ヤンデレの病弱妹に死ぬほど愛されているお兄ちゃんは蒼星石のマスター! (雨あられ)
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1話

「まきますか?まきませんか?」

 

大学の帰り、ポストに入っていた郵便物を見てみるとそこにはそんなことが書いてあった。ただの広告のように思えるが、あて先も何も書いてないのでいたずらか何かのようだ。文面もそれしかかかれておらず、裏には何もかかれていない不気味なカードだった。かばんを置き、そう言えば書かなければならない書類があったのを思い出して、かばんの中からクリアファイルを取り出し、テーブルの上に置く。

 

季節は秋になったばかりだが冬並みの寒さで、茶色いダッフルコートを脱いでコートかけにかけると白いファンヒーターの電源をつけた。チチチチッチボッとすこし生ぬるい風が足を吹き抜けて行く。

 

柿崎忍は洗面台に立つと自分の情けない腑抜けた顔を見た。心なしか、黒い前髪もふにゃけている。大学に入るまではすごく充実した高校生活を送っていたと思う。難関大学に入るという目的もあって。一緒にスポーツをする仲間も居て。だが、一度卒業してちりぢりになると、皆連絡こそたまにすれど、会う機会は滅多になくなり最近はメールのやり取りすらなくなってきている。大学に入って楽しい活動や充実した勉強が出来るとも思っていたが、大学に慣れて来ると次第に真面目に講義も受けなくなり。今日もつい早退してきてしまった。

大学で出来た友達と話したり、飲み会に誘われたりしているが、どれも話をあわせるだけの知り合い。でしかない。

 

顔を水でばしゃばしゃと洗うと、活を入れるために頬を叩いた。しっかりしろ。

叩いた頬が思いのほか痛かったので、やめておけばよかったと思った。

 

 

 

書類にチェック事項を適当につけているうちに、ふと、さきほど置いた紙が目に入った。まきますか。まきませんか。なんてことは無い、ただの悪戯。紙を手に取ると、まきます。と油性ボールペンで大きく囲む。こんなことしたところで、まるで意味なんてないのに。それをぽいっとゴミ箱の方めがけて放ってみると、紙はしゃっと飛んだが、ふわりと浮かび、こてっと、ソファの隣に落ちた。ま、そんなに上手く行くはずが無いか。書類に再び目を通し始め、適当にチェックをつけて行く。今日もバイトがあるので、行かないとなぁ。チラッと時計を見たが、まだ相当余裕があるし少し寝てしまうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遅刻しそうになった。あの後慌てて用意をして、飯も食べずにバイトに行った。お陰で動きが悪く、バイト先のパスタ屋の店長にも心配をかけてしまった。何とか乗り切ると、帰りにちょっとしたまかないを持たせてくれたので、それを持って帰ってきた。店長さんは優しい人だと思う。

 

マンションについてポケットからじゃらっと鍵を取り出すとそれを差し込んでひねった、が、妙な違和感があった。

 

開いている!?

 

まさか鍵をかけ忘れた?それとも泥棒に入られた?さっと嫌な予感で頭が白くなった。

直ぐにドアを開けて電気をつける。早速、違和感に気がついた。

 

大きなカバンが1つ、どんと机の上においてあったのだ。

 

他のところが荒らされていないかくまなく探してみたが、特にそういった様子は無かった。ただ、一つ、この大きな茶色い鞄を除けばいつも通りだ…

 

誰かが間違えて家に置いた?いや、そんなはずは無い。隣は空部屋だし、大家さんは荷物を預かったとしても、何も言わずに置いて行くような人ではない。嫌がらせ?悪戯?

 

悪戯。ふと、昼ポストに入っていた紙のことを思い出した。ソファの近くのゴミ箱付近に落ちていた紙はいつの間にかなくなっている。同一犯か?

 

 

しばらく鞄の前で腕を組んでにらめっこしていたが、もういっそあけてしまうことにした。もしかしたら誰か昔の知り合いが悪戯を仕掛けていて、この様子を隠しカメラで取っているかもしれない。おどおどせずに、堂々としておこう。

 

鍵つきのようだが、鍵のかかっていないその鞄を開ける。すると中には人間。いや、生きているような、綺麗なアンティークドールが入っていた。青いケープに膝まで伸びた青い半ズボン。白い袖の長いブラウスを着て、赤毛に近い焦げ茶の髪をショートカットにしてある人形。頭のあたりには黒いシルクハットのようなものもあった。まるで、王子様か何かのようだ。それが目を閉じて、静かに眠っていた。とてもよく出来ていて、今でも人形には見えない。それくらい精巧だ。

 

ほっぺたのあたりを触ると、指がぷにっと弾力で跳ね返され柔らかい。本当はただ眠っているだけなんじゃないかと思えてきた。すっと腰のあたりを持ち上げると、顔の横のあたりに金色のゼンマイがあることに気がついた。もしや、と思い背中の辺りを探すと、案の定、螺子穴を見つけることができた。

 

「これで動いたら、SFかファンタジーだな。」

 

螺子の穴にゼンマイをさしこみ、きりきりと巻いて行く。動くわけ無いか、などと思い、螺子を鞄に戻し、人形を机の上にそっと座らせた。

 

すると。

 

「っ!?」

 

ぴくぴくっと体を動かして、カクカクとひとりでにおきあがり始める蒼い人形。まるで、宙に糸で吊るされて、誰かが起き上がらせている様だ。あまりの光景に腰を引かせて、イスから立ち上がってしまった。

 

ぴたっと垂直に足を伸ばし、少しずつ目を開ける。俺からみて左が碧色を、右が紅色をした綺麗なオッドアイだった。あまりの驚きに、声を出すことすら忘れ、見とれていた。蒼い人形はあたりをきょろきょろと見回し、後ろにある鞄からごそごそとシルクハットをとりだすと改めてこちらをみた。

 

「あなたが僕の螺子を巻いてくれたのですか?」

 

男にしては高い、女にしては少し低い、そんな声を発した蒼い人形。首をこくっと縦に振ると。向こうは目を瞑って頷き。シルクハットを胸にあてて、目を開けると言葉を続けた。

 

「僕はローゼンメイデン第4ドール、蒼星石です。」

 

口の端をあげて優雅に微笑んでみせる、蒼星石と名乗る人形。お辞儀をするその姿は一枚の絵画のようだ。少しだけ顔を上げると

 

「僕たちローゼンメイデンは、お父様に作っていただいた意思を持った人形のことで、人間と契約することで本当の力を発揮することができます。そこで、僕は螺子をまいてくれたあなたに僕のマスターになって欲しいのだけれど。」

 

どうでしょうか?と続ける。輝くオッドアイで俺の目を覗き込む蒼星石。

ようやく落ち着きを取り戻した俺は、渇いた喉でしぼった声を発することができた。

 

「契約って言ったって。全く何も分からないのに、結べるわけ無いじゃないか。」

 

そういうと、蒼星石は目を伏せ、眉をハの字にした。

 

「はい。申し訳ありません。説明が不十分でした。」

 

 

 

 

 

それから蒼星石は次々とありえないような話を始める。

 

7人の姉妹で行うアリスゲーム。ローゼンメイデンの行使できる様々な力。そして、7人の姉妹全員を倒して、ローザミスティカとかいうのを集めて真のアリスになるのが目的だとか。姉妹ということは女の子なのだろう。不用意に男とか言わなくてよかった。

 

契約を結ぶというのは、先ほども聞いたが、ローゼンメイデンは、持っている全ての力を引き出すには人間を通じて力を供給してもらわねばならないらしい。そうしなければ、アリスゲームではとても戦っていけないのだとか。

 

つまり、姉妹で遊ぶゲームといったところか。それで優勝をめざす。

 

「もし、仮に俺が契約を断ればどうなるんだ?」

 

「僕が別のマスターを探すことになるだけです。マスターには何のデメリットもありません。ですが、僕としてはレンピカが選んだ、あなたにマスターになって欲しいと思います。」

 

「レンピカ?」

 

「僕たちの持っている人工精霊のことです。出ておいで、レンピカ。」

 

くるくると蒼い発光体が蒼星石の周りを飛んでいる。もう多少のことでは驚かなくなっていた。

 

「僕は、見ての通り何も持っていません。ローゼンメイデンは少し特殊なので、人間のように寒さを感じたり暑さを感じたりしますし、食事を取ったり睡眠をとったり、人間のように生活しなければなりません。」

 

「ですが、僕はあなたに誠心誠意お仕えします。どんな命令にでも従います。できることならば何でも、出来ない事でも、出来るようになって見せます。なので、どうか、僕と契約を結んでくれませんか?」

 

片膝をついて、胸に手を当て、最初のときより激しい言葉で主張する蒼星石。まっすぐなそのオッドアイの瞳に、俺は気がついたら「うん、よろしく」とうなづいてしまっていたのだった。

 

 

 

「では、この薔薇の指輪にキスをしてくれませんか。」

 

すっと左手を差し出す蒼星石。その薬指には薔薇の花のようなものがついた指輪が嵌っていた。手を取って唇を当てる。

 

ぱあああっと蒼星石の指輪から蒼い光が部屋中に広がった。次に、感じたのは俺の左手の薬指が、燃えるように熱くなったこと。たばこの火を押し付けられているようなじゅうっとした熱さ。それから、蒼星石同様、神秘的な光が発光している。

 

しばらくすると光は収まり、薔薇の指輪が薬指に嵌っていた。契約が、完了したのだろう。指輪をじっと見ていたが、蒼星石に向き直ると挨拶も済んでいないことを思い出した。

 

「俺は、柿崎忍。改めて、よろしくな、蒼星石」

 

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。」

 

目を合わせて微笑んだ。何かが、変わる気がした。退屈だった毎日が、少し。

 

「じゃあ、早速蒼星石にお願いしようかな」

 

「はい、なんでしょうか」

 

ぴんと人差し指を立てて、机の上に立っている蒼星石に初めて何か頼みごとをしてみることにした。ずっと気になっていたことだ。

 

「その堅い敬語はやめないか?」

 

「え!?」

 

目を見開いて驚く蒼星石。

 

「いや、そんなにかしこまられると、これからここに一緒に住むんだから、かたっくるしくてしょうがないよ。だから、敬語は禁止」

 

「で、ですがマスター。」

 

「禁止」

 

「あ、う」

 

と歯切れの悪い回答が帰ってきた。思ったとおり、真面目な子のようだ。

 

「まぁ、はじめは敬語でも良いから、ちょっとずつ、リラックスしていこう。な?」

 

「はい。マスター。善処します。」

 

それが堅いんだけどなぁ。などと思いながら頭をかく。じゃあ、と口を開き。この西洋の生まれのような人形に出来そうなことをお願いしてみることにした。

 

「あったかいハーブティーを入れてくれないか?今日は寒くって。」

 

「はい、お安い御用です。マスター」

 

そういうと、今度は自分に出来る仕事だったので、少し嬉しそうに頷き、蒼星石は机から飛び降りると直ぐそこにある台所へと向かった。ハーブティーなんて、直ぐそこにあるポットとハーブティ缶、カップがあれば簡単に入れられる。高さも、ちょうど良いイスがあるからなんとかなるだろう。そう思っていた。

 

しかし、しばらくすると、蒼星石がすごすごと落ち込んだ様子で帰ってきた。もしかしたらハーブティ缶の場所が分からなかったのだろうか。

 

「ハーブティ缶ならポットの隣に…」

 

「いえ、あの…火をつける場所がなくて…」

 

「え。」

 

あぁ、なるほど、もしかして、

 

「ちょっとゴメンな」

 

「あ。」

 

そっと蒼星石をお姫様抱っこすると、台所の方へと向かう。

 

「えーっと、蒼星石が最後に目覚めたのって何年ごろかな?」

 

「はい、年、というのがよくはわかりませんが、小さな島で、ええっと、銃や剣で戦争をしていました。」

 

「ははぁ、なるほどな。じゃあ、この世界のことはわからないことが多いな。」

 

「すみません。」

 

「ううん、一個ずつ勉強していこう。まず、お茶の入れ方なんだけど、ここに、機械、っていう電気で動くメカがあるんだ。」

 

「電気で動くメカ?」

 

「そうだな。カラクリってところだ。」

 

「あ、はい、わかります。」

 

「それで、まず、ここにお茶のポットをおいて、ハーブティ缶を入れるだろう」

 

蒼星石を左手だけで抱っこすると、右手で次々と動作をこなして行く。

 

「それで、ここのスイッチをおせば。」

 

じゅぼぼぼぼぼ、とポットの中からお湯が出てくる。

 

「す、すごい!この中に、お湯を保存できるんですね。」

 

「そうそう。これからお茶をいれるときはこれを使えばいい。お湯が無くなったら、こうやって、上から水を入れるだけでいい。」

 

蛇口をひねって水を出すと、カップに水を入れ、ポットを開く。むわっと湯気がでたが、それをちょっと離れてかわすと水を注ぎ込んだ。

 

「なるほど、わかりました。」

 

「まぁ、とりあえず、色々教えたいことも有るけど、お茶でも飲みながらゆっくり話そうか。」

 

「え、は、はい、よろしくお願いします。マスター。」

 

初めて見たときよりも随分と明るい笑顔をしている蒼星石。つい、良い位置にあった頭を軽く撫でてしまったが、本人は文句を言わず、目を閉じると口元を緩めて受けてくれた。

 

退屈な毎日だったけど、これから少しづつかわって行くかもしれない。そう思うと、俺の顔も同じようにゆるんでしまう。

 

しかし、俺の生活が少しどころか、大きく変わってしまうなんてこと、この時は思いもしなかったのだった。

 



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2話

一通り台所の説明も終わり、今度はローゼンメイデンについて尋ねてみた。蒼星石はローゼンメイデンの7体のうち6体とは既に面識があるらしく、危険で好戦的な第1ドール以外とはそこそこ良好な関係になっていたらしい。てっきり姉妹と言ってもみんなが嫌いあったりしているのかと思った。

 

嫌いあっていると勘違いした原因はそのアリスゲームとやらにあった。アリスゲームは決着がつけばみんな元通りになったり、次また別のゲームをしたりする本当に遊戯か何かだと思っていたが実際は全然違うらしかった。ゲームなどと言っているが、ローザミスティカを奪うのはそのドールを殺すのと同義。つまり姉妹でお互いを壊しあうのがアリスゲームなのだ。とったローザミスティカを返したりはしないらしい。それに、壊れるともう2度と元には戻らない。仲良しの姉妹同士がそんなことするなんて。悲しすぎる気がした。

 

「そのアリスゲームはいつはじまるんだ?」

 

「ローゼンメイデン全員が目覚めたときです。僕はいつも翠星石という双子の姉と目覚めるのですが。今回は一緒じゃないようですね…」

 

きょろきょろと改めて辺りを見回す蒼星石。

 

「あぁ、ここに置いてあったのは蒼星石の鞄だけだったよ。それにしても、双子?皆が姉妹じゃないのか?」

 

「はい、皆お父様に作っていただいた姉妹です。ですが、皆別々の時期に、違うコンセプトを持って作られました。僕と翠星石だけは同時期に一緒に作られたから双子なんです。なので、作られて目覚めたときも、過去のアリスゲームで目覚めたときも、いつも一緒だったのですが…」

 

カップを持って、顔を曇らせる蒼星石。透明な液体を眺めている碧色の瞳に悲しい影がよぎった。

 

「どういうお姉さんだったんだ?」

 

「そうですね…翠星石は人見知りで、不器用で、でも本当は甘えん坊で…生き物に対する優しさなら、彼女が姉妹で一番だと思う。彼女は、双子だけど僕にないものをたくさん持っているよ」

 

そういうと少し蒼星石は笑った。

 

「蒼星石は、翠星石のことが好きなんだな」

 

「はい。大事な双子の姉ですから。」

 

「じゃあ、その、アリスゲームでもしも翠星石と戦うようなことがあればどうするんだ?」

 

「それは…いえ、そうですね。僕は、彼女と戦うでしょう。このローザミスティカをかけて」

 

胸の服を握り締め、悲しそうに語る蒼星石。こんなの、間違ってるんじゃないのか。

 

「なら戦わなければいいじゃないか」

 

「え?」

 

「その、ローゼンさんと言う人が蒼星石にとってはお父さんで、大切な人らしいけど、姉妹同士を煽って戦いわせようとするなんて、正直おかしいと思う。まるでゲームを楽しむ愉快犯だ」

 

「!」

 

蒼星石の目が、くわっと見開いた。綺麗なオッドアイには憤りの色が見える。

 

「あ、いや、すまん」

 

「いえ…確かに、客観的に見るとそうなのかもしれませんね。でもそれが、お父様の望みなのだとしたら。僕は。」

 

「蒼星石…」

 

俺たちは無言でカチッカチッという時計の音だけを聞いた。心配するほど大事な、好きだといった双子の姉さえも壊すといった蒼星石。それは、正しいとは思えない。でも、蒼星石はきっとやるだろう。あの目は、決意を秘めている目だった。ジレンマのようなものを感じて、俺の胸に出てきた白い霧みたいなのに、もやもやした。

 

くぅ~

 

 

シリアスな空気なのに、俺の腹の虫が勝手にないてしまった。そうだった。昼から何も食べていない。蒼星石は目をパチクリさせて俺のほうを見ていた。赤くなった頬をみられないよう目を逸してハーブティーを流し込もうとしたが。

 

きゅ~…ぅ

 

また今度はさっきより少し大きめに腹がなってしまった。顔を真っ赤にして蒼星石を見ると、もう先ほどのような悲痛な顔はしておらず。目を細めて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貰ってきたスパゲティをレンジで温めて腹に押し込むとすっかり虫は治まった。蒼星石にも要るかどうか聞いたが、僕たちはそこまで食事を取る必要はないから、と言って断られた。何でも食べて味や食感を楽しんだりはするらしいがエネルギーを吸収する目的は無いらしい。マスターとなった人間から吸収するほうがよっぽど力が出るとか何とか。ただ、食事をとる行動自体に何か意味があると言っていた。…食べたものはどうなるのだろう。

 

空腹はなくなったが、お腹が満足すると疲労もあるのか睡魔が徐々に襲ってきた。目がしょぼしょぼしてきて、頭が上手く働かない。

 

「蒼星石。寝るときはどうするんだ?」

 

「はい、僕たちドールは鞄の中で寝ます。ですから寝床は不要です。」

 

「ん、そうか。その、悪いのだけれど今日はもう寝てしまって良いだろうか?」

 

「はい。」

 

元気に返事をする蒼星石。それを聞いて微笑で返すと歯を磨こうと立ち上がった。

 

 

「マスター!伏せて!」

 

 

と叫ぶと、突然席を立ち、ダッと俺に突撃して来る蒼星石。

 

力の流れ通りに俺は姿勢を崩し、右肘から地面に激突した。何をするのだと俺に覆いかぶさる蒼星石を見ようと、顔を起こしかけた、その時だった!

 

ドバッザザザッと居間の一番大きな窓から黒いカラスの羽のようなものが大量にこちらに向かって飛んできた。先ほど俺の居たところを通過して壁にサクサクサクっと、何十本もの羽が突き刺さる。

 

なお部屋中に黒い羽が舞っている。俺と蒼星石は立ち上がると蒼星石は俺を庇うように俺の前に立ち、窓の方を睨んでいた。

 

暗い闇だけを映していた行き違い窓、突然、パァアアと眩しいほどに輝きだし目がくらむ。右腕で目元を覆うと、その光の中からひどい猫撫で声が聞こえてきた。

 

「ウフフフフフ、随分と久しぶりね、蒼星石ぃ。」

 

さらに黒い羽がわっと舞って、光の中から出てきたのは銀の長髪、鋭い赤い目、白と黒で構成された逆十字が印象的な編み上げドレス。背中の真っ黒な翼から羽がぶわっとまい、光が消えると暗闇から出てくる小さい少女。その精巧に作られた外見も、人間にしては小さすぎる身長も、彼女が蒼星石と同じ、ローゼンメイデンの一人だと言う事を裏付けていた。

 

「水銀燈…!」

 

「ウフフ、元気そうね蒼星石。あら?今回は姉の方は一緒じゃないのね…。せっかく二ついっぺんにローザミスティカを手に入れられると思ったのにぃ。」

 

水銀燈と呼ばれたドールは居間のちゃぶ台の上にふわっと舞い降りた。口元に人差し指を当て、不適な笑みを浮かべている。

 

その様子をみて、蒼星石はいらついたように手を払い、声を張り上げる。

 

「水銀燈!君に渡すものなんて何も無い!」

 

「あなたは相変わらず色気がないわねぇ。あら、そこの冴えない男があなたのミーディアムかしら?」

 

「!マスターに手を出すのなら許さないよ。」

 

ぴかっと蒼星石の手元が光ると、蒼星石の背丈ほどもある、金色の鋏が出現した。それを右手で持つと、先端を水銀燈に向けて威圧した。

 

「一人ぼっちのあなたに一体何が出来るのかしら?ウフフフ。」

 

バサっと背中の羽を広げると、まるでダーツのようにひゅんひゅんと黒い羽を俺たちのほうへと飛ばしてきた!狭い場所だったが、蒼星石は金の鋏を両手で持つと、ぶんっと鋏を縦に振り下ろす。すさまじい突風がおこり、羽を全てはじきとばした。すごい威力だ。さらに羽を巻き上げたまま突風は水銀燈に向かって飛んで行く。が、黒い羽で自身を覆うことでそれを簡単に防いでしまった。すっと羽が開き、水銀燈は口端を吊り上げたまま甘ったるい声を出した。

 

「アハハハハ、慌てちゃって…まぁ、今日のところは挨拶だけよ。まだドールも全員でそろっていないもの…。

 

それまで私のローザミスティカ。ちゃ~んとしまって置くのよぉ?」

 

「っく、君は…!」

 

くるりとまわると、人差し指を唇に当てて、ウフフフフと笑いながら窓の中に飛び込んだ。光が彼女を包み込み、消えていった。まるで嵐のような奴だった。

 

「大丈夫ですか?マスター。」

 

鋏を消すと、振り向いて心配そうに尋ねる蒼星石。

 

「ああ、蒼星石のおかげで助かったよ。ところで、今のは…」

 

「はい。彼女はローゼンメイデン第1ドール、水銀燈…」

 

あいつが。ドールの中で最も好戦的で、最も危険な存在。蒼星石は彼女の消えた窓をただじっと見ていた。

 

それにしても。

 

「これ、やっぱり俺が掃除するんだよなぁ…」

 

「え?あ!」

 

部屋中水銀燈の飛ばした黒い羽が落っこちていて、蒼星石の起こした突風が棚にある本や書類を吹き飛ばしていた。寝るのはもう少し先になりそうだ。がくっと崩れ落ちると自身の不幸を呪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとか、掃除も終わった。蒼星石も甲斐甲斐しく手伝ってくれたので思ったより早く終わった。申し訳なさそうにしている蒼星石の頭を撫でて励ます。気づいたのだけれど、蒼星石は結構ネガティブなところがある。負い目を感じやすいというか、だからそういうときには頭をなでてやることにした。人形だからかなでられたり抱っこされると嬉しいのだと本人も言っていたし、問題ないだろう。めぐもごちゃごちゃ言い出した時に、頭をなでればおとなしくなるし。

 

掃除が終わると日が昇り始めていたが、大学も休みなので爆睡してしまうことにした。蒼星石にその旨を伝えると、大きくうなづき、起こさないと約束した。

明日はめぐの見舞いに行くくらいだがそれは昼の1時から。たとえ11時くらいまで寝ていたとしても余裕である。ふわぁとあくびをすると、ぼふっとベッドに体を倒し目を瞑って意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝過ごした。今、時計は昼の4時を指しておりセットしてあった目覚ましは止まっている。蒼星石は俺の部屋の隅っこで正座して俺のことを見ていた。

 

「お、おお!?」

 

「おはようございます。マスター。その、料理を作っておこうかと思ったのですが、どれが使って良い食材だったのか分からなくて…」

 

「あ、あ、ああ。め、目覚ましがならなかったか?この…」

 

「え?ああ、マスターの眠りの妨げとなりそうだったので、止めておきました。」

 

ニコリと微笑む蒼星石。なんてこった。

まずい、まずいまずいまずい。まさかここまで爆睡してしまうとは思わなかった。昨日のどたばたがあったにしろ、寝すぎた。急いで服を脱ごうとし、

 

「きゃ、きゃぁ!ま、ままま、マスター!」

 

「え?ああ!?すまん。」

 

手で顔を覆い隠す蒼星石。しかし、本を読んだりテレビをつけたり色々することはありそうなものだが、じっと座って待っているだけなんて、忠犬ハチ公のようなやつだ。いや、台所は兎も角、テレビや娯楽系のことは何も教えてなかったからそもそも無理だ。俺のミスか。っく、どうせなら起こしてもらえば…いや、起こさないでくれって頼んだのか。…あぁ、考えても仕方が無い。

 

「蒼星石、すまん!俺はちょっと用事があるからはやく家を出ないといけないんだ。だから、その部屋を…」

 

「は、はい。マスター。」

 

そういうと、顔を覆ったまま、たたたっと蒼星石は部屋を出て行こうとしたら、わっとドアに衝突した。いててっとデコを抑えながらふたたび駆けて出て行った。何だあの可愛い生き物。

 

ああ、くそ、まずいなぁそれどころじゃない。このままだと4時間の遅刻だ。めぐのやつになんと言われるか。いや、何を言わされるか分かったものじゃない。とにかく、俺は着ていた寝巻きをぽいぽいっと脱ぎ捨てると、青いジーンズと黒いTシャツに着がえる、上にネルシャツを羽織り、どたどたと洗面所へと走った。

 

顔をばしゃばしゃっと洗うと、タオルでばばっと顔を拭う。急いで歯ブラシに歯磨き粉をつけるて口を高速で磨いて行く。蒼星石に、簡単にテレビの使い方や、食材は基本的に何を使っても良い、食べても良いことを伝えると、洗面所に戻り、口をゆすぐ。ダッフルコートを持って、財布をぽけっとにねじ込むと、行ってきます!と駆け出した。

後ろから。行ってらっしゃいマスター。という蒼星石の声が聞こえた。あぁ、何か良いなぁこういうの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は妹のめぐが入院している有栖川大学病院行きのバス停まで休みなしに走ると、ちょうどバスが来たところだった。急いでそれに乗り込むと、荒れた呼吸を整える。大学が休みの土曜日には、バイトも入れずにめぐに会いに行くことにしている。時間があれば、他の日にも行くが。土曜日は絶対だ。妹は昔から心臓の病で何度も死の宣告を受けているほどの重病だ。…が凄まじい生への執着で生き残っている。お医者さんも本気で驚いていた。綺麗で人懐っこい可愛い妹なのだが少し怖いところがあると言うか…と、そろそろ病院に着きそうだな。バスを降りると、大きな白い建物へと足を進めた。足どりは、非常に重かった。

 

 

 

 

「め、めぐ具合はどうだ?」

 

めぐの居る病室にびくびくしながら入る。めぐは開け放った窓をじっと見ているだけで、何も言わない。夕焼けに照らされ、風がめぐの長い黒髪を揺らしている。俺は、思わず閉口してしまう。ああ、これ、めちゃくちゃ怒っているパターンだな。

 

「めぐ?そのご、ごめんな。」

 

ベッドの横まで行き、声をかけた瞬間。

 

ばっと身を乗り出し、俺の胸倉を掴まれた。

 

そのままほっそりとした細い腕なのに、凄い力で顔をぐいっと引き寄せられた。俺の目を、めぐの真っ黒い光沢の消えた目の中に入れんばかりの距離だ。目と目がくっつきそうなほどに近い。いや近すぎる!

 

「…んで」

 

「え」

 

「なんで!遅れたりしたの!?私、朝からずっと楽しみにしてたのに!この一週間、ゲロみたいな病院食もお兄様に言われたとおり我慢して食べていたのに、ねぇ。なんで何でナンデっ!?」

 

「」

 

がっくがっくと胸倉を掴まれたまま首を体を前後に揺らされる。正直結構しまっていて呼吸が出来ない。とても病気を患っているとは思えない力だ。

 

「あ」

 

すっと左手でめぐの頭をなでてやると、次第に掴まれた手の力が抜けていきぱっと手を離した。

 

「ごめん。ごめんなめぐ。ちょっと、昨日色々あって疲れちゃって。本当、ごめん」

 

「……お兄様」

 

「本当にごめん」

 

「……」

 

暫く無言で俺の目を覗き込んでいためぐだったが、少しずつめぐの目は光沢を取り戻し、かわいらしい微笑みまで見せてくれた。さっきの今でここまで豹変するのだから。わが妹ながら恐ろしい一面を持っている。妹は、ちょっと、いや、大分寂しがりだ。昔から俺には懐いてくれていたが、他人に厳しいというか、冷酷な面があるというか。悪い奴ではないと思うのだけれど。とにかく、怒らせると怖い。

 

などと思っていると、あれ?そう、めぐが何かに気づいたかのような声を出した。頭を撫でていた左手をガシリと掴むと、目を見開いて尋ねてくる。

 

「……お兄様?なんで……左手の薬指に指輪なんてモノ?

お兄様は普段そんな無駄なモノをつけたりしないし、左手の薬指ってことはつまり……うふふ、何処のどなたか知らないけど、私のお兄様に手を出すなんて……」

 

あ、ぁぁぁ……!?

 

「ねぇ、お兄様。私、一度ご挨拶をしたいので是非、ぜひ!連れてきてください。うふ、うふふふふふふふふふ。でも、その前に、はやく、はやくはやくそんな汚らわしいモノはずして捨ててッ!!早くッ!!!」

 

「い、いてっててて!やめろめぐ!?」

 

ぐいぐいと俺の薬指を引っ張り出すめぐ。その瞳は狂気の色に染まっている。やばい、やばいぞ、これは蒼星石の話しでは、力技ではとても外すことの出来ない代物だ。が、めぐならこのまま指の肉ごと削ぎ落としかねない。こうなったら、適当にごまかすしかない!

 

「ま、ま、まて、めぐ!これは……」

 

「あら、でもこれ……?」

 

きょとんとした顔で、ぱっと手を離すめぐ。俺はじんじんする左手の指をぶるぶるっと振るうと、めぐは言葉を続けた。

 

「天使…!?お兄様のところにも!?」

 

「へ?」

 

そういうと、自らの左手の薬指を見せ付けるめぐ。そこには、俺と同じように薔薇の模様が入った指輪がついていた。

 

「ああ、よく見たら同じ柄。何だ、これは天使さんがお兄様と私のためにくれたエンゲージリングだったのね。ふふふふ。天使さん、とても可愛らしくて私、一目で気に入っちゃった。さすがは水銀燈、私の天使」

 

手を合わせて満面の笑みをうかべるめぐ。開いた口が、元に戻らない。めぐがローゼンメイデンと契約していた?しかも、それは昨日俺たちを襲った。

 

「あ、天使さん」

 

「え」

 

「…あ」

 

黒い、黒い羽を生やしたドールが窓の外を、夕焼けの空を飛んでいた。俺と目があうと、ぴたりと硬直して固まる。まさか、まさか昨日の今日でまたローゼンメイデンの第1ドール、水銀燈と再会してしまうとは……!

 



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3話

「水銀燈、きてくれたのね」

 

俺と水銀燈が黙ってお互いを見ていると、めぐは不思議そうに俺と水銀燈を見比べる。俺は水銀燈に会って純粋に驚いているだけだったが、水銀燈は苦々しい表情をして自らの腕を抱いていた。昨日の感じからして、蒼星石のいない俺なんて大した脅威にはならないと思うけど……

 

「水銀燈?」

 

「めぐ……こいつが、アナタの言っていた?」

 

「うん。そうよ、私のお兄様……水銀燈がお兄様との婚約指輪をくれたんでしょう?」

 

キラリと輝く指輪を見せつけると水銀燈は難しそうな顔をした。

 

「……帰るわ」

 

「え?そうなの?今日もせっかく水銀燈のためにゲ…病院食をとって置いたのに……」

 

「……!」

 

めぐがベッドの下から取り出した病院食を膝の上に乗せると、帰ろうとしていた水銀燈がピクリと反応する。

 

「……」

 

あ、無言で戻ってきた。結構素直だなぁ。って、めぐのやつ、床においていた自分が普段まずいと言っている病院食を他人にあげるなよ…

 

「えぇっと、昨日ぶりだね、水銀燈?」

 

「……えぇ、そうね」

 

めぐの布団に腰掛けた水銀燈に話しかけると。ぷいっと顔を逸らして返事をしてくれた。ははぁ、さては俺を襲ったことをマスターであるめぐに知られたくないといったところか。めぐは怒ると怖いからな。さっきのはまだマシなレベルだ。三途の川は見えなかったしすぐ対処したからな。腰を曲げて、座っている水銀燈に顔を寄せると小さな声で耳打ちした。

 

「水銀燈、昨日のことは黙っておこう。その方がお互い良いだろ?」

 

「……」

 

黙ってこちらを睨む水銀燈。敵意のないことを示すために笑顔を向けると、向こうは再び、ふん、っといって顔を背けた。めぐはそんな水銀燈を抱えて膝の上に乗せると、水銀燈の目の前に病院食のプレートを置いた。態度こそ悪い水銀燈だが、ぱくぱくと文句も言わずにおいしそうに病院食を食べ始める。

 

「お兄様?水銀燈と何喋ってたの?」

 

「ん?いや、めぐと仲良くしてやってくれって言っていたところだ」

 

な?と言うと、えぇ、そうねぇ、考えなくもないわ。と言って意外にも話に乗ってくれた。それを聞いためぐはありがとう水銀燈、と満足そうに笑う。

 

ふぅ、何事もなく終わりそうだ。遅刻の件も流れたし、水銀燈も敵意は無いようだし。めぐに関しては来た時とはうってかわって上機嫌だ。

こうしてみると、蒼星石は水銀燈を随分敵視していたが言うほど悪い奴には見えないな。めぐの膝の上に乗せられ、スプーンを使ってちまちまとご飯を食べている姿は中々可愛らしい。

 

じっと観察していると。なにやらめぐのやつが鼻をすんすんとひくつかせて俺の臭いを嗅ぎ始めた。

 

「め、めぐ?あぁ、昨日は風呂に入りそこね…」

 

「すんすん、お兄様は……とても良い匂い。これ以上、良い匂いなんてこの世にありえないほど…袋に詰めていつもかいでいたいほど…はぁはぁ。

なのに、お兄様から他の女の臭いが……すんすん、おかしいよね。お兄様の近くには、私しか居てはいけないのに…何処の雌豚が」

 

いや、その理論はおかしい。

匂いを嗅ぎ、徐々に眉を吊り上げて行くめぐ。というか、もしかしてめぐは蒼星石のことを言っているのだろうか?別にそんな匂い微塵もしないのだけれど。何とか話題を逸らさなければ。

 

「なぁ、めぐ、水銀燈はいつもここに来るのか?」

 

「ううん、たまにきてくれるだけで…。私としてはいつも一緒にいてほしいのだけれど、ね、水銀燈」

 

「な、なんなのよ、鬱陶しい……」

 

嗅ぐのをやめて、優しい笑みで水銀燈をなで始めためぐ。水銀燈も、照れているが手を払いのけたりしないあたり本気で嫌なわけではないのだろう。素直じゃない奴だ。

 

「まぁ病院じゃ人の目もあるしな。だけどめぐ。あんまり病院食を残すなよ。治るものも治らなくなるぞ」

 

「治る……うふふ、私は壊れた子(ジャンク)だから…」

 

「そんなこと言うなよ。きっと良くなるから…」

 

すっと右手でめぐの空いていた左手を握ると、少し親指の腹で手の甲を撫でる。

 

「お兄様……ふふふ」

 

めぐは左手を少し上げると、目を閉じて口元に弧を描いた。水銀燈はその様子をスプーンを銜えたままじっと見ている。

めぐと手をつないだまま、水銀燈に声をかける。

 

「水銀燈。ご飯は家に食べに来ないか?」

 

「はぁ!?」

 

スプーンをかたんと落とし、一転呆れたような顔をしてこちらを見てくる水銀燈。

 

「いや、あんまりめぐが病院食を残されては困るし、万が一見つかっても困るしな。その代わり、出来るだけ暇なときはめぐのところへ行ってやって欲しいんだけれど…」

 

「な、何言ってるのよ。大体あなたの家には蒼…」

 

ばちぃっと水銀燈の口元を手で覆った。そ、蒼星石のことを伝えるのはまだ時期尚早だ。気に入っていると言っている水銀燈なら兎も角。人形とはいえめぐの知らない女の子と住んでいるなんて言ってしまえば何をしだすか分からない。バチリと手を叩かれると、水銀燈は不満そうに俺を睨みつける。

 

「めぐもそう思うよな?なっ?」

 

「うん。水銀燈にはゲロなんて食べずにお兄様のちゃんとしたご飯を食べてほしい」

 

基本的に優しい、いや、優しいかどうかは微妙だが、気に入ったものには気を使うめぐは微笑んだまま首を縦に振る。

 

「……」

 

ちらっと俺を見上げる水銀燈。

 

「大丈夫大丈夫。飯を食べるだけだからさ」

 

頼むよ、と両手を合わせると、暫く口元に手を当てて考え込んでいる風な水銀燈であったが、やがて何かを思いついたのかニヤリと一瞬笑い、右手で銀色の長い髪をふぁさっと払い腕を組んでこう言った。

 

「そうね……行っても良いわよ人間、感謝なさい?でも、不味かったら許さないんだから」

 

「もう、人間じゃないわ、お兄様よ水銀燈。後、お兄様のご飯が不味いわけが無いわ。私だって出来ることなら毎日……あ!そういえば、小さいときにお兄様が作ってくれた…」

 

ああ、めぐの変なスイッチが入ってしまった。めぐの独り言は一日中続くこともある。看護師さんたちもはじめは気味悪がっていたが、今では慣れたのか誰も不思議がらない。ぶつぶつと言いながら病院を徘徊していても気にしなくなっているとか。って、あれ?もしかして、俺の妹本当にやべーやつなんじゃ……

 

話が長くなりそうだったのと、面会時間が後少ししかなかったのでそろそろ帰ることにした。この病院は土日、祝日は6時までしか面会時間を設けていない。

 

「じゃあ、水銀燈。気が向いたらいつでも来てくれ。水銀燈の分のご飯も作っておくから。あぁ。もちろんおやつ食べにきたり、昼寝しに来たりしてもいいぞ」

 

「……あの子から聞いていないのかしら……私はね姉妹の中でもとびきり特別なの。例えば、あなたなんてその気になれば……」

 

「もちろん聞いてるさ。後、水銀燈は意味もなくそんなことしないだろう?じゃあな、めぐ。また時間が出来たら来るよ」

 

「お兄様ったらその時私の頬についたクリームを手でとってそのまま、口に…つまり私の成分が入ったクリームをお兄様が取り込んで私達は幼い頃から一つになったということ……!」

 

ぶつぶつと言っているめぐに聞こえているか分からないが、興奮してはみ出ていた上半身に布団をかけてやり、寒い風が入ってくる窓を閉めると水銀燈にまた明日にでもと言ってひらひらと手を振って別れを告げた。俺が水銀燈を誘ったのは実はもう一つ意味があった。それは蒼星石と仲良くして欲しかったからだ。あわよくば、二人とも戦意をなくして、ずっと仲良くなってくれれば良いなんてことも考えているが……少し楽観的すぎるだろうか?

 

ばたんとドアを閉めると、帰路に着いた。

 

 

 

「めぐ……あなたのお兄様は帰っちゃったわよぉ?」

 

「それで、お兄様が使っていたスプーンを見て、私、思わずこう思ってしまったのです。ああ、あそこには、お兄様の元が、いわばお兄様がそこにあるのだなって」

 

「めぐ……あなた本当にイカれてるわ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、言うわけで、明日にでも水銀燈がご飯を食べに来る」

 

「…」

 

「仲良くしてほしい。というのが俺からの新しいお願いなん…だけど」

 

おお!?重い。空気がめちゃくちゃ重い。マスターの命令なら仕方ないね。とか言ってくれるのかと思ったら、蒼星石は怖い顔をしてうつむくだけだった。い、行ける雰囲気だと思ったのだが……。

 

 

帰ってきたときは。笑顔でお帰りなさい。マスター。あぁ、コートお預かりしますね。と俺からコートを受け取って、届かないコートかけにぴょんピョン飛んで必死にかけようとする可愛らしい場面に和み、コートをかけてやって照れくさそうにお礼を言う蒼星石に癒され。マスターの為に、ご飯を作ろうと思ったんだけれど…その、すみません。と言ってしょんぼりしている蒼星石にいけない何かを刺激されそうになった。台所は思ったより悲惨だったので、絶句してしまったが…

 

蒼星石には俺がご飯を作り、俺は蒼星石が一生懸命に作ってくれたであろう黒い物質を気合で食べ終えた。蒼星石は終始涙目で俯いていた。こりゃだめだと思い、頭を乱暴になでて、おいしかったよ、ご馳走様、だから笑っていてくれよ、と言うと、蒼星石は潤んだオッドアイを揺らして、ごしごしと目を拭うと、次にはクシャクシャな笑顔を浮かべてくれた。

 

その後、蒼星石の淹れてくれたお茶を飲んでまったりしていたので、この雰囲気なら簡単に行けるかもしれないな、と思って冒頭の一言を発した瞬間。ずーんと部屋の空気はほんわかしたものから暗いものへと変わってしまった。

 

「あのな、うん、今日会って思ったんだけど、水銀燈もそこまで悪い奴には見えなかったというか。そりゃ、昨日襲われたし、今までの因縁もあるだろうけど、俺の妹と契約を結んだ以上、顔を合わせることも多いしさ」

 

「…」

 

複雑な顔をして俯く蒼星石は一言も言葉を発しない。だめか、と思い肩を落とすと。

 

「わかりました。僕もなるべくがんばりたいと思います。」

 

蒼星石はそう言ってくれた。しかし続けて。

 

「でも、彼女の出かた次第では僕は、彼女を切る」

 

きりっとした目で俺を見上げる蒼星石。…でも会ってくれるといってくれただけ良かったのか?

 

「…なるべくちょっとした挑発とかは流してくれよ。俺が何か言われても、全然気にしないし。」

 

「……」

 

沈黙で返す蒼星石。だ、大丈夫だよな。うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うふふふ、ごきげんよぅ?」

 

「おー!おはよう水銀燈!よく来てくれたね」

 

「水銀燈……」

 

「あらぁ、そんな顔することないじゃない?私はそこの……『お兄様』がどぉうしてもって言うからしょ~うがなく来てやったんだから。いわばお客様よ?」

 

「何を……!」

 

「まぁまぁまぁ二人とも、ご飯が冷めるからさ」

 

東から上り始めた太陽、それを映していたすれ違い窓から、にゅっ、と水銀燈が現れた。てっきりこないものかと思っていたが普通に来てくれた。やっぱり根は良いやつなのではないかと思えてくる。

 

今日のご飯はシンプルに赤ソーセージと目玉焼き、サラダに味噌汁と白米だ。蒼星石にも手伝ってもらって一緒に作った。蒼星石は要領が良いのですぐに一人でも作れるようになるだろう。

 

「ふぅん、貧相な食事ね。a5ランクのステーキくらい出して欲しいものだわぁ」

 

「…!」

 

「まぁまぁ蒼星石。ほら、んじゃ、いただきます。」

 

そういうと、皆で食事を取り始めたのだが、水銀燈は一口ご飯を口につけるとぎょっとした顔をしていた。口に合わなかったかな?などと思い見ていたが、どうやらそうではないようだ。次々とおかずに手を出し昨日以上の速度でご飯を食べ始める水銀燈。口ではあんなこと言っているが気に入ってもらえたようだ。

 

「水銀燈。もう少し遠慮して食べたらどうだい」

 

「蒼星石!水銀燈、おかわりもあるからな、遠慮なんてするなよ。さ、蒼星石も止まってないで食べよう」

 

「ふん、まぁ、そこそこの味のようね、そこまで言うのならおかわりしてあげても良いわぁ」

 

そう言って味噌汁をすする水銀燈にはまるで覇気は無かった。

眉をUの字にして水銀燈を見ている蒼星石だったが、次第に黙ってご飯を食べ始めた。まぁ、はじめだしこんなものだろう。

 

 

 

 

 

「それで水銀燈。今日はこの後どうするんだ」

 

ご飯を食べ終わり、お茶を出して水銀燈に尋ねる。蒼星石の淹れたお茶に品のないお茶と文句を言って、蒼星石がまた怒りそうになったのをなでなでして沈めた。今日は朝から疲れる。

 

「この後?そんなの決めてるわけないじゃなぁい」

 

決めてるわけ無いのか。しかしめぐのほうは日曜は検査やらが多い関係で看護師の出入りが多いし、外は日が出ているが風が冷たいし。

 

「なら今日は家で遊んで行ったらどうだ?」

 

「へ?」

 

「ま、マスター!?」

 

がたっとイスから立ち上がる蒼星石。別に変なことは言っていないと思うのだけれど。

 

「そうねぇ、にんげ……お兄様がそういうのなら、そうしようかしら?ねぇ、蒼星石ぃ?」

 

「っく、大体、なんなんだい、その、マスターのことを、お、お兄様って」

 

「あらぁ、めぐにとってのお兄様なのだから、私にとってもそうなるでしょう?」

 

ねぇ?と今度は俺に振る、水銀燈。蒼星石は期待をこめた目でなにやら俺のほうを見てくる。

 

 

 

 

 

 

 

あれ、今日なんか修羅場じゃないか?

 



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4話

「別に、水銀燈の好きに呼べばいいんじゃないか?」

 

というと、水銀燈はにやりと口をゆがめてとっても良い悪そうな笑顔を浮かべている。蒼星石はそんな…!とかなりショックを受けているようで、大げさに少しよろめいた。

 

「うふふふふ、聞いたぁ?蒼星石ぃ?」

 

「…マスターは優しいからね。それに、キミがマスターをどう呼ぼうが興味が無いよ」

 

「ねぇ、お兄さま……抱っこなさぁい?」

 

「っ!!?水銀燈!君ってやつは!」

 

くすくすと蒼星石のほうを見て挑発を続ける水銀燈。たぶん抱っこしろというのも本気で言っているわけではないのだろう。

 

「蒼星石」

 

「え?あ!」

 

蒼星石を抱えると優しく頭を撫でたくる。めぐが暴れたときに使うムツゴロウ作戦だ。

 

「よーしよしよし、蒼星石は良いこだなぁ」

 

「え。ちょっとマスター……も、もう」

 

そして、今度は優しく丁寧になでてやると、蒼星石はむくれていたが次には頭をこちらに預けて目を閉じて枝垂れかかってきた。可愛い。

 

「…ばっかみたぁい」

 

挑発に乗らなかったのが面白くなかったのか、水銀燈はふんと鼻を鳴らして腕を組んで拗ねた。

 

「ほれ、水銀燈も」

 

「え?きゃあ!?」

 

ひょい、っと水銀燈を抱っこすると、綺麗な銀色の髪をゆっくりと撫でる。

 

「水銀燈の髪も綺麗だなぁ。とっても柔らかいし…って、いて、いててておい、馬鹿やめろ!」

 

「うぅぅぅ!気安く触るんじゃないわよ!」

 

と叫ぶと羽が広げて次々と羽を飛ばしてくる水銀燈。ふにゃけた蒼星石を抱っこして部屋中を逃げ回るはめになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅん。人間って、しょーもないものが好きなのね。何にも面白くないわぁ」

 

「確かに、あまり面白いとはいえないね。」

 

「おきまりのネタや業界の人について詳しくないとわからないことも多いからなぁ。それに面白くなくても、コネや人柄でテレビに出れることは多いし。」

 

「そういうものなのねぇ、くだらないわぁ」

 

昼間、今、居間には、俺と蒼星石と水銀燈の3人で机を囲んでテレビを見ている。

あの後、仲直りのしるしに水銀燈には飲むか分からないが乳酸菌飲料を出してみたところ、すごく気に入り。「やるわねぇ、めぐのお兄様ぁ。」とお褒めの言葉をいただいた。そのあと両手で大事そうにヤクルトをちびちびと飲んでいた。足を動かして飲む姿はとても可愛らしい。

 

蒼星石もはじめこそ警戒体制で水銀燈を睨んでいたが、ムツゴロウ後はとても落ち着き、水銀燈に敵意がないと知ると普通に接し始めた。と言ってもまだ言葉には少し棘があるが…

 

トランプをしたり、テレビゲームをしたりするのだが、どっちが勝つにしても大抵二人の仲が悪くなり、喧嘩にもつれ込むのでやめた。なので、普通にテレビを見ていたが、水銀燈はあくびをして退屈そうにしている。蒼星石もあまり興味が無いのか洗濯物をたたんでいる。

 

「あら。今度はなにかしら。」

 

「あぁ、確か、名探偵くんくんとかいう人形劇だったな。チャンネル変えるか」

 

そう言ってリモコンに手を伸ばそうとしたとき蒼星石が凄く真剣なまなざしでテレビを見ている気がした。ふと水銀燈の方をみると、これまたじいっとさっきのお笑いバラエティ番組の百倍真面目にテレビを見ている。これは変えるわけにはいかないと、そう思い。しばらく視聴することにした。

 

『やぁ!みんな!いい子にしてたかな?名探偵くんくん、はじまるよ!』

 

ご機嫌なBGMとともに始まるオープニング。犬の探偵が主役の推理もの人形劇で、結構動きが本格的だ。ん?ふと水銀燈の方を見ると、わずかに首を動かし、リズムに乗っているようだった。蒼星石も、膝にちょこんと置かれた手がとんとんとんと、OPにあわせて動いている。もしかして、二人とも、このテレビが気に入ったのか?番組中、くんくんを見るのも半分に、二人を観察してみることにした。

 

 

 

 

 

番組が始まる、ふうむ、くんくん探偵がパーティで盗まれたラビット婦人のパールリングとやらを取り戻すために、犯人を捜すことになったらしい。ばっと探偵服に身を包むと、きりっと犯人を見つける手がかりを探し始めた。しかし、そこに行き着くまでの間。水銀燈はあいつがあやしぃわぁ、とか、こいつもあやしぃわぁ。などといって、結局ほとんどの登場人物を疑っていた。そして、最後にぜんぜんわからないわぁといった結論に至ったようだ。

犯人探し中も何かあるたびに、後ろよ!とか、ふぅ、良かったわぁ。私の声が聞こえたのねぇなどと言ってすっかりのめりこんでいる。

 

蒼星石はというと、口に手をやり、なにやら真剣に犯人が誰か考えている風だった。だが、声こそ出さないものの、後ろに何かが居たときには口ぱくでなにやら叫んでいた。どうやらテレビを見るのは静かにするのが礼儀と考える派らしい。本当に生真面目なやつだ。はらはらと手を宙で動かしている蒼星石をナデナデしたい衝動に駆られたが。堪えた。

くんくんと一緒になって推理をしている姿は可愛らしいことこの上ない。

 

…まぁ犯人は正直、一発で分かった。泥棒イシカバゴエモンが来るという予告があって、登場人物にカバは医者のヒッポ先生しかいないんだから、まぁこいつだろう。

 

『犯人はあなただ!ヒッポ先生!!』

 

「う、嘘でしょぉ?あの親友の猫警部を手当てしてくれた先生が?」

 

「まさか」

 

そう高らかにくんくんが宣言すると、水銀燈は息を呑み、くっしょんを強く抱きしめおろおろしている。蒼星石のほうは、目を見開いて驚いている。外れたのか?蒼星石。

 

次々とヒッポ先生が犯人である理由を列挙していく探偵くんくん。それにしても、彼は探偵服を着る前は裸でパーティーに出席していたことになるのだろうか。他の人物は常に何らかの衣服をまとっているのに、不思議だ。

 

水銀燈はくんくんの言葉一つ一つをうんうんとうなずいて聞いているし。目、目が、何か目が輝いている…蒼星石も膝に手を置いて真剣に聞いている。そして

 

『てぃやんでぇ!ばれちゃぁしょうがねぇ!』

 

ヒッポ先生が、泥棒イシカバゴエモンだとわかったとたん。

 

「す、すごいわぁ。くんくんは天才なのぉ?」

 

「彼のアリバイを見抜く洞察力。只者ではないね。」

 

クッションを持って立ち上がる水銀燈。なお真顔でテレビを見続ける蒼星石。その後、イシカバは煙幕を使って逃げ出して、くんくんが。

 

『次こそ、捕まえて見せる!イシカバゴエモン!』

 

と言い放つと幕が落ちて番組は終了した。

 

クッションを抱いたまま、ぼーっとテレビを見つめる水銀燈と、うんうんと満足している風な蒼星石。

エンディングで皆が踊るシーンになると。あ!まだ終わってなかったのねぇ!と水銀燈が身を乗り出した。

 

エンディングの音楽に、蒼星石はわずかに首を横や縦ににふり。水銀燈にいたっては体を大きく動かしてリズムに乗っている。そして、音楽が終わるとふううっと二人とも息をついた。

 

「…面白かったな。」

 

二人が。という台詞は飲み込んでおく。

 

「!えぇ、そうねぇ、まぁ、まだ、ましってかんじかしらねぇ。でも、やっぱり面白くなんかないわぁ」

 

「ボクは楽しめたよ。マスター。犯人の見当はついていたけど、まさか、本当に先生が裏切るとは思えなかったんだ。でも、彼にも彼なりの事情があったのかも知れないね」

 

それぞれ、ばらばらの意見が返ってくるが、蒼星石は普通に満足して。水銀燈は大変気に入ったという所だろう。喋るときのポーズが、くんくん探偵の推理をしているときのそれになっている。

 

「来週もこの時間にやるらしいから、覚えておかないとな。」

 

「!!ら、来週もやるのぉ?ほんとに!?」

 

「ああ。」

 

「うふふふふ」

 

「次はちゃんと犯人を当てて見せるよ。」

 

とんでもなく良い笑みを浮かべる水銀燈と、次の推理に闘志をもやす蒼星石。

どっちもなんだか可愛いなぁ。

 

「その前に、DVDで今までの話を見ておくか?」

 

「DVD?なぁにそれぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ!危ないわぁ!くんくん!くんくん避けるのよぉ!」

 

「…」

 

声を張り上げてテレビの中のくんくんに危険を知らせる水銀燈と、真剣にくんくんを見ている蒼星石。まさか、ここまでいれこむとは。あれから一週間、ほとんど毎日のように水銀燈は遊びに来た。そう。俺がくんくんのDVDを借りてきて、1日1話放送すると言ったら。口ではなんだかんだ言い訳しながらも毎日家に来た。というか、もう最近はめぐと居ない限りずっと家に居る。

 

「そう、それでいいのよ。私の声が届いたのね。流石はくんくんよぉ」

 

「…」

 

そして、日曜に、この名探偵くんくんが上映される日には、水銀燈はとんでもなくはやく来てそわそわとし始める。しかし、決してくんくんが見たいとか、面白いとか、そういったことは言わない。ただ、そわそわとテレビと時計をちらちらと見比べているのだ。

毎日流すDVDの方も、全部一度に見ないで流す時間を決めたところ、その放送時間をかかれた紙の切れ端も大事に大事に持っている。

 

蒼星石も最近家事をしてくれるのだが、放送時間が近づくと、同じように時計をちらちらとうかがっており、どこか落ち着かない。そして、テレビが始まる十分前になると、急いで家事を終わらせて、ソファに行きちょんと俺の隣に腰掛けるのだ。

 

ちなみに、くんくんを見ているときの二人は凄く仲が良い。一緒に驚いたり、喜んだりしているところをみると、やっぱり姉妹なんだろうなぁ、と思う。

 

「すごいわぁ。まさか、ハリモグラ男爵が犯人だったなんて。」

 

「くんくんは……天才だね」

 

「当然よぉ。うふふふふふ。」

 

ほんと、こうしてずっと仲が良かったら良いのだけれどなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、大学も終わり、くんくんのDVDを借りて自宅に帰ると、なにやらわいのわいのと騒々しい。また蒼星石と水銀燈のやつが喧嘩でもしてるのかと思って。ドアを開けると。

 

「あら。お帰りなさい。お兄様?」

 

そこには、点滴を持って暗黒微笑を浮かべる般若が居た。

 



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5話

「な、なんでめぐがここに……」

 

病院にいるはずの、青いパジャマを来ためぐが、玄関に立っていた。

 

「うふふ、水銀燈がね、連れてきてくれたの。nのフィールドっていうのかな。あれを通って」

 

あ、あぁ、なんてこった。

 

「お兄様のお家……お兄様の暮らしている匂い、お兄様の部屋の酸素、お兄様の抜け毛、お兄様が、お兄様に!!!!」

 

ぞくぞくぞくっと顔を光悦させて、頬に手を当ててうっとりしているめぐ。水銀燈。それにしてもアポなしでめぐをつれてくるなんてなんてことを……!そんなどこでもドア聞いてないぞ!

