至上の奥様と最強の旦那様 (白千ロク / 玄川ロク)
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第1話 お見合い相手はまさかの人

【 まえがき 】

■奥様が旦那様にいろんな意味で可愛がられるお話
やまなしおちなしいみなし文
いろいろご都合的だと思われます

2019.01.28


 これはなんの試練なんだろうかと思う。いま現在、オレがいる場所は一流ホテル――の広間である。小広間と言われるここを貸し切ったのは相手の家だ。テーブルを挟んで向かいに座る男は、人族でありながら魔族に匹敵するほどの魔力量を有していると言われている有名人。正装に身を包みつつも、優雅にコーヒーを飲む男の名をエリク。エリク・オードディス。人族の王族の一員であり――、髪の色はなるほど、灰色か。

 

 オレでも名前だけは知っていたが、近くで見るとイケメンぶりに怯みそうになる。なんでそんなに美形なのかね。そりゃあ、噂になるぐらいにはおモテになるでしょうよ、ははは。はー……、よりによってお見合い相手がこの男なんて、オレがなにをしたというんだ。オレが!

 

「姉様、顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

「なんとか大丈夫です……」

 

 はははとこれまたなんとか乾いた笑いを返すが、果たして相手の男にどう映っているのだろうか。返してこちら、同じく正装に身を包んだオレことリディア・アトリー。オレと隣に座るフレイヤは双子の姉妹で、白銀に近い髪を持つオレと、漆黒の髪を持つフレイヤとで白黒姉妹とも呼ばれていた。どちらも髪の毛の長さは腰まであり、休みの日は色々な髪型を楽しんでいる。というか、メイドさんから「今日はこの髪型にしましょう」と言われるのだ。「あ、はい」と遠い目をしながら合わせるのがオレで、メイドさんとふたりできゃっきゃと楽しむのがフレイヤである。ちなみに、目の色はと言われると、オレは空色でフレイヤは紅茶色だ。オレの方はそうでもないが、フレイヤの方は美しいほどにきれいな色をしている。エリク様は髪と同じく灰色をしていた。より的確に言うと、髪も瞳も濃い灰色だろうか。ふむふむ、人族と魔族では目の色に差異があるのか。

 

 っと、話を戻して。ここは人族の国と魔族の国の中間に位置する中立国だ。国名はアミュラトという。遥か昔にふたつの国が和平を結んだ結果建国されたという伝承があるその国では、人族と魔族が共存していた。だからか、こうしてお見合いなんていうこともある。混血の存在も珍しくもなんともない。もちろん、それらには「現在においては」という言葉がつくが。なにせ、昔はいろいろあったと言われているからな。

 

 お見合いはいいとしてだ、なぜオレにお見合い話が来たのか不思議でならない。こちらにはお見合い用の写真を撮った覚えもないし、お節介な人も、結婚だなんだとそんな話をしたこともないからだ。なによりもオレは――《白の姉》は落ちこぼれだと言われているのだから、オレにお見合い話なんてくるわけがないと言っていい。一体どこの誰がお見合い話をまとめたのか知りたくて、緊張するなかでも仲人らしき人を探してみたはいいが、相手と自分の家族以外でいるのはメイドさんや執事さんだけで見つけられなかった。もしかしたら仲人がいないお見合いなのかもしれない。オレのお見合いの様相はドラマか漫画か小説仕込みなので、なんとも言いがたいが。家名のためにも落ちこぼれを払拭したいがしかし、こればかりはなかなかうまくいかないでいる。エリク・オードディスたる男に、噂話がいっていないなんてことがあるはずもないだろうに。

 

 人族の方はどうなのかはいまいち知らないが、魔族はその身に有する魔力量に応じて髪の色が異なり、黒に近いほど魔力量が多いと言われている。それは現在も変わらない。つまり、黒と対極にある白――白銀の髪を持つオレが有する魔力量は微々たるものでしかない証なのだ。

 

 それはおそらく、生まれに関係しているのではないのかと思われる。あくまでオレの推測でしかないが、一番しっくりくる仮説だろう。

 

 なにを隠そうオレは、現代日本からこの世界へと生まれ落ちている。女性関係に緩い弟を庇って刺された衝撃が人生の最後だった。中学に進んだきり会話が減っていた兄弟だが、大事な家族である。庇うのは当然の行為でしかない。それはいい、霞行く意識のなかでもじわじわ痛み始めた腹部に対し、あ、これ痛いわあと思った刹那、声を聞いた。

 

――助かる方法があるとして、助かりたいですか?

 

 男とも女とも、はたまた機械的だとも取れる声に対し、助かりたいと思ったのは必然だろう。オレはまだ大学に入学したばかりだったのだから。薔薇色であろう学生生活を前に死ぬわけにはいかない。そんな考えを巡らせるだけの力が残っていたのかと、自分自身感心したのち、意識を手離した。

 

 次に目覚めたのはベッドの上で、左横あたりから「姉様ぁ」と聞こえてきた。重みとともに。なんなんだろうかと思えば、走馬灯が走り出す。数秒間か、はたまた数分間は解らないが、そこから理解したのは――どうやら自分は神様の善意で生まれ変わったということだった。それも魔族の女の子に。隣で一緒に寝ているのは双子の妹で、名をフレイヤ。王族から離縁した王弟である父と、彼の近くで働いていた母の間に生まれた、ということらしい。現在の年齢は五歳ほどのようだ。走馬灯が教えてくれたことには、どうやら赤ん坊では楽しくないだろうという神様の神采配である。のちのちに記憶が薄れていくであろう五歳までのあれやこれやも、うまく作り上げてくれたようだ。おそらくは前の躯のときのなんやかんやも織り混ぜてくれている。色濃く思い出せることもかすかに思い出せることもあったからだ。ちなみに、弟は大事がなかったようだし、家族からはオレの記憶を消したようだから悲しむ人もいない。オレはこの世界で新しい人生を歩めばいいんだよな。

