方まで波となって流れる。床の氷面から、更に厚く上塗りする冷凍の蓋。何処に潜んで居ようと、これを回避するのは難しい、空間震動で防御すれば、その位置に彼女は居る。

 荒業を仕掛けた轟は、しかし頬に激突する拳固の感触と共に、横へと吹き飛んだ。床をまたしても転がって、再び体勢を建て直すと、自分の過去位置に捉把の姿が浮かび上がる。氷壁の波に腕を浅く切られ、出血していた。

 

「危うく潰れるところだった……容赦無いや。

 (拙いね、狭い空間じゃ五分五分だ。屋外だったら確実に負けてたよ)」

「ビルの再氷結をしないだけましだろ。

 (したくてもコイツの所為で出来ないが……)」

「これは面倒なヒーローだね」

「ああ、そうだな」

 

 涼しい顔をしていた轟に気を取られて、捉把の両腕が氷塊に捕らわれた。げっ、と呻いた後には、猛然と支柱の間を疾走して抜けた轟に捕縛テープで縛られ、地面に押さえ付けられた。

 彼も焦っていたのか、停止の利かない速度である。確保と同時に、彼女と一緒に転がって壁に叩き付けられた。

 全身を打撲し、痛みに呻きながら立ち上がろうと手を付いた轟は、掌に柔らかい感触を感じた。

 

「ひゃっ」

 

 捉把の艶かしい声に、視線を下ろす。

 轟の右手は、キャミソールの裾から侵入し、彼女の胸を素肌で摑んでいた。生肌の手応えに、暫し硬直する。捉把は頬を微かに赤くして、無言で見上げる。

 ゆっくりと離して上から退いた轟は、気まずく目を逸らして謝罪する。

 

「……すまん」

「あ、うん、大丈夫、大丈夫」

 

 捉把はキャミソールを直して、悔しげにため息を吐く。

 

「敗けたよ、悔しいけど尾白くんじゃ君には――」

「いや、尾白ならきっと障子が――」

 

『ヒーローチーム、WIIIIIIIIIN!!!』

 

 オールマイトの声が場内に響く。

 

「……改めてすまん」

「貴重な体験だったでしょ。でも、慰謝料はうどんで」

「……蕎麦は駄目か?」

「君の好物だと、何か癪だし」

 

 戦闘を終えて、捉把達はモニタールームへと帰った。

 

 

 

 

 

 

 




よし、次ですね、次。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話「この筑前煮は家宝にしたい」

 戦闘訓練を終えてから暫しの時が経過した。

 空狩捉把は校門前でコロッケをぱくついていた。既に周囲は暗くなり、電燈の光ばかりが存在を主張し始める。かの雄英高校前で呑気に食事をする姿は、ある意味では注目の的にはなるが、時間帯とあって中々人通りは無く、元より衆目も意に介さぬ捉把だが、クラスメイトの目すら無い。

 担任の相澤からは無為に居残る事を禁ずる厳重注意を言い渡された。立場が今年度の生徒で最も危険な存在となれば、彼の言葉も態度も道理がある。しかし、捉把はそれらを回避し、目を盗んでは暇を校内で潰していた。有限な時間を有効活用する事に重きを置く相澤が見れば、もはや除籍処分を降すのも吝かでは無いだろう。

 しかし、帰宅しても特にやる事の無い捉把としては、寧ろ校内こそ有意義に生活できる空間であった。近所に友人も居らず、家族すら居ない身としては、物事に取り組む端緒なる気概が無い。

 誰かを救いたい、理由は無く、経緯は無く、憧れも無い。ただ胸の内に湧く漠然とした正義感、一種の強迫観念にも似た感情が、捉把をヒーローへと駆り立てる。出自が凄惨であるが故に、より一層強く肉体を動かす原子炉になっていた。

 尊敬する母のようになりたい、形骸も同然の父とは別の道を歩みたい、父を造った連中みたいには……なりたくない。

 

「おい」

 

 コロッケに噛み付いたまま振り返る。

 軽微な怪我に処置を施し、汗臭い勝己が睨め下ろしていた。彼は戦闘訓練があった日以来、教師に自己申告をして、許可さえあれば演習場を使用し、独自で鍛練に励んでいる。幸いにも此所は雄英、最高水準の道具が揃った環境下で、恐らく誰よりも向上心を持ち、最大活用しているのは彼だと断言しても相違無い。

 捉把は食べ掛けのコロッケを差し出した。噛み付いた跡と、彼女の顔を交互に見てから、勝己はそれを一口で食い尽くした。一瞬の沈黙、その後に無表情ながら怒気を満身から滲ませる捉把を躱して、勝己は駅へと歩く。

 その後ろを追った捉把は、仏頂面の彼の頬に手を伸ばして撫でる。貼り付いた険相だが、出会い頭に罵声を畳み掛けない程には穏やかであった。

 訝って視線を寄越す勝己は、この奇行にも無言だった。捉把は微かに微笑んで、手を引き戻す。

 

「んだよ、キメェ」

「ううん。頑張る貴方は可愛いな、って思って」

「あ゛?」

「失敬、カッコいいに訂正するよ」

 

 戦闘訓練の日からの変化。

 放課後の単独鍛練、昼食は何故か捉把と切島(オマケ)を食堂へと必ず伴い、消極的ではあるが戦術考察の論議についても意見交換に応じてくれる。唯我独尊、孤軍奮闘だった姿勢が緩和し、周囲の技能を洞察し、取り入れる努力――端的に換言すれば、“己が一番”と考える思考を捨てて、“一番になる”為の戦いを始めた。

 その兆候は、捉把の目にも素晴らしい変化として見て取れる。狂犬が自制を覚え、反発よりも先に環境適応能力を高める事に注力しているのに似た傾向。

 電車に乗ると、二人分の余裕が空いた座席を発見する。端の方であり、捉把をそちらに追いやってから、勝己はサラリーマンと彼女の間に座を占めた。

 

「テメェ、飯は食ってんのか?」

「大丈夫だよ兄さん、最近のスーパーは進化してる」

「誰が兄さんだコラァッッ!!?テメェの不健康っぷりは顔色見りゃ判んだよ、どんな生活して、テメェの親が作ってんのか、テメェが作ってんのか……全部教えろやボケ!!」

 

 声量を押さえた勝己が怒号する。

 何故に捉把の食生活を気に掛けるのか。理由としては、食堂では他人の金銭で賄い(好意に甘えて切島)、他では帰途での買い食いが専らである。自然な会話の中でも、食事に関すると大抵が“商品”。生活の核心に迫る質問は、然り気無く流されてしまう。

 家族関係、住居、過去――個人的な生活の全容が窺い知れぬ彼女に、少なからず興味を懐く勘の鋭い者が居る。勝己が何を問いたいのか、察している捉把は尚も語らなかった。

 中学三年から交流がある、それでも空狩捉把の人物像は、未だ内側に未知の闇を孕んでいる。演習場で感じた不気味な感覚、高度な戦闘技術、言動の節々から窺える暗殺者じみた敵を討つ事の決意を感じさせる鋭い響き。

 勝己は最近の急成長を見せる出久への焦燥以上に、何も判らない捉把が恐ろしく思えた。

 

「ごめんね、聞いても面白くないよ」

「はァ?」

「私はね、怪物と人の間に生まれた子なんだ」

 

 

 

**********

 

 

 ここに一人の少女――空狩捉把が居る。

 彼女の両親は、相見互いに何ら接点もない、云わば第三者より強制的に結ばれた存在。ある絶対的な地位を恣にする強大な人間の計画の一端で、二人は子供を成す事になった。

 数々の失敗作を産み出した悲惨な実験の末に、成功例として生まれたのが捉把である。俗に謂われる“個性”婚よりもより酷烈。

 父親は出自の不明な複数の“個性”を持つ奇怪な生物で、母は彼と子を成す事を強いられた。愛情も無く、捉把を身籠っても、しかし己に宿った命の尊さに、喩え相手が怪物であり、生まれでる子供が怪物だったとしても、幸福に暮らせるだけの人生に導く覚悟を決めたという。

 

 出産後は父が死に、衰弱した母と共に暫し平和に暮らした。姓は母の空狩を嗣ぎ、彼女が他界してからは親戚の間を転々と移動する幼少期を過ごした。中学になり、生活保護を受けながら、時折新聞配達を密かに行って生計を立てていたところへ、一通の手紙が届いた。

 父親の親類と思しき人物からの生活支援である。無条件での提供とあって、捉把はその好意に甘えているが、相手を信頼してはいない。

 ただ、救えなかった母のような人、自分の為に犠牲となる人、親しかった人を守りたい一心で、捉把の中にある正義感が働く。

 人を救えるなら何でも良い――それこそが、空狩捉把の原点(オリジン)である。

 

**************

 

 

「――そんな感じかな」

 

 捉把の事も無げに伝える声音。

 勝己は先を行く彼女の背を睨む。その表情が気になって一歩前に出るが、ふと再び“あの感覚”が甦る。背筋に凶器を突き付けられているかの様な緊張感と圧迫感。足を止めた勝己にすら振り返らず、捉把は歩む。

 勝己にとって、この少女は初対面から異質ではあったが、過去から続き、より深く関わる程に内側に宿った狂気の如き何かが相手を圧する。自分や家に頓着が無く、友人を重んじる彼女の気質は、この事情から端を発するのだろう。

 勝己は暫し虚空を睨んで、深く大袈裟に嘆息すると、捉把の頭を平手で鋭く打つ――のを躱わされ、振り返る彼女へ顎をくいと上げた。

 

「買い物付き合えやクソ女」

「……コロッケ?」

「さっき食っただろうが!!余計な物腹に入れんなデブ!」

「失礼だね。クラスでも、私の体型は理想と称されて絶えないんだから。貴方の視点からスリムと吐かせるなんて、精々白骨くらいだよ。……余計な物?」

 

 結局、捉把は買い物に付き合わされた。

 食材費は勝己が負担しており、これを好機と目を光らせた捉把が始終アイスを籠に投入せんと試みたが、堅固な勝己の防御に阻害され、無念の無償アイス作戦は失着となった。

 何よりも、その行動を咎めた彼は、彼女が大の苦手とする辛味の料理でも拵える算段か、篭の中には七味や辛子などが多数見受けられる。これに戦慄した捉把が顔面蒼白になり、予期する処刑を慴れて免罪を嘆願したが、修羅もかくやという笑顔で応えるだけだった。捉把は自分の死に様だけを想像し、肩を落としてレジで会計を済ませる勝己の姿を恨めしそうに睨め付けた。

 

 

 

 勝己の自己申告あり、自宅に彼を伴って帰る。

 捉把は玄関の施錠すらせぬ質で、鍵すら錠に挿さず開閉する様子を見た彼が憤慨した。厳しく注意された内容をあまり記憶していないが、捉把は言葉に相槌を打つ。

 周囲へ蜘蛛の巣の如く張り巡らした感覚の持ち主であり、夜間の不法侵入を試みる者には“個性”での撃退も躊躇わず、且つ財産に関連する品は殆ど置いていない。通帳などは、捉把が常に携帯している。

 不用心を咎められ、それでも得意気に己が警備システムと言わんばかりで語ると、頭頂部に強か拳骨を受けて暫し悶絶した。外見や言動からヒーロー志望は疑わしき少年、それに少女への暴行という罪状を重ねれば、不法侵入者と差して差異無い。

 そんな事を考えて、勝己に睨まれたのは語るべくも無い。

 厨房に立った勝己の姿は平生彼女が見るものとは異なる人物だった。手際よく食材を捌いて行き、別々の作業を滞りなく行う。流石は幼少より天才と近所に謳われし爆豪勝己、素行の悪さが無ければ、頼りになる主夫である。

 しかし、突然ひとの家にて食事を作ると言い出した彼の真意を推量できず、捉把は如何なる底意があっての事かと勘繰る。交換条件で何事か要求されるのではないか、それならば額への褒美の口付けで相殺されるのが普通だ(勝己が内心で喜んでいるのも知っている、なぜ喜ぶかまでは知らない)。

 待機時間中に欠伸を噛み殺して、テレビも無い空間では小説を耽読する。休日の生活など、趣味以外に費やすモノを持たない彼女は、確かに高価な物は無く、かといってぬいぐるみなどの娯楽は見当たらず、びっしりと書籍の詰まった書架が三つ並ぶ程度だ。

 勝己の存在も忘れ、私服姿に着替えた後は再び床に伏して読んでいると、部屋の中央に配置した丸机に皿の置かれる音がした。普段は食事はしない上に、自宅に招待する家族も友人も居ないが念の為の備品としていた物だ。

 起き上がって捉把は、芳しい香りに僅かに顔を綻ばせる。エプロン姿の勝己が差し出す物は、筑前煮や炊き込みご飯など、多数の品が出された。目を剥く捉把の前では、当然とばかりにドヤ顔、寧ろ驚く事こそ疑問といった目に、捉把は勝己こそ異常だと訴えかける。

 恭しく箸を掲げ、食前の礼を済ませてから食べた。舌を刺激する甘露な食材の融合、平時の鬼畜な性格の提供者の性格すら忘れる多彩な味の輻輳に、捉把は物珍しく満悦に笑みを溢す。

 勝己は対面に座り、頬杖を付いてじっと見詰めていた。一口を食する度に変わる捉把の表情を余さず目に焼き付けるかのごとく。

 

「この筑前煮は家宝にしたい」

「黙って食えや」

 

 食堂で切島に奢らせる学食、コンビニ弁当でも味わえぬ美味を久々に完食し、捉把は皿には何も無いというのに箸を置いて食事を終える事自体を逡巡した程に感銘を受けた。

 

「ヒーロー志望辞めて、主夫に転職する事を勧めるよ」

「は?」

「一家に一人欲しいね、勝己くんの様な有能な人材」

「はっ、贅沢言うなカス。有り難く思え」

「そんな言動だから自身の株を落とすんだよ」

「あ゛?」

「今日はどうして、作ってくれたの?」

 

 勝己が露骨に嗤笑し、捉把の額を指で打つ。

 爆撃では無くとも、普段から鍛えられたそれは一種の鈍器であり、痺れると共に後から鈍痛が襲う。やや涙目で睨むと、彼は頬杖のまま厨房を見遣る。

 

「ヒーロー志望のくせに健康管理が杜撰なのが見てて腹立っただけだ。文句あっか殺すぞ?」

「仰る通りだよ。でも私が料理すると、食材が拒絶反応を示して全滅するんだ。こんな怪異な事があって良いのかな?」

「そりゃ怪異じゃねぇ。テメェの壊滅的な腕に起因してんだ、この程度の単純明快な因果関係も自覚しろアホ」

 

 捉把はふっと溜め息を吐く。

 

「一言、いや二言も多い。それじゃ、いずれ出会う女性ファンから反感を……いや、貴方に女性ファンって、きっと罵倒されて悦ぶニッチな層かもしれないね」

「は?正にテメェじゃねぇか」

「誤解も甚だしい。勝己くんに意趣返しするのが私の楽しみであって、別に貴方の罵詈雑言は好きではない」

 

 捉把は漸う箸を置いて礼をした。

 勝己が自然な流れで片付けると共に、長らく使用されなかった食器の面倒まで見ている。もはや捉把の家政婦な様な働きに、家主は賛嘆の念を懐く。しかし、彼が来なければ使いもしない食器まで律儀に洗う必要性など感じられない。

 捉把は自分に気を遣わせているのだと感じて気分が苦々しくなる。

 

「ごめんね、迷惑かけて」

「思ったんなら改善しろ、何なら――」

「難しいね」

「即答かよ努力しろよクズ」

「!?く、クズ……初めて聞いたよ、そんな酷い単語」

 

 勝己はけっと吐き捨てて、手を拭きながら捉把の隣に腰を下ろした。

 

「改善してるか見に来てやる、週ニでな」

「え゛……」

「出来るよな、俺がここまでしてやってんだからよ」

「恩着せがましいね、貴方は……ホント」

「無理なら俺んちで食わしてやる」

 

 意外な誘いに、捉把は驚倒した。

 

「もしかして、家庭ではいつも貴方が作っているの?」

「あ?俺がクソババアより上手いからな」

「へー、偉いね。あ、そうだ」

 

 捉把が躄って勝己に寄る。

 顔を上げた彼の眉間に口付けを落とした。

 

「ご褒美」

「……はっ、全然嬉しくねぇ」

「それなら、何だと喜ぶの?」

「明日のヒーロー基礎学で俺よりも成績取れたら教えてやる。但し、俺が勝ったら命令すんぞ」

「いつも命令されている様な気がするけど、承ったよ、その挑戦」

 

 暫し室内でいつもの会話を続けた後、勝己は帰宅した。

 捉把はその背中を見送りつつ、胸裏に疼く寂寥感を隠す。誰かが家に居る、そんな情景に心の中で何かが動いた。しかし、今の捉把には言葉では言い表し難く、ただ困惑と……そして感謝を胸に、彼の背中へと手を振った。

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 勝己が出てから二時間後に電話が来た。

 

『冷蔵庫にぶちこんどいたから、朝はそれ食って来い』

「え、夜食用と思って……もう食べちゃったよ」

『テメェの夜食の面倒なんざ俺が見ると思うか!?』

「朝食まで用意してくれたからね」

 

 勝己の長いため息が聞こえる。

 連絡先を交換したのは中学三年。捉把がスマホを初めて買った時である。最初に登録したメールアドレスは勝己であったが、後々彼の親とも交流が出来ると、勝己が一番というのが癪に思え、一度削除した事がある。

 無論、後日に手痛い制裁を受け、今では最も連絡交換を行う相手であった。……何なら、女子よりも多い。

 

「申し訳無いね」

『死んで詫びろや』

「注意事項くらい事前に教えてよ」

『俺の所為にしたいんだなカスが』

「いや、今回“は”私の責任だから」

『 』

 

 捉把は空になったタッパー――件の彼が用意した朝食予定の物の残骸を見下ろす。面倒見が良いのだろうけれど、果たして誰にでもそうなのだろうか。

 

「勝己くんってさ――」

『あん?』

「――私の事、結構好きだよね」

『ぶっ!!??少し慈悲かけた程度で自惚れてんのか、テメェの脳は花畠か!?』

「いや、つまらない事を聞いたね」

 

 捉把はタッパーを流し場に持って行く。

 

「次からは注意……いや、甘えてられないね」

『明日、七時に家開けとけ』

「……いつでも開いてるよ?」

『閉めとけ!!』

「どっちなの」

 

 捉把は少し笑って、電話越しに聞こえる彼の声に相好を崩す。

 

「やっぱり、私の事が大好きなんだね」

『明日殺す、待ってろ。逃げたら処刑だぞコラ!?』

「うん、待ってるね」

 

 朝の約束をして、二人は眠った。

 

 

 翌朝――。

 

 しっかり片手にタッパーを持って七時に来た。

 

「おはよう、良い天気だね――痛い」

「処刑っつったよな?」

「じょ、冗談だよね?」

「………………」

「………………沈黙は否定、だよね」

「都合の良い脳ミソしてんな」

 

 寝惚けていた捉把は一気に寒気で覚醒する。

 

「あ、あー、貴方の美味しいご飯が早く食べたいな!」

「……早く退けや、遅刻すんだろが」

「(……照れてる)」

 

 捉把は不躾にも靴を無造作に脱ぎ捨てて入る彼を見た。

 

「ふふ、何か可笑しいね」

「……テメェ、今日明日で良く笑うな気色悪ィ」

「そうだよ、貴重なんだ。しっかり目に焼き付けておくれ」

「何様だよカスが」

 

 その後、二人で登校する様子を出久に見咎められて、混乱した。

 

 

 

 

 

 

 




あ、やっと書けた。
明日も更新しよう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話「要は苺の無いショートケーキ」

あ、やっと書けた。


 勝己による食生活改善の生活が始まった初日。

 午後のヒーロー基礎学の授業にて、バス移動となっていた。広大な敷地面積に幾つもの疑似的な街を擁する雄英の移動教室は、一度に自動車を利用することが多い。既に慣れた事柄ではあるが、やはり捉把には不思議に思えてならない。

 これ程の設備を万遍無く、不備の無い状態を維持する雄英高校の設備保護は、一体どんな手段によって行われているのか。すべてが規格外であり、この高校に通う内で何度衝撃を受けたか、もはや呼吸するように常識を覆すカリキュラムには一笑に付すばかりでなくては疲労してしまう。

 車内でも個性的なクラスメイトは騒々しく、特に勝己に集中火力であった。切島に「下水で糞を煮込んだ性格」と称されて、食い掛からんばかりに後部座席の面々に背凭れから身を乗り出している。乗車前に勝己によって強引に隣へ磔にされるのを回避し、最も後ろに座る轟の隣に落ち着いた。

 隣と言ってもバスの最後部――長い座席の両端に、窓を其々見るので、視線が交わる機会も無い。寧ろ、轟に関しては睡魔に舟を漕いでいた。

 面白がって移動し、すぐ傍らにまで接近した捉把に驚く。無表情ではあるが、瞳の奥では悪戯心の光が兆していた。無邪気な子供よりも知識があるからこそ悪辣な部分があり、捕まった事に対する悔恨で轟は窓の方に顔を逸らす。

 捉把は彼の頭髪を指で弄り、たまに頬を指で突く。何が楽しいのか、その単調な作業を延々と繰り返した。何分か耐えていたが、流石にその煩わしい感触に顔を顰めた轟が振り向くと、待ち構えていた捉把の白い指先がまた頬に刺さった。

 してやったり――自慢気に目を細めて拳を握る捉把に、長嘆を禁じ得ない。誰よりも大人びていて、誰よりも無邪気な様子。戦闘訓練と平時では雰囲気が明らかに異なる、摑み所の無い刀身だけの太刀を思わせる人物だ。

 轟は以前の会話で、彼女は“個性”婚に似た過程で生まれたと告白した。倫理的にも世間に問われた悪習の如き手段、その犠牲者は自分だけではない。捉把を見る度に、自分と彼女の差違は何なのかを考えさせられる。

 捉把はふと、難解な事実を追及する思考に顔を曇らせた彼を見て、眠そうな顔だと勘違いすると、少し間を空けてから揃えた自分の膝を叩く。

 訝って振り向いた轟は、そのまま伸びてきた彼女の手に頭を抱えられ、ゆっくりと横倒しにされた。頭部の下にある少女の太腿に戸惑いを覚えたが、髪を梳く優しい手付きについ先刻に打ち克った筈の眠気が甦る。

 

「寝てて良いよ、到着したら起こすけれど」

「……この状態で、良いのか?」

「母さんがよく私にしてくれたの、よく眠れるよ」

「……母……さん……」

 

 捉把は彼の声に一瞬だけ手を止めたが、不自然なく手元の動作を再始動させる。その僅かな変化を、眠りの底に意識が落ちかけた轟は機敏に読み取れなかった。峰田の羨望と怨恨の眼差しを受けつつ微睡む少年の頬に手を添える。

 轟は瞼を閉じて意識を手放す。ただ、寸前で捉把が頬に置いた手を握って、まるで甘えるように強く指を絡めた。

 為されるがままの捉把だったが、それを見咎めた勝己が眦をつり上げた凶悪な顔で噛み付く。

 

「おいコラッ!!なんで半分野郎寝せてんだ!?」

「別に良いでしょう、勝己くんよりは」

「ああ!?」

「そういや、確か轟が空狩の胸を鷲摑みにしてたから、今さら膝枕も恥ずかしくないってか」

 

 上鳴の爆弾発言に沈黙する車内。相澤でさえも、手元の手帳の頁を操る手が停止した。

 

「それは勝己くんの前で――」

「おい、クソ女」

 

 捉把が振り向くと、闇を湛えた笑顔で勝己が近付く。

 

「ソイツ寄越せ。あとテメェもシバく」

「……そう、じゃあ――君も、触る?」

 

 キャミソールの裾を少し捲り、潤んだ瞳で見上げる捉把。芳香でも漂わんばかりの艶麗な誘惑に、完全硬直した勝己は、一分後に黙って元の位置に戻った。全身まで真っ赤である。

 全員が勝己を憐れみ、捉把へと振り向くと――彼女はピースしていた。完全勝利を黙って告げる姿に、誰もが苦笑する。荒い呼吸で席を立とうとした峰田は、八百万の拘束を受けていた。

 

「撃退完了」

「遊んでるなよ、着くから準備しろ」

 

 相澤の号令に従い、皆が動き出した。

 

 

 

 

 

***************

 

 

 

「すっげー!!USJかよ!?」

 

 ドーム上の施設に入ると、クラスメイト達が驚喜の声で叫んだ。全方位に様々な地形の空間が設けられ、圧巻の景色となって全員を包む。捉把は防弾硝子の天井を見て、眩しげに目を眇める。つくづく設備費用や管理方法について懐疑的に構えてしまう。

 まだ眠気を引き摺る轟の手を引きながら、相澤が集合命令を出す位置に整列を始めた。轟を配置した後に、自分の順番へと列に割り込むと、後ろから風に靡く漆黒の外套の裾に脹脛を撫でられ思わず振り返る。

 後ろに居たのは、相澤を見据えた常闇踏影。

 烏に似た嘴の如く著しく前に長い鼻梁、後頭部では頭髪が逆立つ姿が凛々しく、荒々しい。全身を黒装束で覆い、クラス内では誰よりも色濃い影を纏う姿である。体格は小さいが、個性把握テストで見た時は強力な“個性”の持ち主と認知している。

 捉把が黙礼すると、常闇は視線だけ寄越し、目礼して前を見た。寡黙で冷静な印象とは裏腹に、挙止の一つが愛嬌あり、捉把は無意識に手で彼の鼻先や頭頂を撫でたりした。狼狽える常闇にも委細構わず続行する。

 やがて頭を振って回避した彼に、やや悄然として前に向き直った。常闇に拒絶されたのも理由の内だが、それよりも後方から凄まじい眼光を飛ばす勝己の殺気が何よりも恐ろしかったからである。

 相澤の指示で待機していた面々の下へ、重厚な鎧……ではなく、宇宙服を模した身形の人物が悠々と歩み寄る。

 

「水難事故、土砂災害、火事……etc. あらゆる事故や災害を想定し、僕がつくった演習場です。その名も――」

 

 誇らしげに胸を張るその人に、麗日お茶子――入試前に出久と話した茶髪少女――が目を輝かせた。捉把はその愛らしい姿よりも、宇宙服の中身を気にして目を細めた。

 およそ夢も無い詮索に、常闇が肩を叩く。振り向かせた捉把に横へ首を振った。

 

「ヒーローとは正義の使者。無粋な詮索は平和の乱れ」

「嫉妬しなくて大丈夫。常闇くんの方が可愛いよ」

「か、かわッ……!?」

 

 よほど心外だったのか、外套で口許を隠して少し後退る常闇。その頭頂に手を置いて、またしても撫で始める捉把だったが、相澤の襟巻きの先端が飛来し、その後頭部を撓り打つ。乾いた音と共に踞る捉把の様子を誰も見ていなかった。安堵する常闇に、未だ諦めぬ捉把の熱意を込めた眼差し。

 宇宙服が当惑するのを相澤が指で継続を指示し、襟巻きで捉把の腕を後ろ手に組ませて縛る。説明は続けられ、憐憫の眼差しを常闇は足下に膝立ちの姿勢で受ける彼女へ注いだ。

 

「――そ、その名も、『ウソの災害や事故ルーム(USJ)』!!」

「「「(ホントにUSJだった!!)」」」

「パクりですか。要は苺の無いショートケーキ」

 

 全員の顔が蒼褪めた。常闇が横からその口を塞いだが、時既に遅い。完全に固まった宇宙服、相澤が捉把の顔面までも襟巻きで縛り上げて沈黙させる。その悲惨な姿に知り合いである出久と勝己は呆れていた。

 一方で、麗日だけが跳ねて喜んでいる。捉把以外にもマイペースな生徒はまだおり、奇しくも彼女のお蔭で凍り付いたクラスメイトが再始動した。轟の氷結さながらの空気を読まぬ捉把の言動から、誰もが逃れたい一心である。

 

「スペースヒーロー『13号』?」

「うん。災害救助でめざましい活躍をしている紳士的なヒーローだね」

「わーー!私好きなの13号!」

 

 微笑ましきはその喜び様、一部を除いて皆の顔が綻ぶ。捉把は最早前も見えず、絞首台に乗せられた死刑囚のように俯いている。さしもの常闇も憐れに思い、大人しくなった捉把を案じて相澤へと無言で視線を投げ掛ける。首を振って否定された、相澤は演技力の達者な事を知っている故に一切許さない。

 嗤う勝己の気配を感じ、捉把は解放直後に復讐を誓った。宇宙服――13号が目の前に掌を突き出し、指を一つずつ畳んでいく。捉把の口が漸く解放された。

 

「えー始める前にお小言を一つ二つ……三つ……四つ……」

「「「(増える……)」」」

「相澤先生で手一杯なので後にして下さい」

「「「(マイペース!!)」」」

 

 相澤の手刀――沈黙。

 

「皆さんご存知だとは思いますが、僕の“個性”は『ブラックホール』。どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」

「その“個性”でどんな災害からも人を救い上げるんですよね」

 

 出久の言葉に、麗日が顔の肉が剥ぎ取れん勢いで頷く。

 

「ええ……ですが、しかし簡単に人を殺せる力です。皆の中にもそういう個性がいるでしょう?」

 

 人を殺せる力。

 それを聞いた途端、全員が沈黙した。何より、捉把の動きが止まる。入学試験で数多の命を屠った怪物、そしてそれを圧殺した己の“個性”。今や悪事にも善事にも用いられる武力、兵器の一種としても捉えられる。

 捉把は特に、空間断裂や空間圧縮、他にも空間内の物質を分解する荒業があるが、人間を対象とすれば必殺必滅の一手。勝己の爆破、轟の半冷半熱も人を凍死や焼死させたりも容易に可能だ。

 超常の力を扱う者は、常に己の力について知覚的でなければならない。誰かの言葉だったが、捉把はその意味を重々承知している。誰かを救う力は、忌々しくも誰かを殺傷する力に転ずる場合があるのだ。だからこそ、無闇に揮う事を禁じられ、抑制の為の規則、ヒーローという職責が与えられた。

 特に、オールマイトこそ代表例だ。

 

「超人社会は”個性”の使用を資格制にし、厳しく規制することで一見成り立っているようには見えます。しかし一歩間違えば、容易に人を殺せる行き過ぎた“個性”を個々が持っていることを忘れないで下さい」

 

 全員が互いを見遣る。特に、切島は捉把を案じて振り向いていた。

 

「相澤さんの体力テストで自身の力が秘めている可能性を知り、オールマイトの対人戦闘訓練でそれを人に向ける危うさを体験したかと思います」

 

 13号が両腕を拡げて、周囲を眺め回す。

 

「この授業では心機一転!人命のために”個性”をどう活用するのかを学んでいきましょう! 君たちの力は人を傷つける為にあるのではない。助ける為にあるのだと心得て帰って下さいね。――以上!ご静聴ありがとうございました!」

 

 説明を完遂した13号がお辞儀をすると、全員が拍手をする。相澤の束縛を解かれた捉把も、黙って立ち上がると自身の掌中を見詰める。人道を逸する力を、個々が持ち合わせている。

 本人の意思によって凶器にも救済にも為り得る可能性を秘めた力の結晶。捉把も入試で自戒した事を、改めて己の胸に念を押すように刻む。

 

「さて、そんじゃあ先ずは……」

 

 胸中を察した相澤が指示を発する直前、目に緊張の色を走らせた。不意に捉把の背筋に悪寒が走り、脊髄反射で臨戦態勢になる。五感を突き刺す危機感、普段ならば物理的現象にしか反応しない感覚器官が、勘という曖昧なモノに刺激されて過敏になる。

 相澤と背中合わせになり、左手の猫爪を長くして構え、右手には刃の拉げて潰れた歪な短刀を手に執る。猫耳帽子の鍔の下で、周囲に目を奔らせた。悪意に敏いヒーローと、誰よりも危険を看取するのに鋭い少女の様子に全員が訝る。

 捉把と相澤が反応したのと同時に、階段下の噴水付近を背景とした虚空から、黒い濃霧の如き靄が現れた。渦動し、次第に空間一帯へと大きく膨らむ闇の躍動。出現に伴うものは無く、明らかに“個性”である。

 

「ッ……一塊になって動くな!!」

 

 邪悪な跳躍、それか空間を歪曲させて到来する。穿たれた空間から充溢するのは、向こう側で集積した途方もない悪意が奔流となったすべて。吐き気を催す様な感覚に、捉把が顔を顰めた。

 これは敵襲――つまり、敵の登場だった。

 噴水前に生まれた暗黒の内から出現する人間。どれもが粗暴な風体、明らかに喜悦と害意に恍惚として顔を歪めている。捉把が身を翻し、相澤の隣を過ぎて敵の一人に飛び掛かった。

 勝己が目を見開く。――またあの時の感覚!敵前にて見せる捉把の顔は、誰よりも冷徹で澄んでいる。阻める物など無い、吹けば命を刈り取る疾風の様な姿。

 早業で二人の首筋を短刀で殴打し、意識を刈り取る。相澤の誰何よりも先に、再び集合場所へと後退した。今は叱るよりも最優先に生徒の身を考える立場上、相澤は横の捉把を一瞥してから後方の全員を叱咤する。

 

「13号!!生徒を守れ!!」

 

 首に下げていたゴーグルを装着し、相澤は目線を一度だけ捉把に投げ掛けた。捉把もまた意を察し、瞬時に次の行動指示の内容を承る。猫爪から通常状態に戻し、後ろへと飛んで生徒の列に入る。

 混乱する一同の前で、相澤の戦闘が始まった。流麗な手捌きで一人ずつ拘束する腕に、捉把も素直な尊敬の念を抱く。簡単な体術、特殊合金の繊維で編んだ襟巻きを巧みに操る技量、冷静な判断力、視認している間のみ対象の“個性”を強制的に抹消する――イレイザーヘッドと呼ばれるヒーローの姿である。

 発動型以外には“個性”が通用しない故の拘束に特化した処理の術理。

 

「何だアリャ!?また入試ん時みたいなもう始まってんぞパターン?」

「やはり先日のはクソ共の仕業だったか……!!」

 

 先日、雄英のセキュリティを破り、施設を破壊した犯人が居た。敵意の在処や正体までは判明しなかったが、それでもヒーローの築いた自信に罅を入れる痛撃である。

 “個性”発動に備えた全員は、戸惑いと恐怖で周りを見回すばかりだった。

 捉把は掌を分厚いゴリラの皮に変化させ、短刀の柄頭にある穴に雑嚢から取り出した鋼鉄製ワイヤーを結び付け、接近する侵入者へ投擲した。手元を横へ振ると、投じられた短刀が軌道を変え、それに伴って敵へとワイヤーが絡まる。

 動きを封じられた瞬間、敵は脚部を羚羊にした捉把の膝蹴りを顔面に強か喰らって気絶した。13号の注意が喚起される前に、短刀を回収して再び列に帰還する。切島はまたも彼女の戦闘技術に畏敬する。この状況下で戦闘が可能な冷静さがあるのは、プロの相澤や捉把のみだ。

 今や相澤に代わり、対人特化の戦技を持つ捉把が生徒を護衛している。

 その中で、捉把とは別に最も冷静に事態の趨勢を把握し、観察していた出久は携帯を取り出して学校に連絡を取ろうとした。彼だけが判っていた、捉把もまた敵をいなすのに手一杯。13号は十数名もの生徒を扱うので困窮している今、生存の為に生徒が取るべき行動は一つ。

 それを実行出来たのは、まだ“個性”の実用が難しく、戦闘に不向きな状態である出久だったのだ。

 しかし、連絡手段として手にした携帯が反応しない。

 

「駄目だ!妨害されてるのか、電波が繋がらない!

 (侵入者の中に、電波妨害を可能にする“個性”が居るんだ。だからセキュリティにも反応しない!)」

 

 生徒の一人ひとりが確認する。しかし、やはり無駄だった。

 前方から生徒達に向かって急迫する敵勢との間に、捉把はまたしても一人を打ち倒し、閃光弾を地面に叩き付けた。溢れる強い光に皆が目を塞がれるが、動かないのは敵も同じ。

 ――背後から敵影は無い今、目の前だけに集中すれば良い。

 捉把は目を蛇の角膜で閉じて光を遮断し、催涙弾を次に敵の中心部――渦巻く黒い霧の前へと投じる。次々と現出する悪の権化達は、突如として炸裂した催涙弾が広範に赤い粉末を蔓延させ、咳き込み、悲鳴を上げて転がる。

 閃光が止んだ時に生徒が目を開くと、捉把が既に前衛部の数名を失神させていた。振り返って切島に視線を投げ遣る。彼女に向かって刃物を提げた一人が駆け寄る。

 切島が走り、寸前で硬化した前腕で受け止めて砕き、そのまま敵の腹部へと打ち込む。

 

「おい、空狩!危ねぇだろ!?」

「信頼してたから、切島くんなら来てくれるって」

「そりゃ嬉しいぜ、やっぱり男だぜ!」

「本当に失礼だね」

 

 13号が『ブラックホール』の吸引力を利用して、何人かを捕縛する。その間にも、生徒達はまだ混乱から立ち直れずに居た。

 捉把は跳躍し、近くにあった仮想避難訓練用のフィールドにある高い岸壁の凹凸に摑まり、全景を見渡した。

 ――現れたのはUSJのみ、或いは学校全体。少なくとも現状では此所がかなり危険。校舎から隔離された空間、ヒーロー基礎学の内容に合わせた奇襲。計略無しの阿呆にできる手際じゃない。

 捉把は壁面を蹴り、切島を背後から襲う相手の胴を横合いから踵で撃ち抜く。加減して打ったため、肋を何本か折る感触と共に、地面を転がって失神する敵。

 

「用意周到な連中による犯行……!」

「(出久くんも成長したね。)」

 

 捉把が感心する。

 オールマイトによる訓練を受けて以来、元より柔軟だった思考の展開速度や正確さの増した出久は、確かに中学時代に消極的だった彼が隠し持ち、発揮されずに凍結されていた彼の“強み”。

 敵の攻撃網を脱出し、一度後退した相澤が捉把の隣に立つ。全員が安堵した、まだ負傷していない。

 

「空狩、13号主体で避難をさせる、お前はクラスを纏めろ」

「了解です」

「先生、一人で戦うんですか!?」

 

 出久の叫びが相澤の鼓膜に届く。戦闘スタイルでは複数相手の正面戦闘が難しい“個性”である。

 相澤の強さの全容を理解している訳ではない。しかし、あの多勢を一人で処し遂せる自信があるのだろうか否か。

 

「一芸だけじゃヒーローは務まらん。対人戦闘の心得はそれだけある。13号、任せたぞ!」

 

 そう言って再度飛び出す姿に、出久は己の誤認を訂正する。あの歴戦のヒーローが、己の弱点を識らず改善の処置を施さぬ道理が無い。確かに捉把と13号の援護ばかりに目が向いていたが、相澤の戦闘は確かに闇から湧き出る有象無象の敵を手玉に取っていた。

 それでも、やはり相澤も人間。その体力にも限界がある。まだ敵の導入は続いている、底が見えない。

 

「出久くん」

 

 相澤先生を心配する出久に、捉把が声をかけて催促する。

 

「私が殿、君の判断力を活かして宇宙服先生を補助。勝己くんは私が落ち着かせるから、気負い無く指示して」

「でも、君が危険だ……!」

「舐めないでよ少年、信じろ私を」

 

 出久の体が固まる。オールマイトのような口調、明らかに気丈に振る舞っている。捉把も無理をしている自覚があるのだ。

 口を開こうと出久が動いた瞬間、体が勝手に捉把に背を向ける。次に背中を軽く突く空気の衝撃に押され、13号の下へとよろめいた。後ろを顧みれば、捉把が同じように切島を移動させながら手を振っている。

 確かに現状では捉把や轟、集団に対する戦法が適応する。第一、何も出来ない自分が意見を挟む事を烏滸がましいと感じてしまう自分が居た。 

 

「頼んだよ、出久くん」

「……判った」

 

 出久が皆の方へ戻るが、勝己が逆方向――捉把の方へと歩き出す。彼女の肩を摑もうとした手が止まった。空間を固定され、完全に動けない勝己へと振り返る。

 捉把は儚げに笑む。

 

「勝己くん、みんなをお願い」

「テメェも逃げろ、んな顔で雑魚にも勝てる訳ねぇだろ」

「私は大丈夫だから」

「ヒーロー止めろ、んな顔するくらいなら」

 

 捉把の表情が凍り付いた。

 

「テメェは自分の所為で他の奴が犠牲になるのが怖ぇだけだろ。母親みてぇに、人を助けるのに都合良いのがヒーローだったって話だろ?

 憧れも無ぇ、人を救う時に達成感あったか?理想の形に近づいたッつー手応えあったかよ?」

「……それは……」

「無理ならやめろ。……代わりに俺が――」

 

 その瞬間、敵を招き入れていた黒い霧の渦が変動し、生徒の方へ広がる。空気に瀰漫する殺意に、勝己が捉把を背に回して構える。彼の言葉で完全停止した捉把は、敵を何人も無力化した勇ましい姿ではなく、力無いただの一人の少女であった。

 勝己の背に伸ばした手を躊躇って引く。

 

「させませんよ」

 

 13号と相澤の隙を衝き、生徒達に覆い被さる。

 前景を黒く染めていく姿、捉把の脳裏に過去の情景が去来する。思わず勝己に縋り付いた。

 

「初めまして、我々は敵連合。僭越ながらこの度ヒーローの巣窟雄英高校に入らせて頂いたのは……平和の象徴オールマイトに、息絶えて頂きたいと思っての事でして」

 

 悪戯の類いではない、明確かつ凄まじい悪意の下に行動している。膝の立たない捉把を切島が支える。

 勝己が駆けて霧を爆風で払うが、手応えは空しい。敵の弱点を捉もうと必死に、先ずは霧を掃って時間を稼ぐ事に専念していた。

 捉把は離れて行く勝己を追い求め、切島の腕から抜けようと足掻いて手を伸ばす。

 

「待って、置いてかないで」

「本来ならばここにオールマイトがいらっしゃる筈、ですが何か変更があったのでしょうか。まぁ……それとは関係無く……貴方たちも潰します」

 

 空気中に響く黒い霧の本体が発する声に、捉把の中でスイッチが入った。切島の顔面を裏拳で打ち、怯んだ隙に腕の中を離れる。“個性”を瞬時に展開し、勝己と自分の位置を置換した。

 

「散らして、嫐り、殺す」

 

 それと同時に、黒い霧がすべてを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




よし、次だ!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六話「ビターチョコは嫌い」

ふー、今回は重い。


 黒霧の渦が生徒を呑み込み、別の空間と接続して強制送還する。長距離も度外視する“移動”の“個性”の一瞬である。勝己による爆撃でも無傷であることから推測するに実体は無く、物理的攻撃力も極めて低い。己の身体を所謂ワープゲートとした人間。しかし、どんな“個性”も理屈や根拠に基づいた弱点が必ず内在する。

 霧が全員を解散させ、身体から発する瘴気の如き霧を収縮させ、侵入した集団の主犯格の男の方へと移動した。未だ組織力も無い烏合の衆、八九三で固めた付け焼き刃だが、生徒達を殺めるのには容易い人員数。

 ワープゲート男――黒霧が奮闘する相澤の戦場に合流せんと足を早めた時、全身に抵抗力が掛かって自由を奪われた。関節が錆びる、筋肉が硬直する――その類いの話ではない。この場の空気自体が凝固してしまっていた。

 自身から発する黒い靄の所為で見えなかったが、いつの間にか透明な半球状の膜が展開され、内側に捕らえられている。何事かは即座に理解出来た、この強力な力の運動からは脱出など叶わない。

 あの方が、注意しろと言っていた……――!

