明日は晴れがいいな (代理ちくわ(かまぼこ))
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1
空はまだ白く、小学校の放課後の時間帯であった。他の小学生の姿はほとんどなく、右側に音街ウナ、左側に東北きりたんが隣り合って歩いていた。
ウナはきりたんから渡されたスマホの画面に映る画像を観賞するようにまじまじと見ていた。前方から来る自転車や歩行者を避けながら、親指と人差し指で画面を拡大したり、人差し指で横にスライドして別の写真を見たりしていた。2、3枚程度の間隔で彼女は、わぁ、綺麗!これ、可愛い~。どこで撮ったの?と自分の喜びを表現するように、スマホに映る画像をきりたんの視線上に持っていき、見せていた。
きりたんは歩行者などを避けるために早くなったり、遅くなったりする不規則なウナの歩くペースに意識して合わせていた。そして、ウナが画面を見せてくる度に、自慢話でもするようにウナの溢れ出す感情に応えていた。だが、ウナが画像を一枚、また一枚とスライドする度に見せられないような画像を見せてしまわないだろうかという一片の不安も感じており、何度も彼女の表情やスマホの画面を覗いていた。
「うん、やっぱり、東北のお姉ちゃんは綺麗な人だね。東北がここまで褒めるのも分かる気がするよ」
ウナはそう言い、良い物を見ることが出来て、満足といった表情でスマホをきりたんに手渡した。ウナは、よっ、とランドセルの肩ひもの位置を微調整した。
「当然です!ずん姉さまはこの世で一番美しいんですから。かわいいは正義ならぬ、ずん姉さまは正義なのですよ!」
きりたんはランドセルのスマホケースにスマホをしまうと胸を張り、通常の2、3倍の声量で高らかに宣言するように語った。彼女を横で見ていたウナは、そっか、と愛想笑いなのではなく、表裏の表から感じられる喜や楽に分類される微笑みをしていた。だからこそ、きりたんも声が途切れることもなく、自分を表に出せるという安心感を覚えていた。
きりたんの姉自慢はしばらく続き、その内疲れたのか、話は止まり黙って歩き始めた。
「東北さぁ、授業だと何が好き?クラス違うしさ、何か東北のクラスの授業の方が楽しそう」
沈黙を破るためにウナは興味本位で口を開けた。きりたんは、うーん、と思考を巡らせた。
「特にないかな。クラスが違うっていっても、そんなに特別な授業はしてないよ?」
「でもさ、きりたんのクラスって水奈瀬先生でしょ?いいなぁって思うな。私のクラスの先生はあんまり、パっとしないし」
「うん、水奈瀬先生のクラスで良かったって、ちょっとだけ思ってる」
少しきりたんの頬が緩むと、ウナはすかさずニヤニヤと彼女の顔をのぞいた。
「あれ~?東北、何か照れてる?」
「照れてないよ!」
きりたんはむっとし、ウナは、じゃあ、苦手な授業は?と次の話題として聞いた時だった。
「あれ、きりたん?」
誰よりも周知しているその声に反射的に声のする後ろへ、きりたんはぱっと向いた。ウナは、ん?と声をかけられた時のようにゆっくり後ろを向いた。その人物を象徴する緑色の長髪や枝豆の髪飾りをした顔で何者かをきりたんは確信した。視覚から感覚が胸へと伝わり、彼女は歓喜に近い安心感を覚えつつ、その感情のまま声を出す。
「ずん姉さま、おかえりなさい!あ、たしか、テスト期間で早いんでしたよね」
「うん、ただいま。そう、そう。だから今日は早いの」
ずん子はきりたんと普段の軽い会話を交わすと、隣にいるウナの存在が思わず気になり、視線を移していた。
「えっと、きりたんと同じクラスの子でいいのかな?初めまして、きりたんの姉の東北ずん子です。よろしくね」
ずん子は体を少しウナの方に傾けて、表情はどこか嬉しそうに初対面の挨拶を交わした。
ウナは先ほどまでずん子の写真をすすんで見ていた手前、その本人が現れ、何かやましい気持ちになり動揺してしまっていた。
