赤の女王 (HIPのYOU)
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一話:目覚め

呪われた子供たちが大暴れするような小説を書きたかった。

人気が出なかったら適当に切り上げてエタりたい(願望)。

事実上前後編なので二話も直ぐに投稿します。


 世界というのは、どうも優しい物では無いらしい。

 

 私が目覚めてまず思ったのはそんな他愛のない、誰もが一度は出したことのありそうな結論だった。

 

 辺りに漂う生ゴミの臭い、分厚い雲にさえぎられて光を失った空。割れたパイプから漏れ出ている水がしたたり落ちる音。全てが目覚めたばかり私の五感を刺激し、酷く不快にさせる。

 

 そして、自身を自覚した途端に襲い掛かる空気の冷たさ。

 

 冷たい。寒い。痛い。

 

 力を振り絞って右手を上げてみれば、乾いた血液がこびり付いた小さな自分の手が見える。とても小さな、赤ん坊の様な手が。

 記憶が曖昧だ。私は誰だ、此処は何処だ。思考が混乱して結論が一向に出ない。いや、それ以前に情報が足りなさすぎる。

 

 目だけを動かして辺りを見回してみれば、自分が今いる場所は路地裏だとわかる。

 

 

 

 ――――眼が、合った。

 

 

 

 酷くみすぼらしい恰好の女性が私を見ていた。泥や血で汚れた顔を酷く歪ませながら、まるで猛獣でも見るような恐ろし気な目で私を見ている。

 だが私は、人間だ。少なくともこの手は間違いなく人間の物だ。何故、そんな目で私を見るのだろう。

 

 

「……貴方、が……貴方が悪いのよ……! そんな化物として生まれてくる貴方が……!!」

 

 

 一切の混じり気の無い、純粋な憎悪の視線だった。

 

 直感的にわかる。彼女は、私の母親だ。私を産んでくれた者だ。だからこそ余計にわからない。我が子をまるで家族の仇を見るような目で見るなんて。私が何をした? 貴方は一体何を見ている?

 

 

「せいぜい、苦しまずに死ねるといいわね……。それが一番よ。私にとっても、貴方にとっても……」

 

 

 母親はそう最後に告げて、素早く踵を返して路地裏から去ってしまった。

 

 私はやっと現状を理解した。捨てられたのだ、私は。彼女がどのような事情でそんな蛮行を行ったのかはわからないが、未だ赤子の身である私にとってはそれは理不尽の極みの所業であった。

 捨てられた非力な赤子が自力で生き延びる手段など存在しない。第三者の介入が無ければそのまま衰弱死が確定する食物連鎖の最底辺の存在である。

 

 絶望――――は、不思議と感じない。

 

 そもそも現状を未だ受け入れ切っていないのだ。目が覚めると体が赤ん坊で、路地裏で討ち捨てられていた。周りには誰もおらず、淡々と水滴の音がするだけ。現実味が無い。

 

 ……待て。そもそも私は誰だ? 少なくとも赤ん坊では無かったはずだ。なのにまるで記憶が抉り取られたかのような感覚が頭の中で離れない。

 一般的な知識だけは綺麗に残っているというのに、家族や友人、何より自身についての記憶がさっぱり抜け落ちている。過去があったという自覚があるのに、いくら力を振り絞っても何も思い出せない。

 

(……どういうことだ)

 

 まるで脳の一部だけを抜きとられて、別の誰かに入れられたようだと言い表せばいいのだろうか。

 

 酷く気持ちが悪い。違和感が全身を包み込む。何もかもが自分の知っている知識と乖離しているようで、無き叫びたくとも酷く乾いた呼吸音しか出てこない。

 

 夢だと思いたくても、身体から送られてくる感触は酷く現実味があって――――夢だと信じたい自分の気持ちと混ざり合って、これでもかというほど心がグチャグチャしている。

 

 

 嫌だ、こんな、きもちがわるい。だれかたすけ――――――――

 

 

 

「イーヴァ、見て! 赤ん坊が捨てられてる!」

「ああ。で? そんなの外周区なら珍しくも無いだろ」

 

 

 

 朦朧としていく意識の中、誰かが私の手を握った。

 

 目を少しだけ開いてみると、それは子供だった。まだ10歳にも満たないであろう小さな子供二人が、私を見下ろしている。

 片方はベレー帽を被ったベージュ色の髪と翡翠色の瞳が特徴的な優し気な子。もう片方は紅色の髪で、酷く疲れたようなダークレッドの瞳の子だ。どちらも、酷く擦り切れた服を着ている。浮浪児だろうか。

 

「『で?』 じゃないでしょ! 連れて帰らないと!」

「そんな余裕ないだろ。たださえ食料も水も不足しているんだぞ? それともなんだ、まだ私にショッピングモールで派手に暴れろとでも?」

「粉ミルクくらいあげられる余裕あるじゃない! そうケチケチしないの!」

「お前なぁ……このご時世、粉ミルクも十分高級品なんだぞ……?」

 

 イーヴァという子と言い争いをしながらも、優しそうな目をした子が私の手を優しく握りながら、笑顔を向けてきた。

 混濁していた意識が澄んでいく。安心、した証拠だろうか。

 

「もう大丈夫だよ! 私は”私たち”を見捨てないって決めたから! ほらイーヴァ、見て見て! この子結構可愛い~! きっと美人さんになるよ!」

「そうだな。将来高く売れそうだ」

「イーヴァ!!」

「……冗談だっての。真に受けんなアホ四歳児」

「貴方だって同い年でしょう!」

 

 ……驚いた。どうやら彼女たちは四歳らしい。それにしては言動がかなり大人びているが、何か特別な教育でも受けていたのだろうか。

 

「ごめんね、イーヴァはちょっとひねくれ者で……。あ、私の名前は日和野 真璃(ひよりの まり)だよ! 覚えててくれると嬉しいな!」

「赤ん坊が覚えるわけねーだろアホ」

「うるさーい! こういうのはロマンがあっていいの!」

「訳わからん……」

 

 愉快な二人組だと、私はそんな状況に似合わないことを思ってしまう。だが、とりあえずこの場は凌げたのだろう。実に幸運だった。本当に第三者の手で救助されるとは。

 

 それから私はボロ切れのような布で包まれる。ああ、暖かい。大切なモノは失って初めて価値に気付くとはよくいうが、成程確かにそうだ。肌寒い感覚が温もりに変わっていく感覚は、小さな快感と安堵で胸が満たされる様だ。

 

 ふと、微睡が襲ってくる。少し頭を使いすぎたのか、どっと疲労がのしかかってきた。

 

 

 ――……少し、寝よう。

 

 

 私はそのまま睡魔に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――目が覚めれば、全てが良くなると心の何処かで信じていた。

 

 

 ――――だけど、現実はそう甘くなかった。

 

 

 ――――世界とはとにかく残酷で、意地悪で。

 

 

 ――――私たちはその悪意を受け止める不格好な受け皿なのだと、理不尽な真実を、突き付けられた。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 あれから五年近く経った。あっという間だった。因みにまだ誕生日は来てないので私の年齢はまだ四歳だ。

 

 その間の記憶はおぼろげだ。何となく、懸命に世話をされていたという記憶はあるが、必死に思いだそうとしない限り靄の様に頭の表面でプカプカ浮かんでいる。その程度のモノ。

 

 すっかり固くなった黒パンの欠片を齧りながら、私は自分の住んでいる場所を俯瞰してみた。

 

 一言で言えば、下水道である。

 

 多種多様な排水が固まった汚物がそこら中にこびりついており、悪臭のしない場所が無い。この臭いは慣れていなかった頃は酷く頭痛を促す物であり、一時期あのまま餓死した方が幸せだったのではないかと思うほどだ。

 

 唯一の救いと言えば、冷たい風が吹き荒れている外と比べれば大分暖かいということくらいか。ここで長く住んでいた子供曰く「発電所からあったかい水が流れてくるうんぬんかんぬんって、前に此処に居た大人が言ってた」とかなんとか。

 

 ……その発電所とやらが原子力発電所でないことを願うばかりである。

 

 更に不思議なことに、私が見てきた限り病気にかかった者は過去一人としていなかった。こんな劣悪な衛生環境だというのに一体どんなマジックを使っているのか。実は子供たちの中に優れた医者がいるとか、どんな病気もすぐに治る魔法のお薬でもあるのか。

 

(……前に此処に居た大人、か)

 

 今、この場所に大人は居ない。全員が、十歳以下の子供である。

 

 詳しいことは知らないが、私が来たときにはそんな存在は見当たらなかったので、少なくとも五年以上前から彼女たちの保護者と言える存在は姿を消している。詳細を知らない故に無責任と責める気はないが、酷い大人だとは思う。

 

 しかし彼女たちは大人がいなくても懸命に働いていた。下水を汲んで小さな手作りろ過機にかけたり、何処からともなく入ってきた鼠を捕まえて内臓の処理をしたり、千切れた服を度々針で手を刺しながらも糸で縫っている。

 働いていないのは、私の様に役目を与えられていない子や、まだ自力歩行もできない赤ん坊くらいだ。

 

 一応弁解しておくが、私も何度か仕事を手伝おうとはしたものの毎度の如く「これは私の仕事だから」の一点張りで断られているのだ。

 どうやらここでのルールの一つとして「課せられた仕事以外はしてはいけない」らしい。取り決めなら、まあ仕方ない。

 

 だが何時になったら私は仕事を任されるのだろうか。いい加減食べ物を食べて本を読んで軽い運動をする以外の作業がしたい。

 

 これもグループ内でのルールの一つだ。基本的に早くて四歳、遅くて五歳になるまで下水道の中で安全に育てられ――流石に夏は蒸し焼きになるので外で過ごし――その最中に能力の適正を測られ、それに応じてさまざまな種類の中から仕事が割り振られる。戦闘への適正が高ければ食料の調達に。低ければ下水道の中での家事に回される。

 

 幸か不幸か、私は戦闘の方に素質があったようで、前もって食糧調達組に編入されるという……事を盗み聞ぎした。何時になるのかはわからないが、早く何かしらの仕事はしたいものだ。

 

 ――――そんな贅沢な悩みを抱えていると、ちょんちょんと後ろから肩をつつかれた。

 

「ん……?」

「――――レーナちゃん! これなんて読むの?」

 

 顔を後ろに向ければ、真璃が『サルでもわかる武器の取扱説明書』という物騒な指南書を開いて私の方に向けていた。本のタイトルを見て思わず真顔になった私は悪くないだろう。

 

「……手榴弾(しゅりゅうだん)

「へ~、レーナちゃん本当に色んな字が読めるんだね。特に勉強してるところは見たことがないんだけど……なんで読めるのかなぁ?」

「……わかんない」

 

 産まれた時から知っている、と言ったら彼女はどんな反応をしてくれるのだろうか。

 

 ――――結局、私は『過去』という物を思い出せないまま流されるように四年以上を過ごした。

 

 恐らく”前世”と言う物なのだろうという事は、何となく理解出来た。しかしそれに至った経緯が全て不明で、何故この肉体に”私”が目覚めてしまったのかもわからない。

 

 確かに言えることは此処は私が生きていた時代より少し先の近未来で、だが世界は夢と希望など存在しない地獄の様に酷い有様になっているという事だろう。

 

 普通の人間が未来の世界という言葉を頭の中で浮かべたら、きっと想像もできない世界が広がっているのではないだろうか。浮遊する自動車が空を飛び交い、人々は仮想世界の中で世界中と交流し合い、食糧問題やエネルギー問題も解決して争いの少ない理想の世界だ。

 

 

 ……だが現実はその真逆だった。

 

 

 『ガストレア』という訳のわからない化け物が世界を埋め尽くし、その化け物によって人類の殆どが殺され、その生存圏は私の知っていたモノとは比べ物に無いないほど縮小していた。

 それを知った時は何処かの出来の悪いB級映画みたいな設定だと一笑したが、現実だと受け入れてからは全く笑えないモノと化している。

 

 赤子に転生したかと思いきや覚醒早々路地裏に捨てられ、九死に一生を得たかと思ったら、世界がとんでもなく『詰み』の状態だった。少なくとも打開策の様な物は無さそうなので、本当に人類絶滅まで秒読み段階なのだろう。

 

 今は何処にいるかもわからない母親が最後に残した言葉がよみがえる。

 

 ああ、確かに死んだ方がマシだったかもしれない。

 

「レーナちゃん? 急に無言になってどうしたの?」

「……なんでもない」

 

 だが、真璃と話しているとそんな気も薄れていく。

 

 彼女は良い意味で陽気な性格だった。太陽の様な子と言い換えてもいいだろう。

 

 どんなに空気が暗く重い物でも、彼女は可能な限り周囲を励まし明るい話題を出そうとする。

 

 前に食糧不足で皆がひもじい思いをしていた時も、何処からか憶えてきたのかトランプを使ったマジックを披露したり、相方のイーヴァと共に食えそうな昆虫を獲ってきたり……いや、これはあまり思い出したく無いな。生のままバッタを食うのは私が二度目の生を受けてから経験した二度としたくない経験の内の一つだ。

 

 ムードメーカーの彼女がいるだけで場の空気が幾分か軽くなる。今までこの下水道という劣悪な環境の中、諍いらしい諍いがあまり起きていないのは彼女の存在が大きいだろうと断言できるほどだ。

 

 因みに私の名前――――”レーナ”という名前を私に付けてくれた者でもあるらしい。つくづく彼女には世話になってばかりだ。

 

「――――おいガキんちょ。喜べ、ようやくお前に仕事を任せられる日が来た」

「こらイーヴァ! ちゃんと名前で呼んであげてよ! 可哀相じゃない!」

「耳元で叫ぶな、アホマリ。私が名前で呼ぶのは一人前の奴だけだって何回も言ったろうが」

 

 私が真璃に成すがままに抱きしめられていると、もう一人が後ろから私たちに声をかけてきた。

 

 真璃の相方、と思われる子供。イーヴァだ。

 

「うん? じゃあ私は一人前って事?」

「アホが前につくから半人前だ」

「なによそれー!」

 

 彼女ら二人がこうして言い争うのは、此処で住んでいる者からすれば日常的な光景だ。だが、二人の仲が悪いものだとは誰も答え無いだろう。

 

 イーヴァはこの下水道で住んでいる子供たちのリーダー的存在だ。今年で弱冠九歳と非常に幼くはあるものの、此処の集団の中では最年長の部類に入る。

 その隣に居座っている真璃も同様、彼女も此処のサブリーダー的存在である。

 

 当然だが、彼女らは別に何年も前から此処を牛耳っている訳では無い。単純な話、二年か三年ほど前に最年長のリーダーが行方不明になったらしいのだ。外部の環境を未だ自分の目で確かめていない私は推測しか述べられないが……恐らく何らかの要因で死亡したのだろう。

 

 何らかの要因というのは、別にわからないわけでは無い。単純に要因になりそうなモノが多過ぎて特定することができないだけだ。

 

 この下水道で住んでいる子供――――『呪われた子供たち』と呼ばれる存在は、かなり特殊な体質を持っている。

 

 私はナイフ代わりに使っている鏡の欠片に映る自分の顔を見る。

 

 腰まで届く雪のように白い髪と金色の眼。……少しだけ目に力を入れると、美しい黄金は血の色に染まっていく。

 

 まず一番特徴的なのが”眼”。光の少ないこの下水道で仄かに光る赤い目が、鏡から目を離して周囲を見渡せば嫌というほど目に入ってくる。

 それだけ言われれば先天的色素欠乏症、所謂アルビノを彷彿とさせるが別にそんなことは無い。彼女たちの中には肌が色黒な子もいる。それにアルビノは瞳の色素が不足して目が赤く見えるだけで、別に光ったりはしない。

 

 一部の夜行性の動物は輝版と呼ばれる目の中の構造体により、夜間に光を反射して輝きを放つことがある。また、カメラのフラッシュなどを目に浴びることで一瞬ではあるが人間でも瞳が赤く光ることはある。が、どちらもこのように常時光るような現象は起こりえない。

 

 つまり、私が生きていた時代の知識では説明がつかない現象という訳だ。故に、この原因は私の時代では存在しなかった存在に絞られる。

 

 ガストレアだ。

 

 詳細こそあまり知らないが、イーヴァが忌々し気に語っていたことはよく覚えている。

 

 人類を十分の一にまで減らし、この地球における食物連鎖の頂点に立った種。それがガストレア。その発生源は極めてシンプルで、『ガストレアウィルス』と呼ばれる謎の病原体が動物に感染することで彼らは生まれる。いや、書き換えられる(・・・・・・・)、と言った方が正確か。

 

 曰く、ウィルスに感染した動物は瞬く間に異形へと成り代わり、赤く光る眼と醜悪な体を持つ化け物へと生まれ変わるらしい。――――そう、赤い目を持つ生物へと。

 

 ここまで言えばわかるだろう。私は、私たちは体内にガストレアウィルスを保持している。だが、身体は依然として人の形を保っている。おかしいとは思うが、抑制因子という物を持っているため辛うじてだが怪物にはならなくて済んでいるらしい。

 

 しかし当然ながら身体の構造全てが普通の人間と同じでは無く、少々……いや、かなり差異がある。

 

 まず暗闇で光る赤い目。一応意識することで元来有していた固有の色彩に抑えつけられる故に、これ自体はほぼ誤差のレベルだ。

 だがここからはそんな事は言えなくなる。次に、普通の人間ではあり得ないレベルの再生能力と運動能力だ。

 

 意識しなければ再生能力以外は普通の人間より少し強いレベルにまで落とし込めるが、逆に意識すること、即ち『力の解放』と呼ばれる現象を引き起こすことで、私たちはウィルスによる様々な恩恵を得ることができる。前述した怪力もその一部だ。

 

 何より一番特徴的なのが、力を解放した際に現れる固有の特殊能力。母体が感染したガストレアウィルスの持ち主のモデル――ウィルス感染源の種の総称――の影響を受け、何かしら元となった生物の特徴が現れる。

 

 例えばウサギだったら脚力が大幅に向上したり、イルカだったら凄く頭がよくなったり等々。字面だけ並べれば地味に思えるが、その影響は凄まじく大きい。

 

 だが決して良いことばかりでは無い。力の解放を行う度にウィルスが私たちの体を蝕んでいき、一線を超えれば私たちは晴れて怪物どものお仲間入りだ。

 逆に言えば力さえ使わなければ普通に天寿を全うできるらしいが……実例が無い故に断言はできない。

 

 そして何より――――九年前に起こった人類とガストレアに間で起こった戦争、『ガストレア大戦』と呼ばれる大規模な戦争に人類が敗北したことで、ガストレアという種は人類にとっては不倶戴天の敵と化している。

 

 そんな奴らの要素を体内に持っている私たちが社会においてどう扱われるのかは、わざわざ言わなくても理解できるだろう。

 

 『呪われた子供たち(私たち)』は、社会における迫害の対象だ。

 

 勿論庇ってくれる心優しい人間がいないわけでもないが、恐らく人類の過半数以上が私たちに対して良い感情は持っていないはずだ。でなければ、私たちがこうやってコソコソと下水道暮らしをしているわけがない。

 無論本気で抵抗すればそれなりに報復はできるだろうが、その大半が十歳以下の子供。まともに反撃できるような精神が構成されていない場合が割合を占める。

 

 いくら身体が強くても、心が育っていなければ意味がないという好例か。

 

 ……長々と述べたが、つまり前のリーダーは食料か資材の奪取に失敗し、恐らくそのまま殺されたと思われる。

 

 公の場で犯罪を犯した迫害対象の末路など考えなくても理解できる。……ここで暮らしてもう四年。自分と少し言葉を交わしたものや、甲斐甲斐しく世話をしてくれた者がいつの間にか姿を消していた理由を知った時は愕然としたものだ。

 

「―――い、おい。聞いてんのかガキんちょ」

「ん……?」

「さっさと支度しろ。メシ調達の時間だ」

 

 肩を揺らされて、私は思考の波から帰還する。

 

 イーヴァの方を振り向けば、彼女は私に古びたナップサックを押し付けて外出用の装備を見に付けようとしていた。

 頭には頑丈そうなヘルメットをかぶり、手足には使い古されたプロテクターを。子供サイズに改造したらしき防弾チョッキも着こんでいる。食糧調達するだけなのに何故こんな重武装なのだろうか。

 

「あん……? 言っとくがお前の分は無いぞ。私は陽動役だからな、撃たれる可能性も高い。それともお前がやるか?」

「……なんで、こんなに着こむの? 外は、そんなに危ない?」

「ああ。少なくとも、これを怠った奴は頭を撃ち抜かれて死んだよ。私の目の前でな」

 

 外の世界はやはり世紀末状態らしい。ヤバイな、仕事はしたいけど、凄く外に出たく無くなってきた。

 

 そんな感情が表情に出ていたのか、イーヴァは顔を少しだけ顰めながら私の首根っこを掴み、引き摺りながらマンホールの外に放り出そうとする。

 当然、傍に居た真璃がそのようなことを許すはずもなく、彼女はコツンとヘルメットを被ったイーヴァの頭を小突いた。

 

「こらイーヴァ! 乱暴に扱わないの! 大丈夫だよレーナちゃん、私が貴方を守るから安心平気楽勝だよ!」

「お前の役割は荷物詰め兼索敵だろうが。課せられた仕事以外はやらないのがルールだって何度も――――」

「だいじょーぶ! 私ならできる!」

「その御大層な自信は一体どこから出てきているのか心底謎だよ」

 

 正直その言葉には大いに同意する。彼女の原動力は一体何なのか知りたい。

 

 さて、食糧調達とは言ったものの、別に私たちは森に言って狩猟をしたり、川で釣りをしたりする訳では無い。近くに動物の住む森など殆どないし、川も大体の場合廃棄物に汚染されている。

 

 ならどうやって食料を確保するか。そう小難しい話ではない。――――食料がある場所から奪って来るのだ。

 

 さながら蛮族の様な行動だが、そうすることでしか食いつなげない。食料を自給出来ない以上、それしか道は無い。

 此処に居る子供たちは赤子を含めればおおよそ二十人前後。子供とはいえこれだけの人数の飢えを凌ぐにはそこそこの量が必要だ。

 しかし自力で食料を生産できる力を持たない以上、何処から奪って来るしかないのだ。

 

 最初こそ私も頭を悩ませたが、三日三晩水だけを口にする生活を送ってからは罪悪感など塵と消えた。そもそもこうして養ってもらっている以上私は文句など言える立場じゃないし、奪ってきた物を口にしている時点で同罪だろう。罪悪感を抱く方が烏滸がましいというもの。

 

「準備は済んだか? ならとっとと行くぞ」

「レーナちゃん、無理はしないでね? いざとなったらすぐに逃げていいんだからね?」

「ん……」

 

 彼女らの言葉に小さくうなずきながら、私は共に食料調達に行く者達を一瞥しながら下水道の出口に繋がる梯子に足をかけた。

 

 いきなり訓練も無しに略奪行為など大丈夫なのか? と思うかもしれないが、一応訓練の類は偶に受けてきた。と言っても棚に並べられた荷物をナップサックに詰め込んで目的地まで一気に駆けるだけど簡素なものではあるが。

 

 実際私の役目などそれだけだ。なるべく長持ちする物を片っ端から選んで詰め込み、リーダーの指示が出たら全力で逃走する。子供でもできることだ。小難しい訓練など必要ないだろうし、前々からイーヴァから直々に「いつかお前もやることになる」と忠告を受けていたので、現状は割とすんなり受け入れられた。

 

 先に梯子を上がっていたイーヴァが数キロもあるマンホールの蓋を軽々と退かして地上へ上がり、私もそれに続く。

 

 

 ――――錆び臭い冷たい風が頬を撫でた。

 

 

 去年の夏ぶりの外の世界だ。だが、変わったものなど何もない。空だけは晴れやかな様子だが、身体にのしかかる重い空気だけは、私が生まれたあの日のままだった。

 

「曇り空……か」

「……レーナちゃん。もしかして、覚えてる……?」

「……そうかも」

 

 ……困った。別に彼女を困らせたいわけでは無いのだが、どうもこの世界を生きている内に思考がネガティブ寄りになってしまっている。

 可能な限り改善したいのだが、如何したものか。

 

「おい! チンタラしてると置いて行くぞお前ら!」

「あ、ごめんごめん。ほらレーナちゃん、行こう?」

「ん……」

 

 真璃に手を引かれながら、私はさび付いた軍用らしき6人乗りの大型の四輪駆動車に乗り込んだ。

 

 一体どこからこんな物を調達してきたのかは不明だが、運転手であるイーヴァがかなりて慣れた手つきに見える故にかなり前からあったのだろう。

 この9歳児、一体どこで操縦の仕方を習ったのだろうか。

 

「……操縦できるの?」

「当り前だ。何年も前からやってきてるからな」

「今でもたまーに事故るくせによく言うよ~」

「うるせぇ。オジャンにしかけたお前に言われたくないわ、アホマリ」

 

 悪態を突きながらイーヴァはエンジンを点火させ、子供でも踏めるように改造されたペダルを踏み込んで車を加速させた。

 

 悪地走行によってガタンガタンと揺れる中、真璃はさまざまな物品を詰めていたバッグの中から地図の様な物を取り出した。その地図には無数の目印がこれでもかというほど書き込まれており、暫く見つめていた真璃がペンで何処かに丸印を付けてイーヴァに見せつける。

 

「前は此処を襲撃したから……次は此処だね」

「本当に大丈夫だろうな? 前襲ったスーパーと比べて少し距離が近くないか?」

「仕方ないでしょ~。これ以上遠くを襲うと他のグループに縄張りの侵害とか何とかって難癖付けられるし」

「やってることは他所からの窃盗の癖になーにが縄張りなんだか……ま、私たちも同じ穴の狢だが」

 

 やはりというか何というか、かなり物騒なやり取りだ。

 

 私たちが生きる上で仕方ないとはいえ、ここまで堂々と公共の場を襲撃する旨の会話が行われていると自分の常識が崩れ去っていく音が聞こえてくる。自分たちで自給自足ができる能力があるなら、こんな危険を冒さないで済むのだが……現状、難しいとしか言えない。

 

 人も、時間も、物資も。最善案を実行するには全部不足しているのだ。更に言えば、万が一失敗した場合の影響も計り知れない。

 将来的なリターンが大きくてもかなり危険な博打だ。……他所から奪う方が余程確実かつ堅実という現実には笑えばいいのか。

 

「――――おい、ガキんちょ。前もって言っておくが、下手な欲なんて出すなよ。私が”撤退”と言ったら即座に撤退だ。従わなかった場合は容赦なく置いて行くからな?」

「……わかった」

「リーダー! 今回は何を優先的に獲ればいいのでしょうか!」

 

 私の隣で座っていた紺色のツインテールを揺らす少女が手を挙げながら元気よく声を出した。

 確かこの子は……、

 

「リザ、お前前に果物を無理矢理持って帰ろうとして見事にナップサック一つを果汁でビッチョビチョにしていたよな?」

「えっ、あ、そのぉ……」

「前も言ったが、保存の利かない奴は持ってくるな。水を最優先に、缶詰やカップ麺、スナック菓子を詰めろ」

「たいちょー! 肉は!?」

「少しだけだぞ。多く盗んでも腐ったらただのゴミだ」

「りょーかい!」

 

 そう、リザという名前だった。後から声を上げたクリーム色のボブカット子は、佐奈(さな)。どちらも二年前からこの仕事についている私の先輩である。

 

 更にもう一人後ろで待機している子がいるのだが……。

 

「…………何?」

「……なんでもない」

 

 ガサガサの膝に届くほど長い髪を持った少女は、私の視線に気づいたのか不機嫌そうな目で見つめ返してきた。

 

 彼女の事はよく知らない。グループ内で一緒に暮らす仲ではあるものの、人付き合いが極端に悪く名前すら知らない有様だ。このように、話しかけようとしても一蹴されてしまう。

 別にそこまで無理をして交流をする気はないが、せめて名前だけでも知れないものか。

 

(……後でゆっくり考えよう)

 

 面倒になった私は結局諦め、揺れる車体に身を任せた。

 

 これが私にとっての最初の仕事だ。無駄なことは考えず、今は目先の事に集中せねば。

 

 

 



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二話:生きるために

矛盾点や誤字があったら遠慮なく指摘してくださって結構です。設定も「違うだろォ?」と思ったら容赦なく私の事を蹴りしばいてくれてもいいのよ?

でも無言で低評価は簡便な!(切実)


 ガストレア大戦からおよそ九年。人類は一世一大の大博打に負けたことにより、その生存圏を大幅に縮小することを余儀なくされていた。

 

 殆どの国々は主要な都市以外をガストレアに明け渡し、そうして捻出した時間を使って『モノリス』を作り上げた。

 

 しかもただのモノリスでは無く、『バラニウム』と呼ばれる特殊な金属を用いたモノだ。漆黒の金属で構成された超巨大な構造体は人類が死守した区域である『エリア』を囲むように等間隔に配置されている。

 

 これに何の意味があるのか? 答えはバラニウムという金属の特異な性質を聞けば理解できるだろう。

 

 バラニウム――――火山列島に偏って埋蔵されているこの金属は常に特殊な磁場を発生させる性質を持っており、その磁場はガストレアの再生能力を著しく低下させることができる。

 即ち、人類がガストレアという怪物に対してほぼ唯一の切り札とも言える資源だ。これがなければ、恐らく人類は今頃全てガストレアに貪り尽くされ、地球上にガストレア以外の生命体は悉く消失していただろう。

 

 そして、そんなモノリスに囲まれた場所をエリアと呼び、此処『東京エリア』は隣接していた神奈川県、千葉県、埼玉県の一部を切り取りながら東京都から東京エリアへと改名された経緯を持つ。

 更に、元東京都中心部から若い番号が振られていき、国境線――――つまりモノリスに近いほど番号は嵩んでいく。その数、実に四十三。

 

 私の住んでいる下水道があったのは第三十六区。おおよそ三十番台から外周区という認識なので、ある意味ではまだマシと言える環境か。

 

 四十番台など原子力発電所や試作の核融合実験炉まで設立されているという話だ。とても人が住めるような場所では無い。……否、そもそも外周区の大半は廃都と化しているため、普通ならば誰も住みたがらない劣悪な場所なのだが。

 

 住んでいるのは私たちの様な『呪われた子供たち』や、何かしらの犯罪を犯して内地にいられなくなった無法者、後は好き好んで外周区に住みたがる物好きくらいだ。故に、治安も最悪であり、人影も少ないので人知れず誰かを殺すのにも最適な場所である。

 

 総評を下そう。最悪の場所だ。

 

 隠れ済むには最適だろうが、だからと言って満足に暮らせているのかと言われれば私は間違いなく否と答えるだろう。しかし、他に住める場所があるのかとも問われれば、同じ答えを返す。

 

 全くもって優しくない世の中だと思う。

 

 さて、長々と語ったが、今私たちは第二十六区に来ていた。外周区と比べれば幾分良い環境ではある者の、景気は余り良くないらしく、人の声も少ない。

 我々食糧調達班――――またの名を食料強奪チームは全員安売りの仮面を被りながら、路地裏から目標であるスーパーマーケットを凝視している。

 

 人気は少なく、警官もいない。襲うには最適な状況だろう。

 

 ……まずいな、公共施設を襲撃することに戸惑いがなくなってきている。私もだいぶこの世界に馴染んでしまった影響かもしれない。

 

「よし……もう一度作戦の再確認をするぞ。まず私が”コイツ”を使って中に居る人間を威嚇、動きを制限させる。その隙にお前たちは一気に目的のコーナーに行って、片っ端から可能な限り食料をナップサックに詰め込む」

 

 この集団のリーダー格であるイーヴァは腰のホルスターから小さな回転式拳銃(リボルバー)、ニューナンブM60と呼ばれるソレを取り出した。

 

 ………本当に一体どこからこんな物を調達しているのか。

 

「マリ、周囲の索敵しっかり頼むぞ。お前がしくじったら下手すれば全滅だからな?」

「わかってるよもう。そんなプレッシャーかけるような言い方しないの!」

「責任重大だから言ってるんだよ……」

 

 そう言えば、真璃は一体どうやって索敵を行っているのだろうか。

 

 力の解放による特殊能力の発露だというのはわかるが、どのような能力なのかは私は知らないし見たことが無い。別に質問するなと言われていたわけでは無いが、あまり個人的な事に深く踏み入るのはどうかと思い訪ねていなかったのだ。

 共に仕事をする中になるのだから、そろそろ詳しく質問して良いころなのかもしれない。

 

「そういえば、真璃はどんな能力を持ってるの……?」

「ん? あー、そう言えば一度も言ったこと無かったね~」

 

 その質問に対して真璃は驚いた表情になり、次にニッコリと笑顔を浮かべて――仮面で顔は見えないがそんな気がした――被っていたベレー帽を外した。

 

 すると、彼女の帽子の中から何か長いモノが肩まで垂れる。

 

 ――――それは、兎の耳だった。

 

「えーっと、私のモデルはウサギさんなの! だからとっても耳が良くてね――――」

「――――音が聞こえる範囲は一方向に意識すれば最長で二キロ。そして半径五百メートル以内なら一円玉の落ちた音すら聞き分けられる。欠点としてウサギの癖にあまり足が速くない上に、力を解放してない時はデカい耳がただの飾りになるがな。……で? あの中に何人いるんだ?」

「もう! 私に最後まで言わせてよ~! ……えーと、たぶん二十人くらいかな。出入り口近くに五人、レジに八人。残りは奥にいるっぽい」

 

 凄い能力だと、素直に思った。

 

 聴力が良いだけと書けばショボいと思うかもしれないが、それも突き抜けてしまえば大きな利点へと変わる。所謂エコーローケーションだ。

 音を利用しての周囲の情報収集。かなりの高精度が保証できるなら、索敵でこれ程頼りになる能力はそうそう無いだろう。

 

「手前に居る十三人は威嚇で抑えられるとして……奥に居る奴らが面倒だな。他三人はともかく自分の力すら把握しきれていないガキんちょじゃ荷が重いか。……アクィラ、コイツとツーマンセルだ。フォローしろ」

「……了解」

 

 ボサボサ髪の女の子が頭を掻きながら気怠そうに返事をした。どうやらこの子の名前はアクィラ、と言うらしい。

 

 ところでサラッと述べられてしまったが、実を言うと私は自分の能力を把握していない。

 別に怠けている訳では無い。力の解放自体はできるのだが、特に目立った特徴が現れなかったためモデルとなった動物が今だにわからないのである。

 

 幸い身体能力の上昇率は高水準らしいので鍛えればそれなりらしいが……如何せん地味だと言われると否めないのが困る。別に見栄えを求めているわけでは無いのだが。

 

「準備は良いか?」

「!」

 

 と、考え込むのも此処までにしよう。そろそろ作戦開始だ。

 

 

 ――――全員の瞳に紅い光が灯る。

 

 

 全力解放では無いが、それでも一般の成人男性を翻弄するには十分なレベルだ。

 

 

「…………走れッ!!」

 

 

 合図と共に全員が正面へと駆ける。おおよそ子供とは思えない速度が発揮され、ほんの数秒で数十メートルは開いていたはずの距離が詰められた。

 

 しかしこのままガラス張りの自動ドアに突っ込んでも大丈夫なのだろうか、と思っていると背後から影が凄まじい速度で飛び出してきた。

 その影は鳥のようでいて、しかし人の形の様でもあった。現実は、その半々だ。

 

 私の後ろにいた筈のアクィラは両手を鳥の翼に変貌させ、圧倒的な速度を叩き出しながら勢いを保ちながらその足をガラス張りのドアに叩き付ける。

 

 けたたましく鳴り響く硝子の割れる音が耳を刺した。思わずチラリと隣を見ると真璃が耳を押さえながら辟易としている。

 耳が良すぎるというのも考え物らしい。

 

「全員動くな! 手を頭の後ろに置いて屈め! 少しでも余計な動きを見せれば撃つぞ……!」

 

 硝子が割れた音に硬直していたスーパーマーケット内にいる者たちは、小さな銃口が向けられたことでようやく現状を理解したらしい。誰もが一歩後ずさり悲鳴を上げようとしている。

 

 それに対しイーヴァは無言で天井に一発だけ発砲した。自分の持っている拳銃が本物だと示すと同時に余計な動きを封じるためだ。

 

「お前ら、早く行け! 警戒を怠るな!」

『了解!』

 

 リーダーの指示に従って私たちは散開し、スーパーの客達の間を縫いながら各自の目的コーナーへ到着する。

 

 私の担当は保存の利きそうな菓子、乾パンのような類だ。私の年齢がまだ幼い故に軽い物を運べ、ということなのだろう。イーヴァは普段の態度こそ粗っぽいが、意外と皆への気配りは上手い。

 伊達に数年間もリーダーを務めていないという訳か。

 

 と、こんな事を考えている状況ではなかった。私は思考を中断させ、軽くジャンプしながら商品の棚をよじ登り、片っ端からナップサックの中に詰めていく。

 

 味はこの際無視だ。できるだけ長持ちする物を選んで――――

 

 

「――――このクソガキがァッ!!!」

「ッ!?」

 

 

 身体に怖気が走り、ほぼ同時に私の顔へと誰かの拳が叩き込まれた。

 

 あまりの突然の事に私は茫然としながら地面を撥ねる。しまった、選り好みするあまり周囲の警戒を怠った――――!

 

 すぐに立ち上がろうとするが、頭を踏みつけられて脳を揺らされる。まずい、不味いマズイ――――力上手く出せな――――

 

「は、ははっ。人間様に逆らうからこうなるんだよ、赤目風情が。お前たちは黙って俺たちに嬲られていれば――――」

 

 

「――――退け」

 

 

 背後で空気を叩く轟音が鳴り響いた。

 

 辛うじて眼だけを動かせば、両手を翼に変えたアクィラが空中で足を振り抜いた姿勢で固まっているのが見える。そしてさらに背後を見れば、通路の一番奥の食品棚を破砕しながら身体埋めている、私の背中を踏んでいたであろう男の姿が。

 

 目と鼻から血を流している悲惨な状態ではあるが、辛うじて生きてはいる様だ。

 

「…………え?」

「――――欲を出すなと、”片っ端から詰めろ”と言われたはず。……余計なことを考えているとこうなる。忘れるな」

「ご、ごめん、なさい……」

 

 ああ、成程。あの言葉には欲を出して余計なモノまで詰めるだけでなく、変な事まで意識しているとこうして足を掬われるという意味も籠っていたのか。嫌な形ではあるが、味方のフォローがついている時に気付けたのだから幸運とも言えるかもしれない。

 

「イー……リーダー! ヤバイ! 一キロ先からパトカー来てる!」

「チィッ! 近場で誰かがミスってやがったなクソッタレ……! 全員撤退だ! 早く戻れ!」

「!」

 

 流石の私も緊急事態と理解し、地面に転がったナップサックを拾いながら即座に離脱行動へと移行した。

 

 可能な限りの速度で全員と合流してスーパーマーケットを脱出し、四輪駆動を待機させている場所まで走る。いくら常識外の身体能力を持つ『呪われた子供たち』(私たち)でもスタミナは有限。何時間も走行できる自動車相手では流石に分が悪い。

 

 百数十メートル程駆け抜け、全員が隠していた車両に飛び乗る。間髪入れずにイーヴァはエンジンを点火して、ペダルを全力で踏みつけて第二十六区からの脱出を始めた。

 

「マリ! パトカーの数は?」

「えっと、えっと……二台!」

「たいちょー! それヤバくないですか! 前一台相手にしただけで全滅しかけた記憶があるのですが!」

「黙っていろ伏せてろサナ! 舌噛むぞ! くそっ、どうする……?」

 

 どうやらかなりマズイ事態らしい。……だが悲しいかな、私にはもう祈ることしかできやしない。

 

 私は銃の扱いも知らなければ周囲の地形を把握している訳でもないのだ。不本意ではあるが、こうしてお荷物としての立場に甘んじるしかない。精々が物でも投げつける程度が精一杯で――――

 

「この中で車の運転ができる奴手ェ上げろ!」

 

 手を挙げる。

 

 

「「「「「………………」」」」」

 

 

 全員から真顔で眼差しを向けられ、顔から冷汗が流れた。

 

 マズイ、完全に無意識だった。恩人たちのために役に立ちたいのは山々だが、流石にこれはふざけていると思われて殴られても仕方ないかもしれない。何処の世界に車の運転ができる四歳児がいるんだ。

 

 苦し紛れに「冗談です」とでも言って手を下げる――――前に、イーヴァに腕を掴まれる。あ、コレ殴られる。

 

「……できるんだな?」

「え?」

「ちょ、ちょっとイーヴァ!?」

「できるんだな?」

 

 運転中故に顔は見えないが、彼女が今現在とても真剣な表情をしているのは何となく理解した。

 

 ……運転ができると言っても、所詮は知識だけ持っているという話だ。経験は、無い。だがイーヴァが態々自分以外の運転手を探そうとしたのだから、恐らく彼女が戦闘に加わることで実行できる打開策があるのだろう。

 

 私はそう信じて、こくんと首を縦に振った。

 

 瞬間、私は腕を引っ張られてイーヴァと入れ替わるように運転席に座らされた。

 

「えっ」

「おら! ちゃんと前見て運転しろよガキんちょ!」

「ちょっ、待っ――――」

 

 急いでハンドルを握ってスリップしそうな車を落ち着かせる。ハリウット映画じゃあるまいしちょっと行動が無茶苦茶過ぎるぞリーダー。

 

「イーヴァ、何か手があるの?」

「でなければアイツに運転任せるか。ええと、たしか此処に……あった!」

 

 イーヴァは車体の奥からアタッシュケースを手に取った。一体何を――――と思った瞬間、ケースの中からやたらゴツイ武装が出てくる。

 無論ロケットランチャーやグレネードランチャーの様なトンデモ装備でこそ無かったが、その銃は映画やアニメでもよくよく見かけるほど有名なものであり、すぐに何なのか理解した。

 

 H&K MP5K。所謂短機関銃であるMP5のコンパクトモデルであった。更によく見れば、ケースの中には予備弾倉だけでなく手榴弾らしきものまで入っている。

 

 本当に何処から入手したんだそんなもの……!?

 

「えっと、イーヴァ。なにそれ?」

「昔、性質の悪い民警に襲われたことがあってな。その時に返り討ちにしてぶんどった装備だ」

「民警……?」

 

 民警。民間警備会社(PMSC)の略語だろうか。何故そんな物が日本に? 日本では銃刀法や警備業法によって行政機関である警察の様な者でも無い限り銃器の所持はできないはずなのに何故短機関銃なんてモノを持っていたんだ。

 

 いくらガストレアという怪物が蔓延る世界とはいえ、民間人に銃器の所持が認められているならば――――この世界、予想以上に治安がマズイことになっているのかもしれない。

 

 そんな私の考えを切り払うように、イーヴァはMP5Kのコッキングレバーの引いて重々しい音を響びかせる。つくづく子供とは思えない慣れた手つきだ。

 

 それから数秒後、パトカーがけたたましくサイレンを鳴らしながら追いかけてきた。その気迫に思わず硬直しそうになるが、唇を噛んだ痛みで心を誤魔化しながらアクセルを更に深く踏みつけた。

 

 

 ――――パァン!!

 

 

 背後から飛んできた弾丸が耳を掠めてフロントガラスに撃ちこまれた。

 

「ひっ――――」

 

 股の間から暖かいものが少しだけ漏れた。中身が成熟している癖にビビり過ぎだろって? 無茶言うな、成熟していようが銃弾が自分の傍を通り過ぎて怖がらないなんて訓練された軍人でもなきゃ無理だ。

 むしろ恐怖に負けてハンドルを切ろうとしなかったことを褒めて欲しいくらいだ。

 

「アイツら! 警告も無しに発砲かよ!」

「これが『犯罪者に人権は無い』ってやつなんですねリーダー!」

「たいちょー! これが『年貢の納め時』ってやつですか!」

「お前らは黙って伏せてろ言ってんだろうがアホ共! マリ、ナビゲーション怠るなよ!」

「合点承知! レーナちゃん右に曲がって右に!」

「ひぃぃぃぃ」

 

 情けない声を上げながらハンドルを右に切った。駄目だ、今の私では状況が整理しきれない。

 

 何でこの子供たちは今の状況をすんなり受け入れられているんだ。四歳児が車のハンドルを握ってパトカー相手にカーチェイスを繰り広げ、九歳児がサブマシンガンを警察に向けて構えている。おまけに警察の方は何も言わずに発砲してきている。

 

 訳が分からないよ。

 

 背後から何かが破裂する音が何度も聞こえてくる。イーヴァがサブマシンガンを乱射する音だ。しかしパトカーの走行は一向に止む気配は無い。

 

 背後を一瞥すれば、弾丸はボンネットやフロントガラスを貫けずにいた。そうか、防弾加工済み――――!