パンツや靴下はもちろん、食器や歯ブラシ、果てはお宝本まで無くなるからあまりめぐは家に呼びたくない。どこに隠しても、お宝本は全て病弱な妹ものに入れ替わっているのがまた恐ろしい。呼ぶなら色々と対策を練る必要があったのに。って今更言ってもしょうがないか。……そ、そうだ!蒼星石!蒼星石は無事なのか!?ぽいぽいっと靴を脱いで、めぐの隣を通り抜けようとしたとき、ガシャン!と点滴を前に出され、道をふさがれる。

 

「…………お兄様?何を探しているの?」

 

「え!?それは……」

 

ニコリと微笑んださわやかな笑顔。内なる怒りを秘めたその笑顔。点滴を持つ手に力が入りすぎて、硬い鉄の棒が、みしみしといっている。

 

「おかしいよね?今、私とお話してるんだよ?

   なんでこっちを見てくれないの?」

 

「いや、それは」

 

「おかしいよね?

     『ただいま』も言わないなんて!」

 

「ああ、ただい…」

 

「おかしいよねっっ!!お兄様ッ!!!

私に隠し事するなんて!っっっごほごほ」

 

「めぐ!」

 

少しずつ咳をしながら俺に近づいてくるめぐ。背中をさすり、息を整えさせてあげる、ぎゅっと俺の手を掴むと、そのままはぁはぁと息を整え始めた。

 

「めぐ、大丈夫か?」

 

「いや!お兄様を他の人に取られるなんていや!いやいやイヤ嫌!お兄様は、私の。お兄様は……」

 

「めぐ、大丈夫。俺は、めぐのお兄ちゃんだから」

 

「お兄様……嘘、嘘嘘。だって。ごほ、ごほ」

 

泣きそうな顔をしているめぐをぎゅうっと抱きしめる。そのまま、後ろに回した右手で背中を撫でる。

 

「本当さ、俺はめぐだけのお兄ちゃんだよ。大丈夫。大丈夫だ」

 

「……おにいさま……っふ、ふふ。こほこほ」

 

ぎゅうっとくっついてくるめぐ…!?ぴょんと飛んで、足で俺の腰元をホールドして離れなくなった。コアラのように俺にぴったりとくっつき、痛いほど胸板に顔をこすり付けてくるめぐ。てか結構元気じゃない……いたたたた!

 

めぐが変になった時の最終手段。お兄ちゃんはここにいる!作戦だ。迷子になった子供のようにおろおろとするめぐの近くにいてあげると、段々と落ち着きを取り戻すのだ。全く、いつまでたっても兄離れしてないというか、はやく病気もブラコンも治してくれると良いのだけれど……。

そのままの姿勢でかばんを置きめぐを抱えてやる。めぐは本当に、軽い。

 

「あ、お帰りなさいマスター。そろそろ帰ってくる頃だと思ってお鍋を作っておきました」

 

「蒼星石!」

 

無事で良かった!という言葉を飲み込む。

とててと歩いてくる白いフリルのエプロンを着た蒼星石。……どうやら無事だったようだ。ほっと息をつく。そのまま蒼星石の方へと歩いて行くと、めぐをくっつけたままイスに腰を下ろす。よく見たらソファに水銀燈もいる。なにやら熱心にマンガを読んでいるようだが。それよりも、蒼星石が無事でよかった。てっきり怒り狂って何かされると思っていたが……無事で何よりだ。

 

「あぁ、蒼星石こいつは…」

 

「はい、水銀燈のマスターで。マスターの妹のめぐさんですね。今日はお料理も手伝っていただきました」

 

ということは、蒼星石の存在を知ってなお、めぐは蒼星石に対して何もアクションを取らなかったということになる。それどころか。仲良くなってくれたということだろう。下を見ると、上目遣いにこちらを見上げるめぐと目があった。えへぇ~と言う擬音が付きそうなほど幸せそうなその笑顔は先ほどまでと違ってかなり柔らかいものだった。めぐも成長したということだろうか。いや、してないのか…とりあえず、蒼星石について言い訳を…

 

「めぐ、その、蒼星石は」

 

「蒼星石は私とお兄様の結婚指輪をくれたお人形さん…そして!水銀燈の妹なのでしょう?本当、水銀燈は素敵な子……」

 

にこにこと笑みを浮かべ続けるめぐ。……結婚指輪云々の理由は兎も角、話がよじれなくて良かった。もうすぐできるからね。という蒼星石の言葉を聞き、やっと俺は張り詰めていた緊張の糸がほぐれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めぐはご飯を一緒に食べ終えると、俺の私物をいくつか盗んで水銀燈と一緒に帰って行った。これからもちょくちょく遊びに来ます。などと言っているのだからたまったものではない。いつか俺の家が病室になっていそうだ。……ありえるのが嫌になる。お宝本はきっちり病弱妹ものになっていた。

 

食器を洗い終えた蒼星石がタオルで手を拭いてソファーの方へとやってくる。手にはティーセットを持っている。俺の至福の一時、癒しタイムだ。ちゃぶだいにお茶を載せると、蒼星石はぴょんと俺の隣に腰かけた。

 

「蒼」

 

「え!?」

 

蒼星石にそうやって呼びかけると、びっくりしたように振り向いた。

 

「いや、蒼星石って長いから。蒼。って呼んでみようかと思って。」

 

「え、ええっと、その、うん。僕は何でも良いよ。マスター。」

 

照れて、被っているシルクハットを口元まで持ってきて喋る蒼星石。こうやって蒼星石の入れてくれたお茶を飲みながら、蒼星石と話をするだけで心も体も癒されるようであった。

 

「蒼」

 

「あ、うん。ま、マスター」

 

「蒼」

 

「ぁう」

 

かあっと顔を赤くしてもぞもぞとかぶっているシルクハットをずらして、顔をうずめる蒼星石。なんという破壊力だ……。蒼星石がシルクハットを口元にあて、チラっと顔を覗かせたので再び、蒼。と呟くと、また真っ赤にして、なぁに。マスター。とシルクハットに顔を埋めて尋ねてきた。やばい。これはやばい。よばれなれて無くて…と言って手をシルクハット越しに顔にくっつける蒼星石、まじでやばい。

 

「めぐはどんな感じだった?」

 

「めぐさんですか?」

 

シルクハットに顔を埋めたまま篭った声で答える蒼星石。うーんと少し悩むとすぽっとシルクハットをかぶりなおして口を開いた。

 

「そうですね。彼女は……水銀燈のマスターらしい、といった感じのするマスターでしたね。僕に初めて会った時はよくわからないことを言いながら問い詰められました。怒ったときの水銀燈に少し似ているかな」

 

淡々と下を向いて喋る蒼星石。け、結局問い詰めてたのか。めぐのやつ。

 

「ですが、マスターのドールであることや水銀燈の一応。妹であることを告げると人が変わったように機嫌が良くなって。穏やかな言葉と笑顔で料理や家事を手伝ってくれました。僕は。彼女の心の樹にもいつか行かなければならないと思っています。そのためにも、翠星石。君がいないと……。」

 

一応、水銀燈の妹に当たるといった時の語気はかなり強かった。そんなに嫌なのか蒼星石。しかし、気になる単語が一つある、

 

「心の樹?」

 

「はい。僕は庭師ですから。」

 

 

 

 

 

何でも蒼星石の話では、人々の心の樹、と呼ばれる記憶や気持ちを表した樹を世話をすることが蒼星石と翠星石には出来るとかなんとか。一人ではあの金色の大きな庭師の鋏で、成長の妨げとなっていた雑草を取り除くことしか出来ないらしい。姉の翠星石の力があれば、さらに心の樹を成長させることも出来ると言っているが。

 

「何だか、二人で一つの能力みたいだな」

 

「……そうですね。本当に……ですが。今回は僕しかいない。だから、めぐさんやマスターの心の樹を成長させてあげることは……」

 

しゅんとネガティブモードになりかけている蒼星石。

 

「何言ってるんだよ。俺は、蒼星石のお陰で毎日楽しいぞ?それに、めぐだって、水銀燈に出会ってから随分元気になった。俺はそれで十分だよ。」

 

「ですが」

 

「どうしても、って言うなら、翠星石を見つけた後に、二人で世話をしてくれれば、それで。」

 

「ぁ…………はい。マスター。」

 

ナデナデ、と頭を軽く撫でると、目を細めて蒼星石は穏やかな笑みを浮かべた。やっぱり、蒼星石の笑った顔が一番癒される。

 

「じゃあ、蒼星石は花の世話とかが得意なのか?」

 

「はい。ある程度、現実の花や植物のお世話も得意な方だと思います。」

 

「そうかそうか。…うーん、でもそうなると花の種を買いにいく服がいるなぁ。その服じゃ目立つし……しょうがない、あいつのところに行くか。蒼。」

 

「え?どこかへ行くんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、俺はバイトを終えた夕方に、蒼星石を赤いリュックに入れて、灰色の落ちてきそうな曇り空の歩道を歩いていた。

 

「寒くないか?蒼。」

 

「ううん、平気だよ。マスターが2枚もマフラーを入れてくれたから。」

 

「そっか」

 

そう言って蒼星石がリュックから少し顔を出す。ぶうんっと排気ガスを撒き散らす車が道路を横切っている。歩道橋を上って、ずんずんと歩いて行く。時間的に、まだ開いていると思うが…

 

「マスター。今日は何処へ向かっているの?」

 

「今日は、ちと知り合いの人形師に会いに行く。」

 

「人形師?マスター。そんな知り合いが居たの?」

 

歩道を曲がって色々な家が立ち並ぶ住宅街を歩く。猫が塀の上でくつろいでいた。

 

「うん。まぁ、なんだ。喧嘩別れみたいになったんだけど、蒼の服を作れそうなのはあいつくらいだしな。…はぁ、でも槐さんは居ないほうがありがたいかな…」

 

「その人は、何故マスターと喧嘩を?」

 

「んー。いや、喧嘩してるかはよく考えたらわからない。何か、ある日突然避けられ始めて。それから疎遠になった。」

 

「…マスターその人にあって大丈夫なのですか?僕は、この服さえあれば。」

 

「それはだめだ、蒼ともたまには外をどうどうと歩きたいし、それに、人形の服を作るのに、あいつのところに行かないなんて、俺には考えられないから。」

 

「…あ、ありがとう。マスター。」

 

そう言って蒼星石はリュックの中へと戻っていった。

 

「まぁ、作ってもらえるかわかんないけどな。と、ついたぞ。」

 

住宅街を抜けて、大きな階段を上りきると、一軒の店が見えてきた。立て看板に張られた人形のポスターや、展示してあるドールの服。そして、デカデカと書かれたドールショップ槐の赤い看板。カランコロンとドアを鳴らして中に入る。

少し薄暗い店内に、独特のほこりっぽいような匂いがした。

 

「…はい。え、えっと何かごよう…」

 

「久しぶりだな。三葉」

 

「っ、し、忍!?あ、あなた本物!?」

 

中から出てきたのは金色の長いストレートな髪をポニーテールにして、青いシャツと緑の作業エプロンを着た、結菱三葉(ゆいびしみつは)。…俺の幼稚園からの幼馴染だ。上ずった声で次にこう叫んだ。

 

「え、とま、待っていて。店を閉めるから!」

 

「え?あ、あぁいや、そこまでしなくても」

 

そう言って、いそいそとドアを出て、OPENの看板をClosedに裏返す三葉。…かなり、想像していたのと違う対応だ。

 

「マスター。本当に彼女とは喧嘩をしたの?なんだか好意的に感じられたけど。」

 

「ああ。俺も、今すぐ帰れって言われると思ってたんだけど。」

 

ひそひそと蒼星石と話をする。本当に、怒っていないようだ。看板までしまってふぅ、と息を漏らす三葉。俺のほうへと近づくと、少し小さい背で俺を見上げる。

 

「久しぶり、三葉」

 

「…久しぶり。忍。」

 

大学に入ってから、いや、高校3年の時には既に疎遠だった。会っても避けられて、メールをしても返ってこなかったので、てっきり怒っているのだと思った。そして、受験もあったことで会う機会は一気に減り、そのままわけの分からないまま疎遠に……

 

「その、白崎さんと槐さんは?」

 

「今日は、人形の材料を調達するとかでヨーロッパの方に…」

 

「そっか…」

 

 

 

 

そう言って、二人の間にはしばらく沈黙が流れる。たくさんの人形の瞳が、何だか俺を責めているようにも感じられた。

 

 

 

 

「三葉。ごめん。」

 

「!どうしてあやまるの?」

 

「わからない。けど、俺が三葉に嫌われるようなことをしたから、三葉が俺を避けるのかと」

 

「!!!ち、違うわよ!そ、そんなんじゃなくて、そんなんじゃ…」

 

そういってうつむいてしまう三葉。しかし、なら何故、俺は避けられていたのだろう。ますますわからない。

 

「三葉、とりあえず、過去のことは水に流して。話がしたい。」

 

そういうと、三葉は顔を上げて。少し、少しだが微笑み。

 

「…ええ、いいわよ。それで、その、今日はどうして来てくれたの?も、もしかしてわ、私に会いに来てくれ…」

 

「人形のな、服を作ってほしいんだ」

 

 

そういった瞬間三葉の青い目は点になって、体は石のように固まった。

 

 

 

「あなたに期待した、私が馬鹿だったわ」

 

はぁっと大きなため息をついて、肩を落としたままボスっとイスに座りこむ三葉。一体、何を期待していたのか、いや、今はそれよりも。

 

「なぁ、こんなことを頼めるのは三葉しかいないと思ったんだ。」

 

「!わ、私だけ?」

 

がたっとイスから立ちあがりこちらを見る三葉。

 

「ああ。他の店とか、別の職人に頼むのは、なんかちがうなっておもって。」

 

「ふぅうん。そう。そうなの。…それで、どんな服がいいの?」

 

「それなんだけど、蒼星石。出てきていいぞ。」

 

後ろのバッグの中からもぞもぞ、っとシルクハットだけ出てきた蒼星石。

その姿を見た三葉は目を白黒させて驚いている。

 

「忍!?この子は…」

 

「マスター、その。」

 

「大丈夫、三葉は、信頼できるから。」

 

そういうとこくりとうなずき、ぴょんとリュックから飛び降りて、三葉のほうへ向き直ると綺麗なお辞儀をする蒼星石。

 

「はじめまして。僕はローゼンメイデンの第4ドール。蒼星石です。」

 

「!!これって。」

 

「それで、この蒼星石に合う現代風の服を…」

 

「ま、ままま、待ちなさい!まず、色々と説明しなさいよ!ああ、頭の中がこんがらがって来たわ。全く、どうしてあなたはそう勝手なの。」

 

「ごめん。」

 

「…!ご、ごめんなさい、言いすぎたわ。」

 

そう言ってシュンと後ろの尻尾が垂れ下がった。変わってないようで、安心した。

 

「いや、俺ももっと早く来ていれば…」

 

「ストップ。やめにしたんでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「この子が言っていたことは本当なのかしら?…いえ、本当なのでしょうね。」

 

「え、あ、あの。そんなにじろじろ見られると…」

 

蒼星石の話を聞き終わると、興奮して様子でしゃがみ込み。毛穴まで見ようとしてるんじゃないかと言うくらい、蒼星石を見回す三葉。人形のことになると直ぐこれだ。

 

「っは、ごめんなさい。自己紹介が遅れたわね。私は、結菱三葉。そこの忍の幼馴染よ。よろしくね、蒼星石。」

 

「はい、よろしくお願いします。三葉さん。」

 

そう言って握手を交わす二人。やっぱり、すんなり受け入れてくれたか。

 

「それにしても、本当に驚いたわ…まさか、ローゼンメイデンが実在したなんて……」

 

「え?ローゼンメイデンのこと、知ってたのか、三葉。」

 

「当たり前よ。師匠は自称ローゼンさんの弟子だもの。」

 

「槐さんが?ふぅむ確かに昔そんなこと言っていたような。」

 

槐さんに会ったのは随分前のことなので、はっきりとは覚えていない。あの人はなんていうか、苦手なのだ。白崎さんはコミカルで面白いのだけれど。まぁどっちにしても二人ともかなり胡散臭くて苦手だ。

 

「でも、本当に居たなんて…すごい作り、服も、間接球体も自然。本当に人間のようだけれど人形らしさは別に残っていて……というか、どうしていままで黙っていたのよ!」

 

「黙っているも何も、俺たち…まぁ、いいだろ。それで、服を作ってほしいんだけど。」

 

今まで疎遠になっていたことまで忘れて俺を怒鳴る三葉。もう忘れたならそれで良いか。目はきらきらと輝き。昔に戻ったような気分になった。しかし、避けられた理由とやらだけはいまだに気になる。

 

「僕からもお願いします。三葉さん。」

 

「ええ、もちろん作るつもりよ蒼星石。た、ただし、忍。あなたに一つ条件があるわ。」

 

「ああ。出来る範囲でなら。」

 

三葉は大きく息を吸い込むと、。

 

「お金はいいから、あ、明日!私の家に来なさい!おじちゃんも会いたがっていたし…良い?」

 

「なんだ、そんなことか。もちろんいいぞ。」

 

そういうと、三葉の顔がこれでもかというくらい輝き。満足そうに笑って頷いた。蒼星石のほうを見ると、ん?何故か。服を作ってもらえるというのに、不機嫌と言うか、暗いネガティブ石というか。そんな感じにうつむいている。遠いのでナデナデは出来ない。

 

「そ、そう。じゃあ、蒼星石。服のサイズを測るから、向こうの部屋にいらっしゃい、忍!覗いちゃだめよ!」

 

「わかってるよ。」

 

「よろしくお願いします。三葉さん」

 

蒼星石はとことこと三葉につれられていく。途中、ふっと俺のほうを見たので笑い返してやると。いくらか元気な蒼星石に戻った。

しっかし、なんか、この部屋前より汚いような気がするな。立てかけられたドールも、確かに精巧な作りだけれど、蒼星石を見慣れているせいか、あまり生きているようには見えない。いや、違うか。普通はこれが正しいのだ。人形は何も返してくれない、いや返せない。白崎さんがそう言っていた。自分の感覚がおかしくなり始めていることを改めて実感しながら、俺はイスに座って二人の測定が終わるのを待った。暗くなった外で、街灯が一斉についたのを見れて、なんとなく得した気分になった。

 

 

 



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6話

「蒼星石。忍はデリカシーの無いことはしなかった?」

 

「え?」

 

ドアをくぐると、三葉さんがそういった。答えようと思い口を開こうとしたら、ちょっと、ここに座っていて、と言い持ち上げられて、黒い丸椅子に座らせられる。辺りを見回すと、部屋中にドールのパーツや、様々な服が飾られている。少し古めのミシンや鋏、乾いた絵の具や油のにおい、お父様の工房と少し似ている気がした。三葉さんは、作業机の引き出しを開けると、中から巻尺とものさしを取り出した、それから、机の上に置かれたメモ帳を持って綺麗な金髪のポニーテールを揺らしながら僕のほうへと歩いてくる。

 

「あの馬鹿、いつもいつもいつも、こっちの気持ちも考えないで動くでしょ?

だから、あなたに何かしたんじゃないかって。」

 

「別にそんなことはありません。」

 

眉を吊り上げて、マスターに対する愚痴を吐き続ける三葉さん。マスターを悪く言われて、気分が良いものではなかった。

 

「大体、来るなら連絡くらいよこしなさいってのよ。突然やってきて、服を作ってくれーだなんて。」

 

「…三葉さん、あまりマスターのことを悪く言うのはやめてください。マスターは、とても優しい人です。今回だって、僕が外を出歩けるようにここに来てくれたのですから。」

 

少し、語気が強くなってしまう。内心自分でも驚いた。僕の言葉を聞いた三葉さんはさっきまでとはうってかわり、申し訳なさそうな顔で

 

「…ごめんなさいね、言い過ぎたわ。あなたは主人想いの、本当に良いドールなのね。ごめんなさい。」

 

「え、あ、いえ」

 

謝罪とともに、優しく微笑んで僕の頭を軽く撫でた。そうか、彼女は、誰かに似ていると思っていた。彼女は、翠星石によく似ているのだ。本当は優しくて、誰よりも思いやりのあるのに、それを表に出せない、人の心に敏感だからこそ、不器用な人…

この人は、僕よりもマスターとの付き合いが長いのだから、マスターがどんな人かくらい、僕以上に詳しいはずだ。突然頼みに来たマスターに、お金も受け取らずに服を作ってくれると言うのだから、マスターを少なからずよくおもってくれている証拠だ。

 

「すみません、三葉さん。少し言い過ぎました。」

 

「いえ、いいのよ。ふふ、でもあなたのような優しいドールは、忍にはもったいないわ」

 

「僕は…」

 

優しくなんかない。本当は、醜くて、嫉妬深くて…今も、逃げ出すように話題を逸らすことを考えた。

 

「ここに居るドールたちは、みんな三葉さんが作ったのですか?」

 

「いいえ。みな、私の師匠の作品よ。…師匠は、腕だけなら本当に素晴らしいマエストロよ。でもね…」

 

「でも…?」

 

ずらりと並ぶ人形たち、かわいらしい顔立ちをした金髪の人形や、黒い髪をした着物をきた人形。確かに、どれも生き生きとしている、今にも動き出しそうなほどの精巧さだ。彼女は同じように辺りを見ながら、複雑な顔を浮かべていた。しかし、こちらにふり向くと、青い目を開いて、ぱっと明るい笑顔になる。

 

「…ね、蒼星石はどんな服が良いかしら?やっぱり、ドレスのついた可愛い洋服がよいかしら?」

 

「僕は、余りフリフリした洋服は…」

 

「あら?どうして?」

 

「その、似合わないですから。」

 

ふりふりしたような服は、翠星石や真紅のほうが似合うだろう。僕なんかに、そういった服は似合わない。

 

「…そんなことないわよ。忍だって、あなたのことを可愛いと思ってくれるはずよ」

 

「え…!?マスターが?」

 

「ええ。」

 

そういって微笑む三葉さん。赤いめがねをかけると、腰を下ろして、目線を合わせる。本当に、綺麗な人だ。眉はきりっとしているし、体躯もすらっとしていて大人っぽい。なのに、頬や唇の桜色が、綺麗だけでない可愛らしい印象も与えている。

 

「町を出歩くなら、余り派手なものは作れないけれど、蒼星石に似合う可愛い服、一生懸命作るわ。だから、どうか私にあなたの服を作らせて?」

 

僕の手を握って、真剣な目でこちらを見つめる三葉さん。そんな目のできる彼女を、少し、うらやましく思った。

 

「はい、もちろん。こちらこそ、どうかよろしくお願いします。」

 

「うん!さ、手を上げて、寸法を測るわよ。」

 

巻尺を近づけると、ゆっくりと僕の後ろに手を回して胸囲を測り始める三葉さん。なんとなく、わかった。マスターが彼女に服を作らせたがったわけが。

 

「ねぇ、蒼星石。」

 

「はい。なんですか?」

 

「…その、来てくれて、ありがとう。」

 

「あ…」

 

僕は、彼女のようにはなれないだろう。マスターに頼られて、信用してもらえるような……そんな彼女が、マスターに信じてもらえる彼女がうらやましかった。そう思っている自分に気が付き、なお、自分が嫌いになる。

僕は、翠星石のように、三葉さんのはようになれないだろう。だから、せめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後、三葉さんは、ちょっとやっておきたいことがあるから、と言って工房に泊まっていくといった。服を作るために無理をするなら…、と言ってマスターは引き止めるのかと思ったが、意外にも、そうか、あんまり無理はするなよ、とだけ言って、そのまま僕をリュックに入れると、店を出て行った。それだけ、馴れたことなのだろう。

 

家に帰ってくると、マスターとご飯を食べて、クイズ番組を見た。頭の知識が必要な、流行りものの問題などはほとんど解けなかったけど、知っていることや、ちょっとした推理ものは簡単に解けて、マスターに答えを教えてあげると、すごいな、蒼星石!とマスターは嬉しそうに笑った。

 

そのままクイズ番組をみていたら、疲れていたのかマスターは歯も磨かずにそのまま寝てしまった。布団をかけるか、一旦起こして歯を磨きにいかせるか迷ったのだけれど、マスターの腕がにゅっと伸びてきて、僕を抱き寄せてしまって、

 

そのまま

 

 

一緒に

 

 

 

 

夢の中へと…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空は青く、風も穏やかで雲はゆっくりとながれている。心の樹も少し邪魔な草が絡んだりしているが、それは僕が鋏で切るだけで良い。ここは、マスターの夢の中。木も空も雲も、みんなみんなマスターの心そのものを表している。マスターの心がとても落ち着いていることがわかり、つい自分の顔がゆるくなるのが分かった。

 

不要な枝を切ろうを樹を見上げた

 

その時!

 

不意に、後ろに気配を感じて、レンピカを呼び出す。振り向きながら庭師の鋏を展開するとそこには見慣れた黒い服に、銀の長髪。

 

「こんばんは、蒼星石ぃ」

 

「…ここはマスターの夢の中。水銀燈。君が来るような場所じゃないと思うのだけれど。」

 

「そうかしら?ま、あの男のことだから、言えば入れてくれるわ。そんなに警戒することないんじゃなぁい?」

 

そう言ってくすくすと笑う水銀燈。

彼女が、マスターの夢の中にいるというだけで僕にとってはたまらなく嫌だ。

しかし、ここで彼女と争うとマスターの心の樹を傷つきかねないし、向こうも争う意志はないようなので、仕方なく鋏をしまって彼女を睨むだけにとどまった。余裕そうに、挑発的な笑みを浮かべる彼女が、こちらの嫌悪感をさらに煽った。

 

「水銀燈、君は、本当にアリスゲームを諦めたのかい?」

 

「そんなわけないじゃない、私の目的はあくまでアリス。お父様に愛してもらうこと、それが全てよ。」

 

「…」

 

「それは、あなたも一緒でしょう?ね、蒼星石ぃ?」

 

口の端を吊り上げて笑う水銀燈。違う

 

「僕は、僕はただ。」

 

返答に詰まる。分からない、自分が何をしたいのか、どうなりたいのか。アリスになってお父様に愛される。本当に、それだけなのに。なのにどうして、マスターの笑顔がちらつくんだろう。

 

「…うふふ、あなた、ジャンクね。私はアリスになることも、ローザミスティカを得ることを諦めたわけじゃない。ただ、めぐ…がいやがるだろうから、今はとらないでいてあげている、それだけよ。」

 

だから大事に取っておくのよ、蒼星石。と付け加え、ふわりと飛んでマスターの心の樹に乗りかかる。しかし、めぐさんが悲しがるからという意を組み込むこと自体、水銀燈らしくない。彼女の方を見上げると、片膝を立てながら、マスターの樹の枝に座っていた。

 

「この樹は不思議、とっても、暖かいわ。それに雲も空も、みんな広くて、包み込むよう。」

 

あたりを見回す。マスターの心は、丘の上に心の樹がたっていて、そこから空や、海や、川や、草木が、一面に広がっている。そんな優しい空間だった。

 

「珍しいね、君が人を素直に褒めるなんて。」

 

「…別にほめてるわけじゃないわ。だって、逆に言えばそれだけ。ここには何も無い。昔は色々と置いていたみたいだけど、捨てちゃったのね。彼。」

 

「…」

 

僕は何も答えない。マスターの心の中には、ほとんど何もなかった。心の樹は、どちらかというと健康に育っており、太くてあたたかい頼れるものだったが、彼自身をあらわすものがほとんどここには置かれてなかった。今日、三葉さんに会うまで、彼女に関係しているものまでもマスターは捨てようとしていた、隠していた。でも、僕はしっている。

 

「昔は、もっと何も無かった。」

 

「…」

 

「この空間は本当に何も無いところだったんだ。空や雲や海も、もっと灰色で、樹も、ただ大きいだけで…。でも、確かにマスターは少しづつ、変わっている。僕や、君に出会って確かに変わっているんだ」

 

とっても、とっても、明るくて、まぶしいくらいに。曇り空も、夕焼けや朝日が見える、青空になっていったんだ。

 

「僕は、そんなマスターを誇りに思う。少しづつ変わろうとしている彼を、前に進もうとする彼を手伝えることを。これからも僕はマスターの隣で支えていきたいんだ。マスターが前に進むのを。」

 

「それって、愛の告白かしらぁ?」

 

そういわれて気が付く、確かに、さっきのような言い方では。首筋まで熱が一気に伝わり、耳まで熱くなるのがわかった。

 

「そ、そんなんじゃ…」

 

「わかってるわよぉ、ふふふ、真っ赤になっちゃって可愛いわよぉ。蒼星石」

 

今度は、恥ずかしいやら、馬鹿にされたことに対する怒りやら、織り交ぜたような感情で彼女を睨む。クスクスと笑うと彼女はすっと、腰を上げて。

 

「…今度、めぐの樹もみてあげてほしいの……。めぐの樹は、まだまだ元気にならなくてはいけないから。」

 

「!それって」

 

「じゃあね、蒼星石。愛してるわぁ」

 

上を見上げると既に水銀燈の姿はなく、黒い羽だけが宙を舞っていた。

 

「水銀燈、君も変わってきているんだね。少しづつ、マスターのように」

 

僕は、変わっているのだろうか。何も変わっていないんじゃないだろうか。

近くに咲いている、ピンク色のパンジーをみた。まるで、マスターの心のような、今の自分のような。

 

…僕は

 

僕は、マスターの役にたてるのならば、それで、幸せだから。ただ、許されるのなら…

 



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7話

「ふんふんふーん♪」

 

今日は朝から蒼星石はご機嫌のようだ。くんくんのオープニングテーマを鼻歌で歌いながら、ベランダに置いてある植木に緑色をした象の如雨露で水をあげている。俺は眠い瞼をこすりながらそんな蒼星石を隠れて観察し始めた。

 

「らんららんららーん♪」

 

今度はエンディングテーマを歌いながら、ベランダのスリッパを脱ぐと、窓を開けっ放しにして中へと戻ってきた。ばれないように、少し身を隠すとこちらの様子 に気付くこともなく、すぐに洗濯物の入った白いプラスチック製のカゴを抱えるように持って再びベランダへと戻っていった。今日は快晴無風で、洗濯日和のよ うだ。蒼星石は大きな長いすに乗ったまま、なお、鼻歌をやめずに洗濯物をハンガーに通すと、次々にそれらを手馴れた手つきで物干し竿へとかけていく。

 

「ねぇ、マスタ~♪こっち向いて~♪」

 

ねぇ、くんくん。こっち向いて。の歌詞が俺になっている。背伸びをしたり、かがんだり、笑顔で服を干している蒼星石は見ていても飽きないが、そろそろお腹もすいたし声をかけるとしよう。ベランダから顔だけ出すといつもの第一声を発する。

 

「おはよう、蒼」

 

「ひゃあ!マスター!?」

 

珍しく早起きをした俺の存在に驚いたのか、わわっと、体制を崩しそうになっていた。あぶない!と思って手を伸ばそうとしたが、蒼星石は椅子の背もたれに手を 伸ばして、なんとか踏ん張ったようだ。両手を背もたれにかけて、ほっと息をなでおろしている。それにしても、驚きすぎだ。先ほどまでのニコニコ顔が、少しきりっとしたものになっていたかと思うと

 

「マスター。おはようございます。すぐに、ご飯にしますね。」

 

とまるで執事か何かのような口調で言い始める。いつもの蒼星石に戻ってしまった。うーむ、せっかくなので、さっきのご機嫌な蒼星石をもっと見ていたかったかも、何故食欲に負けてしまったのか…。勿論、今のキリリとした蒼星石もいいけれど。

一緒に洗濯物を干し終えると、二人で朝ご飯を作って食べた。最近は蒼星石一人で台所に立つことの方が多くなったし、すっかり家の家事全般は蒼星石が仕切っている。それどころか、常に何か手伝えることはないかとか、マスター、マッサージしましょうか?などと言い出す始末、本当に働き者だ。

 

 

 

「今日こそ三葉さんのお家に行くんだよね。マスター。」

 

「うん。今日こそな」

 

三葉に会ってから一週間。次の日に家で会う約束をしたのに急に断られていたのだ。というのも、向こうがクマがどうのこうのとか言って、会いたがらなかったからだ。くま…服のプリントか何かだろうか?結局、三日ほどして服だけ先に送られてきたのだった。

 

蒼星石にぴったりなサイズのフード付きの蒼い冬服。着替えて着てみると、なるほど蒼星石にぴったりだった。

サイズとか、そういったものじゃなくて、こう、蒼星石に合っているといった感じだ。一目服だけ見たときは男物っぽいと思ったのだけれど、いざ蒼星石が着てみるとふわふわしていると言うか、可愛らしい。どうですか、マスター…と、自らの体を見回す蒼星石。可愛い と素直に言ったら、顔を真っ赤させて両手で顔を隠した。

服と一緒に送られてきた女の子らしい丸文字の手紙には、謝罪と今度は大丈夫だから来て欲しいという内容が書かれていた。了解、ありがとう、と言う内容をメールで。おまけに照れくさそうに顔を隠すフード姿の蒼星石の様子を携帯の写真で撮って送ってやったら、しばらくもっと蒼星石を撮って送れというメールが止まらなかった。

 

関係ないが、めぐのメールは1秒に3通くらい送られてくる日があった。なるべく早く返信してやらな いと、ぴろりんぴろりん鳴りっぱなしになる恐ろしいメールだ。最近は水銀燈とよろしくやっているのか随分と大人しくなったものだ。まぁ定期的に鏡を通って家に来ているのもあるかもしれないな…

 

「これを食べたら、準備していくか」

 

「はい、わかりました、マスター。」

 

今日ならいつ来ても良いと言われていたので、ぼちぼち出て行く、というメールを三葉に送ってやると、わかったわ、とすぐに返信がきた。絶対に蒼星石もつれて きて欲しいという念押しつきで。ご飯を箸でかきこむと、豆腐の入った味噌汁でずずっと流し込む。両手を合わせて、ごちそうさま、そのまま食器を流しへと運ぶ。綺麗に平らげられた皿を見て、蒼星石が、わずかに口を吊りあげて微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「や、やめるかしらー!カナは食べてもおいしくな…きゃー!来るなかしらー!」

 

…今日は、平和だった。蒼星石の機嫌は良かったし、三葉との約束も普通に果たせると思ったし。でも、今まさに、その平和は乱されたのだなと、実感した。三葉の家に行く途中の住宅街で、叫び声が聞こえたのだ。それも、とても日本では着ないような黄色い服を着た少女から。

 

「蒼星石、あれって…まさか」

 

そう尋ねると、普通に話をしていた蒼星石がリュックから飛び出して、俺の左肩から身を乗り出し、状況を把握する。口に手を当てながら、その綺麗なオッドアイは細められて真剣な顔付きに変わっていた。

 

「彼女はローゼンメイデンの第2ドールです。名前は…」

 

「や、やめるかしらー!あ!!」

 

と 蒼星石の声は悲鳴に消されてしまう。複数のカラスに襲われているその黄色いドールはぶんぶんと日傘を振り回して応戦していたが、勢いあまって傘がすっぽ抜 けてしまい、きゃーっとまた悲鳴をあげる。これを好機と見たカラスたちがにじり寄っていくと、あわわわと口で言いながら、あっという間に壁に追い詰められ て、顔を青くさせた。

 

「とにかく、助けないと」

 

「え、マスター?」

 

飛んできた傘を拾ってリュックにしまうと、蒼星石がおちないよう、左手で蒼星石を担ぐようにして支えながら走る。

 

「ほらほら、しっし」

 

カーカー!とカラスたちは不満げな声を出していたが、右手をぶんぶんと大きく振ると、カラスたちは羽を広げて散っていった。壁のほうに振り向くと、両手で頭を抑えながら、おしりを突きだしながらうつ伏せになっている第2ドールが居た。未だに体は小刻みに震えている。

 

「おーい、もう大丈夫だぞ」

 

「カナはおいしくないのかしらー!!……うん?」

 

むくっと起き上がると、キョロキョロと周りを見渡し始める。オレンジ色のワンピースを着ているが、下にふっくらとドロワース風のズボンをはいている。緑色の 特徴的な巻き髪をぶるぶるとふるって、同じく緑色の目をパチパチとさせると、徐々に状況が理解できてきたのか。ありがとかしらー!と可愛らしい笑みを見せ た。

 

「やぁ、久しぶりだね。金糸雀。」

 

「そ、蒼星石!」

 

ひょこっと肩から現れた蒼星石の存在に、身を引かせて驚くカナリアと呼ばれたドール。かと思えば、慌てて何かを探しはじめた。お探し物はこれかな?と蒼星石が言って日傘を見せる。ちょっと得意気な蒼星石可愛い。

 

「か、返すかしらー!」

 

「そういうわけにはいかないよ。君の攻撃は中々厄介だからね。」

 

蒼星石は顔色一つ変えずに傘を見せびらかしている。金糸雀はぴょんぴょんと手を伸ばして跳んでそれを取り返そうとするものの、俺の肩に乗っている蒼星石までは届きそうにない。ぷくーっとほっぺたを膨らませて恨めしそうにこちらを見ていた。

流石にかわいそうだと思って蒼星石に何か言おうとした、その時、黄色い光が蒼星石の傘を持つ手に体当たりをして、日傘を叩き落した。

 

「ピチカート!?」

 

ばっと、落ちた傘を拾い上げると、そそくさと後ろに下がり、俺たちから距離をとった。

 

「やっぱり、このローゼンメイデン1の策士、金糸雀はさすがってかんじかしら!」

 

くるっと一回転して傘を開くと、ぱちっとウィンクしてこちらに自己紹介をしてくれる金糸雀。ローゼンメイデン1の策士か。見た目に反してかなりの頭脳派なのかもしれない。まぁ今のはどう見ても人工精霊のファインプレーだが。

 

「俺は柿崎忍、蒼星石のマスターをやってるよ。よろしく。」

 

「え、あ、はい、こちらこそー」

 

こちらが軽くお辞儀をすると、向こうも傘を持ったまま深々とお辞儀をしてくれた。ローゼンメイデンって、悪い子はいないんじゃないか?この子も根は良い子そうだ。

 

「じゃ行くか蒼星石、金糸雀、次は気をつけるんだぞー」

 

「はい、マスター。またね、金糸雀」

 

「はーいまたー!……って!ちょっとちょっと、それはないんじゃない!かしら!」

 

隣をそのまま通りすぎようとしたが、金糸雀はききーっと走って先回りすると、両手を広げて通り道を塞がれてしまう。参ったなぁ三葉の所に急いでいるのに…。

 

「あ!カラス!!」

 

と蒼星石が空を指差すと。

 

「きゃーー!どこかしら!やめるかしらー!」

 

と言ってばたばたと慌て始めた。いや、何も居ないんだけれども。

 

「さ、今のうちに行きましょう、マスター」

 

「え、ああ…」

 

そう言って隣で微笑む蒼星石。蒼星石ってたまに黒いんだよなぁ。俺は蒼星石を肩に乗せたまま、目を瞑って傘を振り回している金糸雀の隣をゆっくりと通り抜けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「くっくっく、蒼星石は、ちょ~っと手ごわいけれどー!カナの罠にかかればイチコロかしらー!」

 

あーなんていうか、本当、微笑ましいドールなのだな。どう先回りしたのか分からないのだけれど、住宅街の道を歩いていると、目の前には卵焼きの入ったお弁当箱がぽつんと置かれていた。いや、正確にはとっても怪しく置かれていた。というのも、糸のついたつっかえ棒と、それに支えられてるザルが、これは罠です。と 言わんばかりに置かれているからだ。ちなみに糸の先には体と顔が半分電柱から出ている金糸雀の姿もある。

 

どう対応すれば良いか肩に乗った蒼星石に聞こうとしたその時。かーかーっとカラスたちが一斉にお弁当箱に群がり始めた。

 

「あー!それはみっちゃんがカナに作ってくれた、とっても甘くておいしい卵焼き!」

 

ばっと飛び出した拍子に金糸雀は持っていた糸を離してしまい、逃げ遅れた一羽がザルに覆われてしまった。逃れた数羽が、捕らえられた仲間を助けるためなのか、もともとそういうタチなのか、金糸雀めがけて飛んで行く。

 

「きゃーきゃー!やめるかしらー!カナはおいしくないかしらー!」

 

…なんか、さっきみたぞ。これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐすっ。助かったかしら。」

 

地面にへたり込んで、ぐずる金糸雀。先ほどからカラスを追っぱらったというのに一向に泣き止む気配がない。蒼星石は俺の肩からぴょんと飛び降りると、金糸雀の所へ向かう。

 

「どうしたんだい、金糸雀。カラスならもういないよ?」

 

「うぅ、みっちゃんが折角作ってくれた卵やきが…」

 

「みっちゃん?」

 

蒼星石はポケットからハンカチを取り出して、金糸雀の頬をぬぐう。蒼星石は王子か何かか。しかし、みっちゃん、つまりは金糸雀のマスターだろう。どうやら先ほどの罠に使った卵焼きを食べられたことが相当ショックだったようだ。なら何故罠に使ったのか…

 

「みっちゃんごめんなさい~!ついでにお腹すいたかしら~!」

 

「マスター…」

 

ぐすんぐすんと中々泣き止まない金糸雀に、困ったような顔でこちらを見つめる蒼星石。しょうがないなぁ。

 

「卵焼きくらい俺が何とかしてやるよ」

 

「ふぇ?」

 

ぐずる金糸雀と目線を合わせるために腰を下ろす。一度、良いの?と聞き返され、良いの。と言い返すと、金糸雀はぱぁっと顔を明るくさせて、やったー。かしら!と万歳して見せた。台所と卵一個くらい頼めばかしてくれるだろう。

 

金糸雀の隣に立っていた蒼星石を抱えると、ついておいで、とそのまま踵を薔薇屋敷、つまりは結菱家へと向けた。金糸雀はとことこと俺の隣に並ぶと、カナは甘―い卵焼きが好きかしら~!とご機嫌な様子、調子の良いやつだなぁ。赤いほっぺたを手で撫でて食べているのを想像しているようだった。

 

金糸雀から飛び出した黄色い光が、ふわふわと俺の前で飛び交っているお礼をしているようだった。人工精霊の方がよっぽどしっかりしてるよ。やがて黄色い光は金糸雀の元へと戻っていった。

 

腕の中の蒼星石が、水銀燈の時のように文句の一つでも言うかと思ったが、にこっと俺に一度微笑んだと思えば、よかったね、金糸雀。と笑顔で金糸雀に返していた。そんなに仲が悪くないみたいだ。しかし

 

やっぱり姉妹なんだなぁ。ふんふんふーんと鼻歌を歌い始めた金糸雀は、朝の蒼星石にそっくりだった。

 



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8話

「一面薔薇だらけかしら~!」

 

「だから近所じゃ薔薇屋敷、単純だよなぁ。」

 

インターホンを鳴らすと、結菱家の使用人の一人が出て、すぐに遠隔操作で門を開けてくれた。勝手知ったる他人の家、とまでは行かないが、小学生ごろから通っていたこの薔薇屋敷。辺りを見回すと少し枯れかかった薔薇のアーチや花壇が変わりなくそこにあって、何だか懐かしいような、それが嬉しいような、くすぐったい感じだ。

 

「薔薇の庭園…」

 

「蒼星石?」

 

左腕で抱き上げている蒼星石は、庭師として何かしら庭園に言うかと思っていた。しかし、ただただ、ぼーっと辺りを見ているだけで、意外と平凡な反応だ。ちなみに金糸雀はほへーっと何とも間抜けな声を出しながら辺りをキョロキョロと見回している。俺だって、初めてここにくればそんな感じになるだろうな。

 

「忍」

 

「ん?ああ、三葉、おはよう。」

 

「おはようございます。三葉さん」

 

薔薇園をみていると、不意に横から三葉に声をかけられた。今日は作業着ではなく、黒いタートルネックに青いジーンズといった機動性重視のファションだ。目立つ金色の髪は勿論後ろで束ねてポニーテールになっている。色気のなさそうな肌の露出のない服だが、なんと言うか、それが余計ボディラインを引き立たせていて妙な色気がある。

 

「おはよう、二人とも。…あれ?」

 

三葉の存在に気付いたのか、金糸雀はそそくさと俺のズボンを掴むと後ろに隠れてしまった。もちろん、三葉もそれに気づいたようだ。…その青い目が、尋常じゃないほどに輝いている。

 

「あ、あなたももしかして、ローゼンメイデン…!?」

 

そういわれると、びくっと一瞬身を震わせたが、次第にくっくっくと笑い出し。

 

「よくぞ見破ったかしら!ローゼンメイデン1の頭脳派!金糸雀かしらー!」

 

金糸雀は人見知りと言うわけではないようだ。少なくともローゼンメイデンを知っていることに気をよくしたのか、くるくると回って俺の前に踊り出ると、勝手に自己紹介をしはじめた。最後にパチンとウィンクまで決める。あーあ。

 

「か、可愛い!!!」

 

「え、きゃあ!や、やめるかしらー!ううう、こいつみっちゃんみたいかしらーーー!!」

 

三葉は金糸雀を捕獲すると、金糸雀のほっぺたに、自らのほっぺたをぐりぐりとくっつけてこすり合わせている。金糸雀の頬っぺたが、三葉に押されてぐにぐにと形が変わっている。嫌そうにもがいているものの、体格差もあって、逃げ出すことができないようだ。

 

「みっちゃん?私も昔、みっちゃん、ってよばれてたわよー?」

 

「え?えーっとじゃー、カナの知ってるほうのみっちゃん」

 

「私は結菱三葉。これで私達は少なくともお知り合いね?金糸雀ちゃん」

 

「え!?えっと、そうかしら!って、わぷ、まさつせっちゅするのはやめるかしらー!みっちゃんーじゃなかった、カナの知ってるほうのみっちゃん…でもないし、あうー、誰かー!」

 

再びぐりぐりとほっぺたをあわせる二人。三葉は暴走すると止められないからなぁ。ご愁傷様と言ったところか。

 

「俺たちもやってみるか?蒼星石」

 

「え!?え、えーっと、その、ま、マスターが望むのなら…」

 

そう言って、腕の中の蒼星石は、顔を赤くしながら俯いてしまう。本当!なんでこんなに可愛いんだよ…。

 

「蒼星せ…」

 

「じゃあ、寒いでしょうし、中に入って頂戴。」

 

満足そうな顔をしてそういう三葉と、頬をさすりながらよろよろとふらついている金糸雀。折角蒼星石とマサチューセッツするチャンスが…蒼星石はほっとしたような、残念なような、そんな顔を浮かべている。くそう、三葉のやつ…

それから俺たちは、三葉に導かれるようにして、館の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそおいでくださいました。忍様。」

 

「伊達さん、お久しぶりです。ええっと、お変わりないようで何よりです」

 

向こうの綺麗なお辞儀に対して、こちらもつたない礼で返すとニコリと笑うメガネをかけた初老の執事。心なしか皺が少し増えたようだが、柔らかい物腰は相変わらずだ。

 

「伊達、何か飲み物を…それから」

 

「カナは卵焼がいいかしら!甘い卵焼!」

 

ニコニコと細められていた伊達さんの目が一瞬驚愕で見開かれた。それはそうだ。突然、派手なフリルのドレスを着た見かけ子供が入ってきたのだから。ちなみに、蒼星石は目を閉じて人形のフリをしている。

 

俺と三葉の顔を見比べて、なにやら物思いにふけっていたが、やがて

 

「…かしこまりました。では、後ほどお持ちいたします。」

 

と言って笑顔で礼をすると、奥へと消えていった。

 

「さ、こっちよ」

 

もう少し、金糸雀について色々と突っ込んで良いんじゃないか?とは思ったが伊達さんは何も無かったかのように目を元のように細めて奥へと消えていった。一瞬瞳に涙が浮かんだように見えたが、気のせいだろうか?変な勘違いをしていないと良いが…

 

わーいっと、嬉しそうに万歳している金糸雀の手を三葉が握ろうとしたが、上手くかわされていた。嫌われたな。っと遂、声を出して笑ってしまう。…すると蛇の如くにらまれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家にはとても置けないような長くて大きなテーブル。離れて座っても話しが出来ないので、結局使うのは端っこだけだが…。

それぞれの席には、先ほどメイドさんが入れてくれた紅茶が出されている。紅茶評論家の蒼星石も満足するほどなのだから、中々おいしいのだと思う。俺にはあんまり違いが分からなかったが。

そして、真ん中には伊達さんが作ったであろうほかほかの卵焼が置かれている。ふわふわに出来ているみたいで、オムレツと普段見る卵焼の中間といった感じか。ぶすっと、金糸雀が身を乗り出して、一つをフォークに刺すと、ぱくっと口に入れる。それから口元を緩めると、もちゃもちゃとほっぺに手を当てて幸せそうに食べはじめた。結構うまそうだな、と一切れ口に放り込んでみたが、あまりの甘さに驚いた。金糸雀にはこれがちょうど良い甘さなのだろうか。

 

「ん~、とってもおいしいのかしら~!」

 

「ふふ、喜んでもらえてよかったわ。…ねぇ忍、その、めぐちゃんは元気?」

 

「元気も元気さ。この前なんて、家にあった…いやなんでもない。」

 

「えー?何よ、気になるじゃない」

 

「なんでもないんだって」

 

危ない危ない。流石にお宝本を処分されたなんていえない。めぐは三葉とそんなに仲が良くなかった。それどころか、めぐのほうが三葉を嫌っている節すらあった。三葉は仲良くなろうと色々考えてくれているのに、なんでだろうなぁ。

 

「そっちこそ、どうだ?その、おじさんとか」

 

「!…おじさんは…」

 

そう言って、顔に影を落とす三葉。そういえば、今日はまだおじさんに会っていない。それどころか、いつも車椅子を押して、付き従っている伊達さんがそばを離れていたのだ、何か、あったのかもしれない。

 

少し、間が空く。

 

「金糸雀、少し外を見に行こう」

 

「え?で、でもまだ卵焼きが…」

 

「いいから。マスター。僕たちは少し、外を見てきますね。薔薇の庭園を、見て回りたいから…。」

 

「ん?なら俺も」

 

と言おうとしたときに、蒼星石は俺に意味ありげな笑みを浮かべると、名残惜しげな金糸雀を引っ張るようにして出て行ってしまった。残ったのは、飲みかけのカップ4つと卵焼、それから。三葉と俺だけだ。まさか、気を使われた?