 

 黒霧の背後では、空狩捉把が静かに佇立していた。

 強制転移を発動される寸前に、クラス全員を『空間』による空間固定で無効化を急いだが、有効範囲に納めるまでの寸陰の間に消えてしまった。結果として己だけが取り残された捉把は、“個性”発動をそのまま継続し、黒霧を捕らえるのに成功する。

 空間諸とも固定化されてしまえば、実体は必ず在る、なら其処に存在する以上、逃れられはしない。後は強度の空間の超震動で実体の部分を微細な粒子にまで粉砕するか、或いは空間の断裂で切り裂くか。広範囲にまで及ぶ黒霧よりも空間干渉能力は低いが、この近接戦となれば汎用性のある捉把に絶対的優位がある。

 捉把の目は、平時では考えられぬ刃も同然の冷たく静かな怒りを瞳に湛えていた。この男の所為で、また喪うかもしれないからだ。認めてくれた仲間を、口煩くも面倒を見てくれる教師を、自分を想い遣ってくれた勝己も、この男達の工作で落命してしまう。

 捉把が前に伸ばした掌を、ゆっくりと五指に力を入れて握り込む。黒霧を包む空気が中心に向かって収斂し、凄まじい圧力を掛けて折り畳まれる。実体の部分までも圧し潰される感覚に黒霧は小さい悲鳴を上げた。

 まずは空間圧縮で骨身を砕いて行動不能にする。その後に断頭でも圧殺でも、幾らでも処刑は出きるのだ。光を失った仄昏い双眸で凶行に及ぶ捉把を、相澤が遠くから戦闘の合間に確認する。

 いま彼女は入試の時と同様に暴走しかけている。その身辺が危殆に瀕するよりも、他が為に憤怒する稀有な気性。それは時に、敵ならば構わず殺害する危険性を孕む。平時の飄々とした彼女と、戦闘時の彼女は紙一重で繋がっている、それが崩壊した時に見せる一面が――あの顔である。

 その背景に壮絶な過去がある事は読み取れる。安易に問い糺して良いモノではない。しかし、いつか誰かが踏み込まねば、永遠に彼女は孤独である。

 そんな相澤の憂慮も識らず、捉把の手は止まらない。

 

『ヒーロー止めろ、んな顔するくらいなら』

 

 捉把の意識を呼び醒ます。

 “個性”が解除され、黒霧の体に自由が返戻された。圧迫感の解放と同時に拉げていた景色が修正され、解放感と同時に脱力して倒れた黒霧の靄が晴れ、実体が捉把の目前に曝される。正体を暴露してしまった彼は、慌てて己の核を隠した。

 突如として茫然自失とした捉把の様子に、好機と打って出た。能力を解除した今の内に相澤を仕留める。黒霧が地面を吹き払う禍々しい風となって戦地へと急ぐ。

 我に返った捉把が追随する。獣の脚力を持つ彼女は、黒霧との距離を俊敏に潰していく。鬼気迫る表情、霧の進行方向に回り込んで立ち塞がった。

 動揺を全体で表し、霧が風に煽られた炎のように大きく揺らめく。捉把は即座に『空間』を展開し、前方全域を空気衝撃で一掃する。地面が捲れ上がり、瓦礫と共に黒霧の総体が弾け飛んだ。加減無しの“個性”――殺人の域に及ぶ凶悪な兵器の真価である。

 血飛沫と共に、全身の骨が軋む苦痛を味わいながら、黒霧が身を翻し、竜巻の如く縦に長く渦巻く霧を伸長させた。

 

「ッ……仕方ありませんね、これを贈ります」

 

 捉把が空間断裂で動きを封じようと試みた時、視界が白い大きな掌に包まれた。鎖された景色、疑問に思考を巡らせんとしたが、頭蓋を握り潰そうとする圧力に襲われ、悲鳴も上げられずに足掻く。手触りで自分を摑むのは大きな何かだと推測した。

 突然、上空へと持ち上げられる引力を感じ、次に浮遊感、次に落下、最後に地面に激突する痛み。捉把は何者かによって動きを封殺されたまま、一瞬の内に何の抵抗も許されず叩き伏せられた。嫌な予感を察知して、咄嗟に『獣性』で総身を犀の身体強度に変換したお蔭もあり、死は免れた。しかし、節々では骨折などの損耗で激痛が脳を乱打し、動く事すら儘ならない。

 吐血し、朧な視界で見上げた其処に奇怪な生物が居た。

 小鳥のように忙しなく首を傾げる不審な挙措、皮膚や頭蓋骨も介さず外気に晒した大脳、後方に押し瞑れた鼻梁と、著しく飛び出した眼球が落ち窪んだ眼窩を埋め尽くす。虹彩が非常に小さく、そこに理性の光があるか判らない。

 手足は屹立する鉄柱、胴は大樹さながらであり、外貌は尋常一様ではない猪首の白い巨人であった。全身の筋肉が不自然に痙攣を繰り返し、顔の割に小さな口は開けられたまま、ズボンと脛当を装備した以外は裸の姿。

 激突を果たした捉把の背の下の地面は窪地となり、周囲に亀裂が走っている。隕石でも墜落したかの様な地形の中心に仰臥する少女を持ち上げた怪物が跳躍し、相澤の戦う場所へと戻る。すると、ひとつの人影が怪物と捉把の登場を気取って歩み寄った。

 腕や顔を切断された人の手と思しき物で摑ませ、人相を隠した異様な風態。上下を質素な黒服で包み、無造作な灰色の頭髪の下で鋭い目をした細身の男性である。その姿を視認しただけで、途轍もない悪寒に捉把は総毛立った。

 

「やァ、お前が確か空狩捉把……だっけか。同じ“生徒”として会えて嬉しいよ」

「……ど……ういう……?」

「お前も“先生”の作品の一つなんだろ?この不良品と違ってさ」

 

 捉把を拘束する怪物の腕を叩いて笑う男――死柄木弔に、捉把は何の理解も呈する事が出来ずに狼狽えた。“同じ生徒”、“先生”、“作品の一つ”、“この不良品とは違う”……。傍証となる言葉の真意を探るにも、思考を鈍重な痛みが妨げる。

 死柄木の嘲笑にも苛立たず、次第に意識が遠退いていく。

 

「お前が居るべきなのはこっちなんだぜ?」

「……うる、さい……」

 

 捉把の脳裏にフラッシュバックする過去の情景。

 楽しく戯れた中学三年の春から現在に至るまで、勝己や出久、切島や轟を中心に動いた世界。それ以前の灰色に褪せた記憶を更に遡行して、余命僅かな母と過ごした最後の日々。死に際に見せた、彼女の安らかな笑顔。

 それよりも前に、暗室に所狭しと並ぶ試験管の中を満たす液体、そこに奇怪な生物が浮かんでいる。それを望洋と観察しつつ、背後から抱き締めて庇おうとする母の金切り声。そして、捉把へと手を伸ばす黒い影……。

 頭痛が酷くなり、意識が朦朧とする。

 

「だって、お前は“先生”の最高傑作なんだ。“先生”や俺の為に働くんだよ」

「私は……空狩嗣音……の娘……」

「来いよ、“脳無の娘”」

 

 

 

 

 

 

 

 捉把の体内で、力の制御を果たしていた糸が断たれる音がした。

 

「――――違うッッ!!!」

 

 “領域”が展開する――――USJ全体に。

 相澤は空気を震駭する衝撃波に踏み堪えた。他の敵達も風圧に負けて地面に転倒する。至近距離で発生源から受け、吹き飛んだ死柄木の指示で怪物がその後ろに回り込んで受け止める。最も付近にあった施設が瓦礫の山と化し、中心に立つ捉把の影が揺れ動く。

 薄紅だった捉把の頭髪や獣の耳、瞳までもが灰色に染まる。パーカーを脱ぎ捨てた途端、全身の出血や骨折が蒸気を上げて治癒し、右腕の前腕部半ばから手甲を引き裂いて刃渡り五〇センチの刃に変貌した。

 その変身に死柄木は首を傾げると、首筋を苛立たしげに爪を突き立てて掻く。

 

「いいや、要らね。やれ――“脳無”」

 

 死柄木を支えて居た怪物――脳無が地面を蹴って跳躍する。

 

「ビターチョコは嫌い……苦いの。特に、血の味とかなんて」

 

 捉把の姿もまた消え、同時に発射した筈の脳無の四肢が宙を舞う。瞠目する一同の前で、捉把が脳無の後ろで既に凶器に変容した右腕を振り翳していた。視認可能な範疇を超えた行動速度に、相澤すらも捉えられない。

 これは想定外だった――完全に轟の力の通じる程度の埒外にある位階。オールマイトの一撃には勝らないが、それでも一騎で万軍に値する。それが制御不能となれば、敵味方の双方に多大な恐怖だけを与えてしまう。

 やはり、相澤が直接そばに置いて“見る”しかない。

 身を翻した脳無、切断されて腕を損失した肩の断面が膨張し、新たな腕が再生する。復活した四肢でその場に佇み、捉把の刃を白刃取りで受け止めた。両者の接触に伴って全方位に旋風が吹き荒れる。

 捉把がちらりと視線を遣ると、右腕の刃が変形し、鋭利な先端の突起を無数に持つ巨大な金棒になった。全体では脳無の三倍ほどの長大さ。受け止めた手が刺さり固定された脳無を持ち上げ、金棒を地面に勢いよく叩き付ける。

 地響きが幾度と無く鳴り響く。その所為で肉と骨の潰れる音など聞こえもしない。

 捉把は金棒ごと地面に敵を猛打し、次第にそれを肉塊へと作り変える。喩え『超再生』の如き力が有ろうと、すべて等しく挽肉に変えられてしまっては復活も出来ない。反旗を翻し、最後の力を振り絞ろうとして上がった脳無の右腕も、無惨に薄く扁平な肉の絨毯にされた。

 瞑れた脳無を前に、捉把は右腕を通常の状態に戻す。変化した地形の中心部で、肉塊が膨らんで再生を始めた。

 捉把の右腕はまたしても変身し、無数の大蛇となって脳無に戻ろうとする強靭な生命力の肉塊を、競って捕食する。血飛沫を散らしながら獰猛に食い荒し、うねる蛇体を冷然と見下ろす捉把。

 脳無の肉が完食された瞬間、捉把は自身の右腕を肘よりやや上の部分で切り落とした。取り残された蛇は瞬く間に萎み、蒸気を発して薄い皮となる。血を滴らせた捉把の右腕が、脳無と同じく新たに生え変わった。神経の具合を確かめて、何度か手を握ったり開いたりしている。

 

「はは……こいつもチートかよ、ゴミめが。こんなヒステリックな女を率いれろってのかよ“アイツ”」

「死柄木弔、どうしますか?オールマイトは不在のようです」

「んー、そうだなぁ、でも先ずは――」

 

 死柄木の後方では、相澤が敵の残党を総て片付け、音も無く肉薄していた。背後から襟巻きの先端を投げながら、“個性”の焦点を捉把へと定める。死柄木の左腕と胴を縛り上げ、肘鉄を鼻面に叩き込もうとした。

 捉把は“領域”が強制的に閉じて、力を一瞬でも“抹消”された事で暴走が停止すると、意識を失ってその場に崩れる。

 死柄木は手を伸ばし、相澤の肘を受け止めた。摑んだ部分から、皮膚は乾燥し罅割れ始める。胴に蹴りを入れて突き放した直後に黒霧の靄から、艶のある黒い節くれ立った五指が伸びた。

 相澤は顔面を摑まれ、次に靄を切り裂いて出現した彫刻の様に発達した筋肉で武装した脚部に、腹を打ち抜かれて吹き飛ぶ。死柄木を捕らえた拘束も解けて、血を吐きながらもんどり返る。

 黒霧の内側から、新たに出てきたのは――脳無。

 捉把の闘った個体とは違い、鳥類の様な嘴の内側に牙を持ち、晒された大脳で眼球が蠢く、やはり筋骨隆々とした逞しい肢体の魁偉容貌な生物。全身の肌は暗い紫色であり、相澤の吐血を浴びてズボンに小さく血が滲んでいる。

 

「取り敢えず、こいつは殺して行くか」

 

 意識の無い捉把の傍で、相澤を襲う。

 まだ腹腔に残響がある鈍痛に耐えて、鋭く踏み込み、中腰で大振りに後ろへ右拳を引き絞る脳無、その左脇を跳躍して潜った。左腕と後ろに控えた攻撃の予備動作に入る右手首を巻き付ける。

 胸が張り、後ろで閊えた様になって静止する脳無は、首を傾げて自分が何故動けないかと戸惑っていた。しかし、無理矢理にと腕を稼働させ、背後で必死に止めていた相澤ごと引きちぎった。

 舌打ちする相澤が身を翻した瞬間、自分の腹部をまたしても脳無の攻撃が命中する。鳩尾を貫いた衝撃に呼吸が出来ず、その場に踏み留まりながらも立ち尽くした所へ、続く二撃三撃を畳み掛けられた。

 それからは、怯んだ相澤を殴打する脳無による一方的虐殺――捉把が目にしていたなら、またしても暴走したであろう惨憺たる光景である。顔面や両腕を、地面すら叩き割る金剛力が無慈悲に打擲する。

 脳無が相澤に馬乗りになり、玩具を扱うかの如く腕を捻り上げて遊んでいた。

 

「空狩、相澤先生ッ!?」

 

 声に反応して振り返るのは死柄木。背後の水を掻き分けて来るのは、緑色の頭髪をした少年と二名――出久と蛙吹梅雨、峰田実だった。水難ゾーンに転移された彼等の場所にも、伏兵を十何人か仕込んでいた筈だが、その危地を乗り越えて来たのか。

 教師の悲惨な姿に悲嘆で相貌を歪めている。しかし、出久だけが脳無の事を注意深く観察し、二人を腕で制止した。感情的に動こうとする峰田を蛙吹が止める。

 予想外に早く、生存した生徒の姿に、今回の作戦が大きく失敗したと悟って死柄木が頬を掻いて上を見る。

 

「あー、黒霧。そこの女を回収して帰るぞ。オールマイト居ないみたいだし」

「そうですね」

「ああ、でもその前に――」

 

 その前に、死柄木が手を伸ばす。

 蛙吹に向けて掌で触れようとしていた。獰猛な笑みを手で隠された面貌に浮かべる。悪意の中枢が彼だと知って、出久の総身にも戦慄で萎縮した。

 

「“平和の象徴”の面子を潰しておこう」

 

 出久の中でスイッチが入った。

 一年前の事件と同じ、誰かの危機感に心臓が激しく動悸する感覚。

 

「ッ……蛙吹さんから、離れろ!!」

 

 しかし――恐慌で固まった筈の体を、出久が無理矢理稼働させて水面を叩いて浸かっていた半身を陸に乗り上げる。水を吸った冷たい服など意に介さず、拳を握り込んで死柄木を横合いから強襲した。

 固めた拳固に、火花を散らして緑の電流が奔る。捉把の“個性”以上の迫力を放ち、蛙吹に危害を加えんとする奇怪な風貌の男に対し、確固たる決意を秘めて放つ。

 

「――SMASH!!!」

「脳無」

 

 唸りを上げた出久の渾身の拳撃。

 死柄木を彼方まで殴り飛ばそうとしたそれは、間に割って入った黒い巨躯に妨害される。敵の腹部を深々と突き刺した腕は、しかし接触した対象を破壊する事も出来なかった。唖然とする出久の右腕を、脳無が摑んだ。

 悲鳴が聞こえる。出久が振り仰ぐ方向には、USJ出口付近で固まった生徒達が見詰めていた。目視した相澤の惨状、これから殺されようとしている仲間の姿に、誰も驚愕と恐怖と怒りと悲しみを抑えられた者は居ない。

 

「終わりだ」

 

 死柄木が恍惚とした声音で告げた。

 

 

 ――その時だった。

 

 

 USJの大扉が吹き飛び、盛大に噴き上がった土煙が発生する。生徒の何人かは煽られて倒れたが、脳無や死柄木の動きが止まる。

 煙の中から姿で、一つの巨影が揺らぐ。

 

「遅くなってしまって、済まない。もう大丈夫――」

 

 

 それは、烈しく燃ゆる闘志の炎のようであった。

 混迷の闇に陥ろうとする人々の心に射す曙光の光。待ち望んだ悪を断絶する、この世が生んだ最強にして最高と称される制裁の鉄槌。

 

 

 

 

 

「――――私が来た!」

 

 

 

 “平和の象徴”――オールマイトの到着だった。

 

 

 

 

 

 




おお、書けた。
次やね、次。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七話「勝負の後はハンバーグだよ」

久し振りのオマケあり。


 

 

 大地が震える。

 人間が見上げる。

 悪意を押し潰す、光が射す。

 

 ヒーロー基礎学を受ける1-Aについて、校長の根津と話していた時、ふと彼の脳裏に不快感が走った。それは今まで、“平和の象徴”と謳われる程に誰よりも悪意と対峙して来た英雄として養った感性から与えられたものか、或いは自身と強く結び付く“後継者”を介して狂乱する敵の意思を知覚したのか。

 どちらにせよ、神懸かりの曖昧な感覚に奔走し、校長の話を振り切って馳せた所に、ヒーロー基礎学を受講していた筈の1-A委員長の飯田天哉と擦れ違い、事の顛末を聞いた。

 その時、己の不甲斐なさに心底から腹が立った。

 子供が一体、どれだけの恐怖に晒された?それを守るべく、凶器の前に身を挺して立った後輩達が、どれ程の苦難を強いられて尚、勇敢に闘った?これまで人々の救いとなるべく、己の総てを擲って来た男しては、これ以上ない忸怩たる不覚である。

 己の務めを果たすべく、既に傷付いた仲間がいる。

 もう手遅れなのかもしれない。

 しかし、だからこそ!

 だからこそ、そんな仲間に対し、胸を張って言わなければならない言葉がある。

 この悲劇に終止符を打つべく、“平和の象徴”として悪の前に越えられぬ絶対的な壁として屹立する!

 

 

「もう大丈夫――――私が来た!」

 

 

 No.1ヒーロー・オールマイトの登場。

 救済の手が差し伸べられ、張り詰めていた生徒達が歓呼の声で、胸が張り裂けんばかりに叫ぶ。涙を流しながらも、其処には大きな安堵が兆す。奮闘した彼等にとっては、これだけを待っていた。待望し、渇望し、切望した、この正義の権化の到着を。

 

「オールマイトォォ!!!!!」

 

 出久は入口付近を見上げ、降臨した憧憬の姿に安堵すると共に、驚怖で目を見開いた。其処には、自分の知るヒーローとは違うモノが宿っていたからだ。

 ――オールマイトが、笑っていない。

 力を得て増長した凶悪なる悪意達を制するべく、平和の支柱として闘い続ける彼は、常に社会を照らす赫耀たる笑顔だった。謂わば正義の核たる人物は、憤怒に燃えた相貌で戦地を見下ろしている。

 それは当然だった。

 オールマイトにとって、手塩に掛けた弟子である出久と、途中参加ではあったものの、自分を慕い付いて来てくれた捉把が危機に瀕する姿こそ、最も忌避すべき現実なのだ。最悪の方向へと向かう事など許さない、事態の帰趨を必ずや皆の安全と笑顔に納めて見せる。

 死柄木弔が卑屈に睨め上げる先、其処にまた敵達も視線を募らせた。自分達が倒すべき目標、それを目の当たりにした時、恐怖と威圧感に身が竦まる。今までは彼に守られて来た、しかし敵対するとなれば、絶対の安寧秩序をもたらす使者は、自分達を滅する破壊の神。

 オールマイトが階段の上を跳躍した。全員が身構え、正面から悪意で塗り潰さんとした。

 

 ――その刹那に、階段下の敵は残像も無く駆け抜けたオールマイトの軽い打撃で沈んだ。見えもしない、触れる事も能わず、如何に己が驕っていたかを痛感させられる。無念と後悔に反吐と涙を足下に撒いて、正義の名の元に倒れた。

 葉隠透の“個性”や、空狩捉把の光の屈折率の操作による透明化などの、超常や科学的根拠など無い。肉体を以て、物理法則や超常をも凌駕した未知の領域を往来する。No.1ヒーローの名は伊達ではない。

 オールマイトは両腕に抱え上げた相澤の容態を確かめた。痛々しく、腕や顔に刻まれた激しい損傷。生徒を守る為に此れ程の傷を負いながら闘った姿は、喩え無惨であったとしても、他人の胸を衝き動かす勇姿に相違無い。そして、またその一人としてオールマイトも拳を握り締める。

 黒霧が既に捉把の半身をワープゲートに抱え込んでいた。翻身したオールマイトの姿が、再び視界から消える。その瞬間に、脳無に摑まっていた出久や、死柄木の脅威に崩れんとした蛙吹梅雨と峰田実を救い上げた。惜しくも、捉把に伸ばした手は届かず、空しく振り払った手が死柄木の顔面を叩いた。

 高速で敵陣を離脱したオールマイトは、後ろに庇った相澤の方へと生徒達を降ろす。まだ空狩捉把が救助されていない。彼女を人質として利する心算か、未だ完全に転移させずに居る。飯田天哉から得た諸情報から逆算し、内容にあった相手の特徴を照合していく。

 敵の分析と同時進行で、背後に居る混乱した生徒達に指示を送る。最優先すべきは生徒の脱出、及び負傷し意識の無い相澤を安全地帯に運ぶこと。立ち上がり、これ以上の加害を認めさせず、悪意と守るべき者の間に構える。

 死柄木弔は、足下に落ちた顔を覆う「お父さん()」を拾って装着し直す。悲嘆に震えた声音は子供の様だったが、同時に狂喜が混在する。

 

「救けるついでに殴られた……。ははは、国家公認の暴力だ。流石に速いや、目で追えないけれど思った程じゃない。やはり本当だったのかな……?弱ってるって話……」

 

 死柄木の面相が狂喜に形を変えた。

 出久は再び慄然とする。脳無に一撃を与えた時、普段ならば自らの肉体すらも崩壊させる超破壊力を惜しまず叩き込んだのに、あの肉体は全くの傷や不調を見せずに動いている。

 “個性”の影響か、仮にそうなのだとしたら、オールマイトの力でも倒せない!

 

「オールマイト、ダメです、あの脳ミソ敵!!ワン……っ、僕の腕が折れるくらいの力だけど、ビクともしなかった!!きっとあいつ……」

「緑谷少年――大丈夫!」

 

 矢継ぎ早で捲し立てる出久の語調に、焦燥と不安を感じ取ったのか、オールマイトが遮る。口を噤んだ子供へと振り返った彼は――“いつもの”笑顔だった。

 横にしたピースサインを目許に翳している。この笑顔に幾度も救われてきた、でも現状は違う。出久は彼の致命的な内情を知っているからこそ、安心感が湧いて来ない。

 オールマイトが低く前傾姿勢で地面を蹴り、胸前で十字に交差させた腕を振るって放つ。寸前で指示を出した死柄木に従い、脳無が攻撃を代わりに受ける。外気に触れる大脳を直撃し、それだけで致命傷となって沈黙する筈であった。

 しかし、脳無は依然問題なく両腕で彼を捕獲しようと飛び出す。上体を反らして躱したオールマイトは、出久の言葉にあった『脳ミソ敵』の能力の一端を手応えをもって識る。普段ならば、どんなに奇怪な力の運動や硬度を持つ肉体であっめも有効な打撃は、深々と突き刺さるだけであり、一向に倒れる気配がしない。

 反り身の状態から、再度も脳無の腹部を拳で突く。怪物は停止しない、オールマイトの一撃、脳無の反撃、互いに容赦なく次々と手を講じる。愚直に打撃を与えるオールマイトを滑稽に重い、死柄木は嗤った。

 脳無の“個性”――『ショック吸収』。オールマイトの全力に耐久し得る力であり、効果的なのは肉を抉る以外にない。だが、数秒以上もオールマイトと正面衝突を繰り広げて立つ肉体と強さ。容易に為せるものではない。自慢気に語る死柄木は、勝利を信じて疑っておらず、後刻に訪れる英雄の死を脳裏に思い描いて笑った。

 それでも猶、オールマイトは笑みを絶やさない。敵の“個性”に関する情報を得たならば、次の手も打ち出せる。皮肉を込めた謝礼を述べた。脳無の背後に回り込み、胴を抱き上げて反り身になった勢いで、敵を更に後方の地面に叩き付ける。

 絨毯爆撃でも炸裂させたかの様に粉塵と土煙が舞う。孤軍奮闘するオールマイトを、相澤を運びながら出久達が入口へと退避する。それでも、後ろ髪を引かれる思いで少年は振り返った。自分達に出きる事は無いと知りながら、足枷になると弁えて、それでも不安感を払拭出来ずに居る理由を自覚している。

 出久だけが知る――オールマイトの秘密(ピンチ)

 それを実現してしまうかの如く、オールマイトは窮地に立たされていた。バックドロップで叩き付け、コンクリートの地面に突き刺して行動を封じる算段だったが、沈んだ筈の敵は、黒い靄に包まれて途絶していた。

 代わりに、オールマイトの反らした体の直下から脳無の消えた上半身が出現し、脇腹に指を突き立てて捕まえている。変則的な策略、更に奇しくも捕らわれた際に脳無が摑んだ部分は弱点だったのか、血が滲み始めた。

 黒霧と脳無を用いた戦略である。

 “ショック吸収”で正面からオールマイトの攻撃を相殺し捕獲する。後は、脳無諸ともワープゲートに引き摺り込んで、中途半端な部分でゲートを閉じるのだ。

 すると、転移されなかった部分からオールマイトの体は別空間に分離され、USJには無惨に切断された彼の亡骸が残ってしまう。黒霧の“中”に彼の臓物が溢れてしまうが、本人はそれよりも殺害を意図しており、委細構わぬ心積もりである。

 オールマイトは今にでも振り払いたいが、脳無自体のパワーが優れている他、まだ転移されずに残っている捉把にまで威力が波及する恐れがある。人質と元来抱える弱点が相俟って、これ以上ない窮状となっている。

 初犯でこの計画性、オールマイトが悔しげに悪態を吐き捨てた。確信した勝利で優雅に笑う死柄木は、黒霧の方を見遣る。

 

「もうソイツ、送って良いぞ黒霧」

「やらせるものかよ、悪党め!私がそうはさせるか!」

「じゃあ、先ずは脳無を倒せよ……ヒーロー」

 

 その時、出久が駆け出した。

 相澤を蛙吹に託し、オールマイトの救援に向かう。その眦に涙を溜め、必死の形相で馳せた。黒霧が浅はかと嘲る。この現状で少年に出きる事など何も無い、無為に死にに来たも同然の愚行である。

 しかし、愚挙と知りながら、それでも危険を察知して救いに赴く――真のヒーロー気質を持つ出久の体が看過を許さなかった。敢然と飛び込んだ出久を、泰然と待ち構える死柄木が鬱陶しそうに掌を向けた。相澤の肘を崩壊させたのと同じ力で、出久もその毒牙に掛ける。

 

「どっけ……邪魔だ、デクッッ!!」

 

 ふと、遠くから怒号する声が轟いた。

 連続して空気を叩く爆破の音、振り返った出久の視界を轟然と劈き、黒霧の靄が立ち煙る元の地面に向けて、掌から爆撃を繰り出す。

 爆風に黒霧の全体が風に吹かれて揺らぎ、捉把を捕まえていた部分もまた不安定となる。その瞬間を狙って来襲したクラスメイト――爆豪勝己が彼女を引っ張り出し、片腕でしっかりと抱き寄せた。

 靄を吹き掃われ、スーツを着た黒霧という男の“実体”が暴露された。勝己は見逃さず、再び靄に匿れんとする前に左手で襟を摑んで地面に叩き伏せた。留まる処を知らぬ憤懣に燃え盛った勝己の怒気が伝わり、黒霧は苦しく呻きを漏らす。

 勝己が注意を惹き付けている間、地面を這う冷気を感じて死柄木が振り向くと、其処に転瞬の内に氷が張り、ワープゲートから突き出た脳無の上下の半身を氷結させた。氷の元を辿れば、轟焦凍もまた僅かに怒りを滲ませた双眸で敵を見据えている。

 嘆息して氷を“崩壊”させようと屈み込んだ死柄木は、背後から接近する足音にその場から飛び退く。

 すると、腕を硬質化させて矛にした切島鋭児郎の攻撃が擦過する。

 

「くっそ!!!いいとこねー」

捉把(こいつ)に……気安く触れんな、調子に乗ってんなら殺すぞ、モヤモブがッ!!」

「“平和の象徴”と空狩は……てめぇら如きに殺れねぇよ」

 

 オールマイトは救援に駆け付けた頼もしい生徒達を見た後、脳無の握力が減退している事に気付く。半身が氷結され、自分に届かないよう轟が“個性”を調整していたのだ。謝意を抱きつつ、振り払って出久達の前に戻る。腹部の傷は然程深くは無いが、“時間”が迫っているのだ……!

 勝己は、腕の中の捉把を見詰めた。

 見て判る程に憔悴した顔には汗が滲み、頭髪は艶麗な薄紅から、惨たらしい灰色に変色している。大きな外傷は無いが、自分が不在の間に苦しめられていたのは容易に想像が付く。

 あの時――捉把を庇って、爆撃で黒霧を斥けていた時、靄の広がる範囲や発生する位置を観察していた。蠢き、渦巻く中心から靄は発生し、前景を遮蔽する姿の所為で生徒には見えなかったが、最前線に出ていた勝己は捉えていた。どんな“個性”も身体の一部、必ず弱点が存在するとなれば、ワープゲートなどの類いには動けぬ実体があるのだと推察した。

 靄の広がり方から推考すれば、それで実体を匿っているという結果に辿り着いた。何より、捉把を抱えつつ脳無を転移させる所為で、ほとんど実体の輪郭が露見していたのも、また敵を捕縛する為の徴憑である。

 実態は靄状のワープゲートになれる箇所は限られ、ただ己で己を包んでいただけの事。

 勝己は一層険しく眉間に皺を作り、捉把を抱き締める腕を強くする。灰色になりながらも艶を失わぬ頭髪に頬を擦り寄せた。まだ死んでいない、それだけで心の底から安心する。

 

「ぬぅっ……」

 

 看破された弱点に動揺する。

 黒霧の靄が動き出した時、更に足で踏み押さえた。

 

「っと、動くんじゃねぇ。『怪しい動きをした』と、俺が判断したらすぐ爆破する。……本当は今にでも塵にしてぇの抑えてんだぜ……?」

「ヒーローらしからぬ言動……ま、確かに判らなくもねぇけどよ」

 

 切島が悔恨に、死柄木を睨め上げる。

 何故、いつも大きな負荷を捉把が背負わなくてはならないのか。直ぐに助けに来れなかった自分が情けなく、無力感に震える。

 

 誰かの体温を感じて、捉把は瞼を開けた。

 誰かに強く抱かれている。触れただけなのに、何者なのかを瞬時に悟った。

 

「……勝己……くん……?どうして……逃げ……」

「寝てろ、後で叩き起こす」

「でも……」

「起きたら――」

「え?」

 

 勝己が無理矢理にも言葉を遮った。

 

「起きたら何が食いてぇか言え」

「……勝負の後はハンバーグだよ」

「はっ、楽勝で作ったるわ。んじゃ寝ろ」

「でも、だから……」

「うるせぇ、黙って捕まってろ。直ぐ保健室に叩き込んでやるわコラ」

 

 勝己の腰を摑む手の力が強くなり、捉把はそれを感じて微笑んだ。――絶対に守り抜く、その意を察した。

 

「……うん」

 

 捉把は勝己の背に腕を回した。

 もう一度だけ目を閉じて眠る。深い闇の底に沈殿していた事で重たくなっていた意識が、解放感と共に浮いて自由になる感覚を得た。ただ自分を包む勝己の体温と匂いに安心し、静かに眠る。

 

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 勝己の腕の中で眠った捉把を、三人が見る。

 

 轟が敵から目を逸らさず、少し勝己に近寄った。

 

「爆豪、お前の“個性”だと傷付く。俺の方が安全だから、こっちに渡せ」

「ああん!?ふざけてんのか半分野郎!!どさくさ紛れてコイツに抱き着こうって魂胆だろうが、見え見えだボケカスッ!!」

 

 出久が慌てて進み出た。

 

「かっちゃん、それなら僕が一番――」

「論外だろ、死ね!」

 

 切島が自分を指差した。

 

「鉄壁の俺が一番適任じゃね?」

「気に喰わねんだよアホ髪!!」

「滅茶苦茶だろ!?」

 

 傷を押さえながら、オールマイトは爽やかに微笑む。

 

「(君達……敵前で頼もしいよ。ただ、もうちょい前、見ようぜ?)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




よし、次だね。次だよ、うんうん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

八話「麻婆豆腐は刑罰なんだね」

一章最後ですね。


 

 

 

 空狩捉把の意識が途絶した。

 オールマイトは体の調子を確める。一分と保つか否か、稼働時間は残り僅かだった。たった一分間の猶予で、自身の一撃に何度も耐えてみせた強敵を撃ち破らねばならない。到着前から荒涼としたUSJの景色は、恐らく件の暴走した捉把の能力だろう。

 これ以上、子供に無理な役を強いる訳にはいかない。そんな状況を、ヒーローとして容認する事は断じて許されない。守るべき者を背に、オールマイトは助勢に出ると申請する生徒達を制して、敢然と脳無に正面からの戦闘を挑む。

 人々から悪の猛威を斥けなくてはならない。

 何故なら自分は――“平和の象徴”なのだから。

 決然と前を見据えたオールマイトは、傷口から手を離して死柄木たちを睨む。

 凍った体を無理矢理にでも動かし、半身を失いながら立ち上がる脳無。一同注視の前で、損壊した体が異常な速度で回復する。“ショック吸収”に加え、“超再生”とあれば弱点と提言された肉を抉り取る方法も徒労になってしまう。弱点など有り得るのか、全員の心に絶望の色が膨らむ。

 修復を終えた体を眺めた後、死柄木の指示に従い、黒霧を取り押さえていた勝己へ猛然と突進した。彼等にとって黒霧は便利な出入口、彼さえ生きていれば離脱もオールマイト殺害も続行可能なのだ。

 風を巻いて疾駆した脳無の拳が勝己の脳天に直撃――する前に、オールマイトが彼を弾き飛ばして身代りとなり、交差させた両腕で固い拳を受け止める。衝撃に思わず吐血するが、まだ許容範囲だった。

 破壊力、吸収力、速度で桁外れな化け物に対し、勝利を摑もうなどと浅ましく思える。しかし、その理不尽や無理難題を打ち破って不条理となる事こそ、プロヒーローの真髄。窮地こそ成長の糧、守るべき者を庇い立ってこその覚悟の強さ、それらが現状を打破する唯一無二の策。全力の更に上を捻出するしかない!

 オールマイトと脳無が同時に跳躍する。

 高速で引かれ合う二つの巨影――電光石火の踏み込みを決めた両者は、その場に留まって両拳を矢鱈滅多に打ち込む。交錯する拳の残像が本人を蔽い匿してしまう程に重なり、周囲一帯を暴風が急襲する。

 出久や勝己、身近に見ていた者達は風圧に耐えられずに転倒し、その場から遠く突き放されてしまった。遠目に見ていた者にも、髪や服を強く吹き浚う風が届く。飛散する瓦礫、爆心地では二つの影が踏ん張っていた。

 

「“無効”ではなく“吸収”ならば、限度があるんじゃないか!!?」

 

 真正面から神速で交わされる拳打の応酬。

 絶え間無く爆弾が起動しているかの如き威力の連鎖に、USJ全体が小刻みに震動していた。骨身に伝わる響き、心臓よりも強く胸に伝わる熱意の波動がオールマイトを中心に波紋のように拡散する。

 脳無の足が次第に後退を始め、その分オールマイトが詰める。頬の皮膚があまりの圧力に剥がれてもなお止まらない。逃さず、徹底的に裁きを与えた。もはや脳無の輪郭は拳を畳み掛けられて一定の形を維持していない。常に衝撃で膨張と収縮を各所が繰り返して歪だった。

 一撃一撃が100%以上――“ショック吸収”を無効化、吸収した威力が消える前に攻撃の連打で重ね、相手に無理矢理それを蓄積させて爆発させる。威力を殺すサンドバッグ人間は、むしろ正面から受け止めるからこそ、確実にオールマイトが為し遂げんとする策を自ら完成させてしまっていた。

 

「私対策!?私の100%を耐えるなら!!更に上から捩じ伏せよう!!ヒーローとは常にピンチをぶち壊していくもの!」

 

 ここぞとばかりにオールマイトがもう一歩踏み込む。

 

「敵よ、こんな言葉を知っているか!!?」

 

 オールマイト渾身の力を纏う剛拳が炸裂する。

 軟体生物もかくやといった脳無の歪な肉体へと、最後の一打を叩き込む。動けぬ黒霧や死柄木、勝己や出久の前で盛大に吹き飛び、オールマイトの振り抜かれた腕の遥か先にあるUSJの天井を貫通し、更に高く昇っていく。

 No.1ヒーローの意地と矜持を懸けた全身全霊の一撃に、脳無は拮抗する事も出来ずに敗れた。

 “――Plus Ultra!!”

 死柄木は唖然とする中で、オールマイトは前に傾いていた姿勢を戻し、強敵を撃破した拳を振り翳す。

 

「やはり衰えた。全盛期なら五発も撃てば充分だったろうに……300発以上も撃ってしまった!さてと、敵。お互い早めに決着つけたいね」

「チートが……!」

 

 オールマイトは土煙と蒸気立ち上る場所に仁王立ちで動かない。脳無との衝突で負傷した具合を見て、無謀と知りながらも死柄木達が飛び出す。“平和の象徴”に対する計り知れない憎悪、犯罪行為の悦楽に走る彼等を前に、限界を迎えた体が意思に従わなかった。

 出久が彼の状態を察して、自ら飛び出す。勝己達の背後からその頭上を飛び越え、憧れのヒーローを殺そうと企図した輩へと拳を握りしめた。しかし、跳躍して肉薄した先では、黒霧によるワープゲートを介して突き出された死柄木の掌が歓迎していた。

 全員が息を呑んだ。

 

「遅くなって済まない」

 

 銃声が轟いた。

 死柄木の手足を撃ち抜き制圧する弾丸。元を辿った先で、皆はまたしても歓喜する。そこには、現場到着したヒーローの錚々たる顔触れが揃っていた。瞬く間に敵の残党を倒して行く勢いである。

 動けぬ死柄木は悔しげに黒霧の中へと逃げ込んだ。

 

「今度は殺すぞ、“平和の象徴”オールマイト」

 

 USJの中から消滅する二人。

 跳躍の反動で足が折れた出久は、相澤と捉把へと振り返る。自分では守れない、やはり途轍もない無力感ばかりに胸が打ち据えられて涙が流れた。

 

「何も……出来なかった……」

「そんな事はないさ」

 

 遮るのは、あのオールマイト。

 

「あの数秒がなければ、私はやられていた……!」

 

 自身の無力を、理想のヒーローが否定してくれた。

 

「“また”救けられちゃったな」

「……無事で……良かったです……!」

 

 出久の濡れた笑顔に、オールマイトも笑顔で応えた。

 

 

*************

 

 

 

 捉把は病室で目を醒ました。

 覚醒直後でありながら、妙に鮮明な意識に疑問を懐きつつ、上体を起こす。体の節々に激痛が走り、再びベッドに倒れた。全身を鎚で殴られた様な鈍い痛みに、悲鳴を堪えてシーツを強く握る。

 記憶が曖昧だった。黒霧から放たれた脳無と呼ばれる化け物に捕らわれ、ただ一方的に攻撃された後からである。死柄木と名乗る男の言葉が引っ掛かった。

 ――脳無の娘。あの複数“個性”を持つのは、父親の特徴と酷似していた。そして、呼び覚まされた記憶の中にも似た生物が居る。『空間』の“個性”は母の空狩嗣音から継承したモノ。戦闘中は朧気ではあったが、自分にもまた複数の力が宿っているのかもしれない。

 思考回路ばかりは回転が早いが、体はまだ鈍痛に苛まれて動き難い。十全に行動できるまで幾らの時間を要するのか、自身の体の調子でありながら捉把は皆目検討も付かなかった。

 ふと、視界の隅に小さな影が入る。顔を巡らせれば、隣に配置した椅子にリカバリーガールが腰掛けていた。目が覚めるのを黙然と待っていたらしい。

 

「全身の筋繊維が所々で断裂を起こしとる。骨にも皹は入っとったし、暫くは此所に通う事になるわね。状況報告を聞くと、よくそれで済んだもんよ」

「……相澤先生は?」

「重傷だけど、一命は取り留めた。あれが居なきゃ、その程度の怪我じゃ済まんかったろう。後で礼を言っときな。……あの小僧にも」

 

 捉把が弱々しく頷くと、リカバリーガールの後ろから黒いエプロン姿の勝己が現れた。手に皿を抱え、捉把の傍にあった椅子に腰を下ろす。制服の上に掛けたのもあり、やや不似合いな部分に笑いそうになる捉把を、勝己はやはり睨む。

 勝己にもまた負傷は見られたが、大事ない様子である。捉把が安堵の息をついた時、口許に匙が運ばれた。強引に唇へと寄せて、仏頂面で差し出している。戸惑って口を開けない捉把に彼は舌打ちした。

 

「飯食わしてやる。口開けろ」

「……看病しても、私からの返礼は無いよ」

「要らねぇ、終わったら食いたいモン食わせるって話だろうが」

 

 捉把は匙に掬われたそれを一瞥する。

 

「いや、確かにそうだったけどさ――これ、麻婆豆腐だよね?私が所望したのは、ハンバーグだった気がする」

「ああ、そうだな」

「何故、麻婆豆腐?」

「嫌がらせに決まってんだろうが、察しろボケ」

「少しでも他にあったかなって期待したんだけど」

 

 捉把は皿の内側を覗いた。

 作った張本人の気性の荒々しさを表現したかの様に赤い溶岩を、やや赤く変色した豆腐が漂う。皿に付着した麻婆の残滓は赤い粉末などが浮き上がっており、明らかに辛味と思しき物が多量に含有されている。捉把が大の苦手とする辛味、苦味を総計して首位にも入る麻婆豆腐。

 慈悲を期待したいが、提供者は悪鬼羅刹と称して何ら不遜の無い性格の人間。拒めばどんな仕打ちが待ち構えているかも判らないし、我慢して口にすれば何秒意識を繋ぎ止められていられるかも想定不能である。

 恐らく、食後は全身よりも舌や口内が烈しい痛みに襲われるだろう。

 リカバリーガールは自分への飛び火を恐れたのか、既に部屋を辞している。迅速な避難行動はさすがヒーロー、しかし今死の危機に瀕している少女を見捨てる姿は、本職に背馳するのではないかと捉把が疑う。

 口に突き付けられる爆弾から鼻に漂う臭い――それだけで捉把は苦悶した。鼻腔を焼き焦がすかのような異臭、もう食べ物ではない。

 

「そう……麻婆豆腐は刑罰なんだね」

「次にぶっ倒れる真似してみろ、今回の三倍だ」

「処刑する気なの?」

「ったり前ぇだろ」

 

 捉把は何か回避策は無いかと考えて、不意に過去の約束を想起した。

 

「そういえば、結局のところ有耶無耶になってしまったね。成績が上だった者の要求を聞くって」

「次で良いだろ、んなのまだ憶えてたのかよ」

「それはだって楽しみだったから」

「はっ、んな細けぇ事に気ぃかけてんのか、キメェ」

 

 捉把は真顔で勝己を見詰めたまま告げる。

 

「だって、貴方がして欲しい事が判ったんだよ」

「…………」

「折角、喜ばせられると思ったのに」

 

 捉把は何気なく窓の外を見た。既に日は暮れて夜である。光の無い外界で、ガラスには自分の顔や保健室の内装が小さく闇の中に背景に投影されている。

 捉把は表情には無くとも、落胆を臭わせる声音であった。勝己は心情を読み取って、長嘆の息を吐く。

 

「いつもの『ご褒美』とやらで良ンだよ」

「……そんなもので良いの?」

「但し、他の連中では止めろ。変な“誤解”すっからな」

「不平等じゃない?」

「今日てめぇを守って戦ってたのは俺だ。意見する権利あるか、その足らねぇ脳でも判んだろ」

 

 捉把は釈然としない顔をしつつ、痛む体に鞭を打って起き上がり、勝己の額に口付けする。

 視線を逸らし、しかし体までは逃げずに甘受する相手に捉把が妖艶に笑む。

 

「はい、ご褒美……ありがとう、勝己くん」

「けっ」

「私は確かに理想のヒーローも居ないし、達成感だって感じた事は無いよ」

 

 捉把の言葉に勝己が黙る。

 ヒーローを止めろ――そう告げた自分の言葉に対し、いま彼女は回答している。

 

「でも、皆と一緒に頑張りたい。あの時に私を救ってくれた、貴方みたいなカッコいいヒーローになりたいから」

「……」

「私はこの道を進むよ」

 

 捉把の再決意を込めた声に勝己は鼻を鳴らす。

 

「勝手にしろ、てか食え」

「え゛……今の、忘れる所なのでは?」

「人様が丹精込めて作ってんだ、とっとと口に入れやがれ!!」

「け、怪我人相手になんて酷い事を!」

「やかましいわアンタ達!!」

 

 リカバリーガールによるスリッパビンタを喰らった二名は、その後に仲良く麻婆豆腐を完食した。

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 

 保健室前には二名が待っていた。

 切島と轟は、仲睦まじい二人の様子を扉の隙間から覗く。

 

「なんか、入りづれぇな」

「?どうしてだ」

「天然かよ轟って」

 

 轟はふと、勝己の手元に目を眇める。

 

「病人に対しても、あいつは酷いな」

「さすが爆豪ってとこだろ」

「空狩が危険だ」

「待て待て待て待て!」

「やかましいわアンタ達!!」

 

 部屋前で叫んでいた二人も、リカバリーガールのスリッパビンタを頂く。この後、仲良く試作として作り置きされていた勝己作の麻婆豆腐の残りを食わされたのであった。

 

 

 

 

 

 




次回から……束の間の休息と、体育祭じゃ!
さて、次ですね、次。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二章:空狩少女の体育祭
一話「景気付けに牛丼」


 

 国立雄英高校で連続発生する事件。

 今年、念願の入学を果たした空狩捉把は、途轍もない激戦を経たばかりでありながら、登校中の電車内でまたしても事件に遭遇していた。平生の無表情ではあったが、内心では沸々と憤怒に燃える。クラスメイトの爆豪勝己が居れば、彼女の代わりに行動していただろう。しかし、今日に限って彼は日直で早く出ていたし、それに合わせて捉把を引き摺り出そうとしていたが、必死に回避したのだ。

 そう、捉把は――痴漢に遭っていた。

 灰色に変わってしまった髪色に合わせ、心機一転しようと髪を一つに束ねて結ったが、晒した項に視線が募る。背後で大人しく携帯を見ていた男性の方からシャッター音、身動ぎ、首筋に息が掛かり、遂には臀部に手を這わせて来た。

 尻尾で払い退けても、何度も迫る。巻き取る前に逃げる。目的の駅まではまだ先、注意しようにも満員電車とあって動き難く、加えて相手は後ろにまだ少し空間があり、此方に背を向けて少し離れれば痴漢と疑われぬ位置に即座に移動できる退路を確保していた。

 感触を楽しむ下劣な男の欲に曝され、捉把は吊革を摑む手に力を込める。不快感を絶え間なく送る手に、羞恥で泣きそうになっていた。

 その手がスカートの下に潜り込もうとして……急に動きが止まる。解放の歓喜半ばに驚いて捉把が振り返ると、男の手を摑んで止める少年が居た。木訥とした容貌の彼は、雄英高校の制服に身を包む同級生――緑谷出久である。

 

「ぼ、僕のクラスメイトに、触らないで下さい」

「……私の“平和の象徴”……!」

 

 出久の声に車内の人間が振り返る。

 腕を摑まれた男は顔面蒼白になって狼狽え、周囲を忙しなく見回していた。その挙動が己の恥ずべき行いを語っており、停車した駅で人を押し退けて出て行く男を見送った。全員が勇敢な少年に拍手し、中心で照れる本人となぜか被害者。

 捉把は痴漢被害から救出してくれた出久に『ご褒美』をしようと、額に唇を近づけてはたと止まった。中途半端な距離で停止したため、出久は赤面し完全停止している。そのまま戻り、抱擁するだけだった彼女にようやく我に返る。

 捉把は先日、勝己に『ご褒美』についての制限を課せられた。勝己以外には行わない、独占的な要求ではあったが、助けられた身としては否定が難しく、渋々と承ったのだ。危うく禁を犯し、再び爆破の猛威に追われるところだった。

 捉把は我知らず額に浮かんだ冷や汗を袖で拭った。最近は鍛練に勤しんでいる勝己だからこそ、単純な爆撃でも使い方が違って侮れない。着実な進歩を彼が見せる中、自分は暴走して何もかも判らなくなる始末。現状の改善が求められる。

 下手に動けば悪化するのは当然だが、それでも何もしない方がなおさら改悪への一途。

 死柄木の言葉が正しく、脳無が自分と深く関係するのなら、いずれ相見えるだろう。高確率で彼等とは対決し、彼らを作る“何者”かとも対峙する。捉把の記憶の中で微かに登場したあの悍しい“何か”。

 それらを打倒した時、真に捉把は忌まわしき過去と訣別を果たせるのだろう。その為にも、今を常に最善にして行く必要がある。再決意からの再始動、捉把は決然と出久に振り返った。

 

「出久くん」

「ん、何??」

「景気付けに牛丼」

「?食べるの?何時?」

「今から」

「今!?」

「出久くんと」

「僕と!?」

「二人で」

「二人!?」

「さあ、時間は有限だよ」

「あれ、言葉通りに取るべき行動が逆な気がする!?」

 

 USJの件の翌日は臨時休校だったからこそ、出久は張り切っていつもより早く家を出発したので、時間の余裕は幾らでもある。それでも、飯を悠長に食える程の猶予は無い。

 捉把は途中下車し、出久を引っ張って近くの牛丼を探すのに五分、食事に二十分、学校到着に半刻を要した。

 これぞ危惧した“下手な行動”であったとは、牛丼の催す満腹感で未だ実感出来なかった。

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

 

 道中は力走する二人。『獣性』で常に異形型“個性”を除く平均的な身体能力を遥かに上回る捉把は、余裕で道を走行し、何なら出久を待って何度も足を止めていた。結果として、その過程で何かを悟った出久がブツブツと独り言を呟きながら手帳に記録し、“個性”を調整して一時的に瞬発力を高める術を体得した。

 

「出久くん、面倒臭くないの?」

「ちょ、走りながら喋っ!!」

 

 転倒する直前に捉把が襟を摑み上げる。

 

「出し入れするしか出来ないの?“個性”は体の一部なんだから、もっと連発して動けない?腕の延長、直立の補助器みたいなものなんだよ」

「うーん……奥の手じゃなくて、もっとフラットに考えるべきなのかな?」

「うん、そうだよ。今の出久くん、何だか一部しか点火させない駄作コンロみたいだよ」

「駄作コンロ!!」

「加減はどうやっているの?」

「えと……レンジで温めた卵が割れないイメージ」

「独特だね。でも、それじゃ焼きそばがふっくらしないよ。一部しか暖まらないから」

「ん?」

 

 出久が首を捻った。

 

「ほら、インスタント焼そばは湯で三分待機して、湯を抜いた後に一分間レンジで温めると麺がふっくらするんだよ。私は時間に追われている訳でもないから、美味しく頂きたい時にそうして――」

「ああ!!そうか!!」

「……今度試してみて」

 

 出久が独自の世界に浸り始めたので、捉把が肩に担いで路傍に移動させる。

 

「空狩さん、行ける!」

「何が?」

「必要時にONとOFFを一々切り替える必要なんてなかったんだよ!一部しか熱が無いからこうなる、なら――」

「??うん」

「最初から、万遍なく熱が伝わるイメージで……!」

 

 切り替えを何度も行えば、次第に脚に腕が付いて行けず、転倒する事が多々。筋肉の運動では、走行中に腕を振り上げる際に呼応して足が意識的に振り上げられる反射状態になる。滞りなくすべてが稼働するには、一部のみの強化では行動に最適な平衡が維持できない。

 全身に常時稼働させ、最初は数歩しか続かなかった“個性”だったが、感覚を捉む内に持続時間が延長されていく。

 捉把は目に見えて成長する出久に手助けせず静観していた。

 次に出久は効率よく全身を連動させるイメージで“個性”を発動させ、何度か立ち止まりつつ試行を繰り返し、微弱ながら全身の身体能力を増幅させるに至った。その発想の手懸かりが、食生活改善で静かに捉把の日常から離れようとしているインスタント焼そばと知って、捉把は感慨深くなって一層出久を心中で“平和の象徴”と呼び讃える。

 

「名付けて、全身常時身体許容上限(5%)・ワンッ……フルカウル!!」

「え、出久くん速い。え、5%でそれなの?というか、発想が湯抜き後のインスタント焼そばって、えらく地味だよ」

「そこは……オールマイトのお墨付きだよ!」

 

 捉把は『5%』という微力でありながら格段に加速して奔る出久に驚愕する。入学当初から未知の“個性”だが、まだまだ彼には伸び代があるようだった。

 調整を間違え、何度か転ぶ都度に捉把が支える。およそ二人三脚の様な二人の姿に、街路を往来する人々は奇異の眼差しを投げ掛けた。

 何かを捉んだ!!

