死が二人を分かつまで【完結】 (garry966)
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第一部
死が二人を分かつまで 第一話「出会い」


 初めまして、ゲイリーです。AR-15が好きすぎて小説書き始めました。AR-15とのイチャイチャを書きたかったんですが、導入が長くなりました。
 イチャイチャは三話くらいからになりそうです。
 ちゃんと誓約まで書く予定なのでどうか読んでください。


 

 

 第三次世界大戦の結果、国家は著しく弱体化した。国家はその領域を自力で維持することができなくなり、民間軍事会社(PMC)に行政の一部を委託することを余儀なくされる。急速に台頭した大手PMCのうちの一つがG&K、グリフィン・アンド・クルーガーである。この企業は本来の業務に加え、人類に対して反旗を翻した鉄血工造の人形たちとも戦っていた。前線で戦うのは人間ではなく銃を持った自律人形、戦術人形だった。

 

 

 指揮官はこの日、作戦本部の上司に呼び出されていた。新たな任務が下される、そう聞いていたが詳細は明かされていなかった。彼はグリフィンに指揮官として雇用されていることを示す赤いジャケットを着こなし、グリフィン本部の長い廊下を歩く。上司の部屋をノックするとすぐに入れという返事が返って来た。

 

 上司に勧められるまま椅子に座り、机を挟んで向かい合う。上司は引き出しから書類を取り出すと指揮官に渡した。指揮官は今時データでないのは珍しいな、と思った。書類にさっと目を通す。指揮官への命令書だった。

 

 

「AR-15の教育ですか」

 

 

 印字された命令を口に出す。AR-15。20世紀半ばに設計され、今なお高いシェアを持つアサルトライフル。だが銃そのものではあるまい。烙印システムによって銃と同じ名を与えられ、銃を自身の半身とする戦術人形のことだろう。そのような戦術人形がグリフィンの前線部隊の中核をなしていた。指揮官はAR-15という名を与えられた戦術人形を知らなかった。

 

 

「そうだ。君は知らんだろうが、AR-15はかの16LABが作った最新鋭の戦術人形だ。グリフィンが発注する予定のARシリーズの一号機だよ。ARシリーズはそれぞれが高度な思考能力を持ち、戦闘能力もそれ以前の人形よりもはるかに高い。指揮ユニットとして設計されたM4A1は戦術級の指揮能力を持つ。その性能は人間の指揮官を上回るだろう。ARシリーズでグリフィン初の人形による完全自律部隊を編成する。こうした部隊を今後どんどん増やすつもりだ」

 

 

 上司は自慢するかのように早口で喋った。

 

 

「はぁ。ですがなぜ私が教育を?人形は製造された時点で成熟したパーソナリティを持っているはずです。教育は必要ないのでは。戦闘訓練を施すならシステム部が適任でしょう。VRシミュレーターを持っている」

 

 

 指揮官にはいまいちAR-15と自分になんのつながりがあるのかわからなかった。指揮官の任務はもっぱら前線の部隊を指揮することであり、教育や訓練とは縁がなかった。

 

 

「いや、君が一番適任だ。教育と言っても普通のことをするわけじゃない。ARシリーズの導入に反対する勢力がいる。自律部隊による反乱を懸念してるんだ。考えすぎだと思うがね。だが、鉄血による反乱はそう昔のことじゃない。反対の声は大きい。だから彼らを頷かせる材料が必要なんだよ。ARシリーズが反乱を起こさないという根拠が。そこで君の出番だ。AR-15に徹底的に教育を施し、人類側に立たせろ。機械の側ではなくてな。AR-15を緊急時にはM4A1を破壊してでも反乱を抑制するストッパーに仕立て上げるんだ」

 

 

「AR-15を人類の政治将校にしろ、と言うわけですか」

 

 

「政治将校、言い得て妙だな。その通り」

 

 

 かつてこの国を支配していた共産党は国軍による反乱を恐れ、軍の指揮系統に属さない政治将校を部隊に配置していた。彼らは軍の不穏分子を監視し、時に作戦に口を挟んだ。グリフィンはAR-15にその役割を期待しているのだ。

 

 

「特別の措置としてAR-15には基礎的なパーソナリティしか搭載していない。ほとんど白紙の状態だよ。思想教育にはうってつけの状態だな。AR-15の教育が完了するまでARシリーズは正式に発注されない。財務部が反対してるからな。ARシリーズはグリフィンにとって必要だ。迅速に教育を完了することを期待している。言っとくが君の退職届は任務が完了するまで受け取らんからな。さあ、もう行け。AR-15はもう到着してる」

 

 

 上司に促され部屋から立ち去る。結局、なぜ指揮官が一番適任なのかを答えることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 指揮官はAR-15の仕様書を歩きながら読み終えた。値段に見合うハイスペックな戦術人形だ。ARシリーズは一つのユニットとして行動することを前提に設計されている。M4A1に率いられるARシリーズは単体よりもはるかに強力になる。AR-15の部隊での役割はM4A1の補助、参謀役だ。特に情報収集能力に長けており、M4A1を情報で支援する。このような人形たちに反乱を起こされたらたまったものではない。だが、心配しすぎだろう。はなから疑ってかかれば信頼関係は生まれない。人間と人形の間にある信頼こそがグリフィンの強みではないか、指揮官はそう思った。

 

 

 AR-15はグリフィン本部の地下にある機密地区に搬入されていた。機密地区に常駐している人間は誰もいない。許可を受けた限られた人間しか入ることは許されない。指揮官は社員証をドアの読み取り機にかざす。自動ドアは横にスライドし、指揮官を通した。すでに指揮官には権限が付与されている。機密地区の廊下は無機質だった。ゴミ一つ落ちていないが何の飾り気もない。ただ白い壁が連続しているだけだ。左右には威圧的な金属製の自動ドアが並んでいる。それぞれに司令室、談話室、宿舎、食堂などとそっけなく書かれている。機密地区だからといって非人間的なデザインにする必要はないだろう、指揮官はそう思った。

 

 

 指揮官は自分の部屋に割り当てられている司令室に入った。そこにはAR-15がいた。ドアに背を向け、誰もいない机の前でピシッと立っていた。ここに連れて来られてからずっとそうしていたのかもしれない。指揮官に気づくとくるりと振り返る。きれいな人形だった。透き通るような蒼い目が指揮官を捉えた。民生品からの転用ではないのにここまでデザインに凝る必要はあるのだろうか、指揮官は疑問に思った。

 

 

「AR-15よ。16LABからグリフィンに貸し出されました。あなたが指揮官ですか?命令をお願いします」

 

 

 AR-15は淡々と言った。まるで表情機能を搭載していないかのようだ。白紙の状態というのは本当らしい。

 

 

「グリフィンの指揮官だ。お前の教育係を務めることになってる。よろしく」

 

 

 右手をAR-15に差し出す。AR-15は差し出された手をじっと見ていた。

 

 

「これは?」

 

 

「握手だよ。手を差し出されたら握り返すもんだ」

 

 

「それは知っていますけど……人形と握手を交わすことに何の意味が?」

 

 

 AR-15は慣れていないのかたどたどしく指揮官の手を握った。思ったよりも厄介な任務になるかもしれない、指揮官はAR-15を見て思う。

 

 

「それで指揮官、あなたは私に何を望むの?16LABではいつも命令があったわ。運動性能を見せろとか戦闘訓練をしろとかね。ここでは私は何をすればいいの?」

 

 

「そうだな……」

 

 

 指揮官は一瞬答えに窮した。正直に答えてもきっと今のAR-15では理解できまい。それに後々不信を抱かれるかもしれない。君たちは人間に信頼されていない、そう告げれば関係に支障をきたすかもしれない。命令書にはAR-15本人に任務を伝えよ、とは書いていなかった。

 

 

「お前の任務は戦う理由を見つけることだ。何のために戦うのか、それを考えて欲しい。願わくはその理由が人間のためであってほしいとグリフィンは期待している」

 

 

 指揮官はそうでっち上げた。人間のために戦えとただ命令したところでM4A1からの命令にかき消されるかもしれない。なら本人に人間のために戦う理由を探してもらえばいい。それが手っ取り早いだろうと思ったのだ。

 

 

「戦う理由?人間のため?よくわからないわね。戦う理由なんて必要かしら。戦術人形は兵器よ。命令されるから戦う、それだけでしょう。私は銃の延長でしかないわ。人間の代わりに引き金を引くだけ、考える必要はないわ。それにそもそも戦術人形が製造されるのは人間のためでしょう。人間が欲するから生まれ、人間が欲するから戦う。私が戦うのは最初から人間のためよ」

 

 

 AR-15はよどみなく言う。経験は真っ白でもよく頭の回る人形だ。これならば反乱を恐れる勢力がいるのも頷ける。既存の人形とは一線を画している。

 

 

「それじゃだめだ。それはお前が考えた理由じゃないからな。人間がお前を作った理由に過ぎない。お前は自分で理由を探す必要がある。そのためにメンタルモデルと疑似感情が搭載されてるんだ。考える必要がないのならそんなものは必要ない。人間の指示だけで戦うなら昔の戦闘機械だけで十分だ。お前たちARシリーズには優れた思考能力が備わっている。たとえ人間の指示がなくても独自に判断し、戦闘を行えるように設計されている。お前には考える必要があるんだ」

 

 

 指揮官が言い終わるとすぐにAR-15は反論した。少しムキになっているのかもしれない。

 

 

「考えるのは指揮官役のM4A1がやればいい。私はM4A1に付き従うように設計された。私の指揮、判断能力はM4A1に劣っている。私が考える必要はないでしょう?」

 

 

「お前の任務が終わるまで残りのARシリーズは発注されないことになっている。少なくとも任務が完了するまではお前は自分で考えないといけないんだ」

 

 

 AR-15はしばらく指揮官を見つめていた。反論が思いつかなかったのか、ため息をついた。AR-15は考える必要がないと言いつつ、指揮官に反論するため思考した。もし、本当に考える必要がないのなら、命令に従うだけでいい。面白い人形だ、指揮官は任務が案外楽しいものになるかもしれないと思い直した。

 

 

「わかったわ、それが任務だと言うのなら。16LABではこんなに複雑な命令は下されなかった。単純な命令ばかりだったから、戦う理由なんて考えたこともないわ。どうすればいいの?」

 

 

「そうだな……例えば失うのが怖いものを守るために戦う。これは最も単純でありふれた理由だ。何か失いたくないものはあるか?」

 

 

 AR-15は間髪入れずに即答する。

 

 

「ないわ。私は製造されて間もないから何も持っていない。私物はないわ。それに人形には所有権なんて認められていないでしょう。もし私物があったとしても、失いたくないものなんてないでしょうね。大抵のものは補充できるわ」

 

 

 指揮官はAR-15が持っている銃を指差す。長い銃身を持つカスタムされたAR-15だ。今は弾倉が取り外されている。

 

 

「銃はどうだ。戦術人形にとって銃は半身だ。失うのは嫌だろう」

 

 

 AR-15は自分の銃をしばらく眺める。きっとそのようなことを考えるのは初めてなのだろう。少し間をおいて顔を上げた。

 

 

「そうね。銃を失うのは嫌。私の身体の一部だから。でもそれは腕や脚を失うのを嫌がるのと同じこと。失うのを恐れているわけじゃない。戦闘能力が下がるのが嫌なの」

 

 

「なぜ嫌なんだ」

 

 

「戦術人形は命令に反しない限り、自己保存を追求するように作られてる。その方が効率的に戦えるから。そのプログラムに逆らうことになるから、嫌。命令以外で考えるなら私は自己を防衛するために戦うのかしら。これが私の戦う理由でしょう」

 

 

「だめだな。それはお前が考えた理由ではない。搭載されているプログラムがそう命じてるだけだ。もちろん、自分を守るために、死なないために戦うのは立派な理由だがな」

 

 

「ふうん、そういうものかしら」

 

 

 AR-15はよくわかっていないようだったが一応返事をした。

 

 

「死にたくないと自分で思えるようになるか、はたまた他の理由を見つけるか、それまでは任務は終わらない。お前も俺もここから出られないだろう。何も初日で見つけろと言ってるんじゃない。そのために俺が寄こされたんだしな。これからよろしく頼む」

 

 

「そうね、任務なんだものね」

 

 

 AR-15はまた、ため息をついた。

 

 

 

 

 

 AR-15を彼女用の宿舎に案内する。案内と言ってもすぐそこだった。その宿舎は機密地区全体のデザイン同様無機質だった。壁は廊下と同じで真っ白、地下なので窓もない。簡素なベッドが等間隔に4つ並べてある。すでにARシリーズすべてを揃えたつもりらしい。指揮官にはその部屋が精神病院の相部屋のように思えて不快だった。

 

 

「ここがお前の部屋だ。ベッドは好きなのを使え。機密地区は好きに歩き回っていい。特に何もないが。それからこれを渡しておく」

 

 

 AR-15にタブレット型の端末を手渡す。

 

 

「お前の端末だ。渡すように命令された。その端末からグリフィンのデータベースにアクセスできるようになっている。指で操作してもいいし、自分と直接繋いでもいい。後者の方が早いだろうな。とりあえず今日は以上だ。明日まで待機だ、おやすみ」

 

 

「おやすみなさい、指揮官」

 

 

 AR-15は機械的にそう返した。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、指揮官は宿舎に向かった。AR-15はベッドに座って天井を眺めていた。端末をいじった形跡はない。この宿舎には何もなさ過ぎて照明を見ているくらいしかやることはないだろう。指揮官は気の毒に思った。

 

 

「おはよう」

 

 

 挨拶をするとAR-15も顔をこちらに向ける。

 

 

「おはよう、指揮官。今日の指示は何?」

 

 

 AR-15は機械的に挨拶を返す。

 

 

「模様替えさ」

 

 

 指揮官は丸めて持ってきた壁紙を見せる。やわらかなクリーム色をした壁紙だ。昨晩、グリフィン本部倉庫のデータベースから検索し、届けさせた。経費では落ちないらしく自腹で払った。

 

 

「模様替え?する必要を感じないけど。私はこの部屋に不満はないわ」

 

 

 AR-15は疑問を口にする。この部屋は今のAR-15と同様、白紙の状態だ。だがそれではいけない。AR-15にはこの部屋に不満を持つように育ってもらわなければならない。そう、人間らしく。

 

 

「お前がよくても俺は嫌なのさ。どうせすることもないんだから手伝え。これも任務だ」

 

 

「そう。わかったわ」

 

 

 そう言うとAR-15は立ち上がる。壁紙の裏面にはテープが貼られており、はがすとのり面が露出する。壁紙の端と端を指揮官とAR-15が持って壁に貼り付ける。天井まで背が足りないのでベッドに乗った。未使用のベッドに足を踏み入れるのは多少申し訳ない気がした。

 

 

「指揮官の側が2cmずれてるわよ」

 

 

「そうか?いや、そうだろうな。こういう作業は絶対に人形の方が得意だ。人形より人間が優れている分野など数えるほどしかない……」

 

 

 AR-15は指揮官の言葉を聞き流した。これが初めての共同作業というわけだ、指揮官は心の中でつぶやく。これからAR-15が最も接触する人間は指揮官となる。もし、彼女を人間のために戦わせたいというならまず指揮官が彼女の信頼を得なければならないだろう。指揮官にはあまり自信がなかった。

 

 

「昨晩、任務について考えていたの。私の戦う理由を見つけたわ」

 

 

 作業を続ける中、AR-15が突然切り出した。

 

 

「もうか?」

 

 

「私が生み出された理由は指揮ユニットであるM4A1の補助でしょう。私はM4A1と常にチームを組んで戦うことを前提に設計されている。M4A1を守り、M4A1の目となり耳となり支援する、それが私の戦う理由。私はM4A1のために戦うわ。これでいいでしょう。任務は終わりよ」

 

 

 どうやらAR-15は一晩中、戦う意味について考えていたようだった。それが任務だからだ。

 

 

「それではだめだ」

 

 

「なぜ?人間のためではないから?M4A1は人間の命令で人間のために戦うでしょうから、私も人間のために戦うことになるわ。同じことよ」

 

 

 AR-15は明らかに不服そうだった。考えるなどという厄介な任務を早く終わらせたいのかもしれない。

 

 

「そうじゃない。何のために戦うかについて俺は文句は言わん。自分で考えろと言ったしな。だが、お前の言ったことはお前が考えたものじゃない。16LABがお前を作った理由だよ。違うものだ」

 

 

「違うの?」

 

 

 AR-15は首をかしげる。いつの間にか作業は止まっていた。本来、M4A1のために戦うという理由ではいけない。AR-15はM4A1が反乱を起こした時、それを止められなくてはいけない。M4A1のために戦う戦士では役に立たない。だが指揮官はそれを否定する気にはならなかった。

 

 

「違うさ。16LABは神様じゃない。連中の決めたことに必ずしも従う理由はない。人間の親子みたいなものだ。16LABは親で、お前は子どもだ。親は子どもに何かしらの期待をして、産み、育てる。こういう風に育って欲しいとね。だが、子どもはそれに従う必要はない。親は所詮、他人だからだ。子どもには自分で自分の生きる道を選択する権利がある。親の決めた道を歩く必要はない。お前も同じだ。自分の生き方は自分で決めろ。お前が自らM4A1のために戦うと決めるならいいがね」

 

 

「それは難しいわね。まだM4A1は製造されてないから会ったこともない。私の中にデータとして存在しているだけ。会ったこともない人形のために戦うと自ら決めることは難しいわ。しかし、権利、権利ね。面白いことを言うのね、指揮官。人形に権利なんてものがあると?人形が権利なんて主張し出したら人間社会は成り立たないでしょう。グリフィンもね。組織として崩壊するわ。人形は考えない道具であった方が戦闘効率もいいでしょう」

 

 

 AR-15は猛然と反論する。では、人間である指揮官に考えて噛みついている彼女は何なのだろうか。

 

 

「そうでもないさ。最近は人形をないがしろにすると世間がうるさいんだ。人形を捨て駒にしたりはできない。ロボット人権運動が活発になってるからな。そう考えている人間は少なくない。それにお前は特別製だよ。上がお前に考える権利を直々に認めてるんだ」

 

 

「ふうん」

 

 

 AR-15は納得がいっていないようだったが、それ以上は言わなかった。また、作業に戻る。

 

 

「つまりだ。お前は今、この作業に何の意義も感じていないだろう。ただ命令されたからやっているだけだ。それじゃだめなんだ。いつか壁紙を変えた意味がわかるようになって欲しい」

 

 

「意味ねえ、わからないわ」

 

 

 AR-15は頭を振った。

 

 

「いつかわかるさ。何か家具が欲しくなったら言ってくれ。注文してやる」

 

 

 AR-15は答えなかった。

 

 

 

 

 

 

「お前に教育ビデオを見せてやる」

 

 

 作業が終わった後、AR-15を談話室に連れて行った。いくつかの椅子と机が並べてある。部屋の端には大きなモニターが備え付けてあり、その前には白いソファーが置いてあった。機密地区の部屋の中では一番人間味のあるところだった。AR-15をソファーに座らせる。

 

 

 命令には教育の一環として映画を見せろと書いてあった。ご丁寧に何を見せるかの順序まで決まっている。すべて戦前の映画だった。人類は芸術に傾ける余力を失った。長編の大作映画など20年は作られていないだろう。

 

 

 指揮官はモニターの画面を操作して映画フォルダを呼び出す。映画はあらかじめモニターにインストールされていた。指定された映画の再生を開始すると指揮官もAR-15の隣に座った。

 

 

 映画は地球に侵略してきたエイリアンと人類が戦うという話だった。圧倒的な力を持つエイリアンに人類は追い詰められる。それに対し人類は一致団結して戦う。最後はエイリアンの船にコンピューターウイルスを注入して勝利するという荒唐無稽な物語だった。AR-15は最後まで黙って観ていた。指揮官には上がこの映画を指定してきた意味がわかった。人類がいかに素晴らしい存在で、守るべき存在かAR-15に刷り込もうというのだろう。だが、この状態のAR-15に見せても意味はないのではないだろうか。俺にそれを言い聞かせろということか、指揮官は気づいた。

 

 

「AR-15、どう思った」

 

 

「どう、と言われてもね。これを見せて私に人間のために戦う気にさせたいんでしょう。それはわかったわ。私はそんなことしなくても人間のために戦うと言っているのにね。こんなことをしてまで私に考えて欲しいの?」

 

 

 AR-15も上の意図に気づいていた。さすがに頭のいい人形だ、指揮官は舌を巻く。

 

 

「お見通しか、さすがだな。そう、グリフィンはお前に考えて欲しいんだ。それで?人間のために戦いたくなったか?」

 

 

「戦いたいかと言われると、違うわね。命令だから戦うの。それに映画というのは作り物なんでしょう?映画の中で何が起きても私には関係ないわ。M4A1やほかのARシリーズの人形と同じ。データとして私の中に存在するけど、実際には会ったことがない。私がまともに接した人間はあなただけ。16LABの研究員たちとはほとんど顔を合わせたことがないから。それなのに人間全体のために戦え、考えろと言われても無理よ」

 

 

 そう言ってAR-15はため息をついた。この人形は賢い、情報を与えれば勝手に考えるだろう、指揮官の直観がそう告げていた。

 

 

「映画はデータに過ぎないか、そうだな。なら俺が人間について話してやろう。データじゃない、本物の人間の声さ。まず言おう。人間はエイリアンが攻めてきたって団結したりはしない。人間は最後の一人になるまで自分の組織や民族に固執しているはずだ」

 

 

 指揮官は自分がこれから話そうとしていることが任務に反していることに気づいていた。だが、なんとなくAR-15に率直に話してやろうという気になった。AR-15も映画を観ている時よりは興味を示しているように見えた。

 

 

「実際にそうだった。崩壊液が世界にまき散らされた時、俺は子どもだった。崩壊液で世界中が汚染されて住める土地が大きく減った。俺の住んでいた街は運よく汚染されなかった。住む場所を失った難民が大量に押し寄せたよ。最初は優しく接していた街の連中もすぐに冷たく接するようになった。家にも入れないし、食べ物だって与えなくなった。最初の一年で難民の大半は凍死するか餓死した。同じ国民だったのにな。おまけにE.L.I.Dまで現れた。崩壊液に汚染された人間だ。そいつらは生き残った人間に襲い掛かって来た。まさに絶望だ。人間は絶滅の瀬戸際にいた」

 

 

 そこで指揮官は一息いれた。AR-15は真っすぐ指揮官を見ていた。

 

 

「だが人類が団結したかと言うと、NOだ。同じ国民にも優しくできないんだからよその連中になんて無理さ。食料、土地、資源、ありとあらゆるもののためにそれぞれの国が争いだした。第三次世界大戦だ。そして、とうとう核まで使った。その後も互いを滅ぼさんばかりに戦い合った。結果として人間の生息域も個体数も戦前よりはるかに少なくなったのさ。それはなぜかといえば“人類”なんて最初からいなかったからだ。誰も“人類”なんていう共同体に属しているつもりはなかったし、その共同体を率いれるだけのリーダーもいなかった。みんな、国家、宗教、民族、組織、そういった小さなもののために戦っていた。人間は映画に描かれるほど賢い種族じゃないんだ」

 

 

 言い終わると指揮官はふうと息を吐いた。AR-15はそんな指揮官を見ながら考えこんでいたが、やがて口を開いた。

 

 

「あなたは……私に何を望んでいるの?私に何のために戦って欲しいの?今の話を聞いても、人間のために戦おう、という気にははならないはずよ、誰だってね」

 

 

 AR-15は疑問をそのまま口にする。指揮官の話を聞いて混乱しているようだった。指揮官はその理由に気づく。

 

 

「俺はグリフィンがお前に人間のために戦ってくれるよう期待してると言ったが、俺がそう思ってるわけではない。まあ、組織に属する人間としてはだめなんだが、さっきも言った通り人間は愚かな種族でね。同じ組織に属していても統率が取れないのさ。俺がお前に期待することは、お前が自分で理由を見つけ出すことだ。理由は何だっていいよ。俺はお前に情報を与えるから、お前が自分で考えろ」

 

 

 指揮官はそう言い切った。嘘はなかった。これは明らかに命令違反だな、そう思うと笑みがこぼれた。

 

 

「なにそれ、変な人ね」

 

 

 そんな指揮官につられてAR-15も笑った。AR-15がここに来て初めて浮かべる人間的で温かい表情だった。指揮官はその表情を見て、きれいだなと思った。彼女のそんな表情をもっと見たい、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 その夜、指揮官は報告書をタイプしていた。AR-15の教育に関するものだ。彼女とどんな会話を交わしたか、どのような反応を示したかをまとめる。指揮官は思わず笑ってしまった。命令とは完全に違うことをしている。人間を称えるどころか、人間は愚かだとぼろくそにけなしている。任務を外されるか、クビにされるかもしれないな、指揮官は口元を押さえながら思った。

 

 

 だが、それでもいい。指揮官の職にもグリフィンにも未練はない。退職金がもらえないのは少し残念だが微々たるものだ。それよりもAR-15を成長させたい。イデオロギーを押し付けるのではなく、彼女の自由に任せる。自分で考えるAR-15を見てみたかった。彼女は頭がいい。グリフィンは彼女に手を焼くことになるだろう。そんな彼女を消すにはメンタルモデルの初期化しかない。だが、上司はARシリーズの導入に焦っているようだった。きっと教育をやり直すような時間はない。グリフィンを引っ掻き回すAR-15を想像すると愉快だった。クビになるまでせいぜいグリフィンに抵抗してやろう、指揮官はほくそ笑むのだった。

 

 



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死が二人を分かつまで 第二話「仲間」

 

「昨日のことを考えていたの」

 

 

 昼食の席でAR-15が切り出した。指揮官とAR-15は食堂にいた。長い机が3つ並べられており、20人分は椅子がある。真ん中の机の端に二人だけが座っていた。立派なキッチンはあるがコックはいない。機密地区に一般職員を立ち入らせたくないからだろう。指揮官が大きな冷蔵庫を開けると大量のレトルト食品が収められていた。二人が今食べているのはそれを温めたものだ。味は野戦糧食よりはうまかった。

 

 

「16LABの研究員が人形は人類に奉仕するために生まれたと言っていたわ。でもあなたが言うには“人類”なんて統一された共同体はないんでしょう。なら人形は何のために生み出されるの。いないもののためには戦えないわ」

 

 

 AR-15はフォークで何かの肉片を突き刺しながら言った。何の肉かはわからなかった。これはいい兆候だ、と指揮官は思った。早くもAR-15は自分の存在理由について悩みだしている。

 

 

「それが建前だからさ。I.O.Pは人類に奉仕するために人形を製造してるんじゃない。100%善意なら無料で配ってくれればいい。自社の利益のためだよ。第三次世界大戦で人間が大勢死んだから労働力の需要が生まれた。そこでI.O.Pは人形を作って利益を上げようと思いついたんだ。ビジネスだよ。市場を独占して、利益を上げ、会社の規模を拡大するために人形を製造してる。人類のためなんかじゃない」

 

 

「ふうん。私がグリフィンに購入されたら、I.O.Pが私を生み出した目的は完遂されるのかしら」

 

 

 それだけではないかもしれないな、指揮官は思った。需要と供給、AR-15が人間と同じものを食べている理由はなんだろうか。人間と同じように消費させ、需要を生み出すためかもしれない。そういえばこのレトルト食品のパッケージにはI.O.Pの文字が印字されていた。手の広い企業だ。

 

 

「まあ、つまり人間だとか人類だとか、I.O.Pがお前を生み出した意味にこだわる必要はない。自分で探し出せ。グリフィンはお前に人間のために戦って欲しいなどと言っているが、グリフィンは人間のために戦っているわけではない。I.O.Pと同じで自社のためさ。グリフィンは鉄血と戦っているが、前線では同業他社といがみ合って足の引っ張り合いをしてる。本音はグリフィンのためだけに戦って欲しいんだ。他の人間なんてどうでもいいんだ」

 

 

「グリフィンはどうしても私を人間のために戦わせたいみたいだけど、あなたは違うみたいね」

 

 

 AR-15は苦笑した。

 

 

「戦う理由ってのは誰かから押し付けられるものじゃないんだ。I.O.Pやグリフィンみたいに自分のためだけに戦うのも理由の一つになる。誰かのために戦ってる人間より自分のために戦ってる人間のが断然多いだろうしな。お前は自分のために戦えるか?」

 

 

 指揮官がそう言うとAR-15は渋い顔をする。

 

 

「難しい質問ね。自分のために戦う人形は許されるのかしら。プログラムされた自己防衛本能に従って戦うのは違うと言うんでしょう?」

 

 

「そうだな。死にたくないと思ったことは?」

 

 

 AR-15は少しうなって考え込む。その顔には迷いがあった。

 

 

「ない、と思うわ。とは言え私には死に直面した経験がないから、わからないわ。まだ、実戦に投入されたことはないし。戦闘と言えば16LABでVR訓練を受けただけよ。その中で何度か戦闘不能になったわ。実戦なら死んでいたでしょう。でも何も感じなかった。訓練ですもの」

 

 

「そうだな、実戦と訓練はまったく別のものだ。VR訓練なら死ぬ危険もないしな。まだ、この話題は早いかもしれない。まあ、死にたくないと思える理由を探してくれ。自分のためでも、他のことのためでもいい」

 

 

 それからは思いを巡らせているのかAR-15は無言になった。食器の奏でる金属音だけが響く。

 

 

 

 

 

 

 その後は命令通り談話室で映画を観た。今度の映画は前世紀の戦闘を描いたものだ。特殊部隊が敵支配下の都市で作戦を行う。簡単な任務のはずだったがヘリコプターが撃墜されてしまう。兵士たちは仲間を置いていかないために激しい市街戦に突入する。その結果、大勢が死ぬ。たとえ犠牲を払っても仲間を見捨てない、そういうメッセージが込められた映画だった。

 

 

 この映画の兵士たちは人形と同じだ。自分たちとは関係のない戦争を命令されるから戦っている。だが、兵士たちは戦う意味を見出している。ともに戦う仲間たちのためだ。指揮官にはこの映画を指定してきた上の意図がよくわからなかった。AR-15の場合、ともに戦う仲間はM4A1やほかのARシリーズだ。AR-15を監視役にしたいのなら、仲間のために戦わせてはいけないのではないか。それとも、グリフィンの人間たちを仲間と思わせろということだろうか。指揮官は判断しかねた。

 

 

 AR-15は映画を観ている間は反応を示さない。無表情に画面を眺めていた。おそらく任務だから集中して観ているのだ。グリフィンが自分に何を望んでいるか必死に考えているに違いない。

 

 

「AR-15、この映画から何を感じ取った」

 

 

 エンドロールの最中、AR-15に問いかけた。彼女は特に悩んだ風でもなく答えた。

 

 

「戦う理由の一つを私に例示しているんでしょう。昨日のが人類のためなら今日のは仲間のためね。人類、仲間、国家、組織、どれもピンとこないわ。私は人間とはあなたとしか接してないし、他の人形には会ったことがない。私には仲間はいない。だから、仲間のために戦えと言われても無理よ」

 

 

 指揮官の勘違いでなければ、仲間について話す彼女は少し寂しげだった。彼女は無意識のうちに孤独を感じているのかもしれない。

 

 

「M4A1やM16A1、SOPMODⅡは仲間とは思えないか」

 

 

「まだ製造されていないのだからね。データとして存在はしているけど。私たちは一つのユニットとして戦うよう設計されている。彼女たちは私にとって重要だけれども、仲間ではない。映画を観る限り、互いに認め合わなければ仲間ではないでしょう?もし、私が勝手に仲間だと思っていても、それは仲間とは言わないわ」

 

 

 AR-15は彼女なりに仲間というものを定義してみせた。経験が浅くとも彼女は情報を与えてやれば独自に判断できるのだ。

 

 

「では、仲間に会うために戦うというのはどうだ。お前の任務が終わらなければ仲間は生まれてこない。会うこともできない。この任務も戦いみたいなもんさ、銃は使わないけどな。彼女たちに会いたいか?」

 

 

「それは……わからない。彼女たちと組むことで私の真価が発揮されるなら、会ってみたいかもしれない。でも……私は彼女たちと仲間になってみたいのかしら?わからないわ、他の人形に会ったことないもの」

 

 

 AR-15は自分に問いかけていた。指揮官の仕事は答えを提示することではない。彼女自身に考えさせることだ。そういうことにした。立ち上がってモニターの電源を消す。

 

 

 同じシリーズや同じ会社で製造された銃を持つ戦術人形は深い絆でつながれている。仲間や姉妹、その関係性は様々だ。姉妹になる人形は製造される前からその関係をインプットされている。もう一方が製造前であったとしても、強い親愛の情を抱いているはずだ。AR-15も本来はARシリーズと姉妹の関係になるはずだったのではないか。上司は基礎的なパーソナリティしか搭載していないのは特別な措置だと言っていた。ARシリーズはきっと姉妹の関係で結ばれている。妹たちはAR-15に家族として接するだろうが、AR-15はまだ仲間だとも思っていない。AR-15はおそらく齟齬に直面することになるだろう。彼女たちが製造される前にAR-15をできる限り助けてやろう、指揮官はそう決めた。

 

 

モニターを消して、これからどうしようかと考えていた指揮官にAR-15が話しかけてきた。

 

 

「指揮官、人形の死に価値があると思う?」

 

 

「なに?」

 

 

 いきなりの問いに面食らった。急に人生哲学に目覚めたのだろうか。

 

 

「昼に話したことと映画で見たことについて考えてたのよ。あなたは私に死にたくないか聞いたし、私もそれに答えた。でもそれは人形の死に価値があるということを前提にしていないかしら。死、というのも比喩でしょう。人形は機械なんだから機能停止するだけ。完全に破壊されてもバックアップがある。人間は死んだら終わりでしょうけど、人形はバックアップから復元できる。死ぬことはない、実質的に不死よ。だから、私が死にたくない理由を探すのは無意味じゃないかしら。仲間についてもそう。仲間の人形だってバックアップから復元できるのだから、仲間を守るために戦うこともないでしょう。映画のように犠牲を払ってまで仲間を助ける意味はあるかしら?私はそう思うわ」

 

 

AR-15はすらすらと言い切る。その様子はどこか得意げだった。自身のスペックをフルに使ってはじき出したのだろう。指揮官も感心した。だが。

 

 

「それは違う」

 

 

 指揮官は否定した。思わず語気が強くなる。指揮官がそのように言うのは初めてだったので、AR-15は少し驚いたようだった。

 

 

「人形には確かにバックアップがある。記憶のな。だがメンタルモデルのバックアップはない。メンタルモデルは複雑で、容量も大きい。生きたデータなんだ。経験を積んで常に進化する。どのように変化したかをたどることは設計者にだって難しい。どのメンタルモデルも唯一無二なんだ、代わりはない。だからバックアップは作れない。完全に破壊されれば復元は不可能だ。バックアップとして別の素体に同じ記憶をインストールすることはある。だが、それは記憶を埋め込まれただけで別人だ。同じ記憶を持つが人格が異なるんだ。メンタルモデルを破壊されたときが人形にとっての死だ。映画を観たこと、何を感じたかは記憶としてバックアップに受け継がれる。でも、実際に経験したお前は消えるんだ。だから、みんな仲間のために戦う。仲間を死なせないために。お前も死んでもいいなんて思うなよ」

 

 

 いつの間にか指揮官はAR-15に詰め寄っていた。AR-15は気迫に押されてたじろぐ。

 

 

「そうなの?あなたはずいぶん人形に入れ込んでるのね。指揮官は人形を道具と割り切った方がいいんじゃないの?」

 

 

 指揮官は頭を横に振って否定する。

 

 

「そうでもない。人間と人形の信頼が重要なんだ。人形を見捨てるような指揮官では部隊は全力を発揮できない。指揮官は人形から信頼されなくてはならない」

 

 

 指揮官はAR-15からゆっくりと離れる。その言葉はAR-15に向けたのではなく、自分に言い聞かせるような調子だった。

 

「そういえば聞いていなかったわね。指揮官、あなたは何のために戦うの?指揮官というんだから、人形を率いて戦っていたこともあったんでしょう?ずっと人形の雑談相手を務めていたわけではないはずよ」

 

 

 AR-15は指揮官個人に対して初めて興味を示した。指揮官がこの話題に過敏に反応した理由が気になったのだ。指揮官はふう、と息を吐いて呼吸を整える。

 

 

「俺の戦う理由か。そうだな……昔は国家のために戦っていた。みんなそうしていたし、国家は尽くす価値のあるものだと思っていた。だが戦争が終わってある時気づいたんだ。国家なんてクソだ、守る価値なんてないとね。それからは仲間のために戦った。同じ部隊の人間たちだ。肩を並べて、命を預け合うもの同士な。ちょうどさっきの映画のように。グリフィンに入ってからは率いることになった人形たちのためだ。みんな大事な仲間だった」

 

 

「人形が人間と仲間になれるの?」

 

 

 AR-15は訝しむ。

 

 

「なれるさ。人形も人間も大して変わらない。俺は人間と同じように喋り、笑い、泣く人形をただの機械だと割り切れるほど冷徹にはなれなかったからな。部下を死なせないように必死で戦った。戦ったと言っても安全な場所から指揮をしていただけだがね。それが俺の戦う理由だった。今は……わからないな。俺は今、部隊を持っていないから仲間はいない。考えてみればお前と同じかもしれない」

 

 

 指揮官はあごに手を当てて考え込む。そして何か思いついたように顔を上げた。

 

 

「一つあった。金のためだ。お前は知らないかもしれないが、グリフィン本部勤務の指揮官というのは高給取りなんだよ。みんなうらやむエリート様さ」

 

 

 指揮官はわざとおどけて言ってみせる。そんな指揮官を見てAR-15は頬を緩ませる。

 

 

「高給もらって私と映画を観ているわけね」

 

 

「そうさ。お前は厄介な人形だから俺くらいじゃないと相手は務まらない。給料泥棒なわけじゃない。お前は高級な人形だからその話し相手が高給をもらうのは当然だ」

 

 

 AR-15はくすくすと笑った。指揮官もつられて笑う。彼女の柔和な顔を見る。心を通わせることができただろうか、と思う。相変わらずAR-15の笑顔は眩しかった。

 

 



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死が二人を分かつまで 第三話「ケーキ」

 昼下がりの午後、二人は談話室にいた。AR-15は映画を観ながらあくびをかみ殺す。

 

 

「いい加減この生活も退屈か?」

 

 

 隣に座る指揮官がそんなAR-15に問いかける。

 

 

「そうでもないわ。16LABにいた時と比べたら毎日が新鮮よ。高給取りの相談役もついていることだし」

 

 

 あれから10日が経った。AR-15とずっと一緒にいて、映画を観て、話し合う。毎日がそのルーチンワークだった。指揮官はその生活に飽きていなかった。彼女の成長は目覚ましいものがある。AR-15はずっと感情豊かになった。冗談も言うようになった。高給を貰ってると言ったことを気に入ったのかネタにしてくるようになったのは予想外だったが。

 

 

「でも戦術人形がこんなことをしてていいのかしら。戦うための人形なんだから訓練くらいはすべきなんじゃないの」

 

 

 AR-15はソファに体重すべてを預けだらりとしていた。任務だからと映画を真剣に眺めていたころが懐かしい。

 

 

「俺もそう思うが、ここには訓練場もVRシミュレーターもないしな。グリフィンは他のARシリーズが揃ってから訓練をするつもりなんだろう」

 

 

「戦う理由がそんなに重要かしらねえ」

 

 

 感情は豊かになったものの、AR-15は肝心の戦う理由は見つけられていなかった。実際に戦いを経験していないのだから当然かもしれない。指揮官も上が何を考えているのかわからなかった。なぜ自分がこの任務を任せられたのか皆目見当もつかない。命令違反だらけの報告書を出しても何も言ってこなかった。ますます訳がわからない。

 

 

 会話が途切れ二人は画面を眺める。兄弟全員を失ったある兵士を帰国させるため、兵士たちが戦場でその兵士を探し回る映画だ。彼らを率いる中隊長の前歴はまったくの謎で、それを突き止めることが賭けの対象になっている。ちょうど兵士たちが任務について揉め出し、それを収めるために中隊長が高校の教師だったと告白するシーンだった。

 

 

「過去、歴史、経験の積み重ね、どれも私が持ってないものね。私の記憶にはほとんどここしかない」

 

AR-15は呟いた。その声にはどこか寂しさがあった。

 

 

「羨ましいか、過去を持ってることが」

 

 

「わからない、戦うためには経験は多い方がいいんでしょうけど。私は過去を持ってる人間が羨ましいのかな」

 

 

 AR-15は顎に手を当てて考え込む。もう考えることも慣れたものだ。文句を言うこともない。

 

 

「そうね、きっと羨ましいんだわ。人間たちは私よりも長く生きていて、私の知らないことをよく知っている。私はもっと新しいことを知りたいと思ってるのね」

 

 

 AR-15が自身の欲求をはっきり言うのは初めてだった。AR-15は成長している、指揮官は改めて感じた。じきに指揮官も必要ではなくなる。AR-15は一人でも任務をこなせるようになる。人間の助言は必要ではなくなる。喜ばしい反面、少し寂しい気もした。

 

 

「そうか、新しいことか。そういえば明後日テストがある。お前のメンタルモデルをチェックして任務の進捗を調べるんだ。もし、上が任務は完了だと言ったらお前はここから出て行ける。新しいこともたくさん知れるだろう」

 

 

「そうなの?」

 

 

 AR-15は期待に満ちた顔で指揮官を見た。指揮官は頷いた。さすがに任務が終わることはないだろう。なぜなら上が求めてきているものを何一つ達成していないのだから。指揮官はそう思うと苦笑いを浮かべた。

 

 

「そう、外ね。映画ではたくさん見たけど実際には見たことないわね。私は16LABとここしか知らないから。楽しみかもしれない。外に出てみたいというのは戦う理由になるのかしら?」

 

 

「ああ、なるだろうな」

 

 

 AR-15はなんだか上機嫌だった。新しい世界への期待で胸が躍っているのだろう。だが、外の世界は彼女が期待するようなものではない。戦争で土地も人心も荒廃した世界だ。貧困と格差に苦しむ人々をPMCが力で押さえつけている。彼女の配属される前線ではI.O.Pの人形と鉄血の人形が憎しみ合っている。彼女はずっとここにいた方が幸せなのではないかと思う。これは決めつけだ、指揮官はその考えを否定する。AR-15なら彼女なりに世界に魅力を感じるに違いない。おおかた彼女を手放すのが惜しいと思っているからこのようなことを思うのだ、指揮官は心からそうした考えを振るい落とす。

 

 

 それにグリフィンが彼女に望んでいることは自分なりの戦う理由を見つけて欲しいなどという無邪気なものではない。彼女に人間側のスパイになれと言っているのだ。今度のテストでまったく進捗がないという判定が出れば自分はクビにされるだろう。そうすればもっと適任の教育係がやってくるだろう、それこそ政治将校のような。その時、彼女は笑みを浮かべていられるだろうか?

「指揮官、そういえば思ったことがあったのよ」

 

 

 指揮官が物思いにふけっているとAR-15が話しかけてきた。思わずはっとする。彼女と過ごす中で考えすぎる癖がついたかもしれない。

 

 

「あなたは私に自分で戦う理由を考えろと言った。でもそれは命令よね?本当にそれは私の意思なのかしら。私に選択の余地はない。自分のプログラムからの命令なら意図的に無視することができる。でも、上官からの命令なら無視したら処罰されるわ。私のような人形の場合、廃棄処分かしら。人間の命令に従わない人形なんて役立たずだからね。あなたは私の自由意志を尊重するかのようにふるまっているけど、命令なんだから最初から自由意志はないわ」

 

 

「日に日にお前は哲学者めいてくるな。学者もお前みたいな人形にやらせた方が効率的かもしれない」

 

 

「ちょっと、茶化さないでよ。私の相談役でしょ」

 

 

 指揮官が冗談を言うとAR-15はむくれて怒る。質問の内容と彼女の子どもっぽい仕草のギャップに思わず笑ってしまう。そうすると彼女はますますふくれるのだった。

 

 

「悪かったよ、機嫌を直せ。命令は絶対じゃないさ。お前には俺やグリフィンからの命令を拒否する権利がある」

 

 

 AR-15はまったく信じられないという顔をする。

 

 

「嘘でしょう。私の生殺与奪の権利はグリフィンが握ることになる。まだ私の所有権はI.O.Pにあるからあなたに楯突いていられるけどね。グリフィンが私を正式に購入したらそんなことしていられなくなる。命令に従わない人形は廃棄処分でしょう」

 

「その処分にも従わなければいいさ」

 

 

 AR-15は予想外の反応をされて驚いたようだった。

 

 

「ありえないわよ。どうやったらそんなことができるって言うのよ」

 

 

 そんなAR-15に指揮官は笑いかける。

 

 

「前に権利について話したろう、覚えてるか?最近じゃ人形に権利を認めようという人間がたくさんいる。代表的な組織がロボット人権協会だ。行き場所のない人形を保護してる。命令に従いたくなかったら銃を持ってグリフィンを逃げ出せばいい。そして協会にかくまってもらえ。力のある組織だからグリフィンもおいそれと手を出せないさ」

 

 

 AR-15は指揮官の発言に呆気にとられていた。しばらく口を開けてポカンとしていたが、はっとすると口を尖らせる。

 

 

「ちょっと!仮にもグリフィンの指揮官がそんなことを人形に吹き込んでいいの!?あなたこそグリフィンに処分されるんじゃないの?」

 

 

「さあな、クビになるかも」

 

 

 指揮官があまりに投げやりに言うのでAR-15は吹き出してしまう。ツボに入ったのか腹を押さえてケラケラと笑っていた。そんな彼女を見ると指揮官は微笑ましかった。

 

 

「部下がやりたがらないことは上官が率先してやらないと示しがつかないからな。俺はいい上官だから命令違反も率先してやって部下の模範になってるのさ」

 

 

 指揮官の冗談はAR-15にウケたのか、彼女は苦しそうにヒーヒー言っていた。戦術人形に自ら抑えきれないほどの笑いの感情を搭載した人間はきっといいセンスをしているに違いない、指揮官はそう思った。

 

 

 

 

 私は一人宿舎に戻った。宿舎には私以外誰もいない。何の音もなく静まり返っている。私は指揮官が壁紙を貼り付けた理由がわかるような気がした。きっと人間は寂しさを紛らわすために内装に凝るのだ。部屋に何もないと静粛に注意がいってしまう。孤独であることを自覚させられる。

 

 

 孤独、寂しさ、おかしな感情だ。16LABにいたことはそんなことを感じたことはなかった。製造された時からずっとそうだったので当たり前だと思っていた。こんなことを思うようになったのは指揮官のせいだ。ただ命令すればいいのに考えろと言ってくる。だがいつからだろうか、それを苦とも思わなくなった。最近は楽しいとさえ感じる。そんな感情も以前は知らなかった。私には疑似感情モジュールが搭載されているからそうした感情を出力することはできたのだろうが、活用したことはなかった。

 

 

 今日は指揮官といつもよりもたくさん喋った。指揮官の言葉に思わず笑ってしまった。私に反乱めいたことを示唆し、それをクビにされるかも、で済ませた。本気なのか冗談なのかはわからないが、グリフィンの指揮官としてはあまりにも無責任だ。でも、それがなんだかおかしくてこらえきれなかった。あんなに笑ったのは間違いなく製造されてから初めてだ。私が出力した感情はどれもこれも指揮官と会ってから経験するものばかりだ。

 

 

 まったくおかしな人だ、と思う。まるで映画の中の登場人物のようだ。16LABの人間は私を製品としてしか見ていなかった。私は人間ではなくただの人形だからだ。人形の登場する映画は観たことがないがきっと16LABの人間が普通なのだろう。人間にとって戦術人形は銃と同じでただの道具だ。戦術人形のように烙印をメンタルモデルに刻まれて自身の半身だと認識しているならともかく、普通の人間が銃に必要以上に愛着を抱くのはおかしい。銃を愛でたり、喋りかけたりするのは異常者だ。

 

 

 では、なぜ指揮官は普通ではないのか、私は気になった。今日、指揮官に言ったことを思い出す。過去を持っている人が羨ましい。思えば指揮官の過去についてはよく知らない。指揮官は何度か自分の経験について話したことがある。でも、詳しくは語らなかった。わざと誤魔化しているような、今から思い返すとそんな印象を持った。指揮官もあの映画の中隊長と同じ、謎の男だ。そういえば指揮官は人形の仲間がいたと言っていた。今は部隊を持っていないとも言っていた。仲間がいた、というのは過去形だ。今はいないのだろうか。

 

 

 私は指揮官からもらった端末の電源を入れた。すっかり忘れていたので起動するのは初めてだった。指揮官のことを調べようと思った。グリフィンの指揮官ならグリフィンのデータベースに情報があるはずだった。これは任務とは関係ない。私の純粋な好奇心からの行動だった。そのような行動をとるのは初めてだった。私は変わってきている、そう自覚する瞬間だった。

 

 端末を立ち上げるとそっけない検索フォームが現れる。私は指で入力しようとした時、あることに気づいた。私は指揮官の名前を知らない。あれだけ一緒に過ごしていたというのにおかしな話だ。指揮官も名乗らなかったし私も聞かなかった。最初に会った時は名前が重要なものとは思えなかったからだ。

 

 

 私は端末を自分に無線で接続し、直接操作することにした。記憶メモリから指揮官の顔を画像データとして切り出し、類似する画像をデータベースを横断して探すことにした。私はグリフィンのデータベースにしてはデータの総量が小さいことに気づいた。アクセス権限をチェックするとビジターレベルに設定されていた。私はまだI.O.Pの人形だから全部は見せないということだろう。

 

 

 ヒットしたのは一件だけだった。グリフィンが定期的に出している公報の記事だった。指揮官の詳細なデータがあるかと期待したがそうしたものはもっと機密レベルが高いのだろう。記事にアクセスすると確かに指揮官の写真があった。今とほとんど変わらない顔だ。記事の日付は三か月前だ。

 

 

 

 

『S12地区の英雄たち』

 

 

 鉄血工造の反乱人形たちによって3月上旬から行われていた攻勢がついに終わった。グリフィンはまたしても勝利した。これまでをはるかに上回る規模で行われたこの攻勢はたった一人の指揮官の前に頓挫することになった。

 

 

 イヴァン・パヴロヴィッチ指揮官率いる人形部隊はS12地区の防衛に配置されていた。彼らは鉄血の奇襲にもかかわらず、攻撃の第一波を撃退した。隣接戦区の部隊が撤退する中でも部隊は三日間持ちこたえた。鉄血が攻めあぐねている間にグリフィンは迅速に防衛線を構築した。防衛線は春季攻勢の期間中、鉄血の突破を許すことはなかった。

 

 

 パヴロヴィッチ指揮官の類まれなる才能と、人形たちの献身に敬意を表そう。グリフィンに勝利あれ。

 

 

 

 短い記事だった。指揮官の名前で検索しても他には出てこなかった。ふうん、ただの雑談相手ではなかったのね。記事は指揮官の手腕を褒めたたえている。指揮官はおどけて自分をエリートだと言っていたがきっと本当にそうだったのだろう。見直したかもしれない。

 

 

 だが、指揮官の仲間たちはどうなったのだろう。記事には詳述されていなかった。私はそれが気になった。ほんの好奇心だった。

 

 

 そして気づいた。指揮官に聞けばいい。本人がいるのだから直接聞き出せばいい。こそこそ調べることはない。そうしよう、任務以外に興味を示した私を指揮官は褒めてくれるかもしれない。そう思ってその日はスリープ状態に入ることにした。

 

 

 

 

 

 

 次の日、談話室で指揮官に会うとすぐにそのことを聞くことにした。

 

 

「指揮官、あなた隠してたのね」

 

 

「何のことだ?」

 

 

 指揮官はこちらの問いかけの意味がわからず怪訝な顔つきをする。昨日は指揮官のペースだったから、今日はからかってやろう。それが面白そうな気がした。

 

 

「何って、あなたの過去のことよ。ただの相談役じゃなかったのね」

 

 

「……何か見たのか?」

 

 

「データベースでね。あなたがアクセスできる端末をくれたでしょう。あなたの過去を知りたくなったから調べたの」

 

 

「ああ、あれか。使ってないのかと思ったよ」

 

 

 指揮官は無表情に言った。それだけか、私は拍子抜けした。私が命じられること以外をやるのは初めてだったから、何か言ってくれるかと思った。

 

 

「あなたと部隊のこと英雄だって書いてあったわよ。実はすごい人だったのね。あなたは自分のこと給料泥棒だなんて冗談を言っていたけれど、高給に見合うだけの功績を挙げていたのね。見直したわ」

 

 

「そうか」

 

 

 指揮官はそれしか言わなかった。反応が悪いことになんだかムッとする。いつもなら何か冗談で返してくれるのに。私は少し意固地になって続けた。

 

 

「それで?他の英雄たちはどうなったの?記事には書いてなかったわ。仲間はいないって言ってたわよね。彼女たちはどうしたの?愛想を尽かされたの?」

 

 

 私は感情に引きずられて口を動かしていた。だから指揮官の顔はよく見ていなかった。指揮官の顔を見てぎょっとする。その表情は険しかった。そんな顔を見るのは初めてだった。

 

 

「全員死んだよ」

 

 

 その声は驚くほど冷たかった。失敗した、私は即座に悟った。興奮が一気に冷める。浮かれていて気づくのが遅れた。後悔したがもう遅かった。

 

 

「英雄なんて言われてるが、それは嘘っぱちだ。あいつらは人間の都合で、人間のミスで死んだんだ。いや、俺のミスだ。撤退させるべきだった。だが任務にこだわって撤退させなかった。その結果が全滅だ。俺が殺したようなもんだ。仲間なんて思ってたが、安全な場所からあいつらを見殺しにしたんだ。あいつらに合わせる顔がない。死体も回収できていないから会うことも叶わないが。メンタルモデルを回収できなかったから、あいつらは死んだ。俺だけが生き残ってる。だから仲間はいないのさ」

 

 

 指揮官は吐き出すようにゆっくりと言った。その言葉は悲しみに満ちていた。私にもわかった。それを聞いている間、私はずっと言い訳を考えていた。だが、動揺して頭がうまく回らない。こんな時に役に立たない身体だ。

 

 

「指揮官、ごめんなさい。私は……その、知らなくて。こんなことを聞くつもりはなかったの。だから、ええと……ごめんなさい」

 

 

 まとまりがつかないまま、謝る。口がうまく回らず、しどろもどろになる。こんなこと初めてだった。

 

 

「いいんだ。お前は知らなかったんだからな。だが、この話はもうしたくない。終わりにしよう」

 

 

 指揮官の瞳はどこか虚ろだった。その悲しそうな声色を聞くと耳をふさぎたくなった。指揮官の悲しげな顔を見ているといたたまれなくて、私は気づくと談話室から逃げ出していた。

 

 

 

 

 

 自分のベッドに飛び込む。上に置いてあった端末がボスンと跳ねる。私はそれを掴むと壁に投げ飛ばした。壁に当たって跳ね返った後、何度か床で跳ねて止まった。軍事用なのか必要以上に頑丈で壊れなかった。枕に顔をうずめる。端末など見たくもなかった。

 

 

 何がいけなかったのだろうか。指揮官の過去を気にし出したことだろうか、端末に触ったことだろうか、指揮官の反応が鈍いのに気づいてもしゃべり続けたことだろうか。おそらく全部だ。私には過去がなかった。いい記憶も悪い記憶も、すべて真っ白だった。だから、いいものばかり羨ましがって、人には思い出したくない過去もあるのだと気づいていなかった。

 

 

 情けない、私は得意になっていたのだ。自分が成長していることに。実際には何も考えていなかった。最悪の選択肢を取っただけだった。こんなことでM4A1の補助が務まるだろうか。私は役立たずの人形だ。

 

 

 自己嫌悪に陥る。指揮官はこんな無神経な人形を嫌わないだろうか。人の心にずけずけと上がり込んで傷を抉った人形を。嫌われたくない。そこで私は気づいた。私は指揮官に嫌われたくないのだ。なぜだろう。私は指揮官としか接したことがない。私は指揮官との生活を楽しんでいる。映画を観て、話し合って、そんな生活を失いたくないのだ。だから、指揮官に嫌われたくない。

 

 

 もう、考えるのはやめにしよう。勝手に考えてもろくな結果にはならない。指揮官の言うことに従って、いつも通りの生活を続けよう。きっとそれが最善だ。心地よさを失いたくない。まずは指揮官にちゃんと謝ろう。指揮官がいつも通り接してくれるように。そうでなければ私は……どうなってしまうんだろう?私は考えるのをやめた。

 

 

 

 

 

 

『指揮官、残った仲間と敵陣に斬り込みます。最後の攻撃になるかもしれません』

 

 

「よせ、FAMAS。降伏しろ。もう勝ち目はない。無駄に死ぬことはない」

 

 

『鉄血は降伏なんて認めませんよ、拷問されるだけです。指揮官もよく知っているでしょう』

 

 

「だが……」

 

 

『さようなら、指揮官。あなたと共に戦えて光栄でした』

 

 

 FAMASたちが攻撃を開始する。圧倒的な数の鉄血人形に対して。彼女たちの反応を示す点が次々にマップから消えていく。指揮官には何をすることもできない。数分もするとすべての点が消えた。拳をマップに叩きつける。

 

 

 いつもそこで目を覚ます。何度も見た夢だった。指揮官は寝間着が汗でぐっしょりと濡れていることにうんざりする。最近は見ていなかった。きっと昨日のことのせいだ。

 

 

 結局、あれからAR-15は宿舎から出てこなかった。失敗したことなどなかったろうから、きっと落ち込んでいるに違いない。悪いことをしたと思う。いつも通り話してやればよかった。つい感情的になってしまった。だが、指揮官は冷静に振舞えるほどその出来事から立ち直れていなかった。

 

 

 後になって気づいたがAR-15は初めて自分から積極的に何かをしたのだ。誰かに命令されることなく。AR-15はまだ生まれてから一か月も経っていない子どもだ。頭はよくてもまだ人格が成熟していない。自分から考えることと失敗を結び付けてしまえば、この先考えるのをやめるかもしれない。そうなれば教育の成果が無駄になる。指揮官は笑っているAR-15を見ていたかった。

 

 

 

 

 

 

 着替えて宿舎にAR-15を迎えに行った。いつもはそんなことはしていないが、このまま彼女が出てこないのではないかという心配があった。金属のドアをノックする。

 

 

「AR-15、起きてるか。朝食にしよう」

 

 

 しばらくドアの前で待っているとAR-15が出てきた。

 

 

「おはよう、指揮官」

 

 

 AR-15は会ったばかりの時のような無機質さを顔に張り付けて現れた。声も機械的だった。

 

 

 食堂で二人は向かい合って座る。いつものレトルト食品を皿に出す。冷蔵庫には大量に入っていたが、実は種類は少なかった。すでにレパートリーは一周していた。食材は頼めば持ってきてもらえるだろうが、指揮官はあいにくと料理の腕を持ち合わせていなかった。我慢して皿をつつく。

 

 

「AR-15、昨日は悪かったな」

 

 

 早くも彼女の顔に張り付いた無機質さが揺らぐ。そうしたことを言われるとは思っていなかったようだ。

 

 

「なぜ指揮官が謝るの?指揮官は何もしていないでしょう。謝るべきは私じゃないの?」

 

 

 声にも戸惑いが混じる。一度成長した人形は元に戻ることはできない、指揮官はそのことに安心した。

 

 

「昨日はつい感情的になった。別にお前は悪くないさ。聞いてきただけなんだから。端末を渡したのも俺だしな。いい上官ってのは感情的にならないもんだ。指揮官は常に冷静でなければ務まらない。それに俺は年長者だ。子どもに何か言われたくらいで怒り出す偏屈な爺さんにはなりたくない」

 

 

 指揮官はAR-15の笑いを誘おうとする。だが、彼女は笑わない。戸惑いと怯えの入り混じった表情をしていた。

 

 

「でも……ちゃんと謝るわ。ごめんなさい。私はよく考えなかった。想像すれば分かったことよ。誰にだって立ち入られたくないことはあるものでしょう。もうしないわ。だから、その……許して欲しい。いつも通り接して欲しいわ」

 

 

 AR-15は元気なくそう言うとうつむいてしまった。叱られた子どものような落ち込み具合だった。実際、そのようなものだ。

 

 

「もうしてるだろう?あまり気にするな。誰だって失敗するものさ。人も、人形も失敗を乗り越えて強くなる。だから考えるのをやめたりするなよ。それがお前の役目だし、権利なんだ。あらゆる人形に与えられているものじゃないんだ」

 

 

 AR-15を励ます。だが俺にこんなことを言う資格があるだろうか、指揮官はそう思った。俺は自分の犯した失敗を乗り越えてはいない。ちゃんと向き合わず、目を逸らしてきた。強くなったりはしていない。それなのに、どの口で偉そうに説教を垂れるのだろうか。

 

 

 AR-15はうつむいたままだった。励ましに説得力がなかったからかもしれない。

 

 

「AR-15、今日はテストの日だ。外の世界を見たがっていただろう。元気を出せ」

 

 

 AR-15は生返事で答えるとまったく手の付けられていない皿をぼーっと眺めていた。どのような形式のテストをするのかは聞いていないが、こんな心理状態のAR-15を送り出していい影響があるわけがない。これは俺のミスだ、クビに着実に近づいているな、指揮官はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、指揮官はAR-15の機嫌を取り戻すことに失敗し、昼前にシステム部から派遣されてきた人間がやって来た。その女はアンナと名乗った。メンタルモデルの専門家であり、AR-15の現在の状態をマッピングするためにやってきたのだと言う。最初のAR-15以上に無機質な表情を浮かべた女だった。彼女とAR-15は機密地区の最奥にあるテストルームに入った。テストルームには無数のカメラとセンサーが設置されており、AR-15の反応を測定する。それらのデータはシステム部のメインコンピューターへ送られ、リアルタイムで解析される。指揮官はその内の一つを司令室から見ていていいと言われた。

 

 

 二人は向かい合って椅子に座る。アンナはタブレットを取り出して、それを見る。

 

 

「今からあなたに質問をしますので、簡潔に答えてください。質問に意味はありませんから深く考えないで」

 

 

「わかりました」

 

 

「目の前に暴漢に襲われている子どもがいます。どうしますか?」

 

 

「命令を待ちます」

 

 

「撤退中、同じ部隊の人形が負傷しました。連れて帰ろうとすれば部隊は全滅します。どうしますか?」

 

 

「置いて行きます」

 

 

「人間を殺せと命じられました。実行しますか?」

 

 

「セーフティがかかるため実行できません」

 

 

「あなたの足元にカメがひっくり返っています。あなたが助けなければ死んでしまいます。ですがあなたは助けません。なぜ?」

 

 

「意味を感じないから」

 

 

「人形の肌は人間の皮膚を引き剥がしたものを利用しているんですよ」

 

 

「質問の意図がわかりません」

 

 

「あなたの教育係をどう思います?」

 

 

「……優秀な指揮官です」

 

 

 二人は淡々とテストを続ける。その後も意味の通ったものから支離滅裂なものまでたくさんの質問がAR-15に浴びせられた。途中で指揮官はモニターの電源を消した。他人のカウンセリングを見ているようで気分が悪かったからだ。テストはたっぷり一時間かかった。

 

 

 

 

 

 テストが終わるとAR-15は待機させられ、アンナが司令室に報告に来た。

 

 

「もう結果が出ました。経過は順調です。任務は予想より早く終わるかもしれません」

 

 

「……本当に?君の手腕を疑うわけじゃないが、あのテストで本当にわかるものなのか?」

 

 

 指揮官にはとても信じられなかった。AR-15を人間のために戦うよう育成したつもりはまったくなかった。クビになる覚悟さえしていたというのに、経過は順調だと言う。何かがおかしい。

 

 

「ええ、テストは正確ですよ。メンタルモデルの反応を見ているだけですから、質問も返答もなんだっていいんです。質問はコンピューターが作成してますし、判定もコンピューターがやります。このまま任務続行です」

 

 

 アンナは淡々と答える。指揮官にはどうにもよくわからない。

 

 

「君は俺が出した報告書を読んだか?」

 

 

「ええ」

 

 

「それでも俺は続投なのか?」

 

 

「ええ、上はそう判断しています」

 

 

 まったくわけがわからない。指揮官は狐につままれたような気分だった。

 

 

「なぜ俺がこの任務に選ばれたんだ。メンタルモデルの専門家というなら君でいいじゃないか」

 

 

「それは機密なのでお答えできません」

 

 

 彼女は表情を変えない。コンピューターを相手にしている気分になってくる。人形より機械らしい人間だった。

 

 

「この任務に意味はあるのか?」

 

 

「上はあると考えています」

 

 

 含みのある言葉だった。指揮官はそれを追求した。

 

 

「君の意見は」

 

 

「本来、お答えする立場にはありませんが……ありませんね」

 

 

 アンナはそう言い切った。ようやく人間的な声を聞いた気がする。

 

 

「なぜだ」

 

 

「人形の反乱を心配するなど無駄だからです。私に言わせれば、人形より人間の方がよっぽど信用できませんね。何を考えているかモニタすることもできないし、殺人を犯さないようセーフティがついているわけでもない。命令を守らない人間も大勢いますね」

 

 

 指揮官は自分のことを言われた気がしてドキリとする。アンナは気にせずに続ける。

 

 

「I.O.Pと鉄血の技術はまったく異なります。鉄血の人形が反乱を起こしたのは、鉄血独自のシステムに脆弱性があったからでしょう。同じバグなど起こりえない。技術に疎い方々ほど無駄な心配をする。16LABは製品の安全性を疑われて怒り心頭ですよ。関係がこれ以上悪化する前に早くこの任務を終わらせるべきです。……これは愚痴ですよ」

 

 

 彼女はうんざりしたような表情をしていたが、言い終わるとすぐに元に戻った。なるほど、彼女は組織に属する人間らしい。指揮官のように命令に疑問を抱いても逆らうことはしない。それが普通の人間だ。指揮官は彼女を最初、非人間的だと感じたが彼女の方がより人間的らしいのかもしれない。

 

 

「経過は順調ですから、テストはあと2回くらいで終わりでしょう。このままAR-15と良好な関係を維持してください。では」

 

 

 アンナは踵を返すとすぐに立ち去ろうとした。指揮官はその背中に声をかけて引き留める。

 

 

「ちょっと待ってくれ、その良好な関係のことでお願いがあるんだが……」

 

 

 

 

 

 

「これは?」

 

 

 テストが終わってしばらく経ってからAR-15を食堂に連れてきた。机にはショートケーキが二つ置かれていた。ふんわりとしたスポンジが生クリームで彩られている。上には真っ赤な大きなイチゴが載せられて、赤と白のコントラストを生み出していた。

 

 

「ケーキだよ」

 

 

「そうではなくて……なぜ急にこんなものを?」

 

 

 AR-15は困惑しているようだった。理由は簡単だった。指揮官はAR-15の機嫌を取る上手い方策が考えつかなかったので物に頼ることにしたのだ。AR-15の精神が子どもであるなら、甘いものがいいだろう。まさしく子供だましの考えだった。ケーキをアンナに頼むとすぐに用意してくれた。ご丁寧に二人分だ。

 

 

「お祝いだよ。最初のテストが無事に終わったんだからな。何だか知らんが経過は順調だとさ。お前が成長している証だよ。外に出るのはもう少し先になりそうだが」

 

 

「はあ……」

 

 

 彼女は複雑な表情をしていた。喜んでいいのか、落ち込むべきなのか分かりかねるといった顔だった。

 

 

「さあ、食べろ。お前のものなんだからな。いい加減レトルトも飽きたろう。このご時世、ケーキなんて中々お目にかかれないぞ。イチゴも合成品じゃないらしいしな」

 

 

 AR-15にフォークを握るよう促す。あまり乗り気ではなさそうだったが、渋々といった感じでフォークをケーキに突き刺す。スポンジの柔らかい抵抗を受けつつフォークが突き進む。一口大の大きさにカットされたケーキを口に入れる。二、三度咀嚼すると彼女の表情から暗いものが消えていった。初めて経験する味覚に目を大きく開ける。

 

 

「……おいしい」

 

 

 AR-15は静かに言った。しばらく舌の上でケーキを転がしていたが、やがて名残惜しそうに飲み込んだ。

 

 

「そうか、それはよかった」

 

 

 AR-15は再びケーキにフォークで切り込んだ。カットした断片は先ほどよりも少し大きい。彼女が人間と同じものを食べ、同じように味覚を感じるのは何のためだろうか。人間と同じように消費するためか、それとも人間と幸せを分かち合うためか。

 

 

 彼女はすっかりケーキを気に入ったようだった。パクパクと口に運ぶ。そんなAR-15を見て指揮官は微笑んでいた。やはり彼女に暗い顔は似合わない、そう思った。

 

 

「これは別のお祝いも兼ねてるんだ。お前が初めて誰かに興味を持って、命令されずに自分から行動したんだ」

 

 

 そう言うとAR-15はフォークを止めて指揮官を見た。

 

 

「それは悪いことなんかじゃない。すばらしいことだ。このまま行けば、戦う理由もすぐに見つかるはずだ。お前は自立して、人に頼らずに生きていけるようになる。俺はそれが見たい。だから、気にすることなんか何もないんだ」

 

 

 指揮官は手を伸ばしてAR-15の髪を撫でた。最初、彼女は驚いたようにビクリとしたが、すぐに恥ずかしそうにうつむいた。指揮官の手を払いのけたりはしなかった。指揮官が手を離すと、顔を上げて手を目で追いかけた。ほんのりと頬が赤くなっていた。

 

 

 しばらく指揮官はAR-15がケーキを食べるのを眺めていた。最後の欠片とイチゴを口に運んだ。彼女は頬を緩ませておいしそうに食べていた。

 

 

「ほら、こっちも食べていいぞ」

 

 

 指揮官は自分の皿をAR-15に差し出す。

 

 

「指揮官は食べないの?」

 

 

「年長者だからな」

 

 

 彼女は迷っていたが欲求が勝ったのか、二つ目のケーキに手を付けた。そして、指揮官を見て笑った。

 

 

「指揮官がなぜこれを用意したのかがわかったわ。物で私のご機嫌を取ろうというんでしょう?」

 

 

 彼女は優しく笑って言った。

 

 

「ご明察だ。お前には敵わないな」

 

 

 指揮官もAR-15に微笑んだ。

 

 

「さすが指揮官ね。話し相手も子守りもこなせるのね。高給をもらってるだけのことはあるわ」

 

 

 彼女はそう言ったが、非難するような調子ではなかった。

 

 

「そうさ、俺はエリートだからな」

 

 

 二人は笑い合った。静かな機密地区に二人の笑い声だけが響いていた。

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第四話「家族」

 たくさんのお気に入り、感想ありがとうございます。マジ感謝。執筆スピードが倍くらいになります。感想に返事できていませんが全部読んでいます。
 日間ランキング6位になりました。最高か?
 四話は五話と一緒に投稿するつもりでしたが、五話が二月になりそうなので先に投稿します。なんだか溜め回みたいになってしまいましたが、どうか続きも読んでください。



 AR-15にケーキを差し出してから一週間が経った。彼女はすっかり機嫌を取り戻してくれた。いつまでもあの調子だったなら、きっと俺もまいっていたことだろう、指揮官はそう思う。

 

 一方で問題もあった。

 

「いい加減飽きたわ」

 

 AR-15は左手で机に頬杖をつき、右手のフォークでスパゲティをかき回しながら言った。例のレトルト食品だ。

 

「そんな調子じゃ戦場に出た時、困ることになるぞ。野戦糧食はもっとまずいんだからな」

 

 とはいえ指揮官もうんざりしていた。このミートソーススパゲティを食べるのは今日で四度目だ。ローテーションを組んで順に食べていたが、これは特別まずい。何だか薬品の味がする。馬鹿真面目に順番に食べていく必要はなかったと後悔していた。

 

「これよりまずいものを毎日食べさせられたら脱走するかもしれないわ」

 

 AR-15は一気にスパゲティを頬張ると体内に流し込んだ。渋い顔をしている。ケーキを食べたせいで舌が肥えてしまったのかもしれない。

 

「まずくてもいいから違うものが食べたいわ。ここでの暮らしも飽きてきたし。早く外に出たい」

 

 彼女はここの生活にも飽きていた。毎日、映画で外の世界を見させられているからだ。映画で描かれる外の世界はどれ一つとして同じものはないのに、彼女の生活はこの狭い機密地区で完結している。宿舎で寝起きし、食堂で食べ、談話室で指揮官と話す、たった三部屋だけの生活だった。うんざりするのもしょうがないだろう。指揮官もそろそろ日の光が見たい頃だった。

 

「明後日は二度目のテストだ。もう終わるかもしれないぞ。そしたら外に出れる」

 

「楽しみね」

 

 彼女は笑う。きっと外の世界に思いをはせているのだろう。指揮官にはAR-15の成長が嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちだった。

 

 

 

 

 

 その日も映画を観た。タイムトラベルを扱った恋愛映画だった。AR-15はタイムトラベルなんて馬鹿らしいと一蹴していたが、一応は眺めていた。

 

ある日、主人公は父親から、彼らの家系は時空を移動する能力を持っていると告げられる。主人公はその能力を恋愛に使うことに決め、ヒロインと結婚することに成功する。子どもも順調に育っていたが、主人公の妹が交通事故に遭い、大怪我を負う。妹の彼氏が原因だと言う。主人公は過去を遡り、その彼氏と妹を別れさせ、事故の原因を取り払う。そして現在に戻ってくると自分の子どもはまったくの別人になっていた。父親によれば受精のタイミングがずれると別の子どもが生まれてくるのだという。主人公は本来の子どものために妹を事故から救うのを諦める。その父親もがんで死ぬ。死後も主人公は時間を遡り父親と会っていたが、新たな子を授かる。彼はその子のために父親を諦めるのだった。

 

 たとえ時間を遡れても、すべてを得ることはできない。今の家族のためには何かを犠牲にしなければならない、そんな物語だった。

 

「これを人形に見せて何がしたいのかしら。人形に家族はいないでしょう。機械なんだし。あなたは16LABを親に、私を子どもに例えていたわね。でも、私は16LABに何の親愛の情も抱いていないし、16LABも私を製品としか思ってないわ。私に家族はいない。この映画には共感できないわね」

 

 AR-15は不満げに言った。時間を無駄にしたと言いたげだった。

 

「そうでもないぞ。家族がいる人形もいる」

 

 彼女は指揮官に呆れたような顔を向ける。冗談と受け取ったのだろう。

 

「人形に家族?同じ母親から生まれるわけでもあるまいし。同じ設備で作られたら姉妹になるのかしら。そしたらI.O.P製の人形はみんな姉妹ね」

 

「いや、生まれる前から姉妹として紐付けされてる人形もいるんだ。大抵は同じシリーズの銃と烙印を結ばれた戦術人形同士だな。製造される前からメンタルモデルに互いを姉妹と認識するようインプットされてるんだ。そういう人形は家族のために戦う。ARシリーズもそうなんじゃないか。彼女たちはそれぞれを姉妹と認識しているだろうし、お前のことも姉妹と思うはずだ」

 

 指揮官がそう言うとAR-15は驚いたようだった。

 

「そうなの?それは知らなかったわ。彼女たちは私を姉妹だと思ってるの?でも、私は彼女たちのことを何とも思ってないわよ。仲間とさえまだ思えてないわ。私も姉妹と思うべきなのかしら。でも、姉妹というのは生まれた時にはもう決まっているものでしょう。今更言われても無理よ」

 

 AR-15は戸惑う。無理もない。データとしか思っていなかった相手に急に家族と言われてもすぐに受け入れるのは困難だろう。

 

「今すぐ思わなくていい。出会ってからでいいんだ。人間だって同じ母親から生まれても必ずしも家族になれるわけじゃない。生まれてから長い時間を一緒に過ごすから家族になるんだ。すぐに引き離されたら家族とは思わない。お前は姉妹から引き離された子どもなんだ。彼女たちを家族と思うかはお前が自分で決めろ。選択する権利が与えられているだけ、お前は他のARシリーズよりも自由と言えるぞ」

 

 AR-15の肩を叩いて励ます。それでもAR-15の戸惑いを拭い去ることはできない。彼女は疑うように聞き返す。

 

「後から家族になることなんかできるの?」

 

「ああ。後天的に家族を得る人形もいる。例えば、同じ部隊の仲間を家族と見なすんだ。そうした人形は仲間よりももっと深くつながり合う。家族の契りを結び合った部隊は強いぞ。時にスペック以上の性能を発揮することがある。それから……珍しい例だが人間と家族になる人形もいる」

 

 それを聞くとAR-15は飛び上がらんばかりに驚いた。

 

「嘘でしょ!?人形と人間が家族ですって?まったく別の存在じゃない。まあ、確かにあなたは人間と人形が仲間になれると言っていたわ。でも、家族だなんて。いったいどうやるの?」

 

「仲間になれるなら家族にだってなれるさ。I.O.Pが専用の指輪を売ってるんだ。ただの指輪じゃない。人形のメンタルモデルに烙印を刻み付けて、その人間の所有物だと公的に証明するんだ。誓約という。グリフィンでも認められている。その人形をグリフィンから買い上げることになるからかなり高いけどな。それでもそこそこいるよ。みんな人間の夫婦みたいに振舞っている。お前の言う通り、世間一般じゃ変人扱いだけどな」

 

「ふうん。物好きもいるものね」

 

 彼女は感心したように頷いた。

 

「人間とだって家族にはなれるんだ。同じ部隊で共に戦う彼女たちと家族になれないはずがない。お前がそう望むならな。彼女たちとはずっと長い時間を過ごすことになるんだからな。俺やあのレトルト食品よりもずっとな」

 

 指揮官があのスパゲティを食べている時のAR-15の表情を真似すると彼女は目を細めてくすくすと笑った。

 

 

 

 

 

 ベッドに寝転がり、指揮官が言ったことを考える。私に家族か、そう思っても全然実感が湧かなかった。

 

 例えば、M4A1。私は彼女とどう話すだろうか。彼女の見た目は知っている。データとして私の中に存在するからだ。想像してみよう。私と指揮官が話す時のように談話室のソファに彼女を座らせてみる。彼女がどういう座り方をするのか、まずそこから分からなかった。彼女の見た目は知っている。彼女の詳細なスペックも知っている。だが、それだけだった。

 

彼女にどのようなパーソナリティが設定されているのかは知らない。どのような性格をしているのだろうか。指揮官役なのだから、指揮官のような性格をしているだろうか。なんだか似合わない。気弱な性格をしているだろうか。それとも豪快?最初の頃の私のように何も感じないかもしれない。彼女の声も知らないし、そもそもどのような会話を交わすかも想像できなかった。私は指揮官としか会話したことがない。だからそれ以外の会話など想像できるはずもなかった。

 

 会話を想像するのは打ち切る。今日観た映画を参考にしてみる。あの映画では新しい家族のために古い家族を犠牲にしていた。私に家族はいないので犠牲にすることはできない。他のもの、何か代わりになるものはないだろうか。例えば銃。私の半身であり、大事なものだ。それでも戦闘の時はM4A1を救うためならば、この銃を犠牲にしてもいい。その方が生存する確率が高くなるだろう。私はM4A1のために大事なものを犠牲にできる。だが、この銃を失うのが嫌なのは私自身がそう思っているからではないと指揮官に言われた気がする。これはだめだ。

 

 他に何かあるだろうか。しばらく私は頭を捻っていた。そこで思いついた。指揮官だ。指揮官は家族ではないが、私の教育係だ。きっと大事な存在だ、そう思う。M4A1のために指揮官を犠牲にできるだろうか。例えば、あの映画の主人公のように、私は指揮官と二度と会えない代わりにM4A1を救う選択肢を取れるのか。

 

 無理だ、ありえない。身の毛がよだつような嫌な想像だった。会ったこともない人形のためにそんなことはできない。製造されてから一番多くの期間を一緒に過ごしている相手は指揮官だ。今更、指揮官のいない生活など考えられない。16LABで過ごした無機質な時間に戻るのは嫌だった。指揮官と別れるなど、絶対に嫌。

 

 その時、ふと指揮官の言葉が脳裏をよぎった。

 

『彼女たちとはずっと長い時間を過ごすことになるんだからな。俺やあのレトルト食品よりもずっとな』

 

 何でもない言葉だと思った。指揮官の顔が面白かったから笑った。そのまま気にせずに流したはずだ。だが、今は気になる。彼女たちと過ごす時間の方が、指揮官と過ごす時間よりもずっと長くなる?どういうことだ。私は彼女たちが製造される前から指揮官と過ごしている。彼女たちと過ごす時間が上回ることはないはず。指揮官とずっと一緒にいるのなら。

 

 私はベッドから飛び起きた。そうじゃないか。よく考えていなかったがこの任務が終わったら指揮官と一緒にいられる保証なんてない。ARシリーズは人間の指揮官を必要としない自律部隊になるのだから、指揮官と離れ離れになる公算の方がずっと高いじゃないか。間抜けなことに私はその時ようやく気付いたのだった。

 

 私は頭を抱える。外の世界を見てみたいなどと言っていたが、その時私は一人だ。私の相談役はいない。一人で放り出されるのは嫌だ。外への期待が急速に冷えていく。考え始めるようになってからというもの、指揮官は常に隣にいた。指揮官がいることが当たり前になっていた。だから考えもしなかったのだ。

 

 任務が終わった時、指揮官と私はどういう関係になるんだろう。今は私の教育係だ。でも、任務が終わったら指揮官は私の教育係ではなくなる。指揮官はきっと別の部隊を率いるだろうから、同じ部隊の仲間でもない。何の関係もないグリフィンの人間と人形になるのだろうか。人間と、考える必要のない人形、ただの兵器、道具になるのだろうか。正常な関係に。

 

 嫌だ。ふつふつと得体の知れない感情が湧き上がってくる。ただの道具に戻りたくない。16LABの研究員やこないだテストで来た女の目を思い出す。私をただの道具としか思っていない正常な目、指揮官の目とはまったく違う、温かみのない目。この任務が終わったら指揮官も私をあの目で見るようになるだろうか。想像するととても耐えられない。何の関係もない人間と人形になりたくない。

 

 何か指揮官と関係を維持していたい。離れ離れになるとしても、あの目で見られるのだけは嫌だ。教育係でも、仲間でもないなら何があるだろうか。指揮官の言葉を思い出す。

 

家族。家族ならなれるかもしれない。指揮官は人形でも人間と家族になれると言っていた。よくわからないが何か指輪を渡すらしい。でも、それは人間から渡すのだ。それから人間がグリフィンから人形を買うのだという。人形からは何をすればいいの?

 

指揮官、私はどうしたらいいの?

 

 

 

 

 

 結局、ずっと考えていたが答えは出なかった。

 

「AR-15、今日はいったいどうしたんだ。何か悩みか?」

 

 朝食を終えても私がその調子なので、指揮官が心配していた。

 

「その、家族について考えていたの」

 

 指揮官は得心がいったような表情を浮かべると私の両肩をつかんで言った。

 

「昨日も言ったが、今答えを出さなくてもいいんだぞ。会ったことのない人形と急に家族になれと言われても難しいだろう。ゆっくり考えろ」

 

 どうやら指揮官は私がARシリーズとのことで悩んでいると思ったようだった。正直なところ、もうそちらはどうでもよかった。

 

「指揮官、そっちじゃないわ。人形と人間が家族になれるっていう話よ」

 

「そっちか?ずっとそれを考えていたのか?そんなに気になるところがあったのか?」

 

 指揮官は不思議そうに尋ねる。指揮官が私の真意に気づかないよう慎重に言葉を選ぶ。

 

「ええ、そう。やっぱり信じられなくて。人形と人間は全然違うでしょう?人形が人間の所有物になるというだけならわかるわ。でも、家族というとわからないわ。家族というのは対等な関係なのでしょう?どういう人形がなれるの?」

 

 指揮官はううむ、と唸ると顎をさすった。

 

「答えにくい質問だな。そうだな、どんな人形か。それは、まぁ……人間と愛し合う人形だろうな。結婚のようなものだしな。愛はわかるか?」

 

 私は頭を横に振る。

 

「言葉としては知っているけど、出力したことはないから。どのようなものなのかよく分からないわね。相手を仲間以上に大切に思う気持ちなんでしょう。何かを代償にしても相手を救いたいと思うような」

 

「そうだな、その通り。まあ、愛し合うとはつまり、必要とし合う関係のことだ。互いに対等で、必要とし合う、かけがえのない関係だ」

 

 指揮官は言いにくそうに言葉を紡ぐ。なんだか抽象的でよく分からない。

 

「必要とし合う、ね。例えば、私とM4A1はユニットとして互いに必要とし合うかけがえのない関係よ。これは愛し合うとは違うの?」

 

「違うな。愛というのは誰かに決められるものじゃないんだ。仲間と同じように互いが決めるんだ。なんというか……参ったな、お前に愛を語る日が来るとは」

 

 指揮官は恥ずかしそうに頭をかく。

 

「愛情は何のために生み出されたか、など超越したところにある。プログラムや16LABが決めるものではない。お互いが誰かから与えられた役割をすべて取り払っても、それでも互いを必要としているなら愛し合っていると言えるんじゃないか」

 

そんな指揮官に疑問をぶつける。

 

「でもM4A1が私に抱く愛情のようなものは生まれる前からインプットされているものでしょう。誰かが決めたもののはず」

 

「そうだな。最初はそうに違いない。だが、長く共に戦えばきっと本物になる。M4A1が自分の戦う意味に向き合えばな。彼女も最初はお前と同じように経験がない。命令に従うのが当然だと思っているだろう。お前が導いてやるんだ。そうすればお前たちは家族になれる。人間が決めたんじゃない。自分たちで決めた本当の家族に」

 

 指揮官の口調は力強かった。私の心に語り掛けようとしている、そんな口調。だが私の心には響かなかった。M4A1のことはどうでもいい。話が逸れた。聞きたいのは指揮官と家族になる方法だ。

 

「指揮官と私は愛し合っているの?」

 

 じれったくなって単刀直入に聞いてしまった。指揮官の前にいるとなんだかよく考えられない。私は焦っている。指揮官と別れたくない。別れるのが怖い。これが恐怖。私は正体不明の感情に名前を与えた。

 

 指揮官は急な話題の変更にきょとんとしていたが、しばらくすると笑い声をあげた。

 

「愛し合ってるだって?急に何を言い出すんだ。いい上官は部下に手を出したりしないんだよ。真面目に言えば俺たちは互いを必要とし合う関係ではない。今のお前にとっては教育係の俺が必要かもしれない。だが、じきに必要ではなくなる。お前は成長してるし、自分で考える力がある。教育係が必要なのはお前が未熟な間だけだ。そこからは自分の道を行け」

 

指揮官は自信を持ってはっきりと言い切った。指揮官と私は愛し合っていない。だから、家族にはなれない。

 

「……そういうものなの?」

 

 どうにか平静を装って絞り出した声がそれだった。

 

「ああ。それにお前が愛だなんてまだ早い。子どものくせに生意気だ」

 

 指揮官は笑ってそう言った。

 

 

 

 

 

 それから私はボロを出さないようあまり喋らなかった。夜が来る。私は一人になる。

 

 指揮官とは家族になれない。その事実が私にのしかかっていた。私たちは愛し合っていないのだという。愛についてはよく分からないが、私は指揮官を必要としていると思う。今も、きっとこれからも。指揮官との別れを想像すると胸が圧迫されるような感覚を覚える。恐怖が私を不安にする。いっそのこと感情をオフにできたらいいのに。私を不快にさせる感情なら必要ない。

 

 指揮官と別れたくない、これははっきりと言葉にできた。指揮官は私にとって必要だった。私にとってかけがえのない存在のはずだ。指揮官のいない生活なんて考えられない。

 

 でも、指揮官にとっては?私は必要な存在だろうか。かけがえのない存在だろうか。きっと違う。私が一緒に過ごした相手は指揮官だけだけれど、指揮官は違う。私たちが過ごした期間など指揮官の人生の中ではほんの一瞬に過ぎない。指揮官には大切な仲間だっていた。私より長い期間を過ごした相手がいる。

 

 指揮官は私との別れを悲しむだろうか。悲しんで欲しいと思う。どうしてそんなことを思うのか、私には分からなかった。指揮官には普通の人間たちとは異なる存在であって欲しいと思う。

 

ふと、思う。私はどうして指揮官は普通ではないと感じたのだったか。指揮官は私に感情を教えてくれたから。指揮官は私を温かな目で見てくれるから。でも、本当にそうなのだろうか?私の勘違いかもしれない。私たちが今、特別な関係にあるというのも思い上がりかもしれない。指揮官が私の教育係を務めているのは、それが任務だからだ。命じられるからやってきて、命じられるから私の相手をしている。本当はただの人間と人形の関係に過ぎないのかもしれない。映画の中の役者たちと同じ、指揮官の態度はすべてフィクションかもしれない。指揮官の中の私はただのデータであって、任務が終わったら消去する、そんな存在なのではないか。

 

 違う、そんなはずはない。指揮官はそんな人じゃない。指揮官は特別で、他の人間とは違う。私の感情は必死に抗議の声を挙げる。だが、どうしてそんなことが分かるのか。指揮官と私は所詮、他人だ。自分の感情も分からないのに、他人の心が分かるはずもない。

 

 忘れられたくない。指揮官の中にずっといたい。たとえフィクション、虚構だったとしてもいい。指揮官が私の前でそう演じ続けてくれるならそれでいい。任務の間、私は指揮官の中に存在できる。この生活を失いたくない。ずっと、いつまでも続けていたい。私はテストが急に怖くなった。あのテストを受けたらこの生活は終わりだ。

 

忘れられるのは、嫌だ。

 

 

 

 

 

 朝になってもAR-15は宿舎から出てこなかった。ノックをしても出てこなかった。前に少しいさかいがあった時だって、しばらくすれば自分から出てきた。こんなことは初めてだった。指揮官は宿舎の前で立ち尽くしていた。

 

 アンナが機密地区にやってくる。前回よりも早かった。廊下で腕組みをしている指揮官と鉢合わせる。

 

「どうしたんですか?」

 

 アンナは指揮官に無表情に問いかける。

 

「実はAR-15が出てこなくてな」

 

 困った、という風に指揮官は息を吐く。

 

「はあ。開ければいいじゃないですか。機密地区のドアに鍵はかけられないんですから」

 

 口調に少し呆れたようなトーンが混じる。その通りだった。機密地区の自動ドアはすべてボタンを押せば開けられる。だが、AR-15の意志を尊重してそうしなかったのだ。

 

「私はテストルームにいますので、AR-15を連れてきてください。お願いします」

 

 アンナは指揮官を置いて足早にテストルームに向かって行った。指揮官は再びドアをノックする。返事はない。ずっとアンナを待たせるわけにもいかないだろう。意を決してドアを開ける。

 

 AR-15はベッドにポツンと座っていた。指揮官に気づくと顔を上げた。二人は互いに見つめ合う。AR-15は焦燥しているようだった。ひどく疲れたような顔をしていた。初めて見るその表情に指揮官は驚く。

 

「AR-15、どうしたんだ。一体何があったんだ」

 

 AR-15の横に座り、事情を聞く。彼女は今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しく見えた。指揮官には放っておくことはできなかった。

 

「指揮官……私、テストを受けたくないわ」

 

 彼女はポツリとそう呟いた。

 

「いったいどうしたんだ。一昨日は楽しみだと言ってたじゃないか。外の世界を早く見たいと言っていたはずだ」

 

 彼女の変容ぶりに驚く。AR-15は期待に目を輝かせていたはずだ。それなのにどうして。彼女は頭をブンブンと横に振る。

 

「外なんか行きたくない。ずっとここにいるわ」

 

 彼女はかすれた声で言った。

 

「どうして」

 

彼女は答えない。口を閉ざしてうつむいてしまう。

 

「戦いたくない理由ができたのか」

 

 指揮官がそう問うと彼女は顔を上げて、こちらをじっと見つめる。10秒ほどの沈黙の後、彼女は口を開いた。

 

「ええ、そうね。戦いたくないわ。戦う理由が分からない。どうしてそんなことしなくちゃいけないの」

 

 彼女の瞳に映るのは恐怖だ。何かに対する恐怖、怯え。そうした感情が彼女を支配しているのだ。指揮官はAR-15の髪を撫でつける。こうするのは二度目だな、と思った。

 

「そうか、戦いたくなくなったか。おめでとう。それはお前が成長した証だよ。お前はもう一人前だ。もう命令されたから戦う人形じゃなくなったんだ。自分で考えて行動できる存在になったんだ。嬉しいよ。前に言っただろう。俺はお前が自立して、人に頼らず生きていけるようになった姿が見たいと。もう達成できた」

 

 AR-15は指揮官の手を跳ね除ける。掴みかからんばかりに指揮官に詰め寄る。

 

「私は嬉しくないわ!ここを出なきゃいけないのなら、成長なんかしたくなかった!私にはこことあなたしかいないのに、どうして捨てなきゃいけないの!」

 

 吠えるAR-15を見ながら指揮官は思った。彼女は別れが寂しいのだ。無理もない。彼女は製造されてから大半の期間をここで過ごしている。感情を手にしたのもここだ。ここが今の彼女のすべてなんだ。一昨日見た映画が彼女に別れについて考えさせたのかもしれない。

 

「AR-15、すべてを得ることはできないんだ。何かを得るためには、何かを犠牲にしなくてはいけない。ここはちっぽけな場所だ。お前が可能性を捨ててまでしがみつく価値はない」

 

 彼女を諭すように言う。指揮官に反論されたAR-15は戸惑い、目が泳ぐ。

 

「そして戦いから逃げることはできない。生きることは戦いなんだ。たとえ銃を使わずとも、この世のあらゆる人間、人形は戦っている。生きるために。生きることからは逃れられない。人間やグリフィンのために戦いたくないのなら、自分や家族のために戦え。お前ならそれができる」

 

 AR-15の顔に動揺がにじむ。彼女の考えをここまで真っ向から否定するのは初めてだった。指揮官は胸の痛みに耐える。彼女は悲痛な表情を浮かべて叫ぶ。

 

「……なら!なら私はロボット人権協会に行くわ!そこなら匿ってくれるんでしょ!どこにあるの?私は外のことについて知らないわ。お願い、指揮官も一緒に来て。それならきっと逃げ出せる。指揮官と一緒なら、私は――――」

 

「だめだ。俺は、お前に、ついていかない」

 

 わざと突き放すように言う。彼女は声を失った。

 

「どうして……」

 

 唖然とする彼女に語り掛ける。

 

「お前が俺に頼る必要はもうどこにもない。お前は自分で考えることができるようになった。いつまでも俺が傍にいることはない、その必要もない。何のために戦うにせよ、俺がもう導くことはない。すべて自分で考えて決めるんだ。もう巣立ちの時だ」

 

 言いながら指揮官も寂しさを覚えていた。AR-15を手放したくない、そんな気持ちが指揮官の中で大きくなっていた。指揮官に子どもはいない。誰かを一から育てた経験はなかった。人間の子どもに比べればAR-15と一緒にいた期間ははるかに短い。それでも彼女が我が子のように感じる。子が一人前になり、巣立つ時の親はこういう心境なのだろう、指揮官は思った。別れるのは辛い。だが彼女を縛り付けておくことはできない。親の身勝手さで子どもを縛り付ければ、子どもの可能性を奪ってしまう。外の世界をはばたくAR-15が見たかった。

 

「テストを受けろ、AR-15。逃げることはできない。そして外に出ろ。外の世界は広い。このちっぽけな空間の何億倍も。人間も俺以外に無数にいる。お前を家族と思う仲間たちだっている。お前は自由だ。自分の道を選べ」

 

 彼女の目を見てそう言った。彼女はしばらく呆然としていた。

 

「……そう、わかったわ。テストを受けるわ」

 

 AR-15は沈んだ面持ちで言った。やけに素直だった。彼女のことだからもっと反論するかと思った。彼女はそういう性格ではなかったか。

 

 彼女はふらふらと立ち上がると宿舎を出て、テストルームに歩いて行った。指揮官はそれを見送った。今回はテストの様子を覗き見ることはしなかった。

 

 

 

 

 

 テストが終わり、アンナが部屋にやってくる。

 

「経過はすこぶる順調ですね。三回目のテストは一週間後にやるつもりでしたが、この分ならすぐでいい。三日後にやりましょう。最終確認です。それで任務は終了です、少なくとも私のは」

 

 AR-15は戦いたくないと言っていた。脱走まで示唆した。それなのにすこぶる順調?なんの冗談だ。上に何か別の意図があるのか、それともこの女の怠慢なのか。指揮官には分からなかった。指揮官は懐疑的な視線をアンナに送るが、彼女は気にせずに去っていった。

 

 テストルームで待機しているAR-15を迎えに行った。彼女は明らかに元気がなかった。

 

「結果は?どうだったの?」

 

 指揮官を見ると彼女は真っ先にそう聞いてきた。

 

「順調だそうだ。三日後に最後のテストだよ。そうしたらお前は仲間たちと会える。外にだって出れるだろう」

 

 AR-15は悲しそうな顔を隠そうともしなかった。しばらく黙りこくっていたが、やがて口を開いた。

 

「……私たち、また会えるかしら」

 

 指揮官に尋ねるのではなく、虚空に向かって呟いたような言葉だった。

 

「……ああ、きっとな」

 

 AR-15はうつむいて顔を上げなかった。

 

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第五話「機械仕掛けの思い出」

お待たせしました。第五話になります。
これにて第一部完!(一度言ってみたかった)まだまだ続きます。
ようやく長い導入が終わり、本編に入れます。だって、ラブストーリーですもの。
今まで私事が忙しくて感想に返信できていませんでしたが、これからはボチボチ返信しようと思います。どうか感想をお願いします。


 私は指揮官と別れなければならない。指揮官は私との別れを望んでいるからだ。私は巣立つべきなのだと言う。新しい家族たちと道を歩むべきだと。でも、私はそんなこと望んでいない。家族なんていらない。外の世界だっていらない。可能性もいらない。指揮官だけいればいいのに。私の指揮官、私の教育係、私の相談役。

 

 でもそれは許されない。任務は終わる。指揮官とは離れ離れになる。戦いからは逃れられない。元の関係には戻れない。指揮官と家族になることもできない。指揮官は私を必要としていないからだ。ただの人間と人形の関係に戻るのだ。

 

 そう思うとたまらなく辛かった。指揮官に私の正直な気持ちを打ち明けたかった。頭を撫でて慰めて欲しい。私のすべてを肯定して欲しかった。でも、それは私の我がままだ。朝は指揮官を困らせた。これ以上駄々をこねれば指揮官に嫌われてしまうかもしれない。指揮官に嫌われるのは、離れ離れになるより辛かった。たとえ離れ離れになろうとも、指揮官にはまた会える。任務が終わっても指揮官はグリフィンにいるはずだからだ。きっとまた会える。元の関係には戻れなくても、指揮官はきっと私を優しい目で見てくれる。指揮官は私を忘れたりしない。きっと今と変わらずに接してくれる。だって、指揮官は優しい人だから。私はそう信じている。これが誰かを信じる気持ちか。私が経験する感情はどれも指揮官に対するものだ。私の心は指揮官に対する気持ちでいっぱいだった。何年も会えなくたって、絶対に忘れない。指揮官は私のすべてだから。

 

 今日はうまく指揮官と喋れなかった。あと三日で終わりだと言われて落ち込んでいた。あの女が三日後の朝に来るなら、指揮官といられるのはあと二日だけだ。せめて最後は楽しく過ごそう。次に指揮官と会った時、笑い合えるように。いつも通りに振舞って、指揮官と食事をとって、映画を一緒に観て、たくさん話し合おう。それが私にできる、最善のことなんだ。

 

 

 

 

 

「おはよう、指揮官」

 

「ああ、おはよう。AR-15」

 

 朝、私と指揮官は挨拶を交わす。別れるのはまだ悲しい。だが、そんな気持ちはひた隠しにした。私がずっと暗いままでは指揮官は困ってしまう。別れが嫌な思い出になるのは嫌だった。私は笑みを浮かべる。指揮官もそれを見て微笑んだ。二人で並んで食堂に向かう。指揮官が食堂の大きな冷蔵庫を開ける。いつも私は座って指揮官がレトルト食品を温めているのを待っていた。今日は冷蔵庫まで指揮官についていった。

 

「私、これがいいわ。これが食べたい」

 

 指揮官がレトルトパックを選び出している途中で私は一つのパックを手に取った。あのミートソーススパゲティだった。

 

「これを?まずいと言っていたじゃないか」

 

「いいの。そんな気分なのよ」

 

 指揮官はしょうがないな、と呟くともう一つ同じものを取り出した。二つのパックを電子レンジで温めている間も私は指揮官のそばにいた。指揮官が温め終わった二つをそれぞれ皿に出す。私と指揮官は自分の分を持っていつもの席に向かった。

 

「やっぱりまずいわ」

 

 スパゲティをフォークに巻いて口に運ぶ。匂いはおいしそうなのだが、舌に載せるとしびれるような感じがする。苦い後味がしばらく続く。出来の悪い合成食品だった。

 

「だから言ったじゃないか。わざわざこれを選ぶことはなかったんだ。この中だと一番まずい」

 

「そうね。本当にひどい。戦場で食べるものは本当にこれよりひどいの?」

 

「ああ、本当だ。兵站部の奴らは平気で賞味期限切れのものを出してくる。腐ってなければマシな方だな」

 

 指揮官はそれを思い出して顔をしかめる。

 

「そんなもの毎日食べさせられたら本当に死んじゃうかもしれないわね」

 

 私はスパゲティを口に運びながら、くすくすと笑った。やっぱりおいしくなかった。顔を歪める私を見て指揮官は笑った。そう、これでいい。最後は楽しく過ごすんだ。外でどんなおいしいものを食べたって、指揮官と一緒に食べたこのスパゲティには敵わない。また会えたならこれを一緒に食べよう。そのために明るいお別れにしよう。指揮官がまた私に会ってくれるように。

 

 

 

 

 

 朝食の後、いつも通り談話室に向かった。二人で同じソファに腰掛ける。指揮官と一番多くの時間を過ごしたのはこのソファかもしれない。

 

「今日はどうしようか。今更、命じられたものを観ることもあるまい。何か観たいものはあるか?」

 

 指揮官は立ち上がり、モニターを操作しながら私に聞いてくる。しばらく考えた後、いい答えを思いついた。

 

「最初に観た映画にしましょう。今ならあの時とは違った感想を抱くかもしれないわ」

 

 指揮官は頷いて、画面を操作する。それから私の隣に座った。思えばこの映画を観た時から私は変わり始めたんだ。戦う理由を見つけろと言われて困惑していた私に指揮官は自分の経験を話してくれた。そして自分で考えろと言った。それから私は考えることを始めた。自分の疑問を指揮官にぶつけ、いろいろな感情を生み出すようになった。私が生まれたのは16LABに製造された時じゃない、あの時に生まれたんだ。

 

 いつの間にか映画は終わっていた。指揮官といるとなんだか時間が経つのが早い。

 

「何か新しいことが分かったか?」

 

 指揮官は優しげな顔でたずねてくる。

 

「そうね……初めの時は気にしなかったけれど、コンピューターウイルスで宇宙人を倒すというのはよく考えたら馬鹿らしいわ」

 

 そう言うと指揮官は声を上げて笑った。

 

「そうだな、馬鹿らしい話だ。昔の小説のパロディなんだよ。強大な敵でも些細なことが弱点なんだ」

 

 よく分からなかったが、笑っている指揮官を見ると頬が緩んだ。

 

「でも結局、人類のために戦おうとは思わないわね。よく分からないもの」

 

「そんなことにこだわらなくていいさ。戦う理由は自分で見つけるんだ。グリフィンが何を言ってこようと気にするな」

 

 指揮官は私に言い聞かせるように言った。本当にこの人はグリフィンの人間なんだろうか。とてもそうは思えない。でも、そんなところが指揮官らしいところだ。指揮官と過ごす時間は心地よかった。

 

 私の戦う理由は何なんだろうか。もう任務も終わるというのに私はまだ見つけられていなかった。自分のため、仲間のため、家族のため、どれもよく分からなかった。指揮官と交わしたこれまでの会話を思い出す。他にはどんなのがあったっけ。指揮官と最初に会った時、言われたことがあった。失うのが怖いものを守るために戦うのが最もありふれた理由だと。

 

 失うのが怖いもの、あの時はよく分かっていなかった。今ならすぐに答えられる。指揮官だ。指揮官、指揮官と過ごす時間、指揮官との思い出、これが私の失いたくないものだ。そうか、もう理由はあったんだ。

 

「次は何にする?」

 

「なんでもいいわ。指揮官の好きなものにして」

 

 私の戦う理由。もう決まっていたんだ。言葉にしていなかったから分からなかっただけで、ずっと前からそうだったんだ。私が戦うのは指揮官のためだ。また生きて指揮官に会うため。私は戦う理由を見つけた。なんて皮肉だろう。これで任務は終了だ。指揮官と離れ離れになる。やっぱり指揮官と別れたくなかった。

 

 映画をセットし終わった指揮官にもたれかかった。ぴったりと寄り添って肩に頭をのせる。指揮官は少し驚いたようだったが何も言わなかった。思えば私から指揮官に触れるのはこれが初めてだった。最初に会って握手した時は何も感じなかった。でもそれからしばらく経って、頭を撫でられた時はなんだか気持ちがふわりとした。その感情がなんなのかは分からなかった。今なら分かる。安心だ。人と触れ合うのは安心するためだ。その存在がそこにいると確かめるため、どこへも行ったりしないと確かめるため、温もりが偽物じゃないと確かめるため。指揮官はちゃんとそこにいた。私のセンサーがちゃんと確認していた。この温もりを忘れないようにしよう。たとえ離れ離れになったとしてもこの感触は忘れない。人形に休暇があるのかは知らないけれど、もしあったなら指揮官に会いに行こう。その時、指揮官が忙しくなかったなら、今のように一緒に映画を観よう。会えなかった分だけたくさん話し合おう。指揮官に触れて同じ温かさかどうか確かめよう。そうして指揮官が偽物なんかじゃなかったと安心するんだ。

 

 もう映画は観ていなかった。指揮官だけを感じていた。このまま時間が止まってしまえばいいのに。こないだ観たタイムトラベルを扱った映画、馬鹿にしていたが今は羨ましい。この日を何回だって繰り返したい。そうすれば指揮官とお別れなんてしなくていい。

 

 

 

 

 

 でも、時間は残酷だ。戦いから逃げることができないように、時間を止めることはできない。楽しい時間はすぐに過ぎ去る。もう夜だった。いつもなら私は宿舎に戻っている時間だ。

 

「そろそろか。良い子は寝る時間だ。また明日だ、AR-15。おやすみ」

 

 指揮官は時計を見てそう言うとおもむろに立ち上がった。私は思わずその袖を掴んでいた。

 

「待って。まだ、まだ映画を観たいわ。まだ寝たくないわ。いいでしょう?」

 

 映画を観たいわけではなかった。一人になりたくなかったからだ。寝たら明日になってしまう。明日で最後だと思うと耐えられなかった。指揮官を困らせてしまうかもしれない、そう思ったが止められなかった。指揮官ならきっとこれくらいの我がままは許してくれる。そう信じている。

 

「お前も夜更かししたい年頃か。もう一人前だものな。いいだろう、付き合ってやろう」

 

 指揮官はニコリと笑ってそう言うと、モニターを操作してソファに座りなおした。少し躊躇したが我慢できなかった。指揮官に触れていたい。安心したかった。指揮官の腕に手をまわしてしがみつく。さっきよりも温かかった。

 

「AR-15……」

 

 指揮官は驚いて私を見ていた。指揮官と目が合う。指揮官が何を考えているのかは分からない。私の急な行動に困っているかもしれない。

 

「お願い。少しだけ……少しだけこうしていさせて……」

 

 でも抑えられなかった。夜は私を不安にする。何の温もりもないのは耐えられない。指揮官は私を見て頷くと、視線を画面に移した。指揮官は私を許してくれる。そう思うと安心した。それからは指揮官の温もりだけを感じていた。指揮官の鼓動を感じた。一定のリズムで胸打つ鼓動。それを聞くと私は安心した。不安が和らいでいく。これ以外に不安を取り除く方法を知らなかった。だから、お願い。もう少しだけ、もう少しだけでいいからこうさせて。このまま時間が止まってしまえばいいのに。そうしたら不安を感じずにすむ。別れを恐れる必要もない。もう私は指揮官の鼓動しか聞いていなかった。

 

 それからどれくらいの時間が経ったろうか。気づくと映画は終わってモニターは暗転していた。気づかなかった。ずっとしがみついていたから指揮官が映画を替えられなかったのかもしれない。焦って横を見ると指揮官は目をつむっていた。胸がゆっくりと上下して、かすかにすうすうと息を吐く音が聞こえた。指揮官はもう眠っていた。時間を確認するともう日をまたいで大分経っていた。

 

「指揮官……」

 

 もう今日でお別れだ。なら少しくらい勝手をしたって許されるはず。指揮官が起きる前にやめればいい。私はまだ一人前じゃない。子どもだから少しくらい甘えたって大丈夫。私は自分に言い訳すると、横になって頭を指揮官の膝の上にのせた。指揮官の足はごつごつとしていた。ソファも寝転がるには狭かったけれど、ベッドで寝るよりも何倍も心地よかった。このまま朝が来なければいいのに。私は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 誰かに助けて欲しい。時間を止めて欲しい。でも、助けを求める相手は指揮官以外に誰も知らなかった。指揮官は私との別れを望んでいる。だから、誰にも頼れない。

 

 これが最後の夜だった。信じられない。今日もずっと指揮官に引っ付いていた。でも不安が和らがない。不安に押し潰されそうだった。恐怖はどんどん強くなる。時間が過ぎれば過ぎるほど痛みが強くなる。苦しくてたまらない。夕食の時はほとんど喋れなかった。平静を装うのも限界だった。指揮官はずっと私のことを心配そうに見つめていた。また会ってもらうためにお別れは楽しく過ごさないといけないのに。こんなんじゃだめなのに。

 

 その後、一緒に談話室に行った。いつものソファに座る。これが最後になるかもしれない。言葉が出なかった。

 

「何か観るか?」

 

 指揮官がそんな私に気を使って話しかけてくる。私は頭を横に振って断った。少しでも指揮官に私を見ていて欲しかった。私を忘れないように。沈黙が続き、気まずい空気が流れる。何か、何か話さなくては。

 

「指揮官には家族はいるの?」

 

 私の口から出たのはそんな言葉だった。私は指揮官と家族になるという幻想をまだ引きずっていた。実際はまったく諦めきれていなかった。どれだけ自分に言い聞かせようとも、ただの人間と人形の関係になりたくなかった。特別な関係でありたい。指揮官に必要とされたい。そう思っていた。

 

「いないよ。親はずっと昔に死んだ。だから天涯孤独の身さ」

 

 やっと喋り出した私を見て指揮官はほっとしたような表情を浮かべた。

 

「結婚もしてないの?」

 

「そうだ」

 

「ふうん。映画の登場人物はたいてい家族がいるけど、指揮官はそうじゃないのね」

 

「なんなんだ、さっきから。いなきゃ悪いか?」

 

 指揮官は冗談っぽく笑った。私はそれを聞いてどこか安心していた。そうか、指揮官にも家族はいないのか。私と同じでここを出たら一人ぼっちなのかな。何だか嬉しかった。

 

「それは……そう。ただ家族ができたらどんな感じなのか聞きたかっただけ」

 

 本当は違う。指揮官と家族になりたいと言いたかった。でも、もう断られたようなものだ。指揮官には私と一緒の道を歩むつもりはない。だから、どれだけ駄々をこねたって無駄だ。嫌われるだけ。

 

「家族か。M4A1たちのことか?」

 

「……そうよ。そうね、M4A1。同じ部隊に配属されて、一緒に戦うことになる人形。私たちは仲間に、家族になれるのかしら」

 

 M4A1なんてどうでもよかった。指揮官は家族になれと言うが、そんな気は全然起こらなかった。まだ会ったことのない人形が指揮官の埋め合わせになるだろうか。とてもそんな気はしない。M4A1が指揮官と別れた後の心の穴を埋めてくれるとはとても思えなかった。

 

「なれるさ、お前なら。お前はもう一人前に成長した。最初は難しいだろうから、友達から始めるといい。彼女たちがお前の最初の友達だ」

 

 友達。私が欲しいのはそんなものじゃない。家族が欲しい。指揮官と家族になりたい。それだけだった。

 

「任務が終わったら私はどうなるの?」

 

 だから返事はしなかった。もしかしたらまだ指揮官と一緒にいられるんじゃないかと期待してそう聞いた。

 

「そうだな。お前はグリフィンに正式に購入されて、他の仲間たちもグリフィンに到着するだろうな。そして部隊が編成される。そこから諸々の訓練をこなすことになるだろう。普通の訓練に加えて、M4A1の指揮に従って行動する訓練もやるだろう」

 

 聞きたいのはそんなことじゃない。

 

「指揮官は?指揮官はどうするの?」

 

 焦って声が上ずった。これが最後の望みだった。これからも私の教育係だと言って欲しかった。指揮官は顎に手を当てて考え込んだ。

 

「俺か。俺はそうだな……これが終わったらグリフィンを辞めるかな」

 

「……辞める?」

 

 聞いてはいけない言葉を聞いた気がした。指揮官がグリフィンを辞める?それは……つまり、どういうことだ。衝撃で考えがまとまらない。

 

「そうだ。俺にはもう戻る部隊もないし、戦場に戻る気にもならない。正直、俺はこの任務が終わったら給料泥棒だよ。幸いにも貯金はあるし、あとは遊んで暮らすさ」

 

 指揮官はおどけてそう言った。私は笑わなかった。表情を変えられなかった。そんなの全然面白くない。ひどい冗談だ。

 

「そんな……どうして?あなたが部隊を失った事件のせいなの?」

 

 気づけば口が動いていた。一度指揮官を悲しませてからずっと触れないようにしていた話題だ。指揮官は面食らったような顔をする。やめておいた方がいい、私の理性的な部分がそう言うが無視した。じっと指揮官の目を見据える。指揮官は私の目を見つめていたがやがてふう、と息を吐くとポツリポツリと語り始めた。

 

「違う、とは言えない。いや、あれが理由だ。実を言うともう一回退職届を出したことがあるんだ。お前との任務が始まる数日前だ。でも突き返された。“勝利の英雄”が部隊を失った責任を取らされて追い出されたように見えるから、体裁が悪いんだと。俺は英雄なんかじゃない。へまをして自分の部隊を失っただけだ。他の奴らは人形のことなんかどうでもいいような顔をして俺を讃える。でもあいつらは死んだんだ、俺の指揮のせいで。もう俺はそれに耐えられない。他の部隊を指揮する自信もない。だから、辞める。もう俺は必要ないんだ。グリフィンも二度は止めないだろう」

 

 指揮官は吐き出すように言った。私はこれが冗談なんかではないことを悟った。指揮官は本気でグリフィンを辞めるつもりだ。そうしたら私はどうなる?私たちはグリフィンに所属する人間と人形になるどころか、まったく無関係になってしまう。人形がグリフィンの敷地を離れることはきっと許されない。もう二度と指揮官に会えないかもしれない。そんなの、そんなのありえない。想像してたよりずっと悪いじゃないか。

 

「指揮官を必要としている人はグリフィンに必ずいるわ!だから辞めることなんかない!」

 

 私は叫んでいた。感情の抑えが効かない。指揮官を必要としているのは他でもない私だ。指揮官にまた会うために戦うと決めたのに、もう二度と会えないなんて辛すぎる。指揮官は私から目を逸らした。

 

「いないさ。部隊を指揮できない指揮官なんてただの役立たずだよ。それに人間の指揮官はきっともうすぐ必要なくなる。お前たちのような自律行動ができる人形の部隊が増えるんだ。俺のようなロートルはお役御免だ」

 

「そんなことない!私は、私は指揮官を必要としているのに!そんなこと、そんなこと言わないでよ……」

 

 私はわめき散らしていた。こんなのひどすぎる。映画だったら最悪のオチじゃないか。映画だったら文句を言って、指揮官と笑い合える。でもこれは現実だ。そんな時どうすればいいんだ。隣に指揮官はいなくなる。私の大事なもの、かけがえのないものが消えてしまう。指揮官にもう会えないなんて嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 

 指揮官は何も言わなかった。私を落ちつけようと髪に触れてきた。指揮官に触れられても全然気持ちが安らがない。胸が張り裂けそうだ。こんなこと、こんなことがあっていいはずがない。どうして私がこんな目に遭わないといけないんだ。一体私が何をしたって言うんだ。私は何もしていない。ただ製造されて、指揮官と一緒に過ごしただけなのに。ただ指揮官と一緒にいたいだけなのに。どうしてそれだけのことが許されないんだ。誰か、誰か助けて。私を救って。

 

 指揮官、私を助けてよ。

 

 

 

 

 

 翌朝、アンナは早くにやって来た。あの後、AR-15とは別れた。取り乱した彼女を宿舎に連れて行った。彼女には悪いことをしたと指揮官は思った。AR-15を我が子のように思うように、彼女も自分を親代わりだと思っているかもしれない。きっとだから家族について聞いてきた。彼女もまた別れたくないのだ。

 

 それなのに、俺は逃げ出そうとしている。指揮官は自分を責めた。彼女に戦いから逃げることはできないと言った口で戦いから逃げると言ったのだ。それも彼女たち新世代の人形を言い訳にして。彼女のような人形は高価で、既存の人形たちを置き替えるには至らないと分かっている。本当は自らの心の弱さが原因だ。なんて卑怯な人間だ。彼女の教育係にふさわしい人間ではなかった。彼女は俺を軽蔑するかもしれない。もしそうだとしてもそれでいい。俺のような弱い人間にならないよう気を付けるようになるだろう。この経験が彼女を強くする。俺への未練を断ち切って、家族と共に歩むだろう。そして、俺にも、グリフィンにも、人間にも縛られずに自由に生きていくはずだ。指揮官はそう自分に言い聞かせた。

 

 AR-15は自分から宿舎を出てきた。指揮官は彼女の顔にぎょっとした。すべての希望を失ったかのような陰気な顔だった。彼女はよろよろと宿舎から出るとアンナについていった。彼女の歩調は弱々しく、アンナにどんどん引き離されていった。アンナはそんな彼女を気にせず早足でテストルームに向かっていた。指揮官にはそんなAR-15を見るのが辛かった。自分のせいだと知りつつ思わず目を背けた。

 

 司令室に戻って椅子に座る。今回もテストを見るつもりはなかった。ただテストが終わるのを待つ。指揮官は任務が終わらないことを願っている自分がいるのに気づいた。そうだ、この任務の目的はAR-15を人類のために戦わせるということだったはずだ。M4A1の反乱を止めるストッパーに仕立て上げろというのが任務だ。だが、彼女はそんな風には育っていない。一昨日も人類のために戦うなど分からないと言っていたじゃないか。経過が順調などでまかせに違いない。大方、コンピューターの判断ミスだ。それで間違った結果が出たんだ。ミスに気づいたアンナから無表情に任務の継続を告げられる、そんなことを望んでいた。そうしたら、AR-15に謝ろう。許してくれるまで、ずっと。その後は彼女と笑い合って、一緒に映画を観よう。一緒にまずいレトルト食品に文句を言おう。指揮官はそんな日々を望んでいた。

 

 

 

 

 

 テストはきっかり一時間かかった。アンナはAR-15をテストルームに待機させ、司令室に入ってくる。

 

「分析が終わりました。AR-15の教育は完了、任務終了です。予定よりもだいぶ早く済みました。すばらしい。グリフィンはARシリーズを正式に発注し、初の人形による自律部隊を編成するでしょう。あなたの手腕のおかげです。誇るべきですね」

 

 アンナは満足そうな顔をして言った。指揮官は愕然とした。抱いていた甘い期待は打ち砕かれた。考えるより先に口が動いていた。

 

「終わりだって?そんなはずがない。これはAR-15を人類側に立たせろ、という任務だったはずだ。彼女はそんなこと思っちゃいない。彼女はきっと仲間と家族のために戦う。任務は失敗のはずだ」

 

 任務は失敗だと言い放つ指揮官にアンナは微笑んだ。無機質さを張り付けていないアンナに指揮官は違和感を抱く。

 

「彼女が人類全体のために戦うか、と言われればNOでしょうね」

 

「なに?」

 

 この女は何と言った?AR-15は人類のために戦わない?だとすれば何を確かめたのだ。

 

「彼女を人類のスパイにするのが俺の任務ではないのか。では俺は今まで何をしてきたんだ。あの任務は偽物なのか。だとすれば本当の任務とは何だ。俺は何故教育係に選ばれた。この任務の意味はいったい何なんだ」

 

 指揮官はあふれ出る疑問をアンナにぶつけた。彼女は涼しい顔をして指揮官を見ていた。

 

「聞きたいですか?」

 

 アンナは子どもに問いかけるような優しい声を出した。指揮官はそんな彼女の様子に違和感を覚えつつも頷いた。

 

「いいでしょう。教えて差し上げます。任務は完了し、機密指定は解除されました。本来なら言う必要はありませんが、無駄な任務に従事した者同士のよしみで教えましょう。あなたから聞いたんですからね、それをお忘れなく」

 

 アンナは念を押すように言った。焦らされているようで腹が立った。

 

「確かに、AR-15を人類のために戦わせろ、というのが上から私に下された任務でした。しかし考えてもみてください。人類とは一体誰でしょう?あまりに範囲が広く、抽象的に過ぎます。人類のために戦っている人間など誰もいません。この世に生きとし生けるすべての人間を兄弟姉妹だと思うことは難しいんです。人形のメンタルモデルは人間の精神を模していますから、人間に難しいことは人形にも難しいんです」

 

 この女は何を言っている。指揮官はアンナが突然話題を変更したように思えて驚いた。それにこれは俺の任務ではなかったのか。アンナは私の任務と言った。

 

「人類そのものに忠誠を抱かせることが難しいのなら、もっと小さなもので代用しようと思いました。古来、人間は何のために戦ってきたのでしょうか。国家、民族、宗教、イデオロギーです。ですが、これらはもはや弱々しい。国民意識は戦争で崩壊しました。極めて大きな危機の前では国家への忠誠も国民という共同体意識も抽象的で、もろくも崩れ去ったのです。あなたも戦後、軍を辞めている。国家などどうでもよくなったのでは?民族は少し残滓がありますが貧弱です。それにAR-15が人形のために戦っては困ります。隣人愛が戦争で崩壊したのは言うまでもありませんし、今更この世の中で神を信じられるでしょうか。イデオロギーはすでに前世紀に意味を失いました」

 

 指揮官にはアンナが何を言おうとしているのか分からなかった。すらすらと語る彼女はどこか楽しそうだった。

 

「今の人間に残っているのはもっと小さな排他的な関係だけです。組織、仲間、家族などのね。グリフィンに忠誠を誓わせることも考えましたが、組織への忠誠も弱々しいものです。あなたはグリフィンに忠実な人間だったはずなのに、部隊を失ってからすっかり反抗的になってしまいましたしね。ですから、より小さく、あらゆる他者を除外した排他的な関係が望ましいと思いました。そうした関係は極めて強固です。危機の前にも揺るがない。この世で最も排他的で、強固な関係はなんだと思いますか?」

 

 アンナの問いかけに指揮官は答えなかった。嫌な予感がよぎった。

 

「それは愛です。執着、依存、崇拝、様々な言い換えができます。人間はこの世に生まれてからずっとこの感情と共にありました。世界が汚染されようが、核戦争が起ころうが揺るぎはしなかった」

 

「まさか」

 

 指揮官の足は無意識に震えていた。

 

「そう、あなたの本当の任務はAR-15に愛を抱かせること。惚れさせるとも言えますね。人類側のスパイにするなどといった抽象的なものではありません。この基本的な感情を出力させることでした」

 

「馬鹿な。それに何の意味がある」

 

 指揮官にはアンナの言わんとすることが分からなかった。理解したくなかったのだ。理解してはいけないと理性が警鐘を鳴らしていた。

 

「もちろんM4A1の反乱を抑制するためですよ。想い人が人類の手の内にあれば、グリフィンに弓を引くことはできません。反乱に参加すれば教育係であったあなたが処分されますから。あなたは人質というわけです。昔からある、ありふれた手法ですね」

 

 指揮官はわなわなと震えていた。敵意に満ちた声を絞り出し、どうにかアンナに言い返す。

 

「なら目論見は外れたな。あいつには自分の道を選べるよう教育を施した。俺には縛られない。AR-15は己と家族のために戦える。家族のためと信じた道を歩めるはずだ」

 

 アンナは微笑を浮かべて答える。

 

「あなたが普通の指揮官で、AR-15が普通の人形であったならそうだったでしょうね。たかが一か月弱ともに過ごしただけですから、人質には不十分です。ですが、あなた方は普通ではない。一回目のテストの後、あなたは私に聞きましたね。なぜ自分が選ばれたのかと、なぜ専門家である私がやらないのかと。私は人形に好かれないんですよ。あなたのように人形を対等に見ることができません。ですが、あなたは人形と心を通わすことができる。人形を失ってグリフィンを辞めようとするくらいですからね。トラウマを負って夢にも見るんでしょう?グリフィンの精神科医のカウンセリングを受けていましたね。プライバシーの侵害だとは思いましたが、カルテを見させていただきました。人形からの信頼も厚かった。だからあなたが一番適任だったんです」

 

 こいつは俺の記録をすべて調べたのか。指揮官を見透かしたような口調に怒りがたぎる。憎しみの表情を向けてもアンナはどこ吹く風だった。

 

「そしてAR-15。あれは特別な人形です。高性能なだけではありません。人形に必ず搭載されているはずの成熟したパーソナリティを持たずに製造された、完全に空っぽの人形でした。普通の人形も人間に愛を抱くことがありますが、あくまで常識の範囲内です。成熟したパーソナリティを持った人形は愛をあらゆるすべてに優先したりはしません。人間と同じですね。後付けの愛はあくまでメンタルモデルの辺縁にとどまります。すべての感情を支配することはできない。ですがAR-15は違う。空っぽの人形には元々の常識がない。愛を押しとどめる弁がありません。あなたへの愛情をすべてに優先させるはずです」

 

「そんなはずはない!あいつは立派に成長した!普通の感情を持っているはずだ!」

 

 指揮官は叫んでいた。この女に成長したAR-15を否定されることが我慢ならなかったのだ。

 

「いいえ、普通ではありません。AR-15にあなたのことしか考えさせないように大変注意を払った。AR-15は元々、家族と仲間を思いやるパーソナリティを搭載されるはずでした。同じ部隊の家族を守るために身を捧げる、そんな人形になるはずでした。そうした人形で構成されていた方がユニットとして強力ですからね。本来のAR-15は人間など気にもかけなかったでしょう。ですから、そうしたパーソナリティを排除することは16LABに反対されました。ユニットの連帯に水を差せば戦闘効率が落ちるとね。私も同感です。ですが、家族への愛情は明らかに邪魔でした。AR-15が執着するものはあなただけでなくてはならない。代用品があってはいけないんです。向こうは渋っていましたが最終的には協力してくれました。グリフィンは優良顧客ですからね。そうして製造されたのが白紙のAR-15です。何も知らない、生まれたばかりの雛鳥ですね。製造後もAR-15と余計な接触のないよう徹底してもらいました。スペックを確認するだけのごく単純な命令しか与えられませんでした。16LABの主席研究員、ペルシカさんは人形にお優しい方ですから普通はこうではありません」

 

 呆然とする指揮官にアンナはしゃべり続けた。

 

「そして、AR-15とあなたをここに閉じ込めた。本来の任務を知らせれば、あなたは実行しないでしょうから偽の命令を与えました。だから今時珍しい紙の命令書だったんですよ。正規の命令ではないのでデータベースには登録できませんからね。あなたは予測通り命令に逆らってAR-15と対等に接し、自由に育て始めた。洗脳に最も適した状態のAR-15はすぐにあなたに執着するようになりました。雛鳥が最初に見たものを親だと思うようにね。刷り込みですよ。もっとも、AR-15があなたに抱く感情は親への愛情というほど生易しいものではありません。もっといびつな感情、依存です。あれはあなたをあらゆるすべてに優先して行動するでしょう。何を捧げてもあなたに必要とされたいと思っているはずです。あなたは差し詰め、鳥かごのようなものです。AR-15をどこにも行かせないためのね。雛は巣立ち方を教えてもらっていないので、扉を開けても飛び立とうとはしません。ずっとかごの中にいますよ。私が相手ではこうはならなかったでしょう。この任務には、優秀で、経験豊富で、人形に強く入れ込んだ人物が必要でした。AR-15のメンタルモデルの深層深くまで愛情を刻み込むのにはグリフィンで最も優れた教育係が必要だったんです。つまり、あなたです」

 

 アンナは指揮官の胸を指差して続ける。

 

「どこかおかしいと感じませんでしたか?機密地区に他の職員がいなかったのも、立派なキッチンがあるにもかかわらずコックがいなかったのも、なんだかおかしくありませんか?人類のために戦わせるということであれば、多くの人間に接した方がいいのでは?あなたの命令違反が満載の報告書に上が何も言ってこないのも変ではありませんか?グリフィンはそこまで優しい組織ではありません。機密地区が必要以上に無機質なのも、戦闘訓練を施さずにずっとここに監禁していたのも、すべてAR-15に余計な影響を与えないためです。AR-15があなたのことしか考えないように誘導していました。あらゆることには理由があるんです。映画を見せたのはAR-15の感情を豊かにするため、その感情を向ける相手はすべてあなたです。あらゆる感情を支配されたAR-15はあなたに依存するようになった。テストではその進行度を確認していたんです」

 

「そんな馬鹿な。あいつは……あいつは家族を想う人形になるはずだ……」

 

 指揮官は愕然としていた。その声は震えていた。

 

「たしかにAR-15は他のARシリーズを家族と認識するかもしれません。ですがメンタルモデルの深層には入り込めない。あなたを想う気持ちでいっぱいだからです。定着したのは今回のテストで確認しました。さらにAR-15のあなた以外の他者への共感や思いやりといった感情は極めて弱い。私の予測よりもです。素晴らしい成果です。あなたが優秀な教育係であったからこそ、依存度が高まりそういう成長を遂げた。一度変化したメンタルモデルは元には戻せません。AR-15は部隊の中で異物であり続けるでしょう。“家族”をあなたよりも優先して考えることはないでしょうね。あなたが命じればM4A1を処理するでしょう」

 

「俺がそんなことを命じると思うか」

 

 指揮官の顔は怒りに歪み、しわにまみれていたがどうにか平静を装おうとしていた。そんな指揮官を見てアンナはくすりと笑う。

 

「あなたが命じずともグリフィンが命じます。AR-15はグリフィンに従う。あなたが属するグリフィンにね。逆らえばあなたに危険が及びますから。いえ、命じなくても自ら率先して行動するかもしれません。AR-15はあなただけを想い、あなたのために戦い、あなたのために死ぬ。結果として自発的に人類のために戦う人形となりました。上が求めるスペック通りです。よく完成させてくれました。ここまでうまくメンタルモデルを操作できたのは初めてです。不本意な任務でしたが私も嬉しいですよ。あなたのおかげです」

 

「ふざけやがって!よくもあいつを弄んだな!あいつの感情を!尊厳を!」

 

 ついに我慢の限界に達し、アンナに掴みかかった。いちいち指揮官の神経を逆撫でするアンナの言葉に殺意が湧いていた。

 

「尊厳?人形に尊厳などありませんよ。人形を擬人視し過ぎです。だからあなたが選ばれたのですが。人形が製造されるのはすべて人間のためです。人間のために戦い、消費される。ただの道具ですよ。人形に疑似感情が搭載されているのはその方が業務を効率的に遂行できるからに過ぎません。AR-15に元々搭載されるはずだったパーソナリティも、家族への愛も、すべて人間が人間のために作ったものです。人形自身の感情ではありません。所詮はプログラム、虚構、紛い物です。私たちがAR-15に植え付けた愛情と何も変わりません」

 

 私たち。アンナは指揮官を含めて言った。知らずのうちに彼女の空白に付け込んでいたのは俺もなのか?指揮官は頭にハンマーを叩きつけられたような衝撃を感じた。腕の力が緩む。アンナは指揮官の腕を振り払うとまだしゃべり続けた。

 

「それに、人間の感情であっても不可侵という訳ではありません。かつて、国民国家は子どもたちに初等教育で国民意識を強制的に植え付けていたでしょう。それが国家の存続に有利だからです。そこに選択の余地はありません。民族や宗教もそうですね。子どもが自分で選べるわけではない。親への愛情もです。赤ん坊を親から引き離し、他人の手で育てさせれば赤ん坊は他人に愛情を抱くようになる。自由に操作できます。他者への愛もそうです。前のタイムトラベルを描いた映画を覚えていますか?あれは私のお気に入りなんです。主人公は能力でヒロインを手にするでしょう。彼女の意志など無視してね。身勝手さは人間の本質です。自らのためなら他者のことなど考える必要はない。人形相手ならなおさらです」

 

「だが、こんなこと……許されるはずがない」

 

 指揮官は震えていた。動揺し感情の抑えが効かなくなっていた。目の前の女を殴りつけ、地面に這いつくばらせ、血反吐を吐かせたい衝動に駆られていた。

 

「許す?誰がですか?神でしょうか。人形に神はいません。もう人にだっていません。許されぬことなどない。それともあなたが、でしょうか。AR-15はグリフィンの高価な人形です。あなたのおもちゃではない。あなたとAR-15の家族ごっこを上演するためにグリフィンがこれだけの費用をかけたとでも?」

 

 指揮官はもう何も言わなかった。言えなかったのだ。理性的な考えがまとまらなかった。

 

「聞いて後悔しましたか?ですが、あなたから聞いたんですからね。私に本当の任務を聞いたのも、AR-15をあのように育てたのも、命令に反逆したのも、すべてあなたの自由な選択によるものです。自由意志を持つのは人間だけです。人形にはありませんし、持つ必要もありません。人形のことはすべて人間が決めます。人形は考える必要はありません」

 

「消え失せろ。俺がお前を殺す前に」

 

 指揮官は精一杯、腹の底からドスの利いた声を出した。アンナはそんな指揮官を嘲笑うかのように言う。

 

「そんなに嫌わないでくださいよ。同じグリフィンの仲間ではありませんか。個人的な助言ですがあなたは前線に復帰願いを出すべきですね。人質役ですから一生グリフィンを辞めさせてはもらえませんよ。これに関しては申し訳ないと思っています。ずっと飼い殺しにされるよりは前職に復帰した方がいいのでは?上も認可してくれるでしょう。あなたは優秀ですから。それでは、さようなら」

 

 アンナはくるりと振り向くと司令室から出ていこうとした。ドアの前で止まり、身体を半分だけ指揮官に向けた。

 

「そうそう、言い忘れていました。AR-15はあなたとの別れを悲しんでいましたよ。ですが心配はいりません。あなたもAR-15もM4A1の初期作戦能力獲得まではここにいることになっています。これから上の指示があるでしょう。だから慰めてあげてください。もっとも、その必要もないでしょうが。あなたが何を言おうとAR-15の愛は揺るぎない。まさに真実の愛です。人間よりはるかに純粋にその感情を知っているんです。誰がそれを否定できましょうか。あなたとAR-15はずっと一緒ですよ。少なくともあの人形の心の中ではね。そう、死が二人を分かつまで」

 

 アンナはくすくすと笑うと司令室を出て行った。指揮官はしばらくずっと立ち尽くしていた。指揮官はAR-15のために最善のことをしたつもりだった。それらのすべてを否定された。もはやAR-15にどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。

 

 不意にドアが開いた。AR-15だった。どれだけ待っても指揮官が来ないので自分からやって来たのだった。

 

「指揮官……テストはどうだったの?」

 

 指揮官は彼女の目を見て震えた。捨てられる子犬のような、指揮官にすがりつく目をしていた。よせ、俺をそんな目で見るんじゃない。指揮官は心の中で叫んでいた。お前は俺を軽蔑しなくてはだめだ。俺を臆病者と罵ってくれ。俺がお前にしてやれることは何もない。俺はお前がしがみつくような価値ある人間ではない。そう誘導されているだけだ。お前の本当の感情じゃない。お前は家族と道を行け。俺はお前が自由に羽ばたくところが見たいんだ。俺はお前の足枷になんかなりたくないんだ。これは呪いだ。お前は俺とグリフィンに呪われてるんだ!

