己がために (粗茶Returnees)
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1話 アンダーワールドへ
俺の友人ことキリトとツルンでいると次々と面白いことに巻き込まれる。面白いと言ったら語弊があるか。事件と呼ばれる案件にも関わることがあるから、不謹慎極まりないな。
最初の出会いはソードアート・オンラインというゲーム。俺は年の離れた従兄弟のオッちゃんことクラインに誘われてこのゲームを買った。同じゲーマー同士最先端のゲームをやろうぜってな。
クラインと一緒の時間にログインして、そしてキリトに出会った。俺とクラインはベータテスターだったキリトに基本動作を教わって、それが体に馴染んだ頃に事件が起きた。ログアウト不可能。ゲームの死が現実の死となるデスゲーム。茅場風に言うなら、「本来のソードアート・オンライン」。
キリトは先に進むことを選んだけど、クラインは仲間を見捨てられないって言って別れることが決定。俺はクラインについていくことにした。一緒に攻略していくって約束だったからな。それでその後はクラインがリーダーを務めるギルド"風林火山"に加入。ソロでも勝手に動き回ってたから、それでキリトとも仲良くなった。
ソードアート・オンラインを脱出したら次はアルヴヘイム・オンラインだ。ナーヴギアで死にかけてたのに俺は懲りずにすぐにそのゲームを買ってダイブ。母さんに腹パンされたね。んで、そこで遊んでたらしばらくしてキリトと遭遇。ハーレム王の正妻ことアスナが捕まってるからグランドクエスト攻略することになった。
人の脳を勝手に弄くり回すなんて悪趣味だったなー。そんな悪趣味な人は悪趣味なスライムになってたよ。斬り刻んだけど。スライムって斬れないんだろうなって試したら斬れたから、斬り刻みました。俺がそうしてる間にキリトはちゃんと救出できたらしいよ。茅場がどうのって言ってたけど、まぁあのオッサンは知らね。もう何してても不思議じゃないから。二次元で生きるようになってても不思議じゃないよ。
そんでそん次がガンゲイル・オンラインだろ。菊岡の馬鹿に話を持ちかけられたんだよね。キリトが承諾したから俺も承諾。銃撃戦のゲームを仮想世界でできるのって楽しいだろうなって。まぁ案の定殺人事件が起きてたわけだけど。
大変だったなぁ。真相が分かったら、観客を白けさせない程度に奮闘してるふりをして脱落。キリトがダイブしてる施設まで行って、
なんで家が分かるのかってのも話は簡単で、詩乃を狙ってた馬鹿とは知り合いだったから。こいつヤベーなって思ってプレゼントとして自家製発信機を渡したんだよね。見た目はスマホアクセサリーだけどな。あいつ友達付き合い良いから、渡したらちゃんと付けてくれてたよ。ちなみにこいつもゲーム仲間だったぞ。
で、今は菊岡が関わってる"ラース"でバイトしてるってわけ。キリトと一緒にな。ダイブしてる時の記憶は飛んでるんだが、それも機密を守るためだから仕方ない。次はいつ足を運ぼうかなって考えてたら、件の菊岡から電話が入った。
『至急ラースへと来てほしい。ポイントを言うからその場所までは自分の足で来てくれ』
「珍しく急な上に用意悪いな? 緊急案件か?」
『あぁ。君にとっても無視できないと思うよ──キリトくんが意識不明の重体だ』
「……へぇ。話は後で聞かせてもらおうか。すぐに向かう」
電話を切って支度をする。財布やら携帯やらバイクの鍵やら。母さんに呼び止められたけど、キリトのためって言ったらGOサインくれた。うちの母さんは人間関係を重視するし、一言だけで察しちゃうからね。キリトがヤバイって言ってないのに伝わったみたい。
「場所は……これ海岸じゃん。さては船だな」
菊岡から送られてきた座標をマップで調べて経路を表示させる。スマホをバイクのホルダーにしまって、エンジンを起動させる。何回経路を見ても高速道路を使うしかないが、請求は菊岡にしておこう。ETCもちゃんと読み込まれてることを確認してバイクを発進させる。高速に乗れば限界まで速度を出すとするか。捕まりはしないだろう。
「そんなわけで海岸にたどり着いたわけだが、はーん? 俺とキリトってヤバイやつに関わってたんだな。俺は退屈しのぎになればなんでもいいが、キリトはこれどうなんだろうな」
停泊していた船はどう見ても自衛艦。菊岡の所属を考えれば不思議でもないのだろうが、さすがに一言言いたくはなる。バイクごと中に入らせてもらって、いざラースへ。
「……大丈夫か君」
「大丈夫です。ただの船酔いですから。うぷっ」
「外の空気を吸うといい。私もついて行くから」
「すみません……」
おかしいな。大きい船は揺れが小さいと聞いたのに。あーでもこれクルーザーくらいだしな。酔っても仕方ないか。あー、この汚い海に汚物を出してしまってもいいのだろうか。さすがにやめとこう。吐きそうで吐けないという最悪の状態だし、ラースまで耐えよう。たしか"オーシャン・タートルネック"だったかな。間違えてる気もするが、ぶっちゃけ名前はどうでもいい。俺が覚える必要はないのだから。
「もう少しの辛抱だ。ほら、見えてきたぞ。あれが君の行く場所だ」
「……なにこのロボットが発進しそうな建造物」
「君はロボットアニメが好きなのか。私はロボットアニメの戦艦のほうが好きだね」
「知りませんよ。ロマンが詰まってるとは思いますけど」
この人は生きてる間に戦艦にビームが取り付けられるのが夢なのだとか。夢が若々しいですね。取り付けられた瞬間ビームを打ち出しそうな興奮ぷりなのが怖いけど。
中へと入り、慣れてないのか案内する人と一緒に迷子になること30分。ようやく呼び出した張本人こと菊岡と会うことができた。ヒガちゃんもいるね。眼鏡コンビだね。
「よく来てくれたね。さっそくキリトくんのことだけど」
「ここに来るまでの間にわかったさ。"ラフコフ"メンバーの一人にでもやられたんだろ。キリトの顔を知っていて、かつ犯罪に躊躇がない。そして務所にいない奴となればそれぐらいだ」
「素晴らしいね。説明が省けたよ。では容態のことから言おう。キリトくんは心肺停止状態にまでなった。現代の医療技術が助かる見込みもない。そこで我々が研究しているものの一つ、STLでの治療を試みることにしたんだ。治る可能性があるのはこれしかないからね」
「なるほど。んで、俺はキリトの後を追えばいいわけか。どうせ実験してる仮想世界に放り込んでるんだろ? 俺はキリトの援護をすればいいのか?」
「ははっ、話が早いね。そういうことさ。頼めるかな?」
相変わらずやらしい奴。ここまで説明しといて最後にはこっちに選択権を与えるのか。あくまで
だが──
「いいぜ。お前らの手のひらで転がってやるよ」
「あはは、食えないっすね」
「互いにな。STLを使えばいいのか?」
「そうだね。場所は──」
「いや、場所は決めさせてもらう。キリトの横とかゴメンだわ」
「仲がいいのか悪いのか……。一応離れてるポイントとしてはココがあるけど」
「ならそこで」
菊岡に地図で示された場所を頭に入れてこの部屋から出る。今度は地図を頭に入れてあるから迷子にならずにたどり着けた。STLを起動させて台に寝転がる。一応ヒガちゃんと菊岡に声をかけておくか。
「もしもーし。聞こえるかー?」
『聞こえるっすよー。さっそくダイブ始めるっすか?』
「そうだな。それとダイブ始めたらアイツを連れ出すまで戻ってこねぇから」
『了解っす。向こうで変なことしないでくださいよー』
『君は余計な影響を与えかねないからね』
「俺をなんだと思ってやがる……。んじゃ行ってくるわ」
『御武運をー』
最近マンネリしてたからな。新鮮味がある新しい世界へと行かせてもらおうじゃねぇか。
『あれ!? 菊さん! ちょっとバグが!』
──バグ!? ふざけるn……
☆☆☆
目が覚めたらそこは知らない世界でした。
ってそれもそうか。俺はここに来たことがないのだから。
「どこだここ。しかもヒガちゃんあいつバグとかなんとか……ん?
外の記憶があって中に入っちゃいけなかったんだろうなきっと。余計な影響とやらが及ぼされる可能性が高くなるわけだし。それはそうと、外に出る時には記憶が飛んでるかもしれないのは残念だな。過ごした世界のことは忘れたくないし。
「にしてもここ何処だよ。どこの路地裏だよ」
俺がいるのはどこの街かも分からない場所の路地裏。家に囲まれてるな。壁が白いよ。綺麗だね。じゃねぇんだわ。何も役に立たねぇ情報だ。仕方ない、適当に歩いて情報を集めることにしよう。
「あっちが大通りっぽいなっておわっ!」
「きゃっ!? な、なんですかいきなり!」
なんだ。どこから声がした。なんかに足が引っかかってコケたんだが。……アレに引っかかったのか。デカイよな。あの大きさが見えなかったって……。
「お前は何者ですか! こんな所で何をしているのですか!」
「それはこっちのセリフだわ!!」
なんでこんな路地裏にいるのか。しかも箱の中に!
衝撃的な出会いだったさ。本当に。だが、まさかこの子が──
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2話 央都セントリア
そして小説の地図を見る限り、あれどこが北セントリアで、どこが南セントリアなのかもわかりませんね。国はX字に区切られてるのにセントリアはX区切りじゃないですし。
さて、とりあえず情報を整理しようか。まず俺は菊岡から連絡を受けて、オーシャン・ビューでアンダーワールドへとダイブ。その時にヒガちゃんが『バグが』とか言ってたせいか、外の記憶を保持したままだ。
そして俺が現れたのは、どこかの街の路地裏。表に出ようとしたところでデカイ箱にぶつかり、その箱の中には金髪少女がいたってわけだ。
うん、分からんな。
それと、あの場所の名前なんだっけな。オーシャンしか覚えてないや。
「お前は何者ですか」
「ワタシコトバワカリマセーン」
「訳のわからないことは言わないでください。先程会話が成立していました」
「それはどうかな?」
「今も通じてますね。巫山戯ているのが丸わかりです」
「チッ」
なんて揶揄い甲斐の無い奴なんだ。表情を変えずに淡々と返してきやがる。今も箱の中にいるくせに。シュールな光景を未だに俺に見せつけているくせに。とりあえず俺が質問に答える義理もないし、逆に俺の疑問に答えてもらおうかな。
「君はなんで箱の中にいるのかな?」
「答える理由があるのですか?」
「……なるほど。変わった趣味をお持ちのようで」
「そんな趣味はありません」
残念だな。あまりにも淡々と返されるから俺のペースに持ち込めない。まぁ巫山戯るのをやめたらもう少しこっちのやりやすいように持ち込めると思うんだけどな。とりあえず必要な情報は集めよう。箱に入ってる訳のわからない子だが、この世界の住人だろうしな。
「君の素性は後回しにさせてもらう。それより聞きたいことがあるからな」
「私の問いに答えず、私には答えろというのですか?」
「迷える子羊を助けると思ってくれよ」
「あなたのような輩を迷える子羊だとは思えませんね」
辛辣だな。そして話が進まない。彼女の言っていることがおかしいから、というわけではない。至極当然のことだから。質問に答えない男に、質問に答えろと言われて大人しく答えるやつはよっぽどの善人か、裏がある人間だとだけだ。
……待てよ。
「君もユーザーか?」
「は? あなたは何を言っているのですか? そのゆーざーとやらが何を指しているのか分かりませんが、私はそのような存在ではありません」
「ふむふむ」
ならば後者だ。もう一つの考えが正解だ。
──
なるほど。菊岡たちはなかなか面白いものに着目してこの世界を作っているらしい。その真意は分からないが、これは露呈すれば相当騒がれることになるな。何者かの妨害があってもおかしくない。……ま、どう転ぼうが俺の知ったことではないんだがな。
「お前は先程から何なのですか」
「君が質問に答えてくれたら答えてあげよう」
「は? 先に質問をしていたのは私です。私の質問にお前が先に答えるべきです」
「正論だな」
「認めたのならば答えなさい。何者なのかを」
「答えない。君も質問に答えなくていいぞ。俺は適当に情報収集するから」
彼女に背を向けて俺は表の通りへと足を進める。質問して答えを得ていってもいいのだが、街中をぶらつけば自ずと情報も集まるだろう。ここが仮想世界で、NPCは存在しないと分かっているわけだし。そういえば街の規模はどれぐらい「きゃっ!」……は?
可愛らしい悲鳴が聞こえたから後ろを振り返ってみると、彼女が転けていた。様子を見るからに箱に足を引っ掛けて転けたんだろうな。俺が勝手に消えようとしたから追いかけようとして、箱に入っていることを忘れてたってとこか。
「うっ」
「……はぁ」
随分と勢い良く転けたらしい。すぐに立ち上がるかと思ったが、まだ蹲ったままだ。もしかしたら怪我をして血を流しているのかもしれない。助ける義務もないが、この世界で初めて出会った彼女を放置するのも気が引ける。彼女の下へと戻るとしよう。
「怪我は……大丈夫そうだな。血が流れてるわけでもないし。立てるか?」
「こ、これくらいなんともありません。お前の助けなどいりせんので」
「へー? 人の好意を無下にするのが君のやり方か。もっと良い奴だと思ってたんだが、残念だよ」
「なっ! ……こ、これでいいのでしょう?」
「ははっ、素直じゃないだけか」
「う、うるさい!」
彼女はやっぱり良い子だ。誇りが高そうだから、どこの馬の骨とも分からない男などって断られるかもなーとも思ったんだが、そうならなかった。恥ずかしそうに目を逸らしながら俺が差し出していた手を取ったわけだし。
俺はよく一言余計だと言われる。彼女にも絶対そう思われただろうし、自覚もしている。だが治す気はない。俺は自分を偽りたくないからな。治せば偽ったことになるって思ってるわけでもないが、俺は今の自分を気に入っている。
彼女のことが一つ分かり、ちょっとは距離が縮まったかなと思いながら立ち上がらせる。立ち上がった瞬間手を放してそっぽを向かれたが、これも愛嬌かなって思う。
「ありがとうございます」
ほら、やっぱり彼女は良い子だ。
「君は目的地があるのか?」
どこへ行くとも決めてない俺は、街を確認しながら隣を歩く彼女に問いかけた。彼女もまた街の様子に目移りしながら歩いているが、少なくとも彼女はこの世界の住人だ。何か目的があるに違いない。
「いえ、街を楽しみたいだけですので」
「がくっ。俺と似たもんか……」
予想が速攻で外れた。それはもうものの見事に。あてが外れて項垂れる俺を彼女が不審そうに見てくる。それはブーメランだぞ、と言いたいところだが、そんなやり取りをしても仕方ないな。会話自体はさっきよりスムーズにしやすくなってるから、ふとした疑問とかを投げても答えてくれそうだな。なんて思ったんだが、先に彼女の方から疑問を投げかけられた。
「天職はなんなのですか?」
「天職? 誰の?」
「あなた以外誰がいるのですか……」
「天職……天職ねぇ。バイトなら何個かやったが天職なんて見つけたことねぇや」
「は? 天職は原則として一つだけのはずです。そしてそれは一定年齢が来れば誰もが与えられるものです。見つけるも何もありません」
なんということでしょう。とんだ勘違いをしてしまったようだ。というか、この世界にリアルのことがそのまんま反映されてるわけもないわな。リアルの話は持ち込まないようにしないとな。
それよりも、天職は与えられるものなのか。そして原則として一つということは、明確な終わりがないものに皆就職するらしい。その辺にある店も、それを天職とする人が経営してるってわけか。面白味のない設定だな。
「それで、あなたの天職は何なのですか?」
「知らね」
「またそうやって」
「知らないもんは知らん。気づいたらあの路地裏にいたんだ。ここが何処なのかも分からん」
「嘘……というわけでもなさそうですね」
どうやら彼女は人を見る目もあるらしい。嘘だと言われてもおかしくない内容を言っているのに、それが事実だと受け入れてくれてる。これで話が進むのかは分からないが、無駄な時間を使うこともないだろう。
すでに正午は過ぎてるようだし、彼女が何時に帰るのかは知らないが時間が少ないとみていいだろう。彼女がいる間に最低限のことは知り得ておきたい。
「"ベクタの迷子"……」
「何それ?」
「はぁ。これも知らないのですか。……かつてダークテリトリーを収め、かの地に住まうすべての種族たちを束ねた闇の皇帝のことです。彼には相手を惑わす力があったと言われています。そのことから、記憶を失い、どこか知らぬ地に迷い込んだ者のことを"ベクタの迷子"と言うのです」
「なるほど。お伽噺みたいだが、俺はそれに当てはまるのか」
「おそらくは」
闇の皇帝ベクタ、ね。この世界の設定でも神話を存在させたのか、はたまた本当にかつて存在させたのか、それは分からないがベクタがいたという設定はあるらしい。それなら人に味方する存在も用意されているのだろう。
「ところでダークテリトリーってのは?」
「私たちがいる人界の外に広がる世界のことです。人界とは違って土地が貧しく、凶悪で野蛮な者たちが住まうと聞いています」
「へ〜。そっちの住人に会ったことは?」
「……ありません」
「なら本当に凶悪で野蛮なのかは分からないな。話してみたら良い奴かもしれない」
そんなはずがないと強く睨んできた彼女だったが、ここは俺も引く気がなかったから真剣な目つきで目を合わせた。この世界の人にとってダークテリトリーの住人への認識は、彼女ようなものが常識なのかもしれない。だが、俺はそれを鵜呑みにはできない。話してみないと何も分からないからな。
「それにしても、結局君は俺の質問に答えてくれてるな」
「あなたが無知過ぎるからです。一緒にいる私が恥ずかしくなる程に」
なかなかに毒を吐いてくる。懲りずに揶揄ってやろうと顔をニヤつかせながら言っているのに、心底残念なものを見る目で返してくる。
「それなら一緒に行動しなければいいのにな。君はそうせずに合わせてくれてる。優しいね、ありがとう」
「なっ……! い、いきなりそのような礼など……。何なのですか、本当に」
だが残念だったな。俺はやられて終了なんてゴメンなんだよ。
照れてそっぽを向く彼女をさらに追撃してもいいのだが、それをするとおそらく機嫌を悪くするだろう。そうなると困るのは俺だから、ここは俺が今欲しい情報を引き出すことにしよう。その辺にいる人に聞いてもいいんだが、ここまで彼女と会話しているんだ。極力彼女と話すことにしたい。
「ところでここ何処? なんて街?」
「……はぁ、あなたは本当に仕方のない人ですね。ここは人界の中心地、央都セントリアの中です。《不朽の壁》にて四方に区切られていますが、私達がいるのは『北セントリア』という場所のはずです」
「最後自信なさげだなー。君はここに住んでいるはずじゃないのか?」
「私は……」
「わかった。ごめんな、君の素性は探らないことにする」
誰にでも言いにくいことや隠したいことの一つや二つあるからな。それだけでも情報としては十分なんだが、これは黙っておこう。
それよりも居場所が分かった。どうやら『北セントリア』という場所らしい。《不朽の壁》とやらは分からないが、東西南北で人界が区切られているんだとか。通りに出てから目についていたあの巨大な白亜の塔。あれが人界の中心地なんだろうな。
「お兄さんは紳士だからな。君みたいな少女にも気を使ってあげよう」
「あなたが紳士なら世の中の男性は全員紳士以上の存在ですね」
「ヒデェな。子どもにそんなことを言われるとは」
「何を言いますか。あなたも子どもでしょう。
「まぁ大人だか……ん? 見た目に反して?」
待てまてこの子はいったい何を言っている。見た目14歳程度のこの少女にそんなこと言われる筋合いはないぞ。俺は低身長な残念男ではない。日本人の平均身長より高かったぞ。そうだと言うのに見た目が子どもて……。
「どうかしましたか?」
「どうかしかしてないな」
落ち着いて考えてみるとしよう。いや、考えるよりも周辺を見て確認するほうが的確だな。鏡があればいいんだが、生憎と鏡らしいのは未だに発見していない。もしかして鏡は高級品なのだろうか。
じゃない。それよりも今は俺の身長のことだ。たしかに大人たちを見て、あー身長高いんだな〜、なんて思っていた。高身長が当たり前なのかと。しかしどうやらそうじゃないらしい。俺の身長が低くなっている説が浮上してきた。
たしかに彼女と目線があまり変わらないな。なるほどなるほど。見た目14歳程度の彼女と似た感じということは、俺はそれぐらいの年齢になったというわけか。やっと理解した。ヒガちゃんの言っていた『バグ』はこの事だったわけだ。
「まじか……。つらいな……。あぁ、ほんと……クソめ……」
「それほど落ち込むのですか……」
「死活問題ってわけでもないんだが、なんかなー。それより、君の目的が何かは知らないが、達せてはいるのか?」
「程々には。そろそろ戻らねばなりませんので、改めてまた街を回ろうかと」
「なるほど。その時に会えればまた一緒に行動しないか?」
「……覚えていれば。次いつ街を散策できるか分かりませんが」
やっぱり忍び出てきたわけか。次いつ来れるか分からないほど厳しい家なのかな。アスナのとこ以上ってわけか。もしかしてこの子は超イイトコの令嬢なのか。いや、ないな。そこまでな気がしない。
俺は目的地があるわけじゃないから、来た道を戻っていく彼女に付いていく。素性を隠したがっていたから、俺は彼女と出会った路地裏の近くで別れることにした。
「今日はありがとな」
「礼など不要ですので。それでは」
「あー、ちょっと待って」
「なんですか?」
「俺の名前はジーク。君は?」
「は?」
ポカンとしてるという程ではないが、少し呆けているのはそうだろう。なんせお互いこの数時間名前を教えずに過ごしていたのに、今になって自分から名前を言うのだから。アバター名なんだけどな、俺の場合。本名じゃない。
「俺は名前を言った。君は言わないのかな?」
「……アリスです」
「アリス……へぇ、可愛い名前だな」
「かわっ……!」
「ははっ、すーぐ照れる。それじゃあアリス、また会おうぜ」
「……私はどちらでも構いませんので」
「えー」
そう言いながらも彼女は握手に答えてくれた。女の子らしく少し小さくて柔らかい手だった。
金髪少女ことアリスと別れて街の散策を再開する。俺がここにダイブしてきたのは、キリトの援護だか何だかのためだ。だがキリトがまずこの街にいるのかも怪しい。まずはこの世界を満喫させてもらって、そのついでにキリトのことも探すとしよう。閉鎖的だが広い世界だ。すぐに情報が手に入るわけじゃない。
☆☆☆
"ベクタの迷子"など本当にいるだなんて思っていなかった。しかし彼……ジークが嘘をついているようには見えなかった。だからきっと本当に"ベクタの迷子"なんだ。こんな話誰かにしても信じられることじゃないし、そもそも忍び出ているのだから、今日のことは話せるわけがない。
不思議な男だった。巫山戯ていることが多かったけど、それは道化のようなやり方じゃない。ジークはたしかに己の中に芯が備わっていて、そこをブレさせることなく冗談も言っていたのだろう。
『また会おうぜ』
気楽そうに言っていたけど、私がこうやって外に出られた事自体珍しい。気づいてて言ったのか、そうじゃないのか。まだよく知らない彼の言動からじゃいまいち分からない。でも──
「また、ね」
──次があってもいいかもしれない。気が向いたらだけど
ところで彼はどこに住むのだろうか。お金もなく、宿のあてもないはずなんじゃ……。
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3話 シェスキ家
アリスが連行されたのが11歳。二年後にシンセサイズされたとのことなので、その時点で13歳。その一年後なので、14歳のアリスなのです。
目が覚めたら木組みの素晴らしい屋根が見えた。うむ、知らない天井だ。知っているなんてことはない。たしかにこの部屋に来た時の記憶はあるが、天井は見てなかったし、灯りなんてなかったからそもそも見えない。だからやっぱり知らない天井だ。
貸してもらった屋根裏という名の寝床から体を起こして立ち上がる。体を伸ばし切る前に頭を打ってまたしゃがみこむ。思いっきり体を伸ばそうと勢いをつけていたからメッチャ痛い。
『ジークさん大丈夫ですか? 凄い音しましたけど』
「大丈夫ー。頭打っただけだから〜。すぐ下りるよ」
『あ、分かりました〜。大丈夫じゃないような……』
下の部屋から声をかけてくれた少女に大丈夫だと伝え、下りることも伝える。寝床だけじゃなくて朝食まで用意してもらえるなんて、いい人たちに出会えたものだ。昨日は晩飯まで用意してもらっちゃったし。
梯子を下りて2階に着き、階段を下りて1階へとたどり着く。リビングに入ると、この家の人たちが集結していた。ご両親に娘さん、使用人が二人。計五人がこの家の人たちだ。
「おはようございます。昨日の夕飯だけじゃなくて一泊までさせてもらえたのに、朝食までいただけるなんて。本当にありがとうございます」
「気にしないでくれたまえ。困った時はお互い様だよ。それに、聞けば君は"ベクタの迷子"だそうじゃないか。屋根裏で申し訳ないが、やることを見つけられるまで居てくれて構わない」
「そ、それはさすがに申し訳なさすぎますよ……」
「だが行く宛もあるまい?」
「うぐっ」
「ジークさん。私もいいと思ってますので」
本当にこの家──シェスキ家の人たちは人が良過ぎる。全く裏なんてなくて、純粋にそう思っていることがヒシヒシと伝わってくる。使用人の二人もコクコクと首を縦に降っているし。
善意100%でそんなことを言われて、こんな空気を作らされたら俺も折れるしかない。願ったり叶ったりなんだが、何も返せないから居た堪れないのだ。なんか恩返しできる方法を探しておくとしよう。
「ありがとうフレニーカ。シェスキ家の皆さん、すみませんがご厄介になります」