 

「チッ、ご丁寧にガラスまで防弾仕様か。だったら――――」

 

 サブマシンガンが効かないことを覚ったイーヴァは舌打ちしながらセーフティをかけて銃を放り、ケースの中から手榴弾を取り出した。

 そして、目を赤く変化させる。

 

「――――オォォォォラァッ!!」

 

 腕を鞭のようにしならせながら、イーヴァは全力で手榴弾をパトカーに向かって投擲した。

 

 目にもとまらぬ速度で安全ピンを抜かれていない手榴弾という名の金属の塊がパトカーのバンパーに叩き込まれる。あまりの衝撃にバンパーだけでなくボンネットが拉げたりしたが、パトカーは少しよろめいただけで走行を続けてきた。

 

「……あれ、何で爆発しないんだ?」

「イーヴァ、手榴弾はピンとレバーを外さないと爆発しないよ?」

「マジか。……まあいいか」

 

 イーヴァは面倒くさそうに腰のホルスターからニューナンブM60を引き抜くとおもむろにパトカーへと向けて数発程発砲。その内の一発が手榴弾に当たったのか、パトカーは前部を爆発させ地面を削りながら停止した。

 

 幸か不幸か、警官はどうにか脱出できたようだ。命が散る場面を見ないで済んだことに胸を撫で下ろしていると、私の肩が悲鳴と共にガクンガクンと揺らされる。

 

「レーナちゃん!? 前、前!?」

「え?」

 

 後ろに向けていた意識を前方に戻すと、もう一台のパトカーがこちらに向かって突っ込んできていた。

 

 そういえば、パトカーは二台だったと、真璃が言っていた。

 

 状況が余りにもコロコロと変わる者だから、すっかり忘れてしまっていた。まずい、正面からぶつかれば屋根が無いこの車両では全員放り出される。致命傷は必至。

 

 今から回避行動――――横転――――無理――――、

 

「チッ……」

 

 一瞬の出来事だった。

 

 アクィラは一秒も使わずに車両の横へ飛び出すと、ドアの縁を掴みながら身体を大きく振って車両に蹴りを叩き込んだ。その衝撃で車両は速度を保ちつつも真横にスライド移動し、アクィラはその反対方向へと弾かれるが腕を翼に変化させて上空へと逃れた。

 

 しかしこれですぐそばまで迫っていたパトカーとの正面衝突コースからずれることができた。

 すれ違う双方の車両。側面の塗料を甲高い金属の擦れる音と共にまき散らしながら、パトカーは私たちの車両を横切った。

 

「――――プレゼントだクソッタレども」

 

 いつの間にかイーヴァはサブマシンガンを構えていた。躊躇なく引かれるトリガーに合わせて無数の弾丸が隙だらけのパトカーの側面へと吸い込まれ、前輪と後輪のタイヤを食い破って中に詰まった空気を破裂させた。

 これでもうあのパトカーは私たちを追跡することができなくなった。

 

 

 私たちの、勝ちだ。

 

 

 因みに、その暴力的な不快音の波に優れた聴力を持つ真璃は耳を抑えて限界まで顔を歪めていた。彼女だけは索敵のために力の解放を続けていたので咄嗟の事態により起こされたソレを防ぐことなどできず、ほぼ最大音量であの音を耳に入れてしまったのだろう。

 

 後で何かしらの労いをしてあげた方がいいかも知れない。

 

「……よい、しょっと」

 

 空を飛んでいたアクィラが元居た席へと帰還する。……最初は互いに気にもしない関係のはずだったのに、二度も域的状況を救われてしまった。

 

 後でちゃんとお礼を言っておこうと、私は心に深く刻んだ。

 

「ナイスだ、アクィラ。ガキんちょのフォローも含めてな」

「ん……なら報酬は弾んでね」

「わかってるよ、ったく。相変わらずがめつい奴だな……おいガキんちょ、もういいぞ。運転代われ。お前の滅茶苦茶な運転がこれ以上続いたら酔っちまいそうだ」

「え、あ、はいっ!」

 

 とっさにブレーキを踏んで減速し、ふらふらと力の抜けた身体を動かしながらイーヴァと席を交代した。

 

 ああ……疲れた。

 

「…………おい」

「え? な、なんです……?」

「運転席がなんか濡れてるんだが」

「――――――――」

 

 ……そういや弾丸が耳をかすった時に漏らしたんだ。

 

「漏らしたんですか?」

「漏らしちゃったんですか!?」

「そっ、その……ごっ、ごめんなさいぃ……」

 

 自分の情けなさに涙が出てくる。何だろう、この、いい年した大人がおねしょしたのを家族にバレてしまった様な羞恥心は。

 

「レーナちゃん! だいじょーぶ! 美少女のおしっこはご褒美だって、なんかの本に書いてた! ……あー、耳痛い……

 

 お前は何を言ってるんだ。

 

「おいアホマリ、後でその本教えろ。今日の分の燃料にするから」

「イーヴァ、本は大事に扱わないと駄目だよ?」

「んな本は大切にしてても子供たちへの悪影響にしかなんねーんだよこのバカ!」

 

 何だろう。今の今まで真璃の方が常識人だと思っていたが、実はイーヴァの方が一番常識を持っているのではと思えてきた。いや、実際にそうである可能性が実に高い。

 

「……あのさ、いい加減出発しないと追いつかれるよ?」

「リーダー! お腹が空いたのでなんか食べてもいいですか!」

「たいちょー! お肉食べたい!」

「うるせぇぇぇぇええええ!! 勝手に食えアホ共!!」

 

 殆ど半ギレ状態になりながら、イーヴァは我々の家(下水道)への帰還を再開させる。

 

 ……気が付けば、空はすっかり夕暮れ模様だ。綺麗な絵の具で塗ったような夕焼けがボロボロの廃都を照らす様は、まるでこの時代の象徴のようにも感じた。

 

 身体を縛っていた緊張感が抜けたことでふと、思う。

 

 

(……どうして、私はこの世界に生まれたのだろうか)

 

 

 私は、自分の事を”異物”だとしか思えなかった。

 

 前世――――と言えるかどうかは怪しいが、普通ならば子供が持ちえない知識と視点を与えられ、私は終わりゆく世界に組み込まれた。それに一体、どんな意味があるのだろうか。

 

 意味など無いかも知れない。ただの偶然だと言った方が一番説得力はあるだろう。

 

 探すべきだろうか。

 

 自分がこの世界(ここ)に居る意味を。

 

 

「レーナちゃん? 空なんかじっと見つめてどうしたの? 何か見つけたの?」

「……ううん。――――こんな世界でも、夕日は綺麗なんだな、って」

 

 

 真璃の手を握りながら、私はそんな他愛のない答えを返した。

 

 

 




Q・主人公って中身男?
A・(男でも女でも)ないです

Q・こいつら幼女にしてはメンタルが強すぎる
A・(こんな幼女に厳しい世界で何年も何度も略奪を繰り返して生き抜いているんだから)当り前だよなぁ?

Q・この小説ってこんなノリで行くの?
A・(色々成長して乗り越えて最終的には大暴れするようなモノ書きたいから)見とけよ見とけよ~。

Q・その……幼女が死ぬ展開というのは?
A・やりますねぇ!(無慈悲)


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三話:はじめてのおつかい

もりのほん氏が描いた漫画版ブラック・ブレットは控えめに言って神だから皆買ってくれよな~(ダイマ)
なんで4巻で終わってしまったの……。

アニメは……(色々と作りの粗が目立っていたので)ナオキです……。設定の説明や作中人物の心境描写をおざなりにしているアニメはダメだってはっきりわかんだね。

この小説の設定解説も大概最低限だがな!


 息を吸って、三つ数えて、息を吐く。

 

 閉じた瞼を開けば、目の前には自分の握りしめているコンビーフの缶詰があった。それ自体は問題では無い、何の変哲もない光景だ。

 この缶詰が窃盗品で無ければ、の話だが。

 

(……なんだかなぁ)

 

 事が終わり、冷静にものを考えると「ついにやってしまった」という後悔が心を埋め尽くした。

 

 別に嫌々やっていたわけでは無い。事前に説明され、理解した上で事に望んだ。パトカー二台とカーチェイスと銃撃戦を繰り広げたことに関しては完全に予想外だが、もう過ぎたことだ。今更どうこういうことでは無い。

 

 しかしやはり、理解出来ることと納得できることは別だ。

 

 確かに私たちの行動によって数十人の子供を飢え死にさせずに済む。大いに喜ぶべきことだ。それはきっと『良い事』なのだから。

 だがやはり数年前から保持していた知識によって組み上がった『常識人』としての思考が”窃盗”――――というか”強盗”という行動に対して酷く拒否感を抱いてしまっている。

 

 数日前からカッチカチの古いパンや味の無いビスケットだけの生活を送っていた時は、それはもう「なんでもやってやる」という気概だったが、余裕が出てくるとこうも余計なことを意識してしまうものなのか。

 

 人間とは酷く不細工な生き物だとつくづく思う。

 

 周囲を見渡せば、皆がそれぞれの食い物を頬張っていた。皆一様に笑顔だ。

 だが……素直に、喜ぶべきなのだろうか? もっと他に方法があったのではないだろうか? もっと良い方法が――――

 

「レーナちゃ~ん! そんな落ち込んだ顔してどうしたの? ほら、笑顔笑顔!」

「え、ふぉっ、ひ、ひっはらないで!?」

 

 いつの間にか傍にまで気かづいていた真璃が私の頬を掴んでぐにーっと伸ばし始めた。ちょっと待って、意外と痛い痛い痛い!?

 

「おい、なにやってんだこのアホ」

()ったい!?」

 

 ゴン、と真璃の頭から鈍い音が響く。

 

 通りかかったイーヴァが持っていた缶詰の縁で真璃の脳天を叩いたらしい。痛がる真璃に対して私は心配したが、同時に小さなスリップダメージから解放してくれたイーヴァに心の中で感謝を捧げた。

 

「何すんのさ! 人がせっかく親睦を深めていたって言うのに!」

「明らかに拒否されてたろーが。……おいガキんちょ、今日の仕事の報酬だ。受け取れ」

「へ……わわっ!?」

 

 イーヴァが真璃の頭を殴るのに使った缶詰を私に放り投げてきた。

 

 それは、桃の缶詰だ。どこにでも売っているような安物だが、外周区の中ではかなりの価値を持つ食べ物だろう。外周区では長生きするために綺麗な水と保存の利く食べ物の確保を最優先にする。甘味は余裕のある者にのみ許された贅沢品と言っても過言では無い。

 この様な安物の缶詰は内地ではそれほど希少でなくとも、ここでは立派で高級な嗜好品なのだ。

 

「で、でも私、今回そんなに働いてないよ……?」

「初めてでアレなら十分だ。そもそも、お前みたいなガキに大層な戦果なんぞ最初から期待している訳ないだろうが」

「イーヴァは素直じゃないね~。さっき私に『アイツはよくやってくれた』って言っ―――たたたぁ!?」

「余計なことばっかり喋る口はこれか? ん~?」

「い、いっひゃい!? ほおほひっひゃらないひぇ~!?」

 

 頬をびくつかせながらイーヴァは容赦なく真璃の頬を私の時とは比にならないほど強く伸ばした。痛そう。

 

 数秒間いじりつけてようやく飽きたのか、イーヴァは小さくため息を吐きながら真璃から手を離して手を私の頭に乗せた。

 私が「?」と頭の上でハテナマークを浮かべていると、彼女は自分の頭を掻きながら私の頭をワシャワシャと雑に撫でまわした。……まさかコレ、頭を撫でてくれているのか?

 

「ったく……ガキのくせに深く考えるなっての。とっとと飯食って寝ろ。次の食糧調達は一ヶ月ちょい後になるが、気を抜くなよ。明日もお前に仕事はあるんだからな」

 

 それだけを言い残し、イーヴァは手を振りながらボロ布で作られた就寝用の天幕へと入っていってしまった。

 

 ……皆が彼女をリーダーと呼ぶ気持ちがわかった気がする。

 

「――――ん」

「えっ?」

 

 肩をつつかれて、振り返れば口に食べ滓のついたアクィラが私の方に手を出しながら突っ立っていた。

 

 そのジェスチャーは明らかに何かを要求するモノであり、更に言えば彼女の視線は私の持つ桃の缶詰に向けられていた。それの意味することは……そういうことなのだろう。

 

「私は貴方を二回助けた。だから、報酬」

「ちょっとアーちゃ~ん? 私そういうの大人気ないと思うよ?」

「……年齢に関係ない平等な判決を要求する」

「うっわぁ……本当に大人気ない……」

 

 真璃は珍しく心底ドン引いた顔をした。うん、まぁ、気持ちはわからないでもない。

 一応彼女は過労働分の報酬はリーダーから支給されているはずなのだが、どうやらまだ足りないようだ。なんて強欲な。

 

 いや、もしかしたらカロリーを消費しやすいモデルなのかもしれない。少なくとも人間サイズの質量をあそこまで縦横無尽に飛び回させるほどの揚力を生んでいるとなれば、消費するエネルギーは普通に走るのと比べて多量である可能性は非常に高い。

 ならば、糖分のような高カロリーの食物を要求する執拗に理由も理解できる。

 

 数秒程考え込み、私は缶詰を彼女に手渡した。

 別にもう手に入らない物でもないしそこまで困窮した状態でもないのだ、ケチケチする必要もないだろう。

 

「……本当にもらえた」

「? 桃、嫌いなの?」

「ううん……ありがとう。次があったらまた助ける」

 

 缶詰のために――――という小声が聞こえたような気がしたが、幻聴だと信じたい。

 

 そのことに対して問いを投げる暇もなく、アクィラは鼻歌を歌って缶詰を手で弄びながら自分の天幕に帰っていってしまった。

 

 ……あ、結局お礼言えてないや。どうしよう。

 

「んも~、アーちゃんったら……レーナちゃんも甘やかさないの! あの子ああ見えて粘着質なんだよ?」

「……そうなの?」

「そうなの!」

「―――ひよりっちー! さっちゃんが私のご飯食べたぁぁぁーーーー!!」

「たふぇてないふぉ! わはしはたたふぇてないふぉ!」

「嘘つけェ! その口にあるモノはなんだオラァーッ! 吐き出せコンチクショー!」

 

 リザが佐奈を羽交い締めしながら涙を流して叫んでいた。どうやらご飯を食われたらしい。量が少なかったのだろうかと思ったが、思い返してみればこの二人組数年前からこんなコントを役を度々交代しながらやっていたような気がする。

 

 因みに勝手に食べる役の割合はリザが4で佐奈6だ。正直どっちもどっちだこれ。

 

「おぶっ、で、出る……出てはいけないものがうぷっ……

「こーらー! 二人とも喧嘩しないの! ほら、私のおやつあげるから」

「あ、ずるい! リザずるーい!」

「どの口が言っとんじゃコラーッ! スッゾオラー!」

「だーかーらー喧嘩するなっていってるでしょ!」

「あーれー」

 

 言うことを聞かない二人に流石に怒ったのか、真璃はプンプンと頬を膨らませながら佐奈の首根っこをガシッと掴んでそのまま一緒に天幕の中へと消えていった。

 

 嵐の様な奴だった……。

 

「うう……私のご飯……」

 

 ご飯を失ったリザは悲しみに明け暮れながら真璃から貰った細いビーフジャーキーを齧っている。流石に哀れだと思ったので、私はもう一方の手に持っていたコンビーフの缶をぐいっと彼女の胸に押し付けた。

 

「えっ!? こ、これ、貰っていいの!?」

「うん。……食欲無いから」

「心の友よーっ!」

 

 リザの全力のハグが私を包んだ。息苦しいかと思ったら、別にそんなことは無かった。むしろ彼女の肌が不思議なくらい瑞々しく柔らかいので、さながら全身をクッションで包まれたような気分だ。

 

 うん、いいな、これは。

 

「この恩は必ず返すから! ちゃおー!」

「……ちゃお~」

 

 リザは喜びのあまりピョンピョンと跳ねながら最後には天幕にダイビング。こっちもこっちで嵐だ。つまりあの食料の奪い合いは嵐と嵐がぶつかっていたという訳か。そりゃ荒れる。

 

「……寝よう」

 

 今日は色々あり過ぎて、流石に疲れた。

 

 私は壁のでっぱりに掛けられていた薄汚れた毛布を手に取り、自身に割り振られた天幕の中で毛布に包まった。

 数秒もせず同居人の一人が十分な温もりを求めて抱き付いてくるが、何年も前からこんな感じなのでもう気にすることでもない。少し暑苦しいが、寝ること自体に問題は全くない。

 

 瞼を閉じながら、頭の中で気になる単語を反芻させる。

 

(『ガストレア』……『呪われた子供たち』……モノリスに囲まれた『エリア』……)

 

 私が持っていた『知識』には全く存在しなかったそれら。終わりゆく世界を作り上げた化け物たちと人類がなけなしの努力で作り上げた偽りの平和を成り立たせるための鳥籠。

 

 その中で周囲に責められながら懸命に生きようとしている私たちは、一体どんな選択をすべきだろうか。

 

 このまま下水道で、コソコソと盗みを働きながら惨めに生きるか。

 

 現状を改善するために理想を持って立ち上がるか。

 

 

(――――生きるって、難しいな)

 

 

 本当に、酷い世界だ。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

「ぶべらっ!?」

「あっ」

 

 本当に酷い世界だと思う。私は蹴り飛ばされて地面を転がりながら昨夜寝る前に独白した言葉を思い返し、そんな結論を出した。

 

 今私が何をしているのかと言えば、何の変哲もないスパーリング、組手、戦闘訓練だった。

 

 何故そんな事をしているのかと思うだろう。なんて事は無い、私の戦闘スキルがクソ雑魚なままだと今後に支障をきたす可能性が高いため、こうやって他の食糧調達班と共に力や技を磨こうとしているのだ。

 

 今の今まで物を袋に入れて走ることしかしてこなかった私を舐めるがなかれ。戦果は今のところ全戦全敗。各自の保有している『呪われた子供たち』としての特殊能力無しでの組手でこれだ。とはいえ年齢差や経験の差が大きすぎるという格差があるので、当然の結果と言える。

 

 でも流石に非戦闘員の真璃にまで負けるとは思わなんだ。

 

「レ、レーナちゃん! 大丈夫!?」

「う、うん……だ、大丈夫」

「ふむ……身体はそこそこ頑丈だな。力と速度を鑑みるにバランス型……。こういうタイプが一番育成が面倒なんだよな……はぁ」

「レーちゃんよわーい」

「よわっちぃ~」

「……ザコい」

 

 先輩たちからの辛辣な評価に私は何も言い返せず、苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 ――――『呪われた子供たち』は保有する動物因子によって大まかにパワータイプ、スピードタイプ、バランスタイプの三つに分かれる。

 

 パワータイプはゴリラや象、牛などが想像しやすいか。

 力の解放に伴い筋肉量が膨れ上がり、ウィルスの恩恵による生来の筋力に上乗せする形で他の追随を許さない圧倒的な破壊力を生み出す。誰かがパワー型は動きが鈍重、などと言っていたが、それにはこう返そう。ヘビー級プロボクサーのパンチが遅い訳ねーだろドアホ。

 

 しかし欠点として攻撃が大振りになりやすいことが多く、隙を突かれると崩れやすいという弱点を持つ。

 

 スピードタイプはウサギやチーター、馬などの類だ。

 字に書いての通り、瞬発力がとても発達しており凄まじく動きが速い。一部の熟練者は影すら残さず縦横無尽に動き回り相手を翻弄するという。パワータイプもある程度の速度は出せるが、やはり純粋な敏捷特化型と比較すればその差は愕然とする程大きい。人知を越えた速度から繰り出される攻撃は十分な破壊力を持っている故に油断などしていたら肉片に変えられる。

 

 欠点として狭い空間では自爆しかねないため十全に速度を出せず、パワー型と比べればやはり攻撃力不足な所が否めない所か。普通のガストレアを撃滅する程度ならば全く問題は無い様だが。

 

 そして最後にバランスタイプ。殆どの動物がここに属し、多少の差異で『パワー寄り』やら『スピード寄り』やらと割と適当に振り分けられる。

 戦闘能力は、よく言えば万能型。悪く言えば器用貧乏。詰んだ経験量が同じならば余程工夫を凝らさない限りは特化型に絶対に勝てない宿命を持つ悲しいカテゴリ群だ。無論尋常じゃない経験を積んだなら凄まじいパワーとスピードを両立させることが出来、半端な特化型なら多数相手にしても蹴散らせるらしいが、そこまで至れるのはごく一握りくらいだ。

 

 欠点は前述したとおり、パラメーターがばらけ易いため一発の破壊力では特化型に劣るという点か。一応固有能力のバリエーションが豊富というメリットがあるが、正直運の要素が強いので何とも言えない。

 

 ……それで、だ。特殊能力すらわからない練度ほぼゼロのバランスタイプがそこそこ経験を積んだ奴らに勝てるわけがあるだろうか? 結果は見ての通りだ。無理。

 

「変に技を教え込むより基礎基本を鍛える方がいいか……。おいガキんちょ! 訓練は一先ず終了だ。お前にはまだ早かった」

「……もうちょっと早く言ってほしかった」

「知るか。それよりも、昨日言ったと思うがお前に仕事を任せる。拒否権は無い」

 

 このリーダー、素直に尊敬できる所を見せてくれたと思ったらこう言うところでマイナス点を稼いでいこうとしているのは何故なのか。もうそういう性分なのかもしれない。

 

 全身が訴える鈍痛を我慢しながら起き上がると、イーヴァは私の前に赤色と青色のポリタンクをいくつか放り、次にキャンプ用のキャリーカートを出した。ポリタンクから仄かに香るのは……灯油と、ガソリンの臭い?

 

「???」

「内地まで行ってガソリンと灯油を買ってこい。青が灯油で赤がガソリンだぞ。ああ、それ用の服も渡さないとな。流石にその身なりじゃ直ぐに外周区暮らしだってバレるだろうし」

「え? え?」

 

 ガソリンは、恐らく車両を動かすことに使う燃料だという事はわかる、しかし灯油は一体何に使うつもりなんだろうか。下水道内で使っている照明は全部安価なLED製だ。コンロやストーブだって中古の電気式だし、灯油なんて使う用途など――――

 

「……言い忘れていたがな、私たちの暮らしている下水道に電線なんてものは引かれていないぞ」

「え、じゃあ今までどうやって……」

「アレだよ」

 

 イーヴァが指をさした場所には、錆びだらけの機械がぽつんと置かれていた。その機械からは無数のコードが繋がれており、下水道へと続いている。

 保有していた知識と照らし合わせてみて、初めて理解する。……ディーゼル発電機。そうか、そう言う事か。

 

「燃料自体はまだ余裕はあるが、夏になる前に色々備えないといけないんだよ。夏季に入ると下水道の中は熱すぎて生活すら儘ならないから、秋になるまで地上で凌ぐ必要性が出てくる。そうなると今以上に燃料を消費するからな。ほら、代金だ。無くすなよ」

 

 イーヴァが手渡したボロ雑巾の様な財布の中を確認してみると、そこそこのお金が入っているのが確認できる。こんなお金一体どこから――――いやまさか。

 

「……えっと、もしかして」

「あん? ああ、スーパーからいくらかくすねてきた。化石燃料の類を取り扱う店は都心近くにしかないからな。流石に盗むにも逃げきれない可能性がかなり高い。ある程度リスクを加味して、正攻法が一番確実と判断したんだ」

 

 ……食糧だけでなくお金まで盗んでいたとは、抜け目がない。その蛮族っぷりに私は感心半分ドン引き半分といった珍妙な顔を浮かべてしまう。

 

 この行為に慣れるいつかまではこの抵抗感と共に過ごすことになりそうだ。

 

「――――あら、皆さん随分泥だらけになっていますね~。駄目ですよ、ちゃんと綺麗にしなきゃ」

「来たか、シル。生糸はどれぐらい用意できた?」

「えーと、三キロ程ですね。すみません、最近出が悪くて……」

「いや、問題ない。そいつを使った収入は扱い切れない資源の処分ついでなんだ。気にするな」

 

 下水道に繋がるマンホールから大きな箱を抱えた温和そうな少女が出てきた。

 

 その少女は髪だけでなく肌まで真っ白で、少し力を入れれば折れそうなほどにとてもか細げな身体をしている。栄養失調……にしては少々肌が綺麗すぎるか。恐らく先天的な疾患か、モデルになった動物の影響だろう。

 

 太陽光を受けても特に苦しそうでは無いことから、後者の線が強いか。

 

「よし、アホマリ! こいつと一緒に内地に行ってコレ売ってこい。多少足元を見られても構わん」

「え? 私でいいの? 今日は年長組でジャンク拾いの日じゃ……?」

「そいつ一人だと何処かで野垂れ死にそうなんだよ。いいから行ってこい。お前一人抜けた所でどうにでもなる」

 

 敢えてこの言葉を好意的に解釈するなら、『一人で行かせるのが心配だから年長者のお前が付いて行ってやれ。フォローはこっちでやっておくから』という言葉に変換できるだろう。実際、言葉の端々に悪意は感じられないので、そう言った意味合いだと思う。真璃もそう受け取ったのか変わらずニコニコしているし。

 

 イーヴァの口には言葉を改悪させるフィルターでも着いているのかと思えてきた。とはいえ環境が環境だし、もうかれこれ四年間も付き合っているので大分慣れてしまったが。

 

「ほら、綺麗な服だ。汚すなよ。それと外周区近くで着るんじゃないぞ。身なりが良いと襲う奴らがごまんといるからな。内地のトイレか何処かで着替えろ。それと――――アホマリ! ……極力騒ぎは起こすなよ」

「オッケー! だいじょーぶ! どーんと任せて!」

「お前の『大丈夫』は一生信用できそうにないわ……」

 

 その言葉には大いに同意の意を表明したい。

 

「さあレーナちゃん! 早速出発しよう! 油を売ってるところも知ってるから、このおねーさんが案内してあげよう!」

「う、うん……」

「ふっふっふ~、レーナちゃんとデート♪デート♪」

「ほざいてないでとっとと準備しろボケども」

「ぴゃあ!?」「ったぁ!?」

 

 そんな感じで私たちはリーダーに尻を蹴られながら内地へと出発の準備を始めた。

 

 車は食糧調達か緊急時以外は使わないので、移動手段は基本的に徒歩に限定される。しかし徒歩とはいえ”私たち”の場合は『力』を最低限解放すれば片道一時間もかからないだろう。本当に肉体労働するときだけはつくづく便利な体だと思う。

 

(……都心、か)

 

 折角の機会だ。存分に見物しても罰は当たらないだろう。同伴者が真璃だというのが少々……凄く不安だが、なるようになれ、だ。

 

 私は都心部への小さな期待を胸に、キャリーカートを引きながら真璃と共に歩を進めた。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

「デート♪デート♪レーナちゃんとデート♪」

「………………」

 

 ガラガラとキャリーカートが引かれる音と一緒にそんな鼻歌が隣から聞こえてくる。自分はダウナー気味なのに隣人のテンションはハイと来た。一体どんな対応をすれば正しいのか、私の中のマニュアルには記されていなかった。

 

 友人、もしくは妹の様な子と買い出しに行くというのは果たしてデートと言えるのだろうか。女子同士でショッピングと言った方が正しいはずだが……嬉しそうな彼女の気分に水を差すことなど私には出来なかった。

 

 たださえ日常的に窮屈を強いられているのだ。こんな時くらい好きにやらせた方が良いに決まっている。

 

 割といつも好きにやっているような気がしなくもないが。

 

「……えーと、レーナちゃん。もしかして私と一緒は、嫌だったり?」

「え? いや、別に、そんなことは……」

「じゃあもっと笑おうよ~。レーナちゃん可愛いんだからさ~」

「と言われましても……」

 

 今歩いているところが何の変哲もない都市だったら笑っていただろうが、残念ながら今現在歩いているところは外周区内。ギラギラした目をしている大人たちと必死に物乞いをしているストリートチルドレンがそこいら中に散見できる場所だ。どんな気分で笑えというんだ。

 

 この状況で笑える真璃は実は腹黒なのではないかと言う疑いが私の中で芽生えてきた。

 

「うん、確かに気持ちはわかるよ? でもね、私の言う笑顔は『嘲笑う』んじゃなくて『微笑む』の方なんだよ? 誰かが笑顔を浮かべれば、暗い空気も少しは良くなるって、私は思ってるから」

「それは……そうかも、しれないけど」

「それに、レーナちゃんってあんまり笑わないから……。折角こんなに可愛いんだから、女の子としてもっと可愛さを作らなきゃだめだよ?」

「……そうかなぁ」

 

 言ってしまえば、私は今現在もなお、”女性”という自覚が希薄だった。

 

 別に前世が男だったわけでは無い。かと言って女とも断言できない。今の私の精神的な性別状態を表現するなら、”中性”もしくは”無性”だ。

 

 一言で言えば性別に無頓着なのだ。本来ならば成長と共に形作られるはずの男女の自意識が、過程をすっ飛ばし成熟してしまっているためか成長の余地が無い状態になってしまっている。

 

 とはいえ、それでも女性として四年も過ごせば微細な変化は起こっているはずなので”女性寄りの中性”と言い表してもいいのかもしれない。自覚があるとは、言い難いが。

 

(……まぁ、正直どっちでもいいんだけど)

 

 楽観視と言われたら否定できないが、こればかりはどうしようもない。私は精神医学を修めているわけでは無いだから。改善するための策が無いのだから放置するしか無い。

 

 それに、今はそんな問題を気にするより一日一日を生き抜く方が余程大事だ。

 

 素早く結論を出して思考を切り、その後は真璃の会話に対して適当に相槌を打ちながら数十分ほど歩き続け――――ようやく目的の内地へと私たちは到着した。

 

 周りを見渡せば外周区の廃都とは比べ物にならないほどの綺麗な建築物や自然環境だ。控えめに言ってあの劣悪な環境の下水道から即刻此処に移り住みたいと思える程に。

 叶わぬ願いだとわかりながらも、やはり整った環境と言うのは魅力的過ぎる。財政に余裕があれば……いや、無理か。恐らく戸籍や保護者すら存在しない『呪われた子供たち』だという理由だけで追い出されるのがオチだ。

 

「ほらレーナちゃん、早く着替えよ?」

「あ、うん!」

 

 モタモタして居られない。周囲に人影が少ないうちに早く着替えねば、この身なりだと外周区出身のストリートチルドレンだと一発で見抜かれるだろう。

 

 キャリーカートを引きつつ私たちは最寄りの公衆トイレを発見。その中の個室で各自に与えられた綺麗な衣服に着替えた。

 

 私に与えられたは飾り気の少ない白のワンピースとそこそこ歩きやすいサンダル、そして簡素な麦わら帽子だった。私はそれらを軽く眺めた後、トイレにある洗面台から水を出し、軽く髪や身体を洗ってトイレットペーパーで水分を拭きとり着替えを始めた。

 

 着替えは数分もかからずに終了し、此処まで来るのに着ていた服は私服が入っていた紙袋によく畳んでキャリーカートに置く。それらの作業を終えれば、丁度着替え終わった真璃がトイレから出てきた。

 

「お待たせ~。待った?」

「ううん、私も今終わった」

「そっか。あ、どうかなこの服。似合う?」

 

 真璃が着ているのは青いパーカーにハーフパンツ、靴はスニーカー。最後にいつものベレー帽と中々にボーイッシュなものだった。遠目から見れば男の子に見えそうなくらいだ。

 しかし普段から快活な彼女には妙にピッタリに思えてくるのだから実に不思議だった。

 

「うん、似合ってるよ」

「えへへ、ありがと。それじゃ、出発しんこー!」

 

 元気な掛け声と共に、私たちは歩くのを再開する。

 

 最初に訪れたのは仲買人の元だった。私たちに渡された出所不明の生糸――恐らくそう言った能力を持つ子供が作り出したと思われる――は、仲買人を介すことで売ることができる。何故そんな遠回りなことをするのかと言われれば、やはり私たちが”子供”だからだろう。

 どこの世界に子供の持ってきた物を大真面目に買おうとする馬鹿がいるのか。例え品質が保証されていようとも”信頼”がなければ物は売れない。

 

 故に仲買人、即ちブローカーを通じて匿名で売りに出すことで正規の方法と比べれは格段に安くはあるが売りつけることはできるのだ。

 

 それに今の時代に天然繊維はとても高価であり、買い手は意外と多い上にそこそこ高値で購入してくれるのが救いだ。売り上げの何割かは介在料で持っていかれるが、何も得られないよりかは遥かに良いと言える。

 

 私たちが接触したのはさながらヤクザのような強面の仲買人だった。しかしどうやらかなり昔から交流があるようで、特にこれと言った問題は無くスムーズに糸の売買作業は進んだ。売り上げの四割を持っていかれたのは流石に法外だとは思うが、半分以上持ってかれなかった事で良しとして私は苦言を飲み込んだ。

 

 次にガソリンや灯油だが――――意外にもこちらもトラブルの類はなく、普通に各種をポリタンク四個分程購入して事は終了した。

 

 事前予想に反してここまで荒波が立たなかったのは、やはり『顔馴染の店』を利用したことが大きいか。様子から察するに年単位で関わりがあるのだろうし、真璃のスマイルスキルによって相手にあまり警戒心を与えなかったのも大きい。

 

 笑顔にそんな使い方があったとは……もしやこれを狙っていつもニコニコしている――――訳ないか。

 彼女がそのような悪辣な性格だとはとても思えない。真璃の笑顔の裏にそんな黒い感情があったら私は人間不信になれる自信がある。

 

「あ、レーナちゃん、お腹とか空いてないかな?」

「はえ?」

「ほらあそこ。たこ焼き……ってわかるかな? 前一回食べてみたんだけど、美味しかったなぁ……あ、お腹空いてるなら買ってくるよ?」

 

 帰り道、すっかり夕焼けが差している国定公園を通り過ぎようとして、唐突にそんなことを言い出した真璃が指さした先には確かに小さなたこ焼きを売る屋台があった。人もそこそこ集まっており人気そうだ。

 よくよく耳を澄ませば真璃のお腹から小さな音が出ており、小腹が空いていると察せられる。因みに、当の私は特に空いていなかった。昨夜余り食べなかった事がバレたせいでイーヴァから朝を少し多めに貰ってしまったせいだろうか。

 

 隣をチラリと見れば真璃の口からは涎が垂れている。ああ、うん、私を口実にして食べたいのね。

 

 財布に余裕は、ある。イーヴァがいざという時のために余分に入れてくれたのだろう。たこ焼き六個入りを一つ買うだけなら十分すぎる程の金額だ。

 

 苦笑を浮かべながら私は首を縦に振った。顔をパーッと輝かせた真璃は「行ってくるね!」とはしゃぎながらたこ焼き屋に駆けだした。

 イーヴァからは無駄な出費だとかグチグチ言われそうだが……初めて内地に来た記念だ。大人しく二人で怒られよう。

 

「ふぁ~~~……眠い」

 

 大きな欠伸をしながら、私は最寄りのベンチに腰掛けた。遠目に見れば、真璃の並んだ列は少し多い。客の消費速度を鑑みるに後五、六分くらいかかりそうだ。それまではこのベンチでゆったりと休憩させてもらおう。

 

 ……こうして暖かい夕焼けを浴びていると、この世界が終末に向かっているのが嘘のように感じる。

 

 『呪われた子供たち』やら、ガストレアやら、そう言う物が夢であってくれたら――――そんなことを一体これから何度思えばいいのか、私にはわからない。

 

 今はとにかく、この心地よさを少しでも長く堪能しよう。

 

「――――あー、クソッ。どうすりゃいいんだってんだ。子供と仲良くなる方法なんて知らねぇし……。木更さんは木更さんでイニシエーターだからって敵意剥き出しだし……。俺一人でどーしろってんだ、ったく……」

「ん……?」

 

 そんな恨めしい呟きが同じベンチの反対側の端から聞こえた。

 

 閉じていた瞼を開けて視線を向ければ、線の細いボサボサ頭の少年が高速で貧乏ゆすりをしながら俯いていた。

 その顔はかなり整っており、しっかりと管理すればモデルとして食っていけそうなほどだ。……が、顔の節々からにじみ出る不幸オーラで色々と台無しになっている。赤の他人である私から見ても将来苦労しそうだと直感で理解できた。

 

 彼の姿を真顔でじーっと見つめていると、私の視線に気づいたのか少年が不機嫌そうな顔で私を見返してくる。

 

「あぁ……? ……何見てんだよ」

「あ、えっと、すみません。何でもないです――――不幸顔さん

「はっ倒すぞテメェ――――ッ!!?」

 

 つい出てしまった本音は(当り前だが)少年を激怒させてしまう結果に終わった。

 

 

 




初対面の幼女から不幸顔呼ばわりされる蓮太郎君の心境や如何に。


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四話:人、それを『勇気』と言う

クッソ今更ですけどブラック・ブレット8巻発売は何時になりそうなんですかねぇ……(叶わぬ願い)


「――――ってな訳なんだよ……」

「はぁ……」

 

 今更なのだが、何故私はこんな所で歳が二倍以上離れていそうな少年のお悩み相談など受けているのだろう。

 

 いや、発端についてはわかる。私が不注意にも本音を漏らしたことで少年は激怒、というほどでもないが憤り、その詫びとして軽く愚痴を聞くことにしたのだ。

 

 少年はその提案に少しだけ抵抗したものの、やはり精神的に参っていたのだろう。そのまま崩れるように胸の内に溜めている不平不満を私へと打ち明けてきた。

 

 美少女社長がメシマズでつらいやら、美少女の支援者(パトロン)の子がやたらとベタベタしてくるので一般の思春期男子には色々キツイとか、その社長と支援者の仲がアホみたいに悪くて間に挟まれると精神がガリガリ削られるやら、諸事情があって一緒に住むことになった子供とギズギズしているやら、お金がなくてつらいやら――――この少年、まだ若いというのにもう色々苦労しているようだ。

 今の時点でコレなのだから将来はどれだけの苦労を背負うことになるのか想像もつかない。

 

「まぁ、木更さんと美織の件は永遠に解決できそうにないからともかく……なぁ、お前みたいな子供って何をされたら一番嬉しいんだ?」

「私の場合は……そう、ですね」

 

 正直私を女児というカテゴリに収めていいのか非常に疑問なのだが、折角相談されたのだから答えくらい返すべきか。

 

 子供されて一番嬉しいこと――――強いて言うなら、美味しいものを食べる事や服とかアクセサリーを貰う事、後は一緒に遊ぶことくらいしか思いつかない。

 人間、腹いっぱい食えば大抵の悩みはすっ飛んでいくし、そこそこ綺麗な装飾品を貰えば機嫌は良くなる。相手が小食で金属アレルギー、そしてインドア派なら話は別だが。

 

「って言うのはどうでしょうか」

「飯と贈り物と、一緒に遊ぶ、か……。飯はともかく贈り物は懐事情の問題で厳しいな。遊ぶにも、基本拒否か無視されるし、難しいかも知れねぇ」

「……そもそも、その子供とは一体どれくらいの付き合いで?」

「あぁ? えぇと、まだ一週間ちょいくらいだけど、これは多分時間の問題じゃねぇな。詳しくは言えないんだが、そいつは前に居た所で大人に酷い目に遭わされたらしくてな。まぁ、人間不信ってやつだよ」

 

 ――――もしかしてこの人は、外周区育ちのストリートチルドレンを引き取ったのか?

 

 可能性は高い。少なくとも今のご時世、人間不信、特に大人に信用を置いていない子供など外周区の劣悪環境かつ悪辣な大人たちに囲まれて育った子供くらいしかいない。

 

 だとすれば、その子供とこの少年が信頼関係を築くのは困難を極めるだろう。何せ好感度初期値がマイナスなのだ。一筋縄では行かない。

 

「……とりあえずは、貴方がその子供に対して真摯に向き合って根気よくコミュニケーションを試みるのが良いかと。今下手に何かを与えたら『何かを企んでいる』と勘繰られかねないので、時間をかけて付き合うのが最善だと思います」

「そう、か。……わかった、言われた通りにやってみるよ。駄目だったら、また方法を探ってみる」

「ええ、諦めないのが肝心ですよ。頑張ってください」

 

 世論がすっかり『呪われた子供たち』への差別に向かっているこの時代で、ガストレアの血を持っている可能性が高い外周区の孤児を育てようなんて物好きは居ないと思ったが、どうやら違ったらしい。

 

 少年の目を見れば、彼が決して悪しき物で無いと何となくわかる。きっと彼ならばその子供と正しく向き合って絆を紡ごうとするだろう。個人的には是非とも今後も彼を応援したい。

 

「レーナちゃ~ん! お待たせ~……ってアレ? その人誰?」

 

 こうして少年からのお悩み相談が終了した頃、遠くから真璃がホカホカのたこ焼きを持ちながら駆け足で戻ってきた。芳ばしい香りが空いていないはずのお腹を的確に刺激してくるが、それよりまず隣にいる少年の事を説明せねば。

 

「お帰りなさい真璃。隣にいるのは世間の荒波に揉まれてすっかり意気消沈し、ついには四歳児に人生相談を持ちかけてきた不幸顔系男子です」

「えっ……それはお気の毒に……たこ焼き食べます?」

「違ぇよ同情すんな!? 大体お前が相談くらいなら聞くって言ったから話したんだろうが!?」

「いやだって、本当に話すとは思わなかったので……」

 

 適当に提案したら相手がマジで乗ってきたみたいな。

 

「ったく、本当に四歳かよお前……鯖読んでないだろうな?」

「ちゃんと四歳ですよ。もうすぐ誕生日らしいので実質五歳みたいなものですけど」

「五歳でも信じらんねぇよ……」

 

 私もこんな四歳児がいたら「嘘だろ」と言いたくなるよ。気持ちはわかるぞ少年。蝶の幼虫に何故かもう羽がついててそこら辺を飛び回っているみたいな意味不明さだ。実際私の存在は自然の摂理に真っ向から喧嘩を売っていると思う。

 

「あっ、どうもお兄さん、日和野 真璃です! こっちはレーナ! お兄さんのお名前は?」

「俺の? 俺は……里見(さとみ)里見 蓮太郎(さとみ れんたろう)。今年で十五歳だ。……所でお前ら、保護者はどうした? それらしき人は見当たらないんだが……」

「あー……それは、そのー……」

「大丈夫です! ちゃんと二人で家に帰れますから!」

「そうなのか。まだ小さいのに凄いな」

「えへへ……」

 

 里見蓮太郎という少年は真璃の言葉を聞いて素直に感心したのか、私たち二人の頭を撫でてきた。

 

 年上の男に頭を撫でられるなんて初めての体験だった。彼の手は細身の筈なのに、とても大きく感じる。仄かに伝わる温かみも、予想以上に心地が良い。誰かに褒められながら撫でられるというのは、此処までの魔力を持っているのか。実に意外だ。

 

 しかし何故だろう。私を撫でている彼の右手――――少しだけ、重々しいような……?

 

 

「――――この”赤目”がッ! 人間様から金をせびろうなんて生意気なんだよ!!」

「あぐっ! や、やめっ、ひっ……!?」

 

 

 思考が、止まる。

 

 無意識に怒号が発せられた方向に視線を移すと、予想通りの光景が見えた。

 

 ガラの悪いチンピラの様な外見の青年が、ボロボロの衣服を着て路上で物乞いをしていた少女を何度も踏みつけていた。その行為は何処からどう見ても手加減されている気配はなく、蹲る少女からは身体の至る所から出血している。

 

 思わず飛び出そうとして――――しかし蓮太郎が私たちの視界を体で遮ってしまい、その行為は中断してしまう。

 

「……おいお前ら、早く帰れ」

「な、なんで――――」

「いいから帰れ! 子供があんなもの見るんじゃねぇ……ッ!」

 

 彼は歯を食いしばりながら私たちを彼方へと押しやろうとしている。純粋な善意から行われているのは理解できる。だが、それに甘えてアレを見逃すわけにはいかない。思わず彼に抵抗仕掛けた――――が、真璃が無言で私の服の裾を掴んでそれを阻んだ。

 

(なんで――――)

 

 真璃が同じ”子供たち”を見捨てる選択をするとは思えず振り返ると……笑顔を浮かべた、しかし目が全然笑っていない真璃の顔がそこにあった。

 蓮太郎は何も思わなかったようだが、いつもの笑顔を見慣れている私からするとゾッと肝が冷える程の恐ろしい笑顔だった。明らかに何かを企んでいることは彼女と親しいものならば一瞬で見抜けるだろう。

 

「レーナちゃん、行こ?」

「あっ、はい」

「……気を付けて帰るんだぞ」

 

 そんな蓮太郎の優し気な言葉に見送られならが、私たちは一時的にこの場を去った。

 

 一分ほど歩いて、ある程度人気の無いところまで出た瞬間、真璃は荷物の中から”ある物”を取り出し、その瞬間私は今から真璃が実行しようとしていることをある程度察してしまう。

 

 その時の私の心を一言で表そう。

 

 

 嘘だろオイ。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 俺は二人の子供を直ぐに帰路に着かせた後、後ろ腰のベルトに挟んである拳銃を抜き放ちたい衝動を抑えながら少女を足蹴りにしている青年へと詰め寄って肩を掴んだ。

 

「おいアンタ! なにやってんだッ!」

「あァ? 見りゃわかんだろうが。生意気な”赤目”を躾けてるんだよ。人間様の住む所に二度と出れないようになッ!」

 

 明らかにヤンキーと思しき青年は声を荒げながら再度強い蹴りを蹲っている少女の腹に入れる。

 

 それによって少女は口から胃液を血と共に勢いよく吐き出した。当然だ。『呪われた子供たち』は不死身でもなんでもない。ただ常人より少し力と再生力が高いだけだ。子供が大の大人に何度も蹴られればこうなるのは自明の理だった。

 

「もうやめろ! 相手は子供なんだぞ!? このまま続けたら死ぬぞ!」

「……んだよ。テメェ、この化け物の味方をするのか? アァ?」

「ッ……!」

 

 周囲を一瞥すれば、全員がこちらを避けるように動き始めている。客観的な目で見ればガラの悪い青年が年端もいかぬ少女を暴行している光景だというのに、誰も警察に通報する様子はなかった。

 当り前だ。暴行を受けているのは『呪われた子供たち』――――一般世間ではガストレアと同列に扱われている”化け物”なのだから。

 

 むしろここで助けに入ろうとした俺の方が異端と言えるだろう。

 

(だけど、よ――――ッ)

 

 俺だってつい一週間前は『呪われた子供たち』に対して良い感情は持っていなかった。いや、むしろ恨んでいたと言っても過言では無い。無辜の人々を襲うなら容赦なく撃ち殺してやるという気概もあった。

 

 しかし直接見て、ようやく気付けたのだ。

 

 あの子達は呪われてなどいない、ただの少女たちなのだと。大人が守らなければならない存在だと。なのに、この光景は何だ。何故大人が子供を殺そうとしている現実を、彼らは平気で許容できるのか俺は一片たりとも理解出来なかった。

 

 確かにガストレアウィルスを保菌しているとはいえ、彼女らが世界を滅茶苦茶にしているわけでもなければ、人類を此処まで追い詰めたわけでもないというのに――――!

 

「チッ、いつまで人様の肩掴んでんだ! 失せろガキが!!」

「ガッ――――!?」

 

 視線を男から蹲った少女へと移した瞬間、男から放たれた裏拳が頬に刺さった。

 

 いつもの調子ならば避けられたはずなのに、衝撃的な光景を目の当たりにして注意散漫になってしまったのか。俺は尻もちを着きながらも「正当防衛だぞ」と小さく呟きながら拳を握ろうとして――――

 

 

 

「――――待てィ!!」

 

 

 

 ――――して、背後からそんな鋭い声がして思わず振り返った。

 

 そこには、カオスがあった。

 

 

 

「悪の暴力に屈せず、恐怖と戦う正義の気力!人、それを……『勇気』という!」

 

「な、なんだテメェはッ……!?」

 

 

 二つの街灯の上に、二人の影が佇んでいた。

 

 恰好こそ外周区のストリートチルドレンのようなみすぼらしいものであったが、その堂々とした佇まい――片方は何故か悶えていたが――から放たれる覇気は周囲へ自身がただ者ではないことを示している。

 

 何より特徴的なのは顔に付けている仮面。その仮面はまるで――――今年から放送が始まり謎の層から人気を獲得している『赤穂浪士魔法少女萌え』という理解不能ジャンルのテレビアニメ『天誅ガールズ』のキャラクターを模した、スーパーで売られているような成り切り仮面だった。

 

 ……いや、何でだよ。

 

 

「不当な暴力を振るう悪漢を倒す正義と子供の味方! 天誅レッド!!」

 

 

「あー……そのー……天誅ホワイトです。よろしく……」

 

 

「――――あなたの心臓(ハート)に天誅天誅♪」「…………てんちゅーてんちゅー」

 

 

 その時の俺の気持ちは、きっと将来になっても言葉で表すことはできないだろう。いや、どう現せというんだこんなの。

 

「な、なんなんだテメェら! ふざけてんじゃねぇぞガキ共が!」

「そうだよ天誅ホワイト! もっと腹から声出して!!」

「だ、だってぇ……!」

 

 どうやら天誅ホワイト(仮)は巻き込まれ体質らしいと俺は直感的な何かで理解出来た。思わず同情の視線を投げてしまう。あちらも同情されたのを理解したのか、頭を抱えて今にも泣き出しそうな様子だ。

 

 数秒程使って俺は冷静になり、じっと彼女らを観察した。すると何故彼女らが現れたのかがわかる。

 

 仮面の目の部分に開けられた穴から見えるのは仄かな”赤い光”。瞬時に俺は彼女らが『呪われた子供たち』だと理解出来た。故に、息を飲む。

 

 ――――まさか、騒ぎを起こすつもりなのかッ!? この内地で!?