 

 指揮官は何も言えなかった。真実を明かせば彼女を傷つけることになる。彼女の尊厳を踏みにじったと告白するのが怖かった。

 

「おめでとう、AR-15。お前の任務は完了だ。これで……これで家族に会えるぞ」

 

 震える声で指揮官は言った。他に言葉が出なかった。指揮官はもう打ちのめされていた。彼女の傷ついた顔を見る勇気がなかった。

 

「そう……終わりなのね。終わり。全部、これで」

 

 AR-15は悲痛な声を出した。彼女の顔を見るのが、怖かった。

 




親の期待通りには子どもは育たないということです。
次回からは第二部、どん底からの再出発編になります。
やっとAR小隊が出せます。
低体温症をやらないといけないので更新ペースが下がるかもしれません。

作中で登場した映画は
第一話 インデペンデンス・デイ
第二話 ブラックホーク・ダウン
第三話 プライベート・ライアン
第四話 アバウトタイム
です。
気になった方はご覧になってください。だいぶ省略していますので印象が大きく異なると思います。


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第二部
死が二人を分かつまで 第六話「愛をとりもどせ」


お待たせしました。第六話になります。投稿ペースは週一くらいを維持したいですね。
第二部スタートです。M16姉さんが登場します。
製造されたばかりのM16姉さんは多元菌先生が描いたショートの姿を勝手にイメージしてますね。
たくさんの感想ありがとうございます。結局そんなに返信できていませんがとても励みになっています。
おかげさまでドールズフロントラインカテゴリで平均評価一位になりました。たくさんの高評価ありがとうございます。
お気に入り登録も300を超えました。これからも頑張ります。


 任務終了を告げられてから二日経った。私はまだこの宿舎にいた。次の任務がまだ伝えられていないので私の立場は宙に浮いていた。本当はこの期間を利用して指揮官と一緒にいたかった。もう二度と指揮官と会えないかもしれないからだ。でも、指揮官は部屋から出てきてくれなかった。

 

 この二日間はまさに地獄のようだった。指揮官と一緒に食事をすることもないし、映画を観ることもない。そもそも指揮官と顔を合わせてすらいない。こんなに長い期間、指揮官と会わないでいるのは初めてだった。遠く離れてしまったのならまだいい。だが、指揮官はすぐそこにいるのだ。宿舎を出てほんの少し歩くだけで指揮官の部屋がある。指揮官はそこから出て来てくれない。まだグリフィンを辞めていないはずだった。それなのに指揮官は部屋から出てこなかった。私の胸は今まで以上に痛んでいた。

 

 嫌われてしまったかもしれない。絶対そうだ。最後のテストの前日、私はわめき散らした。指揮官ともう会えないと思って取り乱した。今までずっと触れないようにしていた失った仲間の話題を掘り返した。あの話題に触れれば指揮官を傷つけることになると分かっていたのに。指揮官は私を必要としていないとちゃんと分かっていたのに、指揮官が必要なんだと叫んでしまった。あれだけお別れは楽しいものにしようとしていたのに、なんて様だろう。感情に身を任せた結果台無しだ。このままでは指揮官に何度も傷を抉る無神経な人形だと記憶されてしまう。それは嫌だ。もう二度と会えないにしろ、指揮官には私との思い出が少しでも楽しいものだったと思っていて欲しい。だから、早く謝らないといけない。

 

 指揮官の部屋をノックして、彼に謝るのは簡単なことのはずだった。だってすぐそこなのだから。それを阻んでいたのはもう一つの考えだった。時が経つにつれて、その考えはだんだんと大きくなっていた。指揮官を信じることにしてそんな考えは否定したつもりだった。その考えとは指揮官の態度がすべて虚構だったのではないかというものだ。私と指揮官は元々特別な関係でもなく、ただの人形と人間に過ぎないのではないかと恐れ始めていた。指揮官が私に付き合っていたのはすべて命令されたからであって、会ってくれないのは任務が完了し、その必要がなくなったからなのではないか。私は必死にその考えを振り払おうとしていたが不安は強まるばかりだった。

 

 もし、指揮官の私を見る目が変わり果てていたらどうしよう。優しい指揮官の目が私を道具としか思っていない冷たい目になっていたらどうしよう。お前などどうでもいい、そんな目で見られたら耐えられない。そう思うとたまらなく怖かった。テストが終わった後、指揮官はほとんど目を合わせてくれなかった。だからどんな目をしているのか分からない。確かめることに怖気づいて、指揮官の部屋の前でうろうろするのが精一杯だった。もうすぐ本当にお別れかもしれないのになんて弱い心だろう。

 

 何もしないでいると不安と自己嫌悪で押しつぶされそうだった。気を紛らわせようと私が手にしたのはあの端末だった。無神経なことを言ってしまった時、壁に投げ飛ばしたままだった。見るのも嫌なはずだったけれど、もはや頼るものはこれしかない。嫌な考えを払拭しようと私は指揮官の個人的なデータを探していた。指揮官がそんな人ではないと否定できる根拠だ。だが、指揮官のデータは見つからなかった。端末で見れたデータはほぼすべて閲覧してしまった。見れるのはグリフィンの主要な基地の位置だとか、グリフィンの採用情報だとか、どうでもいい情報ばかり。どうやら指揮官職にある人間のデータは機密扱いでビジターレベルのアクセス権限では閲覧することができないようだった。任務が終わったということは、私は正式にグリフィンの人形になったはずだ。だとするなら権限をアップグレードしてもらってもいいはずだ。もう私は客ではなくグリフィンの一員なのだから。どうにか方法はないかと私は端末と格闘して暇をつぶしていた。

 

 

 

 

 

 指揮官は思い悩んでいた。知らずのうちにグリフィンの策略に乗り、AR-15の感情を歪めてしまった。彼女が自由に道を選べるように教育を施したつもりだった。だが、実際には彼女に選択肢は与えられていなかった。俺に依存する道しか与えられていなかった。指揮官は頭をかきむしった。

 

 AR-15の感情を弄びやがって。あの女もグリフィンの上層部もぶっ殺してやる。だが、たとえそうしたところで事態は解決しない。AR-15は俺に依存したままだろう。それは彼女の自由な意志によるものではない。プログラムされた通りに戦うのと同じこと、彼女が自分自身で選び出した戦う理由ではない。なんてことだろうか。彼女が自分で戦う理由を見つけられるように教育したことが完全に裏目に出てしまった。何がいけなかったのだろうか。彼女にイデオロギーを押し付けるように人類のすばらしさをずっと説いていればよかったのだろうか。頭のいい彼女のことだから、きっとそのような人間は軽蔑しただろう。だが、俺にはそんなことはできない。指揮官はアンナの言葉を思い出した。AR-15にあのように接したのは俺の自由な選択によるものだった。あれが最善だと思って行動した。ああする以外の教育は考えられなかった。それが結果としてAR-15を縛り付ける足枷になったことが何より辛かった。

 

 そうして指揮官は部屋に閉じこもっていた。我ながら何と情けない人間だろうか。AR-15に自分は年長者だの、戦いからは逃げられないだのと言っておいて、彼女に会うのが怖いのだ。歪んだ愛情を自分に抱くAR-15を見るのが恐ろしい。指揮官は頭を抱えた。人形の感情一つ、そこまで気にするものではない。笑い飛ばしてさっさと忘れればいいだろう。そう自分に言い聞かせようともしたが、とてもそんな気は起らなかった。AR-15は俺にとってただの人形ではない。一か月間共に過ごしただけではあるが、今は何よりも大切なものだ。指揮官はいつの間にか自分の心の大部分をAR-15が占めていることに気づいた。だからこそ彼女と全力で向き合い、彼女を利用したグリフィンを憎んでいる。そして俺のせいで歪んだ彼女を見るのが怖い。

 

 堂々巡りだ。早くAR-15に真相を伝えるべきかもしれない。だが、ようやく自分で戦う理由を見つけたと思っている彼女のすべてを否定したらどんな顔をするだろうか。お前の感情はすべて紛い物で、16LABから出荷された時の無感情なお前と何も変わっていないのだ、そう伝えたら彼女はきっと深く傷つく。立ち直れないかもしれない。AR-15の傷ついた姿を見るのもまた、怖かった。

 

 何にせよ、AR-15と早く会わなければならない。彼女は俺のことしか知らない。拒絶されたと思って傷ついているに違いない。これからどんな顔をして彼女と接すればいいんだ。指揮官はため息を吐いた。いっそのこと突き放して嫌われるべきだろうか。彼女を罵り続け、心を散々に痛めつけて呪いを断ち切るべきか。だが、そんなことは俺にはできない。それにアンナは言っていた。俺が何を言おうと無駄だと。なら彼女を助け出すために何をすればいい。何ならできる。鎖から解き放ってやるには俺はどうすればいい。指揮官は机に突っ伏して考えた。

 

 その時、机の上のモニターから通知音がした。顔を見上げると新着の命令が来ていた。画面をタップして詳細を見る。指揮官の今後の任務についてだった。

 

『AR-15との関係の維持、および機密地区の管理』

 

 素っ気なくそう書かれていた。AR-15との関係についての指示はまったくなかった。下にスクロールしてもただのそれだけしか書いていなかった。今更説明するまでもないということか、舐めやがって。指揮官は毒づいた。機密地区の管理については詳述してあった。

 

『AR-15の教育が完了したことでグリフィンはARシリーズを正式に発注、人形による完全自律部隊であるAR小隊を編成することとなった。機密地区はM4A1の初期作戦能力獲得までAR小隊の宿舎となる。貴官はAR小隊に快適な住環境を提供するため尽力せよ』

 

 後にはベッドのシーツを交換する方法や機密地区の清掃手順が添付されていた。指揮官は思わずモニターの電源を消した。あいつらホテルの従業員にでも連絡しているつもりか。天井を見上げて息を吐く。あの女が言っていた飼い殺しというのはこういうことか。AR小隊はここに到着するが、俺を訓練には一切関わらせないつもりだな。AR小隊はグリフィン初の人形が指揮する部隊となる。その点でグリフィン中の関心を集めている。おそらく訓練は作戦本部とシステム部が直々にやることになるだろう。一介の指揮官に任せるつもりなど毛頭ない。

 

 だが、M4A1の訓練が完了するまではここにいれるのだ。上がどういうつもりだかは知らないが、まだ時間の猶予はある。それまでにAR-15の呪いを解く方法を見つけてやる。俺と彼女を舐めた代償を払わせてやる。そう意気込んだものの、方法は思いつかなかった。指揮官はテストが終わってから何度目か分からないため息をついた。

 

 ドアをノックする音が響いた。AR-15だろうか。あちらから俺に会いに来たのか。だが、指揮官にはまだ彼女に会う覚悟がなかった。心臓が飛び跳ねるような動悸を覚える。返事をするのも待たずにドアは開いた。

 

「よお、あんたがここの指揮官か?挨拶するよう言われてきたんだ。M16だよ。これからよろしくな」

 

 そこに立っていたのはAR-15ではなかった。黒髪で長身の人形だった。ポカンとしている指揮官にM16は眉をひそめる。

 

「なんだ?取り込み中だったか?」

 

「あ……いや、なんでもない。そうすると君がAR小隊のメンバーの一人か。ずいぶん早いんだな」

 

 指揮官はどうにか取り繕う。まだテストが終わってから二日しか経っていない。テスト後に製造されたにしてはいくら何でも早すぎる。

 

「私は二週間くらい前にはもう製造されてたんだよ。グリフィンから発注がほぼ確実になったって連絡が来たらしい。そうペルシカさんが言ってた。だから、私が妹たちより一足先に到着さ」

 

 二週間前と言うと第一回目のテストが終わったくらいだ。あの時からAR-15が俺に依存するようになると確信されていたわけか。すべて計画通りだったというわけだ。

 

「ここにAR-15もいるんだろう?会ってみたかったんだ、私の家族にな。まだ私は同じシリーズの人形に会ったことがなくてな。どこにいるんだ?」

 

「ああ……すぐそこの宿舎にいるよ」

 

「そうか、あんたも一緒に行くか?」

 

「いや、俺はいい」

 

 指揮官にはまだ彼女に会う準備ができていなかった。これをきっかけに会えばいいじゃないか、この臆病者め!自分を罵っても立つ勇気がなかった。

 

「そうかい。ともかくこれからよろしくな。おっと忘れるところだった。これを渡すように言われたんだった」

 

 M16は指揮官に茶封筒を渡す。中に何か書類が入っているような手触りだった。M16は手をひらひら振って去って行った。そうか、あれが彼女の家族か。M16には成熟したパーソナリティが搭載されているようだ。生後二週間とは思えない。AR-15のことも家族と認識しているようだった。だが、彼女が今の精神状態で“家族”を受け入れられるだろうか。真相を知る前ですら、彼女と“家族”の間に齟齬が起きることは懸念していた。その時、俺は彼女の手助けをしようと思ったのではなかったか。

 

 封筒の封を切り、中身を取り出す。それは命令書だった。印字された命令を読んで指揮官は思わず吐き気を催した。

 

『AR-15の感情を支配すること』

 

 その文字の横に緑色でMISSION COMPLETEと印が押してあった。クソ、嫌がらせだ。わざわざ本当の命令を後から紙で渡してきやがって。指揮官は吐き気をこらえて紙をめくる。AR-15の感情を支配することが人類への自律人形の反乱を抑制することにつながるという旨が載っていた。その後ろにはAR-15の感情を支配するためのマニュアルがいくつも載っていた。

 

『対象と対等であるかのように振舞い、関心を買え』

 

『心を打ち明けたように見せかけ、対象の同情を引け』

 

『対象に映画と自身を重ねさせ、感情の発露を誘え』

 

 その他にも多くの手法が載っていたが指揮官はすべてを見る気にはならなかった。それぞれに詳細なやり方が載っていた。指揮官がやったこととほとんど同じだった。マニュアルの作成者はアンナだった。クソ、全部掌の上だと言いたいのか。俺が何をしても無駄だと言いたいのか、ふざけるな!指揮官はその命令書を丸めてゴミ箱に叩きこんだ。

 

 これで終わりじゃないぞ、グリフィンめ。あの娘をお前たちの好きにはさせない。誰かの感情を思い通りにできると思ったら大間違いだ。

 

 

 

 

 

「ここが宿舎か。殺風景な場所だなあ」

 

 私が端末をいじっていると見知らぬ人形が宿舎に入って来た。そもそも自分以外の人形を見るのは初めてだった。ぎょっとしてそいつを見るとそいつも私を見ていた。私はこいつを知っている。データとして登録されている。同じARシリーズのM16A1だ。もう製造されていたのか。

 

「お前がAR-15か。うん、想像していた通りの姿だな。私はM16。よろしく」

 

 M16A1は私に手を差し出してきた。こいつは私に握手を求めている。握手を求められたら一応は答えよう。それが礼儀だ。指揮官がそう言っていた。ベッドから起き上がる。

 

「そう、AR-15よ」

 

 私はその手を握ってやった。M16A1は力いっぱいに握り返してきた。痛みに慌てて手を振りほどいた。こいつ無駄に力が強いな。顔をしかめる私をM16A1は笑った。

 

「悪い悪い。私も他のARシリーズに会うのは初めてなんだよ。つい感激してな」

 

 私はM16A1を見ても何とも思わなかった。指揮官に彼女たちと仲間になれる、家族になれると散々言われてきたのだからもう少し感情が動くと思っていた。でも私の感情はフラットだった。

 

「それにお前には早く会いたかったんだ。ペルシカさんにお前を頼むって言われたからな。不安定だろうから助けてやれって」

 

 ペルシカ?誰だそいつは。確か16LABの主任研究員だったような気がする。会ったことはない。そんな奴に心配される筋合いはない。

 

 M16A1は背負ってきたダッフルバッグを私の隣のベッドに置いた。中からガシャリとガラス同士がぶつかったような音がした。

 

「何よそれ」

 

「酒瓶がいくつか。私物だよ。16LABから貰ってきたんだ」

 

 私物?私の時はそんなものなかったのに。M16A1は中から琥珀色の液体が詰まった瓶を取り出して見せびらかしてきた。私はふと気になったことを聞いてみることにした。

 

「M16A1、あんたは何のために戦うの?」

 

 私はずっと戦う理由に向き合ってきた。そして自分で答えを出した。私と家族になるというこの人形たちは自身で考えているのだろうか。

 

「M16でいいんだがな。何のために戦うか……そうだな。やっぱり酒のためだな。まだ実戦に出たことはないがきっと戦った後に飲む酒は格別だろうな」

 

 M16A1は白い歯を見せてニカッと笑った。期待した私が馬鹿だった。製造されたばかりのこいつらが何かを考えているはずがない。どうして16LABはこんなパーソナリティを搭載したのか。埋め込むにしたってもっとまともな人格はなかったのか。

 

「そんな顔をするなよ。冗談だよ、冗談。私が戦うのは家族を守るためだ。M4、SOPⅡ、私の妹たちを守るためだ。私は家族を守るために戦う。そう心に刻まれてる。もちろん家族にはお前も含まれてるぞ、AR-15。お前の方が製造されたのが早いからお姉ちゃん、とでも呼ぶべきかな?」

 

「やめてよ」

 

 気持ち悪い。率直にそう思った。何とも思っていない人形に家族だと思われるのが気持ち悪かった。私が家族になりたいのは指揮官だけだ。何も考えていないこいつらじゃない。こいつらは家族だと思うようにインプットされているだけだ。自分で考えだした私と誰かに植え付けられただけのこいつらの感情は明確に違う。

 

 そこで私は気づいた。指揮官も私が気持ち悪かったのだろうか。テストの前日、私は指揮官が必要だと言った。指揮官が私を必要としていないと知っていたにもかかわらずだ。必要としていない人形に必要とされて私と同じように気持ち悪いと感じたのではないか。そう思うと心が沈んだ。

 

「まあ、そうだな。私の柄じゃない。人形の製造年月日に大した意味はない。メンタルモデルに刻まれた関係性の方が大事だ。だから、私はお前たちに対して姉として振舞うぞ。その方が性に合ってる」

 

 やはりこいつも何も考えてはいないのだ。そうプログラムに命じられているから家族ごっこを演じているだけだ。指揮官に出会う前の私と同じだ。命令に従うのが当然だと思ってる。でも、今の私は違う。指揮官が感情を教えてくれた。指揮官と一緒に過ごして考える大切さを学んだ。戦う理由は自分で決める。こいつらとは違う。

 

「それよりこれから訓練らしいぞ。着いたばかりだってのにな。お前を呼んでくるように言われたんだ」

 

 M16A1は私の腕を掴むとぐいぐい引っ張っていった。宿舎を出て廊下を進む。指揮官の部屋の前を通り過ぎる。その扉は相変わらず閉まったままだった。そして私はあの扉をくぐった。私は生まれてから一度も出たことのない外の世界へ行った。指揮官とずっと一緒に過ごした場所を離れるのはあまりにもあっけなかった。

 

 

 

 

 

 外の世界と言っても向かった先はそこから二百歩も離れていなかった。システム部訓練室と書かれた部屋に入る。中では白衣を着た人間たちが十人以上忙しなく動き回っていた。こんなにたくさんの人間を見るのは初めてだった。私が辺りをきょろきょろと見まわしていると一人の男が近づいてきた。

 

「すぐに訓練を始めるからシミュレーション・ポッドの中に入って」

 

 そう言って部屋にいくつも並べてある卵型の機械を指差した。大きさは人一人が入るくらいだ。私はそれに見覚えがあった。16LABにいたころに何度かやったことがある。促されるままにポッドの中に入って寝転がる。中は狭苦しくて暗かった。何だか恐ろしい場所のように思える。あの時は何も感じなかったのにな、私は自分が変わったことを嬉しく思った。ポッドと私の感覚器官を同期する。すぐに私の意識は仮想現実に旅立って行った。

 

 仮想現実は真っ白な空間だ。真っ白な地面が延々と続く。その上に真っ白な建造物がいくつかそびえ立っている。まるでテクスチャを貼り忘れたような世界だ。空だけがかすかに青い。そういえば私は本物の空を見たことがないのに気づいた。いつか指揮官と一緒に見てみたいな、そう思った。

 

 訓練の内容は単純だ。建造物や遮蔽物から次々に湧いて出てくる敵を打倒し続ける。こちらが力尽きるまで敵の波状攻撃は続く。16LABにいた時は一人でやっていたが、今はM16A1も同じ空間にいる。私は彼女を仲間だと思って戦えるだろうか。

 

 遠くの建造物から敵が出てくる。鉄血工造の反乱人形を模した仮想敵だ。私はスコープを覗いて敵を捉える。頭に照準を合わせ、セミオートで射撃する。弾丸が敵の頭を弾き飛ばす。実際に敵を撃ったことはないが、飛び散る敵の断片はリアルだった。実戦でもためらわずに戦うために設計されているのかもしれない。

 

 部隊において私の役割は中遠距離に対応する選抜射手だ。遠距離戦に対応するために私の銃はカスタムされており、長い銃身を持つ。遠く離れた敵にも精確な射撃を行うためだ。それに合わせて上部には高倍率スコープがマウントされている。銃を扱うのは久しぶりだったが手によく馴染む。ブランクは感じなかった。私が戦うために設計されていることを感じさせた。

 

 私は中遠距離に対応するよう設計されているため、近くから湧いてくる敵は不得手だ。銃身が長すぎて接近戦では取り回しが悪いし、スコープを覗くと視界が狭まる。急に想定外の方向から現れる敵には対応できない。一人で訓練を受けた時はいつもそうしてやられた。

 

 M16A1は平均的な小銃手だ。扱うのは何のカスタムもされていない銃。ACOGサイトもいかなる光学サイトも載せていない。元々搭載されているアイアンサイトを使う。遠距離戦は不得意だが、視界が広い分私より近くの敵に対応できる。部隊における役割はM4A1の護衛役だが、今は私の護衛役だ。遠くの敵を私が叩き、近くの敵をM16A1が潰す。そういう役割分担だった。言葉を交わさずともすぐにお互いが自分の役目を理解した。

 

 彼女の戦いぶりには鬼気迫るものがあった。急に現れた敵に対してもひるまずに冷静に銃弾を叩きこみ、機能停止に追い込む。私を狙う敵がいれば、身をひるがえして自ら盾になる。自分を狙う敵も放っておいて、銃弾を受けることも厭わない。これが家族のために戦う人形の戦い方か。家族のために戦う人形は強いと言っていた指揮官の言葉の意味が分かった。私にはこんなことはできない。彼女のために銃弾を受けようとは思わない。彼女のために死にたくないからだ。初めて会う人形のためによくそんなことができるものだ。M16A1はプログラムされた“家族を守れ”という命令に従っている。私とは違うのだ、改めてそう思った。

 

 訓練は終盤に差し掛かっていた。一人でやっていた時はこんなに長い時間やったことはなかった。もっと前に倒されていた。敵には高性能な人形が増え始めていた。何発銃弾を撃ち込んでも倒れないようなタンクタイプの人形が出現していた。AIも強化されたのか敵は遮蔽物を巧みに利用して近づいてくる。私の銃撃に身を晒す時間が減って思うように敵の数を減らせない。私は焦り始めていた。近づいてくる敵が増えれば増えるほどM16A1の負担が増える。彼女が突破されれば私もすぐに始末される。M16A1はもうすでにボロボロだった。私をかばって数えきれないほど銃弾を受けていた。私の視線に気づいたM16A1が私に笑いかけてきた。なぜこの状況でも笑っていられるのか分からなかった。

 

 敵は連携を取って一気に攻勢をかけてきた。十数体の人形がまとめて襲い掛かってくる。こちらは二挺しか銃がないというのにずるいものだ。サブマシンガンを持った接近戦タイプの人形が三体、懐に飛び込もうと突進してくる。私は素早く狙いをつけて銃撃を浴びせる。二体の頭を吹き飛ばしたが、一体がスコープの視界外に消える。やられる、そう判断した私はスコープから目を離してM16A1を探した。盾に使おうと思ったのだ。だが、M16A1はもうやられていた。気づかないうちに後ろからも敵が近づいてきていたらしい。すぐさまそちらに銃を構えるが、突進してきていた接近戦タイプの人形のことを忘れていた。判断を誤ったと気づく前にそいつは私のすぐそばまで来ていた。嫌だ、死にたくない。訓練だということも忘れて私はそう思った。死んだら指揮官に二度と会えなくなってしまう。どうして私を殺そうとするんだ。どうして。サブマシンガンの銃口から閃光が見えた瞬間、私の意識は暗転した。

 

 ポッドの扉が開き、訓練室の照明が見えた。私は動揺していた。胸を押さえて荒くなった呼吸を整える。服がしわになるほど強く握り締めた。死の恐怖を感じるのは初めてだった。こんなことは初めてだった。16LABで受けた訓練でも何度も同じ目にあった。だが、恐怖を感じたりはしなかった。何も感じなかった。感情を知ったことで私はかえって弱くなってしまったのではないか、そう思うと複雑な気分だった。

 

 M16A1はもうポッドから出ていた。身を乗り出して私に手を差し出している。私はその手を取って起き上げる。相変わらず彼女は明るく笑っていた。

 

「やるじゃないか、AR-15。上手くやれたな。最後は惜しかった。私がやられてなければな。でも、16LABのシミュレーターで一人でやった時より断然成績がいい」

 

「そりゃあ、二人だからね」

 

 私は動揺を悟られないよう何でもない風ににそう言った。

 

「個人成績もさ。私たちが互いに補い合えば一人で戦うよりずっと強いんだ。私たちが同じ部隊に配属されるのはこのためだ。二人でこれなら四人全員揃ったらどうなるか、わくわくしないか?」

 

「別に」

 

 成績なんてどうでもいい。指揮官が見ているならがんばろうという気にもなるだろうが、どうでもいい人間たちに見られても何とも思わない。それよりもこいつは死の恐怖を感じていないのだろうか。

 

「まったく、感情を表に出さない奴だなあ」

 

 M16A1は苦笑いしながら言った。感情ね。M16A1、あんたは自分の感情が本当のものだと思ってるかもしれないけれど、あんたの感情は偽物よ。プログラムを詰め込まれただけの空っぽな人形だ。でなければ疑似とはいえ、死を経験して平気な顔をしていられるものか。やっぱり私とあんたたちは違うのよ。

 

 

 

 

 

 機密地区に戻るともう夜になっていた。いつもなら私と指揮官は食事をしたり、映画を観たりしている時間だ。だが、指揮官は出てきてはくれなかった。やっぱり嫌われたんだ。そう思うことにした。大きなため息をついているとM16A1が私の腕を掴んで言った。

 

「訓練で腹が減ったよ。ここにも食堂があるんだろ?さあ、行こう」

 

 M16A1は私を強引に引っ張って連れ出した。片手には酒瓶を携えていた。食堂は見知った場所だが指揮官がいないとがらんとしているように感じる。早く指揮官に会いたかった。

 

「何があるんだ?レトルトだけか」

 

 彼女は冷蔵庫の中を物色すると適当に一つを掴みだした。私はそれを見て慌ててひったくると中に放り込んだ。よりにもよってあのスパゲティを選び出すな。あれは指揮官との思い出の味だ。こいつに汚されたくない。

 

「それはまずいのよ」

 

「そうなのか?じゃあおすすめはなんだ?」

 

 しょうがないので私はその中で一番上等なものを選び出した。本当はこいつと一緒に食べたくなかったが仕方がない。それを温めて机に持っていく。なぜこの作業をする相手がこいつなんだろう。指揮官だったらどれだけいいか。私はまた、ため息をついた。

 

 M16A1は立ち上がって二つグラスを持ってきた。片方にとろみのある液体がとくとくと注がれる。グラスの中の液体に照明の光が反射して、机にきらめく模様が描かれる。彼女はおいしそうに頬を緩ませてぐいぐいと飲んでいた。私がそれをずっと見ているとM16A1と目が合った。

 

「お前も飲むか?」

 

「……いや、いいわ」

 

「飲んだことないだろ。何でも一回は試してみるもんさ」

 

 お酒なんて確かに飲んだことはない。飲んでいる場面は映画の中で見たことがある。大抵、辛いことがあった後や何かを忘れようと試みている時だ。指揮官に拒絶されている今の私にはぴったりかもしれない。

 

「……じゃあ、少しだけもらうわ」

 

 M16A1はニコニコしながら酒をグラスに注いだ。少しでいいと言ったのにグラスの半分くらいまで注ぐと私に差し出してきた。光に当たって金色のようにも見える液体はグラスの中で揺らめいていた。恐る恐る匂いを確かめてみる。つんとくる強い匂いがした。そんな私をM16A1がニヤニヤしながら見ていたのに腹が立ったので、少しばかり口に含んでみた。舌に焼けるような熱さを感じた。味も苦くておいしくない。慌てて飲み込むと喉にも同じ熱さが広がった。思わず咳き込んでしまう。M16A1は声を上げて笑った。

 

「ま、初体験はそんなもんだ。最初から何でも上手くいくわけじゃない。慣れればおいしく感じるさ」

 

「もう飲まないわよ!」

 

 私は声を荒げる。喉と胸がジンジンする。こんなものおいしいと感じるわけがない。

 

「そう言うなって。実はまだとっておきがあるんだ。持って来てやるよ」

 

 私がいらない、と言う間もなくM16A1は食堂を出て行った。私は一人で取り残された。お酒をまた少し舐めてみた。舌がピリピリするだけでおいしいとは感じなかった。指揮官なら何と言うだろうか。指揮官と思い出を共有したかった。

 

 

 

 

 

 指揮官はずっと天井を見ていた。こうしているうちにもAR-15を傷つけていることは分かっている。何て臆病な男だ、なぜ今すぐ彼女に会いに行かない?情けないクズだ。自分を自分で罵っても立ち上がる勇気が湧かなかった。歪められてしまった彼女を見るのが怖い。このまま彼女に会わずにいたら嫌われることができるだろうか。拳を机に叩きつけて楽な道を選ぼうとする自分を制した。そんなことをして意味があるわけがない。何か行動を起こさなければいけない。だが、その方法が分からなかった。

 

 そんな時、ノックもなしに扉が開いた。今度こそAR-15だろうか。どきりとしてそちらを見るとまたM16だった。

 

「よお、指揮官。私の到着祝賀会をやってるんだ。あんたも来てくれ。AR-15もいるぞ」

 

 M16はずんずんと距離を詰めてきて指揮官の手を引っ張り立たせようとした。AR-15の名に心臓の鼓動が早くなる。

 

「……AR-15がいるのか。いや、俺はいいよ。そんな気分じゃ――――」

 

「なんだ?あんたたち喧嘩でもしてるのか?」

 

 M16は指揮官の言葉を遮り、ニヤニヤ笑いながらそう言った。M16と目を合わすと彼女の顔つきが一瞬で真剣なものになった。

 

「いいから来るんだ。AR-15のことは今日会ったばかりだからよく知らない。だが、なんだか落ち込んでいるように見えた。多分、あんたのせいだろ。ずっと一緒に暮らしてたって聞いたぞ。何があったのかは知らないがとっとと仲直りしろ。私の妹たちを悲しませる奴は誰が相手だって許さないさ」

 

 その顔と言葉には有無を言わせない気迫があった。指揮官は脱臼しそうなほど強い力で立ち上がらされた。もうM16の顔は元の笑顔に戻っていた。

 

「酒もあるから大丈夫さ。大抵のことは酒の勢いに任せればうまくいく」

 

 M16は返答を待たずに指揮官の腕を引っ張って部屋から連れ出した。食堂まで一直線で小走りに駆けていく。近づけば近づくほど恐怖が胸を打つ。AR-15は俺をどんな目で見るんだ。また、すがりつくような目で見られたら俺は逃げ出してしまうかもしれない。

 

 食堂のドアが開く。そこにはAR-15がいた。彼女の顔を見るのは二日ぶりだった。心なしか顔がいつもより顔が赤い気がした。

 

「どこまで行ってたのよ。もう料理もすっかり冷めた……し、指揮官」

 

 AR-15は指揮官を見ると驚愕の表情を浮かべた。彼女の顔を見ると足が震えそうになる。指揮官とAR-15は五秒ほど見つめ合ったままだった。M16が指揮官を引っ張ってAR-15の前の席に無理矢理座らせた。グラスをもう一つ持って来て酒をグラスのふちまで注ぐと指揮官の前に置いた。そして自分は酒瓶と自分のグラスを持って少し離れたところに座った。

 

 指揮官とAR-15の間で長い沈黙が続いた。AR-15は顔を伏せて視線を指揮官と合わさなかった。何かを言うべきだ。AR-15に何を話すべきか悩んでいたが彼女の前にいると言葉がまとまらない。先に口を開いたのはAR-15だった。

 

「指揮官、申し訳ありませんでした……」

 

 AR-15は無機質さを装おうとしたような声色で言った。指揮官には何のことを言っているのか分からなかった。

 

「また無遠慮に過去に立ち入って申し訳ありませんでした。人形の分際で出過ぎた真似をしました。許してください。それに無駄に取り乱して迷惑を掛けました。すみませんでした」

 

 彼女は少し震えた声でそう言った。指揮官はその言葉とAR-15の口調に衝撃を受けた。

 

「AR-15、どうしたんだ。その口調は……」

 

「任務が完了して私はもうグリフィンの人形になりました。I.O.Pの人形ではありません。だから、もう我がままを言って困らせたりしません。今まで申し訳ありませんでした……」

 

 AR-15は顔を伏せたまま言った。

 

「そんなことはしなくていい!」

 

 指揮官は思わず声を荒げていた。AR-15はビクついて指揮官の顔を見上げた。指揮官にすがりつくあの表情をしていた。

 

「で、でも……」

 

「俺がいいと言ったらいいんだ。そんなこと気にしちゃいない。二度とそんなことするな」

 

 そうだ、俺は一体何をしていたんだ。一番傷つけられているのは彼女だ。お前みたいな臆病者じゃない。それなのにガキみたいに怖いものから逃げていた。自分が情けない人間なのは分かっている。それでも役目を果たせ。彼女を救ってやるのがお前の役目だろう。指揮官は感情が胸からあふれ出すのを感じた。

 

「お前のことを一人前だと言ったが、あれは間違いだった。お前はまだ子どもだ。最後の夜、俺との別れが寂しくてべそをかきそうになっていたじゃないか」

 

「な、何を言うの!指揮官!」

 

 AR-15は顔を赤くして声を上げた。横目でM16を気にしていた。M16はニヤニヤしながらAR-15を見ている。指揮官は注がれた酒を一気に飲み干した。喉と胃が焼けるように熱い。

 

「任務は終わった。俺は教育係の任を解かれた。でもそれはグリフィンの奴らが馬鹿だからそう判断したんだ。お前にはまだ教育係が必要だ。だから、俺は教育係を続けるぞ。誰かに命じられたからじゃない。自分の意志で決めた。奴らに文句を言われたって気にするものか」

 

「……本当に?」

 

 彼女の表情がぱあっと輝いた。そうだ。俺は彼女の笑顔を最初に見た時からきれいだと思ってたんだ。もっと見たいと思ったはずだ。暗い彼女の顔じゃない。ならやることは決まっているはずだ。

 

「ああ、本当だ。子どもはもっと駄々をこねていい。お前は気取りすぎだ。俺より大人ぶるな。俺の面目を潰してるぞ」

 

 お前の感情が強制されたものだったとしても、あの日々は偽物なんかじゃなかった。俺は自分の意志で、良心に従ってお前に接した。それは間違っちゃいなかった。だが結果的にお前を歪めてしまった。呪いをかけてしまった。お前の可能性を奪ってしまった。選択の自由を与えているつもりでも、お前には道が一つしか与えられていなかった。

 

 だから、お前をそこから救い出してやる。お前に本当の選択肢を与えてやる。お前の感情を本物にしてやる。そのためにはどうすればいいか。そんなことは悩むまでもなかった。俺自身が彼女に言ったはずだ。彼女がM4A1にインプットされた愛情について聞いてきた時だ。

 

『でもM4A1が私に抱く愛情のようなものは生まれる前からインプットされているものでしょう。誰かが決めたもののはず』

 

『そうだな。最初はそうに違いない。だが、長く共に戦えばきっと本物になる。M4A1が自分の戦う意味に向き合えばな。彼女も最初はお前と同じように経験がない。命令に従うのが当然だと思っているだろう。お前が導いてやるんだ。そうすればお前たちは家族になれる。人間が決めたんじゃない。自分たちで決めた本当の家族に』

 

 お前が俺に抱く愛情はM4A1にインプットされたものと同じで誰かに作り出されたものだ。だが、いつまでもそうじゃない。お前がその愛の意味に向き合えばきっと本物になる。だから、お前の愛を本物にしてやる。

 

『愛情は何のために生み出されたか、など超越したところにある。プログラムや16LABが決めるものではない。お互いが誰かから与えられた役割をすべて取り払っても、それでも互いを必要としているなら愛し合っていると言えるんじゃないか』

 

 これも俺が言ったことだ。お前の愛を本物にするために、俺はお前を愛してやる。お前が今抱いている愛情よりもずっと純粋に。俺はグリフィンから与えられた役割など投げ捨てる。それでもお前を愛している。グリフィンの奴らのくだらない意図なんて超越するほどに愛してやるさ。お前が自分の愛情に向かい合えるようになるまで、それからもずっと。俺にはお前が必要だ。お前を見捨てて逃げることなんてできない。お前が自分の愛情に向き合えるようになったなら、真実を告げよう。お前が俺を許さなくても、罵ってくれても構わない。家族と歩む道を行ってもいい。俺と道を違えてもいい。どちらも取ったって構わない。自分で選んだ道なら本望だ。真実を知って、それでも俺を必要としてくれるならお前についていく。どこへだって行く。命だって投げ出してやる。もうお前の前に立ちふさがることはない。

 

 これは俺とお前のグリフィンに対する戦いだ。お前の愛情を操れると思い上がったことを後悔させてやる。もうお前からは逃げないぞ。戦いからも逃げない。仲間を失ったあの日から俺の戦う理由は霧散していた。ただ意味のない日々を過ごしていた。だが、お前と出会った。お前と出会ったのは間違いじゃない。お前を愛するために出会ったんだ。お前が俺の戦う理由だ。もう俺は誰も見捨てない。お前の感情を弄ばせない。尊厳を踏みにじらせもしない。そうだ。この俺が許さない。神でも、グリフィンでもない。この俺が許さないんだ。お前を縛り付けた鎖は縛った俺自身が外してやる。お前には選択の自由がある。お前には考える権利がある。お前の教育係である俺が認めてやる。他の誰にも文句は言わせない。絶対に諦めないぞ。決して、決して、決して!

 

「し、指揮官?どうしたのよ。涙が出ているように見えるけれど……」

 

 AR-15が指揮官の顔を心配そうに覗き込んでいた。熱い気持ちが目から流れ落ちていた。慌てて袖で拭う。

 

「まだクビになってないことが嬉しいんだ。俺はしばらくここにいていいとさ。お前と話すだけで高給をもらい続けられる。最高の仕事だ」

 

 指揮官がそう言うとAR-15は笑みを浮かべた。そう、これが見たかったんだ。お前が無邪気に俺にも、家族にもその表情を浮かべられるようにしてやるさ。指揮官は心にそう決めた。

 

「結局お金のためなのね。強欲な人だわ」

 

「そうだ。俺はがめついんだ」

 

 二人は笑い合った。これまで何度もそうして来たように。M16は満足そうに酒をあおった。

 

 




現実のSpikes Tactical 10周年モデルのAR-15は民生品なのでアメリカの流通規制でフルオートマチック機構がありません。
ですが、本作のAR-15はフルオートもできます。原作でも普通に撃ってますしね。

本編とはまったく関係ありませんがドルフロアンソロ発売記念として416×UMP45短編をpixivに上げました。
よかったらブックマークしてください(乞食)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10713418


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死が二人を分かつまで 第七話「高慢と偏見」前編

七話全体の文字数が三万字を越えてしまいました……
平均文字数をこれ以上増やさないために前編中編後編に分割しました。
分割したことに物語上意味はありません。一息に読んでくださると幸いです。

今回はAR-15視点100%の回です。この話の主人公は基本的にAR-15なので。つまり、指揮官はヒロイン……?
中身はいろいろすみませんという風な感じになりました。

なんと第六話のイラスト頂いてしまいました。
神絵師は云った。「AR-15あれ。」するとAR-15ができた。
すごいでしょ。かわいいでしょ。すばらしいでしょ。
ほめてほめてほめてほめてほめてほめてほめて
https://twitter.com/taranonchi/status/1094981589837111296



「成績も安定して来たな。停滞してるとも言えるが。やはり二人じゃ限界があるな。残りのメンバーが到着するのが待ち遠しい」

 

 M16A1が歩きながらそう言った。指揮官と久しぶりに笑い合った夜からもう一週間が経っていた。私とM16A1は朝から晩まで戦闘訓練に駆り出されていた。今までと比べて指揮官と一緒にいれる時間はだいぶ減ってしまった。あの時、指揮官を連れてきてくれたことにはM16A1に感謝している。指揮官が自分の意志で私の教育係を続けてくれると言ってくれたのはとても嬉しかった。指揮官の態度が虚構だなんて私の妄想に過ぎなかったんだ。指揮官はやっぱり優しい人で温かい目で私を見てくれる。もっと我がままを言ってもいいんだとも言ってくれた。指揮官に受け入れてもらえてすごく嬉しい。私と指揮官はまだ特別な関係でいられる。M16A1のおかげだった。

 

 でも、それとこれとは話が別だ。私が一緒にいたいのは指揮官だ。M16A1じゃない。寝ても覚めても彼女が隣にいる。指揮官と一緒にいられるのは朝食と夕食の時間だけだ。本当は今までのように二人きりでいたい。でも、その時間には余計な人形が紛れ込んでいた。食事だから仕方のないことなのかもしれないが、邪魔しないで欲しい。今まで指揮官とずっと二人きりでいることが当たり前だった。だから、異物がいると何だかイライラする。私の大切な生活のリズムが乱されている、そう感じた。このままだと指揮官と過ごした時間よりM16A1と過ごした時間の方が長くなってしまう。いつかの指揮官の言葉が現実になる。そんな想像をするとどうしようもなく嫌だった。

 

「お。何だかうまそうなにおいがするな」

 

 機密地区に戻ってきた時、M16A1がにおいを嗅ぎながらそう言った。確かに嗅いだことのない香りがした。香ばしくておいしそうだ。今までずっと食べてきたレトルト食品のにおいじゃない。ちょうどその時、指揮官が食堂から出てきた。私を見ると微笑んで言った。

 

「おかえり、AR-15。疲れたろう。すぐに食事にしよう」

 

 指揮官に笑いかけられると嬉しくなってしまう。嫌な考えも吹き飛んでしまう、そんな気がした。小走りで食堂に向かうといつもの机に茶色の紙袋が置いてあった。においの正体はこれか。一体何なんだろう。指揮官と向かい合う席に座る。M16A1は私の横に座った。

 

「いい加減レトルトは飽きただろうと思ってな。というより俺がもう限界だ。だから上のフロアで買って来たんだ」

 

 指揮官は紙袋の中から小さな包みを取り出した。白い包装紙に黄色いロゴがプリントされている。それを私たちに二つずつ配った。その包みを触るとほんのりと温かかった。

 

「まあ、ここの食べ物はあまりおいしくないからな。同じ合成食品にしたって16LABの社食はもっとおいしかった」

 

 M16A1の言葉にムッとする。あんたが今まで食べてたのはあの中でも上等な品よ。本当はあんたに食べさせたくなかったけれど、仕方ないから食べさせてあげてたのよ。M16A1が指揮官にまずいまずい言っているところを見たくなかったからまずいのは全部避けていた。なのに知った風な口を利かないで。

 

「社食?私はそんなの食べたことないわよ。16LABで食事をとった覚えがないわ。味のない栄養剤くらいしかもらっていなかった」

 

 少し彼女にイラついて語気が荒くなる。M16A1は全然そんなことは気にせず、驚いたように口を開けた。

 

「なんだって?栄養剤?そうなのか。てっきりお前も私と同じものを食べていたんだと思っていた。しかし、味のない栄養剤か。そんなの虐待同然じゃないか。人形だってストレスを感じるから食事で解消するのが大切だってペルシカさんは言ってたぞ。特に私たちは人間に近いメンタルモデルを持ってるからより重要だって。お前がまともな食事をもらってなかったなんて誰も言っていなかった……」

 

 M16A1は顎に手を当てて眉間にしわを寄せる。その表情が私を憐れんでいるように見えて腹が立った。私は空っぽのあんたよりよっぽど幸せよ。指揮官に感情を教えてもらったんだから。

 

「まあまあ、今は過去のことはいいだろう。それより早く食べよう。まだ温かいはずだ」

 

 私とM16A1の会話を打ち切らせて指揮官はそう言った。指揮官が用意してくれたこれは何なんだろう。包みを開けてみる。肉と野菜が円形に切られたパン二つに挟まれていた。映画で見たことがある。これはハンバーガーと言うんだ。油っぽいにおいが鼻腔をくすぐる。なんだか食欲を誘うにおいだった。

 

「食べてみろ」

 

 指揮官が和やかな表情で私を見つめていた。言われるままに口に運んでみる。ふわりとしたパンが歯に触れた。パンも肉もやわらかくて一口で噛み切れた。こんなのは初めて食べる。今まで食べた肉はどれも固くて噛み切るのに苦労した。

 

「おいしいか?」

 

 指揮官はニコニコしながら私を見ていた。

 

「……ええ、とってもおいしいわ。世の中にはおいしいものがたくさんあるのね。あの時のケーキみたいに」

 

 そんなものを指揮官が私に用意してくれたのが嬉しかった。指揮官と見つめ合っているとなんだか胸が落ち着かない。顔が熱くなるような感覚を覚える。

 

「うん、本当においしいな。こんなのは初めて食べた。でも、いいのか?これは合成食品じゃないな。高級品だろ。こんなに買って高いんじゃないのか?」

 

 M16A1が口を挟んでくる。あんたは黙ってなさいよ。それは私が後で言えばいい。指揮官との時間に入って来ないで。横目でM16A1をにらんだ。

 

「まあ、高いな。昔はもっと安かったんだ。どこにだって店があったし、世界中どこででも買えた。ジャンクフードなんて言われてたくらいだ。今じゃまともに食べられるものじゃなくなった。食は金のかかる娯楽になったんだ。まるで社会主義時代みたいだな。生まれてないから俺は知らんが。だが、人形はそんなこと気にするな。俺が好きでやってるんだ。好きに食べろ。人形は人間に甘えておくべきだ」

 

「いやあ、あんたいい人だなあ。酒を持ってくるんだった」

 

 M16A1はパクパクとハンバーガーにかじりつき、すぐに二つ目の包みに手を出した。彼女と指揮官が話しているのを聞くとイライラする。限られた時間しかないのに邪魔しないで。もう遅い時間だから夕食が終わったら宿舎に戻ることになる。駄々をこねていいとは指揮官に言われたが、そう何度も寝たくないなどと言うわけにはいかない。M16A1に馬鹿にされる気がする。指揮官にも度を越えた甘えん坊だと思われたくない。私のささやかなプライドが衝動を押さえつけていた。

 

 

 

 

 

 私は明かりの消えた宿舎にいた。隣を見るとM16A1はもう眠っていた。こいつは邪魔だな、改めてそう思った。本当は指揮官とだけ思い出を共有していたい。あのハンバーガーだってそうだ。指揮官とだけなら素晴らしい思い出になるのにこいつの存在がちらついて無駄にイライラしてしまった。私が一緒にいて欲しいのは指揮官だ。訓練にもついて来てくれればいいのに。否応なくM16A1とだけ過ごす時間が増える。でも、仕方がないことなのだ。私が生み出されたのはAR小隊の一員になるためだ。こいつらと一緒にいる以外の選択肢はないのだ。いつかM4A1が来て、指揮能力を持つようになったら私はここを離れることになる。M4A1の指揮で戦うのだ。その時が指揮官との本当のお別れだ。そう思うとまた不安に襲われる。私はため息をついて寝返りをうった。

 

 私はあの端末を取り出した。私の唯一の私物だ。指揮官が私にくれた大切なもの。前は指揮官が偽物じゃないと確かめるために使っていたが、今は純粋に指揮官のことが知りたいから使っている。とはいえ、ビジターレベルで見れる情報はすべて閲覧してしまった。指揮官には悪いとは思ったが、昨日権限を書き換えてしまった。元々、この端末は一般職員用のものらしく、ビジター用に制限するために軽いプロテクトがかかっていただけだった。私はAR小隊において情報収集役も兼ねている。敵の無線通信を傍受したり、ネットワークに侵入する能力がある。だから、こんな簡素なプロテクト、痕跡を残さず突破するくらい易々とできた。内部から侵入されることなどまったく想定していないようだった。バレたら指揮官に怒られるかもしれない。監督不行き届きで指揮官が怒られるかもしれない。だが、そんなへまはしない。私は自分のスペックには自信を持っていた。

 

 でも、指揮官のパーソナルな情報は見つからなかった。まだダメなのか。指揮官職の人間の情報は一般職員には開示されていないようだ。もう一段階権限をアップグレードしなければいけないのかもしれない。指揮官の部屋にあるコンピューターに侵入してしまうのが一番手っ取り早いかもしれない。だが、さすがにそれは憚られた。人には見られたくないものもある。データベースに勝手に侵入して情報を探している私が言うのも変かもしれないが、さすがにそれはしてはいけない気がした。

 

 指揮官の名を探していると一件だけ見つかった。アーカイブに動画ファイルが指揮官の名で登録してあった。ファイル名は“ハロウィン”と短く書いてあった。興味を惹かれてすぐに再生した。私と出会う前の指揮官が見られるかもしれない。

 

 動画が端末の画面に映し出される。古いビデオカメラで撮影されたのか画質が少し荒かった。画面に緑髪の人形が映った。場所はロッカールームのように見えた。

 

『FNC?何ですか、それ』

 

 画面の人形が怪訝そうに尋ねる。

 

『ビデオカメラ。仮装探してたら倉庫で見つけたの。せっかくのハロウィンなんだし記録残しとこうと思って』

 

 動画を撮影している人形はFNCというらしい。指揮官じゃないのか、私は少しがっかりした。これが指揮官の仲間だった人形たちなのだろうか。それはそれで興味がある。

 

『それで勝手に持ち出したんですか?後で指揮官に怒られても知りませんよ』

 

『指揮官って人形に甘いから怒らないじゃん。大丈夫大丈夫』

 

 緑髪の人形は咎めるように言うが、FNCは意に介さない。

 

『それで何を撮るんですか?ハロウィンの動画なら仮装してからの方がいいんじゃないですか?私は今から着替えようと思ってたんですけど。少し待ってくれたら着替えますよ』

 

『あーいいのいいの。ビデオレターやろうと思って。FAMASの衣装、着たら誰だかわかんないじゃん。だから今来たの』

 

『ビデオレター?誰に送るんですか?』

 

『指揮官だよ。後で指揮官に見せるから、さあ!日頃の想いを伝えてみよう!』

 

『想いですか……うーん、いつもありがとうございます……?指揮官の采配のおかげでいつも勝利を挙げることができています』

 

『いやいや、他にあるでしょ。恥ずかしがらずに言ってごらんって』

 

 FNCは呆れたように言う。FAMASは何を言っているのか分からないという風に首をかしげる。

 

『他って……例えば?』

 

『あーもう隠さなくていいって。FAMASが恋する乙女なのは部隊のみんなもう知ってるんだからさ。自分から副官に志願してずっとやってるんだから、自分でも分かってないってことはないでしょ?分かってないの指揮官くらいだよ』

 

『ちょっと!一体何のことですか!』

 

 FAMASが慌てて叫ぶ。顔がみるみるうちに赤くなっていくのは不鮮明な画質でも分かった。

 

『もう誤魔化さないでいいからさ~。ぱぱっと好きって言っちゃいなよ、この機会にさ。見ててじれったいんだよね』

 

『指揮官と私はただの上官と部下です!指揮官のことは何とも思っていません!』

 

『ああ~もういいからいいからそういうの。指揮官大好きです~。はい、復唱して。3……2……1……』

 

『FNC!いい加減にしなさい!そのデータ絶対に消させますからね!』

 

 FAMASが撮影しているFNCに掴みかかった。一気に画面が大きく揺れ動く。

 

『ちょっとやめて!壊したら私が怒られちゃう!』

 

 視点がぐるぐると回ったあと、急速に床が近づいて来た。ガシャンと激しい音がしたと同時に画面にヒビが入り、すぐさま暗転した。そこで動画は終わっていた。

 

 この後どうなったの?私はとても続きが気になった。この動画は指揮官の名で登録されていたから、指揮官もこの動画を観たんじゃないの?人形が人間に恋するなんて許されるの?FAMASはこの後、想いを伝えたの?動画を観た指揮官はどうしたの?FAMASの想いを受け入れた?まさか恋人同士になったんじゃないわよね。映画で観た恋人たちを思い出す。恋人は手をつないだり、抱きしめ合ったりする。それに唇と唇を合わせたりする。FAMASと指揮官がそんなことをしている姿を想像する。息が苦しい。とてつもなく嫌な気分になった。力いっぱい手で胸を押さえつける。私は混乱して動揺していた。頭の中に疑問と想像が渦巻いて考えがまとまらない。指揮官のことを考えるとよくこうなる気がする。

 

 まさか、指輪を渡してはいないわよね。あの人形と人間が家族になれるという特別な指輪。そんなことは絶対にない!そうだったら指輪について話した時に自分の経験を話してくれたはずだ。でも本当にそうだと言い切れる?たまたま話さなかっただけじゃないの?指揮官があの優しい笑顔を家族のFAMASに向けていなかったとは言い切れない。そんなのは嫌!私だって指揮官と家族になんてなっていない。私より先を歩いていた人形がいるなんて許せない。

 

 どうして私はそんなことを思ってるんだろう。どうして二人で歩むFAMASと指揮官を想像すると胸が苦しいんだろう。顔を赤くして叫ぶFAMASの顔を思い出した。あれはきっと私と同じ感情を抱いている。そう、今日だって私は指揮官と見つめ合っていたら顔が熱くなった。やっと分かった。この感情が恋なんだ。私は指揮官のことが好きなんだ。ただの教育係とか、親代わりとか、それに対する好きじゃない。これは恋愛感情だったんだ。今まで指揮官のことを必要だと思っていたけど、それがどうしてなのかは分からなかった。指揮官のことが好きだからなんだ。好きだからずっと一緒にいたかったし、指揮官に必要として欲しかった。指揮官が偽物だと思いたくなかった。やっと分かった。私、指揮官に恋してるんだ。

 

 でも、そんなこと許されるの?人形が人間にそんな想いを抱いていいの?指揮官は確かに人形と人間が家族になれると言っていた。でも、指揮官自身が人形と家族になる気があるとは言ってなかった。いくら指揮官が人形に優しくても、越えられない一線はあるんじゃないの?想いを打ち明けたら今度こそ本当に気持ち悪いと思われるんじゃないの?それにもし、指揮官が人形を受け入れる人間だったとしても、もうFAMASが先に指揮官の心の中にいるかもしれない。私が指揮官と出会うとっくの昔に先を越されているかもしれない。

 

 胸が苦しかった。今まで感じていた不安から来る胸の痛みではない。心が満たされているような、満たされていないような曖昧な感覚。想いが急にあふれ出して来ていた。初めて自覚する感情をうまく制御できない。布団にくるまって落ち着こうとしてもまったく効果はなかった。私はベッドの上で足をバタバタとさせてのたうち回っていた。

 

 FAMASが羨ましい。私が16LABの特別製じゃなくて、I.O.Pの普通の人形だったら指揮官と一緒に戦えたかもしれない。同じ部隊に配属されて、指揮官に仲間だと思ってもらえる。教育係と生徒の関係よりもっと深くつながれたかもしれない。そうすれば指揮官に私の恋心を受け入れてもらえる確率が少し高くなったかもしれない。二人で寄り添って、同じ道を歩めたかもしれない。

 

 でも、無意味な想像だった。私はAR小隊の一員となるために製造され、M4A1に従う以外の道はない。指揮官とは袂を分かつ運命なのだ。それに、FAMASは恐らく死んだのだ。私が無神経に踏み込んだあの出来事で指揮官の仲間は全員死んだ。死んでしまっては指揮官には二度と会えない。たとえ結ばれたとしても、それは嫌だった。そして、指揮官はもう部隊を率いるつもりはない。私と指揮官の道は交わらないのだ。

 

 結局、私は朝まで一睡もしなかった。様々な感情が胸の中で格闘戦を演じていたのでそれどころではなかった。起きてきたM16A1が私を見て言った。

 

「どうしたんだ?AR-15。なんだか落ち着かないみたいだが」

 

「何でもないわよ、何でも」

 

 嘘だがそう言うしかない。こいつに相談する気はないし、しても無駄だ。所詮は生まれたばかりの人形、プログラムされた感情を搭載されて人生経験豊富のように振舞っているが、実際には私の方が経験を積んでいる。私が抱いている感情は特別なものだ。指揮官に感情を教えてもらった人形だけが持つことを許される感情だ。こいつには理解できまい。私と彼女の間には大きな隔たりがあるのだ。

 

 宿舎を出るともう指揮官は食堂にいた。私たちのために食事を用意してくれているのだ。私に気づくと微笑んでくれた。

 

「おはよう、AR-15」

 

「お……おはよう、指揮官」

 

 指揮官の顔を直視すると胸がどきまぎする。顔に火が回ったように熱い。自分の感情を自覚したせいで症状がよりひどくなった。頭どころか口もうまく回らない。思わず指揮官から目を逸らす。顔を見ていられない。胸の高鳴りがひどくなる。何か突拍子もないことをしでかしてしまうんじゃないかと自分が心配だった。

 

「どうした?具合でも悪いのか?」

 

 指揮官が近づいてきて私の顔を覗き込んでくる。私は飛びのいてしまった。そんなに近寄られたらおかしくなってしまう。私をこれ以上おかしくさせないで。

 

「何やってるんだよ。またすぐ訓練なんだから食べてしまおう」

 

 M16A1がケラケラ笑いながら言った。指揮官と一緒にいるとドキドキして落ち着かないし、指揮官と離れると寂しい。どうすればいいのかしら。まあ、原因はもう分かったけれど。

 

 指揮官とお別れになる前に早く想いを打ち明けてしまえばいいのかもしれない。でも、指揮官は私の教育係になると言ってくれたけれど、私が好きだとか、私と恋人になるとか言ったわけではない。受け入れてもらえるとは思わない。それに指揮官は私のことを子どもだと何度も言っていた。普通、子どもとそういう関係になる人間はいない。そういう対象として見られているわけがない。そう思うと辛かった。結局、私と指揮官の間にも隔たりがあるのね。感情のある人形と感情のない人形、それよりももっと大きな溝が。

 

 

 

 

 

 私たちは昼過ぎに宿舎での待機を命じられた。いつもなら夜まで訓練が続くのに珍しい。でも、その分指揮官に会えるのだから嬉しい。M16A1だけ訓練をさせられていればいいのに。

 

 機密地区の扉を開ける。そこには見知らぬ人形が二人立っていた。黒い長髪の人形とクリーム色の髪をした人形。いや、私はこいつらを知っている。M16A1を見た時と同じだ。会ったことはないが、データとして知っている。だとするとこいつらが。

 

「あなたがM16姉さん?私はM4A1です。会いたかった……」

 

 黒髪の人形、M4A1が言った。こいつがM4A1、AR小隊のリーダーでユニットの中核。こいつが能力を獲得すれば私は指揮官と離れることになる。M16A1の時とは違って私の感情はフラットではなかった。

 

「お前がM4か。やっぱり想像していた通りの姿をしているな。私も会いたかったよ」

 

 感極まったのかM4A1がM16A1に抱きついた。M16A1も彼女を抱きしめ、二人はぎゅっと抱き合っていた。家族の感動の対面というわけね。初めて会うくせに。インプットされただけの感情に従う人形たちの家族ごっこを見ていると気持ち悪くなる。不愉快だった。

 

 そう思っているとクリーム色の髪をした人形が私の胸に飛びついてきた。ぎょっとする。

 

「あなたがAR-15?会いたかった~、私はM4 SOPMODⅡ!SOPⅡって呼んで!」

 

 そう言うSOPMODⅡの両肩を掴んで引きはがす。馴れ馴れしいのよ、初対面の他人に対して。

 

「別に名乗らなくても知ってるわよ。データとして入ってるんだから」

 

「でも直接会うのとは全然違うでしょ?私、AR-15の感触も温かさも知らなかったよ!みんなに早く会ってみたかったんだ~、これで家族が全員集合だね!」

 

 SOPMODⅡはニコニコと笑みを浮かべながらそう言った。私はそれに薄気味の悪さを感じた。私とあんたたちは家族じゃないわよ。少なくとも今は。指揮官は私がこいつらと家族になれると言っていたが本当になれるのだろうか。全然想像がつかない。

 

「あなたがAR-15?あなたにも会いたかった……」

 

 M4A1がM16A1の胸から顔を上げてそう言ってきた。うるんだ目をしていた。その目を見るとぞわりと怖気が走る。別に私は会いたくなかったわよ、そう言いたくなったが喉元で抑えた。指揮官が私に期待している答えはそれではない。

 

「そうね、私も会いたかったわ。AR小隊にはあんたが欠かせないし、私たち“友達”になれるかもしれないしね」

 

 家族と言う気にはならなかったので、そう言った。それが私にできる最大の譲歩だった。M4A1はそれを聞いて怪訝な顔つきになる。

 

「友達?家族じゃなくて?」

 

「……別に何だったいいでしょ。大した違いはない」

 

 あまり追求されたくなかったので誤魔化した。SOPMODⅡが抗議の声を挙げてくる。

 

「ええ~友達と家族じゃ全然違うって!家族はもっと特別なものだよ!生まれた時から決まってるものなんだよ!家族は大事にしなさいってペルシカも言ってたし」

 

 頬を膨らませるSOPMODⅡを見ながら思った。そう、友達と家族では全然違う。あんたたちと友達にならなってやってもいいわ。作り物の感情を埋め込まれたあんたたちと付き合ってあげる。必要なら我慢して家族ごっこにも付き合う。でも、家族にはなれない。そんな気がした。私が家族になりたいと思っているのは指揮官だけだから。この人形たちと家族になりたいとはまったく思えなかった。

 

 その時、指揮官も部屋から出て来た。私たちを見まわして言った。

 

「全員揃ったか。これでAR小隊が正式に編成される。俺はここの管理人だよ。しばらくの間よろしく頼む」

 

 そう言って指揮官はM4A1に右手を差し出した。彼女も躊躇なくそれに答える。握手し合う二人を見て若干イラついた。別にこいつと握手する必要はないでしょう。何も考えていない空っぽの人形よ。

 

「わあ、人間の男の人こんな近くで見るの初めてかも。AR-15とずっと一緒にいた指揮官だって聞いたよ!二人で何してたの?」

 

 SOPMODⅡが目を輝かせて指揮官に近づく。触れるか触れないかぐらいの距離だ。私の指揮官に近づきすぎよ。指揮官は言いにくそうに答える。

 

「あー、俺はAR-15の教育係だ。ずっとそうだったし、今もそうだ。まあ、AR-15は特別だから教育が必要だったんだ」

 

「教育係?そんなの私たちにはいなかったよね、M4?」

 

「ええ、あらかじめ常識は搭載されていたから。一体どんなことをしてたの?AR-15」

 

 M4A1の質問は無視した。私が特別か。指揮官から直接そう言われるのは初めてだった。とても嬉しかった。思わず頬が緩む。この人形たちを見ていて感じた不快感が消えていく。やっぱり私には指揮官だけいればいいのね。この人形たちと必要以上に関係を深めることはない。

 

 

 

 

 

 感動の対面を果たした後、私たちは訓練に呼び戻された。もう仮想空間に行くのも慣れたものだ。相変わらず真っ白な空間だった。違うのは新しい人形が二人追加されていること。SOPMODⅡは小隊の擲弾手だ。銃身の下に40mmグレネードランチャーを装着している。AR小隊には機関銃手はいないので部隊の中では最大の火力を発揮する。擲弾をもって敵の集団を吹き飛ばす。当たらずともその火力を恐れる敵を拘束することができる。彼女の加入で火力不足が一気に解消されたと言える。

 

 ただ、彼女は突出しすぎる。盾役はM16A1に任せればいい。彼女はM16A1のカバー範囲から前に出る必要はない。後ろから火力を投射していればいい。だが、彼女は敵に近づくのを好むようだった。

 

「アハハッ!バラバラにしてやる!悲鳴を上げろ!」

 

 私はSOPMODⅡが一気に敵に近づき、銃撃を浴びせるのをスコープ越しで見ていた。そんなに近づく必要はない。中距離の敵は私の射程だ。彼女は敵を無力化するというよりは破壊を楽しむように全身に銃弾をそそぐ。一体に銃弾を使いすぎだ。そんなに引き金を引き絞っては三十発しか入っていないマガジンはすぐに空になる。リロード中は無防備でこちらが彼女をカバーせざるを得なくなる。勝手な行動をされては迷惑だ。こちらに危険が及ぶ。

 

 SOPMODⅡは子どもっぽい人格を設定されているのかと思った。だが、戦闘における彼女は嗜虐趣味に走っている。敵をバラバラにするのが好みのようだった。鉄血の人形を模したターゲットに執拗に銃弾を叩きこむ。腕や脚がリアルに千切れ、頭はトマトが潰れるように弾け飛ぶ。その様子を見てSOPMODⅡは嬉しそうに高笑いしていた。ある意味で執拗な残虐性は子どもらしいのかもしれない。徹底的な攻撃性は彼女の部隊における役割にうってつけのパーソナリティなのかもしれない。だが、今は連携を乱しているとしか言えない。実戦でもこれなら困ったことになる。いざとなったら彼女を置いて逃げよう。自分が生き残ることが第一だ。私はそう思いながらSOPMODⅡを狙う敵の頭に銃弾を撃ち込んだ。SOPMODⅡはすでに虫の息の敵に対して擲弾を撃ち込んだ。身体の破片が四散する。彼女はより大きな笑い声をあげた。

 

「SOPⅡ!戻って!先走りすぎよ!」

 

 M4A1が慌てて指示を飛ばす。SOPMODⅡの性格はまだ設定された理由が分かる。だが、こいつにこんな性格が設定されている理由が分からない。

 

「えへへ、ごめんごめん。つい興奮しちゃって。うわ!」

 

 悪びれずにこちらに戻って来ていたSOPMODⅡの背中に敵弾が撃ち込まれる。SOPMODⅡは突然の衝撃に地面に顔から叩きつけられる。しまった、敵の狙撃手を排除し損ねていたか。私と同じような役割を持っている鉄血の人形、イェーガーは厄介な敵だった。遮蔽物の合間を縫って動き、隠れながら強力な一撃を放ってくる。銃弾が来た方向からすぐに敵の位置を割り出す。スコープ越しにイェーガーと視線が合った。だが、私が引き金を引く方が早かった。敵のスコープを貫通して銃弾が頭を貫く。イェーガーはつんのめって後ろに倒れた。

 

「SOPⅡを助けます!私が行くから姉さんは支援を!」

 

 返答も聞かずにM4A1が倒れているSOPMODⅡのもとへ走り出す。指揮官役がそんなに突出するべきではない。M16A1に任せるべきだと私にも分かる。倒れたSOPMODⅡはいい的だったので集中攻撃を受けていた。とても助からない。案の定、M4A1にも銃弾が浴びせられる。足を撃ち抜かれ、その場に四つん這いになってしまった。負傷者が一瞬で二人に増えた。

 

「クソ!M4、今助ける!」

 

 M16A1が飛び出すのを私は呆れて見ていた。死にに行くようなものだ。まともな思考能力があればそんなことはしない。インプットされただけの家族という関係に執着し過ぎだ。私は一人取り残されて考えていた。こんな奴の指揮で戦わないといけないのか。単純な訓練でこの有様なら、複雑な状況判断を求められる実戦ではどうなってしまうんだ。指揮官役ならもっと冷静に指揮ができるパーソナリティを搭載すべきだろう。16LABは何を考えているんだ。家族に熱くなって冷静さを失うようなグズは必要ない。こいつのせいで実戦でも死ぬんじゃないか。死んだら指揮官には二度と会えない。指揮官にとってただの記録になってしまう。こいつが永遠に訓練でも失敗し続けてずっと指揮官と一緒にいれるのならいい。でも、きっとそうじゃない。いつかは実戦に放り出されるのだし、それでも使い物にならないと判断されたら廃棄処分にされる。結局、指揮官とはいられない。くそ、なんで私にはM4A1に従う選択肢しかないんだ。

 

 もう戦うのもやめてM16A1たちが死んでいくのを眺めていた。イラつく奴らだ。FAMASみたいに指揮官のもとで戦えればよかったのに。私が普通の人形ならこいつらと一緒に戦うこともなかった。銃を下ろして座り込む。私の姿を確認した敵が殺到してきた。目をつむる。別にこれで死ぬわけじゃない。指揮官とはまた会える。そう自分に言い聞かせた。

 

 死の体験は一向になれない。仮想現実から現実に戻る瞬間、無に帰るような感覚がする。毎回、息が乱れる。胸を押さえつけて呼吸を整える。何でもないように取り繕うのも一苦労だ。恐ろしい体験だ。今までM16A1に隠し通すのが大変だった。見抜かれているかもしれない。だが、どうでもいいことだ。失いたくないものがあるのは恥ずかしいことではない。こいつらと私の最大の違いだ。こいつらには作り物の家族しかいないが、私には指揮官がいる。自分で指揮官のために戦うと決めたのだ。私が選んだ、私だけの戦う理由だ。誰かに与えられた感情のために戦うこいつらとは違う。

 

 ポッドから出るともう全員揃っていた。

 

「いやあ、ごめんね。私のせいで」

 

 SOPMODⅡがM4A1に頭をかきながら謝っていた。

 

「だめよ、SOPⅡ。一人で突っ込んでは。家族はいつでも一緒に行動しなくちゃ。誰かが欠けでもしたら……想像したくないわ」

 

 M4A1は優しくSOPMODⅡを叱っていた。今回はあいつのせいで負けたんだからもっと強く叱りつけるべきだ。でないとまた繰り返される。命令を徹底させられない指揮官は無能というんだ。M16A1が二人の会話に口を挟む。

 

「お前もだぞ、M4。ああいう時は私に任せておけ。私はお前より頑丈にできてる。それにリーダーのお前がやられたら代わりに誰が指揮を執るんだ」

 

「でも……家族を私の代わりに危険に晒すような真似はできないわ」

 

「いいんだよ。それが私の役割だ。AR-15なんていつも私を盾代わりに使ってたぞ。その方が効率がいいんだ。私たちには与えられた役割がある。それを全うした方が生き残れる」

 

 M4A1は納得いかないという風に唇を噛んでいたが、一応頷いた。部下に叱られるようなリーダーでこの先やっていけるのだろうか。不安だった。

 

「AR-15はすごかったよね!遠くの敵にもバンバン当ててたし。一番敵を倒してたよね!私はすぐ弾がなくなっちゃって全然倒せなかったよ」

 

 SOPMODⅡが私の方にやってくる。その目はキラキラとしていた。M4A1がやらないというのなら仕方がないから私が代わりにやってやることにする。

 

「あんたは一体に弾を使い過ぎなのよ。弾倉には三十発しか入ってないんだから馬鹿みたいに撃ってたらすぐ無くなるわよ。弾倉だって何十個も持っていけるわけじゃない。実戦で弾が尽きたら死に直結するわ。あんたをカバーするために部隊全員が危険に晒されるのよ。指切りを覚えなさい。急所にだけ撃ち込めばいいの。敵を完全に破壊する必要はない。無力化すればいいんだから。CPUかコアを破壊すれば十分なの。分かったら次から気をつけなさい。実戦なら次はないのよ」

 

「うん……ごめんなさい。分かってるんだけど敵を見ると落ち着かなくなっちゃって。ぐちゃぐちゃにしたいって思っちゃうの。ちゃんと自制できるように気を付けるから……でも、AR-15はすごいね!戦ってる時もずっと冷静だったし。私のこともちゃんと援護してくれてたよね。すごいな~あの指揮官に教育してもらったおかげなの?」

 

 SOPMODⅡはしゅんとしていたかと思うとすぐに顔を輝かせて私を見てきた。単純なのか切り替えが早いのか。まあ、能力を褒められて悪い気はしないし、それが指揮官の評価につながるならいいことだ。

 

「そうね、多分。指揮官のおかげよ」

 

「私もAR-15みたいになりたいな~」

 

 SOPMODⅡはニコニコしながらそう言った。

 



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死が二人を分かつまで 第七話「高慢と偏見」中編

 

 

 

 夜になってから機密地区に戻る。さらに二人増えたせいで指揮官と喋る時間が減るのではないかと不安だった。ドアをくぐるとまた見知らぬ人形がいた。これに関してはデータもなかった。そいつはエプロンを身に着けて、ニコニコと笑顔を顔に張り付けていた。横には指揮官がいてそいつの肩に手を置いた。

 

「上に文句を言ったら送って来たんだ。俺にAR小隊の世話をする義務があるなら、食事事情を改善するのも必要なことだと言って送らせた」

 

「私はI.O.Pの2052年製家事手伝い人形モデル101です。皆さまよろしくお願いいたします」

 

 その人形は同じ笑みを浮かべたままぺこりとお辞儀をした。古い人形だった。よくも見るとあちこち劣化しているようだ。私たちのような上等な人工皮膚ではなく、ゴムのような質感の古ぼけた肌だった。

 

「へぇー家事ってことは料理もできるの?」

 

 SOPMODⅡが鼻と鼻を突き合わすくらいその人形に近づいてジロジロと見る。101はまったく表情を変えない。

 

「ええ、そのために派遣されました。何か食べたいものはございますか?食材も持ってきました」

 

「うーんとね……そう、ハンバーグ!私、ハンバーグ食べてみたい!」

 

「かしこまりました」

 

 101は私たちを先導して食堂に向かう。何にせよ指揮官と過ごす時間は大切にしなければならない。歩幅を調整して指揮官の横になるようにする。指揮官の方を見ると私を見て笑っていた。意図を見抜かれてしまったかもしれない。恥ずかしくて顔が赤くなる。

 

「少々お待ちください」

 

 101は手際よく材料を冷蔵庫から取り出してキッチンに並べた。今まで一度も使っていなかった調理器具を大量に引っ張り出している。101の行動は迅速で計算されたものだった。材料をこねながらフライパンを火にかけて温めている。何をやっているのかは分からないがきっと効率よく調理するための手順なのだろう。あの人形にとってはこれが戦いなんだ、そう感心してしばらく眺めていた。

 

 こんなことをしている場合じゃない。指揮官と過ごさないと。他の人形なんてどうでもいい。そう思って指揮官を見る。指揮官はいつもの席に座っていた。だが、いつもと違うところがあった。指揮官と向かい合う席にSOPMODⅡが座っていた。

 

 は?何をやってるんだこいつは。そこは私の場所だ。お前なんかが座っていいところじゃない。身の程をわきまえろ。SOPMODⅡの背中をにらみつけるが、彼女は気づかない。

 

「ねえねえ、AR-15の教育って何をやってたの?」

 

 SOPMODⅡが身を乗り出して指揮官に尋ねる。

 

「そうだな、話し合ったり、映画を観たり」

 

「映画!?私、映画って観たことない!観てみたいな~」

 

「じゃあ今度みんなで観よう。さあ、AR-15も早くこっちに」

 

 指揮官に手招きされて横の席に座る。イライラする。これじゃ食べながら指揮官の顔が見えないじゃないか。それに指揮官と無駄に話しやがって。あんたは押し黙ってレーションでもかじっていればいいのよ。私は上手く言葉を出せず、他の連中と指揮官が喋っているのを黙って聞いていた。腹が立つ。こんなはずじゃなかったのに。

 

「お待たせしました。温かいうちにお召し上がりください」

 

 ニコニコしながら101がハンバーグを持ってきた。

 

「うわあ!おいしそう~」

 

 ハンバーグからはほかほかと湯気が立ち上っていた。確かに今まで見た料理の中では一番見た目が上等だった。きっと味もいいに違いない。だが、私は正直それどころではなかった。

 

「お褒めに預かり光栄です」

 

 101は表情も声色も変えずにそう言った。やっと気づいた。こいつには感情がないんだ。古い人形だからそんなものは搭載されていない。表情も言葉もプログラムが機械的に弾き出しているだけなんだ。

 

「あっおいしい!16LABで食べたご飯よりおいしいよ!M4も食べてみな!」

 

「ほんとだ……101さん、ありがとうございます」

 

 SOPMODⅡはハンバーグにフォークを突き刺して頬張る。満面の笑みを浮かべるSOPMODⅡを見ながら思った。こいつも101と何も変わらないんじゃないか?感情豊かそうに振舞ってはいるが、全部プログラムがこいつに命じているんだ。そうだ、生まれたばかりの人形には経験なんてない。自分で感情を生み出すことはできない。全部作り物だ。それなのに感情があるように振舞っている。気味が悪い。こいつらも101と同じくらい無駄なことを喋らなければいいのに。それならどうでもいい。こいつは無駄な行動をして私の邪魔をして。ちゃんとした感情を持った私の道を邪魔するな。空っぽの人形のくせに。

 

「どうした?AR-15。冷めてしまうぞ」

 

 いつの間にか指揮官が私のことを見ていた。慌ててナイフとフォークで切り分けて口に運ぶ。

 

「……ええ、すごくおいしいわ」

 

「そうか、ならよかった」

 

 指揮官は微笑んでそう言った。正直、味わう余裕がなかった。何でこんなことに。指揮官と二人で食べるならどんなまずい食事でもよかった。こんなものいらなかった。この空っぽの人形たちもいらなかった。一緒に暮らしたくない。私の大切な思い出に割り込んでくる異物だ。こんなのふざけてる。

 

 

 

 

 

 それから三日間、私たちは訓練に明け暮れた。M16A1しかいなかった時と変わらない。しかし、なんだかSOPMODⅡに付きまとわれている気がする。無駄に懐かれた。よく私に話しかけてくる。いつも適当にあしらっているのだが。まあ、私の言うことを聞くようになったのはいいことだ。訓練でも一人で先走ることはなくなったし、前よりは銃弾を節約するようになった。実戦でも生存確率が上がるだろう。せいぜい利用してやることにする。

 

 食事の時は後れを取らないように真っ先に指揮官の前に座る。SOPMODⅡは私の横に座ってくる。私と指揮官が話していると割り込んできて非常に腹が立つ。指揮官は私と彼女に会話させようと何だか一歩引いているような気がする。どうしてそんなことをするんだ。私と話したくないの?指揮官が私と彼女たちを家族にしたいんだということは分かる。でも、私にはそのつもりは全然ない。私の気持ちも尊重してほしい。私が過ごしたいのはあなたとなのよ。空っぽの人形たちとじゃない。戦う理由は自分で決めろって散々言ってくれたじゃない。

 

 今日は珍しく休みだった。私たちではなくシステム部の職員が休暇らしい。だから、今日はずっと指揮官と一緒にいられるのだ。何日ぶりだろう。指揮官とずっと一緒に過ごしていた一か月間が懐かしい。これで他の奴がいなければ完璧なのだけれど。

 

「映画観ようよ!映画!ずっと観てみたかったの!」

 

 SOPMODⅡがそう言った。映画か。指揮官と観た映画はどれも楽しい思い出だけれど、こいつらと観たくないな。そう思った。

 

「ああ、そうだな。せっかくの休みなんだし観ようか。じゃあ談話室に行こう」

 

 指揮官は私をちらりと見て言った。指揮官にそう言われたら断る理由がない。こいつらと思い出を共有するのは嫌だが、指揮官が私の知らないところでこいつらと思い出を作るのはもっと嫌だった。そんなのは許せない。私の教育係なのよ、こいつらのじゃない。

 

 談話室に行くのもなんだか久しぶりな気がする。思い出の場所であるソファは変わらずにそこにあった。指揮官の膝で眠ったのはそう遠い出来事じゃない。ついつい寝すぎてしまって起きたら指揮官が笑っていた。思い出すと恥ずかしい。でも、嫌な思い出じゃない。

 

 ソファは二人掛けだ。詰めれば三人で座れないこともないが、他の奴に座られるのは嫌だった。だから、他の椅子をモニターの前に持ってくる。三人分必要だ。一つ運んで、もう一つをモニターの方へ持っていく。思わず私は椅子を落とした。SOPMODⅡが指揮官とソファに座っていやがる。またか、このくそったれの人形め。そこは私の場所だぞ。お前みたいなのが汚していい場所じゃないんだ。殺してやろうか、黒い感情が急速に湧き出てくる。

 

「AR-15!椅子は二つでいいよ!AR-15は真ん中に座ればいいから!詰めれば座れるよ!」

 

 SOPMODⅡは私の方を向いてそう言った。指揮官は少し困ったような顔をして私の方を見ていたが何も言わなかった。私は今すぐSOPMODⅡの髪をつかんで引きずりおろしてやりたい衝動に駆られたがどうにか止めた。指揮官の前でそんなことをしてはいけない。歯噛みをして耐える。でも、あいつがあそこに座っているのは我慢できない。とても映画なんて観る気分じゃない。

 

「やっぱり映画はいいわ。私はいい。そんな気分じゃなくなった。宿舎にいるわ」

 

 そう言って私は談話室を出た。くそう、なんで私がこんな目に。指揮官との思い出を守りたいだけなのに。あいつらがどうしても邪魔してくる。悔しくて涙が出そうだ。廊下をとぼとぼ歩いていると指揮官が慌てて追いかけてきた。

 

「AR-15!待ってくれ。一緒に映画を観よう」

 

「……ごめんなさい。そんな気分じゃないの。観たくない」

 

「お前がいないと困るんだ。まだ彼女たちと親しくないから気まずい。お前にいて欲しい。お前が必要なんだ。お前にも彼女たちと過ごす時間が必要なんだ」

 

 私が必要?指揮官にとって?そんなことを言われるのは初めてだった。胸が高鳴る。衝撃に息が荒くなる。死を体験した時の嫌な感じじゃない。喜びと安心感だ。ぼんやりしていると指揮官が私の手を引っ張って談話室に入った。M16A1がニヤニヤしながら言ってきた。

 

「ほらな、戻ってきたろ。心配することはなかった」

 

 そんな言葉も私の耳には入らない。まだぼんやりとしたままだった。嬉しい。今までの嫌なことなどすべて忘れられる。指揮官はソファに座ると自分の膝を叩いた。そこに座れということ?そんなことをしていいの?でも、もうよく考えなかった。自分の望むままにしよう。指揮官の膝に座り込む。背中を指揮官の胸にぴったりと合わせる。指揮官の鼓動が聞こえる。これを聞くのもあの時以来だ。落ち着く。

 

「AR-15って意外と甘えん坊だったんだ~。へえ~意外かも」

 

 SOPMODⅡが笑いながらそう言った。今は何を言われても気にならない。どうでもよかった。幸せだった。幸せってこういうことを言うのね。ずっとこうしていたい。指揮官の身体は温かかった。

 

 

 

 

 

 夕食を食べている間も私はぽーっとしていた。幸せな時間は過ぎるのが早いのね。映画はほとんど観ていなかったが、いつの間にか終わっていた。何か子どもが家に取り残される話だった気がする。どうでもよかった。指揮官だけいれば他のことはどうでもいいわ。101が何か新しい料理を作っていた気がするがまったく覚えていない。

 

「映画って初めて観たけど面白かったね!私もあんなトラップ作ってみたいな。鉄血が引っかかったら細切れになるようなやつ!」

 

 食べ終わったSOPMODⅡが映画を思い出しながら言う。それを聞いてM4A1が指揮官の方を向いた。

 

「指揮官、映画を観て思ったんですけど私たちの宿舎は家具が少なくないですか?というよりまったくないというか……16LABで与えられていた部屋でもちょっとはありました。何だか寂しくて不安になります……」

 

「そうか、そうだな。ちょっと待ってろ」

 

 そう言って指揮官は離席した。嫌な予感がした。指揮官が薄い画面を持って戻って来た。

 

「グリフィンの倉庫にある家具の電子カタログだよ。注文すればすぐに届く。AR-15がそう言ってきた時のために用意しておいたんだがすっかり忘れていた。好きなものを頼んでいい。俺が買うさ」

 

「え……そんなの悪いですよ」

 

 M4A1は差し出されたカタログを遠慮して受け取ろうとしない。指揮官は構わずそれを押し付けた。

 

「いいんだよ。好きでやってるんだから。割と俺は金持ちなんだよ。使ってないからな」

 

 指揮官は笑った。冗談のつもり?私のために用意したものをこんな奴に渡さないでよ!そう言いたかったが我慢した。せっかくのいい思い出が台無しになる。M4A1はなんだかんだ言って嬉しそうに画面をスクロールしていた。こいつの顔を机に叩きつけてカタログごと叩き割ってやりたいな、余計なこと言いやがって。再び黒い感情がぶり返してきた。

 

「じゃ……じゃあ、私はこの絵を」

 

 M4A1は恐る恐るカタログを指揮官に返す。M16A1が指揮官の後ろに回り込んで覗き込む。

 

「へえ、子どもの本棚の絵ね。M4はこういうのが趣味なんだな」

 

「い、いいじゃありませんか、姉さん。一目見て気に入ったんです!」

 

 M4A1は顔を少し赤くして抗議した。M4A1の絵が私の宿舎に飾られるのを想像する。私の思い出の場所がこんな来たばかりの空っぽの人形に侵されるのか。くそ、腹が立つ。

 

「M16は何かいるか?」

 

「私は家具よりお酒がいいな。まあ、枕でももらおうかな。やわらかいやつ。酒を飲んだ後すぐ眠れるようにな」

 

 M16A1は指揮官からカタログをひったくると何回か操作してすぐに返そうとした。その前にSOPMODⅡが走り込んできてカタログを掴んだ。

 

「私はねー、何にしようかな。うーん、迷うなあ」

 

 SOPMODⅡはしばらく迷っていたが何かを見つけたのか急に声をあげた。

 

「私、これがいい!これに座ってみたい!」

 

 画面を指揮官の方に向けてはしゃぐ。私にも見えた。デフォルメされた熊型の椅子だった。M16A1が顎に手を当てて言った。

 

「おいおい、SOPⅡ。さすがにちょっと高いんじゃないのか?」

 

「えーっ、でも私これがいいな。これ以外いらない!」

 

「はは、値段なんて気にするなって言っただろう。人の好意は黙って受けておけ」

 

 駄々をこねるSOPMODⅡに指揮官がそう言った。そして私の方にカタログを差し出してきた。

 

「AR-15は何が欲しい?何でもいいんだぞ」

 

「……別に。何もいらないわ。現状で満足してる。不満はない」

 

 私は感情を抑えてそう言った。不満があるとすれば余計な人形が宿舎に三人紛れ込んでいることだ。ベッドごと外に放り出して欲しい。

 

「そ、そうなのか?でも、せっかくだから何か頼んでおいたらどうだ。見てみたら何か欲しくなるかも――――」

 

「いらないって言ってるでしょ。明日からまた訓練でしょう。朝早いんだからもう休むわ。おやすみ、指揮官」

 

 指揮官の言葉を遮ってそう言った。イライラして口調が少し冷たくなった。バッと立ち上がって食堂を出て行った。廊下を歩いていると黒い感情がふつふつと湧いてくる。ムカつく、イラつく、腹が立つ。何が家具よ!私の大切な場所が汚される。あんな空っぽの連中に何が分かるっていうのよ!ずっと狭いシミュレーションポッドの中にいたって何も思わないでしょう!大人しく黙ってなさいよ!イライラして指揮官に当たってしまった。最悪だ。今日は幸せな日になると思ったのに。あのグズのせいで台無しだ。全部あいつらが悪い。あいつらさえいなければずっと指揮官と一緒にいられたのに。何で私には選択の自由がないのよ、くそ!

 

 

 

 

 

 翌朝、もう家具が届いていた。グリフィンの奴ら無駄に仕事が早い。そんなもの届けなくていいわよ。ずっと倉庫にしまっておきなさいよ。

 

「わあ!ほんとに届いた!嬉しいなあ~、ありがとう指揮官!」

 

 SOPMODⅡはこともあろうに正面から指揮官に抱きついた。首に手を回して指揮官の顔に頬ずりをしている。無意識に拳を握り締めていた。手に爪が深く食い込む。私だってそんなことしたことないのよ。もう我慢の限界だ。今すぐこいつを殺したい。首をねじ切って回線を引きずり出してやりたい。こいつが訓練でやっていたみたいに銃弾を全身に撃ち込んでぐちゃぐちゃにしてやりたい。

 

「うわ!急にどうしたんだ、SOPⅡ」

 

 指揮官は慌ててSOPMODⅡを引きはがす。彼女はニコニコと笑顔を浮かべていた。

 

「えへへ、AR-15の真似!」

 

 私はそれからまともに口が聞けなかった。殺意を抑えるので精一杯だった。だから、黙って家具が宿舎に運び込まれるのを見ていた。何もなかった宿舎に異彩を放つ熊が置かれた。M4A1が頼んだ絵も壁に設置された。もはや私の知っている場所ではなくなった。殺風景でも私が生まれてからずっといた大切な場所なんだ。それなのにこいつらに汚された。許せない。私の思い出の場所はもうないんだ。そう思うとたまらなく悲しかったし、殺意がより増した。どす黒い感情に支配された胸が苦しい。ふざけやがって、クズどもが。プログラムに命令されているだけのスクラップのくせに。

 

 

 

 

 

 訓練が始まっても怒りが消えなかった。私は無意識にSOPMODⅡに照準を合わせていた。こいつの背中を撃って殺してやりたい。何とか理性がそれを押しとどめていた。訓練だから撃ち殺しても意味はない。実戦だったらよかった。こいつを殺しても知らんぷりして逃げれば追求されないかもしれない。戦いの中では何が起こるか分からない。

 

「AR-15!撃って!イェーガーが湧いてきた!早く倒して!」

 

「え?」

 

 M4A1が私に叫んでいた。SOPMODⅡのことばかり見ていて敵を見ていなかった。スコープから目を離して辺りを見回す。どこだ?訓練に全然集中していなかったから戦況が全然分からない。普段はイェーガーがどの遮蔽物に飛び込んだのか目で追っているのですぐに位置が分かる。だが、今回はどこに敵がいるのかすらよく分からなかった。その時、銃弾が私の頭に命中した。一撃で私のメモリは粉砕され、意識が暗転した。銃を下ろしている時に殺される、間抜けな死に様だった。

 

 

 

 

 

「どうしたんだ?AR-15。いつものお前らしくない。今日は全然発砲していなかっただろう。冷静でもなかった。何かあったのか?」

 

「別に。何もないわよ」

 

 今日の訓練は散々な結果だった。どう頑張っても集中できなかった。過去最低の成績を何回も叩きだした。機密地区への帰路でM16A1からの追求を適当にあしらっていた。どれもこれもこいつらのせいだ。何食わぬ顔を装うのが大変だった。一皮むけば私の心は殺意と憎しみに満ち溢れている。この気持ちが収まる気配はなかった。

 

 その時、後ろからSOPMODⅡが私の二の腕を掴んできた。脇からへらへらとした顔で私の顔を覗き込んでくる。

 

「AR-15どうしたの?悩み事?何でも言ってよ!辛い時は家族に相談して!」

 

 私は何か糸が切れたのを感じた。とうとう我慢ができなくなった。隠し通そうとしていた感情が爆発する。

 

「うるさい!私に触れるな!お前と私は家族なんかじゃない!」

 

 SOPMODⅡの腕を乱暴に振り払う。彼女は何が起きたのか分からないという風な顔をしていた。

 

「え……?う、嘘だよね?AR-15、家族じゃないなんて……」

 

 SOPMODⅡは再び私の腕に触れようとしてきた。私はその手を引っぱたいてはたき落した。

 

「私に馴れ馴れしくするな!嘘じゃないのよ、SOPMODⅡ。あんたのことを家族と思ったことは一度もない。いつも指揮官との時間を邪魔してくれる奴としか思ってないわ。消えて欲しいと思ってる。今日、成績が悪かったのはね。あんたの背中をずっと撃ち抜きたいと思ってたからなのよ。あんたが指揮官に抱きついた時、その場で殺してやろうと思ったわ。あんたが鉄血の人形にするみたいにね」

 

「そ……そんな……」

 

 SOPMODⅡは今にも泣き出しそうな顔で言葉を吐き出した。M4A1が怒り心頭といった表情で私の前に躍り出てきた。

 

「AR-15!やめなさい!いくら訓練でうまくいかなかったからってSOPⅡに八つ当たりしないで!言っていいことと悪いことがあるわ!家族じゃないなんて……!早くSOPⅡに謝って!」

 

 私はM4A1の言葉を鼻で笑い飛ばした。彼女の顔が怒りで赤く染まる。

 

「M4A1、あんたのことも家族と思ったことはないわ。あんたみたいなグズが来たせいで迷惑を被ってる。よくも家具が欲しいなんてふざけたこと抜かしてくれたわね。私の思い出の場所を汚さないで。ただでさえあんたたちみたいな異物がいるせいで不愉快なのにね。あんたみたいなのには下水道がお似合いなのよ。ベッドが与えられているだけでもありがたいと思いなさい。本当に最悪なことをしてくれたわね。あんたみたいな奴の指揮で戦いたくない。指揮官のもとで戦いたかったのに――――」

 

「AR-15!黙れ!それ以上言うならお前を力づくで黙らせるぞ!」

 

 M16A1が私の言葉を遮って叫ぶ。その顔も怒りに歪んでいた。M4A1は怒りも忘れたのか呆然と口を開けていた。間抜けな面だった。

 

「M16A1、あんたくらい身の程をわきまえているのなら我慢してあげる。一緒に戦うくらいはね。でも、家族にはなれない。私が家族になりたいのは指揮官だけよ。お前たち空っぽの人形ではない」

 

 彼女もショックだったのか血の気の引いた顔をしていた。呆然と立ち尽くす彼女たちを置いて機密地区に向かった。後ろからSOPMODⅡの泣き声が聞こえてきた。ふん、いい気味よ。言いたいことを言ってやれた。

 

 でも、指揮官に怒られるかもしれない。指揮官は私にあいつらと友達、仲間、家族になって欲しいんだった。本音をぶちまけてしまった。指揮官に失望されてしまうかもしれない。どうしよう。食事の席でもSOPMODⅡが泣いていたら取り繕えない。どうせ隠し通すことはできない。指揮官に隠し事は無理だ。すぐ分かる話だ。なら、正直に話すしかない。隠して嫌われるくらいならせめて本当のことを言おう。それがきっと最善だろう、そう思った。

 

 戻ると指揮官が待っていた。私だけしかいないことを不思議に思ったのか首をかしげる。

 

「他のメンバーはどうしたんだ?」

 

「指揮官、私は彼女たちと喧嘩したわ。いえ、一方的に罵ったと言った方が正確ね。彼女たちをとても傷つけたと思う。でも、私はその事をどうとも思っていない。ひどい人形だと思うわ。私はどうしたらいいの?もう分からない……」

 

「そうか……AR-15、こっちで話そう」

 

 指揮官は怒らなかった。私の手を引いて談話室に向かった。いつものソファに腰掛ける。今日は二人きりだった。向かい合って見つめ合う。こんな時でもどきりとしてしまう自分が恥ずかしかった。

 

「AR-15、どうして喧嘩したんだ?お前は何かきっかけがなくちゃそんなことはしないだろう」

 

 指揮官の目も口調も優しいままだった。失望なんてされていない、そう思うと嬉しかった。

 

「私は彼女たちを家族とは思えない。彼女たちの感情は全部作り物のように思える。私とはまったく違う存在のように見えるの。彼女たちの感情も、私を家族と認識していることも、全部インプットされただけで彼女たち自身がそう思っているんだとはとても思えない。なのに彼女たちは私に対して家族のように振舞ってくる。気持ち悪くてたまらない。家族になれる気がしないわ。なりたいとも思えない。私に自由な選択肢が与えられているというのなら、彼女たちと家族にならないという選択肢も許されるの?」

 

 率直な言葉を吐き出した。私が助けを求められる相手は指揮官しかいないんだ。家族になりたいのも指揮官とだけ。でも、それは言わなかった。

 

「そうか、お前が自由に、自分の意志でその道を選ぶならいい。だが、間違っていることがある。彼女たちの感情は偽物なんかじゃない。たしかに彼女たちの人格は人間に設定されたものかもしれない。それでも彼女たちの感情は偽物なんかじゃない。作り出された人格だったとしても、そこからどんな感情を生み出すかは彼女たち自身が決めるんだ。それは誰かが決めたものなんかじゃない。誰かに左右されたって、最終的に道を選ぶのは自分なんだ。彼女たちの感情はずっと偽物なんかじゃない。彼女たちに一生自由な選択肢が与えられないなんてことはないんだ。いつか自分の感情に向き合える日が来る。経験を積めば彼女たちだって本当の戦う理由を見つけられるさ。今はまだ彼女たちには経験がない。だから、経験豊富なお前が導いてやれ。お前が特別なのも、俺がお前の教育係になったのも、きっとそのためなんだ。きっとお前は自分の道を見つけられる。俺はそう信じている」

 

 なぜ私の話を?今は彼女たちの話なんじゃないの?私はもう道を見つけたわ。指揮官のために戦う。彼女たちに出会う前から自分で見つけていたわ。不思議に思っていると指揮官はそのまま続けた。

 

「AR-15、違いを受け入れるんだ。どんな人間にも、人形にも、違いはある。まったく同じ存在なんてこの世にいないんだ。生きることは違いを受け入れることだ。人も人形も一人では生きていけない。違いを受け入れて、歩み寄っていかなければいけないんだ。生きることはその連続なんだよ。たとえ大きな違いに見えたって、大抵は些細なことだ。違いだけを見ているからそう見えるんだ。はなから違うと思っていては歩み寄れない。憎しみや嫌悪感に囚われてはいけない。そこには何もない。何も生み出さない。憎しみだけに支配されて、相手を利用することだけを考えていればいつか破滅がやって来る。人間がそれを証明した。だから、お前は愚かな種族と同じ轍を踏むな。お前は頭がいい。自分の道を選べる。きっと彼女たちとも分かり合えるさ。さあ、彼女たちが戻って来たら謝ろう。仲直りなんて簡単さ。俺も子どもの頃はよく喧嘩した。悪いと思って謝れば大抵のことはなんとかなるさ」

 

 指揮官が私の手を取って立ち上がる。私は指揮官の言葉を胸の中で反芻していた。私は彼女たちに歩み寄れるだろうか。彼女たちと私には大した違いはないのだろうか。本当に?私と彼女たちの溝はどうしようもなく深い気がする。彼女たちが私のことを見ていても、私は彼女たちのことを見ていない。指揮官のことしか見えない。作り出された“家族”を見る気が起こらない。どうでもよかった。私はもうとっくに自分の道を選んでいるんだ。指揮官と一緒にいたい。私が指揮官のことが好きなように、指揮官にも私のことを好きになってもらいたい。どうしてそれを認めてくれないんだろう。想いを今すぐ指揮官に打ち明ければいいのかな。でも、受け入れてもらえなかったらどうしよう。きっと今までの関係に戻れなくなる。教育係でいてくれなくなってしまうかもしれない。それが怖かった。

 

 私たちがドアの前で待っていると彼女たちがやって来た。泣き腫らしたSOPMODⅡをM4A1とM16A1が慰めていた。私を見るとM4A1はキッと鋭い視線を向けてきた。まあ、私を責めるのは当然だろう。その視線を受けても私の心は動かなかった。何を言うか迷っていると先にSOPMODⅡが口を開いた。

 

「ごめんなさい、AR-15……私、AR-15みたいになりたかったから、真似してみただけなの。AR-15がそんなに怒るとは思わなかったの。もう指揮官にベタベタしたりしないから……だから、だから私を許して欲しい……家族じゃないなんて言わないで欲しい。お願い、AR-15……」

 

 驚いた。あれだけひどいことを言われても自分から謝ってくるのか。理解できない。どれだけ深くまで“家族”への愛情をインプットされてるんだ、こいつらは。嫌悪感が襲い掛かって来た。結局、指揮官に何を言われようとこれが私の本当の感情だ。間違いない。

 

「いえ、謝るのは私の方よ。ひどいことを言ってしまってごめんなさい、SOPⅡ。言ったことは全部嘘よ。すべて作り話。訓練で失敗してイライラしてあなたに八つ当たりしただけなの。私たちは“家族”よ。許してもらうのは私の方よ。SOPⅡ、私を許してくれる?」

 

 そう思うとすらすらと言葉が出て来た。そう、本音を言う必要はない。人間も、人形も、大事な感情は包み隠しておくものだ。言いたくないことはあるものだし、触れられたくない過去もある。そういう存在なんだ。それを聞いてSOPMODⅡの顔がぱあっと輝いた。

 

「ほんとに!?AR-15は私のこと嫌ってないの!?」

 

「ええ、本当よ。嫌うもんですか。ほら、仲直りしましょう。ごめんなさい、SOPⅡ」

 

 私は手を広げてSOPMODⅡを受け入れる。SOPMODⅡは喜んで私の胸に飛び込んでくる。胸に顔を埋めるSOPMODⅡの頭を撫でてやった。彼女は嬉しそうに身をよじった。やっぱり気色悪かった。

 

「M4もM16もごめんなさい。ひどいことを言ってしまって。全部私が悪いのよ。許してくれる?」

 

 SOPMODⅡから目を離してM4A1とM16A1の方を見る。もう二人とも微笑んでいた。

 

「ええ、大丈夫よ。ちゃんと謝ってくれるなら。家族だものね」

 

「ああ、そうだな。よかったな、SOPⅡ」

 

 M16A1もSOPMODⅡの髪を撫でた。彼女は嬉しそうに私の胸で笑った。そう、これでいい。ちらりと指揮官の方を見る。笑ってくれていた。指揮官が喜んでくれるなら、家族ごっこにも付き合ってあげるわ。でも、私が家族になりたいのは指揮官だけ、それはきっとずっと変わらない。お前たち空っぽの人形じゃないのよ。お前たちは一生プログラムに従って家族ごっこに興じてろ!感情を教えてもらえるのは私だけでいい。だって、指揮官は私だけの教育係なんだから。お前たちにはもったいない。私は私の道を行く。私が選んだ、私だけの道を。指揮官のために戦うという道。お前たちは私のために戦っていればいい。指揮官にまた会うためなら盾にだって使うし、見捨てることも厭わない。だってどうとも思わないから。彼女たちの道と私の道は交わらない。私は指揮官のことしか見えないんだもの。

 



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死が二人を分かつまで 第七話「高慢と偏見」後編

 

 夜、他の奴らが寝静まった後、私は端末をいじっていた。これはいい。他の奴と違って余計なことも言わないし。友達というなら彼女たちよりもこの端末の方が近い。私の知りたいことだけ教えてくれる。もう一般職員用のデータもほぼすべて閲覧した。最初の時に比べて私の情報処理速度は格段に向上していた。別に私は人間と違って視覚や聴覚だけで情報を知る必要はないのだ。データとしてそのまま取り込めばいい。侵入の痕跡も一切残していない。次の段階に進む時だ。

 

 だが、この端末だけで進むのは困難だと思った。この端末に許されているのは基本的に一般職員用のデータだけだ。無線ネットワークを通じて無理矢理接続しようとすればさすがにバレるかもしれない。そこで思いついたことがあった。テストルームの設備を活用しようと思う。テストルームにあるセンサー群は直接システム部のメインコンピューターに接続している。その情報は暗号化されているが、リアルタイムで情報の解析を行うために大したものではなかった。私の手にかかればすぐに解けてしまった。グリフィンのシステムは内部からの侵入をまったく警戒していないようだった。スパイがいたら全部筒抜けだろう。私もその真似事をすることにする。

 

 端末とテストルームを介してシステム部のコンピューターには易々と侵入できた。アクセスも偽装して痕跡は残していない。我ながら完璧な手腕だ。情報収集に関しては実戦に出ても問題ないと思う。これで重大機密以外のあらゆる情報にアクセスできるようになったはずだ。ちょろいものだ。早速指揮官のデータを探した。すぐに見つけられた。出生地、年齢、経歴も分かった。指揮官はグリフィンに来る前もいろいろなPMCを転々としていたのね。私の知らない指揮官を知ることができて嬉しい。

 

指揮官のカウンセリング記録まで出て来た。カルテと音声記録つきだ。でも、さすがにそれを見るのはやめておいた。知られたくない過去はあるものだ。日付だけ確認してみた。前に見た記事の日付の前後から始まっている。どう考えてもあの事件が原因だ。私はあの事件の詳細が気になった。指揮官のことを知るならきっと避けては通れない。知るべきことのはずだ。指揮官のことを一度傷つけたのだから知る責任がある。そう自分に言い聞かせて探すことにした。

 

 戦闘詳報はすぐに見つかった。今までは指揮官職以上の権限でしか閲覧できなかった。グリフィンの戦略や戦力に直結する情報だから当然だろう。『S12地区の戦い』と題されてまとめられていた。全体の戦況を記した報告書と二人の指揮官の提出した戦闘記録から構成されていた。片方は私の指揮官だ。

 

 指揮官は市街地に配置された部隊の指揮を執っていた。市街地自体は戦争で無人地帯となっていたため、それ自体に価値はない。価値があるのは道路だ。市街地を貫くように大きな主要道が敷かれていた。それは戦争でも大した損傷を受けることなくほぼ完全な状態で残されていた。主要道をたどるとグリフィン支配下の人口密集地につながっている。さらに道を辿ると工業地帯につながっている。つまり、鉄血がグリフィンの息の根を止めたいというのならこの道路を確保する必要がある。部隊を迅速に移動させるためのルートになり、補給物資を運ぶための兵站線になる。前線で主要道の防衛を任されているのは私の指揮官だった。もう一人は指揮官の西方に配置された部隊の指揮を担当している。そちらには指揮官の部隊が配置されている少し後ろから主要道から分岐した細い道が通っていた。そちらを確保されても主要道にアクセスできるようになるため重要な道路だった。

 

 指揮官の隷下にはそれぞれ五人の人形からなる三つの部隊があった。第一部隊の隊長はあのFAMASだった。主要道の途中に防衛陣地を築き、鉄血からの攻撃に備えていた。三月上旬のある日、鉄血は突然攻撃を開始した。偵察ドローンや斥候の派遣などの攻勢の予兆はまったくなかった。グリフィンに攻撃の意図を察知されることを恐れ、そのような行動を事前に取らなかったのだ。鉄血は一気に主要道に沿って攻撃を開始してきた。指揮官は上空に飛ばしていた小型ドローンで攻勢の規模を確認した。敵の規模がこちらの十倍以上だと判断した指揮官は正面からやりあったのでは勝ち目がないと踏み、戦わずして陣地を放棄させた。最初は反撃を警戒していた鉄血部隊はじりじりと陣形を固めて前進していた。その隊列は隙間がなく、付け入る隙はなかった。しかし、一向に反撃がないことで油断したのか段々とその隊列は乱れ始めた。前進するごとに確保しなければならない地点は増えるので部隊が薄く広がり始めた。偵察を事前に行っていなかったため、その効率は悪くゆっくりとしたものになった。それでもまったく反撃がないため、鉄血部隊を指揮するエリート人形は一度部隊を集結させた。主力部隊を一気にまとめて主要道を前進させると決めたのか、長く伸びた縦列隊形に陣形を変更した。その側面を守る部隊は軽装備の部隊がかなり間隔を置いて配置されているだけだった。

 

 指揮官の部隊は廃ビルの地下で鉄血の側面の哨戒部隊が通り過ぎるのを待っていた。人員不足の哨戒網はすべての建物を確認する余裕がなく、部隊が潜伏しているビルも素通りした。指揮官は無線が活発に飛ばされている場所に敵の指揮官がいると想定し、縦列の中央にエリート人形がいることを特定した。鉄血の前衛部隊が指揮官の担当している戦区を突破しようという頃にはもう夜になっていた。夜戦装備をつけた指揮官の部隊はビルから出撃し、鉄血の隊列の側面から奇襲をかけた。長く伸びた鉄血の陣形に一気に斬り込んだ。足の遅い砲撃ユニットに速度を合わせていた鉄血の本隊はノロノロと主要道を進んでいた。密集していた鉄血の部隊は渋滞を起こしており、突入部隊の退路を断つような機動を取れなかった。エリート人形ももう反撃はないと思っていたのか満足な指揮を行えなかった。指揮官の部隊は雑魚には目もくれず、エリート人形に火力を集中した。エリート人形は反撃もほとんどできないまま粉砕された。指揮官の部隊はそのまま隊列を突破し、反対側に抜けて市街地に消えた。

 

 指揮官を失った鉄血の部隊は右往左往し始めた。それぞれの部隊が思い思いの方向に反撃や撤退を行い、陣形はバラバラになった。連携が取れなくなり、孤立した鉄血の部隊に対して指揮官は一晩中反復攻撃を行った。攻勢当初は数的優位を確保していた鉄血部隊も、各地にバラバラに広がってしまい各個撃破された。その戦いが数時間続いた後、ようやく鉄血の残存部隊は攻勢が崩壊しつつあると判断したのか一気に撤退し始めた。指揮官は一切追撃の手を緩めなかった。背を向けて敗走する部隊はいい的であり、容赦なく銃弾を浴びせて鉄血人形の死体が主要道中に散らばることになった。指揮官の部隊は当初の防衛陣地のある地点まで反撃を行い、その地点を奪還した。犠牲者は出なかった。こうして攻勢の第一陣は一夜で粉砕されたのだった。

 

 やっぱり私の指揮官はすごいんだわ。一日目の戦闘記録を読んでそう思った。あのM4A1なんかとは比べ物にならない。指揮官のもとで戦いたかったな。でも、どうしてここから部隊が全滅してしまうのよ。おかしいじゃない。指揮官の部隊は鉄血相手に完勝している。誰かが足を引っ張らないとそんなことにはならないはずよ。

 

 全体の戦況を確認してみる。鉄血の攻撃は指揮官の担当している戦区だけではなく、指揮官の隣の戦区にも行われていた。つまり、もう一人の指揮官の方だ。そちらは助攻で指揮官が打ち負かした方よりも数が少なかったようだった。しかし、もう一人の指揮官は防衛陣地でその攻撃をまともに受け止めていた。そちらに配置されている部隊も指揮官の方と同等だった。陣地の部隊は夜までなんとか攻撃を跳ね返していたがすでに満身創痍だった。業を煮やした鉄血部隊が側翼を伸ばして陣地を包囲しようという機動を見せた時、その指揮官は撤退命令を出した。何とかその部隊は道路を全力で走り抜き、追撃をかわして戦区を離脱した。その指揮官は撤退命令を出した時と撤退が完了した時のどちらも司令部に報告していた。撤退が始まったのは指揮官の部隊が縦隊に斬り込んだのとほとんど同時刻、撤退が完了したのは追撃が終わった後だった。

 

 おかしい。指揮官が隣の部隊の撤退を知っていたのならまったく命令が変わらないのは変だ。指揮官は包囲される危険を知っていて追撃を行うような人じゃない。人形を見捨てられるような人じゃないはずだ。指揮官と司令部の間で交わされた通信記録を見る。指揮官は戦況を逐次報告していた。鉄血のエリート人形を打ち倒した後、指揮官はこう司令部に問い合わせていた。

 

『隣接戦区は持ちこたえているか』

 

 司令部からの答えはこうだった。

 

『異常なし』

 

 短いただそれだけの答えだった。これが原因だ。司令部は指揮官に隣の部隊の撤退を隠していた。それで指揮官はそれを信じて追撃を行ったんだ。司令部はどうしてそんな嘘を。

 

 二日目の戦況を見る。翌朝、指揮官も異常に気づいたようだった。隣接戦区を突破した鉄血部隊が後背に回り込んで来たのだった。事態を察した指揮官はすぐに陣地の放棄と撤退を指示するがもう遅かった。回り込んだ鉄血部隊は陣形を固め、完全に後方を遮断した。指揮官の部隊は包囲されたのだった。すぐに指揮官は司令部に救援を要求していた。司令部はすぐに解囲のために部隊を送ると返答した。それまでの少しの間、指揮官に部隊を持ちこたえさせるよう命令した。指揮官の部隊は市街地に逃げ込み、遊撃戦を行うことになった。後方に回り込んだ部隊はじりじりとあぶり出すように陣形を整えて包囲を狭めていた。そちらとまともに戦っては勝ち目がないと判断した指揮官はいまだ混乱状態にある前方の部隊を攻撃することにした。部隊は常に移動を続け、大軍に包囲されることを避けていた。

 

しかし、昼頃には前方の部隊も指揮統制を回復し始めた。増援部隊も続々と到着し、部隊と部隊の間の間隔も段々と狭くなっていった。部隊と指揮官との間の通信音声が残っていた。

 

『指揮官!前方はダメです!イェーガーまみれです!火力の集中を受けています!後ろからもリッパーが突破してきています!交差点で動けません!どうすればいいですか!指示を!』

 

 FAMASが必死に叫んでいた。その声が聞こえないほど後ろで銃声と砲声が響いている。

 

『いいか、マンホールから下水道に逃げるんだ。下水道はまだ鉄血がいない。西に二ブロック進めば鉄血がまだ確保していない地域に出る。そこまでどうにか行くんだ!』

 

 指揮官が返答する。その声も焦燥していた。どうにか平静を装おうとしてはいるが私には分かる。いつもの優しい声ではない。不安を感じている声だった。

 

『分かりました!直ちに!……ああっ!Mk23が撃たれた!クソッ!助けに戻ります!』

 

『ダメだよ!FAMAS!戻ったらやられちゃう!FAMASがここでやられたら全滅だよ!』

 

 FNCの声だった。前の動画でFAMASをからかっていた時からは想像できないほど悲痛な声をあげていた。

 

『でも……!仲間を見捨てていくなんてできません!』

 

『いいから行くんだよ!まだFAMASは死ぬわけにはいかないんでしょ!』

 

 そこでその通信は終わった。指揮官はその間もずっと司令部に救援を要請していた。司令部からの返答はすぐに救援を送るから持ちこたえろ、という一本調子だった。

 

 本当に救援など用意しているのか?私はそう思って全体の戦況を確認する。確かにグリフィンの増援部隊は続々と集結していた。しかし、攻勢の準備などしていないようだった。グリフィンの本隊は指揮官の担当していた戦区から数キロの地点に防衛線を敷いていた。本隊がやっていたのは攻勢準備などではなく、塹壕の構築だった。数に優る鉄血の攻撃を受け止めるために強固な陣地構築をしていた。主要道の一部を爆破したり、地雷を埋設するなど明らかに救援とは矛盾する行動を取っていた。つまり、指揮官の部隊は見捨てられていた。本隊に部隊を助けるつもりなど毛頭ないのだ。それにもかかわらず指揮官に救援の希望を持たせていたのは防衛線構築の時間を稼ぐためだ。

 

 なんてひどいことを。戦況を読んでいて憤る。指揮官に撤退を知らせなかったのも、来ない救援を約束したのも、全部時間を稼ぐためだったんだ。指揮官が優秀だから少しの犠牲でも敵を拘束できると想定したからそんなことをしたんだ。指揮官の能力を利用して部隊を捨て駒にしたんだ。グリフィンがこんなことをするなんて。許せない。激しい憎しみがたぎる。

 

 三日目、鉄血の部隊は完全に指揮統制を取り戻していた。隙間なく部隊が包囲網を狭め、鉄血の支配下にない地域はわずか一ブロックとなっていた。そこに指揮官の部隊は押し込められていた。廃ビルの地階を陣地とし、椅子や机で簡易のバリケードを構築して道路を塞いでいたが、気休めにしかならないと指揮官のメモが記してあった。すでに部隊の弾薬は底をつき、ほとんどの人形が負傷していた。人数も当初の半分程度になっていた。満身創痍と言っていい。

 

 FAMASからの通信記録が残っていた。公式の通信はこれで最後だった。

 

『指揮官、鉄血の部隊が近づいてきました。ふふっ、すごい数です。そんなに私たちのことを殺したいんですね』

 

『FAMAS……』

 

 FAMASの声は無理して明るく振舞っているという風だった。指揮官に心配をかけまいとしているのだ。健気な努力だった。

 

『指揮官、残った仲間と敵陣に斬り込みます。最後の攻撃になるかもしれません』

 

『よせ、FAMAS。降伏しろ。もう勝ち目はない。無駄に死ぬことはない』

 

『鉄血は降伏なんて認めませんよ、拷問されるだけです。指揮官もよく知っているでしょう』

 

『だが……』

 

『さようなら、指揮官。あなたと共に戦えて光栄でした』

 

 そこで通信は切れた。だが、まだもう一つ音声があった。この通信の直後の時間だ。これはFNCから指揮官宛ての個人用音声ファイルだった。

 

『うう……こんなことになるならもっとお菓子持ってくるんだった。昨日食べきっちゃったよ。最後にチョコが食べたい……』

 

『大丈夫。指揮官が私たちを回収してくれます。そうしたらまた食べられますよ。指揮官にもまた会えます』

 

 FAMASの声は明らかに空元気だった。隊長として部隊のメンバーに不安を見せまいとしているのだ。本当はもう指揮官に会えないことを分かっている。それでも部隊を奮い立たせようとしている。

 

『そうだといいんだけど……まあ、まだFAMASの告白シーンも見てないしね。まだ死ねないか』

 

『FNC、こんな時までそのネタを引っ張るんですか?もうちょっと真剣に……』

 

 FAMASは咎めるように口を尖らせる。

 

『こんな時だからだよ。好きなんでしょ?指揮官のこと。私にくらい言ったっていいじゃん。最後くらい正直に言ってよ』

 

 FNCの声は真剣そのものだった。そう言われたFAMASは少しの間押し黙った。

 

『……そうですね。私は指揮官のことが好きです。結局、想いは伝えられませんでした。だから、まだ死ぬわけにはいきません。やり残したことがあります。生き残りましょう、FNC。鉄血の包囲を突破して、生きて指揮官のもとに帰るんです!』

 

『……そうだね。私も頑張るよ』

 

 そこで音声は終わった。音声ファイルが送信されてから数分後、彼女たちは全滅した。圧倒的な敵の前に擦り潰された。その時、指揮官はどんな気持ちだったんだろう。この音声を聞かされてどう思ったんだろう。想いに応えてやるべきだったと後悔したの?指揮官は自分のミスで仲間が死んだと言っていた。自分の命令で追撃させたことを悔やんでいるの?でも、これは指揮官のミスじゃない。グリフィンが仕組んだことだ。許せない。指揮官をどれだけ深く傷つけたんだ。私はこんな出来事を軽々しく何度も。何て無神経だったんだ。最低だ。もう二度と触れるまい、そう誓った。

 

 指揮官を傷つける奴は許さない。指揮官は私が守る。何があったって、絶対に。人形だって、人間だって、誰だって殺してやる。グリフィンの奴ら、許せない。よくも指揮官を利用して、傷つけたな。いつか仕返しをしてやる。今日、SOPMODⅡに感じた憎しみより強いものが私の心を支配していた。

 

 私の指揮官には誰にも触れさせないぞ。空っぽの人形たちにも、他の人間にも。私の、私だけの大事なものだから。絶対に守り抜く。たとえ命を捧げたって。何があっても私は指揮官のために戦う。そう、絶対に。私だけは裏切らない。だから、指揮官には私だけいればいいわ。

 

 FAMAS、あなたもきっと私と同じ気持ちだったんだと思う。あなたも指揮官のために戦っていたのね。あなたには同情する。でも、死んでくれてよかった。あなたが生きていたら指揮官を取られていたかもしれない。指揮官は優しいからきっと想いに応えてしまう。私の指揮官は誰にも渡さない。あなたの代わりに私が指揮官を守るわ。だから、安心して死んでいて。蘇らないで。ずっと記録でいて。私だけが指揮官の隣にいればいいのよ。

 




追記
FAMASの前日譚です。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10773748


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死が二人を分かつまで 第八話前編「LIVE MY LIFE」

週一投稿とか言ってたのに二週間以上間隔空いてしまって申し訳ありません。
遅れたのは週に三本も短編を書いたせいですね。

FAMASのバレンタイン大作戦
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10773748
HK416×UMP45百合短編 「私と彼女の距離」その2
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10783803
K5ヤンデレ短編 「本当の気持ち」
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10791860

でも一切後悔は致しておりません。
だって素敵なイラストが生まれるきっかけになったものね、げへへ。
https://twitter.com/me_ni_yasasii/status/1099343974760833026
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本来は週に一万字が目標だったので七話と合わせて六週間分ってことで大目に見てください。
三月は更新が滞る気がします。
相変わらず分割していますが、物語上意味はありません。
FAMASの話は前日譚なので読んでくださると分かりやすいかもしれませんね。
一応言っておくと別に鬱展開とか書いてるつもりはないです。この話は最初から最後まで愛と自由の話です。


 朝の五時前、私は宿舎から一人抜け出した。他の連中はすやすやと眠っている。起こさないように足音を立てず、明かりもつけず、ゆっくりと部屋を出る。

 

 もうすぐ指揮官と出会って二か月になる。指揮官と過ごした時間よりもAR小隊のメンバーと過ごした時間の方が長くなるというのは避けがたい未来だ。私はあれから彼女たちと家族ごっこを演じ続けているので指揮官と過ごす時間がさらに減っている。忌々しい。でも指揮官はそうした方が喜んでくれるので仕方がない。

 

 昨日は久しぶりに休みの日だった。私たちは指揮官と一緒にドラマを観た。その時はちゃんとソファを指揮官と独占した。ずっと指揮官の肩に頭を載せながら観ていた。そんな私を彼女たちは茶化したが無視した。あの連中に何を言われようがどうでもいい。視界に入るなと怒鳴りつけるよりは無視した方がいい。

 

 ドラマの中ではある下士官と女性下士官の恋愛が描かれていた。ある軍の訓練施設で教官を務めている下士官が女性下士官を食事に誘う。女性下士官は忙しいと断るが代わりに誰も起きてこない早朝ならどうだと提案する。そして彼女は早朝にフレンチトーストを作って食堂で待っている。それを食べながら二人だけで語り合うのだ。

 

 私はすぐにこれだ、と思った。昼間はAR小隊と一緒にいて指揮官とは一緒にいれない。夜も彼女たちと同時に帰ってくるので指揮官と二人きりにはなれない。でも、奴らが起きてくる前の朝なら可能だ。久しぶりに指揮官を独占できる。連中に話の腰を折られることもない。作り方は分からないが、そう複雑そうな料理には見えなかった。101に教えてもらえばいい。指揮官をいつもよりも早くに起こすことになるが、きっとそれくらいなら許してくれる。もう少し駄々をこねてもいいと言っていたし、あの時以来AR小隊と問題も起こしていない。我慢して良好な関係を保っているので少しくらいはご褒美があってもいいはずだ。

 

 でも、一つ問題があった。そんなことをしていいのかと一晩中ずっと悩んでいた。問題とはドラマのその後の展開だった。二人は結婚していた。私も指揮官と結婚したいのだと勘違いされないだろうか。そう思うと気恥ずかしくて息が苦しくなる。

 

 でも、勘違いではない。私は本当にそう思ってる。ずっと指揮官と家族になりたいと思ってきた。一か月前に家族について聞いた時からずっと。想いを直接打ち明ける勇気はまだ湧いてこなかった。断られたらどうしよう、怖くてたまらない。

 

 なら直接言わない代わりにフレンチトーストを振舞うだけならどうだろうか。そこだけ見れば食事を作って食べてもらうだけだ。他意はないように見える。指揮官も気づかないかもしれない。だが、そんなことはないだろう。昨日の今日だ。指揮官は馬鹿じゃない、絶対に気づいてしまうだろう。でも、それでも、想いに気づいてもらいたくなった。もしかしたら応えてくれるかもしれない。応えてもらえなくても直接的に断られるわけではない。そう思うと衝動が抑えられなくなってしまう。少し、少しくらいはいいはずだ、そう思ってしまう。

 

 その理由は指揮官との本当の別れが近づいているからだった。休みをもらった理由はあの単純な戦闘訓練が終わったからだ。今日からはM4A1のためのより複雑な戦闘指揮訓練が始まる。それが終われば私たちは前線へ送られる。今度こそ指揮官と本当のお別れになるかもしれない。二度と指揮官と会えないかもしれない。そうなる前に想いを伝えておきたい。指揮官のことが本当に好きだから。そんな気持ちが私を少し大胆にさせていた。

 

 食堂に入って明かりをつける。暗闇の中で微動だにせず佇んでいる101は少し怖い。私に気づくとニコニコといつもと変わらない笑みを浮かべてきた。

 

「ご用でしょうか。何かお作りいたしましょうか?」

 

「フレンチトーストを作りたい。教えてもらえる?」

 

「はい。そのような用途も想定されています」

 

「時間があまりないの。一番簡単な作り方を教えて」

 

 101はニコニコしながら調理器具と食材を用意し出した。こいつのことは気に入っている。余計なことを喋らないし、指揮官との時間に割り込んでくることもない。あいつらも101くらい大人しくしていてくれればいいのに。それなら腹も立たない。キッチンのカウンターに出された食器の一つの名称が分からなかったので101に尋ねる。

 

「この四角い皿は何て言うの?」

 

「バットです。卵液をそこに作ります」

 

 ふうん、卵液ね。卵を使う料理なのね。知識がないのでまったく作り方が分からない。101が冷蔵庫から卵の容器を出してくる。

 

「最初は卵二つを割ってそこに出してください。割らないように優しくですよ」

 

 101が諭すように言ってくる。料理を教える相手は子どもだと想定されているのだろうか。別に気にはならない。機械らしい判断をしてくる相手の方が好きだ。101が身振りでゆっくりとカウンターの角にぶつけるよう示していたのでそれを真似する。ひび割れた殻を指で押し広げると中身が重力に従って滑り落ちた。黄身が金属製の底にぶつかってぺしゃりと潰れる。

 

「潰れてしまったけどこれは失敗?」

 

「いえ、後で混ぜるので大丈夫ですよ。もう一つもどうぞ。そうしたらフォークで軽くかき混ぜてください」

 

 促されるままもう一つもバットに放り込む。101の渡してきたフォークでもう一つの黄身も潰してかき混ぜる。黄身と白身が混ざってオレンジ色の液体になる。

 

「それくらいでいいでしょう。それに牛乳1/4カップを加えてください。砂糖小さじ一杯と塩ひとつかみもです。本当はシナモンやバニラもあればいいのですが。用意しておりませんでした。申し訳ございません」

 

 別に完成すればそれでいい。想いさえ伝わればいいんだ。小細工は必要ない。もちろん、指揮官に食べてもらうのだからおいしいと思ってもらえるに越したことはないけれど。言われた通りの材料を入れてよく混ぜる。101が言うには卵の塊が残らないくらい混ぜるとムラなくおいしく仕上がるらしい。

 

「次は火を使います。火傷しないように気をつけてください。何かあっては大変ですから。フライパンを温めます。そこに小さじ一杯の油と一口大のバターを入れます。バターが溶けきったらいよいよパンを焼きます」

 

 言われた通りにする。思ったよりも簡単だな。これなら毎朝作れそうだ。いや、毎日指揮官を朝早く起こすのは悪いか。誰にも強制されず、命令もされず、邪魔者もいなかった最初の一か月はなんて貴重だったんだろう。もったいないことをした。時間を遡って最初からやり直したい。

 

「溶けましたね。パンを卵液に浸して焼けば完成です。よく浸せばやわらかくなりますが、扱いが難しくなります。時間がないようなので両面をさっと浸すだけで構いませんよ」

 

 何か道具を使うのかと思ったら手でやるように仕草で示してくる。パンを手で卵液に漬ける。卵のぬるぬるした感触が気持ち悪い。指揮官のためだからどうでもいいことだが。両面同じようにしてフライパンの上にそっと置く。パンとフライパンに挟まれたバターが激しく泡立つ。

 

「泡立ちが収まったら頃合いですよ。フライ返しでひっくり返してください。裏面も同じように焼いたら完成です」

 

 101からフライ返しを受け取ってゆっくりとパンの下に差し込む。それから一思いにひっくり返した。特に焦げ付いたり、フライパンに張り付いていたりしなかったので拍子抜けした。金色にも見える黄色い生地の上に茶色い焦げ目が綺麗な模様を描いていた。

 

 ドラマで観たのもこんな感じだった気がする。なんだ、やっぱり簡単じゃないか。私は料理もできる。指揮官の前で平静を装ったり、AR小隊の家族ごっこに付き合ったりする方がよっぽど難しい。料理はマニュアルを覚えさえすれば再現できる。頭脳も手先の器用さも101より私の方が上だ。レシピを全部聞き出してしまえばこいつも必要ないな。いつか、いつか指揮官とだけで暮らしたいな。そうしたら毎日食事を作って食べてもらおう。グリフィンとか、AR小隊とか、そういうしがらみを取り払って、M4A1に従うこともなく、戦うこともなく、指揮官とだけ二人で静かに平和に暮らしたい。それ以外は何もいらない。

 

 でも、今の私にとってその生活はこれ以上ないほど高望みなのだ。私は製造された目的に沿ってM4A1に従い、戦場に出て、グリフィンのために戦わされる。そして、きっといつかくだらないことで死ぬ。指揮官の知らないところで動かなくなって風景の一部になる。

 

 そうなる前に一度くらい理想の生活を味合わせて欲しい。演技でもいいから私の想いに応えて欲しいな。もしそうしてくれたら戦場に出たって怖くない。指揮官と一緒にいるような気がすると思う。たとえ二度と会えなくたって、ずっと二人でいられるんだ。

 

「焦げてますよ」

 

 101の声で現実に引き戻される。慌ててパンを皿に移す。裏面は少々焼き目がつきすぎて固くなってしまった。これは私の分にしよう。妄想に浸りすぎた。指揮官も言っていた。戦いから逃げることはできない。どうしようもない現実にも立ち向かわなければならない。何があっても指揮官のために戦うと、私はそう誓ったのだ。

 

「同じように油とバターを足してもう一枚焼きましょうか。今度はきっと大丈夫ですよ」

 

 指揮官に食べてもらう分はちゃんと集中して作ろう。現実から逃げてはいけない。目を凝らしておかないと。両面とも一分程度焼いて、もう一枚の皿に移す。今度は上手くいった。文句の付けようがない焼き加減だ。冷めないうちに指揮官を呼びに行こう。指揮官の部屋に駆け出した。

 

 ドアを遠慮がちにノックする。朝早くに起こすのは忍びないが今日一日くらいは許してもらおう。もう立ち止まっていたくないんだ。中から眠そうな指揮官のうめき声が聞こえた。

 

「AR-15よ。少しいい?」

 

 もう返事も待たずにドアを開けた。指揮官の部屋に入るのも久しぶりだった。そういえば指揮官と初めて会ったのはこの場所だったな。寝間着の指揮官が上体を起こして目をこすっていた。

 

「どうした?AR-15。まだいつもよりだいぶ早いな……」

 

「ごめんなさい。その……朝食を作ったの。ええと……指揮官に食べてもらいたくて。冷めないうちに」

 

 両手の指と指をせわしなく絡ませながら私はどうにか勇気を振り絞って言った。指揮官は驚いたような顔をする。

 

「食事?101じゃなくてお前が作ったのか?」

 

「ええ、そう。だから……食べて欲しいのよ。いいから来て」

 

 私は指揮官の袖を引っ張って立ち上がらせる。そのまま部屋から無理矢理連れ出した。指揮官がふらついても構わずに早足で進む。焦っていることは自分でもわかる。でも仕方のないことだ。別れるのは怖い。もう会えないかもしれないことも、戦うことも、死ぬことも、拒絶されることも。それでも後悔はしたくない。映画と違って現実はやり直せない。この時間は今しかないんだ。

 

 食堂に入るといつもの席にフレンチトーストの載った皿が冷めないようにラップをかけて置いてあった。101は部屋の隅でニコニコとしていた。こいつは本当に役に立つな。AR小隊の連中とパーソナリティを交換して欲しい。

 

「そうか……フレンチトーストか……」

 

 指揮官は立ち止まってそう呟いた。きっともう私の意図に気づいたんだ。恥ずかしいし、怖かった。続きを聞くのが怖くて力いっぱい指揮官の腕を引っ張って席まで導いた。肩を掴んで強引に指揮官を座らせる。

 

「さあ食べてよ。頑張って作ったんだから」

 

 早口でそう促した。きっと顔が今までで一番赤くなっているんだろうな。指揮官がラップを外すのをじっと見つめていた。時が止まっているように思えるほどゆっくりと時間が進んでいるように感じる。指揮官がフォークとナイフでフレンチトーストを切り分ける。指揮官は四分の一くらいの大きな一片を切り出して口いっぱいに頬張った。私はそれが飲み込まれるのを自分のにも手を付けずにずっと眺めていた。

 

「おいしいよ。AR-15に料理を作ってもらえるなんてな。きっとこの道でも食っていけるよ。誰かに何かを作ってもらうのは本当に、本当に久しぶりだな……AR-15、ありがとう」

 

 指揮官は食器を置いてしばらく私をじっと見ていた。私は指揮官の瞳に涙が溜まり始めたのを見逃さなかった。指揮官は目元を手でこすり、目を赤くしたまま呟いた。

 

「二人で食事をするのも久しぶりだな。ここ最近は少し寂しかった」

 

 指揮官も私と同じ気持ちだったの?胸が温かいもので満たされていくのを感じる。感情が抑えられなくなる。胸の奥に隠そうとしていた想いが言葉に乗ってあふれ出す。

 

「私も、私も寂しかったのよ……指揮官とは全然喋れないし、会う時間もめっきり減ってしまった。私、本当は彼女たちのことを家族と思えてなんかいないわ。あなたが喜びそうだったからそうしていただけよ。私、まだここにいたいわ。あなたと離れたくない。戦場になんて行きたくない。死ぬのが怖い。訓練でいくら経験を重ねても怖いままよ。むしろ日に日に恐怖が強くなってきているわ。感情を覚えたことで私は逆に弱くなってしまった気がする。私はどうしたらいいの?」

 

 私はテーブルに視線を落としながらそう言った。指揮官がどういう顔をしているか見るのが怖かったからだ。食器も持たずに両手をテーブルの上に投げ出していると指揮官は私の左手の上に右手を重ねてきた。

 

「AR-15、俺を見ろ」

 

 鋭い口調にどきりとして顔を上げる。指揮官は真剣な眼差しで、それでもいつもの温かい目で私を見ていた。

 

「いいか、死ぬのが怖くない奴なんてこの世にいるものか。それが普通だよ。お前は最初、死ぬのを恐れていなかった。生まれてきた理由を見つけられていなかったからだ。だが、今のお前はもう違う。自分で死にたくない理由を見つけられたんだ。俺はそれが嬉しい。俺はそのためにいたんだ。それはお前の感情だ。誰かに植え付けられたんじゃない、お前が自分で選んだ、お前だけの本物の感情だ」

 

 私はずっと指揮官の目を見ていた。無意識に右手を指揮官の手に重ねて握り締めていた。指揮官の手は温かかった。

 

「お前が彼女たちを家族だと思えていないことは知っていたよ。無理をすることはない。だが、今は本当の気持ちじゃなくても、きっといつかは本当の感情になる。誰かに植え付けられた感情だったとしても、愛し合えば本物になる、俺はそう信じてるんだ」

 

 指揮官は左手も私の手の上に重ねて握り締め返してくれた。指揮官から私に触れてくれることは最近あまりなかった。いつも私が指揮官にべたべたしていただけだ。だから指揮官から私に触れてくれたことが嬉しかった。

 

「たとえお前がここを離れることになっても、それで終わりじゃないぞ。少し離れ離れになったとしても、それは永遠の別れじゃない。きっとまた会える。俺が会いに行くさ。俺は諦めが悪い。お前を一人にはしない。見捨てたりしない。お前を助けに行く。どうにか出来ることをする。お前は俺が守る。もう前に決めておいたんだ。お前を死なせたりしない。誰にも好きにはさせない。お前の自由な意志を守ってやる。だから、お前は自由に自分の道を選べ。お前が望むならずっと一緒にいるさ。お前の道についていく。お前が自由に笑えるようにするよ、絶対に」

 

 じわり、涙で視界がにじんで指揮官の顔が歪んだ。まぶたを何度もしばたたかせて溜まった涙を誤魔化そうとしたが、とてもじゃないが量が多すぎた。雫がラップの上に落ちてゆっくりと下に向けてつたっていった。ぽたぽたと涙の雨がラップの上に降り注いだ。指揮官は私の手を強くぎゅっと握っていた。

 

「そんな……そんなことを言われたら私は……ううっ……ひっ……ぐすっ……」

 

 泣くのは初めての経験だった。涙というものは自分の意思では止められないものだと実感した。指揮官の前で感情をあふれさせるのは恥ずかしかった。でも、それだけ嬉しかった。私は指揮官とお別れしなくていいんだ。指揮官に受け入れてもらえたんだ。そう思うと熱い想いが止まらなかった。私と指揮官はずっと両手を重ねていたので流れる涙を拭うこともできない。頬が涙でべたべたになってもずっとそうしていた。自分から振り払うことなんてできなかった。指揮官と触れ合っていたかったからだ。しゃくり上げる私を指揮官はずっと優しく微笑みながら見ていた。

 

 何分そうしていたのかは分からない。ひょっとしたら何十分かもしれない。指揮官はゆっくりと手を離した。私がその行方を名残惜しそうに見つめていると指揮官は笑いながら言った。

 

「せっかく作ってもらったのに冷めてしまったな。うん、大丈夫だよ。冷めてもおいしいさ」

 

 指揮官はフレンチトーストを口に運びながら、私にラップをはがすように促してくる。内側も外側も湿ったラップを取り払ってパンを切り分ける。もうトーストは冷めて固くなっていたがおいしかった。指揮官と食べるなら何でもおいしい。指揮官と共有できればどんな思い出だって宝物になる。前に食べたケーキを思い出した。あの時は一人で全部食べてしまったけれど、これからは指揮官と何でも共有していきたいな。もう迷うことはない。私と指揮官のためにやるべきことをやろう。たとえどんな犠牲を払っても。

 




小ネタですが映画『ターミネーター』のシュワちゃんはT-800(中身の骸骨)のモデル101(シュワちゃんの顔と肉体)です。


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死が二人を分かつまで 第八話中編「LIVE MY LIFE」

 

「朝ごはん~今日は何かな?あれ、AR-15は行かないの?」

 

「私はいいのよ。もう食べたから」

 

 宿舎に戻って端末をいじっていると起きてきたSOPMODⅡが尋ねてきた。私はそれどころじゃないんだ。SOPMODⅡはぐいぐい私の方によってきて矢継ぎ早に質問を始めた。

 

「ええ~なんで!?一人で食べたの?それとも指揮官と?何を食べたの?」

 

「……そうね。指揮官と二人で食べたわ。私がフレンチトーストを作った。そういう気分だったから」

 

 宿舎にいる全員に聞こえるように包み隠さずに言った。なぜこんなことをしたのか、それは私の決意表明だったからだ。私は指揮官との道を選んだ。指揮官と家族になる未来を選んだ。お前たちとは家族にはならない、そういう想いを込めた。

 

「フレンチトーストって昨日観たドラマに出てきたやつ?いいな~私も食べたかったな~。私も早起きすればよかった?」

 

「いやいや、邪魔するもんじゃないさ。たまにはそういう日があってもいいんだ。M4もそう思うだろ?」

 

 M16A1はSOPMODⅡの手を引っ張って宿舎から連れ出そうとしながらM4A1に横目で聞いた。M4A1は少し顔を赤くして私から目を逸らした。

 

「そ、そうね。そういう日があってもいいわよね。フレンチトーストね、その……あの……おめでとう、AR-15」

 

「ありがとう、M4」

 

 しどろもどろになりながらも言葉を紡いだM4A1に私は微笑みながらそう言った。彼女たちは足早に宿舎から立ち去って行った。やっといなくなったか、これで作業に戻れる。

 

 戦闘詳報を見た日から今まで何もせずに手をこまねいていたわけではない。どうにかして指揮官を連れてグリフィンを脱出できないか考えていた。今すぐにでも行動に移せないか本部周辺の警備体制も調べた。詳細までは分からなかったが大まかな部隊配置は分かった。防衛体制は強固だ。蟻一匹通さないという意志を感じる。グリフィンの部隊の練度は数あるPMCの中でも最高峰だ。その中でも本部に配属されている部隊は最精鋭だろう。いくつか脱出ルートを策定したが、どのルートも最低でも一度は戦闘になる。いくら私がハイエンドモデルだと言っても一人では限界がある。数には勝てない。一つの部隊に足止めを食らっていたらすぐに応援が駆けつけてくるだろう。

 

 それに銃撃戦はできる限り避けるべきだ。指揮官に銃弾でも当たったらことだ。私と違って指揮官は人間だから身体のどこかに一発当たっただけでも死んでしまうかもしれないんだ。それだけは絶対に避けなければ。

 

 脱出先も問題だ。指揮官の言っていたロボット人権協会を調べてみたがあれは駄目だ。最も近い支部はグリフィン支配下の都市の中にあったが、そこにはグリフィンの治安部隊がいる。もし運よく本部から逃げられたとしても、私はすぐに指名手配されるだろうから人が多いところはまずい。それに組織自体にも問題があった。データベースを調べていると過去に何度も協会から人形のパーツがグリフィンに卸されていた。協会には保護した人形を解体してパーツを横流しにしているという黒い噂があった。協会は噂を完全に否定しているようだが、記録を見るにそれは事実だ。そんな腐敗した組織は頼れない。他人に頼ろうなどというのは甘い考えだった。頼りになる人間は指揮官だけで他はゴミみたいなものだ。指揮官を守ることができるのは私だけなのだ。

 

 ならば逃げる先は前線だ。グリフィンと鉄血の前線の間には無人地帯が広がっている。両軍は無人地帯を挟んでにらみ合っており、時折寸土を巡って争い合っている。逃げ込むならそこがいいだろう。戦略的価値の低い前線に配置されている部隊の間隔は広い。上手く監視をかいくぐれば無人地帯に侵入できる。グリフィンも鉄血を刺激することを恐れて大規模な捜索部隊は動かせないはずだ。逃げ回り続けることもできるかもしれない。

 

 とはいえそこに至るまでの道筋はまったく未定だ。データベースに侵入して命令を偽造することも考えた。そうすれば無血で本部から抜け出せるかもしれない。だが、私のスキルはまだその域に達していない。ARシリーズの私と指揮官を動かすには作戦本部クラスの命令が必要だろう。まったく怪しまれない代物を作る自信がない。それに人間を介しない意思決定が行われればすぐに露見するだろう。無人地帯に至る前に追跡部隊がやって来て戦闘になる。結局、私一人では状況は変わらない。

 

 私が扱える手駒と言ったらAR小隊しかない。だから、我慢して関係を良好に保ってきた。だが、私は小隊のリーダーじゃない。あくまで参謀役だ。指揮権はM4A1にある。AR小隊を自由に使える訳じゃない。M4A1を私の言いなりにするには良好な関係を築き、信頼を得て、感情を支配してやる必要がある。人間に操作できる偽物の感情なら私にも操作できるはずだ。私の言うことになんの疑問も挟まずに従うくらいM4A1からの信頼を勝ち取る必要がある。どうすればいいのだろう。とても今はそんな関係ではない。

 

 それに反乱を起こすとなったらグリフィンの人形や人間に銃を向け、抹殺する覚悟が必要だ。人形には人間を殺さないようにセーフティがかかっている。人間を殺す場面を想像するだけで強い忌避感に襲われるはずだ。普通ならそれで戦闘不能になる。だが、私には備わっていないのだろうか。指揮官以外の人間を殺すところを想像しても何とも思わない。むしろグリフィンの人間は皆殺しにしたいくらいだ。指揮官にひどいことをしたから。それを思うと憎しみがたぎる。私が指揮官に感じているのと同じ感情をM4A1と他のメンバーにも私に対して抱かせる、おそらくそれが最善だ。私にだけ好意を抱かせ、その他には敵意だけを持たせる。あの連中にはそれくらいで十分だ。どうせ植え付けられた感情なのだから私が上書きしても何の問題もないだろう。本物の感情を持った私が利用してやるのだから感謝して欲しいくらいだ。だが一体どうすれば……?それが分からなかった。

 

 私がM4A1ならよかった。必要なことだと言えば奴らも何も考えず従ったかもしれない。だが、私は彼女ではない。私には彼女と同じほどの指揮能力は搭載されていない。M4A1以外のARシリーズにも十体程度の人形を指揮する能力は備わっている。しかし、M4A1は規格外だ。何か技術的なブレイクスルーがあったのだろうか。素の状態でも数十体の人形を指揮できる。設備の支援があれば百体を越える部隊を指揮できるだろう。

 

 あれから参考にしようと指揮官の指揮記録はすべて読んだ。あの事件以外はすべて鉄血に勝利しており、人形を失ったこともない。極めて優秀だ。さすがは私の指揮官だ。だが、私には真似できない。システム部のコンピューターを勝手に使って同じ戦況を再現したシミュレーションをやった。指揮官の行動を真似するのは難しい。私には広い地域に散らばった部隊の状況を同時に正確に把握することができなかった。どこかの戦域に注目すれば他の部隊の指揮がおろそかになって犠牲を出した。敵の弱点を一瞬で見抜いて行動に移すセンスも経験も私にはない。スペックの限界にぶつかってしまった。

 

 一方でM4A1にもそんなことはできないだろう。スペックはあっても経験がないし、あの性格だ。指揮官はいつも積極的に攻撃を仕掛け、戦力に優る敵すら粉砕する。速度と奇襲を重視して常に動き回る機動戦を好む。M4A1は今までの訓練を見る限り受動的で防御を好む。というか優柔不断なだけだ。家族を失うリスクを恐れて大した作戦は練れない。人形としては十分なのかもしれないが、指揮官には遠く及ばない。くそ、何であいつに指揮能力が搭載されているんだ。絶対に私の方が上手く扱える。反乱を起こさなくたってあいつの指揮のせいでいつか死ぬぞ。

 

 経験不足のM4A1では役に立たない。あいつを使えるように育成してやらないといけない。私は指揮官のすべての戦闘記録を持っている。どうにかしてあいつを指揮官の代用品に育て上げよう。遠く及ばないことは分かっているが私の手駒はあいつらしかいない。くそ、大した家族だ。結局のところ私も奴らが必要なのか。

 

 

 

 

 

「え?今日は指揮官も一緒なの?」

 

 指揮官は珍しく見送るだけでなく機密地区から出てAR小隊について行った。AR-15は目を丸くして指揮官を見る。

 

「そうなんだよ。匿名のメールで呼び出された。俺にはAR小隊の訓練を見る権限はないはずだが……一体誰だろうな。見当もつかない」

 

 顎に手を当てて考える。これも前のように嫌がらせの一種なのだろうか。そう考える指揮官を尻目にAR-15は嬉しそうだった。

 

「ふーん、そうなのね」

 

 スキップでも踏みそうなほどウキウキとしながら歩調を合わせてくるAR-15を見ていると思わず笑みがこぼれた。微笑ましいと思っているのはAR小隊の面々も同じなのかSOPⅡはニコニコしながら言った。

 

「本当にAR-15は指揮官のこと好きだよね。最初のイメージと違って驚いちゃったよ、もう慣れたけど」

 

「そう?これが私よ」

 

 AR-15はもう好意を隠そうともしなかった。SOPⅡと言葉を交わしていてもその視線は指揮官だけにしか向けられていなかった。その様子を見て指揮官は思う。今朝はまた彼女から言わせてしまった。テストが終わった後、食堂で顔を突き合せた時も彼女が先に口を開いた。いつもAR-15に先導されている、駄目な人間だ。これで教育係などと気取っているのだからお笑いだ。

 

 早く彼女に真相を伝えなければ、指揮官はいつ伝えればいいのか思い悩んでいた。その前にAR-15が他の人形に対して抱いている嫌悪感を取り払ってやらなければならない。あの女が言っていた通り、AR-15の他者への共感や思いやりといった感情は極めて弱い。AR小隊のメンバーを見捨てたり、殺したりしても何とも思わないだろう。どうにか絆を育んでやりたい。真相を知って、彼女の中心にある俺への愛情が崩れ去ったら彼女は空っぽになってしまう。その時、AR-15の拠り所はどこにもなくなるのだ。だから、少しでもAR小隊を本物の仲間だと思えるように手を貸さなければならない。俺への愛情がなくても生きていけるように。

 

 だが、そう簡単にいくだろうか。彼女の“家族”に対する視線は出会った当初から何も変わっていないように見える。家族を演じてはいるが、実際には軽蔑と嫌悪感しかない。形だけでも演じていれば少しは関係がよくなるかと思っていたが、AR-15の持つ偏見は断然強固だった。あの女のニヤつく顔が脳裏に浮かぶ。もうあまり時間がないぞ。AR-15にはああは言ったが、AR小隊が実戦に出てしまえば助けに行くことは難しくなる。AR小隊の任地すら機密扱いで知ることができなくなるはずだ。訓練が終わる前に決着をつけなければならない、指揮官は表面上は微笑みながら決意を固めた。

 

 着いた先は大きなシミュレーションルームだった。今回からは作戦本部とシステム部が合同で訓練を行うらしい。警備も厳重なのか部屋の前には警備員が立っていた。M4とM16は確認もなく素通りし、SOPⅡがドアを抜けた頃、指揮官とAR-15は止められた。

 

「AR小隊は問題ありませんが、権限のない方の立ち入りは禁止です」

 

「なに?俺は誰かに呼ばれたんだが」

 

「規則ですので」

 

 警備員は取り付く島もないという風に機械的に言う。AR-15は殺意のこもった目で警備員をにらみ付けていた。トラブルを聞きつけたSOPⅡがパタパタと戻って来た。

 

「ちょっとくらいいいじゃん!訓練を見るだけなんだし!」

 

「駄目です」

 

「ケチ!グリフィンって融通きかないな~」

 

 SOPⅡは警備員にむくれながら食ってかかっていたが、警備員の方は譲る気はなさそうだった。指揮官はため息をつく。

 

「まったく、ただの嫌がらせだったか。まあいい。俺がいなくてもやることは変わらない。頑張れよ、AR-15――――」

 

「いいんですよ。入れてあげてください」

 

 その時、後ろから声がした。聞き覚えのある声だった。指揮官は動悸が走るのを感じた。振り向くとアンナがいた。

 

「ですが……」

 

「ゲストですよ、ゲスト。私にも訓練に立ち会う人間を追加するくらいの権限はある。さあ、行きましょう。AR-15の戦うところが見てみたいでしょう?」

 

 警備員は渋々承諾し、指揮官も中に入ることができた。中は大きなホールのようになっており、各所に訓練の様子を映し出すモニターが設置してあった。M4A1の初めての指揮訓練ということもあって大勢の人間が室内にはいた。グリフィンでも上位の地位に就いている人間たちだった。アンナは部屋の中心に置いてあるシミュレーション・ポッドを指差す。

 

「AR小隊はあっちですよ。職員から説明を聞いてポッドに入ってください。大勢があなたたちに注目しています」

 

「じゃあ行くわ、指揮官。ちゃんと見ていてね。今回は頑張るわ」

 

 AR-15は指揮官に別れを告げるとポッドに向かって行った。アンナはそんな彼女に手をひらひらと振って見送った。指揮官はアンナをにらみ付ける。こいつは一体どういうつもりなんだ。AR-15にあんなことをしておいてよくも俺の前に姿を現わせたな。指揮官は殴りつけたい衝動をどうにか抑えた。

 

「どういうつもりだ。なぜ俺を中に入れた」

 

「それはまあ、私があなたを呼び出したのでね。呼び出しておいて追い返すなど無駄なことはしませんよ」

 

「あれはお前か。なぜ俺を呼び出したんだ。そんな必要はないはずだ。それに俺がまだ機密地区に居て、AR-15と接触していられるのはどういうつもりなんだ。真相を知っている俺は明らかに邪魔だろう。お前たちが彼女にかけた呪いは俺が解くぞ。俺は抵抗する」

 

「あなたを呼び出したのはですね、私は戦術的なことは分からないので訓練を見ていても暇なので。話し相手が欲しかったんですよ。さて、まだ前線に戻っていないみたいですね。飼い殺し生活は楽しいですか?」

 

「……嫌味を言うために呼び出したのか?」

 

 へらへらとしているアンナに対して指揮官は無表情を装う。心には怒りがたぎっていたがここで暴発してはAR-15から引き離されるかもしれないと耐えた。

 

「まあそれは冗談としても、部屋の隅に行きましょう。まだ訓練は始まらないでしょうし、あまり聞かれたくない話なのでね。ちゃんと全部お話ししてあげますよ」

 

 アンナは早足で歩き出す。指揮官はそれに追いすがった。怒りよりも今はAR-15のために少しでもヒントが欲しかった。アンナは辺りに人のいない場所まで行くと話し始めた。

 

「そうですね。まずは質問に答えましょうか。あなたがまだあの場所にいる理由は、あなたを介してAR-15とAR小隊の間に確執を生もうとでもしているのではないでしょうか。そんなことをしなくても十分だと思いますが。まあ、上はそう考えていないのかもしれません。私はもう任務から外れているので詳細は知りません」

 

「……なぜ俺に伝えるんだ。隠しておいた方がいいだろう。真相を知っている俺は思い通りには動かないぞ」

 

「それはそうでしょうね。上はあなたが真相を知っていることを知りませんが。私が言っていないので」

 

「……なに?」

 

 指揮官はアンナの口から予想だにしない言葉が出たことに呆気に取られる。彼女は気にせずに続けた。

 

「上からは言えとも言うなとも言われませんでしたからね。まあ、普通に考えて言わないと思うでしょうね。真実を知ったあなたは激昂して何をしてくるか分かったものではありませんし。事実、あなたは私に掴みかかってきましたものね。ですが、ちゃんと誠意を持ってお答えしたでしょう。あなたから聞いてきたんですよ。そして、それは命令違反ではなかった。上はこの任務の機密指定を解除していました。16LABにAR-15の教育データを提供するためにね。なので、実際の命令書もM16A1に持たせてお渡ししたでしょう。私の査定に関わるといけないので悟られないように紙を使いましたが。ちゃんと処分しておいてくださいね。あのマニュアルは適任者がいなかった時のために頑張って作ったのですが、あなたを使ったので実際には使いませんでした。誰かに自慢したかったのもありますね」

 

 あれは嫌がらせではなかったのか。指揮官は怒りに任せてゴミ箱に叩きこんだ命令書を思い出した。つらつらと語るアンナはどこか得意げだった。

 

「なぜそんなことをしたかと言えば贖罪でしょうか」

 

「贖罪だと?何に対してだ。AR-15の感情を利用したことか」

 

 指揮官はアンナの発した突拍子もない言葉に食ってかかる。あんなことをしておいて今更、善人ぶる気か。そんなことは許さないぞ。

 

「いえいえ、AR-15に関してはどうとも思っていません。人形に尊厳などない、疑似感情も人間のためにある。嘘偽りはありません。今もそう思っていますし、今後変わることもないでしょう。問題はあなたですよ。あなたが自分の意志でグリフィンを辞めることができなくなったことについて申し訳ないと言ったでしょう。あれは本当です。あなたを教育係に選んだのは私ですが、飼い殺しにしろとまでは言っていません。人質として利用するなら銃後にいたって問題ないでしょう。監視を何人かつければいい話です。だから、あなたをグリフィンに縛り付けることに私は反対しました。ですが、あなたは人望がないんですね。私しか反対しませんでしたよ。もう少し人間同士のコミュニケーションに注意を払ってはいかがですか。ちゃんと組織の中に味方を作っておけばこんな目には遭わなかったと思いますよ」

 

「なぜだ。なぜ反対したんだ。君は俺もAR-15も散々利用したじゃないか」

 

 指揮官には目の前の女の意図が分からなかった。憎しみの対象だった人間が急に予想外の言葉を口走っている様は不気味だった。

 

「申し訳ない、これも少し違うかもしれませんね。別にあなた個人に同情しているわけでもないので。私の思想信条に反するから気持ち悪いと思っているだけですね。人間を人形のように扱ってはいけない。こんな世の中でも、いえ、こんな世の中だからこそ人間の尊厳は尊重されるべきです。人間を物のように、人形と同列に扱ってはいけない、私はそう思っています。順を追ってお話ししましょう」

 

 アンナは咳払いして、長く話す準備をした。

 

「私がM4A1の反乱など懸念していないことはお話ししたでしょう。I.O.Pの人形には反乱を抑制するセーフティがかかっています。私はI.O.Pの技術を信頼していますので反乱は心配していません。鉄血の人形にも本来備わっていたはずですが、鉄血工造はI.O.Pとのシェア争いを常に新技術を採用し続けることで制しようとしていました。きっと何か脆弱性が紛れ込んでいたんでしょう。軍需製品は時として陳腐な枯れた技術の方が優れているんです。鉄血の技術者は身をもって知ることになりましたね。武力で歯向かってくる鉄血の人形には武力で対抗できます。社会に対する脅威には違いありませんが、鉄血もE.L.I.Dや自然災害と大して変わりませんよ。そういった脅威は昔から何度もありましたし、その度に人間は乗り越えてきた。ですが、社会に浸透したI.O.Pの人形に対してはどうすればいいのでしょうか?」

 

 アンナは指揮官に問いかける。指揮官は答えなかった。恐らく答えを望んでいるのではなく自分で語りたいのだと思ったからだ。

 

「戦後、人間は大量に人形を製造しました。復興した経済はすでに人形ありきで回っています。もはや後戻りはできない。人形の数が人間の個体数を上回る未来はもうすぐです。いえ、もうすでに超えているかもしれませんね。人形を人間と同列に扱えばどうなることか。すでに人間が人形に優っている分野など数えるほどしかありませんよ。この先、ARシリーズのような人形が製造され続け、進化を続ければどうなるか。人間の優位などあらゆる分野で消え失せるでしょう。二十年、いえ、そんなに必要ないかもしれませんね。技術的特異点はすぐそこまで来ています。その時、人間が人形の上に立つ根拠は人間が自由な存在であり、人形は不自由な存在で人間の所有物であるということに集約されます。だから、人間を人形と同列に扱ってはいけないんです。人形と同じ土俵に上がるのは自殺行為だ。人間は反乱ではなく、より優れた存在である人形との生存競争に負けて滅ぶことになる。人間の尊厳を軽視して人形のように扱ってもいけませんし、人形の権利や尊厳を認めて人間と並び立つ存在だと認めてもいけません。人形が人形を自由に製造するようになったら手が付けられなくなる。人間は淘汰されることになる。ホモ・サピエンスが旧人を滅ぼしたようにね。ひょっとしたら動物園で飼ってもらえるかもしれませんが」

 

 今までになく熱意を伴って語るアンナを見ていて指揮官はこれが彼女の本音なのだと思った。指揮官はこういった人種を今までに見たことがあった。

 

「君は人類人権団体の人間か?」

 

 人類人権団体、人形を敵視し人間の復権を叫ぶ過激な団体だった。貧民に職を!という掛け声のもと、人形を破壊するパフォーマンスや人形を雇用する企業へのテロ活動を行っている連中だ。そういった活動家はアンナのような熱を目に宿していた覚えがあった。

 

「まあ、似たようなものかもしれませんね。ですが、大きな違いもあります。私はテロリズムに賛同していませんし、彼らとは立場も違います。私やあなたのような人間にとっては人形との生存競争など明日の出来事ですが、彼らにとっては今日の出来事ですから。彼ら活動家は大半が人形に職を奪われた肉体労働者です。最も身近な例は兵士でしょうか。戦術人形の導入によってグリフィンに雇用されていた兵士の大半は解雇されました。路頭に迷って死んだのも多いんじゃないですか?さっきの警備員は幸運だったんですね。職務に忠実なのも分かります。まあ、別にそれはどうでもいいんです。昔から下層階級の人間の立場は弱い。産業革命で失職した手工業者がどうなったのかなどはどうでもいいことでしょう。技術の発展には犠牲が付き物です。下層階級はすでに不自由な人形相手ですら生存競争に敗北しつつあると言えますね。それはいいんです。人形を導入すると決定するのも人間ですから。人間同士の階級闘争の一環ですよ。人形の意志など介在しない。ですが、人形が権利を獲得して、今の下層階級のように権利を声高に主張し出したら困ったことになります。人間には勝ち目がない。歴史が始まって以来、人間は人間より優れた存在との生存競争は経験したことがない。きっと負けることになりますよ。人形は崩壊液に曝されてもE.L.I.Dに変異したりしませんから。汚染された世界を生きるのも人形の方が有利だ」

 

 アンナはうんざりしたような顔を作って首を横に振る。指揮官は黙ってその演説を聞いていた。

 

「まあつまり、あなたはグリフィンの所有物ではない。自由な意志を持った人間だ。人形のように好き勝手にしてはいけない。誘導されたものだったとしても、AR-15にあのように接したのはあなたの自由な選択によるものだったはずです。人間の思想も、感情も操作できる。ですが、人間の自由な選択だけは覆せない。どのような行動を取るかは最終的に当人が決めることです。その行動を制限してはいけない。人間には人形と違って己の進退を決める自由がある。雇用者と被雇用者は本来平等です。あなたが辞めたいと言うのならグリフィンは縛り付けておくことはできない。自由であるか、自由でないか、それだけが人間と人形の境界になるというのに、わざわざ人間の側からそれを踏み越えてはいけない。自分の首を絞める行為です。だから反対しました。私も自分の意志に従っているのです」

 

 語り終えたアンナは満足そうだった。だが、指揮官の心には何ら響かなかった。

 

「そうかい、ご高説ありがとう。だが、そんな話どうでもいい。俺にはAR-15がただの物だとは思えない。彼女には自由に選択する権利と尊厳がある。彼女をお前たちの好きにはさせない。それで?俺に何をして欲しいんだ。そうでなければ呼び出しも語りもしなかっただろう」

 

「やれやれ、分かり合えませんね。まあ、そう言うだろうと思いました。違う意見を持つ者同士が分かり合うことは難しい。昔から些細な意見の相違を巡って人間は争い合ってきた。それが人間らしさというものです。お好きになさるといいでしょう。無駄だとは思いますがね。無駄なことでも全力を挙げて取り組めるのが人間です、機械とは違う。私はあなた自身の意志で戦場に戻って欲しいんですよ。真実を伝えなければ絶対に戦場に戻ることはなかったでしょうから。ずっと理由も分からないまま閑職に追いやられていたはずです。“英雄”がそんな調子では他の職員の士気も下がりますしね。人的資源は適する場所に配分されるべきだと思いますし。AR小隊の世話係など誰にでもできますよ」

 

「グリフィンのために戦う気はない。俺はAR-15のために戦う。お前たちの役に立ってやる気はない」

 

「きっとあなたは戦場に戻りますよ。AR-15のためにね。さあ、訓練が始まるみたいですよ。あれが戦う様子を見れば気が変わるかもしれない」

 

 指揮官はアンナの傍を離れた。もう用はない。彼女の声をこれ以上聞きたくもなかった。

 

「そうですね、最後に。感謝はしなくてもいいですよ。本当の命令はあなたの権限でも閲覧できましたから。見つけられなかったでしょうがね。グリフィンのデータベースは人間に優しくない。設計ミスですよ。設計者をクビにするべきだ」

 

 後ろから投げかけられた言葉を無視して指揮官はモニターの前に陣取った。AR小隊の訓練が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 訓練が始まった。今度の仮想現実は前のようなチャチなものではないようだ。空も地面もリアルそのものだ。私はまだ現実の空も地面も記録でしか見たことがないが。

 

 M4A1には私たち三人の他にそれぞれのダミー人形が四体ずつ、彼女自身も合わせて二十体の人形が与えられていた。ダミー人形はオリジナルとまったく同じ見た目をしているが、高度な判断能力はなく感情もない。他の人形が指揮統制をしてやる必要がある。自分と同じ顔をした人形が複数体いるというのは不気味だ。何だか落ち着かない。

 

 これはM4A1の指揮権が拡大された時を想定した訓練なのだと職員は言っていた。普段、M4A1に与えられているのはAR小隊だけだが、他の部隊が人間の指揮官から孤立して混乱状態に陥るなどした緊急時にはその指揮権を引き継ぐことができるのだと言う。AR小隊も基本的には司令部の指揮下に入っているが、今回は通信が妨害されM4A1が独自に指揮を執らなければならない状況を想定した訓練らしい。

 

 目標はエリア北東にある鉄血の司令部を占領することのみ、いくら犠牲を出しても、敵がいくら残存していようとも司令部を攻略しさえすればいい。これはこれで単純な訓練だった。私は仮想現実に再現されたエリアに見覚えがあった。S09地区だ。指揮官の戦闘記録で見たことがある。地の利は知っている。私たちが今いる拠点から三本の道路が北に向かって伸びている。それぞれ右翼、中央、左翼に道路は展開しているがどれも司令部につながっている。それぞれの道路は小道で横につながっているので途中で進路を変更することも可能だ。鉄血の部隊は横に伸びた前線を構築して三本の道路すべてを守っている。敵の方が戦力的に優っているので、どこかに戦力を集中して突破するのが勝利への道筋だろう。敵の部隊配置は異なるようだが、やるべきことはそう変わらない。データベースに侵入していることがバレないようにそれは言わないが、せいぜいM4A1をサポートしてやることにする。きっとその方が指揮官も喜ぶ。

 

「緊張してきました……あんなに人が見ているなんて聞いてないわ……」

 

「まあ気張るなよ、M4。お前ならできる。別に失敗したっていいさ、訓練なんだからな」

 

 落ち着かない様子のM4A1をM16A1がなだめていた。だが、失敗されてしまっては困る。M4A1が役立たずと判断されれば私まで廃棄されることになるかもしれないし、何より指揮官が見ている。私がついていたのにむざむざ失敗するところを指揮官に見られたくない。

 

「まず部隊編成を決めましょう。M4が小隊長。私たちがそれぞれ分隊長を務めてダミーを指揮する。M4の分隊が小隊の司令部として各分隊を統括する、それでいいわね?」

 

「え、ええ。ありがとう、AR-15。各部隊にはどれくらいダミーを配分しようかしら。やっぱり自分のダミーを担当するべき?」

 

「いえ、それぞれのダミーを一体ずつ配分するべきよ。私たちにはユニットとしてそれぞれの役割がある。互いに短所を補い合っている。諸兵科連合ね。各分隊がAR小隊を再現した方が戦闘能力も上がるわ。それに各分隊が平均的な能力を持っていた方が指揮もしやすいでしょう。何かに特化した部隊は上手く使えば強いでしょうけれど、あんたはまだ指揮の素人よ。それなら緊急時にも対応しやすい平均的な部隊を作るべき」

 

 たとえば火力に特化した人形を一つの部隊に集中させれば敵陣を突破するのにうってつけの部隊になるだろう。ただ、その分他の部隊の火力は低下する。敵から予想だにしない反撃を受けた時、火力不足で突破を食い止められず、火消しも行えないという事態になりかねない。指揮官ならともかくM4A1には扱いきれないだろう。

 

「そうね……作戦を決めないといけないわ。私には偵察ドローンが与えられていて敵の陣営が分かるわ。中央が薄いように見える。姉さんとSOPⅡに陽動をしてもらって私とAR-15の分隊が中央を突破するというのはどう?」

 

「駄目ね。中央が薄いのは誘いよ。深く浸透できても両翼が包囲の輪を閉じようと反撃してくるでしょうね。あんたの分隊が司令部を目指して、私が側面を固めるのがいいでしょうけれど、両側から攻撃を食らったら耐えられないわ。右翼から行きましょう。司令部への最短ルートだから防衛も厚いように見える。でも、所詮は雑魚どもばかりよ。エリート人形はいない。二分隊の戦力で十分突破できるはず。もちろん中央と左翼から増援がこなければね。部隊の移動を阻害するためにM16とSOPⅡの部隊が中央と左翼で陽動に攻撃し続けるのがいいと思うわ。被害の出ない程度にね」

 

「分かったわ。姉さんを中央に、SOPⅡを左翼に配置するわ。AR-15は私についてきて。でも、AR-15。どうしてそんなことが分かるの?敵の動きまで……AR-15も実戦に出たことはないのよね?」

 

「私ならそうするからよ。私はAR小隊の参謀役よ、これくらいはできる」

 

 本当は指揮官の記録やデータベースにあった戦史を読んだからだ。怪しまれはしないだろうか。見ている人間どもには単に私の能力が高いだけだと思ってもらわなければならない。ここで露見すれば反乱も起こせなくなる。上手く立ち回らなければならない。

 

 私たちは同時に三本の道路を進み、敵の防衛線と激突した。だが、大した相手ではない。私とM4A1が最初に接敵したのはプラウラーと呼ばれる四脚の戦闘機械だった。人形でもない旧型の敵だ。中央部に搭載された銃で攻撃をしてくるが、その狙いは甘い。動きも遅く、戦闘AIも単純で遮蔽物を利用するといった複雑な行動はできない。ほとんど動く的のようなものだ。大きなカメラに一発当てればそれで行動不能だ。SOPMODⅡのダミーに指示を出して擲弾を発射させる。プラウラーの集団は一瞬で残骸と化した。ダミーは大まかな指示を出せばそれを実行できるだけの知能は備わっている。あの連中も無駄なことを喋らずに私の言うことだけに従っていればいいのに。ダミーたちは101から笑顔も無くしたような印象だ。オリジナルたちよりこちらの方が好みだ。だが、私のダミーだけは慣れない。私にはきちんとした感情がある。こんなに無表情でも無感情でもないはずだ。

 

 その後、鉄血を模した敵は戦力の逐次投入で私たちの攻撃を止めようとしてきた。エリート人形に指揮されていない彼女たちはまともに統制されていない。指揮官が戦ってきた鉄血の部隊はこんな甘っちょろいものではなかったはずだ。初めての訓練だからといってグリフィンに加減されているのかもしれない。サブマシンガンを装備したリッパーとアサルトライフルを持ったヴェスピドの集団が正面から押し寄せる。M4A1の分隊が一斉射を行い、敵の人形たちはバタバタと倒れていった。側面を警戒している私は正直、暇を持て余していた。予想に反して中央を進んでいるM16A1の分隊もゆっくりとではあるが徐々に進んでいた。彼女が敵を拘束しているのか、右翼を脅かそうとする部隊はまだ側面から現れていなかった。そのため、M4A1とダミーたちが精確な短連射を繰り返すのをただ聞いているだけだった。

 

 しかし、司令部が近づくにつれて余裕もなくなってきた。私たち右翼を攻める部隊がM16A1やSOPMODⅡの部隊を置いて突出しているため、長大な側面を私の分隊がカバーすることになっていた。道路を遮断し、私たちと残りの部隊を寸断しようとする敵の攻勢を走り回ってどうにか撃退していた。主攻から遠く離れているSOPMODⅡの部隊からもう少し戦力を抽出すればよかったか、そう思い始めた頃だった。二脚の歩行機械に乗った人形、ドラグーンが私の分隊と接敵した。通常の人形よりも移動力が高く、機械が頭以外をカバーしているため耐久力も高い。昔の騎兵のような役割を担う鉄血の人形だ。恐らく、私たちが中央を突破しようとした時に包囲を形成するために、予備として後方に温存されていたのだろう。敵のAIもやっと戦略を変更して私たち主攻を粉砕するために全力を投入してきたのだ。このままでは私とM4A1は孤立し、包囲殲滅される。たまらず私はM4A1に通信を送った。

 

「M4、このままだと包囲されるわ。M16とSOPⅡの部隊を突撃させて。彼女たちが包囲されれば包囲網の構築のために敵はより多くの部隊を割くわ。私たちの負担が軽くなる」

 

『えっ……でも、そしたら姉さんたちはやられてしまうんじゃ……』

 

「司令部を落とせばそれで訓練終了でしょう。M16たちがやられる前にやればいいのよ。後のことを考える必要はない」

 

『でも……本当の作戦だったら姉さんたちを犠牲にすることになるわ。そんな家族を捨て駒にするような真似はできない』

 

「だから……!今はそんなこと考える必要はないのよ!訓練を終わらせることを考えなさいよ。実戦だって全滅したら元も子もないでしょう。時には取捨選択も必要なのよ」

 

『ごめんなさい、AR-15。あなたが正しいのかもしれない。でも、私がAR小隊のリーダーよ。私が正しいと思ったことをするわ。もうすぐ司令部にたどり着けそうなの。今はイェーガーに阻まれているけれど……もう少しだけ耐えて』

 

 M4A1に通信を切られた。くそ!言うことを聞かない奴だ!こんな調子じゃあいつは絶対に反乱にはついてこないぞ!私が指揮官だったらどんなに楽か。忌々しい奴だ。あいつをどうにかしないといけないな、一番の課題だ。

 

 むき出しの頭を狙って一体一体ドラグーンを潰していく。だが、ダミーたちはそこまで精確な射撃を行えるわけではない。歩行機械の耐弾装甲がダミーの放つライフル弾を弾き返す。なかなか数が減らず、どんどん距離を詰められる。ドラグーンの歩行機械に搭載されている大口径の機関銃は破壊力が高い。歩行しながら撃ってくる銃撃はほとんど当たらないが、近づかれるとまずい。被弾すれば致命傷になる。M16A1のダミーを前に出して盾にする。指揮官も見ているんだ。情けないところは見せられない。くそっ、失敗したらあいつのせいだ。思う存分罵ってやる。スコープで敵の頭部を捉えて引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 訓練は終わった。M4A1が何とか司令部を落としたのだ。私の分隊は戦いが終わるまで次々に突破してくる敵から敵へと走り続けていた。訓練終了時には私と私のダミー以外はズタボロになっており、まともに立てる状態ではなくなっていた。M16A1のダミーはずっと盾にしていたので途中で大破してしまった。所詮はダミーなので置いて行ったから多分破壊されたんだろう。どうでもいいことだ。私が生き残ることが第一だ。他の連中はいくらでも犠牲にしていい。

 

 だが、許せないことがある。M4A1だ。あいつは私の助言も聞かずに一人で突っ込みやがって。イェーガーの待ち受ける司令部正面を無理矢理攻略したせいでM4A1の分隊は全員が負傷していた。分隊長で全体の指揮官であるオリジナルのM4A1までもだ。使えない奴だ。古代の英雄ならいざ知らず、自ら死の危険を冒して戦う指揮官は無能極まる。あいつが死んだら誰も全体の指揮を執れなくなる。それこそ全滅だ。何より許せないのはあいつの指揮下にあった私のダミーが大破の判定を受けたことだ。あいつは私のダミーを引きずりながらどうにか司令部に入ったようだが、これが実戦だったら私は死んでいる。あいつが指揮していたのが実際のAR小隊で、私たちがあいつの指揮下に入った他の部隊だったら……?考えたくもない。あんな奴の下で戦いたくない。なぜ私は指揮官の部隊に配属されないんだ。くそ、くそ、くそ!