「そんな固くしないでいいんですよ? 我が家だと思ってください」
ご厚意に甘えさせてもらうとしよう。さすがに我が家として過ごせるかは分からないが。たぶん一ヶ月したらそんな感じで生活してるだろうけど、居候であることは自分の胸に刻みつけておかないとな。
話が着いて、親父さんの一声がかかって朝食開始。この家では使用人の二人も家族同然として接しているらしい。位の高い人たちのとこだと使用人たちが一緒に食べることもないんだろうけど、ここはそうしないんだとか。
天職もない俺は、居候なんだし家事を手伝おうと思ったんだが、使用人二人に断固拒否された。自分たちの役割だからってさ。
「ジークくんはこれからどうするか決めているのかい?」
「そうですねー。とりあえずこの街のことを知ろうと思ってます。何もわかってない状態なので、歩いて見て回ろうかと。この世界のことも知りたいですが、それは後回しでもいいかと」
「そうか。……うむ、ではフレニーカ。今日は街を案内してあげなさい。ひとまずは家の周辺でいいだろう」
「分かりました」
はい、フレニーカの同行が決まりました。やったねパーティが増えたよ。これで迷子の心配もなくなる。いや、まぁ実際問題迷子になったら戻れる気がしないからな。散策するにしても家の周辺は覚えておかないといけない。
フレニーカの準備が終わったら出発だ。俺は荷物なんて何一つ無いからもちろん手ぶらになる。仕方ないのさ。
「お待たせしましたジークさん」
「全然待ってないぞ。それじゃあ案内を頼めるか?」
「はい! お任せ下さい!」
空回りしそうな予感がする! まぁ道案内だけだし、家の周りを案内してもらうだけだから心配もいらないんだけどな。念の為用心はしておくけど。
「改めて、ありがとなフレニーカ。おかげで命拾いした」
「い、いえいえ! 私は当然のことをしただけですから」
俺をシェスキ家へと通したのは他でもない。今隣りにいるこの少女、フレニーカのおかげなのだ。
『はらへった……だが金がない……寝床もない……こりゃおわった、な……』
『だ、大丈夫ですか!? 私の家がすぐそこなのでご案内しますね!」
『なんだ、天使か』
って感じで道端で倒れていた俺に駆け寄ったフレニーカが、助けてくれたんだ。これが性格の悪い男で、全部が演技だったらどうする気なんだろうな。もちろん俺はそんなことする気はないんだが、もっと用心した方がいいと思うんだよな。あ、用心棒でも買って出るか。基本的に街の散策のために不在の用心棒。いらねぇな。
しばらくフレニーカに従ってついていっていると、商店街のようにいくつかの店が並んでいた。見てみる限り、食料品の店がここで一通り買えるようになっているようだ。家から近い距離にこれがあるなんて、いい立地だな。
「ここでいつも食材を買うんです」
「家から近いんだな」
「はい。ちなみにここが北セントリア第五区の中心地にもなってるんですよ」
「へー。ところで北セントリアは何区かに分けられてるのか?」
「全部で八区ですね。東セントリアや西セントリア、それに南セントリアも同じかと」
八区画に分けられているのか。ちなみにフレニーカの補足説明によると、それぞれの区にここのように食料品店が並んでいたりするらしい。だが、やっぱりそれぞれの区で若干の違いが出るんだとか。違いというよりかは、特徴だな。たとえば、第七区では技師が集まりやすいんだとか。一級工匠という名誉ある認定を受けている人物もいるらしい。
その人の所にはまた今度行かせてもらうとしよう。何やら面白い匂いがしたからな。知り合っておいて損はしないはずだ。
「ジークさん、他の所にも行きましょうか」
「そうだな。買い出しで来てるわけでもないし」
フレニーカに声をかけられ、この場を後にする。閉ざされた世界という印象は拭えないのだが、それでもここにいる人たちは生き生きとしていた。今の生活に何も不満はないらしい。
考えてみればそれが当たり前なんだろうな。治安が良いどころの話じゃない。そもそも犯罪に手を染めるものが極端に少ないのだ。限りなく0に近い。誰もが普通に生きられる世界で、当然のように生きられる世界。これなら閉ざされた世界だとは誰も思わないのだろうな。
「先程のは家から北側に歩いた場所です。そしてここが東側に回ったところで、女性が訪れやすい店が多いんです」
「服屋とかが多いのか」
「そうなんですよ。他にも金細工屋さんもありまして、見て回るだけでも楽しいんです!」
「なるほど。なら見て回るか?」
「え!? い、いえ……私は今日はご案内するのがお役目なので……そんな……」
真面目だな。自分が親から頼まれた内容から少しでも離れそうになったら、自分を律しようとしている。だが嘘をつくのも苦手らしい。さっきからチラチラッと服屋や金細工屋を見ている。女の子だからそこに興味を惹かれるのも当たり前だな。ここは俺が助け舟を出すしかない。ちょっとしたお礼を兼ねてな。
「金細工屋とか見てみたいな。女性用の服も流行りを把握しておいて損はないかも」
「そ、それなら是非とも入りましょう! ご案内しますので!」
「チョロいな」
10歳を超えたあたりの年齢っぽいし、自分に正直なんだろう。『超』が付くけども。どの店から行こうかと悩んでいたら、フレニーカに手首を掴まれてそのまま引っ張られた。一番近い店から行こうとしているということは、片っ端から店を周るみたいだな。
「なるほど、こんな感じなのか」
「ジークさん! これ可愛くないですか!?」
「たしかに。フレニーカが着るなら、これの上に薄手のこっちのを着てみても似合うかもな」
「わっ、素敵です!」
普通に俺も満喫しているな。1階部分だけが店となっていて、そこまで広いわけでもないが、品揃えがいい。ここだけでも買い揃えられそうなくらいだ。だが、周りに似た店がいくつかあるということは、ここで揃えてないものもあるのだろう。なんせ女性のファッションは細かいのだから。
フレニーカと盛り上がりすぎて、フレニーカは手に取った衣服をすごく買いたそうにしていた。だが残念なことに、俺も買ってやりたいのは山々なんだがお金がない。そしてフレニーカも衣服を買えるほどの小遣いを持ってきていたわけでもない。
「
「え? ロシェーヌ!? あなたいつの間に……!」
「お二人の様子を陰ながら見守っていました。ジークさんは気づいていたようですが」
「そうなのですか?」
「まぁな。気にしなくていいかって思って放置してたけど」
「言ってくれればよかったのに……」
言ったところで何が変わったわけでもない気がするが、フレニーカの性格ならそうでもないんだろうな。おそらくロシェーヌさんを加えて三人で回ろうとか、その辺りのことを言ってきてたんだろう。ロシェーヌさんが首を横に振るだろうけど。
ロシェーヌさんの財布で衣服を買うのを躊躇ったフレニーカだったが、人の好意は受けるものだと援護したらフレニーカは買うことに決めた。ロシェーヌさんはフレニーカが買うと決めたことを喜び、援護した俺にメッチャ感謝してた。やっぱり普段フレニーカは全然受け取ろうとしないらしい。
「私はこれをお持ち帰りしておきますね。お二人はまだ回られるのでしょう?」
「そのつもりです。フレニーカももう少し付き合ってくれるか?」
「もちろんです! そのつもりでしたので!」
この後もこの辺りの店を見て回り、その次に家の南側へと移動。こちら側は普通に住宅街が並んでいるのだが、喫茶店や酒屋があることから憩いの場にもなってるのだろう。その喫茶店で休憩も兼ねてお昼を食べた。見たことあるメニューもあったが、見たこともないメニューの方が多かったな。美味しかった。
最後に西側へと行き、そっち側には図書館や教会があるらしい。
「教会について教えてくれ」
「正式名称は《公理教会》ですね。創造神ステイシア様、太陽神ソルス様、地母神テラリア様を信仰しています。あちらに空まで届く塔がありますよね? あそこに『最高司祭』様や人界を守護してくださる『整合騎士』様がおられるのです」
「なるほどな。つまり公理教会がこの人界の中心か。たしか国もあったよな? それらを束ねてるのも」
「はい。公理教会となります」
「全部を握ってるわけか。ありがとうフレニーカ、教えてくれて」
あそこに行けば全て分かるってわけだ。今すぐ行ったところで意味ないだろうけどな。身分のない俺が堂々と中に入れるなんて思わない。そして忍び込めば罪人として捕縛されるだろう。最悪の場合殺されるな。
ダークテリトリーというのが存在してることはアリスに教わった。そしてフレニーカは今、人界を守護しているのが整合騎士で、あの塔にいると言った。丸腰の俺が勝てる相手のわけがない。当分の間は頭に入れておくだけにしておこう。
家へと戻り、お茶をいただきながら街を歩いた印象を話す。公理教会の足下にある央都だからか、気持ち悪いほど整っていたが、住みやすいことに変わりはない。俺はわりと悪い所に目が行ってしまうから、そこは伏せて話しておいた。
「ところでご主人は今不在でしょうか?」
「書斎にいるはずですよ。何かお話でも?」
「一つ聞いておきたいことがありまして」
「主人に……あ、フレニーカと結ばれるにはさすがに一日過ごしただけでは──」
「違いますからね!?」
「わ、私とジークさんが……? で、でも……」
「フレニーカも正気に戻ろうか! 君は冗談を真に受け過ぎだよ!」
たった一言でカオスになるってどういうことなんだよ。頭が痛くなってくる。ロシェーヌさんの協力もあって、なんとかこの場を静めることに成功した。フレニーカの思い込みの激しさには今後気をつけるとしよう。なんか妙に疲れたが。
「ふむ、私に聞きたいこととは何かな? ちなみに君に好印象を持ってはいるがフレニーカは渡せないぞ」
「そのくだりは先程やりましたので」
「むっ。やってみたかったのだがな。日にちを改めてやるとしよう」
「俺で遊ばないでくれません? さっきフレニーカが真に受けてましたし」
「……あの子は思い込みが激しいからな」
どうやらフレニーカの思い込みの激しさはこの家の悩みのタネだったらしい。気持ちは分からなくもない。あの子が変な男に引っかかる可能性も無きにしもあらず、だからな。この世界の結婚の流れがどうなのかは知らないけども。
「教えてもらっていいですか?
「君が聞きたいのはその質問でいいのかな?」
「聞きたい内容が分かっててそう言うんですね……。まぁ、知りたいのは貴族の闇の面ですけど」
「……貴族採決権。その言葉だけ覚えておくといい。そして貴族の爵位は六段階。六等爵家はほとんど市民との違いがない。少し大きいぐらいか」
「それだけ分かれば十分です。力ある者の行き着く先がいかにも人間らしいようで」
「……君は何者かな?」
「ただのベクタの迷子ですよ。まー、変な知識があるだけで」
この人もよく人を見ることができるんだな。これに関しては経験もあるのかな。穏やかな人だが、強い人だ。
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4話 隣の街へ
俺がこの世界に来て早二ヶ月……三ヶ月だっけな。どっちでもいいか。俺はこの間に北セントリアは歩き回った。第一区から第八区まで全部。その中でやっぱり興味を惹かれたのは、第七区にいる金細工氏、一級工匠に認められているサードレの爺さんのとこだろう。
一級工匠の認定を受けている技師はそれこそ少ない。
今日はどこに行こうかと考えながら街をぶらつき、ふと路地裏に目を向ける。たしか俺はこの奥で出現し、そしてアリスと出会ったんだったな。アリスはやっぱりなかなか出てこれる家柄ではないらしく、あれ以降一度も出会っていない。
たしかあんな感じの箱に入ってて……まさか……。
「また箱で来たのか──アリス」
「ジーク? よく見つけましたね」
「街を散策してる時にそういやこの辺で出会ったんだよなって思ってたら見つけてな」
「なるほど。偶然だったと。随分と巡り合わせがいいことで」
あ、こいつ信じてないな。全然信じてないな。なんで信じる気が無いのかさっぱり分からないぞ。俺がずっとこんなところでスタンバってるわけがないだろ。たしかに、また会えたらいいな的なことを言った気はするんだが、超絶会いたかったわけじゃない。
箱から出るアリスに手を貸し、アリスの服装をチラッと見る。明るめの青色の生地をベースにした服装で、なんとも庶民らしい。外に出るために服装も簡素的な物を用意していたということか。さてはこいつ外に出るの楽しんでやがるな。
「なんですかそんなジロジロと。視姦ならその目を潰しますよ」
「生憎とアリスぐらいの子に向けるそんな目はないんだよ。分かったかな? お子様」
「いいでしょう。まずはその舌を潰します」
「野蛮だな〜。悔しかったら成長したまえ」
「ジークはもっと男らしくなってみることですね。無論そのようなことはないと分かりきっていますが」
ほほう。なかなかに挑発的な言葉を吐いてくるじゃないか。図星をつかれたからって、似たような内容で反撃されてもちっとも痛くないんだけどな。自分の体がどう成長するか分かってしまっているがために、な。
俺をつねろうとしてくるアリスの手を抑えながら、お互いに向き合って笑みを浮かべ合う。俺もアリスも目は笑っていないんだけどな。俺の方が余裕あるんだけどな!
「アリスって意外と力強いな。もしかしなくても怪力娘か」
「それが女性に向けて言うことですか!」
「事実を言ったまでだね。もしかして栄養が全部筋肉に回っているから体が残念なんじゃないか?」
「なんて失礼な。それならお前は脳に必要な物が何一つたどり着いていませんので。だから先程から体のことしか言えないのです!」
なかなか言うねぇ。俺はアリスよりも精神的にでも大人だから、この程度のことを言われたところで何も響かないわけだけども。それよりこの不毛な争いを続けていても仕方ないな。アリスを抑えてる手を離して、さっさとここから離れるとしよう。
俺が手を離した瞬間、抑えられていた手を伸ばしてくるアリスを躱して背後を取る。後ろからアリスの柔らかい頬を両手で挟んで、力加減に気をつけて引っ張る。避けられたことに驚いているのか、それともこの状況が屈辱的なのか、アリスは固まったままだ。
「残念だったな〜アリス。俺との駆け引きに勝てなくて」
「……しょのひぇをはなしにゃしゃい」
「何言ってるか分からないぞ〜?」
「ふんっ!」
「イッテェ! おまっ……!」
アリスのやつ、俺の
ふらついて壁に手をつき、蹴られた箇所を擦る。わりと響いたから痛みが引くまで時間がかかるな。俺が顔を顰めて痛みに耐えていると、初めは鼻を鳴らしていたアリスもさすがに悪いと思ったらしく心配してきた。
「ほんとに痛い……」
「すみません、つい……」
「ついで済むなら誰も裁かれない」
「うっ。……何かお詫びをしますので」
「お詫び?」
「はい。私にできることなら」
痛いのは痛いんだが、幾分かオーバーにリアクションは取っていた。そうしてアリスを揶揄ってやろうと思ったから。だが、思いの外状況が面白い方向に転がっている。根が優しくて真面目すぎるんだろうな。お詫びにできることをするなんて言ってくるんだから。
これは利用する他ないと2秒も経たずに結論付けた俺は、アリスを下から上までじっくりと見つめる。アリスが言ったことを確認するように、わざと声も出してな。そうするとアリスは胸を隠すように手を交差させ、後ずさりして俺から距離を取り始める。ほんのり頬も赤くなってるな。それも利用してやろう。
「私にできることなら、って言わなかったか?」
「い、言いましたが不埒なことなど許容できません!」
「……ん? 不埒なこと? アリスは何を言っているんだ?」
「……は?」
「俺はこれからしようと思ってたことにアリスにも付き合ってもらおうって考えてただけだぜ? それで服装を確認しただけ。それなのに不埒なこと、ね〜? アリスは何を想像しちゃったのかな〜? 頬まで赤くして。もしかして本当はそっちの方ぎゃっ!」
「なっ! そ、そんなわけないでしょ! この変態!」
「いや変態はアリス……」
自分が思い違いしていることが分かった途端、アリスは恥ずかしさで一気に顔を赤くしてた。俺が追撃しようと言葉を続けていたのに、途中でグーパンされて遮られた。アリスのパンチは、その細い身体からは考えられない程痛かった。鍛えているのかもな。貴族の家柄なら剣術を修めるとも聞いているし。
アリスの素性は聞かないって決めてるから、その辺の話題は出さないようにしてるんだけどな。アイデアロールが成功しちゃうこともあるが、それは仕方ない。そういう性分なのだから。
「アリスが
「もう一発入れましょうか?」
「冗談を真に受けるなよなー。それとすぐに手を出すのはどうかと思うぞ」
「ご安心を。私がこうしてすぐに手を上げるのはジークだけです」
「そんな特別いらないな」
前に出会った時と違って、俺は今ある程度余裕がある状態を確保できてる。だから冗談を挟みながら話を進めようと思ったんだが、アリスが冗談を真に受ける上に脅してくるから話が進まない。冗談は控えることにしよう。
「アリスの今日の目的は?」
「外へのちょっとした興味ですね。お前との約束もありましたし」
「なるほど。また会えて嬉しいよアリス」
「……どうしてお前はそうやってむず痒いことを言うのですか」
「わりと感情に従う性格でね。それに俺アリスのこと嫌いじゃないし」
「……そうですか。それよりもジークには2、3、問いたいことがあります」
ふむ。もう少し反応があるかと思ったんだが、結構ボーカーフェイスなんだな。いや、というよりも
それはこの後に回すとして、今はアリスの質問に答えないとな。根は変わってないはずなんだが、よく見たら目も冷たくなってしまってるな。まだ完全にってわけじゃないけど、次会えた時はもっと冷たいかもしれない。
「何でも聞いていいぞ。答えられるかは分からんが」
「構いません。ではまず一つ目、2ヶ月半経ちましたが、どうやって今まで生きられていたのですか? あてなどなかったはずですが」
「まぁね。食い倒れて死にそうになってたところを人に助けられて、今もその家で世話になってるんだよ。感謝しきれないぐらいさ」
「なるほど。そうだったのですね」
「もしかして心配しててくれた? 優しいねアリスは」
「知り合いに死なれては寝覚めが悪いだけです」
辛辣だな。言葉だけ見れば。だがアリスの顔を見れば辛辣だなんて微塵も思わない。隠そうとしているようだが、本当に心配していてくれたのがわかったからだ。これを指摘したらまた話が進まなくなるんだろうな。気づかないふりをして、話を進めよう。
「住まいとお金の件を聞きたかったのですが、それは今の質問で纏まっていたので」
「なるほど。じゃあ今日の俺の目的を教えようかな」
「目的などあるのですね」
「馬鹿にしてない? 俺だっていろいろと考えて動いてんだぜ?」
「そうなのですね」
「信用してないな。別にいいけども、せっかくだしアリスにも同行してもらうぞ」
アリスには明確な目的がない。こうして街に出てくること自体が目的だからだ。それなら、俺の目的に付き合ってもらっても都合が悪くなるなんてことはない。馬鹿にするような目で見てくるアリスに、俺はニヤッと笑みを浮かべる。この街──北セントリアは散策した。なら次にやることなど決まっている。
「隣りの街に行こうぜ」
アリスの目が大きく見開かれたのは、言うまでもない。
なぜなら、基本的に庶民は街の行き来ができないのだから。権力ある者か、商人のように特別に許されたものしか街の行き来ができない。それを承知の上で俺は街を囲うあの《不朽の壁》を抜けると言ったのだ。
ぽかんとするアリスの手を引っ張って歩くこと30分。俺たちは北セントリアと東セントリアを隔てる壁の前へと来ていた。ここに来て、やっとアリスが復帰した。30分も固まるほどの話でも無いと思うんだがな。
「この壁は超えられませんよ」
「そうだな。通路には警備隊もいて、通行手形を見せないと通れない。そして俺はそれを持ってない」
「なら諦めなさい。強行突破などすれば処罰が待ってますよ」
「強行突破すれば、な。要は
「は?」
生真面目なアリス様には想像もつかないだろうな。とても飛び越えられるような高さじゃないこの壁を、正規の手段でもなく力技でもないやり方で超えるなんて。だが、イタズラやら冒険やら裏ワザが好きな人間なら思いつく。
この世界の人間は規則を気にし過ぎる嫌いがある。グレーゾーンですら躊躇う人が多いのだ。だが俺はグレーゾーンでの綱渡りをよくしてきた。今回も躊躇いなどない。
「壁をよじ登ればいい」
「お前は馬鹿ですか? いえ、失礼しました。聞くまでもなかったですね。お前は馬鹿ですね」
「その馬鹿に付き合ってもらうぜ」
「なんで私がそのようなことを……。そもそもどうする気ですか? 指を引っ掛けるような出っ張りなど存在しませんよ?」
それも知っている。初めて壁を見たときに驚愕したからな。この壁が
そんな壁が大きく立っているのだが、俺は上の方を眺めていて気づいたのだ。一番上のブロックだけ少し出っ張りがあることに。そして閃いた。この壁を登って隣町に行く方法を。そのためにも鉤爪付きロープを用意したのだから。
「……まさかそのようなもので壁を超えると?」
「妥当な案だろ?」
「頭がおかしいとしか思えません。第一そのようなものを投げたとして、あの高さに届くとも思えません。届くだけではなく、あちら側に超えるように投げないといけないのですよ? はっきり言って不可能です」
「それがそうでもないんだな。それはこれから証明するとして、アリスさんや。そうやって頭ごなしに否定してたら人生つまらないぞ」
アリスは余計なお世話だとそっぽを向いた。俺にはわからないアリスの生活がある。俺はアリスのことを何も知らないと言っていいほどだ。俺には全く理解できない苦悩もあるのかもしれない。だが、それで否定的な価値観を身につけてしまうと言うのなら、俺がそれを否定しよう。そんなのは何の役にも立たないと。
俺は再度アリスの手を取って場所を移動する。正確にはこのすぐ近くにある民家へと。ここは誰も住んでいない空き家になっていて、近くの子どもたちも秘密基地にして遊ぶようなところだ。不法侵入なとではない。なんせバレなければ罪じゃないのだから。
家の階段を上がり、3階に行く。壁を乗り越えるために用意されたんじゃないか、なんて疑いたくなるようなお誂え向きな場所があるのだ。ちょうど壁の方向に向かって作られたベランダだ。俺はそこでアリスを待たせ、一人屋根の上へとよじ登って行く。しくじって落ちれば死ぬだろうけど、できる思えば何でもできるのさ。屋根の上に行けば、壁の頂上もよく見える。そしてこの高さからなら鉤爪をしっかりと届けることもできる。
「よっこいしょっと」
勢いをつけて力いっぱい投げる。鉤爪が綺麗に壁へと伸びていき、頂上を超えて向こう側へ。俺はロープを引っ張って鉤爪が壁の出っ張りに引っかかるのを確認したら、アリスがいるベランダへと戻る。
「な? いけるだろ?」
「屋根を登るなど……。見ているこちらの心臓に悪いです」
「心配させたか? ごめんなアリス。こういうのをやるのが俺なんだよ」
「それを知ったところで心臓に悪いことに変わりはありません」
「はは、それもそうか」
少し機嫌が悪くなってしまったアリスにもう一度謝って、先にこのベランダの下へと行ってもらう。アリスが着いたらロープを下におろして、鉤爪がしっかり引っかかっているのを維持してもらうために軽く引っ張っておいてもらうのだ。ちなみに俺は階段を降りるのが面倒だからそのままロープを使って降りました。ロープをこれでもかと長くしておいてよかった。わりとギリギリだ。
「それじゃあ壁を登るか」
「……ジークだけが行ってください」
「え、なんで? アリスも行こうぜ。向こう側はまた違った文化があるらしいんだぞ? 見ておいて損はないだろ」
「こ、このようなやり方で行くなど……! 命が幾つあっても足りません!」
「ならアリスはロープを体に括りつけるといい。死なないで済むから」
「そういう問題では──」
「アリス。大丈夫だって。俺が先に登って、頂上でこの縄を引っ張るから。アリスはしっかり握っとけばいい。ちなみに、壁に足をつけといてもらえると俺としては助かる。
──アリスの命は俺が責任を持って守るよ」
「……ジークのばか」
罵倒されたが、アリスが折れてくれたみたいだな。たしかに無理強いするのはよくなかったな。嫌がってる子に強制するなんて、クズのやることだ。どうにも俺は周りが全く見えなくなる時がある。これはさすがに自重しておかなければいけないな。
向こうでアリスに何かお詫びすることも約束して、アリスの腰にロープを括りつける。緩かったら意味もないが、きつく縛ってもアリスが苦しいだけ。力加減にこの世界で一番集中したかも。
「それじゃあアリス。先に行くから待っててくれ」
「ジーク」
「ん?」
「お気をつけて」
「……。ははっ、ありがとう!」
アリスからのまさかの声援を受け取ったところで、俺はサクサクっと壁を登り始める。実は俺はこうやって壁を登るのが初めてではない。リアルでも何度かやったことがある。ロッククライミングの経験もあるが、これは今回はあまり役に立たないな。この壁があまりにも綺麗だから、足をつけても滑るのかと思っていたが、多少は摩擦が生じるらしい。気休め程度だが。
「よっと。……へー。いい眺めだな。これが東セントリアか……っと、アリスを引き上げないと」
東セントリアから視線を外し、下にいるアリスへと視線を移す。無事だということをアピールするために手を振り、アリスを引き上げるべくロープを掴み、慎重に引っ張る。俺が事前に頼んでいた"壁に足をつける"という行為をするほど余裕もないらしく、アリスは必死にロープにしがみついたままだ。
「わりとキツ……」
アリスを引っ張り上げる俺もキツイが、アリスもしんどいだろう。腰に縛っているロープが体に食い込まないように、ロープを握るのことで防いでいるのだから。お互い腕に疲労がくる。
だからペースを上げるとしようかね!