「あ、えっと、そ、そう、いや違」
とぎごちなく文章の部分、部分を言いながらきりたんに助けを求めるように横目で見たが、そのアイコンタクトをきりたんが瞬間で理解出来なかったようで、ウナは一人であたふたしてしまっていた。
「隣のクラスですけど、私は東北さんの友達の音街ウナです。ずん子お姉さんのことは東北さんからよく聞いていました。こちらこそ、よろしくお願いします」
平常心をすぐに取り戻し、頭をそっと下げて、礼儀正しく言い終えた。
友達の部分を強調して言っており、頭を上げるとウナはそれを表すようにニコっときりたんの方に笑顔を向けていた。きりたんはその満面の笑みに思わず、さっと顔を伏せてしまった。顔を伏せるのと同時にずん子もきりたんに視線が移っていた。
「きりたん、友達が出来たんだ。良かったね、きりたん」
ずん子はウナが言った「友達」という内容で口調がより明るくなっていた。それは今までずっと一人で寂しい思いをしてきただろう過去と現在のきりたんに問いかけているようだった。きりたんは顔を伏せたまま、特に反応はなかったが、ずん子はきりたんに友達が出来たというのが何より嬉しそうだった。
「あれ?音街ウナって、あのアイドルの?あ、オタマン帽をしてるもんね。へぇー、きりたんと同じ学校だったんだ。知らなかったよ」
そうなんですよ、とウナは軽く相槌を打った。
ずん子はその後、視線を一度きりたんの方に移し、またウナに戻した。
「きりたんはちょっと素直じゃない所があるけど、これからも、きりたんと仲良くしてね」
最初は自宅などにいる普段のきりたんの様子を隠さず表すように言い、最後はウナにきりたんを任せるように思いを込め、言っていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「ずん姉さま!」
ずん子がきりたんのことをスラスラと述べるため、きりたんの表情が緩み彼女の名前を強く呼んだ。そのまま、ずん子の腕を引っ張りすぐにその場を離れようとした。
「ごめんね、音街ちゃん。これ、恥ずかしがってるだけだから。良かったら、今度家に遊びにおいでよ。美味しいずんだ餅をご馳走するから」
ずん子はきりたんに腕を引っ張られながらも、体は出来る限りウナの方に向けて、その状態を楽しんでいるように少し早口で喋っていた。
「は、はい。東北、また明日学校でね」
ウナは少し戸惑いながらも、きりたんに向かってだけ問いかけた。きりたんはずん子の掴んでいた腕を一旦、離し
「うん、音街、また明日」
と静かに二人だけで言葉を交わした。
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2
きりたんはずん子と一緒に帰り道を歩いていると思い出したように口を開ける。
「あの、ずん姉さま、音街はアイドルの話をされるのはあんまり好きじゃないみたいなので、気を付けてもらってもいいですか?」
「え、そうだったの?だったら次から、気をつけるね」
ずん子は悪かったな、という思いをそっと心の底に置き、それにしても、と言ってすぐに切り替えた。
「音街ちゃんに優しいんだね。きりたん」
ときりたんの顔を横からのぞきながら、ずん子は微笑んで褒めるように言った。
「なっ!?別に、音街は、その・・・、私の・・・」
友達ですから、と息でも吹きかけるようにきりたんは言い、ずん子とは逆の方に視線を反らしたり、ランドセルの肩ひもを強く握ったり、髪飾りがずれていないかとわざと手を頭に伸ばしたりしていた。その様子を見ながら、ずん子はきりたんらしい反応だと思い、微笑んでいた。
「そういえばさ、きりたん、音街ちゃんにちゃんとお礼は言った?」
自宅に着き、ずん子が玄関の鍵を開け、扉をカラカラカラ、と開けた時にずん子はきりたんにそう問いかけた。
「何のお礼ですか?」
