ハリー・ポッターは邪悪に嗤う (雪化粧)
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第一章『スリザリンの継承者』 プロローグ

 ハリー・ポッターは赤ん坊の頃に叔母であるペチュニア・ダーズリーの一家に引き取られた。そこでの生活は彼にとって苦痛と屈辱に満ちたものだった。

 常日頃から従兄弟のダドリー・ダーズリーと比較され、貶められ、あらゆる事を否定され続けてきた。

 与えられたものといえば、階段下の小さな物置とダドリーのお古ばかり。

 満腹感というものを知らず、奴隷のように扱き使われる日々を送り、些細な事で罰を与えられた。

 何日も食事を与えられず、床に転がる木屑や綿埃を食べた事もある。

 

 そんな人生を送っていれば、誰であれ卑屈な性格になるものだ。

 けれど、ハリー・ポッターは違った。

 鬱屈した日々の中で怒りと憎しみを溜め込み続けた。

 

 ―――― いずれ、この屈辱を晴らしてみせる!! ダーズリー一家を地獄に叩き込む!!

 

 そう、心に誓っていた。

 いずれ来る、反撃の日の為に彼は一家に対して従順な下僕の仮面を被り、暇を見つけては図書館に通いつめて知識を集めた。

 

 そして、待ち望んでいた日が唐突にやって来た。

 ペチュニアが新しい学校の制服にする為だと、風呂場でダドリーのお古を灰色に染め上げている所を目撃して、いっその事、来るかも分からない日など待たずに一家を皆殺しにしてやろうかと画策していた時だった。

 

 密かに自室である物置に持ち込んだナイフをマーケットでくすねた砥石で研いでいた時、

 

「ハリー! 郵便が届いたぞ! さっさと取ってこんか!」

 

 と、忌々しきバーノンの声が飛んできた。

 舌を打ち、郵便に意識が向いている隙を狙おうと決意して、ハリーは郵便を取りに向かった。

 すると、驚くべき事が起きた。

 それまでの人生の中で、ハリーが手紙をもらった事は一度もなかった。図書館の返本催促の手紙すら来た事はなかった。

 それなのに、ハリーに宛てた手紙が紛れ込んでいたのだ。

 ハリーは即座に手紙をパンツの中へ仕舞い込んだ。連中に見つかれば、間違いなく取り上げられると理解していたからだ。けれど、さすがにパンツの中に手を入れて来る事はない。そんな事をされた日には、すでに一家惨殺計画を実行に移していただろう。

 

「おじさん、郵便物を持ってきました」

 

 礼儀を知らないバーノンは不快そうに鼻を鳴らすと、ハリーから郵便物の束を奪い取った。

 ハリーは表情も変えず、心の中で罵詈雑言を並べ立てながら静かに物置へ戻った。

 計画よりも、今は手紙が気になった。

 

「……よし」

 

 物置に戻っても、すぐには開かない。

 ハリーの怨敵たるダドリーは予告なく扉を開き、問答無用で暴力を振るってくるからだ。

 もう隨分と前からハリーはダドリーの奇襲を受け流す術を身に着けていたが、手紙が見つかり、奪われる事は避けたかった。

 耳を澄ませ、ダドリーが両親に気色の悪い甘え声を発しているのを確認してから、ハリーは漸く手紙をパンツから取り出した。

 少し汗が染み込んでいたけれど、気にせずに裏面を見る。

 そこには紋章入りの御大層な蝋による封印が施されていた。

 《H》を中心に、獅子、鷲、穴熊、蛇の姿が描かれている。こんな立派な封蝋はバーノン宛ての郵便でも見た事がない。

 驚きに目を見張りながら封を解くと、中にはどっさりと羊皮紙が入っていた。

 

「今どき羊皮紙だって?」

 

 中世の頃ならともかく、今どき、こんなものをギッシリ封筒に入れて送り込んでくるなんて、相当な物好きだ。

 人生ではじめての手紙に対して、ハリーは徐々に高揚感が増していくのを感じた。

 別段、何かを期待していたわけではない。ただ、自分に手紙を送ってくる存在に対して興味を抱いただけの事だ。

 改めて、封筒を見る。切手もなく、差出人の名前も書いていない。けれど、宛名はエメラルド・グリーンのインクで御丁寧に《サレー州 リトル・ウインジング プリベット通り 4番地 階段下の物置内 ハリー・ポッター様》と書いてあった。

 階段下の物置内とまで宛名に書く必要性がまず分からなかったし、そんな所が自室だと知られている事にもハリーは驚いた。何故なら、さすがのダーズリー一家も物置に子供を住まわせていると世間に知られたらバッシングを免れないと理解しているから、外では決して口外しないようにしているからだ。

 

「バーノン達の悪戯ってのは……、ないな」

 

 ハリーは彼らが自分の為にここまで手の込んだ事をする筈がないと確信している。善意であれ、悪意であれ、彼らはハリーを綿埃よりも軽んじている。

 エメラルド・グリーンのインクだとか、御大層な紋章の封蝋だとか、長ったらしい宛名書きだとかをハリーの為に用意するなど絶対にあり得なかった。

 

 ハリーが次に思い浮かべたのは道路の向かい側に住んでいるフィッグという老婆だった。時折、ハリーはフィッグの家に預けられる事があり、そのたびに猫に囲まれてうんざりさせられてきた。

 けれど、それもあり得ないとすぐに思い直した。

 彼女にこんな遊び心があれば、彼女の家でもう少しマシな時間を過ごせていた筈だと、彼女の家でのダーズリー家とは別ベクトルの拷問染みた時間を思い出しながら思った。

 

「中身を見れば分かるか」

 

 封筒を逆さにして、中身を全て毛布の上にばら撒く。

 すると、ハリーの顔は一気に歪んだ。

 

《ホグワーツ魔法魔術学校校長 アルバス・ダンブルドア マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員》

 

 たった数行でここまで胡散臭さに満ちた文章をハリーは他に見たことがなかった。

 魔法とか、魔法使いとか、スクールに通う前の子供が寝物語に読み聞かせてもらうべき絵本に登場しそうな単語の数々。

 そんな経験はもちろん無かったが、その程度の知識は有していたハリーは手紙を破り捨てる事に決めた。

 たしかに、何かを期待していたわけではなかった。けれど、ここまで胡散臭く、人を小馬鹿にしたものを送られるとは思っていなかった。

 

 その直後だった。いきなり、物置の前に人の気配が現れた。常日頃からダドリーの奇襲を警戒し続けていたハリーは咄嗟に手紙を毛布の下に隠して、ダドリーの襲撃を待ち構えた。

 けれど、いつまで経っても奇襲が来ない。

 それどころか、コンコンという実に礼儀正しいノックの音が響いた。

 

「なんだ?」

 

 ダドリーが奇襲のバリエーションを増やすために妙な趣向をこらして来たのかとも思ったが、それにしてはノックの音が上品過ぎる。

 ハリーは静かに物置の扉を開いた。

 すると、そこには背の高い老婆が立っていた。

 

「はぁ……?」

 

 思わず、とぼけた声を上げてしまった。

 それほど、目の前の老婆はキチガイじみた格好をしていた。

 まず、頭にとんがり帽子を乗せている。行き過ぎたファッションでもなければ、こんな帽子を正気で被れる人間がいるはずがない。

 その上、老婆は全身をローブですっぽりと覆っていた。

 ハロウィンの日付けを間違えたのではないかと、ハリーは真剣に老婆の頭の中身を心配しそうになった。

 

「はじめまして、ハリー・ポッター。あなたが一枚目の手紙を無事に開く事が出来てホッとしました」

「……あー、どうも、ミセス。あなたはボクのことをご存知らしいが、ボクはあなたの事を存じ上げていないのです。よろしければ、お名前を伺っても?」

「おやおや、手紙を最後まで読んでいないのですね。わたくしの名前はミネルバ・マクゴナガル。ホグワーツ魔法魔術学校の副校長です」

「えーっと、失礼。申し訳ありません。どうも、その……、ボクの耳はいかれているようでして……。今、魔法魔術学校と言いました?」

 

 そんな筈はないと思いながら聞き返すと、マクゴナガルと名乗った老婆は「ええ、言いました」と恥じる様子もなく言った。

 

「ホグワーツ魔法魔術学校。どうやら、予想通りですわね。ご安心なさい。子供の無知を既知に変える事こそがわたくし達の役目ですから」

「ボクを無知と?」

 

 ハリーの瞳に剣呑な光が浮かぶのをマクゴナガルは静かに見つめた。

 

「無知は恥じるものではありませんよ、ミスター・ポッター」

「恥じる? 何をですか? むしろ、あなたの方こそがそのイカれた格好を恥じるべきでは?」

 

 ハリーは目上の者に相対する時の仮面を外して言った。それはリビングに通じる扉の方でコソコソ怯えた様子でこちらを見ているバーノンとペチュニアの姿が見えたからだ。

 明らかに目の前の老婆を歓迎していない。招かれざる客という事だろう。現代社会において、そういう人間は不法侵入者と呼ばれている。

 さっさと警察に突き出すべきだろうと、ハリーは結論づけた。

 

「マグルは魔法使いに関する教育はおろか、言葉遣いの教育すらまともに出来ないようですね」

 

 マクゴナガルはジロリとバーノン達を睨みつけた。

 それだけで彼らは悲鳴をあげ、ドタバタと逃げていった。

 ハリーはさすがに妙だと思った。あの傲慢不遜を絵に描いたような人間であるところのバーノンが老婆如きに睨まれたくらいであそこまで恐れおののくものだろうかと。

 

「マグル生まれの子供には、最初に簡単な魔法を見せる事になっています。ご覧なさい。ウィンガーディアム・レビオーサ」

 

 マクゴナガルはどこからか杖を取り出すと、それを近くの花瓶に向けた。

 すると、驚くべき事に、花瓶が浮かび上がった。

 

「はぁ!?」

 

 さすがのハリーも驚いた。その花瓶はペチュニアが大層大事にしていたものだ。

 ダドリーですら、素手で触ればやんわりと叱られるほどなのだ。

 そんな物に手品のトリックを仕掛けられる人間などいない。バーノンですら恐れる所業だ。

 

「けど、ありえない」

 

 ハリーは自分の下にぷかぷか浮かんでくる花瓶に目を丸くした。どんなに目を凝らしても、釣り上げる為の糸が見えない。下にも透明な棒なんてない。

 正真正銘、花瓶が宙を浮いている。

 

「まさか、本当に魔法なのか!?」

「ようやく信じてくれましたね」

 

 マクゴナガルはニッコリと微笑むと、花瓶を元の場所に戻した。

 そして、物置の毛布の下から手紙を手元に呼び寄せた。今度も引っ張る為の糸など見えなかった。

 

「ハリー・ポッター。あなたは魔法使いです」

「ボクが魔法使い? このボクが? 今みたいな魔法が使えるって!? チチンプイプイとか開けゴマが!?」

「チチンプイプイや開けゴマは使えませんが、似たような事は出来るようになりますよ」

 

 そう言うと、マクゴナガルはハリーを横に退かすと物置の扉を閉めて、外からしか開け閉めの出来ない鍵を閉めた。

 その鍵に向かって杖を伸ばす。

 

「例えば、アロホモーラ」

 

 カチャリと音を立てて、鍵が勝手に開いた。

 まさに開けゴマだ。

 

「この力がボクにも使える……?」

 

 手も触れずに物を浮かせたり、鍵を開ける。その他にも出来る事は山程あるとマクゴナガルは語った。

 ハリーは思った。この力を手に入れる事が出来れば、ダーズリー一家に対して、より完璧な復讐を遂げる事が出来る筈だと。

 

「先程は失礼しました、ミセス。あまりの事に動転していたのです。愚かでした。どうか、お許し頂けませんでしょうか?」

「ええ、もちろんですよ、ハリー・ポッター。あなたもこれからはこのイカれた格好をするのですからね」

 

 慌てて被り直した仮面がズレそうになった。

 

「それでは参りましょうか」

「魔法学校へ?」

「いいえ。その前に学用品を買い揃えなければなりません。ダイアゴン横丁へ向かいます」

 

 そう言うと、マクゴナガルはリビングの方へ向かっていった。

 ついて行くと、バーノン達はソファーをバリケードにしていた。頭がおかしくなったのだろうかとハリーは思った。

 マクゴナガルは呆れ返ったようにバーノン達を見つめている。

 

「ミスタ・ダーズリー。ハリーを連れて行きますが、いいですね?」

「な、ならん! それはならんぞ! ハリーは行かせん!」

 

 まるで、拐われそうになっている愛し子の為に声を張り上げる父親のようだ。

 吐き気に襲われたハリーはバーノンから視線を外してペチュニアを見た。真っ白な顔でダドリーを抱きしめながらハリーを見つめている。

 

「ハリーのホグワーツ魔法魔術学校への入学は決定事項です。それに、あなた方のこれまでの教育方針について、後ほどお聞きしたい事があります。学用品の買い出しを優先しようかとも思いましたが、そちらが先の方がよろしいですか?」

 

 マクゴナガルが鋭い眼光を向けると、バーノンは怯えきった表情を浮かべ、縮こまってしまった。

 それはハリーにとって、あまり見たくない光景だった。

 不倶戴天の敵であり、屈辱を与え続けられてきた相手のあまりにも情けなく、哀れみすら漂う姿に失望を禁じ得ない。

 

「では、行きますよ」

 

 そう言うと、マクゴナガルはハリーの手を掴んだ。そして、杖を振るった。その途端、ハリーの視界はグルグルと回り始めた。



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第一話『ダイアゴン横丁』

 まるで洗濯機の中でかき混ぜられたかのようだ。気分は最悪で、ハリーは今にも胃袋の中身をすべてぶち撒けてしまいそうだった。もっとも、ぶち撒けるべき中身は胃液しかないのだが、それは些細な問題だろう。

 それよりも問題なのは目の前の光景だ。ほんの数秒前まではダーズリー家のリビングに居た筈なのに、ハリーはいつの間にか古びたバーの中心に立っていた。

 

「やあ、マクゴナガル先生」

「こんにちはトム。ほら、ハリー。ご挨拶なさい。これから何度もお世話になるでしょうからね」

 

 どういう意味なのかマクゴナガルに問おうと思ったハリーは、目玉が飛び出そうなほどビックリした様子を見せるトムに意識を持っていかれた。

 

「ハリー? ハリー・ポッターですか!?」

「……ええ、そうです、ミスタ。ボクの名前はハリー・ポッターです。どうぞよろしくお願いします」

 

 どうにか動揺を呑み込んでマクゴナガルの指示通りに挨拶をしたハリーに対して、トムはジロジロと不快な視線を向けてきた。

 

「トム。そのようにジロジロと見つめられたら誰であっても不愉快になるものですよ」

「おお、これは失礼しました! ああ、しかし! ミスタ・ポッター。お会い出来て光栄です」

「光栄? ホグワーツに入学するからですか?」

 

 ハリーは入学するだけで光栄に思われるほど、ホグワーツという学校が名のある学校なのかと感心した。

 

「いえいえ! あなたがハリー・ポッターだからです!」

「失礼ですが、ハリー・ポッターという名前が?」

「そうです!」

 

 ハリーは間違いに気付いた。どうやら、このトムという男は名前マニアというものらしい。

 そんなマニアがいるなど初耳だが、それ以外に考えられない。

 ハリー・ポッターという名前に飛びつくなんて、切手の印字ミスを有難がる切手マニア以上に理解不能な存在だ。

 ハリーはトムについて、あまり関わり合いになるべきではないと思った。

 

「トム。ハリーはまだ知らないのです。自分の名前の意味を」

「なんと!? そんな、まさか……」

 

 どうやら、マクゴナガルも名前マニア同盟の一員だったらしい。

 ハリーという名前はヘンリーやハロルドの短縮形だ。ハロルドの方には《英雄的な導き手》という大層な意味合いが含まれているが、ヘンリーの方は《家長》という意味で、長男だからという理由で付けられる事が多い。要するに、ハリーという名前は世間一般に溢れかえっている名前なのだ。

 ならば、ポッターの方が深い意味を持っているのかと言うと、そうでもない。ポッターとは、《陶工》という意味だ。こちらもハリー並に溢れかえっている。

 そんな名前をありがたがる辺り、相当なものだ。

 

「さあ、行きますよ」

「え、ええ」

 

 ハリーはマクゴナガルについていく選択が正しいものなのか、あまり自信が持てなくなってきた。

 

 マクゴナガルはハリーをバーの裏手に案内した。そこは小さな庭になっていて、マクゴナガルはレンガの壁を杖で数回叩いた。

 

「この順番をよく覚えておくのです」

 

 その言葉と共にレンガが動き始めた。ハリーは目を白黒させながらその光景を見つめていた。

 やがて、レンガが動きを止めると、壁の向こうの街への入り口になった。

 レンガのアーチをマクゴナガルに先導されながら超えると、その奇妙奇天烈摩訶不思議な光景に目眩を覚えた。

 まず、誰も彼もがマクゴナガルと似たり寄ったりなイカれた格好をしている。

 それに、箒の専門店なる馬鹿げた店のショーウインドウを瞳を輝かせながら子供達が見つめている。

 大鍋の専門店だとか、羽ペンの専門店だとか、どうしてそんな物を専門に店を開こうと思ったのか問い詰めたくなるような店ばかりだ。おまけにそういう店が繁盛した様子を見せているのが一層ハリーの混乱を深めていく。

 

「今どき、羽ペン? ボールペンやシャーペンがあるご時世に? 大鍋なんて、何に使うんだ? 箒って、そんなに掃除が好きなのか?」

 

 混乱し過ぎて、ハリーは被っていた仮面が外れている事にも気づかずにブツブツと呟き続けていた。

 その様子にマクゴナガルは微笑まし気な笑みを浮かべた。

 

「どれもいずれ分かる事です。魔法界に入れば」

「箒に向かって熱視線を向ける理由も?」

「ええ、もちろん。あなたもきっと欲しくなりますよ。箒が」

 

 ハリーは魔法界に入りたくなくなってきた。

 箒に情熱を燃やす人生に比べれば、ダーズリー家に対する復讐に情熱を燃やすほうがまだ健全に思えた。

 

「まずはグリンゴッツへ向かいます」

「そこは一体?」

「魔法界の銀行です。そこにあなたの財産があります」

「ボクの財産が?」

 

 ハリーはマクゴナガルの言葉を吟味した。

 彼女は魔法使いであり、ハリー自身も魔法使いらしい。けれど、ハリーは魔法をお伽噺の存在だと確信していた。

 現代社会において、魔法使いを自称する人間はマジシャンか詐欺師である。それが常識だった。

 けれど、魔法は実在した。魔法使いが目の前を歩いている。

 

「質問してもいいですか?」

「ええ、もちろん構いませんよ。わたしは教師であり、あなたはホグワーツの生徒となるのですから」

「感謝します、ミセス。ボクはこれまで魔法というものを存在しないものだと思っていました。クラスメイトやテレビのアナウンサーもです。もしかして、魔法は意図的に隠されているのですか?」

「その通りです」

 

 肯定の言葉が返ってきて、ハリーは困惑の表情を浮かべた。

 

「何故ですか?」

 

 ハリーは周囲を見渡した。マクゴナガルと似たり寄ったりな装いの老若男女が通りに溢れかえっている。彼らも魔法使いなのだろう。

 ホグワーツという魔法の為の学校が存在している以上、それなりの人数がいる筈だ。世界中を探し回って百人程度という事もあるまい。

 

「もしかして、魔法使い達は何か大きな事を企んでいるのですか?」

「企む? 何を企むというのですか?」

 

 マクゴナガルは困惑した様子で問いかけてきた。

 

「だって、魔法が使える者と使えない者がいるのなら、使える者の方が優れている筈です。それなのに、コソコソとねずみのように隠れる理由が分かりません」

 

 ハリーの言葉にマクゴナガルは深いため息を零した。

 

「どうやら、アルバスの決断は誤りだったようですね」

「アルバス? それは、ホグワーツの校長先生の名前でしたか?」

「ええ、そうです。この世でもっとも偉大な魔法使い、アルバス・ダンブルドアです」

「その偉大な魔法使いの誤りとは?」

「目の前の光景こそです。ハリー、あなたはマグルを憎んでいるのですね?」

「マグル? 家でも何度か使っていたフレーズですね。それは、もしかして魔法を使えない者達の事ですか?」

「その通りです」

「なるほど、マグルですか」

 

 ハリーは口の中でマグルという言葉を何度も転がした。転がしている間に様々な感情を呑み込んだ。

 その後で、「ノー」と言った。

 

「憎んでいるですって? とんでもない! どうして、このボクがマグルを憎む必要があるのですか? 理由がありませんよ。理由もなく、人は誰かを憎む事など出来ません。そうでしょう?」

「ええ、人とはそうあるべきです。理由がなければ」

 

 マクゴナガルは深々と息を吐いた。彼女も息を吐く間に様々な感情を呑み込んだ。

 

「グリンゴッツが見えてきました。行きますよ、ハリー」

「はい、マクゴナガル先生」

 

 第一話『ダイアゴン横丁』

 

 グリンゴッツの手前でマクゴナガルは立ち止まった。ハリーも彼女に倣って立ち止まると、目の前の真っ白な建物を見上げた。周囲の建物と比べると一際高く聳えている。

 それから視線をゆっくりと落としていくと、磨き上げられたブロンズの扉の両脇に奇妙な男達が立っている事に気がついた。小柄で浅黒く、手の指と足がやたらと長い。

 何らかの奇病だろうかと、ハリーは不快そうに表情を歪めた。

 

「彼らは小鬼です」

 

 マクゴナガルは鋭い口調で言った。

 

「侮辱される事を何よりも嫌う種族です。いいですか? 礼儀正しく接するのですよ」

「はい、先生」

 

 ハリーは礼儀正しく返事をした。

 

「結構」

 

 ブロンズの扉へ向かっていく。すると、子鬼はお辞儀をしながら二人を中に招き入れた。

 中には更に銀色の扉があって、物々しい文句が刻まれていた。

 

《見知らぬ者よ、入るが良い。欲の報いを知るが良い。奪うばかりで稼がぬ者は、やがてはツケを払うべし。己の物に非ざる宝、我が床下に求める者よ、盗人よ。気をつけよ、宝の他に潜むモノあり》

 

 銀の扉の左右にも小鬼がいて、二人を更なる奥地へ招き入れる。その先には百を超える小鬼がいた。

 ハリーが興味深そうに小鬼の作業を見つめていると、マクゴナガルは一人の小鬼を呼び止めた。

 

「ハリー・ポッターの金庫へ」

 

 マクゴナガルは黄金の鍵を差し出しながら言った。

 

「かしこまりました。グリップフックに案内をさせます」

 

 小鬼はグリップフックという別の小鬼を呼び出した。

 ハリーには二人の小鬼の区別がつけられそうになかった。眼鏡の度が合わなくなって来ている事ばかりが理由ではなく、単純に小鬼の醜さが直視に耐えなかったのだ。

 

 グリップフックに案内され、ハリーとマクゴナガルはホールから続く無数の扉の一つへ入っていった。

 大理石の通路が唐突に途切れ、岩肌の露出した空洞へ辿り着いた。

 グリップフックが口笛を吹くと、勢いよく小さなトロッコが現れた。

 

「ミセス、質問をいいですか?」

「ええ、構いませんよ。グリンゴッツに入ってから終始だんまりを決め込んでいるので、お喋りの仕方を忘れてしまったのかと心配していたところです」

「それはどうも。迂闊に口を開くと言い付けを守れなくなりそうだったもので」

 

 それよりも、とハリーはトロッコを見つめて言った。

 

「これはトロッコですか?」

「ええ、トロッコです。他に何に見えるのですか?」

「失礼ですが、我々は銀行に来たはずですよね? ディズニー・ワールド・リゾートに来たわけではなく」

「マグルの世界的遊戯施設については存じております。けれど、ここは紛れもなく銀行です。ほら、行きますよ」

 

 マクゴナガルはハリーの腕を掴むとすでにイライラした様子で舌を鳴らしているグリップフックが乗り込んでいるトロッコに乗り込んだ。

 それからの数分間はダイアゴン横丁に来た時のグルグルに負けず劣らずの酷いものだった。クネクネと曲がりくねった迷宮を猛スピードでトロッコが突き進んだせいだ。

 

「……二度と乗りたくない」

「残念ながら、一生乗り続ける事になります。諦めなさい」

「ファック」

「汚らしい言葉遣いはお止めなさい」

「イエスマム」

 

 吐き気と戦いながらハリーはグリップフックとマクゴナガルの後を追いかけた。

 グリップフックが黄金の鍵を扉の一つに差し込むと、緑色の煙がモクモクと吹き出してきて、それが収まると山積みになった金銀財宝が姿を現した。

 

「わーお」

「これらはあなたのお父上とお母上が遺した物です。あなたが大人になるまでには十分な蓄えがあります。ですが、無駄遣いをすればあっと言う間に無くなってしまいます。それを肝に銘じておきなさい」

「はい、先生」

 

 礼儀正しく返事をするハリー。けれど、彼の頭の中は目の前の金銀財宝の事でいっぱいだった。

 ハリーにとって、両親とは勝手に死んで、ハリーがダーズリーの家で屈辱に満ちた人生を送る羽目になった元凶だった。死んでいるから復讐する事も出来ない分、ダーズリー一家よりもタチが悪いとすら思っていた。

 けれど、この財宝を遺した事だけはプラスに勘定してやろうと思った。

 

 グリンゴッツを出ると、ハリーは最初にカバンの店へ連れて行かれた。

 

「重い荷物を無駄に持ち歩きたくはないでしょう? 安くはありませんが、今後の人生の中で長く使える物です」

 

 そう言って、マクゴナガルはハリーに小さなトランクを買わせた。最初は訝しんでいたハリーも、そのトランクの性能を店主に説明され、実際に見て、迷うことなく引き出したばかりのガリオン金貨を支払った。

 このトランクは実に優れた機能を幾つも秘めている。

 一つ目は中身がどれほど詰め込まれていても重量が一定である事。例え、重量挙げのバーベルを入れていても重さは常に6ポンド程度。指一本でも持とうと思えば持ててしまう。

 二つ目は見た目に反して中身が広い事。それこそ、ダーズリーの家がまるまる三軒分も入ってしまいそうな広大な空間が広がっている。住もうと思えば住めてしまいそうだ。

 三つ目は二つ目に挙げた空間がダイヤルで三つも切り替えられる事。合計でダーズリーの家が九軒も入ってしまう計算になる。たしかに、これほどの空間をいっぱいになるまで使うには一生分くらいの時間が掛かるだろう。

 四つ目は取り出したい物を念じれば、それだけで手の中に飛び込んでくる呼び寄せ機能が搭載されている事。この機能は経年劣化をしてしまうらしいが、それでもハリーがよっぽどのトンマでもない限り呼び寄せ呪文を取得出来る年齢までは問題なく機能し続けてくれる筈らしい。つまり、覚えないまま四つ目の機能が定年を迎えれば、それはハリーがよっぽどのトンマという事になる。

 

 それからハリーは学用品のリストにあるものを買った端からはトランクの1つ目の空間に放り込んでいった。

 大鍋、薬瓶、望遠鏡、真鍮製の秤、どんなに入れてもガランとしている。

 

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店で教科書を買い揃えていると、恐ろしく分厚い本に瞳を輝かせている少女がいた。

 そんなに面白い本なのかと表題を盗み見てみると、ホグワーツの歴史という文字が刻まれていた。

 ホグワーツはおろか、魔法界の事すらよく分かっていないハリーは少し迷った結果、その本を買う事に決めた。

 すると、マクゴナガルは何を勘違いしたのかオススメの魔法史関連書籍を押し付けてきた。おかげで一気に荷物が増えたけれど、ハリーのトランクの中は相変わらずガランとしていた。

 書店を出た後は制服を買うためにマダム・マルキンの洋装店へ向かった。そこでハリーは制服の他にも普段着をいくつか購入した。比較的イカれていないデザインのものだ。

 パリッとしたワイシャツに袖を通し、ベルトでウエストにフィットさせた新品のズボンを履いたハリーはマクゴナガルに眼鏡屋の場所を聞いた。これで忌々しい丸眼鏡とはおさらばだ。ハリーはスタイリッシュな眼鏡を買った。魔法の補正入り眼鏡はハリーの視界は一気にクリアなものに変えてくれた。ハリーはこの日一番の感謝を眼鏡屋に捧げた。今後、どんな人生を送っても、この眼鏡屋に対する感謝だけは忘れない。そう心に誓うほど、その眼鏡はハリーにとって革新的だった。

 

「見える! 見えるぞ! しかも、望遠モードにすれば望遠鏡が要らない程じゃないか!!」

 

 望遠鏡を買った意味が消滅する程の高性能。当然、それ相応の値段だった。マクゴナガルは呆れた様子でハリーをグリンゴッツへ連れ戻した。引き出したガリオン金貨が底をついたのだ。

 

「いいですか、ハリー。そのトランクと眼鏡は一生を共に出来るものです。くれぐれも大切にするのですよ?」

 

 無駄遣いというわけでもないからマクゴナガルも叱るに叱れなかった。眼鏡は視力の低いものにとって命綱にも等しいからだ。この眼鏡の望遠モードは単なるおまけであり、最も重要な機能は《壊れない》と《無くならない》だ。

 例え、ドラゴンに踏みつけられても歪む事のないフレーム、金槌で故意に百回以上殴っても傷一つつかないレンズ、持ち主の手元から一メートル以上離れると勝手に手元に戻ってくる魔法。まさに、眼鏡として最重要な機能を完璧に満たしている。加えて、度が合わなくなれば勝手に補正を変えてくれる親切設計。まさに眼鏡職人がこだわり抜いた一品である。

 

「もちろんですよ、先生。この眼鏡と離れるくらいなら死んだ方がマシだ」

 

 マクゴナガルは呆れた様子で肩を竦めた。

 

「後、必須なものは杖だけですね。それと、ペットはどうします?」

「ペット? そんな物、必要ありませんね」

 

 そもそも、ホグワーツに連れていける生き物は猫とフクロウとカエルに限られている。

 

「どういうラインナップなんだ、これは」

 

 ハリーは心底不可解そうに首を捻った。

 

「基本的にはその三種類ですが、ネズミや蛇を持ち込む者もいます。先んじて申請が必要となりますが、よほど妙な生き物でも無い限りは許可されるでしょう」

「蛇?」

 

 ハリーは少し考えた。蛇という生き物に対しては少なからず思い入れがあったからだ。

 それと言うのも、以前、フィッグが遠出している時にダーズリー一家が動物園に行く事になり、預ける場所もなく、家に残しておくのも不安だからと同行を許された事があった。

 その時に奇妙な事が起きたのだ。

 

 蛇の声を聞いたのだ。

 

 その時は幻聴か何かだと大して気にも留めなかったが、自分が魔法使いであると判明した今は単なる幻聴だったとも思えなくなった。

 ハリーはマクゴナガルに爬虫類の専門店へ案内してもらった。

 そこで、動物園で聞いた声が幻聴では無かった事を確信する事が出来た。

 

『ヘイ、レディ! オイラとイイコトしないかい?』

『アー、ハラヘッター』

『オイ、ミロヨ! アノバカヅラ!』

『ネムイ……』

 

 蛇の声が四方八方から聞こえてくる。

 

『わーお。やっぱり、聞こえる!』

 

 ハリーが呟くと、マクゴナガルはギョッとした表情を浮かべた。

 そして、それは蛇達も一緒だった。

 

『オ、オイ……』

『アア、アノモジャモジャヘッド、イマ、オレタチノコトバヲシャベッタゾ!』

『イヤイヤ、ナニカのマチガイだろ!』

『ソウヨ! ニンゲンはワタシたちのコトバをリカイデキないハズヨ!』

 

 ハリーは喋る蛇に興味津々だった。

 

『君達、ボクの言葉が分かるんだろう? ボクにも分かるんだ』

 

 話しかけてみると、蛇達が一斉にハリーの方へ顔を向けた。

 

『マジかよ。マジで喋ってんじゃねーか!』

 

 一際流暢に喋る蛇がハリーに近づいていく。

 

『ヘイヘイ! どうだい? オレってば、ハンサムだろ? この店一番のナイスガイだぜ? 買ってかないかい?』

 

 ウインクをバチバチ飛ばしてくる蛇にハリーは手を叩いた。

 

『気に入った! いいだろう! お前を買う事にする!』

『ヨッシャ! この陰気な店ともこれでおサラバだぜ! よろしくな、相棒!』

 

 ハリーが蛇を腕に絡ませて会計に向かうと、何故か会計の男も唖然としていた。

 

「き、君、蛇の言葉が分かるのかい?」

「ええ、もちろん」

 

 ハリーは会計の男とマクゴナガルを見比べた。二人共、表情が驚愕の状態で固定されている。

 蛇と話す事など、魔法使いにとっては基本的な事だと思っていたハリーは自分の思い違いに気付いた。どうやら、これは特別な事らしい。ハリーは少しいい気になった。

 

「おや? あなたは蛇の言葉がわからないのですか? 蛇を扱っている店の店員なのに?」

「あ、ええ、その……、ええ」

 

 歯切れの悪い店員。鈍臭そうな男だとハリーは軽蔑しきった視線を投げた。

 どうやら、魔法使いにも優れた人間と、そうでない人間がいるようだ。蛇の言葉が分かる自分は間違いなく優れている方だと、ハリーは確信した。

 

「店員! ボクはこの蛇を買う事にしたんだ! さっさと準備をしないか!」

「は、はい!」

 

 慌てた様子で蛇の為のケージなどを準備し始める店員。ハリーに対して、彼は完全に恐縮しきっていた。ハリーにとって、それは実に気分の良いことだった。

 

「餌も上等な物にしろよ」

「は、はい!」

 

 ふんぞり返るハリー。

 

『ハッハッハ! 気分がいいなぁ! あの野郎はいっつもオレ様に対して礼儀を欠いた態度を取ってやがったんだ!』

『フハハハハ! 許してやれ、あの哀れな凡俗にはその程度でしか自尊心を満たせないのさ!』

 

 それから哀れな凡俗が準備を終えると、ハリーは値段を聞いた。

 

「なにぃ? 隨分と高いじゃぁないか! もしかして、このボクにふっかけるつもりなのかぁ?」

「い、いえ! そのような事は決して! あの、えっと……、その……、ああ、そうだ! そうです! 今日は特別サービスデイだった事を忘れておりました! む、無料でご奉仕させて頂きます!」

「そうだったのかい? まったく、無料サービスデイに料金を取ろうとするなんて、なんて悪どい店だ! だけど、ちゃんと思い出してくれたから今回は不問にしておくよ。今後もしっかり頼むよ、君」

 

 意気揚々と店を出ようとするハリー。

 その頭にマクゴナガルはげんこつを落とした。

 

「オーマイゴッ! 何をするんだ!?」

「『何をするんだ!?』じゃありません! 何をしているのですか!」

「蛇を買っただけですよ、先生! 体罰は良くないと思います!」

「買った? 強請ったの間違いではなく?」

「強請っただなんて人聞きの悪い! ボクがいつ強請ったのですか! 無料と言ったのはアイツですよ!」

「あなたは蛇語(パーセルタング)を扱う事の意味を理解しているのですか!?」

「パー……、なんだって?」

蛇語(パーセルタング)です。あなたはどうやらパーセルマウスのようですね。それは類稀な才能です」

 

 類稀な才能。その響きにハリーは鼻の穴を膨らませた。

 

「ですが、同時に闇の魔法使いの印であるとも言われています」

「闇の魔法使い? なんですか、それは?」

「悪しき者という意味で使う者が魔法界では大半ですね」

「悪しき者? このボクが!? 撤回して下さい!」

「あなたが悪しき者であると言ったわけではありません。片足を突っ込みかけているとは思っていますがね。わたしが言いたいのは、パーセルマウスは恐れられる存在であるという事です。彼をご覧なさい! 十歳の子供に怯えきっています! 大の大人が情けない! ですが! その恐れに付け込む事は悪しき行いです! あなたはそれをしたのです! これ以上悪しき方向へ進む事は許しません!」

 

 そう言うと、マクゴナガルは哀れな凡俗の下へ向かった。

 

「あの蛇と諸々の設備の値段は?」

「あ、あの、無料でいいです」

「値段は?」

「いえ、その……」

「値段は?」

「はい、コチラになります……」

 

 哀れな凡俗はマクゴナガルに威圧され、プルプルと震えながら値段を伝えた。そして、マクゴナガルは自分の財布から値段分のガリオン金貨を取り出した。

 

「先生?」

「その蛇はわたくしからの贈り物とします。もうすぐ誕生日との事ですしね」

 

 ハリーは言葉を詰まらせた。

 要するに、マクゴナガルは蛇をハリーに対する誕生日プレゼントにするつもりだと言ったのだ。

 誕生日プレゼントも、誕生日を祝われる事も、ハリーにとっては未体験の出来事だった。

 

「あ、あの、先生。その……、あの」

 

 ハリーは視線を左右に揺らしながら呟くように言った。

 

「……あ、ありがとうございます」

 

 それはハリーが眼鏡屋の店主に対して伝えた感謝の言葉と同じものだった。

 つまり、それはハリーの心からの感謝の言葉だった。

 その事に気付いたマクゴナガルは微笑んだ。

 

「誕生日おめでとう、ハリー・ポッター」

「……ま、まだですけど、その……、どうも」

 

 ハリーは真っ赤になりながら蛇のケージを抱えて店を飛び出していった。

 

「どうやら、更生の余地はありそうですね」

 

 マクゴナガルは安堵の表情を浮かべて、走り去ったハリーを追いかけた。

 残された哀れな凡俗もまた、安堵の表情を浮かべた。

 

「こ、怖かったよー」

 

 そんな哀れな凡俗に蛇達は軽蔑しきった視線を送るのだった。



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第二話『ハリーの誓い』

 ペットの蛇に自分の知る限りの言葉の中で最も魔法的な雰囲気の漂う《ゴスペル》という名前をつけたハリーはマクゴナガルに連れられて、《オリバンダー杖店》という店にやって来た。狭くて見窄らしく、おまけに不潔そうな店だった。扉には金の文字で《紀元前三八二年創業 高級杖メーカー》と刻まれている。我らがキリストが生まれる前から存在していた事になる。哲学者のアリストテレスが生まれた年だ。ハリーにとって、これほどまでに胡散臭い店を見たのは初めての事だった。

 

「《詐欺師の店》と書いてありますね」

「おやおや、文字の読み書きから教える必要があるのですか? そんな文句はどこにも書いてありませんよ、ハリー」

 

 マクゴナガルはハリーの背中をせっついた。中に入ると、奥の方で鈴の音が鳴った。室内には小汚い椅子が一つだけ置いてある。

 

「どうぞ、ミセス」

 

 ハリーは実に紳士的に椅子をマクゴナガルに譲ってみせた。老人に対する若者の優しさを存分に披露した。

 そこには僅かな皮肉と、ゴスペルを買ってくれた事に対するささやかな感謝の気持ちが混じり合っていた。

 

「どうも、ハリー」

 

 マクゴナガルは遠慮なく座る事にした。老人と皮肉られた程度で目くじらを立てる程、彼女は自分を若いとは思っていなかった。

 それに、それがハリーの捻くれ過ぎて、逆に素直になってしまった感謝の気持ちである事に気付いていたからだ。

 

 しばらく待っていると、いきなり柔らかい声で「いらっしゃいませ」と言われた。

 そこまで意識が散漫になっていた自覚などなかったのに、ハリーは目の前に立っている老人がいつの間に移動してきたのかサッパリ分からなかった。

 

「おお、そうじゃ。そうじゃとも、そうじゃとも。まもなくお目にかかれると思っておりましたとも、ハリー・ポッターさん」

「どうも、ミスタ」

 

 ハリーは自分の名前を知られている事に疑問を持たなかった。来る事が分かっていたかのような口振りから察するに、マクゴナガルが事前に連絡を入れていたのだろうと考えたのだ。

 嘘か真か、紀元前から続く老舗のメーカーなら、予約の必要があっても不思議ではない。

 

「お母さんと同じ目をしていらっしゃる。あの子がここに来て、最初の杖を買った日がつい昨日の事のようじゃよ。二十六センチの柳の杖じゃった。振りやすく、呪文学には最適でのう」

 

 ハリーは感心した。この店は見た目はともかく、システムはシッカリとしているらしい。これは、過去に販売した商品のデータをキチンと保管しているからこそのセールストークだろう。

 ハリーの中で《オリバンダー杖店》に対する胡散臭さが少しだけ薄れた。

 

「杖には性能差があるのですか?」

 

 試しに聞いてみると、オリバンダーは饒舌に語り始めた。どうやら、杖の性能には大きく分けて二つの要素が関係してくるらしい。使用する木材と芯だ。

 

「例えば、アカシアの木を杖の木材とした場合は極めて気難しい性格となりますのう。極めて有能な魔法使いでなければ、その真価は決して発揮されません。逆にクリの木を木材とした場合は所有者に染まりやすい性格となります。多面性のある杖とも言えますな。そちらのマクゴナガル先生の杖はモミの木を使用しておる。一つの事に強い集中力を発揮し、断固とした意志を持って挑める魔法使いを選ぶ傾向にあり、変身術に向いております」

 

 最初の数分はハリーも興味を示していたけれど、十分を超えた辺りからウンザリした表情に変わった。マクゴナガルも辟易した様子だ。

 

「あー……、ミスタ。ありがとうございます。その辺りで結構です。そろそろ、ボクに相応しい杖を選んで頂けますか? 個人的にはアカシアやカエデ辺りがいいのですが」

 

 どちらも選ばれし者の杖であり、特にカエデは持つだけでハイステータスの証となるらしい。ハリーはハイステータスという言葉が気に入った。

 

「それでは、いろいろと試してみましょうか」

 

 カエデの杖はマクゴナガルの座っていた椅子の足を爆発させた。カエデの杖は窓ガラスを粉砕し、イチイの杖はオリバンダーをハゲにした。

 ハリーが気に入った木材の杖は悉くハリーに対してそっぽを向いた。

 

「ファック! ボクは選ばれし者じゃないってのか!? 蛇と喋れるんだぞ!!」

 

 ハリーは地団駄を踏んだ。そんな彼にオリバンダーは髪を元に戻しながら一本の杖を手渡した。

 

「ひょっとすると、あるいは……」

 

 歯切れの悪い口調と共に渡された杖を握った瞬間、稲妻が走った。

 比喩とか、精神的な意味ではない。文字通り、稲妻が飛び散った。けれど、稲妻は何かを破壊する事もなくハリーの周囲を舞い踊っている。

 

「いいじゃないか! 気に入った!」

 

 まるで体の一部のように、その杖はハリーによく馴染んだ。

 

「これをくれ!」

 

 ハリーは財布を取り出しながら言った。ところがオリバンダーはしきりに「不思議じゃ……、なんとも不思議じゃ……」とブツブツ呟いている。

 

「おい! ボクを無視するんじゃぁない!」

 

 何度呼びかけても応えないオリバンダーにハリーはしびれを切らして怒鳴りつけた。

 すると、マクゴナガルが叱責する前にオリバンダーがハリーのおでこを指でなぞった。

 

「なっ、何をする!」

 

 咄嗟にオリバンダーの手を払い除けたハリー。けれど、オリバンダーは気にする様子もなく指でなぞっていた部分を凝視した。

 

「ポッターさん。わしは売った杖を全て覚えておるのじゃ。一本残らずすべてを。あなたの杖の芯に使っておるものと同じ不死鳥から提供された尾羽根を使った杖がある。あなたがこの杖を持つ事になるとは、実に数奇じゃ。兄弟羽が……、兄弟杖があなたにその傷を負わせたというのに」

「傷痕だって?」

 

 ハリーはおでこに触れた。たしかに、そこには幼い頃から稲妻の形の傷痕がある。

 

「あー……っと、この傷は魔法の杖でつけられたものという事ですか?」

「さよう。三十四センチのイチイの木の杖じゃ。《例のあの人》の持つ、杖じゃよ」

「ユノーフー? 妙な名前ですね。それに、なんでユノーフーはボクにこんな傷を?」

「ユノーフーではありませんよ、ハリー。《例のあの人》です。あるいは、《名前を言ってはいけないあの人》とも呼ばれています」

「《例のあの人》? 《名前を言ってはいけないあの人》? 失礼ですが、バカにしているのですか? 今どき、芸人だってもう少しマシな芸名をつけますよ?」

 

 ハリーはマクゴナガルとオリバンダーの正気を本気で疑った。

 

「ええ、実に馬鹿げた呼び名です。ですが、そう呼ばずにはいられないのです。その者の真なる名は、口にするだけで悍ましい」

 

 青ざめた表情を浮かべるマクゴナガルに、ハリーは点と点がつながっていくのを感じた。

 バーノン達がマクゴナガルに対して見せた恐れの表情。あれは魔法の実在を知らなければありえない筈のものだ。それに、両親の財産が魔法界の銀行に預けられていた事、オリバンダーが母親に杖を売った事がある事などを考えると、両親が魔法使いであった事は疑いようがない。その両親はハリーが赤ん坊の頃に死んだ。バーノン達は交通事故だとハリーに説明していたが、彼のおでこの傷痕が魔法使いの杖によってつけられたものなのだと判明した今、彼らの言葉に疑念が過る。

 

「……ミセス、質問をよろしいですか?」

「ええ……、もちろんです」

 

 ハリーは問いかけた。

 

「ボクの両親は交通事故ではなく、特定の誰かに殺されたのですか?」

 

 マクゴナガルはわずかに躊躇った後、小さくうなずいた。

 

「では、その殺人犯とボクに傷をつけた犯人は同一人物だったりしますか?」

「……ええ、その通りです」

 

 ハリーは息を深く吸い込んだ。腹の底から煮えたぎる憎しみをマクゴナガルにぶつけない為だ。ハリーにとって、マクゴナガルは出会ってきた人々の中で最も尊重したい人物になっていた。

 

「その人物の本当の名前をお聞きしても?」

「……《ヴォルデモート》。そう、彼は名乗っていました」

「ヴォルデモート。ヴォルデモートですか」

 

 ハリーはその名前を何度も口の中で転がした。

 両親を殺した事などはどうでもいい。けれど、ハリーが過ごした屈辱の十年の元凶に対して、ハリーは深い憤りを感じていた。

 

「その男は今も?」

「いいえ」

 

 復讐相手の居所を知りたいと願うハリーに対して、マクゴナガルは言った。

 

「ヴォルデモートは、もういません」

「いない? それは、どういう意味ですか?」

「言葉通りですよ、ハリー。あなたの名前が何故特別なのか、そこに答えがあります」

 

 ハリーは首を傾げた。

 

「あなたが倒したのです。赤ん坊の時に、誰もが恐れる闇の帝王を」

「……はぁ?」

 

 ハリーは耳をほじくった。

 

「えーっと? なんですって? 倒した? 赤ん坊の時に? ミセス、からかうのはやめて下さい。そんな事、ある筈がないでしょう? まったく、どこまでがホラだったんですか?」

 

 さっきまで抱いていた憎悪と憤怒がかき消えた。実にバカバカしい。わずかにでも信じてしまった事が恥ずかしくなってくる。ハリーはやれやれと肩を竦めた。

 ところが、マクゴナガルは「ホラではありません」と言った。まだ、このジョークを続けるらしい。ハリーは不快そうに顔を歪めた。

 

「ボクは両親の事など毛ほども興味がない! けれど! 両親の死をジョークのネタにされるのは不愉快だ!」

「ジョークではありません!」

「ジョークじゃない? だとしたら、魔法使いは間抜けの集団という事になりますよ? 赤ん坊に倒されたヤツを恐れて名前すら呼べない? 赤ん坊が相手ならスクールに通う前の子供にだって勝てますよ。ヴォルデモートってヤツはどんだけ貧弱なんですかぁ?」

「あなたはヴォルデモートの恐ろしさが分かっていないのです!」

「赤ん坊に倒されるヤツのどこを怖がればいいんですか? そんなヤツを倒したくらいで褒められても全く嬉しくない! むしろ、恥ずかしい! 冗談じゃないぞ、まったく!」

 

 ハリーはオリバンダーにガリオン金貨を押し付けた。

 

「ほら、金だ! まったく、バカバカしい!」

 

 ハリーは杖をマダム・マルキンの洋装店で買ったばかりの服に備え付けられている杖差し用のホルダーに差し込むと、扉を蹴りで開けて出て行った。

 

「お、お待ちなさい、ハリー!」

 

 その後を慌てて追いかけるマクゴナガル。その二人の背中を見つめて、オリバンダーはやれやれと息を吐いた。

 

 第二話『ハリーの誓い』

 

 ハリーはダーズリーの家に戻ってきた。蛇を腕に絡ませながら、見るからに不機嫌そうな表情を浮かべて家の中に入ってくるハリーにバーノン達は警戒している。その姿にハリーは少しだけ気を良くした。

 彼らは魔法を恐れている。その事に気付いた時、ハリーの表情から憤りは消え失せた。代わりに笑顔が浮上してくる。

 

「やあ、おじさん。それに、おばさん。ダドリー」

 

 一人一人に視線を送ると、反応は三者三様だった。バーノンは真っ青になり、ペチュニアはダドリーを抱き寄せ、ダドリーは両親の反応に心底困惑している。

 

「おい、ハリー! その蛇はなんだ?」

「彼かい? ゴスペルって言うんだ。かっこいいだろう?」

 

 ダドリーは普段と違って、まるで同等の立場かのように語りかけてくるハリーに対して不機嫌になった。

 

「その口の利き方はなんだ! ぶん殴るぞ、ハリー!」

「ほう? このボクを殴るって? いいぜ、やってみろよ! 後悔させてやる!」

 

 それまで隠してきた本性を顕にしたハリーに対して、バーノンとペチュニアはパニックを起こした。

 二人揃って、あまりにも素っ頓狂な声を上げるものだから、ハリーとダドリーは思わず互いを見つめ合ってしまった。

 

「パ、パパ? ママ?」

 

 バーノンは髪を掻き毟り、ペチュニアはざめざめと泣き始めた。

 

「お、おい! パパとママに何をしたんだ!?」

「いや、待て! 何もしてない! マジで何もしてないぞ!」

 

 あまりの事に唖然となる二人。夫妻が落ち着くまで、二人は呆然と立ち尽くした。

 

 しばらくして、ようやくペチュニアが泣き止んだ。というよりも涙が枯れたようだ。

 鼻をすすりながら、ハリーを睨みつけている。

 その姿を見て、ハリーはすっかり白けてしまった。それまで不倶戴天の敵だと思っていたバーノンとペチュニアが実にくだらない存在に見えた。怒りや憎しみを抱く事さえ無駄に感じた。 

 

「おい、ペチュニア」

 

 仮面を被るのもバカバカしくなり、ハリーは慇懃な態度でペチュニアの名前を呼び捨てにした。

 

「ママを呼び捨てにするなよ!!」

 

 ダドリーが怒りに燃えると、ペチュニアは慌ててダドリーを抱きしめた。 

 そして、ハリーに怯えきった表情を向けた。

 

「な、なに?」

「二階の空き部屋があるだろう? あそこをボクの部屋にする。文句はないよなぁ?」

「……え、ええ、構わないわ」

「グッド」

 

 ハリーはリビングを出ると、階段下の物置の扉を開いた。使い慣れた毛布と、ほんの少しの財産であるガラクタを拾い上げ、二階に上がる。空き部屋にはダドリーのおもちゃが散乱していたけれど、ハリーは適当に部屋の隅に蹴り飛ばして空間を広げた。

 それから静かにフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で買い求めた教科書や《ホグワーツの歴史》、それにマクゴナガルの推薦図書を読み耽り始めた。

 

「ほう? 入学後に未成年の魔法使いが学校外で魔法を使う事は禁じられているのか」

 

 ホグワーツの歴史には魔法界の法律なども記載されていた。大広間の天井にかけられた古代の魔法、ホグワーツの創設者達、ホグワーツで起きた数知れない事件。

 恐ろしく分厚い本だったけれど、ハリーには幸いにも時間が有り余っていた。

 

 それから8月が終わるまで、ハリーとダーズリー一家の間には冷戦状態が続いた。

 そして、ハリーの部屋は様々な魔法の実験によって一月前とは様変わりしていた。入学後には出来なくなる事を可能な限りやっておいた。その為に、一度は遠くのロンドンまで行き、ダイアゴン横丁で書籍や悪戯グッズの追加購入なども行った。

 今や、ダドリーが急襲を仕掛けてきても、床に敷いた絨毯を踏んだ瞬間に一階まで沈んでいってしまうようになっていた。窓に石を投げようとすれば、おでこに向かって跳ね返ってくるようになっていた。

 

 そして、9月を迎えた。ハリーは特に言葉を残す事もなくダーズリーの家を出た。

 もはや、彼らに対して復讐心など抱いていなかった。その感情を向けるべき相手は他にいる。

 

「ヴォルデモート」

 

 ハリーはマクゴナガルの推薦図書を読む事で、ようやくヴォルデモートという存在が実在した悪人である事を確信した。

 そして、彼に纏わる情報をまとめた本から、彼のシンパだった者達が闇の中に潜み、帝王の復活を待ち望んでいる事を知った。

 滅びて十年が経過した今でも尚、その名前は恐れられ続けている。

 

 ならば、その認識を塗り替えてやろう。

 ハリーは誓った。歴史上のどんな偉人にも、どんな犯罪者にも、誰にも負けない男になる。

 

 ―――― ヴォルデモートの名前が霞んで消える程の男になる!!

 

 ハリーはマクゴナガルに教わった通りにキングス・クロス駅に向かい、9番線と10番線の間の柱をトランク片手に突き進んだ。

 

『いくぞ、ゴスペル! ボクは魔法界のNo.1になる!』

『その意気だぜ、相棒! 相棒ならなれるさ!』

 

 意気揚々と、ハリーは真紅のホグワーツ特急に乗り込んだ。



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第三話『ホグワーツ魔法魔術学校』

 ハリーはホグワーツ特急のコンパートメントの一室を独占して、近代魔法史の本に目を通していた。それは魔法界における常識を手に入れる為だった。

 マクゴナガルの所作はマグルの観点から見ても洗練されていたけれど、衣服や思考回路の一部が常軌を逸していた。彼女が魔法界の中でも常識知らずな人間である可能性も無くはない。けれど、そうでない場合、この常識のズレはハリーの魔法界での生活において無視できない問題となる。

 

 これまでの人生において、ハリーは常に笑われる立場にあった。

 常にダドリーのお下がりを身に着け、痩せぎすで、誰からも常識的な人間と認めてもらえなかったからだ。

 これからの人生において、ハリーは常に笑う側に立つ事を誓っていた。

 

『ヘイ、相棒。お客さんだぜ?』

 

 ゴスペルが言った。蛇である彼には眼球よりも優秀な探知機能が備わっている。

 ピット器官という、鼻孔と目の間にある器官だ。赤外線感知機能があり、サーモグラフィーのように物質の温度を見分ける事が出来る。

 だから、彼には扉が閉まったままの状態でも扉の向こう側に熱源体が現れて、右往左往した後に意を決して扉を開こうとしている姿が視えていた。

 

『面倒くさいな。ボクは一人がいいのに』

『オイオイ、相棒。そこはオレ様と二人っきりがいいって言っておくれよ』

『おっと、すまない。訂正するよ、ゴスペル。君との二人っきりの時間を邪魔されたくないんだ』

『愛してるぜ、相棒』

『ボクだって』

 

 ハリーはゴスペルを心から愛している。それは、マクゴナガルからはじめて贈り物として与えられたものだからであり、ハリーにとって初めて心を許せた友達だったからだ。

 蛇の言葉が分かるパーセルマウスは類稀な才能だとマクゴナガルが言っていた。彼の言葉が分かるのはハリーくらいなのだ。つまり、ハリーの秘密をどんなに打ち明けても、彼から他に漏れる事はない。

 ある意味で、彼は究極の相談相手となり得る存在だった。

 そして、何よりも重要な点は、ゴスペルもハリーを愛しているからだった。

 

「や、やあ。ここ、空いてるかい?」

 

 入ってきたのは赤毛の少年だった。そばかすだらけの顔にハリーは顔を顰めそうになったけれど、少し考えた後に「どうぞ」と中へ通した。

 ホグワーツに向かうまで、他の生徒と一切接触を持たないのは今後の事を考えると賢明とは思えなかったからだ。

 覚えたばかりの常識のすり合わせの為にもサンプルは必要だった。幸い、入ってきた少年は我の強いタイプでは無さそうだった。

 

「僕、ロンって言うんだ。ロン・ウィーズリー。君は?」

 

 加えて、それなりに社交的な性格である事がサンプルとしてプラスポイントだった。

 

「ボクの名前はハリーだ。ハリー・ポッター」

 

 ハリーが名乗ると、ロンは目を見開いた。ダイアゴン横丁の入り口である漏れ鍋の店主、トムと似たり寄ったりな反応。あの時は見当違いな考察をしてしまったけれど、彼はハリーの名前が持つ意味を理解しているが故に驚いているのだという事が分かった。

 十年前の事件だと言うのに、当時を知らない子供でさえもこの反応なのだと知り、ハリーはほくそ笑んだ。ロンから向けられる畏怖と憧憬の視線が実に心地よかった。

 

「き、君、あの? 本当に……その、あるのかい? あの、傷痕が」

 

 ロンの視線が額に集まる。好奇の視線に変わった事で、ハリーは不快感を覚えた。

 

「君は自分のそばかすをジロジロと見られて喜べるのかい?」

「え? いや、僕、そんなつもりじゃ……、ごめん」

 

 どうやら、性格は内気なようだとハリーは気付いた。それに、己の非を認める事も出来るらしい。

 

「いいさ、別に。それよりも、ホグワーツについて話さないかい? どの寮に入れるか、今から楽しみで仕方がないんだ」

「う、うん! 僕は断然! グリフィンドールがいい! 兄さん達はみーんな、グリフィンドールだったんだ!」

「兄さん達? 君には兄弟がいるのかい?」

「五人も! ビルにチャーリー、パーシー、ジョージとフレッド。おまけに妹が一人」

 

 ハリーはロンの兄弟の数の多さに驚いた。

 

「凄いな。それじゃあ、君の家は随分と賑やかなんじゃないかい?」

「もう、最悪さ。家の中で静かな場所を探そうと思ったら、それこそ魔法に頼らないといけなくなるよ。それに、兄弟が多いせいでなーんにも新しいものを買ってもらえないんだ。制服はビルのお古だし、杖はチャーリーのもので、ペットまでパーシーのおさがりさ」

 

 ロンはポケットから太ったねずみを取り出しながら不満そうに言った。

 

「杖まで? ボクが聞いた話だと、杖には忠誠心があるから、中々持ち主以外には従わないと聞いたが、大丈夫なのかい?」

「ええ!? そうなの!? 僕、聞いてない!」

 

 ロンはショックを受けた表情を浮かべた。

 

「オリバンダーに教えてもらったから間違いない筈だよ。素材はなんだい?」

「えっと……、たしか、トネリコにユニコーンのたてがみだったと思う……けど」

「トネリコだって? それは……、まずいと思うな」

「えっ!? ど、どういう事!?」

 

 ハリーはオリバンダーから聞いたトネリコの木の杖の性質を語った。

 固い信念や、自惚れない精神力の持ち主に対して絶対の忠誠を誓い、他者の手に渡った時は力を失う。それがハリーの聞いたロンの杖の性質だ。

 

「ええ……、ど、どうしよう……」

 

 ロンは困り果てた様子だ。けれど、ハリーとしてもどうしようもない。

 

「とりあえず、新しい杖を買ってもらうべきだろう。それか、少なくとも忠誠心の強過ぎない杖を譲ってもらうべきだ。杖は魔法使いにとって、何よりも大切な物だ。そうだろう?」

「ぼ、僕、ママに手紙を送ってみるよ」

「ああ、それがいい」

 

 ロンは兄にフクロウを借りてくるとコンパートメントを飛び出していった。

 

「やれやれだな」

 

 お下がりばっかりという彼の言葉を聞いて、ついお節介を焼いてしまった。ハリーもダドリーからのお下がりばかりだった事が嫌で嫌で仕方がなかったからだ。

 静かになったコンパートメントでハリーは読書の続きを開始した。

 すると、一分も経たない内にゴスペルが来訪者の到来を告げた。

 

『ロンが帰ってきたのか? ずいぶんと早いな』

『いいや、別の奴だな。この体温は、たぶん、メスだな』

 

 ゴスペルの予言通り、入ってきたのは少女だった。栗毛色のボサボサな髪、口元の出っ歯が気に掛かる。

 

「あなた、ヒキガエルを見なかった? ネビルのペットがいなくなったの」

 

 偉そうな口調だ。ハリーは気に障った。

 

「知らないね」

 

 読書を続けたまま、ハリーはぞんざいに告げた。

 そのまま少女が立ち去るのを待ったが、何故か彼女は立ち去る事なくコンパートメントの中に入ってきた。

 

「おい、知らないと言ったぞ!」

 

 不愉快そうに表情を歪めてハリーは言った。けれど、少女は気にもとめずにハリーの読んでいる本を見つめた。

 

「近代魔法史ね! わたし、その内容はすべて暗記しているの! 他の教科書もすべてよ! それだけで足りるといいのだけど……」

 

 聞いてもいない事をペラペラと話し始める少女にハリーは不愉快を通り越して怒りを感じ始めた。ロンとは違って、彼女はサンプルとしても不適切だと思った。

 

「出て行ってくれないか? 暗記する程本が好きなら、読書を邪魔される事が如何に迷惑か分かる筈だが?」

「ああ、それもそうね。失礼したわ」

 

 思いの外素直に少女はハリーの言葉を聞き入れた。

 

「わたし、ハーマイオニー・グレンジャー。あなたは?」

 

 去り際に彼女は問いかけてきた。

 

「名乗る程のものじゃないさ」

 

 ハリー・ポッターの名前に興味を持たれて戻ってこられても困るので、ハリーは名乗らずに読書を再開させた。

 

「ふーん、そう。じゃあね、ミスタ」

「さようなら、ミス・グレンジャー」

 

 ハーマイオニーが出ていくと、静寂は一分間だけ保った。

 

『ヘイ、相棒! 新しい挑戦者のエントリーだぜ!』

 

 ハリーはため息を零した。どうして発車した後の汽車の中で次から次に来客が現れるのか理解が出来なかった。

 

「あ、あの……」

「なんだ!?」

 

 さっさと用件を聞いてお引取り願おうと思ったハリーは来訪者を睨みつけた。そこに立っていた小柄でふとっちょな少年は「ひぃっ」と悲鳴を上げ、真っ青な顔で逃げていった。

 

「……なんなんだ」

『やるな、相棒。眼力だけでふっ飛ばしたぜ』

『魔法界には変わり者しかいないのか、まったく!』

 

 ハリーは再び読書を再開した。けれど、それも一分しか保たなかった。

 

「ただいまー」

「……おかえり」

 

 ロンが帰ってきた。どうやら、無事に手紙を出せたらしい。

 

「杖の忠誠心について、パーシーも気にしてたみたいなんだ。だから、ヘルメスを貸してくれたよ」

「ヘルメス?」

「パーシーのフクロウさ。僕にネズミを押し付けて、自分はフクロウを買ってもらったんだ! ずるいやつだ!」

「なるほど」

 

 ハリーは少し考えた。ロンには兄弟が多い。それはつまり、上級生との強固な繋がりを持っているという事だ。

 これは非常に便利だとハリーは考えた。

 

「そのお兄さんに会ってみたいな」

「パーシーに? やめた方がいいよ。すごい堅物で、なにかとお説教をしてくるんだ!」

 

 どうやら、ロンはパーシーが苦手なようだ。けれど、フクロウを貸してくれたり、ロンの杖の事を心配していたり、向こうはロンを大切に思っているようだとハリーは思った。

 ハリーは少しだけ苛立ちを覚えた。

 

「ロン。ボクは会いたいんだ。どうしてもダメなのかい?」

 

 ハリーの不満を感じ取ったロンは少し困惑しながら「そ、そんなに言うなら……」とパーシーのコンパートメントにハリーを案内した。

 

「絶対に後悔するよ?」

 

 そんな風に唇を尖らせるロンを無視して、ハリーはコンパートメントに入った。

 

「やあ、どうしたんだい? ここは監督生用のコンパートメントなんだけど、なにか困り事かな?」

 

 赤毛で長身な少年が声を掛けてきた。たしかに、非常に真面目そうな雰囲気を纏っている。

 けれど、突然の来訪者に対してにこやかに対応する辺り、まったくの頑固者というわけでは無さそうだとハリーは思った。

 

「どうも、ミスタ。ボクはロンの友人です」

「ロンの? もしかして、君がハリーかい? ロンが言っていたよ! 君がロンの杖の忠誠心についてアドバイスをくれたんだよね? ありがとう! 僕も心配していたんだ」

 

 ハリーは思った。ロンは実に贅沢な男だと。彼にはマクゴナガルに通じるものがある。それはつまり、ハリーにとってリスペクトするに足る人物という事だ。その上、監督生という立場は学生が持てる最上級の特権が付与されている。

 ハリー・ポッターの名前よりも、ロンにアドバイスをくれた友人という事を真っ先に評価した点も、ハリーにとって高得点だった。

 

「いいえ、こちらこそ。迅速な行動を感謝します、ミスタ。改めて名乗らせて頂きましょう。ハリー・ポッターです。あなたのお名前は?」

「僕はパーシーだ。パーシー・ウィーズリー。どうか、ロンと仲良くしてあげてくれ」

「もちろんです」

「ありがとう。困った事があったらいつでも言ってくれて構わないよ。力を貸すからね」

「感謝します、ミスタ」

 

 パーシーと握手を交わして、ハリーはコンパートメントを出た。

 

「素晴らしい兄さんじゃないか」

 

 ハリーが言うと、ロンは目をそらした。

 

「君だって、耳にタコが出来るくらい説教されたら分かるさ」

「そうかい?」

 

 マクゴナガルの説教はペチュニアのそれとは大きく違っていた。

 きっと、パーシーの説教はマクゴナガルと同じものなのだろうとハリーは思った。

 

「……コンパートメントに戻ろうか」

「うん。そろそろ着替えないとだしね」

 

 第三話『ホグワーツ魔法魔術学校』

 

 ホグワーツ特急が停車すると、ハリーはトランクを片手にゴスペルとロンと共に外へ飛び出した。

 ちなみに、ロンがゴスペルに対して好意的だった。ゴスペルもロンから与えられたサンドイッチのコンビーフを大層気に入り、蛇の言葉で《ロニー》と呼ぶほど気に入った。

 

「ボクもふとっちょなネズミより蛇が良かったな。ずっとかっこいいよ」

「そうだろう? まあ、君のネズミにも愛嬌はあるけどね」

 

 ハリーはゴスペルを褒められる事が嬉しかった。

 

「イッチ年生! こっちだ!」

 

 ハリーがロンとおしゃべりに興じていると、縦にも横にもデカイ男が大声を張り上げた。

 生徒達の波が彼に向かっていく。ハリーもロンと共に流れに乗って歩き始めた。

 しばらくすると、大男が「もうすぐホグワーツが見えるぞ!」と叫び、角を曲がった瞬間にハリー達の視界へ荘厳な城が姿を現した。

 大小様々な塔が立ち並び、無数の窓ガラスからは温かみのある光が溢れている。それが手前の真っ黒な湖に映り込み、なんとも幻想的な光景を生み出していた。

 

「わーお」

 

 ハリーは息を呑み、その光景をジッと見つめていた。ロンも同様だし、他の生徒達もだ。

 

「四人ずつボートに乗るんだ!」

 

 ハリーとロンはたまたま傍にいた二人の少年と共にボートに乗り込んだ。

 二人の少年は無口で、ハリーも特に口を開かなかった為にロンは居心地が悪そうだった。けれど、それもボートが進んでいくとホグワーツが間近に迫るワクワク感に塗り替えられた。

 

 崖下の蔦のカーテンを超えると、いよいよホグワーツの真下に辿り着いた。

 

「ほい、おまえさん。これ、お前のヒキガエルか?」

 

 ボートを調べて忘れ物がないか確かめていた大男はハリーのコンパートメントにも現れたふとっちょな少年にヒキガエルを渡していた。

 

 ボートを降りた後、しばらく歩いていくと巨大な城門に行き着いた。

 大男が三回叩くと、扉はパッと開いた。

 そして、その先には見覚えのある女性が立っていた。ミネルバ・マクゴナガルだ。ハリーは少しだけ背伸びをした。すると、マクゴナガルはハリーに気が付き、一瞬だけ微笑んだ。すると、ハリーは慌てて背伸びをやめた。

 

「どうしたの?」

「なんでもない」

 

 困惑しているロンを尻目にハリーは進み始めた一団と歩調を合わせた。

 ダーズリーの家が丸々入ってしまいそうな巨大ホールを横切るように進み、右手側にある小さな部屋に通された。 

 

「ホグワーツに入学おめでとうございます」

 

 相変わらず、厳粛という言葉を体現した口調と声色でマクゴナガルは言った。

 隣からは無数の声のざわめきが響いてくる。どうやら、そこが大広間になっていて、新入生の歓迎会の準備が行われているらしい。

 マクゴナガルは簡単な説明を終えると、しばらく待っているように生徒へ告げて部屋を出て行った。

 

「組分けか……。フレッドはすごく痛いって言ってたんだ。ウソだと思うけど……」

 

 不安そうなロン。その向こうではハーマイオニーが何故か教科書の暗唱を行い、周囲の生徒は必死に彼女の暗唱に耳を傾けている。異様な光景だ。

 ハリーの顔には彼らと違って不安の色など微塵もなかった。蛇の言葉が分かる自分は特別な存在であり、もっとも優れた寮に入る事が決定している筈だと確信していたからだ。

 劣等生の集まりというハッフルパフは思考から存在が完全に消えている。それほどの自信があった。

 

 しばらく待っていると、マクゴナガルが迎えに来た。

 大広間に入ると、たくさんの生徒と無数のろうそくが出迎えた。ろうそくは一つ一つが宙に浮いている。

 天井を見上げると、そこには夜空が広がっていた。

 

「ハリー、天井が無いよ!」

「ロン。ただの魔法だ」

 

 ホグワーツの歴史に書いてあった。あれはそういう魔法が掛けられているだけの事だ。

 ただの、とは言っても、その魔法は太古の叡智であり、ホグワーツの創設者たるロウェナ・レイブンクローによるものだ。

 ハリーはロンに対する口調とは裏腹に、天井の魔法に見入っていた。

 

 他の生徒が立ち止まり、ハリーも立ち止まった。

 マクゴナガルが組分けの説明をしている。どうやら、帽子を被るだけらしい。実は、ハリーは既に知っていた。本に書いてあったからだ。

 あれはロウェナと同じ創設者のゴドリック・グリフィンドールが所有していた魔法の帽子らしい。

 四人の創設者達の思想を代弁し、被るものの心を見通す古代の魔術具にハリーは興味津々だった。

 

 組分けは次々に行われていく。順番はABC順で、ハンナ・アボットが最初だった。

 サリー・アン・パークスの後、いよいよハリーの順番が回ってきた。

 マクゴナガルが彼の名前を呼ぶと、生徒たちはおろか、教師たちまでが黙り込み、その組分けの瞬間に意識を集中させた。

 ハリーは堂々と胸を張りながら前に進み出て、椅子に腰掛けた。

 

「落ち着いているわね、ハリー」

 

 マクゴナガルが小声で話しかけてきた。

 

「もちろんです。ボクはどの寮に選ばれてもNo.1になってみせますよ」

「その意気ですよ」

 

 帽子が落ちてくる。そして、視界が暗闇に覆われた。

 

「ふーむ、難しい。非常に難しい。勇気に満ち溢れておる。頭も良く、貪欲に知識を求めている。才能も溢れており、なんと! なるほど、自分の力を試したいと思っておるな。誰よりも偉大になりたいと思っておる。ふむふむ、ならばこそ、君には偉大なる者への道が開ける寮が相応しい。よって……」

 

 組分け帽子は声を張り上げた。

 

「スリザリン!!!」

 

 帽子を取り上げられる。誰もが唖然としている。マクゴナガルは予想していたのか、あんまり面白い反応をしてくれなかった。

 

「あちらがスリザリンの寮ですよ、ハリー」

「はい、先生」

 

 ハリーは堂々と歩いていく。スリザリンの生徒達は一斉に立ち上がった。

 拍手喝采だ。

 

「ハリー・ポッター! 歓迎する!」

 

 スリザリンの監督生らしい男に導かれ、ハリーはプラチナブロンドの少年の隣に腰掛けた。

 

「ハリー・ポッター。僕はドラコ。ドラコ・マルフォイだ。よろしく頼むよ」

 

 隣の少年が手を差し出してくる。

 