 

 内地と外周区では警備の量と質が文字通り桁違いだ。もし彼女らがここで傷害沙汰を起こし、警察を呼ばれた場合逃れるのは至難を極めるだろう。

 だというのに彼女らに躊躇の色は見えない。まさか、玉砕前提で――――

 

「クソッ、おいテメェら! 寝てないで手伝え!」

「え~、みっちゃんが『とにかく赤目をボコしたい。邪魔するなよ』って言ったから引っ込んでたんじゃん」

「ミツオ、俺この前バラニウムの弾丸手に入れたんだよ。試してもいいよな? な?」

「ヒャッホーウ! 俺のトカレフが火を吹くぜ~!」

 

 ヤンキーの男が遠くで駄弁っていた者達を呼び寄せた。よく見れば全員銃を持っている。

 

 おい嘘だろ。ここで乱射騒ぎでも起こす気なのか。――――そうだ、こいつ等は恐らく『呪われた子供たち』を口実に射的ゲームをやってしまう気なのだ。

 周囲に一般人もいるというのに一切戸惑う様子が見えない。

 

(一体どっちが化け物だってんだ……!)

 

 俺はすぐさま立ち上がり、後ろ腰に挟んであるXD拳銃のグリップに手を添える。『呪われた子供たち』云々はもう関係無い。ここで俺が制圧しなければ一般人にも被害が出かねない。

 

 ――――だが、結果的に言えば俺の出番は回ってこなかった。

 

 当然と言えば、当然だった。

 

 彼らが相手にしたのは、内地では滅多に見ることのない”実践慣れした子供たち”だったのだから。

 

 

 

「――――天誅、キィィィィィィック!!!」

 

 

 

 一瞬の出来事だった。

 

 街灯の上から最小限の加速、しかしそこから生み出されたのは常人からすれば三十メートル以上の距離をほんの一、二秒前後で埋めるほどの速度。その勢いを乗せた天誅レッド(仮)の飛び蹴りがミツオと呼ばれた男の腹に突き刺さった。

 

「――――は、がッ?」

「ふんぬッ!!」

 

 トドメに天誅レッド(仮)は腹に叩き込んだ足を折りたたみ、滞空したままもう一度ミツオという青年に蹴りを叩き込んだ。するとどうだろうか。青年はまるでゴムボールの様に公園の芝生の上を何度も跳ねて、最終的にははるか遠くの針葉樹の幹に背中から衝突した。

 

 見た限り血は吐いていないので、致命傷にはならなかったらしい。放っておけば確実に後遺症は残るだろうが。

 

「は? えっ、は?」

「お、おいみっちゃん……う、嘘だろ?」

 

 公園に居た全員が茫然としている。

 

 まさか、こんな所で『呪われた子供たち』が暴れ出すとは、露程も思っていなかったからだ。普通は暴れるとは思わないだろう。彼女らの精神はどうあがいても十歳以下の女児からは逃れられないはずで、他人を平気で傷つけられるようには作られていないはずだった。

 

 ――――だが、その不文律が街中で破られたら、どうなるのか。

 

 人外の力を持つ者が、明確に人への敵意を抱いて暴れ出したら。

 

 

「う、うわぁぁああぁあぁぁあああああああッ――――!!?!?」

 

 

 それからはもうてんやわんやの大騒ぎ。阿鼻叫喚の光景が出来上がってしまった。

 

 自分の命を奪える存在がソコにいるのだ。誰だって死にたくないから、逃げる。怖いから、逃げる。故にこの混乱は必定。

 名も知らぬ男性の悲鳴が恐怖と共に伝染しだし、まるで蜘蛛の子を散らすように人々は逃げていった。

 

 少女に暴行を加えていた青年の連れ以外は。

 

「よっ、よくもミツオをっ、この化け物がァァァッ――――!!」

 

 トカレフを持っていた青年が怒りと恐怖を混ぜ合わせた様に顔を歪ませながら天誅レッド(仮)へと銃弾を乱射した。俺は思わず悲劇を夢想したが、結果は真逆。

 天誅レッド(仮)は流れるように全ての弾丸を躱し、気づけばトカレフの青年の眼前まで迫っている。

 

「ふっ――――」

 

 超速の蹴り上げがトカレフの青年の顎を穿つ。打ち上げられた青年の体は空中を三回転して公園の噴水に叩き込まれた。起き上がる気配は無い。あそこまで綺麗に顎に入ったのだ、暫くは起きない。

 

「死ね”赤目”がッ!!」

「――――させない」

 

 攻撃後の無防備な所を狙おうとしたのだろう。震えながらリボルバーを構える青年は後一秒で引き金を引けるところまで行き、しかし寸前で横からの蹴りが青年の持つ拳銃を弾き飛ばした。

 それを行ったのは天誅ホワイト(仮)だ。レッドと比べればかなり小柄で瞬発力も控えめだが、この場に置ける脅威度は十分。更に弾き飛ばされたリボルバーをキャッチし、躊躇なく青年へと構える。

 

「ひぃっ……!!」

「どけミダァ! クソ”赤鬼”どもがッ、バラニウムの弾丸は痛ェぞ!!」

「でも撃てなきゃ意味ないよね?」

「え?」

 

 青年は間の抜けた声を漏らしてしまった。漏らさざるを得なかった。

 

 何せ、銃を構えた自身の腕が、天誅レッド(仮)による回り蹴りに直撃したことでボッキリと折れていたのだから。無論、握っていた拳銃は地面に取り落としてしまう。

 

「ぎっ、ぎゃあああああああああ――――ッ!?」

「さっさとお仲間を連れて逃げなよ。今なら見逃すよ?」

「ひっ、ひぃぃぃぃぃっ――――!!」

 

 天誅レッド(仮)は首を傾げながら、年相応の優し気な声音で言う。だが俺はそれがとても恐ろしいモノにしか聞こえなかった。

 

 一体どれほどの修羅場をくぐれば、彼女は躊躇なく人を傷つけられるほどにまで歪んでしまったのか。俺には想像もつかない。

 

 ……辛うじて意識のあるヤンキーの青年たちは、倒れた者達を引き摺りながら逃げていった。残ったのは暴行を受けていた少女と、俺だけだ。

 

 先程までアレだけ賑わっていたはずの公園が一瞬で無人になっている様は下手なホラー映画よりも薄ら寒いものを覚える。

 

「――――さて、お兄さんもやるの?」

「あ、いや、俺はッ……」

……レッドさん、あまり意地悪しないで上げてください。彼はあの子を助けようとしていたのを見たでしょう」

「アハハ、冗談だよ冗談。……さて、そろそろ逃げないと不味いかな。この子も抱えて行かないとならないし」

 

 気が付けば、誰かが通報したのか遠くからパトカーのサイレンが複数近づいているのがわかる。この公園が囲まれるのも後数分だろう。そんな絶望的な状況だというのに、二人は特に焦る様子もなく近場のマンホールまで近づき、数キロもある蓋をまるで鍋の蓋の様に軽々と素手で持ち上げた。

 

「あ、お兄さん。できればここから逃げたのは言わないでくださいね? 無論強制はしませんけど」

「……すみません。お騒がせしました」

 

 それだけを言い残して、二人は血だらけの少女を抱えてマンホールの底へと消えた。

 

 俺は、そのまま立ち尽くすしかなかった。警察が来て軽く事情聴取を受けたが、なんて答えたのかは俺自身も良く覚えていない。しかし、彼女らが何処に逃げたのか、どうやって逃げたのかを喋った覚えはなかった。

 

 別に子供だから同情したわけでは無い。先に手を出したのは子供たちだが、俺からすれば路上で堂々と子供を蹴り殺しかけた奴の助けになる行動はしたくなかったし――――何よりあの場に居ながら、結局何もしなかった、何もできなかった自分に彼女たちを追い詰める資格はないと思っただけだ。

 

 事情聴取が終了し、俺はフラフラと放心状態のまま己の住むボロアパートへと帰宅して、何も考えずにボロっちいソファに飛び込んで横になる。

 

「……俺はッ」

 

 頭がおかしくなりそうだった。

 

 大人が子供を殺そうとし、子供が平気で人を傷つけている世界。こんな世界間違っているはずなのに、皆が正しいものであるかのように受け入れている。

 自分がおかしいのか、周りがおかしいのかわからなくて、頭の中がグチャグチャになりそうで気持ちが悪い。

 

 

「………………」

 

 

 ガチャリと、ドアが開く音がする。

 

 反射的に起き上がって見れば、ムスッとした不機嫌な顔を浮かべた俺の相棒(イニシエーター)藍原 延珠(あいばら えんじゅ)が菓子類の入ったレジ袋片手にリビングに上がろうとしていた。

 

「あ……っと、お、おかえり?」

「……………フン」

 

 鼻を鳴らされて俺の挨拶は無視された。好感度は相変わらずマイナスのままだった。

 

「……まず目先の問題を解決する方が先だな、こりゃ」

 

 先は長そうだと思ったのを最後に俺は考えるのをやめて、睡魔に従ってソファに突っ伏した。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 日が暮れ初めて、もうすぐ赤い日差しが消えようとしているのを眺めながら、私たちはキャリーカートを引きながら帰路についていた。

 

 既に外周区内には人っ子一人見当たらず、さながらゴーストタウンを連想させてくれる。先程までいた内地と比べれば天と地ほどの差だ。しかし油断はしてはいけない。ここではそういう者から脱落していく。

 

 ――――少女に暴行を働いていた不届き者達を撃退した後に、私たちはマンホールを通じて素早くその場を離脱。予め待機させておいた荷物と共に可能な限り迅速に外周区まで移動し、警察の目から逃れることができた。

 

 無茶に思えるかもしれないがこれがかなり有用で、特にエコーローケーションが使える真璃により下水道内でも正確な位置と目的地までの最短ルートが把握できたのも大きいだろう。耳を帽子で隠しているため全力は発揮できなかったが、それでも今回の脱出劇を行うには十分すぎる程であった。

 

「いやぁ~、暴れた暴れた。うん、やっぱり悪い人を懲らしめると気持ちいいね!」

「……うん、そうだね」

 

 あの時一度離れた際に真璃が提案したのは、特に何の捻りも無い作戦であった。顔を隠し、素早く暴漢たちを叩きのめして、少女を保護して警察が来る前にトンズラする。普通の子供ならまず出来ない所業だろうが、『呪われた子供たち』特有の高い身体能力によってそれは可能となった。

 

 最初こそ絶対に失敗しそうだとビクビクしていたものだが、ここまでスムーズに事を運べるとは。真璃の能力の高さやガストレアウィルスの恩恵がここまで大きい物であるのかと改めて理解できる。

 

 ボコボコに叩きのめした暴漢達については、特に思うことは無い。少なくとも私は公共の場で子供を蹴ったり、銃を取り出して容赦なく発砲しようとしたアホ共にくれてやる慈悲など欠片たりとも持ち合わせていない。

 ただまぁ、流石に戦うことに対して忌避感が残っていたのと力の加減が難しかった故に、私の戦果は男の持っていたリボルバーを弾き飛ばして回収しただけに終わってしまったが。

 

「う、ぁ……」

「大丈夫、大丈夫だよ。貴方は私たちが助けるから!」

「ぁ……り、が……と……」

「あ、たこ焼き食べる? もう冷めちゃったけど。レーナちゃんもどう?」

「……ううん、私は大丈夫だから、その子に食べさせてあげて」

 

 今は、何かを食う気にはなれなかった。

 

 人間と相対し、争い合う――――その行為で生まれた緊張が未だ抜けきっておらず、例え粥でも喉を通らなさそうな調子なのだ。

 

 ……早く家に帰って、休みたい。

 

「レーナちゃん、今日はどうだったかな」

「どう、って?」

「楽しかった?」

「…………」

 

 わからない。大変だったとは言えるが、楽しかったかと言われると……少しだけ、返答に困った。

 

 どう答えていいのかわからず、私は咄嗟にある問いを投げかけてしまう。

 

「真璃は……どうして、私にここまでしてくれるの? その、別に私たちは姉妹とかでも、親子でもないのに」

「? ――――レーナちゃんは『家族』でしょ? 何を言ってるの?」

「え――――」

「レーナちゃんだけじゃない。あそこで住んでいる皆、みーんな家族。皆で一緒に苦労して、笑いあって、生きて、生き続ける。それが『家族』でしょう? 血が繋がっているとか繋がっていないとか、そう言うのは些細な問題と思うな。私は」

「それは……」

 

 血が繋がっているというのが『家族』である絶対条件ではないとは、誰の言葉だったか。

 

 真璃の目を見る。とても、真っすぐな目だった。嘘なんてこれっぽちも言っていない。心の底から彼女はその言葉を真実だと思っており、迷いなき愛情が私へと送られているのを、何となく感じ取れた。

 

 それは何処か壊れているようで――でも、とても暖かくて――。

 

「それに、レーナちゃんは私が拾って一から育てたんだよ? これはもう私が母親と言っても過言では無いね!」

「そうかなぁ……」

 

 その理論で行けばイーヴァは父親ということになってしまう。いやだよあんなガサツで荒っぽい父親。

 

「レーナちゃん。私が家族だったら嫌?」

「ううん。全然」

「良かった! ……それで、もう一度聞くけど――――”家族”とのお出かけ、楽しかった?」

 

 もう一度深く考える。

 

 確かに色々あった。大変だった。が……嫌では無かった。正直天誅云々に関しては少し頭を悩まさざるを得ないが、悪漢退治はどこか心地よさすら感じた。

 

 ……うん、そうか。嫌では無かった。ならそれは、楽しかったのかもしれない。彼女とのお出かけが。

 

 ただ、アツアツのたこ焼きを食べ損ねたのは少し残念だったかな。

 

「――――うん、楽しかった。楽しかったよ」

「えへへ! じゃあまた一緒にお出かけしようね、レーナちゃん!」

「……勿論!」

 

 真璃と一緒なら、何処までも行けて、何でもやれる気がした。彼女がいれば、どんな地獄でも――――

 

 

 

 

 

「で? 私は無駄な出費を出していいとは一言も言って無いし、事前に極力騒ぎを起こすなとも言っておいたはずなんだがな? その上たださえキツイってのに食い扶持増やした言い訳は?」

「「誠に申し訳ございませんでした」」

 

 イーヴァ(お父さん)には勝てなかったよ。

 

 




一般人が『呪われた子供たち』の事を脅威にすら思わず好きに甚振れるのは銃器や警察という文明の利器と国家権力、そして『呪われた子供たち』の精神が未だに未熟なおかげなんだよね。

Q・でもそれが利かないor十分に精神が成長した子供が出てきたらどうなるの?
A・地力の差で一方的に嬲られるに決まってるんだよなぁ……。

たぶん後五、六年もすれば十分に成長した『呪われた子供たち』が本格的に暴れ始めて各エリア内で内乱が勃発すると思うんですけど(凡推理)。
まあ、そう言うのが起こらないように東京エリア以外では徹底的にその芽を潰しまくっていそうですが。


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五話:私たちの日常

日常という物は非日常にとって掛け替えのない物である。そこにあって当然だと思っているその意識はただの思い込みに過ぎないのである。

つまり失って初めてその大切さと尊さがわかるってそれ一番(ry


 突然だが、外周区に住む子供の中に文字の読み書きができる者はどれほどいるのか、想像できるだろうか。

 

 驚くなかれその識字率五パーセント以下。だが世界の情勢を考えればむしろ当然とも思えた。このご時世、誰が好き好んでガストレアウィルスに感染している子供に文字など教えるだろうか。

 

 あまり想像できないかもしれないが、文字を覚えるというのは非情に大変だ。日本人でも「ハロー」やら「ニーハオ」など、外国の簡単な挨拶程度ならばそこそこ出来るだろう(大体の場合発音は杜撰だろうがその問題は置いておく)。

 

 だがそれを「文字に起こせ」と言われてできる者は、個人的な想像であるがほぼいないと見ていい。世界中で普及している英語はともかく、中国語やフランス語、ドイツ語等々は無理だ。

 

 文字を教えるというのは非常に大変だ。そして、この外周区には『呪われた子供たち』に文字を教えたがるような物好きは一握りで、探すのは困難を極めるだろう。更に雇うための費用も掛かる。当然、日々を生きるのに精一杯のマンホールチルドレンの小規模集団にそんな懐の余裕などある訳がない。

 

 だからこそ私たちが――――即ち文字の読み書きができる者ができない者に教えるしかなかった。

 

 生きるのに文字の読み書きなんて必要なのか? と思うかもしれない。実際、生きるだけなら”必要”ではないことは否定できない。だが”役立つ”のは確かだ。それに、できるのとできないのでは大きな格差があるのだから、読み書きができるに越したことは無いだろう。

 

 少なくとも本が読めれば子供の知識と見識は豊かになる。立派な大人に成長するためにも、こういったスキルは決して外せないものなのである。

 

 計算も大事だ。これができなければ、彼らはこれからの生活を無計画に過ごさなければならない。一日一日を行き当たりばったりのその場しのぎの生活になる――――そんな生活が長く続くわけがない。

 故に、しっかりと計算・計画できる能力を育てなければならない。万が一、文字の読み書きや計算のできる年長者組が何かしらの切っ掛けで消えてしまったとき、何の能力も持たなければ彼女らの未来は問答無用で閉ざされてしまうのだから。

 

 この子達には未来がある。だからこそ未来を豊かに、安全にする能力を身に付けさせなければならないのだ。

 

 だからこそ年長組はある程度心の育ってきた者達――――主に四歳から五歳以上の者に対して、一週間に数度程文字の読み書きができる者と共に教鞭を取っている。無論、彼女らとて複雑な知識は無い故に、基礎中の基礎しか教えられないのが難点だが、何もしないよりはよっぽど良い。

 

 現在、私のいる場所はすっかり壊れ果てた小学校だったものの残骸だった。砲弾や爆弾が直撃したのか天井や壁は残らず崩れており、三階建てだと思われた小学校は一階部分にあった教室を幾つか残して跡形もなく消滅していた。

 

 その残った教室も殆ど吹き抜けの様な物で、イーヴァたちは辛うじて黒板が無事だった教室を利用して教鞭を取っていた。

 因みにチョークはホームセンターで買ってきた焼き石膏や卵の殻を使った自家製の物だ。質が良いとは言えないが、それでも黒板に文字を描くには十分な代物だ。

 

 それて、今はイーヴァが三人の子供たちに算数を教えている様だが――――。

 

「――――だから、ゼロはどんな数で割ってもゼロになるんだ。わかったかガキども」

「せんせー! ならゼロはゼロで割っても一にならないんですかー?」

「は?」

「さっきせんせーは『同じ数字同士で割ると必ず一になる』って言ってました。それって嘘だったの~?」

「あ、いや……え? ゼロをゼロで割ると一になる……のか?」

「せんせー! りんご三個をゼロ人で割るとどうなるですかー? 三個になりますか、それともゼロ個なんですかー?」

「え? え? ……えぇ?」

「せんせー!」「せんせー!」「せんせー! せんせー!」

「うるせぇぇぇぇええええええ――――ッ!! 私が知るかァァァァ――――ッ!!!」

 

 すっかり古びたかなり昔の教科書を隙間から芝生の生えたフローリング床の上に叩き付けてイーヴァは悲鳴にも似た声を上げた。

 

 彼女の名はイーヴァ。算数に関しては九九と二桁の計算はできるが、三桁からは「生理的に無理」と言いだしてやる前から匙を投げるタイプの女児である。

 

「もー、駄目だよイーヴァ。割り算くらいちゃんと教えてあげなよ~」

「私は学校の先生じゃないんだよ! クソッ、こういう余計な質問ばっかりしてくるからガキの相手は嫌いなんだ! これやるくらいなら私は警官(サツ)とやり合う方が断然いいわ!」

「イーヴァは我が儘だなぁ……。あ、みんな~。休み時間だからもう自由にしていいですよ~」

「「「やったー!」」」

 

 待ちに待った休みの時間が訪れたことで、小さな椅子に座っていた子供たちは一斉に立ち上がって外へと駆けだした。やはり子供にとっても勉強と言うのは窮屈なモノらしい。

 

「……その点、お前は教える前に全部覚えていたからずっと楽だったな。ったく、一体どこから覚えてきたのか……」

「個人的にはレーナちゃんと一緒に勉強したかったんだけどな~」

「あ、あはは……」

 

 端っこで歴史書を呼んでいた私はそんな指摘をされて苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 だって仕方ないことだ。生まれた時から既に頭に”在った”のだから。一応私の頭は大学レベルとまではいかないが、高校レベルまでの知識を修めている。今から飛び級して高校にぶち込まれても、恐らく中堅クラスの成績なら取れるだろう。

 

 うん、我ながらズルいとは思う。おかげで助かっている所は多いけど、子供たちと一緒に一から学ぶ喜びを知れないというのは、少し残念だった。

 

「ま、その分戦い方は杜撰も杜撰だがな。そっちを教えるのは得意だから、私としては楽で助かるよ」

 

 私が食料強奪チームに編入されておよそ一週間。その間に私はイーヴァに徹底的に扱かれていた。

 

 彼女の戦闘術は我流。長年路上でチンピラやら警察やらと戦っている内に洗練されたのだろうか、型にはまらない動きながらその動きは無駄と言う物を可能な限り切り詰めた代物だった。

 

 故に言葉での指導は難しく、彼女や他の者と実際に手合わせして体で覚えていくというのが一番良いとは彼女の弁。この一週間で基礎能力を地道なトレーニングで伸ばしつつ、一日の最後には必ず組手を行うことで私の戦闘スキルは一週間前とは比べ物にならないレベルで上がっている。

 

 教え込まれたのは基本的な徒手格闘は当然の事、周囲にある物を使っての戦闘が主だ。外周区には武器に使えそうな瓦礫などが探せばそこら中にある。

 

 何故そんな戦い方なのかというと、私たち『呪われた子供たち』はとんでもない怪力や俊敏さを持っていると言っても、一部を除いてリーチは子供のソレ。故に遠距離から攻撃されればひとたまりもない。

 その為の道具を使った戦い方。棒切れを使ってリーチを埋めたり、石を投げつけて相手の飛び道具を弾いたりと――――野性味満点ながらその戦闘スタイルは「外周区で生き残る」ことに関しては実に完成度が高い。

 

 無論、周りに使えそうなものがなくても最低限戦えるようにも訓練している。そういう意味では私が習っているのは「戦うための術」ではなく「生き残るための術」と言えるかもしれない。

 

「いやぁ、レーナちゃんは私と違ってグングン強くなっていくよね……。羨ましいなぁ」

「お前は成長方向が索敵特化だからな。ま、その方面で役に立ってくれれば文句は言わないさ」

「私も、真璃はそのまま得意なことを伸ばしていけばいいと思う」

「えへへ、ありがと、二人とも」

 

 そうやって三人で談笑していると、外から子供がボロいサッカーボールを持って飛び込んできた。ああ、そう言えば次の授業は……。

 

「せんせー! もうサッカーの時間始まってるよ! 早く来て!」

「ん、もうそんな時間か。はいはい、今行くよ」

「ほら、レーナちゃんも行こ!」

「うん」

 

 数学や国語などの学問は基本的に午前で終わる。それ以上は子供たちが癇癪を起こすというのが年長組の長年の研究の末の結論であり、その後は運動によってストレスの解消に励むことで次の日まで疲労を持ちこさせないという中々考えている方法を取っていた。

 

 運動は色々な種類をローテーションで行っており、今日はサッカーだ。ルールもかなり緩めで、オフサイドの様な子供にとって複雑なルールは採用せず基本的なモノのみで構成されている。

 

 更に言えばこの放課後運動、かなり巧妙な意図を持って運行している。そう―――――「力の制御」だ。

 

 私たちの全力の力ではボールは瞬く間に破壊されてしまう。その為年長組が毎度の如く子供たちに「ボールを壊さない様に」と再三忠告をし、子供たちもボールを丁寧に扱うために努力する。これによって「力の加減」という事を覚えさせるのだ。

 

 その事実を聞いた時にはよく考えていると素直に感心したものだ。

 

「はーい! それじゃあみんな~。ボールを壊さない様に楽しく遊びましょうね~!」

「「「「「は~い!」」」」」

 

 こうしてサッカーを始める私たち。しかし人数は全員合わせて十二人程とそこまで多くは無いし、年齢にもかなりバラつきがある。

 仕方ないと言えば仕方ない。前に述べたと思うが、ここの下水道に住んでいる少女たちはおよそ二十人ちょいだ。その中には赤ん坊もいるし、モデルになった動物の影響かあまり外に出たがらない者もいる。

 

 サッカーをする人数としてはかなり少ないが、それでも軽く遊ぶには十分か。私は少し離れた所からイーヴァの快進怒涛のテクニックを眺めながらそう独白する。

 

「ほらほら! ちゃんと身体を動かせ! 相手の行動を先を読むんだ!」

「せんせーつよーい!」「ずるいずるーい! 私にもボールちょーだい!」「手加減してぇ~」

 

 イーヴァは力を解放せずともプロ顔負けのテクニックで年下の子供たちを複数人相手にしていながら歯牙にもかけない。これを凄いと思うか大人気ないと思うかは人それぞれだ。因みに私は後者だった。

 

 ついに子供たちは一斉に飛びかかるが、イーヴァはそれすら読み切っていたのかボールを両足で挟んで高くジャンプ。子供たちの猛攻を華麗に回避し切って見せた。シメのドヤ顔が地味にイラッとくる。

 

 頬を爪で掻き、私は日々の練習を思い返しながら数泊の間を挟み、疾駆する。

 

「むっ!?」

「ふっ――――!」

 

 勢いを保ったままイーヴァがキープしているボールに向かってスライディングを繰り出す。が、あちらもそう簡単にボールを取らせてはくれず、ボールを足のつま先に引っ掛けて空中に浮かせることで回避した。

 

 それを読んでいた私はスライディング中に体勢を変えて両足を軽く開き、身体を仰向けにしたまま両手を地面に着かせて――――そのまま跳ね起きの要領で空中に躍り出て、開いた足でボールを挟んで確保しながらイーヴァの横を通り抜けた。

 

「はあぁぁっ!?」

「あでゅー」

 

 フハハ、余裕で躱せると思ったうぬが不覚よ。

 

 密かに練習していた超絶的なテクニックで不意打ちに成功した私は悪い笑みを浮かべながらボールを蹴りつつ全力で相手側のゴールへと迫る。

 

「させなーい! たいちょーのゴールは私が守る!」

 

 後十メートルに差し掛かった頃、横からディフェンス役である同僚の佐奈が飛び出してきた。

 

 私は即時に減速しながらインサイドでボールを高く、佐奈の身長では届かない高度まで打ちあげる。予想外の行動に茫然とする彼女を一瞥しながら間髪入れずに少しだけ力を解放しつつジャンプ。そのまま佐奈を飛び越えながらオーバーヘッドシュートで相手側のゴールにボールを叩き込んだ。

 

 佐奈が割って入ったことでボールが来ないと油断していただろうキーパー役の子供はボールがゴールの中で転がっていることにようやく気付き、私の着地と共にガクッと膝から崩れ落ちた。

 

「レーナちゃんすごーい!」「かっこいー!」

「ぶい」

 

 ドヤ顔と共にVサインを空に突き上げて勝利アピール。ふぅ、決まったぜ(ドヤァ)。

 

「お前そんな技何処で覚えてきたんだよ……いや本当に」

「イーヴァにギャフンと言わせるためにいっぱい練習した。いつも訓練でやられているお返し」

「私への当てつけかよ!? せめて組手中にやれアホタレ!?」

「イーヴァ、負け惜しみは良くないと思うよ~」

「うんうん」

「お前らなぁ……」

 

 最近は真璃と一緒にイーヴァを弄るのが楽しくなってきた今日この頃。勿論やり過ぎず適度に、だ。彼女もそれをわかっているのか、毎度額に血管を浮かべてはいるものの、最終的には水に流してくれる。

 

 日々が充実しているというのは本当に素晴らしいことなのだと改めて思う。

 

「むぅぅ~~~……!」

「ん……? 佐奈、どうかしたの?」

「フン!」

 

 私に抜かれたのがそんなに悔しかったのか、佐奈は恨めしいものを見るような目で私を睨みつけてきた。そんなに悔しかったのか? と思ったが……何となく違和感がする。

 

 そう。確か彼女は別に勝負事にこだわるような性格ではなかった、はず。だったら一体何故……? 何か彼女の気に障るようなことをしただろうか。

 ……駄目だ、何も思いつかない。というか彼女と交流した記憶がそもそもあまりない。あるのは大体組手の時とリザと食い物を奪い合っているのを眺めているものくらいだ。

 

 一体私の何が彼女を不機嫌にさせているのだろうか……?

 

 結局、サッカーが終わるまでその原因がわからないまま悩み続けたが、一向に疑問の答えは見つからず、そのまま日が暮れて一日の働きは終わるのだった。

 

 

 

 因みにサッカーの試合の行方は、突如本気を出したイーヴァによって十点もの差を付けられてボコボコに叩きのめされ、私の方のチームの敗北に終わった。その大人気ない行動に子供たちは泣いた。

 

 そしてイーヴァはシルに怒られた。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 私たちは一ヶ月に一度身体を清潔にするために一緒に住んでいる者全員で一緒に体を洗うようにしている。

 

 例え私たちがガストレアウィルスの恩恵により下手な病原菌程度ならば数秒もせずに死滅させられるとは言え、下水道に染みついた臭いを四六時中嗅ぐとなると精神的に厳しいと言わざるを得ない。一応慣れればそこまで気にはならなくなるし、天幕の中には申し訳程度ではあるが消臭剤を置いていたりするが、それでも人間臭いものは臭いのだ。

 

 少なくとも下水道の外に出ても己の体に付いた悪臭を常に吸うなんて余程頭のイカれたアホでもなければしたくはないだろう。だからこそ私たちは下水を可能な限りろ過した水を加熱した水や他所から汲んできた塩素たっぷりの水道水を使い、そして消費をできるだけ抑えるために全員で体を洗うようにしている。

 

 ……しかし、身体を洗う場所が下水道の中のままなのはどういうことだろうか。

 

 幼女たちが何の囲いも無い屋外で身体を洗うのもそれはそれで問題ではあるのだが、鼻がひん曲がりそうな匂いとシャンプーやボディーソープの香りが混ぜ合わさってクソみたいな不協和音のハーモニーを奏でているのはどうにかしてほしい。

 

 私はため息を吐きながら少し温めのお湯に浸らせたタオルで全身を拭き、希少なボディーソープをタオルに少しだけかけるとゴシゴシと擦って泡を出して再度身体を擦る。

 

 一人でやるのは初めてだが、今まで他の人がやっているのを何度も観察しているので問題は無い。

 

「お、一人でもちゃんと出来てるみたいだな」

「ん、大丈夫」

 

 イーヴァが私の隣に腰掛ける。彼女は年長組故、赤ん坊の体を洗うという役目がある。今しがたそれが終わったのだろう。

 

 彼女から目線を外しつつ全身を擦り終えると、次は手桶に入った少ない水を最大限節約しながら身体の泡を落とす。無計画に使うと確実に泡を落としきる前に使い終えてしまうので慎重にやる。因みに落としきる前に使い終わった場合、他の者が終わって水が余っていることを祈るしかない。

 

 最後はシャンプーだ。二つ目の手桶の水を使って髪全体を濡らし、それから丁寧にシャンプーを手の上で泡立たせ、頭のてっぺんから毛先まで丁寧に髪に泡を馴染ませていく。

 

 ――――いや、良く考えたらウィルスの恩恵のおかげで多少髪が傷んでも勝手に治るから問題無いのでは?

 

 その結論に至った瞬間、今まで『女子の髪の正しい洗い方』という本で勉強していた髪の洗い方が頭の中からすっ飛んだ。途端に馬鹿らしくなった私はイラつきに従ってワシャワシャと乱暴に腰まで届くほどに無駄に長い髪を泡立て、これまた節約しながら髪に着いた泡を落とす。

 

 が。

 

「――――いぃっ!?!?」

「うわっ、なんだいきなり叫んで。どうした?」

 

 ヤバイ。泡が目に入った。メッチャ痛い。

 

「目、目にシャンプーが入ってぇっ……!」

「あーったく、仕方ないな……。ほら、こっち向け。洗ってやるから」

「うぅ……」

 

 イーヴァは暖かいお湯でシャンプーが入った方の目を丁寧に洗ってくれた。いくらウィルスの恩恵があっても異物に対する反射行動と刺激は防げないらしい。

 

「むぅぅぅぅううう~~~~!!」

「あん? どうした佐奈。お湯が無くなったか?」

「何でも無い!!」

「?」

 

 目が見えないのでよくわからないが、佐奈の機嫌が過去最高に最悪なのは理解出来た。

 

 何故だ。私何もしてないのに。……いや、もしかしてイーヴァか? イーヴァが彼女に何かしたなら納得はできるが、彼女はガサツで物騒で口が悪くて言動がちょっとアレなだけで根は良いし、可能性は低い……低いか?

 

「イーヴァ。あの子に何かしたの?」

「いや、さっき会った時は普通だったんだが。……お前、何かしたのか?」

「覚えがない」

「だよなぁ……」

 

 そもそもここ一週間イーヴァに引っ付いていたようなモノなので、私が佐奈と関わりが薄いのは彼女が既に知っている事だろう。だからこそ何故あんな態度なのかが不可解すぎる。

 イーヴァが原因でないとしたら必然的に原因は私ということになるのだが――――本当に心当たりがない。

 

 彼女とは今後一緒に仕事をしていく仲なので、可能ならば彼女とも潤滑な関係を結びたいのだが……。

 

「まあ、その内気も晴れるだろ。ほら、もう綺麗になった。早く服着て寝ろよ。子供は寝て育つんだから」

「……九歳って子供じゃ無いの?」

「他に大人がいるなら、私だってこうやって大人の真似事はしないんだけどな」

「……そうだね」

 

 現状における一番つらい問題を皮肉のお返しに受けてしまった。

 

 恨めしいかな、真の意味での年長者がいない我々のグループ内では精神的な拠り所がかなり限られている。年長組という頼もしい存在が居るものの、彼らは一体何を拠り所にして過ごしているのだろうか? 自身らが間違えれば他の者が死にかねないという重圧に対するストレスを誰に吐き出しているのだろうか?

 

 ……まだ幼い彼らにとって人の命は背負うには重すぎる。私ですら御免だと思えるのに、それを自ら率先して背負おうとしている彼女らの様は痛ましさすら感じる。

 

 一番良い対処法は、私たちに悪い感情を持たない、頼りになりそうな大人を連れてくることなのだが……砂漠の中から一本の針を探すようなモノだ。現実的じゃなさ過ぎる。

 せめてこんな場所よりもっと良い環境を用意できれば、ある程度失敗しても大丈夫なくらいの”保険”を用意できれば良いのだが。

 

(……寝よう)

 

 此処で確かに言えるのは、彼女らより多くの知識を持っている私でさえ現状を明確に打開できる策は思いつかないという事だ。仕方ないだろう、『呪われた子供たち』には人権など存在しないも同然だ。一部の例外を除いて隠れてコソコソと暮らすしかない。

 

 この憎しみの炎が広がり過ぎている世界で生きるには、私たちはあまりにも弱すぎる。肉体的にではなく、社会的に。

 

 此処東京エリアの統治者たる『聖天子』が『ガストレア新法』という、私たちの基本的人権を尊重するべしという法案が通れば幾分か改善はされるだろうが……施行されるかどうかはかなり厳しいだろう。

 個人的意見を言わせてもらえば八割通らないと見ている。世界人口の八割以上がガストレアに対して憎悪を抱いているというのに、誰がヤツらと同じ目を持つ得体の知れない何かに対しての人権などを尊重するというのか。

 

 それに、どうせ通ったところで私たちへの憎しみは消えない。

 

 どれだけ偉い人間が説こうが、命令しようが、自分の中で折り合いが付けられないならば、自分から消そうと思えないなら――――人の中に在る憎しみは絶対に消えやしないんだ。絶対に。

 

 服を着て、毛布を手に自分の天幕の中に入る。

 

 

 ――――一体何時まで、こんな生活をしなければならないんだろう。

 

 

 その問いに対する答えは、きっと誰も返せない。

 

 深いため息を吐いて、私は瞼を閉じて深い眠りの中に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 冷たい風が顔を叩く感触が、微睡の海の底に沈んでいた私の意識を引き上げる。

 

「あ…………?」

 

 ちょっと待て、冷たい風? 馬鹿な、あり得ない。下水道の中は発電所の排水が流れているから寒いなんてこと決してありえない。あったとすれば発電所の稼働が止まることだが、止まったところで数時間程度で熱が全て消えるなんてことは無いだろう。

 

 だとすれば、此処は下水道の中では無い(・・・・・・・・・・・・)、ということになるのだが……?

 

 

 重い瞼を開けると――――私は何故か送電鉄塔の最上部に宙づりになっていた。

 

 

 

「…………………………は?」

 

 

 

 




ブラック・ブレットの二次小説もっと増えろ増えろ……(願望)


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六話:星に願いを

「…………………………は?」

 

 

 なんだこれは。

 

「いやいやいやいやいやいや――――え? えぇ!?」

 

 首を動かして周囲の情報から可能な限り現状を把握しようと試みる。

 

 まず此処は送電鉄塔の中、そして一番高い所。其処に私は……太い、白い糸の様な物でグルグル巻きにされて吊られていた。幸いと言うべきか材質はかなり良い物を使っているのか、子供を一人吊っているというのに切れる様子が全く見えない。

 

 いやそれよりも何故ここで私が吊られているかだ。どうしてこうなった。こんな事をされる謂れは――――無い、とは言えないが、だとするなら私だけ此処で吊られているのがわからない。

 

 これがスーパーや人々を襲撃した私たちへの仕打ちだというなら、私一人な筈がないのだ。

 

(いや、もしかしたら他の皆は別の場所でもう……)

 

 あり得なくは、ない。だが戦闘音すら聞こえなかったという事は、その可能性は低いだろう。

 

 だとすれば私に対する拉致監禁だが、なら何でこんな場所に置いているのかさっぱりわからない。拉致監禁なら牢屋か窓の無いの部屋と相場か決まっている。違うとすれば――――

 

「私個人への恨み……?」

 

 そう考えれば辻褄は合う。周りを見ても此処には私一人しかいないし、私個人への制裁だというなら成程効果覿面だ。ここから地表まで目測ではおおよそ四十メートル。もし落ちたら、なんて考えるだけで顔色が真っ青になる。

 

 せめてもの慈悲なのか、私の拘束やぶら下げているモノの強度は中々の上質らしいが。証拠に、私が力を解放して全力で脱出を試みても、ゴムのように変形するだけで千切れる気配は全くない。どんな材料を使ったんだ。

 

 これだけ柔軟性があって強度も備えている都合のいい繊維素材なんてある訳、

 

(……いや、ある。蜘蛛、もしくは蓑虫の糸……!)

 

 蜘蛛の糸は”同じ太さ”という条件下では鋼鉄の五倍、ナイロンの二倍の伸縮率を保有している。蓑虫の糸に至ってはその二倍の強度だ。

 もしこれが安価に量産できれば世界の繊維業界で革命が起こるのは間違いないほどの夢のある素材だ。それが私を物凄い厚さで包み、吊っている糸に至っては綱引き用のロープ並に太い。これ程だとちょっとやそっとじゃ絶対に切れないだろうと確信できる。

 

 だがこんなの一体どうやって作ったんだ。少なくとも小娘一人に嫌がらせをするためだけに用意するにはコストパフォーマンスが悪すぎる。あり得るとすれば……モデル・スパイダーの因子を持つ『呪われた子供たち』が作った、とかか。

 

(……確実にそれだろうな。でなければ割に合わない)

 

 金持ちのボンボンでもなければ人間ではこんなことはできない。だが蜘蛛の因子を持つ”子供たち”なら出来る可能性が非常に高い。無論短時間でこれだけの糸を用意するのは難しいだろうが、予め何日も前から用意していたのなら難しい話じゃ無くなる。

 

 ならば、犯行を行ったのは下水道に住んでいる者なのかもしれない。音を立てずに私を外に連れ出し、糸でグルグル巻きにして送電鉄塔まで連れて行き、最上部まで登って吊るした。確かに蜘蛛の因子持ちなら不可能の二文字はなくなる。

 

 だとすれば、一体誰だ? 残念ながら私は下水道に住んでいる”子供たち”がどんな因子を持っているのか殆ど把握していないから、犯人など絞れない。

 

(いや……違うな。別の条件で絞れば犯人は自ずと見えてくる)

 

 犯人は恐らく、佐奈だ。

 

 理由はわからないが私に対して怒りを抱いていた。本当に理由が不明なのだが、もし彼女が蜘蛛の因子を持つ”子供たち”なら犯行は十分すぎる程可能である。

 

 問題は何故こんな事をしたのか、と言う事だ。

 

(本当になんでなんだ……?)

 

 自身へ向けられる理由のわからない怒り程理不尽に感じられるものは無い。

 

 少しでも原因になりそうな記憶を探ろうとするが、本気でそんな物が無いのだ。彼女との接点なんて片手の指で数える程度にしか存在しない。というか直接言葉を交わした数もそのくらいだ。

 

 にもかかわらずこんな凶行をする程に怒りを溜め込んでいたという。心底訳が分からない。

 

(…………抜け出すのは不可能。助けを待つしかない)

 

 私の全力で抜け出せないという事は、脱出手段は皆無という事だ。つまり救出を待つことが現状における最善の策。何時まで待たなければならないのかはわからないが、とにかく待つしかないだろう。

 

 ……冷たい風が顔を撫でる。

 

(寒い……)

 

 糸に包まれている身体はともかく、唯一剥き出しになっている頭部は深夜かつ高度四十メートルの夜風をモロに浴びなければならず、非常に冷える。この冷たさを何時まで耐えなければならないのか……。

 

「へっ、へくしゅっ! さ、寒いぃぃ~……!」

 

 現在五月上旬。春に入ったばかりだからか風がまだ冷たい。あの臭い下水道が恋しく感じたのは初めてだ。

 

 誰でもいいから早く助けて……。

 

 

 

「お――――い! 大丈夫か――――!!」

「へっ……?」

 

 

 

 視線を下に向ければ、そこには知った顔の持ち主が手をブンブンと振りながらこちらに声を飛ばしていた。

 

 彼女は――――リザ。意外な援軍の到着である。

 

「今から行くからな~! そこでジッとしてろよ~!」

「は、はーい!」

 

 人選はともかく助けに来てくれたことは非常にありがたい。

 

 リザは力を解放してピョンピョンと鉄塔を特に苦も無く登ってくる。私たちのグループの中で最重要と言える食糧調達要員に選ばれているのは伊達では無い様だ。

 

「よいしょ! っと、到着。んー……さっちゃんめ、どんだけ厳重に巻いたのさ」

「あ、やっぱりあの人が犯人なんですか?」

「気づいてたの? うん、モデル・スパイダーなのあの子だけだからね。こんな事できるのはあの食い意地が張ったバカしかいないんだ」

(食い意地が張っているのは貴方もじゃ……?)

 

 どうやら私の推理は当たっていたらしい。怒っている理由が不明なのは相変わらずだが。

 

「さて、どうやって助けよっか……。ハサミで切る?」

 

 チャキンチャキンと、リザは腰の後ろから裁縫用のハサミを取り出して軽く鳴らせる。確かに、刃物で地道に切っていくというのが一番現実的で良さそうだ。

 

 私が無言で頷くと、リザは鉄塔を構成する鉄筋からこちらへと飛び移り、私という名の足場を軽く揺らしながらハサミの刃をバカみたいに太い吊り糸へと突き立てた。

 

 ――――ぐにゅん。

 

「…………」

「……うーん、駄目みたいだね」

「嘘ぉ……」

 

 刃すら立たなかった。どんな強度だ。

 

「うーん、となるとこのごん太糸の付け根を直接剥がして、私たちの家まで持っていかなきゃならなさそうだね」

「いやいやいやいや。剥がしたら落ちますよ? 私死にますからね?」

 

 諦め気味のリザがとんでもないことを言い出した。なんと糸そのものが切れないなら、私と鉄塔を繋いでいる糸の付け根を剥がして、持って帰った後に本格的な処置をするらしい。

 

 無理だ。何故かって? 私が落ちて死ぬからだよ!!

 

 いくら私が『呪われた子供たち』だからと言って高度四十メートルからの落下は死ぬ。運良く糸が包んでいる場所から激突すれば助かるかもしれないが、逆に言えば糸が包んでない頭部からぶつかれば問答無用で死ぬという事だ。確率がどれくらいになるかはわからないが、低い物では無いのは確実だ。

 

 そんなギャンブルに命をチップにする程、私は悪趣味では無い。

 

「だいじょぶだいじょぶ! ちゃんと私が助けるから!」

「いや無理無理無理ぃぃいぃぃ――――!? やめてぇぇぇぇぇぇ!?」

「よいしょ、よいしょ……ふんぬぬぬおぉぉぉぉぉぉおお――――ッ!!!」

 

 駄目だ人の話を聞いちゃいねぇ! かと言って抵抗らしい抵抗もできない……!

 

 ヤバイヤバイ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ。何とか打開策を思いつかないとホントにマズ――――

 

 

 ――――ブチチッ。

 

 

 あ、死んだ。

 

 そう思考した瞬間、襲い掛かる浮遊感。母なる地球の生み出す重力が私を広大な大地へとキスさせようとした。

 

 

「ぃぃぃいいいゃぁぁぁぁぁぁあああああああ――――ッ!?!?!?」

 

 

 高速で迫る地面が見える。駄目だ頭から入るパターンだ。回避不能。死亡確て――――

 

「――――大丈夫だよ」

「え?」

 

 そこから次に目覚めるまでの記憶はない。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 身体が揺れる。泥の底に叩き込まれた不快感と妙な鈍痛が走る頭。それらを振り払うように私は酷く重たい瞼を開いた。

 

「うぇ……?」

「あ、起きた? よかった~、全然起きないから心配したよ~」

「は? え?」

 

 そうだ、私は頭から地面に落ちようとして――――なのに、どうして無事なんだ?