 それから出久の歓喜の驀進、追走する捉把。二人が猛然と駆けて行く様子に、校門前で先生に制止されたのである。“個性”の無断使用について厳しく注意され、結果として構内の敷地に入ってから教室までは自力だった。

 

「ぎ、ぎりぎりセーフ……!!」

「だね」

 

 教室に滑り込んだ出久が床に項垂れる中、悠々と入室する捉把に勝己が朝から凶相で迎える。理由を問われて素直に応ずれば、アイアンクローを喰らって暫し悶絶。続いて遅刻寸前で入室する所を見咎めたフラフラの相澤に拘束されてしまう。

 着席出来ず、一人教卓の隣で膝を突いて縛られた捉把に、ヒーロー志望の全員が何も言わず、さも空気の扱いで相澤の安否に次々と声を上げる。彼女を制止できなかった己の甘さに出久が恥じる姿は捉把の味方、唯一の救いであった。

 先日重傷を負った13号と相澤は、リカバリーガールによる治療などを得て、少なくとも教職活動の続行を許された。相澤の両腕は固定され、顔も大袈裟に包帯で覆われている。それでも器用に捉把を襟巻きで束縛しているのは、さすがヒーローの技量という一言に尽きる。

 怒気を満身から熱の様に放射する勝己の気配に怯え、捉把は顔を上げる事すら儘ならない。ホームルーム後の叱責と面罵が如何なる物か、想像して何度も絶望する。

 

「俺の安否はどうでも良い。何よりまだ戦いは終わってねぇ」

 

 その一言に、全員の心臓が跳ねた。

 

「戦い?」

「まさか……」

「また敵が――!!?」

 

 宗全となる一同を窘め、相澤は包帯の下で告げた。

 

「雄英体育祭が迫ってる!」

「「「クソ学校っぽいの来たあああ!!」」」

 

 

 

 

*************

 

 

 

「私が暇そう――という訳で」

「いや違うけれど!?空狩さんに“個性”の鍛練を手伝って欲しい。いや、君の時間を僕にくれだなんて凄く烏滸がましい事であるし君が余裕吹かしてる奴とかそんな他意は無いし君もしたい事はあるとは重々承知しているんだけれど本当にお願いなんだ君が認めてくれるなら」

「OKだから、“個性”じゃなく自分の罪悪感を調整して」

 

 捉把の手刀を頭頂に受けて黙った。

 雄英体育祭――“個性”発動により、個々の平等な身体能力などの基本概念が失われ、オリンピックが形骸化した今、日本で最も熱烈に愛される。尚、ヒーローなどが観戦するとあって、将来的なヒーロー会社所属への非常に大きなアピールの可能な場所。云わば、生徒にはまたとないチャンスなのだ。

 この行事に燃えぬ生徒が居る筈もなく、体育祭までの猶予は準備期間となり、皆が個々の実力を上げて挑む。自身の進歩に思い悩み、つい今朝に捉把との登校で思いも依らず見付けた突破口をより精緻に統御したいと一心に願って捉把に修練の相手を志願している。

 捉把としては、既に雄英体育祭に向けての訓練を始めていた。週に三日、放課後に相澤が立会人として同伴し、修練場にて“個性”の手段の幅、即ち応用に関する能力を高めている。元は単独で行う予定だったが、相澤が聞き付けると自ら随伴を願い出た(強制された)。

 やはり教師陣からの監視を免れ、体育祭当日で披露して驚かせる予定は見事に帳消しとなったが、順調に成長していた。

 

「大丈夫、出久くんのも付き合うよ」

「本当にありがとう!!」

「でも私も週二日限定の門限がある、基本的には八時に帰宅」

「週二の門限?両親と食事会、とか?」

「いや、勝己くんが監察に来るんだ」

「かっちゃん!!!!?監察!!!!?」

 

 捉把の表情が若干沈んでいた。

 

「食生活改善、私の生活術基礎知識の復習なんかも面倒みられていて。正直、出久くんとの鍛練で潰れて有耶無耶にならないかと考えている」

「成る程!生活自体を調整し、見直すのか!僕も見習わないと、そうだよね、鍛練に合わせて生活を整理すれば――」

「あ、いや。私の場合だけだから」

 

 出久の愚直な部分には素直な感心しか無い。

 捉把には無い異常な程の積極性、自分と向き直る時にも、素直な性格と難事にも勇敢に取り組む意思や柔軟な思考があり、誰よりも磨かれていない部分が多く、その為に劇的な変貌を遂げる。出久の成長を見て、畏敬と焦燥を覚えぬ者は居ないだろう。特にそれが顕著であるのは勝己であり、彼が鍛練に猛進するのもまた出久に味わわされた敗北。

 捉把としては、寧ろ近くに出久の様な存在が居る事こそ、成長する一歩を飛躍的にする要素だと確信した。

 

「私からもお願いするよ、出久くん」

「こ、こちらこそ!!」

「じゃあ、先ずは景気付けに牛丼を食べよう(飯が食いたいだけ)」

「!そうだね!(発想の端緒となった捉把の行動に忠実)」

 

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 勝己が玄関に黒エプロンで佇んでいた。

 門限にも一向に姿を見せない捉把にもはや怒りが頂点に達しようとしていた。

 

「……このクソ女ぁ……ッ!!」

 

 捉把が帰って来た。

 

「オラァッッ!!!!」

「ごめん、牛丼食べてきた」

「ざけんな!!」

「大丈夫、勝己くんのご飯なら幾らでも食べられる」

「さっさと食えや!!!」

 

 割りと彼は寛容だった。

 

 

 

 




わりと茶番会になりました。
次回、体育祭。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話「スタート前にヨーグルト」

 修練場の中心で仰臥する空狩捉把。

 隣ではゴーグルを装着した相澤が目薬を差していた。律儀に放課後に訓練の際には同行すると申し出る彼に甘え、解散した面子の成長具合を予想しつつ、教師と切磋琢磨していた。暴走の危険が内面に有る“個性”だからここ、相澤(イレイザーヘッド)による監視が必要なのだ。

 今年の一年で最も教師陣に危険視される少女は、鍛練に於いても校外での行使を禁じられる。出久と秘密で戦闘訓練を何度もしているが、身体の底から血流とは違う奔流を感じて何度も停止させた。その都度、自分への危機感を重々理解する。

 捉把の暴走の起点が『空間』である為、“個性”に依存しない体術を練り上げる。更に『獣性』も如何なる状況下でも安定した力だと考えられるが、体力的な面で生態を変化させる度に消耗が激しい。通常の体術ならばヒーロー並みだが、それでいつまでも処し遂せはしない。

 目的へ向かって(はし)る為には、基礎体力の増強。動体視力等は施設の機械を使用し、反射速度の強化に付いては相澤が短時間だが直接対人戦をする。脳無の様な規格外だからこそ目立たないが、彼の体捌きは流麗であり、実際的に捉把にとっては理想の一つであった。尤も、今は手負いとあって動きの所々がぎこちない。寧ろ、余計に体を傷めている。

 疲れ果てた捉把の横に飲料水ペットボトルを置き、相澤は彼女の腹部の上に腰を下ろす。呻き声を上げた彼女だったが、一息つくと腹筋を苛め抜く筋トレを始めた。どれだけ過酷な運動を要求しても、外見は一向に華奢の一語。体質上の関係か、腕は太くならない、背筋も筋の線が浮かばないし膨らまない、脚部もしなやかで細いまま。一見成長の無い捉把だが、基礎的な筋力は眼に見えて変わっている。

 

「ここまで付き合わせたんだ、次の体育祭で下手な真似したら、特別補習だ」

「相澤先生の……申し子ッ……として……!」

「ああ」

 

 捉把が脱力し、地面に四肢を擲って沈黙する。

 時間は頃合い、あとは休憩と調整を委ねるだけと考え、相澤は腰を上げた。彼の体重から解放され、下からは情けない声が聞こえる。

 この準備期間の七割を共に過ごした事で、相澤は幾つか捉把の性格を把握した。周囲に合わせて行動する中で好成績を記録する事は芳しいが、積極性が無い。平時は倦怠感に任せているため、危殆に晒されるまで力を極力温存している。その結果、土壇場になって咄嗟の判断を幾度も求められる事になり、冷静であっても些細な切っ掛けで精神的な瓦解を始め、“暴走”を始めてしまう。

 だからこそ、今回は自ら監視の名目で放課後に彼女を叩き上げた。多角的に攻めるほど、彼女は多彩に輝く。相澤という強敵と正対することで次第に戦法を自ら編み出し、追い詰められてからではなく自主的に試行する。

 精神的な成長もあり、更に特に面倒を見ていたとあって、担任としては些か不適当だが相澤の期待も大きかった。

 捉把もまた、自分一人を見てくれる存在が稀有であり、相澤に対する信頼感は本人が自覚するよりも深かった。受験のオールマイトの訓練は、主体が出久であったため、自分には特に無い。しかし、相澤は意識を自分に傾注してくれる、母親以来に深く接した大人だった。

 ふと、捉把は悲鳴を上げる腕で上体を起こして相澤の背中に質問を投げ掛けた。

 

「……ただ、特別補習で時間取ると、合理性に欠くのでは?」

「安心しろ、その為の“とっておき”を用意した」

「まるで私が最初から下手すると考えていますね」

「一位獲っても、仕出かしそうだからな。……まぁ、楽しみにしている」

 

 楽しみにしている――その相澤の言葉に、捉把は珍しくも誠意で応えようと誓った。口にせずとも、彼が期待していると判って胸が躍る。

 置き去りにされた飲料水を手に取ると、紙が貼り付けられていた。紙面に記された文字は、『運動後に半分は必ず飲みなさい』。もう一度ペットボトルを検めると、相澤が愛飲する栄養補給飲料水――味が最低だが一日分のウンタラカンタラが摂取できる物。

 一口含んで飲んでから、去って行く相澤に一礼した。

 

「やっぱり、不味い」

 

 

 

 

*************

 

 

 

 ある日の下校時間、体育祭まであと僅か。

 鞄を手にし、勝己に引き摺られて帰ろうとする中で騒々しい廊下の様子に皆が立ち往生していた。開け放たれた引戸の前を生徒が埋め尽くしている。人の壁が形成され、見事に閉鎖されてしまった。麗日が先頭に立って眺め回している。

 好奇心に駆られて出ようとしたが、捉把はがっちりと腕で勝己の隣に固定された。疑問を浮かべる峰田に辛辣な一語を語尾に付け加えて説明する彼に、捉把は震える峰田に謝罪しながら後を追う。

 USJ襲撃戦の噂は既に校内全体に伝播している。入学から日が経っていないのに敵との激戦を経験し、耐え抜いた生徒だからこそ、体育祭では何よりも強い敵対勢力として注視を浴びるのは当然の理。

 集団に見られても傲然としている勝己の態度を崩してやろうと、腕を絡めてみたが、いつもの様に恥ずかしがる様子は無かった。注意深く、油断無く彼等を見回して抜け道を探している。珍しく慢心も無く、蔑視もしない勝己の面構えだった。

 

「意味ねェからどけ、モブ共」

「ごめんなさい、彼はシャイなんです」

「喧しいわ!」

 

 補足は間違っていたらしい。

 捉把が頭を撫でると舌打ちして鎮まる。最近判明した爆豪勝己の生態であり、よく頻繁に利用していた。食生活改善で失態を晒すと激怒し、一から料理を叩き込む勝己の勢いを止めようと不意に撫でてみると効果覿面だった。因みに誉め言葉を付属させると尚効果は高い。

 すると、前景を遮蔽していた団塊の中から、一人が前に進み出た。額を晒し、出久よりもやや柔らかいが暴れた髪型の少年。目の下には隈が見られて、勝己とは対照的に静かで不気味な空気がある。

 捉把と勝己を交互に見て、ヒーロー科に幻滅した様子であった。普通科の生徒であるらしく、ヒーロー科に対する大胆不敵な宣戦布告を始める。

 普通科の生徒は、入学後の成績によってヒーロー科への編入する制度があるのだ。受験で失格した者達の漂流先、或いは溜まり場が普通科であると称する彼は、だからこそ合格した面子に対する戦意が滲み出していた。

 捉把にとって、教室前に集った学生の中でも、特段この男子生徒が苦手と感じる。無意識に勝己の背後に回ると、その生徒が卑屈に笑った。恐れをなしたと見たのだろう、逆に勝己は腕ではなく捉把の手を強く摑んだ。

 捉把はふと、USJの時の安心させる体温と感触を想起し、自分も少し身動ぎして彼の掌と自分のそれを合わせると握り返す。

 もう一度だけ、普通科代表で現れた少年を見返すと、先程よりも印象が緩和されていた。成る程、精神安定剤として勝己が適切というのは、大いに笑い話になると内心では自嘲する。

 B組の生徒まで駆け付け、獲物を狙う鋭い眼光ばかりが募る。強い敵視を向けられるのは、実力を認められているからと受けとるには、少々難しい。中には楽勝だと言わんばかりに笑っている連中さえそこかしこに見受けられた。

 勝己の精神を逆撫でしないかと怖れたが、至って本人は冷静である。

 

「しかも、恋人と呑気にイチャ付いて間が抜けてるっつーか」

「俺のモンだ、口出すなモブが」

「公然と嘘を付く度胸だけは誉めるね、勝己くん」

「あ?じゃ手ェ放せよボケカス」

「え?嫌だよ」

 

 衆目の面前で手を繋ぐ二人の会話、もはや見せ付けているとしか思えなかった。団塊の一部が絶叫、或いは呪詛を唱え始め、怒りの奔流が更なる渦を作る。悪化していく廊下の様相とは対岸の位置で、峰田の血涙が床を汚し、それを尾白が掃除していた。身内にもまた一人、何故か敵意を剥き出しにする者がいる。

 暫く罵声も混じる喧騒が教室を包囲した。

 元より燃えていた彼等に点火したのは勝己の態度である。これ以上の事は無いかと出久や皆の視線が集まる先で、勝己は集団の行動を恰も茶番劇の様に見詰めていた。

 敵情視察に赴く心意気は認めるが、顔を見る事しか出来ない教室に来ても得られる情報は皆無。この時間を鍛練に充てる事こそ、体育祭で真に勝利を狙う者の然るべき行動――最初の勝己の言葉には、そういった含意がある。殆どが罵り口調の所為で伝わり難いが、捉把は読み取った。

 やがて勝己は集団の間を押し退けて進み始める。後ろではクラスメイトの批判が殺到するが、捉把を引き寄せながら肩越しに言い放つ。

 

「上に上がりゃ、関係ねぇ」

 

 勝己の言葉に何人かは胸を打たれた様だった。

 切島は感動で微弱に震えている。

 

「く……!!シンプルで男らしいじゃねぇか」

「切島くんの頭も単純だね」

「男、って感じだろ!?」

「そういう事にしておくよ」

 

 常闇もまた、得心顔で頷いた。

 

「上か……一理ある」

「騙されんな!無駄に敵増やしただけだぞ!」

 

 捉把は騒めく一同の環を切り抜け、勝己と共に校舎を行く。

 

「勝己くん、前夜には勝己くんのご飯が食べたい」

「忙しんだよクソが。――要望言えや」

「和風ハンバーグ」

「はっ、気が向いたらにしてやる。精々楽しみにしてろ」

「楽しみだなぁ」

 

 当日前は、完璧な和風ハンバーグを腹に収められた。

 

 

 

 

*************

 

 

 

 当日、会場に集まるのはヒーロー会社、その他関連の大手企業の重鎮達、全国テレビ放送のカメラ、更には国民まで観戦に来訪する。オリンピックさながらの光景、誰が見ようとも圧巻である。果たして、今日は新たなヒーロー界の新星となる兆しを見せ、会場を興奮の熱で席巻する“ヒーローの卵”がいるか否かが問われる。

 待合室でクラスメイト達と待機中の捉把は、天井を揺らす歓声と気迫に早くも脱力しかけていた。勝己は精神統一を図り、腕を組ながら瞑目し、パイプ椅子の上に胡座を掻く。椅子を幾つも連結して寝台を拵え、その膝の上に頭を乗せて寝ているのが、現在の彼女の状態である。

 捉把が室内を目的も無く見回していると、轟が出久へと近付いて話しかけていた。深呼吸の途中であったのもそうだが、普段は会話もしない相手から突然接触されて当惑する出久に、全く構わず轟は続ける。

 

「緑谷」

「轟くん……何?」

 

 出久と轟の会話に、勝己が目を開けて振り返る。やはり、彼等の行動には注意が惹き付けられるのだ。

 

「客観的に見ても、実力は俺の方が上だと思う」

「へ!?うっ、うん…」

「おまえ、オールマイトに目ぇかけられてるよな、別にそこを詮索するつもりはねぇが――おまえには勝つぞ」

 

 クラス最強からの宣戦布告。

 勝己の表情は芳しくない、しかし捉把の諫言もここで怒りの火勢を助長する薪にしかならない。

 不安げに相貌を歪めていたが、出久は訥々と胸裏を吐露し始めた。

 

「轟くんが何を思って僕に勝つって言ってんのか…は、わかんないけど…。そりゃ君の方が上だよ、実力なんて大半の人に敵わないかもしれない。客観的に見ても…」

「緑谷もそーゆーネガティブな事は――」

「黙って」

 

 跳ね起きた捉把が切島の頬を叩く。

 その直後、緑谷の決然とした声音が響く。

 

「でも……!!皆……他の科の人も本気でトップを狙ってるんだ。僕だって……遅れを取る訳にはいかないんだ。

 だから――僕も本気で獲りに行く!!」

「……おお」

 

 勝己が椅子から立ち上がる前に、捉把はその胡座の膝の上に座った。怒りから一転し、目を見開いて驚いた彼の両の頬を手で挟み押さえる。

 

「悪いけれど、私もトップを狙ってる」

「……そうかよ、なら叩き潰したるわ」

「上等、君にも勝からね。さて……闘魂注入、スタート前のヨーグルト」

 

 捉把は一気に机の上に置いてあったヨーグルトを食べた。

 同時に一年生の入場が始まり、捉把達は待合室から出る。

 会場へ続く暗い一条の廊下を突き進む皆の足取りは、今や覚悟で一歩ずつが力強い。先頭を歩く出久もまた、何かを呟いて会場の外へと出た。

 沸き上がる歓声に歓迎され、捉把達は全身の骨まで震える感覚に襲われる。続くB組、普通科、経営科などの入場が恙無く完了した。

 用意された壇上に『18禁』ヒーロー・ミッドナイトが登場した。極薄スーツに身を包み、体の線は服を着ていないも同然に、あられも無く晒されている。峰田の歓喜が凄まじいが、ふと捉把はふと勝己を見た。平然と見ている彼だが、何故か捉把は不快感を覚え、本来の立ち位置を外れて勝己の両目を手で塞いだ。

 

「?何の積もりだクソ女」

「いや、何というか、見ないで」

「あ??」

 

 常闇によって引き戻され、勝己は入試一位として学年代表を担い、壇上でマイク前に立つ。捉把は長引く不快感に、元凶たるミッドナイトを睨むと彼女は視線に気付いて嫣然と微笑む。大胆な宣誓を告げ、生徒全員を挑発する彼の肩に、ミッドナイトは腕を組んでいた。

 勝己が気にせず、眼下の生徒に挑発の言葉を飛ばしているが、その一切気にしない様子に捉把は甚だ不満を掻き立てられた。勝己は列に戻る際に、出久の肩へ故意に自分の肩をぶつける。

 戻ってきた彼の足を、捉把は爪先で蹴った。

 

「あ?いい加減にしろや」

「……別に、何でも無いよ」

「んでキレてんだよッ……あとで問い殺したるわ……!!」

「何処かの外道神父みたいな事を言うね」

 

 捉把の不機嫌など、いつもの無表情にしか見えず、誰も判らない。勝己が睨むが、捉把はそれを弄ぶ事もせず、珍しく無視していた。

 そんな会話をしている内に、ミッドナイトがモニター前に立つ。画面に浮かび上がったのは、生徒が挑戦する体育祭の醍醐味であった。

 第一種目――障害物走。

 全11クラスの総当たり、全員が平等に競う(厳密に言えばサポート科は道具使用可)舞台は、スタジアムの外周となる約4㎞。その道程にある『障害物』が何であるか、その一点に捉把は疑問を懐く。

 ちらりと獣のごとき視力で解説席を見れば、包帯で巻かれた相澤が見ていた。親が観戦していない今、見せたい相手となれば彼ぐらいだろう。

 捉把は一呼吸してから、スタートの合図を待つ。

 

「見てて下さい――先生」

 

 

 

 

『スタ――――――――――ト!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




体育祭始まりでっせ。
よし、次やな、次やで次。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話「悔しい時はたこ焼き」

 

 蒼空の下の大号令が轟いた。

 

『スタ――――――ト!!』

 

 会場に整列していた生徒が一斉に駆け出す。

 捉把は出口が隘路であり、人数から競い合って出る際に誰よりも前に出る為には先行する場所へ行かざるを得ないと了解していた。想定していた以上に決河の勢い、誰もが戦略的な譲歩を知らない野性的なスタートダッシュ。序盤から鎬を削る生徒の熱気に、開始直後から会場の熱はさらに一段と高まる。

 轟然と出口へ向かう生徒の頭を踏み台に跳躍し、一人の女子生徒は先頭に降り立つ。強かに先頭付近でスタート前に控えて走行していた轟も瞠目する。目前に揺らぐ灰色の頭髪が、生気を取り戻して薄紅色を咲かせた。解説席で相澤が密かに笑う。

 先頭に躍り出たのは、髪色を復活させた空狩捉把。以前と異なるのは、獣の耳の耳介、その先端が茶色である事。何に起因した変化であるかは不明だが、明らかに様子が一変した。

 捉把は猛然と先頭を突っ切る。

 猛追する轟は、此所で後方の足場へと地面を凍土に変換した。出口から溢れた者達は、足を地面に氷結されて身動きを封じられてしまった。必死に抵抗するが、強固に固定されている。完全なる妨害、最初から仮借無い攻撃だった。

 しかし、その弊害を飛び越えて来るのは、襲撃戦を共に乗り越えた生徒達である。勝己が爆破で俊敏な空中移動を繰り出し、先頭二名の背中を追跡した。続く者達も、其々の手法で壁を跳び越えるが、誰よりも注目を集めたのは出久である。

 以前なら”個性“の反動で重傷必至だった筈が、力は抑制されているとはいえ、今や超人的身体能力を発揮し、勝己の背後に付いていた。無論、直近は危険と断じて低い前傾姿勢、隣に並走するのを目指して足を前に捻り出す。

 先方の捉把は、背後の気配を窺いつつ力走を止めない。約4㎞――種目は障害物とあらば、いずれは足を阻む物が出現する。それに備えていなければ、それこそ普通科の男子生徒の予言通り、足下を掬われて堕ちるのは自明の理。轟とも距離を引き伸ばして行く捉把だったが、眼前に突如として立ち塞がる巨影に顔を上げた。

 

『さあ、第一関門――ロボ・インフェルノ!!』

「……初めて見る奴だ」

 

 入試試験で0pの仮想敵と遭遇しなかった捉把としては、この聳え立つロボの姿は初見だった。入試試験の説明で予め受けていたが、捉把の脳内では既に忘却の海底に沈澱している。大量の仮想敵が足場を封鎖し、捉把の前に群がった。

 刹那の当惑――しかし、捉把は地面を蹴った。峻険たる霊峰の斜面すら駆け上がる羚羊、脚部をその生態を変化させ、巨大仮想敵の体を踏み台に跳躍し続け、文字通りその頭上を駆ける。更にそこで待ち伏せしていた小さな敵の攻撃には、能力を解除した状態で躱して前進を続けた。

 順調に抜けていく捉把だったが、足場から押し寄せる冷気に戦慄を覚え、咄嗟に飛び上がった。足場だった巨大仮想敵の半身が氷によって凍結し、捉把の過去位置まで氷が張っている。

 予想以上に迅い轟の速度に驚きつつ、捉把は全力疾走を再開した。敵の頭から飛び降り、地面に着地した時には、轟は隣を追い過ぎる。今度は捉把が追跡者として、轟を追走した。

 

「そういや、おまえが居たんだった」

「酷いね、私の印象はそんなに薄かったかな?」

「そんな事は無い――クソ親父が見てるからな」

「……成る程、なら尚更君に勝利の栄光は譲れない」

 

 捉把と轟が全力を懸ける。

 その足が第二関門へと突入した。

 地下深くまで穿たれた崖には、幾つか点々と柱の如く建ち、足場となる地点があった。其々が綱で連結されていた。今度は純粋な機動力を奪う難路にも、二人は動じない。

 捉把は『空間』を発動し、轟が渡る先の地点に立つ。目を瞠る彼の前で、長い猫爪を出して綱を切断した。落下運動が始まる直前で、轟は綱の断面同士を氷結し、余裕綽々と捉把が立っていた場所まで辿り着く。

 先程と同じ手法で瞬間移動を繰り返し、捉把は轟の妨害を継続するが、一向に止められる気配は無い。

 二人の首位争奪戦を特に見詰めるのは、解説の相澤と観戦席からモニターで観察するヒーロー。中でも爛々とした瞳を輝かせ、鍛え抜いた鎧の如き肉体を更に猛火を纏う周囲のヒーローとは風格も桁違いな存在感――No.2ヒーロー・エンデヴァー。

 特に轟への執念深い眼光は、それこそ目から火を吹かんばかりの威勢である。しかし、その目は時折その横を走る捉把に向けられた。二つの強力な“個性”と、卓越した才能。周囲とは一線を画する轟焦凍に比肩する存在に、素直な好奇心を懐く。

 自宅で姉と会話をする息子の声に聞き耳を立てていた際、クラスメイトに同じく“個性”婚の生徒が居たと聞いた。あの強“個性”が二つも偶然に併さる訳が無い、話題の人物が彼女であるとは即座に理解し得た。

 

「複合……焦凍と同じか、面白い小娘だ」

 

 エンデヴァーの相に狂気の炎が逆巻く。

 

 一転して、捉把と轟は第三関門へ到達していた。追随を許さぬ圧倒的な二人の驀進に、付いて来れる人間は錚々いない。

 今度は平坦な地面が設けられた地勢。しかし、解説のプレゼントマイク曰く、この場所には無数の地雷が仕掛けられており、それを判別して足場を選び進むのだという。捉把は目の鋭さに於いて自信はあるが、確かに速度を抑えて走らなければならない。轟も足下を睨んで走る。

 ――しかし、背後から轟々と爆破を連続して行い、空中移動でまたしても先頭に食い付いたのは勝己だった。捉把と轟の間を突き抜ける。

 

「俺には関係ねぇ!てめぇ、宣戦布告する相手を間違ってんじゃねぇぞ!」

「喋ってないで走るんだよ、勝己くん」

「だから、んでてめぇはキレてんだコラァッ!!」

 

 首位を争う人数が三名に増員された中、背後の地面が盛大に爆ぜる風に吹き飛ばされかける。危うく転倒しかけたのを踏み堪えた直後、頭上を切り裂いて前に出た人影を見咎めた。勝己以上に強力な“個性”を宿した生徒がまさか居たとは思いも依らず、今まで隠していたのは何者か。

 捉把は顔を上げて、喫驚に唖然とする。

 三人を振り抜いたのは、緑谷出久だった。勝己は片腕を氷結されながらも、片手の爆破で速度を維持し、後続の加速に繋がる事を厭うても仕方無いと轟は前方を氷結させて滑走する。

 捉把もまた上の体操着の脱いだ。下はチューブトップとなっており、肩や臍を大きく露出していた。最近は成長中なのか、胸の深い谷すら覗いており、観客席から響き上がる不埒な歓声と、包帯の下で嘆息する相澤。ヒーローは絶句すらしていた。エンデヴァーは依然として実力だけを量る。

 肩部から両翼を出し、空気を叩いて氷面の上を滑空した。三人の後ろになってしまったが、彼女もまだ諦観していない。会場の入口に近づくが、トンネルの先へまず最初に飛び込んだのは――

 

『さァ……この結果を誰が予想したァ!?第一種目を一位で通過したのはこの男――緑谷出久だッ!!!!!』

 

 勝己と轟も到着。捉把は四位であった。

 ふと、出久の視線の先を見遣ると、そこにかつての訓練で時間を共にしたオールマイトのマネージャー八木が居る。拳を握って示し合わせる二人は、並々ならぬ歓喜と強い想いを感じた。

 捉把もまた解説席を見上げて、相澤に手を振る。包帯の下で表情は窺えなかったが、頷いた挙動を見るに「取り敢えず、よくやった」との事だろう。本来ならば首位になった姿を提供する腹積もりだったが、敢えなく野望は潰えてしまった。しかし、まだ優勝はある、捉把はライバルとして出久を再認識した。

 捉把は腰に両手を置いて、出久の前に立った。

 

「してやられたよ、さすが出久くん」

「あ、ありが――ちょっ、空狩さん!?」

「うん?」

「てめぇ、何だそのカッコは!?」

「え?」

「……着るか?」

「?自分のがあるから大丈夫だよ、ありがとう」

 

 口々に捉把の姿に反応する上位三名。

 カメラまでもが捉把へとズームアップしていた。見目麗しい美少女が晒す素肌、年からは見えない筈の妖艶な雰囲気に誰もが釘付けとなっている。男子勢の注意を受け、襟を開いたままで着衣した。勝己はまだ不満げに見ていた。

 

「何さ、まさか見たかったの?」

「……何でもねぇ」

「後で“中”を見せてあげるよ、勝己くん……なら」

「てめっ……キチガイか、あ!?」

「ふふ、冗談だよ」

 

 脱落者を除き、全員が到着して暫ししてから、ミッドナイトが現れた。捉把はまたしても勝己の両目を手で塞ぐ。

 第二種目は騎馬戦。

 四人以上で騎馬を組み、上に乗る頭目が順位に振り分けられたポイントの鉢巻の総てをチームから託される。後は名の通り、騎馬で鉢巻争奪戦である。

 チーム決めの時間となり、捉把が誰と結託するか否か、個々の戦力も考え勘案していると背後から肩を叩かれた。

 

「お前、組んでるヤツは?」

「ん?いや、まだだけど――」

 

 その時、捉把の意識が暗転した。

 

 

 

 

 

**************

 

 

 

「――あれ、これは……?」

 

 次に意識が戻れば、騎馬戦は終了していた。

 三位で通過している、自分はいつしか心操チームという名義で第二種目をクリア。何事かと周囲に視線を奔らせれば、尾白やその他の人物は困惑や屈辱に震えている。ふと、その一団の中で悠々と構えているのは、あの大胆不敵な普通科の男子生徒だった。

 彼は捉把の隣を通り過ぎる際、肩を叩いた。

 

「お疲れさん、良い働きっぷりだったよ」

「…………」

 

 呆然とする捉把は、整列した生徒に加わった。

 第三種目は――戦闘。勝己の凶相がより凶悪に変貌する。轟はふと、捉把の表情が芳しくない事を察する。尾白が辞退を申し出る事すら耳に入っていなかった。説明を終え、其々の対戦表が画面に映される。

 捉把は望洋と自分の物だけを確かめ、観客席の方へと戻った。

 

「何をされたんだろう……?」

 

 あの男子生徒――心操とは、何者か?

 捉把の対戦相手は、強力な電撃を発する“個性”を持った上鳴。対策は既に脳内で完成しているが、それよりも心操の危険さに意識が傾く。

 とぼとぼと観戦席に向かう途上で、曲がり角から凄まじい熱気を放射する巨漢が現れた。道を妨害された彼女は、渋々と道脇に身を退けるも、一向に男は動かない。

 見上げた捉把は視界にそのヒーローを捉え……

 

「……どちら様でしょうか?」

「No.2ヒーローと言われている、エンデヴァーだ」

「何か用でも?」

「あぁ、先ほどの戦いを見て思ったんだが、空狩捉把――将来、轟焦凍の相棒にならないか?」

 

 捉把は唐突な提案に首を傾げた。

 しかし、相手の反応に構わずエンデヴァーは再開する。

 

「我が悲願を遂げるのはアイツだ、必ずや遣り遂げる。いずれはNo.1の座を恣にするだろう……そこで君だ」

「私……ですか?」

「あぁ、その強力な“個性”。焦凍の全力には敵わずとも、将来的に有望だ。さて、どうだ?」

 

 捉把は無表情、しかし暫し困惑した。

 突然出現した男性がNo.2を名乗り、息子の相棒を提案する。この奇観が第三者ならば兎も角、当事者となっては恐ろしくすらある。

 

「別に構いませんが、気分に拠りますよ」

「何だと、気分じゃ駄目だ!!確り答えろォ!!」

「取り敢えず、落ち込んでるので後にして下さい。悔しい時はたこ焼きと決めているので」

「おい、待て貴様ァ!!」

 

 捉把はその場を走り去った。

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 

「――という訳で、たこ焼きを温めて下さい」

「貴様、先刻の話を憶えているか?」

「ええ、将来は息子さんの嫁に欲しいという話ですよね」

「焦凍に結婚は早い!!焦凍ォォォオ!!」

「違いましたか」

 

 買った後のたこ焼きを持って、エンデヴァーと共に観客席に居た。彼の“個性”で満足な食感が出る好みの具合までたこ焼きを焼き直させる。

 エンデヴァーは交換条件と捉えて応じていたが、本人に飄々と躱されて益々噴火していた。

 

「エンデヴァーさん、熱いので離れて下さい」

「何だと!!?」

「あ、たこ焼きはあと二十秒お願いします」

「焦凍ォォォオ!コイツは何なんだァァァア!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話「祭りと言えばフランクフルト」

 

 

 

 第三種目開始直前に事件は起きた。

 対戦表が決められ、上鳴との戦闘準備にたこ焼きを食していた捉把だったが、エンデヴァーと同席している際に峰田の情報によって誤解した女子生徒は、会場にて思わぬ光景を作り出してしまったのだ。

 

「……何やってんだ……?」

『おいおい、1-Aはどうしたァ!?』

 

 チアガールの格好に着替えた女子生徒による応援団。全員の顔は暗い影が落ち、悪辣なる策士峰田と上鳴は満足感に肩を組んだ。捉把だけは動作確認を行い、両手に握ったボンボン(フワフワしたヤツ)を振るって練習していた。尚、相澤へ披露してみたが、彼は呆れる事頻りである。

 悲歎の女子、捉把の除いた面々が口々に峰田を叱責する。捉把の下へは勝己が観戦席から轟然と肉薄し、捕らえられた。何故か轟は自分の上着をまたしても手渡す。

 捉把が身ぶり手振り、少し挙動を発するだけで悲鳴じみた歓呼。此度の雄英体育祭では筆頭の美貌、振り撒く笑顔は繕った物だとも識らずに興奮する。

 欣然とする観客席の中で、エンデヴァーは会場に降り立ち、捉把と会話をする姿を見て益々確信する。将来的な相棒に迎え入れる下準備を始めんと思考を巡らせていた。しかし、嫁云々の話を想起して、即座に唸り声と共に息子の名前で咆哮する。

 観客に答えて踊る捉把は、背後から勝己の手刀を喰らって止まる。両腕を摑まれ、完全に動きを封じられた。轟の上着を渡す手元も、もはや強制の意気がある。自分の姿を検めて、男子二人の前に無表情でポーズを決める。取り繕う必要のない相手だからだった。

 一瞬、忘我した二人だったが、再び凄まじい気迫で詰め寄った。

 

「可愛いかな?」

「っせぇ!!キメェから着替えろや!!」

「そんなに醜かった?」

「いや、きれ……俺の上着を早く」

「轟くんは紳士だね」

 

 捉把は二人に連行されて立ち去る。

 

「おい舐めプ野郎、気安く触んな……!!」

「空狩はお前のペットじゃねぇ、強制するな」

「勝己くん、色々楽しかったよ。今までありがとう」

「殺す、まとめて殺す!!」

 

 更衣室前に捉把は上着を脱いで返す。

 

「はい。ありがとう、着替えて来るね」

「ああ」

 

 捉把が更衣室に消えたが、室前の廊下から二人は立ち去らず待機していた。先程から憤怒に燃え上がる勝己を無視し、床を睨んでいる轟。

 勝己は先程、チアガール事件前に彼が出久に語った内容を意図せず知ってしまった。壮絶な幼少期の体験、心痛絶えぬ凄惨な過去、およそ傍若無人な勝己にも触れ難い話である。ヒーローを志す者の集う中に、並々ならぬ強迫観念じみた動機で入学し、挑戦する。父親の私怨に翻弄された恨みに身を焦がし、心を凍てつかせた。

 だからこそ、他人を意に介さず頂点を獲ると豪語する轟が、あの捉把にここまで接する道理が判らない。確かに彼女も強力な“個性”、出自は兎も角“個性”の生産の為に母親や人生を狂わされた。

 同情なのだとしたら、勝己は甚だ不快でならなかった。捉把が保健室で告げた、全力でヒーローを目指す意志と、轟の親を完全否定する心意気は、明らかに道を違えている。轟に同情される謂れは無いのだ。

 勝己は徐に壁から背を離し、正面に居た轟の居る対岸へ行き、すぐ側の壁を蹴る。目前に佇み、足で逃げ場を防ぐ彼に轟は小首を傾げた。

 

(ひだり)を使え。全力のてめぇを叩き潰す。んで、アイツに関わんな」

「……おまえも知ってるなら言うが、空狩がどんな苦しみを抱えてるか、俺には解る」

「あぁん?テメェと違って、あいつは拗らせてねぇ」

「どうだろうな、根本は変わらねぇよ。教室で以前、アイツは独り暮らしだと言った。……多分、親がいねぇんだろ」

 

 勝己が足を下ろして押し黙る。

 以前、下校中に己の過去を語った彼女を思い出す。強力な“個性”を持つ個体を生産する為に、怪物と母親を強制的に結び、この世に生まれた子供――空狩捉把。今の彼女は確かに、孤独だった。

 家族は居ない、友人やヒーローへの意志以外に支えの無い不安定な心。

 轟は彼を避けて、その後ろに立った。

 

「俺と違って復讐する先が無いか、それとも……見付からないか。そんな環境下だと無自覚になるのも納得だ。空狩の奥にもまだ暗いモンがある」

「何が言いてぇんだ半分野郎」

「だから俺が救ける。大人の一存に縛られた経験があるからこそ、俺はおまえよりもアイツが理解できる」

 

 捉把は着替えを終えたが、扉の向こう側の会話に退室の機会を躊躇っていた。轟の言葉が脳内で反響する。復讐する先――確かに、“あの姿”を見た時に、自分を抑えられる自信はない。末端の脳無でさえ、記憶が曖昧になる程に荒々しい感情の波に飲まれてしまった。

 轟の言葉を全否定できない。勝己の反論など総て空しく聞こえてしまう自分が嫌になった。

 捉把は眥を決して部屋を出ると、二人に手を振る。会話が中断され、舌打ちする勝己と無表情の轟。二人と共に観戦に戻った。

 その道中に心操を倒し、一回戦を通過した出久と遭遇した。クラストップ2を脇に侍らせた捉把の姿に戦々恐々、特に勝己を見て怯えている。威嚇する勝己を窘めて、捉把は出久の首筋に抱き着いた。狼狽える彼と、静かに燃える二人。

 心操によって遺憾のある勝利を収めたため、第一回戦で対決した出久が代わりに雪辱を晴らしたのだと歓喜する。その感情のあまりの行動だった。

 

「そ、空狩さん……!」

「さすが、私の“平和の象徴”。君は英雄だ」

「緑谷……二回戦、宜しく頼む」

「せ、瀬呂くんが勝つかもだし、気が早いよ轟くん!