「引き上げたら休憩じゃい!」
すぐにでも東セントリアに行きたかったが、それは諦めよう。降りるときも命の危険があるのだから、コンディションは整えなければいけない。ところで、ペース上げたあたりからアリスが何か叫んでるだが、聞かなかったことにしとけばいいよな。
「よいしょっとー! アリスも到着できたな」
「い、いきなら引き上げる速さを上げないでください! 焦りましたよ!」
「ごめんて。ゆっくりやってる方が疲れるかと思ってさ。それよりちょっとここで休憩しようぜ」
俺は東セントリアへと体を向け、壁の上であぐらをかく。壁はなんだか大きめの石を使ってたみたいで、座る分には問題ない。人が二人前後に座るのは無理そうだが、一人ならスペースが余る。アリスも呼吸を整えたいのか、女の子座りして胸に手を当てながら深呼吸してる。
「アリスの呼吸が整ったら行くか?」
「そんなすぐにですか!?」
「東セントリアを見る限り、なかなかこっちも面白そうでさ」
「へ?」
俺の言葉につられたようで、アリスは俺へと向けていた視線を東セントリアへと向ける。東セントリアはたしかに北セントリアと似た作りになっているのだが、やはり特色が出るらしい。もしかすれば東セントリアが一番特色があるかもしれないがな。
──なんせ和風のものがチラホラ見える
「ひっ!」
「ん? ……あー、真下見ちゃったか」
「むりです」
「どした?」
「無理です! こんなの降りられるわけがありません! やはり登るのが間違いだったのです! 私たちは一生ここから降りられないのです!」
「いや、降りれるから」
東セントリア側へと引っ掛けてある鉤爪を、北セントリア側へと引っ掛け直せばいいだけだからな。そして縄に捕まってスルスルって降りるだけ。登るよりも簡単なんだよな。だというのに、アリスは嫌らしい。
「無理です! こうなったのもお前のせいですからね! ちゃんと責任を取ってください!」
「わかった。責任を取ってアリスは俺が貰う」
「そうしてください!」
「え?」
「……あれ? ……ぁ、〜〜〜〜っ! い、今のは違うくて、その……!」
「ははは! 分かってるけど、アリス動揺しすぎだろ!」
「お前のせいです!」
動揺して混乱してる時のアリスって面白いな。すんごい勢い任せになる。目を泳がせて顔を真っ赤にしてるアリスを笑っていると、笑い過ぎだと怒られて叩かれた。やめろ馬鹿。落ちると死ぬんだから。
「アリスの元気が出たところで降りるか」
「無理よ……こんなの……」
「可愛いかよ」
「もう何言ってもいいからなんとかしてぇ」
「重症だな。……しゃーない。全部俺に任せろ」
「うん。……へ? ちょっ、なになに!?」
「危ないからジッとしてろ」
アリスの後ろに鉤爪があるんだが、アリスは身動き一つできない。だから俺は鉤爪を取るためにアリスとの距離を無くす。アリスが落ちないように左手を背に回し、右手で鉤爪を取る。それを左手へと移し、今度は右手をアリスの背に回して左手で鉤爪をしっかりと引っ掛ける。ロープを引っ張って鉤爪が取れないことを確認したら準備完了だ。
ロープはちゃんと東側に下ろしてあるから、後は俺達だけだ。まぁロープの端っこをアリスに括り付けてるからロープがU字になってるんだけどな。
「アリス行こか」
「や」
「や、って。……わかった。なら一緒に降りるぞ。アリスは俺の首に手を回せ」
アリスを絶対に離さないようにと右腕の力を強める。アリスも俺の首へと両腕を回して力いっぱいしがみついた。これなら大丈夫だろう。左手でロープを握り、慎重に降りていく。体が完全に壁から離れる瞬間が一番危険だが、それさえ無事に済めばあとは簡単だ。降りる時から足を壁につけておけば最初にして最大の難関も超えられる。
体が一瞬宙に浮いたからか、アリスがさらに腕の力を強めてくる。痕ができそうだが、まぁいいか。ササッと降りるとしよう。
「アリス、着いたぞ」
「……うん」
「縄を解くからな」
「うん」
生返事しかしないアリスの腰につけてたロープを解く。それが終わったところで腰を上げ、アリスの様子を確認すべく顔を覗き込む。うむ、涙目だ。本当に悪いことをした。だが後悔はしてない。
「怖かった」
「でも大丈夫だったろ?」
「うん……ありがとう」
「どういたしまして。でも、こちらこそありがとう」
「? なんで?」
「いや〜。アリスってわりと胸あるんだなって」
「なっ! 〜〜〜〜っ! 変態!」
「ガハッ……」
そりゃあんだけ密着してたら感触あるに決まってんじゃん。というセリフを言う前にアリスの渾身のアッパーカットをくらう。体が宙に浮きました。半端ない威力だったね。
これが東セントリアに到着して最初の出来事だった。
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5話 東セントリア
アリスにアッパーカットされ、空を仰ぐ俺の視界に壁を超えるために使った鉤爪付きロープが映る。これは残しておくしかないな。じゃないと向こうに帰れない。アリスはそのことにまで思考が回ってないようだが、まぁいいだろう。とりあえず起き上がって大通りに向かうとしよう。
「さっそく人の多い通りに行こうぜ。……アリス?」
「不埒な男に同行する理由はありません」
「ごめんってば。でもああしないとアリスが危なかったろ? 俺は君を守ると言った手前慎重にならざるをえないわけで」
「……そうですが……」
「あ、そうだアリス。怪我とかはしてないか?」
アリスが怪我しないように気をつけたとはいえ、もしかしたらどこか擦ってるかもしれない。見た感じは大丈夫そうなんだが、実際に怪我してるのかは本人じゃないと分からない。
急な話題変換だったからか、俺が心配することが意外だったのか、なんでもいいがアリスはキョトンとしてる。平然としてるが、アリスって隠したりしそうだからちゃんと言ってくれないと困る。
「アリス?」
「え、えぇ、どこも負傷してませんよ」
「言い方が固いな〜。別にいいんだけども。……ま、怪我がないなら何よりだ。それじゃ行こうか」
こんな所にずっといても仕方ない。誰かに見られても変な勘違いされそうだ。そんなわけで人の気配がないか確認しながら大通りを目指す。コソコソしてると余計に怪しいから、ここは堂々と歩くとしよう。周りの確認は怠らないが。
ところでアリスはちゃんと付いてきてるのか? 後ろ振り返るとちゃんと付いてきてはいた。だいぶ距離が遠いけども。これはわりと傷ついた。
「なんでそんな遠いんだよ」
「また訳のわからないことに巻き込まれるのかと」
「その警戒の仕方は良いけどさ、初めて来た場所でなんかしてたら捕まるだろ」
「……ジークならやりかねません」
「俺への評価おかしくない? 何もしないって約束するからこっち来てくれよ。街中ではぐれたら合流できないだろ」
「……分かりました。もし約束を破ったら……」
「何でも言うことを聞いてやるよ」
あまりにもあっさりと何でもオッケーな罰を自分から提示したからかな。アリスがその場に固まった。ぶっちゃけ約束を破る気なんてサラサラないからな。どんな内容だろうと関係ないのさ。それより固まったアリスをどうにかするか。
「おーい。こんなとこで止まってないで行こうぜ?」
「……はっ! あなたが何でも言うことを聞くという空耳が聞こえて驚いてしまいました」
「いやそれで合ってるから。それと約束を破ったら、だからな」
面倒くさくなったからアリスの手を取って歩いていくことにしよう。こうしとけばはぐれる心配もいらないしな。あと、こうして歩いておけば「何してるんですか!」ほら、こうやってすぐにアリスが復活する。こうしとけばはぐれないだろって考えを伝えたら、隣を歩くから手を離せって言われた。ま、近くにいてくれるなら俺も安心だし、手を離すとするか。
「あんま北と変わらないが、ここはここで面白いのあるな」
「私は北セントリアですらそこまで詳しくないのですが」
「……それもそうだな。次は北を案内してやるよ」
「迷子のジークに案内されるのは複雑ですね」
"ベクタの"が抜けてるぞ。どっちにしても、たしかに複雑だろうけどさ。俺はここでの生活が三ヶ月も経ってない。そんな人間に案内されるというのだから。だがそれは知ったことではない。本当に案内するかも不明だしな。アリスの要求次第だ。
それにしても、壁の上から見てたとおり、所々に和風の建物があるな。それに和服を着てる人もいる。その建物や人は、俺達からすれば珍しく思えるのだが、ここの人たちからすればそうでもないらしい。他所者ってのがバレバレだなこれは。主にアリスのせいで。俺はリアルで和服を何度も見てるからさ。
「ジーク……あの服は何なのでしょうか」
「んー。ここの人たちの私服の一つってとこだろうな。街の人たちの様子を見る限り、ここでは珍しくないらしい」
「なるほど。……ところで、お前もあまり驚いてないように見えるのですが、知っていたのですか?」
「さてな。見るのは初めてだが」
「ではお前は元々東側の人間だったのかもしれませんね」
そうかもしれないな、と適当にはぐらかして通りを歩いていく。いや、ある意味当たっているんだけどな。日本は極東と呼ばれる場所だから、東側の人間とも言える。ちなみに関東に住んでるから東日本だ。やっぱり東側だな。
物珍しそうに目移りしてるアリスがどこか行かないように気にかけつつ、俺もこの街に見る。俺はどうしても裏側を気にする人間だからな。素直に表面だけを見て満足できるわけじゃない。まぁ、ここも貴族の面白みのない裏側ぐらいしかなさそうだが。
「お、あの店行ってみるか?」
「どの店ですか?」
「あそこの戸を開けてる店。さっきの珍しい服を売ってるとこっぽい。買うかはともかく、見てみるのもいいんじゃないか?」
「そうですね。お前がそこまで言うのなら行ってみるのもいいでしょう」
素直じゃないな。すでにあの店に目が釘付けになってるくせに。よく分からないアリスのプライドでもあるのかな。俺は急かすアリスに押されて先にその店に入る。目に入ったのは色鮮やかな着物や帯。よく見れば他にも和服にワンポイントに付ける小物もある。簪もあるしな。
正直言ってそこまで大したことないだろうと舐めていた。しかし、この店はリアルで行ったことがある店よりも品揃えがよかった。俺が入った途端止まったのを不思議そうにしたアリスが、俺の横から覗き込むように顔を出して店を見る。そして店の中が明るくなるんじゃないかと思うぐらい目を輝かせ始める。
「ジーク! このお店は素晴らしいですね!」
「そうだな。ゆっくり見て回るとするか」
「はい!」
この店を切り盛りしてるのは二人の老夫婦らしく、アリスのはしゃぎようを見て嬉しそうにニコニコしてる。年代的に孫を見てる感覚なんだろうな。一つ一つ見ては感銘を受けるアリスを置いて、俺は老夫婦に話を聞くことにした。聞くことは一つだけ、アリスが試着してもいいかどうかだ。
和服って皺が一つでも付いてると一気に見栄えが下がるからな。試着するとどうしてもどこか崩れてしまうんじゃないかと思ってしまう。だからダメ元で聞いたんだが、お婆さんの方が間髪入れずに快諾してくれた。お爺さんも笑顔のまま頷いてるし、本当にいいんだろう。
「アリスー。試着していいってよ」
「いいんですか!? ぁ、いや……やはり私はやめときます。見てるだけでいいので」
「何言ってんだよ。着てみたいんだろ? 二人とも着ていいって言ってるんだし、着たらいいじゃないか」
「い、いつ私がそんな話をしましたか」
素直じゃないな本当に。否定するのに言葉が詰まってるし、さっきからチラチラ着物を見てるのに。何がアリスをそんなに抑えているのだろうか。……いや、抑えていると決めつけるのも早計か。アリスがツンデレだけかもしれないし。
とにかく、素直になれないアリスに助け舟を出してやるか。なんか俺が気持ち悪いキャラみたいになるが、なんでもいいや。
「アリスが着てるとこを見てみたいから着てくれないか? せっかく来たんだしさ」
「でも……」
「頼むよ」
「……分かりました。ジークがそこまで頼むなら着てあげます」
チョロいな。そしてやっぱり着てみたかったんだな。鼻歌を歌いながらどの着物にするか選び始めたぞ。ま、楽しんでくれてるなら何よりだ。さて、アリスが楽しんでる間、俺はどうしたもんかな。
「ジーク。私だけでは選びきれませんので、手伝ってください」
「それならいっそ全部着れば? 時間かかるだろうけど、今日は時間にある程度余裕あるわけだし」
「いえ、ジークの時間を減らすわけにもいきません。一着だけでいいのです」
「気にしなくていいんだが……。アリスはどれで悩んでるんだ?」
「えっとですね──」
ふむふむ。アリスさんや。悩み過ぎじゃないかね。五着ってなんだ五着って。でも、色の傾向はバラけてるわけでもないようだな。青系のが三着で、正反対とも言える赤系が二着か。青系のは色の濃さの違いってとこか。で、赤系のは生地に彩ろられてる模様で悩んでるのか。……まずは色を決めないとな。
「アリスは色だとどっちがいいんだ?」
「普段は青系統のが好みなのですが、こちらの赤色も鮮やかですので、たまには着ない色の服でもいいのかなと思いまして」
「なるほど。ならその挑戦をここでやるしよう。青色は今回は無し、んでどっちにするかだな」
どちらも花を模様として描いているやつだな。どんな花なのかは俺には分からない。そんなに詳しくないし、日本にはない花だってこの世界では反映されてそうだし、この世界で生まれた独特の花もあるかもしれないからな。
「お二人さん、こちらは金木犀の花の模様で、こちらが牡丹の花の模様ですよ」
「あ、そうなのですね。ありがとうございます」
「金木犀と牡丹、か」
どっちも日本にあるやつだった。俺が花のことを全然知らないから分からなかっただけか。花言葉なら多少は知ってるんだけどな。本当に少しだけだし、すぐに忘れたりするんだが、この二つのは少しだけ覚えてる。それも判断基準に入れるとすると。
「アリス、こっちのでいいんじゃないか?」
「金木犀の花柄の方ですか? 理由を聞いても?」
「花言葉だよ。金木犀は高貴とか謙遜とか、いろいろと花言葉があるんだが、その中で変わらぬ魅力ってあってな。アリスっていつまでも綺麗だろうからこれだなって」
「お前は私を口説いているのですか?」
「え? 全然そんな気ないけど? なんで?」
「いえ、いいです。……選んでいただきましたし、金木犀の方にさせてもらいますね」
アリスが着物を手にとってお婆さんに試着するための部屋があるかを聞く。だが残念だったなアリス。着物はそれだけじゃはだけて素肌を晒すことになるぞ。お婆さんが苦笑しながらそれを教えると、頬を赤くしたアリスがこっちを見てくる。というか睨んでる。理不尽だな。俺は知ってて黙ってたとは一言も言ってないのに。着物を手にとった瞬間試着しようとしたアリスが悪いというのに。
「赤色なら帯締めは黄色地のやつが合いそうだな」
「ジーク。私は問いただしたいのですが」
「なかなかに理不尽だと気づいているか? 勘違いしてすぐに着替えようとしたアリスが悪いんだが」
「うっ……。ごめんなさい」
「謝らなくていいぞ。教えてなかった俺が悪いし」
帯締めをアリスに手渡し、お婆さんに着付けを頼んでアリスを見送る。髪飾りとかもつけてよかったのかもしれないが、アリスはすでにリボンをつけているわけだし、無くていいだろ。俺が男用のを見ていると、さっきまで黙っていたお爺さんに話しかけられた。内容はアリスとの関係ってとこだが。
「俺とアリスはただの知り合いですよ。お互いに初めてできた友人とも言えますが、まだ会うのも二回目ですし」
「それにしては仲がいいようじゃがのぅ。大切な友人ともなりえる子なんじゃろ? 関係を崩さんようにな」
「もちろんです」
俺の直感が告げているからな。アリスとの関係を切らしてはいけないと。元々なかなか会えるような関係ではない。だから、縁だけは確実に守る。縁が切れない限り、この先どう転ぼうとなんとかなるし。
キリトに関する情報は全くこれっぽっちもないわけだし! あいつまじでどこいるんだろうな。まず東西南北のどこか。そして央都にいるのか外にいるのか。何一つ手がかりがない。俺もそこまで動けるわけじゃないし。
「お兄さんや。お嬢ちゃんの着付けが終わったから見てあげなさいな」
「あ、分かりました」
お婆さんに呼ばれて部屋の中へと入る。カーテンというか、布の仕切りがあって、反対側にアリスがいるらしい。なんで出てこないんだろうな。てっきり部屋に入ったらそこにいるかと思ったんだがな。
「アリス。なんで隠れてるんだよ。開けていいか?」
「だ、駄目です!」
「なんで!?」
「恥ずかしいので」
「まぁいいや。開けるぞ」
「だめっ……!」
アリスの静止を無視して仕切りを開ける。中には慌てて仕切りを開けないようにしたのか、口を丸くしながら手を伸ばしているアリスがいた。普段の固いのが抜けるとこんな感じなんだな。
「ジークのバカ……」
「……」
「ジーク?」
「綺麗だな」
「へ?」
「メッチャクチャ綺麗だぞアリス! 普通に見蕩れてた!」
「ふぇ!? ぁ、いや……その……ありがとう……」
いつもの調子だと貶して返されてそうなんだけどな。元々アリスが動揺してたからかな。普通に顔を赤くして俯いたぞ。何この子。普通に可愛くてビックリだわ。これがギャップ萌えというやつか。ほとんどの男はイチコロだろうな。
それはともかくとして、アリスの着物姿を改めて見るとしよう。さっき見てた赤地をベースにして金木犀の花をあしらった着物で身を包み、黄色地の帯締めをしている。その着物にアリスの綺麗な金髪がまた映える。うん。どう見ても美少女だ。
「ジ、ジーク……その……そんなに見つめられると……恥ずかしいです」
「あ、あぁごめん。アリス、本当に綺麗だよ」
「も、もういいですから! 着替えるので出ていってください!」