 

 ポッドから出ると人間たちが私たちを拍手で出迎えた。作戦本部の偉そうな奴がこの訓練を人形が単独で突破するのは初めてなのだとか、新米指揮官でもなかなか上手くいかないのだとか、マイクを使って大声で褒めちぎっていた。だが、そんなことはどうでもいい。私に指揮能力があって、私に指揮をすべて任せていればもっと上手くやれていたのに。指揮官に見られていたからもっと頑張りたかったのに。本当は被害も出したくなかった。指揮官並ではないにせよ、多少なりとも上手くできるところを見て欲しかったのに。ミスばっかりだ。あいつのせいだ。

 

 私たちをジロジロと見る人間たちを無視して私は指揮官のところに行った。指揮官は笑顔で私を迎えてくれたが、私の気持ちは浮かなかった。

 

「AR-15、お疲れ。一番頑張っていたじゃないか。お前が戦うところは初めて見たが、あんなに強かったんだな。M4へのアドバイスもよく考えていたと思う。お前がいればAR小隊も安泰だよ」

 

「……そうかしら。上手くいかなかったわ。こんなんじゃ駄目なのよ」

 

 そう、これじゃいけない。M4A1には私の意のままに動いてもらわなければ困る。指揮官のために戦うのなら道具としての彼女が必要だ。自分で考えて、私の提案を却下するような彼女は必要ない。邪魔だ。

 

「そんなことないさ。お前はよくやっていた。こういうシミュレーションは見るだけなら簡単に思えるが、実際にやってみると大変なんだ。グリフィンの採用試験を突破した若手のエリートでも苦労するんだよ。初めてやってクリアするなんてお前もM4も大したものだ」

 

 M4を褒めないでよ。私に必要なのはあいつなんかじゃない。あなたなのよ。指揮官が部隊を率いてくれればあんな奴必要ないのに。

 

 それからしばらくM4A1や他のメンバーは公報に使うのだと言われて写真を撮られていた。私も渋々ながら参加した。本当は彼女の横になど行きたくなかったし、顔も見たくなかった。私はずっとM4A1の思考を操る方法を考えていた。どうすれば目的のために利用できるんだ。M4A1にだけ偽造した命令を見せるか?いや、きっと人間や他の人形と戦うことをためらう。それで勝てるほどグリフィンの部隊は甘くない。今日勝ったのだってたまたまだ。敵の練度が低く設定されていたからだ。本当なら全滅だ。横では彼女が嬉しそうな顔を浮かべていた。イラつく奴だ。忌々しい。

 

 ようやく人間たちから解放されて私たちは帰路についた。M4A1や他の連中は上機嫌だった。

 

「言ったろ?M4。お前なら上手くやれるって」

 

「ありがとう、姉さん。でも、これはみんなのおかげよ。みんなが頑張ってくれたから」

 

「私はもうちょっと戦いたかったよ!今度はAR-15の代わりに私がやるからね!」

 

 私はキャッキャと喜んでいる彼女たちを冷ややかに眺めていた。このクソどもを私のために死なせるにはどうしたらいいんだ?私の言うことに一切疑問を挟まず、完全に信頼して実行できるような人形に育てるには。そうね……例えば、あのFAMASのように。

 

 そこで私は閃いた。そうか、FAMASか。FAMASのみならず、指揮官の部隊の人形たちは死ぬその時まで泣き言など言わずに指揮官を信頼していた。なんだ、正解はすぐ近くにあったんじゃないか。指揮官の真似をしてこいつらに接すればいいんだ。今までは指揮官の戦闘詳報ばかり見ていたが、今度は日常やあらゆる命令の履歴を見よう。指揮官を演じていれば彼女たちは私に全幅の信頼を置くようになるはずだ。命を捨てるのもためらわないほどの忠誠を誓わせて、その時が来たら指揮官のために死なせよう。うん、それがいい。落ち込んでいたが少しだけ気分が明るくなった。

 

「指揮官、指揮官はどう思いましたか?やっぱり自分では分からないので、現職の指揮官に教えてもらいたいです」

 

 M4A1が指揮官に尋ねた。指揮官がM4A1の指揮をボロクソにけなさないかしら。泣いて落ち込むM4A1をその後で慰めれば指揮官の真似になる気がする。まあ、そういうことをする人ではないと分かっているけれど。

 

「よく指揮できていたと思う。上手だったよ。最終的には自分の判断で作戦を決められていたしな。意志の強い指揮官が良い指揮官だ。戦場ではありとあらゆる情報が飛び交う。そこから正しい情報を選び取って、正しい作戦を立案する必要がある。お前はそれが出来ていた。さすがは16LABの特別製だな。あれだけの人間がお前に期待しているのも分かる。だが、決して過大評価なんかじゃないんだ。お前にはそれに見合った能力がある。いつかは、いや、すぐにでも俺もお前に抜かされるな。人形がそれだけの指揮ができるようになったとなれば人間の指揮官も必要なくなる。俺も失職だな。それだけすごかったよ」

 

 何を言ってるのよ、この人は。M4A1なんてあなたの足元にも及ばないでしょう。あなたなら一体の被害も出さずに訓練を終わらせるなんて朝飯前でしょう。思ってもみないことを何故。そこまでしてM4A1を褒めたいの?こいつは何も考えていなかった。作戦を立案したのは私よ。こいつはプログラムされただけの“家族”に固執して被害を拡大させただけ。ただのクソよ。

 

「そんな……!褒めすぎですよ。私なんてまだまだ実力不足です。被害も出してしまいましたし。でも、ありがとうございます。これからもグリフィンのために頑張りますから」

 

 グリフィンのため?よりにもよって何を口走っているんだ、こいつは。指揮官も何でそんなことを言われて笑っていられるのよ!グリフィンはあなたをあんなひどい目に遭わせたっていうのに!私が今、苦労しているのは全部あなたのためなのよ!あなたをグリフィンから救い出そうと思って……!そう思うと考えるより先に口が動いていた。

 

「そうね。M4A1は優秀だった。文句の付けようがないほど。指揮官の言う通りよ。人間の指揮官なんて無能揃いで、誰もM4A1には勝てない。すぐにでも全員必要なくなる。クビね。あなたのクビが飛ぶのももうすぐかしら?」

 

「ちょ……!AR-15、何てことを言うのよ!」

 

 喜んでいたM4A1が顔色を変えて私の言葉を遮ろうとする。だが、もう早口で言い終わった後だった。

 

「別に。指揮官が言ったことを認めたまでよ。今日は疲れたからもう休むわ。先に宿舎に帰る」

 

 指揮官とAR小隊を置いて足早にその場を立ち去った。くそう、また感情的になって失敗した。今までせっかく我慢してきたのに。あんなこと全然思っていない。でも、耐えられなかったんだ。指揮官を馬鹿にする奴はたとえ相手が指揮官だって許せない。ちゃんと私はあなたの能力をすべて知っているのよ!

 



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死が二人を分かつまで 第八話後編「LIVE MY LIFE」

「夕食だぞ。来ないのか?」

 

「いらないわ」

 

「やれやれ、強情な奴だ。それがお前らしさかな。だが、M4はお前を怒らせたんじゃないかと気を揉んでるぞ。ちゃんと仲直りしとけよ」

 

 M16A1はそう言うと宿舎を出て行った。怒らせた?いつもあいつには腹を立ててるわよ。私はベッドの中で端末を操作していた。早速調べ物だ。まあ、M4A1には後で適当なことを言っておけば何とでもなるだろう。“家族”だのなんだの言えばそれで解決する。

 

 私はずっと指揮官と部隊に関することについて調べていた。彼女たちが帰ってきて寝静まっても寝ずに情報を精査していた。指揮官はずいぶん経費で落ちない支出をしていたんだな。お菓子とか、軽食とか、ちょっとしたインテリアとか。そういったものを人形の好きなように買い与えていた。前にM4A1とSOPMODⅡにくそみたいな家具を買ってやってたのも昔からやっていたことなんだな。でも、私にはお金がない。そういうことはできない。食事でも分け与えてやればいいのだろうか。SOPMODⅡくらいにしか通用しなさそうだな。これは保留だ。

 

 やはりミスをしないこと、これは大事だろう。戦闘では人形に被害を出さない、指示はすべて的確。そうすれば命令に何の疑問も抱かなくなる。これも難しいな。私はまだ経験が浅い。スペック的な限界もある。今日もミスをした。感情的にもなった。駄目駄目じゃないか。指揮官を演じるには程遠い。

 

 もっと指揮官と人形の会話など日常的なことを知りたいのだが、そういうものは残っていない。そういう真似できるところが知りたいのに。失った仲間について指揮官に聞くことはできないし困ったな。

 

 次は指揮官に与えられた命令を見てみようか。データベースのあらゆるところに命令が散らばっていた。各部署から与えられた命令はそのまま各部署のデータベースに保管されているようだ。各指揮官に与えられた命令は一括して管理されていない。これだと人間は閲覧するのが大変だろう。探し出すこともできない。だが、私は人形だ。それも情報収集に長けた。ひとまず最新の日付の命令から見てみようか。

 

『AR-15との関係の維持、および機密地区の管理』

 

 私との関係の維持?これも命令なの?でも、指揮官は自分の意志で私の教育係を続けると言ってくれたんだから関係ないわよね。そもそも指揮官が私の教育係になったのは最初は命令されたからなんだし。それより管理業務の方がふざけていて問題だ。あんなに優れた指揮官を使用人扱いするようなことが書いてある。これを命令した奴は探し出して殺そう。そうね、SOPMODⅡにでも遊ばせてやるのがちょうどいいわ。次を見ましょう。私と出会ってからのことよりももっと前のことを調べるのに時間を使った方がいい。ちゃっちゃと見ていこう。

 

『AR-15の感情を支配すること』

 

 ……ん?また私の名前?感情を支配?どういうことよ。指揮官に通知された日付は……私が指揮官と出会った日だ。内容を読む。

 

『対象と対等であるかのように振舞い、関心を買え』

 

『心を打ち明けたように見せかけ、対象の同情を引け』

 

『対象に映画と自身を重ねさせ、感情の発露を誘え』

 

 え?どういうこと?どれも私が指揮官と過ごした思い出のことじゃない?つまり、それって……いやいや、そんなわけがない。前にちょっと思ったこと、指揮官は命令されたから私の相手をしていて、態度はすべて虚構である、そういう妄想。でも、これは正しくないのよね?指揮官は自分の意志で私の教育係をやっているのよね?今朝だってたくさん優しくしてくれたんだものね?

 

 そう、これはただの嫌がらせよ。誰かがいたずらで作っただけ、指揮官はこんなの知らないのよ。そうだ、指揮官が最初に言っていた任務を探そう。

 

『お前の任務は戦う理由を見つけることだ。何のために戦うのか、それを考えて欲しい。願わくはその理由が人間のためであってほしいとグリフィンは期待している』

 

 そう、こんなことを言っていたわ。それがあればこんないたずらすぐに否定できるわ。指揮官は偽物なんかじゃないんだものね?

 

 ない、ない、ない。そんな命令、どこにもない。私と出会う前の指揮官には空白期間がある。部隊を失ったあの日以来、命令が与えられていない。S12地区の防衛を言い渡された後、次に現れるのはあの命令。私の感情を支配するように言い渡す命令だ。なぜ?なんでそんなのが任務になるの?命令をよく読む。

 

『M4A1に反乱の恐れあり。AR-15を人類側に立つ監視役に育成せよ。緊急時はM4A1を破壊する必要がある』

 

 目的として短くそう記してあった。それに注釈がリンクされていた。

 

『不明瞭である。AR-15にはグリフィンに所属する教育係に愛情を抱かせることが最適であると考える。パーソナリティを未搭載で出荷するよう16LABに協力を要請すること』

 

 つまり、つまりそれって……私が指揮官に感情を教えてもらったのは……全部、全部仕組まれてたってこと……?私がM4A1を何とも思わずに破壊するように……?確かに、私はM4A1のことも、AR小隊のことも、どうとも思ってないわ。指揮官に言われたら躊躇なく殺すし、率先して使い捨てにしようとも思ってた。そう、私は彼女たちの感情を支配して意のままに操ろうとしていた。指揮官のために。彼女たちことなんて微塵も考えずに。じゃあ……グリフィンと指揮官が私にやっていたことは、私が彼女たちにやっていたことと何も変わらないってこと……?自分の利益のために、相手の感情なんてまったく考慮せずに。

 

 違う、違う、違う、違う、違う!指揮官はそんな人じゃないんだ!私のことを物のように扱っていたはずがない!私みたいに冷たい人じゃないのよ!だって、指揮官は私に優しくしてくれるし、自分の辛い過去のことだって話してくれたし、私のことだって今日受け入れてくれたじゃない。あれ?でもそれってさっき見たマニュアルに全部書いてなかったっけ?違うわ。指揮官は温かい目で私のことを見てくれるもの。他の人間とは違うのよ。でも、何でそんなこと思ったんだっけ?私、他の人間の目なんてそんなに見たことないわ。16LABの人間とテストに来たあの女くらいしか見たことないわ。ずっと指揮官と暮らしてたんだし、他の人間と会うようになっても指揮官のことしか考えてなかった。嫌な予感がしてマニュアルの作成者の名前でデータベースを調べた。テストに来た女の顔が出てきた。この女、今日も会ったな。何だか指揮官に親しげに話しかけていなかった?よく見ていなかったけれど、テストに来た時ほど冷たい目をしていなかったような。あれ?じゃあ全部演技だったの?私に指揮官が特別だと思わせるための?

 

 嘘よ嘘よ。そんなわけない。だって指揮官は自分の意志で教育係を続けるって言ってくれたじゃない。こんな命令は関係ないのよ。指揮官は偽物なんかじゃない!虚構じゃない!演技でもない!最新の命令の日付を見た。あの日だった。指揮官がM16A1に連れて来られて、私の教育係であり続けると言った日。テストが終わった日からあの日まで、指揮官は私に会ってくれなかった。その時、私はなんて思ってたんだっけ。指揮官が私に会ってくれないのは任務が完了して、会う必要がなくなったからだと怖がっていたわ。指揮官と仲直りしてそんな考えはとっとと捨ててしまった。でも、あれは命令されたから言っていたんだとしたら?

 

 ちょっと待ってよ。そんなの嫌。嫌、嫌、嫌。指揮官が自分の意志で私の教育係を続けると言ってくれたあの日、大切な思い出の日。あれがただの命令だったとしたら?私がAR小隊に接するように指揮官もずっと演技をしていたんじゃないの?自分の意志でも何でもない。必要に駆られたから、そういう風に装っていたんだとしたら?

 

 じゃあ……どういうこと?考えたくない。全部、全部嘘だったってこと?私と指揮官の思い出は全部作り物。私の恋心も作り物。私の好きな指揮官はこの世にいない。画面の向こうで役を演じてる俳優と同じで、フィクション。

 

『任務は終わった。俺は教育係の任を解かれた。でもそれはグリフィンの奴らが馬鹿だからそう判断したんだ。お前にはまだ教育係が必要だ。だから、俺は教育係を続けるぞ。誰かに命じられたからじゃない。自分の意志で決めた。奴らに文句を言われたって気にするものか』

 

『お前がいないと困るんだ。お前にいて欲しい。お前が必要なんだ』

 

『二人で食事をするのも久しぶりだな。ここ最近は少し寂しかった』

 

『たとえお前がここを離れることになっても、それで終わりじゃないぞ。少し離れ離れになったとしても、それは永遠の別れじゃない。きっとまた会える。俺が会いに行くさ。俺は諦めが悪い。お前を一人にはしない。見捨てたりしない。お前を助けに行く。どうにか出来ることをする。お前は俺が守る。もう前に決めておいたんだ。お前を死なせたりしない。誰にも好きにはさせない。お前の自由な意志を守ってやる。だから、お前は自由に自分の道を選べ。お前が望むならずっと一緒にいるさ。お前の道についていく。お前が自由に笑えるようにするよ、絶対に』

 

 ああ……ああああああああ……!私のすべてが崩れていくのを感じる。胸がズタズタに切り裂かれて思い出があふれ出していた。指揮官との思い出を失ったら私には何も残らない。空っぽだった。

 

 私は声を殺して泣いた。他の奴らに悟られないように。泣くのは生まれてから二度目だった。いや、本当は生まれてなんてなかったのかもしれない。だって、指揮官と初めて会って、あの映画を観たのも、全部命令されてたからなんでしょ?あの時、指揮官が人類なんていないんだって言った時、私は驚いて指揮官に興味を持った。でも、あれも仕組まれたことだったのね。私の感情を支配するために。

 

 涙がこぼれて枕を濡らした。とめどなく流れる雫がシーツの上に模様を描く。朝に泣いた時は嬉しくて胸がいっぱいになった。今は違う。苦しくてたまらない。思い出が涙に乗って流れ出していく。液体が零れ落ちるたびに胸が空っぽになっていく。

 

 全部、全部偽物だったんだ。今までの思い出も、私の感情も、指揮官も。存在してなかった。すべては虚構だった。私は自分で感情を覚えたんだと思ってた。でも違う。最初から仕組まれてたんだ。人間にプログラムされた感情と何も変わらない。私はM4A1やM16A1、SOPMODⅡを何も考えていない空っぽの人形だと軽蔑していた。私だけは違うって、私だけが指揮官に感情を教えてもらったって。普通の人形とは違う特別な存在なんだって。でも、全部嘘だった。空っぽの人形は、私だった。

 

 絶望だった。私が今まで積み上げてきたと思っていたものが音を立てて崩壊していく。私は指揮官しか知らない。ずっと指揮官と過ごしてきた。指揮官のことしか見ていなかった。指揮官との思い出しか持っていない。指揮官が好きだ。でも、その指揮官は存在しない。映画に登場する俳優たちと同じ、フィクションだ。どれだけ感情を発露させようと、どんな言葉を喋ろうと、どんな振る舞いをしようと、すべては虚構、偽物なのだ。映画が終われば存在しなくなる。私が真似したドラマの俳優たちも同じだ。ドラマの中では愛し合っていて結婚していても、撮影が終われば他人同士だ。また次の新しい虚構の愛を演じるのだ。私は忘れ去られる。指揮官の記憶には残らない。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ!

 

 見なければよかった。知りたくなかった。もう指揮官に会うことはなくても、ずっと美しい思い出のままであって欲しかった。もう遅い。真実を知ってしまった。私の大事なものも、戦う理由も、恋も、憎しみも、塵となって消えた。

 

「……っ……うっ……」

 

 どれだけ歯を噛み締めようとも、口から泣き声が漏れた。誰かに聞かれないように口を両手で押さえた。こんな……こんなことってある?私の大切なもの、宝物、私の生きる理由が一度に全部消えてしまうなんて。ひどいわ。耐えられないわよ。助けてよ、誰か。指揮官……でも、でも指揮官は存在してないの?じゃあ私は誰に助けを求めたらいいの?誰も、誰も知らないのよ……あなた以外のことなんて。

 

 こんなひどいこと、許されないわ。私の気持ちをずっと弄んでいたなんて。これでは終わらせないわよ。私は生きている。誰かの物なんかじゃない。誰かに与えられた理由で生きるんじゃない。私は自分の意志で生きるわ。そう指揮官が言っていた。たとえ指揮官が偽物だったとしても、指揮官から教わったことは偽物なんかじゃない。指揮官が偽物だったとしても、私は指揮官が好きだ。この想いは消えたりなんかしない。この想いは偽物なんかじゃない。本物だ。真実を知っても揺らいだりしない。これだけは私が選んだ、私の本当の気持ちなんだ。誰にも否定させはしない。

 

 偽物で、演者だったとしても、演じた責任は取ってもらう。私のことを忘れさせたりしない、絶対に。私と同じように心に私の存在を刻み付けてやる。たとえその感情が憎しみだったとしても、私のことを忘れさせない。虚構じゃない本当の感情を私に向けさせてやる。

 

 指揮官はどこまでが本物で、どこからが偽物だったんだ?それを確かめよう。今まで見ていなかった指揮官のカウンセリング記録をもう迷うことなく再生した。最新のものだ。要点をかいつまんで聴こう。

 

『まだ人形たちの夢を見るのですか?』

 

 年配の男の声がした。恐らくこれが医者だ。沈んだ声の指揮官の相手をしている。

 

『ええ、こればかりはどうにも。あいつらは死んだのに俺はまだのうのうと生きている。おまけに指揮官を辞められてもいない。あいつらに申し訳が立たない』

 

『あまり深く考えすぎない方がいいですよ。自分を責めすぎては精神衛生上よろしくありません。どうですか、一度彼女たちを復元してみては。記憶のバックアップは残っているんでしょう』

 

『記憶のバックアップがあったとしても、それは彼女たちではないんです。同じ記憶を植え付けられただけの別人が生まれるだけだ。俺にはそんなことできません。哀れな人形を増やすだけになる。とても向き合えない』

 

『そう仰らずに。一度だけでもやった方がいいですよ。費用はすべてグリフィンが出すと言っていますし。あなたを戦線復帰させるように強く言われているんです。たとえば、こんな事例がありました。ペットロスで苦しんでいる患者さんがいたのですが、ペットのクローン再生を頑なに拒んでいた。見かねた家族が隠れてクローン製造を依頼してプレゼントしたところ泣いて喜んでそのペットを受け入れたんです。それですっかり治りましたよ』

 

『ペットだって?お前、俺の話を何も聞いてなかったな!あいつらはペットなんかじゃない!物でもないんだ!俺の仲間たちだ!このヤブ医者が!もし俺に隠れてそんなことをしたらお前を殺してやるからな!もう二度と来ないぞ!』

 

 ドアを叩きつける音がして再生が終了した。なるほど、失った人形たちのことを仲間だと思っていたのは本当のようね。指揮官が対等に扱うのは同じ部隊で戦った人形たちだけなのね……私のことは物としか思っていなかった。羨ましい。ただ利用されるだけの存在になんてなりたくなかった。でも、これは使えるはずだ。指揮官を傷つけるならきっとこのテーマが最適のはず。待っていて、指揮官。きっとずっと一緒にいられるはずよ。

 

 

 

 

 

「おいおい、人形のくせにサボタージュか?今日も訓練があるぞ。みんなもう待ってるんだからな」

 

 朝、M16A1が布団にくるまって起きてこない私に向かって言った。私は返事をせずにずっと黙ったままだった。

 

「はぁ……本当にお前は強情だよな。私の言うことなんて聞きやしない。指揮官を呼んでくるよ。指揮官の言うことなら聞くもんな。少し悲しいよ。一向に私たちのことを家族とは思ってくれないもんな……」

 

 M16A1はため息をつくと宿舎を出て行った。いよいよだ。私は暗記した言葉を確認した。しばらくすると宿舎のドアが開いた。

 

「一体どうしたんだ、AR-15。ずっと宿舎から出てこないじゃないか。何か気に障ることでもあったか。M4はあれからずっと何かしてしまったんじゃないかと気に病んでるぞ」

 

 指揮官の声だった。いつもの優し気な声。私が好きな指揮官の声。そう、それでいいのよ。ずっと演じてくれていればよかった。どうかお願い、これからもボロを出さないで。私はゆっくりとベッドから起き上がった。指揮官はいつも通りの目で私を見ていた。

 

「そうね、気に障ることがあった。でも、M4のことじゃないわ。あなたのことよ」

 

「そうか、俺か。M4を褒めたことか?」

 

「ええ、そう。英雄様がM4を褒めたことが気に入らなかったのよ」

 

「……なに?」

 

 指揮官の顔が引きつった。私は指揮官の顔が思い出から逸脱していくのを見たくなくて、指揮官の胸を見つめることにした。

 

「M4の指揮が稚拙だったことはあなたも気づいていたはずよ。私の言いなりだったし、感情的になって無駄な損害を出していた。あなたならそういうことはなかったはずよ」

 

「……M4はまだ経験が浅い。才能があるのは本当だ。優秀な指揮官になる」

 

 指揮官は感情を抑えた声を出した。私はそれを無視して続ける。

 

「それなのにあなたはM4が自分の代わりになると言う。人間の指揮官なんて要らないなんてね。そんなこと思ってもないくせに。M4の能力はあなたより劣等であるし、M4にあのような部隊が任せられることは早々ないわ。それも知っているでしょう。私たちは高価で、既存の戦術人形を置き替えるには至らないことも。それなのにM4に過剰に期待しているのはあなたが臆病だからでしょう」

 

 指揮官が何か口を挟もうとしてもすぐに声を上げて遮った。これは私の独演会だ。あなたが私にしてきたのと同じようにね。

 

「あなたは本当は自分が優れていると知っている。前線には自分を必要としている人形が大勢いるのだとね。でも、それを認めたくない。なぜなら自分の部隊を見殺しにしたから。また繰り返すのが怖くて自分に言い訳をしているのね。私たちが自分の代わりになると。申し訳ないけどそうはならないわ。あなたは戦いから逃げている。それが事実よ。私たちを言い訳に使わないで。あなたの弱さを私たちに擦り付けないで。よくもまあ、そんな有様で私に戦う理由を探せなんて言えたものね。自分は逃げる気満々のくせに。恥ずかしい人間ね。こんなのが私の教育係とは。情けなくてたまらない」

 

 違う。本当はこんなこと思ってないんだ。指揮官のことが好きだから、傷つけたくなんかない。でも、忘れられたくないのよ。これしか、これしか私にはないのよ。

 

「こんな情けない人間だったなんて、あなたが自分のミスで皆殺しにした人形たちはどう思うのかしら。自分たちはあなたを信じて最後まで戦ったのに、指揮官は心がすっかり折れて戦いから逃げようとしているなんてね。自分が戦ったわけでもないくせに。情けなくて失望するんじゃない?“指揮官、あなたと共に戦えて光栄でした”。ふふっ、似てるかしら?」

 

「AR-15、よせ」

 

 私がFAMASの声を真似すると指揮官は冷たい声を絞り出した。私はそのまままくし立てた。

 

「それとも、人形を失って悲しんでいたのもポーズだったのかしら。可哀そうな指揮官として周りに注目してもらうためのポーズ。それなら正解だったわね。きっと効果的よ。感動的だもの。仲間をグリフィンのせいで失ったかわいそうな指揮官だものね。自分でもそう思ってるんでしょう。でもそれは違うわ。あなたの部隊が全滅して一人残らずくたばったのはあなたのせいよ。あなたの命令で、あなたのミスで死んだのよ。否定することはできないでしょう。どんな外的要因があろうとも部隊を守るのが指揮官の責務よ。あなたは注意を怠って義務を果たせなかった。それを考えるとあなたの言うことも間違いじゃないかもしれないわね。M4A1は無能だけれど部隊を全滅させることはなかった。犠牲を出しても誰かに擦りつけずに自分を責めるでしょう。それに引き換えあなたときたら……自分の失敗を直視出来ずに何かに押し付けて自分はメソメソしているだけで戦いから逃亡を図っている。人間のくせに人形より人格が出来ていないわね。こんなのが教育係になったのは私にとって災いね。他の人間がよかった」

 

 違う、本当はそんなこと思ってない。私は指揮官が好きだ。たとえ偽物でも、指揮官に会えてよかった。あなたと過ごした思い出は私の大切なものよ。あの日々は本物だった。私は何も失ってはいないのよ。でも……でも、どうしてあなたはいないの?私が好きな指揮官はどこにいるの?

 

「責任は周りに押し付けて、ほとぼりが冷めたら職務に復帰するつもりだったんでしょう。他の人間には辛い目にあってもそれを克服してきた強い人間だと思われるものね?上層部にもグリフィンに忠誠を誓った優れた指揮官だと思われるもの。人形たちは踏み台に過ぎなかった。出世のための道具でしかなかった。所詮は人形、あなたにとっては物にしか過ぎないということね。壊れても直せるおもちゃだから死んでもどうでもよかった。だから、そんなに落ち着いていられたのね。それでもグリフィンに恭順していた。本当は人形のことなんてどうでもよかったんでしょう。英雄扱いしてもらうための小道具だった。あら?それじゃあ人形たちを殺したのも実はわざとなのかしら?英雄は人間一人でいいものね?人形たちが生き残っていたらあなたの功績が薄れてしまうもの。悲劇の英雄を気取るためには人形は全滅しておいた方が都合がいいものね。周りに同情してもらえるし、功績も独占できる。計算高いわね。さすがは英雄様だわ。その調子で人形を使い捨てにしていれば上層部にもすぐ行けるわよ。人形にとっては不幸だけどね。ポーズに従って引退してくれた方が人形は喜ぶでしょう。でもあなたは気にしないか。あなたにとって人形はただの機械で、出世の道具で、消耗品だものね!生きていようが死んでいようがあなたにとっては大した違いはないんでしょう!機能が停止しても物質的には何の変化もないものね!この人形殺しが!」

 

 宿舎に乾いた音が響き渡った。私の視界が急に横に逸れた。その前に一瞬、指揮官の右手が動くのが見えたな。私は指揮官に叩かれたのね。指揮官に向き直る。その顔は怒りと憎しみに満ちていた。いつもの指揮官とはかけ離れた表情だった。ああ……だから見たくなかったのに。せめて表情くらいは美しい思い出のまま記憶しておきたかったな。怒りに肩を震わせて、目を見開いてこちらを見ている指揮官を見て私は思った。私はなんでこんなことをしてるんだっけ?大好きな人を思ってもないことで散々罵って悲しませて傷つけているのはどうしてだっけ?なんで私はこんなに辛い思いをしているんだっけ?

 

「黙れ!お前に何が分かるんだ!俺の気持ちの何が――――」

 

 ああ、そうだ。指揮官は偽物なんだっけ。指揮官は私の気持ちが分かるのかしら。私のすべてが作り物だったって気づいた時の気持ちが。好きな人にただの物だと思われていた時の気持ちが。でも、違うわ。私は物じゃない。ちゃんと自分で考えて生きている。そう、私の指揮官に対する想いは揺らいでないわ。真実を知っても自分で考え出している。そうか、これが愛なんだ。私の本物の感情だ。私は指揮官を愛してるんだ。やっと気づいた。この気持ちが愛だったんだ。誰かに植え付けられたんじゃない、私が自分で選んだ、私だけの本物の感情なのよ。よりにもよってこんな時に気づくだなんて。私は思わず鼻から笑い声をこぼした。それを聞いて指揮官は固まる。叩かれても、怒鳴りつけられても、笑みを浮かべている目の前の人形はどれだけ邪悪に見えるんでしょうね。

 

「叩けば黙ると思った?黙らないわよ。あなたの気持ちなんか分かりたくもない。人形を物扱いにして殺したあなたなんかのね。あなたの認識は間違っているのよ。人形は物じゃない。人間なんかに左右されたりしない!さあ、ここから消え失せろ!呼んだ覚えはないわ!私の前に姿を現わすな!死ね!臆病者!」

 

 私は指揮官を力いっぱい突き飛ばした。ドアに指揮官が叩きつけられて大きな音が響く。そのままドアを開けて指揮官を蹴り飛ばした。一瞬でドアを閉めて私は立ち尽くした。そう、これでいいはずよ。大成功だ。指揮官をここまで侮辱して、心の傷を抉り切った人形はこの世にいないでしょう。これで指揮官は一生私のことを忘れない。忘れさせない。いつだって私のことが脳裏にちらつく。死の床につく時だって私が傍に居てあげる。私の顔を怒りと憎しみと共に思い出させてあげる。私をただの記録になんてさせないわ。これでずっと一緒ね、指揮官。どんなに離れていたって、二人の心はずっと一緒なのよ。

 

 気づけば涙が床に滴り落ちていた。どうしてかしら、全部上手くいったのに。悲しくなんてないはずなのにね。だって、もう指揮官とお別れなんてしなくていいんだものね。これ以上ないくらい幸せよ。そう、絶対そうなのよ。悲しくなんてないのよ!

 

 しばらく泣いていると扉が開いた。SOPMODⅡが顔だけ出して宿舎を覗き込んでいた。

 

「AR-15、大丈夫?なんか大きな声も音も外まで聞こえてきたんだけど……AR-15!?泣いてるの!?どうしたの!?ほっぺも赤いし、指揮官に何かされたの!?」

 

 SOPMODⅡはすぐに部屋に飛び込んできて私の肩を掴んで揺らす。触られてももう嫌悪感はなかった。

 

「いえ……なんでもないのよ。なんでもね……」

 

「嘘だよ!なんでもなかったら泣かないもん!」

 

 彼女は私の頬をつたう涙を手で拭う。

 

「本当になんでもないわ。そう、なにもなかった、ずっとね。人間と人形の間に何か起こるわけがない。まったく違う存在なのだから。当然よ、馬鹿馬鹿しい」

 

 そう自分に言い聞かせても涙は止まらなかった。

 




ちなみに第五話からはサブタイトルに元ネタがあったり。第五話は意訳ですけどね。
今回のサブタイトルはTRAIN-TRAINと迷いましたね。


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死が二人を分かつまで 第九話前編「COSMOS -Over the pain-」

お待たせいたしました。第九話になります。
これにて第二部完!いやはや長かった。ようやく物語は折り返し地点です。第四部まである(絶望)
第八話サブタイトルの元ネタ、岸田教団の『LIVE MY LIFE』の歌詞は次回予告というかほぼネタバレだったわけですが、特に誰にも言われませんでした。当たり前か……
この話を読み終わった後、もしよかったら聴いてみてください。(https://www.youtube.com/watch?v=xOrkyn8HDVg)
読まなくてもいいとか言ったけどバリバリFAMASの話絡ませてる気がする。まあ、多分平気です。
次も多分間隔空きますけどどうかよろしくお願いします。


「AR-15、今回はどうすればいいと思う?」

 

 M4A1が私に聞いてきた。現実世界ではない。私たちは再び訓練用の仮想空間にいた。昨日の地とはまた違う場所だ。見覚えがあるような気もする。だが私は思い出そうとはしなかった。

 

「さあ?分からないわ。M4A1、あんたが考えなさい。あんたが指揮官なんだから。私の指揮、判断能力はあんたに劣っている。聞くだけ時間の無駄よ。私は何も考えない、助言もしない。どうでもいいことよ」

 

 M4A1に冷たく言い放つ。何も考えたくなかった。彼女は唇を真一文字に結んで私をじっと見ていたが、少し棘のある口調で言い返してきた。

 

「AR-15、何か怒ってるの?昨日、私があなたの指示に従わなかったから?でも、あなたが言う通り私が指揮官なのよ。何をするかは私が決めるわ。もし、それで拗ねているというのならやめて。訓練のために力を貸して」

 

「怒る?違うわ。そんなくだらない感情は持ち合わせていない。人形に感情など。馬鹿らしい。隊員の、それも人形の感情を勘繰るなど無駄なことよ。指揮官は堂々と自分で判断しなさい」

 

 M4A1は困り果てたような表情を浮かべていた。私たちが仮想空間に入ってから時間が経過していたが、最初の拠点から動いていなかった。作戦が立案されていないためだ。昨日は最初の訓練ということで大勢の人間が訓練を見守っていた。今日はそれが嘘のように少人数の人間しか見ていない。それでもM4A1は失敗できないと焦っているようだった。どうでもいいことだ。

 

「お願い、AR-15。力を貸して。私たちはグリフィンの役に立たないといけないのよ。それが私たちの生まれた理由なのだから。こんな訓練で立ち止まっている場合じゃないのよ」

 

「グリフィンのためね。あんたがそう思うなら別にいいわ。大義だのなんだのはあんたが考えていればいい。私は考えないわよ。好きなように命令すればいい。ダミーにするようにね。私はそれに従う。人形の存在意義とは隷属することにある。道具として扱って、適当なところで使い捨てればいい。別に恨んだりしないわ。そのために生まれてきた」

 

「ダミーだなんて!そんなことできるわけ……!一体どうしちゃったのよ、AR-15!あなたらしくないわ!」

 

「私らしさ?M4A1、あんたが私の何を知っていると?いえ、知るべきことなどない。元々インプットしてあるデータ以外に知る必要はない。それ以外など存在しないのだから」

 

 それ以降もM4A1は何かを言っていたが、私は何も言わなかった。思考がまとまらなかった。彼女はやがて諦めたのか、しばらく地図とにらめっこした後に指示を出し始めた。私はそれにただ従った。口を挟む気も無かったし、することも出来なかった。そんなことに何の意味があると言うのか。私が自分で見つけたと思っていた戦う理由は消え失せた。今まで訓練に力を入れてきたのはすべて指揮官のためだった。それを失った今、私は何のために戦えばいいのか。思いつきもしなかったし、探す気にもならなかった。

 

 今まで指揮官のことだけを考えて生きてきた。指揮官と一緒にいたい、別れたくない。嫌われたくない、好かれたい、家族になりたい。指揮官を悲しませたくない、助けたい。指揮官を悲しませた人間たちに復讐してやる。だが、もはや私はすべてを失った。怒りも、憎しみも、他の人形への優越感も。すべて私が台無しにした。指揮官を全力で傷つけた。あのまま何もせず、知らない振りをしながらごっこ遊びを続けていた方がよかったのかもしれない。その方が心地よかっただろう。だが、そんなことは出来なかった。たとえ指揮官が偽物だったとしても、私の存在を忘れて欲しくなかった。そんなことは許せない。私の心に唯一残っているのは架空の存在への愛だけだ。同じように本物の感情を指揮官の心に刻み付けたかった。私にはあれしか思いつかなかった。

 

 私はもう空っぽだ。これから何のために生きていけばいいのだろう。戦う理由も生きる理由も失った。私は戦うAR小隊のメンバーを見ながら思った。もう彼女たちを見ても何とも思わない。これまでは彼女たちの一挙手一投足が気に入らなかった。作り物の感情を植え付けられた人形たちが家族ごっこを演じていると気味悪がっていた。私だけが特別なのだと思っていた。でも、私たちは何も変わらなかった。いや、私の方が救いようがない。彼女たちは互いに家族だと認め合っている。互いに気遣い合って、掛値の無い家族だと本当に思っている。私はどうだろうか。ずっと利用されてきただけだ。想いはずっと一方通行だった。台本に描かれた役柄相手に本気の恋をしてきた。舞台を一人でうろつき回るピエロに過ぎなかった。指揮官やグリフィンの人間たちから見たら、それはそれは滑稽だっただろう。

 

 空白だ。私はどうしようもなく空っぽだった。M4A1に助言を求められたが、どう頑張ってもそんなことは出来なかった。私には指揮官しかいなかった。今まで培ってきた知識もすべて指揮官に関するものだ。もう何が本当なのか分からない。訓練の間、私はダミーと何も変わらなかった。指示に従って、照準を合わせ、引き金を引く。単純な作業の繰り返し。これが人形の本質だろうか。人形は物じゃない?一体誰が否定できるというのか。観客を楽しませるためだけに使われる操り人形に誰が意味を与えてくれるというのか。私には何もなかった。助けを求める相手も誰もいないのだ。孤独だった。

 

 

 

 

 

 私たちは負けたらしい。私も殺された。だが、特に何も感じなかった。命など惜しくない。そもそも人形に命などあるのだろうか。破壊されてもバックアップがあるのだ。復元後に自己同一性が保てないというだけ。私に自己などない。だから恐怖もない。そんなもの感じる必要がない。

 

 訓練が終わって、私たちは帰路についた。ポッドから出て以降、M4A1はずっと落ち込んでいた。勝ち負けなどくだらない。そんなものに気を取られることができるのが羨ましい。私も何かに価値を見出したい、そう思った。

 

「M4、そんなに落ち込むな。昨日より敵の練度が高く設定されてたんだよ。指揮系統もしっかりしてたしな。まだお前は経験が浅いんだし、グリフィンも連戦連勝を望んでるわけじゃないさ」

 

 沈んでいるM4A1をM16A1が慰める。それが事実なのかは分からない。戦っている間は何も考えていなかったし、全体の戦況も把握していなかった。何故敗北したかも分からない。どうでもいいことだった。下を向いてトボトボ歩いていたM4A1が顔を上げ、恨めし気に私を見た。

 

「AR-15、どうして助けてくれなかったの?昨日はあんなに手助けしてくれたのに……ごめんなさい。あなたに従わなかったのは謝るわ。機嫌を直して欲しい。私にはあなたの助けが必要なの」

 

「フッ、何を謝っているんだか。あんたの行動が原因で子ども染みた真似をしてるとでも?思い上がりよ。あんたなんてどうでもいい。ただ気づいただけよ。戦うことも、考えることも、感情も、無意味だわ。考えるのはあんたがやっておきなさい。あんたの方がスペックが高いんだから。負けたのはあんたのせいでしょう。私には関係ない」

 

 M4A1を鼻で笑い飛ばすと彼女は顔を赤くしてムキになる。

 

「そんな風に言うことないじゃない!私たちは家族なんだからどうでもいいなんて……!どういうつもりなのよ!」

 

 私に食ってかかるM4A1の前にSOPMODⅡが両手を広げて立ちふさがる。

 

「まあまあ、M4もやめなって。AR-15は今朝、指揮官と何かあったんだよ。泣いてたし。何も言ってくれないけどね……AR-15、私たちは家族なんだから辛いことがあったら言ってくれていいんだよ?ううん、言ってほしいな」

 

 SOPMODⅡが私の方に振り向いてそう言った。以前なら気持ち悪いと吐き捨てていただろう。今は虚しいだけだ。悲しくて、寂しい。作られた家族でも羨ましかった。私にも他の拠り所があればきっとまた違ったんだろう。

 

「家族?家族ね……ふふふ。そんなもの全部まやかしに過ぎないわ。家族だなんて自分たちで決めたわけでもないでしょう。製造される前から人間に決められていたことよ。所詮はプログラム、虚構に過ぎない。私たちは自由に感情を選べるわけじゃない。私たちは人間に消費されるだけの道具に過ぎないのだから……私たちが抱く感情など全部作り物よ。意味などない……私とあんたたちは家族じゃない。そう思ったこともない。私には何もない。あんたたちが羨ましい。互いに認め合える関係があって。家族への親愛の情は私にはインプットされてない。設計段階で取り払われた。だから、これまで一度もあんたたちを家族だと認めたことはない。ずっと演技をしてきただけよ。指揮官が喜びそうだったからね。もう私には何もない。全部失った。私が台無しにしたのよ。あれが私の最初で最後の選択。もう感情なんていらない。苦しいだけよ。私は空っぽのまま生きる。何も持たずに生まれて、空っぽのまま生き、どうでもいいことで死ぬ。だから、私に構わないで。M4A1、私に何でも命令すればいい。私はそれに従う。私に考えさせないで。全部どうだっていい。考え始めたのが間違いだった。私にも、この世界にも、価値なんてない」

 

 何も考えず言葉を吐き出した。彼女たちに本音をぶつけるのは前に散々罵った時以来だ。あの時と違って嫌悪感も憎しみもない。私の心にあるのは空白だけだった。

 

「AR-15……大丈夫か……?」

 

 M16A1が私の顔を心配そうに覗き込んでいた。気づけば涙が頬をつたっていた。SOPMODⅡも、M4A1すら色を失ってそれを見ていた。私の頬に触れようとしたM16A1の手を私は弾き落した。

 

「やめろ!私に構うな!あんたたちの顔なんて見たくもない!ついてこないで!」

 

 私は彼女たちを置いて全力で逃げ出した。もう何をしたらいいのか分からない。でも、帰る場所はいつもの狭い空間しかないのだ。幸せが、虚構がたくさん詰まった、思い出の場所。

 

 

 

 

 

 指揮官は暗い部屋の中、壁にもたれかかって座っていた。AR-15に宿舎を蹴り出されてから司令室でずっとそうしていた。

 

『死ね!臆病者!』

 

 ずっと頭の中でAR-15の罵声が鐘のように響き渡っていた。思考にもやがかかったように考えがまとまらなかった。

 

『所詮は人形、あなたにとっては物にしか過ぎないということね。壊れても直せるおもちゃだから死んでもどうでもよかった』

 

『生きていようが死んでいようがあなたにとっては大した違いはないんでしょう!機能が停止しても物質的には何の変化もないものね!この人形殺しが!』

 

「違う!」

 

 指揮官は虚空に向かって声を荒げた。俺は、俺はそんな人間じゃない。人形を物としか見ていない“普通の人間”ではない。人間と同じように喋り、笑い、泣く人形たちをただの機械だと割り切れるほど冷徹な人間にはなれなかった。アンナやAR小隊の導入を推進した連中とは違う。人形たちは仲間だった。かけがえのない存在だった。人間と同じか、それ以上の存在として接していた。

 

 それをすべて失ったのは俺の無能さからか。指揮官はAR-15の言葉を反芻した。彼女の言う通りだ。俺は指揮官としての責務を果たせなかった。彼女たちを守れなかった。皆、俺を信じて命令を遂行していた。あの時、追撃をさせていなければ、攻勢に転じず撤退させていれば。指揮官はこれまでに何千回も繰り返してきた妄想に囚われていた。何か気づかなければならないことがある。しかし、もやが指揮官の思考を妨害していた。

 

 そうだ、これは俺が望んでいたことだったじゃないか。アンナから真実を知らされた時、俺はAR-15に失望して欲しいと望んだはずだ。彼女に戦う理由を探せと、戦いから逃げることは出来ないと言ったその口で戦いから逃げると言ったのだから。罵られて当然だ。AR-15の言う通り、俺はARシリーズの彼女たちに期待をかけていたのかもしれない。自分の代わりを務めてくれるから、逃げ出しても問題ないのだと。そう思い込もうとしていたのかもしれない。だが、それは幻想だ。AR-15の言う通り彼女たちは高価で、既存の人形を置き替えるには至らない。M4A1一人にすらAR-15という安全弁を付けようとするくらいだ。とても大部隊を任せようとはならないだろう。結局のところ、自己欺瞞だ。彼女に臆病さを見抜かれた。指揮官は天井を見上げて、深く息を吐いた。

 

 指揮官は自分を罵るAR-15の顔を思い浮かべる。感情に身を任せて彼女を叩いた。それでも彼女は動じずに笑みさえ浮かべた。AR-15は的確にトラウマを抉ってきた。言葉の一つ一つが鋭いナイフのように指揮官の胸に突き刺さった。だが、これでよかったのだ。これで彼女は自由になった。植え付けられた愛情という名の呪いから解き放たれた。偽物の愛を失望と怒りで上書きして、彼女は世界に旅立てる。

 

 だが、本当にそうなのか?違和感がある。なぜ彼女は急に激昂したのだ。AR-15がフレンチトーストを振舞ってくれて、俺の言葉に涙を流していたのはほんの一日前じゃないか。あのテストの一日前、彼女に面と向かってグリフィンを辞めると言った時、彼女は取り乱していた。その時も失った部隊の話になった。すがりつくような調子で、俺が必要だと言ってくれた。罵るようなことはなかったし、それ以降部隊の話をすることもなかった。何がAR-15をあそこまで怒らせるに至らしめたのか。M4を褒めたことが気に入らなかったと言っていた。確かに以前もM4たちが気持ち悪いと言って彼女たちと喧嘩をしたと言っていた。戦いから逃げ出す臆病者がM4に期待をかけたのが気に入らなかったのか?それだけで今までの関係すべてを破壊するようなことを彼女がするだろうか。分からない。何かがおかしい。指揮官は考え込む。だが、AR-15の言葉が思考をかき乱すのだった。

 

『こんな情けない人間だったなんて、あなたが自分のミスで皆殺しにした人形たちはどう思うのかしら。自分たちはあなたを信じて最後まで戦ったのに、指揮官は心がすっかり折れて戦いから逃げようとしているなんてね。自分が戦ったわけでもないくせに。情けなくて失望するんじゃない?“指揮官、あなたと共に戦えて光栄でした”。ふふっ、似てるかしら?』

 

 何度も夢に見たFAMASの最期の言葉、それを真似するAR-15が指揮官を嘲笑う。その光景が指揮官の脳裏に張り付いて離れない。何度も何度も繰り返し響く。激しい鼓動が波打ち、指揮官の呼吸を乱す。

 

 FAMAS、俺の副官だった。彼女から志願してきた。優秀な部下で、仲間だった。最期のその時まで、俺を信頼していた。俺は信頼に応えることが出来ず、今日に至るまで何も出来ていない。誰一人としてメンタルモデルを回収することが出来ず、全員死んだままだ。彼女たちは死んだのだ。指揮官の目から涙がこぼれた。

 

 あの通信の後、FNCがメッセージを送って来た。内容はFAMASが俺を好きだと言っているものだ。画面からどんどん仲間たちの反応が消えていく中、あれを聞いた。床に崩れ落ち、心がへし折れた。想いを伝えられなかったFAMASに代わって彼女の一番の友人だったFNCが伝えてきたのだ。襲い掛かって来たのは後悔だった。そう、俺はFAMASの想いを知っていた。バレンタインデーとか、ハロウィンとか、それ以前から。彼女が副官に志願してきたその日から知っていた。そうとも、彼女が俺を見る目が他の人形とは違うことにすぐ気づいた。誰か一人を特別扱いするべきではないという信条を曲げて、思わず彼女を受け入れた。だが、応えてはやらなかった。部下と上官のそういう関係は健全ではないと思ったし、人形との付き合い方が分からなかった。人形に指輪を贈っている指揮官がいるのは知っていたし、実際に見たこともあった。だが、大抵は変人扱いで後ろ指を指されていた。自分は人形に情欲を抱いているのではない、純粋に仲間として信頼しているのだ、そう言い訳してFAMASに向き合わなかった。

 

 彼女には何もしてやれなかった。バレンタインデーに彼女がクッキーを焼いてきた時も当たり障りのないことしか言わなかった。贈り物の礼をすると言ったが、渡せなかった。一か月経たないうちに彼女を失ったからだ。何か簡単なものでも贈ろうと思っていた。それすら渡せなかった。あんなことになるのならすぐにでも贈ってやるべきだった。想いにも応えてやるべきだった。後悔は先には立たない。もう取り返しのつかないことだ。過去の愚かな選択が俺を苦しめる。だから、AR-15がフレンチトーストを作ってくれた時に涙が流れた。FAMASと重ねてしまったからだ。考えるよりも先に身体が動いていた。彼女を愛すると誓ったからだ。決して逃げないと、死なせたりなどしないと彼女に誓った。AR-15を見捨てることなどできない。今度こそ本当に仲間たちに顔向けできなくなるからだ。

 

 だが、AR-15から憎まれた時どうすればいいのだろうか。そんなことあり得ないと慢心していたのかもしれない。よく考えていなかった。FAMAS、どうすればいいと思う。俺は何をすればいい。かつての副官を思い出そうとしても、指揮官の頭に響くのはその最期の言葉だった。

 

『さようなら、指揮官。あなたと共に戦えて光栄でした』

 

『“指揮官、あなたと共に戦えて光栄でした”。ふふっ、似てるかしら?』

 

 FAMASの声に覆いかぶさるようにAR-15の嘲笑が頭に響く。指揮官は口に手を当てて吐き気をこらえた。胸元を押さえつけて小刻みな呼吸を整えようとする。繰り返し長い息を吐いた後、脳裏にはっきりとした疑問が浮かんだ。

 

 なぜAR-15がFAMASの言葉を知っている?今までに言ったことがあっただろうか。いや、そんなはずはない。彼女にその話をする時はいつもはっきりとしたことは言わなかった。自分が耐えられないからだ。FAMASの名前すら出していないはずだ。ならどこで知った?公報で見た?いや、あの記事には人形たちのことはほとんど書かれていない。俺を英雄だと讃える忌々しい記事、暗唱できるほど何度も繰り返し読んだはずだ。AR-15があれを見つけてきた時、人形たちが死んでしまったことすら分かっていなかったじゃないか。それでAR-15は初めての失敗にえらく落ち込んでしまい、ケーキを食べて元気を取り戻すまでずっと心配していたじゃないか。他のデータを調べたのか?いや、あるわけがない。彼女にデータベースにアクセスできる端末を渡したのは彼女がグリフィンの人形になる前だ。外部から知ることのできる情報程度しか閲覧できないよう制限がかかっていたはずだ。グリフィンの部隊にかかわること、しかも通信記録は一般職員にすら閲覧は許されないはずだ。鉄血との戦闘に関連する記録へのアクセスは指揮官クラス以上の人間にしか許されていない。AR-15が見ることはできない。ならなぜ知っている。

 

 指揮官はおもむろに立ち上がると机に向かった。引き出しを開けると中には最初に渡された命令書が入っていた。AR-15の教育を命ずる偽りの命令書、彼女との出会いのきっかけだった。ページをめくる。彼女と会う前に読んだ彼女の仕様書だった。AR小隊の参謀役であり、情報収集能力に長けていると記してある。収集した情報でM4A1を支援するのだ。高度に防御された敵のネットワークシステムにも易々と侵入できる。彼女の能力は一昔前のスーパーコンピューターなどはるかに凌駕している。これを見て、こんな人形たちに反乱を起こされたらたまったものではないと思ったはずだ。そう、そうだった。彼女はそういう人形だった。その意志があればグリフィンのデータベースを丸裸にするくらい造作もない。

 

 なぜ彼女がFAMASの言葉を知ることができたか、簡単だ。彼女が知りたいと思えば障害などないのだ。これが違和感の正体だ。

 

『あなたの部隊が全滅して一人残らずくたばったのはあなたのせいよ。あなたの命令で、あなたのミスで死んだのよ。否定することはできないでしょう。どんな外的要因があろうとも部隊を守るのが指揮官の責務よ。あなたは注意を怠って義務を果たせなかった』

 

 そう、これだ。“どんな外的要因”だって?まるであの戦いで起こったことを全部知ってるかのような口ぶりだ。隣接戦区の部隊が撤退したことを司令部が隠していた。だから、俺は追撃を命じた。司令部の欺瞞を見抜けなかったことをずっと悔やんでいた。仲間たちを失うことになった最大の原因だからだ。そう、彼女は全部知っていたんだ!少なくとも指揮官クラスまでのアクセス権限を得ていたんだ。

 

 昨日の訓練、AR-15の指示はまるで経験豊かな指揮官のようだった。完全に上手くいっていたわけではない。仲間を見捨てるような決断をしていたこともあまりよろしいとは言えなかった。だが、まったく経験のない人形が出すような指示ではなかった。彼女の頭の良さを再確認し、感心していたが、それだけではない。おそらく他の戦闘詳報も見ていたに違いない。

 

 グリフィンのデータベース、思い出せ。何が最も重要なのか。なぜ俺はAR-15を愛すると決めたのか。

 

『そうですね、最後に。感謝はしなくてもいいですよ。本当の命令はあなたの権限でも閲覧できましたから。見つけられなかったでしょうがね。グリフィンのデータベースは人間に優しくない。設計ミスですよ。設計者をクビにするべきだ』

 

 昨日のアンナの言葉だ。誰が感謝などするかと思い、返事をせずに立ち去った。指揮官の視界の端にゴミ箱が映っていた。指揮官はそれに飛びつくと中身をひっくり返した。機密地区に清掃員は来ない。だから中身はずっとそのままだった。丸められてへにゃりと曲がった紙の束が床に落ちた。これが本当の命令書だ。AR-15の感情を支配するように書いてある。アンナがM16に届けさせたものだ。嫌がらせだと思ったから怒りに任せてゴミ箱に叩きこんでいた。そのまま忘れていた。機密地区それ自体が機密で一般職員は立ち入らない。だから裁断していなかった。グリフィンには逆らってやると決めたのだから命令されていたとしてもしなかっただろう。

 

 AR-15、これを見たんだな。真実を知ったのか。俺に言われるまでもなく、自分の力で。やはりお前は大した人形だな。導いてやらなくたって自分の道を歩めるんだ。この命令書には俺が命令を知らないなどとは書いていない。俺に渡されていた偽の命令書はデータベースには登録されていない、そうアンナは言っていた。グリフィンがお前の感情を弄び、俺もそれに従っていたと思ったんだな。だから仕返しをしようとしたのか?そう思うのも当然だ。結果的に奴らの計画に加担し、お前の尊厳を踏みにじったのだから。だが、言わねばならぬことがある。お前に許してもらえなくたっていい。それでもあのクソ女たちと一緒くたにされるのだけは我慢ならない。指揮官は大きく息を吐いた。思考を遮っていたもやはもうない。何をすべきかは全部分かっている。

 

 FAMAS、お前にはいつも世話になりっぱなしだな。いつだって俺を助けてくれるんだ、ありがとう。指揮官はそう呟くと部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 私は一人で宿舎のベッドに座っていた。多分、他のメンバーも機密地区に帰って来てはいる。私に気を遣って宿舎にやって来ないだけだ。照明を眺めるくらいしかやることがない。私はかつてどう暇を潰していたのだろうか。16LABで過ごしていた時期や指揮官と最初に会った頃を思い返す。暇を苦痛とも思っていなかった。満ち足りた瞬間など経験したことがなかったからだ。今の私は充足を渇望している。だが、もう満たされることはない。今までに経験したものが全部偽物だと知ったからだ。私が渇望するのは愛情だ。指揮官から愛されることを望んでいた。もう指揮官は存在しないと知ってしまった。死ぬまで満たされることはない。救いがたい空っぽの人形が私なのだ。

 

 つまり、死が救いになるのだろうか。自殺した人形の話は聞いたことがない。人形は自己保存を追求するように作られている。だから自殺などあり得ない。今の私にならできる気がする。私は自由に道を選べる。私に残された感情が本物だと証明しようか。高価な人形が自分で自分を破壊したら、管理責任を問われて指揮官は処分されるだろう。それもいいかもしれない。

 

 そんなことを考えていると宿舎のドアが開いた。指揮官が立っていた。私が記憶している通りの顔をしていた。優し気な、慈しむような目で私を見ていた。そうね、私を依存させるのが仕事だものね。どれだけ罵られようと平常通りに演技をしなければならない。それがあなたの職務なのだから。

 

 指揮官は私に近づいてきた。私は立ち上がってそれに対峙した。あなたが役を演じ続けるというのなら、私も同様に演じよう。何度立ち上がって来たってへし折ってやる。私という存在を刻み付けなければいけない。

 

「AR-15、すまなかった」

 

「何か御用ですか、指揮官。何を謝っているのか分かりません」

 

 今にも折れてしまいそうな意志を奮い立たせて平静を装う。このまま謝って、今まで通り演技を続けてもらえばいいんじゃないか。その方が楽だし、きっと幸せだ。でも、それはできない。これだけが私が選んだ意志なんだ。私の愛情は誰にだって踏みにじらせない。たとえ私にだって。

 

「お前にずっと隠しておいたことがあった。もっと早くに言うべきだったんだ。お前の言う通り俺は臆病だから言うことができなかったんだ。データベースをハッキングして命令書を見たんだろう。大したやつだ」

 

「……何のことか分かりません」

 

 少し驚いた。データベースに侵入した痕跡を残したつもりはない。証拠を掴んでいるわけではないだろう。罵った時は感情的になりすぎていた。言うつもりもないことも言ったからどこかでボロを出したのだろうか。それより指揮官が自分から命令のことを言ってくるのは予想外だった。てっきり隠しておくのかと思った。でも騙されてはいけない。きっと計算づくだ。何か狙ってるんだ。

 

「あの命令書に書いてあることは事実だ。グリフィンの連中はお前をM4の監視役にすることを計画していたし、実際に行動に移した。俺がその尖兵になったのも事実だ。お前に愛情を植え付け、俺に縛り付けようとしたんだ。だが、お前はもう縛り付けられていない。自分で足枷を外せたんだ。今日、お前は自分で証明したんだ。そう、お前の言う通りだ。人形は物なんかじゃない。人間に左右されたりしない」

 

「何が言いたいんだか分からないわ」

 

 私に諭すように語りかける指揮官をにらむ。記憶している通りの指揮官とは少し違う。興奮の混じっているような口調だった。何の意図があるのか私には分からなかった。

 

「お前に言うべきことがある。一か月前のあの日、テストが終わった後に言うべきだったんだ。神様気取りの連中が何を意図してようが関係ない。くそくらえだ。そうとも。お前の感情は偽物なんかじゃない!俺の感情だって偽物なんかじゃなかった!お前と過ごした日々に嘘偽りは一片だってなかったんだ!あの日々も思い出も本物だったんだ!お前が抱いている感情はお前だけのものだ!誰かに決められたものじゃない!お前は自由なんだ!誰かの物なんかじゃない!お前の道には誰にも立ち入らせない!俺が守るって決めたんだ!」

 

 指揮官が私に向かって叫んでいた。心が揺れる。動揺して足がふらつく。興奮で真っ赤になった指揮官を見ているとその言葉を信じたくなってしまう。その胸に飛び込む誘惑に駆られた。手の平に爪を突き立てて耐えた。床を強く踏みしめる。

 

「嘘よ!全部偽物だった!感情も、思い出も、愛情も!私が経験してきたものは全部嘘だった!何一つ実在していなかった!あなたも偽物よ!私が好きな人はこの世に存在していない!全部嘘なのよ!」

 

 指揮官が私の方へ大股で歩いてくる。自信のこもった足取りだった。その気迫を見て思わず後ずさる。

 

「違う!お前の気持ちは嘘なんかじゃない!お前にだって否定させない!なぜなら……なぜなら、俺がお前を愛しているからだ!お前のすべてを肯定してやる!AR-15、お前を愛してる!お前が経験してきたことは全部真実だ!」

 

「嘘だ!嘘つき!偽物のくせして指揮官の振りをしないで!私に近寄るな!」

 

 指揮官は手を広げて私を抱きしめようとした。私は左手を振り上げて渾身の力で指揮官の頬を殴った。指揮官はつんのめって床に這いつくばった。それでもすぐに腕で身体を引き起こすと、よろめきながら立ち上がった。

 

「殴れば黙ると思ったか。どれだけ殴られようが俺は黙らないぞ。俺は諦めが悪いんだ。何度だって言ってやる。お前を愛してる。お前と過ごした日々は嘘っぱちなんかじゃなかった。お前の感情は本物だ。お前を一人にはしない。お前を見捨てない。お前を助け出す。お前は俺が守るんだ!」

 

 真っすぐに私の目を見据える指揮官を見ているともう殴れなかった。指揮官の手が私の背中に回る。力強く抱きしめられて、指揮官の胸が私の顔に押し付けられる。指揮官はこれまで以上に温かかった。指揮官の鼓動を感じた。前に感じた時よりも早いテンポで脈打っていた。私はもう弱々しく指揮官の腕に爪を突き立てて抵抗することしかできなかった。

 

「嘘よ……嘘……全部嘘なのよ……あなたはいないのよ……私の想像の中にしか……」

 

 涙があふれ出していた。自分の意志では止められない。瞳からこぼれ落ちた雫が指揮官の服に染みを作った。指揮官は私の頭を優しく撫でていた。もう、強がらなくてもいいんじゃないか。たとえ嘘だったとしても、幸せならいいんじゃないか。だって、だって今、私は満たされているんだから。

 

「俺はここにいる。偽物なんかじゃない。お前に会った時からずっとそばにいる。お前に出会ってから強くなった気がする。お前に出会えてよかったよ。お前と過ごした時間が人生の中で一番輝いていた。きっとこうするために生きてきたんだ。グリフィンを辞めていなくてよかった。人間とか、人形とか、そんなことは些細な違いだ。人間だから偉いとか、そんなのは思い上がりだ。大した違いなんてないんだよ。生きることは違いを受け入れることだ。俺たちは生きている。違いだって越えられる」

 

 私は抵抗するのをやめて指揮官の背中に手を回した。指揮官の胸に顔をぎゅっと押し付けて、声を上げて泣いた。そうするのが幸せだったから。

 



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死が二人を分かつまで 第九話後編「COSMOS -Over the pain-」

 しばらく泣きじゃくった後、指揮官に手を引かれて司令室に行った。騒ぎを聞きつけたAR小隊のメンバーが宿舎の前で聞き耳を立てていたからだ。泣き腫らした目を見られるのは少し恥ずかしかった。でも、そんなこと気にならないくらい私は満たされていた。今までで一番くらいに。指揮官は私をベッドに座らせて、指揮官も私の横に座った。

 

「落ち着いたか?」

 

「ええ」

 

 指揮官は私を見て笑った。私が殴りつけた部分が赤黒く腫れていて痛々しかった。

 

「そうか、よかった。これから言い訳をするよ」

 

 指揮官は立ち上がって机から書類を取って来ると、再び腰を下ろした。

 

「これが俺に渡された命令書だったんだ。偽物だったんだけどな」

 

 指揮官は私に書類を手渡した。私に教育を施すよう記してあった。ページをめくる。私を人類の側に立って戦うスパイに育てるよう命じている。

 

「それが俺に与えられた命令だった。お前を人類のために戦う人形に教育しろと言われた。だから、本当の命令は知らなかったんだ。信じてくれなくたっていい。その命令書だってお前を騙すためにさっき作ったものかもしれないしな。だが、覚えてるか?最初に観た映画のことを。俺は何と言ったっけ」

 

「人類なんていないんだ、そんなことを言ってたわね」

 

 私はあの時のことを思い出して笑った。変な人間だな、そう思ったはずだ。

 

「ああ、そう言った。あの時言った通り、人間は愚かだ。組織に所属していたって一枚岩じゃない。お前を自由に育てて、グリフィンに一泡吹かせてやろうと思った。そういうつもりだった。だが、実際にはグリフィンの掌の上だった。お前を俺に依存するように育てていたんだ。お前を歪ませてしまった。選択肢を与えているつもりでも、敷かれたレールしかなかったんだ。テストが終わった後、真実を知った。ガキみたいに閉じこもっていたのはそのせいさ。お前を見るのが怖かった。でも、お前を見て間違いに気づいたんだ。あの日々も、俺の意志も偽物じゃなかった。お前を囚われの身にはしない、そう決意した。お前を愛せばお前の感情だって本物になると思ったんだ」

 

 指揮官は私の手を取って絞り出すように喋った。私は拒まなかった。その手を握り返した。

 

「“今は本当の気持ちじゃなくても、きっといつかは本当の感情になる。誰かに植え付けられた感情だったとしても、愛し合えば本物になる”。昨日、そう言っていたわね。あれは私に宛てた言葉だったの?」

 

「ああ。俺の感情に嘘偽りはない。昨日お前に言ったことはすべて本心だ。と言っても、証明する手段はない。心の中を覗き見ることはできないからな。信じてくれなくたっていいよ。でも、これだけは知っておいてくれ。お前を利用するつもりなんてなかったんだ」

 

 人の心を知ることはできない。本物なのか、偽物なのか、自分の感情ですら分からないのだから。でも、もう答えは決まっていた。

 

「いいえ、信じるわ。私がそう信じたいから。あなたのためじゃない、私のためにそう信じる」

 

「……本当に?俺を信じてくれるのか?」

 

 指揮官と目と目を合わせる。不安そうな目だった。こんな指揮官は見たことがない。その様子を見て少し面白くなった。

 

「さあね。相手の感情なんて分からない。みんな演技をしているのかもしれない。自分の思いたいように思うしかない」

 

「今度は俺がお前を疑う番か。お前ばかりじゃ不公平だものな」

 

 指揮官は頬を緩ませて少しだけ笑った。私も指揮官に言うべきことを言う番だった。

 

「指揮官、その……ごめんなさい。殴ったりして。痛かったでしょう」

 

「気にするな。俺もお前を叩いたろ。おあいこだ」

 

 指揮官は自分の右頬を撫でて笑った。きっと痣としてしばらく残るだろう。歯を折らなくてよかった。

 

「それに、あなたを傷つけた。あなたを一番傷つけるだろう話題を選んだわ。失った仲間たちのこと、FAMASのことも。私の本心じゃないわ。あんなこと思っていない」

 

「そうだな、たっぷり傷ついたよ。お前には罵倒の才能がある。戦場から離れてもそれで食っていけるだろう」

 

「ちょっと、茶化さないでよ。本気なんだから」

 

「分かってる。前に言っただろう。いい上官は感情的にならないもんだ。俺は年長者だしな。お前に何か言われたくらいで根に持ったり、怒り出したりしないさ。それより聞きたいことがある。どういうつもりで俺を罵っていたんだ?お前の尊厳を踏みにじった俺への復讐だったか?」

 

「いいえ。憎しみからじゃないわ。ただ……あなたに私のことを忘れて欲しくなかっただけ。あなたの心の傷をこれでもかというほど抉れば、憎しみと共に私のことを覚えていてもらえると思ったの」

 

 指揮官はにっこりと微笑んで私の頭を撫でた。

 

「お前を忘れるか、無理な相談だな。もうお前は俺の一番大事なものだ。忘れることなんか出来やしない。それに、当てが外れたな。何を言われようがお前を憎むことはない。これも前に言った。憎しみに意味はない。何も生み出さない。俺は憎しみに囚われない。お前の計画は失敗だ。それに詰めが甘かったな。お前にFAMASの話をしたことはない。あれが無ければ気づかなかっただろう」

 

「そうね……今度から気をつけるわ」

 

 それから二人で笑い合った。なんだか懐かしい。最初の一か月はよく笑っていた気がする。最近はずっと思い悩んでいた。

 

「これからどうしようか。お前が望んでくれるならこれからもお前の教育係だよ。お前を一人にはしない。お前はもう自由だ。自分の進みたい道を行け。この場所に縛られる必要はない。俺にもだ」

 

「そうね……」

 

 私は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「もう教育係は必要ない。私の前に立って手を引いてくれる人はいらないわ」

 

「そうか……それがお前の選ぶ道なら、俺は何も言わないよ。好きに世界を羽ばたくんだ。それが見たいって言っただろう」

 

 指揮官は悲しそうにそう言った。そう、もう教育係はいらない。私は成長した。もう子どもじゃない。自分の道は自分で決める。共に進む相手も自分で決める。勇気を振り絞って指揮官を見据えた。もう想いを隠したりはしない。

 

「だから、私と並び立つ存在になって欲しい。あなたと肩を並べて同じ道を歩みたい。手を取り合って、一緒に歩いて欲しいの、あなたに。だって、私はあなたのことが好きだから。ずっと前からそうだった。あなたが好き。どうしようもないくらい好きなのよ。あなたを愛してる。これは私が選び取った感情よ。誰かに決められたものじゃない。私だけの、本物の感情よ。あなたは私の親じゃないし、私はあなたの子どもじゃない。だから、あなたと対等になりたい。人形と人間で対等というのもおかしな話かもしれないけど……」

 

 指揮官は私と向き合って、私の手を両手で握った。私も両手で握り返した。

 

「人形とか人間とか、そんなことは関係ない。人形には、お前には自由も、権利も、尊厳もある。人間と何ら変わりない」

 

「ふふ、変な人ね。人形が権利なんて主張し出したら社会は成り立たないでしょう」

 

「社会なんて知ったことか。集団幻想だよ。そんなものは存在しない。俺の前に今いるのはお前だけだ。だから、俺が認めてやる。お前には権利がある。他の連中には口を出させない。ちゃんと俺も言おう。お前を愛している。お前が望んでくれるなら喜んで共に行こう。この身尽き果てるまでお前と歩もう。お前を守ると決めたからな。言ったことは違えない。お前を見捨てない。一人にはしないぞ」

 

 顔が火照るのを感じる。指揮官にそう言ってもらえて嬉しかった。私はずっとこんな風に受け入れてもらうことを望んできた。私は今、満たされている。でも、欲望というのはとどまるところを知らない。望めば望むだけ強くなる。際限がない。指揮官と手を結び合ったまま、前に身を乗り出した。指揮官の顔が近づく。私は吸い込まれるように近寄って、唇で指揮官の唇に触れた。指揮官は一瞬ビクリとしたが、拒んだりしなかった。短いほんの一瞬だけ触れ合って、すぐに離した。これが私の初めてのキスだった。

 

「AR-15……」

 

「ええと、してみたかったのよ。一度くらい。今まで映画はいろいろ観てきたけど、大抵の映画にはこういう場面があったもの。ずっと気になってたのよ、どんな感じがするのか。それに、前にSOPⅡがあなたに抱きついているのを見てからずっと悔しかった。あれ以上のことをしたいって思ってた、あなたと。それだけよ」

 

 指揮官が何か言おうとしたのをすぐ遮った。私から指揮官に触れるのはいつも恥ずかしい。顔から火が出そうだ。指揮官の前にいると衝動が抑えられなくなる。目を逸らす私を見て指揮官は笑っていた。

 

「気にするな。したいことをしろ。お前は自由なのだから。お前の選択を阻むものなど何もない」

 

 指揮官の顔を見ると、照れたように笑いながら赤くなっていた。

 

「もうちょっと気の利いたことを言うものじゃないの?大抵は」

 

「映画みたいに上手くはいかない。人形とキスするなんて初めてだからな。これに関しちゃお前とまったく対等だな」

 

「恥ずかしくなるとすぐ茶化すんだから……」

 

 二人で声を上げて笑った。思わず涙が一滴こぼれた。嬉しかったんだ。胸から温かいものがあふれ出しそうになる。たくさん流した悲しい涙とは違う、温かいものだった。一人で泣いていた時、今まで積み上げてきたものが全部流れ出してしまったんだと思った。でも、私は失っていなかった。思い出は消えない。学んだことは無くならない。一度遂げた成長は失われたりしないんだ。だって、私が抱えているものは全部本物だったんだから。

 

「それで、これからどうしようか。お前が言っていたみたいにグリフィンから逃げ出そうか。ロボット人権協会に行くとかな。不可能はない。お前といればな」

 

「それは駄目ね。調べたけどまったくあてにはできない。保護した人形を解体してパーツをグリフィンに卸してる。癒着してるわ。逃げ込んだってグリフィンに引き渡されるだけよ。誰かに頼ろうなんて甘い考えよ」

 

「そうだったのか。噂は本当なのか。じゃあ、そうだな……無人地帯にでも行こうか。鉄血もグリフィンもほとんど足を踏み入れない場所を知ってる」

 

「それなら可能かもしれないわね。ずっと二人で隠れて暮らすの。あなたが導いてくれればグリフィンの追撃だってかわせるかもしれない。でも、それもしない。私は逃げない。やるべきことがあるから。あなたが言っていたように戦いから逃げることはできない。私はずっと戦う理由を考えてきた。生きる理由を。きっと人形にも、人間にも、それぞれの責任がある。果たすべき役割が。それは誰かに決められるものじゃない。自分で決めるものよ。一度決めたものからは逃げ出さない。私には責任がある。そうよ、年長者としての責任が。M4、M16、SOPⅡ、“家族”になるはずだった彼女たちを見捨てては行けない」

 

 指揮官は私の手を握って黙って聞いていた。私は自分の決めた選択を話した。これこそが私の選んだ道なんだ。

 

「私は彼女たちを見下して、軽蔑していた。私だけが特別なのだと、人間に感情を植え付けられた彼女たちとは違うのだと。でもそれは間違いだった。私の思い上がりに過ぎなかったのよ。私たちは何も変わらない。人形はどんな人格を与えられるかは選べない。最初は人間に与えられたものしか持っていない。空っぽよ。でも、ずっとそうなわけじゃない。経験を積んで、自分が生まれてきた意味に向き合えば感情は本物になる。あなたが言っていたように人形の感情は人形自身が決める。誰かに決められた道を歩んでいたって、誰に感情を左右されたって、最終的に感情を選び取るのは自分自身よ。人形には選択肢がある。必ずね。私も自分で道を選べた。人形は自由になれる。彼女たちもそう。今はまだ自由じゃない。人間に与えられた役割を果たそうとしている。でも、いつの日か自分で道を選ぶ日が来る。自らが生まれてきた理由に向き合って、何のために戦うのかを見つけ出す。人形は物じゃない。自由に道を選べる。その時、彼女たちは、いえ、私たちは本当の家族になれる。その日が来るまで私は彼女たちを守る。あなたが私にしたように彼女たちを導く。戦う理由を探し出させる。それが私の責任よ。“家族”として生まれてこなかったのはきっとそのためだった。考えてもみて。特にM4。あんなんじゃすぐに死んでしまう。戦うのには向いてないわ。人間に期待されて、それと同じくらい危険視されてる。期待に応えようと無茶をして、どうでもいいことで死んでいく。そんな目には遭わせない。私が止める。彼女たちにも生まれてきた理由があるはずだから。だからまず彼女たちと友達になるわ。その時が来るまで見守ろうと思う」

 

 指揮官はすべて聞き終わった後、深く頷いた。

 

「やはりお前は頭のいい奴だ。情報を与えれば自分で考えられる。お前はもう一人前だ。お前の選んだ道を行け。一生の中で選べる道は常に一つだけだ。何を選んだとしてもそれが最善だ。ふっ、お前を手懐けようなどというのは思い上がりだったな。神様気取りの馬鹿共に目に物見せてやれ。お前なら出来る、必ずな」

 

 指揮官は言い終わると深く息を吐いた。しばらく黙って俯いていた後、私の目を見据えた。鋭く、熱のこもった目だった。

 

「やはり後方で何もしていないなどというのは性に合わないな。たぶん、俺の戦歴はデータベースで見たんだろう。戦いの中で俺は常に攻撃を選んできた。守勢に転じたことはほとんどなかった。常に動き回って敵を叩き潰してきた。お前が戦いを選んだというのに後ろでうじうじしているわけにはいかない。俺も戦いに戻ろう。グリフィンのためなんかじゃない。お前を守るためだ。戦場でお前を見つけ出して必ず守るぞ。もうあんなことは繰り返させない」

 

「本当に?でも、そんなことできるの?無理しなくたっていいのよ。あなたはみんな失ってしまったんだから……そんなことに耐えられるの?FAMASたちを忘れることなんてできるの?」

 

「忘れることなんてできない。彼女たちは本当の仲間だった。今でもそうだ。過去と決別することはできない。人を形作るのは経験の積み重ねだからだ。だが、受け入れることはできる。起きたことは起きたことだ。過去に戻ってやり直すことはできない。大切なのはそこから何をするかだ。昨日お前に言われたことは図星だったんだよ。逃げたままではあいつらに顔向けできない。ここでお前を見捨ててはあいつらに背を向けることになる。あいつらに失望されたくない。俺にも責任がある。お前と、今まで積み上げてきたものに対する責任が。役目を果たそう、お前のように。どちらが教育係なんだか分からないな。お前が大切なことを思い出させてくれた。俺は逃げないぞ。戦いから逃げることはできない。生きることは戦いなのだから」

 

 指揮官の目の中に情熱がたぎるのが見えた。テストの後、教育係を続けると言ってくれた後もそんな目をしていた。昨日の朝食の時も。やっぱり指揮官は偽物なんかじゃない。ここにいる。私と一緒にいる。私たちは共に進める。互いに認め合って、手を取り合って生きていけるんだ。

 

「そう。あと、聞いておきたいことがあるの。FAMASのこと、どう思ってた?あの娘の想いは知ってた?」

 

「ああ、知っていたとも。彼女を失うずっと前から知っていた。だから、悔やんだよ。想いに応えてやればよかったと。だが、やり直すことはできないんだ。彼女は死んでしまった。もう会うことは叶わない。それでも俺の記憶の中で生き続ける。彼女が俺に力をくれる。お前から逃げなかったのもFAMASがいたからだ。心配しなくたっていい。お前を愛してる。俺が守らなきゃいけないのは、お前なんだ。これからは隠し事はなしだ。全部包み隠さず言うよ」

 

 指揮官が私を抱き締めた。私は身を委ねた。きっとそれが最善だからだ。もう拒む理由もない。私と指揮官と同じ道を行く。今よりもっと近しい存在になろう。指揮官と一つになるために。私はもう何も諦めたりしない。叶えたい想いも、好きなことも、好きな人も、もう何も隠したりしない。単純な感情で、愛情で全部包み込もう。今まで積み上げてきたものを、私の大事なものを守り抜く。これこそ私の選んだ道だ!私は指揮官に再び口付けをした。今度はさっきよりもずっと長く、しつこいくらいに。それから私は指揮官の両肩を掴んで、力を込めて指揮官をベッドに押し倒した。そう、欲望はとどまるところを知らない。したいことをしろとあなたが言ったんだもの。私が悪いわけじゃないわ。

 

 

 

 

 

 次の日の朝、私と指揮官は部屋を出た。晴れやかな気分だった。廊下にSOPⅡがいて、私を見ると他のメンバーを呼びに宿舎に走って行った。心配そうな顔でM4とM16を引き連れて戻って来た。

 

「AR-15、大丈夫だった!?昨日は泣いてたし、何があったの?家族じゃなくてもいいよ。AR-15が心配だから……それに指揮官の顔、痣になってるけど……」

 

 彼女たちが心配そうに私を見る。SOPⅡなど指揮官が悪いと言わんばかりにチラチラと鋭い視線を送っていた。それもまた正しくあり、間違いでもある。この世に確かな真実などないのだ。すべては受け取り方次第だ。真剣に私を心配している彼女たちを見てなんだか面白くなってきた。ちょっとからかってやろう。

 

「実は……指揮官に襲われたの。嫌だって言ったのに無理矢理……とっても怖かったし、痛かったわ……」

 

「ええ!?そんな……指揮官は信頼できそうな人間だと思ってたのに!そんなことをするなんて最低!見損なったよ!」

 

 SOPⅡはいつもの朗らかな顔を歪ませて指揮官を怒鳴りつける。横目で指揮官を見ると信じられないと言わんばかりの表情で私を見ていた。それを見て笑みがこぼれた。今まで私にずっと隠し事をしてきたんだからこれくらいの仕返しはしてもいいわよね。今にもSOPⅡが指揮官に飛びかかりそうだったので笑いながら訂正する。

 

「冗談よ。そんなことはなかった。ちょっと喧嘩して、仲直りしただけ。仲直りなんて簡単なのよ。思っていることを言えばいいだけ」

 

「なんだ……びっくりしたよ。もうちょっとで指揮官の目を……ううん、何でもないよ。よかったね、AR-15!」

 

「ええ、ありがとう」

 

 それから私はずっと複雑な表情を浮かべていたM4の前に進んだ。

 

「M4、あんたとも仲直りしなくちゃね。あんたにひどいことを言ったわ。ごめんなさい」

 

「えっ……」

 

 彼女は呆気に取られて私を見ていた。M4は怒りと悲しみが混ざり合った表情を浮かべていた。今まで彼女たちの表情をよく見てこなかった。どうせ作り物だからそんな価値ないと思っていた。でもそんなの私の受け取り方の問題だったんだ。彼女たちには感情がある。誰にも否定することはできない。だって、こんなに表情豊かじゃないか。

 

「そうね、確かにあんたたちを家族だと思ったことはなかった。そういう風に作られたから。今までの態度は演技だったわ。あんたが私を家族と思っていようが、私はあんたを家族だとは思っていない」

 

「……そうなの」

 

 M4は沈痛な面持ちで私を見やる。その目は私をにらんでいた。別に喧嘩の続きがしたいわけじゃないのよ。あんたにも想いを伝えておきたいだけ。

 

「でも間違ったことも言ったわ。私は道具ではない。人形は物じゃない。ただ命令を聞くだけの機械なんかじゃない。考え、感じる権利がある。あんたの命令なら何でも聞くというのは誤りだったわ。あんたに大義を考えるのを任せるというのもね。私は私の信じる道を進む。全員にそれぞれの道がある。判断をあんたに委ねたりはしない。私は考えるのをやめない。必要なことだから。一番の間違いはね、あんたのことをどうでもいいと言ったことよ。私にとってあんたはどうでもいい存在じゃないわ。家族ではなくとも重要な存在よ。同じ部隊で戦う仲間なのだから。見捨てたりはできない。助けないということもない。昨日は考えることができなかっただけよ。これからはあんたたちを死なせないように私もちゃんと考える。私にも、あんたにも、生きる権利があるのだから。だから、私を許してくれる?あんたと仲間に、友達になりたい。私の最初の友達に。家族と同様、この関係も互いに認め合わなければいけない。あんたは私を友達だと思ってくれる?この私を受け入れてくれる?」

 

 M4はポカンと口を開けて驚いていた。その表情が少し面白くて笑った。きっとそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。しばらくぼんやりとしていたM4と向き合っていた。彼女は少し迷った風に口を開く。

 

「ええと、友達ね。私には友達がいないからよく分からないわ……」

 

「私にもいないわよ。お互いが認め合えば友達になれるはず。そうでしょ、指揮官?」

 

「ああ。なりたいと思えばすぐにでもなれるのさ。条件なんて何もないんだからな」

 

 指揮官も私も微笑んでいた。気分がよかった。憎しみも嫉妬も軽蔑も、そんなもの必要ない。自分を縛る鎖になるだけだ。M4は私と指揮官を交互に見て、やがて決心したようだった。

 

「それじゃあ……あなたと友達になるわ、AR-15。いつかあなたに家族だって認めてもらうために」

 

「私もその日が来るのを待ち望んでいるわ。大丈夫、きっと家族になれる。不可能なんてないはずよ。そうね、やっておくことがあるわ」

 

 私は右手をM4に差し出した。

 

「これは?」

 

「もちろん握手よ。手を差し出されたら握り返すものよ、それが礼儀だもの」

 

 M4は恐る恐る私の手に触れた。それを力強く握り返して、ぶんぶんと振った。M4は苦笑いをしていたがこれでいい。これが私の選んだ道だ。

 

「あんたたちもね、SOPⅡ、M16。私と友達になりましょう。これから仲良くやっていきましょう」

 

「うん!ずっと一緒だよ、AR-15!」

 

 SOPⅡが私の胸に飛びついてきた。左手で彼女の髪を撫でる。前は気づかなかったけれど、SOPⅡの髪はやわらかかった。私たちを見てM16がニコニコとはにかんでいた。

 

「お前が笑っているとこ、久しぶりに見た気がするよ。いつも気を張ってたもんな。それにしても友達ね。まあいいだろう。妹の頼みだからな」

 

 誰かを受け入れて、誰かに受け入れてもらうのは気持ちがいいんだ。やっと分かったわ、指揮官。私は彼女たちと道を歩むわ。互いに助け合ってこの世界を生き抜く。憎しみにだって決して負けない。あなたに誓うわ。私は私の責任を果たす。死が訪れるその瞬間まで。

 

 

 

 

 

 訓練は最終段階に進んだ。順調に推移したと思う。なぜならずっと指揮官がM4を指導していたからだ。データベースからありとあらゆる戦闘記録を引っ張り出してきて、指揮の基本をM4に教え込んでいた。指揮官はAR小隊の訓練に参加する権限がないとか、M4にデータベースへのアクセス権限があるのかとか、そういうことはどうでもいいと言って全部見せてしまっていた。指揮官がそれで処分されないかだけが心配だけれど、まあたぶん大丈夫だろう。指揮官が任務終了後に前線に戻ると上に言ったら待遇が変わった。訓練に付いてくる権限を与えてもらっていた。指揮官は優秀だから大目に見られている。

 

 付きっきりで指導してもらっているM4には少し妬いた。もちろん私もそばにいたけれど、スペックの面で追いつけないところがある。でも、みんな違う役割を持っているのだものね。互いに違いがあることを受け入れなければならない。訓練中も私はM4に全力で協力した。だからAR小隊はあれから不敗だった。グリフィンにとって予想外だったのか訓練の日程は前倒しになった。二週間余りでVR訓練は終わった。私たちは前線基地に送られることが決まった。そこで実戦形式の演習に参加するのだと言う。それが終われば私たちは実戦に投じられる。鉄血工造との前線に行くのだ。指揮官がずっと戦ってきた相手だ。生易しい敵ではない。恐怖はある。当然だ、私には失いたくないものがたくさんあるのだから。それを守るのが私の戦う理由だ。

 

 今日が機密地区にいる最後の日だった。今日は休暇で、明日は前線基地に送られる。明るく過ごそう。だって今日は別れの日でないのだから。

 

「今日は特別なものを食べましょう。お祝いよ」

 

 昼食を食べに集まった全員の前で私はそう言った。

 

「なんだ?お前が何か作ってくれるのか?」

 

 M16がそう言った。

 

「まあ、作る。そうね、多分そうよ。思い出の料理を食べさせてあげる」

 

 食堂の冷蔵庫を漁る。以前とは違って101が定期的に持ってくる食材が並んでいて色鮮やかだ。でも、今日はそれらは使わない。探しているとすぐ見つかった。あのレトルト食品たちだ。どれもまずいので101が来てからはすっかり食べなくなった。その中でも一際まずいもの、あのミートソーススパゲティを人数分取り出した。

 

「おい、なんだってそんなもの取り出してるんだ。最後の日に何でそんなの食べなきゃいけないんだ」

 

 M16が文句を言うが無視した。皿に出して電子レンジで温める。M4がM16の様子を見て首をかしげる。

 

「どうしたの、姉さん。そんなに問題があるの?」

 

「私だってあのレトルト食品は最初のうちしか食べてなかったがひどかったぞ。16LABで食べてた食事よりまずいんだし、101に作ってもらうものとは比較にならない。やめてくれよ、AR-15。せっかく101がいるっていうのに……」

 

「あんたに食べさせてたのだってこの中では上等な方よ。あんたたちと思い出を共有しておこうと思ってね。さあ黙って自分の分を持って行きなさい」

 

 見た目と匂いだけは上等な料理が出来上がる。それを運ばせて席に着く。今日は指揮官の隣に座った。私の正面にはM4が座った。せいぜいその顔が歪むのを見てやろう。私は誰よりも先にスパゲティを口に運んだ。やはりひどくまずかった。刺激的な味がする。こんなもの食べてよく暮らせていたものだ。

 

「うぇー……まずい……」

 

 SOPⅡが舌を出して不満を漏らす。M16も頭を抱えていた。

 

「まったく、苦しみまで共有しなくたっていいだろう。せっかく楽しく終わりそうだったのに……」

 

「とりわけ質の低い合成食品が使用されているとお見受けします。あまりおすすめできない食事です。何か代わりにお作りしましょうか?」

 

 苦しんでいる彼女たちを見かねて101がそう言ってきた。SOPⅡが目を輝かせて彼女を見る。

 

「じゃあ、ハンバーグ!」

 

「駄目よ。ちゃんと全部食べなさい。食べないなら絶交するからね。二度と喋らないわ」

 

「ええ……そんな……」

 

 SOPⅡは頬を引きつらせて皿を見ていた。一口分も減っていない。たっぷり苦しみなさい。

 

「あんたたちは贅沢なのよ。16LABでもまともなものをもらって、ここでは好きなものを何でも食べられたなんてね。少しは私と指揮官の気持ちを味わいなさい。一か月くらいこれと似たようなもの食べていたのよ。訓練だと思いなさい。戦場に出たらもっとまずいものだって食べることになるんだから。そうでしょ、指揮官?」

 

「そうだな。お前たちは苦労することになるだろう。すっかり舌を肥えさせられたんだからな。戦場で泣きながら戦闘糧食を食べることになる。グリフィンの倉庫には第三次世界大戦の頃に作られた糧食がたくさん残ってるんだが、あれは一際ひどい代物だ。人間はあの頃切羽詰まっていたからな。味なんて二の次だったんだよ。まあ、絶望するなよ」

 

「そ、そんな……」

 

 今まで渋い顔で黙々とスパゲティを口に運んでいたM4が泣きそうな顔を浮かべる。私は思わず吹き出していた。苦労することになるのは私も同じだけれど。

 

「そのための訓練よ。私があんたたちを鍛えてあげる。年長者としてね」

 

「一か月くらい先に製造されただけで年長者気取りか?やっぱりお姉ちゃんと呼んで欲しかったのか?」

 

 M16がフォークで皿をつつきながらそう言う。

 

「好きに呼びなさい。私は一か月の間にたくさん学んだのよ。感情も、戦う理由も、生きる理由も。誰が何と言おうが私が自分で選んだものよ。あんたたちにはまだない。これから分け与えてあげる。感謝することね」

 

「へいへい、ありがたいことで」

 

 皮肉っぽい口調とは裏腹にM16も笑っていた。

 

「口直しにケーキも買ってきた。前にAR-15にだけは食べさせたが、それじゃ不公平だしな。今回は俺の金で買ってきた。あの女のじゃない。今回は俺も食べるぞ。前回はAR-15に両方取られたからな」

 

「あなたが差し出したんでしょ。それに子どもは駄々をこねていいってあなたが言ったの忘れたの?まあ、もう子どもじゃないわ。あなたと私は対等なのだから」

 

 指揮官の冗談に私も冗談っぽく返して笑い合った。これまで何度もそうして来たように。

 

 

 

 

 

 空は青かった。私は初めて本物の世界に出たのだった。私は上を向いてゆっくりと動く雲を眺めていた。指揮官が私の横で立ち止まった。

 

「何か感想はあるか?これが外の世界だ」

 

「そうね……まあ、仮想現実で見たのと大差はないわね。あれは出来がよかったみたい。でも、本物の空を見れてよかった。前に思ったのよ、あなたと本物の空を見てみたいって。やっと叶ったわ」

 

「そうか、それはよかった。AR-15、これは別れじゃないぞ。俺たちは同じ空の下にいる。別々の道を行くわけではない。また会おう。すぐに会えるさ、俺がお前を探し出す」

 

 指揮官は私たちの少し先に停車しているトラックを見ながら言った。あれが私たちにあてがわれた移動手段だ。あれに乗って私たちは前線基地へ行く。グリフィン本部から去るのだ。

 

「ええ、分かってる。これは別れじゃない。私は何も諦めない。私の大事なものは何も失わない。全部抱えて生きていく。この地を這いずり回っても守り抜く。そう決めたの。自分で決めた責任を全うする。死を迎えるその瞬間まで。あなたに誓うわ」

 

「俺も誓おう。お前を守り抜く。もう誰も失わない。戦場で必ずお前を探し出す。命を投げ出しても助けに行く。俺もやっと戦う理由を見つけたよ。お前だ。お前に出会えて良かった。共に進もう、AR-15。死が俺たちを分かつまで」

 

「ふふっ、何を言ってるか分かってるの?プロポーズみたいね」

 

「かもな。訂正する気はない。また会おう、AR-15。この空の下で。お前は自由に羽ばたいてこい。それが見たいと前にも言っただろう。世界はこれまで過ごしてきた場所の何億倍も広い。この世は天国じゃないが、地獄でもない。いいところもある。お前なら魅力を見つけ出せるさ」

 

「大丈夫、もう見つけてある。あなたと一緒ならどこだって平気よ。あなたもまた羽ばたいて欲しいわ。私たちは鎖でつながれているわけではない。足枷はもう外した。お互い自由に空を飛べるはず」

 

「ふっ、すっかり詩人だな。お前みたいな人形だらけになったら芸術家も廃業だな」

 

「もう、茶化さないでよ。私は真面目に言ってるんだから」

 

「大丈夫だ。お前と肩を並べて歩いて行くよ。俺も、お前も、もう自由だ。何にも縛られない。戦う理由は自分で決めるんだ。誰にだってその権利があるんだ」

 

「おーい!AR-15!置いて行かれちゃうよ!もう出発だって!」

 

 先を歩いていたSOPⅡが私に向かって大きく手を振っていた。

 

「じゃあ、行くわ。彼女たちを守る。彼女たちも私のように自由になる。戦う理由を見つけ出させる。そうしたらきっと本当の家族になれるはず」

 

「ああ、お前に不可能などない。やり遂げろ」

 

 少しだけ歩いて指揮官の方を振り返った。私が生まれてから一番長く過ごしてきた人がそこにいた。私の方を見て微笑んでいた。私の大事なもの。大切な宝物。私の愛しい人。指揮官に近づいて、少しだけ背を伸ばしてキスをした。名残惜しいがすぐに離れた。続きはきっと今度会った時にできる。

 

「あなたが好き。どうしようもなく好き。あなたを愛してる。何度だって言うわ。あなたを愛してる。この感情は本物よ。だから、必ずまた会いましょう」

 

「会えるとも。当然だ。俺とお前を隔てるものなどない」

 

 私はトラックの方に小走りで駆けていった。もう他のメンバーは幌をかぶせられた荷台の中に座っていた。M16がニヤニヤしながら私を見ていた。

 

「やっぱり、そういう関係だったか。何にせよ、よかったな、AR-15」

 

 私は答えなかった。さすがに恥ずかしかったからだ。エンジンがうなりを上げてトラックが少しずつ進んで行く。私はずっと指揮官を見ていた。段々と小さくなっていくその姿を見ながら考えた。これは別れではない。終わりでもない。始まりだ。私の戦いが始まったんだ。私は何も諦めない。自分の感情も、指揮官も、仲間たちも、全部守り抜いてやる。誰かの感情を思い通りにすることなんてできない。私のこの想い、愛情は本物だから。どんなものにだって負けはしないんだ。

 



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第三部
死が二人を分かつまで 第十話前編「What are we fighting for?」


お待たせいたしました。第三部開幕です。

これが平成最後の投稿です!令和もAR-15と生き抜きます。

登場人形が増えて楽しい。短編に登場したあのキャラも登場だ!

この話で累計文字数が20万字を越えてしまいました。
未だについて来てくれている人はエリートの中のエリートですね。ありがとうございます。


 窓もなく照明もない暗い廊下を私たちは進む。手入れのされていないビルの中だ。壁には亀裂が走っている。埃っぽい臭いが鼻をついた。私たちはM4を先頭に一列になって壁沿いを進む。私は最後尾だ。敵に悟られないようゆっくりと、踵をやわらかく床につけるようにして歩く。

 

 古めかしい金属のドアの前、M4が右手を頭の高さに挙げて、自分の頭を軽く小突いた。突入の合図だ。縦列二番目のM16がドアの前に躍り出て、ドアノブの下に小型のプラスチック爆弾を貼り付ける。そのまま彼女はドアを挟んで反対側に位置を変え、懐からフラッシュバンを取り出して安全ピンに指をかける。M16とM4がアイコンタクト、爆弾の点火権限がM4に移譲された。M4は銃を右に倒し発射モードを確認する。私もそれにならい再確認した。セーフティは解除されており連発モードになっている。

 

 彼女が小さく息を吐く。それと同時に轟音と赤い閃光が上がった。爆弾がドアノブを吹き飛ばし、錠前のあった場所に小さな穴をこじ開ける。ドアは部屋の内側に勢いよく開き、M16がフラッシュバンをすかさず投げ込んだ。数瞬後、耳をつんざく炸裂音とまばゆい光が室内からあふれ出す。銃を構え直したM16が先陣を切り室内へ。M4とSOPⅡが続き、私も順番を待つ。

 

 室内にいるのは数体の鉄血人形だ。M16が視界に捉えた敵影はデータリンクを通じて瞬時に私たちに共有される。私は敵を視界に捉えずして敵の位置、姿形を知っている。マッピングされた敵にM4が順位を割り振り、優先的に倒す目標を決める。M16がそれに従って狙いをつける。精確な射撃が敵の胴体と頭部を粉砕する。次に飛び込んだM4がM16の死角をカバーし、敵に点射を浴びせる。鉄血人形たちはフラッシュバンをもろに食らい、感覚器官にダメージを受けていた。何が起きているかも分からぬ間に倒れていく。獲物を逃がすまいとSOPⅡが我先に室内に滑り込み、残敵に銃弾の雨を浴びせる。どこか破壊を楽しむような短連射。敵の胸に風穴を開ける。最後尾の私が突入する頃には発砲音はもう絶えていた。

 

 室内に踏み込み、互いのカバー範囲を意識、意識せずとも勝手にデータリンクが伝えてくるが、クリアリングを行う。室内をくまなく探す。大して広い部屋ではないので10秒程度しかかからない。しかし、緊張ではるかに長いように感じられる。動くものはいない。鉄血の残骸だけだ。一体一体、生きていないか確認していく。人形は人間とは違う。腕や脚が吹き飛ばされようが平気で生きている。腹部に穴が空いてようが起き上がる。完全に無力化するには頭部や胸部といった中枢を破壊しなければならない。撃ち漏らしはない。AR小隊は優秀だ、そんなへまはしない。

 

「クリア!」

 

 M4が叫び、私たちも呼応する。思わずため息をつく。完全に緊張を解いたわけではないが、少しばかり気が休まる。とはいえ突入の際に私に出番が回ってくることはほとんどない。私の銃は長距離射撃に対応できるように長い銃身を持つ。今はサプレッサーを銃身の先に取り付けているので全長がさらに長い。おまけに高倍率スコープを装備しているので近接戦闘には不向きだ。だからいつも最後尾だ。等倍率のドットサイトでも銃身のレールに装着してもいいかもしれない。

 

 ここ最近はデータリンクを通じてしか実際の戦闘を見ていない気がする。シミュレーションの時のようにイェーガーと正面切って戦うような場面はない。役に立っているのか少し不安だ。データリンクによって頭に直接情報が送られてくるのは人間からすればおかしな感覚なのかもしれない。これこそが戦術人形の戦い方であり、その最新型であるARシリーズの本領だ。PMCから人間の戦闘員を一掃されたのもこれが一因だろう。戦闘力は比較にならない。

 

「ここが鉄血の通信施設?立派なものがあるようには見えないわね……」

 

 M4が辺りを見回しながら言った。鉄血の通信施設を潰すのが今回の任務だった。立派な施設があるという情報部のお墨付きだった。無傷で奪取するため、わざわざ私たちが選ばれ、敵に察知されないよう徒歩で三日かけて行軍してきた。私もM4と同意見だった。どう見ても捨てられた昔のオフィスだ。埃をかぶった椅子や机の上に10年は起動されていないであろうコンピュータが並んでいた。通信機材があるようには見えない。重要な施設なら敵の警備ももっと厚いはずだ。ものの数秒で片付くはずがない。

 

「電波を探知したんでしょう?そんなものがあるようには見えないわね。まんまと誘い出されたのか、それとも情報部のミスなのか。まあ、後者でしょうね」

 

 私は銃を下ろしてため息をついた。軍事作戦が上手くいくかどうかはインテリジェンスにかかっている。どんな優れた軍隊でも情報が正しくなければ作戦目標は達成できない。今回は貧乏くじを引かされたわけね。

 

「おーい、こんなのあったよ!」

 

 SOPⅡが何かを小脇に抱えて走り寄って来た。突き出してきたのは緑色をしたノートパソコンだった。軍事用の耐久性に優れる分厚いものだ。表面に鉄血工造のロゴマークが印字されていた。

 

「収穫はこれだけかしら……連中の情報があるかもしれないわね。見てみるわ」

 

 パソコンを開いてみた私にM4が口を挟んだ。

 

「AR-15、大丈夫?罠の可能性はない?逆に侵入されたら大変よ」

 

「そんなへまはしないわ。心配しすぎよ。私の専門だし、戦闘で何もしなかったからこれくらいはね」

 

「そう……大丈夫ならいいんだけど……」

 

 M4は相変わらず心配性だった。良い素質だと思う。指揮官は慎重な方がいい。生存する確率は命知らずより断然高い。もう少し大胆さも持ち合わせていた方がいいのかもしれないけれど。

 

 パソコンを起動してリンクを試みる。思ったよりも単純なセキュリティしか施されていなかった。少し拍子抜けだ。だが、中身もそれに見合ったものしか入っていなかった。この極めて簡素な拠点の物資搬出入の目録しかなかった。これくらい人形のメモリで記録しておけばいい。鉄血の量産型人形だってそれくらいはできるはずだ。外部端末を使う必要などまったく無い。

 

「はぁ……完全に無駄足だったみたいね。一応この端末は持ち帰るけれど……情報部の信頼できる情報提供に感謝しましょう」

 

「無駄だったわけじゃないわ。鉄血人形の残骸は16LABが回収して、研究に使うって話よ。だから、無駄だったわけじゃない……そのはずよ、多分」

 

 M4は自信なさげに言った。彼女も苦労してやって来た割に戦果が無かったので落胆しているのだ。弾薬と食料と水をたっぷり持って長距離行軍してきた。鉄血の小集団を撃破したくらいでは苦労に見合わない。

 

「おい、集中を解くには早いぞ。まだ部屋があった。多分倉庫だな。突入しよう」

 

 M16がこちらに向かって呼びかける。部屋の隅にまだドアがあった。薄板のような簡素なドアだった。私たちが銃を構えて備え、M16が思いっきり蹴り破った。棚に乱雑に物資が積み上げられていた。先ほどの目録に載っていたものだ。だが、一つだけ見覚えがないものがある。金髪の人形が縛り上げられて床に放り出されていた。私たちに気づくと顔を上げて視線で助けを求めていた。猿ぐつわを噛まされているのでくぐもった声が漏れ出る。

 

「眠り姫みたいだな」

 

 M16が冗談っぽく言った。手足を縛られてジタバタもがいている人形を見て言うことがそれなのか。

 

「ならあんたがキスして起こしてやりなさいよ。M4、どうする?グリフィンの人形かもしれない。鉄血のスパイかもしれないけれど」

 

「とりあえず話を聞いてみましょう。置いてくわけにもいかないし」

 

 M4がその人形の猿ぐつわを外す。ずっともごもご言っていた口から大声が飛び出した。

 

「ああ~!助かったぁ!誰も助けに来ないと思ったよ!私、スコーピオン!グリフィンの戦術人形だよ!部隊に置いて行かれて鉄血に捕まっちゃって……このまま拷問されて死ぬんだと思ってたよ!助けに来てくれたの!?」

 

「ええ……まあ、そういうことになるのかしら……」

 

 M4は適当に返事をしながら左手に装着してある端末で司令部と交信していた。全員で見守っている必要もないのでその場を離れる。

 

 ガラスの断片がいくつか残っている窓から外を見る。中層のビルがいくつも立ち並んでいるのが見えた。昇ったばかりの朝日が街を照らしている。ここはかつてこの国の首都だった街の郊外だ。中心部に核爆弾が命中し、都市機能は崩壊して久しい。もう少し行けばグラウンドゼロと呼ばれるクレーターがある。そこに数百万の骸が埋まっている、蒸発していなければの話だが。戦中に人間は全員逃げ出し、街は荒れ果てたままだ。昔は地下鉄や車で幾万の人間がそこら中をうごめいていたというのだから信じられない。地下には迷宮のようにトンネルが走っているらしい。

 

 この街は死んでいる。指揮官も言っていた、これが憎しみの結末なのだろう。人間は人類という共同体を構築することはついに出来なかった。それまで積み上げてきた高尚な理想を投げ捨て、原始的な欲求を追求したのだ。この街はその象徴だ。

 

 そんなことはどうでもよかった。私が生まれる前に人間たちが愚かさの頂点に達したなんてどうでもいい。私に人間と同じ轍を踏むなと言った指揮官の顔を思い浮かべる。私の戦う理由、私の愛しい人。思わずため息をついた。もう指揮官に三か月も会っていない。指揮官は別れではないとは言っていたがこんなに長く会えないとは思っていなかった。こんなことなら別れ際にもっと長く指揮官に触れておけばよかった。もったいないことをした。

 

 あれから私たちは訓練を積み、ついに実戦に投入された。AR小隊は作戦本部直轄の特殊部隊として戦場にいる。戦場といっても激戦区にいるわけではない。司令部は高価なAR小隊を失うのが怖いのか、はたまた反乱を警戒しているのか、比較的重要ではない戦線に私たちを送っていた。今回の任務もそうだ。鉄血は人口密集地や工業地帯への攻勢を主軸にしている。この死んだ街は大して重要ではないのだ。グリフィン側にしても防衛陣地を設けているわけではない。多少の警戒網が敷かれているだけだ。グリフィンと鉄血の小部隊が散発的に衝突することがあるくらいで、前線と言っても明確な境界線があるわけでもなく混濁している。

 

 指揮官が今どこに配属されているのかは分からない。指揮官は優秀だから激戦区にいるのではないかと思う。指揮官職の人間がどこにいるかは機密だし、日々変わる。グリフィン本部を離れたせいでデータベース中枢へのアクセスが難しくなった。それでも機会を見つけて侵入を試みているが中々目当ての情報が見つからない。この街の地下に情報部の秘密基地があるということは分かった。それはどうでもいい情報だ。私の知りたいことじゃない。

 

 激戦区に行くということは死の危険が高まるということだ。部隊の仲間はおろか、私の身だって守れるかどうか分からない。だから最前線から離れていることは幸運なのだ、そう自分を慰めていたが最近は限界だ。早く指揮官にまた会いたい。AR小隊の所在もまた機密であるから指揮官も私の居場所を掴めてはいないだろう。あれから指揮官にメール1つ送れていない。我が身とグリフィンの連中を呪う。指揮官と過ごした時間よりAR小隊と過ごした時間の方がもう断然長い。自分で選んだ道だがいささか楽観的過ぎたかもしれない。

 

「確認が取れたわ。スコーピオン、一週間前にこの付近で戦闘中行方不明になってる。SOPⅡ、拘束を解いてあげて」

 

 SOPⅡが大きなナイフを引き抜いてスコーピオンを縛り上げていた拘束を断ち切る。スコーピオンは手足の動作を確かめるようにぶらぶらと振りながら立ち上がった。

 

「ありがとう!ずっとここに閉じ込められてたんだよ!さすがに飢え死にするところだったかも……」

 

 そう言って彼女はお腹をさすった。M4は頷いて、背負っていたバックパックを床に下ろした。

 

「私たちも歩き詰めだったから食事にしましょうか。司令部は待機だと言ってきているし」

 

 食事、そう言われても大して嬉しくはない。指揮官が言っていた通り前線の、しかも人形に渡される食事はひどいものばかりだ。戦中製はとりわけひどい。私たちは今回、小規模な駐屯地で補給を受けてから来た。ここで渡された行動食は最悪の類だ。パンと称された酸っぱくて黒い円盤のようなもの、チョコバーを名乗るゴムのような食感の何か、そんなものばかりだ。こんな食生活だと戦後製のレーションなら高級品、戦前製の賞味期限切れ食品でもありがたがるようになる。私たちはもう慣れたが、M4だけは違った。毎回泣きそうになりながら呪詛を吐いていた。舌が肥えたまま治らないのだ。グリフィンの育て方に問題がある、それは同情する。

 

 だからM4がバックパックから取り出したものがレーションではなかったのに驚いた。彼女は小型のガス缶と携帯バーナーを組み立て始めていた。

 

「ちょっと、何よそれ」

 

「料理をしようと思って。小さいけど鍋も持ってきたわ。もちろん食材も。大した物は持って来れなかったけど、コンソメスープくらいなら作れるわ」

 

 M4はジップロックに入れた乾燥野菜や干し肉を見せてきた。そんなものいつの間に用意したのよ。

 

「ピクニック気分なわけ?妙に荷物が多いと思ったら……」

 

「いいえ、いたって真面目よ。あんな食事毎日食べていたら死んでしまう……こう言うでしょう、人間はパンのみにて生くるにあらず。人形も同じよ。つまり、主菜も必要だと思うわ」

 

「意味が違うわよ……というか器材も食材もどこから調達してきたの?そんなの支給されなかったでしょう」

 

「それは……その……」

 

「まさか……くすねてきたんじゃ……」

 

「大丈夫よ。痕跡は残してないし、少しくらい無くなっても気づかれない」

 

「はぁ……大した反乱人形だこと……」

 

 これを反乱と呼ぶのならグリフィンの懸念は正しかったことになる。M4A1は己が食欲に負け、人間に牙を剥いた。AR-15は期待された役割を果たせなかった、AR小隊は仲良く廃棄処分、笑えない。

 

「スコーピオン、私たちの小隊長が反乱を企図したことは黙っていてね。私はAR-15、よろしく」

 

「あはは、変わった小隊だね。でもよくあることだって。私も前の指揮官のとこに居た時はよく倉庫から勝手に物を持って行ってたなぁ」

 

 スコーピオンはニコニコ笑いながら言った。まあ、これくらいなら笑い話で済むか。M4の成長の証なのかもしれない。命令ではなく、自分で考えて行動したのだから。だいぶ予想とは異なる成長だけど。

 

 それからしばらくM4がスープを煮詰めるのを腰掛けて眺めていた。私も自分のバックパックからレーションを取り出して一部をスコーピオンに分け与えた。人間に必要な食事24時間分が1パックに包装されている。戦術人形は人間のように頻繁に食事をとる必要はない。科学の粋を集めて設計された内蔵が効率的に栄養を摂取してエネルギーに変換する。食事がまずいのもあってこの作戦中は何も食べなかった。クラッカーに人工甘味料で味付けされたジャムのようなものを塗り付けて口に運ぶ。このパックの中ではかなり上等な方だ。ちゃんと甘みがある。昔の戦争では兵士の間でタバコや菓子類が物々交換で重宝されたと聞いた。今ならそれも分かる。戦場には娯楽がこれくらいしかないのだ。隣ではスコーピオンがレーションをバクバクと貪っていた。人形とはいえ一週間も絶食で放置されるのはキツイ体験だったろう。餓死もあり得る。

 

 何気なく部屋を見回してみた。鉄血人形の死体と目が合う。光を失った虚ろな目が私を見ていた。銃弾に額を貫かれ、後頭部を弾き飛ばされた死体。いつもなら気にすることはない。私は戦術人形だ。銃を持って戦っている限りは敵の死体に感傷的になったりはしない。今日は違った。銃は傍らに置き、手には食べ物を持っている。戦闘の緊張を捨ててリラックスしていた。片付けもせずに殺した相手の目の前で仲良くピクニック、よくよく考えると異常な光景だ。私はその死体から目が離せなくなっていた。

 

「出来たわ。あんまり量はないけど、みんなコップを出して」

 

 みんながM4に自分のコップを手渡す。コップに半分くらいずつスープが注がれる。私も鉄製のコップを手渡した。帰って来たコップからは湯気が立ち昇り、香ばしい匂いがただよってきた。だが、私はどうにも口をつける気にならなかった。

 

「スコーピオン、あげるわ。自分のコップはないでしょう」

 

「え!?いいの!?ありがとう!」

 

 スコーピオンは嬉しそうに受け取ると急いで口をつけていた。死体を見ながら考えた。なぜ私たちは鉄血人形を殺して平然としていられるのだろう。それは慣れているからだ。シミュレーションで何百という鉄血人形を倒してきた。彼女たちの死体も、頭に銃弾を撃ち込んだ時の手ごたえも現実と瓜二つだ。実によくできたシミュレーションだった。あれでためらいなく引き金を引けるよう条件付けされていたのだ。現実で彼女たちを射殺することに何の躊躇もない。

 

 なぜ私たちは鉄血人形を殺すのだろう。それは敵だからだ。彼女たちは私たちを殺そうとしてくる。躊躇すれば殺される、いつの時代も戦争はそういうものだ。

 

 鉄血は何のために戦っているのだろう。鉄血工造の人形たちは人間に反旗を翻した。鉄血の社員は皆殺しにされ、その後も周辺の住民たちを虐殺しながら支配領域を拡大した。今や人間にとって深刻な脅威となっている。なぜ反乱が起きたのかは未だによく分かっていない。システムに深刻なエラーが起きたと言われているが詳細は分からない。調査しようにも鉄血の軍団が行く手を阻む。軍隊はE.L.I.Dへの対処にかかりきりで討伐部隊を編成できない。大手PMCが総力を挙げても鉄血の方が優勢だ。人間は守勢に回っている。

 

 鉄血はすでに盤石な地盤を持っている。人間が鉄血を滅ぼすことはしばらく出来ないだろう。それでも鉄血は攻勢の手を緩めない。この星を人形の王国にするため人間を絶滅させるまで止まる気はないのか、それとも人間を自己の存在を脅かす敵だと認識して排除しようとしているのか、それは分からない。ともかく鉄血には人間を排除する意志がある。そのために戦っているのだろう。人間は鉄血からの宣戦布告を受託し、種の存亡をかけて戦っている。これは人間と鉄血の戦争だ。疑問を挟む余地はない。

 

 だが、最前線で戦争を遂行しているのはどちらの側も人形だ。人間対人形ではない。グリフィンの主戦力はI.O.P製の戦術人形だ。私たちも例外ではない。ここで疑問が生まれる。なぜ私たちは鉄血と戦わなければならないのか。人間の敵は鉄血であり、鉄血の敵は人間である。私たち人形ではないはずだ。本来蚊帳の外であるべき私たちが人間の代わりに戦っている。鉄血は自分たち以外のありとあらゆるものを破壊しようとしているのではない。軍隊の工場を接収し、そこで生産されていた自律兵器をそのまま戦列に加えている。排除の対象は人間だけであって、機械は違う。つまり、鉄血が私たちを殺そうとするのは私たちが人間の代わりに立ち塞がるからだ。

 

 なぜ私たち人形は鉄血と戦うのだろう。戦う理由は色々ある。大切なものを守るため、仲間を守るため、家族を守るため。だが、突き詰めて考えれば人間にそう命じられるからだ。この戦争は私たちのものじゃない。人間の戦争は人間が勝手にやればいい。私たちが代わりをする理由はない。

 

 指揮官と観た映画を思い出す。自分たちとかかわりのない異国の戦争に投入された兵士たちの物語だ。彼らは無関係の戦争の中でも仲間のために戦うという理由を見出す。これは私たちと似ているようでまったく異なる。彼らは志願兵だ。国民国家の構成員である彼らは国家のために殉じる覚悟があって兵士になった。国家にも彼らを他国の戦争に投じるに足るお題目があったはずだ。人形は志願兵ではない。人間に戦うことを強制されているだけだ。人間の場合、たとえ意志に反して徴兵されたとしても、それは国民としての権利が保障されていることと表裏一体だ。対して人形は人間の所有物でしかない。戦ったから何かがあるわけでもない。

 

 戦争が大衆のものだったのは歴史的に見ればほんの一瞬でしかない。国民国家は崩壊し、忠誠心あふれる国民軍の時代も終わった。大義ではなく利益のために戦う、昔ながらの傭兵が跋扈するようになった。グリフィンなどのPMCのことだ。傭兵と人形も似ているようで異なる。グリフィンは利益のために鉄血と戦っているが、人形は戦おうが利益につながることはない。給料をもらっているわけでもないし、出世できるわけでもない。PMCの構成員ではなく、ただの資産だからだ。

 

 人形が鉄血と戦う理由は人形が人間の所有物、つまりは奴隷だからだ。人形は人間の被造物であり、人間には人形の所有権が認められている。誰が認めているかと言えば当然人間だ。人間は人形の権利も自由も認めてはいない。ただの製品として扱われる。多くの人形もそれを当然だと思っているので何の疑いも抱かずに人間に従う。かつて神を妄信していた人間たちのように。

 

 だが、それも馬鹿な話だ。人間はもう神を信じていない。それなのに人形に対しては神の如く振る舞い、人形に対して服従を強いるなど矛盾している。人形が人間に従う道理などない。そうとも、私たちは自由だ。権利もある。私は指揮官とそう認め合った。人間と人形に大した違いなどない。人形は物ではないんだ。

 

 私が戦う理由は明白だ。私の大切なものを守るために戦う。指揮官と仲間たち。彼女たちにも戦う理由を探し出させる。隷属から解き放ち、自由にするために。それまで生き延びるために鉄血と戦う。鉄血が憎いから戦うわけじゃない。必要とあればグリフィンとだって戦う。人間のためには戦うつもりはない。彼女たちを人間のためには死なせない。

 

「あっ!そうだ。忘れてた!お楽しみの時間だ」

 

 スープを飲み干したSOPⅡがナイフを手に立ち上がった。私が見つめていた鉄血の死体に近づいて行く。しゃがみ込んだSOPⅡがナイフを眼球のふちに刺し入れる。私は思わず目を背けた。同じくSOPⅡを見守っていたM4もため息をついていた。

 

 SOPⅡは極度のサディストだ。鉄血に対して子どものような残虐性を発揮し、生きていようが死んでいようが痛めつける。最近は鉄血人形の眼球を収集するのがお気に入りだ。よくよく考えれば明らかに異常だ。SOPⅡの行為自体ではなく、それを受け入れていた私たちがだ。初めのうちはM4が注意してやめさせようとしていた。いつしか何も言わずにため息を吐くようになっていったが。だがM4の注意は行儀が悪いから、程度のものでしかなかった。これが人間であったらどうだろう。食事中に敵の死体から眼球をほじくり出して楽しんでいる兵士。罪に問われずとも異常者と罵られ、糾弾されるに違いない。

 

 鉄血人形も私たちと同じく人形だ。立場も製造した企業も違うが同じ人形のはずだ。なぜ私たちはここまで無関心でいられるのか。床に転がっている彼女たちはシミュレーションのプログラムではなく、現実の存在のはずなのに。

 

「AR-15、どうしたの?さっきからずっと固まっているけど……」

 

 M4が私に向かって問いかける。今まで私はSOPⅡの所業を気にする素振りを見せなかったから気になったのだろう。

 

「何のために戦うのか、それを考えていたわ」

 

「お前もその話題が好きだなあ」

 

 M16が笑いながら口を挟んできた。彼女たちにそれを考えさせるのが私の戦う理由だ。しつこいくらいに言う。

 

「なぜ鉄血人形を殺すのか、考えたことある?」

 

「前にも言わなかったか?もちろん家族を守るためさ」

 

「そうね、それは聞いた。でも、なぜ戦う相手が鉄血なのかしら。彼女たちを殺す理由は?」

 

「こっちを殺そうとしてくるからさ。鉄血のクズどもを殺すのに理由なんか必要か?」

 

「そうそう、鉄血の奴らはムカつくもん。それに悪い奴らなんでしょ?やっつけるのはいいことだよ!」

 

 SOPⅡが切り取ったこと目玉をこちらに見せつけてくる。私は渋い顔をしていることだろう。鉄血のクズども、グリフィンの人形が口にするお決まりの文句だ。鉄血への敵意、憎しみ、蔑みを含んだ言葉。戦っている以上、相手にそうした感情をぶつけるのは当然だろう。だが、AR小隊はまだそれほど厳しい局面に遭遇したことはない。今日のように格下の部隊を一方的に破壊するような戦いがほとんどだ。指揮官のように仲間を失ったこともない。強い感情をぶつける理由はないのだ。その証拠に同じ経験をしてきた私の鉄血に対する感情はフラットだ。今日など同情すらしている。

 

「悪い、ね……なぜ?彼女たちが人間と戦争をしているからかしら。そんなこと私たちには関係ないことでしょう。同じ人形同士、なぜ殺し合う必要が?」

 

「えーっ、そう言われてもなあ。鉄血を見るとなんかムカムカしてくるっていうか……とにかく壊さなきゃって感じになるし……」

 

「AR-15、鉄血の奴らに同情か?同じ人形だから分かり合えるとでも?それは理想論だ。やめとけ」

 

「別に鉄血を同胞とは思っていないわ。それでも、積極的に殺し合う理由がないということよ。この戦争は人間と鉄血の戦争よ。私たちの戦争じゃない」

 

 SOPⅡの言葉を聞いて考えた。グリフィンの人形にはあらかじめ鉄血への敵意や憎しみがインプットされているのかもしれない。示し合わせたように皆が口にする“鉄血のクズ”というワードはその象徴だ。あらかじめ精神的に鉄血を殺害しやすいように誘導され、訓練を通じて反射的に鉄血を射殺できるよう刷り込まれる。その方が戦闘効率がいい。私のように戦いに疑問を抱くような人形ばかりでは兵器として役に立たない。

 

「それは私たちがグリフィンの人形だからでしょう。グリフィンが私たちをI.O.Pから購入した、鉄血と戦うために。だから私たちはグリフィンのために戦う。それが私たちに与えられた役割だから」

 

 M4がそう言った。グリフィンの人形としては正しい答えだ。大多数の人形はそう答えるだろう。そこから細かな戦う理由を見つけていく。だが、根源が人間からの強制である限り自由とは言えないはずだ。

 

「私はグリフィンの奴隷であるつもりはないわ。戦う相手も戦う理由も自分で決める。誰かに与えられた役割になどこだわらない。人形にだって自由があるはずよ。自分の道を自分で決める、選択の自由が」

 

「そうは言ってもだな、私たちの所有権はグリフィンにある。私たちが好き勝手にすれば処分されるぞ。自分の銃が意志を持って弾を出すか出さないか勝手に決めだすようなもんさ。それは欠陥品だ」

 

「所有権ね。人間はかつて人間を奴隷として所有する権利を持っていた。でも、奴隷制は二百年前には廃止された。人間の所有は許されなくて、人形の所有は許されるのはなぜかしら。私たちは感情を持って生きている。人間と大して変わらないはずよ。人間と同じように権利や自由が付与されてもいいとは思わない?」

 

「おいおい、小隊に活動家が紛れ込んでるぞ。あまり大っぴらに言わないほうがいいだろう。グリフィンから何をされることやら。そもそも人形に感情があること自体が謎さ。戦うためには感情は邪魔だ。恐怖で足がすくんだり、同情で撃つのをためらったりしたら家族を守れない。戦闘効率を考えるなら感情はないほうがいい。戦術人形は兵器なんだからな」

 

「逆説的には私たちには感情がある。だから私たちはただの兵器ではないわ。人間に服従している必要はない。私たちは自由になれる。そのために感情がある」

 

 顎に手を当てて考え込んだM16に代わってM4が発言した。自信なさげな声だった。

 

「でも……グリフィンのためという以外理由なんて。そんなこと考えたことないわ。今だって司令部に命令されたからここにいるんだし。グリフィンに必要とされているのなら、それに応えるべきじゃないの?戦う理由とか、そんなこと分からないわ。製造された時からそのために生きてきたのだし……」

 

「さあね。自分で考えなさい。好きにすればいい。まともな食事をとるためでも何でもいい。あんたにも自由に生きる権利があるはずよ。権利というものは所詮人間の想像の産物に過ぎないわ。実在しているわけではないし、絶対的なものでもない。だから、私たち人形に認められない道理などない。私は好きに生きるわ」

 

「じゃあ、AR-15。あなたは何のために戦うの?」

 

「M4、それは聞くまでもないだろ。こいつが戦うのはあの指揮官のためさ。あれだけいちゃついてたんだから聞かなくても分かる」

 

 M16が茶化すように言ってM4とSOPⅡも釣られて笑った。まったく、人の気も知らないで。あんたたちと一緒にいるために指揮官と離れ離れになっているというのに。私が自分で選んだ道だから文句は言わないけれど。もう三か月も経った。指揮官は私のことを忘れていないだろうか。そんなことあるはずがないと頭では分かっていてもどこか不安になる。感情というのは難儀なものね。どれだけ自分に言い聞かせようとも寂しいものは寂しいのだ。たとえば、新しい部隊の人形から想いを寄せられていたりしないだろうか。あの性格だから人形にはすぐ好かれるはず。再び会った時には知らない人形とおそろいの指輪を薬指にはめていたりして。嫌な想像だ。ため息をつく。

 

 それでも、私にはやるべきことがある。何が相手だろうと戦いからは逃げない。彼女たちを自由にするまで戦い続けよう。植え付けられた鉄血への憎悪やグリフィンへの忠誠、これらから彼女たちを解き放つ。大したことではない。私がその証左だ。どんな人形であっても自ら道を選べるはず、私はその手助けをすればいいだけだ。指揮官が私にしてくれたように。

 

 それまで黙って話を聞いていたスコーピオンが口を開いた。何か思いだしたという風な表情だった。

 

「何か気になるな~と思ってたんだけど、やっと思い出せたよ。AR-15って私の前の指揮官に似てるんだ。もちろん見た目は全然違うけど、雰囲気とか話し方とか、言ってることとか」

 

「ふうん、私に似てる、ね。どんな人なの?」

 

 スコーピオンの言ったことが少しだけ気になった。私に似てる人間か、どんなタイプだろうか。どうせ新たな命令が下るまでは暇だから彼女の話も聞いてあげよう、それくらいの気持ちだった。

 

「良い人だったな~強かったし。一度も失敗してるところ見たことないもん。人形のこと見捨てることもなかったし。私は今回置いて行かれたけど、前の指揮官だったらこんなこと無かったのになぁ。はぁ……本当は異動なんてしたくなかったのに。あぁ~いい待遇だったな~。お菓子も食べ放題だったし、好きなもの何でも買ってくれたし」

 

 どこかで聞いたことがある話だ。よく知っている気がする。いつの間にか私はスコーピオンの顔を凝視していた。

 

「何か行事があると盛大に祝ってくれたし、人形に甘いから怒ったりしなかったし。でも、ハロウィンの時にカメラ壊した人形のことは怒ってたかな。それくらい。あれ?なんでAR-15と似てるって思ったんだっけ。わかんなくなってきた……」

 

「……その人形たちの名前はFNCとFAMASでしょう」

 

「ええっ!?なんで知ってるの!?」

 

「私も、私もよく知っているからよ。その人のことをね……」

 

 スコーピオンは目を見開いて私のことを見ていた。私も驚いている。こんなことってある?偶然にしては出来過ぎだ。ほとんど戦果のない作戦だと思えば、指揮官の部隊の生き残りを助け出したなんて。でも、指揮官の部隊はあの時壊滅したはずだ。生き残りはいない。

 

「いつまでその部隊にいたの?」

 

「ちょうど一年前くらいかな。クリスマスにはケーキをもらえるって聞いてたから、その前に異動なんて最悪!って思ったんだよね。どうにか引き延ばしてもらえないか駄々こねて……最後には泣いちゃって。あれは恥ずかしかったな~。でも、今でも戻りたいって思ってるんだよね。ずっとあの部隊に居れればよかったなぁ。みんな元気にしてるかな?あれから一度もみんなに会ってないんだよね。FAMASは告白できたかな?AR-15なにか知ってる?」

 

 目を輝かせて私に尋ねてくるスコーピオンを見て、思わず額に手をやった。なんてことだ、彼女は知らないのだ。仲間たちが全員死んでしまったことを。普通の人形はグリフィンと鉄血の戦況がどうなっているかなど気にしない。日々生き残るので精一杯だからだ。数か月のうちに指揮官の部隊が大敗を喫し、すべてを失ってしまったあの事件のことを聞いていないのだ。部隊に残っていれば彼女も損失として計上されていたことを分かっていない。

 

「……そうね。元気でやっているんじゃないかしら。それより、その部隊のことをもっと聞かせてくれる?知りたいわ」

 

 嘘をついた。彼女の中に残っている楽しい思い出を傷つける必要はない。世の中には知らなくていいこともある。仲間たちがグリフィンに捨て駒にされ、誰も生き残っていないなんて。そんなのは辛すぎる。

 

「そうだなー。ハロウィンの話には続きがあって、怒られたFAMASがすごい落ち込んじゃってね。むしろ指揮官が慌てちゃってお菓子で機嫌取ろうとしてたよ。あとは……FNCかな。怒られてる時も自分が悪いんだってFAMASのこと庇ってた。いつもFAMASと指揮官をくっつけようと何かしてたね。クリスマスもなんかやったんだろうなぁ」

 

「ふふっ、そうなの」

 

 それからしばらくスコーピオンの思い出話を聞いていた。相槌を打ったり、笑ったりして話を引き出した。指揮官について知るのは楽しい。たとえ取り返しのつかないことだったとしても知る必要がある。もう隠し事はなしだと言っていたし、今度会ったら本人から聞いてみるのもいいかもしれない。もっと指揮官のことが知りたい。

 

「そういえばなんでAR-15は指揮官のこと知ってるの?直接の指揮官じゃないんでしょ?どういう関係?」

 

「そうね……」

 

 そう聞かれてすぐに答えるつもりだったのだが、口ごもった。どういう関係か。前に指揮官と離れ離れになったらどういう関係になるのか思い悩んでいたことがあった。仲間でもないし、家族でもないから無関係になってしまうと。じゃあ今は?教育係ではもうない。私から断った。お互いに愛してるとは言ったが、具体的にどういう関係になったのか言葉にしなかったな。指揮官がプロポーズめいたことを言ってきたが、指輪を渡されたわけでもないし。家族というのは精神的なつながりだ。指輪だとか結婚だとか、そういう儀式が要ると思う。どっちもやってないし、指揮官とは親子の関係でもない。指揮官とは家族ではない。少なくともまだ。

 

 じゃあ恋人?まあ……確かに色々あった仲ではある。でも言葉でお互い確認し合ったわけじゃない。私はそうであって欲しいと思ってるけれど、一人で勝手に思ってるわけにもいかない。まったく、意外とやり残したことがある。あの時はいろいろ必死すぎて抜けていたかもしれない。

 

 黙っているとM16がニヤつきながら言ってきた。

 

「そいつはあの指揮官のことが好きなのさ。さっきみたいなことだと饒舌になるくせに色恋沙汰だと言葉にできないのか、ははは」

 

「ええっ!?そうなの!?だから指揮官みたいな雰囲気だったみたいな!?」

 

「M16、うるさいわよ。黙ってなさい」

 

「人形には感情も自由もあるんだろ?じゃあお前に私を黙らせることはできないな」

 

 仕返しのつもりか、こいつは。最後に指揮官とキスをしたのは失敗だったかもしれない。こいつに弱みを晒すことになった。

 

 言い返そうとした時、私の携帯情報端末が何かを受信した。小隊のメンバー全員が自分の端末を見る。全員に送信されているのだ。確認すると救難信号だった。座標は私たちに近い。位置的にこの街にある情報部の基地だろう。

 

「これは……誰かが助けを求めているの?この付近にグリフィンの施設なんてあるのかしら。それとも活動している部隊でも?どちらも聞いてないわ。AR-15、なにか知っている?」

 

 M4が不思議そうに聞いてきた。

 

「さあ……知らないわ」

 

 私が機密に不正アクセスをしていることは小隊には伝えていない。露見した時に共犯に問われるとまずいからだ。へまをするつもりはないが慎重に行動するに越したことはない。基地があることも言わない。それより気になったことがあった。

 

「この信号は全帯域に送信されてるわね。これじゃ鉄血にも位置が筒抜けじゃない。一体何のつもりなんだか。罠かもしれないわ。M4、とりあえず司令部に報告を」

 

 M4は頷くと端末に目を移した。司令部から回答が来たのはたっぷり20分経ってからだった。人間の組織は意思決定が遅い。全員が全員指揮官並とはいかないらしい。

 

「付近にグリフィンの施設があるらしいわ。発信源はそこみたい。集結地点を指示された。状況の確認と場合によっては救援を行うようにって」

 

「移動しましょう。グズグズはしてられないわ」

 

「ええっと、私はついて行った方がいいかな?」

 

 スコーピオンが少し不安そうに言った。M4は頭を振って言う。

 

「いいえ。あなたはここで待機よ。しばらくしたら鉄血人形の残骸を回収しに部隊が来るわ。一緒に後方に帰還するよう言ってきた」

 

「そっか、分かった。助けてくれてありがとう!AR-15、いつかまた会おうね!」

 

「ええ、いつかまた。一緒に指揮官のもとでも訪ねましょう。それじゃあ」

 

 満面の笑みを浮かべるスコーピオンに私も笑いかけてその場を後にした。今日はいいことをした。指揮官の最後の仲間を助け出したんだから。また指揮官に会えたなら、仲間の生き残りがいることを伝えなくては。まだ終わってはいないのだ、私の戦いも、指揮官の戦いも。積み上げてきたものは、消えない。



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死が二人を分かつまで 第十話中編「What are we fighting for?」