「ああ、よろしく頼む。ハリー・ポッターだ」



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第四話『スリザリン』

 ドラコ・マルフォイは隣席に座る魔法界の英雄を探るような目つきで見つめた。嘗て、魔法界を恐怖と絶望で彩った闇の帝王を打倒した彼の名前を知らない者はいない。

 その知名度には大いなる価値が存在する。極端な事を言えば、あらゆる場面で彼が立つ側こそが正義となる。彼を取り込む事が出来れば、マルフォイ家の発言権は更に強まる筈だ。

 そこまでの事を考えた上で、ドラコは慎重に言葉を選んだ。彼の組分け時の所作から、そのプライドの高さを嗅ぎ分けていた為だ。

 

「ハリーと呼んでもいいかい?」

「もちろんさ、ドラコ」

 

 笑顔で握手を交わし合う二人の少年。それは、傍目からは無垢な友情のスタートに見える。

 けれど、実際には違う。ドラコが如何にしてハリーを取り込み、利用しようかと企んでいるように、ハリーもマルフォイと名乗った少年の利用方法に思考を巡らせていた。

 ハリーは《現代魔法界の有力者達》という本で、マルフォイという名を見た事があった。莫大な資産と権力を併せ持つ一族であり、現当主であるルシウス・マルフォイはホグワーツの理事も兼任しているらしい。

 魔法界でNo.1を目指す上で、彼の家の財力と権力は実に有益だとハリーは判断を下したのだ。

 

「ボク達は良い友人になれると確信しているよ」

「僕もさ」

 

 ハリーは心の中でほくそ笑んだ。

 

 ―――― 貴様のすべてを奪ってやるぞ。

 

 ドラコは心の中でほくそ笑んだ。

 

 ―――― 名ばかりの道化が、精々僕の役に立つ事だな。

 

 そうして、表面上は穏やかに友情を温め合う二人の前にたくさんの料理が現れた。どうやら、組分けはとっくに終わっていたらしい。 

 ハリーはゴクリとツバを呑み込んだ。嗅いだこともない素敵な香りに、思わず理性を失いそうになった。けれど、この場でそんな無様を晒せば、今後の学生生活は非常に屈辱的なものとなるだろう。

 自制を働かせ、ハリーは家で密かに練習してきた魔法界のディナーのマナーを実践した。

 

「中々のものじゃないか」

 

 隣でドラコが呟いた。彼の所作をチラリと確認したハリーは気づかれない程度に息を吐いた。それはハリーの知るとおりのものだったからだ。

 安心して食事に臨むと、そのあまりの美味しさに何度も膝を抓らなければならなくなった。

 ローストビーフの味わい、カルパッチョの舌触り、フレンチフライの香ばしさ、どれも素晴らしい。ペチュニアの料理など比較にならない程だ。まさに人生における至福の一時であり、がっつきたくなる衝動を抑えるのは至難だった。

 それでも、しばらくすれば胃袋がいっぱいになり、ハリーも余裕を取り戻す事が出来た。

 カボチャジュースを味わいながらドラコとホグワーツに纏わる会話を嗜んだ。

 彼はスリザリンの寮監であるセブルス・スネイプとプライベートでも親交があるらしく、彼の授業が楽しみだと語った。

 そうこうしていると目の前の大皿から食べ物が消え去り、一人の老人が立ち上がった。彼がアルバス・ダンブルドアだ。このホグワーツ魔法魔術学校の校長にして、近代の魔法使いの中で最も偉大な男と称されている。

 

「アルバス・ダンブルドアか……」

 

 現魔法界のNo.1。それはつまり、ハリーがいずれ乗り越えるべき壁という事だ。

 

 第四話『スリザリン』

 

『ヘイ、相棒。オレ様にも少し分けてくれないか?』

 

 それまでハリーのローブの中でぐっすり眠っていたゴスペルが言った。汽車に残していけば、勝手に寮に届けてもらえるとの事だったけれど、ハリーはゴスペルと離れたくなかった。それに、トランクを見知らぬ誰かに触られるのも嫌だった。幸いにもゴスペルはハリーのローブに隠れられる大きさだし、トランクも中の広大な空間とは裏腹にとってもコンパクトだった。

 

『ああ、起きたのか。ほら、美味しいぞ!』

 

 ゴスペルにステーキを与えていると、ドラコは間抜けな表情を浮かべた。

 

「なんだい?」

「それ、蛇かい?」

「ああ、かっこいいだろう? ゴスペルと言うんだ。ほら、『ゴスペル。挨拶をしてやれ』」

『オーケイ、相棒。よう、ドラコボーイ。聞こえているかは知らないが、オレ様はゴスペルだ』

 

 ゴスペルが舌を伸ばしながらドラコにウインクを飛ばすと、いきなり周囲が騒然となった。

 

「冗談だろ!?」

「バカな!? 蛇語だと!?」

「うそでしょ!?」

「信じられない!」

「ありえない! 嘘に決まってる! 今のは蛇に話しかけたんじゃなくて、蛇に躾けた通りの動きをさせただけだ!」

 

 一年生だけじゃない。上級生まで目玉が飛び出そうな程に驚いている。他のテーブルの生徒達もだ。

 

「は、ハリー! 君、パーセルマウスなのかい!?」

「ああ、その通りさ。信じられないのかい? だったら、証拠を見せてやるよ。そうだなぁ、『ゴスペル、ドラコ達にお辞儀をしてやれ』」

『お辞儀? これでいいのかい?』

『ああ、バッチリだ』

 

 生徒達に向かってお辞儀をするゴスペルに、生徒達は言葉を失った。注がれる畏怖の視線に、ハリーは心地よさを感じていた。

 徐々に言葉の使い方を思い出した生徒達は一斉にざわめき出した。

 その喧騒をBGMに、ハリーはゴスペルと食事を楽しんだ。

 

『相棒はやっぱり特別だな!』

『当然さ! ボクは優れた人間なん……ッ!?』

『相棒?』

 

 突然の事だった。いきなり、ハリーの額の傷痕が痛みを発し始めたのだ。

 ハリーが咄嗟に額を押さえると、ゴスペルだけではなく、ドラコもハリーの異常に気がついた。

 

「どうかしたのかい?」

「いや、なんでもない。どうやら、大分疲れが溜まっていたらしい」

「ああ、そうだろうね。僕も眠いよ」

 

 それからしばらくして、デザートが無くなった後もハリーの蛇語の事で盛り上がっていた生徒達をダンブルドアが二回の爆竹音で黙らせた後、諸注意を語り始めた。

 そして、校歌斉唱が始まった。好きなように歌えと言うダンブルドア。

 

『ホッグホッグホグワーツ!』

 

 ゴスペルは陽気に歌っている。ドラコはオペラのような歌い方で、近くの少女はジャズミュージックのような歌い方をした。

 ハリーは口パクで乗り切った。まさか、歌を歌う事になるとは思っていなかったのだ。だから、歌の練習はして来なかった。歌はちょっと苦手なのだ。

 歌が終わると、ハリーはドラコと共に監督生の後に続いて寮へ向かった。

 

「君、歌ってなかっただろ」

 

 ドラコには口パクがバレていた。

 

「なんの事やら」

 

 ハリーは誤魔化した。眠気の為か、ドラコもそれ以上は追求しなかった。

 スリザリン寮は地下にあった。大理石に覆われた空間を緑のランプが照らしている。

 

『いいな、ここ! すごい落ち着くぜ!』

『それは良かった』

 

 ハリーの眠気もその時点で極限に達していた。監督生に部屋割りを教えられ、ドラコと共になだれ込み、ほぼ同時にベッドに飛び込んだ。

 

「おやすみ、ハリー」

「おやすみ、ドラコ」

『おやすみ、相棒』

『おやすみ、ゴスペル』

 

 そのまま、ハリーはあっと言う間に眠りについた。

 

 ◆

 

 翌日から授業が早速始まった。ハリーはドラコや彼の取り巻きと行動を共にしている。彼はホグワーツの詳細な地図を父親から譲り受けていた。

 

「おい、ゴイル! そっちじゃない!」

「アイツは何回右と左を間違える気なんだ?」

 

 ドラコの取り巻きの二人、クラッブとゴイルは信じ難いほどの間抜けだった。

 思考速度が常人よりもワンテンポ遅いばかりか、その思考自体もまるで幼子のようだった。

 ハリーは早くもドラコ達と行動を共にする事にウンザリし始めていた。

 

「ドラコ。君は実に我慢強い男だな」

「……この二人にも美点はある」

 

 思いの外、ドラコは情に厚い男だったらしい。こんな愚鈍な木偶の坊を見放さずに付き合うのは相当な忍耐力を要する筈だ。

 

「急がないと遅刻になるぜ?」

「……急ぐぞ、二人共」

「うう」

「ぐう」

 

 返事もまともに出来ないようだ。動物園の猿の方がまだ賢そうに見える。

 ドラコを利用するためにこの二人と付き合っていかなければならないのかと考えると、いっそ、ゴスペルに噛ませてしまおうかとも思った。けれど、それでゴスペルが処分されるような事があればそれこそ最悪だ。

 ハリーはどうやって二人を排除するかを考え始めた。

 

 ◆

 

「変身術はホグワーツで学ぶ魔法の中でも極めて複雑かつ、危険なものです。いい加減な態度でわたしの授業に臨むものは即刻出ていってもらいますし、二度とクラスに足を踏み入れる事は許しません! 最初に警告しておきます!」

 

 マクゴナガルは授業の時も変わらず厳格だった。既に記憶していた内容を延々とゴーストの教師が朗読するだけの魔法史では授業を完全に放棄して別の授業の教科書や本を読み耽っていたハリーも、彼女の授業では真面目な姿勢で臨んだ。

 配られたマッチ棒に教わった通りの呪文を唱える。ハリーは問題なく成功させる事が出来た。変身術が彼女の授業だと聞いていたから、家では特に念入りに練習していたのだ。

 

「見事です。ミスタ・ポッター、ミスタ・マルフォイ、ミスタ・ノット、ミスタ・ヴェニングス、ミス・ヴァレンタイン。それぞれに一点を与えましょう」

 

 ハリーは他にも成功者がいた事に不満を覚えた。マクゴナガルの称賛を独り占めにしたかった。そんな彼の不満を感じたのか、マクゴナガルは僅かな微笑みをハリーに向けた。

 教室を出ていく時、ハリーの足取りは羽のように軽くなっていた。

 

 ◆

 

 眠気と寒さに耐えながらの《天文学》やニンニク臭が充満する教室での《闇の魔術に対する防衛術》の授業を耐え抜き、ハリーは金曜日を迎えた。

 この日はグリフィンドールの生徒との合同授業だった。内容は《魔法薬学》であり、教師はスリザリンの寮監であるセブルス・スネイプだった。

 

「やあ、ロン」

 

 教室に入ると、ハリーはロンを見つけた。

 

「あっ、ハリー……」

 

 ロンはハリーに対していくつもの感情が入り混じった表情を向けた。

 ハリーにはそれが不快だった。

 

「ロン。友人に対して、その態度は無いだろう?」

「だって……、君、スリザリンだ」

 

 その言葉にハリーは目を細めた。

 

「なるほど。スリザリンだから、ボクとの友情を捨てるんだな?」

「それは……、その……」

 

 歯切れの悪いロンに対して、ハリーは苛立ちを覚えた。

 彼との交流はホグワーツ特急の中での一時のみだった。その理由も、ハリーが魔法界の常識のすり合わせをする為だった。

 彼にとっても、寮の違い程度で捨てられる程度の関係だったという事だ。

 

「あばよ、ロン」

『いいのかい? 相棒』

『どうでもいいさ』

 

 ハリーはロンから離れて行った。

 

「は、ハリー!」

 

 ロンが慌てたように手を伸ばしてきたが、ハリーは振り払った。

 

「ハリー。ウィーズリーには近づかないほうがいい」

 

 ドラコの隣の席に座ると、彼が言った。

 

「あの家は《血を裏切る者》だ」

「どうでもいい。授業の準備を始めようぜ」

 

 ハリーはさっさと教科書を開いて予習を始めた。今は、あまり会話をしたい気分では無かったからだ。

 

 しばらく待っていると、スネイプが入って来た。

 彼ははじめに出席を取った。

 

「……ハリー・ポッター」

 

 ハリーの名前を呼んだ後、スネイプは僅かに沈黙した。その間、彼はハリーを見つめていた。

 ハリーはスネイプの瞳にさっきのロンと同じものが宿っているように感じて、不愉快な気分になった。

 出席を取り終えると、スネイプは生徒達を見回した。

 

「この授業では魔法薬調剤における微妙な科学と、厳密なる芸術を授ける。このクラスでは杖は使わぬ。そこで、これでも魔法なのか? と諸君らは思うかもしれない。ふつふつと沸く大釜、ゆらゆらと立ち昇る湯気、人の内を這い回る液体が宿す繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力。諸君らがこの見事さを真に理解出来るとは期待していない。ただし、諸君らが我輩の教えてきたこれまでのウスノロよりもマシであったのなら……、伝授してやろう。名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする。そういう業を……」

 

 スネイプは探るような視線で生徒達を見回した。

 そして、ハリーを見つめた。

 

「……さて、ポッター」

「なんです?」

 

 ハリーは不愉快な視線を向けてくるスネイプに対して、感情を剥き出しにしたまま返事をした。

 その態度に、スネイプも不愉快そうな表情を浮かべる。

 

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じた物を加えると何になる?」

「眠り薬。《生ける屍の水薬》だ」

 

 ハリーが即答すると、スネイプは僅かに目を見張った。

 

「……では、ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、どこを探す?」

「ヤギの胃の中」

「モンクスフードとウルフスベーンの違いは?」

「なにも無い。先生、ボクを舐めているのですか? こんな常識すら知らないだろうと?」

 

 ハリーが表情を歪めると、スネイプは反対に先程までの不快そうな表情を消し去った。

 

「名声にうつつを抜かしているのではないかと邪推したのだ、謝ろう。スリザリンに五点与える」

「……どうも」

 

 ハリーが鼻を鳴らして言うと、スネイプは他の生徒達を睨みつけた。

 

「さて、諸君らは何をしているのかな? 何故、今のをノートに書き取らないのだ? 諸君らにとっても、今のは常識だったのかね?」

 

 その言葉に、一斉に羽ペンと羊皮紙を取り出す音が広がった。どうやら、大半の生徒にとって、今の問答は常識的では無かったらしい。

 それから、スネイプは生徒達におできを治す簡単なクスリを調合させた。

 干しイラクサを測り、蛇の牙を砕く。

 

『ヒエッ! 残酷な事するなぁ、おい!』

 

 ゴスペルはその光景に身を縮ませていた。同胞の牙を砕かれる光景というのは、彼にとって中々に残酷らしい。ハリーは今後は魔法薬学の時だけゴスペルを留守番させる事にしようと決めた。

 

「こんなものかな」

「そっちも問題無さそうだね」

 

 ハリーとドラコは見事に調合を成功させた。スネイプは二人のクスリの完成度を褒めて、参考にするようにと言いながら二人に五点を与えた。

 合計で十点もスリザリンの点数を稼いだハリーに後ろの席からダン・スタークという生徒が「やるな!」と声を掛けてきた。

 

「まあね」

 

 ハリーは少しだけ気分を良くした。

 その時だった。いきなりグリフィンドールの生徒の大鍋が吹っ飛んだ。

 

「馬鹿者!! 大方、大鍋を火から下ろさない内にヤマアラシの針を入れたのだな!」

 

 顔中がおできだらけになっていたのはヒキガエルを飼っているふとっちょだった。

 

「こんな簡単な調合をどうすればミスるんだ」

 

 ドラコは呆れ返っている。

 

「教科書通りの事すら出来ないのか……。クラッブとゴイルは大丈夫か?」

 

 ハリーはそもそも二人が教科書をちゃんと読めているのか不安になった。二人の席を見ると、案の定、明らかに液体の色が違っていた。

 ハリーとドラコはゆっくり二人の席から距離を取った。

 

 授業が終わると、一人の女の子がハリーに近づいてきた。

 

「あなた、ハリー・ポッターだったのね」

 

 その女の子は汽車であった子だった。名前はハーマイオニー・グレンジャー。

 

「そういう君は、ミス・グレンジャーじゃないか。スリザリンであるボクに何か用かい?」

「わたしじゃないわ。彼があなたに用があるみたいなの」

「彼?」

 

 ハーマイオニーは後ろを顎で示した。そこにはロンがいた。 

 ハリーは舌を打った。

 

「彼はボクに用なんてない」

 

 そう言って、ハリーはハーマイオニーとロンに背中を向けた。

 

『ロニーは謝りたいんじゃないかい?』

『どうでもいいさ』

「ハリー!」

 

 立ち去ろうとしたら、肩を掴まれた。

 

「なんだよ……」

「……その、ごめん。僕、君とは友達でいたいんだ」

「……そうかい、好きにしろよ」

 

 ハリーはドラコの下へ向かって行った。

 

「ハリー……」

「またな、ロン」

「……うん!」

 

 ハリーは肩を竦めた。

 

「君の方こそ、隨分と我慢強いじゃないか」

「君には負けるさ」

 

 ハリーは深く息を吸い込んだ。まるで、それまで息をするのを忘れていたかのように。

 

「やれやれだ」



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第五話『秘密の部屋』

 金曜日の午後は授業がなかった。ハリーは寝室で本を読みながらゴスペルとのお喋りに興じていた。

 ちなみにゴスペルはケージの中にいる。これが中々の優れもので、ケージ内の空気を常に最適な温度に調整してくれる。変温動物であるゴスペルにとって、気温は非常に重要だった。

 ハリーはゴスペルによりよい環境を提供してあげたかった。その為にかなりのガリオン金貨を消費した。

 二メートル四方のケージ内には小さな池があり、たくさんの植物が生えている。落ち着いて過ごせる隠れ家(シェルター)もそこかしこに設置されていた。ゴスペルは気分によって眠る時のシェルターを変えている。一番のお気に入りは植木鉢のような形のものだ。実は、それはハリーがこっそりダーズリー家の庭にある植木鉢の一つを失敬して作ったものだった。

 

『そう言えば、この壁の向こうって、どうなってるんだい?』

 

 ゴスペルは近くの壁に向かってチロチロと舌を伸ばしながら聞いてきた。

 

『壁の向こう? さあ、知らないな。なんで、そんな事を気にするんだ?』

『なんか、時々話しかけてくる野郎がいるんだよ。隨分と偉そうなヤツなんだ』

『話しかけてくるだって!? 君にか!?』

 

 ハリーは目を丸くした。ゴスペルは蛇だ。つまり、蛇か、蛇語を話せる類稀な才能を持った偉大な魔法使いとしか会話が出来ない筈だ。

 読んでいた本を放り投げて、ハリーは壁に耳を当ててみた。けれど、何も聞こえない。そもそも、スリザリンの寮は湖の底よりも下に位置している。壁の向こうにあるのは精々が配管ばかりで、後は土や岩だけな筈だ。

 

『本当なんだぜ! 今代の継承者だとか、秘密の部屋だとか、わけのわからない事をペラペラ喋ってくるんだ! 寝てる時にだぜ!? 勘弁してほしいぜ、まったく!』

『継承者? 秘密の部屋? なんだ、それ?』

 

 生憎と、ハリーの読んだ本の中にそんな名称は出て来た事が無かった。

 困惑していると、寝室にドラコが入って来た。

 

「やあ、ハリー」

「やあ、ドラコ」

 

 ドラコはクタクタに疲れていた。彼はクラッブとゴイルに宿題の事で泣き付かれていたのだ。

 

「終わったのかい?」

「全然。十回も繰り返し教えた事を初めて聞いたみたいな顔をしてくるんだ! やってられないよ……」

 

 どうやら、相当苦労したようだ。

 

「見捨ててしまえばいいじゃないか」

「……そうはいかない。誇りあるスリザリンの生徒が留年するなんて許されないからね」

 

 ハリーにはあんなにも愚かな木偶の坊にここまで固執する理由がさっぱり分からなかった。

 けれど、それを言うとドラコもハリーとロンの友情について文句をつけてくるからハリーは沈黙を選ぶことにした。

 

「それより、ゴスペルと話していたみたいだけど、どんな話をしていたんだい?」

 

 ドラコは興味深げに聞いてきた。

 

「……ああ、ドラコ。君は継承者だとか、秘密の部屋って聞いた事があるかい?」

 

 ハリーが問いかけると、ドラコは目を丸くした。

 

「それって、スリザリンの継承者の事かい?」

「知っているのかい?」

「もちろんさ!」

 

 ドラコはやや興奮した様子でハリーに《スリザリンの継承者》と《秘密の部屋》について語った。

 ホグワーツの創設者の一人であるサラザール・スリザリンは偉大なる魔法使いであると共に、生粋の純血主義者だったらしい。

 ホグワーツ創設時、彼はホグワーツに純血の魔法使いのみが通うべきだと主張した。けれど、その意見を他の創設者達は撥ね退けた。それが切っ掛けとなり、後に彼はホグワーツを永遠に去ったと言われている。

 その時にサラザールはホグワーツのどこかに《秘密の部屋》と呼ばれる空間を隠したという。真の継承者が現れた時、彼の悲願を彼に代わって遂げられるように、彼は《恐怖》をその部屋に封じ込めたという。

 

「その部屋はどこにあるんだ?」

 

 ハリーが聞くと、ドラコは「知らない」と答えた。

 

「誰も知らないんだ。歴代の校長や好奇心旺盛な生徒達が躍起になって探しても、だーれも見つけられなかったそうだよ。けど、五十年以上前に一度だけ開かれた事があるらしい。その時、確かに《穢れた血》が一人死んだそうだ」

「一度開かれたって事は、まったくの出鱈目ではないという事か」

「おそらくね」

 

 ハリーは少し考えた後、休日の過ごし方を決めた。

 

「よし! 探そう!」

「え?」

 

 ドラコは呆気にとられた。

 

「探すって、まさか?」

「秘密の部屋だ。決まっているだろう?」

「いや、君、話を聞いていたのかい? 誰も見つけられなかったんだよ? 歴代の校長を含めて、だーれも」

「ああ、五十年以上前に開いたヤツ以外はな」

 

 ハリーの言葉にドラコは「あっ」と目を見開いた。

 

「サラザール・スリザリンと言えば、パーセルマウスだったらしいじゃないか。そして、ボクもパーセルマウスだ。どうだい? ボクなら見つけられると思わないか?」

「本気なのかい?」

「もちろんさ。どうだい? 一緒に探すかい?」

 

 ドラコは少し考えた後にうなずいた。

 

「うん。面白そうだ」

「そう言うと思っていたぜ、チーム結成だ」

 

 ハリーは指を鳴らすとケージからゴスペルを出した。

 

『一緒に来てくれるよな?』

『もちろんさ、相棒』

 

 ハリー、ドラコ、ゴスペルはスリザリンの寮を飛び出した。

 

「それで、どうするんだい?」

「ドラコ、捜査の基本を教えてやる」

 

 第五話『秘密の部屋』

 

 ハリーはドラコと共に図書室へやって来た。目的の書棚は直ぐに見つかった。

 

「日刊預言者新聞のバックナンバー?」

「五十年前、穢れた血が死んだって言っただろ? 学校で死人が出たならニュースになっている筈さ。まずは正式な年代と日付を調べる」

「……思ったより地道な作業だ」

 

 ドラコはハリーに付き合ってしまった事を後悔し始めた。

 

 それから丸一日掛けて、ハリーとドラコは新聞のバックナンバーを丁寧に調べ上げていった。ゴスペルはとっくにハリーのローブの中で居眠りを始めていた。

 そして、ドラコは思わず「あった!!」と叫んでしまい、司書のマダム・ピンスに凄まじい目つきで睨まれてしまった。

 

「こ、ここだよ」

 

 ドラコはささやき声で言った。彼の指さした記事には、マートル・エリザベス・ワレンという少女の死亡に関する内容が記載されていた。

 日付は1943年の6月13日だ。二階の女子トイレで死亡している所を発見されたらしい。

 

「他にホグワーツでの死亡事故は見当たらないし、ビンゴだな」

 

 ヴォルデモート全盛期や、それより以前の闇の魔法使いであるゲラート・グリンデルバルドが暗躍していた時代の新聞には死亡のニュースがいくらでも見つかったけれど、その時代の死亡のニュースは彼女の一件のみだった。

 

「二階の女子トイレか……」

「女子トイレがどうかしたの?」

 

 新聞を畳もうとしていると、いきなり背後から声を掛けられた。

 振り返ると、そこにはハーマイオニーの姿があった。

 

「なんでもない」

 

 ハリーが言うと、ハーマイオニーは目を細めた。

 

「ハリー。わたし、三時間程前から図書館で勉強していたの。その間、あなた達がずっと新聞と睨めっこをしていた事にも気付いていたわ。何を調べていたの?」

 

 尋ねながら、彼女はハリーが畳もうとしていた新聞の記事に視線を落とした。

 そして、「あら、マートルの記事じゃない」と言った。

 

「知っているのか?」

 

 ハリーは目を丸くした。

 

「ええ、知っているわ。《嘆きのマートル》よ」

「なんだそれ?」

「二階の女子トイレで暮らしているゴースト。いつも嘆きの声を上げているから嘆きのマートルと呼ばれているのよ」

 

 ハリーはドラコを見た。ドラコも目を見開いている。

 

「おいおい、歴代の校長達は相当な無能なんじゃないか?」

「とりあえず、行ってみようか」

 

 頷き合うと、ハリーとドラコは図書室を飛び出した。

 すると、何故かハーマイオニーまでついてきた。

 

「なんでついて来るんだ!?」

「あなた達、女子トイレに入るつもりなの? 男子なのに?」

 

 そう言われて、ハリーとドラコは表情を引き攣らせた。興奮していて、そこの所に意識が向いていなかったのだ。

 

「あら、廊下の真ん中で何をしているのですか?」

 

 そこにマクゴナガルまで現れた。

 

「先生! ハリー達が女子トイレに入ろうとしているんです!」

「おまっ!?」

「おい待て!!」

 

 ハーマイオニーの爆弾発言にマクゴナガルは思わず噴き出した。

 

「じょ、女子トイレに? そこの二人が?」

「誤解です、先生!」

「重大な勘違いが起きています!」

 

 ハリーとドラコは必死だった。女子トイレに入ろうとした男子生徒。そんな噂が流れたら、それこそ未来はお先真っ暗になってしまう。

 

「何が勘違いなのよ! 二階の女子トイレに行こうとしてたじゃない!」

「黙ってろ、グレンジャー!」

「それ以上喋ったら呪いをかけるぞ!」

 

 ハリーは頭を抱えそうになった。屈辱的な噂が流れる事も嫌だったけれど、それ以上にマクゴナガルに誤解されて失望される事が嫌だった。

 

「秘密の部屋を探していたんですよ、先生」

 

 仕方なく、ハリーは白状した。

 

「秘密の部屋ですって!?」

 

 ハーマイオニーが目を見開いたがハリーは無視した。

 

「秘密の部屋? 何を言っているのですか、ミスター・ポッター」

 

 ハリーと呼んでくれない事に少しの不満を感じながらハリーは言った。

 

「歴代の校長すら見つけられなかった秘密の部屋を発見すれば、それこそ大手柄だ! 一発で偉大な魔法使いの仲間入りじゃないですか」

「えっ、そんな理由だったのかい!?」

 

 ドラコはショックを受けた表情を浮かべた。

 

「他に何があるんだ?」

「いや、スリザリンの継承者として……ああ、うん。あんまり君と大差無かった」

 

 ドラコの言葉に肩を竦めながらハリーはこれまで手に入った情報から、二階の女子トイレが秘密の部屋と関係しているのではないかと推理した事を語った。

 すると、マクゴナガルは難しい表情を浮かべた。

 

「秘密の部屋はあるかどうかも定かではないものです」

「でも、実際にマートルは殺されてます」

「それは……」

 

 マクゴナガルはしばらく唸った後に「わかりました」と言った。

 

「これから、共に向かいましょう。そして、そこに仮に秘密の部屋の手がかりがあったのなら、ダンブルドア校長に話を通す事にします」

「待って下さい! それじゃあ、ダンブルドアに手柄を取られるじゃないですか!」

「そんなみみっちい事をダンブルドア先生は致しません! いいですか? 仮にです。仮に秘密の部屋が実在した場合、そこには危険が潜んでいるのです。極めて危険な何かが」

「そんなの怖くありませんよ! それに、そこはスリザリンの継承者の為の部屋なのでしょう? パーセルマウスのボクは間違いなく継承者になれる筈だ! だったら危険な筈がない!」

「なりません! いいですか? 仮に秘密の部屋を見つけた場合、ダンブルドア先生の判断を仰ぐ事なく行動する事は許しません!」

 

 ハリーは不満だった。それはマクゴナガルが一切褒めてくれない事だった。誰も見つけた事のない秘密の部屋を発見したのだから、凄いの一言があってもいいのではないかと思った。

 

 それから、ハリーとドラコ、ハーマイオニーはマクゴナガルに先導されながら嘆きのマートルのいる二階の故障中という看板が掛けられた女子トイレに向かった。

 

「いいですか? あまりジロジロと余計なものを見ないように。ここは女子トイレなのですから」

 

 あまり女子トイレである事を強調しないでほしいとハリーとドラコは思った。非常に居心地が悪かった。

 

【ここは女子トイレよ?】

 

 ゴースト特有の耳障りな声が響いた。ふわふわと眼鏡を掛けた少女のゴーストが降りてくる。

 

「こんにちは、マートル」

 

 マクゴナガルが声を掛けると、マートルは不愉快そうに顔を歪めた。

 

【ふん! なによ、先生なんて! わたしが悲惨な目にあっていてもなーんにもしてくれなかった人たち! 死んで清々したって笑ってる人までいたわ!】

「なんですって!?」 

 

 まるで怒鳴ったかのようにマクゴナガルは叫んだ。

 あまりの迫力にハリーとドラコ、ハーマイオニーは揃って跳び上がり、マートルもトイレにぽちゃんと落ちていった。

 

「教師が! 生徒が死んで清々したと! 笑ったと! そんな愚か者がいたのですか!?」

 

 迫力は消えるどころかどんどん増していく。マクゴナガルは心から怒っているようだった。

  

【い、いたわよ! 嘘じゃないわ! わたしの為に泣いてくれた人なんて、だーれも……】

「そんな事はありません! あなたの御両親がどれほど嘆かれたか! ……ええ、あなたの死や、あなたに対する不当な行為の数々を止められなかったことはわたし達教師の怠慢である事は認めます。あなたの恨みを受ける義務があるとも。ですが、誰も悲しまなかったなどという事はありません!」

【な、なによ……。ふん! 教師なんて嫌いよ!】

 

 そう捨て台詞を吐くと、マートルはトイレの中に落ちて消えた。

 マクゴナガルはきゅっと唇を噛みしめると、涙を零した。

 

「先生、これを」

 

 ハリーは咄嗟にハンカチを渡した。

 そして、ドラコと共に調査を開始した。今はあまり声を掛けない方がいいと思ったからだ。

 ドラコも何も言わなかった。

 

「……水が出ないな」

 

 ドラコは一つだけ水の出ない蛇口を発見した。そして、その近くを念入りに調べているとゴスペルが目を覚まし、『ここに何かあるぜ』と小さく引っ掻いたような傷を見つけた。よく見ると、それは蛇を象った模様だった。

 

「ビンゴ」

 

 ハリーはドラコと拳をぶつけ合った。試しに『開け』と言ってみると、蛇口が眩い白い光を放ち始めた。勢いよく蛇口が回転を始め、その次は洗面台そのものが動き出した。洗面台が地面に吸い込まれていき、そこに大人一人が楽に通れそうな太いパイプがむき出しとなった。

 

「……ダンブルドア先生に判断を仰ぎます」

 

 マクゴナガルは緊張した様子で言った。けれど、ハリーは聞いていなかった。歴代の校長の誰もが発見出来なかった秘密の部屋をわずか一日で発見してみせた。

 その興奮が彼の背中を押した。

 

『いくぞ、ゴスペル!』

『おうよ、相棒!』

「お、お待ちなさい! ハリー!」

 

 マクゴナガルの声が遠ざかる。ハリーは太いパイプを滑り降り、そして、ホグワーツの地底深くへ潜り込んでいった。



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第六話『スリザリンの継承者』

 開かれた秘密の部屋への入り口をハリーは飛び降りた。ドラコも慌てて追いかけようと足を踏み出したけれど、襟首をマクゴナガルに掴まれた。

 

「な、なにをするんですか! 離して下さい!」

「あなたの方こそ、何をするつもりですか! 如何なる危険が待ち受けているかも分からないのですよ!?」

「だからこそだ! ハリーは行ってしまったんだ! 追いかけないと!」

 

 ドラコは必死にマクゴナガルの手から逃れようと暴れた。すると、ハーマイオニーが杖を彼に向けた。

 

「ペトリフィカス・トタルス」

 

 それは対象となった生物を一時的に麻痺させる呪文だった。マクゴナガルはハーマイオニーの行動に一瞬驚いた。それからコホンと咳払いをしてドラコをその場に寝かせた。

 

「素晴らしい状況判断と呪文です。グリフィンドールに五点」

 

 そう言うと、マクゴナガルは杖を振るった。

 

「エクスペクト・パトローナム」

 

 呪文を唱えると、彼女の杖の先から白い光が噴き出した。それはみるみる内に一匹の生物へ姿を変えていく。それは猫だった。

 光の猫は勢いよく宙を駆けて女子トイレから飛び出していった。

 

「先生、今のは?」

「守護霊の呪文ですよ、ミス・グレンジャー。吸魂鬼(ディメンター)やレシフォールドなどに対する防衛術ですが、習熟すればメッセージを送り届けさせる事が出来ます。ダンブルドア先生に伝言を命じました」

 

 早口で説明を終えると、マクゴナガルは秘密の部屋の入り口に向かって進み始めた。

 

「ミス・グレンジャー。間違っても呪文が解けたミスター・マルフォイが追いかけてこないように見張っておいて下さい。わたしは言い付けも守れない問題児を連れ戻してきます」

「はい、先生! どうか、ご無事で!」

 

 ハーマイオニーの返事に満足すると、マクゴナガルは秘密の部屋へ飛び降りていった。

 取り残されたハーマイオニーはポッカリと開いたままの秘密の部屋の入り口を不安そうに見つめた後、ドラコに視線を落とした。すると、彼は恨みがましい視線を向けてきた。

 

「そんな視線を向けてもダメよ。わたし、あなた達とは違って先生の言い付けをちゃーんと守るから! いいこと? もし動けるようになっても動いちゃダメよ。動いたら、《あなたが女子トイレで寝そべった》という事実を公表するから」

 

 ドラコはハーマイオニーに悪魔を見るような視線を向けた。

 

 第六話『スリザリンの継承者』

 

 地下へ降り立ったハリーはゴスペルと共に通路を突き進んだ。ジメジメとした暗闇にゴスペルはご機嫌だ。

 

『ここは最高だな! 自慢の鱗がプルンプルンになるぜ!』

『フハハハ! 喜べ、ゴスペル! 今日からここはボクのものになるんだ!』

 

 足元に動物の骨がいくら散らばっていても、一メートル先すら暗くて見通せなくても、ハリーは一切怖くなかった。それはゴスペルが傍にいるからだった。

 ゴスペルのピット器官はどんな暗闇でも問題なく機能した。ハリーは使い物にならない自分の目を閉じて、代わりにゴスペルにナビを頼んだ。全幅の信頼を置いて、彼の指示するままに足を動かした。

 

『おっと、またまた扉だぜ』

『オーケー、開け!』

 

 どうやら、それが最後の扉だったようだ。一気に空間が広くなった。左右はそうでもないけれど、上は目を凝らしても見えないほどだ。

 絡み合う蛇の彫刻が施されている石柱がいくつも並んでいる。ハリーはその間を抜けて奥へ進んでいった。

 しばらく歩いていると、遂に終点へ辿り着いた。そこには部屋の天井に届きそうな程の巨大な石像があった。細長い顎髭が特徴の老人が象られている。

 

『これは……』

『サラザール・スリザリン。偉大なるホグワーツの創設者の一人にして、この部屋の主である』

 

 ゴスペルではなかった。彼のフランクな口調とは似ても似つかない偉そうな口調だ。

 

『ゴスペルの睡眠を妨げていたのは君かい?』

『我が呼びかけていたのは汝だ。継承の資格を持つ者よ』

 

 姿なき声に対して、ハリーはほくそ笑んだ。

 

『つまり、ボクを継承者と認めるんだな? だったら、さっさとボクの前に姿を見せろ! お前は何者だ!』

 

 ハリーの言葉に応えるように地面が僅かに揺れ動いた。そして、何かがどこかへ昇っていく。かと思えば、落ちてきた。

 ドスンという音と共に、サラザール・スリザリンの石像の口から一匹の巨大な蛇が現れた。

 

『我はバジリスク。偉大なる魔法使い、サラザール・スリザリンにより生み出されし蛇の王なり!』

『……お前が、バジリスク』

 

 ハリーはバジリスクの事を《幻の動物とその生息地》という本で読んだ事があった。

 見ただけで死をもたらす力を持っているとされ、その牙に宿る毒は如何なる毒よりも凶悪だと書いてあった。

 視線だけで相手を殺す恐るべきバジリスクに対して、ハリーは恐れなかった。身を縮ませ、怯えた様子を見せるゴスペルに、逆に勇気が湧いた。

 

『バジリスク! 今日からお前はボクのものだ!』

『……承知した。新たなる継承者よ。偉大なる先代継承者を滅ぼした者よ』

『ん? 先代継承者を滅ぼした? それはどういう意味だ?』

 

 ハリーが問うと、バジリスクは語った。

 

『先代継承者の名は、トム・マールヴォロ・リドル。後に、ヴォルデモートを名乗り、闇の帝王と恐れられた男だ。そして、汝に滅ぼされた男だ、ハリー・ポッター』

『ヴォルデモートが先代継承者だって? たしかに、マートルの事件はヴォルデモートが名を上げはじめた時期と近かったな。しかし、随分と世情に詳しいじゃないか』

『我はホグワーツのあらゆる場所に潜んでいる。人間の言葉もある程度は解する事が出来る』

『なるほどな』

 

 ハリーはバジリスクを見つめた。大きくて、勇ましい姿だ。

 

『オイ、相棒! 《お前はボクのもの》って、まさか、浮気か!? オレ様がいるのに!』

 

 バジリスクに惚れ惚れしていると、ゴスペルがようやく復帰した。恐怖よりも嫉妬が勝ったらしい。

 

『浮気? まさか! ゴスペルがボクの一番さ! 当然だろう? バジリスクは……ああ、名前を考えないとな……、二番目さ。いいか? バジリスク。お前も肝に銘じておけ! ゴスペルの方が上だからな!』

『……コレが?』

『コレとはなんだ! 頭が高いぞ! オレ様の事は兄貴と呼べ!』

『……主よ』

 

 バジリスクは不愉快そうな声を出した。けれど、ハリーは譲らなかった。

 

『とりあえず、お前のことは今から《エグレ》と呼ぶ。ゴスペルを尊重するんだ。いいな?』

『……イエス、マイロード』

『ハッハッハ! なんか、すっげー気分がいいぜ!』

 

 エグレは濃密な殺気を放った。ゴスペルは『キャッ』と悲鳴をあげてハリーのローブに逃げ込んだ。

 

『おい!』

 

 エグレはそっぽを向いた。

 

『……ん? 主よ、何者かが近づいてくるぞ』

『ああ、この体温はマクゴナガルだぜ』

『始末するか?』

『するわけないだろ!! いいか! 先生には一切手を出すな! 絶対だぞ! 何があってもだ!』

『イエス、マイロード』

 

 ゴスペルを尊重しろという命令と比べるとずっと素直にエグレは受け入れた。

 少しすると、息を切らしながらマクゴナガルが現れた。

 

「ハリー!!」

 

 マクゴナガルは悲鳴染みた声を上げながら駆け寄ってくると、いきなりハリーに覆いかぶさった。

 目を丸くするハリー。少しして、マクゴナガルが震えている事に気づき、彼女が自分をバジリスクから庇おうとしたのだと理解した。

 

「せ、先生。大丈夫ですよ! エグレはボクのものです! 先生にも、もちろんボクにも危害など加えませんよ!」

 

 ハリーはマクゴナガルを安心させようとエグレに『少し離れろ』と命じた。

 

「ほら、ボクの命令に従ったでしょう?」

 

 ハリーが誇らしげに言うと、マクゴナガルは恐怖の表情を浮かべながらエグレを見た。それからハリーを見て、息を荒げながら思考をまとめようと瞼を閉じた。

 そして、瞼を開くと共にハリーの頬を叩いた。

 

「……え?」

 

 ハリーは困惑した。痛みよりも、マクゴナガルに叩かれたという事実にショックを受けた。

 

「な、なにをするんですか!?」

 

 ハリーがマクゴナガルを睨みつけた。裏切られた気分だったからだ。けれど、すぐに沸騰した感情が冷めた。それはマクゴナガルが涙を流していたからだ。

 

「せ、先生?」

「ハリー・ポッター!! あなたは自分が何をしたのか分かっているのですか!?」

「何をって……、継承者になったんです! エグレを手に入れたんだ! 凄い事でしょう!?」

「自分が死ぬかもしれないとは考えなかったのですか!?」

 

 マクゴナガルの怒声にハリーは息を呑んだ。

 

「ええ、結果的に見れば! あなたは偉大な事を為したのでしょう。秘密の部屋の発見に、バジリスクという脅威を手懐けた事は! ですが! あなたは考えるべきでした! マートルを殺害した脅威があなたに襲いかかる可能性を! 何故、わたしの言い付けを守らなかったのですか!? 一歩間違えていたら、あなたは死んでいたかもしれないのですよ!?」

「ボ、ボクは怖くなんてなかった! 勇敢だったんだ!」

「そんなものは勇敢でもなんでもありません!!」

 

 頭ごなしに叱られて、ハリーは鼻を啜った。にじみ出てきた涙を服の袖で拭った。

 

「なんだよ! 少しくらい褒めてくれたっていいじゃないか! 凄い事をしたんだ! ちょっとくらい!」

「わたしが!! 自他を問わず、命を軽視する真似を称賛する事はありません!!」

 

 ハリーはくしゃくしゃに表情を歪めた。

 

『あ、相棒』

 

 ゴスペルが励まそうとしても、ハリーの耳には届かなかった。

 

「……ハリー」

 

 そんな彼にマクゴナガルは諭すような声で言った。

 

「命は一つしか無いのです。それをどうか、分かってちょうだい」

 

 ハリーはブルドッグのような顔をしながら小さく頷いた。

 

「それと、褒めて欲しいなら勉強を頑張りなさい。良い成績を取れたのなら、その時は惜しみない称賛の言葉を送らせていただきます」

「……ほんと?」

「ええ、もちろんです」

「……わがっだ」

 

 そう応えたハリーをマクゴナガルは強く抱きしめた。

 

「無事でなによりです、ハリー」

「……ぁい」

 

 それからしばらくの間、ハリーはマクゴナガルの腕の中で鼻をすすり続けた。

 そして、冷静になると、顔を真っ赤にしながら急いで離れた。

 

『相棒。恥ずかしがる事ないと思うぜ?』

『う、うるさい! ボクは恥ずかしがってなんかいない!』

『顔が真っ赤だぞ、主よ』

『黙っていろ! どっちもだ! 喋るな!』

『オーキードーキ』

『イエス、マイロード』

 

 ゴスペルとエグレに慰められているハリーをマクゴナガルはしばらく見つめていた。蛇の言葉が分からなくても、二匹がハリーを傷つける意志を持っていないことは理解出来て、ホッと息を吐いた。

 

「……驚くべき事じゃな」

 

 すると、秘密の部屋に新たな侵入者が現れた。このホグワーツ魔法魔術学校の校長であり、今世紀で最も偉大なる魔法使い、アルバス・ダンブルドアだ。

 ハリーは慌てて顔を服の袖で拭った。

 

「秘密の部屋の発見はもちろんの事、バジリスクを手懐けるとは驚くべき事じゃ」

 

 そう言うと、ダンブルドアはハリーに近寄ってきた。

 

「ハリー。言うべき事はミネルバが既に語り尽くしてくれたようじゃから、わしからは何も言わぬよ。まずは日常の世界に帰るとしよう。上で君の親しき者達が心配しておるのでな」

「……ここを見つけたのはボクです!」

 

 ハリーが言うと、ダンブルドアは穏やかに微笑んだ。

 

「もちろん、わかっておる。長年謎とされて来た秘密の部屋を発見した功績は間違いなく君と君の友人達のものじゃ」

 

 ハリーはこっそり功績を独り占めにしようとした事を阻止されて不満を抱いた。

 

「ハリー。分かち合うという事は、独占するよりも遥かに大きな喜びを君に与える筈じゃ。それに、バジリスクを手懐けた功績は紛れもなく君個人のものじゃよ」

 

 ハリーはその言葉に鼻の穴を少し膨らませた。個人の功績という点が大いに気に入った。

  

「さあ、上に戻ろう。バジリスクは……すまんが、今はここで待ってもらってくれるかのう? 悪いようにはせん。約束しよう」

 

 ハリーは大いに不満だった。けれど、ダンブルドアの眼差しがあまりにも真摯であり、おまけにマクゴナガルが《分かっていますね?》と言わんばかりの視線を向けてくるものだから、ハリーは渋々頷いた。

 そして、ハリーはエグレに待機を命じると、ゴスペルを腕に絡ませて地上へ戻っていった。

 

「ハリー。継承者の力でグレンジャーをぶっ殺そう」

 

 戻ってくるなり、ドラコが怒りに燃えた顔でそんな事を言い出した。

 

「あーら、ミスタ? いいのかしら? そんな事を言っても」

「ぐぬぬ……」

 

 何故か、ドラコはハーマイオニーにマウントを取られていた。

 ハリーはとりあえず先に《おかえり》くらい言えよと思った。

 

 その後、ハリーが秘密の部屋を発見し、スリザリンの正統継承者になった事はホグワーツ全体に知れ渡った。

 マクゴナガルから口止めをされたドラコとハリーは「口が勝手に動いただけです! ボク達は悪くない! 誰かの呪いなんだ!」と眦を吊り上げるマクゴナガルに言い訳をするのだった。



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第七話『ヴォルデモート』

《秘密の部屋、発見される!? 発見者は、あの生き残った男の子、ハリー・ポッター!!》

 

 日刊預言者新聞の一面にデカデカと書かれている文字を見て、ハリーはふんぞり返った。鼻の穴を大きくしながら最高の気分に浸っていた。

 見出しの下には秘密の部屋の前でドラコやハーマイオニーとポーズを取るハリーの写真が掲載されている。

 折角だからエグレと一緒の写真も撮らせようとしたのだけれど、カメラマンに涙目で拒否された。

 

『まったく! あの腰抜けめ! ジャーナリストなら記事の為に命くらい賭けたらどうなんだ! まったく!』

『ハッハッハ! 相棒ほど勇敢なヤツは人間以外の生き物の中にだって早々いねーよ!』

『フッハッハ! それなら仕方ないな! 特別に許してやるとしよう!』

『相棒、やっさしー!』

『フッハッハ!』

 

 ゴスペルと楽しく話していると、壁から物音が聞こえた。

 

『エグレか?』

『そうだ、主よ。少し、お時間をよろしいか?』

『もちろんだ! お前ともじっくりと話がしたいと思っていたんだ! すごいぞ! ボクの名前が日刊預言者新聞の一面を飾ったんだ! グレンジャーが邪魔だが、写真も載ってる!』

『そうか、それは良かったな』

 

 エグレはどうでも良さそうに言った。

 

『オイオイ、エグレさんよー。もうちっと感情篭めて相棒を褒めてやれよな!』

『そんな事よりも、主よ』

 

 エグレはゴスペルを華麗に無視した。

 

『無視すんじゃねー!』

『黙れ、ゴスペル』

 

 エグレは壁越しに殺気を放った。ゴスペルは『キャァ』とハリーの腕に巻き付いた。

 

『ゴスペルをあまり怖がらせるんじゃない! それで? とりあえず、用件を聞かせてくれ』

『大した事ではない。現在、ホグワーツ内部に先代継承者が潜伏しているだけの事だ』

『……は?』

 

 エグレの言葉に、ハリーの思考は一瞬止まった。再起動しても、すぐには言葉の意味を呑み込む事が出来ず、呑み込んだ後にも理解に時間を要した。

 エグレの言う、先代継承者とはトム・マールヴォロ・リドルの事。要するに、ヴォルデモートだ。

 

『やっぱり、生きていたのか』

 

 言っておきながら、ハリーはあまり彼の死を信じていなかった。

 本で調べた限りでも、ヴォルデモートという男の力の強大さは感じ取る事が出来た。そんな男が赤ん坊に反撃を受けて滅び去るなど、ありえない。

 その瞬間に何かが起きたのだろう事は確実だ。そうでなければ闇の帝王とまで謳われた男が姿を隠す理由がない。

 少なくとも、世間一般の風評通りでは無いだろう。赤ん坊に出来る事など泣き叫ぶ程度の事だ。おそらく、ハリー自身はあまり関係ないだろうと結論づけていた。

 

『いいや、生きてはいない』

『ん? どういう事だ? だって、潜伏しているんだろう? 目的はボクか? それとも、ダンブルドアか?』

『どちらも違う。今のリドルには他者を害する余力などあるまい。愚かな事だ。アレを自身に使うとは……』

 

 ハリーはエグレの言いたい事がイマイチ理解出来なかった。

 

『エグレ、アレとは何の事だ? それに、生きてはいないとは? ボクでも、ダンブルドアでもない目的とは何なんだ?』

『順番に答えよう。アレとは分霊箱(ホークラックス)の事、生きてはいないとは文字通りであり、目的は賢者の石だ』

 

 ハリーは深く息を吸い込みながら情報を処理していく。

 賢者の石については本で読んだ事があった。ニコラス・フラメルという錬金術師とダンブルドアによる共同研究によって生み出された奇跡の物質だ。

 卑金属を黄金に変え、命の水を生み出すという。命の水とは、永遠の命をもたらす妙薬だと言われている。

 

『文字通りという事は、死者の状態という事か? もしかして、ゴーストなのか? それで、賢者の石を使って蘇生しようとしている? エグレ、ここに賢者の石があるのか?』

『ゴーストではない。それよりも哀れな存在だ。そして、賢者の石はホグワーツの地下に隠されている。アルバス・ダンブルドアはリドルの行動を読んでいたのだ。元々はグリンゴッツに預けられていたらしい。賢者の石の用途は汝の考え通りだ』

 

 ハリーは改めて凄まじい存在を手に入れたものだと感動した。おそらく、ダンブルドアもヴォルデモートも賢者の石や自身の存在を徹底的に隠していた筈だ。それなのに、見事に筒抜けになっている。思わず爆笑しそうになった。

 

『それで、ゴーストでもない哀れな存在ってのは? それに、分霊箱って?』

『分霊箱は太古の呪いだ。リドルはどうやら、それを使って命を繋ぎ止めたらしい。愚かな事だ』

『……もう少し、具体的に教えてもらえるかい?』

『分霊箱は殺人行為によって《命》を分割し、器に封じ込めるものだ。分霊箱があれば、死後に魂を現世へ繋ぎ止める事が可能だ。だが、不死を求めてアレを使ったのなら、実に愚かな事だ』

『何故だ?』

『不死の為の魔術としては完全な欠陥品だからだ』

 

 エグレは言った。

 

『分霊箱は本来、戦場において精神を支配した者に対してか、あるいは敵に対して使うものなのだ。死亡しても魂が現世に繋ぎ止められる為に簡易的な蘇生術でいくらでも復活させる事が出来る為に、敵にとっては《殺しても殺しても蘇ってくる不死の敵》となる。だが、現世に繋ぎ止められた魂は徐々に穢れていく。ゴーストのように、その状態で安定したものなら別だがな。その苦痛は筆舌に尽くしがたい程だと言われている。それ故に、敵に対して《永劫の苦しみ》を与えたい時にも使われるのだ』

『不死であるが故に永劫となる拷問か……。実にハイセンスだな。考えたヤツは天才だ』

『ああ、サラザールも言っていた。これほどの悪意に満ちた魔法は他に類を見ない。理性と情愛を持つ人間には決して作り出す事の出来ないものだと言っていた。アレを作り出せるものは《偉大なる人でなし、ロウェナ・レイブンクロー》をおいて他にいないと』

 

 ロウェナ・レイブンクロー。それはエグレの創造主たるサラザール・スリザリンと同じくホグワーツを創設した偉大なる魔法使いの一人だ。

 

『ふーん、なるほどな。要するに、ヴォルデモートはその状態だと?』

『そうだ』

『それで? そんな事を話して、お前はどうしたいんだ? ボクを狙っているわけでもないのに、お前が先代継承者の秘密や存在を語る気になった理由を教えてくれないか?』

『……リドルとは既に契約が断たれている。それでも、一度は主と認めた男だ。多少は憐れみもする』

『つまり?』

『引導を渡してやりたい』

 

 エグレの言葉に、ハリーは立ち上がった。

 

『それがお前の望みなら、やってやろうじゃないか』

『……感謝する、主よ』

『けど、具体的にはどうすればいいんだ? ゴーストでもなく、生者でもない存在を殺せるのか?』

『現在、リドルはクィリナス・クィレルという男に取り憑いている。それ故に、我の毒が効く筈だ。我が毒は魂すら破壊するからな。そもそも、サラザールが我を生み出したのも、ロウェナの生み出した卑劣な魔法に対する対抗手段とする為だったのだ』

『……なるほど。オーケイ、任せろ!』

 

 ハリーは隣のベッドで眠っているドラコの布団を引剥返した。

 今は早朝の五時だった。

 

「なんだ!? 何事だ!?」

「ドラコ、ヴォルデモートをぶっ殺しにいくぞ!」

「は? は? は?」

 

 いきなり叩き起こされたドラコは大混乱だった。

 

 第七話『ヴォルデモート』

 

 ハリーはじっくり時間をかけて事の次第をドラコに説明した。

 

「……待ってくれ! ちょっと、待ってくれないか!?」

 

 ドラコは悲鳴をあげた。

 

「待てない! 今すぐに行くぞ!」

「待ってくれ! ハリー! 僕達がホグワーツに入学して、まだ一週間も経ってないんだぞ!? 秘密の部屋の発見とか、バジリスクの支配とか、それだけで濃密過ぎたくらいだ!! その上、今度は何をするって!?」

「ヴォルデモートをぶっ殺す!」

「本気なのか!? っていうか、本当なのか!? ここに!? 例のあの人がいるって!?」

「言っただろう! 分霊箱を使ったんだ!」

「いや、聞いたけども! でも、あくまでそれはバジリスクが言っているだけだろ!?」

「エグレだ! ドラコ! お前、エグレの言葉が嘘だって言う気か!?」

「だって、だってだぞ!? ありえなくないか!?」

「現実に! ヴォルデモートはここにいる!」

「いやいやいやいやいやいや」

 

 ハリーは頑固なドラコに腹が立ってきた。

 

「だったらこうしようぜ! 信じなくてもいい! クィレルのターバンの中身を暴くのだけ協力しろ!」

「いや……、えぇぇぇ」

 

 ドラコはハリーに腕を掴まれた。そして、どんどん大広間に向かって引き摺られていく。

 

「か、仮に本当だったとして! 相手は闇の帝王なんだぞ!?」

「それがどうした! 相手は赤ん坊に負けるようなヤツだぞ! 赤ん坊に負けるヤツが怖いのか!? いいか? 赤ん坊に負けたヤツだぞ!」

「そ、それは……、いや、君が帝王よりヤバかっただけなんじゃ……」

「バカ言うな! 赤ん坊に出来る事なんてなにもない!」

「いやー、僕は君が帝王以上にヤバいやつだからって説を主張したいんだが……。というか、今この瞬間にどんどんその可能性が濃厚になっていくんだが……」

「いいから行くぞ!」

 

 ハリーは大広間に辿り着いた。

 朝食の時間だからか、すでに多くの生徒で賑わっている。そして、教員用のテーブルにはダンブルドアをはじめ、教師達も軒並み揃っていた。

 

「よし、とりあえずマクゴナガルに用がある(てい)でいくぞ。無邪気にな! 油断させるんだ!」

「ええぇぇぇぇぇ」

 

 ハリーはドラコを引き摺りながら、大きく手を振ってマクゴナガルの席に向かっていく。

 

「せんせぇ!」

 

 満面の笑顔だった。無邪気な笑顔だった。マクゴナガルは心底怪訝そうな表情を浮かべた。

 そして、マクゴナガルの席の前に辿り着くと同時に、ハリーはポケットから杖を取り出した。

 誰が何をする間も無かった。ドラコがハーマイオニーから身をもって教えられた呪文を唱える。

 

「ペトリフィカス・トタルス!」

「ひぎゃっ!?」

 

 完全なる不意打ちだった。誰一人、その光景を予想出来た者はいなかった。あまりにも、唐突過ぎた。

 闇の魔術に対する防衛術の担当教員であるクィリナス・クィレルが吹っ飛んだ。

 あまりの事に大広間中の人間がフリーズした。

 

「よーし、ドラコ!」

「ああ、もう! どうにでもなれ!」

 

 ドラコは倒れ伏したクィレルのターバンを剥ぎ取った。

 そして、悲鳴をあげた。

 

【貴様……】

 

 クィレルの後頭部には、もう一つの顔があった。のっぺりとした顔だ。

 驚愕に表情を歪めるヴォルデモートに対して、彼の宿敵たるハリー・ポッターは邪悪に嗤う。

 

「よう、ヴォルデモート。十年振りだな、元気だったかぁい?」

 

 久方ぶりに再会した友人に語りかけるように、ハリーは言った。

 

「分霊箱を使ったんだってな? 今、楽にしてやるよ」

 

 ハリーの言葉にヴォルデモートの表情が歪んだ。

 

【何故、貴様が分霊箱の事を……ッ!】

「エグレに聞いたのさ。お前をぶっ殺す方法もな!」

【エグレだと!? なんだそれ……は、まさか! バジリスクか!?】

「大正解」

 

 ハリーは杖を掲げた。

 

【待て! 何をするつもりだ!?】

「おいおい、聞こえなかったのかい? ぶっ殺しに来たって言ったじゃぁないか!」

【殺す……、殺すというのか? この俺様を!】

「イエス」

【ば、馬鹿な真似は止せ! 俺様を殺せば、クィレルも死ぬぞ! 人間を殺す事になるぞ!】

 

 ヴォルデモートの言葉にハリーは笑みを深めた。

 

「ご忠告痛み入る、ヴォルデモート。だけど、安心して欲しい。ぶっ殺すと心に決めた事は、今回が初めてってわけじゃぁない! じっくりと、丁寧に時間をかけて、しっかりと覚悟は決めたのさ!」

【よ、止せ!!】

 

 ヴォルデモートが叫ぶ。

 

「イヤだね。ボクはお前をぶっ殺すと決めたんだ。決めた事を途中で放り出す事はかっこ悪い事だ。ボクはかっこ悪い事は嫌いなんだ」

 

 ハリーはエグレに教わったとおりに杖を振るった。

 

「だから、お前をぶっ殺す!! 来い、エグレ!! サーペンソーティア・バジリスク!!」

 

 ハリーの杖の先から光と共に巨大な影が飛び出した。影は大きな音を立てて大広間の中央に降り立った。そして、一直線にヴォルデモートが取り憑いたクィレルに向かっていく。

 

『今、救ってやるぞ。憐れな魂よ』

【や、やめろ! 来るな! 俺様を裏切るつもりか、バジリスク!!】

 

 叫ぶヴォルデモート。

 

「違うぜぇ、ヴォルデモート。バジリスク、なんて呼ぶんじゃぁない。彼の名前はエグレだ」

 

 ハリーが言った。エグレは大きく口を開いた。そして、クィレルの頭に噛み付いた。

 

【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!】

 

 憐れな亡者の言葉にもなっていない断末魔が響き渡る。誰も動く事が出来なかった。その光景の意味を理解出来たものは一握りにも満たなかった。

 今、この瞬間に闇の帝王と謳われた魔法使いが完全に滅び去ったのだ。

 

「グッバァイ、ヴォルデモート」




※まだ序盤です。まだ続きます(*´﹃`*)


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第八話『ニュート・スキャマンダー』

 一番最初に我に返ったのはドラコ・マルフォイだった。この場において、何が起きたのかを最も理解していたのはハリー・ポッター自身を除けば彼だった。

 まるで、時が停止したかのようだ。これだけの人数がひしめき合っている中で物音一つしない。すべての人間が唖然とした表情でハリーを見つめている。

 あの偉大なる魔法使い、アルバス・ダンブルドアでさえ、目を見開いて硬直している。それを愉快だと笑う事は出来なかった。それほどの事をハリーはしでかしたのだ。

 

「ああ、やっぱりだ。僕の説が正しかったんじゃないか」

 

 やれやれとドラコは肩を竦めた。

 

「ハリー・ポッター。君はヴォルデモートなんかよりよっぽどヤバイ奴だ」

「チッチッチ。間違っているぜぇ、ドラコ。ヤバイんじゃぁない。凄いんだ!」

『相棒、かっこいい!』

『……マスター、かっこいい』

 

 ゴスペルに加え、エグレにも称賛され、ハリーの鼻はこれでもかというくらい大きく広がっていた。

 それから数秒後、ようやく教師達が停止していた世界から帰還を果たした。

 

「は、ハリー! ハリー・ポッター! せ、せ、説明なさい!!」

 

 マクゴナガルが叫んだ。すべての教師が《そうだ、そうだ!》と目で訴えている。

 ハリーは胸を反り返らせた。

 

「いいだろう! 凡俗共に教えてやろうじゃぁないか! ことの始まりは十年前に遡る。ヴォルデモートは死んだ。ボクが! 殺した! けれど、ヤツは分霊箱(ホークラックス)によって魂を現世に繋ぎ止めていたんだ」

 

 分霊箱という単語に誰もが首を傾げる中、ダンブルドアだけは納得しつつも焦りを覚えたような表情を浮かべた。

 

「分霊箱? それはなんですか?」

 

 ダンブルドアが口を開きかける前にマクゴナガルが疑問を口にした。

 

「ロウェナ・レイブンクローの考案した卑劣な魔法だ。本来は精神を支配した相手か、あるいは敵に対して使用する呪いでね。殺人行為によって魂を分割し、器に封印する事で魂を現世に縛りつける事が出来るのさ」

 

 ハリーはエグレから聞いた説明をそのまま口にした。ドラコにとっては二度目の説明だったけれど、やはり恐ろしい魔法だと思った。こんな魔法を開発するヤツはまともじゃないと確信した。

 

「不死の魔法としては不完全なものだが、ヴォルデモートは愚かにも自らの死を回避する為に分霊箱を使ったのさ。そして、復活を果たす為にダンブルドアがホグワーツに隠している賢者の石を取りに来た。そして、ボクはそのヴォルデモートに引導を渡してやったのさ!」

 

 ハリーの演説が終わる。ダンブルドアは困ったように額に手を当てた。マクゴナガルを筆頭とした他の教師陣はあまりの事に口をポカンと開けている。生徒達に至っては未だに時が停止したままだった。

 

「お、お待ちなさい! 何故、あなたがそんな事を知っているのですか!? 分霊箱など、わたしですら聞いた事もありません! それに、賢者の石の事も! 何故!?」

「すべて、エグレに聞いた。ダンブルドアが校長室で喋った事も、クィレルがブツブツ後頭部のヴォルデモートと喋っていた事も、分霊箱の事も、ゴーストのなり損ないをぶっ殺す方法もな! フッハッハ! どうだ、ボクのエグレは凄いだろ! かっこいいだけじゃぁないんだぞ!」

 

 ハリーがエグレの頭をポンポン叩くと、ゴスペルは『オレ様も! オレ様も!』と頭をハリーのほっぺになすりつけた。 

 教師達は再び黙り込む。各々、必死になって状況を整理しようとしているのだろう。

 

「……っていうか、ヴォルデモートを殺すのに加担しちゃった」

 

 ドラコは頭を抱えながらうずくまった。十年の歳月を経ても、闇の帝王のシンパは数多く存在している。彼らは密かに帝王の復活を待ち望んでいた。

 その復活を妨げるどころか、今度こそ完全に消滅させてしまった。

 ドラコはマルフォイ家の長男として、いきなり人生の岐路に立たされたのだ。

 

「おいおい、ドラコ。何をしているんだ?」

 

 そんなドラコをハリーは無理矢理立たせた。

 

「は、ハリー?」

「安心しろよ、ドラコ。ヴォルデモートをぶっ殺した手柄はボクだけのものじゃない。ダンブルドアにも言われたからな。分かち合うことも大切だと! だから、この手柄はボク達のものだ! ヴォルデモートをぶっ殺したのはボクとドラコだ!」

 

 ドラコはノーサンキューと叫びたかった。けれど、そう叫んだところで事実は変わらない。クィレルのターバンを剥ぎ取ったのは紛れもなくドラコであり、その事は大勢の生徒と教師が目撃している。

 だったら、いっその事、毒を食らわば皿までだ。ドラコは決断して、ハリーの差し伸べた手を取った。

 

「ああ! 僕達の勝利だ! ヴォルデモートをぶっ殺した!」

 

 ヤケクソだった。

 二人揃ってふんぞり返り、高笑いを始めた。

 ドラコは思った。

 

 ―――― もう、どうにでもなれ!!

 

 第八話『ニュート・スキャマンダー』

 

 ホグワーツに入学して、まだ7日。授業もまだ一周したばかり。その間に秘密の部屋を発見し、バジリスクを支配し、ヴォルデモートを再殺したハリー・ポッター。

 そのニュースはあっと言う間にイギリス全土へ広がっていった。

 ヴォルデモートがクィリナス・クィレルに取り憑き、復活を目論んでいた。それが事実なのかを問う声も当然の如く多かった。けれど、分霊箱という魔法の存在が明るみとなり、クィリナス・クィレルの部屋をアルバス・ダンブルドアと闇祓い局が合同で検分した結果、少なからずハリーの言葉を裏付ける証拠が発見された。更に、エグレからダンブルドアが記憶を採取した事によって、彼の見聞きした光景も証拠として提出された。

 

 魔法界は震撼した。

 滅び去ったと信じ込んでいたヴォルデモートが暗躍し、復活を目論んでいた事に……、ではない。

 そのヴォルデモートを入学から一週間で再殺したハリー・ポッターに多くの者が恐れを抱いた。

 彼は日刊預言者新聞の記者のインタビューにこう応えている。

 

《ヴォルデモート? 雑魚だね。あんな雑魚に、名前すら呼べないくらい恐怖するなんて、大人達は情けないんじゃぁないか? ボクが入学一週間でぶっ殺せるような雑魚に手こずるなんて、ダンブルドアも実は大した事ないんじゃぁないか?》

 

 彼の言葉は闇の帝王の全盛時代に命をかけて戦ってきた者達を嘲笑った。英霊達の魂を侮辱した。あの時代を識る大人の魔法使い達の誇りを踏み躙った。

 それでも、彼に反発する意志を持てた者などいなかった。

 

 誰もが思った。

 闇の帝王が打倒された。それはつまり、闇の帝王を超える者が現れたという事だと。

 

 それがアルバス・ダンブルドアならば誰もが歓喜した事だろう。惜しみない感謝の称賛の声を上げた筈だ。

 彼が《生き残った男の子》のままであれば、誰もが彼の名前を讃えていた事だろう。けれど、彼は既に生き残った男の子とは呼ばれていない。

 ヴォルデモート打倒の前日に、彼は秘密の部屋を開いている。その内に潜む恐怖、バジリスクを支配下に置いた。《スリザリンの継承者》となった。

 蛇語、スリザリンの継承者、それらは闇の魔法使いを評する為の言葉だった。それが、ハリー・ポッターという覇名によって善なる魔法使いを評するものに塗り替えられる前に、事は起きてしまった。

 

 ―――― 新たなる魔王の誕生。

 

 その考えが魔法使い達の脳裏に過った。

 ◆

 

「ふざけるな!!!」

 

 それは、日刊預言者新聞にハリーのインタビューが掲載された日の翌日の事だった。

 大広間で食事を取っていたハリーの下に魔法省の役人が現れた。彼らはバジリスクの身柄を引き渡すようにハリーへ迫った。

 彼らに大人としての余裕などなかった。帝王を超える者。ハリー・ポッターの力を少しでも削ぎ落としたい。そう考えての行動だった。

 

 大義名分はいくらでもある。例えば、バジリスクは存在そのものが死を振りまく災厄の化身であり、それを生み出す事も、飼育する事も法律に反している。

 加えて、ヴォルデモート討伐時、ハリーはヴォルデモートと共にクィリナス・クィレルという男を殺害している。既に死亡していたヴォルデモートはともかく、死喰い人であろうと、生者であるクィレルを殺害した件を殺人罪として扱う事は十分に可能だった。

 

 情状酌量という言葉を、彼らは一時だけ忘れる事にした。それほど、ハリー・ポッターがバジリスクを所有している事が恐ろしかったのだ。

 けれど、ハリーはそれを聞いて素直にうなずく人間ではなかった。それに、ハリーはエグレを心から大切に思っていた。恐ろしい存在ではなく、ゴスペル同様に最も親しき存在として愛情を注いでいた。

 

「エグレを渡せだと? 危険だから処分するだと? ヴォルデモート如きにガタガタ震えていたようなチンケな大人がぁ! 随分と勝手な事を言ってくれるじゃぁないか!!」

 

 ハリーの怒りは刹那の内に臨界を突破した。それほど、彼にとって許し難い事だった。

 例え、己が犯罪者として行政に追われる事になっても構わないとすら考えた。そもそも、あの日、マクゴナガルが現れなければ、ハリーは殺人者として日陰で生きる決意を固めていた。

 

「貴様らぁ!!!」

 

 その声に、その覇気に、大広間にいた全員が気付いた。あの時のように、ハリーが政府の役人をぶっ殺す事に決めた事を――――。

 

「ま、待つんだ、ハリー!」

 

 慌てて、ドラコはハリーの前に躍り出た。

 ヴォルデモートとクィレルの殺害は正義だった。けれど、政府の役人を殺害するとなれば、それは悪となる。

 少なくとも、世間はそう断じるだろう。例え、ハリーが愛する蛇達の為に行動したのだとしてもだ。

 

 ハリーが投獄されれば共倒れになる。そんな事を考える間もなかった。

 そして、彼の友情は救い手の到来を間に合わせた。

 

「その通りじゃ、ハリー。エグレはわしが誰にも手を出させん。だから、その怒りを鎮めておくれ」

 

 アルバス・ダンブルドアは言い知れぬオーラを放ちながら言った。

 けれど、ハリーに譲る気はなかった。ヴォルデモートをぶっ殺した時と同じだ。そう心に決めた時、既にハリーにとって目の前の役人達は死者となっていた。死者が動くなど、喋る事など摂理に反している。それはいけない。狂わされた摂理は正されなければならない。

 

「退け、ダンブルドア!! ボクはこいつらを――――」

「なりません、ハリー!」

 

 ぶっ殺す。そう口にする前にマクゴナガルが現れた。ハリーの思考が僅かに揺らいだ。彼女の存在が近づいた事で、彼女の言葉が脳裏に蘇った。

 

《わたしが!! 自他を問わず、命を軽視する真似を称賛する事はありません!!》

 

 その言葉が、ハリーの足を止めさせた。口にしていれば止まれなかっただろうが、彼はまだ瀬戸際で踏み止まっていた。

 ヴォルデモートを殺害した事も、彼女は褒めてくれなかった。それどころか軽率だと叱られた。何故、先に相談しなかったのかと怒られた。

 

「ボクはエグレを誰にも渡さない……」

「もちろんじゃ、ハリー」

 

 そう言うと、ダンブルドアは役人達に向き直った。

 

「さて、ここで話していたのでは生徒達の食事の邪魔となってしまう。校長室へ来てくれるかね?」

 

 ダンブルドアは有無を言わさぬ口調で彼らをハリーから引き離した。

 その姿が大広間の扉の向こうへ消えるまで、ハリーは恐ろしい顔で彼らを睨みつけ続けた。

 傍にいた生徒達は生きた心地がしなかった。いっその事、一部の生徒のように今すぐにでもホグワーツを去ろうかとすら考える者もいた。

 

「ハリー、ご飯を食べようじゃないか……。今日は待ちに待った飛行訓練なんだ。また、ニンバス2000の素晴らしさを語ってやるよ」

「……ッハ! 勘弁してくれよ、ドラコ。もう耳にタコが出来てしまった」

「それは残念だ」

 

 ハリーの怒りが鎮まった事にマクゴナガルは胸を撫で下ろした。そして、こっそりとスリザリンに二十点を与えた。

 

 ◆

 

 飛行訓練はグリフィンドールとの合同授業だった。

 

「よう、ロン!」

 

 ハリーはロンの背中を叩いた。ロンは跳び上がった。その反応にハリーはムッとした。

 

「なんだぁ? その反応は! ロン。ボク達は友達だろう? よう! と言ったら、おう! だろう?」

「ぅぅ……。だって、君、ヴォルデモートを……」

 

 その言葉にハリーは鼻を鳴らした。

 

「ヴォルデモートをぶっ殺した程度で、またボクとの友情を捨てるのか?」

「そ、そういうわけじゃないけど……」

「だったら、なんだ?」

「……ああ、もう! 複雑なんだよ! 分かるだろ!?」

「複雑? シンプルだろ。ボクとロンは友達だ。それ以外の何が重要なんだ?」

 

 ハリーの言葉にロンは酸っぱいものを食べたかのような表情を浮かべ、しばらくしてから深々とため息を零した。

 

「ああ、そうさ! 君が例のあの人をぶっ殺しても! 秘密の部屋を開いて、スリザリンの継承者になっても! 政府の役人に喧嘩を売ろうとしても! そんなの重要じゃないよね! わかったよ! さあ、飛行訓練の始まりだ! 張り切っていくよ、ハリー!」

「おう!」

 

 飛行訓練は概ね順調だった。間違ってハリーの横に並んでしまったネビル・ロングボトムというふとっちょが過呼吸気味になって保健室に運ばれた程度だった。ハリーは見事に箒乗りとしての才能を発揮して、ドラコやロンと共に初めての飛行訓練を満喫した。ようやく、マクゴナガルの予言通り、箒に熱中する気持ちが分かるようになった。

 

 授業後、ドラコとロンはそれぞれの贔屓のクィディッチ・チームについて、相手のチームへの罵倒を交えながらハリーにこれでもかと言うくらい語って聞かせた。

 ハリーはその頃には朝の事などすっかり忘れた。二人が熱中するクィディッチの試合をはやく観てみたいと思うようになった。

 

 そして、大広間に向かっていくとマクゴナガルに呼び止められた。

 

「ハリー。ダンブルドア先生がお呼びです」

「ダンブルドアが?」

「ええ、会わせたい方がいらっしゃるそうです」

 

 ハリーはドラコやロンと顔を見合わせた。

 

「それは誰ですか?」

「会ってみてのお楽しみです。ハグリッドは羨ましがる事でしょうね」

「ハグリッド……?」

 

 困惑しながら、ハリーはマクゴナガルの後について行った。

 そして、ガーゴイルの像の前にやって来ると、マクゴナガルが合言葉を口にして、校長室の中へ導かれた。

 

「おお、ハリー。いきなり呼び立ててすまなかったのう」

 

 ダンブルドアはオンボロな青いコートを着た老人と語り合っていたようだ。

 老人はハリーを見ると朗らかに微笑んだ。

 

「やあ、君がハリー・ポッターだね」

「……失礼ですが、あなたは?」

 

 ハリーが問いかけると、老人はニッコリと微笑んだ。ポケットから、妙なものが顔を覗かせている。緑色で、植物のようだけど、動いている。

 

「ああ、彼はピケット三世。ボウトラックルなんだ。触ってみるかい?」

 

 ハリーは彼自身の名前を聞いたつもりだったのだけど、彼はポケットの中から取り出した緑の生き物の名前を教えた。

 妙な男だと思いつつも、ハリーはボウトラックルに興味を抱いた。《幻の動物とその生息地》という本に載っていた生き物だ。

 

「普段は内気だけど、時々凶暴になるっていう、ボウトラックル?」

「そうだよ! よく知っているね!」

 

 ハリーがボウトラックルの生態を口にすると、老人は心底嬉しそうに微笑んだ。それが、なんだか嬉しくなった。

 ボウトラックルに触らせてもらうと、老人は近くに置いていたトランクを開いた。

 

「ほら、他にもいるんだよ! ニフラー。光るものが大好きなんだ。可愛いだろう?」

 

 ニフラーは老人の手から抜け出すと、机の上の赤い宝石に向かって走っていた。

 

「ああ、ダメだよ。それは大切なものなんだ。ほら、ダンブルドア先生に返して」

 

 老人はニフラーがお腹のポケットに仕舞い込んだ宝石を取り返した。

 

「ほっほっほ、相変わらずじゃな」

 

 宝石を受け取りながら、ダンブルドアは嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

「抜け目のない奴ですよ」

 

 老人も微笑んだ。

 

「……あーっと、そろそろあなたのお名前をお聞きしても? あと、よろしければ……、ボクを何故呼んだのかもそろそろ教えてくれませんか?」

 

 老人の独特なテンポに戸惑いながら、ハリーが言うと、老人は「そうだった」と背筋を伸ばした。

 

「ニュートだ。ニュート・スキャマンダー」

「スキャマンダー? 《幻の動物とその生息地》の、あのスキャマンダー?」

「そう。そのスキャマンダーだ」

 

 ハリーはますます戸惑った。どうして、そんな男と引き合わされたのかがサッパリ分からなかった。

 

「ハリー。彼ほど魔法生物に精通している男は他におらん。歴史上の中でもじゃ」

 

 ダンブルドアは言った。

 

「ハリー。彼と共に、バジリスクの生態について研究を行ってほしい」

「エグレの?」

「そうじゃ。それがお主とエグレが共に生きる上で重要な事なのじゃ」

「なんでまた?」

 

 ハリーは困惑した。

 

「ハリー・ポッター。バジリスクはとても危険な魔法生物だ。それは、君にも分かっているだろう?」

 

 ニュートの言葉にハリーはムッとした。けれど、役人達に対して感じたものと比べればスポイト一滴分にも満たない程だった。何故か、怒りを向ける気になれなかった。

 

「エグレは危険じゃない! ただ、凄いんだ!」

「ああ、凄い生き物だ。だけど、その凄さを君はキチンと把握しなければならない。そうでなければ、君以外の人達にとって、バジリスクは危険なままだ」

 

 ニュートは辛抱強く語り聞かせた。

 

「君の友達を、危険な生き物としかみんなに認識してもらえないなんて、そんなの寂しいだろう? 凄い生き物なんだって、認めて欲しいだろう?」

 

 ハリーは小さく頷いた。

 

「じゃあ、みんなに教えてやろうじゃないか! バジリスクがどんなに素晴らしくて、どんなにかっこよくて、どんなに凄いのか!」

「う、うん!」

 

 ハリーが頷くと、ニュートは微笑んだ。その笑顔が、ハリーはなんだか好きだった。

 

「僕にとって、これは最後の仕事になると思う。そして、最も大きな仕事になると思う。どうか、一緒に研究をさせてくれないか?」

 

 ハリーはニュートの手を取った。

 

「もちろんです! エグレは凄いんだ! それをみんなに認めさせてやる!」

「ああ、一緒にやり遂げよう。よろしく頼むよ、ハリー・ポッター」

「ええ、よろしくお願いします! ニュート・スキャマンダー!」




たくさんの感想をありがとうございます!
すべてに返信するのがちょっと無理そうなので、こちらでお礼を!
ありがとうございます゚(゚´ω`゚)゚。とってもうれしいです!