 

 

 

 

 

 

 

 

「も~!まだ卵焼が残っていたのに~!」

 

「マスター達を二人にさせてあげたかったんだ。今の三葉さんには、多分マスターの力が必要だから。」

 

「こっちのみっちゃんが?」

 

「うん。…みっちゃん、と言うのが君のマスターかい?」

 

「そうなのかしら!みっちゃんはオーエルとか言うところで働いていて、ぐりぐりでまさちゅーせっちゅーで、いつもカナに服を着せて写真をいっぱい撮るのかしら…」

 

元気に語っていたのに、段々とげんなりとした様子になっていく金糸雀に、自然と笑みがこぼれてしまう。マスターに初めてこちらの服を着せられたときも、同じようなことをされたっけ。あれは、その、か、可愛いとか褒められると、嬉しいのだけれどとても恥ずかしい。

 

しかし彼女は、げんなりしてこそ居るが、助けを求めたりしている辺り、みっちゃんというマスターが彼女の信頼に足りているというのは、なんとなくわかる。

二人で薔薇のアーチくぐっていたのだけれど、勝手に、足が止まってしまう。それに気付いたのか、金糸雀も日傘をくるりと回してこちらを見る。

 

「どうしたのかしら?蒼星石」

 

「金糸雀。アリスゲームについて、どう思う?」

 

「え?」

 

思わず、今思ったことをそのまま口にしてしまった。夢の中で水銀燈と話をしてからよく考えていること。アリスゲーム、お父様の望み。僕たちの存在意義それが、何だか分からなくなっていた。考えれば考えるほど、黒い渦のようなものに引きずり込まれていくような。そんな感じで。

 

「うーん、カナはそんなに深く考えてないのかしら。」

 

「深く…考えていない?」

 

同じローゼンメイデンなのに…?

 

「みっちゃんが、他のドールもほしい、って言うからローザミスティカを集めているだけなのかしら!…まだ一個も集まってないけど」

 

「!」

 

彼女のマスターがそういったから。彼女はその通りに動くと言うのか。確かに、ローザミスティカを集めるのはお父様の願いだ。だけど、彼女はお父様のためではなく、彼女のマスターが望んだから、それを集めると言う。

 

…僕にもその決断が出来ただろうか。マスターはあまりアリスゲームには積極的じゃない。だから、マスターがやめろと言えば、アリスゲームをやめる決断を、すぐに下せただろうか?

それじゃあ僕自身、存在する意義が…翠星石の居ない今、僕のできることは限られているのに…。

 

「僕は…」

 

「む~。本当はこういうのは翠星石のやることだけど…えい!」

 

「あ」

 

突然、ぎゅっと僕に抱きついてくる金糸雀。いや、抱きしめてくれている?

いつも翠星石にされていたような、ハグ。翠星石のやること…か。彼女はいつもそうだった。戦いを好まず、平和を愛していた。いつも僕は彼女に元気付けられてばっかりで、暗い顔をしているだけで。マスターにだって、いつもそう思われている。優しく抱きしめてくれるときも、頭をなでてくれるときも、僕が何かを考えているときだ。

 

身長の低い金糸雀が、めいいっぱい背を伸ばして僕の頭をなでる。おかしいな、何だか、金糸雀がとっても大きく見える。

 

「蒼星石には、蒼星石にしかできないことがいっぱいあるのかしら。」

 

「うん」

 

「アリスゲームだって、よくわからないけど、お父様が意味の無いことをさせるとは思えないし、きっと何か意味があるのかしら!

色々と悩んでも、多分お父様の考えてることは分からないし、折角だから、カナはカナなりにみっちゃんと仲良くやっていこうって、思ったのかしら!」

 

「うん」

 

おかしいな、少し、目頭が熱くなってきた。よしよし、と言って撫でてくれる彼女は、普段あまり見せない、優しい顔をしていた。

 

「全く、世話のかかる妹を持つと、お姉ちゃんはつらいのかしら~」

 

などと顔を赤らめて僕から離れると、黄緑色をしたその髪を照れくさそうにいじる金糸雀。彼女は、僕よりずっと早く生まれている。だからこそ、普段あれでも、根底にある直感や考えは僕よりも深くて、強い。先ほどの三葉さんやみっちゃんさんのように、その可愛さで人を幸せにしてあげることも出来る。僕にも、そんなことが出来るだろうか。翠星石のいない僕に。

 

「あ。」

 

突然、前を歩き出した金糸雀が声を出した。見ると、薔薇のアーチの先には、一人の老人が車椅子に座っているのが見えた。その目は遠くを見つめていて、まるで心がここに無いみたいな顔をしている。

 

「ほらほら、早速蒼星石にしか出来ない仕事なのかしら。」

 

「え?」

 

「あの人を元気にするのかしら!ここの卵焼はおいしかったから、カナも少しだけ手を貸すから」

 

「わ、押さないでよ。自分で歩けるよ、金糸雀。」

 

「ぐーん!レッツゴー!なのかしら!」

 

ぐいぐいと金糸雀に押されるがままに老人の前へと向かう。僕にしか出来ないこと。そんなこと、あるのだろうか。不安と劣等感の間に押しつぶされそうだったけど、今押されている背中の小さな手が少しだけ、頼りになった。

 

 

 

 

 

 

「君たちは…。」

 

「僕たちは、三葉さんの知り合いです。ここで何をしていたんですか?」

 

老人に声をかけてみると、こちらに顔を向けて、目があった。深い悲しみが伝わってくるような、世の中に絶望しているような、そんな目をしている。老人は再び空を見上げるとこう呟いた。

 

「……昔を思い出していたのだよ。」

 

「あー!そういえば、老人は昔をやたら美化して懐かしがるってみっちゃんも言ってたのかしら!」

 

「ちょ、ちょっと何言ってるのさ金糸雀!」

 

「過去を美化…か。確かに、そうかもしれんな」

 

老人は顎を擦りながらぽつりと呟いた。金糸雀の物言いはあんまりだけど、特に気に留めた様子でもないようだ。それにしても意味深な言葉だ。

 

「申し遅れたね。私は結菱一葉…、三葉の…保護者みたいなものだよ」

 

そう言って大きな皺皺の手を僕たちに向ける一葉さん。握手、ということだろうか。僕たちも手を出して、それぞれの名前を名乗る。物腰は落ち着いているが、どこか威厳があると言うか。昔の貴族のような礼儀正しさを感じた。

 

「一葉はどうして元気がないのかしら?」

 

ああ、金糸雀。君って奴は本当に直球だね。しかし、それくらい直球の方が、分かりやすくて良いのかもしれない。翠星石なら、少しづつ彼の心の樹を伸ばすこともできるが、今の僕には断ち切ることしか出来ないのだから。

 

「元気が無い…?……ふ、話しても仕方がないかもしれないが。実は…」

 

 

でも僕は、僕だけにしかない力で、彼の力になれるかもしれない。彼のどんな過去だろうと、僕が…

 

 

 

「三葉が最近構ってくれないんだ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蒼星石―。今日は楽しかったか?」

 

「はい、マスター。久しぶりに鋏を振るったので、少し疲れてしまいました。」

 

日の暮れた帰り道。俺の肩に手を置いている蒼星石から答えが返ってくる。蒼星石と金糸雀はすっかり結菱邸を気に入り、結局今の今まで外で遊んだり、庭の世話をしたり、でっかいスクリーンでくんくんを見たりしていた。

 

「それにしても、あのスクリーンはすごかったなぁ。まるで映画館みたいだった。」

 

「はい、すごい迫力でした。」

 

ちょっとした爆発音などが入ると、あまりの迫力にびびる金糸雀の姿を今でも鮮明に思い出せる。あわわわと腰を引かせてピチカートを呼ぶ姿はなかなかプリティだった。でも、黙って俺の服の裾を掴む蒼星石はもっとプリティだった…!

金糸雀は既に傘を差して風に乗って帰ってしまったが、また来るかしらーなどと言っていたので、もしかしたらあそこに通い始めるかもしれない。

 

「そういえば、一葉さんとは何を話してたんだ?」

 

「…それはその、色々と、です。」

 

そう言って遠くを見つめる蒼星石。いつの間にか薔薇の庭園で仲良くなっていた3人だったが、俺たちが合流したときにはなんと言うか、蒼星石はげんなりしていた。まぁ、何があったかは大体、想像がつくが。

 

「大方、三葉の素晴らしさについてのあれこれ語られたんだろ?」

 

「!どうしてそれを。」

 

「くくく、わかるさ。俺も三葉に一葉さんに対する愚痴を聞かされたからな。まぁあの人の元気が無かったのも、最近の衣装作りで三葉が忙しかったっとかそんな感じだろう?」

 

「…はい。」

 

落ち込んだような顔をする蒼星石。どうせ蒼星石が席を外したのも、おじさんに何かあった、それで三葉が落ち込んでいる。俺に元気付けさせるためにと気を使った、とかそういうことだろう。

実際は、大学生になっても終わらない過保護に悩んでいるだけだったと言うのに。

 

「一葉さんはなぁ。昔「二葉」っていう別の名前を使ってたんだ。その時のあの人は、そりゃもう、なんていうか、「怖い人」だったな」

 

「別の名前を…?」

 

「そう、あの人の、兄弟の名前さ。双子だったんだ。もう、二葉さんは亡くなってるけど。その人の代わりをやりたかったとか、言ってたかな…」

 

「双子の…代わり…」

 

「色々と複雑だったんだ。あの家は、ああ見えて。三葉だって、ずっと引きこもりだったし。一葉さんは怖いし、正面から遊びに行けるような家じゃ無かったかなぁ」

 

それが逆に、何だかわくわくしたんだけれど。

 

「三葉さんが?」

 

「意外だろ?無口だし、何考えてるかわからなかった。」

 

部屋の隅っこで、人形に囲まれるようにして座っているあいつは、まさに人形そのものと言ってもよかった。まるで意思がないような、そんな姿で。

 

「マスターが」

 

「ん?」

 

「マスターが、彼女を変えたのですか?」

 

「変えた?いや、別に普通に毎日遊びにいってただけと言うか、俺、俺の家嫌いだったから遊びに行ってただけだよ。そしたら、いつの間にか、三葉とも元気に遊ぶようになってったし、オジサンも文字通り人が変わったみたいになったし…」

 

「一葉さんのことはまだわかりませんが。三葉さんは、きっとマスターに救われたのだと思いますよ」

 

「そんなたいそうなことはしてないよ」

 

何だか頭の後ろあたりがむずがゆくなる。救われたなぁ。本当に、そんなつもりは無かった、お袋が再婚して、仕方がないから来たこの町の家なんて、大嫌いだったから。廃墟だって言うから、冒険気分でもぐりこんで遊んでただけ。薔薇も何も彼も枯れていたのだから、そう噂されてもおかしくない屋敷だったしな。

 

「僕は、誰かを喜ばせたり出来ないから…本当に、すごいことだと思います。」

 

「何言ってるんだよ。」

 

「え?」

 

またそんなことで、ネガティブスパイラルに陥りそうになってるのか、蒼星石は。よく目が見えるように、歩みを止めて、肩から抱っこするよう蒼星石を下ろすと、その宝石のような綺麗なオッドアイと目を合わせる。

 

「今日は洗濯物、干してくれた。」

 

「!」

 

「いつも寝坊する俺のために起こしてくれるし、ご飯も作ってくれる。帰ってきたら、おかえりっていってくれるし、嫌なことがあったら愚痴は聞いてくれる、楽しいことがあったら一緒に笑ってくれる。」

 

「マスター…」

 

「隣に居てくれるだけで。十分助けになってるんだよ。蒼…。」

 

「ますたぁ…!」

 

じわっと、目に涙をためたと思ったら、蒼星石は俺の胸辺りに顔をうずくめて泣き始めた。色々と溜め込んでいたのか?いや、昼に何かあったのかもしれない。どちらにしろ、この涙は嫌な感じはしなかった。なんていうか、蒼星石が、良い方に少し変わっている気がして。

 

さらさらした赤茶色の髪を撫でると、一瞬びくっとしたが、再び、俺の胸の中で嗚咽を漏らした。今日は、ケーキでも買って帰ろうかな。

 



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9話

「兄ちゃん、最近何かいい事あったんか?」

 

「え?」

 

18時、バイトも終わり、制服を脱いでいたら突然店長に声をかけられた。見た目はバリバリの外国人シェフ(しかも髭の生えたイギリス紳士風)なのに、話す日本語はコテコテの関西弁という変わった人だ。初めはみんな驚くのだけれど、面倒見がよく、基本的に良い人なのでお客さんからもバイトのクルーからも信頼されている。勿論、俺も例外ではない。そんな店長が髭をいじりながら俺にそんなことを聞いてくるのだ。

 

「なんていうか、前よりもうきうきしとるっちゅうか、はよ帰りたがってる?感じがするやろ?もしかして…」

 

これか?っといって小指を立てる店長。目がエロ目になっているのもあり、見た目の紳士っぽさとのギャップが激しい。というか、そんな姿、俺がはじめてくるお客さんなら絶対見たくない。

 

「違いますよ」

 

と言って顔を逸らす。が、っ向こうは変に顔をニヤつかせて。

 

「はっはっは、そうかそうか」

 

と言いながらばんばんと背中を叩いた。あまり本気ではないのか痛くは無い。今日はお疲れ様でした。っと独特のイントネーションで俺に労いの言葉をかけるとニコニコしながら後ろに手を組んで厨房に帰っていった。何が、そうかそうか、なのか。痛くはない、その背中を擦りながらそんなことを考える。

 

うきうきか、誰かが待ってくれている家に帰る。それだけなのに、妙に幸せというか。多分、そのせいだろう。不思議な気持ちがしているのは確かだ。

 

店の裏口からコートを羽織って外に出ると、びゅおっと冷たい風が顔にまとわり付く。たまらず体を縮め、手をコートのポケットに突っ込んだ。寒い、が、それでも、家に帰れば蒼星石が待っているということを思い出すと自然と顔が緩んだ。

お土産にアイスクリームでも買っていくかと、幸せそうにアイスを頬張る蒼星石の姿が脳に飛び込んできたのでそのままコンビニに足を運ぶ。らしゃいあせーという何語かわからない言葉に出迎えられると、アイス売り場に直行し、6個入りのカップに入った少しお高い某アイスを見つける。蒼星石は喜んでくれるだろうか。水銀燈も、もしかしたらめぐもいるかもしれないし。奮発だな。

 

 

 

 

暗かった。辺りはもうすぐ冬ということと、あまり良くない天気も手伝って真っ暗だった。さっきまで居た商店街は明かりで溢れていたのだが、そこを通り抜けると頼りない電灯と家々の明かりだけが辺りを照らしているだけだ。ただ、その頼りない光はマンションの、俺たちの住んでいる一室も例外ではなく、辺りを照らすものの一つとなっていた。ようは、家の明かりがついているのだ。

 

帰ってきた。と言う感じがしていて何だか温かい。自身の部屋へと階段を上る足取りも、心なしか軽い。少しでも、早く帰りたいのだ。

 

「ただいまー」

 

とドアを開けると

 

「おかえりなさい。マスター。寒かったでしょう、暖かいお風呂が湧いてますよ」

 

「ありがと。じゃあ、いただこうかな」

 

微笑み。奥でなにやらぐつぐつと作って居たであろう蒼星石が白いエプロンをつけたまま俺のことを出迎えてくれる。特に何かをするわけではないが、蒼星石はおかえりを言うためにいつも玄関まで来てくれる。もう、俺はこのおかえりを聞くためだけに帰宅を楽しみにしているようなものだ。

 

 

水銀燈…もいるみたいだな、コートをかけて居間を見ると、いつものようにソファで寝転んだまま本を読んでいる水銀燈が居た。俺の存在に気が付くと、あら、帰ってきたの。と、目だけ一瞬こちらにむけて、てきとーな言葉をくださった。ま、平常運転と言う奴だ。ちなみに読んでいる本は、くんくん大全集とか言うくんくんにまつわることが書かれているファンブックで、水銀燈は何度も何度もその本を読み返している。それこそページに皺が出来るほどだ。まぁこの本を読んでいるときは機嫌が良いし、よほど好きなのだろう。買ってきた時の態度こそ冷たかったが、大事に読んでくれているのを見る限り結構お気に召しているようだ。

 

「マスター。それは?」

 

「ああ、アイスだよ。お土産。後でみんなで食べようかと」

 

「はい。ありがとうございます。」

 

ニコリと笑うと両手で俺の持っていたレジ袋を取っていき、冷蔵庫前まで歩いて、台に乗る。上から2段目の冷凍庫を開けてアイスをしまうと、今度は別の扉を開けて、なにやら緑色の葉っぱみたいな食材を取り出すと流れるようにして良い匂いのしている台所の方へと歩いて行った。もはや、蒼星石のほうが我が家の台所事情に詳しい。

 

 

 

あの三葉の家に遊びに行った日から3日が経った。蒼星石は俺の胸の中で大泣きしてからというもの、どこか変わった。もちろん、良い意味でだ。なんというか、どう変わった、といわれても答えに困るが、何かから開放されたように見える。余裕があるというか、あせってないというか、上手くいえないがそんな感じだ。

 

ネクタイを緩めて、靴下だけ先に脱ぐと洗濯物カゴにぽいとほおりこむ。再び、水銀燈の方に目をやると、さっきと変わらず、足を組んでごろごろと本を読んでいる。完全にだらけきっており。今は初めてあった時の、カミソリのような殺気や鋭さを全く感じられない。まぁ出す必要も無いのだけれど。

 

この前、金糸雀に会ったということを水銀燈に伝えたのだが、苦虫を噛んだみたいな顔をするだけで、あの娘なんてほっといても別に問題ないわ。と言って目を逸らした。戦う気がなくなったのか、或いは本当にそう思ってるのか。確かに金糸雀はアレな感じだったがローゼンメイデンである以上、何か特殊な力を持っているだろうし無視して問題ないことはないだろうに。水銀燈も少し、昔と少し変わった気がする。

意外と何か金糸雀が苦手だから戦いたくない。とかそんな可愛い理由だったりしてな。はは、ま、ないか。

 

さて、とっとと、風呂に入るか。自身の部屋に着替えを取りに行こうとした、

 

そのときだった。

 

窓に向かって、ドシーン!っと何かが衝突した音がする!

 

突然のことに俺も驚いたが、ソファの水銀燈も同じように驚いていた。一瞬びくっとなって、上半身を起こしてあたりをキョロキョロと見回しだしたのが、なんか可愛かった。

 

と、のんきなことを考えている暇は無い。その後もカーテンのかかった大きな行き違い窓からはどん!どん!と音が鳴り響き、一向に止む気配が無い。

 

「な、なんなんだ、一体」

 

「誰かが窓の外に居るからに決まってるでしょう。おばかさん」

 

そりゃわかってるけどさ。閉まっていたカーテンを開いて暗くなった窓の外を見ると、どこかで見た感じの茶色い鞄が空を飛びながらがつんがつんと窓に向かって体当たりを仕掛けているようだった。

 

この窓は地震にも耐えられるよう作られている、そこそこ良い素材で出来た強化ガラスだ。もしかしなくても、この鞄はそれを突き破ってでも中に入るつもりなのだろう。いくら強化ガラスとはいえ何度もこの調子で体当たりされては堪らない。

 

…!中々窓が壊れないので奥の手を使うつもりか。そう、浮いている鞄は遠くにゆっくりと遠ざかり、距離をとりはじめたのだ。鐘を鳴らすために、撞木、たたき棒を振りかぶっているように。助走をつけて、体当たりしてドアを蹴破る刑事のように…!ぐんぐんと遠くになって行く宙に浮く鞄。そこから突っ込んでくる威力も……!!

 

ぶおっと猛スピードで突っ込んでくる鞄が窓に衝突する前にあわてて鍵を開けて、窓を開けると、間一髪、そのままの猛スピードで、鞄は冷たい外気とともに部屋の中へと突っ込んできた!

 

ドン!

 

と、昔水銀燈が羽をさくさくと刺したあの壁へと鈍い音とともに激突し。鞄は重力のままに地面に落ちた。壁を見ると、少しへこんでいる…お隣さんが住んでいなくてよかった、また大家さんにばれない様に壁をこっそり直さないと。

 

「マスター。何かすごい音がしたのだけれど、一体…」

 

騒ぎを聞きつけた蒼星石が、手に料理用のピンクのミトンをはめたまま台所を出てきた。うむ、若妻が料理中って感じでポイント高い。じゃなくて!

 

「蒼星石!そこに凶悪な鞄が!気をつけろ!」

 

「凶悪な鞄?」

 

驚く蒼星石を尻目に、しゅーっと鞄がひとりでに開いていく。すると、中から

 

「いててて、まったく、最初から素直に開けやがれですぅ!」

 

と言って、小さな人影が中から出てきた。そして、目を奪われる。

床すれすれまで伸びたカールになっている茶色い髪。北欧の民族衣装のような緑色をしたエプロンドレスに頭のヘッドドレス。蒼星石と同じ、しかし左右の色が逆になっているオッドアイ。間違いない。彼女は蒼星石に何度も聞いた、ローゼンメイデン第3ドール

 

「翠…星石?」

 

「!そ、蒼星石~!!」

 

鞄中に居た翠星石が蒼星石の存在に気が付くとばっと飛び出し、そのまま蒼星石に飛びついた。彼女が、蒼星石の双子の姉。翠星石だ。彼女は目を閉じて蒼星石を抱きしめ、再会を心から喜んでいるようだった。一方、蒼星石の方は驚きと戸惑いがまだあるのか、抱きしめられるままになって狼狽しているようだった。

 

「本当に、翠星石なんだね?」

 

「あったり前ですぅ!蒼星石の双子の姉は、この翠星石ただ一人だけですぅ!」

 

一瞬体を離して見つめ合っていた二人だったが、お互いの存在を確認しあうと、今度は本当に、お互いを優しく抱き締め合っていた。……まるで離れ離れになっていた恋人が再会したような。二人がそれぞれを想いあっていることが分かる、美しい姉妹愛がわかる光景だった。

 

「うふふふふ」

 

「ん?…げぇ!?水銀燈!?」

 

しばらく聖域のような二人の様子をじっと見守っていたが、突然、ソファの水銀燈が不気味に笑い始めた。それを聞いた翠星石ははっと我に返り、蒼星石から離れると、そのまま背に隠れるようにして身を縮こまらせた。

 

「な、ななな、なんであんなやつがここにいやがるですか!?」

 

「あら、私がここに居られると何か不都合があるのかしら?」

 

ソファの背もたれの上にふわっと立つと、ばさっと黒い羽が舞い、翠星石ににやついた笑みで話しかける。

わかった、高いところから、自信たっぷりな感じで登場を演出したかったんだな。水銀燈。いつも見慣れている俺には背伸びをしたい子供のような可愛らしい演出に見えたが、翠星石にはかなり効果があったのか。

 

「そ、蒼星石、はやくにげるです!あいつは危険ですぅ!」

 

「翠星石これは…」

 

と、蒼星石の背中の後ろで服を引っ張りおびえている。やっぱ水銀燈は他のドールに相当危険視されているのか。それでも、最近は蒼星石とも、仲が良いとまでは行かないが、普通の姉妹という感じにはなったのだ。暗黙の了解や家での決まりは守るといった感じにまで成長した。たとえば、水銀燈がテッシュを取ってくれといえば蒼星石は取ってくれるし、蒼星石が皿を運んでと頼めば水銀燈も甲斐甲斐しく運ぶ。些細なことだが初めに比べれば大きな進歩だ。

 

その水銀燈自身も、久しぶりの他人がおびえている感覚に気を良くしたのか、はたまた戦闘狂としての血が騒ぐのか

 

「くすくす、ちょうどいいわぁ。二人のローザミスティカをここで奪っちゃおうかしら」

 

「!そ、そんなことはさせねぇです!」

 

翠星石は蒼星石を抱きしめて庇うように前に出たが、その顔は未だに恐怖がありありと見える。

 

硬直

 

しばらくにらみ合っていたが、はぁ、と蒼星石はため息をつくと、翠星石の制止の声をも振り切って、水銀燈の目の前までつかつかと歩きはじめたのだ。何を言うわけでもなく近づいてきた蒼星石に、水銀燈は若干びびってる。

 

「な、なによ」

 

「水銀燈、今日のご飯はシチューだよ」

 

「え?」

 

「それに、マスターが買ってきたアイスもあるんだ。もし、ここでアリスゲームをするようなことがあれば……」

 

わかるよね?と無表情で水銀燈に言い放つ蒼星石。するとそのまま踵を返して台所の方へと戻っていった。それを聞いた水銀燈はさーっと血の気を引かせて、大慌てでソファーに座りなおすと。ちょっとした冗談よぉ、おばかさん。と頭を軽く自らの拳でコツンと小突き、また大人しく、くんくん大全集を読み始めた。ああ、水銀燈。それで良いのか…どうやら、食事>アリスゲームと言う図式が徐々に完成しているらしい。

 

「どういうことです?何で蒼星石が水銀燈なんかと一緒に!っというよりシチューってなんなんですか!私も食べたいですぅ!」

 

「うん、翠星石、今日は食べていってよ。その、良いかなマスター?」

 

「え?ああ、勿論」

 

「はぁ!?ま、マスタ~!?」

 

今の今まで、俺のことが眼中に無かったのか俺の存在を見て眉を吊り上げる翠星石。火が付けっぱなしだったんだ、また後でね、翠星石。と言って、エプロンを結びなおすと、とことこと台所に戻って行く蒼星石。

 

そして

 

ついにぼーっと突っ立っていた俺と翠星石の目があった。その目は、ぎらりと光、その小さな拳はわなわなと震えている。

 

「…えが」

 

「え?」

 

「お前が蒼星石を扱き使ってるのですか!」

 

「いや、そういうわけでは…」

 

「許せんです!覚悟しやがれ!ですぅ!」

 

「ちょ、ちょっと、どわ!」

 

ぴょーんとジャンプをすると、俺の顔面にめがけて迷いの無い右ストレートを叩きこみに来た。慌ててよけると、今度はけりが!頭突きが!てか、これはそこにいる水銀燈と本来やるべきことなのでは…見ると、ごろごろとしているだけだった。あぁくんくん、なんて言って、俺たちの方を見向きもしない、てか、いて、いてててて、怒りの篭った打撃は普通に痛いぞ。

 

「やめろって」

 

「離すです!離しやがれですぅ!お前はこの翠星石がギタギタのボロ雑巾にしてやらんと気がすまんです!!」

 

ボロ雑巾になるまでかよ!?ってか、そういう問題ではない。ひょいっと脇を抱えるとじたばたと暴れ続ける翠星石。何で清楚な外見なのに、ここまで凶暴なんだ。

 

「まぁまぁ、落ち着いてくれよ、お義姉さん。蒼星石は自分から…」

 

「はぁあああああ!?だっっっるぇがお前のお義姉さんですか!○ね!」

 

キーン!とそこは男の魂。

 

くぁwせdrftgyふじこlp!?翠星石の慈悲なき蹴りが俺の息子に直撃する。や、こ、やばっ、あ、かんや…つ…

 

ばっと手を離し、あまりの痛さに床の上に倒れてあそこをおさえて悶絶していると、追撃をかけるように自由になった翠星石が俺を攻撃してくる。

 

「くーっくっく、ざまーみろです!お前のようなゴミ人間にはちょうど良い報いですぅ」

 

げしげしとお尻を蹴られる。こいつ!何かに目覚めたらどうしてくれるんだ…

 

「翠星石」

 

「ひえ!」

 

あそこのあまりの痛さに耐えられず、されるがままになっていたのだが、不意に蒼星石の声が聞こえてきた。顔を上げるとそこには、にこやかに微笑む蒼星石の姿があった。…なんか、怖いけど。

 

「そ、そそそ蒼星石!翠星石はただ、このゴミ人間が蒼星石を扱き使ってるのが許せなかっただけで…」

 

「翠星石、マスターに何したの?」

 

「ちょ、ちょーっとお仕置きしてやろーと思っただけですぅ。本当、柔らかいタオルで叩くようなもんですぅ」

 

ぺちぺちと、俺を力なくたたく。こやつ。先ほどまではボロ雑巾にしてやるなんて言って、本気の拳をぶつけてきたくせに。

 

「でも、マスターは随分痛そうだよ?」

 

「ひえ!?おい、ゴミ人間さっさと立つです。その程度何ともないはずですぅ」

 

「翠星石?ゴミ人間…ってまさか?」

 

「あわわわわ」

 

あ、あれ?さっきから蒼星石とめぐの姿がシンクロするというか。浮かべている暗黒微笑は、まさにめぐが怒ったときに見せるときのそれに酷似している気が…。カタカタと震えだす翠星石を見ていると、何だか不憫だ。

 

「ゆ、許してほしいです。ただスキンシップを取っていただけですぅ」

 

「スキンシップ?」

 

「です、ね?ご…人間」

 

二つのオッドアイが揺らぐ。仕方がない。

 

「え?ああ、うん。まぁそんなところだよ」

 

「何だ、そうだったんですね」

 

流石に再会したてで怒るのも、怒られているのも可哀相だし、今日のところは助け舟を出すか。胡坐をかいて座りなおすと、俺の言葉を聞いた蒼星石は安心したように頷いた。しかし、俺の言葉を聞いて一番笑みを浮かべたのは翠星石だった。ぱっと顔を明るくさせて

 

「そうです。全く、あれもこれも全部スキンシップ…です!」

 

「いって!!」

 

ばこんっと、座っていた俺の頭をハリセンで叩く翠星石、ば、馬鹿。てか、何処から出したんだよ、それ。

 

「!!翠星石…!」

 

「大丈夫ですよ、大丈夫。この人間にはこれがコミュニケーションになってるです。ね?」

 

ぐぬぬ、こいつ、人の恩を仇で返すとは、清々しいほど良い性格をしている。にひひひひっと笑いながら、ハリセンをふりかぶる。

 

「翠星石」

 

「ほら、蒼星石も叩くとい…い…」

 

あーあ。やばい奴だ、絶対零度の蒼星石の、目。何か自分に向けられたものじゃないのに背筋がぞくぞくするほどだ。翠星石も流石に調子に乗りすぎたことに気が付いたのか、慌てて取り繕おうとする。

 

「あ、あははは、冗談ですよ。冗談」

 

「何でそんなことをするの?」

 

「え?」

 

「マスター。凄く良い人なのに…翠星石とも本当は仲良くしてほしくて…」

 

「そ、それは…」

 

と蒼星石は普通に怒っていたが、今度は目を潤ませながら段々泣きそうな顔になっていった。釣られて、言い訳をしていた翠星石までどんどん表情が崩れてきた。

泣きそうな蒼星石も可愛い。じゃなくて、や、やばい。何とかしないと。場を収める言葉を考えるが中々浮かんでこない。今にも泣きだしそうな、そんなときだった。

 

「蒼星石?おなべが焦げてるんじゃなぁい?私は真っ黒焦げのシチューなんか絶対嫌よ」

 

「え?あ!」

 

「翠星石ぃ。あなたはさっきからごちゃごちゃとうるさいのよぉ、ここでジャンクになりたいのかしら?」

 

「い!そ、そんなことはねぇですよ」

 

思い出したかのように慌ててシチューの様子を見に行く蒼星石と、借りてきた猫みたいに静かになって俺の隣に正座する翠星石。これは……

 

水銀燈の方をみると、ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らして本に目を戻していた。しかし、俺にはまさに、そんな姿すらめぐの言葉を借りれば天使のような後光が差して見えた。

ありがとう、と口パクで伝えると、おばかさん、と返して再びそっぽを向いた。ああ、銀様…なんて。やっぱり長女、妹のことをよくわかってるんだな。見習いたい、その対応力の高さ。

 

シーンとなった居間。

ひそひそと隣の翠星石が話しかけてきた。

 

「やい、ゴミ人間、おめーのせいで蒼星石と水銀燈に怒られちまったじゃねぇですか」

 

「ゴミ人間て…俺には柿崎忍っていうちゃんとした名前がある」

 

「ふーん、翠星石には翠星石という素晴らしい名前が付いているです。ま、これを機にそのちっこい脳みそで覚えやがれですぅ」

 

……ん?これってもしかして、自己紹介してくれてるんじゃ…

 

「その、さっきのは確かにちっとやりすぎだったかもしれんです。だから、その、水に流せです」

 

こいつは

 

「さっき?何かあったっけ?」

 

「!!ふ、ふん、おバカなお前に何を言っても覚えてなかったですか」

 

「悪い悪い。でも翠星石のことはこれからちゃんと覚えていくから、よろしくな」

 

「まぁ、ゴミ人間の方がそういうなら、仲良くしてやらんこともないです」

 

そして、座ったままその小さな手と握手を交わす。なるほどな、不器用で臆病者。性格は双子なのに大人しい蒼星石とは全然違う気がした。でも、根っこには優しさがちゃんとある。さっきのは翠星石なりの本当にスキンシップだったのかもしれない。

 

つながれた手の先の、今日初めて見せてくれた笑みはやはりというか、蒼星石に似た、いや、それとはまた違って綺麗だった。

 

「ばっちい手ですぅ。あー汚い」

 

その笑顔のまま、ごしごしと俺の服に手をねじくる翠星石。

 

前言撤回。こいつは優しくなんかない!

俺と、小うるさい姑、翠星石との出会いはあまり良いものではなかった気がする。

そして、抱えてきた厄介ごとも……



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10話

「こ、これ本当に蒼星石が作ったですか?」

 

「うん。口に合わなかったかな?」

 

「そんなことねぇです!ただ、蒼星石の料理が凄くおいしくなっていて驚いただけですぅ」

 

「そう?良かった」

 

あわてて翠星石が首を振って否定すると、蒼星石は安堵の息をついた。長いすとテーブルでシチューを囲む俺達。色々あったが蒼星石のクリームシチューも無事出来上がり、皆でおいしく頂いているというところだ。シチューと言えば付け合わせとして何を選ぶか悩む。隣の水銀燈は普通にバターロールパンを小さな口でかじるとシチューをスプーンで掬って口の中に入れている。そんで、たまにちょんちょんとパンをシチューにつけたりしながら実に大人しく食べている。水銀燈の食べ方は綺麗なのでみていて気持ちがいい。

 

俺もそろそろ、と席を立つと炊飯器の上にあった拳ほどの大きさのラップにつつまれた冷ご飯を手に取った。席に戻ると、それを熱いシチューの入った皿へと投入する。それを見ていた翠星石はぎょっと目を見開いた。

 

「げげ、忍、お前はクリームシチューとご飯を一緒に食べるつもりですか?」

 

「え、そうだけど。何かまずいか?」

 

「頭おかしいです!どう考えてもパンと一緒に食べるのが一般的ですぅ。それかシチュー単体!蒼星石も何か言ってやれです」

 

「僕もその、マスターがそうやって食べるならご飯と一緒に食べてみようかな」

 

「!!」

 

ぎろっと蒼星石には見えない角度から翠星石のやつが歯を剥き出しにして俺のことを睨む。どうも、翠星石のやつは蒼星石が自分より俺の意見を尊重したことが気に食わなかったらしい。そんなにダメなのか、シチューとご飯。

 

「っていうか、パンでも食べるし、ご飯でも食べる。そんな感じだよ」

 

「ありえねぇです」

 

「蒼星石の作ってくれたシチューはおいしいから、何にでも合うんだよ」

 

「あ、ありがとますたぁ」

 

照れるように、手をもじもじさせながら頬を赤くして顔を逸らす蒼星石可愛い。

翠星石がまた蒼星石の見えない角度から歯を噛み締めて俺を睨む。そんなに俺が嫌いか。言っても言われても俺のご飯が冷めるだけなので、スプーンでご飯をシチューの中でくずして口に運ぶ。うまいと思うんだけどなぁ。てか、腹にたまるんだよな。パンより。

 

 

 

 

「ところで翠星石、君がここにいる事を君のマスターは知っているのかい?」

 

蒼星石がナプキンで口を拭きながらそう尋ねる。確かに、目覚めた翠星石がここにいるという事は、翠星石を巻いた人間、マスターがいるということだ。連絡もなしに夕飯を一緒したのはまずい。俺の配慮が足りなかったな。そんなことをかんがえていたが翠星石はバツの悪そうな顔を浮べると

 

「す、翠星石にはマスターなんていないのです」

 

「え?巻いた人間と契約しなかったのかい?」

 

「してないですぅ」

 

そう言ってがつがつっとシチューの皿を傾けてがっついている。マスターが居ない…、そういえば、蒼星石も初めてあった時に巻いた人間が無理に契約しなくても良い、みたいなことを言っていた気がする。蒼星石もそうなんだ、と気に留めた様子は無い。むしろ、問題なのはその後の一言だ。

 

「なら、マスターと契約する?」

 

「「!?ごほっ!ごほ」」

 

二人同時にむせる。

 

「契約なんて二人同時に出来ないだろ」

 

「そんなことないですよ。現に、僕たちの過去のマスターは二人同時に契約していました」

 

「そういう問題じゃねぇです!だれがこんなご、人間と契約するって言うんですか!?」

 

第一、そんなことになれば今度こそめぐの奴が切れる。なら私だってここに住みます!とかいって部屋を切り離してでも移り住んでくる。てか、蒼星石との穏やかな日々がが

 

「そっか、ならしょうがないね」

 

蒼星石は口ではそんなことを言いながらも俺には何処か嬉しそうに見えた。悲しそうな表情に喜色の色が見えるというか、気のせいだろうか?

 

「まぁ、でもしばらく泊まってやってもいいですよ」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蒼星石、何をやってるですか?」

 

「これはね、マスターが僕にも買い物が出来るように取ってくれている、生協っていう家で出来るお買い物だよ」

 

得意げに説明する蒼星石可愛い。

 

「へぇ、こんなぺらぺらの紙で買い物が出来ちまうのですか、お、これなんて良さげですね。10個ほど買ったらどうですか?」

 

「ダメダメ、必要ないものをたくさん頼んでも仕方がないよ。ちゃんと使うものや食べる予定のあるものじゃないと。それに僕たちの家計のことも気にしてよね」

 

優しく注意する蒼星石可愛い。

 

「蒼星石、すっかりおばばみたいになっちまって…」

 

「おばば?」

 

「あ!?いや何でもねぇです。主婦みたいになったといういうことです」

 

「そ、そんな、マスターの主婦だなんて」

 

テレテレと照れる蒼星石可愛い。なのに、隣がああ

 

食事も終わり、俺はリビングのソファの上に座りながら、テーブルに居る双子の様子を観察中といったところだ。仲良く生協のカタログを見て談笑している二人の様子は実に微笑ましい。が、ところどころで蒼星石を独り占めしている翠星石がドヤ顔を向けてくるのがうざい。突然なでなでしたりハグしたりとそれはもう、キマシ。なんじゃないかと思うくらいの行動をとり、最後には蒼星石の見えないポジからドヤ顔。ぐぬぬ、そこは本来俺のポジションなのだが。いや、もともと向こうのポジションだったのが元に戻っただけなのか。

 

「ねぇ?ハゲのダーツとか言うものはまだ食べないの?」

 

「ハーゲ○ダッツだよ。水銀燈、食べたばかりだけど、大丈夫か?」

 

「当たり前でしょう?私を誰だと思っているの」

 

ふふんと胸に手を当てて隣の水銀燈が鼻を鳴らす。俺と水銀燈は二人がイチャイチャしている間、なんとなーく付けたバラエティ番組をぼーっと見ていた。さっきから何かそわそわしていると思ったらアイスクリームをずっと待っていたのか。

 

「食べたばかりだと太るんじゃないか?」

 

「な、そ、そんなことないわよ。そんなことあるわけ…」

 

そう言って水銀燈は自分の腹部を見てさわさわと確認し始める。そういえばローゼンメイデンもご飯を食べてるんだ。排泄している様子もないし、どこに蓄えられているんだ?

 

「まぁ、とにかく水銀燈がそういうのなら食べようか。3種類味があるんだってさ」

 

「!チョコ、チョコは有るの!?」

 

「ああ、ちゃんとあるのを選んだよ」

 

そういうと水銀燈は口の端をにまぁっと吊り上げて、それでいいのよぉと、お褒め下さった。俺は席を立つと台所の方へと向かい、人数分のハーゲンダッツとスプーンを取りに行く。その時、蒼星石がじっとこちらを見ていたのも気づかずに。

 

 

 

 

 

 

「ほー。このハゲのピーナッツとやらは中々おいしいですね、翠星石の好物リストに入れてやってもいいですぅ」

 

「ハーゲン○ッツだって。って言うか、結構高級品だからもっと味わって食べなさい」

 

居間のソファの近くに4人集まってアイスを頬張る。水銀燈はチョコ。翠星石はイチゴ。俺と蒼星石はバニラだ。どの味にするか聞いたところ、蒼星石はマスターと同じもの。と言ってきたのでこうなった。

 

「ふーん、ま、そこそこの味ね。この前食べたすーぱーかっぷと良い勝負しているわ」

 

と言いながらもスプーンでちまちまと、うすーく、うすーくスプーンにアイスをすくっては食べる水銀燈。本当に、驚くくらい繊細に味わってアイスを食べている。まるで砂場の棒倒しのぎりぎりのラインを取り崩すかのようだ。対照的に翠星石のやつはスプーンにイチゴのアイスを大きく掬うとばくばくとアイスを食べすすめている。あんな調子じゃすぐになくなってしまうだろう。

 

「マスター。とってもおいしいよ?」

 

「喜んでもらえてよかったよ」

 

こちらを見上げる隣の蒼星石。ああ、蒼星石は本当、素直だな。目の前のツンツンな二人を見ると改めてそう思う。その言葉が聞けただけでちょっと奮発した甲斐があったというもの。俺も目の前のバニラアイスをスプーンで掬うとぱくりと口の中へと。口の中から豊かな甘さとバニラの香りが。ひんやりとした感じと溶けていく感覚がまた良い。

 

 

 

そんな感じで和やかな空気が流れていた居間。ただ、俺はずっと気になることがあった。

 

「水銀燈、一口くれないか?」

 

「嫌よ」

 

そう言って慌てて持っていたアイスのカップを俺から遠ざける水銀燈。バニラもおいしいのだけれど、俺は水銀燈があんまりおいしそうにチョコ味を食べているのでつい欲しくなってしまったのだ。もともとバニラを選んだのも、蒼星石が全種類選べるようにしたためだったし。

 

「頼むよ、代わりにほら、バニラを一口あげるからさ」

 

「…バニラを?」

 

ぴくりと水銀燈の眉が動く。お?

 

「いや、バニラも凄くおいしいんだよ?バニラの良い香りがするし、さっぱりしていてそれでいて濃厚。でも、しつこくない奥が深い味でさ」

 

ぴくぴくっと一言一言に反応する水銀燈。もう一押しだな。

 

「こんなバニラに敵う味があるとは思えなくてさ。チョコはどの程度の味なのかなぁって思っただけだよ。ま、食べ比べできないことにはどちらが優れているかなんてわからないよなぁ。バニラの勝ちだろうけど」

 

「そんなわけないでしょうが!チョコ味が味も香りも最強なのよ!何なら、一口食べてみなさい」

 

よっしゃ、かかったぞ。挑発に乗った水銀燈がスプーンにのった黒いチョコアイスを俺に突き出してくれる。遠慮なく、頂くとしよう。と思い口を開くとぐいっとスプーンを押し込まれて一瞬、やばかった。何とかアイスを入れてもらうと口の中でその冷たい塊を転がす。チョコ独特の甘いにおいとほどよいカカオの風味。

 

「おお、チョコもやっぱりおいしいな」

 

「あたりまえでしょう」

 

はいお返し。と水銀燈にスプーンに載ったバニラアイスを突き出すとぱくりと口に入れて、ま、中々だけどチョコには叶わないわね。と言い捨てた。チョコとバニラは合うからな。続いてバニラをすくって口に入れると二つの味がマッチしてそれはもう……

 

…………うおお!?と、と、隣に座っていた蒼星石が見たことないような悲しみを背負った顔をしている。僕は今、深い悲しみ包まれています、と言わんばかりに蒼星石は俯きながら、カップとスプーンを持った手はだらりとたらし、碧と赤のオッドアイは今にも洪水を起こしそうなほどに揺らいでいる。い、一体何故…

 

「蒼星石?」

 

「僕も、チョコアイスにすればよかった」

 

ぽつりと、そんな声を発するのが聞こえた。そして気付く。蒼星石の手には俺と同じバニラアイス。もしかして、蒼星石は先ほどの俺と水銀燈のやり取りを見て

もしかして、もしかすると羨ましい、なんて思ったのか?味の違うアイスの交換、もしも蒼星石がチョコを食べていればそれこそ水銀燈に頼まなくても蒼星石に頼んだだろうし、仮にイチゴアイスでも交換は可能だ。同じ味のアイスを選んだがために起こった悲劇。まさか、そんなことを考えているんじゃ…

 

俯いたままの蒼星石を見ていられなくて、つい、蒼星石のカップを持っていた小さな手を持ってしまう。すると、驚いたようにこちらを見返す。

 

「その、蒼星石のバニラアイスも食べてみたいなぁ、なんて」

 

「で、でも同じ味だし」

 

「俺は蒼星石のが食べたい」

 

そう言って口を開けて待っていると、蒼星石は色々と考えた末にあーんっといいながら口にアイスを入れてくれた。

 

「ど、どう?」

 

「甘いよ、蒼星石」

 

「ますたぁ……」

 

「なぁにが甘いよ!ですか気持ち悪い!姉の目のまえで大事な妹をたぶらかすんじゃねぇ!ですぅ!」

 

ごふ、斜め前に居た翠星石の渾身の右ストレートが俺の左頬にクリーンヒットする。翠星石、おいちゃんと一緒に世界を目指そう…

 

「ま、マスター!?翠星石!なにをするんだい!」

 

「しらねぇ、です。大体、蒼星石だって

ますたぁ

なんて甘い声だしちゃって!おかしくなっちまったですか!?」

 

「ち、ちが、それは…」

 

真っ赤になって 慌てる 蒼 星  せき か わい……

鼻の下伸ばしてんじゃねぇです!ぶおっと飛んできる追撃の一撃をかわすことができずに顎にもろに直撃し、ぐわんと揺れる頭、シャットダウンしたかのようにそこで意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後の事はよく覚えていない。ただ、次の日に起きると、顔には翠星石の拳の形が付いた、まっかな頬。翠星石は次の日には居なくなっていた。なんでも本当はおじじとおばばとかいうマスターが居て、ちょっとした家出で家に来ていたとか何とか。

 

はた迷惑な話だが、蒼星石がごめんねマスター。といいながら白い手で俺の頬を擦ってくれただけで、殴られたかいがあったというもの。まぁよくわからないがとりあえず、姑、翠星石を追い返すことができたようだ。

 

しかし、まだまだ俺と義姉さんの聖戦は始まったばかりなのだと、その時の俺は気付きもしなかった。

 



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11話

「ねぇ、水銀燈?好きな人って、居る?」

 

「はぁ!?…何いきなり言い出してるのよ。本格的に頭でもおかしくなったんじゃないでしょうね?」

 

「もう、相変わらずひどいのね水銀燈。ふふ、でもそんな素直じゃない素直なところも好きよ」

 

めぐはそう言って私を持ち上げると膝の上に乗せてゆっくりと髪を梳き始める。なにを勝手に、と反抗を試みるものの、向こうは意地の悪い笑みを浮べて、嫌なら逃げればいいじゃない、と言い返してくる。本当、嫌なやつ。

 

「っち」

 

「ふふ、水銀燈の髪、綺麗ね」

 

「当たり前でしょう」

 

「星が流れているみたい」

 

ゆっくりと、髪が痛まないように優しく髪を手グシで梳いて行くめぐ。本当に調子が狂う。思えば初めてあった時もそうだった。私がいくら脅しても無駄。向こうは天使天使なんてはやし立てて、最終的に無理やり指輪にキスなんかしちゃって…はぁ、もうわけわかんないわよ。

 

「めぐは」

 

「うん?」

 

「めぐはあの人間、お兄様が好きなのでしょう?」

 

「好きよ、この世で一番。勿論、水銀燈も」

 

耳もとの髪を掻き分けて、私の耳を優しくなぞる。調子に乗ってるんじゃないかしら。さわさわと耳を触りながら、めぐは言葉を続ける。

 

「でも私、一目見たときはお兄様が大大大だーいっ嫌いだったのよ。ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨ててしまいたいほどに…ふふふ、意外でしょ?」

 

「別に」

 

「もう意地悪ね。ね、お兄様と初めて会った時のこと、聞かせてあげましょうか?」

 

「興味ないわぁ」

 

「そ、あれはね、おばあちゃんが死んで、一年くらいたった時かな。あ、私おばあさまも嫌いだったの、皺皺の手、怖いんだもの」

 

……耳、付いてるのかしら?こちらがどんな返しをしても、向こうは自分のペースに持っていってしまう。それがなんとなく気に喰わなかったが、こちらが睨んでも、向こうは柔らかい笑みを浮べて私の髪を撫でるだけ。…本当、調子が狂う。そんな私を無視してめぐの言葉は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柿崎めぐは生まれながらにして心臓が悪かった。そして、5歳になろうとしたある日。お医者さんに半年、持つか持たないかと言われたのが始まりだった。

 

誰もが、私のために泣いてくれた。遠い親戚は勿論、パパもママも、みんながみんなこの病室を訪ねてきて、顔も覚えていない大人や子供が来る、位にしか思っていなかったが大きなぬいぐるみやめずらしいお菓子、様々なお見舞い品を持ってきてくれて、それをもらえることだけは楽しかった。今思うと、あのころは死ぬ、なんて実感があまり無かったのだ。

 

それから、初めて強い発作に襲われた。すごく、怖かった。呼吸をするたびに、針を吸い込んで胸を貫くような痛みが私を襲う。体が自分のものじゃないと思うくらいしびれて、こみ上げて来る何かが気持ち悪い。嫌でも「死」を理解せねばならなかった。

 

発作の後、私の前に来る人は、みんながみんな、悲しそうな顔をする人ばかり。死ぬ、と決まっているからこそ、かけられる言葉は昔みたいな頑張れ、でも、きっと治るよ、でもなく。可愛そうに。になった。みんなが、私の死を待つようになった。

 

同情なんてこれっぽっちも要らなかった。

 

でも、自分の死によって、その顔も見なくなると思うと少しだけ気が楽になった。パパもママも、毎日私を抱きしめて泣いてくれた。おばあちゃんが、発作が起きたときに皺皺の手で手を握ってくれた。怖かったけど、不思議とあたたかかった。

 

 

 

私が死ぬ予定日が来た。何も考えずに、それが来るのを待った。震える手と、体をママが抱きしめてくれる。しばらくして、発作が起きた。

 

 

 

私が死ぬはずだった日から1週間が経った。発作や痙攣が起きても、死んでいない。何度も死んだ方がマシだと思う痛みを体験したけれども、発作から目が覚めると、パパとママの優しい笑顔がそこにはあった。その後、ぎゅっと抱きしめて、頭を撫でて、髪を梳いてくれるのだ。おばあちゃんも皺皺の顔でしわくちゃに笑った。

 

 

しかし、それも長くは続かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

死の宣告から半年が過ぎた。

私は気がついた。誰も、発作から目が覚めても笑ってくれないのだ。それどころか、何処か、その瞳ににごりというか、違和感を覚えた。看護師は悲しそうな顔を見せなくなり、適当なつくり笑いを浮べるようになったし。パパは入院費を稼ぐために仕事に復帰して中々お見舞いに来なくなった。そして、何より

 

「めぐ、また助かったんだ」

 

目が覚めて、嫌そうな顔をする母親の顔が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…っ」

 

「めぐ!あなたすごい汗よ?」

 

はっと我に返る、膝の上に座った水銀燈が珍しく心配そうにこちらを見ている。ふふ、似合わない。

 

「心配してくれてるの水銀燈?」

 

「っは、誰が心配なんて」

 

ぷいっとそっぽを向いてしまう水銀燈。そう、誰も心配なんてしていなかった。あまり、思い出したくない。あの時期が、今思えば一番つらかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから3年経った。本当なら、とっくに死んでたのに、私は生きていた。医者は誰もが匙を投げ、いつ死ぬかを観察しているだけにすぎない。もう誰かの心臓をそのまま移植するくらいしか助からない。なんて言っているのすら聞こえてきた。そんなこと、出来るわけが無い。幼いながらに分かっていた。

 

パパはあの人と離婚した。原因は私。理由は疲れたから。

発作の回数はいくらか減ったが、それでもあの痛みがなくなったわけではなかった。たまに、発作から目が覚めても、いるのは仏頂面の医者と作り笑いの看護師。たまに、おばあちゃん。

ベッドの上で死を待つだけの娘。それでも、死にたくはなかった。たまに来るパパに会うためにも、いつか治るのではというわずかな希望が。死を拒んだ。

発作のときは、おばあちゃんの歌ってくれる、名前も知らない歌が、いつも私に戦う勇気をくれた。嫌いだったけど、段々と好きになっていった。話してくれる話が、むいてくれる変な味の果物が。歌ってくれる、その歌が。

 

 

 

 

 

 

…しかし、好きになってから、すぐにおばあちゃんは、あっけなく、突然死んでしまった。それから、私に発作が起こっても、手を握ってくれる人は居なくなった。解放されたときに見るのは、薄汚れた天井と、看護師の作り笑いだけだった。

 

ダレモノゾンデイナイノニ、何で生きているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「めぐ、ちょ、やめなさいよ!あなた、調子に乗りすぎよ!」

 

「えー。折角可愛いのにぃ。見てみて、ほらツインテール!