きりたんは開いた扉から中へと入りながら、聞き返した。
「せっかく、友達になってくれたんだからね。お礼を言わないと」
ずん子ときりたんは脱いだ靴を靴箱の中に入れた。
「今まで、そういう子いなかったでしょ?友達になってくれてありがとうって」
ずん子はきりたんと横並びになって廊下を進みながら、礼儀を重んじるというよりも、きりたんの気持ちを後押しするように言った。
きりたんは背筋が軽く伸びたように感じた。後ろめたい気持ちはないはずなのだが、痛いところを突かれたような、それに近い心情の動揺があった。そのため濁すように、分かりましたと形式的に了解をした。
いつものようにきりたんはその後、宿題をやり、ゲームをやり、夜になるときりたんは布団の中に入った。布団の中でお礼か、と呟き、お礼を言える状況を考えていた。
一番無難なのは下校の時だけど、どうやって切り出そう。じゃあ、昼休みとか?隣のクラスに行くのはちょっとなぁ。家に遊びに来た時は?もう少し早く言いたい。あぁ、明日は体育の授業だ。嫌だなぁ。うーん、水奈瀬先生は優しいし、いつもみたいに見学すれば・・・。
頭の中が翌日にやる体育の授業のことに変わり、その内ゲームのことに思考が変わり、きりたんは寝てしまった。そして翌日の朝、ずん子のきりたーん、朝ご飯出来たよーという呼びかけで、布団をどかして起きた。だが、すぐに、あれ?と昨夜の思考の切れ端を追い、思わず沈黙した。
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3
その日は、きりたんは普段と変わらず、一日を過ごし放課後にウナといつものように一緒に下校をしていた。今日は言えなかったな、ときりたんは普段よりもランドセルが重く感じていた。
「ねぇ、東北は天気だと何が好き?」
いつものように唐突な切りだしでウナは会話を始めた。
「天気?うーん、やっぱり晴れかな。雨の日はゲームをやってる時に、雨の音が入って嫌なんだよね」
ウナは会話が繋がったことに嬉しく思い、会話を続ける。
「私も晴れが好きだな。雲一つないんじゃなくて、ちょっと雲があるぐらいの晴れが好き」
きりたんは、でも、と言って冗談交じりの口調に変わった。
「体育の日は雨がいいかも。それで、学校が終わったら晴れて欲しい」
「台風とかが来て、学校が休校になってから晴れたりとか」
ウナもその口調に率先して合わせ、共感して二人は笑った。
「雨は泣いている時なんてよく言うけど、そんな天気だと感情揺れまくって忙しい人だね」
ウナはきりたんのその言葉に、確かに、と言って笑って見せた。
そんな普段と変わらない会話をしている時に二人は信号も横断歩道もないが、車の行き来が多い交差点を通った。
その時ウナは、コンと何かが地面に落ちた音に気が付いた。ちょうど道路の真ん中にランドセルに付けてあるストラップの一つが落ちたのだと、後ろに視線を送ることで認識出来た。
反射的に、パッとストラップを拾おうと道路の真ん中で屈み、手がストラップに触れる瞬間だった。
ウナは右側から来る車の存在という断片の恐怖と共に後方へすぐに跳ねた。車はストラップを潰し、そのまま通り過ぎて行った。彼女は尻もちを付いて、断片だったものが現実として時間差で襲われ、息が激しく乱れた。
「音街!大丈夫!?」
きりたんの言葉を聞き、ウナは乱れた呼吸を整えながら、立ち上がった。その後、スカートに付いた小石を払った。
「あはは、危なかった。ひかれるかと思った」
大丈夫だと思わせるように、ウナは冗談交じりにそう言った。だが、きりたんの様子がいつもと違うことはすぐに分かった。自然とウナから、どうしたの?という言葉を出させた。
「どうして、笑ってるの?」
怒りそう、泣きそう、そういう感情が溢れる直前の兆しをきりたんからウナは感じ取っていた。ただ、それがどういう感情を意味するのか分からなかった。