 

「あー……、だから姉様ね」

 

 姉様という言葉は妹だからなのかと納得して、最後に自分自身の名を知る。いまの名前を。ここにいないであろう神様に、ご丁寧にありがとうございましたと念じるが、届いていることだろうか――。

 

 そんな出来事を経て成長したオレは、自分が異質な存在だとも理解した。落ちこぼれの姉ということも。父親の伝の社交場に行っても、周りにはフレイヤとメイドさん以外の人がいないということも。フレイヤが重度のブラコン――じゃなく、シスコンだということも! 落ちこぼれだろうがなんだろうが、周りにはどう思われてもいい。言わせたい奴には言わせてやる。オレには、オレをオレのままで愛してくれる家族がいてくれるんだから。

 

 ――と、そんな風に思考を巡らせて現実逃避をしていると、「それではあとは若いおふたりで」とかなんとか言う言葉が聞こえてきた。この世界でのお見合いでも、そのような言葉が出てくるのですね……。

 

 それは理解できたが、やめて勘弁してオレは逃げたい。

 

 男とお見合いなんて嫌だあああああ! しかも王族とか無理なんで! オレには無理なんですよ! 荷が重すぎるうううう!

 

 席を立つ親たちになんとか目配せをするが、気づいてもらえずにさっさと去っていってしまう。いや、母さんは気がついてくれていたが、「頑張りなさい」と目で語っていた。嘘だろ、マジか……と呆然としてしまうが、しかたがない。ほかにどういうリアクションをしたらいいのか解らないのだから。

 

「大丈夫ですよ、姉様。私は姉様とともにあります!」

「フレイヤ、ありがとう」

 

 右横から抱きつくフレイヤを引き剥がそうとするが、嫌々と言いたげに力を強めてきた。頬擦りも加わって。

 

「ちょっ、フレイヤ痛い、痛いって」

「ああ、姉様っ、姉様の肌は柔らかいですぅ」

「見ていて気持ちのよいものではありませんね。貴女のシスコン具合は。――フレイヤ・アトリー」

 

 眼前で眉を(ひそ)めるエリク様。不快感を表す表情に今度こそフレイヤを引き剥がして、「すみません」「すみません」とぺこぺこ頭を下げた。怒らせるのは分が悪い。いくらオレが王弟の娘といえども、離縁したのだから権力は皆無。あちらは王族、こちらは庶民だ。父さんは貴族位をいただいているが、それは父さんの功績であって、オレの力ではない。オレの心はいつだって一般市民である。か弱き小心者だ。

 

「さらに言いますと、私はフレイヤ・アトリーのこれ以上の同席を許可しませんし、退座を望みます」

「青い顔をした姉様を放ってはおけません!」

「――邪魔だと言っているんですよ。言外を読んでいただきたいですね。ああ、その頭はリディのことでいっぱいで理解できませんか? なにを考えているのかはこちらには解りませんが、これを機にシスコンを治したらどうですかね。貴女はただの邪魔者でしかありませんから。ついでに学園からも去っていってくださいね。そうすればこれからは、私とリディの学園生活が待っているので」

 

 コイツ……、言いたい放題言いやがって! ははは、フレイヤを邪魔者扱いするこの男は、いまから敵だ。王族だろうが関係ないね!

 

「ふざけんなてめえ!」

 

 平手打ちをかませば、ふざけた野郎の顔がまた歪む。

 

「リディ」

「お前にリディと呼ばれるいわれはない。いくら王族であろうとも、オレの大切な妹を貶める奴は許さないからな! 落ちこぼれだって笑われるオレを愛してくれるフレイヤをバカにするな!」

 

 咎めるような声にも言い返し、睨みつけたまま「バーカ!」とひとことつけ加え、その勢いのまま「フレイヤ行くぞ!」と細い腕を取って、大股でその場を去る。オレはもうくそ野郎(エリク)なぞ知らぬ。

 

 ズカズカ歩きつつ「フレイヤ、飛んで」と転移をお願いすると、ホテルの中庭だろう場所へと転移する。ここまではあの男も追ってこれまい。

 

 くるりとフレイヤに向き直ると、「姉様」という声が降り注いだ。オレとフレイヤは双子であるが、全然似ていない。髪の毛の色も、瞳の色も、身長も、体型も、体重も、雰囲気も――なにもかもが違っている。一卵性ではなく、二卵性なんだろう。初対面で姉と見られるのはいつもフレイヤの方であって、オレは一向に妹だ。五センチほどある身長差のせいだろうが。ちなみに、あの男――エリクとはおそらく十センチほどあろう。対面した限りでは。

 

「なんだよ?」

「姉様に庇ってもらえて嬉しいです」

「そりゃあ、庇うだろ。大事な家族だし。それにな、オレはフレイヤに助けられているのにさ、邪魔者は言いすぎだろ、邪魔者は」

「私は邪魔者を邪魔者と表しただけにすぎませんよ」

「エリク……様」

 

 背後からかけられた声に振り返れば――そこにはエリクが立っている。なんということか。どうやら追いつかれてしまった形らしい。もしかしなくとも転移先が解るのか? それならばすぐに追いつくのも頷ける。

 