「お嬢ちゃん。その着物と帯締めもあげますよ。いいものを見させてもらったお礼に」
「それは申し訳ないですよ!」
「受け取らないなら試着代を貰おうかしらね〜」
お婆さんやり手だな。試着代なんてないだろうけど、この着物と帯締めの値段を見たら結構いいお値段してた。これで試着代を取ったら払えない金額だろうな。アリスは払えるかもだけど、手痛い出費になる。
それでまぁ、結局アリスが折れてたよ。丁寧に包装してもらって、紙袋にしまわれた。それをアリスが受け取り、大事そうに抱える。上機嫌になったアリスと一緒に店を出る。
「それ貰えてよかったな」
「はい! ジークも選んでくれてありがとうこざいます」
「どういたしまして。……まだ見て回りたいところだが、そろそろ北セントリアに戻るか」
「分かりました。行くとしましょう」
あ、これはやっぱり気づいてないな。帰りも同じように壁をよじ登ることになるってのを。ま、言わなくてもいいか。そこまで行けばどうせ分かることだし。
来た道を戻っていき、路地裏へと入っていく。一番奥まで進み、ロープを残していた所へ。よかったよかった。ロープは残ってた。さてと、それじゃあ登るとしますか。けどその前に。
「アリスさんや。腕を放してくれないと登れないんだけど」
「もうこれは嫌です! この街から出られなくていいので登るのはやめましょう!」
「いやそういうわけにもいかないだろ。お互い帰る家があるわけだし」
「嫌なものは嫌なんです!」
涙目で上目遣いして訴えてくるのはセコい。すんげー心が揺らぐ。だがアリスの訴えを今回は聞くわけにはいかない。戻らないといけないのだから。帰る時間が決まってるわけだし、フレニーカに心配をかけるわけにもいかないからな。
俺は駄々をこねるアリスにロープを括り付け、アリスに紙袋を手で持つのではなく、肩に下げるように伝える。俺が譲る気がないと分かったアリスが結局折れ、壁を越えることが決まった。ただし方法は少しだけ変わる。
「手を離すなよアリス」
「はい……」
「大丈夫だ。来るときも言ったが、アリスのことは俺が絶対に守るから」
「約束ですよ」
「あぁ。約束だ」
降りる時にやった方法とほぼ一緒だ。アリスに俺の首へと手を回させる。違いは俺がアリスの背に腕を回せないこと。片手じゃ登れないからな。だから、アリスに足も俺の体に回すようにさせた。これには猛反発されたが、こうじゃないと登れないのだ。
「ジークに辱められてる……」
「酷い言い方だな。そんなふうに言うなら本当にそうするぞ?」
「やだ! ジークの変態!」
「なら変なこと言うなよ。わりと集中して登ってるんだから」
俺一人なら楽しみながら登るんだが、アリスがいるとなるとそうはいかない。アリスを俺が支えられないのが一番の不安なんだ。ロープで括ってはいるが、ぶっちゃけ気休め程度だ。バンジージャンプ用のじゃないから、落ちれば結局アリスが死にかねない。
壁に足つけて、ロープを両手で掴んで歩くように登っているが、一旦止まって片手を離す。アリスとは向かい合うようになっているから、アリスは真下を視界に映してしまう。だからかアリスがさっきから震えているのだ。俺はアリスを少しでも安心させるためにアリスの頭をそっと撫でる。
「何があろうと守るからさ。俺を信じてくれ」
「……絶対ですよ?」
「あぁ。絶対にアリスに何があっても必ず守る。この約束は今回だけじゃなくていい。何年先でも有効だ」
「ふふっ、キザな人ですね。私を口説いてます?」
「そんなつもりはないんだけどな」
ちょっとアリスに余裕ができたところで、手をアリスの頭からロープへと戻す。壁登り再開だ。アリスが俺を信頼してくれたのか、震えも止まってさっきよりも登りやすくなった。スムーズに進んでいき、壁の上で夕日を眺めながら一休みする。
「ちょっとは慣れたんじゃないか?」
「慣れたくないことです」
「はは、それもそうか。そういやもうすぐ夏至祭があるらしいんだが、アリスは夏至祭来れるのか?」
「夏至祭……ですか?」
「そう夏至祭。なんかいろいろと催し物があるらしいぞ? 街を見たいならこういうのも来てみたらいいんじゃないか? 俺も初参加になるが」
夏至祭って要はこの世界の夏祭りって思っておけばいいんだろうな。どんな祭りになるかはさっぱり想像もつかないが、それなりに楽しめるだろう。フレニーカにも一緒に回ろうとは言われてるんだけどな。アリスが来られるなら三人でもいいかもしれない。俺が間に入っとけばなんとかなるだろ。
「夏至祭……そういうのもいいかもしれませんね。その日に出てこられるかは分かりませんが、その時は一緒にいてもらってもいいですか?」
「いいぞ。といっても、まず会えるのかが分からないけどな。アリスがこうやって外に出てくる時間だって決まってるわけじゃないんだろ?」
「……そうですね。ですが、ジークにならまた会えそうです」
「どっからそんな自信が出てくるんだか……。ま、楽しみしとくか」
「ええ」
夏至祭の話もしたところで、ここから降りるとしますかね。鉤爪の位置を変えて、今度は片手でもいけるからアリスの背に手を回して降りていく。降りる段階になってアリスがまた青ざめたのは言うまでもないね。
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6話 夏至祭
フレニーカに誘われていた夏至祭の日が来た。夏祭りみたいなもんだって思っていたから、てっきり日が傾き始めてかなって思ってたんだが、真っ昼間どころか朝からやってる。どうやら夏至祭は朝っぱらから街全体で盛り上がる行事らしい。こういのってヨーロッパの方じゃ珍しくないんだっけな。クリスマスマーケットとか昼間からやってるって聞いたことがあるぞ。
『ジークさん。私たちも行きましょう』
「わかったー。フレニーカは先に出て外で待っててくれるか? すぐに行くから」
『わかりました。お待ちしてますね』
「ごめんなー」
やることがあるのだよ。
「よっ!」
屋根裏部屋の
「……何をされてるんですか?」
「飛び降りた衝撃を使ってちょっと遊んでた」
「あの窓はなんですか? なかったはずですが……」
「あー、ご主人に頼んで作らせてもらったんだよ。窓がないのは不憫だろ? 今日はついでに換気しておこうかと思ってな」
「最初に出会った頃の印象が薄れるのですが……」
「俺はわりとこういう人間だけどな」
そりゃ最初からぶっ飛んだところを見せるわけがないだろ。これ以上ぶっ飛んだ言動もないから、そこは安心してもらいたいけども。フレニーカの髪をわざと乱雑に撫でて誤魔化してると、フレニーカの服装がいつもより気合が入ってるのに気づく。ただの祭りのはずなのだが、もしかして俺は服装を間違えたんだろうか。正装なんて持ってないけど。とりあえずフレニーカの服装の講評をしないといけないな。
「ジークさん? あまり見られると気恥ずかしいのですが……」
「あーごめん。いやな? フレニーカの服装がいつもより気合入ってるなって思って。俺も服装整えてた方がよかったか?」
「い、いえ。私がこれを着たかっただけですので」
「そうなのか? ならよかったけど、……うん。似合ってるよ」
「っ! ありがとうございます!」
控えめなフレニーカにしては珍しくフリルが入ったスカートにしてる。まぁそのフリルもまた控えめなんだが、むしろそれがフレニーカらしいし、実際似合ってて魅力を引き立ててる。こんな妹が欲しかったものだ。……シェスキ家にいるから実質フレニーカは義妹になるのか? よし、勝手にそう思っておこう。
「夏至祭って出店以外何があるんだ?」
「催し物もありますよ。有志による出し物もありますが、人気なのはやはり剣術披露会ですね」
「剣術披露会? あー、貴族がやるのか」
「いえ。この夏至祭はどちらかと言えば庶民的なものなので、貴族の方はほとんど出席されません。なので、剣術を修めてる方がやります。これも有志ではあるのですが──」
有志の剣術披露ねー。それって見てて面白いんだろうか。剣に触れる機会さえ無い人たちからすれば面白いんだろうけど、俺はたぶんイマイチなんだろうな。剣ならアインクラッドで幾らでも見たし、何より俺は刀が好きだ。剣より断然刀だ。ALOも刀で戦ってたしな。GGOだけは別。あれは銃が楽しかった。キリトみたいに剣でも楽しめたが、刀じゃないからそこまでだった。
そんなわけで俺はその披露会に然程興味がない。まぁ、出る人の腕前がどんなのかは見てみたくはあるけどな。それに、どう見てもフレニーカがそれを楽しみにしてる。今も去年がどうだったとか、どの家の人がどうとか話してるし。もしかしてフレニーカは剣術バカなの? それはお兄さん複雑だよ。ぜひとも純粋に楽しんでいるだけの少女であってくれ。
「ま、出る人の剣術を拝んでみるかね」
「はい! ぜひとも!」
「ところでフレニーカは剣術が好きなのか?」
「へ? いえ、私もいずれ修めることになってますが、凄いなって楽しんでるだけですよ」
「よかった」
「?」
首を傾げるフレニーカに何でもないと言って、出店へと話を変える。ケバブっぽいのがあるな。手始めにそこに行ってみるとしよう。フレニーカはこういうがっつく系のは遠慮するらしい。俺一人だけ買って、ケバブもどきを味わう。普通に美味いから飲み込んではさらに齧り付く。俺がそうやって食べていると、フレニーカがそわそわし始めた。目線をチラチラとこちらに向けてるということは、そういうことなんだろう。
「食べてみるか?」
「い、いえ! 私は先程いらないと言ったので……、それにそれはジークさんのものですから」
「そんなの気にするなよ。やっぱり食べたくなったから食べる。そんな理由でいいじゃないか。ほら、食べていいから」
俺が差し出したのを見て、食べ物と俺の顔を交互に見る。俺が食べていいと頷くと、フレニーカは遠慮気味に齧りついた。口を小さく開いて齧り付くとか、なんだこの可愛い小動物は。ぜひとも仲良くなりたい。あ、もう同居してたわ。
口を手で隠しながら咀嚼して飲み込んだフレニーカは目を輝かせた。どうやらお気にめしたらしい。俺はもう一度フレニーカに差し出し、フレニーカがまた食べる。これは完全に餌付けだな。そうやって楽しんだら他を見て回るとしよう。
「フレニーカが行きたいところあるか? 最初に俺が行きたいとこに行ったし、次はフレニーカの行きたいところに行こう」
「いいんですか? 少し歩くことになりますが」
「気にしないさ。夏至祭なんだ。お互いに楽しまないとな」
フレニーカは気を回し過ぎだ。もっと自分を出してくれたほうが俺としても嬉しい。そんなわけでフレニーカの行きたい所へと足を運ぶ。結構人も混んできたからフレニーカとはぐれないように手を繋ぐ。この世界って携帯電話とかないからはぐれたら一大事なんだよな。
そうして歩くこと10分弱ほど。大通りから少し外れた所へと到着する。ここがフレニーカが行きたかった場所らしい。花屋……じゃないな。この規模だと植物園か何かかだな。
「夏至祭の日だけ、この場所に東西南北全ての地方のお花が集まるんですよ。もちろん入場無料で、種類によっては購入も可能なんです」
「変えるのかよ。……なかなか大規模だな」
「えっと……やめときますか?」
俺が足を止めて建物を仰ぎ見てたからか、フレニーカは俺が気に入らなかったと思ってしまったらしい。そんなことは一切ないんだけどな。俺はこういうとこわりと好きだし。動物園、植物園、水族館、美術館、博物館、こういったいろんなのを見れる場所にはむしろ入り浸るタイプだ。勘違いしたフレニーカに笑いかけながら頭をそっと撫でる。
「そんな顔すんなよ。規模に驚いてるだけだからさ。フレニーカ、中でいろんな花のこと教えてくれよ」
「ぁ……はい! お任せください!」
フレニーカに手を引かれて建物の中へ。その植物ごとに管理方法が違うらしく、似た環境で育てるものは同じ部屋。そうじゃないものは違う部屋といった具合に細かく分けられてる。ま、基本的に地方ごとに分かれるんだけどな。
フレニーカはこういうのに詳しいようで、名前や花言葉、花の色の種類に育て方まで教えてくれた。君は博士にでもなりたまえって言いたくなったが、本人曰くあくまで趣味の範囲らしい。それに、シェスキ家のひとり娘だから将来のことはすでに決まってしまっているらしい。なんとも面白くないシステムだが、俺がそれを壊しちゃいけないんだろうな。菊岡が言ってたのはこういうのを壊すなってことだろうし。
「すっかり昼食の時間も通り過ぎたな」
「うぅー、ごめんなさい。楽しくて……つい」
「謝らなくていいぞ。俺も聞いてて楽しかったし、フレニーカが笑顔をずっと見られたんだ。十分すぎる時間をもらった」
「はぅっ! お、お恥ずかしいです……」
両手で顔を隠すフレニーカに苦笑しつつ、足を次の場所へと向ける。時間からして、昼食を取って剣術のを見に行くってことになるだろうしな。それに、この時間ともなれば順番も待たなくていい。すぐに店で注文もできるだろう。
できるだけ剣術披露の舞台に近くて開いてる店を探し、そこでフレニーカと遅めの昼食を食べる。ここに来るまでの間に前回も前々回もアリスが使っていた路地裏を少し確認したが、箱は見当たらなかった。夏至祭の日に出てこられないってことは、とんでもなくお固い家柄らしい。
「舞台はそっち進んでいったところだよな?」
「はい。すでに人も集まり始めてるようですが……」
「人気があるんだろ? それは仕方ないさ」
「ですが、それだと見えなくなってしまいます……」
「なるほど……。あっちの方向なら……」
場所をちゃんと確認しないと一概には言えないが、出遅れてもなんとかなるかもしれないな。いや、なんとかしてやろう。あれだけ楽しみにしてたフレニーカのために張り切って特等席を確保してやる。
そんなわけでステージへと歩いていき、人の多さとその視線の集まり方から場所を確定させる。それと同時に俺の考えがうまく行くことを確信し、フレニーカの手を引いて移動する。あの場所からじゃ結局フレニーカの身長では見れず、落ち込んでいたが、まだ諦めるには早いぞ。人の波を避けて歩いていき、ある場所へとたどり着く。
「……ジークさん、ここは?」
「知り合った人の家。ここからなら見れるだろ。てなわけでお邪魔しまーす」
「あらジークくんいらっしゃい。もしかして剣術披露会でも見るのかしら?」
「えぇそうですよ。ここから見させてもらっていいですか?」
「もちろんよ。ゆっくり見ていくといいわ。そちらのお嬢さんも」
玄関の外で待っているフレニーカをお婆さんが中に通した。先に披露会が見えるポイントをフレニーカと確認し、あとは時間が来るまでお婆さんと話す。お爺さんはすでに他界してしまっているらしく、この家はお婆さんだけ。街を散策している時に出会い、お婆さんの荷物運びを手伝って仲良くなった。
お茶まで出してもらい、三人で談笑していると『時告げの鐘』が鳴った。この世界に時計はなく、あの鐘が一時間ごとに鳴ることで時間を把握するのだ。そして、この鐘が鳴ったということは、剣術披露会が開始されるということだ。三人で二階へと上がり、大窓から剣術披露会の舞台を見下ろす。
「始まったみたいだな」
「はい! ジークさん、お婆様ありがとうございます!」
「いいのよー。私もフレニーカちゃんと話せて楽しかったから」
俺としても、こうして笑顔を咲かせているフレニーカを見られたらそれで十分だ。それに俺からすれば恩しかないから、こうして少しでも返せたらなって思いもあるし。フレニーカに言ってもそんなのいいですよって言われるだけなんだが。
それにしても、やっぱり実戦経験がないからだろうな。見世物としても剣技の域になっている。振り方や剣筋だけを見ると、たしかに鍛えているということは分かる。それも人によってマチマチだが、共通して言えるのは技の披露が見世物だということだな。盛り上がってるからこれは俺の胸の内に仕舞い込んでおくが。フレニーカも楽しんでるし。というかその理由が9割だ。フレニーカが楽しんでいるということが、俺が言葉を仕舞い込むという理由の9割なのだ!
「すごいですね」
「……そうだな。みんな鍛えてるんだな」
「そりゃあ披露する以上弱い振り方をできないものねー」
見ていると中にはマシなやつもいるんだが、やっぱりそいつも俺からしたら微妙だった。まぁでも楽しめなかったわけじゃない。これはこれでこの街の……いや、この世界のことを知るには役立ったからな。
この後のイベンド事で盛り上がるのは、最後の舞踏会らしい。完全に日が沈んでから行われるのだとか。お婆さんもよくお爺さんと踊っていたのだとか。息子さん夫婦は今年踊るんだってさ。参加自由らしいけど。俺とフレニーカはお婆さんに礼を言ってから家を後にし、一応帰路についている。
「舞踏会……」
「フレニーカもやるか? 時間からして怒られるだろうが」
「うっ、そうなんですよね……。ジークさん……その……」
「ん。一緒に怒られてやるよ」
「駄目ですよお二人とも」
「あれ? てっきり最後まで見守るのかと思ってましたよ。ロシェーヌさん」
後ろから声をかけられ、振り向けばそこには使用人の一人であるロシェーヌさんがいた。わざわざ普段着てる服じゃなくて庶民に紛れられる服にしてたのか。真面目というか仕事熱心というか。それはともかくとして、どうやらフレニーカが舞踏会に参加するのは駄目らしい。時間が遅いからな。
「ロシェーヌさんが駄目って言うことは、先に両親に言われてたってことですね?」
「そういうことです」
「ならフレニーカ。残念だけど今年は諦めよっか」
「えぇー」
「来年か再来年には許されるだろうから、その時には踊ろ。な?」
「……約束ですよ?」
「もちろん」
フレニーカと約束を交して、俺はフレニーカをロシェーヌさんに任せる。少しやることがあるからって二人に伝えて、先に帰ってもらった。二人に手を振り、人混みで見えなくなったところで道の横にそれる。
「そんなわけだから、一緒に踊らないか?