「え、だって、危なかったけど、ほら、私怪我も何もしてないしさ」
彼女はほら、安心して、と両手を横に広げ、体の前、後ろときりたんに見せた。ウナは体の向きを前に戻したが、きりたんの表情が和らぐことはなかった。
「ストラップは壊れちゃったけど、他にも沢山あるしさ・・・」
「そうじゃなくて!」
その張り上げた声にウナは思わず肩を震わせた。
「もっとちゃんと車とかに気を付けてよ」
きりたんのまだどこか冷静で、模った感情が溢れている訳ではなかったが、声はわずかに震え、右手の親指だけ残して、他の指でスカートの端を強く握りしめていた。ウナは何とかきりたんを落ち着かせようと口を早々と動かす。
「うん、分かったからさ。きりたん、どうしたの?私、大丈夫だよ。本当にどこも怪我とかしてない・・・」
「もっとちゃんと返事してよ!」
きりたんの怒りの感情が溢れかえった瞬間であった。だが、理不尽というよりかはどこか違和感の方が強かったウナは反発するように声を上げる。
「きりたん、何か変だよ!クラスで何かあったんじゃないの!?私達、友達でしょ!相談にだって私のるよ!」
お互いの感情がぶつかり、ウナはぐっと頬に力を込め、目を見開いていた。きりたんはウナの気迫から声を潜め顔を伏せ、沸々と溢れかえるように、だって、だって!と涙交じりの途切れそうな声を出した。すぐにパッと顔を上げると涙が頬を伝い、頬や目にしわが乱れるように寄り、泣き顔になっていた。
「音街がー、音街が!もし死んじゃったら、私、私!」
そう泣き叫ぶときりたんは両腕で顔を隠し、その場でうずくまってしまった。
ウナが今まで見たことも聞いたことも全く経験したことない、その状況にウナはまず理解が追い付いていなかった。彼女が知っている隣で一緒に話をするきりたん、姉やゲームの話になると饒舌になるきりたん、そのきりたんがなぜ、感情を剥き出しにして目の前でうずくまって泣いているのだろうか。分からない、という感情と共に30秒近く立ち尽くすことしか出来ないでいた。
ひたすらに困惑しながらも、それでもウナはきりたんの隣に腰を下げ、うずくまったきりたんの高さと自分を同じにすると、肩を揺すった。
「東北、私が悪かったからさ。もっとちゃんと謝るから、ねぇってば」
何度もウナはきりたんを揺すってみたが、ただ静かにきりたんの体が横に揺れるだけだった。
ウナはどうしよう、と立ち上がりあたふたと戸惑い、この状況に対する自身の非力さから徐々に感情が高まっていた。それが涙として溢れかえろうとするのが分かると、咄嗟に彼女の姉の存在が脳裏をよぎった。
また腰を下げて、これで反応がなければきっと泣いてしまう、という不安とともに言葉は自然と早くなった。
「たしか、テスト期間でずん子お姉さんの帰りが早いって、東北言ってたよね。だから、きっと家にいるだろうからさ、帰ろうよ?ずん子お姉さんが家に帰ればいるよ。だから、帰ろうよ」
これでいいかな、と不安がウナの中でよぎったが、きりたんは顔を隠したまま、ゆっくりと頷いた。
きりたんがゆっくり立ち上がり、ウナが、行こうか、と前へ進みながら言うと、きりたんはウナの手首寄りの腕を片手で弱々しく掴んでいた。ウナは何も言わず、きりたんの自宅に向かい始めた。その間、二人に会話はなかった。
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4
きりたんの自宅に着くと、ウナは率先してインターホンを押した。10秒後程でずん子の、はーいという声が聞こえてきた。
「あ、あの、昨日会った音街ウナです。あと、東北さんも一緒にいます」
ずん子が玄関を開けるときりたんは一目散にずん子の胸元に飛びついた。
「わっ!きりたん、ど、どうしたの!?。えっと、音街ちゃんも、いらっしゃいでいいのかな」
状況が読めないずん子はとりあえず、きりたんを抱き締めように頭を撫でながら、ウナに視線を変えた。