 片頬にうっすら手形を残した男は、これ以上ないくらいにきれいな笑みを浮かべていた。湧き上がる恐怖に躯が震え出すが、それでもフレイヤを背中に隠したまま対峙する。

 

「王族に手を出した場合はどうなるのか解りますよね、リディ」

「斬首、ですよね?」

「最悪の場合は、ですが。進言は可能ですよ?」

「それは脅しととっても?」

「ええ、脅しています。リディ、貴女を捕らえるために」

「そうですか。オレはあなたに捕まりたくないので、オレの首でよければいつでも差し出しますよ。――いまここでも」

 

 目を細める男の手を首にかけてやると、目を丸める。驚いているのだろうが、オレの首ひとつで家族が守れるのならそれでいい。背後からは悲鳴が聞こえてくるが、それはそれだ。

 

「フレイヤたちには手を出さないでください。それを守れるのなら一思いに」

 

 どうぞと目を閉じるが、なかなか絞まらない。うん、怖いね。けれどこれは、当然の報いだ。王族に手を出したのだから。

 

「私がリディを殺めるとお思いで?」

「あなたの考えは知りませんよ」

 

 優しげな声に思わず目を開けてしまったが、灰色の瞳には怒りが見える。おもむろに首から手を離した男は、ついでオレの腕を引いて、その胸へと閉じ込めた。再びの悲鳴が聞こえてくるが、構う(ひま)はない。悪く思わないでくれよ、フレイヤ。

 

「落ちないというのなら、文言を変えましょうか。フレイヤ・アトリーを消されたくなければ、私に落ちてください」

「なんだって?」

 

 フレイヤを消すとはどういう意味だ。勢いよく顔を上げれば、細められた瞳とかち合った。策を考えようにも、なにを考えているのかまったく解らないから意味がない。

 

「貴女の目の前からも記憶からも消すということですよ。跡形もなく――ね。可能にする力を私は有していますから」

「美しい顔をした悪魔と言えば満足ですか?」

「いいえ、満足をするには到底足りませんね」

 

 苦笑しつつもオレの髪を梳く男はなぜだか頬を染めているが、考える余地は消えている。

 

「なにがお望みで?」

「リディア・アトリー、貴女との婚約を」

「断った場合の処遇をお願いします」

「手を出した証拠はあるので、まずは幽閉でしょうね。尋問に進んでしまえば、私では関与しづらいです」

 

 なるほど。オレに逃げ場はないということか。

 

「そうですか。では今度は婚約した場合の処遇を」

「後悔はさせませんし、出来うる限りの最高のもてなしを。それと――、私の全力を持って貴女を愛することを誓います」

「解りました。では、ひとつ条件を出しても構いませんか?」

「ええ。受け入れるかは条件次第ですが」

「オレはどんな処遇であっても構いませんが、フレイヤに意地悪なことをしないでください。その条件を飲んでいただけるのなら、婚約と相成りましょう。――エリク様」

 

 ぴしりと空気が凍ったが、これは譲れない条件である。おそらくもなにも、エリク――様はフレイヤが嫌いなんだろう。さっきだって口撃(こうげき)してきたしな。となれば、フレイヤが本気で泣かされる前に止めないといけない。それに、フレイヤを消されるのは嫌だしな。

 

「リディ、それは……」

「譲れません」

「しかしですね」

「譲れません」

「先に見せつけてきたのは、フレイヤ・アトリーの方ですよ?」

「なにがあっても譲れません。嫌だというのなら、婚約はなかったことにしてください」

 

 ぐっと言葉に詰まるエリク様は数秒間思案したあと、絞り出すように声を出した。嫌々というのは顔を見れば解る。ものすごく苦い顔をしているから。

 

「解り、ました。条件を……飲みましょう」

「いやあ、エリク様なら飲んでくれると思いましたよー。フレイヤを泣かせないでくださいね!」

「善処、します」

「はい! ありがとうございますっ」

 

 「フレイヤ」「フレイヤ」と呼び寄せたフレイヤの頭を「よかったな」と撫でながら言えば、「私はいま泣きそうですよ、姉様。姉様がいなくなってしまうのかと、恐ろしかったんですからね」と抱きしめられた。

 

「悪い悪い」

「うー、姉様」

 

 大丈夫だと言うように、よしよしともっと頭を撫でてやると、頬を擦り寄せてくる。お前を守るのがオレの役目なんだぞ、フレイヤ。

 

「見せつけないでいただきたいのですがね。ああそれと、晴れて婚約者となりましたので、容易く触れないでいただきたい。フレイヤ・アトリーは私のリディの純潔を奪いかねませんので」

 

 あっけなく引き剥がされたオレとフレイヤは、その言葉に固まった。オレはエリク様の腕のなかであるが。なんだか抱き上げられているようだ。

 

 ぱちくりと目を瞬かせつつ、フレイヤと顔を見合わせる。いまなんつった? え、オレの純潔を奪う? フレイヤが、か?

 

「いやいやいやいや、そんなのあり得ませんからね!?」

「それは解りませんよ。フレイヤ・アトリーの接触は決して薄くはありませんから」

「家族の触れあいに濃い薄いもないんですが! オレだってフレイヤがかわいいの! フレイヤはそれを返してくれているだけですから!」

「それが気に入らないと言っているんです。見せつけられる身にもなっていただきたい」

「見せつけてはないですから!」

 

 まさかという視線が降ってくるが、本当の本当に見せつける意図はない。じっと見返していると、エリク様は顔を逸らして深く深く息を吐いた。

 

「リディがそう言うのなら、そうだと自身へ言い聞かせましょう。準備ができ次第、婚約に関する事項を確認してもらいますので、もう一度ご足労願います」

「解りました」

 

 緩やかに地面へと下ろされたあと、エリク様は迎えに来たであろうメイドさんや執事さんとともに立ち去っていく。「それでは、近いうちにまたお会いしましょう」と残して。

 

 あ、そういう終わり方ですか。小さくなる背中が完全に見えなくなると、緊張していたであろう躯から力が抜けていく。

 

「な、なんとか終わった、のか……」

「はい、姉様。私たちも行きましょうか」

 

 小さな子どものように妹に抱き上げられる姉という図式は情けないが、足に力が入らないので多目に見てほしい。

 

 よかった。とにかくよかった。無事とは言えないが、とにかく終わってよかったようううう!