独り言にしてはなかなかに気持ち悪いものだが、これは独り言じゃない。アリスがいるという確信があって言ったことだ。そしてそれは当たっており、アリスが俺の前へと姿を現した。
「いつから気づいていたんですか?」
「披露会の時かな。俺はあれを熱中して見てたわけじゃないから、他のとこにも目を移してたってわけ。それよりいつ来たんだよ。一応確認したのに箱なかったぞ?」
「抜け出すのに手間取ったので」
アリスとさっきの披露会の話をしながら舞踏会の場所へと足を運ぶ。もちろんアリスはまだ踊ることを了承してないんだけどな。どちらにせよ、どんなものかは見ておきたいし。それはともかく、アリスもさっきの披露会のはイマイチだったらしい。
それはつまり──
よっぽどいいとこのお嬢様か、あるいは別か。
「ジーク? 私の顔に何か付いてますか?」
「そうだな。綺麗な顔なら」
「そうですか。ちなみにお前は下卑た顔ですよ」
「酷いこと言うなよ! そんな顔じゃねぇだろ!」
冗談です、と微笑むアリスに毒気を抜かれ、俺は押し黙ることにした。アリスに冗談を言われたのがたぶん初めてで、なんか許せてしまったから。そんなアリスは、思い出したように俺に紙袋を渡してきた。中を見ればそこにはアップルパイが入っていた。くれるということなんだな。
「……これってまだ食べられるやつか?」
「それは"ステイシアの窓"で見られるでしょう」
「なにそれ」
「お前はそんなことも知らずに三ヶ月過ごしたのですか!? 本当に馬鹿ですね! ステイシアの窓とは、万物の天命や優先度などを確認できるのです」
なるほど。つまりはステータスウィンドウってわけだ。それをこの世界ではステイシアの窓と呼ぶらしい。ステータスウィンドウが窓ね。見えなくもないか。ちなみに体力のことを天命と呼ぶらい。そしてこのアップルパイの天命はまだ残っていて、食べられる。一口齧り、その味、食感、風味に心を奪われた。こんなに美味しいのは食べたことがなかったから新鮮だ。二つあったから、小腹をすかせて鳴らしたアリスにもう一つを上げた。
アリスが食べ終わったところで、俺たちも舞踏会に行くとしよう。アリスにはまだ言ってないけども。
「……まさか、参加する気ですか?」
[しようぜ。せっかく来たんだしさ」
「はぁ、お前は仕方ないやつですね。私を引っ張ってくださいよ?」
「おう。なんとかしてやるさ」
周りの人に合わせて俺もアリスと向き合う。お互いの片手を繋ぎ、指を絡ませ合う。反対の手をアリスの腰に回し、ゆっくりと足を動かしていく。大人はみんなできてるから、俺はその足運びを観察し、盗み、実践する。俺も初めてなのだが、飲み込みは早いのだ。アリスは苦戦してるけどな。
「アリス大丈夫か?」
「で、できるので、黙っていてください!」
「そんな固くなってちゃできないぜ? だから、もっと力を抜け」
「そんなこと言われましても……」
「わかった。アリス、俺に身を委ねろ」
「っ! はい」
言い方を変えたらアリスの力が抜け、俺のリードに合わせて動いてくれてる。アリスは今体を動かしてもらってる、なんて思っているのだろうが、実際には全然違う。アリスは自分でちゃんと動けている。少し視線を落とせば重なり合う。その美しい青い瞳を見つめ、踊れていることを伝えた。驚いたように少し目を見開いたが、すぐに自慢気になり始めた。まだまだ子どもだなって言葉をしまい込み、俺たちは心ゆくまで踊り続けた。
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7話 プレゼント
さてさて、今日はどこに行こうか。丸一日使っても南は満足に散策できないから行ってないし、西側はそれなりに楽しめた。東側は新鮮味に欠けるからなー。どうしたものかと考えていると、向かい側に座って紅茶を優雅に飲んでいるアリスが首を傾げた。どうやら俺が何も考えられていないことが不思議らしい。
「俺だって思いつかない時があんの」
「私はまだ何も言ってませんが……。当たってますけど」
「西も東もそれなりに行ったしさー。壁登るのだって一苦労だし」
「そうですね。私も慣れたとはいえ登りたいとは思いません」
「それなんだよなー。アリスが慣れちゃったから反応が薄くて」
「……お前、私の動転を見て楽しんでましたね?」
自分の失言に気づいて顔を横にそらす。前方から無言の圧力がかけられてくるが、ここは耐えることにしよう。なんとかして話題を変えたいところだが、今日をどう過ごすかが問題なのだ。変えられる話題がない。
俺が冷や汗を流しながら必死に話題を探していると、アリスがため息をついてカップをソーサラーの上に戻した。圧力も無くなったということは、ひとまずは許してくれるらしい。それどころか話題まで提供してくれた。ありがたいね。
「言われてみればたしかに、アリスにはまだ案内してない場所があるか」
「ええ。第七区と第八区はまだです。かれこれ八ヶ月は経っているのですがね」
「早いもんだな。まぁ、アリスが抜け出してこれるのも数少ないし、むしろ月に一回ぐらい出てこられてるのが凄いよな」
「苦労しますけどね」
苦労の一言で済ませられることでもない気がするだよな。アリスは俺みたいにぶっ飛んだやり方で出てきてるわけじゃない。たしかに箱に入って出てくるのはなかなかな思考をしている。だが、それでも正規の方法だ。手順はちゃんと踏んでいる。むしろそれを疑問に思わずに毎回運んでる人の思考を疑いたい。
さて、第八区はぶっちゃけてそこまで目新しいものや面白いものがあるわけじゃない。やっぱり行くなら第七区だろう。そろそろサードレの爺さんのとこに行こうって思ってたしな。今日行こうと思ってたのはさっきまで忘れてたけども。
「第七区ですか?」
「うん。ちょっと俺の用事もあるし、ちょうどいいだろ?」
「私は案内してもらう身。ジークの都合もあるのでしたら優先してもらって構いませんよ」
「大したようでもないから、適当に回りながらになる」
「わかりました。では早速行きましょうか」
紅茶を飲み干したアリスが席を立ち、俺もそれに続く。会計を済ませて目指すは職人の街とも言える第七区。ちなみに俺の遊び場の一つでもある。何度店に行っても、職人たちそれぞれのこだわりがあるから見てて飽きない。次々と新作を作るしな。
俺が何度も第七区に足を運んで抱いている感想をアリスに話すと、アリスは第七区に興味を持ってくれたようだ。素晴らしい腕の技師たちがいるんだなって楽しみにしてる。アリスの目にあれらがどう映るかはわからないんだけどな。アリスってだいぶいいとこの子っぽいし。
「……ジークは貴族についてどう思いますか?」
「おもむろにどうした」
「ジークの意見を聞いてみたかったので」
「なるほどね」
ギャルゲーであれば私の家柄についてどう思いますかってことになって、それはつまり私についてどう思いますかって質問である。だが残念だな。これはギャルゲーの世界ではないのだ。そしてアリスもヒロインじゃない。一人の人間で、聡明な人物だ。そういう意図があっての質問じゃない。言葉通りに貴族に対する俺の意見を聞きたいのだろう。
「中流貴族は貴族だなってだけだし、下級貴族はむしろ親しみやすい。上流貴族に関してはいけ好かない奴って考えだな。仲良くなりたいとは思わないね。アリスは別だけど」
「そうですか。私とあまり意見が変わりませんね」
「そうなのか?」
「はい。私も上流貴族にあまり良い印象を抱いてませんので」
これはまた意外……でもないか。むしろアリスらしい気がするし、アリスがちゃんと見えていることに安心した。俺の勝手なイメージでは、地位が高いほど貴族が腐ってる気がするんだよな。三等爵家までしか見たことないから、上二つは知らないんだよな。とりあえず三等の時点でなかなか酷いもんだったよ。
「お、ジークじゃねぇか。可愛い子連れてるなんて……引っ掛けたか?」
「俺はそんなことする遊び人じゃないんだけどな」
「そうですよ。それに私だってそんな男に引っ掛けられるほど愚かではありません」
「はははっ、そりゃ悪かったなお嬢さん。それでジーク。店には寄っていくのか?」
「そうしようかな」
第七区に入ってしばらくしたら、知り合いの職人に声をかけられた。店にいないのが珍しいが、荷物を見る限り買い出しに駆り出されたんだろう。奥さんはまだ幼い子供の面倒を見てるし、この人の店は人の出入りが多いわけじゃない。売ってるものは物珍しいものばかりで、値段も高いからな。生計は立てられてるみたいだけど。
この人の店どういう店なのかとアリスが目で聞いてくるが、見てからのお楽しみだと返しておいた。俺のこの返しも予想はしてたみたいで、ため息をつかれたよ。パターンが読まれるのは少しばかり面白くないが、弄ろうと思えばこの返事からでも弄れる。今はやんないけど。
「ここがオレの店だぜ」
「相変わらずの閑古鳥」
「うるせぇ。生活できる程度には稼げてるし、なんだかんだで余裕もあるぐらいなんだよ」
「そうじゃないと妻子を育てられないしな」
「お子さんもおられるのですか?」
妻子という単語を聞いてアリスが反応した。やはり女の子だからなのだろうか。男の俺が初めて子供の存在を知ったときよりも食いついてる。母性本能の一種なのか、少なくとも女の
アリスが食いついたからか、気を良くしたオッサンが店の奥──つまり家の中へと案内してくれた。テキトウに上がるオッサンや俺とは違って、アリスは落ち着いた足取りで家へと上がる。今更ながらに思うが、俺はこんな上品な子と遊んでるんだな。住む世界が違うな。……元からか。
「あらジークくんいらっしゃい。また来てくれたのね」
「たまたまそこで出会ったので。今お子さんは寝てるようですね」
「さっきまではしゃいでたから疲れたみたい。ところでそちらの子は彼女さん?」
「申し訳ありませんが、私とジークは冗談でもそういう仲ではありません」
「辛辣だな。ま、友達ですよ」
なぜかこっちにジト目を向けて辛口な口調で言ってくるアリスに肩を竦め、オバサンにアリスを紹介する。紹介と言っても名前ぐらいなんだけどな。俺はアリスのことをさっぱり知らないし、アリスも話そうとしないから名前しか情報がない。憶測はついているが、憶測で話すもんでもない。
昼寝しているお子さんをアリスと二人で眺め、その間にオバサンがお茶を用意してくれる。アリスは遠慮していたが、用意された以上受け取るしかないだろって説得した。アリスはお子さんの話をオバサンから興味津々に聞き、俺とオッサンはそれをつまみにお茶を飲む。
「そういやジーク。サードレさんとこで何か作ってたんだっけか?」
「あー、まぁな。興味本位でやらせてもらった」
「興味本位であの人がやらせてくれるとは思えないんだが……」
「やり方ってもんがあるんだよ」
たんに設計図とか完成図を書いて、これを作りたいから工房貸してって言っただけなんだけどな。設備的にサードレの爺さんとこぐらいしか作れそうになかったし、爺さんもその図に目を通して渋々貸してくれた。自分のとこでしか作れないって爺さんも思ったからだろうな。
工房のことは極秘事項だから、オッサンに聞かれても何一つ教えてやらない。不貞腐れ始めたが、そもそもオッサンと爺さんのジャンルが違うだろうに。爺さんは金細工でオッサンは骨董品なんだから。そうやって何故か年上を諭していると、後ろから泣き声が聞こえた。お子さんの声だな。振り返ってみると、あやそうとして失敗し、困惑しているアリスが目を若干潤わせてこっちを見ている。時たま可愛いとこ出るよな。
「何してんだよアリス」
「お子さんが起きまして、それで抱っこしていいと言われたのですが……」
「貸してみ。泣きやませるから」
アリスが抱きかかえている子を受け取り、子供の脇に手を添える。この子はたしか二歳だったかな。多少動きがあったほうが泣き止む。なんせあのオッサンのの子だし、男のだし。ってなわけで腕を上げていき途中で手放す。バスケのレイアップみたいな感覚だな。少し手から離れるって感じ。子供が一瞬宙に浮いて、すぐ落ちてくるのを優しくキャッチ。そしてアリスに強奪されるのが落ち。
「何すんだよアリス」
「お前が何してるのですか! 子供を少しとはいえ投げるなど! もしものことがあったらどうするのですか!」
「絶対落とさないし、アリスも備えてくれてたじゃん。それに、こうした方が泣き止む」
「そんなわけないで……しょ。……あれ?」
「泣きやんでるだろ?」
アリスに抱きかかえられてるお子さんは、泣きやんでるだけでなく楽しそうにキャッキャ笑い声を上げている。それに唖然としてるアリスにドヤ顔を向けると足を踏まれた。理不尽なことで。
オッサンが何度もこの子をポンポン投げてるからな。この子はこれが大好きなんだよ。それをアリスに教えてやったが、アリスは子供を投げるなんてできないって首を横に振った。だから別のやり方でこの子を笑わせる方法を教えてやると、嬉々としてそれをやってた。現金な子だねー。
「ふふっ、ジークくんとアリスちゃん。夫婦みたいね〜」
「夫婦!?」
「いやいや、この年齢でこの年の子なんてないでしょ」
「冗談よー。でも、そう見えちゃったんだもん」
「そうですか。っと、アリス。そろそろお暇しようか。サードレの爺さんとこ行くから」
「え……」
すんげぇ名残惜しそうな顔するなー。そんなにその子と戯れるのが楽しかったのか。たしかに赤ん坊って可愛いからついつい構っちゃいたくなるけどさ。今日の目的はここで時間を潰すことじゃないんだから。ここも第七区だけど、全然見て回ってないだろ。
渋るアリスを諦めさせ、二人に礼を言って家を出た。てか、そもそも店の方に来るはずだったんだが、アリスが楽しめてたし別にいいか。俺は何度でもここに来られるし。
「あの子……可愛かったですね」
「まぁな。……女の子ってやっぱ母親になることに憧れるのか?」
「そう、ですね。こうやって実際に見てみると、自分の子を育てたいって思ったりするものですね。どうしてそれを?」
「いやな。知り合いでそういう子がいたから、アリスもそうかなって」
思い出すのは別の仮想世界で出会った少女。共にゲームを駆け抜け、共に実力を高め合い、共にいる時間を、あの幸福を謳歌した。何年も前の話ってわけじゃないのに、あの日々が懐かしい。
「ジーク?」
「……ん? どうしたアリス」
「いえ、珍しく哀愁がただよっていたので。あの、私何かしてしまいましたか?」
「そんなことないぞ」
俺達はお互いに踏み込まないでいる。一定の距離を保つために。だからこそ知らぬ間に地雷を踏んだり、触れるべきでないところに触れてしまいかねない。今までそんなことはなかったのだが、俺がちょっと黄昏れてたからかな。アリスが自分に非があるのでは、と申し訳なさそうにしている。本当にそんなことはないから、俺は気持ちを切り替えてアリスの髪を雑に撫でる。頬を膨らませて怒るアリスにいたずらっぽく笑いかけ、サードレの爺さんの店へと足を運んでいく。
「爺さん来たぞー」
「呼んどらんがな」
「まぁまぁそう言わずに。俺も置いてたやつを取りに来ただけだし」
「むしろなんでお主は作った時に持って帰らないんだ……」
なんでだろうな。俺も不思議だわ。というのは冗談で、保管場所としてこの店の方がいいと判断したからだ。なんせ俺の部屋って屋根裏部屋だからな。金細工だから保管に慎重にならないといけないってわけでもないが、気にかけるに超したことはない。そんなわけでここに保管させてもらっておいたのだ。
「見事な品ばかりですね」
「この人は一級工匠の認定を受けてるらしいからな」
「なるほど、道理で」
「どうせジークは何も買う気ないだろ」
「自分で作ったしな」
俺が自作したということに、アリスは目を見開く。そこまで驚くことかと思ったが、普通に考えて驚くことだな。ド素人が金細工を作ったのだから。リアルの方で言うと、全部金属でできてるアクセサリーを自作したってことだもんな。俺にはできない。この世界だからできる。そのへんファンタジーで許されてるから便利。
爺さんが俺の作った金細工を取ってきてくれて、俺はそれを受け取る。アリスが中身に興味を持っていたが、まだ見せてあげない。この店の中で見せると周りにある品に完全に埋もれるからな。技術職だけあって一朝一夕じゃ大したもんは作れない。
「後で必ず見せてくださいね」
「それはもちろん」
アリスに見せると約束して、この店に置かれている物を二人で見ていく。どういう系統が好みだー、とかな。とても俺に買える値段じゃないから俺は見るだけ。アリスはどうするのかと思ったが、アリスも買うのはやめとくらしい。そんな中、アリスがふと目線を上げた。その先にあるのは、金細工のこの店には珍しいもの──剣がある。俺は剣にそんな興味ないから、ふーんで終わったけど、アリスはそうでもないらしい。
「いい剣ですね」
「まぁ、刃先まで精魂に作られてるしな。剣に興味あるのか?」
「……多少は。ジークは?」
「ない!」
「即答ですか……。お前なら興味あってもおかしくないと思ってたのですが」
「どうにもピンと来ないんだよ」
本音の半分だけ言って話を流す。剣にイマイチ興味を持てないのは事実。もう半分は刀になら興味があるということ。この世界ではまだ刀を見ていないから、刀が無いと仮定してそのことは言わなかっただけ。刀があるなら、刀にしか興味がないと言っていた。
剣を見たら店を出て第七区をぶらつき、アリスが興味を示した店に入っていく。そんなことを繰り返し、時間が近づけば第七区から出る。アリスが帰る時間が来るからな。
「どうだった? 第七区は」
「ジークの言うとおり、興味深い場所でした。職人の腕の高さがよく分かりましたね」
「ならよかった。さて、それじゃあ俺が自作したやつも見せるか」
「これだけ引っ張ったのですから、さぞ期待していいのですよね?」
「……アリスっていい性格してるよな」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
ハードル上げるなよな。高すぎて全力でハードルの下を潜って通り抜けるぞこっちは。冗談です、とクスクス口元を隠して笑うアリスにジト目を送りつつ、俺は箱を開けて自分で作った金細工を取り出す。俺としては全力を尽くしたものなのだが、いろいろと見て回ったことで目が肥えたアリスの反応はどうなんだろうな。ちょっぴり怖い。
「……初めてというわりには上手いものですね」
「頑張るだけ頑張ったからなー。まだまだ残念な出来だが」
「そんなことないですよ。私はこの金細工好みです」
「ありがとう。アリスにあげる気だったからそれは嬉しいよ」
「え? これを、私にですか?」
俺の手のひらに乗せられてる金細工を見て、アリスが首を傾げる。アリスのことだから、貰う理由なんてないって思ってるんだろうな。俺からすれば渡すだけの理由があるというのに。
「アリスには世話になってるし、俺の我儘に突き合わせてる。そのお礼とお詫びを兼ねて、これをアリスにあげたいんだ」
「それは私にも言えたことですよ。ですが私はお前に何も返せない……」
「んー、じゃあアリスがこれをつけてる所を見せてくれよ。それがお返しってことで。……駄目か?」
「お前はズルいですね……。そんなことを言われたら受け取るしかないじゃないですか」
フッと笑みをこぼすアリスに金細工を渡す。俺が作ったのはブレスレット兼ネックレスだ。だいぶ難しかったし、何度も失敗したがなんとか完成に漕ぎ着けることができた。なぜブレスレット兼ネックレスなのかというと、フックが取り付けてあって長さを調整できるようになっているからだ。リアルでそんなのがあったから、それを思い出して作ってみた。首にかけたりする部分はチェーンになってるってわけ。
それをアリスに説明し、実際に長さを調整して手首の部分につけてあげる。調整の仕方を覚えたアリスは感心して、今度は首のほうへかけた。腕はお気に召さなかったのかな。と思ったが、そうでもないらしい。
「お前に見せるのだから、こちらの方がいいでしょう?」
「お気遣いどうも」
「それで、どうなのですか?」
「自分で作ったやつをつけてる子に言うのは照れくさいけど、似合ってるよ。というか、金細工がアリスの魅力に負けてる気がしてきた」
「またお前はそんなことを……。私を口説いているのですか?」
「そんな気はないぞ」
どこか定番にもなったこのやり取りだが、本当にそんな気はないんだよな。母親に『女の子を褒められないならくたばりな!』って教育されてるから、語彙がなくてもとりあえず褒めるという行為が染み付いたのだ。とはいえ誰しもに言ってるわけじゃない。相手は選んでる。その子が誰かに気があるなら、褒めたあとに『〇〇も好感を持ってくれるはず』とか言うし。
それはともかくとして、金のチェーンがアリスの首に下げられ、胸元の少し上辺りにサファイアに輝く蝶の金細工がある。シンプルにワンポイントにしたのだが、これはこれでよかったのかもな。アリスってそんなに着飾るタイプでもなさそうだし。俺の目線がその蝶に行ったのに気づいたアリスは、それを手のひらに乗せて優しく微笑んだ。喜んでくれてるらしい。
「さて、そろそろ時間だな。アリスが次来たら第八区かな。第七区ほど見所があるとも思えないが、俺の感性だしな。アリスなら魅力を見つけられるかもしれない」
「あ、ジーク」
「ん?」
「その……いえ、やっぱりなんでもありません。……次を楽しみにしてますね」
「おう! じゃあなアリス」
「はい。またお会いしましょう」
アリスと別れて俺はシェスキ家へと歩いていく。アリスがいるであろう後方を振り返ることなく。
アリスが言い淀んだこと。その内容には簡単に察しがついてる。
そして、その予想通り、アリスが街へ出てくることはなくなった。つまり、アリスと出会うことがなくなったのだ。
──約三年後。キリトがセントラル=カセドラルで事を起こすその時まで。
次回が助走で、その次から物語をググっと進めたいと思います。
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8話 事件
アリスと最後に出会ってから……何年だっけな。時間の経過を大して意識してないから忘れた。とりあえずフレニーカはさらに可愛らしくなったよ。お淑やか系少女小動物タイプ。男からすれば守ってやりたくなる雰囲気を醸し出す少女だ。言いよる男はしばき倒さねばならない。フレニーカが認めた男なら見定めるに値する。認めるわけじゃないってのが味噌だね。俺より強ければいいよ。それか俺が平伏するぐらい器が大きければ。
さて、そんな我らがフレニーカなんだけど、今日から家に帰ってきません。家出じゃなくて、寮がある学校に行くのだ。具体的には……アレだアレ。剣とか何かを学ぶとこ。
「ノーランガルス帝位修剣学院ですよ」
「あーそうだった。ところで考え読むのやめてくれない? なんで読めるのか知らないけど」
「分かりやすく顔に出ておりましたので。それに、ジークさんの考えなんて誰にも読めませんよ。今みたいに露骨なとき以外」
「ならいいや」
学校じゃなくて学院だそうな。名前が違うだけでそこまでの変化はないよな。剣を学ぶ学院ってだけで。剣を学ぶなんてこの世界特有だよな。あとは二次元特有。VRMMOの設定でも似たのはあったっけな。興味なかったから覚えてない。キリトに聞けば答えてくれるだろう。あいつゲームの詳細まで記憶するガチゲーマーだから。エンジョイ勢の俺とは違う。
剣を学びに行くフレニーカの服装もまた、ノーランガルス帝位修剣学院とやらの制服だ。質素というか、シンプルな作りだ。だがフレニーカは可愛く着こなしてる。ところでスカート丈が短くないかこれ。禁忌目録があるし、セクハラの心配はないと思うが、お兄さん不安だな。
フレニーカにもしもの時があれば、すぐに助けられるように忍び込む方法を検討しておいた方がいいか。なんて考えていると、ふとフレニーカの機嫌があまりよくないことに気づいた。理由は察しがついているけども。
「ジークさんが去年入学されていれば、私はジークさんの傍付きになれたのに」
「そう言われてもな……。言ったろ? 俺は剣に興味がないんだって」
「あんなに剣がお上手なのにですか?」
「俺は大したことないぞ」
「そんなことありません! もしそうであればジークさんのご指導があれほど的確で効果的なことに説明がつきません!」
そう言われてもな。俺は剣が本職ってわけじゃないんだ。それに、剣の扱いなら俺よりキリトのほうが長けてる。正当なものであればリーファが一番適任だな。リーファって教えるのも上手いし。
なんでフレニーカがこういうことを言うのかと言うと、フレニーカが入学に備えて最低限のことは身につけておきたい、と練習してる時に教えたからだ。どうやら本で学んだ程度らしくて、実際に振るっているときに教える者もいない。だから握り方、力加減、振り方。どれも早々に変な癖がついてしまっていた。
俺はそれを注意し、知っている限りのことをすべて教えてフレニーカに基礎を叩き込んだ。そして俺にできるのもこれが限界なんだ。基礎以上のことなんて教えられない。そうしようとすると、刀での振り方になってしまう。そして俺の戦闘スタイルは居合に重きを置いている。剣とは相性が悪いのだ。
「剣術って流派があるんだろ? 俺はろくに流派なんてないし、フレニーカのためにはならないんだよ」
「それでもよかったんです! ……私はただ、またジークさんと鍛錬する時間ができたら……それだけでよかったんです」
「っ! ……ごめん。フレニーカ」
まさかフレニーカがそう思ってくれていたとはな。正直言ってフレニーカへの評価を間違えていた。勘違いして、見くびってた。この子は正真正銘善心の塊だ。裏なんてなくて下心もない。ただ純粋に生きている子だ。そんな子の思いを、『流派がないから』『剣に興味がないから』って理由で踏みにじっていたとはな。今になって申し訳なくなるというか、いたたまれなくなる。だが今さらどうしようもない。
「手紙……書きますね」
「わかった。じゃあ俺も返事を書こう。……ところで手紙はどこに出せば届く?」
「ロシェーヌに教えてもらっておいてください。返事来ないと怒りますからね?」
「読んだらすぐに返すさ」
「はい! それでは行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
最後には笑顔を見せてくれたフレニーカが学院へと旅立つ。俺達はそれを見送り、各々自分のやるべきことを再開する。俺は特にやることがないが、サードレの爺さんの所にでも行くとしよう。
──そろそろ
「そんなわけで来たぞ爺さん。進行具合はどんな感じ?」
「今いいところだから構ってる暇なんてない」
「ははっ、子供みたいな返事がきたな」
見たところ形はできてるようだな。だがこれで完成なんて言う奴は三流。正真正銘一流であるサードレの爺さんがここで止まるわけなんてない。"今いいところ"ってのも、
それにしても真っ黒の剣だな。いかにもキリトが好みそうな剣だ。キリトが黒以外の剣をメインにしてる時なんてGGOでしか見たことないけどな。
『ギガシスダーの樹』。それがキリトとその友人とやらが切り倒したという悪魔の樹。気が遠くなる程の莫大な天命を持った樹であり、倒せるわけがないと言われていた樹。そんな樹の樵を天職にしていたのがキリトの友人なんだろうな。俺のようにこの世界にダイブしたキリトに天職などないのだから。どうやったのかは知らないが、その樹を倒した二人は真っ当な手段でここまでたどり着いたらしい。フレニーカが今日入学する学院に去年からいるんだとか。未だに俺はキリトと会ってないけど。
「そうだ爺さん。手伝おうか?」
「馬鹿を言うな! これは譲らん!」
「だよなー」
ギガシスダーの樹から取った枝。それを素に剣を作るんだとさ。この世界の剣の作られ方ってマジファンタジー。しかも何を素にしてるかで『優先度』つまり武器の性能が決まるらしい。その辺にあるのを使っても優先度の高い武器にはあっさりへし折られるんだとさ。そして、優先度の高い武器のことを神器と言うらしい。神器欲しいね。キリトばっかズルいわ。
さて、フレニーカとも会えなくなってしまったから俺はどうやってこれから過ごしたものかね。……壁登って違うとこに行くあの探索を再開するかね。
☆☆☆
フレニーカは律儀な子だからね。本当に手紙を送ってきたよ。手紙が来て、それを返してフレニーカに届くのに一日かかるから、手紙を書くのは二日おき。手紙を送る方法はロシェーヌさんに教えてもらったから完璧。
上質そうな紙に綴られるフレニーカの丸みを帯びた文字。字が綺麗過ぎて自分の文字が嫌になってくるが、手紙を返すと約束した以上返すしかない。何故か緊張した。この世界に来て一番集中したアクセ作り並に集中した。
『相部屋なのですが、その方とは早速仲良くなれて友人になってくれました』とか、『学院の施設が──』とか『新しく友人ができました。皆さんにジークさんを紹介したいです』とか、当初はそんなのが多かったな。
学院生活が新鮮なのと、友達ができたことで嬉しいんだろうな。そういうのが最初のうち多くなるのは仕方ない。俺だって逆の立場で手紙書けって言われたらそうする。フレニーカは俺だけにではなく、親御さんや使用人にも手紙を書いていた。たいてい似た内容となるのだが、相手が違うと書く内容に差異も出るらしい。凄いな。俺には無理だ。
「あの子も上手くやっていけてるのね」
「そのようですね。奥様」
「手紙に夢中になって勉学に支障が出なければいいですけどね」
「……あの子ならやりかねないわね。ではそのことは私の方から手紙で言っておきます」
俺達も送った方がいいのかもしれないが、一斉に全員にそんなことを言われたらフレニーカもショックだろう。だから母親から言ってもらうことにして、俺やロシェーヌさんは普通にいつも通りに返事を書いた。
俺へと送られてくる手紙は、だんだんと剣術のことが多くなった。たしかにこの中でその話ができるのは俺だけだからな。それは分かるのだが、手紙が俺だけに送られてこの内容だったら、フレニーカは剣術バカということになってたな。文章って怖いよな。
そんな中で俺の興味を引いたのは、ある流派だった。フレニーカが勝手に人の名前を出すわけもなく、"ある上級修剣士殿"とだけ書かれている。しかしそれが誰のことかは分かった。なんせその流派の名前が『アインクラッド流』なのだから。この単語を出す人間などキリト以外いない。二人いるということは、キリトは友人にも教えたのだろう。菊岡や、俺以上にこの世界に影響を出しているであろう人間がいるぞ。
「それにしてもアインクラッド流、か。この世界にソードスキルがあるってことだよな」
面白いことを知った。俺はその上級修剣士と仲良くなってるといいって軽く告げるように文字を綴り、フレニーカが自分の剣を見つけられることを願って手紙を書き終える。
ノーランガルス帝位修剣学院。なかなか良い経験ができる場所のようだな。
なんて良い印象を持っていた時も俺にはあった。
異変に気づいたのは、フレニーカとの手紙でのやり取りを続けてるある日のことだった。上級修剣士に指名されて傍付きとなる。それで四等爵家の人間に指名されたというのは、手紙で聞いていた。その時はドンマイって思っていたのだが、どうやら悪い方向に進んでいるらしい。文面ではそのことは書かれていない。
──だが、
フレニーカが耐えられないような
それか
「これは……場合によっては誰にも知らせるわけにはいかないな」
もしフレニーカが何かやられているのなら、それを家の人に知らせるわけにはいかない。一度入学している以上みんな歯がゆい想いをするだけなのだから。俺だけが確認し、そして場合によってはこの家の人に迷惑をかけないように俺一人で片をつける。
そうして届いたフレニーカの手紙は、俺が仕掛けたやり方を理解してくれたのか二重になっていた。そしてそこに書かれていた真実に目を通し、俺は思わず手紙をグシャッと握りしめた。
『数日前から、ウンベール・ジーゼック上級修剣士殿に辱めを受けています。先輩である上に四等爵家のお方。私には逆らうことなどできず、言われたことに従ってご機嫌を取るしかありません。私はこんなことをさせられるために入学したわけではないのに、どうしてこのような目にあっているのでしょうか。こんな生活嫌です。解放されたいです。
助けてください、ジークさん』
「ウンベール・ジーゼック。いい度胸してやがる」
こんなの知って俺が黙っていられるわけなどない。物に当たりたくなるほどの激情を抑え、フレニーカを助けに行くための計画を考える。まずどうやって学院に俺が入るのか。そこが最初にして最大の難関だ。これは実際に確認して方法を考えるしかない。たしか寮もあるから、そっちから侵入して学院に入るのもありだろう。そこまで考えた俺は、一言告げて学院へと足を運ぶ。
「……簡単に入れそうだな」
思ってたよりかは塀は低かった。というか《不朽の壁》をよじ登っている俺によじ登りきれないのは、空まで伸びるあのセントラル=カセドラルぐらいだろう。あれをよじ登るのは一苦労しそうだ。間近で見ないと分からないが。
さて、わりと簡単に難関を突破できると分かったところで、いつ突入するかだな。今すぐでもいいのだが、焦ってはいい結果が訪れないことなど明白。ここは一日置いて、明日学院に忍び込み、ウンベールをしばき倒すとしよう。
決戦前夜、というわけでもないが、一晩寝て英気を養った。昼間では人の目も多いため、学院へと侵入するのは日が沈んでから。その後の正確なタイミングは人通りを見て決めるとしよう。
「そういや修剣士ってんだから相手は剣あるのか。……ま、いいや。実戦経験のない奴の剣だし」
地位をいい事に自分勝手に生きてる奴の剣に俺が負けるわけがない。慢心するわけにもいかないが、負けるなんてサラサラ思わない。そうして内側に閉まっておいた激情を少しずつ表に出していきつつ、人通りが減るのを見て路地裏へと入り込む。迷いなく進んでいき、ある地点から方向転換して行き止まりに着く。この壁の向こう側が学院だ。
俺はそれを躊躇うことなく登り、すぐに飛び降りる。辺りを確認し、誰にも目撃されていないのがわかったら、ここからどう動くか考える。なんせ学院の中の地図なんて持っていないのだから。生徒と思われる子たちを発見し、その子達の動向を木の裏から見張る。もはやストーカーだが、そんなレッテルなどフレニーカのためなら貼られてやろう。
「……何かあったな。これは」
様子を確認してて分かった。生徒たちの動向からして、寮となる場所は俺から見て右側の建物だろう。しかし、中には左側の建物に行く生徒もいる。上級修剣士の建物と初等練士の建物が違うのだろうな。そして、グレードからして左側が上級修剣士の建物だろう。そして、若干騒がしいのも左側だ。
俺は誰にも気づかれないように身を隠しつつ左側へと急ぐ。近づいていく中で、何やら物騒なことがあったのを理解した。なんせ片腕を失い、錯乱して走ってる男がいるのだから。そいつが事情を知っているのは間違いない。俺はその男に近づき、首に腕を回しヘッドロックを仕掛けて茂みの中へと引きずり込む。
「な、何者だ貴様! この私を誰だと思っている! 四等爵家の子息、ウンベール・ジーゼックだぞ!」
「ははは! こりゃ幸先がいい! お前に会いに来たんだよウンベール」
「何者かと聞いている! この私に──ガハッ!」
「お前の言うことを俺が聞く必要がどこにある? 片腕が無くなってることはどうでもよくなった。お前にはフレニーカのことで聞きたいことがあるんだ」
騒がしいウンベールの溝うちに拳をめり込ませる。木に持たれるようにしゃがみ込んだウンベールの髪を掴み、顔を上げさせる。俺は苦悶に満ちるウンベールの顔を覗き込むように目線を合わせ、首を絞める。
「きさ、ま……!」
「お前がフレニーカにしたことは知ってる。なんでそんなことをした?」
「何故だと? そんなもの、傍付きということは私のモノだからだ! そして爵位でも私の方が上! 私の言いなりになって当然のこと。むしろ私に選ばれたことを光栄におもうべぎぇぁ!」
「クズだなぁ」
苛ついた俺は首から手を話し、性根の腐ったウンベールの顔を全力で殴る。なんか思ってたより威力が出てるっぽいが、黙らせられてるから気にしないでいいだろう。だが、まだ許す気はない。フレニーカの心の痛みに比べればまだ軽いだろうからなぁ!