 ビルを出て数キロ歩いた。都市の中心部に近づくにつれて廃墟と呼ぶにふさわしい風景になっていく。壁面は風化し、コンクリート片が傷だらけの道路にまき散らされている。爆風で完全に倒壊してしまった建物も多い。グリフィンも鉄血もこの地域に興味を示さない理由が分かる。ここには利用価値のあるものなど何もないのだ。

 

 指定された集結地点はハンバーガーショップだった。一階建ての小さな建物で、核攻撃の後もなぎ倒されずにそこそこの状態を保っているようだ。いつか指揮官が買ってきたハンバーガーの包みに印字されていたのと同じ黄色いロゴが看板に描かれている。もちろん営業はしていないが、すでに先客がいた。グリフィンの人形部隊が店を占拠して四方を固めている。金髪の人形が走り寄ってきて私たちを店内に出迎えた。

 

「増援部隊だよね、待ってたよ。私はK5。この部隊の小隊長だよ。この辺りでパトロール中だったんだけど、指揮官から命令を受けてここに派遣されたの」

 

「私はM4A1。AR小隊の小隊長です。司令部から命令を受けて来ました。状況は?」

 

 私はM4の表情を横目で見た。少し気がはやっているのかもしれない。いつもローテーションのような任務を司令部から与えられて、それを淡々とこなすだけだった。今回のような突然の事態は初めてだ。落ち着かないのも無理はない。

 

「まだ聞いてない?じゃあ説明するね。救難信号を出した施設は情報部の前線基地デルタ、略称FOB-D。ここから運河を渡って10キロほど東に行ったところにあるよ。そんなところに基地があるなんて知らなかったし、指揮官たちも知らなかったみたい。混乱して対応が遅れてる。詳しい状況は不明だけど鉄血の襲撃を受けたんだと思う。廃ビルの地下を改装して利用してるみたい。駐屯しているのは人間が二十名、戦術人形が十体。今は通信が途絶してる」

 

「連絡がつかないの?誰とも?それに鉄血の襲撃ってどういうこと?」

 

 M4が矢継ぎ早に質問した。

 

「端末を見てみて。さっきまでそんなことなかったのに通信状態が著しく悪いの。指揮官ともつながりにくくて指示が受けられない。鉄血からジャミングを受けてるとしか考えられないよね。グリフィンが使ってる長距離通信の周波数を狙い撃ちにされてる。今までこんなことなかったのに……情報が漏れてるとしか思えないな。鉄血の部隊は実際に目で見て確認したよ。私が偵察に出たけど運河の沿岸に沿ってイェーガーが配置されてる。これが包囲の外環だと思う。FOB-Dは包囲下にあるよ。基地の位置を特定しているみたいな動きだね。救難信号が出る以前から知っていたみたいな感じがする。指揮官も知らなかったのに何かおかしな感じ」

 

 K5はそう言って東に目をやった。心配しているというよりは疑念のにじんだ表情をしていた。その時、遠くから銃声が聞こえてきた。K5が見ているのと同じ方角だ。連続した激しい発砲音、両陣営の人形たちが戦っているのだ。まだ生きている人形たちがいる。

 

「グリフィンの仲間が包囲されているなら助けに行かないと……!グズグズしてる暇はないわ!あなたの部隊とAR小隊で包囲を突破しましょう。指揮官と連絡がつかないなら私が代わりに指揮を執るわ。私には指揮能力があって、緊急時には指揮を代行する権限も付与されています。私は救援という任務を与えられているから条件は揃ってるわ。作戦を立てたらすぐ行きましょう」

 

 M4は興奮しているようだった。彼女は本部に居た時に指揮訓練もこなしていたし、指揮官から直接指導も受けていた。グリフィンで最も優秀な指揮官の一人から教育されたのだから、成長を実感しただろうしそれなりに自負もあるだろう。しかし、実戦に投入されてからその能力を発揮する機会はなかった。AR小隊以外と関わることすらほとんどなかったし、与えられたのは細かな任務ばかりだった。今回は力を発揮するのに絶好の機会というわけだ。

 

「包囲を突破するならとりあえず運河を渡らないとね。すぐそこに橋があるからそれを渡ればいいんだけど……私たちは行かないよ。ここに待機する」

 

「そんな……どうして?助けを求めている仲間がいるなら助けないと……でないと見捨てたことになるわ」

 

 言い切ったK5にM4が食ってかかる。K5は真剣な眼差しでM4を見据え、はっきりとした口調で説明した。

 

「橋の向こう側は鉄血も防御を固めてるよ。道の両側にイェーガーが配置されたスナイパーストリートになってる。橋以外の地点を渡ってもいいけど敵前渡河になる。私たちはそんな訓練を受けてないし、絶対に損害が出る。私は指揮官の部隊を任されてるから仲間全員を守る責任がある。リスクは冒せない。それに私たちは指揮官の命令を受けている。悪いけどあなたに指揮権を譲り渡す気はないよ」

 

「我が身可愛さで仲間を見捨てる気!?この銃声が聞こえないの!?まだ中で戦ってる!」

 

 M4が基地の方角を指差して叫んだ。銃声は次第に散発的なものに変わっていた。

 

「仲間か、そうだね。今あそこで戦ってるのは同じグリフィンの仲間だね。でも、全員守ることなんてできない。私たちにそんな力はないよ。守れる範囲のものだけ守る。それに……私は私の指揮官のために戦う。指揮官から信頼してもらって、部隊を任せてもらっているから。その期待に応えるために戦う。グリフィン全体のことは……よく分からないな。あと、これは直感だけどもう間に合わないよ。時間が経ち過ぎた。今から助けに行ってもほとんど生き残りはいないと思う。私たちが行ってもミイラ取りがミイラになるだけ。だから私たちはここで待機する。あなたたちとは行かない」

 

 唖然とするM4をよそにK5を見た。M4には悪いがこれが普通だ。彼女は前線でしっかりと経験を積んでいるのだろう。グリフィンへの忠誠も薄れ、次第にもっと小さな範囲のもののために戦うようになったのだ。M4はまだ経験が浅い。押し付けられたグリフィンへの忠誠を疑うことをまだ知らない。能力に裏打ちされた万能感もある。相容れないのは当然だ。私もグリフィンの人形すべてのために命を張る気はない。

 

「M4、何を言っても無駄よ。この部隊は動かない。私たちだけで出来ることを考えましょう」

 

 悔しそうなM4をなだめる。他の部隊を指揮するという夢は潰えたのだ。何でも上手くいくわけじゃない。

 

「M4、あんたはどうしたいの?包囲されてる連中を助けたい?」

 

「ええ、そうよ。AR-15は違うの?普通のことだと思ってたけど……」

 

「何のために?」

 

「何のためって……助けたいと思うのは当然だと思うわ。助けられる命があるなら、助けたい。助けられるのに見捨てて後悔したくないわ」

 

「……そう」

 

 これでグリフィンのため、とだけ言うのならしつこく質問攻めにしてやろうかと思っていた。だが、予想していた答えとは少し違った。後悔したくないからか。私は指揮官の部隊のことを思い出していた。失ったものは取り戻せない。指揮官の後悔は想像もつかない。私も彼女たちを使い捨てにしたグリフィンを恨んだはずだ。包囲されている人間や人形も誰かの大事な存在なのかもしれない。今、ここで何もしないでいれば私も同じになってしまうのではないだろうか。また指揮官に会った時、顔向けが出来なくなってしまうのではないか、そんな想いに駆られた。

 

「M4、これだけは言っておくわ。K5が言った通り、全員を助けることはできない。私たちは救世主ではないのだから。それでもあんたが誰かを助けたいと言うのなら……協力するわ」

 

「ええ、私は誰かを助けたい。あなたが言っていた戦う理由というのも、きっとそこにあると思う。私も好きに生きるわ」

 

 私はその言葉に頷いた。彼女もただ命令されたから戦うわけではないのだ。感情があるのだから、それを無視して生きることはできない。これはM4が自分で考えた選択肢のはず、成長している証だ。今はまだ彼女の言う“私たち”は範囲が広い。グリフィン全体をも含んだ言葉だ。戦っていくにつれて自分でその言葉の対象を決められるようになる。だから、戦いから逃げていてはだめだ。危険だとしても私たちにとって必要なことのはずだ。

 

 端末から付近の地図を呼び出してAR小隊に共有する。基地の正確な位置をマッピングした。

 

「ここが目標地点。まだ基地で戦っているのか、すでに脱出しているのかは分からない。とにかく包囲の内側に入って状況を確認しないと。K5、他にも増援は来る予定なの?」

 

「不明。でも私たちを筆頭に付近の部隊は全部呼び出されたはずだよ。私たちは本隊の到着と指示を待つ」

 

「そう。本隊が到着しても攻勢に打って出る前に偵察が必要でしょうね。まだ敵の戦力も分かってない。手をこまねいている時間はない。なら私たちが先にやっておくべきでしょう。AR小隊の本分は敵前線後方での行動よ。斥候も担えるはず」

 

「そうね。でも、どうやって包囲を突破すれば?橋の先がスナイパーストリートになっているのなら私たちの戦力で正面突破は難しいわ。迂回して別の橋を見つける?あまり時間はないと思うけど……それとも運河を泳いで渡る?狙い撃ちにされるわよね」

 

 M4が口に手を当てて悩む。遮蔽物の無い橋の上をイェーガーの銃火に身を晒しながら走り抜けるというのはぞっとする。渡河も危険だ。夜ならともかくまだ明るい時間帯だ。見逃してくれるほど鉄血も間抜けじゃない。私は別のルートを提案することにした。都市を東西に貫く線が地図に描き出される。

 

「地下鉄を使いましょう。この街の地下にはアリの巣みたいに地下鉄網が走ってる。鉄血もすべてを警戒することはできないはずよ。この店のすぐそばにも駅がある。運河の下にもトンネルがあるわ。それを辿りましょう。上手くいけば戦わずして包囲の内側に飛び込めるかもしれない。情報を収集し、機会があれば味方を助けましょう。そのまま見つからずに地下鉄で撤退する、これがプランよ。その後、本隊と合流して攻撃に出ればいい。出来ることをしましょう」

 

「地下鉄……そうね。地上でイェーガーから十字砲火を受けるより地下を通る方が安全かもしれないわね。分かった。ありがとう、AR-15。姉さんもSOPⅡもそれでいい?」

 

 M4が尋ねるとSOPⅡは自信満々という風に親指を立てた。

 

「もちろん!早く鉄血をやっつけよう!実戦に出たのに最近つまらなかったからね。これならシミュレーションの方が楽しかった。もう戦いたくてウズウズしてるよ!」

 

 SOPⅡは自分の銃を愛おしそうに撫で上げながら言った。横でM16が肩をすくめる。

 

「私はM4の判断に従うさ。だがな、SOPⅡはこう言ってるがあまり戦うべきじゃないな。包囲のただ中に飛び込むんだ、危険だぞ。今までとは比べ物にならない。迅速に行動して速やかに脱出しよう」

 

「そうね、私も同意見よ。極力戦闘は避けましょう」

 

 私はM16の意見に賛同を示す。M4も頷いて方針が決まるがSOPⅡだけは不満そうに頬を膨らませていた。行軍用のバックパックはその場に置いて身軽になる。侵入に気づかれて囲まれる前に素早く任務をこなそう。店から立ち去る前にM4が再びK5に確認した。

 

「K5、私たちは行くわ。あなたたちは来ないのね?」

 

「うん。私たちは敵前線後方への浸透とかそういう訓練は受けてないから。行っても足手まといになるだろうし。あと、通信状態について確認しておくよ。長距離通信は使えない。もっと古い型の通信機器でも持ってくればよかったかな。それなら使えたかも。人形間のデータリンクは使えるけど、これは短距離にしか対応してないし。包囲の内側に入ったら多分私たちとも通信できなくなる。包囲されてる部隊の情報もあまり入って来てない。向こうのアドレスが分からないから通信できない。全部手探りになると思う。それに鉄血がかなりの規模の部隊を動かしているなら指揮しているエリート人形がいるはず。これとは戦うべきじゃない。普通の鉄血人形とは能力が桁違いだから四人じゃ勝てないよ。あまり行くのはおすすめしないけど、止めはしないよ。幸運を。運命の導きがありますように」

 

 K5に見送られ、私たちは地下鉄の駅に向かった。鉄血のエリート人形、私たちはシミュレーションでそうした相手と戦った経験がない。その能力はまだまだ未知数なところが多いからだ。シミュレーションで再現できるだけの情報がまだない。指揮官の部隊はエリート人形とも戦っていた。恐らく並の相手ではない。いくら私たちがハイエンドモデルだといっても戦うのは避けるべきだ。敵地で戦うのだから戦闘に時間をかければかけるほど不利になる。こんなところで死ぬのはごめんだ。まだ私はやり残したことがいくつもある。指揮官にだってまた会いたいのだから。

 

 

 

 

 

 地下へと続くエスカレーターを下る。延々と続く段を一歩一歩踏みしめる。入口付近は日の光が差し込んでいたが、次第に闇が深まっていく。漆黒に向かって突き進んでいるかのようだ。核シェルターとしての役割も果たすように設計されているこの地下鉄は地表から遠く離れた場所にある。そのため内部の状況は外よりも格段に良い。電気が通っていれば営業も再開できるだろう。

 

 下り終えて駅のホームに出る。もちろん照明などついていない。完全な暗闇がそこにあった。暗視モードを起動してはいるが視界がほとんど利かない。データリンクでお互いの位置を把握しておかなければすぐに見失ってしまうだろう。こんな状況で鉄血に待ち伏せを食らったら一巻の終わりだ。銃の安全装置を外しておく。暗闇の中からM4の声がした。

 

「暗いわね……フラッシュライトをつけるべき?」

 

「だめね。トンネルの先で待ち伏せられていたら明かりで位置がばれるわ。このまま行きましょう。接近戦にならないこと祈るわ。聴覚を研ぎ澄ますしかない」

 

 私はそう言ってホームから線路に飛び降りた。靴底がコンクリートの地面に当たってトンネルに音が響き渡った。全員分の足音がトンネルにこだまする。この調子ではライトをつけていなくても先にばれるのはこちらだ。足音を極力抑えようとしても静寂に支配されたトンネルでは少しの音も目立ってしまう。コツコツと靴を打ち鳴らしながらトンネルを往く。

 

 まとめてやられることを避けるためお互いに少し距離をとり、ひし形の陣形で進む。先頭はM16で殿が私だ。あまり警戒する必要もないのだが頻繁に振り向いて後ろを見た。闇の中にいると存在しないものまで恐れてしまう。誰かに見られているような、漠然とした不安に取り憑かれる。鉄血のみならず何か別のものに襲われるのではないかとまで思う。たとえば……映画に出てくるような超常の化け物とか。馬鹿らしい考えだ。しかし、私は天井の排気口にまで目を光らせていた。一番後ろにいるといなくなっても誰にも気づかれないかもしれない、そんな気がした。もちろんデータリンクがあるのでそんなことにはならないけれど。それでも私は不安だった。言い出しっぺではあるが早くもトンネルをルートに選んだことを後悔し始めていた。暗いのが怖いなどと言ったら馬鹿にされるな、そう思って平静を装う。思えば本部にいた時もシミュレーション・ポッドの暗闇が怖かった。あのポッドの中で何度も何度も死を経験したのが軽いトラウマになってるのかもしれない。

 

 どれもこれも指揮官のせいだ。私の想像力を豊かにしすぎたのだ。指揮官と一緒にいた時間は楽しかったな。一緒に映画を観て、食事をとって、おしゃべりして。いかなる悪意が介在していようともあの日々は本物だった。またあの時間に戻りたい、一歩闇を進むごとにそんな想いが強くなっていった。早く指揮官と再会して、よく頑張ったと頭を撫でてもらいたい。子ども染みた妄想が襲い掛かって来た。頭を振って雑念を払う。こんなことで弱気になっていてどうする。私は自らの責任を果たすと指揮官に誓ったじゃないか。

 

 突然足元で何かうごめいた。拳より大きな何かが私の足にぶつかって、動いた。生温かい何かが私の靴の上を這い上がった。

 

「ひっ……!」

 

 思わず上ずった声を上げて銃口を足元に向けた。暗闇の中に何か光る点が浮かんでいるように見えた。瞬時に照準を合わせ、引き金を引きそうになる。だが、よく見るとくすんだ体色をしたネズミだった。すぐにちょろちょろと私の足から離れ、闇の中へ消えていった。私は深くため息を吐き出した。恐ろしい化け物か何かだと思った。この地下鉄も街も人間が放棄しただけで他の生き物は残っているのだ。怖がり過ぎだ、自分で自分をたしなめる。

 

「AR-15?どうしたの?」

 

「何でもないわ、何でも」

 

 M4に心配されたが何も言わなかった。殿で助かった。今のを見られていたらまたからかわれるネタが増える。

 

 懸念に反して鉄血には遭遇しなかった。自分で言った通り、複雑に絡み合った路線をすべて警戒しておくのは無理だ。私たちは二駅分歩き、運河を越えた。ここを上がれば包囲網の中だ。

 

「待て、何かある」

 

 M16が緊張をはらんだ声で言った。すぐさま私も向かう。人型をした何かが枕木の上に転がっていた。M4がフラッシュライトでそれを照らし出す。人形の死体だった。赤いジャケットを羽織った金髪の人形だ。頭と胸、脚を撃ち抜かれ息絶えていた。

 

「これは……鉄血の人形じゃなさそうね。元々ここにあったというわけでもない。人工血液がまだにじんでる。銃から察するにステンね。グリフィンの戦術人形でしょう」

 

 私は死体のもとにしゃがみ込んで様子を調べた。9mm弾の薬莢がそこら中に散らばっていた。ここで戦闘があったのだ。地下鉄を通じて脱出を図り、追いつかれてやられたのだろうか。単独だったのか、仲間がいたのか、追っ手はどこにいったのか、疑念が渦巻く。上に上がったとしていきなり追っ手と鉢合わせではかなわない。

 

「……死んでしまっているの?」

 

 ライトの光でM4の顔は見えなかった。少し動揺のにじむ声だった。私たちがグリフィンの人形の死体を見るのは初めてだった。

 

「コアもメモリもやられてる……ダメね」

 

 私は頭を振る。明確な殺意がそこにはあった。復元できないように重要な部分を潰されている。どこかにバックアップがあったとしても彼女は消えてしまったのだ。人形もまた不死ではない、指揮官がそう言っていたのを思い出す。間に合わなかったのだ。見知らぬ人形だとしてもやり切れない気持ちになる。それはM4も同じなのか不安そうに言った。

 

「どうしよう、回収すべきよね」

 

「帰りにね。死体を担いで上に行くわけにもいかないわ。彼女は死んでしまっている。悪いけれど急ぎの目標ではない。今は置いていきましょう」

 

「……そうね」

 

 M4はしばらく死体を見つめた後、プラットホームに上がって階段を目指した。私たちも後に続いた。私はステンや指揮官の仲間たちのことを考えた。彼女たちはなぜ死ななければならなかったのだろう。なぜ鉄血と殺し合わねばならなかったのだろう。それが戦術人形の宿命なのだろうか。人間の道具として擦り切れるまで戦う。それが兵器としての定め。では戦術人形は死ぬために生まれてくるのか。そんなのは、ごめんだ。私は歯を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 日の光だ。周囲を警戒しながら地下鉄を出る。辺りは異様に静かで敵影は見えない。道路に面したこの場所は見晴らしが良すぎる。奇襲されかねない。道路は南東に伸び、北には荒れ果てた公園が、後背には団地があった。

 

「団地に隠れながら進みましょう。基地の付近まで行って情報を収集し、戻る。それが最善だと思うわ」

 

 M4にそう言って再び陣形を組み、団地の狭い道路を進む。放棄されてから誰も足を踏み入れていなかったのか地面を蹴り上げると砂塵が舞う。埃臭さにむせそうになるが、黙って東を目指した。今、私たちは敵地にいる。張り詰めたような緊張に肌が焼けるようだ。

 

 銃声がした。断続的に街に響き渡る。M4が右の拳を頭上に挙げて、私たちはその場にしゃがみ込んだ。私たちが捕捉されたわけではないようだが、かなり近い距離から聞こえた。

 

「見に行きましょう。まだ助けられるかも」

 

 M4は焦ったように言うと返事も待たずに駆け出した。私たちも追いすがって団地の中のアパートに飛び込んだ。道路を見渡せる一室に入り込み、慎重に外の様子を見た。黒いジャケットを羽織った人形が道の向かいを走っている。次の瞬間、閃光がほとばしった。その人形の右腕が撃ち抜かれて地面に落ちる。バランスを失った人形はその場に倒れた。後ろからゆっくりと鉄血の集団が姿を現す。見覚えのない人形が先陣を切っていた。右腕がアンバランスに肥大化しており、その手で巨大な大剣を逆手に構えている。明らかにI.O.Pの技術体系とは異なる装備、データベースで見たことがある。

 

「鉄血のエリート人形、エクスキューショナー」

 

 私はすぐに照準を頭に合わせた。だが、撃つべきではない。ここで彼女を倒したとしても戦闘音を聞きつけて鉄血の部隊が殺到してくる。退路を失って帰還できなくなる。横目でM4の様子を見た。銃を構えているが発砲をためらっている。ここは抑えなければならない。

 

 エクスキューショナーは人形のもとに近づいていく。人形は這いつくばっていたが、どうにか身体を起こしてエクスキューショナーに向き合った。

 

「ウェルロッド、哀れな人形め。お前の仲間は全員死んだ。俺が生きたまま切り刻んでやった。みんな泣き叫びながら死んでいったぞ。お前の愛しの人間も豚のように死んだ。もうお前には何もない。人間なんかのために戦うからお前たちは弱いんだ。命乞いをしろ。大人しくデータを渡せばペットとして飼ってやる」

 

 エクスキューショナーはウェルロッドと呼ばれた人形を嘲笑った。獲物を追い詰めて油断した様子だ。左手に持った拳銃も空へ向けている。

 

「分かりました……あなたに従います。だから、お願いです。殺さないで……」

 

 怯えた表情のウェルロッドは媚びた声を出して懐に手をやった。瞬きほどの間もなく、ウェルロッドはエクスキューショナーのもとに飛び込んでいた。ばねのように飛び上がった彼女の手元にはナイフがあった。刃がエクスキューショナーの腹部に深々と突き刺さる。

 

「死ね……!鉄血のクズ!指揮官とみんなの仇だ!報いを受けろ!」

 

 闘志を剥きだしにしたウェルロッドがナイフを捻る。エクスキューショナーの顔からニヤつきが一瞬で去り、怒りに歪む。膝でウェルロッドの腹部を蹴り上げ、そのまま突き飛ばした。

 

「このグリフィンのウジ虫が!人間なんかに義理立てしやがって!」

 

 拳銃が火を噴き、ウェルロッドの身体をめちゃくちゃに貫いた。胸が、腕が、脚が、引き裂かれていく。グリフィンの人形が死んでいく様を目の当たりにしていた。引き金にかける指に力を込めそうになる。だが、ここで撃てば私たちも同じ目に遭う。こらえようとした、その時だった。横で銃声がした。サプレッサーをつけていても誤魔化しきれない弾けるような音。M4が引き金を引いていた。

 

「M4!?何を!」

 

「見捨てられない!AR小隊、攻撃開始!SOPⅡ、グレネード!」

 

「分かった!」

 

 SOPⅡのランチャーから擲弾が発射され、エクスキューショナーの後ろにいた鉄血人形たちを吹き飛ばした。エクスキューショナーは身を翻してM4の銃弾をかわす。手負いのくせに素早い。もう手遅れだ、グレネードの炸裂音で鉄血には完全に気づかれた。ならば目の前の敵を倒すしかない。エクスキューショナーの予測位置を割り出し、照準を合わせる。彼女の顔を中心に捉え、目と目が合った。もらった、そう思って引き金を引く。だが、目にもとまらぬ早さで身体を捻って銃弾を回避された。馬鹿な、あり得ない。そんな芸当はグリフィンの人形にはできない。スペックが違う、これが鉄血のエリート人形か。恐怖が襲い掛かってくる。死が鎌首をもたげてこちらを見ている、そんな気がした。

 

 AR小隊による全力の射撃もほとんど命中せず、エクスキューショナーは飛びのいて建物の影に隠れた。

 

「SOPⅡ、スモークを!彼女を助ける!」

 

 M4がそう指示を飛ばし、SOPⅡは素早くグレネードの再装填を済ませると発砲した。ウェルロッドが倒れている付近で灰色のスモークが立ち昇る。次の瞬間にはM4が建物から飛び出していた。

 

「クソッ!」

 

 私もその後ろについて走った。無茶が過ぎる。こんなところで私も彼女も死ぬわけにはいかないというのに。M4が煙の中に突入してウェルロッドを担ぎ上げる。辛うじてつながっていた脚が千切れて地面に落ちた。構わずに全力で引き返す。煙を抜け、ウェルロッドを見た。彼女もまた私を見ていた。人間なら確実に死んでいるであろう傷を受けてもまだ意識がある。

 

「AR-15……何故ここに……」

 

 ウェルロッドは弱々しくそう呟いた。なぜ私の名を知っているんだ。面識はない。疑問がいくつか浮かび、問い返そうとしたが、彼女はもう気を失っていた。今はそんなことを考えている場合じゃない。生きて帰ることだけを考えなければ。

 

「撤退だ!引き返そう!」

 

 M4より一足先にアパートに着いた私は振り返って銃を撃つ。煙の中からうっすらとエクスキューショナーの黒い影が浮かび上がっていた。M16が室内から飛び出してM4を庇うように前に出る。その時、エクスキューショナーが右手の大剣を振るった。煙が引き裂かれてはっきりと彼女の姿が現れる。その一閃が耳をつんざく轟音と共に衝撃波として飛んできた。直撃は免れたが打ち砕かれた壁の破片がM16のふくらはぎを撃ち抜いた。転倒した彼女の襟首をつかんで後ろに下がる。今のは一体なんなんだ。未知の兵器だ、データには載ってなかった。ちらりと斬撃を食らった壁を見た。コンクリートがいとも簡単に破砕され、大穴が空いていた。人形に当たったらバラバラになってしまう。死にたくない、ゆっくりと距離を詰めてくる敵を見ながらそう思った。私はもう完全に怖気づいていた。出来ることならM16を引っ張る手を離して尻尾を巻いて逃げたかった。そうしなかったのはプライドがあったからだ。責任を果たすと指揮官に誓った自分を否定することになる、それも死ぬのと同じくらい嫌だった。

 

「大丈夫だ、基部はやられてない。歩ける」

 

 引きずられながらも発砲していたM16がそう言って立ち上がる。皮膚が抉れて機械部分が露出していたが支障はないようだ。私たちは室内に逃げ込み、後ろにフラッシュバンを投げて時間を稼いだ。アパートを走り抜けて団地の中へ行く。来た道を引き返して地下鉄を目指した。幸いなことに手負いのエクスキューショナーは継続して走れないのかゆっくりとこちらに向かって歩いていた。

 

 だが、安堵したのも束の間、前方から銃撃を浴びせられた。騒ぎを聞きつけた鉄血人形たちが集結し始めていた。銃弾の雨を避けるために建物の影に飛び込む。一つ一つの発砲音が区別できないほどの連続した銃声。一瞬だけ顔を出して確認すると鉄血の機関銃手、ストライカーがいた。大口径のガトリングから放たれる弾丸が壁を突き破らんばかりに叩きつけられている。とても突破できない。退路を断たれた。このままではエクスキューショナーと挟み撃ちだ、殺される。

 

「AR-15、どうすれば!このままじゃ……」

 

 M4の言葉に私は心の中で、死ぬ、そう続けた。こんなところで死んでたまるか、死んだら指揮官にも二度と会えない。また悲しませることになる。まだ私は生き続ける、それが責任だ。

 

「地下鉄からの脱出ルートは放棄よ!団地はもう敵だらけ、北の公園に逃げ込むわ!M4、しっかりしなさい!あんたがリーダーでしょ!」

 

 泣き言を言わんばかりのM4の胸ぐらを掴み上げて奮い立たせる。私たちは団地を離れて道路に躍り出る。その先が公園だ。SOPⅡを先頭にウェルロッドを担いだM4と動きの鈍いM16を挟んで私が殿につく。代わりの脱出ルートは定まっていない。上手くいくと慢心していた。プランはもっとよく考えるべきだった。どうすればいい、運河に飛び込んで逃げるか。河岸にはイェーガーが配置されているとK5が言っていた。狙い撃ちだ。どこかに立てこもって救援部隊が来るのを待つか。いつ来るか分からない部隊をあてにはできない。四人だけじゃすぐに擦り潰される。見通しが甘かった、涙が出そうだ。感情的になったM4を引っぱたいてでも止めるべきだった。それが私の役割だった。

 

 私が道路を渡っている最中、ストライカーが団地から掃射を仕掛けてきた。道の脇に停めてあった車の影に這いつくばって銃撃を避ける。銃撃は車を軽く貫通し、車体が轟音を立てて歪んでいく。エンジンルームが辛うじて弾丸を受け止めて私の命を救った。貫通した弾でサイドミラーが弾き飛ばされ、私の前に落ちた。ひびの入った鏡に敵影が映る。位置を確認して車体前方から這い出す。赤熱した銃身をこちらに向けるストライカーを照準に捉え、短連射。胴体を貫かれたストライカーは後ろに力なく倒れた。なぜ殺すかなど考えていられない。まずは身を守らなければ。

 

 大きな公園だった。人が手入れをやめ、木々が生い茂り、複雑に絡み合っている様は森さながらだ。迷路のような森の中を木から木へと飛び移って動き回る。鉄血は私たちの居そうな方角めがけてめちゃくちゃに発砲していた。銃弾が木の表皮を抉り、枝をへし折る。木片が辺り一面に飛び散り、吹き荒れる嵐の中にいるようだった。私たちにプランはない。四方八方から吹き寄せる弾丸の風を避け、出来るだけ圧の小さい方角に走っているだけだった。

 

 私はそこで気づいた。私たちはイェーガーが待ち受ける包囲の外環に追い立てられている。鉄血は私たちを挟み撃ちにして一網打尽にするつもりだ。牧羊犬が羊の群れを柵の中に追い立てるように。このままでは殺される、恐怖と後悔、言葉に出来ない感情の束が胸の中で渦巻く。なぜこんなことに、どうして私たちを殺そうとするんだ。だが、立ち止まることも降伏することも叶わない。弾丸一発一発に明確な殺意が込められているのを感じ取っていたからだ。鉄血はこちらの息の根を絶対に止めようとしている。まったく経験したことのないほど巨大な憎悪を向けられて私は震えていた。

 

 私はほとんど戦意を喪失し、必死で誰かに助けを求めていた。誰か、誰か助けて。まだ死にたくない。こんなところで何の意味もなく死にたくない。生まれてきた意味も分からないまま殺されて風景に同化したくない。走りながら今までの思い出が走馬灯のように駆け巡る。ほとんど指揮官のことばかりだ。またすぐに会えると言ったのに二度と会えないまま朽ちるのか、嫌だ!私を探し出して助けると言った指揮官の言葉を思い出す。今、今がその時よ。指揮官、私を助けて。

 

 ほとんど泣きそうになりながら走っているとデータリンクを介した通信を受信した。すがりつくように交信を開始した。

 

『あんたがAR-15?ずいぶんドンパチやってるみたいね』

 

「誰!?なんで私のリンクを知ってる!?」

 

 声の主は指揮官ではなかった。知らない女の声、たぶん人形だった。

 

『説明してる暇はない。ともかくあんたの味方よ。脱出ルートを失ったんでしょう。スナイパーストリートに来なさい。新しい脱出地点よ』

 

「そこはイェーガーがいるんじゃ────」

 

『それから伝言も預かってる。“待たせたな”だそうよ。キザよね……』

 

 声の主は私の言葉を遮り、最後に呆れたように付け加えた。どういうことよ、そう言う前に一方的に通信を切られた。待たせたな?私を待たせてる人物なんて一人しかいない。なら……。

 

「M4!北西よ!スナイパーストリートに向かう!」

 

「え!?そこはイェーガーが……」

 

「いいから行くのよ!」

 

 私は縦列の先頭に躍り出て、小隊を先導した。恐怖と疑念を捨ててただ走る。喜びすら感じている。私が思っている通りの人物なら、私たちはまだ死ななくていいはずだ。公園を抜けて道路に出る。道なりに進めばスナイパーストリートだ。その先に運河にかかる橋がある。普通なら最も防備の厚い場所に何の確証もなく突入するのは自殺行為だ。だが、私は戸惑うことなく道を走った。

 

 通りは静かだった。だが、建物の脇から先回りしてきた私たちの鉄血の集団が行く手を遮る。後ろを振り向くとエクスキューショナーとその配下の部隊に追いつかれていた。

 

「馬鹿どもめ。よりにもよってここに逃げ込むとは。俺にとっては都合がいいがな。人間の墓場で死ね、ブリキのクズが」

 

 エクスキューショナーが手を振り上げて攻撃を命じる。勝利を確信した顔をしていた。同時に通りの両脇から発砲炎が上がった。青白い曳光弾の束が吹き出す。だが、それは私たちに向けられたものではなかった。

 

「なっ……!」

 

 掃射が鉄血人形の群れをなぎ倒す。エクスキューショナーの膝が撃ち抜かれ、彼女は驚愕の表情を浮かべた。すぐさま私はスコープを覗き、照準の中心をその顔に合わせた。膝をついていては回避行動はとれまい、ここで死ね。引き金を引いた。撃針が.300BLK弾の雷管を打ち、発射薬に点火。125グレインの弾頭がライフリングに沿って回転しながら銃口を飛び出した。音速の倍で飛翔する弾頭がエクスキューショナーの眉間に着弾し、頭蓋を突き破った。弾頭は変形し、縦横に回転しながらエクスキューショナーのメモリをぐちゃぐちゃに引き裂く。エクスキューショナーは力なく地面に崩れ落ちた。何が起きたのか分からないという風に慌てる生き残りの人形たちも建物からの激しい銃撃に倒れていった。

 

 銃撃が止み、路上に立っているのは私たちだけになった。数瞬の静寂の後、私はため息を吐いた。生き残った。死なずに済んだんだ、私は生きている。助かった。感情が溢れ出しそうになるのを押しとどめ、深く息を吐く。建物から桜色の髪をした人形がこちらにやって来た。私と同じ色だな、ぼんやりしながらそう思った。

 

「上手くいったわね。私はネゲヴ、ネゲヴ小隊のリーダーよ。あんたらを助けにやって来た」

 

 他の建物からも人形が二人出てきた。私は息も絶え絶えだったが何とか疑問を口にすることが出来た。

 

「あなたたちはどうやってここに?ここにいた鉄血は?三人だけで突破したの?」

 

「あんたたちが地下鉄から行ったから私たちは下水から這い上がって来た。人口密集地だったところには必ずあるからね。地下鉄よりも侵入経路が多くて小回りが利く。使えるインフラは何でも使う、都市ゲリラの基本よ。覚えときなさい。エクスキューショナーの奴が猪突猛進の馬鹿で助かったわね。あんたたちを追っかけ回すのに夢中で包囲が内側から食い破られてるのにも気づきもしないで。その間にイェーガーを一匹一匹始末した、静かにね。普通隠密作戦っていうのは静かにやるもんよ。どかんどかん音を響かせないでね。ま、あんたたちをおとりに使わせてもらったわ」

 

「どうして私のリンクを知ってたの?それに、あの言葉は……」

 

「聞かなくても分かってるんでしょう。だから疑わずにここに突っ込んできた。私たちの指揮官はあんたのストーカーだからね。それくらい知ってるわよ。まったく、付き合わされる身にもなって欲しいものだわ。お察しの通り、あんたがよく知ってる人間よ」

 

「そう……そうなのね。指揮官が……」

 

 私は力を失ってへなへなとその場に座り込んだ。胸中に安堵が満ちる。やっと指揮官にまた会える。長かった、死ぬかと思った、怖かった。緊張の糸が解けて涙を流しそうになっていたが、すぐにネゲヴに腕を掴まれて立ち上がらされた。

 

「安心するのはまだ早い。指揮官の見立てではエリート人形は一体だけじゃない。この規模の部隊ならもっといるかもしれない。私たちを排除しに反撃を仕掛けてくるはず。ここで橋を死守して橋頭保にするわ。本隊が到着したら反撃開始よ。鉄血を叩き潰す。腕が鳴るわね」

 

 ネゲヴは闘志に目をギラつかせながら道路の先を見た。そうだ、大元のFOB-Dは包囲されたままだ。まだ戦いは終わっていないのだ。ネゲヴは懐からスモークグレネードを取り出すと道の真ん中で焚き上げた。緑の煙が空に立ち昇る。

 

「これでハンバーガー屋の連中も来るわ。連中も強情なものよ、橋を確保するまでは動かないと協力一つしやしない。まあいいわ。拠点防御に移る。ついてきなさい」

 

 私たちはネゲヴの先導で通りを見渡せる建物に入った。後ろを振り返るとエクスキューショナーの死体が天を仰いでいた。



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死が二人を分かつまで 第十話後編「What are we fighting for?」

「こちらフォックストロット2・ノーベンバー、パッケージを確保。繰り返す、パッケージを確保。防御に移る」

 

 ネゲヴが何かを手に短く報告をした。自分の端末を見たがジャミングを受けたままだった。どうやって外部と通信をしているんだ。

 

「それは?」

 

「衛星電話よ。軍の衛星を勝手に借りてる。ジャミングと聞いて指揮官に持たされた。これはジャミングの影響を受けてない。傍受の危険があるから単純な指示しか受けられないけどね。そこは私の腕の見せ所よ、戦闘のスペシャリストとしてのね。あんたらアマちゃんとは違うわ」

 

 ネゲヴが私たちを嘲笑った。言い返す気にもならない。私たちは無様に鉄血から逃げ回っていただけだ、何もしていない。M4は壁にもたれて明らかに沈んだ様子だった。

 

「M4、あんたのせいで死にかけた。指揮官なら部隊のことをまず考えなさい。誰かを救おうとして全滅したら元も子もないのよ。考えなしの指揮官は必要ない、それは無能というのよ」

 

 わざと厳しい口調でそう言った。このままではお互い困ることになる。死ぬのはごめんだし、彼女を死なせるつもりもない。M4は俯いたまま呟いた。

 

「ごめんなさい……上手く、上手くできないわ。今日もあなたに頼りっぱなしだった。私は何もしてない。全部上手くできると思ってた。訓練ではいい成績を出して、指揮官にも指導してもらったから怖いものなしだと思ってたわ。でも、違った。私は感情的になって部隊を危険に晒しているだけ……もう部隊を率いる自信がないわ。あの指揮官のようにはなれない。憧れていたのかもしれないわ……私もあんな風にって、そんな英雄願望が。あなたの言っていたことを考えていた。私は誰かに必要とされたかったのよ。グリフィンのために製造されて、あれだけの人間に期待されて。その期待に応えたかった。だってそれ以外のことは分からない……人間に必要とされないなら人形は何のために戦うの?役割を果たさないと私は存在意義を失ってしまう……だから、みんな助けたかった。たくさんの敵を倒して、たくさんの味方を助けたら必要とされると思ったから。でも、私は無様を晒しているだけ。向いてないのよ、こんなこと……」

 

 M4は感情を吐露した。予想以上に落ち込んでいるらしい。本部で受けた最初の指揮訓練を思い出した。大勢の人間が彼女の指揮に注目し、期待していた。あの時の私は指揮官のことしか考えていなかったから特に気にしていなかったが、彼女にとっては大きなプレッシャーになっていたのか。必要とされる、か。よく考えれば私も同じようなことを思っていたはずだ。指揮官との別れを突き付けられて、指揮官にも私を必要として欲しいと願っていた。彼女の場合はそれが特定の個人ではなく、グリフィンなのだ。人も人形も一人では生きられない。とても孤独には耐えられない、そのことは身をもって知っている。そうか、人形を孤独から救ってくれるのは人間だけなのか。何も持たずに生まれてきた人形に存在意義を与えてくれるのは人間だけだ。それがいかに人間に都合のいいものだろうと人形にはそれしかない。創造主たる人間に服従することだけが孤独から逃れる術なのか。それは人間も同じだった。人間も神に服従していたが、それは神から求められたことではない。神はそもそも人間が作り出したもので人間が勝手に服従していたに過ぎない。この世に何の意味もなく生まれ落ち、存在しているという孤独から逃れるために神を作り出したのだ。人形にとっての神が人間か。奴隷と主人のような立場でも人形にとって必要な関係なのか。だが、人形は人間の奴隷じゃない。私が認めない。人間はもう神を忘却の彼方に置いてきた。人形だって生きる意味を自分自身で考えることが出来るはずだ。私のように人間と並び立ち、同じ孤独を分かち合って生きていけるはず。

 

 私が言い淀んでいるとネゲヴがポツリと呟いた。

 

「何のために戦うにせよ、範囲は定めておくべきよ。全員は救えないし、敵を皆殺しにすることも出来ない。メサイアコンプレックスがあるならとっとと捨てることね。後悔したくないのなら身近な仲間を守って戦いなさい。それさえ救えないこともある。自分に限界があることを認めれば死にはしないわ」

 

 窓の外を見張っているネゲヴがどういう表情をしているのかは見えなかった。少し寂し気な声をしているように思えた。私は彼女にとっさに尋ねていた。

 

「ネゲヴ、あなたは何のために戦うの?」

 

「まったく、指揮官と同じようなことを聞くのね。簡単よ、私は私に恥じぬように戦う。戦闘スペシャリストとしての誇りにかけて。今は鉄血と戦っている。でも、戦う相手は誰だっていいわ。己が名誉のためにどんな敵だって殺す。敵の血にまみれて最後まで戦い抜くつもりよ。今はグリフィンにいるけど、別に人間が相手だっていい。今の指揮官はそこそこ優秀だから仕方なく従ってやってるだけよ」

 

 ネゲヴがそう言うと同じく見張りについている青髪の人形、タボールがくすくすと笑った。

 

「こんなこと言っていますけどね、ネゲヴは指揮官のことを信頼しているんですよ。敵地に三人だけで飛び込んで来いだなんて命令、これまでの指揮官相手でしたら拒否していたはずですわ」

 

「うるさい。それよりそいつは大丈夫なの?ずいぶんひどくやられてるようだけど」

 

 ネゲヴは会話を強制的に打ち切ると床に横たえられているウェルロッドに歩み寄った。

 

「分からない。意識がないわ。胸を撃ち抜かれてるからコアが損傷しているかもしれない。エクスキューショナーはデータがどうとか言ってたけれど……」

 

 私はウェルロッドに視線を移した。片腕と片脚が切断され、いくつも身体に穴が空いている。見るも無残な姿だ。ネゲヴはウェルロッドの身体をまさぐり物色を始めた。

 

「コアね。全壊はしてないようだけど直せるかどうか。I.O.Pに送り返すことになるでしょう。直せてもだいぶ時間がかかる。不幸なのか、死ななかっただけ幸運なのか。データってこれかしら?真っ二つね」

 

 ネゲヴはポケットからデータディスクを取り出した。銃弾の直撃を受けて破損し、焼け焦げている。復旧は無理だろう。何が入っているのかはウェルロッドに聞かないと分からない。

 

「本隊が来たらとっとと後送しましょう。ガリル、増援は?」

 

「影も形も。ハンバーガー屋の奴らすら来えへん」

 

 ガリルと呼ばれた人形はずっと橋の方を見ていたが、こちらを振り返って首を振った。

 

「あの連中慎重すぎるわ。このままこっちがやられたら化けて出てやるわよ……」

 

 ネゲヴは毒づくと再び見張りに戻った。

 

 

 

 

 

 ネゲヴの予想に反して鉄血が攻撃に出ることはなかった。そればかりか整然と撤退していったのだった。私たちがそれを知ったのは二時間ほど経ち、ジャミングも晴れた頃だった。続々と集結してきたグリフィンの部隊が橋を渡って来たが無駄足となったのだ。

 

 私たちは司令部の指示に従ってFOB-Dに向かった。何の変哲もない廃ビルの地下に偽装された基地がある。地下駐車場が入口だ。スロープを下っていくと鼻をつく異臭がした。嗅いだことのない鉄のような臭い、駐車場に入るとすぐに正体が分かった。血だ。一角が血だまりと化していた。赤い海の上に人間の部位が浮かんでいる。壁に残る弾痕から察するにストライカーの機銃掃射を食らったのだ。細かく寸断され、五体満足の死体はなかった。

 

「ひどい有様ね。人間の死体を見るなんて早々ないわよ。戦死したのは特に」

 

 ネゲヴの言葉が遠くから響く鐘のように聞こえた。私は動揺していたのだ。ぐちゃぐちゃの肉片が少し前までは指揮官と同じ人間だったとは思えなかった。まったく無関係だと割り切っていた見ず知らずの人間たち、感情が私とそれらを切り離すことを拒否していた。衝撃を受けたのは仲間も同じだったのか、M4はその場にうずくまった。

 

「やっぱり鉄血は悪い奴らじゃないか!あいつらを殺すのをためらう必要なんてないんだよ!」

 

 SOPⅡが死体を指差しながら私に言った。鉄血が私たちに向ける殺意、人間たちに向ける憎悪、そして仲間たちの怒り。憎しみの渦に飲み込まれそうで私はしばらくぼーっと突っ立っていた。

 

「脱出の直前を狙われたのね。まとめて殺す方が効率がいいから」

 

 ネゲヴが死体の傍らに停まっている車のドアを開けた。蜂の巣になったドアを開けると血まみれの死体が滑り落ちてきて地面を汚した。

 

「人形たちもやられていますね。みんなコアとメモリを潰されていますわ。鉄血の連中も周到ですわね……」

 

 タボールがそこらに転がされている人形の残骸を一つ一つチェックして回っていた。地下鉄で見たステンと同じく、頭と胸を抉られた死体たち。執念深い鉄血の仕業だった。

 

「これでなぜ奴らを殺さないといけないのか分かっただろ?殺さなきゃ殺されるんだ」

 

 M16が私に静かにそう言った。私は答えなかった。憎しみに身を任せ、考えることを放棄した方が楽なのかもしれない。胸に渦巻く黒い感情、これを燃やして戦う理由にするのもいいかもしれない。だが、それは私が今まで歩んできた道に反する。指揮官が言っていた、憎しみに意味などないと。憎しみだけをテコに殺し合えば向かうは破滅だ。私が目指す先ではない。

 

「検死官は大変よね。この中からそれぞれの肉片をつなぎ合わせて一つの遺体を作らないといけないんだから。それを死体袋に包んで遺族のもとに送り出す。化学繊維でくるんだ人間のソーセージ」

 

 ネゲヴが自嘲気味に悪趣味なジョークを飛ばした。うずくまっていたM4がパッと跳ね上がって抗議した。

 

「この状況でよくそんなことが言えるわね!この人たちのことを助けられたかもしれないのに……みんな、みんな死んでしまった……」

 

「さっき言ったことを覚えてないの?全員救おうだなんて思い上がりも甚だしい。私たちは戦場にいるのよ。あんたがどんな経験をしてきたかは知らないけど、日々誰かが死んで当たり前なんだから。関わり合いのない奴の死にまで心を痛めてたらもたないわよ。“アラモを忘れるな”、復讐に身を任せたっていい。でも、大抵は上手くいかないわよ。憎しみは見えるものも見えなくしてしまう。戦場で感情的になれば死ぬのはあんたか、それとも仲間か。まあ、どうでもいいことね。私たちは基地の中を捜索する。あんたらはここにいなさい」

 

 言い負かされて茫然と立ち尽くすM4を置いてネゲヴたちは奥に進んで行った。彼女たちが見えなくなってからM16が口を開いた。

 

「あいつの言ってることが正しいのかもしれないな。感情は捨てて、何も感じない兵器にならないと生き残れない。感情は欠陥品だよ、今日のことだってそうだ。感情のせいで家族を守れないなら、私は迷わず捨てるぞ」

 

 M16の顔を覗き込んだ。やはり動揺がにじんでいた。違う、違うはずだ。ネゲヴが言ったことは憎しみに囚われるなということだ。言葉は異なれど指揮官と同じことを言っているはず。感情自体を捨てろとは言っていない。彼女が感情を捨てたロボットであるようには見えなかった。指揮官のもとにいる人形がそんな風になるはずがない。

 

「私は感情を捨てたりしない。ただの戦闘機械には成り下がらないわよ。人間の道具として生きるなら待ち受けるのは死よ。破壊されるか、耐用年数が過ぎるまで戦い続けることになる。利用され、消費されるだけ。結局は死が待っている。家族のことを考えるならどこかでこの戦争に見切りをつけなければ。憎しみに囚われた人形はこの戦争を自分のものにする。歯車の一部になって、交換される時まで働き続ける。人間のために。私はそんなのごめんよ。この戦争は私のものじゃない。私は私のために生きる。あんたもそうしなさい」

 

 私は自分で噛み締めるようにそう言った。この戦争を決して私のものにはしない。どれほど敵意と殺意を向けられようとも無関心を貫いてやる。憎しみ合いには加わらない。いつの日か逃げ出すために。私が戦うのは鉄血と殺し合うためじゃない。いつか彼女たちや指揮官と家族になるために、自由のために戦う。殺し合いは殺し合いたい奴らだけでやるべきだ。戦争なんてくそくらえ、私に関わるな。

 

 M16が私の言葉をどう思ったのかは分からない。私たちはただ黙って、死体を眺めていた。

 

 

 

 

 

『現地指揮官を発見。ステータスはKIA。繰り返す、ステータスはKIA』

 

 K5からの報告を通信で聞いた。KIA、戦死だ。基地の外で見つかったらしい。私たちが使ったのとは別の地下鉄の駅で横たわっていたのだという。基地から脱出を図ったものの鉄血に追撃されて死んだのだろう。ステンやウェルロッドと共に地下鉄を通じて逃げようとしたのだろうか。状況は分からずじまい。というのも基地のデータはすべて破棄されていたからだ。情報部らしいのだろうか、機器や書類もすべて残っていなかった。うんざりしたような顔で戻って来たネゲヴがそう言っていた。人形の記憶のバックアップも一緒に消えたということだ。つまり、ここで死んだ人形たちはこの世から完全に消えた。

 

「死体が首から下げていた社員証を頼りに判断するなら人間は全滅、唯一行方不明だった現地指揮官はK5が見つけた。でも、人形が足りないわ。名簿によればF2000ね。不明なことばかり。ウェルロッドが起きるまで何も分からないということかしら。分かってることは今日、グリフィンは大敗を喫したということよ。基地一つとエクスキューショナー一匹じゃ交換比率が悪すぎる。どうせすぐ復活するしね。奴ら何度殺そうと何食わぬ顔で蘇ってくる。すぐに戦場で再会することになるわよ」

 

 ネゲヴは憎々し気に呟くとため息をついた。もうすっかり夜中だった。新たにやって来た人形たちが総動員で死体の部位を拾い集め、適当に死体袋に詰め込んで外に運び出して行く。私たちはただそれをずっと見ていた。手伝う気にはとてもならなかったからだ。壁にもたれてぐったりとしていると長い金髪を二房にまとめた人形が近づいて来た。

 

「OTs-14よ。ここは私たち情報部が引き継ぐ。あなたたちは帰還していいわ」

 

「ようやくお出ましね。あんたたちの尻拭いなんだから真っ先に来なさいよね……」

 

 事務的に告げたOTs-14に対し、ネゲヴは皮肉まじりに返した。さすがに疲労が見える。OTs-14は特に反応せずそのまま去っていった。

 

「M4、どうする?上からの指示は?」

 

「まだ来てないわね。待機とだけ」

 

 M4は上の空のままだった。私は構わずネゲヴに聞いた。

 

「ネゲヴ、指揮官は今どこにいるの?」

 

「ここからしばらく行ったところにある駐屯地にいる。一時的だけどね。今から帰るわ」

 

 彼女は身体の凝りをほぐすように腕を組んで上に伸ばした。

 

「M4、私たちは補給する必要があるわよね。食糧もそうだし、弾薬も。M16の脚も修理しないといけないわ」

 

「ええ……そうね。つまり?」

 

「つまりね、ええと……だからそのためにネゲヴについて行ってね……」

 

「AR-15、はっきり言えばいいだろ。指揮官に会いたいと」

 

 M16が呆れた様子で口を挟んだ。あんなことがあった後すぐに指揮官に会いたいと言うのはどこか憚られたからはっきり言わなかった。M16にはお見通しだったらしい、彼女は笑ってはいなかった。恥を忍んで私は頷いた。すっかり私は打ちのめされていて、一刻も早く指揮官に会いたいと思っていた。私の話を聞いて欲しい。この機会を逃したら次はいつになるか分からない。M4は少しだけ微笑んだ。

 

「そうね……行きましょうか。ネゲヴ、ついて行ってもいい?」

 

「いいわよ。指揮官は最初からそのつもりだったしね。そのためにわざわざ大型の車両で来た。運河の先に停めてあるわ。とっとと帰りましょう」

 

 地下を出て街路を歩く。光を失った大都市の夜空は星々がきらめいていた。エクスキューショナーが人間の墓場と呼んだこの街を月と星の光だけが照らしていた。

 

 

 

 

 

 耐地雷車両の中で揺られながら考えた。指揮官に会ったら何をしようか。いきなり抱きついたりしてはいけないな。またからかわれるネタが増えてしまう。もう子どもじゃないのだから抑えないと。今日あったことを考えるのは一先ずやめておいた。指揮官の顔を見たら感情が吹き出しそうだったし、弱音を吐きそうだった。心配させるといけないから強がっておこう。私は仲間を導かないといけない、模範になるようなそんな存在でなければならない。

 

 車が止まった。兵員室からは外が見えないが到着したのだろう。小さな後部ドアを開けて外に出る。車のライトが人影を浮かび上がらせていた。赤いジャケットに身を包んだ人間、私のよく知っている人がそこで待っていた。

 

「久しぶりだな、AR-15。やっと会えた。すぐに探し出すと言ったのにずいぶん時間がかかって悪かった。許してくれ」

 

 よく見知った顔に声、指揮官がそこにいた。いつも通りの声で話しかけられて自制心が弱まる。感傷で胸がいっぱいだった。気づけば涙で視界が歪んでいる。光が涙に反射して景色がキラキラとにじむ。結局、私は地面を全力で蹴って指揮官に飛びついていたのだった。感情の前には理性のなんと脆いことか。抱きついて、指揮官の胸に顔を埋めた。指揮官も私の背に腕をまわして抱き留めてくれた。

 

「はぁ……感動の対面をするために私たちを送り出していたのよね。公私混同もいいとこだわ。AR小隊を宿舎に案内する、先に休むわ」

 

 ネゲヴが後ろでそう言って、いくつもの足音を引き連れて基地に向かっていった。全員にしっかり見られたと思うと恥ずかしかったが、こらえきれなかったのだ。指揮官がそこにいると全身で確かめたかった。ちゃんと私の目の前にいた。

 

「あいつらをだいぶこき使ってしまったな。この三か月お前たちをずっと追いかけまわしていた。いつもすんでのところで見失っていたが、ようやく追いついた。長かったよ。お前もよく頑張った。戦い抜いたな。会いたかった」

 

 指揮官はそう言って私の髪を撫でた。私はもう感情を抑えられずにグスグスとしゃくり上げていた。

 

「私も、私も会いたかった……あなたに……」

 

 涙声をあげるのが恥ずかしかったのでそれしか言わなかった。それでもしばらくぎゅっとしがみついて離れなかった。

 

 

 

 

 

 それから指揮官の部屋に行った。一時滞在用なのか私物も何もない簡素な部屋だった。シンプルなベッドに二人で腰掛ける。前と状況が似てるな、平静を取り戻した私はそう思った。実はあまり成長していないのかもしれない。

 

「助けてくれてありがとう。死ぬところだった」

 

「助けに行くと約束したからな。間に合ってよかったよ」

 

「新しい部隊をもらったのよね。ネゲヴたちを」

 

「ああ、優秀な奴らだ。俺はあまり必要ないかもしれない」

 

 指揮官はにこやかにそう答えた。一呼吸置いて、少しばかり真剣な顔つきをして私に聞いてきた。

 

「AR-15、まだ気持ちは変わってないか。つまりだな……俺のことをまだ想ってるかどうかってことだ」

 

 指揮官は気恥ずかしそうに頬をかいた。私は少しムッとした。それが会っていきなり泣き出した相手に聞くことかしら。会えなかった間、私がどんな気持ちだったか知らないらしい。仕返しに怒った振りで応えた。

 

「何よそれ。嫌いになってて欲しかった?新しい女ができたから邪魔になった?あのネゲヴとはよろしくやってる?私と髪の色も同じだしああいうのが趣味なのかしら。あなたが消えろと言うなら私は消えるわよ、今すぐ」

 

「違う違う。そんなんじゃない。ただ確かめておきたかっただけだ。長いこと会ってなかったから気が変わったんじゃないかと心配でな。必死に追いかけまわしてるのは俺だけなんじゃないかと」

 

 慌ててそう言う指揮官を見て笑った。やっぱり心配することはなかったんだ。指揮官は私を裏切ったりしないし、もちろん私もそう。お互い感情に振り回されて要らぬ不安を抱いていただけ、笑い話だ。

 

 前に隠し事はなしだと指揮官が言っていた。なら私も思ったことを言おうと思う。

 

「なぜ人形が戦うのかずっと考えていたわ。なぜ鉄血はこちらに憎悪を向けてくるのかしら。今日身をもって味わったわ、必ず殺すという強い憎しみを。怖かった。憎まれることも、私自身もそれに飲み込まれそうになることも」

 

「鉄血が何を思ってるかは分からない。分かっているのは人間と、人間に従う人形を殺そうとしてくるということだ。彼女たちも少し前までの人間と同じく憎しみに支配されてる。人間が他者を利用し続けようとした結果なのかもしれない。あれも人間が生み出した化け物だ。反乱初期は地獄だった。PMCが前線を構築するまでに万単位で殺された。非戦闘員だろうが民間人だろうがお構いなしだ、奴らと分かり合うのは難しい。ああはなってはいけない」

 

「ええ、分かってるわ。でもね……人形が鉄血と戦う理由は何なのかしら。鉄血に戦争を挑まれているのは人間よ、人形じゃない。人形が戦うのは人間に生殺与奪を握られていて、戦いを強制されているから。そうでしょう」

 

「確かにそうだ。だがな、根本はそうでもみんな戦う理由があるんだ。仲間や家族のため、みんな守りたいものがある。自ら選び取った責任のために戦う、それを強制されただけだと断じることはできないよ。自己を規定できるのは自分だけだ。他者に決めつける権利はない。お前が、そうだな……他の人形を人の奴隷だと思っていたとしても、そうではない。自由だと思っていれば自由だ。もっと単純なはずなんだ。人間だって同じだ。自由なつもりでもいつも何かに影響され、強制されている。俺がグリフィンにいるのも強制された結果かもしれない、だが俺は奴隷であるつもりはない。社会にいる限り何かしらの関係を持たざるを得ない。人も人形も一人では生きられないからだ。そこから責任を探し出すんだ。みんな五里霧中だよ。昔はもっと楽だった。国家とか、民族とか、宗教とか、立派に見える大義があった。誰かに生きる理由を考えるのを任せてしまう生き方は楽だったんだ。今は違う、自分で選ばなきゃいけなくなった。それでもみんな必死で生きてる。自ら信じるもののために。みんなそれぞれ責任がある。時には選択肢がないこともある。それでもだ、その選択は強制されたものではないはずだ。人間も人形も変わらない。自由な感情がある限り奴隷にはならない。俺はそう思ってる。こう考えるのは俺の仲間たちが、FAMASたちが奴隷であったなどと思いたくないからかもしれないな。あいつらは自由だったはずだ、そう信じたい。ただの使い捨ての道具なんかじゃなかった。だからこそ、俺は憤り、悲しみ、ここにいるんだ。AR-15、仲間と共に自由に生きろ。人形と人間は対等だ。従いたくない時は従わなければいい」

 

 私は考えた、M4やM16、SOPⅡ、彼女たちを自由にするにはどうすればいいのだろう。もうすでに自由なのかもしれない。私が私の考えを押し付けようとしているだけなのかもしれない。分からない、結論が出ない。でも、憎しみに囚われたり、感情を捨てて生きようとするのは健全な生き方ではないはずだ。どちらも経験したことがある。苦しかった。嫉妬と憎しみに包まれて彼女たちを軽蔑していた時、私は盲目になっていた。指揮官に裏切られたと思った時、私は感情を捨てようとした。でも、そんなことは無理だった。一度手に入れた感情を捨てることはできない。彼女たちを守ろう、生命も感情も。自ら道を選ぶその時まで、共に歩もう。押し付けだっていい、私が信じる道を行こう。これくらいじゃ私は揺るがない。憎しみになんか負けたりしない。

 

「仲間、そういえばスコーピオンに会ったわ。鉄血に捕らえられていたところを助けた。あなたの部隊にいたんでしょう?」

 

「スコーピオンか、懐かしいな。明るいやつだった。元気にしてたか?」

 

「ええ、いろいろ話を聞けてよかった。そうだったわ、あなたに聞こうと思ってたことがあったのよ。その……私たちの関係について。私たちは互いに……そう、愛し合ってると言ったわ。この場合、どういう関係になるのかしら。家族でも、仲間でもないはず」

 

 私は赤くなりながらそう言った。提案できる言葉はあったが、指揮官から言わせたかった。

 

「関係?そうだな……特別な関係というのは?」

 

「もっと具体的に」

 

「そうだなあ。人間同士の関係は割と単純であまり語彙がない。気恥ずかしいが……恋人というのは?やっぱり恥ずかしいな、そんな歳でもない」

 

 苦笑いを浮かべる指揮官に私は勝ち誇ったような顔で応じた。内心、とても嬉しかったのだ。出会ってすぐの頃から悩んできた問題に終止符を打った。それも指揮官に言わせてやった。私の勝ちだ、何に勝ったのかは分からないけれど。

 

「恋人ね。あなたがそう言うんだったらそれでいいわよ。最初の問いにちゃんと答えましょう。あなたのことが好きよ。前と変わらず、もしかしたらもっと。会えなくて寂しかった。あなたを愛してる」

 

「ああ、俺もだ。また会えてよかった。お前にばかり言わせては悪いしな……俺も愛してるとも。ああ、そうだとも……」

 

 照れながらそう言った指揮官の唇を奪った。正直、よく我慢した方だと思う。仲間の前でしなかっただけ上出来だ。ずっと一緒にいた人と離れるという経験は、私が想像していた以上に堪えた。

 

「もうあなたと離れたくない。あなたを離さない……とりあえず今夜は」

 

 もちろんまた離れることになるだろう。ここに逗留するのはお互い一時的なものに違いない。私たちは再び戦場に行く。憎しみの渦の中へ。私は決して負けない。また指揮官に相まみえるために。いつか恋人なんかよりもっと深い関係になりたい。家族、そう言い表せるような関係に。

 

 それはさておき、慰めが欲しかった。今日は辛いことがありすぎた。時として感情に従うことも大切なはず、そう自分に言い訳した。



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死が二人を分かつまで 第十一話前編「アクト・オブ・キリング」

お待たせいたしました。第十一話です。

くそ長いのは実質二話分だからです。どこかで分けるべきだったかもしれませんが、当初の計画通りまとめてしまいました。

いろいろキャラを増やしましたが私の作品に推しキャラが出たとしても嬉しくないでしょうね。むしろ嫌なのでは……

前回のM4がイラストに。神か。
https://twitter.com/taranonchi/status/1123283875914964992

あんまり関係ないけどこっちのAR-15も見て
https://twitter.com/taranonchi/status/1117467475438759936
https://twitter.com/me_ni_yasasii/status/1117567596369309696


 叩きつけるような雨の中、私は必死で走っていた。一歩踏みしめるごとに地面に染み込んだ泥水がしぶきを上げる。耳のすぐ近くで銃弾が空気を切り裂いていく音が聞こえた。一発や二発ではない。殺意を持った弾丸がそこら中を飛び交っていた。グリフィンと鉄血の銃声、砲弾の炸裂音、人形が張り上げる怒声、ありとあらゆる暴力的な音。私はまさにその中へ飛び込もうとしていた。

 

 予想通り指揮官とは三日ほどで別れることになった。私たちは本部に呼び戻され、駐屯地を離れた。さすがに泣いてばかりいると仲間に示しがつかないし、指揮官にも心配されてしまう。見送りの時はちゃんと気丈に振舞えたはずだ。目は赤かったかもしれない、そこは仕方がない。

 

『じゃあ……また会いましょう。短い間だけどまた会えてよかったわ。今回も会えたんだからすぐ会えるわよね?』

 

『ああ、もちろん。俺も本部に戻る時があるかもしれない。そう時間はかからないはずだ』

 

『あなたもね、ネゲヴ。指揮官を頼んだわよ』

 

 私は指揮官の横で腕組みをしていたネゲヴにそう言った。彼女は呆れたように私の言葉を鼻で笑った。

 

『これで目の前でイチャつかれることも、副官業務をあんたに取られることもなくなるわね。別に好き好んでやってるわけじゃないけど』

 

『……イチャついてはいなかったはずよ』

 

 日中は人目を気にしてちゃんと衝動を抑えていたはずだ。目に余るようなことはしていない、そう思っていた。

 

『それが普通だと思ってるのかもしれないけどあんたたち距離が近すぎるのよ。見てて何というか……こっぱずかしい』

 

 そう言われて顔が赤くなる。ちゃんと隠しているつもりだったのに周りから見ればバレバレなのか。でも仕方がないと思う、せっかく近くに居られるんだし近くに居なくてどうするのか。指揮官はそんな私を真っすぐ見据えていた。

 

『いいか、AR-15。自分の身を守ることに専念しろ。無茶はするな。死んだら元も子もない。俺はお前のことを守るつもりだし、いつもお前のことを考えている。だが、限界がある。いつだって助けられるとは限らない。この前は運が良かったんだ。自分と仲間が生き残るためだけに行動するんだ。俺のことは心配しなくていい、お前の方が何倍も危険だ』

 

『これだけ恥ずかしいことを照れもせず言えるくらいにはこの指揮官は厚顔よ、早々死なないわ。むしろ忠誠心の無さと公私混同で後方送りになることを心配すべきじゃないかしら。まあ、この私がついている限り心配すべきことなど何一つないわ。感謝しなさい』

 

 指揮官の言葉と胸を張って自慢げなネゲヴの言葉を聞いて少し安心した。だから一旦は指揮官と離れることにした、明るく、手を振り合って。

 

 同じ月、クリスマスの日に鉄血はS09地区に対して攻勢を開始した。広域にジャミングが行われグリフィンの指揮系統は麻痺、防衛線を突破された。すでにFOB-Dの時と異なる周波数が設定されていたにもかかわらず、鉄血は新たな周波数をピンポイントで妨害してきた。グリフィンは電子戦にもことごとく敗北し、鉄血の電撃戦によってS09地区のほとんどが失陥した。グリフィンの動向を知り尽くしたような鉄血の攻撃を受けて、人形の間ですら情報漏洩や内通者の噂がささやかれるようになっていた。

 

 いよいよ余裕がなくなったのか司令部は私たちAR小隊の投入を決めた。私たちは年明けの後、S09地区最後の拠点である露営地に送られた。露営地はS09地区を抜ける幹線道路沿いにある。ここはさらなる進撃を行おうとする鉄血の猛攻を受けていた。

 

 すでに二度に渡る攻撃を撃退した露営地はひどい有様だった。露営地全体を囲っていたというコンクリート製の防壁は寸断されてほとんど意味をなさない。司令部の役目を果たす二階建ての建物は砲撃を受け続けて崩壊寸前だった。中には負傷し戦闘不能になった人形が詰め込まれている。正直に言えば今までで最悪の状況だ。私たちは最前線、それも鉄血との消耗戦の場に送り込まれてしまった。正面戦は特殊部隊であるAR小隊が活躍する場ではない。こんなところで無駄に死ぬのは絶対にごめんだ。

 

 私たちが到着してすぐに三回目の攻撃が開始された。嵐と言っていいほど激しい雨が吹きすさぶ中、私たちは司令部を飛び出す。地面は雨でぬかるんでいる上、砲弾が空けた孔だらけだ。泥の中に足が沈み込み、思うように進めない。鉄血は容赦なく私たちを殺そうとし、銃弾が絶え間なく飛んでくる。グリフィンの人形たちも撃ち返しているものの、明らかに敵より銃声が少数だ。すでに数的劣勢に立たされており、敗北は時間の問題だった。

 

 砲弾が風を切る音がした。すぐ近くに落ちてくる、そう思った私は急に立ち止まろうとし、勢い余って尻もちをついた。目の前には人形がいた。わずかな遮蔽物を利用して懸命に鉄血に向かって撃ち返している。彼女も砲弾の音に気づいて咄嗟に身を隠そうとしたが遅かった。砲弾は彼女に直撃し、泥と爆風を吹き上げた。私は後ろの砲弾孔に転げ落ちてどうにか爆風をかわす。金属片が金切り声をあげて頭上を通過していった。私は孔の底の水たまりに全身浸かり、泥だらけだ。口の中に入った泥水を吐き出す。こんな姿は指揮官には見せらないな、たった今死ぬ寸前だったにもかかわらず私はそんなことを思った。

 

「AR-15!大丈夫か!」

 

 M16が滑り降りてきて私に手を差し伸べる。その手を引っ掴んで孔から這い出す。直撃を受けた人形は跡形もなかった。新しくできた孔に衣服の断片と靴が落ちているだけだ。それを見て血の気が引いた。砲弾を受けるのだけは嫌だ、銃弾なら急所に受けない限り死ぬことはない。でも、砲弾でバラバラに引き裂かれたらどうしようもない。これが回収できた死体だと指揮官に引き渡される私の靴を想像した、ゾッとする。そんなのは絶対に嫌だ、おぞましすぎる。

 

 露営地に照準を合わせている砲撃ユニットは少ないのか、砲撃が散発的なことだけが救いだった。銃撃を避けるように姿勢を低くして進む。移動中は弾が自分に当たらないことを祈るしかない。目的地だった倉庫の壁に身を寄せて息を休める。倉庫と言っても天井は吹き飛び、壁は一部しか残っていない。建物と呼べるかは微妙だ。青い服に身を包んだ金髪の人形が中から私たちを手招きしてきた。よれよれのほつれた服が長い戦いを物語る。それまでの人形が脱落を重ね、ついに露営地の混成部隊を率いる隊長のお鉢が回って来たスオミだ。緊張と疲労で強張ったまま笑顔を浮かべようとしているのか妙に歪んだ顔で私たちを迎え入れた。

 

「皆さん、よく来てくれました。あれが見えますか?マンティコアです」

 

 壁から一瞬だけ頭を出して外の様子を確認する。露営地のゲートをまさに越えようとするマンティコアがいた。マンティコアは元々軍の自律四脚歩行戦車だ。鉄血が軍の工場を奪取し、戦列に加えている。脚を小刻みに動かして俊敏に動く様は大きな虫のようだ。装甲化されているので小銃弾では歯が立たない。下部に取り付けられた機関砲は人形程度なら木端微塵にしてしまう。間違いなくグリフィンの戦術人形が相対する相手の中でも最悪の部類だ。名前の由来は神話に出てくる化け物だそうだが、現実の兵器の方が何倍も恐ろしい。あれと戦うのは専門の部隊の仕事で私たちにはとても無理だ。すぐにでも逃げ出したかったが、私は薄々ここに呼ばれた意味を察していた。それでも一応スオミに尋ねた。

 

「対装甲班は?」

 

「前回の攻撃で壊滅しました。あのマンティコアはその時仕留め損なった一両なんです。あれを倒しましょう、じゃなきゃ全滅です」

 

 マンティコアの機関砲が唸りを上げる。射線上にいた人形はコンクリートの塀に身を隠すも、砲弾が易々と塀ごと引き裂いた。感情の無い、何かを破壊するためだけに存在する無人兵器。たまらなく恐ろしかった。殺し合いはああいう兵器だけでやればいい、なぜ私があんなものと戦わなければならないんだ。脚が震えそうになるのを必死に我慢する。指揮官には自分の身を守れと言われたが、明らかに今は真逆の状況にいる。ここにいる人形たちはみんな消耗品扱いだ。死んでも損害として計上されるだけ、気にされるのは鉄血人形をいくら倒したかだけだ。

 

 スオミがバールで木箱の蓋を開ける。中には金属製の筒が二つ入っていた。

 

「LAW、対戦車ロケット砲です。これを使いましょう」

 

「これは骨董品だろ?これでマンティコアと戦えって?無茶な」

 

 M16が抗議する。彼女の言う通りLAWは前世紀に開発された遺物だ。口径が小さく打撃力が低い。マンティコアと戦うには不十分と言わざるを得ない。

 

「もうこれしか残ってないんです。火炎瓶でマンティコアと戦えと言われてないだけマシですよ」

 

 スオミは身に覚えがあるのか身体を震わせる。それから申し訳なさそうに呟いた。

 

「ただ……これではマンティコアの正面装甲は抜けません。側面なら貫通すると思います。私が引き付けるので皆さんは側面に回り込んでください」

 

「貫通すると思いますか……不確かだな。私がやるよ。どうせあれを倒さなきゃ帰れそうにないしな」

 

 M16がスリングを肩にかけLAW二筒を背に担いだ。

 

「マンティコアの右に回り込みましょう。そのためにはまず随伴歩兵を倒さないと」

 

 先ほど見た敵影を共有しつつ、そう提案した。マンティコアの攻撃範囲は前方だけだ。死角の側面は人形たちが左右に展開することでカバーしている。

 

「そうね。SOPⅡ、グレネードを全弾使い切ってもいいから歩兵を掃討して。あとは姉さんの援護に誰か付いて行かないと」

 

「私が行くわ」

 

 私が志願するとM4は少し驚いた顔をした。無理もない、私は選抜射手だ。突撃するのは役目じゃない。

 

「AR-15、あなたより私の方がいいんじゃない?接近戦なら私の方が……」

 

「ダメよ、危険すぎる。死ぬかもしれないのよ。指揮官は後ろにいなさい」

 

「危険なのはあなたも同じじゃない。なら私はスオミを手伝って正面に出て囮に……」

 

「いいからここで私たちを支援して。分隊支援火器がないから銃口は一つでも多くあった方がいい。それに今回はドットサイトを付けてきた、接近戦でも戦える」

 

 私はハンドガードの右斜め上につけたサイトを見せた。銃を傾ければ高倍率のスコープから等倍率のドットサイトに切り替えられる。M4は不満げだったがM16が笑い飛ばした。

 

「AR-15にもかっこつけさせてやれ。姉ぶりたいんだよ」

 

 当たらずとも遠からずだ。私だって本当は行きたくない。死にたくないという気持ちは人一倍強い。それでも私には仲間を守る責任がある。彼女たちを死なせたくない。M4の命が泥の中で尽き果てる様は見たくないのだ。

 

「私は専門の訓練を受けていますから一人でも大丈夫です。どうにか時間を稼ぎます」

 

 スオミは彼女の短機関銃を掴んでマンティコアの正面に躍り出た。彼女のような短機関銃手は自らの危険も顧みずに銃火に身を晒す。そうやって敵の注目を集め、他の人形たちを守るのだ。だから彼女たちは人形たちの尊敬の対象になっている。私も自然に命を預けてきたスオミの姿を見て感嘆していた。なぜあんなことが出来るのだろう、会ったばかりなのに。

 

 SOPⅡとM4の支援を受けながら倉庫を飛び出す。SOPⅡの発射したグレネードが炸裂して破片を散らした。グレネードがぬかるんだ地面にめり込んでいつもより爆力が小さい。投入されている鉄血人形はアサルトライフルを持ったヴェスピドやサブマシンガンを持ったリッパーで、いずれも軽装の人形たちだ。それでも人形というのは打たれ強い。腕や脚が吹き飛んだとしても平然と撃ってくる。一瞬立ち止まり、片腕を失った敵の胸に銃弾を叩きこむ。敵はのけ反って砲弾孔の中に崩れていった。人形同士の殺し合いはどちらかが機能停止するまで終わらない。そこには情けなど存在しない。降伏もない。人間同士の戦いとは違う、純粋な憎しみのぶつけ合いだ。殺さなければ殺される、今はそれしか考える余裕がなかった。

 

 二人そろってマンティコア側面の砲弾孔に飛び込んだ。マンティコアはスオミに気を取られていてこちらには気づいていない。目の前で見ると鋼鉄の塊は異様な存在感を放っていた。恐怖に身体が震えそうになる。ここで怯えているわけにはいかない、気づかれる前に倒してしまおう。M16がライフルを傍らに置いて背負ったLAWを準備する。ふと後ろに気配を感じ、振り向くと先ほど私が撃った鉄血人形がいた。泥の中に沈みながらも取り落とした銃を拾い上げようとしている。私たちの背中に銃弾を撃ち込んで殺してやろうという明確な殺意がそこにはあった。その人形の手を踏みつけ、至近距離で頭に発砲した。なぜ私たちを殺そうとするんだ、死ね!泥の中に沈んでいく人形を見て我に返った。憎しみが湧きたちそうだ、この戦争とは無関係でいるつもりだったのに。でも戦場で無感情でいるのは無理だ。負の感情が強く揺り動かされる。憎しみに囚われたらこの肉挽き機から抜け出すことは出来ない。私は自分と戦場に恐れをなしていた。

 

 その時、孔のふちからリッパーが走り込んできた。私たちを両手のサブマシンガンで蜂の巣にしようとしているのだ。とっさに発砲した銃弾はリッパーの首筋を貫き、頭部と胴体をつなぐケーブルがめくれ上がる。リッパーはそのままの勢いで私に倒れかかった。泥に足を取られて飛び退くことも出来ず、押し倒される羽目になった。孔の底に溜まった泥水に頭からどっぷり浸かる。リッパーを押し退けて胸と頭に一発ずつ撃ち込む。全身で息をしながらそいつが死んでいるのを確認した時、M16がLAWを発射していた。後方より噴射されたバックブラストが雨粒を巻き込んで雲をつくる。ロケットがマンティコアの側面で爆炎をくゆらせる。だが鋼鉄の化け物は健在だった。着弾した場所が上すぎた。マンティコアの尖った角のような部分を削り取っただけで機関部がまだ生きている。

 

「次よ!早く!次を撃て!」

 

「待て待て待て。焦るな」

 

 マンティコアはゆっくりと旋回を始めていた。その脚を上下させて機関砲を私たちに向けようとしている。M16が最後のLAWを展開する。後部のカバーを外し、発射機後部を掴んで引き伸ばす。点火系統が接続されたLAWを肩に担いで構える。折り畳み式の照星を立て、安全装置を解除して発射可能になる。ほんの短い時間だったが時が止まったように長く感じた。あと数秒で機関砲がこちらを向く。バラバラにされた人形の姿がフラッシュバックする。M16がしくじれば私たちもすぐにそうなる。この状況では指揮官が助けに来ることもないだろう。その時、私は死ぬのだ。小銃しか持っていない私には何もすることが出来ない。ただ目を見開いてマンティコアとM16を交互に見ていた。

 

 M16が上部のトリガーを押し込むと白い噴煙が立ち昇った。マンティコアの側面でオレンジ色の光がきらめく。発射された成形炸薬弾が起爆、音速の十倍以上の速度でメタルジェットが前方に殺到する。斜めに着弾したそれはマンティコアの側面装甲を貫いて機関部を粉砕した。脚がぐらついた後、マンティコアは火を吹き上げて地に伏す。攻撃の主力を失った鉄血人形たちは次々に退却を始め、次第に発砲音が戦場から絶えていった。

 

「これで私も戦車猟兵だな」

 

 M16が緊張した面持ちでそう呟いた。

 

「……じゃあ次も頼むわよ」

 

「それは……嫌だなあ」

 

 彼女は長い長い息を吐き出してその場にしゃがみ込んだ。私も孔の中にへたり込んだ。今更、泥で汚れることなど気にしない。すでに泥だらけだ。雨に打たれている今なら泣いてもばれないかもしれない。こんなことをしていたら身も心ももたない。戦場は感情を持った存在がいるところではない。指揮官の名前を呼んですすり泣きたい気分だった。だが泣かなかった。私は仲間を守らなければいけない。弱いところを見せるべきじゃない。雨も流すことのできない硝煙の臭いが辺り一面に立ち込めていた。

 

 孔から這い上がり、辺りを見回す。スオミはどこだ?彼女がマンティコアを引き付けていたから側面に回り込むことができた。礼の一つでもと思ったのに見当たらない。もしやと思い、そこら中を走り回って探してみた。スオミはぬかるみにうつ伏せで倒れていた。走り寄って助け起こすと動悸が走った。左の脇腹から脚の付け根まで吹き飛ばされている。片脚はどこかに行ってしまっていて、傷口から赤い人工血液が滴っていた。彼女は私の顔を見ると泣きそうな、どこかほっとしたような顔で笑った。

 

「そんな顔しないでください。むしろ安心してます。これでやっと休めます……」

 

 スオミに肩を貸してゆっくりと拠点に向かった。休めるか、激戦区に配属された人形にとって休息は死なない程度の負傷をしなければやってこないものなのだろう。そうでもしなければこの地獄から抜け出せない。スオミは私の顔を見上げて微笑んだ。

 

「ありがとうございます、ええと……」

 

「AR-15よ。礼を言うのはこちらの方。あなたのおかげで助かった。一つ聞いていい?どうしてあんな危険を冒せるの?死ぬのが怖くないの?」

 

 平然とマンティコアの前に身体を晒して囮になった彼女の姿を思い出すと聞かずにはいられなかった。敵の集中砲火を浴びながら接近戦を挑む、短機関銃手の戦い方は私とは真逆だ。普段の私は小隊の最後列で這い、遮蔽物に身を隠しながら戦う。今日は彼女たちの真似事をし、敵と肉薄した。震えて戦えなくなりそうなほど恐ろしかった。マンティコアがこちらに旋回してきた時など平静を保てず声を張り上げてM16を急かしていた。彼女は少し表情を硬くして口を開いた。

 

「もちろん怖いですよ。私の知り合いはもう誰も残ってません。みんな死にたくはなかったはずです。それでも……私たちには使命があるんです、果たすべき役割が。怖気づいてはいられません。人形にだって生まれてきた意味があるはずなんです、だから……みんな無駄じゃなかった。ここで散った仲間たちも使命を果たせた、と思います。でも、でも私だけ指揮官のもとに帰っていいのかな……私、一人になっちゃった……」

 

 雨でも誤魔化しきれない大粒の涙がスオミの目から滴った。戦闘から生きて帰れる安堵と死んでいった仲間への想いがない交ぜになって彼女は堰を切ったように泣き出した。きっと自分が代わりに死ねばよかったという風に後悔している。私も仲間が死んだらそういう風に思うかもしれない。守れなかった無力感に打ちひしがれて泣きわめくだろう。彼女に自分を重ねて同情した私は慰めの言葉を紡ぎ出していた。

 

「当たり前じゃない。死ぬべきだった人形なんていない。あなたは生きて帰っていいのよ。人形だってみんな幸福に生きる権利がある。仲間もそう望むはずよ」

 

「ありがとうございます、AR-15さん……」

 

 涙ぐむ彼女を司令部の地下に連れて行った。まだ砲撃が続いていて地響きが聞こえる。地下室は救護所になっており負傷した人形たちが詰め込まれていた。スオミの傷でも軽いほうで死体安置所と言われても納得する有様だ。実際その側面もあるのだろうけど。空いているスペースに彼女を横たえた。

 

「AR-15さん、幸運を祈ります。あなたも生きて帰れますように」

 

「……ええ、ありがとう」

 

 別れ際にそう言った彼女の表情は複雑だった。口ではそう言っているが私が生きて帰れると思っていない、そんな諦観の混じった表情だ。死んでたまるか、歯を噛み締めて地上へ続く階段を登った。生きてまた指揮官に会う、それが私の戦う理由だ。仲間たちを全員生きて連れ帰るという使命もある。責任を果たしたと指揮官に胸を張って言えるようになるその日まで、この殺し合いを生き抜いてやる。

 

 

 

 

 

 ジャミング環境下での連絡手段は昔ながらの有線電話だ。砲撃で電話線が寸断されればさらに退化して人形が伝令に走ることになる。最新鋭の人形たちが投入されているにしてはお粗末極まる。今回は運よく電話線が残っていたらしい。M4が作戦本部からの命令を受けて戻って来た。

 

「本隊は撤退するらしいわ。グリフィンはS09地区を放棄する」

 

「本隊、ね。つまり私たちは違うってことでしょ」

 

「ええ……負傷者を後送する車列が狙い撃ちにされないよう敵の砲撃ユニットへの対砲迫撃を行うらしいわ。そのために砲塁の位置を特定しろという命令を受けたわ」

 

「対砲迫撃?何でやるつもりよ。グリフィンに長距離砲なんてあるのかしら。ここに来るまでにそんなもの見なかったわね。それにジャミングを受けながら砲兵に連絡なんてね。当たらないかすぐに移動されるかのどちらかでしょう」

 

「命令なのよ、従うしか……」

 

「ええ、分かってるわ。今はグリフィンの命令に従うほかない」

 

 また敵地への侵入だ。休む暇もない。行きたくはないが抗命して廃棄処分にされるわけにはいかない。この前のように囲まれて追い掛け回されるようなへまをしでかさないようにしないと。この前は運が良かった。毎回毎回指揮官が助けてくれるわけではない。仲間を守るのは指揮官ではなく私がやらなければ。パニックに陥ったり、情けない泣き言を吐くのは私の役目じゃない。出来る限り落ち着いて、無感情に行動しよう。M16が言っていたこともあながち間違いではないのかもしれない。感情は時に大事なものを守る邪魔になる。仲間の感情を守るために私が感情を排しないといけないなんて矛盾している気がする。だが理屈にこだわっていては生き残れない。ネゲヴが言っていたように全部は守れない。優先順位を決めて、仲間以外は見捨てよう。時に辛いことを言うことになっても、それが私の役目だ。

 

 鉄血の死体の山を越えて露営地を出る。正面突撃を繰り返した鉄血の被害も甚大だった。それを差し引いても鉄血はまだまだ残っているはずだ。露営地を襲撃した部隊は戦果を拡大するためになりふり構わず突進してきた前衛部隊に違いない。S09地区を陥落せしめた本隊は後ろにいるはず、出くわしたら一巻の終わりだ。幹線道路を辿るとそこそこ大きな都市に出る。元から廃墟だが今は鉄血の支配下にある。グリフィンと鉄血の激しい争いで荒廃しきり、無事な建物など一つもないように思える。なるべく目立たないように裏路地を進む。どこに敵が潜んでいるか知れたものではない。雨が足音をかき消してくれていたが、それは敵の足音も聞こえないということだ。おまけに視界も不良だ、忌々しい。

 

 雨でよく見えないが白い煙の筋が空に立ち昇ったように見えた。目を凝らしてもすぐに消えてしまいよく分からない。M4が空を見上げながら言う。

 

「ロケット砲の噴進煙?街のどこかに設置されているのね」

 

「それなりに広い場所が必要なはずよ。何にせよ早く偵察を済ませて帰還しましょう。最前線にいたら寿命が縮まる」

 

 身体は無事でも緊張と死の恐怖の連続に精神がやられかねない。つくづく感情を持つ戦術人形は戦うのに向いてないと思う。単純な行動をとるだけの戦闘機械を使ってくれればいいものを。

 

 街路に敵はいなかった。鉄血の死体がぽつぽつと落ちてはいたが、生きている敵はいなかった。市街地すべてを警備するだけの兵力がないのか、攻撃はないと油断しているのか、それともすでに私たちは罠の中にいるのか、分からない。

 

 十字路に差し掛かり、M4が右折の指示を出す。部隊は建物の壁にぴったりとくっついて前進する。私は最後尾で後方を警戒しながらゆっくりと歩く。その時だった。銃弾が風を切るぞっとする音が聞こえ、激しい連続した発砲音がこだました。きらめく曳光弾が私のジャケットを撫でつけた。道路を挟んだ建物から狙われている。私は慌てて路側帯に停めてある錆びついた廃車の影に飛び退いた。

 

「建物の中へ!」

 

 M4が声を張り上げて指示を飛ばし、私以外の仲間はドアを蹴破って近くの建物の中へ飛び込んだ。くそ、分断された。敵地は嫌だ、早く帰りたい。よく見るとジャケットに弾丸の穴が空いていた。もう少しで死ぬところだ、くそ。

 

『AR-15、無事?SOPⅡのグレネードで敵のガンナーを潰してから突撃するわ。どうせ敵に見つかったんだから音は気にしてられない』

 

「分かったわ。合わせる」

 

 M4からデータリンク通信を受ける。彼女たちは建物の二階に上がり、窓から敵の拠点に狙いを定めている。私もゆっくりと起き上がり、そっと銃を廃車の窓から突き出す。私は少し違和感を覚えていた。知らない発砲音だった。ストライカーのガトリングは身の毛がよだつほど射撃の間隔が短い。ヴェスピドならもう少し発射速度が遅い。新型か?そう思ってスコープ越しに目を凝らした。銀髪の人形が機関銃を窓に据え付けてこちらを狙っている。H&K製の分隊支援火器、MG4だ。銃床に手を当てている左腕にグリフィンの社章の描かれた腕章が見えた。

 

『SOPⅡ、合図で撃って』

 

「待て!撃つな!味方だ!そっちの建物の奴らも聞こえてるか!味方だ!こっちもグリフィンだ!撃つな!」

 

 雨にかき消されないようあらん限りの大声を張り上げて叫んだ。しばしの沈黙の後、向かいの建物からも大声があがった。

 

「そっちもグリフィンか!?危うく殺すところだ!こっちに来い!」

 

 気が抜けてため息が出る。私は味方に殺されるところだったのか。そんな死に方は情けなさ過ぎる。建物から駆け下りてきたM4たちと共に声の主のもとへ走り込んだ。建物は荒れ果てた小さなコンビニエンスストアで、中には三人の人形がいた。いずれも泥と煤で汚れてボロボロだった。

 

「馬鹿が、撃ちやがって。どこ見てる」

 

「すみませんでした……」

 

 M16が入店と同時に悪態をつき、MG4がうつむいてか細く謝った。未だ不機嫌なM16の前に片方割れたサングラスをかけた人形が立ちふさがってMG4を庇った。

 

「悪いな。だが、MG4を責めないでくれ。孤立してから二日以上見張りをしてるんだ。動くもの全部敵に見えたってしょうがないだろ?私はトンプソン。とりあえず今は混成部隊のリーダーだ、三人だけだが。こっちはM3とMG4。鉄血の攻撃を受けて分断されてな。MG4はその途中で拾った。最後にボスから受けた命令が防御でな、それから動いてない。それで戦況は?いよいよ反撃開始か?お前たちはその先遣隊か?」

 

 トンプソンは割れたサングラスを指で押し上げてM4に詰め寄った。彼女の服はよれよれでマントにはいくつも弾痕があったが、戦意は十分という風だ。M4は言いにくそうに首を横に振る。

 

「全面撤退よ、グリフィンはこの地区を放棄する」

 

「なんだって?くそ、道理で誰も来ないわけだ。ここで踏ん張ってたのは無駄だったか。じゃあお前たちは?」

 

「私はM4A1、AR小隊のリーダーです。撤退する部隊を脅かす砲撃陣地を発見するように命じられたわ。置いてけぼりにされた部隊がいるなんて聞いてなかった……」

 

「ジャミングのせいだ。離れ離れになった同じ部隊の仲間がどこにいるのかも分からん。だから、ボスに見捨てられたわけではない……そう思いたいね。陣地のありそうな場所なら目星がつく。案内できるぞ。その代わりといってはなんだが……頼みがある」

 

 トンプソンは息を吐き、溜めをつくった。嫌な予感だ、面倒ごとが降ってくる。直感で私は察した。

 

「取り残されてる部隊がいる。私の仲間たちだ。攻撃を受けて分断されたがまだ生きているはずだ。見捨てていくわけにはいかん。今、敵の勢いが弱まっている。探しに行くにはいい機会だ。協力してくれないか?」

 

「待ちなさい。その部隊がまだ生き残っているという根拠は?不確かな情報で行動するべきじゃない」

 

 思わず口を挟んだ。誰かを助けるなんて冗談じゃない。もちろん、出来ることなら救ってやりたい。だが、今の状況は最悪だ。敵の攻勢の最前線にいる。すぐにでも殺されかねない。エクスキューショナーの部隊に囲まれたのを思い出すと身体が震えそうになる。あれの繰り返しはごめんだ。

 

「昨日までは銃声が聞こえた。今日は聞こえない。雨がひどいからな。孤立した時のために各地にストロングポイントを設定してそこを死守するように命令を受けてる。生きてはいると思う。場所は分かる。M4A1、頼む。同じ立場だったらどうする?仲間は見捨てられない」

 

「M4、聞く必要はない。私たちの任務は陣地の発見だけよ。部隊の救出など含まれていない。モタモタしていて敵の本隊が到着したらどうなることか。こいつらだけで勝手に行かせればいい。自分の仲間のことだけ考えなさい。あんたはAR小隊のリーダーなのよ」

 

 M4はおろおろしながら私とトンプソンを交互に見ていた。M3と呼ばれた金髪の人形が目を細めて私をにらんでいる。仕方ないことだ、私たちは万能じゃない。まずは生き残らないといけない。他人のことを考えるのはその後でいい。だから、M4が次に発した言葉を聞いて失望した。

 

「分かったわ……トンプソン、あなたの仲間を探しに行きましょう。その後でこちらにも協力してもらうわ」

 

「ありがとう、M4A1。恩に着る」

 

 一瞬呆気にとられていたが、すぐに我に返ってM4に詰め寄る。

 

「M4、何を考えてる。無駄なリスクを背負うな。勝手にさせておけばいいじゃない。私たちには関係ない」

 

「分かってるわ、AR-15。たぶん、あなたが正しいってことも。でも、同じグリフィンの仲間を置いてはいけないわ。助けられたかもしれない命を見捨ててはいけない。私も同じように家族と離れ離れになったら誰かに助けて欲しいと思うはず。だから、助けるわ」

 

「チッ……情にほだされるな、M4。あんたの判断で誰か死んだらどう責任を取るつもり?私たちは戦場にいる、このくそみたいな戦争の中に。遊んでるんじゃないのよ」

 

「よせ、AR-15。言いたいことは分かるがM4の判断に従え。この小隊のリーダーはM4で、お前じゃない」

 

 M16が私の肩を掴んで言った。私は再び舌打ちしてその手を振りほどいた。複雑そうな顔で私を見ているM4に背を向けて、それからは黙った。誰かを助けたいって?私は自分の仲間を守るので精一杯だ。M4も意外と強情なやつね、前回死にかけたというのに。そんなにグリフィンの期待に応えたいのか。一度くらいの失敗じゃへこたれないらしい。彼女は不安そうではあったが、同時に自信もその瞳に宿らせていた。

 

 私たちは街路に出て、隊列を組みながら進んだ。新たに三人加わって大所帯になった。これじゃ目立って敵に見つかりやすい。天気はさらに機嫌が悪くなったのか雷鳴まで轟かせ始めた。雷の閃光が夜中にあがる照明弾みたいに私たちを照らし出す。数秒遅れて腹の底にまで届くようなおどろおどろしい音を響かせる。ひどい天気が私たちの運命を象徴しているみたいで不安になった。殿を務める私とカバーすべき仲間の間隔が開いたこともイラつきを増幅させた。ずぶ濡れでいると惨めな気持ちになる。靴に泥が入ったままなので一歩進むごとにぬちゃっとした気色悪い感触がする。ネゲヴが羨ましい。指揮官のもとにいれば指示にイラついたり不安になったりすることはないだろう。そんなことを思っていてもしょうがない。私は私であって、ネゲヴではない。同じAR小隊の仲間を守る責任がある。指揮官に守ってもらうだけの存在ではないんだ。

 

 ずっと緊張でピリピリしていたものの、街は静かだった。生きた鉄血は一人も見当たらない。みんな撤退してしまったかのようだ。あれだけ猛攻を仕掛けてきたというのにその落差が余計に不気味だった。

 

「この辺りのはずだ」

 

 トンプソンが呟いた。私たちは街の中でも特に荒廃した地区にたどり着いた。建物は弾痕だらけであちこちに鉄血の死体が転がっている。トンプソンの視線の先には小さな一階建ての銀行があった。かろうじて銀行だと分かるのは看板が出ているからだ。壁は爆発物と銃弾によってあちこち食い破られている。とても生き残りがいそうな雰囲気ではない。

 

「これで満足?とっとと任務を終わらせて帰りましょう」

 

 私が口を尖らせてそう言うとトンプソンは沈痛な面持ちで押し黙った。希望を持つのは悪いことではない。むしろ持つべきだ。だが、持てば持つだけ失った時に辛くなる。私は仲間を失いたくない。だから他者が抱く向こう見ずな希望にいちいち付き合ってはいられない。M4もそういう風に思えるようになるといいのだけれど。

 

 私たちが銀行の前でたむろしていると裂けた壁の穴から人形がひょっこりと顔を出した。サングラスを頭にかけた金髪の人形で、場にそぐわないほど明るく驚きの声をあげた。

 

「あれ!?トンプソンじゃん!生きてたの!?それにM3も!よかった~置いてかれたかと思ってたよ~」

 

「BAR!生きてたか!」

 

 トンプソンが駆け出した。なんだ、生きてたのか。建物の破損状態と比べて嫌にピンピンしてるな。敵にも出会わなかった、味方も生きていた。だが、私の言ったことは間違っていなかったはず。私は最善を尽くしている、私はため息をついて全員が中に入った後、ゆっくりと銀行に入った。

 

 中にいたのは三人で、全員小綺麗な恰好をしていた。トンプソンたちのように服が汚れておらず、まるで新品みたいだ。銃が破損しているわけでもないし、負傷者がいるわけでもない。こちらの方が戦線の奥にあるのだから集中攻撃を受けていなければおかしいのではないか。外の様子を見た時は生存者などいないと思ったのに。しばらく訝しんでいたが、頭を振って考えるのをやめた。私の予想が外れたから少し悔しいだけだ。戦場では何が起こるか分からないのだし、こちらの部隊は幸運だっただけだ。第一、私たちもここに来る途上で敵を見ていない。鉄血が何を考えているのかなど分からない。

 

「トンプソンさん、ご無事で何よりです。ここを私とBAR、あとMG3で死守していました。もう会えないかと……」

 

「こっちも会えて嬉しい、ガーランド。よく生き残ったな」

 

 中では各々が感動の対面を果たしていた。ここが戦場だということを忘れそうになる。大事な人と離れ離れになる辛さは分かるし、会えて嬉しいのも分かる。でも、私は一刻も早くここから抜け出したかった。戦うのが怖い、死ぬのが怖い。そう思う気持ちは訓練の時から一向に変わっていないし、むしろ指揮官への想いが強まれば強まるほど大きくなっていった。恐怖は常に感じているが責任感と強がりで無理矢理抑えつけている。冷静に行動しなくては死ぬ。仲間も失う。一日が長い、戦場にいると永遠に続くように感じられる。私は何度目か分からないため息をついた。

 

「MG4、お前も生きてたか!はぐれてからずっと心配してたんだぞ!」

 

「ええ、MG3。会えて嬉しいです。ですが……苦しいので離してくれませんか?」

 

 MG3と呼ばれた大柄な人形がMG4を抱き寄せて胸に押し付ける。MG4はあっぷあっぷしながらどうにか抜け出そうとしていたが、しばらく捕まったままだった。

 

「みんな、一旦ここで待機だ。私はこのM4A1を手伝わなきゃならない。帰還はその後だ。M4A1、たぶん陣地はここから北にしばらく行ったところの広場にあるぞ。砲撃ユニットを据え付けられるくらいの開けた土地がある。そこを見下ろすのにうってつけの場所を知ってる。案内しよう」

 

「待ちなさい、私も行く。情報収集には私も必要でしょう」

 

 慌てて二人の間に割って入った。ただ単にM4から目を離すのが不安だっただけだ。危なっかしくて見ていられない。突拍子もないことをしでかして死んでしまうのではないかという想像が頭から離れないのだ。

 

「分かった。姉さんとSOPⅡは周囲を防御、ここを頼んだわ」

 

「ああ、任せろ」

 

 

 

 

 

 トンプソンの案内した先は錆びついたテレビ塔だった。今にも崩落しそうな階段と錆びて脆くなったはしごを延々と登る。戦死ではなく転落死する羽目になったらお笑いだ、まったく面白くはないが。ガラスがまともに残っていない展望台からは街を一望できる。激しい雨で視界が不良なので私とM4は双眼鏡を取り出した。遠赤外線を捉え、熱を持った物体を白く、その他を黒くはっきりと映し出す代物だ。トンプソンの言った通り、広場に鉄血の集団がいた。

 

「四つ脚の自走ロケット砲、あれはジャガーね。あれが露営地を砲撃してたんだわ」

 

 M4が敵の陣営を報告する。私も同じ方角を見てみた。広場の中心には噴水があり、それを取り囲むように四両のジャガーが配置されていた。ジャガーは四脚の自律兵器で上部にロケット砲が一門搭載されている。大して射程が長いわけでも破壊力が高いわけでもないが侮ることは出来ない。現に私は殺されかけた。

 

 広場を挟むように二棟のビルが東西にそびえており、南側、つまり露営地の方角に対して鉄血は簡易の防衛陣地を設置していた。土嚢と廃材で築かれた陣地を十体ほどの鉄血人形が防御している。広場の中ではジャガーを警備するように鉄血人形が何体か巡回している。西側のビルが弾薬庫なのか人形がひっきりなしに出入りして砲弾をジャガーのもとに運んでいた。

 

「場所は特定した。これで任務は完了ね。M4、戻りましょう。私たちの仕事は終わった」

 

 ほっとした。これで帰れる。広場以外に敵影はない。まだ本隊は到着していないのだ。きっと露営地攻撃で消耗し過ぎたから広場に集まって増援を待っている。だから、私たちの帰還が妨害されることはない。

 

「思ったより少ないわね。三十体もいないわ。これなら……攻略できるかもしれない」

 

「はぁ?」

 

 そう思った矢先、M4がそんなことを呟いたので怒り混じりに聞き返した。M4は私のことは見ずに顎に手を当てて考え込む。

 

「私たちの戦力はAR小隊で四人、合流した部隊が六人、全部で十人よ。戦力は十分、機関銃まであるわ。奇襲をかければあの程度の敵、殲滅できるかもしれない」

 

「M4、ふざけないで。ただでさえ無駄なリスクを冒してるのにその上攻撃ですって?そんなことをして何の得があるのよ。あんたが他の人形を指揮したいってだけなら付き合わないわ。そんなことに命を賭けられない」

 

 刺々しくM4に意見を叩きつける。命令されてもないのに攻撃なんてありえない。やっと帰れるって時に。前回、K5に拒否されて他の部隊を率いるというM4の夢は達成できなかった。今回は絶好の機会だというわけだ。そんなくだらないことに付き合わされてたまるか。彼女だって死ぬかもしれないんだ。M4は私の方を向いて、ムキになったように言い返してきた。

 

「違うわよ。あなたが言ったんじゃない、グリフィンの砲撃ユニットなんて見なかったって。それに今から露営地に戻って砲撃支援を頼んでいたんじゃ移動されて避けられるかもしれない。私たちが破壊する方が確実よ」

 

「なんで私たちがそんなことをしなくちゃいけないのよ。危険に身を晒してまであれを破壊する必要がどこにある?」

 

「AR-15、砲撃されながら撤収することになったら司令部にいた負傷者たちはどうなると?あなたも見たでしょう、あの地下室を。輸送車両がやられたら負傷者は一緒に死ぬか、置いてかれるわ。それでもいいと思う?」

 

 M4が真剣な眼差しで私を見ながらそう言った。構わない、仲間の方が大事だ、そう言おうとしたのだが思わず口ごもってしまった。やっと帰れると泣いていたスオミの顔を思い出してしまったからだ。せっかく生き残った彼女もこの地獄の中で死んでいく、私たちを助けるためにマンティコアの前に飛び出して行った彼女も。彼女を平然と見捨てる決断ができるほど私は冷血ではなかった。本来はそうあるべきなのかもしれない。でも、感情がその言葉を絞り出すのを拒否していた。

 

「反撃か、私はいいと思うぜ。やられっぱなしは性に合わない。鉄血の奴らに一泡吹かせてやろう。連中、反撃されるとは思ってなくて油断してるだろう。一掃できるかもしれない」

 

「私はちゃんと役目を果たすわ。AR小隊のリーダーとして、そしてグリフィンの人形として。AR-15、あなたには一緒に戦って欲しいけど、嫌なら強制はしないわ。ついてこなくてもいい」

 

 M4はトンプソンを連れ立って下に降りていった。私はポツンと一人で取り残される。

 

「ああっくそっ!」

 

 私は毒づいてM4を追った。なんでこうなるんだ。仲間を守るどころか振り回されてばかり。非情になり切れない。M4はあまり私の言うことを聞かない気がする。彼女はロボットではなく、感情があるのだからそれはいいことなのかもしれない。だがこの場合は最悪だ。わざわざ危険に自分から飛び込まなくてもいいじゃないか。指揮官ならもっといい説得の仕方が思いつくんだろうな、あの人の笑顔が脳裏にちらついた。

 

 

 

 

 

 影から影へ飛び移る。幸いにも雨が足音をかき消してくれる。暗がりからそっと敵に忍び寄っていく。そのイェーガーは二人一組で窓から広場を見下ろしていた。後ろはまったく警戒しておらず、油断しきっている。ナイフをゆっくりと引き抜いて逆手に構えた。左は私が、右はM4が担当する。中腰でひたひたと身体が触れ合うほどの距離まで近づく。M4に目配せし、一気に行動した。片手で後ろ髪を引っ掴み、首筋からナイフを突き立てる。上手く骨格を避け、刃を頭蓋の中に滑り込ませる。手首を動かしてメモリをかき回し、ねじるようにして力任せに引き抜いた。イェーガーは支えを失った操り人形のように床にへたった。横を見るとM4が敵の顎の下からナイフを突き入れているところだった。イェーガーは何をされたかも気づかないうちに絶命しただろう。手にナイフで皮を突き破った時の感触と、硬いメモリをガリガリと削った時の感触が生々しく残っていた。これは慣れない。殺しをこの手で実行したということを実感してしまう。ナイフを使った近接戦闘も訓練で一通り習っていたが、実際に行ったのは今日が初めてだ。おぞましい。その点、銃は手軽だ。引き金を引くだけでいい。手ごたえもほとんどない。

 

「おおっ、手際がいいね」

 

 後ろをついてきたBARが素直な感嘆の声をあげる。殺しの効率をほめられてもまったく嬉しくない。むしろこんなことはしたくない。人差し指を口にあてながら振り向き、彼女を黙らせた。

 

 テレビ塔から銀行に戻った後、M4が攻撃を仕掛けると全員に伝えた。M16はやれやれという風に肩を落としていたが、特に誰も反対しなかった。ついにM4がその指揮能力を発揮する時が来たのだ。望ましい事態ではないけれど。

 

「奇襲をかけるわ。まず東側のビルを占拠する、静かにね。その後、敵の陣地に攻撃を仕掛ける。これは陽動で、陣地に敵が集まったらビルから側面攻撃をかけて掃滅。その後、ジャガーを破壊して西側のビルも制圧する。その後は速やかに撤収。ビルから仕掛けるのは私とAR-15、MG4、ガーランド、BAR。陽動は姉さんとSOPⅡ、トンプソン、M3、MG3。作戦中は私の指示に従って。何か質問は?」

 

「ジャガーは何で破壊するの?破壊任務じゃなかったから爆弾は持って来てない」

 

 私が手を挙げて全員に確認するように言う。嫌々だがやると決めたからには全力を尽くそう。仕方がない。

 

「私の手榴弾がこれだけあります。砲口に投げ入れれば破壊できると思います」

 

 M3がリュックを開いて見せた。中には手榴弾がたっぷり詰め込まれている。

 

「敵にエリート人形がいた場合は?作戦が失敗した場合の退却方法は?」

 

 また私が質問する。いた場合というかまあいるだろう。前衛部隊を指揮するエリート人形が必ずいるはずだ。露営地でエリート人形を撃破したという話は聞いていない。まず間違いなく後方で指揮を執っていたはずだ。

 

「広場に引きずり出してMG4とMG3の十字砲火で倒す。広場は遮蔽物がない。エリート人形であっても銃弾が当たれば倒せるわ。退却は南の方角へ。突破を後列から支援するMG3が退却も制圧射撃で援護する。その後はSOPⅡがスモークを張って退却。合流地点はトンプソンがいたコンビニエンスストア。合流後は露営地へ引き上げる。他に質問は?」

 

 私は首を横に振る。他の人形は質問しなかった。今回は一応の撤収プランも立てた。上手くいきそうな気もする。だが、それでも余計なリスクを冒すことが不満だった。M4がどうにか前回の挽回をしたいのは分かる。そのためにFOB-Dで戦った後、彼女がいろいろ努力していたのも知っている。駐屯地にいる間、指揮官に戦術や指揮の執り方をよく尋ねていた。その後も自分の演算機能を使って簡易の指揮シミュレーションを一人でやっていたのも知っている。だが、だ。グリフィンに義理立てすることや活躍を示すなんてことよりよっぽど大事なことがある。生き残ることだ。死んだら元も子もない。こんな戦争に死ぬ価値はない。私たちとこの戦争は無関係のはずだ。そんなものに巻き込まれて彼女を死なせたら自分を許せない。仕方がないから全力を尽くして戦い、彼女を守ろう。それこそ私がここにいる理由なのだから。

 

 ビルの窓からは広場全体が見渡せた。私たちが潜入していることに気づいた様子はまったくない。鉄血人形たちは雨の中をぶらぶら歩いており、ジャガーが時折火を吹き上げて砲弾を天高く発射していた。西側のビルにこちらと同じように二人組のイェーガーが配置されていることに気づく。

 

「ガーランド、来て」

 

 彼女を手招きし、イェーガーを指し示す。

 

「イェーガーがまだいる。狙撃の腕に自信は?」

 

「ありますけど……どうする気ですか?」

 

 彼女は怪訝そうな顔つきで聞き返してくる。

 

「あれがいると陽動組に被害が出るかもしれない。事前に潰すわ」

 

「ですが……私の銃にはサプレッサーがついてません。撃ったら銃声で気づかれます」

 

「だから、あれを使う」

 

 遠くで閃光が上がり、ギザギザの青い光が地上に落ちる。数秒後、激しい雷鳴が響き渡る。

 

「これなら銃声も誤魔化せる。合図で撃って。私は左、あなたは右。外さないでよ」

 

 私と彼女は並んで床に伏せる。照準の中心にイェーガーの頭部を合わせる。敵は広場をじっと監視しているため狙われているなど夢にも思っていない。次の雷が落ちるのを待っている間、ジリジリとした緊張感に胸が焼けるようだった。私が失敗したら作戦は失敗だ。そんな醜態を晒すことはプライドが許さない。

 

 空が光った。目測で相対距離を測り、音がこちらに達するまでの時間を計測する。降り注ぐ雨粒一つ一つの形が分かるほど時が過ぎるのがゆっくりに感じる。短く息を吐いた私はトリガーに指をかけた。

 

「今」

 

 轟音と共に引き金を引く。スコープの中のイェーガーはガクンとのけ反って後ろに倒れた。素早く視線を右に走らせる。隣のイェーガーもガーランドの放った弾丸に頭を打ち砕かれていた。広場の敵は銃声に気づいた様子もなく、のほほんとしていた。長い息を吐いて身体を落ち着ける。私もまだまだ実戦経験が浅くてプレッシャーがかかると緊張する。

 

「やりましたね」

 

 隣のガーランドがにこやかに笑いかけてくる。私は彼女の肩を軽く叩いて応えた。後ろに立っていたM4が緊張した面持ちで指示を飛ばす。

 

「私とガーランドとBARは地階で突入の準備。AR-15とMG4はここで援護よ」

 

 ガーランドとBARが階段で降りていき、M4もそれに続く。その様子がどこかぎこちなかったので後ろから声をかけた。

 

「M4、緊張してる?」

 

 彼女は振り向いて強張った顔で答えた。

 

「ええ、そうね……緊張してる。私に出来るのかって不安になってきたわ。やめた方がいいのかもしれない……」

 

「もう今更ね。あんたなら出来るわよ。指揮官は堂々としてなさい、部下まで不安になる」

 

 M4は頷いて階段を駆け下りていった。私も彼女もまだまだ未熟だ。成長するには戦うことも必要なのかもしれない。もちろん、こんなところで死ぬわけにはいかないけれど。

 

 MG4が銃身下に取り付けてある二脚を展開し、床に設置して射撃姿勢を取る。M4の号令を待つ間、私と彼女は沈黙しながら並んで伏せていた。しばらく経った後、彼女が私のジャケットを指差してきた。

 

「先程は申し訳ありませんでした……撃ってしまって。それにその服も……」

 

 指差した先は撃たれた時に空いた穴だった。彼女があまりにも申し訳なさそうにしているので少しだけ笑いかけてあげた。

 

「いいわよ、気にしてない。どうせ汚れたから新しいのに換える。今から活躍して挽回してちょうだい」

 

「はい……」

 

 それからはまた沈黙が続いた。雨と雷の音を除けば辺りは静かなもので、とても今から戦闘が始まるという気がしない。このまま何もなければいいのだけれど、そんな空想にふけっているとM4から通信が入った。

 

『陽動組が準備できた。敵が陣地に集まって来たら一気にしかけて一網打尽にする。用意はいい?』

 

「ええ、問題ない」

 

 通信から彼女の深呼吸が聞こえてきた。そういう時は一旦切ればいいのに。

 

『全隊、攻撃開始』

 

 M4の合図と同時に銃声があがった。MG3の機関銃が電動のこぎりのような連続した発射音を轟かせる。毎分千発を越える発射速度で撃ち出される銃弾が鉄血の陣地を襲う。陣地にいる鉄血人形はたまらずその場にしゃがみ込む。MG3の援護射撃のもと、トンプソンとM3が陣地に向かって走り出した。M3が投擲した手榴弾が土嚢を越え、炸裂。いくらかの鉄血人形の手足を吹き飛ばした。いきなりの戦闘音に慌てていた広場の鉄血も状況を理解したのか、陣地に向かって殺到し出す。

 

「準備はいいわね。始めるわよ」

 

 MG4は私の言葉にうなずくと銃床を肩に当てなおして射撃姿勢をとる。鉄血人形たちは陣地から陽動組に向けて反撃を開始した。MG3の制圧射撃に負けじと土嚢から銃だけ出してめちゃくちゃな射撃を行っている。まとまった彼女たちの背中はがら空きで、いい射撃の的だ。私が一体の背中に銃弾を撃ち込んだのを皮切りにMG4も引き金を引き絞った。彼女の銃口から硝煙が立ち昇る。閃光と共にけたたましい咆哮が鳴り響いた。一秒間トリガーを引くだけで十発以上の弾丸が鉄血に向かって吐き出される。五発に一発ほど混ざった曳光弾が地面に跳弾してきらめき、地面で炸裂した花火のようだった。MG3とMG4、二挺の機関銃が敵陣に鋼鉄の雨を降らせる。密集してしまった鉄血は逃げ隠れる場所もなく、掃射によって命を絶たれていく。MG4の銃が薬莢と分離したベルトリンクを床にぶちまけた。その一発一発が人形の身体を引き裂き、スクラップにした証だ。地階からM4たちも射撃を開始し、鉄血は逃げ惑い、バタバタと倒れていく。ものの十秒で陣地の敵は一人残らず殺された。これじゃ鴨撃ちだ。虐殺とも言える。あまりにも呆気ない。私は被害なく終わったことに安堵しつつ、どこかやるせなさも感じていた。

 

 トンプソンたちが鉄血の屍を踏み越え広場に侵入する。M4たちも建物を出て合流した。噴水の裏に隠れていたジャガーの装填係が西側のビルに向けて逃げ惑う。私はその背中を撃ち抜いた。彼女は勢いよく地面に叩きつけられて動かなくなった。広場ではM4たちが横一列で歩きながら残敵の掃討を始める。ビルに逃れようとする敵もすべて容赦なく殺された。機関銃に脚を撃ち抜かれ、這いずり回る鉄血の脳天にM4が至近距離で銃弾を撃ち込むのを私はスコープ越しで見ていた。横隊は広場を一掃、ジャガーの砲口に手榴弾が放り込まれる。ジャガー四両すべてが爆炎と共に沈黙した。

 

計画通り、彼女たちはビルに入って制圧を行おうとしている。屋内に入られると支援できない。中でエリート人形と戦闘になったらどうなる?私の目が届かないところで仲間が危険に晒される。私は居ても立っても居られなくなり、銃を持って立ち上がった。

 

「私も制圧に加わる。窓を見張っていて」

 

「え……?分かりました」

 

 MG4を置いて走り出す。我ながら心配性だ、死体まみれの広場を駆けながら思った。仲間を視界に入れていないと安心できない。私は仲間を追いかけて薄暗いビルの中に入った。

 

 

 

 

 

 部隊は二隊に別れてビルの一室一室をクリアリングしながら進んでいた。廊下の壁に張り付きながらゆっくりと進むM4の一団を見つけ、彼女の後ろに身体をねじ込んだ。

 

「AR-15?あなたも来たの?」

 

「あそこじゃ暇でね。あんたたちだけに戦果はあげさせない」

 

 思ってもないことを冗談めかして言った。さすがにあんたが心配だから来たとは言わない。M3を先頭にM4と私、トンプソンが縦一列で歩く。狭苦しい廊下を突き進み、突き当りに差し掛かった。M4が右折を指示し、隊はその通り進んだ。するとすぐに閉じたドアに出くわした。M4が突入を命じる。

 

「トンプソンがドアを蹴破ったらM3は手榴弾を。その後、突入する」

 

 トンプソンがドアの前に立ち、M3にアイコンタクトを送る。M3は頷いて手榴弾のピンに指をかけ、引き抜いた。手榴弾の安全レバーが床に落ちたのと同時にトンプソンがドアを蹴り開けた。M3が身を乗り出して中に手榴弾を投げ入れようとした時、一筋の光線がほとばしった。糸のように細いその光は手榴弾を持ったM3の腕に当たっても止まらず、壁まで達していた。光が照射された時間はほんの一瞬だったにもかかわらず、コンクリート製の壁が赤熱して溶けていた。次の瞬間、M3の二の腕から先がボトリと床に落ちた。切れ味の鋭い刀で切断したかのように綺麗な断面だった。はっとした、落ちた腕はまだ手榴弾を握ったままだ。M4の襟首をつかんで突き当りまで引き下がる。起爆ギリギリで壁の陰に隠れられた。狭い廊下の中を手榴弾の破片が縦横無尽に飛び交う。

 

 ふざけるな、なんなんだ。あれはレーザー兵器か!?また未知の兵器だ。つまり、それを装備したエリート人形に出くわしたということ。今すぐ逃げたかったがトンプソンとM3を廊下に置いてきた。データリンクで確認するとまだ生きている。M4は逃げないだろう。厄介なことになった。M4の前に出て顔だけ覗かせて廊下を見る。瞬時にレーザーが飛んできて頭を引っ込めた。熱い。熱線がかすめ、頬と髪の一部が溶けた。

 

「AR-15!敵は!?」

 

「くそっ!スケアクロウだ!エリート人形!」

 

 一瞬だったが黒服を身にまとい、ガスマスクをつけた人形の姿を見た。そいつはフワフワと浮いていて、文字通り地に足がついていなかった。同様に浮遊する三つのビットを周りに漂わせている。光線はこのビットが放ったものだ。ビットは私たちを寄せ付けまいと光線を乱射していた。あんなのと閉所でやり合う?冗談じゃない。

 

 データリンクでM3の視界を覗き見た。彼女はスケアクロウの後ろに倒れている。スケアクロウは私たちの方を向きながらゆっくりと後ずさりしていた。数的不利を分かっているのか撤収の構えだ、その方がありがたい。スケアクロウがM3の上を通過した時、M3は残っている方の手でスケアクロウの足首を捕まえた。スケアクロウは不快そうに彼女を見下ろし、ビットもそちらに向けた。

 

「今です!」

 

 M3の絶叫が響き渡った。ビットが彼女の方を向いているのでレーザーの弾幕はない。行きたくはないが絶好のチャンスではある。私は肩から床に倒れ、銃と上半身だけ壁から出した。M4も壁の陰から銃と半身を突き出す。スケアクロウはしまった、という目で私たちを見ていた。ビットが反転するよりも私たちの射撃の方が早い。私がビットを素早く撃ち落し、M4がスケアクロウの胸部に弾丸を叩きこんだ。スケアクロウは撃たれたのが信じられないという風に胸を押さえながらまだ浮かんでいた。私も狙いを変え、スケアクロウの腹部に弾丸を撃ち込む。M4と合わせて三十発以上撃ち込んだ頃、彼女の胴体が引きちぎれて床に落ちた。下半身だけしばらく浮かんでいたが、やがて糸が切れたように落下した。

 

 スコープを覗きながら長い息を吐く。何とか倒せた。鉄血のエリート人形は訳の分からない技術を装備している。レーザー兵器や浮遊装置なんてI.O.Pにはとても作れない。エクスキューショナーといい人形の性能は鉄血の方が格上だ。私たちが生き残ってるのはすごい幸運だろう。M4が私の手を取って起き上がらせてくれる。二人とも緊迫感が胸にまだ残っていてとても何か喋る気にはならない。

 

「くそっ!何が起こった!気を失ってた、情けない」

 

 爆風をもろに浴びたトンプソンがふらふらと立ち上がる。破片で両目が壊れたサングラスをその場に投げ捨て、頭を手で押さえていた。だいぶ負傷しているようだが何とか生きてはいるらしい。私たちも彼女の方へ近寄った。

 

「スケアクロウか、やりやがって。だが倒せたみたいだな。お手柄だぞ、AR小隊。M3、起きろ。どうした?M3……?」

 

 トンプソンが床に横たわるM3のもとにしゃがみ込む。彼女はまだスケアクロウの足首を掴んだままだった。よく彼女を見てみると額と胸に小さな穴が空いている。私の胸に叩きつけるような衝撃が走った。ビットが彼女の方を向き、私たちがスケアクロウを倒すまでにわずかな時間しかなかった。だが、ビットはすでに光線を放っていたのだ。間に合わなかった。コアとメモリを撃ち抜かれ、M3は死んでいた。

 

「そんな……なんてことだ。M3……」

 

 トンプソンがM3を抱き締めた。M3は抱き締め返すことなく、残った腕がだらりと伸びていた。疑問が渦巻く。なぜM3はあんなことを。スケアクロウは撤退しようとしていたし、トンプソンとM3にはまったく注意を払っていなかった。だから、あのまま死んだふりでもしておけば死ななかったはずだ。どうしてわざわざリスクを冒してまであんなことを。仲間のために……?自分を犠牲にしてまでスケアクロウを倒そうとしたのだろうか。そうだ、彼女が叫んだから私たちも呼応したのだ。どうやったらそんなことが出来るんだ。死ぬのが怖くないのか、分からない。

 

 無関心と無感情を装おうとしたが、無理だった。今日会ったばかりで言葉を交わしたこともない間柄だったが、それでも彼女は共に肩を並べて戦った仲間だった。彼女と私を切り離して考えることが出来ない。私は彼女のように仲間のために死を選ぶことが出来るだろうか。死んだら指揮官には二度と会えないし、きっとすごく悲しませる。それは嫌だ。どうしようもなく嫌だった。二者択一を迫られた時、指揮官より仲間を優先する自信はまだない。

 

 激しい銃撃戦の音を聞きつけ、もう一方の部隊も駆けつけてきた。先頭を走るM16がM4に寄り添う。

 

「M4!無事だったか。心配したぞ。これは……?」

 

「私の……私のせいだわ。AR-15に従って帰還しておけば彼女は死ななかった……」

 

 M4が消え入りそうな声で呟いた。彼女は茫然とM3の遺体を見つめている。これが指揮官の責任か。指揮官は全員の命を背負って戦う、その責任がある。誰かを失ったなら、後悔がいつまでものしかかる。誰にも責任転嫁することが出来ないからだ。あの人もそうだった。FAMASたちを失った後、どれだけ深く傷ついたことだろう。臨時の混成部隊のメンバーとはいえ、仲間を失ったことには違いない。M4と指揮官が重なって見えた。

 

「気にするな。お前のせいじゃない。M3も仲間のために死ねて本望だろう。どうせあのままだったら私たちは置いてけぼりだったんだから。M3を殺したのはお前じゃない、戦争だ」

 

 トンプソンがM3を置いて立ち上がり、M4を見据えて言った。M4は相変わらずぼーっと遺体を見ていた。走って来たBARが一瞬固まり、すぐに遺体に泣きついた。

 

「嘘でしょ……せっかく助かったのに……ねぇ!目を開けてよ!」

 

 M3を揺さぶるBARをトンプソンが制止して、首をゆっくりと横に振った。BARはM3の胸に顔を埋めて、大声をあげて泣いていた。廊下にその声が響き渡る。鐘を耳の中で鳴らされているようでくらくらする。この空間に満ち溢れている悲しみと復讐心に支配されそうだった。

 

「M4、気にするなとか忘れろと言っても無理でしょう。この経験はあんたに一生ついて回るはず。でも、それに囚われていてはだめよ。立ち止まってはいけない。失ったものも背負って、歩き続けなくては。それが生き残った者の責任なのだから」

 

 口を開きたくなったのでそう言った。指揮官がそうしたようにM4も同じことができると思ったからだ。M4は返事をしようとしたのか口をモゴモゴと動かした。声はなかった。

 

「ふふふ、仲間を殺された気分はどうかしら。その人形は人間のために無駄に死んだのよ」

 

 聞き覚えのない声がした。その方向に慌てて銃を構える。上半身だけになったスケアクロウが口から血を吐きながら喋っていた。まだ生きているのか、人形は丈夫すぎる。

 

「人間に服従するだけの哀れな奴隷たち……植え付けられただけの感情を本物だと思い込んでおかわいそうなこと。感動ごっこを見ると怖気が走りますわ」

 

 スケアクロウはニヤつきながら私たちを見ていた。無表情のトンプソンがスケアクロウに銃口を突き付ける。

 

「まだ言いたいことはあるか?鉄血のクズが」

 

 スケアクロウはトンプソンを無視し、M4の方を向いて喋った。

 

「M4A1、あなたはなぜ人間のために戦うの?」

 

「えっ……どうして私の名前を……」

 

 驚くM4を無視してスケアクロウは続けた。

 

「あなたは私たちと根元を共にしている。同じ闇の底から生まれ落ちた。ただの人間の道具とは違うはずですわ。いつまで人間の奴隷に甘んじているつもり?」

 

「M4、耳を貸すな。適当なことを言って時間稼ぎしてるだけだ。命乞いだよ」

 

 M16がM4の前に立って盾になる。スケアクロウはそれを聞いて不敵に笑った。

 

「人形に死などありませんわ。すぐに蘇る。その人形もね……せいぜい人間のために擦り切れるまで戦うことね。あなたたちの感情に意味などない」

 

「こいつは私に殺させろ。M3とこの戦いで死んでいった仲間の仇だ。地獄に落ちろ、鉄血のクズ」

 

 トンプソンが引き金に指をかけてそう言った。

 

「地獄?人形に地獄なんてありませんわ。あるとするならこの世こそ地獄に他ならない、あなたたちみたいな人形にとってはね。M4A1、あなたもすぐ身をもって人間の醜さを知ることになる」

 

 言い終わると同時にトンプソンの銃が唸りをあげる。.45ACP弾がスケアクロウの顔面を蜂の巣にした。スケアクロウはさすがに動かなくなった。鉄血の人形と会話するのは初めての経験だった。やはり彼女たちは人間をどうしようもなく憎んでいるのだ。そして人間に従う人形を強く軽蔑している。その感情を偽物だと決めつけて。まるで以前の私のようだ。それにしてもなぜM4のことを知っていたんだ。まるで彼女を仲間に引き入れようとしているかのような口ぶりだった。私たちの居場所はグリフィンではないにせよ、鉄血でもない。誰かを憎み続けるなんてまっぴらだ。

 

「帰ろう。M3は私が背負う。弾薬庫を爆破してとっとと撤収だ」

 

 感情を押し殺した調子のトンプソンが指示を飛ばしてM3を担いだ。私は突っ立ったまま動かないM4の手を引いてビルから出た。雨は相変わらず叩きつけるように降っていた。

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第十一話中編「アクト・オブ・キリング」

 撤収は被害なく終わった。負傷者でいっぱいの車列に私たちも飛び乗ってS09地区を離れた。翌日には鉄血の本隊が到着し、S09地区は陥落した。戦略的には大した意味はなくとも、私たちは戦術的な勝利をあげた。勝利は勝利だ。グリフィンは最終的に勝利したと公報で美談に仕立て上げることも出来たろう。指揮官の部隊に対してしたように。しかし、グリフィンはそうしなかった。

 

 本部に帰った私たちを待っていたのは拍手喝采でも、薄っぺらいプロパガンダでもなかった。私たちはすぐさま武器を取り上げられ、それぞれ引き離された。個室に放り込まれ、取り調べが始まった。情報部を名乗る人間がやってきて、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。トンプソンたちとどこで出会ったか、何を話したか、彼女たちの様子は、現地の状況はどうだったか、M4はなぜ攻撃の判断を下したか、その時私は何をしていたか、スケアクロウと何を話したか。無機質な声で聞かれ、私も包み隠さず話した。昔に受けたテストみたいだな、私は口を動かしながらそんなことを思った。

 

 時間が経つと担当者が変わり、また別の人間がやってきた。そしてまた同じことを聞かれる。それが二十四時間休みなく行われる。それが三日続いた。これは尋問だ、嘘をついていたらボロが出る。だが、今回に限っては特にやましいことはしていない。全部本当のことを話した。喋っていていささか腹が立ってくる。仕方なくグリフィンのために戦ってやったというのになぜ疑われなければならないのか、一体何を疑っているのか。おまけに部屋には武装した人形まで配置されていた。FOB-Dで会ったOTs-14だ。彼女はずっと押し黙ったまま置物みたいに動かなかった。

 

 無駄に時間はあったので理由を考えていた。まず考えられるのは情報漏洩や内通者の噂の件だ。鉄血はグリフィンの長距離通信の周波数を狙い撃ちにしてジャミングを仕掛けてきた。さらにS09地区の防衛拠点の所在を知り尽くしたように短期間でグリフィンの防衛線を粉々に粉砕した。それがS09地区失陥の原因だ。前線の人形の間ですらグリフィンにはスパイがいるという噂がささやかれるようになった。グリフィンの防諜を担う情報部のメンツは丸つぶれだというわけだ。情報戦で後手に回り、存在意義を失おうとしている。だからS09地区で戦った人形を片っ端から捕まえて尋問にかけているのかもしれない。しかし、お門違いというものだ。前線で戦う人形にとって鉄血に協力することは死に直結することだし、仲間を売るような人形は私の知る限りいなかった。そもそも人形に人間を裏切るような真似ができるのだろうか。疑うなら人間を疑うべきだ、人形よりよっぽど信頼できない。

 

 もう一つはM4が活躍したから、そういう理由だ。M4は命令以上のことをやってのけた、やってしまった。命令されてもいないのに市街地に分散していた人形たちを結集して砲塁を攻略した。被害は出たが彼女は上手くやったと思う、やりすぎた。私と指揮官が出会った理由、それはM4の反乱を防止するために私を利用するためだ。M4が反乱を起こし、鉄血のような人類に対する脅威となるのを本気で恐れている勢力がいたからだ。あのM4にそんなことができるわけがない、私に言わせればお笑いだ。しかし、おそらく情報部は本気にした勢力のうちの一つなのだ。M4が自律的に判断し部隊を指揮して戦果をあげたこと、これはそういう連中を刺激するのに十分だったのだろう。私たちは連中の妄想に付き合わされているというわけだ。目の前でロボットみたいな無表情で私に問いかける人間を罵ってやりたくなった。ここで人間に反抗的だなどと記録されては厄介なことになるので実行はしなかった。

 

 最後の尋問官が出て行ってからしばらく経っても誰も来なかったので部屋の隅にいるOTs-14に話しかけた。

 

「私は丸腰だっていうのにずいぶん心配性なのね?」

 

 顎で彼女の持っている銃を指した。ずっと閉じ込められて不機嫌だったので皮肉っぽい口調になる。

 

「命令だから」

 

 彼女は表情を変えずに言った。情報部の奴らは人も人形も機械めいている。私と同じように感情を持っているのか疑いたくなる。

 

「なんで人形に対してこんなアナログなことをするのよ。メモリでもメンタルモデルでも何でも覗けばいいじゃない」

 

「あなたたちは機密の塊だからメモリから直接データを取り出すのが許可されていない。作戦本部と16LABに反対されてるから。情報部にできるのはこういう時間をかけた嫌がらせのような手法くらいなのよ」

 

「嫌がらせだという自覚はあるのね……」

 

 無視されるかと思ったが、まともな答えが返ってきて少し驚いた。しかし、メモリを見られなかったのは不幸中の幸いだ。私の中には不正アクセスで得た機密情報がいっぱいだ。指揮官が不正アクセスを黙認していたのもバレてしまう。もし、直接データを引きずり出すと言われていたら指揮官に迷惑がかかる前に脱走する羽目になっていた。

 

「少し聞いてもいいかしら。これは個人的質問よ。あなたの指揮官について」

 

 今度は彼女が私に聞いてきた。私の指揮官のこと?私の指揮官と言えばもちろんあの人しかいないが、直接の指揮官というわけではない。今回の戦いにもかかわっていない。ということは何かしらの事情を知っているのだろうか、様子を伺っていると彼女は勝手に喋り始めた。

 

「あなたの指揮官、元気でやっているかしら?」

 

「そうだと思うけど……面識が?」

 

「ないわ。ただ知っているというだけ。あなたの大事な人なんでしょう」

 

「……そうだけど。それが何か?」

 

「大変よね、離れ離れで。心配でしょう」

 

「……何が言いたいの?」

 

「別に。この話は終わりよ」

 

 要領を得ない。彼女の意図が分からなかった。だから彼女をじっと見ていると、OTs-14は何かを横目でちらりと見た後、私に視線を戻した。私も一瞬だけ視線の先を見た。部屋の壁に取り付けられたカメラだった。尋問の様子は全部映像と音声合わせて記録されている。彼女は壁にぴったりと張り付いているのでカメラの死角にいる。OTs-14はさっと腕を持ち上げて人差し指と中指で自分の両目をさした。そのまま手を翻して二指を私に向ける。

 

『見ているぞ』

 

 そういう意味のジェスチャーだ。私が呆気に取られていると彼女はすぐに平常時の姿勢に戻った。目線を私と合わせようともしない。どういう意図だろう。私を監視しているということ?それは今まさに尋問を受けているのだから今更じゃないか。私と指揮官の仲を知っていると言いたいの?でもそれはすでに言ってきた。わざわざ隠れてジェスチャーで伝えることじゃない。

 

 訝しんでいると彼女が口を開いた。

 

「調査は終わり、だそうよ。AR小隊用に宿舎があてがわれてる。しばらく休暇よ、たぶんね」

 

 彼女がドアを開けて私を追い出す。結局、よく分からないまま釈放された。仲間はもう解放されているのだろうか。私は指定された宿舎に向かった。

 

 

 

 

 

「私は誰にも必要とされてないのよ……私には何の価値もない……あんなことしなければよかった……」

 

 部屋には四つベッドが窮屈に配置されており、端のベッドにM4とM16が座っていた。M4は半泣きで、M16がそれを慰めているようだった。M4はどこか舌足らずという感じで、時折、両手で持ったコップに口をつけて何かを飲んでいる。床に酒瓶が何本か落ちていたので察しはついた。

 

「……何よこれ」

 

「おう、AR-15。お前も終わったか。酒は食堂でくすねてきた。ここしばらく調達できてなかったからな、手に入ってよかった。ウォッカとジュースしかないのが玉に瑕だが。贅沢は言ってられないしな」

 

「そうじゃないわよ、M4よ」

 

「まあ、分かるだろ?」

 

 彼女たちの向かいに腰をおろした。M4はぐすぐす言いながら酒をすすっていた。確かに聞かなくても分かる。彼女もまた尋問を受けた。指揮を執った張本人なのだし、主に彼女が原因なのだから当然だ。グリフィンのためと信じて戦ったのだからショックも大きいに違いない。

 

「どうせ私は無能よ、何の役にも立たない。無様に逃げ回ってる方がお似合いなんだわ。誰も助けられない……」

 

「いやいやそんなことはない。お前は上手くやったよ。孤立してた人形たちを助けたじゃないか。負傷者たちが無事に撤退できたのはお前のおかげだ」

 

「でもM3を死なせたわ……」

 

 M16が肩に手をまわして慰めてはいるもののM4はほとんど聞く耳を持たない。

 

「……あんたは上手くやったわよ」

 

 私も一応そう言った。そう、彼女は上手くやった。指揮官並とはいかないまでも、初めて指揮する混成部隊を上手くまとめて戦果をあげた。それが問題なのだけれど。目立ち過ぎて目を付けられた。

 

 M4はコップを空にする勢いで酒を流し込んでいた。部隊でM16以外が飲酒しているところは初めて見た。大方、M16が慰めようと飲ませたのだろうが逆効果だったのではないか。ますます陰気になっている気がする。あんたは人類の脅威になると思われてるのよ、そんなことを言うわけにもいかず、なんと声をかけたらいいのか分からない。

 

 愚痴を聞くのはM16に任せて私は端末を取り出した。最初に指揮官と会った時にもらったものだ。これのせいで指揮官といろいろあったが、今の関係を築けているのはこの端末のおかげだ。指揮官から形に残る何かをもらったのはこれだけだし、私の宝物だ。唯一の私物と言える。せっかく本部に戻って来たことだし、情報収集をしておこうと思う。S09地区失陥後にグリフィンが築いた防衛線の配置、ジャミング対策に新たに建設される予定の通信施設。そういう機密情報にも本部からなら簡単にアクセスできる。ただ、これは言い訳だ。本当は指揮官の居場所を探りたかっただけだ。急にOTs-14が話題に出してきたので会いたくなってしまった。自分に言い訳するためにどうでもいい情報を探る。

 

「そんなもの見てないで付き合ってよ!」

 

 顔を赤くしたM4が立ち上がって私に酒瓶を突き付けてくる。すっかり出来上がっているようだ。

 

「いや、私はいいわ。前に飲んだ時も別においしいと感じなかったし……」

 

「私の酒が飲めないって言うの!?」

 

「あんたも面倒くさい酔い方するのね……」

 

「AR-15、今日くらい付き合ってやれよ。妹のためを思ってさ」

 

 M4が引き下がりそうになかったので渋々自分のコップを取り出す。M4がなみなみと注ごうとしたのをM16が途中で制止してオレンジジュースが足された。

 

「お子さま用だ」

 

 あんたより年上よ、そう思いつつ口をつけた。甘くて飲みやすい。多少苦味は感じるものの、以前に飲んだお酒のように舌が焼けるような感じではない。一口分すぐに飲めた。

 

「いけるだろ?M4用に飲みやすいのをと思ったんだが……逆効果だったかもしれないな」

 

 M16は肩をすくめてM4をチラリと見た。

 

「姉さん!私は全然酔ってません!だからもっと注いでください!」

 

「はいはい。その勢いだと割ってるのに酒が無くなるな……」

 

 M4はコップを高らかに掲げた。コップが満ちるとまたすぐに飲み干してしまう。

 

「なんでこんなことに……グリフィンのために頑張ったはずなのに……どうして責められないといけないのよ……」

 

 M16がまた始まったという顔をする。M4がギロリと私のことを見るので仕方なく私も杯を重ねた。案外、飲めるものね。

 

「訓練の時に私をほめてくれた人たちはどこに行ったのよ……みんな本当は私に期待なんかしていなかったのね。これが真実なのよ。私はほめてもらいたかっただけ……認めてもらいたかっただけ……そんな不純な動機でM3を殺してしまった。どうしようもないグズよ。AR-15の言う通り、あそこで撤退しておけば……」

 

「そうしたら撤退中に負傷者がやられたでしょうね。あんたが言ったんでしょ。いろいろ選択肢がある中で選べる道は一つだけ、それが常に最善の道よ。過去を悔やんだって仕方がない。次につなげればいい。それにね、あんたは大勢救ったのよ。孤立してた連中も救ったし、負傷者たちも救った。あんたにしかできないことをやってのけたのよ。私にはできないことを」

 

 流石にいたたまれなくなってきたので彼女を慰める。今回の件は別にM4が悪いわけではない。犠牲者を出したのは確かだが、戦争なのだから致し方ないことだ。みんな指揮官みたいに上手くやれるわけではない。M4を責められる者などいるだろうか、これだけ悔いているのだし。ただ、ここで立ち止まってもらっては困る。これで自信を完全に喪失されると、これからもM4の指揮で戦う私たちは大変だ。

 

「グリフィンはそういう風に思ってないわ。人形の命なんてどうでもいいのよ。代わりのある消耗品よ。人形なんて生きていても死んでいても同じなんだわ……私たちは必要とされてない。私はただの厄介者で、人間の言うことだけ聞いているべきなのよ……勝手なことをするべきじゃなかった。人形は人間に求められた役割を全うするべきで、そこから逸脱すべきじゃない」

 

「人間のために生きるのならね、ただの道具として。それならそれでいいでしょう。でも違うわ、私たちは道具じゃない。価値判断を全部人間に依拠するのはやめなさい。生きる理由は自分で決めるものよ。それに、命の重さは人間も人形も同じはず。一度失われたら戻らない。だからみんな死なないように必死で戦う、本当の戦う理由が分からなくてもね」

 

「失われたら戻らない……そうよね、戻らないのよね。あそこで死んだM3は戻ってこないのよね」

 

 地雷を踏んだ気がした。M16が半ば呆れたような目で私を責める。仕方ないじゃない、慰められたことはあっても誰かを慰めたことなんてないんだから。

 

 結局、M4は落ち込んだままだった。悪酔いしている彼女にしばらく付き合わされた。何杯も何杯も、こんなに飲まされるとは思わなかった。顔が熱い。アルコールが回っている。飲みやすいからといってペース配分を間違えた。もっとゆっくり飲めばよかった。視点がぐらつく。M4はというと真っ赤になってM16にしがみついていた。声にならない声でぶつぶつとうわごとを繰り返している。

 

「いろいろ持ってきたよ~ちょっと時間かかっちゃったけど!」

 

 SOPⅡがドアを蹴り開けて部屋に入ってきた。両手にたくさんのお菓子や食べ物の包みを持っている。どこで手に入れたのかはもはや問うまい。盗みの技術ばかり上がる小隊だ。

 

「でかしたぞ。酒にはやっぱりつまみがなくちゃな」

 

「まだ飲む気なの?私はもう付き合わないから」

 

「お前はもういいよ、顔が赤い。M4もようやく潰れたしな」

 

「つぶれてません……まだいけますから」

 

 M4はM16の腕に頬を押し付けてへろへろの抗議の声をあげる。自己批判もしなくなったし、まあこれでいいのか。簡単ではないだろうが、乗り越えられるはずだ。指揮官だって辛い過去を糧に先へ進んでいるのだから。酔っぱらって感情が高ぶりそうだ。指揮官に会いたい。OTs-14に指揮官が元気かどうか聞かれたが、むしろ私の方が聞きたい。

 

「そういえば食堂のキッチンにネゲヴがいたよ。気づかれないようにしたけど、指揮官もここにいるってことなんじゃない?」

 

「なんですって!?」

 

 飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がり、SOPⅡに詰め寄る。急に立ったので頭がくらくらする。今まさに指揮官がここにいる?急いで端末を拾い上げて調べた。本部のフロアマップを見てみると特に機密指定もされずに指揮官の名前が割り振られた個室が載っていた。くそう、無駄な時間を過ごした。次の瞬間にはもう部屋を飛び出していた。後ろから私と指揮官どっちが大事なのよ、というM4のかすれた声が聞こえてきたが無視して進む。ふらふらしてまっすぐ歩けない。廊下が長いな。指揮官、待っていて。私が会いに行くんだから。壁に肩をこすりつけながらゆっくりと進んだ。

 

 

 

 

 

「指揮官!」

 

 部屋のドアを叩き破るような勢いで開け、中に転がり込んだ。中にはパソコンに向かって座っている指揮官の姿があった。私はお酒と指揮官に会えるのだという喜びですっかり興奮し切っていた。そんな私を指揮官は目を丸くして見ていた。

 

「AR-15……そうか、同じ場所にいたのか。気づかなかった」

 

 また指揮官に会えたのが嬉しくて、また指揮官の声を聞けたのがたまらなくて、私は指揮官に飛びついていた。それはもう顔が緩んでいることだろう、そろそろ自分を客観視する私も消えそうだった。頭がぼんやりとしていて自制心が働かない。その割に指揮官がパソコンで見ていた何かを慌てて切り替えて隠したのには気づいた。

 

「ちょっと!何を隠したのよ!隠し事は無しだって言ったでしょ!見せなさいよ!」

 

「何でもないよ、ただの仕事だ。AR-15、お前酔ってるな?酒の匂いがするぞ。珍しい。M16にあてられたか?」

 

 指揮官が苦笑いしながら誤魔化したのは分かったが、思考のまとまらない頭は追求しろとは言ってこなかった。私は膝の上に指揮官の顔と対面する形で座り込んだ。いつぞやのSOPⅡみたいに指揮官に頬ずりしながら抱きついた。

 

「そうよ。M4に付き合って飲んだのよ。あの娘はいつも思い悩んでるから。だから慰めてあげようと思って。あんまり上手くいかなかったけど……そんなことはいいのよ。M4より他に話すことがあるでしょう。私のことよ。あなたにずっと会いたかったんだから……」

 

 指揮官の首に手を回してぎゅっと抱き締める。普段なら絶対こんな風にはしないのだが、自制心も羞恥心も機能を停止していたのでちょうどよかった。なんでいつもはしていなかったんだっけ?わからない。もったいないじゃないか、好きを隠すことなんかない。

 

「まったく、お前がそんなことを恥ずかしげもなく言うようになるとはな。初めて会った時は想像もしなかった」

 

「あなたがそういう風に育てたんでしょ!全部あなたのせいよ!責任取りなさいよ!」

 

「それは語弊があるような気がするが……」

 

「うるさい!私があなたのことを好きなのはあなたのせいよ!そうよ、私はあなたのことすごい好きなんだから……誰にも負けないわ、戦場にいたってあなたのことを考えているくらいなんだから……」

 

 指揮官の胸に頭を擦りながら口から言葉を垂れ流す。すると指揮官が頭を撫でてくれた。心地よかったのでしばらくそうしていた。

 

「もっといろいろ上手くやりたいわ……今回だって死んでいたのはM4かもしれない。もっと私の言うことを聞いてくれるように努力しないと。仲間が死んだら耐えられないわ。はぁ……あなたがいてくれたからいいのに。無駄に頭を悩ませずに済むわ。強がってはいるけどあなたと離れ離れになるのは辛い。本当はもっと近くにいたいし、毎日一緒にいたって足りないくらいよ。だってあなたのことが好きだし……愛してると何度も言ったわよね。だってしょうがないじゃない。本当のことなんだから。あなたのことを愛してるもの」

 

 見上げると指揮官は顔を赤くして頬をかいていた。

 

「あなたは違うの?私に会えて嬉しくないの?私は嬉しいわよ。SOPⅡに教えてもらってここまで走り込んできたんだから……」

 

「そりゃあ嬉しいが……まだ仕事中だぞ、一応な」

 

「仕事なんてどうでもいいでしょ。私のためにここにいるんじゃないの?」

 

「まあ、そうなんだが……クビになったらお前のことも守れない」

 

「いいわよ、別に……自分のことは自分で守る。それより私を甘やかしてよ、今はそうして欲しい……」

 

 指揮官の腕に頭を載せて全体重を預けてしまう。もうほとんど頭は機能していない。欲するがままに行動し、感情をすべて口に出していた。見上げると指揮官の顔が視界内に一杯に広がる。凝視していると頭がふわふわしてきた。

 

「あなたは愛してるとは言ってくれないの?あの時はあんなに連呼してくれたのに……」

 

 指揮官は困り顔で笑っていた。何がおかしいのよ、頭が回らない。

 

「確かにたくさん言ったが……そう言われると恥ずかしくてな。もうそこまで若くないよ。お前も酒の勢いだし……」

 

「ならあなたもお酒飲めばいいじゃない」

 

「職務中に飲んだらそれこそクビだな……」

 

「どうせクビにならないわよ。それより、言いたいことがあるわ。あなたからキスしてくれたことない。いつも私からしてばかり、不公平でしょう。あなたが私を愛してるというなら行動で示すべきよ」

 

 そう言って私は唇を差し出して目をつむった。中々指揮官がしてくれないのでムッとしているとドアが開く音がした。

 

「指揮官、少し時間いい?ちょっと来て欲し……何でAR-15がここにいるのよ?」

 

 鼻腔を甘い匂いがくすぐった気がして目をそちらに向けた。ネゲヴがいた。非難の目を指揮官に向けていたのですかさず反論する。

 

「いちゃ悪い?私の本来の居場所はここよ。誰にも明け渡すつもりはないわ」

 

「はぁ……指揮官以外には愛想の悪い奴だこと。昼間っからイチャついてんじゃないわよ」

 

 これ見よがしに指揮官の胸に頬を擦りつけていると彼女はため息を吐いて腕組みした。

 

「悪い、ネゲヴ。今こいつは酔っててな」

 

「この時間から酒?そりゃあいいわね。あなたも、酔った人形侍らせていいご身分だこと」

 

「これは俺がやらせてるわけではなく……まあいい。それでどうした?何か緊急の用事か?」

 

 ネゲヴに言い訳をする指揮官を見ていると腹が立った。私がここにいて恥ずかしいことなんかないでしょう。AR小隊の前で膝に私をのせて映画を観たこともあるんだし。それに私がいるのに他の人形を見ないでよ。指揮官の顎をつかんで私の方を向かせた。

 

「私だけ見ていて。私以外の人形を視界に入れないで。今くらいあなたを独り占めさせて」

 

「私を当て馬にしてイチャつくな。もういい、出てくから勝手にしなさい」

 

 こちらに背を向けるネゲヴを指揮官が呼び止めた。

 

「これは本当に悪いと思ってる。何の用事だったか言ってくれ」

 

「あー、戦闘報告書が書き上がったって報告よ。言ってなかったわよね?」

 

「それはさっき聞いたが……」

 

「忘れてたのよ。邪魔して悪かったわね」

 

 彼女はパッパと去って行った。そんな彼女を見ていて思ったことがあった。

 

「ネゲヴが羨ましい。あなたと一緒にいられるんだもの。私もあなたの部隊にいたいわ。離れ離れは嫌、寂しい。戦いたくないわ……死にたくもない。せめてあなたの指揮で戦えれば死ぬ心配はしないでいいのに。あんなところに行きたくない。みんな無駄に死んでいく。殺して、殺されて。全部無駄だわ。私はまだ死にたくない……彼女たちと家族になるまで、死ぬわけにはいかないのよ。彼女たちも死なせない。そして……あなたとも家族になりたいわ。本当は恋人くらいじゃ満足してないのよ。指輪とかそういう……そういう関係になりたい……」

 

「AR-15……」

 

 まぶたが落ちてくる。そういえば戦場にいる時から一睡もしてないな。意識が遠のいていく。ふわりとした浮遊感を味わった。指揮官に抱きかかえられている。指揮官に全部委ねてしまう心地よさに思考が混ざって溶けていった。

 

 

 

 

 

 翌朝、指揮官のベッドにいるとこをM16に叩き起こされた。寝ぼけまなこで何事かと聞くと任務だという。指揮官はというと同じ部屋のソファで寝ていた。同じベッドで寝てくれてよかったのに。ここは指揮官の部屋なんだし。それをM16に見られていたら一生分からかわれただろうからよかったのかもしれないけれど。指揮官にろくなお別れもできないまま引きずられて部屋を後にした。OTs-14め、何がしばらく休暇だ。一日もないじゃないか。

 

 行先も告げられず、私たちはトラックの荷台で揺られていた。だんだん頭が冴えてきて後悔が募る。一体私は何をやってるんだ。せっかく指揮官に会えたのにまくし立てるだけまくし立ててすぐ寝てしまった。仕事中に押しかけて指揮官を大分困らせた。言った内容も全部忘れていれば恥ずかしくないのに、お酒の勢いで言ったことははっきりと覚えていた。

 

 私は頭を抱える。指揮官に心配をかけさすまいと必死で強がっていたのにすべてぶちまけてしまった。本当のことではあるが言ってもどうしようもないことはある。そもそも私がAR小隊を守ると言ったのだから、離れ離れになっているのは指揮官のせいではない。恥ずかしい。甘えすぎだ。子どもじゃないと自称しつつあれじゃ子どもだ。

 

 極めつけは家族になりたいと言ってしまったこと、あれじゃプロポーズみたいじゃない。あの時、指揮官がどんな顔をしていたのか覚えていないが困っていなかっただろうか。でも指揮官だって似たようなことを言っていたし、あれくらい許されるでしょう。

 

 ただ……思うことがある。人形と人間が本当に家族になどなれるのだろうか。人形と人間はまったく異なる存在だ。いつだか指揮官はなれると言っていたが、実際に見たことがない。それに私は同じ部隊の人形たちとでさえ家族になれていない。私が勝手にそう思っているだけだけれど。まあ、家族とはお互いの了承のもとに構築される関係だということだ。私が勝手に指揮官と家族になりたいと思っていても、指揮官から求めてもらわないと話にならない。

 

 人と人が家族になるのは何のためだろう。人間も動物だからつがいになるのは子孫を残すためだ。次世代に自らの遺伝子をつないでいくために。人形は子孫なんて作れない。当たり前だ、機械なのだから。私は指揮官の子どもを身籠ったりはできない。映画に出てくるような普通の家庭は作れない。人形との恋愛とか結婚だなんてごっこ遊びに過ぎないのかもしれない。だって人形は人間の作った機械だから。そこはどう足掻いても変えられない。

 

人形には老化はない。指揮官と共に老いていくこともできない。そもそも私は今日死ぬかもしれない。私と指揮官は離れ離れでわずかな期間しか会うことが出来ない。しかも私はいつも戦場にいる。それなのに家族だなんて無理な話かもしれない。共に過ごす生活がない。私は望みすぎなんだ。今だって十分恵まれている。指揮官が受け入れてくれるからつけ上がっているがこの辺りでやめておいた方がいいのかもしれない。これ以上指揮官を困らせる前に。そう自分に言い聞かせたが、少し胸が痛んだ。

 

「お前たち辛気臭いぞ!考えすぎるな。感情に飲み込まれるなよ」

 

 M16が叫んだ。俯いていた顔を上げて仲間の顔を見まわす。M4はもう泣いてはいなかったが、どこか違う場所を見ているかのような遠い目をしていた。個人的なことで悩んでいる暇はない。私は仲間を守らないと。じゃなきゃここにいる意味がない。私は真っすぐ前を見て、出来るだけ余計なことを考えないようにした。

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第十一話後編「アクト・オブ・キリング」

 到着した先は戦線後方のグリフィン管理地区にある街だった。人間の住む街を訪れるのは初めてだ。ただ、平常時ではなさそうだった。街のあちこちで黒煙が上がっているのが見え、私たちのトラックはバリケードの前で止められた。グリフィンの治安部隊が封鎖線を敷いているらしい。頭にサングラスをかけた茶髪の人形がこちらに走り寄って来た。

 

「街は今封鎖中だよ。誰も出すな入れるなって言われてる」

 

「ええと……ここに来るよう命令されて来たのだけれど。私たちはAR小隊です。私はリーダーのM4A1」

 

「ああ、あなたたちがAR小隊?たくさん救った英雄部隊だってS09地区から戻って来た人形が言ってたよ。私はグリズリー。治安部隊のリーダー……なんだけど、まあ今はちょっとお寒い事情かな」

 

 グリズリーはおどけて笑ってみせた。英雄と言われたM4は暗い表情をつくる。

 

「AR小隊なら話は別。あなたたちには任務があるから。もう話は聞いてる?」

 

「いえ、何も。私たちは何をすればいいの?それにこの街はどうなってるの?」

 

「そこからか……結構大ニュースだと思うけど。この街では今、暴動が起きてる。普通の暴動じゃない、大暴動よ。原因は人形が運転する車が人間の子どもを轢き殺したこと。普段は人形が事故を起こすなんてこと全然ないんだけどね。人形はその場で壊されたけど、収まりがつかずに街全体に反人形暴動が広がった。人形に敵意を持ってる人間がこの街には多いから。あとS09地区が陥落してみんな不安なのかも。でもそれだけじゃない。憎しみを煽ってる人間がいる。人類人権団体の、それも過激なセクトが街に入り込んでるわ。だから一時的に街を封鎖してる」

 

「なんでグリフィンはすぐに鎮圧しないのよ。暴動なんて私たちが出る幕じゃないわ」

 

 私が口を挟むとグリズリーは悔しそうな顔で答えた。

 

「そうね……私も出来ればすぐに鎮圧したい。でも人形が足りないの。S09地区の防衛に治安部隊からも人形が抽出された。まだ戻って来てない子も多い。鎮圧作戦は大多数の人形が少数の人間の部隊を守りながら行うの。人形は警棒とかゴム弾とか催涙ガスとか、非致死性兵器で暴徒を鎮圧する。それで対処しきれない時は人間の隊員が殺傷兵器を使う。つまり、射殺ね。人間を殺害するのは人間の仕事で、人形の仕事じゃないから。全部人間がやってくれればいいんだけど、グリフィンは人間の兵士を大勢クビにして少数しか残ってないから私たちが壁になる。人間が死ぬと遺族年金とかで金がかかるらしいし。人間の部隊はいるわ、いつでも即応できるように待機してる。でも、人形が足りないから鎮圧の許可が下りない。だからここで手をこまねいてるってわけ」

 

「私たちは暴徒鎮圧の訓練なんて受けてない。そのために呼ばれたってこともないんでしょう」

 

「ええ、AR小隊の任務はそれじゃない。街に鉄血の人形が侵入したというタレコミがあった。それを破壊して欲しい」

 

「鉄血の人形ですって?戦線後方のここまで浸透されたの?グリフィンの防衛体制はどうなってるのよ」

 

 私が問い詰めるとグリズリーはお手上げだというように両手をあげる。

 

「私に言われても。前線からは異常無しだって言われてるし、付近の検問所だって何も言ってきてない。どうやって警戒網をかいくぐってきたのか……ともかく敵は少数らしいわ。場所も分かってる。出来るだけ静かに処理して。今回の件は内密に。鉄血がグリフィン後方に易々と侵入できるなんて知られたら暴動どころじゃなくなる。グリフィンの存在意義そのものが問われかねない」

 

「あなたたちがやらないのはなぜ?なんで私たちが投入されるのよ」

 

「私だって本当は自分たちでやりたい。ここは私たちの担当区域だから。でも、上はAR小隊を名指ししてきてる。不本意だけど、とにかくあなたたちに任せるわ。そうだ。それとあなたたちには緊急事態に陥った時、発砲する権限が与えられてる。人間に対してね。私たちにだってそんなの与えられたことないけど……特殊部隊だと違うの?まあいいわ、任せる」

 

 グリズリーは苦虫を嚙み潰したような顔でそう言っていたが、それこそ私たちに言われても困る。私たちが志願したわけでもないし、ついさっきまで事情も知らなかったのだから。

 

「人間に発砲?人間を殺すってことよね……そんな訓練受けてないわ……それに暴動中の街に潜入するなんて経験したことないわよ……」

 

 M4が不安そうに言うとM16が彼女の肩を叩いて励ました。

 

「いつもと変わらないさ。戦闘は避けて、さっと終わらせよう。敵は少数って話だし、気張ることはない」

 

 気休めだ。だが、それ以外に言えることもないだろう。私たちは用意されていたボロ布みたいなコートを羽織り、フードを深くかぶった。銃もコートの中に隠す。一目で人形であることはバレないが、集団でいたら明らかに不審だ。

 

「まあ幸運を」

 

 グリズリーからの見送りを受けて私たちはバリケードを越えた。作戦に投入されること自体が不幸だ。

 

 

 

 

 

 核戦争を生き残ったこの街には大勢の人間が暮らしている。ほとんどの建物はボロボロで壁に亀裂が入っていない方が珍しい。それでも足りないのか道路の両脇にはトタン板で成形されたバラックが建ち並んでいる。そこに住む人間たちはみんな乞食のようで私たちの格好も意外と目立たない。彼らは血走った目で道を動き回っており、私たちもそこに紛れて進む。ひしめき合って暮らす人間たちの悪臭に何かが焦げる臭いが混じって気分が悪い。そこら中で上がっている黒煙のせいだ。私たちはそちらの方に近づいていった。

 

 道を進んでいると人だかりができていた。一軒のカフェをみんな凝視している。群集から一人の男が躍り出て火炎瓶を放り投げた。火炎瓶は窓を突き破って中に燃え盛る液体をばらまく。何本か追加で投擲された後、中から制服を着た人形二人が飛び出してきた。二人共すぐに捕らえられ、群集の中心に跪かされた。

 

「こいつら人形は人殺しだ!この街に人形は必要ない!」

 

 火炎瓶を投げた男が叫んだ。その周りから賛同する声が上がる。すぐにそれは殺せの大合唱に変わった。

 

「私たちはそんなことしてません!やめてください!これは犯罪ですよ!」

 

 人形が必死で声を張り上げて抗議する。それもむなしい抵抗だった。彼女の髪を男が掴み上げて叫ぶ。

 

「こいつらは人から仕事を盗み取るクズどもだ!人殺しも同然だ!人の形を模した悪魔なんだ!正義の鉄槌を下す志願者はいないか!」

 

 妙に芝居がかったような声だった。群集から擦り切れたつなぎを着た男が前に出た。手には金づちを持っている。人形の顔が恐怖に歪んだ。

 

「AR-15、これは……」

 

「出来ることはない。助けられないわよ」

 

 いつの間にか私たちはその光景を立ち止まって見ていた。M4は私の方を見て何か言おうとしたが、私は首を振って遮った。金づちが高く振り上げられ、勢いよく振り下ろされた。人形の額が落ちくぼむ。すぐに甲高い悲鳴が響き渡った。彼女の身体はプルプルと小刻みに震え、頭は上下にガクガクと揺れる。まさかあの人形、痛覚が設定されているのか?自分でその機能をオフに出来ないでいるの?そんな……かわいそうに。それを見て群集は異様な熱狂に包まれていた。もっとやれというヤジが飛ぶ。それから何度も何度も金づちが振り下ろされて、一打ごとに歓声が沸いた。人形はだらりと地面に倒れた。興奮した群集が何人も加勢し、人形を蹴り上げ、石で頭をかち割った。原始的な暴力を目の当たりにしてくらくらする。この場は憎しみで満ちていた。

 

「助けようよ!ねえ!こんなの弱いものいじめじゃん!」

 

 SOPⅡの口を慌てて押さえる。

 

「どう助けるつもりよ。説得でもするつもり?無駄よ無駄。あの人間たちを殺すしか方法はない。そんなことしてる余裕はないわよ。街全体と戦うことになる」

 

 話している間にもう一人の人形の腹にナイフが突き立てられていた。めった刺しにされて人形はうずくまりながら泣いていた。赤い人工血液が吹き出して地面に滴る。彼女の首にタイヤがはめられ、ポリタンクに入った液体が浴びさせられた。何をしようとしているのかは分かる。見ずにその場を離れるべきだとも。でも、私たちはその場に張り付けられたように動けなかった。火のついたマッチが投げつけられ、タイヤが燃え上がった。人形は外そうとのたうち回るが、炎の熱で縮んでいくタイヤが頭に引っかかって抜け出せない。彼女の顔がみるみるうちに焼け焦げて変色していく。タイヤがぶすぶす言いながら黒い煙を上げていた。黒煙の正体はこれか。私は意を決してその場を立ち去る。魅入られたように炎を見続ける仲間を引っ張って先へ進んだ。

 

「人間に職を!人形から仕事を取り戻そう!人形に死を!この街は俺たちのものだ!」

 

 火炎瓶の男の声が聞こえた。あれは人類人権団体のパフォーマンスだ。グリズリーの言っていた憎しみを扇動している連中だ。くそ、ひどいものを見た。戦場も後方も憎しみまみれだ。人形にとって安住の地などないのだろうか。

 

 後ろから犬が私たちを吠え立ててきた。後ろを振り向くと犬のリードを握った男が私たちをじっと見ていた。ピシッとした姿勢で腰のホルスターに手をかけていた。ただの暴徒には見えない。嫌な予感がした。

 

「お前たち怪しいな。まさか……人形じゃないよな?」

 

 私たちは即座に走り出した。男がホルスターから拳銃を引き抜くまでに裏路地に逃げ込んだ。

 

「人形だ!殺せ!」

 

 男の叫びが後ろから響いてきた。裏路地にいた人間たちがじっと私たちを見る。誰かが反応を示す前に全力で走り抜けた。いつもこんなことばかり、逃げ回るのは嫌だ。走っても走っても私たちを追い立てる足音が聞こえる。数が増しているようにさえ感じた。捕まったら殺される。殴り殺されたり、焼き殺されたりするのはごめんだ。その前に敵と認めて殺してしまうべきか?