 

 ほうと息を吐くオレはその後、フレイヤや母さんたちに心配され、怒られ、二日ほど熱に侵されたが――終わりよければすべてよしである。

 

 

 

 



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第2話 婚約成立

 かかりつけ医となっている女医さん――女性は女性医師が、男性は男性医師がついているのである――曰く、熱は緊張からきたものだろうということでおとなしく過ごしていたが、フレイヤには散々、「庇ってくれるのは嬉しいのですが、どうか無茶はしないでくださいね」と言われてしまった。気持ちは解らないでもないから、「はい、すみませんでした」としおらしーくしていたらば、「姉様、一緒に食べましょう!」とデザート攻撃を食らう。ケーキとプリンとクッキーとパフェ。ケーキとプリンはフレイヤとは味が違うので半分こずつしたが、うまかったです。

 

 そして、熱が下がったさらに二日後、両親ともども学園へと迎えに来た足のまま、オレたち家族はふたたび小広間へと顔を出した。白馬に引かれる馬車のなかで時間がないからそのまま行くからとかなんとか言われていたが、なるほどね。小広間を覗いたとたん、先に来ていたエリク様が「リディ」と笑みをこぼしたのだ。三人掛けほどの黒革ソファーに腰を下ろして。高級品にも引けをとらないとはなんてお人なんだろうか。ううんっ、大変モテそうな笑顔ですね! しかしですね、なぜあなたが先に来ているというのですかね。終わった時間は一緒だというのに。あー……、いや、フレイヤが教室に迎えに来る分、オレたちの方が遅いのか……。

 

「こちらへ」

「あ、はい」

 

 かちこち緊張する最中でも隣に腰を下ろしたらば、エリク様は「少し違いますね」と漏らす。なにが違うというのかね。横目で窺うと躯が浮き、すぐさま元に戻った。

 

「リディはここですよ。覚えておいてください」

「は、へ……?」

 

 こことは足の間。つまりはあれだ。恋人がいちゃつくときとかにする、背後から抱きしめる形の座り方――である。

 

「ふわぁああああ!?」

 

 恋人!? 誰と誰が!?

 

 巡った思考にふわぁふわぁ錯乱しつつ右往左往するオレの腹に手を回していたエリク様は、「ああ、リディは柔らかいですね」と口を開く。耳にかかる息のくすぐったさにどうにかこうにか正気を取り戻したが、この座り方を改める気はないらしい。

 

「ああああ、あのっ、エリク様っ」

「はい、どうかしましたか?」

「このっ、しゅわり方はっ、こっ、恋人同士がするものですよね……?」

「私とリディは婚約者同士ですから、おかしくはありませんよ」

「そうなんですが! いきなりはダメですよね!?」

「慣れてください」

「は?」

「慣れてください」

 

 聞き間違いではないということは、あれか。この間の仕返しか! これはエリク様にとって譲れない、と。となれば、オレも飲まないといけないわけで……。だけどですねっ、これは恥ずかしいんですが!

 

「あー……、のですね、エリク様がそこまでおっしゃるのなら、頑張りますが、もう限界に近い、です」

「そのようですね」

 

 わざわざ耳元で囁くように言うなんてなんて男だろうか。「ふやっ」とか変な声が出てしまったではないか。

 

「フレイヤフレイヤ助けて」

 

 左隣に座ったフレイヤに助けを求めるがしかし、その横顔は真剣になにかを眺めている。なにかではなく、書類を眺めているのだが。隅から隅まで読んでいらっしゃることだろう。

 

「どうやら、助けは期待できないようですね。なにも取って食おうなどとは考えていませんので、このままおとなしくしていてください」

「なら耳元で喋らないでくださいっ! くっ、くすぐったいですからっ」

「……はは」

 

 なに笑ってんだよてめえ! その笑いはわざとだな! わざとだよな!?

 

「その笑いで解りましたがっ、わざとだとしたらひどい男という認識になりますよっ? それでもいいと?」

「リディのかわいさに溺れている事実がありますし、脅しという卑劣な行為をした覚えもあるので、その認識で構いませんよ。――いまは」

 

 躯を捩って見上げると、エリク様は笑みをひとつこぼす。あ、これ、十センチ以上の身長差がないだろうか。オレの身長はちょうど百六十ぐらいあると考えても、エリク様の身長は高めだからな。

 

「身長はおいくつで?」

「身長ですか……? そうですね。百七十後半――ああ、じきに百八十に届くと思いますよ。成長期ですので」

「なにぃっ!? 美形で高身長で王族家の一員とかなんだそれは! 物語の主人公にでもなるつもりか!」

 

 なんだそれは。なんなんだそれは! そんな完璧主人公みたいなことがあっていいのか!