 (何か、さっきと気迫の種類が違うというか……?)」

 

 出久の態度に、轟が静かに告げた。

 

「そうだな……もし、この中で優勝者が出れば、空狩に一つ依頼が出来る、何でもだ」

「轟くん、先ずは私の許可を」

 

 優勝商品扱いの捉把だが、逆にこの催しは捉把が優勝すれば無効になる。この中で最も高成績を出した者ではなく、この『優勝』こそが必要最低条件なのだとすれば、回避も大いに簡単だ。

 

「はぁ!?要らねえっつのコイツなんか!!」

「要らないのか、なら俺が貰う」

「上等だ覚悟しとけクソ女ァ!!」

「空狩さんに迷惑だけど……優勝は目指して頑張るよ!」

「出久くんなら、何でも良いかな」

 

 捉把を懸けた男達の戦いが始まった(出久は被害者)。

 

 

 

******************

 

 

 

 捉把の戦闘は一瞬で片付いた。

 初手から全力放電の上鳴の技。『空間』で展開した“領域”内に高圧な斥力を全方位へ発し、電流もろとも跳ね返した。強力な電撃の反動で思考能力が著しく低下した彼は、即座に対応する事も適わずに吹き飛んだのだった。

 審判のミッドナイトにも被害は出たが、上鳴に勝利する事は出来た。文字通りの瞬殺、捉把が手を振ると相澤が小さく倦怠感の漂う挙止で頷く。勝利を収めたが、障害物走や知らぬ騎馬戦で消耗した体力の回復が最優先であった。自覚している以上に体が悲鳴を上げているとあって、捉把はスマホを取り出し、最新で登録した連絡先に通話を図る。

 疲労があって動けないため、代わりに食料調達を頼むと、向こう側からは怒声と共に承る声が轟いた。昼食を抜いた事が祟り、観客席にも戻れず、眠気に意識を委ねて会場の小さな椅子の上で憩う最中、テレビ取材が殺到した。

 集う歓喜の声に叩き起こされ、捉把は寝惚け眼を擦りながら応答する。呂律が回らない部分は何度も再質問をされ、その内に覚醒して行く。体力の損耗、寝起き、空腹が相俟って不機嫌だったが、相澤の面目を台無しにする行為は控え、鷹揚に応答する。尤も、テレビ取材自体を受け付けても良いか、その詳細について捉把は未だ理解しておらず、後々相澤に説教をされる危険性に気付いていなかった。

 取材が十分以上も続くと饒舌になり、クラスメイトの様子などについても語り始めていた途中、取材陣の背後に頭の一つ高く天に伸びた影、片手にフランクフルトを持った巨漢が出現した。

 燃え盛る満身、それ以上の熱を感じる気迫。しかし、その再登場を予め知っていた捉把は、手を挙げて応えた。エンデヴァーは怒りの形相で闊歩し、捉把にフランクフルトを突き出す。

 

「貴様、大人を買い出しに使うとは常識が無いな!?」

「代金は、私の食事する姿で良いよね」

「対価として成っとらんだろうが!!」

「それ以上を要求するんだ。本当にヒーロー?」

「この小娘が嫌いだァァァァア!!」

 

 エンデヴァーに渡されたフランクフルトを頬張る。

 

「祭りと言えばフランクフルト。んっ、おじさん、これまた焼いてくれた?嬉しい、注文通りだよ」

「くそぅ、我が力をこうもコンロの如く……して、先刻の提案の返答は!?」

「それもNo.2の財布からとなれば格別の味わい」

「俺は(ヴィラン)になりそうだァァァア!!」

 

 燃え盛るエンデヴァーと会話をしていると、取材陣が更に話の種を見つけたと目を輝かせて詰め寄る。捉把の全方位が一瞬で閉塞し、退路は完全に失われていた。収斂する取材陣の環に、燃えるエンデヴァーとの距離を詰めざるを得ず、一歩後退りすら都度に気温が高くなる。

 捉把はエンデヴァーを睨みあげた。しかし、彼は何やら上機嫌に、昂然と胸を張っており、捉把の肩に手を置く。熱い熱い。

 

「エンデヴァーさん!お二人はどんな関係なのですか!?」

「隠し子です」

「あらぬ事を吹聴するんじゃない小娘!!」

 

 捉把の冗談に一同が乱れたが、エンデヴァーが空かさず訂正に入る。捉把はその隣で依然として食事をしている、。

 

「将来、我が事務所の相棒に如何かと勧誘している。この少女は、将来的に必ず優れたヒーローとなるだろう」

「お褒めに預り恐悦至極。おじさん、下の方が焼けてないよ」

「何ィ!?俺の炎は完璧だ、どこだ、どこが焼けていない!!このエンデヴァーに失敗は無い!!」

 

 捉把が指し示す場所に、直火で弱々しい炎を指先から発して繊細に焼き上げる。

 

「最高。おじさんヒーロー辞めて、料理人になれば?」

「黙っとれい!!」

「な、仲が良さそうで何よりです……。それで、空狩捉把さんは、どう返答なされたのですか?」

 

 マイクが向けられる。

 エンデヴァーを横目に見ると、失言を吐いた場合を想定した憤怒を面相に湛えていたが、些かの憂慮した眼差しだった。捉把は顎に手を当て、暫し黙考する。いま答えても良い案件なのか。

 捉把が思考を巡らせると、努力する出久、強くも悲痛な轟、自分の為に体を張った勝己が浮かぶ。

 

「そうですね……貴重な体験となるので、お引き受けしようかと思っています。さすがに息子さんの嫁、に付いては答えられませんが」

「おい、俺はそんな要望を口にしとらん!!」

 

 捉把の背中をエンデヴァーが叩く。

 上機嫌に、禍々しい笑顔を浮かべていた。

 

「やはり、エンデヴァーさんからのスカウトとは嬉しいものですか?」

「どうでしょうか、ご飯で釣られた感じがします」

「何ィ!!!?」

 

 捉把は椅子を蹴って立ち上がる。

 周囲の喧騒よりも、会場から響く解説の声で次の対戦を察した。彼の腕を叩いて、会場へと歩き出す。その後ろをエンデヴァーが厳かな雰囲気で周囲を圧し、前方の道を開かせた。No.2ともなれば、やはり如何なる者も威圧するのだろう。

 捉把が耳にした対戦――それは出久と轟の対決。

 オールマイトの弟子と、エンデヴァーの子息。

 神の徒としか形容できない組合せであり、二人にとっても大きな意味を帯びている。捉把の予想では、轟の優勢が考えられた。しかし、鍛練に付き合った仲として、そして騎馬戦及び障害物走でも奇策を用いて何度もトップ2を出し抜いた出久の実力自体も油断なら無い。

 統計した結果、捉把の分析は五分五分だった。

 

「フン、素直に最初から来ると言えば良いものを」

「この大会で、もしかしたら幻滅するかもしれないですし」

「そうならぬよう、(ゆめ)忘れるな」

「……」

 

 轟が怨恨の念を向けるのは、エンデヴァーであると話を聞かずとも察した。“個性”婚という手段に訴えかけてまでの、異常な上昇志向。執念深く燃える焔は、その身辺にある者まで焼き尽くす。だからこそ、慕われるべき息子から凄壮な憎悪を懐かれるのだ。

 捉把に出来る事は無い。自分と轟は、有能な“個性”を作り出す目的の下に生まれたとはいえ、やはり根本から違う。彼とも相容れない部分があるのだ。誰にも自分の苦痛は理解できない、勝己でさえも。

 自分の本当の正体は、未だ不明なところがある。けれど、真実を知った時、友人のみならず相澤、そして自分でさえも拒絶してしまうだろう。憧れのヒーローとは――自分を救ってくれた者の事かもしれない。

 テレビで観た活躍、言動などに感動した事で憧憬の始まりとなる。しかし、捉把を心の闇から救ってくれた人間など、まだ一人として現れない。

 轟の目の奥には、自分と違い“憧憬の火”がある。目指すべき形を捉えているのに、それを阻害している感情がある。まだ彼ならば救える、父親への怨恨からも、自分への失意からも、誰かへの罪悪感からも。

 観客席に立った。

 捉把とエンデヴァーが見下ろす眼下の舞台に、両雄相対する。

 

『さぁ、始めるぞ、緑谷――VS――轟――!!』

 

 二人が前に出た。

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

「そ、空狩さん……!?」

 

 観客席に居た八百万百が見上げる先に、捉把とエンデヴァーが立っている。No.2と並び立つ姿に、彼女だけが疑問を呈していた。他の皆は戦闘に集中している。

 不意に勝己がそちらを見遣り、即座に目を見開く。

 

「……んでアイツ、エンデヴァーと?」

「気に入られた、のでしょうか」

 

 暫くそちらに釘付けになっていた勝己に、八百万は微笑みかけた。

 

「爆豪さんも……大変ですね」

「あァ!?んだテメェ、黙ってろやカス!!」

「ご、ごめんなさい……」

 

 その後に女子勢から叩き出され、勝己は階段で観戦する事になった。

 

 

 

 




よし、次や、暴走したけど次。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話「コンビニ弁当は無難で良いよね」

 体育祭で常に先頭を争った出久と轟の戦闘。

 その火蓋が盛大に切って落とされた。

 

 その時、捉把の視界に暗幕が降りた。

 体育祭のスタジアムから変転し、景色が陰湿な闇を湛えた試験管の並ぶ景色に変わる。奇怪な生物が溶液に浸され、中には一部が崩れた人間すら見受けられた。地面の殆どがそれらに繋がるパイプ菅によって足場が無い。

 捉把の立つ目前で、女性が子供を抱えて踞っている。その背中に既視感のある捉把は、直ぐに誰かを悟った。――母だった。

 しかし、知っている姿と少し異なる。頭頂に狐の耳、尻尾を持つ女性の姿だった。目鼻立ちと、何かを叫ぶ声で母なのだとは分かるが、自分が知る彼女とは大いに違う。

 そして、抱き締められた子供は、恐らく幼少の自分。それもまた、今とは違い獣の耳も尻尾も無い、極めて“個性”が存在しなかった世界でいう“普通の人間”の容姿。

 闇の奥から歩み寄る影があった。

 全身の所々に靄が掛かり、ただでさえ暗室の中とあって全く顔すら見えない。体格は非常に良く、スーツ姿であったが、体に幾つもパイプ菅が接続されている。

 母が自分を背に庇い立ち、男の前に身体を張るが、一瞬の後に彼女は地面に倒れて苦悶し始めた。転倒した母を踏み越えて、自分へと手を差し出す。

 

『子供というのは親の期待に応えてくれると聞いたけど、予想以上の成果だ!“僕”が確り継承されている!』

 

 屈んだ男は、小さな自分の両肩を優しく摑み、後ろへと向けさせた。捉把も二人から視線を外し、背後を顧みる。振り向いてはならない、そんな拒否感と予感が筋肉を麻痺させるが、景色全体が回転して視界をそちらへと誘う。

 床を覆う一面の赤。

 散乱する死体の中には、試験管の怪物も居る。いや、どれが誰の物であるかすら判別の付かない大惨事だった。後頭部を擽る母の呻き声、前へと男に催促されて一緒に進み出る小さな自分。爪先が血に濡れて、それを無感動に見下ろしている。

 男は愉快そうに笑った。あたかも我が子の善事を誉めるかの如く、隣に居る小さな捉把の頭を無造作に撫でる。

 

『素晴らしい――愛してるよ捉把』

 

 肚の底から竦ませる様な含み笑いで、男は再び幼い捉把を催促する。今度は踞る母親の方へ。付き従う子供の指先に付着した血が断続的に落ちて、母へ繋がる標となって地面を汚す。

 母が顔を上げた時、男はその頭を鷲摑みにした。そして片手は捉把の背中へ優しく触れさせる。子供の自分は未だ何も判らずに、男と彼女を交互に見遣る。

 

『いつか帰って来なさい、我が家へ』

 

 男の笑顔と共に、母と捉把の体が光を放った。

 

 

 

 

**********

 

 

 

 捉把の意識が浮上する。

 暗中からスタジアムへと引き上げられた。観客席を突き抜けた一迅の風に吹かれ、階段に倒れ掛けるが、幸いにも背後で観戦に夢中となっていたエンデヴァーの胴に凭れ掛かって回避する。訝って見下ろす彼に礼を言って、その場に腰を下ろした。

 舞台の上は、氷壁の残骸と暴風に巻かれた。正対する轟の半身は霜が出来ており、出久の右の五指は歪み左腕は力無く垂れている。対象の沈黙を図る氷結と、爆裂する超金剛力の激突は観客席に物理的な圧力を与える迫力だった。

 機動力、応用力……何を取っても強豪と称しても相応しい轟だが、先程から調子がいつもと違う。

 体育祭前に調整について、出久は骨折や自傷を免れる為の身体許容上限まで全身を強化した術を会得した筈である。ところが、現在は回避したかった反動を敢えて甘受し、全力で轟の技を封殺していた。轟の全身の震えが酷くなる程に減速する連続攻撃、減退する攻撃力。その分、出久は前へと出る。

 出久の身体が翠の電流を帯びた。途端に身体能力が上昇し、相手までの間隙を疾駆する。特訓の成果か、発動の所要時間と制御意識の持続を問題視しない面構え。正確に“個性”の出力を過たずに動く。

 轟はもはや氷結は意味を為さず、飛び越えた敵の空中から振り被られた回し蹴りすら受け止める事が出来ない。辛うじて顔を庇った腕もろとも威力で弾かれた。地面を跳ねて転ぶ。出久の蹴りは型も無い、云わば素人の使う喧嘩技。それでも効果的な打撃となった。

 壊れた腕を使わずに平衡を保って着地し、追撃に走ろうとして停止する。やはり、些細な動作にも激痛の伴う重傷であり、体育祭の範疇を超えた命懸けであった。

 力の入らない全身が煩わしく、内側から冷却された己の体に苦しんでも立ち上がる轟。前を向いた瞬間には、腹部に出久の右拳が捻じ込まれていた。吹き飛ぶ前に左腕を氷結させて倒れる。

 捉把の目には審判達が耳の通信機を押さえ、密かに話していると判った。恐らく、出久の負傷の激しさから戦闘の見計らいを詮議しているのだろう。

 父親から継承した左の“個性”を使わず、右のみで勝利し頂点を獲る所存の轟。成る程、父への確執や拒絶からすれば、正しく今の彼は全力。しかし、それは“本来の轟”の力量ではない、“父を否定する者”としての強さだけだ。夢を叶える為の強さとは程遠く、脆弱で浅はかな信念。固執する事で視野狭窄になり、憎悪によって進む前に懐いていた夢は外へ追いやられる。

 理想のヒーローは――そんなモノは無い捉把だからこそ、轟の目の奥に自分とは違う、明瞭な目標の光が垣間見えた。いま、体育祭をそれで制すると標榜した彼に、出久は憐憫と悲憤を胸にして戦っている。

 常に全力でヒーローを志し、また全力の皆と競い争い高めあった短期間で、その重要性を見いだした。ただ個人の憎しみを遂げる為の全力に何の意義がある、そんな信念の元に揮われた力と向かい合った者を、敗けた者の気持ちを考えられるのか。

 だからこそ、出久は調整した筈の力を全開放し、自損覚悟の“全身全霊”で轟の奥にある“本来のカタチ”を削り出そうとしていた。

 

「何でそこまで……」

「期待に応えたいんだ……!笑って、応えられるような…カッコイイ(ヒーロー)に――」

 

 苦しみ足掻いた時期、その末に報われた時、更なる先を見据えられる喜びを知っている。自らの憎悪で理想(みらい)を閉ざす轟の壁を、出久はぶち破ろうとする。

 

「――なりたいんだ!!」

 

 轟の表情が更に曇る。何かを躊躇い、苦しんでいる。

 接近した出久だったが、腕が意志に追い付かずに動かない。身体許容上限まで強化した脚で蹴り上げれば威力は高いが、左腕と同じく氷結を受ければ致命的である。何より、今や轟は右の能力が上手く使用できぬ窮状で、大きな攻撃には出れない。

 出久は思考を巡らせた結果、頭突きで彼の胸を打つ。

 後方へと踏鞴を踏んで引き下がる轟。

 

「だから全力で!やってんだ――皆!君の境遇も、君の決心も、僕なんかに計り知れるものじゃない……!でも……“全力”も出さないで一番になって完全否定なんて、フザけるなって、今は思ってる!だから、僕は勝つ!」

「うるせぇ……」

 

 右が発動しない。

 肉薄した出久の拳が無防備な轟を穿つ。

 

「君を超えて!!」

 

 轟が後方へと盛大に吹き飛んだ。

 出久の苦痛に歪む相は、それでも轟から目を逸らさない。真正面から彼に向かって行く。一つひとつ、一撃を叩き込む度に自分と相手の心を隔てる障壁を打ち破る。距離を潰し溝を跳び越える一足、逃げる相手を摑み訴えかける拳。

 轟は既に満身創痍だった。“個性”の影響を差し引いて、精神状態も冷静で強壮だった平時の彼ではない。出久の特攻によって、心の氷が剥落した本来の姿である。

 立ち上がる轟と、叫ぶ出久。両者の決闘は、これまで行われたどの戦闘とも異なる様相を呈する。エンデヴァーの芳しくない表情、騒めく観客やヒーロー、危険な機を見計らう審判。

 

「親父を――……」

「君の!力じゃないか!!」

 

 轟の表情が消えた。

 出久が前に踏み出すと、舞台上で大きな火柱が天を衝く。あまりの火勢に立ち止まり、炎の中から姿を現す対敵を喜びと戦きが混在した面持ちで見る。

 エンデヴァーの凶相に笑みが浮かんだ。

 捉把は自分の膝に頬杖を突いて微笑む。

 

「カッコいいよ、二人とも」

 

 業火を左半身から迸らせ、薄く涙を浮かべた轟が出久に迫る。

 

「俺だって……ヒーローに――!」

 

 轟焦凍の殻が破れた時だった。

 

「……凄いや」

「何笑ってるんだ。……どうなっても知らねぇぞ」

 

 轟の“個性”が何の柵も無く発動する。

 出久の右腕と前足に帯びていた袖と裾が、内側から躍動する凄まじい力の運動に引き千切られた。尋常一様ではない突風が周囲一帯に吹き荒び、審判達もそれを悟って動き出す。

 踏み込んだ轟の足下から氷結が前方へ奔り、出久は踏み込んだ前足で跳躍する。高速で接近する両者の右腕と左腕が重なる様に振り出された。

 

「緑谷――ありがとな」

 

 寸前で幾重にも壁を展開するセメントスだが、二人の中間地点を爆心地として暴発した力の衝突が、それらを無にした。轟音が空間を支配し、地面を走った亀裂から刹那で瓦解する舞台。呑み込んで行く衝撃波で土煙と砂塵は上空まで柱の如く衝き上げられた。会場全体を引き裂かん爆風の猛威に観客席のプレゼントマイクまで驚倒している。

 捉把は咄嗟にエンデヴァーの背後に回って爆風を凌いだ。座席の背凭れでも耐えるのが厳しく、皆が前の席に縋み付いている。

 猛威が過ぎ去った後に立ち煙る煙幕の中、観客達は沈黙した。注目される舞台で、次第に晴れて行く視界。舞台の上に立っていたのは轟一人だった。彼の向く正面の先にある壁面では、意識を失って倒れる出久が居た。

 勝者を告げる声と観客の声が重なり、再び騒音に包まれる。エンデヴァーは勝者の息子を迎える為に、捉把を置いて動き出す。

 捉把もまた、次の飯田との対戦の為に階段を駆け上がったが、その途中で一度だけ舞台へ振り向く。其所では、轟の茫然とした、それでも以前より晴れやかな顔を見る。

 

「……うん、大丈夫かもね」

 

 捉把もまた、憂慮する事もなくスタンバイしに行く。

 今回が良い経験となっただろう。小さな切っ掛けでも、これは轟の心中を大いに覆す出来事だ。これまで触れ得る者のいなかった奥底に、出久に切り開かれた道がある。否、出久によって再び前に現れた望んだ夢への方向を捉え、指導するだろう。

 捉把はセメントスが修復する舞台へと向かう途中で、大きく破けて諸肌脱ぎのような体操着の轟と出会う。

 

「君にしては熱い戦いだったね」

「……空狩は、親父と見てたのか」

「軟派された」

「そうか、何を貰った?」

「鋭いね、たこ焼きとフランクフルト」

「……おまえが話さないなら、それで良い」

 

 轟が隣を通過する際、その肩を叩いた。

 

「轟くん、あの“賭け”だけど」

「ん、ああ、あれか」

 

 出久の一回戦終了と同時に、捉把を巡って争う三人の男子の私的な戦。

 

「私が優勝した場合、君達の報酬は無効になる」

「……確かに、そうだな」

「じゃあ、その時は私が一人ずつに個人的な依頼が出来る、それで良い?」

 

 轟は暫し考えてから首肯した。

 

「ああ、俺は構わない」

「それでは、轟くんは……――体育祭の後、美味しい蕎麦をご馳走して」

「……俺の姉の蕎麦で良いか?」

「よし、決まりだね。楽しみにしているよ」

 

 

 

 

 

***********

 

 

 

 修復された舞台上に、飯田と捉把が対峙する。

 あまり言葉を交わした機会は無いが、クラス委員長と問題児の対決である。

 飯田にとって、空狩捉把は未知の存在。普段は相澤に説教を受けている彼女だが、改善の気配は一向に見られない。しかし、ヒーロー基礎学での戦闘訓練で轟と互角に渡り合う他、先のUSJ襲撃戦でもオールマイトを苦しめた脳無と同様の生物を単騎撃破した実力。体育祭での活躍も重ね、最大の警戒対象に値する理由は充分だった。

 分析すると、あらゆる獣の生態を己が肉体で再現する『獣性』、一定の範囲に望むままの効果を発揮させる『空間』。どちらも強力、飯田が正面から彼女に勝るとすれば機動力のみ。一回戦を終えてから観戦席を長らく外していた上に、騎馬戦で心操に洗脳され、“アレ”を見ていなかった――その一点に懸け、彼は最初から全速力を放つ心積もりであった。

 何故か、開始前からミッドナイトに冷たい眼差しを送る捉把。挑発気味に笑う審判と火花を散らしている。飯田を前にして、他者に構けるこの余裕!脚の機構を最大出力に設定し、合図の時を待つ。

 やや不満げな捉把の顔が飯田を見詰める。渋々構えた彼女の視線は、ちらりと解説席を見遣った。知っている、放課後に相澤と特訓に勤しんでいた事は、クラス内では周知されている。その点もやはり恐ろしい。

 ミッドナイトが両者の立ち位置を検め、審判に一瞥を投げ掛けてから、手元の鞭で足下を撓り打った。

 

『始めッ!!』

 

 乾いた音と共に出された合図。

 飯田が全速力で疾走した。

 彼我の距離をたった一秒余りで潰す。これには捉把の驚愕しており、その隙を衝いて飯田は捉把の隣を過ぎると同時に襟を摑んだ。

 やはり予想以上の行動速度に動揺し、狼狽えている様子。相手が踏ん張る前に、再出発した。無抵抗な彼女に速攻で仕掛け、舞台の端にある枠線まで持って行く。このまま相手に真価を発揮させる猶予など微塵も与えずに勝つ、それこそが飯田の戦法。

 際まで手に摑んでおり、いざ叩き付けんと腕を引こうとする。しかし、いつの間にか手元から重量感が失われた。次に背にぶつかる衝撃で前に蹌踉めく。線の前で踏み留まり、驚いて振り返った飯田の視界が、捉把の靴の足の裏に蔽われた。

 飯田は己の失策を悟る。無抵抗だったのは、敢えて自分を際まで移動させる事。寸前で拘束さえ解いてしまえば、逆に追い詰められるのは……――!

 捉把は上着を脱ぎ捨てた姿で、足を振り上げていた。体力の消耗という不覚を前線で晒していた故に、今度は最低限しか“個性”を発動せず、最小限の攻撃で相手を速やかに倒す策に出た。飯田の高速移動は想定しており、実際の体感速度はそれ以上だったとはいえ、枠線まで持って行かれる数秒も猶予があれば事足りる。

 踵だけは地面から離さず、上着だけ摑まれているなら、適当な時に脱いでしまえば、置き去りにされる。慣性の法則に従う身体には、両腕を犀の胴に変えてしまえば圧倒的質量によって数歩で静止する。

 後は直ぐに解除し、背後から蹴りで相手を突き放す。これで枠線を出れば畳重だが、それで踏み堪えられた場合は追撃である。こちらを向くや否やの機を狙い撃てば、不安定な姿勢と焦る意識もあって効果は高い。動揺で彼はすぐに攻撃へ移行できない。

 

「残念だったね、眼鏡くん」

「ぼ……俺は飯田天ブガッッ!!」

 

 捉把に顎を蹴り上げられ、眼鏡を頭上に飛ばして転がる。舞台の上を落ちた飯田を見下ろしながら、捉把は宙に舞い躍った彼の眼鏡を摑み取り、自分に装着する。

 

「委員長の座は私が頂いたよ」

「そんな賭けはしていないんだが!?」

「やばっ……これ度が合ってな、目が痛いし、あの人とお揃いみたいで嫌だな」

 

 捉把はアイマスクのミッドナイトと見比べ、舞台の外に居る飯田へと眼鏡を投げ渡す。

 

『勝者――空狩捉把!!』

 

 勝利者宣言に歓声が沸く。

 捉把は擬装した笑顔で両手を振り、全方位から浴びる声に応えた。沸き止まぬ声の波、殆どが艶かしい少女の肢体に興奮した男性の本性である。峰田や上鳴までもが、何処から取り出したか『空狩捉把』と掲げる団扇を振り回しており、勝己によって即座に灰塵と帰した。

 解説席の相澤は嘆息する。

 

『ヘイ!どうしたミイラマン!?お前もあの子で目を養ってブッ!!また肘ィ!?』

『空狩、調子に乗って羽目外すな』

 

 相澤の声に、捉把は首を傾げたが、飯田に差し出された上着を軽く羽織る。先程とは一転して暗い声、観客席の一部からは「よくぞやったぞ小娘ェェエ!!」と叫ぶ炎の巨漢の大声や、爆発音などが聞こえる。……どちらも聞こえなかった事にしよう、それが平和だ。

 捉把と飯田は一礼して退場した。

 

 観客席への通路を辿る前に、エンデヴァーが立ち塞がる。注文していないが、既に片手に昼食弁当二人前を用意していた。

 

「……おじさん、これから頼もうと思っていたのに。やっぱり、コンビニ弁当は無難で良いよね」

「ふん、貴様ごときの思考なぞ読めるわ」

「いや、自分から買ってくれるとは。私の事大好きだね」

「ム……頼まなかったか?」

「頼んでないよ」

「………………。クソゥ!!俺は……俺はまた……!」

 

 悔やむ無惨な大人を取り残し、捉把は通路の角を曲がって、轟と遭遇した。静かな彼は、通路先で聞こえる父親の苦悶の声に眉を顰ませた後、捉把の手元にある弁当に視線を留めた。

 

「存分に財布として使ってくれ、あんなヤツ」

「良かった、これで心置無く奢って貰えるね」

「……次の対戦、宜しく頼む」

「うん、全力で……ね」

「ああ」

 

 次は準決勝――轟との対決である。

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 轟が去ろうとしたが、捉把は腕を摑んで止めた。

 

「“賭け”の事だけど」

「何だ」

「左も使って私を倒したら、三人の勝負とは別として報酬に」

「……報酬に」

「何でも言うことを聞いてあげるよ」

 

 轟は沈黙し、複雑な表情になった後に再び歩き出した。

 

「……考えとく」

「よし」

 

 捉把もまた立ち去ろうとして……

 炎の巨漢が後ろに現れる。

 

「貴様ァァァア!!これまでの分を――」

「ありがとう、おじさん大好き」

「請求してや――」

「それじゃ、もう行くね。ありがとう」

「ヌゥオオオオオオオ!!!!!!」

 

 颯爽と退散する捉把と、燃え上がるエンデヴァー。

 それを遠目に、角からオールマイトが見ていた。

 

「(うわぁ……私もアイスを奢れと言われたけど、ああはならなくて良かった。というか、エンデヴァーの炎が凄ぇ……)」

 

 

 

 

 

 




ふう、書けた。次や!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六話「決戦への饅頭」

 

 

 その一騎討ちは白熱した。

 爆撃を織り交ぜた格闘術の勝己と、全弾命中してなお耐久して鋼鉄の反撃を繰り出す切島。捉把のクラスでは攻撃と防御の最高峰たる二人の近接戦は、途轍も無く熱気に満ちている。どちらが準決勝進出を獲得しても遜色ない猛撃の応酬。

 勝己が低い前傾姿勢で内懐に潜り込み、切島の腹部へ掌底を叩き付けながら爆破する。至近距離で炸裂する爆風に体操着もただの襤褸へと変えられた。しかし、衣服の下にある硬質化された皮膚にまで外傷は与えられない。

 切島が反撃に右拳を振るった。相手の攻撃が命中する瞬間に合わせたので、回避はなかなか困難である筈だ。しかし、先の麗日戦でも見せた天性の反射神経を有する彼は、寸前で上体と巧みに運び、鋼の拳打を躱したが、掠めた頬に血が滲む。

 後退した勝己に対し、全身の硬化を維持しつつ、挑発の言葉と共に再度近接戦へ殴り込む切島。彼の戦法は、短期決戦である。前回の鉄哲との猛烈な対決を制した後の彼は、未だ疲労が抜けきっていない。更に、主導権を一度でも握らせてしまえば、勝己から奪還するのは正直に至難の業といえる。

 この――叩けば更なる進化を遂げる戦闘の天才を、切島は早々に打ち倒したかった。持久戦に持ち込むにしても、この強力な爆撃をいつまでも凌げる訳もない。

 勝己の“個性”を用いた奇抜な体術は、相手を撹乱する為のものであるが、切島には効果を失っていた。理由としては、捉把の体術を直近で見ていた経験があるからだ。型は全く異なるが、着実に避けて予想外の角度から強力且つ正確な攻撃を突き刺す彼女に比較して、威力ばかりが高く矢鱈滅多な勝己に対して、あまり焦燥感は抱かない。

 捉把と比すれば目で追える、反応だって出来る。

 切島は知っていた。緑谷が一回戦を終えた廊下で、労いに行こうとした時、其所ではクラスでも特質な三人による争奪戦が成立していた事。捉把を懸けた男の戦であった。

 どちらを応援すべきかと考えたが、そもそも己が介入する余地などない。

 そこで、捉把が準決勝にて轟との対決が決定した時に肚を括った。こうなれば、勝己を打倒して決勝戦で彼女と相見えよう。彼女もまた轟を倒せば、もはや賭けは不成立となる。恋愛感情がある訳でもないが、特にこの二人には挫折を味わって貰わねばなるまい。

 しかし、身体は限界が近い。硬化を常時発動して数分が経過する今、気を張り続けていたが、上から捩じ伏せようとする数多の爆撃と、度重なる烈しい近接戦で蓄積した多大な疲労が全身を蝕む。

 勝己の鳩尾に入れられた一撃を最後に耐えた時、限界に到達した感覚を悟る。切島はその腕を摑み、彼の横腹を硬化した爪先で加減せず蹴り抜いた。如何に修羅の如き爆強勝己といえど、この痛撃に怯まぬ筈がない。

 そう踏んで、胴に蹴りを更に叩き込もうとして、逆に前足を踏み変えた勝己の逆の手が、自分の腹を爆破で抉った痛みに呻く。硬化が緩んだ部分を見事に撃たれた。

 駄目だった、この男を止めるには徹底して潰しに行かなきゃならない。性格はクソを下水で煮込んだ性格とはいえ、ひん曲がった根性も戦闘センスも一流だ。一切の油断が己の致命打となる。

 踏み込んだ勝己の連続爆破。視界が塞がれる程に重ねられる、もはや鏖殺も同然の凄まじい勢いで畳み掛けられ、切島は全身の硬化が弛緩した途端に後方へと吹き飛ばされた。顎を撃ち抜く爆風と衝撃に、意識など繋げられない。

 

「死ねぇッッ!!!」

 

 観客席では、捉把がエンデヴァーの隣でまたしても食事をしていた。昼食弁当を既に一つ平らげ、二つ目も既に〆の梅干を残すのみ。容赦の欠片もない幼馴染の様相、見慣れてはいたけれど親友が打ち倒された姿に無感動でいられはしない。

 捉把が席を立った時、去り際にエンデヴァーが拳固を突き出す。その中に物が握られていると察し、下に手を差し出すと饅頭が掌に落ちた。彼なりの労いかと思っていたが、またしてもあの悍しい笑顔で捉把を見詰めていた。

 その場で開けてぱくついた。中には甘いアンコ、彼女の大好きな甘味を把握しての品であった。

 

「学んで来い、我が最高傑作の実力をな」

「そうですね。決戦前の饅頭は美味しく頂きますけれど、敗けて帰って来たら和食を」

「ム?何故……また貴様に……」

 

 エンデヴァーの呆れ顔に、捉把は人差し指を立てた。

 

「落ち込んでいる女の子を慰めて下さい」

「そんな戯れはせん」

「出来ないんですね、No.2も大した事はない」

「判った、舐めてるな!?良いだろうッ!……おい、予約だ、そう、それで良い、よし、予定は――」

 

 予約を急ぎ取り始めたエンデヴァーに、捉把は弁当を然り気無く彼の膝の上に安置し、その場を立ち去った。舞台への道を急ぐ、もう大会も大詰め、四人での一年生頂上決戦だ。

 敗ける積もりは毛頭無いが、それでも和食店――それもエンデヴァーが予約で即座に撰となれば、如何なる美味が其処で待っているかと期待も膨らむ。意気揚々と廊下を歩く捉把の前に、意気消沈した切島の背中を発見する。傷もあってか、足下が覚束無い。

 隣へと跳び寄って、その肩を強く叩いた。親しみを込めた優しい一撃だったが、戦傷には響いたようで、暫く踞ってしまう。

 切島が顔を上げた。犯人は無表情だが、顔に似合わず屈み込んで心配してくれる少女。何たる奇縁か、入試以降もずっと交友関係が途絶えた事はない。

 

「どうしたの」

「……俺、油断しちまった。相手を見誤って、勝ち誇って……漢として情けねぇ!!」

 

 心底から己の不手際に落胆している。

 捉把は彼の両手を握って、自分の額に当てる。

 

「大丈夫、悔しいと思えたなら君はまだ成長するよ」

「……空狩……!」

「任せて、私も轟くんを全力でブチのめす」

「女の子がブチのめす、て!でも、やっぱ漢だな!」

「任せて」

 

 目元の涙を見せぬよう腕で隠して天井を仰ぐ切島に、上着を脱いで投げ捨てる。

 

「優勝、決めてくる」

「まだ準決勝!!んでも頑張れよ!!」

 

 捉把は彼に手を振りながら、その場を離れた。

 

 

 

 

****************

 

 

 捉把が現れると、会場が震動する。

 今回筆頭の優勝候補、美しく逞しいとあって周囲からの評価は凄まじい。先約でエンデヴァーからの指名が来ているとは知らぬ者の応援にも、捉把は四方に一礼して挨拶する。最初から全力で挑むべく、上着は既に切島に預けた。優勝予定の女子が愛着している体操着である、ご利益充分と意味の判らぬ効果を付与した物を、観客席では切島が旗のように振っていた。

 目の前には轟が登場する。

 最初から気迫も出久の時と同様。本気で挑むべき敵を前にした面構えだった。クラスで常に一位を独占した力は、体育祭でもやはり並ぶ者が居ない。捉把には超えなくてはならぬ壁だ。

 睨み合う両者の覚悟を汲み取り、プレゼントマイクか盛り上げる。

 

『さァ、今年の体育祭の華の筆頭!そのカッコは恥ずくねぇ!?破天荒で本っ当に先の読めねぇガールだ!!

 一年の風雲児ことヒーロー科1-A、空狩捉把!!』

 

 捉把が髪を一つに結い上げる。

 

『このまま優勝まで直進か!?二位、そして一位と圧倒的過ぎる!!少女には勝って欲しいぜ!

 こちらも優勝候補のヒーロー科1-A、轟焦凍ォ!!』

『空狩に肩入れするな』

 

 轟は体温調節も終え、磐石の態勢で構えていた。

 捉把は不敵にも優雅に体操を始める。余裕の構え、観客席で静観するクラスメイト女子が期待の眼差しを投げ掛ける。トップ4進出を決めた女子は、捉把一人のみなのだ。だからこそ、優勝にも希望が寄せられた。

 捉把が相澤への手を振ると、何処からか「こっちもだ小娘ェェエ!!」という咆哮が聞こえる。いや、聞こえない。

 

「親父に随分と好かれてんな」

「敗けたら和食亭に連れて行ってくれるんだ」

「……」

「けれど残念だね。君に勝つんだから、その予約も反故になってしまうから」

 

 大胆な捉把に轟は首を横に振る。

 

「悪ィな、それは無理だ」

「それは判らないよ……全力でもない君なんて、大した事もないから」

「…………」

 

 早くも挑発し合う二人に、ミッドナイトが声を張り上げる。

 

 

『では――――始めッ!!』

 

 号令と同時に、捉把の『空間』が発動された。舞台の大半を占有する無色透明な半球状の領域、ここでは捉把の命令が絶対となる。抗う者も、並ぶ者も許されない。

 初手に轟が地面を踏み締めると、巨大な氷の柱が打ち立てられた。舞台の半面を凍結させる強力無比の一撃。前景を網羅する氷に、ミッドナイトも舞台から咄嗟に飛び降りて回避したが、爪先が凍ってしまった。

 出久の時とは比較にならぬ力である。機動力を奪う、相手の進行方向を狭める、そんな小賢しいものではない。正真正銘、最初から潰す積もりだ。

 1-A女子が息を呑む中、氷柱が粉砕された。空気自体が震動する感覚に、轟も歯を食い縛って耐える。此所で起こるあらゆる現象が彼女の意思を体現したモノであり、物体は彼女の支配下に降る。上鳴電気の戦闘もそうだが、放電された電気を総て跳ね返す技――電流のベクトルや電圧までも操作してしまう。

 浮遊する氷塊の上に捉把が立つ。麗日の“個性”すら再現可能らしく、そして彼女よりも重量に関する許容量に制限が無いからか、全く反動に苦しめられる色も見せず膝を抱いて座った。

 轟が続く第二撃を仕掛けんとした時、散乱していた氷塊の総てが頭上で巨大な球として合体する。捉把の手が翳された先に隕石が生成され、さらに大きく成長して行く。観客席も唖然として静寂に包まれ、勝己は目を見開いた。舞台上二〇メートルに形成された破壊の使者、直径一〇メートルのそれが、捉把の指先の動きに合わせて墜ちる。

 先程と同じく氷柱を作り、太く鋭利な先端で打ち砕こうとしたが、半壊しつつも逆に押し潰して来た。捉把の力で、氷塊の集合体は強力な引力を持つ核を持ち、容易に破砕できる代物ではなかった。接近するに連れ、次第に轟の体も引力に吸い寄せられそうになる。

 この圧倒的破壊力を回避するには――……!

 轟はエンデヴァーを見遣る。予想以上の力に驚いて、彼は隕石に夢中だった。ただの生徒でありながら、No.2の彼を驚嘆させる実力。捉把を見ると、平生とは違う表情――人形の如く無表情、それでも心臓を摑む様な恐怖で相手を与する絶対強者の風格だった。

 轟の半身が灼熱を帯びて、氷の星を打ち砕く。会場内を吹き荒ぶ冷気は、瞬く間に暖められて小爆発を起こしていた。舞台の全体に、またしても亀裂が走る。

 氷の残骸はそのまま地面に落下――する寸前で旋回し、轟へと直進した。驚いて再び足下すら焦がす熱気を放射し、命中の寸前で水に還す。

 危なかった、その感覚と共に轟は悟る。今までの彼女とは桁違いだ、自分を殺しに来ているのだ。その気迫が剰りにも正対したもののないほど圧倒的で、左を出さざるを得なかった。正面からという点については似ていても、義憤と勇気で心の隔たりを打ち砕く出久とは違い、戦慄で相手の奥底を自ら引き出させる捉把。その雰囲気が、敵か死柄木とは別種のモノを匂わせた。

 轟が顔を上げる。

 先刻まで彼女が座っていた氷塊の上に姿がない。

 そう視覚で確かめた時、内懐で肚を竦ませる殺気を感知した。自分の物理的な寒気とは異なり、人の心を凍てつかせる冷気。左右を同時に発動させながら下へ視線を遣ると、片腕を刃渡りが六〇センチほどある禍々しい凶刃に変貌させた捉把が居る。

 既に振り翳す初動に出ていた。こんな至近距離まで、気配を殺して接近し得るものなのか。氷達を撃墜すべく人では近付けない熱気を放って、まだ一秒である。

 足下を氷が迸り、炎が虚空を焼き焦がして逆巻く。

 空間置換で即座に距離を取った捉把は、右腕を今度は前腕から筒状の管が生えた形状に変え、足下の瓦礫の一塊を腕で摑む。轟はその形に、瓦礫を手に取った行動に嫌な予感を覚え、重厚な氷壁を展開する。

 炸裂音――氷壁を穿ち、轟の横の空気を薙ぎ払って砲弾が突き抜けた。壁に空けられた穴からは、右腕から硝煙を立ち上らせる捉把がいる。可笑しい、『獣性』でも有り得ぬ“個性”だ。

 砲撃の脅威を免れた轟は、横へと走りながら氷壁を張る。彼女を囲う円形の氷が完成し、轟はその中心へと火炎放射器さながらの熱量を左から放出した。――蒸し焼きである。相澤から聞き及んでいたが、恐ろしい能力の一つに『超再生』があるという。火傷程度なら一瞬で回復する。

 それでも隙が生まれる筈だからこそ、狙い撃てば勝てる。正面衝突よりも、場外へ叩き出す事が優先だった。

 

「全方位・斥力」

 

 熱さえも斥ける。

 氷壁の上から飛び降りた轟の前で、炎熱の中を悠々と歩み出る捉把が居た。

 

「だんだんコツが摑めて来たよ」

 

 その時、捉把の左手から炎の奔流が放たれた。

 瞠目する轟は、同等の冷気で相殺する。衝突した熱気と連鎖爆発を起こし、会場内はもはや言葉を失っていた。濃密な蒸気によって秘匿された舞台上にプレゼントマイクが叫ぼうとして、ふと隣を見れば既に相澤が退室している。

 愕然とした轟は改めて捉把の分析を始める。

 『空間』による支配、『獣性』による高い身体能力と生態の再現、身体の一部を武具に変形させる“個性”、そして轟の左と同じ炎熱の能力。最後に関しては、全く聞いていないものだ。彼女の“個性”は幾つあるのか、これではまるで――脳無、いや“それ以上の何か”であった。

 晴れて行く蒸気、まだ観客には見えないが、轟には捉把の姿が見える。地面に踞っている。前に進み出て覗くと、足下に血を吐いていた。口を押さえて咳き込む。

 明らかに異常状態だった。

 

「空狩……お前……?」

「ごめん、物間くんと違って、“借りる”のは負担が大きいや」

 

 捉把が再びその体勢で炎を放つ。

 同じ炎熱で相殺しようとしたが、轟の“個性”が発動しなかった。咄嗟に右の氷壁で防御する。またしても蒸気が上がる。

 轟は不発の原因を探るべく、改めて左を確かめた。今度は確かに炎が出る。捉把の姿はこちらから見えない、B組の物間と同様の『コピー』とは異なる。状況と彼女の言動を見れば、まるで――“個性”を一時的に奪ったかの様な現象だ。

 横合いから濃霧を切り裂いて現れた捉把の蹴撃で轟は地面を転がった。口端に血痕を残しつつ、捉把が気丈に背筋を伸ばして立つ。

 

「ここからだよ、轟くん」

「……お前、何者なんだ?」

 

 

 

 

 

 




つ、次だね、次。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七話「たらふく豆腐を食べます」

 

 真っ向から相手の心の隔壁を撃ち破る正義の出久。

 対照的に恐怖させる事で相手の本性を暴いた捉把。

 

「君……左を使わずに全力なんて、高が知れてるよ」

「……んだと」

 

 轟の前で捉把が前傾姿勢になった。

 

「それでプロになった時、左を使えばより多くの人が救えるかもしれないのに。君がやろうとしているのは、お父さんの拒絶だけれど、転じて将来はより多くの人を見殺しにする行為――本当に、それがなりたいヒーロー?」

 

 向こう側から語り掛けてくる声。

 複数の“個性”を持ち、相手の”個性“さえも一時的に奪う。特異な力に轟は氷壁に身を隠し、驚いていた。先日の襲撃戦で対峙した脳無、それ以上の恐怖を感じた。しかし、強力な故の反動なのか、突然吐血している。

 捉把は砲口にした右腕を戻し、口許を拭って轟に肉薄する。”個性“の性質上、威力が高いため大技になってしまう彼の傾向から推察し、戦法は近接戦で封殺するのが好適。

 轟は氷山を生成し、その頂上から直下に居る捉把へと灼熱の拳を突き下ろす。炎の滝と形容すべき奔流が氷の岸壁を流れ落ち、捉把を正面から呑み込まんとした。地面を焼き焦がして唸る火の波頭。

 捉把が右手を地面に叩き付けると、一瞬で氷壁が出現した。またしても驚愕する轟に、捉把はたった一回の跳躍で氷山の頂上に着地し、その顔面へ回し蹴りを繰り出す。最初から氷結を恐れ、脚部に炎熱の鎧を纏っていた。

 右手で摑んで受け止め、またしても熱暴走による爆発が二人の間で爆ぜる。轟音を打ち鳴らした両者は、互いに接触した部位に損傷を負う。嘶く爆風に乗せられ、氷山の上から二人は転落した。

 自分の”個性“が殺傷力の高い凶器であると日常で重々承知していた轟は、それでも捉把に手加減をする余裕が無かった。捉把の瞳は、紛れもなく敵を殺すまで止まらない眼をしている。

 蒸気の煙幕を突き破り、捉把が両腕を刃にして跳躍した。轟は阻むべく鋭い氷塊を幾つも地面から突出させるが、斬り裂かれ、粉砕され、迫撃の足は止まらない。

 轟の右手が瀬呂の時と同様の、最大出力で会場内を冷却する。舞台の半面を覆い、会場よりも屹然と高く聳える氷山が出現した。幾ら捉把といえど、これを脱する術は無い。”個性“発動の前に凍らせてしまえば、”個性“を奪って炎熱で溶かしても時間を要するし、それまでに行動不能の判断を降して勝利できる。

 体育祭の部隊上は完全に蒸気で二人の影すら見えない。ただ、蒸気の中では未だに戦闘が続行されていた。審判の視界から姿を晦ませた両者が本気で激突する。それは、ある意味では管理の無い危険な決闘だ。

 舞台の側に駆け寄った相澤は、逆巻く烈風に肌を刺す冷気と鼻先に焦げ臭い匂いを漂わせる熱気の交錯を感じ取る。鍛練中に判明した事だが、捉把に備わった特異な力は、元より“個性”を複数持つのではなく、“個性”を奪う性質があった。

 元来の『空間』と『獣性』は兎も角、『超再生』は先日に戦闘した白い脳無、『刃』は入試で対決した怪物からだろう。轟に対しては一時的に借りるように使用後に無意識の返却をしている。しかし、連発すると凄壮な反動によって、内臓を痛める場合があるのだ。原因は未だ不明で、相澤もどう処したものかと思い悩み、教師陣にも相談していない。

 捉把は自損覚悟の全力で轟を迎え撃っている。――出久とは違う、相手の実力を畏怖で引き摺り出して。それはヒーローというよりも、圧倒的な敵に近い。殺意で相手を圧迫し、抑制された力の解放を図るなど、ヒーローの所業ではないのである。

 蒸気の一部が晴れて、捉把の姿が現れた。左半身に炎を装備し、轟の襟首を摑んで地面に叩き付けていた。受身を取って、倒れた場所から氷山を形成させる。先端が捉把の左脇腹を抉って弾き飛ばした。

 地面を転倒する捉把の損傷は、瞬く間に回復する。直ぐ様体勢を立て直し、跳躍しようとして吐血。膝から崩れ落ちて、暫し咳き込んでいた。鍛練の時よりも深刻になっている。使い慣れない“収奪・行使・譲与”を繰り返した結果だ。

 氷山の上で轟が観客席を見遣った。欄干に摑まって身を乗り出した勝己の姿。あの角度では、濃密な蒸気の奥で捉把が血を吐いているのも判らないだろう。

 漸く落ち着いた捉把が駆け出し、“領域”を展開して空間震動を起こす。氷が微細に砕かれ、轟は着地に備えて氷を展開するのも難しく、左足から噴出させた炎で空気抵抗を起こし、落下速度を緩める。

 空間の震動が終わり、地面を転がりつつ床面を総て氷結させた轟。跳躍で躱し、そのまま表面を滑走する捉把を炎で迎撃する。斥力で弾き、至近距離まで詰め寄った。最も内懐に招き入れては危険な人物が捉把だ。

 戦いた轟の胸部と腹部に、高速で畳み込む拳打。横隔膜を麻痺させる急所ばかりを狙い撃つ攻撃に、轟は肺の奥から空気が漏れる。しかし、咄嗟に触れた手で捉把の左腕を凍らせた。

 轟の顎が突き上げた捉把の拳固に撃ち抜かれる。意識が揺らぐ、右腕一本による連打で轟は益々後退し、枠線までの距離を急速に縮めていく。防御した腕の上から捩じ込まれる膂力に、踏み堪えるのが精一杯。“個性”を発動するにも、脳震盪と軽微な呼吸困難の状態に陥った現況では、調整が上手く行かずに会場を破壊する恐れがある。

 人の安全を考慮する際、轟の中に捉把の身の安全は無かった。捉把の全身から冷気と熱気が溢れる。自分の“個性”を両方奪い取った彼女の猛撃が来ると予測し、その腕を摑んで身を捻り、背負い投げで地面に叩き付けた。出久の試合で見たままの技だが、捉把の攻撃が止まる。

 地面に背を着けた彼女を、即座に氷結で磔にした。固定されて動けないが、それでもまだ諦めずに動く捉把。

 

「終いだ、空狩」

「確かに……これで、最後だよ――」

 

 捉把の左手に漲る熱の膨張。

 轟は右手に最大出力の冷気。

 相反する両者の滾る力の衝突に備え、セメントスが観客席、それから舞台を囲う防壁を展開する。恐らく想像を絶する破壊力が発揮される。――それはオールマイトの拳にすら匹敵するだろう。

 上下から引き寄せられる様に、互いの掌が打ち付けられた。衝突と同時に、舞台を蹂躙し冷熱を攪拌する爆風と衝撃波。セメントスが観客席に張った防壁が噛み砕かれ、ミッドナイトも端まで弾き飛ばされる。轟風に吹き掃われた場内に、またも蒸気が立ち上る。幸いにも被害がそれ以上に波及する事は無かったが、審判達の居る場所まで堆積した瓦礫で山が形成されていた。

 

 舞台があった窪地の中心では、轟が右足の靴とズボンの裾を失い、右の上半身が肌蹴た状態で立つ。威力を辛うじて相殺したが、衝撃で未だ続く脳震盪に響き、膝を突く。前のめりに地面に手をついた時に、掌に柔らかい感触がした。

 まだ手元は蒸気に満ちている。

 ゆっくりと晴れた先には、捉把が眠っていた。外傷は見られな――轟は目を見開いて、無表情のまま蒼褪める。彼女が着衣していたチューブトップが完全に消えていた。先程の攻撃の余波だろう、そう、今彼女は上半身が裸だった。

 しかし、何よりも轟を凍てつかせたのは、謎の手応えを感じていた右手が、失神した彼女の胸をまたしても鷲摑みにしていた事である。轟は直ぐ様、氷結で捉把の全身を隠し、地面に寝かせたまま直立した。