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第九話『ライバル』

 ハリーはニュートとダンブルドアを《秘密の部屋》に招き入れた。基本的にエグレは秘密の部屋で生活している。

 元々、エグレが千年以上も快適に過ごして来た空間だ。広々としていて、適度にジメジメしている。それに、安息の為のシェルターも無数にある。これ以上の棲家は中々無いだろう。サラザール・スリザリンはエグレの為に最高の環境を用意していたわけだ。

 

『エグレ!』

『マスター。事情は既に把握している。汝の思うがままに』

 

 どうやら、エグレは校長室での会話を聞いていたようだ。

 

『素晴らしい。話が早くて助かる』

 

 ハリーはトランクからエグレの食料を取り出して、以前用意した餌皿に乗せた。この餌は毎日ホグワーツの屋敷しもべ妖精がハリーに届けに来てくれている。普段、彼らは厨房で業務をこなしているそうだが、ダンブルドアが頼んだのだ。

 屋敷しもべ妖精が用意した食料をエグレは大層気に入った。ハリーはそんな素晴らしい食料を用意してくれる屋敷しもべ妖精達に敬意を持って接する事にした。見窄らしく、醜悪な姿に目を瞑り、彼らに最大限の礼儀を払っている。

 

「美しい……」

 

 ニュートはエグレを惚れ惚れと見つめた。その反応に、ハリーは嬉しくなった。これまで、エグレを見た者達は一様に恐れを抱き、このような眼差しを向ける事はなかったからだ。

 

「素敵だよ。なんとも、素敵だ。蛇の王と呼ばれる事はある」

「さすがはミスター・スキャマンダー! 分かっているじゃぁないですか!」

 

 ハリーの反応にダンブルドアは満足したような笑みを浮かべた。

 

「それでは、わしは戻るとしよう。くれぐれも言っておくが、研究に夢中になるあまり、授業の時間を忘れてはならんぞ。分かっておるじゃろうな? ニュート」

 

 何故か、ダンブルドアはハリーではなくニュートに言った。

 

「え、ええ、もちろん。分かっています、ダンブルドア先生。ええ、授業は大切ですから」

 

 ニュートはダンブルドアがいなくなると深く息を吐いた。

 

「……授業は大切だ。ハリー、時間割を見せてくれるかい?」

「え? ええ、構いません」

 

 ハリーは時間割を取り出した。すると、ニュートは杖を振るった。時間割が秘密の部屋の壁に大きく刻まれた。

 

「これで良し。僕はよく授業の時間を忘れる生徒だったんだ。でも、これなら大丈夫」

 

 ニュートは自信満々に言った。

 こんな事をしなくても、自分は時間割を忘れたりしないとハリーは呆れたけれど、口には出さなかった。

 

「それにしても、ハリー。蛇と話せるって、素敵だね」

 

 ニュートは瞳を輝かせながら言った。

 

「僕はいつも魔法生物達の声を聞きたいと願っていた」

「……だったら、覚えてみますか?」

 

 ハリーは以前、蛇語の事を調べた事があった。基本的には先天的な才能らしい。けれど、後天的に取得する事も不可能ではないと本には書いてあった。

 

「本には、パーセルマウスと向かい合う事で蛇語を学ぶ事が出来ると書いてありました」

「い、いいのかい!? それは、君にとても負担をかける事になるよ!?」

 

 目を見開くニュートにハリーは笑顔で応じた。

 

「その方が効率的でしょう。あなたもエグレの言葉が分かれば、結果的に研究の速度も練度も桁違いになる筈だ。最初の手間を惜しんではいけない。そうでしょう?」

「それは……、そのとおりだ。頼めるかい? ハリー・ポッター」

「ええ、もちろん。ミスター・スキャマンダー。エグレを美しいと言ってくれたあなただからこそ、ボクはあなたにエグレの言葉を聞いてもらいたい」

 

 ハリーはニュートと固い握手を交わした。

 

 第九話『ライバル』

 

 ハリーは最高の気分だった。大好きなエグレやゴスペルの事をどれほど熱く語っても嬉しそうに聞いてくれるニュートの存在はみるみる内に彼の中で大きく膨れ上がっていった。

 ドラコはウンザリした表情を浮かべるし、ロンはガタガタ震え出すものだから、ハリーはずっとニュートのように嬉しそうに話を聞いてくれる人間が現れる事を待ち望んでいたのだ。

 

「さーて、授業だ! フッハッハ! ヴォルデモートをぶっ殺した時点で魔法戦士としてはNo.1を取ったも同然だからな! これからは成績で一番を取ってみせるぜ!」

 

 魔法戦士隊長などという御大層な肩書を持っていながらヴォルデモートを終始打ち倒す事の出来なかったダンブルドア。もはや、優劣は決したと見ていいだろう。

 だから、ハリーはマクゴナガルに言われた通り、授業を頑張る事に決めた。結局、ヴォルデモートを倒した事について褒めてくれなかったマクゴナガルに褒めてもらいたい。その一心だった。

 

「……まあ、ヴォルデモートを倒すよりはずっと簡単だと思うよ」

 

 最近、やれやれと肩を竦める事が癖になってしまったドラコが言った。

 

「それにしても、まさかスネイプ先生が闇の魔術に対する防衛術の担当になるとはね」

「たしかに、驚いたな」

 

 クィレルをハリーがぶっ殺した事によって、《闇の魔術に対する防衛術》は教師不在となってしまった。そこで、ホグワーツは新任の教師を迎える事になった。

 生徒の誰もが新任教師の担当を闇の魔術に対する防衛術だと考えていたのだが、予想に反して、その教師の担当は《魔法薬学》だった。

 元々、スネイプが闇の魔術に対する防衛術の籍を狙っているという噂はまことしやかに流れていた。スリザリンの上級生は、遂にダンブルドアがスネイプの嘆願を聞き入れる気になったのだろうと推理している。

 

「まあ、クィレルの授業に比べたら、ずっとマシな内容になる筈さ」

「後頭部に闇の帝王(ヴォルデモート)を生やしてた癖に、クソみたいな内容だったからな、アイツの授業は」

 

 亡きクィレルの授業をボロクソに貶しながら、ハリーとドラコ、それに後ろから黙ってついて来ているクラッブ、ゴイルは魔法薬学の教室へ入っていった。

 

 中に入ると教室内には蒸気や奇妙な臭気が充満していた。テーブルに大鍋が既に用意されていて、グツグツと何らかの魔法薬が煎じられている。

 

「やあ、ハリー。さっき先生から気に入った大鍋の前に自由に座るようにって言われたよ。気に入るも何も無いと思うんだけどね」

 

 ハリー達と同じくスリザリン生であるエドワード・ヴェニングスが言った。

 

 ヴォルデモート再殺後、スリザリンには三つの派閥が生まれた。ハリーから距離を取る者達と、ハリーに近づく者達、そして、それまでと変わらない態度を貫く者達だ。

 エドワードはそれまでと変わらない態度でハリーに接している。あまり饒舌な方ではないが、親切と礼節を知っている男だ。

 

「なるほど」

 

 ハリーは大鍋を一通り見て回った。わけのわからない物もあれば、分かる物もあった。

 

「角度によって赤く見えたり、青く見える。これは《夢見る乙女の水薬》だな」

「夢見る……、なんだって?」

「《一風変わった魔法薬》って本に書いてあった。夢の中で理想の恋人と過ごせるらしい。この薬にハマって廃人になるヤツもいるって話だぜ」

「嫌な薬だな……」

 

 ドラコは鼻をつまみながら大鍋から遠ざかっていく。

 

「おっと、そっちはキラキラと虹色に輝いているところを見ると、《性格反転薬》だな」

「性格が反対になるってのかい?」

「そう書いてあった。怒りっぽい人間は驚くほど優しくなり、泣き虫な人間は強気な人間になる。ただし、効果は1時間で切れる」

「君が飲んだら大層優しくて慈愛に満ちた人間になりそうだね」

「君が飲んだら爽やかで器の大きな人間になりそうだな」

 

 ハリーとドラコは火花を散らしながら睨み合った。たまたま教室に入って来たネビルは気絶した。

 

「おっと、こいつはいいぞ。《動物変身薬》だ」

動物もどき(アニメーガス)になれるって事かい?」

「いや、単に動物に変身出来るってだけだな。普通の変身術と大差無い。完全に動物になるから、下手をすれば一生元に戻れないって事もあり得るな」

「怖いな!?」

 

 ドラコはその大鍋にもNGを出した。

 結局、二人はエドワードと一緒に座る事にした。彼の前の大鍋の正体は真実薬(ベリタセラム)だった。

 クラッブとゴイルはその隣の大鍋の前に座っている。そこにあるのは《性別反転薬》だった。ハリーとドラコはクラッブとゴイルの性別が反転した姿を想像して、そのあまりのおぞましさに吐きそうになった。

 

 ハリー達が適当に教科書を捲っていると、徐々に教室が埋まり始めてきた。

 

「やあ、ハリー」

 

 ロンが後ろから声を掛けてきた。隣には彼の友人のシェーマス・フィネガンとディーン・トーマスがいる。二人はあまりロンにハリーと話して欲しくなさそうだった。

 

「大丈夫だって、二人共。ハリーはヤバいやつだけど、悪いヤツじゃないんだって」

「訂正しろ、ロン。ヤバイんじゃない、凄いんだ!」

「はいはい、オッケー」

 

 ロンの適当な返事にハリーは少しムッとした。最近、図太くなってきている気がする。

 

「おい、ロン! ボクの言葉を適当に流そうとするんじゃぁないぜ!」

「あっ、先生が来たよ」

「ロン!?」

 

 ハリーはなんだか軽んじられている気がした。それが少なからずショックだった。

 

「ほらね?」

 

 ロンは訳知り顔でシェーマスとディーンに言った。

 

「理不尽なわけじゃないんだって」

 

 ハリーはキョトンとした。そして、ロンがシェーマスとディーンにハリーの本質的な部分を教える為にあえて軽んじるような態度を取ったのだと悟り、耳まで真っ赤になった。

 

「お前とは絶交だ!!」

「あー、ごめんごめん。許してよ、ハリー。この通り」

「知らん!」

 

 ハリーは腕を組み、ムスッとした態度を取った。その姿にドラコは呆れた。

 

「うーん、ヴォルデモートを倒した男の姿とは思えないな……」

「何が言いたい!?」

 

 ハリー達がギャーギャーと騒いでいると、教卓の所まで来た男がコホンと咳払いをした。太った禿の老人だ。

 

「いや、元気で結構! 若者とはそうあるべきだ! しかし、授業も大切だ! さあ、こっちを向いてくれたまえ!」

 

 ハリー達が言い争いをやめて男の方を見ると、彼は胸を張りながら自己紹介を始めた。

 

「諸君らもご存知の通り、ホグワーツでは急遽人事異動が行われた。わたしもその一人だ。これから君達に魔法薬学を教える事になった、ホラス・スラグホーンだ! よろしく頼むよ」

 

 スラグホーンは生徒達を見回した。

 

「さてさてさーてと! みんな、魔法薬キットと秤と教科書を出して! 早速授業を始めるよ」

 

 生徒達が慌てて準備を終えると、スラグホーンは教卓の前に回り込み、太ったお腹を擦った。

 

「みんな、目の前の大鍋が気になるだろう? それぞれ、全く異なる魔法薬を煎じておるのだ。みんなに見せようと思ってね。中にはO.W.L試験レベルのものや、N.E.W.T試験レベルのものもある。いずれ、君たちはこうした魔法薬を自らの手で作り出す事が出来るようになるんだ! さてさて、君たちの中に、これらのどれか一つでも、正体が分かる人はいるかな?」

 

 ハリーは全力で手を伸ばした。

 

「おやおや、これは素晴らしい! この内のどれか一つでも答えられたのなら、一年生としては上出来だ! さてさて、二人も手を挙げる生徒がいるとは嬉しい驚きだ。よーし、まずはそっちの女の子から!」

「はい!」

 

 ハリーは自分以外の生徒を優先された事に歯ぎしりしながら、スラグホーンにあてられた女生徒を睨みつけた。

 それは、秘密の部屋の一件でドラコに《悪魔》と言わせた女、ハーマイオニー・グレンジャーだった。

 

「まず、その水のように澄んだ色の魔法薬は《生ける屍の水薬》です。そして、そっちの黄金を溶かし込んだような色合いのは《カナリアの歌声》、そっちの灰色で黒いつぶつぶが浮いているのは《虫下し》で、そっちは――――」

「待て、グレンジャー!」

 

 次々に答えていくハーマイオニーにハリーは怒鳴った。

 

「なによ?」

 

 ハーマイオニーが不満そうに睨む。ヴォルデモートを殺した男に睨まれても、彼女は怯んだ様子を見せなかった。むしろ、折角気持ちよく答えている所なのに邪魔するなと言わんばかりだ。

 

「ボクだって、答えられるんだ! ボクだって、手を挙げていたんだぞ!」

「だから?」

 

 ハリーは顔を真赤にしながらハーマイオニーを睨んだ。ハーマイオニーもハリーを睨んだ。間にいたネビルはまた気を失った。

 

「あー……、じゃあ、こうしよう!」

 

 見るに見かねて、スラグホーンは仲裁に入った。

 

「えーっと、君、名前を教えてくれるかね?」

「ハーマイオニー・グレンジャーです」

「よろしい、ミス・グレンジャー。君の番は終了だ」

 

 ハーマイオニーは不満そうに頬を膨らませた。

 

「ざまぁ!」

「きぃぃぃ!」

 

 二人の空気は更に険悪になった。

 

「こらこら、喧嘩をしてはいかん」

 

 スラグホーンはパンパンと手を叩いた。

 

「さて、次は君に答えてもらおう。ハリー・ポッター」

 

 ハーマイオニーは悔しそうに黙り込んだ。ハリーは勝ち誇った顔をした。

 

「ああ、もちろん! 答えてやろう、このハリー・ポッターが!」

 

 ハリーは意気揚々と《夢見る乙女の水薬》、《性格反転薬》、《動物変身薬》を答えた。

 そして、更に答えようとした時、スラグホーンはストップをかけた。

 

「なんだ!? まだまだ答えられるぞ!」

「素晴らしい! 実に素晴らしい! だけど、次は彼女の番だ」

「なぁ!?」

 

 ハーマイオニーはふふんと嬉しそうに立ち上がった。

 

「ここからは順番に一つずつだ。一つ答える毎に交代する事!」

「……なるほど、面白いじゃぁないか!!」

「負けないわよ、ハリー!」

「勝つのはボクだ、グレンジャー!」

 

 二人の間に火花が飛び散る。

 ハリーは必死になって魔法薬関係の本から得た知識を振り絞った。対するハーマイオニーも己の知識を総動員した。

 そして――――、

 

「ファック!! このボクが……、おのれ、グレンジャー!!!」

 

 ハリーはハーマイオニーよりも先に答えられなくなった。スラグホーンは十分過ぎると褒めたけれど、そんな事はどうでも良かった。

 敗北感に打ちのめされたハリーは泣きそうになった。あまりにも悔しかったからだ。

 

 その授業の間、生徒達はスリザリンもグリフィンドールも関係なく生きた心地がしなかった。

 終始ヴォルデモートをぶっ殺した男が全力で怒気を放ち続けていたからだ。

 ただ一人、勝利の余韻に浸っている少女を除いて……。



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第十話『敵意』

 アルバス・ダンブルドアは校長室で物思いに耽っていた。彼はダーズリー家の向かいに住んでいるアラベラ・フィッグから定期的にハリーの様子をふくろう便で報せてもらっていた。

 彼女は魔法力を持っていなかったけれど、完全なマグルというわけでもなかった。魔法族の間に生まれながら魔法力を持たない者を、魔法界ではスクイブと呼んでいる。

 ダンブルドアはハリーの成長を見守る役目として、彼女が相応しいだろうと考えたのだ。

 

「……やはり、妙じゃな」

 

 フィッグの報告によれば、ハリーは内気な少年だった。常にダーズリー家に虐げられ、自尊心を完璧に折られている様子だと手紙には記されていた。《どうにか出来ませんか》という嘆願の文章と共に。

 それなのに、マクゴナガルが接触した時から人が変わったように立ち回り始めた。ホグワーツで彼を見た時は折られているどころか、まるで自尊心の塊のような男になっていた。

 秘密の部屋の発見からヴォルデモートの再殺に至るまでの流れも、偶然にしては出来すぎているとダンブルドアは感じていた。

 まるで、何者かに導かれているかのようだと。

 

【アルバス。運命とは、時に残酷な一面を見せます。けれど、時には慈愛に満ちた一面を見せる事もあるのですよ】

 

 歴代の校長の肖像画の一つがダンブルドアに囁きかけた。

 

【エバラード殿の言う通りである! ハリー・ポッターはヴォルデモートを完全に消滅させたのであろう? その事で喜ぶのは誰かね? 闇の陣営か? そうではあるまい! 彼は光と共にあるのだ!】

【その通り! まさにスリザリンに相応しい生徒だ!】

【まったくじゃ!】

 

 楽観主義者のデクスター・フォーテスキューの言葉に前校長であるアーマンド・ディペットとフィニアス・ナイジェラス・ブラックが追随する。

 彼らの言葉にも一理ある事はダンブルドアも認めていた。けれど、やはりハリーの変化や一連の流れにきな臭さを感じずにはいられなかった。

 

【ダンブルドア。あなたの懸念は正しい。あの者が進む道には夥しい血が流れる事でしょう】

 

 医学に精通し、思想家でもあるディリス・ダーウェントは忠告した。

 

【あなたの計画は失敗に終わった。ヴォルデモートを超える危険因子を生み出してしまった】

「……ハリーが危険因子と決まったわけではない。あの子はミネルバやニュートに懐いておる。本当に信じるべき存在を信じる心を持っておる」

【彼らには荷が重い。彼は既に人を殺しているのです。罪悪感を感じる事もなく、それを誇りに思っている節さえある。とても危険です】

 

 ディリスの言葉をダンブルドアは否定する事が出来なかった。

 ヴォルデモートとクィリナス・クィレルの殺害は、紛れもなく殺人行為なのだ。それを十歳の子供が為した。

 相手がヴォルデモートだったからこそ、ハリーの行いは英雄的な側面を持ったが、それはやはり、側面でしかなかった。

 あの時、彼は些かも迷わなかった。躊躇わなかった。その事に、ダンブルドアは空恐ろしさを感じていた。

 

【ダーヴェント殿! 貴殿は悲観が過ぎるのです! 悪しき者を挫くは勇者の務め! 十歳にして、それほどの勇気を持つ事をこそ称賛すべきなのです!】

 

 ホグワーツ特急を開通させた事で有名なオッタライン・ギャンボルが吠えるように言った。

 

【相手は子供なのです! 善き道にも、悪しき道にも進める! その道を善き方向へ導く事こそが教師の務め! それをなんですか! 猜疑の目を向けるなど! ヴォルデモートが悪しき道に走ったのはあなたが猜疑の目を向け続けていたからかもしれないのですよ!? また、同じ過ちを繰り返す気ですか!】

【ギャンボルさん、ダンブルドアを責めるのはお門違いってもんです】

 

 オッタラインの言葉を遮ったのはエルフリーダ・クラッグだった。

 

【生まれ持っての悪党というものは存在する。ヴォルデモートはそうだった。ダンブルドアだけが気付いていた。だからこそ、あの悪党もグリンデルバルドほどの脅威とはならなかった】

【ならなかったのはハリー・ポッターが滅ぼしたからです! 彼こそが英雄なのです!】

【彼ではなく、彼の母が彼に刻んだ守護がヴォルデモートを打ち倒したのだと結論は出ている筈ですが?】

 

 歴代の校長達は意見が完璧に割れていた。ハリーを擁護する者と、危険視する者だ。

 ダンブルドアは深く息を吐いた。どちらの言い分にも納得出来る部分と出来ない部分がある。

 

「……ハリー」

 

 ダンブルドアは憂いを秘めた眼差しで窓の外を見つめた。

 

 第十話『敵意』

 

 ハリーの機嫌は最悪だった。学業の成績で1番になると決めた矢先に、よりにもよってマグル生まれの女の子に負けてしまったからだ。

 ハリーは純血主義の思想に興味など無かったけれど、マグルの事が好きなわけでも無かった。それに、男として女の子に負ける事はみっともない事だと考えていた。彼はかっこわるい事が嫌いだった。

 

「ええい、グレンジャーめ!」

 

 怒気を撒き散らすハリーにドラコ以外は誰も近寄らなかった。クラッブとゴイルも授業が終わると同時に逃げて行った。

 

「落ち着けよ、ハリー。所詮、相手は穢れた血だ。気にする必要なんてない」

 

 ドラコとしては慰めるつもりで言った言葉だ。けれど、ハリーは更に不機嫌になった。

 

「だからこそだ! 相手はマグル生まれだ! スタートはボクとほとんど変わらなかったんだ! そんな奴に……、ファック!」

 

 ハリーの怒鳴り声に遠巻きにしていた生徒達が跳び上がった。

 

「……だったら、いっそ身の程を教えてやればいい。あんなヤツ、ちょっと脅してやればいいのさ! そうすればこれ以上生意気な事なんて……」

 

 ドラコは最後まで言い切る事が出来なかった。ハリーが怒りに満ちた目つきで睨んできたからだ。

 

「ドラコ! ボクは一番になりたいんだ! No.1だ! その為には勝たなくちゃいけないんだ!」

 

 詰め寄ってくるハリーのあまりの迫力にドラコは真っ青になった。

 

「いいか、ドラコ! 勝つって事は負けないって事じゃぁないんだ! 脅すなんてのは、真っ向勝負で勝つ事が出来ないと認める事だ! 情けない事だ!」

 

 ドラコは壁まで追い詰められた。

 

「勝利とは、屈服させる事だ! 徹底的に敗北感を刻みつける事だ! その為には相手の土俵で戦わなきゃいけないんだ! 相手が最高のコンディションの時に、相手にとって最高に有利な状況で叩き潰すんだ!! それが一番気持ちいいんだ!! それ以外の勝利に価値など無い!!」

 

 ドラコはコクコクと何度も頷いた。

 

「だから、ドラコ!」

「は、はい!」

「勉強するぞ! 図書館で!」

「は、はい!」

 

 その日から、ハリーとドラコは授業が終わると図書館に籠もるようになった。

 そこにはハーマイオニーの姿もあり、彼女はハリーが勉強する姿を見て対抗心を燃やし勉強に打ち込み、その姿にハリーは更なる闘争心をもって勉強に打ち込む。

 ドラコはそんな二人の戦いに巻き込まれ、ゲッソリしながら勉強に打ち込んだ。クラッブとゴイルも巻き込んだ。豊満なボディの持ち主だった二人はみるみる内にガリガリになっていった。

 

 ◆

 

 勉強三昧の中、ニュート・スキャマンダーとの共同研究も並列して行い、ハリーの日常は多忙を極めていた。

 それでも、ハリーは充実感を感じていた。

 そんなある日の事だった。

 

「ハリー」

 

 珍しく、ニュートが大広間にやって来た。彼は特別講師として、三年からの魔法生物飼育学に携わっているらしいが、それ以外の時間は秘密の部屋か専用の執務室に篭っている。

 ハリーと彼がバジリスクの研究を行っている事は周知されていて、連名で既に論文を幾つか出している。もっとも、ハリーは少しの意見やエグレの言葉を代弁する程度だったけれど。

 そんな彼の登場にハリーは笑顔を浮かべた。

 

「ニュート!」

 

 二人は既に互いをファーストネームで呼び合う程に打ち解けていた。半世紀分以上も歳が離れているにもかかわらず、二人は確かな友情を築いていた。

 ハリーが駆け寄ると、ニュートの後ろにホグワーツの森番であるルビウス・ハグリッドの姿があった。遠巻きに見た事は何度もあったけれど、こうして近くで見るとその図体の大きさにハリーは驚かされた。上にも横にも大き過ぎる。

 

「よう、ハリー」

 

 ハリーは前にも会話をした事があったのかと記憶を遡ってみた。けれど、どんなに過去を漁っても彼とは初対面だとしか思えなかった。しかし、それにしては彼の態度はあまりにも馴れ馴れしかった。

 

「どうも、ミスター・ハグリッド」

 

 ハリーはニュートの手前、不快である事を押し隠してハグリッドに挨拶をした。

 すると、何故かハグリッドは拗ねたような表情を浮かべた。

 

「ミスターはいらねぇ。気安くハグリッドって呼んでくれ」

 

 ハリーは辟易した。こういう他者とのボーダーラインを無遠慮に乗り越えて来る人間は苦手だった。

 

「あー……、それで? ボクに何か用が?」

「お前さんにちゃんと挨拶をしときたくてな」

「ボクに? ヴォルデモートをぶっ殺したから? それとも、スリザリンの継承者だから?」

 

 ヴォルデモートをぶっ殺した後、すり寄ってくる人間がそれなりにいた。この男もそうした手合なのだろうとハリーは思った。

 

「どっちもちげぇ。オレはな、ハリー。お前さんが赤ん坊だった頃に会った事があるんだ」

「赤ん坊の頃?」

 

 ハリーの目の端がピクリと動いた。赤ん坊の頃と言えば、ハリーがヴォルデモートを最初に殺した頃だ。そして、同時に両親が殺害され、ダーズリー家に預けられた頃でもあった。

 沸き立つ感情を押さえつけながら、ハリーは慎重に言葉を選んだ。

 

「あなたとボクはどのようにして出会ったのですか?」

「……あの夜だ」

 

 ハグリッドは暗い表情を浮かべた。

 

「例のあの人がお前さんの家に現れて……、そんで……」

 

 鼻をすするハグリッド。

 

「ダンブルドア先生に言われて、俺はお前さんを拾いに行ったんだ。そんで……」

「それで、ダーズリー家に預けた?」

「ああ、ダンブルドア先生が手紙を添えて、お前さんを玄関に置いたんだ」

 

 それ以上、誰が何を言ってもハリーの耳には届かなかった。

 屈辱に塗れた十年。ハリーは疑問を抱き続けていた。

 何故、あれほどの憎しみを抱きながら、ダーズリー夫妻は自分を完全には追い出さなかったのか。

 そもそも、何故、彼らは自分を引き取ったのか。

 その答えが、遂に見つかった。

 

「……そうか、ダンブルドアがボクをダーズリー家に預けたのか」

「ハリー?」

 

 ニュートはハリーの様子がおかしい事に気がついた。

 

「あのジジィがボクを……」

「ジジィ? こら、ハリー。ダンブルドア先生を間違ってもジジィなんて呼んだらいかん!」

「ま、待つんだハグリッド! ハリー、話をしよう。まずは落ち着くんだ!」

 

 ニュートの言葉でさえ、ハリーには届いていなかった。怒りと憎しみがハリーの心をまたたく間に満たしてしまった。

 

「情報提供に感謝するよ、ミスター・ハグリッド」

 

 それだけを言うと、ハリーは足早に大広間を離れた。それ以上留まれば、何をするか自分でも分からなかったからだ。

 歩いて、走って、自分がどこにいるのかも分からなくなった頃、ハリーは漸く立ち止まり、近くの壁を力の限り殴りつけた。

 血が滲み出て来ようとも、ハリーは更に強く壁を殴る。何度も、何度も殴り続ける。そして、喉が枯れるまで声をあげ続けた。

 そうして、ようやく心が落ち着いてからハリーは掠れた声で叫んだ。

 

「アルバス・ダンブルドア……。貴様はこのハリー・ポッターの敵だ!!」

 

 いずれ、必ず落とし前をつける。

 そう、ハリーは心に誓った。



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第二章『偉大なる叡智』 第十一話『目覚める者』

 ハリー・ポッターは考えた。それは、アルバス・ダンブルドアに復讐する方法だ。

 相手は五体満足の今世紀最強の魔法使い。不意打ちを仕掛けたところで、ヴォルデモートのようにアッサリとはぶっ殺されてくれないだろう。相手との実力差も分からない程、ハリーは愚かではなかった。

 ヴォルデモートの時は完璧な不意を打つ事に加えて、エグレというジョーカーと、相手の手の内を一方的に知り尽くしているというアドバンテージがあったからこそ実行に踏み切った。

 更に付け加えるのなら、ヴォルデモートは殺してもいい相手だった。

 ぶっ殺す事に成功するのなら、後で司法に追われようとも構わない。けれど、失敗した場合はダンブルドアに復讐する事が不可能となってしまう。

 

「力を蓄えないといけないな。ヤツを確実に始末出来る実力を身に着けなきゃいけない」

 

 ダンブルドアをぶっ殺す時は、自分自身で手を下す。

 ヴォルデモートの時はエグレ自身が望んだ事に加えて、それ以外に倒す術がなかったから妥協したが、ハリーはこれ以上エグレを道具のように扱う気はなかった。

 その時が来たのなら、誰か信頼のおける人物に預けるか、安全な場所に解き放つ事になるだろう。

 ハリーはその時の事を想像して、少し切ない気分になった。

 

「エグレに会いに行くか……」

 

 ◆

 

「ハリー!」

 

 秘密の部屋に行くと、そこにはニュートの姿があった。

 

「ニュート。先日はすみませんでした。あなたに無礼な態度を取ってしまった」

「とんでもない! 僕の方こそ、配慮が足りなかった」

 

 ニュートは申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 ハリーは驚いた。子供が大人に頭を下げる事はあっても、大人が子供に頭を下げる事なんて滅多にあるものじゃない。

 

「あ、頭をあげてくれ、ニュート!」

 

 ハリーにとって、ニュートは尊敬するべき人物だ。だから、彼には頭を下げて欲しくなかった。

 それでも、ニュートは中々頭をあげてくれなかった。

 そして、そのままの状態で口を開いた。

 

「……ハリー。僕は偉そうな事を言える程、立派な人生を歩んできたわけじゃない。だけど、一つだけ君に伝えておきたい事があるんだ。聞いてくれるかい?」

 

 ハリーは目を丸くした。ニュート程立派な人間など、世界中を探しても早々見つからないとハリーは確信していた。

 狼人間登録簿、実験的飼育禁止令の樹立、そして何よりも、《幻の動物とその生息地》の執筆。これらの功績は紛れもなく偉業と呼べるものだ。

 特に狼人間登録簿をほぼ独力で完成させた事にハリーは畏敬の念を抱いた。狼人間は魔法界でも極めて危険な存在であり、今でも彼らと魔法族の関係は緊張感に満ちている。

 彼には類稀な勇気があり、誰にも負けない強さがある。

 

「あなた以上に立派な人生を歩むのは、並大抵の事では無いでしょう。聞かせて下さい」

「ありがとう、ハリー。僕から君に伝えたい事は一つだ。自らの死に直面した時、悔いの残らない人生を歩んで欲しい」

 

 ニュートは言った。

 

「僕の人生にも、苦しい事や怖い事、悲しい事は山程あった。それでも、僕は満足している。今、仮に足を滑らせて頭を打って死んでしまっても、僕は笑顔を浮かべる自信があるんだ。迷ってもいい。怒ってもいい。法律だって、校則だって、そんなのは破ったって構わないんだ」

「隨分とロックな事を言いますね」

「僕も若い頃は幾つも破ったからね」

「校則を?」

「法律も」

 

 ニュートはニヤリと笑った。ハリーもつられて笑った。

 

「大事な事は、君が笑って死ねる人生を歩めるかどうかなんだよ。何か行動をする時は、常にその事を考えてほしい。この行動を取った後、果たして自分は笑えるのか? そう、自分自身に問いかけて欲しいんだ。僕は君を大事な友人だと思っている。友人には幸福でいて欲しいんだ。そうでなければ、僕は笑って死ねなくなってしまう」

「……ニュート」

 

 ハリーは困ってしまった。

 

「あなたはわがままだ」

「ごめんね」

 

 ハリーは深く息を吐いた。

 ダンブルドアとニュート。ハリーにとって、どちらが重い存在か、考えるまでもなかった。

 けれど、憎しみが消える事はない。

 

「……分かりました、ニュート。あなたには、笑顔でいて欲しい」

「ありがとう、ハリー」

 

 いずれにしても、今のままでは力が足りない。

 だから、今のところはこの憎しみを心の奥底に封じ込めておこう。

 ハリーは拳をかたく握りしめながら思った。

 

「そうだ、ハリー。今日は君に見せたい魔法生物がいるんだ」

 

 ニュートはハリーを自らのトランクの中へ招待した。

 ハリーのトランク以上に広く、まるで別の世界が広がっているかのような空間に、様々な種類の魔法生物達が蠢いている。

 中にはニュートだからこそ飼育を許されている珍しい生物もいた。ハリーが興味を持つ度に、ニュートは心底嬉しそうに解説する。

 その時間を、ハリーは特別なものに感じていた。

 

「ほら、ハリー。美しいだろう? オカミーだよ」

「これが……」

 

 ニュートの言う通り、それはとても美しい生物だった。一対のつばさを持った蛇のような姿をしている。その鱗は鮮やかな色合いでなんとも美しかった。

 

「実は、オカミーにパーセルタングが通じるかを君に確かめてもらいたくてね。ほら、蛇に似ているから」

「ああ、なるほど。試してみます」

 

 ニュートの頼み事を快く引き受けて、ハリーはオカミーに囁きかけた。

 

『やあ、こんにちは』

 

 けれど、オカミーの鳴き声は、ただの鳴き声としてしか聞こえなかった。

 

「……駄目みたいですね。オカミーは蛇じゃないようだ」

「そうか……、残念」

 

 しょんぼりするニュート。

 その後も、二人はトランクの中の世界で魔法生物達に囲まれながら時間を過ごした。

 ハリーのささくれていた心は、いつの間にかなだらかになっていた。

 

第十一話『目覚める者』

 

 暗闇の中、一匹の屋敷しもべ妖精が忙しなく動き回っていた。彼の名前はクリーチャー。古き偉大な純血の一族、ブラック家に仕えている。

 ここはグリモールド・プレイス12番地。ブラック家の居城である。

 

「……ふん」

 

 埃一つ落ちていない廊下を丁寧に掃き清め、ピカピカに磨き上げる。使ってもいない食器を一枚一枚洗っていく。整えられたままのベッドをメイキングし直す。

 彼はその行動を無駄とは思っていない。偉大なるブラック家の屋敷の管理を任せられているという誇りが、彼に与えられた返礼無き献身に対する唯一の報酬だった。

 

 一日の仕事が終わると、クリーチャーは《レギュラス・アークタルス・ブラック》という名のネームプレートが掛けられた部屋に向かった。そこは、今は亡き、クリーチャーの最愛の主人の部屋だった。

 レギュラスは純血主義者でありながら、屋敷しもべ妖精のクリーチャーを決して見下さず、大切にしていた。

 そんな彼を死に至らしめてしまったのは、他ならぬクリーチャーだった。

 

 もう、十数年も前の事だ。ヴォルデモート卿はクリーチャーに過酷な仕打ちをした。とある洞窟の奥地で、水盆に張られた毒液を飲み干させたのだ。特別な魔法が掛けられた水盆は、毒液を飲み干さなければ決して底にある物を取り出す事が出来なかったからだ。

 レギュラスは衰弱しきったクリーチャーの姿に嘆き悲しんだ。そして、クリーチャーをそんな目に合わせたヴォルデモート卿に対して、深く失望した。

 

 レギュラスの死は、《面白半分に死喰い人になって、途中で怖気づいた為に仲間の死喰い人に始末された》という風に世間では思われている。けれど、事実は違う。

 彼はクリーチャーと共にヴォルデモート卿がなにかを隠した洞窟へ赴き、そこで水盆の毒液を自ら飲み干したのだ。衰弱し、水盆の中身の守護者として配置されていた亡者に、彼は水底へ引きずり込まれた。

 

 クリーチャーは彼に命じられた。水盆の底にあった《奇妙なロケット》を破壊しろと。けれど、その命令は未だに遂行出来ていない。

 トンカチで叩いても、魔法で爆破させても、火の中に投げ込んでも、何をしても決して壊れなかったのだ。

 

「……レギュラス様」

 

 クリーチャーの為に怒り、クリーチャーの為に死んだ男。

 そんな彼の最期の命令を遂げる事の出来ない自分を、クリーチャーは責めた。

 どんな罰を自分に与えても足りないと、ポロポロと涙を零しながら自分を傷つけた。

 そして、いつものように意識を失い掛けた時、不意に奇妙な音が耳に届いた。

 

【……いそうに】

 

 クリーチャーは首をかしげた。この屋敷には、彼以外に誰もいない。ネズミ一匹すら入り込めないように強力な魔法が掛けられている。

 唯一入る事を許される人物は、アズカバンの監獄に収監されている。

 だから、物音などする筈がなかった。

 

【……可哀想に】

 

 気のせいだろうと、自らの頭にトンカチを叩きつけようとしたら、また聞こえた。

 ギョッとするクリーチャー。

 声はクリーチャーの頭の中に直接響いていた。

 

【哀れだな……、クリーチャー】

「私に話しかけるのは誰だ!?」

 

 クリーチャーは辺りをキョロキョロと見回しながら叫んだ。

 

【怯える必要はない、主人なき下僕よ。わたしはお前の味方だ】

 

 どこか、聞き覚えのある声だった。不思議と、安心感を覚える声だった。

 低く、それでいて艶かしく、耳に入り込んでくる。

 

「……あ、あなた様は」

 

 クリーチャーは震え上がった。

 そんな筈はないと思いながら、その声の主の名前を口にした。

 

「ヴォ、ヴォルデモート卿……」

 

 十年前、ハリー・ポッターによって滅ぼされた男。

 数日前、ホグワーツに現れ、賢者の石と分霊箱という古の魔法によって復活を目論んでいた事が暴かれ、再びハリー・ポッターに滅ぼされた男。

 今度こそ、決して復活する事はないと、魔法省は日刊預言者新聞で断言していた。

 

【その通り。わたしこそが偉大なる闇の帝王、ヴォルデモートである】

 

 クリーチャーは恐怖のあまり立っていられなくなった。

 

【恐れるな、クリーチャー。わたしがお前の望みを叶えてやる】

「の、のぞみ……? 叶える……?」

【そうだ、クリーチャー。お前の最愛の主を蘇らせてやろう】

 

 その言葉に、クリーチャーの震えが止まる。

 

「レギュラス様を……?」

 

 それは、恐怖よりも深い感情だった。

 主の居ない屋敷の管理に不満を抱いた事はない。

 けれど、時折考えた。

 

 もし、レギュラス様が生きていたら?

 もし、レギュラス様の為に料理や掃除が出来たら?

 それは、どれほど幸福な事だっただろうか……。

 

 ありえない妄想だと分かっていた。

 もう、《クリーチャー!》と穏やかに呼んでもらえる日は二度と来ないのだと理解していた。

 それでも、求めずには居られなかった。

 

「そ、そんな事が……、ほ、本当に?」

 

 ありえない事だ。バカにしている。戯言だ。

 そう、頭の中で理性が叫び続けている。けれど、心はまったく逆の事を叫んでいる。

 

【本当だとも、クリーチャー。わたしに不可能はない】

 

 その声を聞く度に、クリーチャーの理性の叫び声は小さくなっていく。逆に、心の叫び声が大きくなっていく。

 瞳は虚ろになっていき、頭の中で蘇ったレギュラスとの日々に想いを馳せ始める。

 

【わたしと共に主を取り戻そうではないか】

「……はい、帝王様」

 

 いつの間にか首から提げていたロケットを手の平に乗せて、クリーチャーは恭しく言った。

 

 ◆

 

 村を見下ろす小高い丘の上。そこには古びた館がある。窓には板が打ち付けられ、屋根瓦は剥がれ、蔦が絡み放題になっている。

 かつて、この屋敷で奇妙な殺人事件が起きた。

 殺害された一家三人は毒殺された跡も無ければ、刺殺されたり、殴殺されたり、射殺された様子もなかった。ただ、恐怖の表情が浮かんでいるだけで、死因となりうるものが何一つ発見されなかったのだ。

 一家殺害の容疑をかけられていた庭番のフランク・ブライスは終始身の潔白を主張し、警察も決定的な証拠が無かった為に釈放した。その後、フランクは館の庭にある自分の小屋に戻り、館がいくつもの人の手に渡っても、庭の手入れをし続けた。

 

 耳も遠くなり、足腰にもガタが来始めたフランクは、それでも賢明に働いていた。伸び放題になっている雑草を毟り、近所の悪ガキが肝試しに来れば怒鳴って追い返す。

 代わり映えのしない日々。住みもしない癖に、館の持ち主になったどこぞの金持ちから与えられる給金で晩酌をするのが唯一の楽しみだった。

 

 そんなある日の事だった。

 

【……フランク・ブライス】

 

 夢の中で、フランクは誰かに呼ばれた。暗闇の中、声の下へ歩いていく。立ち止まったり、戻るという選択肢は頭の中になかった。それどころか、声の指示に従う以外の思考がすっぽり抜け落ちてしまっていた。

 

【その地面を掘るのだ】

 

 地面を素手で掘り、手が汚れても、爪が割れても気にせずに彼は小さな指輪を見つけ出した。

 その指輪を嵌めると、フランクは自分が何者なのかすら分からなくなった。

 そして、自分が何者なのかを考える思考すら失った。

 

「……ふん。最悪だな」

 

 フランクは表情を歪めながら呟いた。

 

「俺様がマグルの……、しかも、こんなジジィの体を使わねばならんとは……」

 

 フランクは眼下に広がる村を見下ろした。

 

「……とりあえず、新しいボディを手に入れに行くか」

 

 ゆっくりと彼は歩き出した。

 

 この日、ロンドン郊外にある街、リトル・ハングルトンに住む青年が一人、姿を眩ませた――――。



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第十二話『友達』

 アルバス・ダンブルドアが校長室で魔法省から届けられた数千にも及ぶ手紙に目を通していると、入り口からニュート・スキャマンダーが入って来た。

 思いつめた表情を浮かべる彼に、ダンブルドアは手紙よりもニュートを優先する事にした。

 

「こんばんは、ニュート」

「こんばんは、先生」

 

 お互いに老人となった今でも、二人は教師と生徒だった。それが二人にとって、丁度いい距離感だった。

 けれど、ニュートはダンブルドアを見つめて、それまで引いていた一線を超える決意を固めた。

 

「お聞きしたい事があります」

「そのようじゃな」

 

 ダンブルドアは、ハリー・ポッターと彼が絆を深めれば、遅かれ早かれこの時が来るだろうと予想していた。

 その事をニュートも察した。そして、一度息を深く吸い込んでから言った。

 

「何故、ハリーをダーズリー家に預けたのですか?」

「お主ならば、既に分かっている筈じゃ」

 

 今や、偉大なる魔法使いの一人として名を連ねるまでになったニュート。彼ならば、既に気付いている筈だとダンブルドアは考えていた。

 赤ん坊だったハリーがどうやってヴォルデモートを退けたのかも、ダンブルドアがダーズリー家に彼を預けたのかも。

 

「……古の魔法ですね。ロウェナ・レイブンクローが考案した呪文の一つだ。自分の命を捧げてでも守りたいという強い意志と、強大な魔力が揃う事で初めて発動する献身の魔法。愛の魔法とも、犠牲の魔法とも呼ばれている。きっと、ハリーの父親か母親が……」

「母親じゃよ。リリーが彼に加護を与えた。あの子はホグワーツに入学する前から自在に己の魔力を操る事が出来た。だからこそ、その守りは死の呪文すら跳ね除ける事が出来たのじゃ」

 

 ダンブルドアの言葉に、ニュートは悲しげな表情を浮かべた。

 

「やっぱり……。その守護を継続させる為に、彼女の血縁者の下にハリーを預けたのですね」

「左様じゃ」

 

 持論を肯定されても、ニュートの表情は暗かった。

 

「……でも、けれど! ハリーは虐待を受けていたそうじゃないですか! マクゴナガル先生や、あなたが派遣していたフィッグさんにも話を聞いてきました! 虐待など許されない事です!」

「辛くとも、彼を守る為には必要な事じゃった。いずれ、ヴォルデモートが戻る事は分かっていたからのう」

「ダンブルドア先生! あなたが守ってあげるわけにはいかなかったのですか!? それか、僕やフラメルさんに託してくれれば……」

「お主やニコラスに託せば、ハリーの守護は消える。ヴォルデモートが蘇る可能性があった以上、託すわけにはいかなかった」

「でも、あなたなら! 例え、ハリーの母親の守護が無くても……」

 

 ニュートの言葉は途切れた。ダンブルドアが彼に向けた表情が、あまりにも辛そうだったからだ。

 

「ニュート。わしがこの世で最も信じられぬ者が誰か、お主も知っておろう。誰よりも軽蔑しておる者が誰か……」

 

 それは、誰もが敬愛する偉大な魔法使い、アルバス・ダンブルドアには似つかわしくない弱音だった。

 けれど、ニュートは彼の弱々しい姿を見ても驚かなかった。

 彼は知っていたからだ。ダンブルドアが完全無欠の存在ではなく、一人の人間である事を。

 

「先生」

 

 ニュートはまっすぐにダンブルドアを見つめた。

 それは、彼が若かりし頃のままの眼差しだった。ダンブルドアは、それが少し眩しく感じた。

 

「あなたの悪い癖は一人で抱え込んでしまう事だ」

 

 その言葉はダンブルドアの心に重くのしかかった。

 

「あなたは一人の人間です。人並みに苦しむし、悲しむし、喜ぶし、怒る。だけど、それを必死に押し殺してしまう。みんながあなたに押し付ける理想の存在であり続けようと……。でも、そんなのは間違いです! そんなの、弱さを克服しているわけじゃない! 逃げているだけだ! 苦しいなら、あなただって助けを求めていいんだ! 迷っている時は相談していいんだ! 悲しいなら、慰めてもらっていいんだ!」

「……ニュート。わしは……」

「あなたにとって、グリンデルバルドが如何に大きな存在だったのか、僕も知っています! だけど、僕だっている! フラメルさんだって、マクゴナガル先生だって、ハグリッドさんだって! あなたを助けたいと思ってるんです! あなたは逃げるべきじゃない! いい加減、弱さと向き合うべきです!」

 

 一息の内に叫んだニュートは肩で息をした。

 ダンブルドアはしばらく動けなくなっていた。

 

「……ああ」

 

 しばらくして、ダンブルドアは涙を一滴流しながら微笑んだ。

 

「わしにそのように諭してくれる者は、もうお主くらいのものじゃな……」

「いくらでも諭しますよ。だって、僕は先生の生徒であると同時に、友人でもあるのですから」

 

 ニュートはダンブルドアの背中を優しく擦った。

 静かな校長室。歴代の肖像画の校長達も何も言わない。

 ただ、ダンブルドアが時折鼻を啜る音だけが響いた。

 

「ハリーは僕に言いました。《あなた以上に立派な人生を歩むのは、並大抵の事では無いでしょう》と。僕も、あなたの相談相手になれる程度には、偉大になれたんだと思うんです。だから……、教えてもらえますか? あなたが抱えているものを、僕に」

「……ああ、聞いてもらえるかのう? ニュート」

「もちろん」

 

 ダンブルドアは、それからたっぷりと時間を掛けて、己の胸の内をニュートに打ち明けた。

 ハリーをダーズリー家に預けた真意。ヴォルデモートが分霊箱を使った可能性と、彼の額の傷痕の因果関係から、罪深き計画を立てていた事を。

 そして、今のハリーに対する違和感から、彼が第二のヴォルデモートになる可能性を恐れている事を。

 

 ニュートは黙って聞いていた。ダンブルドアの冷酷な一面に対して、憤る事も、驚く事もなく、ただ静かに。

 ハリーが受けた屈辱や苦しみも、ダンブルドアの苦悩と決意も、すべてをゆっくりと呑み込んだ。

 

「ダンブルドア先生」

 

 ニュートは言った。

 

「ハリーを第二のヴォルデモートにはさせません。絶対に」

 

 ニュートはハリーの事を想った。彼の心は、見た目とは裏腹にとても繊細だ。

 嘗て、ニュートがアメリカで遭遇した少年と同じように。

 

「……お主に任せれば、安心じゃ」

 

 ダンブルドアは安らかに微笑んだ。

 

「グリンデルバルドの時といい、お主には苦労をかけるのう」

「もう、慣れましたよ」

 

 二人は微笑み合う。

 その時だった。

 

【た、大変じゃ! ダンブルドア!】

 

 突然、沈黙を守っていた肖像画の一枚が叫び声をあげた。

 

「どうしたのかね?」

 

 それはフィニアス・ナイジェラス・ブラックの肖像だった。

 

【たった今、我がブラック家の屋敷で異変が起きた! シリウスがアズカバンにいる今、誰も立ち入る事の出来ない筈の屋敷に!】

 

 ダンブルドアとニュートは顔を見合わせた。

 

「……詳しく話すのじゃ」

 

 フィニアスは語った。ニュートとダンブルドアの青臭い場面を見ていられなくなり、ブラック家の肖像画に逃げ込んでいた時、屋敷で孤独に掃除をしていた屋敷しもべ妖精のクリーチャーの様子がおかしくなった事を。

 まるで、誰かに語りかけられているかのようだった。そして、誰の命令も無いまま、どこかへ姿くらましをしたと言う。

 

【クリーチャーはヴォルデモートの名を口にしていた。きな臭い事が起き始めているぞ。わしの勘は割と当たる!】

「ヴォルデモートの名前じゃと!?」

 

 ダンブルドアの表情は一気に険しくなった。ニュートと語り合う為に座っていたソファーから立ち上がると、書棚から一冊の本を取り出す。

 

「先生。それは?」

「《深い闇の秘術》。元々、ホグワーツの図書室に保管されていた物じゃ。恐ろしく、そして、底知れぬ叡智が詰まっておる。著者の名は記されておらんが、これほどの術を編み出せる者となれば一人しかおるまい」

 

 ダンブルドアはその本を恐れるような表情を浮かべながら開いた。

 そこに記されていたのは、まさに吐き気を催すような邪悪な魔法や魔術の数々だった。分霊箱でさえ、その内の一つでしかなく、死の呪文についても記されている。

 

「……記されている限りでは、分霊箱が残っている状態で本体が滅ぼされた場合の事は書いておらぬようじゃな」

「読んでみても?」

「やめておいた方が賢明じゃろう。死の呪文を、《永久の眠りに誘う慈悲の魔術》と宣う内容じゃ。わしですら、読み進めるだけで正気を失いかける程に禍々しい」

 

 ニュートはツバをゴクリと呑み込んだ。ダンブルドアに恐れを抱かせる本。そのおぞましさに震えが走りそうになる。

 

「分霊箱や死の呪文は、元々はレイブンクローの術だとエグレが語っていました。闇の魔術の代名詞と言えばサラザール・スリザリンでしたが、この事が公表されれば評価が変わりそうですね……」

「過去の人物である事が救いじゃな……」

 

 ロウェナ・レイブンクロー。ホグワーツの創始者の一人にして、歴史上最も魔法と魔術に精通した魔女とされている。

 エグレはサラザールがロウェナを恐れていた節があると言っていた。

 

「……速やかに調べねばならんな」

「調べるって、何をです?」

「ヴォルデモートの分霊箱じゃ。あるいは、想像を絶するほどの恐ろしい事態が起きているやもしれぬ」

 

 そう語るダンブルドアの表情には鬼気迫るものがあり、ニュートは表情を引き締めた。

 

「お供します」

「いや、お主にはハリーを任せたい。セブルスに同行してもらう」

「……分かりました。どうか、ご無事で」

「うむ」

 

 ダンブルドアは足早に校長室を去って行った。ニュートは肖像画に問いかける。

 

「……まさか、分霊箱は」

【やめたまえ、想像したくもない。ダンブルドアの帰還を待つべきじゃな】

 

 フィニアスも予想がついているのか、表情を曇らせながら肖像画から去って行った。

 

「……だとすると、ハリーは」

 

 ニュートは頭を振り、浮かび上がりそうになった考えを打ち消した。

 

「とにかく、ハリーの下に行こう。エグレから、いろいろ聞くべき事がありそうだ」

 

 第十二話『友達』

 

 ハリーは前よりも一層勉学に打ち込むようになった。ハロウィンで浮かれる余裕などなく、食事を詰め込めるだけ詰め込んだら図書館に直行する。巻き込まれたドラコとクラッブ、ゴイルの三人は日に日にやつれていき、その姿にパンジー・パーキンソンやダフネ・グリーングラスらは表情を引き攣らせた。

 別に、ハリーは勉強が好きなわけではなかった。知識を得るのは必要に迫られているからだった。だからこそ、ドラコ達ほどでは無いにしても、疲労は積もっていた。

 そして、それはハリーに対抗して勉強に励んでいたハーマイオニーにも言える事だった。彼女の場合は勉強が好きな性分である事が僅かな救いとなっていたけれど、やはり許容量を大きく超えていた。

 

「よし、君達! ちょっと、気分転換に行こうか!」

 

 見るに見かねて、ニュートが提案した。

 

「……まあ、ニュートが言うなら」

「わたしもですか?」

 

 ハリーはニュートに対してどこまでも忠実であり、ハーマイオニーも特別講師とはいえ、教師の言葉には逆らわない性格だった。

 二人が彼の提案に乗ると、ドラコとクラッブ、ゴイルはニュートを神の如く仰いだ。

 

「それで、何をするんですか?」

「禁じられた森にハグリッドのペットを見せてもらいに行こう」

 

 ドラコ達は逃げ出そうとした。

 しかし、ハリーに回り込まれた。

 

「おいおい、ドラコ。どこに行く気だ? ニュートのお誘いだぞ」

「禁じられた森は入るのが禁じられてるんだぞ! 人狼がいるって噂がある! そんな場所に入るなんて正気じゃない!」

「そう怖がるなよ。ビビって逃げるなんてのはかっこ悪い事だぜ? ああ、でも! 女は逃げていいぞ? どうした? ビビってんだろ?」

 

 ハーマイオニーを煽りだすハリー。

 

「はぁ? お生憎様。わたしはちっとも怖くありません! そっちこそ、本当はドラコ達と一緒に逃げたいんじゃないの? ホントは逃げる口実が欲しいんでしょ? 子鹿ちゃん」

「子鹿だと!? 貴様、グレンジャー! 調子に乗るんじゃぁないぞ!」

「ふん! そうやって脅せばなんでも思い通りになるなんて思ってるようじゃぁ、やっぱりお子様ね! ほらほら、子鹿ちゃん? 怖かったら無理しなくていいのよ? お友達と一緒に帰りなさいよ。ほらほら、ホーム!」

「ファック! このアマ!」

 

 二人がヒートアップしていると、ニュートがパンパンと手を叩いた。

 

「ほら、みんな。ハグリッドの小屋に着いたよ」

「はい、ニュート!」

「はい、先生!」

 

 二人の変わり身の速さにドラコはついていけなかった。

 

「……こいつら、実は仲いいだろ」

 

 疲れ果てた様子でため息を零すドラコ。そんな彼にいきなり一匹の犬が飛びかかってきた。

 

「どわっ!?」

 

 ドラコは犬に押し倒された。クラッブとゴイルは一目散に逃げた。振り向きもしない。微塵も躊躇う事なくドラコを見捨てた。

 

「……ああ、あいつら後で覚えてろよ」

 

 その後、ドラコは顔中を大型犬に舐められた。犬の名前はファング。ハグリッドのペットだった。

 

「あはは、犬に好かれて良かったじゃない、ドラコ」

「うるさいぞ、グレンジャー! っていうか、気安くファーストネームで呼ぶな!」

「はいはい。分かりました、ミスター・女子トイレで横になったマル――――」

「だぁぁぁぁぁ!! ドラコでいい!! ソレ以上言ったら許さないからな!!」

「あらそう? 仕方ないわね」

 

 したり顔のハーマイオニーにドラコはぐぬぬと悔しそうな表情を浮かべた。

 

「それにしても、この犬に会いに来たのですか?」

 

 ハリーはドラコとハーマイオニーのやりとりを無視してニュートに問いかけた。

 

「いいや、ファングだけじゃないよ。さあ、奥に行こう」

「奥!? まさか、本当に入る気なのか!?」

「大丈夫だよ、ドラコくん。奥と言っても、危険な生き物がいる領域までは行かないさ。ほら、ここから見えるだろう? あの柵のところでハグリッドが待っているんだ」

 

 ドラコは怯えきった表情を浮かべている。ハリーはやれやれとドラコの腕を掴んだ。

 

「行くぞ、ドラコ! 男ならビビるな!」

「あーら、女だってビビらないわよ!」

「お前らはちょっとビビれ!!」

 

 柵に向かっていく三人をニュートは後ろから穏やかな表情で見つめた。

 

「……彼らがいれば、僕よりずっと安心だね」



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第十三話『ルビウス・ハグリッド』

 五十年前に秘密の部屋を開いて、マートル・エリザベス・ワレンを殺害した犯人は若き日のヴォルデモート卿だった。

 そのハリー・ポッターの証言によって、一人の男の冤罪が晴らされた。

 

 当時の魔法省は《学校(ホグワーツ)で生徒が殺害される》という一大事に対してすら、人員を動員する余裕が無かった。

 ゲラート・グリンデルバルド。ヴォルデモート卿出現以前、歴史上最も恐ろしい闇の魔法使いと称されていた男の最盛期だったからだ。

 彼は《より大きな善の為に》という言葉を掲げ、多くの賛同者を集めていた。

 その勢力は一国に収まらず、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国にまで広がっていた。

 

 マートルの殺害事件はろくな捜査もされず、死因の解明すらされなかった。

 その為、アクロマンチュラという《カテゴリー:XXXXX*1》の魔法生物を密かに飼育していたハグリッドが犯人に仕立て上げられた。

 アルバス・ダンブルドアが異議を唱え、ホグワーツの森番として働く事が出来るようにしたけれど、杖は折られ、ホグワーツを退学させられた。

 その出来事はハグリッドを長年苦しめ続けてきた。ダンブルドアの下で働く事は名誉な事だったし、幸福な事ではあったけれど、学校をキチンと卒業して、ドラゴンや魔法生物の研究に携われる生徒達の事が羨ましかった。

 

 その冤罪が解かれた事で、ハグリッドはホグワーツの授業の一つである《魔法生物飼育学》に関わる事が許された。

 教員のシルバヌス・ケトルバーンと特別講師のニュート・スキャマンダーは彼を歓迎してくれた。

 魔法生物の権威である二人と共に生徒達に魔法生物の素晴らしさを解説する時間は、彼に至福を与えた。

 

 だからこそ、ハグリッドは後悔していた。それは、数週間前にハリーを怒らせてしまった事に対してだ。

 その時のハグリッドには、どうしてハリーが怒ったのか、その理由が分からなかった。彼の常識の中では、ハリーを怒らせる要素など一つも無かった。それでも、怒らせてしまった事は事実であり、彼はその事に気づく事が出来た。

 幸いな事に、彼の傍には良き相談相手がいた。ニュートは彼に求めていた解答を与えてくれた。

 

「あまり、公言するべき事じゃないんだ。だから、これは内密に頼むよ」

 

 そう言って、彼はダーズリー家でハリーが受けてきた仕打ちを教えてくれた。その内容は、ハグリッドに大きな衝撃を与えた。

 十年前、ダンブルドアがハリーをマグルの家の玄関先に置いた時、不安がなかったわけではなかった。物心が付く前に両親を失ったハリーを、本当は傍で守ってあげたかった。いろいろな魔法生物の事を教えてあげたり、ロックケーキの焼き方を教えてあげたかった。けれど、ダンブルドアがダーズリー家に預ける事を決めた。自分よりも遥かに頭がよく、偉大な人の決めた事なのだから、それが一番正しい事なのだと思っていた。

 幸せに生きてくれている筈だと思っていた。

 

 ハリーを迎えに行く役目は、本来ならば彼のものだった。

 けれど、マクゴナガルが向かう事になったのはタイミングが悪かったせいだ。その時、禁じられた森でユニコーンの死体が発見されたのだ。森を自由に行き来できる人間はダンブルドアとハグリッドだけだった。

 だからこそ、ハリーと話が出来る機会をずっと楽しみにしていた。

 無罪を証明してくれた恩義に対する感謝の言葉も伝えたかった。

 それなのに、ハリーを傷つけてしまった。

 

 ハグリッドは悩んだ。どうしたらハリーに許してもらう事が出来るのか、必死に考えた。

 けれど、答えは見つからなかった。ハリーの苛烈な性格は、大広間でヴォルデモートを殺した時によく分かっていたからだ。

 謝っても、許してもらえるとは思えなかった。

 それなのに、

 

「謝ればいいんだよ」

 

 相談に乗ってくれたニュートはアッサリと言った。

 

「で、でもよ。それでも許してくれなかったら? おれは、ハリーに酷い事をしちまったんだぞ?」

「その時はその時だよ。それに、君が思うよりもずっと、彼は優しいんだ」

 

 そう言って、ニュートはハリーに謝る機会を作ると約束した。

 

 ハグリッドは緊張していた。もうすぐ、ハリーが来る。

 

「キュイ」

 

 彼の傍にはヒッポグリフという魔法生物がいた。

 鷲のような頭部や翼、鉤爪を持ち、馬のような胴体と尾を持つ美しい生き物だ。

 ハグリッドが飼育している中でも、彼らはとびっきりだった。

 

「バックビーク……」

 

 バックビークはそのヒッポグリフにハグリッドが付けた名前だった。

 不安そうにしているハグリッドを慰めに来てくれたようだ。

 

「……そうだな。がんばらにゃいかん!」

 

 奮い立つハグリッド。すると、遠くから声が聞こえてきた。そっと木陰から覗くと、ニュートが数人の生徒を連れて来るのが見えた。その内の一人はハリーだった。

 ハグリッドはゆっくりと深呼吸をした。

 

 第十三話『ルビウス・ハグリッド』

 

 禁じられた森の目と鼻の先に柵で区切られた場所があった。

 そこにはハグリッドがいて、ハリー達を歓迎するように両手を広げていた。

 

「よ、よう! よく来たな!」

「やあ、ハグリッド。今日はよろしく頼むよ」

「こんにちは!」

 

 ニュートとハーマイオニーが礼儀正しく挨拶をする中で、ハリーとドラコはヒッポグリフの方に視線を奪われていた。

 

「あれはなんだ?」

「グリフォン? いや、胴体が馬のようだから、ヒッポグリフかな?」

 

 二人はハグリッドを完全に無視していた。

 寂しそうな表情を浮かべるハグリッド。

 

「あなた達! ちゃんと挨拶をしなさいよ!」

「はぁ? うるさいぞ、グレンジャー!」

 

 腰に手を当ててプンプンと怒るハーマイオニーにドラコが噛み付くのを尻目に、ハリーはハグリッドを見た。

 彼にとって、ハグリッドはどうでもいい存在だった。

 ヴォルデモートの襲撃を受けた家から回収して、ダンブルドアに預けた事に恩義を感じる事も無ければ、憎む事もなかった。ただ、彼の馴れ馴れしさを鬱陶しく感じる程度だった。

 

「ミスター。僕に何か?」

 

 気晴らしに来た筈なのに、こうして気を遣わなければならない事にバカバカしさを感じていた。

 けれど、ニュートの期待の篭った眼差しを無下にする事も出来なかった。

 

「は、ハリー。その……、すまんかった!」

 

 頭を下げるハグリッドに、ハリーはため息を零した。

 

「別に、あなたが謝る事なんて何もありませんが?」

「……お、俺、お前さんがちゃんと幸せに生きとると思い込んどった。お前さんが……」

「ストップ」

 

 それ以上の事を喋らせる気はなかった。屈辱の十年を、ハリーはあまり人に知られたくなかった。

 ハリーはニュートを少しだけ睨んだ。ニュートはすまなそうな表情を浮かべる。ハリーはやれやれと肩を竦めた。

 

「……ハグリッド」

 

 ハリーは彼の肩に手をおいた。丁度、頭を下げていた彼の肩は丁度いい高さにあった。

 

「あなたの事は、別に怒ってなどいないんだ。だから、今日もこうしてあなたのペットを見せてもらいに来た。だから、どうか普通に接して下さい」

「ハリー!」

 

 ハグリッドはハリーの言葉に感極まった表情を浮かべ、全力で抱きしめた。

 ハリーは万力に締め上げられたかのような痛みを感じて怒鳴りつけようとした。

 けれど、その前にハグリッドが言った。

 

「……ありがとな、ハリー。お前さんのおかげで、俺は無実を証明してもらえたんだ。五十年前、秘密の部屋を開けたのは俺だって疑われてよう……」

 

 ハグリッドは涙を零していた。

 ありがとうと、すまない。その二つの言葉を交互に呟きながら、泣きじゃくり続けるハグリッドに、ハリーは毒気を抜かれてしまった。

 彼はあまりにも純粋で、無垢だった。まるで、ゴスペルのように。

 

「やれやれだな」

 

 ハリーはしばらくの間、ハグリッドの好きにさせた。

 ようやく解放された時には、ハリーの服はハグリッドの涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていて、ハリーは冷たい眼差しをハグリッドに向け、ハグリッドは平謝りをした。

 ニュートが魔法で綺麗にしてくれなければ、ハリーはハグリッドに呪いの一つでも掛けてやろうかと思うくらいには怒っていた。けれど、その怒りも長続きはしなかった。

 ゴスペルが同じように服をベチャベチャにしたとしても、怒る気になどなれない。ハグリッドに対しても、そういう心境になっていた。

 

「……それで、ボク達に見せてくれるというのは、あのヒッポグリフの事ですか?」

 

 ハリーが問いかけると、ハグリッドは嬉しそうに頷いた。まるで、犬のようだとハリーは思った。

 いつの間にか喧嘩をやめて、ハリーの怒りがいつ爆発するかと身構えていたドラコとハーマイオニーはホッと胸をなでおろした。

 

「美しかろう? 俺が世話をしとるんだ!」

「……そうですね。ヒッポグリフの飼育は難しいと聞いています。凄いと思いますよ」

 

 ハリーが率直な感想を告げると、ハグリッドは舞い上がった。嬉しそうにヒッポグリフの世話の大変さや楽しさを語り始めた。

 その言葉の節々に、ハリーに喜んでもらいたい、ハリーを感心させたい、ハリーに褒めてもらいたいといった、彼の感情が見え隠れして、ハリーは再びやれやれと肩を竦めた。

 