ウナはじっとその姿を見ていると口をゆっくりと開ける。
「あの、私が、東北さんを怒らせちゃって」
「そうなの、きりたん?」
ずん子は胸元に抱きつき、顔を伏せたままのきりたんの顔を覗くようにして聞いた。きりたんは4、5秒ほど何も反応を見せなかった後、依然として顔を伏せたまま、首を横に振った。
ずん子はきりたんのその反応を見た後に一度ウナの方を見ると、怯えているというよりかは緊張している状態に近いのが分かった。音街ちゃん、と小学生という幼い存在にする優しい声をかけると、ウナは、はいっ、と肩を震わせた。
「ちょっと話を聞きたいから、音街ちゃん家にあがってもらってもいい?」
分かりました、とウナが委縮したような反応を見せたので、ずん子は音街ちゃん、大丈夫だよ、と頬を緩めていた。
「別にきりたんのことで怒ってる訳じゃないんだよ?何が起きたのか知りたいだけで、美味しいずんだ餅もご馳走するし、家に遊びに来たと思ってくれれば、大丈夫だよ」
ウナはずん子の柔らかい表情を見ると、肩の力が少し抜け早々と靴を脱ぎ、お邪魔しますと言った。
きりたんはずん子の腕にしがみつくようにして横を歩き、その後ろでウナが歩いていた。廊下を通っていき、途中でずん子は立ち止まり、襖を開けた。
「ちょっと、ここで少し待っててもらっていい?きりたんを部屋に連れていったら、また戻ってくるから」
そう言って、ずん子ときりたんは廊下の奥へと進んでいった。
部屋の中は畳の部屋に長方形のちゃぶ台が一つと、座布団が一つずつ台を挟んで置かれていた。
ウナは部屋に入ると襖を閉め、座布団に正座をし、ランドセルとオタマン帽を横に置いた。待っている間に畳の一線、一線を見ていたり、襖の隅の微かな汚れの跡をふいに見つけたり、ちゃぶ台の木の感触を確かめたりしていた。
ウナの脳裏にはきりたんがうずくまって泣いている姿が映り、それは彼女がまだ知らない東北きりたんという人物の一片を表しているのだと思った。責任、後悔、不安、心配という様々な感情がごちゃごちゃに混ざり合い、東北、大丈夫かな・・・、という一文に集約され、心の中で存在を帯びていた。
その内、ウナはランドセルの横に付いているストラップ達を手で弄っていた。紐で繋がったストラップを触ったりして、無くなったストラップの存在を感じていた時だった。
すーと襖が開く音が聞こえ、ウナは咄嗟にストラップを弄っていた手を引っ込めた。ずんだ餅とずんだシェイクをお盆に載せて来たずん子は、ん?と不思議に思ったがそのままウナの前に、どうぞ、とそれらを置いた。
台を挟んでずん子はウナと向き合うようして正座をした。
ウナがあの、とかしこまって口を開けるとずん子は上から、ふわっとかぶせるように声を重ねる。
「あはは、いいよ。そんなかしこまらなくて。きりたんのことも普段呼んでいる呼び方でいいよ」
ずん子はあのような状況の後でも、ウナにかける言葉には優しさが込められていた。ウナはこの人は本当に優しい人だと再認識しながら、ずんだシェイクを一口飲み、
「えっと、東北の具合はどうですか?」
と心配そうに聞いた。
「横にさせたら、少し落ち着いたみたいで、あとでゲームをやったら元気になるって」
それなら、良かった、と言いウナは安堵の息を吐いた。その後、ずん子の口調は少し深みが増した。
「今回のことは自分が後でちゃんと説明するって言ってたけど、音街ちゃん、ここまできりたんを連れて来てくれて、ありがとうね」
ウナはずん子の温かい微笑みに思わず、息を呑んだ。
「でも、私、ずん子お姉さんに会わせることしか考えられなくて、もしテスト期間じゃなかったら、私、東北に何も出来なかったと思います」
ウナは素早く言葉をはしらせ、ずん子は小さく首を横に振った。