素敵じゃない?」

 

手鏡を水銀燈の目の前にかざしてあげると見る見るその白い顔を真っ赤に染めて震えだす。

 

「はぁ!?こ、ここ、この髪型ってし、真紅のおばかさんと一緒じゃない!冗談じゃないわよ!」

 

そう言って、止めてあったヘアゴムを部屋の隅っこに投げ飛ばす水銀燈。ふふ、折角可愛くなったのに残念。でも

 

「やっぱり、水銀燈にはいつもの髪型が一番似合ってるのよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、8歳の春。中途半端に苦しめられ、生かされて、また苦しめられて。そうじゃないのは、たまに仕事休みにパパが来てくれることだけ。それでも、それだけは楽しみにしていた。たまに買ってきてくれるお土産も、話す事がなくて黙ってしまう姿も、好きだった。

 

しかし、ある日を境にそのパパでさえも。

 

「めぐ、会って欲しい人、がいるんだ」

 

「え?」

 

「新しい、家族になるかも知れない人だ」

 

何を言っているか分からなかった。また、あんな思いをしないといけないのか?だったら御免だ。もう、誰も信じたくなかったし、信じて欲しくなかった。私は死ぬだけ、関わりたくない。騙したくない。悲しませたくも、笑わせたくも、呆れさせたくもない。

 

「会いたくないし、要らない。私はそんな」

 

「頼むめぐ、一度会ってみてくれ」

 

ちゃんと断ったのに、パパは私の手を握って頭をなでるだけ。それからほどなくして、その女はここへやって来た。

 

 

 

 

 

 

「私は……です、よろ…ね、めぐちゃん」

 

 

言葉が耳に入ってこない。私は認めなかった。

死の直前を何度も経験するうちに、思考や精神だけは小学生に似つかわしくないそれになっていたと思う。パパが「この人」のことを大事に想っていることに、嫉妬していた、そして、恐れていた。もしかしたら、パパでさえも、失くしてしまうかもしれないことを。

 

仮にこの人が所謂「良い人」でも自分にとってそうとは限らない。実の母がそうであったように。おばあちゃんがそうであったように。

 

ぐるぐると視界が回る。酷い吐き気と頭痛。あれから、その女を連れてパパが何回かこの病室を訊ねに来た、その度にご機嫌取りみたいにお菓子やおもちゃを持って来たが、全部投げ返してやった。時には床に叩きつけたり、貰った後ゴミ箱に捨てたり、窓から投げ捨てたり。当然、パパは、そんな私を怒鳴りつけた。しかし、ぶったりはしない。病気だから。どうして、こんな子に育ったのか、なんていっちゃって。育てられた覚えも…無いのに。

 

 

 

 

そして、あの夏の日に、ついに邂逅を果たす。運命の相手と。

 

 

 

 

「よ!」

 

「!」

 

煩いくらいに鳴く蝉の声を、開け放った窓をみながら聞いていたときだった。突然。小さな顔がにゅっと下から伸びてきたのだ。ここは3階だというのにどうやって。黒い短髪。活気そうな光に満ちた目。日に焼けた浅黒い肌。健康な、普通の男の子。私とは違う。間逆の存在。一瞬でそこまで理解した。

そんな考えをよそに、よじよじと足を窓枠に引っ掛けるとそのまま病室にスタン、と不法侵入し、ガッツポーズをして登頂しきったことを喜ぶ少年。短パンに半袖、ところどころに切り傷やあざを作っているが全然平気そうな顔をしている。

…とてもじゃないが、好きになれない。妬ましい。眩しすぎる。

 

「誰?」

 

「俺?俺はお前の兄ちゃんだよ、聞いてないの?」

 

「兄…ちゃん?」

 

そんなのは知らない。しかし、何度か考えた事はあった。もし自分に兄がいたらとか。もし妹がいたら…とか。だがそんなものが突然出来るわけがない。向こうはこちらが思考を張り巡らせている間もそんなことはしらないとばかりにキョロキョロとあたりを見回すと次に信じられない一言を発した。

 

「何か、飲み物ない?すげーのどかわいちゃってさ」

 

図々しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っぷ、くくくく」

 

「こ、今度は何よ」

 

水銀燈の髪をポニーテールにしている途中でお兄様のことを思い出して思わず噴出してしまう。だって

 

「ふふ、お兄様がね、昔、喉が渇いたっていったから、私、いじわるして点滴の袋をそのまま渡したのよ。くく、そしたら、ガブのみしちゃって。あははははは」

 

「わ、わけがわからないわよ。何言ってるのよ」

 

本当、おかしかった。ぶしゃーっと噴出して、なんじゃこりゃあ!なんて言って、冷めた気持ちが一瞬で溶けて、生まれて初めておなかがよじれそうになるほど笑ったのを覚えている。だって、そうでしょ、嫌いな相手が嫌な思いをするのだから、爽快痛快に決まってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぷはぁ、アレがうわさの点滴か。ぽかりと同じような臭いがするのに超不味いな。ってか、笑いすぎだぞ」

 

水で口直しをしながら不満そうにこちらを見る少年。こちらはいまだに笑いが収まらないというのに。

 

「めぐはいっつもあんなの飲んでるのか?」

 

「だってあれ、飲み物じゃないもの」

 

「なに?じゃあ何で飲ませたんだよ」

 

「さぁ」

 

悪態の一つでもついてさっさと追い返してやろうと思ったのに。口からその言葉が出なかった。私の言葉を聞いて、ますます眉間に皺がよる少年。なんてわかりやすい。

 

「針をちくっとさして、そこから流し込むの。あの管の先から流し込んで…」

 

「うおお。まじか、すげえ痛そうだな」

 

なんて言ってその点滴スタンドを見るためとはいえ、遠慮なくずけずけと私に近づいてくる。さっき私がした仕打ちなんて、なかったかのように。気が付けば、ベッドの隣に立っていた。顔の距離も、近い。

 

「めぐ、ずっとこんな狭い病室で寝たきりなのか?暇じゃないか?」

 

「…」

 

が。流石に、心を許しかけていた相手とはいえ、その一言にはいらっとした。何も知らないくせに、そんな同情を向けるな、何時ものように悪口を言おうとしたとたん。

 

「なら、俺がこれから毎日遊びに来てやるよ」

 

話はとてつもない方向へと向かっていった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見てみて、水銀燈。私もポニーテール。お揃いよ」

 

「あっそ」

 

二人で小さな鏡を覗き込むけれど、水銀燈はつれない言葉を吐きかけるだけ。心地良い位に、素直で。素直じゃない。

 

「ふふふ」

 

「きゃ!今度は何よ。いい加減にしなさい!」

 

ぎゅーっと後ろから抱きしめると、可愛い声を上げて、私の回した手を叩く。結構本気ね。ちょっと痛いわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議な感覚だった。

何かを待つというのは、何ともいえない焦燥感と、期待と不安と、よくわからない感情が混ぜ合わさってくっついてもやもやする。

昨日、あんなこといっていたが、本当に来るのだろうか。来るわけがない。あんなの思いつきで言っていたことだろう。

 

兄、ということは、あの女の子供ということだ。死ぬ私の代わりに、たっぷりとお父様の愛を注いでもらえる予定の存在。

初めは敵意を削がれたが、帰って一人になると、とたんに冷静になり憎くて憎くてたまらなくなった。向こうは何不自由のない、普通の少年だ。病室暮らしの私とは住む世界が違う。そして更に羨むことに、お父様と暮らすことだってできる。

 

 

なのに

 

「よ!妹よ、お兄ちゃんが遊びに来たぞ!」

 

どうして。向こうの笑顔にこんなにも顔がにやついてしまうのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見せてあげましょうか。私の宝物」

 

「宝物?」

 

三つ編みの水銀燈を抱えたまま、上半身をひねってベッドの隣にある引き戸を引く。その中にある、小さな小箱。それを見ると、わずかに水銀燈は目に興味の色が宿る。

 

「宝石でも入ってるの?」

 

「もっと良いものよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、はっはっは本当に落ちちゃうなんてな。俺、骨折初めてだ」

 

同じ病室、隣同士のベッド。少年の額と腕には包帯がぐるぐると巻かれている。こちらに遊びに来た、5回目くらいのときに。少年は下の階のでっぱりで頭を強打して、着地の際に右腕の骨を折った。そう、窓から通っていた少年が足を滑らせて落ちたのだ。

血は噴出して、うつぶせのまま動かなくなる。そのまま、死んだかと思った。一瞬で嫌なことがさーっと流れ込んできて。発作を起こしながらもナースコールを押して人を呼んだ。必死に窓を指さして。

 

「めぐが人を呼んでくれなかったら。ちょっと危なかったな」

 

発作から目を覚ましたら、この通りだ。いくつもの幸運が重なった、奇跡。すぐそこが病院ですぐに手当が出来たのも良かったとか。それでも、笑い飛ばせるような体験じゃなったはずだ。全身打撲に骨折、中々目を覚まさないし。どれだけ、心配したかもしらずに。…心配?私が。

 

「めぐ、泣いてるのか?」

 

「え」

 

泣いてる?私が?涙なんて、おばあちゃんが亡くなったときに一緒においてきたのに。目元に触れると、小さな粒が溢れてきて、とまらない。わからない。

 

「大丈夫、兄ちゃん、無敵だから。心配かけてごめんな」

 

気が付くと、少年が隣に立っていて、昔のおばあちゃんみたいに手を握ってくれた。とっても、とっても温かい手。

 

その日から、少年は、私のお兄様になったのだった。何も無い病室の色が、明るい光で照らされる毎日に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、めぐ見舞いに来たぞ」

 

ノックの音ですぐに分かった。がちゃりと空いたドアから入ってくるのは私の、私だけの、お兄様。いつもついていた寝癖は最近そんなに付いていない。お兄様の家にいる蒼星石のせいだろう。面白くない。けれど、私が嫌えばお兄様はきっと悲しむ。昔の、お父様のように。だから、今は我慢してあげている。

お兄様は昔と違って、窓から入ってこないし、擦り傷も作っていない。肌も随分白くなって、背も大きくなった。けれど、確かに変わってない。それが今日も嬉しくて、笑顔になってしまう。

 

「って、水銀燈、お前、どうしたんだその髪型」

 

「ど、どうでもいいでしょう!めぐ!はやく解きなさい」

 

「ふふふ、可愛いでしょ?三つ編みにしてみたの」

 

「まぁ、可愛いけど」

 

水銀燈は照れ隠しなのか、綺麗な黒い羽をわっと広げるとびゅんびゅんとお兄様に向かってそれを飛ばす。それでも、ちっとも当たらないから、わざと狙いは外してるみたい。本気だったら、怒っちゃう。

 

「どわー!お前、何するんだよ」

 

「うるさいわね!…めぐ!」

 

「はいはい。解くからじっとしてね」

 

一緒に見ていた宝箱を引き出しの中へとしまう。水銀燈は、中身に対しては素直な感想を言った。昔の私も同じことを言った。しょーもないもの。けれど、水銀燈はそのしょーもないものをもらった時の、あのなんとも言い難い気持ちをしらないのだ。そのしょーもないもの一つ一つの記憶も。

 

ゆっくりと、不機嫌な水銀燈の髪をほどきながら、お兄様と色々なお話をする。その中には、「蒼星石」という名前が出てくるようになった。その頻度はどんどん増えてきて、耳障りなほどだ。いつか、お兄様の心に住み着く前に、「対処」したほうが良いかもしれない。だって。

 

 

 

お兄様は私の、私だけのお兄様だから

 



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12話

「ん」

 

ちゅんちゅんという雀のさえずる声とぴぴぴぴっとうるさく鳴り響く目覚まし時計の音。温かい布団の誘惑というのは本当につらい。やわらかくてふわふわしていて。どこまでもねむりにつけそうな…

 

……ん?…やわらかくて、ふわふわ?なんか、やけに重いと言うか。動きづらいというか。質量がある。布団じゃないぞこ…れ…

 

「すぅ…すぅ…」

 

見慣れた。黒くて長い髪にピンク色のパジャマ。それが、俺の胸板の上で規則正しい寝息を立てている。足と足を絡んでいて、とてもじゃないが抜けられそうにない。穏やかに眠る顔とちらりと見える鎖骨が妙にえ…って、俺は何を考えてるんだよ。めぐ相手に。くそ、朝の起きたばかりの男子にくっつくなんて危険なことを。寝起きなんてアポカリプスがポセイドンだぞ!

 

ってか、何でめぐがここ(同じベッド)にいるんだよ!

 

「おい、おいめぐ。起きろ」

 

「ん…………おはよう、お兄様」

 

「おはよう……それで、何で同じ布団に入ってるんだ?」

 

「?」

 

口の横に人差し指を当てるとキョトンとした表情を浮べる。いやいや、俺がおかしいんじゃないからな。と、思えば、ふふ、と不気味に笑い、俺の顔の横に腕をたてると、絡ませていた足を解き、馬乗りになる。これ、押し倒されてるような形じゃ…

 

「兄妹なのに照れているの……?」

 

俺の顎を、めぐの白い人差し指がゆっくりと、なぞる。こちらを見下ろすめぐの黒い目を見ていると、吸い込まれそうになる。そのまま、頬に柔らかい手のひらを当てられたかと思うと、目を合わせたまま、整った顔が近づいて

 

「って、馬鹿。なにやってんだよ」

 

「あう!もう、お兄様の恥ずかしがり屋さん」

 

「そういう問題じゃないだろ。ほらほら、今日は大学に行かないといけないんだよ」

 

軽くデコにチョップを仕掛けてやると、めぐは頭を抑えて体を起こした。nのフィールドと言うのは本当に厄介などこでもドアだな。めぐが不定期にやってくることはあったがこんなに朝早くから来たのは今日がはじめてだ。下手すりゃ病院の中は大騒ぎだろう。…今度遅刻しそうになった時に蒼星石に頼んで使わせてもらおうかな。

 

 

 

 

朝ごはんを4人で食べおえるとめぐは無理やり水銀燈に病室まで送らせた。水銀燈、すっかり苦労人ポジションが板についてきたな…。めぐが、また来ます。と言ったときにパジャマのポケットが膨らんでいたのが気になる。後で帰ってきたらパンツの数を調べておかないと…と俺もそろそろ行かないと。

 

コートを着て、鞄を持ち、とんとん、とつま先までしっかりと靴を履く。顔を上げると、穏やかな笑みを浮べる蒼星石。

 

「行って来ます」

 

「はい。いってらっしゃい。マスター」

 

蒼星石がゆっくりと手をふりながら見送ってくれる。天気の良い外へと飛び出すとびゅおっと、冷たい風が吹いた。ずっと蒼星石と家に居たい気分だがこればっかりはどうにもならない。コートの襟を立てると重い足取りでマンションの階段を下りていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「学園祭でーす!よろしくお願いしマース!」

 

大学の正門を通ろうとしたとき実行委員と書かれた青いハッピを着た学生に渡された紙を、つい。条件反射で受けとってしまう。ビラやティッシュなどは必要が無ければ受けとらない方なのだが受け取ってしまったものは仕方がない。前を見ると、はっぴを着た実行委員らしき学生が何人も待ち構えているので、ある意味早い目に貰ってよかったかもしれない。

 

学園祭か

 

全員参加の高校なら兎も角、部活動もやめて、サークルや同好会にも入っていない俺にはそこまで大きなイベントではない。皆準備に忙しいみたいなことを言っていたなそういえば…

 

「ほうほう、某アーティストのライブに…お笑い芸人の漫才ねぇ。流石は大学、スケールがちげぇなぁ」

 

「うお!」

 

突然、誰かに肩を組まれて首に体重がかかる。この声は。横を見ると、茶色のラフな髪型、余裕のあるとび色の目。やたらにやついた口元。青いコートに赤いマフラーを着たこいつは、見た目は良いが、シスコンと定評のある、桑田彰(くわたあきら)だ。必修で取らなければならない授業は名前順でクラスを分ける。その関係上よく見かけたから話かけてたら、そのまま仲良くなったのだ。英語も同じクラスなので、必然、下の名前で呼ぶことが多く、そのまま下の名前でお互いの事は呼び合っている。

 

「驚くだろ突然」

 

「忍が間の抜けた顔で歩いてたから、驚かせようと思ってよ」

 

そりゃわかってる。

 

「しっかしウチもやるねぇ。このアーティスト、今普通にチケット買うのはファンクラブでも難しいらしいぜ?由奈が騒いでたわ」

 

桑田由奈。というのが彰の妹。宇宙一可愛いと言ってのける妹さんの写真を見せてもらったことがあるが。ヘアピンが印象的な清楚っぽい娘で、確かに可愛いかった。可愛かったが容姿で言えばウチのめぐだって負けていない。…パンツ盗むけど。

 

「そんなに行きたがってるなら誘ってあげればいいじゃんか。喜ぶだろ?」

 

「……」

 

ダメだったのか。彰の顔は絶望したように遠くを見つめていた。そのまま組んでいた肩を離すと、突然、パっと、俺のもっていたチラシをどれどれ、っと奪い去った。妹さんに断られるのも慣れているみたいで、切り替えが早いのなんの。

 

「なになに~。屋台に作品展示、演劇に体験コーナ~?…この辺は高校と大して変わらねぇな」

 

屋台に作品展示、学生のころに四苦八苦したのを覚えている。ぞうきん野球、キレる女子、実行委員の風邪、大騒ぎした打ち上げ。うーむ、我ながらベタな学園生活を送っていたな…急に自分が老けたかのような錯覚に陥った。

 

「ぷ!なんだよこれ。おい、見てみろよ忍」

 

「ん?」

 

チラシの裏面を見た瞬間噴出する彰。その言葉に促されるまま、指差している部分を見てみると

 

「まじかよ…」

 

「こんなんだれが見たがるんだよな!大学生にもなってさぁ」

 

 

あの!名探偵が学園祭に!?くんくん推理ショー!

 

 

と書かれているではないか。詳しく読み進めてみると、どうやら、アマチュアとかではなく、テレビ局が公式にくんくんの人形劇をやるようだった。なんでウチの大学なんかに…本当、少し前までの俺なら彰と同じように笑い飛ばせるのだが…。

生憎今は、この人形劇のことを知ったら大層お喜びになる人物、いや人形に心当たりがあるのだ。

 

思考にふけっていると、おい置いていくぞ。という少し先にいる彰の声で現実に引き戻される。とりあえず、持ち帰っておくか。うろうろしているハッピの学生にもう一枚広告を貰うとそのまま授業のある教室へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

貰ったレジュメに目を通しながら、マイクを使って喋っているのにやたらぼそぼそと喋るおじいさん教授の声を聞く。後ろのほうに座っている大多数の面々は既に机に突っ伏したり、スマホをいじったり、べらべら喋ったりと聞く気力もないようだった。俺だって本当は聞きたくは無いが、これが午後の最後の授業。この授業が終われば、家に帰れる。そうすれば、蒼星石にも会える。むふふふ。自分でも気持ちの悪い笑みを浮べていると思うが、不思議と集中力が湧いてくる。と

 

「ちとトイレ行ってくるわ」

 

「いっといれ」

 

でも尿意には勝てなかったよ…姿勢を低くして席を立つと目立たないように教室を退室した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

トイレから帰って来てドアを開けると

 

  誰も居ない

 

そう、誰も居ないのだ。教授に彰、他の生徒も全員だ。もしかして、教室を間違えたか?ぱっと、上に書かれた教室プレートを見てみると、確かにここで合っている。なら授業中に移動したのか?いや、そんなはずは無い。こんな短時間に統率の取れていないあのメンバー全員が移動しきれるとは思えない。彰だって、移動になったとして俺を置いて移動し始めるような奴ではない。

 

何だか、気味が悪い。

 

とりあえず外に…そう思い。教室に背を向けたときだった。

 

後ろから、じとりとした湿った視線を感じた。何か居る。ドクン、ドクンと自分の心臓の音だけが聞こえる。何かに見られてる。肌が、本能が、そう感じ取った。どちらにせよ、今の俺には視線の正体を確認するほか無い。生唾を飲み込み、ばっと後ろを振り向くと。

 

「…ローゼン…メイデン?」

 

白い、薔薇。右目に白い薔薇が挿さっていて、金色をした左目は瞳孔が開いてるんじゃないかと言うほど大きく見開かれている。薄いピンクの髪はうえで二つに結ばれていて、フリルのたくさんついた白いドレスを着たドールが、午後の淡い太陽の光を浴びて、教授の先ほど居た机の上に座っているのだ。ただの人形にしては精巧すぎる作り、独特の雰囲気。間違いないだろう。

 

そして、俺と目が合うと、まるでその目に渦のように吸い込まれていく気がした。

すっと人形は一人でに立ち上がると、ゆっくりと、口元が開いていき

 

「私は…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい!おい忍」

 

「ん…?」

 

彰の声とぼやけた顔が目に映ってくる。ここは…?さっきまでいた教室だ。先ほどの人形は!?と先ほどまで人形の居たところを見てみるがそこには教授と何人かの学生がプリントを持って集まっているのみで、人形の気配など微塵もしない。あたりを見回すと輪を作って雑談をする学生や、荷物を持って帰ったり、新しくこの教室に入ってきたりする学生。すっかり何時もどおりの風景だ。

 

「はは、珍しいじゃねぇか。お前が授業中寝るなんて。疲れが溜まってたのか?」

 

「え?」

 

「まぁ今日のところはそんな大した事言ってなかったし、全然平気だぜ。あの先生眠すぎんだよなぁ。でも単位取るのは楽だし…いい授業ってのは中々ないな」

 

夢?…いや間違いない。この目で俺は見たのだ。あのめぐと同じような目をする白薔薇のドールを。あの時、なんと言おうとしたのだろう。あの感覚は確かに夢じゃないはずだが、周りの現実を見ていると、あまりにも、非現実的で…

…もしかしたら、蒼星石なら何か知っているかもしれない。鞄を持つと、彰と一緒に教室を出て、まっすぐ自宅への帰路についたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえり、マスター」

 

「ただいま。蒼」

 

ちょうど日が傾き始めたとき。家のドアを開けるといつものように、蒼星石がとたとたとこちらまで近寄ってきてふんわりとした笑みを一つ。うーむ、可愛い。鞄を預かろうとしたので、ああ、今日は見せたいものがあるから。と言って遠慮するとそのまま二人でリビングに向かった。そこにはソファの上でごろごろとくんくん大全集を読みふける水銀燈の姿がある。こちらに目だけやると、再びくんくん大全集に目を向けるというそっけない対応。ふふふ、見ていろ水銀燈。鞄を机の上に置くと中から例の広告を取り出すのだった。

 

 

 

 

 

「なんですって?」

 

「それ、本当なの?マスター。」

 

ぴんんぱんぽーん!重大発表!と言って声を上げたときは二人のしらけた目線が痛かったが、あの広告を見せてやると一転。ものすごい食いつきを見せる水銀燈と蒼星石。ちょっと寂しい。ばっと、ソファから文字通り飛び出して俺から広告をひったくるとじーっと広告に目を通し始める水銀燈。蒼星石もその隣からそーっと背伸びをして覗き込んでいる。遠慮がちな蒼星石可愛い。

 

「ほ、本当にくんくんが…。しかも…う、うそでしょぉ!?これは伝説のファーストシーズンじゃない!」

 

「いた!?痛いよ何をするんだい水銀燈」

 

ばしばし!っと水銀燈は隣に立っていた蒼星石の背中を叩きながら高笑いを浮べる。じーっとその様子を見ていたのだが俺の視線に気が付いたのか

 

んんっっと大げさに咳払いをして、いつもの不機嫌そうな顔をすると広告をくしゃくしゃに丸めてぽいっと机の上に投げ捨ててしまった。

 

「水銀燈!」

 

「っち。つまんなぁい。くんくんなんてただの犬じゃない」

 

腕を組むと、ばさっと翼を広げて背を向ける。俺の期待していた、水銀燈の反応じゃない。もっと、こう、さっきの調子でキャラも忘れて狂喜乱舞する姿をみれると思ったのだけれども…これじゃあ、いつもの以上にツンの部分をみせただけだ。ただの犬だなんてそんな元も子もないこと…。

 

そのまま水銀燈はつまんなぁいつまんなぁい。なんて言いながら、俺の部屋に入るとばたん!とドアをしめて、そのままがちゃりと鍵をかけて篭ってしまったようだ。

 

 

 

 

 

…って!なんで俺の部屋に篭るんだ?

 

 

 

 

ゆっくりと、音を立てずに蒼星石と一緒に、部屋の前まで忍び寄ってみる。すると何やら部屋の中からものすごい物音が聞こえてくるではないか。そっと黄土色のドアに耳を近づけてみると。

 

「うふ、うふふふ、えへへぇ…くんくん!くんくぅん!こんな日が来るなんて!私は、私は!」

 

ぎしぎしというベッドの音と、ごろんごろん、ばっさばっさという水銀燈が転げまわっているらしい音。それからいつもの水銀燈からは想像も付かないほどの甘い声。喜んでもらえたらしいが、何か…うん……フィーバーしている水銀燈はしばらく、そっとしておこう…。

俺と蒼星石は真顔で顔を見合わせると頷き、無言でドアを離れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テーブルにつくと、蒼星石が温かいハーブティーを入れてくれた。そのまま椅子に腰掛けると、はい、マスター。と俺の前まですすっと、湯気の出ている白いカップとソーサーを勧めてくれる。蒼星石が自分のぶんのハーブティーを入れるのを見てから、目を合わせると、蒼星石は照れくさそうに、微笑む。入れたてのハーブティーを飲むと、温かいそれが渇いた喉を通って体中に駆け巡った。ハーブのいい香りが鼻を抜けていき随分落ち着いた気持ちになった。一日の疲れが、癒されていく。

 

「美味しいよ、ありがとう蒼」

 

「うん。マスターに喜んでもらえて嬉しいよ」

 

そういうと、やがて俺と同じように目をつぶってハーブティーを味わい始めた。まつ毛、長いなぁ。テーブルに置かれた、先ほど水銀燈が放り投げたくしゃくしゃの広告を広げて見る。くんくんの人形劇にばかり目が行っていたが、他にも楽しめそうな出し物が結構ある。特にアレなんかは……ふふふ、すでに、俺の中で学園祭に行くのは決定事項になっていた。

 

「マスター。その学園祭って?」

 

「ああ、俺の普段行っている大学でやる、お祭りみたいなもんだよ」

 

広告を蒼星石にも見えるように机の上に置くと興味ぶかそうに覗き込む。その時、俺と蒼星石の頭がこん、と軽くぶつかってしまったが、蒼星石はぶつかった自らの頭を軽く擦りながら、必死に、ごめんね、マスター!。と言って謝ってきた。こっちの不注意もあるのに慌てる蒼星石可愛い。

 

「マスター。お祭りというと、みんなで、食べ物の恵みに感謝して踊ったり豪勢な食事を食べたりするのかな?」

 

「違う違う。そんな大したものじゃないよ。わいわいするのは同じだけど。屋台を見て回ったり、催し物を見たり、基本自由な感じだ。」

 

「なるほど。そういったお祭りもあるのですね」

 

うーん、説明しにくい。祭りと言ったって、伝統的な祭りっていうわけじゃあない。ただの学生が好き勝手やってるだけだからなぁ。まぁ、おれ自身、大学生になって始めての学園祭だ。そういう意味でも、見て、感じてないものを上手く説明することなど出来ないだろう。百聞は一見にしかずというやつだ。

 

「僕たちが行っても大丈夫ですか?」

 

「蒼は服を変えれば大丈夫だろ。三葉にもらった可愛いやつ」

 

「う、うん」

 

とたんに赤面して、シルクハットで顔を隠してしまう蒼星石。なんだ、まだあの服を着るのが恥ずかしいのか?

 

青いフード付きのゆったりとした冬服に、ホットパンツと黒のニーソックス!

後に贈られてきたキャスケットを被ればボーイッシュな女の子そのものだ。頭身は小さいがぎりぎり親戚の子といえばまかり通るだろう。あの服を着た蒼星石は照れる部分含めてまじで可愛い。まじで可愛いのだ。まじで。ボーイッシュに黒いニーソとホットパンツの相性は抜群だな!

 

「でも、彼女。水銀燈…は、どうするんですか?彼女は、他の服を持っていないけれど」

 

「そこだよなぁ」

 

水銀燈には黒い羽が生えている。ただでさえ黒いドレスや銀の長髪が目立つのに、あんな派手派手な羽を広げていたら一瞬で注目の的だ。かといって、あれだけ楽しみにしているのに留守番させるだなんてのは論外だし…

 

…仕方が無い、こうなったら…ポケットに入っている携帯端末を取り出すと、電話帳を開き、あの人物にコールしてみるのだった。

 

 

 

 

 

 

『それで、学園祭に行くための服を、私に作って欲しいのね?』

 

「うん。お願いします三葉様」

 

席を立って、ソファに腰掛けながら相手には見えていないが頭を下げる。勿論相手は幼馴染の結菱三葉だ。

行く、と決まったからには最小限にリスクを減らす必要があった。そのためにもまずは水銀燈の目立つあの格好を何とかしなければ始まらない。アイデアも含めて相談する相手は三葉しか思い浮かばなかった。

 

『もう、変な呼び方しないでよ。ところで、私その水銀燈って言うドールに、まだ会ったことがないのだけれど…?』

 

「あー結構人見知りするからさ。連れて行けないんだよ」

 

そもそも、水銀燈は家に居ることもあるがめぐの病室に居ることもあるし、外に出かけているときもある。基本自由だし一緒にどこかへ行くなんてことをしたことが無い。

 

『ふーん。人見知り…ね。…』

 

「三葉?」

 

それっきり、黙り込んでしまう三葉。流石にいきなりこんな面倒な話し引き受けられないか。こうなったら最悪リュックに入れて…ダメだ。水銀燈がリュックで大人しくしているビジョンが浮かばない。それどころか、くんくんを見たら確実に何かアクションを起こしかねない。

nのフィールドとやらをうまく使えば鏡越しに見えるか?…いや、ぴかぴか反射して怪しまれるか。それに、それじゃあ生で見たことにならない。

 

『あ、ごめんなさい。ボーっとしちゃって。人見知りのドール…ね。そうね、一度会ってみないことには分からないけど、その子にあった服、作っても良いわよ。』

 

「え?良いのか?あーそうだ。外見なら、携帯の写真で…」

 

『ダメよ、直接会わなきゃインスピレーションがわかないわ。それに、服を作る相手は誇り高き、薔薇乙女。しっかりと、本人の合意を得ないと』

 

真面目だなぁ。だからこそ信用できるのだが。

 

「わかった、本人にそっちに行けるか聞いてみる。あぁ、それと、そのドール。非常に厄介なことがあって…」

 

 

 

 

 

 

 

『背中に黒い羽…ね、なるほど、難しい問題ね』

 

羽の部分の穴が開いた服なんてのは見たことがない。あいていた服を着ていたら、すぐに人目につく。大きい服で覆い隠せるものでもない。翼の部分だけ見えなくするなんていう都合の良い技も覚えていないようだし…これを何とかしなければ。

 

『…わかったわ。一応、こっちでも色々と考えてみる。』

 

「ありがとう。本当に頼りになるよ三葉は」

 

『ま、またそういうことを。その代わり。その、わ、私も学園祭に連れて行って…ね?』

 

「え?あぁ、そのくらいお安い御用だけど」

 

『本当!?ふふ、約束よ?それじゃあ、私、色々と準備しないと』

 

「うん。ありがとう三葉」

 

ぷつりとそこで音声が切れる。三葉も学園祭に行きたい?わざわざ俺たちと?まさか

 

 

くんくんのショーが見たかったのか?

 

 

さすがは人形師を目指しているだけはあるな。うん。

水銀燈はこっちの頼みを聞いてくれるだろうか。生くんくんをチラつかせれば、多分行ってくれるだろう。でも今あの部屋に近づくのは危険だな。三葉も何か準備しているようだし、もう少ししてから行かせよう。大きな行き違い窓から外を見ると既に日は落ち始め、すぐに暗くなってしまいそうだ。奥からは蒼星石の鼻歌と美味そうな、何かを焼いている匂い。そういえば、白薔薇のドールについていは聞きそびれてしまったな。また後で、ゆっくりと聞いてみれば良いか。

 

そうして、波乱の学園祭があるとも知らずに、俺はぺこぺこのお腹を押さえながら、蒼星石の居る台所に今日の夕食をつまみぐいに行くのだった。

 



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13話

「ここが、マスターの通っている…いっぱい建物があるけれど、どの建物がマスターの大学なのですか?」

 

「この敷地内の建物を全部ひっくるめて大学っていうんだよ」

 

「え!?これ全部が…」

 

「キャンパスだけは無駄に広いからなぁ。はぐれたら困るし、あんまり離れるなよ、蒼星石」

 

「……あ…はい、マスター」

 

蒼星石をぐっとこちらに引き寄せると、もじもじと照れくさそうにキャスケットを深く被りなおし、その小さな手で控えめに茶色いコートの裾の部分をつまんでくる。もっとくっついていいのに。

 

ちょうど大学の正門に来たのだが、思った以上に人、人、人と人の森。小さな声など、まわりの騒がしいがや音にすぐにかきけされてしまう。やはり、めぐは連れて来なくて良かった。本当は誘ってあげたかったがこれだけの人だ。何があるかもわからないし、行くならもう少し静かな場所だろう。それにしても、大学生くらいの人物が多いのは確かだけど、子供から老人まで幅広い世代の人間がこの今日の学園祭には集まっているようだ。規模が、高校とは全然違う。おかげで子供連れの家族も多いので、蒼星石ほどの大きさの子を連れていても目立たないのは幸いだが。

 

「お、おい誰だよあの娘、すげー可愛くないか」

 

「美人さんだねぇ…外国の人かな。って、たっくん何処見てるのよ!」

 

これだ。もうこのまま蒼星石と人ごみにまぎれてデートしちゃおうかとも思ったがそうも行かない、軽く迷子になっているであろうその人物のほうを向き、軽く手を挙げると向こうもこちらに気が付いて慌てて近寄ってくる。

 

「ちょっと、何で勝手にぶいぶい歩いて行っちゃうのよ」

 

「ごめんごめん」

 

青いデニムジャケットに、白いワンピース。大学でもよく見かける服装なのだが金髪青目の整った顔の三葉が着ているだけでまるで別物だ。はっきり行って隣を歩くには俺なんかじゃ釣りあわなさ過ぎる。よくラブコメ漫画とか、ドラマでよくあるであろう幸せ物の代名詞みたいなこの状況は、今の俺には目立つ三葉の副産物として蒼星石たちのことがばれないかヒヤヒヤさせるだけの精神負担でしかない。周りのちくちくとした視線が痛い。って、あれ。

 

「三葉、水銀燈は?」

 

「え、一緒じゃなかったの?てっきり忍たちと居るのかと」

 

……いきなりか!?辺りを見回して水銀燈を探す。バスには一緒に乗っていたし、さっきまでは確かに近くに居た。そこそこ背の高い俺だが、これだけの人の群れ。見回してみても水銀燈らしき人影は……

 

「マスター。あそこ」

 

と、蒼星石の指差した方を見てみると、いつの間に上ったのか、入ってすぐの校舎の屋上に立っている、茶色い探偵服と帽子を何時もの黒い編み上げドレスの上から身にまとった、水銀燈。確かに、今日に限ってはあの服は目立たない。くんくんが来る事はみんな知っているし、現に歩いている子供に似たような格好の子はちらほらと居る。しかし、水銀燈の格好は目立たないようになったにしろ、4階ほどの校舎だ。今はまだ誰にも見つかっていないようだが、小さな子供があんなところに居たら嫌でも目立つ。

 

「僕に任せてください。出ておいで、レンピカ」

 

「ちょ」

 

ピカピカと光る青い発光体がびゅーんと空目掛けて飛んでいく。すごい、今のは何!?なんて嬉しそうに訊ねてくる三葉。俺はもう今日まともに過ごせるのか心配で胃が痛くなってきたというのに…。みんな目立ちすぎだろ……

 

 

 

 

 

ついに、学園祭の開かれる日が来た。敷地いっぱいに、学生主催の屋台が並んでいて、看板や広告を持った学生が客引きをしていたり。ステージの上で司会が何かを喋ってギャラリーがわいたり、ハッピの学生が入り口のテントの下で笑顔でパンフレットを配っていたりと楽しい雰囲気でいっぱいだ。しかし、これだけの人混み、団体行動は必須。

 

「水銀燈、ダメじゃないか勝手に離れたら。約束しただろ」

 

「隠れた犯人を捜すのに一番手っ取り早いのは上から探すことよ。そんなこともしらないのぉ猫警部?」

 

「誰が猫警部だ」

 

あれだけ苦労したのに、周りは水銀燈を一瞥するものの、基本的にはそのまま無関心で通り過ぎていく。目立つ銀色の髪も赤い目も、水銀燈より目立つコスプレをしている人物らの前では無駄に等しい。男なのに、どこぞの魔法少女のコスプレしている奴や、とあるインフレ戦闘漫画の戦闘民族の格好をしたお笑い芸人みたいな人までいる。そういうサークルもあるし、不思議じゃないがあれだけ悩んだのに、まさかくんくんの服を上から着るだけでオーケーだなんて…。あんまり水銀燈が堂々としているものだからみんな気にも留めないのだろう。

 

 

 

三葉は本当は水銀燈に似合う現代風の服を作るといった。水銀燈は冗談じゃないといって断った。くんくんをチラつかせてみたが、ダメだった。

 

俺は羽を隠すために穴の開いたリュックでも背負えばいいんじゃないかと提案した。のだが鼻で笑われて水銀燈に却下された。

 

昨日、三葉が冗談でくんくんのコスプレを作ってきた。ショー目的の子もいるから目立たないわよなんて言っているのだから苦肉の策なのだろう。だが、水銀燈は誰がそんなもの。着るわけ無いじゃない。ありえない。などと散々三葉に罵倒を浴びせて拒絶していた。勿体無いので蒼星石に着せてみたら。くんくん…匂うぞ、わかった!謎は解けたよマスター…!などと言って真剣にくんくんのものまねをしていて可愛いかった。その後ものまねの出来を気にして照れているのも可愛い。

 

しかし、今日。学園祭の当日。朝、重い瞼をこすりながら起きてくると、水銀燈は、このクローゼットにしまってあったくんくんの服を着ていた。何事も無かったかのように…

 

 

 

「まぁいいじゃないの、無事に見つかったんだし。それよりもショーまでまだ時間もあるし、敷地内を見て回しましょうよ」

 

「そうだな。折角の文化祭だしな」

 

辺りを楽しそうに見回す三葉にぐいっと腕を引っ張られる。そうだよな。うん。見つかって何だって言うんだよな。いっそ開き直って今はこの文化祭を、全力で楽しむことにしよう。じゃないともたない。それに、くくく、くんくん推理ショーは兎も角、絶対行っておきたい場所があったんだ。段々と心のおくから気分のもりあがる何かがふつふつと湧いてくる。待ってろよ、蒼星石…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蒼星石、あなたは何も感じていないの?」

 

「え?何がだい?」

 

「……まぁいいわぁ。せいぜい私に見つからないように逃げ果せることね。うろちょろ走る鼠のように」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、何だか適当に歩いていたら面白そうな建物があるぞ」

 

「…え?マスターは随分的確な足取りでここに来た様な…」

 

「すごいぐうぜんだー」

 

ひゅ~ドロドロドロドロ。というお決まりのBGMが安っぽいCDラジカセから流れてきている。黒い、黒い建物。ぐにゃぐにゃと曲がりくねった人の列が並んでいるが。集団で入っているのでそこまで待ち時間はないであろう。そう、ここは。

 

「お、おおお、お化け屋敷じゃない、忍?やめて置きましょうよ」

 

「お化けぇ?何よそれ」

 

そう、お化け屋敷。誰もが一度は入ったことがあるであろうあのお化け屋敷だ。俺が今日一番行ってみたかった目的地。とある校舎の入ってすぐのところ、そこは普段教室になっているのだけれど今日は誰がどう見てもお化け屋敷になっている。黒をイメージした外装も、全て閉じられたカーテンも、血塗られた文字も中々本格的な雰囲気が出ている。さすがに、ホラー研究会が作っただけはあるな。

 

「まぁ、折角だから入ろう」

 

「はぁ?何でこんなところにわざわざ」

 

「怖いのか?水銀燈」

 

 

 

 

 

 

 

 

「四名様ですね。はい、ではドアを開きますので、こちらが閉めたのを確認してから足元に気をつけてゆっくりお進みください。後、中では明かりの付く携帯電話やライトなどの使用はお辞めくださいね。勿論、お化け役の人達に暴力を振るったりするのも無しです」

 

「わかりました」

 

包帯をぐるぐると巻いた案内係の話を聞く。水銀燈は挑発してやると、良い度胸じゃないの!この私を驚かそうだなんて!とか言ってやる気まんまんだ。にしても、このミイラ男さん、ところどころに赤い血の塗料が出ていて明るいのに中々怖い。やがて、色々な説明を早口で言い終えると、この係員は蒼星石と、腕を組んで顔を逸らしていた水銀燈の方へと屈みこみ

 

「こわいよぉ~!」

 

と声色を低くして、軽いジャブを仕掛けてきた。これでびびったら入るのは遠慮してもらおうという配慮なのかもしれないな。しかし、蒼星石も水銀燈も真顔で包帯男の方を見ているだけで、しらーっとしている。この反応はちょっと可哀そうだ。

 

「こ、怖いんですって。やめておく?蒼星石?」

 

「いえ、僕は大丈夫です」

 

一番びびっているのが三葉かよ……もっとこう、蒼星石がキャー!とかいってくっついてくれるギャップ萌えを期待しているのに、こりゃ期待できそうにないな。しかし、俺はこの時、気がついていなかったのだ。腕を組んで平気な顔をしている水銀燈のおみ足がぷるぷると震えていたことに…

 

 

 

 

 

 

 

「それでは。いってらっしゃいませー」

 

そう言って俺たちが4人、入り終えるとしゃっとドアが閉まり、差し込んでいた明るい光もなくなり、視界が一気に暗くなる。暗い、本当に真っ暗な部屋を青白いライトがところどころについて道だけを示している。しかし、逆にその不気味な光が恐怖心を煽る。それに、原理は分からないが、足元にはひやっとしたお化け屋敷独特の冷気とドライアイスみたいな白いもやもや。分かってはいるものの、俺も少しばかり緊張の糸が張る。たまに聞こえてくる先行組みの悲鳴も…雰囲気出ているな。

って、あれ。

 

「は、はやく行きましょう。しのぶ…」

 

「う、うん、マスター。行こう」

 

めちゃくちゃくっついてくる左の三葉と控えめにコートの裾を掴んでくる後ろの蒼星石。少しばかり動きにくい。まぁ、それは良いとして、さっきあれだけ元気の良かった、水銀燈がさっきからやたら大人しい。ちらっと見てみると。

 

気の毒なくらい、顔色がよくない。そしてぶつぶつと、私はお父様の作った最高傑作…だの、今の私にはくんくんの力が…だのと呟いて身を抱いている。ちょ、ちょっとびびりすぎじゃ…

 

…いや、これは、これでありな気がしてきた!

 

「水銀燈。一番前を歩いてくれないか?」

 

「!?は、はぁあああ!?何言ってるのよ、あんた男でしょうが!あんたが一番前に決まってるじゃないの!」

 

いつもの余裕のある猫なで声はすっかり消え去っており、激しい言葉をそのままぶつけてくる水銀燈。すまぬ…すまぬな、男だからこそ見たいものもあるのだよ。

 

「今日の水銀燈は俺たちのリーダーだろ?それに、水銀燈ほど勇気があって、強くて、美しいドールが、まさか俺の後ろに団子になって引っ付いて歩くわけ…」

 

「え?り、リーダー?そうだったのね…」

 

「ああ。リーダーってのは先頭に立って導いてくれる存在だ。いわば、究極の少女であるアリスに近いものがある。そう思わないか?」

 

「あ、アリスに?リーダー、究極の…わかったわよ。ま、せいぜい後ろかえらびくびくしながら付いてくることね。ウフフ」

 

すっと俺たちの前に出て、歩き始めた水銀燈。水銀燈の扱い方が段々とわかってきたぞ。左腕にがっちり引っ付いている三葉になるべく安心させてやるよう一度大丈夫だぞと呟くと、三葉の腕の力が、少しだけやわらかいものになった。蒼星石も、さっき歩いていた時より強めにコートの裾を引いているが俺が歩き始める同じように、歩み始めた。蒼星石は結構平気そうだな。離れないようにといった感じか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひゅ~どろどろどろどろっとさっきも聞いていた音楽が聞こえてくるのだが、怖さがさっきまでの比じゃない。胸の奥のどくんどくんという心臓の音と同じような速さでシンクロしてくる。人の不安を煽る、特別な力でもあるのだろうか。

 

「な、何か居るわ」

 

墓などの飾りつけられた道を抜けると、コケが生えた木で出来た格子の端っこで体育座りをした、黒い髪の長すぎる、白い装束を着た女の幽霊。それが、なにやらぼそぼそと…

 

「…のぉ…な…のぉ…ど…に…たのぉ…」

 

呟いている。自分の手のひらが、軽く汗ばんだのが分かった。

 

「ななな、何を言ってるのよあ、あ、あんた」

 

お化けに声かけてどうするんだよ。さっきから後ろで見ていたが水銀燈の腰が引けまくって、格子からめちゃくちゃ離れた場所をじりじりと歩いている。だが何回かお化け屋敷に来たことのある俺には、この幽霊が何をしてくるか。大体予想できていた。そう

 

水銀燈の足が、曲がり角に差し掛かった瞬間。

 

「ないのよぉ……私の目があああああ!!!!」

 

「「「きぃいいいいやぁぁああああ!?」」」

 

ダンと大きな音を立てて立ち上がると、ガシガシっ!!っと一気に近づいてきて格子を揺すり始める女の幽霊。目が、無い!目のところがくぼんでいて、抜き取られたみたいに見える。分かってても、わかってても怖いぞこれ!?水銀燈なんかはさっきまでの調子も失くし、数歩、はじけるように戻って俺の膝元にくっつき、ぐいぐいと膝の裏を押して進め進めと促してくる。てかみんな押しすぎだ!

 

ばくばくとした心臓で押されるがままにして格子と幽霊女から遠ざかる。まだ格子を揺らしている女がこちらをずっと見ているのがまた怖い。

 

「は、はは、早くでましょう?お兄様ぁ…」

 

ビクビクと震えながら精一杯俺の膝を押す、水銀燈。ごめん、めちゃくちゃ可愛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も、数々の罠(トラップ)が俺たちの行方を阻んだ。釣られたこんにゃく。突然地面から出てくる男。最後尾だからと安心していた蒼星石を後ろから追いかけてくる謎のゾンビ男。執拗に狙われる水銀燈。その度に悲鳴が俺の鼓膜にダメージを与え。腕はバキバキになるんじゃないかというほど締められる。だが内心、平気な顔をしていたのに涙目になった蒼星石に大変満足した。

 

「あ、もうすぐゴールよぉ…」

 

「う…わ…あああぁああ!」「まて…ぇぇぇええ!」

 

「「「きいぃいいやあああああ」」」

 

謎の声とともに、壁を突き破って出てくる複数の腕。それがうねうねと左右の道から飛び出して暴れ狂う。それから逃げるようにして俺たちはお化け屋敷を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪かった。悪かったって。少しは機嫌直してくれよ水銀燈」

 

「水銀燈、あれはああいう恐怖を楽しむ施設だったんだよ。別に良いじゃないか」

 

「冗談じゃないわよ!もう二度と!二度と行かないわ!今度会ったら、あいつらただじゃおかない…!」

 

中庭を抜けた教室。普段授業をするこの場所も。今日はいくつかの教室が解放され、お客さんのために休めるスペースとなっている。そこに、色々と屋台のものを買い込み、俺たちはくんくんのショーまでここで待つことにした。焼きそばに、フライドポテトの定番品から、トッポギやチュロスと言ったマイナーなものまで色々と売っていた。しかし、あいつら、というのはお化け役の人達のことだろうか。うーむ、実際にお化けの方が出てきたら、ただじゃすまないのは水銀燈だろうに。それくらい、本当に迫力があった。周りがあれだけ騒ぐから逆に冷静になれたが俺一人だけだったら、そりゃもうびびりまくってただろう。怖すぎてリタイアする人も居るそうだし。

 

「マスター。それは?」

 

「これか?これは揚げパンだよ。食べてみなよ」

 

俺の持っていた小さな揚げパンの袋を広げると、蒼星石のほうへと向けてやる。まじまじと興味深げに見た後、すっと一本もって行き。小さな口でかぶりついた。俺の隣に座っている水銀燈にも袋を広げて渡してやると、向こうは一瞬こちらの顔色を見たがぷいっと顔を逸らして机の上のフライドポテトを食べはじめた。こういう素直な勧め方じゃ絶対食べないんだよなぁ。

 

「へぇ、カリカリッとしてて、おいしいね。マスター。」

 

「だろ?揚げパンが給食で出たときはみんなのテンションはマックスだからな。三葉もいるか?」

 

「うん」

 

きな粉のかかった、揚げパン。シナモンとか抹茶とか、学生なりに色々と工夫して種類が揃えられていたが、素直に砂糖ときな粉のかかったものを買った。カリカリッとした外面と、ふわふわっとした中身との調和が良い。みんなでわいわい食べ物の食べ比べをしながら、くんくんのショーが始まる30分前まで俺たちは束の間の安息を過ごしただった。

 



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14話

時間を適当に潰し終えると、ついに水銀燈お待ちかねのくんくん推理ショーの30分ほど前になった。既にチケットは入手していたので焦らずとも問題ないのだが…それでも何処か回る予定もないし。座りながら三葉たちと談笑をして、こくこくとその時間が来るのを待った。待ったのだが。

 

「凄い人だな…」

 

「くんくんって結構人気があるのよね」

 

余裕を持って4人分の席を使って座っていたのだが、どうにもこのお客さんの入り方じゃ席が足りなくなってしまうペースだ。というか、見る見る座席が埋まっていき、ほとんどの席が埋まっている。これから更に席が混むだろう。そうなる前に、少しでも席は空けた方が良いかもしれない。

 

「蒼星石、俺の膝の上に座るか」

 

「え、う、うん!」

 

「じゃ、水銀燈は私の膝のう…」

 

「…冗談じゃないわ」

 

なんと、水銀燈は蒼星石が席を立つと同時に、ばっと飛んで俺の膝にふわりと蒼星石より早く飛び乗ってきた。そのまま足を組むと、何が起こったかわからないという風な顔をした蒼星石を見下ろしながら、足を揺らして挑発する。

 

「この席は満員よぉ。隣に行けばぁ?」

 

「!君は!」

 

くすくすと言って三葉の膝の上を指差す。それを聞いた蒼星石は何だか握り拳を握って非常に複雑な表情を浮べていた、しかし、小さく手を広げてそわそわと待っている三葉を見るとおとなしくその膝の上に座ったようだった。俺なんかよりも、三葉の膝の上のほうが柔らかいのになぁ。

 

「あそこが空いたわ、のり」

 

「本当、あの~、すみません。お隣よろしいですか?」

 

するとさっそく横からうろうろしていた見物客の声が聞こえてくる、大きなリュックを背負った眼鏡の女の子のようだ。勿論、条件反射的にどうぞ。というと、もう少しだけ三葉のほうへと席を詰めてあげる。大学生?くらいだろうか。何だか、おっとりした雰囲気の持ち主だ。しかし、その娘が腰を降ろし、カバンから出した、いや出てきたものが、目に入ったものが、あまりにも衝撃的過ぎて面食らう。

 

「まさかこんな日が来るなんて……あまり前のほうでは無いけれどちょうど真ん中辺りで絶好の席よ。あなたにしては上出来よ、のり」

 

赤い、真っ赤なワンピースにケープコート、金色の二つに結んだ髪は先っちょがくるんとカールしていて首を振るとひゅんひゅんと唸った、その上にはボンネット状のヘッドドレスをつけた、小さな、西洋人形。間違いなく、背丈からもその精巧さからも、蒼星石と同じ、ローゼンメイデン!