 

 辺りを見回す。どうやら私は今、リザに私を包んでいる蜘蛛の糸ごとおんぶで運ばれているようだった。現状剥がす手段がないので仕方ないとして、自分がどうして生きているのかさっぱりわからない。

 

 それに、リザは何故か全身血まみれだし。

 

「リ、リザ……? その血は一体……?」

「ん? これ? だいじょぶだいじょぶ。これ私の血だから」

「は?」

 

 どんな事があったら全身血まみれになっているんだ。だが不可解なことに彼女の体には傷の様な物は見当たらない。いや、『呪われた子供たち』の持つ再生力なら時間経過で自動修復されるだろうけど、この出血量は明らかに致命傷クラスの……。

 

「私の因子はちょっと特殊でね、他の子より再生力が高いんだ。だからちょっとやそっとじゃ死なないんだよ」

「……ええと、因みにどれほどの?」

「手足が捥げても調子が良ければ三十秒足らずで全快かな。まあその反面、基礎能力がからっきしなんだけどね~」

 

 冗談だろと思う。

 

 いくら『呪われた子供たち』の再生力が高いとはいえ、それは万能を意味する言葉では無い。彼女らとて指が無くなれば傷口が塞がるだけ。つまり丸ごと無くなった器官が戻ることはまず無い。そも生物で手足や内臓器官を丸ごと再生できる種なんて片手で数えられる程度だ。

 

 あり得るとしたら細かく切り刻まれても破片ごとに一固体として再生するプラナリアやヒドラ、あとは抉られた目玉や心臓すら復元できるイモリの因子等を保持した『呪われた子供たち』という事か……?

 

 いやそれよりも、何故血だらけになっているんだ。私の代わりに高所から落ちたわけでも――――いやまさか、そんな馬鹿な。

 

「あの、リザさん……? まさか私をかばって……?」

「ん~? あー、そうだよ。地面に落ちる寸前で私がクッションになったの。いやー痛かった痛かった。久々に痛烈なの味わったね~」

「なんで……?」

 

 高度四十メートルから落下して、地面と人間に挟まれる。確実に即死コースだ。なのに彼女はいとも簡単に、易々とそれを語る。自分が絶対に死なないとでも思っていたのか。

 

「なんでそんな、私たち、そこまで深い仲でもないのに」

「だって私、貴方にご飯貰ったし」

「は?」

「恩はちゃんと返さないとね~。いーちゃんもひよりっちもそう言ってた」

 

 ――――ご飯を、貰った? それだけで? それだけの理由で彼女は命をかけたというのか?

 

「あ、そういう顔見るのも久しぶりかな。だいじょぶだいじょぶ。『呪われた子供たち』の中で私程命が安い子はいないよ。ホントホント」

 

 恐ろしいと、思ってしまう。

 

 いとも簡単に自分の命を「安い」と断言できる彼女は、何処か壊れているように思えた。いや、確実に壊れている。一体どんな体験をしたらこんな思考ルーチンが構築されるというのだ。

 

 今まで出会った人の中で最も闇が深そうな彼女の深淵を覗きこんでしまったような気がして、私は戦慄する。

 

「あ、そろそろ見えてきた。おーい! ここだよ~!」

 

 何十分間寝ていたのかは知らないが、どうやら私は事前予想とは裏腹にすぐに我が家へと帰還することができたらしい。星明りの下で辺りをキョロキョロと見回していたイーヴァと真璃がリザの声に反応してこちらを向いた。

 食糧調達班全員で捜索を行うつもりだったらしく――アクィラだけ何故か姿が見当たらないが――佐奈を含めて知った顔が並んでいる。

 

 真璃は心配そうな顔を太陽のように明るくし――――イーヴァは般若の様な怒りの形相を、背後に居ただろう佐奈へと向けた。

 

 

「佐奈ァッ!! どういうつもりだお前!!!」

「ひっ……」

 

 

 初めて見る、本気で怒るイーヴァの顔だった。

 

 私の体に巻かれている蜘蛛の糸を見て即座に犯人へと行き当たったのだろう。イーヴァは容赦ない怒りの感情の籠った形相と怒号を佐奈へとぶつける。

 

「だ、だって……だって……っ!」

「だってもクソもあるか! アイツはまだ四歳だぞ!! それをっ、あんな厳重な拘束までして真夜中に独り放置とはどういう了見だ!! アイツに何かあったら責任に取れたのか!? 答えろ!!」

「ひぐっ……ひっ……!?」

 

 完全にキレている。これを止められるのは恐らく真璃しか無いだろうが、真顔で腕を組んでいる彼女に止める気があるとは思えない。流石の彼女も佐奈の自業自得と判断したのか。

 

 何はともあれ動機を聞き出さないと始まらない。二度とこういうことが起こらないようにするためにも。

 

「……何でこんな事をした」

「あの子がっ、あの子が悪いんだよ! 私の、私のっ――――」

 

 待ってくれ。ホントに私何もしてないんだよ。そもそも彼女の食べ物や所有物に触れた記憶すら無、

 

 

 

「私のたいちょーを独り占めするあの子が悪いんだァ――――ッ!!!」

 

 

 

 ……………………空気が、凍った。

 

 

 うん? は? え? ……どういうことなの?

 

 一斉にイーヴァへと視線が集まる。

 

「……おい、ちょっと待て。原因私なのか?」

「そうなんじゃない? よくわかんないけど」

「これが『痴情のもつれ』ってやつなんですねリーダー」

「その言葉は異性間だけの話だから違うと思う……」

 

 えーと、つまり、なんだ。佐奈は私がイーヴァを独り占めしているのが気に入らなくてこんな事をしでかしたというのか? 嘘――――にしては演技が迫真過ぎる。たぶんマジだ。

 

「ひぐっ……ぐすっ……わたじっ、たいちょーと一緒に居たかったのにっ……最近全然かまってくれないからっ……あの子が邪魔だって思っでっ……!」

「おい、おい待ってくれお前ら。そんな目を向けるな。仕方ないだろうが後任(レーナ)の育成に忙しかったんだから!!」

「いやぁ、行動に移す佐奈も悪いとは思うけど、これってイーヴァの監督不行き届きだよね?」

「リーダー、さっちゃんがたいちょー大好きっ子なの忘れたの?」

「……そうなの?」

「う゛ん゛!!」

 

 涙声で全力肯定されてしまった。百合、いや親愛の可能性があるからまだそう判断するのは早い。

 

 でも好きな人と一緒に居るために邪魔者を物理的に排除しようとするのはちょっと親愛にしてはドロドロしすぎたような気がする。十歳足らずでこの行動力は恐れ入った。きっと将来大物になるだろう。色々な意味で。

 

「……これ、どういう状況?」

「あ、あーちゃん戻ってきた。たぶんリーダーとれーちゃんとさっちゃんの間で起こっている『痴情のもつれ』ってやつだよ。この前内地のテレビで見たことあるから、間違いない!」

「うわ、マジか。……イーヴァ、幼女ハーレム作ろうとするとか人としてどうかと思う」

「違うからな!! ただの班員内で起こっているトラブルだからな!!」

 

 飛んで辺りを探していたのだろう、無事着地したアクィラがドン引き顔でイーヴァと佐奈を見ながらぶっ飛んだ事を言い放った。少しだけこの場を収めてくれそうな人員として期待していたが、どうやら無理そうだ。

 

「あのな佐奈、アイツはまだ未熟なんだ。ふとした拍子で死にかねない。そうならないように徹底的に鍛え上げているんだよ、わかるか?」

「わ゛か゛ん゛な゛い゛ぃ!!」

「だぁぁぁぁぁッ! 頼むからわかれッ!? ちゃんと後任の育成しないといつか私や真璃が死んだ場合壊滅するんだよ! このグループが!! それくらいわかるだろうが!?」

「死なないも゛ん゛!!」

 

 

「死ぬんだよ!! この世界じゃ『呪われた子供たち(私たち)』はいつどこで死んだっておかしくないんだ!! 一体私がどれだけ仲間の死を見てきたと思ってる!!? 頭を、心臓を、あの忌々しい鉛とバラニウムの弾丸で穿たれて死んだ奴らがどれほどいると思ってるんだ!! その可能性を少しでも低くするために私は心血注いでアイツを育ててる!! お前たちのために! 時間や神経を削って!!

 わかったなら頼むからこれ以上私のストレスの種を増やすなァッ!!!」

 

 

 …………イーヴァの、息を何度も吸って吐く音と、佐奈のすすり泣く声だけが木霊する。

 

 内に溜め込んだモノが佐奈の言葉をトリガーに暴発したんだろう。イーヴァは酷く疲れたような顔で、顔を手で覆いながら空を仰いだ。

 二十人前後の命を背負う重圧。まだ九歳の彼女にとっては特大のストレスの源泉だろう。

 

 だからこそ誰も言葉を発しなかった。彼女の苦労は、きっと自分たちよりよほど重い物だと理解しているから。

 

 ――――が、その静寂を打ち破れる人物が一人だけ居た。

 

「はーい! じゃあ皆、気晴らしにドライブにでも行きましょうか!」

「……おいアホ。今の空気でそれ言い出すか普通」

「だってこのまま帰ってもしばらくお通夜気分のままでしょ? だったら少しでも和らげた方がいいよ、将来のためにも」

「はぁ……好きにしろ」

 

 真璃はこの鉛のように重い空気を打ち破り、そんな提案を掲示してきた。どうやら皆のメンタルケアのために夜風を浴びながらドライブするらしい。

 確かに、此処で何もせず深い禍根を残すよりは、今すぐにでも少しずつ埋めた方が今後のためでもある。個人的にも、この空気のまま数日間過ごすなんて御免被りたいのだから。

 

「あ、でも糸が」

「佐奈」

「うぅっ……」

 

 イーヴァから鋭い声が佐奈へと刺さり、彼女は涙を浮かべながらその双眸を赤く変貌させる。

 

 ――――するとどうだろうか、彼女の背中から巨大な蜘蛛の足が四本ほど姿を見せた。

 

「えっ」

「動かないで」

 

 音も無く一閃。次の瞬間、私を包んでいた糸の層の一部がジュワァと音を立てながら溶ける。次第に拘束力も弱まり、少し力を入れることで私は糸の拘束から完全に抜け出すことができた。

 

「ほら皆、早く乗って乗って!」

「ひよりっちは元気だな~。あーちゃんはどうする?」

「眠い……帰りたい……」

「アクィラ、お前も乗れ。眠かったら座席で寝てていい」

「うぃ……」

 

 紆余曲折ありながらも、全員が食糧調達時に使う四輪駆動車に乗った。

 

 エンジンが点火し、イーヴァがアクセルを踏んでゆっくりと走行を始める。夜のドライブは初めての体験だが、オープンカー仕様だからか向かい風が滅茶苦茶冷たい。呻き声を上げたアクィラが顔ごと身体を持ってきた毛布に包めるくらいには。

 

「で? 目的地は何処にするんだ? この時間、都心方面に行った所で見るものなんて殆どないぞ」

「第三十一区に行って」

「――――お前、もう大丈夫なのか?」

「うん、お願い。皆に海と、星を見せてあげたいの」

「……わかったよ」

 

 第三十一区。外周区の中で数少ない、廃墟化があまり進んでいない区画だ。

 

 理由はそう小難しいものではなく、単純にそこが内地寄りなだけだ。それに廃墟化が進んでいないと言っても住民は内地と比べれはかなり少ない。何せすぐ傍に余程環境の優れた内地があるし、廃墟化が進んでないと言っても公共施設などはほとんど見当たらない。やはりあそこもも復興を後回しにされ続けている外周区の一つなのだと嫌でもわかる。

 

 それに、水棲ガストレアにより魚の類のほとんどが食いつくされ、漁業が絶滅状態にある今、魚の一匹も連れやしないのにわざわざ海沿いに住もうとするするバカは殆どいないだろう。潮風による塩害だって馬鹿にはできない。

 

 何故そんなところに行くのか、なぜイーヴァが意味深なことを言ったのかは私にはわからなかったが、そこに彼らに取っての「何か」があるのは薄々察することはできた。

 

 一時間ほど車を走らせ、複雑奇怪なシルエットとなっている廃墟を突っ切ると、やがて磯臭い匂いと潮の満ち引きの音が聞こえ出す。

 

 全員車を降りて、摘み上がった瓦礫の山をゆったりとした歩みで越えれば――――その向こうには鈍く黒く輝く巨大な建築物であるモノリスと、生まれて初めて見る海が眼下には広がっていた。

 

「うわぁ……」

「これが海……」

「……くっさ」

「海、か……」

 

 三者三様の反応を見せながら、年長組以外の子供たち――勿論私も――瓦礫の山を駆け下りて埠頭に降り立った。

 

 周囲にはかまぼこ状の工場らしき跡地がいくつもあり、此処でかつて陸揚げされた魚類を保存もしくは加工していた名残を感じる。今では、そんな面影はもう無い。

 

「どうだガキども。これが海だ。不思議だろ?」

「しょっぱい! なんか水がしょっぱいよリーダー!」

「冷たーい! なんか肌もちくちくする~!」

「なんか臭いし早く帰りたい……」

 

 正直二人が何故此処を選んだのかわからない。海を見てリラックスか? それとも星を見て――――

 

 

 星を、見て。

 

 

 

「…………星が見える」

 

 

 

 そう言えば、今日は新月だった。おかげで普段は見えづらい星々が比較的はっきりと見えている。

 

 周囲が廃墟なのもその一因だろう。光源が少ないからか、都心部に近いはずのこの場所からでも肉眼で見えるほどに星は輝きを地上まで伝えていた。

 

「うおー、すげー」

「きれ~」

「眠い……」

 

 さながら天然のイルミネーション。潮の音をBGMに眺めているだけで、不思議と心の汚れが洗い流されるようだ。

 

「ふふふ、綺麗でしょ? 心が暗い時には、海と星を見れば良いってお母さんが言ってたんだ」

「お母さん……?」

 

 『呪われた子供たち』にとって、実の親というのは大抵の場合面識はない。産まれたらほぼ確実に捨てられるからだ。私の場合は……一度しか見ていないが故に、あまり覚えていない。思い出したいとも思わない。

 

 しかし真璃は自身の母親の事を口に出しても楽し気な様子を崩さなかった。どういうことだろうか……?

 

「こいつはな、世にも珍しい実の親に育てられた『呪われた子供たち』だ。因みに私たちのグループの先々代リーダーでもあった」

 

 実の親に、育てられた? あり得るのか、そんな事が。

 

 人類の八割がガストレアに対して憎しみを抱き、更に言えばあの化け物らがもつ『赤目』に対して精神的なショックを起こして生まれたての嬰児を殺害することすら珍しくないこの世の中で、生まれた娘が『呪われた子供たち』であっても自らの手で育てることができる人間なんて一体どれほど居るだろうか。

 

 正直、今ここでその存在の実在を示されなかったら、私の出した答えは『ゼロ』だった。

 

「細かい事情は知らないがな。あの人は余程の物好きだったのか、自分の娘を含めて『呪われた子供たち』を何人か集めて外周区で暮らすことを選んだ。私と、シルもその一人だ。後二人居たが――――まあ、どうなったかは敢えて言わないさ」

「でも先々代のリーダーは失踪したって……」

「ありゃ嘘だ。……死んだよ、此処で。失踪したって言うのは詳細を探られないためのただの方便さ。個人的に、この事はあまり口にしたく無いからな」

「え――――」

 

 思わず辺りを見回す。ここで、死んだというのか。例え『赤目』を持っていても己の子を育てることを選んだ人が。何故――――?

 

「私のお母さんはね、お父さんをガストレアに食い殺されたんだ。それなのにも関わらず、ガストレアと同じ目を持つ私を、私たちを育ててくれたんだから、本当に強い人だった。自慢のお母さんだった」

「だが何れ限界はくるものだ。おばさ……先々代のリーダーは殆ど無意識にだが、突然発狂して真璃を殺しかけた。……このアホ、『自分の母親に殺されるなら構わない』って無抵抗だったんだぞ? おかげで当時苦労したよ。見つけた時には丸一日生死の境をさまよう重体だったんだからな」

 

 何がきっかけになったのかはわからないが、先々代のリーダー、真璃の母親は暴走し娘を自分の手で殺しかけた。推測ではあるが……イーヴァの言った通り”限界”が訪れたのだろう。憎しみを留める防波堤が崩れ、その大波が押し寄せた。

 

「それで、辛うじて正気に戻った先々代は真璃に謝りながら逃げて、此処で自分の頭を銃で撃ち抜いて死んだ。全力で追いかけたが……間に合わなかった。最期の言葉は『どうか生き続けて』、だったよ」

 

 どうして自害という選択肢を選んだのだろうか。

 

 夫の居ない世界に耐え切れなかったのか、このままでは娘を自分の手で殺しかねないという絶望からか。

 

 答えは、私にはわからない。

 

「――――残ったものは全部年長組に押し付けられた。拾ってきた赤ん坊や子供の世話、文字の読み書き、その他もろもろ。正直、四年も持ったのは予想外だった。私は直ぐに崩壊すると思ったからな。そういう意味では安定域まで立て直した先代は本当に凄いと思う。……ホント、私より余程……」

「……私たちはね、託されたの。お母さんや、先代のリーダーから。あの人達の死や想いを無駄にしないためにも、私たちは生き続けなければならない。後に続く者に託し続けなければならないの」

 

 ただの小規模なマンホールチルドレンの集りだと思っていた。だが、それは思い違いだった。

 

 私たちを導こうした人達は偉大だった。例え闇の下で生きなければならないような子供たちに希望を抱かせるために必死で努力を積み重ねた。例え倒れても、次に託した。

 それを小さな諍いで崩壊させてもいいのか? ここで全てを諦めて投げだしたらいいのか? ――――いいや、駄目だ。そんなことは絶対にあってはならない。そんな事をして私たちに未来を託した、今まで積み上げた犠牲はなんだったのか。

 

 いずれ来るだろう、”子供たち”が日の下を堂々と歩けるような時代が来るまで、一人でも多くの命を繋ぐためにも、私たちは共に協力し合いながら生き続けなければならない。

 

「その為にも改めて言っておく。私たちは互いを支え合って生きなければならない。どんなに相手が嫌いでも、どんなに手を取り合うことが辛くとも――――独りで生きることを許してくれるほど、今の世界は甘くない」

 

 今の『呪われた子供たち(私たち)』は弱者に他ならないのだから。

 

「海や宙の様に、広い心と視野を持て。明日を生き抜くためにもな。――――というわけで、ほら二人とも、仲直りの時間だ」

「「えっ」」

 

 流れを強引に押し変えられ、私と佐奈は手を引っ張られて対面させられる。ちょっと待て、仲直りするのに今の話題必要だったのか?

 

「言ったろ? 生き残るために支え合う必要があるって。円滑な関係と親交は大事だって言いたかったんだよ、私は」

「じゃあ先々代云々の話必要なかったじゃん!? 空気の重さの上げ下げ激しすぎるよ!?」

「いや、真璃が突然母親とか言い出すから乗りでつい……。それにどうせいつか話していたんだ、今やっても変わらんだろうが。おら、ちゃんと謝れ佐奈」

「やーだー! ぜったいやだー!」

 

 イーヴァは佐奈の手を無理矢理私の手と繋ごうとするも、佐奈はそれに対して力まで解放して全力で抵抗している。どんだけ私と仲直りするのが嫌なんだ。

 

 一分間ずっとそんな調子が続き、イーヴァも諦めたのかため息を吐きながら佐奈の手を離した。

 

 どうやら関係の修復にはかなり時間がかかりそうだ。

 

「ま、大事なこともちゃんと話せたことだし、そろそろ帰りましょうか皆!」

「ふわぁ~……眠い」

「……ぐぅ」

「フン! 明日は絶対にたいちょーと二人っきりにさせないんだから! 覚悟しろチビっこ!」

「だから仲良くしろつってんだろうがこのバカ!」

 

 騒がしい。だけど、嫌な騒がしさじゃない。例えばそう、家族のような微笑ましさを感じられる騒がしさだ。こういうのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。

 

 クスッ、と笑みが漏れる。

 

 辛くて、痛い世界だ。世界中のほとんどが私たちに対して憎しみと嫌悪を抱く嫌な世界だ。

 

 だけど、それでも。

 

 

 ――――皆と一緒なら、楽しく生きられる。そんな気がした。

 

 

 どうか、この生活が少しずつ良くなりながら、少しでも長く続きますように。

 

 私はそう小さく、星に願いを祈った。

 

 

 

 

 




星に願いを(願いが叶うとは言って無い)

我ながら最後辺りの展開がちょっと雑なような気がした(小並感)。でもこれが今の私の精一杯なんだ。(申し訳なくて涙が)で、出ますよ……。







「絶望の後には、必ず希望が待っている」と誰かが言った。

逆に言えば、「絶望しなければ希望は現れない」ということでもあるのです。


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七話:崩れるときは一瞬

あとちょっとでストック尽きそう……(無計画投稿者並感)


 七月下旬、天気は曇り。連日の豪雨によりものすごい勢いで上昇した湿度と気温により全身から汗が止まらない。ようやっと雨が止んだというのに、服に染みついた汗の気持ち悪さは相変わらずだった。

 

 普段なら下水道で過ごす私たちも流石にこの暑さで密閉空間に居ると蒸し焼きにされかねない。故に仕方なく、私たちは普段教鞭を取っている教室を改修して生活部屋代わりに使っている。

 無論大々的な改修ができるだけでもないので、壊れた天井や壁を中古のブルーシートで代用するというこの上なく簡素なもの。それでも強風が吹いてぶっ壊れるのは勘弁願いたいので頑丈に作ってはいるが。

 

 雨水をろ過した水で顔を洗って目垢を取りつつ、外に出て風を浴びながら最近の日課、早朝のストレッチを始める。布団なんて贅沢品なんて存在する訳ないので木製床の上で雑魚寝して固まった身体をほぐすのにはこれが一番なのだ。

 

「ん~……あ、レーナちゃんおはよ~! 今日も良い天気――――じゃ、ないみたいだね……」

「みたいだね」

 

 壁代わりのブルーシートを退けながら教室の中から真璃が出てきた。元気に朝の挨拶と行きたかったようだが、空の曇天を見て早速挫けたようだ。

 

「今日は~何にもしない日曜日~……やることが無いとも言う」

「そうだねー……」

 

 『呪われた子供たち』は身体的な疲労とほぼ無縁だ。物理的な損傷は基本的にウィルスによる回復力で勝手に治ってしまうため、例え過度な労働で筋肉が断裂しても骨が折れても数分後か十数分後には元通りになる。無論、バラニウムの磁場の影響下に居なければ、という前提条件が必須だが。

 

 だが精神的な話は別だ。どれだけ肉体が健康であろうが、精神的な疲弊は適度な休憩を行わなければ修復はできない。連日のように過度な労働をすれば何れ精神的な限界に至り倒れてしまうのは想像に難くないだろう。

 

 だからこその定休日。日曜日は何の仕事もしなくていい――自分からやりたいと思うならやってもいいが――日として制定されている。いわば自由行動日だ。

 

 一週間で一日だけの休日。何をするかはまだ決めていない。このままゆったりと過ごすのもいいし、誰かと遊ぶのもいいだろう。無駄に種類の多い本を読むのもいいかもしれない。

 

「あ――――ねぇねぇレーナちゃん! 今日は一緒にどこかに出かけない?」

「? 真璃と一緒に?」

「うん! 二人だけで、ね?」

 

 手を顎に当てて熟考する。

 

 二人でお出かけ、ふむふむ。確かにそれもいい。前にそういった約束をした覚えもあるし、特に疲れるようなことでもないので拒否する理由はない。

 それに最近、イーヴァの指示か食糧調達以外で内地に行くのを止められて、街に深入りする機会がかなり減ってしまったので――『呪われた子供たち(私たち)』にとっては敵地の中心部のようなモノなので必要時以外行かないのも当り前だが――前に食い損ねたたこ焼きを食べに行くと思えばやる気が出てくる。

 

 たこ焼きは冷めたモノより熱いモノに限る。

 

「ん、行きたい」

「やった~! じゃあ早速準備しよう! イーヴァに見つかる前に「おい」げっ」

 

 真璃としては小うるさく言われる前にすたこらさっさしたかったのか、イーヴァがブルーシートの間から顔を出した瞬間潰れた蛙の様な呻き声を上げた。ちゃんと説得する気なかったのかよ。

 

「はぁ……最近、妙な事が頻発しているから行くのを止めてたんだがな」

「ん? 妙な事? どんな?」

「『子供たち』の姿が何故か(・・・)減ってきてるんだよ。餓死か衰弱死か、はたまた特攻してくたばったかは知らんがな。わかったらほとぼりが冷めるまでこの区画を抜け出すんじゃ「やだよーだ!」話聞けやァ!?」

 

 不思議なことに、真璃はいつもと違ってプンプンと頬を膨らませながらイーヴァに反発した。いつもなら文句を言いつつも素直に従っていたというのに、珍しいこともあるものだ。

 

 それだけに終わらず、真璃はずんずんとイーヴァへと歩を進めて何やらそっと耳打ちした。瞬間、イーヴァはげんなりとした表情になりながらため息をつく。

 

 一体何を言われたんだろうか。

 

「はぁぁぁ……ったく、仕方ないな。――――ほら、財布だ。それと、日が暮れるまでには戻ってこいよ」

「やったー! イーヴァ大好き~!」

「だぁぁぁっ!! たださえ蒸し暑いってのに引っ付くなこのアホッ!!」

 

 なんと財布まで寄越してくれるとは、真璃の一言は何やらイーヴァに痛烈に刺さったらしい。何か弱みでも握ったのか? 後で聞こう(無慈悲)。

 

 ともあれ、リーダーから直々に許可を貰った以上遠慮する必要は無い。私たちはサクサクと内地に赴くための荷物を準備して、久しぶりのデート(仮)をしに歩き出した。

 

 天気は久方ぶりの曇りであるが、まだ朝だからか人影はほとんど見当たらない。しかしそれが別に悪いことでは無く、おかげで私たちは悠々と大通りを歩けている。此処に住んでいる者など一部を除いて大体の場合犯罪者崩れか物乞いだからだ。悪質な場合だと銃を突きつけられて身ぐるみを剥がされるケースもある。

 

 幸い私はそう言うのを回避するようにしているので出会ったことはあまり無いが、その事を残念だとは一変たりとも思わなかった。

 

 ――――しかし、本当に『子供たち』の姿が見当たらないな。

 

 普段ならば朝でも昼でも夜でも彼女らの姿は見かけることができる。物乞いかスリとしてではあるが、彼女らは四六時中駆け回らなければ明日を生きるのも難しい身なのだ。だからこそ彼女らの姿が全く見えないのは、今までの中でも初めての事であった。

 

 色々と理由を考えてみるが、一向に答えは出ない。単純に情報が少ないせいか。

 

「レーナちゃんレーナちゃん、内地に行ったら何かしたい事とかある?」

「したい事? んー……」

 

 強いて言うなら食べ歩きだろうか。ここ最近乾パンとコンソメスープとカップ麺しか口にした覚えがない。溜め込んだ食糧を少しでも長持ちさせるためなのだから仕方ないと言えば仕方ないが、やはり偶にはしっかりとした食物を口に入れたかった。

 

 我が家に置いてきた子供たちが「ずるーい!」と声を上げるのが目に見えているが、そこは土産を持って帰ることで許してもらおう。出費は大きいだろうが、実を言えばこの前の食糧調達時に隙を見てコッソリと万札を幾つかくすねておいた。先立つものはなんとやらだ。故に金銭については今は問題では無い。

 

 強盗に加えて躊躇なく窃盗とは、私もそろそろマンホールチルドレン根性が身体に染みついてきたらしい。

 

「何か食べたい、かな」

「よーし! お姉さんがとっておきのお店紹介しちゃうぞ~!」

「とっておき……?」

 

 どうやら真璃はかなり内地に入り浸っているらしい。別に無駄遣いをしないタイプに見えた訳では無い――むしろその無計画に浪費するタイプだと思える――のだが、意外と趣味に金を使っていたりするのか。

 外周区暮らしの『子供たち』の癖に中々大胆な性格をしていると、私は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

 後に別の意味で苦笑いを浮かべたが。

 

 

 

 一時間後、私は真璃の言う「とっておきのお店」とやらに来ていた。そこはかなり廃れたパン屋であり、朝だというのに人だかりは少ない。店主もかなり厳つい顔をしており、初めて見る印象はまるでヤクザだ。

 店内から漂う香りはそこそこではあるが、成程、アレでは人が近づきたがらない訳である。

 

 そして、そんなパン屋の中で私は真水の入った紙コップと、とあるモノが敷き詰められたビニール袋を手にしていた。

 

 そのとあるモノとは――――

 

 

「…………なにこれ?」

「ん? パンの耳だけど? 食べないの?」

 

 

 前言撤回。真璃は外周区暮らしの『子供たち』に相応しい貧乏ソウルの持ち主だった。

 

 一時間かけてやってきたのが人気の無いパン屋で、買ったのはパンの耳の袋詰め(一袋九十八円)。最低限の味こそするが、素朴の一言に尽きる。美味しいとはお世辞にも言えないが、一応これでも外周区では立派な食事であり、下手すれば殺し合いが起こるレベルだ。

 

 でも、でも内地にまで来て食べる朝食はコレって……せめて普通の食パンくらい買えば良いと私は言ったが、その言葉は真璃の「勿体ない」の一言で切って捨てられた。

 

 悲しきかな、どうやら彼女は食事に金をかけないタイプらしい。彼女からすればそんな物買うならこれから先役に立ちそうな道具を買った方がもっとお得だと思えてしまうのだろうか。

 

 無言でパンの耳を齧る。

 

 この上なく素朴な味が口の中を蹂躙した。

 

「んー……美味しくなかった?」

「いや、平気。うん、美味しいデス、ハイ」

 

 ヤクザ面のオヤジが見ている前で素直に不味いなんて言えるわけも無く、私は機械的に返事をすることで自己防衛をすることが最善だと判断した。腕っぷしで勝っていようが年の功には勝てなかったよ……。

 

 私は無言のままパンの耳を一袋分咀嚼し終え、喉に溜まったソレを水で無理矢理流し込んだ。

 

 上等とは言えない食事だが、腹は膨れた。しばらく動く分には問題ないか。

 

「レーナちゃん、はい、あーん」

「ふぇ? ――――むぐっ」

 

 油断している隙を突かれて真璃にパンの耳を口に入れられた。もっさりとした食感が口に広がるが、相手が相手なので素顔に怒れない。

 

「えへへ~、何かを食べてるレーナちゃん可愛いよ~」

 

 どうやら私の何かを食べている顔を見たくてやったらしい。素直に言えばやるのに。

 

 数分後、それらを食べ終えたら私は真璃の手を掴みながら厳つい店主のパン屋を速足に立ち去った。あそこは精神衛生上非常によろしくない。

 

 暫く散歩気分で辺りを散策していると、ふと、第三十六区で待っている子供たちに何か土産になりそうなものはなんだろうかと私は思い始める。一番喜ばれるのは食べ物の類ではあるのだが、やはり何か形に残る物が良い。

 指輪、腕輪、ネックレス……は、少し高いな。キーホルダーや小さなぬいぐるみ、バッジやワッペンなのが最適だと私は結論を出す。小さなものならばそこまで値段も高くないし。

 

 というわけで、私たちはそこそこ大きいショッピングモールの装飾品売り場へと赴いた。大手の店なら安いモノもそれなりの種類があるはず。

 

「うーん。真璃、皆はどんなのが好きなのかな」

「えっとね、小さい子に送るなら金物は厳禁かな。間違って飲み込んじゃったら大変だし。もう物心付いてる子たちには……何が良いんだろう?」

「えぇ……」

「まあ適当にそれっぽいの選べば大丈夫大丈夫! レーナちゃんからの贈り物なら何でもみんな喜んでくれるよ!」

「佐奈も?」

「…………よ、ろこんで、くれるかも、よ?」

 

 そこで言いよどむなよと言いたかったが、佐奈との関係についてはあの事件から二ヶ月経過しても一向に改善されないのを見れば無理も無いか。別に無理をして仲良くなりたいわけでは無いが、私とイーヴァが近づく度に私へ糸を飛ばしてくるのはやめて欲しい。

 

 ……まあ、それでも一応の努力くらいしよう。私は折角と言う事で少しだけ奮発し、綺麗な直方体に削られた赤い硝子のペンダントを食糧調達班全員分とその他大勢に送るアクセサリーを自費で購入した。因みにペンダントの方は一つにつき一〇〇〇円。意外とお高い。

 

「佐奈に割られないといいんだけど……」

「さ、流石にそこまでしないと思うよ? ……思いたいなぁ」

 

 いかん、やりかねなさ過ぎて不安になってきた。最悪真璃を経由して送ることを考えるべきかもしれない。

 

 気づけばもう昼間近。今度こそまともな昼食を摂りたいので、私は真璃を連れて近場のコンビニから一〇〇円のおにぎりと飲料水を買って、久方ぶりに件の国定公園のベンチに腰掛けた。

 

 派手な暴力沙汰があってももう二ヵ月前の話。あの事件は人々の中では既に風化しつつあるのか、休日の公園らしく人影はかなり多い。

 

 幸い今回は物乞いの『子供たち』はおらず、これならゆっくりと昼食を食べれそうだ。

 

 レンジで温めたおにぎりを粗食する。安物であるが故に上等とは言えないが、今の私の立場からすれば十分な御馳走である。

 私の買ったおにぎりの具は昆布と高菜だ。定番の鮭とツナマヨはどうしたかって? 漁業が壊滅状態なこの時代、そんな物を食えるのはブルジョワジーどもくらいだ。魚関係の食物の値段は凄まじく高騰しているため、養殖が比較的簡単な海生生物以外を使った魚料理は一部の高給取りの特権と化している。寿司などは魚だけでなく職人の激減によってその希少価値は『ガストレア大戦』以前と比べて倍どころの騒ぎでは無い。一皿食うだけで一〇〇〇円札以上が財布から姿を消していくだろう惨状だ。

 

 鮭おにぎりすら私の知っている知識と比べて数倍以上の値段だった。好きな具の入ったおにぎりすら満足に食えなくなるとは、恨めしきかなガストレアめ……。

 

「むっふふ、こうやってると普段の暮らしが嘘みたい。いつもは皆で保存食を細々と食べているのにね」

「……こうやって贅沢しているのは、ちょっと罪悪感あるかな?」

「そうだねー。でも、偶にはいいかなって、私は思うよ?」

 

 こうやって外出して何かを買い食いできるのは私たち食糧調達班の特権である。

 

 他の『子供たち』が聞けば不平等だなんだと言いそうだが、私たちの場合かなりの危険を冒して食料を調達したり、足りない物資を買い足しに行ったり、場合によっては外敵の排除に優先的に赴かなければならない立場故の特権だ。

 

 先々代のリーダーが健在だった頃は詳細不明の収入源――恐らく”そう言う類の商売”なのだろう――によって、その時はまだ数人分の『子供たち』の生活費が賄われていたそうだが、その失踪後収入源を失った『子供たち』はどうにか自力で生活費を稼いでグループを維持しなければならない緊急事態に直面した。

 

 が、外周区で『子供たち』ができる仕事は精々がガラクタを拾って性質の悪いブローカーに二束三文で売りつけるくらいしかない。物乞いもできると言えばできるが、運よく良識のある人間に見つからない限り成果は基本的に乏しいものになる。酷い場合はプルタブを投げられる場合もあるのだ。

 

 当然、そんなやり方で十人以上にもなる『子供たち』のグループが存続できるわけもなく、彼女らは仕方なく犯罪行為に手を出した。

 

 最初は小さな店を。慣れてきたら少し大きな店を。熟練して来たら大手のスーパーすら襲撃する。やってることは酷いとしか言えないが、彼女らとて死にたくはないのだ。誰も手を差し伸べてくれず、自力で足掻いた結果がこれなのだ。流石に『子供たち』に罪や責任が無いとは言わないが、そうせざるを得なくした奴らは誰だって話だ。

 

 強いて言うなら無能な政治家共のしわ寄せなので、できればそちらを恨んでもらいたいが、馬鹿共に期待するだけ損か。

 

 それに、ガストレア戦争の被害者とも言える『呪われた子供たち』にお門違いの恨みをぶつけたり、ただ「ガストレアウィルスに感染しているから」という大義名分にすらならない理由を掲げて現状への鬱憤を私たちに対して暴力という形を以て晴らそうとしている”奪われた世代(マヌケども)”に対しての慈悲など私の中には無い。私が慈悲をかけるのはきちんと良識を備えている人間にのみだ。

 

 話を戻そう。食糧調達班にのみ特権を許されている最大の理由。それは死亡率の高さ。

 

 約五年前に略奪路線へと切り替えた先代リーダーの統治以降、食糧調達班の死亡人数は合計一六名。行方不明者七名。最初期から生き残っているメンバーは恐らくイーヴァと真璃のみ。行方不明者を死亡扱いとしてカウントするならその死亡率は驚きの八〇%前後だ。

 他の者は基本的に下水道内で仕事をしているだけなので死亡することはまず無い。その高い危険性の格差を埋めるための特権制度だ。

 

 少なくとも、これが無かったころは食糧調達をストライキする者がいたり、物心ついたばかりの子供が勝手に遠くまで行き、無惨な肉塊になって見つかったという実例が絶えなかったらしい。

 

 実際、何かしらの優先権が無かったら私もこの仕事にうんざりしていたかもしれない。危ない仕事というのは美味しい報酬があるからこそやり甲斐があるのだ。

 

 それに子供というのは案外単純で、美味しいもので釣ればある程度の不満は我慢してくれる。これは特権の恩恵を持たざる者にも与えれば、それなりに不和は避けられるという好例とも言えるか。

 

「――――んあ?」

「あっ」

 

 おにぎりを二個食べ終えミネラルウォーターで喉を潤している頃に、それは現れる。

 

 ボサボサ髪の不幸顔少年、里見 蓮太郎。およそ二か月ぶりの再会だ。

 

「お前ら、確か……」

「あ、お兄さん! 久しぶり~!」

「お久しぶりです、里見さん」

「レーナと真璃、だったよな? ……そうか、あれからもう二ヵ月も経ったのか」

 

 苦笑いを浮かべながら蓮太郎は私の隣に腰掛ける。よくよく見ればかなりやつれており、ちゃんと栄養を取っているのか怪しく見えた。

 身なりは明らかに外周区の住民ではないのに、痩せこけた様はホームレス一歩手前だ。一体どんな生活を送っていればそんな様になるのか。

 

「あの、ご飯とかちゃんと食べてるんですか……?」

「あー、それが、ちょっと昨日タイムセール逃してな。おかげさまで今日の朝飯は生のもやし一袋だった……」

「……も、もやし? 生?」

 

 ホントにどんな生活を送っているんだこの少年は。

 

「あの、よかったら食べます……?」

 

 私はいたたまれない気持ちでレジ袋に入れていたおにぎりを一個渡した。さすがにこれを見逃すのは個人的につらい。

 

「え、い、いいのか?」

「はい。私はもう十分食べましたので」

「あ、お兄さん! 私のもどうぞ!」

「……すまねぇ」

 

 断腸の思いもかくやの苦渋の表情を浮かべた蓮太郎は一筋の涙を流しながらおにぎりを頬張った。

 

 男としては女児二人に昼飯を恵んでもらうというのはかなり応えたのかもしれない。が、あの様子ではプライドより食欲を優先させたほうが賢明というものだ。私の予想ではあの状態で放置していたらほぼ間違いなく数時間後には倒れていただろう。

 

「あ、そういえば里見さん、件の子供とはどうなったんですか?」

「ん……ああ、延珠の事か。一応何とかなったよ。お前の言う通り、時間をかけて根気強く付き合ってみたら、やっと心を開いてくれた。今では立派な家族の一員だ」

「「え」」

 

 家族の一員? 養子縁組で義妹にでもなったのだろうか。それともまさか、いやそんな訳がないと信じたいが。

 

「? ――――ッ、おい待て、違うぞ。そういう意味じゃないからな? 心とかそういうもので家族みたいになったって意味だからな!?」

「あ、やっぱりですか。てっきり里見さんがロリコンだったのかと……」

「お兄さん、小さな子に欲情するのは駄目だよ?」

「だから違ぇって……」

 

 流石に冗談だ。彼がそういう特殊性癖の持ち主でないのは彼の私たちに向ける視線から一目瞭然なのだから。

 

 ひとしきり笑った後、もう一度喉を潤しながら私は購入した物品のチェックをする。万が一抜けがあったら土産を貰えなかった子供が文句を言って諍いが起こすかもしれないので厳重に調べる。

 

「うん、うん……大丈夫、全員分あるね」

「ん――――ねぇ、レーナちゃんの分のペンダントは?」

「え? ……あ」

 

 言われて数え直してみれば、確かに食糧調達班に送るペンダントは五つしかなかった。私の脳内ではイーヴァ、真璃、リザ、佐奈、アクィラにだけ送るつもりだったので、自分の分は失念していたらしい。

 

 どうしようか。今から買いに戻れば往復十分くらいで済むが……。

 

「じゃあ私、レーナちゃんの分買ってくる! すぐに行ってくるから!」

「えっ、ちょっと待っ――――……行っちゃった……」

 

 制止する暇も無く真璃はショッピングモールの方向に駆けだして行ってしまった。別にそこまで無理をして買う必要は無いのだが、もう止められる術はないのだから大人しく帰りを待つことにする。

 

「……そういえば蓮太郎さん、その延珠って子とは一体どういう経緯で同居することに?」

「あん? あー、まぁ、きっかけは仕事上の都合でな」

「仕事……バイトとかですか」

「いや、これでもれっきとした”民警”……あ、民警ってわかるか?」

「いいえ、全く」

 

 そう言えば以前にも聞いたことがある単語だ。単語からはやはり民間警備会社(PMCS)を思い浮かべるが、明らかに高校生くらいにしか見えない蓮太郎が付ける仕事とは思えない。

 

 という事はやはり安月給の警備バイトみたいな仕事なのか? いや、イーヴァが民警とやらから短機関銃を強奪していたのでバイトはあり得ないか。そんな重武装をするバイト業があって堪るか。

 

「民間警備会社の略称でな、バラニウム製の武装の所持を許可された、所謂対ガストレアの専門家みたいなもんだ。昔は警察がガストレアの対応をしていたみたいなんだが、やっぱり人を相手にするのとは勝手が違いすぎたのか死亡率が跳ね上がったせいで民警って職業が出来たんだ」

「バラニウムの武器を所持する、対ガストレアの専門家……」

 

 バラニウムという金属は今でこそかなりの量が埋蔵されているが、やはり資源は有限だ。

 対ガストレアの訓練を受けていない警察では希少なバラニウム製の武器を渡したとしても荷が重すぎる故に、代わりにその道のスペシャリストを育成して対応させることにした、ということか。

 

「で、民警の中でもプロモーターとイニシエーターって区分けがある。イニシエーターってのはその高い身体能力を生かして前線でガストレアと戦う『呪われた子供たち』のことで、プロモーターってのはそれを補助する司令塔みたいなもんだ」

「へぇ……凄いんですね、里見さんと延珠さんは。私はガストレアを見たことはありませんけど、怖い怪物相手に立ち向かえるなんて、きっと私にはできません」

「つっても、俺のいる場所なんて民警の中では下の下だがな……。早く功績を上げたいんだが、全然仕事が来ねえんだよ」

「どうして?」

「社長が成人していない上に、唯一の社員がガキしかいない会社に誰が仕事を持ちこむんだ?」

「あぁ……」

 

 責任感のありそうなダンディな大人が社長ならいざ知らず、まさかの未成年オンリー経営の会社だ。依頼人だって高い金を払って依頼をした挙句失敗されたら困るので、より信頼できる会社の方に依頼を回すのは当たり前の事だ。

 

 そういう意味では彼が不景気なのは当然の帰結と言えなくもない。もし彼が一発デカい活躍をして名を売ることができれば話は別なのだが、そんなチャンスがそう都合よく転がり込むわけも無い。

 

「まあ、景気が悪いのはともかく……私はカッコいいと思いますよ、民警。怖い化け物から市民を守る仕事なんてすから」

「……励ましてくれてんのか?」

「ええ、元気出ましたか?」

「……サンキュな」

 

 ポン、と頭に蓮太郎の右手がやさしく乗せられた。やはり彼の手は、何処か重々しい印象を抱く。だが不思議と嫌な感じはせず、暖かいのは何故なのだろうか。

 

 会話を終えてそのまま数分ほど足をブラブラさせていると、ふと芳ばしい香りが鼻を擽る。

 

 ――――ああ、そう言えばたこ焼きを食べたかったんだっけ。

 

 今更そんなことを思い出して、反射的に屋台へと赴こうとする。が、蓮太郎が急に肩を抑えてきたせいでそれは敢え無く阻まれてしまう。何をする貴様。

 

「ここで待ってろ。俺が買って来てやる」

「お金はあるんですか?」

「…………五百円玉あるか?」

 

 呆れ顔を浮かべながら私は財布の中から五百円玉を蓮太郎に手渡した。

 

 見れば屋台にはそこそこの人数が並んでおり、待つのも一苦労しそうだ。『呪われた子供たち』の身体的スペックなら肉体疲労などつゆほども感じないだろうが、彼が代わりに買って来てくれるというならそれでいいだろう。

 子供は素直に年上の善意に甘えるべし(ただしロリコンからの善意は除く)。

 

 しかし、これで一人になってしまった。暇だ、実に暇だ。こんな事なら本でも持って来ればよかっ――――

 

 

「ねぇねぇ、近くのショッピングモールで乱闘騒ぎだって。しかも”赤目”の……」

 

 

 ――――え?

 

「何? 店員相手に暴れてんの? 怖っ」

「いや、なんか怪しい覆面付けてるらしいよ。明らかにカタギじゃないって」

「うわぁ~。社会不適合者同士で争うなら他人の迷惑にならない場所でやれよ……」

「ホントそれ」

 

 通行人の囁き声を聞いて、背中につららを入れられたような悪寒が全身を駆け巡る。

 

 いや、そんな、まさか――――。

 

 表情を凍り付かせたまま国定公園に設置されている時計台に視線を向ける。真璃が公園を離れてからおよそ十分。だが周囲に真璃らしき影は無い。つまりまだショッピングモールに居る可能性が非常に高い。

 

 どうして急にそんな、何故、何故、何故――――ッ!?