 漸く舞台の全容が晴れて、観客が目にしたのはまさにその時だった。舞台の端に居たミッドナイトが、震える腕を挙げ、掠れた声で勝者を宣言する。

 

『しょ、勝者……轟焦凍……寒ッ!』

 

 轟はふらふらと観客席に駆け寄り、クラスメイトを見上げた。

 

「切島、空狩の上着を……服がやべぇ」

「え!?お、おうわかった!」

 

 投げ渡された上着を受けとり、捉把の元へと戻ると、氷壁を全方位に張って隠す。目を伏せながら、氷結から解放した捉把に上着を着せ、両腕で抱え上げた。

 舞台を去る前に、エンデヴァーを一瞥して医務室を目指す。

 

『な、何と空狩を連れて轟が走り出したぞ!?というかヘイ、ミイラマン!!あんた何処居んの!?』

 

 

 

 

************

 

 

 

 舞台出入口の廊下を駆けていると、相澤が待っていた。

 

「空狩は預かる、お前も客席で休め」

「いや、俺が」

「大人の事情が絡む」

 

 轟は渋々と捉把を渡した。

 受け取った相澤は、彼女の状態を検める。『半冷半熱』を行使していたが体温も正常、外傷は見受けられないが、このまま放置も拙い。

 何よりも――捉把との面会を申し出た人物が居る。相澤は捉把を抱え上げ、轟を残して医務室へ向かった。特異な“個性”を持つ少女の全身全霊。仮に命を削る実戦だったなら、相手を即座に無力化できただろう。完全にその“個性”を把持すれば、誰にも敗けないヒーローともなる。

 しかし、内面に混在する狂気じみた何かは、敵にも通ずるモノを感じた。指導者の差配によっては、善悪のどにらにでも天秤は傾く、捉把の場合は特に扱いが難しい。医務室に辿り着くまでの途中で、捉把の目が覚めた。

 

「……相澤」

「教師を呼び捨てか」

「先生、ごめんなさい」

「敗けたな、補習は覚悟しておけ」

「先生、ごめんなさい」

「医務室でお前と話したい人がいるらしい」

「ごめんなさい」

「ゆっくり休め」

「……ごめんなさい……」

 

 唇を噛む捉把に、相澤はぶっきらぼうに言った。

 

「……準決勝よくやった、と言っておく」

「……ぅッ……ぅぅ……」

 

 相澤の胸に縋り付いて、捉把が震える。

 やはり悔しかったのだろう、普段なら想像も付かないが、彼女も人であり、涙する時がある。強いからこそ、誰よりも敗北感は深甚であり、心痛は激しい。

 泣いている捉把を医務室に連れて行くと、扉の前ではスーツ姿の八木俊典が待機していた。目は窪み痩せこけた姿は、見るからに弱々しい。相澤を見付けて揚々と手を挙げる。

 医務室のベッドに寝かせ、二人だけにした。

 少し目許を腫らした捉把に、眼窩の奥で八木の目が戸惑いの色を見せる。

 

「準決勝凄かったよ空狩少女。結果は敗退だったとしても、君は優秀だ……相澤君も喜ぶ」

「出久くん、残念でしたね」

「彼も仕方無い、本当にお節介な子だよ。……誰に似てしまったんだか」

 

 感慨深く頷くと、八木は真剣な表情で捉把を覗く。

 

「リカバリーガールは、表彰台まで休め、と。決勝は見れない」

「そうですか」

「時間もあるから聞きたい、君は――何者なんだい?」

 

 その問いに首を傾げた捉把に、八木が側の机に置いてあった書類の束を膝の上に乗せて紙面を軽く叩く。

 

「雄英高校が君の身許を調べたんだ。でも、父母に関する情報があまりにも少なすぎる。母親は幾つも戸籍を持っているし、それも偽造だった。入学当時に採種した血液からDNA鑑定を行ったけれど、父親らしき人物が全く該当しない」

「…………」

「君が戦闘中に見せた、“個性”を奪い己が物とし、他人に分け与える力。そんな規格外の“個性”を見たのは……二度目だ」

「二度……目……」

 

 八木が身を乗り出した。

 

「君の父親について、何か知っている事はあるかい?」

「……記憶が曖昧です。けど、体育祭中に見た夢で……男が、私の母の“個性”を奪い、私に与える情景がありました」

「素顔はどんなだった?」

「判りません。でも、男が私の父親なのは確かです」

 

 八木が長嘆の息を吐いた。

 

「もしかすると、君の父親は――オール・フォー・ワンと呼ばれる男かもしれない」

「……皆は、一人の為に?」

「うん。超常社会黎明期に現れ、悪を牛耳る影の支配者だ」

 

 八木の沈痛な声に、捉把は目を伏せた。

 

「八木さん、それよりもエンデヴァーを呼んで下さい」

「ええ!?どして!?」

「今日は出久くんと轟くんも誘うので、予約内容の変更を申請します」

「あのエンデヴァーと食事の約束したんだ、君は本当に凄いね空狩少女」

「今日は自棄です。たらふく豆腐を食べます」

「……栄養、偏らないようにね」

 

 

 

**********

 

 

 

 画面を見詰める男は、雄英体育祭のある一試合を何度も視聴していた。横に居る白衣の老人は、あきれたように見ている。

 

「そんなに気になる?」

「ああ、どうやらUSJで送った僕の贈り物を受け取ってくれたらしい。入学試験の際は気付かなかった詫びとしてだけど、これを見るに着々と成長している。

 うん、いつかは弔と共闘して欲しい」

 

 画面をズームアップして、少女を見詰める。

 

「母親に似たね、けれど君は此方側だよ――捉把」

 

 

 

 

 

 

 

 




次やで、よっしゃ次や!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

八話「〆は沢庵漬けだね」

 

 

 空狩捉把は医務室にて、適当に時間を潰していた。

 電話で召喚したエンデヴァーは、暫し喚き散らしていたが、結果として要望だけを伝えた後ひリカバリーガールによって退室させられたのである。途中から息子の名前を称呼しているのみだったが、今晩は出久は怪我もあって食事の勧誘を断り、渋々と承諾した轟との三人。

 決勝が始まる前の休憩時間――爆豪勝己と轟焦凍は、待合室で精神統一をしている筈だ。激戦の末に轟に敗北した捉把と出久、二人の影響を受けた所為か、轟は酷く落ち着きが無いと見舞に来た女子からの情報を得た。

 彼なりに、自身を顧みて考えているのだ。捉把としても、自損覚悟で挑んだ甲斐があるが、やはり出久ほどまではいかない。捉把は最後の小さな一押しであり、今まで心に執念と憎悪の炎を燻らせ、それを硬い氷の中に閉ざしていた轟を打ち砕いたのは、紛れもなく彼だ。

 オールマイトが見込んだ理由も判る。

 エンデヴァー入室の前に居た八木の事情聴取で、捉把は自分の親と思われる存在について知った。

 オール・フォー・ワン、敵の中では伝説の支配者とされる人間。オールマイトは一度彼と対峙した経験があり、その際に倒したとされるが、捉把の記憶からしても、恐らく面識が出来たはそれより以前だろう。

 捉把は頭頂の獣耳に触れた。これは、その男によって母から譲与されたモノ。自分の力ではない――それなのに、轟に対して全力で闘えという己が浅ましく思えた。

 

 捉把は遠くの喧騒に耳を澄ませる。

 試合開始まで残り十数分、決勝戦の観戦が能わぬのは些か不満だが、リカバリーガールに厳重注意を受けた後で不用意に動き、相澤に発見されてしまえば補習がより厳しくなるだろう。無難に不動に徹し、医務室にある小説で無聊を慰める事にした。

 準決勝まで勝ち残った常闇と同位とされ、表彰台では三位として参列する。次に会場へ行く時は、メダルを受け取る時に備えるしか遣ることがない。話し相手にしようかと考えたが、リカバリーガールは出久の様子見に観客席に向かっている。大人しくする他ない。

 残り五分のところで、扉が盛大に開け放たれた。

 驚いて顔を上げると、勝己が不機嫌面でベッドで読書をしていた捉把まで歩み寄る。表情が酷いのは普段通りではあるが、荒々しい歩調から見るに、どうやら心中も穏やかではない。

 小説を膝の上に置いて迎えると、勝己はベッドに腰掛けた。顔は捉把へと向けず、正面一点を見詰めている。

 

「……試合、始まってしまうよ」

「あァ」

「私は轟くんに惨敗した身ゆえ、貴方を応援するね」

「はっ、ッたりめーだろ。テメェが俺以外応援すんのかよ」

「出久くん」

 

 何気なく、しかし即答した捉把の言葉に場の空気が緊張した。室温が幾らか冷たくなったように錯覚した捉把は、彼の表情をゆっくりと窺う。

 顔を顰てた勝己が、漸う捉把へと振り向いて立ち上がる。憤怒に燃えた双眸が、炯々と見下ろしている。医務室に来る以前に、出久に関する出来事で機嫌を損ねたのだろう。そう考えると、歩調の感じなども納得だった。

 急成長を遂げる出久、少なくとも近くで見てきた捉把は、彼の努力を頷ける。しかし、今まで路傍の小石と卑下していた相手が、突如として衆目を浴びるひ足る実力と進化を見せ付ける。自分自身の進捗との差違に苦しめられるのは、天才の勝己ならではの苦悩。

 以前から、その反応を端々で露にしていたのを見ていた捉把としては、我ながら軽率だったと後悔した。平生その諧謔で勝己を弄っていたが、今度ばかりは機会を見誤った。

 

 捉把の腕を摑む。握捉把は思わず痛みに顔を歪めた。準決勝の負傷は既に快癒しているが、握力が強く込められており、骨が軋みそうになる。

 勝己はその表情を見て、一瞬目を見開くと、手を放して背を向けた。余程相手が目に入らぬほど激怒していたのかもしれない。

 

「優勝したら、何でも聞くっつったな」

「うん、可能な限りの事をするよ。……もう要望(プラン)があるの?」

「無ぇよ、だから体育祭終わっても、絶対命令権として保持する、で良いだろ」

「思い付いたら行使、ね。うん、了解」

 

 勝己は扉までそのまま行くと、一度だけ振り返って捉把の前に、立てた親指で首を切るような仕草をする。

 

「絶ッ対ぇー勝つ」

「判ったよ、後で医務室の中で敗因を聞いてあげるから、」

「ああ!?敗けねぇっつってんだろ!なに抜かしてンだゴミが、あの舐めプ野郎は完膚無きまで潰し殺す!」

「もう時間が来るよ。いってらっしゃい」

 

 捉把が手を振ると、勝己が扉を強く閉めた。

 結局、彼が何の為に訪れたのか判らない。優勝者の報酬の件にしても、体育祭後でも良い。試合前に勝己がそんな無駄な用に拘泥する筈がないのだ。

 途方に暮れた顔で、暫く彼の動機を思索してから、一つの解答に辿り着いた。これが正解とも限らないが……。

 

「……慰めに来た、のかな?」

 

 捉把は枕に頭を預け、天井を見上げて含み笑いをこぼす。

 

「だとしたら嬉しかったよ、ふふ。ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***************

 

 

 

 

 表彰台――苛烈な戦闘を制した者が立つ場所。

 

 一位、爆豪勝己。

 二位、轟焦凍。

 三位、常闇踏影、空狩捉把。

 

 優秀な成績を修めた四名だが、中でも最優と称される首位に在る者は、その評価とは何とも似つかわしくない風体で立つ。最も高さのある表彰台の上で、拘束具を装着されたまま、右に居る轟に言葉無き声で訴えていた。

 捉把は制御装置として、三位でありながら一位表彰台に居る。メダルの授与を担当するオールマイトも困惑気味、この奇観に観客一同が苦笑した。

 宣言通り一位を獲得した勝己は、捉把に対する一度限りの絶対命令権を手に入れたが、未だ慎重にその用途を考えている。尤も、轟には別件での約束を交わし、内容を完遂した彼にもまた、絶対命令権があるのだ。これを知れば勝己の憤怒は必至、沈黙こそ最大の安全策。

 捉把は首に下げたメダルを齧るようにして、カメラに応える。今回の体育祭で最も衝撃を生んだ選手の一人として、レンズがそちらへと殺到する。

 

「そいつ撮んなッ!」

「ごめん。どうやら勝己くんよりも、私の方が幾分か綺麗に映えるらしい」

「んだとコラッ!俺も映えるわ!」

「その姿、ヒーローを志す子供にとって、良い目標になったと思うよ――反面教師として」

「てめぇの口を爆破したるわ!!」

 

 捉把は常闇の背後に隠れた。

 

「空狩、俺を犠牲にする心算か」

「いや、可愛いから抱き締めたくなっただけだよ」

「即刻離れよ!」

 

 常闇に弾かれ、渋々と残る轟に寄ったが、彼を見上げて捉把は目を伏せる。

 

「何だか、轟くんは弄る部分が少なくて困るね」

「……すまん」

 

 その後、オールマイトによる掛け声で体育祭は閉幕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

***************

 

 

 

 体育祭の熱が冷めてくる夜。

 広い和室の中心に配置した机で、大勢が美味を堪能していた。予約していた和食亭に集ったのは、エンデヴァーと轟、捉把に加えてエンデヴァー事務所所属の人間ばかりである。些か盛大だが、主催者はエンデヴァーでなく捉把という事になっており、先程から様々なヒーローに声を掛けられていた。

 尚、取材を受けた際の事がTVで放送され、これを見たクラスメイトは仰天、相澤からは後日の補習がより酷烈になるとの死刑宣告。捉把としては、人生史上でも色濃い一日となった。

 轟は始終顔を上げず、対面に座るエンデヴァーを見ない。隣に居る同級生の少女ばかりにしか応えない。当然、予想通りの事であって捉把も困惑せず、寧ろ手元の料理に箸先を伸ばすだけだった。

 室内でも煌々と光るエンデヴァーは、二人の様子を満足げに眺める。準決勝で対決した二人、息子である轟はさることながら、将来の相棒を約束(口上のみだとしても)した捉把が揃う宴席は、馴れ合いを求めないエンデヴァーの前でありながら、誰一人として緊張せずに賑々しい様相を呈していた。

 

「轟くん、美味しいね」

「……そうだな。空狩は和食好きなのか?」

「うん。一番好きなのは鯖の味噌煮」

 

 エンデヴァーが傲然と顎を上げて、独りでに笑った。

 何事かと訝る捉把は、怪訝な表情で前の男を睨んだ。

 

「貴様、今は独り暮らしと聞いたぞ。親はどうした?」

「……母は故人、父は誰かすら知りません」

 

 捉把の言葉に、轟が食事の手を止める。

 エンデヴァーが腕を組み、捉把の目を見据えた。

 

「なら貴様、俺の家で暮らせ。焦凍の相棒として鍛えてやろう」

「てめッ……!!」

「おじさん直々にですか。恐れ多いというか、嫌というか。ごめんなさい、無理です。私、年上は好みではないので」

 

 轟は怨恨の眼差しを父親に向けた。これまでとは比べられない、度し難い激情を必死に堪え、眼光に変換している。

 捉把が否定すると、拍子抜けしてエンデヴァーが固まる。No.2の教授となれば、とても貴重な体験となるであろう。ヒーロー志望の人間ならば、是が非でも受講を希望する。しかし、捉把の“個性”から考えても、相澤が最適であると考えての回答だった。

 今回の件で判ったが、父親――と思われる人物のオール・フォー・ワンについては、これから考えるべき事柄である。母親から聞いていたのは、“個性”を複数持つ怪物という端的な情報のみ。それ以外は特に無く、特徴的に脳無の様な物かと考えたが、体育祭で視た夢の内容が正しければ、あの男こそ父親。

 捉把の……いずれ倒すべき敵、母の仇。

 

「移住の件はどうだ?」

「今さら移動も面倒――」

「一般的な家庭と比すれば、俺のは豪邸と言われる」

「でも、ご家族に迷惑では――」

「別に問題ねぇ。姉さんも喜ぶ」

「私の生活リズムは――」

「来るか、来ないか」

「……飯も旨いぞ」

「……………………宜しくお願いします!」

 

 捉把は恭しく頭を垂れた。

 満悦のエンデヴァー、途中から加わった轟は再び食事を始めた。

 捉把が最後まで難色を示した理由は二つ。

 一つは、別の家庭に自分という異分子が介入する事。他人の所為で、本来の団欒の空気を壊すのが恐ろしかった。捉把の中では、家族という存在自体が母以外に無く、姉妹や兄弟などの関係は一切経験無く、どう処するか難しい。

 轟が受け止めてくれるなら、問題は大方無いのかもしれない。家族の温もり、それを知った時に、自分がどうなるのか、そこに幽かな興味があった。

 二つ目は、現在実行中の食事改善。勝己の指導下で行われたそれを、途中で投げ出すのではないか。いや、仮に食事が轟家で供されるなら、主旨にそうだろう。

 しかし、捉把としては週に何回か、勝己が家を訪れるのを楽しみにしていた。それが断たれるとなると、答えを逡巡してしまう。

 

「明日にでも荷を積めろ。こちらで手配する」

「……おじさん、本当は私生活でも私を手放したく無いんですよね。こんなに好かれるとは思ってもいませんでした」

「いい加減な妄想はやめろ!!俺は焦凍の――」

「許嫁認定だって。将来は轟くんにエプロン姿を披露するね」

「……!?」

「話を聞け小娘ェェェエエ!!!」

 

 捉把は茶を啜ってから、注文表を開く。

 

「よし、〆の沢庵漬けだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

****************

 

 

 

 翌日の早朝、代休の日に慣れ親しんだ住居を離れ、大豪邸に移居した。

 捉把を迎えた轟の兄弟とは、出会って直ぐに打ち解けられたのは、偏にマイペース且つ可憐な容貌が相俟って、特徴的な人物に見えたからだろう。特に姉の冬美は捉把を実の妹もさながらに可愛がる。姉妹とは斯様なものかと、捉把はひそかに納得しつつ、未知の心地好さに浸った。

 宛がわれた自室は、以前よりも広い。エンデヴァーの紹介とあって、轟の兄・夏は些か微妙な表情だったがら轟からエンデヴァーを振り回す性格と聞いて、積極的になったのは捉把も苦笑ものである。荷物を部屋まで運ぶ間も手伝い、何度も好みの物や趣味に関して質問攻めに遭った。

 捉把は柔らかい寝台と、和風の佇まいに賞嘆の念を懐く。家族とは疎遠と聞いたが、全員を養う為に働いている一人の父親としては納得した。

 初めて轟家の食卓に参加し(エンデヴァーは不在)、家族の団欒に不自然無く溶け込んだ。捉把としては、初日から家族として受け容れてくれた彼らに感謝すること深甚であった。良好なスタートを切った捉把は、暫くその空気を楽しんだ後で、自室に戻って休んでいる。

 そろそろ就寝の時間に差し掛かる頃、轟が部屋を訪ねた。

 

「空が……捉把」

「?何で名前呼び?」

「いや、これから一緒に暮らすから、姉さんが呼べって。不快なら止める」

 

 捉把は暫く黙り込んだ後、首を横に振って否定した。

 

「全然嬉しいよ、えーと……焦凍くん」

「……家族だから、くんは要らないだろ」

「そっか。これから宜しくね、焦凍」

「ん」

 

 轟が耳を赤らめ、短く応えた。捉把も若干頬は赤い。

 捉把は窓の外を見た後、はっとして振り返る。

 

「そういえば、体育祭でまたも私の胸を摑んだんでしょう?」

「……何で、それを」

「何と無く。胸元をみる時によそよそしかったから」

 

 轟は片手で顔を覆い、嘆息する。

 

「そっか、満足できなくて夜這いに来たんだ。焦凍も大胆だね」

「違ぇ、もう寝る」

「おやすみ、焦凍」

「……ああ」

 

 轟が去った後、消灯して寝台に潜り込む。

 

「体育祭も終わったし、次は何かな……」

 

 入って僅か数秒と経たず、意識が消えた。

 

 

 

 勝己に連絡は、まだしていない……。

 

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 一方で、その勝己は――。

 

「……んじゃ、こらぁぁぁあ!!!?」

 

 不在になった空狩捉把の元住居に立ち尽くす。

 蛻の殻となった場所を見て、途方に暮れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




二章、完結です。
次はインターン、捉把を何処に行かせるか悩んでいます。もし良ければ、感想欄で意見が頂ければ嬉しいです。

では、次やな、次。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九話「皆も手羽肉を頼もうよ」

 

 

 国立雄英高校の最寄り駅前のカラオケは賑々しい。

 特にその一室は、先日の激戦を勝ち抜いた猛者も列座するとあって、雰囲気は限界を知らずに昂っている。室内に反響する音は、もはや叫び声にも等しく、音律を保つ程度の危うさ。些か耳鳴りもする事があり、“個性”の影響もあり、聴覚の優れた耳郎響香には、甚だ鼓膜への痛撃極まりない。

 被害者として名を挙げるなら、空狩捉把もまたその中の一人である。頭頂の耳を介し、烈しい音響に苛まれて顔を顰めていた。轟家での快適な生活――特に朝昼晩に供される料理で、以前の偏った食生活改善が成功。

 それでも不安の種が一つ。

 勝己には、未だ轟家への移住を伝えていない。奇しくも、移動当日が勝己の監察と重なっていた事を今更ながらに想起し、なお連絡し難くなっている。体育祭後の休日となり、より謝罪は早い方が相手に誠意が伝わるが、理解していても恐ろしくて実行には至らない。相手があの爆発さん太郎ならば尚更の事。轟家に拠点を移して二日目、休み明けは地獄と化す予感。

 本日は1-A女性陣による打ち上げが開催され、家で惰眠を貪っていたが、芦戸の執拗な勧誘に圧されてしまい、捉把は参加の意を伝え、今ここに居る。一学年の体育祭首位を争った男子三名を手玉に取る少女とあって、周囲からの関心が強く寄せられていた。

 何よりも勝己との恋人紛いな仲睦まじさに、色恋沙汰に耳敏く、好奇心を擽られる芦戸が冷静に己を御せぬのも必然。八百万と葉隠の歌唱中も、ひたすら質問攻めに遭っていた。

 しかし、捉把は依然として気にも留めず、適当な返事をするばかりで、手元のスマホを操作する指を止めない。内容としては同居人――轟焦凍と冬美とSNSで会話を行いつつ、勝己への謝罪文構成。

 

「爆豪とは何処で知り合ったの?」

「監獄」

「何か闇ありそうな設定!!緑谷と轟、あと切島は?」

「出久くんは中学校の同クラス。切島くんは受験中。焦凍は――」

「ん?……焦凍……」

「??」

 

 食い気味に見詰める芦戸に、捉把は小首を傾げた。

 机上のマイクを摑み取った芦戸が、一室の中で高らかに捉把を指差しながら告げた。

 

「何で、轟を名前呼び――――――!?」

「うん、事情が複雑だから説明が難しいけれど、端的に言えば私は轟家の厄介になっていて、焦凍の姉さんや兄さんと区別を付ける為に」

「それ、もう親公認ってこと!?」

エンデヴァー(おじさん)の許可は貰っているよ」

 

 全員が凝然と捉把を注視する。

 本人は冬美からの返信が無い事を確認し、カラオケの注文表を手にしてデザートの一覧を検めた。一同愕然など意に介さず、空いた小腹を至福で充たす品を吟味する。図太さと群を抜いた行動力は、全員が知るものの、熟その一挙手一投足には始終目を惹き付けられてしまう。

 メンバーでも薄着で寛ぐ姿に、同性でも生唾を呑んだ。人目を惹き付けるカリスマ性か、人を率いる為に必要不可欠な要素を備えている。美貌と立ち居振舞い、危地における行動と周囲への差配。追随を許さぬ傑物とは正に彼女であった。

 だからこそ、そんな捉把の色恋に誰もが耳を傾けてしまう。

 

「何かあった!?轟と!?」

「……一緒に人生ゲーム」

「人生……ゲーム……!」

「あと、色々な勉強?」

「色々…………!?」

 

 無駄を省くあまり、重要な部分さえも割いた結果、次々と誤解が生じる。我知らず災難の種を振り撒きながら手羽肉をカウンターに注文する捉把の周囲は、俯いて脳内の映像をより精細にしようと思考力を高めていた。

 その中で、徐に八百万が手を挙げる。

 

「あの……爆豪さんは、その件をご存知なのですか?」

「勝己くんは……――あぁ、ヤバい」

 

 項垂れる捉把に、芦戸が更に詰め寄る。

 

「焦れったい!色々な勉強って、例えば!?」

「お互いに弱点になる学習教科を分析したよ」

「ほ、他には!?」

「蕎麦作り、茶道、襖の修繕、裁縫……凄く有意義だった。人間開拓とは、こういった事だね。冬美さんには、最近のファッションについて教えて貰ったり、女性としての振る舞いも」

「……!?」

「今日は女性陣ばかりだから良いけれど、男子と出掛ける際には、きちんと……何だったっけ……そう、露出の少ない服装!これを心掛けろと教授して貰った」

 

 真顔でも、どこか誇らしげな色の見える眼差しに全員が嘆息する。淡い期待は打ち砕かれた。焦凍と繋がる彼女の女子としての一面が芽生えた出来事を希求した一同にとって、何とも乾いていながらも、やはり捉把らしいと納得のある回答である。

 捉把は短期間で濃密な体験をしていた。轟家で部屋へ荷物を運び、適当な間取を決定すると姉と共に様々な事に興じる。中でも蕎麦作りでは、焦凍の指導も入って珍しく熱中したのであった(食事に関する物事だったからこその意欲という可能性)。

 

「そういえば、テレビの許嫁の件は?承諾したの!?」

「今はヒーローと食事に意識が手一杯で……恋愛は難しいかな」

「「「(ご飯は欠かさない……!!)」」」

 

 捉把は届いた手羽肉にぱくついた。

 八百万は微笑ましくも、少し哀しげな微笑を浮かべていた。会場で医務室の廊下を通過する際、勝己が試合前に捉把の居る室内を見て、凶相のまま立ち往生している様子を目の当たりにしていたのである。恐らく、どんな言葉を掛けるか、あの傍若無人な彼にも相手を想う気持ちが垣間見えた瞬間だった。

 それと同時に、捉把に対する並々ならぬ想い遣り。だからこそ、轟家への移動を知らぬ彼が事実を受け止められるか否か、八百万には悲痛に感じたのだった。当の本人は恋愛にすら興味無し。これはまだ、目指す山の巓も雲底に霞んで揺らぐが如し。

 早々に皿を平らげた捉把は、名残惜しそうに器を見る。

 

「今は、“あんなカッコいいヒーロー”になる為の努力、それが第一目標であって、他は疎かな感じだね」

「憧れのヒーローって?」

「憧れ……という程では無いけど……」

 

 その時、捉把が浮かべた表情に皆が息を呑む。

 頬を微かに赤らめ、髪の毛先を指で弄りながら微笑む彼女に思わぬ絶句を免れたのは、一人としていない。あの少女が見せるには、予想だにしない反応だった。

 どうにか最初に動き出せたのは芦戸である。

 

「そ、それって……誰?」

「うん、えと……秘密。少し恥ずかしいから、えへへ」

 

 誰もが顔を手で蔽い、項を曝す程に俯いた。

 普段は見せぬ少女の顔、無邪気さと擽ったさ、仄かな甘い香りを漂わせる愛らしい反応に、身悶えする。

 

「「「ご馳走さまですっ!」」」

「?そうだね、皆も手羽肉を頼もうよ」

 

 

 

************

 

 

 カラオケを出た捉把達は、三々五々と解散して行く。

 女性陣の最後に見せた異様な昂りには若干の恐怖を懐きながら、大勢の友人で休日を過ごす経験の無かった捉把としては、とても満足感のある日であった。家で寛ぐよりは、来て良かったのだと思える。

 駅までの道程は中々に近かったが、人通りが混雑していて通れない。幾度も足を止めては、小さな前進を繰り返す。周囲の反応では、何やら焼死体が出たらしく、警察が捜査で仕切り、誘導により別の道へと催促しているのだという。しかし、それもこの通りに比べて小道であるため、この人並みでは窮屈に過ぎる隘路である。

 帰宅の時間帯が少し遅れると想定し、冬美にメールを送った。これで心配させる必要は無いが、カラオケでの質問攻めや何曲が歌った疲労がある。嘆息した捉把の隣で、同時に肩を竦める人影が居た。

 捉把に並び立つ男――無造作に跳ねた髪型、瞼の皮膚を引き伸ばし、口元の皮膚も金具で綴り合わせた様な風貌。襤褸の黒い上衣、薄汚れた白のタンクトップと下もまた裾の擦り切れたズボンと褪せたブーツ。より監察すれば、手の皮膚も奇怪な外観だった。

 捉把の視線に気付いたのか、首を巡らせて見下ろす。

 

「ん、ああ、確か雄英一年の四位か」

「はい」

「そっか」

「……雄英ゆえの認知度とはいえ、慣れませんね」

「……ヒーローになりゃ、日常茶飯事になんだろ」

「まだ人を救えても居ないのに、有名になっても困り物ですが」

 

 そう応えると、捉把の方を見て男が笑った……気がした。しかし、その双眸に興味の色が兆している。

 男の手が捉把の頭頂部へ無造作に乗せられた。その際、微かに鼻先に漂った臭いに眉を顰める。

 

「へぇ、面白いな、お前」

「……休日は、誰でもはしゃいでしまいますよね」

「?そうかもな」

「お兄さんも、()()()()()()()()()()()()

 

 捉把の言葉に、男が少し目を瞠ると直ぐに悲愴な笑顔を浮かべた。捉把は未だに()()()()()()()()()に堪える。

 

「お前……気に入った」

「そんなにお気に召しましたか」

「お前は良いヒーローなるよ、また会おうぜ」

「……一応、お名前を聞いても?」

「……今は“荼毘”で通してる。じゃあな、金の卵」

 

 奇妙な男は、そのまま隙間を縫う様に滑かな動きで群衆の中を動き、捉把の視界から消えた。漸く背筋に冷たい汗が滲み、安堵の息が漏れる。

 

 それから、何駅を経由し、漸く辿り着いた轟家の最寄り駅で降車した。改札を通過すると、付近にあったコンビニの前で焦凍が待機している。冬美に帰宅時間を報せたが、まさか遣いとして焦凍が現れた事は予想外だった。

 帰路に家族が迎えに来る――一般的な家庭なら、普遍的に有り得る事であったが故に、今まで親愛や家族とは隔絶とした生活に身を置いた捉把にとって、とても重要な意味を持つ。心無し胸が踊り、捉把は軽快にスキップで焦凍の前に立つ。

 屈み込んで見上げれば、焦凍が目を逸らした。当然、ホットパンツにキャミソール姿の捉把に、そんな体勢をされて直視する男は錚々いない(峰田の様な部類を除外する)。

 焦凍は上着を脱いで渡し、歩き始めた。何度も彼に上着を着せられた経験のある捉把は、この意味を察して羽織った。

 

「今日は楽しかったよ」

「そうなのか」

「男子は打ち上げしないんだね」

「さあ……俺は少し判らねぇけど」

 

 ふと、捉把は焦凍の私服姿を検めた。

 自分を迎えに来るには、少し身嗜みを整えた服装であった。

 

「何処か行っていたの?」

 

 焦凍がふと顔を捉把の方へ巡らせて、今度は茜色の空を見上げる。夕暮れ刻、帰路を辿る足並みは、其々の家を目指してやや急ぎ気味。今日の疲労と明日への倦怠を滲ませ、あるいは帰宅後の享楽でもあるのか弾んだ歩調。そんな中で、焦凍の足取りだけは複雑な感情に揺らいでいる。

 力強くも、まだ迷いと不安がある。然れど、以前に捉把が見た彼とは違い、父親の影や宿運の枷が幾らか消えたモノだった。

 

「……緑谷とお前に発破かけられて」

「うん」

「色々、俺なりに考えた」

「うん」

「清算する方法も、判った気がするから」

「うん」

「俺も緑谷みたいに色々吸収して、憧れを超える為に全力で目指すよ」

「そっか、良かった」

 

 捉把の朗らかな笑みに、焦凍も微かに口角を上げる。

 焦凍は、彼女がいつか自分に掛けた言葉を想起していた。漠然とした感謝の言葉を伝えた時だった。

 

 ――その言葉は、君が本当の意味に気付いた時、気付かせてくれた人に贈るんだよ。

 ――私が断言する。きっと皆が救ってくれる。

 

 今日、捉把を迎えに行くのは道すがらの事、外出の目的は母との面会である。憧れのヒーローを目指しても良い、母が涙ながらに許してくれた事実が、焦凍の胸を何よりも衝き動かす源となった。長らく身を固めていた痼が消えて行く感覚。自分は、随分と遅い再スタートを切ったのだと知った。

 今ならば言える気がする。あの言葉は、気付かせてくれた“二人”に対して、本当に贈りたい言葉なのだと。

 焦凍は振り返って微笑んだ。

 

「ありがとうな、捉把」

「……うん、どういたしまして」

 

 捉把は新しい我が家の玄関を見上げた。

 憂慮すべき事柄は多々あるが、それでも今はこの空気を楽しんで、必要な事を学び、前進して行きたい。そして、いつかは“あの男”を……。

 焦凍が引戸を開けて中へ入るのに続いた。冬美が床を走って迎える。捉把はその姿に相好を崩した。

 

「ただいま」

「ただいま、冬美姉さん!」

「!おかえり、捉把ちゃん」

 

 それからは風呂を済ませ、食卓で轟家の団欒に交り、暫し時の経過を忘れて楽しんだ後、自室でスマホを手に取る。登録した連絡先から『爆豪勝己』を探し当てて発信する。

 何コールか後に、応答があった。

 

「もしもし」

『………………おう』

「伝え忘れた事があって(拗ねてる?)」

『……早よ言えや』

「うん、今実は――――」

 

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 路地裏で――荼毘はゴミ箱に腰かけていた。

 夕刻に出会った少女に、己の所業を看破された事に対する驚愕と、少しの好奇心があった。

 

「えーっと、空狩……だったな」

 

 獰猛な笑みを浮かべた荼毘は、暫くしてゴミの一部に点火する。それは蒼く、熱を発しながらどこか冷たい殺意の集合によるものかと思わせる冷たさがあった。路地裏を冷たく照らす熾火の前に、男の影が伸びて壁面に踊る。

 荼毘が翳した手元から、再び蒼炎が溢れた。

 

「次が楽しみだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おお、次はインターンだぁ!!
更新が遅れてすみません、次ですね、はい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三章:空狩少女の職場体験
一話「パンケーキ食べたい」


 空狩捉把は机に頬杖を突き、窓の外の曇天を望洋と見詰めていた。昨日の女子会の付近では、焼死体が相次いで発見されていたが、犯人像は未だ捉めていないらしい。被害者はどれも、巷では迷惑行為を働いたヒーロー、又はその人物の支援を行っていたサポート会社の社員を数名。必ず昼から夕方の間、夜半から朝に犠牲者が現れる。猟奇的というには程遠く、狂気じみた執念の下に実行された犯罪行動。

 帰路に事件現場の付近に立ち寄り、あの奇怪な男と遭遇してから、想定される犯行の時分には何事も起こらず、今朝にも死傷者は無かった。捉把の鼻腔を汚す人の焼ける臭い、焦げ臭さを漂わす男の手。仮にあの場で捕らえようと動いていれば、消し炭となっていた。

 捉把は軽く編んだ髪型を触る。轟家から初めての登校となる朝、冬美が景気付けにと整えてくれた。髪にも頓着が無く、一般的に女性の持ち合わせる手入れ意識などが欠如した捉把としては新鮮である。

 入室した途端に、女子達からの好評を受けた。上鳴に出会い頭で軟派されたが、轟焦凍の援護によって円滑に回避。小さな災難は去って、後は事後処理に追われた担任教師の相澤消太から手厳しい説教ばかりかと憂慮していたが、それ以前に更なる苦難が待ち構えていた。

 捉把の眼前では、二名の男子が対峙している。

 同居人の轟焦凍、そして友人の爆豪勝己であった。剣呑に睨み合う両者は、体育祭で大活躍をした人物。有終の美とは程遠くも、世間から多くの注目を募らせた中心だ。それが一人の少女を巡って対立するとあっては、普段から同じ学舎にて過ごすクラスメイトも好奇に目を光らせる。

 立ち上がって逃避を図ったが、先んじて勝己に足を蹴られて封じられた。スマホで時間を潰そうかと企んだが、その手首を動かす挙動だけで二人が振り向く。完全拘束中とあって、空を眺めて心を穏やかにする以外の術が見付からなかった。

 勝己が顰め面で顎を上げ、焦凍を睨みつつ捉把の顔面を鷲摑みにする。その手首を焦凍が摑んで引き剥がそうとする事で、捉把自身は首に多大な負荷を強いられていた。……正直に超痛い(泣)。

 

「おいテメェ。決勝で散々舐め腐った真似した挙げ句に俺のモンに手ぇ出すとは良い度胸だな、アァン?」

「言っても学ばねぇのか、捉把はお前の物じゃねぇ」

「パンケーキ食べたい」

 

 抵抗する捉把に気付き、手を放した勝己は舌打ちする。

 昨晩に謝罪と共に轟家に居候している件について説明したところ、数分間の沈黙と一方的な通話の終了。かと思えば、その後に再び電話でエンデヴァー関連の諸事情を根掘り葉掘り質問された。成るべく誤解の無いよう努めて応答したが、どんな回答を出しても釈然とせず、怒声ばかりが電波を介して鼓膜を打つ。

 捉把は溜め息と共に、明日は勝己に謗られるであろうと、トランプで対決しつつ焦凍に報告した。そうとあって、早朝から先日の出久との際にあった痴漢防止で登下校を共にする約束、相澤からの密命で承諾した監視役の立場を利して校内での同行強化。対策を強く意識した所為か、朝から勝己への警戒心が異常に高かった。

 約束を半ば反故にした事と勝手な行動に怒る勝己、己の意思を相手に強要する勝己から守らんとする焦凍。この対立は、捉把を発端とした時から既に決定していた。

 

「二人とも、喧嘩はしないで。切島くん助けて」

「捉把もこう言っている。いつまでもお前の勝手に付き合わせるな爆豪」

「クソ髪と舐めプに頼んな。俺だけ見てろクソ女。なに気安く名前で呼んでんだ。てかアイツの許嫁の冗談マジにしてんのか、カスなのかテメェ」

「……あり得ない話ではないかもしれないからな」

「ああ!?おもて出ろやクソが!!」

 

 切島の席に一旦避難する。

 その間も言い争う両者の景色を、捉把は遠くから見られる今の位置が心地よかった。他人事最高、ビバ無関係。そんな意思の伝わる安堵の息を漏らした彼女の様子に、出久は苦笑していた。

 爆心地でありながら、今なお互いに誘爆し続ける二人を安穏と見つめる捉把の奇妙な立ち振舞いに、女子は思考放棄している。

 

「入りづれぇけど、女を懸けて譲らない……。二人とも漢だぜ……!」

「君の判断基準って何だろうね。それよりも、出久くんと常闇くんで遊ぼうかな」

「えっ、僕!?」

「来るか、邪悪なる誘惑の徒ッ!」

「常闇、お前もヤベエぞ」

 

 警戒体勢を取る二人へ、いざ捉把が無表情だがどこか目を光らせて飛び掛かった瞬間、開かれた扉の隙間より鋭く擲たれた捕縛布に搦め捕られ、教卓の隣にあった椅子へと叩き落とされた。静寂に包まれる室内に、悠揚と踏み入るのは、厚い包帯を脱ぎ剥ぐ相澤。

 凝然と担任教師を注視する生徒一同を一瞥し、一番の問題児たる捉把の頭頂に手刀を落としてから教卓に立った。

 

「座れ」

「「「イエッサーッッ!!」」」

 

 

 

 

***************

 

 

 

 

 ヒーロー情報学の時間となり、皆が今日の授業内容を予想する中、教卓に立つ相澤から只ならぬ空気が醸される。異様な気迫を放つ相澤の顔は、イレイザーヘッドそのものの顔で、普段の倦怠感満載の様子とは、また一線を画した。USJ襲撃の戦闘もだが、無名に近く知名度の低くとも敏腕ヒーローであり、指導者としてもクラス全体から支持を受ける存在。

 合理性を常に念頭に置きながら、必要に応じて生徒の心情に対し直向きに接し、道の正誤のみならず、ヒーローとしての鉄則以外に人としての心構えも説く。捉把としては、オールマイトよりも素直に尊敬する人間。

 相澤が包帯を漸く取り終わり、一言告げた。

 

「今日のヒーロー情報学は、ちょっと特別だぞ」

「先生、着席しても宜しいでしょうか」

「お前は此所に座ってろ」

 

 挙手も出来ず、淡々と訴える捉把をいなす。

 相澤と彼女の間で行われる阿呆劇じみたやり取りは、既に日常の光景となっていた。勝己に関しては、相澤に監理を任せるのが最善の処置であると言及しない。

 

「『コードネーム』――ヒーロー名の考案だ」

「「「胸ふくらむヤツ来たああああ!!」」」

「ヒー……ロー名……」

「どした、空狩」

「……いえ、別に」

 

 捉把は俯いた。

 ヒーロー情報学――今日の主題「ヒーロー名考案」。

 理由として、体育祭の指名が肝胆である。ヒーローとなっても、即戦力として採用されるのは活躍し、数年の経験を蓄積した者。その将来性を観察する機会として、体育祭前に説明が為された「プロからのドラフト指名」が関与してくる。仮に指名期間中に於ける失態や捗々しくない様子などを見受け、一方的にキャンセルを受ける場合もあるのだ。

 今体育祭での指名応募の集計結果としては、トップの二名は三〇〇〇以上。例年としては更にバラけるらしく、捉把に関しては常闇を抜いて一〇〇〇件以上もあったが、後に相澤から聞き及んだ話に依れば、これ以上にモデル業からの勧誘電話で困ったという。偏った数の中、早朝から笑顔がぎこちない委員長の飯田天哉と、指名0の面々。

 しかし、指名の有無に拘わらず、職場体験に行く事が今回の雄英の判断。このクラスはUSJ襲撃戦で経験してしまったが、実戦の現場に立ち会えるような実りのある訓練として行われる。その時、現場では個人ではなく他が為に動くヒーローとして、『コードネーム』が必須となるのだ。

 「名は体を表す」、この言葉が酷く顕著となるヒーロー業。杜撰な命名は、後々の印象や社会的影響にも大きく及ぶため、地獄を見るヒーローも少なくないという。

 それらのセンスの査定をする為に、相澤に呼ばれたミッドナイトが入室する。豊かなプロポーションを惜し気も無く披露する挙措、教卓に縛られる捉把に向けたウィンクは、妖艶な大人の色香を漂わせた。歓喜する峰田ではなく、捉把は既に脳内で『コードネーム』を一考しながら説明するミッドナイトを目で追う勝己を睨んだ。

 

「あ?んだよ」

「いやらしい目で見ないでね」

「?何言って――」

「――見ないでね?」

「お、お?……おう……」

 

 捕縛布が解かれ、捉把は自分の席に戻った。

 勝己は手元に配布されたホワイトボードに集中していたが、背後から感じる鋭く冷たい眼差しに冷や汗を浮かべる。ミッドナイトが関わると、強く遠ざけんとする捉把の真意が判らない。

 クラスメイトが熟考する中、一番に名乗りを上げたのは捉把だった。意外な人物に、寝袋に入った相澤も僅かに目を見開いている。ホワイトボードの表面をクラス全員へと向けた。

 

「『グリフォン』です」

「それは、どうして?」

「空狩……空を狩る、空を駆る、空を駆ける……後は、『獣性』は複数の獣の性質を操るので、伝承では外貌でも印象としては合致すると思いました。掛け合わせて、”空を駆ける獣”、という発想です」

「名字からの着想、綺麗な名前で良いわねっ!」

「……」

「よし、こんな感じで次ィ!!(反応冷たい!)」

 

 捉把は席に戻る際、胸に疼く不快感に眉を顰めた。

 ミッドナイトへの苦手意識とは別にある何か。ヒーロー名、自身に付けられた物だと考えた時に心の何処かに潜むどす黒い拒絶の意思を感じた。まるで、自分がヒーローとなる――その事への反発かの様に。

 ヒーロー名の発想で説明した言葉は、単なるこじつけ。

 本当は、過去に母が読んでくれた絵本に登場した翼のある幻獣である。『空間』の“個性”は、己の思うが儘に小さな世界を支配し、理想を実現する。その時、自分は幻想とされていた存在にすら成れるのだと母が嬉々として話していたのだ。

 ヒーローになる事への拒絶。……今さら何故?

 ――しっかりと僕を継承している!