俺の驚きもさることながら、俺よりも膝の上の水銀燈は尋常じゃないほど目を見開いて驚いている。そりゃもう、長年の宿敵に出会ったライバルっていう感じだ。そして、膝から降りると黒い羽がちょっと舞い、それに気がついた赤いドールと、目があい、叫ぶ。

 

「水銀燈!」「真紅ぅ!」

 

「あ、あなた…」

 

「ウフフフフ…586920時間37分ぶりね、真紅…」

 

「あ、あぁ…あなた…い、一体」

 

「いいわ、いいわよぉ~真紅!その驚いた不細工な顔!最高に傑作よぉ!アッハハハハ!」

 

「あなたそのくんくんの探偵服を一体何処で手に入れたのよ!まさか、100名限定のくんくんの懸賞……!私に届くはずだったくんくんの懸賞に、当たったんじゃないでしょうね!」

 

「え!?こ、これはそんなんじゃ…」

 

…なんか、悪役まっしぐらだった水銀燈が、早速押されはじめたぞ。にしても懸賞か、そういえばそんな企画をくんくんでやっていた気がする。魚肉ソーセージのポイントを集めるんだったかな。どうせ当たらないからって言って、応募しなかったんだ。それについてくるくんくんのシールだけで、水銀燈は満足していた。

 

「ま、まさか、私の家に届けている途中だった、業者を襲ったのね?!そうだわ、そうに違いない…!」

 

あのポーズは、くんくんが推理しているときの、それだ。なりきっている。

 

「あの、あのね?真紅」

 

「許されないわ。これは、絶対に許されない行為よ、薔薇乙女としてあるまじき、最低の行為よ…!」

 

拳を震わせて、キラリと座った目を光らせると明後日の方向を見つめてから、凄い目力で再び水銀燈の方に向き直る。真紅と呼ばれたドール。じりっと足を踏み込むと、水銀燈は小さく声を漏らして、おろおろと後退して居る。あの水銀燈をここまで…!このドール一体何者…

 

「やぁ、真紅、久しぶりだね」

 

「蒼星石、あなたも居たのね。あら、ふふ、中々可愛いじゃないそのお洋服。

…そうだ、聞いてちょうだい、水銀燈がとんでもなく卑劣で許されない行為を…」

 

そこへ割って入ったのが我らが蒼星石。三葉の膝の上から飛び降りると、いつもの笑顔。それから服を褒められたのが嬉しかったのが頭を掻いて少し照れた。可愛い。しかし、すぐに状況を思い出したのか柔らかい笑みを浮べたまま、真紅を説得し始める。

 

「まぁまぁ、よく見てごらんよ。水銀燈のこの服は自家製だよ。ほら、あの白いビラビラした服についているタグは何処にもついていないし、服のサイズも、水銀燈に完全にフィットしている。その懸賞のものだとしたらここまではいかないだろう?それに、僕たちも懸賞の事は知っているのだけれど、真紅の家に届くとしたら、まだもう少し期間はあったと思うよ?」

 

「え?…確かに…そうね」

 

おお。流石は蒼星石、あのヤクザみたいな言いがかりをつけてきた赤いドールを言い負かしたぞ。まるでわが子が討論会で勝った時の様に嬉しくなる。風向きが変わったのを察したのかここぞとばかりに前に出てくる水銀燈。

 

「ふ、ふん。わかったかしら?大体、わざわざそんなことをするほど、私は暇じゃないのよぉ」

 

毎日家でごろごろしてるくせに~。と今言えば黒い羽で蜂の巣にされるのだろうな。我慢我慢。

 

「ごめんなさい。水銀燈、あなたを誤解していたわ…」

 

「え?ええ、良いのよ、間違いなんて、誰にでもあるものだもの…」

 

あれ、急に態度が変わったな。いや、こっちが本来の姿なのか?すっと真紅は水銀燈の手を取ると、目を見て本当に誤解していたことを謝罪し始めた。なんか、水銀燈のやつ頬なんかそめて満更でもない、ような気がする。仲が悪いと思ったけれど。本当は仲良…

 

「ええ、あなたは素晴らしいドールよ…そこで、仲直りの印と言ってはなんなのだけれど。そのくんくんの服、私にくれないかしら?」

 

「え!?」

 

ダメだ、この赤いやつ。笑顔、本当、女神みたいな穏やかな笑顔で言っている事はこの上なく外道だ。こ、こら、水銀燈、流されて折角縫って貰った探偵服を脱いで差し出そうとするな!だまされてるぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんなことがあったばかりだというのに、膝の上の3体のドール達はそれぞれやいのやいのと、マニアックなくんくんの知識について話始めている。少し、けんか腰で。

第21話がどうのこうのだとか。あの話が感動した、だの…。マニアックすぎて後ろから聞いていてもさっぱりわからない。しょうがない、こちらはこちらで親交を暖めることにしよう。

 

「あの、はじめまして、蒼星石のマスターの、柿崎忍です」

 

そう言って頭を軽く下げると、今度はちらっと隣に居る三葉に目配せする。わ、私は結菱三葉、よ、よろしくね。と遅れてつかえながらだが、ちゃんと自己紹介できたようだ。大学生になっても、未だに三葉の人見知りは直っていないらしい。

 

「忍さん…?それに三葉さん……もしかして、ニン兄に、みっちゃん!?」

 

「…!その呼び方。もしかして、ノリちゃん!?ほら、忍!のりちゃんよ!」

 

ばしばしっと背中を叩かれなくても、その名前は覚えている。いや、思い出した。確かに面影がある。昔、薔薇屋敷に迷い込んだ姉弟が居た。しっかりものだか、惚けているのかわからない姉と。優しいのだけれど少し引っ込み思案のきらいがあった弟の姉弟。二人と会った日から何回か一緒に遊んだことがあるのだけれど、いつからか、連絡もなしにぱったりと来なくなったのを覚えている。のりはその姉の方だ。突然騒ぎ始めた俺たちに、ドールズも口を開けて不思議そうにしていた。

 

 

 

 

 

 

「そうか、両親が仕事で…大変だったなぁ」

 

「うん。ごめんね、私達もその、時間が経ってから行くのが、何だか怖くて」

 

「ううん。また会えて嬉しいわ。何かのりちゃんやジュン君を怒らせるようなことをしたんじゃないかって、私も怖くて…」

 

「みっちゃん…」

 

のりの家の両親が、ある日を境に急激に忙しくなり、家事や留守番で遊びに来れなくなってしまったらしい。その上、今も未だに海外赴任中の両親の代わりにジュン君と二人暮らし、家は一人で切り盛りしているというのだから大変だ。

 

「そうだ、ジュン君は何処に居るの?まぁ、ジュン君のことだから、くんくんのショーなんて興味ないとか言ってそうだけど」

 

「えーっとジュン君は…」

 

『さー皆さんこんにちは~!司会の、お姉さんだよー!今日は、みんなと一緒にくんくんの推理ショーを』

 

?なにやら目を泳がせて言葉を濁したのり。しかし、ショーが始まってしまったのならこれ以上雑談を続けるわけにも行かないだろう。くんくん、くんくんを早く出しなさい!と叫ぶ真紅や、そわそわと落ち着かなく膝を揺らしている水銀燈。じーっと真剣にお姉さんの話を聞いている蒼星石の邪魔をするわけには。行かない。

 

「とりあえず、積もる話はショーの後にしましょう。ね?」

 

「そうだな」

 

手を合わせて会話を中断させる三葉。俺もそれに同意すると、のりも、それを微笑んで首を縦に振って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『くんくんを呼んでみましょー!くんくーん!』

 

「くんくーん!!!私はここよ!くんくーん!」

 

「ば、馬鹿みたい…」

 

「くんくーん…」

 

上から真紅、水銀燈、蒼星石なのだが、注目すべきは、やはり蒼星石の照れながらの叫び声。もう一度、大きな声でー!というと、今度は水銀燈まで、く、くんくん。とぼそりと呟き始める。どこまでドールズたちを夢中にさせるのか。

 

おそらく、何人もの人がひしめき合っているだろう台の下からにゅっと針金で動く犬の人形。つまりはパイプを持った垂れ目の犬の人形、くんくんが顔を出したのだ。そして続けて口を開く。

 

『やぁみんな!今日は来てくれてありがとー!』

 

「「きゃああああ!くんくん!くんくんよー!」」

 

とシンクロして手を合わせる赤と黒。お前ら本当は仲良しだろ!本質というか、根幹というか、姉妹なのだろう。一人、蒼星石だけは、マスター。本物のくんくんだよ。と目を光らせて振り向いてくれた。笑顔で返すと、すぐにまた前を向いてくんくんの話を聞きはじめる。蒼星石が、そこまで盲目的にくんくん好きじゃなくて良かった。だとしたら、今頃家中くんくんのぬいぐるみだらけで。着ぐるみの購入まで考えただろう。それに、俺も嫉妬というか、拗ねちゃうかも。

 

『じゃあ、みんな、今日は最後まで、よろしくんくん!』

 

「「「よろしくんくん!」」」

 

あ!蒼星石、今普通に!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『にゃ!にゃんと!くんくん君、きみは犯人がこの中に居るというのか!?』

 

『ええ、間違いありませんよ猫警部、僕の鼻が、確かに犯人がこの中に居ると嗅ぎ分けたのさ!』

 

『しかし、この中に居るのは皆、信用のおけるものばかりですぞ!?』

 

恋する乙女。とはまさにこのことだろう。ごくりと生唾を飲み込んで祈るように手を合わせる真紅がまさにそれだ。水銀燈はさっきまでの偉そうな座り方じゃなくて、膝の上で手を丸くして食い入るように劇を見ている。蒼星石もまた、同じように姿勢を正して微動だにしない。

 

俺たちは、実は既に犯人を知っている。というか、くんくんサイドで話が進んだと思ったら、悪そうな、しかし何処か憎めない泥棒キャットとドジな下っ端ネズミという典型的な悪役が出てきて、俺たち観客の見ている目の前でアカデミーリングを盗むという犯行を犯したのだ。そして、現在は泥棒キャットはアザラシ男爵に変装している。こういった裏事情を俺たちだけが知っているというのはショーでは良くあることで、その後、やたらコミカルな話術でオレが犯人だってことは黙っていてほしいにゃ。と泥棒キャットたちはお願いすると、子供には分からないメタ発言も交えながら俺たち保護者を言葉巧みに笑いに引き込み、ハートをわしづかみにしたのだった。俺としては、今日はすでに泥棒キャットを応援したい気分になっている。てか、あれ絶対アドリブだろ。お客さんの反応を見ながら話す姿はまさに人形界の綾小路きみ○ろ。

 

『それに、証拠がないと犯人がわかって居ても、逮捕することはできないですにゃ』

 

『それはもちろん。だって、証拠は無くても、ほら、証人ならここにいっぱい居るじゃないか!』

 

おお!そう持ってくるのか。そうよ!私たちはこの両の眼で確かに見たわ!と真紅。あいつ、あいつが犯人よ!くんくん!くんくん!と、訴えても仕方がないことを声を張り上げて叫ぶ水銀燈。うんうんと頷いてくんくんに同意している蒼星石。やがて、くんくんがラビット婦人の前まで、移動して

 

『やったのはラビット婦人!?』

 

「違う!違うわくんくん!」

 

「くんくん!ラビット婦人はあなたに推理のヒントをくれたじゃない!ここに来て裏切るつもり!」

 

『じゃなくて』

 

ほっと胸をなでおろす二人。かと思えば。

 

『君だ!猫警部!』

 

と叫ぶと

 

「何をいっているの!くんくん!あいつ!あいつがやったのよ!私の声を聞いて!」

 

「くんくん~!あなたなら正しい答えを導けるのを、私は!私は!」

  

『でもなくて』

 

もうこれ完璧に遊ばれてるよ。くんくんに弄ばれてるよ。

 

『あなただ!アザラシ男爵、いや!泥棒キャット!あなたが、このアカデミーリングを盗んでいった!そうでしょう?みんな!』

 

その瞬間会場の子供達が見たー!だの、そうだー!とか叫びだして、一層大きな声が鳴り響く。真紅と水銀燈も例外ではなく、そうよ!流石はくんくん!だの、くんくん!くんくん!だのとそれはもう膝の上で立つほど興奮されている。痛い、ぴょんぴょん跳ねないでほしい。蒼星石は満足げに頷くだけだったが、どこかほっとしているようだった。

 

『何を言っているんだねくんくん君、私はずっとここに居たアリバイがあるのですぞ?なぁみんな?』

 

おうそうだぞー!いたいたー!などというのは汚い大人たちの声と、一部のひねくれた子供。俺も冗談でいたいたー!と泥棒キャットの味方をして叫ぶとぴしゃんと真紅のツインテールがムチのようにしなって顔に直撃し、どごっと水銀燈の肘うちが飛んでくる。絶対、この、コンビネーション…仲良い…だろ。

 

『いいや、君にはアリバイなんて最初から無かったんだ。だってこれは、二人の共犯者が居て初めて成り立つトリックなのだから!』

 

『な、なんとー!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劇が終わると、真紅は涙を流して、ぱちぱちぱちと惜しみない拍手を送っているようだった。水銀燈も同じように泣きそうな顔を口を結んでこらえながら拍手している。蒼星石も、ぐすっと涙ぐみ、三葉にハンカチを手渡されている。まさか、まさかあんなに感動のラストが待っているとは…。くんくんを庇って銃弾を受けて動けなくなってしまった猫警部のシーンでは、不覚にもほろりときてしまったし。最後の、実は泥棒キャットが盗んだのは既に偽物のアカデミーリングで、真犯人がラビット夫人だという大どんでん返しの名推理には度肝を抜かれた。鳥肌ものだ。

 

「素晴らしい、素晴らしいわ!」

 

「くんくん……ぽ」

 

「まさか、まさかこんなことになるなんて…」

 

会場全体は俺たちと同じようにこの人形劇に釘付けとなり、最後に人形達全員が舞台の上で手を繋いで礼をすると、パチパチパチっとスタンディングオベーションが起きる。会場中に拍手の音がしばらく鳴り止まなかったのだった。

 



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15話

空を見ていた。窓枠の向こうには、山火事のように燃える夕焼け。同時刻に同じ空を見ているであろう人物を想うとわずかに心が弾んだが、それ以上に、憂愁は赤く静かに燃え上がっており、隣に居られるであろう人物を、その目を、悋気していた。

 

「随分寂しそうなお顔をされているのですね」

 

少女のような少し高めの声が、頭に直接響いてくる。ゆっくりと、顔を洗面台の上に取りつけてある鏡へと向けると、鏡の中から伸びてくる白い、薔薇の茎。見るからに刺々しくって、触ったら、痛そう。

 

気が付くとその茎は鏡を飛び出して、どんどんと部屋中に伸びていて、病室の中を満たしていく。天井は既に茎でびっしり埋まり、ベッドの下の床ではミミズのように茨が蠢いている。病室の空間が、いつもと少しだけ違う。なんだかちょっぴりわくわくしちゃう。いつになったら出てくるのか、と舞台の幕が開くのを待つ子供のように鏡の方を凝視していると、ようやく、その少女は鏡から顔だけ覗かせた。薄いピンク色の髪、金色の左目、右目には…白い薔薇。どこか、ブラウン管のテレビで見るビデオの様に暈けて見えるがこの子もきっとそうなのだろう。水銀燈とはまるで違うが姉妹の一人、薔薇乙女。

 

「可哀想に。あなたの痛みは誰にもわからない。生まれながらに足枷を付けられ、小さな光さえも、指の隙間からこぼれていく。哀れな籠の鳥…」

 

面白いことを言う。その言葉にはまるで実体がなかったのだけれど、その何も映していない金色の瞳には、確かに宿っている。まるで自分もそうであるかのような説得力と…渇望が。似ているが、似ても似つかない。水銀燈とは、本質から違う。

 

「あなたは?」

 

「ローゼンメイデン第7ドール…雪華綺晶…あなたの望みを、叶えてあげられる…唯一のドールです」

 

私の願いを。あまり人形自体に興味は湧いていなかったが、その言葉で少し嫌悪感を抱く。唯一のドール。そんな言葉は水銀燈にしか似合わない。

 

「それで何かご用?あなたが私を楽しい遊園地にでも連れて行ってくれるの?」

 

私の問いに微笑みで答えると、鏡は輝き、白いドレスを纏った体は宙に浮いて飛び出した。そのまま、ベッドのすぐ隣に大きな白い薔薇の花を咲かせてそこに鎮座する。そして、小さな口を吊り上げて、人差し指で自らの唇をなぞると猫を被った、女の高い声を出す。

 

「蒼のお姉さまが…ほしいのです」

 

おねだりするように、そう言った。蒼のお姉さま…蒼星石?

 

「ほしい?」

 

「はい。私には体がありません。故に鏡の中の世界でしか生きられない……

青い空の下で日向ぼっこをすることも、激しい雨をこの身に受けて震えることも、ただ、誰かに抱いてもらう事すら、鏡の中では叶わない!」

 

儚げに、なのに情熱的に胸に手を当てて雪華綺晶はそう語る。舞台役者のように自分に酔っているのか段々声が大きくなる。とっくに外にも聞こえているはずだが誰も病室には入ってこない。気配すら全くしない。

 

「…だから、ほしい!体がほしい!私だけの、身体がほしい!からっぽの器……待っているのに誰もお父様の体を放棄しない…アリスゲームをはじめない…嗚呼、黒薔薇のお姉さまでさえも!」

 

その瞬間、どういう原理なのかはわからないけれど、周りの景色がガラスが割れたように、なのに音も立てずに崩れて行って、病室だったはずの空間は暗い、暗い、闇一色に染まる。本当に、真っ暗で自分の体がすぐ下にあるのかすらわからない。薔薇の茎も、雪華綺晶の姿も、闇に染まっていく。

見えているのは、雪華綺晶の金色の目だけになった。もどかしい演出をする。

 

「それであなたはどうしてここに?」

 

「あなたの体を元に戻してあげます。だから、代わりに蒼のお姉さまをくださいな?」

 

提案された、その言葉に、思わず息を呑んでしまう。

 

体を治す?

 

私の?

 

邪魔な蒼星石を渡すだけで?

 

「あは、それってなんだかとっても素敵」

 

「ウフフ」

 

ああきっと今私って、凄く良い笑顔。

 

「だけど、ふふ、あはは!……お断り」

 

雪華綺晶の笑って細められていた目は懐疑的になり、初めて動揺の色が宿る。小さなドール。本当に哀れで赤子のような。

 

「可哀想なのはあなたの方よ。それにそれって…」

 

「めぐーー!」

 

突然、金色の鋏が黒い空間が裂いて、そこから流れ込む明るい光。弾丸のような速さで飛んでくるのは黒い大きな羽を折りたたんだ水銀燈。手を広げて、黒い羽の矢を大雨の様に雪華綺晶に降らせると、薔薇が茎が一斉に雪華綺晶を包み込む。羽は、通らない。残念。

 

水銀燈は私の前に着地すると、盾になるようにして立っていて。すごく、怒った顔でその哀れなドールを睨む。ふふ、これってなんだか悪くないかも。

 

「水銀燈、来てくれたのね」

 

「……それで、やってくれたじゃない…第7ドール?」

 

一度こちらの顔を見てから、ぷいっとすぐに顔をそむけて、無視。つれないのね。けれど、ちょっぴり安心したような顔をしたのを私は見逃していないから。

薔薇の球体はぞわぞわと中央に穴を作り、そこから雪華綺晶は先ほどと同じように顔だけ覗かせる。

 

「初めまして黒薔薇のお姉さま。私の事は雪華綺晶…とお呼びください」

 

「っは!冗談。」

 

ふふ!これってまるで、ヒロインを巡って争っているところみたいでわくわくする!

やっちゃえ水銀燈。

 

「つれないのですね。私はこんなにもお姉さまの事をお慕いしているというのに」

 

「…消えなさい。幻影」

 

水銀燈が手を振り払い、羽を数本雪華綺晶の顔に突き刺すと、ぴかっ!と小さな閃光が目の前で起こった。かと思えば、目を再び開いた時には元の病室に戻っている。雪華綺晶も最初から居なかったかのように消え去っていて、そして…

 

「ふぅ、何とか間に合ったね」

 

「めぐ!大丈夫か」

 

窓枠に、大きな金色の鋏を抱えて座る蒼星石と、ばん。と病室を開けて雪崩れ込んでくる。

 

お兄様。

 

すごく息を荒げていて、心配そうに私の事を見る。その目には、いつものように眩しい光を宿していて、本当に心配そうに間違いなく、私だけを見ていて想ってくれている。その手には、お土産の入ったポリ袋…なのだと思うのだけれど、来るときに走ったのか中身が袋の中でぐちゃぐちゃに飛び散っている。ああ、なんて。

 

「お兄様、私が心配?」

 

「え?当たり前だろ!」

 

ベッドから体を起こすと、縁に足をかけて目を瞑る。お兄様の方を向いてゆっくりと身体を地面に向けて吸い込ませる。この程度の高さでも、受け身も取らずに地面に激突したのなら、私はすぐにでも死んでしまうだろう。それも良いけど

 

「ば、馬鹿!何考えてるんだ」

 

がしっと、私の肩を掴んで支えてくれたお兄様を、ぎゅうっと、思いっきり抱きしめる。そう、支えてくれる。持っていたおみやげの袋も投げ捨てて、本当に大慌てで、そして、その後には、本気で怒ってくれていて……。

 

「お兄様、今日も一緒に寝ても良い?」

 

「え?それは……」

 

ふふ、初心なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでこんなことになってしまったのか。

ソファを背もたれにして、カーペットの上に俺が座ると、当然とばかりに隣に腰を下ろして、目を閉じて、腕にしがみ付きながら肩に小さな頭を乗せてくるめぐ。対面にはなんだかイライラしている様子の水銀燈に、斜め前にはずっと思案したような顔を浮かべる蒼星石。あんなことがあったのだから前の二人の態度が正しい。なんで襲われた当人が一番くつろいでいるのか…めぐは俺に体を預けると、幸せそうに微笑んでいる。今日は緊急事態とはいえ、病院を無理言って一時帰宅させてもらったから、それでかもしれない…。

 

 

あのくんくんショーの後。少しだけ世間話をすると、のりと真紅はすぐに家に帰っていった。のりは話していた通りジュン君の食事の世話やらもしないといけないらしくて、俺と三葉との連絡先を交換すると残念そうに真紅を連れて夕焼けの道へと消えて行った。昔と変わらず、のりはジュン君に世話焼きでべったりのようだ。

真紅の方が帰り際に、ジュンに会いたいのなら直接家に来ることね。と言っていたのが印象的だった。三葉とも、今日は槐さんのドールショップに用があると言って、途中で別れた。何でも白崎さんと槐さんがヨーロッパから帰ってきたから少し顔を出したいらしい……俺はあんまり会いたくなかったので今回はパスしたが…将来的には会うんだろうな。

 

そういう事情もあって、3人になった俺たちは、めぐに学祭のお土産を持ってお見舞い行くことにしたのだ。本当は、めぐも来たかっただろうからなぁ…。

バスに乗っている間二人はそこそこ疲れたのか大人しく目を閉じていた。なのに、病院前にバスが止まるなり、何かを感じ取ったのか文字通り二人は飛び起きた。特に水銀燈は血相を変えて、羽を広げるとバスのガラス窓に体ごと突っ込んでいったのだ。蒼星石も溶け込むようにして後に続いた、nのフィールドとやらに行ったのだ。後ろの席じゃなかったら、大変な騒ぎになっていたと思う。

 

俺もガラス窓に手を伸ばしたのだが、俺が窓に触れてもやっぱりただのガラスで、発車しそうなバスを引きとめて慌てて病室まで猛ダッシュする。まぁ、よくよく考えれば俺が付いて行ったところで役には立たないから、そういう判断で置いて行ったのかもしれない。ちょっと寂しい。

めぐの病室へのドアを開いたころには戦いは終わっていて。いつも通りの病室に、めぐが嬉しそうに微笑んでるだけだったのだ。

 

「雪華綺晶…僕たちの知らない薔薇乙女…」

 

「そして、お父様に一番最後に会ったことのあるドール…」

 

二人とも神妙な顔つきをしているが、俺としては、隣のめぐが病院を一時帰宅したことの方が重大だった。本当に、嫌な予感しかしないからだ。

 

「…お茶会、を開く必要があると思うんだ…僕の言っている意味が、わかるだろう。水銀燈?」

 

突然、正座して目を瞑っていた蒼星石がそんな言葉を発した。それにしても、お茶会?なんだか呑気な気がするが…

それに対して水銀燈は目を少し細めたかと思うと、次には肩をすくめて見せる。

 

「…っは、冗談じゃないわぁ。…と言いたいところだけれど、あの末妹……

いいわぁ、今回だけは乗ってあげてもぉ」

 

といつもよりも、少し、目に怒りがマジになっている気がする水銀燈はばっと羽を広げてはばたかせると、ぴしゅーんと、窓へと溶け込んでいった。黒い羽だけが水銀燈の座っていた場所に残る。

 

「マスター、めぐさん、僕たちは少しnのフィールドに行ってきます。その間、何かあったら、すぐにでも指輪を強く念じてください」

 

「え、ああ」

 

「いってらっしゃい、水銀燈、蒼星石」

 

それだけ言い残すと、蒼星石もまた、水銀燈の後を追うようにして暗い外を映し出している行き違い窓へと走って行った。お茶会、と言うのは、多分、他のローゼンメイデンたちとやるものなのだろう。と言うことは、初めて現れた雪華綺晶に対しての会議なのだと思う。

 

「ふふふ」

 

「う」

 

突然、絡められためぐの腕の力が少し強くなる。ぎゅっと、手が痛いほどだ。

 

「い、痛いって」

 

「!ご、ごめんなさい。だって、お兄様と二人きりになれたと思ったら。つい、嬉しくって……本当に、久しぶりだったから…」

 

俺が痛がると、はっと我に返って腕の力を緩める、めぐ。しかし、絡んだ腕は解いてはくれないのだな。めぐと二人きりか…確かに久しぶりだけどそこまで喜ぶこともない気がするがなぁ。いつになったら兄離れするのだろう。そうなると、寂しいのかもしれないがちょっと、ここまで好かれてしまうとお兄ちゃんとしては少し、不安だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早速、その不安は的中した。

風呂に入っていた。すごく、俺が臭いと言うからだ。よくわからないが、めぐは嗅覚が良いらしい。俺の服を嗅いで臭いところがあるから清めてほしいと言って、ぐいぐい背中を押して風呂場へと押し込むのだ。

 

風呂に入ってくるんじゃないかとずっと警戒していたが、そんなことはなかった。

取り越し苦労かな。と思ったのだが、逆に、風呂に入っている間、めぐが完全にフリーなことを思い出して慌てて身体中を洗って風呂を出た。服も着替えずに体を拭うとバスタオルを腰に巻いて洗面所のドアを開ける。

 

まず気が付いたのは、俺の携帯だった。

 

枕もとで充電していたはずのそれが、机の上にあったのだ。少しまだ濡れた手で携帯を操作し中を見てみると…ロックしてあったはずなのに連絡先から、めぐと彰含む数人の男子友達の連絡先しか残って居ない!連絡帳がすごく、さっぱりしている。三葉や親父のものまでなくなっている。履歴はもちろん消去されているから、他にどのような操作が行われたか見当がつかない。胃が痛い。

 

それよりも、めぐはどこに居るのか。リビングにはいないようだし、また俺の部屋でお宝本でも漁っているのかと思って自分の部屋へと、腰にタオルだけを巻いたままどたどたと気持ち早めに廊下を歩く。

 

 

ドアの前で、ぴたりと手を止めてしまう。第六感が、本能が、凄くこの扉を開けるのはまずいと告げているのだ。心臓が高鳴り、なぜが、風呂に入ったばかりだと言うのに冷や汗が。

 

「…」

 

何となく。なんとなーく。そう思って。ドアに触れるのはやめて、風呂場に戻った。それにしても、連絡先…どうしようか…。てかどうやってパスワードを…。

 

 

「…ふふ、残念」

 

 

ぞわり、背筋が凍りつくような一言が、めぐの声が聞こえた気がして、ばっと後ろにふりかえったが。そこにはやはり、誰も居ない。ドアの向こうから聞こえた声にしては、何て言うか、鮮明というか……

ぶるるっと身体が身震いを覚えて、慌てて風呂場へと戻った。がらっと、曇りガラスの戸をあけて、ざばんと湯船につかると湯は温かいのに、ぬるいような気がして、膝を抱えるはめになるのだった。

 

 

 



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16話

「やぁドールズ会えて嬉しいよ」

 

暗闇の中、大きな丸いテーブルと7つの小さな長椅子。机の上には紅茶のカップも7つ。3つの席を除いて4つ。ドールズたちが席を埋める。1番3番4番、5番。それぞれ自分の席がいつのころからか決まっていて、僕の隣は翠星石と真紅になるのだけれど…これじゃあなんだか水銀燈一人だけが対面に座っているように見える。本人はその方が良いと言う風に思っているかも知れないが、彼女の隣に座るはずの金糸雀だけが来ていないし、第7ドールの席は、誰かが座ったことがない。

 

ここはnのフィールドのとある空間。何時ごろからあったかなんて覚えてはいない。ただこの空間は昔から机が一つに椅子が7つと決まっている。何百年も前も、その前も、机が一つ、長椅子が7つ…

 

「あら真紅ぅ、さっきの今で、その間抜けな面にますます磨きがかかったわねぇ」

 

「…あら居たの?ごめんなさい、気が付かなかったわ。周りと同化してるんですもの」

 

「あぁ!?」

 

「お、落ち着くですぅ二人とも、大体、今回は緊急事態だから、喧嘩はしねーって話だったですぅ」

 

「そうだよ二人とも」

 

「チッ」

 

どかっと、席に座りなおす水銀燈と、私は悪くないと言わんばかりの澄まし顔を浮かべる真紅。この二人は、いつもこうだ。だけど今日くらいはそれもやめにしてほしい。

 

「ごめんなさーい!遅れたかしら」

 

そこへ、部屋のドアを開けてまた一人。ドールが増える。黄色いドレスに無垢な笑み。

 

「遅いわよ金糸雀!この私をどれだけ待たせるつもり!」

 

「あ、水銀燈久しぶりかしら!それが、カナのマスターの撮影会を抜け出すのにちょっと、手間取っちゃって…って、うわー。今日はこの部屋に5人も集まってるだなんて、ちょっとわくわくしてきちゃうかしらー!」

 

「く、この子は…」

 

「金糸雀、早く席に付きなさい。…蒼星石、はじめて頂戴」

 

すっかり毒気を抜かれた水銀燈をよそに、真紅がそう声を掛ける。金糸雀は水銀燈と翠星石の間の席に座ると、隣の水銀燈ににっこりと微笑んだ。それを苦々しい顔で受けて、そのまま顔を反対方向に向けて逸らした。何はともあれ、全員揃ったみたいだ。

今まであったことのあるドールズが5人。第6ドールと第7ドールを除いて…

僕は席を立つと、机に手をついて、改めて彼女たちを見渡す。

 

「みんな、今日は来てくれてありがとう。

集まってもらったのはほかでもない。僕たちの一番下の妹、ローゼンメイデン第7ドール…雪華綺晶についてだ」

 

ざわ。と水銀燈以外のドールズに緊張が走る。無理もない、今まであったことのない第7ドールに僕たちはみな夢を見、憧れ、恐れ、期待して持っていたのだから。だけどまさか、こんな形での出会いになるなんて…

続けて頂戴。という真紅の声に頷き、また前を向き直る。

 

「雪華綺晶は水銀燈のマスターである柿崎めぐと言う人を今日の夕方、襲った。話によると、彼女はどうやらボディがない、僕たちとは違ってアストラル体で出来ているみたいなんだ。そして、僕たちドールズの身体を密かに狙っていると言っていたよ……危険な存在だと思う」

 

「か、身体を狙う?それってなんだか怖いのかしら…」

 

「それに、もしもこれでチビチビが目覚めちまったら…」

 

「そう……ローゼンメイデンが全員目覚めることになる」

 

皆静まり返って、翠星石は不安そうに瞳を揺らし、真紅はその青い目で紅茶の入ったカップの波紋を見つめる。水銀燈は思いだしたかのように怒りを燃やし、金糸雀は…ちょっとよくわからないが、驚いているのは確かなようだ。

 

「アリスゲームよ」

 

水銀燈が同じように手をついて立ち上がった。好戦的な、笑みを浮かべて。

 

「この平和ボケ劇場もついに終わるのよ!大体、ローゼンメイデンが6人も目覚めていて今まで誰一人として脱落してない現状こそ異常だったのよぉ」

 

「そんなことはねぇです!確かにアリスゲームはお父様の望みですが…きっとアリスになるには、それ以外の道だってあるですぅ!」

 

「でもー。お父様はなんで雪華綺晶にだけボディを作ってあげなかったのかしら。これって、何だか重要だとカナは…」

 

「皆、静かにしてちょうだい…蒼星石、雪華綺晶はなぜ、その柿崎めぐというミーディアムを襲ったのかしら?私がボディを狙うのならば、真っ直ぐに弱そうな雛苺か金糸雀を狙うわ」

 

「な!失礼千万かしら!」

 

「確かに、そうだね…」

 

真紅の言う通りだ。何故、めぐさんを狙ったのだろう。マスターの所にも、現れたと言っていた。夢か何かだと思うくらい、ほんの少しだけだったらしいが、どうしてなのだろう。

 

「ふん、差し詰め人質にでもするつもりなんじゃないのぉ?そんなことしたところで、私は新しいマスターを探すだけだから気にしないのにぃ」

 

「その割には、今日は随分焦っていたね」

 

「蒼星石、あなた!」

 

「へぇ…それは興味深いわね水銀燈。あなたが…ふふ」

 

「真紅ぅ!やっぱりここであなたは沈めてあげるわ」

 

「受けて立つのだわ」

 

「受けてたっちゃだめだよ!真紅!」

 

「そうですぅ。もういい加減にしろです!」

 

これじゃあ何時まで経っても話が進まない!

 

「ふふ、楽しそう。私も入れてくださいな」

 

 

 

……目を見張った。皆、動けないでいた。

 

雪華綺晶!

 

 

「ひどいです、お姉様方、私だけこんな素敵なお茶会に呼んでくれないなんて」

 

7番目の、席に座るとニコニコとした笑みを浮かべる。しかし、その細められた片目は深い闇の様に底が見えない恐ろしさがあった。どうやってここへ。入り口は一つ、僕たちの前にある薔薇の刻印の入ったドアが一つだけ。それ以外は、どうやっても入れるはずがないと言うのに!

 

「良くもまぁノコノコと!」

 

「待ちなさい水銀燈!…ねぇ雪華綺晶。あなたも一緒にお茶会に参加してはどうかしら?」

 

座ったままの真紅が、落ち着いた表情でそう言った。

 

「真紅!何言ってるですか!?」

 

「待って、翠星石。…確かに、それは名案だね。もともと、この部屋はそういう部屋なのだから…紅茶で良いかな?」

 

にこりと、また笑った。言葉は発していないが、同意してくれたと言う事だろう。じょぼじょぼと、白いティーカップに暖かい紅茶を注いでいくと、彼女の前にそっと出してあげる。

 

「ありがとうございます。蒼のお姉さま」

 

そう言うと、子供の様にカップを両手で持って、口を付けた。しかし、熱かったのか、べっと、舌を出した後、口を尖らせて息を吹き付ける雪華綺晶………

隣の席の水銀燈は、その様子を見て眉間に深く皺を刻みこみながら、睨むように目を向けて、やがて、席に着いた。始めから座っていた真紅を除いて、僕たちも全員再び席に着く。少なくとも皆の顔には焦りや不安の色が見えるが、雪華綺晶と真紅だけはとても落ち着いている風に見える。

 

これが、雪華綺晶。第7ドール。

 

白いドレス、薄いピンク色の髪。そして、右目のアイホールから覗かせる白い薔薇…彼女自身が白い薔薇のようにも思われる。とげとげしいオーラと、無垢で美しい妖艶なオーラを併せ持つ、今までにないタイプのドールだった。水銀燈とはまた違った威圧感を持っていて、翠星石も恐れを抱いているのか僕の方へと席を寄せて、服の袖を引っ張った。

真紅に目を向ける、じっと観察するように彼女もまた雪華綺晶を眺めていたが、目を瞑ると同じように紅茶を飲み始めた。何か、考えがあるのだろう。

 

「雪華綺晶、と言ったわね。聞いたわあなたの事」

 

「まぁ、本当ですか。これからはよろしくしてくださいな。紅薔薇のお姉さま」

 

「ええ、こちらこそ」

 

少し戸惑う。彼女は本当にめぐさんを襲った「雪華綺晶」と同一人物なのだろうか。いや、間違いないだろう。現にあの水銀燈も、恐ろしいほど強力な殺気を隣に向って飛ばし続けているし、何よりも言葉で言い表せない、この胸の中の感覚、繋がりのようなものこそがその証拠だ。

真紅は紅茶のカップを持ったまま、真っ直ぐに雪華綺晶の方を見据えた。

 

「ねぇ雪華綺晶。あなたはどうして水銀燈のマスターを襲ったりしたの?教えて頂戴」

 

「簡単ですわ、私は他のマスターもみんなみんなほしくなってしまうの…

桜田ジュンも

草笛みつも…

柿崎めぐも…柿崎忍も…

みんなみいんなほしくなってしまうの」

 

あは。とおどけた様にして話す彼女の言葉に耳を疑う。

何を…言っているんだ…?

他人のマスターが…ほしくなる?

静かな狂気が渦巻き始めた気がした。世間話をするように、彼女が言ったその言葉が今でもどこか胸の中でざわざわと揺れ動いている。ごくごくと。カップを傾けて紅茶を飲み終わるとカタンとお皿に戻して、今度は目を見開いたまま笑う。

 

「…そう、欲しい。私はほしい。ほしい…お姉さま方の誰でも良いの、そのボディを私にくださらない?」

 

「っは、冗談」

 

「そ、そうですぅ!マスターやボディをくれだなんて、正気の沙汰じゃあないです!」

 

警戒を強める。水銀燈は羽を広げて、翠星石は僕にしがみ付き…

だがそんな僕たちを見て彼女は人差し指をほっぺたに当てて、首を傾げる。

 

「お姉さま方?私はアリスになんて興味がないの。ローザミスティカだって…ほしぃのはそう、ただ一つだけ…」

 

すっと、金糸雀を見つめて手を伸ばす。金糸雀はひっと、短く声を漏らすとがたりと席を立って後ずさりをするとその場を離れた。

雪華綺晶は僕たちをぐるっと一瞥すると、次には机に乗って、僕と翠星石の方へ手を伸ばした。く、来るなですぅ!と言って翠星石がスイドリームを呼び出すと、庭師の如雨露をブンブンと振り回す。

 

バチィ!

 

と振り回した如雨露の先が、雪華綺晶の白い手にあたってしまった。

雪華綺晶の顔はどんどんと曇っていき、次第に泣きそうなものへと変わっていく。

 

「ひどいわ。お姉さまたち…お茶会にも呼んでくださらない。私のお願いも聞いてくださらない。それにこんな…本当にひどい」

 

「ふん。末妹…あなた、末っ子だからってわがままが過ぎるのよぉ。ここに何しに来たかわからないけれど、袋のネズミって感じかしら?」

 

「やめなさい水銀燈。雪華綺晶も!机の上に乗るなんてことはレディのすることではなくってよ?降りなさいな」

 

「ふ、ふふ。あは?優しい蒼のお姉さま?私に体をくださいな」

 

瞬間。

机に乗った彼女の身体から、光る薔薇の茎が!蔦が!洪水のように辺り一面にあふれ出した!

 

「ぎゃー!なんなのかしらー!」

 

咄嗟に庭師の鋏でそれを切り裂き、飛び退く!金糸雀と僕から少し離れた翠星石は捉えられてしまったようだった。真紅と水銀燈は…流石だ。あれをかわして雪華綺晶へと逆ににじり寄っていた。

 

「ふ、ようやく本性を現したわね!」

 

「やめなさい。雪華綺晶、あなたも!」

 

…雪華綺晶はあの二人に、任せよう。とりあえず捕まっている翠星石と金糸雀を助け出さないと。

 

「うふふ、お姉さま、遊びましょう?」

 

!この部屋唯一の扉が開いて、雪華綺晶はそこに飛び降りるようにして出て行ってしまう、ドアの方に重力があったような、横に落ちていくような。そんな感じで。

慌てて真紅と水銀燈が扉に向ったようだが、ドアノブに触れようとした瞬間、金属が白い薔薇のつぼみに変わり、大きな花が咲き、花びらが、弾けた。

 

「く」

 

「チッ」

 

水銀燈たちは各々翼の羽や花弁で薔薇を咄嗟にはじき返して、相殺し、難を逃れたようだ。鮮やかだったが、見とれているわけにはいかないと、僕自身も鋏で翠星石と金糸雀の蔦を絶ち切り終えると、ドアを開けてまさに部屋を出ようとする真紅と水銀燈の後へと続いた。

 

やはり彼女は良くない存在だった。

 

ドアを開け放った。水銀燈と真紅は前に進む、後ろで必死に僕を呼び止める翠星石の声もある。それでも止まれない。マスターたちが、危ない!

 

「な」

 

「これは」

 

ドアの先は、暗い闇の空間に、また、いくつものドアが浮いている。そこには部屋何て概念はない。宇宙の様にふわふわとしたところに、ドアが、右に左に、上に下に…そう、これは人の夢と夢とを繋ぐような場所。どうして、こんな。あの部屋のドアを出たら、思った景色に。マスターの家の洗面台に出ると思ったのに!

水銀燈が、一番近くのドアを一つ、開け放った。その先にはヤシの木が見えて、波の音とカモメの鳴く声…違う。居ない。ばたんと彼女は扉を閉めると、今度は真紅が別のものを開けた……寒い吹雪の雪山…違う。

 

まるで迷路だ。何も感じることが出来ない。普段、夢の中を行き来するときなどはあらかじめどこが何処につながっているかわかると言うのに。この空間では全く分からない。

 

「やはり、雪華綺晶のフィールドのようね…」

 

「こ、これじゃあどこが出口かわからないのかしら」

 

やってくれるじゃないか。第7ドール!

不安そうに僕の袖を握る翠星石を引き寄せると、ふつふつと焦りと怒りが湧いてくる。この迷路のような空間を僕たちだけで出口を探さなければいけない。途方もない無限のドアを見て、頭の奥が燃えるように熱くなってきた。

 

マスターたちと引き離されて、閉じ込められたのだ。僕たちは。

 

 



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17話

「ッチ、いつまでついてくるのよぉ。目障りよ」

 

「これは罠の可能性もあるわ。安易な単独行動は避けるべきよ」

 

「それなら返り討ちにしてやるまでよ…」

 

「あーもう疲れたかしらー…」

 

「いい加減一つくらい当たりが出ても良い頃ですぅ…」

 

ガチャ、ガチャと、ドールズたちがドアノブを捻る音が響く。僕たちはつま先立ちで背を伸ばし、真紅はステッキを器用に使い、水銀燈はぷかぷかと腕と脚を組んだまま浮かび、人工精霊であるメイメイに鍵穴を覗かせて、扉の向こうの世界を見る。鬱蒼とした森林、賑やかな屋敷、太陽の輝く砂漠に月が光る湖…

中々出てこない出口に皆も段々とイラついてきている。それでもみんな体を動かすのは辞めない。

みんな…自分のマスターが心配だから。

開けては閉めて、開けては閉める…単純作業の繰り返しだ。

 

 

今すぐにでもこの空間を駆けまわり、全てのドアを開けてマスターの元へと向かいたい。だけど、ここで消耗しきってしまえば、もし肝心の雪華綺晶と対面した時に、あっけなくもやられてしまうだろう。僕が、マスターを助けるんだ。

冷静に、怒りの闘志は燃やしながら、体力は温存する。焚き火に一つ一つ枝をくべる様に静かに、じらじらとこの火を絶やさないように出口を探す…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どのくらいの時が流れたのだろう。

 

 

 

足を動かして、ドアへと向かう、ドアノブを捻って開けて、閉じて、また歩く。

 

初めは口数も多く、それぞれ口喧嘩や皮肉を言い合いながらドアを開ける作業をしていたのに、いつの間にか誰も口を開かなくなっていた。ただ、進む。戻っているかもしれないこのフィールドを…

 

「それにしても、ここは……変だわ…本当に雪華綺晶のフィールドなのかしら」

 

沈黙を破ったのは真紅だった。変、今の状況を的確に表した言葉だと思う。夢の扉と、その夢の世界に近いこの暗い空間は、雪華綺晶のフィールドと言うよりも…もっと単純な…そう、狭間だ。僕はまだ彼女の事を良く知らない。だけど、この空間はあまりにも「彼女らしくない」のだ。

出会って感じていた歪んだ狂気も、妖艶さも、稚拙さも何も感じられないこの空間は、まるで借り物と言うか、本当に何もない、からっぽな夢の空間の「レプリカ」を作っているだけのような…そんな場所。彼女のフィールドならば、もっと彼女らしさが前面に出たフィールドになるはずなのにだ。

 

「きっと、翠星石たちを閉じ込めて楽しんでるですぅ。あいつ、遊びましょうと、そう言っていやがったですし」

 

「そうかしら?楽しむだけなら、私達を迷わせるだけではなくて、妨害なり攪乱なり、何らかのアクションをとってくると思うのだけれど…」

 

「うん、その通りだよ。ここは、あまりにも彼女のフィールドらしくない。雪華綺晶が作った場所じゃ……」

 

「……くく、ふふ、あはは!あーっはっははっは!」

 

突然、黒い羽を舞わせて、笑いながら空高くへ飛び上がっていく水銀燈。一体どうかしたというのか彼女は。空中で足を組むとあははは!とまだお腹を抱えて笑っている。見上げる僕たちも、顔を合わせて困惑する。

 

「気でも触れちまったですか」

 

「元々だいぶいかれていたもの…可能性はあるわ」

 

「おばかさん!私は初めからおかしいと思っていたのよぉ…みょ~な視線を感じていたわぁ、それが、あの末妹のものだとずっと勘違いしていたけれど…」

 

瞬間、彼女の赤い目は怪しく光る。手を掲げ、その黒い羽を大きく広げて見せるとズバザザザと羽の矢をある一つの扉に向って打ち込んだ!そう、あれは…僕たちが入ってきた薔薇の紋章の描かれた扉!

 

水銀燈の羽が扉に刺さる直前に

 

カッと扉からは眩い光が発して

 

僕たちの傍にあった扉、遠くに浮かんでいた扉、すべての扉が粉々な木片へと変わり、その木片すらも消え去っていく。

気が付くと、扉は一つになっていた。その薔薇の扉がたった一つに…。

 

パチパチパチと、渇いた拍手と共に、ゆっくりと、その扉は開いていく。

 

「ブラボォ!素晴らしい!」

 

ドアが開いた。ウサギのような顔に、紳士風な衣装に身を包んだその人物は、いや、人かどうかもわからない。ローゼンメイデンでもないのにこのnのフィールドに干渉できる謎の道化師!

 

「ラプラスの…魔…!」

 

「ご機嫌麗しゅう、お嬢様方」

 

赤い目を細めると、小さな黒い帽子を軽く上げて、背筋を伸ばして綺麗な礼をしてみせる。なるほど、道理で謎が解けた。これなら全ての辻褄が合う。問題はなぜ、この怪人が雪華綺晶の方に味方したのかだ。内なる炎は、赤く燃え上がり始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんまりくつろげなかった…

風呂を出て、身体を拭い、髪を軽く乾かして、ユヌクロのパジャマに着替えたというのにまだ風呂に入っているかのような、変な浮遊感があった。

 

居間にはめぐの姿がない。リビングのテレビはついたままである。外に出たわけではないだろう。ボスンとソファに腰掛けながら、ふやけた皺皺が戻り始めた指で携帯をいじりながらぼんやりと状況を整理する。

 

めぐは十中八九俺の部屋に居るのだろう、蒼星石たちは帰って来ていないようだし…その第7ドールが襲ってきたという形跡もない。今一番深刻な被害を受けたのは俺の携帯電話だ。男の名前しか残っていない連絡先を見るとため息しか出ない。これは流石に兄として、びしっと叱りつけなければ駄目なのだろう。

 

幸い、連絡先はバックアップで復元可能だ、何かサポートセンターに電話したりしないといけないが…最悪のケースは免れている。はぁともう一度ため息をつくと携帯を机の上に置いてごろんとソファに寝転がる。

もしもリビングにめぐが顔を出したら、やはり一言言わないと…と思った矢先、はっとする

 

「もしかしてもう寝てるんじゃないか」

 

軽く反動をつけて起き上がる。そうだよなぁ、普段のめぐなら、風呂上がりの俺に何らかの行動を起こすはずだ。匂い嗅いだり写真撮ったり密着してきたり…まぁ、それもどうかと思うがそれが普段通りの柿崎めぐだ。

 

そのまま立ち上がると、キィキィとなる廊下を渡り、コンコンと、さっきは入り難かったドアをノックする。返事は…無かった。

 

構わずドアを開ける、元々俺の部屋だ。怒られても問題ない…部屋の中は真っ暗で、枕もとで時計が薄く発光しているだけだった、廊下の光が差し込むと、少しずつ輪郭を取り戻していく。

 

「あー…めぐ?」

 

「すぅ……すぅ」

 

……寝てる。やっぱり寝ている。普通の事だけれど、何だかほっとして安心した。

俺のベッドで、布団に足を絡めて抱き枕にして、枕に顔を埋めて。パジャマはめくれて、だらしなくもおへそが見えてしまっている。

 

どっと疲れた。こっちが色々と考えているときに当の本人は既に夢の中とはなぁ…肩の張った力が一気に抜けていく。ゆっくりと歩み寄り、ベッドの縁に腰を下ろすと、指で顔にかかった長い黒髪をゆっくりと払い退けてやる。それからはだけたパジャマを元に戻して、部屋の暖房の電源を入れる。はぁ、風邪なんか引いたらどうするつもりなのか。

 

開いたドアの、廊下から差し込んでくる光でしかその姿を見ることは出来ないが、こうしてみるとめぐは、本当にどこにでもいる普通の少女だ。

普段はお見舞いの花を生首だと言ったり、屋上からダイブする人は空に唆されたなんて言ったり、電波っぽくて、ブラコンで、変わったところもあるけれど、だけど、こうしていると病気なんてないような、健康な少女で…。

 

顔色も、昔より大分良くなったようだった。生気に満ちた、漆のような艶のある肌になったし、良く作っていた目元の隈もなくなった。先生は発作の回数も減ったと言っていたし、少しずつ、良くなっている。昔は隣同士のベッドで、毎晩めぐが発作を起こさないかとひやひやしたものだ。なるべく寝顔を見るようにして、何事もなく寝ていれば今みたいに、ほっとして、何処かつらそうな顔をしていたら、なるべく傍で起きて居ようと思った。そういう寝顔をしている日は、必ず何かめぐの身に悪いことが起こるのだ。発作や痙攣で、苦しそうに足を張りつめて身体を悶えさせるめぐを見るのが…つらかった。

 

自分で勝手に作ったルール。守る必要のないルール。めぐより遅く寝て、寝顔を見るのは。だから結果として少し夜型になって寝坊をよくするようになってしまったが、それでも世話がかかるとか、面倒だとか思ったことはない。誰かに言われたわけでもない。そうしてあげるのが、自分がめぐのお兄ちゃんとしての使命の様に感じられたから。勝手にやっているだけだった。

 

立ち上がると、暖房をぴっぴぴとお休みモードという弱めの暖房に変えて、最後にもう一度だけめぐの方へと目を移す、今日は…大丈夫だろう。

腰を持ち上げ、ドアへと戻ると再びゆっくりと扉を閉めていく。

 

「おやすみ…めぐ」

 

「……ん……」

 

幸せそうに、ちょっとだけ笑ったように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蒼星石たち、遅いなぁ」

 

時刻は既に夜の11時。普段なら蒼星石はとっくに鞄で寝ている時間だ。

すぐに帰ってくるだろうと、ホットコーヒーを入れて、それを飲みながらテレビを眺めて待っていたのだが一向に帰ってくる気配がない。会議とやらがそこまで長引いているのか。あるいは何か事件があったのか……

 

雪華綺晶という第7ドールの出現が、何を意味するのか俺には良くわからない。ただあんなに苛立った水銀燈も、余裕のない表情をした蒼星石も初めて見たのだから、相当やばい奴なのだろう。でもしかし、しかし、だ。

 

「案外良い奴だったりしてなぁ」

 

確証はない。ただ、一つそう思う理由としては、今まであったローゼンメイデンがみんなそうだったからとしか言いようがない。

水銀燈も金糸雀も、翠星石も真紅もそして、蒼星石も。彼女たちは強い個性を持っていて、根っこの部分はやっぱり似ている姉妹だったから…

 

「…して、…から」

 

…ん?テレビの調子が突然おかしくなる。音声は途絶え、画面がぶれ始めたのだ。たまに電波の都合か何かで止まったりはしたことはあるが、こんなビリビリに画面が歪むなんてのは、地デジになってからは一度もないぞ。リモコンに触れて、チャンネルボタンを押してみるのだが効果はない。電源を押して消そうとしているのだが、これまた効果がない。破れたように画面は歪んだ音声をだし、途絶え途絶えで映像はついたり消えたりはっきりしない。

 

「お…ガー…と…」

 

「ん?」

 

参ったぞ、今度は画面がほぼ灰色の砂嵐にかわ…

 

「…ア…なた、がほ。し・い!」

 

「え」

 

ぱっと、

部屋中の電気が消えた。

そう、今ついている壊れたテレビ以外のすべての光が停電を起こしたように一斉に消えたのだ。

そして、薄暗く光っている、灰色の画面に黒いシルエット、少女の、そう、あの時確かに見た…ローゼンメイデンの一人である…雪華綺晶の姿が映る!