「そんなことないよ。音街ちゃんがいなかったら、きりたんはここまで一人で来れなかっただろうし、たとえ私が家にいなくても、音街ちゃんがそばにいてくれれば、きりたんは大丈夫だったと思うな」
そうかな・・・とウナは胸がじんわりと温かくなるのが分かり、ずんだシェイクをまた一口飲んだ。そんな彼女を見てずん子の口調はまた少し柔らかいものに変わった。
「音街ちゃん、これからもきりたんのことよろしくね」
「え、それはもちろんです。私もいつも話に付き合ってくれて、東北と一緒にいると楽しいですから」
ずん子は建前などない本心から嬉しそうにきりたんの名前を呼ぶウナを見て、そっか、と小さく頷いた。思いにふけっている自分に気が付くと、彼女はウナにずんだ餅のお皿を手の平で示した。
「音街ちゃん、このずんだ餅も凄く美味しいから、食べてみて」
ウナは相槌の代わりにずんだ餅を口へと運んだ。
急にピコ、ピコ、ピコリンとLINE電話の受信音が鳴り始めた。
ずん子は、ちょっとごめんね、と言い、袖からスマホを取り出して、部屋を出るとスマホを耳に当てた。廊下でずん子が、うん、うん、音街ちゃんに?という会話のやり取りを聞きながら、ウナは噛んでいたずんだ餅を飲み込んだ。
襖を開けて、ずん子が座布団に正座すると会話の内容をウナに告げる。
「きりたんが音街ちゃんに部屋に来てもらいたんだって。行ってもらってもいい?廊下を出て真っ直ぐ行けば、上にきりたんの部屋って書かれた部屋があるから」
はい、とウナは嬉しそうに立ち上がると横に置いておいたオタマン帽を掴み、ランドセルをバッグのように同じ手で持ち、部屋を出た。
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5
廊下を出て、きりたんの部屋の前に着くと、ウナはノックをした。
「東北、ウナだけど入るよ?」
中から、うん、と細い返事が聞こえた。
ウナが襖を開けて、部屋に入るときりたんは座布団の上に正座し、ウナの方を見ていた。
「えっと、東北、調子はどう?少しは落ち着いた?」
「うん、もう大丈夫。あのさ、音街、一緒にゲームしよ」
ウナはいいよ、とすぐに了解し、きりたんの隣の座布団に正座した。ランドセルとオタマン帽を横に置くと、コントローラーを手渡された。
「ねぇ、東北、何のゲームをするの?」
「レースゲームだけど、やり方大丈夫?」
体を伸ばし、ゲーム機に電源を入れつつ、きりたんは体を少しウナの方に向けて言った。
うん、大丈夫だよ!と言ってウナは座布団の上で軽く跳ね、きりたんもコントローラーを握った。
ゲームが始まり、きりたんは当たり前のようにスタートダッシュを決め、ウナは遅れてスタートをした。きりたんはほとんど体を動かすこともなく、黙々とコントローラーを操作していた。ウナはカーブの度に体を左、右と少し曲げたり、レース場の演出におぉーと何度か反応を示していた。
半周程差をつけた辺りで、きりたんは、あのさ、音街、とウナに声をかけた。ウナは、ん、どうしたの?とお互いに画面を見たままで会話を始める。
「あの時はごめん」
「何で、東北が謝るのさ。私だって注意不足だったのは良くなかったし、ごめんね」
「でも、驚いたでしょ?」
「それは驚いたよ!東北があんなに取り乱す所なんて初めて見たからね」
「あのさ、あれはさ・・・」
「大丈夫?無理に言わなくてもいいよ?」
「ううん、大丈夫。ずん姉さまが前に大きな事故、うーん、事故でいいのかな?大きな怪我をしたんだよね」
「ずん子お姉ちゃんが!?でも、今は元気だよね」
「うん、今はもう大丈夫なんだけど。私、その時すごく心配して、本当に心配で、ずん姉さまがいなくなるんじゃないかって思ってた」
「その時のこと思い出しちゃった?」
「それもあるけど、音街、音街がさ」
「私?」
「いなくなったら、嫌だなって思ったら、なんか、その」
「そっか、そうだったんだね。ありがとう。教えてくれて」