 心臓がどくりと脈打つ。思わず立ち止まって、捉把は窓の外を素早く見た。変わらぬ鬱屈とした雨天、校舎を濡らす雨水が灰色に穢れているかの様に錯覚する。

 立ち止まった様子の捉把に、勝己と相澤、焦凍と出久が手を止めて見遣る。常闇は攻撃前の余所見(ブラフ)と警戒して身構えていた。しかし、彼女は一向に動かない。

 焦凍が手首を摑むと、はっとして捉把が振り向く。額に珠の汗を浮かばせ、呼吸も止めていたのか息は荒い。

 

「捉把、どうした。気分悪ぃのか」

「……無いよ、大丈夫。ありがとう焦凍」

「辛いなら、保健室行くか」

「……ごめん、少し休むよ」

 

 相澤に許可を得て、捉把は医務室へと向かう。

 覚束無い足取りを勝己は静かに見送っていた。

 

 

 

***************

 

 

 

 捉把は医務室のベッドで踞っていた。

 カーテンで仕切り、叫び声を上げたい衝動に駆られる。シーツを強く摑み、歯を食い縛る。苦しむ捉把の頭髪が、毛先から黒く染まって行く。獣の耳は対照的に白く変化する。暫くして、胸の不快感や苦痛が消えて起き上がり、鏡を見て己の変貌ぶりに嘆息した。

 本人の意思とは無関係に、体色などを変化させる場合がある。その時は大抵がストレスに起因する。感情の起伏が大きく、抑制する意思が働いた際、その間で起こる軋轢に生じて変化を来す。

 ヒーロー名の考案が自身に与えた効果、この真意は自分でも判らなかった。でも、不快感が消えてから新たに湧いた感情の正体が判る。苦手な物、嫌悪する物から自分の所有物を隠そうとする独占欲、又は晒す事への忌避感。ヒーロー名の時を思い返すと、誰にも明かさずにいた母との思い出を由来とする名を告げ、それに注目する皆の顔が浮かんで、途方も無い嫌厭の感情が芽生えた。

 母との記憶は、自分だけの中にしていたい。今、クラスメイトとの交流で、自分の事について語る事への不安や不快感ばかりが波打つ。

 両の掌を見詰めていると、カーテンの外側から声が掛けられる。

 

「オイ、授業終わったから様子見て来いってせんせーが」

「……勝己くん?」

「!?」

 

 震えた捉把の声に勝己が狼狽える。カーテンを自ら開けた彼女の姿に呆然とし、再び固まっている。

 捉把の心中では、目前の勝己に対する一つの感情が擡頭した。手を伸ばし、勝己の襟を摑んで引き寄せる。状況の変化に混乱し、完全に停止した彼の首筋に歯を立てて噛み付いた。

 

「い゛っ!?何しやがんだボケ!!」

「……」

 

 存外深く牙が入り、勝己のシャツに小さく血が滲む。勝己は慌てて捉把を突き放し、身を起こそうとしたが、彼女に抱き留められて静止した。目的の不明なその行動が、もはや不気味にすら思えて硬直する。

 問題の捉把は、勝己の胸に顔を埋めていた。

 

「オイ。何がしてーんだ、テメェ」

「ヒーロー名、何にしたの?」

「あ?……『爆心地』」

「貴方らしいね」

 

 漸く離れた時、勝己は捉把の顔を見て益々当惑した。

 熱に浮かされた様に顔は紅潮し、襟から覗く肌は上気し、汗が滲んでいた。瞳は潤んで、口許から細く吐いた息から甘い香りでも漂うような錯覚をさせる。

 捉把は服装を正すと、ベッドから飛び降りた。

 

「そう言えば、日頃から口煩く『お前は俺を見ていれば良い』と言っていたよね」

「おっ、あ?」

「今日のミッドナイト先生もそうだけどさ、不平等だと思うよ」

「?何がだよ――」

 

 捉把は勝己の襟を摑んで引き寄せる。

 鼻先が擦れ合う至近距離にある顔。視線が交わり、黙っている彼へと捉把は囁いた。

 

「貴方は私だけを見ていれば良いんだよ」

 

 捉把はぱっと離れると、いつもの無表情で医務室の扉を開けた。

 

「早く行こう、相澤先生に怒られてしまうから」

 

 退室した捉把を視線で追いかけるも、勝己はその場から一歩も動けなかった。

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 教室へと戻る廊下を一人歩く。

 医務室での己の衝動的な発言を省みていた。漸う考えれば、情緒不安定な人間と誤解を生んでも仕方無い。

 

「(貴方は私だけを見ていれば良い、か。勝己くん相手だと生きづらそうだね。)」

 

 捉把は振り返ったが、まだ彼が追いかけてくる様子は無かった。教室前に辿り着いて、少し深呼吸する。

 

「ただいま戻りました」

「空狩、体調は――」

 

 相澤とクラスメイトは、捉把の姿を見て完全に固まった。女子が一斉に立ち上がって駆け寄る。

 

「爆豪くんやね?爆豪がやったんやね?うちに任しといて!」

「堕ちる所まで堕ちたな、爆豪!」

「許せませんわ!」

 

 男子は静かに着席したままだった。

 

「爆豪……あいつ、まさか……」

「何を想像したか知らんけど、峰田は黙ってろ」

「爆発さん太郎がどうした?」

「そ、空狩さん、黒髪に!何があったんだ!?」

 

 相澤が傍まで寄ると、その胴へと捉把が抱き着いた。

 

「先生……」

「どうした、どこか痛むのか?」

「勝己くんに……」

 

 赤面状態の勝己が入室すると、一斉に鋭い視線が突き刺さる。

 

「爆豪、お前あとで指導室な」

「ハァッ!?んでだよ!?」

 

 この後、嘘をついた捉把も叱られた。

 

 

 

 

 

 

 




捉把は受身なだけやないで!




頭髪の色・意味――――――――

薄紅色→主人公、注目、積極的、決断が早い、行動力。

灰色→思い出、冷静、仕事上手、不安、寂しい、汚れ。

黒色→暗闇、威圧、冷酷、悪、正体不明、独占、支配。


――――――――――――――

序章、一章中盤、二章終盤は薄紅ストレートショート。
一章終盤から二章序盤は灰色ポニーテール。
三章では軽く編み込んだ黒髪ショートの獣耳です。


ぼ、暴走した気がするけど次やな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話「ミートスパゲッティ祭りだよ」

 空狩捉把は、職場体験に関する説明の後に指名のあったヒーロー事務所の一覧を載せた個別リストを受け取る。縮小された文字の羅列、何枚にも亘って記されていた。流石は一〇〇〇件以上とだけはあった。選択肢の過多、もはや何れを選ぶべきか悩ましいところだが、職場体験では捉把は思考放棄し、“上”の判断に委ねていた。

 自身は体育祭での“補習”により、取消を想定していたが、周囲との差異ある差配は様々な方面での事情を来すとあって、まだ先であると告げられた。イレイザーヘッド式で師承した対人戦闘技術は、現場でこそ活きると言われ、なお相澤から強く職場体験の参加が勧められる。

 危険極まり無い捉把の“個性”――『“個性”の与奪』。

 此れを上手く制御し、且つ正しい行使の規矩となる者は、ヒーロー界にも錚々いない。捉把は特例とし、雄英高校教師陣の判断の下で、職場を選択する事となった。

 元よりエンデヴァー事務所からの指名もあり、監視役の焦凍も居るとあってそちらが賛成意見も多い物だった。しかし、根津校長曰く『体育祭での轟戦』を見本とした時、発作的な“暴走”では『与奪』の速度も尋常ではない。ただでさえ、正常状態で焦凍の“個性”を瞬間的に収奪と行使と返戻を行ってみせた。

 二つを併せ持つ彼だからこそ、もう一方の力で対処したが、エンデヴァーでも捉把の抑止としては困難。

 捉把自体が現在所有し、確認された物が四つ。

 母親の“個性”――空間操作、獣性。

 脳無の“個性”――超再生、武装化、膂力増強。

 限られた空間内を意の儘に操る、生態変化を選択し自由な可変と合成、人の一生に於ける細胞分裂回数を無視した無限回復、一部を想像した刃物等に変容、己の体部から発する運動力を倍増。

 事情聴取により幼少期に母から譲り受けた二つ、入学者選抜試験で戦闘した脳無の試作と思しき個体、USJ襲撃戦で捕食した脳無から得た物である。明らかに破格のオールマイトでしか対応し遂せぬ“一体の脳無”も同然であった。区別として付くのは、理性と知性を備えヒーロー側に貢献する意思のみ。

 しかし、オールマイトの現状を彼女に披瀝するには、空狩捉把自体の知名度が有り過ぎる。更には、運命的に大きな問題事に携わる近場に偶然在る事から、世間にも公表の出来ない事実が漏洩する可能性を危惧した。

 ここで職場体験の現場として、担当ヒーローに求められるのは、空狩捉把の鎮圧及び問題解決を迅速に行う。更に信頼し得る個体戦力と知識、判断力。これらを総合して考慮した結果、指名の中の一つが該当した。

 麗日お茶子は己に不足した部分を補うべく、バトルヒーローの事務所を志願。蛙水梅雨は、己の得意分野の更なる向上を目標に水難関連の職場。各々が将来を見据え、有意義に過ごすべく選択する中、捉把は誰かに任せる現状が少し恥ずかしく思えた。

 ふと、前の席に居る常闇踏陰の希望書を見ると、捉把がこれから厄介となるヒーロー事務所の名が記されている。職場が重なる事の偶然も有り得るが、捉把は世話となるヒーローの名も業績も知らない。自ら希望する常闇は、恐らく相手が何者であるかを弁えた上での決断なのだろう。

 

「常闇くん、私と同じだね」

「ム、そうか。空狩も“ホークス事務所”に」

「うん、だから宜しくね」

 

 常闇との会話を始めた瞬間、スマホに着信があった。

 開いて見ると、相手はエンデヴァー。捉把の職場体験の説明は既に彼に報されている。実家に帰った彼に、捉把は夕飯を終えた後に伝えた際に激怒していた。相棒(サイドキック)の約定を交わしたにも拘わらず、他社を選んだ事へは、学校側の事情などを勘案しても、やはり納得の色を示さなかったのである。

 よもや後日に再び愚痴を垂れ流すのかと思い、我を徹す彼の姿勢に辟易しつつも応答した。

 

「こちらシベリア」

『何ィ!?雄英はそんな場所へ貴様を寄越したのか!』

「冗談です、おじさんだからつい遊びました」

『ぬ、ぬぅッ……!!』

 

 捉把の声を、いつしか近くに居た焦凍が聞いていた。

 

「おじさんは、どうしたんですか?」

『職場体験の件だが……俺の事務所に来なかったのだ、必ず有意義な物にして来い。貴様自身の処遇はヒーローにとっても難事、周囲は貴様の判断や行動に難色を示すかもしれんが、現場ではヒーローとしての決断が求められる。

 やむを得ぬ状況下、プロが動けぬ場合に独断行動を躊躇うな。危険な真似は慎むとしても、油断せず、貴様の正当な手法で解決を目指せ。但し報告、連絡、相談は欠かすな!……それだけだ』

「………………」

『返事はどうしたァッ!!』

「いえ、存外やさしいんですね」

『将来は焦凍の為に費やして貰わねばならんからな』

「花嫁修業なら冬美さんとしていますよ」

『違うッ!!用は済んだ、抜かるなよ!』

 

 通話を切られ、捉把がスマホを仕舞うと焦凍が寄って来る。

 

「クソ親父に何か言われたか」

「将来も息子を頼むって」

「……!?」

「(冗談が通じない……。親子は嫌でも似通う点があるんだろうね)」

 

 捉把は志望書に“ホークス事務所”を書こうとして、相澤の誰何の声に手を止めた。手招きで呼び寄せられ、小走りで駆け寄る。教室では口外の出来ない内容なのか、室外まで催促されて、廊下へと出る彼に従いて行く。

 生徒も教師も居ない場所で、相澤は周囲を検めてから一枚の紙を差し出した。受け取った捉把は、紙面に記された文章に目を通す。

 

「“ホークス事務所”からの変更だ」

「埼玉、ですか」

「お前の“個性”についても把握し、話に依ればオールマイトの指導もしていた実力者」

 

 捉把は訝って相澤を見上げた。

 話に依れば――とは、相澤も識らないヒーローである事が窺い知れる。元より知名度のあるプロすら記憶していない捉把だが、教職ではあるも現役の相澤にすら認知されていないとなれば、活躍に付加する名声も無い無名も同意義。危険性の高い獣を、野に放つも同断である。

 しかし、相澤の判断の裏には常に理がある。何よりも『オールマイトの指導』、『捉把の“個性”を知る』となれば、只者ではない事は確かだ。常闇との共同も楽しみではあったが、やはり学校の意向に従わねばならぬ身。

 

「了解しました。……先生の所が、一番安全である筈なんですけれど」

 

 期待を含んだ声音で見上げると、相澤は仕方無しと嘆息する。首を横に振り、捉把の頭頂に掌を乗せた。拒否して直ぐに拗ねると判った上で、機嫌取りに最適な手法を取る。勝己同様に、捉把も相澤に撫でられると冷静になる生態があった。彼女自身は気付いておらず、体育祭前の鍛練で相澤が辛うじて負傷した腕で軽く頭を撫でた時に発見された物。

 捉把はふっと息を吐いて、紙面を再確認する。

 

「俺は平時から学校内勤務。元より、俺の下で指導受けてたお前は、もっと外部の仕事に携わる方が良い。現場で、人命救助に適った“個性”の使い方、あわよくば完全制御の手立ての発見に繋がる。

 何より……お前をそちらへ送らんと判断したのは、オールマイトの直談判。父親の件に関連しているらしいぞ」

「!……行きます」

 

 捉把は肯いて、紙を握り締めた。

 

「そう言えば、お前の改善案に従ったコスチュームも完成している。気合い入れてけ……サポート会社は自由人が多い、本人の意向と異なる改良点も加わってる可能性も少なくないが、プロになれば必然的に付き合う事だ、慣れろ」

「……プロ、ヒーロー……」

 

 捉把の反応が芳しくない。

 ヒーロー名に続き、プロに関して物憂く彼女の表情が相澤に違和感を懐かせる。この少女は、根本からクラス内でも余人に無い“何か”が内在している。最奥に在るモノが邪悪であるか、それともオールマイトじみた正義の志であるか否か、すべてが不明瞭。

 職場体験自体も非常に危険ではあるが、雄英高校に拘束する事は捉把の為にならない。教室に戻ろうとする彼女の背中へと問い掛ける。

 

「空狩、お前に訊きたい」

「?」

「プロに、なりたいか?」

 

 捉把は暫し黙考した後、眉を顰めて応えた。

 

「人を救える仕事なら、プロに為ります。それが駄目なら、警察でも。私は識りたかったんです、この仕事が人々の救済の何になるのか。本当に人の心の安心を支えるのに足るのか。警察にも携わり、且つヒーローを知れるから雄英高校を志願たんだと、入学からずっと考えて最近気付きました。

 出久くんが一番の例です。彼は本当に、名の通り救う事を第一目標に努力しています。職名に恥じぬプロとなる為に。あれこそヒーローなんだって。

 でもヒーローにだって私欲がある、焦凍はその被害者でした。ヒーロー界にも醜い部分が存在する」

「……空狩……?」

「“憧れたヒーロー”も、私を救けてくれた事への憧憬の情が始まり。私を救ってくれるなら、誰だってそうなんです。だから本当のヒーロー像とは程遠い」

 

 相澤は窓からの斜陽に当たり、足下に伸びる捉把の陰が大きく膨張する錯覚に驚いた。光を断った物陰や薄暗い階段の隅まで拡がる様に感じる。謎の圧迫感が廊下の一帯を支配した。

 目前に在るのが、果たして自分の知る少女であるかも定かではないと思わせる。

 

「“ヒーロー”とは何か、それを現場で学んで来ます」

「……判った、なら帰ってからまた訊こう」

 

 頷いてから去る捉把の後ろ姿に背筋が凍る。

 改めて思い返すと、捉把の話の言外にあった含意は、彼女の剣呑な性質が内包されていた。ヒーローも醜く、悪と形容する部分が混在する。焦凍の件を把握している訳ではないが、相澤としては捉把がこの短期間で数多くのモノを目にし、その心境が生徒達とは違う所で歪み膨れている事を悟った。

 仮に、ヒーローや警察、今回の職場体験で彼女の人命救助を志す意に反する、または失望させる光景を目にしたならば……。

 空狩捉把という人間が、反ヒーローの派閥――敵に堕ちる危険性がある。

 影に潜んでいたのか、相澤の隣にオールマイトが滑り込む。

 

「シリアス空気ぶった切って私が来た!!ってね!」

「……どう思います?」

「うん、そうだね……不安定だと思うよ」

 

 オールマイトが両の掌を胸前に掲げる。

 

「ヒーローと敵……揺れ動いている。真に人を救う行為に執着している。だとすると、今のヒーロー社会の方が人々を苦しめていると彼女がどこかで悟った場合、なるんじゃないかな――悪のカリスマって奴に」

「不安定な部分を……悪用して陥れるヤツがいるかも知れないですね」

「……確り見守らなくちゃあな」

 

 捉把の前途を不穏に思い、相澤は愁眉を開かなかった。

 

 

 

***************

 

 

 

 

 職場体験当日――。

 

 駅にて集合した1-Aに相澤が諸注意を述べ、其々がコスチュームを容れたケースを所持していると確認して、解散の号令を出した。常闇は九州へ、捉把の事を待っていたが、事前に急変更した旨を伝え、彼はそのまま去って行く。職場体験では出久と同じ現場となって、利用する交通機関も方向も同じである。勝己が不満げに見詰めていたが、手を振ると舌打ちと共に改札へ闊歩して向かって行った。

 委員長の飯田へと挨拶する出久の傍に寄る。

 捉把も後のニュースで知ったが、体育祭中に彼が早退したのは、実兄が事件に遭ったため。その犯人は未だ逃走中とあり、被害者である『インゲニウム』は、再起不能の状態となった。

 犯人は敵名“ステイン”。

 過去にヒーロー十七名を殺害し、飯田の兄同様に二十三名も再起不能に陥れた所業より、通称“ヒーロー殺し”として社会に畏れられる。一部では、彼は敵すらも標的とする場合があり、犯罪を行った地区の犯罪率も下がる現象が起きていた。無論、犯罪行為に手を染めた殺人者である事に差違はない。

 復讐を志しても無理はないだろう。出久と麗日が思案し、声を掛けた際の笑顔にも陰りがある。捉把は目を眇めて、駆け寄ると彼の胸に拳を突きつけた。困惑する彼を見上げる。

 

「ヒーローがして良い顔じゃないよ」

「そ、そうかい?」

「うん、何かあれば私にも連絡して。仮に一人で無理をした場合は――」

「場合は?」

 

 捉把はポケットから眼鏡(ブルーライトカット仕様)を取り出して装着する。

 

「私が新委員長として君臨する」

「なっ、1-Aは君の好きにはさせんぞ!!」

「精々私から守ってみせるんだね」

「何故に敵っぽく……!?」

「無事に帰還したら、ミートスパゲッティ祭りだよ」

「意味の判らん催しだが、危険な香りがする!」

 

 捉把は飯田の胸を小突いてから背中を押して遣った。遠ざかる彼の背中を出久と共に見送る。不穏な予感ばかりが募るが、今は自分の事に専念すべきだ。

 これから世話になるヒーローの名は『グラントリノ』という。ネットで調べても、一件すら該当しなかった無名同然のプロ。果たして、此度の相澤の采配は正しかったのか、今更ながらに再び疑念が湧く。指名の無かった出久が行くとなれば、彼にもまた特殊な事情があるのかもしれない。他言さえ厳禁とする、特別な……。

 捉把は不意に出来心で、出久の“個性”が“奪えるか”を確かめた。しかし、対象の“個性”を収奪した際の手応えが微塵も感じられず、捉把は己の掌を見下ろして当惑する。中学時代に“無個性”だった彼が遅れて発現したモノ、それは“無個性”ゆえに周囲の現実から抑圧された為に発露した心の力とは言い難い超パワー。

 捉把は思索しながら、出久の後ろを付いて行く。

 オールマイトに似た“個性”。――確か、彼はオールマイトに目を掛けられていた。海浜公園での不思議な鍛練もだが、彼が直々に鍛えるなど今考えても不審な点は多々ある。以前から疑ってはいたが、先刻の“奪えない”事から益々疑問が膨らんだ。

 捉把の“個性”を詳細に知るのは教師陣、オールマイトと警察の限られた者のみ。学校生活でも様々な規制が与えられた現況では、出久に容易に語る訳にもいかない。

 新幹線で四五分間――二人は無言であった。

 間も無く下車する際に、捉把が徐に問う。

 

「出久くんの“個性”は、いつ発現したの?」

「え!?それは……中学最後の時、かな」

「耐久可能な身体作りとして、修業をしていた?」

「う、うん」

「……そうなんだ。誰かから譲り受けた訳じゃ無いんだね」

「!?それって……どういう――」

 

 その前に目的の駅に停車し、捉把が座席から立った。

 狼狽しつつ追う出久は、胸の動悸が収まらずに黙っている。捉把の窺うような質問の真意に、匿していた秘密が暴かれるのではないかと怯えた。

 二人は書類に記された住所に従い、街の中を歩いて行くと、一軒の廃屋に辿り着いた。壁面には罅が入り、窓硝子も幾つか割れている。覗く室内の様子も明らかに埃が舞い、生活感が見受けられない。玄関扉の取手も厚い錆が鈍い光沢を帯びる。修繕工事の途中で投げ出されたのか、バリケード等が放置された状態で置かれていた。

 出久は予想外のあまり凝然と見上げているが、捉把は気儘に進み出て扉を開ける。

 

「こんにちは。雄英高校から来ました、緑谷出久です」

「ちょっ、空狩さん、それ僕の名前!?」

 

 二人は入室して固まった。赤く飛び散った液体の上に長く伸びた肉塊と小柄な人体。床を汚す風景は、出会い頭に二人を驚愕で打ちのめす。

 目前に広がる光景に、出久が叫ぶ。

 

「ぁ、ああああ死んでる!!」

 

 捉把が確認に飛び出す。――その瞬間に、その体が跳ね起きた。

 

「生きとる!!」

「生きてる!!」

「出久くん、直ぐに救急車を!」

「生きとる生きとる!!」

 

 捉把の職場体験が始まった。

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 職場体験当日の朝、捉把は冬美に見送られて焦凍と共に登校。当日とあって、集合は各々の方向に従い、教室ではなく駅となっている。これからどんなヒーローと、そしてその職務と関わるのかと想像していた捉把は、ふと歩道を並んで歩く間、注がれる焦凍の視線に気付いて振り返った。

 

「どうしたの?」

「いや、また髪の色変わったな」

「染めても無駄なんだよね。変かな?」

 

 冬美に教えて貰った方法で軽く編んだ捉把の髪。

 焦凍は無言で見詰めた。誰かの容姿を誉めるなど無く、他人をこれほど深く見る事自体も少なかったためか、返す言葉を如何とするか困窮する。元より人の機微に対して鈍い彼は、他人の求める答も判らない。

 押し黙った彼に、捉把は胸前で手を振った。

 

「良いよ、無理に応えなくて」

「……悪ぃ」

「仕方無いよ、特に女子が対象だと、男子は困るよね」

「思った事で良いってんなら――」

 

 焦凍は自然な手付きで、捉把の髪の一房を優しく掌に乗せる。艶のある毛髪が皮膚を軽やかに滑る感触、焦凍と捉把は足を止めた。

 

「――捉把の髪は、凄ぇ綺麗だと思う」

「……あり、がとう」

 

 捉把は小さな声で反応し、頬に帯びた微熱を誤魔化して歩き出した。自分の髪の一房を摘まんで弄る。再び隣に並んだ焦凍は、顔を覗き込む。

 

「顔が少し赤いぞ、具合でも悪ぃのか」

 

 捉把の額に右手を当て、冷気で冷やす。

 

「うん、違うんだよね」

「??何か、済まねぇ」

「こちらこそ」

 

 焦凍と捉把の様子を見て、遅れて家を出た冬美が電柱に隠れて見守っていた。

 

「(な……な……何あの二人の空気――!?)」

 

 

 

 

 

 




次やで、次!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話「鯛焼きは甘党の秘宝」

 

 空狩捉把は、目前に居る老人を見遣る。

 加齢の皺を深く刻んだ顰めっ面にアイマスクをし、小柄な体躯に似合わぬ大きなグローブと長靴の老人。外見相応に歳を重ねていると思われるが、未だ現役ヒーローを老身で務めるとあって、恐らく実力、経験、知識は誰よりも高いであろう。事務所は廃屋も同然だが、それでもオールマイトの師という肩書があって侮れない。

 床一面に拡がる血痕に似た物はケチャップ、体内から漏出した臓物に見えたのはソーセージ。冗談では済まされない様相に思えたが大事無し。出久と捉把は安堵すると共に、些か認知症患者じみた反応を見せる老人の応対に困惑する。

 杖を突く彼の体は小刻みに震えていた。躓いて転倒したとあって、やはり老体には響くのか。捉把としては、先を思いやられて相澤の采配をまたしても疑ってしまう。律儀に応じる出久への憐憫に溜め息を吐いて、室内を見回した。

 ヒーロー雑誌の年号を検めれば、どれも年代が捉把の生誕する以前の物ばかり。最新でも六年前であって、出版社も揃わない。健忘症としては、些か奇妙な点がある。一見して不揃いな品々だが、追跡する敵の情報蒐集の一環なのかもしれない。何処か深い底意を漠然と感じた。

 中身を適当に確認して捉えた共通点としては、小さな見出として取り挙げられる『敵を統轄する支配者!』、『暗躍する~……』など。どれもが創作物としか思われない。絶対的な悪の存在を斃す事に信念があるのか、その存在の登場を希求していたのか。

 書物に集中している捉把の背後では、既に出久が老人の対応を諦観し、屋外へと立ち去ろうとしていた。何を問い掛けても、要領を得ず明らかに諧謔ばかりの誤魔化しで充ちた言動に、さしもの出久すら耐えられなかったのだ。捉把の手首を摑み、無理矢理連れ出そうとした所で老人が彼のコスチュームケースを漁る。

 

「撃ってきなさいよ――ワン・フォー・オール!」

 

 出久の体が止まる。

 捉把は訝って見ると、表情が凍りついていた。

 老人はコスチュームケースを展開し、勝手に中身を検分する。捉把は二人を交互に見詰め、首を傾げる。『ワン・フォー・オール』の一語の含意、捉把の識らない共通点が両者にあった。振り返った彼は、それでも再び調子を戻した老人を見かねて、再び玄関扉へと歩き出す。

 捉把の腕を摑む力がより一層強くなった。先を急ぐ焦慮を滲ませる出久。オールマイトの時間は残されていない、己が“個性”をなんとしても完全に制御しなくてはならない身として、意味の無い時間を過ごす訳にはいかない。

 彼の気負いを読み取った捉把が留めようと踏ん張った。この老人が只者ではないと漠然とながら判るからこそ、出久が此所から立ち去っても不都合しかない。出久へ指名を入れたとなれば、それこそ何らかの意図があってである。

 転瞬、背後では床の一部が爆ぜる音と旋風が発生した。蹌踉めいた二人の正面で、扉上の僅かな壁面に指を食い込ませて静止する。捉把の動体視力でも微かにしか捕捉し得ない速度。室内を跳ね回り、先を塞ぐ矮躯からは予想させない膂力。

 マントの裾を自ら巻き起こした風で靡かせ、不敵な笑顔を浮かべた老人。先程まで杖を突く脆弱な印象から、古豪と称して遜色無い威圧感へと様相が一変した。

 

「焦ってんのか?だったら尚更、撃ってこいや受精卵小僧。あと、そこな娘も試しに手合わせしたるわ」

「……私?」

「体育祭での力の使い方。あの正義バカ――オールマイトは後継者教育に関しちゃド素人だな。それと、お前さんみたいなのを放置してんのも間が抜けてる。

 見てらんねぇから、俺が見てやるってんだ。さァ、着ろやコスチューム。

 娘は後で個別で様子見てやるから上に行ってろ」

 

 捉把はふと、彼の言い回しとこれまでの言動を顧みた。記憶を遡行する度に、オールマイトと似た印象がある。立ち居振舞い等からしても、相澤からの伝聞通り、オールマイトの先生である事に相違無い。見た事の無い敏捷、恐らく捉把が見てきた中でも最速。

 捉把の反射神経でも、あの高速移動で連打を畳み掛けられては勝てない。“個性”は増強系か、どちらにせよ加速に重点を置いた力。奔馬の如く御し難いであろう能力を、相手を翻弄し確実に倒す戦法へと捌いている。身体の使い方、捉把を鎮圧する充分な実力。捉把が現在見倣うべき要点を兼ね備えていた。成る程、相澤の判断は正しかったと漸く得心する。

 捉把が上階へ行く姿を、グラントリノが鋭い眼差しで見送った。

 出久はコスチュームの装備に取り掛かる。取扱説明書の内容を見て苦笑していたが、初のヒーロー基礎学で修理に出して以来、久しく装着するのもあって面相に高揚が滲み出す。

 以前のコスチュームよりも色合いを濃くし、黒線の模様をあしらったジャンプスーツ。腰のベルトに携帯電話や諸道具を収納する雑嚢、脚部を保護するサポーター、はにかむ口許を模したマスク。

 サポート会社の発想を織り混ぜた母製スーツβの初陣である。装備を調え終えて、グラントリノに正対する。

 

「宜しくお願いします!」

「ったく、俊典の後継者と、オール・フォー・ワンの娘となりゃあ小難しいわい」

「?」

「いや、こっちの話。んじゃ――」

 

 グラントリノが縦横無尽に跳躍し、一瞬で背後を獲る。

 

「――やろうや」

 

 

 

**************

 

 

 捉把もまた、上階でコスチュームを展開した。

 足下からは微震動が伝わり、出久とグラントリノの挨拶代わりの戦闘が始まったのだと判る。捉把との登校中に編み出した身体許容上限まで全身に発動する『フルカウル』でも、機動力では劣る上に柔軟な思考から繰り出される奇策も経験豊富な相手では、軽くいなされてしまう。後学として捉把も観戦に行きたいが、今はそれよりも考えるべき問題がある。

 ワン・フォー・オール――出久の“個性”。まだ憶測ではあるが、グラントリノを前にした際に焦った彼の溢した一言、オールマイトに匹濤するパワー。後天的な覚醒にしては、あまりに遅すぎるからこそ不自然。捉把の様に“与奪”があるとするなら、“個性”を“与える”、“奪う”……否、端的に言えば“継承する”場合も考えうる。

 出久の“個性”を、オールマイトと密接な関係であると思しきグラントリノが熟知しているならば、捉把の憶測も核心に迫る。そして、自分もまた彼等とは初対面といえど、何らかの因果を持って生まれたのだろう。

 捉把はコスチュームケースに付属した取扱説明書を見る。

 内容は『空狩様――。

 要望通りの機能性を考慮し、弊社の独断で材質やデザインに少々の変更を加えましたが、ご了承下さい。可愛くて動き易いと需要高いっしょ!?』。

 相澤が先刻忠告し出久が苦笑した理由を概ね察した。サポート会社の面子の大体は、体育祭で見掛けた発目という少女の人柄に酷似した人間ばかりで構成されているのだ。

 注意事項を一通り確認して、漸く着替えを始めた。

 臍出しは以前変更は無いが鳩尾までを隠し、袖無(ノースリーブ)の猫耳フード付きの黒シャツは、伸縮性に優れた材質を使用。薄茶のショートパンツ、太いベルトは三つの雑嚢を腰の後ろに複数装着。相澤から操作法を学んだ捕縛布も収納している。

 短刀(サバイバルナイフ)を一振り、以前とは違い研ぎ上げられた刃。武装として更に、折り畳み式スタン警棒。

 赤いラインが一条ある黒のニーソックス、爪先と踵を露出し足首や足の甲をベルトで固定するサンダル。手の甲から上腕半ばまである防刃性を兼ねた布の手甲。

 どれもが捉把の毛髪を利用し製作され、『超再生』で欠損した部分を再生する際、服も変化を受けて連動し、修復される仕組みとなっている。以前の襲撃戦から勘考し、対人戦闘により特化した装備に変更した。『獣性』に依存した対人基本戦技では、体力の消耗が激しい。“個性”には最低限、つまり異形型として常時発動している猫の高い身体能力のみ。他は積極的に携帯した武器を用いる事が新しい戦法である。

 新コスチュームの機能性を試行すべく、動作確認を行う。関節の可動域、視界や感覚を妨げる不備は一切無い。短刀や『武装化』は使用する相手に注意、特にグラントリノに対しては意味が無い。身体の一部を変形するよりも、拳打で応じた方が次手への移行速度に効率が良い。“与奪”は使用しない、これが鉄則だった。

 段差を踏む靴音に振り返る。

 グラントリノが杖を突いて、此方に向かって来ていた。捉把は一礼して、老人の様子を見る。退室してから即座に開始された出久との戦闘時間は、およそ三分弱と推測。その間にもあの俊敏な動きを維持していたとして、今相手に疲労の色は無い。体力について配慮する事は無さそうである。

 無言で構える捉把に、老人はタイマーにセットした一分の制限時間を示すと、スイッチを押した。

 

「始めるぞ」

 

 グラントリノの姿が高速で視界を動き、死角へと回る。捉把は背中を蹴撃で打たれ、前傾姿勢になった瞬間には、前方へと回り込んだ次の拳が腹部を命中した。縦横無尽、多角度から拳足の弾雨が襲来する。足音で位置を感知し、跳躍する方向を推測して防御する事で精一杯であった。

 捉把の動体視力をも凌ぐ速度だが、これでも未だ手加減なのだと直接相対して理解する。先ず“個性”を奪う隙も与えて貰えない。武器は抜く前に、その手を叩かれる。無闇に手を出せば、鋭く強烈なカウンターを見舞われるだけだ。本領を発揮していないグラントリノでも処すのは至難。ここで真っ当に相手をするのは難儀、同じ土俵で戦うには分析と予測が必要。

 これまで喰らった攻撃から、次の手を推察する。

 グラントリノが背後から再び襲撃を仕掛けた時、捉把は跳躍し、両手両足で()()()()()した。小さな影が自身の直下へ来るや否やのタイミングで、再び天井を蹴って襲い掛かる。

 

「さっきの小僧といい――」

 

 グラントリノの体が空中で別方向へと跳ね上がる。捉把の正面から消え、横合いから腹部を蹴り撃つ。捉把は無防備な部分を打たれ、床の上を転がった。

 制限時間を告げる音が鳴り、グラントリノはスイッチで切った。

 

「中々良い筋してるが、まだ固い。一応は及第点だ」

「ありがとう、おじいちゃん」

「お前さんは俺みたいなのを相手取る時ァ、相手の行動を阻害する遮蔽物を“個性”で拵えるか、麻痺させる何かを拵えるのが先決だな」

 

 床に仰臥する捉把を淡々とグラントリノが見下ろす。

 

「オール・フォー・ワンの娘で、あってんのか」

「……遺憾ながら」

「父親の顔を憶えてるか?」

「いえ。最近視た夢で、いやに現実味を帯びていて」

「だとしたら、“記憶を改竄する個性”か何かで操作されてるかもしれねぇな。最近で判ったってんなら、今何かの切っ掛けで呼び覚まされてるんだろ」

 

 捉把は起き上がって、グラントリノの前に正座する。

 

「“オール・フォー・ワン”……とは?」

「能力に付いちゃ、自分の事で把握してんだろ。一代で築いた悪の帝王の地位を後継する話は、お前さんの幼少期じゃ考えとらんかっただろうからな。恐らく、好奇心の一環、それか自分の“予備”だろう」

「悪の帝王……?」

「俊典……オールマイトから、俺やヤツ、それと小僧の事は聞いてねぇか?」

 

 捉把が首肯すると、グラントリノは黙って『オール・フォー・ワン』について語った。

 

「お前さんの立場上、包み隠さんのが一番だろ」

 

 

 超常黎明期――当時の社会では“個性”が異能と表されていた時期。突如として“人間”という規格が瓦解し、それまでの治世が形骸化する。抑制する為の策として、後にヒーローが出現するまでの間、世界全体が恐怖で荒廃した世界に混乱した。

 その混沌の時代に、人々を纏め上げた人物が居た。彼は人から“個性”を奪い、圧倒的な力によりその勢力を拡大する。計画的に人を動かし、社会を揺るがし、数多の悪行を積み、裏社会の支配者として日本に君臨した。無類の強者として、もはや止められる存在など居らず、不安な芽は迅速且つ確実に摘んだ。

 悪者は力を得る程に奢り、慢心を生む。しかし、彼は一切の油断すらなく、残忍で狡獪な性格で総て掌理した。超常の世界がこの世に生んだ怪物、生粋の“悪の象徴”が誕生する。

 配下を増やす手段として、“個性”を与えて信頼や洗脳、または屈服を思いの儘にさせた。中には、無理矢理譲与された事で思考能力が欠如し、物言わぬ蛻となる場合も存在する。

 

 一方で、“個性”を与えられた事により、元来所有する“個性”と混ざり合い、変異するケースもあった。親からの遺伝で強力になり、最終的には凶悪な兵器となると危惧される“個性特異点”もこの例に該当する。

 オール・フォー・ワンには、“無個性”の弟が存在していた。身体は脆弱で力は無くとも、彼にすら屈する事無い強い正義感を宿した、ただ一人の反逆者。兄の諸行に心痛絶えず、必死に抗わんとした男である。

 そんな弟へ、彼は“力をストックする個性”を与えた。その動機としては、家族を想った兄ゆえの優しさか、弟が見せる不屈の意志を破壊する為かは定かではない。

 そして、弟に異変が起きた。

 弟にも、“個性”は宿っていた。活用される機会も無く、表層下に顕れる目立った能力でも無いが故に本人すら無自覚だった。――“個性”を『与える』だけという意味の無い“個性”が、奥底に眠っていたのだ。

 彼から与えられた“力を蓄積する個性”と、“与える個性”が合成された。

 他者から“個性”を奪い、寿命を無視する術すら恣にし、半永久的に存在する“闇の帝王”たる兄を倒すには、それでもまだ社会情勢的にも己の力量でも打倒は叶わない。為れば、次代に託しいつしか彼を討ち倒すまでに昇華させる為に、その“個性”を連綿と継承させて来た。

 これが『ワン・フォー・オール』。彼から派生し、彼に対抗すべく誕生した力。

 

「……その後継者は、今どこに?」

「オールマイトが八代目、下に居る小僧こそ当代の後継者」

 

 捉把は了知した。

 緑谷出久がオールマイトに認められ、鍛練に励んでいる理由。中学三年になって“個性”が覚醒した真実の裏に、壮大な歴史が潜んでいた。出久が重大な役割を担っていると了解すると同時に、己が何者であるかも理解する。

 数多の悪行を為した帝王の子、つまり出久にとっての最大の敵の血筋。先刻グラントリノの言葉通りなら、己の強力無比な“個性”が遺伝可能かの好奇心と、自身がやむを得まれぬ事情で辞退した後に後継する人物の予備として生産した物。

 

「言い方を悪く言えば、お前さんは“悪のカリスマ”を担うとして、奴に目を付けられてた可能性がある」

「え……」

「六年前にオールマイトが討ち取った。腹に穴空けられて、活動時間を狭められる程の重傷と引き換えにな。結果として、引退の時が近付くほどにオールマイトは衰弱状態に陥り、あの小僧を選んだ」

 

 オール・フォー・ワンは生き存らえているか、確かではないが、それでも未だ災厄は去っていない。

 

「お前さんの存在は不安定だ。超人社会を裏から牛耳る資質がある。だからこそ、何処ぞの悪に感化されないか心配だからな、俺が見る」

「私は、人を救けたいと思ってるよ」

「それにしちゃ、ヒーローへの熱意を感じねぇな」

 

 捉把が押し黙った。

 

「人を救ける職務、それがヒーロー。そう考えてその道選んだが、ヒーローが本当に人を救えてるか不安になってんだろ。富や名声、力を揮いたいが為に、そんな私欲でやってる奴も少なくない。だから迷ってんだろ」

「よく、判るね」

「顔面に映る感情の色は薄くても、ガキが何考えてるかは判る。お前さんが、それなら自らが悪となって悪を支配し、社会をコントロールすりゃ平和だ、なんた考え出さんように、体育祭見て指名したんだよ」

 

 捉把は膝の上に拳を固く握る。

 自分の揺らぐ心を、グラントリノは機敏に察知していた。彼の下ならば、相澤への回答も用意出来るだろう。“悪の帝王”には憧れない、寧ろ斃すべき敵だと捉えている。オールマイトが倒したというが、“個性”を与える話で、『蛻となる状態』とあった。

 これは、先日の脳無などが似ていて、捉把としては嫌な予感を掻き立てられる。先の敵連合を率いる男が示唆した“先生”、脳無の制作者であり捉把と深い関係性のある首謀者。まだ災厄は去っていない、オール・フォー・ワンと対峙する日があるかもしれない。

 捉把は決然と面を上げた。

 

「宜しく、おじいちゃん」

 

 グラントリノは片方の口端だけつり上げた。

 この少女の根幹には、正義と悪性の二つが歪に絡み合い、互いに侵食している。環境によって左右され、一度一方が崩れてしまえば、主軸には残った思想だけが存続され、少女自体を支配するだろう。

 オール・フォー・ワンの隠し子。これが仮に、強い意志の下に行動する敵の集合体に合流したなら、黎明期の悪夢が再来する。雄英高校は今、ヒーロー社会のみならず平和自体の命運を左右する事案を纏めて抱えていた。

 グラントリノはより慎重を期す必要があると再判断した。

 

「指導方針は、取り敢えず身体の使い方だな。小僧と待ってろ……それじゃ、鯛焼き買って来るわ」

「鯛焼きは甘党の秘宝だからね、お願いします」

「んじゃ、そりゃあ?てか、俺に買わせる気か」

 

 大好物の鯛焼きを購入しにグラントリノが去って暫くしてから、捉把もまた階段を降りた。まだやるべき事は沢山ある。今は、事情を知った上で出久と話したい。

 下階に降りて、捉把は出久と正対する。

 お互いコスチュームのままだが、彼はノートを展げて紙面にペンを走らせながら熟思している。独り言の癖は、歯止めが利かず暴走状態であった。玄関扉の陰にグラントリノの気配を感じつつ、捉把はその隣に屈み込んだ。

 隣に居ても、出久は気取る素振りすら無い。捉把は嗜虐心が疼き、背後から抱き着いて耳元に甘く囁いた。

 

「出久くん」

「はぅあっ!!?そ、空狩さん……!?」

「少し、息抜きしよう?」

「なっ、何……どどどどういう事!?」

 

 捉把はソファーの上に座り、揃えた膝を叩いて手招きする。

 

「膝枕してあげる」

「ええ!?」

「頑張ったご褒美だよ。額のキスは無理だけれど、母さんがやっていた、もう一つのご褒美」

「ぼ、僕は頑張ってなんか……」

「おいで」

 

 捉把の声に誘われ、出久はぎこちない動作で移動する。促されるまま、彼女の手によってゆっくり倒され、頭部を柔らかい感触が受け止めた。鼻先を女子の甘い匂いが掠めて、益々緊張してしまう。

 捉把は乱れた緑の髪を優しく撫でた。

 

「お互い、頑張ろうね」

「も、勿論だよ!僕は最高のヒーローに……空狩さん?」

 

 捉把の手の動きが止まる。

 上体を起こした出久が覗くと、捉把の頬に涙が伝っていた。悲痛に歪んだ表情、大胆不敵で自由気儘、常に率先して物事に取り組む活発な彼女を見てきた出久にとって、初めて見るものだった。いつも、先を往く存在として、目標の一人として在る彼女の、脆い部分。

 捉把が出久の首筋に抱き着き、その肩で震えていた。顔は見えないが、漏れた嗚咽が出久の耳朶を擽る。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 困惑した出久だったが、小さな子供をあやすように、その背中に腕を回して、優しく撫でてやった。

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 巡回中、ふと足を止めたエンデヴァーは事務所で虚空を睨んでいた。

 横に居る轟が訝るが、自分から話し掛けたくもなく黙視する。沈黙を破ったのは、エンデヴァーの小さな声。

 

「あの小娘、いま何処に居るのやら」

「…………捉把は、いま埼玉らしい」

「埼玉!?そうか!」

 

 エンデヴァーは焦凍からの応答に心を弾ませた。大抵が無視を決められるからこそである。

 不意に、脳内にちらつく体育祭から自宅で寛ぎ、時折だが事務所から帰宅した際に、家族でも踏み入らぬのに自室へ遊びに来る捉把を想起する。思えば奇妙な関係が続いていた。ただ焦凍を際立たせる道具、変な居候でありながらも、エンデヴァーの脳裏に侵入してくる。

 

「焦凍」

「…………」

「最悪、あの娘を妻に娶るのも、俺は認めよう」

「!?」

「最悪!!最悪の場合だぞ!?」

 

 

 エンデヴァーの言葉も聞こえず、焦凍は呆然としていた。

 

「……そうだな。爆豪には悪ぃが――俺が貰う」

 

 

 

 

 その頃、ジーニアス事務所では――。

 

「っぶし!!……誰か噂してやがんな?殺す!!」

「早くジーンズを穿くんだ」

 

 勝己は矯正を受けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長くなった……よし、改めて次やで。目標は一日に三話や!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話「冷めたホットドッグだよ」

 

 捉把は鯛焼きに噛み付く。

 

「中の餡が足りない。これだと冷めたホットドッグだよ」

「文句言うんじゃねぇ」

 

 出久の腕の中で泣き疲れて眠った後、次に覚醒したのは彼の膝の上だった。その間も更なる飛躍の為に熟考しており、寝目覚めの後継が間近で間断無く繰り出される独り言。自分は地獄に来たのかと錯覚したが、捉把が起きたのをすぐ察知して、出久は捉把がした様に髪を撫でる。

 グラントリノが帰宅し、全員で温かい鯛焼きを食しているのが現在だった。出久としては、夕飯が鯛焼き一つでも良いのかと思案する場ではあったが、捉把は満悦の相であり、先程の状況から考えれば好物が一番なのかもしれない。二人のコスチューム姿を見て、グラントリノは首を傾げている。

 プロヒーローとして資格を得たのは数十年前。今や技術も進歩し、思潮も変遷して行くもの。デザイン、機能性を併せ持つ物がよりコンパクト且つ個人の個性的な部分をより際立たせる役割を果たすに相応しい造形を揮る。そうだとしても、捉把のコスチュームは“ヒーロー的”ではない。

 私服に武装を重ねた程度にしか見えないのが限界。出久の様に、一部にオールマイトへの尊敬が窺われる部分が見受けられれば、それこそ本人の主張を映した独特さが醸し出される。憧れも無い、確かにヒーローへの明確な動機も定まらない、そんな彼女の心情を表しているとも言えた。

 グラントリノとしては、曾て目的の為に“個性”の自由行使が必要だったからヒーローの職務を選んだ。コスチュームも機能重視、デザイン性の云々は問題の対象外である。自分自身に頓着が無い理由もそうだが、捉把自体も遠からずそういった部類なのだと推察した。

 教え子が選んだ後継者、力を伝承しながらいずれ倒すべき怨敵と見定めた悪の子息。ソファーに腰かけた二人は、事情を鑑みれば異観の極みである。未だ改善の余地は沢山ある磨かれていない石、いつ暴発するか予測不能の爆弾。

 オールマイトを指導していた時代以上に難儀する予感があった。仇敵の娘など、最初は預かる積もりも毛頭無かったが、体育祭で見せた気迫や底無しの闇を思わせる殺気を画面越しに感じ取り、放置こそ危ういと判断。敵勢に渡る前に、ヒーローとしての心構え、最悪はヒーロー界から脱退させ両者の闘争から遠ざけなくてはならない。いずれは社会の帰趨すら操れる存在になるだろう二人である。

 “平和の象徴”と“悪の象徴”。

 相反する両者の相克は、被害が日本全体へ波及する。

 現役を引退して長らく経ち、三人目のワン・フォー・オール後継者の指導とは、如何に自分が盟友の遺した行く先を案じているかが、ありありと自覚させられる光景。鯛焼きを完食して、二人を暫く観察していた。

 

「そ、空狩さん、落ち着いて」

「喉が渇いたね」

「ほら水も飲んで」

「何だか塩気のある物が欲しくなったよ」

「僕のカロリー◯イト食べる?」

「さすが……私の“平和の象徴”」

 

 容姿も性格も似ていないが、やはりオールマイトと酷似する部分を秘めている。強迫観念じみた彼の“平和の象徴観念”、それを覗かせる人間など錚々いない。狂気を持つ人間は、同士と引かれ会ってしまうのかもしれない。どんな運命の巡り合わせであれ、オールマイトと出久の邂逅が様々な物事の始点だろう。

 出久は既に、捉把がワン・フォー・オールについて把握している事を伝えられており、その驚愕の熱が覚めずに戸惑っている部分もある。ひた隠しにした真実を共有する仲間が居る、そうなれば本人には無意識で乗し掛かる心の重圧も和らぐ。逆に出久からの問――捉把が何故、識っているか、その立場についての質問は無かった。安堵が先立って、それどころでは無いのだろう。

 敵対者の娘と知っても、その人柄ならば対応の変化も無いが、悲運の子である捉把の先程の涙を見ていた身として、余計に気遣ってしまうかもしれない。捉把自体が母だけを肉親とし、一方のオール・フォー・ワンは名を口にする事すら忌諱する様になった。

 出久がもし、オールマイトの師が彼女の父によって殺害されたと判った時、それが捉把にも伝わったなら、益々罪悪感は深甚なるものになっている。互いの関係に亀裂を生まぬよう、慎重に機を窺わねばなるまい。