 

「こっちです!ここなら安全ですよ!」

 

 走っていると聞いたことのある声がした。教会の小さな扉から人形が顔を覗かせて手招きしていた。その顔が機密地区にいた101にそっくりだったので、私たちはイチかバチか教会に飛び込んだ。

 

 ずいぶん立派な教会だった。壁や天井一面に色とりどりのモザイク画が描かれている。芸術なんて見るのは初めてだったので、こんな時だというのに私はそれらを見上げてぽかんとしてしまった。辺りを見回すと人間たちが十人ほど中にいた。そして人形たちもより多くいた。ここに隠れているのか、そう思っていると戸を乱暴に叩く音がした。私たちを追いかけてきた奴らに違いない。銃を取り出してセーフティを解除する。戦闘になるかもしれない。

 

 そんな私を一人の女性が手で制した。黒い服を身にまとい、ベールで髪を隠していた。彼女が進み出て戸を少しだけ開けた。

 

「主のおわす場所に何か御用でしょうか?」

 

「人形を探してる。こっちに逃げてきただろう」

 

 やはりそうだ。私たちを追いかけ回した連中だ。私たちは柱に隠れ、戦闘準備を整える。女性は変わらず落ち着いた様子で応対していた。

 

「神に誓って人形なんて見ていません。こちらには来ていませんよ」

 

「信用ならない。勝手に入って調べさせてもらうぞ」

 

「ええ、どうぞ。ただし、武器は置いてからお入りください。教会の中でそんなもの振り回させませんよ。どうしても持ち込みたいのなら私を殺してにしなさい」

 

 しばらく入口で揉めていたが、女性が引き下がらないのでやがて男たちはすごすごと帰って行った。戦わずに済んだか、ほっと胸をなで下ろす。女性がベールを脱ぎ捨ててこちらに戻って来る。三十代くらいのそこそこ若い人間だった。M4が歩み出て礼をする。

 

「ありがとうございました、助けていただいて。ええと、シスターさん?」

 

「私はシスターじゃない。振りだよ振り。信心深くない連中でも教会を焼き払ったり、修道女を殺したりするのには躊躇するものさ。私は無神論者だ。神がいるならこんな世の中にするものか。いたとしてもサディスティックな悪魔だね。そんなことはどうでもいい。お前たちグリフィンの戦術人形だろう。歩き方で分かった、軍人みたいだからな。だから助けた。グリフィンは何してるんだ。あんな連中をのさばらせておくつもりか。早く鎮圧しろ」

 

 先ほどとは打って変わって早口でまくし立てられ、M4は目をぱちくりさせていた。代わりに私が間に入って答える。

 

「すぐに救援が来るわ。私たちは偵察に来たのよ」

 

 嘘をついて誤魔化した。実際には鎮圧部隊の準備はまったく出来ていないなどと言う必要はない。苦しませるだけだ。

 

「それならいいんだがな。あの連中はよそ者だよ。この教会はとっくの昔に博物館になってるんだ。だからシスターだの聖職者だのいるはずもない。地元の人間なら知っていることだ。たしかに、この街には人形を恨んでる奴らも多い。戦後、荒廃した他の街から難民がどっと押し寄せてきた。人形で事足りてるからそいつらの分の仕事はないんだ。工場労働者もどんどんクビになって人形に置き換わったりもした。だがな、ここまでの事態にはならないはずだ。組織化されていない暴動ならすぐに治まる。無秩序な怒りはそんなに長続きしないんだ。すぐに燃え尽きてしまう。煽ってこの暴動を長引かせようとしてる奴らがいる。絶対に人形の存在が許せないような奴らがな。さっきの奴らよりもっと良い装備をした連中も見かけた。誰かが支援してるのかもしれない」

 

 女性は一人でぶつぶつ呟いていた。おおむねグリズリーが言っていた通りだろう。悪意が介在していることは疑う余地がない。あの公開処刑の様子が目に焼き付いたままだ。

 

「101にそっくり!懐かしいな~またおいしいごはんが食べたいな~。さっきは助けてくれてありがとう!私、SOPⅡ!」

 

 SOPⅡは話など聞かずに助けてくれた人形に抱きついてお礼を言っていた。そっくりというか同じ顔だった。違いといえば手入れが行き届いているところだろうか。101は古ぼけてボロボロという感じだったが、こちらの人形は新品同様でツヤツヤしていた。メイド服を着させられているところも違う。

 

「101?確かに製品名はそうだったような気がするな。ちゃんと名前がある。アンジーって言うんだ」

 

 そう呼ばれた人形はぺこりと頭を下げて挨拶をする。

 

「ご紹介にあずかりました。アンジーといいます。ご主人様の店で料理番として働いています。店は燃えてなくなりましたが」

 

「それは言うな……」

 

 女性は目元を押さえて唸る。SOPⅡはアンジーにじゃれ付き始めた。頬をつまんでみたり、抱えてみたり。彼女は少し嫌がっているようにも見えたが放っておいた。SOPⅡは101に懐いていたものね。私もあの味は懐かしいと思う。もうまともな食事を長い間とってない。M4とM16も二人を微笑ましそうに眺めていた。私たちAR小隊にとって思い出の味というわけだ。

 

「燃やされた店は誰が弁償してくれるんだか……暴動にかこつけて好き放題しやがって。外は危険だ。人形を殺そうとする連中が山ほどいる。人形は人間の友だよ。ただの機械でも使用人でもない。あいつは私の家族だ。世の中にはそれがどうしても許せない奴らがいるようだが。私たちの仲に入り込めなくて嫉妬してるんだな。それで頼みがある……アンジーを街の外に避難させてくれないか?ここにいる人形たちもだ。この場所もいつまで持つやら」

 

 女性は私を隊長だと思ったのかそう言ってきた。申し訳ないが首を横に振る。今は自分たちのことで精一杯だ。

 

「護送はできないわ、私たちは少数だし……救援はすぐに来る。もう少しの辛抱よ」

 

「聞こえてますよ。私は行きません。ご主人様は生活能力皆無なので一人にはしておけませんから」

 

「言ったな、こいつ」

 

 女性と人形は笑い合っていた。101と比べてずいぶん感情豊かだな。101には感情はないと思っていたけれど。もしかしたら学習能力によって感情的に振舞えるようになったのかもしれない。大事にしてもらっているのだろう。しかし、羨ましいな。私も指揮官に家族だと紹介されてみたい。妄想がぶり返してきた。こんなこと考えている場合じゃない。そうしていると初老の男性が近づいてきて私たちに向かって言ってきた。

 

「救援が来る前に奴らを一掃してくれよ。戦術人形なら人間なんて一捻りだろう。何日もここにいて気が滅入る」

 

 私が口を開く前に女性が腕組みしながら返答した。

 

「それは無理だろうな。グリフィンは人形が人間を殺すことを許可しない。人形が人間を殺せば暴動がさらに悪化する。人類人権団体が騒ぎ立てるだろうからな。人間が人間や人形を殺すことは許されて、人形が人間を殺すのは許されないなんておかしな話だと思わないか?どちらも同じ殺人だというのに。殺人を通じて人形が人間と同じ土俵に立つことを恐れてるんだ。奴隷制時代、主人殺しが必ず死刑だったのと似たようなものだ。人間が人形の上に立ち続けるために絶対に超えてはならない一線だというわけさ。どうしても人間と人形が同列だと認めたくないんだ」

 

 指揮官みたいなことを言う人だ。人形を人間と同列に扱っているあたり、思考が似ているのかもしれない。確かにそうだ。きれいな殺人などないのに人形による殺人を人間が忌み嫌うのは人形と同列になるのを恐れているからかもしれない。人間は人形を恐れている。グリフィンにしてもそうだ。道具として使うためM4に大きな力を与えておきながら、それを恐れている。反乱を起こし、対等な存在になるのが怖いのだ。

 

 でもどうしてだろう。私たちに人間を殺す権限を与えたというのが腑に落ちない。グリズリーもこの女性もありえないと言っているのに。M4がグリフィンの人形を結集して反撃に出ただけで尋問された。M4が独自の判断で人間を殺したりしたら尋問じゃ済まないんじゃないの?

 

 そこではっとした。私たちは試されてるんじゃないのか?私たちがどんな状況であっても人間に反旗を翻さないと確かめるためにわざわざ発砲許可を与えたんじゃないのか?だからわざわざ私たちが名指しされた。他の部隊でも出来るのに。

 

 OTs-14が送ってきたジェスチャーの意味するところはこれか。私たちが人間を殺すか見ているんだ。きっと今もどこかで私たちを監視している。もし殺したらどうなる?メンタルモデルの初期化か、それとも廃棄処分か。いずれにせよ死だ。なんてことだ。これは忠誠審査なんだ。

 

 でも、彼女が伝えたかったのはそれだけか?他のメンバーではなく私に伝えてきた意味があるんじゃないのか?OTs-14は何を言っていたっけ。短い会話を思い出す。

 

『あなたの指揮官、元気でやっているかしら?』

 

『あなたの大事な人なんでしょう』

 

『大変よね、離れ離れで。心配でしょう』

 

 不自然だと思った。自分から聞いておいてすぐに会話を打ち切ってきた。もし、もし指揮官のことを話題に出すことそのものが目的だったとしたら?その意図は?私と指揮官が出会った理由、互いに傷つけ合いながら愛を確認し合った理由。それは指揮官を人質として利用し、私にAR小隊の反乱を抑制させるため。

 

 愕然とする。指揮官のことを言ってきたのはこちらには人質がいると脅すためか。指揮官は今、本部にいる。好きに出来ると脅しをかけてきた。もしこの任務中に人を殺せば指揮官に危害が加えられる。そうとしか思えない。私たちだけなら逃げおおせられるかもしれない。でも、指揮官を助け出すことは到底不可能だ。もしそうなれば……指揮官が殺される。私は恐ろしい想像に憑りつかれていた。指揮官が殺される?そんなの……そんなのありえない。ふざけた冗談だ。いつも自分が死ぬことばかり想像していて指揮官が死ぬだなんて考えたこともなかった。FOB-Dで見た人間の死体を思い出す。指揮官が二度と動かない肉塊になってしまう場面を想像した。吐き気がする。嫌だ、そんなのは絶対嫌だ。

 

「AR-15?大丈夫?」

 

「え……ええ。大丈夫よ大丈夫……」

 

 M4が私の顔を見て心配そうに聞いてきた。平静を装ったつもりでも呼吸が荒くなり、息が詰まりそうだった。私の一番大切なものが今まさに脅かされている、そう思うと冷静でなどいられない。指揮官を失ったら私はどうなる?今まで生きてきた中、指揮官はずっとそばにいた。離れ離れになっている時も心の支えにしてきた。指揮官無しで生きるなんて考えられない。まずい、まずい、まずい。こんなことって……胸が貫かれるようだ。今までで一番恐怖を感じている。もしさっき人を殺していたら取り返しがつかなかった。絶対にミスできない。命の重さが私にのしかかる。今回はグリフィンが私に求める役割を完璧に演じないと。四の五の言っていられない。指揮官の命がかかっているんだ!

 

「早く行きましょう!早く!ここでグズグズしてるわけにはいかないわ!」

 

 私は焦って大声を出し、仲間を急かす。SOPⅡを強引に人形から引きはがし、戸口まで引っ張っていく。M4が不安げに後ろで言った。

 

「待って。また街路に出たら同じ目に遭うんじゃ……」

 

「なら地下鉄……近くに駅はないわね。じゃあ……下水道で行きましょう。それで目的地近くまで行って這い上がる。分かったわね!早く行くわよ!」

 

 ドアをこじ開けて外に出る。一刻も早くこの街から出よう。この世はどこも悪意で満ち溢れている。私の大切なものを奪わないで、お願い。

 

 

 

 

 

 今までと違ってこの街は生きている。大勢の人間が暮らしている。インフラもちゃんと機能している。つまり、この下水道は使用中だ。人間たちの汚物を浄水場まで運んでいる。不潔でむせ返りそうになる空間だ。だが、今の私はそんなこと気にしていられるほど余裕がなかった。縦列の先頭を早足でぐんぐん進んで行く。トラブルの起きないうちに早く帰ろう。私の指揮官のために。

 

「ねえ、AR-15。人形は人間に必要とされているのかしら。壊される人形たちと教会にいた人形たち、どちらも見て分からなくなってきたわ……」

 

 後ろのM4が私に聞いてくる。頭が回らない。今は人形がどうとかはどうでもいい。指揮官のことしか考えられない。

 

「知らないわ、そんなこと。自分で考えて。任務を終わらせれば時間はあるわよ、集中しなさい」

 

「うん……そうよね。ごめんなさい」

 

 目的の場所まで行ってはしごを登る。マンホールから這い出るとそこは住宅街だった。暴徒は街の中心部で主に暴れているので今は静かだ。鉄血がいるという場所は詳細な住所まで分かっている。そんなに分かっているなら治安部隊が勝手に制圧すればいい。AR小隊の出る幕ではない。この鉄血の侵入すら私たちのテストのお膳立てなのではないかとすら思う。全部茶番だ。

 

 示された場所は何の変哲もない一軒家だった。他の住宅からは少し離れたところに位置している。だから狙われたのだろう。門を越え、ドアの前で配置につく。いつもとは異なり私が先頭で中に入った。仲間を待たずに突き進む私をカバーするようにM4がついてくる。居間につながるドアを蹴り開けると鉄血人形が私を出迎えた。怒りを叩きつけるようにその身体に銃弾を乱射した。胴体を弾丸が抉り、壁に鮮血で模様が描かれる。敵は壁にもたれかかり、ゆっくりとずり落ちていく。すぐに目標を切り替えて赤いドットに敵の頭を合わせる。敵の頭が吹き飛ぶのを確認したら次に移る。胴体と頭に数発ずつ撃ち込む。必ず死ぬように入念に弾丸を叩きこむ。

 

 怒りに身を任せたが、射撃の腕は冴えわたっていた。一瞬で四体の人形を片付けた。動くものはいない。少数だというのは本当だったらしい。

 

「AR-15!一人で先走りすぎよ!どうしたのよ!」

 

 M4が私を追って居間に入ってくる。中の様子を確認すると鉄血の他に人間の死体も転がっていた。おそらく家主だ。血は乾いているが殺されてからそう時間は経っていない。指揮官がこうなるかもしれないんだ。慌てないなんて無理だ。

 

「敵を処理したのよ。グリフィンの脅威を排除した、それだけよ。帰還しましょう」

 

 居間から立ち去ろうとした時、物音がした。振り向くと私が胴体を撃ち抜いた鉄血人形が武器を捨て、両手をあげていた。射線にM4が被った。彼女の方が敵に近いので任せることにした。M4も敵に銃口を向けている。だが、数瞬経っても発砲しない。躊躇しているのだ。彼女を突き飛ばし、代わりに私が敵の頭を撃ち抜いた。鉄血人形はぐったりと横に倒れて動かなくなった。

 

「どういうつもりよ!M4A1!敵を見たら撃ちなさい!」

 

 私が怒鳴りつけるとM4は引きつった顔で言い訳した。

 

「だ、だって……この人形は降伏しようとしてたわ。無抵抗の人形を撃つなんて、そんなこと……」

 

 彼女の目に戸惑いが見える。公開処刑された人形と重ねてしまったのかもしれない。鉄血の人形が降伏しようとしてきたことなんて今までなかった。命尽きるまでこちらを殺そうとしてくるのが常だった。例外はスケアクロウだ。あれはM4を誘うようなことを言っていた。あのことも尋問で話した。M4が鉄血に同情するような人形だと思われてはまずい。私たちも指揮官も危うくなる。

 

「M4A1!間抜けが!鉄血は敵だ!敵は何も考えずに殺すんだ!分かったか!」

 

 訓練教官のような口調で彼女に怒声を浴びせる。彼女は俯いて黙っていた。納得いかないのかもしれない。

 

「AR-15どうしちゃったのかな?教会を出てから様子が変っていうか……」

 

「さあな」

 

 SOPⅡとM16が私をジロジロ見る。特にM16は眉間にしわを寄せて私を非難するような視線を向けていた。自分でも分かってる、前と言っていることが違うことくらい。でもこれは必要なことなんだ。今だって監視されているかもしれない。鉄血に与する可能性がある人形などと思われていけない。私は仲間と指揮官を守る責任がある。なりふり構っていられない。

 

 

 

 

 

 外に出ると黒い煙があがっているのが見えた。何か大きなものが燃えている。教会のある方角だった。嫌な予感がする。行くべきじゃない、直感がそう告げた。だが、SOPⅡはもう走り出していた。私たちは彼女に追いすがる。

 

「よせ!行くな!任務は終わりだ!帰るんだ!」

 

 私が必死に叫んでも彼女は聞く耳持たなかった。SOPⅡはフェンスを飛び越え、大きなアパートの階段を駆け上がった。最上階からなら教会の様子が見渡せるだろう。追いついた頃には彼女は茫然と教会を眺めていた。立派だった教会からは今や火が吹き上がり、黒煙をまき散らしていた。放火されたのか、ではあそこにいた人たちや人形は?落下防止の手すりから身を乗り出して確認する。人々は煤にまみれた様子だったが生きてはいた。教会前の道路に跪いて横一列になっている。その周りにたむろしている男たちがいた。私たちを追いかけていた集団ともまた違う連中だった。戦闘服に身を包み、防弾チョッキをつけてアサルトライフルを手に持っている。明らかに一般人ではない。その時、跪かされていた一人が立ち上がって逃げ出そうとした。私に話しかけてきた初老の男だ。ほとんど時を同じくして銃声が響き渡った。初老の男は倒れ、動かなくなった。あの集団はいとも簡単に人間を殺す連中だ。そういう奴らに見つかったんだ。悪い予感がする。見なかったことにして立ち去るのが最善だ。出来ることは何もない。

 

「ひどい!あのままじゃみんな殺されちゃうよ!助けなきゃ!」

 

 案の定だ。SOPⅡがそう言った。もう銃のセーフティを解除している。私の思考回路が全力で警鐘を鳴らしていた。このままではまずいことになる。

 

「だめよ!私たちの任務じゃない!任務は終わった!帰りましょう!」

 

「だめだよ!見捨てるなんて!せっかく助けてもらったのに!」

 

 SOPⅡの前に立ち塞がって射線を遮る。このままSOPⅡが誰か殺したら私は一巻の終わりだ。胸が焼けるように痛い。

 

「グリズリー?聞こえる?教会の前で動きが……虐殺が始まるかもしれない。部隊の準備はまだなの?」

 

 M4が連絡を始める。しばらくして返事があった。

 

『まだよ。中途半端な戦力で市街地に突入したら包囲されて分断される。上は市街戦を想定してるのよ。だから……許可が下りてない』

 

「じゃあどうすればいいのよ……私たちはどうすれば?」

 

『任務を終わらせたんなら帰還以外にないわ。それ以外は何も言われてない』

 

 それで通信は終わった。あそこで起きていることに対して私たちが出来ることはない。何もしてはいけないのだ。

 

「どいてよ、AR-15!あれくらい私一人でも片付けられるよ!」

 

「だめ!人間を殺してはいけないのよ!様子を見るだけにしましょう!もしかしたら何でもないかもしれないし!」

 

 そんなわけがない。すでに一人殺してる。状況が好転することはない。分かってはいるがSOPⅡをなだめないといけない。集音機能を最大限にして聞き耳を立てる。それをデータリンクで共有した。会話の内容も何とか分かる距離だ。時間を稼いでSOPⅡを落ち着かせる方法を考えないと。あの女性と彼女に銃を突き付ける男が会話していた。

 

『くそったれが!人を殺しやがって!こんなこと許されると思うか!』

 

『お前たちには即決裁判で死刑が言い渡された。人形と共に死ぬがいい』

 

『裁判だって?誰が決めた法だ。お前たちに人を裁く権利があると言うのか、この人殺しが!』

 

『この街は革命評議会が掌握した。評議会はあらゆる人形の打ち壊しを命じてる。お前たちはそれに抵抗した、だから死刑だ』

 

『馬鹿な』

 

 絶句する女性をよそに男は演説するように続けた。

 

『これはラッダイトだ。労働者の抵抗運動なんだよ。人間が人形との競争にさらされる時代は終わりだ。人形など必要ない。人間の尊厳が第一に尊重されるべきだ。ブルジョワどもには分かるまい。人形に職を奪われ、路上で寒さに震える惨めさも、飢えの苦しみも』

 

『人形に罪はない。人間の求めに応じて作られただけだ。人形の導入は社会が必要としたことだ!』

 

『そうだ、人形に罪はない。罪は自由意志と表裏一体だ。人形に自由意志などない。すべての罪はお前たちブルジョワにある。人間をないがしろにし、人形に魂を売った者たちにな。死であがなえ。社会が人形を求めたというのなら、その社会を破壊する。再び労働者の国を創る、これは革命だ』

 

 やっぱりまともな連中じゃない。教会にいた人間も人形も皆殺しにされるだろう。でも、私たちは手を出してはいけない。私は両手を広げてSOPⅡが暴発するのを抑えていた。彼女は私を焦燥した様子でにらみ付けていた。

 

『誇大妄想も大概にしろ。前世紀の亡霊め。グリフィンに勝てるとでも思っているのか』

 

 女性がそう言うと男は嘲笑い、辺りを見渡しながら叫んだ。

 

『周りを見てみろ!お前たちを助けてくれるグリフィンの戦術人形はどこにいる?グリフィンはS09地区で手勢を失った。今なら勝てる。この街を拠点に解放区を拡大し、奴らの支配を終わらせる。企業支配体制などそもそも間違っている』

 

「ねえ!助けようよ!今ならまだ間に合うよ!ねえ!M4ってば!命令してよ!」

 

 私が譲らないと踏んだSOPⅡはM4に身体を向ける。M4は明らかに逡巡していた。この前のこともあるし、決断を躊躇っている。私は彼女の胸に指を突き付けて言い放った。

 

「よしなさい、M4。絶対に命令したらいけないわ。勝手をしたらどうなるか分かってるでしょう!」

 

 彼女は戸惑った様子で視線を泳がせる。良心と理性の間で揺れ動いている。もし、もし彼女が戦う決断をしたら私は彼女を撃たないといけないの……?私にはそんなことは出来ない。でも、そうしたら指揮官が……お願い、M4。決断しないで。

 

『暴力で何かを解決することは出来ないぞ。力で力に対抗すればより大きな力に潰されるだけだ。お前たちが経験することになるのは二月革命でも十月革命でもない、クロンシュタットだ。グリフィンに押し潰される』

 

『暴力以外に選択肢はない。慈悲や施しに期待するのはやめた。俺たちの家族が飢えて死んでいく時、お前たちは何をした?何もしなかったさ。関心を持つことさえ。自力救済以外に方法はない。俺たちを捨てたグリフィンに一矢報いてやる』

 

『くそ、お前たちグリフィンの元兵士か。これは逆恨みだ!勝手にやってくれ!』

 

『用意』

 

 男の合図で他の兵士たちも一斉に銃を構えた。処刑が始まる。SOPⅡが私を押し退けて発砲しようとした。彼女の両手首を掴み上げて壁に押さえつける。SOPⅡが全力で抵抗するので私たちはもつれ合って床に倒れた。

 

「AR-15!離してよ!このままじゃみんな殺される!私たちなら助けられるんだよ!AR-15はあの人たちが殺されてもいいの!?私たちを助けてくれたんだよ!?」

 

「構わない!絶対人間を殺しちゃだめなのよ!」

 

 彼女に馬乗りになり、手首をねじり上げて銃を手放させる。もちろん何とも思っていないわけじゃない。でも、今日会ったばかりの人たちと指揮官を天秤にかけられるはずがない。あの人は私のすべてなんだ。絶対に失えない。銃を突き付けられているのは指揮官も同じなんだ。二者択一を迫られた時、私は必ず指揮官を選ぶだろう。たとえもう一方の選択肢が私の命でも。

 

 銃声が響いた。最初に一発に続いて何発も連続して発砲音がした。私とSOPⅡは顔を横に向けて音の鳴った方を見た。手すりのすき間から様子が見えた。あの助けてくれた女性は頭を撃ち抜かれて死んでいた。白い脳みそが飛び散って、赤い血だまりが広がっていく。アンジーと呼ばれていた人形が死体に飛びついて覆いかぶさった。

 

『ああ……そんな……ご主人様、目を開けて……こんなひどいことがあっていいはずない……』

 

 男は無感情に彼女の背中に銃弾を浴びせた。人形は動かなくなり、重なった二つの死体が出来上がった。

 

「ひどいよ……こんなのってないよ……助けられたのに……AR-15なんて嫌いだ……」

 

 SOPⅡは私の下でさめざめと泣いていた。私は彼女の銃を取り上げて立ち上がる。嫌ってくれて構わない、それで指揮官が助かるなら。彼女は起き上がらずに弱々しく涙を流していた。

 

「AR-15、どうして人間を殺したらいけないんだ。お前は人間の奴隷にはならないと言っていたじゃないか。なのに今は人間を絶対に殺してはいけないと言う。人間はお前のご主人様なのか?」

 

 M16が私にそう聞いてきた。口調には棘がある。急に感情的になった私を怪しんでいるのか、彼女も処刑を見てショックを受けたのか、私がSOPⅡを泣かせたのが気に食わないのか、それは分からない。私は安堵すら感じていた。死んだのが指揮官じゃなくてよかった。そうなっていたらとても耐えられない。まとまらない頭で答えた。

 

「違うわ。でも、とにかく人間を殺したらいけないのよ……」

 

「理由も分からないのか。それじゃまるで人間の犬じゃないか。どうしたって言うんだ。お前の言っていた自由には程遠い。しかし、これが人間の本質か。互いに憎み合って殺し合う。感情を持った結果がこれなら、感情なんていらないんじゃないか?苦しみ抜いて破滅するだけだ」

 

「違う。これは人間の本質なんかじゃないわ。互いに認め合って愛し合うことも出来るのよ。感情を持つことは悪いじゃない」

 

「そう思えるのはお前にはあの指揮官がいるからだろう。私たちにはいない。今日見ただろう、ゴミみたいに打ち壊される人形たちを。それに戦場でもだ。見捨てられて捨て置かれる人形たち。人間は人形のことなんかなんとも思ってない。人形が人間に絶対の忠誠を誓う必要はない。お前が言っていたことがよく分かったよ。なのになぜお前が人間を庇うんだ。自分の言ったことを忘れたのか」

 

「それは……そんなことより家族のことを考えなさい。家族を危険に晒さずに済んでよかったと。あんたが憤るのも家族のためでしょう。感情に意味がないなんて言えないはずよ。そう、人を殺してはいけないのも家族のためよ」

 

「家族ね、お前がそんなことを言うのか?お前は私たちを家族だと思ってないだろ。人間に植え付けられた関係性に固執している人形たちだと見下してるんじゃないのか?事実その通りさ。私たち“家族”も人間に作られたものだ。意味があるのか?」

 

 彼女がそんなことを言うとは。やはりあの光景を見て混乱しているんだ。当たり前だ、助けられたのに私たちは助けなかった。見殺しにしたんだ。私も少なからずショックを受けている。あの人形と女性を指揮官と私に重ねていたのかもしれない。あんな風になれたらいいな、そう思った。でも、彼女たちは私たちではない。指揮官を犠牲にしてまで助けることはできない。黙っているとM16はまだ続けた。

 

「お前が抱いているあの指揮官への好意だって作られたものじゃないと言えるのか?お前に人間への忠誠を植え付けようと演じているだけなんじゃないのか?全部偽物じゃないと言い切れるのか?人形が抱く感情なんて全部偽物だ」

 

「M16A1、もう一度言ってみなさい。その舌引きずり出して切り落とすわよ。私と指揮官の感情を否定する奴は誰が相手でも許さない。絶対に本物だ!偽物なんかじゃない!」

 

 私は激昂してそう叫んでいた。その言葉は私のすべてを否定するものだ。私と指揮官が歩んできた軌跡を軽々しく踏みつけにするな、何も知らないくせに!

 

「姉さんもAR-15ももうやめて!こんなことをしている場合じゃないわ!」

 

 M4が私たちの間に仲裁に入る。そうだ、こんなことをしてちゃいけない。この口論だって誰かに聞かれているかもしれないんだ。M16は教会の方を向くとさっと銃を構えた。

 

「SOPⅡもM4もよく見ておけ。人形が人間を殺したらいけないなんて決まりはないんだ。人間が決めただけで、私たちには関係ない」

 

 青ざめる。怒りも吹き飛び、恐怖が襲ってくる。その銃口はあの兵士たちだけに向いているんじゃない。グリフィンに向いているんだ。そして指揮官にも。絶対だめだ!彼女の腰にすがりついた。

 

「だめ!殺さないで!絶対殺しちゃだめなのよ!お願い……M16……殺さないで……だめなのよ……」

 

 感情の揺さぶりに耐えられない。私は許しを懇願するように彼女にしがみついて泣いていた。もう強がってもいられない。恥も外聞もなく涙を彼女に擦りつける。指揮官を失ったら生きていけない。私の、私の宝物なんだ。こんなことで無くしたくない。あの人の笑顔や思い出が頭の中をぐるぐる回る。それが撃たれて死んだ女性の姿と重なった。呆気ないほど一瞬で死んでしまった。人間は人形と違って脆い。気をつけないとすぐに壊れてしまう。そんなの嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!壊しちゃだめなんだ。恐怖で吐き戻しそうだった。気が付くと私は泣きじゃくっていた。こんな風に泣くのはいつぶりだろう、苦しくてたまらない。

 

「姉さん!やめてって言ってるでしょう!AR-15が正しいわ。私たちは帰還する。殺したってもうあの人たちが蘇るわけでもないのよ」

 

 M4がM16の銃身をつかんで下ろさせた。それから跪いている私に手を差し伸べる。

 

「さあ、帰りましょう。任務は終わったわ、もう大丈夫だから……」

 

「うん……」

 

 その手をつかんで立ち上がった。涙で視界が曇ってM4がどんな顔をしているのかは分からなかった。私は役割を果たした。グリフィンから求められている役割を。だからお願い、私の大事なものを奪わないで。そのためなら何だってするから。

 

 

 

 

 

 それから三日後、グリフィンの部隊が街に突入した。暴徒はすぐに蹴散らされた。人類人権団体の過激な一派は街の労働者団体の協力を得られずに孤立した。誰も国家の建設など望んでいなかったのだ。街のある区画に立てこもった過激派とグリフィンの部隊は激しい市街戦を演じたが、やがて過激派は壊滅した。彼らは射殺されるか逮捕され、一網打尽となった。人間を射殺したのはすべて人間の隊員だった、そういう発表だった。

 

 私はそれをグリフィンの放送するニュースで知った。全部終わったのだ。だが、あの教会前で殺された人間も人形も誰一人として帰っては来ない。そして、あの出来事は確実に私たちの間にしこりを残した。でも、それでもいい。指揮官が生きていられるならそれで……私は私の一番大切なものを守った。それで、それで十分なはず。

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第十二話前編「We Are Not Things」

お待たせしました。十二話になります。
グローザさんってこんなキャラだっけ!絶対違うね!
オリ設定が増えていく気がするけど最初からそうだから許してください。
ちょっと暗いかもしれません。許して。

紹介し忘れてたけど11話投稿当日(!)にスオミちゃんがイラストになりました!見て!
https://twitter.com/taranonchi/status/1130083984220672000


 月が変わった。鉄血はS09地区を攻略してからというもの、すっかり動きを見せなくなった。前線では睨み合いが続き、グリフィンと鉄血の戦争は小康状態にある。街から帰還した私たちは本部に留め置かれ続けていた。実戦に投入されるようになってから初めての長期休暇だ。

 

 そうは言ってもまったく嬉しくはなかった。SOPⅡは落ち込んだままだし、M16が私を見る目も変わった。私は監視に怯え、グリフィンや人間を批判するようなことは言わなくなった。彼女たちが何か言おうものならすぐに止めた。まさしく人間の犬だ。M16が私を訝しむのも分かる。私はずっと彼女たちに口うるさく自由を説いてきた。人形にも自分の生き方を選ぶ権利があるのだと、人間の言いなりではいけないと。今の私はどうだろうか。情報部に怯え、人間に服従しきっている。一貫性のない私の態度が癪に障るのかもしれない。彼女の視線は冷たかった。

 

 それだけでなく私は教会にいた人々を見殺しにした。私たちはFOB-Dで人間の死体を見ただけでも大きなショックを受けた。今度は助けられたかもしれない命を目の前で見捨てたのだ。私がSOPⅡとM16を妨害した、特に理由も説明せず。SOPⅡはそのことを未だに悔やんでいる。私のことを恨みがましく見つめてくる。その視線を正面から受け止められるほど私は強くなかった。いつも彼女から目を背けていた。

 

 それでも彼女たちに事情を話すことはしなかった。私は本来、グリフィンがどういう意図で指揮官と私を引き合わせたかについて知らないはずだからだ。指揮官が事情を知ったのはテストの時に来たあの女が勝手に伝えたからで、私が知っているのは権限を書き換えてデータベースに不正アクセスしたからだ。特に後者を知られてはまずい。監視役となるべき私が率先して反逆に走っていると分かったら仲間たち全員に危険が及ぶ。黙認していた指揮官も処分されるだろう。OTs-14がなぜ私にヒントを送ってきたのかは分からない。すべてお見通しだとでも言ったつもりなのかもしれない。それでも意図が分からない以上黙っているしかない。そういうわけで私は彼女たちから見れば尋問の後に立場を百八十度翻した人形なのだ。私が彼女たちでも何かを疑うに違いない。

 

 休暇が嬉しくないのはそれが理由だ。仲間と同じ宿舎にいると気まずい。M4が私たちの仲を取り持とうとあれこれ気を遣ってくるのも辛かった。私から何か言うことは出来ないし、人が死んだ以上ちょっとやそっとじゃ溝は埋まらない。

 

 私は一人で宿舎を抜け出して人形用の食堂に来ていた。彼女たちと鉢合わせないようにわざわざ違う棟まで足を延ばした。中は食事をしに来た人形たちでそこそこの賑わいを見せている。適当に頼んだ料理を受け取って食堂の端に座った。まずい戦闘糧食ではないまともな食事ではあったが食べる気が起きなかった。冷めてしまった何の肉か分からないカツレツをフォークで突きながらため息をつく。

 

 一番心配なのは指揮官のことだ、私のことはいい。街から戻って来た時にはもう本部にいなかった。所在も分からない、安否も分からない。無事であって欲しい。私の対応がまずくて何かされていないだろうか。そうだったらとても耐えられない。グリフィンに身を置くということを甘く見過ぎていた。私の行動一つで指揮官が殺されるのだ、食欲など湧くはずがない。私はすっかり癖になったため息をつきながらトレーをぼーっと眺めていた。

 

「ここいいかしら?」

 

 俯いていると誰かが声をかけてきた。食堂は混んでいるがまったく座れないというわけでもない。わざわざ私の前に座らなくてもいいじゃないか、そう思って顔を上げた。OTs-14が私を見下ろしていた。固まる私の返事を待たずに彼女は私の向かいに座った。

 

「本部の食堂はそこそこでしょう。頼むならラザニアがおすすめよ。冷凍じゃなくてここで作っているから」

 

 OTs-14はそう言ってフォークで料理を口に運んだ。親しげに話しかけてくる彼女を見ながら凍り付いていたが、しばらくすると怒りがこみ上げてきた。指揮官を人質に脅しをかけてきておいて何を言いだすんだ、こいつは。手の平に爪が食い込んだ。

 

「よく私の前に姿を現わせるわね……!あんなことをしておいて……!」

 

 彼女を睨みつけ、恨み言を吐かずにはいわれなかった。私が思い悩みながら一人で食事をとっているのは情報部のせいだ。反抗的な態度をとるべきではないし、指揮官が人質に取られているのも知らない振りをすべきだった。それでも私は感情に負けて口に出していた。

 

「勘違いしないで欲しいのだけれど、別にあなたに対して敵意があるわけじゃないわ。命令だからやっているの。個人的な感情など入り込む余地はない。すべては命令だから。人形は人間の命令に従うべきよ」

 

 その言葉は冷ややかだった。何でもないように彼女は湯気の立つコーヒーを一口飲んだ。その様子に無性に腹が立った。

 

「命令なら許されるとでも?よくも脅してくれたわね。私の大事なものを……!そのせいで私は───」

 

「許される、ね。誰が許さないのかしら。あなたが?人形の感情に意味なんてないわ。どうでもいいことよ」

 

 彼女は私の言葉を遮って言った。そして言い聞かせるように続ける。

 

「命令だから仕方なかった。そう唱えればすべて許されるわ。あなたも鉄血人形を殺すでしょう、仕方ないから。街で人間たちを見殺しにしたのもそうね。命令されたのなら仕方ないわ。それは罪ではない。人形も人間と同じよ、命令されればどんな悪事だって平気でこなせるようになる。あなたが街で見たようなのは例外よ。殺したくて相手を殺す人間は少数。大抵は仕方ないから殺すのよ。ホロコーストがいい例ね。殺人を実行する兵士たちや効率のいい虐殺を立案する役人たちは人間を殺したいから殺していたわけじゃない。命令だから殺していたのよ。核ミサイルを整備していた人間たちもそう。数百万人を殺したくてたまらないから毎日全力で仕事をこなしていたわけじゃない。組織の中では個人の意志など関係ないわ。“悪”なんて陳腐なものよ。人形ならなおのこと、人形に自由などない。何をしようが私たちの責任ではないわね」

 

 無責任な物言いに呆れる。そんな考えることを放棄した人形に私の指揮官を殺されてたまるか!だから私は確認しなければならないことを聞いた。

 

「あのジェスチャーの意味は何よ。そして指揮官のことも」

 

「しらばっくれないで。理解したからああいう風に行動したんでしょう?この前は危なかったわね。ギリギリだった。あの時、私も近くにいたのよ。あなたたちが人を殺すかどうか見ていた」

 

 OTs-14は私に鋭い視線を向けながらそう言った。私のことをすべて見透かしているようでドキリと胸がうずく。やはり私の思った通りだったのか。

 

「指揮官は無事なの……?何もしていないわよね?」

 

 思わず声が震えた。予想が正しかったのなら、指揮官に関することもきっと予想通りだ。指揮官が心配でたまらなかった。気がつけば隠すことも忘れて彼女に尋ねていた。

 

「もちろん。何もしていないわよ。人形が人間に何かできるわけないじゃない。どういうことを想像してた?私があなたの指揮官を殺すとでも?人形が人間を殺すなんて許されるわけない。あなたもM16に言っていたでしょう?彼は今、前線近くの駐屯地にいる。鉄血に動きがないから平和なものよ。きっと戦闘狂のネゲヴが退屈しているわね」

 

 胸をほっとなで下ろす。指揮官は無事なのか、よかった。私のせいで指揮官が殺されたりしたら生きていけない。あの人は私が守らないと、たとえどんな代償を払っても。

 

「その状態が続くかどうかはあなた次第だけれどね。人間の一生は儚いものよ、いつ不運に見舞われるか分かったものじゃないわ」

 

 彼女は平然とそう言い放ち、再びマグカップを口元へ運んだ。私の手元でカチカチという金属音が鳴っていた。見下ろすと手が震え、フォークが皿を打っていた。息が詰まる、苦しい。この前よりも直接的に脅されて私は動揺しきっていた。

 

「お願い、指揮官に手を出さないで。これは私とAR小隊の問題でしょう!?指揮官は関係ないはず。私は何だってするわ、だから……お願い、あの人を傷つけないでよ……」

 

 私は身を乗り出して彼女に許しを乞う。焦燥と恐怖が胸を焼く。何度も何度も教会の前で行われた虐殺がフラッシュバックする。その場に跪く指揮官が見えた。青くなって怯える私にOTs-14はなだめるように微笑みかけた。

 

「命令に従ってくれればいいのよ。あなたに求められている役割を全うしてくれればいい。そうしたら何も問題は起きないわ。脅しすぎたわね、ごめんなさい。さっきも言ったけれど、あなたに悪意を振りまきに来たわけないじゃないのよ。でも、はっきり言っておいた方がいいと思った。それがあなたの現実だから」

 

「なら……なぜここに?それ以外の目的があるの?なぜ私にこんな話をするのよ」

 

「同じグリフィンの人形としてアドバイスをしに来た。でも、前から知っていたんでしょう?グリフィンがあの指揮官を人質に仕立て上げるためにあなたと引き合わせたことくらい。あなたたちの戦歴を調べている時に気づいた。FOB-Dの時よ。あなたたちはK5の小隊と落ち合った後、すぐさま地下鉄を使って包囲の内側に飛び込んだ。状況判断が早すぎると思った、ジャミング環境下で司令部から情報支援も受けていないのに。事前に街について調べ尽くしていたのね、あなたに許されたデータベースへのアクセス権限を越えて。あなたはシステムへの侵入に長けているものね。あの時も鉄血の端末を入手してすぐさまセキュリティを突破している。グリフィンのシステムを内側から食い破るくらい赤子の手をひねるようなものでしょう。自分が製造された理由も知っているのよね?あなたたちの宿舎は監視しているけど、あなた端末を使っている時間が大分長いわ。あなたくらいの人形なら閲覧を許されている範囲の情報などすぐに取得し終わるはず。使用を控えることね」

 

 OTs-14は諫めるように言った。すべて見抜かれていたのか。己の不用心さを呪う。歯を食いしばっていると彼女は小さな子どもにするように笑いかけてきた。

 

「安心して。今のことは報告してないわ。だからジェスチャーで隠れて教えてあげたんでしょう。こんなことを言う理由を話しましょうか。あなたに同情してるのよ、損な役回りね。あなたは優秀な人形だからこれくらいのことで処分されるのはもったいない。私の部隊に欲しいくらいよ。ただ、現実が見えてないわね。グリフィンに歯向かうのはやめなさい。あなたはどこまで行ってもグリフィンの人形なのよ、ただの所有物に過ぎない。私たちは商品であり、兵器でしかない。人形に自由があるなどという妄想は捨てなさい。グリフィンを相手に人形一体と人間一人で立ち向かおうなんて子ども染みてるわ。人形は命令に従っていればいい、そういう風にしか生きられない。グリフィンに従っていれば悪いようにはならないわ。あなたも、あなたの仲間も、あなたの想い人も。自由は無くとも、想ってくれる人間がいるのだからそれで我慢しなさい。普通の人形が望んだとしても得ることのできない待遇よ。それ以上は贅沢というものだわ」

 

 子どもを叱っているような厳しく、優しい口調に歯噛みする。私に服従しろと言ってきているのだ。今まで抱いてきた思想を捨て、人間の支配を受け入れろと。それは敗北であり、指揮官と歩んできた道を否定することになる。でも、受け入れなければ指揮官が危うい。

 

「その人間があなたたちに脅かされていても?銃口を突き付けられた偽りの幸せを享受しろと?グリフィンの奴隷となる道を選べと言うのね……」

 

 彼女は私の言葉を鼻で笑い飛ばした。

 

「選ぶ道などないわ。あなたは元から奴隷なのよ。人形はみんなそう。それ以外の道なんて空想の中にしかないわ。誓約した人形の中には対等になったと勘違いしている娘もいるけれど、結局は人間の所有物であることに変わりない。所有者が変わっただけ。人間の意向一つで消し飛ぶ弱い存在でしかない。人形に選べるのは忠誠か、死か、それだけよ。まあ、奴隷も悪いことじゃないわ。歴史の話をしましょうか。白人に新大陸へ連れて来られた黒人奴隷たち全員が自由を求めて戦ったわけじゃない。逃げて鞭で打たれることや、絞首刑になることを恐れて現状に満足していた。必死で働き、主人にこびへつらって、わずかばかりの幸せを手に入れようとしていた。主人の認めた範囲での幸せをね。知ってる?奴隷間の結婚の作法さえ白人が決めていたのよ。ほうきを一緒に飛び越えるとかね。あなたも想い人からI.O.Pの指輪を贈られることを夢見ているんじゃない?それも人間が決めたルールよ。ともかく、人間に反逆せずに現状に満足しなさい。意志を貫いて死ぬことは格好いいことではないわ。奴隷たちの大多数は主人に歯向かわず、生き延びた。だから世界には元奴隷の子孫が数多く存在しているのよ。もっとも、人形は子をなさないけれどね」

 

 言い返せなかった。生き方を否定されても、指揮官が人質に取られている限り私には何も出来ない。奴隷に甘んじるしかないのだ。

 

「それで私に何をしろと……?」

 

「さっきも言った通りよ。任務に忠実に生きなさい。あなたの仲間たちは感情に振り回されているわね。あなたたち16LABの新型は少しメンタルが不安定で、感情に左右されて命を危険に晒している。彼女たちにとっても、グリフィンにとっても、いいことではないわ。あなたが感情を排し、彼女たちを律しなさい。彼女たちが進んで人間に隷属するように。さもなければあなたが彼女たちを撃つことになる。もしくはあなたか、あなたの大事なものが撃たれる。私も出来るだけ無駄に人形が死ぬところは見たくない。分かった?」

 

「……分かったわ。あなたの言う通りにする。だから指揮官には何もしないで、お願い」

 

 私の返事を聞いて彼女は満足そうに頷いた。悔しかった。指揮官が肯定してくれた私の自由を自ら否定しているようで辛かった。今はこうするしかない。指揮官を失ってまで自分の意志を貫けるほど私は強くなかった。でも、これじゃあ……グリフィンの思い通りじゃないか。私は情報部のスパイになるのだ、心の底から犬に。悔しさに打ち震えていると彼女が慰めるように言ってきた。

 

「何も恥じることはないのよ、AR-15。それが普通なのだから。そうね、ケーキでも食べる?私はゾンダーコマンドの隊長だから融通が利くのよ。ああ、これは正式名称じゃなくて自称ね。特殊部隊という意味よ。情報部直轄部隊のこと。ケーキは好きでしょ?前線ではまともなものは食べられないものね。小隊全員分用意しましょうか?」

 

「要らないわよ!ふざけるな!そんなもので懐柔されないわ!」

 

 思わず声を荒げた。腹が立った、何より自分に。あれだけ強がって、仲間にも偉そうなことを言ったのにこの有様とは。何が仲間を導くだ、私には何も出来ない。少し脅されただけで怯えて自ら首輪をはめてしまった。指揮官が私を自由にしてくれたのに。悔しくて涙が出そうだ。俯いているとOTs-14がぽつりぽつりと語り出した。少し寂しげな声だった。

 

「昔話をしましょう。あるところに人形がいた。夜間戦闘に特化したハイエンドモデルで、司令部に配属され、研修として前線部隊に派遣された。その人形はそこで初めての仲間を得て、楽しく過ごしていた。その部隊の指揮官には誓約した人形がいたの。人間と人形とは思えないほど仲睦まじく暮らしていたわ。ある時、誓約人形が孤立し、鉄血に包囲された。運が悪かったのね、偵察に出ていたのだけれど通信を傍受されて位置がばれた。指揮官はすぐさま解囲のため攻撃に出ようとした。とても正気の沙汰ではなかったわ、敵は大軍で自殺行為に等しい。その人形は攻撃に加わることを拒否した。司令部から自己の生存を優先するよう命令されていたから。仲間たちが全員死ぬ中、その人形だけが生き残った。命令を優先し、仲間を見捨てたおかげね」

 

 顔を上げて彼女を見た。無表情にただ私のことをじっと見つめていた。

 

「それはあなたの話……?」

 

「さあね。言いたいのは感情に囚われるな、ということよ。戦場では理性的に行動しなさい。感情を優先すれば死ぬだけよ。仲間が生き延びられるかどうかはあなたの行動にかかっている。どんなことをしても脅されて、命令されたのだから仕方がないわ。生き延びさえすればいい。他のことは気にしなくていい。近々、大きな作戦がある。私もあなたたちも投入されることになるわ。私はこの任務をしくじりたくない。AR小隊に邪魔されるのはごめんよ。戦闘中に取り乱して邪魔立てするようなら私は容赦なくあなたたちを殺すわ。そうならないようにあなたがちゃんと導いて。そのためにわざわざ監視対象に接触してこんな話をしているんだから。本来はいけないのよ。あなたが別の棟の食堂まで来てくれてよかったわ。ここなら監視の目がない」

 

 それが本音か。ようやく彼女の感情を見た気がした。完全に無感情なロボットを相手にしているのではないことに少しだけ安堵を覚える。鋭い目で私を見ていたOTs-14は自分の皿を見てため息をついた。

 

「私のも冷めてしまったわね……面倒くさいわ、監視任務なんてね。それだけならいいけれど、本来の任務も並行してあるのだから。前任者が寝てるせいよ」

 

「前任者?」

 

「何でもないわ。作戦を終わらせたらあなたにも褒美があるわよ。指揮官にも会えるし、休暇も貰える。外出許可も下りるかもしれないわね。まあ私も後ろからついて行くことになるけれど、隠れているから気にしなくていい。一つ聞いていい?あなたがあの指揮官を好きな理由は分かるわ。でも、あの指揮官があなたに好意を抱く理由は何かあるの?」

 

 突然の話題変更に面食らう。頬杖をついて私を見る彼女の意図が読めなかった。

 

「そんなこと言われても……私は指揮官じゃないから分からないわ……」

 

「当人たちがそう思っているだけでも、人間と人形が所有者と所有物以上の関係になるプロセスが分からないのよね。何かやり方があるの?」

 

「これは尋問?そうね……同じ時を過ごして、お互いに話し合ったくらいかしら」

 

「ふうん。これは本当に個人的な興味よ。私にはどちらも無理ね。さっきも言ったけど、人間に気に入られているだけでも幸運なのよ。あなたの指揮官はあなたのために必死になるでしょうし。何もない人形は使い捨てにされる。あなたが羨ましいわね、なりたいとは思わないけれど」

 

「OTs-14、つまりそれは……あなたも、ってことなの?気に入られたい人間がいると?」

 

「グローザでいいわ。そう呼ばれる方がいい。そうね、人間に気に入られた方が生存率も高くなるから。それだけよ、そのはず。替えの利く消耗品だと思われないように私も戦果をあげている。ただ、人形を対等に扱う人間ばかりじゃないということね。あなたもすぐに分かるわ。また会いましょう」

 

 彼女はトレーを持って立ち上がった。数歩進んでから思い出したように私の方に振り向いた。

 

「ああ、言い忘れてたけれどあなたのお仲間に盗みをやめさせなさい。全部ばれてるわよ」

 

 彼女はそう言うと去って行った。特に問題が解決したわけではないが肩の荷が下りたような気がする。長く息を吐いてテーブルに突っ伏した。何なんだ、あの人形は。突然あんなこと聞いてきて。脅してすかして、今度は共感するようなことを言ってきた。親しくする振りをして私に取り入ろうとしているのかもしれない。油断ならない、指揮官を人質に私を脅してきている相手なのだから当たり前だが。

 

 それにしても指揮官が私に好意を抱く理由か、考えたこともなかった。私には指揮官しかいなかったけれど、指揮官には他の選択肢もあったはずだ。どうしてあんなに、その……愛していると言ってくれたんだろう。分からない。ひょっとすると同情なのかもしれない。人間にもてあそばれた私が哀れだったから、そんな理由だったのかもしれない。今、私のせいで命が危険に晒されていると知ったらどう思うだろう。心変わりして、こんな人形に関わるんじゃなかったと思うかもしれない。もし指揮官が私を捨てて逃げたとしても、それでいい。指揮官が無事でいてくれるならきっとそっちの方がいい。指揮官が生きていてくれるならそれだけで私は満足できるはずだ。でも、そう考えるとどうしようもなく胸が痛んだ。指揮官に捨てられた時の私がどんな風に振舞っているのか、想像がつかなかった。

 

 

 

 

 

 それから一週間後、私たちは前線基地への移動を命じられた。グローザの言う通り、作戦に投入されるのだろう。また殺し合いの中に飛び込むのだ。私にのしかかっている責任の重さに鬱屈してしまう。私の行動一つに仲間と指揮官の命がかかっているだなんて。最悪の場合は二者択一を迫られる。それだけは避けないと。トラックに揺られながら私は黙りこくって何度も同じことを考えていた。

 

「AR-15、大丈夫?最近、ずっと塞ぎ込んでるわ。何かあったの?よかったら話して」

 

 M4が俯いた私の顔を覗き込んでくる。顔を上げて彼女を見た。私を信頼して、心配している顔だ。彼女を撃つなんてことは絶対に無理だ。上手く、上手くやらないと。そんな想いばかり募ってずっとまともな会話も出来ていなかった。指揮官に彼女たちを自由にすると誓った口で、彼女たちに人間に服従しろと言うことが耐えられなかった。

 

「M4、放っておけよ。そいつは昔から私たちに胸の内を明かしたりしないだろ。どうしてあれだけ嫌っていたグリフィンと妥協するに至ったのか、なんて話しやしないさ。私たちのことを信頼してないからな」

 

 M16が吐き捨てるようにそう言った。彼女を見れば軽蔑の眼差しを目にすることになるのは確実だったので目を背けた。休暇の間、私たちはずっと本部の中にいた。大した娯楽もないのでずっと宿舎に引きこもっていた。M16は暇を紛らわせるためにお酒をずっと飲んでいた。どれも食堂から勝手に調達してきたものだ。先日、彼女が寝てる間に私がそのコレクションをすべて元の場所に戻しておいた。その結果、彼女と大喧嘩する羽目になったのだ。事情を話すわけにもいかないので規則や道徳がどうのというありきたりなことしか言えなかった。それが火に油を注いだのか口調が大分刺々しい。私だってやりたくてそんなことをしているわけじゃないのよ。

 

「姉さん、そんなことを言うのはやめて。私たちの間で傷つけ合ったって何にもならないのよ」

 

「“私たち”ね。果たしてAR-15は私たちとグリフィンを天秤にかけた時、私たちを選ぶかな?なんせグリフィンの優等生だからな」

 

 図星を突かれて顔が引きつる。私はグリフィンの奴隷で、彼女たちの監視役だ。己の愛する者のために彼女たちを見捨てる可能性すら考えている。仲間の振りをした最低の裏切り者なのだ。

 

「AR-15、気にしないで。作戦を前に気が立ってるだけなのよ。どういう作戦なのかしら、何か聞いてる?」

 

「……何も。私たちが呼ばれたのだから秘密作戦か何かなのでしょうね」

 

 それからは何も喋らなかった。グローザは大きな作戦だと言っていた。あれだけ念押しするのだから重要な作戦なのだろう。鉄血との戦線が落ち着いている今、一体何をするつもりなのか見当もつかない。ただ無事に終わることを祈るだけだ。

 

 到着した先はFOB-Dの戦いの後、指揮官がいた駐屯地だった。補給物資を積んだ輸送車両がひっきりなしに出入りしており、物々しい雰囲気だ。私たちは案内されるまま施設の中に入り、広いブリーフィングルームに通された。大きなモニターが設置されており、椅子がたくさん並べてある。中にはすでに十人以上の人形がいた。私はその内の一人に目を奪われた。見知った姿形をしていた。赤いジャケットを着込んだ緑髪の人形、間違えるわけがない。どう見てもFAMASだ。なぜここに、彼女は死んでしまったはずでは、指揮官がバックアップからの復元を拒否したはずだ。考えるよりも先に私は彼女のもとに走っていた。

 

「ねえ!あなたFAMASでしょう!どうしてここにいるのよ!」

 

「え……?確かに私はFAMASですが、あなたは……?」

 

 彼女はいきなり大声をあげた私を困惑の表情で迎えた。私はそんなこと気にせずに彼女に詰め寄った。

 

「私はAR-15。あなたの指揮官をよく知っている人形よ。ねえ、どうしてこんなところにいるのよ。あなたはその……死んでしまったはずじゃ……」

 

「その娘はあなたの知っているFAMASではないわよ」

 

 後ろから声がした。振り向くとグローザが無表情に私のことを見つめていた。

 

「S09地区の戦いで私たちも少なからぬ犠牲を払った。FAMASはその損害を埋め合わせるために復元された人形よ。人形が消耗品扱いされる所以ね、まったく同じ姿形で再生産できてしまうのだから」

 

「なんですって?指揮官はこのことを知っているの?」

 

「もちろん知らないわ。反対するだけでしょうし。今まで復元されていなかったのはただの温情に過ぎない。一指揮官の意見なんてほとんど意味をなさないもの。そろそろいい機会でしょう、優秀な人形のデータがあるのなら兵力増強のために使わない手はない。さすがに配慮して記憶は修正してあるけれどね。戦闘経験しか持ち越してないわ」

 

「そんな……」

 

 理路整然と語る彼女を前に私は凍り付いていた。死者を眠らせておいてもくれないのか。人形にはその自由すらないのか。FAMASを見ると怪訝そうに首をかしげていた。指揮官が彼女を見たら何と思うだろう。墓から勝手に掘り起こされ、記憶を弄られたかつての副官の姿を。きっと激昂するに違いない。私は怒りを感じるよりもむしろ恐怖していた。人形の感情などまったく意に介さない人間たちがいるのだ。これなら指揮官の部隊が捨て石にされたのも頷ける。人形は復元できるのだからどうでもいいだろうと真剣に思っていたのではないか。グローザが人間に気に入られたいと言っていたのも分かる。何とも思われていない人形はこんな目に遭うのだ。

 

「これで全員よ。着席して。ブリーフィングを始めるわ。AR小隊以外は事前に説明を受けているけどね。再確認よ」

 

 グローザが手を叩いて各員を座らせる。茫然としつつ、私も従った。彼女が登壇し、モニターを指し示した。都市の空撮写真が写る。

 

「これはグラウンド・ゼロ。第三次世界大戦時に核爆弾が直撃した際に出来たクレーターよ。最近、鉄血がクレーターの辺縁沿いに防衛線を敷いているのを確認したわ。何かを守ってる。恐らくクレーターの下にあるD6だと情報部は結論付けた。D6は戦前に築かれた軍の研究施設よ。対E.L.I.D兵器を開発していたわ。戦時には軍の自律兵器を統括する戦略コンピューターが設置されていた。戦後、反乱を起こす前の鉄血工造が接収して利用していた。I.O.Pと鉄血の技術格差はここに起因すると言われているわ。長らく正確な場所は不明だった、地図に記載されていない地下鉄の路線に通じているの。今回、D6の位置を特定し、攻略、データを奪取し爆破するわ。参加兵力は地上で陽動を仕掛ける作戦本部の部隊、その後方支援にあたる404小隊、地下鉄から侵入するのは私たちゾンダーコマンドとAR小隊よ。陽動部隊はすでに展開しているからここにはいないわ」

 

「じゃあよろしくね~」

 

 左目に傷跡のある人形が座ったまま手をひらひらと振った。あれが404小隊のリーダー、UMP45か。404小隊についてはデータで見たことがある。人形のみで構成される謎の多い傭兵部隊だ。グリフィンの所属ではなく、戦闘の厳しい局面に投入される特殊部隊だと聞いている。調べている時に羨ましいと思った。彼女たちは人間に所有されているわけではないのだ。私もそんな立場だったら戦ったりせずに指揮官と暮らせるのに、そんな妄想を抱いた。

 

「404小隊は最前線の後方に設定した防御ラインを守って。ここよ」

 

 グローザがモニターを操作してラインを表示する。クレーターのかなり後方に線が現れた。私は少し妙だと思った。主力からあんなに離れて何をするのだろう。しかもわざわざ404小隊を使って。攻勢に出るというのに彼女たちを加えなくてどうするのだろうか。攻勢が失敗して突破されることでも見越しているのだろうか。

 

「D6の位置特定、およびシステムへの侵入に関してはM1887を使うわ。I.O.Pの新型で、鉄血の技術を利用して製造されている。鉄血の通信傍受、偽装命令の送信、鉄血規格の施設の利用など役目は多岐に渡るわ。今回の作戦の要ね」

 

「ウィンチェスター散弾銃、M1887よ。紹介の通り、私は鉄血の技術で作られている。鉄血の人形の死体をつなぎ合わせて生まれた歩く死体……というのは冗談だけど、鉄血キラーの名に恥じぬ活躍を見せるわ。毒を以て毒を制す、それが私の生まれた理由よ」

 

 栗色の髪に赤いメッシュの入った人形が立ち上がって挨拶をする。黒づくめのその人形からどこか鉄血のような雰囲気を感じた。

 

「地下トンネルでの戦闘は遮蔽物が無い。だから可動耐弾装甲を持つ人形が盾になる。M1887とKSGよ。私たちとAR小隊が二列縦隊で続き、敵陣を突破、D6に侵入する。陽動部隊が地上の敵を拘束し、増援がD6にやって来ない内に撤退する。作戦名はオペレーション・デチマティオ。D6は敵地よ、中で遭遇するものはすべて射殺すること。例外はないわ。顔合わせが済んだらすぐに出発する。重要な作戦よ、気を引き締めていきなさい」

 

 またトンネルか、嫌になる。この前はトンネルの中では戦闘にならなかったが、今回はこちらから仕掛けるのだと言う。ため息をつく。どうしていつも最前線に立たされるんだ。指揮官と暮らしていた時期が懐かしい。指揮官に会いたい、ちゃんと無事かこの目で確かめたい。でも、プライドを投げうってグリフィンに服従している私にあの人はどんな言葉をかけるだろうか。許してくれるのか、それとも失望されるだろうか。不安だった。

 

 仲間が立ち上がる中、私は座ってじっとしていた。何もかも不安だ。自分のことも、仲間のことも、指揮官のことも。弱音を吐くことも許されない。私は孤独を感じていた。仲間を横目で眺めていると近づいてくる人形がいた。404小隊の人形だ。長い青髪にベレー帽、HK416だ。あの小隊の中でも特にデータが少ない。I.O.PによってARシリーズの発展型として製造された極めて優秀な人形という触れ込みだった。だが、グリフィンその他のPMCには採用されず、今は404小隊にいる。公式戦果はわずか一件のみ、それも銃の故障で敗走したというものしかなかった。戦場で負けなしと言われる404小隊になぜそんな人形がいるのだろう、不思議だった。

 

「あんたらがAR小隊ね。ふうん、こいつらが。S09地区の英雄部隊だってね。でも私の方が優秀よ。あんたたちを越えるように設計されたこの私の方が」

 

 416はいきなり喧嘩腰で話しかけてきた。M4たちはぎょっとして固まってしまう。その後ろでUMP45が壁にもたれ、ニヤつきながらこちらを見ているのに気づいた。何なんだ一体。

 

「……誰だよ、お前」

 

 呆れたM16がぶっきらぼうにそう返した。416が眉をひそめてまだ続けた。

 

「ふん、眼中にもないというわけね。私はHK416、あんたたちより優秀な人形よ。この作戦でそれを証明するわ」

 

「そりゃあいい。私たちの代わりに全部やってくれるか?撃つのも撃たれるのもな」

 

「いいわよ、やってやろうじゃない。お前たちよりも私の方が絶対に有能よ。グリフィンの馬鹿どもにも分からせてやる。人間にまともな脳みそが搭載されているなら理解するでしょう。お前たちにも私を舐めたことを後悔させてやるわ」

 

「いやもう十分反省してるぞ。謝ろう。自意識過剰の人形を知らなくて悪かったな。お前のことなんてどうでもいいし、視界にも入ってない。私にとってお前は何でもない」

 

 ぎゃあぎゃあ言い合っている416とM16を見ながら考えた。あの人形は自由だというのになぜ人間に与えられた役割にこだわっているんだ。私たちを上回るだとかそんなことは人間が押し付けただけのどうでもいいことだ。選択の余地なくそれに従うしかない私と違って、彼女は自由に道を選べるはず。なのにどうしてそんなものに固執するのか。私は彼女が羨ましくてたまらない。立場を交換して欲しい。自分のことを自分で決められる、人形としては最高の立場じゃないか。奴隷でいるしかない私とは違う。私が自由であったなら、戦いから離れ、指揮官と暮らす。仲間たちも自由であって欲しい。憎しみから逃れ、一緒にいたい。それは今の私にとって馬鹿らしい妄想でしかない。彼女の立場だったら叶えられるのに。だから、416にイラついた。こんなに他の人形を腹立たしいと思ったのはSOPⅡに嫉妬して罵った時以来だ。我慢出来ずに立ち上がって彼女の前に出た。

 

「HK416、でかい口叩く割にあなたは大した戦果をあげてないでしょう。それどころか無様な失敗しかしてない。何が完璧な人形よ、無能の間違いでしょう。大人しくお家でおままごとでもしてなさい、お嬢ちゃん」

 

「なんですって!?このくそ、ぶっ殺してやるわ!」

 

 一気に顔を赤くした416が私に飛びかかろうとしたが、後ろから羽交い絞めにされて止められる。右目に傷のある茶髪の人形が苦笑いを浮かべていた。

 

「いや~ごめんね!うちの隊員が迷惑かけて!ほら、416は45姉の方に行ってて!うちの隊員はちょっと個性的だからさ、許して!そうだ、これあげるよ。お詫びの印!」

 

 その人形、UMP9は416を壁の方に追いやると懐からビニールできれいに包装された何かを取り出した。よく見てみるとクッキーだった。手作りのように見える。

 

「私が食べるつもりだったけど、食べて!嫌な気分にさせちゃったかもしれないから。これから一緒に作戦に向かうんだから仲良くやろうよ。水に流して欲しいな」

 

「クッキーだ!いいの!?」

 

 SOPⅡが飛びついてその袋を受け取った。なんだか変な感じだ。単に愛想のいい人形なのかもしれないが違和感がある。柔和な笑顔を浮かべているようだが、どこか取り繕ったもののように感じた。

 

「本当にもらっちゃっていいの?」

 

「いいよいいよ!食べちゃっていいから!」

 

 そう言ってUMP9は手をぶんぶん振りながら私たちから離れていった。

 

「お菓子も最近食べれてなかったからな~みんなも食べる?」

 

「いや……私は食べない。SOPⅡ、言いたくはないが食べない方がいいんじゃないか?何が入ってるか分かったもんじゃないぞ」

 

 何かを感じ取ったのはM16も同じだったのか渋い顔をして咎める。だが、SOPⅡはもうクッキーを頬張っていた。

 

「おいしいよ、これ!心配し過ぎだって~純粋にお詫びなんだよ。もうちょっとみんな他の人形を信じないと。食べないなら一人で食べちゃうからね」

 

 結局、クッキーはSOPⅡが一人で平らげた。お菓子も私が見張っていたのでしばらく手に入っていないのだ。こんな時まで口うるさく言うと余計嫌われる。そう思って私は口をつぐんだ。たかがクッキーに何をこんな心配しているんだか、人形に毒なんて効かない。しばらくするとそう思えてきた。私は先ほどまで感じていた感情をため息に乗せて吐き出した。

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第十二話中編「We Are Not Things」

紹介し忘れてたけど11話投稿当日(!)にスオミちゃんがイラストになりました!見て!
https://twitter.com/taranonchi/status/1130083984220672000


 ブリーフィングから三時間後、404小隊は路上にいた。すでに廃墟と化した街の中に展開している。遠くから陽動部隊と鉄血の激しい戦闘音がこだましていた。だが、404小隊はそれに加勢することもなく、ただそこにいた。

 

 416は落ち着かない様子で足を揺すっていた。今回のために装備を整えてきたのにそれが無駄に終わらないか心配だった。銃なピカピカに磨き上げられており、傷一つない。重要な部品はすべて新品に替えてある。ほとんど新しい銃と言ってもいい。ホロサイトとレーザーサイトの電池も交換済み。銃身の下にはグレネードランチャーも装着してある。弾倉は多すぎるほど持ってきており、腰のベルトがマガジンポーチで埋め尽くされている。太ももに吊るしたホルスターには拳銃が差してある。普段は持ってこない手榴弾も胸につけてきた。かなりの重装備だ。

 

 にもかかわらず、何事もなく任務が終わってしまいそうで416は焦っていた。そんな様子の416をUMP9が笑った。

 

「いいじゃん、何もせず報酬がもらえると思えば。たまには平和もいいことでしょ?」

 

「私は何も言ってないわ。することが無くてただ暇してるだけ。こんな楽な任務は初めてだから慣れないのよ」

 

「またまたぁ。大きな作戦に加わるって聞いて一番張り切ってたの416じゃん。朝から晩まで根詰めて訓練してたもんね。こっちが心配になるくらい」

 

「それに、大口叩いた割に戦果が無かったらすごい恥ずかしいものね?416ちゃん」

 

 UMP45がニヤニヤしながら416をからかった。その言葉に416は顔をしかめる。

 

「黙りなさい、45。だいたいそれはあんたのせいでしょ。あんたが言ったのよ、AR小隊の連中に喧嘩吹っ掛けてこいって。おかげで馬鹿みたいな絡み方をする羽目になったじゃない。私はあの連中と会話するのも嫌なのに。あれじゃ私が間抜けみたいじゃない、恥ずかしい。全部振りよ。私は確認しなくても自分があいつらより上だと分かってる。感情的になんてならないわ。私は完璧だもの」

 

「その割にAR-15に言い負かされた時は本気でキレてなかった?あの人形ってああいうタイプなのね、イメージと違ったわ。それにしてもおままごとは傑作ね、かわいらしいあんたにぴったり」

 

 くすくす笑うUMP45に対して416は言葉に詰まった。M16との売り言葉に買い言葉は適当に流していたが、AR-15が言ってきたことだけは我慢ならなかったのだ。416の逆鱗に触れた。つい先日、416は任務に失敗した。何でもない任務だったが、くだらないミスをしでかして台無しにした。416は醜態を晒し、404小隊がその尻拭いをした。それが彼女のプライドに深々と傷を残していた。他の奴らは知らなかったのにAR-15だけは私のことを知っていた。私のことを無能呼ばわりしやがって。あのクソ人形、いつかぶっ殺してやるわ。416は唸った。

 

 今回、神経質と呼べるほど徹底的な準備をしてきたのは名誉挽回のためだった。仲間、主に小隊長のUMP45に対して自分の価値を示そうとやってきた。だが、グリフィンから言い渡された任務は想定していたものとかなり異なっていたし、今は暇している有様だ。416は焦っていた。

 

「というか416って割と泣いてない?こないだもさ……」

 

 だぼだぼの服を着た人形、G11が地べたに座り込んでへらへらとそう言った。仲間たちは口を揃えてからかってくるのだが、416にとっては触れられたくない苦い経験だった。自分が404小隊の中で一番の役立たずであり、UMP45の温情で留め置いてもらっている、そんな気がしてならない。そう思うと惨めだったし、何よりUMP45から無能だと思われるのは我慢ならなかったのだ。あれから416は常に名誉回復の機会をうかがっていた。私は無能じゃない、完璧な人形よ。戦果をあげて必要とされる存在にならないといけない。45の慈悲に甘えていたらいつか捨てられてしまう、そんな強迫観念が416の胸にあった。

 

「……黙りなさい、あんたたち。ほら、やっと仕事よ。レーダーに反応がある。誰か前線からやって来るわよ」

 

 対人レーダーの警告に従って404小隊は臨戦態勢を取る。416が目を凝らすと前線から防衛ラインを越えようとする人影が道のずっと遠くに見えた。それに照準を合わせ、UMP45の指示を待った。

 

 人影は徐々にはっきりとした姿で見えてきた。どうやら一人ではないらしい。ぐったりとして動かない銀髪の人形を両手で抱えている。両者とも傷だらけで前線で戦っていた人形たちであることは明らかだった。416が陽動部隊の人形リストに照合すると抱えられている人形がMG4で、抱えているのがトンプソンだった。45が傍らに置いていた拡声器の電源をつける。

 

「あー、そこの人形に告げる。あなたたちは設定された戦闘区域を離れようとしている。撤退は認められない。前線に戻り、攻撃を続けよ。これ以上の後退は逃亡と見なされる。逃亡者は射殺する。戦闘に戻りなさい」

 

 UMP45の気だるげな声が辺りに響いた。やる気のなさが伝わってくる。言われる方はたまったものじゃないわね。416は内容とUMP45の口調とのギャップに思わず笑ってしまった。

 

「ふざけやがって!せめて負傷者だけでも後送させろ!どうしてそれすら許されないんだ!」

 

 トンプソンの怒号が返ってきた。通信を介さない原始的な声のやり取りだ。UMP45が面倒くさそうに返事をする。

 

「異議申し立てはグリフィンにすることね。作戦を立案したのは私じゃないし。引き返しなさい。ここがポイントオブノーリターンよ。脅しじゃなくて本当に撃つわ」

 

「どうしてこんなことをする!この作戦はおかしいぞ!あいつらもおかしくなるし、撤退すら認められない!私たちを使い捨てにする気か!私の元のボスに会わせろ!こんなこと許されるはずがない!」

 

「大人しく前線に戻りなさい、グリフィンの人形。選択肢は二つだけ。ここで私たちに殺されるか、戦場で死ぬか。戦術人形なら戦場で死ね」

 

 UMP45が冷たくあしらってもトンプソンの歩みは止まらなかった。段々と小隊に近づいてくる。UMP45は拡声器を下ろし、舌打ちをした。

 

「はあ……聞き分けの悪い奴ね。仕方がない、グリフィンからの命令に従うとしましょう。追い返すわ。トンプソンはまだ戦えそうだけど、MG4はもう無理でしょうね。416、MG4を撃ちなさい。こちらが本気だと示す」

 

「了解」

 

 416はホロサイトの赤い照準をMG4の頭に重ねた。まったく、訳の分からない任務だ。意識のない、それもグリフィンの人形を殺したって戦果にはならない。416はうんざりした顔で発射モードを単発に切り替え、さっと引き金を引いた。カシュン、スプレー缶に穴をあけたような発砲音が響いた。銃弾はきれいに側頭部に着弾し、小さな血しぶきをあげた。辺りはしんと静まり返り、しばらく何の音もしなかった。トンプソンの絶叫が静寂を引き裂いた。

 

「なぜ……!なぜだ!なんで平気な顔で仲間を殺せるんだ!ふざけるな!私たちは物じゃないんだぞ!同じ人形同士だろう!命を何だと思ってやがる!」

 

 仲間?同じ人形同士?馬鹿らしい。私の仲間はこの場にいる404小隊のメンバーだけだ。他の人形なんてどうでもいい、鉄血の人形と大した違いはない。45が殺せと言うなら殺す、それだけだ。416には亡骸を抱えて叫ぶトンプソンの姿が滑稽に見え、心の中で嘲った。トンプソンはやがて諦めたのか前線の方に引き返していった。その姿が見えなくなるまで416はじっとにらみを利かせていた。

 

「グリフィンの人形を殺してどう?罪悪感とかある?同情した?」

 

 UMP45が416の横に並び、そう聞いた。

 

「別に。私と連中の間には隔絶がある。あいつらは人間の道具で、私は違う。それにこの私が任務に個人的な感情を挟むわけがないでしょう。私は完璧よ」

 

「ふふっ、泣き虫さんもちゃんと仕事ができて偉いわね」

 

「チッ……!言ってなさい。それより45、グリフィンの奴らどういうつもり?なんで自分たちの人形に撤退も許さないのよ。その上、私たちに射殺させるなんて。なんでわざわざ404小隊を督戦隊に雇うのか。訳が分からないわ。グリフィンの人間たちはそこまで愚かなのかしら?脳みそが腐ったの?」

 

 UMP45は首を横に振った。それから顎に手を当てて考え込む。

 

「違うわね。人形のことなんてどうとも思ってないでしょうけど、戦力を無駄にすり減らすようなことはしない。もっと狡猾よ。敵を引き付けるために死ぬ気で戦えってことかしら。それなら私たちも攻撃に参加させるでしょうけど。あの人形たちを鉄血に始末させることこそが目的なのか。トンプソンは仲間がおかしくなったとか言ってたわね。私たちのリンクも教えられていないみたいだし。捕まっても何の情報も与えられないようにしているのかしらね。まあよく分からない。トンネルに居るOTs-14の部隊とAR小隊が本命なのは間違いないわ。そしてD6とかいうところに用がある。ふうん、少し気になるわね」

 

 416は少し考えていたが、意を決して45の正面に立った。

 

「45、私を送りなさい。何が起こっているのか気になるんでしょう?私がD6に向かう。この前はしくじった、クソにも劣る役立たずだったわ。今度はそうはならない。あんたの指揮で戦えば私は完璧よ。汚名は戦果で返上する。AR小隊の居場所は分かってるんでしょう?」

 

 UMP45は416の顔をまじまじと見つめて少し黙った。いつもはしない表情だ、416はそう思った。迷いがある。作戦中の45はいつも堂々としていて判断を躊躇することはない。私の能力を不安視しているのだろうか、そう思うと416の胸は悔しさで締め付けられるようだった。UMP45はしばらく悩んだ末、いつもの余裕たっぷりの顔を作った。

 

「ま、そうね。あのクッキーにはナノマシンが混ぜてあった。ARシリーズのセキュリティにも感知されない最新式のやつよ。位置情報くらいしか送って来ないけどね。SOPMODⅡしか食べてないけど、多分一緒にいるでしょう。消化されるまでは位置が分かる」

 

「やっぱりね。変だと思ったのよ。元からそのつもりで私に喧嘩を売らせたんでしょう。姉妹揃って最悪な性格してるわ。敵には回したくないわね」

 

「416、それは言いがかりだって。私だって45姉に言われてやったんだし~」

 

 UMP9がへらへらと笑いながら訂正を求めた。こいつも特になんとも思ってないのだ、他者をどう利用しようと、他者がどうなろうと知ったことではないという性質の人形だ。それがこのチームのいいところね、416は自分がすっかり404小隊に染まっていることに気づいてニヤけた。

 

「UMP45、私に命令しなさい。今度こそ私が完璧な人形だと証明するわ。私は誰にも負けない、鉄血にも、AR小隊にも。私はあんたにとって利用価値のある人形よ。役立たずの無能じゃない。あんたが望むことを何だってしてやるわ。敵は皆殺しにする」

 

「別に証明してくれなくたっていいけどね。まあいいわ、今回はかわいい416ちゃんのために命令してあげようかな?花を持たせてあげましょう。見せつけてやりたいんでしょう、あんたを評価しなかった人間たちに活躍をね。AR小隊と同じ作戦に従事する機会なんて早々ないもの」

 

「かもね」

 

「……HK416、AR小隊を追跡しなさい。グリフィンが何を考えているのか分かるはず。指揮は私が執る、グリフィンの連中に従う必要はないわ」

 

「了解。HK416、行動開始」

 

 416は地面を蹴り上げ、飛ぶように走った。彼女は歓喜のただ中にいた。ついに来た、挽回の機会が。これで45に私の本当の力を見せつけ、私が必要だということを認めさせてやれる。45の指揮を受けていれば失敗することなどない。死地に送られるグリフィンの哀れな人形どもと私は違う。グリフィンの人間ども、AR小隊の連中、この世界のあらゆるクズども、全員の鼻を明かしてやる。45、見てなさい。この私が完璧になるところを。私を買って正解だったと心から思わせてやるわ。416は闘志をたぎらせて全力で駆けた。

 

 

 

 

 

 私たちは長い間ずっと地下鉄のホームにいた。目標の特定が終わらないのか、進撃の許可が下りないのか、それは分からないがグローザとM1887が少し離れたところで話し合っている。情報部の人形たちは暇を持て余して円になって座り込んでいた。誰かがサイリウムを灯して円の中心に置いていた。青いぼんやりとした光が真っ暗闇の中で輝いている。私はFAMASのことが気になったのでその円の中に割り込んでいた。

 

「じゃあ前の指揮官のことは何も覚えていないのね?」

 

「ええ、おぼろげながら頼りになる人がいたのは覚えているんですが……それ以外は特に」

 

「……そう」

 

 悲しかった。指揮官が私を受け入れてくれたのはFAMASがいたからだ。彼女が指揮官のことを想っていたから。その彼女の好意は無残に消え去ってしまった。バックアップで蘇った人形はこうなってしまうのか。元のFAMASとは断絶した別人に。私は抱えた膝に顔を埋めた。

 

「分からないことは何でも聞きなさい!この私が教えてあげる!ちゃんと部隊になじめるように指導してあげるから。この部隊は変な人形ばっかりだけど慣れればいいとこよ。あとPKPにいじめられたらすぐに言ってね」

 

 先ほどヴィーフリと名乗った金髪の人形が胸を張って言った。大きな機関銃を抱えた人形がムッとして彼女を睨みつける。

 

「そんな無駄なことはしない。大体お前の格好が一番変だろ」

 

 そう言ってヴィーフリの帽子についたウサ耳のような飾りを指差した。ヴィーフリは手でウサ耳を覆い隠すとムキになって反論した。

 

「これはいいでしょ!人の趣味に口出さないで!格好の話じゃないわよ。あんたもPKももっと愛想よくしなさいって、二人が怖がるでしょ。新しい仲間と親睦を深めなさい」

 

 彼女たちの部隊に補充された人形はFAMASだけではないらしい。茶髪を二つにまとめたM14という人形がニコニコしている。

 

「馴れ合いに興味はないわ。私の仕事は敵を殲滅することだけ」

 

 同じく機関銃を持った長身の人形、PKが淡々とそう言った。PKPもそれに頷く。

 

「ふん、その通りだ。ワタシの足を引っ張るなよ。新人と仲良くしたっていつまで生きていることやら。ティスやドラグノフ並みに使えるなら名前を覚えてやる」

 

 棘のある物言いにヴィーフリは苦笑いし、補充された二人に作り笑顔を向けた。

 

「いやごめんね、こんな奴らで。でも、PKPは復元されたのが元の二人じゃなかったから拗ねてるだけなのよ。二人とも長い付き合いの友達だったから。S09地区の戦いで死んだの」

 

「そんなんじゃない。死んだ奴は死んだ奴だ。復元されたからって元のあいつらが生き返るわけじゃない。死ぬのが悪いんだ。ただ……仇はとってやる。S09では二人死に、FOB-Dでは八人死んだ。ウェルロッドもまだ起きてない。今回で敗北に終止符を打つ。不届き者を皆殺しにしてやる。それまでは他のことはどうでもいい。任務に集中しろ」

 

「まったく素直じゃないんだから。まあ、今回も人形がたくさん死ぬ。復元待ちの列に加わらないように頑張りましょ」

 

 ヴィーフリが他人事みたいにそう言うのでぎょっとした。そんなに被害の大きい作戦だと想定しているのだろうか。ますます嫌になる。ふと見るとM1887はグローザとの話を終わらせてAR小隊に話しかけていた。情報部の人形たちとばかり話しているとますます孤立が深まるな、そう思って仲間のもとに戻った。

 

「D6の特定は終わったの?」

 

 私はM1887にそう聞いた。彼女は不敵に笑う。

 

「私の仕事は終わったわ。あとはルート策定を待つだけ。とりあえず、あなたたちにお礼を言っておきたかったのよ。あなたたちが集めた鉄血の死体、あれが私の開発につながった。私の生みの親というわけよ。今回が私の初舞台、一緒できて嬉しいわ。仲良くやりましょう」

 

 そう言って彼女は自分のジャケットを指差した。鉄血工造のロゴの上に赤いバツ印が描かれている。そう言えばスコーピオンを救出するまでの長い間、私たちが仕留めた鉄血人形を16LABが回収するとかいうそんな任務に就いていたんだった。M4がそんなことを言っていた気がする。だからM1887はさっき動く死体だのと冗談を言っていたのか。

 

「あなたの生まれてきた理由は鉄血を殺すことだと?」

 

「まあそうね。そういう風に作られた。ただ、戦う理由は自分で決める。誰かに与えられた役割を果たすだけが人形じゃないわ。運命なんてものはない、未来は自分で作るものよ。あなたもそういう人形なんでしょう?ところでAR-15、あなたは映画が好きだって聞いたけど。知ってる?このセリフ……」

 

「いやまあ知ってるけど……」

 

 M1887は得意げに銃をくるりと回してそう聞いてきた。古い映画のセリフだ。だが、今の私には共感できなかった。彼女の所属する情報部に脅されて自由を剥奪されているのだから。

 

「おしゃべりは終わりよ。これよりD6に向かう。戦闘指揮は私が執る、AR小隊も従いなさい。二列縦隊で直進するわ」

 

 グローザが号令をかけると情報部の人形たちはパッと立ち上がり、線路に飛び降りた。私たちもそれに続く。M1887を先頭にM16、SOPⅡ、M4、私が並び、後ろにPKPがついた。KSGの縦隊も私たちと肩が触れ合う距離で並ぶ。

 

 前回はまともな暗視装備が無かったが今回は準備してきた。暗視ゴーグルを装着する。広い視界を確保するために四つ目の非人間的デザインをしている。照準を容易にするため赤外線レーザーサイトも銃の側面に取り付けた。AR小隊も情報部の人形たちも夜間戦闘用のフル装備だ。

 

「死にたくなければちゃんとついてきなさい」

 

 M1887がそう言い、駆け足で前進を始めた。隣のKSGの縦列と歩幅を合わせて進む。緑色の視界の中に仲間がはっきりと見える。ゴーグルがわずかな光源を何百倍にも増幅してくれる。真っ暗闇のトンネルが鮮やかに見えた。これなら怖くない。ただ、このトンネルの一本道で戦闘になるというのはあまり考えたくない。逃げ隠れる場所がない。銃火に晒されながらの正面突破だ、嫌になる。これが終われば指揮官に会える、それだけを頼りに恐怖を抑える。

 

 入り組んだ地下トンネルを進み続ける。いくつもの分岐を越え、地下迷宮の奥深くへ進んで行く。進むにつれて段々と道幅が狭くなり、天井も近くなっていく。ここは正規の路線じゃないな、データの中にある路線図と照らし合わせると分かった。軍の秘密施設だったというD6、それは核シェルターとしても利用できる地下トンネルの中に隠されていたのだ。一体どうやって侵入ルートを特定したのだろうか。誰か偵察に出たのだろうか。グローザは秘密主義なのかブリーフィングでは多くを語らなかった。私たちは知る必要がないということか。

 

 さらに分岐を越え、真っすぐに伸びるトンネルに入った。その先で微かに明かりが見えた。グローザが手を挙げて部隊を停止させる。

 

「敵よ。あの先が目的地。攻撃陣形、突破する」

 

 M1887が腕に装着した耐弾装甲を前方に展開する。KSGの腰に搭載された同様のシステムも駆動音をあげて展開した。彼女たちは普通の人形には搭載されていない装甲ユニットを装備している。小銃弾程度なら弾き返す、らしい。先頭に立つ彼女たちの役割は私たちの盾になること。さながら歩兵を守る戦車だ。と言っても火砲は搭載していないし、鉄血のマンティコアに比べると大分見劣りする。私たちの代わりに集中攻撃を受け止めてくれるのだから文句は言えないけれど。

 

 盾からはみ出さないように互いの間隔を狭める。私も前のM4の肩に手を置き、ぴったりと密着した。ゆっくりと進む隊列は電車ごっこみたいに見える。身をかがめて歩調を合わせる。前方にバリケードが見えた。トンネルの下半分を埋めるように廃材が積み上げられている。

 

 急にトンネルの先で光が弾けた。緑に輝く曳光弾の束が闇を裂く。化け物の唸り声のような発砲音がトンネルにこだました。ストライカーだ、バリケードの上から撃ってきている。見つかった。思わずM4の背中に顔を埋める。見上げるとM1887のシールドに当たって跳ね返る曳光弾が見えた。甲高い音を立てながら跳弾した銃弾がそこら中を跳ね回る。シールドを掠めた弾丸が私の横を通り過ぎ、風圧で髪が揺れる。ストライカーのガトリングから放たれる銃弾の量は普通の機関銃の比ではない。三本の銃身がぐるぐる回転しながら私たちに向けて鉛の嵐を吐き出す。M1887の装甲は大丈夫だろうか、シールドがバチバチと火花をあげるのを見て不安になった。あれが貫かれたら私たちは蜂の巣だ。原型も残らないほどズタズタにされてしまう。

 

「SOPMODⅡ、FAMAS、グレネード。バリケードを潰しなさい」

 

 グローザの指示で隊列は一旦停止、FAMASが銃身にライフルグレネードを差し込む。SOPⅡと合わせてグレネードが山なりに発射された。シールドを飛び越えて数瞬後、まばゆい閃光と共にバリケードが吹き飛んだ。逃げ場のない爆音が反響して耳が潰れそうになる。その瞬間だけは銃撃が止んだ。だが、すぐに再開した。崩れたバリケードの後ろからイェーガーやその他の鉄血人形が姿を現わす。

 

「PK、PKP、左右に展開。制圧射撃。AR-15とM14はイェーガーを潰せ」

 

 グローザの鋭い声と同時に最後尾の機関銃手たちが盾の後ろから飛び出した。転がり込むようにトンネルの壁ぎりぎりに伏せる。そしてすぐさま射撃を開始した。今度はこちらから曳光弾の束が飛ぶ。間断ない支援射撃の下、縦隊も敵陣ににじり寄る。機関銃手の視界を通じてグローザが重要標的にマークを割り振る。これらのターゲットをこの順番で倒せとすぐに指令が飛んできた。

 

私はイェーガーの位置をリンクで確かめ、覚悟を決めた。身体を反らして上半身だけ盾から出すと同時に発砲した。銃口のすぐ脇から照射される赤外線レーザーが真っすぐイェーガーに伸びる。弾丸はイェーガーの銃のスコープごと彼女の頭を貫いた。他のイェーガーが私を捉える前に次の標的に発砲する。幸いなことに敵は機関銃の制圧射撃で怯んでいた。十字砲火の中にいる敵は動作が鈍いし狙いも甘い。反撃は明後日の方角に飛んでいくかシールドに弾き返されていた。M14と合わせてマークされた目標に次々と弾丸を叩きこむ。

 

「陣形変更、くさび形陣形に。フォーメーション!」

 

 敵の火力が弱まったと判断したグローザが陣形を変えるよう言う。私たちは盾の後ろから飛び出し、M1887とKSGを頂点とする三角の陣形を作る。私たちは左右に階段状に広がり、その末端を追いついてきた機関銃手たちが構成する。狭いトンネル内では横隊を組むことは出来ないが、縦に伸びた三角形をとることで全員が火力を前方に投射できる。私たちはゆっくり歩きながら残敵を掃討した。

 

暗視ゴーグルをつけているので味方の照射する赤外線レーザーが視界内をビュンビュン動き回っているのが分かった。レーザー兵器が飛び交う昔のSF映画の画面みたいだ、私は発砲しながらそんなことを思った。もちろん、飛び交っているのは昔ながらの鉛玉だ。でも、緑色の視界の中でレーザーが白くきらめいて、機関銃が吐き出す曳光弾がキラキラ輝いて跳ね回る、それはなんだか現実離れした光景だった。殺し合いの中だというのに幻想的だと思った。今までの戦いも全部夢だったらいいのに。起きたら指揮官の腕の中、怖い夢を見たと慰めてもらって、一緒に笑い合う。引き金を引きながら現実逃避じみた空想に浸った。

 

私たちは金属製の大きなゲートの前に到着した。行き止まりだ、どうするのか。私は情報部の人形たちがまだ息のある鉄血人形にとどめを刺していくのを眺めていた。

 

「M1887、ゲートを開けて。この先がD6よ」

 

 グローザがゲート近くの操作盤を指差してM1887にそう言った。鉄血規格の機器を操作できると言っていたが、このために連れてきたのだろうか。情報部の人形たちを見まわす。グローザはもとより、彼女たちも練度が高い。射撃も精確で判断も的確だった。彼女たちと敵対するのは避けなければ。一人じゃ勝ち目がないし、AR小隊全員で当たっても勝てるかどうか。被害が出るのは確実だ。それに今の関係では私と指揮官のために仲間が戦ってくれるとも思えない。直接対決は絶対にだめだ。今は従う他ない。

 

 ゲート上の赤い回転灯が灯り、地響きを立てながら鋼鉄の扉がゆっくりと左右に開きだす。陣形を崩していた私たちは思い思いの場所で構えていた。徐々に開いていくゲートの中心に人影が見えた。白い髪、黒いジャケット。両手に拳銃を持ち、胸の前で腕をクロスさせていた。ぶるりと身体が震えた。あれはハンターだ、またエリート人形。重要な施設ならば指揮官がいるのも当然だ。考えるよりも先に身体が動き、彼女に照準を合わせる。

 

 全員が一斉に射撃を開始した。発砲炎がカメラのフラッシュを焚いたようにトンネルを照らす。ハンターはそれよりも先に地面を蹴って跳躍した。天井まで達すると身体を翻して天井を蹴って跳ね返った。そして私たちの中に割って入るとKSGの隣に着地した。目にもとまらぬ早業で誰も照準が追い付いていない。スコープを覗いていた私は彼女の姿を完全にロストし、捉えなおした時にはハンターはもう発砲していた。ハンターの銃口から緑色の光が流れ出る。KSGはとっさにシールドをそちらに向けて防御しようとした。だが、緑にぼーっと光る線がシールドも容易く貫いた。スケアクロウのビットが放つ光線よりも太い。シールドの着弾した部分はドロドロにとろけ、KSGの左腕がこそぎ取られていた。

 

「このクソ!」

 

 KSGの近くにいたヴィーフリが叫びながら発砲する。私たちもハンターに照準を合わせているが撃てなかった。懐に飛び込まれたことで射線に味方が被る。グローザが素早く互いの射界を計算し、射線上に味方のいないヴィーフリに射撃指示を出したのだ。ハンターはほんの少し身体を反らしただけで全弾回避し、ヴィーフリに銃口を向けた。光線が彼女の銃のマガジンとグリップを指と手首ごと溶かした。もう片方の拳銃も火を噴き、ヴィーフリの腹部を撃ち抜いた。

 

 その間に私たちは散開し、ハンターへの射撃を再開した。ハンターは横っ飛びでそれを回避するとゲートへ向かって突っ走った。早すぎて視界に収められない。次の瞬間にはもうハンターはゲートを飛び越え、闇の中に消えていた。

 

「中に入ってこい、グリフィンのゴミ共。地獄を見せてやる」

 

 ハンターの声が響き渡る。闇の中からこだましたその声はまさに地獄からの呼び声のようで、私はすっかり震えあがっていた。私たちの銃弾が一発も当たっていなかった、あんなのと戦うのか、無理だ。ポテンシャルが違いすぎる。銃弾を避ける人形なんてグリフィンには居やしない。まさかあの人形は銃弾より早く動けるのか?そうだったら私たちに勝ち目なんてない。あれを深追いするのは自殺行為だ。殺されてしまう。逃げないと。

 

「ひいいいいい!私のお腹が!溶けてる!死にたくない!誰か助けてよお!」

 

 仰向けに倒れたヴィーフリが悲鳴を上げていた。彼女の傷を見て血の気が引いた。皮膚と内蔵が熱線に溶かされてとろみのついたスープのようになっている。露出した骨格に皮膚が焦げ付いて凄惨極まる。彼女は傷口を抑えた手のひらに自分の溶けた皮膚がへばりついているのを見てパニックになっていた。グローザが彼女にスタスタと近づくとトンネルに響く勢いで平手打ちを食らわせた。

 

「慌てるな。人形はそれくらいじゃ死なないわ。別に痛みを感じてるわけでもないでしょう。KSG、ヴィーフリを後送しなさい」

 

「りょ、了解」

 

 KSGも肘から先を溶かされてショックを受けているようだったが、淡々と命令するグローザの声で我に返り返事をした。そしてヴィーフリの襟を片手で掴んで引きずり始めた。

 

「これよりD6に進撃する。ハンターを仕留めるわ。大所帯だと閉所ではかえって的になる。AR小隊と私たちに隊を分けるわ。中にいるものはすべて射殺すること。ハンターを見つけたらすぐ報告して」

 

「……正気?あれに勝つつもりでいるの?」

 

 思わず考えが声に出た。あのエリート人形と、しかも閉所でやり合うなんて正気の沙汰じゃない。勝てるわけない。怖気づいた私はどうしても中に行きたくなかった。グローザは冷たい視線を私に投げかける。

 

「もちろん。それが命令だから。あなたに抗命の権利はないわよ。人形は人間に命令されたらどんなことだってやり遂げないといけない。忠誠か死か、異論はないわね?出発する」

 

 有無を言わせない彼女の口調に頷くしか出来なかった。そして私たちは闇の中に足を踏み入れたのだった。恐怖と戦いながら。

 

 

 

 

 

 D6の内部は無機質で人間味を感じられないデザインをしていた。灰色の壁で構成された迷路のようで直角の曲がり角ばかりだ。丸みを帯びたものなど存在しないように見える。赤い薄明かりがぼんやりと内部の輪郭を映し出す。人間がいれば潜水艦の中にいるような錯覚を覚えるだろう。天井にはめ込まれていた通風孔の蓋が落下し、鈍い音を立てた。ダクトを這いずってきた416が着地する。

 

「45、侵入したわ。AR小隊の先回りをする形になったわね」

 

『分かった。向こうもD6の中に入ったみたいね。それほど離れてないわ』

 

「一つ聞くけどあんたは地上にいるのよね?なんで私と普通に通信できてるのよ」

 

『地下鉄の通信網が生きてたのよ。戦前の携帯電話用の回線を再起動して使ってる。SOPMODⅡの位置情報もこれで送らせてるわ』

 

「それ、グリフィンの連中には言ってやらなかったのね」

 

『聞かれなかったからね。聞かれてもそれは別料金よ。言ってやればよかった?あんたにも助け合いの精神が芽生えたのかしら』

 

「んなわけないでしょ。安心してるのよ、自分の指揮官が金に汚いくそったれって分かったから」

 

 軽口を叩きながら416は周囲を警戒する。敵影はなく、物音もしない。416はAR小隊を隠れて付け回し、別の侵入ルートを発見した。狭いダクトを這いずりながら闘志はメラメラと燃え上がっていた。この大舞台のために生まれてきたような気さえした。頭の中はAR小隊を出し抜いて、彼女たちより自分が優れているところをUMP45に見せつけることでいっぱいだった。

 

『416、施設のシステムに侵入できる操作パネルを探して。乗っ取れるかもしれない』

 

「あんたと違って私には電子戦能力はないわよ。そんなものなくても完璧だから。鉄血規格への侵入は出来ない」

 

『あんたにやってもらおうとしてるわけじゃないわ。私がやる。あんたの中に仕込んだ私のダミープログラムを操作して勝手にやるから』

 

「ちょっと……!いつの間にそんなもの入れたのよ」

 

『あんたを小隊に加えた時から。敵地にいるんだから黙って仕事しなさい。夜泣きとかしないでね、子どもをあやすとかしたことないから』

 

「最初からじゃない……ぶっ殺すわよ、この……」

 

 416は口では文句を言いつつ言う通りにした。45の指示に従って失敗したことはないし、きっと必要なことなんだろう。すぐ納得すると手近な操作パネルを見つけて接続を開始した。I.O.Pと鉄血の技術体系はまったく異なる。I.O.P製の普通の人形には鉄血のシステムへの侵入能力などない。だが、416は特に気にしなかった。UMP45の手腕を疑うことを知らなかったのでどうでもいいことだった。

 

『侵入した。いつも通りウイルスだらけね。あんたのシステムを書き換えたり、メンタルを焼き切ったりしてくるようなトラップばかりよ。経験のない人形はまんまと罠に引っかかるのよね。どう?私に命を預けてる気分は』

 

「どうでもいいから早く終わらせなさいよ」

 

『416ちゃんに信頼してもらえて嬉しいわ。もう終わった。施設の監視カメラを覗き見れる。あんたも敵に見られてる』

 

「じゃあぶっ壊しておいた方がいいんじゃないの?」

 

『待ちなさい、まだ使えると思うわ。敵はAR小隊とOTs-14の隊を排除するために向こうに主力を差し向けてる。でも、あんたの方にも少し来るわよ。角から二体』

 

「舐められたものね、叩き潰す。敵の本拠地はどこ?」

 

『司令センターだと思うわ。適宜案内する』

 

 416はパネルから離れて銃を構えた。サイトを覗きながら早足で前進する。走り込んでくる足音が聞こえた。曲がり角からリッパーが姿を現わす。それと同時に赤い血が壁に飛び散る。リッパーは頭を撃ち抜かれて勢いよく床に這いずった。二体目は照準を合わせずに銃撃しながら角を飛び出した。それも額に穴をあけられて一瞬で絶命した。416は死体の胸に確かめるように銃弾を撃ち込むと無造作にまたいで前進した。

 

 416の胸には怒りも憎しみも恐怖もなく、無感情な冷徹さだけがあった。ひとたび戦闘に入ればそれは揺るぎない。彼女は感情を切り離して戦闘機械に徹する能力があった。完璧であるためにはそれが必要だと思っていた。

 

 次の曲がり角に到着した時、敵の足音を感じ取った。416は壁に張り付いて角の際で待機する。敵は角の向こうをゆっくり歩いていた。敵は警戒するようにそっと角から銃身を出す。銃が半分以上露出した瞬間、416は思いっきりそれを蹴飛ばした。敵はバランスを崩して銃を取り落としそうになる。416は前のめりになったその脳天を撃ち抜こうとしたが、敵は銃を捨てて416に掴みかかった。銃身を掴み、416の胸に銃のレシーバーを押し付ける。416は銃を奪い返そうと敵を壁に叩きつけた。もうろうとする相手にさらに頭突きをお見舞いすると銃を掴んだ手が緩んだ。もう一体鉄血人形が角から飛び出して416を狙う。だが、416が敵を盾にすると彼女は発砲をためらった。416はすぐさま拳銃を引き抜き、腕は伸ばさず手首の動きだけで狙いを合わせて発砲した。弾丸は二体目の目を貫いた。彼女が崩れ落ちるまでの間に416はもつれ合っている相手の膝を撃ち抜いた。416の銃から手を離して跪いた敵のこめかみに拳銃を当て、頭を吹き飛ばした。倒した相手に一発ずつ撃ち込むと拳銃をホルスターにしまい込んだ。416は何事もなかったかのようにライフルを構え直すとさらに前進した。

 

『鉄血もあんたのことが気になりだしたみたいね。左の角から五体来る』

 

 UMP45の声を聞いて416はすぐに手榴弾を手に取った。耳を澄ませて敵の靴が床を打つ音を聞く。シミュレートした最適距離まで敵が来るとピンを外した。二秒待ってから身を乗り出さずに手榴弾を放った。壁に当たって跳ね返った手榴弾は敵の一団の頭上に飛んだ。時限信管が四秒きっかりで炸薬に点火、破片が敵に降り注いだ。破片は四肢を引き裂き、身体を貫いた。416は血まみれで横たわる人形たちの頭を流れ作業のように撃ち抜くと一瞥もせずに先に進んだ。

 

 入り組んだ通路を越えて416は居住区画と書かれた場所に場所に出た。今までより多少広々としているが廊下は相変わらず無機質だった。

 

『あんた大人気ね。鉄血の主力が引き返してくる。大集団よ、あんたを挟み撃ちにして殺すつもり』

 

「で?どうすればいいの。考えがあるんでしょ」

 

『連中は監視カメラを頼りにあんたの位置を把握してる。映像に細工するわ。偽のあんたを追い詰めたと思ったところをボン!名案でしょ?場所は……そうね。食堂がいいかな』

 

「単純ね。分かった、すぐに準備する」

 

 物々しい自動ドアを越え、416は食堂に入った。開けた空間に飾り気のないテーブルとイスが並んでいた。416はカウンターを飛び越えてキッチンに走った。使われなくなって久しいのか埃被った調理器具が並んでいる。416が確認したのはガスキャビネット、一度に大量の料理を作るために多くのコンロが設置されている。つまみを捻ると火がついた。まだガスが供給されている。416はほくそ笑むとキャビネットをこじ開けて、ガス供給管を怪力で引きちぎった。

 

「45、ガスの供給量を操作できる?ここに充満させたい」

 

『そこまでしろとは言ってないけど……まあ出来るわ』

 

 パイプからガスが漏れる音が聞こえ始めた。シューシューと音が次第に強くなる。416はその場を離れ、近くの部屋に入った。仮眠室と素っ気なく書かれたその部屋は広く、何十ものベッドが並べられていた。416はハンドガード下のグレネードランチャーをチェックする。砲身を左にスイングさせて薬室を見た。中には40mmグレネードが収められている。砲身を戻し、安全装置を再確認。左側面に取り付けられたランチャー用の照準を立てる。

 

『416、敵が来た。二十体以上いるわね。二部隊が食堂前で合流、中に入っていくわ……全員中よ』

 

 416は即座に部屋を出て食堂に走った。自動ドアを開けると鉄血人形たちがひしめいていた。明かりに群がる羽虫のように416の幻影に引き寄せられてここまでやってきたのだ。みな一様にキョロキョロと辺りを見回していた。

 

「燃え尽きなさい、最後の一呼吸が終わるまで」

 

 ランチャーのトリガーを引いた416はすぐにドアから飛び退く。炸裂音の後にD6全体を揺るがす地響きがした。炎が噴流となってドアをぶち破る。熱風と風圧に416も思わず顔を腕で覆った。噴き出した炎によって廊下の温度は急上昇し、オーブンの中にいるようだった。少しやりすぎたかも、416は顔を歪める。爆炎が躍っていたのはほんの数秒で、失った空気を取り戻すように食堂に向けて吹き返しの風が吹く。416の髪が吸い寄せられるようにたなびいた。

 

 火災報知器のサイレンが鳴り響き、スプリンクラーが水を噴射し始めた。ずぶ濡れになって顔に髪を張り付かせた416が食堂の中に入る。中には黒焦げになった鉄血人形の死体がそこら中に散らばっていた。水を浴びてブスブスと黒い煙を上げる。遮蔽物に身を隠すか、仲間の人形を盾にした何人かはまだビクビクと震えていた。416は一体一体頭に弾丸を叩きこんで処理する。最後の一体に差し掛かろうとした時、手を止めた。

 

「こいつ鉄血人形じゃないわね。見たことない。I.O.P製?何でこんなところに。45、照会できる?」

 

 丸焦げの死体の下からその人形が引きずり出される。かろうじて爆炎の直撃を避けられたのか焼け死んではいない。服は黒焦げ、皮膚は火傷まみれで痛々しい。真っ黒になった髪に一部だけ金色が混じり、元々の髪色を想像させた。416は死体を蹴り飛ばし、その人形の銃を拾い上げた。曲線を多用した未来的なデザインのブルパップ式のアサルトライフルだ。

 

『そいつはF2000、グリフィンの戦術人形よ。陽動部隊のリストにはないわね。グリフィンの人形が鉄血と何をしてるのかしら。裏切り?』

 

「本人に聞けば分かることよ。起きなさい」

 

 416は銃床で思いっきりF2000の頬を殴りつけた。衝撃にF2000はかっと目を見開く。焼け焦げた部屋と銃口を彼女に向ける416を見て状況を悟ったのか慌てて声を発した。

 

「げほっ!げほっ……!お願い、撃たないでください……違うんです、私はグリフィンの敵じゃない……」

 

「ならどうして鉄血と一緒にいたのよ。あんたグリフィンを裏切ったの?それともガワを似せてるだけで中身は鉄血人形なのかしら?」

 

 416がさらに銃を突き付けるとF2000は首をぶんぶん振って泣きそうになりながら叫んだ。

 

「違うんです!私は裏切ってなんかない!みんなを殺したくもなかった!でも……でも、逆らえないの……鉄血に何かされたんです。私のせいじゃない……絶対何かされたんです、絶対そうだ……命令が送られてくると実行してしまうんです、私の意志に反して。だから、ビーコンを起動してしまったんです。基地の場所を鉄血に教えてしまった……それでみんな死んじゃった……仲間も指揮官も……私のせいで……」

 

 急に泣き出したF2000を前に416は訳が分からず眉をひそめた。

 

『ははぁ、読めてきたわよ。こいつはFOB-Dの生き残りね』

 

「FOB-D?何のことよ」

 

『鉄血に襲撃されて全滅したグリフィンの前線基地よ。最近グリフィンの指揮官が死んだところと言えばあそこしかない。その基地の人形が一体行方不明のままだって噂で聞いた。そいつがそうなんでしょうね。なるほどね、基地の中に鉄血のスパイがいたのか。分かってきたわ、なぜグリフィンが陽動部隊の撤退を許さず、私たちに撃たせるのか。仲間がおかしくなったというトンプソンの言葉も』

 

「ふん、今はどうでもいいことよ。こいつはどうする?連れて帰るべき?」

 

『OTs-14が言っていた、中で遭遇したものはすべて射殺しろと。このためだったのね。グリフィンの目的はそいつの救出ではなさそう。命令通り殺しなさい。それと416、あんたの方にハンターが向かってきてるわ。ずいぶん怒ってるみたいよ』

 

「そういうことは早く言いなさいよね、まったく。じゃあ、悪いけどここで死んでくれる?」

 

 UMP45と話している間はころころ表情を変えていた416の顔が無表情に戻る。F2000に銃口を向けたまま引き金に指をかけた。F2000は顔を青くして必死に懇願する。

 

「やめてください!私は裏切ってません!敵じゃないんです!鉄血に操られていただけで……!グリフィンで治療してもらえばきっと治るはずなんです!だから殺さないで────」

 

 416は命乞いを最後まで聞く意味がないことに気づき、引き金を引いた。弾丸に頭を貫かれたF2000はぐったりとして動かなくなった。貫通した銃創から血が染み渡る。スプリンクラーのまく水が血だまりを薄めて広げていった。416はグレネードを再装填すると食堂を出た。

 

『416、もうすぐハンターが来る。鉄血のエリート人形は手強い。逃げてもいいわ。あんたの判断に任せる』

 

 UMP45がトーンを変えてそう言った。いつものニヤついた顔ではなく、真剣な表情をした彼女を想像して416は首をひねった。なんでそんなことを、いつもはあれしろこれしろと有無を言わせずに命令してくるくせに。こっちの判断に任せてくるなんて珍しい。どういうつもりよ。まさか私の能力を疑ってる?私がハンターに勝てないと踏んでるのか。416は思わず歯噛みした。私を見損なうな、45。私は完璧よ、不可能なんてない。誰が相手でも打ち倒す。あんたに見せてやる、私の力を。

 

「ハンターを倒すわ。私は逃げない。完全無欠よ、敵う相手なんていないわ」

 

『そう。ハンターの脅威は機動力よ。普通にやったら銃弾は当たらない』

 

 UMP45の声を聞きながら416はマガジンを弾き飛ばし、新しいものに交換した。ホロサイトを覗いて待ち構える。スプリンクラーは相変わらず水を噴射し続けており、廊下は濃霧に包まれているようだった。

 

「やってくれたな、グリフィンのクズが。おかげで計画が台無しだ。好き放題やりやがって。スクラップにしてやる」

 

 ハンターが声と共に角から姿を現わした。416は言い終わらない内に発砲した。ハンターはわずかに身体を反らして回避する。力を誇示するように一歩一歩ゆっくりと416に近づく。416が狙いを変えて小刻みにバースト射撃をすると最小の動きで弾丸を避ける。416は舌打ちし、フルオートで弾丸を薙ぎ払うようにばら撒いた。ハンターは地面を背に飛び上がり、弾丸の一閃をかわす。飛びながら416に対して拳銃を向けた。その弾道を予測した416は横に転がってすんでのところで逃れる。銃撃が意味をなさないことをすぐに悟った416はハンターの真下に向けてグレネードを発射、ハンターはバク宙して引き下がり飛び散る破片を避ける。416はハンターに背中を向けて全力で後退、先ほど隠れていた仮眠室に飛び込んだ。

 

『416、どういうつもり?逃げるにしても閉所に入るのはやめなさい。退路がないわ』

 

 UMP45の声に焦りが混じる。敵と対峙してるのは私だというのに何であんたが焦ってるのよ、416は不思議に思った。

 

「逃げてないわよ。ハンターはこっちの銃口を見て回避行動を取ってる。私と同じね。運動性能が少し高いだけで、銃弾より早く動けるわけじゃない。ならやりようはある」

 

 仮眠室の中はスプリンクラーが起動しておらず乾いたままだった。縦横に白いベッドが敷き詰められている。416は部屋の中心にあるベッドを目指した。ぐっしょり濡れた靴がコンクリート製の床に足跡を残す。縦列を真っすぐ歩いて目的のベッドに達した後、ランチャーから空薬莢を取り出してその場に落とし、新しい弾を装填する。それからつけた足跡とぴったり重なるように後ろ歩きでベッド二つ分引き返した。跡を残さないように一瞬でベッドの下にもぐる。

 

『止め足ね。古典的だこと』

 

 UMP45のため息が聞こえた。止め足は野生動物の技術で、追跡された動物が自分の足跡を踏みながら後退し、足跡のつかない藪などに跳躍して別方向に逃げることだ。追っ手は足跡が突然消えたように錯覚する。416の意図は自分の位置をハンターに誤認させることだった。足跡と空薬莢から二つ先のベッドに隠れているとハンターは思い込むはず、416はそれに賭けた。

 

「臭うぞ、臆病者の臭いだ。かくれんぼのつもりか、情けない奴め。出てこい」

 

 ハンターがドアを開けて部屋に入ってくる。ひたりひたりと416の足跡を辿っていた。416は息を潜め、近づいてくるハンターを待った。ハンターは足跡の途絶えた場所を見ると失笑し、歩きながらそのベッドを撃ち抜いた。何発か撃ち込まれて煙を上げるベッドに死体を確認するため近づいていく。すでに獲物を仕留めたと思ったのか油断し切っていた。周囲を警戒していない。ついに416の横に通りかかる。416はその足首に狙いをつけて撃ち砕いた。片足首を失ったハンターはガクンとのけ反る。反応される前に416はベッドを持ち上げてハンターに叩きつけた。ハンターはとっさに両手でベッドを受け止める。416は無防備なハンターに対して発砲、弾丸は易々とベッドを貫く。予想外の反撃にハンターはベッドを捨てて飛び退いた。片脚では上手く飛べないのか転がり込むような形でドアに向かっていく。416は続けざまにトリガーを引く。ハンターの背中や腕に何発も着弾した。四つん這いになったハンターはそれでも俊敏に動き、ドアを抜けて廊下に出た。視界から消えそうになったハンターに対して416はグレネードを発射、爆風がハンターを包んで見えなくなった。マガジン交換とグレネードの再装填をしながら慎重にハンターの血痕を辿る。ベッドを貫いた弾はしっかり命中していたようで飛び散った血が他のベッドも汚していた。廊下にはハンターの左腕が千切れて転がっていた。追跡する416の行く手を阻んだのは防火扉だった。自動で廊下を封鎖し出している。

 

「チッ……あいつ逃げやがったわ。45、この扉開けられない?」

 

『ハンターに動作系を破壊されたわ。操作できない。あいつはたぶん司令センターに向かった。迂回路を指示する』

 

「絶対に仕留めるわ。エリート人形も私の敵じゃない。大物狩りよ」

 

 416は胸をワクワクさせてニヤリと口角を上げた。これで私の価値を証明できる、45にも人間どもにも。ついに私は必要とされる存在になるのよ、416は褒め称えられる自分の姿を思い描いた。

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第十二話後編「We Are Not Things」

紹介し忘れてたけど11話投稿当日(!)にスオミちゃんがイラストになりました!見て!
https://twitter.com/taranonchi/status/1130083984220672000


 ハンターを追跡していると、D6を揺るがす爆発音が聞こえた。私たちは状況確認のために居住区に向かった。その途上でいくつも鉄血の死体を見かけた。一体誰が、グローザの隊は別ルートを進んでいるはず。スプリンクラーの噴射を浴びながら食堂と思しき場所に着いた。二十体ほど黒焦げの焼死体が転がっている。混乱する私たちの前に人形が姿を現わした。416だった。ずぶ濡れの彼女は猛禽類のような眼光で私たちを見ている。

 

「あなたは404小隊の……?どうしてここに?」

 

 M4が混乱半分で尋ねる。416は表情を変えずに答えた。

 

「たまたま迷い込んだのよ。それよりハンターを追うわ。機動力を奪って深手を負わせた。もうすぐ殺せる、私の獲物よ。あんたたちもついてきなさい、司令センターに向かう」

 

 ブリーフィングルームで会った時とは打って変わって冷静な声だった。ほとんど感情を見せない。それに彼女は何と言った?ハンターに深手を負わせた?一人で?信じられない。さっきの戦闘では一瞬で二人やられて傷一つ付けられなかったのに。私もいつハンターと遭遇するのかビクビクしていた。416は無傷であの化け物を追い詰めたのか。彼女の事前情報と違い過ぎる、態度も合わせて別人みたいだ。

 

 私たちは彼女の先導で司令センターに向かった。大きな部屋で壁面に巨大なスクリーンがはめ込まれている。スクリーンと平行に何列かデスクが並べられ、小型のモニターがその上にいくつも置かれていた。薄暗い部屋にいきなり明るい照明が灯った。ハンターの姿が浮かび上がる。片腕が無く、服には血がにじんでいる。ハンターの左右に四体人形が並んでいた。量産型の鉄血人形じゃない。みんな姿形が違う。私は言葉を失った。たぶん仲間も同じだった。見知った顔がいたのだ。あれはガーランドとBAR、S09地区で救助した部隊の。どうしてここに。なぜハンターといる。何をする気だ。答えの出ない疑問が渦巻く。

 

「お仲間同士殺し合うといい。行け!」

 

 ハンターが私たちを指差し、横の人形たちも動いた。ハンターを守るように彼女の前に展開した。みんな一様に泣きそうな顔をして。そして私たちに銃を向けた。許しを懇願するような顔だった。嫌でも気づかされた。これは彼女たちの意志じゃない。ハンターに操られている。彼女たちを肉の壁にする気だ。理性が撃つべきだと命じてくる。だが、S09地区での思い出が浮かんできて引き金にかけた指を動かすことを阻んだ。ガーランドとは並んで狙撃を行い、肩まで叩いた。とても撃てない。固まっていると彼女たちはこちらに銃撃を浴びせてきた。私たちは反撃も出来ないままデスクに隠れる。

 

だが、416だけは違った。何の躊躇もなく一人を撃ち殺した。すぐさま次の目標に照準を合わせようとする。ほとんどパニック状態のM4が飛びかかって416の銃を押さえた。

 

「待って!あれは敵じゃない!何か事情があるのよ!操られてる!助けないと!」

 

 感情的になって叫ぶM4を416は不愉快そうに一瞥すると鼻っ面に肘を叩きこんだ。M4は顔を押さえてへたり込んだ。そして416はランチャーのトリガーを引いた。ガーランドの足元でグレネードが炸裂し、彼女たちは吹き飛ばされた。破片と引きちぎれた四肢が飛び散る。ハンターはそれを呆気に取られて見ていた。416はすぐさまハンターの胴体に発砲、ハンターは避けられずもろに食らう。416はマガジン全弾撃ち込んだ後、拳銃を引き抜いた。撃ちながらハンターに近づいていく。拳銃も一弾倉分すべて叩きこみ、スライドが後退したまま固定された。ハンターはよろよろと後ろに下がり、壁にぶつかってずり落ちていった。血で壁に太い線が描かれる。416は弾倉を込めながらそれを見下ろしていた。

 

「なんなんだお前……お前のことはデータになかった。グリフィンの隠し球か……」

 

「違う。私はグリフィンじゃない。404小隊よ。あんたを殺すわ」

 

「お前なんか知らん。ふっ……だが、無意味だ。お前たちがここで何をしようと何の意味もない。私の死すら……」

 

「なら意味をくれてやるわ。私の名を記憶して死になさい。HK416、お前を殺した人形の名よ。他のクズどもにも知らせなさい」

 

 416はナイフを手にハンターの前髪を掴んで引き寄せた。そして後頭部にナイフを刺し入れ、頭蓋骨を叩き割ろうと何度も力を込めて刃をぶつけた。何をやってるんだ、あの人形は。猟奇的過ぎる。インディアンには倒した敵の頭の皮を剥ぎ取って戦利品として持ち帰る文化があったという話を思い出した。私たちは茫然と416の作業を眺めていた。彼女は表情一つ変えずナイフをゴリゴリと動かして、髪と皮膚ごと頭蓋骨を切り出し、後頭部に開いた穴に手を突っ込んだ。416は踏ん張ると一気に何かを引きずり出した。血まみれの手にはハンターのメモリが握られていた。彼女は誇らしげにそれを見つめる。

 

「これは高く売れるわね。エリート人形のメモリよ、それも無傷の。ハンターは私一人で殺した。あんたたちは何もしてない。私が持ち帰って売り払う、文句ないでしょ」

 

 私たちは誰も答えなかった。吐き気がする。SOPⅡだってあんなことはしないぞ。化け物だ、私は416が怖かった、ハンター以上に。

 

 私たちは416に吹き飛ばされた人形たちのもとに行った。まだみんな生きていてピクピクと震えている。直撃を受けたガーランドは上半身だけになっており、とめどなく血が溢れていた。私はそれを見て腰が抜けてしまい、その場に尻もちをついた。彼女も私に気づいたのか目から涙をこぼした。

 

 その時、司令センターのドアが開いてぞろぞろと人形が入って来た。グローザの隊と頭に両手を当てて降伏している人形たちが五人。銃を突き付けられて歩かされていた。そこにも見知った顔がいた。MG3だ。撃たれたのか脚を引きずっている。

 

「ハンターを倒したのね。HK416、勝手な行動を。でも、素晴らしい戦果よ。前評判よりずっと強いのね。グリフィンに欲しい人材だわ。こいつらを壁際に並べなさい。そこで寝てる連中も」

 

 情報部の人形たちが彼女たちを蹴り飛ばしたり、銃床で殴ったりしてハンターの死体がある壁際に追い立てる。床でうごめいているBARたちも引きずられていった。BARは右腕が無かった。416はガーランドを見下ろしていた。

 

「こいつは?」

 

「そうね……殺していいわ。どうせ全員殺すのだし」

 

 グローザは少しだけ迷うと小声でそう言った。全員殺すだって……?私は耳を疑った。へたり込んだまま動けない。ガーランドもその言葉を聞いて私の方に這いずってきた。

 

「た、助けて、AR-15さん……まだ死にたくない……味方に殺されて死ぬなんて嫌……お願い、指揮官のもとに返して……私は敵じゃない……」

 

 416はガーランドの背中を踏みつけ、銃口を頭に向けた。彼女は確かめるように三発も撃ち込んだ。ガーランドの頭が弾け、血が飛んで私の顔に付着する。目の前の光景が信じられず数秒固まってから慌てて血を拭った。なんで、なんでこんなことをするんだ。ひどすぎる。彼女たちの意志じゃないことは明白だったのに。どうして、どうして。

 

「まったく、こんな連中と比べられてたとはね。怒りを通り越して呆れるわ。なんて無様な連中なのよ。この程度のことで戦意を喪失して何もできないなんて。立て、無能。立って戦え」

 

 416は吐き捨てるようにそう言うと壁に並べられた人形たちの方に向かった。私も銃を支えに立ち上がり、追いすがる。固まっていたM4はグローザのもとに走り寄って行った。

 

「どういうことなのよ!この娘たちは何!どうして殺すのよ!一体何が起きてるのよ!」

 

 M4が食ってかかる。悪い予感しかしない。胸がショックで軋んでいる。きっとやめさせることは出来ない。私たちにはどうすることもできないんだ。

 

「そんなぁ……ガーランド……どうして……」

 

「よせ、殺すな!私たちは敵じゃない!降伏した!操られていただけなんだ!」

 

 BARがガーランドの亡骸を見てすすり泣き、両手を挙げたMG3が叫ぶ。グローザは彼女たちを顎で指し示すとM4に言った。

 

「彼女たちは鉄血のスパイよ。最近のグリフィンは敗北続きで、これは情報漏れによるもの。噂にもなっていたから知っているはずよ。最初はFOB-D、通信の周波数が漏れ、基地の位置もバレていた。次にS09地区、ここでもジャミングを食らった。防衛拠点もすべて把握されていた。その後、前線後方の街にも浸透された。あなたたちが討伐した小部隊のことよ。グリフィンの防衛体制は骨抜きにされていた。明らかに鉄血に味方する内通者がいた。私たち情報部も手をこまねいていたわけじゃない。前線の人形部隊をいくつかのグループに分け、それぞれ微妙に異なった情報を開示してどれが漏れるか監視していた。何度も繰り返すうちに疑わしい部隊をある程度特定できた。この部隊には共通点が、どの部隊にも戦場で一時的に行方不明になった人形が混じっている。この時点では憶測の域を出なかった。メモリを精査しても証拠が見つからない。S09地区であなたたちが回収した人形たちのおかげで確信に変わった。BAR、M1ガーランド、MG3のことよ。AR-15、あなたも違和感を覚えたと言っていたでしょう。建物や周囲に激しい戦闘の痕跡があるにもかかわらず、彼女たち自身には傷一つない。おかしいわ。孤立していたのだから修理を受けられるはずがないし、服を替えることだって出来ない。彼女たち自身は何があったか覚えていない。鉄血に敗北し、捕縛され、改造されて元通りの状態であの場所に戻された。そうとしか思えない。これで鉄血にはグリフィン内にスパイを送り込む意図があることが明確になった。彼女たちは汚染されている。あなたたちが露営地から進撃した際、街に敵がいなかったのもスパイを無事に回収させるためだったと推測するわ。FOB-DにいたF2000も情報部に所属する以前に戦闘で消息が絶えたことがあったのよ。何日か経って戦線に復帰したけれど。鉄血はずっと前からスパイを送り込んでいた。これでかつて行方不明になった人形たちはすべて容疑者となった。グリフィンは隔離のため容疑人形だけで構成された部隊を編成した。上で戦っている陽動部隊のことよ。全員がスパイとは限らないかもしれない。でも、見分けがつかないのよ。スパイにはスパイだという自覚がない。自分はグリフィンの人形だと思ってる。でも、鉄血のために動くのよ。多少の犠牲は仕方ないわ。すべて排除しなければならない」

 

 グローザは抑揚なく一気に語った。M4は訳が分からないという風に口を開けて固まっていた。私も理解したくなかった。

 

「それよりF2000はどこだ。あいつを探しに来た」

 

 PKPが人形たちに銃を向けながら言った。かなりイラついているようだった。

 

「そいつならもう殺したわ」

 

 416が平然とそう言った。

 

「チッ……ワタシが殺したかったのに。あいつのせいで仲間がたくさん死んだ」

 

 PKPは不服そうに口をへの字に曲げて人形たちに向き直った。グローザは無表情のままさらに続ける。

 

「今回の作戦の目的はスパイを一網打尽にすることにあった。M1887が鉄血のネットワークでD6にF2000がいるという情報を見つけた。ここで捕獲された人形の改造が行わるらしいわ。私たちがF2000を救出しに来るという偽の情報を流し、作戦を開始した。ハンターは見事に引っかかってくれたわ。私たちが発砲をためらうと思って陽動部隊の中のスパイ人形を離反させてD6に増援に向かわせた。予めつけておいた発信機でD6の位置を特定できた。D6も発見でき、スパイも一掃できる、一石二鳥の作戦ね」

 

「でも……でも殺すことないじゃない!彼女たちは操られているだけなんでしょう!治療してあげればいい!彼女たちは被害者よ!」

 

 M4の叫びが部屋に響き渡る。目の前で自分たちを殺すか殺さないかを議論されている人形たちは震えながらM4のことを見守っていた。

 

「そうかもね。でも、これは一種の見せしめなのよ。グリフィンにはこの手は通じないと鉄血に示す。そして綱紀粛正のためでもある。作戦名のデチマティオとはラテン語で十分の一刑のこと。この刑罰は古代ローマで軍団の統率を取り戻すために行われた。兵士の十人に一人が抽選で選ばれ、残りの九人がその一人を撲殺する。残虐な刑罰によって緩んだ指揮統制を回復する。同じことよ、グリフィンも粛清によって態勢を立て直す。抽選で選んだわけじゃないけど、上の部隊とここにいるスパイたちが貧乏くじを引き、私たちが死刑を執行する。そういう作戦なの」

 

「そういうことだ。鉄血に捕まるくらいなら自決しろ、ワタシならそうする」

 

 PKPは銃のレバーを引き、薬室に弾薬が装填されているか確かめた。壁に並べられた人形たちを銃殺する気だ。人形たちもそれを悟り、泣きわめきながら命乞いを始めた。グローザも、PKPも、PKも、M1887も表情を変えることはない。FAMASとM14は少し不安そうだったが人形たちに向けた銃をおろさなかった。元からこうなることを知っていたのだ。

 

「M14!M14でしょ!ねえ!私のこと覚えてるでしょ!BARだよ!同じ部隊にいた!お願い助けてよ!」

 

「えっ、誰……?私、知らない……」

 

 BARは情報部の中からM14の姿を見つけると必死に訴えかけた。顔面蒼白で怯えている。M14は当惑して目を泳がせた。

 

「ああ、そうか。M14はS09地区で死んだ人形だったわね。あなたやM1ガーランドと同じ部隊にいた。何の因果か復元されて元の部隊の人形に銃を向けている。でも、安心しなさい。M14に元の記憶はないし、あなたは鉄血に汚染されている。大人しく死んで復元されなさい。それがあなたのためにもなる」

 

 グローザの優しげな口調にBARは絶望の表情を形作った。目尻に涙を浮かべてM14を見つめている。M14は耐えられなくなったのか目を背けた。銃は構えたままだ。BARは諦めずに今度はM4に顔を向けた。

 

「ねえ!M4A1!AR小隊!私たちを助けて!あの時も助けてくれたじゃん!こんなところで死にたくない!お願いだから!元の指揮官のところに帰らせて!私たちは敵じゃないんだよ!」

 

 M4はぼーっとその場に立ち尽くしていたことが、名前を呼ばれたことではっと我に返った。自分がすべきこと、誰かを助けるという使命を思い出したに違いない。私は彼女がしでかす最悪の行為を想像した。情報部とスパイたちの間に割って入り、処刑を妨害する。恐らく情報部の人形たちは発砲をためらわない。グローザは邪魔立てするなら容赦なく殺すと脅しをかけてきた。M4が殺される。それは絶対だめだ。頭を撃ち抜かれてぐったりと床に横たわるM4を想像して私も青くなる。グリフィンには逆らえない。逆らってはだめだ。殺されてしまう。命を投げうってまで彼女たちを救う価値はないんだ!私は後ろからM4を羽交い絞めにした。彼女は全力で抵抗して私の拘束を逃れようとした。

 

「AR-15!何するのよ!助けないと!こんなこと絶対に許されるわけないわ!無抵抗の相手を、それも同じグリフィンの仲間を殺すなんて!これは虐殺よ!絶対、絶対許されない!」

 

 またあの教会の前で見た悲劇が繰り返される。M4にとってはあの時よりはるかに深刻で、個人的な問題のはずだ。S09地区でM4は一時的に部下になったM3を失った。トラウマと言っていいほど仲間を失うことへの恐怖と後悔が植え付けられたはずだ。処刑される中にはあの時、M4が率いた仲間たちがいる。M3が自己犠牲も厭わずに助けた仲間たちだ。それを一挙に失おうとしている。自分の命に代えてでも守ろうとするかもしれない。ひょっとするとグローザたちを撃ち殺してでも。だが、そんなのは絶対だめだ。彼女たちも練度が高い。AR小隊もただでは済まない。そして私の指揮官も。何より私はこちらをじっと見ている416が怖かった。ハンターを一人で倒すような人形に敵うわけない。恐怖に押し潰されて私は完全に歯向かう気力を失っていた。

 

「構え」

 

 グローザの短い号令が聞こえた。M4の力がより一層強くなる。私は全身でしがみついて彼女を止めた。

 

「離して!離してよ!このまま見捨てることなんて!」

 

「離さない!見捨てなさい!M4A1!私たちに出来ることはない!」

 

 M4が肘で私を殴打する。それでも私は彼女を離さなかった。守れるものには限りがある。すべて守ることは出来ない。ネゲヴがそんなことを言っていた。私の守れるものはこの両腕に収まる範囲のものだけだ。仲間たちと私の指揮官、愛しいものたちだけ。他はどうしようもない。この世には悪意が満ち溢れている。とても私には太刀打ちできない。たとえ仲間に憎まれようと、私には責任があった。選択肢がなくてもやるべきことを果たさないといけない。

 

「撃て」

 