 

「私がなりたいものは貴女の夫ですので、物語の主人公は辞退させていただきますね」

「まっ、真面目に返すなアホっ! っとに、冗談も通じないのか」

「リディに関しては誠意を見せなければと思っているだけですので、ご安心を」

「誠意ですか?」

「そうですよ。好感度を上げるには大事なことですので」

「今度は好感度ですか?」

「はい。脅しで下がった分を上げるのに必死なんですよ、私は」

 

 好感度と言われてもなあ。オレは名前と顔がいいぐらいしか解らなかったし、上がりも下がりもしないぞ。まあ、下がっていると思っていてくれるのなら好都合、か。悪いようにはされないだろうしな。

 

 ――という結論を出したあと、なにを思ったのかは知らないが、「リディの髪は美しいですね」と背中に流れる髪を撫で始めるのはどうしてか。髪の毛の美しさなら、フレイヤも母さんも美しいというのに。あ、いや、父さんも艶々よ? つっやつやよ? なんでかは解らないが――いや、おそらくは魔力が関係しているのかなんなのか、王族はみんな髪の質がいいな。というかさ、美しいというなら、エリク様の髪もきれいだよ。蛍光灯の明かりに照らされて煌めいているんですがね。

 

 思わずといった具合に「きれい」とわしゃわしゃ髪を撫でれば、エリク様は「はい、ありがとうございます」とはにかんだ。頬を染めてなにやら嬉しげに。書類を読み込むフレイヤ以外からは息を飲む気配がしてきたが、思わず手が伸びてしまったでござるよ。そりゃあそうなりますよね、立場としてはエリク様の方が上ですし。

 

「えーっとですね……、申し訳ありません」

「いいえ、お気になさらずに」

「――どうやら、どちらにとっても不利益はないようですね。それと、姉様には私の頭も撫で回してほしいですお願いします」

「はいはい」

 

 エリク様の笑みを他所に、うっとりとした顔のフレイヤの頭を「フレイヤの髪は触り心地がいいよなー」と撫でると、ふにゃりと頬を緩ませる。いやあ、フレイヤはいつ見てもかわいい子だ。背後というか、左肩側からは冷たい空気を感じるが、気にしてはいけない。

 

「姉様も読まれますか?」

「……頑張るよ」

 

 何枚か重なる書類を受け取ると、さっそく目を通し始める。「この婚約は、双方の合意の上で行われるものとする」、か。脅しでも合意は合意だから、違反ではないよな。大丈夫だからこそ、こうなっているんだよな……? そんな文言の下には思ったとおりに、つらつらと文字が並んでいる。

 頑張ると言いつつも、フレイヤの助けを借りてなんとか読み終えて解ったが、いわゆる釣り書と誓約書であった。なんか本格的だな。そういえばと思い出すが、お見合いの前にパラ見したような気がする……。母さんに今日は天気がいいから出かけましょうねーと言われて連れ出され、お洒落をされて、はいお見合い! と騙し討ちをされたからか記憶には薄いが。どこぞのお嬢様かこれはという髪型にされ、首元、胸元からのボタン周り、袖、裾にヒダが踊るブラウスと足元までを隠す黒いスカート。黒タイツに黒い靴――パンプスといわれるものらしいが、詳しくは知らない――と、清楚に見える服装に身を包んだオレを満足そうに眺める母さんとフレイヤが怖かったのはここだけの内緒話だ。

 

 一瞥して解ったことだが、どうやら母さんもフレイヤも清楚清楚している服装に着替えていたようだ。まあ、オレとは清楚の度合いが違っていましたが。いわば、オレは付け焼き刃のお嬢様で、母さんたちは本物感あふれるお嬢様。父さんはかっちり正装であり、離縁した者だと一目で解るマントを羽織っていた。これからなにが起きるんだろうかと不安になったところで、はいこれ読みなさいねと母から手渡されたのが釣り書――これである。書かれた名前を見て即閉じたが。

 

 誓約書は文字どおり誓約書であり、家同士に不利益を与えないとかなんとか書いてあった。あとはまあ、あのときの言葉と同じく、後悔はさせないとか、出来うる限りの最高のもてなしをするとか、全力を持って貴女を愛するとかかね。ご丁寧にもフレイヤに不利益を与えないとも書いてあったから、エリク様の根はくそ真面目なんだろう。うん、真面目はモテる要素だね!

 

「両家の顔合わせは解るとして、いちいち誓約書を書かないといけないとなると大変ですね」

「これでも簡略化はしていますよ」

「え、そうなんですか?」

 

 なにをどう簡略化したのか気になるではないか。

 

「昔は――という言い方で合っているのかは解りませんが、末端であっても王族家の婚姻となれば、国王陛下に対しての謁見の申し込みから始まりましたから。そこからまたもろもろあって、婚約が約束されるには半年ほどがかりますね」

「めんどくせえ!」

「こればかりはしかたがないんですよ。なにせ王族ですからね」

 

 なるほどなあ。この感じだとだいぶ省略化されているようだが、苦笑を返すエリク様にはまあそうだなと思う。少なからず権力の誇示の意味合いもあるだろうしなー。

 

「魔族の方はどんな感じなんだろ……」

「結婚しましょうそうしましょう、よね」

「こっちは軽いなあおい!」

 

 ちらりと見た母さんの言葉に突っ込むと、「ですから間を取って簡略化しましたね。ここ十年ほど前のことですが」とのエリク様の言があった。

 

「混血は珍しくもないこととはいえ、それはあくまで市井(しせい)の話です。王族やそれに類する者にとっては、いま現在においても文化の違いが支障となっています。つまるところ、好き者同士の婚姻に支障があるのが惜しいということですよ」