 

「おい、たこ焼き買って来て――――」

「すみません里見さん! これ預かっててください!!」

「は? お、おいちょっ――――」

 

 私はベンチの上に置いてあったアクセサリ類の入った紙袋を蓮太郎に押し付けながら、力が発現しそうになるのを必死に抑え込みながら全力で駆けた。それでも出しているのは子供にあるまじき速度だが、形振り構っている場合では無い。

 

 頼むから私の思い過ごしであってくれと何度も願いながら、五分もせずに目的のショッピングモールの出入り口まで到着した。そこで私が見たモノは――――

 

 

「――――が、はっ……あ、ぁ

 

 

 その体にいくつもの弾痕を刻まれた二人の少女だった。

 

 一人は知らない。だが、もう一人は、明らかに見知った顔だ。それが、真っ黒の覆面を被った男たちの集団によって物を扱うが様に大型のバンに運び込まれていて。

 

 頭の中から全ての音が消え去る。

 

 数秒後、車のエンジンが点火されて走行を始めようとする。瞬間、私の胸の中に在る感情が激怒の一色に染まり、同時に目が金色の輝きを失って赤く変色し始めた。

 

 

「何してんだァァァァアアアアアアアア――――ッ!!!!」

 

 

 地面に罅が入るほど踏み込み、その勢いを最大限に保ったまま跳躍と同時にトランクリッドに蹴りを叩き込んだ――――が、大きく凹むだけで破壊には至らない。

 

「防弾仕様かッ!!」

 

 毒づきながら地面に着地して再加速。蹴りの反動で勢いを付かせ始めたバンに追いつこうとする。

 

 あちらの出している速度は時速五十キロ前後。その程度ならばまだ十分追随可能範囲だ。

 

「――――クソッ、この”赤目”が!」

「チィッ!!」

 

 覆面を被った男がスライドドアを開けてこちらに短機関銃の銃口を向けてきた。即座に方向転換。開かれたドアの反対へ行き、十分に加速を付けてバンの側面に二度目の蹴りを叩きこむ。

 

 轟音を響かせながら防弾仕様のガラスが粉々に砕け散った。これなら後一発で――――!!

 

 ――――カランカラン。

 

「――――?」

 

 甲高い音を奏でながらアスファルトの地面を撥ねる何かが迫る。

 

 丸くて、鈍く光を反射して黒光りするそれは、とても見たことのある物体だった。内部に詰まった炸薬を破裂させることで周囲に金属破片を音速でまき散らすモノ。

 見た瞬間、憤怒が冷や水を掛けられたように沈下して、代わりに悪寒に頭が塗り潰す。

 

 

(破片手榴――――)

 

 

 閃光と爆音と共に、私の意識は無慈悲に刈り取られた。

 

 

 

 




知人との関係も、他者からの信用も、挙げてきた功績も、勝ち得た名誉も、育んできた愛も、築き上げた幸せも。

積み上げるのは大変なのに、崩れるときは一瞬だ。


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八話:翳り墜ちる希望

絶望の時間だオラァ!!

追記:一部から「フォントが見づらい」との声があったので一部修正しました。


 頭が、痛い。頭の中に手を突っ込まれてシェイクされたような嫌悪感と吐き気が身体全体にのしかかってくる。

 

 私は、何をしていたんだったか。……駄目だ、思い出せない。頭を働かせようとすると訳も分からなくなるほど頭が痛くなる。なんだ、一体何がどうなって今私はこうしているんだ。

 

 瞼を開ける。焦点が定まらず景色がぼやけて見える。

 

 まず見えたのは、赤と黒。だんだん五感も正常になってきて、酷い異臭が鼻を突き刺す不快感がたださえ痛い頭の中を刺激した。

 深呼吸する。ああ、確か私は、光と音に包まれて、そこで――――

 

 

 

「―――――――――――――あぇ?

 

 

 赤、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤――――。

 

 

うアぁァアあぁぁぁああアァぁあああァアアアぁぁああアアア――――ッッ!!?!?!?

 

 

 焦点が定まった瞬間それは暴力的に視界を埋め尽くし嬲り尽くした。

 

 赤黒く固まった血と臓腑がそこら中にまき散らされている。だがそれだけでこんな悲鳴は上がらない。上げるものか。なんだアレは。ふざけるな、なんで、なんでなんでなんでッ――――。

 

 

 ――――手足を斬り落とされて、内臓を全て引き摺り出された少女の遺骸が壁や天井に打ち付けられているんだッッ!!?

 

 

「おや、起きたかい」

「え、ぁ……」

 

 暗がりの向こうから、丸眼鏡をかけた一見大人しそうな印象を受ける青年が、まるで何ともないような声音で私へ話しかけてきた。

 彼は笑顔を保ってた。普通の、何の変哲もない部屋の中でなら何とも思わなかった。だけど、この惨状の中で浮かべられた笑顔は完全に狂気に染まったソレだ。骨の髄まで染みこむような恐怖というのを初めて感じる。

 

「安心してくれ――――君もちゃぁんと、加工してあげるからさ。たださえ最近見つかりにくいから、こうして高い金を払って”素材”を確保しているんだ。少しは大切に扱わないと、ね」

「加、工……?」

 

 震え切った声で、辛うじて聞き返すことができた。そうやって現実を否定しないと、心が壊れてしまいそうで。

 

「ほら、そこら中に見えてるだろう? 一応、死なないようには意識しているんだけどねぇ? いやぁ、参った参った。”失敗作”をあまり量産したくはないんだが……。あぁ~、だがやはりいつ見ても綺麗だ。君たちの様な化け物がこうやって、僕の手で芸術になっていくんだ。何度快感を覚えたか!」

「っ、カ、はァッ――――ごひゅっ――――」

 

 目の前に存在する、人間の残虐性という物を煮詰めた様な光景に精神が耐え切れず、弱々しい吐息だけが肺から絞られた。

 

 いや、落ち着け。落ち着け落ち着け落ち着け。大丈夫だ、全力で抗えば逃れられるはず。自分を信じろ。恐怖に負けるなッ――――!

 

 ――――ガシャン。

 

(…………え)

 

 右手を動かそうとして、そんな音が耳に入る。

 

 恐る恐る自身の右手に視線を向ければ、真っ黒な逆棘のある金属の杭が手の甲を貫通していた。更に杭には頑丈そうな鎖が繋がれており、鎖は壁の固定具に繋がっている。左手も、同様。

 

 ソレを認識した瞬間、両手から鋭い痛みが頭を突き刺してきた。

 

「あ、がぁ、っ、あァァああぁぁあアアア――――ッ!?」

「おお、いいよいいよォ。そういう表情が見たかったんだよ僕は。ホント、君たちの姿が人間に似てて良かった。糞の様なガストレア教団が君らを神様の使いだって言ってたよね? だとしたら神様に感謝だよ! これ程素晴らしい”材料”をこの世界に生み出してくれたんだから!!」

「ぎッ、ぃア、はぁっ……狂、人がァ……ッ!!」

 

 言ってることが何一つ理解出来ない。理解したくない。こいつは最初から最後まで狂っている。人間に似ててよかった? 神様に感謝? ふざけるな。その不快な口を閉じろッ――――!!

 

「狂人? 僕が? 何でだい? 僕はただそこら中に転がっている素材を自分好みに形作っているだけなのに。土の中から掘り返した大理石を彫刻する職人が狂人だと言うのかい?」

「ふざけるなッ!! 何が芸術だサイコパスがッ!! 十歳にも満たない少女を惨たらしいオブジェにしてご満悦か!!?」

「最高だよ!! 君らの手足を僕自身の手で斬り落とすたびに絶頂すら覚える!! ああ、ありがとう、ありがとう! 生まれてきてくれてありがとう!! 大丈夫! 殺しはしない……。ちゃんと生かしたまま売らないと、流石に買い手が付きにくいからねぇ?」

「―――――――」

 

 ――――まさか、こんな奴に、生まれてきたことを、祝福されるなんて思わなかった。

 

 

 おかげ様で生まれて初めて、心底人を殺したいと思ってしまった。

 

 

「ほら、君のお友達も少しずつ僕の作品になってきた。どうだい? 綺麗だろう……」

「は――――?」

 

 彼は、先程から自分が掴んでいたモノを持ちあげて、私の方に見せつけてきた。

 

 

 

 ベージュ色の髪は、血肉を頭から被ったせいでその輝きをとっくに失っていて。

 

 翡翠色の目は、片方だけが無残にも抉り取られたのか、虚ろな眼窩から何か細い糸のようなモノが垂れさがっていて。

 

 雑に切断された右腕の付け根からは、ワイヤーで強引に止血したせいで壊死した肉が神経と思しきモノと共にぶら下がっており。

 

 頭から生えていただろう、可愛らしい兎の耳は、刃物すら使わず無理矢理千切られて、片方だけが辛うじて繋がっていた耳も力なくぶらぶらと揺れていて。

 

 

 

「――――れ、ぇな―――ちゃ……ァ――――」

 

 

 

 最初は死体だと思った。

 

 それが言葉を発した瞬間、ようやく生きている一人の少女だと理解出来た。

 

 発せられた言葉の中身を理解して――――でも理解したくなくて――――それでも前の前にある物を見せつけられて、私はようやく眼前の現実を直視した。

 

 なんで、どうして、何故、嫌だ、こんな。

 

 

 

 ソレは真璃だった。

 

 

 

 

「アァぁァぁあアアぁぁぁああァァあアああァァぁああァぁアあぁぁあアアあああァァアぁあああああああアアアアアアアアアアアア――――ッッ!!!!!」

 

 

 激情のまま暴れる。杭が差された両手の穴からおびただしい量の血液が四散する。足を動かそうとしてようやく自分の両足にバラニウム製の弾丸が何発も撃ちこまれていることを理解したが、そんな物は今の私にとってはどうでも良いことだった。

 

 両手両足の痛みすら吹き飛ぶほどの怒りが私の中で蠢いていたのだから。

 

「殺してやるッ! 殺してやるッ!! 殺してやるゥゥゥゥゥゥッッ!!!!」

「ヒッ、ヒヒヒハハハハハハ!! ヒヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャハハハハハハハッッ!! 最高ッ、最高だァッ!! ああ君は今まで見た中で一番美しい顔をしている!! 僕はその顔を絶望で滅茶苦茶にしたい!! 君の絶望する顔が見たいよォォォォ!!」

「お前はァァァッ!! お前だけはァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 ここまで、ここまで心が殺意一色に染まることがあっただろうか。

 

 憎悪が、怨嗟が、憤怒が、厭忌が。ありとあらゆる憎しみの感情が混ざり合って私を染め上げた。死んでも目の前に居る男を殺せと。その感情に抗う意思など一片たりともありはしない。一瞬の遠慮も、躊躇もなく、私はあの男を殺せるという確信がある。

 

「無駄だよォ! その鎖はチタン合金製だ。君らがどれほど怪力なのかはすでに熟知している! 鎖を引き千切るのは無理なんだよねェェ???」

「ぅぅゥゥぁぁアぁァああアアぁああああァァああああアアアッ!!!」

 

 ただの逆棘だったら良かった。両手を犠牲にするだけでよかったのだから。

 

 しかし、この杭は中心部だけがバラニウム製で、逆棘はただのチタン合金だった。故に、無理矢理抜こうとしても再生してしまう(・・・・・・・)。いくら力を入れて傷つけようとも、その矢先に直ってしまう。

 

 『呪われた子供たち』としての怪力を使わねば杭が取れないのに、力を解放すると再生力が上がってしまう。

 

 詰みだ。

 

 嫌だ、違う、何か方法があるはずだ。何か方法が――――。

 

「れ、な……ちゃ、ん……」

「真璃ッ! 今っ、今助けるからッ!! すぐにッ、医者のところに……ッ!!」

「いやぁ、友情というのは実に美しい。本当はね? 君から”加工”するつもりだったんだよ? でもこの子が身代わりになってくれてねぇ……うん、自分から望む子を作品にしていくのも中々得難い体験だった。聞けば本来攫おうとした子供を助けようとしたらしいね? 実に心優しい子だ。素晴らしい作品になってくれるに違いない! 色々と得難いものを僕に与えてくれたこの少女には実に感謝しないとね」

「――――――――――――ぇ?」

 

 身代わり?

 

 誰の。

 

 私の?

 

 どうして、

 

 

 真璃?

 

 

「れ、ぇなちゃ、んは……私が、守らない、と、ね?

 

 ――――お姉ちゃ、んは……妹、を、守る、モノ……だか、ら……」

 

 

 私の、身代わりになって、あんな姿に、なったのか?

 

 私の、

 

 私の、

 

 

 

 

 私のせいで?

 

 

 

 

 

 ――――パキリと、何かに罅が入ったような音が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

「はぁっ! はぁっ……! クソッ、どこ行ったんだよアイツ等……!」

 

 蓮太郎は今現在街の中を疾駆していた。

 

 既に一時間以上は探し回ったというのに、目的の人物は影すら見えない。通行人に聞き出してそれらしき情報を得ながら少しずつ近づいては居るかもしれないが、こうも見つからないと自分は本当に正しい方向に進んでいるのか不安になってくる。

 

(情報じゃあレーナらしき子供がバンに乗せられてどこかに付れて行かれたらしいが……クソッ、急がねぇと手遅れになるぞ……!)

 

 通行人から得た情報の中には「子供がバンと並走していた」「子供が凄い速度で凄まじい蹴りを繰り出していた」という、普通の人間が聞けば相手の頭を疑う様な情報も混じっていたが、蓮太郎はソレを『レーナは『呪われた子供たち』だった』という結論を以て思考の中から一蹴した。

 

 今までその事実を隠されていたことに何か思うことが無いわけでは無いが、少なくとも彼女をこうして探している辺りそれは悪感情では無いことはわかる。彼からすれば実害なんてモノは無かったし、むしろ心癒されたくらいだ。

 

 だからこそ蓮太郎は胃が裏返そうな悪寒を覚える。

 

 『呪われた子供たち』が人攫いに遭った。その結果辿る末路などそこそこの知識がある者ならば嫌でも想像できるだろう。故に早く見つけなければならない。取り返しのつかない事態になる前に。

 

「ッ――――あった、アレだ!」

 

 トランクリッドが無残に凹んでおり、一部のサイドガラスも粉々に砕けているバンが外周区付近で無造作に駐車されていた。よく見れば道に血痕が大量に残っており、それは三階建ての雑居ビルまで続いていた。

 雑居ビルは見かけは非常にボロボロで、恐らくここ数年間碌に手入れされていなかったのだろう。しかし最上階部分だけは何故か明りが見えており――――血痕も、そこまで続いていた。

 

 固唾を飲みながら、ゆっくりと外階段を昇っていく。

 

 最上階に着くと蓮太郎は可能な限り声と足音を殺しながら、錆びた金属製の扉に耳を当てた。

 老朽化に寄って防音効果が穴だらけになったせいか、中からの声は難なくハッキリと蓮太郎の耳に入ってくる。

 

『いやぁ、今日も働いた働いた! やっぱ払いのいい仕事はやりがいがあるねェ!』

『赤目を一人攫うだけで数万円なんて、あのお兄さんも中々太っ腹だ。一体どこから収入得てるんだか』

『噂によると自分の作った”作品”を悪趣味な金持ちに売ってるらしいぜ? うへぇ、気持ち悪ぃ』

『ま、俺たちには関係のないことだがな。それより見ろよこの銃を。この前高い金払って闇市で仕入れてきたんだ。羨ましいだろ~?』

『うわぁ、勿体ねぇ。俺なら美味い飯かヤクに金をもっと使うわ』

『テメェも碌でもねぇじゃねえか!』

『『『ハッハッハ!!!』』』

 

 蓮太郎はこの会話を聞いて軽く頭がおかしくなりそうだった。

 

 児童拉致、武器の非正規ルートでの購入、麻薬、人身売買。犯罪行為のオンパレードが碌に防音もされていない扉の向こうで、まるで酒場での会話の如く気軽に話されている。

 自分の中の常識を根っこからひっくり返されるような不快感を感じながらも、蓮太郎は黙って腰の後ろに刺していたXD拳銃を取り出してブローバック。弾倉の一番上にある銃弾を銃身の中に叩きこむ。

 

(――――待てよ、俺は何でこんな事をしている? 俺がこんなことする義理なんて無い。違うか?)

 

 建物の中に踏み入ろうとする寸前、蓮太郎は一度だけ思いとどまって考え直してみる。

 

 彼からして見ればレーナと真璃は数度あっただけの子供だ。そんな子供を助けに態々死ぬかもしれないリスクを払ってこんな事を行うメリットなんて一つたりともありはしない。むしろ希少な弾代が飛ぶだけだ。

 見返りはあったところで少女たちからのお礼の言葉だけだろう。お金を渡されるかもしれないが、子供が持っているお金なんて精々が数千円だ。命を張るには余りにも安すぎる対価だ。

 

 だが、ふと蓮太郎の中に相棒である藍原延珠の顔が浮かぶ。

 

(……なんでこんな時にアイツの顔を思い出してんだ、俺は)

 

 考える。考える。考え続ける。

 

 もし、もしだ。ここで二人を見捨てて素知らぬ顔で家に帰ったとしよう。果たして自分はその事を顔に出さず、一生生きることができるのだろうか。一生、助けられたかもしれないのに見捨てたという選択を後悔し続けて生きるのか。

 

 見捨てて、ようやく仲良くなって、家族の一員として向かい入れた彼女に顔向けできるのか。

 

 

「――――すぅぅぅ……はぁぁぁぁ……クソがッ」

 

 

 自分の頭をワシャワシャと掻いて、蓮太郎は左目に意識を集中する。

 

(――――今回だけ。そして……左目(・・)だけだ)

 

 閉じた目を開くと、彼の左目の黒目部分が回転を始める。それとほぼ同時に黒目内部に幾何学模様が浮かび上がり、蓮太郎の思考はいつもと比べ物にならないレベルでクリアになっていった。

 

(『二一式黒膂石(バラニウム)義眼』――――ほとんど使っていなかったってのに、嫌になるほど絶好調だな)

 

 薄々察しているだろうが、彼の左目は通常の眼球では無い。

 

 この世界でも非常に希少な、世紀の天才レベルでもなければ図面を見ても欠片たりとも理解出来ないような設計によって形作られた義眼型演算装置。その名も『二一式黒膂石(バラニウム)義眼』。一人の天才が手ずから作った、義眼に内蔵された高性能コンピューターによる思考加速と行動予測により人間の動体視力を超越した高速戦闘を可能とする世界最高峰の『目』だ。

 

 本音を言わせてもらえるなら蓮太郎はこの力を使う気はなかった。だが中に居る者達は複数人かつ恐らく重武装。相手の練度がわからない以上、拳銃一つと武術を多少かじっているだけの自分では手に余ると判断する。それに、人命のためならば使える物は使うべきだ。

 たとえそれが自分が最も忌み嫌う人の道を外れた力であっても。

 

 もう一度息を吸って、吐く。そしてまた吸って――――

 

 

「オラァッ――――!!」

 

 

 それを合図に蓮太郎は右足で金属扉を蹴り飛ばし、素早くXD拳銃を構える。思考加速開始。建物の中に居る敵対者の人数を瞬時に把握。正面に三、右隣に一、左奥に一。合計五人。全員が短機関銃で武装。防具は防弾チョッキと質の悪いプロテクターのみ。

 

 その情報を鑑みて、蓮太郎は素早く戦闘所要時間を演算装置から叩き出した。

 

 ――――二十秒。

 

 XD拳銃の引き金を引く。まだ戦闘態勢にすら移っていない奴らの手と足に一発ずつ、正確無比な制度で四〇口径の弾丸を撃ちこんだ。余りの突然の事態に、彼らは悲鳴すら上げられず茫然としている。

 

 二人の片腕と片足に一発ずつ弾丸を撃ちこまれてようやく事態を理解したのか、短機関銃を構えて銃口をこちらに向けてくるが――――遅い。今の蓮太郎からすれば亀の様に鈍い動きだった。

 

 ――――五秒経過。

 

 三人目の手足に弾丸を撃ちこみ終え、蓮太郎はXD拳銃を床に放って廊下を駆ける。何故自分から遠距離攻撃手段を捨てたのか疑問に浮かべるだろう。しかし仕方のないことだ。残った二人は三人目を仕留めた時点で物陰に隠れようとしており、銃弾では威嚇にしかならない。

 

 蓮太郎はそんな時間稼ぎに付き合う気はなく、そんな悠長なことをするより突っ込む方が最善だという結論を導き出した様だ。数メートルの距離を五秒かからず詰め終え、右の角に隠れていた男に体を向けて腕を引き絞る。

 

 ――――十秒経過。

 

 天童式戦闘術一の型八番――――

 

「――――『焔火扇(ほむらかせん)』!!」

 

 蓮太郎の繰り出す渾身のストレートが武装した男の鳩尾に叩き込まれる。メリリッという嫌な音と共に男の体はゴムボールの様に吹き飛び、壁に轟音を響かせながら叩きつけられた。

 

 まだ気は抜かない。素早く振り返り、最期に残った奥に居る男に視線を向ける。

 

「ばっ、化け物ォッ!?」

 

 短機関銃のトリガーが今にも引き絞られそうになっている。流石に思考を加速してもこの密室では短機関銃の連射からは逃れられない。故に速攻。蓮太郎は奥の男に素早く詰め寄り、床を踏みしめた。

 

 ――――十五秒経過。

 

 天童式戦闘術二の型十六番――――

 

「『隠禅(いんぜん)黒天風(こくてんぷう)』ッ!」

 

 高速の回し蹴りが男の持っていた短機関銃に叩き込まれ、あまりの威力に男の手から吹き飛ばされる。蓮太郎はそれに留まらず、足を踏み代えて続く二撃目の『隠禅(いんぜん)玄明窩(げんめいか)』を男の顎に叩き込んだ。

 

 脳を的確に揺らされた男は糸が切れたように倒れ伏せる。

 

 『百載無窮の構え』の構えを取り、静かに残心。

 

 ――――戦闘終了。所要時間、きっかり二十秒。

 

「よし――――早くアイツ等を見つけねぇとな」

 

 この時の蓮太郎は少し楽観視していた。

 

 恐らくこう思っていたのだろう。この五人組は『呪われた子供たち』を殺すのが目的では無く、ただ拉致して監禁しているだけ。そして彼女らが姿を消してまだ一時間だ。更にあの五人には目立った血液の痕はない。つまり彼女らが無事な可能性が高いと踏んでいた訳だ。

 

 蓮太郎は床に放り投げたXD拳銃を回収して、奥へゆっくり進みながら個室を一つ一つ調べて――――反射的にある部屋の前で止まる。

 

 目の前に在る部屋だけ酷く、臭っていた。よく見れば扉の隅々に固まってこびり付いた血液が見える。そしてなにより――――少女の咽び泣く声が、静かに聞こえていた。

 直感的に、此処が彼女らの閉じ込められた部屋だと理解した。しかし本能がこの扉を開けることを拒否している。何故かはわからない。だが蓮太郎の中の何処からか「この扉を絶対に開けるな」という絶叫が反響しているのだ。

 

 その声に逆らって蓮太郎がドアノブに手をかけると、心臓の動悸が早まって肺が圧迫されるような錯覚が増していく。身体の至る所から冷汗が滲み出てくる。

 

 それらを理性でねじ伏せながら、蓮太郎は扉を開けて、

 

 

 

 

 

 

 地獄を見た。

 

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 が滴り落ちる。

 

 唯一の光源である蛍光灯が不安定な点滅を始め、ようやく私は自分が両足で立っていることを認識した。

 

「は――――?」

 

 男がそんな間の抜けた声を漏らした。当然と言えば当然か。先程までの自分と少女の立場が一瞬で逆転して居れば、そんな声も漏らしたくなるだろう。

 

 私の手からは既に拘束具は消え、代わりに男の肩には”ソレ”が男とコンクリートの壁に縫い付けるように突き立っていた。

 

 半ばから千切り折られた逆棘付きのバラニウム製杭が。

 

「なっ、え、あ……? ヒィアアァァァアァァアアアアアア――――ッ!?!?」

 

 男は数分も要してようやく自分の陥れられた現状を理解したらしい。先程とは真逆な無様な悲鳴を上げて泣き喚いている。もしかしたら、自分でこんな痛みを感じるのは初めてなのかもしれない。

 

 散々他人には痛みを強いて来てきた癖に、随分と軟い精神をしている。

 

「なんッ、ばっ、馬鹿なッ!? どうやって、どうやって抜け出したッ!?」

「……見たら、わかるでしょう。杭を折った(・・・・・)。それだけだ」

 

 抜けないなら、折ってしまえばいい。極限まで追い詰められて私が出した答えはそんな強引なモノだった。

 

 もし杭までチタン合金製だったら本当に諦めていただろう。しかし幸いにも杭部分はバラニウム製。鋼鉄よりは遥かに柔らかいソレは、激情のあまり脳のリミッターが外れたのか一瞬だけ発揮された自分でも異常と思える程の怪力により真っ二つに折ることができた。

 そして引き千切ったそれを私は眼前の男に向かって全力で投げつけた。状況が逆転するときに起こったのはそれだけの事だった。

 

 両手には未だに大穴が開いているが、そんなことは些事だ。

 

 そんなのは目の前に居る男を殺すのに比べて遥かにどうでもいい。

 

 床に転がっていた男の”作業道具”らしきバラニウム製の手斧を拾う。血液がこびりついており、錆びだらけだ。とても切れ味が悪そうで、これで切りつけられたら傷口はズタズタだろう。

 乾いた笑いが喉から漏れる。きっとコレを使って男は真璃をあんな出来そこないのマネキンの様に仕立て上げたんだ。

 

 だったらコレを使ってお返しをちゃんとしないと、ね?

 

 男の方へと一歩近づく。

 

「くっ、来るなァッ! 化け物ォ! お、お前たちなんて生まれてこなければ良い存在をぼっ、僕は存在意義を与えているんだぞ! お前らにィ!! お前らみたいなガストレアの出来そこないにィィィ!!!」

 

 その言葉を無視して、私は男の右肩に手斧を全力で振り下ろした。

 

 肉が潰れる音と骨が砕ける音と共に、大きな肉塊が鮮血と共に宙を舞う。

 

「…………あ?」

「まずは、右腕」

 

 そのまま斧を構え直し、有無を言わせないまま男の右耳に向かって斧を一閃。男の右耳が半ばまで切断され、残りは力で強引に引き千切る。

 

 面白いくらいに血が吹き出すのを見て、思わず笑みを浮かべた。

 

「あ、ぁあ、ひ」

「もう片方の耳も、ね」

 

 宣言通り残りの耳も斬り飛ばす。

 

 さて、次は目だな。ちゃんとくり抜けるかな。

 

「やっ、やめろやめろやめろォ!! ぼっ僕はお前なんかにィッ、こんな所でお前なんかに殺されていい人間じゃぁぁアあァァぁああアァぁあァぎヤがあァァアあァああぁァァぁぁあアアァああああ――――ッッ!?!?」

 

 訳のわからないことを言う男を無視して私は彼の右目に思いっきり親指を突っ込み、グリグリと掻き回した。念入りに、神経まで使い物にならないくらいにぐちゃぐちゃに押しつぶす。

 

 ああ、目はくり抜く筈だったのに潰しちゃった。ああ、失敗失敗。でもまぁ、結果的に見れば変わらないか。

 

 私は斧を床に放り捨て、代わりに外科用のメスを手にした。なんと世にも珍しいバラニウム製のメスだ。『私たち』にとっては恐怖すべき代物だが――――それは男に取っても同じ事か。

 

 喚く男が何やら怒号を飛ばしているが無視。遠慮なく私は手に持つメスを男の服越しに腹へと突き刺した。そして、そのまま横一線に薙ぐ。

 

「あはっ」

 

 押さえを失った臓腑が溢れ出した。赤黒いそれは嫌悪感だけを咽び返すが、私は何故か嫌悪と同時に歓喜を覚える。憎たらしい男の無様をこの目にできたからか。

 

「あぁぁああぁぁああ許して嫌だいやだこんなゆるしてくださいおねがいしますゆるして」

「うるさい」

 

 しかし一線を越えると見るに堪えないと脳が判断し、反射的に手に持ったメスを男の頭に突き立ててしまった。

 

 男は一瞬呆け、そのまま白目を剥きながら泡を吹いて沈黙。

 

 死んだか?

 

 死んだだろうか?

 

 死んだ。死んだ死んだ死んだ!!

 

 

 

「あはハハはハはははハはははハハハははははハははははハハはははは!! アッハハハはハはハはははハハはハハハハハハはハハはハハハハ!!! ……あハっ、あ……うぷっ、お、ぁ――――」

 

 

 

 ひとしきり笑って、頭が冷えて、自分のやった所業の生々しい悪寒に理性が拒否反応を起こして胃の中にあったものを全てその場で吐き出した。

 

 自分は一体何をした? 人を殺したのか? 笑いながら?

 

「う、あぁ、あ、あっぁ」

「れ、な――――ちゃ、ん……?」

「ま、り……真璃、真璃真璃ぃ!」

 

 ハッと、彼女の声を聞いてようやく正気を取り戻した。そうだ、早く彼女を病院に連れて行かないと。

 

 バラニウム製のメスで切り刻まれたのか、全身にはおびただしい量の斬り傷があり、そこから止めどなく血液が流れ出ている。荒々しく切断された腕に関しては傷口が酷過ぎて吐き気すら催す様だ。一秒でも急がないと、間に合わない。早く、早く――――ッ!!

 

「大丈夫、悪い奴はもうやっつけたから。今すぐ私が真璃を助けて――――」

「れー、なちゃん……ごめ、んね? こんな、事に……巻き込ん、で」

「何で謝るんだよ!! 悪いのはこいつ等だ! 真璃は何も悪くないんだよ……!」

 

 ――――もし彼女が、他の『呪われた子供たち』を助けようとしなければこんなことにはならなかったのではないか?

 

 そんな考えが脳裏をよぎり、思わず胃液を口から零す。違う、そんなことは、無い。

 

「でも……私は、愛されて、生まれてきた、から……皆にも、幸せを、分けて……あげ、ないと……ちゃんと、守って……あげない、と……」

 

 掠れた声で、わずかに聞こえる声で、彼女は言葉を紡ぐ。

 

 まるで遺言を残すように。

 

「生きて、いれば……ちゃんと、幸せに、なれるって……」

「死んだら意味ないだろッ!! もう喋るなァ!!」

「えへ、へ……もう、痛いのも、わからなく、なってきたなぁ……イーヴァ……怒るだろうなぁ……」

「嫌だ……いやだいやだなんでなんでなんで!」

 

 否定の言葉しか口にできなかった。

 

 目の前に在る現実をどうやってでも拒否したくて。

 

 真璃は、虚ろな目のまま空へと手を伸ばす。

 

 

 

「レーナ、ちゃん……ハッピー、バースデー…… これからも、みんなで……仲良く………生き、て……生き続、けて…………あ、ぁ……お母、さ………………」

 

 

 

 空へと伸ばされた手は、力なく床へと落ちた。

 

 頭の中が空っぽになる。

 

 なんだこれは。

 

 

 

 気が付けば、目の前には誰かが立っていた。

 

 呆けた表情で視線を上げれば、彼も私を見て絶望に歪められた顔を向けていた。アレは、誰だったか。ああ、そうだ。里見、里見蓮太郎だ。どうして彼がここに居るのだろう。助けに来てくれたのだろうか。

 

 彼には申し訳ない思いだ。

 

 きっと彼の行った事のほとんどが徒労に終わったしまったと思うから。

 

「レー、ナ……それは、真璃、なの、か……?」

 

 その問いには答えない。

 

 答えたくない。

 

 言葉を紡げば現実を認めてしまいそうで、私は自分でも驚くほど感情の消えた声で、彼に一つの問いを投げかけることしかできなかった。

 

 

「里見さん」

 

 

「私は」

 

 

「『呪われた子供たち(私たち)』は」

 

 

「こんな事をされるために生まれてきたのでしょうか」

 

 

 そこから先の記憶は、もう思い出せない。

 

 

 

 




殴って良し、飾って良し、○○○して楽しんで良し!

『呪われた子供たち』を使った手作り達磨(意味深)!今なら何と一つ当たり○万円!絶望した表情と悲鳴が気に入ること間違いなし!是非お電話を!




実を言うと目の前でじわじわと解体されていく様子を描写したかったんだけどね、うん。精神的にノイローゼになりそうで無理だった。


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九話:混迷とする心

ストック尽きた(絶望)。


 曇り空だったはずの空は、やがて雨雲となり大量の雫を振らせている。激しい雨音が耳を叩く度に、安物のビニール傘を差しながら二人の帰りを待っているイーヴァこと私は苛立ちを加速させていた。

 

 二人が出かけたのがおおよそ午前七時前後。そして現在、既に昼を通り越して午後の六時に到達しようとしている。ただ出かけて少し遊んでくるだけだと言った癖に、この時間の長さは明らかに「遊び」の度を過ぎていた。

 別に出かけるのは構わない。遅れるのも、理由があるなら納得しよう。しかし待たされる側の気持ちも考えて欲しいと、私は心の中で毒づいた。

 

「たいちょー、二人はまだ帰ってきてない?」

「……ああ、ご覧の通りにな」

 

 ひょい、とブルーシート張りの教室から出てきた佐奈が私の差している傘に入ってきた。

 

 どこで教育を間違えたらこんなベタベタするような奴になったんだと私は過去を軽く反芻してみる。

 

 私が佐奈と出会ったのは大まかに五年前だ。その時の佐奈の年齢は二歳。しかし彼女の精神は重度の虐待と悲惨な食生活により荒み切っていた。いくら肉体的な損傷を修復できる『呪われた子供たち』とはいえ、精神的な傷や空腹には勝てないのだ。

 

 佐奈は他の『呪われた子供たち』の例に漏れず一般家庭で生まれ落ちてしまった子供だった。当然、彼女が置かれた境遇は最悪と言っても過言では無い。特に、彼女の場合は感染したウィルスの因子により、生まれつき背中に蜘蛛の足があるという一般人にとっては異形と言っても差し支えない見た目であったのだ。

 むしろ生まれてすぐに殺されないだけマシだったのかもしれない。

 

 彼女の両親は最初こそ佐奈を殺そうとしたが、一般家庭で生まれ育った彼らに最低限人の形をしたモノを殺せる度胸はなかったらしく、殆ど隔離に近い形で育てて――――否、体のいいストレス発散の道具として”運用”されていたようだった。

 

 そんな生活を二年以上に渡って強いられ、彼女は精神的に追い込まれた末に本能的に両親を殺害。原因は粘着性の高い糸で口と鼻を塞がれて窒息死らしい。

 

 以上が、私が個人的な伝手と新聞や噂話をなどの情報を基に調べ上げた彼女の大まかな経歴だ。

 

 それで、佐奈との出会いはそこまでロマンチックなものでもなんでもない。佐奈が路地裏で本能のまま生ゴミを漁っているときに、偶然彼女を見つけた私が保護しただけの事だ。

 

 しかしその際に何らかの刷り込みが発生したのか、佐奈は異様なまでに私の事を慕うようになってしまった。少なくとも友情や親愛を通り越したと言えるほどには。

 

(別に禁止するほどではないんだけどな……少しは自重というのを覚えてくれないものか)

 

 特にソッチの気はない私にとってはその愛情の大波は少々辟易してしまう。

 

「リーダー、そろそろ探しに行った方が良いんじゃ?」

「あと十分だけ待つ。それでも帰ってこなかったら本格的に捜索開始だ」

「うーん……二人とも、大丈夫かなぁ」

「……この大雨じゃ、飛んで探せない。……面倒」

 

 待ちくたびれたのか、リザとアクィラも教室から出てきた。因みに傘は私の持つ一本しか無いので、二人とも雨に打たれて直ぐにずぶ濡れになってしまう。しかし二人とも特に気にする様子はない。リザはモデルになった動物の因子の影響で抵抗が無い様だが、アクィラはその経歴から耐性ができているだけなのか。

 

 少なくとも私は耐えられないな、と肩を軽くすくめながら私は二人をじっと待ち続ける作業を再開させた。

 

 まだ四歳……いや、今日で誕生日を迎えて晴れて五歳となったレーナの戦闘力はお世辞にも高いとは言えない。因子由来の特殊能力らしきものが発現してないならば一応、身体能力の増幅倍率限界が著しく高い場合が多いので育てれば化ける可能性こそ大いにあるが、アレはまだ磨かれていない原石だ。

 

 どんな宝石でも未加工ではただの石ころと変わらない。故に時間をかけて、ゆっくりと磨いていくのが重要だ。だからこそ既に成長限界に到達している真璃を同伴させた。

 

 因子由来の特殊能力に成長が特化している故に身体能力こそ戦闘向きでは無い因子持ちと大差ないが、既に四年以上戦い続け豊富な実戦経験を持つ彼女ならば余程のことが無い限りは安全だ。

 

 一応、『呪われた子供たち』の虐待現場に居合わせると確実に暴走するという欠点があるものの、相手が拳銃で武装したチンピラなら数分かからず撃退できるだろうと私は確信している。長年共に戦い続けたが故の信頼だ。

 

 ……しかし、その余程の事態。重武装した集団に一斉に襲い掛かられた場合の事を想像すると身が凍る思いだ。

 

 いくら身体能力が常人よりも遥かに高い『呪われた子供たち』とはいえ、限界というものはある。戦闘特化の練度の高い『呪われた子供たち』ならば例え機関銃の一斉掃射ですら凌いで見せるだろうが、真璃は違う。万が一、フルオートの重火器で複数人から一斉攻撃されれば彼女とて無事では済まない。

 

 それに虫の知らせと言うべきか、先程から私の胸の内からは嫌悪感しか刺激しない何かが溢れそうになっていた。生物としての直感とも表せるそれは、徐々に激しく警鐘を鳴らしていたを。

 

 それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のではないか、という予感が。

 

 

「――――あ、見て見て! 誰か近づいてくるよ!」

 

 

 まず最初にソレに気付いたのはリザだった。言われて見渡せば、雨の中で何か大きな人影が近づいているのが見える。子供が何かを背負っているようなシルエットだ。

 

 それを見て私は、自分の心配が杞憂に終わったかと安堵した。様子から察するに、真璃かレーナ、あるいはどちらも遅くまで居眠りしてしまい帰りが遅くなった、そんなところだろうと。

 

 だが、アクィラの纏う空気が一変するのを肌が感じ取る。振り返れば――――一切の感情を消した真顔を浮かべた彼女が居た。

 

「……アクィラ?」

 

 

「――――シル! 子供たちを絶対に外に出さないでッ!!」

 

 

 切羽詰まった絶叫に近い叫び声を、彼女は教室へと飛ばした。

 

 その声を聞いて教室内がざわついたが、シルがすぐに収めたのか静かになった。そのせいで周囲から雨音だけが嫌に木霊する。

 

 まるで何かのカウントダウンの様に。

 

「アクィラ、何を見た」

「…………………………」

「アクィラァッ!!」

 

 自分でも訳が分からず声を荒げてしまった。何故? と疑問符を浮かべる前に――――私はソレを視界の中に入れてしまった。

 

 グチャリ、と泥を裸足で踏む小さな音が雨音の中で嫌に響く。

 

「……お前、レーナ、か?」

 

 今朝見た時と比べて、今の彼女は別人のように変わっていた。朝の彼女は少しだけ大人びた子供だったというのに、背中に布をかぶせたナニカを背負っている今の彼女はまるで戦争帰還者の様に泥の様な目をしていた。

 目に光は無く、表情も石の様に固くなっていて、何よりその右手に持っている物はこの場に在ってはならない物だった。

 

 

 何故、子供の右腕なんて持っている?

 

 

 それは、誰の腕だ?

 

 

「たいちょー……これ、まさか……」

「そんな……嘘だよね……?」

 

 

 佐奈とリザが震える声を漏らした。子供の腕を見たから? いいや、あの二人はそんな物を見た程度でそんな声を出すような者では無い。

 少なくともリザは先代リーダーの死を見ているし、何より彼女は「とある性質」により生死観が破綻している。子供の腕を見た所で動じることは無い。佐奈も子供を死体を目撃しても顔を少し歪めはするが、すぐに切り替えのできる性格だ。

 

 ならどうして、そんな彼女らがこんな声を出す?

 

 答えは簡単だ。

 

 そんな声が出てしまうほどの事態だという事だ。

 

「レーナ、背負ってるものは、なんだ」

「………………………」

「答えろ」

「………………………」

「答えろって言ってんだろうがッッ!!!」

 

 怒りのままに私は傘を放り捨てながらレーナの許へと近づき、彼女の背負っているモノに被っているボロ布を剥いだ。

 

 そして私の見たモノは、

 

 

 モノは、

 

 

 

 ()、は――――――――

 

 

 

 

「…………………………マリ?」

 

 

 乾いた笑みだけが、喉から零れ落ちた。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 雨音をこれ程重々しく感じたことは、無い。しかしここまで自分の身が濡れることに何も感じないこともまた、無かった。

 

 空っぽの笑みすら浮かべられない。

 

 心はまるでスプーンでくり抜かれたように空虚感だけが占めている。

 

 唯一確かに感じられるのは、右手に握った大切な人の右腕の感触だけだった。

 

「―――――――――何が、あった」

 

 口を開こうとする。だけど力が入らない。まるで筋肉の隅々まで鉛を流し込まれたように身体の挙動が重々しく感じた。呼吸するだけでも、普段の数十倍の体力が消費されていくように錯覚してしまう。

 

「おい、答えろよ。答えろォォォォオオオオッ!!!」

 

 胸倉を掴み上げられ、その拍子に背負っていた真璃の遺体が地面へと崩れ落ちる。

 

 その様が嫌でも苦しくても、今も否定し続けている現実を突きつけるようで。目から流れているモノが涙なのか雨なのか、自分でもわからなくなってくる。

 何が現実で何が夢なのか。いっそのこと、今日起こった出来事全てが夢であってくれと願う。

 

 だが、現実だ。

 

 これが、現実なんだ。

 

 畜生が。

 

 

 

 ポツリ、ポツリと、私は事の経緯を可能な限り細やかに、機械の様に口にし始めた。

 

 真璃と皆へのプレゼントを買ったこと。私の分を買い忘れて真璃が一人でショッピングモールに戻ったこと。そこでどういう経緯かは知らないが、真璃が危機的状況であっただろう『呪われた子供たち』を助けようとしたこと。真璃が重武装した集団に敗北したこと。私も彼女を救出しようとしたが手榴弾の直撃を受けて敗北したこと。『呪われた子供たち』を”加工”だのなんだのとほざくサイコパスに捕まったこと。真璃が私の身代わりになってこんな体になったこと。拘束から抜け出して男を殺すことに成功したが、真璃の救出は間に合わなかったこと。

 

 全てを、話した。

 

 それを聞いている間、終始真顔のままだったイーヴァは、ついに私の胸倉を離した。そのせいでぬかるんだ地面に尻もちをつくが、痛くても心が何も感じない。そんな物はもう私にとってはどうでもいいモノだった。

 

「…………なぁ、今日、マリがどうして、お前と一緒に出かけたかったのか、知ってるか?」

 

 どうしてだろう。わかんないや。

 

 答えてくれそうな人が、居ないからか。

 

「今日が何の日か、わかるか」

 

 知らない。知りたくない。

 

 それを知ってしまえば、全部繋がってしまう。

 

 

 

「マリはな――――お前の誕生日を祝うために、お前と出かけたんだよ」

 

 

「だから、私も許可した」

 

 

「止めればよかった」

 

 

「ぶん殴ってでも、止めなくちゃならなかった」

 

 

 

 彼女は、私の誕生日を祝うために外へと足を踏み出してしまった。

 

 『呪われた子供たち』に取って誕生日は縁遠いものだ。正確な出生を知る前にそのほとんどが捨てられるか死ぬのだから。故に、真璃や私の様に出生日が明確にわかる者はとても希少なのだろう。

 

 だが真璃は誕生日になっても何も求めなかった。

 

 私もそう言う決まりなのだろうと思って、誕生日など気にも留めていなかった。ただ単に五歳になる日というだけだという認識だった。

 

 しかしそれは致命的な勘違いだったのだ。

 

 真璃は貰うことは拒否しても、与えることは進んでやる。彼女の本質は献身。故に、誕生日を迎えた私に何かしらのプレゼントを与えようとしていたのだろう。

 私が誕生日の事をすっかり忘れていたのも利用して、きっと驚かせる魂胆だったのかもしれない。

 

 結果的に、最悪の形で驚くことになってしまったが。

 

「ははっ、あっはははは、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!

――――クソがァァァッ!! なんでッ、お前が、こんなっ、こんなぁぁぁぁああああ――――ッ!!」

 

 イーヴァが怒りに任せて瞳を赤く変えながら何度も地団駄を踏む。その度に地面は抉れていき、小さくない揺れが周囲一帯を襲う。

 しかしそれを止める者は誰もいない。全員が真璃というかけがえのない存在の死に動揺しているのだ。あの鉄面皮であるアクィラさえも真顔のまま何度動きも見せなかった。

 

 地面に崩れ落ちていた私の髪をイーヴァが乱暴に掴み上げる。痛い。でも、抵抗する気が起きない。

 

 

「お前がッ――――お前がぁぁぁぁあああああああああ!!!!」

 

 

 頬にイーヴァの握り拳が叩き込まれた。ミシリと音がして奥歯に罅が入り、前歯が一本程口から放り出しながら私は吹き飛ばされ、地面の上をのたうち回る。

 

 しかし風切り音がした瞬間――――私の体に鋭いスタンプが叩き込まれ、回転は停止。代わりに私の口からは肺の中の空気と何処からか出血したのか血液が這い出てきた。

 

「ご、はぁ、あがっ――――」

「何故だッ! 何故アイツを見殺しにしたァッ!! 目の前に居たんだろうがッ……! 助けられたんだろうがァ!! なのにお前はッ、呑気に寝ていたのか!!? アイツが、目の前で、こんな身体にされていたって言うのにッ!! お前はァッ!!!」

 

 私に対して馬乗りになったイーヴァは、その拳を振り上げて、何度も振り下ろした。

 

 一回、二回、三回――――頬が殴られるたびに骨が砕ける音がする。だけど相変わらず痛みを感じない。生暖かい血だけが口の中に溢れていく。

 

「お前なんか拾わなければよかった……!! こんな事になるなら、あの時さっさとマリを連れて帰っていればッ……!! こんな、こんな事は起きなかったんだッ……!! なぁっ、おい! どうにか言えよォ!!お前がッ、お前が殺したんだろうがァッ!!! お前がァァァァアアアアアア!!!」

 

 殴られた方の頬が、まるで水風船のように膨らんでいる。それを呆けて眺めながら、私はイーヴァの振り上げられた拳に視線を移した。

 

 ――――ああ、アレは、受けたら死ぬな。

 

 恐らく加減無しの全力の拳を私の顔面に振り下ろす気だ。受ければ地面に落とした柘榴の様な愉快な頭蓋の出来上がりだろう。そんな事を、まるで他人事の様に思考する。

 

 怖くはない。理解して居るからだ。彼女には私を殺す権利がある。親友を見殺しにした私は、彼女からすればさぞかし目障りだろう。

 私も、もう生きる気など欠片も無い。

 

 なら、せめて最期にこの命を有意義に使おう。イーヴァの怒りの晴らし所として。恩を仇で返したのだ。最期くらいは、この人達の役に立ちたい。

 

 

 拳が引き絞られる。そして、振り下ろされて――――

 

 

 ――――パァン!!!