 その日、ハリー達はハグリッドにヒッポグリフとの接し方を教わった。

 ヒッポグリフの背中に乗せてもらい、三人で湖を舞台にレースを繰り広げた。

 

「ハッハー! ボク達が一番だ! 素晴らしいぞ、バックビーク!」

「キュイ!」

 

 レースはハリーが乗ったバックビークが独走状態で勝利した。

 ハリーが悪くない気分だった。

 

 それから、ハリー達はしばしばハグリッドの下を訪れるようになった。

 一年生の間は、飛行訓練の時間以外に箒に乗る事を禁じられている為、ヒッポグリフの背中に乗って空を飛ぶ事に彼らは夢中になっていった。

 

 少しずつ難しくなり始めた授業の宿題をこなし、更なる知識を溜め込もうと図書館に篭って勉強する。

 その合間にヒッポグリフレースに興じたり、ゴスペルやエグレと戯れたり、ニュートのトランクの世界を楽しんだり、ハリーの学校生活は実に充実していた。

 そのハリーに毎回振り回されているドラコも、この日常を悪くないと感じていた。単純に、楽しいと思っていた。

 

「もうすぐクリスマスだけど、君はどうするんだい?」

 

 レースに興じた後、湖の畔で休んでいると、ドラコが言った。 

 

「……ニュートは実家に帰ると言っていたな。家に招待されたけど、断ったよ」

「どうして?」

 

 問われても、ハリーには答えられなかった。

 ニュートの家に行く事に魅力を感じなかったわけではなかった。けれど、どうしてか後ろ髪を引かれた。

 

「……それより、ドラコ。君はどうするんだ?」

「僕かい? 僕は家に帰るよ。帰らないと、父上と母上が悲しむからね」

「そうか……」

 

 ハリーは湖に映り込む空を見つめた。 

 その表情に、ドラコはようやくハリーの本心が見えた気がした。

 

「……僕の家に来るかい?」

「行かない」

「そっか」

 

 二人はしばらく湖を見つめていた。

 いつしか、空から白い雪が降り始めて、ハグリッドの小屋に戻った。

 ウキウキとハリーの為にロックケーキを用意するハグリッドに、ハリーは少しだけ笑った。

 ドラコはあまりハグリッドの事が好きでは無かったけれど、クリスマスでも彼だけはどこにも行かない事に少し安心した。

*1=魔法使い殺しとして知られる/訓練することも、飼いならすこともできない



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第十四話『禍津』

 クリスマス。一人っきりになった寮の寝室にはたくさんのクリスマスプレゼントが届けられていた。

 ハリーはビックリしながら一つ一つのプレゼントを開いていった。

 ドラコからは爬虫類用の鱗磨きセット。ハリーは早速ゴスペルに使ってやろうと決意した。

 ロンからは魔法界のチェスのセット。《今度、一緒に対戦しようよ!》という手紙が同封されていた。望むところだとハリーは息巻いた。

 ハーマイオニーからは羽ペンのセットが届いた。実はハリーもまったく同じ物を送っていた。ライバルに塩を送ったつもりだったのに、これでは意味がないとハリーはハーマイオニーの気の利かなさをなじった。

 ハグリッドからは木彫りの笛。試しに吹いてみると、意外と悪くない音色だった。器用なものだと、ハリーは少し感心した。

 ニュートからはトランクの改造キット。これを使えば、トランクのスペースの一つをゴスペルやエグレにとって快適な空間に仕上げられるようだ。これも後で使ってみようとハリーは心に決めた。

 マクゴナガルからは一冊の本だった。それはアルバムだった。中身はたくさんの写真で埋められていた。

 ハリーはしばらく見つめた後、アルバムをトランクの奥深くへ投げ込み、他のプレゼントを適当に隅へ追いやって、ドラコに貰った鱗磨きセットでゴスペルの鱗をピカピカにする作業に移った。

 

『……相棒。オレ様がついてるぜ』

 

 ゴスペルはペロリと長い舌でハリーの頬に伝っていた雫を舐め取った。

 

 ◆

 

 ハリーが大広間に行くと、そこにはロンがいた。彼の兄弟の姿もある。

 

「ハリー! こっちに来なよ! 美味しいよ!」

 

 ほとんどの生徒が自宅に帰ってしまったからか、大広間はガランとしていた。

 テーブルは一つを除いて全て片付けられていて、そこに残った生徒達や教員達が一緒にご馳走を食べている。

 ハリーはロンの隣に座った。目の前には、丁度ダンブルドアの姿があった。

 

「おはよう、ハリー」

「おはようございます、校長」

 

 ハリーは沸々と湧き上がる怒りと憎しみを抑えながらダンブルドアを睨みつけた。 

 すると、目の前に七面鳥の足が飛び出してきた。

 

「ほい、ハリー」

「……ありがとう、ロン」

 

 ハリーはロンから受け取った七面鳥の足に噛み付いた。

 それからしばらくの間、ハリーは食事に集中した。

 腹が満たされ始めた頃、まるで大砲のような音が鳴り響いた。目を丸くして振り返ると、ロンの兄弟が巨大なクラッカーを鳴らしていた。

 クラッカーから花火が飛び出し、帽子や小さなプレゼントが降ってきた。

 ハリーはリアルな白鳥の形の帽子を手に入れた。

 

「……いらね」

 

 ハリーが投げ捨てると、それをマクゴナガルがキャッチして、「どうも、ハリー」とクスクス笑いながら被った。

 あまりの事に目を見開くと、今度はハグリッドがマクゴナガルのホッペにキスをした。

 

「おい、貴様!! 何をしているんだ!!」

 

 ハリーはテーブルに飛び乗った。

 

「貴様ぁ!! 先生に何をするかぁ!! 許さん!!」

 

 そのままハグリッドに飛びかかるハリー。

 

「ハリー? どうしたんだ? んー?」

 

 ハリーが掴みかかると、ハグリッドは何故か嬉しそうに笑った。

 

「おうおう! 甘えん坊さんめ!」

「誰が甘えん坊だって、ぎゃぁぁぁぁぁぁ!? 離せぇぇぇぇぇぇ!! 貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 ハグリッドはハリーを抱きしめた。骨が軋む音がした。

 あまり笑い事ではないけれど、ロンはその光景に思わず吹き出した。

 

「なんだなんだ?」

「ハリーはどうしたんだ?」

 

 ロンの兄のフレッドとジョージも面白そうに見ている。

 結局、ハリーは呆れた様子のスネイプが見るに見かねて解放するまでハグリッドに抱きしめられ続けた。

 解放されたハリーはみんなからニヤニヤとした視線を向けられて顔を真っ赤にしながら大広間を飛び出した。

 

「おのれぇぇぇ!! おのれおのれおのれぇぇぇ!!」

 

 中庭に飛び出して、誰が作ったのかも分からない雪だるまに向かって雪玉を投げつけるハリー。

 ハグリッドがマクゴナガルにキスをした事に激昂して醜態を晒してしまった事にやり場のない怒りを抱えていた。

 すると、そんなハリーに雪玉が襲いかかった。

 

「誰だぁぁぁぁぁ!!」

 

 飛んできた方向を睨みつけると、そこにはフレッドとジョージがいた。その更に後ろにはロンもいる。

 

「へいへい、ハリー! 無抵抗な雪だるまとじゃなくて、俺達と遊ぼうぜ!」

「雪合戦だ!」

 

 そう言って、二人は雪玉を投げ始めた。

 

「ええい、やってやる! ロン! お前はこっちに付け!!」

「あー、オッケー」

 

 やれやれとハリーの方に回り込んでくるロン。

 そこからは二対二の雪で雪を洗う大激戦が始まった。

 気付いた時には全員が全身ぐっしょりと濡れてしまい、ガチガチと震えながら校舎に戻っていった。

 

「二人共、こっち来いよ!」

 

 さっさと寮に戻って着替えようとしていたハリーとロンにフレッドが言った。

 

「秘密の場所を教えてやるよ」

 

 無視して帰ろうとするハリーをジョージが抱きかかえた。

 

「おい、貴様!! 離せ!!」

「暴れるなって! 絶対損はさせないからさ!」

 

 大騒ぎをしながら向かった先は六階にある《ボケのボリスの像》の傍の扉だった。

 

「ウッドの後をこっそりつけて見つけたんだ!」

「まったく、こんな場所を独り占めにしようなんて、実に悪いヤツだぜ!」

「ウッド?」

 

 何の事だとハリーが聞こうとする前に、二人は扉に向かって言った。

 

「《パイン・フレッシュ、松の香爽やか》」

 

 すると、軋みながら扉が開いた。

 

「わーお」

「すごいな」

 

 ハリーは抱えられた状態で校内を走り回される屈辱に対する怒りを忘れる事にした。

 それほど、素晴らしい場所だった。

 そこは白い大理石の浴室だった。天井にはロウソクの灯ったシャンデリアが吊り下げられている。浴槽の周囲には百を超える蛇口があり、それぞれに異なる宝石が散りばめられている。

 窓には真っ白なリンネルの長いカーテンが掛けられていて、壁には人魚の絵が飾られていた。

 とにかく豪華だった。

 

「ブルブル震えている時にはうってつけだろ?」

「監督生とクィディッチのキャプテン、そして、俺達だけに許された特権的空間さ!」

「パーフェクトだ」

 

 ハリー達は急いで濡れた服を脱ぎ去った。そのまま浴室に飛び込んでいく。

 それぞれが好き勝手に蛇口を開くと、それぞれ違った入浴剤の泡が飛び出してきた。

 ハリーの捻った蛇口からはブルーとピンクのサッカーボールのような大きさの泡。

 ロンの捻った蛇口からは雪のような真っ白な泡。

 フレッドの捻った蛇口からは香りの強い紫の雲がモクモクと広がっていく。

 ジョージの捻った蛇口からは勢いよく吹き出したお湯が水面を飛び跳ねた。

 あっと言う間にいっぱいになった浴槽に四人は一斉に飛び込んだ。

 

「ひゃっほー!」

「さいこー!」

「きんもちいぃぃぃ!!」

「グレイト!!」

 

 浴槽はとにかく広く、四人が同時に好き勝手に泳ぎ回っても平気だった。

 楽しい時間が過ぎていく。

 四人は仲良くのぼせ上がった。

 フラフラしながら寮に戻っていく途中、ドラコが戻ってきたら連れて行ってやろうとハリーは思った。  

 

 第十四話『禍津』

 

 ホグワーツ特急から降りると、マルフォイ家の屋敷しもべ妖精であるドビーが待っていた。父母の姿はどこにもない。

 忙しい父はともかく、母まで居ない事にドラコは怪訝な表情を浮かべた。

 

「おい、ドビー。父上と母上は来ていないのか?」

「はい、来ておりません」

 

 ドビーの様子も、少し妙だった。普段の卑屈な表情とは違って、どこか夢見るような表情を浮かべている。それに、口調もドビーにしてはハキハキしていた。

 ドラコは奇妙に思いながらも、とりあえず屋敷に帰ろうと思った。母が急病を患って、仕方なくドビーに迎えに行かせたのかも知れないと思ったからだ。

 

「おい、屋敷に帰るぞ」

「かしこまりました。失礼致します」

 

 ドビーがドラコの手に触れると、バチンという音が響いた。

 次の瞬間、ドラコはマルフォイ家の屋敷の前に立っていた。

 とても静かだ。

 

 鉄の門をドビーに開かせ、玄関に向かって行く。

 

「……雑草が少し伸びているな」

 

 ドラコの母は几帳面な性格で、庭いじりが趣味でもあった。それなのに、雑草が好き勝手に伸びている。

 玄関に近づくにつれ、胸がざわめき始めた。

 

 ―――― これ以上、近づいてはいけない。

 

 バカバカしい。

 近づかなければ、中に入れない。

 ホグワーツ特急に長々と揺られたせいで、体はクタクタだ。それに、お腹も空いている。

 母の手料理を食べたいし、ふかふかのベッドに飛び込みたい。

 父母に語って聞かせたい話も山程ある。それに、マルフォイ家の今後についてもシッカリと話し合う必要がある。

 

 ―――― 屋敷に入ってはいけない。

 

 耳鳴りがする。日が暮れ始めて、一気に冷え込み始めた。体がブルブルと震えている。

 早く、中に入って温まろう。

 

 ―――― 引き返そう。ホグワーツに戻るんだ。

 

 戻るのは休暇が終わってからだ。ハリーへのクリスマスプレゼントは通販で買って、当日届くようにしてある。だから、戻る理由などない。

 

「ドラコ坊ちゃま、中へどうぞ」

 

 ドビーが玄関の扉を開いた。その先には暗闇が広がっている。

 

「ドラコ坊ちゃま」

 

 ドビーに手を掴まれた。

 さっきよりも、玄関が遠くなっている。

 気づかない内に、後ずさっていたようだ。

 

「は、離せ……」

「外は寒うございます。どうか中へ、ドラコ坊ちゃま」

 

 ドビーはドラコを引っ張った。恐ろしい力だ。

 

「は、離せと言っているんだ! 命令だぞ!」

 

 屋敷しもべ妖精は命令に逆らえない。その筈なのに、ドビーは離さなかった。

 相変わらず、夢見るような表情で、気色の悪い笑みを浮かべている。

 

「さあ、ドラコ坊ちゃま。中へ」

「待て、離せ!」

 

 ドラコはポケットから杖を取り出した。けれど、バチンという音と共に、手から杖がすっぽ抜けた。そして、そのままドビーの手に収まった。

 

「お、お前!?」

 

 漸く、ドラコは自分の現状を理解した。

 この屋敷は、既に彼の生まれ育ったマルフォイ家の屋敷ではない。

 獲物を狙う、蜘蛛の巣だ。

 ドラコは蜘蛛の糸に絡め取られてしまったのだと理解した。

 もがけばもがく程に糸は絡みついてくる。

 

 ドビーはドラコを屋敷の奥へ連れて行った。

 扉を抜ける度に、まるで崖の淵に向かって歩いているかのような錯覚を覚えた。

 そして、応接間に連れ込まれた。

 

「おかえりなさい、ドラコ」

「おかえり、ドラコ」

【やあ、おかえり、ドラコ】

 

 そこには父がいた。母がいた。

 そして、得体の知れない少年がいた。

 

 ―――― 誰だ……、お前!

 

 そう叫ぼうとしたのに、喉はヒクヒクと動くだけで声にならない。

 

【怯えなくていい。君を害するつもりはないんだ。ルシウスとナルシッサのおかげで、十分に魂を得られたからね】

 

 物静かな声で、少年は言った。

 髪の色が黒い事や、美しい顔立ちである事はわかるけれど、その輪郭が奇妙にぼやけている。薄気味の悪い光を帯びている。

 

「魂……、だって?」

【そうだよ。彼らの心の奥底に眠る感情を餌食にして、ボクは自分を満たした。受肉したわけではないが、ここまで実体を得られれば、とりあえずは十分さ】

「お、お前! パパとママに何をしたんだ!?」

 

 湧き上がる怒りが恐れを上回り、ドラコは叫んだ。

 すると、少年は甲高い笑い声をあげた。

 

【言ったじゃないか、ドラコ。魂を注がせたのさ】

「だから、それは一体……!?」

 

 ドラコが睨むと、少年は冷たい視線を返した。

 

【ドラコ。いけない子だね。誰に向かって、そんな目を向けているんだい?】

 

 そう言うと、少年はドラコの下へやって来た。咄嗟に杖を抜こうとして、ドビーに取り上げられている事を思い出したドラコはドビーを睨みつけた。すると、ドビーは指を鳴らした。

 バチンという音と共に、ドラコの体は床に転がされた。猿轡を噛まされ、手足をロープで拘束されている。ドビーの魔法だ。

 

【ドラコ】

 

 少年はドラコの頭を踏みつけた。

 

【偉大なる存在には、敬意を持って接するべきだ。傅いて、頭を垂れ、命令を与えられる事に悦びを感じるべきなんだ。怒鳴ったり、睨みつけるなんて、もってのほかだ】

 

 少年はドビーからドラコの杖を受け取った。

 

【少し、教育が必要らしい。ついでに覚えておくといい。これが磔の呪文と呼ばれる魔法が対象に与える苦痛だ】

 

 ドラコの目が見開かれる。必死に藻掻く。けれど、逃げる事は叶わなかった。

 

【クルーシオ】

 

 それは、魔法界において、許されざる呪文と呼ばれているものの一つだった。

 想像を絶する苦痛を与える拷問用の呪文であり、その魔法を受けた者は死の救いを求める程だという。

 ドラコは悲鳴を上げた。ロープが腕や足にどれだけ食い込んでも暴れ続けた。

 やがて、顔は真っ赤になり、白目を剥いて、泡を吹きながら痙攣し始めたドラコを少年は嗤う。

 

【情けない。これでも手加減をしたんだよ? まったく、親が親なら子も子だな。だろう? ルシウスにナルシッサ】

 

 二人は動かない。けれど、その瞳からは涙が溢れ出していた。

 魂を抜け殻寸前まで吸い取られ、何時間も拷問に掛けられながら、それでも二人の中の息子に対する愛は消えていなかった。

 その事に少年は舌を打つ。

 

【まあいい。さっさと躾けてしまおう】

 

 そう言うと、少年は嗜虐的な笑みを浮かべた。



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第十五話『ボクはドラコ・マルフォイ』

 クリスマス休暇は瞬く間に過ぎて行った。ハリーは毎日のようにウィーズリー兄弟と遊んだ。フレッドとジョージは怖いもの知らずで、エグレを紹介しても逃げ出すどころか「すげー!」とか、「かっけー!」と瞳を輝かせてハリーを喜ばせた。

 

 二人に教えてもらって、ホグワーツのキッチンにも忍び込んだ。そこではホグワーツで働いている屋敷しもべ妖精達が忙しなく働いていて、その中にはいつもエグレの食事を用意してくれている者達もいた。

 マーキュリー、ウォッチャー、フィリウスの三人はハリーが来ると飛び上がり、大喜びで歓迎の支度をしてくれた。

 いくら飲んでも、いくら食べても、彼らはお菓子やジュースを次々に持って来てくれた。彼らにとって、ハリーの為に働ける事はとても名誉な事であり、喜びでもあった。他の屋敷しもべ妖精達も、そんな三人を羨ましそうに見つめている。

 ハリーはマーキュリーが用意した椅子にふんぞり返り、最高の気分に浸った。どんなに我儘を言っても怒られるどころか喜ばれる。ダメになってしまいそうだった。ハリーはすっかり彼らの事が好きになった。

 

 秘密の部屋やキッチンに行かない時は大抵中庭で雪遊びをするか、ハグリッドにヒッポグリフに乗せてもらった。

 フレッドとジョージはグリフィンドールのクィディッチチームのメンバーで、ヒッポグリフに乗るのも上手かった。ロンも最初はおっかなびっくりで苦戦していたけれど、今では自在に乗り回せている。

 ハリーを乗せるのはいつもバックビークだった。

 

 クリスマスが楽しい。それはハリーにとって、初めての体験だった。

 だからと言って、油断はしていない。

 宿敵たるハーマイオニーはクリスマス休暇の間も勉強を続けている筈だと、ハリーは確信していた。

 彼女に負けたくない。その一心で、ハリーは空いた時間の全てを勉強に費やした。

 

 ロンの兄であるパーシーは、そんなハリーの姿勢に感心した。

 図書館の常連である彼は、元々ハリーがハーマイオニーと競い合いながら勉強をしていたことを知っていた。けれど、休暇の間もまじめに勉強を続けるとは思っていなかった。

 だから、難しい参考書を開きながら唸り声を上げているハリーに声をかける事にした。

 スリザリンの生徒であり、大広間でヴォルデモートをクィレル教授ごと抹殺した問題児。だけど、ロンは変わらず彼の友人であり続けているし、ホグワーツ特急で彼がロンに対して行った親切を、彼は忘れていなかった。

 

「やあ、ポッター。分からない所があるのかい?」

「ロンの……。ええ、ここが少し」

 

 ハリーはパーシーに対して素直に接した。それはホグワーツ特急での彼のロンに対する深い思い遣りを覚えていたからだ。そして、監督生という立場もリスペクトする理由になり得た。

 パーシーはハリーの勉強に対する熱心さと、自分に対する素直さにすっかり気を良くした。

 

「分からない事があったら何でも聞いてくれ。きっと助けになってみせるよ」

 

 彼は兄弟の中で自分だけが少し浮いている事を自覚していた。弟達は彼を頭でっかちの頑固者というし、兄達も真面目過ぎると窘めてくる。だから、こうしてハリーが素直にアドバイスを聞いてくれる事が嬉しかった。

 

「ありがとうございます、パーシー。段々、内容が難解になって来まして……」

 

 ハリーも聞けば聞くほど嬉しそうに、そして丁寧に教えてくれるパーシーをますます気に入った。

 

《質問をしてはいけない》

 

 それが、物心ついた時、最初に言われた言葉だった。ダーズリーの家では、分からない事を聞く事が悪だった。だから、ハリーは何事も自分で解決しなければならなかった。

 ドラコとの勉強でも、基本的にハリーは教える側に立っていた。

 だから、こうして聞いた事に対して真摯な解答をくれる人がハリーは好きだった。

 マクゴナガルに懐いたのも、彼女がハリーの質問にキチンと答えてくれた事が大きかった。

 

「無理もない。これは二年生の内容じゃないか! 独学でよくここまで進められたものだよ! でも、基本は同じなんだ。ただ、一度に考えないといけない事が増えただけなんだよ。だから、自分の中に幾つかの箱を作る事が重要なんだ」

「幾つかの箱ですか?」

「うん。僕が普段使っている思考方法なんだ。まず、大きな箱を作る。魔法薬で例えると、これは完成させたい魔法薬だ。そして、その中に幾つかの箱を入れる。これは並列して行う作業の内容だ。更に、それぞれの箱に複数の箱を作っていく。それらはそれぞれの作業の工程さ。一つの作業が終わる度に箱をしめていく。そうする事で、次に何をすべきか? どの作業が残っているのか? そういうのが分かりやすくなる」

「なるほど……。そうやって思考を整理するわけですね」

 

 ハリーはパーシーにならった思考法を使うようになった。箱というのがミソだった。頭の中でイメージがしやすく、難解な問題も解けるようになった。

 問題の解答に至る為の要素を一つ一つ箱に入れていく。そして、箱を一つ一つ解き明かしていく。

 少しでも躓けば、パーシーが喜んで手を伸ばしてくれた。時にはオススメの参考書や、自分のお古の教科書を持ってきてくれる事もあった。

 ハリーはますますロンが羨ましくなった。

 

 勉強も遊びも、なにもかもが順調だった。

 完璧だとハリーは思った。

 そうしている内に、クリスマス休暇が終わった。

 ホグワーツ特急に乗って、自宅に帰っていた生徒達が戻ってくる。

 ハリーはパーシーに教えてもらった思考法や、フレッドとジョージに教わった秘密の浴室、それに屋敷しもべ妖精達のキッチンについて教えてやろうとドラコを待ち構えた。

 

「やあ、ハリー。ただいま」

 

 ドラコがやって来た。

 

 第十五話『ボクはドラコ・マルフォイ』

 

 ドラコ・マルフォイの魂を奪い取るのは容易い事だった。拷問には思いの外耐え抜いたけれど、両親の死をチラつかせれば、彼はそれだけで反逆の意志を失った。

 自我は極限まで希釈され、見事な器となった。そこに、ボクは自らの魂を注ぎ入れた。

 今や、ボクこそがドラコ・マルフォイであり、そして、ヴォルデモート卿なのだ。

 

「ハリー。クリスマスはどうだった?」

 

 ボクの目の前にはハリー・ポッターがいる。ドラコは彼の親友だ。つまり、ボクの親友という事になる。

 他愛のない会話を楽しみながら、ボクはハリーを隅々まで観察した。

 本体(オリジナル)を抵抗すら許さずに抹殺した少年。今代のスリザリンの継承者。

 ボクは彼に怒りも憎しみも懐いてはいない。むしろ、好意を懐いてすらいる。

 それはきっと、彼とボクには不思議と似通った部分があるからだ。二人共混血であり、孤児であり、マグルに育てられ、蛇語を話す。それに、見た目*1もどこか似ている。

 まるで、生き別れた兄弟と再会したかのような気分だ。

 ボクはもっとハリーを知りたいと思った。ドラコの記憶だけでは足りない。

 だから、ここに来た。アルバス・ダンブルドアの懐に入り込むリスクを承知の上で。

 

 ドラコは常にハリーの傍にいた。ボクも彼に倣い、常に彼の傍にいる。

 授業を受けて、図書館で自習に励み、時にはハグリッドにヒッポグリフを借りて空を飛ぶ。

 

 数日が経つと、ボクは更なる共感を彼に抱いた。

 知識に対する貪欲さ。ペットの蛇に対して向ける愛情。常に上を目指す向上心。校内で殺人行為を見せつけて尚も人を惹きつける魅力。過去を隠す事に対する頑なさ。ダンブルドアに対する怒り。

 そして、最も親しい存在である筈のドラコ(ボク)にすら一線を引き、孤高であろうとしている所。

 まさに、学生時代のボク自身を見ているかのようだった。自分が精神だけでタイムスリップをして、第三者の目で自分自身を見ているかのようだ。

 

 

「あら? その本、わたしが随分前に読んだものね。頑張ってるじゃない!」

「ッハ! ペースを上げ過ぎて、息切れしない事だな、グレンジャー!」

 

 ただ一つ気に入らない点は、穢れた血が事ある毎に突っかかってくる事だ。

 無視してしまえばいいと何度言っても、ハリーはグレンジャーが来る度に立ち上がり、舌戦を繰り広げた。まるで、それを楽しんでいるかのようで、ボクは少しイライラした。

 マグル生まれが、まるでボク達と対等な存在かのように振る舞うなど、身の程知らずにも程がある。

 

「いい加減にしたらどうだ?」

 

 二人の舌戦に割り込むなど、あまりドラコらしくない行為だが、この程度で疑われる事は無いだろう。

 そもそも、ドラコの肉体が他人(ボク)に奪われているなど、想定出来る筈がない。

 

「ハーマイオニー・グレンジャー。君は寂しいのか? いつも図書館で一人っきり。友達がいないのかい?」

 

 図星なのだろう。さっきまで元気よく動いていた口が奇妙な形で固まってしまっている。

 

「だが、だからと言って……、なぁ? 他寮の男子生徒に突っかかって、それで構ってもらって嬉しいのかい? 老婆心ながら忠告させてもらうけど、君は、もう少し客観的に自分を見た方がいい。実に愚かで、そして、滑稽だ」

「……ドラ、コ。あなた……」

 

 グレンジャーは小刻みに震えながら唇をキュッと閉じた。そして、鼻を啜ると、ボク達に背中を向けた。

 これで、二度とボク達の邪魔をする事はないだろう。

 

「おい、グレンジャー!!」

 

 それなのに、ハリーはグレンジャーを呼び止めた。

 まさか、慰めるつもりなのか? そう思って、ハリーを見ると、彼は実に愉快そうに嗤って言った。

 

「クリスマスに買ってたプレゼント用の羽ペンセットの調子はどうだ?」

 

 ハーマイオニーはピタリと立ち止まると、一瞬ハリーを見た。そして、険しい表情を浮かべると、今度こそ図書館を飛び出して行った。

 

「……羽ペンセットって、何の話だ?」

「アイツ、クリスマスにプレゼント用の羽ペンセットを買いやがったんだ。不思議な事に、何故か誰かにプレゼントした筈の羽ペンをアイツは使ってるんだ」

「まさか、自分用に? そこまでいくと滑稽を通り越して哀れだな」

 

 誰にも貰えないからといって、自分でプレゼントを買う人間なんて初めて見た。

 散々イライラさせられたけれど、最後に笑わせてもらったからイーブンにしておこう。

 

 ◆

 

 ハリーが秘密の部屋に行っている間、ボクは別行動を取っている。

 オリジナルはバジリスクに正体を看破された為に窮地に立たされた。今の状態のボクの事まで嗅ぎ分けられるのかは分からないけれど、余計なリスクは避けるべきだろう。

 折角の自由行動をボクは有意義に使う事にした。向かう先は《必要の部屋》と呼ばれる場所だ。

 ホグワーツの数ある隠し部屋の中でも最も発見が困難な場所の一つであり、同時に最も謎に包まれた部屋でもある。

 七階にある、バカのバーナバスのタペストリーの傍で必要と思う事を念じながら歩いていると、壁に扉が現れ、思い描いた空間が生成されるのだ。

 例えば、隠す場所を必要だと念じれば、物を隠す為の空間が姿を現す。

 

 この空間の最も奇妙な点は、生成される空間は《何を必要としたか》によって無数に生み出される一方で、《同じ内容》で生成された部屋は同じ空間として現れる事だ。

 ボクが隠す為の空間を生成して中に入ると、そこには既に無数の隠し物が溢れていた。これはつまり、これだけの隠し物を隠した人間が各々この空間を作って、物を隠してきたという事だ。

 そもそも、無から有を生み出す事は出来ない。魔法の力をもってしても、これは絶対の原則だ。

 考えられる可能性は、ホグワーツのどこかにこれらの空間が格納されていて、必要とされた時にだけ接続されるというもの。けれど、そうなると無数の空間を予め用意しておく必要があるし、格納する場所も問題となる。

 この謎は、今も解き明かす事が出来ずにいる。

 

「……ホグワーツの設備は創設者の一人であるロウェナ・レイブンクローが一手に引き受けたと言うけど」

 

 偉大なるヴォルデモート卿ですら理解の及ばない叡智。

 とても、同じ人間とは思えない。

 

「っと、ここだな」

 

 しばらく必要の部屋の中を物色していると、目当ての物を発見する事が出来た。

 サファイアのような楕円形の宝石が埋め込まれている髪飾り(ダイアデム)だ。下の方にはレイブンクローの有名な言葉である《計り知れぬ英知こそ、われらが最大の宝なり》の文字が刻まれている。

 これは、ヴォルデモート卿が作った分霊箱の一つであり、偉大なるロウェナ・レイブンクローが所持していた物でもある。

 一説によれば、これを身に着けた者は知恵が増すと言われている。

 

「……妙だな」

 

 ボクはオリジナルの消滅と共に、魂を取り込む事なく自我を取り戻していた。

 おそらく、分霊箱に封じられていた魂の断片は常にオリジナルに何かを吸われ続けていたのだろう。それが無くなった事で、それぞれが個として独立出来るようになったのだと考えている。

 けれど、レイブンクローの髪飾りの分霊箱は触れてみても何の反応も示さなかった。少なくとも、何らかのアクションはあると思っていた。

 

「ボクが特別だっただけなのかな?」

 

 考えてみれば、ボクはオリジナルが最初に作り出した分霊箱だ。魂の二つに裂いた時の、つまりは本来の魂の半分をボクは持っているわけだ。その後もオリジナルは魂を裂き続けた。ひょっとすると、一番魂を多く持っていたのはオリジナルや他の分霊箱ではなく、ボクだったのかもしれない。だから、ボクは自我を取り戻せたのかも知れない。

 

「まあ、いいか」

 

 ボクは髪飾りを元の場所に戻した。

 自我を持っていないのなら、持ち出しても旨味がない。この場所なら早々見つかる事もないだろう。

 そろそろハリーが秘密の部屋から戻る頃合いだろう。

 ボクは必要の部屋を後にした。

 

 ◆

 

「……ハリー。君は闇の魔術に興味はないの?」

 

 冬が過ぎ去った頃、いつものように図書館で勉強している途中で、ボクは周囲に邪魔者達がいない事を確認しながら問いかけた。

 穢れた血のグレンジャーや、血を裏切る者のウィーズリーが居ては、こういう話が出来ない。

 

「もちろん、イエスだ。武器は多いに越したことはないからな」

 

 そう言うと思った。ボクも、その考えの下で学生時代に闇の魔術を探求した。

 学生が気軽に使える下位の闇の魔術(ジンクス)ではなく、戦う為の中位の闇の魔術(ヘックス)上位の闇の魔術(カース)がボクには必要だった。

 

「君は闇の魔術に詳しいのかい?」

「それなりにね。今後はそっちの勉強もしてみない?」

「悪くないな」

 

 経歴は立派なものだけど、やはり彼は十歳の子供に過ぎない。まだまだ無知で、向こう見ずだ。

 好奇心を刺激してやれば、素直に誘惑に乗ってくれる。

 可愛らしいものじゃないか。

 

 ハリーの内に宿るダンブルドアに対する怒りを丹念に育て上げよう。

 そして、ヤツの喉笛を食い破る為の牙と爪を与えよう。

 ハリー・ポッター。もう一人のボク。君となら、共に歩むのも悪くない。

*1トム・リドルとしての



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第十六話『静かなる戦い』

 ハーマイオニー・グレンジャーは誰も使っていない女子トイレの中で泣いていた。

 

 ―――― 君は寂しいのか? いつも図書館で一人っきり。友達がいないのかい?

 

 頭の中でドラコ・マルフォイの言葉が反響し続けている。

 彼の言葉を、彼女は否定する事が出来なかった。実際、彼女には友人と呼べる存在が一人もいなかった。クリスマスプレゼントも家族の他にくれた人は一人だけだった。

 

「……なんなのよ」

 

 ハーマイオニーは懐から羽ペンを取り出した。これは、自分で買ったものではなかった。

 家族以外からの贈り物だった。

 本人には照れくさくて言えないけれど、彼女にとっては大切な宝物になっていた。

 それなのに――――、

 

 ―――― クリスマスに買ってたプレゼント用の羽ペンセットの調子はどうだ?

 

 まるで、バカにするような口調で、彼は言った。

 

「わたしが買った羽ペンの調子なんて、あなたが一番知ってる筈じゃないの!!」

 

 クリスマスの時に、ハーマイオニーは確かにプレゼント用の羽ペンセットを買った。けれど、それは自分で使うためではなかった。

 ハリー・ポッター。顔を合わせる度に、どうしてか喧嘩になってしまう男の子。彼に贈ったのだ。

 そして、彼も贈ってきた。まったく同じ物だった。

 最初は不要だと送り返されたのかと思った。けれど、それは時間的にあり得なかった。

 それに、プレゼントの箱も彼女が用意した物とは違っていて、

 

《それを使って、もっともっと勉強する事だな! 学年末試験で決着をつけようじゃないか!》

 

 という文章が添えられていた。

 彼が彼女の為に用意したものである事に、疑いの余地はなかった。

 

「ドラコも、ハリーも! あんな事を言う人だなんて思わなかったわ! あんな……、ひどい……」

 

 いっそ、羽ペンを捨ててしまおうかとも思った。けれど、捨てられなかった。

 それから、彼女はしばらく泣き続けた。

 

 涙が枯れると、彼女は羽ペンをジッと見つめた。

 やがて、彼女の眼が徐々に見開かれていく。

 

「……使ってた」

 

 彼女はハリーがドラコとの勉強中に自分が贈った羽ペンを使っていた事を思い出した。決してぞんざいには扱わず、大切に使ってくれていた。

 ゆっくりと、ハーマイオニーは思考を巡らせ始めた。

 

「わたしが買った羽ペンはハリーが使ってる。でも、ハリーはわたしに、わたしが買った(・・・・・・・)羽ペンの調子を聞いた。彼が買った(・・・・・)羽ペンなのに……」

 

 違和感に対して、いくつもの疑問をぶつけていく。

 ハリーはプレゼントされた羽ペンを大切に使っている事を彼女が知っていると思った。だから、友達ならここにいるぞ、という捻くれた友情の言葉だったのかもしれない。

 そう考えて、即座に違うと確信した。

 彼がそんな直接的な優しさを自分に向けてくれるとは思えなかったし、あの時の顔には紛れもない悪意があった。

 

「……見た目は同じ物だけど、違う物?」

 

 ハーマイオニーは思わず笑ってしまった。

 バカバカしい。いくらなんでもありえない。

 

「ドラコはあんな酷い事を言う人じゃない! ……って思ってるわけ? わたし……」

 

 ドラコは偽物で、だから、本物なら言わないような酷い事を言ったのだ。

 そんな程度の低い妄想をしてしまう程、自分は傷ついていたのかとハーマイオニーは驚いた。

 そして、その妄想が真実か否かを確かめようと思ってしまった自分のバカさ加減に呆れた。

 

 ◆

 

 ハーマイオニーが向かったのは秘密の部屋の入り口だった。嘆きのマートルというゴーストがいる女子トイレ。

 中に入ると、扉としての役割を持つ筈の洗面台が無くなっていた。代わりに大きな穴が開いている。今現在、下に誰かがいる証拠だ。

 意を決して飛び降りると、そこには待ち構えていたかのようにハリーがいた。隣には、ボロ布を着た奇妙な妖精がいた。それが屋敷しもべ妖精なのだとハーマイオニーはすぐに気がついた。

 

「……遅かったな。貴様なら、早急に気づくと踏んでいたのだが?」

「ウソ……。じゃあ、まさか!?」

「ああ、そういう事だ」

 

 ハリーは怒りに満ちた表情を浮かべて言った。

 

「……アレは偽物だ」

 

 第十六話『静かなる戦い』

 

 時間を遡り、クリスマス休暇が終わった直後の事だ。

 ハリーが秘密の部屋に入ると、バチンという音と共にマーキュリーが現れた。青い瞳が特徴的な屋敷しもべ妖精だ。

 

「マーキュリー? どうしたんだ?」

 

 ハリーは驚いた。マーキュリーに限らず、屋敷しもべ妖精達はエグレを恐れている。

 恐れていても、エグレの為に完璧な仕事をしてくれるから、ハリーは彼らを信頼しているのだ。

 

「も、申し訳ありません。許可も得ずに……。は、ハリー・ポッター様にお伝えしておきたいこ、事がありまして……」

 

 辺りをキョロキョロと見回しながら、マーキュリーは挙動不審になりつつも言った。

 自分の膝を抓っている。自分で自分に罰を与えているのだ。

 

「なんだい?」

 

 ハリーは片膝をつき、子供よりも小柄なマーキュリーに視線を合わせた。そして、膝を抓っている手を取った。その態度にマーキュリーは跳び上がり、薄っすらと涙を浮かべた。

 

「は、ハリー・ポッター様! あなたは監視されています!」

 

 意を決した様子でマーキュリーは言った。

 

「……詳しく教えてもらえるかい?」

 

 マーキュリーは何度も頷いた。

 

「その者は屋敷しもべ妖精なのです! エグレ様を恐れてか、今は秘密の部屋の入り口付近をウロウロとしております! い、今ならば内密にご報告出来ると思い……、その!」

「……ありがとう。そうか、屋敷しもべ妖精を使っていたのか……」

 

 ハリーはマーキュリーの頭を優しく撫でた。

 マーキュリーは鼻を啜りながら表情を引き締めた。

 

「は、ハリー・ポッター様を監視するなど! 同族として許せません!」

「いや、その屋敷しもべ妖精に罪は無い。許してやってくれ」

「はえ?」

 

 零れそうな程の大粒の瞳を更に大きく広げるマーキュリー。

 

「屋敷しもべ妖精は命令されただけだ。ボクの敵はその後ろにいる。……君達が気付いた事を、その屋敷しもべ妖精は気付いているのかい?」

「い、いいえ! 気付いてはいない筈です! わ、わたし達は細心の注意を払いました! 問いただすべきか悩みましたが、どうもその……、様子がおかしい事に気づきまして……」

 

 マーキュリーの言葉が尻すぼみになった。

 

「どうしたんだ? どう、おかしかったんだ?」

「ま、まるで起きているのに、眠っているかのようで……。なんと言いますか、あの……、く、口に出すのも恐ろしい……、あの魔法のようでした……」

「あの魔法……?」

『おそらくは服従の呪文だ。操られている本人は多幸感につつまれ、まるで夢を見ているかのような状態になるからな。それを表に出す事を禁じなかったり、命令の更新を怠ったり……、要するに大雑把な指示を出して放置すると、夢遊病のような症状が現れるのだ』

 

 エグレが分かりやすく教えてくれた。

 

「……なるほど、屋敷しもべ妖精にわざわざ服従の呪文を使ったのか」

 

 ハリーは目を細めた。

 

「マーキュリー。君とウォッチャー、それにフィリウスの三人に頼みたい事があるんだ。仕事で忙しい中、申し訳ないが、頼まれてくれるか?」

「も、もちろんでございます!! ハリー・ポッター様のご命令とあれば、なんなりと!」

「ありがとう、感謝する!」

 

 マーキュリーが秘密の部屋を去ると、ハリーは思考に耽り始めた。

 

「……秘密の部屋の入り口の存在は既に開示してある。しかも、マーキュリーは屋敷しもべ妖精ならば誰でもホグワーツ内で自在に姿現しが出来ると言っていた。それでも入って来ない理由……。エグレを恐れている……。外部か……、あるいは内部か……。そもそも、どこで屋敷しもべ妖精を? 服従の呪文を使った理由は……」

 

 ハリーは瞼を閉じた。それから、パーシーに倣って、大きな箱をイメージした。その箱は屋敷しもべ妖精の後ろにいる監視者の正体だ。

 次にイメージする箱は5W1Hだ。つまり、When(いつ)Where(どこで)Who(誰が)What(何を)Why(なぜ)How(どのように)を考えるわけだ。

 When(いつ)はマーキュリーが教えてくれた。クリスマス休暇の後だ。それから、監視が始まったらしい。

 Where(どこで)は秘密の部屋以外のホグワーツ全域だ。

 Who(誰が)は不明。これを解き明かす事がとりあえずのゴールだ。

 What(何を)はハリーの監視。そして、ソレ以外の何らかの行動。まずはこれを優先的に調べる必要がある。

 Why(なぜ)は大方の予想がついていた。けれど、それだと断定してしまうのも危険だろう。これは一先ず保留としておく。

 最後にHow(どのように)。これは屋敷しもべ妖精だ。けれど、これだけとも思えない。これはWhat(何を)にも通じるものがある。二つの箱を一組にして、優先順位のトップに置いた。

 

『マスター。我はどう動けばいい?』

 

 エグレの問いかけにハリーは苦い表情を浮かべた。

 彼はエグレを極力動かしたくなかった。ただでさえ、魔法省が処分したがっているのだ。奴らに口実を与える真似は避けたかった。

 無論、口実を手にしてノコノコ現れた時は全身全霊を賭けて戦う覚悟は決めてある。

 けれど、避けられるリスクは避けるべきだろう。

 それに、ハリーは友達を道具のように扱う事はしたくなかった。

 

『……マスター。汝の敵は、我の敵だ』

 

 エグレは言った。

 

『共に戦おう』

『……エグレ』

 

 ハリーは深く息を吐いた。

 気づかない内に、隨分と女々しい臆病者になったものだと自嘲した。

 十年の間、懸命に研ぎ続けてきた刃が、すっかり丸くなっている。

 マクゴナガルと出会い、ロンと出会い、ドラコと出会い、ニュートと出会い、ロンの兄弟達と出会い、忌々しいながらもグレンジャーと出会った事がハリーをいつの間にか変えていた。

 怒りや憎しみよりも、楽しいや嬉しいを優先するようになっていた。

 

「やれやれだぜ」

 

 ハリーは髪をかき上げると、眼鏡をそっと押し上げた。

 

『力を貸してくれ、エグレ!』

『無論!』

『相棒!! オレ様も!! オレ様もいるからな!!』

 

 秘密の部屋のシェルターの一つでのんびりしていた筈のゴスペルも慌てた様子で声を上げた。

 

『ああ、頼むぞ、相棒!! お前にも頼みたい事があるんだ』

『合点承知だぜ!!』

 

 ハリーはゴスペルを腕に巻き付けた。

 

「いくぞ! 戦いの時が来た!」



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第十七話『勝者の条件』

 季節は初夏に差し掛かっている。もうすぐ、学年末試験が始まる。

 ハリーは既に三年生の内容を勉強していたけれど、最近は学年末の範囲の復習に精を出している。

 それが一段落すると、ボク達は束の間の休息を取った。

 ここからは闇の魔術(おたのしみ)の時間だ。

 

「《悪霊の火》を知ってるか?」

 

 二人で闇の魔術の研究を行うようになってから、ボクは必要の部屋や禁書の棚から密かに拝借した資料をハリーにプレゼントした。

 ドラコの父であるルシウスは闇の魔術に耽溺している。ボクは彼を資料の出処の言い訳に使った。

 その甲斐もあり、いよいよハリーは闇の叡智の虜となったらしい。

 数多の術の中でも、死の呪文と並ぶほどの強力な闇の魔術に自ら関心を寄せている。

 素晴らしい。

 

「ああ、もちろん。ゲラート・グリンデルバルドが得意とした魔術だね」

「グリンデルバルド……。ニュートが話してくれた闇の魔法使いか」

 

 ニュート・スキャマンダー。ハリーと共にバジリスクの研究を行っている男だ。

 魔法生物に対して並々ならぬ情熱を燃やしている。

 ボクにとっては毒にも薬にもならない存在だ。はっきり言って、どうでもいい。

 

「どうにも、本に記されている内容は抽象的でハッキリしない。《水の中でも消える事なき呪いの火。怪物を(かたど)り、意志を持っているかのように対象へ襲いかかる》。これだけだ。詳しい使い方も載っていない」

「まあ、闇の魔術の中でも《上位の闇の魔術(カース)》に位置するものだからね。その中でもとびきりの魔法だ。一般に知れ渡るような代物じゃ無いのさ」

 

 ボクの言葉にハリーは不満そうだ。よほど、強い興味を抱いているのだろう。

 死の呪文の方が圧倒的にスマートであり、扱い易いのだが、見た目の派手さに惹かれているようだ。

 実に子供らしい。

 

「使い方を知りたいのかい?」

「ああ、知りたい」

 

 ボクの言葉に希望を抱いたのだろう。彼は期待の篭った眼差しを向けてきた。

 それが不思議と心地よかった。彼とボクの間に立ちふさがる目に見えない壁の一部が崩れたかのように感じた。

 

「なら、教えてあげようか?」

「頼む!」

 

 ハリーの無邪気な笑みに、ボクまでつられてしまった。

 心から笑ったのは、はてさていつぶりだろう。

 彼と過ごす時間は実に楽しい。

 

「《悪霊の火》は、言ってみれば《守護霊の呪文》の亜種だ。その使い方も酷似している。守護霊の方は呪文を唱える際に術者の最も幸せな記憶を思い浮かべるんだ。対して、悪霊の方は呪文を唱える際に術者の最も怒りや憎しみに満ちた記憶を思い浮かべる必要がある。呪文はそれぞれ、エクスペクト・パトローナムとエクスペクト・フィエンド。守護霊は浄化の光が術者の精神に応じた姿を象り、悪霊は呪詛の炎が同じく術者の精神に応じた姿を象る。どちらも非常に強力な防衛術であり、闇の魔術だ。そして、どちらも非常に高度な技術を必要とする。だから、どちらか一方すら使えない魔法使いが大半なんだ」

 

 ハリーは感心した様子でボクの説明に聞き入っている。それが嬉しくて、ボクは更なる知識を披露した。

 

「そもそも、この二つの呪文はいずれも《古代の呪文(エンシェント・チャーム)》とされているんだ。誰が考案したのかも定かではない。ただ、守護霊の呪文が吸魂鬼(ディメンター)やレシフォールドに対する唯一の対抗呪文である事から、歴史的に有名な闇の魔法使いであるエクリジスこそが開発者ではないか、という声もある」

「エクリジス?」

「アズカバンを作り出した魔法使いだよ。現在では、魔法省が魔法使い用の監獄として利用しているけれど、あそこは元々、エクリジスの研究施設だったんだ。彼の死後、アズカバンに掛けられていた隠蔽呪文が解けて、その存在が明るみになった時、そこは吸魂鬼のコロニーになっていたそうだ」

「つまり、エクリジスこそが吸魂鬼の生みの親という事か?」

「そういう説もあるね。生みの親だからこそ、反対呪文を作り出す事が出来た。悪霊の火は、その時の副産物なのだろう。そう主張する者もいるんだ」

「なるほど……」

 

 楽しい時間というものはまたたく間に過ぎ去っていくものだ。

 そろそろ、寮の門限が近づいてきている。ボク達は勉強道具や闇の魔術の資料を片付けた。

 

「ありがとう。参考になったよ」

「どういたしまして」

 

 ボク達は欠伸を噛み殺しながら寮に戻った。

 

 第十七話『勝者の条件』

 

 青白い光に包まれた部屋。そこに、ハリーはマーキュリーと共に秘密の部屋から姿現しをした。

 ここはエグレに教わったホグワーツの隠し部屋の一つだ。それも、完全に閉ざされていて、まともな手段では決して辿り着けない場所にある用途不明の空間だ。

 不思議な事に、管の一本すら通っていない密閉空間にも関わらず、空気は外界とほぼ同じで、むしろ清々しい程だ。

 そこに、遅れてハーマイオニーとウォッチャーが現れた。

 

「……ハリー」

「いよいよだ」

 

 ハリーの言葉に、ハーマイオニーは唇を噛み締めながら、彼を睨みつけた。

 

「本気なの? とても正気とは思えない!」

 

 彼女の言葉にハリーは微笑を零す。

 

「本気だとも、グレンジャー。だが、正気を失っているわけではない。これは覚悟だ」

「でも……、上手くいくとは思えない! ねえ、ダンブルドア先生に相談しましょう!」

「駄目だ。あのジジィは信用ならない」

「校長先生なのよ!? 今世紀で最も偉大な魔法使いよ! 誰よりも信頼出来る筈だわ!」

「だが、ヴォルデモートを倒す事は出来なかった」

 

 ハリーの言葉にハーマイオニーは「でも!」と叫んだ。

 

「いくらなんでも滅茶苦茶よ! こんなの、成功する筈がないわ! 失敗すれば、あなたは何もかもを失ってしまう!」

「分かっている」

「分かってない! 分かっていたら、こんな事、思いつく筈がない! まして、行動に移すなんて、無謀を通り越して愚かよ!」

 

 喚き立てるハーマイオニーに、ハリーは笑う。

 

「なにがおかしいの!?」

「……グレンジャー」

 

 ハリーはハーマイオニーを見つめた。

 

「貴様との決着がまだなんだ。だから、ボクは必ず勝ってみせる。信じろ」

 

 ハーマイオニーは尚も言葉を紡ごうとして、失敗した。

 口を何度もパクパクさせた後、涙を零した。

 

「業腹だが、貴様には感謝している。ボクには協力者が必要だった。それも、優秀な人間でなければならなかった。だから……」

「言わないで!」

 

 ハリーの言葉を遮り、ハーマイオニーは叫んだ。

 

「褒めないで! 優しくしないで! ま、まるで最後みたいに言わないで!! 勝つんでしょ!? 勝ってきなさいよ!! 勝ちなさい!!」

 

 ハーマイオニーの言葉にハリーは表情を引き締めた。

 

「……ああ、もちろんだ」

 

 ハリーは懐からチェスの駒を取り出した。

 それは、クリスマスにロンからもらったものだ。

 

 ◆

 

 数日前、ハリーは偽のドラコに勉強の合間のほんの気晴らしだと言って、チェスの試合を申し込んだ。

 

「ナイトをFの3へ」

「ナイトをFの6へ」

「ポーンをCの4へ」

「ポーンをGの6へ」

「ナイトをCの3へ」

「ビショップをGの7へ」

「ポーンをDの4へ」

「キャスリングだ。キングはGの1、ルークはFの1へ」

「ビショップをFの4へ」

「ボーンをDの5へ」

「クイーンをBの3へ」

 

 魔法使いのチェスは駒に意志が宿っている。指し手が未熟だと、勝手に動いたり、反抗したりと普通のチェスにはない面倒な要素がある。

 けれど、二人の駒は素直に指示に従っている。

 例え、取られる事を前提とした動きを命じられても、弱音一つ吐く事はない。

 それは、二人が盤上の駒のすべてを完璧に支配している証だった。

 

「クイーンをAの3へ」

「ナイトをCの3へ。ナイトをいただく」

「ああ、こっちももらうよ。ポーンをBの2からCの3へ」

「じゃあ、このポーンをいただこう。ナイトをEの4へ」

「こっちもポーンをもらう。ビショップをEの7へ」

「クイーンをBの6へ」

「ビショップをCの4へ」

「ナイトをCの3へ。このポーンもいだたくぞ」

 

 駒の数が徐々に減っていく。

 

「ルークをEの8へ。チェックだ」

 

 先に追い詰めたのはハリーの方だった。

 

「……ふん。キングをFの1へ」

「ビショップをEの6へ」

「なに?」

 

 ドラコは怪訝な表情を浮かべた。今の一手によって、クイーンががら空きになった。ドラコがハリーを侮り、油断していた為に形勢はハリーの方に傾いていた。

 故に、今の一手はクイーンを守る為に使うべきだった。

 ハリーを見ると、狼狽えた様子はない。これが最善の一手だと確信しているかのような表情だ。

 

「……っは」

 

 バカバカしいとドラコは思った。クイーンはチェスの駒の中で最も強い。それなのに、ハリーは攻めを急いだ。これは迂闊さだ。

 勝負において、最も重要なものは力だ。強い手駒を維持し、相手の強い手駒を削る。それこそが最善だ。

 

 ―――― 大胆なのも結構だが、なにより重要な事は冷静に大局を見据える事だ。

 

 目先にばかり囚われているようでは勝者にはなれない。

 

「クイーンをいただくよ」

「……ああ」

 

 ドラコがクイーンを取ったところで、急にハリーは立ち上がった。

 

「用事が出来た」

「はぁ?」

 

 スタスタと去っていくハリーにドラコは眼を丸くした。

 まさか、負けそうになったからといって、逃げ出すとは思わなかった。

 どうやら、さっきのビショップの移動は完全なミステイクだったらしい。

 やれやれと肩を竦めると、ハリーは立ち止まった。そして、戻ってきた。

 

「言っておくが、逃げるわけじゃない。預けるだけだ」

 

 そう言うと、ハリーはクイーンをドラコに渡した。そして、自分のキングを手に取った。

 

「決着はつける。それまで待っていろ」

「……あー、オーケー」

 

 どうやら、ここから挽回する作戦を練る為の時間がほしかったようだ。

 それならそうと言ってくれればいくらでも待つものを、相変わらず素直じゃない。

 改めて、やれやれとドラコは肩を竦めた。

 

 ◆

 

 偽のドラコとのチェスを思い出す。

 あの試合、そのまま進めれば勝利するのはハリーだった。

 クイーンを取られても、すぐにビショップがチェックする。そして、キングが逃げてもナイトが追い詰める。

 どんなに足掻こうと、ハリーが差し出したクイーンを取ってしまった時点で勝敗は決していた。

 

「ヤツは勝負において、重要なものを力だと考えている。だが、それは違う」

 

 ハリーはキングの駒を握りしめた。

 

「勝利という名の栄光に至る道を歩めるのは、常に覚悟を持った者だけだ!」

 

 ハリーは空いている手で杖を握り締める。

 

「いくぞ!!」



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第十八話『覚悟』

 実のところ、ハリーはマーキュリーから監視者の事を聞く前から敵の正体を掴んでいた。

 クリスマス休暇の後、ドラコと再会した時、額の傷が痛みを発したからだ。

 十年前、ヴォルデモートによって刻み込まれた傷。それが、ホグワーツに来た最初の日に痛みを発した。

 エグレにその時の事を話すと、

 

『死の呪文は純粋な殺人用の魔法だ。その呪文の行使には、《対象を殺す》という明確な意志が必要となる。故に、発動した時点で術者の魂には亀裂が走る。相手を死に至らしめれば引き裂かれる。引き裂かれた魂を自らの内に留めておけば、いずれは元に戻るが、別の器に流し込めば、それが分霊箱となる。もしかすると……』

 

 エグレはハリー自身がヴォルデモートの分霊箱になっている可能性を示唆した。分霊は常に本体にナニカを吸われ続けている。それは本体との距離が近づけば近づく程に顕著となる。額の痛みはクィリナス・クィレルに憑依していた本体(オリジナル)と物理的に近づき、そして、本体がハリーを意識した事で精神的にも近づいたからかもしれないと。

 本体を再殺した後、傷が痛む事は無かった。それが、ドラコの帰還と共に再発した。

 最初はまさかと思った。本体は確実に滅ぼした。傷の痛みは単なる勉強疲れが原因だろう。そう考えた。

 けれど、マーキュリーに監視者の事を教えられ、ハリーは考えを改めた。

 由緒正しい純血の一族であるマルフォイ家なら屋敷しもべ妖精を使役していても不思議ではない。そして、その屋敷しもべ妖精にわざわざ服従の呪文を掛けなければならなかった理由は一つ。

 敵はヴォルデモートであり、ドラコと繋がっている。あるいは、クィレルのように憑依されているのかもしれない。そう推測して、マーキュリーとウォッチャー、フィリウスの三人にマルフォイ邸の調査を頼んだ。

 三人はホグワーツの屋敷しもべ妖精だったけれど、ダンブルドアからエグレの食事を頼まれた際に《ハリーの力になってあげておくれ》という言葉を頂戴していた。彼らはそれをハリーの命令に従えという命令だと少しだけ拡大解釈をした。彼らはどうしてもハリーの力になりたかったのだ。

 調査から戻った三人は屋敷に衰弱した状態のマルフォイ夫妻を発見した。その時点で、推測は確信に変わった。

 ハリーはフィリウスに夫妻の看護を頼んだ。公にすれば、ハリーがドラコの事に気付いている事がバレてしまうからだ。

 慎重に、内密に、繊細に、ハリーは調査を行い、対策を練り始めた。

 エグレには他の監視者がいないかホグワーツ内を探索してもらい、ゴスペルにも周囲を常にピット器官で警戒してもらい、マーキュリーとウォッチャーにはドラコの監視を頼んだ。

 情報が集まり、エグレの知識も合わせて、ドラコが分霊箱の一つに憑依された状態である事を突き止めた。

 そして、ハーマイオニーを引き入れて計画を煮詰めていった。

 

 第十八話『覚悟』

 

 その日は週末で、授業は無かった。大半の生徒達は急いで食べ物をお腹に詰め込み、差し迫る学年末試験に向けた勉強をする為に寮や図書館に戻っていく。

 故に、大広間でのんびりと昼食を味わっていたのは成績に余裕のある一部の秀才達と試験の成績などどうでもいいと考えている一部の剛の者、そして教師達だけだった。

 のんびりとした時間が過ぎていく大広間。

 そこに、突然バチンという音が響き渡った。

 全員の視線が一箇所に集中する。ガシャンと音を立てて、料理が並ぶテーブルの上に降り立ったのはハリー・ポッターだった。

 

「は、ハリー?」

 

 ドラコ・マルフォイは目の前に現れたハリーに目を丸くしている。

 まず、食事が並んでいるテーブルの上に立っている事に驚き、次に姿現しが出来ない筈のホグワーツ内で姿現しをした事に驚き、最後に彼が浮かべている表情に驚いた。

 

「……よう、ヴォルデモート。覚悟はいいか?」

「は?」

 

 ドラコは呆気にとられた。彼だけではない。大広間にいる全員が同じような表情を浮かべている。

 刹那の思考の空白。ドラコは即座に彼が自らの正体を看破した事を理解したが、それまでの一秒の間に大広間にいた生徒と教師が全員が姿をくらました。

 

「なっ!? どういう事だ!?」

 

 姿現しが出来ない筈のホグワーツで少数とはいえ数十人はいた生徒と教師が一気に姿をくらました事にドラコは取り乱した。

 

「知らないのか? 屋敷しもべ妖精はホグワーツ内でも姿現しが出来る。厨房にいる彼らに協力してもらったのさ。貴様をぶっ殺す為にな!!」

 

 ドラコは冷静に現状を分析して、大凡の事を理解した。

 けれど、理解出来なかった。

 

「何故だ、ハリー!? ボク達は友達だろう!?」

「違うな、間違っているぞ! 貴様は友達などではない。このハリー・ポッターの敵だ!!」

 

 その言葉にドラコは呼吸の仕方を忘れた。わけの分からない感情が体内を駆け巡り、それら全てが怒りと憎しみに変換されていく。

 

「ハリー・ポッター!! どうやってボクの事を看破した!? バジリスクか!? あの裏切り者め!!」

「違う。貴様がノコノコとボクの目の前に現れた時点で気付いていた。額の傷痕が痛んだからな。貴様が貴様である以上、ボクに変装だとか、憑依だとか、そういうチャチな小細工は通用しないんだよ! このマヌケがぁ!!」

「マヌケ? このボクをマヌケだと!? 貴様……、ハリー・ポッター!!!」

 

 ドラコは……、ヴォルデモートは全身を小刻みに震わせた。

 

「十歳のガキが! このヴォルデモート卿に勝てるつもりか!? 愚か者がぁ!!」

「勝てるつもりじゃない。勝つんだ!! その為の覚悟は決めてきた!!」

「覚悟? そんな精神論、何の意味もない!! アバダ・ケタ――――」

「させません!!」

 

 ヴォルデモートは咄嗟に飛び退いた。寸前まで彼が立っていた場所に衝撃が走る。視線を向けると、そこには青い瞳の屋敷しもべ妖精(マーキュリー)がいた。

 

「ハリー・ポッターに手を出すな!!」

「ドビー!!」

 

 ヴォルデモートが叫ぶと、バチンという音と共に屋敷しもべ妖精(ドビー)が現れた。

 

「その屋敷しもべ妖精を殺せ!!」

「かしこまりました」

「マーキュリー、頼む!!」

「承知致しました、ハリー・ポッター様!!」

 

 屋敷しもべ妖精同士の戦いが始まる。バチンという音が幾重にも重なり合い、姿現しを何度も駆使しながら互いに衝撃波を放ち合う。

 テーブルや椅子が吹き飛び、宙に浮かぶロウソクは地面に落下した。炎が絨毯に燃え移り、大広間はまたたく間に業火に包まれた。

 

「貴様は愚か者だ、ハリー・ポッター!! ボクと共に歩めば、偉大になれたものを!! 世界を二人の物に出来たものを!!」

 

 炎の中を歩きながらヴォルデモートは叫ぶ。

 

「馬鹿を言うなよ。世界を二人の物に? 冗談じゃない!! 頂点に立つ者はただ一人!! このハリー・ポッターだ!! 過去の栄光にいつまでも縋るな、見苦しいぞ老害!!」

 

 ハリーは炎の壁越しにヴォルデモートを睨みつけた。

 

「老害だと!? 貴様、どこまでも!! ボクが……、このヴォルデモート卿が認めてやったというのに!! 共に歩む事を許してやろうとしたのに!! 踏み躙ったな!! このボクの心を!!」

「違う。踏み潰すのだ、これからな!! ボクは貴様をぶっ殺すと決めた!! 決めた事を途中で放り出す事はかっこ悪い事だ。ボクはかっこ悪い事は嫌いなんだ!! だから、貴様はぶっ殺す!! その魂、一欠片も残さずにな!!」

 

 ヴォルデモートは涙を零した。初めて、対等になり得る存在を得られると思っていた。嘗ての敗北は、これからの勝利の為の布石だと信じていた。

 それなのに、ハリーの眼差しには一欠片の慈悲もない。冷たい目だ。まるで、養豚場の家畜を見るかのような目だ。見下している。

 

「やめろ……。その目をやめろ!! ボクはヴォルデモート卿だ!! この世で最も偉大な魔法使いだ!!」

「違うな、間違っているぞ。最も偉大な魔法使いは、このボクだ!! ハリー・ポッターだ!!」

 

 ヴォルデモートは杖を振り上げた。もはや、怒りと憎しみはハリーに対する執着心を上回った。

 

「アバダ・ケダブラ!!」

 

 緑の閃光が走る。けれど、その寸前にバチンという音が鳴り響いた事にヴォルデモートは気がついた。

 

「屋敷しもべ妖精か!? ドビーは何をしている!?」

「彼ならマーキュリーが相手をしているさ。強く、勇敢な彼女を相手によく戦っているじゃぁないか。褒めてやれよ」

 

 ハリーはヴォルデモートの首筋に杖を押し当てながら言った。咄嗟に反撃しようとして、ヴォルデモートは自らの杖が無くなっている事に気がついた。

 

「ウォッチャー。よくやってくれたな」

 

 ハリーの隣には丸い眼鏡を掛けたマーキュリーやドビーよりも肌の黒い屋敷しもべ妖精がいた。

 彼の手にはドラコの杖が握られている。

 

「屋敷しもべ妖精如きが杖に触れるなど!!」

「如きだって? おいおい、お前の目は節穴か? 彼らはお前如きよりよっぽど優秀な魔法の使い手だぜ?」

「勿体なきお言葉です、ハリー・ポッター様。勝利は貴方様の手に」

 

 ハリーはヴォルデモートを蹴り倒した。

 

「ガハッ! き、貴様ぁ!!」

 

 そのまま、頭を踏みつける。残酷な目でヴォルデモートを見下ろした。

 

「こ、殺す気なのか!? このボクを!?」

 

 ハリーは無言でヴォルデモートに杖を向けた。

 

「ば、馬鹿な真似はやめろ! この肉体はドラコのものだぞ! ボクを殺すという事は、ドラコを殺すという事だ! その意味が分かっているのか!?」

「言っただろう? 覚悟は決めてきたと」

 

 ヴォルデモートは恐怖した。ハリーの瞳の覚悟を恐れた。

 十歳の子供と舐めていい相手ではなかった事に気がついた。

 本体を二度に渡って殺した少年。

 彼には、一度決めた事を必ずやり遂げる意志がある。それは鋼鉄よりも硬く、僅かな歪みもないまっすぐな意志だ。

 彼が殺すと決めたなら、相手が何者だろうと、如何なる事情を抱えていようと必ず殺す。

 

「ひっ……、いやだ! 死にたくない!! ボクは……、ボクは生きるんだ!! 誰にも負けない男になるんだ!!」

 

 ヴォルデモートは必死に体を転がしてハリーから離れた。無様に両手と両足をバタバタと動かしながら必死に逃げ出した。

 哀れな姿だった。滑稽な姿だった。けれど、ハリーの意志は揺らがない。

 

「死ね、ヴォルデモート! エクスペクト・フィエンド!!」

 

 ハリーの杖から炎が吹き出した。炎は大広間を包み込んでいた炎を巻き込み、巨大なバジリスクの姿となった。

 

「あ、悪霊の火だと!? 馬鹿な!? 使える筈がない!! 大人の魔法使いでも、ほとんどのヤツが使えないんだぞ!! それを十歳のガキがぁ!?」

 

 ヴォルデモートは半狂乱だった。十歳の子供が使っていい魔法ではなかった。そして、その魔法は彼に確実な死を与えられるものだった。

 悪霊の火はあらゆるモノを破壊する。それは生物であれ、物質であれ、魂であれ、分霊箱であれ、例外などない。

 紅蓮のバジリスクはヴォルデモートに狙いを定めた。

 殺される。数秒後に確定した運命を悟り、ヴォルデモートは泣いた。

 一度は親しき友になれると思った存在に殺される。その絶望が彼の心を砕いた。

 

「き、きひゃ……、きひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 そして、砕かれた心には覚悟も誇りも無かった。

 

「馬鹿め!! ボクは死なない!! 死ぬのは哀れなドラコだけだ!! 貴様は親友を殺すのだ!! そして、ヴォルデモート卿は生き延びるのだ!! 負けるのは貴様だ!! 勝つのはボクだ!! ハリー・ポッター!!」

 

 そして、ヴォルデモートはドラコの肉体を捨てた。

 その瞬間、ハリーはそれまで浮かべていた苛烈な表情を消し去った。目を大きく見開く彼に、分霊に戻ったヴォルデモートは彼が絶望したのだと確信した。

 依代を失った事で、ヴォルデモートの魂は本来の器に引き寄せられていく。ヴォルデモートは高笑いしながらその引力に身を委ねた。自らの勝利を確信して。

 

「……ッハ」

 

 けれど、大広間に取り残されたハリーが浮かべたものは、歓喜の笑みだった。

 今にもドラコに噛み付こうとしている紅蓮のバジリスクを見る。

 そして、

 

「消え失せろ!!」

 

 悪霊の火は四散した。それは、完璧に制御出来ていなければ出来ない芸当だった。

 ヴォルデモートは言った。

 

 ―――― 悪霊の方は呪文を唱える際に術者の最も怒りや憎しみに満ちた記憶を思い浮かべる必要がある。

 

 怒りや憎しみはコントロールが最も困難な感情だ。悪霊の火を発動させられる程の怒りと憎しみを御する事は成人した大人でも難しい。

 だから、悪霊の火は使い手が極めて少ないのだ。似た系統の守護霊の呪文以上に制御が難しく、発動出来ても暴走させてしまう魔法使いがほとんどだったからだ。

 

 ハリーが悪霊の火に篭めた憎しみと怒りはダーズリー家で過ごした十年の記憶だった。

 質問をする事すら許されず、毎日のように罵倒を浴びせられ、傷つけられてきた。人格を徹底的に否定され、食事も満足に与えられず、狭い物置に閉じ込められ、体には傷が絶えない日々。それは悪霊の火を形成するのに十分な記憶だった。

 けれど、ハリーは既にその憎悪と憤怒をコントロール出来ていた。

 マクゴナガルと出会い、ロンと出会い、ドラコと出会い、ニュートと出会い、ロンの兄弟達と出会い、ハーマイオニーと出会った事で、怒りや憎しみよりも優先したいものが出来た。

 楽しい。嬉しい。そうした感情が十年分の負の感情を呑み込んだ。

 

 それこそが悪霊の火を使いこなす為に必要なピースだったのだ。

 悪霊の火の使い手の多くが持ち得ない負を飲み込む正の感情が必要だったのだ。

 

 十年間研ぎ続けてきた負の感情の刃は、ホグワーツで出会った人々と過ごす上で手に入れた正の感情の鞘に収まった。

 だからこそ、ハリーは悪霊の火を使いこなす事が出来たのだ。

 

「マーキュリー!!」

「参ります、ハリー・ポッター様!!」

 

 ヴォルデモートがドラコの肉体を捨てた時点でドビーに対する服従の呪文も解けた。

 ぼんやりと寝そべっているドビーを尻目に、既に大広間の鎮火を終えていた有能なマーキュリーがハリーの下へ駆けつける。 

 既にヴォルデモートの分霊は大広間から本来の器の下へ飛んでいってしまった。普通に追いかけたのでは間に合わない。

 けれど、ここには屋敷しもべ妖精がいる。そして、もう一人はハリーが指示するまでもなく追跡を開始している。

 

 バチンという音と共にハリーはホグワーツの廊下に飛んだ。眼下には目を丸くしている生徒達がいる。そして、廊下の先では分霊に戻ったヴォルデモートが驚愕の表情を浮かべながら飛んでいる。

 更にバチンという音が響き渡る。

 

「お連れしました、ハリー・ポッター様!!」

 

 茶色の瞳に大きな耳が特徴の屋敷しもべ妖精、フィリウスがヒッポグリフのバックビークを連れて姿現した。

 

「よくやった!」

 

 ハリーはマーキュリーの魔法でバックビークの背中に飛び乗る。

 

「いくぞ、バックビーク!! ヤツを追跡するんだ!!」

「キュィィィィ!!」

 

 バックビークはまたたく間にヴォルデモートの速度に追いついた。

 

【何故だ!? 何故だ!? 何故だ!?】

 

 悲鳴染みた叫び声を上げるヴォルデモート。

 やがて、二人はホグワーツで最も高い場所に辿り着いた。塔の最上部に魔法で固定された日記帳があった。

 

「それが本体か!!」

【や、やめろ……。やめてくれぇぇぇぇぇ!!】

 

 ヴォルデモートの必死の叫びに対して、ハリーは少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。

 

「駄目だな。貴様はボクの友達を利用した。その命を弄んだ。貴様がドラコを使わなければ、あるいはなれたかもしれないなぁ、友達に……」

【……ボ、ボクは】

 

 ヴォルデモートが手を伸ばす。けれど、ハリーはその手を拒み、杖を振り上げた。

 

「ボクは覚悟を決めてきた! それは友を殺す覚悟だ! ドラコだけじゃない。お前を殺す覚悟だ! だから、貴様をぶっ殺す!! エクスペクト・フィエンド!!」

 

 紅蓮のバジリスクが今再び顕現する。真っ直ぐに日記帳へ襲いかかる。

 その光景を前に、ヴォルデモートはハリーを見つめた。

 

【……ボクの負けだ。さようなら、ハリー・ポッター】

「……ああ、ボクの勝ちだ。さようなら、ヴォルデモート」

 

 紅蓮のバジリスクは日記帳を噛み砕いた。

 分霊のヴォルデモートは苦痛に表情を歪めながらも、最後は堂々とした態度を貫いた。

 それが、友になれたかもしれない少年に対する精一杯の誠意だった。

 