小さなダイヤのような粒粒が集まった砂嵐は今も蠢いている。無意識のうちに、ソファからは立ち上がり、顔は食い入るように画面にくぎ付けになっていた。

 

「ま……すた…」

 

「蒼星石!」

 

その黒いシルエットが苦しそうなに地に這いつくばっている蒼星石のシルエットへと変わる。どうなっているんだ、これは。ドッドッと鼓動の音が大きくなっていくのがわかる。あまりにも非現実的な現象だが、だけど確かにここは現実だ!

夢の中では思いつかない、いや、試そうともしないほっぺたを引っ張ると言うわざとらしい行動をとってみる。手加減してたから、痛いと言うほどではないが、確かに痛覚はある。

 

「たず…け…ます、た……」

 

席を立ち蒼星石の映った画面に近づいていってみる。そして、そのテレビに右手を近づけた瞬間、ガシっと冷たい何かが、俺の手首を両手で掴んだ!そう、手だ。幼児くらいの小さな手。

 

あ、これ多分、罠だ。なんてことを考えながら頭の中はやけに冷静に戻った。寧ろ掴んできた力強い手の動きに逆らわず、ゆっくりと自分からテレビに手を近づけると同時に、ばちっと、静電気に、触れたような衝撃が体中を駆け巡った。ぞわぞわっ全身の毛に電気が絡みついたのかと思ったら。

 

 

「いって!」

 

 

するっと、落ちた。テレビの中に落ちた。いや、何て言うか、あっけない。テレビの中にそのまま居ると言うか、テレビの枠が小さい窓みたいな入り口になっていて、そこから別の部屋に入ったようなそんな気軽感覚だった。尻を擦りながらあたりを見てみると、へんてこな空間だった。灰色で、不安定で、壁や天井は水晶みたいで…さっき見ていた砂嵐が結晶になって背景になっているよう場所だった。

 

「…いらっしゃい」

 

「あ、ああ」

 

掴まれた腕の先には、やはり雪華綺晶が居た。こんなに近くで見るのは初めてかもしれない。お尻をついているから目線も合う。思いのほか弱弱しくて。所謂X脚といわれる膝と膝を合わせたような心もとない立ち方。目の片方がやはり本物に見える白い薔薇になっていて、ふわふわとウェーブのかかった白い髪、大きく開かれている、渦のような片目。心なしか、ぼんやりとさっきのテレビの画面のように光っているようにも見える。オーラと言うやつか。

 

「…」

 

「…」

 

じっと、こちらを見続ける片目。腕を両手でつかんだまま、それ以上のリアクションを向こうは取らない。俺も今更、お、お前は雪華綺晶!みたいな感じで驚く気にもなれない。だから…硬直した。しばらく、無言で目だけ合わせていた。

 

 

 

「俺はその、柿崎忍、蒼星石のマスターをやってるよ。よろしく、雪華綺晶」

 

 

 

気付いたら、既にもう片っ方の手を差し出していた。

 

さっきも少しだけ考えていたが、こいつが良い奴なのか悪い奴なのかはこの目でしっかり見ないとわからない。確かに、オーラと言うか、全体的に戦々恐々としてしまうような威圧感はあるが、それは初めて水銀燈と対峙した時のような未知のプレッシャーではない。寧ろ何処か…俺には懐かしいような…

雪華綺晶は出された手を見て口をへの字に結んで、上目づかいで

 

「この…手はなぁに?」

 

そう、尋ねてきた。

 

「何って握手だろう。仲良くしようって意味だよ」

 

「仲…よ……く?私と…」

 

掴まれてる右腕がミシミシっと、音を立てた。骨が軋んでいる。いたい、いっ!痛い…

だが、今声を上げちゃだめだ。逃れようとしては駄目だ。背中はいつのまにか汗ばんでいたが

 

「ま、一つよろしく頼むよ」

 

そう言って軽い感じでさらにずいっと左手を差し出す。向こうはじーっと力を抜いたが、未だに右腕は離さない。やはり、話の通じる相手では…

 

「……けた」

 

「え?」

 

「見つけた!」

 

手を放すと、ぎゅっと、地面を蹴って抱き着いてきた。あまりに突然だったので、その勢いに押し倒されるような形になる。向こうはそんなことは構わないとばかりに背中を肉ごと掴み、胸に顔を埋める。背中が痛い。

 

「見つけた見つけた見つけた!!」

 

向こうはこれでもかとばかりに口の端を吊り上げて、定まっていなかった渦のような目は金色に輝き、興奮したように頬を染めて俺の顔を覗きこむ。初めて会った時とも、さっきまでとも明らかに違う。プレゼントをもらった子供のような、そんな…

 

「私の、私のマスター!」

 

「!」

 

雪華綺晶が馬乗りになって胸板に手を添えたと思ったら、地面の結晶からは薔薇の蔦が絡みついてきた。うっ!?チクリとした茨が食い込み、手足は縛られ、首もその茨に絞めつけられる。無理やり今の姿勢を続けさせられているような地面に磔にされている。呼吸が、苦しい、命を、握られている。

 

「ふ、ふふ、ふふふふふ?」

 

「雪華綺晶、何を」

 

そして、雪華綺晶はゆっくりと俺の身体をハイハイをしてよじ登ってくる。耳の真横に手が置かれた。視界いっぱいに、雪華綺晶の顔が映る。

 

「ほしぃ……お願い……」

 

耳元で甘ったるい声を出されてしまい、思わず生唾を飲んでしまう。妖艶で、官能的なその声が、響きが。脳をおかしく蕩けさせる。

そして、ゆっくりと、近づいてくる。口が開いたと思ったら、その、にちょりとした唾液の絡んだ舌の先端には……

 

薔薇の指輪!

 

「ま、まて!」

 

俺とこのまま契約するつもりか!?

身体はいくら動かしても絡みつくこの薔薇の茨を振りほどけそうにない!寧ろ暴れれば暴れる程薄い手首や首の皮に食い込み、痛い!

 

「誓いの…キスを…」

 

もうだめだ!ぎゅっと目を閉じ、精一杯…顔を背け…。

 

 

 

 

 

「ああ!?」

 

 

 

 

短い、悲鳴のような声が聞こえたと思ったら、やけに体の上が軽くなった。

カっと目を開くとそこには先ほど俺に覆いかぶさっていた雪華綺晶の姿はなく…

 

…数回焦るように浅い呼吸をするとようやく何が起こったか理解できた。誰かが助けてくれたのだ。一体、一体誰が…ぐいっと棘に首を食い込ませながら頭を少し横に向けると

 

「雪華綺晶が…二人?」

 

水晶の壁にぶつかり、右手を抑えて足を震わせながら立ち上がった白いドレスの雪華綺晶。対して、俺から見えるのは背中だけだが、同じく白いウェーブがかった髪に、ツインテール…紫色のドレスを纏って、薄紫色のブーツを履いた…雪華綺晶?

右手には剣に見立てた水晶のようなものを持っている。俺を助けてくれたのが、この紫色の雪華綺晶なのか…?

 

「!」

 

こちらを一瞬見た。そして気が付いた。違う。似ているが違う。紫色の薔薇は本物ではなく眼帯だし、左目にかかっているから位置が逆だ。こちらを一瞥したが、その紫色のドールはすぐに前へと向き直って俺から視線を外した。

 

み、味方…なのだろうか?

 

「…!」

 

「あぁ!?」

 

跳んだ。と思ったら本物の雪華綺晶は再び水晶の壁に激突していた。その時、俺を縛っていた謎の茨も解けてなくなってしまう。どうやら、身体に自由は戻ったようだが…今、起き上がるのはまずい気がして…死んだふりではないが、動かないことにした。な、何かあの紫色のドール…やばい…!

 

「あ、ぁあ!!」

 

「…」

 

あの雪華綺晶が、やられている。雪華綺晶は同じような透明の結晶剣を作り出し、その紫色のドールに応戦しているのだが…初めに負った傷があるからか見る見る切り傷が増え、明らかに劣勢だった。このままじゃ、雪華綺晶は負けるんじゃ…

 

って、俺はなんで雪華綺晶を贔屓するような目で見てるんだ。

 

あの紫の薔薇のドールが何者かは俺にはわからないが、少なくとも俺を助けてくれたのは確かなのだ。なのに、どうして俺は襲われた方の、雪華綺晶の肩を持つようなこと…やっつけてくれるなら、それで良いじゃないか…!?

 

う、腕が飛んだ。

 

雪華綺晶の水晶を持っていた左腕が、どさっと落ちた。そのまま、雪華綺晶の身体も崩れる様に地面に倒れた。

ど、どうやら、勝負がついたようだ…。勝ったのは、あの乱入してきたドールの方か。いや、良かった。これで俺は…

 

「あ、ぁあ…ます…たぁ…私の……」

 

「!!」

 

 

 

 

俺は…どうかしてるのかもしれない。

左腕を拾って、走って、スライディングで滑り込み、雪華綺晶を拾い上げに行っていた。虚を突かれたのか、紫色のドールは反応できなかったが、それでも、ぎりぎり鋭い水晶の切っ先で切られて少し背中が血で生暖かい…だが、間に合った。

腕の中で、雪華綺晶は俺を見上げて口を開けている。なんでって、顔をしているが、俺がききたいくらいだった。

 

「…なぜ?」

 

無表情で、小さな声だったが相手のドールは確かにそう言った。

 

「なぜって、な、なんとなく」

 

「なんとなく?」

 

「わかんないんだよ、俺にも」

 

「ぁ…!」

 

ぎゅっと、服を精一杯残った右手で掴む雪華綺晶。わからないけど、放っておけなかったんだ。このままじゃ、多分あのドールに壊されていたから…

 

「…わからない…」

 

でも、これってすんごくやばい状況ではないだろうか。

ぶんぶんっと、向こうは水晶を振るって雪華綺晶に肩入れした俺への処遇を決めた様に見えた。一方、腕の中の雪華綺晶はと言うと…とても戦えるような状況ではない。

 

逃げ回るか?このわけのわからん空間を?それは多分…無理だ。

 

戦うか?いや、それも厳しい。俺ごときじゃあの不思議な力にはとても…

 

ええい、男なら覚悟を決めろ!腕の中に居る雪華綺晶に向き直る。勝てる見込みはこれしかない。助かる手段もこれしかない!

 

「雪華綺晶!」

 

「ん!?ん、んん…ふぁ…」

 

「…!?」

 

雪華綺晶の口に指を突っ込み、にゅるんと唾液のついた指輪を引っ張り出すとキスと言うより勢いのまま唇に指輪を押し当てる!

 

じゅっと、燃えるような、火を押し当てられたようなあの感覚が薬指を焼き付ける!やってしまった、もう後戻りはできない。輝きだす、雪華綺晶の身体、再びくっつく左腕…そう、契約してしまった。俺は今、雪華綺晶と!

 



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18話

「あ!あああ!あ、あッ…!」

 

契約中、雪華綺晶は突然声を張り上げて、俺の服を更に強く握り、ビクビクっと小刻みに体を震わせるとがくっと頭を垂れて力尽きた。な、何て言うか…やけに色っぽい。

 

しかし、相手はこちらの事情なんか知ったこっちゃない。紫薔薇のドールは水晶の剣を構えたまま、徐々にその距離を詰めてきている。立ち上がって、逃げようとしたが、何だか腰が抜けてしまっていて力が入らない。やば

 

「ふ、ふふふふ」

 

動いた。

雪華綺晶はぐりんと首をその紫薔薇のドールへと向けて、俺にしがみ付いていない方の手を宙に伸ばすと、カッと目を見開いた。

 

!?じ、地面がぐらぐらと揺れだした、何が起こるんだと辺りを見回し、じゅっと薬指の指輪が熱くなったと思った、その瞬間!

 

「うお!?」

 

「っく!」

 

結晶の床から、ガギン!と先端の尖った凄まじくでかくて太いクリスタルが、紫薔薇のドールへ向かって斜め方向に飛び出した!貫かんばかりの勢いで伸びていく!

それを咄嗟に水晶の剣で受けた相手、しかし、生えた水晶はその勢いを保ったままどこまでも伸びる。伸びる!ドシーン!!と壁にそのまま押しつぶされるようにして激突したようだった。尚も水晶は伸びていき、奥の部屋の、そのまた奥の部屋の壁まで激突した音が聞こえる。オーバーキルなんてレベルじゃない、煙を巻き上げていてその様子は良く見えないが普通の人間なら即死だ。

 

パワーが違う。

 

これが、先ほど競り負けていた雪華綺晶なのか?

 

「マスター」

 

「…?あ、ああ」

 

そうか俺が雪華綺晶の新しいマスターになったんだった。蒼星石以外に俺をその呼び名で呼ぶ人、いや人形が居なかったから変な感じだ。雪華綺晶は目を細めて、こちらを見上げている。そして

 

「マスター…倒しました…」

 

「そう…みたいだな」

 

雪華綺晶は目を閉じて。力を抜くと頭を垂れて、再び動かなくなった。

力を使って疲れたから、そのまま眠ったかと思った。しかし、そうじゃない。何度かものほしそうにこちらを見ては、少しだけ頭を下げて、またこちらを見て頭を突き出してくる。

…褒めてくれって…言ってるのか?

 

恐る恐る右手を雪華綺晶の頭に置いた。初め、相手はそれに体を強張らせたが、そのままゆっくりと手を動かすと、徐々に張った力が抜けていき、表情も随分、柔らかい。

 

「…ぁぁ、名前、名前を呼んでください…」

 

「…雪華綺晶?」

 

「はい…」

 

!?俺の撫でていた手を取ると、その手の平に、雪華綺晶は自らのほっぺたをすり寄せた!?

ぞくぞくっと、何かが俺の中の何かを刺激したように思われる。先ほどよりも、どこか、危険な香りが…。

 

「……強い…」

 

って、まずいぞ、どうやら相手は無事だったらしく、煙が晴れると、再び水晶の剣を作り出す。目つきが、少し変わった。

 

「雪華綺晶!」

 

「はい、マスター…」

 

幸せそうに俺の胸元に顔を埋める雪華綺晶。って

 

「ち、違うそうじゃなく「マスタァァァァアアア!!!」」

 

相手が切りかかってきたのと、どこからか蒼星石の声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。鋏を外して双剣のように持った蒼星石。俺の前に突如「落ちてくる」と敵の剣を受け止めた。

 

「蒼星石!」

 

いや、蒼星石だけじゃない、続いて水銀燈に真紅、翠星石に金糸雀まで。続々と上から降ってきては着地するローゼンメイデン達。何でも良いが金糸雀は着地までしまらないなぁ。

 

「いたたたた」

 

「どういうこと、末妹が…二人?」

 

「違うわ。あの子、どこか…」

「マスターから…離れろ!」

 

「ま、待て蒼星石!」

 

ひえ!?うおお!?ぶんぶんと、俺が居ると言うのに構わず両手に持った鋏の刃を振り回す蒼星石。相手のドールが居るのに背を向けて今度は俺の方へとグルンと方向転換して切りかかってきたのだ。ぎゅっとくっついた雪華綺晶のやつは幸せそうに何も言わずに目を閉じている、雪華綺晶を敵だと思っているのか、それどころじゃないのに!

 

「ああ、もう!」

 

「うわ!ま、ままままま、マスター!?」

 

怒りに身を任せて突っ込んでくる蒼星石を思いっきり抱きしめる。両手に花ならぬ両手に薔薇乙女。蒼星石は突然の事に、鋏を手放して顔を真っ赤にした。蒼星石は大人しくなったが翠星石のやつが今度は睨んでくるし、もう何が何だか。

 

「…その子の事は後で説明してもらえるかしら?」

 

「!わかった」

 

真紅の一言に頷く。落ち着きの戻った蒼星石も眉をひそめていたが前へと向き直った。ドールズも皆真剣な顔で紫薔薇のドールを見る。やばい、真紅ってこんなに頼りになったっけ。

 

「…それで、雪華綺晶…に似た、あなたは?」

 

「……真紅!!」

 

初めて、無表情だった彼女の表情に明らかな感情が見えた、それは、怒り!

顔を歪めて、真紅を睨んでいるようだった。

 

「しんくぅ…あなた、また何か人の怒りを買うようなことを…」

 

「は?」

 

「確かに、真紅って敵を増やしやすいタイプですしねぇ」

 

「…ちょっと待ちなさい。私はそんな」

 

「そうそう、良くも悪くも自分のペースを押し付けてくるのかしら!」

 

「な!?そういうあなたたちだって毎回毎回遅刻や単独行動を!」

 

「ほーら!またそういう事言って話を逸らそうとするかしら!」

 

わーわーと、いつの間にか姉妹喧嘩に発展していた。いや、今そんなことしている暇は…。それにしても、この姉妹喧嘩をいつも蒼星石は一人で止める側として頑張っていたのか。とんだ苦労人だな…って。あ。

 

「…またお会いしましょう」

 

「ま、待ちなさい!」

 

地面が光って、その中に溶け込むようにして…紫の薔薇は逃げたようだった。

 

流石に、この人数は向こうも厳しいと判断したのだろう。まぁ、実の所、俺は一度助けてもらった身として、ここでみんなで袋叩きにするようなことにならなくて済んだとちょっとほっとしていた。本当は謝らないとなぁ。今度会ったら。

 

「あの白薔薇は一体なんだったんでしょうか?」

 

え、白?思いっきり紫だったけど…

 

「わからない、僕らと同じローゼンメイデンではないだろうけれど、何処かお父様に似た雰囲気もあった…それに、まさかお父様以外に僕たちのような生きた人形を作り出すなんてこと…」

 

「そんなことよりも、よ」

 

じっと、皆の視線がこっちに、と言うよりも腕の中に居る雪華綺晶に集中する。雪華綺晶は長い睫を数回動かすと、笑みを浮かべて俺の方を見上げる。皆の視線も一斉にこちらに集まる。特に、特に蒼星石の目がいつもに増して怖い。

 

「あー、その、雪華綺晶と契約ちゃったから。今日からよろしくしてあげてくれよ」

 

「なんですって!?」

 

「ど、どういうことかしら…」

 

ぶちっと、何かが切れる音が確かに聞こえた。最後に目に映ったのは真っ黒な羽を龍のようにして構えた水銀燈と、光沢の消えたオッドアイの瞳でこちらを見上げる蒼星石、便乗して金色の如雨露を持って目を光らせる翠星石の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっさと起きなさい」

 

「ふげ!」

 

バチンとビンタされて目を覚ました。てか、馬乗りになった水銀燈に文字通りたたき起こされた、叩かれた頬がすごく痛い。手加減がまるで感じられない。

ちゅんちゅんと鳥たちの鳴く声が聞こえる。あれ、ここは…俺の部屋?

 

「…朝よ」

 

「あ、ああ、ありがとう」

 

「フン」

 

ずんずんと、俺に背中を向けてとっととリビングへと歩いて行ってしまう水銀燈。それにしてもだ。頭が覚醒してくると、徐々に俺は昨日何があったとか、今どういう状況だとか、思い出してきていた。雪華綺晶、めぐ、蒼星石、水銀燈間違いなく修羅場を迎えて…

 

「ぎゃー!それは私の卵焼きかしら!」

 

 

「ちょっと、紅茶が切れたわ。誰か入れて頂戴」

 

「ひえー!レンジに卵を入れたら爆発しやがったですぅ!」

 

……へ?飛び起きた。ドアを開けて短い廊下を歩くとすぐにその異様な光景が目に飛び込んでくる。ソファ、の端っこにはつまらなさそうな顔をしている水銀燈、料理の並んだテーブルには真紅に金糸雀が座っている。もう少し先に進むと、爆発したレンジの前には蒼星石と翠星石。そして…

 

「あ、お兄様、おはよう」

 

「おはよう…めぐ」

 

にこっと笑ったピンクのエプロンを付けためぐが台所に…。良い匂いのして来る味噌汁と焼き魚を運んでいるが…そうじゃない。

 

「どうしてみんなここに居るんだ?」

 

「あら、何か不都合が?」

 

ジトっと真紅に睨まれると少し言葉に詰まる。

 

「い、いやそう言うわけじゃないけど」

 

「ならいいじゃないの」

 

「めぐー、この卵焼きは美味しいのかしら~!きっといいお嫁さんになるのかしらー」

 

「ありがとう。…それ、蒼星石が作ったの」

 

「え!?あー…」

 

何かひと悶着ありそうなめぐの後ろを通り抜けると、すぐに少し薄暗い洗面台でばしゃばしゃっと顔を洗って改めて目を覚まさせる。一体、この家は今どうなっているんだ、鏡に映った自分の姿に自問自答する。

 

『マスター』

 

「おわ!?」

 

目を開いて笑う、雪華綺晶が鏡に映っている。そして、こちらに手招きしている。

そうか、彼女は確か体がないのだ。nのフィールドでは普通に触れることが出来たが、現実世界にはこれないのか。思わず手を出してしまうと凄い力で引っ張られて、いった!痛い、洗面台に思いっきり膝ぶつけた!無理だ、ここいたたた。

 

「ま、まて雪華綺晶!ここからは俺には無理だ」

 

『マスター…』

 

「あーわかったわかった。待ってろよ!」

 

手を振りほどいて、テレビの前へと向かう。こちらから行くしかないな。ドスドス歩いていたから皆が不思議そうな目で見ていたが気にしない。テレビに手を触れると、ばちっと静電気が来るだけで昨日みたいにテレビには入れなかった。

 

「…?」

 

「……邪魔よ、画面が見えないじゃない」

 

「わ、わるい」

 

なんで入れないんだよ。いや、入れるのがおかしいんだけど。

 

「マスター。ご飯にしようよ」

 

「あ、ああ…」

 

皆が席についている中、俺だけ歩き回っているのも変だ。それに、早くご飯を食べなければ遅刻する。しかも、今日は出席のある語学からだ。なんだか、みんな一緒にご飯を食べると言うのに、雪華綺晶だけいないなんて、ちょっと悲しい気がする。

 

「なぁ、nのフィールドで飯は食えないのか?」

 

「そんなアホな質問したのはお前が初めてですよ、忍」

 

「…あの子の事を言っているなら、鏡にご飯でも入れて見たらどうかしら?」

 

ふーむ、なるほどなぁ。

 

「あの子?」

 

「い、いやいや何でもないんだ。久しぶりのめぐの作ってくれたご飯。おいしいなーははは」

 

「…」

 

まずいなぁ。いや美味しいけど、まずいぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局用意をして、逃げるようにして大学に来てしまった。

今、あの家には蒼星石と二人で暮らしていた時のような安寧は無い。少なくとも俺はこうして大学に来ている方がよっぽど気が楽である。恐妻家の旦那が出張を喜ぶと聞いたことがあるが、その気持ちがよぉくわかる。

建物の中に入ると凍てつく寒さとは反対に中々暖かかった。

 

「おっすー。忍」

 

「おっす」

 

既に窓際の中間の席に座っていた彰の隣の席に腰掛ける。座ると暖かいと言うよりも暑いくらいなので、コートを脱いで背もたれに掛けるとふぅと、色々な疲れからか一気に疲労感が…あれ、そう言えば、背中、切られたはずなのに、痛くないな…。触ってみても、傷痕とかないし、誰かが直してくれたのか?

 

「やべ、今日当てられるじゃん。忍、答え確認しとかね?」

 

「お、いい…ぞ…」

 

と何気なく鞄を置こうと窓の方を見た、その時。

 

雪華綺晶が、べちゃっと手を張り付けてじーっとこちらを見ていることに気が付いた。さーっと顔が蒼星石よりも蒼くなっていくのがわかる。俺と目が合うと、にこっと笑った。割と可愛い、じゃない。

 

「あー…は、ははは!その前にちょっとトイレ行ってくるわ」

 

「?おー行っといれ」

 

それ好きだな彰。教室を飛び出して、トイレへと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トイレの前の鏡に向かうと、案の定、鏡の前まで雪華綺晶は追いかけてきた。

 

『マスター』

 

「雪華綺晶、まずいって、ここは大学だぞ」

 

『マスター…来て…』

 

手を広げて、口元を緩めている雪華綺晶。多分、純粋に俺の事を呼んでいるのだろうということはわかる。しかし

 

「でさー、金卵3連チャンでよー」

 

「まじかーフェスでもないのにめっちゃ運良かったじゃねーか」

 

やっぱり、誰か来たぞ。今はそんなnのフィールドに行く時間も余裕もない。とりあえず、落ち着いて話が出来るような場所を探さないと…

窓は、大概生徒が行き交う、トイレの鏡なんて、朝なら髪直してるだけのやつだってたくさん来る……そうだ。

 

「雪華綺晶、こっちにこい!」

 

『?』

 

「はやk」

「でさー、ん?」

 

鏡に向かってスマホを掲げていた俺を、入ってきた二人組がものすご~く不思議そうな顔をして、通って行った。鏡には、当然、そんな虚しい自分の姿が映っているだけである。俺がそのままトイレを出ると、ひそひそと声が聞こえてきた、俺だって変なことしたと思ってる。

 

辺りを見て、外に人目のなさそうな植え込みを見つけたのでドアを出て、そこにしゃがんで持っていた暗いはずの携帯の画面を覗き見る…相変わらず目を見開いたまま笑っている雪華綺晶が明るい画面の中には居た。電源を付けたわけでも、待ち受け画像にしたわけでもない、勝手に動いているのだ。

 

「いや、今朝はすまん」

 

『私、とっても悲しかったです。マスターは、私の手を払ってしまう…』

 

「悪かった、悪かったよ」

 

めぐに、本当にそっくりだ。こんなところまで。液晶の越しに指でなでなでしていたら、ずぼっと、画面の中に指が入りこんで、本当に、雪華綺晶の頭に指が触れていた。何か、変な感じだ。

 

『あぁ…』

 

「兎に角、あんまりやたらとその辺の鏡や窓に映らないでくれよ、みんなびっくりするからな」

 

『ふふ、見てください、ここの中には中々面白いものが…』

 

「あ、おい」

 

俺の話を聞いているのか居ないのか、突然スマホの中で手を伸ばすと右上の電池のアイコンに触れたり、画面の下でごそごそとカメラや電卓を見つけてきたりと理解できないフリーダムな動きを取り始めた。お、俺の携帯が…何かおかしいことになってきたが大丈夫かこれ。

 

「静かに、た、頼んだぞ」

 

まるでたまごっちを学校に持ってきた気分だ。

画面の中の雪華綺晶はごそごそとあたりを荒らして、子供のようにアイコンを投げたり、某ゲームのちっこいモンスターを手の載せて遊んだりしている。とても心配だ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「In the 1970s, La Raza Unida filed Latio candidates and …」

 

キュキュっとホワイトボードに書かれていく英文法をノートに写しながら、ちらっと膝元に置いたスマホを覗き見る。

 

何が面白いのか、さっきから雪華綺晶はずっと何かの本を読んでいる。ネットから見つけてきた小説なのか、将又俺のフォルダに入っていた何かなのか、それとも…良くわからないが嫌な予感しかしない。

 

指を伸ばすと、また、ずぼっと画面に指が入った。

好奇心で、ねこじゃらしのようにピコピコと指を揺らすと、雪華綺晶が本を閉じて、獲物を捕らえる猫のように4足歩行の前かがみでそろりそろりと近づいてくる…飛びついてきた瞬間にピッと指を離してやると、酷く残念そうな顔をした。なんだか、面白いな。

 

「おい」

 

「ん?」

 

「当てられたぞ」

 

「え、あ」

 

「2番」

 

「サンキュー」

 

「ゆあうぇるかむ」

 

危ない危ない。雪華綺晶のやつは、そんな俺の情けない姿を見て口元に手をやってくすくすと笑っていた。一体誰のせいでこうなったと思っているのか。本当は授業中携帯いじったりしないんだぞ、俺は。

 

しかし、俺の苦労はここから更に加速するのだった…

 



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19話

「………」

 

近い、近いのに…遠くて…

 

「……う…」

 

足りない、もらったものでは、全然足りない…

 

「………んだ」

 

欲しい。もっと欲しい!

 

「どうしたんだ、雪華綺晶」

 

「マス…ター……」

 

もっともっと「 」が欲しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、お前も隅に置けないやつだよなぁ」

 

「何だよ、藪から棒に」

 

待ちに待ったカツカレーを口に運ぼうとした時、ずるずるとラーメンをすすっていた彰のやつがこちらに向かって、ねぎのついた箸を突きつけてくる。人に箸を向けるなよなぁ。

 

周りはがやがやと騒がしく、席が空いていないか探し歩く学生、もくもくと学食を口に詰め込む学生、待ちかねた昼飯の乗ったプレートを持って席にやってくる学生と、どこをみても、授業を終えた空腹の学生であたりはごった返していた。そして、それは俺と彰も例外ではなく、講義を終えて適度に空いた腹を満たす為にもここ、食堂にやって来ていた。小さな画面に入った雪華綺晶も一緒に……

今、彼女は俺が授業中相手をしてくれないことを知ったからか、見慣れた茶色いあの鞄を出してきて、眠っている。授業を聞いていなくて恥をかきそうになった件もあるし、流石にずっと構ってはいられなかったのだ。画面に映った無機質な鞄だけの映像が、何だか彼女が拗ねているようにも思われた。

 

「なぁに、この前の学祭の時、お前、金髪美女を連れて、しかも子連れで歩き回ってたって話じゃん。何、隠し子?」

 

「っぶふ!?っげほ!げほ…んなんじゃ、ぐ、ない」

 

食べていた口に入れたカレーのルーがが器官に入りかけた。てか、入った。ど、動揺してるわけじゃないが、不意打ちすぎて変なところに…

 

「んだよ、しっかりしろよ」

 

「あ、あぁ…」

 

見かねた彰が水を勧めてめてくれたので、それを一気に飲み干すと、ふぅと、幾らか楽になる。しかし、落ち着いてくると徐々に焦りも出て来る。俺の知り合い何てそう多くないと思っていたが…まさか彰に情報が行くとは。何か、誤魔化す手は…

 

「あいつは、幼馴染で、そんで、連れていたのは……親戚のおじさんの妹の子供だよ」

 

「それって、ほぼ他人じゃん……つか、幼馴染ねぇ……」

 

じろじろと、こちらを懐疑的な目で見てくる彰。

 

「なんだよ」

 

「いんや、今時そういうの珍しいと思ってさ」

 

納得したのか、考えるのが面倒になったのか。どちらかはわからないがずずずと、豪快にラーメンのどんぶりを傾けてスープをすする彰はこの話題に早くも興味を失くしたらしい。蒼星石や水銀燈たちにと言うよりも、三葉の方に興味があったのだろう。そう思うと、学園祭に目立つ三葉が居てくれて助かった。

 

とりあえずと、俺自身はご飯にカレー、それから、大胆にもその境界線に乗っているカラっと揚がったカツをまとめてスプーンで掬い出すと、一気に口の中へと放り込む。

 

一口噛めば、さくっとして、じゅわっとして、辛くて…うまい。

口を動かす速度が自然と早くなっていく。そういえば、カツにカレーを乗せるだけなんて、そこまで複雑な料理じゃないよなぁ、むしろ、どっちも主張が激しいから組み合わせ的に合わない気すらする。スプーンでカツってのも…食べにくい。

 

なのに…なのにだ…なーんか、良いんだよなぁ。

 

豪華って言うか、普通のカレーを頼むと損してる気がするって言うか……普段家で食べないからついつい頼みたくなってしまう感じだ。続いて彰が話し始めた妹自慢に適当に相槌を打ちながらカツカレーの不思議な魔力に吸い込まれるようにして、黙々とカレーを口に放り込みはじめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、珍しいな、デザートなんて?」

 

「最近嵌ってるんだよ」

 

「ふぅん」

 

カレーを食べ終えると、何か口の中が落ち着かなかったので口直しに、クリームの乗ったプリンを買った。というのも、どちらかといえば甘いものは水銀燈の好物なのだが、水銀燈があんまり美味そうに食べているのを見て、つい自分も食べたくなり、つられて食べているうちに段々と好きになってしまったのだ。

 

「ちょっといれ」

 

「いっといれ」

 

思い立ったかのように席を立つと、彰のやつは荷物も置いてトイレに向った。それと、誰かからの視線を感じたのはほぼ同時だった。

 

『ん……』

 

膝に乗せていたスマートフォンを眺めてみると、閉まっていたはずの鞄が空いていて、そこから腕を伸ばして背筋を伸ばしている雪華綺晶の姿が映る。プリンを持った自分の姿を改めて思い直し、やばい、と思ったが時既に遅し、俺が何かを食べているのを見て、眠そうに擦った目が大きく開く。そして…なんか、期待に満ちた目でこちらをみるのだ。

 

『鏡にご飯でも入れてみたらどうかしら?』

 

ふと、朝の時間に真紅が紅茶を飲みながら言っていたことを思いだす、とても、こんな小さな液晶にこの手に持ったスプーンが入るとは思えないのだが……まぁ指も入ったし…

幸いと言うか彰のやつは今いない。ちらっと、周りを見渡したが、俺を見ているような物好きな奴も…居ない。…やるなら今だ。

 

「いるか?」

 

にこっと笑ったので、素早くプリンを掬い、スマホを机の下で縦に持ってこちらに向ける、そのまま、ゆっくりと、スプーンを近づけてやると……

波紋のように画面が波打ち、思った通り、スプーンが入っていった。雪華綺晶が小さな口を開けてそれに食いついたのだが……今この姿を見られたら相当変な人にみられるだろうと思うと複雑だ…って!?

 

なんでそういう食べ方をする!

 

『ん……』

 

雪華綺晶は一度口を離すとスプーンの裏側を赤い舌でなめあげる。

 

『ちゅ……おいしい…』

 

そして、口の周りについたクリームを、白い指に付け…キスをするように、目を細めてせつなそうに舐めとる……嬉しそうだがそれ以上になんていうか…エ…

 

「そういや、お前、クリスマスはどうすんの?」

 

「!?あ!?ああ!ク、クリスマスな」

 

「ん?」

 

慌てて前を向く、あ、危ない危ない、本当。彰、帰ってたのかよ。見られてない…よな。

 

「そうだなぁ、ま、バイトじゃないか?」

 

「はぁ!?いやいや、流石にクリスマスまでバイトはないっしょ。」

 

「ウチ、人いないしなぁ…つっても今からクリスマスなんて、気が早すぎないか?」

 

「んなこたぁない!いいか?クリスマスなんてのはな、彼女の居ない、部活やサークルにも参加していない俺たちには今の内に予定を入れても遅すぎるくらいだって!

気が付いたらあっと言う間に周りのやつらは予定を埋めていき……家族と……なんてのは、大学生的にどうよ」

 

「そういうもんか?」

 

「あったりまえだろ!」

 

いつもに増してテンションの高い彰の言葉には妙な説得力があった。こいつのことだから、てっきり妹の由奈ちゃんと過ごしたいとか言うと思ったのに…その後も、何だったらパーティーでもするかとか、いっそのこと合コンを!なんていう空想に近い話をしながら雪華綺晶に隠れてぷりんをやって昼休みの時間はすぎていった。

クリスマスなぁ……今年は、どうなるんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶー、ぶーと、マナーモードにしていた携帯が震える。一度ではなく継続的に振動しているそれがメールではなく通話であると言うことがわかる。相手はもちろん、非通知。それに何のためらいもなく出る。

 

「あー、もしもし」

 

『マスター。マスター…』

 

「ん?」

 

『来て……』

 

少しだけ暗い帰り道。彰と別れ、今日最後の授業を受け終えた俺は大学の門をくぐったところなのだが……先ほどから画面の中の雪華綺晶はずっとこの調子である。何やら電話をしてきて、それから来てくれ、来てくれと言い続けているのだ。来いって言うのは…nのフィールドにだろうが……この時間は。

 

「雪華綺晶、これからすぐに夜までバイトだから無理なんだよ」

 

『マスターお願い、来て…』

 

「それに、俺が入るにはこの画面は小さすぎるって。また後で行くから」

 

『マスター……ほしいのに…』

 

絶望。と言う言葉を表すならこんな顔だろう。今の雪華綺晶は眉をひそめて今にも瞳を揺らして泣き出しそうである。

そんなこと言われたってなぁ、周りにはいまだに通行人の目があるし、この画面に向って話をすることすら怪しい行動なのにそんな目立つこと。

 

「あ、おい、雪華綺晶」

 

画面が暗転した。かと思えば、普通通りの液晶がついて、そこに雪華綺晶の姿は…なくなっていた。

黒い待機画面には現在時刻と、雪華綺晶がいじっていったおかしいバッテリー残量の表記、それから、開いたままの鞄があるだけなのだ…拗ねちゃったのだろうか。

 

ポケットに携帯をしまうと、曇った空を見る。

 

雪華綺晶。指に付いた薔薇の指輪を撫でると様々な思考が交錯する。蒼星石は、比較的落ち着いていて超が付くほど真面目な性格だ。水銀燈は、唯我独尊で、きまぐれな猫のような気難しい性格。しかし、雪華綺晶は…どうなのだろう。初めて俺の前に現れた雪華綺晶は、妖艶で、狂気的ともいえるどこか底が見えない存在だった。対して、今日の雪華綺晶は子供のように落ち着きがなくて、来て、来て、と何度も俺の事を呼ぶ声は、純粋に甘えているようにすら見えた。だのに、未だにどちらの雪華綺晶が本当の姿なのか、俺にはわからないのだ。あるいは両方そうなのか、どちらとも違うのか…俺は、あまりに雪華綺晶の事をしらなさすぎる。

 

「うお!」

 

ききーっと車がブレーキを踏んでぷー!とクラクションを鳴らして目の前を通り過ぎて行った。信号が赤のまま横断歩道をわたってしまいそうになったのだ、慌てて数歩下がる。い、いかんいかん、ぼーっとし過ぎた。背中にはうっすらと冷や汗が流れていく。しっかりしないと。ぱちんと両の頬を軽くたたいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エビのリゾット、バジルとナスのパスタ、後、フルーツジュレのサラダセットでお間違いないでしょうか?」

 

「はい」

 

「ありがとうございます」

 

営業スマイルを作ってメモをした伝票を持ったまま厨房へと足早に進む、今日はお客さんもそこそこに多くて大変だ。この厨房とホールの行き来だけで嫌になる。

その上レジの担当、キャッシャーまで任されてしまったから周りに特に目を配らなければいけないのがつらい。気が抜けるところがない。

 

「エビリゾット、バジルパスタ、ジュレサラダお願いします」

 

「はいな」

 

「ああ、柿崎さんそこにあるのお願い」

 

「はい」

 

店長や他の厨房スタッフの人たちも忙しなく手を動かして活気を見せている。賑わっているのはバイト的には給料の割に忙しいので複雑な気持ちだが、あんまりやることがなくて突っ立ってるだけってのも暇なので、これくらいの慌ただしさが心地よい気もする。出来た料理をいっぺんに肘まで使って持つと、それぞれをお客さんの所へ……

 

「あ、先輩、お手伝いしますよ!」

 

「ああ、いや、体制崩すと落としちゃうから、飲み物お願い」

 

「はい!」

 

入れ替わりで厨房に来た後輩の女の子にそう告げて、自身はバランスを保って厨房を出る………!!?

 

「きらっ!?」

 

声を飲み込む、窓、暗くなって、鏡のようにこちらを映していた店の大きな真っ暗な窓には、先ほど消えた……雪華綺晶の姿があったからだ。

手まねきをして、来てくれ、と言っているようにも見える。

 

「先輩?」

 

「おっととと」

 

「わ!!」

 

後ろから掛けられた声に驚いて、ぐらぐらとよろめいたがすんでで、ふんばる、そして、窓の方に背を向けて雪華綺晶の姿が見えないように、ブロックする。な、なんでここまで。

 

「だ、大丈夫ですか?先輩?」

 

「あ、ああ、ごめんよ」

 

「そんな、私も運んでる途中に声なんかかけてしまって、不注意でした」

 

ちらっと、後ろを窓を見ると、そこに雪華綺晶の姿は無い。って、うえええ!?

後輩ちゃんの持っている飲み物に映り込んだ雪華綺晶が、こちらを見て笑っている。や、やばいって。

 

「え?この飲み物、どうかしたんですか?」

 

「え?ああ、いや…」

 

しまっ…

 

「ああ!?ほ、本当です、良く見たらコレ!オーダーと違うやつでした!うぅ、店長にまた怒られちゃう…」

 

「あ、あはは、まぁ、気付いて、良かった」

 

雪華綺晶はまた、移動した。どこだ、どこに行ったんだ。兎に角、この料理を出してしまわないと落ち着けない。戻って行った後輩ちゃんに背を向けて、早速オーダーの合ったものを持ってくる。6番テーブルに2番テーブルか。

 

「お待たせいたしました、シェフの気まぐれサンドとクラムチャウダースープになり…ま!!……す」

 

「お、来た来た!」

 

い、る。いる!!主婦3人のお客さん。視線は全てこちらに集まっているからばれてはいないが、テーブルの上、ステンレスの洋食器であるスプーンには光の反射だけでなく、こちらを見て口を吊り上げる雪華綺晶の姿が目に飛び込んでくる。

 

お客さんが皿を受け入れるために、テーブルから身を引かせたその一瞬をついて、ぱっと素早く皿を並べ、そのスプーンをさりげなく影に隠す。鏡、反射、そう、反射しなければ、雪華綺晶は映らない、はずだ。ただ、少し動作が速すぎて、お客さんたちは俺にきょとんとしたような目を向けて驚いてしまっている。

 

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

 

なるべく、愛想よく笑って礼をして次のテーブルへ。未だに動悸が速い。

異常事態ではあるが、それでやることが少なくなるわけではない。足早に持っている次の料理をグラサンした髭のおっさんと、露出の多めの服を着ている化粧濃い女というよくいるタイプのカップルの元へと運ぶ…

 

「お待たせしました、あさりのボロネーゼに…なり、ま…す!」

 

うおお、また窓に!!?しかもデカい!人間の少女と同じくらいの雪華綺晶の姿が窓には映り込んでいた。そして、うっかりしたことに、俺が窓を凝視したものだから、ボロネーゼを頼んだであろう強面のおっさんまでもが窓を向いて、同じようにぎょっとする。

 

「な!?」

 

「ん?どうしたのー?」

 

ぱっと、消えた。女の人が窓へと顔を向けたとたん、先ほどまでと同じように雪華綺晶の姿は幻だったかのように雲散する。

 

「い、今、女の子みたいな幽霊が窓に…、な?兄ちゃん」

 

「え?さ、さぁ」

 

「女の子~?もうまたそんなこと言って」

 

「いやいや本当なんだって!」

 

「ええっと、ボロネーゼになります。では、ごゆっくり…どうぞ」

 

そそくさと、逃げる。っというか、もう限界である。どこか、鏡、鏡に行かなければ!あるとすればトイレ。何とか、あのあまり大きくないトイレの鏡からnのフィールドに行くしかない。

 

「あ、ごめん、俺ちょっと、10番に…」

 

「はい!」

 

見つけた後輩ちゃんに一言、トイレへ駆け込むと伝える。幸い、誰も使っていなかったので、大慌てで駆け込み、鏡を見るとやっぱり、先回りした雪華綺晶の姿が映っている。洗面台を行儀悪くも踏み台にすると、鏡に向かって思い切ってダイブする。と言っても、ぶつかったら痛そうなので、そっと…と言った感じに近いが…気分は全力ダイブだ。体は、ずぶっと入り込み、前に来た時と同じような奇妙な結晶の空間に転がり込み、尻餅をつく。いたたた…

 

「マスター!」

 

雪華綺晶は、俺の姿を見ると、嬉しそうに飛びついてきた。が、それだけではない!手に、足に、いつかを思い出すかのような白い薔薇と茎が絡みついてきて俺の自由を奪ていく!な、何を…

 

「雪華綺晶」

 

「……来てくれた…!うさぎのあな探しは楽しかった?…マスター?」

 

座った俺と、雪華綺晶の目はちょうど同じくらいの目線で、雪華綺晶は俺の頬に両の手を添えて、うっとりと目をとろませて微笑む。ぐるぐると狂気が渦巻くその金色の目で。

 

「き、雪華綺晶、俺はまだバイト中で」

 

「バイト?…そんなもの必要ない…ここに居て、ずっとここで暮らしましょう。マスターは、ただ、私を…ぎゅっと……その胸に抱くだけで…」

 

話が通じる気がしないこの感じ、まぎれもなくめぐと同じだ!くちゅりと、首筋に雪華綺晶の唇が触れるとびくりと体が反射的に跳ねた。そして、チュウっと吸い上げられると、痛いと言うかくすぐったい。最後にちろっと舌を這わせられると変に高ぶったような気持ちがこみ上げてくる。い

 

 

「いい加減にしろ!バカ!」

 

 

「!?」

 

唯一、動いた頭を振って思いっきり頭突きをかましてやった!

自分も痛いが、ふらふらとよろめいている雪華綺晶はもっと痛いはず。後ずさりして、拍子に手足を縛っていた薔薇の茨も緩んだので抜け出す。

 

「いいか、雪華綺晶。確かに俺はお前のマスターだけど、何も46時中一緒に居られるわけじゃないんだ。暇な時なら兎も角、やることをやらなきゃいけないときもあるしな」

 

子供をしつける様に、いつもより語気を強めて、手を引いて目を合わせる。雪華綺晶は未だに何が起こったかわからないのか口を半開きにして俺の目をただ覗き込んでいる。

 

「ア…アァア…」

 

「はっきり言って、バイトの邪魔されるのも、一生ここに磔にされるのも、どっちも嫌だ。おことわりだ」

 

「やめて…私を……!

 

否定しないで……」

 

俺の言葉を聞いて、耐えきれないとばかりに手を振りほどこうとする、雪華綺晶。しかし、今手を離してしまうわけには…いかない。

 

震える手を引いて

 

強張った身体を思いっきり抱きしめて

 

子供をあやすように、なるべく優しく髪を撫でるように努める。

 

「あ…」

 

「あたったの、ここか?ごめんな、痛かったな」

 

頭を撫でると、雪華綺晶の興奮は次第に収まって行きやがて、さっきまでと違いすごく大人しくなった。

 

「別に、雪華綺晶のこと否定何てしないさ。その、なんだかんだ言って今日一日雪華綺晶と居て俺も楽しかったし、色々と新しい顔も見れて、嬉しかった。だけど、やっぱり他の人に迷惑を駆けたりするのは駄目だし、ずっと、この空間に居るって言うのも、人間の俺には多分無理だ」

 

腕の中に雪華綺晶を抱いたまま、顔を上げる。そして改めて辺りを見回す。この空間、このnのフィールドは結晶以外は灰色で、広くて、寂しくて広すぎる場所だった。そこに、雪華綺晶は今までずっと一人ぼっちだったのだ。他人との付き合い方なんて、知るはずもない。そう思うと、ようやく俺は「雪華綺晶」の行動原理が理解できた気がした。

 

ただ、寂しくて、孤独で、悲しくて、知らない。そう、知らなさすぎるのだ、彼女は色々なものを。自然と彼女を抱く腕の力が強くなってしまう。

 

「なぁ、雪華綺晶、もっと、話をしよう。いろんな話」

 

「おはなし…?」

 

肩を離して目線を合わせて笑って見せる。

 

「そう、くだらないこと、楽しいこと、これまでのこと、これからのこと…

もっともっと話をしよう。雪華綺晶はこの世界のことを知らないといけないんだ。そして、俺も雪華綺晶のこと、もっと知りたい」

 

「…いろんな話…」

 

「例えば、今日食べたクリームたっぷりのあのプリン。実は水銀燈の好物なんだ」

 

「黒薔薇のお姉さまの?」

 

ちょっと驚いた風な雪華綺晶に、頷いて見せる。

 

「あいつはああ見えて甘いもの大好きなんだよ。蒼星石も、金糸雀も好きだし、きっとローゼンメイデンはみんな甘いの好きなんだと勝手に思ってる。な、雪華綺晶は、甘いもの好きか?今日食べたプリンみたいなの」

 

「私?私……好き」

 

笑った。先ほどまでよりも、少し、恥ずかしそうに。

 

「やっぱりなぁ」

 

「マスターは…マスターは、好きですか?」

 

「好きだよ」

 

両の手を合わせて、雪華綺晶は先ほどよりも更に嬉しそうに笑う。

 

それから、また、話をする。向かい合って座って、目線を合わせて……

話と言っても、好きなものを互いに質問しあうだけの幼稚園児のような会話。だけど、雪華綺晶は目を輝かせてどんなことにも興味津々で。ずっとずっと笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ、そろそろいかないと」

 

ポケットに入っていた携帯電話を覗き込むと、もう15分はここに居る。あの忙しい時間帯にさぼり過ぎた。すっと立ち上がって入ってきた少し光の漏れている四角い窓枠に近づくと、しゅるしゅると、薔薇の格子が表れて出口を防ぐ。振り向くと、雪華綺晶がこちらをじっと見ている。

 

「雪華綺晶、また、来るから」

 

「……」

 

何も、何も言わずに雪華綺晶は俯いた。

 

「もっとお話をしたいです」

 

「またバイトが終わったら来るから」

 

「今」

 

困った。こんな直球に我が儘を言われてしまっても…、本当に時間がないというのに…

雪華綺晶も立ち上がって、俺の手を引くと先ほどと同じ場所に、座らせようとしてくる。

 

「雪華綺晶、じゃあ、後で何かデザート買ってあげるから」

 

「デザート?」

 

「何か甘いもの。俺が外に出ないと買えないし、バイトをクビになっても買えないぞ」

 

「……」

 

物でつる、なんてのは教育上よろしくない気がしたがしゅるしゅると出口に絡んでいた茨は解かれて、ようやく外に出られるようだ。

ここからだと良く見えないので顔を突っ込むと、見知った男性用トイレの個室が目に映る。人は…いないな。

また、出ようとしたら今度は袖を引かれた。振り返ると、やっぱり雪華綺晶で。

 

「あの、早く…」

 

「また後でな」

 

ぽんと頭に軽く手を置いて。一気に抜け出る。やばい、やばいぞ、抜けすぎた!ホールは大丈夫なのか!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マスター…うふふふ、うふふふふふ。マスター…」

 

目を閉じて、身を抱いて、思い出す。

初めて、誰かに叱られた。初めて、ぎゅっと抱きしめられた。初めて、初めて!

 

「マスター……」

 

初めて、誰かに愛された!!その事実だけで…私は…



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20話

埃っぽい祭壇の上、その背後のレリーフからは冬の弱弱しい日差しが差し込む。しかし、暖かいなんてことはない、むしろ壁や天井に空いた穴から通り抜けていく冷たい風のせいで、この教会全体は外よりも寒いくらいだった。

 

しかし……落ち着く。どうしてここは、こんなにも落ち着くのだろうか?

 

孤独が?暗闇が?静寂が?それとも、私とめぐが……出会った場所だから?

 

違う。違うはず。遠い遠い、遠い記憶の中で、私は、確かにここに居たことがある…だから……。

 

「!ッ誰?」

 

「ひ!?か、カナかしら!金糸雀かしら~!わわわ!何でカナだってわかったのに羽をとめてくれないのかしらー!!」

 

「…っチ」

 

五月蠅い奴。ドアの陰から姿を現したのは、ローゼンメイデン、第2ドール…金糸雀。こちらが攻撃を繰り出すのをやめると、ひどいのかしら!と名前の通り、ピーチクパーチク、甲高い鳴き声をあげる。どうして、こんな奴まで誇り高い薔薇乙女なのだろう。折角始まると思っていたアリスゲームが起こらなかった現状に、あのぬるま湯のような姉妹たちの団欒にイラついていた私には、その鳴き声は煩わしい。

 

「…何?言っておくけど、今の私は機嫌が悪いから」

 

「むぅ~~!なんなのかしらその態度~!