 

 

 その寸前に、銃声と共に放たれた一発の銃弾がイーヴァの腕を貫いた。

 

 突然の出来事にイーヴァの顔から怒りが抜けて、彼女は銃創の出来た腕を呆けながら眺めた。力を解放しているというのに、傷は未だくっきりと残っている。バラニウムの弾丸で撃たれたのか。一体誰に。

 

 視線だけを動かせば、イーヴァの背後でアクィラがリボルバーを構えていた。

 

「アクィ、ラ……どういう、つもりだ。お前」

「――――それは、こっちの台詞。リーダーが庇護対象を殺そうとするなんて、どういうつもり」

「ふざ、けるなよ。こいつはっ、マリを、殺したんだぞッ!!」

「……一度頭を冷やした方がいい。それに――――私たちはいつ死んでもおかしくないと、貴方は言ったはず。それともあの台詞は、出任せ?」

「お前ェッ!!」

 

 激昂のままイーヴァがアクィラへと襲い掛かろうとしたが、その前に彼女は引き金を引いた。

 

 放たれた物体がイーヴァの額に叩き込まれる。一瞬私の思考が止まった――――が、イーヴァに当たって地面に転がったソレは金属の弾丸ではなく、ゴム製の玉だった。

 しかし非致死性とはいえ、それなりの質量を持った物体が炸薬により加速されて生み出されたエネルギーは馬鹿にできない。見事に直撃を受けたイーヴァは脳を揺らされて、その場で目を剥いて倒れ伏してしまった。

 

「……リザ、佐奈。この馬鹿を中に運んで」

「…………了解」

「なんで、こんな事にっ……」

 

 倒れ伏したイーヴァはリザと佐奈に引き摺られて、ブルーシートの向こうに消えていった。途端に小さく騒ぎが聞こえるが、雨音のせいで何を言っているのかは、聞こえなかった。

 

 泥を踏む音がしてそちらを向けば、アクィラが真顔で私を見下ろしていた。

 

 何を考えているのかはわからない。彼女はそのまま数秒間だけ私を見て、何も言わずに踵を返してしまう。それを見て、私はようやく心に温度が戻った。

 

 とても、冷たいものではあったが。

 

「待っ、て……わっ、私、何を、すれば――――」

 

 

「――――勝手にすればいい」

 

 

 切り捨てるように、彼女はそれだけを言って青い壁の向こうへと姿を消した。

 

 ざぁ、ざぁと、無機質な雨の音と冷たい雨だけが私を包み込む。皆の方へと手を伸ばそうとして――――やめる。そうだ、もうあそこに私の居場所は無い。

 もう、居場所なんて何処にも無いんだ。真璃を殺した私なんかに。

 

「あ、あは、っ――――」

 

 仰向けになっていた身体をゆっくりと起こして、私は自分の家があった場所から反対の方向へと歩み出した。

 

 その歩みは最初こそ亀のように鈍いものであったが、少しずつ、少しずつその歩みは早くなる。此処に居てはいけないという強迫観念がやがて全身に染みわたり、数分後には私は既に全力疾走を始めていた。

 現実から逃避するように、情けなくも私は皆の前から逃げたのだ。もう罵倒すら受け入れられる余裕が、私の中には残っていなかったから。

 

 

 

 

「ぁっ、あぁぁああっ――――あぁぁぁああああアァぁぁああァあああぁァアああぁああああアアアアッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る、走る、走る。力の限り叫びながら走り続ける。

 

 ぬかるんだ地面に足を滑らせて転んでも、そこらに転がった小石につまずいて擦りむいても、両脚の銃創から夥しく血が出てもただ走り続けた。もう何処にも行く場所なんてないのに、無駄な足掻きだというのに、今はそれしかやることが思いつかなかった。

 

 もう何十分、何時間走り続けただろうか。周囲は見たことのない建物だらけで、自分のいる場所が何処かわからない。だけどそんなの、もう関係無いだろう。

 

 どれ程走り続けたのかはわからないが、精神的な疲弊により私の中から走る気力が尽きた。肉体が健康でも、精神が病んでいれば意味は無い。肉体と精神はどちらも健康であって初めてその力を十全に発揮するものだ。

 

 段々勢いを増してきている雨音と水たまりの上を歩く水音だけが聞こえる。ぼうっとしながら歩いていると、やがて足がもつれて私はその場で顔面から勢いよく地面に叩き付けられた。

 

「………………ぁ、はっ」

 

 最後の気力を振り絞って、私は身体を仰向けに姿勢を変える。

 

 雲の向こうにあったであろう日の光は既に消えており、何の光も通さない漆黒の帳だけが空を覆っている。辛うじて見える光は街灯の頼りない光くらいだ。

 かつて願いを託したはずの星の光は、見えず。

 

 たった、たった一度の失敗で人生という代物は此処まで堕ちることが出来るのかと、思わず冷笑を浮かべた。

 

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 

 確かに悪い事はしてきた。生きるためという大義名分を掲げて他人の物を奪って生き続けてきた。これがその報いなのだろうか? だとしたら――――ふざけるなと、高らかに叫びたい。

 

 私たちを此処まで追い込んだのは誰だ。

 

 必死に生きようとしている少女を罵りながら虐げようとする奴らに罪は無いのか。

 

 何故、私たちだけがこんな目に遭わなくてはならない。

 

 誰が間違っている? 『呪われた子供たち(私たち)』たちか? 『奪われた世代』か? この世界を滅茶苦茶に荒らし回っているガストレアか?

 

 ――――いいや、違う。どれか一つが正解なんてモノじゃないんだ。間違っているのは、

 

 

「――――――――全部、間違っているんだ……!!」

 

 

 力を持っていながら怯えて抗おうとしない『呪われた子供たち』も。

 

 その胸の内で滾らせている憎しみを向ける方向を間違えている『奪われた世代』も。

 

 世界の全てを破壊し尽くした忌々しい怪物(ガストレア)も。

 

 全部間違っていた。そして、それを誰も直そうとしない。直そうとしている人間がいても、大勢がそれを邪魔しようとする。こんな壊れ果てた世界の方が、憎しみを晴らすのに都合がいいから。

 

 そして不幸にも、そのツケは『呪われた子供たち(私たち)』へと押し付けられる。ガストレアの所業も、『奪われた世代』の憎悪による被害も、全部私たちへとぶつけられる。

 

 私たちが、抵抗しないことを良いことに。

 

 

「誰かが、立たないと……ッ!」

 

 

 早く誰かがこの連鎖を止めなければならない。壊れかけの世界を壊し尽くして作り直さなければならない。でなければ、真璃の様な被害者が増え続けるのを止めることはできない。

 

 一瞬だけ、自分がその役を引き受けようと考えて――――やめる。

 

 もう、疲れた。

 

 休もう。

 

 朝になる頃には、きっと楽に――――

 

 

「…………………………、ぁ」

 

 

 閉じかけていた瞼の間から車のヘッドライトらしき明りが差し込んできた。私はどうやら車道の上で寝転がってしまったらしい。無意識に笑いが口から零れた。此処まで生き長らえておいて、最期は轢死か。あっけない物だ。

 どうせなら、苦しまない様に頭を踏みつぶしてほしい。いや、痛いかもしれない。

 

 まあ、どうせ死ぬなら、どうでもいいか。

 

 瞼を閉じる。

 

 

 

 

「……………ぇ?」

 

 何時まで経っても”その時”はやってこなかった。

 

 薄く瞼を開けば、どうやら私の方に向かって来ていた車が急停止したらしい。流石に子供を轢き潰すのは気が引けたのだろうか。一思いにやってくれて良かったのに。

 

「待ってくださいお嬢様! 困りますよ、急に飛び出されては!」

「喧しいわ! 目の前に子供が寝てるのに気づいてもいなかった癖に、自分なに偉そうに言うてるん!」

「も、申し訳ございません……」

 

 疲労からか、可能な限り瞼を開けようとしても視界がぼやけていて何が起こっているのかさっぱりわからない。

 

 声だけ聴けば、どうやら「お嬢様」と呼ばれた者が運転手と口論をしているようだが。もしかして目の前に私が居たことに気付かなかったせいで怒られてしまったのだろうか? それは、申し訳ないことをしてしまった。

 

「自分、どうして此処で寝てるん? 親とはぐれた……訳でもなさそうやし……」

「お嬢様、この身なりは恐らく外周区の子供かと。珍しいですね、こんな内地にまで姿を見せるなんて……」

「怪我は……無さそうやな。でも――――生きる気力を無くしてしもうたみたいやね」

「はっ? お嬢様? 一体何を……」

「ほら、早うこの子乗せる準備するんや! ウチの家までは運ぶで!」

 

 身体が一瞬だけ浮遊感を感じた。

 

 一体、何が起こっているんだろう。ぼやけた視界のまま、私は自分を持ちあげただろう人の顔を見る。

 やはりよく見えない。しかし、どうしてだろうか。彼女がとても、優しい笑顔を浮かべているような気がするのは。

 

 

「もう大丈夫やよ。ここで出会ったのも何かの縁。元気になるまでウチがしっかり面倒見たる」

 

 

 そんな、優しさに満ちた言葉を最後に私の意識は落ちた。

 

 この出会いが、自分の運命を大きく変えた分水嶺だとも知らずに。

 

 

 




この人がここで登場するのを予想できた人はいたかね?
ちなみに私は別に関西生まれでもなんでもないので関西弁台詞は怪しいかもしれない。
出来るだけ頑張るけど、変だと思ったら指摘して、どうぞ(謎の上から目線)


イーヴァちゃんキレ過ぎぃ!と思う人がいるかもしれないけど、物心つく以前からずっと共に生き抜いてきた自分の半身とも言える相棒が突然惨死体となって現れたらね、八つ当たりくらいしたくなるよ。
度が過ぎていると言われたらぐうの音も出ないけど。


前書きに書いた通りストックが尽きましたので次回からは不定期更新となります。頑張って早く作るようにはするけど遅筆だから期待はしないでね……。


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十話:一条の希望

次回から不定期更新だと言ったな、アレは嘘だ。

完成途中のものを急遽仕上げたものです。次回からはマジで不定期になります。


 ほんのりと、優しい香りが鼻腔を擽り、暖かな温もりが身体を包んでいることに気付く。

 

 生まれて初めての心地よい目覚め。下水道から発せられる臭気のある暖気でもなければ、ごわごわとしたボロ切れの様な毛布によって生まれる頼りないモノとは比べ物にならないほどの気持ちよさだ。

 

 もし、今私が居るのが天国だというのならば信じられる。今まで味わってきた不便な生活からくる不平不満を全て根こそぎ吹き飛ばすような快感。何時までもこうしていたいという魔力に満ちている。

 

 だがそれはあり得ない。

 

 私の様な者には、天国など似合わないのだから。

 

 辛うじて心地よさの魔力から抜け出し、私は普段より何倍も重々しい瞼をゆっくりと開ける。するとどうしたことか、夕焼け色の光が瞼の隙間から入ってきた。しかし決して眩しいと思うほどの光量ではない。襖一枚を隔てて部屋に入ってくる夕陽の光は、まるで母親の抱擁のように私の目覚めを優しく促進してくれた。

 

 

 ――――襖?

 

 

 今度は目を開き切る。

 

 まず目に入ったのは木張りの天井と、四角型のLED電灯。首を左右に動かせば、部屋一面に敷き詰められた畳と自分の居る部屋を囲んでいる障子や襖が見えた。更に目を凝らせば、所々に焼き物や刀、盆栽等々、高級そうなものが散見できた。

 

 一体此処は、何処なのだろうか。その手のホテルの和風に仕上げた高級部屋だと言われても納得できる程のクオリティ。少なくとも一般家庭ではまずあり得ない。

 この様な和風趣味全開の金に糸目を付けないと言わんばかりの飾りつけなど、それこそどこかの企業の社長でもなければまず無理だろう。

 

(……確か、「お嬢様」って聞こえた。と言う事は、まさか)

 

 運よく、そこそこのお偉いさんかその娘さんに拾われた、のか? 偶然にしてはいささか出来過ぎているような気が否めないが、起こってしまったのならば信じるしか無いだろう。

 

 これを大半の者は幸運と呼ぶだろうが――――私にとっては、酷く不幸としか思えなかった。

 

 あそこで野垂れ死ぬつもりであったのに、何故拾ってしまったんだ。

 

 誰にも迷惑なんてかけずに、無様をさらしながら死ぬはずだった。なのに、どうして。天は私にまだ生きろというのか。まだこの地獄を味わい続けろというのか。畜生が。

 

 途端に胸の内に染みわたり始める自己嫌悪の感情に堪えが利かず、歯を食いしばりながら私は体を温めていた布団を頭までかぶせる。

 

 ――――私は……死ぬことすら、許されないというのか。

 

 自嘲の笑い声が零れる。

 

 楽になるなんて許さない。一分一秒でも長く苦しみ続けろと言われているようで、酷く泣きたくなった。いっそ舌を噛み切って死んでみようか。いや、どうせ再生して終わりか。

 

 今までは丈夫な体が便利なものだと思っていたが、今となっては不便なものだと思えてしまう。

 

 バラニウム製の武器があれば、いや、一発の弾丸さえあれば脳漿を撃ち抜いて、早く楽になれるのに。

 

 

「――――あ、起きたみたいやね」

 

 

 未だに朦朧としている意識をの欠片をかき集めながら、私は布団の隙間から声のする方向へと目を向けた。

 

 ウェーブのかかった長く艶やかな黒髪に、陽に照らされた黒曜石の様に美しく光る黒目。それを明るい色の和服が元来持つであろう大和撫子の如き魅力を最大限まで引き出しており、思わず見とれて被っていた布団を無意識に跳ねのけてしまう程の美少女がそこに居た。

 

 ああ、なるほど。確かにこれは「お嬢様」だ。百人が見て全員が同じ答えを出すだろうと確信するほどの。

 

「よかった~。もう丸一日近く目を覚まさへんから心配したんよ~」

「あ、あの……ええと……」

 

 気が付けばその和服少女は手を伸ばせば届いてしまうほどの距離に近付いていた。

 

 別に美形に耐性が無いわけではない。身内ゆえに甘い判定なのかもしれないが、私の周りにいた『子供たち』もかなりの粒揃いだった。後数年もすれば、『呪われた子供たち』というレッテルさえ無ければそれはもうモテモテになると思えるくらいには。

 

 しかし目の前に居る少女はレベルが、次元が違いすぎる。前述の『子供たち』が原石ならこの少女は磨かれ抜かれた最高級の宝石そのものだった。あまりの輝きに私が意味も無く恥ずかしがっているのがその証拠だ。

 

「あ、此処はウチの家や。今用意できる一番の部屋を用意したつもりなんやけど……どこが不便とか感じたなら、遠慮なく言ってくれても構へんよ?」

「だ、大丈夫、です……とっても、よく眠れました」

 

 少なくとも、悪夢などの類を見ることなくゆっくりと眠ることはできた。布団も枕もフカフカで気持ちよかったし、いつの間にか着替えさせられている寝間着用の浴衣も肌に優しい素材で出来ている。

 今までとは比べ物にならないレベルの整った環境で快眠できないなら、私はこれからどうやって寝ればいいんだって話だ。

 

「うふふ、そんなに緊張しなくてもええよ。別に取って食ったりはせえへんから」

「……あの、どうして、私を」

 

 彼女の言葉に一時の安心を覚えながら、私は今一番疑問に思っていることを彼女へ質問した。

 

 あの時保護された際の私の身なりは弾痕と裂傷、更に血や泥などで汚れ切った薄汚い服であり、明らかに浮浪児のソレだ。彼女の様な高級感溢れるお嬢様に助けられるような義理など何一つ持ち合わせていないというのに、そもそも初対面だというのに、どうして私を助けたのだろう。

 

 ただ単に良心の呵責を生みたくないと判断したのか、それとも純粋な善意なのか。……いや、後者は、あり得ないか。今時、外周区住まいの子供にそんな感情を向ける人間などごく一握りで、それが目の前に居る少女に該当する確率はとても低いものの筈――――

 

「うん? 困っている子供を助けるのに理由が必要なん?」

 

 ……どうやら私はその極低確率を引き当てたらしい。自分が不運なのか豪運なのかわからなくなってきた。この場合は、悪運が強いと言うべきなのかもしれないが。

 

「……私は、『呪われた子供たち』ですよ?」

「それはもう知っとるよ。変な病原菌を家の中に入れても困るさかい、念のために血液検査は済ましているんよ。でも別に私は気にせえへんで?」

「どうして」

「ウチからすれば『呪われた子供たち』なんてちょーっと力が強い子供となんも変わらへん。それに、理由のあらへん恨みを抱くなんて馬鹿のやることや。ウチの言うこと、何か間違うてるか?」

 

 ニッコリと、純粋な笑顔で彼女は私を宥めるように、頭を優しく撫でながらそう説く。

 

 涙が溢れそうになる。まさか、蓮太郎以外にこんな人がいるなんて信じられなかった。『呪われた子供たち』以外で私の素性を知った上で頭を撫でてくれたのは、彼女で二人目だ。

 

 やがて堪えていた涙が、嗚咽と共に流れ出てくる。嬉しいのか、悲しいのか、もう自分でもわからない。

 

「ひぐっ……う、ぇえっ……う、ぁぁああぁあぁぁっ……!」

「え、まっ、だっ大丈夫かいな!? 何処か痛いん!?」

「違っ……自分でもっ、よぐっ、わからなくてぇ、っ……!」

 

 今まで押し留めていた感情が溢れ出すようで、一度決壊した以上その激流は自分ではもう止められなかった。

 

 気が付けば彼女の胸元で鼻水を垂らしながら泣きじゃくっていた。今まで泣いたことなんて片手の指で数えられるくらいしか無かったというのに、今までのツケを清算するが如き大号泣。

 

 泣いて、泣いて、泣き続けた。そんな私の突然の醜態を見ても、彼女は優しく背中をさすって宥めてくれる。その優しさがひび割れた心を埋めていくようで、およそ十分ほど経って私はようやく泣き止むことができた。

 

 代わりに、彼女の着ていた着物は私の涙や鼻水、涎等々の汚物でびっしょり汚れてしまっていたが。

 

 それを見て私が彼女に顔をハンカチで拭かれつつ心底後悔したのは、言うまでもない。

 

「ごっ、ごめんなさい……! その、私、どうしてこんな……」

「ええよええよ、服なんて洗えば済むことや。むしろウチとしては、自分がウチの胸で泣いてくれたことが嬉しいんやで? ウチは妹とかおらへんから、新鮮な気分味わえて楽しかったわ~」

 

 クスクスと愉快気に笑う彼女に対して私は羞恥のあまり俯くしかない。穴があったら入りたい気分である。

 

「――――お嬢様、粥をお持ちいたしました」

「ん、ありがとさん。そこに置いてもろて構へんよ。後はウチがやるから」

「わかりました。ごゆっくりと……」

 

 女中らしき、浴衣を着た女性は粥鍋を乗せたお盆を持って現れた。小さな鍋からは微かに香ばしい香りが漏れ出ており、空っぽの胃袋が突然蠕動運動を始めた。不意打ち気味なおかげで軽く胃液を吐きかけたが、全力で堪える。

 

 流石にこれ以上醜態を晒すのは勘弁だ。

 

「ほら、何か口に入れんと元気にならへんよ?」

「で、でも……寝所まで用意してもらって、食事までもらうのは……」

「ええからええから! ほら、あーん……」

 

 ふー、ふーと彼女はレンゲで掬った美味そうな卵粥を覚ましつつ、光悦とした表情で私の口へと入れようとする。何だろう、完全に弄ばれている気がする。

 

 しかし悪い気はしない。ムサいオッサンならともかくこれをしてくれているのは絶世の美少女。もし私が男なら世の男が全員私を呪い殺しに来そうなシチュエーションである。

 

 それに、胃が先程からさっさと何かを寄越せと蠢いているのだ。拒否したところでこの空腹感には耐えれそうにない。私は大人しく口を開いて粥を口に入れた。

 

「美味しい?」

「ん……はい、美味しい、です」

「よかった~。口に合わへんかったらどないしよと思うたわ。ほら、もっとお食べ」

 

 彼女に乗せられる形で、最初こそ少し抵抗していたものの私は粥を食べ尽くしてしまう。恥ずかしくはあったが、彼女が幸せそうなら……まあ、いいか。

 

「あ、そういえば自己紹介がまだやったわ。ウチの名前は司馬 未織(しば みおり)。気軽に『未織ちゃん』って呼んでくれても構へんよ?」

「えっと……では、未織さんで」

「も~、つれないわぁ。で、自分の名前は?」

「…………レーナ、です。苗字は、ありません」

 

 ……彼女に付けられた名前を果たして名乗っていいものかと一瞬だけ戸惑ったが、流石に名乗らないのも「名無し」と名乗るのは相手に失礼だ。私は素直に自身の名を名乗ることにした。

 

「レーナちゃんやね。ふふっ、かわいい名前やわ」

「ありがとう、ございます」

「……それで、そろそろ本題に入りたいんやけど、ええか?」

 

 彼女の顔が微笑からギュッと引き締まり、真面目な顔になる。

 一瞬肩が震えたが、此処まで世話をしてくれたのだ。此処で逃げるわけにもいかないと思い、私は肩の震えを抑えながら無言で首を縦に振った。

 

「うん、まず聞きたいんやけど……どうしてあそこで倒れていたん? 服はボロボロやったし、足には弾丸まで埋まっておった。何か厄介事に巻き込まれているんなら力になんねやんけど……」

「いいえ、そういうのじゃないんです。……ただ、逃げてきただけで」

 

 そうだ。私は逃げただけだ。

 

 あの時、素直に家に戻るという選択肢もあった。だけどそれは選ばなかった。きっとその選択をした時の、皆から向けられるだろう侮蔑の視線に耐えられないと本能的に確信したが故に。

 普通の人間からも、『呪われた子供たち』からも拒絶される。なら私は一体どこに行けばいい? いっそ、ガストレアの天国であるモノリスの外――――未踏査領域に突っ込んだ方が良かったのだろうか。

 

「大切な人が、自分を庇って死んでしまって……。でも、その人は私のいた所では掛け替えのない人物で……その場所を率いていたリーダーも、今までにないくらい怒ってました」

 

 当然だ。彼女に、イーヴァにとって真璃は何年も共に生き抜いてきた相棒といえる存在だった。彼女の齎す恩恵はグループ内での不和の軽減だけでなく、リーダーであるイーヴァの精神的支柱としてでも働いていたのだ。

 

 あの集団内で最年長組はイーヴァ、真璃、シルの三人だけ。シルについては詳細不明だが、恐らく因子が極度に戦闘に不向きなせいで殆ど外に出ていなかった。

 故に、本当の意味で共に生き抜いてきたのだ、あの二人は。

 

 それがあんな些細なミスで、あんな小物の悪党などに殺された。捕まった切っ掛けの発端こそ真璃ではあったが……私が自分の分のペンダントさえ買い忘れていなければ、彼女がショッピングモールに戻ることは無かった。

 

 私は元凶の元凶なのだ。

 

 故に、罰は甘んじて受け入れなければならない。今こうして、罪悪感と自己嫌悪に蝕まれながら怪物になるまで惨めに生き続けるという罰を。

 

「私は、もうあそこに居てはいけない。中に入る資格が無いんです。……きっとそれが、私に与えられた罰だから」

「…………子供がこんな事を考えるようになるなんて、世も末やな、ホンマ」

「……未織さん?」

 

 未織は顔を手で覆って軽く空を仰いだ。私の口から語られた事の顛末が想像以上で処理が追いついていないのかもしれない。

 

 数秒後、彼女はポンポンと私の頭を叩いて撫でる。手で隠されていた顔は、数分前の慈しみに満ちたモノだ。

 

「ま、ともかく元気になるまでここで休んでいってな。レーナちゃんが元気になるまでしっかり世話するって、ウチ決めたから」

「駄目です。これ以上未織さんに迷惑はかけられません。……何も返せないのは、本当に申し訳ないと思っています。だからこそ、もう行かないと」

「何処に?」

「……わかりません」

 

 行き場所なんてどこにもありはしない。

 

 人々からはこの身に流れるガストレアの血のせいで拒絶され、帰るべき家ももうありはしない。唯一あるとしたら、未踏査領域で自給自足の生活を送るくらいだが……正直その選択は自殺と変わり無い。

 

 だからといって死ぬのは駄目だ。()()()()()()()()()()()()

 

 死ぬのは、せめて彼女(真璃)の痛みを欠片でも味わってからだ。

 

「レーナちゃん、せめて明日までは此処に居てくれへん?」

「……それは、何故?」

「ウチはレーナちゃんを助けるために拾ったんよ。でも、このまま放りだしたらそれは駄目になってまう。とっても不本意や。レーナちゃんみたいな子供を見殺しにするなんて、ウチにはとてもできへん」

「未織さん……でも、私は」

「ええから! 今日くらいは、ゆっくり休むとええ。此処にレーナちゃんの敵はおらへんから、な?」

 

 背中を摩りながら、彼女は子供に言い聞かせるように――実際その通りなのだが――私を説得しようとする。

 

 その提案に魅力が無いわけでは無い。恐らくこれ程整った環境は、此処から去れば二度と味わえないだろう。それを少しでも長く堪能するのは悪くはない。

 

 だからこそ駄目なのだ。私は、もっと苦しまなければならない。楽な方向に進むなんて――――

 

「……………」

 

 ……そんな、悲し気な表情で見ないでほしい。

 

 十秒ほど熟考し、私は深いため息を吐きながら渋々と了承の意を示す。

 自分を救ってくれた人がここまで自分を心配してくれている。その良心を蔑ろにするのは、とても不本意だから。

 

「……わかりました。明日の朝、までですね」

「うんうん、素直な子は好きやで~。じゃあ、そろそろウチは行かんと」

「? 行くって、何処に?」

「あー、ちょっとこの後仕事が立て込んでいてな? はよ行かんと睡眠時間がなくなりそうなんよ」

 

 未織の見た目は、高く見積もっても高校生くらいだ。にもかかわらずこんな夕方で行う「仕事」とはなんだろうか。バイト……の必要はないか。金に困ることは無いであろうお嬢様が何故バイトなんてするんだ。

 

 まあ、私が気にしても仕方のないことか。どの道、明日の朝には別れるのだから。

 

「それじゃあレーナちゃん、また明日な?」

「はい。いってらっしゃい、未織さん」

 

 彼女は微笑を浮かべて踵を返した。

 

 

 途端に、私の胸が締め付けられるような苦痛を感じる。急激に心拍数が跳ね上がり、体中から汗が溢れ出す。

 どうしてそんな異常が自分の身に訪れたのかはわからない。しかし今確かに言えることは、私は無意識に未織へと手を伸ばしているということだ。

 

 何故、私はこんなことを。まさか、別れが惜しくなったのか? ()()()()()()()()()()()のか?

 

 駄目だ。これは駄目だ。彼女に依存してはいけない。これ以上彼女に負担をかけるわけには――――

 

 

 

「――――待ってっ!!」

「ふぇっ?」

 

 

 

 ――――気が付けば、私は布団の中から飛び出して彼女の背中に抱き付いていた。

 

 ああ、畜生。私の馬鹿め。やってはいけないことを、やってしまった。孤独からの恐怖から逃げ切れなかった。

 これ以上は駄目だとわかっているのに、身体は意思に反して動き続ける。

 

 

「わたしを……ひとりに、しないでっ……」

 

 

 もう尽きたと思われていた涙と共に出てきた言葉は、そんな子供の我が儘だった。

 

 それを聞いた未織は驚きこそしたが、すぐに苦笑を浮かべて「よしよし」と頭を撫でながら抱きしめてくれる。これ以上はいけないとわかっているのに、どうして私はこんな事をしたのだろう。

 飢えていたのだろうか。失ったはずの、愛に。

 

「ええよ、そのくらい。好きなだけ一緒にいたる。だから、もう泣かなくてええんやで」

 

 情けなく咽び泣く私を、彼女は優しく抱き上げて歩き出した。

 

 

 ごめんなさい、真璃。貴方を殺した罪から逃げてごめんなさい。

 

 

 でも、今だけ、少しだけこの暖かさに包まれ続けることを、許してください。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 司馬重工。東京エリア内でその名は知らぬ者は居ないと言われる程の世界的な巨大兵器会社だ。

 

 扱っているのはスタンガンのような防犯グッズから戦闘ヘリや戦車その他諸々。当然、対ガストレア戦闘を想定した最新兵器や外骨格(エクサスケルトン)と呼ばれる対ガストレアを想定したパワードスーツすら開発している。世界でも司馬重工に比肩できる企業は恐らく片手で数えられるくらいしか無いだろう。

 

 更に武器関連だけでなく、軍用のアプリケーション開発や高性能の各種センサー。最近有名なのではVRシミュレーターすら独自開発に成功しているらしい。

 

 それで、だ。私が何故急にそんな話題を持ちだしたかというと――――

 

「ん~……なーんか上手く行かへんなぁ……」

 

 すぐ傍で、空中に投影された数十枚ものホロディスプレイ相手に睨み合いをしている未織を見て、私がようやく彼女が何者なのかを理解したからである。

 

 現在場所。司馬重工本社ビル最上階、社長令嬢専用プライベートルーム。数刻前に私が寝ていた和風屋敷とは打って変わって、まるでSF映画の様なくねくねとうねった流曲線状の前衛的デザインで設計された机や椅子、その他諸々の詳細不明の機器が並ぶさまは、さながら別世界か近未来である。

 

 司馬という苗字を聞いてもしや、とは思ったが、まさか本当に由緒正しき司馬家の令嬢とは思わなかった。最近の私の運気パラメータは乱高下が激しすぎやしないか。

 

 そして今、彼女は唸りながらホロディスプレイに映し出された次世代型の外骨格(エクサスケルトン)の設計図と睨み合いをしている。何か手伝えることは無いかと観察してみたが、流石にアレは無理だ。数十ある設計図の一枚の全容すら理解出来ない私では彼女の助けにはなれないだろう。

 

 故に、私は奇怪なデザインをしたコーヒーメーカーで彼女にカフェインを供給する役目を務めることにした。まあ、声がかかったら機械のボタンを一階押すだけの簡単なお仕事ではあるのだが。

 

「あー! 疲れたわぁ~……レーナちゃぁ~ん、抱き枕になってぇ~」

「あ、はっ、はい!」

 

 私は呼ばれてすぐに会った時とはすっかり変わってやつれた顔をしている彼女へと駆けよった。

 

 そっと、未織の負担を可能な限り抑えながら彼女の膝の上に座る。すると左右から彼女の白くて細い、綺麗な腕が私の体をギューっと抱きしめてきた。抱きしめられるたびに私が今着ている彼女から与えられた服からフローラルな柔軟剤の香りが漂う。

 

 これぞ我が第二の役目、未織専用癒し抱き枕(生)である。彼女曰く効果は抜群らしい。

 

「うーんふふふ……レーナちゃん、やっぱりウチの家に住む気はないん? 結構悪くない提案だと思うんやけど」

「……駄目ですよ、こんな出生もわからない浮浪児を匿うなんて。未織さんは司馬家の令嬢なんですから、外聞を気にした方が良いのでは?」

「ウチに罵声なんて飛ばしてみい、司馬重工の総力を挙げて後悔させたるわ」

「えぇ……」

 

 名家の令嬢にあるまじき物騒な発言である。まあ、典型的な高飛車お嬢様よりはずっと好感が持てやすいので構わないが。むしろ好みですらある。

 

(…………みんな、今頃どうしてるのかな)

 

 未織に抱きしめられながら、私はそんな事をふと思う。

 

 あの惨事からもうそろそろ一日経つ。イーヴァももう目を覚ましている頃だろう。まだ、怒っているだろうか。私を殺すために血眼で探しているのだろうか。

 彼女にならば殺されても構わない。……しかしそう思うたびに真璃の遺言が頭を過る。

 

 

 ――――これからも、みんなで……仲良く………生き、て……生き続、けて…………。

 

 

 彼女は、生きろと言った。自分が居なくなっても、皆団結を忘れず生き続けろと。

 

 半分ほどもう叶わなくなっているが、もう半分はまだ叶えられる。生き続けろという願いを私は、叶え続けなければならないのだ。それが亡くなった真璃へ送れるせめてもの手向けとなるのなら。

 

 どれだけ辛いことがあっても。

 

 どれだけ悲しいことがあっても。

 

 その感情を背負いながら、生き続ける義務がある。彼女の死を、無駄にしないためにも。

 

「レーナちゃん」

「え? は、はい、どうかしましたか?」

「やっぱり自分の家に帰りたい、って顔しとる」

「え――――」

 

 そんな筈がない。あそこに私の居場所はもう無いのだから、帰りたいと思っても仕方ないではないか。

 

 仕方、ないじゃないか。

 

 帰っても、もう誰も、私の事を受けて入れてくれない。くれる筈がない。

 

「無理ですよ、そんな事。帰っても……もう、意味なんて」

「レーナちゃん、辛いのはわかるで。でもな……今のレーナちゃんは辛い現実から逃げてるだけや。自分の罪と向き合って無いんよ」

「それは……」

 

 それを言われると何も言い返せない。

 

 私は逃げた。それが私への罰――――いや、違う、違うだろう。そんなのは私が勝手に決めたモノだ。本当の罰は、彼女らから与えられるべきだ。

 

 わかっているんだよ、ただ辛いことから逃げ続けているだけだって。目を逸らし続けているだけだって。

 

 でも、一体どうすればいいって言うんだ。私には……わからない。

 

「……私は、どうしたらっ」

「ん~……まずは、お互いに腹割って話すべきや。レーナちゃんがどうしたいかを相手に話せばええ」

「受け入れられなかったら……?」

「そん時はまた別の方法を探せばええよ。でもまずは、話しをするべきやないかとウチは思うで?」

「……………」

 

 思い返せば、あの時の私は自分の言葉でイーヴァと会話をしていただろうか。

 ……していなかった。ただ何がどう起こったのかをだけ機械的に話で、それで終わっていた。後は無抵抗で殺されかけただけだ。これを「イーヴァと話をした」とはとても言えないだろう。

 

 お互いの本音をぶち撒け合うべき、か。……彼女からはきっと恨み辛みだけが出てくる。それをぶつけられて、私の心は耐えられるのだろうか。

 

 

「――――ああ、でも」

 

 

 せめて、せめて真璃の遺言くらいは、伝えに行かねば。

 

 もう二度と会わないことになろうとも、それだけはやらねばならない。きっと真璃の言葉は、私だけに対するものでは無いだろうと思うから。

 

 だからもう、行かないと。

 

「すみません、未織さん。私……」

「わかっとる。行くんやろ? 大丈夫や、警備の方にはウチが連絡入れとくさかい」

「……ありがとうございます!」

 

 謝罪では無く感謝の言葉。それを聞いて未織はにっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 既に夜の帳が空を覆う午後十時過ぎ。

 

 司馬重工を飛び出しておよそ二時間。私は可能な限りのハイペースで自身の故郷である第三十六区へと着ていた。目的地は無論、マンホールチルドレンの溜まり場。

 人気の少ない通りを抜けて、ほとんど人の手入れが入らなかったせいで雑草が乱雑に生え散らかった草原の中にポツンと寂し気に佇むディーゼル発電機。四輪駆動車は、何故か見当たらず。

 

 それに少しだけ違和感を覚えたが、今気にすることでは無い。私はぬかるんだ芝生を踏みながら周囲を散策し、泥をかぶせられて申し訳程度に隠されたマンホールを手づかみで抉じ開け、中に飛び込んだ。

 

 

「――――あ」

 

 

 可能な限り音を殺しながら着地すると、目の前にはかつて真璃と共に助けた少女が居た。突然の出来事に、お互いに硬直してしまう。

 

「え、と……お、おかえり?」

「……イーヴァは何処?」

「へ? あ、それは、その……」

 

「――――おいチビっこ! お前、何時の間に……!」

 

 少女がしどろもどろとしている間に、来客に気付いた佐奈が怒りを露わにしながらズンズンと近づいてきた。まあ、そうなるだろう。サブリーダーの死因が厚顔にもノコノコと帰ってきたのだから。

 

「お前、どの面下げて此処に戻って「やめろ佐奈」アクィラ!?」

 

 力を解放しながら私を拘束しようとする佐奈であったが、いつの間にか近づいていたアクィラによってそれは制止された。彼女の浮かべている顔は変わらず仏頂面であり、感情が読めないせいで思わず冷汗を垂らす。

 が、わざわざ私への危害を止めた以上、敵意は無いと判断していいだろう。

 

「……私は、勝手にしろとは言った。でも、別に『出ていけ』とは一言も言って無いんだけど?」

「それについては、ごめんなさい。後で幾らでも謝ります。……ところで、イーヴァは」

「此処にはいない」

「え」

 

 折角戻ってきたのに、目的の人物がいないという事実を知らされて思わずコケそうになった。

 

「じゃあ、一体どこに――――」

「アクィラ! 倉庫から拳銃とバラニウムの弾丸が幾つか消えて……アレ? れーちゃんお帰り~。意外と早く戻ったね」

「え、あ、はい。ただいま帰りました」

「チッ……あの馬鹿、まさか本当に……?」

 

 何やら切羽詰まったような様子のリザが姿を現した。そしてその言葉に対してアクィラは顔を青ざめる。

 

 拳銃と、バラニウムの弾丸? 何故そんな物が消えて……。

 

「――――まさか」

「きっとその”まさか”。……死ぬ気だよ、あの馬鹿」

「そんなっ、たいちょーがなんで……!」

「あの馬鹿リーダー……」

 

 身体の温度が数度下がったような悪寒が全身を走った。

 

 親友の死という事実により精神的に極限まで追い詰められた末に、イーヴァの選択した道は”自決”だというのか。この世界の悪意に耐えかねて、もう楽になるために。

 

 駄目だ、それは駄目だ。そうなってしまえば私は真璃だけでなくイーヴァをも殺してしまったことになる。

 

 果たして私はそんな苦しみを味わいながら生き続ける事ができるのだろうか。

 

「アクィラさん、あの人は今どこに……!」

「知らない。一時間前もう居なくなってた……。でも、もしかしたら三十一区に行ってるかもしれない。わざわざ車まで使ってるし……何よりあそこは、最年長組にとっての……」

「ッ!!」

「あ、ちょ、れーちゃん!?」

「チビっこアンタ何処に行こうと――――!?」

 

 第三十一区。先々代が自決を遂げた場所。成程確かにありえなくはない。

 

 私はほぼ反射的に外へと飛び出す。最早一分一秒の猶予も無い。イーヴァがその手に持った黒鉄の凶器で頭を撃ち貫く前に止めねばならない。真璃の遺言を伝えなければ――――

 

 

「待って」

「何っ!?」

 

 

 駆けだそうとした寸前に私はアクィラに呼び留められてしまう。それに対して苛立ちの隠せていない返事をしてしまうが……両手を翼に変えた彼女を見て言葉を失った。

 

「こっちの方が、早い」

「……ありがとう」

 

 相変わらず頼もしい先輩だ。

 

 




未織さん大活躍やで~。ぶっちゃけ作った当初は彼女がこんな役割になるなんてマジで思っていなかった……。

なに?主人公のメンタル復帰が早すぎる?実は復帰しているようで真璃の遺言を思い出して自滅願望から自責の念からの自罰的思考にシフトしているだけなんだなこれが……。

まあ、ゆっくり寝た事と未織さんの献身のおかげである程度回復はしたでしょうけど。


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十一話:格上殺し(ジャイアント・キリング)

お ま た せ 。

十一話しか無かったけど、いいかな?


 冷たい空気の壁が何度も顔にぶつかる。

 

 現在、私はアクィラの首にしがみ付きながら高度一〇〇〇m上空をおよそ時速二〇〇キロで高速飛行していた。無論、生身で。

 初めて味わう生身での、かつ命綱無しの高高度飛行に思わず何度も股の間を濡らしそうになる。

 

「平気?」

「だっ、大、丈夫っ……! まだっ……」

「そう」

 

 一言だけ心配するそぶりを見せたアクィラであったが、私の声が震え切った返事を真に受けたのか、そのまま一切速度を緩めることなく目的地へと直行を続けた。

 

 アクィラ。下水道に住む『呪われた子供たち』の小規模集団の中で唯一単独飛行能力を保有する少女。

 

 年齢は今年でおよそ七歳になり、性格は中々に寡黙かつ打算的。自身に相応の利益があるならリスクの高い役目すら引き受ける度胸を持ち合わせるなど、集団の中ではかなり頼れる実力者と評せる。

 

 戦闘能力も上から数えた方が早く――――というか戦闘能力だけなら事実上の№2。イーヴァ以外では手も足も出ずに敗北を喫することを強いられる。

 

 保有する因子は恐らく鳥類、しかもかなり強力な動物だ。少なくとも子供一人を背負ったまま時速二〇〇キロ前後という速度を息一つ上げずに維持していることから大型の猛禽類と考えられる。実際、視力も相当優れているようで今もなおイーヴァの居場所を高度一〇〇〇mから俯瞰して捜索している。

 

 となるとモデルは大方、鷹か鷲か――――。

 

「――――見つけた」

「っ!」

「捕まってて」

 

 思考の最中でアクィラはその目を細め、そう端的に説明すると急降下を開始した。

 

 今までの速度を過去にするかの如き速さ。強烈な浮遊感と空気抵抗に胃が咽びかえりそうになりながらも堪え続け、力を解放して少しだけ瞼を開きながら先にあるモノを見る。

 

 第三十一区の埠頭。その最奥の縁に誰かが腰掛けているのが微かに見えた。明かりが無い故に確信は抱けないが、私よりも遥かに視力の高いアクィラは「見つけた」と言ったのだからほぼ間違いないだろう。

 

 ある程度の距離まで達すると、アクィラは急減速。少なくない負荷が両者に掛かるが些事だ。ある程度の減速が見込めたと判断した瞬間、私は即座にアクィラの首に回していた手を放した。

 

 空中で体制を整えつつ両足をバネの代わりにして衝撃を相殺。サンダルの底のゴムを削りながら滑るように減速することで無傷での着地に成功した。

 

 

 ――――奥で、赤い光が灯る。

 

 

 イーヴァはこちらを一瞬だけ一瞥すると、すぐに視線を海の向こうのモノリスへと戻してしまう。だがその一瞬でも彼女の瞳の中にあった感情が垣間見えてしまった。

 

 空虚。虚無。空洞。

 

 今の彼女は、一言で表せば「抜け殻」だ。全ての欲求が吹き消え、地に寝転がれば死体と勘違いされかねない程瞳に生気が無かった。

 一瞬だけ見ただけなのに、思わず戦慄して身震いしてしまうほどに。

 

「……イーヴァ」

「…………まさか、もう回復するとはな。そんなにマリの死は軽かったか? それとも、お前が強かっただけか」

「……親切な人に、助けられた」

「そうかい」

 

 互いの会話が聞こえる距離で、私は足を止めた。これ以上近付けば、彼女が何をするか想像できなかった故。

 

「……アクィラ。残りの二人、連れてこい」

「なんで「さっさと行け」ッ…………!」

 

 殺意に染まった、しかし静かな一言がアクィラを襲う。自分に向けられたわけでもないのに、私は背中につららを突っ込まれたような悪寒を感じてしまった。

 

 アクィラは私へとチラリと視線を送り、すぐに来た道を引き返した。今の彼女ならやりかねない、と判断したからか。確かに、以前の彼女を知っている身としては想像できないくらいに荒み切っている今なら、アクィラであろうと本気で殺しかねないと思えてしまう。

 

 無論、一番殺意を抱いているのは私だろうが。

 

「……なあ、レーナ。私たちがどうしてこんな世界に生まれ落ちたのか、わかるか?」

「え……?」

「メリー……いや、先代の死から、ずっとそんなことを思い続けている。どうして私たちはこんな身体で生まれたのか。どうしてこんなクソみたいな世界に生まれてしまったのか、ってな」

 

 ハッ、と嘲笑を漏らし、彼女は狂ったような笑みを浮かべながら私の答えを待たずに結論を述べた。

 

 

「二年間考え続けて、今日ようやく結論に至った。――――私たちは憎しみの捌け口として生まれたのさ。普通の人間様よりよっぽど強いガストレアに手出しできない臆病者共の、体のいい憂さ晴らしのサンドバッグ。幼いころから『恐怖』という鎖で縛りつけて、調教して、嬲って、切り刻んで。……ヤツらからすればこの上なく都合のいい存在だろうさ? ご丁寧にガストレアの特徴を幾つも備えた人の形をした化け物なんだから。おかげ様で変態共にもウケが良い」

 

 

 イーヴァは苛立ちを込めて握りこぶしを地表に叩き込んだ。彼女の血と共にアスファルトの表面に蜘蛛の巣状の罅が広がる。しかし彼女は痛がる素振りすら見せない。

 

 痛みすら気にできない程に、その胸の内で感情が渦巻いているからか。

 

 

「なあ、誰がこんな身体で産んでくれと頼んだ? 誰がこんな姿で生まれたいと言った? 私たちが『奪われた世代(お前たち)』に何をした? 戦争で妻を、夫を、子供を、恋人を、家族を失った? ガストレアのせいで? ―――――なんでそれが『呪われた子供たち(私たち)』の責任になるんだ?」

 

 

 理不尽だった。

 

 生まれてもいない時に起こった出来事の責任を、大人たちは私たちへと押し付けた。ただガストレアの血が流れているという理由で。

 誰もこんな身体を望んでいなかったというのに。誰も何もしていないというのに。

 

 どうして?

 

 

「ガストレアへの憎悪? 笑わせる。

 ――――奪われた世代(アイツら)』は正当性のある報復をするつもりなんて一切ない! ただ現状への不満を誰かへとぶつけたいだけなんだよ!! 丁度良い、そこらで歩き回っているガストレアによく似た『呪われた子供たち(私たち)』にさぁ!! 自分たちから何もかも奪ったガストレアのように私たちから何もかも奪おうとするんだ!! ――――………ふざけんなよ……ッ!!!」

 

 

 確かに、家族や友人を失った『奪われた世代』の気持ちはわかる。

 

 その恨みを晴らしたいと思うのも、理解できる。

 

 だけど、どうしてその憎しみを無関係の私たちにぶつけようとする。理解ができない。納得ができない。許容ができない。お前たちに何の権利があって私たちを迫害する? 何故私たちから全てを奪おうとする?