「うん、何か、ずん姉さまにもなんかホント子供みたいにくっついてさ」
「いいんだよ。東北も私もまだ子供でしょ。それにさ、あれって私のことを嫌いになったとかそういうことじゃないでしょ?」
「それは・・・、うん。音街のことを嫌いになんかならないよ。今だって、こうやってゲームしてくれて、その、嬉しいし」
「うん、ありがとう」
その言葉と共に1レース目が終わった。
「2レース目もいい?」
きりたんが圧倒的大勝をしてしまったために、きりたんは少し控え目にそう聞いた。もちろん!とウナは笑顔でそう答えた。
2レース目のコースを選びながら、きりたんはぼそっと口を開ける。
「音街、ありがとう」
「ん?東北、今何か言った?」
だから、その、ときりたんは口を濁らせていた。
それはずん子に言われていたという動機も少なからずあったのだろう。いつも話に付き合ってくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。私のことを見ていてくれてありがとう。そういう思いが心の中に溜まっていき、きりたんからこの言葉を自然と出させたのだろう。
「私と、あのさ、と、とも、友達に、なってくれて、その、ありがとう」
きりたんはコントローラーを握ったまま、顔を少し伏せて、そう言いきった。心の中は破裂しそうに、高まり燃えたぎっていただろう。
「え?もちろん、私も友達になれて、嬉しいよ。こちらこそ、きりたん、ありがとうね」
ウナはスタートダッシュを決め、きりたんはスタートダッシュを失敗した。
「あれ?きりたん、もしかして動揺してる?」
「してない!」
「え、だって、きりたん、スタートダッシュ失敗してるし」
「してない!」
ウナはわざとらしくきりたんの名前を呼び、思った通りの反応を見せるきりたんの姿に頬を緩めずにはいられなかった。きりたんは心の激しい鼓動のためにコントローラーが少し震えていたかもしれない。
「ありがとうね、きりたん」
「え?今、何か言った?」
「ううん、何でもない」
2レース目はそれでも、きりたんが僅差で勝利した。
夕方頃になると玄関で帰り支度をしたウナ、ずん子ときりたんが集まった。
「音街ちゃん。また、いつでも遊びにきていいからね」
靴を履き、ウナはランドセルを背負い、オタマン帽を被るとずん子の方をぱっと向いた。
「うん、また来ますね」
「ほら、きりたんも挨拶」
ずん子はきりたんの背中をそっと押してあげると、きりたんはウナに、これ、と言って模型のずんだ餅が付いたストラップを手渡した。
「これ、私にくれるの?いいの?」
ウナは広げた両手の上に置かれたストラップを一度確認してから、ワクワクするようにきりたんの方を見た。
「ストラップ壊れたでしょ?だから良かったら、これ代わりに使って」
ウナは早速、ランドセルの横にそのストラップを付けた。
「うん、似合ってるよ。音街ちゃん」
「ずん子お姉さん、今日は本当にありがとう。きりたんも、また明日、学校でね」
「うん、また明日。ウナ・・・ちゃん」
ウナは、ウナでいいのに~、と笑って見せてから、きりたんの家を後にした。空は満天の白さの中に少しオレンジかかったものに変わっており、制服、体操着やウェアを着た中高生が徒歩や自転車で登下校をしていた。その中に混じって、ウナは私服とランドセルの肩ひもをキュッと掴んで、自身の存在感を噛みしめていた。
少し進むとちょうど交差点があり、頻度はそこまで多くはないが、車が行き来していた。
あ、とつぶやき、ウナは一度立ち止まった。慎重に道路に顔をのぞかせて右、左と確認してから渡り、ふふふ、と微笑んでみせた。
明日はきりたんと何の話をしようかなぁっと思いながら、ウナが歩くたびにランドセルに付けたずんだ餅のストラップが何度も揺れていた。<了>
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