 

「小僧、今の所の許容上限はどんな感じだ」

「5%だと思います。試した事は無いけれど、身体は鍛えたし、もっと上げられる可能性も」

「壊れねぇ程度にしろよ」

「はいっ!」

 

 グラントリノは捉把の方へ振り向く。

 

「お前さんは小僧と組手でもして、俺を摸倣するなり何なりしろ」

「凄く漠然としているね」

「本来の“個性”がそれだと、“どれを”伸ばして良いか判らんからな。平時使用してる『獣性』と『空間』が一週間でも妥当だろ」

 

 捉把も鯛焼きを食べ終えた。

 出久から水を受け取り、体を伸ばしてから着替えを始める。グラントリノが室外へと蹴り出し、扉を固く閉じた。男性の目も意に介さず脱衣する女性の杜撰さに、慌てはせずとも呆れて物も言えない。目を見開き、赤面して硬直してしまった出久の反応も正常といえるのだろう。

 私服に着替えた捉把は、既に瞼を閉じ掛けた半睡状態である。出久の背中に倒れ込み、寝心地の良い姿勢を探って何度も寝返りを打つ。寄り掛かられた彼は苦笑混じりに、ゆっくりとソファーへと押し倒して、布団を引っ張り出す。

 

「小僧」

「?はい」

「仲良くやれよ」

「……はい!」

 

 捉把を両腕に抱え、布団へと降ろして行く。

 

「出久くん、膝……枕……」

「ほら、枕はここだよ」

「ん、出久くんの膝ではない……?」

「ぼ、僕は別の布団だから」

「絵本、読んで。それか、手を握って欲しい……」

「「(幼児ッッ!!)」」

 

 

 

 

****************

 

 

 

 保須市で数々の事件を起こしたヒーロー殺し。

 その所在を知る者は居ない。単独で常に行動し、計四十名も死傷させた凶悪な犯罪者。己が標榜する正しき社会の定型を取り戻す為に、私欲に塗れて穢れた社会の汚穢を悪となった刃で剔除する。敵名をステインとされる男の機能は、純粋にその一点のみに注力していた。

 バンダナの下の目許を隠す包帯は薄汚れ、襤褸の布を襟巻きにする。背には細身の太刀、脇や腰にも複数の短刀、靴の爪先には鋭利な突起を持つ凶悪な具足だった。一見して対峙する者の危険のみを悟らせる凶相は、歪な笑みを浮かべており、口端を表面が粟肌立ったような長い舌が舐めとる。

 敵の中でも、数々のヒーローを討ち取った猛者であり、その意志に賛同する者達も少なくない。凶行を信念の下に降される裁定と掲げる狂気は、荒廃した敵の中では色濃く、明瞭な輪郭を宿す様に映り、一種のカリスマ性を垣間見せる。

 ステインは保須での使命を果たさんと執行中だった際、黒霧と名乗る謎の男に勧誘され、ある組織――とも言い難い連中と対面していた。それは先日、かの雄英高校へと襲撃を仕掛けた野蛮にして獰猛な正体不明の集団。またの名を“敵連合”、その中枢人物である死柄木弔と正対する。

 カウンターに居る黒霧を一瞥し、油断無く周囲の様子を見回しながら、死柄木との交渉を始める。内容は、ヒーロー殺しの敵連合への参入。自分を招き入れるというならば、深い企図があってと推考し、様子見をかねて応答した。

 死柄木が手元の写真を摘まんで面前に揺らす。少年少女が印刷された物に、ステインは長嘆を禁じ得ない。自分の思想に賛同し、共闘関係を築かんと考えての交渉かと思えば、相手は異常な程に、されど幼稚な破壊衝動に駆られた子供の思考も同断だった。オールマイトを象徴と崇高する社会、ヒーローを志して邁進する少年達への腹慰せに呼ばれたのかと嘆きもする。

 僅かでも興味を懐いた己が腹立たしい。信念無き殺意、その果てに得る物が如何に滑稽で無意味か。ステインは脇の短刀をそれぞれ一振り抜き放ち、バーの中で対する二人を攻撃する。修羅場を経験して練り上げた技術は、二人をやがて圧倒した。

 弱い者――つまり、強い意志を持たぬ者は、理想の殉教者となる人間には敗北する。それは歴史が常に証明してきた、より渇望する強さのある者が塗り替え、新体制を築く自然淘汰の摂理。つまり、ステインが持つ理想に比すれば矮小たる敵連合など取るに足らず、足元に及ばず。接触し、対立すれば自然と死ぬ。

 

「――だから、こうなる」

 

 黒霧は腕を斬られて以降、動けずに居る。

 目の前では、ステインによって組み伏せられ、右肩は刃を突き立てて固定されていた。首に翳した剣呑な短刀を退かさず、獰猛だがどこか冷静な瞳で見下ろされ、死柄木は笑いながら痛みを訴える。

 その様子も全く気に留めず、ステインは続けた。死柄木の首を刈り取らんと、右手に摑んだ短刀を動かす。これまで相手の身体も必要があらば切った、既に人体を切断する術理には心得がある。頸であろうと一瞬で断てる。

 

「“英雄”が本来の意味を失い、偽物が蔓延るこの社会も、徒に“力”を振り撒く犯罪者も、粛清対象だ……ハァ」

 

 いよいよ首の皮を切り裂かんとした時、死柄木の手が刀身を摑んだ。五指を絡めた部分から罅が蜘蛛の巣状に広がり、破片となって床へ降り落ちる。

 ステインはその時、目前で歪に膨らむ意志の芽を感じた。総身を微かに震わせる狂気の迫力が、死柄木の手で匿した面相に浮かべる笑顔より放たれる。

 

「口数が多いなァ……信念?んな仰々しいもんかいね。強いて言えば、そう…オールマイトだな。あんなゴミが祀り上げられてる社会を、滅茶苦茶にぶつ潰したいなァとは思ってるよ」

 

 触れれば崩壊する――そう認識し、ステインは飛び退いた。間一髪で振り抜かれた相手の掌を回避する。黒霧は依然行動不能だが、肩から出血を滲ませても動く死柄木を見据え、短刀を鞘に納めた。死線を前にして人は本質を顕す、それは命を奪われる寸前となったヒーローが救済を乞う時に嫌という程に目の当たりにした。

 この死柄木弔は、死を目前にしても未だ狂気の蕾を散らさずに輝かせる。間違いなく、目的は対極であっても信念がある。そして、現代の社会の形を破壊する事に於いては一致していた。粛清はそれよりも先、この男の信念が如何なる花を咲かせるか否か、見届けてからも遅くはないと判断する。

 死柄木は未だ納得の色を見せず不満を垂れ流すが、黒霧は交渉成立に安堵していた。ステインの“個性”から解放された体を解している。

 ステインは、不意に黒霧の側にあったテレビ画面を見た。何処かと通信しているのか、死柄木と対面した際に向こう側からも声が聞こえていたのである。声音には何か惹き付けられるモノを感じたが、同時に胸を擽る大きな不快感も忘れられない。自分が目指す社会とは、全く別な形を欲する者の波長、死柄木以上の歪であり、咲かせた花が醜悪なる薫りを放つ物だと判る。

 暫く画面を睨んだ後、黒霧へと向き直った。

 

「用件は済んだ!さァ、“保須”へ戻せ。あそこにはまだ成すべき事が残っている!」

 

 

 

************

 

 

 職場体験でノーマルヒーロー・マニュアルの下に就いた飯田は、オフィスでコスチュームを脱ぎながら思索していた。兄を再起不能に陥れた悪、断罪すべき仇。

 ヒーロー殺し――ステイン。

 これまで出現した七ヶ所で、四人以上に危害を加えている。ネットでも直ぐに調査が出来て、飯田はそこに規則性を発見した。どんな酔狂か、信念や理想と宣おうとも犯罪に相違無いが、一つの地区で必ず四名のヒーローは殺傷する。保須市ではまだ兄以外の犠牲者が出ていない。つまり、この保須にはまだ潜んでいる。再び現れる可能性が高い。

 飯田は固く握りしめた拳に力をさらに込め、常に生徒の鑑として正しくあろうとした委員長ではなく、怨恨の炎を燃やす復讐者の面構えとなっていた。

 

「来い、この手で――始末してやる……!」

 

 

 

 

 一方、埼玉では――。

 

 

「ん?」

 

 捉把はふと、ポケット内に収納していた中身の異変に気付く。取り出してみると、眼鏡のレンズに小さな罅が入っていた。購入して日の浅い品とあって、些か苛立たしい。――不良品を摑まされたか!

 背筋に悪寒が走った。周囲を検めるが、特に異常は無い。交代制でグラントリノと組手をしており、出久が今壁に叩き付けられた所であった。眼鏡に続いて不吉な兆候、嫌な予感ばかりが掻き立てられる。

 

「……まさか、糖分不足か」

「おい、次はお前さんだぞ。俺の鯛焼きに手ェ出すな!」

 

 捉把は鯛焼きを咥えてグラントリノへと飛び掛かる。

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 三分後、捉把はソファーに垂直落下し、俯せで激突する。その腰の上にグラントリノが着地し、こめかみに青筋を浮かべて見下ろした。矮躯から発散される怒気を感じ取って、顔を上げた捉把は口内に少し残っていた餡を舐めとる。

 

「おじいちゃん、以前にも増して厳しいね……」

「お前が鯛焼き食うからだろ」

 

 捉把は仕方無しと、懐からもう一つの鯛焼きを取り出して渡す。

 

「機嫌を直してよ。鯛焼きをあげるからさ」

「だ・か・ら、それ俺のだろ!」

 

 引ったくられ、捉把はグラントリノが降りた瞬間に出久の背中へと回る。

 

「職場体験……成る程、上司からの恐喝も体験して、社会に出る時の精神面を作る為にあるんだね」

「うん、たぶん違うと思う」

「よし!次は小僧!」

「宜しくお願いします!」

「頑張って出久くん」

「だから俺の鯛焼き取るな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




くっ……有言実行ならんかった……!不甲斐ない……!

よし、気を取り直して次や、次!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話「味付け無しの野菜炒め」

 

 室内を激しく転倒し、捉把と出久は壁に背を打つ。

 グラントリノによる強烈な連撃は、如何に慣れようとも予測や反射神経で容易に捕捉し得るものではない。縦横無尽の乱打に翻弄され、為す術無く倒れた。尤も、雄英生徒として認められた者ともあり、一方的な蹂躙の如きスパルタ教育の中でも吸収する力は常軌を逸する。

 しかし、グラントリノの戦法ばかりに順応しては、様々な敵へ対応できない。これらが実戦で活きる訳ではない、現場での緊迫感や求められる判断は、鍛練で習得するモノを遥かに凌駕する。酷烈な状況下でもヒーローに求められるのは救ける力。

 出久の戦術や方針は定まり、懸念されていた“個性”制御の精度の向上。捉把は得意分野をより積めて行く、元来高かった応用力の更なる昇華。着々と成長を見せる二人に、グラントリノは次なる修練を与える事にした。

 コスチュームに着替えた二人を伴い、事務所から外出する。

 次なる舞台――敵退治であった。

 実地訓練ならば事務所付近が最適に思われるが、過疎化の進んだ地域では犯罪率が低下しており、人の密集する都市部こそ犯罪の温床となる傾向がある。より人に魅せる為に力を揮いたい、現代の敵は理念や確固たる目的ではなく、見せ場を求めて人の多い場所に現れるのだ。

 それに伴って、ヒーロー事務所も密集する。小競り合いの多い場所こそ、二人の感覚を養う実践訓練所に好適とした判断だった。ヒーローの相棒として職場体験をする生徒は、コスチュームを纏って行動する事が常識。衆目が集中しようと、職務として就けば日常となる事。

 タクシーに乗車した三人は、座席の背凭れに体を預けて移動を開始する。グラントリノが選ぶ場所を目指すとなれば、路線としては甲府から新宿行き。

 出久は不意に、保須市を通過する事に気付いた。捉把へと小声で伝える。兄を襲撃されて以来、彼の様子が芳しくなかった事もそうだが、職場体験に保須を選択した判断も危険な予感があった。捉把は顎に手を当てて黙考し、スマホで最新のニュース一覧を確認する。まだステイン等の事件報告は無いが、それでもUSJ襲撃と同じ嫌な予感を以前に覚えた……眼鏡の罅。

 危険な行動を発する前に、厳重注意を掛けてSNSのクラスグールプから彼のアカウントを登録し、個人的に連絡を入れようとした。しかし、画面を開いて彼女は硬直する。鍛練中とあって通知をOFFにしていた為、開いた途端に夥しい連絡件数が並ぶ。中でも際立つ二名の表示に、指先が凍った。

 

「私から連絡を入れようか……な……」

「どうしたの?」

「……勝己くんと、焦凍くんだ」

 

 苦笑する出久の前で項目を開く。

 

『捉把、元気にしてるか?(焦凍)』……5件。

『連絡寄越せや、屍かテメェ?』……120件。

 

 勝己は以前にも増した数であった。

 

「あ、はは……仲が良いんだね」

「勝己くんに返信。……『うるさ☆』、送信っと」

「こここここ殺されるよ!?」

「大丈夫、出久くんが救けてくれる」

「いや、確かに困ってるならそうだけども……!何か良心を利用されてる見たいで……!」

 

 案の定、その数分後に『一週間後、覚えてろ』と返信が来た。捉把は自らの安否を懸念し、出久という保険を用意する。最悪は家族を慮る焦凍の献身を犠牲にする心算。もはやヒーロー志望の人間が持つ思考回路ではない。悪意の下に他者を翻弄していた。

 出久の神妙な面持ちに本来の目的を想起する。委員長の現状を知らねばならない。

 捉把は飯田へと長文で注意事項を連ねる。彼の杓子定規な性格ならば、これらをすべて確認した上で必ず返信をする。仮に、既読以外の反応を見せなかった場合、否、返信をせぬ程に周囲の心配を顧みず本来の行動も見受けられないとなれば、それは切迫した状況であるという事。紛れもなく、執念の炎に身を焦がしている有り様だ。

 捉把はスマホを仕舞い、出久の肩に頭を預けて眠る。車窓から見る景色は、まだ明るいが到着時刻からは推定数時間、夜の街となるだろう。

 

「……飯田君の眼鏡、無事だと良いね」

「うん。……眼鏡?」

 

 

 

 

*************

 

 

 

 保須を俯瞰する高所の虚空に、暗黒の靄が脈絡も無く発生する。瀰漫して行く闇の中から、夥しい武装をしたヒーロー殺しの通称で世間に畏れられる男と、先の雄英襲撃戦で敵の界隈でも名のある敵連合の死柄木。両者は貯水タンクの上に立ち、夜闇に包まれつつある保須の景色を眺望した。

 死柄木が存外栄えた様子に感嘆する中、ステインは己が断固として容認できない者が町内でヒーローの名を騙り、救世主面で跋扈する景観を糾する。救済に対価を求める偽善者を一人でも多く排除し、この社会認識の齟齬を粛清すべく凶器を手に執る。

 ステインは背剣の柄を固く握り締め、貯水タンクの上から夜街へと躍り出た。襤褸の襟巻きの裾が、狂気が緒を引いた流星の如く靡いて闇に溶けて行く。ヒーローを勘違いした人間、それらが世に出現する都度に、ヒーロー殺しという修正が現れる兆しとして。

 死柄木は未だ胸裏に燻る不愉快さ――自身に刃を立てたステインの凶行、そして対極に在る者同士の言動に生じる確執が苛立ちを募らせる。喩え現代社会の定形を破壊する行為に於いて一致していても、ステインの人格やすべてが気に入らない死柄木としては、彼もまた雄英やオールマイト同様に破壊する対象。

 背後に控えた黒霧に指示し、ワープゲートを接続する。敵連合が擁する最も悪辣で醜い悪意の集合体、破壊の権化たる怪物を召喚した。――黒霧の靄から、四体の脳無が出現し、建物の屋上へと降り立つ。

 制作者の“先生”に掛け合った所、動作確認を終えたのは七体。その内で今回与えられたのは、四体のみだった。

 敵連合の名が、ステインの行いを掻き消すほどの争乱を巻き起こす。信念の下に発する犯罪行為より、途方もない悪意こそ人目を引くのだと証明する事でステインを否定するのだ。より善を追及した上での悪よりも、純粋な負の念が勝つ。

 ある評論家が、その行為によって地域の犯罪率が低下しており、『ヒーロー達の意識向上に繋がっている』と評していようと関係無い。純然たる悪こそが優れるのだ。

 

「あんたの面子と矜持……ぶっ潰してやるぜ、大先輩」

 

 保須を競い、二つの悪意が相克する。

 

 

 

*************

 

 

 

 新幹線での移動を経る捉把達は、保須に差し掛かって居た。車体に揺られると眠る習性があるのか、捉把はまたしても睡魔との勝負をしている。睡眠時間の不足ではなく、完全なる惰眠だった。ヒーローとして、常に不測の事態に備える出久の気構えを見習うべきだが、無性に沸き立つ眠気を追い払う気力すら無かった。

 職場体験三日目の夜は、初の現場実践。グラントリノの下で学んだのみでも充分な成果を得られたが、より内容を高い質に極める為の仕上げである。捉把は二人よりも少し前の座席で、眠気を覚ますべく車窓から窺える景色に集中した。

 並ぶ建物の陰が連なる暗い凹凸のある地平線へ、太陽が緩やかに沈む。夜の帳に彩られた外観は目に憩いを与え、またしても睡魔の加勢をした。捉把の瞼が遂に閉じかかると同時に、車体が急停止を行う。思わず前の座席に頭部を激突させて呻き、奇しくも睡眠欲が薄れた。

 顔を上げた捉把は、車窓へと振り返る。

 顔を巡らせた窓の外に、急接近する人影を見咎めた。両手に鋭利な猫爪を発現させ、隣に座る男性と自身のベルトを切断する。男性を担ぎ、前方へと席を蹴って飛んだ瞬間に、過去位置の座席の壁が吹き飛んだ。

 車体を貫通して中へ転がったのはヒーローである。誰もが言葉を失って硬直する中、車体の穴に捕まって現れたのは、細く長い四肢をした怪物。大脳を露出し、眼窩も無く剥き出しとなった眼球と巨体。出久と捉把からすれば悪夢の再来――白い脳無の出現だった。

 ヒーローを押さえ付け、車内へと踏み入る。

 捉把の脳裏に不気味な死柄木の相、そして記憶の中で笑う男の像が浮かび上がった。

 

「小僧、小娘、座ってろ!!」

 

 グラントリノが席を跳び発ち、車内から体当たりで脳無を撃退する。遠くの建物へと激突した彼らの影を追って、二人で穴の側へと駆け寄った。車窓の小さな枠からは見えなかった保須の一様が明かされる。

 高く上がる火災の煙と野蛮な戦闘の音。街が戦場と化していた。

 

「出久くん、私は出るよ。此所で動かないヒーローなんて、味付け無しの野菜炒めみたいだからね」

「ちょっ、空狩さ――」

 

 捉把は車体を飛び出した途端、横合いから襲われた衝撃によって建物へと吹き飛ばされる。遠ざかる出久の姿、猛然と空を切って投げられる己の体。抵抗する間もなく、建物の壁面が迫って来る。

 衝撃に備えて身構えたくとも、胴を何かに摑まれており、体の自由が利かない。ビルの一棟の壁を貫通し、屋内の床を抉りながら外へと再び押し出され、そのまま車道へと叩き付けられた。轟音と共に瓦礫を飛散させ、罅割れた窪地の中心で吐血する捉把の傍へと異形の影が降り立つ。

 以前から保有している『超再生』で傷を癒しながら見遣る。面を上げた先には、黒褐色の肌に失われた下顎部から大脳を露出した脳無が聳えていた。ヒーローが周囲一帯に見られず、混乱に逃げ惑う人々を背にした怪物は、捉把へと視線を注ぐ。

 握力が強まり、胴体を締め付ける圧迫感が増して呼吸が苦しくなった。オールマイトでも苦闘した強敵である。自分も交戦経験があるからこそ、一筋縄では無い事を実感していた。この拘束を振り払うのも、ただの増強系の“個性”では不可能。

 しかし、今の捉把は以前とは違い、“己の力”に自覚がある。

 

「でも、あの時とは違う。――もう貰ったよ」

 

 捉把を捕らえていた脳無の右腕が、枯木の如く萎びれて行く。訝って小首を傾げた脳無は、次第に足にも力が入らずに前傾姿勢で倒れた。脳無の弱体化して細くなった五指をすり抜け、捉把は道路へと立つ。

 地面に倒れ伏して痙攣する脳無を睥睨し、頭部を踏みつけた。

 

「『筋骨発条化』、『衝撃反転』、『超再生』、『変容する腕』、『エアウォーク』……随分と面白い組合せだね。これだけの物を何処から誂えてくるんだろう。けれど、もう少し増強系が欲しかったよ」

 

 『“個性”の与奪』を自覚した捉把は、今や脳無から更なる力を供給される立場でしかない。幾ら蓄積しようとも、彼等と同じく思考能力の低下した人形となる事は無く、かの支配者と同様、様々な力を統べる為の精神力や性質がある。獲得した“個性”を確かめ、捉把は無表情で街の様子を見回す。

 騒動の中心は火の手の上がる場所。其処では複数のヒーローと思しき人間の怒声が響く。異常事態とあって混乱しているのは一般人に限らない。グラントリノは脳無の一体と交戦中だろう、彼の実力の真価は知れないが、少なくとも手合わせの経験から敗北する事は無い。

 現状での問題は、捉把に何が出きるか。避難誘導は既に警察が優先的に行っている。自分が首を突っ込む事態で無い事は容易に自覚できるが、脳無の出現と行動は看過など無理だ。

 

「出久くんと合流……!」

 

 捉把のスマホが震動する。

 取り出して確認すると、画面が罅割れていたが機能した。内容は一斉送信で位置情報が発信されたメール、送り主は出久である。

 捉把の現在地から遠くない位置、大通りから外れた路地裏の一画。騒動の起きている方向とは些か離れた場所に、意味も無く出久が他人を呼ぶ筈もない。常に考えて行動し、周囲を驚かせる成果を挙げてきた人物。

 脳無ほどの脅威ならば、数多のヒーローが交戦し、必然的に戦い易い大通りに追い詰める。現況からして、人目を避けて行動する敵と推測して相違無い。

 保須……脳無……飯田……眼鏡……インゲニウム襲撃――ヒーロー殺し!

 捉把はそちらへ急いで足を巡らせた。

 

「嫌な予感は、的中する……!」

 

 目的地まで翼を生やす。路地裏の中を繊細に気流を読み取って飛行し、位置情報の場所までの距離を省略した。

 間近まで迫り、一度屋上へと上昇して俯瞰した捉把は、一本の隘路に数名の影を認めた。

 翼を折り畳んで急降下し、腰の短刀を逆手に抜き放って構える。垂直落下で路地へ潜り込むと、炎の洗礼が地面を薙ぎ払い、一つの影が跳躍で捉把に接近した。その人物の武装を見て瞬時に判断し、短刀を振り下ろす。

 寸前で急接近を気取られ、携えた刀で受け止められた。至近距離で刃越しに二人は睨み合う。

 

「……ヒーロー殺し」

「……あァ、お前は」

 

 敵刃を弾いて着地するステイン。

 出久の傍へと捉把も降り立った。背後では倒れて動かぬ飯田と、左から炎熱を発する轟。

 

「皆で救けに来たよ、眼鏡」

「ぐっ……どうして、君達は……!」

「約束、破ったね……」

「……それでも……それでも……!」

「問答無用、次期委員長は私だよ」

「そんな約束、していない!!」

 

 短刀を構える捉把に、ステインが不愉快そうに顔を顰める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次ですね、判ってますよ、ごめんなさい、次ですよね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六話「ステーキをお預けされた気分」

 

 

 俊足ヒーロー・インゲニウム――飯田天哉。

 半冷半熱のヒーロー・ショート――轟焦凍。

 意外性1位のヒーロー・デク――緑谷出久。

 万能のヒーロー・グリフォン――空狩捉把。

 雄英高校にて爆誕したヒーローの卵は、其々がある緊急連絡の下に集った面子。意図を汲んだのは後者の二名。出久の発信した情報に従い現着したのは、クラスでも首位を争う猛者。

 

 焦凍は、左手に炎を滾らせながら待ち構える。足許に倒れた出久、飯田、負傷したヒーロー一名を保護し、凶悪な敵と対峙する。

 捉把は、レンズの罅割れた眼鏡を掛けた。

 右に短刀を逆手持ちにし、路地の闇を背に佇む凶影を見据える。全身に武装を施し、眼光はこれまで目にした敵とは比較にならない狂気を宿し、路地裏を凍てつかせた。手に駆る長物の刀からは、斬った人間の血が生々しく付着している。

 危ぶんでいた通りの光景が、現実として目の当たりにすりと滑稽であり、場に似合わず捉把は笑みを溢す。それが何よりも不愉快の種であったか、ヒーロー殺し――ステインの険相は更なる鋭さを帯びた。

 一悶着あった後であり、飯田もまた粛清対象。即ち殺害対象として、ステインに決定されてしまった。名ばかりのヒーローに意義は無い。人を救う事に対価が生じた時点で破綻し、凋落しているという主張。だから敵ばかりでなく、ヒーローもまた粛正されるべき範疇に及んでいる。

 人の救済以外を意図してはならない、命を賭して人々を守る事こそヒーローの本質。

 彼が説く言葉に、その思想に奇妙にも捉把は得心してしまった。私欲を優先する人間に、ヒーローとしての価値は無い。

 焦凍が否定の意を灼熱で伝える。

 路地を舐め上げる炎の舌に、ステインは跳躍して免れる。捉把は遅れて動き出し、壁を蹴って追うと、宙に上がった彼に向け、腰の雑嚢から捕縛布を擲つ。

 切り裂いて避けたステインへと、捉把は短刀を構えて躍り掛かった。空中で斬り結ぶ二人は、野蛮な金属音を響かせる。薄闇に幾度も火花を散らし、一閃が互いの急所を狙った。拘束の斬舞、至近距離で交わされる殺意の応酬に、益々確信を得るステイン。

 この少女――死柄木に見せられた写真にあった人物。相対して判明したのは、この矮躯の中に不相応のただならぬ悪意の塊が潜在している。ヒーローとは相反する性質を内包し、ヒーローという矛盾した立場にある事で拒絶・抑制した状態。一見して、間違いなく粛清対象の一人に相違なかった。

 驚かされるのは、この技術。

 十年間の鍛練を経る己の殺人術が並々ならぬ技量である事を自負しているステインに追随する。未だ手加減しているとはいえど、動体視力と反射のみで処した出鱈目ではなく、理を通した技術で迎撃していた。寧ろ、隙を見てステインの首筋に躊躇い無く絶命の一刀を浴びせんとする。

 ステインは横薙ぎに長刀を振るう。

 捉把が反り身なりながら蹴り上げて軌道を僅かに逸らすと、鋒は前髪を掠める程度に終えた。そのまま背転し、正面へと向き直る瞬間に下から短刀を衝き上げる。

 その腕の肘を踏み付けて停止させ、ステインは片手に同じく短刀を抜き放ち、逆手のまま振り下ろす――その手に抵抗感が掛かった。

 動かない腕に違和感を覚えて視線を向けると、捕縛布に搦め取られている。背転の際に仕掛けていたのだろう、短刀を握らぬ片手で捉把は操り、相手の次手を封じたのだ。

 しかし、戦闘の攻勢は互角に渡り合っていると思われるが、捉把こそ追い詰められていた。“個性”を『奪う』ことで無力化しようと考えていたが、その隙を与えてくれない。一手に二択三択を迫る戦闘、求められる判断は息つく暇も無い。――単純に強かった。

 体捌きや武器の操作、思考の処理……経験から成される手練は、完全に捉把の上位交換。技術で劣る彼女に太刀打ちの能う範囲は、限界を迎えようとしている。

 長刀で捕縛布もろとも捉把の右腕を切り裂いた。断たれた短刀を持つ右腕が空中を飛び、血飛沫を撒き散らし、片腕のまま捉把はステインの顎を蹴り上げて、空中を跳躍する。

 慄然とする仲間の感情を他所に、そのまま翻身し、手元に力を加えて捕縛布に捕らえたステインの腕を引き寄せる。先刻脳無から回収した“個性”――『エアウォーク』により、空中移動を可能にした彼女は、土壇場で操作を弁えて戦いに用いた。

 更に加え、『筋骨発条化』、『膂力増強』で捕縛布を手繰る腕に弾性力、そして単純な力の増幅を施す。ステインは己を捕らえた武器が驚異的な力で引っ張られたと理解した一瞬の後、壁面へと盛大に叩き付けられる。

 壁に激しく体を打ち付け、小さく呻くステイン。相澤直伝で叩き込まれた捕縛布の操作技術。“個性”を二つ同時発動した判断力を除き、礎に師承したモノがある。相手に手を読ませず、奇抜に迅速に捕らえる。そして何よりも精密に強固に摑む為に特化した秘伝の技だった。

 

「――操縛布+“個性”付加」

 

 相澤に依る鍛練の成果が実戦で有効活用できた。更に、グラントリノとの鍛練もまた活きている。あの高速移動の相手に対し、愚直に動体視力で捉えようとするのではなく分析と予測で対応する思考が育まれた。そして空中での身体の捌き方は斬り結ぶ時や『エアウォーク』でもまた、彼が参考になっている。

 捉把は『超再生』で回復した右腕でも捕縛布を確り摑んだ。安堵する仲間へと、無表情でウインクを決めた。些か絵面が奇妙ではあったが、彼女の働きにヒーローが賛嘆の声を上げている。

 焦凍には“個性”で捉把の『空間』と同様に、仲間が至近距離に在る事で完全に動きを封じてしまったが、ステインを捕縛布で捕らえた。氷結で固めてしまえば、もう動けはしない。しかし、全身武装――拘束された際を想定し、対処法としてまた別に武器を仕込んでいるに違いないのだ。

 解かれるのも時間の問題である。

 

「今だよ焦凍、奴が――」

「認めよう。お前は強い、が――それだけだ」

 

 長刀に付着した捉把の血を舐め取る。

 その瞬間、捉把の体内で血液が滞るような感覚、虚脱感が襲い掛かり、全身の筋肉が緊張して一動作すら発せずに固まる。凝然と動きを止めた後に地面に落下した捉把の様子に、出久は己の失念を悔いた。現場に駆けつけた仲間に情報伝達を怠ったのは、己の失態であり油断だ。

 ステインが長刀で斬り掛かる寸前に、両者の間へと氷壁が立ち上がる。退いて再び路地に立ち、凶器を振り翳す影へと焦凍が両手から其々の力を発動する。

 ステインの能力による被害で、三名が行動不能。一時的なものか、或いは彼の任意の下で解除されるまでが有効時間かは不明。しかし、焦凍以外の全員が動きを封印されてしまった今、間違いなく窮地にある。

 捉把を氷結と炎熱を応用して自分の傍へと回収し、ステインへ牽制の火炎を放射した。

 

「気を付けて!恐らく“個性”は血を経口摂取する事で発動する!僕や飯田君も、その効果にやられてる!」

「出久くん、それは早く言って欲しかったな。これでは目前のステーキをお預けされた気分だよ」

「成る程、だから刃物か。俺なら距離を保ったまま」

 

 ステインが短刀を投擲する。

 焦凍は顔を横へ煽って避けたが、頬を浅く裂された。流石はヒーロー殺しの異名を得る者、相手に安堵させる隙を与えない。彼に血を見せてはならず、意識を弛緩させる事も許されない。

 一瞬の戦闘で手の内のすべてを曳き出させる様な気迫と殺人能力に、焦凍は冷や汗を掻きながら応戦する。火炎と氷結を織り混ぜた戦術で牽制し、相手を着実に追い込むのが彼の戦法。しかし、接近させず制圧する事を極意としており、強力ゆえに自身が無防備になり易い。ステインに至近距離まで詰め寄られ、何度も危うい場面があった。

 それでも尚、戦いを止めない。

 足許では飯田が震えていた。

 

「何故…君達は…何故だ…やめてくれよ!兄さんの名を継いだんだ……僕がやらなきゃ、そいつは僕が…!」

「継いだのか、おかしいな。俺が見たことあるインゲニウムは、そんな顔してなかったけどな。お前ん家も裏で色々あるみてぇだな」

 

 焦凍が展開した巨大な氷壁が切り捨てられる。

 捉把もまた参戦しようとするが、体が動かない。出久は必死に全身に力を入れて動く部位を探り――ふと、指先が微かに動いた。そこから緊張感が緩和して行き、全身へと血液、体内のモノが循環する感覚が広がった。

 ステインが焦凍の戦術を嘲る。

 

「己より素早い相手に対し、自ら視界を遮る……愚策だ」

「そりゃどうかな――ッ!!」

 

 炎を蓄えた左手に、投擲用の小型ナイフが連投されて命中、鋭い痛みに動きを止めてしまう。

 彼の頭上を越えて、背後に庇ったヒーローへとステインが飛び掛かる。直下に長刀の尖端を翳したまま落下していた。焦凍に生じた一瞬の怯み、そこを衝く。もはや彼の攻撃も間に合わない。――まずは一人。

 ステインの血濡れた確信、それを妨害すべく横合いから壁面を蹴り上がった出久が忽然と現れる。その襟巻きを摑んで、壁に叩き付けながら引き離す。行動不能に陥った筈の出久が復調した。その状態変化に驚く地面に転がった三名。

 捉把は分析を始めた。

 自分は斬られて間も無い。飯田やヒーローは反応を鑑みるに、出久よりも先に“個性”の毒牙に掛けられたと察する。問題は、その効果がステインの任意ではなく、明らかに、有効時間は何かに起因して差異が生じる。

 考察から挙げられる要素は三つ。

 一度に発動する人数によって薄弱となる。

 相手からの摂取量。

 そして――血液型。

 出久もまた同じ分析を既に為しており、轟へと伝達する。すると、ステインが笑った。どうやら正解を得たらしい。

 しかし、解したところで現状改善には繋がらない。

 焦凍の氷や炎を十全に回避する反応、負傷者を移動させる隙は無く、ヒーロー到着まで行動可能となった二名による死守が最善と判断される。

 出久は自らが近接戦で注意を引き付けると申告し、焦凍による掩護を要請した。実際に立ち合い、理解したのは二人の連携で倒せない位階の危険な相手。救援のプロヒーローが現着するまで、この状況で耐えるしかない。

 

「守るぞ、二人で」

「二人か……甘くはないな」

 

 出久が“個性”を発動して肉薄する。

 その背を見詰めながら、焦凍は苦笑していた。

 理想、憧憬、目標の形を忘れ、自らの心理的視野狭窄を招いていた遠因は、父親を継承した“(ひだり)”を厭うた事。

 飯田を見た時、彼は悲痛な共感を得ていた。怨恨や憎悪に支配された人間が、如何なる道を歩むか。

 自分は体育祭で出久に諭された――たった一言で。それに従い、罪悪感と恐怖に途方も無く延長していた母との面会を果たせたのだ。目指したいヒーローの話、クラスメイト、これまでの己の諸行やその他の事を話せば、母は赦した。涙を湛えて喜んでくれた。

 その姿を、言葉を受けた途端――己の枷となっていた呪縛は呆気なく消滅する。視点を変え、もっとヒーローを目指そうと志す為に、憎きエンデヴァーの事務所を職場体験に選択したのだ。

 幾ら傲岸にして悪と見なした父も、現場に立てば本物のヒーロー。相棒などを正確に統御し、事件解決までの手順も尊敬するしかなかった。

 ただ、簡単な事である。それさえも、憎しみで気付かせて貰えなかった。今、形は違えど同じ道を歩まんとする飯田を見て、心底から救けたいという一念に駆られる。

 

「ぐあッ!!(さっきと動きが――!)」

「くそ……ッ!(格段に違ぇ!!)」

 

 俊敏に動き、撹乱を意図する出久を素早くいなし、その脚を斬り付けるステイン。その凶相に宿る感情が更に苛烈さを増した。

 ヒーロー殺しとしての殺意で出力(ギア)を上げた。出久が再びステインの毒牙に嵌められ、動きを封殺されて地面に転倒する。

 捉把は漸く動き始めた体を起こす(彼女はO型だゾ!)

 血に濡れる二人の戦う姿に、飯田は未だ涙を流し続けた。何が――ヒーローだ……!

 自分の為に友が無駄な流血を、傷を負う。そんな事をさせている己に忸怩たる感情を覚える。二人は誰よりも立派なヒーローとして、自分を守っている。……自分もまた、彼等と同じ土俵に立ち、人を護るべき存在なのに。

 

「眼鏡……立とうよ!」

「どうして……やめてくれ……僕は……僕は……!」

「やめて欲しけりゃ、立て!!

 

 

 なりてぇもん――――ちゃんと見ろ!!」

 

 その一言に、飯田の脳裏に甦った自分の声。

 

 ――『インゲニウム』、貴様を倒すヒーローの名だ!

 

 

**********

 

 

 兄は、飯田が小さな頃から立派なヒーローだった。

 数多くの相棒を従える、幼少期から傍にそんな存在がいれば、憧れてしまうのは必然。

 曾て気紛れに問い糺した時、「モテたい」という不純な動機を告白した彼だったが、半分程度だった事に安心した。

 もう半分――残された動機は、祖父の代からヒーロー業に勤める事が一家の慣習の様になってしまっていた。世間からの声を聞けば、それはさも当然と云われてしまうだろう。

 しかし、兄は違う答えを呈示した。ヒーローを務める意義として、己自身に課した使命。たった単純な事、迷子の子供の手を優しく引いて連れて行くような姿こそ、カッコいいと。

 当時の自分と比較し、優秀な僕に認められる――そんな自分は凄いヒーローか、と納得する彼に僕は堪らなく嬉しく、そして誇りに想った。

 

 お前の言う通りだ、ヒーロー殺し。

 僕は彼等とは違う、未熟者だ。憎しみを優先して、今最も大事なモノを見失っていた。兄が守りたかった、そして己が志した夢、憧れた形を無駄にして、ただの復讐者に堕ちてしまうところだった。

 もう、ヒーローとして情けない姿を晒している。

 

 それでも。

 だから、だからこそ。

 

 

 

 此所で立たなければ――僕は彼等にも、兄にも追い付けなくなってしまう!!

 

 

 

***********

 

 

 出久が倒れて直ぐ、牽制の連撃を放っていた焦凍よ内懐へ踏み込むステイン。鋭い一閃、されど手加減。

 自他共に認める桁違いな実力に、焦凍は悪態をつく。

 

「化け物が……!」

 

 長刀が振り抜かれ、焦凍を切り裂かんとする。必中不可避、深く抉られて行動を阻害され、“個性”により完全に硬直してしまう。そうなれば、背後の三名を守る者は居ない。

 しかし、焦凍の背後から突如として太い刎頚刀(ギロチン)が猛然と直進し、胴を斬る寸前にあるステインの長刀を破壊した。瞠目する二人が振り返ると、肘から下を黒くして伸ばす捉把が居た。

 これもまた、脳無から奪いし“個性”――『変容する腕』による伸縮自在の特性を利用し、焦凍まで届かせる。更に持ち前の『武装化』にて指先を刎頚刀に変換、伸長する腕の突進力を加えた武器で、長刀を正面から叩き折った。

 捉把は眼鏡を外して不敵に笑う。

 ステインは更なる驚愕に、長刀を持つ腕で頭を庇った。それは正面から更に高速で接近する白影――インゲニウムの復活した姿である。

 

「行け……委員長!」

 

 捉把の一声、皆の意思と、新たな決意を胸にし、唸りを上げる脚がステインを撃ち抜く!

 

「レシプロ――――バースト!!!」

 

 

 

 

 

 

 




もう少し上手く書けた気がする。

次で頑張ろう、よし次!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七話「白飯は万能じゃないんだ」

 中程で叩き折られた刀の破片が四散する。

 

 委員長――天哉が高速滑走の勢いを乗せて振り上げた蹴撃と捉把の掩護により、ステインの凶刃が破壊された。彼は武器を破損した敵へ、追撃に体を回転させて強烈な回し蹴りを見舞う。

 如何に重量の低い物であっても、その欠点を補う速度で加速した場合、一撃の重さは強くなる。脚部を武装した天哉が、更に加速体となって相手を攻撃すれば、破壊力は高い。

 ステインは反射神経で腕を掲げ、高速で迫る天哉の臑を受け止めたが、骨まで届く衝撃に後方へと後退りした。

 私怨に身を委ねて接敵した時とは段違いの速さに、僅かながらに目を見開く。途中から乱入した複数“個性”持ちの二名、実行力と学習力の高い“増強型”。

 平凡なヒーローが数を増すだけならば幾らでも処し易いが、難物ばかりが現場に蠢いている。ステインは舌打ちし、折れた刀身を一瞥した。

 

 天哉の復活に安堵する面々。

 捉把は伸長した腕を戻し、その場で体の塵埃を払い落とす。ステインの“凝血”の有効時間が経過し、体に活力が回復した。

 その“個性”は一騎討ちならば、かなり厄介である。練磨された殺人術は回避でも苦慮する上に、僅かな負傷でも相手に血を舐め取られたなら即座に行動不能に陥る。殺害のみを意図するステインと対敵し、動かない事は即ち死を意味しており、自分達が間に合わなかった場合に天哉がどうなっていたかを想像すれば、全員の背筋が凍る惨劇しか浮かばない。

 捉把は短刀を両の前腕に犀の頑丈な皮膚を武装する。

 ステインの腕力は“増強型”で強化した物でないのなら、岩を砕く威力には届かない。つまり、銃弾すら防いでしまう犀の頑強さならば防刃の役割を果たし、“個性”の脅威には晒されたいのだ。

 既にステインは劣勢にある。

 出し惜しめば、逃走も敗北も許してしまう。

 体力消費を顧みない捉把は、その場で“領域”を展開した。

 

「もう、これ以上は君たちに血を流させない」

 

 天哉の決然とした、しかし悲痛な声音が路地裏を満たす空気に伝播した。

 ステインの眉間がより険しく皺を刻む。どう足掻いても彼にとって、真のヒーロー社会を汚す害悪として天哉が映し出されるのだろう。標榜した己の主義を捩じ曲げる可能性すら見いだせない敵には、従前通りに死を与えるのみ。

 手中の破壊された長刀を回旋し、ステインは地底から響き渡るような低い声で応えた。

 

「感化され取り繕うと無駄だ。人間の本質はそう易々と変わらない。おまえは私欲を優先させる贋物にしかならない!“英雄(ヒーロー)”を歪ませる社会のガンだ。誰かが正さねばならない」

 

 その場の人間を圧する重厚な殺意。

 対峙した全員が皮膚で感じ取り、思わず口を閉ざしてしまいそうになる。口答えは己が首を絞める行為にしかならないのだと、言葉になく伝わる。

 それでも、焦凍は臆さずに反駁した。

 

「時代錯誤の原理主義だ。飯田、こいつの言葉に耳を貸すな」

「そうだよ。白飯は万能じゃないんだ、ヒーローに期待するくらいなら、自分がヒーローになって体現すれば良い話だからね」

「いや、言う通りさ。僕にヒーローを名乗る資格など……ない。それでも……折れる訳にはいかない」

 

 天哉は真っ向からステインと向き合う。

 否定されて、認めても譲れない部分を主張して。

 

「俺が折れれば、インゲニウムは死んでしまう」

「論外」

 

 焦凍が隙を見て業火を放つ。

 路地裏が明るく証明され、ステインの立つ位置を焦がした。命中したかと目を凝らしたが、やや上方に不吉な暗影が揺蕩う。

 慄然として見上げれば、炎熱から逃れて高い壁面に長刀を刺し、固定された柄を足場に立つ殺意の塊がいた。仕留め損なったと唇を噛むが、相手は殺人の為に幾度もヒーローと衝突し、戦闘経験も豊富な敵である。

 その打倒は容易ではない。

 ステインが腰から一本の短刀を擲つ。

 焦凍めがけて撃った凶弾が危うい銀の光に濡れる。

 命中を予測して身を固めたが、焦凍に命中する寸前で割って入った天哉の右腕を貫く。

 捉把が“領域”の内部にステインが居るのを確認し、その隣へと自身を瞬間転移させる。距離の長短を度外視し、時間にも縛られない移動を為す。

 驚愕したステインを横合いから殴打せんと腕を振り出したが、間一髪で回避されて靡いた服の裾のみを掠める。咄嗟の反射速度も並みではなく、捉把は戦慄した。

 攻撃が空振り、無防備になった彼女の腹部に深々と長刀が突き刺さる。

 

「ぐッ……“凝固”!」

「何……!?」

 

 皮膚を突き破った刃から飛び散った血が凝固する。

 “領域”内部に存在する物質は、普く総てが捉把の思い通り。体内から出た血も、路地の隅に落ちた塵の一粒まで操れる。

 血が固形物となった事で、舐め取るという経口摂取では“個性”の発動条件が満たされない。噛み砕けば別だと顎を開くステインだが、その前に捉把が蹴りで宙へと突き放す。

 体勢が崩れた相手へと手を伸ばすように、捉把は彼へと掌を突き出した。

 

「――空間“固定”」

「ぐっ」

 

 ステインの体が中空で凝然と固まる。

 空間もろとも体を“固定”された彼は、腕どころか指先に至るまでの細部でさえも拘束された。身動きの取れない敵の前で、捉把は吐血しながら落下する。

 直下へと落下した彼女は、一瞬でも敵の隙を作る為に意識を繋ぎ止め、“固定”の解除時間を延長した。ここで倒さなければ、まだ戦闘経験の浅い自分達は負けてしまう。

 地面に叩き付けられる衝撃を予想し、身を強張らせた捉把だったが、二本の腕に受け止められて事なきを得る。驚いて振り仰げば、“凝血”から復帰した出久が痛みで顔を歪めながらも微笑んでいた。

 ゆっくりと捉把を地面に寝かせ、頭上のステインを睨め上げる。

 

(二回――轟くんが作った氷と壁を足場に二回踏み込む。……行けるか?)

 

 出久は自分の足を見下ろす。

 先刻の攻撃で深く抉られ、サポーターに血が滲み出していた。今からでも応急処置を施す必要があるが、目前の敵は全く容赦しない。

 捉把が作り出した千載一遇の機を、最大活用して勝利する。

 攻撃の為に痛み、負傷、損耗への不安は不要。

 ただ一点に精神を集中させ、傷の痛みを忘却する。

 

(いや、今は――――!)

 

 その後方では、天哉もまた同様に自らの足を見下ろす。

 奇襲のレシプロバーストの持続時間が終了を告げようとしている。排気筒から断続的に噴く音がその報せであった。冷却装置(ラジエーター)の故障かもしれない。

 一定以上の熱を発してしまうと、脚部の装置が破損してレシプロバーストが使用不可になることは承知しており、その上での奇襲だったが、今もまだ求められている。

 ここで畳み掛けねばならない。

 冷却装置の役割を補える装置(バッファ)があれば――天哉は周囲を見回し、焦凍へと視線を留める。

 

「轟くん!温度の調節は可能か!?」

炎熱(ひだり)はまだ馴れてねぇ!何でだ!?」

「俺の脚を凍らせてくれ!排気筒は塞がずに!」

 

 焦凍は炎熱での攻撃を中止し、天哉の足に両手を付けた。

 排気筒以外を冷気が覆い、脚部の武装の表面が凍り付いていく。排気筒からの噴気が再び活力を取り戻す――レシプロバーストの再発動状態が整った。

 肩の負傷で既に左腕は動かないため、無理やり口で右腕の短刀を抜く。

 

(腕など捨て置け!俺には遣るべき事がある!)