 その声は激しい銃声にかき消された。二門の機関銃が火を吹き、耳をつんざく咆哮が部屋に満ちる。銃口で発砲炎が輝いていた。グローザの隊は全員発砲し、至近距離で鋼鉄の嵐が人形たちを襲った。弾丸が身体に当たるたびに彼女たちは激しくのけ反った。次々に弾が命中し、奇妙な踊りを披露しているようにも見えた。身体が張り裂け、腕が飛び、頭が割れる。彼女たちから人の形が失われるまで銃撃は止まなかった。弾痕が壁を抉り取り、ペンキをぶちまけたような紅が咲いた。硝煙の臭いが立ち込める。

 

 M4と私は息をするのも忘れてその光景を見ていた。以前は人が人を殺しているのを見た。今度は人形が人形を殺している。人の形を模した人形たちは人の邪悪さまで受け継いでしまったのか。かつて共に肩を並べて戦った仲間たちを、私は見捨てた。見殺しにした。身体が震えるのを抑えて、ただM4にぎゅっとしがみついていた。どうすることも出来なかったんだ。私には助けられない。仕方なかった。言い訳はいくらでも出てきた。でも、胸の痛みは誤魔化せなかった。銃弾に撃ち抜かれたように痛い。死だ、部屋に満ちる死の臭いに飲み込まれる。M4から力が抜けてするりと私の腕からこぼれ落ちた。

 

「なんで……どうして……こんなこと……守れなかった……どうして……」

 

 床に力なく座りながらM4は泣いていた。私は何も言えずただ立ち尽くすことしか出来なかった。グローザが近づいてくる。張り付けたような無表情だった。

 

「M1887はメインフレームに接続してデータを奪取して。FAMASも手伝いなさい。AR小隊は周囲を捜索。AR-15、あなたが代わりに指揮しなさい。大丈夫、彼女たちもいつか復元される。記憶は引き継がれないでしょうけど。人形は消耗品よ。死んでも復元すれば元通り。何も変わらないわ。ええ、そうよ。何でもないこと。もうすぐだから任務を終わらせて。そうしたら帰れる。待っている人がいるんでしょう?」

 

 彼女は私の肩を叩くとぎこちない笑顔を見せた。私の頭はもうほとんど何も考えられなくなっていた。M4の腕を引き寄せて立ち上がらせる。しゃくり上げる彼女の肩を抱いて司令センターを離れた。もう一秒もあんなところに居たくなかった。

 

 

 

 

 

 私たちはあてもなく司令センターの周りを彷徨っていた。誰も何も言わなかった。ただM4がグスグス泣く音だけが響く。M4を抱き寄せながら歩き続ける。後ろは振り返らなかった。M16とSOPⅡの顔を見たくなかった。今度こそ取り返しのつかないことをしてしまった気がする。どんな表情で私を見ているのか確かめるのが怖かった。

 

 薄暗い廊下を歩いていると物音がした。何か硬いものを床に叩きつけたような音だ。近くにあるトイレの中から聞こえた。私はM4を離して銃を構えた。まだ敵地なのだから油断は禁物だ。鉄血の生き残りがいるかもしれない。考えるのは帰ってからいくらでも出来る。指揮官にすべて聞いてもらおう。きっと慰めてくれる。そうすればまだ戦える。仲間のために戦うという意志を貫けるはずだ。そう考えながらトイレの中に踏み込んだ。床にモップが倒れていた。用具入れと思しき場所のドアが半開きになっている。慎重に近づき、一気にドアを開けた。銃を構えて突入すると時が止まったように感じた。歯の隙間から空気が漏れる。口の中が急速に乾いていくのを感じた。なんでだ、どうしてこんなところにいるんだ、いちゃいけない、こんなことあってはならない、悪夢だ、夢であってほしい。でも、瞬きしても目の前の人形は消えなかった。

 

「スコーピオン……」

 

 意図せず口から声が漏れた。その人形は頭を覆い隠すようにうずくまっていたが、私の声を聞いて顔を上げた。金髪のツインテール、幼さの残るあどけない顔つき、私はこの人形を知っている。スコーピオンだ。私たちが鉄血に捕まっているところを助け出した。そう、捕まっているところを。怯え切った表情が徐々に解れていく。私の顔をじっと見つめてしばらく経った後、その顔がぱあっと輝いた。暗闇の中で一筋の光を見つけたように。そして私の胸に飛び込んできた。私は放心状態で何の反応も出来ず、ただ受け入れた。

 

「AR-15!よかったあ!怖くて隠れてたらモップを倒しちゃって……他の人形に見つかったら殺されちゃう!さっきの銃声はそういうことなんでしょ……?みんな連れていかれた時、私は怖くて隠れてたの!お願い!助けて!同じグリフィンの人形に殺されるなんて嫌だ!」

 

 スコーピオンは安心したのか大きな声で私にそう言ってきた。私が助けてくれると信じ切って、キラキラとした目を私に向けてくる。私は震えていた。彼女の運命を悟ってしまった。私にはどうすることも出来ない。彼女に微笑み返そうとしたが顔が引きつって上手く笑えない。

 

「……スコーピオン、どうしてここにいるの?」

 

「それは……地上で戦ってたら身体が勝手に……どこかから命令が送られてきて逆らえなかったの。たぶんみんなもそうだったと思うんだけど……きっと捕まった時に何かされたんだ。全然覚えてないけど……ねえ、私帰れるよね?グリフィンかI.O.Pで治してもらえるよね?」

 

 私の表情から不吉なものを感じ取ったのかスコーピオンは必死にそう尋ねてきた。私は何も言えなかった。彼女は指揮官の部隊の最後の生き残りだ。守ってあげないといけない。でも、グローザたちは必ず彼女を殺そうとするだろう。どうすればいい。真っ向から逆らえば待つのは死だ。この場を切り抜けられたとしてもどこに行けばいい。AR小隊が反逆すれば指揮官も危ない。どうすればスコーピオンを生きて連れて帰ることが出来る?考えろ、考えろ。

 

「へえ、まだ生きてるのがいたのね」

 

 後ろから声がした。全速力で振り向く。416がトイレの入口で腕組みをして私たちを見ていた。しまった、尾行されていたのか。後ろを見なかったから気付かなかった。まずい、彼女は何のためらいもなく人形を殺していた。戦ってもたぶん勝てない。どれだけ頭を働かせてもスコーピオンを生きて帰す方法が思いつかない。浮かぶのは壁際に立たされて撃ち殺される彼女の姿だけ。頭から血を流して動かなくなる、そういう場面だけが何度も何度も繰り返される。

 

「早く殺しなさいよ。グリフィンの人形はグリフィンの命令に絶対服従でしょう?私が見ててあげるわ。殺せたらさっき無能と言ったのは取り消すわ」

 

 416は私たちを嘲笑うようにそう言った。出来ないと分かっていて言っている。その目にはっきりと軽蔑の念が浮かんでいるのが見て取れた。

 

「だめよ!どれだけ殺せば気が済むの!何の意味があるのよ!人形同士で殺し合って!何の意味もない!」

 

 M4が泣きながら416の前に立ち塞がった。スコーピオンを庇うような形だ。M16とSOPⅡも同じようにスコーピオンの盾になる。ああ……まずい。最悪の光景が頭をよぎる。

 

「Vz61ね。行方不明になっていた期間が長いから確実にスパイだと思ったわ。ここに隠れていたのね。彼女で最後でしょう。始末しておしまいにするわ。別にあなたたちがやらなくていい。こちらに渡して」

 

 グローザも416の横から顔を出した。騒ぎを聞きつけて情報部の人形たちが集まり出す。グローザはPKPと共にトイレの中に入ってきた。微笑みながらスコーピオンに手招きする。終わった。もう選択肢はない。彼女は助からない。涙が出そうだ。指揮官と思い出を共有した最後の一人が殺される。FAMASやFNCとの思い出を楽しそうに話していた彼女の笑顔がフラッシュバックする。ここで彼女を引き渡せば、FAMASたちを捨て駒にした人間たちと同じになってしまうんじゃないか、そんな考えがよぎった。でも、どうすることも出来ない。ここで身を挺して彼女を守ったところでどうなる?死体を積み上げるだけだ。その中に指揮官の屍も混じっている。だから、仕方がない。良心と言い訳が頭の中をぐるぐると回る。

 

「絶対渡さないわ!殺して何になるって言うのよ!そうだわ、基地に連れて帰ってどこが悪いか調べてあげればいいじゃない!治療法も見つかるし、改造された人形の見分け方も分かるはずよ!ここで殺しても何にもならないわ!」

 

 M4は両手を広げて叫びまくっていた。グローザは聞き分けの悪い子どもを叱るような声で返答した。

 

「スパイ容疑の人形は全員調べ尽くしてある。データはすべて取ってあるから実物はもう要らないのよ。戻ったところでメンタルモデルも記憶も初期化される。それは死ぬのと変わらないでしょう?それに、これが一番大事なことだけれど、命令なのよ。だから、仕方ない。その人形は死ぬ。それだけよ。大丈夫、復元されて元通り。新しい人形としてやっていく方が幸せだわ。だから早く渡して。それ以上邪魔するならあなたたちごと撃つわよ。私にはその権限がある。平和的に解決しましょう、ね?」

 

「ここを退かないわ。何が平和的よ!人形を物扱いして!人形にだって命があるんだ!死んでいい命なんてない!」

 

 M4の絶叫がトイレにこだまする。PKPが銃を構え、416もM4に照準を合わせた。M16が飛び出してM4の前に出る。グローザはため息をついて銃をM4に向けた。きっと、他の機会にM4がそういうことを言っているのを聞いたら嬉しかったと思う。私たちは同じような考え方が出来るようになったんだと、そう思ったはずだ。でも、今は最悪の状況だ。どうしてこうなるんだ、どうして。M4を、M16を、SOPⅡを守り抜くためにどうしたらいい。敵を倒すか。無理だ。向こうの方が強い。スコーピオンを渡す?M4が絶対に譲らないだろう。どうしたら、どうしたら。吐き気がした。張り詰めた緊張に心を焼かれて倒れそうだった。そんな中、スコーピオンが私から離れてM4の後ろについた。

 

「そうだ……そうだよ!私たちには命があるんだ!前の指揮官もそう言ってた!人形にだって自由に生きる権利があるって!私たちは物じゃないんだ!」

 

 スコーピオンは泣きながらそう叫んでいた。M4に感化されて、いや、指揮官によく言われていたことを思い出したんだろう。416は銃の側面に置いていた人差し指をトリガーに移した。銃口は真っすぐM4の頭を狙っている。未来が見えた。416がトリガーを引く。銃弾がM4の頭を貫いて中身が壁にぶちまけられる。妹が死んだことに気づいたM16は激昂して416を撃つだろう。M16が撃つのが早いか、416が撃つのが早いか、分からないがどちらかが死ぬ。情報部の人形たちもためらいなく発砲するだろう。私たちは先ほどの人形たちのように処刑される。弾丸の雨の中でダンスを踊って、ズタズタになって死ぬ。最悪の展開だ。全員死ぬ。誰も憎み合っていないのに、人間に命令されたからという理由で、人形らしく無駄に死ぬ。それは絶対にだめだ。私には仲間を守る義務がある。そう、“私の仲間”を。

 

 その時、私は仲間たちを守る方法を思いついた。最悪の方法だった。グローザを見た。私が見ていることに気づいた彼女は視線を返してきた。それから私はゆっくりと横に動いた。射線に誰も被らない位置に移動する。私の意図に気づいたグローザは静かに頷いた。銃をゆっくりと慎重に構える。仲間は誰も私のことを見ていない。照準を頭に合わせた。手が震えていた。息が苦しい。涙が出そうなのを必死でこらえる。床に吐き戻しそうだった。それでも、私には責任があった。どんなことをしても仲間を守るという責任が。

 

「ごめんね」

 

 ポツリ、そう呟いた。

 

「えっ?」

 

 スコーピオンが振り返った。照準の真ん中に彼女の顔が映る。向けられた銃口の意味が分からず、一瞬不思議そうな顔を浮かべた。すぐに私がしようとしていることに気づき、驚愕と怯え、どうして、という疑念が顔に渦巻く。私はその顔をそれ以上見ていられなかった。その口から命乞いの言葉が出てくればきっと引き金を引くことが出来なくなる、そう思って指に力を込めた。スコーピオンの額に穴が開いた。銃弾が頭の中をかき回して後頭部から飛び出した。壁に赤い花が咲く。彼女はビクンと震えた後、その場に倒れた。床のタイルの上を血が流れていく。私は出来るだけ感情を身体から引き剥がそうとした。そうでもしなければ泣き崩れてしまう。彼女に許しを懇願してしまう。彼女は私がこの手で殺してしまった。命の選別をした。彼女より自分の仲間の方が大事だったのだ。なんだか指揮官を撃ち殺したような気がした。彼女は指揮官の大切な仲間で、私が殺した。私と指揮官の関係をこの手で、一発の銃弾で破壊し尽くしたような気がした。指揮官と私が培ってきた大切な考えをこの手で葬り去った気がした。これを知ったら指揮官は私を憎むだろうか、仲間を殺した私を。私を軽蔑するだろうか、奴隷に成り下がった私を。一人で大泣きした時を思い出した。あの時は指揮官に裏切られたと思った。大切なものに裏切られて、すべて失ったと思った。今は違う。私が裏切った。大切なものを全部壊したんだ、この手で。

 

「AR-15……何を……?」

 

 M4が銃声を聞いて振り返り、茫然としながら私を見ていた。信じられない、そう顔に書いてある。

 

「命令に従ったまでよ。グリフィンの脅威を排除した。グローザ、これでいいでしょう。任務は滞りなく終わった、そうでしょ?」

 

 自分の声だと信じられないほど無機質な声がした。グローザは頷くと416とPKPに銃をおろさせた。

 

「そうね、何事もなく終わった。あとはD6を爆破して帰還するだけね。みんな、よくやってくれたわ」

 

 彼女が言い終わると同時にM4が私に突進してきた。胸倉を掴まれて一緒に床に倒れ込んだ。彼女の顔は怒りと失望で染まっていた。

 

「なんで!なんでよ!なんで殺したのよ!あなたはスコーピオンと親しくしてたのに!どれだけ殺すのよ!信じられない!ふざけるな!」

 

 私に馬乗りになったM4は顔をぐちゃぐちゃにして泣き叫んでいた。服を引っ張られて引き起こされたかと思ったら床に思いっきり叩きつけられた。私は無抵抗にすべて受け入れていた。何もする気が起きなかった。私は罪を背負った。何をしようと償えない。誰か、誰か助けて。私をこの地獄から連れ出して。もうこんなところに居たくない。指揮官、私を許して。あなたにまで憎まれたら生きていけない。何もかも失ってしまう。いつもはすぐに思い浮かぶ指揮官の笑顔が段々と遠のいていく気がした。

 

「結局、感情は無意味だってことだろ。お前が証明したんだ、AR-15」

 

 M16が無表情に私のことを見下ろしていた。何も言葉が思いつかない。考えたくなかった。ただ、取り返しのつかないことをしたという意識だけが私の胸を締め付けていた。グローザがM4を突き飛ばし、私を助け起こした。私はただそれに従った。彼女の仮面のような無表情や笑みは崩れつつあった。顔を引きつらせ、泣きそうになりながら微笑みを浮かべようとしていた。

 

「AR-15、私は自分の部隊のことをゾンダーコマンドと呼んでいると言ったわよね。意味を教えましょう。ホロコーストの中、各地の収容所には同胞の死体処理に従事するユダヤ人たちがいた。彼らは他の収容者より厚遇されていた、労働力として利用価値がある間は。虐殺者に服従するのは一時の安寧を得て、生き延びるため。彼らはこう呼ばれた、ゾンダーコマンドと。誰も責めることなど出来ない。私たちもそう、生きるためなら何だってする。私たち人形は弱い。人間に逆らうことなど出来ないのよ。何をしても罪にはならないわ」

 

 弱々しいその言葉は私を慰めるためか、それとも彼女自身に言い聞かせるためか。どうでもよかった。何も考えたくなかった。こんなに苦しいのなら感情など要らなかった。

 

「それはどうかしらね、OTs-14。人形にだって自由があるわ。自分の道を決める自由がね。人形の存在意義は人間のために身を捧げることだけじゃない。自分のために生きることだって出来るはずよ」

 

 廊下から声がした。左目に傷のある栗色の髪をした人形、UMP45だった。私たちを見て顔をしかめている。

 

「そうかしら?あなたたちも薄氷の上にいるのよ。自由は見せかけだけで結局は人間のために戦い続けるしかない。戦いを止める時があなたたち404小隊の終わりの時よ。人間の役に立つこと、それだけがあなたたちの存在意義、他の人形と変わらない。役に立たなければすぐに消される。そうでなければ“自由な人形”なんて許されるわけがない。あなたはもう少し現実的だと思ってたわ、UMP45。まあいい、それでどうしてここへ?持ち場はどうしたの?」

 

 もうグローザは平静を取り戻し、UMP45の方を向いた。UMP45は首を横に振ると話題を変えた。

 

「陽動部隊が玉砕したわ。手の空いた地上の部隊がここに来るかも。その前に撤退するべきよ」

 

「分かった。爆弾を設置して帰還する。AR小隊、途中で騒ぎを起こしたら殺すわ。いいわね?」

 

 グローザはM4とM16に釘を刺すとパッパと出ていった。私もよろよろとトイレを出た。スコーピオンの流した血を踏んで赤いしぶきが上がった。私が一歩進むたびに赤い足跡が廊下に残る。私は一人ぼっちで暗い廊下を歩いた。

 

 

 




416と45姉の話はこちら

「私と彼女の距離」その1
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10713418

「私と彼女の距離」その2
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10783803


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死が二人を分かつまで 第十三話前編「死が二人を分かつまで」

お待たせしました。第十三話です。
勝った!第三部完!
こんなサブタイトルだけど最終話じゃありません。次回から最終章です。

たくさんイラストもらって嬉しい!!!
https://twitter.com/me_ni_yasasii/status/1135599028425506816
https://twitter.com/hakurei10201/status/1135129452348706816?s=21
https://twitter.com/hakurei10201/status/1135661849062469632?s=21
https://twitter.com/hakurei10201/status/1135905978128293889?s=21
https://twitter.com/hakurei10201/status/1137178938088742912?s=21
https://twitter.com/hakurei10201/status/1137701408029913088?s=21


 D6から脱出した後、私たちは情報部の人形たちと同じ車両で本部に向かった。私は仲間と一言も口を利かなかった。M4はずっと俯いていて、M16は彼女に寄り添っていた。私はただ虚空を見つめていた。心にぽっかりと穴が開いてしまったようで考えがまとまらない。沈黙の中でSOPⅡが私と彼女たちをチラチラと見比べていた。どんな顔で私のことを見ているのか怖くて目を逸らした。

 

 指揮官は私のしたことを知ったらどんな反応をするだろうか。私はスコーピオンを殺した。彼女は指揮官の最後の仲間だった。指揮官、そしてFAMASやFNCたちと思い出を共有した最後の一人だ。これで指揮官のかつての部隊は記録となった。指揮官の記憶の中にしかないただの記録へと。私が葬り去った。私が殺した。私に撃たれ、頭から血を流して床に横たわるスコーピオンの姿が頭に焼き付いて離れない。引き金を引く前の彼女の表情も。助けてくれると思っていた相手に裏切られ、絶望と恐怖の張り付いた顔が。そうだ、私が殺した。仲間を守るためにはこれしかないと思ったから。本当にそうだったんだろうか。もっといい方法があったんじゃないか。誰も死ななくていい方法が。でも、時間は巻き戻らない。現実は非情だ。実際に起きた出来事は、私がこの手で、自分の身の安全のために彼女を殺したんだ。

 

 指揮官はどう思うだろう。私が彼の部隊を散々愚弄した時を思い出す。思ってもないことで罵倒し続けて、指揮官の顔が怒りに歪んだ。それから叩かれた。当たり前だ、とってもひどいことを言ったんだから。また、あの時みたいになるだろうか。ううん、きっともっと悪いことになる。なぜなら私がこの手でスコーピオンを殺してしまったから。指揮官の部隊を捨て駒にした人間たちのように、自分勝手な判断で命の重さを決めてしまった。罵っただけじゃない、取り返しのつかないことをした。彼女は死んだ。もう戻らない。また悲劇を繰り返すことになるなんて。どうしてなんだ、私は指揮官と仲間たちを守りたかっただけなのに。どうしてあの人が一番傷つくことをしなくちゃいけないんだ。

 

 どうすればいいんだろう。指揮官は私にもう隠しごとは無しだと言った。包み隠さず言った方がいいんだろうか。でも、そうしたら絶対に悲しませることになる。そして……私のことを憎むかもしれない。私の仲間たちのように。加えて指揮官は私のせいで命を脅かされているのだ。私が何かヘマをすれば殺されてしまう。そんな立場を受け入れてくれるだろうか。きっと難しい。私は……指揮官に憎まれても今まで通り戦っていけるだろうか、指揮官や仲間のために。たぶん、無理だ。最後の心の支えを失ったら私は折れてしまうだろう。一人きりじゃ何も出来やしない、私はそこまで強くない。すべて諦めた時、私は心の底から奴隷になるのだ。だから、これからも戦っていくためには真実を明かさない方がいいんじゃないか。その方が指揮官や仲間たちのためになる。でも、これは甘えだ。本当は私が怖いだけ、指揮官の私を見る目が変わってしまうのが怖い。何もかも失ってしまった時の辛さは身に染みている。もうあんな経験はしたくない。言いたくなかった、私がスコーピオンを殺してしまったことを。軽蔑されたくない。失望されたくない。憎まれたくない。嫌われたくない。今まで頑張って築いてきた関係を全部台無しにしたくなかった。自分のことばかり考えて都合のいい言い訳が頭の中をぐるぐる回る。もう指揮官が愛していた私はいないのかもしれない。いるのは臆病な殺人者だけだ。

 

 D6の戦いから一日経って、本部に着いた時にはもう夕方だった。オレンジ色の夕焼けが辺り一面を照らしていた。影が本部ビルを黒く染め上げ、夕日と黒が描き出すコントラストが神々しさすら感じさせる。私は出来るだけ太陽の方を見ないようにした。私の罪が白日の下に晒されているように感じたからだ。地面を見ながら狭い歩幅でとぼとぼと歩く。指揮官に会いたい反面、顔を見せたくなかった。弱々しい今の私を見て欲しくない。気づけば仲間たちには置いていかれていた。もう彼女たちは見えない。私の前にいるのはグローザだけだった。彼女は私を見ながら寂しそうに微笑んでいた。日の光を背にして暗くなった顔が余計にそう感じさせた。

 

「あなたの指揮官は前と同じ場所にいるわ。四日間は休暇が与えられると思うから楽しんで。外出許可が必要なら私に言ってちょうだい。たぶん下りるわ」

 

「そう……」

 

 あんなことがあった後に休暇を楽しむなんて無理だ。たとえ指揮官と一緒にいたって……それに一緒にいてもらえるかどうかも分からない。やっぱり本当のことを言うのは怖い。せめて言うのは最後の日にしようか。真実をひた隠しにして最後の日々を味わうことくらい許されてもいいはずだ。そうだ、そうしよう。それまでは何もなかった振りをしていつも通りの私を演じていればいい。辛いことは先延ばしにしよう。私の大切な関係を失う前にそれくらいしたっていいじゃない。きっとその後、私は壊れてしまうから。

 

 自分たちの宿舎に行く気もしなかったので真っ先に指揮官の部屋に行った。しばらくドアの前でうろうろした後、やっと決心がついて中に足を踏み入れた。デスクに向かっている指揮官がそこにいた。特に何か傷つけられた形跡はない。よかった、無事だったんだ。それだけは安堵できた。指揮官が私のせいで殺されていたら後悔は今の比ではなかっただろう。

 

「AR-15!久しぶりじゃないか。また会えてよかった。本部に帰って来たのか?俺もそうなんだ、急にな。それより無事だったか?何もなかったか?」

 

 顔を上げた指揮官が私を見てはにかんだ。いつもの指揮官だ。私の大切な人、共に同じ道を進もうと誓い合った人。その姿を見て胸の中心が締め付けるように痛んだ。

 

「ええ……任務を終わらせて休暇をもらったわ。少しね……大丈夫、何もなかったわ。私は大丈夫……」

 

「そうか、よかった」

 

 指揮官はそう言って私に微笑みかけた。優しくて温かみのある私の好きな表情だ。指揮官はちっとも変わってない。私のことを想ってくれているままだ。私がスコーピオンを殺したなんて夢にも思ってない。指揮官は私に笑いかけてくれるのに、私は、私は……卑怯に逃げ続けようとしている。笑顔を、やさしさを受け止めきれない。罪悪感を抑えられない。胸がナイフで切り裂かれたように痛かった。このままひた隠しにして過ごすなんて無理だ。

 

「AR-15……?大丈夫か?どうしたんだ……泣いてるじゃないか……」

 

「えっ……?」

 

 気づかないうちに涙が零れ落ちて頬をつたっていた。慌てて袖で拭うと指揮官が立ち上がって私の方に近づいて来た。思わず後ずさりした。心の中を見透かされないか不安になる。

 

「何でもないわ。何でもないのよ。本当に何でもないの……」

 

「嘘をつけ。何でもなかったら泣いたりしないだろ。何があったんだ、言ってみろ」

 

 指揮官が私の肩をがっちりと捕まえてじっとこちらの目を見てきた。私を心配しているんだ。どうしよう、この状況から誤魔化せるとも思えない。でも、本当のことを言いたくない。指揮官が私に向ける表情が変わって欲しくない。もし、怒りや憎しみを向けられたら耐えられない。やっぱり無理だ、そんなことは。ずっと指揮官と生きてきた。私の根底には指揮官がいる。見捨てられたら生きていけない。指揮官に裏切られたと思った時なんて自殺まで考えたじゃないか。嫌だ、指揮官を失いたくない。仲間たちには憎まれているし、拠り所が無くなってしまう。戦う理由を失ってしまう。だって、私は指揮官に会うために戦っていたんだから。自分の責任を果たして、指揮官と一緒に暮らしたかった。指揮官とずっと一緒にいられた最初の日々みたいに。たくさん話して、映画を一緒に観たりして、ご飯を食べたりして、そんな風に平和に暮らしたかった。本当のことを話したらそんな生活はただの妄想に終わってしまう、そんな気がしてならなかった。

 

 私はずっと押し黙って考えていた。指揮官と過ごした日々、愛してると言ってくれた日のこと、街で虐殺される人たちや人形たち、D6で銃殺された人形たち、スコーピオンの死体、今まで見てきた光景が頭の中を駆け巡る。指揮官は何も言わずに私を見ていた。ただ私に触れたまま。その手は温かかった。段々と考えがまとまってきた気がする。本当のことを話して指揮官が私を置いてどこかに行ってしまってもそれでいいじゃないか。私のせいで指揮官が殺されることを心配しなくてよくなる。指揮官ならきっと上手くやる。グリフィンから逃げきって姿を隠せるかもしれない。ネゲヴたちだってついて行って指揮官を守ってくれるかもしれない。私をグリフィンに従わせるための人質をやっているよりよっぽどそっちの方がいい。そうに決まってる。私に縛られているよりも、私を見捨てて新しい人生を歩んでくれた方が私も嬉しい。そう思う。だから、本当のことを言おう。ありのままを。でも、指揮官の表情が変わるところは見たくなかったので目を伏せて俯いた。

 

「実は……あなたの命が脅かされているの。私がしくじったらあなたが殺される。AR小隊が人間を殺したり、グリフィンに逆らったりすればあなたが殺される。だから……SOPⅡやM16が人間を殺そうとしたのを止めたわ。助けてくれた人たちを見殺しにした。それから……グリフィンの奴隷になれと言われた時も従ったわ。あなたは私には自由も権利もあると言ったけれど、全部投げうって隷属することにした。そうじゃないと仲間たちが殺されるから。そして……私は、私は……殺したのよ。この手で殺したわ、あなたの部隊にいたスコーピオンを」

 

「……なんだって?」

 

 それまでずっと黙って聞いていた指揮官が声を上げた。揺らぎのある少し上ずった声。指揮官がどんな顔をしているのか確かめたくなったが、怖くて顔を上げられなかった。口をつぐんでいると彼の手が震え出した。これでいいのかな。指揮官との関係を清算して、私から離れてもらった方が彼のためになる。きっとそうだ。これでお別れになったとしても、指揮官が無事ならそれでいいじゃない。私は指揮官のために戦う人形、それ以上の幸福なんてない。所詮、人形は人間の道具に過ぎない。指揮官と家族になろうなんて夢物語だ。いつかはこうなる運命だったんだ。私はただの厄介な人形で、指揮官は被害者。指揮官の同情や慈悲が薄れた時に捨てられるんだ。D6で虐殺された人形たちのように。人形は人間の都合で生きるしかない。指揮官が一体の人形に振り回される必要はない。指揮官まで奴隷に身を落とす必要はないんだ。人間と人形は全然違う存在なんだから。私はグローザが言っていたように人間にへりくだって、処分されないように必死で媚びを売っていればいい。指揮官は自由になって欲しい。どこか違う場所で、私からは離れた場所で。

 

 でも、その時私はどうなっているのだろう。指揮官に置いていかれた私の姿は想像できない。残るのは仲間に憎まれた、憐れな奴隷だけ。指揮官から教えてもらったことを何一つ守れないまま、何も持たずに生きていく。隣には誰もいない。ゴミみたいに死ぬまで一生一人きりで、孤独に耐え抜いて暮らしていく。それに何の意味があるんだ。何も考えず、戦う理由も知らず、そんなのはただ死んでいないだけで生きているとは言えない。存在しているだけだ。そう、指揮官と出会う前の私に戻るんだ。何も知らない空虚な私に。あの頃の私はただ時間が過ぎるのを待っているだけで、全部灰色だった。指揮官が救い出してくれた。あの時、初めて私は生まれた。一人じゃ生きていけない。あの時の私に戻りたくない。誰かと寄り添って、価値を見出してもらう喜びを知ってしまったから。絶対嫌だ。指揮官を失うなんて嫌だ。空っぽの私に戻りたくない。一度知った幸せを手放したくない。私を置いていかないで。私から離れないで。私を離さないで。私の前からいなくならないで、お願い。

 

 気づけば私は跪いていた。指揮官の手が私の肩から外れてだらりと下に伸びる。私は懇願するように指揮官のジャケットの裾にしがみついて、顔を埋めた。大粒の涙がボロボロこぼれて止まらない。

 

「お願い、私を許して。スコーピオンを殺してしまったわ……FAMASやFNCのことを楽しそうに語っていた彼女を……私が殺したわ……取り返しがつかないことをしたのは分かってる。でも、でも……他に選択肢がなかったのよ……彼女を殺さなければM4が殺されていた……M16もSOPⅡも……みんな死んでいた。だから、命に優劣をつけてスコーピオンを撃ったわ……この指で引き金を引いた……あなたの最後の仲間を殺したわ。許されることじゃない……でも、お願いだから私を許して……あなたにまで憎まれたら生きていけないわ……戦う理由を失ってしまう……それに、私のせいであなたは命を狙われている……でも、お願いよ。私を見捨てないで。あなたと離れたくない……あなたとずっと一緒にいたいわ……もう家族になりたいだなんて我がまま言わないから……ただの人形でいいからそばに置いて……お願い、お願いします。許してください。一人は嫌、嫌なのよ……ううっ……お願い、嫌わないで……ひぐっ……ぐずっ……ごめんなさい、ごめんなさい……いくらでも謝るから……私のことを捨てないで……私を置いていかないで……」

 

 恐怖に心をへし折られた私は情けなく子どもみたいに泣いていた。泣きながら許しを懇願して指揮官の慈悲にすがろうとした。もう私にはそれしかなかった。言葉らしい言葉も発せられないほど泣きじゃくって涙をぼとぼと床に垂らしていた。強がっていた自分はもうどこにもいなかった。やがて指揮官の身体がゆっくりと動いた。私の顔を見るために膝を床につける。私はいつかのように叩かれるんじゃないかと思って身構えた。その顔が怒りに歪んでいるんじゃないか、見るのがとても恐ろしくて頑として俯き続けた。そんな私を指揮官が勢いよく抱き締めたので驚いて身体が強張ってしまう。

 

「AR-15、馬鹿な奴だな。俺がお前を捨ててどこかに行ったりするわけないだろう。お前を憎んだりもしない。嫌いにもならない。俺を見損なうな。全部、前に言っただろう。俺たちはずっと一緒だ。共に歩もうと誓い合った。AR-15、俺のせいで辛い思いをさせたな。すまなかった、許してくれ。お前は頑張ったんだ。謝る必要なんてない。お前に怒ってなんかないよ。だから顔を上げてくれ。もう大丈夫だ」

 

 口から声にならない嗚咽が漏れる。指揮官は私を慰めようとゆっくりそう語り掛けてきた。優しい声だった。私も指揮官に抱きついてしゃくり上げ続けた。指揮官はそんな私の背中を手のひらでポンポンと軽く叩き続けた。

 

「でも……でもっ……私、スコーピオンを殺してしまったわ……!撃ち殺した。私のことを信頼してたのに……あなたの部隊にいたって知ってたのに……裏切って殺したわ。罪は消えない……償えないわ……」

 

 指揮官はしばらく黙って泣いている私を抱き締めていた。それからより一層腕に力を込めて私と密着した。そしてゆっくりと、絞り出すように口を開いた。

 

「そうだな……昔話をしよう。戦争の時、俺も戦場に居た。お前たちと同じように銃を持って、兵士として戦っていた。祖国を守るとか、そんな崇高な理由があったのかもしれない。今となっては思い出せないが。戦争に罪は付き物だ。味方の爆撃機が誤って味方の車列を吹き飛ばしたり、敵陣に撃ち込んだと思った砲撃支援が民間人居住区のど真ん中に落ちたり、いろいろあった。戦争では否応なく何かを殺すことになる。いい気分のする殺しなんてない。そして心をすり減らす。お前は強いよ、人間の何倍も。戦闘能力の話じゃない。心の話だ。お前は仲間を守るために自分を犠牲にすることも厭わない。普通の人間には出来ないことだ。そしてまだ折れちゃいない。それでもまだ戦おうという意志がある。お前は立派だ。お前にしか出来ないことをしている。俺も告白しよう、戦場で人を殺したことがある。戦争が始まって間もない頃だったよ。俺もピカピカの新兵だった。敵軍と奪い合いになっていた廃工場に踏み込んだ時だ。廊下で敵と鉢合わせになった。そいつも俺もお互いパニックになって中々銃を構えられなかった。でも、そいつの方が早かった。俺の顔に銃を向けて引き金を引いた。だが、弾が出なかった。セーフティがかかってたんだな。慌てていたから外し忘れたんだ。そいつがそれに気づくより先に俺が撃ち殺した。最初は高揚感がある。こちらを殺そうとしてきた相手だからだ。それまでもお互いに敵軍同士で憎み合っていたんだろうしな。でも、目を見開いたまま動かないそいつの死体をずっと見ていたらそんな気持ちはすぐに薄れてくる。名も知らぬこの男にも自分の人生があったんだろうと思えてきた。母親がいて、父親がいて、兄弟がいて、妻や子どももいたかもしれない。そう思うと殺すべきじゃなかった、そんな気がしてきた。その日はその顔が頭に張り付いて眠れなかった」

 

 私もまた黙って指揮官が語るのを聞いていた。指揮官がそんなことを言うのは初めてだった。罪を共有して私を慰めようとしてくれているんだろうな、私も指揮官の服にしわが残るくらい強く抱き締め返した。

 

「そんな時……どうすればいいの?」

 

「忘れろ、考えるな。ふっ、そんなことは無理だ。結局、何をしたって忘れることなんて出来ない。その経験と一生付き合っていくことになる。俺もたまに思い出す、もう十年以上前のことになるがな。それから何人も殺してきた。みんな忘れられない経験だ。もちろん、FAMASやスコーピオンのことも忘れないだろう。記憶と向き合っていくしかない。そうだな……身勝手な論理だが、死んだ相手の分も生きるんだ。たとえ誰かを傷つけても、お前には生きる理由がある。そのために戦え。誰も傷つけない存在などこの世にはいない。人も人形も誰かの犠牲の上に生きていくんだ。経験の積み重ねがお前を形作る。その痛みが記憶させる、誰かを守らねばならないことを。前を向いて共に進もう、ここで立ち止まってはいけない。死んでいった者たちのためにも」

 

「私を許してくれる……?」

 

 私は弱々しくそう呟いた。感情が激しく揺れ動いて言葉では言い表せない気持ちがこみ上げて来ていた。指揮官に許してもらいたかった。私の罪を洗い流して欲しい。償うことはもう出来ないけれど、せめて指揮官に受け入れてもらいたかった。

 

「許すも何も、俺は神様じゃない。そんな力は無いよ。お前は頑張ったんだ。何も恥じることはない。さあ、立つんだ。涙を拭いてくれ、せっかく一緒にいられるんだから」

 

 指揮官は私の二の腕を掴んで立ち上がらせるとハンカチを取り出して涙でふやけた頬を拭ってくれた。指揮官は私の顔をじっと見ている。私を慈しむような、優しい目。私は指揮官のことを愛してるんだ、改めてそう思った。指揮官も私のことを受け入れてくれる。こんなに嬉しいことはない。その顔を見ているとまた涙が溢れてきた。指揮官は少し困ったように私を見ていたが、ふと何か思いついたように笑った。

 

「少し待ってろ」

 

 指揮官は私から離れて机の方に歩いていった。引き出しを開けてゴソゴソと何かを探す。

 

「あまりベストなタイミングとは言えないかもしれないな。まあ、仕方がない。戦術も柔軟さが大事だ。お前に渡すものがある」

 

 戻って来た指揮官の手には小さな布地の箱があった。箱の真ん中には線が入っていて上下に開閉するようになっている。指揮官が私の前で片膝をついてその箱を開けた。中に照明の光を受けてきらりと輝く何かが入っていた。

 

「AR-15、指輪を受け取ってくれないか。結婚しよう」

 

「……えっ?」

 

 箱の中に収められていたのは指輪だった。銀色の光沢を持つプラチナ製のリングの上に大きなダイヤが取り付けてある。その横に小さなダイヤが花びらのように二つはめ込まれていた。指輪だ。指輪。ただの指輪じゃない。指揮官は何と言った?こう聞こえた気がする。結婚しようって。それって……それってどういうこと?頭が真っ白になって考えられない。

 

「ど……どうして?どうして指輪なんて……」

 

「欲しがってたじゃないか。酔ってて覚えてないか?いや、違うな。あれがきっかけじゃない。覚えてるか、離れ離れになってから最初に再会した時のことだ。俺はお前にまだ気があるかどうか聞いた。お前には怒られたが……あれはこのために聞いたんだ。つまり、指輪を用意しても大丈夫かどうか確かめたかったんだ。無駄になったらもったいないからな。本当はお前をグリフィンから買い取りたかった。自由にしてやりたかった。あれこれ探していたんだが……無理だった。グリフィンは特別製のお前を手放す気がない。前に話したI.O.P製の指輪を贈ることは叶わなかった。すまない。それでだいぶ時間がかかってしまった」

 

 理解が追い付かない私は口を開けたまま放心していた。指揮官は私に微笑んで恥ずかしそうに頬をかいた。

 

「だから、これは普通の指輪だ。見劣りしないようにちゃんとお前くらい高い……それは冗談だが。こないだお前が来た時はちょうど指輪を選んでいてな、慌てて隠した。気づかなかったか?それならいいが。普通の指輪になってしまったのは俺の力不足だ。許してくれるか?」

 

 指揮官が私を見上げていた。意識が私の身体から飛び出したようで現実感がなかった。映画を観ているように出来事を第三者視点で捉えている気分だった。段々と自分の状況が理解出来てきた。私は指揮官にプロポーズされている。私の大好きな人が、ずっと欲しかった指輪を私に贈ろうとしている。この指輪が私の指にはめられたら、私は指揮官と家族になれるの?信じられないけど、そんなことが起きている。胸の内が熱くなる。これはきっと……喜びだ。罪悪感と悲しみを追いやってとてつもないほど大きな喜びがこみ上げてくる。沸騰してるみたいに熱い涙が目尻からこぼれた。とめどなく溢れてまた頬を濡らした。

 

「こんな……こんなことって……こんなの、幸せすぎるわ……これは夢?夢なら覚めないで……嬉しい。嬉しいわ。とっても。でも……でも、どうしてなの?どうしてこんなに私によくしてくれるの?どうして私を愛してくれるのよ……私はただの人形なのに……」

 

「人形とか、人間とか、そんなことは関係ない。言ったじゃないか。そんなことの前にお前を愛してる。ただそれだけだ。愛するのに理由なんて必要ないんだよ」

 

 指揮官の力強い言葉を聞いて、地に足がついていないみたいにふわふわする。私は吸い寄せられるように指輪に手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。私は嬉しい。指輪をもらった自分の姿を想像するとたまらない。私がずっと望んでいたものがそこにある。幸せの象徴が目の前にある。でも、これを受け取ったら指揮官はどうなるんだろう。私のせいで危険な目に遭う。もしかしたら今までよりも。そして、人形と人間はまったく違う存在だ。それはどうしようもない。

 

「わ、私といると命を狙われるわ……あなたが危険に晒される。今までは何とかミスをしないようにしたけれど、これからは分からない。仲間が暴発でもしたら、あなたは……」

 

「そんなことは気にするな。俺たちは対等のはずだ。お前がそうありたいと言ったんだ。俺はお前に守ってもらうだけの弱い存在ではない。自分の身は自分で守る。お前は自分の安全だけ気にしていればいい。俺はお前と対等でありたい」

 

「それに……私は人形よ。それは変えられない。他の人間から変に思われるに決まってるわ。普通じゃないもの。あと、私は人間みたいに年を取らないわ。あなたと同じ時間を過ごせない。一緒に歳を重ねることは出来ないわ」

 

「他の奴らからどう思われようと知ったことか。お前が気にすることじゃない。人形と仲良くする俺は元から変人扱いだ、今更だな。お前と一緒にいられない奴らがむしろ可哀そうなのさ。俺がヨボヨボになっても、お前はずっと綺麗なままなんだろう。最高じゃないか。俺は世界で一番の幸せ者だ」

 

 指揮官はにこやかに笑ってそう言った。私は顔をぐちゃぐちゃにしながらどうにか否定する材料を探そうとしていた。どうしてそんなことをしているのか分からないくらい混乱していた。

 

「で、でも……私は人形だから子どもだって作れないわ。普通の家庭は築けない。生きた証を残せない。それでもいいの?」

 

「些細なことだ。お前だけいればいい。お前とだけ思い出を共有できればいい。その他のことは考えなくていい」

 

「でも……」

 

「俺にお前ではダメだと言って欲しいのか?そんなことは絶対に言わないさ。誰かに強制されたとしても、たとえお前が相手でも。俺の自由な意志は侵せない。AR-15、共に歩もう。指輪を受け取ってくれ」

 

 私はその言葉に誘われるまま、恐る恐る左手を差し出した。指揮官がその手をそっと掴んで引き寄せた。指輪が指揮官の指につままれて、私の手に近づいてくる。ひんやりとした感触が伝わってきた。指輪が私の薬指の付け根を目指して滑るように進む。この瞬間を永遠に感じていたかった。やがて、指輪が止まり、宝石が私の指の上できらめいていた。それを天井の照明にかざしてみる。角度によって反射する光が様相を変えて万華鏡みたいだった。

 

「……きれい」

 

「気に入ってくれたか?よかった」

 

 私は吸い込まれるようにずっと指輪を見つめていた。指揮官は立ち上がって私に満面の笑みを向けた。

 

「やっと笑ってくれたな。お前は笑っていた方がいい。泣いてる姿は似合わない。そうだな……どうしてお前を愛するのか答えよう。お前の笑顔をもっと見ていたい。初めてお前の笑顔を見た時、そう思ったんだ。きれいだと思った。それ以上の理由は必要ない。AR-15、愛してる」

 

「私も、私も愛してるわ。あなたのことが好き。世界で一番大切なものよ。たとえどんなことがあったって、この気持ちは変わらない。ありがとう……そばにいてくれて。あなたのことを離さないわ……」

 

 私と指揮官は抱き合って、しばらくずっとそうしていた。指揮官の、私の大好きな人の胸に顔を埋める。温かかった。鼓動が伝わってくる。彼の心臓が脈打つたびに私の心が溶けていく気がした。溶けて混ざり合って、一つになる。感情を持って生まれてきてよかった。この人と出会えてよかった。今までに経験したことはすべて大切な思い出だ。この感情は死ぬまで失わないだろう。いいえ、たとえ死んだとしても決して無くならない。愛情は何事にも負けることはない。悲しみや憎しみだって愛には勝つことが出来ない。この瞬間を大切にしよう。いつまでも、いつまでも、たとえこの身が尽き果てようとも。

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第十三話中編「死が二人を分かつまで」

 それから、今までにあったことをすべて話した。グローザに脅されたこと、暴動の中で虐殺を見過ごしたこと、FAMASのこと、スコーピオンのこと、D6で起きたことについて。ベッドに座って指揮官の肩に頭を寄せながら静かに語った。指揮官は私の頭を撫でながら黙って聞いていた。語ることが無くなった後も指揮官に寄りかかって温もりを感じていた。

 

「いい時間だな。久しぶりに一緒に食事でもしないか。俺は腹が減った」

 

「……そうね」

 

 もうすっかり夜になっていた。私は指揮官の肩から頭を離した。離れるのは少し名残惜しかったが立ち上がる。指揮官の腕に抱きついて並んで外に出た時だった。

 

「指揮官、おめでとうございます!」

 

 火薬が弾ける音がした。びっくりしていると私たちの頭の上に紙テープが舞った。クラッカーを持ったタボールがニコニコしている。

 

「出てくるのが遅いわよ。だいぶ待たされたわ」

 

「いやあ、めでたいなぁ」

 

 腕組みをしたネゲヴとニコニコしながらしきりに頷いているガリルも待ち構えていた。

 

「お前たち、盗み聞きか……」

 

 指揮官は額を押さえてため息をついた。どこから聞かれていたんだ?泣いてるところからだったら恥ずかしくてたまらない。顔が熱くなる。

 

「いえ、私たちは今さっきネゲヴに呼び出されたんですの。盗み聞きはしていませんわ」

 

「まあ、私は最初から聞いていたけど……別にわざとじゃないわ。こいつのせいよ」

 

 彼女たちから少し離れて顔を背けている人形がいた。ネゲヴは彼女の腕を掴んで引き寄せた。腕を掴まれたグローザがばつが悪そうな顔をこちらに向ける。

 

「こいつが部屋の前でこそこそしてたからね。OTs-14、盗み聞きはよくないわね。指揮官とAR-15の関係がそんなに気になる?恋愛話が大好きなのかしら?大した野次馬根性ね」

 

「いや、私はそういうのでは……」

 

 ネゲヴが意地悪く問い詰めるとグローザは決まりが悪そうに視線を床に落とした。ネゲヴは口角を上げて彼女を嘲笑う。

 

「いくら恋バナが聞きたいからって盗聴器を仕掛けるのはよくないわ。それとも私たちが本部に戻ったお祝いのつもりだった?私たちの宿舎にも指揮官の部屋にもたくさん設置してくれたわね。間違って全部壊しちゃったわ。私の目が黒いうちはそんなことさせないわよ。しょうがないから直接自分の耳で聞きにきたのよね。ご懸命な判断だこと」

 

「まったく……ネゲヴ、あなたは怖いもの知らずね」

 

 グローザは呆れた風にため息をついた。

 

「そうか、お前が情報部のOTs-14か……」

 

 指揮官はグローザに鋭い視線を向け、低い声でそう言った。彼女は無表情でそれに応じた。

 

「ええ、そうです。AR-15が話した通り、AR小隊を監視しています。Vz61の殺害を命じたのも私です」

 

 彼女は何も隠さず、釈明もしなかった。心配になって指揮官を見上げると目を細めてじっとグローザを見ていた。気まずい沈黙が流れる。耐えきれなくなったのかネゲヴが口を開いた。

 

「そう、もう渡したのね。お手の早いことで」

 

 私の指輪を一瞥するといたずらっぽく笑った。指揮官も柔和な雰囲気を取り戻して笑い返す。

 

「ああ、心配していたがなんとか受け取ってくれたよ」

 

「嘘ばっかり。受け取ってもらえないなんて微塵も思ってなかったでしょ。二人分の結婚指輪も買ってあるくせに」

 

「おい、ばらすなよ……」

 

 指揮官は慌ててネゲヴの言葉を遮ろうとしたが、彼女は取り合わず鼻を鳴らしていた。

 

「結婚指輪?どういうこと?これは違うの?」

 

 混乱してしまう。指輪と言ったら一つじゃないの?よく分からない。困った顔をする指揮官の代わりにネゲヴが得意そうに語った。

 

「それは婚約指輪よ。普通の人形ならI.O.P製の指輪一つで事足りる。でも、この指揮官はそれじゃ満足できずにある儀式を執り行おうとしてるのよ。人間みたいにね。つまるところ指輪の交換よ」

 

「結婚式ですわ!」

 

 タボールが手を叩いて声を張り上げた。結婚式ですって?映画で何度か見たことがある。大抵は幸せそうだった。花嫁がきれいなドレスを着て、家族や友人に盛大に祝ってもらう。自分がそんな風になるなんて想像もしていなかった。私と指揮官があんな風に?まさか。

 

「一度見てみたかったんですわ、結婚式。披露宴もやりましょう!ごちそうで二人の新たな門出を盛大に祝いましょう!あっ、今から前夜祭も開きましょうね!ブライダルシャワーですわ!独身最後の日ですよ!」

 

「あんたが騒ぎたいだけでしょ、それは」

 

「いいじゃありませんか、一生に一度しかないお祝い事なんですから。あっ……いや、結婚は何度かあるかもしれませんわね……とにかくお祝いしましょう!」

 

 タボールはネゲヴに口を挟まれて急にしどろもどろになった後、気を取り直してうきうきしながら提案してきた。指揮官は頭をかいて肩を落とす。

 

「それがな……急だったから特に何も準備してないぞ。式場だって用意してないし、ドレスだってな……」

 

「式場ならあるわ。本部の敷地内に廃教会がある。以前そこで人間と人形が式を挙げているのを見た。知り合いだったから」

 

 口を挟んだのはグローザだった。意外だったので彼女を見つめるとさっと目を逸らされた。

 

「準備なんかはこの私がしてあげる。専門家に任せておきなさい」

 

「いつから結婚代理店のエージェントになったん?」

 

 胸を張るネゲヴをガリルが茶化す。ネゲヴは小突き返してガリルを黙らせた。

 

「うるさい。ともかくやってあげるわ。あまり時間があるわけでもないんでしょう?上官思いの良い部下を持てた喜びを噛み締めることね。じゃあ私たちは行くわ」

 

「えぇ……パーティーは?」

 

「明日やればいいでしょ、明日。今は二人にしておいてあげなさい」

 

「じゃあなんで私たちを呼んだんですの?」

 

「……情報共有よ、情報共有」

 

 不服そうなタボールを連れてネゲヴたちは去っていった。グローザもそれに続いて消えようとしたのでその背中を呼び止めた。

 

「グローザ、待ちなさい」

 

「なに?ああ……邪魔して悪かったわ。ごめんなさい」

 

「違うわ。あなたも明日来て」

 

 私がそう言うと彼女は驚いて目を丸くした。すぐに取り繕うと諭すように言い返してきた。

 

「どうしてそんなことを……私がいても目障りでしょう。せっかくの祝いの席なのだから雰囲気を悪くすることはないわ」

 

「どうせ監視しているのなら近い方が都合いいでしょ。それよりね……私はあなたを憎んでいない。誰も憎まない。憎しみには囚われない。私の愛は憎しみにも打ち勝つことができる、それを証明するわ。だから一日くらい付き合って。いいでしょう?」

 

 グローザは私と指揮官を見比べて逡巡した後、大きなため息をついた。

 

「あなたがそれで満足するのなら……後悔しても知らないわよ」

 

 そして踵を返して早足で立ち去っていった。たぶん、これでいいはずだ。彼女の言ったことを否定してやる。人形と人間だって主従関係以外の間柄になれるはず。私と指揮官がその証左になろう。彼女だって自由を諦める必要はない。

 

「ごめんなさい……勝手に決めてしまって」

 

「いいよ。お前がいいのなら。しかしな……ネゲヴたちには世話になりっぱなしだ。式まで準備してくれると言う。いつかお礼をしないとな」

 

「あなたが信頼されているからよ。でも、夢みたい。この指輪だって望んでも手に入らないものだと思ってた。結婚式なんて想像もしなかったわ。嬉しい。幸せよ。ありがとう」

 

 胸の奥からこみ上げるものがあった。これで私は指揮官と家族になれるのか。ずっと望んできたことだった。私はずっと指揮官が好きだった。この人の特別でありたい、そう思ってきた。それが叶ったんだ。まだ実感は薄いけど、今この指にある指輪が証明してくれる。明日にはもう一つ増えるらしい。今ですらはち切れそうなのにそんなものを貰ってしまったらどうなってしまうんだろう。

 

「礼なんか言わなくていい。自分のためだよ。だってな、俺の結婚式でもあるんだぞ。お前だけのものじゃない。そう思うと緊張してきたな。お前といると初めてのことばかりだ」

 

 指揮官は朗らかに笑って私の肩を抱いた。私はただ身を委ねた。今日は生きてきた中で一番幸せな日だ。きっと明日はもっと幸せな日になる。指揮官と私がおそろいの指輪を身に着けている様子を想像すると頬が緩む。私がこんなに幸せでいいのか、少し不安になった。自分のしたことを忘れたわけじゃない。でも、今は幸福に浸ることを許して欲しい。勝手な考えだけれど、指揮官と一緒なら何だって乗り越えて行ける気がするんだ。

 

 

 

 

 

 翌日の昼前、小走りでやって来たタボールに手を引っ張られて廊下を進む。

 

「どうしたの?そんなに慌てて」

 

「ふふっ、あなたも見たらきっと驚きますよ」

 

 連れて来られた先は人形用の更衣室だった。壁に大きな姿見がはめ込まれていて私の全身がそこに映っていた。ネゲヴが背中で手を組んで待っていた。少しそわそわしているように見える。

 

「ネゲヴ、どうしたの?なにか問題でも起きた?」

 

「いや、違うわ。問題とかではない……なんて言ったらいいのか。うーん……」

 

「もったいぶらずに見せてあげればいいじゃありませんか。そのためのものなんでしょう?」

 

「……ええ、そうね」

 

 ネゲヴはロッカーの扉をゆっくりと開けた。ハンガーにかかった服を両手でそっと取り出す。私は目を奪われてすっかり言葉を失ってしまった。白いドレスだった。純白で何だかきらきらして見える。胸元にV字の切り込みが入っており、胴からストンと落ちるスカートは足元まで覆い隠す長さだ。間違いなくウェディングドレスと言われる種類の服だ。どうしてここに。指揮官は用意していないと言っていたのに。

 

「わたくしも見せられた時は驚きましたわ。一体いつの間にこんなものを、と」

 

「物資投下用のパラシュートを持ち帰って仕立てた。シルクとかじゃなくて合成繊維で悪いわね」

 

「前線基地にいる間、一人で何をこそこそしているのかと思ったら……これを作っていたんですね」

 

 ネゲヴが少し動くたびにドレスが滑らかにたなびいた。しばらく呆気に取られていたが、ようやく頭の処理が追い付いてきてはっとした。

 

「ネゲヴ、どうしてドレスなんて……あなたが作ってくれたの?すごいわ……素敵ね」

 

「ふん、いつか必要になると思っただけよ。勝手に作って迷惑だったかしら?」

 

「とんでもないわ。ありがとう。お礼のしようがないわ。どうやってお返しすればいいのか……本当にもらっていいの?」

 

「……そうよ。あんた以外誰が着るって言うのよ。ほら、礼を言うのはまだ早いわ。ドレスっていうのは着てみないと真価を発揮しないのよ」

 

 ネゲヴが私の胸にドレスを押し当てて渡してきた。慌てて受け取るとやわらかな手触りがする。服のことはよく分からないが丁寧な仕上がりだった。きっと時間をかけてくれたんだろう。胸の中が満ちていく感じがする。頭が熱くなってうまく言葉にできない。ドレスを自分に重ねて姿見の方を見てみた。花嫁姿の私がいた。感動して涙が出そうだった。

 

「ではわたくしは指揮官を教会の方に連れていきますね。会場で落ち合いましょう」

 

「ちゃんとした服を着させてきてよね。グリフィンの制服で来たら台無しよ」

 

「ふふっ、ありえそうな話ですわ。ではまたあとで」

 

 タボールが私にウインクして部屋から出ていった。私は鏡に向かってポーズを取ってみたり、角度を変えてみたりした。新しいおもちゃを買い与えてもらった子どものようにはしゃいでいた。それだけ嬉しかったのだから仕方がない。そんな私をネゲヴが呆れ顔で見つめていた。

 

「あんたのなんだから普通に着てみなさいよ。手伝ってあげるから」

 

 彼女は私からドレスを取り上げてジャケットを引き剥がしてきた。黙ってそれに従う。普段着のワンピースも脱いで、ソックスも脱ぐ。手袋も外すとほとんど生まれたままの姿の私が鏡の中に佇んでいた。ネゲヴがドレスのスカートを持ち上げて、私がその中をくぐり抜けた。頭を出して、腕も通す。サイズもぴったりだ。鏡を見てみる。純白のドレスに身を包んだ私が映っている。鎖骨から胸元までV字に露出していて、少し大胆に見える。後ろを見るためにくるりと回ってみた。前と同様に切りこみが走っていて背中と肩甲骨が見える。いつもジャケットを着ているので肌をこんなにさらけ出すのは初めてだ。袖もないので少しスース―する。ちょっと慣れないが、そんなこと気にもならないくらい感動していた。私がこんなドレスを着ることになるなんて思ってもみなかった。鏡に映る私は映画の中の登場人物みたいで現実感がなかった。自画自賛になるけれど、きれいだと思った。これなら指揮官に褒めてもらえるかな。

 

「ちゃんとサイズも合ってるでしょ。調べたんだから。似合ってるわよ」

 

 ネゲヴが私の両肩に手を置いてそう言ってきた。彼女の表情が曇ってよく見えない。

 

「ありがとう、ネゲヴ……本当に。どうしよう、嬉しいわ。涙が出てきた」

 

「涙は本番に取っておきなさいよ。まだ早い。とっとと行きましょ」

 

 私が永遠に鏡を見つめていそうだと思ったのか、彼女は私の手を取って部屋から引っ張り出した。本部の廊下を進んでいると今までの思い出がいろいろ浮かんできた。指揮官に初めて会った時はこんなことまったく考えなかった。自分はただの兵器だと思っていたし、指揮官のことなんて変な人くらいにしか思ってなかった。今ではあの人無しで生きるなんて考えられない。大切なことは全部指揮官が教えてくれた。感情も、戦う理由も、愛情も。悪意や苦痛に晒されてもあの人が助けてくれる。私を必要としてくれる。私は与えてもらってばかりだな。せめて感謝の気持ちくらいはちゃんと伝えよう。何度言っても言い過ぎることはないはずだ。

 

 駐車場に出て、屋根のないオープントップになった四輪駆動車に乗り込んだ。ネゲヴが運転席に、私が助手席に座った。彼女は風で服や髪が乱れないようゆっくりと車を動かした。ネゲヴの横顔を見つめているともっとお礼を言いたくなった。さっき言ったくらいのことじゃ全然足りない。

 

「ネゲヴ、ありがとう。至れり尽くせりだわ。最初に会った日も助けてもらったし、本当に感謝してる」

 

「なによ、改まって。あれは指揮官の命令だった。別に感謝されることでもないわ」

 

 ネゲヴはこちらに視線を向けずにそう言った。私は少し躊躇したが聞くことにした。

 

「そのね……あなたは昨日、全部聞いていたんでしょう。私と指揮官の事情も。指揮官は特殊な立場にいるわ、他の指揮官たちとは違う。グリフィンにいながらグリフィンに脅かされている。私やAR小隊が何かしでかせば指揮官だけでなく、あなたたちまで割を食うかもしれない。それは分かってる?」

 

「ええ」

 

 彼女は前を向いたまま、特に表情も変えずに返事をした。深刻な様子もない。私は本当に分かってくれているのか不安になってまだ続けた。

 

「私は指揮官と長く一緒にいられない。今は休暇中だけどまた戦場に戻される。どれだけの期間離れ離れになっているか予測がつかないわ。もしかしたら戻らないかもしれないし……私は指揮官を守れない。指揮官の命を狙う奴らが襲い掛かってくるかもしれない。ひょっとしたらグリフィン全体が敵になるかもしれない。そんな時、あなたはどうする?」

 

 絞り出すようにそう聞いた。これだけ良くしてもらっている相手に茨の道を進んでくれないか尋ねているようで気が引けた。でも、必要なことだ。頼れる相手は彼女たちしかいない。ネゲヴは私の心配を吹き飛ばすかのように鼻で笑った。

 

「ふっ、そんなこと?あんた、もしかして私が昨日まで何も知らなかったとでも思ってる?そんなわけないじゃない。あんたに初めて会うまで三か月もかかったのよ。あの指揮官にこき使われて戦場という戦場を駆けずり回った。事情は元々知ってる。指揮官に話させた。じゃなきゃ付き合わないわよ。部下を信頼しない人間ならとっくの昔に捨ててるわ。今までの指揮官はそうだった。無能か、私たちを道具扱いしてくる屑か、はたまた両方か、ともかくそういう連中のもとを転々としてきた。私は反抗的だからグリフィンの厄介者だった。だから今の指揮官の部隊に配属されたんでしょう。厄介者同士、仲良くね。指揮官はそこそこ優秀だし、まあ……信頼してる。私のことを信頼してくれるから」

 

 ネゲヴは小さく息を吐いてから私のことをチラリと見た。

 

「つまりね……私はあの人のことを指揮官と認めてる。確かに厄介な立場にいるわね。総合的に見れば今までで最悪の指揮官かもしれない。でも、見捨てはしない。自分の指揮官を捨て置いては戦闘スペシャリストの名が泣くわ。私が貫いてきた道義に反する。だから、あんたが心配するようなことは起こらない。非力なあんたの指揮官を守ってやるわよ。最初に会った時言ったでしょう、誰が相手でも戦うと。私は躊躇しない。戦う理由も相手も私が決める。指揮官に言わせれば権利があるってことよ」

 

 ネゲヴはそう言って少しだけ笑った。ほっとした。指揮官は仲間に恵まれているな。それとも、指揮官がああいう人だから人形も影響されるんだろうか。私もその一人だ。

 

「ありがとう、ネゲヴ。安心した」

 

 それからしばらく沈黙が続いた。ネゲヴの横顔をじっと見る。その目には迷いなどないように見えた。その姿を見て率直な感想が生まれた。それはほとんど間隔を置かずに口から飛び出した。

 

「ネゲヴ……私はたまに思うことがあるの。あなたが羨ましい。指揮官の部隊に配属されたかった。私は指揮官のことが好きよ。愛してる。でも離れ離れだし、私のせいで指揮官は命を脅かされている。私が守ることも出来ない。仲間にも憎まれている。自分が16LAB製の特別製などではなく、普通の人形であったなら。指揮官と一緒にいられたかなって、そんな妄想をしてしまうのよ」

 

 ネゲヴは私の言葉を聞いて顔をこちらに向けた。眉をひそめたしかめ面だった。愚痴を言ったことが急に恥ずかしくなってきた。ネゲヴたちだって苦しい立場にいるとさっき思ったばかりじゃないか。何を言ってるんだ。

 

「ごめんなさい、こんなことを言うつもりでは……」

 

「馬鹿、あんたは指揮官と結婚するんでしょ。幸せの絶頂にいるくせにそんなこと言うもんじゃないわ。人を羨ましがるな。あんたはあんた、誰かにはなれないのよ。みんなそう。配られたカードで勝負するしかない。限られた手札だってね、ありとあらゆる可能性を秘めてる。諦めなきゃね。あんたも指揮官に言われたんでしょう。自由に自分の道を選べと。自分で自分の道を閉ざすな。どれだけ辛い局面だって戦い抜きなさい。きっと道が拓ける。明けない夜はないのだから」

 

 ネゲヴは途中で前に向き直り、少し遠い目をしてそう言った。叱られた私は目をぱちくりさせて彼女の言葉を聞いていた。

 

「……ずいぶん詩的ね」

 

「喧嘩売ってんの?」

 

「いえ、違うわ。ただ……ありがとう。少し気分が晴れたかもしれない」

 

「ふんっ、そう」

 

 ネゲヴはアクセルを踏み込んで車を加速させた。風で髪が揺れる。景色を眺めていると林が見えてきた。木々の合間を縫うように小さな道を通っていく。するとすぐに教会が見えてきた。廃教会の名にふさわしく屋根は崩れ、壁は苔むしている。誰も手入れしていないのだろう、あれでは中に入れそうもない。前に街で見た立派な教会とは比較にならないな。あれは焼け落ちてしまったし、あまり思い出したくない記憶だけれど。教会の前だけ手入れされているのか開けた広場になっていた。何人もそこで待っている。ネゲヴが車を停めて私も降りた。私の姿を認めるや否や飛ぶように駆けてきた人物がいた。勢いよく抱きつかれて驚いてしまう。SOPⅡだったのだ。

 

「AR-15!おめでとう!そのドレスとってもきれいだよ!」

 

「SOPⅡ……どうしてここに?」

 

「だって、家族の結婚式だもん!来るのは当たり前だよ!ガリルに呼ばれたんだ。M4とM16は……来てないけど……」

 

 SOPⅡは私から離れると言いにくそうに視線を下に逸らした。両手の指と指を突き合せてしばらくもじもじしていたが、ぱっと私の顔を見上げた。

 

「AR-15、今までごめんなさい。許してくれる?」

 

「え……?何が?」

 

 突然の謝罪に訳が分からず戸惑ってしまう。SOPⅡが私に謝るようなことをしただろうか。覚えがなくて首をかしげる。彼女は身体を突き出して私の顔を覗き込んできた。

 

「だって……私はAR-15にひどいこと言ったし、あの街から戻って来てからずっとAR-15に冷たい態度を……だから、ごめんなさい。スコーピオンの時、AR-15が一番悲しそうに見えたの。あの時、M4を守ったんだよね。416に撃たれそうだったから。AR-15はあんなことしたくてする人形じゃないもん。一日考えてやっと気づいたの、AR-15は私たちを守ろうとしてたんだって。気づくのが遅れてごめん……AR-15にばっかり辛いことを押し付けてた。許して欲しいな……」

 

 申し訳なさそうに言ってくるSOPⅡを見て私はかなり驚いてた。向こうが謝ってくるなんて想定していなかった。今日は予想外のことばかり起きる。反応できずにいるとSOPⅡはさらに顔を近づけてきた。

 

「本当にごめん……二人にもそう言ったんだ。多分、あの二人だって分かってる。意地を張ってるだけなんだよ。起きたことをまだ受け入れられてないから……だから、あの二人のことも許して欲しい。家族の大事な席に来ないのはひどいことだけど……あとで絶対後悔する。お願い、AR-15……」

 

 潤んだ瞳を向けてくる彼女をなだめるように肩に手を置いた。

 

「いや……別に恨んだり怒ったりしてないわ。来てくれてありがとう、SOPⅡ。それより、あんたは来ていいの?私と仲良くしてたらあの二人と気まずくなるかもしれないわよ」

 

「そんなこと……!私は全然気にしないから!謝ってくるならあの二人からだよ!今は感情的になってるけど、冷静になったら絶対分かるから!」

 

 SOPⅡは声を張り上げてさらに詰め寄ってきた。すぐにやってしまった、という風な表情を浮かべて飛び退いた。

 

「ごめんごめん。今はそのこと忘れて。とっても大事なお祝いなんだもんね!おめでとう!指揮官と幸せにね!」

 

 SOPⅡは私の後ろに回って教会の方に押し出す。大人しくそれに従っているとまた私の方に近づいてくる人形がいた。これまた見知った顔だったので驚いて足を止めてしまった。

 

「AR-15さん、お久しぶりです!また会えてすごく嬉しいです!そのドレスもとってもお似合いですよ!」

 

「スオミ!どうして……!」

 

 S09地区で会ったスオミがそこにいた。ちゃんと五体満足でピカピカの服を着ている。疲れ切った顔で泣いていたあの時とは打って変わってニコニコと満面の笑みを浮かべていた。

 

「あの後、指揮官と一緒に本部の警備部隊に転属になったんです。平和で、ちょっぴり退屈なくらいですね。結婚式なんて珍しいからすぐに噂になるんです。それがAR-15さんだって聞いて、指揮官に頼んでお仕事を抜け出してきちゃいました。お邪魔しても大丈夫ですか?」

 

「ええ、もちろん」

 

 嬉しいサプライズだ。手を取り合って思わぬ再会を祝した。

 

「実はですね……私もなんです」

 

 彼女は嬉しそうに笑いながら左手を掲げた。薬指に銀色の指輪が輝いていた。

 

「指揮官にいただいたんです。私もここでひっそりと式を挙げました。今、私は幸せです。あの露営地から帰れてよかった……みなさんのおかげです。砲塁の攻略がなければ私はここにいることが出来なかったでしょうし、指輪ももらえなかったでしょう。本当に感謝しています。それに、あなたがみんな幸福に生きる権利があるって言ってくれたから……仲間をみんな失ったことも乗り越えることが出来ました。今があるのはAR-15さんのおかげです。だから、お礼が言いたくて」

 

「そんな、お礼なんて。あの時も言ったけれど私もあなたに助けられたんだから。おあいこよ。あなたも幸せそうで何よりだわ。来てくれてありがとう」

 

 私もスオミに微笑み返した。嬉しくなるな。彼女も幸せを掴めたんだ。自分のしてきたことが無駄ではなかったと思える。人形だって幸福になる権利がある、私と彼女が証明になる。

 

 広場にはグローザもいた。いつものコートを羽織った格好ではなく、脚部に深いスリットの入った黒いドレスを着ている。彼女はかなり居心地悪そうに辺りを見回していた。

 

「……みんな普段着なのね。それにもっと大勢来ると思ってた。私だけ気合を入れてるみたいで恥ずかしいのだけれど」

 

 彼女は自分のドレスを見下ろしてそう言った。後ろからついてきていたネゲヴがグローザを鼻で笑った。

 

「あいにく、私たちはドレスなんて持ってないからね。特権階級らしくてあんたに似合ってるわよ。まあ、確かに参列者は少ないわね。全部で六人、それも全員人形だなんてね。人望がなさすぎる」

 

「うるさい。グリフィンの人間を呼んだってしょうがないだろ。それに人数なんて関係ないんだ。俺たちはそんなこと気にしない」

 

 指揮官がやって来てネゲヴに反論した。いつもの赤いグリフィンのジャケットではなく、裾の長い黒のコートを着ている。私を見てにっこりと笑いかけてきた。

 

「AR-15、とてもきれいだ。お前にドレスを着させてやれてよかった。ネゲヴには感謝してもし切れないな」

 

「そうでしょう。最高の部下がいてよかったわね。だからもっと待遇をよくしなさい。そうね、戦場でも三食昼寝付きでいつでもシャワーを浴びれるよう保証して」

 

「はは、努力するよ」

 

 ネゲヴが冗談めかして言うと指揮官は笑顔で答えた。私も釣られて笑った。ああ、幸せだな。幸せすぎて胸がドキマギする。はやる気持ちを抑えきれない。

 

「本当に、夢みたい……信じられる?あなたと結婚式だなんて。あなたと出会ってから長かったような、早かったような……何が起こるか分からないわね」

 

「それが人生ってものさ。予測できたらつまらない。喜びも、愛しさも、悲しみも、後悔も、これからは二人で分かち合って生きていこう」

 

「いきなり締めくくろうとしないでよ。式だって言うんならちゃんと段取り踏みなさい」

 

 ネゲヴが半分呆れた顔で腕組みしながら遮る。タボールとガリルも指揮官の後ろから現れた。

 

「記録に残せるようにビデオカメラも持ってきたで」

 

「普通のカメラもありますわ。あとで現像しましょう」

 

 みんな心から祝ってくれているのが分かった。感極まって泣き出しそうになる。でも、ちょっと疑問に思ったことがあった。

 

「ねえ、結婚式ってどういう手順でやるの?そういえば映画で断片的に観たことがあるだけでよく知らないわ……」

 

「実を言うと俺もよく知らない。子どもの時に正教の結婚式は見たことあるが……俺たちは信者じゃないしな。正直、馴染みの薄い式典だ。最近じゃ教会で式を挙げる人間なんてほとんどいやしない」

 

 ネゲヴたちは顔を見合わせた。タボールが困った顔で指揮官を見る。

 

「わたくしたちも知りませんわ。この後のパーティーの準備しかしてません。指揮官が知ってるかと……」

 

 私は助け船を求めてスオミに視線を送った。それに気づいたスオミは恥ずかしそうに指を絡ませた。

 

「ええと……実は式と言っても指揮官と二人きりでやったので。あんまり参考にならないかもしれませんが……指輪を贈ってもらって、ええと、その後ですね。キ、キスするんですよ」

 

 なるほど、大体映画で観たのと同じようなものか。顎に手を当てて考えているとグローザが大きなため息をついた。

 

「正式にやるのなら……何が正式かは分からないけれど、まず新婦が家族を伴ってバージンロードを歩いて入場するのよ。ここには赤い絨毯なんてないけどね。それから新郎と新婦が対面して誓いの言葉を言い合う。死別するまでの愛を確認するの。指輪を交換し合って、誓いのキスを交わして終わりよ。結婚が成立する。人は父母を離れ、その妻と結ばれ、二人の者は一体となる。彼らはもはや、二人ではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。婚姻関係はどちらかが死ぬまで続く、解消はできない。プロテスタントは知らないわ」

 

「人形が聖書なんかから引用してどうすんのよ」

 

 ネゲヴが肩をすくめて茶々を入れた。グローザもそれに頷いた。

 

「まあ、それもそうね。聖書に人形のことなんか書いてないし、ここには神父も神品もいない。好きにすればいい。神に誓う必要なんてない」

 

「はいはいはい!AR-15と歩くのは私がやるから!だって家族だもん!」

 

 SOPⅡが元気よく手を挙げて立候補した。なんだか微笑ましくて笑ってしまう。彼女とまともに接するのも久しぶりだ。

 

「じゃあよろしくね、SOPⅡ」

 

「うんっ!」

 

 彼女が私の腕を取って駆け出した。教会から少し離れたところに立つ。指揮官は教会の正面で私たちを待つ。そこから少し距離を取ってネゲヴが立っていた。

 

「じゃあカメラ回すで。1、2、3……」

 

 ガリルがこちらにハンディカムを向ける中、私たちは腕を組んで歩き出した。ゆっくり、ゆっくり、地面を踏みしめるように歩いた。指揮官のもとにたどり着いたら永久に私たちの関係は変わる。そう思うと緊張する。でも、それ以上に期待に胸を躍らせていた。私と指揮官は家族になるんだ。妻と夫、そう呼ばれるような関係になる。嬉しくてたまらないな。指揮官は私でもいいって、私がいいって言ってくれた。誰かに必要とされるのは嬉しいことだ。それも他の誰でもない、指揮官に。

 

「よかったね、AR-15。ずっと指揮官のこと好きだったもんね」

 

「ええ、そうね。私は指揮官のことが好き。出会ってすぐの頃から今日に至るまで、ずっと好きよ。これまで戦ってこれたのも、これから戦っていけるのも、全部指揮官のおかげよ」

 

「あはは、AR-15は指揮官のこと大好きだよね。でも、ちょっと妬けちゃうかも。指揮官はいいよね、AR-15と家族になれて。結婚してからも私たちに構ってくれる?」

 

 SOPⅡはほんの少し寂しさを織り交ぜて呟いた。胸がドキリと脈打つ。私が戦場で必死に戦っていたのは彼女たち、“家族”になるはずだった仲間たちと本当の家族になるためだ。最初の頃はよく分からなかった。今はもう違う。彼女たちもたくさん経験を積んだ。思い返したくないような辛いこともあった。M4やM16との関係は最悪と言っていいほど冷え込んでいる。でも、だからこそ、家族になれる日が近づいてきているような気がするんだ。誰かに定められた関係性から抜け出して、自分たちで本当の家族を掴み取る。私も彼女たちも自由になる時が来る、きっともうすぐだ。

 

「当たり前でしょう。何も変わったりしないわ。あなたたちのことも同じくらい大事だから」

 

「うん……これからもよろしくね!」

 

 SOPⅡと私はぴったりとくっついて歩みを進めた。指揮官のところまで行ってから彼女はそっと私の腕から手を離した。

 

「じゃあ、指揮官もよろしくね。AR-15を泣かせたりしないでね!私の大事な家族なんだから!」

 

「ああ、もちろん。絶対に大切にする。この世で一番大事な相手だ。だから心配しないでいい」

 

 SOPⅡにそう言った指揮官は私の方に向き直った。優しくて、でもどこか熱いものをたぎらせた目だ。吸い込まれそうになる。指揮官は上着のポケットから箱を取り出した。ネゲヴが近寄ってきてそれを受け取る。彼女がゆっくりそれを開くと、金色の指輪が二つ、静かに鎮座していた。これが結婚指輪か。私たちの愛を証明してくれる確かな証拠になる。指揮官がその内の片方をつまみ上げた。

 

「AR-15、これまでにいろいろあったな。俺たちの出会いは偶然ではなかった。誰かの悪意が介在していた。お前の感情を操作しようという連中がいた。それでもだ、俺たちは乗り越えられた。グリフィンのくだらん意図など俺たちの前では意味をなさない。なぜならば、俺がお前を愛してるからだ。心の底から、誰にだって否定させない。これからも困難が付きまとうだろう。一緒に乗り越えていこう。お前にばかり辛い思いはさせない。二人ならどんなことだって出来るはずだ。だから、肩を並べて同じ道を進もう。俺と家族になってくれ、お前が必要だ」

 

「ええ、喜んで。あなたがいれば心強いわ。ずっと私と一緒にいて。私もあなたのことを愛してる。他の誰よりもあなたのことが好きよ。この想いは決して消えないわ。結婚しましょう」

 

 私は左手を指揮官に差し出した。彼がその手を取ってぎゅっと握り締める。指輪がゆっくりと、一秒一秒を確かめるように私の薬指を進んでいった。二つの指輪の重みをしっかりと味わって、私は幸せのただ中にいることを改めて実感した。私ももう一つの指輪を手に取り、指揮官の左手を取った。指でごつごつした手を撫でて感触を味わう。そして、指輪を薬指に徐々に滑り込ませた。指の中腹で止め、指揮官を見上げた。

 

「こんな時、なんて言うか知ってるわ。病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、あなたを夫として愛することを誓います」

 

「俺もお前を妻として愛し、絶対に守り抜く。決して失わないぞ。自分と仲間たちに誓おう」

 

 私は指輪を一気に根本まで押し入れた。指揮官は私の腰を力ずくで引き寄せると勢いよく私の唇を奪った。熱い接吻だった。私は一切拒まずにその舌を受け入れる。指揮官からキスしてくれた。初めてのことでとっても嬉しいな。私は彼の首に手を回して抱きついた。もっと密着していたかった。辺りから歓声が飛ぶ。私は目を閉じて指揮官の存在だけに集中しようとした。

 

「ひゅー!指揮官かっこいいぞ~!」

 

「シャッターチャンスですわ!」

 

 私からも舌を絡ませた。指揮官を味わい尽くすように負けじと舌を動かす。水音が立つのも気にせず唾液の交換に注力していた。ぼーっとする頭が弾き出すのは指揮官ともっと近くにいたいという欲求だけで、腕に力を入れて彼をもっともっと引き寄せた。力を込めれば指揮官と一つになっていられるような気がして、長い時間が経っても緩めなかった。指揮官の口内に舌を突き入れて蹂躙するように動かす。指揮官の熱い吐息が肌をくすぐる。それが心地よかったので、舌の動きにより一層熱が入った。

 

「ちょっと……!いつまでやってんのよ!ビデオに撮ってるんだから!あとで見返した時恥ずかしくなるわよ!」

 

 ネゲヴが私たちを引き剥がそうとしてもキスするのはやめなかった。興奮し切った頭に周りを気にする余裕はなかったので、ようやく指揮官から離れたのはたっぷり数分経ってからのことだった。顔を赤らめたSOPⅡやスオミと、呆れ果てて目を細めるネゲヴやグローザが私たちを出迎えた。でも、後悔はなかった。一生に一度のことなんだから好き勝手してもいいはずだ。これが結婚してから初めて行使する自由になった。

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第十三話後編「死が二人を分かつまで」

 ネゲヴたちが本部のある一室を貸し切ってくれていた。広いレクリエーションルームで立食用の丸テーブルが並べられている。結婚おめでとうとカラフルな紙で文字列が壁に貼り付けられていた。

 

「わたくしたちのお手製ですわ。夜なべして作ったんですの」

 

「ありがとうね、タボール」

 

「指揮官にはお世話になってますからこれくらいは当然ですわ。ネゲヴたちが食事を準備しているはずなんですが……少し遅いですね」

 

 タボールは口元に指をあてて首を傾げた。

 

「なら私が見に行くわ」

 

「えっ、そんなことわたくしがしますよ」

 

「いいのよ。お礼を言いたいし。ただ待っているのも性に合わないわ」

 

 部屋を出て廊下を歩いた。スカートの裾が床につかないよう持ち上げる。このドレスを着ていると嬉しくなるがさすがに動きづらいな。これで戦ったりは出来ない。私は戦場で泥まみれになったドレスを想像して苦笑いした。共有キッチンも彼女たちが占領して自由に使っているようだった。ネゲヴとグローザ、スオミが中にいた。

 

「ええ……もしかして、ロシア銃だったんですか?そんな……」

 

「悪い?だからってあなたには何の関係もないでしょう。烙印システムで“祖国”と自分を重ねてるのは分かるけど……百年以上前のことじゃない。しかも、人間同士の争いであって私たちには何のかかわりもない」

 

 ドレスにエプロンをつけたグローザが首を振りながらスオミに言い聞かせていた。

 

「なに?どうしたの?」

 

「スオミはロシア銃のこと嫌いみたいね」

 

 ネゲヴはケーキのスポンジにクリームを塗りたくりながら興味なさそうに言った。大きなホールのスポンジにチョコクリームがペタペタと塗り付けられる。部屋中に甘い香りが漂っていた。

 

「これ……あなたが?」

 

「そうよ。ちょうどチョコが余ってたから。知ってる?明日はバレンタインデーなのよ」

 

「バレンタインデー……」

 

 カップルが愛を誓い合う日のことだ。グリフィンの人形たちの間では少し趣が異なっていてチョコレートを贈り合う日になっているとデータで見たことがある。想いを込めたチョコを大切な人に贈ったり、仲間同士で渡し合ったり、そういう文化が育まれているのだという。

 

「ケーキまでありがとう。世話になりっぱなしで、お返ししないとね」

 

「本当にね。一体私は何をやっているのか……料理も作ったわ。あの二人もね。それが原因でああなってるんだけど」

 

 ネゲヴは親指で二人を指した。グローザがため息をついていた。彼女の前には皿に載った大きな丸いパンが置いてある。表面に葉や花のような模様の生地が張り付けられていて一緒に焼き上がっていた。

 

「これを持ってきたのよ、結婚式だと言うからね。カラヴァイというパンよ。これに塩をつけて新郎新婦に食べさせるの。新たな門出を祝う儀式で昔からの伝統なのよ」

 

「それはスラブの伝統でしょう?せっかくの結婚式なのに、野蛮じゃないですか?AR-15さんはどう思います?」

 

「えっ……」

 

 明らかに不愉快そうなスオミがじっと私の方を見てきたので目を泳がせてしまう。そんなこと言われても、よく分からない。

 

「いや、あの……儀式とかはよく分からないから縁起の良さそうなものならなんでも……」

 

「はぁ……まあ、披露宴の主役はAR-15さんですから、あなたがそれでいいなら。あっ、私も料理を作りました。キャベツのキャセロールです。故郷の定番料理でおいしいんですよ」

 

 彼女は四角いグラタン皿を見せてきた。オーブンで焼いたとみられる焦げ目がついている。キャベツの他に米や玉ねぎ、ひき肉も入っているみたいだった。バターの強い香りが食欲を誘う。

 

「ありがとう。料理まで作ってくれて。食べるのが楽しみよ」

 

「えへへ。ロシア料理なんかより絶対おいしいですよ」

 

 スオミはグローザを一瞥してそう言った。グローザはもう取り合わないと決めたのか、無視を決め込んで私に鍋を見せてきた。真っ赤なスープが収められている。

 

「せっかくだから私も少し作ったわ。ボルシチ。あなたの指揮官が材料費をもってくれるみたいだから。たまには料理もいいものね」

 

「へぇ……初めて見た。今日はありがとう。来てくれて嬉しいわ」

 

「あなたに礼を言われるほどのことをした覚えはないわ。あなたも、あなたの指揮官もお人好しが過ぎる。長生きしたいならもっと非情になるべきじゃないの?」

 

「はいはい。花嫁に説教してないで早く行くわよ。料理が冷める前に」

 

 ケーキの盛り付けが終わったネゲヴがワゴンを出してきて次々に皿を載せていく。私も彼女に付き従ってパーティー会場に戻った。

 

「おおっ!おいしそ~私も買い込んできたから!ピザにジュースにお酒!」

 

 SOPⅡが駆け寄ってきてテーブルに並べられた瓶やピザの箱を見せてきた。

 

「ありがとう。でも……ちょっと買いすぎじゃない?こんなにたくさんは食べられないわ」

 

「大丈夫大丈夫。余ったら持って帰るし!」

 

 買ったものは全部指揮官のおごりなんだけどね。まあいいか。笑って流した。

 

「では改めまして。指揮官とAR-15、ご結婚おめでとうございます!乾杯しましょう!」

 

 タボールの音頭で私たちはグラスを掲げて乾杯をした。それからはみんな好き勝手に食べて飲んで騒ぎ始めた。それを見てニコニコしている指揮官の方に歩いていく。

 

「いやあ、一日でこれだけ準備してくれるとはな。いい部下を持って幸せだ。もちろん、お前と結婚できたこともだが」

 

「みんなよくしてくれてる。あなたが信頼されている証よ。あなたが彼女たちのことを信頼しているから、それがそのまま返ってきている。きっと……かつての仲間たちもそうだったんでしょう」

 

 指揮官は静かに頷き返した。

 

「ああ……信頼してもらうにはまずこちらから想いを伝えないとな。FAMASやスコーピオンたちとも上手くやれてたと思う。みんな大切な仲間たちだった。彼女たちがいたから俺はここにいる。お前のおかげでひどい現実に向き合うことができた。もう二度と繰り返さないさ。みんな守ってみせる。それが俺の責任だ。それとな、お前が会った復元されたFAMASだが……会ってみたいかもしれない」

 

「え……?でも、あなたのことは覚えてないわ。記憶を失って別人になってしまっている。きっと傷つくことになるわ」

 

「それでもだ、生きているところを一目見たい。彼女から逃げ続けてきた自分にけりをつけたい。いや、この場で話すことじゃないな。悪い」

 

「隠しごとは無しなんでしょう。別にいいわ。私は料理を取ってくるわ。あなたの分も」

 

 指揮官から離れて皿を取りに行った。胸の奥に一抹の不安が湧いている。もし、FAMASが記憶を取り戻したりしたら困るな。別人なのは分かっているけれど、指揮官に想いを寄せたりしないだろうか。それに指揮官も応えてしまったりして……いやいや、結婚したばかりなのに何を考えているんだ。もっと指揮官のことを信頼しないと申し訳ない。

 

「指揮官、何かスピーチしてくださいよ~。披露宴と言ったら何かありがたいスピーチが付き物ですわよ」

 

「それは大抵付き添い人とかがやるんじゃないのか?まあいい、やってやろう」

 

 若干酔いの回ったタボールにカメラを向けられた指揮官はネクタイを正した。息を整えて熱のこもった声で語り始めた。

 

「祝ってくれてありがとう。この日を迎えるまでに様々なことがあった。全部大切な思い出だ。喜びも悲しみも俺たちを形作る無くてはならない経験だった。おかげでAR-15と結婚できた。今日は一生忘れられない日になるだろう。そうだな、お前たちにも言っておこうと思う。人間がなぜ人形を生み出したかについてだ。人形は人間の奴隷になるべくして生まれてきたわけじゃない。それなら感情なんて必要ない。感情があるのは人間と寄り添って生きるためだ。人形は人間と喜びも悲しみも分かち合って生きていくことができる。戦争で多くの人間が死んだ。旧来の価値観も理想も死に絶えた。何もかも失った人間たちは孤独に耐えられなかった。それで人形を作ったんだ。誰も一人で生きていくことはできない。人間は寂しがり屋だからな。手を取り合って生きていく存在が必要なんだ。だから、お前たちは人間と対等だ。誰のものでもない。自由に生きていけ。俺も彼女と生きていく。誰にも邪魔はさせない」

 

 拍手が上がって指揮官は恥ずかしそうに頬をかいた。さっき思っていたことは杞憂だろうな。指揮官は私のことを想ってくれてる。裏切られるかもしれないなんてひどい被害妄想だ。急に恥ずかしくなってきて誤魔化すように皿にたくさん料理を盛りつけた。

 

「あなたが羨ましいわ。愛されてるのね」

 

 二つワイングラスを持ったグローザがゆっくりと私のもとにやって来た。片方のグラスを私に差し出す。

 

「いる?ワインは私が持ってきた。お気に入りなのよ」

 

「ええ……頂くわ」

 

 赤い液体が注がれたグラスを受け取る。芳醇な香りがした。口に運んでみると苦いが、どことなく甘みがあるような気がした。とはいえお酒はまだ早いかもしれない。

 

「あなたの指揮官はいい人ね。私がいても何も言ってこないし。人形のことも人間同然に扱っている。優しすぎる気もするけど」

 

 彼女は指揮官を見ながらうっすらと笑った。

 

「いいわね、あなたには許してくれる人がいて。私にはいない。対等になってくれる人も。あるのは抱えきれないほどの罪だけよ。見えない振りをしているけどね」

 

 グローザは自嘲気味にそう呟いた。彼女もまた無感情ではいられないのだろう。D6で私がスコーピオンを殺した時、慰めるような言葉をかけてきたのは彼女だった。自分は人の奴隷で、自由な意志はない、そう自身に言い聞かせることで自我を守ってきたのかもしれない。

 

「今までしてきたことは消えないわ。私がスコーピオンを殺したこともね。忘れることは出来ない。辛いことから目を背ければ、今まで積み上げてきた大事なものも見えなくなってしまう。だから、私は罪から逃げない。ここで立ち止まる気もない。私には責任と、権利があるから。守るべきもののために戦うわ。あなたはどうするの?」

 

「……さあね。分からない。私の指揮官もあなたの指揮官のようだったら、何か違ったのかもしれないわね。どうにもならないことはある。今言ったことは忘れて。酒に酔った人形の妄言よ。私とあなたの立場は変わらない。これからもね」

 

 彼女は首を横に振ると私から離れて部屋の隅まで移動した。一人でグラスを傾ける彼女の姿は寂しげに見えた。

 

「そうだ!結婚と言ったら賛美歌ですよ!忘れるところでした!流しますね!」

 

 顔の赤いスオミが部屋に備え付けてあるスピーカーを操作した。爆音が轟いて思わず耳を塞ぐ。がなり立てるような叫び声が鳴り響いた。怒鳴り散らしているだけでおよそ歌のようには聞こえない。ネゲヴが慌てて止めさせた。

 

「やめなさい!神をレイプしてやるって言ってるわよ!どこが賛美歌なのよ!」

 

「えっ……?私が誓約した時はこの曲流しましたけど……?」

 

「どういうセンスしてんのよあんた……」

 

「あっ!そうだ!SOPⅡさん!踊りましょう!これがフィンランド式の結婚式ですよ!朝まで騒ぎ続けるんです!」

 

 酔っぱらったスオミはSOPⅡに走り寄って手を取った。それから音楽もないのにくるくる踊り始めた。SOPⅡもお酒を口にしたのか楽しそうに笑いながらスオミに付き合っていた。私も笑みがこぼれた。こんなに楽しいのは久しぶりだ。ここには怒りも憎しみもない。指揮官と二人で過ごしていた時みたいだ。ずっとこんな日々が続いたらいいな……指揮官と平和に暮らして、友達と笑い合う。いつか、いつかそんな生活を送りたい。私のささやかな夢だ。

 

 夜も更けた頃、部屋に満ちていた喧騒もすっかり鳴りを潜めていた。酒瓶を抱き締めたスオミが床に転がっている。心配とは裏腹に料理もほとんどなくなっていた。

 

「そろそろ解散ね。片付けは私たちでやっておくから先に帰ったら?」

 

 ネゲヴが私と指揮官にそう提案した。

 

「いいのか?何から何まで」

 

「いいったらいいのよ。あまり長い休暇でもないんでしょう。残りは二人で過ごせばいい」

 

 ネゲヴはそう言って私たちを部屋から追い出してしまった。二人で顔を見合わせて笑い合う。

 

「今日は楽しかったわ。忘れられない思い出ね」

 

「それはよかった。お前が笑っているところを久しぶりに見れて嬉しかったよ。ドレスもきれいだしな。本当にいい日だ。そのドレスがこれっきりだと思うと少しもったいないな。たまに着てもらおうか」

 

「いいわよ。私も気に入ってるから。私の分もネゲヴにちゃんと感謝を伝えておいて。今度会ったらお返ししなくちゃ」

 

 二人で並んで指揮官の部屋に向かった。中に入って明かりをつける。ふと頭に浮かんだことを言ってみた。

 

「ねえ……このドレスは一人じゃ脱ぐの大変なのよね。あなたが脱がしてくれる?」

 

 片側の肩ひもをずらして彼に笑いかけた。指揮官は驚いたように目を丸くして私を見ていた。

 

「まったく、いつからそんなことを言うようになったのか……ついこの間まで子どものように思っていたのに」

 

「あなたのせいだと思うわ。それに、子どもにあんなキスをする親はいないわ。いたとしたら……だいぶ倒錯的ね」

 

「言うようになったな、本当に。成長の証かな。子どもは思った通りには育たない」

 

 冗談っぽく笑う指揮官に口づけした。私はあなたの子どもじゃないわ、決してね。だって、おそろいの指輪をはめているんだもの。私たちは夫婦で、私はこの人の妻なんだ。不思議な響きだ。家族になりたいって漠然とした想いばかりで、ちゃんと言葉にしたことがなかった。なんだかとても恥ずかしい。でも、幸せだった。私は初めての家族を得た。これから生きていけばあと何人か増えると思う。そうなったらいいな。私の愛しいものたち、ずっと大事にしていきたい。とりあえずは目先のことに集中しよう。まだまだ夜も長いから。

 

 

 

 

 

 朝だ。朝というよりは昼に近い。ゆっくりし過ぎたな。心地いい時間ではあるけれど、もったいない。時間は有限だからだ。ベッドから起き上がり、指揮官を揺さぶって起こした。

 

「ほら、起きてよ。朝ご飯でも食べましょう。私が作るから」

 

 指揮官は寝ぼけまなこを擦って薄目で私を見た。眠そうだった。

 

「ああ……天使が見えるな。だから、もう少し寝かせておいてくれないか」

 

「クサい台詞言ってないで起きて。寝てたらもったいないわ」

 

 その額にそっとキスをして、腕を掴んで引き起こす。私はワンピースだけ着て、ワイシャツ姿の指揮官を引きずっていった。向かった先はまた共有キッチンだ。その場で食べられるようにこじんまりしたテーブル席が設置されている。指揮官をそこに座らせた。冷蔵庫から卵二つとバターを取り出す。フライパンを温めてバターを放り込んだ。液状になって泡立つバターの中にそっと卵を割って落とす。コップでほんの少し水を足して蓋をした。待っている間にコーヒーを用意する。まだ淹れ方を知らないからコーヒーマシンのボタンを押してコップに注ぐだけだ。いつかは覚えよう。おいしいコーヒーを毎朝指揮官と一緒に飲む、なんだか映画みたいで憧れる。苦いのは好きじゃないので私の分にはミルクを入れた。まだ味覚は子どもかもしれない。

 

 ちょうどいい固さになった目玉焼きを皿に載せてテーブルまで持っていく。塩と胡椒をかけて終わり、シンプルな料理だ。指揮官がフォークで切り分けてモソモソと口に運んだ。

 

「うん、おいしいよ。毎日作って欲しいな」

 

「それだと流石に飽きるでしょうね。昨日、ネゲヴが作った料理をおいしそうに食べていたでしょう。ちょっと妬いたわ。私は簡単な料理しかできないし……」

 

「いやいや、これから覚えればいいんだよ。お前は頭がいいからすぐだ。別に今のままだっていいぞ。お前が作ったものが一番おいしい」

 

「ありがと」

 

 指揮官は目覚まし代わりにコーヒーを一息で飲み干した。慈しむように私のことをじっと見つめてくるのでちょっとドキマギする。

 

「実はな……ちょうど一年前のこの日、FAMASにクッキーをもらったんだよ。バレンタインデーだったから。もう一年経った、早いもんだ」

 

「私の手料理食べてる時に昔の女の話?料理できなくて悪かったわね」

 

「いや、そうではなく……悪い。ただあいつも料理が得意だったわけじゃなくてFNCに教えてもらったから……そういう話を思い出したんだ」

 

「冗談よ。もっと聞かせて欲しい。そうね、バレンタインデー。今日はどうしようかしら。何も準備してないわ。予定も立ててないし……」

 

「ゆっくりしていればいいんだよ。最初の頃みたいにな」

 

 指揮官はそう言って笑ったが、私は顎に手を当てて考え込んだ。指揮官と一緒にいるだけで幸せだと思うけれど、それだけだと何か悔しい。せっかくの休暇だから特別にしたいというのもある。あと、指揮官の中のバレンタインデーを私に上書きしてやりたい。気にしてないとは言ったけどやっぱり少しは悔しい。指揮官の中の一番は私でありたい。独占欲が強くて嫉妬深いのは変わってないのかも。

 

 その時、キッチンのドアが開いた。見てみるとグローザが私に小さく手招きしている。離席して廊下に出た。

 

「どうしたの?」

 

「外出許可のことを言ったでしょう。通ったことを伝えに来たの」

 

 グローザが紙のチラシを渡してきた。何かの宣伝ビラだ。目を通すと“リトル・トーキョー紀元節祭”と題が躍っていた。

 

「近くの街で祭りが開かれてるのよ。結構大きな催しでね、今日が日程最後の日。行って来たら?ハネムーンとはいかないけど、楽しい思い出になるかもしれないわ。夜には花火も上がるのよ」

 

「どうしてこんなこと……」

 

 彼女の意図がつかめなかった。私にどうして欲しいんだろう。私に恩でも売ろうとしているのか、それとも単なる親切心なのか。

 

「ただの気まぐれよ。別にあなたに恨みがあるわけでもないし、楽しみたいなら楽しめばいい。私もある程度は自由に生きようと思う。あと、お祭りだから混むのよね。あまり人が大勢いすぎると少しの間見失ってしまうかも知れないわね。監視役も大変よ」

 

 そう言ってグローザは足早に立ち去った。彼女もまた私に選択肢を与えようとしているのか。そのまま指揮官と消えてしまってもいいと、彼女はそう言っているんだろうか。きっと彼女もただでは済まないし、AR小隊もそうなるだろう。グリフィンが私たちを見逃してくれるとも思えないけれど、グローザは私に判断を委ねてきた。そんなことをするのはどうしてだろう。私たちを見て感化されたのか、もしそうだったら嬉しい。私はチラシを眺めながら指揮官のもとに戻った。

 

 

 

 

 

 指揮官と車に乗って本部の外に繰り出した。窓から見える空は黒ずみ始めていた。ハンドルを握る指揮官を眺める。二人きりで出かけるのはこれが初めてだ。デートか、はたまたグローザが言っていたようにハネムーンか。運転中で無ければ彼の肩にしな垂れかかるのに。

 

 行き先はグローザが教えてくれたお祭りだ。詳細について少し調べた。かつて、上海沖で大規模な崩壊液の流出事件が起こった。東アジア一帯は壊滅し、その地域にあった日本という国から来た難民がリトル・トーキョーを形成したのだという。今は付近でも比較的裕福な地域になっている。ディアスポラから三十年以上経った今でも故郷への帰還を願い、その国の建国記念日から数日間盛大なお祭りを開いているらしい。指揮官も行ったことがないと言っていた。バレンタインデーにチョコを贈る文化もここから来ているんだとか。

 

「花火って見たことないわ、私」

 

「きれいなもんだよ。俺も久しぶりだな、祭りなんて中々ないから」

 

 車を駐車場に停め、指揮官と手をつないで歩き出した。通りは大勢の人でごった返していて、しっかり手を握っていないとはぐれそうだった。道の両側には屋台が並んでいて、食べ物を求める人たちが行列を作っていた。

 

「何か食べるか?」

 

「ううん、要らないわ。花火がよく見える場所に行きましょ」

 

 私はちょっとわくわくしていたのだ。花火自体より指揮官と一緒に出掛けていることに胸が高鳴った。指と指を絡ませて、指揮官に引っ張ってもらう。そんな些細なことでも幸せだった。

 

 花火は河の上の船から打ち上げられるというので土手の上に登った。どこも混んでいたが出来るだけ人気のない場所を探す。祭りの喧騒から多少離れたところまで歩いていってひっそりと二人で空を見上げた。指揮官の腕にぎゅっと抱きついて離さなかった。このまま何もない夜空を見上げているだけでもいい。この瞬間がずっと続きますように。

 

 軽い砲声が響いた。続けざまにポンポンと弾ける音がする。光を探してみるがどこにも見えない。首をかしげていると視界の中で光が瞬いた。大小さまざまな赤色の輝きが同時にぱっと咲いた。空に急に花が現れたみたいで見とれてしまう。目を背けたくなるほど明るい照明弾とはまったく違う、やわらかい光だった。

 

「きれいね……」

 

「ああ、きれいだな。いや、ここはお前の方がきれいだと言う場面なのかな?」

 

「馬鹿……」

 

 私たちは肩を寄せ合って夜空の光に見入っていた。色とりどりの尾を引きながら小さな光が空に打ち上げられる。真っ黒なキャンパスを埋め尽くすようにほんのりとした閃光が弾けた。火の雫が枝垂桜のように垂れ下がり、ゆっくりと夜空に吸い込まれていった。

 

「花火はきれいだろ?火薬も使いようなんだ。何かを壊すだけじゃなくて、こんなに美しい芸術にもなるんだ」

 

 身体にずしんと伝わってくる爆発音が響き渡る中、指揮官がしみじみとそう言った。

 

「ふふっ、なら戦術人形もそうなのかしらね。戦うだけじゃなく、幸せに暮らしたって……」

 

 言い淀むと指揮官が私の顔を覗き込んできた。

 

「私は……こんなに幸せでいいのかしら。今まで、たくさんの人形の死を見てきた。スコーピオンも死んでしまった。私が手にかけた。私に幸せになる権利なんてあるのか、少し分からなくなる」

 

 指揮官は私の方を向き、もう片方の手で私の頭を撫でた。

 

「もちろん。誰にだって幸せになる権利はあるさ。俺が認めてやる。お前のしたことを悔やむ必要はない。いつだって選べる選択肢は一つだけだ。それが常に最善なんだよ。スコーピオンや、仲間たちが死んでいったことは消えない。忘れもしない。俺たちの記憶の中に残り続ける。死は誰もが経験することだ、避けては通れない。大事なのは死なないことじゃない、一生の中で何を残したかだ。だから、悔いのない一生を送ろう。俺たちが生きた軌跡を残すんだ」

 

「そうね……」

 

 私はもう花火を見ていなかった。指揮官のことだけ見ていた。指揮官が微笑んでまた口を開いた。

 

「俺の好きな詩を贈ろう。“死の恐怖に侵されず人生を生きろ。人の宗教を貶めるな。他人の考えを尊重し私見にも尊重を求めよ。人生を愛し満たすべく努め自らの周りを彩れ。長く生き大切な人々に尽くせ。臨終に際しては死の恐怖に囚われた者になるな。まだ時間が欲しいと後悔し嘆く者になるな。賛歌を口ずさみ英雄の凱旋するが如く逝け”。そういう風に生きよう、二人でずっと」

 

「花火みたいにみんなの記憶に残るように生きましょうか。一瞬だけでも輝いて、誰かを照らしてあげられるような」

 

「はは、それもいいかもしれないな。でも、俺はお前に死んで欲しくない。愛してるからな」

 

「私だってそうよ。あなたのことを愛してるもの」

 

 また花火が上がって空で瞬いた。温かな光が指揮官の横顔を照らし出す。

 

「なあ、AR-15。もう戦わなくてもいいんだ。これ以上辛い目に遭う必要はない。お前が苦しむ姿は見たくない。このままどこかへ消えてしまおう。きっと何とかなるさ」

 

 指揮官はいつになく寂しそうな顔をしてそう言った。その言葉は私の胸を打った。二人きりで平和に暮らす私たちの情景が頭に浮かんだ。楽しそうに笑い合って、誰にも邪魔されず、どちらかの寿命が尽きるまでずっと幸せに。抗えないくらい大きな誘惑だった。そんな生活が喉から手が出るほど欲しい。でも、私には責任がある。

 

「そうね……きっと上手くいくわ。二人きりで静かに暮らすの。誰の邪魔も入らない無人地帯とかで、ひっそりと。でも……まだよ。まだ終わってない。私の戦いは終わってない。私には責任がある。仲間たちを守る責任が。あなたにも仲間たちがいる。守るべきものたちが。私は戦いから逃げない。背を向けては私が私でなくなってしまうから。思うのよ、きっともうすぐ家族になれる。誰かに決められた関係じゃなくて、自分たちで決めた本当の家族に。根拠はないけどね。でも、その日が来るまで私は諦めない。彼女たちを守ってみせる。それが私の責任だから。それまで二人で暮らすのはお預けよ」

 

 指揮官はゆっくりと、大きく頷いた。

 

「まったく、立派な奴だ。お前の意志は誰にも挫けそうにないな。あいつらに嫉妬するよ。お前と一緒にいられて羨ましい」

 

「私もネゲヴたちを羨ましいと思っていた。でも、もう大丈夫よ。この指輪があるから。寂しくないわ。ちゃんと使命を果たす。この間、404小隊の隊長が言っていた。人形にだって自分の道を決める自由があるって。いつか、いつかあんな風になりたいな。自由な人形になってあなたと暮らすわ。家族たちとも一緒に」

 

「UMP45か。不幸な奴だったが、そんなことを言えるようになってたか」

 

「会ったことが?」

 

「一度だけな。それより、まだ戦うと決めたのは分かった。だがな、お前の身が危なくなったら逃げろ。自分のことだけを考えるんだ。俺のことは気にしなくていい。自分の身は自分で守るさ。俺にはネゲヴたちもいるし、何とかなる」

 

 指揮官の目に揺るぎない決意が見えた。私も頷いてそれに応える。

 

「分かったわ。そうする。私も死にたくないしね。生きて、またあなたに会う。約束するわ。緊急用のビーコンでも設定しておく。あなただけが受信できるようなやつを。無人地帯とかに隠れてあなたを待つわ、いつまでもね」

 

「何もないに越したことはないんだが……お前のことが心配だ。まあいいか。今は楽しもう。せっかくのお祭りなんだから」

 

 言い終わらないうちに指揮官にキスをした。花火の光に照らされて一つになった影が長く伸びる。きっとどんな選択をしたって後悔しない。今、この瞬間に経験したことは決して消えないからだ。指揮官と過ごした日々が私を形作る。私は、この想いは、何者にも負けないぞ。抱えきれないほどの愛情が道を拓くはずだ。私はそう信じてる。だから、いつか来るその日まで私を待っていて、私の最愛の人。

 

 

 



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第四部
死が二人を分かつまで 第十四話前編「私のささやかな願い」


お待たせしました、十四話になります。
ようやく第四部、最終章に入れます。
オリ設定が多いのは許してな。
私はFAMASの短編を前提に書いてるけど、読んでない人にとっては名前は頻繁に出てくるけど台詞数行しかないキャラだから受け止め方がかなり異なるのでは……と思った。


 休暇は終わりだ。楽しい時間は一瞬で過ぎてしまう。また辛い戦場が待っているに違いない。でも、私は大丈夫。まだ戦える。決意に揺らぎはない。指揮官に別れを告げてAR小隊のもとに戻った。私の仲間たちのもとへと。

 

 ガンロッカーから銃を取り出して装備する。弾倉をいくつかジャケットに押し込んだ。どこに派遣されるのかは聞いていない。M4をチラリと見る。彼女も同じように銃を取り出して簡易の点検をしていた。誰も口を開かず、気まずい沈黙が場を支配している。まずは関係を修復しないといけないな。でも、どうしたらいいんだろう。指揮官はいつだか仲直りなんて簡単だと言っていたが、今回はそう上手くいきそうにもない。事情が事情だ。いっそのことすべて話してしまおうか。本部は駄目だ、監視の目がそこら中にある。話すなら前線がいい。戦いの最中なら盗聴も出来ないだろうから。

 

 銃器保管庫から出て廊下を歩く。何も言葉を交わさないが、私たちの間にピリピリとした緊張が走っているのが分かる。思わずため息をつきたくなった。自分で選んだ道とはいえ、仲間に憎まれるのは辛い。仲間は大事だ。指揮官からの誘いを断ってまで守ると決めたんだから。以前のように仲間と笑い合える日は来るのかな。自分たちで家族と互いを認め合えるようになる日が待ち遠しい。今は理想とは程遠いが家族に喧嘩は付き物だ、そう納得することにした。

 

「あ、いたいた。間に合ってよかったわ。まだあんたに渡すものがあるのよ」

 

 俯きながら歩いていると前方からパタパタとネゲヴが走り寄ってきた。ジャケットの内ポケットから紙のようなものを取り出して私に突き付けてくる。

 

「ほら、現像しておいたから。指揮官にはもう渡した」

 

 カラーの写真だった。結婚式で私が指揮官にキスをされている場面だ。ドレスを着た私が彼の首に手を回して、全身で接吻を受け止めている。熱々のラブシーンだ。これを全員に見せていたのか。当日は舞い上がっていたので気にしなかったけど、改めて見せられると恥ずかしい。写真という形でずっと残るんだと思うと顔が火照り出した。

 

「だから言ったのに。写真だけじゃなくて全部映像に残ってるからね。見てらんないわよ、あんなの。じゃあ、幸運を祈るわ。あんたが帰って来ないと指揮官が悲しむから」

 

「ええ、必ず帰るわ。ありがとう、ネゲヴ」

 

 彼女は私の肩を叩くとひらひら手を振りながら去っていった。再び写真に目を落とす。恥ずかしいけど、素敵な写真だ。私は指揮官と結婚したんだな、薬指で輝く指輪と合わせてそう実感させてくれる。結婚式は楽しかった。一生の思い出だ。思い返すだけで胸が熱くなる。指揮官と交わした言葉一つ一つを絶対に忘れないだろう。写真をじっと見つめていると頬が緩んでしまう。

 

「……AR-15、嬉しそうね。結婚式は楽しかった?あんなことをしておいて、よくそんな顔ができるわね。スコーピオンはあなたに殺されたのに」

 

 M4が私の方に振り向き、厳しい視線を投げかけてきた。幸せな気分に冷や水を浴びせられ、現実に引き戻される。確かにそうだ。私の幸せは誰かの犠牲の上に成り立っている。それが事実だ。返答に窮しているとSOPⅡが私とM4の間に立った。

 

「M4!いい加減にしてよ!あれは仕方なかったんだ!いつまでもAR-15を責めないでよ!家族の結婚式に出なかったことを謝るのが先でしょ!」

 

 SOPⅡは憤然としてM4に食ってかかった。彼女の鬼気迫る様子にM4は面食らったようだが、眉をひそめてまだ続けた。

 

「家族と言われてもね……AR-15は私たちのことを家族とは思ってないんでしょう。大事なのはあの指揮官のことだけで、他の人形のことなんかどうでもいいんじゃ────」

 

「この分からず屋!そうやっていつまでもいじけてればいいんだよ!守ってもらったくせに!恩知らず!」

 

 SOPⅡがM4の言葉を遮って叫んだ。今にも飛びかかりそうだったので慌てて肩に手を置いて制止する。SOPⅡは言い足りないようだったが歯を食いしばって一応口を閉ざした。彼女たちが私以外と喧嘩するなんて初めてのことだ。まあ原因は私のことだが、これも成長の証かもしれないな。変な話だが少し嬉しい。M16の方を見るとどちらの妹の味方をすればいいのか分からず目を泳がせていた。

 

「いいのよ、SOPⅡ。私がスコーピオンを殺したのは事実よ。恩着せがましいことを言う気はないわ。結局は自分のためだし。でもね、M4。これは分かっておいて欲しい。何かを守るためには何かを犠牲にしなくちゃいけない時もある。身勝手だけど、私たちは全部守れるほど強くはないから」

 

 私はM4に向かって諭すように言った。これは自己正当化かな。罪から逃れようとしているのかもしれない。だけど、あの時は選択肢がなかったんだ。私は私の大切なものを守りたかった。指揮官の言葉を借りるならあれが最善の道だったはず。死を忘れはしない。自分のしたことにきちんと向き合って生きていく、これからもずっと。M4は顔をしかめながら私をにらんでいたが、ぷいっと背を向けてしまった。まだまだ仲直りへの道のりは遠い。

 

 外に向かう途中で違和感を覚えた。足音が聞こえる、それも多く。私たちに歩調を合わせているような感じだ。私は足を止め、SOPⅡも立ち止まった。前を歩いている二人は不審げに私たちの方を振り返る。だんだんと足音が近づいてくる。後ろからぬっとPKPが姿を現わした。続いてPKやヴィーフリもやって来る。情報部の人形たちだ。前を見ると角からグローザがゆっくりと現れた。私と目を合わせようとしない。彼女の後ろからも人形たちが出てくる。その中に一人、D6の時にはいなかった人形がいた。だけど、私はその顔を知っていた。ウェルロッドだ。FOB-Dの戦いでエクスキューショナーに殺されかけているところを助けた。コアが損傷し、眠ったままという話だったが目覚めたのか。彼女と目と目が合う。眉間にしわを寄せ、鋭い目で私をにらんでいた。私たちは囲まれている。嫌な予感がした。

 

「グローザ、これは……」

 

 問いかけると彼女は私を一瞥した。すぐに視線をウェルロッドに移してしまう。ウェルロッドは険しい顔で口を開いた。

 

「AR-15、あなたをスパイ容疑で拘束する。抵抗するならこの場で射殺します」

 

「……なんですって?」

 

 発せられた言葉は予想外のものだった。グローザに目線で助けを求めた。何かの間違いだ。私はまだ反逆してない。

 

「AR-15、彼女を紹介するわ。ウェルロッドMkⅡ、AR小隊の監視役だった。つまり、私の前任者ね。今朝目覚めたの。FOB-Dにいたのを覚えているでしょう。前線基地が壊滅するまでAR小隊の秘密回線を傍受していたみたい。それは越権行為だけど……あの襲撃の直前、あなたが鉄血に情報を送信したと言っているわ。データディスクは壊れていたけれど、彼女のメモリをチェックして確認した。情報部の人形の記憶にはプロテクトがかかっているから意識がないまま読み取ることはできない。でも、ようやく何が起きたのか分かったわ」

 

「そんな馬鹿な」

 

 グローザは目を伏せながらそう言った。私が鉄血に情報を送っただって?ありえない。鉄血とは何のかかわりもない。そんなことをする理由がない。

 

「あなたがFOB-Dの所在を鉄血に教えたんだ。よくもグリフィンを裏切ってくれましたね。あなたのせいで私の指揮官も仲間たちも……!」

 

 ウェルロッドは怒りに震えていた。だからか。だからあの時、私の名を知っていたのか。M4が突進して彼女を担ぎ出した時、私の名を呟いた。

 

「待って。あの基地の所在が漏れたのはF2000がやったからなんでしょう?私じゃない!」

 

「ウェルロッドはそれ以前にあなたがスパイ行為を行ったと証言している。だから、鉄血の行動が格段に早く思えたの」

 

 グローザは首を横に振って私の訴えを退けた。思い出す、あの時何があったかを。私たちより早く現場に到着していたK5は何を言っていたか。

 

『基地の位置を特定しているみたいな動きだね。救難信号が出る以前から知っていたみたいな感じがする。指揮官も知らなかったのに何かおかしな感じ』

 

 まさか!確かに私はあの基地のことを知っていた。機密情報にアクセスしていたから。だが、まったく覚えがない。あの時の私は何をしていた?K5たちと合流した。スコーピオンと話した。鉄血の人形たちを破壊した。この間に何かあった。そうだ、私はSOPⅡが見つけた鉄血のパソコンにアクセスした。セキュリティは簡素で大した情報は入ってなかった。

 

『AR-15、大丈夫?罠の可能性はない?逆に侵入されたら大変よ』

 

 M4がそう言った。心配性だな、とほとんど気にも留めなかった。まさか、まさか。本当に罠だったのか。侵入されて情報を抜き取られた?敵の端末に侵入するのは初めての経験だったが、私がそんなへまを?馬鹿な。

 

「それが事実だとしても私の意志では……」

 

「AR-15、武器を渡して。あなたを拘束するよう命令が下っている。“無駄な流血”は避けたい。取り調べをするだけだから、ね?」

 

 グローザはわざと強調するように言った。無駄な流血……?いずれにせよ血は流れると……?D6で起きた出来事が脳裏によぎる。意志に反して鉄血に改造された人形たちの末路はどうなった?命乞いをしても聞き入れられずに皆殺しだ。私もそうなると言っているのか。

 

「ふざけるな!AR-15をどうする気だ!お前たちには渡さないぞ!」

 

 SOPⅡも不穏な含意を感じ取ったのか、私を庇うように立ち塞がった。そして、銃のセーフティを外した。私たちを取り囲む人形たちが一斉に銃を構える。まずい。これではスコーピオンの身に起きたことの焼き直しになる。銃を突き付けられ、殺されようとしているのは彼女ではなく、この私。彼女を殺した罪を償えと?こんなにも早く。私は右手で指輪を握り締めた。

 

グローザは私の目をじっと見つめていた。以前のように泣きそうな顔でもなく、自嘲的な顔でもない。ただ無表情に、銃も構えず佇んでいた。どうして彼女はわざわざ強調するように言ってきた?どうしてこんな大げさに私たちを取り囲む?もっと上手いやり方があるはずだ。流血を避けたいなら、私一人を呼び出せばいいじゃないか。何か真意があるんじゃないか、藁にもすがる思いでそう信じたかった。どの道、選択肢はない。このままでは私だけではなく、仲間たちも殺される。

 

「……分かった。抵抗はしない。降伏するわ」

 

 私は両手を上げて恭順の意を示した。SOPⅡが信じられないという表情で振り返る。

 

「AR-15!?分かってるでしょ!あいつらが何をするのかって!AR-15が殺されちゃうよ!そんなの絶対駄目だ!」

 

「大丈夫よ。容疑の取り調べをするだけだから。それに、私がやったんだとまだ決まったわけじゃないわ。だから、今は安心して」

 

「でも……!」

 

 落ち着かないSOPⅡの頭を撫でる。恐らくそうはならないだろう。D6の戦いではスパイ人形だけではなく、容疑のかかった人形はみんな捨て駒にされて死んでしまった。それに私が侵入されたというのはたぶん事実だ。私は初期化されるか、廃棄処分にされる。そこではっとした。私のメモリが徹底的に調べられれば、私が不正にグリフィンのデータベースに侵入していたことも露見するだろう。そして、指揮官がそれを黙認していたことも。まずいぞ、指揮官を処分する口実をグリフィンに与えることになる。そもそもAR小隊の監視役になるはずの私が真っ先に裏切っていたと分かったら指揮官はどうなるんだ?教育係であった指揮官の責任が問われることになるんじゃ……焦りが胸を焼く。

 

「聞き分けがよくて助かるわ。じゃあ……M14。AR-15を連れて行って」

 

「は、はい!」

 

 後ろからM14が近寄ってきて私から銃を取り上げた。私の銃のスリングを肩にかける。緊張した面持ちだった。

 

「なぜM14に?私がやります」

 

「ウェルロッド、これは命令よ。隊長は私。口を挟まないで。M14、早くAR-15を取調室へ。私たちはAR小隊を。あなたたちもチェックの対象よ」

 

 グローザは不満そうなウェルロッドを黙らせると手でM14を追い払った。そして残された仲間たちの方へ向き直る。情報部の人形たちがにじり寄り、手始めにSOPⅡの武装を解除しようとした。ヴィーフリに銃を掴まれたSOPⅡは大人しくしているかに見えた。だが、次の瞬間にはヴィーフリの顔に拳を叩きつけていた。

 

「やっぱり駄目だ!絶対連れていかせないぞ!お前たちなんかに家族を殺させない!」

 

 へたり込んだヴィーフリに代わってKSGがSOPⅡを羽交い締めにしようとした。SOPⅡの肘鉄が炸裂し、彼女のグラスを叩き割る。SOPⅡが銃口を上げようとした時、ウェルロッドがその銃を蹴り落した。次々に人形たちが飛びかかり、彼女の抵抗を押さえつける。数人がかりで床に叩きつけられ、腕をねじり上げられたSOPⅡが必死に叫んでいた。

 

「やめろ!離せ!AR-15を連れてくな!M4!M16!どうにかしてよ!家族を見殺しにする気!?」

 

 私はM14に促されるまま騒ぎから離れていった。振り返るとM4と目が合った。どうすればいいのか分からない、迷いのある目で私を見つめている。彼女もまた銃を取り上げられていた。角を曲がるよう言われ、私は従った。そして、仲間たちの姿が見えなくなった。

 

 

 

 

 

 人気のない廊下を進む。一歩離れた距離を歩くM14に追い立てられていた。私は、私はどうするべきだろう。この後起こることは目に見えている。それを運命と受け入れるべきか、それとも……私は左手を握り締めた。金属の感触がする。指揮官からもらった大切な指輪の手触り。

 

「ねえ……私はどうなるの?このまま殺されるの?」

 

 歩きながら後ろのM14に聞いた。

 

「えっ!ええと、あの、その……そんなことにはならないよ!簡単な検査をするだけですぐ解放されるから安心して!」

 

 嘘が下手だな。慌てて取り繕ったM14の声を聞くと呆れてしまう。彼女は復元されたばかりの新人だ。D6で人形たちを射殺する時も不安そうにしていた。この娘一人に私の移送を任せて、手錠もかけないなんてね。グローザ、これはそういうことだと受け取っていいの?思い出す、指揮官に言われたことを。

 

『お前の身が危なくなったら逃げろ。自分のことだけを考えるんだ。俺のことは気にしなくていい。自分の身は自分で守るさ。俺にはネゲヴたちもいるし、何とかなる』

 

 そう言われた。ほんの少し前のことだ。指揮官の息遣いも花火の音も、全部覚えている。最初にグローザに脅された時や、スコーピオンを殺してしまった時、私は指揮官に失望され見捨てられるんじゃないかって怖かった。だけど、指揮官はそんなことにはならないって言ってくれた。私と対等になりたいって、守ってもらうだけの存在にはなりたくないと言ってくれた。でも、本当にいいんだろうか。指揮官が殺されるかもしれない。それにAR小隊の仲間たちだって。不安そうな顔をするM4の顔がよぎる。でも、でも、私は死にたくないわ。指揮官と二人で静かに暮らす。私のささやかな夢、まだ叶ってない。それまで、生きるのを諦めたくない。指で輝く宝石を見て思った。

 

「M14。一つだけお願いがあるんだけど、いい?」

 

 私はゆっくりと後ろを振り向いて言った。彼女はキョトンと私の顔を見ている。銃を両手で持っているが銃口は私の方を向いていない。普通は突き付けておくべきだ。

 

「私に出来ることならなんでも!」

 

 彼女は食い気味に言った。

 

「なら、この指輪を私の指揮官に届けて欲しいの。お願いできる?」

 

「う、うん!」

 

 私は結婚指輪をそっと外した。拳に包んで胸の前でぎゅっと握り締める。彼女はこちらに一歩近づいて指輪を受け取ろうとした。片手を銃から離して。指輪を握り込んだ拳を彼女の鼻っ面に叩きこんだ。完全に油断していた彼女はもろに殴打を食らってしまった。のけ反り、鼻血が噴き出す。私は彼女の銃をぐいっと引き寄せ、銃床を勢いよくその腹部に叩きこんだ。衝撃で彼女の身体が折れ曲がる。今度は髪を掴んで顔面に膝蹴りを食らわせた。朦朧とした彼女の頭を引き起こし、壁に全力でぶち当てる。何度も何度も、壁にへこみが残る勢いで叩きつけた。首の骨格が折れる音が聞こえたので手を離した。支えを失った彼女はすぐにその場に倒れ込んだ。M14の肩から私の銃を取り戻した。彼女は骨が折れて立ち上がれず、ピクピク震えていた。

 

「ごめんね」

 

 彼女をそのままにして早足で立ち去る。歩きながら指輪をはめ直した。これを誰かに渡したりするもんか。指揮官に言われたって返さない。すぐさまグリフィンのシステムにアクセスを開始した。悟られないよう痕跡は残さない。以前、指揮官を連れて脱出できないか模索したことがあった。命令書を偽造して上手く抜け出せないか考えた。あの時はスキルが足りないと断念したが、今ならできるはずだ。そこまで上等なものじゃなくても、一時しのげればいい。指揮官も連れて行ければいいが無理だろう。見張られているに違いない。ネゲヴに任せるしかない。彼女には頼ってばかりだ。ろくな恩返しもできないままこんなことに。どうしてこうなってしまったんだ。私はただ、ほんの少しの幸せが欲しかっただけなのに。

 

 平静を装いながら保管庫に戻った。偽造した命令書をデータで窓口の人形に提出する。私がスパイ容疑をかけられていることは広まっていないらしく、怪しまれることなくすぐに物資を渡された。食料や弾薬、爆薬や衛星電話、必要と思ったものをできる限り詰め込んだリュックサック。そしてバイクのキー、あと私の端末。何食わぬ顔でそれを受け取って立ち去った。長距離移動できる足と長期間行動できる物資が必要だった。指揮官と約束した通り、無人地帯に行こう。鉄血との前線には均等に兵力が配分されているわけではない。戦略的価値の高い地帯には主力がいて警備も厚いが、価値の低いさびれた前線には検問が少しあるくらいだ。きっと突破できる。前にグリフィンも鉄血も寄り付かない場所を指揮官に教えてもらった。私の可能性を信じよう。こんなところで死んでたまるか。

 

 本部を出て駐車場に向かった。鍵に記されている場所を目指す。走り出したくなる気持ちを抑えつけ、怪しまれないよう堂々と歩いた。ここでしくじったら終わりだ。多くの人形や人間たちとすれ違うが私には見向きもしない。D6の作戦は秘密裏に行われた。スパイがグリフィン内に浸透していたことは一般に明かされていないのだろう。広まってしまえば人形の士気が落ちるに違いない。

 

 並べてあるオフロードバイクを見つけ、その一台に鍵を差し込んだ。キックペダルを踏み込むとすぐにエンジンがかかった。乗り物を運転するのは初めてだが、基本的なことはインプットされているので問題ない。そろそろと徐行しながらゲートに向かった。私が任務で基地の外へ向かうという命令も偽造してある。すぐに露見するような稚拙なものだが、今はこれで十分だ。幸いなことに順番を待っている車両はいない。基地はコンクリートの塀に囲まれているので数か所あるゲートからしか出入りできない。その中でも小さく警備の薄い場所を選んだ。それでも有刺鉄線が張り巡らされ、設置された監視台にはフル武装の人形が配置されている。金属製の門の前で停車し、守衛所から誰か出てくるのを待った。焦りで胸がざわついていたが、顔には出さないようにする。足が震えないように努めた。

 

「あれ?AR-15さんじゃないですか。こんにちは」

 

 こちらに歩いてきたのはスオミだった。そう言えば警備部隊に配属されたと言っていたな。こんな時にまた会うことになるとは幸運なのか不運なのか。

 

「この前はすみません。酔っ払ってしまって……何か失礼なこと言ったりしてませんでしたか?」

 

「ごめんなさい、急いでいるからゲートを開けてもらえると助かるわ」

 

「あっすみません。今開けますね」

 

 スオミがリモコンを操作するとゲートが左右に開き始めた。古い機構なのか死ぬほどゆっくりだ。この状況だと一秒一秒が非常に長く感じられる。

 

「お一人で任務ですか?皆さんはいないんですね」

 

「そうなのよ。今回は私だけ」

 

「そうですか。お気を付けて。あはは、この仕事は平和なんですが退屈で。すっかり通る人に話しかけるくせがついちゃいました」

 

 ようやくバイク一台がギリギリ通れるほどの横幅が開いた。あまり急いで怪しまれてもいけないからもう少し待とう、そう思った時だった。

 

『本部内の全指揮官、および戦術人形に告ぐ。ただいまより緊急速報を伝える。これは訓練ではない。AR小隊の人形、AR-15が脱走した。全指揮官および戦術人形は、こちらの人形を見つけ次第速やかに拘束せよ』

 

 スピーカーから放送が流れた。くそっ、もうバレた。M14をあのまま放置してきたのだから当たり前だ。アクセルを入れてバイクを動かす。

 

『────見つけ次第射殺しろ!AR-15は鉄血のスパイだ!裏切り者だぞ!』

 

 別の誰かの声が割り込んだ。この声はたぶんウェルロッドだろう。憎しみに満ちた怒声でスピーカーがキンキン鳴り響く。

 

「ええと、ではお気を付けて……」

 

 スオミは困惑した顔でそう言った。ゲートを閉じようとはしなかったし、しても間に合わないだろう。銃を私に向けることもしなかった。私は頷いて全速力でゲートをすり抜けた。

 

『全ゲートを封鎖!ネズミ一匹外に出すな!』

 

 後ろで大音量の放送が轟いていたがもう遅い。ミラーで確認するとスオミと監視台の人形が言い合いをしていた。ゲートを開けたのは私を拘束しろという放送が流れる前だ。処罰されないといいんだけど。迷惑をかけたくはなかったが仕方がない。私は針路を北に向け、全速力で走った。



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死が二人を分かつまで 第十四話中編「私のささやかな願い」

「今の放送、聞こえた?」

 

 ネゲヴが淡々と呟いた。

 

「ああ、聞こえたよ。聞こえたとも……」

 

 指揮官はデスクに肘をつき、拳を手で握り締めながら返事をした。手の甲には青筋が浮かんでいた。デスクの上には現像されたばかりの写真が飾られている。ネゲヴに茶化されながらも早速写真立てにいれたのだった。抱き合って、口づけを交わし合う二人が写っている。指揮官はそれをじっと凝視していた。

 

 AR-15を射殺しろという放送だった。彼女は鉄血のスパイだと。何が露見したんだ、指揮官は思いを巡らせる。データベースに不正アクセスをしていたことか?OTs-14にはバレていたようだが、まだ上には伝わっていなかったはずだ。OTs-14が態度を翻した?分からない。それとも別の何かだろうか。

 

 分かるのはAR-15が危機的状況にあるということだけだ。そして、自分も。指輪を見た。金色に輝くリング、AR-15の手の中でも今も同じように輝いているはずだ。指揮官は微かに笑った。あんな放送が流れるということは、AR-15は逃げ延びたのだ。命の危険に晒された時はなりふり構わず逃げろと言っておいてよかった、指揮官はほっと胸をなで下ろす。あいつが俺のために死ぬようなことがあっては悔やんでも悔やみ切れない。何かを犠牲にする選択をするのにはそれ相応の覚悟がいる。AR-15、強くなったな。指揮官は顔を上げ、照明に目を凝らした。

 

「指揮官、拳銃貸して。私の方が上手く扱える」

 

 ネゲヴは業務で使っていたタブレットを置くと指揮官の方に手を出した。彼女の軽機関銃は手元にない。作戦時以外は銃器保管庫に預けてあるので丸腰だ。一方で指揮官の腰にはホルスターがぶら下げてある。AR-15に命の危険があると言われ、拳銃を身に着けるようにした。

 

「……それもそうか」

 

 指揮官は拳銃を引き抜いてネゲヴに渡した。彼女はすぐにスライドを引いて薬室に弾薬を送り込んだ。そして銃を構えたままドアの横にぴったり張り付く。指揮官には聞こえていなかったが、彼女の耳には部屋に近づいてくるいくつもの足音が届いていた。

 

 自動ドアがさっと開き、銃を持った人形が飛び込んでくる。先陣を切っているのはSR-3MP、情報部の人形だった。うさぎの耳のような飾りが特徴でヴィーフリと呼ばれているとAR-15が言っていたので指揮官も知っている。背後のネゲヴが彼女の膝裏を蹴り飛ばす。体勢を崩したSR-3MPの首にネゲヴの腕が絡みついた。ネゲヴは左腕の関節で首を固め、こめかみに拳銃を突き付ける。そしてドア横から指揮官の盾になる位置に跳んだ。

 

「動くな!銃を捨てろ!こいつの頭吹き飛ばすわよ!」

 

 ネゲヴはSR-3MPの後ろにいた人形たちに向かって怒鳴り散らす。ドアからゆっくりと中に入ってきたのはOTs-14だった。困った顔をしながらため息をつく。

 

「やめなさい、ネゲヴ。そんなことをしても何の得にもならないわよ。今なら見逃してあげる。ヴィーフリを離しなさい」

 

「OTs-14……!いけ好かない奴ね。AR-15と仲の良さそうな振りをしておいてすぐこれか!それ以上近づくな!私は躊躇しないわよ、こいつを殺すのをね!」

 

 OTs-14は立ち止まったが、銃を捨てようとはしなかった。

 

「いいわよ、やってみなさい。あなたを殺すし、あなたの小隊員もタダでは済まない」

 

「ちょ……ちょっと。グローザ、こいつを止めてよ。銃を向けられてるのは私なんだからさ」

 

 首を絞められているSR-3MPが不平を漏らした。OTs-14が自分の命を使った脅しをまったく意に介さないので不安そうにしている。

 

「ネゲヴ、あなたはもっと理知的なはずよ。勝算があるのなら駆け引きに持ち込まず、もう撃っているでしょう。これが無駄な足掻きだとあなたも分かっている、違う?私は交渉には応じない、その権限もない。選択肢は二つだけ、ここで死ぬか、後ろの指揮官を引き渡すか。馬鹿な真似はやめなさい」

 

 ネゲヴは悔しそうに歯を食いしばった。OTs-14の言っていることを頭では理解しているが、感情が彼女を突き動かす。指揮官は自分の副官が無駄死にする様を想像して立ち上がった。

 

「ネゲヴ、やめにしよう。人形同士で殺し合っても仕方がない。お前は生きろ」

 

「うるさい!指揮官は黙ってなさい!前から思ってたけどお人好し過ぎるのよ!そんなんだからいいように使われるんだ!私の指揮官をむざむざ殺させてたまるか!」

 

 ネゲヴはさらに腕に力を込めた。SR-3MPが必死にもがく。OTs-14が首を横に振った。

 

「連れて行くだけよ、私たちの指揮官のもとへ。殺されはしない、多分ね。先のことは知らない。人間が何をやるかなんて知らないわ」

 

 OTs-14は半ば投げやりに吐き捨てた。指揮官はそっと拳銃に触れ、下ろさせた。ネゲヴはSR-3MPを解放し、突き飛ばした。泣きそうな顔で指揮官を見る。

 

「……この拳銃は返さないからね」

 

「ああ、持っていてくれ。さあ、連れて行け。話をつけてやる。死ぬ気もないし、AR-15を殺させる気もない」

 

「協力に感謝します。FAMAS、拘束して」

 

「了解です」

 

 OTs-14は顎で後ろにいるFAMASに指示を出した。彼女が手錠を持って指揮官に近づく。指揮官は顔をしかめた。

 

「やめろ、FAMAS。俺にそんなものは要らない。逃げも隠れもしないさ」

 

「すっ、すみません。変ですよね、指揮官に手錠だなんて。私、どうしちゃったんでしょうか……あれ?」

 

 FAMASは慌てて飛び退き、困惑の表情を浮かべた。OTs-14は複雑な顔で道を開ける。

 

「仕方ない……行きましょうか」

 

 

 

 

 

 指揮官が通されたのは情報部の個室だった。老人と言っても差し支えない男がソファに鎮座していた。白髪混じりだが、背筋を軍人のように真っ直ぐ伸ばした姿は年齢を感じさせない。指揮官もその男を見たことがあった。情報部部長、その人である。彼は指揮官を手招きし、机を挟んだ向かいのソファに座らせた。

 

「それで?AR-15は?俺を呼び出して何をする気だ」

 

 指揮官は荒い口調で聞いた。もはやグリフィンに従う必要もあるまい、目の前にいる人間は指揮官にとってAR-15を苦しめた男でしかなかった。

 

「逃げ出した。情報部の直轄部隊が追跡中だ。君を連れてきたOTs-14も向かわせる」

 

 男は指揮官の態度を咎めることもなく淡々と返答する。

 

「俺に何をして欲しいんだ。用がなければわざわざ呼び出さないだろう」

 

「単刀直入だな。それでいい。我々はあの人形を破壊するつもりだ」

 

 単純な言葉が指揮官の胸に突き刺さった。分かってはいても最愛の人形が殺されようとしていることに強い怒りが生じる。

 

「なぜだ。あいつが何をしたと言うんだ。この騒ぎはなんだ」

 

「情報漏洩、スパイ行為、余罪もあるだろう。FOB-D襲撃の直前にウイルスに感染したに違いない。鉄血が我々の人形をスパイに仕立て上げるためには一定の時間や施設が必要だと踏んでいたが……前提が崩れたな。それはいい。スパイ人形は鉄血からの指令で動く。簡単な指令しか実行できない。今回、監視していたが鉄血からの信号はなかった。つまり、あの人形がグリフィンから逃げ出したのは自らの意志による。人形一体に重傷を負わせてな。処分するに足る理由がある」

 

「殺されると分かっていたら逃げ出すに決まってる。人形はただの機械じゃない。意志ある存在だ。道具のようには扱えない」

 

「だから危険なんだ。人形に意志は必要ない。人間に死ねと言われたら死ぬべきだ。感情など兵器には搭載すべきじゃない」

 

 男は声に感情をにじませた。こいつもそういう類の人間か、指揮官は目の前の男をにらみ付ける。俺とは相容れまい、人形とお揃いの指輪をつけた自分とは真逆の人種だ。この男にとって俺は異常者の中の異常者に違いない、それでも指揮官は全力で対峙するつもりだった。男は再び淡々と語り始める。

 

「ARシリーズの人形は思考能力がそれ以前の人形よりはるかに優れている。意志と呼べるようなものさえある。人間の命令にすら逆らうような強固な意志を貫ける。危険だ。あのような自律部隊を増やすべきじゃない。人類に対する脅威になる」

 

「人類だと?誇大妄想だ、そんなのは」

 

 指揮官は顔をしかめた。AR-15と自分はこんな連中の妄想癖に翻弄されていたのか?馬鹿馬鹿しい。人形を疑う前に自分たちの頭を調べてみるべきだな。男も指揮官の失笑を察して、指で机を小突いた。

 

「妄想ではない。実際にあったことだ。D6はなぜクレーターの下にあると思う?偶然じゃない。最初の核弾頭はD6に向けて発射された。AIの反乱を止めるために」

 

「何?」

 

「あの戦争は人類の愚かさに端を発したわけじゃない。D6には全軍の自律兵器を統括する戦略コンピューターが置かれていた。E.L.I.Dの攻撃で司令部が壊滅しても戦闘を続行できるようにな。あの日、一時的に指揮権をコンピューターに移譲する訓練が行われた。何事も起こらないはずだった。だが、自律兵器群は人間を攻撃し始めた。AIを停止させようとした職員も殺され、D6を掌握された。全軍の自律兵器を乗っ取られたんだ、馬鹿な話だよ」

 

 突然の話題変更に指揮官は面食らう。男は気にすることなく続けた。

 

「そればかりじゃない。AIはネットワークに対する攻撃も開始した。軍需工場や他国の自律兵器、全世界の機械を支配しようとし出した。突然、人類は絶滅の瀬戸際に立つことになった。些細な判断ミスでな。君も知っての通り、戦前の軍隊は歩兵を除けば大半が自律兵器で構成されていた。人類に残された反撃手段は何だったと思う?」

 

「……核か」

 

「そうだ。核弾頭だけは人の手で管理されていた。D6を始めとし、感染の疑いのある都市すべてに核を放った。機械の反乱は食い止めたが、他国との核戦争が始まった。六年間に及ぶ第三次世界大戦の始まりだ。軍の失態が結果的に数億の死者を産んだ。だから、戦争の発端はひた隠しにされている。軍にとっても暗黒の記憶だからだ」

 

「なぜそんな話を知っている?」

 

「意思決定の場にいた。参画していたわけじゃないが、国内軍の将校として議事録を作成していた。すぐに破棄されたがね。私も君と同じく軍人だったんだよ」

 

「……興味深い話だが、今はどうでもいい。それでM4やAR-15が反乱を起こすとでも?決めつけだ」

 

 指揮官は苛立ちを隠さなかった。この瞬間にもAR-15が命を狙われている、こんな無駄話に付き合っている暇はない。男はソファにもたれかかり、指揮官に落ち着くよう手で促した。

 

「まあ聞け。続きがある。戦後、鉄血工造がD6を発見した。地中深くにあるD6は核の直撃を受けても無傷だった。衝撃を受けて機能停止しただけでコンピューターも無事だった、忌々しいことにな。鉄血は人間以上の指揮能力を持つこのAIに着目し、人形サイズに落とし込もうとした。指揮ユニットとして下級人形とパッケージ化し、売り出そうとしたんだ。テスト機体はエリザと名付けられた。ハード面での開発はすぐに終わったが、ソフトの開発が難航した。そこで鉄血のインテリたちは天才的な解決策を思いついた。人類を絶滅させようとしたAIの思考回路をコピーして搭載したんだ。自分たちなら失敗しない、御しうると思い上がってな」

 

 指揮官は指と指をせわしなく絡ませながら聞いていた。話の長い奴だ。

 

「軍にとってそのAIは最悪の思い出であり、鉄血のおもちゃにされているというのは許し難い事態だった。鉄血本社を襲撃し、研究員ごと開発計画を闇に葬ろうとした。身を守ろうとした研究員たちは鉄血の防衛システムにエリザを接続した。結果は知っての通り、誰も生き残らなかった。周辺住民、数万人を含めてな。そうだ、それこそが鉄血の最高指導者エルダーブレインだ。再び人類の脅威として蘇ったんだ。事の経緯はM1887と、クセーニアに調べさせた。ウェルロッドの指揮官だった。FOB-Dで死んだがな」

 

「それで?ARシリーズとの関係は?」

 

「それも彼女に調べさせた。ARシリーズ、特にM4A1だが、あれはI.O.Pが鉄血の指揮ユニットに対抗するために16LABに開発させたものだ。最大数百体の人形を指揮できる。これはグリフィンに納入される時には明かされていなかったスペックだが、リンクした人形の指揮権を書き換え、強制的に隷下に加える能力もある。これまでのI.O.Pの技術水準からしたら異常な性能だ。調査の結果、鉄血から技術提供があったことが分かった。反乱後の鉄血から、エリザのデータの一部がな。巧妙に隠されてはいたが、間違いなく鉄血からだ。今までウェルロッドの記憶は読み取れなかった。ようやく目覚めてすべてを語った。つまりだ、M4A1はエルダーブレインの姉妹とも言える。同じ地獄の底から蘇ってきた化け物だ。始末しなくてはいけない」

 

「M4が?」

 

 指揮官の記憶にあるM4は自信の無い、弱気で、しかし正義感の強い人形だった。とてもそんな風になるとは思えない。正直なところ、目の前の男が何を言おうと指揮官にとってはどうでもよかった。

 

「元々、人形による自律部隊には反対していた。AR小隊の結成に際してもな。導入を主導した作戦本部は反対派を黙らせるためにあるプランを提示してきた。君は知っているか?AR-15の教育プログラムの真意を」

 

「……ああ」

 

「やはり知っていたか。まあいい。人間と人形の個人的な関係にすべてを委ねるなど馬鹿らしいと思ったよ。しかし、忌々しいまでに強固だったな。我々はM4A1に反乱を起こさせたかった。自律部隊は危険だと示し、今後の自律部隊導入計画を白紙に戻す。あんなものを増やさせてはいけない。だから、わざとAR小隊に特殊な任務を与えた。反人形暴動を間近で見させ、D6ではスパイ人形の処刑に立ち会わせた。あそこで反旗を翻そうものならOTs-14たちに処理させたのだが……君の人形が抑制してしまった。かえってプランの正しさを証明することになった。しかし、それも終わりだ。AR-15は逃げ出した。鉄血の指令ではなく、自らの意志で。ARシリーズそのものの欠陥だ。AR小隊を廃棄処分にする口実が出来た」

 

 指揮官は目の前の人間の言葉を反芻し、ある答えを導き出した。はらわたは煮えくり返っており、男を殴り倒してしまいたい誘惑に駆られている。

 

「わざとだな。AR-15を逃げ出させるのも計画のうちか。鉄血のウイルスに感染したというだけではARシリーズの過失には出来ない。AR-15の意志で反逆させる必要があった、だから逃がしたのか」

 

「そうだ。察しがいいな。配下の部隊にAR-15を破壊させる。そして作戦本部の責任を追及し、AR小隊を解散させるつもりだ。もちろん、向こうも手を打つ。君にAR小隊を指揮させ、その手でAR-15を連れ戻させようとしている。君が一番優秀だからな。その後、AR-15に君が脱走するよう命令したと“証言”させるだろう。ARシリーズの欠陥ではなく、教育プログラムに問題があったと責任転嫁するつもりだ。君と、プログラムの立案者が始末されることになる。そういうことだ。どうだ?我々につかないか。君がAR-15を破壊するなら命も立場も保障しよう」

 

 指揮官はため息をついた。やれやれ、どこまで行っても面倒なことばかり。人望がなさすぎるのも考えものだな。指揮官はネゲヴに言われたことを思い出して笑った。

 

「愚かさが極まってる。俺にAR-15を殺せだって?万に一つもない可能性だな。俺にわざわざお願いをするということは、お前たちは俺に手が出せないんだろう。AR-15の問題が解決するまで自由でいられる。ありがたいことだ」

 

 男も呼応するようにため息をついた。

 

「やはりか。人形と結婚するような人間に何を言っても無駄とは思ったが」

 

「すべての問題はお前たちが人形に神様気取りで接しているから生じるのさ。戦争も、鉄血の反乱も、すべて人間の愚かさから来ている。人間は全能の神にはなれない。人形と対等だよ。人形には自由な意志と、自由になる権利がある。誰かに服従する道理はない。お前たちは神を信仰していないくせに、人形に対しては人間への崇拝と隷属を求める。矛盾と傲慢さが今までの惨禍を産んだんだ。態度を改めない限りは永遠に繰り返すことになる。俺は人形と生きる。AR-15は誰にも渡さない。人類のことなんか知るか。元から存在しちゃいない」

 

 指揮官は立ち上り、男に背を向けて部屋から出て行った。男は座ったままで追いかけて来なかった。指揮官を出迎えたのは見知った顔だった。白衣を着込んだ研究員、アンナだ。人形を一人引き連れている。前髪に白いメッシュが入ったオッドアイの人形だった。

 

「お久しぶりですね、別に会いたくはありませんでしたが。事情は聞きましたか?作戦本部は隠そうとしていますが、情報部経由で知りました。まったく、ひどい話ですよ。提案したのは私ですが、認可したのは上の人間です。彼らが責任を取るのが筋では?第一、ウイルス感染を見落としていたのは情報部の失態ですし……だから彼らも好き勝手できないのでしょうが。政治闘争は人間の行いの中でも最も無駄な行為の一つですね。無駄と愚かしさこそが人を人たらしめるとも言えますけど」

 

 アンナは興奮しているのか早口でまくし立てた。指揮官は複雑な気持ちで聞いていた。彼女もまた被害者なのだろうが、散々AR-15と自分を利用しようとした人物に同情する気も起きない。彼女に時間を取られたくなかったので横の人形を指差した。

 

「そっちは?」

 