「はー……、そうなんですか。オレたちは好き者同士ではないですが」

「いずれ落ちますから、なんら問題はありませんよ」

「引くほど自信満々なんですね」

「ええ、自信はありますから。話を戻しまして、簡略化したといっても陛下への挨拶は外しておりませんので、いずれは挨拶に伺わないとなりませんが」

「それはまあ、歴史がものをいってますね」

「そうですね。挨拶よりも先にすべきことが残っていますから、片づけてしまいましょうか。目の前の書類に署名をお願いします。署名をもって婚約となりますので、以後お見知りおきを」

 

 話しながらも手を動かすエリク様の文字はきれいとしか言いようがない。そういう教育の果てだろうが、オレの文字とは全然違う。

 

「署名は家に帰ってからでも大丈夫でしょうか?」

「この場でお願いします」

「即答やめて」

 

 渡される万年筆にぐぬぬと不満を顔に出すがしかし、回避はできなかった。くっ、こうなれば覚悟を決めるしかないのか。ミミズがのたくったような文字に怯えるがいい!

 

 署名のためになのか、腕を緩められればすぐに前屈みになるように書類へと向かう。と、真後ろと左横からの視線を感じる。熱い視線が。

 

「そんなに見られると書きづらいのですが」

 

 特にフレイヤ。ガン見しないで。そんなにキラキラした目を向けないでくれないか。「姉様の直筆とは、なんと羨ましいことでしょうか」とか、わけの解らないことを言わないで。

 

 視線に晒され緊張しつつも、さらさらさらり。書きやすい万年筆で書いた文字は――お世辞にもきれいとは程遠い自分の名前だ。連名となっているが、文字から見ても重ねた歴史が違うことが一目で解るだろう。オレは自由奔放、やりたいことをやらせてくれた感じに育てられたんだよ。魔法の練習も山の中の冒険も海水浴もピクニックも――必ず両親やフレイヤ、侍従さんたちと一緒にだったわけだが、おそらくエリク様はそうではない。侍従はついていただろうが、自由ではないだろう。そもそも人種からして違うし、果たしてこの婚約は巧くいくんだろうか……。いくら破棄ができるといっても、さすがにこちらからはやりづらいし、エリク様が破棄を申し出ない限りは難しいんじゃないだろうか。

 

「それでは、こちらは預かりとなります。おふたりには数日以内に複製を送らせていただきますので、お待ちください」

「はい、丁重にお願いします」

 

 エリク様が答えると、どこからか現れた黒服――ではなく、メイドさんが署名した書類をもっていってしまった。一瞬しか見られなかったが、由緒正しいかっちりメイド服を身にまとっていたのだから、気品は相当上だろう。(うち)のメイドさんや執事さんはあそこまできっちりではないので、やはり格が違うとしか言いようがない。いま現在ソファーの後方に立っている護衛兼任のメイドさんだってそうだ。

 

「エリク様、婚約破棄をなさるのなら、早めにお願いしますね」

「たったいま婚約を終えてその言葉ですか。飛躍しすぎだと思うのですが」

「申し訳ありませんが、巧くいくか不安なので……」

「そうですか。リディは不安を取り除けと言いたいのですね」

「みっ、耳元で喋らないでくださいますか!」

 

 抱え直されたのち、ふむと言う声が聞こえてきたが、なんで耳元で喋るんだ、くすぐったい! つか、そもそも、この不安は簡単には消えないだろう。身分差だってそうだが。

 

「――後悔はさせません。貴女が望むことならばなるべく叶えます。それでも不安だと言い張るのならば、私は私の全力を持ってそれを排除しましょう」

「目が怖いのですが」

「言いましたよ、私は必死だと」

 

 ――貴女を手に入れられるのなら、どんなことでも致しましょう。たとえそれが犯罪であっても。

 

 まるで理解しがたいその言葉のあと、取られた手の甲へと唇が寄せられる。それこそ誓いのように。王族の一員を犯罪に走らせてしまうなんていうのは、なにがなんでも斬首は免れないだろう。なんて罰ゲームだこれ。

 

「本気、なんですか?」

「ええ、私は本気ですよ」

「犯罪はやめてくださいよ? 命がいくつあっても足りませんからね」

「では、貴女でもって止めてください。リディ」

「難しい気もしますが、犯罪に手を染められるのはやっぱり嫌なので、全力で止めさせていただきます」

「はい、喜んで」

「そこで喜ぶな!」

 

 なんでなんだと暴れると、「危ないですから」と強く強く抱かれてしまう。ひょおおおお! と心中で驚く間にも、エリク様は手を離すことなくそのままだ。

 

「もう暴れませんから離してくださいっ」

 

 ふーふー荒い息を整える間に言った言葉は「嫌です」のひとことで覆され、さらに躯が密着してくる。灰色の髪が上向く頬にかかるまでには顔が近づいてきており、どきりとする。え、なんでキスするみたいになっているんですかね? そう気がついて、今度はひょえぇっと泣きそうになると、ドンとかガンガンとかなにかを叩くような音が近くから聞こえてきた。

 

「ぴっ!」

「フレイヤ・アトリーは叩き壊す気ですね」

 

 思わずびくりと躯が跳ねつつ、なにを壊す気なんだと問う前に自然と視線を向ければ、フレイヤがドンドンガンガンやっていた。危ないぞ、馬鹿者! と心配に襲われつつも、いつの間にやら張られていたらしい結界に口をぽかんとさせてしまう。

 

「あ、え……っ、結界、ですか?」

「フレイヤ・アトリーから殺気が窺えたので安全のために。キスには殺さんばかりの視線をいただきましたよ」

「解除をお願いします」

「嫌だ、と言ったらどうしますか?」

「お願いします、エリク様」

 