 

 天哉の脚の排気筒から一層烈しい噴気が始まった。

 いちど身を屈め、発条の様に飛び上がる。焦凍からは瞬間移動にさえ思える速度であり、路地から天哉の姿が転瞬の消滅を起こす。

 空中で固定されたステインは、この状況を如何に脱するか思量を巡らせていた。このままでは最大火力で狙い打たれてしまう。

 その危惧に焦燥の情念が燃え上がった時、左右に躍動する影が出現した。翠の電気を帯びて拳を光らせる少年と、腕からの流血を無視して脚を振りかぶる天哉。

 生かす価値があると認めた希望(ヒーロー)と、論外だと否定した贋物(ヒーロー)の挟撃。

 

(今は――)

(今は――)

 

 見上げる二つの視線は、同時に笑った。

 

「――行け」

「やっちゃえ」

 

 両側から顔面と横腹を抉るような迫撃。

 拳撃に意識が吹き飛び、蹴撃に内臓が震撼する。

 嘗てない凄まじい二連撃に血反吐が口腔から溢れた。

 

     拳が、

((今は――   あればいいッッ!!!))

     脚が、

 

 ステインを仕留める一撃が決まった。

 捉把はそう確信した途端、意識が遠退いた。

 

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

 捉把が目を覚ましたのは、焦凍の背中だった。

 ステインと戦闘を繰り広げた路地裏から移動した場所に移動しており、街灯の光が届く広い路に出ている。全身が重いのは、“個性”を二つ同時に発動した所為だろう。敵の身動きを止める事に意識を割いていた所為か、平生の再生能力が衰えて出血量も多かった。

 今はまだ回復の途上にあると思えるが、いつもより遅い。関節には枷が付いたように体が懈く、今は焦凍に身を委ねるしかなかった。

 

 礼を言おうと顔を上げたところで現状の不思議を悟る。

 駆け付けた複数人のヒーローが路地を慄然と見詰めている。焦凍の視線もそちらに固定され、いつしか合流したエンデヴァーもまた、同じ方向に冷や汗を掻いて後退りした。

 何事かとその先を視線で追えば、そこにヒーロー殺しが立っている。片手に出久の裾を摑み、血に濡れた刃物を翼のある脳無から引き抜いた悍しい姿であった。

 ただ恐怖するしかないその姿が、ゆらゆらとこちらへ体を向けて歩み出す。

 

贋物(にせもの)…――」

 

 ステインと視線が合った途端、一同に乗しかかる謎の圧迫感。冷や汗が止まらず、体温が急激に引いていく。呼吸すら難しく、心臓は強く握りしめられたかの如く不自然な早鐘を打った。

 脚が震えて退く者、その場に膝を突く者となる。

 ステインが歩むと、目前から巨大な闇が広がるような錯覚に陥り、鼓動はますます加速した。

 

「正さねば……誰かが、正さねば……本物の“英雄”を取り戻さねば……!!」

 

 その中で、捉把には見え方が違った。

 どこか、オールマイトとは異なる輝きを放っている。惹き付けられる、心臓が不思議に高揚で高鳴る感覚に目が離せなくなった。

 近づく毎にステインの姿が尊く、眩く映える。

 

「来い……贋物ども……!

 

 

 

 俺を殺していいのは――“本物の英雄(オールマイト)”だけだ……!!」

 

 迫力に負けて、一人が座り込む。

 エンデヴァーでさえもが、顔を蒼白にして踏み込むのを躊躇っていた。背負っている焦凍の体から震えが伝わり、捉把は意識が引き戻される。

 何を、見とれていたのか――?

 

 不意に一人が気づく。

 

「あいつ……気を失ってる……」

 

 ヒーロー殺し――ステインは沈黙していた。

 白目を剥いて、立ったまま失神している。

 彼の気迫も途切れ、皆の呼吸が自由になった。彼の“個性”の毒牙にもかけられていない者も、何故か漸く得た解放感に安心する。

 

 後に、ステインは既に折れた肋骨が肺に刺さっていたという。新インゲニウムこと天哉の一撃が決定打だったが、既に意識を失っても不思議ではない重傷である。

 しかし、それでもなお彼は立ちはだかった。

 意識を無くしても、そこに敵を見出だして戦場へと歩み出したのだ。

 彼だけが――何かと戦っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回、職場体験というのみの目的で現場に居合わせ、戦闘を行った生徒四名は警察により被害者となった。現場到着したエンデヴァーがステインを拘束したとして世間に報じられ、事件の真相は当事者でも一部のみしか把握しない事とされる。

 彼らを管理していたヒーローは半年間の減給と教育権の剥奪。かなりの痛手であったが、誰もがそれを気にする状態ではなかった。

 あのステインの発する気迫と、ヒーローに対する理想の重さ、イカれた執着心を直接目の当たりにして、日常を過ごせる訳がない。

 

 入院を余儀無くされた三名とは違い、既に退院している捉把は三人への見舞品を容れた袋を抱え、病室までの廊下を歩んでいた。

 その隣を杖を突くグラントリノが並ぶ。

 意気揚々と歩む少女は、果たしてステインの影響を受けていないのか。

 

「おい、小娘」

「ん、鯛焼きのことは謝るよ」

「また食ったんか!」

「温かい内に食べないと損だよ」

 

 己の罪を認めながらも反省の色がない彼女は、やはり平時のままだった。

 事件から少しして復帰した彼女は、いつの間にか髪色が薄紅色に戻っていた。以前を知らないグラントリノとしては、仮にも職場体験中に何事かと憤慨したが、雄英からの説得があって収まった。

 心身の変化が激しいこの少女は、幾度も危地に晒されて、過去の陰惨な出生を漠然とながらも知り、ヒーローと敵の狭間を曖昧に移ろっている。

 グラントリノは嘆息すると、廊下の先にある一室を見詰めた。

 

「おまえさん、ヒーローになりたいかどうかを見定めたいとか言っとったみたいだな」

「……ん、そうだね」

「で、どうだ?」

 

 グラントリノの真剣な眼差しに、一瞬だけ視線を返す。

 捉把は立ち止まって袋の中の林檎を取り出した。

 指先の上で器用に回転させ、首を傾げる。

 

「益々、判らなくなった。

 ステインの行動が理解できる、その信念も。私が以前から抱いていた疑問の解答を一つ呈示する人物だった。今のヒーローが本来の役割を忘れているのは……納得しちゃった。

 そこで、私がそれを否定して真のヒーローを体現すべきなのか、それとも敵側に立ってヒーロー界を原点へ回帰させるべきなのか」

 

 グラントリノは立ち止まった彼女の顔を見た途端、背筋に冷たい刃物が押し付けられたかの様な感覚に陥る。

 捉把の顔は――表情が抜け落ちた人形の様であり、前にも増して崩れてしまいそうな儚さを思わせた。脅威と正義、どちらに転じるかとも判じれない、危うい姿形である。

 

「だから……もう少しだけ、時間が欲しいかな」

 

 捉把は再び歩き出した。

 グラントリノはその背中を見送る。

 

 ただ、それしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 

 

 病室に来た捉把は、何故か元気な様子の面々を見て小首を傾げた。

 天哉の腕の分厚い包帯については、既に聞き及んでいる。後遺症の残る深傷であり、今後の生活にも軽微な支障が出るかもしれない、という。

 しかし、その暗い報せを思わせぬ程に明るい天哉は不気味だった。

 

「私が委員長になったからって、責任から逃れたのがそう嬉しかったのかな?」

「待ってくれ空狩さん!?俺は君に委任した積もりなどまったく無いのだが!?」

「でも眼鏡を渡してくれたでしょ」

「それも身に覚えがない!!」

 

 捉把は机の上に見舞いの品を置く。

 皿を取り出した後、果物ナイフで林檎の皮を剥いていった。

 その手慣れた手つきに全員が注視する。

 

「空狩さん、上手いね」

「うん、轟家で花嫁修業をしているから。許嫁だしね」

「はなッ!?」

 

 捉把の冗談に二人が驚倒する。

 身を翻し、焦凍へと視線を募らせた。

 彼もまた、彼女の突飛な発言に面食らって言葉を失っていたが、やや間を置くと真剣な面持ちになる。

 

「クソ親父からも一応、一応許可を貰った。……捉把が望むなら、俺も受ける」

 

 硬直した出久と天哉。

 よもや彼からそんな事を口にする日が来るとは。まだ交流して二ヶ月程度ではあるが、それでも彼の色恋沙汰は全く予想だにしていなかったのだ。

 二人は暫し沈黙した後、捉把へと振り返る。

 そこには――……。

 

「……冗談です。ごめんなさい……」

 

 耳を真っ赤にし、段々と小さくなる声で敗北(ギブアップ)した彼女が応えた。

 

 その反応に、いつも悪戯を受けていた焦凍は満足げであった。

 

 

 

 

 

 




次回は、あれっす。
水着回になると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四章:空狩少女の林間合宿
一話「海辺のかき氷って初めてなんだ」


 燦々と光る太陽に照りつけられた海。

 広大に拡がる第二の蒼空とも呼ぶべき景観に人々が集まり波飛沫と戯れる景観は、夏の風物詩とも呼べる。海が自身の生息する陸地とは異なり、危険である事を知りながらも人々が惹き付けられるのは何故か。

 熱される大気と大地と比して海の水温が丁度良い塩梅になるからこそ、遊び場として求められるのだろう。

 人間の文明に深く関与してきた海は、太古から貴重であり危険と認識されており、それは不変の事実として現代にも生きる。

 故に――年頃の遊び盛りたる少年少女が汀に引き寄せられてしまうのは必然の理。

 

 

 空狩捉把(そらがりそくは)は、身の丈に合わないパーカーを着て海水浴場にいた。下は水着だけなのだが、同伴者から着替え前に何度もこれを着用して出てくるよう注意され、仕方なく着ていた。

 日射による日焼けを防ぐ為としてと納得しているが、正直な気持ちを申せば、日焼け止めを施せば然したる脅威では無い他に、そもそも日焼け自体を嫌っていない(というよりも気にしない)彼女は、煩わしい装備だった。

 しかし、そうすれば――隣から爆撃を受ける。

 横では海水浴用の浮き輪などの諸々道具を揃えた勝己が並び立っている。前身頃の肌蹴たシャツと水着パンツの彼は、顰めっ面で海を睨む。

 その威圧感だけで周囲に居る人間を制しているが、そこかしこで彼の容姿に惹かれた女性がいつ進み出るかと機を窺っている。

 なぜ勝己と共に海水浴に興じているか……事の経緯は複雑であった。

 

 

 先の職場体験にて、捉把が危険であるとグラントリノより報告を受けた相澤は、誰よりも早く職場体験の課程から切り上げさせた。

 出久の退院も待たずに出る理由について疑念を持った彼女を無理やり納得させ、誰よりも早い期末試験を実施。筆記自体はクラス一同であったが、実技に関して捉把は弱点らしき部分が無く、結果として一人のみでの挑戦となった。

 形式は後にクラスで行った試験内容と変わらないが、もう一つの目的があって教師が目を光らせていた。

 捉把の中に悪性があるか否か。

 オールマイトの管轄などで、(ヴィラン)の性質が見受けられた場合は休学も有り得たが、彼女は通常通りで試験を突破した。

 突飛な試験に些か面食らっていた捉把には明かさず、結果からはヒーローと敵の比重は六と四。

 

 試験結果から、筆記を残し期末試験を早々に終えた捉把は誰よりも先に夏休みを堪能した。尤も、轟家での花嫁修業に続き、偶然にも休暇が入って帰宅したエンデヴァーによる稽古で自由らしき時間は無かったが。

 

 皆が無事に終えたと知り、試験結果も合格の通知を受け、林間合宿への準備に思いを昂らせていた捉把の所へ、連絡が入って来た。

 

『テメェ、飯食ってんのか?』

 

 勝己からのメールが久々に感じる。

 轟家の世話になってから、食生活などが一新されており、不健康な循環は改善された。それは既に勝己も聞き及んでいる筈であり、彼がわざわざこんな事をメールで聞いてくる訳がないと推考する。

 捉把は文面に目を細め、それを自分なりに訳文した。

 

『テメェ、飯食ってんのか?』

     ↓

『貴女はいま、元気にしてますか?』

 

 そうか――成る程。

 轟家への移動、そして職場体験が重なって勝己との交流も薄くなっていた。中学から続く仲とあって、捉把としては大事にしたい人物の一人である。

 クラスメイトとは隔離されて何週間かを過ごした捉把は、メールではなく通話に望んだ。

 

「もしもし、勝己くん」

「飯、食ってんのか?」

「うん、元気だよ」

 

 相変わらず不機嫌口調だが、懐かしさに捉把は心が温かくなる。

 

「…………」

「勝己くん」

「ンだよ、用があるならさっさと話せ」

「今度さ、一緒に遊ぼうよ」

 

 勝己の長嘆が電話越しに聞こえる。

 この反応は、満更でも無い時の彼の徴候。普段はこちらが誘えば撥ね付けられてしまい、一方的に彼に引きずり回されるのが通常だった。

 だからこそ、今回の自分の提案に少なからず同意の色が見受けられる彼が微笑ましい。

 

「こっちは期末で暇じゃねェんだよ」

「それにしては通話応答が早いけれど」

「うるせェ、半分野郎の家で退屈してねェんだろ」

 

 ふと投げ遣りな勝己の応答。

 これは如何なるものか、捉把は黙考した。

 

「……勝己くん」

「あァ?」

「もしかして、嫉妬してるのかい?」

「テメェの脳内花畠はまだ治ってねェのかよ」

 

 捉把は手応えを感じて頷いた。

 

「勝己くんと遊びたいんだよ」

「忙しンだよ」

「あの爆殺卿ともあろう人物が、私が合格した期末試験に準備をして挑まないと合格が危ういと」

「あァ!?やったるわ、余裕で合格し殺したるわ!!予定の空いてる日を言いやがれカス!!」

 

 単純なのも相変わらずだ。

 捉把はスケジュール帳を展く。

 

「じゃあ、貴方が期末試験を無事に突破したら、ご褒美に遊んであげよう」

「何様だテメェ」

「ん?もしかして不安――」

「上等だコラァッッ!!!!」

 

 一方的に通話を切られた。

 

 結果的に彼は合格し、皆が買い出しに行く中で二人で海水浴場へと行く事になった。なぜ海水浴になったかは、捉把も勝己も判っていない。

 しかし、提案したのは勝己の母こと光己である。

 二人は水着やその他の道具を準備し、バスを幾つか経由して出発した。

 

 

 

 

 

 

 ――そして今に至る。

 

 捉把と勝己は適当な場所を決めてパラソルを立て、シートを敷いた。

 この海水浴場は入場料金を払えば、飲食し放題。尤も、その分だが入場料金が高価であるものの、光己がペアチケットを入手していた事で、半ば無償のパラダイスと化していた。

 貴重品などはコインロッカーに預け、最低限の荷物を配置する。

 捉把は準備の完了を見届けると、パーカーを脱いだ。

 

「おいッ、てめ……」

「何さ、さっきから」

 

 時既に遅く、捉把の生肌が露になる。

 中学三年後半から急激な成長を遂げた肢体の全貌がそこにあり、紐で結ばれたタイプの黒い三角ビキニに包まれた胸部などは目を瞠るものだった。

 豊かな曲線を描き、肌理の細かく白い肌が浜辺の砂よりも眩しい。惜し気もなく晒されたそれは、女性からは羨望、男性からは好奇の目を引き寄せる。

 薄紅の髪はやや左でポニーテールにし、左こめかみから流れる汗や首筋が艶麗な匂いを人の鼻先に漂わせた。

 

 危惧していた通り、パーカーという武装を解除した途端に近辺の男性が感嘆の声を上げる。

 元より秀逸した容貌の彼女に目を付けていた者としては、期待以上の姿だった。

 目前でこちらの顔を覗こうとして前屈みになった姿は、勝己としては目の毒にしかならない。

 

「光己さんに選んで貰ったんだ」

「あンのバッバァ……!!」

「似合うかな?」

「見苦しいわアホ!とっととしまえや!!!」

「ん……そんなに、変だったか」

 

 捉把が自分を見回した。

 無表情に変わり無いが、そこに少し影が差したのを勝己も察する。光己に勧められたのもあるが、やはり彼女としては自信を以て披露した水着なのだろう。

 気遣いとは縁遠い勝己も、居たたまれなくなる。

 周囲で接触の機会を見計らう男達に片っ端から牽制の睨みを利かせ、暫し逡巡した後に捉把の脱いだパーカーを拾う。

 その顔に嘲笑を作り、鼻で嗤って見せた。

 

「ハッ!馬子にも衣装ってヤツだろうな」

「…………」

 

 捉把は彼の顔を注視した。

 嘲りにしては、顔を逸らしている。耳は赤くなり、上げられた口角は不自然にひくついていた。

 そこに素直になれない感情があるのだと思い、捉把は微笑する。

 

「褒めてくれてる、んだよね」

「テメェ耳がイカれてんだろ」

「――ありがとう」

 

 捉把は勝己の顔を両手で挟み、自身に引き寄せる。

 前傾姿勢になった彼の額に口付けした。

 

「貴方なりに頑張ったご褒美だよ」

 

 舌打ちした彼が暫く無視を決め込んだが、強引に日焼け止めクリームを塗らせた後、海へと手を引いて駆け出す。所々で上がる男達の怨嗟の声も、波打ち際に近付けば潮騒に掻き消された。

 勝己を連れて水との戯れで二時間も興じた。

 峰田や上鳴がいれば、羨望の血涙を流していたところである。

 勝己本人もまた乗り気ではなかったが、彼女の挑発などもあって戦闘じみた気勢で対応し、退屈のしない時間となった。

 

 

 一頻り遊んだ二人は、海の家にて休憩していた。

 カウンターでの混雑に巻き込まれるのを厭う勝己だが、捉把には待機指示を下した。彼女は勝己の帰りを待って、テラス席の一つを占有している。

 勝己からの注意で再びパーカーを着たが、捉把自身は彼の意図に気づいておらず、また男性の視線はパーカーで隠しても集まる一方。

 退屈を紛らわす為に周囲の景観を見回す。

 外に陳列する露店の中にはグッズ売り場があった。

 そこに集る子供達は、誰もがオールマイトなどのヒーローグッズを片手に燥いでいる。やはり昨今の幼心の憧憬を集めるのはヒーローなのだろう。

 しかし、視線を巡らせれば全く意外な物も見咎められた。

 それは捉把が先日対峙した通称ヒーロー殺しと世間に周知されたステインの人形やアクセサリー。可愛らしく作られたそれと、現実を知る捉把としては差異の激しさに可笑しさなどを感じる。

 あの時、最後にステインが見せた強迫観念の片鱗……見入ってしまった捉把としては、恐怖しかない。

 

 ヒーローの存在に疑問を抱いている。

 職場体験前に、勝己に対して懐いた独占欲や傷害行為の裏にある破壊への欲求は、敵としての側面が非常に強いと自覚した。

 教師陣が自分への警戒心を強めているのは、薄々ながら感じている。相澤でさえもが、時折危険な物を扱うような慎重さを見せた。

 周囲の人間との間で、次第に距離が生じている。

 今回の隔離試験でも、クラスメイトとさえも僅かながらに距離感を感じた。

 これから自分がどうなるのか、その思案のみに頭は悩まされる。

 

 捉把が沈思に耽っていると、その隙を衝いて誰かが相席していた。

 顔を上げれば、そこに無精髭と煙草を銜え、コップを満たす麦色のビールを片手にした男の笑顔。アロハシャツの襟を広げ、その隙間へと団扇で風を送っている。断りもなく腰かけている状況から、失礼な男であるというのが第一印象だった。

 

「何悩んでんだい嬢ちゃん」

「いえ、別に……」

「ふーん。君、幾つ?」

「……どちら様ですか?」

 

 捉把が視線を鋭くして問う。

 男は剽然と肩を竦めて笑うと、懐から一枚の手紙を出した。机上を滑らせ、捉把の手元へと送る。

 煙草を灰皿に擂り潰し、無精髭の生えた顎を撫でた。

 

「嬢ちゃん可愛いからな、気を付けな。男どもが皆集まって来るぜ」

「大丈夫。猛獣を連れているから」

「そうかい。ならオッサンの杞憂だったか、予定が無いならちょいと一緒にと誘おうと思ってたンたが、噛み付かれちゃ堪ンねぇや」

 

 男が席を立った。

 

「俺は義欄(ギラン)ってんだ。もし良ければ、こんど連絡してくれや」

 

 渡した紙をそのままに背を向ける。

 捉把はそれを手に男を呼び止めようとするが、人混みに紛れて消えていた。呼び止めようとした口を噤み、捉把は再び席に腰を落ち着ける。

 紙は丁寧に畳まれており、耐水用の素材で出来ていた。

 捉把は紙面を展開した。

 

『◯月×日、君を迎えに行く。それよりも早く、君の都合もあるだろうから、日取りなどの相談は下記の連絡先に頼むよ。

     ――父より

 TEL.◯××―◯×◯―□◯□』

 

 捉把は硬直した。

 本名は明記しない差出人の部分に意識が集中する。

 先刻の男は、恐らく仲介人だろう。グラントリノから聞いた通りの人物ならば、それも何重にも介して送られた手紙。

 筆跡が判らぬようコンピューターで打たれた物である。

 父の方から接触を図って来た。

 混乱に紙を握り締め、周囲へと視線を奔らせる。勿論、この海水浴場には居ないだろうが、不気味にも自分が何処からか監視されている感覚に支配された。

 無意識にパーカーのポケットに押し込み、俯いて黙る。混乱して思考が纏まらない、捉把は苦しくなって自分の胸に手を当てた。

 

 その様子を見た近くの男性たちが近づく。

 

「君、どうしたの?顔色悪いけど」

「え、いやっ、その」

「大丈夫?ここ人多くて大変だよな、良かったら落ち着ける場所知ってるけど」

「違、大丈夫……私……」

 

 動揺で言葉すらも整理が付かない。

 捉把が男達に困惑していると、彼等の肩の間から獣も同然の獰猛な面が現れた。男達は驚いて飛び退いて怯える。

 男を威圧する険相のまま義欄なる人物が座っていた所へと腰掛けた彼に、捉把は思わず安堵の息を吐いた。先程までの混乱が嘘のように消えて安心感ばかりが心中を充たす。

 救いに入った獣――勝己が持っていたかき氷の一つを差し出す。その視線は未だに怯懦で蒼褪めた男達へと向けられている。

 捉把は両手で受け取った。

 

「……ありがとう」

「曖昧に応えてっから調子に乗ンだよ」

「ごめんね」

 

 勝己は捉把の顔色を見て目を眇める。

 普段から軟派に遭おうとも、軟派と認識していない捉把が動揺や混乱を催すには至らない。この不自然な様子を考える内に、この数週間をクラスメイトとは別途で試験を受けた異例などを鑑みるに、彼女が特別な状況下にあると察知した。

 けれども、その原因までは推測できず、勝己は顔を苦々しくした。

 

 捉把は手元のかき氷を見下ろしたまま、一向に手を付けない。

 

「溶けンだろ、はよ食え」

「海辺のかき氷って初めてなんだ」

「あァ?」

「昔の夏はよく、母さんと一緒に食べていたけれど、それ以来かな。何年振りだろう、少し感慨深いよ」

 

 勝己の前でかき氷について語る彼女の声音は、僅かながらに寂寥を滲ませた。

 

「……食うの、久し振りなんか」

「そう、だね。母さんがいなくなってから、食べなくなったよ。大好物だったんだけどな」

 

 そこから口を閉ざし、捉把は少しずつかき氷を食す。

 彼女の好きなイチゴのシロップを満遍なく掛けたそれは、最高の好物になる筈だったが、表情に明るみが戻らない。黙々と食べる様子は、勝己が予想していた反応とは大いに違う。

 平生の冗談や、勝己を翻弄せんとする勢いの感じない捉把に対し、奇妙な苛立ちが生まれる。

 この少女の遍歴は以前に聞いたし、まだ完全に彼女を理解したとは驕ったりもしない。

 それでも、捉把の現状が気に入らなかった。

 

「しけた面して食ってンじゃねぇ」

「……ごめん」

「好きなんだろ」

「え?」

「これから嫌いになるくれェに食わせ殺したるから覚悟しろ」

 

 ぶっきらぼうな彼の言い草に、捉把は驚いて固まる。

 我に返った彼女は、少しずつ可笑しさに含み笑いをして、必死に爆笑を堪えた。

 

「食わせ殺すって……アイスクリーム頭痛を死因にするって事……?凄くふざけてるね……ふふふ」

「アァッ!?文句あンのかコラ!!」

「っふふ……爆殺王よりも、焦凍が専門だと思うけど……ふふ、駄目だお腹痛い」

「不満なら言えや」

 

 捉把が首を振った。

 何故だか舌に乗るイチゴの味が、ほんのりと甘味を増したように思える。かき氷を食しているのに、心の内側に心地好い熱が広がった。

 勝己を正面に見据えて、捉把は笑む。

 

「かき氷、また好きになれそうだよ」

「ふん、そう言ってられんのもその内だわ。今に苦痛でその顔歪めてやる」

「楽しみにしてるね」

 

 

 

 

 

 

 食後に海での第二回戦も乗り越え、二人は帰路に着く。

 駅まではバスで同車する事になっており、二人は空いた優先席に座った。疲れ果てた捉把は勝己の肩に頭を預けて眠る。その寝息は安らかであり、以前の陰りもなく綻んだ情けない顔だった。

 勝己は今日、彼女が撮影したツーショット写真を眺めると、鼻を鳴らしてポケットにスマホを仕舞う。

 無防備に眠る彼女を見詰めていると、海水浴場からそのまま着せていたパーカーの襟元から何かが覗いていた。

 勝己は何の躊躇いもなく手を入れ、それを引っ張り出した。

 疑問の正体は丁寧に折り畳まれた紙である。

 

「ンだコイツ、いつの間にこんな――」

 

 無造作に開いてに中身を検分し、勝己は絶句した。

 『父より』、その差出人の身分を示した部分を凝視した後、捉把を見遣った。

 彼女は先程襟に手を入れられた感触で起きたのか、薄目で勝己を見上げる。

 彼は思わず紙をポケットに突っ込んで誤魔化した。

 

「……勝己くん」

「……ンだよ」

「久しぶりに貴方のご飯が食べたいから、今日……泊まっても良いかな?」

「……半分野郎の家に連絡入れとけ」

「うん、じゃあ今晩はお世話になりますね」

 

 捉把は柔らかく笑み、再び寝入る。

 

 勝己は悟られぬよう、再び紙を取り出して記された内容をすべて記憶すると握り潰した。

 

 

 

 

 

 




原作で勝己が皆との買い出しに行かなかった理由を捉把にしてみました。
水着に萌えるシーンをもう少し書き足した方が良いのか悩んでいますが……次やな!!次!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話「あの雲が綿菓子っぽい」

 期末試験を突破した皆の次なるステージ。

 その準備は済んでいた。

 林間合宿という名目上は生徒達の心を躍らせる楽しい行事らしき含意がある。高校生活を夢見た者には欠かせ難いご褒美とも言える。

 だが、立て続いた敵連合との関連により、学校側は否応なしに生徒たちを守る為に、そして不穏な未来への対策を講じる他になかった。

 言うなれば、彼らに非はない。

 言うなれば、運が悪かった。

 

 

 

 

 

 林間合宿当日――!

 

 

 

 捉把は集合場所に来ていた。

 轟家の世話になってから生活習慣が改善されたため、規定時間の約十五分前を厳守している。尤も、焦凍がいなければ為し得ない記録だが。

 発車の定刻を待つばかりのバスの車体に背を預け、捉把は途上のコンビニで購入したアイスを頬張った。夏場とあって、彼女のやる気は著しく減退している。

 茹だる熱気に炙られ、第二ボタンまで開いて首もとを手で扇ぐ様は、女子生徒ならば人目を憚って自制するのが当然なのだ。

 常識の欠落は容易く露見する。

 

 隣に居る焦凍は、彼女の右側に回り込み、然り気無く“個性 ”によって冷気を発散し、夏の暑気に苦しむ捉把を細やかに救っていた。

 逆に、涼気の源が焦凍と理解した捉把は、もはや彼の右腕に自身の腕を絡める。幾ら避暑とはいえ、それも人からすれば大いに常識的に考えて避ける行為だ。

 想定外の行動、予期せぬ柔らかい感触に焦凍は顔面が蒼白になって混乱中だった。

 

「暑い。天は私を、殺そうとしている」

「……捉把、暑いとはいえ近いぞ」

「焦凍と私の仲だよ。良いじゃないか」

「そう……なのか」

「それとも私の胸部を二度も直接触れながら――」

 

 焦凍が口を手で塞ぐ。

 その情報は口外するには危険すぎる物だった。実際、想起するのも恥ずかしく思われる事件である。峰田が聞けば怨念となってでも焦凍の喉笛を噛み千切らんとするだろう。

 表情には出さずとも切迫した焦凍と、彼の右腕を放さず冷気に浸って穏やかな面持ちの捉把。

 傍から見れば、過剰な接触を交わして充足感を得る恋人の様相にしか見えない。否、そう見ざるを得ない。

 既に到着していた峰田の瞳から、滂沱と迸る血涙が早くも出発を物々しい雰囲気にさせる。

 そんな中、次々と集まる1-Aの面子。

 勝己が珍しく鼻の頭に皺を寄せて思案げ(不機嫌そう)な顔で来た。顔を上げ、いの一番に捉把を探って――あの二人を発見する。

 

「おい、クソ猫!なに他ン奴に尻尾振ってんだコラ!?」

「おや、聞き憶えのある声……もしや巷を騒がす連続殺人犯の……」

「テメェがそのノリで来るなら、その犠牲者の中にテメェの名前を加えんぞカス!」

 

 出会い頭に怒声。

 即座に何者かを察した捉把は、軽口で彼の苛立ちを増長させつつ、焦凍から離れてそちらに向かった。名残惜しげに後ろで伸びていた彼の手には気付かない。

 勝己の傍に寄って話す。

 周囲、というより女子の何名かが、誰もが見落とす重大な事実を機敏に看取していた。

 焦凍の冷気すら捨て、自ら勝己の下へ赴く足と気持ち。加えて、微かだが幸せそうな表情が明らかに彼女の心の何かを物語っている。

 

「ごめん、まだ貴方と同じ墓に名前を刻むだけの手順を済ませていない。先ずは精神的にも十八歳になってからでお願いするよ」

「誰がテメェと結婚なんざするかよ!」

 

 すると、捉把は大仰に傷付いてみせる。

 あたかも、胸を拳で打たれたように自身の襟元を摑んで俯き、苦しそうな顔を作った。

 

「しないのかい?あの夕日の沈む海で私を口説いたのは詐欺だったんだね」

「嘘だとしても、その言い方だとテメェは堕ちたって事だよな?」

「勿論さ。噛みながら何度も台詞を言い直して告白してくれた姿に胸を打たれて――」

「今すぐ墓所に沈めたらぁッ!!」

「――召喚、切島くん」

 

 捉把の“個性”が発動する。

 彼女が拡大した『空間』で、クラスメイトと歓談中だった切島と位置が交換される。切島は突然の変化に気づけず、突如として眼前に現れた絶賛爆発中の勝己に戦慄した。

 対して、捉把は彼と話していた常闇と、あたかも先程からずっと会話していたかの様な素振りで、退場した切島の役を代行する。

 一連の出来事を傍観していた相澤は、後で仕置きの時間を加えることも考慮した。

 

「常闇くん、世は非情だね」

「空狩、お前こそ非情なり」

「いいや。切島くんの犠牲を忘れないだけでも、私は温かい人間だよ」

「……許せ、切島。俺にはこの悪を正せない」

 

 説得不能と納得し、常闇が諸手を挙げて降参する。

 捉把は自身の安全確保の完了に胸を撫で下ろした。

 ――と、頭を摑まれた。

 振り返る……そこに、勝己の凶相。

 

「……迅(はや)いね」

「尻尾振った次は尻尾巻くとか、いよいよどうしようもねぇクソ猫だな」

「厳しいご主人様ですね。……あ、違った。厳しいご主人様ですにゃんっんだだだだ痛い痛い痛い」

 

 頭部を拉げさせる圧力。

 彼の五指は“個性”無しで骨を砕く膂力だった。

 悲鳴を上げる捉把に、勝己の冷たい眼差しが刺さる。

 この手の誤魔化しは、もう彼に通じない。

 

「遺言はそんだけか」

「わかったわかったわかった最期だから言わせて凄く愛してますこれ以上ないほどに私は貴方を愛しております」

「それだけか?」

「あと墓石に刻む時は貴方に妻がいようと空狩捉把の名前を宜しく怨みますから」

「けっ」

 

 投げ放つように勝己が頭から手を離した。

 解放された捉把は、苦痛を催す圧迫感の残響に頭を抱えて呻く。常闇は自業自得だと静観していた。

 

「やれやれ、困ったご主人様だよ」

「おいクソ猫、早く乗んぞ」

「先にどうぞ。私は緑谷くんの隣に座るから」

「危なっかしいからテメェは俺の隣にいろ」

「え」

 

 バスに乗車した勝己。

 その姿を捉把は唖然として見送った。

 あんな言葉を臆面もなく言う人ではない。それに一瞬だけ見えた真剣な表情に、さしもの捉把すら軽口を叩けずにいる。

 一体、何が彼にあんな顔を……?

 危なっかしい、とは何なのか。

 一連の事件で危ぶまれる事は多々あるが、それでも彼がそこまで過保護になる事があり得ない。

 

「これは……」

 

 この謎に、空狩捉把は――。

 

「いよいよ、私無しでは生きられなくなったか」

 

 検討違いな解を導き出す。

 ちなみに、その直後に舞い戻った勝己に頭を叩かれ、引き摺られるようにバスに乗車した。

 これを見ていたB組が、密かに『爆豪夫妻』として二人を認識していたのだった。

 

 

 

 

 バス内は賑やかになっていた。

 捉把は大人しく、勝己の隣に座っている。

 窓際を譲ってくれたのは、彼なりの小さな気遣いなのだろうか。邪推ではないと考えると、捉把は言葉に出さず行動で示すその姿に微笑む。

 職場体験から会えず、期末試験後から今日に至るまで強引に遊びに引っ張り回したが、それでも勝己が隣にいることを久しく感じる。

 

 捉把の眼に気付いた勝己が、視線だけ寄越す。

 訝しげに、どことなく嬉しそうな彼女に眉を顰める。

 

「んだよ」

「隣なんだから、少しは話そうよ」

「…………」

「……?」

 

 バス乗車から静かな勝己に、今度は捉把が首を傾げる。

 

「体調が優れないなら、先生に」

「そんなんじゃねぇ」

「ううん……貴方に元気が無いと心配なんだけれど」

「元気有り余っとるわ」

「静かな貴方を見ると、災禍の予兆にしか思えなくて不安になるんだよ」

 

 勝己は沈黙する。

 捉把は彼らしからぬ様子に、本当に胸裏で不安が膨らんでいった。

 義欄と名乗る男を介した父親からの連絡と敵連合への勧誘を臭わせる内容、そしてヒーロー殺しによって刺激されたヒーロー界への疑念。連鎖する不穏な出来事に相次いで、勝己さえも変わってしまうと捉把は寄す処が無くなってしまう。

 

「勝己くん」

「あ?」

「私が、悪い人間になったら貴方はどうする?」

 

 勝己がわずかに目を見開いた。

 体を彼女の方へと巡らせて、その顔を覗き込む。可憐な相貌には、いつになく余裕が無かった。膝の上で固く握った拳を睨んでいる。

 そんな捉把を、以前も見た記憶がある。

 USJで敵連合に襲撃を受けて黒霧による奸策によって分断される直前に見せた顔と同じだった。

 

 悪い人間になったら――。

 その言葉が何を示唆するかは、勝己にもわかる。

 先日に父親からの勧誘を受けている事は織り込み済み。

 つまり、捉把自身が不安になるほど――敵(ヴィラン)になる危険性があるのだ。

 

「……」

「私が一度その道を選んだら、きっと猛進すると思うんだよ。ほら、努力家だからさ」

「ほざけ」

「その時、貴方は私をどうする?」

 

 勝己は鼻で嗤った。

 

「全力でブチのめして、説教し殺す」

「それでも直らなかったら?」

 

 やはりいつもの諧謔がない。

 勝己は彼女から顔を逸らしつつ、座席の肘置きに頬杖を突いた。

 

「その時は……役所で無理矢理書かせて、一生説教し殺す」

「役所って、何を書かせるんだい?家庭裁判の手続きみたいで気が重いよ。それも一生って………………え?」

 

 捉把は勝己を見た。

 言葉の裏にある真意を読み取って驚き、その正誤の確認の為に顔を覗くが、彼は平然としている。耳も赤くなければ、平時と変わらぬ仏頂面だった。

 捉把は言葉が出ずに視線を彷徨させたが、やがて座席の背凭れに改めて体を預ける。

 

「前回の浜辺よりは、良い告白だったよ」

「捏造すんなアホ」

「という事は、一生を懸けて私もその悪態を矯正しなければいけないんだね」

「ウゼェ」

「これから慣れるよ。何せ時間は沢山あるから」

「…………」

「そろそろツッコミがないと、真面目な話になってしまうよ??」

 

 勝己は何も言わなかった。

 捉把は諦めて窓の外の光景に想いを馳せる。

 先刻までとは違い、この沈黙はどこかもどかしく。

 

 そして――

 嬉しくも思った。

 

「勝己くん」

「……あ?」

「あの雲が綿菓子っぽい」

「知るか」

 

 

 

 

 

 ~おまけ~

 

 

 前期終業式の後。

 捉把は勝己と共に公園で時間を潰していた。

 

「勝己くん」

「あ?」

「どうしてもやりたい事があるんだけれど」

「勝手にやってろ」

「貴方のように運動神経が良くて人格者じゃないと不可能なんだ」

「言ってみろ」

「チョロいね」

「ァあ??」

 

 捉把は咳払いをした。

 

「ブランコを全力で漕ぎたい」

「何処に人格者が必要なんだコラ」

「滑り台を全力で滑り降りたい」

「無視すんなオラ」

「貴方を全力で弄りたい」

 

 結局全部付き合いました。

 

 

 

 




次ッスね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二.5話「サイドニューも主役だよ」

お久しぶりですね!
今回は脇道に逸れます!


 

 中学校最後の春だった。

 空狩捉把はつい最近だが仲良くなった――と思っているのは自分だけなのかもと悲観的にならない――新たな友人たる爆豪勝己と共にラーメン店を巡っている。

 無表情ながらも嬉々としているパンフレットと街の景観を忙しなく交互に見て歩く姿に、隣では勝己が呆れていた。誰もがヘドロ事件で腫れ物扱いする中で彼女だけは平生と変わらない。

 だから共に行動をしている。

 心地いいからではなく、やりやすいからだ。

 

「勝己くん、次は塩ラーメンだ」

「まだ食えんのかよ」

「おや、もう君の胃袋は弱音を吐いているのかい。駄目だね、私のように好物なら幾らでも食べられるくらいの気合が無ければ」

「胃袋の空きじゃなくて気合かよ。テメェも弱音吐いてるようなもんだろ」

「減らない口だね」

「テメエに一番言われたくねぇんだよクソ猫!!」

「猫に失礼だよ、速やかな私への謝罪を求む」

 

 調子よく捉把は嘲笑って次のラーメン店の戸を叩く。

 なぜこんなことになったのか。

 それは数日前に遡って、学校の裏庭で友人と昼食を取る勝己の下へ、突如として捉把が出現した。それも大胆に屋上から飛び降りて現れるという破天荒ぶりに暫し一同は絶句しつつ、やはり後で勝己の怒号が爆発した。

 彼の罵倒を鮮やかに躱しながら捉把が休日の遊びに誘った。

 

『今週末の予定は空いてるかな』

『あ?空いてたら何だよ』

『実はラーメンを梯してみたいんだけれど、もし良ければラーメン好きの誼でどうかと誘ったんだ』

『行かねえよ、梯するほどラーメン好きじゃねえしテメエとなんざ休日だろうが平日でも会いたくねえ。他を当たれ』

『他だって?』

『あ?』

 

 捉把が肩をわなわなと震わせる。

 訝った勝己が片眉をつり上げた

 

『ンだよ』

『私の友達にこってりもあっさりもイケる口がいないんだ。由々しき事態だよ、勝己くん!』

『テメエ一人で騒いでろカスが』

『言ったな!?今日本中のラーメンを敵に回したぞ君は!』

『ンでテメエ一人の否定がラーメン界に波及すんだよ』

『君に拒否権はないんだよ。答えはイエスかはいか、だ』

 

 このよく理解できない迫力に圧され、爆豪勝己は抵抗を断念するのだった。

 後に友人から聞けば、学年で密かに人気を集める女子らしく、その本心が読み取れないことで有名な人物だった。誰に対しても分け隔てなく、誰からの信頼も篤いので特に問題を起こしたことはない。だが不思議なことに仲の良い友達自体があまりいないという不思議な特徴がある。

 そんな世間評判を聞いて、ヘドロ事件のこともあって心身ともにやや疲れていた爆豪勝己は興味本位で彼女を探ることにしたのだった。

 したのだったが――。

 

 予定時間の三十分前に爆豪勝己は到着した。

 約束した場所で静かに待機する。

 十分、二十分…………常識人ならばそろそろ来る頃合いだろう。そんな予測を立てて待機していたが、驚くことに彼女は一向に姿を見せなかった。

 やがて予定時間から三十分を過ぎた辺りで苛立ちが頂点に発した勝己が憤慨する直前に、捉把は現れた――口からニンニクの臭いをたっぷりと発して。

 

『ごめんね、厄介な相手に絡まれてて』

『おい、テメエから何か臭うぞ』

『新店舗の爪痕だよ』

『何キョトンって顔してんだオラ!!人待たせて食事取れるとかどんな神経してんだ!?』

『そうだよね、君も味わいたかったよね』

『そうじゃねえ!!』

『申し訳ないけど、新店舗へは後日一人で行ってね』

『自由すぎんだろ!?』

 

 そうして合流し、現在に至る。

 それから三店舗を巡って、とうとう捉把の余力も危うしとなってきた。隣でぴこぴこと嬉しそうに動く三角耳に時折だが視線を吸い寄せられつつも、二人で商店街を歩き回った。

 そして、ふと捉把が足を止める。

 勝己は彼女の視線が留まった方を確認した。

 

「油そば専門店だって……………!?」

「腹いっぱいじゃねえのかよデブ」

「体型を気にしてるのかい、君も案外乙女だね」

「テメエに言ってんだよ」

「ふふ、君のお腹も雛鳥みたいになっ――…………あれ、硬い。凄いな、同じ腹筋でもここまで違うなんて」

「触んな気色悪い」

「君じゃない、私は腹筋に許しを得て触れているんだよ」

「俺に許可求めろや!!」

 

 また冗談に流されて二人で油そば専門店へ入る。

 捉把と勝己は注文に入るが――。

 

「油そばと、この餃子セット下さい。あ、彼にも同じ物を」

「専門店のくせしてサイドメニューとかプライド無えのか、この店」

「プライドが一体何円になると言うんだ」

「テメエが一番プライド捨ててるだろ、っていうか、おい、俺の注文なに勝手に決めてやがる。俺の人権はどうした」

「安心して、私が保証するよ。拒否権や注文権、発言権は取り上げても、私も鬼畜じゃない…………君は人間だ」

「全て返せ」

 

 二人の前に注文した物が届く。

 勝己の前で、捉把が箸を割ってすぐに食べ始めた。

 油そばを躊躇いなく啜る姿は、なるほど普通の女子とは異なる。彼女のこんな姿を、一体学校の知人たちには想像し得ただろうか、勝己の知る女性にも類を見ない。

 しばらく見つめていると、心做しか満足げな捉把と目が合う。

 

「食べないの?」

「テメエを見てて腹いっぱいだっつの」

「じゃあ、その餃子も頂戴?」

「さてはソレ込で注文しやがったなコラ」

「実はそっちが本命なんだ」

「あ?」

 

 捉把はふふん、と愉快げに鼻を鳴らす。

 

「専門店でサイドメニューは邪道と言われる」

「当たり前だろ、専門って銘打ってんのに横道作ってんだぞ」

「誰しもが王道を行くわけじゃないんだ」

「あ?」

「オールマイト影響で確かに犯罪率は低下したけど、必ずしも彼一人の功じゃない。普段からマイナーなヒーローたちの働きもあって、平和は築かれてる。そんなヒーローたちを慕う人たちもいる」

「…………何が言いてえんだよ」

「端役と侮ってるけど、サイドメニューも主役だよ」

「テメエ、喧嘩売って――あ?」

 

 その言葉に出久を想起して憤慨する勝己だったが、ふと自身の前から餃子セットはおろか、油そばまで忽然と姿を消していた。

 さっと捉把の方を見ると、いつの間にか勝己の分をさも自分の物のように食していた。完食した自分の皿を、隣に積んでいる。

 絶句する勝己の耳朶を空の皿を叩いた箸の音が打つ。

 

「ごちそうさま、最高だね」

「…………」

「怒らないのかい?」

「呆れてんだよ、こちとら」

「なら良かった。どうやらデートを楽しんでくれたみたいだね」

「ニンニク臭えデートだな」

「楽しかったでしょう、お腹も心も満たされて」

「腹はともかく、俺を満足させたっつー自信はどっから来てんだよ」

「君の表情だよ。しかめっ面かと思ったら、食べてるときはコロコロと変わって可愛かったな」

 

 そう言われて勝己ははたと止まる。

 食事中、熱心に食べているようで実は自分は見られていたのか。

 存外、侮れない…………端役(サイドメニュー)も主役という言葉が、やけに言い得て妙に思えてしまったのだった。

 

「次は何処に行こうか」

「もう行かねえよ」

「味に飽きたというのなら業腹ながらも予定を変える腹積もりはある。次はうどんを企画しているよ」

「また食う企画かよ」

「食べるだけじゃないよ。いずれは、もっと色々なところを君と巡ってみたいな」

 

 捉把が微笑んだ顔も、よく憶えている。

 

 

 

 

 

 後日。

 雄英高校に進学した爆豪勝己は、少し遠い町で休日に待ち合わせをしていた。

 当然、相手は――。

 

「ごめんね、待ったかな」

「別に」

「ふふ」

 

 捉把が笑いながらカバンからパンフレットを取り出す。

 それを勝己の面前に展げた。

 

「今日は何処へ行こうか」

「とうとうノープランか、アホ」

「君といれば楽しいからね。余計な道を作れば、半減してしまうから」

「…………ふん」

「こういうの、『慣れるな、感じろ!』って言うんでしょ?」

「うるせえ、さっさと行くぞ」

 

 

 

 




次ッスね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。