折角わざわざ水銀燈のお弁当持ってきてあげたのに~!もう帰ろうかしら!」

 

「…?」

 

おべんとう?とてとてと、私の座っていた祭壇まで駆け足で近寄ってきた金糸雀は、背中に背負っていた緑色の小さなリュックの中から、黄色い包みを二つ取り出して自慢げに

 

「卵焼きが、たーっぷりは入ったローゼンメイデン弁当かしらー!」

 

そう言って笑う。何よ、ローゼンメイデン弁当って…

そのままふわりと跳んで、隣に断りもなしに腰掛けると、強引に、もう一方のお弁当を私に押し付ける。

 

「なんなのよぉ…」

 

「まぁまぁ、ほーら美味しそう…かしら?」

 

ぱかりと中身を開いてみて、固まる。

 

横から顔を出して覗いて見ると、お弁当じゃない、不思議な匂いがしてくる。金糸雀の誇っていた卵焼きは、まるで焼ける前の石炭みたいで、お米は何をすればこんな色になるのかわからないが紫色に変色をしている。野菜はしなびて、ミートボールからは腐った牛乳のような変なにおいが…

 

「なー!なななな何なのかしらこれ~~!」

 

「…誰が作ったのよ、これ。」

 

「めぐや真紅たちが一生懸命作ってたのかしら」

 

なら納得がいく。しかし、お弁当何て冷凍食品ばかりのもの、どうミスをすればこんなモノが作り出せるのだろう。ある意味才能があるのかもしれない。

 

「き、きっと見た目が良くないだけで味は良いって言うパターンなのかしら!」

 

「あ、まちな…」

 

「ギャーー!!」

 

フォークでぶっ刺した、その黒い卵焼きを口にした瞬間、喉元を押さえてのたうち回る金糸雀!毒物を飲み込んだ時の反応に近いそれは、少なくとも、食べ物を口にした時の反応ではない!一体、ど、どんな味が…!?

 

み、水、それよりも水を!!

 

でもここには水なんて…川か公園までくみにいくとなると間に合わない……どうしようかと思っていると、メイメイとピチカートがチカチカと金糸雀のリュック赤い水筒のようなものを持ってきた。

慌てて蓋を開けて、コップにした蓋に中身を注ぐ。湯気は出ていて熱そうだが、どうやら、安全な紅茶のようだ。

 

「なぁにをやってるのよ、おばかさん!」

 

「あ、ありがとかしら!」

 

「あ、まだ熱…」

 

「~~!!」

 

今度は声にならない声を出して、べっべっと舌を出して熱そうにする金糸雀。全く、どうして、こんなに世話の焼ける…

 

「っち、かしなさいよ…ふーふー…ほら」

 

「ん…んぐ……ふぅ…死ぬかと思ったかしら…」

 

冷ました紅茶を飲み干すと、ようやく、金糸雀の顔からは苦痛の色が消えて、顔色も幾らかよくなる。そして、再びお弁当の方へと目を向けて、自らを苦しめていた黒い物質を苦い顔してフォークでつつく。

 

「う~、折角みんなが作ってくれたお弁当だけど、これは食べられないのかしら~。何だかじゃりじゃりして、ぱさぱさしてて、舌の上に乗せると刺激が走って思い出すだけで………そうだ!

今日の所は、三葉の所に行ってごちそうしてもらうかしら!それじゃあ、水銀燈。御機嫌ようかしら~」

 

「…もう来るんじゃないわよ!」

 

すくっと立ち上がった金糸雀は、お弁当のふたを閉じて封印を施すように厳重に包みをすると、それを置いて、傘を広げると、空いている教会の天井から何処かへと飛び去って行ってしまった。

 

「どうすんのよ、これ…」

 

めぐや、真紅たちが作ったと言われるお弁当。私の持っていた包みを開けると、やはり、そこには金糸雀と似たようなお弁当の箱が出て来て、蓋を開けると、腐敗臭が漂ってきた。こんなもの、テキトーにその辺に捨てて…

 

捨てて……

 

「捨てる…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「金糸雀、大丈夫かなぁ」

 

「いくらあのおバカな金糸雀でも、あんな食べ物食べるわけねぇです。食べたとしても、勝手に勘違いして持っていた方が悪いですぅ」

 

淡い日差しが差し込む…午後15時。

騒々しいお昼ご飯を終えた僕たちは、片付けを終えて、食後のティータイムを行っていた。

今朝は、どこかへと飛んで行った水銀燈のためにお弁当を作りたいと言う、めぐさんの提案で、僕たちはみんなで力を合わせてお弁当を作ることになった。

 

基本的に、翠星石が料理の指揮を執っていたのだけれど…

……結局、レンジで大爆発を起こしたり、食材を駄目にしてしまったりして、納得のいくものはでいなかった。

失敗作をお弁当に詰めて、見た目だけでも…と思ったのだが、何を勘違いしたのか、お弁当作りに参加していなかった金糸雀は、出来たのかしら!?じゃあ持ってくのかしら!と、失敗作をかっさらって飛んでいってしまった。

 

その後、お昼は皆でカップラーメンを食べた。

めぐさんには、もっと体に良いものを食べてほしかったけれど、普段は食べられないカップラーメンの方が良いと言うのだから仕方がなかった。今は、薬を飲んで、ソファの上でブランケットをかぶってすぅすぅと眠ってしまっている。

残ったのは、僕と、翠星石と、真紅…

 

「蒼星石、初めからあなた一人で作って居ればよかったはずよ?なのに、私にまで手伝わせて…」

 

「まぁまぁ良いじゃねぇですか、結局上手くは作れなかったけれど、久々に姉妹みんなで料理を作って、なんだか楽しかったですぅ」

 

「うん、たまには、悪くないだろう?」

 

「…そうね」

 

そう言って微笑を浮かべて紅茶を口に含む真紅。マスターが出かけてから、第7ドールは、雪華綺晶は姿を現さない。おそらく、マスターの近くに居るのだろう。

…心配だったけれど、彼女は既にマスターと「契約」してしまった。その事実は変わらないし、マスターが今更彼女との契約を破棄するとも思えない。それに…マスターはきっと彼女を悪いようにはしない。僕がそうであったように、彼女を…

 

「蒼星石?」

 

「あ、ごめん、何かな」

 

「いえ…そろそろ、私達は帰るのだわ」

 

「そうですねぇ、思ったより、居座っちまったですぅ」

 

「え…もう行くのかい?」

 

「ええ、第7ドールや新しく現れたドールの事も気になるけど……のりやジュンが心配しているわ」

 

そうだ。彼女たちにも、守るべき場所、帰るべき場所があるんだ。ここに居てくれたのは、あの第7ドールや謎の白薔薇のドールを警戒してのこと…。事実、彼女たちが居てくれたおかげで、僕は久しぶりに張っていた緊張がとけていた。

 

「すまねぇです蒼星石…翠星石が居てやらないと、きっとおじじたちも心配するですぅ」

 

「そうだね…うん、じゃあ、また…」

 

「ええ、めぐにもよろしく言っておいて頂戴」

 

「また暇になったらお菓子でも持って遊びにくるですぅ」

 

「うん」

 

去り際にそう言い残し、2体のドールは椅子から飛び降りると、洗面台へと足を向け、鏡の中へ飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かだった。

 

彼女たちが居なくなってからは、ただの一つも音が聞こえてこないような、そんな静かな空間に思えた。

そこで、いつものように家事を淡々とこなしていると、次第に夕方のオレンジ色の光が窓から差し込んできていた。いつもよりも、時間の流れが速い。

ソファに目をやると、そこには変わらず、めぐさんが規則正しい呼吸を繰り返しているだけで、他には暖房や、時計の音くらいしか、聞こえては来ない。

 

「マスター……」

 

霜のついた窓に軽く手を触れて、外を眺める。学校帰りの高校生や、自転車に鞄を乗せて走る小学生。日が沈むと、みんな、帰るべき場所に帰って行く。そして、マスターも。アルバイトのある日だからいつもよりも遅かったけれど、もう、そろそろ……。

 

「…蒼星石?」

 

「あ、はい」

 

めぐさんが、起きた。

窓から手を放して振り返ると、手の甲で眠そうに瞼をこするめぐさん。金糸雀のほっぺをつっついて遊んだり、翠星石の作るトンでも料理の助手などをして楽しんでいた彼女だったが、疲れが溜まったのか、今の今まで目を覚まさなかった。だから、今のが、彼女と交わす久しぶりの会話である…。

 

「窓、開けてくれない?」

 

「…窓ですか?しかし、今日はよく冷えます。お体に障りますから…」

 

「だからじゃない、うんと気持ちが良いわよ?きっと」

 

「…わかりました」

 

彼女の考えていることは、よくわからない。言われた通りにすれ違い窓を開けると、冬の凍てつくような冷たい風がびゅうっと、入り込んできて、カーテンを揺らす。こんな寒い日に、自分から窓を開けるだなんて…。

 

「網戸もよ、蒼星石」

 

「…はい」

 

このままでは、彼女は風邪を引いてしまう。それどころか、病状を悪化させるのは目に見えている。せめて暖かいハーブティーでも飲んでもらおう。

彼女の横を通り過ぎようとした、瞬間!

 

「いいえ、いらないわ。それよりも…」

 

「…あ」

 

不意に、彼女に持ち上げれられて、抱きしめられた。

初めてだった、彼女が僕を抱いてくれたのは……。

膝の上に僕を乗せると、白い透き通った手で、僕の頬に手を当てる。まるで、包み込むように…

 

「蒼星石が暖めてくれれば、いいわ」

 

「僕なんて、暖かくは…」

 

「そう。じゃあ…私が暖めてあげる」

 

「あ…」

 

確かに、今までブランケットを被って寝ていた彼女は僕よりも暖かい。しかし、これでは僕が彼女の体温を奪ってしまう…

 

「あの、暖かいお茶をお入れしますので」

 

「だーめ」

 

「でも…」

 

「ありがとう、蒼星石。でも、今日はとても調子が良いの」

 

「それは…何よりです。ですが…あ」

 

僕の被っていた帽子を外して、手渡されると、今度は優しい手つきで僕の髪を撫で始める彼女。本当に、調子が良いみたいだった。それに…僕は、今まで彼女に拒絶されていると思っていたから、この行動はある意味、予想外であった。

 

「…綺麗な髪ね、お兄様が…梳いてくれているの?」

 

「はい、時間がある時に…」

 

「へぇ…」

 

今度は、指の腹で髪を梳くのではなく、撫でる。少し、頭が揺れて、揺れる前髪に入らないようにと目を閉じると、心地よい。

 

マスターは、何度か僕の髪をクシで梳いてくれたことがある。いつもみたいに、ぶっきらぼうに撫でられる時とは違って、ほとんど何もしゃべらずに真剣に髪を梳くマスターが、何だかちょっとおかしかったのを覚えて居る。

 

「お兄様…昔は下手だったのよ」

 

「下手?マスターが?」

 

「そうよ、私をいっぱい傷つけて、上手くなったの」

 

「でも、めぐさんの髪はとても綺麗です。僕よりも長くて、女性らしい、素敵な髪だ」

 

「…」

 

「きっと、めぐさんの事が大切だから、マスターも一生懸命髪の梳き方を覚えたのだと、僕はそう、思います」

 

「…うん」

 

と、そこで、彼女は髪を梳くのをやめて、僕の事を、強く、強く抱きしめはじめた。

その力は、次第に増していき、どんどんと…強く……く、苦しい…

 

「あの、少し、痛い…です」

 

「…私って、馬鹿ね」

 

「え?きゃ」

 

今度は、痛く…はない。だけど、横になった彼女は、狭いソファの上で、僕に腕枕をするように、ぎゅっと、抱きしめて、めぐさんの顔が、ちょうど、僕の隣へとやってきて、本当に、近い。

めぐさん…どうしたのだろう?

 

「可愛い。蒼星石、あなたって、本当に可愛い」

 

「あ、あの?」

 

「……蒼星石」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

うー寒。バイトを終えて、約束通り、甘いスイーツを洋菓子屋で買ってきた俺は急いでドアを閉めると身体を震わせた。雪華綺晶のやつが何を気にいるかわからなかったので、タルトやらモンブランやら手当たり次第選んで、奮発してきたのだ。って、寒いなぁ。部屋の中。それに、もう夜だというのに部屋の電気が付いていないじゃないか。もしかして、もう寝ちゃったのか?いや、そんなはずは。

 

「ただいまー?」

 

返事がない。もしかして、隠れてるのか?いつもなら、蒼星石が駆けて出迎えてくれるし、めぐが居たら、すぐに返事の言葉が帰ってくるのに。って、窓、空いてるのか。道理で寒いと…ぱちっと、電気をつけると、そこには。

 

「あ…」

 

ソファには、何故か、手を握って寝ている。二人の姿があった。この組み合わせは、何だか珍しいな…しかも

 

「良い笑顔だなぁ」

 

めぐも、蒼星石も今まで見たことがないほどに良い笑顔を浮かべていた。

二人は何かしら仲が悪かったわけではないが、こう、あんまり絡みが無かったような気がしていたから、新鮮な感じだ。

 

『マスター。…マスター』

 

「雪華綺晶」

 

ぶるぶると、携帯が震える。もう、すっかり雪華綺晶がこの画面の中に居ることに抵抗がなくなっていた。まぁ、バイト中はあれっきり静かにしてたし、割と聞き分けは良い…のか?

 

『マスター、約束通り、お話して、デザートを食べましょう?』

 

「ん、まぁ、もう少ししたらな。先にご飯にしよう。用意は…してないみたいだし、準備しないとか…」

 

スマホに映っていた雪華綺晶と話をしながら、がらがらと窓を閉じる。しっかし、なんだよなぁ。この、画面の中に居るって言うのは色々と不便で仕方がない。いや、好きでいるわけじゃないんだよなぁ。

 

「身体か」

 

『マスター?』

 

「いや…雪華綺晶、何か、食べたいものなんかある?」

 

『食べたいもの…?それより、マスターと、お話…』

 

「お話は後で」

 

『…マスターの手料理』

 

「ん。あー、オムライスで良いか?」

 

『オムライス?』

 

「おう、旗付きだぞ」

 

『はた…?』

 

疑問符を浮かべる雪華綺晶を画面越しに撫でる。ま、説明するより、見せた方が早いか。ふと、冷たくなった窓に手を触れて外を眺めてみると、黒い空間には、白い雪が、ちらちらと降り始めたところであった。

 



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21話

すべてのものが眠りについた黒い夜。

 

目を覚ます、半ば気絶するような形で眠ってしまっていたようだ。

金糸雀の持ってきた弁当箱を近くにあった鞄へとしまい込むと、瞼をこする。……最悪の目覚めだ。昼に食べたあの毒物たちのせいで、体中に疲労を感じる。穴の開いた教会の天井から空を見上げると、妖しい月の光が射し込み、星々が瞬く。

 

『水銀燈の髪は、星が流れているみたいね』

 

いつだったか、自分の壊れたマスター(ジャンク)はそんなことを言って、私の髪を撫でた。陰鬱さや静けさが、黒い布地でできた逆十字のこの黒衣が。星なんて輝いたものとは程遠いとわかっているはず。

 

「行くわよ、メイメイ」

 

金糸雀の背負ってきた鞄を手に持ち、教会を後にする。

 

 

 

 

 

空へと浮かび上がると、びゅうと身を切るような強風が吹き、思わず目を瞑る。空から見下ろした夜の街は、聖夜が近づき浮かれたイルミネーションも消え去っていて、本当にこの町から誰もかれもが居なくなってしまったかのように感じる。

 

『窓を開けておいたの、何時でもあなたが入ってこれるようにね』

 

……きっと、彼女はそう言って窓を開けて、私の帰りを待っているのだろう。……うんざりするくらい頭の足りていないやつ。窓なんて開けていても、私がホイホイ入ってくるわけないっていうのに……!?

 

この視線……雪華綺晶…ではない、まして、あの怪人のものでもない。

速度を上げる、建物の合間を縫い、入り組んだ路地を低空飛行で滑空する。

しかし、それでも、視線は消えない、いい加減うんざりしてきたので、高度を上げて、適当な灰色のビルの屋上へとふわりと足をつける。肌にまとわりつく夜の空気が、いつも以上にこの神経を逆撫でしている。

 

「……誰?」

 

「……」

 

空間が波打つ。屈折した水晶のように、瞬く間にそいつは姿を現した。

紫のドレスに身を包み、第7ドールの偽物。いや、彼女は……もしや

 

「あなた、何者?」

 

「私は8人目のローゼンメイデン…」

 

「…まさか!?」

 

「……ではない。ジョーク…」

 

……持っていた鞄をコンクリートの地面へと放り捨てると、彼女へとむけて羽根の矢を降らす。

 

「……」

 

羽根は、彼女に届く前に、紫光の障壁によって阻まれる。

それにしても、あの障壁、かなりの強度だ。発生速度も異常なほどに早い。

 

「ッチ」

 

「私の名前は薔薇水晶。あなたたち、ローゼンメイデンを…超える存在です」

 

「!?」

 

地面から紫色の水晶が伸びてくる。飛びのき、空を飛んだままビルの下へと急降下すると、その動きに合わせるように、ビルの壁からは次から次へと水晶が伸びてくる。

 

「うざ…ったいのよ!」

 

「!」

 

羽で水晶を薙ぎ払うと、壊れた破片を薔薇水晶と名乗ったドールに飛ばす。相手は瞬き一つせずに、紫色の水晶剣を取り出すと、それらをすべて弾き飛ばす。

気に食わない……私を、私たちを超えるですって?それはまぎれもなくお父様への侮辱。そして何よりは、この私への…!!

 

「メイメイ!」

 

水晶の剣を構えて降ってくる相手に対し、こちらも羽の中からメイメイと同化させた宝剣を取り出す。

 

1合、2合、お互いの剣がぶつかり合う。しかし、向こうは剣の力に加えて重力まで味方につけている、突き刺してくるその剣先が、振り下ろした時のその重みも、こちらより勝っている。

 

「っく」

 

地面に落ちるすれすれで彼女の剣から逃れる。口だけじゃない、こいつ……本当に!

勢いがつきすぎてしまい、止められない体は木の植え込みへと突っ込んだ。クッションとなり、衝撃を吸収してくれたのは良いが、枝は服を裂き、地に落ちた私の顔は泥に汚れる。

相手はふわりと、優雅に、信号機の上へと降り立つと、なお無表情のまま…これで終わり、と最後の攻撃へと転じる。

 

冗談じゃない、冗談ではない!真紅でもない、まして、アリスゲームの参加者でもない、こんな贋作(フェイク)に壊されるようなこと、薔薇乙女として、アリスとしてありえない!

薔薇水晶は先ほどの水晶剣を宙に何本か停滞させると

 

「っ!」

 

一度にこちらへと解き放つ。串刺しにせんと降ってくるそれらに向かって羽根を射出して対抗するが、駄目!威力がデタラメ!迫りくる刃に、頭が沸騰したように白く熱くなっていく。

様々な感情が自分の中で爆発しあふれだす。それは怒りでも悲しみでもない、ただの感情の奔流。

 

「ぁうああああ!!」

 

「…これは!」

 

手に持っていた剣を振るうと、目前に迫っていた水晶剣は、この身に触れる前にただの粒子となって雲散する。先ほどまでのけだるさは消え失せ、体中から力があふれて……!?

 

この全能感!まぎれもなく、ミ―ディアムから吸い取った力!?

 

「少しは強くなった…?」

 

「っく」

 

薔薇水晶は、手に持っている一振りとは別に、もう一対の水晶剣を生み出す。紫色に輝く剣は蒼く冷えたこの甘い空気をも切り裂く。瞬間的に距離を詰めてきた相手に、反応できる。体は今までの自分でも信じられないくらい好調で

 

「…邪魔よ!」

 

振るった剣は、相手を障壁ごと切断するほどに鋭く、重い。しかし、この力は、この力は……!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつだって、彼女は病室で、待っている。私と…彼を。

 

「からたちの棘は痛いよ…♪」

 

「青い青い…針のとげだよ…♬」

 

「ふん、窓を開けて、歌を歌えば私が来るとでも思ったのかしら」

 

「水銀燈。ふふ、でも来てくれた」

 

「……」

 

からたちのとげが痛い……白くて細い彼女の腕には、病室で鎖のような点滴の管と、枷のような…銀色の針。物憂げに窓の方を覗き込むその姿は、まるで空に焦がれる、かごの鳥…。

 

「水銀燈、もらったこの指輪だけど、これ、壊れているんじゃない?いつ、私の命を吸ってくれるのかな」

 

「……さぁ、真紅はまだ目覚めていないようだし、蒼星石はあの通り腑抜けきっているし、そもそも、私はそんな壊れかけの命なんか使わずとも、うんと強いドールだもの。」

 

「そう……」

 

すると、悲しそうに目を曇らせるめぐ。

 

…ずっと、不思議だった。

 

彼女は、私と初めて会った時も。契約したら、命を吸われるということ知りながら、死神のような私に目を輝かせて、あなたは天使ね、なんて言い放つ。そして、早く命を使ってくれたら良いのに、とよく薄汚れた天井を見ながら愚痴のように私に語りかける。

そのくせ、そのくせだ、あの間抜けな人間(おにいさま)に会う日などは、青白い顔を、少しでも見られぬようにと慣れない化粧までして、彼を乗せたバスが来るのをじっと待つ。私が居るときも、その日ばかりは、命を使ってほしいとは言わず、弾んだ声色で髪を梳く。心はずっと、彼を見つめて…

 

「ねぇ、めぐ、あなた、本当は私と契約なんてしない方が幸せに暮らせたんじゃなぁい?」

 

「私は今、すごく幸せよ、こうして水銀燈に出会えて」

 

「……」

 

「だって、あなたは私と……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「く!調子にのってんじゃないわよ!」

 

力任せに剣を振るうと、相手の持っていた水晶剣を粉砕する。もちろん、壊したところで、相手はすぐに新しい水晶を生み出すに過ぎない。

 

「チェックメイトね!」

 

それでも、その生み出す一瞬の隙さえあれば、十分だ。相手を組みしき、両手にもったその剣を高く、高く、振りあげる。あとは、この剣を突き刺しとどめを刺すだけ。早く、早く決着をつけなければ、でなければめぐの命は!

 

「……ふふふ」

 

「な、なにがおかしいの!」

 

「あなたは気が付いていない、戦いながら、私たちが移動していたことを」

 

「……!」

 

ここは!!?

あのミ―ディアムと、めぐのいる!白くそびえるマンション。そこはまぎれもなく……

慌てて両手に持った剣を振り下ろしたが、すでにそこには水晶の虚像しか残されておらず、砕け散った水晶ははじけて、礫となって襲い掛かってくる。

 

「めぐ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、めぐ、しっかりしろ!」

 

それは突然の出来事だった。

いつもみたいに、めぐが寝付いたのを見計らって、その寝顔を見に来た時だった。顔色もよく、今夜も発作などの心配はないなと、安心しかけていた時のことだ。

 

暗闇の中、めぐの薬指の指輪が、青白い光を放った。携帯のバックライトくらいの光だと思っていたその光は、徐々に、部屋中にあふれ出て

 

「…!!??!??ぁぁあああああ!!!!!」

 

「めぐ!!」

 

発作だ!苦しみだしためぐを慌てて抱き留め、近くに置いてあった鎮静剤の入った袋を探す。部屋にはその指輪の光だけで、十分視界を保つことができる。

 

「めぐ、しっかりしろ!めぐ!」

 

「マスター!どうかしたの!」

 

「蒼星石!めぐが!」

 

「…!彼女の指輪が!…まさか水銀燈、彼女の力を…!?」

 

水銀燈が、戦っている……!?アリスゲームでも始めたのか!?

苦しそうに暴れるめぐの手を強く押さえつけ、持っていた注射器を上腕に差し込むと、暴れるめぐを思いっきり抱きしめる。

 

「めぐ…めぐ…」

 

暴れている彼女は、俺にしがみつきながら、爪を立て、背中に突き立て、ひっかきまわし、やがて…暴れつかれたかのように徐々に、力を失くしていく。しかし、呼吸はいまだに落ち着かない、そう、彼女の薬指はいまだに青白く光を放ったままだ。汗は吹き出し、顔から精気が抜け落ちていく。

 

「ぁあ、ぁあ、蒼星石、すぐに病院にいこう。nのフィールド、から行けないか!?」

 

「……問題ないよ、けれど、もし水銀燈がnのフィールドで戦っているとしたら…」

 

「その時は、守ってくれ!今は一刻も早くめぐを先生に診てもらわないと!」

 

「!はい、マスター」

 

自分自身、青いパジャマを着たまんまだが、そんなことは関係ない、めぐを背負うと、部屋を飛び出し、いつものすれ違い窓へと走り出した蒼星石のあとを追う……!?

 

 

「あぶない、マスター!」

 

 

廊下を出ようとした時だ、居間から蒼星石の声が響いた。かと思えば、水晶の礫がこちらに向かって降り注ぐ。

 

「……ミ―ディアム!」

 

!いつかの紫薔薇のドール!水晶の剣を持った彼女を、蒼星石は庭師の鋏ではじき返し、何合かかち合ったあと、鍔迫り合いを繰り広げる。蒼星石と戦いながらも、その金色の隻眼が、こちらを射抜く。

 

「っ!逃げて!マスター!」

 

紫薔薇のドールが蒼星石の腹に向かってそのブーツで強力な蹴りを放つと、蒼星石は本棚へと激突した!まずい!ずり落ちそうになっためぐを持ち直すと、居間の入れ違い窓をあきらめ、洗面台の方へと走り出す!

 

「……終わり」

 

振り向きながら居間を見ると、紫薔薇のドールが跳ぶ!

 

「ふ」

 

!?こいつ、めぐに触れて…!?

くそ!間に合ってくれ!!

 

角を曲がり、洗面台へと足をかけると、思いっきり蹴り飛ばし…!鏡の世界へと踏み入れた瞬間!

 

「雪華綺晶!」

 

「はい、マスター!」

 

紫薔薇のドールが横から現れた雪華綺晶のボディタックルによって吹っ飛ぶ。

水晶の部屋。そこは、雪華綺晶が住むnのフィールド、彼女の領域。

 

「いけない子、悪い2Pカラーには消えてもらいます…」

 

「………私の名前は薔薇水晶、あなたとは、違う!」

 

「あらら?」

 

そういって、薔薇水晶は、雪華綺晶の放った水晶の礫を受けることなく、地面へ溶け込んでいった……。背負っていためぐをゆっくりとおろし、彼女が先ほどの戦いで傷を負っていないかを確認する。

 

「よかった…」

 

ケガはない、それに、指輪の発光も収まり、呼吸も少しは安定して……!?

 

「マスター?」

 

それは、あるはずのないものだった。彼女の汗ばんだ鎖骨から首筋にかけて、紫の、薔薇の刻印が刻まれていた。

 



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22話

病室のベッドの上、めぐはピクリとも動かずに目を閉じて眠っていた。

手首には銀色の針が刺さった点滴が、口元にはその不規則な呼吸を整える呼吸器がつけられている。折角、お兄様と一緒に居られると喜んでいたのに……それなのに……

 

「マスター……」

 

医者が去った後、蒼星石がリュックの中から姿を現す、スマホの中からは心配そうな面持ちをした雪華綺晶がめぐの方を不安そうに見つめている。水銀燈は……先ほどまで窓の外に居たようだがいつの間にか、居なくなっている。

 

「僕のせいだ。僕が……あの時マスターたちを守り切っていれば……」

 

「あの……、あの…………」

 

暗い顔を浮かべて拳を握る蒼星石にスマホ越しに一生懸命慰めの言葉を考えてくれている雪華綺晶……。

二人のそんな健気な姿が、怒りや悲しみに支配されかけていた感情をゆっくりと解きほぐす。

 

「マスター……?」「ぁ……♪」

 

まずは蒼星石のあたまをくしゃくしゃっと撫でてやり、続いて、指先をスマホに溶け込ませて人差し指の頭で雪華綺晶の頬を撫でてやる。

二人は驚いたように俺の方を見上げた。

 

「二人は立派に戦ってくれたよ。それより、問題は……」

 

少し開(はだ)けためぐの首筋を見やると、そこには今までなかったはずの紫色の薔薇の刻印が刻まれている。あんなに禍々しく紫色に輝いているというのに、医者やナースたちにはそんな痕は見えないという。

 

「あの白薔薇のドール……薔薇水晶の残した呪い」

 

紫の刻印は数時間前よりも明らかに強く、大きく光っている。

見ているだけでなんとも胸の奥がざわつくような不吉な刻印……。

 

「……なぁ雪華綺晶、あのドールはお前によく似ているけど、何か知らないか?」

 

そう聞いてみるが、雪華綺晶は小さく首を振るって

 

「わかりません。けれど、あのドール、なんだか……」

 

「なんだか?」

 

「…………嫌いです」

 

ブフ!と俺は思わず吹き出してしまう。ははは、嫌いか。それはそうだ。

よく考えてみれば俺が雪華綺晶と初めて会った時も彼女は薔薇水晶によって壊されかけたのだからな。

 

そう、薔薇水晶は強い。単身であの水銀燈や雪華綺晶、そして蒼星石を倒すほどに……。

 

だからこそ、みんなで力を合わせて戦わなければだめだ。

そうしないときっと次も……ん?

 

「どうかしたか、蒼?」

 

ふと、視線を感じて蒼星石を見やると。彼女は俺のことを見上げたまま嬉しそうに微笑んでいた。なんでもないよマスター。と、帽子を深くかぶりなおすと、一度目を閉じてから俺の方へと再び目線を向ける。何か、覚悟したような目だ。

 

「マスター。めぐさんを治すことができるかもしれない」

 

「え!?本当か!?」

 

蒼星石は首を縦に振って肯定の意を示すと言葉を続けた。

 

「……彼女は今。悪夢に囚われているんだ。そしてあの薔薇の刻印は少しずつ、彼女から生命力を奪っている。じわじわと身体を蝕む蛇毒のように」

 

「めぐの生命力を……?」

 

そうだとしたら、このままじゃめぐは……!

 

「悪夢から目を覚まさせてあげなくちゃいけない。そのためには……彼女の力が必要だよ」

 

蒼星石が目配せをすると雪華綺晶がゆっくりと洗面台にあった鏡を通ってnのフィールドに溶け込んでいく。彼女っていうのは……まさか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、それでこの翠星石様の力を貸してほしいってわけですか?」

 

病室に入ってくるなり、椅子の上に立って胸を張っているのは緑色のエプロンドレスに蒼星石とは対照的なオッドアイの持ち主、翠星石。

雪華綺晶に頼んで連れてきてもらったのは良いものの、まだ雪華綺晶に慣れていないのか随分とビビりまくっていた。そのくせに、いざ、呼ばれた相手が俺だとわかるとこのように、手の平を返して威張りちらし始める。

 

「翠星石も暇じゃねぇ~のですよ?」

 

「そこをなんとか、是非とも義姉さんのお力を貸してくだせぇ」

 

「ほ~、中々殊勝な態度ですぅ~って、誰が義姉さんですか!?誰がッ!」

 

冗談はこれくらいにして

 

「頼む、翠星石。めぐは大切な妹なんだ」

 

今度はふざけたりせずに深々と頭を下げる。

翠星石はじっと値踏みするように俺のことを見ていたが、ふぅと息をつくとゆっくりとその小さな口を開く。

 

「……人間、わかってるですか?夢に入るということがどういうことなのか?」

 

そう言われて顔を上げると、翠星石は俺が初めて見る顔をしていた。

悲しそうで、けれど、真剣な眼だ……。

 

「夢とは、その人間の心そのもの。そこに入るというのは、その人間の見られたくない心の中を覗くのと同じことです!どんなに隠したいことだって、覗いてしまうかもしれんのですよ!?」

 

……さっき蒼星石が少しためらっていたのはその為か。

確かに、他人に心の中を覗かれる、なんてことされたらゾッとしない。俺だって、隠しておきたいことの1つや2つ。いや、それだけでは足りないほどたくさんある。でも

 

「夢の中に入らなくちゃ、めぐは治らないんだろ?だったら……」

 

「それに!今のあの人間には薔薇水晶の呪いが掛かっているです!普通の状態なら、翠星石と蒼星石が入ってチャチャッとやれば終わりですが、今は入ったら何が起こるかわからんです。下手をすれば、あの人間の心を壊すことになる可能性だって……」

 

「なんだって?」

 

心を壊す!?

 

「入った翠星石たちだって、無事でいられる保証はねぇです。だから、もし別の方法があるのなら、そっちの方が……」

 

別の方法……あるとすれば、この呪いをかけた張本人である薔薇水晶を倒すことだろう。そうすれば、呪いも一緒に解ける可能性が高い。しかし……。

 

「めぐは身体が弱いんだ。それに、薔薇水晶を倒すにはめぐの契約した薔薇乙女、水銀燈の力が必ず必要になる。だから……あまり時間がない」

 

「……だったら!なおのこと夢に入るのは危険です!こっちの状況を分かってて仕掛けた罠に決まってるです!私は……」

 

「翠星石。僕からもお願いだよ」

 

すっと一歩踏み出すと、蒼星石は翠星石の手を両手で包むように握った。

突然のことに、翠星石は目を丸くする。

 

「そ、蒼星石!?」

 

「翠星石。めぐさんはとても大切な人なんだ。マスターにとって…………ううん、僕にとっても」

 

「けど、蒼星石。本当に何があるか……」

 

「お願い、翠星石。僕のわがまま……聞いてくれない、かな」

 

「っ!?」

 

珍しい、蒼星石の「お願い」を受けて翠星石は息を呑んだかと思えばとても複雑そうな顔をして拳に力を入れていた。かと思えば次の瞬間には大きく脱力してため息をつき……。

 

「……ひきょーですよ、蒼星石……」

 

「翠星石?」

 

「か、勘違いするなですよ忍!!これは、あくまでお前に貸しを作るため!ハゲノピーナッツ6個は覚悟しろよ!です!!」

 

「翠星石!」

 

そういって腕を組んで真っ赤な顔で叫んでいたが翠星石なら必ず受けてくれると思っていた。なんせ彼女は、蒼星石の姉で……不器用で、とても優しい人なのだから。

 

「……ありがとうな、翠星石」

 

「ふん、イチゴ味は必ず用意するですよ」

 

双子の姉妹は人口精霊を呼び出すと蒼星石はレンピカから庭師の鋏を、翠星石はスイドリームから庭師の如雨露を取り出した。そして……お互いの道具を重ね合わせると、金色に輝きを放ち始める。初めはマッチの火くらいの大きさだった光だったのに、段々と大きくなっていき、やがて部屋を飲み込むほど大きく膨れ上がり……そして!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは?」

 

眩しさから反射的に閉じていた眼を開けると、そこは学校の中らしかった。

 

さっきまでいた静かな病室とは違って、顔のぼんやりした生徒たちが何人か廊下や教室で話し込んでいた、窓から見えるグラウンドには笛を鳴らして運動部がランニングをしている。階段からはブラスバンドの練習する楽器の音色が聞こえてきて、下校時の放送もなんだか少しノスタルジックな気分になる。ここはまさか……

 

「マスター……?」

 

声のした方へと振り返り、思わず生唾を飲み込んだ。

そこにいたのは薄い焦げ茶色のボブカットに、整った中性的な顔立ち、青いセーラー服を身に纏った……俺と同じくらいの身長をした『人間』の蒼星石だったからだ。

 



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23話

「蒼……なのか?」

 

「う、うん。マスター」

 

自身の変化に戸惑っている風な蒼星石に近づいてみる。

俺よりも頭一つ分ほど低い身長に、スカートの下から覗かせる関節球体の無い白い脚、それに……

 

「……あ……マスター?」

 

そっと手を握ってみると、血が通っているかのように……暖かい。これがめぐの夢の中だから?

目を合わせると、不安そうに揺らぐ蒼星石の瞳。

 

「人間になっても美人だな、蒼は」

 

「えっ……!?も、もう、マスターってば……」

 

うむ、照れてもじもじしている姿も大変可愛ら……いったっぁ!!?

 

何かに指を噛みつかれたッ!?

ブンブンと手を振ると小さなものが地面に着地し、瞬く間に蒼星石の身体を駆け上っていく……これは、ネズミ?いや、リスか!?

 

「こんな時に人の妹を口説くアホがどこに居るですか!このゴミ人間!」

 

「リスが喋った!?って、その声……もしかして翠星石なのか!?」

 

蒼星石の肩に乗って偉そうな態度と口の悪さを披露する栗毛色した小さなリス。姿は違うが……翠星石で間違いないのだろう。

 

「義姉さんも可愛いですよ」

 

「!ふ、ふ~んだ。そ~んなおべっか使われても、ち~っとも嬉しくなんて……って、義姉さん言うな!です!!」

 

翠星石がいかりの前歯を繰り出してきたので慌てて避ける!

 

「うおぉ!?」

 

「その喉、かっ切ってやるですぅ!」

 

何度か一進一退の攻防を繰り返しているとひょいと蒼星石が翠星石を持ち上げて肩へと乗せると指の関節で蒼星石の顎元を撫でる。

 

「まぁまぁ、本当に小さくてかわいいよ?翠星石」

 

「がるる!」

 

「な、なんて凶暴なリスなんだ……二人の姿が変わったのも、これが夢の中だからか?」

 

蒼星石と翠星石は顔を突き合わせると同時に首を振るった。

 

「いいえ、それが……翠星石達にもわからんです。こんなこと初めてですし」

 

「うん……。薔薇水晶の呪いによって夢の中身が歪められているのかもしれないね……」

 

なるほど、二人にとってもこれは予想外の事態なのか……ん、二人?

 

「雪華綺晶は?」

 

一緒に居たはずの雪華綺晶が居ない。

持っているスマホにも、周囲の窓ガラスの中にも彼女がいる気配がない。

 

「ここは夢の中、実体を持たない彼女でも姿を現すことが出来るはずだけど……」

 

「夢の扉を通ってこちらに来ていないという可能性もあるですね……ま、どうせ前みたいにその変うろうろしてるですよ。それよりも今は樹を探さないと駄目です」

 

「樹?」

 

「心の樹ですぅ。そのどこかにきっとあの水銀燈のミーディアムを苦しめている原因があるはずです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒼星石と肩を並べながら校舎の中を散策をする。

 

「マスター、ここは?」

 

「ここは家庭科室だな。授業の一環で裁縫を覚えたり、料理を覚えたりする場所だ」

 

「ふーん、それって男もやるのですか?」

 

「そりゃもちろん。っていうか、今どきはそういう男だからとか、女だからとかないよ」

 

「へぇ、奇特な時代になったもんですねぇ」

 

二人は好奇心からか置いてあったミシンや棚にしまわれた食器などを眺め見ている。

 

……不思議な感覚だ。

今まで蒼星石と外へ出歩く時は大抵、リュックに入ってもらうか。或いは学際の時のように遠い親戚の子供だとか、そういう嘘をついて歩いていたような気がする。けれど今は……。

 

「マ……?マ…ター?…………もう、せ、先輩!」

 

「がはッ!?」

 

せ、先輩……だと!?

考え事から急に現実に引き戻されて蒼星石の方をみると、そこにはスカートの裾を掴んで恥ずかしそうにしている蒼星石の姿が……!?

 

「蒼星石、なんですか、急に忍を変な呼び方して」

 

「う、うん。学校ではね、学年が上の人のことを敬って先輩って呼ぶらしいんだ」

 

「へぇ~。それだったら、どちらかというと翠星石たちのほうが先輩って呼ばれる立場ですぅ。やい忍、これからは翠星石のことは翠星石先輩って呼べ!です!!」

 

……すごくゴロが悪いな。って、それよりもだ。

 

「……なぁ、蒼星石。もっかい、もっかいだけ俺のことを呼んでみてくれないか?」

 

「え?う、うん……先輩?」

 

ああああああああああぁぁぁぁッ!?

こてっと首を傾げて、上目遣い気味にこちらを覗き見ながら顔を赤くする蒼星石。これは効く!!俺に効く!?

よろよろと頭を抑えながら壁に手を着くと心配そうに蒼星石が駆け寄ってくる。

 

「だ、大丈夫ですか!?マス……先輩?」

 

「がぁッ!?や、やめ。もういい。いつも通りで良いから」

 

「そう……ですか」

 

なんでちょっと残念そうなんだ蒼星石!?

 

「クックック。どうやら忍はこの言葉が弱点みたいですねぇ。ん、んん!セ~ンパ~イ♪くんくんのDVDBOX買ってほしいです~♪」

 

「……よし、次行くぞ」

 

「おま!ちっとは反応しろぉ!?です」

 

そりゃ翠星石先輩、そんな目をウルウルさせて可愛らしくお願いしても今はただのリスだから……。

普段の姿だったら……結構、やばかったかもしれないが。

 

「……し、忍先輩……。な、な~んて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

探索を続ける。

校舎の中は、昔俺が通っていた高校の構造によく似ていた。図書室や化学室、音楽室に……いつも通っていた教室。どの部屋も何となくぼんやりしているというか、生徒たちのようにまるで実感がないように曖昧な気がする。それでも、どこかにはめぐの樹へとつながる扉があるはずだと言っているのだが……中々見つからない。

 

「……僕も学校に通っていたら、マスターと一緒に勉強していたのかな」

 

「え?」

 

階段を歩く足取りに若干の疲れが見え始めたころ、話しかけるというよりも漏れるといった風に蒼星石がつぶやいた。

俺が振り返ると蒼星石は驚いてはいたもののすぐに目を細めて微笑んで見せる。

 

「何だかこうしてマスターと肩を並べて歩いていると……そんな未来もあったのかなって」

 

「はは、そりゃいいな」

 

同じ学校か……おそらく王子様のような蒼星石のこと。女子のファンクラブなんかが出来てしまうくらい人気になるに決まっている。ただそうなると、蒼星石と絡むようなことが有ればそのファンクラブの女子たちに半殺しにされてしまうかもしれないな……。現にファンクラブの第1号になっていそうな翠星石先輩が恐ろしい眼光でこちらを睨んでいる。

 

「真紅は……よく図書室なんて行っていそうだね」

 

「あ~何となくわかるですぅ。そうしたら、水銀燈のやつと読みたい本が被って喧嘩するやつですね」

 

「あはは。そうそう、それで金糸雀は音楽室でヴァイオリンを弾いていそうで……」

 

「チビチビは美術室で下手糞な絵なんて描いていそうですね」

 

……確かにそれは楽しそうでいいな。チビチビってのが誰だかわからんけども。

アリスゲーム。なんてものもせずに、ただ普通の女の子と変わらずに、そんな平和な日常を……。

 

「それだったら雪華綺晶は……」

 

「雪華綺晶は……なぁに?マスター……?」

 

え?

急に誰かが後ろから抱き着いてきたかとお持てば、柔らかい両手で視界を塞がれてしまう。この声……まさか?

 

「……えっと」

 

「うふふ、残念時間切れ。正解は……」

 

ふわっとした匂いがしたかと思えば視界を覆っていた両手が解かれる。

そのまま後ろに振り返ると……。

 

「マスターのことがだ~い好きな……女の子」

 

真っ白な白衣に身を包んだ雪華綺晶が俺におぶさるようにして抱き着いたまま笑顔を見せる。雪華綺晶も、蒼星石と同じく人間に……!?いや、これは……

 

「雪華綺晶は変わってないんだな」

 

よく見ると、そこに居たのはいつもの頭身でいつも通りの姿の雪華綺晶だった。違うのは、どこからか拝借したであろうぶかぶかの白衣を着ているということだけ。

 

「どう、マスター。似合ってる?」

 

「あぁ、可愛いよ」

 

「うふふ」

 

余った袖で口元を隠して嬉しそうにする雪華綺晶。

ポジションで居れば……怪しい科学実験でもする理科部員って感じか。

 

「雪華綺晶、無事で良かったよ」

 

「ま、翠星石は大丈夫だろうと思っていたですよ」

 

「はい……けれど、これからあまり良くないことが起こりそう」

 

「良くないこと?うわ!」

 

なんだ!?大きく地面が揺れ始め、すぐに近くに居た蒼星石引き寄せる。もう片方の手で手すりを掴む。

じ、地震か?

 

「キャー!!?」

 

「見て!マスター!地面が!?」

 

これは、階段の下の地面からみるみる真っ黒にコポコポした液体があふれ出してきた!?

徐々に徐々に、風呂の底からお湯が張っていくようにそのヘドロのような液体は水位を上げていく……!

 

「い、一体何が?」

 

「わからない。けど……」

 

「あのまま闇に引きずり込まれたら、夢から出られなくなっちまうですよ!!?」

 

「なんだって!?」

 

そいつはやべー!蒼星石と手をつないだまま階段を駆け上り始める。

夢から出られなくなるだって?それってつまり、目が覚めない……死ぬのと同じってことか!?

 

「危ないマスター!!」

 

キン!と蒼星石が素早く庭師の鋏を出すと、何かを弾いて俺のことを守ってくれた。

眼を凝らして飛んできた先を見ると……そこに居たのは、さきほどまでこの校舎にいた顔の虚ろ気な生徒たち……。飛ばしてきたのは……ペンやカッターにコンパス?

 

「ひぃ!?ゾンビみたいですぅ!?」

 

「これは……」

 

「僕たちを、悪夢に引きずりこむつもりだね」

 

うぅぁ……!なんてうめき声をあげて一斉に飛び掛かってくる顔のない生徒たち。

やばい、と思った次の瞬間、背中にいた雪華綺晶が手をかざし水晶の欠片が弾丸となって生徒たちのことを貫いていく。

 

「お、おぉ!な、中々やるですね。新入り妹」

 

「うふふ、もっと褒めて……翠のお姉さま。マスターも……」

 

「あ、あぁすごいぞ雪華綺晶!よし、今のうちにもっと上に逃げよう」

 

頬を擦り付けてなでなでを要求してくる雪華綺晶の頭を数度優しく撫でてやると俺達はそのまま生徒たちを蹴散らしながら階段を駆け上る。

 

「はぁ、はぁ……う!?」

 

バタンと、屋上の扉を開けると……そこには……ただひたすらの暗黒が視界のすべてを覆っていた。

 

「っげぇ、行き止まりですか!?」

 

「まずいよマスター!下からも暗闇が!」

 

気が付くと、階下のすぐ目前まで黒い闇が飲み込み始めているようだった。

ま、まずいぞ、このままじゃここで!?

 

「て、撤退~!!撤退です蒼星石!一度夢から脱出するです!」

 

「うん!わかった!」

 

蒼星石が持っていた鋏で背後の壁を切り裂くと、そこには先ほどまでいた病室が映し出されていた。すぐに我先にと翠星石が飛び込み……

 

 

『お兄ちゃん、こっち』

 

 

「ッ!?」

 

「マスターも早く!」

 

「あ、あぁ……?」

 

なんだ、今……声が……!

声のした、先ほどの暗黒空間をよくよく覗き込んでみると。地面に、ここよりもずっと下の地面には……茶色い扉が一つだけ、ポツンと見えいていた。

 

あれが、めぐの心の樹へとつながる扉か!?

あんな場所にあるなんてめぐらしいというかなんというか……それに、俺にはその扉がひどく懐かしいもののように思えた。

 

「マスター早く!?」

 

「蒼星石……俺って実は、高所恐怖症なんだよな……。子供の頃、高いところから落ちて死にかけたことがあってさ」

 

「きゅ、急に何を言ってるの、マスター」

 

「……すまん、蒼星石!雪華綺晶も!先に行っててくれ。後で必ず帰る!」

 

肩に乗っていた雪華綺晶を蒼星石に託すと、俺は夢の扉の奥へと二人を押し込んだ!

蒼星石と雪華綺晶の目がかつてないほど見開かれ、俺の方へと必死に手を伸ばす。

 

「「マスッ……!」」

 

プツンと声が途切れ、扉が閉まる。これで退路は完全に断たれたというわけだ……。

階下に迫る暗闇は、あと一段と言うところまで迫ってきている……。

 

「くそー、くそー……世話のかかる妹だよ!」

 

震える足を乱暴に叩くと、俺は、開いた屋上の扉から外へと飛び出し、地面に置いてあるドアへと向かって飛び込んだ!!

 

って、長い、長い長い!!?あと、思ったよりも遠い!!?

やばい、やばいぞこの浮遊感、この落下速度!!

やばい。死……!?

 

 

「お馬鹿さんッ!」

 

 

な、無かった。

見上げると、そこに居たのは銀色の髪に、黒い編み上げた逆十字の漆黒のドレス。

 

「水銀燈!?」

 

水銀燈が、俺のことを抱き着くようにして抱えると、翼をめいいっぱい広げて飛んでくれているようだった。

その姿は、夢の中とはいえいつもと変わらないドールの姿のままである。だが……!

 

「お、おもッ!?っぐ、少しくらいは運動したらどうなのッ!?」

 

「す、すまん!大学に入ってから、運動不足で!!」

 

後、蒼星石の飯が美味いんだよ!

 

「こ、このッ!!!あたしを……舐めるんじゃないわよッ!」

 

バサ!!っと、黒い翼が更に大きく開いた!

急速に続いていた落下も、そこでようやく緩くなっていき……やがて、空中で完全に制止する。

 

「はぁ、はぁ……」

 

「あ、ありがとう水銀燈。助かったよ」

 

「ふん……あんたに今死なれたら困るのよぉ……それで、めぐはどこに居るの?」

 

「え?……あぁ、声がしたんだ。あっちの方から」

 

先ほど、声のした方を指さすと、ゆっくりと水銀燈が滑空を始めてくれた。

 

「水銀燈。夢の中でも飛び降りて死ぬことってあるのか……?」

 

「……何なら試してあげましょうか?」

 

ゾクッ!

 

「い、いや、結構です!あ、安全運転でお願いします……」

 

「ど~しようかしら~。あら、何だか急に手元が……」「うわあああああ!?」

 

アハハハ!と慌てる俺を見てご満悦な水銀燈。

今更ながらに、あの時無茶に飛び込まずに蒼星石たちに相談した方が良かったのではないか?

と、そんな風に思えてきた……。

 

 



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番外編
義姉さんが来る


ういいいいんと、掃除機の中のモーターがうなる音が聞こえる。掃除機の音は耳に響いて苦手だ。ごろごろと居間のカーペットの上でポテチを頬張りながらそう思う。そこへ

 

がし

 

がしがし

 

がつんがつんと足に当たっているのは掃除機の先端。これはつまり、どいてくれと言うことだろう。だけど、どかない。今日の俺はごろごろすると決めたのだ。

 

あの学園祭から暫くして、すぐに、元の平穏な日常がもどってきた。のだが…

 

「やい!忍!お前は、なぁに昼間っからごろごろしてるですか!とっととそこを退きやがれですぅ!」

 

と怒鳴りつけてくるのは翠星石。掃除機を動かしている張本人だ。何故かは知らないけれど最近よく遊びに来る。何でもおじじさんとおばばさんが絶賛喧嘩中で家に居たくないらしい。おかげで、蒼星石とのコミュニケーションが大きく減少している。

…退くのは無理だな、今日の俺にはほら、腹から根っこ生えちゃってるから。

…いや、それは気持ち悪いな。吸盤くらいにしておこう。ようは、起きるの面倒くさい。横着して、ちょっとだけ足を上げたら、がしがし!っと更に膝の裏目掛けて掃除機をぶつけてくる。

 

「マスター、ごめんね?ちょっとだけソファに座っててくれないかな?」

 

そこへ、蒼星石のちょっと困ったような声。それを聞いて寝てられるほど俺は腐っては居ない。寝ている場合じゃねぇ!と言わんばかりの勢いで起き上がると、ごろごろと食べていたスナック菓子を持って、ソファに姿勢よく座りなおす。

それを見ていた翠星石が目を丸くして

 

「お、おま!翠星石の時と明らかに態度が違うです!」

 

「いやぁ、ははは、怒ると可愛い顔が台無しですよ、義姉さん」

 

「か、可愛いってそんな…って、うるせぇです!大体、お前に義姉さんと呼ばれる筋合いはねぇです!