 

 

「何度も私たちを痛めつける奴らを殺そうと思った! 住宅地で暴れて悉くを殺し尽くそうと思ったさ! でもその度に、私たちを迫害する『奪われた世代』の醜い顔がチラついて、思い留めていた! アイツ等の様にはなりたくないという思いで留まってきたッ……!! 耐え続けてきたんだよ!! いつか世界が良くなるって信じて!! なのに世界はちっとも変わらない!! 何年経ってもアイツ等は私たちに理不尽な憎悪をぶつけてくる!! ……なぁ、教えてくれよ……!

 

 一体何時まで、何時までこの地獄に耐え続ければいい!?

 

 何時までこんな世界で生き続ければいいんだよォッ!!!」

 

 

 それは全ての『呪われた子供たち』を代弁する言葉だった。

 

 私たちは一体何時までこんな世界で生き続けなければならないのだろう。一体どうして世界は一向に優しい物にならないんだろう、と。

 

 原因はわかっているんだ。

 

 だけど、私たちではそれをどうすることもできないだけで。

 

 

「だから、さ……もう、十分だろ――――?」

「ッ――――」

 

 

 懐から、イーヴァは黒光りする物体を取り出して、それをコツンと己の側頭部に当てた。

 

 ニューナンブM60。彼女がよく使っているソレは、普段は頼れる武器に見えていたはずなのに、今だけは一切の慈悲さえ見えない悍ましい凶器にしか見えない。

 

 そして勿論、中に籠められたのは黒い弾丸。ガストレアだけでなく、『呪われた子供たち(私たち)』を最も恐怖させるヒトの憎しみの結晶。

 

「もう、十分だ。もう、沢山なんだよ。これ以上は、耐えられない」

「……残った子供たちはどうなる!? 全部無責任に放り出すの!? 今まで積み上げた犠牲はなん――――」

「知った風な口を利くなァァァアアアッ!!!!」

 

 怒号と共に、黒い凶弾が頬を掠めた。

 

 そして、視界には暗闇で赤く光る、立ち上がってこちらを向いているイーヴァの怒りに染まった双眸がはっきりと見える。こちらに向いている恐ろしい銃口も。

 

 

「母親代わりの恩人がッ、親友がッ、育てた子供がッ、信頼していた仲間がッ――――目の前でただの肉塊になった瞬間を、私が何度見てきたと思ってる!!! 二年間お前たちの命を背負ってきた私の苦しみがどれだけ大きかったかわかるのか!!! その報酬はこんな壊れ果てた世界で生き続ける事と来た!! ふざけるなッ!!! 私が望んでこんな立場にいるとでも思っているのか!?

 

 私だってっ――――私だってこんな責務を背負いたくなかった!! 普通の家庭で生まれたかった!! 普通の子供の様に、誰かに甘えながらッ……両親に愛されながら育ちたかったんだよ……!! なのに、どうしてっ……どうして、こんなっ…………!!!」

 

 

 ”普通に生きたい”。

 

 私たちに取ってその言葉は、何よりも重い物だ。全ての『子供たち』が欲して止まぬ物であり、今の世では絶対に叶わない願い。

 

 子供が親の愛を願って何が悪いのか。何が間違ってるのか。

 

 間違っているとしたら、この世界そのものだ。

 

「普通になれないなら、もう死ぬしか無いだろうがッ! 絶対に手に入らないモノならもう生きようと抗うだけ無駄なんだよ!! 確かに、今までの暮らしが楽しくなかったのかと言えば嘘にはなるさ……! 嬉しいと思うことも偶にあった! だけど性根の腐った奴らはソレを奪おうとする! これから生き続けて、大切なモノを増やして、ソレを奪われる苦しみを何度も味わえと……? ――――私は、御免だ……!!」

 

 ………彼女の言い分は、きっと間違っていない。大多数の『呪われた子供たち』が思っていることだ。普通の子供になりたい。親に愛されたい。幸せになりたい。それに対して私は否定の言葉は述べることはできないだろう。私とて同じ穴の狢なのだから。

 

 だけど、それでも、だ。

 

 だからと言って自死だけは許容することはできない。それは”身勝手”という言葉の極地であり、究極の自己満足に他ならないのだから。

 一度はその選択を選んだ私が彼女にどうこう言う資格はない。が――――それでも、厚顔無恥も承知で敢えて言わせてもらおう。

 

「逃げるな」

「…………あ?」

 

 

「生きることから、逃げるな……!!」

 

 

 私は正面から彼女の言葉を叩き潰した。

 

 それはただの『逃げ』だと。自分に課せられた責任全てを放り出して、周囲全員に迷惑をかける行為であり、何よりも――――後に託された者の義務を放棄することは、私たちへと託してくれた者への侮辱に他ならない。

 

「……………ふはっ」

 

 私の言葉を聞いたイーヴァは銃を握った腕をダランと下げ、逆の手で顔を押さえながら静かに狂気の籠った笑い声を零す。

 

 

「アッハハハハハハハハハハハッ!! ハハハハハハハハハハハハハハハ!!!

 

 ――――なるほど、ああ、全く。久々に虫唾が走った。これ程不快な気分になったのは久しぶりだよ」

 

 正気を失った笑みを顔に張り付かせながら、イーヴァは手に握っていた拳銃を地面に放り投げた。だが、彼女からにじみ出る嫌な空気は未だ止まず。

 むしろ、悪化しているような気さえする。

 

 選択を、間違ったか……?

 

「一つ、ゲームをしよう。まあ、我慢比べだ」

「…………?」

「別に難しい物でもないさ。互いに『参った』と言うまで戦う。で、勝った方の願いを叶える。それだけだ。簡単だろ?」

 

 数メートルまで近づいてようやくはっきりと見えてきた彼女の顔を見た瞬間、戦慄が身体を駆け巡る。

 

 顔は笑っているのに目は全く笑っていなかった。実にアンバランスな笑顔であり、見る者に生理的な恐怖を感じさせる程その顔から観える『闇』はドス黒く。

 彼女が今の今までどれほどの負の感情を溜め込んでいたかが垣間見える、真っ黒な狂貌。

 

「さて、私の願いを先に言おうか」

 

 

 

「私を殺して新しいリーダーになれ」

 

 

 

「………………………は?」

 

 自分以外の誰かが居たとしても、発していた言葉は同じだっただろう。

 

 それほどに彼女はあっけからんとした様子で、何でもない様にそんな無茶無謀な要求を私に掲示した。

 

 道理も秩序も蹴り飛ばしたその要求。水の入ったコップを逆さにして中身を零すなと言われたような理不尽。イーヴァとてその要求が『成功』するとは思っていないだろう。だがその結末を彼女が気にする必要は無い。

 

 そもそも、その願いが成立した時点で彼女はこの世に居ないのだから。

 

「何、言って」

「……それはお前に与える私からの『』だ。嫌なら、全力で抗えよクソガキ。嫌なら”逃げて”もいいんだぞ? その場合、私はあそこに転がっている銃で脳天を撃ち抜くだけだがな」

「ッ…………!!」

 

 事実上選択の余地はない。逃げれば彼女は死に、例え立ち向かっても勝機は限りなく低い。

 

 今までの訓練の中で打ち立てた彼女への白星はゼロのまま。何度か攻撃を与えたことは有っても、有効打は何一つなく、悉くを返り討ちにされて叩き伏せられた。

 

 現状、私の知る中で彼女は最強と言っても過言では無い。それに、私は勝てるのか?

 

(――――いや、違う。勝てる勝てないじゃない)

 

 ()()()()()()()()()()んだ。彼女をこんな所で、あんな心情のまま死なせてはいけない。

 

 あんなイーヴァを、真璃に元になんて送って堪るものか。

 

 

「私が勝ったら――――生きて。私の事は煮るなり焼くなり、好きにしていいから」

「……普通はこれで折れるモンなんだがな。……ホント、後悔してるよ」

 

 

 空っぽの笑いを漏らして、彼女はトントンとつま先で何度か地面を叩いた。

 

 瞬間、

 

 

 

 

「お前なんざ拾うんじゃなかった」

 

 

 

 

 ミシリ、と。体の中から異音がした。

 

 

(――――――――え?)

 

 

 高速で流れる前へと景観。間髪入れずに背中に強烈な衝撃が叩きつけられ、金属が凹む轟音が耳を貫くのを他人事の様に認識しながら何度も固いコンクリートの床をバウンド。やがて廃材の山に着弾して……ようやく自分が蹴られたことを認識できた。

 

「ごっ、ぶぁっ――――」

 

 折れた肋骨が肺に突き刺さったのか、体感したことのない苦しみが胸を満たして口から夥しい量の血が這い出てくる。

 

 見えなかった。一切の動作が捉えきれなかった。

 

 あり得ない。彼女の動きは訓練では何度も見ているはずなのに――――!?

 

 カツン、カツンと無機質な足音が近づく。朦朧とする頭を叩き起こしながらその方向を見つめれば、冷ややかな嘲笑を浮かべたイーヴァの姿が。

 

「今の内に勘違いを正しておく。――――私がガキ相手に本気を出すと思うか?」

「な、ぁ――――」

「私が本気を出すのはアクィラくらいだよ。そういう意味では、アイツを真っ先に排除できたのは望外だった」

 

 言われてみれば、確かに私はイーヴァとアクィラの戦いを見たことが無い。それは両者ともに戦う意味がない故にしなかったというのも大きいが、何よりこうして自身の「本気」を誤認させるためだったのか。

 

 何はともあれ、私は彼女に対しての脅威度を大きく上方修正せざるを得ない。

 

 私も、殺す気で行かないと――――殺されるっ……!!

 

「ふ、ぅっ……はぁっ……!」

「さて、降参するなら今の内だぞ。『呪われた子供たち』の再生力だって無限じゃないんだ。急所、心臓か頭を潰せば当然死ぬし……再生が追いつかないレベルで滅多打ちにすることだって、不可能じゃない」

「――――……来い!!」

「ほざいてろ」

 

 今度は見逃さない。過去最高の域まで五感を研ぎ澄まし、イーヴァの動きを隅々まで観察する。

 

 ワンテンポ程間を開けて、加速。三〇m以上空いていた距離が一秒もせずにゼロへと変わる。だが今度は見えている。私はイーヴァの蹴りに合わせて身体をしゃがませ顔面への膝蹴りを回避する。そして反撃の拳を叩きこむために一歩踏み出し――――

 

「遅ぇよ」

 

 同時に、膝蹴りを繰り出した逆の足で側頭部を蹴り飛ばされた。

 

 彼女は避けられる前提で動いたのだ。当然だ、私があそこまで注意深く観察していたのだから、避けられることなど既に考慮済みだったのだろう。

 

 経験の量が、違いすぎる。

 

「ッ――――」

 

 きりもみ回転する身体を勘で制御して、爪でコンクリートを削りながら着地する。以前、イーヴァはノーダメージ。これでは一撃与えることすら夢のまた夢。

 

 考えろ。今自分が何をすべきか、何ができるか。実力差を埋める方法を考え続けろ。

 

 多人数で襲い掛かる――――駄目だ、此処に味方は私一人しかない。

 

 強力な装備――――そんな物ありはしない。周りにあるのは廃材くらいだ。

 

 一発逆転を狙える必殺技――――そんな都合のいいものがあるなら苦労はしない。

 

 故に、

 

 

(――――吸収するしか、ない)

 

 

 経験の量が足りないのなら、今この場で埋め合わせるしかない。相対している彼女から可能な限り学び取るしか突破口は見つからない。

 

 強引かつ無茶無謀。分の悪い博打とほぼ変わらないが――――逃げるよりかは、ずっといい。

 

「ふっ――――!」

 

 今度はこちらから攻め込ませてもらう。両足に力を入れて一気に走破。空いていた距離を最短時間で詰め、最速の一撃を叩きこむことを試みる。

 

 しかし無慈悲に交わされる。一直線で突っ込んでの攻撃だ。そんな結果はやる前から既にわかり切っている。

 

 反撃のボディブローが鳩尾に捻じ込まれた。またもやミシリという嫌な音が頭に響いた。

 

 だが、()()()――――!!

 

「捕まえ「てないからな?」ごっ――――」

 

 攻撃が撃ちこまれた瞬間を狙って彼女の右腕を捕獲し、このまま関節技を決めようとした瞬間、彼女の腕がまるで()()()()()()()()()()私の腕の中から抜け出した。茫然としていたのもつかの間、気づいた時にはもう私の頬にイーヴァの拳が叩き込まれていた。

 

 数回床を跳ねながら態勢を整え、先程の怪現象を頭の中で整理しようとする。

 

 何が起こった。完全に捕まえていたんだぞ。一体どんなトリックを使って。

 

「そういや、私の因子を教えていなかったな」

 

 イーヴァは見せつけるように、右腕を本来なら曲がりえない方向へと曲げだす。普通の者ならば複雑骨折を疑う程の曲がり方。明らかに関節じゃない場所が複数個所も九十度以上にねじ曲がっている。

 

 まるで軟体生物の触腕のように。

 

「私は『モデル・オクトパス』。感染源種はミズダコ。因子の影響で、先天的に骨格が変異していてな。関節の数は常人の十倍近くあって、こうしてタコの触腕みたいに曲げられる。他にも色々あるが……まあ、教える義理もないか」

 

 ミズダコ。それは世界最大のタコの名前。

 

 体長は最大で九m。体重はおよそ三〇〇キロ。無論平均はもっと小さいものであるが、それでも成人した個体はサメや鳥すら襲い、人間ですら下手にちょっかいを出せば殺されかねないという危険性を持つ生物だ。

 

 更に知能もかなり高く、なにより肌の色だけでなく質感すら変容させることのできる高度なカモフラージュ能力を持っている生物で――――

 

「ぼーっと突っ立ってんじゃねぇよ!!」

 

 思考の最中で既にイーヴァは動いていた。彼女が振りかぶったのは右手――――なのに、右手が見えない。その位置を探ろうとした隙を見逃す彼女ではなく、既に私の胸に彼女の右拳は撃ちこまれていた。

 

 攻撃が見えない。軌道が読めない。まずいマズい不味い――――!! 何とかしないと一方的にやられるッ――――!!

 

 よろける身体を正そうとして、顔に一撃――――脇腹に二撃目、鳩尾に三撃目、左頬に四撃目。絶え間なく放たれる拳と蹴りのラッシュが全身を蹂躙していく。その度にミシリバギリと発してはいけない音が頭に響く。

 

 既に十を越える攻撃を撃ちこまれ、締めに強烈な後ろ回し蹴りが胸板に叩き込まれた。

 

 さながらピンボールの様に跳ね飛び、老朽化した工場の壁に激突してようやく止まる。壁は大きく凹んでおり、その威力の痛烈さを物語っているようだ。

 

「ごぼ、っ、が、ぶぁっ――――」

 

 格上殺し(ジャイアント・キリング)。フィクションでは腐るほど見ることのできるその現象は、普通ならばまずあり得ないことだ。

 

 単独で巨人を屠る。ああ成程、確かに実現すれば素晴らしい英雄譚になりえるだろう。しかし現実ではそんな都合の良いことが起こる確率など極低。草野球チームがメジャーリーガーで勝てるか? たとえ野球に詳しくない人でも「無理だ」と断言するだろう。

 

 言い過ぎかもしれないが、今の私とイーヴァの差はそう言い表すことも可能だ。私が一~三だとすればイーヴァは六~十。戦いの経験を積み始めて半年も経っていないというのに、四年以上もこの地獄の様な世界を生き抜いてきた彼女に勝てる道理などありはしない。

 

 

 ――――無論、()()()()()()()()()()()場合の話だが。

 

 

 血液の塊を吐きながら、私は手近にあった”ソレ”を拾う。

 

「……で? 降参する気にはなったか?」

「――――……か」

「喉でも潰れたか? おい、しっかり声を――――」

 

 

「死なせるもんか……!!」

 

 

 静止状態から最大限の瞬発力を以て私は手に持った”ソレ”でイーヴァの胸を突いた。

 

 明らかに死に体の私から放たれたそれは、ほぼ不意打ちに近く完全に油断していたイーヴァはその攻撃を避けきれずに正面から受けてしまい、数メートル程後方に吹き飛んだ。

 

 私が手に持った物とは――――ただの鉄パイプ。

 

 先程私が廃材の山に激突した際に吹き飛び、偶然手にできる位置にあったソレは十分な強度とリーチを保有する立派な武器だった。

 

 その鉄パイプを使って放った全力の突き。想定していたリーチの遥か遠くから放たれた一撃は常人ならば胸が陥没していてもおかしくない攻撃なのだが。

 

「……ってぇなァ……!」

 

 イーヴァはそんな悪態をつきながら何でも無さげに立ち上がる。咄嗟に体を引いた、という様子もなかった筈。完全に直撃を食らってなおほぼノーダメージとは、どんなタフネスをしているんだ。

 

「だがまあ、褒めてやる。一撃食らうとは思わなかった。もし先端に刃物でもあったらやられてたかもな」

「っ……」

 

 両手の骨をパキパキと鳴らしながら、彼女はそう告げる。

 

 ――――刃物だったら……? もしや、彼女は打撃系の攻撃に耐性を持っているのか?

 

 あり得ない話では無い。彼女が常人と比べて数倍の数の関節を持っているならば、攻撃に合わせて身体を曲げることで効率よく衝撃を受け流すことも不可能では無い。

 しかし、だからと言って近くには刃物になりそうな代物は存在しない。いっそ手に持ったパイプを引き千切って先端を尖らせるか? いや、『呪われた子供たち』の再生力の前ではそんな物で傷を付けてもほぼ無意味だ。

 

 それに、この戦いに置ける勝利方法は相手に「参った」と言わせること。戦闘に勝利することが条件では無い。

 

 彼女にその言葉を言わせる方法はなんだ。何がある? 考えろ、私。

 

「考えるよりまず身体を動かしたらどうだ?」

「ッ――――」

 

 いつの間にか不可視の一撃が迫っていた。ソレをほぼ直感任せに鉄パイプで防御して凌ぎ――――鉄パイプが一撃で折れ曲がったのを直視して絶句した。

 

「くっ!!」

 

 即座に鉄パイプをイーヴァへと投げつけ、後方へと飛びながら何か武器になりそうなものを探す。ボロボロのポスター、段ボール、割れたガラス瓶、錆びたネジ――――クソッ、どうにでもなれ……!

 

 錆びたネジを幾つか鷲掴みにして割れたガラス瓶を拾う。直後、悪寒。咄嗟に頭を上げて後方からの攻撃を回避し、振り返り様に手の内にあるネジを投げつけた。

 ただの子供が行うならばその行為は普通ならば少し危ない程度の物ではあるが、『呪われた子供たち』の身体能力を持ってすればそれは天然の散弾となりうる。予想外の攻撃によりイーヴァは顔を両腕で庇いつつも、全身に食いこむネジの痛みに「いッ」と小さく呻いた。

 

「はぁぁぁぁあッ!!」

 

 そこに出来た隙を突き、割れた瓶の切っ先をイーヴァへと突き出した。致命傷にはならないだろうが、今するべきことは好機が訪れるまで時間を稼ぐこと――――

 

 

「――――いい加減しつこいんだよクソガキがァァァァァッ!!!」

 

 

 イーヴァの拳がガラス瓶を正面から打ち割りながら私の顔面へと叩き込まれた。更に彼女の拳に食いこんだガラス片によりダメージが加速する。

 

 地面を跳ねた回数はもう何度目かわからない。しかし倒れることだけはすまいと、私は折れた歯を吐き捨てながら、ボロボロの体を鞭打って立ち上がらせる。

 

「勝てないのはお前自身も分かっているだろうがッ!! 私は実力差もわからない馬鹿に育てた覚えはないぞ……!」

「――――そんなの! わかっているさ!! 貴方には逆立ちしたって勝てないのは拳を交える前からわかっている事だ!!」

 

 そうだ。純粋な戦いで勝てないのは勝負をする前からわかっていた。私と彼女では力の差があり過ぎる。余程の奇跡でも起こらない限り、私に待っているのは敗北という未来だけだ。

 

 だが、これが条件付きの勝負であるからこそ私は今ここで立ち続けようとしている。

 

 勝てる可能性が少しでもあるのならば。ゼロでないならば。

 

 立ち上がる理由としては十分すぎた。

 

「貴方をッ、死なせたくないんだ……! 貴方、だけは……!」

「何でだ!? 私が死のうとお前には関係無いだろッ……! 確かにあの集団は空中分解するかもしれない……! だが生き続けたいなら別の集団に入って暮らせばいいだけの話だ!! そんな様になるまで立ち続ける理由にはならんだろうが!!」

()()()()()死なせたくないんだよ!! 私にもう一度()()()()()()()()を見せる気かぁッ!!」

「っ――――――――」

 

 ……私にとって彼女は先導者(リーダー)であり、同時に『親』でもあった。おかしな話ではあるが、あの下水道の中でそう思っている子供は少なくはないだろう。

 

 何より私は、真璃と彼女の手で拾われた。救われたんだ。例えこんな憎悪だらけの酷い世界で生き続けることになってしまった要因なのかもしれないけど。

 

 生きる喜びを、与えてくれた。

 

 だから私にとって、目の前に居る彼女はかけがえのない存在に他ならない。真璃の死によってソレをようやく自覚することができた。

 

 だから、今度こそ、助けて見せる。

 

 絶対に。

 

「それに真璃は、私たちに『生きろ』と言った……! 私は、その意を汲む! それが、彼女を死なせてしまった私のできる唯一の贖罪だ……!!」

「……それが、マリの遺言か?」

「…………『皆で、仲良く生き続けて』と」

「…………………………知るか、そんな言葉」

 

 長い間を開けて、親友の遊言に対する彼女の出した答えはそんなあっけないものだった。

 

「私を置いて勝手に逝った馬鹿の言う事を聞く義理なんざ無い。アイツがしたいことをしたように、私もしたいことをするだけだ」

「なんで……」

「逆に問うが、この世界に生きる価値なんてあると思っているのか?」

 

 答えは、返せない。いいや、言わなくても分かることだ。

 

 そんな物が無いことなんて、嫌でもわかっていることなのだから。

 

 だが――――

 

「だったら……」

「あぁ?」

「だったら――――価値のある世界に変えればいいだろ! 私たちが、幸せに生きることのできる世界に!!」

「それがっ、それができたら苦労しないんだよ! 出来もしない夢物語を語るな!!」

「やる前から諦めんな! やってから言えこの馬鹿ぁっ!!」

「ッ――――だったら……!」

 

 怒りの形相を浮かべたイーヴァは静かに構える。今まで虚ろさは何処かに失せ、内に秘める怒りの炎をその双眸で燃やしている。

 勢いに任せているせいで自分でも何が何だかよくわからない。しかし――――何かが噛み合ったのは、間違いない。

 

「私を越えてみろ……! 『世界を変える』なんて大言壮語をほざいたんだ……私一人に止められてくれるなァッ!!」

「上等だッ……!!」

 

 こちらも同じく拳を構え、間を開けずに駆けだす。

 

 当然イーヴァも私を迎撃するために動き出すが、ある程度の距離になった瞬間私は手に握っていたガラス瓶の首を握り潰し、粉状にしたモノを彼女へと投げつけた。

 

「なっ――――」

 

 反射的に目を瞑るイーヴァ。その瞬間を狙って私は回し蹴りを彼女の顔面に叩き込んだ。

 

 初めて私が生身で彼女に与えた有効打。どれだけ打撃に対して頑丈であろうが、頭部は例外。外面が無事でも中身()は衝撃に弱い。故に頭部を重点的に攻めれば、勝機はある。

 

 私の蹴りによって吹き飛ぶイーヴァ。――――だが彼女は後ろへと引っ張られる身体を踏ん張ることで強引に戻す。そして一瞬で復帰した彼女は未だ滞空中の私の足を鷲掴みにした。

 

「しまっ――――」

 

 足を引っ張られ、私は顔から思いっきり地面に叩き付けられた。床に小さくないクレーターが生じ、私も鼻が折れる痛みを感じる。

 

「ぐっ、ぁぁあぁあぁあああああああッ!!」

 

 だが此処で倒れるわけにはいかない。私は咄嗟の判断で飛び散ったコンクリートの破片を手につかみ、後方のイーヴァに向かって全力で投げつけた。

 

 無茶な姿勢から投げられた破片は無理に復帰した影響で動きが鈍くなっているイーヴァの脇腹に真正面から突き刺さり、彼女に少なくないダメージを与えることができた。その拍子に私の足を掴んでいた手も放される。

 

「倒れろぉぉぉぉおおおおおッ!!」

 

 すぐさま立ち上がり、復帰しきれていない彼女の頬に向かって右ストレート。綺麗に吸い込まれた一撃が彼女の頬に突き刺さる。――――同時に、その手がまたもや掴まれる。

 

「――――ッ、らぁぁぁぁあああああああッ!!」

 

 直後に引っ張られてこちらの顔面にも一発。骨が砕ける音がするが無視。痛みなんて頭から溢れ出てくるアドレナリンでもう感じなくなっている。

 

 軽く目を剥きながら、私も彼女の真似をして自分を殴った彼女の手を捕まえた。

 

 掴んだ手を思いっきり握りしめてイーヴァの無数にある腕の骨を幾つか砕きつつ、両手を引っ張って彼女の頭を地面へと落としながら全力で跳躍。そして膝で彼女の顔面を打つ。

 私の地面へと引っ張る力と跳躍の勢いが合わさった飛び膝蹴り。その威力は尋常では無く、膝からイーヴァの鼻が折れる音を感じ取った。

 

 だが、油断はしない。彼女は腕や鼻の骨が折れた程度で心が折れるような軟な相手では無い。すぐさま手を放し、捕まれた手の拘束を無理矢理解きながら距離を取る。

 

 

「――――え」

 

 

 突然視界がブラックアウト。イーヴァに顔面を掴まれたと認識し切る前に、私は頭から地面へと叩き落とされ、地面を大きく跳ねた。脳が揺れてまともに抵抗もできず、やっとの思いで見えたのはこちらの首根っこを掴んで投げの体勢に入ったイーヴァの姿だけだった。

 

 視界が激しく変動する。何度も地面を水切りの様に跳ねて、途中で何かに頭からぶつかり、そのまま貫通して工場の外へと放り出された。

 

 身体からは端から端まで嫌な音が不協和音を奏でており、『呪われた子供たち』としての再生力が総動員してそれを収めようとしている。だが私の死神はそれを待ってはくれない。

 

「……中々、効いたぞ。二秒だけ意識が飛んでた。褒めてやる、大戦果だ」

「ぃぎ、はっ、ぁっ…………!!」

 

 潰れそうな肺で空気を取り込みながら、何かないかと手を伸ばし続ける。何か、この状況を打開できるものは――――

 

 

 

 冷たい鉄が、指先に触れた。

 

 

「だが、此処までだ。いい加減、此処で諦めろ……!」

「あき、らめないッ――――」

 

 後ろから首を掴まれ、そのまま裸締めによる喉仏の圧迫が始まった。更に身体の柔軟性を最大限まで生かしながら絡みつく様に絞めているので、外すことは困難を極める。

 

「がっ、は――――」

「早く言えよ……! 首の骨が折れても知らないぞ……!!」

「い、ゃ……だっ……!!」

「言えッ!!」

 

 身体から力が抜け始める。しかし右手に握る”冷たいモノ”の感触だけは今だにはっきりと感じている。そして、コレの存在にイーヴァは気づいていない。

 

 上手く行けば、逆転の鍵となる。だが一歩間違えれば、両方とも死ぬ。

 

 だが迷っている時間は無い。私は右手に持った”ソレ”を自分の左肩に当て、

 

 

 

 ――――()()()を、引いた。

 

 

 

 火薬の炸裂する音と、吹き出した血液が地面に落ちる音だけが静かに響く。

 

 イーヴァは思わず拘束を解いて――――自分の左肩付近から溢れ出している血を見て、茫然とした。いつもならすぐに始まるであろう再生も勢いが鈍っており、瞬間自分の肩に何が撃ちこまれたのかをようやく理解した。

 

「お、前……まさかッ――――!!?」

「ぐ、っぅぁ……は、ははっ……!」

 

 私は自分の左肩に空いた穴を見て、思わず笑いを零した。

 

 辛うじて動脈は避けたようだが骨は砕けているし、やはりというか、()()()()()()()()()()である証拠なのか傷の直りがいつもと比べて格段に鈍くなっていた。

 それでも、無視できないレベルの出血ではあったが。

 

 右手に持った――――イーヴァの持っていたニューナンブM60が手から滑り落ちる。

 

 これを見つけた瞬間、直感的に手にしたことは偶然ではあったが――――私の勘も、そう捨てた物では無いらしい。

 

 アドレナリンに浸かった頭を酷く刺激する肩の痛みを堪えながら、私は狼狽する彼女へと踏み出す。

 これが最後のチャンスだ。決して逃してはならない――――!!

 

 

「うあぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!」

「っ、オォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

 互いに繰り出す今出せる全力の拳打。それは正面からぶつかり合い、数瞬の拮抗の末に――――私の右腕の骨折という形で決着がつく。

 

 だが、()()()()()()()()()

 

 

 私の本当の狙いはッ――――!!

 

 

「まさかッ――――」

「ハァァァァァァアアアアアアアアアアア――――ッッ!!!!」

 

 

 右腕を犠牲に攻撃を凌ぎ切って突っ込んでくる私へと咄嗟にもう一方の腕を突き出そうとするイーヴァであったが、そちらの腕は現在肩関節付近にバラニウムの弾丸が深く食い込んでいるのか機能不全となっている。

 あの弾丸は殆ど偶然とはいえ、彼女の腕を暫く使い物にできないくらいのダメージを与えていたのだ。

 

 それが、彼女の命運を分けた。

 

 無防備になった懐に入っての、全力の蹴り上げ。私はそれをイーヴァの顎に打ち込んだ。肌と空気が破裂する音が爆発のように響き、同時にイーヴァは十数m上空に打ち上げられた。

 

 イーヴァは、何が起こったのかわからないような顔をしている。

 

 両脚を踏みしめて、跳躍。イーヴァと同じ高度まで上昇し、身体を強引に半回転。頭を下にしながら、片脚に残ったすべての力を集結させて――――

 

 

 

(………そうか、お前は)

 

 

 

(マリの命を、背負ったんだな)

 

 

 

(……すべて捨てようとした私が、)

 

 

 

「――――……勝てないわけだ」

 

 

 

 

「届けぇぇぇぇぇぇえええええええええッッ!!!!」

 

 

 

 

 脚を、振るう。

 

 ギロチンの如きオーバーヘッドキック。今まで生きてきた中で最高最強の、渾身の一撃が寸分違わず彼女の胸に叩き込まれ、イーヴァの全ての肋骨を粉砕しながら彼女の体を吹き飛ばした。

 

 時速数百キロもの豪速で吹き飛ばされた彼女はかまぼこ状の廃工場を幾つも貫通し、倒壊させながら遥か向こうの瓦礫の山へと叩き込まれ、巨大な爆発と粉塵を上げてようやく沈黙。

 

 そしてくるくると、私は蹴りの反動で空中を回転した末に地面に激しく打ち付けられる。

 

 身体にもう力は入らない。立って、イーヴァの安否を確認するための余力すらあの蹴りにつぎ込んでしまったらしい。

 

 

 ――――ヤバイ、少し、やり過ぎたかしれない……。

 

 

 衝撃への耐性を見越して、それでも彼女なら平気だろうと渾身の一撃を遠慮なくぶち込んだわけだが……正直、予想外の威力で不安になってきた。

 事実、もう二、三分は経っているのに、未だに聞こえるのはさざ波の音だけで。

 

 まさか、まさか死んでしまって――――

 

 

 

「――――――――げほっ、ごぶっ…………絶対殺す気でやってくれやがったなクソガキ……」

 

 

 

 朦朧とする視界の中で、そんな声だけがクリアに木霊した。

 

 血液が喉に溜まっているのか少しだけくぐもってはいるが、間違いなく、イーヴァの声だ。疲労による幻聴で無ければ、の話だが。

 

「あ、ぁ……よかっ……たぁ…………」

「はぁぁ……人様にあんな一撃ぶち込んでおいてなにが『よかった』だ、ったく。…………”参った”よ。本当に、参った。お前なんかに、ここまで絆されるなんてな……」

「ぅ、ぐ…………」

 

 血を流し過ぎたのか、目に入る光すら覚束なくなる。意識の方も、もうすぐ落ちそうだ。

 

 ……頭に、何かが触れる。

 

 

「……休めよ、()()()。介抱くらいは、してやるから」

 

 

 その声に従って、瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 ――――ねぇ……私、今度は。

 

 

 ――――ちゃんと、助けられたよね……?

 

 

 

 




サブタイトル:格上殺し(ジャイアント・キリング)(出来たとは言って無い)

Q・結局レーナは勝ったの?
A・勝負に負けて試合に勝ったんだよなぁ……。

正直イーヴァちゃんが純粋な殺し合い提案してきてたらイーヴァちゃんの耐久力が高すぎてレーナちゃんの方がすり潰されて死んでたゾ。


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十二話:零れた欠片を拾い集めて

鬱展開はやるけどバッドエンドにするつもりは無いゾ(ハッピーエンドになるとは言わない)


 全身が痛い。

 

 目覚めて、まず思い至ったことはそれだった。事実、身体の端から端までミシミシと嫌な音が響いており、同時に『呪われた子供たち』の再生能力が傷を治しているのだと再認識できる。

 

 勘違いされやすいが、別に私たちの保有する再生能力はそう便利な物では無い。確かに傷の治りこそ常人の数十倍早いが、それに伴う激痛は確かに存在する。普通ならじっくりゆっくりと癒えていく傷を爆発的な新陳代謝により無理矢理”生まれ変わらせる”のだ。

 

 おかげで全身から決して低くはない高温が発せられて頭がクラクラしている。

 

 考えられる限りのダメージとしては、右腕の重複骨折、鼻骨格の骨折、肋骨も幾つか、全身に打撲、頭の強打、左肩の貫通銃創。それと蹴りを放った脚も反動で骨に罅が入ったらしく今も尚ジンジンと鈍痛を脳に訴えていた。

 

 まあ、放って置けば治るだろうが……やはり痛いものは痛いものだ。

 

 朦朧とする視界を正していくと、やがて見知った顔がはっきりと移ってくる。――――イーヴァの顔だった。どうやら、私は彼女の膝を枕にしてベンチで寝ていたらしい。

 

 それを見て、気絶する前にあったのは幻聴でも幻覚でもないことをようやく認識できて、深い安堵の息を吐いた。ああ、よかった。

 

「お、起きたか。気分はどうだ?」

「……全身が痛い」

「だろうな。私も同じだ。ったく、肋骨全部折られるなんて初めての体験だよ……」

 

 正直、あの最後の一撃は個人的にも予想外すぎる威力だった。少なくとも想定の三倍近い威力。

 

 興奮状態に陥ったことで脳のリミッター的なモノが外れてあんな超威力の蹴りが出てしまったのだろうか、甚だ疑問ではあるが、今の私の持つ情報では謎の現象に対する答えは導き出せない。

 

 とはいえ、やはり前述した理由が原因だとは思うのだが。

 反動で自分の体にもダメージが入る程だ、間違いなく身体の安全装置が吹き飛んだのはほぼ確定だ。

 

 これを常時発揮できれば……いや、自壊しかねないから駄目だな。自爆技など実戦ではナンセンス以外の何物でもない。

 

「……ねえ、私、勝ったんだよね」

「ああ、お前の勝ちだよ」

「本当に?」

「本当だ」

「……もう一回、ちゃんと言って」

「ああ? ……あー、わかったよ。”参った”、これでいいだろ?」

「…………よかったぁ」

 

 念のためにもう一度彼女からその言葉を聞いて、ふにゃりと顔の筋肉が緩んだ。

 

 私は、勝った。勝ったんだ。

 

 とても小さな勝機ではあったが、使える物を文字通り総動員して勝利と言う結果を引き寄せることができた。代償として身体はボロボロだが、得たモノはそれを鑑みて余りある。

 

 今度は助けることができた。

 

 その結果があれば、私は十分喜べる。

 

「本当に、予想外の結末だ。適当にお前を相手して、最悪気絶させた後に自死するつもりだったんだがな……。今では、すっかりその気も無くなった」

「……どうして?」

「マリの言葉もあるし……お前を見て、目が覚めた」

 

 さすり、とイーヴァは膝の上に乗せている私の頭を撫でる。浮かべた顔には前までの虚無感などは見当たらず、しかしいつもと違いまるで母親の様な穏やかな表情をしていた。

 

 何と言うか、今までのイメージが崩壊していく様な感覚を味わう。

 

 こんな表情もできたのか。

 

「前にも言ったが、こんな醜い世界で生きるのは苦痛だ。それは今でも思っているし、お前もそう思っているだろう。そして私たちはその中で耐え続ける事を選んだ。何時か誰かがよい物に変えてくれると信じて待ち続ける道を選んだんだ」

 

 いつか聖天子の様な人間が、東京エリアを変えてくれると。『呪われた子供たち(私たち)』に優しい場所を作り出してくれると。

 

 私たちがするべきことは待つことだと、信じていた。

 

 心のどこかで「出来るはずがない」と諦めていて、しかし別の場所では「いつか」という期待もあったのだ。

 

 だが、

 

()()()()()()()()()()()。いつか、なんて言葉に惑わされてはいけなかった。私たちの望む世界は何年後、何十年後に訪れる? いや、もしかしたら百年経っても実現しないかもしれない。そうなれば、私たちが耐え続けた意味なんて、無くなる」

 

 そう。実現できなければ、待つことに意味は無いのだ。

 

 なら、どうするべきか――――?

 

 

「私たちは今まで耐え続けようとした。だが、それは悪手だと悟ることができた」

 

 

「だったら、やることは一つだ」

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 求めよ、さらば与えられん。

 

 本当に欲しい物は自分の力で勝ち取らなければいけない。ただ待つだけで手に入る物など、本当に自身の望むモノでは無いのだから。

 

 例え聖天子の掲げる『ガストレア新法』が明日施行されようと、正直言って効果は薄いと私は確信している。何せ、私たちへの迫害の原因は人権の有無ではない。

 最大の原因は私たちがガストレアウィルスを持っているという事であり、そして世界で生き残っている人類の大半がガストレアに対して憎しみを抱いているという事。それが原因に他ならない。

 

 本当に私たちが幸せに生きられる世界を作るには、その原因を解消もしくは排除する必要がある。

 

 無論、生半可な方法では不可能だ。人から憎しみを取り除くなんてことが簡単にできるわけがないのは子供でもわかる。そして、悠長な時間をかける程私たちに余裕があるわけでもない。

 

 ならば方法はいくつかに限られる。

 

 

 ――――全ての『奪われた世代』を殺し尽くすか。

 

 

 ――――もしくは『奪われた世代』の私たちに対する憎しみを別の感情に”塗り替える”か。

 

 

 前者は、困難を極める。現人類の八割を殺し尽くすことに他ならないし、当然その過程で新たな憎しみが生まれるのは想像に難くない。こんな道を選べば最後に待っているのは全人類の抹殺だ。

 それに何より、結果を出すのに必要な労力が圧倒的に大きすぎる。故にこの方法は非現実的としか言えない。

 

 無論、各エリアの存在するモノリスを一、二個程完全に破壊してしまえばできなくはないが――それを実現するための火力は途方もないだろうが、この場合は理論上可能と仮定する――それは私たちに対して何も思っていない者達まで殺す可能性がある以上、決して許容できる方法では無い。

 

 である以上、残された道はただ一つ。

 

 『憎しみ』を別の感情に――――『羨望』もしくは『恐怖』に塗り替える。

 

 この方法なら、あるいは――――。

 

「……あー、それより、その、なんだ」

「ん……? 何?」

「……ごめんな、色々と、酷い事言って。正直、ちょっと言い過ぎた」

 

 その言葉を、少しだけ反芻する。

 

 確かに先程までの彼女の言動は常識を逸した物であり、実際私があの状態のイーヴァに対して戦慄した数は二回や三回では済まないだろう。それ程の狂気を彼女は纏っていた。勿論今は影も形も見当たらないので一先ずは安心できる状態と言えよう。

 

 しかし、それも仕方のないことだ。彼女からすれば共に生きてきた己の半身を、相棒を、何の心構えもできないままその凄惨な死に様を見せつけられたモノ。

 

 大人ぶっていても、イーヴァは見も心も九歳なのだ。親友の死という事実をそのまま受け入れられるほど成熟しているわけがない。むしろその責を自分の物と思いこんで閉じ込めるより、衝動的に発散する選択をしたのはベストとも言える。

 でなければ恐らく、彼女は当日中に自死していた。

 

 その怒りの受け皿になったのは私の不運でもあり幸運でもあった。その時の私も、きっと何もされないまま放置されていたのならば罪悪感で彼女と同じ選択をしていたかもしれないのだから。

 

 結果論でこそあるが、最悪に見えて最善に近い行動を取ることができたのは不幸中の幸いと言えるかもしれない。

 

 故に、私は彼女に対して親愛の情こそ抱いたままだが、怒りはもうありはしない。でなければ悠々と頭を膝に乗せたりするものか。

 

「……私こそ、ごめんなさい。私がもっと強ければ……」

「それは……もういい。もういいんだ。それを言うなら、外出の許可を出した私にも責任はある。お前だけの責任じゃない。むしろソレは、私が背負うべきものなんだよ」

「でも……」

「私も、お前も、マリも。全員何かを間違えた。そしてあんなことが起こった。……間が、悪かったんだ。あっけなくて、理不尽だけどさ……『死』なんて、そんなモンだ」

 

 幾度となく仲間の『死』を見てきた彼女はそう語った。

 

 生きていればいつか『死』は必ず訪れる。それが偶然か必然か、どういった形であれ。そして、その中でも望む形での死を遂げることができるのはごく一握りだ。

 

 だけど、どんな形であれそれは一つの命の終焉だ。否定なんてできやしない自然の摂理だ。

 

「マリは、死んだ。どうあがいても、その事実はもう変えられない。……なら、せめて。アイツの残した願いだけは、叶えてみせる。そうすれば、アイツの死もきっと、無駄にはならない」

 

 死した者の意思を受け継ぐ。

 

 綺麗ごとで言い繕っても、ただの自己満足と言われれば何も言い返せない。だけど、それでも。

 

「……なあ、レーナ。私と一緒に……アイツの死を、背負ってくれるか?」

「うん」

「…………お前なぁ、二つ返事で引き受けるようなことじゃ「勝手に話を進めないで」えっ……」

 

 突如第三者からの割り込みが発生した。

 

 声がする方を見れば、星の弱々しい明かりに照らされた純白の少女――――下水道における三人目の最年長組、シルが静かな足音を立てながら近づいてきていた。

 

 一体どうやってここまで来たのかと思ったが、ハッと上空に視線を移すとげんなりとした表情のアクィラがリザと佐奈を足で掴んで滞空している。どうやら私たちが長々と話をしている最中にようやく到着したらしい。

 

 ……アクィラ、もしかして三人もここまで運んできたのだろうか。道理で遅いと思った。

 

「シ、シル……? お前、なんで――――」

 

 

 

 ――――パシィン!!!