 日記帳が完全に焼失した後、ハリーは悪霊の火を解除した。

 そして、バックビーク以外に誰も聞いていない事を確認した後、五分間泣き続けた。

 ドラコに憑依したヴォルデモートと過ごす時間をハリーは警戒しながらも、どこか楽しんでいた。

 共に闇の魔術を研究する時間をかけがえのないものだと思っていた。

 ハリーも彼を友になれたかもしれないと心から思っていた。

 だから、彼はヴォルデモートの分霊の死を悼んだ。

 そんな彼を慰めるかのように、バックビークは小さく鳴いた。



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第十九話『偉大なる叡智』

 長い夢を見ていた気がする。とても嬉しくて、とても楽しくて、とても腹が立って、とても悲しい夢だった。

 その夢が唐突に終わりを迎える。急に光が視界を満たした。

 気がつくと、ホグワーツの医務室のベッドに横たわっていた。

 

「あら、起きたのね」

 

 起き抜けには聞きたくない声がした。

 

「……グレンジャー」

 

 僕にとっての不倶戴天の敵。穢れた血の癖に、ハリーと並ぶほどの知性を持つ傑物だ。

 あまり認めたくはないけれど、僕は心の何処かで彼女に敬意を抱いている。

 それなのに、夢の中で、僕は彼女に酷い事を言ってしまった気がする。

 

「おはよう、ドラコ」

「……ああ、おはよう」

 

 夢の中の出来事だったのに、僕は後ろめたさを感じている。実にバカバカしい。

 

「あらあら、隨分と素直ね。寝起きだからかしら?」

「……うるさい」

 

 普段と変わらない彼女に、少し安堵した。やっぱり、あれは夢だったのだろう。

 

「僕はどうして医務室に? ハリーはいないのかい?」

「覚えていないの?」

 

 僕の質問に対して、グレンジャーは質問を返してきた。

 

「どういう意味だ?」

「……今はイースター休暇の真っ最中よ」

「イースター……? 待て! 4月なのか!?」

 

 僕は飛び起きた。夢と現実の記憶が曖昧だ。けれど、前に眠った時は12月だった気がする。

 それから4ヶ月も経過している事に気が狂いそうな程驚いた。

 

「どうなっているんだ!? 僕は、なんで!?」

「落ち着いて、ドラコ。説明するわ。あなたの身に何が起きたのか……」

 

 それは、とても長い話だった。そして、それは僕が知っている話だった。

 夢と現実に記憶が徐々に結びついていく。

 クリスマス休暇で自宅に帰った僕を待ち構えていたのは、ヴォルデモートの分霊だった。

 アイツは父上と母上の魂を貪り、魂でありながら実体化していた。そして、僕の魂も食い荒らした。

 それからはアイツが僕になった。

 ホグワーツに戻ってくると、アイツはハリーに執着した。友達になろうとしていた。

 忌々しい事に、アイツの感情が僕の感情として刻まれている。

 ハリーと闇の魔術を研究する時間をアイツは楽しんでいた。喜んでいた。

 寂しかった心が満たされていく感覚は、例えようもない程に素晴らしいものだった。

 

 けれど、どんなに楽しい時間も、やがては終わる。

 ハリーは初めからアイツの正体に気付いていた。

 気付いていながら、アイツを倒す為に刃を研いでいた。

 最後の瞬間は、実にあっけないものだった。哀れにすら思うほど……。

 

「……そっか」

 

 グレンジャーがすべてを語り終えると、僕はベッドから降りた。

 

「ハリーはどこに?」

「たぶん、まだ大広間ね。一緒にお見舞いに行かないか誘ったけど、資格がないって断られたわ。思いつめた表情で」

「資格?」

 

 意味がわからない。

 

「彼の言葉、そのまま伝えてあげる。《ボクにはドラコを見舞う資格などない。……ドラコを殺そうとした。賭けには勝ったが、その事実は変わらない。その為の覚悟だ。殺しても、殺さなくても、ボクは大切な友を失う事になる。……だから、こんなに時間が掛かったんだろうな。本当は、もっと早くに実行出来た筈なんだ》ですって」

「……なるほど」

 

 確かに、あの時のハリーは殺意を抱いていた。

 アイツが僕の体を捨てなければ、そのまま僕ごと殺していた筈だ。

 彼の覚悟は、友を殺す覚悟であり、友を失う覚悟であり、その罪を背負う覚悟だった。

 

 彼は僕を殺す覚悟を決められる男だ。

 それは、とても恐ろしくて、とても悲しい。けれど、それがハリー・ポッターという男なんだ。

 

「やれやれ……」

 

 僕は医務室の扉に向かっていく。

 殺されかけた事に恐怖がないわけではない。

 けれど、僕はドラコ・マルフォイだ。誇りある純血の一族、マルフォイ家の長男だ。

 覚悟なら、僕にだってある。

 

「いってらっしゃい、ドラコ」

 

 穏やかに微笑むグレンジャー。

 僕は深く息を吐くと、彼女を見つめた。

 

「……ああ、いってくる。ハーマイオニー」

 

 彼女も僕を救う為に動いてくれた。その事に対する感謝の気持ちを篭めて、僕は初めて、彼女の名前を呼んだ。

 目を見開く彼女から目を背けて、僕は医務室を飛び出した。

 

 大広間に向かっていく僕をすれ違う生徒達が驚きの表情で見つめてくる。

 ハーマイオニーによれば、あの時の出来事は既に知れ渡っているらしい。分霊の死後、僕が目覚めるまでの一週間、ホグワーツは大騒ぎだったそうだ。

 何が起きていたのか、正確に識る者は限られていた。ダンブルドアですら、殆どの事を認識していなかった。

 日刊預言者新聞には、校内で悪霊の火を発動させたハリーに対するバッシングの記事も掲載されたらしい。

 その事に、ハリーは一切の反論をしなかったそうだ。だから、ハーマイオニーが代わりに動き回った。事情を教師に説明して、新聞にも投書した。

 父上と母上が運び込まれた《聖マンゴ魔法疾患傷害病院》にも足を運び、証言を手に入れたという。

 穢れた血に対して、父上と母上が礼儀正しく対応したと聞き、僕は驚いた。

 彼女の精力的な動きの結果、事態は少しずつ収束し始めている。ダンブルドアやニュートが彼女に全面的に協力したおかげもあるだろう。

 

 大広間に辿り着く。僕は思いっきり力を篭めて扉を押し開いた。

 大きな音を立てて開く扉に、食事中の生徒や教員達の注目が集まる。

 僕はすぐにハリーを見つける事が出来た。

 彼の周りには人がいない。誰もが恐れている。誰も彼もがハリーと関わる覚悟を持てずにいる。

 

「……ハリー・ポッター!!!」

 

 僕は大きく息を吸って、全力で彼の名を叫んだ。

 目を丸くしながら振り返るハリーに、僕はずんずんと近づいていく。

 

「覚悟はいいか? 僕は出来ている!!」

「ドラ、コ……?」

 

 僕はハリーの横っ面をぶん殴った。

 鈍い音を立てて吹っ飛ぶハリー。近くにいた女生徒が悲鳴を上げた。

 マクゴナガルが慌てて立ち上がろうとしたけれど、隣にいたニュートが止めた。

 

「立ち上がれ!! かかってこい!! 覚悟を示せ!! ハリー・ポッター!!」

「……ドラコ」

 

 ハリーはゆっくりと立ち上がり、僕を見た。

 僕もハリーを見つめた。

 世界から、僕と彼以外のすべてが消えていく。

 

「ああ、覚悟なら出来ている!!」

 

 ハリーは笑った。そして、拳を握りしめた。

 僕も拳を握る。

 

「よくも殺そうとしやがったな、このクソ野郎がぁ!!」

「ヴォルデモート如きに操られるんじゃぁないぜ!! このウスノロがぁ!!」

 

 僕は力の限りハリーを殴った。

 ハリーも力の限り僕を殴った。

 蹴って、突き飛ばして、殴って、また蹴って、大広間を転がりながら、あちこち傷だらけになりながら、僕達は喧嘩した。

 誰も止めに入らない。生徒達も、大半の教師達も怖がっている。マクゴナガルやニュート、ハグリッド、ダンブルドアはジッと見守っている。

 やがて、僕達は立っていられなくなった。

 

「……ハリー。僕だって、覚悟があるんだ」

「ああ、そうだな。お前の覚悟……、効いたぜ」

 

 そして、僕達は意識を手放した。

 

 第十九話『偉大なる叡智』

 

 青白い光に満たされた奇妙な空間に女はいた。虚空に浮かぶ映像を見つめている。映像は誰かの視点のようで、揺れ動いている。

 

「素晴らしい! あの歳で悪霊の火を使いこなすとは、精神を完璧に支配している証拠です!」

 

 彼女は悦びに打ち震えた。漸く、待ち望んでいた存在が現れた事に歓喜している。

 悪霊の火の完全なる支配は選ばれた者にのみ許される。

 己の精神を完璧に支配した者。そして、彼女の求める水準の素質を持つ者。清濁併せ呑む器を持つ者。

 

「嬉しそうだね」

 

 影から一人の青年が姿を現した。背が高く、髪の色は黒い。

 

「ええ、最高の気分です。漸く見つけました」

 

 うっとりとした表情を浮かべる彼女は絵画のように美しかった。

 そんな彼女に、彼は不貞腐れたような表情を浮かべる。

 

「ボクでは役者不足だと?」

「ええ、その通りです。あなたは自らの心を支配する事が出来なかった」

 

 彼は悔しそうに表情を歪めた。

 

「それに、あなたは浅慮が過ぎます。よもや、既に分霊箱となっている物を己の分霊の器に使うとは……」

 

 彼女は呆れたように言った。

 

「し、仕方がないじゃないか! 予想出来る筈がない!」

「いいえ、出来た筈です。あなたはサラザールのロケットを分霊箱に変えた時、それが周囲に与える影響を学んだ筈ですよ。あなたの抱く怒りや憎しみが周囲の者に伝播していく様を洞窟に隠す前に見た筈です。なればこそ、《レイブンクローの髪飾り(ダイアデム)》に《身に着けた者の知恵が増す》という逸話が存在する事に疑念を抱くべきでした。分霊箱は常に周囲の魂を取り込もうとしている。そして、取り込んだ分だけ、相手に注ぎ込もうとする。あなたの分霊箱が悪意を注ぐように、わたくしは知恵を注いだ。その程度の事も思いつかないとは、実に嘆かわしい」

「ぐっ……!」

 

 彼は悔しそうに俯いた。

 

「まあ、浅慮なのはあなただけではありません。わたくしの娘も愚かでした。わたくしの血を継ぐ者ならばあるいはと思い、産んでみましたが……、実に期待外れでした。おまけにわたくしの分霊箱を盗み出した。だから、最後くらいは役に立たせようと、あの男を差し向けた。魔法と感情は密接に絡み合っている。とりわけ、《殺意》と《愛》は強力な術を生み出す。その両方をあの男は示してくれた。愛故に娘を殺し、自らも死を選ぶ。わたくしの思い描く通りの行動を取ってくれました。おかげさまで、ゴーストを生み出す方法とその副産物から様々な魔法を生み出す事が出来た」

「……あなたはグリフィンドールとスリザリンの争いに心を痛め、娘の愚行に苦悩し、その死を嘆いて死んだと聞きましたが?」

「わたくしの肉体の死は単純に分霊箱に魂の殆どを注ぎ込んだ結果に過ぎません。その時の衰弱振りが周囲にはそう映っただけの事でしょう」

 

 彼女の言葉に彼は青白い光が降り注ぐ天を仰いだ。

 

「あなたは悪魔だ」

「あら、闇の帝王と呼ばれたのはあなたの方でしょう?」

 

 彼女は虚空に浮かぶ映像を見つめる。そこには、まるで親友に向けるかのような微笑みを浮かべるハリー・ポッターの姿がある。

 この映像は彼女の分霊を忍び込ませた器の見ている光景だ。

 必要の部屋で、分霊箱を拾い上げられた時に気付かれないように注ぎ込んだ魂の一部がこの空間に映像を送っている。

 

「《頂点に立つ者はただ一人。このハリー・ポッターだ》……。ええ、立たせて上げましょう。《偉大なる王》にしてあげましょう。《完璧なる魔法使い》に仕立ててあげましょう」

 

 彼女は穏やかに、美しく、微笑みながら言った。

 

「このロウェナ・レイブンクローが」



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第二十話『決戦、学年末試験』

 いよいよ決戦の時が来た。学年末試験のスタートである。

 ハリーは朝食が並ぶ大広間に来ると、まっすぐにハーマイオニーの下へ向かった。

 

「勝負だ、ハーマイオニー」

「望む所よ、ハリー」

 

 ギラギラと瞳を輝かせながら睨み合う二人。

 最近の二人の知識量は一年生はおろか、二年生すら超越していた。

 授業で二人に分からない事はなく、もはや授業で出される程度の問題では優劣を見極める事が出来なくなっていた。

 

「ボクが勝ったら《参りました、偉大なるハリー・ポッター様》とでも言ってもらおうか」

「あらあら、叶わぬ夢を見ても虚しいだけよ、ハリー。でも、そうねぇ。わたしが勝ったら《さすがです、偉大なるハーマイオニー・グレンジャー様》とでも言ってもらいましょうか」

 

 二人の間に火花が飛び散る。

 

「時間だ」

「行きましょうか」

 

 第二十話『決戦、学年末試験』

 

 ハリー・ポッターにとって、ハーマイオニー・グレンジャーという少女は特別だった。

 ホグワーツ特急で初めて出会った時は迷惑なヤツだと思ったし、秘密の部屋を発見した時は鬱陶しいヤツだと思った。

 けれど、ホラス・スラグホーンの初授業の時に知識の量で負けた時、ハリーは初めて彼女という存在を明確に意識するようになった。

 それから、何度も何度も競い合ってきた。いつしか、彼女をリスペクトするべき存在だと認めるようになっていた。

 ドラコがヴォルデモートの分霊に憑依された事に気付いた時、ハリーは彼女の力を必要とした。自分だけでは出来ない事も、彼女と一緒なら出来ると確信したからだ。

 ヴォルデモートの分霊を討伐した後、魔法省からバッシングを受けた時、彼女が示した献身に対しては深い感謝と敬意の念を抱いた。

 十歳の少女が魔法省という巨大な組織に立ち向かったのだ。その勇気と覚悟に感服した。

 だからこそ、彼は思った。

 

「……負けたくない」

 

 自分が彼女を認めたように、彼女に自分を認めてもらいたい。

 かっこいい存在だと、素晴らしい存在だと、リスペクトするべき存在だと思われたい。

 それは、ハリーが初めて抱く感情だった。

 

「それでは試験を開始します!」

 

 うだるような暑さの中、筆記試験が始まる。

 ハリーは配られたカンニング防止の魔法がかけられた特別な羽ペンを掴んだ。

 他の生徒達が唸り声を上げたり、必死に答えを絞り出そうと苦悩する中、ハリーはスラスラと羽ペンを動かし続けた。

 全ての解答を書き終えた時には、まだ試験時間が半分以上も残っていた。

 ハリーは何度も解答を確認した。スペルミスをしていないか、目を皿のようにしながら何度も何度も確認した。

 

 筆記試験が終わると、呪文学のフリットウィックが生徒を一人ずつ教室に呼び入れてパイナップルを机の端から端までタップダンスさせられるかを試した。

 ハリーは完璧に作業をこなした。一ミリのズレも許さず、パイナップルに完璧なタップダンスを踊らせた。

  

 呪文学の試験の次は変身術の試験だった。

 内容はネズミを《嗅ぎタバコ入れ》に変えるというもの。

 ハリーは薄汚いドブネズミを真紅のバジリスクが一冊の本を取り囲む模様を刻み込んだ見事な《嗅ぎタバコ入れ》に変えた。

 

「素晴らしい。お見事ですよ、ハリー」

「……当然だ。アイツだって、このくらいは出来る」

 

 マクゴナガルに褒められても、ハリーの表情は硬かった。その反応にマクゴナガルは小さく微笑んだ。

 

 スラグホーンの試験は授業で習った魔法薬の中から好きな物を選んで調合するというもの。難しい物ほど高得点だ。

 ハリーはこの時の為にシッカリと秤を整備しておいたし、ナイフも研いでおいた。

 迷わず、一番難しい魔法薬の材料をスラグホーンから受け取り、細心の注意を払いながら調合に取り組んだ。

 周囲で調合を間違えた生徒が魔法薬を爆発させても、異臭が漂っても、ハリーは一切合切を無視した。

 そして、見事な魔法薬を調合し、スラグホーンを感心させた。

 

 最後の試験は魔法史だった。《中身を勝手にかき混ぜる大鍋を発明した老魔法使い》についての詳細を書き終えると、答案用紙を巻いて提出した。

 周囲の生徒達は解放感に酔いしれている。けれど、ハリーは気が気でなかった。

 思ったよりはずっと易しい問題ばかりだった。それ故に、僅かなミスが命取りとなる。

 

「……大丈夫だ。ミスなどない。スペルミスだって、何度も確認した。こ、このハリー・ポッターが負ける筈がないんだ」

 

 ハリーは不安に押しつぶされそうになっていた。

 ヴォルデモートの事を考えるよりも、ハーマイオニーに負ける可能性を考える方がずっと恐ろしかった。

 

 ◆

 

 学年末パーティーが始まった。スリザリンが七年連続で寮対抗杯を獲得したお祝いに、大広間はスリザリンのカラーであるグリーンとシルバーで飾り付けられていた。

 クィディッチの試合でも、寮の点数でも、スリザリンは圧勝だった。

 ハリーがヴォルデモートを二度倒した事は生徒達に多大なトラウマを刻み込んだ事でプラマイゼロになってしまったけれど、それでも群を抜いていた。

 ここからの逆転劇など不可能な数字だった。

 けれど、ハリーにとってはどうでもよかった。

 試験の結果はパーティーの終了後に発表される。

 カウントダウンが進む毎にハリーは気分が悪くなっていった。

 あまりにも情けなくて、ゴスペルにも相談出来なかった。

 

 ◆

 

 そして、運命の時が来た。

 学年末パーティーの翌朝、朝食前に談話室で成績表が監督生から配られた。

 ハリーは成績表を見た。すべての教科で100点満点中の100点満点を取っていた。

 横から覗き込んできたドラコは「すごいじゃないか!」と拍手した。

 ハリーも喜んだ。嬉しくなって、頬を緩ませて、そして……、

 

《学年二位》

 

 という文字を発見した。

 

「……は?」

 

 見間違いかと思った。

 何らかの呪いが掛けられているのかと思った。

 けれど、何度見ても《二位》という文字が変わる事はなかった。

 

「ど、どういう事だ!? 二位!? 100点満点中の100点満点なんだぞ!? どういう事だ!? どういう事だ!? どういう事だぁぁぁぁ!?」

 

 仮に、他にも全教科で100点満点を取った人間がいたとしても、その場合は同率で一位となる筈だ。

 それなのに、二位。ハリーは理解が出来なかった。狂ったように叫び声をあげた。近くにいた生徒は恐怖のあまり失神した。

 

「と、とりあえず、先生に聞いてみれば?」

 

 恐る恐る同級生のフレデリカ・ヴァレンタインが言った。

 ハリーは全速力で大広間に向かった。ドラコも慌てて追いかけた。

 

「おい、クソジジィ!!!」

 

 大広間に入るなり、朝食を食べていたダンブルドアに向かってハリーはズカズカと歩いていった。

 

「どうしたのかね?」

 

 目を丸くするダンブルドアにハリーは成績表を開いて見せた。

 

「なんでだ!? なんで、全教科で100点満点を取ったのに二位なんだ!? おかしいだろ!! これ以上の点数なんて――――」

「およしなさいよ、みっともない」

 

 ハリーの言葉を遮ったのは、後ろから響く忌々しい声だった。 

 ギギギと錆びついたネジを回すように首を回すハリー。振り返ると、そこにはハーマイオニーの姿があった。

 勝ち誇った表情を浮かべている。

 

「……さあ、ハリー。約束は覚えているわよねぇ?」

 

 ハーマイオニーが成績表をゆっくりと開いていく。

 ハリーは恐怖した。

 ありえないと叫びたかった。100点満点のテストなのだ。100点が満点なのだ。それなのに、全教科で満点を取ったハリーが学年二位だった。

 その理由が今、明かされる。

 

「な、なんだ……、それは? なんだ!! それはぁ!? 100点満点の筈だぞ!! 100点が満点なんだぞ!! なんでだ……? なんでだよ!? なんで……、貴様ぁ!! ハーマイオニー!! ひゃ、ひゃ、120点だとぉぉぉ!?」

 

 そこには整然と並ぶ100の数字の間に、燦然と輝く120の文字があった。

 それは魔法薬学の試験だった。

 

「ふざけるなぁ!! 120点って、どういう事だぁ!! どういう事だぁぁ!? どういう事だぁぁぁ!!!」

 

 ハリーは殺意の篭った眼光をクロワッサンを持った状態で固まっているスラグホーンに向けた。

 

「貴様ぁ……、スラグホーン!! 依怙贔屓かぁ!?」

 

 怒りと憎しみが際限無く沸き起こる。

 生徒達の一部は必死に大広間から逃げ出した。教師の一部も逃げ出した。

 ハリーの殺気がヴォルデモートを殺した時の比ではなかった。

 

「……ノンノン、間違っているわよ、ハリー・ポッター」

 

 その殺意の渦の中をハーマイオニーは涼しい表情でくぐり抜けてくる。

 

「100点満点で100点を取るなんて簡単よ。あなたなら間違いなく取ると思っていたわ。だから、わたしは賭けたのよ」

「賭けただと……?」

 

 ハーマイオニーは成績表の魔法薬学の欄の評価をハリーに見せつけた。

 そこには、《素晴らしい(エクセレント)!! 魔法薬の改良には万全の知識と優れたセンスが必要となる!! お見事!!》と書いてあった。

 

「魔法薬の改良……、だと!?」

「そうよ。100点では並んでしまう。だから、わたしは100点を超える事にしたのよ。もちろん、これは大いなる賭けだったわ。改良と言っても、独学のものだった。本当に些細なものだった。それに、先生が改良した事を認めてくれない可能性もあったわ。むしろ、減点される可能性もあった。だけど、スラグホーン先生なら……、そう考えた!」

「き、貴様……、ハーマイオニー!!」

 

 ハリーは歯を食いしばった。そうしなければ、悔しさのあまり泣き出してしまいそうだったからだ。それだけは嫌だった。

 けれど、心は既に敗北を認めてしまっていた。

 

「わたしとあなたの点数の差……、それは覚悟の差よ!!」

「ぐぐっ……、ぐぅぅぅぅぅ!!」

 

 ハリーは表情を歪めた。

 敗北した。必死に勉強して、全力で勝ちを目指したのに、負けた。

 100点満点だからと、100点で満足してしまった事が敗因だった。

 

「さあ、ハリー。鳴いてごらんなさい」

「……ぐぅぅぅぅぅ!! さ、さ、さ……、さすがです、い、偉大な、るは、ハァマイオニィィ、ググ、グゥゥ、グレンジャー様!!」

 

 あまりの屈辱にハリーの表情は悪鬼のごとく歪んでいた。

 けれど、ハーマイオニーは嬉しそうに笑った。

 

「わたしの勝ちよ、ハリー!」

「次は負けん!! ああ、どうかしていた!! 100点なんて、取れて当たり前だ!! 次はボクも100点を超えてみせるぞ!! そして、次こそは貴様を地べたに這いつくばらせてやる!! お、覚えていろ、ハーマイオニー!!」

 

 ハリーは捨て台詞を吐くと、大広間から飛び出して行った。

 

「……うわぁ」

 

 ドラコはあまりの光景に天を仰いだ。他の生徒や教師達も似たり寄ったりな反応だった。

 ただ一人、ハーマイオニーだけは満足そうだった。

 

「さーて、来年は何をしてもらおうかしら!」

 

 ウキウキした表情で彼女も大広間を去って行った。

 そして、ホグワーツの一年目は終了した。




次回、第三章『バッドボーイズ、グッドガールズ』スタート


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第三章『バッドボーイズ、グッドガールズ』 第二十一話『別れ』

 一年目が終わり、ハリーはプリベット通りに帰って来た。

 閑静な住宅街は一年前と何も変わっていない。ハリーはすぐに中には入らず、ダーズリーの家をじっと見つめていた。

 しばらくすると、中から扉が開かれた。買い物に出かけようとしていたペチュニアはハリーの姿を見てギョッとした表情を浮かべた。

 

「は、ハリー……」

 

 ハリーはペチュニアに笑いかけた。

 

「お久しぶりです、おばさん」

 

 第二十一話『別れ』

 

 家にはペチュニアしかいなかった。彼女は怯え切っていた。

 

「……怯える必要はありません。あなたに危害を加えるつもりはない。それに、あなたと会うのも、これが最後になる」

「最後……?」

 

 ハリーは決めていた。彼らと決別する事を。

 それが双方の為なのだと確信していた。

 

「ボクは、もう二度とあなた達の前には現れない。だから、最後に少しだけ話がしたい。構いませんか?」

「……え、ええ」

 

 ハリーはダーズリー家の人々を憎んでいる。けれど、同時に哀れんでもいた。

 ホグワーツで過ごした一年は彼の視野を広げたのだ。

 人は恐れを抱く生き物だ。自分とは異なる者を遠ざけたいと思うものだ。

 そこに、魔法使いとマグルの差はない。

 だから、ハリーは思った。

 

 ―――― この十年、彼らはどんな気持ちだったのだろうか?

 

 本来なら、彼らは一人息子のダドリーと家族三人で幸福に生きる筈だった。彼らにとって、まさに非の打ち所のない生活を営めたはずだ。

 あるべき光景を壊したのは、ハリーだった。

 押し付けられて、魔法を使えない身で魔法を使える子供を育てる。いつか、魔法で自分達を傷つけられるかもしれない。大切な息子を失う羽目になるかもしれない。

 それは、あまりにも酷い話だ。

 

「……まずは謝罪します。あなた達の十年を辛いものにしてしまった事、心からお詫びします。申し訳ありませんでした」

「え……?」

 

 ハリーが深々と頭を下げると、ペチュニアは戸惑いの表情を浮かべた。

 

「それから、感謝を。曲がりなりにも、この歳まで育ててくれた事、ありがとうございました」

 

 ペチュニアは大きく目を見開いた。

 彼女は悟ったのだ。これが、本当に最後なのだと。

 顔を上げたハリーの緑の瞳が彼女を見つめた。

 

「一つだけ、聞きたい事がある」

「……なに?」

「どうして、捨てなかった? どこかに預けてしまっても良かった筈だ」

 

 ハリーは別に何かを期待して聞いたわけではなかった。

 彼らの中にハリーを思う気持ちがあって、捨てる事が出来なかった、などと甘い希望は抱かなかった。

 

「もしかして、脅されていたのか?」

 

 ハリーの問いかけに、ペチュニアはゆっくりと頷いた。

 

「……あなたを預かった時に手紙が添えられていたの」

 

 ペチュニアはそう言うと、何度も瞳を左右に揺らした。とても迷っている様子だ。

 ハリーは辛抱強く彼女の言葉を待った。

 

「信じてもらえないかも知れないけれど、わたしは……、妹の事が嫌いなわけじゃなかったの」

 

 十分が過ぎると、ようやく彼女は絞り出すような声で言った。

 それが母親の事を言っているのだと、ハリーはすぐに気がついた。

 

「……子供の頃、何度か手紙を出した事があるの」

「どこに?」

「ホグワーツ魔法魔術学校よ」

 

 ハリーは僅かに瞠目した。

 

「……わたし、妹と離れたくなかったわ」

 

 ペチュニアは鼻を啜った。

 

「それに、両親はリリーが魔女になった事を喜んだ。わたしに……、見向きもしなくなった」

 

 涙を流すペチュニアに、ハリーは掛けるべき言葉を見つけられなかった。

 彼女が初めて吐露する本音は、きっとバーノンやダドリーすら知らなかったものだ。

 

「だから……、通わせて欲しいって、アルバス・ダンブルドアに何度も嘆願書を送ったの。その事を……、誰にも知られたくはないだろうって」

「書いてあったのか……、手紙に」

 

 ペチュニアは小さく頷いた。涙を零して、小さく肩を丸めている。

 弱々しい姿だった。あまりにも、哀れな姿だった。

 

「……だけど、その事をバーノンに話した事はないの」

 

 彼女は言った。

 

「脅されていたのは確かよ、ハリー。でも……、本気で追い出そうとした事は一度も無かったの」

「……どうして?」

 

 ペチュニアは鼻を大きく啜った。

 

「……十年前、あなたは母親を失った。でも……、だけど、わたしも……、妹を失ったのよ」

 

 喧嘩をしたまま、許してもらう事も、許す事も出来ないまま、永遠に会えなくなってしまった。

 二度と姉と呼んでもらえなくなった。家族として話す事が出来なくなった。

 

「……あなたの瞳はリリーの瞳だわ。その瞳に見つめられると、捨てる事なんて出来なかった」

 

 肩を震わせながら、彼女は言う。

 

「でも、愛せなかった……。あなたはポッターの息子でもあった! り、リリーを奪った魔法の世界の存在だった! だから……、だから、魔法なんて……、あなたを普通にしたかった……。そうすれば……、いつかは憎まなくて済むようにって……」

 

 髪をかき乱しながら、もう彼女の言葉は言葉になっていなかった。

 悲しみと怒りに押し潰されて、泣き喚いた。

 ハリーは久しぶりに紅茶を淹れた。彼女に教えられた淹れ方だった。

 彼女が泣き止むまで、彼女の傍にいた。

 そして、彼女が泣き止むと、彼は席を立った。

 

「……ペチュニアおばさん」

 

 ハリーは言った。

 

「さようなら」

「……まっ」

 

 ペチュニアは咄嗟に手を伸ばした。けれど、ハリーはその手を取らなかった。

 ハリーの彼女達に対する憎しみは消えていない。彼らもハリーを憎んでいる。どちらも簡単に消し去る事が出来ない程、深く……。

 

「十年間、ありがとうございました」

 

 ハリーはダーズリーの家を出た。しばらく歩くと、そこにはドビーがいた。マルフォイ家の屋敷しもべ妖精だ。

 

「は、ハリー・ポッター様。も、もう、よろしいのですか?」

「ああ、問題ない。行こうか、ドラコの家に」

「か、かしこまりました」

 

 ハリーは最後にもう一度だけ、ダーズリーの家を見た。

 最後まで、彼にとってはダーズリーの家でしかなかった。

 そして、バチンという音と共に風景が一変した。

 

 ◆

 

 ペチュニアはハリーが消えると同時に家から飛び出した。

 必死に家の周りを見て回った。プリペット通りの外に飛び出して、黒い髪の少年を探した。

 けれど、見つからなかった。

 

「……出て行かなくていいって……、そう言おうと……」

 

 掛け違えていたボタンを正すには、あまりにも遅過ぎた。

 その事にペチュニアはようやく気がついた。

 ハリーが自分の甥っ子なのだと、今になって理解した。

 

「リリー……。ハリー……」

 

 その夜、バーノンが帰ってくると、ペチュニアは再び泣いた。

 弱々しく縋り付いてくるペチュニアにバーノンは弱り果てた。

 彼女が落ち着くと、彼は事情を聞いた。そして、彼女を泣かせたハリーに怒りを燃やした。

 けれど、彼は彼女を愛していた。彼はハリーに対する怒りをゆっくりと収めると、彼女を抱きしめながら慰めの言葉を囁いた。

 そして、彼らの日常は普通に戻る。

 これからは何者にも脅かされず、家族三人で幸せに生きるのだった。

 

 

 ドビーと共にマルフォイ家に姿現しをしたハリーはドラコに出迎えられた。

 ハリーがダーズリー家と決別する事を決めた時、ドラコは彼を受け入れる事に決めた。

 両親は分霊箱に魂を吸われた後遺症がまだ残っている為に病院にいて、屋敷には彼とドビーだけだった事も理由の一つだ。

 

「やあ、ハリー。隨分とご機嫌斜めの様子だね」

「……ああ、最悪だ」

 

 ハリーは近くの木を力の限り殴りつけた。

 

「許さん……、アルバス・ダンブルドア!!」

 

 歯を食いしばり、鬼のような形相を浮かべるハリーにドビーは怯えきり、ドラコは呆れた。

 

「とりあえず、中に入ろうじゃないか」

「……ああ」

 

 歓迎の食事会の間もハリーはずっと怒り続けていた。

 ダンブルドアがペチュニアを脅していた事に、ハリーは自分でも驚くほどの強い怒りを抱いていた。

 いずれ、その地位も何もかもを奪い取り、地獄に落とす。

 そう、決意を固めた。



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第二十二話『ダイアゴン横丁』

 マルフォイ邸での生活は、ホグワーツでの生活とあまり変わらなかった。ハリーとドラコはひたすら勉強に打ち込んでいた。他にやる事がなかったのだ。 

 未成年の魔法使いは大人の魔法使いの監視下でなければ魔法を使えない。ドラコの父母は病院から戻ってきていない為、プリペット通りからマルフォイ邸へ移動した時のドビーの姿くらましでさえ、事前にマクゴナガルに伝えて置かなければ処罰の対象になっていた。

 

「……えっと、魔女狩りに発展した切っ掛けってなんだっけ」

「そっちの本に書いてあったぞ」

 

 一年間、暇さえあれば勉強をしていた二人は暇つぶしに勉強をするという学生の鑑のような生活を苦に思わなくなっていた。

 クラッブとゴイルも誘ったけれど、二人は休みの予定を聞くと極めて丁寧に《謹んでお断り致します》という手紙を寄越してきた。少なからず、勉強に巻き込んだ甲斐があったようだ。

 黙々と勉強を続ける二人。時折、ドビーがお菓子と紅茶を持ってくると、少しだけ休憩を挟み、また勉強。

 段々、ドラコも知識を深める事に楽しさを覚え始めた。

 学年末試験ではヴォルデモートに憑依されていたブランクのせいで満点を逃したけれど、それでも成績は上位に食い込んでみせた。今度はハリーとハーマイオニーに並んで見せる。そう意気込んでいた。

 二人が互いの事ばかりに意識を向けている間にこっそり頂点の座を奪う。それが密かな彼の野望だった。

 

「あのー……」

 

 そんな二人の事がドビーは心配だった。

 

「そ、その、あまり根を詰めてはお体に……さ、差し支えてしまいます。少し、その……、お、お休みになってはいかがでしょうか?」

 

 勇気を出して言った後、彼は自分の頭を近くのタンスの角にぶつけようとした。その寸前にドラコは近くに置いてあるクッションを投げた。

 

「わかったから、それやめろ。カボチャジュースとプディングを頼む。表面のカラメルは炙って、クレマカタラーナにしてくれよ」

「頼むぜ、ドビー」

「か、かしこまりまじだ……、ご主人様! ハリー・ポッター様!」

 

 ドビーがキッチンに駆けていくと、二人は勉強の手を止めた。

 

「アイツ、まだ気にしてんのかよ」

「まあ、屋敷しもべ妖精にとっては悪夢だろうからね」

 

 ドビーはヴォルデモートに操られ、ドラコやハリーに危害を加えてしまった事を悔いていた。

 ハリーは全く気にしていなかったし、ドラコも許していた。そもそも、ヴォルデモートに操られたのは自分も同じだったし、仕方のない事だった。それに、ドラコはハリーがマーキュリー達に礼儀正しく接している姿を見て、ドビーに対する接し方を改めようかと考えていたからだ。

 

「ただ、お仕置きを禁じると余計に苦しそうだからね。儘ならないもんだよ」

 

 今のドビーにしてやれる事は命令を増やす事だけだった。つまり、思いっきり我儘を言う事だった。

 ハリーとドラコが何か頼む度にドビーは喜ぶ。だから余計に勉強以外にする事が無かった。

 

「……ホグワーツに行く時はドビーを連れて行こうと思ってるんだ」

「いいんじゃないか? マクゴナガルかスネイプに手紙を出しとけば許可してくれんだろ」

「ただ、マーキュリー達と喧嘩にならないかがね……」

「イジメられないかって? 心配し過ぎだろ……」

「そうかな……? うーん」

 

 どうやら、ドラコはドビーに対して礼儀正しいを通り越して過保護になりつつあるようだった。

 

「やれやれだな」

 

 ハリーはそんなドラコに苦笑した。

 

 第二十二話『ダイアゴン横丁』

 

 夏休みも終わりに近づいた頃、ルシウスとナルシッサが退院した。

 二人はハリーと初対面だったけれど、顔を合わせると同時にナルシッサは彼を抱きしめた。

 

「ああ、ハリー・ポッター。ずっと伝えたかったのです! ドラコを救ってくれて……、本当にありがとう」

 

 二人は自分達を救ってくれた事に対しても感謝の言葉をハリーに送ったけれど、それ以上にドラコを救った事に何度も何度もお礼を言った。

 彼らはドラコが分霊箱に支配される姿を見ていたらしい。その時の恐怖と絶望は筆舌に尽くし難かったそうだ。

 

「わたくし達を守るためにドラコは自分の身を差し出したのです……。でも……、そんな事をしてほしくなかった……」

 

 二人にとって、ドラコの存在は自分達の命よりも遥かに重かった。

 その命が自分達のせいで失われそうになったのだ。

 それこそ、気が狂いそうになるほどの苦痛だった。

 

「ありがとう……、ありがとう……、ハリー・ポッター」

 

 何度も頭を下げるナルシッサとルシウスに対して、ハリーは後ろめたさを感じていた。

 二人はハリーがドラコを救った事に感謝している。けれど、ハリーはあの時、ドラコを殺そうともしていた。

 彼らにとって最悪の事態を招こうとしていたのだ。

 

「……は、母上。父上も! そのくらいにして、食事にしましょう! ドビーが腕によりをかけて作ってくれたんです!」

 

 そんなハリーの心情を察したのだろう。ドラコは二人を食堂へ追い立てた。そこでは未だに屋敷に居座っていた事に腹を立てたルシウスがドビーを傷つけようとしてドラコに叱られるという場面もあった。

 ナルシッサはドラコの成長を知り、微笑んだ。

 ハリーはそんな一家のやりとりをじっと見つめていた。 

 

 ◆

 

 ホグワーツに向かう数日前の水曜日、ハリーとドラコはルシウスに連れられてダイアゴン横丁に向かった。

 

「ハリー。今日の買い物はすべて私が払う。どうか、遠慮はしないでくれたまえ」

「……あー、どうも」

 

 ルシウスはハリーとドラコに事ある毎に何かを買い与えようとした。屋敷にいる間にも、最新型の箒であるニンバス2001を誕生日プレゼントとして贈られ、二人が望むだけの本を取り寄せた。

 ハリーの一点物のつもりで買った眼鏡も、今ではストックが5つもある。他にも防犯用と言って最新型の高性能《かくれん防止器(スニーコスコープ)》を二人のカバンやトランクに勝手に取り付けたり、まるでダドリーに対するバーノンやペチュニアのような状態だった。

 どうやら、それが彼なりの感謝の気持ちであり、罪滅ぼしなのだとハリーとドラコは気付いていて、それ故に素直に受け取る事にした。受け取らないと、まるで子供のようにいじけるのだ。

 

「あと、シシーから二人の服を買うように言われている。最低十着は選ぶようにと言っていた」

 

 ナルシッサはファッションに対して口うるさい女性だった。既にハリーはトランクの空間の一つを彼女に与えられた服で埋め尽くしてしまっている。

 

「……ボク達の身長が伸びたら着れなくなるわけだし、これ以上は要らないのでは?」

「試着も面倒だし、買わなくたっていいと思う」

「買わないとシシーに睨まれるぞ、二人共」

 

 ナルシッサは息を呑むほどの美人だけれど、その分だけ怒った時の迫力は凄まじかった。

 二人は素直に新しい服を買う事にした。

 

 必要な学用品の購入とナルシッサの指令を完了させると、三人は書店に向かった。既に教科書は買い揃えていたけれど、他の買い物中にやけに混雑しているのが見えて気になったのだ。要するに野次馬だった。

 ルシウスは外で待っていると言って、近くの宝石店のショーウインドウを覗き込んでいる。

 中に入ると、ハリーは見慣れた赤毛を発見した。

 

「あれ? ロンじゃないか!」

「え? あっ、ハリー! それに、マルフォイじゃないか!」

「久しぶりだな、ロン!」

「久しぶり。この混雑は何なんだ?」

 

 ドラコが問いかけると、ロンはうんざりしたような表情を浮かべた。

 

「あれだよ、あれ」

 

 彼が指さした方向を見ると、そこには一人の男がいた。

 

「誰だ?」

「写真撮影をしているみたいだね」

「ロックハートだよ。そこに本があるだろ? その作者」

 

 ロンに言われて、ハリーとドラコは山積みになっている本を見た。

 拍子にさっきの男の写真がデカデカと貼り付けられている。

 

「《私はマジックだ》……って、そう言えば、ギルデロイ・ロックハートって名前は前に見たな」

「ああ、ハーマイオニーがオススメだとか言ってた小説の作者だな。クソみたいにつまらなかったぞ」

 

 ハリーは本の山に《私はマジックだ》を放り投げた。

 

「もしや!」

 

 混雑の理由は判明したから帰ろうかと思った矢先、いきなり店の奥からロックハートがやって来た。

 

「ハリー・ポッターか!」

「そうだが?」

 

 列に並んでいた人々はハリーに好奇の視線を向けた。中には恐怖の表情を浮かべている者もいる。

 なにしろ、まだ一年生を終えたばかりなのに二度もヴォルデモートを滅ぼし、秘密の部屋を開き、校内で悪霊の火を発動させるなど、物騒なニュースで何度も新聞を賑わせたからだ。

 けれど、ロックハートは怖がっていないようだった。ハリーの手を取り、勝手に握手をして、勝手にカメラマンを呼んだ。

 ハリーはダーズリーの家で時折盗み見たテレビの映像を思い出した。有名な俳優やスポーツ選手に握手をしてもらっている子供の映像だ。

 

「……もういいか?」

「いやいや、ハリー。もっとニッコリ微笑んでくれたまえよ! 一緒に写って、一面を飾ろう!」

 

 真っ白に輝く歯を見せながらロックハートは言った。

 

「こうか?」

 

 ハリーは嗤ってみせた。あまりにも邪悪だった。ロックハートは「違う違う!」とハリーの頬を持ち上げた。

 

「こうやって、ほら! いや、目が怖いよ! もっとぱっちり開くんだ! こう!」

 

 ハリーの笑顔が完成するまで、それから二十分も掛かった。ロックハートが途中から凝り始めたせいだ。中々彼の納得がいく笑顔にならなかった。

 

「……うん! 素晴らしい! その笑顔だよ、ハリー」

「お、おう!」

 

 ハリーも途中からちょっと楽しくなっていた。二人で肩を組みながらカメラにポーズを決める。

 一面の見出しはハリーとロックハートの握手の写真で決まりだ。

 その後、ハリーは彼のサイン入りの著書を全巻プレゼントされた。正直、これはあまり嬉しくなかった。

 

「……おつかれ」

「大丈夫かい?」

「おう!」

 

 ハリーは眩しい笑顔をドラコとロンに向けた。

 二人は化け物でも見るかのような表情を浮かべた。

 

「あ、あの!」

「ん?」

 

 突然声を掛けられて、ハリーは素敵な笑顔のまま振り向いた。そこには小さな赤毛の女の子の姿があった。

 

「キャッ!」

 

 女の子は真っ赤になって逃げ出した。

 

「な、なんだ……? そんなに酷い顔だったのか……?」

 

 ドラコとロンの反応に加え、女の子に逃げられた事にハリーは少しだけショックを受けて表情を戻そうとした。けれど、巨匠ロックハートによって二十分かけて作られた笑顔を戻すのは大変な作業だった。

 

「……ああ、ごめん。今のは僕の妹なんだ。気にしないでくれ、君のファンなんだよ」

 

 そう言うと、ロンは彼女を追いかけていった。

 

「学校でね!」

「お、おう……」

 

 ハリーはようやく顔が元に戻ると小さくため息を零した。

 

「帰るか」

「うん。父上を探そう」

 

 その後、ルシウスと合流した二人はマルフォイ邸へ戻った。

 それから数日、更に荷物が増えた。ナルシッサとルシウスがこれでもかと防犯グッズを買ってきたのだ。一生かけていっぱいにしていく筈のトランクの半分以上がたった一ヶ月の間に埋まってしまった。

 

 そして、ホグワーツに向かう日がやって来る。

 真紅のホグワーツ特急の前でルシウスとナルシッサはドラコとハリーをそれぞれ抱きしめた。

 

「クリスマスには帰ってきてくださいね。二人共よ? いっぱいお祝いしましょうね」

「二人共、勉強ばかりじゃなく、もう少し遊ぶ事を覚えなさい。さすがに勉強ばっかりで心配になる」

 

 彼らの言葉に苦笑いを浮かべながら頷くと、二人は汽車に乗り込んだ。ホーム側のコンパートメントを独占して、窓を開き、二人に最後のあいさつをする。

 

「ドラコ、ハリー。どうか無事に帰ってきてくださいね! 去年みたいな事はもうたくさん! 約束ですよ!」

「大丈夫ですよ、ナルシッサおばさん。ドラコはボクが守りますよ。何者だろうと、ドラコに手を出す者はボクが潰す!」

「……ハリー、言い方を考えてくれ。なんか、イヤだ」

「なんだと!?」

 

 憤慨するハリーとそれを宥めるドラコ。二人の様子にルシウスとナルシッサは揃って笑った。

 

「……いってらっしゃい、二人共」

「達者でな」

 

 ハリーとドラコは揃って頷いた。

 

「いってきます!」

「いってきます!」

 

 そして、ホグワーツ特急が走り出す。

 いよいよ、二年目が始まる。



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第二十三話『組分けの儀式』

 ホグワーツ特急がホグズミード駅に到着すると、ハリーはゴスペルを片腕に巻き付けた。

 

「さあ、行くぞ! ドラコ、『ゴスペル』!」

「……途中で蛇語に切り替えるって、器用だな」

『はやく行こうぜ、相棒! エグレが寂しがってる筈さ!』

『そうだな! 寝る前に秘密の部屋に寄らなくちゃいけないな!』

「蛇語オンリーになると何を言っているのか全く分からない……」

 

 二人と一匹で喋りながら人並みに沿って歩いていると、大きな馬車が百台以上も立ち並んでいた。

 どうやら、一年生の時のようにボートで湖を横断するわけではないようだ。

 

「なんだこりゃ!?」

 

 誰かが叫んだ。

 

「なにかいるわ!?」

「なんなの!?」

 

 声を上げているのは上級生達だ。ハリーとドラコは何事かと顔を見合わせた。

 気になって前の方に行くと、馬車を奇妙な生き物が引いていた。馬のようだけど、爬虫類のようにも見える。胴体には全く肉がなくて、骨に直接皮が張り付いているようだ。頭部はドラゴンのようで、目には瞳が無くて白濁している。背中からはコウモリのような黒い翼が生えていて、妙に不吉な気分にさせる。

 

「落ち着け! みんな、セストラルだ! 昔から、馬車を引いていたのはセストラルなんだ!」

 

 七年生のレイブンクロー生が叫ぶように言った。そうしなければ聞こえない程ざわついていた。

 

「セストラル?」

 

 ドラコは首を傾げた。

 

「天馬の一種だな。死を目撃した者にだけ姿を晒す」

「なるほど、騒ぎの原因がわかったよ。犯人は君だ」

 

 ハリーは去年、ヴォルデモートが憑依していたクィリナス・クィレルを生徒達の目の前で殺害した。

 それによって、今までセストラルが見えなかった生徒達も彼らの姿を見えるようになったのだ。

 要するに、この騒ぎを引き起こした原因はハリーだった。

 

「……とりあえず、落ち着くまで教科書でも読んでようぜ」

「やれやれだね」

 

 第二十三話『組分けの儀式』

 

 ホグワーツに到着して、大広間のそれぞれの席に着席しても、生徒達の話題はセストラルだった。

 希少な生物である天馬の一種である事や不気味な見た目、死を目撃した者にのみ見えるという特性が生徒達の関心を惹きつけた。

 ついでに去年のハリーの暴挙を思い出した生徒達はその時の事を熱く語っている。どうやら、時の流れはトラウマを思い出に変えたらしい。

 

「ドラコも来るか? 秘密の部屋」

「パス。僕は眠くて仕方がないんだ」

「なんだよ、つれねーな」

 

 付き合いの悪いドラコに不平を言うハリー。

 

「生憎、僕には蛇語がわからないんだ。君とエグレがシューシュー盛り上がっている中、突っ立ってるだけなんて間抜けだろ?」

「ドラコも蛇語を覚えろよ! ニュートはエグレと時々話せるようになって来たぞ!」

「魔法生物学の権威と一緒にするなよ! あの人は特別なんだ!」

「いいから、勉強の合間に蛇語の訓練をするぞ!」

「まったく……、仕方ないな」

「それでこそドラコだ!」

 

 ドラコの背中をバシバシ叩きながら喜ぶハリー。

 やれやれと肩を竦めるドラコ。

 そんな二人を正面から見つめていたのは上級生のマーカス・フリントだった。

 

「お前ら、相変わらず仲いいな」

 

 苦笑しているフリントはスリザリンのクィディッチチームのキャプテンだ。

 時々、ハリーとドラコは談話室で彼からクィディッチの話を聞いている。

 家の繋がりでドラコが昔から彼と交流を持っていたことが切っ掛けだ。

 

「フリント。シーカーの選抜試験はいつなんだい?」

 

 ドラコはフリントに問いかけた。 

 

「一週間後を予定している。言っておくが、自前の箒を持ってないと参加出来ないぞ?」

「問題ない。僕もハリーもニンバス2001さ」

「最新型じゃないか! それなら問題無いな。しかし、二人揃って参加する気なのか? どっちかは落ちるんだぞ」

 

 フリントは不安そうにハリーを見た。万が一にもハリーが落ちた時、そこには地獄が広がる気がした。

 

「……バジリスクや悪霊の火が大暴れとか勘弁だぞ」

「安心しろ。今年からスリザリンのシーカーはボクだ」

 

 ハリーの言葉にフリントの表情はますます曇った。

 

「……おい、否定しないぞ、こいつ」

「試験の日はニュートとマクゴナガルを呼んでおく事を勧めるよ」

「ダンブルドアやスネイプ先生じゃなくてか?」

「スネイプはともかく、ダンブルドアだと火に油だ。ホグワーツが焼失するよ」

 

 フリントはニュートとマクゴナガルに試験の監督を打診しようと心に決めた。

 そして、ハリーは最後まで否定しなかった。

 

「……そ、それにしても、ジンクスが途切れたな」

「ジンクス?」

「ああ、見ろよ。スラグホーンとスネイプが両方揃ってる」

「それがどうしたんだ?」

 

 ハリーとドラコが揃って首を傾げると、フリントは言った。

 

「闇の魔術に対する防衛術の教師は一年毎に変わるのが通例だったんだ。まるで呪いでも掛けられているかのようにな。旅に出たり、ぎっくり腰になったり、死んだり、理由はいろいろだが」

 

 今年も闇の魔術に対する防衛術はスネイプが続投するようだ。

 その事に驚いているのはフリントだけではなかった。

 

「クィレルは一週間でハリーにぶっ殺されたからな。それまで延長されてるだけじゃないか?」

「一週間後にスネイプもぶっ殺されるのか……?」

「マジかよ……、スネイプ先生……」

「い、一週間の命か……」

 

 段々とお通夜のようなムードになり始めた。

 誰も一週間後にスネイプが生存していると思っていないらしい。

 

「……スネイプ先生はすばらしい教師だった」

 

 フリントは悲しげに呟いた。彼も一週間後のスネイプの死を確信している内の一人だった。

 

「過去形にするなよ……」

 

 ドラコはやれやれと肩を竦めた。

 いろいろと好き放題言われている当人であるハリーは我関せずでスネイプに黙祷を捧げていた。

 

「君も殺すなよ!?」

「ハッハッハ」

 

 一週間後のスネイプの生存確率について生徒達が真剣に考え始めた頃、新入生が大広間に入って来た。

 空中に浮かぶロウソクや豪奢な飾りに見惚れている。

 ハリーはロンの妹と目があった。軽く手を挙げて挨拶をすると、彼女は顔を真っ赤にしながら友人の影に隠れてしまった。

 

「ジニーだっけ?」

「合ってるよ。君にお熱だそうじゃないか」

「悪い気分じゃないな」

 

 新入生達が前の方に集まると、マクゴナガルが組分け帽子を運んで来た。

 

『遡る事、一千年! この地に現れし偉大な四天王! 

 

 荒野を進むは勇猛果敢なグリフィンドール! 

 谷川から現れるは賢明公正なレイブンクロー!

 谷間を抜けるは温厚柔和なハッフルパフ!  

 湿原を越えるは俊敏狡猾なスリザリン! 

 

 集いし魔力は未来を照らす学び舎に!

 名付けられしはホグワーツ!

 

 四人は四つの寮を創立し、各々寮生を呼び集める!

 グリフィンドールは勇気ある者を呼び集め、

 レイブンクローは叡智ある者を選別し、

 スリザリンは野望ある者を歓迎し、

 ハッフルパフはすべてを受け入れる!

 

 四天王生きし日は、彼らが自ら寮生を選び抜き!

 四天王亡き後は、古びた帽子が選び抜く!

 

 古びた帽子をかぶりなさい!

 さすれば君の未来を示そう!

 君の住まう寮はこの古びた帽子が教えてあげよう!』

 

 帽子は帽子の癖に陽気に歌った。

 

「去年と違う歌だね」

「毎年違うんだ。たぶん、毎年自分で考えてるんだろ」

 

 ドラコが感心していると、フリントが言った。

 

「帽子が?」

「帽子が」

「……帽子の人生って、どんな感じなんだろう」

 

 帽子の人生について考え始めるドラコを尻目に組分けの儀式が始まった。

 去年と同様にABCの順番に新入生が呼ばれて組分け帽子を被らされた。

 一番手のフィリップ・アンダーソンはレイブンクロー、二番手のイリーナ・アシュフォードはハッフルパフ、三番手のコリン・クリービーはグリフィンドールと、順調に組分けが進んでいく。

 そして、いよいよ一人目のスリザリン生が現れた。

 

「スリザリン!!!」

 

 触れる前に帽子が叫んだ。金髪で目つきの鋭い女の子だ。名前はローゼリンデ・ナイトハルト。どうやらドイツ人らしい。

 彼女は組分けされると同時にハリーを見た。まっすぐに歩いてくる。

 

「ハリー・ポッター様! 私はローゼリンデ・ナイトハルトと申します!」

 

 いきなりの名乗りにハリーは目を丸くした。ドラコやフリントも呆気にとられている。

 

「……あーっと、ハリー・ポッターだ」

「ハッ! 存じております! 偉大なるハリー・ポッター様と同寮となれた事は光栄の極みであり――――」

「はい、ストップ。とりあえず、座ろうか」

 

 大広間中の視線を独り占めにしている彼女をドラコはハリーの隣に座らせた。

 

「わ、私如きがは、ハリー・ポッター様のお、お隣にす、座るなど……」

 

 ガタガラ震え始めた。

 

「……とりあえず、落ち着け」

「は、ハッ!」

 

 奇妙な敬礼のポーズを取るローゼリンデ。

 ハリーは妙な後輩に戸惑いながら再開した組分けの儀式に意識を傾けた。

 

「ルーナ・ラブグッド」

「レイブンクロー!」

 

 妙な女の子だった。首からコルクを繋げた首飾りを身に着けている。

 

「今年は特徴的なのが多いな」

「君程ヤバイのはいないから安心するといい」

「ヤバイんじゃない、ボクはすごいんだ」

「ハリー・ポッター様は凄いです!!」

 

 いきなりローゼリンデが声を張り上げるものだから、またしても大広間中の視線がハリー達に集まった。

 

「分かっているじゃないか」

 

 ハリーはポンポンとローゼリンデの頭を叩いた。すると、彼女は真っ赤になって俯いてしまった。

 

「モテモテじゃないか、ハリー」

「ハッハッハ、羨ましいか?」

 

 ハリーとドラコは大広間中の視線を向けられていても頓着しなかった。

 

 組分けのラストはロンの妹のジネブラ・ウィーズリーだった。

 チラチラとハリーを見ていた彼女が選ばれたのはグリフィンドールだった。

 

「ロンが家族代々グリフィンドールだと言っていたが、妹までとはな」

「筋金入りのグリフィンドール一族だね」

 

 組分けが終わると、テーブルには豪華な食事が溢れかえった。

 ハリーとドラコはさっそく目の前のチキンに噛み付いた。それからフライドポテトを頬張り、ローストビーフに舌鼓を打った。

 二人共、歓迎会のご馳走に備えて汽車では断食をしていたのだ。要するにお腹ペコペコ状態だった。

 

「やっぱ美味いな! これ、マーキュリー達が作ってんだよな!」

「聞いてみれば? 呼べば来るだろ」

「いや、今はやめとく。忙しいだろうからな。後で声を掛けに行くさ」

「そっちには付き合うよ。ドビーにも挨拶させないといけないしね」

「そうだな」

 

 ドラコはドビーをホグワーツに連れて来た。

 両親が退院した以上、ドビーは家に遺してきたほうがいいかとも思ったけれど、ルシウスは未だにドビーの事を許していない様子だったからだ。

 

「ん? おい、食わないのか?」

 

 ハリーはローゼリンデが一切食事に手を付けていない事に気がついた。

 

「え?」

 

 ギョッとした表情を浮かべる彼女にハリーは怪訝な表情を浮かべながら適当な料理を彼女の皿に盛った。

 

「さっさと食わないと無くなるぞ。いいか? 食える時に食うのは大切な事だ。特に美味い料理の時はな!」

「た、食べていいのですか?」

「は?」

 

 ハリーはドラコと顔を見合わせた。

 

「……とりあえず、さっさと食えよ」

「は、ハッ!」

 

 また、妙な敬礼のポーズを取ると、彼女はハリーが盛った皿にフォークを伸ばした。すると、彼女はもくもくと食べ始めた。

 皿が空になると彼女は何かを訴えかけるようにハリーを見た。

 

「……ほれ」

 

 ハリーはゴスペルに餌をあげてる気分になった。

 心の中で彼女をハグリッド二世と名付けようか検討していると、ようやく彼女も満腹になったらしい。

 

「ナイトハルトだったよね? 君、ドイツの出身かい?」

 

 ドラコが問いかけると、彼女は慌てた様子で口元を拭った。

 

「ハッ! 私はドイツのフランクフルト出身です!」

「……ドイツなら、ダームストラングやボーバトンの方が近いだろ? どうして、ホグワーツに?」

「それはハリー・ポッター様がいるからです!!」

 

 またもや大広間の視線がハリー達に集中した。彼女はいちいち声がデカかった。

 

「なんだ? ボクに会いたかったのか?」

「ハッ! その通りです! ヴォルデモートを討伐し、悪霊の火を使いこなす偉大な魔法使い! 貴方様の配下となりたく、ダームストラングではなく、こちらのホグワーツに入学致しました!」

「……なるほど、ダームストラングに入る予定だったのか」

「配下と言われてもな……」

 

 ハリーは配下という言葉がイマイチピンとこなかった。

 

「まあ、いっか。よし、配下にしてやるよ」

「あ、ありがとうございます!!」

 

 ドラコは親友が新入生の女の子を配下にする様を呆れたように見つめた。

 

「ハリー。間違っても、ナイトハルトに《我が君》とか呼ばせるなよ。まじで第二のヴォルデモートとか、闇の帝王二世とか呼ばれるぞ」

「第二? 冗談じゃない! ボクはオンリーワンで、ナンバーワンだ! 唯一無二のハリー・ポッターだ!!」

「ハッ! ハリー・ポッター様は唯一無二です!!」

「……頭痛くなってきた」

 

 ドラコはやれやれと肩を竦めた。




ちなみにアステリアは二学年下なので来年登場します(*´﹃`*)


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第二十四話『ハリーの決意』

 新入生の歓迎会も終わり、監督生達が一年生達を集めている。

 

「おい、お前はアッチだぞ」

 

 ハリーがドラコとマーキュリー達に挨拶をする為に厨房に向かおうとするとローゼリンデがついて来た。

 

「ボク達は寄り道してから寮に行くから、監督生についていけ」

「わ、私はハリー・ポッター様に御同行致します!!」

「いや、部屋割りを決めるから向こうに行け」

「し、しかし!!」

 

 ローゼリンデは思いの外頑固だった。けれど、その理由が自分と一緒にいたいからだというのがハリーに寛容な態度を取らせた。

 

「……仕方のないヤツだ」

「部屋割りのタイミングでドビーに送らせよう」

「ドビーを連れてきたのは正解だったな」

「えっと……?」

 

 ドビーを知らないローゼリンデは置いてけぼりになっていた。

 

「とりあえず行くぞ、ドラコ、ロゼ」

「ハッ!」

「はいはい」

 

 三人は大広間の横にある個室へ向かった。そこに地下の厨房へ通じる隠し通路があるのだ。

 

 第二十四話『ハリーの決意』

 

「クリーチャー!?」

「……いや、怪物(クリーチャー)じゃない。屋敷しもべ妖精だ。見た事ないのか?」

「いえ、なるほど。屋敷しもべ妖精というのですね」

 

 興味深げに厨房で働いている屋敷しもべ妖精達を見つめているローゼリンデを尻目にハリーはマーキュリー、ウィッチャー、フィリウスの三人に声をかけた。

 

「ハリー・ポッター様!!」

「ドラコ・マルフォイ様!!」

「ようこそいらっしゃいました!!」

 

 他の屋敷しもべ妖精達も作業を中断して敬礼した。まるで練習でもしたかのような見事な敬礼だった。

 

「本日はどういった御用でしょうか?」

「ボクは君達に挨拶をしに来ただけだ。《ただいま》を言いに来ただけだよ。作業の邪魔をして悪かったね」

「わ、わたし達に挨拶を……そ、その為にわざわざ……」

「お、お優しい……ハリー・ポッター様……」

 

 ハリーの言葉にマーキュリー達は涙を零した。

 

「ど、どうしたのですか!?」

 

 ローゼリンデは一斉に泣き始めた屋敷しもべ妖精達に困惑している。

 

「ハッハッハ、彼らはボクを尊敬しているからな! 感動しているのだ!」

「慣れないと異様な光景だよな、これ」

 

 ドラコはやれやれと肩を竦めながらドビーを喚び出した。

 バチンという音と共に現れるドビーをドラコは前に立たせる。

 

「みんな、紹介させてもらえるかな? ドビーだ。訳あって、ホグワーツに連れて来た。仲良くしてやってくれ」

 

 ドラコがドビーを紹介すると先程までとは一転してマーキュリー達は厳しい視線を向けて来た。

 彼らは覚えているのだ。ドビーがヴォルデモートの分霊に操られ、ハリーとドラコを危険に晒した事を。

 ドビーもその事に気づいていた。

 

「恥知らずな!! あれほどの事をしでかしておきながら、あなたは!!」

 

 マーキュリーは怒りに燃えている。射殺さんばかりの眼光だ。

 

「落ち着け、マーキュリー。ドビーはドラコの大切な家来だ。それに、去年の事は許してやれ。あれはヴォルデモートが原因だ」

「……かしこまりました」

 

 ハリーが言うと、マーキュリーは渋々といった様子で引き下がった。

 

「ドビー! 包丁で耳を小さくしようとするんじゃない!!」

 

 ドビーはドビーで罪悪感から自分の耳を包丁で切り落とそうとしてドラコを慌てさせた。

 

「と、とりあえずそろそろ時間だな! 僕はドビーにロゼと寮へ送ってもらうよ」

「分かった。後でな」

「ああ、行くぞ、ロゼ」

「え? わ、私はハリー・ポッター様と!!」

「とりあえず部屋割り優先だ」

 

 ドラコは強引にローゼリンデの腕を掴むとドビーに姿くらますように命じた。

 バチンという音と共に三人が消えると、ハリーもエグレに会いに行こうと出口に向かった。

 

「は、ハリー・ポッター様! なにか御用がございましたらいつでもお呼びくださいませ!!」

「ああ、その時は頼むよ。ディナーは美味かったよ。ありがとう」

 

 ハリーは出口に向かうまでの間に大量のお菓子とエグレの餌を持たされた。

 

『……むにゃ、相棒? なんか、すごいいろいろ持ってるな。大丈夫かい?』

 

 ハリーのローブの中で眠っていたゴスペルが起きた。

 

『無下には出来ないからな……。あとでロゼにもやろう』

『相変わらず、相棒は優しいぜ!』

 

 大荷物を抱えたまま秘密の部屋に行くと、そこにはニュートがいた。

 

「お久しぶりです、ニュート」

「久しぶりだね、ハリー。『ゴスペルも久しぶり』」

『おう! お久しぶりだぜ、ニュート!』

 

 夏休みに入る前の時点で、長話は無理だけど、ニュートは既にエグレやゴスペルと短いやりとりなら出来るようになっていた。

 この分なら、来年には完全にマスターしていそうだ。ハリーは改めてニュートを尊敬した。

 ニュートがゴスペルとお喋りをしている間にハリーはエグレの下へ向かった。

 

『久しぶりだな、マスター』

『ああ、君に会えて嬉しいよ、エグレ』

 

 ハリーは早速エグレにマーキュリー達が用意してくれた餌を食べさせた。

 

『美味いか?』

『うむ、美味い。マスターが居ない間は定期的にマーキュリーが持ってきてくれた』

『マーキュリーが!?』

『ああ、毎回おどおどしながら入って来ては置いていく。感謝しようと近づくと悲鳴をあげて気絶するのでな、代わりにお礼を言っておいてもらえるか?』

『わかった。マーキュリー、やはり冠絶する存在だ。素晴らしい! ……問題は《ありがとう》の一言で泣きながら逆に感謝されてしまう事だな』

『向こうが満足しているのなら構わないのでは?』

『しかしな……』

『命令を増やしてやれば喜ぶのでは?』

『それは本末転倒じゃないのか?』

 

 屋敷しもべ妖精にお礼をするのは簡単過ぎて難しかった。

 

『……なんとかしてお礼がしたいな。ここまでしてくれるとは』

 

 マーキュリーはエグレを恐れている。ハリーとは違って、エグレと意思の疎通が出来ないからだ。

 それでも餌に手を抜いたりはせず、ハリーが居ない間は自主的に秘密の部屋へ餌を届けに来てくれていた。

 ハリーが居ない状態の秘密の部屋に入る事は死の恐怖と隣合わせだった筈だ。

 その勇気と献身の心はハリーの胸を打った。

 

『というか、何故そこまでしてくれるんだ? よく考えると、やってもらうばかりでボクが彼女になにかしてあげた事は何もないぞ』

『なんだ、聞いてないのか?』

『知ってるのか?』

『ああ、前に仲間の屋敷しもべ妖精と話している所を聞いた事がある。どうやら、リドルは屋敷しもべ妖精を相当に虐げていたらしい。それこそ、薄汚れた使い捨ての道具のように扱われていたそうだ。そのリドルを無力な赤ん坊が倒した事で、彼らに希望と勇気を与えてくれたらしい。リドル……、ヴォルデモートを倒したマスターは彼らにとって憧れの存在なのだ』

『……憧れか』

 

 ハリーは目を細めた。

 

『ならば、彼らの期待に応えてやろう』

 

 そう言うと、ハリーは決意の篭った表情を浮かべた。

 

『ボクが魔法界のNo.1に登り詰めた暁には彼らの素晴らしさを喧伝し、虐げる存在ではなく、良き同居人であると知らしめてみせるぞ!!』

『ああ、それこそが最高の返礼だろう』

 

 ハリーはいちいちおどおどした表情を浮かべるドビーやマーキュリーの表情を脳裏に浮かべた。

 彼らが胸を張って生きられる世界を作り上げる。

 その決意は、それまで漠然としていたハリーのNo.1へ登りつめるという覇道を照らした。

 

『彼らが感謝されるのは当たり前の事だ。そんな事に一々感動させる世界は間違っているんだ!! ありがとうと言われたら《どういたしまして》の一言で十分なんだ!!』

『同感だよ、ハリー』

 

 ハリーがエグレを引かせていると、ニュートがゴスペルと一緒に近寄ってきた。

 

『屋敷しもべ妖精の地位の向上には僕も賛成だよ。彼らの献身の精神に甘え過ぎている現状は憂慮すべきだと常々思っていた。彼らも一人一人に個性があり、喜びもすれば苦しみもする。このままではいずれしっぺ返しを受ける事になるだろう』

『……すごいな、ニュート』

『……もう、普通に喋れているな』

 

 ハリーとエグレは来年までは少なくとも掛かると思っていたのに既にペラペラと蛇語を喋るニュートに感心を通り越して少し茫然となった。

 

『ああ、彼女と暮らすようになったからだよ』

 

 そう言うと、ニュートはゴスペルの方を指さした。

 ゴスペルは真っ白な美しい蛇とお喋りしていた。

 

『ウフフ、アンタの鱗、スベスベだね!』

『ヘッヘー、相棒が毎日手入れをしてくれるんだ! そういうアンタも良い鱗だぜ!』

『ニュートが毎日手入れをしてくれてるからよ!』

 

 ゴスペルは楽しそうだ。

 

『シャシャと言うんだ。蛇語をマスターする為にペットショップに行ってね、彼女の美しさに一目惚れしてしまったよ』

『確かに美しいな』

 

 ハリーが呟くと、聞こえていたらしいゴスペルがガーンとショックを受けた。

 

『あ、相棒! オレ様だって美しいだろ!?』

『ああ、もちろんだとも! ゴスペルがNo.1さ! それはそれとして、彼女の白い鱗も美しいと言っただけだよ、相棒』

『ハッハー! そうだろうとも! そうだろうとも! 相棒に手入れしてもらってるオレ様の鱗こそ最高なのさ!』

『あーら、アタイの鱗だって負けてないわよ! ニュートが丁寧に手入れをしてくれてるんだから!』

 

 二匹の言い争いを見て、エグレは少し羨ましくなった。

 

『……マスター。我の鱗もその……』

『ああ、もちろんだ! 久しぶりだしね、今夜は徹底的に手入れをしてやるさ!』

『僕も協力させてもらうよ。構わないね? エグレ』

『……頼む』

『相棒! オレ様も! オレ様も!』

『ニュート! アタイも! アタイも!』

『わかってる。順番だ』

『シャシャ、良い子だからちょっと待っていておくれ』

 

 その夜、ハリーとニュートは徹夜でエグレ達の鱗の手入れをした。

 それでもニュートが持っていた元気爆発薬を飲んで授業に向かった。

 エグレとゴスペル、シャシャの三匹はつやつやになった鱗を互いに自慢し合った。

 

『ハリーは元気だ』

 

 ニュートはさすがに徹夜が応えて自室に戻って眠った。

 

「……そう言えば、ロルフの事を話すのを忘れていたな。きっと、良き先輩後輩になるだろう……」

 

 そう呟くと、ニュートは泥のように眠るのだった。



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第二十五話『後輩』

「おはようございます、ハリー・ポッター様!!」

「ああ、おはよう」

 

 朝、ハリーが談話室に登ってくると、ローゼリンデが待ち構えていた。

 ハリーの朝は早い。エグレに餌をあげに行く為だ。それよりも早く起きて出迎えるのは大変だろうと思いつつも、大変な思いをしながらも敬意を示そうとする彼女をハリーは買っていた。

 

「よし、秘密の部屋に行くぞ。ついて来い」

「ハッ! お供致します!」

 

 早朝故に無人の廊下を二人で歩く。

 

「……どうだ? 学校には慣れたか? 授業にはついていけているのか?」

「ハッ! 慣れてきました! 授業には……、だ、大丈夫です!」

 

 大丈夫ではなさそうだった。

 

「わからない事があるなら聞きに来い。お前はボクの配下だからな。教えてやる」

「い、いえ、滅相もございません! わ、私如きの為にハリー・ポッター様のお手を煩わせるわけには……!」

 

 ハリーはローゼリンデの反応が不服だった。

 立ち止まり、背の低い彼女に視線を合わせる。

 

「いいか? お前はボクの配下だぞ! つまり! いずれは魔法界の頂点に君臨するのだ! だから、《私如き》なんて言葉を使うんじゃぁない!!」

「ヒグッ……、も、申し訳ありません……」

 

 縮こまるローゼリンデにハリーはやれやれと肩を竦めた。

 

「お前、今日から放課後は図書館に来い」

「え?」

「命令だ。いいな?」

「は、ハッ! かしこまりました!」

 

 ハリーはポンポンと彼女の頭を叩くと再び秘密の部屋を目指して歩き始めた。

 しばらくボーッとしていたローゼリンデも慌てて彼を追いかけた。

 

第二十五話『後輩』

 

 毎朝の日課として、ハリーとローゼリンデはエグレの鱗の手入れと餌やりをした後、軽く秘密の部屋の掃除をした。

 マーキュリーやニュートも手伝ってくれるけれど、広大な秘密の部屋内を隅々まで掃除するのは大変な作業で、一週間掛けて漸く完了する。そして、その後はまた最初からだ。

 ハリーはローゼリンデがその内《もうやめたい》と言い出すと考えていた。まだ一年生で、授業も始まったばかりの彼女は魔法をろくに使えなくて、掃除を手作業で行わなければならなかったし、何よりもモチベーションがハリーを手伝いたい一心のみだったからだ。