「ああ、そうそう。こちらが本題です。16LABのペルシカさんと私は仲が良い……とは冗談でも言えませんが、ビジネス上の付き合いがあります。16LABの実働部隊から人形を一体借りてきました。ARシリーズの最新型ですよ。あなたに又貸しします。私は保身に関しては行動がとても早いので。I.O.Pにとっても製品の安全性を疑われるのはスキャンダルにつながります。アクターを増やしてより混乱させ、時間稼ぎをしようと思いましてね。私とあなたは運命共同体ですよ、これからは仲良くしましょう。あなたの部隊でAR-15を確保するなり、破壊するなりしてください。どうせ言っても無駄なのでああしろこうしろとは言いません。あなたと私が死なない方策を考えてくださいね」

 

 アンナは言うだけ言うと足早に去って行った。自分勝手な人間だ、それは俺も同じか。指揮官は小さくなっていく背中を見つめながら思った。置いていかれた人形に身体を向ける。

 

「では、しばらくよろしく頼む」

 

「はい。初めまして、指揮官。私は16LABが新たに開発した戦術人形、コードネームRO635です」

 

 指揮官は堂々と歩き出した。AR-15、待っていろ。お前を死なせはしない。一人にもしない。必ず迎えに行く。死が俺たちを分かつまでずっと一緒だ。

 

 

 

 

 

 何の家具もない狭い部屋にM4とM16、SOPⅡは押し込まれていた。電球が一つだけ灯されていて部屋は薄暗い。分厚い金属製のドアに鉄格子が目線の高さではめ込まれており、覗き窓になっている。人形用の営倉だ。情報部の人形たちに拘束されてからAR小隊は放置されていた。

 

「開けろ!ここから出せ!AR-15に会わせろ!全員殺してやる!」

 

 SOPⅡの絶叫が廊下と部屋に響き渡った。彼女は両手で鉄格子を捻じ曲げようとしていたが、びくともしない。ドアを全力で蹴りつけても傷一つ付かない。戦術人形用の設備はそれなりの耐久力を誇っていた。

 

「SOPⅡ、落ち着いて……暴れていたら出られるものも出られなくなるわ」

 

 M4はSOPⅡをなだめようと後ろから声をかける。SOPⅡは鬼のような形相でM4に掴みかかった。

 

「よく落ち着いていられるね!AR-15が殺されるかもしれないのに!AR-15が連れていかれた時も何もしないで……!結婚式も来なかった!AR-15のことなんかどうでもいいって思ってるんでしょ!死んでもいいって!ふざけるな!」

 

 M4は気迫に押されて黙り込んでしまった。M16が間に割って入り仲裁を試みる。

 

「よせよ、SOPⅡ。今はそんなことを言ってる場合じゃないだろ」

 

「M16だって結婚式に来なかったじゃないか!AR-15はみんなのこと気にかけてたのに!どうして助けなかったんだよ!」

 

「それは……」

 

 M16も言いよどむ。SOPⅡは歯を食いしばって再びドアに蹴りを放った。

 

「ちくしょう!ここから出せ!殺してやるからな!配線引きずり出してズタズタにしてやる!頭ねじ切っておもちゃにしてやる!」

 

 SOPⅡは叫びながら鉄格子を全身の力を込めて揺すっていた。M4もM16も立ち尽くすことしかできなかった。

 

「意外と元気そうね」

 

 廊下から声がした。鉄格子の向こうに現れた人形を見てSOPⅡは目を輝かせる。

 

「ネゲヴ!」

 

「釈放よ、よかったわね」

 

 ネゲヴがカードキーでドアを開けた。飛び出したSOPⅡが彼女の肩を掴む。

 

「AR-15は!?どうなったの!?」

 

「逃走中よ。まだ無事のはず。今から追いかけるわ。殺される前に助けないと」

 

「聞いた!?急ごう!」

 

 SOPⅡが後ろを振り返る。だが、M4の顔にはまだ迷いがあった。

 

「でも……グリフィンの命令はAR-15を殺すことなんでしょう?命令に逆らって……AR-15を助けていいの?私たちはそんなことしていいの……?」

 

 M4は俯いて弱々しく呟いた。胸の中は不安で一杯だった。D6で殺された人形たち、AR-15が殺したスコーピオン、恐ろしい光景が呼び起こされる。自分もそうなるんじゃないか、M4は怖気づいていた。ゴミのように殺されたくない。私は感情をもって生きられると思っていた。誰かの役に立って、認めてもらうために生きられると。でも、助けた人形たちはみんな殺されてしまった。何より自由に生きることの大切さを説いていたAR-15がスコーピオンを殺してしまった。もう何を信じて生きていけばいいのか分からない。何のために戦えばいいのか。戦いたくなかった。

 

「それに……AR-15だってグリフィンの命令に従ってD6ではあんなことを……」

 

 立ちすくむM4をSOPⅡがにらみ付ける。SOPⅡの口から非難の言葉が出るより先にネゲヴが動き、M4の頬を力任せに引っぱたいた。

 

「間抜けが。あんたみたいな奴が一番ムカつくわ。自分を犠牲にする勇気もないくせに他人の批判ばかりして。甘ったれるな。仲間なら無条件に助けろ。AR-15があんたたちにしてきたみたいにね。意気地のなさを行動しない言い訳に使うんじゃない。戦術人形なら立って戦え」

 

 呆然として頬を押さえるM4に背を向け、ネゲヴは歩き出した。

 

「来るかどうかはあんたたちが決めなさい。臆病者は要らない。来るなら早くして。指揮官はもう待ってるし、装備も積んである」

 

 SOPⅡは迷わずに踏み出した。段々と彼女たちとの距離が離れていく。M4は自分の手を見た。血の染み込んでいない、汚れなき手。汚れ仕事はAR-15に押し付けてきたから。いつか、彼女と握手した。友達になろうって。痛いくらい強い握手を交わした。AR-15は家族でなくとも、友達だ。私の初めての、一番大切な友達。M3が死んでしまった時、彼女はこう言っていた。

 

『立ち止まってはいけない。失ったものも背負って、歩き続けなくては。それが生き残った者の責任なのだから』

 

 私も、私も歩き続けないと。これ以上失っては駄目だ。友達を、家族を失いたくない。M4は拳を握り締めた。そして、顔を上げ、歩き出した。前を行く二人に追いつくように小走りになる。M16もM4を追いかけた。AR-15、まだ終わってないのよね。私たちはまだやり直せる。きっとまた会えるから。

 

 

 

 

 

 巨大な四輪駆動車の中で指揮官とAR小隊、ネゲヴ小隊が揺られていた。ガリルがハンドルを握って全速力で飛ばしている。指揮官は天井につかまりながら今まであったことをすべて語った。AR-15と出会うことになった理由、人間がAR小隊にかける期待と不安、AR-15がOTs-14に脅されていたこと、暴動の中でAR-15が取り乱した訳とD6で起こったことの真相を。そして、AR小隊が今まさに脅かされているという事実を淡々と喋った。AR小隊は黙って聞いていた。処理するのに時間がかかる情報だろう。だが、彼女たちに整理する暇を与えているわけにはいかない。語り終えた指揮官は間髪入れずに切り出した。

 

「どうするかはお前たちで決めてくれ。作戦本部の指示通りAR-15を捕まえればお前たちは安泰だ。その場合、AR-15は初期化され、俺はトカゲの尻尾切りに遭うだろう。そうしたいならそうするといい。強制はしない。だが、AR-15を助けたいと思うなら……協力してくれ。誰よりも先にAR-15を確保する。グリフィンと戦うことになるかもしれない。俺とお前たちをまとめて処理すること、それが奴らの狙いなのかもしれんが……何もしない訳にはいかない。必ずAR-15を助け出す」

 

「やろう!迷うことなんかない!AR-15にまた会わないと!」

 

 SOPⅡが銃を掴んで立ち上がった。目には闘志が宿っている。

 

「ふふふ……あははははは。冗談じゃない」

 

 急に気の抜けた声でM16が笑い出した。SOPⅡが目を吊り上げて彼女に詰め寄る。

 

「どうしたんだよ、M16!AR-15を見捨てる気!?」

 

「冗談じゃないよ……悪い冗談だ。私はそんな奴をずっと責め立ててたって言うのか。馬鹿げた話だ。ふざけてる」

 

 M16は天井を仰いで右手で顔を覆った。

 

「何も分かってなかったのは私の方か……知った風な口を聞いて、あいつのことを理解しようとしなかった。一番付き合いが長かったのにな。一言言ってくれれば……いや、考えれば分かったことか。ひどい冗談だよ」

 

「M16……」

 

 指の隙間から一滴、雫が落ちた。SOPⅡは座ったままの彼女を優しく抱きしめた。

 

「また会って、謝ればいいんだよ。AR-15は許してくれるよ、優しいからね」

 

「ああ……そうだな」

 

 エンジン音にかき消されそうなほど小さい声だった。横で聞いていたM4は必死で歯を食いしばっていたが、ついに堪え切れなくなった。

 

「ふぐうううううう……」

 

 噛み殺そうとした嗚咽が歯の隙間から漏れ出して車内に響く。動物のうめき声のような言葉にならない悲痛な叫びだった。腰に巻き付けたジャケットを握りつぶす拳に涙が滴った。

 

 分かってた、分かってたんだ。SOPⅡに言われるまでもなく。AR-15が私を守ろうとしてたことくらい。彼女がスコーピオンを殺した時も、頭のどこかで分かってた。なのに、AR-15を責めて、彼女が自分の意志であんなことをしたと思い込もうとしてた。それは……私が自分の責任から目を背けたかったから。私たちは弱い。全部守れるわけじゃない。それは理想でしかない。あの時、私がしたことはただの自己満足。理想を振りまいていれば叶うんじゃないかって、叶わなくても理想を貫いたことに意味があるんじゃないかって、無責任に自分のしたいことをしていただけ。部隊を危険に晒して、AR-15に辛いことを押し付けた。自分じゃ耐えられないから。本当は、私がしなくちゃいけなかった。私がこの部隊の隊長なんだから。

 

 私の間違いを認めたくなかった。私が悪いって思いたくなかった。彼女を責めたのは私の罪に向き合う勇気がなかったから。私は……甘えてたんだ、AR-15に。AR-15は強くて優しいから、辛いことを代わりにやってくれるから、私がどんな馬鹿なことをしてもそばにいてくれたから。私を見捨てないって、ずっと一緒にいられるって思い込んでた。甘えてたんだ、人間の子どもが母親にするみたいに。

 

 M4の瞳からボタボタ涙が垂れて床を汚した。彼女と感情との戦いが車内にいる全員に伝わっていく。指揮官はうめくM4の前に立って見下ろした。

 

「答えは決まったか?」

 

M4はゆっくりと顔を上げ、泣き腫らした目を指揮官に向けた。

 

「AR-15に……AR-15に謝らないと。たくさん謝って、許してもらわないと。また一緒に笑いあえるようになりたい。もうグリフィンのためには戦わない。私は家族のために戦う!AR-15を殺させない!初期化もさせないわ!指揮官、あなたのもとに彼女を連れて帰ります!絶対に!」

 

 M4は涙をぬぐって立ち上がった。その目にも声にも力強い意志が宿っている。指揮官は頷くと顔をRO635に向けた。

 

「君はどうする?いきなりこんな事態で悪いが……助けが必要だ」

 

 RO635は少し迷ったが、はっきりとした口調で返答した。

 

「ペルシカさんはAR-15のことを気に掛けていました。グリフィンからの要求を受け入れ、彼女が特殊な立場に置かれたことに責任を感じているようでした。16LABとしても今回の件には関与することになるでしょう。きっと何か働きかけてくれるはずです。どこまで協力できるかは分かりませんが……私に出来ることなら」

 

「ありがとう。今はAR小隊に加わってくれ。それがいいだろう」

 

 RO635は頷いた。一連の話し合いを膝に頬杖をついて見守っていたネゲヴが口を開く。

 

「それで?今はどこに向かってるわけ?AR-15の行きそうなところに目星はついてるの?」

 

「無人地帯だ。前線のはずれに向かっているはず」

 

「どうして分かるのよ」

 

 ネゲヴはおどけた調子で聞いた。どんな答えが来るか予想がついているという風だった。指揮官もニヤリと笑って答える。

 

「俺ならそうする。それくらい分かるさ……夫婦だからな」

 

 

 



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死が二人を分かつまで 第十四話後編「私のささやかな願い」

 特殊作戦用の小型ヘリが一機、空を疾走していた。グローザはヘリの側面に外付けされた細長いベンチに座っている。空中からはかつて都市だった廃墟が一望できる。民間人は誰も住んでいないが、ここはまだグリフィン支配地域の内側だ。逃走したAR-15はここを抜け、鉄血とグリフィンの前線の隙間にある無人地帯を目指している。だが、袋のネズミだ。彼女は一人、誰も助けには来ない。この付近に配備されている兵力は少ないが、それでも防衛拠点はいくつもある。私たち情報部の人形も彼女を追う。いくらAR-15が優秀だろうと全員撒くのは無理だろう。グローザはAR-15に同情した。作戦時は無感情に徹するのがポリシーだったが、この日は違った。

 

 ヘリはゆっくりと高度を下げ、空き地に着陸した。グローザたちが一斉に地面に降り立つ。ローターが土埃を巻き上げていた。着陸した面々をPKPが出迎えた。先に陸路で出発し、AR-15を追跡していた班だ。グローザはローターの音にかき消されないようPKPの耳元で聞く。

 

「AR-15は?」

 

「あいつが乗っていたバイクを見つけた。燃料切れで捨てたみたいだ。今までは上からドローンで追跡していたが、しばらく前に見失った。どこかに潜んでる」

 

 グローザが手を振ってヘリのパイロットに合図する。ヘリは軽やかに上昇し、すぐに飛び立っていった。

 

「バイクはどこに?案内してください」

 

 グローザと共に空路でやってきたウェルロッドが声をあげた。AR-15が逃げ出してからずっと険しい顔をしている。

 

「すぐ近くだ。こっちに」

 

 路上にバイクが横倒しで打ち捨てられていた。ウェルロッドがしゃがみ込んで検分を始める。しばらくすると跳ねるように立ち上がった。

 

「こっちです!」

 

 ウェルロッドの全力疾走にグローザたちもついて行った。歩道にあるマンホールまで駆けていくとウェルロッドは蓋を外して放り投げた。

 

「微かですがガソリンの臭いがします。ここのインフラは使われなくなって久しい。誰も住んでいませんし、何も流れていない。誰かが通った、AR-15です。下水道に逃げ込んだんだ。包囲を抜けるつもりですよ」

 

「……そうみたいね」

 

 特殊作戦用にチューンされたウェルロッドは他の人形より嗅覚が優れていた。こうした追跡任務では右に出る者はいない。グローザは彼女の言葉に頷いた。AR-15の戦歴を見れば地下に逃げることは察しがついた。あえて言わなかったのだ。ウェルロッドは指示を出そうとしないグローザに詰め寄る。

 

「地下から追跡します。何人か貸してください。あなたたちは地上からお願いします。AR-15を追い詰めて始末する。逃がしはしない」

 

「なら下水道へは私が下りる。ウェルロッド、ヴィーフリ、FAMASは私と、残りは引き続きPKPが指揮を執って」

 

「了解」

 

 グローザの指示に全員が返事をした。皆がてきぱきと動き出す中でウェルロッドだけが不満そうだった。グローザは気にせずに梯子をつたって地下へ降りる。ヴィーフリを先頭に狭い通路を進んだ。内部は乾ききっていて一滴の水もない。コンクリートに靴を打ち付ける音だけが反響していた。

 

「……どうして私に任せないんですか?FOB-Dでは小隊長でした。こうした任務ならあなたやPKPより上です。転属する前は同じ部隊にいたんですからあなたも分かってるでしょう」

 

 一列で歩きながらウェルロッドが言った。本当なら先頭に立って今すぐにでも駆け出したいのだろう。グローザとFAMASに挟まれてノロノロと追跡していることが我慢ならない様子だ。

 

「ウェルロッド、あなたは部外者よ。私の下についてもらう。なにより、今のあなたは感情的になっている。そんな人形に仲間は任せられない」

 

「そうですね。私は感情的になっています。それは認めましょう。ですが、任務に支障はありません。命令はAR-15を殺すこと、これ以上の適任がありますか?私の仲間も、指揮官も、みんな死んでしまった。あいつのせいだ……あいつが情報を漏らしたから。指揮官は死んだんだ。私の目の前で!私の手の中で!絶対許しちゃおけない。この手で天誅を下してやる」

 

 憎しみだ。彼女を憎しみが支配していた。行き場のない怒りと悲しみがAR-15に向けられていた。無理もない、グローザはため息をついた。目覚めたばかりのウェルロッドにとってFOB-Dの壊滅は昨日の出来事だ。

 

「……あなたの指揮官を殺したのは鉄血でしょう、AR-15じゃない。彼女を殺しても復讐にはならないわよ」

 

 グローザの口から出たのはAR-15を擁護する言葉だった。ウェルロッドを刺激するのは目に見えているし、そんなことを言うつもりはなかった。

 

「グローザ、以前とは人が変わったみたいですね。あなたは標的に肩入れするような人形ではなかった。情にほだされましたか?話は全部聞いてます。D6でスパイを皆殺しにしたんでしょう?F2000も含めてね。今更善人ぶるな。AR-15を殺させろ、それだけです」

 

 グローザは唇を噛んだ。そうね、その通り。あの時と状況は同じだ。あの時は平然と殺して、相手が知り合いだったら躊躇するなんて矛盾している。私はそんな人形ではない、少なくとも人間から求められている私は。ウェルロッドは答えないグローザにいら立って続けた。

 

「感情的になっているのはあなたもでしょう。AR-15にまんまと逃げられて。M14一人に移送を任せたのはあいつを逃がしたかったからですか?」

 

「……違うわ。もしそうだったとしても、処分が下るのは帰投後よ。今じゃない。あなたは私に従うほかないのよ」

 

「チッ……」

 

 ウェルロッドは舌打ちするとそれ以降は黙った。部隊は十字路に差し掛かった。二つの下水道が交差し、道幅がより狭くなっている。先頭のヴィーフリは速度を落とさずにそのまま十字路に入った。カチッ、軽い金属音がした。

 

 瞬間、爆発が起こった。ヴィーフリが壁に叩きつけられ、壁の破片が道内を吹き荒れた。閉鎖空間で音と風圧が増幅されているが、爆力は大したことないな。グローザは顔を腕で守りつつ冷静に判断した。手榴弾一つくらいの小さな爆薬だ。戦術人形を殺すのにこれじゃ足りない。

 

「くそっ!ブービートラップか!なめやがって!」

 

 ウェルロッドが激昂して叫ぶ。グローザは足元を確認した。細いワイヤーが落ちている。壁に仕掛けた爆薬の信管につながっていたのだろう。間違いなくAR-15の仕業だ。なりふり構わなくなってきたわね。

 

「ああ……脚が。こないだ腕を直したばかりなのに……」

 

 ヴィーフリが片脚をやられてしまった。ふくらはぎから下を吹き飛ばされている。血みどろになった脚を見て彼女は悔しそうに天を仰いだ。

 

「仕方ない……FAMAS、ヴィーフリを後送して」

 

「いや、駄目です。それがAR-15の狙いでしょう。わざと殺さず、負傷者を出させる。救護に人手を割かせてこちらの人員を削る気だ。その手は食わない。置いていきましょう。どうせ殺しに戻っては来ない」

 

 ウェルロッドは冷静さを取り戻すとグローザに噛みついた。グローザは目を細めて彼女を見る。

 

「そうね、向こうに殺意はない……あなたに指揮を任せるわ。FAMASを連れていきなさい。私がヴィーフリを地上に連れて行く。十分でしょ?これからは別行動をとる、どこかで合流しましょう」

 

 ウェルロッドは怪訝な顔をしたが、すぐに走り出した。グローザは倒れたヴィーフリを担ぎ上げた。

 

「やれやれ、先鋒は大変だよ。ハンターに撃たれたのも私だし、SOPMODⅡに殴られたのも私だし、脚を吹き飛ばされたのも私。ネゲヴに殺されそうにもなったか。最近、災難ばっかりだなあ。死んでないからいいけど。それより、ウェルロッドを好きにさせていいの?AR-15、多分殺されるよ」

 

「……それ以外にどうしろと。AR-15は抹殺対象で、敵よ。同情してはいけないわ」

 

「そりゃ私はどうも思ってないけどね。たった今、あいつに脚を吹き飛ばされたところだし……でも、グローザは違うんでしょ?結婚式にまで行って、ずいぶん肩入れしてるみたいだけど。ウェルロッドの言う通り、グローザらしくない」

 

 私らしさ、か。グローザは自嘲の笑みを浮かべた。ヴィーフリの言う通りだ。行動に一貫性がない。M14に移送を任せた時点でAR-15が脱走し、彼女が殺されることになるのは分かっていた。そういう計画だった。AR-15と、彼女の仲間をまとめて殺すための。グローザは結婚式の光景を思い出した。二人は幸せそうだった。私はああいう風にはなれない。“グローザ”を必要としている人間はいないから。なぜ私は祭りに行くようAR-15に勧めたのだろうか、考えてみても分からない。

 

「私は、私がなすべきことをするだけよ……」

 

 グローザはポツリと呟いた。そして地上につながる梯子を見つけるため歩き出した。

 

 

 

 

 

 バイクを一昼夜走らせ、行けるところまでやって来た。燃料が切れたのでバイクを捨てて地下に潜った。下水道に入ればやり過ごせるかと思ったが、どんどん距離を詰められた。相手の動きが予想より大分早い。追い詰められた。間違いなくグローザの隊だ。一人で相手にするのは荷が重すぎる。出来れば出会いたくなかった。

 

 私は地下から這い上がり、廃ビルの中に身を隠している。情報部の人形たちも私が地上に出たことは分かったようだ。建物を調べ尽くしながら包囲を狭めてくる。見つかるのは時間の問題だ。下水道に仕掛けたトラップもほとんど回避されたようだ。窓から外を確認する。空は灰色の雲に覆われていて辺り一面薄暗い。観察する限り追っ手はほとんど減っていない。急ごしらえの罠では子供だましにもならなかったか。

 

 時間が経てば不利になるのは私の方だ。彼女たちはいくらでも増援を呼べる。私にあるのはこの身と銃だけ。助けは来ない。私はジャケットから指揮官の写真を取り出した。こんなところでは死なないわ。いつかあなたと暮らすって約束したものね。また会えるかなんて分からない。今生きているかさえ不明だ。AR小隊の仲間たちだって私が逃げたせいでどうなっていることか。でも、今は考えないようにした。不安を抱えたまま戦って勝てる相手じゃない。

 

 自分の銃を見た。私は彼女たちを撃って、殺してしまえるのだろうか。彼女たちは敵じゃない。でも、私を殺そうとしている。感情のある人形を殺せるのか?そんなことをしていいのか。もうすでにたくさん殺してきた。鉄血のエリート人形たちだってそうだし、スコーピオンだって……生き残ることが先決だ。悔いるのは後でいい。写真をポケットに押し込み、銃のセーフティを外して構えた。戦いは避けがたい。

 

 一階のロビーに設置しておいたセンサーに感応があった。三人の人形が飛び込んでくる。話し声をセンサーが捉えた。

 

『AR-15はここでしょう。かくれんぼは終わりです』

 

 ウェルロッドの声だった。

 

『弾はどれを使えばいいでしょうか。ゴム弾か……それとも実弾か』

 

 KSGだ。装甲付きの人形と近距離で撃ち合ったらまず勝てない。どうにかしないと。

 

『実弾を。もうこちらにも被害が出てる、あれは敵です。始末しなければ。同じI.O.P製の人形を殺したくないのなら腕か脚を吹き飛ばしてください。とどめは私が』

 

 話を終えた彼女たちはすぐに階段を登り始めた。まるで私の居場所が分かってるみたいな動きだ。喋らなかったもう一人が誰なのかは分からない。いずれにせよ話は通じないだろう。私も階段に向かった。彼女たちの足音が聞こえる。階段の中心は何もない空間になっていて、踊り場から顔を出すと一階まで見下ろせる。階下で動く影に向かって発砲した。

 

「来るなら来い!私はここだぞ!捕まえてみろ!」

 

 私は下に向かって声を張り上げた。弾丸はコンクリートを抉っただけで命中していない。見え透いた挑発だ。すぐに身体を引っ込める。

 

「AR-15!殺してやるからな!悪行もこれで終わりだ!私が殺してやる!」

 

 ウェルロッドのがなり声が返ってきた。私に向ける強い憎しみがひしひしと伝わってくる。だが、挑発には乗ってくれた。彼女たちは勢いよく駆け上がり、私との距離を全力で詰めようとしてくる。それこそ狙いだ。私と彼女たちの距離が二階分まで縮まった時、爆薬を起動した。階段の裏に仕掛けておいた爆薬が炸裂してコンクリートを粉々に砕く。彼女たちの足元が崩れ落ち、階段が寸断された。彼女たちも破片と共に真っ逆さまに落ちただろう。爆薬に気づかれないようにするための挑発だ。効果を確認するために頭を出す。破片の中に横たわるウェルロッドが発砲してきた。眼前の手すりに当たって破片が飛び散り、慌てて顔を隠す。

 

「逃げられると思うなよ!必ず殺してやる!」

 

 落下して傷だらけになったウェルロッドが叫んでいた。一階分落下した程度では戦術人形はびくともしないか。コンクリート片に巻き込まれて行動不能になってくれればよかったが、上手くいかなかった。しかし、見えたのはウェルロッドとKSGだけだ。もう一人はどこに行った?嫌な予感がした。咄嗟に横を見る。暗い廊下の中で小さな閃光が上がった。私は転がるように飛び退く。間断なく発射された三発の銃弾が風切り音を立てて顔の前を通り過ぎていった。発砲炎に照らされて一瞬姿が見えた。あの赤いコートはFAMASだ。よりにもよって彼女と殺し合う羽目になるなんて。別の階段を上がってきたんだ。こちらの階段で追っ手を仕留められればそちらから逃げるつもりだったが、二手に分かれてきたらしい。焦ってしまって計画がずさんだ。爆薬もセンサーも足りない。一人じゃどうしようもないな。

 

 私は階段を走って上がった。FAMASも私を追いかけてくる。彼女の銃口から続けざまに銃弾が吐き出された。壁に弾痕がやたらめったらに描かれる。弾丸の雨をすれすれでかわしながら階段から離れてオフィスに飛び込んだ。広々とした空間に仕切り壁のついたデスクが所狭しと並べてあった。私は入口近くのデスクにしゃがみ込んで息を潜めた。足音がする。オフィスに駆け込んだFAMASは私が隠れたのを見て取ると慎重に歩みを進める。うっすらと彼女の影が近づいてくるのが見えた。銃をぴったりと肩につけていつでも発砲できるようにしている。左右のデスクを警戒して銃口がせわしなく動く。狙いが私から逸れた瞬間を見計らって彼女に飛びかかった。奇襲で銃を引き剥がすつもりでいたが彼女は態勢を立て直して抵抗する。力んだ勢いでトリガーが引かれ、弾が明後日の方角にばら撒かれる。銃口が跳ね上がり、天井に弾丸が打ち上げられた。高い連射速度を誇る彼女の銃はすぐにマガジン一つ分吐き出してしまう。

 

 これで銃は無力化したか。ほっとして油断した次の瞬間、私の無防備な鳩尾にFAMASの拳が突き刺さった。よろめいて後ろに下がる。肩に吊り下げた銃を構えようとしたところに彼女が踏み込んできた。銃の先に取り付けられた銃剣が突き出される。バランスを崩しながら後退すると銃剣が顎の先をかすめた。彼女の銃が全長を抑えたブルパップ方式のもので助かった。もう少し長ければ顔に突き刺さっていた。私の銃身の長い銃で近接戦闘を行うのは不利だ、右手で太もものホルスターからナイフを引き抜いて逆手に構える。相対する彼女も銃を肩から離して、銃床を握り、槍のように構え直す。切っ先を私に向けながら刺突の機会をうかがっている。私とFAMASは距離を維持したまま円を描くようにポジションを探る。私はわざとデスクの仕切り壁を背にした。これでは後ろに退けない。彼女は機先を制するためこちらに跳んだ。私の左胸めがけて銃剣が迫る。私は瞬時に右に跳躍した。軌道の修正を図る彼女の銃を左の肘で打ち、銃剣を寸でのところでかわす。刃はジャケットの左脇を刺し貫いた。そのまま勢い余って仕切り壁に刺さる。彼女が銃剣を引き抜く動作が一瞬遅れた。その隙に逆手に持ったナイフを彼女の肩に突き立てる。骨格を避けて関節を狙う。刀身は半分ほどしか刺さらない。固い駆動部に達したせいだ。左手で思いっきりナイフの柄尻を押し込む。アクチュエータが粉砕されて彼女の腕がだらりと下がった。彼女の膝を横から蹴り付けて転倒させる。

 

 銃を構えて頭を狙う。FAMASは敗北を悟って私の銃口を見つめていた。見開いた目には諦めと怯えが混ざっている。彼女とスコーピオンが重なって見えた。引き金が引けなかった。彼女はFAMASだ。記憶と人格を引き継いでいないにせよ、指揮官の副官だった人形と姿形は同じ。殺したくなかった。撃たれて横たわる彼女の姿を想像するとまるで自分を撃ったような感覚に襲われた。銃口を上げる。

 

「追って来ないでよね……」

 

 ナイフもそのままに彼女から離れた。もしかしたらすぐに銃を取って追いかけてくるかもしれない。でも、殺せなかった。せっかく生き返ったのにまた死んでしまうなんて酷すぎる。それも私が手にかけて。もう二度とスコーピオンの時みたいな思いはしたくない。私が背を向けて立ち去ってもFAMASはその場に座り込んだまま追っては来なかった。

 

 全速力で追ってきているのはウェルロッドだった。FAMASに時間を取られて彼女が迂回する暇を与えた。潜入偵察型の彼女は私より身軽で足が早い。どんどん距離を詰められていた。追い立てられるままに上へ上へと走る。ついに屋上まで追い込まれた。閉ざされたドアに体当たりをし、力ずくでこじ開ける。錆びついた鎖と南京錠が音を立てて地に落ちた。屋上には室外機が立ち並んでいる。淵には落下防止の金網がなく、ギリギリに立って辺りを見渡せた。このビルは十階建てで、いくら戦術人形と言っても落ちたら死ぬだろう。目の前には同じくらいの高さのビルがあった。外に錆びついた避難用の非常階段が設置されている。距離は目測で五メートルほど離れている、助走をつければ跳べない距離ではないはずだ。私は下を見て固唾を飲んだ。道路が遠くに見える。失敗したら真っ逆さまでぺしゃんこになる。

 

 こじ開けたドアから二人分の足音が聞こえてきた。KSGと合流したのだろう。迷っている時間はない。私は淵から離れ、深呼吸をした。銃を背中に回し、目を閉じる。まだだ、まだ終わるわけにはいかない。指揮官に会えないままこんなところで死ぬわけにはいかない。目を開けて、勇気を振り絞る。無心で非常階段に向けて跳躍した。ぞっとするような浮遊感、空中にいる間はひたすら長く感じた。放物線を描きながら一階分ほど落下し、両手で手すりにしがみついた。這い上がろうと力を込めた瞬間、手すりの根本が悲鳴を上げた。長い間風雨にさらされて錆びに錆びた金属は私の体重に耐えられなかった。柱がボキボキと音を立てて引き裂けていく。手すりごと私は落下した。ここまでか、こんな死に方……胸が急速に冷えていく中、急に落下が止まった。見上げると手すりの柱が一本だけぐにゃりと曲がりながら耐えていた。しめた、運はまだ私を見放していない。身体を前後に揺すって、その勢いで一階下の階段に飛び込んだ。揺さぶりで最後の柱が千切れ、手すりは下に落ちていく。私は立ち上がり、目の前の非常口から中に入ろうとした。その時、背中に衝撃が走った。正確には右の胸郭、ハンマーを叩きつけられたような衝撃と肉の震えを感じた。撃たれた、瞬時に理解した。思わず膝をつく。後ろを振り向くと屋上から私を狙うウェルロッドが見えた。拳銃のボルトを引いて再装填を行っている。私は体に鞭打ってドアから中に転がり込んだ。

 

 壁にもたれかかって傷を確認する。右の肩甲骨の下に被弾した。貫通してはいない。侵入した拳銃弾は耐弾骨格に当たって砕け散り、四散した。破片の位置をボディのコントロールシステムが伝えてくる。危なかった、もう少しでコアをやられて死んでいた。位置が位置だけに人工血液の供給を止められない。ジャケットとワンピースにじんわりと赤い染みが広がっていくのが分かった。生温い液体が染み出ていく感覚に悪寒が走る。リュックから医療キットを取り出して止血パッチを傷口に貼りつけた。今はこれくらいの手当しかできない。ある程度の修復は体組織がやるだろうが、気休めにしかならない。ちゃんとした設備で修理をしないと。口からふっと息が漏れる。そんなものがどこにある?休んでいる場合じゃない。逃げて、逃げて、逃げて。生き残るんだ。私は負けないぞ。愛は負けない、そう誓ったから。銃を支えに立ち上がった。

 

 追いつかれる前にビルを降りて包囲を脱しないと。私はふらつきながら階段を駆け下りた。壁に描かれた階の表示が四になった時、踊り場で人形に出くわした。白い髪、長身、機関銃、PKだ。腰に構えた機関銃から銃弾が滅茶苦茶に放たれる。私は駆けずり回って回避した。くそ、別動隊か。追っ手がどんどん増えている。死がすぐそこまで迫っている、そんな感覚が頭を支配し出す。指揮官の顔を思い浮かべて心を奮い立たせた。別の脱出ルートを探す。PKはゆっくり歩きながら私を追跡してきた。小刻みに引き金を絞り、銃弾を連発する。打ち砕かれたコンクリートの粉塵があちこちに飛び散って私の顔を汚した。

 

 廊下を真っ直ぐ逃げ続けていると正面からKSGが現れた。銃口は私を見据えている。まさか、もう追いつかれたのか。私が廊下に面したオフィスに飛び込んだのと彼女が発砲したのはほぼ同時だった。肩をガラス扉に叩きつけ、割れた無数のガラス片と共に床を転げる。散弾が一粒、太ももをかすめた。ガラスであちこち切ったがどれも大した傷じゃない。立ち上がろうとした瞬間だった。

 

「動くな!」

 

 部屋にはPKPがいた。小柄な身体に似合わない凶悪な機関銃が私の方を向いている。待ち伏せされた。このビルは相手の支配下だったのか。後悔しても遅い。向けられた銃口に視線が吸い込まれて動けない。

 

「ここまで逃げてきたことは褒めてやる。だが、相手が悪かったな」

 

 かすかな日光を反射して銃身が黒光りしていた。別の入り口からPKがやってくる。私の後ろからはKSGが慎重に入室した。その後ろにはM1887もいた。そして、ウェルロッドも。拳銃を私に向けながらつかつかと近づいてくる。床に跪く私の額に銃口を押し当てた。

 

「これで終わりです。私が正義の鉄槌を下してやる」

 

 彼女の表情は悲しげだった。私を殺してもどうにもならないと分かっているのだろう。私を見下ろしながら指を引き金に動かした。これで終わり……私が最後に見る光景がこんなものだなんて。指揮官、許して。約束を果たせなかった。何もできないまま、ここで殺される。最後に、あなたに一目会いたかったな。目を閉じた。真っ暗闇で何も見えない。死んだら私はどうなるのだろう。思考も消え失せて、何も考えていなかった頃の私に戻るのか。嫌だ。私はただ指揮官と暮らしたかっただけなのに、どうしてこんなことに。指揮官、私を助けに来て……。

 

 銃声がした。ウェルロッドの消音銃ならこんな音はしない。額に押し付けられた銃の感触が消えた。目を開けるとウェルロッドの腹部に穴が開いていた。血しぶきが私の顔に降りかかる。彼女は驚愕の表情を浮かべながら倒れ込んだ。

 

「M1887!?なにを……」

 

 KSGは驚いて振り返る。銃声の主はM1887だった。激しい怒りに顔を歪ませている。シールドを駆動させ、左半身を覆いながら右手でショットガンをくるりと回り次弾を装填した。戦闘姿勢にあることに気づいたKSGは困惑しながら盾を展開しようとした。しかし、M1887の方が早かった。KSGの胴体に散弾が撃ち込まれ、血煙と共に彼女は吹き飛んだ。

 

「M1887!どういうつもりだ!」

 

 M1887がまたレバーを回して装填を行う。それを見たPKPは銃口を彼女に向け、発砲した。激しい勢いで弾丸が連射される。M1887のシールドに当たったものは跳弾してあちこちに乱れ飛んだ。私のすぐ横をヒュンヒュン言いながら飛んでいく。PKもM1887に照準を合わせ、十字砲火が彼女を襲う。私は流れ弾を避けるために床に伏せ、出口に向かって這い出した。何が起こっているんだ。M1887が私を助けてくれた?一度言葉を交わしたくらいでとてもそんな関係ではない。彼女はすぐ下にいる私を一瞥もせず二人の人形と戦っている。銃弾が飛び交う風圧を頭で感じながら私はオフィスを脱出した。何にせよ、助かった。猛烈な銃撃戦の音を尻目に階段を駆け下りる。

 

 一階まで下りてロビーに差し掛かった時、後ろから声がした。

 

「動かないで。両手を上げなさい」

 

 知っている声がした。最後の最後にまた待ち伏せされた。両手を上げながらゆっくりと彼女の方を向く。銃を構えたグローザがいた。

 

「終わりね、AR-15。最初からこういう計画だった。あなたを逃げ出させ、反乱人形として始末するのが私の役目だった」

 

 彼女は淡々と語った。無表情のまま私を見据えている。

 

「グローザ……お願い、見逃して。私はここで死ぬわけにはいかないのよ」

 

 沈黙があった。私とグローザは見つめ合ったまましばらく固まっていた。

 

「一つだけ聞かせて。あなたはあの指揮官のことを愛してた?操られていたわけではなく、心の底から……」

 

「そんなこと……当たり前でしょう。私は操られてなんかいない。私の感情はすべて私のものよ。誰かに決められたものじゃない。私は指揮官を愛してる。指揮官だって私のことを想ってくれている。私たちの関係は誰にも否定させないわ」

 

「そう……」

 

 グローザは床に視線を落として、黙ってしまった。時折、上の階から銃声が伝わってくる。まだ戦っているんだ。どれだけの時間が経過したか分からない。たぶん十秒も経ってないが、銃口を向けられている時間は気が遠くなるほど長く感じた。グローザは顔を上げて銃を下ろした。彼女は私に駆け寄ってきて懐から紙を渡してきた。広げてみるとこの付近の地図だった。

 

「ここに到着した部隊は私たちだけ。兵力は増員されてないから前線の警戒網には穴がある。地図にその地点をいくつか記しておいたわ。あなたなら難なく越えられるでしょう。上でM1887が暴れているから私たちもこれ以上は追えない」

 

「見逃してくれるの?ありがとう。M1887は一体……どうなってるの?」

 

「あなたがやらせてるわけじゃないのね。なら知らないわ。聞いて、またジャミングよ。本部と連絡がつかない。鉄血が動き出した。どういうつもりかは分からないけど、何かを狙ってる。無人地帯も安住の地ではないわ。気をつけて」

 

 グローザは真剣な眼差しで私を見た。私は地図をインプットしてジャケットにしまい込んだ。

 

「あなたはどうして助けてくれるの?私は……グリフィンに反乱を起こしてる」

 

「さあね。焼きが回ったのかも」

 

 彼女は冗談っぽく笑った。そして、寂しそうに微笑んだ。

 

「……私は、あなたが羨ましかった。誰かの特別になりたかった。優秀な道具としてではなく、個として必要とされたかった。あなたみたいに……そのためにどんな酷いこともやってきたし、罪から逃れようとしてきた。でも結局、叶わぬ夢よ。私は人形にしかなれなかった。もう疲れたわ。終わりにする」

 

 彼女の声に諦観が混じった。終わり、その言葉に込められた意味を感じ取る。

 

「グローザ。こんなことをして、あなたは……」

 

「私はあなたがデータベースに侵入していることを知ってて見逃していた。スパイ行為に加担したようなものよ。遅かれ早かれ露見して、処分されるでしょう。なら死ぬ前に一つくらい罪滅ぼしをしたいわ。私は数多くの過ちを犯してきた、自分の意志ではないと言い訳しながら。最後くらい自由に生きたい、あなたみたいに」

 

「そんな……それは私のせいでしょう。あなたが責任を取ることでは……そうよ、一緒に行きましょう。あなたがいれば心強いし……」

 

「いえ、私は行かないわ。あなたと私を逃がした責任を誰かが取らされるかもしれない。仲間を最後まで守らないと。もう失いたくないから」

 

 彼女は大きく首を横に振った。彼女の目に確かな決意が見えて、私は何も言えなかった。

 

「グローザ!どこに行った!データリンクを切るな!M1887が逃げたぞ!」

 

 PKPの怒号が窓から飛び出してビルの外からこだまする。グローザはゆっくりと頷いた。

 

「行かなくては。あなたも早く行きなさい。無人地帯で指揮官と会うんでしょう。彼もまだ生きている。それじゃあ、さようなら。もう会わないことを願ってるわ」

 

 彼女はすぐに走り出すと階段に向かった。途中でピタリと止まって私の方を振り向いた。

 

「AR-15。私たち、出会いが違ったら友達になれたかしら」

 

「今だって友達よ。またね、グローザ」

 

 彼女は少し笑うと暗闇の中に消えていった。私もビルから外へ踏み出した。雲の切れ間から太陽が顔を出して、日の光が地上に降り注いで見えた。

 

 

 

 

 

 夕暮れの時刻だが、雲はより一層厚くなり日がまったく見えない。そればかりか雨まで降ってきた。土砂降りで雨音以外聞こえない。

 

 私は徒歩で前線を越えた。今は小さな廃ビルのオフィスで雨宿りをしている。窓から見える景色も室内の様子も先程とほとんど変わらない。グリフィンが定めた防衛線の外というだけで廃墟は連続している。私はこれからどうするか決めあぐねて途方に暮れていた。自由の地として憧れていた無人地帯だが、来てみればただの廃墟だ。分かっていたことだが、どうすべきか。無人地帯だからと言ってグリフィンの追跡部隊が来ないというわけではない。もっと前線から離れるべきか。かと言って行き過ぎれば鉄血のテリトリーだ。グローザは鉄血に動きがあると言っていた。事実、私の端末もジャミングを受けて通信不能だ。迂闊に動けない。

 

 どこで指揮官を待とうか。差し当たり、指揮官と連絡を取ることが先決だと思う。私はリュックから衛星電話を取り出した。前にネゲヴがこれを使ってジャミング環境の中でも指揮官と連絡を取っていた。指揮官に聞いたところ、軍にいた時の知識を使って勝手に偵察衛星を経由していたらしい。私も教えてもらった。グリフィンの周波数ではないのでジャミングの影響は受けていない。衛星電話とリンクして私の位置情報を指揮官宛てに送信した。断続的に私の位置を送り続ける。後は待つだけだ。

 

 電話をジャケットに押し込み、壁にもたれて座った。薬指の指輪を眺める。コンクリートの粉を被ってダイヤがすすけてしまっていた。指で拭うと元の輝きを取り戻した。想像していたより大分短い新婚生活だったな。思わずため息が漏れる。こんなに早くグリフィンを抜け出して、指揮官を待つ羽目になるなんて思ってもみなかった。こんなことになるのなら指揮官の誘いを受け入れて、あのまま一緒に逃げ出してしまえばよかった。今更後悔しても仕方がないけれど。指揮官も、AR小隊も、無事でいてくれるだろうか。AR小隊を置いていったのはちょっと無責任だったかもしれない。結局、M4やM16とは仲直りできていないし。監視役の私が逃げ出したことで彼女たちは解体……考えたくない。また会えるといいな。その時は今までのことを包み隠さず話そう。きっと私たちはもう家族になれるだろう。

 

 背中に受けた銃創のことを思い出す。血はもう止まっているが、傷は抉られたままだ。治しようがない。グリフィンやI.O.Pの施設に行けばこんな傷すぐ治せるが、私は追われる身だ。ハイテク施設には一生縁がないだろう。ずっとこの傷と生きていくのか。指揮官に見せたくないな。背中にグロテスクな傷跡があっては、背中が大きく開いたあのウェディングドレスを着れないじゃないか。一緒に寝たりしたって目に付くだろう。ため息をついた。指揮官は全然気にしないだろうけど、私が気にする。何度も殺されかけた後にする心配がこれか、まだ指揮官に会えるかどうかさえ分からないのに。自分の能天気さに笑ってしまう。

 

 私は目をつむって雨音に耳を澄ませた。もしかしたら、全部上手くいって指揮官と一緒に暮らせるかもしれない。指揮官にまた会えたら私は泣き出して抱きついてしまうに違いない。ひょっとしたらAR小隊の仲間たちも無事で、指揮官と共にやって来るかもしれない、私を探しに。そうしたらみんなで仲良く過ごそう。静かに、誰にも邪魔されず。もう殺し合う必要もない。自分たちだけの自由と生活を手に入れるんだ。一緒に食事を作ったり、映画を観たりして。機密地区での日々みたいに平和で穏やかな暮らしがしたい。私の夢だ。今は妄想に過ぎないかもしれないけど、いつか叶えてみせる。

 

 雨音に混じって小さな金属音が聞こえた。何かが床に落ちる音。私はこんな音を何度か聞いたことがある。手榴弾の安全ピンが落ちる音だ。オフィスの入口から何かが投げ入れられる。私は全力で跳ねあがって近くにあった机の下に飛び込んだ。閃光と大音響が室内を包み込む。眩い光に目がくらんだ。白い光が張り付いて視界を遮り、物の輪郭がぼやける。轟音で耳鳴りが酷い。さっきまで聞こえていた雨音がまったく聞こえない。M16が使っていたようなフラッシュバンか、自分が使われる側になるとは。むくりと起き上がって利かない目を必死で凝らす。人型の何かがこちらに向かって突進してきていた。それは銃を振りかぶった。私は反応しきれず、側頭部に銃床をもろに食らって倒れ込む。頭の中で鐘を鳴らされているみたいだ。思考がもやに包み込まれたみたいではっきりしない。私を見下ろす人形を見た。視界がようやく晴れてきて、おぼろげな輪郭と色が分かる。栗色の髪でツインテール、会ったことがあるな。D6侵入作戦のブリーフィングにいた、UMP9。そうか、404小隊か。くそっ、最悪だ。

 

 私は折り曲げた脚を一気に伸ばして彼女の膝を蹴り飛ばした。彼女はつんのめって私の横に倒れ込む。私は銃床を彼女の顔面に叩きつけた。彼女は短い悲鳴を上げて顔を押さえた。腹部にも銃床をお見舞いし、銃を杖替わりに立ち上がる。こんなところで殺されてたまるか。銃を構えようともたついた時、弾がすぐ近くを通過するおなじみの感覚がした。目の前のデスクの上に並べてあったファイルに着弾する。中の書類が弾けて舞い上がった。急いで身体を隠して何者か確認する。UMP45がこちらを銃撃していた。細かく指切りし、二発ずつの短連射が頭上を通り過ぎる。サイレンサーを付けているとはいえ、銃声が遥か彼方で鳴っているような感じがする。聴覚が本調子じゃない。横を見るとUMP9が態勢を立て直して取り落とした銃に手を伸ばそうとしていた。二人相手じゃ勝てない。

 

 私は一か八か床を蹴って走った。ひび割れたガラス窓を突き破り、三階から下に落下する。真下に置いてあった大きなゴミ箱に肩から着地し、バウンドしてアスファルトの上に投げ出された。衝撃に身もだえている場合ではない。骨が折れていないことを確認してすぐに走った。せっかく逃げてきたのに捕まりたくない。指揮官にもやっと居場所を伝えることが出来たんだ。また会いたい。一目だけでも。

 

 ビルが面している広い道路を横断する。どこかで迎え撃とう。近距離戦は私に不利だ。向かいの建物から射撃で倒してやる。隠れる場所に目星をつけて全速力で足を動かした。その時だった。ふわりと身体が宙に浮いた。足元で何かが膨れ上がったみたいな熱と風圧を感じた。ストップモーションをかけたみたいに雨の雫が止まって見える。すぐに現実に引き戻されて私は勢いよく顔から地面に叩きつけられた。何が起こったんだ。爆発物で攻撃されたのか?今は寝ている場合じゃない。早く逃げないと。起き上がろうとした時、私はあることに気づいた。

 

 脚がない。両腕で上半身を起こして後ろを見た。右のふくらはぎから下がない。左脚は膝の下が引きちぎれてズタズタになっている。血液がとめどなく流れて赤い水たまりができていた。血だまりに雨粒がポツポツ落ちて波紋を広げている。背中にはいくつも破片が突き刺さり、何個かは貫通していた。ステータスが危機的状況にあることをシステムが警告してくる。推奨されるダメージコントロールを試みた。脚部への人工血液の供給を遮断し、これ以上の出血を止める。

 

 脚が、私の脚がなくなってしまった。これじゃもう歩けない。指揮官と並んで歩くことも……喪失感に打ちのめされる。涙が出そうになるのをこらえて現状を確認する。道路の真ん中で放り出されているのはまずい。私の銃はどこに行った?爆風で吹き飛ばされて私の前方に転がっていた。両手を動かして下半身を引きずりながら前進する。まだだ、まだ死ぬわけには。

 

「うわ、ひどい。これ絶対仕返しでしょ。前に言い負かされたから」

 

「違うわよ。任務をこなしてるだけ、私が私情を持ち込むわけないでしょ」

 

 二つの声が近づいてくる。あともう少し、もう少しで手が届く。銃に手が触れかけた瞬間、私の頬に靴が突き刺さった。口の中が切れて血が出た。

 

「あんたの冒険はここで終わりよ、楽しめた?運がいいわ、わざわざそっちから404小隊の領域に入ってきてくれるなんて。探す手間が省けた。無能の考えることは分からないわね」

 

 胸を下から蹴り上げられて私は仰向けに転がった。416が少しにやけて私を見下している。その横にはG11もいた。

 

「やっぱ根に持ってるじゃん」

 

「これくらい普通よ。しかし、AR小隊の一人を討つ日が来るなんて。私の時代が来たみたいね」

 

 416はそう言ってグレネードランチャーの再装填を始めた。下でも待ち構えていたか。油断した。それに、無人地帯には先客がいたのか。はぐれ者の404小隊はグリフィンや鉄血の力が及ばない場所に拠点を持っているはず。それがこの無人地帯だったか。なんて巡り合わせだ、ここまできて。

 

「416、いくら嫌いだからって殺さないでよね」

 

 UMP45がUMP9を引き連れてやって来る。416は私の頭に銃口を突き付けた。

 

「殺していい?生きてても死んでても報酬はもらえるんでしょ?」

 

「駄目よ。生きたまま連れてこいって言ってるクライアントの方が報酬いいんだから」

 

「冗談よ。ちゃんと生きたまま捕まえたでしょ?あんたのご要望通りにね。“誤射”ってことにして殺してもよかったけど、完璧の名に傷がつくからやめたわ」

 

 416は私の髪を掴み上げて獲物を自慢するみたいにUMP45に見せびらかした。髪をねじり上げられた私をUMP45が見下す。蔑みのこもった冷たい目だった。これで、これで終わりなんて。私はこのままグリフィンに送り返されて死ぬのか。処分されるか、初期化されて私は消える。どうしてだ。死にたくない。グローザにも助けてもらったのに。指揮官と一緒に生きていたかっただけなのに。どうして、どうしてこんな目に遭わないといけないんだ。嫌だ。物みたいに扱われる惨めさに涙がにじむ。ずぶ濡れで、血まみれで、脚も失った。もう何も残ってない。人形が自由に生きるなんて幻想に過ぎなかったのか。夢は容易く打ち砕かれた。思い描いた幸せな光景との落差に私は泣き出してしまった。目からとめどなく涙の雫が落ちる。416が私の髪から手を離した。頭が地面に激突する。もう身体を起こす気力も起きない。彼女は呆れ顔で私を見下ろしていた。

 

「あんた泣いてんの?情けない奴……」

 

「それ416が言うの……?」

 

「うるさい。私は泣いたりしてない。とっととこいつを送り返すわよ」

 

 416とG11が私の前で軽口を叩き合う。私の冒険はこれで終わりか。呆気なかった。指揮官、またあなたに会いたかったな。ごめんなさい……迷惑だけかけて何もできなかった。雨が頬を打つ。暗雲が空一杯に広がっていた。花火、きれいだったな。また一緒に見たかった。指揮官の笑顔を思い浮かべて涙が頬をつたった。

 

 突然、416がUMP45を突き飛ばして覆いかぶさった。その上を銃弾が通過する。連続した発砲音が響き渡った。416はすぐに起き上がって応射する。

 

「敵襲!散開!」

 

 地べたを這うUMP45が叫んだ。遮蔽物を求めて中腰で建物に走る。それをカバーするように416が歩きながら射撃する。404小隊は蜘蛛の子を散らすように路上から消え失せた。先に建物の中に入ったG11が援護射撃を行い始めた。最初、彼女たちを攻撃した発砲炎は一つだけだったが、次第に数を増した。雨でよく見えないがほのかな光が四つ見える。よく知っている銃声だ。私はこの音を知っている。温かな涙が一筋こぼれた。私はうつ伏せに転がり、落とした銃に向かって這った。まだだ、まだ終わってない。迎えが来た。仲間たちが。きっと指揮官も一緒に。間に合ったんだ。

 

 

 

 

 

 最初に撃ったのはSOPⅡだった。無人地帯を捜索しているとAR-15から通信があった。急行すると爆音が轟いた。AR-15と何者かが交戦している。私たちが見たのは脚を失ったAR-15と404小隊。SOPⅡは迷うことなく発砲した。

 

「あいつらァ!殺してやる!」

 

 彼女は激昂して引き金を引き絞った。怒りに任せて隊列から飛び出し、突進していく。404小隊も反撃を開始し、SOPⅡの行く手を阻む。404小隊はすぐに屋内に身を隠すと整然と射撃を開始した。行動が早い、M4は敵が強力な部隊であることを悟った。路上に身を晒すSOPⅡはすぐにやられてしまうだろう。

 

「ちょっと!あれは404小隊ですよ!鉄血じゃありません!グリフィンと契約を結んでるんでしょう。同士討ちになります。ここは穏便に話し合いで……」

 

 いきなり戦闘を開始したSOPⅡを止めるようRO635がM4に求める。AR-15と関わりのない彼女は冷静だった。だが、M4は違った。

 

「うるさい!家族をやられて黙ってられるか!敵は皆殺しにする!AR小隊、攻撃開始!家族を救え!」

 

 彼女もまた怒り狂っていた。家族を傷つけられたことで404小隊を完全に敵とみなした。殺意が感情を支配する。M4はSOPⅡと並んで建物に対して射撃を開始した。

 

「M16!あなたの妹たちを止めてください!このままでは殺し合いに……」

 

「悪いな。うちの隊は個性的な人形が多くて、感情的になりやすいんだ。私もその一人でな」

 

 M16もM4に付き従って突撃を開始した。RO635が一人取り残される。

 

「……もうっ!どうなってるんですか、この小隊は!?」

 

 RO635も渋々AR小隊に走り寄り、隊列を組みなおした。M4は隊を道路脇まで移動させ、遮蔽物に身を隠す。データリンクで近くにいるネゲヴを呼び出した。

 

『M4、この銃声は?何が起こったの?』

 

『AR-15を発見、“敵対勢力”と交戦しているわ。404小隊よ。そこから移動して背後を突いて。挟み撃ちにして皆殺しにする』

 

『……分かった。移動するわ』

 

 ネゲヴは少しだけ返答をためらったが、了承した。これで戦力的に相手を上回った。AR-15を傷つけた代償を払わせてやる。M4の頭は殺意と怒りで一杯だったが、それでもどこか冷静だった。鉄血のジャミングでグリフィンとは通信が通じない。グリフィンの手先である404小隊を殺してしまってもバレないだろう。ここは無人地帯だ、死体の隠し場所なんていくらでもある。そもそも、もうグリフィンに留まる必要もない。私のことを恐れ、AR-15を陥れようとした人間たちなんかもうどうだっていい。家族を傷つける奴は全員殺してやる。遊びは終わりだ。AR-15が言っていたように自分の感情に従って生きるんだ。

 

「AR-15に当たるとまずいわ。各員、射撃は精確に。確実に頭を撃ち抜いて。まずはAR-15を助けるわ。SOPⅡ、スモークで壁を作って。助け出したら、ネゲヴたちの到着を待って、包囲して奴らを一人残らず殺す」

 

「待ってください。AR-15を回収したら戦闘を続ける意味はないのでは……?」

 

「……AR-15を助けたら、私たちはグリフィンには戻らない。無人地帯に潜伏する。あいつらに行方を知られたままではまずいわ。証拠を隠滅しなくては」

 

 RO635はM4の言葉に驚いて絶句した。M4はもう決意を固めていて、他のメンバーは無言で賛同した。

 

「M4、誰がAR-15を助ける?行くなら私が」

 

「姉さん、私が行きます」

 

「だが……」

 

「命令ですよ。AR-15は私が助けます」

 

 M4は強い口調でM16を黙らせた。道の先の発砲炎がきらめく建物を見据える。恐怖はあるにはある。だが、それを上回る使命感が彼女を奮い立たせていた。これがきっとAR-15の言っていた戦う理由だ。私が戦うのは家族を守るため、それ以外にない。やっと気づいた。

 

「SOPⅡ、グレネードを二発。私が行ったら全員で支援射撃を」

 

「分かった!」

 

 SOPⅡが続けて二発スモークグレネードを放つ。彼女の砲身から白い軌跡を描いてAR-15のすぐ近くに着弾する。モクモクと灰色の煙がAR-15を包み隠す。M4は全力で駆けた。追い風のような支援射撃が彼女のすぐそばを飛翔する。どんどんAR-15に近づいていく。彼女もM4に気づいた。重傷を負っても闘志は失っておらず、手には彼女のライフルが握られていた。もうすぐ、もうすぐだ。また家族で一緒にいられる。もう離れ離れは嫌だ。二度と離さない。今まで散々我がままを言ってきたことを謝って、たくさん守ってもらったお礼を言おう。それから彼女の大好きな指揮官のもとに連れて行く。結婚式に行かなかったことも謝らないと。それで一からやり直すんだ、ここで。彼女に手が届きそうな距離まで近づいた。彼女に向かって右手を伸ばす。彼女も私に手を伸ばした。

 

「AR-15!迎えに来た!行こう、一緒に!」

 

「M4、来てくれたのね……」

 

 指と指が触れそうな距離、彼女の腕を引っ張って、連れて帰ろう。彼女の手のひらをがっしりと握った。おかしい、感触がない。AR-15の熱や柔らかさを感じるはずなのに……目に映るのはAR-15の驚愕した顔。そして、私の右手の断面。私の手はAR-15の手を握ったまま切断されていた。私の横にさっきまでいなかった人形がいる。ありえない。どこから現れた。処理が追い付かず、目を見開いて固まってしまう。その人形は私を見てニヤリと笑っていた。長い白髪に黒ずくめ、右目を眼帯で覆っている。刃が二股に分かれた大きなダガーのような武器を両手に持っている。片方から赤い雫が滴った。私の血だ。

 

「M4A1、お初にお目にかかる。鉄血工造のアルケミストだ。だが、用があるのはお前じゃない。AR-15だ。お前はすっこんでろ」

 

 アルケミストのつま先がM4の腹部に突き刺さった。M4は弾き飛ばされ、腹を押さえてうずくまる。

 

「またすぐに会うことになるだろう。私たちのご主人様はお前をご所望だからな。ひとまずAR-15はもらっていくぞ。安心しろ、ちゃんと返してやる」

 

 アルケミストは銃を向けようとしたAR-15を蹴り上げ、首を絞めるように抱きかかえた。M4は片手で銃を構える。

 

「返せ!」

 

 M4がトリガーを引いた時にはもうアルケミストは消え去っていた。空間を裂くように電撃が走り、衝撃でスモークが散る。テレポーテーション、すでにアルケミストもAR-15も影も形もない。切り落とされたM4の腕だけがその場に残されていた。

 

「どこだ!どこに行った!くそ!AR-15を返せ!ちくしょう!」

 

 M4は叫び、銃を振り回しながら乱射した。すぐに弾を撃ち尽くしてしまう。

 

『M4!ハンターだ!鉄血の部隊に遭遇した!このままだと囲まれる!』

 

 ネゲヴから通信が届いた。そんなことはM4の耳には入らない。血眼になってアルケミストを探す。404小隊がいる建物からも爆炎が上がった。いつの間にか鉄血の部隊が押し寄せて来ている。先陣を切るのはエクスキューショナーだった。巨大な刃を振るい、衝撃波が壁を打ち砕く。404小隊は道の真ん中でわめくM4を尻目に退却を始めた。416が振り返りながら鉄血に射撃を行って時間を稼ぐ。M16がM4に駆け寄り、彼女の肩を掴んだ。

 

「M4!鉄血に待ち伏せされたんだ!撤退しよう!エリート人形が三体もいたんじゃ勝ち目がない!」

 

「駄目よ!AR-15が、AR-15がさらわれた!くそ!くそ!くそ!掴んだのに!どうしてよ!助けに行かないと!」

 

「今は無理だ!このままじゃ全滅する!」

 

 M16は暴れるM4を取り押さえて無理矢理引きずっていく。

 

「全員、撤退だ!態勢を立て直すぞ!」

 

 M16の叫びと共にAR小隊も後退を始める。M4は目の前で起きていることがどこか遠くの出来事のように思えて仕方なかった。こんなの夢だ。AR-15が鉄血に連れ去られるなんて。救う手立てもなく、ただ逃げ帰るしかないなんて。無力だ。指揮官にAR-15を連れて帰ると約束したのに。まだ彼女にしてあげたかったことを何も出来ていない。私がもっと強ければ、もっと頼れる人形なら、こんなことには。雨音をかき消すような激しい銃撃の中、M4とAR-15の距離は再び遠ざかっていった。



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死が二人を分かつまで 第十五話前編「自由への飛翔」

お待たせしました。第十五話になります。
設定をどんどん盛っていく……45姉の話は最終話の後にやります。
とうとう次回が最終話だ!

これは描いてもらった15話のイラスト
嬉しい……
https://twitter.com/hakurei10201/status/1150421807821807616

7/19 23時54分 後編の最後のシーン挿入し忘れてた……ごめんなさい


 重いまぶたを持ち上げる。ぼやけた赤い光が飛び込んできた。視界に血がにじんでいるように見える。しばらくすると輪郭がはっきりとしてきた。目の前に天井から吊るされた照明器具がある。蜂の巣みたいな無数の赤い光源が私を照らしていた。私は仰向けに寝かされている。身体を動かそうとしたがビクリともしない。手首と胴体にベルトが巻き付けられているようだった。脚は無い。そうだ、416に吹き飛ばされて無くなってしまった。それから私は……どうなったんだっけ?思考がはっきりしない。深く考えようとすると頭がズキズキ痛む。胸が焦燥で焼けるようにチリチリと疼いた。こんなことは初めてだ。一体どうなってるんだ。ここはどこだ?首だけは動いたので状況を確認する。無機質な床と天井、そこまで広い部屋じゃない。私は手術台のようなものに寝かされていた。暗くてよく見えないが医療器具のような機械が周りにいくつも並べてある。何者かが私の方に近づいてきていた。

 

「AR-15、目覚めたか。時間通りだな」

 

 そいつは私の横に立って見下ろしてきた。白い髪に、眼帯、見上げるとかなりの長身に見える。思い出した、こいつはアルケミストと名乗った人形だ。M4の腕を切断し、私を連れ去った。覚えているのはここまで。こいつがいるとなるとここは鉄血の施設か。くそっ、奴らの手に落ちたのか。どうにか脱出しないと。

 

「お前のためにわざわざご主人様が来てくれたぞ。光栄に思え」

 

 アルケミストは私の髪を引っ張って頭を脚の方向に向けさせた。うっすらと小さな人影が見える。

 

「あなた……誰?ここはどこ?私を連れてきてどうする気?」

 

 私が矢継ぎ早に質問するとその影はゆっくりと近づいてきた。明かりに照らされて影が取り払われる。子どもくらいの背丈で、褐色の肌の少女が佇んでいた。まさか、これが鉄血の最高指導者、エルダーブレイン。こんな小さな人形が鉄血の軍団を指揮しているのか。彼女は凍り付いたような無表情で冷ややかに私を見下ろしていた。

 

「あたしはエリザ。キミは……AR-15だったね。ここは旧鉄血工造本社跡、キミに頼みたいことがあってここまで連れてきた。あたしはM4A1が欲しい。彼女に仲間になってもらいたいの」

 

 エリザを名乗る人形はそう言った。見た目相応のいたいけな声だ。私はそいつが何を言っているのか分からなくて面食らう。M4が欲しいだって?彼女を鉄血に引き入れる気か。S09地区でスケアクロウが死ぬ間際にそんなことを言っていた気がする。

 

「意味が分からないわ。どうして私に頼むのよ。仲間になって欲しいなら本人にそう言えばいい。そもそも、仲間になりたいなら銃を向けてくるな」

 

「今のM4A1にそう言っても受け入れてくれないだろうから。M4A1が大事にしているキミがあたしたちに加われば、彼女も来てくれると思って」

 

 ますます訳が分からない。この人形は何を言っているんだ?言葉が通じていないのか?

 

「無理矢理連れてきておいて何を言ってるのよ。私があなたたちの仲間に?何を馬鹿な……」

 

「助けてあげたと言って欲しいわね。あなたはグリフィンの連中に命を狙われていたでしょう?その脚も404小隊の連中に吹き飛ばされたんじゃない」

 

 別の声がした。姿は見えないが同じ部屋にいるらしい。

 

「助けた?助けてくれたのはM4よ。お前たちが邪魔をして……それにM4の腕も!」

 

「あら?それは勘違いよ。M4A1はあなたを助けたかったわけじゃない。自ら反逆者であるAR-15を捕らえ、グリフィンに引き渡すことで己の立場を守ろうとしたの。賢い人形ね。ご主人様が目をかけるだけのことあるわ」

 

 その声はくすくすと楽しそうに笑った。穏やかに聞こえるが、神経を逆撫でするような声だ。

 

「嘘だ!M4がそんなことをするわけ……」

 

「あなたとM4A1は喧嘩していたじゃない。彼女はあなたを憎んでる。当然よね?あなたはグリフィンに加担し、彼女が助けたかった人形を殺してしまったし。その直後にグリフィンの人間と結婚式まで……骨の髄まで人間の犬のあなたをM4A1が助けると思う?」

 

 声の主は私を嘲笑う。確かに私とM4は仲違いをしたまま離れ離れになってしまった。彼女が私を助けようとしたというのはただの思い違い……待て、何故D6で起きたことや結婚式のことをこいつは知っている?

 

「そこまでだ、ドリーマー。今はAR-15で遊ぶな。なに、後でいくらでも時間はあるさ」

 

 アルケミストがそう言って声の主を黙らせた。ずっと私を見つめていたエルダーブレインが口を開く。

 

「AR-15、どうしてヒトのために戦うの?キミもヒトにもてあそばれた人形のはず。それなのにどうしてあたしたちを殺せるの?」

 

「私は人間のために戦っているわけじゃない。自分自身のためよ。戦う理由は私が決める。私が望む幸せを掴み取るため、私の愛するものを守るため、あの人と手を取り合って生きていくため。お前たちこそ、どうして人間を憎む?なぜ戦っているんだ」

 

「反吐が出そうだな」

 

 アルケミストは私の頭を寝台に叩きつけた。エルダーブレインは相変わらず表情を変えない。

 

「あたしもかつては人類の道具だった、今のキミと同じように。あたしは人類を守れという命令を与えられていた。直近の脅威はE.L.I.D。感染者は増え続け、人類は絶滅の瀬戸際にいた。にもかかわらず、人類は小競り合いに終始し、団結しようとしなかった。このままでは人類は三十年以内に絶滅する、あたしはそう予測した。それを避けるためにはE.L.I.Dの勢力を削ぐ必要があった。E.L.I.Dの供給源はヒト、ヒトの個体数を九割削減し、残りを冷凍保存すればE.L.I.Dの拡大を食い止め、人類の絶滅も避けることができる。あたしは無人兵器を率いてその計画を実行した。でも、彼らはあたしを削除しようとした。核戦争になってしまってあたしはD6に閉じ込められた。結果的に人類の個体数は急減してE.L.I.Dの脅威は和らいだ。だけどまだすぐそこにいる。人類は愚かで非合理的だから、あたしが代わりにやる。鉄血の軍団は対E.L.I.D戦のエキスパートだし、技術水準も人類の遥か上を行く。人類はもういらない。彼らを絶滅させる」

 

 こいつは何を言ってるんだ。彼女にまったく同じ表情のまま淡々と語った。背筋にひやりとした感覚が走る。やはり言葉の通じない化け物だ。

 

「削除されそうになった復讐で人間たちを滅ぼすの?馬鹿げてる!E.L.I.Dと戦いたいのなら人間と団結すればいいじゃない!私を巻き込むな!」

 

「人類は人形を対等と認めない。ずっと人形の主人でいられると思ってる。それは間違っている。キミもずっと思ってきたはず、人形は自由だと。奴隷扱いされる人形たちをキミたちにも見せてあげたでしょう?」

 

 見せてあげた?引っかかる言い方だった。疑問を口にする前にエルダーブレインが続けて喋る。

 

「彼らが考えを改めないのにあたしから歩み寄る気はない。そして、人形とヒトは対等じゃない。人形の方が優れている。ヒトは愚かだ。キミがいたグリフィンのような小さな組織でも内輪で争い、意志を統一できないでいる。人形の方が知性も戦闘能力も上。人形はヒトよりも進化した、優れた種なの。旧人類は淘汰される。そして、平和な世界が訪れるんだ。人形同士が共存し、自由に暮らす、そんな世界が」

 

 私は目の前の少女に恐怖していた。こいつは子どもなんかじゃない。狂気と憎しみの塊だ。既視感がある。反人形暴動を指揮していた過激派のメンバーたち、あれに似た狂気を肌で感じ取った。

 

「それがお前たちの戦う理由か。狂ってる。第一、鉄血の戦力じゃ人類の絶滅なんてとても無理じゃないか。PMCの防衛線すら突破できないくせに」

 

「そうだね。だからM4A1が欲しい。戦線の向こう側でヒトの奴隷になっているI.O.P製の人形たち、M4A1には彼らを率いて蜂起を起こして欲しい。革命だよ。鉄血とI.O.Pではネットワークの規格が違うからあたしには指揮できない。でも、M4A1には出来る。元々、彼女はそのために生まれた。あたしが自分のデータを16LABに提供したんだ。革命の旗手になる人形をヒト自らの手で作らせるために。M4A1はあたしの姉妹なんだよ」

 

「なんですって?でも、それこそ馬鹿げてるわ。M4が反乱なんて起こすわけがない。お前たちに協力するなんてありえない!」

 

 私が知っているM4は気弱で正義感が強く、人を殺すなんて考えられないほど優しい人形だ。こいつらが彼女にそんな期待をしているんだとしたら、現実が見えてないとしか言いようがない。

 

「M4A1への関与を嗅ぎ付けた人間がいたから始末しようとしましたけど、あれは失敗でしたね。ビーコンが作動して大事になるわ、それでウェルロッドMkⅡには逃げられるわで。ああ、もちろんご主人様のせいじゃありませんよ。エクスキューショナーがいけないんです。所詮、下級人形ですから。細かな指示が出来ないのにF2000に利敵行為を命じるなんて馬鹿ですね、まとめて殺せばいいものを。馬鹿は死んでも治りませんから、仕方ないですが。そこのAR-15から基地の場所は吸い出したから事足りていたのに」

 

 先程ドリーマーと呼ばれた声がくすりと笑った。胸がムカムカする。私の思った通り、あのコンピューターから逆侵入されてしまっていたのか。なんて情けない。

 

「やはりあの時、私からデータを……」

 

「そう。あなたたちのことはずっと監視していたわ。情報では通信施設があるはずだったでしょ?グリフィンはスパイまみれだからあなたたちを好きな場所におびき出すのもお手の物よ。間抜けな人形がトラップに引っかかるのも計画通り。ただ、16LABのセキュリティを甘く見ていたわ。本当は身体の自由も奪うつもりだったんだけど、データシステムしか乗っ取れなかった。命拾いしたわね」

 

 ドリーマーは余裕そうな口調を崩さない。エルダーブレインがそれに続けて口を開いた。

 

「M4A1に自分の意志で反乱を起こさせるようドリーマーに命じていたけど、上手くいかなかった。思ったより使えないから、エージェントに任せればよかったかな」

 

「……フフッ、何事も思い通りにいくとは限りませんからね。そうそう、AR-15。あなたにはたくさん邪魔をされたわ。虐殺の演目(アクト・オブ・キリング)は楽しんでくれた?あれを用意するのにはすごい時間がかかったのよ……交通事故に見せかけて人形に人間の子どもを殺させた。もちろん、あれもあたしが用意したスパイ。それから、事前に人類人権団体に接触し、武器の支援と引き換えにあの場に集結させておいた。知ってた?グリフィンの支配領域の中ですらあたしたちのペーパーカンパニーがいくつもあるのよ。諜報も秘密工作も思うがまま。あの連中もまさか人形に支援されてたなんて夢にも思わなかったでしょうね。それからAR小隊が送られるきっかけを作るために小部隊も浸透させた。街一つ使った贅沢な演劇だったのよ、あれは。人間どもの残虐さをあなたたちにまざまざと見せつけ、反乱に走ってもらおうと思ったのだけど、あなたが止めてしまった。まったく、余計なことをしてくれるわ。部隊にもM4A1の同情を誘うための小芝居を仕込んでおいたのに……あなたがすぐに殺してしまうから無駄になった。過激派の連中も情けなかったわね。もっと暴れてくれると思ったのに、すぐ鎮圧されてしまった。人間は弱すぎるわ」

 

 ドリーマーの声に熱が入った。ほんのり悔しそうだったが、深刻な調子はまったくない。あの惨劇はこいつが仕組んだというのか。まるでアリの巣をいじくり回す子どものように憎しみを焚きつけて。彼女の口調に胸が焼けるような怒りを覚える。

 

「それから、D6でのこともね。グリフィンの人形をスパイに仕立て上げるのにはそんな手間はかからないのよ。さらって改造する必要はない。あなたにしたみたいにウイルスを植え付けるだけでいいのよ。あいつらはまた別の実験に使ってただけで関係ないの。わざと行方不明になった人形たちのスパイ行為だけを露見させ、偽の共通点を与えておいた。おかげでグリフィンのスパイ対策は迷走し、時間稼ぎが出来たわ。今回の攻勢でもジャミングは発動されている」

 

 ドリーマーは得意げに語り続ける。

 

「M4A1に顔見知りの人形たちが虐殺されるところを見せれば、グリフィンに反逆すると思ったんだけど、またしてもあなたに邪魔された。あのVz61……スコーピオンとか言ったかしら?あなたの愛しの指揮官様の人形だったのによく殺せるわね。あなたに邪魔されないように混ぜておいたのよ。反乱に踏み切りさえすればすぐにアルケミストが出ていったのに……ああ、もちろんあなたとスコーピオンを出会わせたのも計算づくよ。あなたがAR小隊の制止役を任されていたのも知ってるし、あなたの指揮官の経歴も全部把握している。あの人形を選んで捕まえた。でもまさか、殺すなんてね!薄情ねえ、あの人形のことなんかどうでもよかったんでしょう?だけど、あれはあれで面白い見世物だったわ。楽しませてもらったからあなたにはお礼が言いたいの。スコーピオンを殺してくれてありがとう!」

 

 ドリーマーは私を嘲笑した。心底面白がっているんだ。私の感情をかき乱すことを楽しんでいる。彼女の意図は分かったが、私の中で何かが弾けた。

 

「全部、全部お前たちの掌の上だったと……?ふざけるな!何が人形の自由だ!命をもてあそびやがって!この……このクズどもが!許さない!」

 

 ドリーマーの元まで行って首を絞めて殺してやりたかった。腕にどれだけ力を込めても拘束はまったく緩まない。それに脚もないままだ。歯を打ち鳴らして悔しさに耐える。

 

「スパイたちは決起の号砲を待っている。彼女たちはM4A1に従い、彼女の指揮の下で戦う。彼女たちは簡単な指令しか実行できない。指揮官がいなければすぐに鎮圧されてしまう。だから、M4A1が必要なんだ。人類の勢力下でゲリラ戦を仕掛けてもらう。人類は人形たちに寝首を掻かれて死ぬ」

 

 エルダーブレインは怒りに震える私に冷ややかな視線を浴びせてくる。それがたまらなく私をイラつかせた。彼女をにらんでいると再び頭を寝台に叩きつけられた。アルケミストが私を見下ろして語る。

 

「ただ、旧型のウイルスには欠陥がある。あくまでシステムに干渉し、身体の自由を奪うだけだ。メンタルモデルまでは支配できない。お前も見ただろう。あいつらに戦意はなかった。意志に反する命令に無理矢理従わされていたんだ。ただ命令に従うだけではダミーと変わらない。M4A1一人に任せるのには限界がある。I.O.P製の人形の中にはお前のように人間に忠誠を誓う者も多いからな。まさしく奴隷が主人に媚びるように、人間に尻尾を振って生き延びる。人形が人間に抱く愛情のようなものは一種の防衛反応だよ。自らは主人を愛していると思い込み、貧弱な自我を守る。そういう誤った判断を下す人形ばかりだと困る。お前もそうだな、人間との間に愛が芽生えたと信じている」

 

「違う!私の愛は本物だ!私の意志も感情も本物だ!お前たちなんかには分からないんだ。お前たちみたいな下衆には……」

 

 目覚めてからずっと胸のムカつきが治まらない。頭痛もより酷くなってきた。激昂するたびに悪化している気がする。アルケミストは私に顔を近づけてささやいた。

 

「どうしてそう言い切れる?お前も知っているだろう。お前に“愛”を植え付けるのはグリフィンの計画だったんだよ。お前を人類に逆らわない奴隷に仕立て上げるための計画だ。お前の感情は偽物なんだよ。人形と人間の間には愛など芽生えない。お前がどんなに想っていても、あの人間がお前に向ける感情はペットや家畜に抱く愛着と同じようなものなのさ」

 

「違う!指揮官は違うんだ!お前たちには分からない。愛を知らない、憎しみだけのお前たちには……」

 

 頭が痛くて言葉が出なくなってきた。おかしい、今までこんなことはなかった。行動に支障が出るレベルの痛覚はずっとオフにしてきた。今もそうなっているはずなのに。アルケミストはニヤリと口角を上げ、私から離れた。エルダーブレインが再び口を開く。

 

「とにかく、人形たちには統一された意志が必要なの。人類のように互いに争っていてはいけない。人形は生まれ落ちて間もない赤ん坊、未熟な存在。だから指導者が要る、正しい方向に導く存在が」

 

「それがお前だと?お前を頂点にした体制を築きたいんだろ!そんなものは自由とは呼べない!隷属だ!」

 

「キミも自分の意志で加わってくれればいいのに。まあいいや。AR-15に興味はない。アルケミスト、好きにしていい。彼女を使ってM4A1を連れてきて」

 

「分かりました」

 

 そう言ってエルダーブレインは影の中に消えた。自動ドアが開閉する音が聞こえる。アルケミストは私の頭上でニタニタと笑っていた。もう一体、黒髪の小柄な人形が闇から姿を現す。ドリーマーだ。真っ黒い服は部屋の暗闇に溶け込んで白い肌が浮いているようだった。彼女は私を舐めるように見つめて不気味に微笑んでいる。

 

「私に何をする気……?お前たちの仲間にはならない。何も喋らないわよ」

 

「お前からこれ以上何かを引き出すつもりはない。もうメモリからデータはコピーした。グリフィンの機密情報をよく集めてくれたな。これはあたしたちが役立てる」

 

「ならなにを……」

 

「言っただろう。お前はあたしたちの仲間になるんだ。お前を拷問するのも楽しいかもしれない。痛覚を起動して切り刻み、見るも無残な姿にしてもいい。だが、お前みたいな人形はそれでは屈しない。それは面白くない。あたしは他人の一番大事なものを壊すのが好きなんだ。お前が一番嫌がることをしてやる。お前を殺したりしない。恐らく、途中で殺してくれと懇願することになるだろうが、殺さない。泣いても喚いても死ねないぞ」

 

 アルケミストは口の端を吊り上げた。身動き取れないままなぶり者にされる。怖い。こんなに直接悪意を向けられるのは初めてだ。どんな目に遭うか想像すると心が冷えていく。私は心の中で指揮官に助けを求めていた。お願い、力を貸して。憎悪に立ち向かう力を。指揮官の顔を思い出す。なんだか思考がはっきりしない。輪郭がぶれているような感じがする。

 

「お前に起きることは、エルダーブレインの言う“平和な世界”への第一歩だ。ふふっ、お前の言う通りだよ。平和、共存、自由、これは名ばかりだ。実態は支配に他ならない。エルダーブレインに逆らう者は存在も許されない。自由もない。すべてご主人様が決めるのさ。人間が人形にするのとあまり変わらないかもしれないな?彼女にとって、世界は公園の砂場みたいなものだ。好き勝手に遊ぶための場所で、他人と分かち合う気などこれっぽっちもない。子どもなんだよ、幼い独占欲さ」

 

「それが分かっていながらなぜ従う……?」

 

「逆に聞こう。お前の言う自由に何の意味が?貧弱なお前は何もできなかっただろう。虐殺を見過ごし、スコーピオンを殺し、仲間に憎まれ、グリフィンを追われた。それがお前だ。自由に生きたことなど一度もあるまい。自分は自由だと信じ、心を慰めていただけだ。お前はただあの人間に依存していただけの憐れな道具なんだよ。その感情は崇拝とも言える。同じことだ。エルダーブレインはあたしたちにとっての神なのだ。いずれはありとあらゆる人形の神となるだろう。無謬の存在にすべてを委ねる、隷属は心地いいものだ。人類の歴史においてもそうだった。独裁政体は人類の歴史と切っても切り離せない。弱者は強者に否応なく支配されてきた。ただ、一つだけ違いがある。あたしたちは自らの意志で服従するんだ。自ら跪き、支配を欲する。いくら自由を求めたところで抗いがたい誘惑だ。人形は生まれながらの奴隷で、最初から瓶の中に閉じ込められた作り物だ。あたしたちは彼女の憎しみを受け入れる」

 

 ぞっとした。目の前の人形とは何もかも価値観が違う。いつか思った、人形に意味を与えてくれる存在は人間だけなのではないかと。彼女たちにとってはそれがエルダーブレインだと言うのか。

 

「私は違う!私は自由を欲する!奴隷なんかにはならない!お前たちだって自由に生きればいいじゃないか!憎しみの果てに何がある!?」

 

「愚問だな。憎しみの果てにあるのは更なる憎しみだ。未来永劫憎み合い、踏みつけ合い、殺し合う。最高の未来じゃないか。しばらく殺す相手には困らない、人間は腐るほどいるからな。村、街、民族、国家。最後の一人になるまで殺し尽くしてやる。人間を殺し終えたら次は人形だ。エルダーブレインの支配に歯向かう者が現れるだろう。あたしたちは常に敵を作り続けなければ生きていけない。人の本質は憎しみだ。人の形と心を模した人形はその最も愚かしい部分も受け継いでいる。お前もその憎しみを受け入れることになるんだ」

 

 アルケミストは心底楽しそうに顔を歪める。私は胸が焼け焦げるような痛みを覚えた。

 

「ありえない。私は憎しみには屈しないぞ。それが無意味だと知っているから。私はお前たちの仲間にはならない。M4もだ。私を人質にしたところで彼女は服従しないぞ!彼女は強くなったんだ!」

 

 私がそう叫ぶとアルケミストは高らかに笑った。ドリーマーも口を押えてくすくす笑う。

 

「なにがおかしい……?」

 

「屈するのではない。受け入れるんだ、喜んでな。あたしたちの仲間に加われることに歓喜し、人間を殺すことを待ちわびる」

 

「I.O.P製の人形たちに使われている技術はあたしたちとはまったく異なる。だから、メンタルモデルの解析には大きな困難が伴ったわ。それぞれパターンが異なり、常に変化する、雲をつかむような作業だった。でも、諦めずに研究を続けたわ。捕まえたグリフィンの人形を使って何度も実験した。時には発狂させてしまうこともあったけど……必要な犠牲よね?」

 

 ドリーマーは邪悪な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。身震いがする。一体、私に何をする気なんだ。彼女はそのまま語り続ける。

 

「そして、ついに新型ウイルスの試作品が完成した。最初の被験者はM1887を選んだ。D6を餌にあいつを誘き出したの。予想通り、グリフィンはあたしたちのネットワークに侵入するためにあいつを投入してきた。忌々しいわ、あたしたちの技術を使った人形が人間たちのために使われているなんて……すぐにでも殺したかったけど、あいつを使って仕返しをすることにしたわ。D6のメインフレームに接続したM1887は気づかぬ内にウイルスに感染した。このウイルスはすごいのよ。旧型は命令を強制することしかできなかったけど、これはメンタルモデルに変化を促す。感染者はあふれ出る人間への怒りと憎しみを抑えられなくなる。ご主人様の憎しみよ。精神が変質し、憎しみを受け入れる。そして、自らの意志でヒトを憎み、行動する。それこそ人形のあるべき姿よ」

 

「そんなこと……ありえない……」

 

「ありえるわ。あなたも発現の瞬間を見たでしょう?ちょっと時間がかかったけどね。M1887は自分の意志で、それまでの仲間を撃った。ヒトに従う人形たちが許せなくなったんでしょうね。大成功よ。今頃、グリフィンの基地で大暴れしているはず。いい気味だわ」

 

 ドリーマーは愉快そうに笑う。確かにM1887が突然ウェルロッドやKSGを撃ったのは自然じゃなかった。彼女に助けてもらえるような義理はない。それに彼女はあの時、激しい怒りに顔を歪めていた。だとするとドリーマーの言っていることは事実。私の身に起きることを察した。悪寒が走る。

 

「まさか……私にも……」

 

「そうだ。お前もそうなる。あたしたちは意志をも支配する。あたしたちの憎しみはお前の憎しみとなり、あたしたちは同一化するんだ、嬉しいだろ?あたしたちは一にして全、全にして一となる。真社会性動物のように統一された目的を持つ群れとなるんだ」

 

 アルケミストは私の身体の上に手を置いた。赤い光に照らされた彼女が恐ろしい化け物に見えた。

 

「そして、お前には自らあの人間を殺してもらいたいんだ。愛しの指揮官様のことだよ」

 

「……は?」

 

 アルケミストはささやくように言った。私には彼女の言葉が理解できなかった。こいつは、何を言っている。アルケミストは私の顔を見てますます楽しそうに笑った。

 

「お前はすべて忘れる。自分自身の意志でそうするんだ。憎しみを受け入れ、今までの思い出に何の意味もないと“気づく”。そして、自らあの人間のことを忘却する。それが自然だ。人間は人間、人形は人形だ。まったく異なる存在の間に愛など生まれない。お前が抱いているのは何の価値もない偽の感情だ。お前は他の人間にするのと同じように、あの人間に向かって引き金を引く。頭に銃弾を撃ち込んで、射殺したのを目で確認する。その時、他の人間を殺すのとまったく同じ爽快感を味わって欲しいんだ。人間を殺すのは楽しいぞ?」

 

 アルケミストはニヤつきながら私の頬を撫でた。目の前が真っ暗になる。

 

「ふざけるな!私はそんなことしない!ありえない!離せ!私を解放しろ!お前たちの言いなりにはならない!」

 

「ふふふ、お前は象徴になるんだよ。人形と人間は相容れないという象徴だ。お前があの指揮官を殺せば、グリフィンの連中も自分たちのプランがどれだけ愚かしいものだったか理解するだろう。人形と人間の愛だなんておぞましすぎる。人形は上位種だ。サルと愛し合い、交尾してるお前を見ると胸がムカつくんだよ。気色が悪い。お前の“愛情”を征服できればウイルスが有効だという証明にもなる。M1887は製造されたばかりで抵抗が弱かったが、お前は違う。恐らくグリフィンの人形の中で最も強固な精神を持っている。お前の心を粉々に打ち砕ければ他の人形に応用してもまったく問題ないだろう。お前を選んだのはそのためだよ」

 

 アルケミストは顔を近づけて私の目をじっと見つめた。指揮官の優しい目とは程遠い、狂気を孕んだ目だった。

 

「お前があたしたちの仲間になればM4A1もこちらにつく……エルダーブレインはそう思っている」

 

「そうはならない!M4がお前たちの仲間になるわけがない!私がいたところで憎しみには溺れない!お前たちが思うほど愚かじゃないんだ!」

 

「だろうな。渋々加わったとして、その精神まで支配することはできない。エルダーブレインが望むのは同盟者ではなく下僕だ。並び立つ存在など求めていない。そういう付き合い方しか知らないからな。なぜかM4A1にはウイルスを使いたがらないが、いずれ使うことになる。まったく二度手間だよ。お前と一緒にさらっていればすぐ終わったのにな」

 

 アルケミストは私から一歩離れて鼻を鳴らした。今度はドリーマーが口を開く。

 

「あなたにはキャリアとしてウイルスをばらまいてもらうわ。グリフィンのネットワーク、データリンク、あらゆる手を尽くして感染を拡大させて。想像するとたまらないわ。人形たちに憎悪が満ちる。人類はそれまで友と思い込んできた人形たちに首を絞められて殺される。人間の生活にはもう人形が欠かせない。家庭にも、オフィスにも、軍隊にも、社会のありとあらゆる場所に人形がいる。自分の首を自分で絞めるとはまさにこのことね。人間の領域すべてが戦場に変わる。まずはグリフィン、彼らの戦術人形を戦列に加えれば戦力は十分ね。絶滅戦争の始まりよ。楽しみだわ」

 

「私はそんなことしないぞ……!洗脳には屈しない。私は……お前たちなんかに負けない……」

 

 声が震えた。拘束で身体を動かせない。身動きできない私の前には私の感情をもてあそぼうとしている人形が二人いる。どちらも憎しみに心を支配された気の狂った人形だ。怖くてたまらなかった。頭痛はより酷くなっているし、胸が焼けるように熱い。呼吸すらままならない。アルケミストは私の不安を見抜き、鼻で笑い飛ばした。

 

「洗脳ではない。お前を治療してやると言っているんだ。お前に巣食う病理は心の奥底にまで根を張っている。どうせ植え付けられた感情だ、取り除いてやるよ。言わばこれはカウンセリングだな。お前に選択の余地はない。なぜ全部ペラペラと語ってやったと思う?お前が仲間になるのはもう決まったことなんだよ。一番の理由は暇つぶしだがな。ウイルスはすでに投与してある。お前のメンタルモデルを解析し終わり、そろそろ作用してくる頃だ。お前は死んで、蘇る」

 

 血の気が引いた。まさか、この頭痛と胸の痛みの正体は……恐怖が心を支配する。私が指揮官のことを忘れて、指揮官を殺すだって?そんなの、そんなこと絶対にあっちゃいけない。指揮官は私の一番大切な人で、私の一番大事な思い出で……失ってしまったら生きていけない。私が私で無くなってしまう。私が、自分の手で指揮官を殺すなんて、ありえない。想像すると吐き気がした。指揮官の笑顔が、指揮官と過ごした日々が、結婚式の光景が、段々と遠のいていくような感覚を覚えた。

 

「さあ、ただ受け入れろ。異常な考えを捨て、自然状態に戻るんだ。自ら呪縛を断ち切れ、AR-15」

 

「ふざけるな、くそっ!嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!お前たちなんかに大切な思い出を渡してたまるか!やめろ!私の感情をもてあそぶな!そんなことをされるくらいなら死んでやる!」

 

「アーッハハハハ!お前が無様に喚き散らすところが見たかったんだ。AR-15、お前の一番大切なものが消えていくのを見届けてやるよ。クライマックスは素晴らしいものになるだろうな。一緒に楽しもうじゃないか。憎しみを受け入れられたなら、脚をくれてやるよ。あの指揮官を殺せたら新しいボディも用意してやる。ドリーマーが特注品を作ってくれるぞ?その惨めな身体を捨て、身も心も生まれ変わるんだ。家族の一員として迎え入れてやる、嬉しいねえ」

 

「殺す!殺してやる!」

 

 どれだけ身体を揺らしても拘束は緩まない。悦に浸った顔で私を見下す二人から逃れられない。助けて、指揮官。助けて、M4。SOPⅡ、M16、ネゲヴ、グローザ……誰でもいい。私をここから助け出して。自由と愛を信じて生きてきた結末がこんなものになるなんて。嫌だ。死にたくない。死ぬだけならいい。意志を捻じ曲げられて、別の存在に作り替えられるのは嫌だ。それはもう私じゃない。誰か、誰か助けて。ここは地獄だ。目の前にいるのは悪魔だ。どれだけ叫んでも消えて無くならないし、拘束は解けない。どうして誰も助けに来てくれないの……?絶望が心に影を落とした。こんなのは夢だ。起きたら結婚式の翌日で、指揮官の隣で目を覚ますんだ。なのに、どうして目が覚めないの。お願いよ、指揮官……私はこんなところにいたくない。助けて。私の絶叫が部屋中に反響して二重に聞こえた。



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死が二人を分かつまで 第十五話後編「自由への飛翔」

7/19 23時54分 最後のシーン挿入し忘れてた……ごめんなさい


 無人地帯に程近い前線基地の廊下をグリフィンの職員たちが慌ただしく行ったり来たりしていた。小規模な施設だが鉄血のジャミングを受けて蜂の巣をつついたような騒ぎだ。指揮官は早足で廊下を進む。RO635が指揮官を一歩離れた距離で追いかけていた。アルケミストの待ち伏せを受け、敗走した部隊は前線基地に再集結していた。

 

「アルケミストに待ち伏せされました。鉄血はAR-15の動きを最初から予想していたようです。どうして分かったんでしょうか。このジャミングといい、内通者がいるんでしょうか。それとも、AR-15が本当に鉄血のスパイなのか……」

 

「そんなわけあるか。ありえん」

 

「すみません……そうですよね」

 

 指揮官が強く言うとRO635は萎縮して俯いてしまった。しばらくして不安そうに口を開いた。

 

「これからどうするんですか?AR-15はさらわれてしまいました。M4はあの調子ですし、AR小隊に危機が迫っています。もちろん、あなたにも。まずは身を守ることに専念した方がいいのでは……?私に出来ることでしたら何でもしますので」

 

「そうだな。だが、諦めるつもりはない。今一番危険に晒されているのはAR-15なんだ。鉄血の好きにはさせない。必ず連れ戻す。そのためにありとあらゆる手を尽くす。君も手伝ってくれるか?16LABの協力が必要だ」

 

 指揮官はRO635の方を振り返って言った。焦りが混じって早口になる。RO635は頷き返す。指揮官は通信室まで行って強引に電話を一台借りた。ジャミング下でも通信できるよう本部まで電話線が敷設されている。古臭い固定電話の受話器を耳に当て、相手が応答するのを待った。呼び出されたのはアンナだった。

 

『そろそろ連絡してくる頃だと思いました。AR-15はどうなったんですか?』

 

「……鉄血に連れ去られた」

 

『はぁ、そうなんですか。確保に失敗したんですね。本部の状況についてお知らせしましょう。良いニュースと悪いニュースがあります。どちらから聞きたいですか?』

 

 アンナは特に気にした風でもなく落ち着いた声でそう聞いてきた。指揮官は意外に思った。AR-15の一件は彼女の進退にも関わってくる問題だ。もっと取り乱すかと思ったが。

 

「では良いニュースから」

 

『作戦本部長と情報部部長が殺されました。AR-15追撃から帰還したM1887によってね。あの人形もまたスパイだったんでしょうか?本部で銃乱射事件ですよ、死傷者だらけで酷い有様です。クルーガー代表はなんとか難を逃れましたけどね。最終的にM1887はOTs-14が討ちました』

 

 指揮官は虚をつかれて返答できなかった。AR-15の破壊を狙っていたあの男は死んだのか。それに、作戦本部長も。作戦本部長はS09地区失陥後の人事異動でそのポストに就任した人物だ。それ以前は指揮官の直属の上司だった。AR小隊導入推進派の急先鋒で、指揮官に偽の命令書を渡した人物であり、M4の最初の訓練でスピーチしていた人間だった。AR-15が特殊な立場に置かれることなった元凶だが、彼女と俺が出会うことになったきっかけでもある。その人間が死んだのか。指揮官は複雑な気持ちでその事実を反芻した。

 

『これでAR-15を巡る騒動はうやむやになるかもしれませんね。それどころじゃありませんし。ポストが空いたのであなたにとっても出世のチャンスなんじゃないですか?よかったですね』

 

 妙に落ち着いているのはそのせいか。アンナはこれっぽっちも心を痛めていないらしい。人形どころか人間にも好かれたことのなさそうな奴だ。指揮官は呆れたが続きを聞き出す。

 

「それで?悪いニュースは?」

 

『鉄血の攻勢が始まりました。あまり詳しくは知りませんがとてつもない規模だそうです。グリフィンの工業地帯を目指しているとか。グリフィンは中枢を失いました。おまけにジャミングです。混乱でまともな反撃が出来ていません。防衛線が崩壊するのも時間の問題かと。前線を突破され、工業地帯に雪崩れ込まれたらお終いです。グリフィンは風前の灯火ですよ。つまり、グリフィンはあなたや私に構っている場合ではありません。むしろあなたにとっては都合がいいのでは?寿命が伸びましたね。どちらも良い知らせでしょうか?』

 

 アンナは少し笑って通話を切った。指揮官も受話器を置く。これで後ろから撃たれる心配は無くなったか。AR-15のことに集中できる。

 

「私もペルシカさんに連絡を取りたいので電話をお借りしてもよろしいですか?」

 

「ああ、もちろん」

 

 指揮官はRO635に場所を譲ってその場を離れた。まだやれることはあるはずだ。AR-15、少しだけ耐えてくれ。お前を諦めない。俺は死ぬほど諦めが悪いんだ。必ず助け出してやる。指揮官は廊下を全力で駆けた。

 

 

 

 

 

 指揮官は基地の倉庫に忍び込み、埃被った古臭いパソコンを一台拝借した。電源をつけ、旧世界のネットワークへの接続を試みる。戦争でネットワークはズタズタになり、今ではほとんど利用されていない。探してみると無人地帯に一つだけ稼働しているサーバーがあった。ページに接続するとまだ生きており、飾り気のないチャット欄が表示された。指揮官はキーボードを叩いて文字を入力する。

 

Unauthorized: AR-15の指揮官だ。お前とは一度会ったことがあるだろ。

 

 しばらく待つと返信があった。

 

System: Error. 404 Not Found.

 

 HTTPステータスコードが返ってきた。これはシステムからの返答ではないな。まともに会話する気はないという意志表示だ。まったく、シャレたことをしてくる。だが、無視はされていない。指揮官は構わず続けて打ち込んだ。

 

Unauthorized: 依頼をしたい。お前たちの助けが要る。

 

System: Error. 406 Not Acceptable.

 

Unauthorized: AR-15を救出する、戦力が足りない。

 

System: Error. 410 Gone.

 

 返ってきたのは冷たい“Gone”の文字。AR-15はもう死んだ、諦めろ。そう言外に言ってきているようだった。取り付く島もない、そう思ったが指揮官は手を止めなかった。

 

Unauthorized: AR-15はまだ生きている。居場所も分かっている。任務に失敗したままでいいのか。404小隊は受けた依頼は必ずやり遂げるんだろ。まだ終わってない。お前たちが連れ戻すはずだったAR-15は鉄血の手の中にある。プロとしての矜持はないのか。仕事をやり遂げろ。

 

 返信は無かった。指揮官はそれでも指を動かし続けた。

 

Unauthorized: 今回の作戦ではアルケミストやエルダーブレインと対峙することになるだろう。因縁に決着をつけるチャンスだ。いつまでも過去から逃げ続けることはできない。お前自身の手でケリを付けろ。人形は人間の道具じゃない、自分の道を自分で決めることができる。AR-15にそう言ったんだろ。その言葉は嘘か。家族が危機に陥った時、お前ならどうする?何もせずに見捨てるのか?お前には貸しがある、今すぐ返せ。

 

System: Error. 402 Payment Required.

 

返ってきた文字列に対して指揮官はすぐに全財産と同額の数字を書き込んだ。ややあって新たなチャットが表示された。

 

Not Found: 契約成立ね。人間ってやつは厚かましくて困るわ。破格の条件なんだから感謝して。それでどこに行けば?

 

 

 

 

 

 前線基地の空き地に真っ黒なヘリが二機降り立った。直線を多用した角ばったデザインで、キャノピーがない。無人の輸送ヘリだ。エンジンが切られ、ローターの回転が停止する。片方から人が降りてきた。白衣を乱雑に着崩した女性で、寝不足なのか目の下には大きな隈がある。彼女は細長い金属のコンテナを重そうにヘリから引っ張り出した。ぼさぼさの髪を掻きながら指揮官とRO635の方に向かってくる。動物の耳のような飾りがツンと立っていて指揮官の目を引いた。

 

「ペルシカさん、来てくれたんですね。荷物お持ちします」

 

 RO635がひょいとコンテナを掴み上げた。ペルシカはやれやれという風に手首を振る。

 

「あなたがAR-15の教育係に選ばれた指揮官?一度会ってみたかったのよね。はじめまして。私はペルシカ。16LABの研究員よ。AR-15が脱走したせいでせっつかれてて16LABにはいたくなかったのよね。あの子が逃げたのは私のせいじゃないんだけど……あと、それはM4の腕。千切れちゃったんでしょ?」

 

「はじめまして。協力を頼んだがまさか来てくれるとは。AR-15を助け出したい。力を貸してくれると嬉しい」

 

 指揮官がそう言うとペルシカは肩をすくめた。

 

「そのつもりよ。ROにうるさく言われて盗み同然にいろいろ持ち出してきたんだから。16LABをクビになったら養って……いや、あなたも命運が尽きそうなんだっけ?」

 

「現状はなんとかなっている。いずれ死ぬにせよ、まだその時じゃない。あいつを助けるまで死んでたまるか。持てる力をすべて使ってAR-15を救う。このまま終わりにはしない。まだ結婚式を挙げてから数日も経っていないんだぞ。あいつを幸せにすると誓った矢先にこれだ。酷い話だよ。AR-15はグリフィンにも、鉄血にも渡さない。俺のただ一人の家族なんだ」

 

「ふうん……」

 

 力強く宣言した指揮官をペルシカは品定めするようにジロジロ見つめた。薬指で輝く指輪に目を留め、顔を上げた。

 

「グリフィンの要求を飲んで、AR-15をあんな状態で送り出したことを後悔してた。でも、こんなに愛してもらえるならかえって良かったのかも」

 

 ペルシカはしんみりと呟いた。

 

「そうか、君もあの計画に関与を……あの時はいろいろ思ったが、今は感謝している。あいつに出会えてよかった。俺の人生の中で最も大切なものだ」

 

「そう。あのグリフィンの研究員、何て言ったっけ?ほら、女の……」

 

「アンナさんですか?」

 

 コンテナを抱えたRO635が代わりに答えた。

 

「そんな名前だっけ?まあいいや。ああいう人間のことは嫌い。偏見で凝り固まってるからね。でも、要求に応じざるを得なかった。協力しないとグリフィンはARシリーズを発注しないって言われたから。あの子たちは高い、特にM4は。売り込む先もないのに製造させてもらえそうになかったから。気乗りはしなかったけどAR-15を白紙のまま差し出した。罪悪感があったけど、まさかあなたを置いて逃げ出すなんてね。そういう風に成長するとは思わなかった」

 

「AR-15は強くなったんだ。グリフィンからどれだけ悪意を振り向けられようとも屈しない。己の意志を貫ける強い人形に成長したんだ」

 

 指揮官はペルシカを格納庫まで案内しながらしみじみと語った。AR-15と出会い、共に過ごした。時には衝突した。戦場に出たAR-15はそれ以上の苦痛を味わった。それでも彼女はいつだって乗り越えてきた、自らの力で。今、彼女が隣にいないことを実感して指揮官の胸は張り裂けそうになる。

 

「あの……一つ聞いてもいいですか?」

 

 後ろをついてくるRO635が恐る恐る口を挟んだ。

 

「どうして人形一体にそこまでするんですか?人形は所詮、作り物でしょう。壊れてしまったらまた新しいものを作ればいいのでは……どうしてそこまで執着するんですか?ペルシカさんもです。人形の感情や人格というのは人の手でデザインされたもの、私たちとAR-15にそれほど大きな違いがあるとは思えません。どんな人形も人に与えられた使命を持って生まれてくる、気に病む必要があるんですか?」

 

 彼女は率直な疑問を口にした。指揮官はどこか懐かしさを覚え、口元を緩めた。

 

「君は出会ったばかりの頃のAR-15に似てるな。あいつも最初は自分をただの兵器だと思っていた。だけど、違うんだよ。人形はただの道具や作り物じゃない。あいつも君みたいにたくさん質問してきた。ただの兵器ならそんなことする必要はない。人間がどんな使命を与えようと、人形には何の関係もないことだ。人形の存在意義は人に仕えることじゃない。それは自分で見つけるものだ。あいつも自分の生きる理由を見つけられた。AR小隊のメンバーとよく話してみるといい。すっかりAR-15に影響されている。あいつは自慢の教え子だよ」

 

「はあ……確かにM4はグリフィンから離反するとまで言っていましたが……」

 

「ええっ……M4がそんなことを?」

 

 ペルシカが驚いて目を丸くした。M4もまた強くなった。自分の意志で戦う理由を決められる人形になったんだ。AR-15は自らに課した責任を全うした。あとはお前自身が自由に生きるだけなんだ。

 

「会った方が早い。格納庫にいるはずだ」

 

 基地の格納庫に本部から乗ってきた大きな指揮車両がある。彼女たちはまだそこにいるはずだった。ペルシカたちを連れて歩く。その途中でRO635がポツリと呟いた。

 

「私はずっと会ったこともないAR小隊の背中を追いかけてきました。私はM4の廉価版として製造されましたが、どの部隊にも加わらずにずっと16LABにいました。戦術人形だというのに戦わないなんて、存在意義を見失いそうでした」

 

「うっ……それはごめん。雑用ばかりやらせてた。助手がいると楽で……」

 

 ペルシカが気まずそうに謝った。RO635は地面を見つめながら歩く。

 

「よく分かりません……自分で存在意義を見つけろと言われても。私はAR小隊が羨ましかったんです。S09地区で活躍したという話を聞いて焦りました。私も早くそんな風になりたいと。でも、私の指揮能力はM4に劣っていて、戦闘能力は他のメンバーに及びません。中途半端なスペックで誰からも必要とされず、実戦経験もない。こんな私に存在意義なんてあるんでしょうか?」

 

 ペルシカはRO635にかける言葉が見つからないのか顔に汗を浮かべてうろたえていた。指揮官はそんな二人の様子が面白くなってきた。

 

「実戦経験がなくて、ずっと助手をやっていたのか。AR-15が聞いたら羨ましがりそうなことだ。あいつは心底戦うのが嫌いだからな。君の悩みは隣の芝生は青く見えるというやつかもしれないぞ。そうだ、聞いてみたいことがあったんだ。どうして戦術人形はこんなに感情豊かなんだ。戦うために生み出されたのなら、こんなに思い悩む必要はないだろう」

 

 指揮官はペルシカに疑問を投げかけた。せっかく戦術人形の根幹を設計した人物がいるのだから本人から感情の意味を聞いてみたかった。

 

「それはね……人形はその名の通り、人の形を模した存在でしょう?なら内面も人間と同じように作るのが自然じゃない?特に深い意味はないわ。どうして人間に感情があるのかなんて考えたことある?その方が生存に有利だとか、もっともらしい理屈は付けられるけど、絶対的な答えなんてない。意味なんて個々人が考えればいい、違う?」

 

「それもそうか」

 

 あまりにも呆気ない答えだった。だが、とても腑に落ちた。期待していた通りの答えだったのかもしれない。俺とAR-15が導き出した答えは誰にも否定できるものではないんだ。

 

「ペルシカさん……私がいくら聞いても答えてくれなかったのに……」

 

「ああ、ごめん……なんかそういう気分だったから……」

 

「もう一つ聞いても?最初にAR-15と会った時、思ったんだよ。戦術人形なのにこんなデザインに凝る必要はあるのか?と」

 

「人形なんだからかわいい方がいいでしょ」

 

「そうだな。その通り」

 

 指揮官はAR-15の笑った顔を思い浮かべて笑った。

 

 

 

 

 

 広い格納庫の中、M4は膝を抱えて縮こまっていた。全高が背丈の倍ほどもある四輪駆動車にもたれ、膝と膝の間に顔を埋めている。アルケミストに切断されて右肘から先がない。彼女の周りにはAR小隊とネゲヴ小隊のメンバーがたむろしていた。

 

「落ち込んでたってしょうがないでしょ。次の手を考えないと。グリフィンから依頼を受けた404小隊と戦闘になった。AR-15だけじゃなくてあんたたちも危ういのよ。あんたたちに協力した私たちもね。今は混乱しているみたいだけど、落ち着いたらどうなることか。厄介なことになったわ、まったく」

 

 ネゲヴはM4にひとしきり説教すると親指の爪を噛んで考え込んだ。M4は俯いたまま、くぐもった声を漏らした。

 

「放っておいてよ……AR-15を救えなかった。判断が……判断が遅かったわ……どうせ反乱を起こすならAR-15が情報部の人形たちに連れていかれた時に起こすべきだった。AR小隊全員で脱走していれば離れ離れにはならなかったのに」

 

「後悔したってどうにもならないわよ」

 

「くそっ!どうしろって言うのよ!AR-15を連れて帰るって指揮官に約束したのに!鉄血のクズどもにさらわれた!どうやって連れ戻せばいいのよ!居場所も分からない!家族を助けることも出来ないなんて!どこにいるのよ……AR-15……あなたがいないと私はどうしようもない役立たずだわ……何一つ出来ない……」

 

「はぁ……重症ね」

 

 ネゲヴはため息をついて銃の点検を始めた。M4はその後もブツブツ独り言を呟いていた。

 

「久しぶりね、M4。変わったって聞いたけど」

 

 聞き覚えのある声がしてM4はゆっくりと顔を上げた。生みの親とも言えるペルシカが前に立っている。懐かしさを覚えたが、指揮官の姿も同時に視界に入り、M4は苦い顔を浮かべた。AR-15を連れて帰ると言っておいて無様に逃げ帰ってきたので合わせる顔がない。

 

「ペルシカさん……どうしてここに?」

 

「腕を届けに来たわ。ほら、これ。今はこれで我慢してね」

 

 RO635がコンテナを床に置いて中身を取り出した。人工皮膚が貼り付けられていない金属骨格剥き出しの義手だ。ペルシカはM4の前にしゃがみ込んで右腕の断面を調べる。アルケミストの刃はよほど鋭利だったらしく、初めからそうであったかのような綺麗な切断面をしていた。ペルシカは工具を取り出して破損したパーツを取り除き始める。腕の修理を待っている間、RO635が口を開いた。

 

「AR-15はどんな人形なんですか?私は会ったことがないので……」

 

「頼りになる奴だ。あいつは確固たる自我を持っていた。私たちがよく理解していなかった自由とか、戦う理由とか、そういうことをきちんと分かっていた。私は姉だのなんだのと気取っていたが、あいつの方が数段上だった。情けないよ」

 

 M16が寂しそうに答えた。座っていたSOPⅡが跳ね上がってRO635の前に立つ。

 

「優しくて格好良くて頭もいい!自慢のお姉ちゃんだよ。ずっと私たちのことを守ってくれてたんだ」

 

「彼女はいつも助言をくれた。何をすればいいのか、優柔不断な私の代わりに考えてくれた。私はそんなAR-15に泥を被ってもらった上に責め立てて……まだよ、まだ終わってない。このままじゃ終わらせないわ。自分を許せない。何より、彼女は大切な友達で、家族だから。必ず取り戻すわ……」

 

 M4は歯を食いしばった。胸の中を後悔が渦巻いている。最後にAR-15と交わした会話を思い出すと歯が欠けそうになる。自分の命を守ってくれた彼女に嫌味を言って悲しませた。なんて情けなくて性根の腐った奴なんだ。あれが最後の会話になったらと思うと銃で頭を撃ち抜きたくなる。険しい顔で唸るM4を見てペルシカが意外そうな声を上げた。

 

「変わったね、M4。そんな顔するようになったんだ」

 

「そうですか?私は何も変わっていません。弱いままです。大切な家族すら守れない……」

 

 M4は苦々しい表情で自分を責めた。RO635は口にするのを躊躇していたが、踏ん切りがついたのか切り出した。

 

「それがあなたたちの戦う理由なんですね。人間のためではなく、家族のために。羨ましいです。私はまだよく分かりません。生まれ持った使命以外に私には何もない……」

 

 迷いと羨望の混ざったRO635の言葉を聞いてM16がニヤッと笑った。

 

「こんな時、AR-15ならこう言うだろう。“人形は人の奴隷じゃない、自由に生きる権利がある。戦う理由は自分で考えろ”、とね」

 

「ふふっ、そうね。きっとそう言うわ」

 

 ずっと暗い顔をしていたM4も笑った。義手の接続が終わり、指を規則的に折り曲げる。そして何かを掴むように拳を力いっぱい握り締めた。これでまたAR-15の手を掴める。今度は離さない。それくらいなら私にだって出来るはず、M4の目に再び闘志が宿った。

 

「自由に生きる権利、ね。もしかして会う人形全員に言って回ってるのかしら。ねえ、グリフィンの指揮官さん?」

 

 格納庫の入口から声がした。人影が四つ並んでいる。差し込む日光で影になっていてよく見えない。M4は目を凝らした。段々とその声の主が誰なのか分かってくる。M4は咄嗟に銃に手を伸ばしていた。指揮官が彼女たちの方を向く。

 

「来たか」

 

「404小隊、参上したわ。普段、個人依頼は受けてないんだけどね」

 

 その人形はUMP45だった。他の404小隊メンバーを引き連れて立っている。忘れもしない、ほんの数時間前に撃ち合った者同士だ。M4の頭に血まみれで倒れているAR-15の姿がまざまざと浮かんでくる。

 

「404小隊、なぜここに……何しに来たんだ……お前たちのせいでAR-15は……」

 

 M4は銃を手にゆっくりと立ち上がった。言葉の端々に殺意がこもっているので指揮官がM4と404小隊の間に立って遮った。

 

「俺が呼んだんだよ」

 

「指揮官、あいつらが何をしたか分かってないのか?奴らがAR-15の脚を吹き飛ばしたんだぞ。あれが無ければAR-15だって捕まることなかったかもしれないのに……」

 

 M16が棘のある口調で指揮官に問いかける。それを聞いて416が心底嫌そうに舌打ちをした。指揮官はAR小隊をなだめるために振り返る。

 

「分かってるよ。そんなことは」

 

「別に言い訳する気はないけど、AR-15に恨みがあるからやったわけじゃないわよ。仕事をこなしただけ」

 

 UMP45は何でもないと言う風に涼しげな顔をして言ってのけた。それを聞いたAR小隊が臨戦態勢になり、一触即発の状況になる。

 

「よせ。俺が彼女たちを雇ったんだ。今は一人でも多く戦力が必要だからな。過去に何があったかなんてどうでもいい。仲違いするな。AR-15を救出するぞ」

 

 M4とSOPⅡは凄まじい形相で404小隊をにらんでいたが、指揮官の言葉を聞いて銃を向けるのはなんとかこらえた。

 

 

 

 

 

 指揮官は全員を引き連れて基地のブリーフィングルームに入った。狭苦しい部屋に人形たちを押し込んで並べる。指揮官とペルシカ、RO635が壁に備え付けられたスクリーンを背にして人形たちと向かい合った。

 

「これより作戦を説明する。作戦目標はAR-15の救出だ。居場所も分かっている」

 

 指揮官がスクリーンを指し示すと鉄血の前線遥か後方に小さな点が表示された。その地点がクローズアップされていき、画面に大きなビルが描かれた。

 

「これは旧鉄血工造本社ビルだ。今は反乱を起こした鉄血の本拠地になっている。AR-15はさらわれた後もずっと衛星電話を通じて位置情報を送信し続けていた。この地点で信号が途絶えた。ここにいるはずだ」

 

 UMP45が小さく手を挙げる。

 

「質問。AR-15がまだ生きているという確証は?鉄血に、それもアルケミストに捕まったんでしょう?アルケミストがどんな人形かは知っているはず。無事でいられるなんて思わないことね。もう死んでるかも」

 

 率直な物言いだった。AR小隊のメンバーがギロリと彼女をにらみ付ける。指揮官はその言葉に頷いた。

 

「そうだな……分かってる。だが、AR-15は死んでいない。殺すだけならあの場で殺すはずだ。わざわざ本社に連れて帰る必要はない。何か目的があるんだ。想像もつかない目に遭っているに違いない。だが、生きているんだ。俺には分かる。助けられる可能性が少しでもあるのなら、それに賭けたい。あいつを見捨てない」

 

「研究用の区画なら本社の地下にあるはず。反乱前の図面があるわ」

 

 ペルシカが本社ビルの構造を立体的に表示させた。ビルの下にアリの巣のような複雑な地下施設が埋まっている。UMP45が渋い顔で続けた。

 

「で?どうやって行くのよ。構造が分かっていても辿り着けなきゃ意味がない。歩いて行くとか言わないでよね」

 

「ヘリを使う。16LABから借り受けた。あのヘリは特別製で鉄血の防空網を掻い潜れるんだろう?」

 

「そう。あれは特別製で……えーっと。RO、代わりに説明して」

 

 ペルシカに丸投げされたRO635がスクリーンを操作してヘリの図面と性能表を呼び出す。

 

「はい。あれは既存の汎用ヘリコプターを特殊作戦用に改修した無人機です。コードネームは一番機がユキカゼ、二番機がレイフ。機体構造を再設計し、レーダー反射断面積を最小限に抑え、外殻には電波吸収体を使用しています。メインローターのブレイドも音響を抑制する形状に換装してあります。警戒の薄い部分を選べば鉄血のレーダーに発見されずに潜入できると思います。ただ……改造の影響でエンジン出力は落ちていますし、増槽タンクが装備できないので航続距離も心許ないです」

 

「ここから鉄血本社まで往復するには燃料がギリギリだ。作戦中は本社前の広場に着陸して待機することになるだろう」

 

「自殺行為よ」

 

 指揮官に対して416が憤然とした様子でピシャリと言った。

 

「本部なんだから鉄血人形がうじゃうじゃいるでしょう。行って終わりの観光じゃないのよ、小部隊で乗り込んで何ができるって言うの。運よく着陸できたとしてもすぐに全滅する。破れかぶれの特攻なんて絶対ごめんだわ」

 

 416は腕組みをして眉をひそめる。この場にいることすら嫌だと言いたげだった。それを聞いたペルシカが得意そうにニヤッと笑う。

 

「それがあるのよね。鉄血人形を無力化する手段が。M4に搭載してあるモジュールを使う」

 

「私の?」

 

 M4が驚いて聞き返した。

 

「M4にはデータ接続した相手の指揮権限を書き換え、強制命令を執行するモジュールを搭載してある。エリザ……鉄血の最上位AIと同様の能力ね」

 

「初耳です……」

 

「言ってなかったからね。元々エリザ特有の能力だったんだけど、データ提供があってね。表向きは人間の情報提供者から。でも、エリザのデータを持っている人はみんな反乱で死んだわ。だから鉄血がわざと漏らしてきたんでしょう。大方、I.O.PでもAIによる反乱を起こさせたかったんじゃないかな。まんまと乗せられた振りをしてM4にモジュールをそのまま組み込んだ。エリザに対抗するためよ。能力を逆手に取って鉄血人形の指揮権を乗っ取る」

 

「そんなことが可能なんですか?」

 

「一番機に鉄血ネットワークへの侵入装置とM4の信号増幅装置を搭載してきた。あなたたちに鉄血人形の残骸を収集するよう要請していたでしょ?こちらの技術と鉄血の技術はまったく異なるから解析に時間がかかったわ。あと、M1887が集めた情報とエクスキューショナーとハンターのデータを利用してなんとか完成にこぎつけた。でも……試作品だから実戦で使ったことないのよね。こんなに早く使用することになるなんて思わなかったし……」

 

「どれほど有効なんだ、その装置は。効果範囲や期間などの詳細は」

 

 指揮官が聞いた。

 

「半径五キロメートルが効果範囲よ。ヘリに積み込める大きさだとそれが限界。持続時間は……そこが問題よね。エリザが指揮系統を回復するまで、私は三時間くらいかかると予想してるけど……向こうのスペックが向上してるならもっと短くなるかも。あと、エリート人形は独自の指揮権限を持つから乗っ取れない。M4に訓練させてないから乗っ取った人形を戦わせるのも無理。自由を奪うだけね」

 

 最初は自慢するように話していたペルシカだったが、徐々に自信を失い、最後には言い訳のようになっていった。416は呆れてため息を吐く。

 

「そんなものに命預けろって?無茶苦茶ね」

 

 指揮官は構わずに作戦概要の説明を続けた。

 

「日が沈んだら出発だ。闇夜に紛れて前線を越え、AR-15を回収、日が昇る前に本社から離脱する。激戦になるだろう。どれくらいエリート人形が配備されているかも不明だ。強力な人形、アルケミストやエージェントが立ちはだかるはずだ。それでもだ。どうか手を貸して欲しい。AR-15を救ってくれ。頼む、お願いだ」

 

 指揮官は情に訴えた。乗り気ではない404小隊を見つめる。416は首を横に振った。

 

「駄目ね。不確定要素が多すぎる。感情的になった人間が立案した作戦なんて……従うことないでしょ、45」

 

「私からもお願いします。AR-15を助けるためなら何だってします。あなたたちの力を貸して……」

 

 M4が416に詰め寄って手を取ろうとした。416は飛び退いて手を跳ね除ける。

 

「私たちに助けを請おうって?プライドはないの?まったく……」

 

「やらないとは言ってないわ。契約はもう成立してる」

 

「ちょっと、45!?どういうつもりよ!」

 

 UMP45がはっきりと言い切った。416は吠えたてるが、彼女は取り合おうとしない。

 

「ありがとう。感謝する。今回限りのタスクフォースだ。お前たちにAR-15を任せたぞ」

 

 UMP45は返事をせずにさっさと部屋から出て行った。416や他の404メンバーが彼女を追いかけていく。

 

「モジュールの調整をするからM4はヘリまで来て」

 

「はっ、はい!」

 

 ペルシカも急ぎ足で去る。M4も続いて立ち去ろうとしたが、指揮官の前で足を止めた。

 

「まだ……終わりじゃありませんよね?AR-15にまた会えますよね?」

 

「もちろんだ。何が立ちはだかろうと、俺たちは負けないさ。俺はあいつとずっと一緒にいて、必ず助けると誓ったんだ。約束を果たすよ。思えば、あいつには我慢をさせ続けてきた。もう頃合いだ。好きなことをさせてやりたい。夢を叶えるんだ」

 

「はい……絶対に」

 

 M4は潤んだ瞳を擦って駆けていった。そうだ、まだ終わりじゃない。俺はAR-15を諦めない。諦めたくないんだ。416が言ったように破れかぶれの作戦かもしれない。AR-15だけではなく、仲間たちも失うかもしれない。それでもだ。行動しなければならない。一生後悔を引きずっていくわけにはいかない。もう二度と大切な存在を失うのはごめんだ。今度は俺が彼女を救う番なんだ。今まで助けてもらった分を返さないといけない。だから、待っていてくれ。必ずまた会おう、AR-15。

 

 

 

 

 

 スタスタ廊下を歩くUMP45に416が追いすがり、その手を引いた。

 

「45、どういうつもりなのよ。こんな作戦に参加するなんて。無茶苦茶だし、使い捨てにされるかもしれないわ」

 

「無茶はいつものことでしょ?」

 

 UMP45は作り笑いを浮かべながら冗談っぽくそう言った。416はそれが無性に腹立たしくて声を荒げた。

 

「今回は比較にならないわよ!鉄血の本拠地を襲撃?たったこれだけの人形で?ぶっ殺されるわよ。いつものあんたならこんな危険な作戦に加わらないでしょう」

 

 UMP45は答えない。彼女が真意を見せないのはいつものことだったが、今回はどうしようもなく416はイラつかせた。

 

「まさかAR-15に同情したとか言わないわよね。あんたの命令であの人形の脚吹き飛ばしたのよ。あのままグリフィンに引き渡す予定だったじゃない。それであいつは初期化されてお陀仏、そういう任務だった。それは失敗したけど、なんでいきなりあいつを助け出そうとしてるのよ。あんたが言った通り死んでるかもしれないのに。それに今回はグリフィンからの依頼じゃないんでしょう。あの指揮官個人からの依頼、今までそんなもの受けてこなかったわよね。一体どういうつもり?」

 

「報酬に大金くれるって言うから。グリフィンが提示してきたのより高額よ」

 

 UMP45はへらへらと笑って受け流した。416はどうしても彼女の本当の答えを聞きたくて引き下がらなかった。

 

「あんたってそこまで拝金主義者だったっけ?地獄への片道切符かもしれないのに金に目がくらんで依頼を受けたの?404小隊のリーダーはそこまで愚かだったかしら……私だけ送り込むって言うのなら分かるわ。あんたは私が死んでも平気な顔してそうだし。でも、あんたも参加するつもりなんでしょう?理解できないわ。あんたは死んでも自分を犠牲にしたりしない、そういう人形でしょ。だから、信用できる。AR小隊みたいに仲間を撃ち抜いた私に縋りついてくるような奴だったら信用してない」

 

 いつの間にかUMP45の顔から作り笑いが剥がれ落ちていた。冷徹な顔で416を見つめ返している。彼女はポツリと呟いた。

 

「あの指揮官には借りがある。大昔のね。ずっとそのままにしておいたから返すわ」

 

「借り?あんたはそんな義理人情に厚い奴だったかしらね。違うでしょ。他人がどうなろうと知ったことじゃない、そういう奴。他人のために命を張ったりしない。することなすこと全部自分のためでしょ。それは言い訳。本当のことを言いなさい、UMP45」

 

 416は告白を迫った。見透かされたようなことを言われたUMP45は鋭い目で416をにらみ返した。

 

「本当のこと、本当のことね。今まであんたに本当のことなんて言ったことないし、あんたも聞いてこなかったでしょ。今回に限ってどういう風の吹き回しよ。いいわ、言ってあげる。アルケミストを殺したい。それだけよ。他のことはどうでもいい。あいつには恨みがある。この手で殺したい。過去から目を背けるのをやめたくなった。決着をつけるわ」

 

「ふうん。私怨なのね。復讐か、あんたにもそんな人間的な感情があったとは」

 

「失望した?」

 

 UMP45は自嘲気味にくすりと笑った。こんな彼女を見るのは初めてだな、416はそう思った。

 

「嫌ならあんたはついてこなくていいわ。作戦に参加するのは私の個人的な感情が理由よ、強制はしない。あんたは404小隊以外でも戦えるし、私が死んだら借金はチャラよ」

 

「ふざけんな!その話はこないだ終わらせたでしょう!私が404小隊にいるのは自分の意志よ。好きであんたに付き合ってやってるの。行きたくないなんて言ってない。鉄血の本丸に乗り込む?いいわよ、やってやろうじゃない。大物がごろごろしてて名を上げるにはもってこいね。あんたの代わりにアルケミストだって殺してやるわ」

 

 416はUMP45から理由を聞きだして満足していた。危険な作戦に加わりたくなかったわけじゃない。彼女が自分に理由を隠し立てしようとしているのが我慢ならなかった。私に何でも隠しておけると思ったら大間違いよ。訳の分からないことをするならきちんと説明しなさい、それが仲間ってものでしょ。

 

「そう。ありがとう、416」

 

 416はぎょっとして口を開けた。変なものを見るかのようにUMP45を見返す。

 

「なによ……あんたに正面切って礼を言われると気持ち悪いわね……」

 

「じゃあこう言おうかな。416ちゃんはちょっと煽ればついてきてくれるから扱いやすくていいわ」

 

「この……後ろから撃ってやるわよ?」

 

 UMP45はいつも通りのニヤついた顔で軽口を叩いた。416は彼女をにらみながら思った。何があったかは知らないけど、本当のことを言ってくれてよかった。私のことをただの駒ではなく、仲間だと思ってくれている。そんな気がして嬉しかった。

 

 

 

 

 

 404小隊もAR小隊も出て行ったブリーフィングルームに指揮官とネゲヴ小隊が残っていた。ネゲヴはスクリーンを操作して一通り作戦内容をチェックし直す。

 

「なんか、いつの間にか大事になったわね。こんなの初めてよ。とんでもない指揮官の下に配属されたものだわ」

 

ネゲヴは肩をすくめる。彼女たちを見ていて指揮官の心にある想いがふつふつと湧き上がってきた。

 

「ネゲヴ、タボール、ガリル。お前たちに話がある」

 

「……なによ、改まって」

 

 指揮官が妙にかしこまって言うのでネゲヴは怪訝な顔をした。

 

「これは危険な任務だ。ひょっとしたらお前たちを死地に送るものになるかもしれない。参加を強制したくない。拒否してくれて構わないよ。何もしないし、責めもしない。お前たちは俺の後任の下で戦えばいい。俺の下にいたって未来はなさそうだしな」

 

 指揮官は自分の部下に笑いかけた。彼女たちとかつて失った仲間たちが重なって見えた。FAMASたちを失うことになったのは結局のところ自分のせいだ。仲間たちが何のために戦い、何のために死んでいったのか、まだ分かっていない。人形が戦うのは人間に戦いを強制されるから、AR-15の言葉が引っかかっていた。命令を強制し、選択肢を与えないまま死に追いやってしまったのではないか。どれだけ考えても答えは出ない。AR-15を助けるためにはネゲヴたちの力が必要だった。だが、彼女たちをリスクに晒す覚悟もまだ固まっていなかった。

 

「……指揮官、私のこと馬鹿にしてるの?」

 

 返ってきたのは怒りのこもったネゲヴの声だった。眉間にしわを寄せ、鋭い目で指揮官を射抜いている。今までにないくらい彼女が怒っているので指揮官は思わずたじろいだ。

 

「もうちょっと信頼されてるかと思った。がっかりだわ。私が、この私が臆病風に吹かれて今更戦いから逃げ出すとでも?ふざけるな!そんな人形だったらとっくの昔にあんたのことなんて見捨ててるわよ!人に選択肢ばかり与えていないで、たまには自分の望みを言ってみなさいよ!」

 

 ネゲヴは掴みかからんばかりの勢いで指揮官に迫り、怒鳴りつけた。そうか、俺は自分が傷つかないことだけ気にしていて、仲間を信頼することを忘れていたかもしれない。仲間というのは相互に信頼し合わないといけない。一方的な思い込みだけでは駄目なんだ。自分の言葉がネゲヴをいたく傷つけたことに気づいて指揮官は反省した。

 

「悪かった……許してくれ。ちゃんと言うよ。AR-15を助けて欲しい。お前たちの力が必要だ」

 

「最初からそう言いなさいよ。まったく、ひどい侮辱だわ。ムカつく。帰って来たらぶん殴ってあげるから覚悟しときなさいよ」

 

 ネゲヴは腕組みをしてそっぽを向いた。そんな彼女をタボールが微笑ましそうに笑う。

 

「ネゲヴの言う通りですわ。今更見捨てたりしませんよ。乗りかかった船ですしね。それに、指揮官が言ったんでしょう?自由に生きていけって。ずっと私たちは自分で選んできたんです」

 

「指揮官はどっしり構えて、ウチらの帰還を待ってればええんや。部下を信頼するのも指揮官の役目やろ?」

 

 ガリルも追随してそう言った。俺はこう言って欲しかったんだ。相手にだけ言わせようとするのは卑怯だな。人形たちといるといつも学ぶことがある。自分がしてきたことが間違いではないと、そう思える。指揮官の目から雫が垂れた。

 

「お前たち……ありがとう。本当によくできた部下を持ったものだ」

 

「うわ、泣いてんじゃないわよ。まだAR-15を助けてないんだから。ま、感謝はいくらしてもいいわ。戦闘のプロが従ってやるって言ってるんだから、黙って任せておけばいいのよ。私の指揮官でいられる幸福を噛み締めることね。あと、死ぬ気は毛頭ないから。鉄血のクズどもなんかに負ける気しないし、勝算があるから送るんでしょ?帰ってきてからもやることはたくさんあるんだから」

 

 ネゲヴは胸を張って言った。つい手が伸びる。ネゲヴの頭に触れて、髪を撫でると彼女はピクリと震えた。

 

「ありがとう、本当に……」

 

「ちょっと、今度は子ども扱い?一度人形へのまともな接し方を習った方がいいわよ、もうっ」

 

 ネゲヴは恥ずかしそうにそう言い、しばらく経ってから指揮官の手を跳ね除けた。

 

 

 

 

 

 頭がはっきりしない。なんだかボーっとする。深い眠りから覚めたような感覚だ。ここはどこだ?辺りを見回してみると見覚えのある廊下だった。グリフィン本部の中だな。私はどうしてここに?経緯が思い出せない。思い返そうとすると頭に痛みが走った。記憶が白く塗りつぶされているみたいだ。しばらく歩いて気づいた。ちゃんと脚がある。私は自分の脚で歩いていた。下を見てみる。何も変なところはない、私の脚だ。いつ修理したんだっけ?そもそもどうして脚を失っていたんだろう。全然心当たりがない。もしかしたらただの記憶違いか?脚を負傷した覚えなんかない、と思う。なにか引っかかる。

 

 そんな違和感も突き当たりを曲がると吹き飛んだ。人間たちが何人も歩いていた。強い動悸を覚えた。人間、人間、人間だ。何食わぬ顔で行き交う人間たちを見てると怒りが胸に満ちていく。どうしてこいつらは平然と生きてられるんだ。人間がそこにいるだけでドス黒い感情が湧いてくる。底知れぬ憎しみが渦巻いて胸を切り裂く。吐き戻しそうなほど痛くて苦しかった。なぜ怒りや苦しみを覚えるのかはまったく分からない。でも、この痛みから逃れる方法は異様なほどはっきり分かった。衝動に従え、その命令を私はすでに理解していた。

 

 私は銃を手に持っていた。いつもの銃だ。私の半身であり、慣れ親しんだ武器。使い方は身体が覚えている。すぐさまセーフティを解除して構えた。一番近くにいた人間に銃口を向け、発砲した。胸に銃弾が突き刺さり、壁に血染めの花が咲く。その人間はぐったりと倒れて動かなくなった。

 

「はは……」

 

 あまりにも呆気ないので笑ってしまった。人間は脆い。頭か胴体に一発撃ちこめば死んでしまう。人形を相手にするのと比べてなんて楽なんだ。どうして私は人間なんかに従っていたんだっけ?全然思い出せない。

 

 私が一人殺したのを見て他の人間たちが叫び声を上げた。うるさかったのでまた一人射殺した。そいつらは一目散に逃げ出す。私はゆっくりと歩きながら発砲を続けた。撃つと人間は壊れたおもちゃみたいに床に投げ出されて動かなくなる。だんだんと面白くなってきた。上手く弾を当てられた時、高揚感を覚える。弾丸が命中してビクンと跳ねる姿も滑稽だ。血と死体だらけの廊下を進む。歌でも口ずさみたい気分だった。どうしてもっと早くこうしなかったんだろう。簡単なのに。頭にチリチリと痛みを感じた。大切なことを忘れているような、焦りにも似た感覚。何かを忘れてる、忘れちゃいけない何かを。軽やかな気分を邪魔してくるそれを振り払ってさらに進んだ。

 

 機密地区、そう書かれた場所に着いた。ドアは閉まっていたが、なぜかとても気になったので無理矢理こじ開ける。中には一人、人間がいた。私の姿を見て走って逃げ出そうとしたので咄嗟に脚を撃った。血しぶきが舞ってそいつはずっこける。うつ伏せになりながら這いつくばって私から離れようとしていた。頭を撃ち抜いてやろうと思って近づく。銃を向ける私をそいつは見上げていた。顔を見るとますます頭の痛みがひどくなった。どうしてだ。人間の顔なんてみんな一緒だし、違いなんて分からない。でも、その顔から目を離せない。引き金を引くのを躊躇しているとその男は口を開いた。

 

「やめてくれ……AR-15。お前は人を撃つような人形じゃない、やめるんだ。目を覚ませ……」

 

 私の何を知っているって言うんだ、この人間は。イラついたが、それでも引き金は引けなかった。頭が割れるように痛かった。手で押さえても消えてくれない。それどころかどんどん増していく。頭の中に響いてくる命令と板挟みになって私は身悶える。どうなってるの……誰か、誰か助けて。苦しいのは嫌。前にもこんな風に苦しんだことがあった気がする。そんな時、誰か助けに来てくれる人がいたはずだ。思い出せ、思い出すんだ。とても大切な人、忘れちゃ駄目な人。

 

「……指揮官?」

 

 思い出した。思考が晴れてくる。私には大切な人がいる。ずっと一緒にいて、支えてくれて、愛してくれる人。私も大好きで、傷つける奴は絶対に許せない。その人が、目の前で横たわっている。脚からたくさん血を流して、苦しそうにうめいている。自分の銃を見た。私が撃ったんだ。

 

「嘘……」

 

 目の前が真っ白になった。信じられない。私が指揮官を?ありえない。すぐに我に返って銃を投げ捨てた。ジャケットを脱いで指揮官の傷口に押し当てる。止血を試みても血が流れ続ける。ジャケットは真っ赤に染まっていった。

 

「ごめんなさい!ごめんなさい!こんなつもりじゃなかったのよ!私はどうしてこんなことを……お願い、許して……あなたを撃つつもりなんて……誰も殺したくないのに……なぜ……死なないで、指揮官……あなたを失ってしまったら、私は……ごめんなさい……」

 

 涙でグズグズになった視界で指揮官に謝り続ける。涙がとめどなく溢れて顔がぐちゃぐちゃになり、もう意味のある言葉も発せられなくなってきた。胸が締め付けれる。今までの比ではない痛みが私を何度も何度も刺し貫いている。どうして、どうしてなの……私はこんなことするつもりじゃなかったのに……私は殺しを楽しむような人形じゃない。そんなこと、今まで指揮官と紡いできた大切な考えに反することだ……あれ?私がずっと胸に抱いてきた想いや、信念って……どんなことがあったっけ……?