「……なぁウンベール。フレニーカにどれだけのことをした? お前はあの子に何をした」
「ぐっ、なぜ貴様になど……くくっ、なるほど。それほどフレニーカ初等練士が大事らしい。ならば教えてやろう。あの娘の肌触りも艶も弾力も、とても甘露のよごぁっ!!」
「あ、わり。最後まで聞く気になれなかったわ。……って気を失ってるなら聞こえてないか」
片腕無くなってるわけだし、このままだとウンベールも死んでしまうだろう。俺としては死んだところで痛む心もないのだが、フレニーカはそうでもないだろう。たとえこんな屑が相手でも、人の死自体には心を痛ませかねない。そんなわけでこいつを目立つ場所に放置し、パニクっているのを装って他人にウンベールを救護室へと運ばせる。ついでにこの事を傍付きのフレニーカ殿にお伝えしますと言っておいたからフレニーカの部屋も教えてもらえた。
☆☆☆
私のせいでロニエとティーゼが酷い目に合わせられてしまった。そして、そのせいでキリト上級修剣士とユージオ上級修剣士が……。私のせいなんだ。今回起きたことは全部、私の……。
枕を涙で濡らして自分を責める。どれだけ悔やんでも、どれだけ責めても、どれだけ涙を流しても足りない。私のことを気遣ってか、相部屋の子は側でそっと私の髪を撫でてくれてる。私を一言も責めないで。
──そんな優しくされる資格なんてない
──私が弱いからこんなことが起きたんだから!
そんな時だった。扉をコンコンって鳴らされたのは。先生が話をするために来たのかもしれない。でも私は動く気になれなくて、友達が扉を開けに行った。
「へ? だ、誰ですか?」
「君はフレニーカの友達かな? この部屋にフレニーカがいるって聞いたんだけど」
「お、お答えすることはできません! 名を言わねばこの場で騒いで他の方にも来てもらいますよ!」
「待って!」
「フレニーカ?」
そんなはずはない。あの人がこんな所に来られるわけがない。
だけど、この声を私が聞き間違えるはずがない。
覚束ない足取りで扉へと近づき、友達にその場を避けてもらう。はっきりと見えたその顔は、間違いなく私がよく知ってる顔。私が頼るお兄さんの顔。
「ジーク……さん……」
「お待たせフレニーカ。なんかよく分かんない間に片付いたっぽいが、とりあえず来たぞ」
「ジークさん!」
私はジークさんの胸に飛び込んだ。ジークさんは私を優しく抱きしめてくれて、私はその暖かさと安堵感に包まれてさっきまでとは違う涙を流した。
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9話 セントラル=カセドラルへ
俺は今、フレニーカのベッドの上でフレニーカと向き合って正座している。どうかしたのかと言われればそうなのだが、事に至ったわけではない。そんなこと俺がするわけがないからな。昨日の夜はたくさん涙を流したフレニーカをあやすように側にいてやり、気づいたらフレニーカと同じベッドで寝てただけだ。
「フレニーカ。困ったことになったな」
「そうですね」
「あ、二人とも起きたんだ。おはよう〜。もうすぐ
そう、もうすぐ昼になるのだ。つまり寝過ぎた。俺とフレニーカは長いこと寝すぎたのだ。同室の子には是非とも起こしてもらいたかったのだが、『二人が仲良く気持ちよさそうに寝てたから』とのことで放置してたらしい。彼女なりの優しさなのだろう。
それに、フレニーカが悩んでいたことも彼女は当然知っている。それから解放され、もう思い悩む必要もなくなったフレニーカを気遣って寝かせてくれてたのだ。文句は言えまい。
だが困った事態が起きているのだ。正確にはもう起きた。
「キリト先輩とユージオ先輩はもう連行されちゃったよ」
「やっぱり……ロニエとティーゼに謝らなきゃ。……私のせいでお二人が……」
「だからフレニーカのせいじゃないってば。それ以上自分を責めるな。いいな?」
「ですが……」
「ですがじゃない。ま、そのロニエとティーゼって子にも会っておきたいが、……その前にご飯だな」
「はぅっ!」
可愛らしい腹の音がフレニーカから聞こえ、フレニーカの友達──カナンと顔を合わせて苦笑する。顔を真っ赤にしたフレニーカに軽く叩かれたところで俺はベッドから降り、体を伸ばす。体も脳もフレッシュに起き、部屋から出る。フレニーカが着替えるからな。
「フレニーカとはどういったお関係なんですか? 婚約者様とか?」
「残念ながらカナンの期待とは全然違うぞ。俺は食い倒れで野垂れ死にそうになってたところをフレニーカに助けられて、行く宛もなかったから居候させてもらってるんだよ」
「フレニーカって人が良すぎですね」
「俺もそう思う」
「お待たせしました……。二人ともどうかされました?」
「「いや別に」」
「?」
制服に着替えて出てきたフレニーカは小首を傾げ、俺達は話を誤魔化す。食堂へと案内してもらっているときにふと思った。俺って一発で簡単に部外者だってバレるよな。この学院の制服なんて持ってないし、学院の教員でないことも明白だ。二人と一緒にいるから、他の生徒からは話しかけられないはず。だが教員は別だろう。生徒の安全を考えれば、不法侵入した部外者など追い出すしかない。
「私がその時先生に説明しますが……」
「それでも厳しいだろうなー。……ま、なるようになるか。それよりご飯食べよ」
「ジークさんって大物ね」
「あ、あはは」
褒められてるわけじゃないよな。どう考えても褒められてないよな。別に気にしないけども。それより食堂の従業員さん。明らかに今までいなかった人物がここにいるんだけど、当然のように飯くれちゃうのね。それが天職なのかもしれないけどさ。
席についてこの学校でのフレニーカの話をカナンから聞いていると、食堂に入ってくる生徒の中で気になる二人がいた。明らかに他の子たちと違う。具体的にはあの二人はだいぶ気が沈んでいる。もしかしてあの二人がそうなのか。
「ロニエ、ティーゼ……」
「やっぱあの二人がそうなのか?」
「はい。キリト上級修剣士とユージオ上級修剣士の傍付きの生徒で、私のお友達です」
「なるほど。ちょっとあの二人にもこっち来てもらうか」
「わかりました。私が呼んできますね」
カナンが呼びに行ってくれて、ロニエとティーゼがこっちに一度視線を向けてからカナンと話す。その後カナンが戻ってきて、二人は食事を取りに行く。どうやらその後にこっちに来てくれるらしい。あの様子からして辛いはずなのに、申し訳ないね。
キリトや俺ほどじゃないけど、黒系統の髪をしているのがキリトの傍付きのロニエ・アラベル。赤い髪をしている子がユージオって人の傍付きのティーゼ・シュトリーネン。どちらも六等爵家の子なんだとか。
「俺はジーク。シェスキ家に転がり込んでる居候だ」
「ジークさん。その説明の仕方だと印象悪いと思うんですけど、わざとですか?」
「だって事実だしさ」
「そうですけど……」
「まぁ俺のことよりさ、君たちの先輩の話を聞かせてくれないか? 意図的に《禁忌目録》を破るような人じゃないだろうし、よっぽどのことがあったんだろ?」
口調は努めて穏やかにするが、はっきり言って今の俺はちょっと焦ってる。キリトのことだから早々にくたばることもないはずだが、この世界の最高戦力が集まる場所に連行されているのだ。最悪の場合を避けられるように俺も行動しないといけない。だから、まずは根本的な情報収集だ。地雷を踏み抜いてしまったようなんだけどな。
ロニエとティーゼは目を伏せ、体を震わせ、目に涙を浮かべながらも話してくれた。初対面の得体のしれない人間が相手なのにな。それもひとえにフレニーカの人望なのだろう。フレニーカが信頼されているから、フレニーカが信頼してくれている俺のことも信じてくれるのだろう。
そうして聞いた話で、頭の中でいろいろと繋がった。俺が殴って気絶させたウンベールがなぜ片腕だったのか、先日何があったのか。その詳細を知ることができたのだから。連れて行った整合騎士とやらの特徴は分からなかったけどな。その一件のことを話し終えたところで二人の限界がきたから、それ以上を聞き出すことはできなかった。
「ありがとう二人とも。辛かったよな? ごめんな」
「いえ……おやくに、たてたなら……」
「うん。おかげ様でやることが決まった。今からのことを──」
「あなたの行く場所などありません。この場で拘束させてもらいますよ」
「ん?」
「アズリカさん!?」
横を見れば、年上の女性が立っていた。どうやらアズリカという人らしいのだが、この人もなかなか実力があるらしい。完全に警戒を解いていたとはいえ、俺が気づかなったのだから。……いかんな、感覚が鈍っている。取り戻しておかないともしもの時に足手まといにしかならん。
「どうやって忍び込んだのかは知りませんが、立派な罪です。大人しく拘束されてもらえるとこちらとしても楽なのですが」
「……俺はセントラル=カセドラルに行く必要ができた。キリトが人界の中心にいる以上俺もそこに向かわないといけない」
「……キリト上級修剣士とあなたにどのような関係が?」
「
「は、はい」
フレニーカから剣を受け取り、俺は席を立つ。アズリカさんは警戒を強めるが、俺は敵対心なんて抱いていないから軽い調子で肩をすくめる。周囲を見渡し、巻き込みそうな子がいたら離れるように忠告する。アズリカさんにも一度離れてもらう。抜刀してそれを眺めてから構えを取る。
俺が
「"アインクラッド流剣術"……でも、なんで?」
「ジーク……さん……?」
「……あなたは何者ですか?」
納刀して剣をフレニーカに返すも、フレニーカが寂しそうに、不安そうに瞳を揺らす。俺はそんなフレニーカに優しく笑いかけ、背中に手を回してそっと引き寄せる。弱々しく服を握られ、頭を預けられる。軽く頭を撫でてから周りに目を向ける。どうやら一番近くにいた人たちは今のを知ってるらしいな。
「俺は特別な人間でもないですよ? キリトと同郷ってだけです」
「キリト先輩と? それはつまりユージオ先輩とも同じってことですか?」
「ん? いや違う違う。俺もキリトも、そのユージオって人と同じ場所で生まれ育ってない。……細かい話を今するわけにもいかないけどな」
「ジーク、さん」
「どうした? フレニーカ」
キリトやユージオの人望なのか何なのか。俺が技を見せただけである程度の信頼を得られたようだ。アズリカさんも多少は警戒を解いてくれている。そんな中、腕の中にいるフレニーカに呼ばれ視線を下に向ける。先程よりもさらに不安そうになっているフレニーカが瞳を揺らしながらこちらを見ていた。
「ジークさんは……遠くに……」
「大丈夫だよフレニーカ。俺のことをよく知ってるだろ? そのまんまの人間だ。破天荒なことをして、馬鹿なことしてる人間だ。フレニーカの知らない事実も確かにあるが、人物像はフレニーカが知ってるとおりだ。遠くになんて行かない。必ずな」
「……はい」
「アズリカさん。見逃してくれないですかね? 俺は動かないといけなくなった。あなた方には危害を加えないことを約束する。もちろん要求をのんでくれたら、ですけど」
「……次の『時告げの鐘』が鳴るまでに学院を出なさい。それまでの間に何があろうと私は見ていませんし、聞いてもいませんので」
「ありがとうございます」
優しい人だ。この人の立場上こういうことはしない方がいいんだろうけど、見逃してくれるというのだから。俺はそれをみすみす逃すわけにもいかないから、フレニーカたちに別れを告げて学院を後にした。もちろん塀をよじ登って。
目指すはあの馬鹿高い巨塔であるセントラル=カセドラル。この人界の守護者である整合騎士がいて、最高権力者である最高司祭がいる場所。これはなにやら燃える展開が待ち受けていそうだ。
「でもま、ここをどうやって忍び込むかなんだよな。……やっぱ夜しかないか」
やり方は《不朽の壁》を超えたときと同じやり方でいいだろう。そのためにも、絶好のポイントを見つけておかないといけない。夜までまだ時間もあるわけだしな。他にやることもないし、有効活用させてもらうとしよう。……そういや俺みたいに近くでジロジロ見る人は他にはいないな。
「離れておくのが吉か」
壁から離れ、人に紛れるように歩いていく。時間が有り余っているから、どこかでのんびりと紅茶でも飲むとしよう。急ぐと事を仕損じるって言うしな。だから優雅に待つしようじゃないか。たぶん気が遠くなるほどの怒涛の展開がこの後あるんだろうしな。ま、それはキリトにやらせるけども。俺は
そうやってのんびりしてるのが間違いだった。優雅だなんて似合わないことをするべきじゃなかった。学習しないなって自分でも思うが、わりと刹那主義なとこもあるから良しとしよう。
「って、今は良しじゃねぇや。さっさと入り込むとしよう」
昼寝してた。気づいたら夜だった。テラスで寝てたからなのか、店員は起こしてくれなかった。優しいね。その気遣いに感動するよコンチクショー。
周りを確認しながら走って壁まで近づき、鉤爪付きロープを引っ掛けて登る。この道具は先に用意してたからな。子どもたちが持っていかなくてよかったよ。寝てる間に計画がパーになりかけた。
「ロープはこっち側に置いとくとして、……なんだここ?」
いざ中に侵入してみれば、そこには薔薇園が広がっていた。薔薇園というか、薔薇の迷路だな。360度どこを見ても薔薇があるからこれは迷路だ。初めて来た奴は必ず迷子になるだろう。目印がなければな。
「あんな馬鹿でかい塔があるんだし、あれ目指しときゃなんとかなるだろ」
首が痛くなるぐらい高さがある白亜の塔。セントラル=カセドラル。この世界の秘密やら謎やらの解き明かしに興味もないし、キリトと合流できれば全てを話してくれるだろう。キリトってコミュ症のくせに解説大好きだからな。将来は探偵にでもなればいいんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら急ぎ足で向かっていると、何やら空気が引き締まっていることに気づいた。どうやら戦闘が起きているらしい。意識を切り替え、耳を集中させる。剣戟や銃声の音といった分かりやすい音は聞こえてこないが、戦闘音はある。場所は塔の入り口の近くってところだろうか。
「この時間、場所、戦闘……キリトのやつさては脱走でもしたな?」
──相変わらず面白いことをするじゃないか
無意識のうちに口角が上がる。懐かしいからな。この緊張感も、空気も、何もかもが。この世界に来て四年ほど過ごした。戦いなど一切起きないこの世界で。ALOやGGOであれば気まぐれにその辺で戦えた。しかしこの世界はそういうゲームじゃない。そもそもゲームですらない。何を目的としてるかは知らないが、菊岡たちが作った世界だ。
そんな世界でも戦闘がある。今実際に起きてる。これを喜ばずにいられるだろうか。戦闘狂ってわけでもないんだが、変化のない生活には辟易していたところだ。こんな楽しい展開を逃す手はない。
久々の
「──ッ! あれが飛竜か?」
ふと上空に気配があることに気づいた俺は、その存在に目を見開く。話には聞いていたのだが、実際に目にするのは初めてだ。そして、飛竜に乗れるのは整合騎士のみ。つまりあの飛竜の上には整合騎士がいる。
その飛竜が向いている方向は、今まさに俺が目指していた場所だ。その飛竜の背からいくつかの飛来物が放たれる。おそらくは矢なのだろうが、矢ってあんな感じになるもんだっけな。ここでファンタジーが出るのか。
「ま、ひとまずは急ぐとするか。キリトたちがどうしてるのかも見ないと分からないしな」
足音を極力鳴らさないように気をつけながら走る。いつまで続くのだろうかと思っていた薔薇園をようやく抜けたところで足を止める。薔薇園を抜けて開けた場所が先程戦闘があった場所なのだろう。キリトたちがいないことから、あそこに倒れているのがキリトたちに負けた整合騎士か。そしてその整合騎士を助けるべく近づいている赤い甲冑の騎士が先程の整合騎士。飛竜がいることだしな。
「ッ! 誰だ!」
「ヒュー、さすがは整合騎士。気づかれたか」
「何者だ。貴様も先程の咎人の仲間か?」
「仲間、ね。本当にそう思うのか? 仲間なら同行してる方が自然だろ? 一人だけこんなとこで別行動なんて非合理的だ。それはあなた程の騎士ならわかるだろ?」
見つかった以上俺は堂々と姿を現し、歩み寄って行く。赤色の整合騎士との距離が10m程になったところで足を止め、この状況をどうしたものかと脳をフル回転させて考える。戦うなど無謀すぎる。俺は手ぶらだ。そして相手は弓持ちで剣も持っている。不利すぎる、というか勝ち目がない。キリトはもう一人いたから白い騎士を倒せたのだろうが、俺は一人だ。自殺行為などするわけにはいかない。
「……ならば貴様の目的はなんだ。この場に入っている時点で処罰に値するなど承知のはず。正直答えよ、貴様の目的を。さもなくばこの《熾炎弓》で貴様を討つ」
「怖いね。ま、目的も隠すことでもないか」
「無駄口を叩くな。簡潔に述べよ」
「なら単刀直入に。
「! 貴様、なぜ騎士アリスのことを知っている!」
「なるほど。やっぱりアリスは騎士だったか」
「なっ! 私を憚ったな!」
教えてくれたのはあなただろうに。なんてことを言ったらあの構えてる矢が飛んでくるんだろうな。それはやめておくとしよう。今は戦闘に発展しないのが一番なのだから。アリスに会う前に死ぬわけにはいかない。キリトのサポートもしてないし。
それに、俺がアリスのことを確信してるわけないだろうに。もしかしたら、ぐらいに思ってただけだ。確定させる要素が無かったから確信を持てていたわけじゃないのだ。
「俺とアリスにどういう繋がりがあるのか。それはアリスに聞けば分かるだろう? この場で殺すのは止めてくれないか? 見ての通りこちらは丸腰。武器など一切無い。それに対してあなたは装備を整えている。殺すのはいつでもできるだろう?」
「そうだな。しかし貴様が信じるに値するわけではない。咎人のように闇の術式によって騎士アリスを惑わしかねない」
「そんなことをする気は無いが、なるほど。その騎士はそれで気絶してるのか」
キリトたちがそんな術式を使えるわけがない。しかしそんなことを反論するわけにはいかない。何故なら俺とキリトたちに縁がないということを先程言ったばかりだからだ。信じてくれてはいないだろうが、それも100%じゃない。ボロを出すわけには行かない。
そして俺はこんなところで止まる気などない。早速プラン変更だ。
──目の前の騎士に認めさせて堂々と中に入る
「俺のことを信じられないというのなら
「……私が貴様の話を聞く必要がどこにある?」
「不穏因子の管理。それだけだな。あなたは武器を使って戦えばいい。俺は素手で戦う。俺が素手であなたを殴れたら俺の勝ち。戦いの過程で俺が死んだらそれまでのこと。余興程度にどうだ?」
「聞く必要などないな。貴様はこの場で討つ」
「はぁー。頭固いなぁー。なら戦って理解させてやるよ。俺という人間を。
──ジークだ。純粋な己の力のみであなたに挑ませてもらおう」
「──我が名はデュソルバート・シンセシス・セブン。咎人の一人よ。この《熾炎弓》に焼かれるがいい」
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10話 vsデュソルバート──そして
白亜の塔。セントラル=カセドラル。
そんな打算まみれの戦闘なのだが、気を抜くことなどできない。相手はおそらく弓の達人。急所を的確に射抜けるだろう。今もすでに構えられている。そして何よりも厄介なのが、
「フッ!」
「このっ!」
走り出そうと足に力を込めたタイミングで矢を放たれる。構えている向き、指を離すタイミング。それらに意識を集中させていたから咄嗟に避けることができたが、体勢を崩された。矢継ぎ早に放たれる第二矢もなんとか躱すが、横腹を掠める。
──チッ! やっぱ感覚が鈍ってやがる!