蒼星石だって蒼星石です、こいつを甘やかすからこんなダメ人間になっちまうです!」

 

「そうかな?でも、掃除はもともと僕が好きで始めたことだから」

 

「むむむ、お前も、蒼星石が健気に掃除しているのを見て、手伝おうとか思わないですか?」

 

もちろん、初めのうちは手伝っていた。まだ来たばかりの頃は、俺が部屋の掃除をしだしたら蒼星石が控えめに手伝ってくれるような感じだったのだ。ところが、いつの間にか主導権と言うか、掃除の決定権のようなものが俺から蒼星石に移行していて、蒼星石が何かしてくれって言われない限りむしろマスターは座って大人しくしていて、って感じになってしまったのだ。今日だって大人しくごろごろ…

 

…って、あ、あれ、本当に俺って今ダメ人間になってるんじゃ…

 

「マスターは普段は大学やアルバイトで忙しいんだ。今日みたいに、家に居るときくらい好きに休ませてあげてよ」

 

うお、まぶし!笑顔が眩しい、何だこの天使は…そんなんだから俺がダメンズになっちゃうんだよ!大学もアルバイトも言うほど忙しくない、なのに、包容力と言うか、ボーイッシュな見かけによらず蒼星石の溢れ出る母性がすごい。だから、うん、甘えてしまうのも仕方がないのだ。

 

「ほらな仕方ないだろ?」

 

と諦めた風に肩を竦めてみせると翠星石は肩を震わせて

 

「……こっの!ゴミ人間がぁああ!」

 

「ぐふ!」

 

勢いを付けて腰をひねると座っていた俺目掛けてドロップキックを飛ばしてくる。は、腹が…そのまま、俺の膝の上に馬乗りになって着地すると、俺の額に人差し指を押し付けるように当てながら、上目遣いで睨むように俺の目を見る。

 

「こうなったら、今日はお前が蒼星石のマスターに相応しいか、翠星石が密着で一日中チェックしてやるですぅ!」

 

「……へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方そのころ…

 

「はい、水銀燈、あーん」

 

「あ、あーんって、なにやらせてるのよ!しかもこれ、すごい煮えたぎってたおでんじゃないの!」

 

急におでんが食べたいと言って、下の購買で買ってきたと思ったら何を思ったのか湯気の出ている熱々のたまごを私の口元目掛けて持ち上げるめぐ。正気を疑う。

 

「?あつあつで美味しいわよ。それに、水銀燈、味付けタマゴ好きじゃない」

 

「そ、それは好きだけれどって、あつっあつ!」

 

「うふふ」

 

この!あつ!おいし、あつ!お父様―!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むむ、ごろごろしたと思ったら、次はゲームですか。関心しねぇですね」

 

「本当に密着するつもりなのか」

 

あれから、しばらくして。結局俺は掃除を手伝って、翠星石と蒼星石がわいわいと二人で生協のカタログを見始めたころ。水銀燈も居ないし暇を持て余した俺はそーっとテレビをつけてゲームの電源を入れると目ざとく見つけたのか背後には翠星石の影が出来ている。

 

「大体ですね、お前みたいなダメ人間はもう少し真面目に勉強するくらいでちょうど良いですよ。今のうちにしっかりと勉強して将来社会の役に立たないとダメですぅ!」

 

な、何か説教が始まったぞ。しかも微妙に耳が痛い。微笑ましそうに紅茶のカップを持った蒼星石はこちらを助けてくれる気配はない。そのままカップを置いてペンを持ち直すとカタログに目を通し始めた……な、何か話題を。

 

「今の世の中、不景気だとおじじとおばばもよく言ってるですぅ。よくわからんのですが、戦後は何もなかったけれど工夫次第で…」

 

「まぁまぁほれ、翠星石」

 

「ん?何ですか、これは」

 

「何ってコントローラーだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほい!そこです!あぁ!何やってるですか忍!」

 

「何やってるのはそっちだろ!何でそっちは体力満タンなのにマキシムトマトを取るんだよ」

 

「道に落ちてるもんは、全部この翠星石のもんです」

 

「ま、でも、このゲームにはこういうシステムがあるのさ」

 

ぶちゅっと画面の一つ目のビームを出す俺のキャラがピンク色の球をしたキャラに口付けをすると体力がぴぴぴっと回復する。

 

「なぁあ!?何してるですか!」

 

「回復だよ、回復」

 

「く、口もねぇのにどうやって…まぁそっちが回復アイテムとれば、今度はこっちからちゅーして回復すれば良いんですね」

 

「そうそう。ああ、翠星石そんなに急がれると画面外で俺が死ぬから待ってくれ」

 

「ならとっとと付いてこいです、お、こいつ良い感じのコピーになりそうですね、ぐひひ吸い込んでやるですぅ」

 

どうやら、話題をすりかえることに成功したらしい。俺の隣に座った翠星石は身体を揺らしてほっ、はっ!とゲームに熱中している。何やってるですか!と背中を叩いてきたり、今みたいに、協力する場面では楽しそうに笑いかけてくれるなど中々穏やかな感じだ。

 

「おうおう、忍、何かでっかいタイヤの化けものが出てきたですよ」

 

「がんがん攻撃だ翠星石」

 

「了解です」

 

何だよー。普通にしてれば可愛いじゃないか翠星石。こんなことならもっと初めから仲良く…と蒼星石のほうへ笑顔で振りむ……。

 

「…」

 

ガリ、ガリガリリ!っと凄い筆圧でカタログのチェックをしている蒼星石、あ、あれ。普段あんなに力入れてやってたっけか。心なしか、前髪に隠れた目がすごく怖いような…

 

「なにボーっとしてるですか。はやく倒すですよ」

 

「あ、ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから3日後。

 

「忍―!早くソファに座るですよ!」

 

「わかったわかった」

 

バイトから帰ってくると、蒼星石がいつものように玄関まで迎えに来てくれる。そして、部屋に入るとソファの隣をぽふぽふっと叩いてコントローラーを持つように促してくる翠星石。最近ずっとこんな感じだ。すっかり、ゲームに嵌ったようだ。水銀燈は今日も居ない、きっと夜ご飯になったら帰ってくるだろう。

 

「はやく、はやくやるですぅ!」

 

「はいはい」

 

荷物を置いてから軽く手洗いうがいをするとタオルで手を拭いて、翠星石に促されるままにソファに腰掛ける。翠星石はゲーム機の電源をつけると、急いでスカートの裾を持ちながら俺の隣に、ぼすっと腰掛けた。俺の膝を肘置きにするのはやめてほしい…

 

「……マスター、何か食べたいものなどは…」

 

「ん?いや、特にはないよ。翠星石、何か食べたいか?」

 

「そうですねぇ。私も何でもいいです」

 

「……うん、じゃあ僕が決めて作るね」

 

そう言って、踵を返す蒼星石。にしても、蒼星石のやつちょいと元気ないな…

その背中を見届けていると、膝をぽんぽんと叩いて意識をこちらに向けさせる翠星石。

 

「ほらほら、今日はついに最後の銀河にねが…ぎょえー!?なんですか!?この0%が3つってのは!?ま、まさかまた初めから」

 

「ああ…昔のゲームのセーブデータは消えやすいんだ」

 

ぱらっぱっらぱん♪

っったん!(タイトル)

 

どん!と0%のファイルが3つ並んでいる。

 

…まぁ昔のカセットのある意味、醍醐味だな。長編RPGなんかは特に危険だ。魔王の城の手前で消えたりするのも今では良い思い出だ。お陰で皆最短プレイが当たり前になっていくのだ。

 

「こ、こうなったら今日は一気に最後まで突っ切ってやるです。行くですよ忍」

 

「がってん承知の助」

 

ざく!ざく!っと蒼星石が何かを切る音が聞こえているのだけれど、な、何か音がでかくないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方そのころ。

 

「めぐ、だ、だめよ!そこは!」

 

「ふふふ、可愛い、水銀燈」

 

「でも、そこは…ひう!」

 

かりかりっと耳の中の耳かきを動かすとふぅっと息を吹きかけてくるめぐ。くすぐったくて死ぬ。でも動くと耳の穴に耳かきが突き刺さって死ぬらしいから動くに動けない。

 

「動いちゃだめよ水銀燈。暴れると死んじゃうわよ?」

 

だ、だめ。かりかりかり!っと耳の穴を上下する棒の勢いは衰えることをしらず。

このままじゃ、あ、あ、お、お父様―――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪い翠星石、ちょっと進めててくれ」

 

「?まぁ別に良いですが…トイレですか?」

 

「まぁそんなもんだ」

 

「フン、まぁ足手まといが居なくなってすいすい進めるですぅ。……すぐに、済ませるですよ?」

 

ソファを経つと、コントローラーの操作をCPUに切り替えてトイレには行かず、台所の方へと向かう、如何せん、蒼星石の様子が気になってゲームに集中できないのだ。そっと、台所の中を影から覗いてみると。蒼星石はなにやら味噌汁を小皿に入れてずずっとすすり、暗そうな顔をしていた。

 

「マスター。喜んでくれるかな?今日は、初めて作った料理だから…それに、今日はマスターの健康を考えて、あまり好みじゃない素材も入ってるからもしかしたら、食べてくれないかもしれないし……」

 

そうか、俺が遊んでいる間にいつも蒼星石はそんな事を…。

いつからだったか、蒼星石の居るのが当たり前になっていて、最近はコミュニケーションも減っていたかもしれない。俺のほうが、何だか甘えすぎていたのだ。なのに、蒼星石のやつは健気に、甲斐甲斐しく献立にまで気を使って…。

今すぐ飛び出して、抱きしめて、ぐるぐると回って高い高いしたいくらい気分が高まっているが、ここは、ぐっと堪える。そのまま、トイレに行って用を足すと遅いです、何やってたですか、と言う翠星石の元へと戻ってきた。そう、俺がするべきなのは。

 

 

 

 

 

 

「すごく美味しかったよ、蒼星石」

 

「本当ですか?」

 

食後、全部綺麗に平らげて見せてから蒼星石にそういうと、本当に嬉しそうに笑う。ちょっと苦手なものも確かにあったが、それを回りの食材で上手に隠していて、ほとんど気にならなかった。こんな工夫を、いつもしてくれていたのだろう。

翠星石は早々にゲーム機の前に飛んでいったし、水銀燈は未だに帰ってきていない。

 

「ああ、食器、洗うよ」

 

「え?僕が…」

 

「良いから、たまには座って待っててくれよ」

 

そう、蒼星石にはたまには甘えてもらわないと。最近の蒼星石は働きすぎだ。真面目で頑張り屋さんなのは分かるけれど、何処かで楽をしないときっといつかいっぱいいっぱいになってしまうだろう。

 

俺の言葉を聞いた蒼星石は、予想通り、あまり嬉しそうな顔はしなかった。それから、右手で顎を持って、左手でその肘を持って考える人のように思考すると、何かを思いついたのか、こちらに顔を上げて目を細める。

 

「それなら、一緒に洗お?マスター」

 

それは、俺にとっては少し予想外の返しだった。

 

「え?いや、それじゃあ意味がないだろう」

 

「一人より、二人の方がすぐ終わる。いつもマスターの言ってる事だよ」

 

そう言って、小首を傾げながらニコリと笑う蒼星石。こんな顔も出来るのか、と驚いていると、俺の返事も聞かずにせっせと椅子の上で背伸びをしながら皿をまとめはじめた。そこまでさせるわけには行かないと仕事を取り合うようにして、皿を片付ける。最後の一枚を取ろうとしたときに、手が重なって、思わず二人で目線を合わせると、次には顔を赤らめて、あははと、蒼星石は当たった手をもう片っ方の手で包み込みながら、笑うのだ。こんなの惚れてしまうだろうが!

 

「忍―早くするですよー」

 

「はいはい。蒼星石も後で一緒にやろう」

 

「え?でもあのゲームは二人しか」

 

「俺のコントローラーで一緒にプレイすればいいよ。二人でやったら、きっと楽しいよ」

 

「マスター…うん!」

 

がちゃがちゃと皿を運ぶ一人と一体。その様子を、小さな鏡から覗いている白い薔薇の存在にも気が付かずに…

 



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夏の夜はお腹がすくのよぉ

・本編の番外編です。あんまり本筋には関係ありません。


「蒼星石……起きてるか…?」

 

夏の少しばかり暑い夜。快眠モードのクーラーの効いた俺の部屋は明りも消えて寝るにはちょうど良い感じだったのだが、どうにも自分の体温が熱く感じられて、寝苦しい。ベッドから体を起こすと、スマホを手に取り、薄暗い液晶のバックライトを頼りに忍び足で体を起こすと、茶色い鞄の上まで近づき、小さな声で呼びかけてみる。…しかし、応答はない。

 

「おーい、蒼、蒼い子―…」

 

……完璧に、寝てる…よな…。よし!

 

音を立てないように、左足を上げてつま先から体重を移動させて、今度は右足といった風に音を立てずに、そろーりそろーりと部屋を歩くと、ドアを少し開け、そこへ体を滑り込ませると、それからまたゆっくり、ゆーっくりとドアノブを予め捻っておき、音が出ないようにドアを閉めた。

 

 

部屋を出たからと言って油断はできない。暗い廊下をスマホを掲げながら歩くと、角の所にあるリビングの明りをつけると、一瞬目がくらむ。それにしても、部屋と違ってリビングは蒸し暑いな。テレビの前のテーブルに置かれたクーラーのリモコンを手に取ると、電源をつけて温度を下げ、それが終わるとそのままソファに腰掛ける。

とりあえず、第一関門は突破できたようだ。次に、クーラーのリモコンをテレビのそれに持ち替えるとぷつんーっという音がしてからしばらくしてテレビの電源がついた。音が大きかったので少し下げたのだが。うーん、どれも深夜、って感じの何とも言えない番組が多いかな。チャンネルボタンを次々と切り替えていくのだがめぼしい番組がない。仕方がないので某お笑い芸人とモデルが司会をしているトーク番組をつけてリモコンをテーブルへと戻した。

 

そこで、きゅー、っと何かが鳴くような音がする。まぁ何かっていうよりも、自分の腹なのだが。夏の夜っていうのはどうにもお腹が空いていけないな。小腹っていうか、中腹が空いた感じだ。

 

「…許せ。蒼星石」

 

もともと一人暮らしのころは、好きな時に好きなものを好きなだけ食べると言った感じの自由な暮らしをしていたのだ。それが、蒼星石が来てからは生活リズムは一変。あんまりだらしないことは出来なくなったし、夜食や間食も随分制限されている。というか、夜食なんてものは食べなくなった。

 

普段健康に暮らしているうちはそれが正しいと思うし、そうしてくれている蒼星石にはいくら感謝しても足りないくらいなのだが、どうにも、体の若さが、はたまたそういう性分なのかたまには昔食べていたような体に悪そうな、夜食や間食を食べたいと思ってしまうのだ。

 

思考がそういう結論に達すると、段々と腹の減り具合も半端じゃなくなってきた。

そうと決まれば、今あるもので何かを作ろう。そう思い立ってソファから立ち上がると、冷蔵庫まで歩いて、冷気の飛び出したドアを開ける。普段は気にならないブオォオという冷蔵庫の稼働する音が、深夜だとやたら大きく聞こえてくる。お、ソーセージがあるな…なら、炒めたソーセージにチーズを絡ませて、おまけに目玉焼きなんか焼いちゃってご飯に乗っければ、ボリューム満点ソーセージ丼ができるじゃないか。

 

そうだ、お茶漬けなんていうのも良いなぁ。あっさりしてるし、なんかさらさらと腹の奥へと押し込めそうな…って、待てよ?

 

冷蔵庫を閉めて、冷凍庫を開けてみると、いくつかの冷凍食品やアイスクリームがあるだけで、特にめぼしいものはない。続いて炊飯器の前に立ってみると、蒼星石が既に明日のご飯を炊いているようで、タイマーが始動しているようだ。つまりこれって。

 

「米がないのか」

 

さぁて、少々予定が狂ったぞ。冷ごはんすらないとなると、お茶漬けも丼ものも不可能だ。気分はすっかりあっさりめのお茶漬けを掻きこむ感じだったのだが…残念だ。

 

「なら、麺か」

 

俺のちょうど肩くらいの高さにある戸棚を開けると、そこには味噌に塩、しょうゆにとんこつといった様々な味のインスタントラーメン達が目に入ってくる。その一つである、しょうゆラーメンを手に取ってみると、元祖ラーメン、だのこだわりのツユと言った謳い文句が目立つ字で列挙されている。それよりも、海苔やらメンマ、チャーシューやらが乗った湯気の出ている完成図を見ているだけで、空腹はさらに加速していく。よっしゃ、しょうゆラーメン。君に決めた!

 

 

……いやいや、待てよ?

 

 

バタンと戸棚を閉めると、ラーメンを取り出して今度はテーブルの長椅子を引いて、そこに腰掛ける。突然ラーメンのストックがなくなったら、朝、蒼星石に気づかれてしまうのでは無いだろうか?

 

戸棚や冷蔵庫の中身を蒼星石は知り尽くしているのだ。無くなれば、すぐに気が付く。そして、こう言うのだ。

 

……

 

「すみません、僕の料理がマスターには合って居なくて、僕に内緒で夜に……僕なんて、マスターのドール失格です…」

 

「やーいやーい、忍―!ざまぁーみろですぅ。蒼星石はこれから翠星石たちと一緒に住むですぅ、もう二度とあんな薄情なクズ野郎の家になんて行かなくて良いですぅ!」

 

「ありがとう翠星石…さよなら、マスター…」

 

……

 

なんてことに…!困ったぞ、割と本気でそうなりそうな気がする。机に肘を立てて顔を置くと、しばらくぼーっとテレビを眺めていたのだが、次の瞬間、ひらめく。電撃が…走る……!!

 

顔を上げて、テレビの上の時計を凝視すると、まだ0時になったばかり。若者的には起きていても何ら問題ない、というより、寝ている大学生の方が少ないだろうという時間だ。これならば、いっそ。

 

「コンビニ!」

 

あそこに行けば、いかにもな惣菜やフライヤーの商品が買えるし、俺が作るよりも確実にうまいものも食える。そのためだけに家を出るのもなんだかあれだが、気分はすっかりジャンクフード。そうと決まれば早速準備をしよう。コンビニは結構近い、短パンに半袖のシャツというラフすぎる格好だが、別に見られて恥ずかしいわけではない。サンダルでも履いて行って帰ってくるだけだ。

 

「よっしゃ、行くか」

 

「へぇ、どこへ行くのかしら」

 

「そりゃ、蒼星石に内緒でコンビニに…?!」

 

ぎ、ぎ、ぎ、とブリキのロボットのように徐々に首を後ろに曲げていくと、にんまりと口の端を釣り上げている黒い編み上げドレスに銀色の髪、黒い翼で浮いている水銀燈と目が合った。どうやら今まさに洗面台の鏡からここにやってきたらしく、羽がそこから点々と落ちているようだった。珍しく、とても良いスマイルなのだが、俺にとってはそうじゃない。心臓部分をそのまま握り取られている感じがして、顔から血の気が引いていく。

 

「す、水銀燈様、あなた様は本日はめぐ様のところでお寝になられるのでは」

 

「私が何処に居ようと勝手じゃなぁい?それよりも、ふふふ、聞いちゃったぁ聞いちゃったぁ♪あなたが蒼星石に内緒でぇ、まさか夜中にひとりコンビ…」

 

ぐ~

 

と言っている途中で、腹の音が聞こえた。さっきまで鳴っていた俺の腹ではないぞ。ということは、今のは、まさか。

 

見る見ると顔を赤くしていく水銀燈を見て、俺たちの間には、くだらない論争や煽りあいなんて必要ないことが分かった。すぐにでも、分かり合える。そんな気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひどいぞ水銀燈。羽をひゅんひゅん飛ばしてくるなんてさぁ。俺たちは目的を同じくする同志じゃないか」

 

「はぁあ?一緒にしないでちょうだい。私はちょ~っと小腹が空いているだけよぉ」

 

「それって、なんか違うのか…」

 

家から財布と携帯、それから水銀燈を乗せた赤いリュックだけを持ってコンビニへの道を歩く。外は結構星が出ていて、街灯も明るいし、何より思ったよりも暑くなかった。外で寝たら気持ちよさそうだなぁなんて感じるくらい、夜風が気持ち良い。

 

「結構夏の夜風って涼しくて気持ちいいよなぁ?」

 

「…」

 

む、話掛けたのに無視か、水銀燈。その後も、2,3言声を掛けたのだが、無視されてしまう。それ以上話しかけても仕方がないと思い、しばらく、無言のままアスファルトの地面を歩いた。

何本の電柱を横切ったかわからなくなってきた頃。前方に見えてくる昆虫たちのぶつかっている電気スタンドとコンビニそのもの。

 

「そろそろだ、リュックに入っててくれよな」

 

「…」

 

水銀燈からの返事はなかった。しかし、返事こそしなかったが、がさごそとリュックの中へと入ってくれたようで、ちょっとばかし肩が重くなったのがわかる。

そのまま、ぴろぴろーんというコンビニ独特のベルに迎えられてコンビニの中へと足を進めると、思いのほかコンビニ内は涼しくなかった。

 

不自然に思われないように自然な動作で明るい店内を見回してみる。店員は既に夜間のシフトになっているのか一人しかいないようで、値段のカードを張り付けたりポスターを新しいのに変えたりと結構忙しそうだ。お客はそんなに居ないようで大声で話すヤンキーのカップルみたいなのと、お酒を吟味しているパジャマみたいな格好のおっさんが一人いるだけ……水銀燈とちょっとくらい話をしてもばれはしないだろう。近くにあったカゴを持つと、弁当やおにぎりの置かれたコーナーの近くへ足を伸ばす。ここなら…大丈夫だろう。

 

「水銀燈は何を食べたいんだ?」

 

「…ん」

 

「…ん?」

 

「…ぷ、ぷりん…」

 

ぷ、可愛いなぁ。と思ったのがばれたのか背中にさくっと羽が刺さった。リュックと服越しだというのに痛い!?かと言って飛び跳ねたりすると怪しまれるので涙目になりながらも握り拳を作って堪えた。

デザートコーナーへと足を運ぶと色んな種類のプリンが売っている。焼きプリン、とろーりプリン、練乳プリン…

 

どのプリンにするか相談したかったが、近くにヤンキーのカップルが居るので、この距離で一人でぼそぼそ喋っていると変に思われてしまうだろう。とりあえず、選んで文句を言われなさそうな値段の高い、ぷりんの上にクリームのいっぱい乗ったやつを選んでおいた。後は、俺の夜食を買うだけだ…

 

品ぞろえの少なくなった棚を見渡しどれにするかを選ぶ。うーむ、悩むなぁ。つくねにナゲットにカツサンド…ええい、俺にどうしろっていうんだよ!

頭の中に色々な夜食が浮かんでは消えてを繰り返しているうちに、あるコーナーが目に入った。そう、夜食の代表ともいえるカップめんコーナー。その中でも、俺が心奪われたのが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これの入れてきたお湯を流せば完成だ」

 

「ふぅーん、面倒くさいわねぇ」

 

「そんな所にいると湯気が危ないぞ」

 

台所の流しの前に立つ俺と、その様子を上から見ている水銀燈。羽を動かさずにふわふわと浮いていて、どういう原理かさっぱりわからない。なんで金糸雀や水銀燈は空を飛べて、他のドールズはカバンがないと飛べないのだろうか。謎だ。

 

買ってきたカップ焼きそばのお湯を銀色の流し口から流すとちょろちょろとお湯が流れ出てきて、湯気を立てている。それと同時に、茹でた小麦粉の匂いもしてきて空腹が限界を迎えそうだ。水銀燈のやつも、鼻をすんすんと動かして、興味深そうに覗き込んでいる。何とかべこぉん!とならずにお湯を切り終えると、蓋を開けて、付属していたソースを取り出し、口と手で割りばしを割るとぐるぐるとソースに麺をかきまぜ始める。おぉ、このソースの匂い、最高だよなぁ。

 

「最後にふりかけ、青海苔をかければ…焼きそばの出来上がりー」

 

「はやく食べましょうよ!」

 

「え?」

 

「じゃなくて、うぅ、それを寄越しなさぁい!」

 

「わ、うわ!やめろ、一緒に食べよう、暴力かっこ悪い!」

 

水銀燈は、私は別に腹ペコキャラじゃないわよ!なんて言っていたことがあるが、結構、食べることが好きなんだよなぁ。ていうか、羽が痛い!

 

 

 

 

 

「いただきまーす!」

 

俺がそう合図するとやる気なく箸を持ったまま、こちらを半目で見ている水銀燈。机の上にはカップ焼きそばと冷えた緑茶、それからプリンに俺の買ったゼリーが置いてあって、まさに夜食って感じだ。カップを水銀燈に使わせるとして、俺はさっきの蓋を使うことにした。蓋に焼きそばを乗せると、青海苔とソースの匂いが何とも言えない。割りばしで掴むと一気に口の中へとすするように放り込む。

 

ずるずるずると、ソースの味を確かめながら歯を動かすと、思った通りのソース味と、何とも言えないこの感触。ぱさぱさしすぎず、湯につかりすぎず、うまくお湯が切れたようでソースに絡んでたまらない。こういういかにもなものを夜に食うってだけで、普段の十倍美味い。

 

「んん!?」

 

「ど、どうしたのよぉ?」

 

勢いよく食べ過ぎてのどにつっかえた。あわてて緑茶をコップに入れて流し込むとこの、焼きそば独特の流し込んだ後味の良さ!

 

「はぁ、美味い!水銀燈も食べてみろよ」

 

「…」

 

俺のことを、ちょっと心配してくれていたのか、そういう顔をしていたのに俺が無事だとわかると一転、いつもの不機嫌そうな顔に戻った。そのまま、俺に言われたわけではないだろうが、割りばしを器用に使って焼きそばにぱくりとかぶりつくと…

 

「…まずいわよ、これ」

 

「そうかぁ。まぁ好きなだけ食べてくれ、残しても良いからさ」

 

そう言って、しばらく箸を持ったままもぐもぐと口だけを動かしていたようだが、その後も、すぐに次の焼きそばを口へと入れていた。相変わらず素直じゃないなぁ。俺も焼きそばをずるずるっと口の中へと放り込むと、同じように、そのカップ焼きそばって感じの焼きそばを噛み締め、満足する。すきっ腹にこれは、卑怯すぎる!焼きそばを食べながら、この後食べるあっさりした果物ゼリーと、水銀燈からちょっと失敬する予定の甘いホイップクリームプリンを見て、たまには夜食も良いよなぁ。と後々、蒼星石に麺の浮いた流しを見られて、ごみまで丁寧に処理した夜食のことがばれるなんてことも知らずに……

 



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雨の日

しとしとと雨がようやく降り始めた。さっきまでも灰色の空が迫ってきていて、降りそうな気配はあったけれど何とか持ち堪えていた、しかし、それも限界が来たようだ。

張りつめていた水風船に針を刺したかのようにぽたぽたと、雨露が窓の向こうでリズムを刻む。ぽつん、ぽたん。ぽつん、ぽたん。ベランダの地面に小さな水たまりをつくるとその上に落ちた雫が跳ねたり跳んだり、波紋をつくる。

 

「あ」

 

違った。マスターの傘に似ていたから、もしかしたら、何て期待していたのに、そんなことはなくて、良く考えたらドアは反対側、いつもマスターは反対側の道から帰ってくるから、ここから見えるはずないのに。

 

「マスター。遅いね」

 

それは、私に振ってるのぉ?なんて言いそうな、人形は、今日はいないのだった。冷たい窓に手を当てて、後ろを振り向くといつもソファを占拠しているはずの水銀燈の姿はない。薄暗い灰色の部屋に雨の音と、時計の音だけが響いている。

 

洗濯物は早いうちに済ませてしまった。夕ご飯の支度はまだはやい。掃除はもう3回以上行った。ベランダの最近芽を出し始めた植物たちも、これ以上世話を必要としていない。

 

いつから僕はこんなにも寂しがり屋になったのだろうか。暗い部屋に居ると、マスターはよく、暗がりじゃないか。と言って電気をつける。その声を、今もずっと待っている。

 

マスターは、暇な時に部屋にあるものなら何をしても良いと言っていた。だけど、そんな暇つぶしよりも何か一つでもマスターに役に立ちたくて。

本棚まで近づくと、料理のレシピ本を開く、そして、その間に挟まった、小さなノート。マスターにも、水銀燈たちにも内緒で付け始めた秘密のノート。見られたら、恥ずかしくて死んでしまう。そんな僕だけの、秘密の日記。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー。いや、突然カラオケに誘われちゃってさぁ。飲み会まで呼ばれそうになって参った参った」

 

玄関を開けて、少しつっかえもののある様な声を喉から出してそういうものの、いつもなら駆けてここまで来てくれる蒼星石の姿がない。はて、と濡れた傘を傘立てに入れて、靴を脱ぎ、リビングへと向かう。すると答えはすぐに見つかった。

 

「すー……すー…」

 

「蒼星石、珍しいなぁ居眠りなんて」

 

ソファの上でクッションを抱きしめながら丸くなっている蒼星石が目に映る。相変わらずこんなに暗いのに電気も付けずに。水銀燈や翠星石あたりがいたらつけるんだろうけど、どうも一人でいるときは最低限のことが出来る明りがあれば良いと思っているのか、電気すらつけない。健気だとかそういうものも感じるけれど、それ以上に心配になるからやめてほしい。電気くらい遠慮なくつけてくれたらよかったのに。

 

寝ている蒼星石の隣にコートを着たまま腰を下ろす。ソファが沈んで、蒼星石の寝ているところが少し傾いたが起きる気配は全くない。長い睫、上下している小さな身体、ちょっと涎の落ちそうな口元。こうしていると、本当に、ただの綺麗な女の子で…ん?

 

何だこれは。

 

ちゃぶ台の上に、料理の本とは別に、小さなノートが置かれていた。蒼星石が書いている途中だったのだろうかと、好奇心から、身体を乗り出してつい覗き込んでしまった。そこには、綺麗な字で。

 

 

○ 月×日 雨

朝、スクランブルエッグを作ると、マスターは口の端っこにケチャップを付けて朝食を食べ進めていた。僕がそのことを教えてあげると、慌ててティッシュでそれを拭って、ケチャップと同じように顔を赤くする。子供みたいで、可愛いと思う。

マスターが出て行った後、家事が終わってとても退屈になる。今日は帰りが遅いのかな。雨も寒そうだから、早く帰ってきてほしいな。

 

 

……これって、見てはいけない類のものだったんじゃ。ちらっと蒼星石の方に目を向けると、クッションを抱きしめたまま、ん…ますた……と、もにゅもにゅ何か寝言を言っていてが起きる気配がない。色々と破壊力高すぎる。着ていたコートを脱いでかけてあげると、蒼星石は無意識にそれに包まった。

 

それにしても、気になる。このノート。好奇心は猫をも殺すとは言うものの、あの、普段は少しクールな蒼星石の本心がここには書かれている。気が付けば、好奇心の赴くままにノートのページをめくっていた。

 

 

○ 月△日 晴れ

 マスターが、この娘可愛いなーと言って、珍しく出ていた女の人を褒めていた。確かに僕とは違って、髪が長くて、明るそうな綺麗な女の人だった。マスターはああいう人が好きなのかな。僕みたいな、男の子みたいなドールはやっぱり可愛くないから…

 

と言ったネガティブなことが1ページに渡り書かれている。確かに、あの時ぽつりとそんなことを言った気がするが、そんなに蒼星石の中で大きなことだったのか。ちょっと可愛いなーって呟いたが、蒼星石の方が百万倍可愛いに決まっているのに。

…次のページをめくる。

 

○ 月□日 曇り

 マスターが、僕と水銀燈のために、ケーキを買ってきてくれた。イチゴショートとチョコレートとチーズケーキ。勿論水銀燈はチョコレートをすぐに取っていって、僕とマスターでどうしよっか、って顔を見合わせる。一緒に悩んでいるだけなのに、マスターと目を合わせて考え事をしているだけで胸がほっこりと温かい。

でも、マスターが、俺は何でもいいから蒼星石が食べたい奴を選びなよ。と僕の頭を撫でてくれる。ちらちらと、イチゴのショートケーキを見ながらそんなことを言うマスター。本人はばれていないつもりらしいけど、凄くわかりやすくって、僕がチーズケーキを食べるって言ったら、目をキラキラさせて、そうかーと言っていた。マスターったら、僕のほっぺに付いた

 

「うわあああああああ!!」

 

「ぐお」

 

思いっきり、隣から押される、その拍子にノートを落としてしまったのだが、慌ててそれを拾い上げる、蒼星石。しまった、起きたのか。顔を真っ赤にさせて、息を荒げて、珍しく目が血走っている。ノートを胸に押し付けると俺の方へと指を差して目を白黒させる。

 

「み、みみみみみ、見たの?マスター?」

 

「見てないよ?」

 

「え、で、でも今」

 

「見てないよ。…蒼、これは夢なんだよ」

 

「ゆ、夢…?」

 

「そう、夢…まだ蒼星石は目が覚めてないんだよ」

 

そう言って、ゆっくり、蒼星石をソファの上へと倒していくと、コートをかけてぽんぽんと叩いてリズムを取る。こ、このまま、乗り切れるか?

 

「夢…」

 

「さぁ、目を閉じて」

 

「ますたぁ…マスター!」

 

ぎゅっと、突然こちらに抱き着いてくる、青い服。蒼星石。しまったと思ったが、そうじゃないらしい。

俺のお腹を枕にすると、幸せそうに目を閉じていき、その背中をぽんぽんと叩いてあげると、ますたぁ…とピンクの唇から甘えるような声が漏れて、そのまま、息を吸ったり、吐いたり…。

さ、日記の続きを…蒼星石のたれさがった、右手から、本を抜き取る。

それにしてもこれ、蒼星石の日記っていうか、俺の観察記録みたいな…

 

「ごめんね、マスター」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、目が覚めると、いつも通りの日常がそこにあった。

昨日の夜、何かあったような。うーん、覚えて居ない。まるで、その記憶だけ何かで刈り取られたような…白いエプロン姿の蒼星石はそのショートカットを揺らしてご飯が出来ましたよ、と一旦部屋に来て、それからまたフリルを風になびかせながら出て行った。まぁ、いいか。今日のご飯はなんだろうか。

 



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赤薔薇の淑女が来る!

「…」

 

「…なぁ、蒼星石」

 

「はい、何ですか、マスター」

 

「あいつは、一体」

 

朝、というには遅すぎる時間に目を覚ます。寝ぼけた目をこすって目を開くと、ソファには、いつも座っているはずの水銀燈の姿はなく、代わりに…

 

「あら、おはよう。ねぼすけさん?」

 

「あ、あぁ。おはよう。…真紅」

 

ソファに座り、優雅に紅茶を飲みながら読書に耽る、赤い淑女、ローゼンメイデン第五ドールの真紅の姿がそこにはあった。

彼女は、確か、ジュン君のところのドールのはず。遊びにくるといった話は聞いていないし、突然やってくるだなんてことをするのは翠星石くらいなものであったのだが…

わざわざ朝の挨拶に近寄ってきた蒼星石のほうへと屈んで耳打ちする。

 

「どうして真紅が?」

 

「うん、マスターに用があるって。…にしても、彼女、何だか機嫌がよくないみたいなんだ。それとなく探ってはいるんだけど」

 

ふうん、俺にか。しゃがんだまま再び真紅のほうへと目を向ける。

長い睫毛を瞬かせ、真剣に本を読む彼女の姿は結構綺麗で、おとなしいものであった。もともと、俺の持つ彼女の印象は、頭が切れて、敵に回すと怖い、ローゼンヤクザ…だ。あの水銀燈を言葉で言いくるめて、雪華綺晶や、殺気を放つ紫薔薇のドールにさえも怯むことなく立ち向かっていたし…。

今のところ、立ち向かうべき脅威は家には居ないと思うのだが、なんで、突然うちなんかに…

 

「って、そういえば水銀燈は?」

 

「それが、ついさっき真紅が来た時に…」

 

 

 

 

 

 

 

「真紅!あなた一体!?」

 

「どうもこうもないわ。近くに来たからよっただけよ」

 

座っていると、突然大きな入れ違い窓に茶色い鞄が激突した。また翠星石か。と思い、窓をがらりと上げてみると、姿を現したのは意外な人物。

 

「いらっしゃい、めずらしいね、真紅」

 

「ええ、朝早くからごめんなさい。突然なのだけれど、ここの家主はどこかしら、少し交渉したいことがあるのだけれど」

 

「交渉?」

 

「真紅。あなたの方からローザミスティカを持ってきてくれるなんて…。

さぁ、はやくアリスゲームをはじめましょう!?場所はどこがいいかしら、荒野?市街?それとも、ここで死んでいくぅ?」

 

「水銀燈…あなたには、失望したわ」

 

「……なんですって?」

 

「失望した。といったのよ」

 

う。なんだか、いきなり雲行きが怪しい。いきなりアリスゲームを吹っ掛ける水銀燈はいつものことだけど、真紅のほうは、何だか気が立ってる?

 

「失望?笑わせるわぁ。ふ、ふふ、アハハ!一体私に何を期待していたのぉ?真紅ぅ?」

 

「失望したの、その、態度に」

 

「た、態度?」

 

「そうよ、口を開けばアリスゲーム、アリスゲームって。そんなことより、今のあなたには必要なことがあるのではなくって?」

 

「…必要なこと?」

 

「私を、もてなすことよ」

 

「は、はああああ!?何を言い出すのよあなた!」

 

僕が思っていたことを、そのまま口にした水銀燈。一体何を言い出すのかと思っていたが、澄ました顔で、真紅は言葉をつづける。

 

「あら?今の私は、少なくともお客よ?アリスゲームをするにしても、温かい紅茶を一杯でも入れて、おもてなしをするのが礼儀というものではないかしら?」

 

「ふぅん。突然アポもなしにやってきて、私は客だ、お茶を入れろだなんて、それは大層な言い分だこと…ふふ」

 

「す、水銀燈?」

 

「真紅、あなた言ったわね。アリスゲームをするにしても、温かい紅茶を一杯飲んでからって、つまり、逆に言えば紅茶を飲んだら、アリスゲームを行う、とそう思っていいのよねぇ」

 

「ええ、もちろん。「私が満足すれば」ね」

 

「ふふ、あはは。いいわぁ紅茶の一杯でも二杯でも入れてあげる!それで、おなかいっぱいで動けない~なんて笑える冗談はよしてよねぇ。アハハハハ!」

 

水銀燈、自分で言って、何を受けているんだ。じゃなくて、こんな不条理な条件、危険すぎるとなぜ気が付かないんだ。

 

「さぁ蒼星石、真紅に最後の紅茶を「駄目よ」」

 

「水銀燈、紅茶を入れるのは…あなたよ。」

 

「は?」

 

「だってあなた、さっき「一杯でも二杯でもいれてあげる」と確かにそういったわ。ね、蒼星石」

 

「え、う、うん。まぁ」

 

「ということは、あなたが直接私をおもてなしのが筋というものよ」

 

「……ふん、まぁ良いわ。蒼星石、ポッドの場所を「だめよ」っ!」

 

「蒼星石、あなたは私の話相手になってちょうだい。その間に、あなたは一人で、お茶を用意するのよ。」

 

「…っは、ばかばかしい。そんな口車に乗ると思っているのぉ?なんで私がそんなことまでして」

 

「アリスゲーム」「!」

 

「するんでしょ?」

 

その言葉が決め手となって、水銀燈は一人でお茶の用意をすることになって…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、今台所には水銀燈が一人でお茶の準備を?」

 

「う、うん。」

 

「水銀燈って、お茶、入れられたのか?」

 

「それが、僕もどうなのか知らなくて」

 

「蒼星石、ひそひそ話は終わったかしら?そこの…人間。あなたも早く顔を洗ってこっちへいらっしゃい」

 

「あ、はい」

 

俺が家主なのに…立ち上がり、洗面台に行く途中。ふと隣に目を向けると。ふよふよと、台所の前で立ち尽くす、いや浮き尽くす水銀燈の姿があった。ポッドとカップとにらめっこして…何を考えているんだ?

 

「水銀燈、どうし、ぐええ!」

 

声をかけようとしたら。のど元を、何かにぐいいいいっと、引っ張られる。振り返ると、そこには真紅がピンク色の杖を持っていて。

 

「無粋な真似はだめよ。あなたはまっすぐ顔を洗って、居間に戻ってくればいいの」

 

「はひ」

 

すっと首元が緩む。こいつ、怖い!

 

 

 

 

 

 

 

 

「水銀燈のやつ、電気ポッドの使い方すらしらないんじゃないか?」

 

ばしゃばしゃと顔を洗い、口をゆすぎながらそう小さくつぶやく。できれば、あの怖~い赤ドールには早々にお引き取り願いたい。そのためには、是が非でも水銀燈にお外へ連れて行ってほしいものだが…

 

『マスター、おはよう』

 

「おはよう雪華綺晶」

 

顔を拭っていると、鏡の中から現れたのは第七ドール雪華綺晶。俺の…二人目に契約したローゼンメイデン。

 

『マスターマスター、どうして朝は、「おはよう」なのだと思いますか』

 

「さぁ、昔の人が決めたんじゃないか?」

 

『いいえ、違います、好きな人に「朝から会えてうれしい」と、つたえるためにおはようはあるんです。うふふ』

 

随分ロマンチストだな、雪華綺晶。彼女は、まぁ見ての通りすっかり丸くなって、基本俺にデレデレ甘えてくるようになったのだが、身体がないのでなかなかに不自由な生活を送っている。しかし、そうだ。そんな彼女だからこそ。

 

「なぁ、雪華綺晶、一つ、頼まれごとをしてくれないか?」

 

「!」

 

「難しいことじゃないんだが、台所の…って、き、雪華綺晶?」

 

な、泣いてる!?

 

「雪華綺晶、泣くほど嫌だったか」

 

「いいえ。いいえ。決して。初めてのマスター。初めての頼まれごと…。うれしくって」

 

そう言ってもらえると嬉しいのだけれど。泣いている彼女に手を伸ばし、ガラスの中へと指を差し入れると涙を拭う。今更だけれど、彼女に頼んで大丈夫だろうか。蒼星石とは違い、お茶を入れたこともなさそうだし。ちょっと、いや、かなり心配だ…

 

 

 

 

 

 

 

「遅かったわね」

 

「美人が来ているので念入りに洗っててね」

 

「そう、てっきりあの子とイチャイチャしていたのかと思ったわ」

 

「っう、ちょっと朝の挨拶をしてただけだよ」

 

「…」

 

い、いかん。こいつは強敵だ。蒼星石と雪華綺晶、二人の間にはまだ確執が残っているから、そこまで仲がよろしくない。もともと、受け入れるのが下手な蒼星石に、まったく他者に受け入れられたことのない雪華綺晶。相性が良いとは言えない。

「あの子も呼んでちょうだい。せっかく、黒薔薇のお姉さまがお茶をいれてくれるのよ」

 

「いや、なんか、雪華綺晶は今用事があるらしくて」

 

「用事?」

 

「ああ」

 

「そう」

 

まるで、すべてが見透かされているようだ。迂闊なことは言えないな。ゆっくりと、蒼星石が用意してくれた座布団に腰を下ろす。対面の蒼星石は、雪華綺晶の話題が出たとたん笑顔が消えた。うーん二人の仲をなんとかしないと。

 

「それにしても、遅いわね。もう10分は経っているのに」

 

「…もしかしたら彼女は、電気ポッドも使わず紅茶を…?」

 

「そうね。まぁいいわ。そこの。」

 

「は、はい」

 

びしっと、「そこの」は背筋を伸ばす。一体、どんな無茶難題を言われるのであろう。嫌な汗がたらりと背中を伝って落ちる。

 

「シノブ、だったわね。あなたに今日はお願いがあってきたの」

 

「は、はぁ」

 

「実は…」

 

「待たせたわねぇ。真紅ぅ」

 

と、真紅が口を開きかけたとき。台所からカチャカチャと紅茶を入れたカップをお盆に乗せて、水銀燈がやってきて、かちゃんとお盆を乱暴に机の上に乗せた。見た感じ、うまくできてる。それに、香りもここからでもわかるくらい良い。

 

「これは…」

 

「…」

 

「さ、どうぞ召し上がれ」

 

自信満々に、水銀燈が真紅の前へとかちゃりとソーサーと空のカップを置いたとき、真紅の金色の眉がわずかに動く。すると…

 

「…!」

 

なんと、大胆にも大きな行き違い窓に、白いカップを持った雪華綺晶の姿が映った。なるべく自然に目を逸らしたが、真紅たちには…どうやら、二人とも出されたカップを凝視していて気が付いていないようだ。

 

「カップ……回す?あぁ」

 

そうぼそぼそと独り言のように呟くと、水銀燈はぶっきらぼうに出したカップを何やら回転させた。一体雪華綺晶になにを?

 

「そうね、普通カップを出すとしたら、左取っ手。スプーンの持ち手は右に…」

 

「もしもカップに絵柄や正面が設定されているようなものならそれを見せる必要があるけれど、うん、今回のカップはシンプルな白いカップだから。これが正解だね」

 

……お前らは格付けチェックの審査員か!?

蒼星石まですっかり紅茶の評論家モードだ。空気がぴりっと張りつめている。美味しかったらなんでもいいと思うのだけれど。

 

「ど~でも良いうん蓄、ありがと。さ、入れるわよ」

 

そういって、ポットから、紅茶を、高い位置から注ぎはじめた水銀燈。あれは、見たことがある。確か空気を含んだ方がおいしくなるんだったか。その様子を見て、険しい顔をやめて、柔和な顔つきになる真紅と蒼星石。

 

丁寧な動作で俺たちのカップにそれぞれ紅茶を注ぐと早速、手に取って香りを楽しむ真紅。しかし。

 

「あら、これは」

 

?続いて、蒼星石も同じようにカップから手を扇ぎ匂いを確かめると、目を開いて驚く。

何かおかしかったのだろうかと、俺もにおいを嗅いでみる…。

 

「ん?」

 

そのままカップに口をつける。どうやらわざわざカップも一旦温めたらしく、ちょうど良い温度の紅茶。しかも味が…

 

「水銀燈、あなたこれはどうやって入れたの?」

 

「…どうって、別にぃ、普通にいれただけよ」

 

「美味しいなぁこの紅茶」

 

「うん、水銀燈、すごいじゃないか」

 

「そ、そうかしら?」

 

美味いのだ!蒼星石が入れてくれるものとはまた別の美味さ。いつも飲んでいるのと同じ茶葉のはずなのに、何かが違う。まるで、広い海の中に、そこだけ、サンゴ礁がひろがってような…なんなんだ、一体?

 

「そ、そうね。温度も悪くないようだし、茶葉を蒸らした時間も…合格ね」

 

「ふふ、素直に美味しいっていえば良いじゃないか、真紅」

 

「そうよぉ、素直に、負けを認めなさい?私の紅茶が、今まで飲んだことのないくらいと~っても美味しいって」

 

「…」

 

この展開は予想外だったのか、押し黙る真紅に、勝ち誇り、にやけた顔で真紅の隣に腰かける水銀燈。それにしても、何だろう、なんか飲みなれた感じがする。味の秘密が何なのか探って紅茶をのんでいるうちに、あっという間に空になってしまった。もしかして、雪華綺晶が何かを言い含めたのか?美味かったが、すごく気になる。

 

「…そうそう、先ほどの話の続きなのだけれど。シノブ、あなたこの部屋を間借りさせる気はないかしら?」

 

「間借り?」

 

「ちょっと、まだあなたの感想を聞いてないわよ真紅!」

 

「ジュン君の家にいるなら、間借りなんて必要ないんじゃないか?」

 

「いいえ、必要よ。少なくとも、私のくんくんコレクションを置く場所がなくなったもの」

 

「く、くんくんコレクションって」

 

「ひどいのよ、ジュンったら、普段私が棚に飾っていた素晴らしいグッズの数々をガラクタと称して箱に、ただの段ボールの箱に詰めようとしたの!」

 

「やりすぎよぉ…」

 

「うん…あんまりだ…」

 

…うんうんとうなずく3人。くんくんグッズって、そんなに大事だったのか。

 

「そこで、この部屋のどこかに私のグッズの一部を保管しておこうと思ったの。ほら、あのテレビの横の黒いラックなんて良さそうじゃなくて?」

 

「!??あそこは駄目よ!」

 

「あら、あのラックの上なんて、カレンダーが置いてあるくらいで特に何も置かれていないように見えるのだけれど」

 

「残念ねぇ…あそこは私の…」

 

「あら?」

 

「ちょ、真紅ぅ!」

 

がさがさとラックの中身を見始めた真紅。あ~確かあそこには、水銀燈の

 

「!?これは、幻のくんくんステッカーナンバー0!?それに、マスドのラッキーセットにしかついてこないゼンマイ式猫警部とラピッド夫人!?」

 

「やめなさい!」

 

急いで真紅を引きはがすと、ラックの前に立ちふさがる水銀燈。あれこそ、俺たちもめったにお目にかかれない水銀燈コレクションだ。もともとDVDとか入っていたその黒いラックは今や水銀燈のテリトリー。たまにラックを覗いてにやにやしていた気がする。

 

「水銀燈、もう少し、見せてちょうだい?いえ、見せてくれないかしら?」

 

「駄目よ、帰りなさい。さっさと帰って」

 

「……じゃあ、こうしましょう。アリスゲームをして、勝った方がお互いのグッズをすべてもらえるというのはどうかしら?」

 

「な、なにを言い出すのよあなた」

 

「先ほどちらりと見えた、くんくん超合金グルコシリーズのナンバー23。くんくんの日常・ステッキ編。私は、あれがど~っしてもほしくて。ジュンとのりに食玩をたくさん買わせたわ」

 

「そ、そうなの。ふふ、私は一発で引き当てたわぁ」

 

そのグルコのお菓子を買ってきたのは俺だけどな。

 

「そうね。そして私は当たらなかった。どろぼうキャット4連チャンなんてことまであったわ」

 

「…」

 

「だから、そのナンバー23!そして、ついでにほかのくんくんグッズをかけてあなたにアリスゲームを挑む!」

 

「い、いやよ!落ち着きなさい、真紅、あなたマスターに邪険に扱われたからって、やけになりすぎよぉ。」

 

「いいえ、私はいたって冷静。少なくとも16通りはあなたを倒す方法を思いついているわ」

 

やばい。真紅のやつ。

ステッキと人口精霊まで出して本当に…!?

 

「ねぇ!真紅、落ち着いて。まだ君のカップには、水銀燈の入れてくれた紅茶が残っているよ?」

 

「…蒼星石…」

 

割って入ったのは蒼星石だった。ふたりの間に飛び込むと、大きな声を出して二人の注目を集める。

 

「さっき君は、アリスゲームを行うにしても、暖かい紅茶を飲んでからと、そういっていたよ?ね、水銀燈」

 

「え、えぇ」

 

「…そうね。私としたことが、礼節を欠いていたわ」

 

おぉ、なんとか丸く収まったぞ。

つかつかぺたんと、ソファに座った真紅は、少しだけ冷めた紅茶に口をつける。

するとどうだ。つりあがっていた眉は下がり。徐々に、柔らかい表情になる。美味しいからなぁ、あの紅茶。それに、どこか落ち着く。

その様子を見ていた蒼星石も、同じように紅茶を飲み、口を開く。

 

「真紅、君のマスターは君のグッズを一つの段ボールに詰め始めたと言っていたけど、その時、彼は君以外の雑貨なんかも、詰めていなかったかい。それも別の段ボールに」

 

「え?…そうね、そういえば…どうして知っているの?蒼星石」

 

「なに、簡単なロジックだよ。君の話を聞いて、彼と君が同じ棚を使っていたのはなんとなくわかったからね。もしかしたらと思ったんだ。多分。彼は君のグッズを捨てようとしたんじゃなくて、数が増えてきたから…新しい収納場所を用意しようとしたんじゃないかな」

 

「新しい……場所?」

 

「きっと、彼なりの照れ隠しだったんだと思うよ。君のためにスペースを作ってるって言うのが、恥ずかしかったんじゃないかな」

 

「ジュン…」

 

目を伏せて、何かを思い返しているらしい。真紅。もう、先ほどのような怒りは感じられず、しとやかになった少女がそこにはいた。

 

「わ、わかったら帰りなさい。しっし」

 

「えぇ…そうするわ。」

 

カップを置いて、のそのそと、来た時の乗ってきた茶色い鞄に乗り込む真紅。俺は何も言わずに席を立って、速やかに帰ってもらえるように窓を開けた。びゅっと冷たい風が入り込む。

 

「そうそう、水銀燈」

 

「なによ」

 

「あなたの入れた紅茶。とても美味しかったわ。また入れてちょうだい」

 

「…さっさと行けば?」

 

今日一番の微笑みを水銀燈に送ると、鞄を閉じ、びゅっと、鞄はすごい勢いで飛び出していった。ふと水銀燈の顔を覗き見ると腕を組み、珍しく、優しいお姉さんの顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?じゃあ、雪華綺晶、紅茶の入れ方なんて教えなかったのか?」

 

「はい。それどころか、台所にいったら黒薔薇のお姉さまにお茶の入れ方を教わってしまいました」

 

「あの水銀燈が」

 

nのフィールド。お願いを聞いてくれた雪華綺晶にご褒美とばかりにコンビニでお菓子を買ってきたのだが、雪華綺晶いわく、水銀燈は紅茶の入れ方をすべてマスターしていたらしい。

膝の上に座りにきた雪華綺晶はこちらを見上げて、俺の持ってきたコンビニのドーナツにかぶりつくと、満足そうに頭を揺らした。

 

「じゃあなんでカップやポッドの前で悩んでたんだ?」

 

「それが、『赤薔薇のお姉さまを満足させるのには、普通の紅茶ではだめよ』と言って」

 

「うん」

 

「お湯を沸かし、葉を蒸している間に悩み、ついに、隠し味に行き着いたようです。それが…うふふ、だめだめ。これはお姉さまとの秘密」

 

「なんだよ。気になるじゃないか。」

 

「いくらマスターでも、これは秘密なのです。あぁ、秘密。なんと甘美な響き」

 

気になるなぁ。紅茶と合わさって。どこか幻想的な風味を醸し出していた…くそー一体何を入れたんだ。

 

「ヒントは、「イライラしなくなるもの」ですよ。黒薔薇のお姉さまは、紅薔薇のお姉さまの機嫌がよくなかったのを見抜いていましたから」

 

イライラしなくなる…?小魚とか牛乳のカルシウム、じゃないし、まさかそれって。あの、いや、まさか…そうなのか!?

 

その後、水銀燈のいない間に機嫌の直った真紅がまた遊びに来たのだが、その時の機嫌の良さたるや。新しい棚を作ってくれたというツンデレなジュン君との惚気話が延々と続き、蒼星石と二人うんざりしたのであった。

 



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