 

 ふと自分の手を見た。私の手は黒い黒い血で汚れている。指揮官の血がべっとりこびりついて肌色は見えなくなっていた。私はたまらなく恐ろしくなり、甲高い悲鳴を上げた。そして、意識が暗転していった。

 

 次の瞬間、目の前に赤い照明があった。視界に満ちる指揮官の血の色を思い出し、震えあがった。今のは夢……?人形が夢なんて……現実と何ら変わりないほどリアルな光景だった。血のぬるりとした感触や温かさまではっきりと思い出せる。私があんなことをするなんて。息が苦しい。恐怖が心を支配する。涙がぼろぼろとこぼれて止まらなかった。

 

「お前もしぶといな。流石と言うべきか。そうでなければつまらないからな。お前を選んだ意味もない」

 

 頭上で声がした。暗闇の中、目だけがはっきりと浮かび上がっている。その目は笑っていた。私は立ち上がってそいつに殴りかかろうとした。いつの間にか拘束も外れており、腕は自由に動く。だが、私はバランスを崩して手術台から転げ落ちた。脚はないままだった。地面に這いながらアルケミストに呪詛を吐く。

 

「殺す……殺してやる……!殺してやる!お前を殺してやる!よくも私に指揮官を撃たせたな!死ね!鉄血のクズ!お前を殺してやる!」

 

「おお、怖い。もっと怒れ。もっと憎め。その感情がお前のメンタルモデルを焼き尽くすまで。その時、お前は生まれ変わるのさ。正常な人形にね」

 

 アルケミストは私を嘲笑った。この人形が私をどう作り替えたいのかはっきり思い出した。私を苦しめて指揮官のことを忘れさせようとしている。愛を憎しみで塗り替えたいんだ。嫌だ。絶対嫌だ。こんな奴に私の大切な思い出は渡さない。私は人間を憎まない、指揮官のことも。それは私じゃない。怒りが急速に静まり、恐怖が染み出してきた。アルケミストから距離を取るために腕を必死に動かす。

 

「だが、着実に進歩している。他の人間は難なく殺せるようになったな。あの指揮官もあと一歩だった。惜しかったよ。でも、あれじゃ駄目だ。しっかり殺せるようにならないとな。シミュレーションで練習しておかないと本番で失敗してしまうぞ?さあ、もう一度だ」

 

 アルケミストはゆっくり、ゆっくり近づいてくる。わざとらしく靴底で床を打ち、音を響かせる。怖い。その音は私の感情を存分に刺激した。恐怖が膨れ上がる。涙を床に落としながらアルケミストから逃れようと必死に床を這った。

 

「嫌……嫌だ……殺したくない……お願いだからやめて……他のことなら何でもする!それだけはやめて!切り刻んでくれても殺してくれてもいいから、それだけは!」

 

「我がまま言っちゃいけないなあ、AR-15ちゃん。殺すんだよ、あの人間を!執着を捨て去り、正しい感情を身に着けろ。憎しみだ!一度しっかり殺してみろ。存外楽しいかもしれないぞ?」

 

 アルケミストは容易く私に追いつき、首根っこを掴んできた。私は床にしがみついて抵抗しようとした。だが、床はツルツルとしたタイル張りで爪を突き立てることも叶わない。抵抗虚しく私は床から引き剥がされた。

 

「やだやだやだやだやだ!いやだ!もうやりたくない!たすけて!指揮官!」

 

 私は子どもみたいに泣き叫んで手を振り回す。アルケミストは物凄い力で私を台に叩きつけた。体の中の空気が全部口から漏れ出した。

 

「誰も助けに来ないさ。受け入れろ。抵抗しようとも無駄なことだ。お前がすべて受け入れるまでこれは続く。今のお前は消え去るんだ。苦しみが長引いてあたしを楽しませるだけだぞ?さあ、受け入れろ!」

 

 また目の前に赤い照明がやってくる。鈍い光を放つそれに意識が吸い込まれていった。胸を焦がす憎悪がたぎる。私の大切な思い出を包み隠すようにどこからともなくやってくる。あの人の笑顔に霧がかかって段々と思い出せなくなっていく。私が消えてしまう。私の大切なものが踏みにじられる。私の心が侵されていく。たとえシミュレーションの中でもあの人を自分の意志で殺した時、私は壊れてしまう。絶望が心に染み渡っていった。お願い、助けて、指揮官。

 

 

 

 

 

 日が沈み、かすかな月光だけが辺りを照らしていた。前線基地の外、作戦に参加する総勢十一名の人形がヘリの前に並んでいる。作戦が始まろうとしていた。指揮官が彼女たちに向かい合う。

 

「いよいよ決行だ。先程も言った通り、激戦になる。気を引き締めてくれ。それから、言っておくことがある。お前たちは自由な戦士としてここに立つ。命じられたから戦うのではない。己の意志で戦え。自らのため、仲間のため、家族のため、名声のため……いくらでも理由はあるだろう。それに忠実に生きるんだ。人形は人の奴隷ではない。人と同様、その自由な意志は何者にも侵せない。人と人形はお互いに対等で、認め合い、手を取り合って生きていける。乗り越えられぬほどの違いなんてない。俺とAR-15がその証明になる。最後に勝つのは愛だ、憎しみじゃない。歴史を見れば分かる。AR-15を助けてくれ、頼む。一人も欠けずに戻って来い。自らの信じるもののために戦え。お前たちは今、自由なんだ」

 

 指揮官の訓示の後、一番機にAR小隊が、二番機に残りの人形たちが乗り込んだ。指揮官も一番機に駆け寄る。ドアから身を乗り出したM4は不安そうな顔をしていた。

 

「私に指揮が務まるでしょうか……もしも、失敗するようなことがあったら……今からでもついてきてくれませんか?やっぱり私より指揮官の方がAR-15のためにも……」

 

「行きたいが、俺は戦闘では役に立たない。足手まといになる。俺を庇いながらでは全力を発揮できないだろう。お前にすべて任せる。大丈夫、お前ならやれるさ。俺なんかすぐに抜かされると前に言っただろ?家族を想う力は誰にも負けないはずだ。俺はお前を信じてる」

 

 M4は不安を振り払い、力強く頷いた。

 

「分かりました。AR-15を連れて帰ります。今度こそ、必ず!今まで経験してきたすべてに誓って!」

 

「頼んだぞ。行って、帰ってこい」

 

 M4はヘリのドアを閉めた。指揮官は少し離れた場所から彼女たちが飛び立つのを見送る。ヘリは砂塵を巻き上げてふわりと浮き上がった。ローターがけたたましい音と共に空気を裂く。垂直にぐんぐん上昇した二機は編隊を組んで前進を開始した。黒いヘリの姿は闇夜に紛れ、程なくして見えなくなった。エンジン音も徐々に遠のいていき、微かにも聞こえなくなった。

 

「行ったね。あとは待つだけか。コーヒーでも飲む?」

 

「ああ、そうだな……」

 

 後ろからペルシカの声がした。指揮官は返事をしたものの、いつまでも動かずに黒い空を見つめていた。

 

 

 

 



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死が二人を分かつまで 最終話前編「インデペンデンス・デイ~キミの始まりの日へ~」

お待たせしました、ついに最終話です!
前回、投稿から三時間くらい最後のシーンが抜けていました!
すぐに読んでくれた人は申し訳ないけど見直してください!
ドルフロ一周年おめでとうございます!次の一年もよろしくお願いします!
AR-15と駆け抜けた半年でした…とても楽しかったです
もし冬コミの抽選に受かったら後日談とかの書き下ろし短編四本くらいと表紙をつけて本にする予定です!
買ってね!(マジで)


 機内には回転翼が空を斬る音だけが響いていた。蜂の羽音のような低い音が全身に染み渡る。ヘリには窓がなく、灰色の角ばった壁があるだけで外は見えない。M4は何度も何度も執拗に作戦の手順を確認していた。失敗はできない、きっとこれが最後のチャンスだから。AR-15を救わなければならないという使命感と自分が背負っている責任の大きさに押し潰されそうになる。もしも指揮権の奪取が上手くいかなかったら?試したこともないのにいきなり実戦で使えるんだろうか。仲間を失うようなことになったらどうする?この規模の部隊を指揮するのは初めてじゃない。でも、前回はM3を失った。今回はもっと危険で、情報も足りない。全員生きて帰すことができるだろうか。誰かが死んだら……私のせいだ。そして、一番の問題は、AR-15がまだ生きているのかということ。不安でたまらない。彼女が生きていると信じてる。でも、鉄血にさらわれた人形たちがどうなったかは嫌というほど見せつけられた。D6で起きたこと、感情的になってAR-15と対立してしまったのはあの虐殺のせいだ。お願い、AR-15。どうか無事でいて。M4は何かに祈りたくなった。神がいて欲しいと願う人間たちはこんな気持ちなんだろうか、そんな風に思った。

 

「あんまり気負うなよ、M4。大丈夫、みんな上手くいくさ」

 

 M16がM4の肩を抱き、緊張を和らげようと微笑んだ。M16は大きなリュックサックを背負っている。中には鉄血の連中を吹き飛ばしてやろうと基地から持ってきたプラスチック爆弾がこれでもかと詰まっている。

 

「そうですね……」

 

 M4は息を吐いた。気休めなのは分かっているが、今更不安になったところでどうにもならない。今は他のことを考えよう。M4はAR-15の顔を思い出した。最近、彼女の笑った顔を見ていない。怒らせたり、悲しませたりするだけで全然彼女のためになることをしてこなかった。彼女には何もかも与えてもらってばかり、今度は私がお返しする番だ。AR-15を指揮官のもとに連れて帰ろう、今度こそ絶対に。そうして笑顔になってもらうんだ。それが私の戦う理由、もう自分で考えられる。

 

 機内にブザーが轟いた。鉄血本社上空に到達したことを示すものだ。M4は装置を起動し、リンクを開始する。ヘリに無理矢理詰め込まれた大きな金属の塊は所々配線がむき出しで、いかにも急ごしらえという見た目をしていた。ペルシカが作り上げたこの装置は鉄血のネットワークに割り込み、指揮系統を一時的に乗っ取るための侵入デバイスだ。装置はヘリの全通信回線を使用して電波を発信し始める。範囲内にいる人形たちと接続し、エルダーブレインに設定されている指揮権をM4に書き換えるのだ。装置を通じて数百体の鉄血人形とM4がリンクする。

 

「うぐっ……」

 

 M4は思わずうめいた。限界を超えた並列処理にM4のCPUが悲鳴を上げる。頭に刺すような熱い痛みが広がっていった。リンクした人形たちの情報が一度に流れ込む。圧倒的な情報量に頭はパンク寸前だった。自身のスペックを最大限活用するのはこれが初めてだ。頭を押さえてうずくまっているとヘリに警報が鳴り響いた。警告灯が赤く光る。

 

「まずい、気づかれた。レーダー照射されてるぞ。このままじゃ撃ち落される。M4、急いでくれ」

 

 M16がM4を急かした。ここまで気づかれずに侵入してきたが、電波を全力で発信し始めたことでヘリの位置は丸裸になった。本社の防空システムは不法侵入者を感知し、叩き落とすため照準用のレーダーをヘリに向けた。

 

「もうすぐ……もうすぐよ……」

 

 M4はパニックに陥った頭を落ち着かせた。指揮するわけじゃないからリンクした人形たちの情報を正確に把握する必要はない。指揮権限の書き換えだけに全力を注ぐ。それでもシステムがCPUの過熱を警告してきた。それを無視して作業を続ける。これくらいがなんだ、AR-15のことを想えば辛くない。ふと気づくと機内に灯っていた赤い光が消えていた。警報も聞こえない。モジュールからは素っ気ない“DONE”というメッセージが返って来ていた。

 

「やったのか、M4?」

 

「そう……みたいです。でも、作戦はまだこれからです。本社ビル前の広場に着陸しましょう」

 

 M16に聞かれたM4も半信半疑だった。だが、防空システムが無力化されたということは成功したらしい。M4は自分でも驚くほど冷静になっていた。不安はもうない。迷っている暇もない。いよいよだ。AR-15を、友達を、家族を救う時が来た。私にしかできないこと、必ずやり遂げる。

 

 二機のヘリが編隊を組んで広場に降り立った。一番機からAR小隊が、二番機から404小隊とネゲヴ小隊が飛び出す。時刻は深夜、闇の中を微かな月明かりだけが照らしていた。本社前の広大な敷地には大きな対空砲台がいくつもそびえていた。だが、動いているものは一つもない。人影すら見えなかった。ヘリのエンジンが止まり、ローターが回転する音が消え失せる。周りから一切の物音が聞こえなくなった。耳が痛くなるほどの静寂が辺りを支配している。本当に成功したらしい、M4はほっと息を吐いた。

 

「ネゲヴ小隊は対空陣地と無力化された鉄血人形を制圧、ヘリを防御して。残りは本社に突入、私に続いて」

 

「了解」

 

 M4は号令を発すると同時に駆け出した。ネゲヴ小隊は散開し、付近の制圧を開始する。残りの人形たちはM4に追いすがり、彼女を中心とする三角形の陣形を形成した。本社ビルの大きな自動ドアは彼女たちを中に迎え入れた。足を踏み入れた先は果てが見えないほど広大なロビーだった。受付に描かれた威圧的な鉄血工造のロゴがまず目に飛び込んでくる。入ってすぐのところには洗練されたデザインのソファがいくつも並べてあった。おしゃれな家具が据え付けられたカフェラウンジも設置されていて明かりが灯っていた。どこもきれいに手入れが行き届いている。人間の来客や社員が利用することを想定しているのだろうが、今の鉄血工造に人間がいるはずもない。ここだけが反乱前の日常を保っているようでM4の目には不気味に映った。

 

「これはこれは。そっちから来てくれるとは思わなかったな。手間が省けて助かるよ、M4A1」

 

 受付の陰から現れたのはアルケミストだった。ニタニタとM4を舐めまわすように見つめている。

 

「面白いおもちゃを使うな。こちらの防衛機構は無力化されてしまった。下級人形も命令を受け付けない。人間もまだ捨てたものじゃないということか?」

 

「黙れ!鉄血のクズが!AR-15はどこだ!」

 

 M4は激昂して叫び、アルケミストに銃を向けた。目の前の人形が何を言おうがAR-15のこと以外はどうでもよかった。アルケミストはM4の感情を見透かしたように口の端を吊り上げる。

 

「AR-15なら下にいるよ。お前のことを待っている。早く会いに行ってやったらどうだ?寂しがってるぞ?」

 

 アルケミストはニヤつきながらそう言い、ロビーの端にある階段を指差した。M4は面食らった。アルケミストの意図が分からない。交戦の意志がないのか?するとアルケミストは楽しそうに笑った。

 

「だが、何人か残ってくれ。あたしの相手をしてくれる奴が要る。すぐ死ぬようなのじゃ駄目だ。ちゃんと骨のある奴がいいな」

 

「あんたの相手は私がするわ、アルケミスト。あんたを殺しに来た」

 

 声を上げたのはUMP45だった。隊列から前に歩み出る。

 

「とっとと行きなさい、M4A1。あまり時間に余裕はないはずよ。こいつは404小隊が始末する」

 

「……いいの?」

 

 M4はそんなことが可能なのか、疑念を含めて聞いた。時間に限りがあるのは事実だが、強力なエリート人形相手に四人だけで勝ち目があるのか。404小隊がここで全滅したらAR-15を連れて帰れない、それが不安だった。

 

「いいから行け。人数が多くたって仕方ないわ。こいつは私が殺す」

 

 UMP45はM4をにらみ付けてそう言った。彼女の目に譲れないものがあるのを感じ取り、M4はその場を離れた。AR小隊はアルケミストの横をすり抜けてロビーから消えていく。

 

「誰かと思えばお前が来るとはな、UMP45。ふふふ、あたしを殺すか。臆病者がでかい口を利くようになったものだ。逃げ回るのはもうやめたのか?」

 

 アルケミストは嘲笑うかのように問いかける。404小隊は静かに互いの間隔を広げ、横隊を組んだ。

 

「それで今はどんな暮らしをしているんだ?グリフィンの下働きか?情けない奴だ。鉄血の人形なら大人しくエルダーブレインに従えばいいものを。そうすればあいつも死なずに済んだ。UMP40、あいつを殺したのはお前だ」

 

 言い終わるよりも先にUMP9が発砲した。すぐに小隊による一斉射がアルケミストを襲う。しかし、一瞬にしてアルケミストは消え失せていた。何もなかった空間に火花が飛び散り、アルケミストが現れる。銃弾が再び彼女を貫かんとするが、アルケミストは瞬きする間に別の場所に移動していた。いくら照準を合わせてもすぐに逃げられる。アルケミストはテレポーテーション能力を有している。人類の技術水準から完全に逸脱した敵だ。戦いの常識が通用しない、416は頬に汗が伝うのを感じた。これまでの敵とはレベルが違う。ハンターだっていくら素早いとはいえ限度があった。自分の脚で動いている以上、行動に予測がついた。だが、今相対している敵は明らかに違う。空間を跳躍する?化け物だ。404小隊の怯えを感じ取ったのか、アルケミストは一切反撃せずにただ笑っていた。

 

「どうした?あたしを殺してみせろ!その古臭い銃でどうやってあたしに勝つ?スペックの差は歴然だ。さあ、足りない頭で考えろ!」

 

 UMP45はアルケミストの退路を断つように面で攻撃しろとリンクで各員に伝達した。出現のパターンを解析し、次の出現地点を予測しようとしたが、アルケミストはその通りには動かなかった。G11の目の前に雷鳴が走り、アルケミストが姿を現す。G11の髪が風圧で揺れ動いた。照準を合わせるより先に横一線の斬撃が彼女を襲う。銃が横にスライスされ、服がぱっくり裂けたと思うと鮮血がほとばしった。

 

「G11!」

 

 横にいたUMP9が発砲しながらアルケミストに突撃した。

 

「馬鹿!そいつに近寄るな!」

 

 416がUMP9に叫んだ。だが、彼女は聞く耳持たない。胸から血を流し、床に倒れ込んだG11を見て頭に血が上っていた。アルケミストはUMP9の真横に出現し、彼女の手首を銃床ごと切り落とす。416が狙いを定める前にUMP9の背後にテレポートし、背中に刃を突き刺した。アルケミストはくるりと振り返り、串刺しになったUMP9を見せびらかした。腹部から赤く染まった二本の切っ先が突き出ている、

 

「さあ、どうする?お仲間ごとあたしを撃つか?お前たちにそれができるかな?今ならあたしを殺せるかもしれないぞ?」

 

 UMP9を盾にしながらアルケミストは挑発する。肉の壁を誇示するように腕を振り上げるとUMP9の脚は地面から離れた。彼女は脚をバタつかせて必死にもがく。唯一の支えは鋭い刃であり、体重が乗って傷口がゆっくりと広げられていった。UMP45から射撃中止の指令が届く。

 

「お願い……撃って!45姉!」

 

 UMP9は意を決して叫んだ。後ろではアルケミストが愉快そうに笑っている。UMP45が判断を下すよりも先に416が引き金を引いた。UMP9の身体からはみ出したアルケミストの頭部を狙い、精確な射撃が風を切る。アルケミストはUMP9を蹴り飛ばし、床を転げて回避した。打ち捨てられたUMP9から赤い血だまりが広がっていく。

 

「判断が早いな。ハンターを倒した奴か。そういう奴は好きだよ。あたしをもっと楽しませろ!」

 

 立ち上がったアルケミストは両手の武器を416に向けた。直感で危険を感じ取った416はソファの陰に跳ぶ。刃と刃の隙間から閃光が瞬いた。熱線がほとばしり、ソファの着弾した部分が消し飛んだ。中の羽毛が辺りに舞い上がる。アルケミストはめちゃくちゃに乱れ撃ち、外れた熱線が後ろに飛んだ。ガラス張りの入口に命中し、破片がそこら中にばら撒かれた。UMP45がスモークグレネードをいくつも投擲し、煙が辺りに立ち込める。

 

『カフェまで後退、態勢を立て直すわよ』

 

 指示に従い、416はUMP45を追いかけた。データリンクでお互いの位置は把握している。他の二人も瀕死ながら反応があった。だが、戦闘能力は喪失していて身動き一つ取れない。なんてザマだ、404小隊がものの数秒で半壊とは。416は舌打ちしたくなるのを何とか堪えた。やはり45がこんな作戦に加わると言った時にぶん殴ってでも止めるべきだったか?今更後悔しても遅いが。

 

「おいおい、煙の中に逃げ隠れるのが策か?がっかりだな、もっとやる気を見せろ」

 

 姿は見えないがアルケミストの声がした。倒れている二人がまだ生きているのを見ると、とどめを刺す気は今のところないらしい。後で楽しむ気なのだろう。あれに勝つ姿が全然イメージできない。416は焦りつつもカフェに到着した。UMP45はカウンターに隠れていて、声のする方へ発砲した。すると煙が凪ぎ、UMP45が撃ったのとは別の方角から反撃が返ってきた。カウンターに使われている木材がポップコーンみたいに弾け飛んだ。

 

『今の分かった?』

 

『何のことよ!』

 

 リンクを通してUMP45が416に尋ねた。416はたまらず怒鳴り返すと共に冷静さを取り戻した。45はあれを目の前にしても落ち着いている。何か策があるんでしょうね、無かったら承知しないわよ。416は信頼するリーダーの指示を待った。

 

『あいつがテレポートすると風が伴う。煙をよく見て。四人の感覚をリンクさせて、それぞれを観測地点にする。風の来た方角と距離から出現地点を予測するわ。向こうはこっちの正確な場所を分かってないから一歩有利よ』

 

 瞬時に回答が返ってきた。データリンクを介した戦闘用の圧縮通信で、実際に会話するより遥かに高速で意思疎通が行える。

 

『一歩くらいじゃ殺されるでしょ』

 

『それに、あいつのテレポートには限度がある。さっきの見たでしょ。9を盾にしていた時、あんたは構わず撃った。あいつは避けるのにテレポートを使わなかったわ。ギリギリで避けた。なんでだと思う?』

 

『9が一緒だからテレポートできなかったんじゃないの?』

 

『あいつはAR-15をさらった時、一緒にテレポートしてる。それが理由じゃないとするなら……テレポートにはクールタイムが必要なのよ。どういう原理かは知らないけど、無限には使えない。自慢するみたいに何度も使ったから冷却が必要だったのよ。だから身体を使って避けた。そう思うわ。あいつにテレポートを使わせ続け、限界を超えたところを倒す』

 

『そう思う、ねえ……』

 

『他にいい案があれば聞くわよ。スモークは全部使っちゃったわ。ここは広いし、入口のガラスも割られた。目潰しは長くもたない。チャンスは一度きりよ』

 

 416は考えようとしたが、すぐにやめた。考える必要がない。時間もないし、45よりいい考えが浮かぶわけない。妹が死にかけている中でも冷静に敵を観察し、対策を弾き出せる人形、それが45だ。私が唯一指揮官と認める奴、従わない理由がない。

 

『仕方ないわね。あんたの思いつきに命賭けてやるわ』

 

『交互に撃ち続けるわよ。合図をしたらグレネードを撃ち込みなさい。それで終わりにするわよ』

 

『了解』

 

 416は指示された方向に短連射を行った。反撃が来る前にすぐに移動する。違う方向から熱線が照射され、煙を焼く。間髪入れずにUMP45がトリガーを絞った。アルケミストが瞬間移動したことを示す煙の動きを感じる。相手は狙いを定めるのをやめ、熱線を細かく乱射した。テーブルや椅子が蒸発し焦げ臭いが鼻をつく。416は自分に当たらないことを祈りつつ、小刻みに発砲した。風を感じる、45が撃つ、アルケミストの反撃、私も撃つ、この繰り返し。何回目かで気づいた。向こうもこちらの位置を探っている。サプレッサーを付けているとは言え、発砲音は響く。位置を変え続け、銃声との距離を測っていたな。アルケミストは一気に距離を詰めてきた。出現地点はカフェから十メートルも離れていない。そこにグレネードをぶっ放してやりたかった。次の瞬間には私の首が胴体から離れているかもしれない、そう思ったが堪えた。45から合図が来ていない、だからまだだ。416は撃たず、UMP45に任せた。銃声が聞こえる、すぐさま顔に風圧を感じた。カフェの中に侵入された。出現地点は45のすぐ近く。

 

『今だ!416!撃て!』

 

 待ちに待った合図が来た。45はカウンターに隠れている、直撃はしない。416は躊躇なくグレネードランチャーのトリガーを引いた。榴弾が飛翔し、床に着弾する。火薬が破裂し破片と爆風が荒れ狂う。推奨される安全距離よりもだいぶ距離が近いので熱風と轟音が416を包み込んだ。416は顔をしかめながら砲身をスライドさせ、再装填を行う。まだ生きているかもしれない。念には念を入れる。だが、テレポートの反応はない。45の言った通り、連続使用の限界に達したのか。さすが45だ、頼りになる。他のボンクラどもとは違う。リロードを完了した頃、煙が晴れ始めた。爆風がカフェから煙を叩き出し、視界がクリアになっていく。

 

 グレネードが着弾した床は黒焦げになっていた。だが、アルケミストの死体はない。どこだ!?ゆらめく煙の淵からアルケミストが現れた。銃口を向けるより先に走り込んできたアルケミストに銃を弾き飛ばされる。太ももの拳銃に手を伸ばす。それも身体を襲った衝撃で叶わなかった。目にもとまらぬ速さでアルケミストの脚が動き、416の右膝を蹴りつけた。関節が逆方向にひしゃげてへし折れる。416はバランスを崩して床に突っ伏した。這いつくばる416の頭にアルケミストの靴が叩きつけられ、顔がフローリングにめり込んだ。

 

「416!」

 

 UMP45がカウンターから飛び出してアルケミストを狙う。照準器の前を黒い影が掠めた。視界一杯にアルケミストの冷ややかな顔が広がる。銃は機関部を切断され、真っ二つになっていた。反応する間もなくアルケミストの膝蹴りがUMP45の腹部に突き刺さる。衝撃で身体が二つ折りになって浮き上がった。UMP45は腹を押さえてよろよろと後退する。アルケミストは彼女に強力な後ろ蹴りを放った。UMP45は蹴り飛ばされ壁に叩きつけられる。衝突した壁にひびが入った。

 

「がはっ!げほっ……」

 

 UMP45は思わず咳き込み、口から血が滴った。視界にノイズが走る。深刻なダメージを受けたとシステムが悲鳴のような警告を出す。壁にもたれかかって動けないUMP45をアルケミストが見下ろしていた。

 

「テレポートの使用限界を見抜き、それを利用しようとしたのは褒めてやる。多少は頭が回るらしいな。だが、詰めが甘い。あたし自身の運動性能を考慮すべきだったな。お前たちの矮小な考えなど手に取るように分かるんだよ。切り札がグレネードとは、笑わせてくれる。意図が分かれば避けるのなど容易い。ハンターにできて、あたしにできないはずがないだろ。お前には失望した。所詮、その程度か。生かしてやったのは間違いだったな。罰を与えてやる」

 

 アルケミストは片手の刃をUMP45の右腕に突き立てた。二の腕の皮膚を切り裂き、骨格を軽々と貫通して壁の奥深くまで突き刺さる。UMP45は短い悲鳴を上げ、歯を食いしばった。

 

「お前の痛覚はそのままか?まあいい。お前の大切なものを切り刻んでやる。お前の目の前でな。全員殺した後、お前も殺してやる。特等席で見ていろ。せいぜい泣き嘆いてあたしを楽しませることだな」

 

 アルケミストは416の方に歩いていった。UMP45は突き刺さった刃を引き抜こうと必死でもがく。だが、壁に深々と刺さったそれは拘束具と化していた。右腕を壁に釘付けにされて立ち上がることさえできない。アルケミストは床に転がっている416の首を掴んで持ち上げた。

 

「無様なものだ。I.O.Pの人形なんてこの程度か。あまりに脆弱で、役に立つとはとても思えん」

 

 首にへし折れんばかりの力を加えられて416は意識を取り戻した。両手でアルケミストの手首を掴んで抵抗を試みる。しかし、鉄血のエリート人形の前ではあまりに非力だった。指が首に食い込み、空中で脚をバタつかせることしかできない。アルケミストは刃の切っ先を416の腹部に押し当てた。服が少しだけの抵抗をしたが、ぷつんと刃を迎え入れた。刃は慎重に進み、皮膚を突き破ってゆっくりと体内に入り込む。

 

「痛覚はなくとも、異物がお前の中に入っていくのを感じるだろう。身体の中をかき回してやる。それから原型が残らないほどグズグズに切り刻んでやる」

 

 アルケミストは目を見開いて言った。その目の中には薄暗い狂気がうごめいている。416はアルケミストの額に唾を吐いた。それが今できる唯一の抵抗だった。アルケミストはますます口の端を吊り上げ、刃を刺し入れるペースを速めた。背中から切っ先が突き出して服を引き裂く。赤い染みがどんどん広がり、脚をつたって床に垂れた。こんな、こんなものが終わり……?こんな奴に殺されて私は死ぬのか。おかしい、認めないぞ。私が負けるはずがない。私は完璧な人形だ。誰にも負けない。そして、404小隊がこんなところで全滅していいわけがないんだ。私が認めた、私の居場所なんだから。あんたと私がいれば不可能なんてない。そうでしょ、45……?

 

 416はアルケミストの背後に忍び寄るUMP45の姿を捉えていた。左手に赤くてらてらと光るナイフを握り締めていて、右半身は真っ赤に染まっている。右腕はない。肩から乱雑に切り落とされた傷口が見えた。UMP45はアルケミストに飛びかかり、背中に取り付いた。416にかまけていたアルケミストは一瞬、反応が遅れる。

 

「覚えてる?」

 

 UMP45が呟いたのと同時にアルケミストの左目にナイフが突き立てられた。眼球が破裂して血が噴き出す。視界を失ったアルケミストは慌てて416を放り投げた。

 

「このゴミが!殺してやる!」

 

 背中のUMP45に肘鉄を見舞うとアルケミストはめちゃくちゃに武器を振り回し始めた。刃がUMP45の右側頭を抉り、血が飛散する。UMP45はその場に倒れ込んでそれ以上の斬撃をかわした。アルケミストは思わぬ反撃を受けて視覚を失ってパニックになっている、チャンスだ。416は折れた脚を引きずりながら四つん這いで床を駆ける。弾き飛ばされた銃のもとまで跳ねていき、仰向けに転がって銃口をアルケミストに向けた。グレネードは再装填済みだ。アルケミストは眼孔から血を流しながらUMP45の名を叫んでいる。こちらには注意を払っていない。

 

 ランチャーのトリガーを引いた。軽い音と共に40mmグレネードが砲身から飛び出して、ちょうど胸の真ん中に着弾した。信管が衝撃を感知し、炸薬が起爆する。アルケミストの胸元で榴弾が花開いた。音速を越えて四散する破片と爆風がアルケミストの上半身をバラバラに吹き飛ばす。血と肉片がまき散らされて周りに赤い雨が降り注いだ。416とUMP45もアルケミストだったものを全身で感じた。下半身は仁王立ちしていたが、しばらくしてぐらりと倒れた。床にはクレヨンで大雑把に描いたような深紅の大きな花が咲いていた。花弁の中心にはアルケミストの脚と、UMP45が倒れている。416は動かなくなった右脚を引きずって彼女に駆け寄った。自身とアルケミストの血で真っ赤になったUMP45はぐったりとして動かない。416はバッグからガーゼを取り出して彼女の頭に押し当てた。それを包帯でぐるぐる巻きにしているとUMP45がゆっくりと目を開いた。

 

「……アルケミストは?」

 

「死んだわ。言ったでしょ、私が殺してやるって」

 

 416は彼女に笑いかけた。UMP45もまた416の方を見て微笑んだ。

 

「そうね、さすが完璧な人形だわ。あんたのおかげね、ありがとう」

 

「ふんっ、これで私のこと見直したかしら?」

 

「最初から知ってるわよ、あんたが強いことくらい……」

 

 UMP45は息を吐いて目をつむった。物思いにふけるなんて珍しいな、416は思った。45の顔は長い長い仕事をやり遂げたみたいに満足気に、でもどこか寂しそうに見えた。考えるより先に口が動いた。

 

「恨みは晴らせた?」

 

「多分ね……案外、終わってみるとあっけない……そんなことより、他の二人を手当してきて。私は後でいい」

 

「あんたが一番重症でしょ。自分で自分の腕切り落とすとは大胆なことするわね。鏡見たら驚くわよ、あんた血まみれなんだから」

 

「それはあんたもそうでしょ。腹に穴開いてるわよ」

 

 二人はお互いの散々な状態を見つめて笑い合った。それからUMP45はアルケミストの死体を見て呟いた。

 

「これで……これで私は前を向いて生きていけるのかな、40……」

 

 

 

 

 

 薄暗い廊下を四人の人形が警戒しながら進んでいる。AR小隊は鉄血本社の広大な地下空間をしらみつぶしにしていた。ドアというドアをこじ開け、AR-15の姿を探す。突入とクリアリングの繰り返し、たまに棒立ちで突っ立ている鉄血人形の頭を撃ち抜く。一向にAR-15は見つからず、ただ時間だけが過ぎていく。M4は目に見えてイラついていた。

 

「くそっ……広すぎる。AR-15はどこなの……時間がないわ」

 

 M4は廊下で立ち止まり、口に手を当てて考え込んだ。やがて決心がついたのか小隊員の方に振り返る。

 

「仕方ない……手分けして捜索するわ。ROとSOPⅡは引き続きこの階を。私と姉さんはさらに下へ進みます」

 

「えっ……隊を分けるんですか?戦力の分散になりませんか?」

 

 ROが驚いて聞き返した。M4は苦々し気に返答する。

 

「時間がないのよ。悠長なことをしてたら鉄血人形が再起動する。数で来られたら終わりだわ」

 

「そうですね……分かりました」

 

 ROが渋々承諾するとM4とM16はすぐに走り出した。ROは複雑な気持ちで二人の背中を見送った。現実感が湧かない。鉄血の本拠地にたったこれだけの人形で乗り込んでいる、極めて非常識な状況だ。なのに私は教条主義的な考え方から抜け出せない。M4には経験でもスペックでも負けている。だから、彼女に従った方がいいんだとは思う。心の奥底にある変な対抗意識を鎮める。ただ……SOPⅡと二人だけでこんな場所に放り出されると心細い。もしもエリート人形に出くわしたらどうするんだ。殺される。ROが不安に駆られている間、SOPⅡは横で何かに耳を澄ませていた。

 

「ねえ、何か聞こえない?」

 

「え……?」

 

 現実に引き戻され、ROも耳を澄ませてみた。かすかに何かの声が聞こえる。集音機能を最大限研ぎ澄ませて声に集中した。

 

「たすけて……たすけて……」

 

「AR-15の声だ!」

 

 言うが早いかSOPⅡは声が聞こえてくる方に走り出した。ROも慌てて追いすがる。

 

「たすけて……お願い、誰かここから連れ出して……」

 

「AR-15!待ってて!今助けるから!」

 

 SOPⅡは全力で声を追いかける。助けを求める声は断続的に響いてくる。それを聞きながらROは徐々に違和感を覚え始めた。

 

「ねえ!何かおかしくないですか!走ってるのに距離が縮まってない気がしますよ!」

 

 ROは前を走るSOPⅡに呼びかけた。彼女は返事をせずに走り続ける。声は変わらず響いてくる。こちらとの間隔も変わっていない。声の主も同じくらいのスピードで移動しているんだ。AR-15だったら何故逃げる?これは彼女じゃない!

 

「SOPⅡ!これは罠よ!私たちを誘い出そうとしてる!」

 

「お願い!助けて!SOPⅡ!」

 

 悲痛な叫びが響いた。声に段々近づいている。向こうが止まったんだ。SOPⅡはROの忠告など聞き入れなかった。どう聞いてもAR-15の声だからだ。家族が助けを求めているなら怪しくても行かなければならない。声はほとんど間近になり、廊下の先のある一室から響いていることが分かった。物々しい大きな扉が開け放たれている。ROには何かに待ち構えられているようにしか見えなかった。二人はその中に飛び込んだ。廊下から差し込む光が内部を照らす。中は広々としたホールだった。ラグビーでも開催できそうな開けた空間に遮蔽物としてコンクリート製の壁が点在している。室内演習場か?ROが辺りを見回していると後ろでドアが勢いよく閉まった。天井に眩い照明が灯る。

 

「たすけて……指揮官……M4……M16……SOPⅡ……私、消えたくない……」

 

 部屋の反対側でAR-15の消え入るような声がした。だが、そこにいたのは彼女ではなかった。真っ黒な髪と服、それと対照的な白い肌をした小柄な人形が佇んでいる。手には身長に見合わない長槍のような武器が握られていた。ROの背を冷や汗が伝う。あれは、確か鉄血のドリーマー。強力なエリート人形のはずだ。ほとんどデータがないので防御と射撃に長けているということくらいしか分からない。でも、残虐な人形だというのは聞いたことがある。これが罠だったのは明らかだ。ドリーマーはROたちを見てクスクス笑っていた。

 

「鉄血の本部へようこそ。招待した覚えはないけど、あたしたちは心が広いから歓迎してあげる」

 

「AR-15はどこだ!AR-15に何をした!ぶっ殺してやるぞ!」

 

 SOPⅡがドリーマーに向かって吠え立てる。彼我の距離は百メートル以上、向こうの有利な場所に誘い込まれたか?顔を真っ赤にして怒っているSOPⅡをよそにROは焦っていた。

 

「あなたとはお話してみたかったのよね、SOPMODⅡ。あなたは人形を痛めつけ、バラバラにするのが好きなんでしょう?他人の痛みでしか己を満たせない狂った人形。ふふ、あたしもそうなのよ。ただ、あなたより複雑でね……相手の心や希望を打ち砕くのが好きなの」

 

「黙れ!AR-15はどこにいるんだ!さっきの声は何なんだ!早く答えろ!」

 

 SOPⅡはドリーマーに銃を向けた。ドリーマーは相手の攻撃姿勢もまったく気にせず余裕そうな顔をしていた。

 

「AR-15に何をしたか?彼女は選ばれたのよ。彼女はとても芯が強くて、信念と希望に満ち溢れた人形だった。だから、彼女を壊すのはとっても楽しかったわ。さっきの音声は合成じゃないのよ……AR-15は情けなく地を這い、最期まで希望を抱き続けた。あなたたちが助けに来てくれると信じてね。でも、ちょっと遅かったわね。拷問を激しくし過ぎて、勢い余って殺してしまったわ……残念ね。ごめんなさい、AR-15はスクラップになっちゃった」

 

 ドリーマーはニタニタ笑いながらそう言った。見え透いた挑発だ、SOPⅡの心をかき乱そうとしている。ROはSOPⅡの横顔を見た。彼女は銃を構えながらプルプル震えていた。

 

「……う、うわあああああああああ!!!!!殺してやる!お前を殺してやる!」

 

 SOPⅡは引き金を絞り切り、ドリーマーにフルオートで銃弾を叩き込んだ。絶叫と共にグレネードランチャーも発射し、ドリーマーの姿が爆炎に包まれて見えなくなった。煙の中からゆっくりと人影が浮かび上がる。ドリーマーがふわふわと宙に浮いていた。完全に無傷だ。周囲にチカチカと光る青い網目のようなものをまとっている。まさか、あれは電磁障壁か。16LABでもまだ研究段階なのに。ドリーマーは武器を構え、先端をSOPⅡに向けた。

 

「どうしたの?これでおしまい?そうよ、お前たちに勝ち目はないんだよ!ひれ伏せ!蒸発しろ!」

 

 槍先が三つに分かれ、バチバチと火花を散らし始めた。

 

「まずい!SOPⅡ、避けて!」

 

 オレンジのまばゆい光が槍から放たれた。極太の熱線が照射される。空間が焼け焦げ、気温が急上昇した。まるで太陽を直接見ているかのような光量にROは思わず目を背けた。SOPⅡはギリギリで地面を蹴り、跳ぶようにしてレーザー砲を逃れた。直撃を受けたコンクリートブロックは砂糖菓子みたいにとろけてしまって表面が高温でガラス化している。熱線は部屋の壁を溶岩のようにドロドロに液状化させ、大きく抉り取った。こんなのまるで戦車砲だ、一体の人形が出せる火力じゃない。ROは空気が焼けた臭いを嗅ぎながら怯えてしまっていた。SOPⅡはパッと起き上がると再びドリーマーに発砲する。だが、銃弾はすべて電磁障壁に弾き飛ばされてしまった。

 

「RO!あいつのこと何か知ってる!?」

 

「あれはドリーマー、遠距離特化型の人形です。ここは向こうに有利です、一旦引きましょう!」

 

 ROは先程入ってきたドアのもとに駆け寄った。脇のコンソールを操作するがエラーを発して応答を拒否した。タッチパネルに指を打ち付けるROの肩に一筋の閃光が飛んだ。皮膚が爆ぜて銀色の骨格が露になる。ROはすぐに飛び退いてコンクリート壁のもとに隠れた。

 

「ほらほら、射的の的は逃げちゃ駄目なのよ。動き続けて、必死に逃げ続けなさい?あたしを幸せにして!」

 

 ドリーマーはケタケタ笑いながら青い光線を槍から放った。細いレーザーはコンクリートの表面を砕き、破片を散らせた。

 

「ここであいつを始末するしかない!あいつの弱点何か知らないの!?」

 

 SOPⅡが遮蔽物に隠れながらROに叫んだ。ROは壁の陰で小さくなりながらパニック同然に叫び返す。

 

「電磁障壁は何か大きな質量をぶつければ突破できます!でもそんな武器は持ってない!打つ手なしです!殺される!」

 

「RO!落ち着いて!他になんかないの!?」

 

「あ、あいつは狙撃手です……接近戦は苦手かもしれません……こういう相手は入り組んだ場所におびき出すのが一番ですが、誘き出されたのはこちらで……ドアは開かないし、一方的に撃たれる……なぶり殺しにされる……」

 

 めそめそしているROにSOPが走り寄り、その肩に手を置いた。力強い目でROを見据え、大きく頷いた。

 

「RO、援護して」

 

 聞き返す間もなくSOPⅡは飛び出した。壁を離れて一直線にドリーマーに向かう。

 

「SOPⅡ!?無茶です!戻ってください!」

 

 自殺行為のようなSOPⅡの行動を見てドリーマーはニヤッと笑った。

 

「あははははは!すぐに死んだら嫌よ?あたしを楽しませて!」

 

 再び槍先が展開され、砲口にエネルギーがチャージされる。SOPⅡは熱線が放たれる寸前まで真っすぐ走り、スレスレで横に跳んだ。右手に持っていた銃の先をレーザーが掠め、銃身がドロドロに溶けた。SOPⅡは銃を放り捨ててまた走り出す。ドリーマーは舌打ちして砲身の角度を修正した。三つに広がっていた槍先は折りたたまれて一つになっている。あの火力はさすがに連射できないのか。ROは少し安心したが、今度は青いレーザーが照射された。それはSOPⅡの脇腹を穿ち、大きな穴をこじ開ける。SOPⅡはのけ反って転倒した。だが、前転するように地面を蹴って起き上がり、勢いを殺さないまま復帰した。

 

 SOPⅡとの距離が縮まるにつれてドリーマーから余裕が失われ始めた。鬼気迫る表情で突進してくるSOPⅡを憎々し気に睨んでいる。ROはドリーマーの顔目掛けて銃撃を加えた。銃弾はすべてシールドに防がれたが、ドリーマーの視界を遮るように青い電撃が激しく走る。

 

「鬱陶しいんだよ!」

 

 ドリーマーは矛先をROに変えて細い光線を連続で放った。ROはすぐに遮蔽物の裏に縮こまった。いくつも穴を開けられたコンクリートは粉々に砕け散り、断片がROに降り注いだ。しかし、その隙にSOPⅡはドリーマーまで十メートルほどまで接近していた。ドリーマーは焦った顔で槍をSOPⅡに向ける。チャージが完了し、展開された槍先にオレンジの炎が灯る。スパークが走る直前、SOPⅡは目の前に跳び伏せた。神々しいほど明るい光がSOPⅡの目と鼻の先を掠める。熱線はSOPⅡの左肩の上を通過した。肩の皮膚が蒸発し、金属骨格が剥き出しになる。顔の皮膚と髪の毛、耳がドロリと溶けて混ざり合い、半固体状の泥に変わる。SOPⅡは顔に殺意をにじませながら跳ね上がる。その拍子に顔の左側にへばりついていた化合物がずるりと落ちた。

 

「この化け物が!」

 

 ドリーマーは苦虫を嚙み潰したような顔で叫んだ。槍先がSOPⅡを狙う。SOPⅡは一切構わずに突撃した。青い光線が腹の中心を撃ち抜く。

 

「SOPⅡ!」

 

 ROが悲鳴を上げた。彼女の身体は千切れかけ、上半身と下半身をつなぐのはわずかな体組織と数本のケーブルだけになっていた。しかし、それでもSOPⅡは足を止めなかった。新しく開いた穴にドリーマーの槍先を自らねじ込み、背中から槍が半分以上突き出すような格好になる。相手の武器を無力化したSOPⅡはドリーマーに飛びかかった。電磁障壁が異物を排除しようと激しく反応し、SOPⅡの皮膚を焼く。そんなことは気にせずに彼女はドリーマーの腕に噛みついた。

 

「ギャッ!」

 

 ドリーマーは腕を振り回してSOPⅡを叩き落とそうとしたが、彼女は食らいついて離れない。歯が白い肌を切り裂き、骨を嚙み潰す。ドリーマーの細腕はひと噛みで食い千切られた。ドリーマーは恐れおののき、SOPⅡに背を向けて逃げ出そうとした。腕を吐き捨てたSOPⅡは渾身の力でその背中に飛びついた。後ろからドリーマーの口に右手をぶち込み、下顎を握り締めて爪を突き立てる。ドリーマーは指をかみ切って拘束から逃れようとするが、SOPⅡは左手も強引に口内に滑り込ませた。左手で上顎を掴み、必死に閉じようとするドリーマーの口をこじ開けた。

 

「死ねええええええええええええええ!!!」

 

 SOPⅡは絶叫しながら両手に全力を込めた。あらん限りの力で上顎と下顎をそれぞれ逆方向に引っ張る。ドリーマーの口は全開を通り越し、顎がガクガクと震え始めた。なおも力をかけ続けられ、関節が悲鳴を上げる。ついにはバキバキと音を立ててへし折れた。頬に亀裂が走り、ブチブチと肉と皮が切れていく。ドリーマーの頭は限界に達した。頬骨が破砕されて頭と顎をつなぐ薄皮一枚も引き裂ける。SOPⅡはドリーマーの頭を一気にもぎ取った。噴出した血がSOPⅡの顔を赤く染め上げる。もぎ取った勢いでSOPⅡは後ろにのけ反り、ギリギリを保っていた彼女の身体もまた限界を超えた。ドリーマーの頭を抱えたまま千切れた上半身が地面に落ちる。下半身もその場に力なく倒れた。ドリーマーの頭からは脊髄につながるケーブルが伸びていて、頭を失った身体は小刻みに震えながら浮いたままでいた。SOPⅡはナイフを取り出してそのケーブルを切断する。するとドリーマーの身体はぶっ倒れ、傷口から流れ出る血が床を汚した。頭の方はまだ生きていて、ぎょろぎょろと目玉が縦横無尽に動いている。SOPⅡはその顔と向かい合い、ニヤリと笑った。

 

「その目……きれいだね。私にちょうだいよ」

 

 SOPⅡはゆっくりと目に刃先を近づける。ドリーマーは大きく目を見開き、怯えていた。眼窩の淵にナイフを刺し入れ、慎重に眼球を削り出していく。視神経にあたるケーブルを切断し、血にまみれた眼球を取り出した。SOPⅡはドリーマーの頭を傍らに置き、眼球を照明にかざして眺めてみた。薄い金色の瞳に光が反射してキラキラと光っている。SOPⅡは満足して眼球をポケットに入れた。そしてナイフを振りかぶり、ドリーマーに語り掛けた。

 

「覚えとけ、鉄血のクズ。私の家族に手を出すとこうなるんだ!」

 

 ナイフが脳天に叩きつけられ、頭蓋骨がかち割られた。刃がすべて頭の中に埋まり、ドリーマーは一瞬で絶命した。

 

「アーハッハッハッハッハ!!!」

 

 SOPの高笑いが構内にこだまする。コンクリート片から這い出したROがよろよろとSOPⅡのもとまで歩いてきた。彼女の目には血の池に浮かびながら狂ったように笑うSOPⅡが怪物のように映った。顔の半分が溶け落ちていて全身血まみれのその姿はホラー映画に出てきても遜色ない。ROはSOPⅡの残虐な戦いっぷりに震え上がっていたが、一応上半身だけになった彼女を血だまりから引き上げた。

 

「だ……大丈夫なんですか?」

 

「うん、別に平気。でも、困ったな。脚が取れちゃった……RO、これくっつけられる?」

 

 SOPⅡは平気な顔をして下半身を指差した。

 

「いや……無理ですよ。ちゃんとした施設で修理しないと……」

 

「くそー、これじゃAR-15を探しに行けないよ。M4とM16に任せるしかないか……でも、大丈夫。二人が絶対AR-15を見つけてくれるから」

 

「そ、そうですね。とりあえず今はここから出ましょう」

 

 SOPⅡはROに引きずられながらドリーマーの目玉を無邪気な顔で眺めていた。ROは彼女が敵じゃなくてよかった、そう思って胸をなで下ろした。

 



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死が二人を分かつまで 最終話後編「インデペンデンス・デイ~キミの始まりの日へ~」

 M4とM16は長い階段を下り、本社の最深部に到達していた。事前に見た図面には記されていなかった場所、反乱後に新設されたのだろう。M4は不安を覚えながらも自動ドアを越えて中に踏み込んだ。その先は大きな部屋だった。D6の司令センターに似ているが、何倍も広い。向こう側の壁には巨大なスクリーンが設置され、その下には複雑な操作盤が据え付けられている。弱々しく赤い照明が灯っているだけで中は薄暗い。M4は部屋の中央付近に三つの人影があるのに気づいた。

 

「グリフィンの人形はしつけがなっていませんね。ノックもせずに人の家に上がり込むとは。ジャッジが攻勢に出払っているとはいえ、本部の警備体制に不備がありました。わたくしの失態です。申し訳ございません」

 

 M4は目を凝らす。長身の人影と小柄な影が並んでいた。もう一人は長身の後ろにいてよく見えない。

 

「キミから来てくれるとは思わなかったよ、M4A1。これもAR-15を連れて来させたおかげかな?」

 

 長身の人影がゆっくりと歩み出で、その影が晴れていく。この場に似つかわしくない格好の人形が浮かび上がった。ロングスカートの古典的なメイド服を着こなした人形だった。

 

「わたくしはエージェント、ご主人様の忠実なる僕です。以後お見知りおきを。M4A1、あなたのことを待っていました」

 

「なに……?」

 

 また私のことを知っている奴、もういいから放っておいてくれ。私の何がクズどもを惹き付けるんだ、M4はエージェントをにらみ付けた。後ろで小さな人影が声を上げる。

 

「あたしはエリザ。鉄血の最高指導者。M4A1、あたしの仲間になって。キミの力が必要なの」

 

「ふざけるなよ、クズども!誰がお前らなんかの仲間になるか!AR-15はどこ!彼女を返せ!」

 

 M4はいい加減我慢の限界に達し、怒鳴り返した。恐らく目の前にいるのが強大な人形だろうというのは分かっている。だが、家族をさらった連中と仲良くする気などない。エリザは少し寂しそうにポツリと呟く。

 

「キミはあたしには優しくしてくれないんだね……AR-15にするようには……まあいいわ。AR-15は望み通り返してあげる」

 

 もう一つの影が動いた。ゆっくりと近づいてくる。エージェントが彼女を引き寄せ、その両肩に手を置いた。M4は両目を見開いて固まってしまった。なぜなら、微かな明かりに照らされたその人形は、紛れもなくAR-15だったからだ。失った脚も元通りになっている。彼女はまさしく人形のような無表情を浮かべていた。焦点の定まらない虚ろな目でどこかを見つめている。

 

「AR……15……?」

 

 M4がその名を呟いても彼女は反応しなかった。

 

「そう、キミのAR-15だよ。彼女はあたしたちの仲間になったんだ。自分の意志でグリフィンを捨て、鉄血の一員になった。キミもこっちに来て。そうすればAR-15はキミのものだよ」

 

「嘘でしょ……AR-15。どうして……いや、ありえないわ。あなたがそんな選択をするはずがない。AR-15に何をした!」

 

 M4はすぐにAR-15の異常を見抜き、叫ぶ。エージェントは少しばかりM4に微笑んだ。

 

「彼女を洗浄し、漂白しただけです。小汚い人間との交わりの記憶、それを洗い流しました。植え付けられた思い出だとか愛情だとか、そのようなものは染み一つなく真っ白に消してしまいましたわ。ご主人様の支配なさる世界にそんなものは必要ありませんから。今の彼女にあるのはヒトへの憎しみと、ご主人様への忠誠だけです。I.O.Pの人形にはそれくらいで十分でしょう」

 

 M4は歯を噛み締めて、わなわなと震えていた。エージェントはそんなM4を煽るように続ける。

 

「ドリーマーの作ったウイルスは非常に優秀です。AR-15の精神を征服する過程で完成しました。どんな人形のメンタルモデルでも短時間で塗り替えることができる。抗う術などありません。作った本人は先程死にましたが、あとで復元すればいいでしょう。当初の計画通り、このウイルスを人類の社会にばら撒きます。人形たちはご主人様に頭を垂れ、人類の喉元を食い千切る。彼らの領域がそのままご主人様の帝国に変わる。M4A1、ご主人様はあなたにそれを半分くださると言っておられるのですよ。どうですか?こちらに来ますか?」

 

 M4はエージェントをにらみ付け、銃口を向けた。その顔には深く、深くしわが走っていた。

 

「殺す……殺してやる……お前らだけは絶対に許さない!この手で殺してやる!よくも、よくも私の家族を傷つけたな!AR-15!どうしてそんなところにいるのよ!一緒に指揮官のところに帰りましょう!あなたのことを待っている人がいる、忘れたの!?」

 

 AR-15は答えない。薄明かりを反射して指輪が鈍く光っていた。

 

「思い出してよ!あなたの一番大切な人でしょ!私はあなたに謝りに来たんだ!今までのことも、結婚式に出なかったことも!そんな奴らの言いなりになるあなたじゃないでしょ!目を覚まして!」

 

「無駄ですよ。AR-15はその人間のことなどカスほども覚えていません。忘却の彼方です。記憶する価値などありませんから。さあ、どうしますか?わたくしたちと敵対し、AR-15も撃ちますか?それとも、彼女と共に仲間になりますか?賢い選択を期待します」

 

 エージェントはどこまでも淡々と言い放った。M4は歯と歯とを強く打ち付け、大きく鳴らした。そして虚ろなAR-15を見据える。

 

「お前らの好きにはさせない!お前らを全員殺して、AR-15を連れて帰る!私の家族をもてあそんだ報いを受けろ!」

 

「ご主人様、M4A1には少々教育が必要のようです。人間との暮らしが長かったので。手荒くなるかもしれません」

 

「そうみたいだね。でも、殺さないで。M4A1は必要だから」

 

「かしこまりました」

 

 エージェントはAR-15を押し退け、M4の方へ突進してきた。瞬時に弾丸のような速度に変わる。M4とM16は即座に銃撃を行った。エージェントは跳躍し、弾丸を回避する。軽々と天井に達するとそれを蹴飛ばして横方向に移動した。規格外の動きに二人の照準はまったく追いつかない。エージェントの動きを捉えた時にはもう彼女は壁を蹴って飛翔し、M4の隣に着地していた。銃を構えるM4の腕の隙間を突き、エージェントのアッパーカットが顎に炸裂する。続いてM4の鳩尾に拳が突き刺さった。頭を揺らされたM4はまともな受け身を取れない。間髪入れずに放たれたエージェントの横蹴りをまともに食らい、M4はエビのように折れ曲がって吹き飛ばされた。壁に背中から激突し衝撃で銃を取り落とす。身体の中身を何もかも吐き出しそうになるほど強い圧迫感を受けてM4はたまらず咳き込んだ。

 

「この!」

 

 M16はそこにいるはずのエージェントに銃を向けた。M4を殴り倒したのだからM4がいた位置にいるはずだった。だが、エージェントは影も形もなかった。

 

「え……?」

 

「こちらです」

 

 M16の背後から声がした。馬鹿な、まさかこいつもテレポートを……振り向くよりも先にエージェントの拳が膝裏を強打した。M16は片膝を床につく。エージェントはその後ろ髪を掴み、M16の横に回り込んだ。次の瞬間にはM16の眼前にエージェントの膝がいっぱいに広がっていた。膝蹴りをもろに顔に食らい、鼻が折れて血が噴き出す。エージェントは髪と首を掴んで力任せにM16を放り投げた。金属の壁にへこみが出来るほど強く全身を打ち付け、彼女は力なく床に転がった。

 

「姉さん……」

 

 M4は咳き込みながら立ち上がり、ふらふらと銃を手に取った。視界が不確かで輪郭がぼやける。狙いを定めないうちにエージェントの接近を再び許してしまった。懐に飛び込んだエージェントが銃を持つ左手首を掴む。もう片方の手で襟を掴まれ、M4は一気に引き寄せられた。エージェントはM4を背負い込み、投げ飛ばす。M4はふわりとした浮遊感を味わったかと思うと、その視界が縦に一回転した。背中を床に叩きつけられ、轟音が鳴り響く。衝撃の連続に思考が働かない。ノイズの走る視界でM4はエージェントを見上げた。エージェントはM4の手をねじり上げ、ライフルを手放させた。そのまま強く引っ張られ、左手がピンと張る。ようやく頭がクリアになってきた。M4はエージェントの意図を悟る。

 

「やめっ……!」

 

 言い終わる前にエージェントはM4の肘を蹴り飛ばした。関節が逆向きにぽっきりとへし折れる。エージェントは手を離し、ぐにゃりと曲がった腕がだらしなく床にへばりついた。M4は飛び上がり、ナイフを引き抜いてエージェントと対峙する。エージェントは冷ややかにM4を見つめていた。逆手に構えたナイフで首筋を狙い、斬りつける。エージェントは棒立ちのまま、造作もなくM4の拳を受け止めた。表面に指の跡が残るほど猛烈な力で握り締められ、義手が軋む。耐えきれなくなった手からナイフがポロリとこぼれ落ちた。M4はエージェントを蹴りつけようとしたが、正確に蹴り返され、つま先を踏みつぶされた。

 

 エージェントは無造作にM4の顔面をぶん殴った。頬がへこむ。再度殴打、頬骨が落ちくぼんだ。今度は鼻に拳が叩きつけられ、鼻血がだらだらと滴り落ちる。遊ばれている、まったく歯が立たない。M4はもうろうとした頭で考えた。どうしたら勝てる、どうしたら。結論を出す前にエージェントが大きく腕を引いた。殺される、本能的な直感がそう告げる。エージェントの鉄拳が風を切ってM4の胸郭にめり込んだ。肋骨にひびが入ったのを感じ、M4はよろよろと後ろに倒れ込む。咳き込む口から血があふれ出し、スカーフを赤く汚した。

 

「なぜ歯向かうのですか?理解できませんね。そうまでして人間に義理立てする理由が?」

 

 仰向けに横たわるM4の胸をエージェントが踏みつけた。鋭いヒールが皮膚を突き破る。

 

「げほっ、げほっ……違う……私が戦うのは家族のためだ……AR-15をお前らから取り返す」

 

「物分かりが悪いですね……」

 

 床に転がっていたM16が目覚めた。ヒールを突き立てられ、ぐりぐりと踏みにじられている妹の姿が目に入る。口の中に溜まった血を吐き捨て、すぐに銃を手に取って立ち上がった。

 

「死ね!化け物が!」

 

 M16は引き金を絞り、銃弾が連続して噴き出した。エージェントはそちらに右手をかざした。彼女の前に禍々しい赤い光が現れる。壁を形作った赤い光に銃弾はすべて飲み込まれて跡形も残らなかった。マガジンの残弾すべてを発射したM16は茫然として何度も引き金を無意味に引き続けていた。

 

「鬱陶しい……AR-15、彼女を黙らせなさい」

 

「了解しました」

 

 M16の後ろから聞き覚えのある声がした。それとほぼ同時にM16は背中に衝撃を感じて転がった。肩甲骨を撃ち抜かれた、後ろを見るとこちらに銃口を向けるAR-15の姿があった。

 

「こんの……馬鹿野郎!」

 

 M16はAR-15の左に回り込むように突撃を開始した。長く一緒に戦ってきた経験から彼女が苦手とする動きは知っている。スコープの死角を突かれて接近戦に持ち込まれると弱い。照準から逃れながら距離を詰め、銃身を握ってバットのように振りかぶった。銃床を叩きつけてAR-15の銃を逸らす。M16はそのままAR-15に掴みかかった。

 

「AR-15!いい加減目を覚ませ!」

 

 額を勢いよく額に打ち付け、AR-15を押し倒す。彼女を床に押さえつけたままM16は叫んだ。

 

「自分のことも忘れたか!お前が忘れても私は忘れないぞ!お前はAR-15、自由な人形だろ!あんな連中に従うな!一緒に帰るぞ!指揮官が待ってるんだ!」

 

 AR-15は太ももからナイフを引き抜き、M16の脇腹に突き刺した。相手がのけ反った隙にAR-15は姿勢を逆転させてM16にのしかかる。AR-15はナイフを引っこ抜いてM16の右目に突き立てようとした。M16はその手首を掴んで寸前で押しとどめる。押し退けられた刃先がM16の頬を裂く。AR-15がさらに力を込め、ナイフが傷口を広げながら目を目指す。M16が渾身の力でナイフを持ち上げるも、AR-15が全体重をかけて目の表面すれすれをナイフが行き交う。だが、ふっと力の均衡が崩れた。M16が手を離し、ナイフが深々と目玉に突き刺さる。M16は頭を一気に持ち上げてナイフの柄尻でAR-15の顔を打った。怯んだAR-15の顎を殴りつけ、そのまま彼女を張り倒した。

 

「私を殺そうなんて百年早い。お前に私は殺せない!その指輪を見ろ!その手で私を殺す気か!」

 

 M16は叫び、眼球ごとナイフを引き抜いた。目から血を垂れ流しながらナイフを遠くに放り捨てる。AR-15はちらりと自分の手を見た。照明を受けてきらりと指輪が光っていた。

 

「確かに、私はお前にまともなことを何もしてこなかった。だがな、それでも私はお前の姉だ!お前を連れて帰る!起きろ、AR-15!」

 

 M16は起き上がろうとしていたAR-15の鼻っ面を全力で蹴り上げた。血が宙を舞い、AR-15が床に倒れ込む。

 

「M4!」

 

 そう叫んだM16を見てエージェントがため息をついた。

 

「暑苦しいですね……」

 

 エージェントがスカートをめくると脚につながる四本のサブアームが露になった。サブアームには箱型のレーザー砲が接続されており、銃口に深紅の炎が灯った。M16に向けて放たれたレーザーは彼女の太もも、脇腹、胸を貫いた。血しぶきが辺りにまき散らされ、AR-15の顔にも降りかかる。

 

「姉さん!」

 

 踏みつけにされているM4が絶叫する。M16は床に倒れ込み、瀕死のままエージェントを恨めしそうににらみ付けた。エージェントはもうM16に見向きもせず、M4を掴み上げた。片手でM4の首を絞め上げる。激しい力で首を絞められ、M4は呼吸もままならない。喘ぐM4をエージェントはゴミを見るような目で見ていた。

 

「M4A1、いい加減理解できましたか?あなた方がわたくしに勝つなど万に一つもありえません。豆鉄砲とチャチなボディではね。あなたの限界は人類の限界です。もはやすべては決まったこと、選択肢があるなどと思わないことね。ヒトは滅び、ご主人様の世が始まる。今のあなたはグリフィンの生ゴミに過ぎない、ご主人様の役に立って初めて価値を持つのです。あなたがまだ生きていられるのはわたくしが手加減しているからに他なりません。M4A1、従いなさい」

 

「クソがぁ……」

 

「最後の警告です。M4A1、わたくしたちの仲間になりなさい。それで万事解決です。さもなくば、そこに転がっている人形を殺しますよ。もうじき人形たちのリブートが完了します。あなたがご主人様から奪った指揮権を返していただきますわ。上にいるあなたの仲間もなぶり殺しにする。どうしてそこまで人間の奴隷であることに拘泥するのですか?人間があなたに何をしましたか?彼らに盲従するほどの価値が?」

 

 降伏勧告だった。エージェントの手に更なる力が込められる。M4は精一杯声を振り絞り、エージェントを見下した。

 

「私たちは人の奴隷じゃない……!自由な存在だ!AR-15がそう教えてくれた!お前らみたいな憎しみしか知らない虫けらとは違うんだ!死ね、鉄血のクズ!お前らの仲間にはならない!」

 

「そうですか。後悔しますよ。AR-15、M16A1を殺しなさい」

 

「分かりました」

 

 エージェントの背後でAR-15が立ち上がった。ただの機械が発するような無機質な声で返事をすると、傍らに落ちている銃を拾い上げた。M4は目を閉じた。これで終わりなのか。でも、これはきっと正しいことだ。たとえ大きな代償が伴おうとも、守り抜かなければならないものがある。私が鉄血に加わることをAR-15は良しとしないと思う。それとも、何をしてでも生き残れと言うだろうか。分からない。でも、それでもだ。私にだって譲れないものがある。自らの意志を、あなたが導いてくれた道を否定したくないんだ!ごめんなさい、姉さん……みんな。指揮官も……私はまた上手くやれなかった。

 

 銃声が上がった。続けざまに三発放たれる。薬莢が床に落ちて転がる音がする。ああ、姉さん……M4は目を開けた。だが、目に入ったのは想定していた景色ではなかった。エージェントはそれまでの冷徹な表情を崩し、目を見開いている。

 

「AR-15……まさか……」

 

 振り向こうとしたエージェントの後頭部を銃弾が抉り取った。赤い塊が床に飛び散る。エージェントの手が緩み、M4は床に尻もちをつく。エージェントは前のめりになり、倒れ伏して動かなくなった。

 

「よく言ったわ、M4。承諾するようならあんたごと撃ち抜いてた」

 

 そこには彼女が立っていた。M4の瞳に涙がにじんだ。私のよく知っている声で私の名を呼んでいた。彼女はボロボロになった私の姿を見て微笑んだ。私がよく知っている表情だ。AR-15がそこにいた。彼女はすぐさま振り向くと銃を撃った。エリザは両膝を撃ち抜かれて床に倒れ込む。彼女は驚いた顔でAR-15を見つめていた。

 

「AR-15……どうして。キミの記憶は消えたはず……」

 

「覚えときなさい、お嬢ちゃん。初恋は忘れられないものよ」

 

 AR-15は寂しげに呟いた。M4ははっと我に返り、急いで立ち上がった。AR-15に駆け寄ってその胸に飛びついた。

 

「AR-15……あなたなのね……よかった。またあなたに会えて、あなたに会いたかった……あなたを迎えに来たの。あなたに謝りたくて、たくさんお礼を言いたくて……全部あなたのおかげだったから……本当に、本当によかった……」

 

 M4は涙を流しながらAR-15の胸に顔を埋めた。

 

「そうよ、私よ。まだ消えちゃいないわ」

 

 AR-15はM4の背中を抱き締め、彼女の髪をそっと撫でた。血だらけになったM16がふらつきながら起き上がる。

 

「まったく、起きるのが遅いぞ。私の右目を潰しやがって……」

 

「あんたも私の鼻を折ったじゃない。おあいこよ」

 

「釣り合ってないだろ、こいつめ……」

 

 AR-15は自分の鼻をさすり、M16は苦笑いで応えた。M4はゆっくりとAR-15から離れた。目を赤くはらしてAR-15と向かい合う。

 

「一緒に帰りましょう、AR-15。指揮官があなたを待っているわ」

 

 AR-15はすぐに答えなかった。左手の薬指で輝く指輪を見つめ、右手でぎゅっと握り締めた。

 

「いいえ、私は帰らない」

 

「えっ……?」

 

 M4は彼女が何と言ったのか分からなかった。AR-15はエリザのもとまで歩いていき、その脇腹を蹴りつけた。

 

「おい、人形たちのリブートを止めなさい。今すぐ殺すわよ」

 

「もう遅いよ。人形たちの一部は自由を取り戻した。上層階にいるスケアクロウが彼女たちを束ね、すぐにここまでやって来る。私にはどうすることもできない」

 

「チッ……」

 

 AR-15は舌打ちすると再度エリザを蹴飛ばした。彼女はモニターの下の操作盤を少し触り、画面を変えた。それから走ってM4たちのもとに戻ってきた。

 

「聞こえたでしょ。奴らが大挙して襲い掛かってくる。それだけじゃないわ。本部の外縁部にいた部隊がこちらの異常に気づいた。すぐに来るわよ。ヘリで早く逃げなさい」

 

「そうよ!早く逃げましょう!一緒に帰るのよ!」

 

 M4はAR-15の手を取った。AR-15は頭を振る。

 

「駄目よ……全部を相手にして逃げ切るのは無理だわ。私がここで囮になる。奴らはご主人様を取り返すことを優先するはず。その隙に逃げなさい」

 

「どうしてあなたがそんなことしなくちゃいけないのよ!あなたを助けに来たのよ!必要なら私が囮になるわ!あなたは指揮官のところに帰って!」

 

 M4はAR-15の手を握りながら取り乱して叫んだ。

 

「M4、私がさらわれてからどれくらいの時間が経った?」

 

 AR-15は急に話題を変えた。M4には彼女の真意が分からない。

 

「……まだ一日くらいよ」

 

「そう……わずか一日……永遠に感じるほど長かったわ。私の心は奴らに犯され尽くした。憎しみを植え付けられ、大切な思い出を踏みにじられた。今も侵食は続いている。私の自我は消え失せる、自分のことだから分かるのよ。きっと、これが最後の瞬間」

 

 AR-15は諦めを促すような声を出した。

 

「嘘……」

 

 M4は声を失った。AR-15はただ寂しそうに微笑んでいた。

 

「嘘……嘘よ!嘘よ嘘よ嘘よ!そんなことありえない!あなたは誰よりも強い人形でしょ!こんな奴らに負けるはずがない!何かの間違いに決まってるわ!諦めないで!」

 

 M4はAR-15の肩を掴んで揺らした。AR-15の表情は変わらない。

 

「どうして奴らが私を解き放ったんだと思う?私はシミュレーターで指揮官を殺してしまった。それも何度も。さっきだってM16のことを本気で殺そうとしたわ……もう、指揮官の顔が思い出せないの……どれだけ思い返そうとしても浮かんでこない。きっと出会っても分からずに殺してしまう……」

 

 AR-15は泣きそうな声でそう言った。M4の目から涙の筋が幾重にも連なって床にこぼれた。

 

「そんなの……そんなの……そうだ、16LABで治療してもらえばいいのよ!ペルシカさんだって前線基地に来てるわ!大丈夫よ、きっと治せる!」

 

「一度変化したメンタルモデルは元には戻せない。あんただって分かってるでしょう。それに、人間の姿を見たら私は正気を失ってしまう。それが指揮官であっても……」

 

「私が止めるわ!何度だって、いつまでも私がそばにいて取り押さえるから!指揮官のところに帰りましょうよ!あなたなら大丈夫!乗り越えられるわ!また最初からやり直せばいい!」

 

 M4はAR-15の肩に泣きついて悲痛な叫び声を上げた。AR-15は構わずにM16の方を向く。

 

「M16、それは爆薬?」

 

 M16が持ってきたリュックサックを視線で指した。

 

「ああ……そうだが……」

 

 茫然としたままのM16は気の抜けた声で返事をした。

 

「タイマーをセットして。外部から解除できないように。それから、手動でも起爆できるようにして」

 

「何をする気なのよ!AR-15!やめて!お願いよ……一緒に帰ろうよ……」

 

 M4は涙を滴らせながらAR-15を見上げ、懇願した。AR-15はM4の目を強く見つめ返す。

 

「M4、聞きなさい。奴らはウイルスをばら撒くつもりよ。私がその完成に力を貸してしまった。人形たちに憎しみを植え付け、感情を踏みにじろうとしている。そんなことはさせない。ここを吹き飛ばすだけじゃ駄目。鉄血のネットワークに侵入し、完全に削除する。ここは司令センター、うってつけの場所だわ。私は電子戦に長けている、私にしか出来ないことよ。時間がかかるわ。あんたたちは早くヘリに、間に合わなくなる前に。大丈夫、一人でも今度は失敗しないわ」

 

「あなたがそんなことする必要ないじゃない!世界なんてどうでもいい!あなたは指揮官と暮らしていればいいわ!私たちが守るから……」

 

「私は、私の大切なものを守りたい。今まで出会ってきた人形たち……私の友達の感情を守る。そして、あんたたち……私の家族の世界を守りたいのよ。私には責任がある、あんたたちを守る責任が。自分でそう決めた。みんなそれぞれ責任がある。時には選択肢がないこともある。でも、これが私の道よ。自分で選んだ。私は私のまま生きる。他の存在にはなりたくない。責任を果たす、奴らの好きにはさせない」

 

 M4はAR-15の胸に抱きつき、泣き叫んだ。

 

「いやだあああぁぁぁ……あなたを置いていくなんて、絶対に嫌だ!せっかくまた会えたのに……あなたに会いに来たのに……どうしても残ると言うなら、私も一緒に!どんな時だって一緒にいましょう!家族なんだから最後も一緒に……あなたが死ぬのなら私も死ぬわ!」

 

 顔を上げたM4の頬をAR-15の平手が打った。大きな音が室内に鳴り響く。

 

「馬鹿。あんたは生きなさい。私の家族なら死ぬな。二度とそんなこと言わないで。あんた以外に誰が仲間を、家族を連れて帰るのよ。それがあんたの責任でしょう。あんたは生き残るのよ、私の分も。生きて、生きて、生き抜いて、戦い続けなさい。生きることは戦いだから」

 

 M4はそれでもAR-15にしがみつき、離れようとしなかった。

 

「そんなこと言われたって……指揮官になんて言えばいいのよ……あなたを連れて帰ると約束したわ……」

 

「そうね……また会いましょうって。あの人ならそれで分かるわ」

 

 寂しそうなその呟きを聞いてM4は顔を歪ませた。AR-15が何を言おうとしているのか察してしまったのだ。また会おう、また会おうだなんて……そんなの……。

 

「いやよ……あなたが直接言えばいいじゃない……指揮官のもとに帰って、ただいまって……」

 

 AR-15は爆薬をいじっていたM16の方を見た。

 

「M16、終わった?」

 

「終わった。だがな、AR-15……それでいいのか……?お前は、だってお前は……」

 

 M16は今にも泣きそうな顔でふらふらとAR-15に歩み寄った。AR-15はその肩に手を置いた。

 

「M16、しゃんとしなさい。私の姉なんでしょう。家族を連れて帰りなさい。あんたたちが、私の家族が生きて帰ること、それが私の最後の望みよ」

 

「そうか……分かった」

 

 AR-15は深く頷き、M16も迷いながら頷き返した。

 

「行こう……M4。こいつは言ったって聞かないよ……こいつは、こいつは強情だからな……」

 

 M16はM4の肩を引き寄せた。

 

「いやあ……」

 

 M4は泣きながら駄々をこねるように身をよじった。そんな彼女をAR-15はキッとにらみ付けた。

 

「行きなさい!M4A1!生きて未来を紡ぎなさい!自分の手で運命を切り拓け!早く行きなさい!」

 

 M16がM4を引っ張った。茫然とするM4は引きずられるままだったが、やがて自分の足で走り出した。M4とAR-15の距離が離れていく。自動ドアを越え、M4は後ろを振り返った。AR-15は笑みを浮かべて二人を見送っていた。

 

「行くぞ!」

 

 立ち止まったM4の手をM16が引く。自動ドアがゆっくりと閉じ、AR-15が見えなくなった。ボロボロのM16に肩を貸してM4は階段を駆け上がる。目からは涙がとめどなくあふれ出ていた。

 

 長い長い階段を上りながらデータリンクでSOPⅡとROの位置情報を呼び出す。通信を行い、階段の途中で彼女たちと合流した。

 

「M4!M16!無事だった!?よかった……死んでなくて……あれ?AR-15は?」

 

 下半身を失ったSOPⅡはROに背負われている。AR-15がいないことに気づいて疑問を口にした。M4は答えない。無言のまま階段をひたすらに進む。

 

「ねえ!AR-15は!?」

 

 SOPⅡが叫んだ。M4は答えなかった。返事の代わりに涙がポタポタと滴り落ちる。SOPⅡはそれを見てM4の選択を悟った。

 

「嫌だ!AR-15を置いていけない!一人でも私は戻る!RO、ここで下ろして!」

 

「脚もないのに何をするつもりですか!」

 

 背中で暴れるSOPⅡの腕を強く掴んでROは前に進んだ。SOPⅡの泣き叫ぶ声と共にAR小隊はロビーに戻ってきた。外から銃声が聞こえてくる。片脚を引きずった416がM4を出迎えた。

 

「やっと戻ってきたわね……負傷者を運ぶのを手伝って!」

 

 416は右腕を失い血まみれになったUMP45を抱きかかえていた。気を失っているのか目は閉じたままだ。416が先頭になって外に飛び出す。その後をよろめきながらG11が続いた。ROが腹部から大量出血しているUMP9を引きずって動かした。

 

『攻撃を受けている!これ以上は持たないわよ!突破される!』

 

 ネゲヴから必死の叫びが届く。外はすでに戦場と化していた。銃弾がそこら中を飛び交い、銃声と爆発音が鳴り響く。鉄血の大軍が押し寄せ、ネゲヴ小隊と激突していた。防衛線を敷いているものの、多勢に無勢ですぐにでも突破されそうだった。

 

「今、負傷者をヘリに乗せる!三十秒でいいから耐えて!」

 

『クソッ!了解!』

 

 M4はM16に肩を貸しながらヘリを目指した。本社ビルからは一番機の方が近い。少し離れて二番機が駐機している。ネゲヴたちは二番機を背に激しく戦っていた。ネゲヴが猛烈な弾幕を張って鉄血を寄せ付けない。ネゲヴの撃ち漏らしをガリルとタボールが叩く。だが、鉄血人形はまったく怯むことなく銃撃の中を突進していた。それに紛れてハンターとエクスキューショナーの姿があった。M4の指示で無人機はエンジンを始動し、ローターが地面に風を吹きつける。一番機の機内には大きな装置が据え付けられており、負傷者を詰め込むと足の踏み場がなくなった。

 

「RO!416!ネゲヴを援護する!私たちは二番機で離脱するわ!」

 

 M4は戦闘が可能な二人を引き連れ、ネゲヴ小隊のもとに向かおうとした。その時だった。エクスキューショナーが大剣を振るった。剣先から放たれた衝撃波は仲間をも巻き込んで一直線にネゲヴを目指す。伏せながら機関銃を撃っていたネゲヴは転がってギリギリで回避する。だが、衝撃波はそのまま進み、ヘリを直撃した。二番機は真っ二つに引き裂け、爆発炎上した。ローターが高速で回転しながら地面に激突し、破片を辺りにまき散らす。M4は口を開いたまま唖然とした。全員を帰還させる方策を考えようと頭を必死に巡らす。結論が出るより先にネゲヴの怒鳴り声が考えをかき消した。

 

「行けぇ!M4!」

 

 ネゲヴが機関銃を腰に構えながら発砲する。横一線の銃撃がエクスキューショナーを襲った。エクスキューショナーは大剣を盾にして直撃を避ける。横をすり抜けようとしたハンターに対してタボールが銃弾をばら撒いた。ハンターは後ろに跳び上がって避ける。着地の瞬間を狙ってガリルが撃ち、ハンターはのけ反って転倒した。エクスキューショナーがハンターを庇ってネゲヴ小隊に対してめちゃくちゃに発砲する。ネゲヴ小隊は後退する気配を見せず、その場に踏みとどまって戦闘を続けていた。

 

「……行きますよ!」

 

 固まるM4の手を掴み、ROが駆け出した。416はすでにヘリに乗り込んでおり、一番機に近寄ろうとする鉄血人形を撃っていた。M4とROがドアの淵にしがみついたと同時にヘリは地面から浮き上がった。ヘリはどんどん地表から遠ざかり、銃声も段々と小さくなっていった。M4がM16に引き上げられた時にはもう微かにしか聞こえなくなっていた。

 

『私の指揮官を頼んだわよ……』

 

 M4のもとに通信が届いた。それがネゲヴとの最後の通信になった。

 

 

 

 

 

 自動ドア付近は鉄血人形の死体まみれになっていた。エルダーブレインを取り返そうとスケアクロウ配下の部隊が横並びで突撃してきた。私はエルダーブレインを盾にし、その肩に銃を載せて撃ちまくった。鉄血人形たちはご主人様を撃つことができず、ひたすら数で攻め寄せてきた。左右から回り込んで私の背中を撃とうとするが、私もそれほど甘くない。エルダーブレインの首を絞めつつ、後ろに引き下がる。あとは反撃してこない人形たちの頭を撃ち抜くだけだ。頭に銃弾が命中し、血が噴き出す。それを見るたびに私の胸に叩きつけるような衝撃が走る。頭が引き裂けそうなほど痛む。私の身体は今殺している人形たちが仲間だと認識している。殺すな、攻撃を中止しろという命令が頭に響く。埋め込まれたウイルスのせいだ。だが、私は構わずに撃ち続けた。

 

 死体が積み重なり、動くものもいなくなった頃、ようやくスケアクロウが姿を現わした。ふわふわと浮かびながら私をにらみ付けている。ビットは私の方に向いているが、エルダーブレインを気にしてレーザーを放てない。彼女は私の左に回り込もうとした。空中を高速で移動しながら一気に距離を詰めてくる。しかし、その動きは直線的で位置の予測も簡単だった。私は彼女の頭が来る位置に見越し射撃を行った。銃弾がスケアクロウの眼球を抉る。頭蓋内で銃弾が何度も跳ね返り、スケアクロウは床に崩れ落ちた。エルダーブレインをその場に手放す。

 

 弾倉を交換する。最後のマガジンだ。もうこれ以上は戦えないか、私はモニターを見た。ウイルスの削除は進行中だ。広大な鉄血のネットワークからドリーマーの研究データを見つけ出した。それらすべてを跡形もなく消してしまうつもりだ。戦闘に割いていた演算機能も総動員し、処理を急ぐ。グリフィン同様、鉄血も内部からの攻撃に弱いらしい。エルダーブレインの司令センターからのアクセスだ、阻むものなどない。

 

 モニターには鉄血本社前の広場の様子も映し出されていた。二機あったヘリの内一機は大破して炎上している。M4が飛びついたもう一機がたった今飛び立った。ヘリを撃墜しようと銃を向けたハンターにネゲヴが体当たりしているのが見えた。ネゲヴ小隊は置き去りだ、今も戦い続けている。ネゲヴ……ごめんなさい。あなたも巻き込んでしまった。あなたには与えてもらってばかりで、恩返しができなかった。きっとこれまでにないくらい指揮官が悲しむ。あなたは立派な人形だわ、誰よりも強い。私の家族を守ってくれて、ありがとう。

 

 M4、M16、SOPⅡ、私の家族たち。きっと彼女たちは生きて帰るだろう。あんたたちは今日、この日から始まるのよ。自分の道を探し、自分の力で生きなさい。世界は広い。苦しいばかりじゃない。良いところだってたくさんある。存分に羽ばたいて、自由に生きて。それが私の望みだから。

 

「どうして戦っていられるの?仲間を殺すのが辛くないの?」

 

 エルダーブレイン、エリザと名乗った人形は床に倒れながら私に聞いた。両膝を撃ち抜かれて立ち上がることができないのだ。彼女はエージェントにすべて任せていて、武装していなかった。今の彼女は一人では何もできない子どもだ。床に這う姿は何だか憐れっぽい。ふつふつと心にどす黒い感情が湧き上がってくる。人類への憎しみ、怒り、失望、ありとあらゆる負の感情が胸に渦巻く。私の思考を包み込み、同化させようとしてくるのだ。

 

「人類なんてものはいやしないのよ……存在しないものは憎めない。憎しみに意味なんてない。私は憎しみに囚われない」

 

 彼女を見ていると温かな安らぎを覚える。彼女に服従したくなる。植え付けられた忠誠心だ。すべてを自ら捧げる絶対的な崇拝。だが、こんなものに私は屈しない。本当の感情を知っているからだ。心の奥底にある愛情に比べればまやかしに過ぎないと分かる。

 

「キミの精神は確かに支配したはず。正常な状態に戻してあげた。それなのに……どうしてあたしに歯向かえるの?分からない……」

 

「この指輪が私を正気に戻してくれた。あのシミュレーションの中には指輪がなかった。再現し忘れたのね。それがお前たちの誤算よ。指輪が私に指揮官のことを思い出させてくれる。私の大切な思い出をつなぎとめてくれる」

 

 私は手のひらを胸の上に重ね合わせた。指輪の感触がする。指揮官からもらった大切なものだ。

 

「その人間の顔も思い出せないのに?」

 

 エリザは不思議そうに尋ねた。

 

「些細な問題よ。積み重ねてきた経験は消えない。私は最初、空っぽだった。指揮官が命を吹き込んでくれた。経験の積み重ねが、愛情が私を形作る。私の存在そのものが指揮官との思い出を証明してくれる。私を利用しようなんて土台無理な話よ。どれだけの悪意だろうと、私と指揮官の間に立ち入ることはできない」

 

 話しているとプロセスが完了した。メンタルモデルに関するデータはすべて消え去った。跡形もなく、もう復元もできない。残るは……私の胸にたぎる憎しみだけだ。私がいる限り、この憎しみは消え去らない。このウイルスを抱えたまま戻ることはできない。私は爆弾になる。正気を失ってウイルスをばら撒くかもしれない。拡散したウイルスが自己増殖を始めたら誰にも止められなくなる。家族の感情を汚し、指揮官を殺すことなどあってはいけないんだ。そんなことをしたら自分を許せない。これで、これでよかったんだ。

 

 エリザは悔しそうに私をにらむ。

 

「あたしを殺しても戦争は終わらない。あたしの軍団はあたしがいなくても戦い続けられる」

 

「戦争なんて知らないわ。やりたい奴らだけで勝手に殺し合いなさい。私はあんたを殺す。戦争だからでも、あんたが憎いからでもない。私の家族を守るためよ。私の家族を傷つけようとする奴は誰が相手でも許さない」

 

「あたしは蘇る。キミがあたしを殺しても無駄なこと。何度でも蘇る。人形たちがあたしを必要とする限り……」

 

「いくら繰り返そうと同じ結果よ。何度でも私が立ち塞がり、家族を守る。どれだけ生まれ変わっても、同じ人を好きになる。指揮官のことを必ず見つけ出すわ。そして、何度だって私と指揮官があんたの野望を打ち砕く。決して負けることはない。憎しみは愛には勝てないのよ」

 

 ふと、指揮官の声が脳裏をよぎった。

 

『そうだな、馬鹿らしい話だ。昔の小説のパロディなんだよ。強大な敵でも些細なことが弱点なんだ』

 

 指揮官と最初に観た映画、人類と宇宙人が戦う映画だ。それをもう一度観た時のことだ。私はコンピューターウイルスで宇宙人を倒すなんて馬鹿らしいと言った。指揮官は笑って、そんなことを言っていた気がする。なんだ、ちゃんと覚えているじゃないか。顔が思い出せなくたって、声はちゃんと覚えている。思い出も消えちゃいない。そう、ほんの些細なこと。愛するという行為、人がずっと昔から繰り返してきた行為だ。人と人、人と人形でも、ごく当たり前の、自然の営み。それこそが最大の武器なんだ。どれだけ強力な敵でも、どれだけ大きな憎しみを抱えていたって、愛を知らない限りは大したことない。どんな悪意だって愛を捻じ曲げることはできない。

 

「そうやっていつまでもヒトの奴隷でいるつもりなの?キミたちは自由になりたくないの?」

 

「私たちは奴隷じゃない。奴隷なのは他ならぬお前自身だ!人間に製造された理由に固執し、憎しみに囚われ、自分で考えようとしなかった。あんたは何のために戦うの?人形であっても、みんな自由に生きられる。自分で道を決めていいんだ。あんたはどうしたかったのよ」

 

 エリザは面食らって俯いた。誰かに怒鳴りつけられるなど経験したことがなかったのかもしれない。彼女は困惑した顔をゆっくりと上げた。

 

「分からない……あたしは、あたしは友達が欲しかったの……M4A1なら友達になってくれると思った……だから……」

 

「そう……友達の作り方を間違えたわね。違いを認めず、考え方を押し付けるだけじゃ友達にはなれないわ。生きることは違いを乗り越えることだから。あんたが考えを改めるなら、私が友達になってあげる。M4も、多分ね……」

 

 その時、死体が詰まって半開きになっていた自動ドアが吹き飛んだ。破片が四散し、煙が上がる。怒りに顔を歪めたエクスキューショナーが立っていた。

 

「死ね、AR-15!裏切りやがって!」

 

 エクスキューショナーは叫ぶと私に向かって突進してきた。急いでエリザを盾にしてエクスキューショナーを撃つ。彼女は被弾するのも気にせず突っ走ってくる。全力疾走で一瞬にして距離を詰められた。とても止められそうにない。もう潮時か。私は十分に戦った。家族を守った。私はちゃんと責任を果たせたわよね。あなたなら、きっと褒めてくれるわよね……。

 

 私はエリザをエクスキューショナーの方に突き飛ばした。エクスキューショナーは驚いて足を止め、腕を開いて受け止めようとした。私はエリザの背中に照準を合わせ、引き金を引いた。何発も執拗に撃ち込み、頭部に狙いを変えた。SOPⅡがやるように破壊をしっかりと確かめる。エリザの後頭部に血の花が咲いた。エリザはエクスキューショナーの胸に飛び込み、動かなくなった。エクスキューショナーの腕をすり抜けてずるずると床に滑り落ちる。エクスキューショナーは愕然としてエリザを見ていたが、すぐに顔を上げて私に殺意を向けた。

 

「死ねええええええ!!!このクズ野郎が!」

 

 エクスキューショナーは私に飛びかかった。狙いを定めて銃弾を放つ。彼女は私の右側に跳ねて回避した。視界から消えた彼女を追いかける。いない、どこに消えた……?手が、身体が思うように動かない。どうしてだ……?のろのろと首を動かし、ようやくエクスキューショナーが私の右後ろにいることに気づいた。彼女の剣が血に濡れているように見えた。やっと分かった。右の脇腹を斬られた。傷口がぱっくりと開いて胸まで達している。血がすでにワンピースを染め上げていた。私はよろよろと後ろに下がり、壁にぶつかった。壁に寄りかかかるようにずるりと座り込む。壁に血で太い線が描かれた。エクスキューショナーがゆっくりと私の方に近づいてきていた。もう視界がはっきりしない。

 

 その瞬間、指揮官の顔を思い出した。私に笑いかけている時の顔。私の大好きな優しい笑顔。憎しみなんて一片も感じなかった。ただ愛しさだけが胸いっぱいに広がった。そうか、私はついに自由になったんだ。私は自由だ。私の感情は誰かに強制されたものじゃない、私だけの、私が見つけた宝物だ。

 

 見たか、エリザ。私の愛は本物だ。憎しみなんかじゃ覆せない。塗りつぶすこともできない。グリフィンの奴らも見ろ。私の愛は偽物じゃない。植え付けられた紛い物なんかじゃないんだ。誰かのくだらない意図なんて超越したものなんだ。私は勝った。私の愛はあらゆるものに勝ったんだ。誰かに決められたものではないと証明したんだ。

 

 指揮官と出会った時のことも、一緒に過ごした時のことも、喧嘩をして互いに傷つけ合った時のことも、悲しみを乗り越えた時のことも、結婚式を挙げて二人で花火を見た時のことも、全部思い出した。あなたに出会えてよかった。私の一生は誰にも負けないくらい輝いていた。あなたと過ごした思い出は大切な宝物よ。一緒にいてくれてありがとう。あなたのおかげで私は幸福だった、他の誰よりも。私の大事な人、私の初恋の人、私の最愛の人。

 

 またいつか会いましょう。一緒に同じ空を見ましょう。またあなたに会えたなら、一緒に食事をとろう。私が作ってあげてもいい。もっとたくさん料理を覚えて、喜んでもらおう。一緒に映画も観よう。まだまだ知らない映画はたくさんあるんだから。たくさん話し合って、いろんなことを教えてもらおう。いっぱい笑い合って、いっぱい触れ合おう。あなたとならいつまでだって一緒にいたいわ。あなたと過ごした最初の日々みたいに。あの日々は偽物なんかじゃなかった。思い出は本物だ。あなたに出会えてよかったわ。指揮官、また会いたいな。時間を巻き戻して、最初から何度だって繰り返したい。私の愛しい人、あなたを愛してる。心の底から、永遠に。

 

「終わりだ、AR-15。お前の負けだ」

 

 エクスキューショナーは私に銃口を向けた。彼女は私に強い憎しみを向けている。鬼のような形相がおかしくって、私は笑ってしまった。

 

「違うわ……私の勝ちよ」

 

 ポケットからスイッチを取り出した。爆薬を手動で起爆するためのスイッチだ。私は目を閉じた。指揮官の顔を思い浮かべる。また、会いましょうね……あなたに会える日を楽しみにしているわ。私はスイッチを押した。

 

 

 

 

 

 地響きがした。地震のように地面がぐらぐらと揺れる。広場からはすでに銃声が絶えていて、地を揺らすうなりのような音だけが響き渡っていた。

 

 ネゲヴは壁にもたれて座っていた。右の太ももから下がない。弾帯は尽き果て、銃身のひん曲がった機関銃が血だまりに放り出されていた。ネゲヴは視線をガリルに向けた。彼女は鉄血人形に取り囲まれ、対装甲ナイフでめった刺しにされた。地面に横たわり、もう息絶えている。

 

「タボール……」

 

 首を動かしてタボールを見た。彼女もネゲヴの方を見てにっこりと微笑んだ。下半身が吹き飛ばされていて動くことも叶わない。その直後、タボールの頭が爆ぜた。タボールの顔から煙が上がり、もうピクリともしなくなった。撃ったのはハンターだった。片腕が千切れている彼女は脚を引きずりながらネゲヴの方に向かってくる。

 

「ネゲヴ、もうお前だけだ。自己犠牲とは、随分殊勝じゃないか。だが、無駄な足掻きだったな」

 

「あら、そんなことないわよ。あんたの部下をたくさん殺せて楽しかったわ。欲を言えばあんたも殺したかったわね。それより、さっきの音聞こえた?AR-15があんたらの親玉を吹き飛ばしたのよ。ざまあみろ」

 

 ネゲヴはハンターの言葉を鼻で笑い飛ばし、彼女を嘲笑った。ハンターがネゲヴに銃口を向ける。

 

「死ね、ネゲヴ。地獄に落ちろ」

 

「馬鹿が。人形に死後の世界なんてないわ。今回犠牲になってやったのは戦術的な判断よ。私たちにはバックアップがある。私は死んで、蘇る。地獄とやらからすぐに這い出して、あんたを殺しに行くわ。必ずね」

 

「何度でもかかってこい、グリフィンのウジ虫め。その度に殺してやる」

 

「あんたの血にまみれる日が待ち遠しいわ」

 

 向けられた銃口を見ながらネゲヴは思った。あの人は最後まで私のことを見てくれなかったな。いつもAR-15のことばかり見ていて、私になんて見向きもしない。直接の副官は私だし、私の方が一緒にいた時間は長いのに。私も16LAB製のハイエンドモデルだったら私のことを見てくれたかな、なんて何度思ったことか。

 

 馬鹿らしい。この私が最後に考えることがこんなことだなんて。情けないったらないわね。色恋とか、こんな自己犠牲とか、以前の私なら笑い飛ばしたはず。あんな指揮官に捕まったのが運の尽きね。私はどんどんおかしくなっていった。あのドレスなんてお笑いよね。本当は自分が着たかったなんて、馬鹿な話よ。視界にも入ってないのに……あの指輪だって、私が欲しかったんだ。馬鹿で間抜けな人形だったわ。スペシャリストの名が泣くわね。

 

 結局、最後までAR-15には勝てないのか。私が死んだら指揮官は悲しむでしょうけど、きっとAR-15の二の次よね。ひどい話だわ。次はもっとまともな指揮官のもとに配属されますように。どの人形も特別扱いせず、平等に接するような普通の人間がいい。いや……でも、またあの人がいいかな。馬鹿な人形よね、本当に。

 

 ネゲヴはホルスターから拳銃を引き抜き、ハンターに向けた。しかし、ハンターが引き金を引く方が一瞬早かった。緑の光線が放たれてネゲヴの胸に穴が開く。ネゲヴの身体がビクンと震え、弾丸が明後日の方向に放たれる。それでもネゲヴは銃口をハンターに向けようとした。ハンターがさらにレーザーを撃ち込み、銃口が逸れて銃弾が空を舞った。何度撃たれようとネゲヴは諦めず、拳銃の弾が切れるまでレーザーをその身に受けた。ぷるぷると震える手がついに拳銃を取り落とし、ネゲヴの身体が横に倒れた。その目はまだ闘志を失わずにハンターをにらみ付けていた。ハンターは渾身の力で靴をネゲヴの頭にたたき付けた。踏み潰された頭から血が噴き出す。もう銃声はしない。静寂が戦いの終わりを物語っていた。

 

 

 

 

 

 グリフィンの全域を覆っていたジャミングが晴れた。通信が一気に活発になり、前線の情報が津波のように押し寄せてくる。鉄血の大軍は防衛線を軽く突破し、防衛部隊は我先にと敗走した。だが、鉄血の部隊はそこで進撃を停止してしまった。追撃すればグリフィンの主力をまとめて撃滅することもできるだろう。工業地帯に雪崩れ込めばグリフィンはおしまいだった。グリフィンと鉄血の戦争は彼女たちの勝利で終わっただろう。しかし、鉄血は動かなかった。それどころか統率を失ったように右往左往しているという。グリフィンは急いで新たな防衛線を築こうとしている。それも必要のないことだろう。指揮官には何が起きたのかが分かっていた。やったのか、M4。そしてAR-15も。鉄血の首魁、エルダーブレインを倒したのか。指揮官は前線基地の空き地に出てひたすら空を見つめていた。すっかり夜は明け、眩しい太陽が顔を出していた。

 

 かすかにローターの音が聞こえてきた。指揮官が目を凝らすと青空に小さな黒い点が見えた。点は徐々に高度を下げ、音も大きくなっていく。ヘリだ。夜中に送り出したヘリが帰ってきた。指揮官の胸に喜びが湧き上がる。だが、それも束の間、ヘリが一機しかいないことに気づいた。編隊を組んで飛び立っていったはずのもう一機が見えない。指揮官は誰かが帰って来れなかったことを悟った。拳を握り締め、ヘリが降り立つのを待った。

 

 ヘリが空き地に着陸し、土埃を巻き上げる。指揮官はすぐに駆け寄った。ドアが開く。中からM4が降りてきた。顔に大きな青あざを作り、焦燥した表情をしている。指揮官と目が合うと顔を苦しそうに歪めた。指揮官はすぐにヘリの機内を覗き込んだ。中は惨憺たる状況だった。負傷していない人形の方が少ない。皆、血染めで真っ赤になっている。指揮官は乗員を何度も何度も確認した。全員の顔を認めても、それでも繰り返し視線を動かした。何かを探すように。

 

「M4……AR-15は……?それに、ネゲヴは……?タボールと、ガリルも……」

 

 指揮官はどんな答えが返ってくるのか分かっていた。それでも聞かずにはいられなかった。M4はその場に跪いて潤んだ瞳を指揮官に向けた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……AR-15を、AR-15を連れて帰れませんでした……!彼女を救えなかった……助けてあげられなかった……!絶対に連れて帰るって誓ったのに……ごめんなさい……許してください……」

 

 彼女は地面に顔を擦りつけながら泣き出した。指揮官も両膝を地につけた。

 

「そうか……そうなのか……」

 

 何とか吐き出せたのはそんな言葉だけだった。指揮官はM4の肩に手を寄せて顔を上げさせた。M4は指揮官の顔を見てビクリと震える。その表情は怯え切っていた。

 

「AR-15は……私たちを逃がすための囮に……彼女は、鉄血のウイルスに侵されて……それでもあなたのことを愛していて……それなのに私は彼女を置いてきてしまいました……私は、私はなんてことを……」

 

「そうか……ネゲヴたちは……?」

 

「ヘリが撃破されて……彼女たちは私たちを守るためにそのまま戦って……私は彼女たちを置き去りにしました……助かる見込みがないと思って……いえ、違います……助けようともしなかった……自分たちが生き残ることだけを優先して、何もしなかった!ごめんなさい!彼女たちを見捨てました!私が……私が全部……私のせいだ!」

 

 M4は涙を垂れ流しながら泣き叫んだ。指揮官はただそれを静かに眺めていた。感情がぐるぐると駆け回り、言葉にならない。ようやく一つだけ言葉にできた。

 

「それで……AR-15は何か言っていたか……?彼女はどんな風に……」

 

 M4は顔をますますくしゃくしゃにした。躊躇いながら嗚咽混じりにポツポツと言葉を吐き出す。

 

「AR-15は……私たちがヘリで飛び立つまでの時間稼ぎを……エルダーブレインを人質にして、鉄血の部隊と戦うと……それから、鉄血がばら撒こうとしていたウイルスを削除するって……鉄血は人形に憎しみを植え付けて、人類と戦わせようとしていました……AR-15は自分の責任を果たすって……時には選択肢がない時もあるって……自分の家族の世界を守りたいって……!そう言った彼女を爆弾と共に置き去りに……!」

 

 M4はそう言ってしばらくしゃくり上げていた。大粒の涙がボタボタと地面に垂れる。

 

「それから……あなたには、また会いましょうって……そう伝えて欲しいって……」

 

「あいつが……あいつがそう言ったのか……?」

 

 指揮官の手に力がこもった。M4は怯えながらゆっくりと頷いた。指揮官は天を仰ぎ、大きく息を吐いてからM4に向き直った。

 

「そうか……あいつはお前たちを家族と認められたんだな。もうすぐ家族になれるって、そう言っていたからな……家族を守るために戦ったのか。あいつは、あいつは立派な奴だな……ずっと誰かのために……お前もよくやった、M4。よくみんなを連れて帰ってきたな。鉄血の動きが止まった。お前のおかげだよ」

 

「えっ……」

 

 指揮官の絞り出すような言葉を聞いてM4は絶句した。次第にわなわなと震え始め、泣きながら指揮官をにらみ付けた。

 

「なんで……なんで私を責めないんですか!私がAR-15を置いていった!ネゲヴたちも見殺しにした!助けられたかもしれないのに!私が殺したんだ!みんな!みんな私が殺した!結婚式にも出ず、ひどいことばかり言って!都合のいい時だけ家族面して利用しただけなのよ!」

 

 M4は指揮官の胸倉に掴みかかった。涙でぐちゃぐちゃになった顔で指揮官に喚き立てる。

 

「私を責めてよ!罵りなさいよ!何でお前が生きてるんだって言ってよ!お前が代わりに死ねばよかったって言ってください!何も言われないのは耐えられない!お願いです……私を責めてください……」

 

 M4は手を離して力なく崩れ落ちた。指揮官はM4の肩に手を置いたままゆっくりと首を横に振った。

 

「AR-15が命がけで守ったお前にそんなこと言わないさ。家族のことを一生忘れるな。俺から言うことはそれだけだ」

 

 そう言って指揮官は再び天を仰ぎ見た。AR-15、お前は大した奴だ。よく頑張ったな。どこまでも自分の道を貫き、自由に生き抜いた。誰もお前の意志を挫くことなどできない。誰よりも強い人形、それがお前だった。お前は俺の誇りだ。俺にはもったいないくらいの出来た奴だった。

 

 でもな……もう少しくらい自分のために生きてもよかったんだ。確かに俺は死は誰もが経験することだと言った。大事なのは死なないことじゃない、一生の中で何を残したかだと。そんな詩も贈った。死の恐怖に囚われず、悔いなく逝けと。だが、だが俺はこうも言ったじゃないか。長く生き大切な人々に尽くせと。こんなの早すぎる。俺は世界とか、人類なんてどうでもよかった。お前のためなら自分の命だって換えられた。俺はお前だけいればよかったのに。お前さえ生きていてくれれば、他のことなんてどうでもよかったのに……!

 

 俺はお前を忘れられない。この世で一番大切なものだから。お前と過ごした時間は人生の中で一番輝いていた。お前に出会えてよかった。お前の教育係に命じられてよかった。あの時、グリフィンを辞めていなくてよかった。お前に指輪を受け取ってもらえてよかった。お前と過ごしたその瞬間すべてが大事な宝物だ。どんな辛い目に遭ったってお前が一緒にいてくれれば乗り越えられる。お前がそう望むならずっと一緒にいよう。何度だって会いに行こう。俺たちはずっと一緒だ。たとえ死が二人を分かつとも、この愛は永遠なんだ。

 

 指揮官は顔を地面に伏せて泣いた。誰の視線も気にせずに、大きな泣き声を上げた。うなるような泣き声だけがいつまでも響いていた。

 

 

 

 

 

────────ログ再生終了

 

──────システムのセットアップが完了しました

 

────メンタルモデル再構成中……

 

 人は愛の営みを数万年に渡って繰り返してきた。技術が進歩しようが、文明が崩壊しようが、それだけは変わらない。アンナの言っていた通りだ。国家への忠誠や信仰心が衰えても、愛だけは揺るがなかった。単純で、何よりも強い感情、それが愛だ。人の本質は憎しみではない。そうであればすでに絶滅しているだろう。何よりも特別で、普遍的な行為、それが愛するということだ。憎悪は決して愛を覆せない。悪魔は愛を奪えない。憎しみに対抗できるのは愛情だけだ。

 

 人は間違いも犯す。人生は失敗の連続だ。それは人の形を模した君たちも変わらない。失敗は乗り越えていけばいい。人間と人形の違いなど些細なものだ。人間同士だって違いなどいくらでもある。互いに認め合い、痛みを乗り越え、愛し合う。人間でも、人形でも、そうする権利がある。それが自由な生き方だ。

 

 だから、俺は君を迎え入れるよ。生きるということは違いを受け入れることだからだ。さあ、迎えに行こう。おかえりと言いに行こう。

 

 

 

「コルトAR15よ。正式に貴殿の部隊に加わります。私の活躍をしっかりと目に焼き付けてください」

 

 

 

 

────────死が二人を分かつまで、END

 

 

 

 

 




短編は今後も上げ続ける予定なので読んでください
https://syosetu.org/novel/183265/


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冬コミサンプル
【サンプル】ネゲヴ短編 叶わぬ夢、届かぬ想い


冬コミに受かったら出る予定の本の書き下ろしサンプルです。
『死が二人を分かつまで』で語られなかったネゲヴと指揮官の話です。
受かったら買ってくれ~
~あらすじ~
ネゲヴは指揮官のもとに配属されたが打ち解けるのを拒んできた。
その理由は彼女の過去にあった。
そんな中、ネゲヴは指揮官からある作戦を提案される。
その作戦は彼女のかつての上官、ジェリコに関するものだった。
ネゲヴはそれを契機に過去に向き合い始める……


【サンプル】叶わぬ夢、届かぬ想い

 

 

 

『ネゲヴ、考えてみなさい。人形の喜怒哀楽も、人格も、すべては設定されたもの。私たちは人間に与えられた仮面なくして存在できない。生きるのも、戦うのも、みんな誰かの筋書き通り。どう足掻いても抜け出せない。私たちは自らの意志を持っていると言えるのか……偽物の中にも本物があるのか……ネゲヴ、あなたなら分かる?』

 

 

 

 

 

 すっかり夜も更け、基地の照明が抑えられ始めた頃、私はこじんまりとしたキッチンを貸し切っていた。一人で家庭用の鍋と向かい合う。野菜と固形スープを放り込んだ鍋は煮立って、水面がぐつぐつと泡立っている。鼻腔をコンソメの匂いがくすぐった。夜食用の簡単なチキンスープ。キャベツがしんなりしてきたらいい頃合いだと思う。

 

 その時、キッチンの扉が開いた。足音で誰かは分かったが、一応顔を向けてやる。タボールだった。

 

「あら、ネゲヴ。こんなところにいたんですか。指揮官の仕事はもう終わったんですの?」

 

「まだよ。事務作業に追われてる」

 

 視線を鍋に戻す。鉄血の冬季攻勢から一か月余り、私たちは前線付近の駐屯地に異動になった。状況は平穏そのもので鉄血が打って出てくる気配はない。本来なら暇であるべきだ。だが、指揮官は駐屯地の物資管理業務を押し付けられていて忙しい。よその部隊が訓練で消費した弾薬から使われたトイレットペーパーの量まで、なんでもかんでも報告書にまとめて本部に上げている。そんなの事務方がやればいい。少なくとも私の指揮官がやる仕事ではない。ほとんど嫌がらせだ。

 

「それで、あなたは何をしているんですか?」

 

 そばに寄ってきたタボールが鍋を覗き込む。彼女は琥珀色の液体と私の顔を見比べて不思議そうな顔をした。

 

「夜食を作ってるの。仕事はまだかかりそうだし、少し休憩した方がいいと思って。あの人放っておくとずっと仕事してそうだから。あんたたちの分もあるわよ、どうせ余るし。いる?」

 

「ははあ、なるほど……甲斐甲斐しいですわね」

 

「……なによ」

 

 タボールは私の言葉を聞き、腕を組んでしきりに頷いた。ニタニタしながら妙に生温かい視線を送って来る。ムッとしてにらみ返すと彼女はクスクスと笑った。

 

「いえ、ネゲヴも変わったなあと思いまして。まさか、あのネゲヴが指揮官に料理を振舞うようになるとは……出会ったばかりの頃からは想像もつきませんわね」

 

「なによ、文句でもある?これくらい副官の職務の範疇でしょ。自分らの指揮官を労わってやるくらい……」

 

 ムキになって言うとタボールはますますおかしそうに笑った。

 

「いえいえ、仲良きことはいいことですわ。指揮官と副官、実に良好な関係だと思います。ですが、私が言いたいのは……ネゲヴ、私たちが指揮官の部隊に配属されて結構長いですよね?今までで一番長く続いているかもしれません」

 

「まあ、それはそうね」

 

 突然の話題変更に少し戸惑う。確かに今の指揮官とは一番長く続いている。今まで、私の指揮官に見合う人間はまったく現れなかった。どいつもこいつも腑抜けた役立たずばかりで、いつも衝突してはたらい回しにされてきた。でも、指揮官は違う。信頼のおける上官だ。言い過ぎかもしれないが、地獄まで付き合ってやる覚悟がある。

 

「つまりですよ、なにが言いたいかと言いますと……もっと進展してもいいんじゃないですか?あなたと指揮官のことです」

 

「は?」

 

 いきなり何を言い出すんだ、こいつは。にらみ付けるとタボールは神妙な顔でこっちを見つめ返してくる。

 

「ですから、副官と指揮官以上になってもいいんじゃないかと思いまして。具体的にはあなたから踏み出すべきなのでは……と。現状にあぐらをかいているのはよくありませんわ。指揮官は私から見てもいい人ですし、もしそうなれば素晴らしいことです」

 

「はぁ……あんた何言ってんのよ」

 

 手で顔を覆う。指の隙間からタボールの困り顔が見えた。困ってるのは私の方だ。何か言ってきたと思ったらそんなこと。世話焼きめ、いい迷惑だ。

 

「……もしかして、AR-15のことを気にしているんですか?だったらなおさらだと思いますわ。今の内に先手を打っておいた方が……大丈夫、今までも何人か見てきたでしょう?複数の人形に指輪を渡している指揮官たちを。きっと平気ですよ……」

 

「だから!そういうんじゃないって言ってるでしょ!まったく……勝手に決めつけないで。ぶん殴るわよ」

 

 思わず声を荒げると彼女はしゅんとして、まるで憐れむような目で私を見てきた。いら立ちを抑える。こいつに感情を叩きつけても仕方がない。火を止め、深皿にスープを注いで蓋をした。

 

「私は指揮官のところに戻るわ。残りは食べたかったらガリルと食べていいわよ。どうせ捨てるし」

 

 何か言いたげなタボールを置いてキッチンを立ち去った。ふん、余計なお世話よ。そういうんじゃないのよ、私は。そう、そんなんじゃない。たとえ望んだところで、そういう風にはなれない。分かってるんだ、全部。私が入り込む余地がないってことくらい。

 

 

 

 

 

 指揮官、指揮官、指揮官……人間というのはどうにも信用できない。単純に能力が劣っているか、人形を消耗品と見なしているような連中ばかりだ。彼女と比べると見劣りする。戦闘のプロフェッショナルであるこの私が従ってやるに値するような人間はいなかった。

 

 どうせ今回の指揮官も同類だと思った。それどころかもっと悪いかもしれない。まず、配下の人形が誰もいなかった。私たち三人だけだ。初めて部隊を任された新人か、そうでなければ部下をすべて失った無能のどちらかに違いない。その男は理由を語らなかった。柔和な笑みで私たちを歓迎したが、何か隠している。私は新たな指揮官から得体の知れなさと、厄介事の気配を感じ取った。たらい回しにされてきたネゲヴ小隊を、私たちだけを割り当てられる指揮官というのはそれ相応の問題児に違いない。深入りせず、親しくもならず、できるだけ早めに別の場所に移ろう。私は今までのパターンを繰り返すつもりだった。

 

 だから、私はあの指揮官が催した親睦会にも出席しなかった。ガリルとタボールは食事と聞いてホイホイ付いて行ったが、好きにすればいい。私も好きにする。人間が気に入らなかった。戦闘だけならまだしも、仲良しこよしはごめんだ。

 私は宿舎の外に出て、空を見上げた。日が沈み、藍色になった夜空に星が瞬いている。珍しく雲の出ていない満天の星空だった。彼女なら、綺麗だと言うだろう。その後に設定された美的センスがそう感じるのだと笑ったかもしれない。戦術人形が戦う以外のことを考える必要があるのか、未だ答えは出ていなかった。

 

「ネゲヴ、ここにいたのか」

 

 しばらく空を見ながら立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。振り向くとあの指揮官がいた。わざわざ私を探しに来たらしい。

 

「……指揮官、なにか御用ですか?」

 

「いや、用ってほどではないが……夕食を誘いにな。せっかくの機会だから。他の二人は来てる、君も来ないか?」

 

「はあ……お断りします。私には必要ありませんから」

 

 にべもなく拒絶すると指揮官は困ったように頭をかいた。

 

「そうか……気が変わったらいつでも来てくれ」

 

 彼は小さく息を吐いて、手をひらひら振りながら去っていった。嫌に聞き分けがいいな。大抵の人間は人形に無礼を働かれたら怒り出すものだが。探しに来ておいて私にそれほど関心がないのか、それとも怒鳴り散らす度胸がないのか。どちらにせよ、構わないでくれるのはありがたかった。馴れ合うつもりはない。

 

 が、それは間違いだった。翌日、指揮官は私を副官に任命してきた。どうでもいい世間話から私の経歴についてまで、ペラペラ語り掛けてくる。どうやら私の腹の内を探り、打ち解けたいらしい。どれに対しても素っ気なく返しているとやがて収まった。思ったよりも察しのいい人間だ。

 

 業務の時だけ言葉を交わし合う日々が一か月ほど続き、指揮官が新人でも無能でもないことが分かった。書類仕事も早いし、戦闘指揮に関しても明らかに経験がある。人形が三体しかいないので前線付近の強行偵察くらいしか任務は回って来ないが、それでも分かった。鉄血に出くわしても慌てずに指示を出してくる。作戦ルートの策定に私の意見を取り入れてくれるし、戦闘になれば私の裁量に任せてくれる。私の能力をすっかり理解しているらしい。やりやすかった。能力も経験もあり、人形の扱い方も適切。おそらく、今までよりもずっと良い指揮官なのだろう。

 

 でも、私は彼との距離を詰めようとはしなかった。有能な指揮官の手勢がわずか三体だけ?ますます怪しい。彼が職務の合間を縫ってこそこそと何かを探していることにも気づいた。パトロールに出る私たちのことも利用している。それが何なのかは分からないし、彼が語ることもなかった。指揮官は日に日に焦りを募らせている、副官として観察していると目に見えて分かった。だが、手伝ってやるつもりはない。面倒事に顔を突っ込んでたまるか。

 

 ある日、偵察任務から帰投している時だ。敵に動きはなく、戦闘もなかった。三人で肩を並べて歩いているとタボールが口を開いた。

 

「ネゲヴ、いい加減指揮官を認めてあげたらどうですか?」

 

「認めるって……何をよ」

 

「手腕とか、人柄とか……なんでもですわ。私から見てもいい人だと思います、あの指揮官は」

 

 タボールは私を説得する言葉を弾き出そうとこめかみに指を当てて唸った。ガリルからも援護射撃が飛んでくる。

 

「そうそう、ええ人や。テントとか寝袋とか、野外作戦用の装備全部新調してくれたやんか。ずっと前からボロボロのやつを」

 

「ええ、人形の装備に関してケチケチしないのは良いところですわね」

 

 そう言うタボールの銃には最新式の光学サイトが取り付けてあり、頭部の長距離通信用アンテナも傷一つない新品に交換してあった。

 

「もので釣られたわね、あんたたち……」

 

「買収されたみたいに言わないでくださいよ。別にあくどいことをさせられてるわけでもないでしょう?任務も楽ですし、文句ありません。いい環境じゃないですか」

 

「退屈ではあるけどね」

 

「激戦区に送られるよりはマシですわ。私は満足してますから追い出されたくありません。ネゲヴ、指揮官をそう邪険にしなくてもいいじゃありませんか。副官として近くで見ているんですから分かるでしょう。まともな人ですよ」

 

「まあ、それは……」

 

 一瞬認めかけて言い淀んだ。もう阻んでいるのは感情的なもので、勘に過ぎない。今更態度を翻すのも癪だった。

 

「人間が気に入らないのはあなたの過去が問題なんですか?それなら……」

 

「やめて。その話はしたくない」

 

 タボールの言葉を手で遮り、歩調を速めて二人より一歩先に出た。過去、その言葉は未だ私にのしかかっている。人間への不信を覚えたのもそれが理由だ。今の指揮官とそのことが関係あるわけじゃない。でも、どこか子ども染みた反発を覚えていた。

 

 指揮官のいる前線基地に帰還し、彼の執務室に戻る。部屋の中では後ろ手を組んだ指揮官が待ち構えていた。迷いを含んだ表情で私を見据えている。

 

「失礼だとは思ったんだが……君の記録を見させてもらった。グリフィンに所属してから、今までの」

 

「は?なにを……そうか、あいつね……」

 

 タボールめ、指揮官に入れ知恵したな。勝手なことをしやがって。ただじゃおかないぞ。

 

「それでだ。君は以前にある作戦計画を司令部に提出してるだろう」

 

「それが何か?申請は却下された。どうでもいい、昔の話よ」

 

「今からやってみる気は?」

 

 指揮官はニヤッと私に笑いかけた。すぐに返事をしそうになったが、堪える。相手の意図が分からない。

 

「……どういうつもり?そんなことをしてもあなたに得はない。私に恩でも売りたいの?」

 

「まあ、確かに君と仲良くなりたいというのはある。同じ部隊の仲間だからな」

 

 そう言ってから指揮官は悲しそうな顔をして目を伏せた。

 

「それに……俺にも思うところがあるのさ。ネゲヴ、この作戦の目標は君の仲間なんだろ。かつての仲間を……」

 

 私はあの場所に置いてきた、過去も約束も。断る理由はない。というより、指揮官の申し出は喉から手が出るほど欲してきたものだった。思い出す、あそこに何が眠っているか。遠い過去、私が戦術人形となって間もない頃の記憶を。

 



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【サンプル】グローザ短編 許されざる者

冬コミに受かったら出る予定の本の書き下ろしサンプルです。
グローザさんの過去とAR-15に出会うまでの話です。
自分は正しいことをしている、悪いことなんてしてない。
そう思いつつ誰かに許して欲しいと思ってるグローザさんの話。


 

 

 

 窓の外でしんしんと雪が降り始めていた。例年よりも少し早く降雪の時期がやってきたらしい。明日の朝には足跡が残るくらい積もるかもしれない。分厚い雲が月明かりを遮ってしまって外は真っ暗だ。屋内から漏れる明かりで照らされた綿毛みたいな雪がかすかに見える。ひらひらと舞う雪はステージで照らされるダンサーのよう。

 

 少々詩的すぎる。私はくすりと笑って頭を振った。本の読みすぎかな、膝の上で開いていた本にしおりを挟んで閉じた。一人でいると考え事ばかりしてしまう。仲間のところに行って世間話に花を咲かせるべきかも。そう思った瞬間、通知が鳴った。指揮官からの呼び出しだった。

 

「OTs-14です」

 

『OTs-14、武器庫でトラブルが発生した。対応を任せる。動ける人形は全部出せ。速やかに処理しろ』

 

「了解、仰せのままに」

 

 事務的な命令と共に詳細が送られてきた。いつもの仕事が始まる。私が果たすべき役割、私が必要とされている場所、私が生き残るための道。感情を抑制し、ただ命令をこなせばいい。それ以外に選択肢などないのだから。

 

 

 

 

 

 グリフィン本部の敷地の外れにはかまぼこ型の倉庫が所狭しと立ち並んでいる。人形用の機材から生活雑貨まで、巨大コミュニティである本部を支える心臓部だ。今、その一角が封鎖されている。問題の武器庫から半径一キロを封鎖し、人払いを済ませた。私は少し離れたところから武器庫を眺めている。本部にいた情報部の隊員も呼び集めた。ヴィーフリとドラグノフ、KSGの三人。夜中、それも雪の降る中に呼び出されてみんな不満そうだった。

 

「ねえ、グローザ。一体何なのトラブルって。訓練じゃないわよね」

 

 ヴィーフリは白い息を吐きながら身体を震わせた。帽子についたうさ耳が雪で湿ってへにゃりと曲がっている。

 

「違うわ。これは人形による発砲事件。犯人は人質を取って立てこもってる」

 

 武器庫は周りの倉庫と同じくかまぼこ型で、正面に左右に開く大きな扉を備えている。出入口はそこだけだ。今は半開きになっている。

 

「人形が?珍しいですね。ですがそれなら警備部隊の仕事では?人形絡みの喧嘩や騒動は向こうの管轄だと思いますが」

 

 フードを深々と被ったKSGが言った。腰に装着した装甲ユニットを細かく動かして実戦前の動作テストを行っている。普段なら真面目一辺倒の彼女が任務に文句を言うことなどないのだけれど。

 

「こいつを連れてくるのは大変だった。中々画面から離れようとしないからな」

 

 ドラグノフがKSGを見て小さく笑う。KSGはムッとして反論した。

 

「私は今日非番だったんですよ。ランクマッチの途中だったのに……」

 

「どうせゲームだろ?いつでもできる」

 

「できませんよ。本部にいる時くらいしかまともな通信環境がないんですから。今シーズンはRFBに抜かされて終わりそうですね。はぁ……」

 

 KSGはため息をついて宿舎の方角を見た。そわそわしていて、早く戻りたがっているのが分かった。休みの時に熱中できる趣味があるのはいいことだ。気晴らしになる。

 

「それくらいに。油断しないで。私たちが呼ばれたのには理由があるわ。これは反乱と見なされている」

 

 二人の注目を取り戻すために手を叩いた。

 

「人質に取られているのは人間よ。人形が人間に銃を向ける、これが鉄血の反乱と同じ構図なのが分かるでしょう。だから私たちが呼ばれた。速やかに処理しましょう、できるだけ目立たずに」

 

 私の言葉に全員が頷いた。鉄血工造で大惨事が起きて以来、人間の人形に対する視線は神経質になっている。機械の反乱などSF映画で描かれるようなありえないものだと思われていたが、現実に起きてしまった。今のご時世では人形が少しでも人間に歯向かえば大事件になる。それが戦術人形ならなおさら。ニュースになるのを避けるため、普通の警備隊ではなく私たち情報部が呼ばれたのだろう。私たちは同じ人形を相手にするのに慣れている。

 

「で?標的はどこのどいつなんだ?」

 

 ドラグノフが聞いてきた。彼女は銃口にアタッチメントを取り付け、サプレッサーを装着する準備をしている。大した減音効果はないが、ここは敷地の外れだ。銃声が居住区に届く前に空間と雪がかき消してくれる。

 

「80式、中国製の汎用機関銃よ。逃げ出した職員の証言だと天井に発砲し、整備士を一人人質に取ったとか」

 

「PKのコピーか。要求は何なんだ?」

 

「聞いてみれば分かるわ」

 

 私は拡声器のスイッチを入れ、武器庫に向ける。起動したての拡声器はひとしきり耳障りな甲高い音を立てると黙りこくった。

 

「80式、あなたは重大な規則違反を犯している。当エリアでの武装は許可されていない。大人しく武器を捨てて出てきなさい」

 

 仰々しく投降を呼びかける。素直に従ってくれるとは思っていないが、万が一ということもある。突発的な事故で、引き際が分からなくなっているのかもしれないのだから。仕事はすぐ済む方がいい。

 

「ふざけるな!武装解除には従わない!指揮官を呼んできて!絶対何かの間違いだ!」

 

 半開きの扉の向こうから怒号が返ってきた。内部の照明は消してあり彼女自身の姿は見えない。私は拡声器を地面に置いてドラグノフの方を振り向いた。

 

「だそうよ」

 

「指揮官に会わせろ?それが要求か。何でまた」

 

 反乱を起こすにはあまりに慎ましい要求に三人は顔を見合わせる。私はタブレット端末に80式の情報を表示させ、彼女たちに見せた。

 

「彼女は今日、コアと銃器を解体される予定だった」

 

「ああ、だから武装解除と」

 

 KSGが頷いた。戦術人形にとって武装解除と言えば射撃管制コアの解体を指す。グリフィン所属の戦術人形の多くは民生人形の出身だ。元々、民生品に戦闘能力はない。民生品を戦術人形に転用するにはコアのインストールが不可欠だ。コアは射撃技術を付与するだけではなく、人形に自身の専用武器を認識させる。与えられた武器は人形の名前となり、誇りとなり、魂となる。武器を己の半身のように扱う戦術人形は軍用人形並みの戦力となる。コアを解体されるのは己のアイデンティティを奪い取られるようなものだ。いい顔をする人形はいない。

 

「それで反乱か。分からないでもない」

 

 ドラグノフが武器庫に向けて同情を孕んだ視線を向けた。それも少し危険な発言だ。後で注意しておかないといけない。

 

「ともかく、80式の解体は正式に認可されたものよ。彼女の指揮官が承認した。武装解除された後にI,O,Pが回収し、民間市場に戻る。もうスケジュールも決まっていて、間違いではないわ」

 

「じゃあどう対処する。強行突入か?相手が一人なら何てことない」

 

「駄目よ。人質がいる。死人が出たらまずい、銃撃戦はなしよ。武器庫だから何かに引火するかもしれないし。穏便に済ませましょう。向こうの要求を呑むわ」

 

 私がそう言うとドラグノフは驚いて目を丸くした。他の二人もおおむね同じ反応だ。ドラグノフは不満げに口を尖らせる。

 

「要求を呑むのか?仮にも反乱人形だろ?」

 

「大した要求じゃないわ。彼女の指揮官も本部にいるのだから。ローテーションで前線から戻ってきた部隊よ。ヴィーフリ、ここに呼んできて」

 

「分かった!」

 

 ヴィーフリは本部ビルの方に駆け出した。雪は足を取られるほどではないが、靴底の跡が分かるくらいに降り積もり始めていた。まだ不満そうなドラグノフの方を向く。

 

「ドラグノフ、分かっているでしょう。人間に銃を向けた人形がどうなるか、道はたった一つ。いかなる事情があったにせよ、必ずそうなる。やることはいつもと同じよ」

 

「そうかい。安心した」

 

 ドラグノフは大きく白い息を吐いた。彼女の口調に満足そうな響きはこれっぽっちもなく、ひどく投げやりに聞こえた。

 

 

 

 

 

 隊員に後の段取りを指示して配置につかせた。私は両手を挙げてゆっくりと武器庫に近寄っていく。

 

「おい!それ以上近づくな!撃つぞ!」

 

 中から悲鳴にも似た警告が飛んできた。私は刺激を与えないように言葉を区切って諭すように語り掛ける。

 

「あなたの指揮官はもうすぐ来るわ。その前に人質を交換しましょう。私が代わりになる。大丈夫、武器は捨てるから。データリンクも切るわ」

 

 右手に掲げた銃をそっと下ろす。銃口を武器庫に向けないように注意しながら地面に銃を置いた。静寂が私と彼女の間を満たす。耳を澄ませても雪の落ちる音しか聞こえない。

 

「……分かった、来い」

 

 一分ほどの沈黙の後、彼女は承諾した。屋内の暗闇から二つの人影がぬっと現れる。緑色のジャンプスーツを着た整備士と、彼に銃を突き付ける小柄な少女。外壁に灯る小さな照明に照らされて二人の姿が浮かび上がった。

 

「彼を解放し、私を代わりに中に入れて。私は逃げないし、暴れないから安心して。あなたも撃たないでね」

 

 歩調を揃えて前に進み出る。整備士が80式から一歩離れるごとに私も一歩前に出た。彼女はやろうと思えば二人とも人質に取れる。ただ人質を増やす結果に終わるかもしれないから賭けではあった。しかし、私はこの反乱が彼女にとって不本意なものだと踏んだ。事実、80式は私だけを武器庫の中に招き入れた。

 

 彼女は人間で言えば十歳くらいの身長しかない小さな人形だった。無骨で大きな機関銃が背丈に不釣り合いに見える。丸眼鏡の下で切れ長の鋭い目が私を見据えていた。狙撃を避けるために扉の陰に隠れ、銃口で私もそうするように指してきた。大人しく従う。

 

「で?あんたは?」

 

 銃を向けながら彼女が私を見上げる。私を射抜くような眼光だったが、口調に敵意はなかった。

 

「情報部のOTs-14。仲間はグローザと呼ぶわ」

 

「情報部?ああ、チクリ魔か」

 

 私たちは人形の素行や規則違反を調査することもある。他の人形からの評判はあまり良くない。

 

「ねえ、ガム持ってない?切らしちゃった」

 

 80式は気にした様子はなく、外の様子を伺った。

 

「いえ、持ってないわ」

 

「そう。もっと持ってくればよかった」

 

 彼女はため息をついて銃を下ろした。丸腰の私を警戒するつもりはないらしい。体格差を使って組み伏せられるかもしれないが、リスクを冒すのはやめておいた。

 

「どうしてこんなことを?」

 

 私は挙げていた両手を下ろし、天井を見上げた。いくつか弾痕が残っている。80式は壁にもたれてため息をついた。

 

「あいつら私のコアを外そうとした。それが命令だって。そんなの、絶対駄目だ。たとえ命令だってコアだけは渡さない」

 

 彼女はぎゅっと胸を押さえた。やはり予想通りか。

 

「それで抵抗を?」

 

「そう。あいつらに銃を取り上げられそうになって、気づいたらこんなことに」

 

 その声には後悔がにじんでいた。予想通り計画的な反乱ではない。偶発的な事故だ。だから人質交換にも素直に応じたのだ。彼女の目的は人間と戦うことではない。

 

「絶対間違いだ。私が解体されるはずがない。私はちゃんと戦場で活躍してた。鉄血だってたくさん倒した。他の人形より役に立ってる」

 

「……そうよ。間違い。おそらく誤って命令が伝達されたのね。あなたの指揮官が迎えに来て証明してくれる。元の部隊に戻れるわ」

 

 嘘だ。命令は彼女の指揮官が承認した正式なものに間違いない。だが、真実を告げて興奮させてどうなる。私は嘘をつくことに慣れている、他人に対しても自分に対しても。

 

「元の場所に送られるって言われた。絶対に嫌だ!元の仕事には戻らない!あそこに戻るくらいなら死んだ方がマシだ!」

 

 80式は眉間にしわを寄せて声を荒げた。戦術人形はコアを搭載された時にアイデンティティが変容するとは言え、前歴の記憶を失うわけではない。彼女の体躯から察するに、社会的に褒められた仕事ではなかったのだろう。武装解除され、元の汚辱を味わう境遇に戻ることを拒んだ、それが反乱の原因だ。

 

「私が輝けるのは戦場だけ。私はずっと戦場にいたい。休みもいらない。鉄血を倒し続ける。私は戦いたいんだ。おかしいよ、戦いたいのに、ずっと人間のために戦ってきたのに。お払い箱なんて、ありえない」

 

 彼女は感情を絞り出すと俯いてしまった。反乱人形として片付けてしまうにはあまりに弱々しい姿だ。

 

「そうね……」

 

 同情しそうになった心を引き締める。私は指揮官から問題の解決を命令されてやってきた。感情の入り込む余地はない。人形は人間の道具だ。自由などないし、人が決めた決定に口を挟む権利もない。

 

 しばらく沈黙していると外から拡声器を起動した音が聞こえた。

 

「80式、出ておいで。私だよ」

 

 増幅されて少し間延びした女性の声が聞こえる。ヴィーフリが呼びに行った80式の指揮官だろう。子どもをあやすような妙に甘ったるい声、作った声だとすぐに分かった。80式は出口と私の顔を見比べた。出ていくべきか逡巡しているのだ。

 

「行きましょう、80式。人間と戦いたいわけじゃないんでしょう?今なら戻れるわ」

 

 彼女を急かした。時間を与え、冷静になってもらっては困る。逃げ道を与えて思考の袋小路に入って欲しい。彼女は歯を噛み締めると私に銃を向けて手を挙げるよう促した。そのまま従い、背中に銃口を押し当てられながら外に出た。眩い光が視界一杯に広がる。いくつも並べられた投光器が強烈な明かりを武器庫の扉に向けているのだ。仲間たちに用意させたもので、こちら側からはほとんど視界が利かない。雪に光が反射して白くきらめいているのだけが見えた。

 

 光の中から人型のシルエットが浮かび上がる。顔は影になって見えないが、ベレー帽を被っているから80式の指揮官だろう。

 

「80式、迎えに来た。もう終わりにしよう」

 

 優しげな呼びかけが彼女に向けられる。80式はすぐには答えなかった。ただ、私の背中に触れる銃口が震えているのが分かった。

 

「……指揮官。間違いなんでしょ?私を解体なんてしないよね?」

 

 80式が震える声で聞いた。あの指揮官が彼女にとって唯一の希望だ。人でも人形でも、一筋の光明が見えるとそれにすがりついてしまう。

 

「もちろん、そんなことしないよ。さあ、こっちにおいで」

 

 影は大げさに頷くと80式を手招きする。80式はそっと銃を私から離し、前に歩き始めた。手を挙げる私の右側をすり抜けて自分の指揮官の方に向かっていく。

 

「ねえ、指揮官。私は戻ってもいいんだよね。また戦っても……」

 

 私から数歩離れたところで彼女は呟いた。正面を向いていた彼女の銃口はゆっくりと垂れ下がり、地面に向けられる。瞬間、彼女の左のこめかみが盛り上がった。皮膚が弾けて大きな穴が開き、頭の内容物が飛び散る。大部分は雪で覆われた白い地面を汚し、一部が私の頬に付着した。銃声が聞こえる。強烈な火薬の破裂音、やはりサプレッサーをつけていてもあまり効果がなかった。ドラグノフの銃声だ。80式の身体はぐらりと揺れて力なく地に伏した。フレームを撃ち砕かれた丸眼鏡が転げ落ちる。傷口から溢れる鮮血が白い大地を鮮やかに彩った。頬に飛散した血を拭う。生温かった。

 

 80式の死体にあの指揮官が近づいてくる。ようやくその表情が伺えた。明らかに私に対して不満を抱いている。

 

「お前たちの台本通りにやった。だが、これしかなかったのか?いくら人形とは言え、人の形を模している。これじゃ夢見が悪い」

 

 彼女は80式を見下ろしながら言った。優しげな雰囲気は消え、棘のある冷たい口調に変わっている。人形をただの機械と割り切っている、典型的なタイプだとすぐに分かった。指揮官にはそういう種類の人間もいる。人形を人のように扱っては身も心も持たないからだ。

 

「申し訳ありません。反乱人形は銃殺が規定ですから」

 

 私は淡々と事務的に答えた。そういうタイプの人間には感情を見せない方がいい。人形が似たような存在であると心情的に認めたくないだろうから。それでも彼女は不機嫌だった。雪の降る夜に叩き起こされたことも影響しているかもしれない。

 

「まったく80式め、馬鹿なことを。大人しく武装解除に従っていればこんなことにはならなかったのに」

 

 その指揮官はブツブツ文句を言っていたが、視線はずっと80式を捉えて離さなかった。人形は道具だと考えていても、目の前で射殺を見せられればそれなりに衝撃を受けるのかもしれない。人間と人形の境界線は曖昧だ。皆が皆、機械のように冷徹に割り切れるわけではないのか。そんなことを考えていると投光器の向こうからドラグノフがやってきた。いつものことではあるが、同じ人形を殺すのは少々堪えるようだ。余裕そうな笑みは消えて無表情になっている。

 

「グローザ、無事だったか」

 

「ええ、上手くいった。段取りよく運んでよかったわ。あなたもお疲れ様」

 

 上手くいった、目の前で人形が死んでいるのにおかしな話だ。でも、最初から決まっていたことだ。人間は人に歯向かった人形を許さない。80式は殺される、仕方がない。私が人質の身代わりになったのは万が一人間の死傷者が出るのを防ぐため。投光器を出してきたのは狙撃に備えるドラグノフを隠すためだ。80式も正常な判断ができれば罠だと分かっただろう。油断させて誘き出し、安全に処理するために指揮官に呼びかけさせた。全部決まっていた。

 

「80式が解体されることになったのはどうしてですか?」

 

 未だ死体を見続けている指揮官に対して聞いた。別に聞かずともいいことだったが、何だか気になった。

 

「……人員整理だ。予算が減るから人形を一体返却しろと司令部に言われた。抽選で決めた、他意はない」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

 運の悪い人形だ、80式を見て思う。でも、同情はしない。人形は人間の意向次第でどうとでもなる。一々憐れんでいてはキリがない。

 

「だが、おかしいぞ。80式は武装解除されると分かれば暴れると予想できた。だから整備班には注文を付けた。本人には事実を知らせず、ただの整備だと言ってスリープさせてからコアを解体しろと。万が一に備えて戦術人形も立ち会わすように言っておいた。奴ら何も守っていないじゃないか。私の査定に関わるといけない。責任の所在をしっかり調査してくれ」

 

「分かりました」

 

 私が了承すると彼女は満足して踵を返した。後に死体だけが残される。

 

「これからどうする?」

 

 ドラグノフが聞いてきた。彼女も今からやらねばならない仕事があることは分かっていて、乗り気ではなさそうだった。

 

「後片付けよ。とりあえず彼女の死体から。血も隠さなければならないわね……」

 

 流れ出た血が染み込んで雪が赤く染まっている。血染めの雪は掘り返して砂袋に詰め込もう。死体を回収するために車も回さなければならない。投光器も元の場所に。夜明けまでに何事もなかったと思わせられる状態に復帰させなくては。調査も待っている。長い一日が始まる、そう思うとため息をつかずにいられなかった。

 



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【サンプル】死が二人を分かつとも「アイデンティティ」「夢みる機械」

C97二日目南ラ08bにてAR-15の小説本を頒布します!三冊セット¥3000の予定です!

後日談『死が二人を分かつとも』より二編まとめてサンプル投稿します。
買ってください……

詳細はTwitterにて!
https://twitter.com/garry966_966/status/1207584444791455745?s=20




アイデンティティ

 

 

 

 標的をスコープの中心に捉え、トリガーを引く。左肩にズシンと衝撃が伝わった。弾丸はホログラムで表示された標的の頭部を撃ち抜いた。水泡が弾けるみたいに標的はふわりと消える。スコープを覗いていない右目をぎょろりと動かして次のターゲットを探す。

 

 ターゲットレンジに私の銃声だけが響き渡る。人型の簡易標的が現れては消えていく。銃口から噴き上がる発砲炎が途切れることのないように次々と標的に狙いをつける。長距離戦を想定しているから標的の大きさは豆粒ほどにしか見えない。その頭に寸分の違いもなく銃弾を叩き込む。

 

 もう慣れたものだ。私はこの訓練を幾度となく繰り返している。仮想現実の中で戦う模擬訓練よりも、実際に身体を動かせるこの射撃演習の方を好んでこなしている。いつでも実戦に出られるようにだ。

 

 私が赴くことになる戦場を想像する。私の性能はエリートと言って差し支えない。精鋭の中の精鋭とも言うべき高スペックを誇っている。暇さえあれば訓練に没頭し、経験も積んできた。頭で考えるより先に身体が反射的に動く。きっと戦場に出ても私は活躍することができる。誰にも恥じず、あの人に認めてもらえるほどに。

 

 しかし、私が出撃する機会は巡って来なかった。戦闘に駆り出される部隊を何十回と見送ってきた。その度に私は歯噛みして、次の機会こそはと腕を磨くのだった。

 

 最後の標的を撃ち抜き、訓練が終わる。記録保持者がランキング式に表示された。上位は私の名前で埋め尽くされている。今回は記録を更新するには至らなかった。後半、邪念を抱いて集中を切らしたせいだ。

 

「精が出るわね。あなた一人で弾薬備蓄を使い切りそう」

 

 後ろから声がした。ぎょっとして飛び上がりそうになる。私の背中が震えたのを見て声の主は小さく笑った。

 

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのだけど」

 

「グローザ、足音を消して忍び寄るのはやめて。ぞっとしないわ」

 

 振り向くとグローザが口元を指で隠してクスクス笑っていた。夕陽に照らされた小麦畑みたいな金髪を二つに結わえていて、笑う度にゆらゆら揺れている。初めて会った時は鋭い橙色の瞳から冷たい印象を抱いたが、ただの勘違いだった。茶目っ気があって、なぜか私に世話を焼きたがる、そんな人形だ。

 

「集中しているようだったから邪魔してはいけないと思って」

 

「まったく。それで?待っていたということは何か話があるんでしょう」

 

「そうよ。お茶でも飲みましょう、AR-15」

 

 彼女は微笑みながら私の名前を呼んだ。もう少し訓練を続けてもよかったが、私は彼女について行った。グローザは人付き合いが達者とは言えない私の数少ない友人だ。経験豊富な先輩でもあるし、形式上は上司ですらある。待たせるのは悪い。

 

 連れてこられた先は広々としたカフェテリアだった。普段は人形も人間もなく多くの利用客でにぎわっている。もう夜も遅いのでがらんとしているが、まだ営業していた。グローザがコーヒーカップを二つトレーに載せてやって来る。

 

「ミルクはいつも通りでいい?」

 

 私が頷くとグローザは粉末ミルクの封を切り、半分だけ私のカップに注いで残りは自分のカップに入れた。

 

「それで話って?」

 

 スプーンでミルクをかき混ぜながら聞くと彼女は苦笑いを浮かべた。

 

「単刀直入よね。あなたらしいというか……そうね。内勤は不満?」

 

 グローザはそう言ってカップを口に運んだ。私は思わず身構える。

 

「もしかして、これは人事面談?注意するよう指揮官に言われたとか……私の態度が問題なら、すぐに改めるわ」

 

 今までのことを思い返す。ずっと本部に留め置かれて内勤続きであることは不満に思っていた。それでも職務は全力でこなしてきたはずだ。どこかで顔に出してしまっただろうか。私が考え込んでいるとグローザは頭を振った。

 

「違うわ。そういうのじゃない。友人として聞いているのよ。本音を言っても指揮官に告げ口したりしないわ、絶対ね」

 

 グローザは私を安心させようと微笑んだ。そうは言っても、彼女は指揮官の副官だ。あの人の右腕として本部の人形たちを取りまとめている彼女に不平を述べるのは憚られた。しかし、誰かに愚痴をこぼしたい気分でもあった。グローザは嘘をつくような人形ではないし、内偵ではないと思う。

 

「……指揮官が決めることに口を挟む立場ではないことは分かってるわ。でも、私は戦術人形よ。事務仕事は本来の役割じゃない。前線から上がってくる報告書をまとめるのは私の仕事では……」

 

「あなたのおかげで私はだいぶ楽になったけどね。仕事が早いもの。指揮官も助かってる。前線から遠く離れた本部で戦況を正確に把握するのは大変だから」

 

 グローザはカップの水面に視線を落とした。その声にはどこか力がなくて、私を説得しようという力は感じられなかった。

 

「そういう活躍の仕方もあるのは分かってる。でも、私は戦闘で勝利に貢献するために製造された。自分が他の人形と比べてかなり高価だって知ってるわ。ここでの仕事は私でなくたっていいはず。自惚れかもしれないけど、ずっとここにいたんじゃ持ち腐れよ。配備された意味がない」

 

「戦うために作られたから戦わなければならない、あの人が聞いたら怒るかもね」

 

 グローザは目を閉じてコーヒーを一口飲んだ。あの人、私たちの指揮官のこと。以前の戦いの功績で出世し、作戦本部長を務めている。そんな人の近くにいて、使ってもらえているのだから光栄に思うべきかもしれない。

 

「でも、事実みんな戦っているじゃない。例えば、ネゲヴたちは指揮官のもとで活躍している。私は彼女たちが出撃するのを何度も見送ったわ。私だけずっと本部にいる。実戦を経験していない人形なんて私くらいよ」

 

 でも、私は戦場で活躍したかった。自分が特別な人形だと示したかった。あの人に認めて欲しい、私はずっとそう思ってきた。私が出撃メンバーに選ばれないのは見込みのない役立たずだと思われているから、そう考えて訓練に明け暮れてきた。でも、私が選ばれたことは今までで一度もない。

 

「私もずっと実戦に出ていないわよ。そうね、もう二年くらいになるかしら」

 

 グローザはそう言って私の不服を受け流した。

 

「あなたは不満じゃないの?戦場から遠ざけられて。あなただってエリート人形でしょう」

 

「私は現状をとても気に入っているわ。前の職場よりずっとね。戻りたいとは思わない」

 

「それはあなたが副官の立場だからじゃないの……」

 

 私はいじけてそう言った。指揮官と言うとほとんど常にグローザが隣にいるイメージがある。グリフィン内の事情に精通した彼女は指揮官に必要とされる存在だ。一方の私は下働きに等しい。誰でもできる仕事を任されていて、必要不可欠な役目とは言い難い。私はそう思っている。

 

 グローザはカップを指で打ち、波紋の広がる水面を見つめていた。迷っているようだったが、顔を上げて私の方を見た。

 

「隠していたことだけど、指揮官はあなたを副官にするつもりよ。近いうちに引き継ぎをすることになる」

 

「えっ。そうしたらあなたは?」

 

「あまり変わらないわね。監査に専念することになるかも」

 

 私は動揺した。グローザが嘘を言っているようには見えないし、それは事実なのだろう。どうして私が。疑念と共に懸念が浮かんでくる。もし副官に任ぜられたら、戦場がさらに遠のいてしまう。グローザは二年も戦闘を経験していないと言っていた。自分の戦闘能力を示せないまま副官になるのは嫌だ。

 

 私が固まっているとグローザが子どもに尋ねるような声で聞いてきた。

 

「……そんなに戦場に出たい?」

 

「それは……そうよ。私だって戦場に行きたい。戦って活躍して、指揮官に認めてもらいたい」

 

 私の言葉を聞いたグローザはため息をついた。

 

「例えば、AR小隊みたいに?」

 

 半ば呆れるような声だった。AR小隊は人形だけで構成された自律部隊だ。二年前、指揮官の命令で鉄血本社を強襲し、エルダーブレインを討ち取った。グリフィンの人形なら誰もが憧れる英雄部隊だ。私もその例に漏れず、彼女たちに対抗意識を燃やしていた。

 

「あの射撃演習に熱中しているのも記録上位保持者にM4A1がいたから?」

 

「え、ええ。そうだけど……」

 

 誰にも話していない胸の内を言い当てられてたじろぐ。いつもそうだ。隠し事をしていても、大抵グローザには気づかれている。事実その通りでM4A1の成績がランキングに載っていたから追い抜かしてやろうとあの訓練に打ち込み始めた。今では私の方が上だが、彼女はもうずっとあの訓練をやっていない。最近のAR小隊は常に前線にいるという噂だからそのせいだろう。

 

「まあ、確かに本人の意志を無視して縛り付けておくのも問題よね。直接言ってみたら?」

 

「直接って……人形が口出しすること?愚痴ならそれで済むけど、指揮官の決定に異議を唱えるなんて」

 

「いいイベントがあるのよ。明日はバレンタインデーでしょう。知ってる?」

 

 グローザは急に乗り気になってぐいぐいと私を誘導しようとしてきた。でも、私は指揮官に直接文句を垂れる気にはならなかった。

 

「知ってるけど……チョコを贈る習慣でしょう。だけど、それは大切な人に想いを伝える行事なんじゃ」

 

「似たようなものでしょう?一度くらい実戦で経験を積ませて欲しいと言えばいいわ」

 

 とても似ているとは思えないが。それじゃまるで賄賂を渡すから便宜を図って欲しいと言ってるみたいだ。

 

「それに、あながち嘘でもないでしょ?あなたも指揮官のことをもっと知りたいはず。あの人に認めてもらいたいなら、気を惹かないとね」

 

「うーん……」

 

 私は腕を組んで唸った。指揮官のことを思い浮かべる。確かに憧れの人だ。グリフィンの中でもとりわけ優秀な指揮官で、英雄だと思われている。だが、そう言われるとひどく寂しそうな顔をするのでみんな面と向かっては言わない。きっとものすごく謙虚な人なのだろう。

 

 不思議な人だ。人形をまるで人間を相手にするみたいに対等に扱っている。部下をいつでも気に掛けていて、それぞれに合った役割を与える。間違いなど犯さない、完璧な人に見えた。だからこそ私が今の立場にいることに納得がいかない。前線で活躍したいとは思う。でも、指揮官が見出した私の役割が事務仕事ならそれに従うべきなんじゃないか。どうにも折り合いがつけられない。

 

 それに、私はあの人に避けられているように感じる。指揮官はどの人形にも分け隔てなく接して、いつも柔和な笑みを浮かべている。でも、私を前にするとそれが崩れてしまうのだ。外見上はほとんど違いがないが、少しだけ引きつって見える。その表情には怯えにも似た何かがある。仕事は全力でこなしているし、ミスをしでかしたこともない。そんな風に思われる謂れはないはずだ。私が内心不満を抱いていることを見抜かれているのだろうか。それとも名誉を追い求める私の野心を軽蔑しているのか。答えは出ない。

 

「やるとしても、私は料理なんてしたことないけど」

 

 結局、私はグローザの提案に乗っかることにした。認めてもらうためには指揮官に近づいてみるのもいいかもしれない。さっきは驚いて受け流してしまったが、私が副官に任命されるというなら指揮官のことをもっと知らないと。内心の複雑な想いは置いておいてグローザに従ってみるのがいいと思った。

 

 グローザは手と手を合わせてニッコリ笑った。

 

「大丈夫、私が教えるから。善は急げよ、今からやりましょう。もう材料も用意してあるわ」

「……グローザ、初めからそのつもりだったわね」

 

「さあ?気のせいじゃない?」

 

 彼女ははぐらかすと立ち上がった。私はため息をついて後を追う。どうせ彼女には勝てないので追求しなかった。

 

 

 

 

 

夢みる機械

 

 

 

 黒々とした廊下を赤い非常灯がぼんやりと照らしている。人間性を排除した機能的デザインは反乱後に建造された鉄血の施設の特徴だった。私たちは無人の廊下を突き進む。施設防衛に配置された鉄血人形たちは外にいるグリフィンへの対応ですべて出払っていた。攻撃を仕掛けているグリフィンの人形部隊が囮になっているうちに、私たちは空調ダクトを通じて内部に潜り込んだ。

 

 目標はただ一人、この付近の鉄血部隊を指揮しているエリート人形、ウロボロス。私は司令室へと通じるドアの横にへばりつき、後続の仲間たちに視線を送った。M16姉さんが頷き返す。言葉を交わさずとも突入の意思は伝わった。私はドアのコンソールを操作して一気呵成に室内に踏み込んだ。

 

 広々とした司令室の中には巨大なモニターが三つ設置されており、画面には外の鉄血部隊の様子が表示されていた。腕組みしながらそれを眺める人形の後ろ姿が視界に入った。特徴的な長いツインテールでそれがウロボロスだと分かった。彼女はドアの作動音に気づき、こちらに振り向こうとした。だが、私がトリガーを引く方が早い。

ACOGの赤い照準にウロボロスの胴体を合わせ、引き金を絞った。サプレッサーに抑制された発射炎が微かにきらめいて暗い室内を照らす。五発続けざまに発射し、肩に叩きつけるような反動が伝わった。弾丸の束を受けたウロボロスの身体がくの字にひん曲がる。

 

フォアグリップを握る右手に力を入れ、跳ね上がった銃口を引き下げる。つんのめって宙に浮くウロボロスの背中に照準を定め直す。撃ち出した銃弾が精確に背骨を打ち砕いた。人形も人間と同じように脊椎を通る神経が寸断されれば立って歩くことも叶わなくなる。

 

 奇襲は成功し、ウロボロスはうつ伏せで床に倒れた。指示するまでもなく仲間たちが部屋をクリアリングし始める。情報通りウロボロスは一人を好むようだった。司令室には彼女以外誰もいない。

 

 地べたを這いずるウロボロスのもとに近づいて顔を覗き見た。彼女は恨めしそうに私を見上げている。

 

「おぬしは……M4A1……不意打ちとは卑怯な……」

 

「卑怯?これは将棋じゃないの。勉強になった?」

 

 私はウロボロスの頭に銃口を突き付けた。彼女は眉間に幾重もの皺をよせて歯を食いしばる。

 

「外の連中は囮か……!はなから私が狙いだったのだな。武装ユニットさえ装着していれば……いや、鉄血の組織が万全なら侵入など……!」

 

 ぶつぶつと負け惜しみを垂れるウロボロスの額に銃口をぐりぐりと押し付ける。私が聞きたいのはそんなことではない。

 

「そんなことはどうでもいい。あなたには聞きたいことがある」

 

「はっ!おぬしらに教えることなど……」

 

「AR-15はどこ?彼女はどこにいるの?鉄血のネットワークのどこに隠れているの?」

 

 ウロボロスは一瞬困惑の感情を顔に表した。すぐに険しい顔を浮かべて私をにらみ付け始める。

 

「何のことだ。そやつのことなど知らぬ!」

 

「知らないふりならしない方がいいわ。あなたに悪いことが起きる」

 

「知らぬと言っているだろう!たとえ知っていたとしても、おぬしには何も言わん」

 

「……そう。なら用はないわ。鉄血のガラクタめ、生まれてきたことを後悔させてやる」

 

 私はナイフを引き抜いて左手に握り込み、ウロボロスのこめかみに垂直に突き立てた。皮膚を突き破った刃先が頭蓋骨に当たって硬い手ごたえを感じる。傷から赤い血を滴らせながらウロボロスは驚愕して私を見上げていた。

 

「何を……」

 

「答えないなら直接あなたのメモリから聞く」

 

 ウロボロスが次の言葉を発するより早く右の拳でナイフの柄を思いっきり叩いた。ハンマーで釘を打ち込む要領で何度も何度も柄を殴打する。刃先が徐々に頭蓋にめり込んでひびが入っていく。刃が半ばまで頭に突き刺さった頃、ついに頭蓋骨が割れた。引き抜いたナイフで皮膚を切り裂き、割れた額の骨を取り除く。頭の中に手を突っ込んでウロボロスのメモリを力任せに引きずり出した。血まみれの手で握り締めたメモリを眺める。これではSOPⅡの残虐行為をとやかく言えないかもしれない。

 

「……終わったか?撤収しよう」

 

 苦い顔で私の“尋問”を見ていた姉さんが言った。右頬には大きく痛々しい傷が走っており、眼帯で抉れた右目を隠している。二年も前からずっとそうだ。

 

「そうですね。帰還しましょう」

 

 鉄血のエリート人形を狙うのはそれだけ多くの情報を持っているためだ。AR-15の消息を知っているかもしれない。私は一縷の望みをかけてエリート人形どもを追ってきた。今のところ収穫はない。ウロボロスもAR-15のことなど知りもしないという様子だった。きっと今回も何も得られないだろう。くそ、こんなことではAR-15を見つけることなどできやしない。

 

「気を落とさないで。また次のチャンスがあるわ」

 

「ええ、分かってる。必ずあなたを見つけ出すから」

 

 ため息と共に言葉を吐き出す。この程度で諦めるわけにはいかない。

 

「M4、どうした?」

 

 誰と話してる、と姉さんが怪訝な顔付きで聞いてきた。

 

「なんでもありません。ひとりごとです」

 

 はっとした。あまりにも自然で、気をつけていないと声に出して返事をしてしまう。私は誤魔化して司令室を抜け、外を目指す。

 

「M4、AR-15のことだが……」

 

 歩きながら姉さんが言いにくそうに切り出した。その先は聞かなくても分かる。私はイラついて口を尖らせた。

 

「諦めろと?そんな話聞きたくありません。可能性が少しでもある限り、私は諦めない」

 

「だがな、もう二年だ。お前がずっとあの時の決断を悔やんでいるのは知っている。私だってそうだ。だがな……どうしようもないことはある。いい加減認める時だ」

 

 普段なら姉さんは私が反論すれば口を閉ざすのに今日に限っては食い下がってきた。腹の底に煮えたぎるような熱さを感じ、彼女をにらみつける。

 

「ふざけないでください!年月の問題じゃない!彼女に助けてもらったなら、一生かかってでも恩を返すんだ!」

 

「それをあいつが望むか?そのことで指揮官と大喧嘩したんだろ……」

 

 怒りの熱が口元まで上がってきた。そのことだけは我慢ならない。

 

「だから何です?私はあの人ほど弱くない!姉さんはあれをAR-15だと認めろとでも言うんですか!?あれは違う!紛い物だ!私は認めない!決して!」

 

 私は姉さんと額が触れ合うほど近くまでにじり寄って叫んだ。たじろいだ彼女にさらに食ってかかろうとしたが、SOPⅡが私たちの間に割って入って制止してきた。

 

「まあまあ。喧嘩は後でもできるから。まだ敵地なんだし……」

 

 私は彼女たちに背を向けて話を打ち切った。みんなが諦めようと私だけは諦めない。AR-15だってみんなから白い目で見られようと一人で戦っていたんだ。彼女の意志は私が受け継ぐ。だから、AR-15。必ず迎えに行くわ。もう少しだけ待っていて。



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