そしてこの時初めて俺はこの世界の仕様を知った。
一瞬逸らしてしまった視線を戻すと、次の矢を今まさに放とうとしていた。俺はそれを真横に飛ぶことで避け、慣性に極力逆らわずデュソルバートに近づくべく走る。慣性に逆らわないように走っているため大きく膨らむが、むしろそれが好都合だ。
「甘いぞ!」
「なっ!」
先程まで一本ずつ放っていたのに、今は矢を五本構えている。弓を横に向けているため、先程のように横飛びで躱すことなどできない。だが、足を緩めるなどそれこそ自殺行為だ。俺はむしろさらに力を込めて加速する。残り7、8メートルほどにまで近づいたところでデュソルバートが矢を放った。正面に一本、軽いステップで避けようにもその左右にも一本ずつ。そして横飛びしても刺さるようにさらに左右にも一本ずつ。
「ぐっ!」
スライディングの容量で体を低くし、矢の下を通過する。矢とすれ違った瞬間に体を起こし、若干失速した勢いを戻すべく足の指先まで集中して地面を蹴る。残り6メートルほどか。
だが、デュソルバートだって甘くなかった。すでに次の矢を放っていたのだ。五本の矢を同時に放っておきながら、もう一本をすでに手に持っていたのだろう。完全に前へと力を入れたばかりで、避ける余裕などない。
──回避、無理。耐える、不可能。顔面だから。ならば!
「ぬぉっ!」
「なにっ!?」
──掴んで止めるしかない
だが、矢と俺。お互いに向かい合って近づいていた。矢の勢いを完全に止められた時には俺の
怯んだ走る速度を再度加速させ、握っている矢をデュソルバートへの投げ返す。矢投げなどしたこともないし、走りながらだから矢が回転しながら飛んでいく。それがちょうど兜の方に向かっているため、デュソルバートの意識を少しはそらせるだろう。
「ここだ!」
「私を……侮るな!」
「っ! ガハッ!」
人界の守護者──整合騎士。警戒していたつもりだったが、過小評価していたようだ。隙を見出して懐へと入り込んだはずが、デュソルバートにそれを逆手に取られた。俺が肉迫するのに合わせて拳を繰り出し、ノーマークだった俺の腹へと叩き込まれる。その衝撃は凄まじく、先程矢が横腹を掠めてできた傷口から血が吹き出す。俺の体は5メートル飛び、一度地面で跳ねてから転がる。縮めた距離もまた広げられたな。
「ゲホッ、ガハッ! だーくそ……強いな……」
「……貴殿のその勇姿を称え、私も全力を持って応えよう。
──エンハンス・アーマメント」
初めて聞く単語だったが、どうやら必殺技みたいなやつらしい。デュソルバートが矢を構えず、弓だけをこちらに向ける。弓の両端から炎が灯り、弦を燃やす。次第にその炎が広がり、デュソルバートの体まで広がる。本人にはその熱さが伝わらないのか、平然としている。デュソルバートがそのまま弓を構え、こちらに狙いを定める。
「……まさか!」
「ハァッ!」
炎の矢などというファンタジーなものでは済まされない。そもそも矢などとは言えない。炎が鳥を形どり、羽ばたたくように羽を広げて飛んでくる。あれをまともにくらえば確実に殺されるだろう。だが、実体がない以上先程のように掴んで防ぐなどという芸当はできない。避けることもできない。
──だが、諦めるなんてありえねぇ!
──前に進むからこそ物事は解決するだからな!
飛んでくる炎の鳥に向かって走り出す。間をすり抜けることもできない。だが、活路は前にしかない。炎との接触が近づいた頃合いを見計らって斜めへと飛び込む。鳥の脇部分を狙った飛び込みだ。その辺が比較的炎が薄く見えたから。完全回避ができない以上、最小限のダメージで済ませればいい。
炎とのすれ違いによって肩や背中が熱い。軽く火傷はしているだろう。だが、痛みに悶ている時間などいらない。この炎で仕留めきれると判断していたデュソルバートに再度肉薄し、今度は俺の攻撃がデュソルバートに叩き込まれる。炎に包まれた相手に近づくなど自殺行為だし、そこに攻撃を素手で加えるなど持ってのほかだが、俺の覚悟を叩き込むのだから怯んではいられない。
「ぐぅっ!」
「ハァッ、ハァッ……。なんちゃって格闘技じゃこれが限界か」
俺が叩き込んだのは掌底だ。ゲーム風に言えば"ゼロインパクト"。鎧に手のひらをぶつけ、衝撃だけを中に通す技だ。だが俺は格闘家じゃない。見様見真似でやっただけで、デュソルバートを倒せるほどの威力も出せない。膝をつかせることもできない。よろける程度だ。
体勢を持ち直したデュソルバートと入れ替わるように、今度は俺が体勢を崩す。傷口から流れる血が多いせいだ。視界が霞み始めている。天命もおそらく減り続けているんだろう。ようやく感覚を取り戻せてきたというのに、ここで俺はリタイアか。
「システムコール。ジェネレート・ルミナスエレメント」
たしか神聖術だったか。なんで剣でもなく炎でもなく新たに違う神聖術を使ってくるのか。鈍くなった思考ではろくに考えられない。だが、どうやらその術式は、攻撃するためのものではないらしい。デュソルバートの手元から放たれた黄色みのある白い光が、俺の腹部の傷口へと集まる。その光が滞在し、次第に止血されて傷口も塞がれる。
「回復……? なんで」
「私へ一撃見舞えば貴殿の勝ち。そうだろう? 貴殿の戦いぶりを見れば人となりも分かった。だが咎人であることも事実。明日、騎士アリスの下へと案内しよう。少し休むといい」
「……ありがとう、ございます」
「休む場所も案内する。騎士エルドリエのこともあるのでな」
エルドリエ。それが倒れている騎士の名前か。キリトとユージオが倒したであろう騎士。デュソルバートが言うには、何か正攻法ではない手段だったらしい。キリトがそんか手段取るとも思えないんだがな。その辺は本人から話を聞くとしよう。
とりあえず、だいぶ代償があったが目的は達成できた。夜中も夜中だから、アリスに会うのも夜が明けてからに持ち越し。俺はデュソルバートに案内された場所で休ませてもらうことになった。昼寝してたが、戦闘の披露と負傷もあって速攻で寝ることができた。
☆☆☆
「ジーク。起きろ」
「んあ? えーっと、ここは……」
「セントラル=カセドラルだ。忘れたのか?」
「……あー、そっか。思い出した」
思い出した思い出した。俺はセントラル=カセドラルに乗り込むべく壁を登り、薔薇園を抜けたところで、目の前にいるこのデュソルバートと戦闘したんだった。それで、アリスの所に案内してもらえるってなって、それまで寝てたんだった。今はまだ日が昇りたて。4時過ぎってところだろうか。
寝惚けた眼を擦りながら立ち上がり、体を軽く動かす。昨日の傷は塞がっているのだが、痛みは若干ある。むしろあれだけの傷が、若干の痛みを残す程度になっているのは感謝しかない。便利な術式だ。
「早朝ではあるが、騎士たちは起きている。元老長から咎人二名を抹殺するように司令が下ったのでな」
「それを俺に教えていいんですか?」
「問題ない。今は私が見張っており、後に騎士アリスが見張る。貴殿が知ったところでどうすることもできまい」
「たしかに」
携帯もないし、テレパシー能力もない。情報をキリトたちに伝える手段なんてそもそも持っていないのだ。そして、怪しい動きを取れば即刻側にいる騎士に斬られるってわけだ。何もする気はないんだが、気をつけておくとしよう。
昨日ぶっ倒れてたエルドリエは特に心配のいる状態ではないらしい。不幸中の幸いだが、まじでキリトたちは何しんだろうな。絶対に聞こう。
謎に固く決意したところで、50階にたどり着くとエレベーターが下りてきた。ワイヤーとかで吊しているわけでもないようで、どうやらこれも神聖術で動かしているらしい。神聖術って万能なんだな。
「お待たせしました。何階へ上がられますか?」
「80階だ。
「かしこまれました。では参ります」
俺はエレベーター……昇降盤に乗り、辺りを見渡す。謎の光はどうやらレールみたいなものらしく、上下にのみ動けるようになっている。ということは、この光がなければ昇降盤で自由に飛び回れるということだろう。それはそれで面白そうだ。
「名前ってなんて言うんだ?」
「名前は忘れました」
「え?」
「私は"昇降係"です。それ以外に呼び名はありません」
「……おもんねぇな」
「ジーク?」
面白くない。あー、面白くないとも。名前を覚えてない? そしてその事に何も不満に思っていない? なんだその面白味のない話は。要はずっと昇降係って呼ばれるせいで、誰にも名前を呼ばれないせいでそうなったってことだろ。これほどつまらなくて反吐が出る話はないね。
「昇降係は君を特定する呼び名になり得ないぞ」
「そうですか? 100年以上この天職を私がやっていますが」
「ああ。なんせこの役割を担うのが、
「……ですが思い出せることではありません。なので、私に名前が無いことをそれほど毛嫌いするのであれば、私に名前をください」
「わかった。考えとくよ」
少し考え込んだ彼女は、俺の目をしっかりと見てそう言ってきた。こんなことを言う人間は、俺が初めてなのだろう。他にいれば彼女に名前をつけているはずだから。
……つい快諾して名前をつけると言ってしまったが、どんな名前にすればいいのだろう。変なのをつけるわけにはいかないし、アンダーワールドにいる人たちの名前の響きからして欧米風に考えないといけない。欧米風の名前とか考えたこと……、ゲームのアバターぐらいでしかないな。そしてゲーム感覚で名前を決めていいわけがない。彼女も人なのだから。
「到着しました。80階《雲上庭園》です」
「あ、もうついちゃった。名前はしばらく待っててもらっていい? 決まったらすぐに伝えに来るから」
「分かりました。急ぎでもないので、あなたのご都合に合わせてもらって構いません」
「うん。ありがとう」
デュソルバートと共に昇降盤から降り、彼女に手を振って一旦別れる。昇降盤から視線を正反対に向けると、無駄に大きな扉が視界に入る。あれを開けて中に入れば《雲上庭園》っていう場所に行けるのだろう。80階に庭園って何なんだろうな。考えたやつの頭がよくわからないぞ。
無言で二人並んで歩いていたのだが、さっきからずっと静かにしていたデュソルバートの方から話を振られた。それはさっきの会話についてだった。
「本人はたしかに気にしてないようだったけど、俺が気に食わなかった。だから名前をつけようと思っただけですよ。結構自分勝手な人間なんで」
「そうか。だが、貴殿の処罰は騎士アリスに一任される。100年以上昇降係と呼ばれた彼女に名を付けたいのであれば、騎士アリスを納得させられる交渉が必要になるぞ」
「なんとかなりますよ。……100年以上!? あの人そんな長生き!?」
「本人も言っていたであろう……」
「聞き逃してた!」
うっそん。あの見た目で100年以上生きてんのかよ。長生きだし、見た目なんて全然そんなことない。なんだ、若さの秘訣でもあるのか。心得ているというのか! 何も興味ない、みたいな雰囲気を醸し出しながらちゃっかり美容だけは保っているというのか!
驚きまくってる俺にため息をついたデュソルバートは、一度俺を叩いて正気に戻させる。とりあえず事実を受け入れたところで、巨大な扉と向き合う。この大きさの扉って開けられるものなのだろうか。軽く触れてみた感じ、見た目通りの重さだってわかるんだが。
「私が開けよう」
「お願いします!」
綺麗に30度頭を下げて頼み、俺は数歩離れる。気合い入れて開けるんだろうなってちょっぴりワクワクしていたのだが、デュソルバートは簡単に扉を開けた。何その余裕そうな感じ。筋力凄まじいな。その見た目で実はマッチョですとでも言うのか。
そんな茶番をできるわけでもなく、デュソルバートに呼ばれて中へと入る。庭園と呼ぶだけあって、中は緑が溢れていた。人工的な小川も流れ、真ん中には丘がある。そこに一本の木が見える。デュソルバートがその丘へと歩いていき、俺はその後ろに続く。だんだんと丘の上がはっきりと見えるようになっていき、木の根本に一人の女性が座っているのが分かった。金髪の女性が。
「デュソルバート殿。なぜあなたがここに?」
「突然の来訪を詫びよう、騎士アリス。実は貴殿に引き渡したい人物がいるのだ」
「? どういうことですか?」
「こちらの男、ジークと言う者が不法侵入し、私が捉えた。だがこの者は騎士アリスに会いに来たという。貴殿の知り合いであるのであれば私が独断で処罰するわけにはいかない。それで連れてきた次第だ」
デュソルバートが説明してくれて、俺は一歩前に出る。俺の姿が完全にアリスの視界に入るように。俺の視界にもまた、アリスの姿が収まる。三年ぶりの再会だ。僅かにだがアリスの目が見開かれるのが分かった。覚えていてくれたようだ。
「……その者は知りません。斬り伏せてくれて構いませんよ」
「分かった」
「ちょい待ておい!」
視線を逸したアリスに秒で見捨てられた。たしかに騎士が庶民に知り合いがいるというのはまずいのだろう。俺もアリス以外に交流なんて無かったし、騎士もアリス以外見たことがなかった。時たま遥か上空を飛竜が飛んでいるのを見るぐらいだ。だが見捨てるのは待て。薄情だぞ。デュソルバートも速攻で剣抜くなよ。
「貴殿のような勇猛な者を斬るのは残念だが……」
「ちょっと時間をくれませんかねー! 俺が嘘ついてなかったことを証明しますから!」
「よかろう。しばし猶予を与える」
「……アリス、本当に覚えてないのか?」
「覚えているも何もお前とは初対面です」
「ほほう?」
その姿勢を貫くというのであれば、俺だって容赦しないぞ。なんせ命が関わっているのだからな。ここまで来て死ぬなんてことはゴメンである。そして、しらばっくれようとするアリスへの反撃をしないわけにはいかない。楽しませてもらうぞ。
「舞踏会で俺の足を踏みまくったことは?」
「知りません」
「子供を泣きやませられなくて助けを求めてきたことは?」
「知りません」
「東セントリアで着物を着たことは?」
「知りません」
「『こんなの無理です!』とか言って、情けなく壁の上で大泣きして抱きついてきたことは?」
「《不朽の壁》の上なら誰だってそうなります!」
「《不朽の壁》とは言ってなかったんだがな?」
「あ……」
「はい証明完了」
「ふむ、では私はこれで失礼しよう。騎士アリス、ジークのことは貴殿が決めたまえ」
呆気なく引っかかったからか、大泣きしたことをデュソルバートに知られたからか、頬を赤く染めたアリスは、顔を隠しながら静かに頷いた。変わらない所もあるようで俺としては安心だ。
デュソルバートが庭園から出ていったところで、俺はアリスの横に腰掛ける。アリスもしばらくしたら落ち着いたようで、顔を隠していた手をどかし、気まずそうにこっちを見てくる。俺はさっきの演技、全然気にしてないんだよな。だからアリスに笑いかけることでそれを伝える。
「三年ぶりだよな?」
「ええ。合ってますよ」
「久しぶり、アリス」
「お久しぶりです。ジーク」
三年ぶりの再会。罪人として連行されるという特殊な方法だったが、俺はアリスとの再会を果たした。……キリトには頑張ってここまで来てもらおう。この状況では援護できないからな。
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11話 独白
俺とユージオは、カーディナルに助けられて一難をとりあえずやり過ごすことができた。ユージオがこの部屋の書物を読みあさっている間に、俺はカーディナルからこの世界の秘密を余さず話してもらった。最高司祭アドミニストレータのこと。カーディナルのこと。整合騎士のこと。ダークテリトリーのこと。この世界がなぜ存在するのか。何もかも理解することができた。
説明を受け、ユージオと共に《武装完全支配術》のことをカーディナルから教わり、準備できたところでいざ外へと出る。だが、その前にカーディナルが思い出したように驚くべきことを言った。
「キリトよ。ジークという者を知っているか?」
「あ、ああ知ってるが、なんでジークの名前が……まさか!」
「うむ。ジークとやらもこのカセドラルにいるぞ。今は捕らえられているようじゃが……、生きてはおるはずじゃ。上階へと行っていたところまでは把握しておる」
「上階のどこかにジークが……」
「キリト。そのジークって人は? いつ知り合ったの?」
あ、そういや俺は記憶を失っているってことになってるんだった。ずっと一緒にいたユージオからすれば、『いつの間にジークと知り合ったんだ』ってなるのも当然だな。しかも俺はリアルから来ていることも隠している。ベクタの迷子ってことにしてな。
「えーっと、たしかセントリアに来たときだったな。ジークにアップルパイのことを教えてもらったんだよ」
「あー。君はよく抜け出してたもんね。……心配だね。学院にいなかったってことは、戦う術も身につけてないはずだし」
「……そうだな。ジークのことも頭に入れつつ、俺達は俺達の目的を果たそう。どうせ上を目指すんだ。ある程度登ってから探しながらって感じにすればいいだろ」
「そうじゃな。ジークのことを気にかけながらでは整合騎士には勝てまい。頭の片隅に留めておく程度でよいじゃろう」
「……分かりました」
なんとかユージオに誤魔化すことに成功した。カーディナルの援護もあったおかげだな。カーディナルに視線を向けて、ジェスチャーで礼を言う。カーディナルは気にするなって感じで一度目を閉じて息を吐いた。そして目を開けたカーディナルに言われ、俺とユージオはこの図書館から出る。俺達の目的を果たすために。ぶっちゃけジークのことはそこまで心配してない。俺以上に窮地を抜け出すのに長けているからな。
──合流するまで下手なことはするなよ、ジーク!