 見上げた姿勢のままじっとエリク様を見ると、「少し言ってみただけですよ。本気ではありません」と肩を竦めた。「はい」と答えると、ふたたび手の甲へと唇が落ちてくる。

 

「なにがあろうとも、貴女は私の婚約者であり、私の一番目の人です。それを忘れないでいてくださるのなら、解除致しましょう」

「仰々しいのは慣れません……」

「慣れてください」

 

 そう言って笑みをこぼしたのち、結界は跡形もなく消えていく。と、体当たりをするように「姉様ぁあぁあ!」とフレイヤが抱き着いてきた。泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにして。

 

「フレイヤ、オレは大丈夫だから」

「姉様、姉様ぁ」

 

 背中を撫でながら「大丈夫、大丈夫」とあやしていると、ようやく落ち着いてきたのか頬をすりすりされる。位置的に頭になるのだが、頬擦り(これ)はずっとされているから、痛くも痒くもないぜ。

 

「シスコンが極まっていますね」

「黙りなさい、(けだもの)が! 姉様になにをなさっているのですか!」

「手の甲にキスをしただけですよ、私は」

「いいえ、手の甲だけではなく、あわよくば唇も奪おうとしていましたよね!?」

「否定はしませんが」

「やっぱり獣ですね! いいですか、姉様。獣に近づいてはなりませんよ?」

「気をつけるよ」

 

 これ以上ふたりの仲をこじらせるのはいけないと従うオレにフレイヤは満足そうに笑ったあと、また頬をすりすりしてきた。

 

「端から見れば、貴女の方が獣のように見えますよ、フレイヤ・アトリー」

「まとまりかけたところでケンカを売らないでください。ややこしくなるのは嫌ですからね」

 

 おい、人の苦労を水に流そうとするんじゃねえよと思いつつ鋭くエリク様を睨むと、しれっと「事実ですからね」と言ってくる。だからどうしてそうケンカを売る真似をするんだよおおおお!

 

「ケンカを売らないでくださいっ」

「私にはいいところで止められた恨みがありますので、それを晴らさなければ意味がありません。それでも止めようとなさるのならば、お好きにどうぞ」

「解りました、好きにさせてもらいます」

 

 フレイヤとエリク様の仲がこじれにこじれて面倒ごとになるぐらいなら、オレの羞恥などどうということもない。「フレイヤ、ちょっと離して」と背中を軽く叩くと、フレイヤは「はい」と渋々、名残惜しげに離してくれた。「ありがとう」「いい子」と頭を撫でたあと、エリク様に向き直る。実際に躯の向きも変えてね。膝上に座る形で大変恥ずかしいのだが、この際うだうだ言わないぞ。

 

「っ……、リディ、なにを――」

 

 慌てた上擦る声に、「お好きにどうぞと言ったのはエリク様ですよ?」と返して腕を伸ばした。キスは無理だから、抱きしめるだけだけど。

 

「これ以上はケンカを売らないでくださいね」

「は、い……」

「本当に本当ですよ?」

「約束は守ります、から」

「それならよかったです」

 

 よかったよかったとぱっと離した手はすぐさま取られ、ふたたび腰へと誘導される。え……、これはなにごとか!?

 

「エ……、エリク様?」

「もう少しだけお願いします」

「あ、はい」

 

 真っ赤な顔でくしゃりと泣き笑いの表情をされたら、しないわけにはいかないだろう。フレイヤもフレイヤで唇を尖らせながらも「珍しいものが見られましたし、抱きしめるぐらいならまあ、許してあげてもいいでしょう」と言ってくれたし。それはいいとして、この身長差はどうにかしたいなあ。見上げなければならないことは必至だし、胸元あたりに顔がくる形は絶対に埋まることがないと言われているようでプライドが崩れそうになる。

 

「はー……、オレも大きくなりたいな」

「……大変恐縮ですが、大きい方だと思いますよ……? その……、私からは、服の上からでしか解りませんが、形もきれいですし、ね」

「なにを考えているのかは言いませんが、胸の話ではないです。身長の話をしています」

「……それはとんだ失礼を」

 

 さらに赤くさせた顔を逸らしてもにょもにょ言う姿は、ちょっとかわいいなと思ってしまう。

 

「気にしてませんので。フレイヤに言うのはダメですが」

「言いませんよ」

 

 これ以上の失態は避けたいですから。

 

 エリク様は顔を戻してうつむくが、取り繕うのに必死だと見た。

 

「さ、姉様。取り繕う男など放っておきましょうか」

「フレイヤも言い方が悪いぞ」

「そうでしょうか? 私には姉様を危険なものから遠ざける役目がありますからね」

「助かるけどさ、フレイヤもケンカを売るなよなー」

「はい、姉様。これからは気をつけます」

「よろしく」

 

 さあと手を引かれて腰を下ろした先はフレイヤの隣だ。エリク様、オレ、フレイヤの順である。この順番なのはフレイヤなりの譲歩なんだろう。

 

 一仕事を終えたらしいテーブルの上には料理が運ばれてきていた。料理というよりかは、デザートだ。神々しいショートケーキと飲み物――匂いからして紅茶だろうか――がオレたち家族の前に並べられる。

 

「本日はご足労いただきありがとうございました。ほんのお礼となりますが、どうぞお召し上がりください」

 

 なんだと、神々しいショートケーキがお礼だと!?