 エグレに対して、彼女はマーキュリーと似たり寄ったりの反応で、いつも泣きそうな顔をしている。

 けれど、彼女はいつまで経っても音を上げなかった。

 

「……ロゼ、無理はしなくていい」

 

 掃除を終えると、ハリーはローゼリンデに語りかけた。

 

「え?」

「秘密の部屋の掃除は大変な作業だ。それに、お前はエグレを恐れている。あまり無理は……」

「む、無理ではありません!!」

 

 ローゼリンデは焦ったように叫んだ。

 その勢いにハリーは少し目を丸くした。

 

「……そ、そうか」

 

 ローゼリンデはバケツを柱の下に運んでいき熱心に床を拭き始める。懸命で、手を抜いている様子はない。

 

『エグレ』

『なんだ?』

『しばらく、ロゼに張り付いていてくれないか?』

『……了解だ』

 

 ハリーはどうにも不安だった。暇さえあればハリーとドラコについてくるローゼリンデ。彼女が友達と一緒にいる所を見た事がなかった。

 放課後、勉強を見てあげようと図書館に来るよう命令してしまったが、失敗したかもしれないとも考えていた。

 

『ひょっとして、ボクの配下にしたのもまずかったんじゃないか……? そのせいで友達が出来ないんじゃないか……?』

『今更気がついたのか? 遅過ぎるぞ、マスター……』

 

 エグレに呆れられてしまった。

 

『い、いや、まだ友達がいないと決まったわけじゃない。一年にもドラコやロンのような気骨のあるヤツがいるはずだ!』

『……いるといいな』

 

 ハリーは一生懸命床掃除をしているローゼリンデを見た。

 なんとなく、ドビーに過保護に接してしまうドラコの気持ちが分かった気がした。

 

 ◆

 

 放課後、ハリーとドラコが図書館で勉強していると命令通りにローゼリンデが現れた。

 

「来たか、ロゼ」

「ハッ! 御命令どおり、参上致しました!」

 

 彼女が敬礼すると、図書館司書のマダム・ピンスが睨んできた。どうやら、声が大き過ぎたようだ。

 

「ロゼ、ボリュームを落とせ」

「ハッ!」

 

 また睨まれた。

 

「……マフリアート」

 

 ドラコは杖を振るった。

 

「その呪文は?」

「防音呪文だよ。前に屋敷に来たスネイプ先生が教えてくれたんだ」

 

 マフリアートは周囲に声が漏れなくすると同時に、聞き耳を立てられても雑音にしか聞こえなくする優秀な呪文だった。

 

「便利な呪文だな」

「スネイプ先生のオリジナルらしいよ。いろいろ開発しているみたい」

「凄いな! オリジナルとは!」

 

 髪の毛の洗い方も知らないナードだと思っていた相手の意外な特技にハリーは驚いた。

 

「ボクも作ってみたいな、オリジナル呪文!」

「同感! 今度、教えてもらいに行くかい?」

「いいな!」

 

 二人が盛り上がっていると、ローゼリンデは気まずそうにモジモジし始めた。

 

「……おっと、すまん。とりあえず、椅子に座れ」

「し、しかし!」

「いいから、ほら」

 

 ハリーが椅子を引くと、彼女はおどおどしながら椅子に座った。

 そんな彼女の前にドラコが数枚の羊皮紙を置いた。

 

「とりあえず、今の学力が知りたい。今から三十分やるから解け」

「ふへ!?」

「ほら、スタートするぞ。3、2、1! ゴー!」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 慌てて羽ペンを取り出して羊皮紙に記された問題に取り組み始めるローゼリンデ。

 けれど、羽ペンは五分経っても動かなかった。

 

「……わからない問題は飛ばしていい。わかる問題から解くんだ」

「は、はい……」

 

 青褪めながら自分で解けそうな問題を探し始めるローゼリンデ。けれど、彼女は泣きそうな表情を浮かべるばかりで、遂には羊皮紙の最後の問題まで視線を滑らせた。

 

「あぅ……」

 

 また最初の問題に戻り、頭を抱え始める彼女にドラコは困ったような表情を浮かべた。こっそりとハリーの傍に回り込み、小声で呟く。

 

「も、問題を難しくし過ぎたかな……?」

「……いや、最初の一、二問は授業で最初に習う範囲の問題だ」

 

 二人が見守る中、ローゼリンデは結局一問も解き明かす事が出来なかった。

 彼女は恐怖の表情を浮かべている。まるで、捨てられた子犬のようだ。それが近い将来の自分だと確信しているかのような怯えようだ。

 

「わかった。最初から始めるぞ。教科書は持ってきているか?」

「あっ……、その……」

 

 どうやら持ってきていないようだった。

 

「構わない。ボクのを使おう」

 

 ハリーはトランクから去年の教科書を取り出した。

 

「あ、あの……」

「始めるぞ、ロゼ。勉強は大切だ。ボクの配下なら、良い成績を取れ」

「……は、はい」

 

 いつもの元気が無かった。

 

「まず、物体浮遊呪文についてだが」

 

 ハリーとドラコは二人がかりでローゼリンデに勉強を教えた。

 申し訳ないからと遠慮しようとしたら命令して勉強させた。

 

 数日彼女を教えて、ハリーは気づいた。彼女は人よりも頭の回転が鈍い。けれど、時間をかければ覚えられるし、努力が出来る人間だった。

 ハリーとドラコは彼女に勉強を教えるのが段々と楽しくなってきた。

 

「今日はどうする? 薬草学が少し遅れていたけど」

「いや、魔法薬学にしよう。この時期は少し難しい魔法薬を調合した筈だ。それに備える」

 

 ローゼリンデが来るまでの間、二人は熱心に勉強方針について語り合っていた。

 すると、そんな彼らの下に一人の少女がやって来た。

 

「楽しそうね、あなた達」

「貴様は!?」

「ハーマイオニー!!」

 

 二人が臨戦態勢を整えると、彼女は呆れたように肩を竦めた。

 

「オーバーリアクション過ぎるわよ。マダム・ピンスに睨まれるわよ?」

「問題ない」

「防音呪文を使っているからね」

「防音呪文? そう言えば、最近、あなた達の声が妙に遠く感じてたのよね。どんな呪文なの?」

「マフリアートというんだ。杖の動きはSを描くように、発音は山なりに」

「スネイプのオリジナルだぜ」

「スネイプ先生の!? すごいわ!」

 

 ハーマイオニーと三人で盛り上がっていると、いつの間にかこそこそした様子で図書館にローゼリンデが入って来ていた。

 何故か、ハーマイオニーを睨みつけている。

 

「あら! こんにちは!」

 

 ハーマイオニーは後輩の登場に笑顔を浮かべた。お姉さんぶってみたかったのだ。

 ハリーとドラコはその事に気づいて少し呆れた。

 

「ロゼよね? わたしはハーマイオニー・グレンジャーよ。よろしくね」

 

 ハーマイオニーは新学期になっても毎日のように図書館に通っていた。そして、二人がかりで後輩に勉強を教えているハリーとドラコを密かに羨んでいた。

 

「貴様はグリフィンドールの後輩に教えてやればいいだろ」

「ジニーがいるだろ、ジニーが」

「う、うるさいわね……」

 

 心を見透かされ、ハーマイオニーは視線を泳がせた。

 すると、ローゼリンデはカッと目を見開いた。

 

「う、うるさいとはなんですか! ぶ、無礼です! あなた!」

「へぁ!?」

「ロ、ロゼ!?」

「ど、どうした!?」

 

 ローゼリンデの怒鳴り声にハーマイオニーよりもハリーとドラコの方が思わず飛び上がってしまうほどに驚いた。

 

「け、穢れた血が!! 偉大なるハリー・ポッター様に向かって!! 由緒正しき純血の一族であるドラコ・マルフォイ様に向かって!! 何たる口の利き方ですか!!」

「なっ……」

 

 ローゼリンデの口から飛び出した《穢れた血》という言葉にハーマイオニーは絶句した。

 

「マグル生まれの癖に!!」

「……おい、そこまでにしておけ」

 

 ハリーは激昂しているローゼリンデの頭をポンポン叩いた。こうすると彼女は照れて喋れなくなる事をハリーは経験から知っていた。

 案の定、赤くなって俯いた彼女にハリーは視線を合わせる。

 

「ロゼ。ハーマイオニーが無礼なのは確かだが、言葉選びが間違っているぞ」

「え? あ、あの……、わ、私は……」

 

 ハリーはやれやれと肩を竦めながらハーマイオニーをチラリと見た。

 ショックは受けているが、怒ってはいないようだった。ハリーは苦笑すると、ローゼリンデに言った。

 

「いいか? マグル生まれとか、純血とか、そんな事はどうでもいい。問題じゃないんだ。くだらない事なんだ」

「で、ですが!!」

「ロゼ、大切なのは自分自身だ。一族だとか、家柄だとか、血だとか、そんなものでアドバンテージを取るなんてのはかっこ悪い事なんだぜ。祖先だろうが、親だろうが、兄弟だろうが、所詮は他人だ」

 

 ハリーの言葉にドラコは少し物申したくなったけれど、口を出すと面倒な事になると理解しているから黙っていた。

 

「誇り高く生きろ、ロゼ。誇りってのは、他人に貰うものじゃぁないんだ。自分自身で勝ち取るものなんだ。だから、あの女を糾弾する時はアイツ自身の事で糾弾するべきなんだ。マグル生まれだとか、純血だとか、その程度の事でしかアドバンテージを取れない情けない人間にはなるな。忌々しいが、ハーマイオニーは頭脳明晰だ。だから、ボクは勉強に励んでいるんだ。アイツに能無しのクソったれと言ってやる為にな! 勝者になるんだ、ロゼ! そして、すべてを屈服させるんだ! だから……」

 

 ハリーはローゼリンデを椅子に座らせた。

 

「勉強するぞ」

「……は、はい」

「あと、アイツには謝らなくていい。正直、スカッとしたぜ」

「ああ、よく言ったぞ、ロゼ」

「……こいつら」

 

 ハーマイオニーはハリーとドラコを睨むと踵を返した。そして、クスリと微笑むと自分の勉強していたスペースに戻っていった。



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第二十六話『ホグワーツは燃えているか』

 ホグワーツの新学期が始まって最初の週末、ハリーとドラコ、ローゼリンデの三人は競技場に来ていた。

 今日、ここでスリザリンの新しいシーカーが生まれる。

 

「負けないよ、ハリー」

「勝つのはボクだ!」

 

 ちなみに、他に挑戦者はいなかった。この日はスネイプが死ぬかも知れない日でもあり、その原因がハリーの怒りによるホグワーツ炎上ではないかという推理がまことしやかに広がっていた。

 多くの生徒が遺書をしたため、確実に死ぬであろうスネイプに最後の挨拶をした。

 スネイプは本気で別れを哀しまれ、悼む生徒達に微妙な表情を浮かべる事しか出来なかった。

 

「……ええ、では選抜試験を開始する」

 

 試験官はフリント一人だった。マクゴナガルとニュートもそれぞれ忙しくて手が空かず、彼は一人でこの難局を凌がなければならなかった。

 

「頑張ってください! ハリー・ポッター様! ドラコ・マルフォイ様!」

「ああ、見ているがいい! このボクの勝利を!」

「生憎だけど、勝つのは僕さ。年季が違う」

 

 ハリーとドラコはやる気満々だった。フリントはドラコに《頑張り過ぎなくていいぞ!》と念じたが、届かなかった。

 いっそ、彼にリタイアさせて、そのままハリーをシーカーにしてしまえば良いのではないかという意見も出たが、それではハリー自身が絶対に納得しない事をフリントは分かっていた。

 けれど、勝者はおそらくドラコだろうと予想していた。つまり、ホグワーツは炎上する。彼も懐に遺書を隠していた。そして、燃やされたら遺書も燃えるという事に今更気づいた。

 

「……きょ、競技場の土に埋めとけば大丈夫かな?」

 

 ちなみに教師の一部と上級生達はいつでもフィニート・インカーンターテムを発動出来るように待機していた。

 そこには寮同士のいざこざなど無かった。グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、スリザリンの生徒達が息を合わせている。

 特にスリザリン生は確実に死ぬであろうスネイプを救える可能性が1%でも残っているのなら、という決死の覚悟を秘めている者も多かった。

 フリントの生存は大多数の生徒に諦められていた。既に彼の寮の寝室には手向けの花が飾られている。

 その異様過ぎる光景にローゼリンデ以外の一年生達はわけがわからないまま大広間で集められ、謹慎を命じられていた。

 

「そ、それじゃあ、スニッチを解き放つ。先にキャッチした方が新しいシーカーだ!」

 

 第二十六話『ホグワーツは燃えているか』

 

 ハリーとドラコはニンバス2001に跨った。

 同時にスニッチが解き放たれる。

 

「いくぞ!」

「おう!」

 

 二人が同時に空へ舞い上がると、フリントは急いでローゼリンデを抱えて競技場の外へ出た。

 

防火せよ(インパービアス)! 呪いを避けよ(サルビオ・ヘクシア)! 万全の守りよ(プロテゴ・トタラム)!」

 

 次々に呪文を唱えていくフリント。

 

「よ、よし、これで何とか……、なってくれ……、頼む……」

 

 ローゼリンデはそんなフリントに首を傾げた。

 

 空ではドラコとハリーが睨み合っていた。どちらもシーカーの座を譲るつもりなどなかった。

 特にドラコは気合が入っていた。

 夏休みの間、マルフォイ邸の広大な庭で二人は何度もクィディッチの特訓を行った。シーカー選抜試験に挑むためだ。

 そこで、彼はハリーの類稀な箒乗りとしての才能をまざまざと見せつけられた。鷹の目の如き動体視力は確実に獲物を見つけ出し、乗り始めたばかりの箒を自在に使いこなす。

 そのあまりの才能にドラコは打ちのめされた。幼い頃から箒に慣れ親しみ、情熱を持って訓練に励んでいたドラコは悔しくて一晩泣いた。そして、ハリーとは3日も口をきかなかった。  

 ドラコはシーカーになりたかった。得意な箒でハリーとは違う道の一番になりたかった。

 そうでなければ、対等な友達で居られない気がしたのだ。

 その気持は新学期に入ると一層強くなっていた。

 

 ―――― 誇り高く生きろ、ロゼ。誇りってのは、他人に貰うものじゃぁないんだ。自分自身で勝ち取るものなんだ。

 

 果たして、自分に家柄以外の誇りなどあるのだろうか? ドラコは疑問だった。

 一番になりたい。どんな形でもいい。そうでなければ、ハリーと並び立つ事が出来ない。

 だからこそ、この勝負には負けられなかった。

 

「勝つのは僕だ、ハリー!!」

「来いよ、ドラコ!!」

 

 そんなドラコの熱意を感じて、ハリーはゾクゾクした。

 ここまでの彼の本気を見るのは初めてだった。

 それが嬉しくて堪らなかった。こんなにも本気をぶつけられるのは初めての事だった。

 だからこそ、負けたくない。力の限りを出し尽くす。

 

 十分が経過しても、スニッチは姿を現さない。目を皿のように大きく見開いて、二人はフィールド全体を見渡している。

 障害物は互いの存在以外になく、それ故に先に発見した方が大きなアドバンテージを得る。

 互いに性能が全く同じニンバス2001に乗っている以上、それでほぼ勝敗が決してしまう。

 

「負けたくな……。負けたくない……!」

「勝つ……。勝ってみせる……!」

 

 冷たい風が吹きすさぶフィールド。けれど、二人は寒さなど感じてはいなかった。むしろ、額からは汗を流している。

 眼球だけではなく、五感のすべてを研ぎ澄ませている。

 風の音を聞き取り、風の流れを感じ取り、僅かな違和感を探し求める。

 荒くなる息を必死に抑え、そして、遂に金色の輝きがフィールドに姿を現した。

 

「……見つけた!!!」

 

 叫んだのはドラコだった。

 

「なにっ!?」

 

 ハリーは慌てて箒を旋回させてドラコの視線の方向へ箒を走らせた。けれど、どんなに探してもスニッチは見つからなかった。

 そして、ドラコが違う方向に飛び出していくのを視界の端で捉えた。

 

「……ブラフか!?」

 

 ハリーは慌ててドラコを追いかける。けれど、ドラコには追いつけない。箒の性能が同じである以上、如何にハリーの才能を以てしてもつけられた差を覆す事など不可能。

 それでも、ドラコがブラフを使わなければ後追いでもスニッチを先に掴み取れた筈だった。

 両者の勝敗を分けたのは運だけではなかった。勝利に対する執念。そして、その為の策略を練った、ドラコの勝利だった。

 

「……ハリー」

「ドラコ……」

 

 二人の視線が交差する。ドラコの手には黄金のスニッチが握られていた。

 地上ではフリントがこの世の終わりの如き表情を浮かべながら結界の外へ飛び出そうとするローゼリンデを抑えている。

 

「僕の勝ちだ」

「ああ……、ボクの負けだ」

 

 ハリーは敗北感に打ちのめされた。この勝敗は、ハーマイオニーとの学年末試験での勝負のように覆す事は出来ない。

 一度決まったシーカーは最後まで変わらないのが通例だ。他寮ならば試合でリベンジが出来たかも知れない。けれど、ハリーとドラコは共にスリザリン生だった。

 

「……ドラコ」

 

 けれど、ハリーはどこか満足していた。喜んでいた。

 これまで、マルフォイ邸での特訓では常にハリーが上をいっていたし、この試験でハリーは一切手を抜いていない。まさに全力だった。

 その全力を覆す程、ドラコは本気だった。ハリー以上に全力だった。それが、どうしてか嬉しかった。

 

「負けんなよ。六年間、一度だって負けるな! 全戦全勝だぜ!」

「……ああ、もちろん! 見ていてくれ、ハリー! 僕はクィディッチでNo.1を取る! そして、魔法界のNo.1となった君と共に世界を牛耳るぞ!」

「ッハ! 悪くない。悪くないぜ、ドラコ!」

 

 ハリーとドラコは共に邪悪に嗤う。

 

「フハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

「フハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 その嗤い声はホグワーツ中に響き渡った。生徒も教師もフィニート・インカーンターテムを準備した。

 けれど、炎はいつまで経ってもやって来ない。

 そして、笑い合うハリーとドラコ、そして、そんな二人に尊敬の眼差しを向けるローゼリンデと疲れ果てたフリントの姿を彼らは目撃する。

 みんな、勝者ではなく、フリントに駆け寄った。

 

「よくやった!」

「あなたは英雄よ!」

「すごいぞ、フリント!」

「お前はスリザリンの誇りだ!」

「いや、ホグワーツの誇りだ!」

 

 何故か、戦場から帰って来た歴戦の英雄のような扱いを受けるフリントにハリーとドラコ、ローゼリンデは呆気にとられた。

 

「……おい、勝ったのはドラコだぞ」

「いや、まあ……、分からなくはないけど……」

「ほえ!? ほえ!?」

 

 そして、そのまま大英雄マーカス・フリントを称える大宴会が大広間で始まった。

 

「……なんだこれ」

 

 ハリーは納得がいかなかった。けれど、みんなの喜びに満ちた笑顔の前には何も言えなかった。

 

「万歳!! 大英雄マーカス・フリント万歳!!」

 

 大宴会は深夜まで続いた。

 ハリーはドラコとローゼリンデの三人でこっそり厨房に向かった。そして、そこで屋敷しもべ妖精達と共にささやかなドラコの祝勝会を開いた。

 

「……おめでとう、ドラコ」

「お、おめでとうございます! ドラコ・マルフォイ様!!」

「おめでとうございます!! ドラコ・マルフォイ様!!」

「……うん、ありがとう」

 

 甘いはずのカボチャジュースがいつもよりちょっとだけしょっぱく感じたドラコだった。



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第二十七話『コリン・クリービー』

 コリン・クリービーはカメラのレンズを磨きながら考えていた。

 彼は牛乳の配達員の息子として生まれ、ホグワーツに入学するまでは魔法なんて夢物語の産物だと確信していた。

 けれど、同時にコミックスや映画のヒーローに対する憧れを抱いていた。彼らが実在する事を夢見ていた。

 魔法界の存在を知った彼は、同時に英雄の存在も知った。

 ヴォルデモートという闇の帝王を打ち倒した少年。彼の武勇伝は既に非公式の書籍となって出版されていて、教科書を買う時に購入したその本をコリンは夢中になって読み耽った。

 かの英雄は、千年以上も謎に包まれていた《秘密の部屋》を見つけ出し、伝説的な怪物である《バジリスク》を使役し、究極の闇の魔術と言われる《悪霊の火》を使いこなす。そして、復活を目論んでいたヴォルデモートを二度も一方的に撃退した。

 コリンにとって、ハリー・ポッターはまさにスパイダーマンやバットマンにも引けを取らないヒーローだった。

 

「会いたいなー。一緒に写真を撮って欲しいなー。サインが欲しいなー」

 

 ベッドの上でコロコロ回りながら彼は唸る。

 本当なら今すぐにでも駆けつけたい。カメラを手に、一緒に撮ってくださいとお願いしたい。

 けれど、上級生達が許してくれなかった。

 

 ―――― 命が惜しければ、ハリー・ポッターには近づくな。

 

 ハリーの武勇伝を口にする時、彼らは熱に浮かされたような表情を浮かべる。そして、その熱は語れば語る程に冷めていく。最後は青褪め、震え出す。

 誰かが言った。

 

 ―――― 闇の帝王が打倒された。それはつまり、闇の帝王を超える者が現れたという事だ。

 

 語り始めの熱は現実から逃避する為のもの。

 彼らの脳裏には未だに大広間で二度引き起こされた恐怖の光景が焼き付けられている。

 一切の躊躇いもなく殺害されたクィリナス・クィレル。あと一歩で殺害されそうになったハリーの親友であるドラコ・マルフォイ。

 現実に目の前で一人は死に、一人は殺されかけたのだ。

 その事実は生徒達の心に大きな爪痕を遺していた。 

 親友すら、殺しかけた事が恐怖に拍車を掛けた。彼が殺すと決めたなら、相手が誰であっても関係などないのだと理解させられた為だ。

 

 ―――― 彼は、まさに『死の恐怖(グリム・リーパー)』だ。

 

 そう呟いたのは最上級生の男子生徒だった。コリンから見れば、既に大人の仲間入りをしている彼が青褪めた表情で怯える姿はあまりにも異様だった。

 それでも、コリンの好奇心と憧憬の念は消えなかった。

 むしろ、《死の恐怖(グリム・リーパー)》という二つ名が実にかっこいいものだと感じた。

 

 第二十七話『コリン・クリービー』

 

 それから、コリンは遠目からハリーの事を観察し続けた。すると、おかしな事に気がついた。

 まず、ハリーは殺しかけた筈の親友と未だに親友を続けている。

 彼に殺されかけた当事者であるドラコ・マルフォイはハリーと親しげに会話を交わし、時には彼を窘めさえする。

 それに、ハリーは一年生のローゼリンデに対して非常に優しく接していた。特に厳しく叱りつける事もなく、図書館では勉強をみてあげている。

 数日観察を続けて、コリンは考えた。

 

「……もしかして、先輩達は大げさな事を言っているだけなのかも」

 

 コリンは試しに数人の上級生達に同じ質問をしてみた。

 

「あなたはハリーに直接何かをされた事があるんですか?」

 

 答えは十人が十人ともNoだった。誰もハリーから直接傷つけられた事など無かったのだ。 

 コリンはいよいよ上級生達がただの臆病者に思えてきた。

 

 そして、新学期が始まってから最初の週末である日曜日、事件は起きた。

 ハリーがスリザリンのシーカー選抜試験を受ける事になったのだ。ホグワーツは上も下も大混乱だった。

 曰く、闇の魔術に対する防衛術の先生は毎年変わるらしい。けれど、今年に限ってはスネイプ先生が続投していて、その事を誰もが不思議がっていた。

 そして、その理由は去年の闇の魔術に対する防衛術の教師であるクィリナス・クィレルがハリーに殺されたのが新学期開始から一週間後の事だった為に、一年が終わってもスネイプの任期が一週間伸びたのではないかと誰ともなしに言い始めた。

 スネイプの任期が終わる日とスリザリンのシーカー選抜試験の日が重なった事で、ハリーがシーカーになれない怒りからホグワーツを焼き尽くすのではないかという噂が流れ始めた。

 

「……ひょっとして、先輩達はバカなんじゃないかな」

 

 コリンを含めた一年生達はローゼリンデを除いて全員が大広間に集められていた。そこで右も左も分からないまま閉じ込められた。

 事情をそれなりに知っている生徒達が不安そうに囁き合うけれど、コリンはちっとも怖くなかった。上級生達が心配するような事などあり得ないと分かっていたからだ。

 

「バカってどういう事だい?」

 

 ルームメイトのアレン・マクドネルが問いかけると、コリンは一週間に及ぶ調査の結果を彼に語った。

 

「結局、だーれもハリーに攻撃された事なんてなかったんだ! それなのにハリーを怖がってる! 一番怖がってなきゃいけない筈のドラコは怖がるどころかハリーを叱ったりしてるんだよ! それなのにドラコは死んでない! 先輩達は大げさなのさ!」

 

 コリンの演説にアレンや他の聴衆達は感心したように頷いた。

 

「たしかに、ただ試験を受けてるだけなのにこんなドタバタしてバカみたいだよな!」

「わたし達を連れて来た先輩なんて、真っ青な顔して《ハリー怖いハリー怖い》って怯えてたわ」

「かっこわるーい」

 

 去年の事件を直接見ていない一年生達にはコリンの意見こそ正しいと思えた。実際、この一週間、ハリーは特に何もしていない。それに、コリンの言う通り、彼がローゼリンデに熱心に勉強を教えてあげている所を目撃していた生徒も多かった。

 

「今日だって、きっとなーんにもないよ」

 

 そのコリンの予言は的中した。結局、ハリーは試験に落ちてもホグワーツを燃やさなかったし、それどころか勝者のドラコを讃えていた。

 それなのに上級生達は何故か勝者でもなんでもない試験官のフリントを褒め称え、ホグワーツが燃えなかった事を喜んだ。

 一年生達は呆れ果てていた。

 

 ◆

 

 嵐のような週末が終わり、翌日の月曜日、コリンは意を決して立ち上がった。

 ハリー・ポッターは怖い人じゃない。そう結論づけたのだ。

 早朝、コリンは大広間の前でハリーが来るのを待った。

 

「来た!」

 

 コリンはドキドキしながらハリーの前に飛び出した。

 すると、ハリーは目を丸くした。隣にいたローゼリンデも驚いている。

 

「あ、あの! は、ハリー! 僕、僕はコリン! コリン・クリービーと言います!」

「お、おう」

 

 周囲がざわついたけれど、コリンは気にしなかった。

 

「あ、あの、構わなかったら写真を撮ってもいいですか!?」

「写真?」

 

 ハリーはコリンの首から提がっている大きなカメラを見た。

 

「ずいぶんと立派なカメラだな。しかし、どうしてまた?」

「僕、あなたが凄くかっこいいと思います! あの《例のあの人》を三度も倒したとか! 伝説の《秘密の部屋》を発見して、《バジリスク》を従えたとか!」

 

 ハリーはコリンの言葉に鼻を大きく膨らませた。

 こうして去年の事を偉業のように褒め称えてくれた人間はあまりいなかった。尊敬してくれているローゼリンデも何がどう凄いとは言ってくれないのだ。

 ドラコやハーマイオニー、ロンは《ヤバい奴》としか言わないし、フレッドとジョージ、パーシーも去年の事にはあまり触れてくれない。他の生徒達は大半がハリーを怖がっている。

 ハリーはまたたく間にコリンを気に入った。

 

「……ふ、ふふ、そうか! 写真だったな! いいだろう、許してやる! 存分に撮るが良い!!」

「いいんですか!? じゃ、じゃあ、あの! ぼ、僕があなたと並んで撮ってもいいですか!? それから写真の裏にサインもしてくれますか!?」

 

 ハリーはニヤケ顔を必死に抑えた。

 

「コリンだったな。いいぜ、一緒に撮ろうじゃないか! 来てくれ、マーキュリー!!」

 

 ハリーが叫ぶと、バチンという音と共にマーキュリーが現れた。

 

「参上致しました、ハリー・ポッター様!」

 

 マーキュリーの出現にコリンは目を丸くした。

 

「おい、コリン」

「は、はい!」

「カメラの使い方をマーキュリーに教えろ。マーキュリー、すまないがカメラでボク達を撮ってくれないか?」

「かしこまりました!」

 

 ハリーはダイアゴン横丁で巨匠ロックハートに仕込まれた最高の笑顔を浮かべながらコリンと肩を組んだ。ポーズもロックハート仕込みだ。

 マーキュリーは撮影方法をコリンから教わり何度もシャッターを切った。

 

「ハリー・ポッター様、次はこのようなポーズで! コリン様も指をこう!」

 

 マーキュリーは拘るタイプだった。

 何枚か撮影すると、ローゼリンデがハリーの服を掴んだ。

 何も言わない彼女に、ハリーは笑いかけた。

 

「よし、次はロゼも入れるぞ! 構わないか? コリン」

「は、はい! もちろんです!」

「え? わ、わたしはその……」

「いいから、一緒に撮るぞ!」

 

 ハリーはローゼリンデの肩に手を回した。真っ赤になる彼女に構わずマーキュリーにシャッターを切らせる。

 コリンはそんなハリーに瞳を輝かせた。

 

「な、何してるんだ?」

 

 しばらくすると、ドラコが廊下の向こうからやって来た。

 

「よし、ドラコも撮るぞ!」

 

 もはや、ハリーはコリンに許可すら取らなかった。

 

「は? え?」

 

 困惑するドラコを撮影会に取り込む。

 

「あなた達、何してんの?」

「よし、貴様も特別に加えてやるぞ! 来い!」

「はい……?」

 

 ハーマイオニーも取り込む。

 

「なにやってんの?」

 

 ロンも有無を言わさず取り込む。

 

「なんだなんだー!?」

「面白そうな事やってんじゃーん!」

 

 フレッドとジョージは言わなくても入って来た。

 

「……君達、朝食も食べずに何をしてるんだ?」

「パーシー!! あなたも是非!!」

「ほあ!?」

 

 パーシーも引き込んだ。

 

「グレンジャー様! もっと視線をこちらに! ロナルド様! 前髪が目にかかっています! パーシー様、もっと顎をあげてください!」

 

 徐々に大所帯となって来た撮影会。マーキュリーの指示が飛ぶ。

 ハリーは楽しくて仕方がなく、コリンを肩車したり、ローゼリンデを抱き上げたりした。

 

「あなた達! もうすぐ授業が始まりますよ!」

 

 すると、マクゴナガルがやって来た。

 

「先生! 一緒に撮りましょう!」

 

 ハリーはマクゴナガルをカメラの前までエスコートした。

 叱りに来たのにあまりにも嬉しそうに撮影に誘ってくるハリーにマクゴナガルは思わず写真を二枚撮ってしまった。

 

「……いえ、ですから! そろそろ授業が始まりますから!」

「ニュート! 待っていましたよ! こっちです!」

「え? この集まりはなんだい?」

 

 遅れて朝食を食べに来たニュートもハリーに捕まった。

 ハーマイオニーとパーシーは授業に遅れたくなくてこっそり抜け出そうとした。

 

「ウォッチャー、フィリウス!!」

 

 バチンという音と共に逃げ出した二人は連れ戻された。

 

「よし! エグレも呼ぶぞ!」

「はぁ!?」

「お止めなさい!!」

「ちょっ!?」

「やっちまえ!!」

「サーペンソーティア・バジリスク!!」

 

 ハリーが周囲の制止の声を無視して杖を振るうと、エグレが飛び出した。

 

『……いや、状況は理解しているが、正気か? マスター』

『エグレ! さあ、ポーズを取れ!!』

『ええ……』

 

 エグレは渋々と自分で一番かっこいいと思うポーズを決めた。

 

「エグレ様、枠からはみ出ております! もう少し顎を下げてください!」

『えっ!? は、はい……』

 

 普段はエグレに怯えきっているマーキュリーの指示にエグレはおとなしく従った。

 今の彼女はプロのカメラマンだった。

 

「は、ハリー! 本当に授業が始まっちゃうから!!」

「マーキュリー達にそれぞれ送ってもらうから問題ない! よし、最後にマーキュリー達も入れ! あと、ドラコ! ドビーも呼べ!」

「かしこまりました!」

「……はいはい」

 

 バチンという音と共に飛び出すドビー。

 マーキュリー、ウォッチャー、フィリウス、ドビーの四人は枠ぎりぎりの所に行こうとしたけれどハリーに真正面に立たされた。

 コリンを肩車して、ローゼリンデを自分の前に立たせ、ハリーは満面の笑顔を浮かべた。

 そして、撮影会が終わるとみんなが慌てて大広間に残っている朝食をかき込むと、マーキュリー達にそれぞれの授業の教室へ送ってもらうのだった。

 残されたハリーはマーキュリーに送ってもらう前にコリンに写真が出来上がったら持ってくるように命じた。

 コリンは心底嬉しそうに「はい!」と頷いた。



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第二十八話『開催! 第一回・ヒッポグリフレース!』

 コリンと出会ってから、ハリーの日常は少しだけ変化した。ドラコがクィディッチの訓練に時間を取られるようになった事もあり、コリンを連れ回すようになったのだ。コリンはどんな事に対しても興味を抱く好奇心旺盛な性格で、去年ハリーがヒッポグリフによく乗っていた事を聞きつけると自分も乗りたいと言い出した。

 ハリーはローゼリンデにもヒッポグリフに乗る楽しさを教えてあげたいと思って、二人をハグリッドの下へ連れて行った。

 

「ハグリッド! ロゼとコリンをヒッポグリフに乗せてやりたいんだ! 準備を頼む!」

「おう、任せとけ!」

 

 ハグリッドはハリーに頼られる事が嬉しくて、二つ返事で了承してくれた。後輩をヒッポグリフに乗せてあげたいというハリーの心意気に対して、ハグリッドはニコニコだった。

 コリンは持ち前の好奇心ですぐにヒッポグリフに慣れる事が出来た。けれど、ローゼリンデはヒッポグリフを完全に恐れてしまっていて、何度お辞儀をしてもそっぽを向かれてしまった。

 そこでハリーはバックビーク*1に彼女を乗せる事にした。

 

「ほら、ロゼ。大丈夫だから、乗ってみろ」

 

 ハリーは怯え切ってしまっているローゼリンデを抱え上げてバックビークの背中に乗せると、その後ろに自分も乗った。

 

「バックビーク、重くないか?」

 

 ハリーが問いかけると、バックビークは《問題ない》とばかりに嘶いた。

 

「あ、あの、ハリー・ポッター様」

「安心しろ、ロゼ。ボクが一緒だ。怖がる必要は無いんだ。身を委ねろ。そして、楽しめ!」

 

 ハリーはバックビークを走らせた。ローゼリンデは悲鳴を上げた。けれど、ハリーは構わずにバックビークを飛翔させた。

 瞼をかたく閉ざすローゼリンデ。そんな彼女の頭をハリーは撫でた。

 

「安心しろ、ロゼ。安心するんだ。お前が危険に晒される事は決してない。このボクの配下なのだからな。ボクが必ず守ってやる。だから、瞼を開けるんだ」

「ひゃ、ひゃい……」

 

 耳元で囁かれたハリーの言葉にローゼリンデは赤面しながらゆっくりと瞼を開いた。胸のドキドキが恐怖を和らげたのだ。

 そして、彼女は見た。

 

 キラキラと輝く湖面を、

 ホグワーツ城の雄大な姿を、

 競技場を飛び交う緑の影を、

 近くを飛びながら手を振るコリンとエスメラルダ*2の姿を。

 

 彼女はバックビークの背中から見る景色に見惚れた。彼女が頬を緩ませると、ハリーも穏やかに微笑んだ。

 ドラコやロンがいればレースを始めていた所だけど、ハリーはローゼリンデを怖がらせない為にのんびりと遊覧飛行に徹した。

 湖面ギリギリを飛び、バックビークが爪で水面をひっかくと美しい波紋が広がり、徐々にローゼリンデはそれを見て喜んだ。

 

「コリン! カメラは持ってきているな?」

「もちろんです! ハリー!」

「よーしよし!」

 

 ハリーはマーキュリーを呼んだ。最近、彼女はハリーの専属カメラマンと化していた。ハリーはいっそ彼女用のカメラを買おうか悩んでいた。

 

「ハグリッド! 一緒に撮ろうぜ!」

「お、おう! 待っとくれ、ヒゲを整えるでな!」

 

 バックビークとエスメラルダも並ばせて、ハリーはローゼリンデ、コリン、ハグリッドと写真を撮った。

 

 コリンは撮影した写真をその日の内に現像し、焼き増してくれる。だから、ハリーは朝食の時に必ずアルバムを持って来るようになった。

 

「ハリー! 昨日の写真だよ!」

「ありがとう、コリン。写真の現像は手間だろうに、実に丁寧に仕上がっている。素晴らしいぞ、コリン」

 

 ハリーに褒められるとコリンは嬉しくて堪らなくなった。

 コリンが朝食を食べにグリフィンドールの席に戻ると、ハリーはドラコやローゼリンデとアルバムを捲った。

 日毎に増えていく写真のハリーは常に笑顔だった。ドラコは時々やれやれという顔をしているけれど、やはり笑顔だった。ローゼリンデも笑顔だった。

 アルバムにはドラコを取り囲むスリザリンチームの写真があったり、ハーマイオニーとハリーの舌戦の真っ最中の写真があったり、フレッドとジョージが決め顔を浮かべている写真があったり、ガチガチに緊張した様子のパーシーの写真があったり、マクゴナガルとハリーのツーショット写真があったり、ニュートとハリーをたくさんの魔法生物が取り囲む写真があったり、ハリー達とそれなりに仲の良いスリザリン生との写真も収められている。それはハリーにとって大切な宝物になっていた。

 

第二十八話『開催! 第一回・ヒッポグリフレース!』

 

 コリン・クリービーは毎日が楽しかった。憧れのハリー・ポッターは彼の想像した通りの人物だった。

 彼が連れて行ってくれた《秘密の部屋》はまさに秘密に満ちた空間で、そこに棲んでいるバジリスクは恐ろしげだけど、その背中に乗せて秘密の部屋中を駆け回ってくれた。ヒッポグリフに乗ったり、厨房で屋敷しもべ妖精達にお菓子をもらったり、図書館で勉強を教えてもらったり、ハリーはコリンにホグワーツの楽しさをこれでもかと教えてくれた。

 彼はまさにコリンにとってのスーパーヒーローだった。

 

「アレン! ねえ! 今日、競技場でヒッポグリフレースをするんだ! 絶対に見に来てよね! 僕、優勝してみせるからね!」

「それ、もう何回も聞いたし、いいよって何回も言ってる」

 

 ルームメイトのアレン・マクドネルも、とっくに上級生達の噂など信じていなかった。他の一年生達の大半もそうだ。

 コリンは毎晩の如く、談話室でハリーと一緒に遊んだ事を自慢した。

 その光景を見かける度にハーマイオニーやロン達は苦笑した。

 

 コリンがアレンと向かった先は競技場だった。今日はたまたまスリザリンチームの訓練がなくて、おまけにグリフィンドールチームの訓練もなかった。

 そこでハリーはドラコ、ローゼリンデ、エドワード*3、ダン*4、ロン、フレッド、ジョージ、パーシー、ハーマイオニー、コリンに召集をかけた。

 ハグリッドとニュートと一緒にマクゴナガルに頼み込んで競技場を貸してもらい、本格的なレースを企画したのだ。

 その企画を面白がった呪文学のフリットウィックがレースを楽しくする為に競技場に幾つかの呪文を掛けた。

 虹色に輝く光の道が地上から天空に向かって、超巨大なバネのように螺旋状に伸びている。それがコースなのだ。虹のコースの途中には幾つものリングがあり、そこを通り抜けなければならないというルールもフリットウィックが勝手に決めた。

 マクゴナガルはやれやれと苦笑しながらスタート地点とゴール地点に巨大なオブジェを建造したし、ニュートはレプラコーンを解き放ってレースを盛り上げようと企んでいる。

 教師達が勝手に凝り始めて、レースは思った以上に本格的なものになってしまった。

 興味を抱いた生徒達が観客席に座り、クィディッチの試合で実況を務めているリー・ジョーダンがレースの実況も勤める事になった。

 

「ロゼ、大丈夫?」

 

 身内だけのひっそりとしたレースのつもりが、いつの間にか大観衆の中での本格的なレースになってしまい、ローゼリンデはガチガチに緊張してしまっている。

 落ち着かせようとしているハーマイオニーも緊張のあまり吐きそうになっていた。

 

「ロゼは大丈夫かな?」

 

 ドラコも心配そうにローゼリンデを見つめている。

 

「……心配だが、ロゼが乗るのはバックビークだ。フォローしてくれる筈だし、これはこれで悪くない」

 

 ハリーはローゼリンデが心配だった。いつも自信が無さそうで、何かを怖がっている。まるで自尊心というものが足りていない。

 だから、大観衆を前に結果を出せば自信が持てるのではないかと考えた。

 無論、わざと負けるつもりなど毛頭ない。けれど、バックビークならば優勝を狙える筈だと睨んでいた。

 

「バックビーク」

 

 ハリーは待機しているバックビークに近づいた。

 

「ロゼを頼むぞ。安全に、けれど最速で飛ぶんだ。ただし、ロゼが怖がらない範囲でな」

「無茶振りし過ぎじゃないか……?」

「バックビークなら出来る筈だ」

 

 バックビークも重すぎる期待にちょっと吐きそうになった。

 

 そして、いよいよレース開始の時間が近づくとローゼリンデやハーマイオニーだけでなく、ロンやパーシーも真っ青になった。二人共、大観衆に注目される状況に慣れていなかった。

 

「へい、パーシー! 兄貴として、バシッと決めてくれよな!」

「ロン! 俺達の弟なんだから最下位なんかになったら罰ゲームだぞ!」

 

 フレッドとジョージの言葉に二人はますます緊張してしまった。

 

「エドとダンはあんまり緊張してないんだな」

 

 ドラコはそれぞれの愛馬であるグスタフとヴァーサに声を掛けているエドワードとダンを見て言った。

 二人共、ドラコがクィディッチの訓練で居ない時などにハリーに連れ回されている。ヒッポグリフにも半ば強制的に乗せられたけれど、悪い気はしていないらしく、それぞれ自分の愛馬の世話を定期的に行っていた。

 

「どうでもいい連中に見られた所で何も思わないさ」

 

 エドワードは結構シビアな性格だった。

 

「ヘヘッ、レースなんて燃えるじゃんか! 負けねぇぞ!」

 

 ダンはクラッブやゴイルほどではないけれど、中々の脳筋だった。

 ちなみにハリーはクラッブとゴイルもヒッポグリフ乗りに誘ったけれど、二人はヒッポグリフに一度も認めてもらえなかった。

 

「今日はよろしく頼むぜ、ベイリン!」

 

 ハリーは今日の相棒であるベイリンに声を掛けた。こげ茶色の毛皮の勇ましいヒッポグリフだ。

 やる気満々の様子で嘶くベイリンの頬を撫でてやると、いよいよ選手入場のアナウンスが流れた。

 ハリー達はそれぞれのヒッポグリフを引き連れながら、マクゴナガルの渾身の力作であるヒッポグリフの門へ向かった。二頭のヒッポグリフが互いを威嚇し合っている様を石像にしたものだ。

 その門の向こうにはフリットウィックの虹の道が伸びている。

 

「……すげー」

「がんばり過ぎだろ、先生達」

「勝手にルールブックまで作ってるしね……」

 

 あまりにも本格的なレース会場に呆れている彼らをマーキュリーがコリンのカメラを持って飛び回っていた。

 ウォッチャーとフィリウスもそれぞれ別のカメラを持って飛び回っている。

 なんと、マクゴナガルが出資したらしい。

 

「みなさま、がんばってください!」

「応援しております!」

「決定的瞬間を激写してみせます!」

 

 屋敷しもべ妖精のトリオも張り切っていた。コリンはちょっとだけ現像するのが大変になりそうだと冷や汗をかいた。

 

「コリン様! 我々も現像の方法を学びました! お許し頂ければ、お手伝い致します!」

「いいの!? ありがとう!」

 

 フィリウスの申し出にコリンは飛びついた。最近、ちょっと寝不足になっていたのだ。

 

【さあ! いよいよ始まります! 第一回ヒッポグリフレース! ホグワーツの新しい伝統行事となるのか!? 企画者はあのハリー・ポッターだ!!】

 

 実況のリー・ジョーダンの声が響き渡る。

 

「第一回!?」

「第二回もあるの!?」

「伝統行事!?」

「知らんぞ!? ボクは知らんぞ!!」

 

 いつの間にか恒例行事にしようという動きがあるらしい。参加者はフレッドとジョージ以外誰も知らなかった。フレッドとジョージは主犯だった。

 

「だって、こんな面白いこと、一回だけなんて寂しいじゃん!」

「ダンブルドアにもきっちり許可取ってあるんだぜ!」

 

 二人の手回しの良さに他のメンバーはやれやれと肩を竦めた。

 

【それでは! 選手達はヒッポグリフに乗ってください!】

 

 ハリーはおどおどしているローゼリンデの下へ向かった。

 

「大丈夫だ、ロゼ。乗るのはバックビークだ。信頼してやるんだ」

「ひゃ、ひゃい……」

 

 ハリーはローゼリンデがバックビークの背中に乗るのを手伝った。バックビークも足を曲げて乗りやすくした。

 手綱はヒッポグリフ達が嫌がる為につけられなかったけれど、安定して乗る為の鞍は受け入れてくれた。鞍にはベルトもついていて、ハリーはしっかりとローゼリンデを鞍に固定した。

 

「よし! これで大丈夫だな。無理はしなくてもいいが、がんばれよ」

「は、ハッ! かしこまりました!」

 

 若干声が裏返っていたけれど、必死な表情を浮かべる彼女にハリーは微笑んだ。

 

「ああ、期待しているぞ」

 

 そして、ハリーはベイリンに跨った。

 すべてのヒッポグリフが《ヒッポグリフの門》の前に並び立つと、いよいよスタートは目前となった。

 

【さあ! スタートの合図はヒッポグリフの門の石像が嘶いた瞬間です! そろそろですよ、用意はいいですか!?】

 

 直後、石像のヒッポグリフが嘴を開き、大きな声で嘶いた。

 

【スタートです!!】

 

 各ヒッポグリフが一斉に飛び出した。

 虹の道は泡のように僅かな触感があるのみで基本的に加速は翼のみだった。

 

【さあ! このレースでは虹の道の途中に存在するリングをすべて潜らなければなりません! くぐり抜ける事に失敗した場合、戻ってくぐり直さなければならない為、大幅なタイムロスとなってしまいます!】

 

 まっさきに先頭へ踊りだしたのはハリーとベイリンだった。

 彼らの前に1つ目のリングが現れる。

 

「飛び込め、ベイリン!!」

 

 ベイリンは嘶きながらリングを潜る。その直ぐ後をハーマイオニーと彼女の愛馬であるギルフォードが追いかける。

 

「負けるな、エスメラルダ!」

 

 コリンも必死に追走する。

 

「遅れるなよ、ヴァーサ!」

 

 その後をダンが眼をギラギラさせながら追う。

 

「バ、バックビーク……! わ、わたしも……! わたし達も……!」

 

 最下位のローゼリンデは必死に勇気を振り絞ろうとした。

 そして、バックビークは彼女の心に答えようと翼をはためかす。

 

【おーっと、最下位のローゼリンデ選手とバックビーク! ここに来て追い上げ始めたぞ!】

 

 レースが続くにつれ、リングをくぐるのが徐々に難しくなって来た。

 一頭ずつしか通り抜けられない程小さかったり、くぐった直後に急カーブしないと間に合わないような場所に次のリングがあったり、幾つものリングが密集していてくぐる順番が分かり難かったりといじわるになって来た。

 

「ベイリン!!」

 

 けれど、ハリーとベイリンは止まらなかった。ハリーの動体視力と的確な指示、そして、ベイリンの持ち前の胆力によって確実にリングをくぐっていく。

 問題なく追走出来ているのはドラコ、フレッド、ジョージのクィディッチ選手達だけだった。

 

「ああ、もう! またくぐり直し!?」

「しまった!? こっちじゃない!」

「クッソ、こんなの無理だろ!?」

 

 リングの密集地帯は阿鼻叫喚だった。そんな中、追い上げてきたローゼリンデとバックビークは確実にリングをくぐった。彼女の慎重な判断にバックビークが全力で応えた結果だ。

 いよいよ、彼女は五位にまで順位を上げていた。

 そして、レースが佳境に入り始めるとニュートのレプラコーンがコース上に現れた。降り注ぐ金貨によってレース上は更に美しく彩られて観客は大興奮だが、選手達にとっては視界を塞がれレースの難易度が上がるのだった。

 

「うわっ、金のリングと金貨が同化しちゃってるぞ!?」

「ど、どこにリングはあるんだ!?」

「惑わされるな、ベイリン!!」

「金貨の向こうに次のリングがあるぞ!」 

 

 ハリーとドラコはレプラコーンの金貨地帯を突破した。

 慌てて追いかけようとするフレッドとジョージ。すると、後ろからバックビークが現れた。

 

「は、ハリー・ポッター様!」

 

 彼女の眼は金貨やリングではなく、ハリーを追っていた。そして、彼の軌跡に沿うようにフレッドとジョージを追い抜いてリングをくぐり抜けた。

 その姿にフレッドは口笛を吹き、ジョージは微笑んだ。

 

「やるじゃん、ロゼ!」

「さすがは偉大なるハリー・ポッター様の御配下様だぜ!」

 

 二人もそれぞれの愛馬と共にリングを抜ける。後続の選手達もぞくぞくとやって来ている。

 そして、レースは終盤に至る。

 

「負けないぞ、ハリー!」

「ッハ! シーカーの座は譲ったが、ここは譲らん!」

 

 乗り手だけでなく、ハリーのベイリンとドラコのアグラヴェインも互いを威嚇し合っている。

 

【さあ、レースも終盤! いよいよ、ゴールまでの残りのリングの数は三つです!】

 

 リー・ジョーダンの声に、ハリーとドラコは表情を引き締める。

 

「ベイリン!!」

「アグラヴェイン!!」

 

 リングが見える。すると、いきなり目の前にオーロラが現れた。

 どうやら、ラストのリングには魔法で障害が用意されているようだ。

 

「駆け抜けろ!」

「進め!」

 

 ベイリンとアグラヴェインがオーロラを貫く。すると、リングは少しだけ右にずれていた。

 慌てて旋回する二頭。くぐり抜けると、その先のリングは左右に高速で動いていた。

 

「問題ない! 動きを計算するんだ! そこだ!!」

「クソッ、簡単に言いやがって!!」

 

 ハリーは迷わずリングをくぐり抜け、ドラコは僅かに遅れてしまった。

 

「いけ……、いけ! バックビーク!!」

 

 ドラコがリングをくぐり抜けると、その直後にローゼリンデとバックビークがくぐり抜けてきた。

 

「ロ、ロゼ!? あのリングを簡単に!?」

 

 ドラコは動揺してしまった。そして、アグラヴェインとバックビークが横並びになる。

 

「ド、ドラコ・マルフォイ様!?」

「す、凄いじゃないか! ロゼ! よし! そのまま、ハリーを追い越すんだ!!」

「えっ!? あ、はい!」

 

 ドラコはちょっとだけアグラヴェインに速度を緩めさせた。このレースは思った以上に難しい。箒乗りのテクニックとヒッポグリフ乗りのセンスの両方が必要となる。

 それなのに、彼女はここまで追い上げてきた。ドラコは彼女に箒乗りとしての才能を見た気がした。

 

「頑張れよ、ロゼ!」

 

 そして、いよいよ――――、

 

【さあ、ハリー・ポッター選手! 最後のリングです! なんと、左右だけでなく、上下にも揺れています!】

 

 リー・ジョーダンの言う通り、リングは上下左右に高速で動き回っていた。

 

「……ッハ、結局はさっきのリングと同じじゃぁないか! ベイリン!!」

 

 ハリーは迷う事なくベイリンを走らせた。

 そして、

 

「バ、バックビーク!!」

 

 その声を聞いて、少しだけ思考が揺れた。ベイリンはリングをくぐり抜ける事に失敗してしまった。

 

「キュイ!?」

「しまっ!?」

 

 そして、後から来たローゼリンデとバックビークは見事にリングをくぐり抜けた。

 

「あっ……、あっ……、は、ハリー・ポッター様……!」

「いい! そのままゴールへ行け!!」

 

 ハリーは嬉しそうに笑顔を浮かべながら叫んだ。

 

「ひゃ、ひゃい!」

 

 そして、バックビークはゴールラインとして浮かべられているヒッポグリフの石像が握りしめている巨大なリングに飛び込んだ。

 

【ゴール!! 凄い!! なんと、優勝は!! 序盤最下位だったローゼリンデ・ナイトハルト選手だ!! 怒涛の追い上げ!! お見事です!!】

 

 直後、ゴールに辿り着いたハリーはローゼリンデを抱き上げた。

 

「負けたぞ! やるじゃぁないか! ロゼ!」

 

 真っ赤な表情を浮かべる彼女をバチンと現れたマーキュリーが激写した。

 

「う……、うへへ」

 

 彼女は嬉しそうに笑った。

*1ハリーの愛馬

*2コリンの愛馬

*3スリザリンの二年生

*4スリザリンの二年生



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第二十九話『本当の友情』

 クリスマス休暇の間、ウィーズリー家では先日のヒッポグリフレースの話題で持ちきりだった。

 

「まったく、ロン! しっかりしてくれよ! 結局最下位だったじゃないか!」

「し、しかたないだろ! ロメオ*1がくぐるリングを間違えるんだから!」

「ロン! ロメオのせいにするのは感心しないぞ!」

 

 普段は物静かであまり家族との会話にも参加しないパーシーも熱く語っている。

 その事に驚いて、帰郷していた長男のビルや次男のチャーリーも話に参加していた。

 

「でも、主催者はハリー・ポッターなんでしょ? 大丈夫なの?」

「ママ! ハリーはいいやつだよ!」

 

 真っ先に母親のモリーに反論したのはパーシーだった。普段、決して両親に逆らわないパーシーの反論にモリーは目を丸くした。そして、隣に座っていた夫であるアーサーやビルとチャーリーも驚いた。

 

「いいかい!? 去年、ホグワーツ特急でロンの杖の事を心配してくれたのは他ならないハリーなんだよ! それに、毎日のように図書館で勉強している! 実に勤勉な男なんだ! 最近は後輩達にも慕われているし、彼らの面倒をキチンと見ている! 僕は彼の事を尊敬しているんだ! たしかに、校内でバジリスクを召喚したり、悪霊の火を発動させたのは事実さ! でも、それはヴォルデモートを倒す為だ! 悪を挫く為なんだ! 彼は決して理不尽を働かない! 必ず理由があるんだ! そんな事も理解せずに彼を侮辱する事は許さないぞ!」

 

 肩で息をしながらそう言い切るパーシーにフレッドとジョージは大いに喜んだ。頭でっかちで頑固で融通のきかない兄だとバカにしていたけれど、多くの人間に恐れられるハリーの本質をキチンと理解して、彼の為に怒る事が出来るパーシーに初めて尊敬の念を抱いた。そして、それはロンも同じだった。

 

 ―――― 素晴らしい兄さんじゃないか!

 

 かつて、ホグワーツ特急で彼はパーシーをそう評した。その通りだったとロンは認めた。

 

「パ、パーシー。ああ、ごめんなさい。怒らないでちょうだい。あなた達の事が心配だったのよ。でも、あなたがそこまで言うって事は、そういう事なのね」

「……魔法省ではハリー・ポッターを危険視する声が大きい。その事を一番問題視して抑えようとしているのがよりにもよってルシウス・マルフォイだったからな……」

「父さん! ドラコだって悪いヤツじゃないんだ! 殺されかけても友情を保てる男だ! ドラコの父親だって、正しい事をしているんだ!」

 

 パーシーの言葉にアーサーは複雑そうな表情を浮かべた。

 

「しかしな……、マルフォイ家は……」

「ドラコは後輩のロゼを大切にしているし、そもそも、ヴォルデモート討伐の立役者なんだぜ?」

 

 フレッドが言うと、ジョージが「そうそう」と頷いた。

 

「死喰い人だったかもしれないって、そういう噂があっただけだろ? 実際、ルシウス・マルフォイじゃ死喰い人なんかじゃなかったんじゃないか? だって、ドラコを見てると、とてもそんな道に進むとは思えないよ。ハリーとドラコが一番仲良しな女子って、グリフィンドールのマグル生まれのハーマイオニーなんだよ?」

「そうなのか!?」

 

 マルフォイ家の長男やヴォルデモートを越える闇の魔法使い疑惑があるハリー・ポッターがマグル生まれの女の子と仲良くしているという話にアーサーは衝撃を受けた。

 

「本当だよ。一年の頃からハリーと対等に渡り合ってて、みんな影で《女帝(エンプレス)》って呼んでるんだ。両親は歯医者だって聞いたよ」

「ううむ、しかし……、ルシウス・マルフォイはな……」

「アーサー」

 

 尚も疑うアーサーをモリーが窘めた。

 

「あなたの気持ちも分かるわ。でも、子供達の見る目を信じるべきよ。ハリーとドラコは素晴らしい子達なんだわ」

「……そうだね。それは……うん、間違いない」

 

 アーサーも渋々と認めた。ルシウス・マルフォイに対してはまったく信用出来ないが、その息子のドラコは子供達の言う通り、信頼出来る少年なのだろう。そして、ハリー・ポッターも。

 

「親父も頼むよ? 間違っても、ハリーをアズカバンに入れようとかさせんなよ? そんな事したら、俺達は全力でハリーに加勢するぜ?」

「ああ、ロンドンにクソ爆弾の雨が降るよ!」

「……ああ、降らせよう」

 

 フレッドとジョージの言葉にまさかのパーシーが同調し、フレッドは思わず彼を抱きしめてしまった。

 

「おう、ロンドンを地獄に変えようぜ!」

「い、いや、地獄に変えるとかじゃなくて……、うん」

 

 アーサーは子供達の反応を見てため息を零した。

 確かに、ハリー・ポッターをアズカバンに収監しようという動きがないわけではなかった。一部の過激派はゲラート・グリンデルバルドやヴォルデモート卿のような悲劇を起こる前に対処してしまおうと主張している。

 その動きをなんとしても止めなければならない。息子達と殺し合う事になるなど想像すらしたくなかった。

 

「……パーシー。もっと、いろいろ聞かせてくないかな? ハリーの事」

 

 ビルはパーシーに囁きかけた。真面目な弟が初めて発揮した熱意に強い興味を抱いたからだ。

 

「あ、ああ、いいよ!」

 

 パーシーはホグワーツ特急での出会いから、図書館で度々頼られている事を話した。

 監督生である事を褒めてくれて、ヒッポグリフ乗りに誘ってくれた事が嬉しかったと語った。

 秘密の部屋やバジリスクに関する論文にも協力した事を話すと、ビルだけでなく、チャーリーも関心を示した。彼はドラゴンの生息域で研究者をしている程、魔法生物に傾倒している。謎に包まれた伝説の生き物の研究には興味があったのだ。

 

「……ねえ、ロン」

 

 そんなやり取りの最中、ロンの服の袖を妹のジニーが掴んだ。

 

「どうしたの?」

 

 ロンが問いかけると、ジニーはどこか焦ったような表情で言った。

 

「ロ、ロン。わたしの事をハリーに紹介してよ!」

「……ええ」

 

 ロンはちょっと嫌そうな顔をした。

 

「なによ、その顔!!」

 

 ジニーが怒鳴ると、ロンはどうどうと宥めた。

 

「だって、ハリーにはロゼとコリンがいるんだ。二人共、勇気を出して自分からハリーと仲良くなりに行ったんだよ? そこに僕からの紹介で割り込ませたら、なんていうか……、二人が可哀想だよ」

 

 ロンは事ある毎にハリーに付き合わされている。それがイヤというわけでもなく、むしろ楽しいと思っているけれど、ロンは少し複雑でもあった。

 

「ハリーと付き合えるのは勇気を持った人間だけだよ。殺されかけても付き合い続けられるドラコや真っ向からぶつかり合えるハーマイオニーみたいに。自分から仲良くなろうと突撃したロゼやコリンみたいに。僕だって、微妙だから資格云々なんて言わないけど、最低限、自分から声を掛けるべきだ。じゃないと、きっと……みじめな気分になるからさ」

 

 ロンはハリーに友情を感じているし、ハリーもロンに友情を感じている。

 けれど、ロンにはどこか引け目があった。

 出会ったのは偶然だし、一度はスリザリンだからという理由で離れようとした。

 友達で居られるのは、ハリーが彼を諦めなかったからだ。

 

「……勇気を出さなきゃいけないよ、ジニー。僕も勇気を出すからさ」

「ロン……」

 

 ロンは決意を固めた表情を浮かべた。

 成り行きの友達じゃなくて、本当の友達になる為に、やらなきゃいけない事があった。

 

 第二十九話『本当の友情』

 

 クリスマス休暇が終わり、帰郷していた生徒達がホグワーツに戻ってきた。

 ハリーがドラコとうんうん唸りながら話し合っていると、ロンが妹のジニーを連れてやって来た。

 こうして、ロンの方から近づいてくるのは久しぶりの事だった。

 

「よう、ロン! クリスマス休暇はどうだった?」

「まあまあだよ、ハリー。それより、ちょっといい? もしかして、忙しい?」

「ああ、構わないぞ。よく分からんクリスマスプレゼントが届いて悩んでいただけだ」

「よく分からないプレゼント?」

「透明マントだよ」

 

 ドラコが言って、ハリーが広げて見せた。クリスマスの日に届けられたらしい。

 

「差出人不明なんだ」

 

 ハリーが透明マントを被ると、姿が完全に消えてしまった。

 

「凄い!! かなり貴重なものだって聞いたよ!?」

「ああ、相当だよ。僕の家にも置いていない。一体誰が送ったのか見当もつかないんだ」

「便利だが、差出人が気になるんだよな」

 

 魔法界でも貴重な物を差出人不明の状態で贈られる。たしかに、すごく怪しかった。

 

「……っと、それよりもロンの用事だな」

「大丈夫なのかい?」

「ああ、問題ない。あとでマクゴナガルに確認してもらうさ」

「便利だけど、すぐに使う物でもないしね」

「なるほど」

 

 ハリーはそのまま透明マントをマクゴナガルの席に持っていった。

 

「先生! これ、差出人不明で届いたんで、怪しいから見てもらえますか?」

「は? えっ、これは……、え、ええ、分かりました」

 

 マクゴナガルは妙な態度だったけれど、ハリーから透明マントを受け取った。

 そそくさと戻ってくると、ハリーは「オッケーだ」と言って、ロンとジニーを引き連れて大広間を出た。

 なんとなく、大広間では話し難そうだと二人の雰囲気から感じ取ったからだ。

 

「それで?」

 

 人気(ひとけ)のない廊下まで来ると、ハリーは聞いた。

 

「う、うん。ハリー! 僕と友達になってくれ!」

「……えっ、友達じゃなかったのか!?」

 

 ハリーはショックを受けた。ロンは慌てた。

 

「い、いや、そうじゃなくて! その……、ハリーと僕って、ホグワーツ特急で出会って、それで成り行き的に友達になったろ? だから、改めてって言うか……」

「え? 友達って、そういうもんじゃね?」

「……いや、そうなんだけどさ。ほら、君の友達って、みんなちゃんとしてるじゃないか。だから、僕もちゃんとしたくて……」

「ちゃんとの意味が分からないんだが……まあ、言いたい事は分かった」

 

 ハリーは苦笑しながら右手を差し出した。

 

「なら、これからもよろしく頼むぜ、律儀なロナルド・ウィーズリー」

「……へへ、よろしく、偉大なるハリー・ポッター様」

 

 二人は笑い合った。妙な照れ臭さがあった。

 

「それから、ジニーも君に用事があるんだ。いいかな?」

「ああ、もちろんだ。友達の妹の用事を無下には出来ないさ。なんでも言ってくれよ、力になるぜ」

 

ハリーはいつもローゼリンデに対してするように腰をかがめてジニーに視線を合わせた。

 

「あ、あにょ!」

 

 噛んだ。ジニーは死にたくなった。けれど、ここで逃げ出すと後が無い気がして必死に踏み止まった。

 

 ―――― 勇気を出さなきゃいけないよ、ジニー。

 

 兄の言葉を脳裏に浮かべ、必死に勇気を振り絞る。

 

「あの!」

「どうした?」

 

 ハリーは噛んだ事を笑わなかった。彼女の言葉を待っている。

 ジニーは彼の本質的な優しさに触れて、真っ赤になった。

 

「……わ、わたしとお友達になってください!!」

「いいぜ! よろしくな!」

 

 ハリーは巨匠ロックハート仕込みの笑顔を浮かべて言うと、ジニーは卒倒した。

 

「ジニー!?」

「おい、どうした!?」

 

 ロンとハリーは慌てて彼女を医務室へ送り届けた。

 

「……恋の病で運び込まれる生徒なんて、久しぶりね」

 

 ジニーはマダム・ポンフリーの言葉に真っ赤になったのだった。

*1ロンの愛馬



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第三十話『逆鱗』

 ジニーと友人になり、数日が経過した。

 最近、ハリーの日常が再び変化した。ジニーは意外な程に積極的な性格で、ハリーにコリンが談話室で自慢していた数々の事を頼み込んだ。

 ハリーはジニーの我儘に対してやれやれと苦笑するだけで全てを叶えた。

 そうなると問題になってくるのがローゼリンデの勉強だった。彼女に勉強を教える時間が減ってしまったのだ。

 

「すまないな、ロゼ」

 

 ハリーが謝ると、彼女は真っ赤になりながら首をぶんぶんと横に振った。

 

「い、いえ、そんな! とんでもありません!」

 

 そう言う彼女に言葉にハリーは甘えてしまった。身内が増えた事が嬉しくて、ハリーはジニーを優先した。

 

 第三十話『逆鱗』

 

 それから数ヶ月が経った頃、夕飯前に寝室で寛いでいたら壁の向こうからエグレが話しかけてきた。

 

『マスター……。話がしたい。秘密の部屋に来てくれ』

 

 エグレがこうしてハリーを呼び出すのは初めての事だった。

 ハリーはドラコを起こして、ゴスペルを腕に巻き付けた。

 秘密の部屋に辿り着くと、エグレが待っていた。いつもと雰囲気が違っていた。

 

『……これまで、ホグワーツでこういう事は少なくなかった。それに、報告すればマスターが何をしでかすか分からなかった』

 

 そう前置きをするエグレにハリーは微妙な表情を浮かべた。

 

『何をしでかすかって、お前な……』

 

 人を何だと思っているんだ。そう、叱ろうとすると、エグレは言った。

 

『……だが、もう容認出来ない。許す事が出来ない。しかし、我が直接動く事は出来ない……。我の言葉を聞ける者はマスターのみ。そのマスターに報告した時の最悪な事態を何度も予見した。それでも……、それでも……』

『なんなんだ? 言いたい事があるならハッキリと言え!』

 

 ハリーが命じると、エグレはゆっくりと喋り始めた。

 

『マスター。汝が我に新学期が始まってすぐに下した命令を覚えているな?』

『……ああ』

 

 ―――― しばらく、ロゼに張り付いていてくれないか?