 

 

 

 星の下で、甲高い音が木霊した。

 

 イーヴァは訳が分からないという顔で、自分の頬にできた紅葉を指で触れる。対するシルは、その両目から大粒の涙をポロポロと零しながら嗚咽を漏らしていた。

 

「私がっ、どれだけ心配したかっ……!! 真璃が死んでっ……悲しんだのはあなただけだと思っているの!? 私だっていっぱい泣いた! 苦しかった! なのに、次はあなたまでっ……私を、残してっ…………!!」

「………………すまなかった」

「みんな、みんな勝手よ!! メリーも、(かなで)も、真璃も、あなたも! みんな私を置いて先に逝こうとする!! なのに……私は、何もできない……っ! こんな、こんなか弱い体で、生まれたせいでっ……! 私だって、あなた達の隣に、一緒に居たかったのに…………!」

「…………本当にすまん。心配、かけた。ごめんな、シル」

「ッ……馬鹿ぁ!」

 

 そのようなやり取りを経て、イーヴァとシルは互いにギューっと抱きしめ合った。もう話さないというかの如く、熱烈に、深く、長く。

 

「ちょちょちょ、もっと低い所で放して――――ぶぺっ!?」

「待って待って待って! 今バランス崩れて――――ったぁ!?」

「あー、重かった……」

 

 熱烈なハグの最中、向こうでは小さなコントが繰り広げられていた。

 

 流石のアクィラも三人同時懸架はくたびれたらしい、顔から汗を流して深いため息を吐いている。そして顔から地面に突っ込んだリザと佐奈は小さく呻き声を上げていた。この場合は不憫と思うべきなのだろうか。

 

「ったた……あ、リーダー。もうマトモになったみたいだね。いやー、よかったよかった」

「たいちょー! 私もハグしてハグ!」

「ちょっ、おい! まだ傷が治り切っていたたたたたたたぁ!?」

 

 危うく私も巻き込まれそうなので、私は素早くイーヴァの膝上から退避した。

 その予想は正しく、佐奈はイーヴァの身体からミシミシと音が聞こえるほどに遠慮なく抱き付いていた。もし私が回避という選択を選ばなかったらそれに巻き込まれていただろう。南無南無。

 

「……レーナ。ごめん」

「アクィラ?」

「貴方を一人にさせてしまった。危うく、どちらも死なせるところだった」

 

 確かに、あの時にアクィラがあの場を去らずに共闘できていれば私の受けるダメージはかなり減っただろう。イーヴァが自ら「本気を出す」と明言するくらいだ。彼女の戦闘力も生半可で無いのは確か。

 

 しかしそうした場合はイーヴァをさらに刺激していただろうし、最悪彼女が「我慢比べ」を持ちかけることなく全力での殺し合いに発展していた可能性が高いと私は思う。そうなればもう取り返しはつかず、どちらかが死ぬまで、最悪私とアクィラが死に、イーヴァが自殺するという最悪の事態になる可能性すらあったのだ。

 

 故に私は彼女を責めるつもりは無い。むしろ短慮な選択をしなかったことに感謝すら覚える。

 

「大丈夫ですよ。私も、イーヴァも生き残れた。……それで十分です」

「……いずれ借りは返す。覚えてて」

 

 借りを返す、か。

 

 彼女には申し訳ないが、返される日が来ることはたぶん無いだろう。何故ならば――――私はもうすぐ、彼女らの元を去らねばならないから。

 

 今の彼女たちならば、私をもう一度受け入れてくれる可能性は無くはない。だけど……私は自分にその資格が無いと断じていた。一度、背を向けて逃げてしまった私には。

 

 無論彼女らには最大限協力するつもりではある。例え、傍に居れなくても――――

 

「さて……ガキんちょ、家に帰るぞ」

「へ?」

 

 ガシッとイーヴァに腕を掴まれて引っ張られる。まるで逃がさないとでも言うように、彼女は力強く、しかし決して痛くない程よい強さで私の腕を確保していた。

 

 私が瞠目の表情を浮かべてイーヴァを見れば、呆れ半分といった顔の彼女が見えた。

 

「で、でも私は」

「……何遠慮しているのか知らないけどな、この場にお前を受け入れない奴は「私がいるよ!」佐奈お前ちょっと黙ってろ。……あー、とにかくだ。()()()()()

「……………」

 

 …………帰りたくないかと言われれば、嘘になる。勿論帰りたいさ、あそこは私の、家なんだから。

 

 でも、本当に私の居場所はあるのか? 本当に私の事を、受け入れてくれるのだろうか? ――――そんな不安が、私の心をつかんで離さない。

 

「本当に、いいの?」

「ああ」

「いつか、迷惑かけるかもしれないよ?」

「人間生きてりゃ誰かしらに迷惑かけるもんだ。お前だけの話じゃない」

「……あそこは、まだ私の家なの?」

「当り前のことを一々確認すんなこの馬鹿」

「………………う゛んっ……!」

 

 土や埃だらけになった服の裾を皺くちゃになるまで握り込む。そんな私を、イーヴァは無言で抱き寄せてくれた。もう流れるモノも尽きたと思っていたのに、両目から涙がポロポロと零れ出てくる。

 

 

 私は泣いた。大切な自分の居場所を取り戻せた歓びに。

 

 

 私は泣いた。大切な家族を失った事実を受け入れた悲しみに。

 

 

 

 

 

 もう戻らないと思った。

 

 手から零れ落ちた物は、もう拾えない物だと、そう思っていた。

 

 だけど少しだけ足を止めて、一度は未来(希望)に背を向けてしまったけれど、死に物狂いで足掻いて幾つかの落とし物(幸せ)を拾い集めることはできた。

 

 勿論、全て取り戻したわけじゃない。一番大切なモノ(真璃)は欠けたままだ。

 

 それでも、全部失った訳じゃない。だったらまだ、前に進める。希望へと歩く気力が残っている。

 

 真璃は死んだ。悲しいことだし、きっと私は何時までも何処までもその()を負ったまま生きるのだろう。彼女の事を忘れたくないから。

 

 だけど私は、私たちは、彼女の、今まで死んでいった者達の(願い)を背負って生きよう。

 

 

 

 皆で明日を幸せに生きるという、ささやかな願いを叶えるために。

 

 

 

 

 

 ――――撃っていいのは、撃たれる覚悟のある者だけだ。

 

 

 

 ――――お前たちは、私たちに銃口を、矛先を、憎しみを向けた。

 

 

 

 ――――十年も耐えたんだ。

 

 

 

 ――――今度は、私たちの番だ。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 ――――翌朝、私とリザと佐奈はスコップで水が染み込み泥状になった土を掘り返していた。

 

 グチャリという水音と、泥から滴り落ちる雫の音。それらを人が入れそうなほどの穴を()()出来上がるまで繰り返し、大体一時間足らずでその作業は終了した。

 

 何を作っているかと言うと、所謂墓穴だった。普通の人間ならばかなりの労力を必要とするだろうが、『呪われた子供たち』としての高い身体能力が幸いしてこういう作業は手早く終わらせることができる。

 

 ……正直に言って、この力を墓造りに使うなんて今後無いことを祈りたいのだが。

 

 私たちは順に穴から抜け出し、スコップを地面に放りながら近場に鎮座してあった木箱の表面を撫でた。

 

「…………本当に、どうしてこんな事に、なったんだろうね」

「……たいちょー、もう大丈夫だよね?」

「…………………」

 

 リザが沈鬱な呟きを漏らしたが、私はそれに対して何も返せなかった。

 

 木箱の蓋を開ける気にはならない。中には、これから埋める真璃の惨死体が入っているから。ついでに言えば、私たちの様な子供にエンバーミングの技術などあるわけも無く、中身は更に悲惨なことになっているだろう。箱の隙間から漂ってくる腐臭が何よりの証拠だ。

 

 一度目を伏せ、その後私は隣に置かれたやけに古びた木箱に視線を移す。

 

 中身は――――真璃の、母親の遺骨が入っているらしい。

 

 当時の子供たちには「死人のために墓を作る」という知識がなく、今の今まで倉庫で延々と放置していたようだった。今回の真璃の埋葬の話が浮上したことによってその事を思い出し、母子共に埋葬することになったのだ。

 

「――――すまん、遅れたか?」

「あ、たいちょー」

「……ううん、今終わったところ」

「これって非力な私にやらせる作業じゃないと思うんだけどなぁ」

 

 マンホールの中から少々大きめの石版を持ったイーヴァやその他子供たちが出てきた。その石版は勿論墓石であり、今から埋葬する者の名が刻まれている。

 

 

 日和野 真璃。

 

 日和野 麗那(れいな)

 

 

 真璃の母親の名前を知った時、数分間絶句したのはつい数時間前の出来事だ。

 

 彼女が何を思って私に母親の名を付けたのかは、あるいはただの気まぐれなのかはもう知ることはできない。ただ軽い気持ちでこの名を私に預けたとは、とても思えなかった。

 

 故に私は自身の名前に重い意味を見出した。一度は憎しみに打ち勝ち、己が子を、『呪われた子供たち』を愛すと決断した女性の名を継ぐことに。

 

「…………家族の墓を作るのは、これで最後にしたいな」

「……そうだね」

 

 これで最後になってくれれば、どれほどの救いか。

 

「ねぇ、マリちゃんホントに死んじゃったの……?」

「嘘だよね? ねぇ?」

「…………………」

 

 小さな子供たちがイーヴァの服の裾を引っ張りながら、そう呟いた。それを聞く度に私の胸が張り裂けそうな痛みを訴える。

 

 全員が全員、真璃の死を受け入れられたわけじゃない。特にまだ精神が未熟な五歳以下の年少組がその傾向にある。

 なにせ彼女は他の者が面倒くさがる子供の世話を積極的に焼き、恐らく一番深く、長く触れあってきた者だ。先々代が死んでから拾われた子供たちからすれば、彼女は母親同然の存在だっただろう。

 

 そのような存在が突然消えるという現実など、まだ幼い子供が受け入れられるわけがない。だからこそ彼女たちは集団を率いているイーヴァに問いかけるのだ。

 

 きっと自分たちを驚かせるための冗談だと信じたくて。

 

「……ごめんな。アイツはもう……帰って、来ないんだ」

「なんで? どうして? ねぇ?」

「マリちゃん何も悪い事なんてしてないのに!」

「……………もう、居ないんだよ。マリは」

 

 両手を握り締めながら、イーヴァは震える声で彼女たちに現実を告げた。

 

 イーヴァの様子が冗談でも何でもないと悟ったのだろう、子供たちはそれを最後に嗚咽だけを漏らすようになってしまった。それを見て、私の両目からも涙が出始めた。

 

 ああ、全く。本当に嫌な世界だ、クソッタレ。

 

「……もう、埋めよう。子供たちが開けようとするかもしれない」

「わかってるよ、アクィラ。――――リザ、佐奈、レーナ。土の用意を」

 

 そう言ってイーヴァとアクィラは遺体の入った木箱を持ちあげ、慎重に穴へと入れた。それを母子分ともに終了したことを確認して私たち三人は掘り返した土をスコップで掬い上げて、箱の上に積み上げていった。

 

 一挙動起こすたびに吐きそうになる。畜生。畜生。こんな、こんな筈じゃなかったのに。

 

「ッ…………! ッ、ぐぅ……………ッ!!」

「れーちゃん……」

 

 堪えようとしても涙が全然止まらない。真璃の死という事実が重く圧し掛かってくる。それでも、私は崩れそうな両脚を支えながら全ての土を被せ終えた。

 

 そして、ついに膝が折れた。

 

「れ、れーちゃん!? 大丈夫……?」

「大、丈夫、です。……まだ、やるべきことは、ありますから」

 

 そう、まだ作業は残っている。それまで休むなど他人が許しても私が許さない。私は崩れそうな脚に鞭打って立ち上がらせる。

 

 荒くなる息をなるべく整えながら、その後私たちは自力で作り上げた墓碑をそれぞれの場所に打ち立てた。ちゃんと倒れない様に深く埋めて、土を被せて強く固める。

 

 これで、全ての作業が終わった。

 

 例えその死が幸せで満足のゆくものでなくとも、これで少しは彼女らの魂が安らぐことを願う。

 

「うっ……ぐすっ……うわぁぁあぁぁぁぁあああああああん! わあああああああああああん!」

「なんでぇぇぇぇぇ……! なんでマリちゃんがぁぁぁぁ……! こんなの絶対おかしいよぉぉぉぉぉぉ……!」

「っ……ぐ、ぅぅぅっ……!!」

 

 墓が完成したのとほぼ同時に、この場に居る全員が涙を流し始めた。

 

 それ程、彼女は愛されていたらしい。気持ちは、よくわかる。私だって彼女とずっと一緒に居たかった。一緒に生きたかった。だからこそ、思うのだ。

 

 

 ――――なんで私では無く、真璃が死んでしまったのか。

 

 

 私を生かしてくれた真璃の覚悟に対する侮辱だというのは重々承知している。それでもなお、そう思わざるを得ない程、彼女の存在は大きすぎた。

 

 ほとんど倒れ込むように座り込んだ私も、声を押し殺しながら泣いた。

 

 神様、もし本当に居るなら、かの母子を安らかな天国へとお送りください。

 

 

 

 

 結局泣き声のオーケストラは一時間に渡り続き、子供たちは顔を泣き腫らしながら下水道に戻っていった。

 

 そして、未だ地上に残っているのは私を例外とするなら全員七歳以上の者。私、イーヴァ、シル、リザ、アクィラ、佐奈、その他四名。

 件の四名は戦闘訓練こそ受けてはいないが、それでもこの世界を七年に渡り生き抜いてきた猛者たちだ。言うなれば非常時に駆り出される予備戦力と言っても良いだろう。ただし一名――――私と真璃が保護した少女だけは例外ではあるが。

 

 とにかく、その者らは下水道に戻らず地上へ残っている。イーヴァが今後の方針を語るために、こうして集まってもらったのだ。

 

 いずれ反旗を翻すために力を蓄えるため。

 

「――――というのが、今後の方針だ。守るためでは無く、攻めるために力を蓄える。これ以上、奴らの好きにさせないためにも」

「あ、あの、たいちょー……それって、ホントに大丈夫なの? 失敗しちゃったら……」

「確かにお前の言う通りだ。失敗すれば『呪われた子供たち(私たち)』の立場はますます追い込まれてしまうだろう。だけど、やり返さないのも駄目なんだよ。このエリア全体に示す必要がある。()()()()()()()()()()()()()()()だと」

 

 何処の世界に鋭い爪と牙を持った猛獣に襲い掛かる馬鹿がいるだろうか。

 

 だが今の私たちは言わば幼獣。爪も牙もあるが、戦い方を知らない獣である。故に彼らは手を出す、私たちが反撃する方法を知らないから。やり返されると思わないから。

 

 その認識を覆す必要がある。普通の人間だけでなく、『呪われた子供たち(私たち)』に対しても。

 

「私たちには抗うための力が既にある。殆どの子供たちはそれに気づいてないか扱い方を知らないだけだ。それを直せば、私たちは戦える」

「でも、銃とかで一斉射撃されたら……」

「んなの馬鹿正直に正面からやり合わなければいい話だし、いざとなれば私たちも同じ物を使って戦えばいい。幸い伝手はある」

「伝手?」

「ほら、そこら中にあるだろ? 違法組織(ヤクザ)やら闇市(ブラックマーケット)やら」

 

 一般人でも許可証さえあれば銃器の所持が認められていても、やはりというか銃器の類は非常に高価だ。例え拳銃であろうと正規品であれば数万円を超える額である。

 

 しかし違法製造(コピー)品の類ならば性能こそ不安が残るだろうが、その購入額はかなり下がる。そしてそういう商品は大抵の場合闇市で流れているものだ。

 

 正直言って安全性で考えれば正規品を購入した方がずっといい。かといって私たちの様な子供にそんな高価なものをダース単位で購入できる資金力も、それ以前に購入という行為を行うためのコネも無い。だから奪うしかない。

 

 一応、正規品を取り扱っている警察や自衛隊への襲撃も視野に入れていたが、流石に鎮圧のプロフェッショナル相手では分が悪すぎる故に却下した。どれだけ戦い慣れていようがあちらは量と質を両立させているのだから、あんな場所に突っ込むのはただの自殺志願者がやることだ。

 

 それに下手に暴れて目を付けられ、準備もままならないまま潰される可能性がある以上愚策と言えよう。

 

 だからこそ小規模な暴力団や違法な物品の売買をしている組織などを探り出し襲撃する。幸か不幸か、そういう組織は外周区付近に腐るほどいると思われるので、少し力を入れて探れば見つかるだろう。

 

 闇市に関しては今後も利用するかもしれないので襲撃はしない方が妥当か。

 

「む、無茶だ! そんな事できる訳――――」

「勿論、したくないなら素直に名乗り出てくれて構わない。その場合いつも通り下水道の中で自分の作業に戻ってもいいし、このグループから抜けて別の場所に行ってくれても構わない。後者の場合はできるだけ安全な所に行けるように根回しはするつもりだ」

「…………リーダー、本気なんだね」

「ああ」

 

 リザに問われたイーヴァは力強く肯定の頷きを返した。

 既に彼女の中では決心がついており、恐らく自分以外の全員が否定の言葉を述べたとしても、恐らく彼女は独りで抑圧に対する反逆を実行する気に違いない。

 

 それ程の気迫を、今の彼女は放っていた。

 

「話は、これで終わりだ。抜けたい奴がいたら手を挙げてくれ。私は、その意思を尊重する」

 

 深く息を吐いて、イーヴァは一度目を閉じて数秒置いた後、もう一度開いた。

 

 

 そこには――――誰も手を挙げていない光景が広がっていた。

 

 

「……お前ら、私の話を聞いていたか?」

「たいちょーの行くところならどこにだって着いて行くよ!」

「いーちゃんに着いて行った方が退屈しなさそうだし」

「……見返りさえあれば別にどうでも」

「ふふっ、一人残った親友を見捨てる訳ないじゃない」

 

 いつものメンバーは変わらない調子でそんなことを述べていた。その他の四人も一部は不安そうな顔を浮かべてはいるものの、明確に忌避や嫌悪といった様子は見えない。

 

 イーヴァが二年間積み上げてきたモノの賜物、と言っても良いか。彼女は短い時間ではあったが、確かな信頼を彼女らから勝ち得てきたのだ。

 

 それが、ここでついに芽吹いた。

 

「ところでたいちょー、力を蓄えるって具体的にはどうやるの?」

「高度な戦闘知識のノウハウを持っている所から吸収する。私たちの様な『呪われた子供たち』に戦闘訓練を施してくれる場所でな」

 

 この世界で『呪われた子供たち』は忌避と嫌悪の対象ではあるが、同時に『戦力』として一定の価値を有する。

 少し鍛えれば大人すら容易に捻りつぶせる身体スペック、これを有効活用しない手はないと考えた人間たちは私たちを怪物(ガストレア)退治のための道具として運用することを考えたのだ。

 

 すなわち、民警におけるイニシエーター。対ガストレア戦闘の専門職(スペシャリスト)の片割れ。

 

 それを育てるために国際イニシエーター監督機構(IISO)という機関では素質のある『呪われた子供たち』を訓練を施しているらしい。これを利用すれば、私たちは更に強くなれる。この手を使わない理由は無い。

 

 更に目を向けるべきなのは『浸食抑制剤』と呼ばれるモノだ。外周区暮らしの『呪われた子供たち』ではまずお目にかかれない代物であり、何よりもそれは私たちの中にあるガストレアウィルスの浸食を抑えつけることのできる薬品だ。

 

 様々な書籍で私たちが力を付けるための方法を調べているとき、この存在を見つけた時は目から鱗だった。つまりこれがあれば、普段から頻繁に力を解放してウィルスの浸食を進めている私たちの寿命を延ばすことができるのだ。

 

 これを安定して得ることができるのもイニシエーターになるメリットの一つだ。最良なのはその製造法を知ることなのだが――――この話はまた今度にしよう。

 

 結論としては「イニシエーターという立場を利用する」というものだ。恐らく一番現実的で、目標に向かえる最短の方法だ。

 少なくとも身内で延々と組手を続けるよりはよっぽど有意義と確信できる。

 

「……さて、今後の方針も、目的も、方法も決まった。お前たちの意思も確認できた。――――ようやくだ。ようやく私たちは反撃のための爪を磨き始めることができる」

 

 感慨深そうにそう漏らすイーヴァは、嗤っていた。

 

 世界が変わるまで耐え続けるしかない――――そんな固定観念を払拭し、見えた世界はどれだけ清々しいものだっただろうか。

 きっと内側に押し込めてきたドス黒い感情が漏れることを止められないくらいには心地よいのかもしれない。

 

 だって、私も同じなのだから。

 

 

 

「――――始めるぞ、私たちの戦争(たたかい)を」

 

 

 

 叛乱の種が芽を出した。

 

 

 それが蕾になることもできずに枯れるか、

 

 

 それとも花を咲かせて災厄をもたらすか、

 

 

 結果は神のみぞ知るだろう。

 

 

 

 




最初は隠れ蓑なんか用意せず初っ端からテロリストの路線も想定していたけど、戦闘経験をまともに詰んでいる奴ら数人がソレをやったところで全滅しかしなさそうなのでこうなった。

やっぱり力を蓄える時間は必要なんやなって……。


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十三話:出陣の前に

実はこの小説を作る前に「ブラック・フ○ック」というどこかの小説とタイトル丸かぶりの黒パン小説を書こうとしていたりした。

内容は蓮太郎が改造の影響で淫夢語録を使いまくるホモガキ化し、木更と延珠は胃を痛める役で(語録汚染済み)、ティナはレ厨、菫は鍵っ子、聖天子は腹黒、菊の字おじいちゃんは常識人(ツッコミ)枠というカオスとゲロを煮込んで出来た何か。

でも語録を使いこなせる自信がなくてそのまま中断になったゾ。誰か書いてくれねぇかな~(他力本願寺)


「…………よしっ!」

 

 私はトイレにある洗面台に付いた鏡を見て、自分の身なりが整っていることを最終確認する。

 

 この日のために貯蓄を切り崩し、わざわざ高級なシャンプーやらボディーソープやら服やらを購入したのだ。少しでも駄目なところがないかを綿密にチェックし、およそ四度目の確認でようやく自分で納得が得られた。

 

 イーヴァとの死闘から三日後。私は何とか確保した時間をとある事に使おうとしていた。それは、ある人物へのお礼参り。

 

 そのとある人物とは誰か? ――――言うまでもない。私の再起の切っ掛けになった少女、司馬未織だ。

 

 あれから彼女に顔を合わせておらず、機会も無かったのでお礼を言えずじまいだったのだ。流石にマナーがどうとか以前に人として駄目だと思ったので、今できる最高の水準で身なりを整えて、こうして会おうとしている。

 

 とはいえ、相手は巨大企業の社長令嬢。一言お礼を言うだけとはいえ、アポ無しに会えるのかどうか……最悪、なんとか忍び込んで早く退散するつもりだ。

 

 念のため土産として用意した、包装されたそこそこ高級品な部類の饅頭を片手に、私は地図を片手にかつて招かれた屋敷を探し始める。

 

「ええっと……こっち、いやあっちかな」

 

 初めて通う道路などで慣れない場所や目新しい建物を眺めつつ、私は数十分かけて目的の場所にたどり着くことができた。

 

 その場所は、一言で表すなら『武家屋敷』だった。

 

 さながら時代劇に出てくるような広大な敷地一体を丸ごと取り囲む築地塀。その高い壁に隠されていてもなお三階建てらしき家屋の屋根が見え隠れしている。

 引き攣った笑いが無意識に浮かぶ程のスケールのデカさ。思わず感嘆の息が漏れる。

 

「うわぁ……これ、ほんとに会えるのかな……」

 

 これほどまでに広大な敷地ならば、張られているセキュリティも尋常では無いだろう。正門から訪ねて無理だったら侵入してでも会うつもりだったのだが、その思惑は実行する前から折れそうになっていた。

 私はどこぞの蛇ではないのだ。持ち合わせているスニーキングスキルなど一般人に毛が生えたレベルに過ぎない。

 

 いっそ通学路で待ち伏せでもするか? と考えながら歩みを進めていると、正門近くで女中らしき者が困ったような顔で風呂敷に包まれた箱の様な物を持ったまま佇んでいた。どうしたのだろうか。

 

「あの、どうかしましたか?」

「え? ……ああ、貴方は」

 

 よく見れば、彼女は前にこの屋敷の中で世話になった際に、私へお粥を運んできてくれた女性だった。あちらもどうやら私の顔を覚えていたようで、一瞬だけ警戒されたがすぐに解かれた。

 

「その、お嬢様が昼餉を持ち忘れたようでして。運転手もタイミング悪く出払ってしまっており、困っていたのです。誰かに運びに行かせるにも、皆手が空いていない状態で……」

 

 なるほど。どうやら未織はお弁当を忘れるというベタなミスをしたらしい。

 

 そして間が悪く持っていけるような人が不在、と。……運命的、もしくは作為的なものを感じるが、これはまたとないチャンスと見ていいかもしれない。

 

「あの、もしよければ私が持っていきましょうか?」

「? いえ、しかし」

「えっと、大丈夫です。くすねたりはしません。未織さんにもちゃんとお礼を言いたかったので、会うならこれは良い機会かな、と。……勿論、無理にとは言いませんが」

 

 風呂敷の中にあるのは重箱の様な高級お弁当箱だろう。売ればそこそこの値はつく。故に女中さんは一度会っただけの、しかも子供に預けるのは流石に気が憚れるはずだ。

 

 私としても「できればいいなー」くらいの思いだ。受け取れなくてもどの道彼女の通う学校を聞き出して行くつもりであるのだし――――

 

「……わかりました。では、これをお嬢様の通う勾田高校に届けてください。無くさない様にお願いね?」

「えっ」

 

 女中さんは優し気な笑顔を浮かべながら私へと風呂敷を預けてきた。

 

 ……えっ。

 

「あ、あの……大丈夫なんですか? 見ず知らずの子供に、こんな大事なものを……」

「ご安心を。責任は全部私が持ちますし、貴方の目からは嘘は見当たらなかったので。……お辛い環境に居るでしょうに、よく此処まで健やかに育ったものです」

「……ありがとうございます」

 

 同情されていい気分がするとは言わないが、それでも褒められて悪い気はしないのは確かだ。私ははにかみながら素直に女中さんへと頭を下げて礼を言った。

 

 その後、持っていた地図に印をつけてもらい、その場所へと向かってまた長い道を私は歩き出す。

 

 何も持っていなかったのならば力を解放して人目につかないルートを駆け抜けるのだが、残念ながら土産の饅頭と弁当箱を抱えた状態でそれをやると中身が悲惨なことになりかねない。故に大人しく歩いて行くのが正しい選択だろう。

 

 もう少しで昼に差し掛かる頃だからか、人影や通りを過ぎる車の数も多くなってきた。周りからこちらへと向けられる視線は何やら微笑ましいものを見る暖かな目が大半だ。

 

 

 ――――もし私が『呪われた子供たち』だと知ったのなら、彼らの視線はどう変わるのだろうか。

 

 

 ふとそんな考えが過り、すぐに振り払う。自分から正体をバラすメリットなど皆無だし、試さなくても結果など分かり切っている。ほぼ例外なく私へと向けられる視線は畏怖と憎悪に染まる。

 

 未だに回復しきっていない己の軟弱な精神にため息をつきながら、気晴らしに軽く周囲を見渡す。

 

 少し遠くの場所に小さな公園があった。そこではまだ幼い子供たちがじゃれ合いながら遊んでおり、その近くでは保護者らしき女性たちが談笑している。どこにでもありそうな、普通の光景だ。

 

 そして、『呪われた子供たち』がどうあがいても手に入れられないモノ。

 

 ああいう光景をみて、思わずにいられない。何故自分たちはあの輪に入れないのか、と。

 

(……いいや、違う。輪に入る必要は、無い)

 

 そうだ。必ずしもあそこに入る必要なんてないんだ。

 

 私たちが入ることのできる”輪”は、私たちが作り上げる。最初こそ直ぐに壊れそうなソレを、少しずつ地道に強くして、いずれは誰であろうが壊せない”輪”を……。

 

 湧き上がる激情を握りこぶしを作って抑えつけながら、信号機が青く点灯したのを確認して横断歩道を渡る。

 

 

 絶対に、変えて見せる。世界を。

 

 

 

 

 

 電車を乗り換えつつ、徒歩での移動も含めればほんの一時間前後で目的地である勾田高等学校に着くことができた。

 

 高校自体は見た目は何の変哲もない三階建てだ。既に休憩時間に入っているのか広いグラウンドで十数人の学生がサッカーやら野球などで暇を潰しており、端に置かれているベンチで談笑している女子高生の姿も確認できる。

 

 何の戸締りもされていない正門を潜り抜け、グラウンドを遠回りしながら生徒玄関らしき場所まで歩いて行く。道中学校の生徒らしき者達がこちらを見ながら何やら好奇の視線をこちらに向けながらヒソヒソと話していたが、無視する。態々私が気にすることでもないだろう。

 

 そして数分かけてやってきた生徒玄関の前で、私は立ち尽くした。

 

「……………未織さん、何処にいるんだろう」

 

 高校までやってきたのはいいが、彼女のクラスなどは知らされていない。今更ながら盲点だったと己の不注意さに呆れて、とりあえず近くを通りかかった女子生徒に質問することにした。

 

 司馬家の令嬢ならば多少なりとも噂にはなっているはず。だったら生徒に聞けば彼女のクラスくらいなら聞けるだろう。

 

「あの、すいません。司馬未織さんを探しているのですが……」

「え? 生徒会長を? 今の時間なら生徒会室にいると思うけど……君、あの人の妹? にしては髪の色とか目の色とか全然違うし――――」

「ありがとうございました。失礼します」

 

 聞きたいことを聞けたので私は足早にその場を立ち去った。後ろから「あ、ちょっと!」という声が聞こえてくるが無視だ無視。変に探られたら面倒だ。

 

 しかし、彼女は噂の人物どころか生徒会長だったらしい。もしや見た目も完璧なのに頭も凄く良かったりするのだろうか。天は二物を与えずという言葉があるが、彼女に関してはそれは当てはまらないような気がする。

 

 もし欠点があるとするならば、運動音痴とかだろうか? これも当てはまらなかったら未織は文武両道才色兼備呉越之富というパーフェクト女子高生ということになってしまう。何だそのフィクションから出てきたような人物……。

 

 ……本題から逸れそうな思考を正して、近くのコルクボードに張ってあった学校地図を見て生徒会室の場所を確認し其方へと向かう。

 正面玄関から見て一番西側奥の二回への階段を上がり、右手に折れるとほどなく『生徒会室』のプレートが見えてきた。

 

 部屋の前に立ち、一度大きく深呼吸してドアをノック――――しようとして、中から会話が聞こえてきたことに硬直して手が止まった。

 

 ただの会話なら特に止める理由はなかった。だが聞こえてきた声が、あまりにも自分の知っている人のモノと似ていて――――

 

『……おい未織、昼飯忘れたのは知ってんだが、それが何で俺をこの部屋に連れてくる理由になるんだ?』

『え~? 別に何もおかしゅうないと思うんやけど? ウチが里見ちゃんと一緒に購買に行って、一緒に昼食を買って、一緒の部屋でご飯を食べる。なんもおかしくないやろ?』

『最後がおかしいだろうが!? 前二つと因果関係が全く見えないんだが!?』

『じゃあウチと一緒にご飯食べるのは嫌?』

『……別に嫌じゃないけどよ』

『ほらやっぱり!』

 

 ひゅう、と喉からかすれた声が這い出てきた。

 

 里見――――里見、蓮太郎。最後に会ったのは、あの時以来で。どうやって別れたのかも覚えていない。だがそれでも、私たちを助けようとしてくれた人。暖かな手を持つ優しい人。

 

 私は、彼に会ってもいいのだろうか。彼のつらい記憶を掘り起こさないだろうか。

 

 数秒だけ考え込み、私は弁当箱と饅頭だけを置いてこの場を去ることに決めた。彼と再会するのは、まだ早すぎる。せめてもう少しだけ時間を置いて――――

 

『……ん? 誰かおるん?』

「あっ」

 

 無意識に何かの音を発していたのか、扉の向こうに居る未織はこちらに気付いた。思わぬ展開に頭が付いて行かず私の体はそのまま固まり、回復など待ってくれず扉は開かれて。

 

「……レーナちゃん?」

「――――なッ」

「…………お久しぶり、です」

 

 未織と蓮太郎は驚きの表情を浮かべた。だが質が違う。未織は意外なものを見るような顔だったが、蓮太郎はさながら幽霊でも見たかの様な顔だった。

 

 複雑な感情を表情に浮かべながら、私はぺこりと頭を下げた。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 生徒会室は、ごくごく普通の部屋だった。広いテーブルに適度な数のパイプ椅子。何かの本やトロフィー、賞状等が入っている棚。隅で鎮座しているホワイトボード。

 

 しかしそんな生徒会室の中央で異色な雰囲気を放っている物体が一つ。

 

 金箔で装飾された美しい四角の漆器。質に出したら十数万は下らないであろう容器の中には数々の高級食材で作られた料理がバランス良く入れられていた。私と蓮太郎はそれを見て引き攣った笑いしか浮かべられない。

 

「はい、お茶やで」

「あ、どうも」

 

 差し出された茶碗に急須で茶が注がれる。銘柄は知らないが、確実に高級品であると直感できるほどには色鮮やかで芳ばしい香りが漂っていた。

 

 いや、お茶について考えてる場合じゃ無かった。私は居たたまれない気持ちで向かい側に座っている蓮太郎へと視線を投げかける。

 

「……あー、その。元気、だったか?」

「ええ、まぁ、はい。色々、ありましたけど」

 

 正直気まずい事この上ない。彼からすれば己が助け損ねた少女が心の準備をする暇もなくいきなり現れたのだ。私としても此処で再会する気は微塵もなかったので、どういった言葉を彼に掛ければいいのかさっぱりわからない。

 

 そんな私たちの心情を知ってか知らずか、未織は弁当箱から幾つかの料理をよそって私と彼の前へと差し出した。

 

「ほらほら、そう暗い顔したらあかんて。美味しい料理でも食べながら話すとええよ」

「つってもだな……にしてもお前と未織が知り合いだったとは」

「知り合い、と言っても一度未織さんに拾われてお世話になっただけですよ。……未織さん、その節は本当にお世話になりました」

 

 さり気なく蓮太郎の隣に座り込んだ彼女へと深く、頭を下げる。

 

 もし彼女が私を見つけてくれなかったら、きっと路上で死んでいた。イーヴァの凶行も止められなかった。彼女がいなければ今以上に悲惨な出来事が下水道の皆に襲い掛かっていただろうと思うとぞっとする。

 

 だからこそ私は心の底から感謝の言葉と念を彼女へと送るのだ。それ程の、大恩である。

 

「んー、ウチとしても色々と貰えたから別に気にせんでもええんやけどなぁ」

「? あの、饅頭で事足りる恩では無いと思うんですが……」

「そうやなくて。あの時ウチ、妹が出来たみたいでちょっと嬉しかったんよ? んふふ~、いい思い出が作れただけでもう十分返させてもらったわぁ」

「えぇ……」

 

 あの少しの間の出来事だけで、彼女に取って恩返しは済んだらしい。どうやら彼女は自分がそれ程大きな事をしたとは思っていない様だった。

 

 が、私にとってはとても大きな事だ。彼女の意には反するが、今後彼女の助けになるのならば体を張ってでも成し遂げよう。勿論、無理のない範囲で、だが。

 

「それにしても、レーナちゃんと里見ちゃんが知り合いだったのも驚きや。きっとこれは運命やね!」

「な訳あるか……」

「ところで里見ちゃん、レーナちゃんとはどういう関係なん? もしかして新しい居候だったりするん?」

「いや、二、三回会っただけの関係だよ。そこまで深い仲って訳じゃねぇ」

「なんや、残念」

 

 ちょっとだけ不満そうな顔をする未織。でも仕方ない、本当に何回か会っただけの関係なのだから。

 

「あ、レーナちゃん。お友達と色々と拗れていたって聞いたけど、それについてはもう大丈夫なん?」

「はい。お互いに腹の底にある本音をぶつけ合った結果、何とか関係は修復できましたね。……でもやっぱり、心の傷が完全に癒えたとは言えませんけど」

「まあ、とにかく良かったわ。でも、もしレーナちゃんが失敗して居場所を無くしてたら、ウチの家に入れるつもりやったんやけどなぁ~」

「はい?」

 

 一瞬彼女が何を言っているのかよくわからなかった。家に入れる? どういうことなの……?

 

「あ、ウチが司馬重工の運営の一端を担っているのは知ってるやんね? で、最近そこで私設の民警部門を立ち上げたんやけど、まだ人員とかは集めておらんのよ。だからレーナちゃんに記念すべき初メンバーになってもらいたいわー、とか思っていたんやけど――――あ、里見ちゃん今の会社やめてウチのトコに来る気はあらへん? 今ならウチの体を好きにしていい権利を付けてもええで?」

「えっ」

「ぶぅぅぅぅぅ――――っ!?!?」

 

 蓮太郎が飲んでいた茶を思いっきり吹き出した。そしてそれは向かい側に座っていた私の顔に直撃する。

 

 だがきっと私は彼に非はないと思っているに違いない。だって未織が言い放った事の内容が割とトンデモ無いものであったから。誰だって吹くわコレは。

 

「げっほげほっ!? みっ、未織お前、何言ってんだ!?」

「勿論里見ちゃん限定やよ? ほら、木更程やないけど、ウチも結構”持ってる”方なんよ。……触ってみいひん?」

「お、おまっ、子供の前だぞ!? 少しは自重しろッ!?」

「あー……お邪魔そうなのでお暇しますね」

「助けろよッ!?」

 

 手持ちのハンカチで顔を拭きつつ、私は「こほん」と小さく咳き込んだ。未織も流石に私の前ではマズイと判断したのか、しかし艶やかな笑みを浮かべながら蓮太郎に迫らせていた身体を元の席に戻した。

 

「ええと……一応、何日か後に国際イニシエーター監督機構(IISO)の施設に行って、イニシエーターになるつもりです」

「は?」

「え、ホントに?」

「はい。なので、運がよければそちらのお世話になるかもしれません」

 

 当り前だが、どんな『呪われた子供たち』でもイニシエーターになれるわけでは無い。申し込む分には無料だし、一定期間訓練も受けられる。

 

 しかし”使い物”にならないと判断された場合は問答無用で切り捨てられる。あちらだって金を使って戦力の育成を試みているのだ。

 確かに『呪われた子供たち』は軒並み身体能力が高いものの、ガストレアもしくは銃口等を見て怯んで動けない等々の症状を持つ者を何時までも懐の中に置いておく理由も余裕もない。

 

 故に厳しい審査を抜けてようやくイニシエーターは世に排出されるわけだが、その死亡率は口にするのも悍ましい数字だ。

 

 なので『呪われた子供たち』にとってイニシエーターという道は敷居が低くても生存のためのハードルは高い職なのだ。ぶっちゃけ生き残るだけなら外周区でコソコソして居る方がまだ可能性が高い。

 

 まあ、審査に関しては私や他の食糧調達班ならほぼ無問題だし、生存率云々も目的のためならば十分許容できる範囲だが。

 

「ともかく未織さん、里見さん。お世話になりました。いつか必ずこの恩は返しますので」

「いや、俺は……」

「う~ん……わかったわ。気長に待ってるで~」

 

 差し出された食物と茶を素早く平らげ、私は小さく頭を下げてこの場を立ち去ろうとする。そろそろ休憩時間も終わりそうだし、長居するのも個人的に肩身が狭い気分になる。

 

 彼らと別れるのは正直残念ではあったが、これが最後では無いのだ。次は、もう少し余裕があるときに再会したいものだ。

 

 早足で部屋を出て階段を駆け下り、後者の外に出る。

 

 空を見上げれば、変わらずの快晴。曇っていきそうな私の心と相反するような天気に沈鬱とした気分になりながらため息を吐き、再び歩き出そうとして。

 

 

「――――おい、待ってくれ!」

 

 

 後ろから蓮太郎の声が聞こえてきて、足が止まった。

 

 振り返れば彼は軽く肩で息をしながらこちらに手を突き出していた。何か忘れ物でもしたのだろうかと思い返したが、特にそんな物はない。では何故彼はあんな必死そうな様子なのだろう。

 

 そう、思っていたら。

 

「……お前に、返したい物があるんだ。その、暇なら俺の家まで来てもらいたいんだが」

「返したい、もの?」

「ああ」

 

 はて、彼に何かを預けただろうか。……いや、あった、筈。確か、それは――――

 

 

「――――友達と買った品物を俺に預けたの、忘れてただろ」

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

 日が沈み始めた頃に、私と蓮太郎は隣に並びながら歩道を歩いていた。彼は何だかバツが悪そうな顔をしながらこちらをチラチラと見ていて、私と目線があったかと思えば一瞬で視線を逸らされる。

 

 シャイボーイか貴様。

 

 ……結局あの後、私は彼の授業が終わるまで適当に図書館で暇を潰すことになった。周りから奇異の視線を集めたのは肩身が狭い思いであったが、彼の言葉はそんな環境を忍耐しても良いと思える程のものだったのだ。

 

 公園で私と蓮太郎が分かれた際に預けた買い物袋。それを預けていたことをすっかり忘れていた。翌日から色々とあり過ぎたせいか。

 

「……その、さ。お前は、俺の事を何とも思っていないのか?」

 

 私の歩幅に合わせながら歩いている蓮太郎は、少しだけ震えた声で私に問いを投げかけてきた。

 

 それを言われると、何とも言えない。彼については感謝こそすれ、特に負の感情は抱いていない。むしろ何故私にここまで気を掛けてくれるのかという疑問が浮かぶくらいだ。

 

「何とも、とは?」

「……恨んで、いないのか? 俺がもっと早くお前たちを助けに来れていたら、お前は、お前たちはッ――――」

「里見さん」

 

 その場で立ち止まって、私は彼の手を自身の小さな手でギュッと握った。その心が変な場所に、飛び出さない様に。

 

「恨んでませんよ。いえ、むしろ感謝しているんです」

「なんで……」

「初めてだったんです。『呪われた子供たち』を助けようとした人を見たのは。私が忌み嫌われる存在だと知ったのに、こうして変わらず接してくれる普通の人は。……きっと貴方たちに出会わなければ、今頃私はおかしな行動に走っていたかもしれません」

 

 もし彼や未織と出会わなければ、私はどうなっていただろうか? どこかの路地裏で惨めに死んでいただろうか。それとも――――死ぬまで何処かで暴れ続けていただろうか。

 

 そう思うと、蓮太郎や未織の存在は私の往く道を照らしてくれた光だと思えた。

 

 だから、恨まない。確か二彼が私たちを助けるのが遅れたせいで、真璃が助からなかったのかもしれない。だけど、その原因は私たちにあるのだ。

 間に合わなかったことを残念に思うことはあれど、恨みを抱くことは筋違いと言えよう。

 

「気にしなくていいんです、里見さん。彼女の死は、貴方が背負うべき物では無い」

「……お前が、背負おうってのか? まだ五歳のお前が背負い切れるモンじゃねぇだろッ……!」

「はい。だから、皆で背負いました。これまでの犠牲も、これからの犠牲も。皆で背負うことに決めたんです」

「――――――――……すまねぇ」

 

 蓮太郎は、苦虫を噛み潰したような表情で顔を伏せる。

 

 それきり一言も会話を交わさぬまま、しかし手を握り続けながら私たちは目的地に向かって歩き続けた。

 

 やがて見えてきたのは二階建てのボロアパート。一瞬廃墟か何かと勘違いしかけるほどに老朽化の進んだソレは今にも崩壊しそうな雰囲気を醸し出している。本当に人が住む場所なのかアレは。

 

 固唾を飲んで建物を見上げていると突然、二階の窓が開いて、湯煙らしきものと小さな人影が桟から乗り出してきた。満面の笑みを浮かべながら手を振るソレは明らかに少女であり――――何より全裸だった。

 

「蓮太郎ぉ~~~! おかえり~~~!!」

 

 栗色の長い髪を揺らしながら、快活な声を上げる全裸の少女。蓮太郎は当然絶句した。

 

「なっ、何やってんだこの馬鹿ッ!? 誰かが見てたらどうするつもりだお前!?」

「安心するのだ! (わらわ)の体はお主だけの物だからな!」

「……里見さん?」

 

 思わず半眼になって彼を見上げた。前からもしやとは思っていたが、まさか本当に幼児性愛者(ロリコン)だったりするのだろうかこの青年は。

 

「違うからな! 俺はいたってノーマルだッ!?」

「はぁ……その、私は里見さんがどのような異常性癖を持っていたとしても、良い人だって信じてますから」

「俺はロリコンじゃねぇよッ!」

 

 半分冗談だ。半分本気だが。

 

「むっ! 蓮太郎! その隣にいる女は誰なのだ!? まさか新しい女か! 浮気なのか!」

「違ぇよアホッ!? ったく、今説明しに行くから早く窓を閉めろ!」

「むぅぅぅ~~~~~!!」

 

 蓮太郎に引っ張られながらアパートの階段を最速で駆けあがり、二階の角部屋へと招かれた。

 

 その部屋は八畳一間の、広すぎず狭すぎずの大きさだった。一人暮らしにはちょうどいいだろうが、察するに二人暮らし。狭かったりしないだろうかと思っていたら、蓮太郎がげんなりとした顔で満面の笑みの少女と脱衣所から戻ってきた。

 

「はぁ……勘弁してくれよ、全く。最近はアパートの住民からロリコン呼ばわりされてるってのに……」

「ふふん、大丈夫だぞ蓮太郎! 妾の『ふぃあんせ』ならばいずれそんな事は気にしなくてもいいようになる!」

「お前は俺を社会的に抹殺する計画でも立ててんのかッ?」

 

 そうぼやきながらも蓮太郎がネグリジェを着た少女の濡れた髪をタオルで拭いている辺り、二人の仲は悪くなさそうに見えた。

 

 そんな風に笑顔を浮かべていた少女だが、私の存在を認識した瞬間謎の敵愾心を剥き出しにしてファイティングポーズ。怒りの籠ったシャドーボクシングを始めながら彼女は蓮太郎へと問いかけた。

 

「蓮太郎! この女は誰なのだ!? まさか菫の言っていた『幼女はぁれむ戦隊SATOMI』とやらの一員なのか!?」

「人様の相棒に何吹きこんでんだあの医者ァッ……!」

 

 どうやらすべての元凶は「菫」という医者の様だった。幼女にそんなことを吹きこむとは、きっと空前絶後の変態に違いない。

 

「はぁぁぁぁ……コイツはただの知り合いだ。前に少し預かり物をしててな、それを返しに此処に来てもらっただけだよ」

「ホントか? ホントのホントにか?」

「ホントだよ」

 

 蓮太郎から何度も何度も聞いて同じ答えが返ってきたのを確認した少女は「うーん」と腕を組んで数秒間呻き声を上げ、パチンと軽く自分の両頬を叩くと私の方へと向き直る。

 

 そして、私の手を取って満面の笑顔を浮かべた。

 

「妾の名は藍原延珠(あいばらえんじゅ)! 今年で九歳になるぞ! お主の名は何と言う?」

「あ、わ、私の名前は……レーナ、です。苗字はありません。今年で、五歳になります」

「うむ、では妾の方がお姉さんという事だな! さぁ、敬うがいいぞ!」

「『敬うがいいぞ』、じゃねぇよ。……ほらよ、レーナ。これで合ってるよな?」

 

 呆れ顔の蓮太郎から紙袋を受け取った。中身を確認すると……確かに、真璃と買った品物が一つ残らず入っていた。

 

 ミシリと、頭の中から異音がする。ああ、クソ。傷が抉り返されるような気分だ。

 

「……レーナよ、大丈夫か?」

「あ……はい。大丈夫です、少し眩暈がしただけで……。里見さん、ありがとうございました。ではそろそろ、失礼しますね」

「…………ああ。気を付けて帰れよ」

 

 ぺこりと頭を上げて、最後まで仄かな笑みを崩さないまま私は部屋を後にした。

 

 

 

 

 帰りの電車の中で座席に腰掛け、微細な振動で体を揺らしながら私は紙袋から一つの箱を眺める。

 

 箱と装飾用リボンの間に挟まれた小さなメッセージカード。そこには小さく『Happy Birthday』の文字が刻まれている。中を空ければ、赤い硝子を直方体に削ったモノをぶら下げたペンダントと――――もう一つ、球状に加工されたライラック色の小さな輝石を金具に埋め込んだペンダントが入っていた。

 

 商品のラベルを見るに、このライラック色の輝石はクンツァイトと呼ばれる宝石の一種だ。とはいえそこまで品質は高く無いようで、レシートには五〇〇〇円弱程の値段が書いてある。

 

 だが値段は別に問題では無い。私が気にするべきは、この宝石の意味。

 

 

 クンツァイト。その石が持つ意味は――――無条件の愛。

 

 

 頬に、暖かいモノが流れる。

 

「…………ありがとう」

 

 二つのペンダントを自身の首にかけ、それを軽く握りしめながら涙を流す。

 

 彼女からは沢山の物を受け取った。それを返すことは、もうできないが。せめてもの手向けは、するべきだろう。

 

 『呪われた子供たち(私たち)』が幸せに生きられる世界を、見せなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 墓の前に打ち立てられた粗雑な木製の十字架に、赤い硝子のペンダントが掛けられる。

 

 それを見守るは、同じペンダントを首に掛けた五人の少女。

 

 数秒間だけ彼女らは髪を風で揺らし、やがて長い赤髪の少女が踵を返した。

 

 

「――――行くぞ。私たちの戦いをするために」

 

 

 その言葉をきっかけとして、全員が同じく踵を返してその場を立ち去る。

 

 平穏の象徴に背を向ける様は、まるで戦場へ向かう戦士のようで。

 

 墓に飾られたペンダントは、嘆く様に小さく揺れた。

 

 

 

 

 



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