 

「フレイヤフレイヤ、エリク様は好い人だと思うぞ」

「あまりにも簡単に攻略されすぎですよ、姉様。心配でなりません」

「なんとかなる精神だ、フレイヤ」

「なんとかされては私が困ります。獣は獣ですから」

 

 そこは気を引き締めていくからと伝えると、フレイヤは「解っていただけたなら、もうこれ以上はなにも言いませんよ」と頭を撫でてきた。こども扱いされるのもいつものことなので、なんの言及もしませんよ、オレはー。

 

「おうよ」

「では、いただきましょうか」

 

 フレイヤと同じタイミングでデザートフォークを手に取り、一口サイズに切ったショートケーキを口に運ぶ。はい、うまい! フレイヤも「思っていたよりもおいしいですね」と口元を緩ませていたから、まずいわけがないのだ。

 

「お口に合うようでよかったです」

「本当においしいです。ありがとうございます」

 

 いつものようにうまいと言わずにおいしいですなのはそういう雰囲気だからだ。ショートケーキを食いつつ、改めてエリク様を観察してみることにする。いまさらだが。柔らかな笑みを浮かべてにこにこしている印象だったが、なかなかやる男だなというのが一番。イケメンですねが二番。背が高いですねが三番。総合した結果は非常にムカつきますねという感想だ。モテそうだしモテそうだしモテそうだし!

 

 きーっと悔しげに歯をギリギリしていると「姉様」と頬を引っ張られてしまった。オレはおもちかといった具合にびにょーんと伸びて――はないです。「そういうことは殿方の前では控えてくださいね」とたしなめられてしまう。

 

「ううー……、らって、ムカひゅくんらよー」

「たとえムカついても、ですよ」

 

 ぱっと手を離したフレイヤは、「姉様のいじけた顔は至高ですからね」とかなんとか言っている。うん、意味が解らないね。

 

「フレイヤの方がかわいいよー?」

「そうですか。それはありがとうございます」

 

 嬉々が解るように柔らかく笑ったフレイヤは最後の一口を口に運ぶと、残りの紅茶にも口をつけていく。優雅すぎて真似できませんね。父さんも母さんもケーキを食い終わっているようであり、オレも残りを掻き込み――切っては運んでというやつで、本当に掻き込んだわけではないぞ――、紅茶を流し込んだ。

 

「姉様、そんなに急いで召し上がらなくとも大丈夫ですよ?」

「いやなんか、オレひとり残されてたし、そんな雰囲気だったからさ」

「どんな雰囲気なんでしょうか?」

 

 いや、改めて聞かれても困ると答えれば、フレイヤは「それもそうですね、いまの言葉は忘れてください」と言ってきた。オレの頭を撫でながら。言葉が解るフレイヤはいい子だよなあ、本当に。

 

「ごちそうさまでしたー」

 

 紅茶も飲み終わり、カップをソーサーに戻したとたん、メイドさんの腕が伸びてくる。テーブルの上がふたたび片づけられると、エリク様は「リディ」と柔らかな声でオレを呼び、「はい」と答えると手を取った。またまた恭しく。ううん……、これはまだ慣れないな。そんな戸惑いとともにエリク様を見上げると、「これから公私ともどもよろしくお願いしますね」と軽く頭を下げてくる。

 

「あ、はっ、はい! こちらこそよろしくお願いしますっ!」

「はい、末永く」

 

 やっぱりきれいな髪だなあ、天使の輪もあるんですねーと思ったが、いけないいけないとこちらも慌てて頭を下げた。数秒間の間があったが、失態ではないよ、な……? 返事はちゃんとあったから、問題ではないと思いたいです。

 

「では姉様、もう用は終わりましたから帰りましょうか」

「お帰りでしたら、お見送りを――」

「必要ありません」

 

 べりりっ! と音がするかのごとく引き剥がされたあと、メイドさんに押しつけられたオレはフレイヤの耳打つになんだろうかと考える。エリク様になにを言ったんだろうか。

 

 一瞬目を丸めたエリク様であったが、「ええ、心得ていますよ」と真面目な顔になる。なにをだ、なにを心得ているんだ!? と内心慌てるオレであるが、フレイヤの「それならば、少しは信用して差し上げましょう」の言葉にもっとわけが解らなくなってしまう。ふたりで完結しないでくれええええ!

 

 エリク様に対しての敵意が少しばかり消えたのはよかったことかもしれないが、手を引くフレイヤにはなにも聞けなかった。答えはすぐに解ったからだ。

 

「姉様、いくら私が婚前交渉は厳禁だと言っても、相手は獣ですからね。迫られた場合は叩き潰してください」

「叩き潰したら最悪斬首だぞ、フレイヤ」

「それでしたら、股間を蹴り上げる練習でもしましょうか」

「同じだから! 痛い話はやめてー!」

 

 亡きものとなった痛みを思い出してひぃいぃ! と身を屈めると、フレイヤは「姉様を怖がらせるつもりはありませんから!」と慌て始めた。「この話は終わりですが、獣には気をつけてくださいね!」と一方的に打ちきり、「姉様ぁ」と抱きしめてくる。変な話をしたから、避けられやしないだろうかと心配なんだろう。

 

「大丈夫、大丈夫。オレはフレイヤを嫌いになんてならないよ。どんなことがあってもだ」

「はい、姉様」

 

 安心したような声に、オレも安らぎを覚えていく。婚約に対しての不安はいっぱいあるのだが、する前に戻ることはないのだからどうしようもない。こうなれば、オレが目指すのんびりとした暮らしを突き進むのみだ。エリク様にも手伝ってもらえばのんびりできるかなあと思えば大丈夫だろう。

 

 頑張れ、オレ! 負けるな、オレ! と心のなかで呟きつつも、小さく拳を振り上げた。

 

 もちろん、フレイヤと手を繋ぎながら。

 

 

 

 



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