 

 そう命じた。

 

『我はずっとローゼリンデの傍にいた。そして……、何度もマスターに伝えようと考えた。だが、報告を命令されたわけではなかった。ローゼリンデは耐えようとしていたし、マスターが聞けば怒りのあまり暴れ出すのではないかと危惧した』

『……どういう意味だ?』

 

 ハリーの表情が強張った。

 

『マスター。ローゼリンデは傷つけられている。教科書を隠され、有象無象に罵倒を浴びせられている』

『なんだと……?』

 

 ハリーの目が見開かれた。

 

『……彼女はスクイブ*1だったのだ』

『スクイブだと? だが、ロゼは魔法が使えるぞ。少なくとも、物体浮遊呪文は覚えられた!』

『ああ……、まったく能力が無いわけではないから、正確ではない。だが、それに近かった。彼女は授業でほとんどの魔法を上手く使えなかった。それに、勉強も遅れ気味だった。傷つけるには格好の弱者だったのだ』

『なんだ……、それは……』

『それでも、マスターの配下である事がある程度彼女の守護になっていた。けれど、スリザリンのシーカー選抜試験の日を切っ掛けにマスターが温厚な人間なのだと彼女を傷つけていた者達は考えた。そして、拍車が掛かった』

 

 ハリーは沈黙した。ただ、エグレの言葉を聞いていた。

 

『彼女がマスターに庇護される姿も彼らの癇に障ったらしい。加えて、先のヒッポグリフレースの優勝が彼らを暴走させた』

『何故だ!? 凄い事をしたんだぞ!! リスペクトされるべき事を為したんだぞ!!』

 

 ハリーが吠えるように言うと、エグレは怒りの滲んだ声を吐き出した。

 

『奴らにとっては鼻持ちならない事だったようだ。トイレで水を掛けられ、魔法薬学では材料を別のものにすり替えられ、彼女の失敗は嘲笑われた。最近、マスターと共にいない時間が増えただろう? その時、彼女は傷つけられているか、泣いていたのだ……』

『何故だ……』

 

 ハリーの体は小刻みに震えた。

 抑えきれないほどの激情が彼を包み込んでいく。

 

『何故、すぐに言わなかった!!! ロゼも、どうしてボクに言わない!?』

『……マスターはコリンに慕われる事を喜んでいた。恐れられるのではなく、慕われる事を望んでいるのだと、我もローゼリンデも気づいていた。我らは汝の幸福を望んでいた。だが……、我はローゼリンデの幸福も……、望まずにはいられなかった』

 

 エグレが思うのは怯えながらも必死に鱗の手入れをしたり、秘密の部屋を掃除するローゼリンデの姿だった。

 傍に張り付きながら見守り続けた彼女の頑張る姿や傷つけられる姿だった。

 

『すまない、マスター。我は汝の使い魔として失格だ』

『違う……、間違っているぞ、エグレ!! お前の過ちはさっさとボクにその事を言わなかった事だ!! それだけだ!!』

 

 振り返るハリー。その顔を見て、ドラコは表情を引き締めた。

 

「……何を聞いたんだい?」

「大広間に向かいながら話す。いくぞ、ドラコ。エグレ! マーキュリー! ウォッチャー! フィリウス! ドビーも来い!!!」

 

 バチンという音と共に屋敷しもべ妖精達が現れた。彼らはハリーの纏う殺気に驚愕した。

 そして、ドラコとマーキュリー達はハリーの口からローゼリンデが受けた仕打ちを聞いた。

 誰も、何も言わなくなった。ただでさえギョロっとした目つきのマーキュリー達の目はいつもより一層大きくなっていた。

 彼らが歩いていく姿を目撃した生徒達は恐怖の表情と共に逃げ出した。

 

 大広間に辿り着くと、ハリーは躊躇う事なく杖を振るった。

 

「エクスペクト・フィエンド」

 

 紅蓮のバジリスクが大広間の扉を食い破った。

 大広間は騒然となり、すべての視線がハリーに注がれた。そして、彼の形相を見た瞬間、一年生以外のすべての人間が凍りついた。

 ヴォルデモートを殺害した時でさえ、ここまでではなかった。

 大広間全体を満たす程の膨大な殺意に失神する者さえいた。上空を舞う悪霊の火にフィニート・インカンターテムを唱えられる余裕がある者など皆無だった。

 

「……おい」

 

 ハリーが口を開くと、誰かが悲鳴をあげた。

 

「ロゼの教科書を隠したヤツは名乗り出ろ」

 

 その言葉だけで聡い者は状況をすぐに理解した。

 愚か者がよりにもよってハリーの配下に手を出したのだ。

 早く名乗り出ろと誰もが思った。

 けれど、名乗り出る者はいなかった。

 

「……そうか、名乗り出ないか。なら、ロゼの魔法薬の材料をすり替えたヤツ、出てこい。あと、スラグホーン。貴様も覚悟しておけよ?」

 

 魔法薬の材料をすり替えた者も名乗り出なかった。スラグホーンは恐怖のあまりひっくり返った。

 

「次だ。ロゼに悪口を言ったヤツ、水をかけたヤツ、全員出てこい」

 

 その言葉にしばらく誰も何も言わなかった。けれど、一人の少女が恐る恐る手を上げた。

 レイブンクローの少女だった。

 

「あ、あの、わたし」

 

 その少女をハリーは無言で蹴り飛ばした。骨が折れる程の衝撃を躊躇いなく与えた。

 

「貴様はこれで許してやる。感謝しろよ、ゴミが」

 

 ゲホゲホと咳き込みながら倒れ込む彼女を無視して、ハリーは大広間中に視線を巡らせる。

 ローゼリンデはいなかったけれど、彼女が図書館でハーマイオニーに勉強を見てもらっている事はマーキュリーが確認していた。

 

「そうか……、他に名乗りでるヤツはいないか……」

 

 床に倒れ込んでいる少女を見て、名乗り出られる者などいなかった。

 

「……そうか、そんなに貴様等は我が身が大切か」

 

 ハリーにとって、ローゼリンデの身に起きた事は他人事などではなかった。

 ダーズリー家で過ごした十年の間、通っていた学校で似たような目に遭わされた。

 その悲しみ、その屈辱、その怒りを彼は知っていた。

 そして、なによりもローゼリンデが傷つけられていて、その事に気づいてあげられなかった事が許せなかった。

 彼女を傷つけた者と気づいてやれなかった自分自身に対する怒りで、ハリーは我を忘れかけていた。

 

「よくも……」

 

 ハリーは震えていた。

 

「よくも……」

 

 涙を流していた。

 

「よくも……、ボクの配下に……」

 

 声が震えていた。

 

「ボクのロゼに手を出してくれたな!!! このドグサレ共がぁ!!! エグレ!!! ロゼを虐めたヤツを全員教えろ!!! マーキュリー、ウォッチャー、フィリウス!!! 全員逃がすなよ、一匹足りとも許さん!!!」

「ハッ! かしこまりました!」

「誰一人逃しません!」

「ロゼ様に手を出した輩に天誅を!」

 

 マーキュリー達の魔法によって、大広間の全ての出入り口が完全に封鎖された。そして、空のバジリスクはその身を一気に肥大化させた。

 

「お、お待ちなさい、ハリー!!」

 

 その時になってようやく我に返ったマクゴナガルが慌ててハリーに駆け寄った。

 

「き、気持ちは分かりますが落ち着きなさい!!」

「落ち着けだと!? ロゼが苦しい思いをしたんだぞ!!! 貴様は……、貴様は教師の癖に傷つけられた者ではなく、傷つけた者を庇う気か、マクゴナガル!!!」

 

 ハリーの憎悪の篭った怒声にマクゴナガルはたじろいだ。

 

「そ、そんなつもりでは……、違うのです! お聞きなさい! ミ、ミス・ナイトハルトを傷つけた者にはわたくし達が然るべき罰を与えます! ですから……」

「ふざけるな!!! 魔法薬がすり替えられて、他の連中にロゼが嘲笑われた時、スラグホーンは何をしていた!? 教師の癖に生徒が嘲笑われている状況で何もしなかった連中を信じると思うか!? 邪魔をするなら貴様ら全員まとめて――――」

 

 遂にハリーが禁断の言葉を口にしようとした時、ドラコが彼の頭を小突いた。

 

「何をするんだ!?」

「ハリー、落ち着けよ。君の気持ちはよく分かるし、言いたい事を代弁してくれるから黙っていたけど、ここからは僕がやる」

「何だと!?」

「……君はそろそろロゼの所に行けよ。怒る前にやる事があるだろ!!! 酷い目に遭わせやがった連中の事なんて後にしろ!!!」

 

 その言葉にハリーの激情は僅かに収まった。荒く息をしながら、エグレから聞いたローゼリンデを虐めた人間の名前をドラコに教える。

 

「一人も逃がすな。一人も許すな」

「ああ、もちろんだ。絶対に許さない。安心しろよ、僕だって怒ってるんだ」

 

 静かな口調だった。けれど、有無を言わさない口調だった。

 その瞳に宿る激情はハリーに勝るとも劣らないものだった。

 

「……ロゼ」

 

 マーキュリーがハリーが出る隙間だけを開けると、ハリーは図書館に向かって走っていった。エグレは追いかけず、ドラコの後ろに待機した。傍目には見えないが、その封印を施された眼球にも彼らに負けない激情が浮かんでいた。

 

「さて、マクゴナガル先生。ご存知の通り、僕の父はホグワーツの理事だ。そして、他の理事を動かすだけの力を持っている」

「……ミスタ・マルフォイ」

 

 ドラコは言った。

 

「今から言うゴミを全員、五十年前の方式で罰則を与えろ。期間は学年末までだ。温情でしょう? それから、スラグホーンも同じ罰則を与えた後にクビにしろ。拒否するならダンブルドアを校長から解任させる。出来ないと思うなよ? それでも拒否するなら、僕はもう、ハリーを止めない」

 

 苛烈だったと聞く五十年前の方式の罰則を残り三ヶ月以上受け続けるのは残酷だったけれど、ドラコは甘過ぎるとさえ考えていた。

 それでも、これ以上を望めばハリーの悪評が更に深まってしまう。今回の事もマイナスになる事は理解していた。それでも止めなかったのはドラコも怒りで我を失いかけていたからだ。けれど、これ以上は不味いと理性が囁いた。

 それに、ドラコの指示を受けて実行すれば、ホグワーツの威信は大きく揺らぐ事になる。それがローゼリンデに対する仕打ちを留めなかったスラグホーンと教師達に対する罰になるとドラコは踏んでいた。

 

「……ええ、いいでしょう」

 

 生徒に屈した教師。その汚名を被る事になると理解しながら、マクゴナガルはダンブルドアに指示を仰ぐ事なく頷いた。

 そうしなければハリーの怒りを収める事は出来ないし、ダンブルドアの名に深い傷をつける事になる。なにより、ローゼリンデが受けた仕打ちの一部は教師の怠慢にあると理解していたからだった。

 いつの間にかマーキュリー達に集められ、縛り上げられて転がせられていた生徒達をマクゴナガルは見下ろした。

 軽率な真似をした一年生達。善悪もまだ深くは理解していなかったのだろう。一部の生徒は周囲に同調しただけだった筈だ。情状酌量の余地のある者もいる事だろう。

 それでも、マクゴナガルは彼らを地下牢に繋いだ。

 ハリーがあの時、本気で大広間にいた全員を皆殺しにしようとしていた事を理解していたからだ。

 ウィーズリー兄弟や一部の生徒は許されたかも知れない。けれど、多くの生徒と、少なくとも教師全員が殺されていた事だろう。

 完全制御された悪霊の火とバジリスク、それに屋敷しもべ妖精を従えたハリーと戦えば、ダンブルドアですら危ないのではないかとマクゴナガルには思えた。  

 まだ、ハリーは十二歳だ。けれど、その凄みは既に名だたる魔法使いと同じ域に達していた。

 

 その後、ホグワーツでは大規模な人事異動が行われた。

 スラグホーンは本人の希望もあって退任し、マクゴナガルも辞表をダンブルドアに提出した。事情はどうあれ、生徒に屈した彼女をバッシングする声があちこちで上がっていたし、彼女自身も大きな責任を感じていたからだ。

 一年生の中にもホグワーツを去る者が出た。

 

 ◆

 

「……ふふ、面白い事になっているな」

 

 男は日刊預言者新聞の記事に目を通して薄く微笑んだ。

 

「ハリー・ポッター。君の事がよく理解出来たよ。さてさて、どうしたものか」

 

 優雅に足を組み替えると、彼は傍らに佇む屋敷しもべ妖精を見つめた。

 

「そろそろ彼女が帰ってくる頃だ。期待以上の働きをしてくれた彼女は盛大に出迎えてやらなくちゃぁいけない。準備をしてくれ、クリーチャー」

「かしこまりました、ご主人様」

 

 男は微笑む。

 

「ローゼリンデ・ナイトハルト。ドイツの名高き純血の一族に生まれながら、魔法の才能に恵まれなかった哀れな少女よ。わたしの進む道の礎となっておくれ。代わりに、わたしは君を忘れない。大切な存在として、君の名前を胸に刻みつけようじゃぁないか」

 

 微笑みが邪悪に歪んでいく。

 

「このヴォルデモート卿の胸に、君の名を」

*1魔法族に生まれながら魔法力を持たない者



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第四章『魔王再臨』 第三十一話『魔王再臨』

 出来損ない。それが彼女の呼び名だった。

 ドイツの名立たる純血の名家であるナイトハルト家には息子が一人と娘が二人いた。長男のヴィルヘルムはダームストラング専門学校を首席で卒業し、長女のカルラはボーバトン魔法アカデミーで魔法薬における画期的な論文を発表している才女だった。

 当初、当主であるフランツとその妻であるヘルミーネは次女のローゼリンデにも期待を寄せていた。さぞ素晴らしい才能を発揮してくれる事だろうと英才教育を施した。

 けれど、結果は散々たるものだった。ローゼリンデの魔法力は致命的な程に乏しかったのだ。

 フランツとヘルミーナの失望は大きかった。

 ヴィルヘルムがローゼリンデに《ナイトハルト家には相応しくない出来損ないだな》という苛烈な言葉を投げかけた時、二人は窘めるどころかその通りだと彼女を叱りつけた。

 いつもイライラしているカルラがストレスの捌け口としてローゼリンデを使っても、咎める者はいなかった。

 

 出来損ない。

 落ちこぼれ。

 期待外れ。

 産まなければ良かった。

 面汚し。

 

 そうした言葉を毎日投げかけられ、ローゼリンデは泣き続けた。

 同情してくれる者などいなくても、彼女には泣く以外の抵抗の仕方が分からなかった。

 泣く度に姉に折檻された。時には髪を引っ張られ、時には踏みつけられ、時には物置に閉じ込められたまま一週間も忘れられた事があった。

 徹底的に人格を否定され続け、食事も満足に与えてもらえなかった彼女はやせ細り、常に怯えた表情を浮かべていた。

 助けを求めようにも、一族の恥部として扱われた彼女は外部の人間に決して会わせてもらえなかった、

 消えてしまいたいと何度も願った。けれど、どうすればいいのか分からなかった。

 六歳の頃から、彼女は教育を受けさせてもらえなくなり、他の同世代の子供が簡単に思いつく事さえ閃く事が出来なかった。

 

 そして、自分の誕生日を知らないまま、彼女が十歳になった日、その男が現れた。

 

 第三十一話『魔王再臨』

 

 その日、フランツの前に一匹の屋敷しもべ妖精が現れた。聞けば、新しい主人を探していると言う。

 彼は喜んだ。屋敷しもべ妖精を使役する事は一流の証とされているからだ。それなのに、ナイトハルト家には屋敷しもべ妖精がいなかった。それはおかしい事なのだとフランツは常々考えていた為、現れた屋敷しもべ妖精を何も疑う事なく受け入れた。誤りが正されたのだと確信したのだ。

 屋敷しもべ妖精はクリーチャーと名乗り、挨拶として見事な細工が施されたロケットを献上した。

 フランツは無邪気に喜んだ。クリーチャーの忠誠心を褒め称え、疑う事無くロケットを身に着けた。

 

 クリーチャーが現れてから、ナイトハルト家の生活は以前よりも更に豊かなものになった。

 なんと、クリーチャーの以前の主人は偉大なるブラック家だったのだ。けれど、ブラック家の最後の末裔はアズガバンに収監されており、クリーチャーの主人と仰ぐべき存在は居なくなってしまったのだという。

 つまり、彼は解雇されたわけではなく、已む無く野良になってしまったという事だ。

 そういう事情の彼だからこそ、仕事は一流だった。

 彼が清掃した部屋には埃一つ無く、彼の作る料理は天上の美味だった。

 家事から解放されたヘルミーナも大いに喜んだ。

 

 満たされた生活は人の心を豊かにするものだ。

 けれど、フランツとヘルミーナの心は徐々に荒み始めた。

 少しの事で苛々を募らせ、事ある毎に口論となった。

 

 そんなある日の事だ。フランツは怒っていた。何に対して、どうして怒っているのかも分からないまま、怒りの矛先を求めていた。そして、丁度いい捌け口としてローゼリンデに暴力を振るった。それまでカルラが彼女に折檻する事を止める事こそ無かったものの、自ら手を出す事をしてこなかった彼は一方的に相手を嬲る快楽を知った。

 まるで、麻薬のように彼は暴力に酔い痴れた。相手が実の娘である事など些細な問題だった。

 やがて、彼は暴力の矛先を妻にも向けるようになった。ヘルミーナは夫の凶行に対して必死の抵抗を行ったけれど、抵抗された事に腹を立てたフランツは彼女を拷問にかけた。

 妻の悲鳴と苦痛に歪む表情が彼を昂ぶらせた。更に苛烈な拷問にかけ、遂にはヘルミーナの精神を粉々に砕いてしまった。

 

 自分が何者なのかも分からなくなってしまった彼女を前にして、フランツは嘆き悲しんだ。

 彼女を壊したのが他ならぬ自分自身である事を、彼は理解していなかった。

 

「ああ、ヘルミーナ! だれが……、こんな酷い事を……」

 

 フランツは怒りに燃えた。そして、家の中を徘徊すると、娘の部屋にはうわ言を呟き続ける見た事もない女がいた。

 それが彼の拷問によって精神を病んでしまった娘のカルラである事にも気づかずに、彼は激情のままカルラに暴力を振るった。

 その心地よさに酔い痴れていると、彼は奇妙な事に気がついた。

 さっきまで殴っていた女が、見知らぬ男に変わっていた。それは彼の息子のヴィルヘルムだったけれど、やはり彼には分からなかった。

 

「……ヘルミーナ。……カルラ。……ヴィルヘルム」

 

 意識が朦朧として、記憶が欠落していく。

 

 そして、気づけば目の前に一人の男が立っていた。

 奇妙な光によって輪郭がぼやけている。

 

「……フランツ・ナイトハルト」

 

 男は真紅の瞳をフランツに向けた。それだけで、フランツは身動きが取れなくなった。

 まるで、杖も持たない無防備な状態でドラゴンに睨まれているかのようだ。息苦しい程の圧迫感を感じている。

 心の中は恐怖によって満たされ、それ以外の感情や思考はすべて抜け落ちてしまった。

 逃げる事も、立ち向かう事も出来ない。赤ん坊のように泣き叫ぶ事すら出来ない。

 ただの人形のように、ポカンと立ち尽くしている。

 

「旧き血を継ぐ者よ。どうか、わたしの頼みを聞いてくれまいか?」

 

 その言葉にフランツは飛びついた。まるで、溺れかけている所に岸へ繋がっているロープを見つけたかのように嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 疑問など抱かなかった。頭の先から足の爪先に至るまで、すべての細胞が目の前の男に屈服していた。

 それが最も正しい選択なのだと心から確信していた。

 

「な、なんなりと!」

 

 男は薄っすらと微笑んだ。

 

「わたしに君のすべてを捧げてくれるかい?」

 

 男の微笑みには、男とは思えぬ程の沸き立つような色気があった。

 まるで、巨匠が作り出した芸術品のような美しさに、眼球を通して、意識そのものを奪われる。釘付けにされ、逸らす事など出来なかった。

 息が荒くなる。

 

「も、もひろんでございます……」

「素晴らしい。ありがとう、フランツ」

 

 フランツは体から何かが抜け落ちていく感覚に襲われた。それはとても大切なもので、かけがえのないものだと分かっていた。

 けれど、抵抗する事など出来なかった。

 

「あへ……、へへ」

 

 愛する妻との記憶が失われていく。

 家族との時間が消えていく。

 子供時代を奪われていく。

 やがて、記憶は空白となり、自分が何者なのかも分からなくなった。

 

「……やはり、分霊の状態ではここまでか」

 

 男は自らの手足を確認しながら不快そうに呟いた。彼の体はさっきよりも明確になっていたけれど、未だに輪郭がぼやけている。

 

「分霊箱。やはり、もう少し研究が必要だったな」

 

 男は短く息を吐いた。

 

「反省しなければいけないな」

 

 男は近くの椅子に腰掛けると、フランツの杖を振った。すると、ヘルミーナが購読していた日刊預言者新聞が彼の下へ飛んできた。

 しばらくの間、新聞を読み耽っていると、男は視線を感じた。

 フランツの記憶から、その正体を男は看破していた。

 

「そんな所にいないで、こっちに来るといい」

 

 男が声を掛けると、視線の主はどこかへ逃げて行ってしまった。

 

「やれやれ」

 

 男は苦笑すると、再び新聞を読み始めた。

 そんな事が数度もあり、男は新聞を読み終えると杖を振った。

 すると、扉の影から小柄な少女がぷかぷかと浮かびながら彼の下へやって来た。

 怖かったのか、声を殺しながら泣いている。

 

「ああ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。君はローゼリンデ・ナイトハルトだね?」

「……ひゃ、ひゃい」

 

 ローゼリンデはすっかり怯え切っていた。

 

「怯える必要はない」

 

 男は立ち上がると、ローゼリンデの頭を撫でた。

 それは彼女にとって初めての体験だった。

 

「今日で十歳になったんだね」

 

 男の言葉に彼女は首を傾げた。

 

「今日は君の誕生日なんだよ。君の誕生を祝う日という事さ」

 

 男は彼女を抱き上げた。

 

「素晴らしい。実に運命的じゃないか、ローゼリンデ」

 

 彼女は困惑した。どうして抱き上げられているのかも、誕生日が何を意味しているのかも、彼女にはサッパリだったのだ。

 けれど、抱き上げられる事も、祝われる事も初めての事で、彼女は少しだけ嬉しくなった。

 なによりも、男の持つ不思議な魅力が彼女に安心感とぬくもりを与えた。

 

「わたしと友達にならないか? ローゼリンデ」

 

 ◆

 

 それが、彼と彼女の出会いだった。

 ナイトハルト家を選んだのは男ではなく、彼の求める条件を満たす家をクリーチャーが選び抜いた。

 そこで、本人すら知らない十歳の誕生日に二人が巡り合ったのは全くの偶然だった。

 男はこれを天啓だと考えた。

 今日で十歳という事は、来年にはホグワーツへ入学する条件が満たされる。

 あのハリー・ポッターが在学しているホグワーツへ。

 

「わたしには肉体が必要だ。それも、若くて健全な肉体が!」

 

 霊体が肉体を得る方法は二つある。

 一つは肉体を復元する薬品、あるいは魔法を使う事。

 もう一つは生者の肉体を奪う事。

 彼が考案した蘇生薬は魂の情報を基に肉体を再構築するものであり、オリジナルならばともかく、分霊では不都合が発生する可能性が高い。

 それ故に、彼は二つ目の方法を取る事に決めた。

 

「ハリー・ポッター。わたしには君が必要だ。君の肉体こそ、わたしの未来なのだ」

 

 ローゼリンデは《ハリー・ポッターに取り入れ》という命令を見事に遂行してみせた。

 彼女を通して、彼の事を識る事が出来た。

 

「……さて、わたしも動くとしよう」



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第三十二話『女帝』

 人生とは分からないものだと、ハリーは思った。

 

「ドラコ! それはこっちよ!」

「はぁ? こっちに置いた方が便利だろ!」

「本棚なのよ!? 日差しが直接当たる場所なんて駄目に決まってるでしょ!」

「分かったから、怒鳴るな!」

「あ、あの、こちらはどこに置きましょう?」

「それは向こうの棚の近くにお願い、マーキュリー」

 

 ハリーはドラコとハーマイオニー、そして、マーキュリーと共に十メートル四方の広々とした部屋にいた。

 そこはハリーの新しい部屋だった。今、彼らは部屋の模様替えに勤しんでいる。

 最初はハリーが主導で行っていた筈なのに、いつのまにかハーマイオニーに主導権を奪い取られて仕切られていた

 

「ハリー! ゴスペルの棲家を設置する前にちゃんと湿度調整呪文と温度調整呪文を床に掛けて! さっきメモを渡しておいたでしょ!」

「とっくに掛けてる!」

 

 折角、理想の部屋を作ろうと思っていたのに、このままではハーマイオニーにとっての理想の部屋になってしまう。

 ハリーは面白くなかった。けれど、反抗する事も出来なかった。

 ゴスペルが快適に過ごせるように必要な呪文をリストアップしてくれたり、結局はハリーが住みやすいように一生懸命考えてくれている事が伝わってくる事も理由の一つだったけれど、最大の理由は別にあった。

 

 ようやく家具の設置と荷物の整理が終わった頃、部屋の扉をノックする音が響いた。

 入ってきたのはマクゴナガルだった。

 

「ハリー。模様替えは終わったのですか?」

「はい、先生!」

 

 ハリーが応えると、マクゴナガルは困ったように微笑んだ。

 

「もう、わたしは先生ではありませんよ」

「……は、はい、その……、えっと」

 

 ハリーは顔を真っ赤にしながら言い淀んだ。

 ハーマイオニーとドラコがニヤニヤ笑っている。

 

「……か、か……、母さん」

 

 ハリーは絞り出すような声で言った。

 

 第三十二話『女帝』

 

 時は数ヶ月前に遡る。

 大広場で暴れた後、図書館にやって来たハリーはローゼリンデに「もう大丈夫だ」と言って、大広間での大立ち回りについて語った。

 すると、彼女に勉強を教えてあげていたハーマイオニーは深くため息を零した。

 

「このおバカ!!!」

 

 図書館の中だと言うのに、マダム・ピンスが怖い表情で睨んできてもお構いなしにハーマイオニーは怒鳴り声をあげた。

 

「ば、バカだと!?」

 

 ハリーが怒鳴り返そうとすると、ハーマイオニーはハリーのおでこを人差し指でツンツンしながら言った。

 

「あなたは何てバカなの! あまりにも考えなしな行動だわ!」

「なんだと!? 相手はロゼを傷つけた連中だぞ! それを許せと言うのか、貴様ぁ!!」

「言ってないでしょ!! このおバカさん!!」

 

 他の人間ならば誰もが縮み上がるハリーの殺気を受けても、ハーマイオニーはなんのそのだった。

 それどころか、彼女の全身から発せられるエネルギーはハリー以上の迫力だった。

 

「あなたの行動の愚かさは後の事を何も考えていない事よ!!」

「あ、後の事だと!?」

「そうよ! 言っておくけど、あなたの事じゃないわ! ロゼの事よ! よりにもよって、学校中の人間が集まっている大広間で彼女が虐められていた事を公表した挙げ句、怒りに任せて暴れまわるなんて! そんな事をしたら、ロゼが余計に困ると想像が出来なかったの!?」

「そ、それは……」

 

 あまりの剣幕にハリーはたじろいだ。

 

「ロゼを虐めていた子達の名前は分かっていたんでしょ!? だったら、どうして先生に報告しなかったの!? ロゼはこれから卒業まで七年間をホグワーツで過ごすのよ! それなのに腫れ物に触れるような扱いを受ける事になったらどう責任を取るつもり!?」

「ぐぅ……」

 

 ハリーは反論する事が出来なかった。彼女の言葉に正しさを感じてしまったからだ。

 

「……ボクは許せなかったんだ。どうしても……」

 

 唇を噛み締めながら呟くハリーにハーマイオニーは肩を竦めた。

 

「気持ちは分かるわ。わたしだって、腸が煮えくり返っているもの。だけど、犯人が分かっているなら他の方法を取るべきだったわ。一人一人呼び出して二度とバカな真似が出来ないようにするとか、ドラコのお父さんは権力者なんだから、その権力で脅しを掛けるとか、他にもいろいろ……」

 

 ハーマイオニーは結構怖い事を呟いた。

 

「とにかく! あなたも、あなたを止めなかったドラコも軽率過ぎます! 反省しなさい!」

 

 ハリーは顔を上げ続ける事が出来なかった。俯いてしまった。愚かな事をしたのだと認めてしまった。

 怒りに身を任せて、一番に考えるべき事を忘れていた。ローゼリンデの未来こそ、何よりも優先しなければならないものだった。

 

「……すまない、ロゼ」

 

 ハリーはローゼリンデに頭を下げた。いつもの自信に満ち溢れている彼からは想像もつかない程、弱り切った表情だった。

 その一言に含まれていたものは大広間での愚行だけではなかった。

 

 ―――― お前が危険に晒される事は決してない。このボクの配下なのだからな。ボクが必ず守ってやる。

 

 以前、ハリーはローゼリンデにそう言った。それなのに、守ってあげる事が出来なかった。

 それが許せなかった。自分自身と彼女を虐めた者達に対する怒りで我を見失っていた。

 結局、ハリーは彼女の為ではなく、自分自身の為に暴れてしまったのだ。

 その結果がこれだ。ハーマイオニーの言う通り、実に愚かだとハリーは思った。

 

「い、いえ、だ、ダメです! あ、頭を上げて下さい!」

 

 ローゼリンデは縋るように言った。

 彼女にとって、ハリーは特別な存在だった。

 卓越した存在であり、崇高な存在であった。

 そんな彼が謝る事など、あってはならない事だった。

 

「わ、わたし……、わたし、嬉しいです! は、ハリー・ポッター様がわ、わたしの為に怒ってくださるなんて……だから、どうか謝らないでください!」

「ロゼ……」

 

 ハリーは苦い表情を浮かべた。

 彼女に対して、彼は負い目を抱いている。けれど、彼女は謝罪など求めていない。

 ハリーはモヤモヤした気分になり、危うく、謝罪を受け入れようとしないローゼリンデを責めてしまいそうになった。

 この期に及んで更に自分の事ばかり考えてしまっている事に、ハリーは愕然となった。

 

「は、ハリー・ポッター様……?」

 

 ローゼリンデに見つめられて、ハリーは咄嗟に顔を背けてしまった。

 あまりにも情けない気分だった。

 

「ハリー」

 

 ハーマイオニーはそんなハリーの肩をポンと叩いた。

 反射的に振り向くと、彼女はハリーの頬を叩いた。

 

「なっ!?」

「な、何をするのですか!?」

 

 ハリーとローゼリンデが目を見開くと、ハーマイオニーは悪びれた表情も浮かべずに「満足?」とハリーに問いかけた。

 謝罪を受け入れてもらえないのなら、責めて欲しい。そんな彼の考えを彼女は汲み取ったのだ。

 

「……ああ、ありがとう」

「ほえ!?」

 

 そんな二人の心理を知らないローゼリンデは目の前で起きた事に混乱した。

 いきなりビンタをかましたハーマイオニーに、頬を赤くしたハリーが感謝したのだ。

 そして、ローゼリンデは思った。

 もしかしたら、ハリーは叩かれると嬉しい人なのかもしれないと。

 彼女はハリーの謝罪によって、頭があまり働かなくなっていた。

 

「……て、ていやー!」

「ゴフッ!?」

 

 不意打ちだった。ハリーのみぞおちにローゼリンデの正拳突きがクリーンヒットした。

 

「あ、あの……、こ、これでいいですか?」

 

 悪意の欠片も見当たらない表情で小首を傾げるローゼリンデ。

 ハリーは彼女もハーマイオニーのように自分の気持ちを汲んでくれたのだろうと勘違いをした。

 

「あ、ああ……、ありがとう。満足だ」

 

 ローゼリンデはドン引きしそうになったけれど、必死に踏み止まった。

 相手は他ならぬハリー・ポッター。彼女にとって、最も偉大なる存在だ。

 例え、彼が叩かれると喜ぶ奇妙な一面を持っていたとしても、それは変わらない。

 故に、彼女は後ろにさがりそうな足を前に踏み出した。

 

「ていやー!」

「ゴヘッ!?」

 

 まさかの追撃にハリーは目を白黒させた。

 追撃が来るとは欠片も考えていなかった為、完全に油断していたのだ。

 

「ロ、ロゼ……?」

「も、もっとですか? もっとなんですね!?」

「ロゼ……?」

「わ、わたし、がんばります!」

「ロゼ!?」

 

 ハリーはローゼリンデにボコボコにされた。実はそこまで怒っていたのかと、ハリーは必死に耐えた。ローゼリンデの気が済むまで、彼女の拳を受ける事が償いになるのだと考えたのだ。

 そして、ローゼリンデは途中から少しだけ楽しくなっていた。けれど、その事に気が付かないままハリーをボコボコにした。

 ハーマイオニーは「わ、わたし、しーらない」と顔を背けた。

 

 ◆

 

「……おバカさん」

 

 ハーマイオニーは保健室で治療を受けているハリーを呆れたように見つめた。

 

「う、うるさい……」

 

 ハリーは消毒液の匂いに顔をしかめた。

 

「ほらほら、治療中はお静かに」

 

 マダム・ポンフリーに窘められて、二人は口を閉じた。すると、保健室にはマダム・ポンフリーが治療をする音と隣のベッドから響くローゼリンデの寝息だけが響いた。

 彼女はハリーをボコボコにする為に体力を使い果たしてしまったのだ。思わぬアグレッシブを発揮するには体力の方が足りていなかったらしい。

 治療が終わると、ハリーとハーマイオニーはローゼリンデのベッドの隣に椅子を並べて座った。

 

「頭は冷えた?」

「……まあな」

 

 ハリーはしばらくローゼリンデの寝顔を見つめた後、マダム・ポンフリーが奥に引っ込んでいる事と他のベッドで寝ている生徒がいない事を確認するとハーマイオニーに頭を下げた。

 

「……ありがとう、ハーマイオニー」

「今日は素直ね、ハリー」

「……うるさい」

 

 ハリーの言葉に覇気は無かった。

 過ちを指摘してくれた事や気持ちを汲んでくれた事に対する感謝を別にしても、どういうわけか、彼女に対して強気に出る事が出来なかった。

 

「ボクは弱いな……」

「ハリー?」

 

 気づけば、ハリーは自分の弱味を曝け出していた。

 

「ロゼの為に怒ったつもりだったけど、ボクはボクの為に怒っていた。謝罪を受け入れてくれないロゼに理不尽な怒りを向けようとしてしまった。ボクは……、君の言う通り、愚かだ」

 

 その言葉と彼の浮かべる苦悩の表情にハーマイオニーは目を細めた。

 穏やかに微笑みながら、彼女は言う。

 

「大丈夫よ、ハリー。あなたが間違えそうになったら、今日みたいにわたしが正してあげる。どんな時でも、何度でも、絶対に。だから、安心しなさい」

「……ありがとう」

 

 ◆

 

 その翌日、ハーマイオニーはドラコの事も叱りつけた。そして、二人をマクゴナガルの下へ引き摺った。

 このままではハリーとマクゴナガルの関係が壊れてしまうと思ったからだ。

 彼にとって、マクゴナガルが特別な存在である事を彼女は知っていた。

 ただの教師と生徒ではなく、もっと深い絆がある事を見抜いていた。

 

「ほら、二人共!」

 

 マクゴナガルはすっかりハーマイオニーの尻に敷かれている二人を見て目を丸くした。

 

「す、すまない、先生。愚かな事をした。それに……、暴言を吐いてしまった……。撤回させて欲しい」

「……僕も怒りに振り回されていた。申し訳ありません」

 

 過ぎてしまった事はどうにもならない。

 彼女がドラコの要求を呑んだ事実は変わらず、そのツケを支払う時は遠からず来る事になる。

 けれど、あれほど怒りに狂っていた二人がそのまま歪む事なく謝りに来た事にマクゴナガルは安堵した。

 同時にハーマイオニーの勇気と思い遣りの心に胸を震わせた。そして、彼女は一つの決意を抱いた。

 

 それからの数ヶ月、ローゼリンデに対する虐めを行った者達に対する処罰は現代の基準のものに変更されたけれど、マクゴナガルに対するバッシングの声は多かった。

 そして、ハリーとドラコに対する世間の評価も厳しかった。一度は魔法省の役人と共に闇祓い局という魔法界における対テロ特殊部隊の人間がやって来て、二人をアズカバンに収監しようとした。

 その時はダンブルドアとドラコの父であるルシウス、そして、ロンの父親のアーサーが動いて事態を沈静化させた。

 それでも、彼らの行動を問題視する声は多く、二人もそれを当然の事として受け止めていた。唯一の救いは、この期に及んでもローゼリンデに対してちょっかいを掛ける愚か者がいなかった事だ。そして、コリンとジニーは変わらずハリーを慕い、ローゼリンデとも友情を結んだ事だった。

 二人の勇気に、ハリーはグリフィンドールという寮が掲げる《勇気ある者が集う寮》という言葉の意味を噛み締め、敬意を抱いた。

 

 ◆

 

 学年末試験、ハリーとハーマイオニーは同率一位だった。

 唯一100点以上の点数を取らせたスラグホーンがハリーに対して怯え切ってしまい、100点満点を厳守した為だ。

 三年生からの選択科目では例年100点以上の点数を叩き出す者が居るという。そこで決着をつけようと二人は誓い合った。

 そして、ホグワーツの二年目が終わりを迎える。

 そこで、スラグホーンとマクゴナガルが教師を辞任する事が生徒達に伝えられた。

 ハリーとドラコは青褪めた。どう考えても、ハリーとドラコのせいだったからだ。

 

「せ、先生!!」

 

 ハリーはドラコとハーマイオニーと共にマクゴナガルの部屋に急いだ。

 すると、部屋はすっかり片付けられていて、マクゴナガルがホグワーツを去る準備を終えてしまっている事に気がついた。

 青褪める三人に対して、マクゴナガルは微笑んだ。そして、謝ろうとするドラコとハリーを止めた。

 

「たしかに、あなた達はやり方を間違えました。けれど、そう何度も謝ってはいけませんよ。あなた達の怒りはすべてが間違っていたわけではないのですから」

 

 彼女は言った。

 

「親しき者が傷つけられて怒りを覚えるのは当然の事です。そして、少なくともわたし達教師は責めを負う義務があります。わたしの退任に対して、あなた方が責任を感じる必要はありません」

「で、でも!」

 

 ハリーは言いたい事があった。けれど、口に出す事が出来なかった。

 そんな資格は無いと思ったからだ。

 

 ―――― 行かないで欲しい。

 

 そんな身勝手な事を考えてしまう自分の愚かさが嫌になった。

 こうなった原因はハリー自身にある。それなのにそんな事を考えるなんて恥知らずも甚だしいと思った。

 

「……ハリー」

 

 そんな彼にマクゴナガルは些か緊張した様子で声を掛けた。

 

「先生……?」

「その……、もしですよ? もし、あなたさえ良ければ、一つ提案があります」

「提案?」

 

 ハリーは首を傾げた。

 

「あなたは去年、ダーズリー家を飛び出して、ミスタ・マルフォイの家に厄介になりましたね?」

「は、はい」

「今年も戻るつもりはない。そう考えて、間違いありませんね?」

「……はい」

 

 頷きながら、ハリーは彼女が何を言いたいのか分からなくて困惑した。

 

「今年もミスタ・マルフォイの家に厄介になるつもりですか?」

「そ、それはその……」

 

 ハリーがドラコを見ると、ドラコは頷いた。

 

「僕はそのつもりです。父と母もハリーを歓迎しますよ」

「……すまないな、ドラコ」

「君と僕の仲じゃないか。水臭い事は無しだよ、ハリー」

 

 二人の友情に対して、マクゴナガルは少し気まずそうに咳払いをした。

 

「なるほど、分かりました。ですが……、ハリー。あなたに、もう一つの選択肢を用意しています」

「もう一つの選択肢……?」

 

 ハリーとドラコは首を傾げた。そして、ハーマイオニーは「あっ」と口元に手を当てた。

 

「ハリー。わたしの家に来ませんか?」

「……え?」

 

 ハリーはマクゴナガルが何を言ったのか、少しの間分からなかった。そして、理解した後は聞き間違いかと思った。もしくは自分の耳がイカれたのかとも思った。

 

「い、今……、なんと?」

 

 聞き返すと、彼女は少し頬を赤らめた。

 

「わたしがあなたの後見人になる、という事です。あなたにはしっかりと躾の出来る保護者が必要であると判断しました。もちろん、選ぶのはあなたです。ただ、そういう選択肢もあると……」

「……ボ、ボクの保護者に……、先生が」

 

 ハリーはポカンとした表情を浮かべた。

 

「い、嫌ならいいのです! 聞かなかった事にして下さい。あくまで、あなたが望むなら、という事です」

「ボ、ボクは……」

 

 ハリーが戸惑っている後ろでハーマイオニーはドラコを小突いた。ドラコも無言で頷くと静かに部屋を出て行った。

 

 ◆

 

 そして、数日後である現在。

 ハリーはマクゴナガル邸にいた。

 ドラコとハーマイオニー、そして、ホグワーツから付いて来てくれたマーキュリーに引っ越しを手伝ってもらい、自分の新しい部屋を手に入れた。そして、同時に母親という存在を手に入れた。

 

「……か、か……、母さん」

「……ハリー。さあ、引越し祝いの御馳走が出来ていますよ」

「う、うん!」

 

 ハリーはマクゴナガルの後ろについていった。ドラコとハーマイオニーはニヤニヤ笑い続けた。マーキュリーも嬉しそうに微笑んだ。



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第三十三話『親子』

 ミネルバ・マクゴナガルには子供がいなかった。

 とは言え、灰色の人生を送ってきたわけでもない。彼女の人生にもロマンスは幾度もあった。

 十八歳の頃、彼女を恋する乙女に変える存在が現れた。名前はドゥガル・マクレガー。賢くてハンサムな少年だった。

 彼と彼女は両思いの関係にあった。ドゥガルが畑で跪きながらプロポーズをした時、彼女は頬を赤らめながら受け入れた。

 けれど、二人が結ばれる事は無かった。

 ドゥガルはマグルだったのだ。彼はマクゴナガルが地元の農場主の息子だった。

 

 魔女とマグルの婚約には大きな障害がある事を彼女は知っていた。

 それは彼女の両親が魔女とマグルの関係だった為だ。

 母のイソベルは夫との生活の為に杖を捨て、家族を捨て、魔法界に留まれば得られたであろう輝かしい未来を捨てた。

 更に、彼女は夫に対して長い間魔女である事を隠していた。打ち明けた後も実直な性格である夫に秘密を抱かせ、子供達には嘘を付くように教えなければならなかった。

 イソベルと夫であるロバートの間には確かに愛があったけれど、幸福と言い切る事は出来なかった。

 その事を娘として直視し続けて来た彼女だからこそ、愛を捨てる選択をしたのだ。

 

 その後、彼女が彼以上に愛する存在は現れなかった。

 けれど、彼女に愛を与えた者がいなかったわけでは無かった。

 ドゥガルと別れ、魔法省で働いていた頃の上司であるエルフィンストーン・ウルクァートから、彼女は何度もプロポーズを受けていたのだ。

 最初はドゥガルの事があって断り続けていた彼女も、ドゥガルの死の報せを聞いて、彼に対する思いから解放され、遂にエルフィンストーンの手を取る事にした。

 どちらも決して若くはなかったけれど、ホグズミードの近くに建てたコテージで幸せに満ちた夫婦生活が続いた。

 

「……エルフィン」

 

 マクゴナガルは亡き夫の写真を見つめながら呟いた。

 彼との生活は、結婚後三年間しか続かなかった。彼が毒触手草に噛まれて急死してしまった為だ。

 けれど、彼女にとって、やはり彼は夫だった。

 

「こんな歳になって、母親になってしまったわ」

 

 恥ずかしそうに苦笑する彼女に、写真の中のエルフィンストーンはニッコリと微笑んだ。

 彼にとって、彼女の幸福こそが何よりの幸福であり、彼女の選択はその為の選択なのだと確信しているのだ。

 

「何年一緒に居てあげられるか分からないけれど、見守っていて下さいね」

 

 声は聞こえない。けれど、写真のエルフィンストーンは《もちろんだとも》と頷いた。

 今、息子は友達と一緒に部屋を準備している。

 一人で住むのが耐えられなくなって飛び出したけれど、手放す事が出来なかったコテージ。

 二階建てで、見た目よりもずっと広々としている。

 エルフィンストーンが彼女の為に建てた家。そこに再び息吹が満ちる。

 

「……ハリー」

 

 ダーズリー家に彼を迎えに行った日の事を今でも覚えている。

 満足に体を伸ばす事も出来ない階段下の物置に住まわされていた。

 体は痩せ細り、眼鏡には罅が入っていた。彼がどういう扱いを受けて来たか、一目で分かった。

 あの時、彼女は十年前の決断を後悔した。

 ダーズリー夫妻の人間性について、彼女は理解していた。けれど、敬愛するダンブルドアの判断だからと、ハリーをダーズリー家に預ける事に同意してしまった。

 ダイアゴン横丁を共に歩いた時、彼女は彼の中の闇を垣間見た。不安を抱かなかったと言えばウソになる。

 けれど、蛇を買い与えた時、彼は泣きそうな顔で《ありがとう》と言った。

 マクゴナガルは彼の中に光と闇が混在している事を悟った。

 

 時に、ヴォルデモートを上回る覇気と殺意を撒き散らす。

 時に、幼子のように愛を求める。

 

 どちらもハリーなのだとマクゴナガルは理解していた。

 彼には厳しく律する者と深く愛する者が必要だ。

 いつか、その役割は彼の傍にいる女の子が担う事になるかもしれない。

 それまでは、その役割を自分が担おうと、彼女は誓った。

 

 第三十三話『親子』

 

 ハリーとマクゴナガルの生活は思いの外順風満帆だった。

 

「母さん! ここを教えてくれ!」

 

 最初は照れていたハリーもすっかりマクゴナガルを母と呼ぶ事に抵抗を持たなくなった。むしろ、マクゴナガルの方が呼ばれる度にちょっとだけ照れている。

 毎日のように勉強に勤しみ、分からない所をマクゴナガルに聞きに来る。学生として、彼はまさに模範的な生活を送っていた。

 ハーマイオニーには負けたくない。彼は事ある毎にそう呟き、マクゴナガルを苦笑させた。

 三年生からは選択科目があり、ハリーとマクゴナガルは毎夜の如く進路について話し合った。

 マクゴナガルとしては、ハリーに教師の道へ進んでほしいと考えていた。それは彼が図書館でローゼリンデに熱心に勉強を教えてあげている事を知っていたからだ。

 けれど、ハリーは教師になるつもりなど無いと言い切った。

 

「ボクは魔法界のNo.1になるんだ! そして、マーキュリー達の境遇を改善してみせる!」

 

 魔法界のNo.1については聞き流しつつ、屋敷しもべ妖精の地位の向上にはマクゴナガルも賛成した。

 彼らの境遇についてはマクゴナガルも思う所があったのだ。それに、ハリーが大切な友人の力になりたがっている事が嬉しかった。尊重してあげたいと思った。

 

「そうなると魔法省へ就職する事になるわね。その場合の選択肢は複数あるわ」

 

 ハリーは就職という言葉に微妙な表情を浮かべた。彼がなりたいものはもっとカッコいいものなのだと主張したかったけれど、それがどんなものなのかハリー自身も分かっていなかった。

 

「けれど、ハリー。なりたいものの他に、やりたい事は無いのかしら?」

「やりたい事?」

 

 なりたいものとやりたい事。何が違うのか、ハリーには分からなかった。

 

「例えば、屋敷しもべ妖精の地位の向上はあなたにとって《やりたい事》よね? 他にも、なにかやりたい事はない?」

「……えっと」

 

 ハリーは考えてみた。

 咄嗟に浮かんだのはゴスペルとエグレだった。それからニュートが見せてくれた魔法生物達の姿だった。

 

「魔法生物かな……」

 

 ニュートが時々話してくれる冒険譚を思い出す。

 世界中には数多くの魔法生物達がいて、ニュートは彼らと出会う為に多くの冒険を繰り広げた。

 その生き方が、ハリーにはとても魅力的に思えた。

 

 少し、想像してみた。

 

 ドラコとローゼリンデ、それから……。

 仲間と一緒に魔法生物の研究の為に旅をする。

 

「ああ……、いいなぁ」

 

 ハリーは夢見るように呟いた。

 

「ボクは魔法生物の研究がしたい」

 

 その言葉にマクゴナガルは微笑んだ。

 

「それがあなたの望みなら、全力で応援するわ」

 

 そう言いながら、マクゴナガルはほんの少しだけ面白くないと感じた。

 彼が魔法生物の研究をしたいと言ったのは、明らかにニュートの影響だ。

 自分が勧めた教師はバッサリ切り捨てたのにと、僅かなジェラシーを感じた。

 

「……ハリー。動物もどき(アニメーガス)に興味は無いかしら?」

「動物もどきって、母さんが猫に変身する魔法の事だよな?」

「ええ、そうよ。動物に変身する事が出来れば、魔法生物の研究の上で役に立つかも知れないわ。あなたにその気があるのなら、わたしが指導してあげる。もっとも、動物もどきになれる者は魔法界の中でも限られているわ。選ばれた者にしか使えない極めて難しい魔法なのよ。だから、無理にとは言わないわ」

「教えてくれ、母さん!!」

 

 釣り糸に魚が掛かったかのようにマクゴナガルはこっそりガッツポーズを決めた。

 

「難しい呪文だから一朝一夕とはいかないわ。だけど、習得出来れば《N.E.W.T(いもり)》でも最高評価を貰える筈だから頑張りなさい」

「はい!」

 

 彼のこういう素直な部分と高みを目指す向上心は素晴らしい美点だとマクゴナガルは思った。

 

「フッハッハッハ! 見ていろよ、ハーマイオニー! 動物もどきを見事に習得して、変身術において貴様より圧倒的に上をいってやるぞ!」

 

 高笑いを始める息子にマクゴナガルはやれやれと肩を竦めた。

 

 ◆

 

 その頃、魔法省では騒ぎが起こっていた。

 魔法界の監獄であるアズカバンから一人の囚人が脱獄したのだ。

 脱獄犯の名前はシリウス・ブラック。かつて、ヴォルデモートの腹心だったとされている人物だ。

 看守の報告によれば、彼は脱獄直前にうわ言のように《あいつはホグワーツにいる……。あいつはホグワーツにいる……》と呟いていたらしい。

 

「局長。シリウスの狙いはやはり……」

「ああ、間違いなくハリー・ポッターだろう」

 

 魔法界の対テロ特殊部隊である闇祓い局の局長、ルーファス・スクリムジョールは腹心であるガウェイン・ロバーズに言った。

 

「……どう、思いますか?」

 

 ガウェインの問いにスクリムジョールは低く唸った。

 

「おそらく、ブラックが現れたとしても、ハリー・ポッターに返り討ちにされる事だろう」

 

 ヴォルデモートを三度も打ち破った少年。

 彼はバジリスクを使役して、悪霊の火を使いこなす。

 その戦闘力は勝敗が示すように、ヴォルデモートすら圧倒している。

 末恐ろしく、魔法省内部では彼をアズカバンに入れるべきだと主張する声も多い。

 

「問題は二人が激突した時の余波だ。これまでは幸いにも他に犠牲者が出なかったが、それは運が良かっただけの話だ。次は死者が出る可能性も否めない」

「では、ポッターを隔離しますか?」

「出来るのか? あのマルフォイとウィーズリーが足並みを揃えてハリー・ポッターの擁護派を先導している。下手をすればバッシングを受ける事になるぞ? その上、刺激されたポッターが暴れ出せば無用な犠牲を生む事に成りかねん」

「局長! 相手は十二歳の少年です! それなのに……、あまりにも情けなくはありませんか!? それに、隔離と言ってもアズカバンに入れるわけではありません! 我々が完璧な防衛網を敷いた場所に身を潜めてもらうだけです!」

「これまでの彼の行動から、我々の指示を聞き入れてくれるとは思えんな」

「局長!!」

 

 いきり立つガウェインにスクリムジョールは深く息を吐いた。

 血気盛んな性格はスクリムジョールにとって好ましいものだった。けれど、臆病さも大切である事を学ぶべきとも思った。

 バジリスクにしても、悪霊の火にしても、彼の想像を遥かに越える危険性を秘めているのだ。

 バジリスクの魔眼は視るだけで相手を殺す。その毒は魂すら破壊する。

 そして、真なる悪霊の火は一国すら焼き滅ぼす可能性を秘めた魔法なのだ。

 

「ガウェイン。ファッジは吸魂鬼にホグワーツを守らせようと考えているらしい」

「はぁ!?」

 

 スクリムジョールの言葉にガウェインは素っ頓狂な声を上げた。

 

「が、学校に!? 子供達がいる場所に吸魂鬼を!? 正気ですか!?」

 

 この世で最も邪悪な生き物とされている吸魂鬼。

 彼らを処分しないのは、処分出来ないからだ。そのあまりにも凶悪な生態を何とか利用して共存出来ないかと考えた結果がアズカバンという監獄なのだ。

 

「……残念だが、ファッジの側近連中も乗り気だ。だから、我々も行くぞ」

「我々って……」

「闇祓い局もホグワーツの防衛に参加する。過剰防衛になると言われるかもしれんが、この機に乗じればハリー・ポッターとも接触出来る。彼の本質を我々は知らねばならない。彼がスリザリンだけでなく、闇の帝王をも継承する存在だったなら、その時は覚悟を決めねばならない」

 

 ガウェインはスクリムジョールの瞳に宿る覚悟と決意にたじろぎそうになった。

 十年前の戦争でも、それから現在に至るまでにも常に最前線で闇の魔法使い達と戦い続けてきた百戦錬磨の戦士。

 その男がいよいよ動き出す。

 

「……お、お供します!」

「ああ、頼む。ダリウス、アネット、キングズリー、ロジャー、エドワードにも声を掛けておけ。それと、新参にも経験を積ませよう。ジョンとニンファドーラも連れて行くぞ!」

「了解!!」



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第三十四話『発動、パトローナス・チャーム』

 アルバス・ダンブルドアは腹心であるセブルス・スネイプと向かい合っていた。

 

「……まさか、マクゴナガル先生が辞任した上にポッターの後見人となるとは」

 

 スネイプは彼女の決断に驚いていた。

 ミネルバ・マクゴナガルという女性にとって、教師は正に天職だと思っていたからだ。

 彼が学生だった頃、彼女は既に変身術の先生だった。

 

「ミネルバは素晴らしい教師じゃった。彼女を失った事は大いなる損失じゃ。ホグワーツにとっても、今の生徒達にとっても、これからの生徒達にとっても、わしにとっても……」

 

 ダンブルドアにとっても、彼女は特別な存在だった。もちろん、色恋の関係などではなかった。けれど、彼と彼女の間にはただならぬ絆があった。

 マクゴナガルがホグワーツの教師になってしばらくが経った頃、彼女が愛したマグルの青年が別の女性と結婚した。その事に心を痛めた彼女を慰める為に、ダンブルドアは自らの過去を彼女に語った。

 互いの心の最も深い部分にある傷痕を共有した事で、二人の信頼関係は確固たるものとなった。

 

「……だが、彼女が決めた事じゃ。それに、彼女が傍に居る限り、ハリーが道を踏み外す事もあるまい」

「だといいですがね、校長。あなたはポッターの事をどうお考えで? ヴォルデモートの討伐だけならば称賛に値するでしょうが、親友であるドラコすら殺めようとした上に、《後輩が虐められたから》という稚拙な理由で大量殺戮を実行しかけた。あの時はマクゴナガル先生の制止すら振り切ってしまったのですよ?」

「強大な力に対して、ハリーの心が未熟である事は確かじゃが、その原因はわしにある。ダーズリー家に預けた事が彼の心の成長を歪めてしまった……」

 

 ダンブルドアは消沈した様子で深く息を吐いた。あまりにも弱々しい姿だった。

 

「……後悔なさっておられるのですか?」

「そんな事は許されぬ」

 

 その言葉にスネイプは顔を顰めた。今の彼には、普段のオーラがまるで無い。

 

「校長。あなたは休まれた方がいい」

 

 スネイプは言った。

 

「ヴォルデモートの本体は消滅し、分霊箱も破壊された。脱獄したブラックも……、正直に言いまして、ポッターには敵いますまい」

 

 闇の帝王が抵抗らしい抵抗すら出来ないまま滅ぼされた光景はスネイプにとって悪夢に近しいものだった。

 あれほど世界を混沌に陥れ、彼にとって命よりも大切な存在を殺害し、多くの人々に絶望を与えた魔王の最期としては、あまりにも情けないものだった。

 

「……ありがとう、セブルス。じゃが、まだ休めぬよ」

 

 ダンブルドアは呟くように言った。

 

「まだ、終わっておらん……」

 

 第三十四話『発動、パトローナス・チャーム』

 

「はぁ!? キングス・クロス駅に行く!? なんで!?」

 

 ハリーはわけが分からなかった。

 マクゴナガル邸はホグズミード村にある。ホグワーツまで、徒歩でも一時間程度で辿り着く。

 それなのに、マクゴナガルはハリーにキングス・クロス駅からホグワーツ特急に乗って学校へ向かうように言った。

 

「生徒はホグワーツ特急に乗ってホグワーツに向かうのが伝統なのよ。それに、お友達にも早く会いたいでしょ?」

「会いたいって言われても……、ドラコはここにいるしな」

「ほぼ毎日会ってるしな、僕達」

 

 夏休みの間、ハリーはマーキュリーに、ドラコはドビーに付き添い姿現しで互いの家を行ったり来たりしていた。

 だから、語り合いたい思い出話などなかった。語るまでもなく、二人はすべてを共有している。

 

「……ミスタ・ウィーズリーやミス・グレンジャーがいるでしょう! それに、ミス・ナイトハルトも会いたがっている筈よ?」

「そう言えば、ロンは親父さんが『日刊予言者新聞・ガリオンくじグランプリ』を当てたからって、その金でエジプトに行ったらしいな」

「ああ、僕の所にまで手紙が来たよ。制服や杖も新しい物に取り替えてもらったらしいね」

「でも、アイツの思い出話は全部手紙に書いてあったからな。今更聞く事なんて何も無くね?」

「事細やかに書いてあったもんな。情景がありありと浮かんで来たよ」

 

 ハリーとドラコは同じ結論に達した。

 

「やっぱ、歩いて行こうぜ」

「その方が効率的だよね」

「なりません!!」

 

 マクゴナガルは腰に手を当てながら二人に怒鳴った。

 

「まったく! ホグワーツ特急に乗れるのは学生の内だけなのよ!? いいから思い出を作ってきなさい!!」

「は、はい、母さん」

「りょ、了解です」

 

 正直、目的地が目と鼻の先にあるのにわざわざ遠回りをするのはバカバカしいと思ったけれど、二人はやれやれと肩を竦めながら出発の準備を始めた。

 

「ドビー。父上と母上に伝言を頼めるかい?」

「もちろんでございます! ドラコお坊ちゃま!」

 

 ドビーはドラコに命令されると飛び上がるほど喜んだ。

 その姿にマーキュリーもそわそわし始める。

 ウォッチャーやクィリウスが来る事もあるけれど、マーキュリーは夏休みの間、結局一度もホグワーツに帰らなかった。

 ダンブルドアに許可は取っているらしい。

 

「マーキュリー。同僚に怒られたりしないのか?」

「ええ、ちっとも! ただ、少し羨ましがられておりますね」

「羨ましいのか……? まあ、ボクは助かるけど」

「恐悦至極でございます」

 

 瞳を潤ませて感動するマーキュリーにハリーはやれやれと肩を竦めた。

 

 ◆

 

 ハリーとドラコの仕度はあっという間に終わった。二人共宿題はとっくに片付けてあったし、学用品も揃えてトランクに詰めてあり、他の用意もマーキュリーとドビーがそれぞれ完璧に準備してくれていたからだ。

 三人と二匹がキングス・クロス駅に姿現しをするとちょっとした騒ぎになった。

 マクゴナガルがホグワーツを辞任して、ハリーの後見人になった事は既に知れ渡っていたからだ。

 彼女を慕っている生徒やOBが集まって来た。彼らの中にはハリーを睨む者も大勢いたけれど、彼は気にしなかった。

 キングス・クロス駅に行けば、こうなる事は分かっていたからだ。ドラコもやれやれと彼に付き添っている。

 ただ一人、マクゴナガルだけが分かっていなかった。彼女は純粋にハリーに思い出を作って欲しかったのだ。

 マクゴナガルは慌ててハリーを睨んでいる者を叱責しようとしたけれど、ハリーは首を横に振った。

 今、自分を睨んでいる者達は、それだけマクゴナガルを慕っていた者達なのだと理解していたからだ。

 腹が立たないわけではなかったけれど、どこか嬉しくもあった。だから、余計な事を言うなと合図を送ったのだ。

 

「さて、どこか空いてるかな?」

 

 早めに来たつもりだったけれど、既にコンパートメントは埋まりかけていた。それでも、なんとかホーム側に窓があるコンパートメントを独占する事に成功した。

 窓を開くと、ドラコの両親がいた。

 

「父上! 母上!」

「おお、ドラコ! まったく、仕方のない子だ! どうせ合流するのだから、一旦は帰ってきなさい!」

 

 どうやら、ドラコがマクゴナガル邸から直接キングス・クロス駅に来たのが気に入らなかったらしい。

 

「そうです! 折角御馳走を作っていたのよ? お弁当にしたから二人で食べなさいね」

 

 そう言うと、ナルシッサは弁当箱をドラコとハリーにそれぞれ渡した。

 すると、マクゴナガルも人の波をかき分けてやって来た。

 

「母さん!」

 

 ハリーが笑顔を浮かべると、マクゴナガルは苦笑した。

 妙な緊張感を漂わせながら、彼女はルシウスやナルシッサと二言三言囁きあった。

 

「……教えるべきでしょう」

 

 ルシウスがハリーを見ながら言った。

 

「なんの事?」

 

 ハリーが問いかけると、マクゴナガルは迷いの表情を浮かべた。

 すると汽車の警笛が鳴った。

 そろそろ、出発の時間らしい。

 

「……ハリー!」

 

 マクゴナガルは慌てたように語った。

 シリウス・ブラックという男がアズカバンを脱獄した事。その男がヴォルデモートの腹心であった事。彼がハリーを狙っている可能性がある事。

 それらを聞いて、ハリーは心底どうでも良さそうに「ふーん」と呟いた。

 

「真剣にお聞きなさい!」

「聞いてるよ、母さん。でも、挑んでくるなら返り討ちにするだけさ」

「……ハリー」

 

 マクゴナガルは不安そうに表情を歪めた。

 それがハリーには不満だった。

 

「心配なんて要らないさ! ボクは誰にも負けない! だから、安心してくれ」

「……ハリー。シリウスは……」

 

 マクゴナガルが何かを言いかけた時、ホグワーツ特急が動き始めた。

 

「大丈夫だ、母さん! 行ってきます!」

「あっ……」

 

 ハリーとドラコは三人の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 

「……まったく、母さんも心配性だな」

「良い事じゃないか」

 

 ◆

 

 ハリーとドラコはマーキュリーとドビーに給仕してもらいながら優雅に汽車の旅を楽しんでいた。

 

「あら、ハリーにドラコじゃない!」

 

 前にロンから貰ったチェスで遊んでいると、ハーマイオニーが顔を出した。

 

「ハーマイオニー! 今年は負けないぞ!」

「ふふん! 今回も泣かせてあげるわ!」

 

 二人共、実に楽しそうだとドラコは思った。

 

「それで、どうしたんだ? 僕達を探していたのかい?」

 

 ハーマイオニーが顔を出した理由をドラコが尋ねた。

 

「ペットが逃げちゃったのよ」

「ペット?」

「うん。猫を飼ったのよ。頭がいい子なんだけど、自由気ままなの」

「なるほど、脱走されたわけか」

「よっぽど怖かったんだろうな。飼い主が」

「失礼ね! クルックシャンクスはわたしを怖がったりしないわよ!」

 

 当然のようにハリーの隣に座るハーマイオニー。ハリーもそれが自然な事のように気にしなかった。

 ドラコはなんだか居心地が悪くなった。

 

「僕、ちょっと散歩に行ってくるよ」

 

 そう言って廊下に出ようとした時だった。開いた扉の隙間から何かが飛び込んできた。

 

「クルックシャンクス!」

 

 どうやら、それがハーマイオニーのペットらしい。

 まるで壁に激突してしまったかのようなブサイクな猫だった。

 

「クルックシャンクス、どうしたの?」

 

 クルックシャンクスはハーマイオニーの膝の上に乗ると、毛を逆立てた。

 その直後だった。

 室内の気温が急激に下がったのだ。

 

「な、なんだ!?」

 

 ドラコは扉から飛び退いた。

 

「どうした?」

 

 ハリーが問いかけると、汽車が急に停止した。

 

「キャァッ!」

「ハーマイオニー!」

 

 前のめりに倒れそうになったハーマイオニーをハリーは咄嗟に支えた。

 

「あ、ありがとう」

「別に……。それより、一体……」

 

 まだ、ホグズミード村には到着していない。それなのに、ホグワーツ特急が緊急停止するなど初めての事だった。

 そして、今度は一斉に灯りが消えてしまった。

 暗闇の中、少しでも情報を得ようとドラコは窓に駆け寄った。

 

「何かが入ってくる……?」

 

 ドラコは窓から外を見ながら呟いた。

 すると、ガラッという音と共に扉が開いた。

 

「ご、ごめんね。何がどうなってるのか分かる? アイタッ! ご、ごめん」

「その声、ネビル?」

 

 ハーマイオニーは暗闇の中、声の主を推理した。

 

「え? あっ、ハーマイオニー?」

「おい、誰だ?」

「そ、そ、その声はハリー!?」

 

 ネビルは素っ頓狂な声を上げると床に倒れ込んだ。

 

「どうしたんだ!?」

 

 ドラコは《ルーモス》を唱えた。すると、ネビルは目を回していた。

 

「……こいつか」

 

 ハリーはやれやれと肩を竦めた。

 

「とりあえず、椅子に寝かせてあげましょう」

「仕方ないな」

 

 ハーマイオニーは浮遊呪文でネビルを持ち上げると、器用に椅子に寝かせた。

 すると、また扉が開かれた。

 

「灯りが見えたんだけど、誰かいるの?」

「ジニーか?」

「ハリー!?」

 

 入ってきたのはロンの妹のジニーだった。

 

「おいおい、これ以上は定員オーバーだぞ」

 

 ドラコが愚痴ると、ジニーは悲鳴をあげた。

 

「お、おい、別に怒ったわけじゃ……」

 

 ジニーの悲鳴の理由を誤解したドラコが弁解しようとした時だった。

 ドラコの杖の光に照らされた扉に細長い手が添えられていた。

 慌ててジニーを引き寄せ、ドラコは光を扉の方向に集中させた。

 そこに居たのは、マントを着た、天井まで届きそうな程の大きな黒い影だった。

 顔はすっぽりと頭巾に覆われている為に分からない。顕となっている手は灰白色に冷たく輝き、穢らわしい瘡蓋に覆われている。

 

「ディ、吸魂鬼(ディメンター)!?」

 

 吸魂鬼は長く息を吸い込むように、別の何かを吸い込み始めた。

 怖気と共に全身を冷気が襲う。

 

「あっ……が、これ、は……、やめ……、あっ……ぁぁ」

 

 最初、ドラコはそれが誰の声なのか分からなかった。

 

「ハリー!?」

 

 気づいたのはハーマイオニーだった。彼女は自分を支えていた手から力が失われていく事に気づいた。

 

「ハリー! しっかりして、ハリー!!」

「ハーマイオニー!! 逃げろ!! 吸魂鬼が……、まさか!? やめろ、貴様!!」

 

 ドラコは武装解除の呪文を唱えた。咄嗟に思いついた攻撃方法がそれだったのだ。

 けれど、吸魂鬼には効かなかった。まるで、霧を攻撃したかのようだ。

 

「なっ!?」

 

 そして、吸魂鬼はゆっくりとその醜い顔を顕にした。

 

「ふざけるなよ、貴様!!」

 

 ドラコはむちゃくちゃに魔法を唱えた。

 

「逃げろ!! 逃げるんだ!! クソッ!! こっちを向け!!」

 

 ドラコが必死に叫ぶ。けれど、吸魂鬼は意に介さなかった。

 そして――――、

 

「違うわ、ドラコ。こいつらにはこうするのよ」

 

 ハーマイオニーは怒りに燃えた眼差しをディメンターに向けた。

 

「エクスペクト・パトローナム!!」

 

 その瞬間、暗闇が白一色に染まった。



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第三十五話『開幕、新学期』

 白い閃光がホグワーツ特急を駆け抜けた。

 

「なにこれ!?」

 

 ジニーが悲鳴を上げる。

 

「守護霊の呪文!? 使えたのか、ハーマイオニー!」

 

 ドラコは驚愕していた。守護霊の呪文は悪霊の火の対となっている高難易度の防衛呪文だ。それが使える魔法使いは一流と呼ばれる程の魔法である。

 彼とハリーも覚えようと躍起になっていた時期がある。

 悪霊の火を使いこなせるのなら、対の守護霊の呪文も使いこなせる筈だとハリーは息巻いていた。

 けれど、教本通りに杖を振って呪文を唱えても守護霊は現れなかった。

 

「……ハリーから、守護霊の呪文が悪霊の火の対になっていると聞いてからずっと訓練して来たの。その内、目の前で使って驚かせようと思ってたのに……!」

 

 怒りに満ちたハーマイオニーの声と共に彼女の守護霊がすべての吸魂鬼を退散させた。

 戻ってきた守護霊の姿はカワウソだった。

 

「……さすがだと言っておくよ、ハーマイオニー」

 

 ドラコは悔しかった。

 親友の危機に対して何も出来なかった事が、

 どんなに頑張っても会得出来なかった魔法をハーマイオニーが会得していた事が、

 そして、親友が助かった事よりもそんな事を気にしている自分があまりにも情けなくて、かっこ悪いと思った。

 

「ドラコ……」

 

 ハーマイオニーはドラコの気持ちに気づいていた。

 彼との付き合いは二年に及ぶ。悔しい時、彼はギュッと目を細める事を知っていた。

 けれど、何も言わなかった。ハリー同様に、彼もプライドの塊であり、今の自分が何を言っても素直に聞き入れてくれないだろうと察したからだ。その事も彼女は熟知していた。

 

「あっ、灯りが!」

 

 ジニーが叫ぶ。汽車に灯りが戻ったのだ。

 動き始めた汽車の中でハーマイオニーはハリーを椅子に寝かせた。

 青褪めた表情でキュッと唇を噛みしめる彼女をジニーはジッと見つめた。

 

「……ハリーは大丈夫なのか?」

「たぶん……。吸魂鬼は幸福とか、希望の感情を吸い取ってしまうの。それらを食べられてしまうと、普段は心の底に仕舞い込まれているような不幸や絶望の感情が浮上して来てしまう。普段は表に出さないけど、やっぱりハリーは……」

「寂しがり屋なんだよな、ハリーは……」

 

 ドラコとハーマイオニーはやれやれと肩を竦めた。

 

「わたし、車内販売でチョコレートを買ってくるわ。マシになるって、本に書いてあったから」

「いや、僕が買ってくるよ。君はハリーの傍にいてくれ。多分、その方が喜ぶ」

「ド、ドラコ!?」

 

 顔を真っ赤に染め上げるハーマイオニーにドラコは苦笑した。

 

「あれ? ジニーはどこに行ったんだ?」

 

 さっきまでコンパートメントの中にいたジニーの姿がいつの間にか無くなっていた。

 首を傾げながら、ドラコは車内販売のおばさんを探しに向かった。

 

 第三十五話『開幕、新学期』

 

 汽車がホグズミード駅に到着すると、ドラコはハリーに気付け呪文を掛けた。

 

「なんだ!?」

 

 飛び上がって起きるハリー。

 

「おはよう。そろそろ到着だから着替えた方がいいよ」

「はぁ!? 到着!? ボクはいつの間に寝ていたんだ!?」

 

 ハリーの記憶が混濁している事にドラコは胸をなでおろした。

 吸魂鬼に襲われて気を失った事を彼が思い出せば、間違いなく荒れる。

 おまけにハーマイオニーに助けられた事を知ったらどんな顔をするか、容易に想像がついた。

 

「気にするなよ。それより、さっさと着替えよう」

「お、おう」

「あと、これ」

「ん? チョコ?」

 

 ドラコはハリーに板チョコを渡した。

 

「買い過ぎて食べきれなかったんだ。食べといてくれよ」

「はぁ? 食べ切れる分だけ買えよな。もったいないだろ」

 

 ぶつぶつ言いながらも、ハリーはチョコレートを齧った。

 

「美味いな!」

 

 じんわりと体中に不思議なぬくもりが広がった。

 

「それはなにより」

 

 ◆

 

 去年と同じく、ハリーとドラコはセストラルが引く馬車に乗った。ロンやハーマイオニー、それにエドワードとダンも一緒だ。

 ハリーはローゼリンデを探したけれど、見つける事が出来なかった。マーキュリーに連れて来てもらおうかとも思ったけれど、ホグワーツにつけば会えるだろうと思い直した。

 馬車に揺られている間、ロンは延々とエジプト旅行の話をし続けた。すべて手紙に書いてある通りで、ハリー達は聞き流した。

 

「見えてきたわ!」

 

 ハーマイオニーが馬車の外を指さした。

 ハリーとドラコ以外は歓声を上げた。二人にとっては家から目を凝らせば見えてしまうのでありがたみが薄かった。

 

「結局、ホグワーツ特急でもドラコとばっかり話してたし、意味なかったな」

「お、おう。そうだな!」

 

 どうやら、ハリーの記憶はハーマイオニーが訪ねてくる前のところで消えているらしい。

 ドラコとハーマイオニーは頷きあった。

 

「ああ、ディナーが楽しみね!」

「そうだな!」

 

 二人はとにかく誤魔化し通す事に決めた。

 

「なんだ? そんなに腹が空いてたのか?」

 

 ハリーはキョトンとした。

 

 ◆

 

「ハリー・ポッター様!」

 

 大広間に到着すると、ローゼリンデと無事合流する事が出来た。どうやら、彼女はコリンやジニーと一緒に居たらしい。

 

「あれ? そう言えば、ジニーと汽車で会ったような……?」

「き、気の所為さ! それより、ロゼ! はやく座るんだ! そろそろ一年生が入ってくるぞ! 君も先輩になるんだからな! しっかりするんだぞ!」

「は、はい! ドラコ・マルフォイ様!」

 

 ドラコは生きた心地がしなかった。この状況でハリーが暴れだしたら、さすがに不味い。

 

 席につくと、教員の席には見知らぬ男が二人も増えていた。

 スラグホーンとマクゴナガルの後任なのだろう。

 マクゴナガルの席に他の人間が座っている事にハリーは複雑な感情を抱いた。

 

「……ハリー、一年生が入ってくるよ!」

 

 ハリーが消沈している事を察したエドワードが必要以上に明るい声で言った。

 彼の言う通り、大広間の扉が開かれて、ぞろぞろと一年生が入って来た。引率しているのはスネイプだった。

 

「スネイプ先生が副校長に就任したらしいぜ」

「マジかよ!?」

 

 スネイプに連れてこられた一年生達は若干表情が強張っていた。

 マクゴナガルも厳格な雰囲気を漂わせていたが、スネイプは彼女以上だ。

 

「そう言えば、スネイプ先生はどうなるのかな? 闇の魔術に対する防衛術を継続するのか、それとも、魔法薬学に戻るのか……」

「意外と変身術の先生になったりしてな」

「それだとスネイプ先生大変過ぎないか?」

「でも、ちょっと興味あるよな。どんな授業するんだろ」

 

 スリザリンのテーブルでは誰もがスネイプがどの授業を担当する事になるのか興味津々だった。

 

「おっ、組分けが始まるぜ!」

 

 ダンが叫ぶと全員が鎮まった。

 スネイプの担当授業と同じくらい、新入生の組分けにも興味津々だった。

 

「ロバート・アッカーソン!」

 

 スネイプが新入生の名前を高らかに叫ぶ。一年生達はその度に飛び上がっていた。

 

「あの役割はフリットウィック辺りに頼んだ方がいいんじゃね?」

「一年生達、めっちゃビビってるぜ」

「ま、まあ、マクゴナガルの時もそれなりに怯えられてたし……」

 

 散々な言われようだ。

 

「アステリア・グリーングラス!」

 

 上品な顔立ちの少女が組分け帽子を被っている。

 

「あっ、ダフネの妹じゃない!」

「うん。今年からホグワーツなの」

 

 どうやら、彼女はダフネの妹らしい。ダフネ・グリーングラスはハリーやドラコの同級生だった。

 

「スリザリン!」

 

 無事、彼女は姉と同じ寮に配属された。嬉しそうに姉の下へ駆け寄っていく。

 それからも組分けは続いていく。

 

「ロルフ・スキャマンダー!」

「スキャマンダー!?」

 

 ハリーは思わず立ち上がりそうになった。

 

「そう言えば、孫がいるって聞いたけど、今年の一年生だったのか……」

 

 ハリーはそわそわしながらロルフの組分けを見つめた。

 

「レイブンクロー!」

「ファック!」

 

 ハリーは悔しそうに頭を抱えた。スリザリンに来て欲しかったのだ。

 

「ハ、ハリー。落ち着け」

 

 周囲の生徒は一斉に警戒した。

 組分け帽子を心の中で罵倒する者も少なくなかった。

 

「ええい! 後で挨拶をして来る! やはり、魔法生物に興味があるのかな? エグレを見せたら喜ぶだろうか? まずはゴスペルを紹介しよう……」

「は、ハリー……」

 

 ドラコはちょっと引いた。

 

「……ハリー・ポッター様」

 

 ローゼリンデはハリーの服の袖を掴んだ。

 ハリーが他の後輩に関心を寄せるのが面白くなかったのだ。

 

「ん? ああ、そうだ! ロゼも一緒に挨拶に行くぞ! 彼はニュートのお孫さんなのだ! 失礼のないようにな!」

「へ? あ、はい……」

 

 ロゼは俯きながらレイブンクローの席で上級生と握手を交わしているロルフを怖い顔で睨みつけた。

 それをうっかり見てしまったエドワードはビクッとした。

 

 ◆

 

 食事が終わると、ダンブルドアが前に出て、新しい教師の紹介を行った。

 

「皆の者、満腹になった事じゃろう。ベッドにはやく潜り込みたいところじゃろうが、少しだけこの老いぼれの話に付き合ってもらいたい」

 

 そう言うと、ダンブルドアは毎年恒例の諸注意を語った後にヨレヨレのローブを着た男を指し示した。

 

「まずはリーマス・ルーピン先生じゃ! 今年から、闇の魔術に対する防衛術を教えてくれる事になった」

 

 ルーピンは照れた様子で片手を上げた。その隣でスネイプは渋い表情を浮かべている。

 

「うわぁ、やっぱり取られたな、スネイプ先生」

「凄い顔だな」

「よっぽど取られたくなかったんだろうな」

「授業、楽しそうだったもんね」

「教科書に載ってない事まで教えてきたもんなー」

「わざわざ自腹で教材買ってきたりね」

「えっ、そんな事までしてたの!?」

「可哀想……」

「折角、生き残ったのに……」

「まあ、ルーピンが居なくなれば復帰出来るだろ」

「ルーピンはどのくらい保つかな?」

「一年は保つんじゃない?」

「でも、今年は吸魂鬼が蔓延ってるし、シリウス・ブラックも彷徨いてんだぜ? これ、もう死ぬんじゃね?」

「ブラックなんて、ハリーが返り討ちにするでしょ」

「ああ、勝てる光景が全然浮かばないな」

「でも、その余波で死ぬ可能性があるんじゃない?」

「その場合って、俺達も危なくね?」

「その為に盾の呪文を必死になって覚えたんじゃないか! 一年生にもまずは盾の呪文を教えないとな!」

 

 ハリーとルーピンも散々な言われようだった。

 

「き、貴様ら……、ボクをなんだと……」

 

 ハリーはさすがに言い過ぎだと思った。

 

「いや、これに関しては自業自得だろ」

 

 ダンがピシャリと言った。

 

「まあ、去年の事があるしね。ここは我慢我慢。ほら、カボチャジュースでも飲んでリラックスしなよ」

 

 エドワードは苦笑しながらカボチャジュースをハリーに渡した。

 ハリーはムッとしながらカボチャジュースを飲んだ。

 

「大丈夫です! ハリー・ポッター様ならシリウス・ブラックなどイチコロです!」

「……よし、決めた!」

「え?」

 

 ハリーは立ち上がった。

 次の先生を紹介しようとしていたダンブルドアは固まった。

 他の生徒と教師も固まった。

 

「は、ハリー……?」

 

 ドラコを含めて、周りのスリザリンの生徒達も非常に嫌な予感がした。

 ローゼリンデだけは瞳をキラキラさせていた。

 

「マーキュリー、ウォッチャー、フィリウス!」

 

 バチンという音が立て続けに響き、ハリーの目の前に三人の屋敷しもべ妖精が現れた。

 

「ハッ!」

「参上致しました!」

「ハリー・ポッター様!」

 

 ドラコは両手で顔を覆った。

 

「君達なら、ブラックを見つけられるかい?」

「必ずや!」

「速やかに!」

「捕らえてまいります!」

「グレイト! だが、捕らえなくていい。危ないからな。見つけるだけでいい。見つけたらボクを連れて行け! ブラックはボクが直々に出向いてぶっ倒す!」

「ハッ!」

「かしこまりました!」

「行って参ります!」

 

 バチンという音と共に三人は姿くらました。

 

「は、ハリー……」

「君ってヤツは……」

「おいおい、魔法省が吸魂鬼を配備した意味が……」

「オレ、これから何が起こるか想像ついちまったよ」

「さらば……、シリウス・ブラック」

「いやいやいやいや!! 魔法省が総力を上げて探しても見つからないんだぜ!? 屋敷しもべ妖精なんかに見つかるわけが……」

 

 誰かが叫んだ瞬間、バチンと音がした。フィリウスが戻ってきたのだ。

 

「発見しました!」

「ウソだろ!?」

「ええっ!?」

「待て待て待て待て!! 魔法省の総力が屋敷しもべ妖精に負けた!?」

「ってか、早過ぎるだろ!?」

「一分も経ってないぞ!?」

 

 周囲が騒ぐと、フィリウスは言い難そうに呟いた。

 

「い、いえ、あの……、すぐ近くにおりましたもので……」

「近く? この近くか?」

「は、はい……」

 

 ハリーが問いかけると、フィリウスは言った。

 

「あの……、シリウス・ブラックを探知する為に魔法を使ったところ、本当に目と鼻の先におりました」

「いや、君達ならやってくれると思っていたぞ! さすがだ! 素晴らしい! 卓越している! よし、ダンブルドア! ボクはちょっとシリウス・ブラックをぶっ倒してくるぜ!」

 

 誰が止める間もなくハリーはフィリウスと共に姿くらましてしまった。

 

「……吸魂鬼って、何の為に配備されたんだ?」

「分からん」

 

 誰も、シリウス・ブラックが明日の朝日を拝めるとは思っていなかった。

 犯罪者である彼に対して黙祷を捧げる者もいた。

 そして、十分後の事だった。

 バチンという音と共にハリーがウォッチャーと共に戻ってきた。

 

「ロン!」

「へっ!?」

 

 ハリーは何故かロンの下へ勢いよく駆けていった。そして、彼の近くでチーズを齧っていた太っちょなネズミを掴んだ。

 

「ハリー!? スキャバーズに何をするの!?」

「っていうか、ブラックはどうしたんだ!? まさか、十分も保たなかったのか!?」

「ハリー……、ローブに汚れ一つついてない……」

「し、死んじまったのか……?」

「可哀想に……。ホグワーツの傍に近寄るから……」

「ルーピン先生……、生き残った!」

 

 好き放題な事を言う外野を無視して、ハリーはあろう事か、スキャバーズを放り投げた。

 

「スキャバーズ!?」

 

 ロンが慌ててキャッチしようとしたけれど、その前にハリーが杖を振った。

 

「フィニート・インカンターテム!」

 

 すると、スキャバーズの体が一気に肥大化を始めた。

 そして、ロンが全身でキャッチした時には小太りで頭の禿げ上がったおじさんに変わっていた。

 

「……へ?」

「は?」

「え?」

「ほえ!?」

「ええっ!?」

「何事!?」

 

 誰もが目を丸くして、ロンがお姫様抱っこしているおじさんを見た。

 

「す、スキャバーズ……?」

 

 ロンが声を掛けると、おじさんはぎこちなく微笑んだ。

 

「……ど、どうも」

 

 そのおじさんをハリーは思いっきり蹴り上げた。ロンの腕を掴んでフレッドとジョージの下へ投げ飛ばし、容赦なくおじさんの腕を踏み砕いた。

 

「ピーター・ペティグリューだな? 一応、確かめてやるぜ。ブラックのようにな! レジリメンス!」

 

 ハリーが呪文を唱えると、ピーターは悲鳴を上げながらもがいた。

 そして、一分の後、ハリーは呪文を終了させた。

 

「は、ハリー。今のは開心術か?」

 

 傍に居たパーシーが問いかけた。

 

「ああ、呪文だけは知っていたからな。ブラックをボコボコにした後に折角だから試してみた。どうやら、アッチは無実らしい。こっちが真犯人だ。確かめたから間違いないぜ。さあ、ピーター・ペティグリュー。覚悟はいいか? ボクは三年目を気分良くスタートしたいんだ。だから、貴様は」

 

 怯えきったピーターを見下ろしながら、ハリー・ポッターは邪悪に嗤う。

 

「この場でボクが!」

「そこまでだ! ハリー・ポッター! そこから先は我々の仕事だ!」

「……あ?」

 

 いきなり、大広間に謎の集団が雪崩込んできた。

 

「誰だ?」

「私の名はルーファス・スクリムジョール。闇祓い局の局長だ。君の手柄を奪うようですまないが、その男には聞かねばならない事がある。渡してもらえないかね?」

「……えっと」

 

 ハリーはスクリムジョールの顔をマジマジと見た。確かに、彼の顔は本に掲載されていた写真で見た事があった。

 けれど、どうして彼がここに居るのかサッパリだった。

 

「ほ、本物か?」

「ああ、本物だ。実は吸魂鬼と共に我らもホグワーツの防衛の任務に就くはずだったのだ。君のおかげで紹介前に任務が終わってしまったがね」

 

 ハリーはダンブルドアを見た。

 ダンブルドアは咳払いをすると「彼らは本物の闇祓いじゃよ、ハリー」と言った。

 

「そ、そっか……。じゃあ、はい……」

 

 ハリーはピーターをスクリムジョールに譲り渡した。

 

「ありがとう。無茶をした事は咎めねばならないが、それは先生方に任せるとしよう」

「ど、どうも」

 

 スクリムジョールはピーターをロープで雁字搦めにした後、その腕と足の骨を抜き取った。

 

「これで動けまい」

「わーお」

 

 ハリーは容赦のないスクリムジョールの手際に感心した。

 

「アンタ、すげークールだな」

「お褒めの言葉をありがとう、ハリー・ポッター。ついでにシリウス・ブラックの居所を教えてくれるかね?」

「ホグズミードの外れにある小屋だよ。まだ、寝てると思う。一応、エピスキーを掛けたけど、早いとこマダム・ポンフリーに診せたほうがいいぜ。先手必勝でボコボコにしたから……」

「闇の魔法使いとの戦いなのだから、それが正解だ。気に病む必要は一切無い」

「いや、なんか無実っぽくて……」

「それでもだ。慈悲の心は相手を動けなくした後から働かせればいいのだよ。動いている間は敵なのだからな」

「マジでクールだぜ」

「君こそ、直接会えて良かったよ。どうやら、君には優秀な闇祓いの素質があるようだ。卒業後にその気があれば席を用意しておくよ?」

「悪いけど、働くなら魔法生物関係だって決めてるんだ」

「そうなのかね? それは残念だが、君の将来の夢を応援するよ。では、我々は引き上げるとしよう」

 

 そう言うと、スクリムジョールはピーターを魔法で浮かせた。

 

「きょ、局長!?」

 

 呆けた顔をしていたスクリムジョールの側近が再起動した。

 

「ガウェイン。我々の仕事は終わった。帰るぞ」

「ええっ!? 終わった!? いや、あの、まだ何もしてないっていうか……、ええっ!?」

「やる事はある。シリウス・ブラックも回収せねばならん。それに、ファッジに報告して、吸魂鬼も引き上げさせねばな。帰ってからが忙しいぞ」

「は、はぁ……」

「そういうわけだ、ダンブルドア! 我々は引き上げる!」

 

 スクリムジョールはそう言うと去って行った。

 取り残された者達は十分程度放心し続けた。

 

「よし! これで晴れ晴れとした気分で新学期を迎えられるぜ!」

 

 ハリーは悠々と自分の席に戻った。

 

「さすがです! ハリー・ポッター様!」

 

 ローゼリンデが称賛すると、ようやく他の者達も我に返った。

 新入生達は大騒ぎだけれど、在校生達はあまり騒がなかった。

 

「……ああ、ホグワーツに帰ってきたんだな」

「これがホグワーツだよな」

「すげーよ、ポッター」

「っていうか、スキャバーズ!? えっ!? どういう事なの!?」

「お、落ち着け、ロン!」

「お前のネズミはおっさんだった。それだけの事じゃないか!」

「いや、待て! アレは元々は僕のネズミだったんだぞ!? おっさん!? スキャバーズがおっさん!?」

 

 こうして、ホグワーツの三年目は賑やかにスタートしたのだった。



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第三十六話『変身術の先生』

 怒涛の幕開けとなった新学期。ハリー達は最初の授業である変身術の教室に向かっていた。

 去年まではマクゴナガルが教えていた授業を、今日からは新任の教師が教える事になっている。

 

「新しい教師。名前は何だっけ?」

「えっと……、何だっけ?」

「何だっけなー」

「何だっけ?」

 

 新任の教師の名前を誰も思い出せなかった。

 それも仕方のない事だ。ダンブルドアが紹介する前に昨日の大騒動が起きてしまった為に、誰も彼の紹介を真面目に聞いていなかったのだ。

 

「ってか、どんな顔だっけ?」

「ルーピン先生の顔は覚えてるんだけどな」

「印象薄過ぎー」

 

 名前はおろか、顔すら思い出せない者が殆どだった。

 

「どんな授業するんだろうね」

 

 ドラコの言葉に「さあな」とハリーは肩を竦めた。

 

 第三十六話『変身術の先生』

 

 教室に入ると、テーブルの代わりに絵を描くためのキャンバスが並べられていた。

 

「お絵かきでもするのかしら?」

 

 フレデリカ・ヴァレンタインはワクワクした表情を浮かべながらキャンバスの前に座った。

 彼女は絵を描くことが趣味で、スリザリンの談話室には彼女の絵画が数枚飾られている。

 驚くべき事に、彼女の絵画はホグワーツに飾られている他の絵画同様に額縁の中で生きている。

 ウサギは跳び回り、魔女は箒で落ち葉を集め、イルカが海の中を優雅に泳ぐ。

 

「自慢じゃないが、オレも絵が得意なんだぜ?」

 

 ダン・スタークが自信満々に言ったけれど、誰も信じなかった。

 脳筋な彼に芸術的なセンスがあるとは思えなかったからだ。

 

「っていうか、本当に絵を描くのかな? だって、変身術の授業だよ?」

 

 エドワード・ヴェニングスがもっともな疑問を口にした。

 

「たしかに……。でも、絵を描く以外にキャンバスを用意する理由って?」

 

 ドラコが首を傾げた。

 

「さっぱりだわ」

 

 パンジー・パーキンソンが言うと、ダフネ・グリーングラスもうんうんと頷いた。

 

「とりあえず、座っとこうぜ」

 

 ハリーにとってもチンプンカンプンだったけれど、もうすぐ授業が始まる。

 答えはその時に分かるだろう。

 他の生徒達もキャンバスの前に座った。

 

 しばらくして、教室の扉が開いた。

 入ってきたのは背の高い黒髪の男だった。

 

「やあ、こんにちは」

 

 第一印象は普通だった。ただ、穏やかそうな人だと誰もが感じた。

 

「改めて、名乗らせて頂こう。わたしの名前はニコラス。ニコラス・ミラーという。どうぞ、よろしく」

 

 ニコラスは杖を軽く振るった。すると、生徒達の目の前に筆が現れた。

 

「魔法の筆だ。イメージした通りの色のインクが筆先に現れる。それを使って、絵を書いてくれ。それが最初の授業だ」

「……えっと、先生。質問してもいいですか?」

 

 エドワードが手を上げながら言った。

 

「もちろんだ、ミスタ・ヴェニングス」

「えっ……、僕の事を知ってるんですか?」

「いいや、初対面だ。だけど、名簿は貰っているからね。それに、他の先生達から君達の事を少しだけ聞いているからね。そんな事より、質問は何かな?」

「あっ、えっと……、変身術の授業なのに、どうして絵を描くんですか?」

「いい質問だ。絵を描く事で感性を磨き、イメージ力を高めるのさ」

 

 ニコラスはポケットからクヌート銅貨を取り出すと、指で弾いた。キンという音と共に飛んでいく銅貨に杖を向ける。すると、銅貨は薔薇に変わり、ダフネの手元に落ちてきた。

 誰もが目を丸くしている。変身術は高度な魔法であり、高い集中力が必要となる。弾いたコインを落下する前に変身させる事は非常に困難なのだ。

 

「今年一年で、とりあえずこの程度の事は出来るようになってもらうよ」

 

 当然の事のようにニコラスは言った。

 誰もが無理だと思った。

 ニコラスが卓越した変身術の使い手である事は理解出来たけれど、彼のような芸当が自分にも出来ると思える程の自信家はいなかった。

 ハリーですら、そこまで辿り着く為には数年の修練が必要だと思った。

 

「よく、変身術は才能がすべてだと言われている。けれど、それは大きな間違いだ。たしかに、向き不向きはあるかもしれない。だけど、そんなものは些細な事なんだ。重要じゃないんだよ。変身術が苦手な人間は変身術に対する認識に誤りがあるだけなんだ。そこを正してあげれば誰でも自在に変身させられる。そして、誤りを正す事こそが教師の役目なんだ」

 

 そう言うと、ニコラスはポケットからナイフを取り出した。

 

「変身術において、最も重要なものは呪文でも、杖の振り方でも、魔法力でもない。イメージなのさ。失敗するのはイメージに綻びがあるからなんだ。例えば、このナイフだ。形は見ての通りだ。よっぽど目が悪くない限り、この形を頭の中で再現する事は難しくないだろう? だけど、形だけではダメなんだ。形の次は材質に注目しなければならない。刃の所は金属で、柄の部分は木製だ。材質が分かったら、今度は構造を知る。金属の刃と木製の柄はどうやって接続されているのか確りと確かめるんだ」

 

 ニコラスはナイフを分解して、接続部を生徒達に見せた。

 

「そこから更にイメージを補強していくと完成度は高まっていく。だが、ここまででも十分にナイフのイメージが脳裏に定着した筈さ」

 

 そう言うと、彼は杖を振るった。

 生徒達の前に丸い木の玉が現れた。

 

「ナイフに変身させてごらん。呪文はフェラベルトだ」

 

 言われるままに生徒達は木の玉に呪文を掛けた。

 すると、一人残らず成功した。木の玉は出来栄えに差こそあるものの、見事なナイフになっている。

 

「うそ……、一発で出来た……」

 

 変身術が苦手だったダフネは手元のナイフをジッと見つめている。

 

「どうだい? 簡単だろう。難しい理論より、優先するべき事はイメージ力だ。元の物体の材質などはどうでもいい。変身させたいモノを徹底的にイメージするんだ」

 

 誰もがニコラスの言葉に意識を集中させていた。

 

「そして、もうひとつ。これは他の魔法に対しても言える事だ。呪文学から箒の飛行に至るまで、魔法に最も必要なものがある。エドワード。君はなんだと思う?」

 

 いきなり指名されたエドワードは困ったように眉を顰めた。

 

「えっと……、魔法力……じゃないんですよね」

「ああ、違うとも」

「杖の振り方……」

「それよりももっと重要なものがあるのさ」

 

 エドワードは降参した。

 

「すみません。僕には分かりません」

「それだよ、エドワード」

「え?」

「君は実技の成績があまり良くないね? その理由がそれだ。間違っているかもしれないと考えた時、途端に自信を失ってしまう。分からない事に直面した時、諦めてしまう。それこそが魔法を扱う上で最もやってはいけない事なんだよ」

 

 ニコラスは杖を振るった。

 

「魔法は何でもありだ。それこそ、不可能な事など何もない。だけど、人間の理解力が魔法の可能性に蓋をしてしまっている」

 

 ニコラスの杖から炎が吹き出し、水が吹き出し、星が吹き出す。

 

「必要なものは、やはりイメージだ。ただし、それは変身させるモノじゃない。自分自身の成功をイメージするんだ。思い込むんだよ! 魔法を使う時、それが出来ると確信するんだ! 一分の隙もない、絶対的な自信を持つんだ! それこそが魔法の可能性を引き出すんだ! こうだと思ったのなら、否定されるまで正解だと信じるんだ。分からなくても、分かっていると確信するんだ。自分を信じるんだ。疑ってはいけない。恐れてもいけない。不安を抱いてもいけない。ただ、闇雲に自分を信じ抜くんだ。それだけで、君達は魔法使いとして大きく成長する事になる」

「……ほ、本当にそれだけで魔法が上手くなるんですか?」

 

 パンジーが恐る恐る尋ねると、ニコラスは「もちろんだ!」と力強く応えた。

 

「もちろん、いきなり自信を持てと言われて実行出来る者は少ないだろう。だから、まずは成功体験を作るとしよう。この授業は変身術だからね。変身術で大いに躍進してもらう事にする。それが自信につながる筈さ」

 

 ニコラスは近くの生徒から順番に声を掛け始めた。

 

「ミスタ・ノット。君、チェスは得意かい?」

「ええ、まあ……」

「ミス・フォード。君の好きな花は?」

「えっと、百合です」

「ミスタ・ザビニ。君の好きなスポーツは?」

「クィディッチに決まってる!」

「ミス・ヴァレンタイン。君はペットを飼ってるかい?」

「は、はい! ウサギフクロウのナインチェです!」

「ミスタ・ポッター。君は蛇が好きかい?」

「ええ、とても」

 

 一番後ろの席の生徒まで一通り聞き終わると、ニコラスは杖を振るった。すると、セオドール・ノットの前にはチェスのキングの駒が、アナスタシア・フォードの前には百合が、ブレーズ・ザビニの前にはクアッフル*1が、フレデリカ・ヴァレンタインの前にはウサギフクロウが、そして、ハリー・ポッターの前には一匹の蛇がそれぞれ現れた。他の生徒達の前にも彼らが答えたものが現れている。

 

「さあ、今日の授業はスケッチだ! それぞれ、しっかりと対象を観察して、頭の中にその姿を刻み込みながらキャンバスに絵を描いてくれ。絵が苦手だとか思わないで、自分の絵こそが世界最高の絵なのだと思いながら描くんだ!」

 

 ニコラスの言葉には不思議な力があった。

 誰もがやる気に満ち溢れた表情を浮かべながら筆を取っている。

 

「感性を磨くんだ、諸君!」

 

 ◆

 

 スケッチが終わると、ニコラスはキャンバスをスケッチしたものに変身させるように言った。

 すると、実技が苦手なエドワードや変身術が不得意なダフネ、あらゆる成績がどん底のクラッブ、ゴイルまでもが完璧に変身させる事に成功した。

 授業が終わると、生徒達は興奮した様子で教室を出て行く。

 ハリーは少し面白くなかった。ニコラスの授業の質が非常に高かった事は業腹ながらも認めていたけれど、マクゴナガルの授業よりも上だとは思いたくなかったし、誰にも思われたくなかった。

 

「……フン」

 

 ハリーはニコラスをこっそり睨みつけた。

 やはり、見た目は冴えない男だ。取るに足らない存在だと全身でアピールしているような男だ。

 ハリーはニコラスから視線を外すと、次の魔法生物学の授業に向かって行った。新学期に入って、最も楽しみにしていた授業だ。

 

「ニュートやハグリッドも授業を手伝っていると聞いたからな。楽しみだ」

*1クィディッチで使う競技用のボール



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第三十七話『新しい授業』

 魔法生物学の教師、シルバヌス・ケトルバーンはため息を零した。

 本当なら、去年で教師を引退する予定だった。片腕と片足を無くして久しく、残る手足を失う前に隠居してしまおうと考えていたのだ。

 それなのに、マクゴナガルに先を越されてしまった。彼女が抜けた穴は大きく、特にグリフィンドールの寮監を誰にするかで揉めに揉めた。

 誰もやりたがらなかったのだ。最終的には押し付け合いになり、ケトルバーンが就任する事になった。

 

「ったく、わしはハッフルパフだったのに、なんでグリフィンドールの寮監なんぞ……」

 

 ケトルバーンとしては、ハグリッドを魔法生物学の後継者に据えて、そのままグリフィンドールの寮監にしてしまえばいいと考えていた。彼は中退したとはいえ、在学時はグリフィンドールだったのだ。ダンブルドアも乗り気だった。

 それなのに、自分でやるのは嫌がる癖に、ハグリッドにやらせるのも反対する面倒な連中のせいで却下されてしまった。

 偉大なる魔法生物学者のニュート・スキャマンダーがサポートに就くのだから、寮の事でも彼に相談させれば上手くやっていけると反論しても暖簾に腕押しだった。

 

「ええい! あのわからず屋共め! 今に見ておれ!」

 

 今年一年は諦めよう。けれど、来年こそはハグリッドを教師にして、ついでにグリフィンドールの寮監にしてみせる。

 ケトルバーンは静かに闘志を燃やした。

 

「ケトルバーン先生! 準備が出来ました!」

 

 ハグリッドが魔法生物学の授業の準備室に入って来た。相変わらず、大きな体だ。部屋が小さくなってしまったかのように感じる。

 来年までに部屋を広げないといけないとケトルバーンは思った。

 

「うむ! では、授業にいくぞ! 今年の三年生はバジリスクを見慣れておるからな! 度肝を抜かせてやろう!」

「へい! フラッフィーなら間違いねぇです!」

「ホーッホッホッホ! 生徒の驚く顔が楽しみじゃわい!」

 

 二人の会話を後ろで聞いていたニュートは頭を抱えそうになった。

 

「くれぐれも安全対策は万全にして下さいよ?」

「もちろんじゃ!」

「抜かりはねぇです! スキャマンダー先生!」

 

 笑顔が眩しい。この笑顔にニュートは弱かった。

 

 第三十七話『新しい授業』

 

 生徒達は絶句した。

 魔法生物学の授業を受ける為にやって来た場所には、3つの頭を持つ巨大犬がいたのだ。

 

「ケ、ケケ、ケ……、ケルベロス!?」

「ウッソだろ!?」

「こ、殺される!?」

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図が広がった。

 ケルベロス。ギリシャに存在が確認されている冥府の番犬。

 その危険度はバジリスクにも引けを取らない。

 そんな化け物が寝息を立てていた。その隣には竪琴が置かれていて、勝手に音楽を奏でている。

 

「シーッ! バカ! 起こすな!」

「あんたもうっさい!」

「だまれ! 頼むから黙ってくれ! 静かに逃げるんだ!」

 

 パニックが起きていた。誰もが我先に逃げ出そうとしている。

 すると、爆竹を鳴らしたような音が鳴り響いた。

 生徒達はギクリと固まり、ギギギと音を立てるような動きで振り向いた。

 

「ホーッホッホッホ! 諸君! 初めての魔法生物学の授業で浮かれるのは分かるが、あんまり騒ぐのは感心せんぞ!」

「おう! フラッフィーに会えて感激しとるのは分かるが、授業は真面目に受けんといかんぞ!」

 

 ケトルバーンとハグリッドの言葉に、生徒達は一斉に表情を歪めた。

 

 ―――― こいつら、何を言ってるんだ?

 

 どこをどう見たら浮かれているように見えるのかサッパリ分からない。

 

「は、ハグリッド。フラッフィーってのは、そいつの事か?」

 

 ハリーが顔を引き攣らせながら問いかけると、ハグリッドは嬉しそうに頷いた。

 

「そうだぞ! 可愛いだろう! パブでギリシャ人から買ったんだ!」

「パブで!? 買った!? そいつを!?」

 

 ツッコミどころが多過ぎて、ハリーは目眩を感じた。

 

「ま、待ってくれ、ハグリッド! ケルベロスって、相当に希少な筈だろ!? しかも、滅茶苦茶危険な生き物なんだろ!? なんで、そのギリシャ人は連れ歩いてたんだ!? っていうか、パブで取引きって……、それ、合法なのか!?」

 

 ドラコが青筋を立てながら問い詰めると、ハグリッドは視線を逸した。明らかに都合の悪い事を聞かれたかのような態度だ。

 

「おいコラ、ハグリッド!! ボクが無罪を証明してやったのに、おもっくそ有罪じゃねーか!!」

「ゆ、有罪じゃねぇ! ケルベロスを取り引きしたらいかんって法律は無いんだぞ!」

 

 ハリーは額に手を当てながらため息を零しているニュートを見た。

 

「ニュート! 本当ですか!?」

「……ああ、本当だよ。ケルベロスは数自体が少ないし、生息地から動かす事がそもそも不可能に近いんだ。彼らは自らの領域を絶対のものと考えている。彼らの領域に足を踏み込んだ者は必ず冥府へ送られる。だから、冥府の番犬などと呼ばれているのさ。……だから、取り引きなんて出来ない筈だし、そんな事を考える人間なんて居るはずもないと思われていたんだ。まさか……、居るとは……」

 

 ニュートは悲壮な表情を浮かべていた。

 ハリーとドラコは顔を引き攣らせたまま何も言えなくなった。

 

「……つまり、ここって」

「ケルベロスの領域なんじゃ……」

「私達……、足を踏み込んじゃってるんだけど……」

「……短い人生だったな」

「去年の遺書……、残しとけば良かった」

「マジでホグワーツってイカれてるぜ」

「ハリーよりヤバイのがいやがった……」

「ははっ、これだよ。これがホグワーツだぜ! 命の危機と隣り合わせ! そのスリルがたまんねぇ!」

「やべー、ジャクソンが壊れた!」

「……っていうか、あの犬……、目をパチパチさせてんだけど……、起きてね?」

 

 一瞬にして広場は静まり返った。竪琴の奏でる旋律さえ、聞こえなくなっていた。

 

「……あれ? ケトルバーン先生? 竪琴の魔法……、切れてませんか!?」

「しもうた! 途中でかけ直すのを忘れておった!」

 

 ペシンと自分のおでこを叩きながらテヘッと舌を出して笑うケトルバーン。

 ニュートは絶句した。ハグリッドはあたふたし始めた。

 

「た、たた、助けて、ハリー!!」

「ヴォルデモートみたいにぶっ殺してくれ!」

「無敵のバジリスクで何とかしてくれよ!?」

「悪霊の火でもなんでもいいから!! お願い!!」

「まだ死にたくないよー!!」

 

 生徒達は一斉にハリーに縋り付いた。そして、そうしている間にも目を覚ましたフラッフィーは雄叫びを上げた。間近にいたケトルバーンは吹っ飛んだ。

 

「ケトルバーン先生!?」

 

 ニュートが目を見開きながら叫ぶ。

 そして、フラッフィーの三対の眼がそれぞれニュート、ハグリッド、そして、生徒達を睨みつけた。

 甘い期待など許されない圧倒的な殺意。ここは既に現世ではなく、冥府魔道であると誰もが悟った。

 

「は、ハリー!!」

「助けてー!!!」

 

 必死の命乞いに、ハリーは「仕方ねーなー!!」と叫びながらフラッフィーの前に飛び出した。

 すると、ハグリッドが慌てた。

 

「は、ハリー! ふ、フラッフィーを殺さんでくれ!!」

 

 そんな妄言を吐いたハグリッドはフラッフィーの振り下ろした前足に潰されてしまった。

 

「ハグリッド!?」 

 

 ハグリッドは潰されながらもハリーにウルウルとした眼差しを向けた。

 

「は、ハリー。フラッフィーを殺さんでくれー……」

「おまっ……、この状況で……、おまっ!! だぁぁぁ、どうすればいいんだよ!?」

「音楽だ!! ケルベロスは音楽を聞くと眠ってしまうんだ! だから、竪琴を再び奏でれば――――」

 

 ニュートが叫んだ瞬間、ケルベロスの左の頭がくしゃみをした。竪琴が吹っ飛んでいく。校舎に激突して、竪琴は壊れてしまった。

 

「おぃぃぃぃ!! 壊れちゃったぞ!?」

 

 ドラコは悲鳴を上げた。

 

「だ、誰でもいいから変身術で楽器を作れ!! それまでは何とかしてやるから!!」

 

 ハリーは叫んだ。

 

「エクスペクト・フィエンド!!!」

 

 ハリーの杖から炎のバジリスクが飛び出す。その威容にフラッフィーは僅かにたじろいだ。

 

「い、今だわ!!」

 

 フレデリカは咄嗟に近くの岩に杖を向けた。

 

「フェラベルト!!」

 

 すると、岩はピアノに変身した。

 

「お、俺達も続くぞ!!」

 

 ダンの掛け声に、生徒達が次々と近くの物を楽器に変身させていく。

 そして、一斉に音を奏で始めた。

 力強い太鼓の音。陽気なトランペットの音。優雅なバイオリンの音。カスタネットのパチパチという音などなど。

 そして、フレデリカのピアノの旋律が融合して、なんとも言えない不協和音が轟いた。

 

「貴様ら真面目にやれ!!!」

 

 フラッフィーを牽制しながらハリーはキレた。彼はハグリッドの懇願を律儀に聞き届け、フラッフィーに怪我をさせないように慎重に悪霊の火を操っている。

 

「わたしがピアノを弾くから、みんなはストップ!! ゴイル!! 太鼓のバチを捨てなさい!! ダンも!! あと、カスタネットって何を考えてるのよ!?」

 

 普段は天使のように優しいフレデリカが怒鳴ると、みんなちょっとだけショボンとなった。

 そして、改めて奏でられたフレデリカのピアノの旋律によって、ケルベロスは眠りについた。

 後日、ケトルバーンとハグリッドは謹慎処分を受け、その間はニュートが教える事になるのだった。

 

 ◆

 

 魔法生物学の授業の後、まるで戦場から帰って来た英雄のような表情を浮かべながら生徒達はそのまま占い学の教室に向かって行った。

 

「生き残ったぜ、俺達……」

「わたし……、遺書を常に持ち歩く事にする……」

「油断出来ねぇぜ、ホグワーツ……」

「ハリーがいなかったら、確実に誰か死んでたよね……」

「さすがは俺達のハリーだぜ!!」

「……貴様のカスタネットをボクは絶対に忘れないからな、ジャクソン!!」

 

 喋りながらたどり着いた占い学の教室は噎せ返るような熱気に包まれていた。まるでサウナのようだと生徒達はゲンナリした。

 ウンザリした気分のまま、喫茶店のような間取りのテーブルの周りに座り込み、授業の開始を待っていると、猫背の老婆が入って来た。

 

「占い学にようこそ」

 

 囁くようなか細い声が響く。

 

「あたくしがシビル・トレローニー教授です。たぶん、あたくしの姿を見るのは初めてでしょうね。俗世にはあまりかかわらないようにしていますの。心眼が曇ってしまいますからね」

 

 トレローニーは不吉な予言を次々に呟いた。

 ダンの父親が元気とは思えないだとか、エドワードが狼に襲われるだとか、ドラコが炎の呪いを乗り越えられるか心配だとか。

 それが彼女なりのユーモアなのだろうと理解したものは、そのあまりのセンスの無さに更にウンザリした。

 

 トレローニーは一番前の席に座っていたフレデリカにティーセットを準備させた。

 彼女はどことなくウキウキした様子だった。

 

「フリッカはこういうの好きなのよ……」

 

 パンジーは呆れたように隣のダフネに囁いた。

 そして、配られたティーカップに先生がそれぞれ紅茶を注いだ。

 

「最後に滓が残るまでお飲みなさい。そして、左手でカップを持ったら三度回しましょう。それからカップを受け皿に伏せるのです。最後の一滴が切れるまで待ってから、御自分のカップをパートナーに渡し、読んでもらうのです」

 

 ハリーは非常に胡散臭く思いながらドラコに自分のカップを渡した。

 

「こんなので何が分かるってんだ?」

 

 ドラコはぶつぶつ文句をいいながら教科書を開いた。

 

「えっと、なになに? これは人っぽいな。向かい合ってる感じか? それで……、これは杯か? こっちは鎌っぽい? えっと、意味は……、君は《最も信頼している者に最も残酷な事をする》? うわぁ……」

「うわぁってなんだ! うわぁって!」

「いやー、なんだろうねー」

 

 ドラコは乾いた笑い声を上げた。

 すると、トレローニーが近づいてきた。

 ハリーのカップを覗き込むと、彼女は大げさにたじろいだ。

 何事かとハリー達が見つめると、彼女はハリーが《死》に魅入られていると予言した。すべてを焼き滅ぼし、自らの身すら焼き焦がすだろうと。

 誰も驚かなかった。

 

「……焼死って、すごく辛いらしいよね」

「遺書は燃えない紙に書こうかな」

「悪霊の火で燃えない紙なんてあるかな……?」

「やかましいぞ、貴様ら!!」

 

 ハリーはキレたけれど、他の反応がつまらなかったからか、トレローニーは渋い表情を浮かべるのだった。



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第三十八話『ジニー・ウィーズリー』

 土砂降りの雨の中、今年度のクィディッチシーズンの最初の試合が始まろうとしていた。

 ドラコはニンバス2001を握り締めながら競技場へ向かっていく。対戦する相手はグリフィンドールだ。

 

【さあ! グリフィンドール対スリザリンの試合がもうすぐ始まろうとしています!】

 

 嵐にも負けじと叫ぶ、リー・ジョーダンによる実況の声が聞こえてくる。

 

【今回の目玉はなんと言っても、我らがグリフィンドールチームの新シーカー、ジネブラ・ウィーズリーです!!】

「ジニー!?」

 

 ドラコは豪雨の中、グリフィンドールのユニフォームを纏ったジニーが競技場に現れるのを見て、目を丸くした。

 

「ッハ! 我らがドラコの敵ではない! 軽く捻ってやれ!」

 

 キャプテンのマーカス・フリントの激励を受けながら、ドラコは箒に跨った。

 突風によろめきそうになる。降り注ぐ雷鳴は観客達の声援すら掻き消している。

 他の選手よりも高い場所で、彼はジニーと睨み合う。

 

「……まさか、君がシーカーとは驚いたな」

「あら、意外かしら?」

 

 その口調にドラコは違和感を感じた。

 彼にとって、ジニー・ウィーズリーという少女はすぐに顔を真っ赤にしてしまうシャイな女の子だった。

 けれど、目の前の彼女は嵐にも怯まずに鋭い眼光を投げかけてくる。ハリー、ハーマイオニーにも引けを取らない覇気を纏っている。

 

「もしかして……、そっちが素なのかい?」

「そっちって? わたしは元々こうだけど?」

 

 自信に満ち溢れた表情と声。普段の彼女との落差にドラコは薄く微笑んだ。

 ドラコにとって、二面性のある人間は珍しくなかった。

 むしろ、ハリーやハーマイオニーのように裏表の無い人間の方が稀だった。

 

「……それより、賭けをしない?」

「賭け?」

 

 ジニーは頷いた。

 

「わたしがアンタに勝ったら……、わたしに協力してもらうわ!」

 

 何に協力するのかなど、ドラコは聞かなかった。興味も無かった。

 ただ、《わたしがアンタに勝ったら》という言葉が気に入らなかった。

 

「……この僕に勝つつもりか? ジニー・ウィーズリー」

「当然よ。でも、一応は聞いてあげる。アンタが勝ったら、何をして欲しい? 何だって構わないわよ」

「《生意気な事を言ってごめんなさい》と言え」

「……はぁ? そんな事でいいの?」

「ああ、それでいい」

 

 ドラコは闘志を燃やした。

 昨年、ドラコは誰にも負けなかった。常にスリザリンに勝利を齎し続けてきた。

 その自信と誇りに掛けて、年下の生意気な女の子に負けるわけにはいかなかった。

 なにより、ハリーとの約束がある。

 

 ―――― 負けんなよ。六年間、一度だって負けるな! 全戦全勝だぜ!

 

 その約束を破るわけにはいかない。

 

【それでは、試合開始です!!】

 

 第三十八話『ジニー・ウィーズリー』

 

 赤い髪を靡かせながら、ジニーはフィールド全体を俯瞰していた。

 彼女の跨っている箒は型落ちのニンバス2000。兄達がお小遣いを出し合って購入してくれた物だけど、ドラコのニンバス2001には性能面で劣ってしまう。

 だからこそ、後手に回るわけにはいかない。

 ドラコ・マルフォイという男の試合を一年通して見続けて分かった事がある。彼には才能なんて無い。彼の動きは教本の域を出ていない。

 それでも彼が勝利出来ているのは箒の性能が大きい。

 

「……基本に忠実な分、箒の性能差というアドバンテージが活きるんだわ」

 

 つまらない勝ち方だけど、手堅い戦法でもある。そして、それを可能とする為に必死に練習を繰り返したのだろう事は、同じクィディッチの選手として、動きを見ていれば分かる。

 だけど、負けるわけにはいかない。ジニーは箒を握る力を強めた。

 

「わたしには彼の協力が必要なのよ……。年下のわたしが、対等な存在として接し続けてきた女に勝つためには……」

 

 彼女の脳裏に浮かぶのはホグワーツ特急での一幕だ。

 ハリーを守ろうとしたハーマイオニー。彼を看護する彼女。

 不覚にも、彼らはお似合いだと思ってしまった。仲睦まじい関係なのだと誤解しそうになった。

 だけど、彼らはまだ付き合っていない。その事は調べがついている。

 まだ、付け入る隙はある。

 

「だから、この試合は絶対に勝つわ!」

 

 ◆

 

 試合が進んでいく。選手達はびしょ濡れになり、芯まで凍えながら戦っている。

 雨はどんどん激しさを増していき、試合は泥沼化している。なにしろ、数メートル先すら見通せず、辛うじて緑と赤の輪郭がぼやけて見える程度なのだ。

 避ける事も防ぐ事も儘ならない。それどころか箒の制御自体が困難になり始めていた。

 その時、マダム・フーチの笛の音がフィールドに鳴り響いた。グリフィンドールがタイムアウト*1を要求したのだ。

 その機に乗じて、フリントもスリザリンのチームを呼び集めた.

 

「スコアはどうなってるんだ!?」

 

 ドラコが聞くと、フリントは顔を顰めた。

 

「向こうに20点のリードを許してしまっている……」

 

 苦々しい口調で彼は言った。

 

「ほとんど運のようなものだ」

 

 グラハム・モンタギューが苛々した口調で言う。

 

「この雨だぞ! まともに試合なんか出来ない!」 

「ドラコ。出来るだけ急いでスニッチを取ってくれ! このままだと試合がどう転ぶか分からない」

「ああ、分かった!」

 

 ◆

 

 タイムアウトが終わる。

 再び空に上がったドラコはジニーと擦れ違った。おそらく、彼女もキャプテンのオリバー・ウッドに発破をかけられたのだろう。

 集中力が明らかに増している。鷹の如く、鋭い視線をフィールド中に巡らせている。

 

「……油断は出来ないか」

 

 ドラコは気を引き締めた。

 そして、遂に競技場の上空に金色の光が現れた。

 

「見つけた!!」

 

 先に動いたのはジニーだった。けれど、ドラコもすぐ後に追跡を開始した。

 ジニーが得られたアドバンテージは僅かなもので、ドラコにとっては無いに等しいものだった。

 ドラコがジニーに追いついた瞬間、スニッチは観客席へ潜り込んだ。生徒達が悲鳴を上げる。そして、ジニーとドラコは躊躇う事なく観客席に飛び込んでいった。誰かにぶつかれば大惨事であり、スニッチも見失ってしまう。

 僅かなミスが命取りのキルゾーンへ入り込んだ二人は人混みを箒の全速力を維持したままかき分けていく。

 すると、スニッチは観客席から飛び出して、一気に急降下を始めた。

 ドラコとジニーも追いかける。

 スニッチと共に地面が近づいて来る。

 

「勝つ!! 勝つ!!」

 

 ジニーの声はドラコの心の声だった。

 勝利を渇望し、恐怖心を封印している。セーフティーラインは既に超えていた。あと数秒以内に箒を持ち上げて水平移動に切り替えなければ地面に叩きつけられてしまう。

 死の恐怖が二人に襲いかかった。

 

「……クッ!」

 

 ジニーは悔しげに箒を持ち上げた。

 そして、ドラコは更に死へ踏み込んだ。

 

「勝者は僕だ!!」

 

 ドラコは瀬戸際で箒を持ち上げた。強靭な材質のニンバス2001が軋みを上げ、地面スレスレ数センチの所で水平移動に移行した。

 ドラコは箒の上に立ち上がり、スニッチに手を伸ばす。

 そして――――、

 

【ドラコ・マルフォイがスニッチを獲得!! スリザリンの勝利です!!】

 

 リー・ジョーダンが叫ぶ。常日頃、グリフィンドールを贔屓する形で実況している彼も、ドラコの死に挑むような勇気に称賛の言葉を贈った。

 

「……ドラコ」

 

 ジニーが近づいてきた。悔しそうに顔を歪めている。

 

「生憎だったな、ジニー。死は僕にとって親愛なる隣人なんだよ」

 

 ドラコは去年、親友に殺されかけた事がある。そして、それからも《死の恐怖(グリム・リーパー)》と呼ばれている存在の親友を続けている。

 恐れがないわけではない。それでも、彼は一度乗り越えた。その経験は彼を類稀な勇気の持ち主に鍛え上げたのだ。

 

「ぐぬぬ……」

 

 実に悔しそうな表情を浮かべるジニー。

 

「僕の勝ちだ、ジニー」

 

 ドラコの言葉にジニーは可愛い顔をグシャグシャに歪めながら震えた声で呟いた。

 

「な……、なま……、生意気な事言って……」

 

 言いたくない気持ちが実によく伝わってくる。

 ドラコは苦笑した。

 

「いいよ、言わなくて」

「……え?」

 

 ジニーはキョトンとした表情を浮かべた。

 

「賭けはチャラにしてやるよ。だけど、あんまり生意気な事を言うもんじゃないぞ。そこは注意しておくからな。あと、協力して欲しい事ってなんだ?」

「ほえ!? ど、どうして!?」

 

 ドラコはやれやれと肩を竦めた。

 

「協力して欲しい事があるなら、素直にそう言えばいい。ものによるが、相談に乗るくらいはしてやるよ」

「……あ、ありがとう」

 

 ドラコはクスリと笑うと仲間の下へ向かって行った。

 

 

 数日後、ドラコはジニーに呼び出された。

 誰もいない無人の教室で、ジニーは実に深刻そうに切り出した。

 

「……どうしたら邪魔者を排除して、ハリーを手に入れられるのかしら?」

「これは恋愛相談でいいんだよな……?」

 

 ドラコは一応確認しておいた。

 

「当たり前でしょ?」

 

 キョトンとした表情を浮かべるジニーにドラコは少し頭が痛くなった。

 

「邪魔者ってのは、もしかして、ハーマイオニーの事かい?」

「そうよ!」

 

 バシンと机を叩いてジニーは言った。

 

「あの女! 事ある毎にハリーに絡んで! 二人が付き合ってるみたいに言う人までいるのよ! ハリーだって迷惑してる筈だわ!」

 

 ドラコは軽率に相談に乗ってしまった事を後悔した。

 

「……ジニー。悪い事は言わない」

「な、なによ……!」

 

 ドラコは優しい表情で言った。

 

「諦めろ。付き合ってはいないが、もう秒読み段階に入ってるぞ」

 

 ジニーはやり場のない感情を机に向けた。バンバンと叩かれて痛そうだとドラコは思った。

 

「あの二人は一年の頃から張り合っていたからな。時には助け合ったりもして、お互いの事を誰よりも認め合っている。多分、付け入る隙なんて無いぞ」

 

 無駄だと分かっている事に労力を割くよりも、新しい恋を見つけて建設に生きた方が有意義だろうと、ドラコは善意から言った。

 

「わからないじゃない!! 付き合ってないんだから!! 先にゲットした方が勝ちなのよ!! わたし、まだ負けてないもん!!」

 

 ガルルと猛獣のように威嚇してくるジニーに《怖っ》と思いながら、ドラコは渋い表情を浮かべた。

 

「どうしてもって言うなら協力するけど、後で悲しい思いをするだけだぞ?」

「うるさい! そんな事……、そんな事、無いもん……」

 

 唇を噛み締めながらウルウルと瞳を濡らし始めたジニーにドラコは深くため息を零した。

 

「分かった。オーケイ、ジニー。協力してやるよ。だから、泣くのは勘弁してくれ」

「……ありがと」

 

 ドラコとしては、ハリーにはハーマイオニーの方が相応しいと思えた。ローゼリンデが虐められていた事を知った時、自分を含めて誰も止められなかったハリーの暴走を唯一止めた女傑。

 彼女以外にハリーと並び立てる女など居ないだろう。

 だけど、協力すると言ったからには全力を尽くさなければならない。

 

 ―――― 決めた事を途中で放り出す事はかっこ悪い事だ。

 

 誇りにかけて、一度口にした事は違えない。

 

「とりあえず、ハリーと接点を増やした方がいいな」

「ど、どうすればいいの?」

「決まってるだろ」

 

 ドラコはジニーの手を取って、図書館に向かった。そこには先に来ていたハリーとローゼリンデの姿があった。

 

「遅かったな、ドラコ。ジニーも一緒とは珍しいな」

「ど、どうしたの?」

 

 キョトンとした表情を浮かべる二人にドラコは言った。

 

「ジニーも勉強を見て欲しいそうだ」

「へ? あっ、はい! そうです!」

「別に構わないが……」

 

 ハリーはそっと図書館の片隅に視線を向けた。そこにはハーマイオニーがいて、ガビーンとショックを受けていた。

 

「わ、わたし、ハリーに教えてほしいんです!」

「お、おう」

 

 ハーマイオニーは机に突っ伏した。

 ドラコは心の中で彼女に謝った。二重の意味で……。

*1試合を一時的に止める事



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第三十九話『スクールタイフーン』

 時を少し遡る。ジニー・ウィーズリーがドラコ・マルフォイを無人の教室に引きずり込んだ瞬間を見ていた者がいた。

 アステリア・グリーングラス。スリザリンの一年生である。

 

「……は、はしたないわ!」

 

 彼女は《間違いなく純血の血筋》とされる《聖28一族》であるグリーングラス家の末っ子だ。

 他の純血の一族がそうであるように、グリーングラス家も純血主義の思想を尊んでいる。彼女も例外ではない。

 純血主義を掲げる者達にとって、ドラコ・マルフォイという少年は特別である。

 ブラック家、レストレンジ家などと並ぶ名家の中の名家であるマルフォイ家の長男。いずれ、魔法界を背負って立つ存在と言っても過言ではない。

 その彼の不純異性交遊を目撃しては黙っていられない。

 

「だ、男女で誰もいない場所にひっそりとなんて……! きっと、中では今頃……! ああ、ダメよ! 止めなくてはいけないわ! で、でも、途中だったらどうしましょう……」

 

 アステリアには姉がいる。ドラコの同級生であるダフネ・グリーングラスである。彼女は今年で13歳。既に思春期が始まっていた。

 読書をこよなく愛する彼女は、最近になって恋愛を題材にした小説に目を通す事が増えて来ていた。

 恋愛小説には二つの種類が存在する。一つは男性向けのコメディチックであったり、おいろけ満載であったり、どこか現実離れした描写が多いものである。そして、もう一つが女性向けのリアルを追求したものである。

 男女の色恋に生じる生々しい感情がこれでもかと描かれている。そして、ほぼ必ずと言っていい程にセックスの描写が登場する。無論、ぼかされているが、子供向け(ティーンエイジャー)向けの小説にさえ登場するのである。

 思春期の少女にとって、性の知識は非常に関心の高いものである。ダフネもご多分に漏れず、小説の中に登場するワードがどんなものなのか興味を抱き、こっそり調べた。そして、母親はそんな彼女の性の芽生えを察して、彼女に正しい知識を与えた。

 ダフネは性知識という他言する事が恥ずべき事である秘密の知識を誰かと共有したかった。けれど、彼女の友人にその手の秘密を共有する事に長けた者はいなかった。だから、妹と共有する事にした。

 アステリアは姉からこれでもかという程の淫らな知識を与えられてしまい、すっかり耳年増になっていた。

 そんな彼女にとって、空き教室で男女が密会する事は、ほぼ間違いなくセックスをしている筈であるという結論に至ってしまうものだった。

 

「あ、あの子って、ジニー・ウィーズリーよね? 血を裏切る者、ウィーズリー。純血だろうと、マグル生まれだろうと、マグルだろうと見境なく盛るケダモノの一族! あの子の兄弟も七人いるそうじゃないの! な、七人も子供を作るなんて……、は、破廉恥だわ!!」

 

 顔を両手で多いながらイヤンイヤンと顔を振る彼女の姿は異様だった。

 近くを通り過ぎたレイブンクローの二年生の少女、ルーナ・ラブグッドはギョッとした表情を浮かべ、同じく近くを通り過ぎたハッフルパフの五年生のセドリック・ティゴリーは見てはいけないものを見てしまったような表情を浮かべながらコソコソと去っていく。

 そして、彼女がイヤンイヤンしている間にドラコはジニーの手を引きながら図書館へ向かって行ったが、その事にアステリアは気づかなかった。

 

「ええい、ホグワーツの風紀はわたしが守ってみせるわ!」

 

 その掛け声と共に空き教室に踏み込んだ彼女はもぬけの殻となっている教室に首を傾げた。

 

「およよ?」

 

 第三十九話『スクールタイフーン』

 

 ドラコとジニーの密会事件を目撃した翌日、彼女はこっそりとドラコを尾行していた。

 気分は姉が読んでいたギルデロイ・ロックハートの著書に登場する美しき暗殺者である。ちなみに作中の彼女はロックハートの心臓を狙ったつもりが自分のハートを射抜かれてしまい、すっかり恋する乙女になってしまうのだが、それはそれである。

 

「こ、これ以上、ジニー・ウィーズリーの好きにはさせないわ! ドラコ様の貞操……は、もう手遅れかもだけど、あの女の毒牙にこれ以上掛からないようにわたしが守って差し上げなくては!」

 

 ふんすふんすと鼻息を荒くしながらコソコソとドラコの後をつける彼女の姿は実に異様だった。

 そんな彼女の姿を面白がったフレッドとジョージ、リー・ジョーダンが更に尾行を始め、何をしているのかとロンと友人のディーン・トーマス、シェーマス・フィネガンが後を追い始めた。

 そして、彼らは図書館にたどり着く。そこではハリーがいつものようにローゼリンデの勉強を見てあげていて、その隣にはドラコとジニーの姿もあった。

 

「これは、図書館デート!?」

 

 一年生の彼女は二年生のローゼリンデが三年生のハリーの配下という、ちょっとよく分からない関係である事を知らなかった。

 彼女にとって、ローゼリンデはハリーの交際相手という認識だったのだ。

 姉からは、ハリーが彼女の為に激怒して、一度はホグワーツが消滅する危機に陥ったという話を聞いている。

 アステリアは姉が物事を大げさに言う癖を持ってしまったのだろうと嘆きつつも、愛する者の為に怒りに燃える男というシチュエーションにちょっと憧れた。

 そんな彼女の視点では、これはまさに図書館を舞台としたダブルデートだった。

 だが、ここで彼女は恐るべき事を知る。

 

「あ、あの女……、ハリー様に色目を使っている!?」

 

 ドラコというものがありながら、彼女は明らかにハリーに対して頬を赤らめ、甘えるような仕草でしきりに話しかけていた。

 

「は、破廉恥だわ!!」

「……破廉恥って」

「しっかし……、これはまた……」

「ジニーがドラコと付き合いつつハリーに好意を向けてるって……。お兄ちゃん、ショック……」

「誰ですの!?」

 

 アステリアはいつの間にか背後にいたリー、ジョージ、フレッドに驚き飛び上がった。

 

「しーっ! 気づかれちゃうだろ!」

「これは大事件だぜ。慎重に捜査を進めないとな」

「ドラコと付き合ってるとか、親父が聞いたら卒倒するな」

 

 彼らは息を潜めながら四人を見ている。

 

「あ、あなた達、ケダモノ一族!? ま、まさか、わたしを毒牙に掛ける気なの!?」

「ちょっと、何言ってるかわからないな」

「さすがはスリザリンだぜ。今年もヤベーのが入って来たな」

「ヤベーとはなんですか!」

 

 アステリアが怒鳴ると、背後に図書館の司書であるマダム・ピンスが現れた。

 

「あなた達、ここは図書館ですよ!」

 

 四人はマダム・ピンスによって追い出されてしまった。

 

「あ、あなた達のせいですよ!? どうしてくれるんですか!? あの性欲の塊にドラコ様とハリー様が穢されてしまったらどう責任を取りますの!?」

「性欲の塊って……」

「穢されたらって……」

「百歩譲ってもハリーだぜ?」

「お黙りなさい! 現に、昨日! あの性欲魔神はドラコ様を無人の教室に引き摺り込んだのですよ!! ああ、お労しや……、ドラコ様。きっと、裸に剥かれて、あんな事やこんな事を……」

 

 イヤンイヤンと頬を赤らめながら悶えるアステリアにフレッドとジョージ、リーはドン引きした。

 

「……って、引いてる場合じゃない! 無人の教室に引き摺り込んだって、それ本当かい!?」

 

 ジョージが聞くと、アステリアは大きく頷いた。

 

「嫌がるドラコ様を無理矢理引き摺り込んだのです! そして、ドラコ様の服を毟り取り、白磁のような肌に舌を沿わせながら、あの女は……!」

「いやいやいやいや!!」

「待て待て待て待て!!」

 

 フレッドとジョージは恐怖の表情を浮かべながら図書館の扉をみた。

 

「ま、マジかよ……。我が妹はそんなにも肉食系だったのか!?」

「やべーよ。母さんに何て言えばいいんだよ!?」

「大変な事になったな……」

 

 戦慄の表情を浮かべる三人と未だに妄想で悶ているアステリア。

 そんな四人の下にロンとディーン、シェーマスも合流する。

 

「どうしたの?」

 

 ロンがあまりにも混沌とした状況に首を傾げると、フレッドとジョージは見たことがない程の真剣な表情でロンに言った。

 

「寮に戻るんだ」

「お前にはまだ……、早過ぎる」

「え? なにが?」

「ハッ!? 気がつけばケダモノ一族に取り囲まれている!? わ、わたし、どうなっちゃうの!?」

「いや、どうにもなんねーよ」

 

 彼らが騒いでいると、図書館の扉が開いた。

 

「騒がしいわね、どうしたの?」

 

 出てきたのはハーマイオニー・グレンジャーだった。

 

「あ、あなたは! ハーマイオニー・グレンジャー!?」

「そ、そうだけど……?」

 

 いきなりフルネームを叫ばれて、ハーマイオニーはたじろいだ。

 

「ね、姉さんに聞いたわ。マグル生まれなのに、いろいろ凄いと噂のあの!」

「えっ!? 噂!? なにそれ、わたし知らないんだけど!? 何か噂されてるの!?」

「ああ、まあ、スゲーもんな」

「ホグワーツのヤベー奴ランキングでトップだもんな」

「なにそのランキング!? っていうか、トップ!? ハリーじゃなくて!?」

 

 ハーマイオニーの言葉にフレッドとジョージ、リー、ロン、ディーン、シェーマスは顔を見合わせて肩を竦め合った。

 

「だって、去年、あの暴走ハリーを止めたんだぜ」

「あのハリーに《鳴いてごらんなさい》なんて言う女だぜ?」

「もう、ぶっちぎりのトップだったよ」

「最近はハグリッドとケトルバーン先生もランクインしたけど、それでも一位だったよね」

「そうそう、女帝とか言われてるしね」

「知らないんだけど!? わたし、そんな話知らないんだけど!? っていうか、女帝!?」

 

 混乱しているハーマイオニーの手をアステリアが掴む。

 

「ハーマイオニー様!」

 

 純血主義者のアステリアは迷う事無くマグル生まれのハーマイオニーに(ロード)を付けた。

 

「どうか、お力をお貸し下さいませ!」

「様はやめて!? た、助けて欲しいなら力になるけど……」

「さすがは女帝様!」

「女帝もやめて!?」

 

 ハーマイオニーの悲鳴が響き渡った。

 

 ◆

 

 その一方、外でそんな風に大混乱が起きているとも知らずに図書館の中の四人は平穏な時間を過ごしていた。

 

「ところで、ロゼ。最近はどうだ? 何か困った事はないか?」

 

 ハリーが問いかけると、ローゼリンデは笑顔で「大丈夫です」と答えた。

 

「最近は苦手だった変身術も上手く使えるようになったんですよ! さすがはト……、ニコラス先生です!」

「……ニコラスか」

 

 ハリーはすこし面白くなかった。彼女の口から出る《さすが》という言葉は自分の為だけに使って欲しかった。それに、マクゴナガルの頃は出来なかった事がニコラスに変わった途端に出来るようになったというのも不満だった。

 

「凄い先生です、ニコラス先生!」

 

 ローゼリンデはやたら嬉しそうにニコラスの名前を口にする。

 ハリーは渋い表情を浮かべた。

 

「そ、そうか、まあ……、それなりに優れているとは思うが……なんというか、まあ、冴えない男だしな」

「ニコラス先生は冴えなくなんてないです!」

「なっ!?」

 

 ハリーは目を見開いた。

 ローゼリンデがハリーに反論したのだ。それは彼女と出会ってから初めての事だった。

 

「ニコラス先生は素敵な方です」

 

 ハリーはショックを受けた。

 慌てて、自分とニコラスのどっちが素敵か聞きそうになる程に焦った。

 けれど、そこでニコラスと答えられると自分がどうなってしまうか分からなかったので必死に堪えた。

 

「……と、ところで、ロゼ」

「はい! なんですか?」

「……こ、今度、ホグズミードに行くんだ。お土産は何が欲しい? 言ってみろ。なんでも買ってきてやるぞ」

「えっ!? いえ、そんな……」

「遠慮するな! なんでもいい! 欲しい物を言うんだ! これは命令だ!」

「ほえ!? えっと、では……、では……、えっと、あの!」

 

 そんな二人の様子をジニーは羨ましげに、ドラコは呆れきった表情で見ていた。

 

「むむ……!」

「……ハリー、必死だな」



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第四十話『ニコラス・ミラー』

 無人の教室をニコラスは歩いていた。時折足を止めると、彼は机の表面に指を走らせた。

 そこには《the dark lord》という文字が刻まれている。これは、彼が学生だった頃に刻んだものだ。

 その頃の彼は貧しかった。受け継ぐべき財産も、何かを買い与えてくれる保護者も居なかった為だ。そんな彼が持っていた数少ない財産の一つ、それが一冊の本だった。彼が居た孤児院にあった《マグルの本》である。

 内容は一人の若者の冒険譚であり、魔法だとか、小人だとか、そういうお伽噺の要素がふんだんに盛り込まれていた。幼き日の彼は、この本を愛していた。

 机の文字は、その本に登場する恐ろしき王を示す言葉だった。

 誰もが恐れを抱き、その真名を口にする事さえ憚れ、その王は《the dark lord》と、あるいは《The one》、もしくは《the one enemy》、《Lord of the Werewolves》などと呼ばれていた。

 後に、彼はその王に強いインスピレーションを受ける事になる。

 

「……思えば、なんとも浅はかだったな」

 

 苦笑いを浮かべながら教室を見回していると、長らく留守にしていた故郷に帰ってきたかのような懐かしさを感じた。

 彼にとって、ホグワーツこそが家だった。帰るべき唯一の場所だった。それは今でも変わらない。

 

「我が愛しきホグワーツよ。わたしは帰ってきたぞ」

 

 第四十話『ニコラス・ミラー』

 

 ニコラスが校舎を歩いていると、ダフネ・グリーングラスが駆け寄ってきた。

 

「先生!」

 

 彼女は苦手だった変身術を得意科目にしてくれたニコラスの事を心から慕っていた。

 

「やあ、ミス・グリーングラス。どうかしたのかい?」

 

 ニコラスの声には不思議な魅力があった。穏やかでありながら、どこか人を惹きつける。

 ダフネは熱に浮かされたような表情を浮かべ、持っていた教科書を開いた。

 

「あ、あの、変身術の事じゃないんですけど……、他の科目なんですけど……、わからない所があって……。よ、よろしければ教えて頂けませんか?」

「もちろん構わないよ。生徒の疑問に答える事は教師の義務であり、権利だ」

「権利ですか……?」

 

 首を傾げるダフネにニコラスは微笑みながら頷いた。

 

「生徒の成長を手助け出来る。教師にとって、コレほど嬉しい事はない。それに、授業以外に生徒が質問に来てくれるなんて、信頼されている気がして嬉しいんだ。だから、ありがとう」

 

 ニコラスが嬉しそうに微笑むと、ダフネは顔を真っ赤に染めた。

 

「さて、魔法薬学だね。なるほど、オリジナルの魔法薬を研究しているわけか。そう言えば、スネイプ先生は君が魔法薬学の授業において極めて優秀な生徒だと褒めていたよ」

「スネイプ先生が!?」

 

 ダフネは目を丸くした。

 

「本当だよ。たぶん、スネイプ先生に相談しても、適切なアドバイスを貰える筈だけど、彼に聞きに行ったりはしていないのかい?」

「は、はい……」

「怖いから?」

「……えっと、その」

 

 声が小さくなっていくダフネにニコラスはクスクスと笑った。

 

「分かるよ、ダフネ。彼は威厳に満ち溢れているからね」

 

 そう言うと、彼はイタズラっぽく微笑んだ。

 

「オーケイ。わたしがアドバイスをしてあげるよ。彼とは違って、威厳が無いから聞きやすいだろう?」

「そ、そんな! 先生に威厳がないなんて、わたし、思ってません!」

「そうかい? ありがとう。ダフネは優しいな」

 

 ニコラスの言葉にダフネは再び真っ赤になった。

 

「わ、わたし……、え、えへへ……」

 

 もじもじするダフネにニコラスはニッコリと微笑んだ。

 

「さて、それじゃあ、図書館に行こうか」

「図書館ですか……?」

「ホグワーツの図書館には資料が豊富だからね。禁書の棚に置いてある本もいくつか読むと参考になるから許可を出してあげるよ」

「い、いいんですか!? き、禁書の棚って、危ない本がいっぱいだって……」

「もちろん。禁書の棚とはいえ、学校に置いてある本だからね。使い方を誤れば危険だけど、正しい使い道の為に求める生徒には心強い味方になってくれるよ。まさに魔法薬のようなものさ。それそのモノが危険なわけじゃない。使い手が危険な毒薬にも、優れた薬にもする。魔法薬も本も自我を持たないからこそ、使う者には相応の責任が必要となるんだ。その事をよく理解しておくようにね」

「は、はい!」

 

 二人が図書館に向かうと、かなりの盛況ぶりだった。

 ダフネも時々混ぜて貰っているハリー・ポッター、ドラコ・マルフォイ、ローゼリンデ・ナイトハルト、ジネブラ・ウィーズリー、エドワード・ヴェニングス、ダン・スターク、フレデリカ・ヴァレンタインが座るグループ。

 パーシー・ウィーズリーとその恋人であるペネロピー・クリアウォーターが座るグループ。

 アステリア・グリーングラス、フレッド・ウィーズリー、ジョージ・ウィーズリー、リー・ジョーダンが座る異色のグループ。

 ロナルド・ウィーズリー、ディーン・トーマス、シェーマス・フィネガンが座るグループ。

 そして、ハーマイオニーが一人で座るグループ。

 他にも各寮の生徒達のグループが散らばっている。

 

「……今のホグワーツは真面目な子が多いんだな」

  

 広大な筈の図書館が狭く感じるほど、たくさんの生徒達が勉強している。

 

「ハリーの影響ですね。怖い所とか、圧倒されちゃう所とかもあるけど、やっぱりカッコいいから、みんな心のどこかで憧れているんです。彼みたいになりたいって」

「なるほど……。ただ、あるだけで周囲の者に影響を与える。一種のカリスマだな」

「……ハリーは怖いけど、分からない所を聞いたら教えてくれるし、魔法生物学でケルベロスに襲われた時は守ってくれたし、なんだかんだで優しいですからね」

「そうか……、ん? ちょっと待ってくれないか? ケルベロス? 魔法生物学でケルベロスに襲われた!?」

 

 ニコラスは聞き間違いかと思った。

 

「はい。ハグリッドが飼っていたみたいで……」

 

 ダフネは魔法生物学の恐怖の授業についてニコラスに語った。

 

「……ハ、ハグリッド。相変わらずなんだな……」

「む、昔からなんですか?」

「ああ、アクロマンチュラを飼育していた事があるんだ……」

「ほ、ホグワーツで……?」

「正直、あれには驚いた。人間の言葉を解する知能がある上に、人肉をこよなく愛する生き物だからね」

 

 ニコラスの言葉にダフネは言葉を失った。

 

「ほ、本当に有罪じゃないの……」

「……まあ、無罪ではないよな。知った時は《ウソだろ!?》って目を丸くしたものだよ。バジリスクとどっちが危険かって言うと、繁殖力がある分、アクロマンチュラの方が……」

 

 ダフネは苦々しい表情を浮かべながらぶつぶつと呟くニコラスに首を傾げた。

 どうしてか、その表情には罪悪感のようなものが浮かんでいるように見えた。

 

「そ、それより、魔法薬学だね。少し待っていてくれ、禁書の棚の許可をマダム・ピンスに貰ってくるよ」

「は、はい!」

 

 ニコラスが去って行くと、ダフネは顔から湯気が出そうになる程赤くなった。

 ちょっとした質問を聞くだけのつもりが、ここまで世話を焼いてもらえるとは思っていなかったのだ。

 優しくて気さくで、時々不思議な表情を見せるニコラスにダフネはあっという間に夢中になってしまった。

 

「……お姉ちゃん、ニコラス先生とこんな所で何をしているんですか?」

「ほえ!?」

 

 ダフネは飛び上がった。いつの間にか、彼女は集団に取り囲まれていた。

 ニコラスとダフネが図書館に入って来た時、真っ先に気づいたアステリアはこそこそと姉と教師の密会(?)現場に接近し、面白がったフレッド、ジョージ、リーも追随した。

 その異様な行動にロン、シェーマス、ディーンも興味を持ち、それを見たハリーが《ロンは何をしているんだ?》と不思議に思い、ハリーが動けばドラコやローゼリンデ、ジニーも動き、エドワードとダン、フレデリカも《なんだなんだ》と席を立ち、ハーマイオニーも《なになに?》と流れに乗り、他の生徒達も集団が動いた事に興味を抱き始め、結果としてダフネは図書館中にいた生徒達に取り囲まれる結果となった。

 

「え? え? え?」

 

 ダフネはパニックを起こした。妹とは違い、彼女はシャイな性格で、こうして人に注目される事が苦手だったのだ。

 そして、その事を知っている筈の妹は姉と教師の不純異性交遊*1現場に対する興味に頭がいっぱいになっていた。

 

「聞きましたよ、お姉ちゃん! 禁書の棚に先生と二人っきりで入るつもりなのでしょう!?」

「ほえ!?」

「きょ、教師と生徒がふ、二人っきりで……、誰も入れない……き、禁書の棚で何をするつもりなんですか!?」

「ほえ!?」

 

 イヤンイヤン言いながら身悶えるアステリア。なんだか面白い事になって来たと傍観を決め込む観客達。

 そして、ニコラスが戻って来た。

 

「……な、何事だ?」

 

 イヤンイヤンしているアステリアと《ほえ!?》しか言えなくなったダフネ、そして、そんな姉妹を見守る観客達。

 そのすべての視線が一気にニコラスに集中した。

 そして、ニコラスと一緒にやって来たマダム・ピンスの顔が鬼のような形相に変わっていくのを見て、慌てて全員が元の席に戻っていった。

 イヤンイヤンしているアステリアもフレッドが抱えて行ってしまった。

 

「ミラー先生、図書館ではくれぐれも! お静かに頼みますよ」

「……はい」

 

 ニコラスは《ちょっと理不尽じゃないか?》と思いつつも頷きながらダフネに声を掛けた。

 

「ダフネ、待たせたかい?」

「ほえ!?」

 

 まだ、彼女は《ほえ!?》のリピート状態が解除されていないようだった。

 仕方なく、ニコラスは彼女が復活するまでの間に禁書の棚から必要な本を取り出して彼女が《ほえ!?》とリピートしている所の近くのテーブルに乗せていった。

 

「……そろそろいいかい?」

「ほえ?! あっ、ニコラス先生!」

 

 ようやく、《ほえ!?》以外の言葉が聞けて、ニコラスは少しホッとした。

 

「さて、資料は揃えてある。まずは君が躓いているところの小石を払ってしまおう」

「は、はい!」

 

 ◆

 

 姉が教師と図書館デート*2している様子を皿のように細めた眼差しで見つめるアステリア。

 そんな彼女に倣って目を細めるフレッド、ジョージ、リーの三人組。

 

「んー……、ニコラス先生って、誰かに似てるんだよな……」

 

 不意にジョージが言った。

 

「似てるって?」

 

 リーが首をかしげると、フレッドは「もしかして……」とハリー達のグループを見た。

 アステリアがジニーを監視する為に選んだテーブルだから、彼らのテーブルもばっちり見えた。

 

「ハリーじゃね?」

「あっ、そっか!」

「ハリー・ポッターですか?」

「うん!」

 

 フレッドはハリーとニコラスを見比べた。

 見た目は黒髪である事と背が比較的高めという事しか似ていない。けれど、ローゼリンデやダフネに教える姿は既視感を覚えるほどに似ていた。

 

「二人共、すっげー楽しそうなんだよな」

「たしかに」

 

 アステリアはハリーとニコラスを交互に見つめた。

 二人共、分厚い本を持ちながら熱心に自分の生徒に教えていた。

*1と彼女が決めつけた

*2彼女の視点ではそうだった



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