むしろ心配なのは、あいつが馬鹿な行動を取って騎士を怒らせかねないことなんだよな……。
☆☆☆
「三年しか経ってないのに、見違えるぐらい変わったな」
「そうですか?」
「綺麗になったよ。呼吸が止まった」
「ありがとうございます。ジークは背丈以外変化が無いですね」
「そこは俺も褒められるとこじゃない?」
「ふふっ、冗談です。ジークも雄々しくなりましたよ」
この子は俺を落としにかかっているのだろうか。先程の固い印象から打って変わって、柔らかい笑みと穏やかな視線を向けてそんなことを言ってくるのだから。アリスみたいな子にそんなことを言われて、何も思わない訳がない。視線を逸らす俺にアリスが首を傾げるのを見ると、この子は天然たらしだと伺える。冗談は言っても嘘はつかない子だからな。本当にそう思ってくれてるというわけで、反応に困る。
俺が視線を逸らしたのは正直に言えば照れ隠しなのだが、アリスはそれを違うものだと捉えたらしい。少し視線を下げて急に謝られた。アリスは何もしてないはずなのにな。
「なんで謝るんだよ」
「私はジークに私のことを黙っていました。その上、先程処刑を許そうとしました」
「騎士として間違った行動ではないだろ。身分を隠してたのも騎士が民と交流しないものだから。処刑を許そうとしたのもそれを露見させないため。アリスは正しいことをした。謝ることじゃない」
「なんでそんなことが言えるのですか!? お前は死にかけたのですよ!? 他でもない、私のせいで!」
「けど俺は生きてる。だからいいんだよ。気にしなくて。それに、殺されたところで理由を理解しているのだから恨む気にもなれない。アリスの方が危なくなりかねないからな」
声を荒らげるアリスに、俺は落ち着いて言葉を返していった。取捨選択をしているわけじゃない。これは俺の本心だ。俺は死んだところで本当に死ぬわけでもないんだし、なんならもう一回ログインできるだろう。死んだ人間が蘇ることに適当な説明を用意しないといけなくなるが、さしたる問題でもない。
何よりもアリスは許可を出したときに
「……何故ですか?」
「うん?」
「何故ジークはこんな所まで来てしまったのですか? 殺されてもおかしくないのに。ジークが身の危険を晒してまで来る必要などないはずなのに!」
「理由ならあるさ。俺は俺でやることが一応あるからな。それがあるからこそカセドラルへと来たわけだが、そっちはすぐにどうでもよくなってな」
「……?」
「アリスがいるって分かったからな。アリスに会いたくてこの場所まで来たんだよ」
「なっ!」
正直に話すとアリスが目を見開き、すぐにそっぽを向いた。聞かれたから答えたというのに、その反応はいかがなものかと思いますぞ。お姫様よ。なんて言うわけにもいかないんだよな。アリスってわりと手を出してくるから、グーパンされかねない。神聖術で治してもらったとはいえグーパンは困る。
アリスの反応に苦笑し、どうしたものかと考えている間にアリスも落ち着けたようだ。今度はジト目になってこっちを冷たく見てくる。
「ジークは私を口説いているんですか?」
「そんな気はないんだけどな。……ははっ、これも懐かしいな」
「そうですね」
「っ、あれっ?」
「ジーク!?」
アリスと顔を見合わせて笑っていると、急に視界がぐらついた。気づいたときには体が倒れかけてて、アリスに支えられている。毒とかを盛られたわけでもないし、傷口が開いたわけでもない。そもそも神聖術で傷口だって塞がれているのに。なんでだろうな。そう思ってとりあえず《ステイシアの窓》を見てみると、おそらくこれが原因だろうというのが分かった。
「天命少ねー」
「危険な状態ですね。休んでいてください」
「分かった。おやすみ」
「え? ちょっ、ジーク? ……もう寝てる……」
完全に気を抜ける環境だからなのか、戦闘の疲れや傷による身体の内側の披露でもあったのか。俺は人生最速で寝ることができた。
☆☆☆
「なんでこんなに早く寝られるのよ……。……仕方ないわね」
ジークの体を横にさせて、頭を私の膝に乗せる。所謂膝枕という行為だけど、ジークが寝てるのだから仕方ない。ジークの意識がある状態だったら絶対にこんなことさせない。「芝生の上で寝るの心地よいものだと思いますよ」って言ってその辺で寝させる。
だから今回は特別。意識が完全に無くなった状態だからこそしてあげてるだけ。天命が危険な域にまで減っているということは、ジークはそれだけ無茶なことをしてここまで来たということなのだから。デュソルバート殿が連れてきたのなら、デュソルバート殿と一悶着あったはず。あの方は厳しいから、容赦がなかったはずで、連れてこさせてるならデュソルバート殿に自分を認めさせたのだ。おそらくその際に天命が減ってる。
「……無茶なことするんだから」
そんなことがあったとは思わせないほど軽い調子でやってきたジークは、今もそんなことを感じさせないような、穏やかで心地よさそうに寝息を立てている。そっと右手をジークの胸に乗せ、一定の間隔で確かに鳴っている心音を感じ取る。左手ではジークの髪を手で梳くように撫でる。髪質は少し固いようで、癖毛もある。なかなか直ってくれないこの癖毛は、まるで意志を曲げないジーク本人みたい。
ジークと出会ったのは本当に偶然だったし、いつ思い返してみてもおかしくて、でもだからこそ忘れることない出会い方だった。私がカセドラルを抜け出して北セントリアへと行き、そこでベクタの迷子となっていたジークと出会った。他人に話しても、『作り話でしょ』って言われそうな内容。
でもこれは本当のことなんだ。誰も信じてくれなくてもいい。私とジークだけの秘密みたいな、特別な感じがするから。出会った時は本当に謎というか、わけのわからない人って印象だった。記憶が無いのだから当然なんだけど、あまりにも無知で、でも芯は持っていた。不思議な人で、他と違う感じがした。それがどこか嬉しくて、それから私たちは私が抜け出す度に出会ってた。ジークが見つけてくれて、一緒に街を歩いて。時に《不朽の壁》を登るなんて無茶苦茶なことをして、時に赤子の世話をするという胸が温まる体験もした。これが人の生命なんだって。小さくて儚くて、でも守りたいと思わせられた。
「あなたはいつも私に刺激を与えてくれた」
聞こえているわけがないのに、私は語りかけるようにジークに言葉を紡ぐ。寝ている時の雰囲気というか、印象は起きている時とは全然違う。どこか可愛らしいとすら思える。起きている時は全然そんなことないのに。むしろ憎まれ口をわざと叩くようなイタズラっぽい顔をしているのに。
「あなたと経験したこと、感じたこと。どれも大切なことだと思ってるわ」
嫌な経験だってあった。特に《不朽の壁》を登るなんて経験は。今なら慣れているからできるけど、やりたいなんて思わない。そもそも騎士なのだから普通に行き来できる。でも、無理だと思うことを初めから諦めてしまってはいけないと学んだ。できるのかできないのか。できると思うのならその見込みはどこにあるのか。それらを精査してから判断するべきなのだと。
庶民と触れ合い、彼らの生活を見て、小さな幸せを見て、私はこの人界を素直に好きになれた。たしかに貴族の中には、上っ面だけの利己的な貴族もいる。上流貴族ほどその数は多い。でも、それでも守りたい者たちの一人だと思っている。
職人たちの意気込みを、誠意を込めた作品を見て、それが尊いものだと思った。決して馬鹿にすることはできない。上手いかどうかも、精巧かどうかも関係ない。どれもがその人の想いを、熱意を込められたものなのだから。
「ありがとうジーク」
本人が起きていたらここまで素直に言えない。寝てる間に言っても自己満足なだけで、本人に聞こえてないのだから意味はない。でも、こういう時じゃないと私は言えないから。ジーク相手だとジークも素直に受け取ってくれなくて、きっと「裏がある」なんて言ってくるんだもの。
「……ん? これは……」
ふとジーク体を見て気づいたことがあった。むしろなんで今まで気づかなかったのかと思うぐらい分かりやすいもの。それは、ジークの着ている服のことだ。ジークの服は、片側の横腹部分の一部が破けていた。それだけじゃない。他にも目を向けると、服の右腕部分の先のほうが焼け焦げている。他にもあるのかと確認してみたら、肩から背中にかけても焼け焦げ、一部は焼け落ちてる。
これがデュソルバート殿との戦闘の痕なのだろう。これだけでも戦闘の内容をある程度把握できる。先程ジークと一緒に見た天命の減り具合もこれで納得だ。しかも、右手を見てみれば火傷の痕がある。デュソルバート殿の《武装完全支配術》は炎を生み出す。それを気にせずジークは右手でデュソルバート殿に攻撃を仕掛けたのだろう。普通なら考えられないけど、ジークなら十分やりかねない。
『アリスに会いたくてこの場所まで来た』
「──っ! ……本当に馬鹿な人。すぐ無茶するんだから」
こんなになってまでデュソルバート殿と戦ったのが、"会いたいから"。たったそれだけの理由でここまでのことをする。嬉しいとも思うし、小恥ずかしいとも思う。でも、命を危険に晒してほしくはなかった。私の所に来られたからといって、完全に安全なわけでもない。小父様や元老長、最高司祭様に命じられれば私はジークを斬らねばいけないのだから。
ジークが来た。危険を侵してまで。そのことにたしかに頬が緩んでしまうけど、あとの事を考えたら辛い。ジークを手にかけないといけないかもしれないから。むしろその可能性の方が高いから。
「来てくれて嬉しかった。……けど……来てほしくなかった」
矛盾した想い。彼のことに喜び、話しているときに息詰まる空気を変えてくれるような感覚を覚え、気持ちが楽になったのは確か。でも、そうできる時間ももう残り少ない。ジークとこの場で再会してしまったために、残りの時間が急激に無くなってしまった。ジークが来なければ、カセドラルに侵入していなければそうならなかったのに。
「……私にこんな気持ちを抱かせるのはあなただけよ? バカジーク」
初めて抱く謎の気持ち。きっとこれが騎士として守りたいと思えるもの。戦うための明確な理由なんだ。ならば私は、騎士として在り続けるためにもジークを守ろう。
どうすれば咎人としてこの場まで来てしまったジークを守れるのか。小父様はきっと許してくださるけど、元老長は認めてくださらない。最高司祭様が許してくだされば、元老長も黙るはずだけど、そもそも最高司祭様にお目通りができるかどうか。
これだという確信の得られる解答が見つからない間に時は経ち、騎士エルドリエを破ったというあの咎人二人がとうとうこの場にまでたどり着いてしまった。デュソルバード殿も、ファナティオ殿も、《四旋剣》の皆も打ち破って、この80階《雲上庭園》に。
扉を開かれ、黒い服を着た咎人と青い服を着た咎人が入ってくる。いや、打ち破ってきた実力を考慮すれば、咎人などと呼ばずに剣士として認めるべきだろう。実力も証明されているのだから。
その二人は辺りに目を移しながらもこの丘を着実に登ってくる。中腹にまで来たところで私は声をかけた。
「もうしばし待ってくれませんか。この子にソルスの光をもう少し浴びせたいので」
私の神器《金木犀の剣》をずっと木の姿にして天命を回復させていたが、まだ全快とまでは至っていない。無論この状態でも十分戦えるだけの天命はあるのだが、大切な神器だからできるだけ回復させてあげたい。それに、待ってもらう理由はそれだけじゃない。
「彼も起きてしまうので」
そう。未だに私の膝の上で眠っているジークのことだ。睡眠を取って休んでいるとはいえ、彼もまた天命が減っている。おそらくまだまだ回復しないといけないはずだ。それ以外の理由としては、心地よさそうに寝てる彼をできれば起こしたくないというものだ。
だが、そんな想いは予想外の人によって遮られた。
「いや、いいよ。アリス。起きるから」
「ジーク、起きていたんですか?」
「二人が扉を開けたあたりでな。よっと」
「それならそうと言ってほしかったのですが」
「ははっ、ごめんごめん」
私の膝から起き上がったジークは、そのままの勢いで立ち上がり、凝り固まった体を解し始める。関節も鳴らしており、座っている私にまでその音が聞こえてきた。私も立ち上がって、剣士二人を見ずにジークの方を見て言葉を投げかける。良かれと思っていたものが、そうじゃなかったかもしれないのだから。
「寝づらかったですか?」
「そんなわけないだろ。快眠できたよ。ありがとうアリス」
「いえ、それなら良いのですが」
「んー? なんか態度柔らかくなった?」
「そんなことは一切ありませんので。あまり調子に乗らないでください」
「ははは、分かりましたー」
体を解し終えたジークに頭を撫でられ、恥ずかしかった私は咄嗟に強く手を弾いてしまった。やってしまった、と思ったけど、ジークは気にしてないようでいつもの笑顔を向けられる。それを見て私はほっと息を吐き、視線を剣士二人に戻した。青い服の剣士はこちらを唖然と見ており、黒い服の剣士は目を見開いて驚いていた。どちらも今のやり取りを見た反応でそうなったのだと思い、恥ずかしくなって頬を赤く染める。しかし、黒い服の剣士はそうではなかったらしい。
「ジーク……なんだよな?」
「おう。久しぶりだな、キリト。遅かったじゃねぇか」
「ぇ?」
まさか繋がりがあるなんて思っていなかった私は、驚いてすぐにジークに顔を向ける。再会を喜んでいるような、この状況を楽しんでいるような、そんな顔をするジークに、私は確信した。
どういう繋がりかは分からないけど、この二人は知り合いなのだと。
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12話 急変
どうやら随分と長く寝ていたらしい。これもアリスの膝枕が心地よかったからなのだろうか。まさかアリスが膝枕をしてくれるなんて思ってなかったが、これは今度もう一回頼んでみよう。まじで安眠できて快眠できる。ところで、アリスはずっとそうしていたのか? 飯食えたのか? もし食えてなかったら申し訳ない。
「ご飯なら食べましたよ」
「ならいいや」
どうやら食べてたらしい。嘘ついてるようでもなかったから、本当に食べられたのだろう。気になったことも解決されたところで、意識を前方にいる二人に向ける。キリトの隣にいるのがユージオなのだろうな。俺への警戒心強いようだが、俺何もしてないはずなんだよな。……ま、警戒されて当然か。騎士でもないのにこんな所にいるんだし。
「ジーク。あの者と知り合いなのですか?」
「ん? 黒髪の方はな。キリトって言うんだが、なかなかに女誑しだぞ」
「待てまて! いきなり人の評価を下げるな!」
「いやどうせお前女落としてるだろ。学院に入ってたってことは、キリトのことだし傍付きになってたはず。ということは、先輩と後輩で一人ずつ落としてるな?」
「確信あるみたいに言うなよ! ユージオ、俺の汚名を返上するの手伝ってくれ!」
キリトがユージオに助けを求めるも、ユージオは苦笑いしてキリトから視線を逸した。確定だ。キリトはまた女を落とした。しかも無意識で。これが引き籠りコミュ症ゲーマーのすることとは思えないが、どこか慣れた気がする。やっぱりなって感じだし、これは外に戻った時にアスナに報告だな。先輩の方は知らないが、後輩の方のロニエとは少し話したし、それでどれだけキリトを想ってるかも分かった。修羅場を作れるぜ!
俺達がこんなやり取りをしていると、俺の隣にいるアリスの目から温度が消え去られた。絶対零度というか、マイナスにまで突入してるような冷たい視線をキリトに送っている。女の敵って認識になったんだろうな。可哀想なキリト。だがお前が女を次々と落とすのが悪いのだ。そろそろ自覚して自重しろ。だからアスナがヤンデレみたいになるんだよ。
だが、アリスの心境は俺の予想を超えていた。それはキリトに向けてだけじゃない。俺に向けても複雑そうな視線を送ってくる。これは何かある……いや、そういうことか。理解した俺は、アリスに体を向けて手を広げる。
「
「なっ!? 何言ってんだジーク!」
「キリトは黙ってろ。今俺はアリスと話をしている」
キリトを睨みつけて黙らせる。俺はフレニーカの一件のように、よっぽどのことがないと怒らない。だからこそこうやって視線を鋭くして睨み付ければキリトも止まってくれる。冗談で言ってるのではなく、本気で今話しをしているのだと理解してくれるのだ。長い付き合いだからな。
そんな俺に対して、アリスは目を見開いて一歩後ずさった。首を小さく横に振り、瞳を揺らして訴えかけてくる。なんでそんなことを言うのかと。
「二人を殺すように命令が出てるんだろ? それはデュソルバートさんからそういう流れになるってことは聞いてた。殺さないといけないような相手と俺は知り合いだ。俺だけ見逃すのに正当な理由はない。どうやら公理教会は固い場所だし、不穏分子となった俺を殺すように命令が下るのも目に見えてる。それならほら、今纏めて殺ったらいいんじゃないか?」
「なん、で……なんでお前はそんなことを平然と言うのですか! なんて自分の命を簡単に投げ出せるのですか!?」
「俺を殺せない、なんてことをアリスは上の奴らに言うのか? そんなことをすればアリスも処罰が待ってる。俺はそんなのゴメンだね」
「黙って……ください!」
「グッ……!」
怒ったアリスに蹴飛ばされ、俺は丘を転がる。勢いが強過ぎてなかなか止まれなかったが、中腹を過ぎた辺りでなんとか止まることができた。顔を見上げると、前方にアリス、右方にキリトとユージオが見える。アリスが近くにあった木に手を添ると同時にキリトとユージオが駆け出す。アリスが触れた木が黄金の光に包まれると、やがてそれがひと振りの剣になった。
「なにそれ!?」
俺がそれに驚いていても誰も反応してくれない。戦闘が始まったのだから当然なのだが寂しい。デカイ独り言みたいになったから超恥ずかしい。誰も聞いてないけども。恥ずかしくて寂しいとか最悪なコンボだ。
脳内でそんなボケを一人でかましている間に、さらに訳のわからない現象が起きた。アリスが剣を振るった瞬間刀身が無くなり、代わりに無数の何かが飛び回り、キリトユージオを弾け飛ばす。よく見てみると、あれは大量の何かの花が飛んでいるようだ。どこかであの花を見たことがある。それもアリスといた時に。
「……あー、金木犀の花か。アリスが着てた着物の絵柄になってたやつ」
完全に戦闘の外に追い出された俺は傍観することにした。武器無しであれに混ざるのは無理だろ。というか俺としては戦う相手もいないわけだしな。
アリスが使ってるあの黄金の剣。あれはデュソルバートが使ってた弓と同じで特別製なのだろう。その剣に張り合っているのだからキリトの剣もユージオの剣も同等のもの。つまりみんな神器持ちだ。羨ましい話だね。守護者たる整合騎士の一員であるアリスが持っているのは納得できる。支給されてるのだろう。
だが、キリトとユージオ。お前らが持ってるのは意味がわからない。キリトはたしかギガシスダーの樹の枝をサードレの爺さんが剣にしたやつ。これはまぁいいだろう。ユージオよ。お前はそれどうやって入手したのさ。パチったのか。
「にしても……アリスって意外と怪力なのか?」
「聞こえてますよジーク!!」
「んなアホな!」
なんでこの距離で聞こえてるんだよ。しかも戦闘中に。それはつまりそれだけ余裕があるってことなんだろうが、そんなキリトもユージオも弱くないだろ。ここまで来てるんだから。今絶賛アリスの剣で吹っ飛んでるけど。なんかキリトが一騎打ちを申し込んで、剣で防ごうとする度に吹っ飛んでんだよ。怪力と言わずに何と言う。
それよかキリト。俺は結構お前の戦い方にがっかりだよ。一騎打ちとか言っておきながらユージオに奇襲させるとはな。たしかに勝つためならそれが有効な手だろうさ。勝っているのは数だからな。意識を完全に自分に向けさせておけばユージオの攻撃を確実に当てられる。氷を発生させるのは驚きだが、神器って何でもありなのだと認識を改めておけばいいだろう。というか氷とかカッコイイな。
ずっと止まって見ていた俺は、アリスがユージオに氷漬けにされたところで歩き始めた。納得のいかない戦いだが、参加していない俺には口を出す資格などない。成り行きに任せるしかないだろう。そう判断していると、ユージオが小型の隠しナイフを取り出し、アリスへと近づいていっている。
──あれは……よくわからんが、
全力で駆けて止めようと思ったのだが、氷漬けになっていなかったアリスの剣がまた無数の金木犀の花へと変化した。それがアリスの周囲を回り、氷漬けになっていたアリスが解放される。
「器用だな」
花が氷を溶かせるわけがない。つまり、花が高速で少しずつ削っていったのだ。アリスが動けるようになるまで。あの状態でアリスが思考できたのかは分からないが、剣に意思があるというのなら、あの剣は相当優秀だ。たしか、《金木犀の剣》だったか。さっきアリスが解説していたけど。
アリスが花を操作して再度二人を攻撃しようとしたその時、キリトがそれを阻止すべく動いた。『エンハンス・アーマメント』。デュソルバートも言っていたし、ユージオも先ほど言っていた単語だ。どうやらそれが武器の特殊能力的なのを解放するらしい。強化(?)されたキリトの剣がアリスの剣の花たちにぶつかり、凄まじい衝撃が発生する。その衝撃が強すぎたのか、カセドラルの壁にヒビが入っていき、やはり壁が壊れた。
「キリト! アリス!」
「あれはやべぇな……」
壁が壊れ、キリトとアリスが外へと投げ出される。ユージオが壊れた壁へと走るが、この壁は自動修復するらしい。ユージオが駆け寄ったときには完全に壁は修復され、何事もなかったように傷が一つも残らず無くなっている。
俺は項垂れているユージオへと歩み寄ることにした。というかユージオ以外喋る相手もいないし。これからのことを聞かないといけない。ユージオはキリトと同行しているのだから、キリトが持つ情報を全部じゃなくてもほとんど知っているだろうしな。
「この壁って自動で直るんだな。二人がまた壁壊して中に入ることもできないだろうし……。どうするんだか」
「なんで君はそんな平然とできるんだい!?」
「だってキリトいるじゃん。キリトと一緒にここまで来たんなら分かるだろ? なんとかするって」
「……たしかにキリトは考えもつかないことをするけど」
あいつこの世界に来て何やってたんだろうな。考えもつかないこと。俺も大概だが、キリトは少し方向性が違うんだよな。それにしても、キリトのこの謎の信頼感って何なんだろうな。俺もこんな言い方で説得できるとか思ってなかったんだが、ユージオは納得した。便利だな"キリトだから"って言葉。キリトを知ってるやつにはこれからもこれを使うとしよう。
さてさて、これからの話をする前に解決しておいたよさそうなことが、俺とユージオの間でありそうだ。戦闘が始まる前のユージオの視線。それの理由を確かめておこう。まずはそれが優先だ。
「俺に個人的な用事がありそうだよな。……あ、その前に自己紹介するか。俺はジークだ」
「僕の名前はユージオ。よろしくね、ジーク」
「おう。それで、俺に話がありそうだったんだが」
「君って鋭いんだね。……君はアリスとどういう関係なんだい?」
「関係? 友達だよ。それ以上でも以下でもない」
それを言ったらユージオはなぜか安心したように息を吐いた。なんだ。それを気にしていたのか。まぁ、たしかに整合騎士と仲がいい庶民とか意味分かんないか。しかもキリトと知り合いだし。謎でしかないな。俺がユージオ側でもなんだこいつってなるわ。
だが、話をこれだけで終わらせるわけにはいかない。俺とアリスの関係の話は終わりでいいんだけども、ユージオとの会話を終わらせるわけにはいかない。なんせユージオから情報を共有してもらわないといけないのだから。
「ユージオはいろいろと知ってるんだよな? 今の感じからして教会に歯向かうような人間に思えない。それなのに現にキリトと整合騎士を倒しながら登ってきた。理由があるんだろ? 教えてくれないか?」
「いいよ。君も知っておくべきことだろうからね」
俺はユージオから知っている限りの情報を教えてもらった。キリトからはリアル関連のことを聞かないといけないが、この世界のことはユージオからほぼ全部のことを教われたと考えていいだろう。
まず整合騎士のこと。整合騎士は元々普通の人間なのだという。たしかに話してみた感じ、違いが全く感じられなかったしな。というか、天界から召喚された云々の話は忘れてたから「そんなのあったな」って反応になった。で、なんか剣術の大会があって、その優勝者や禁忌目録を侵した人がカセドラルへと通される。そして最も大切な記憶を抜かれて、代わりに先程の天界云々の偽りの記憶と偽りの信仰心を植え付けられるのだとか。それで騎士となるらしい。胸糞悪い話だな。
次に《東の大門》の話。そこの天命がそう遠くないうちに尽きるらしく、そうなればダークテリトリー軍との戦争が始まるらしい。敵の数は数万を超すと予想され、対する人界の戦力は30人程度の整合騎士のみ。勝ち目がないとしか思えないのだが、こうなることを最高司祭が仕向けたのだとすれば、何か案があるのだろう。記憶を抜いて整合騎士を作ってる人物の案は信用できないんだけどな。
次に『右眼の封印』だ。これは《禁忌目録》を破ろうとする者、つまり公理教会に害をなそうとする者の右眼に激痛が走るものらしい。その痛みを乗り越えると禁忌目録を敗れるのだが、右眼が吹き飛ぶらしい。ユージオはロニエとティーゼを助けるためにその封印を破ったのだとか。キリトがそうならなかったということを聞く限り、リアルからダイブしてる俺達には関係ないらしい。
そして、アリスのこと。アリスはユージオと同じルーリッド村出身の女の子だった。神聖術に長け、村の誇りとも言える少女だったのだとか。イタズラ好きな一面もあり、規則の抜け道を利用したりしてたんだとか。そんなある日、北の洞窟へと行き、ダークテリトリーに指先だけ侵入した。それにより連行されて今のアリス・シンセシス・サーティが生まれたらしい。
「……なるほどな。で、ユージオはアリスの記憶を戻したいと」
「うん。カーディナル様に頂いたこの短剣を体のどこにでもいいから刺す。それであとはカーディナル様が戻してくれる」
「なるほど。話はわかった。最終目標はそうであるとして、ひとまずはまた上を目指して登っていくってことでいいんだよな?」
「そうだね。キリトとアリスのことを信じて僕らは上を目指そう」
ユージオがこれからやることは変わらないらしい。そもそも、最高司祭の下へとたどり着いて、話が通じなければ倒すのだとか。ユージオの目は既に決意が固まっており、やり遂げるのだという熱意も感じられる。そんなユージオには悪いのだが、俺は俺で動く。
「先に行っててくれるか? 少しやることがあってな」
「それなら僕も手伝うよ。一人よりも二人の方が早く済ませられるだろうし」
「いや、人数が増えたところで変わることでもないんだ。それに、ユージオは戻らずに先を目指すべきだろう。戦う術のない俺を気づかないながら戦うなんて騎士相手にできることじゃないだろうし、ユージオが敵を打ち破ってくれてた方が俺も安全だ」
「……わかったよ。ごめんね、先に行かせてもらうよ」
「謝るなってーの。むしろ戦う術がない俺が悪いわけだし」
態度が柔らかいユージオを先に行かせ、俺はそれを見送ってから逆方向に進む。俺がユージオと別れた理由は、一旦戻らないといけないからだ。戻ると言っても下の階に行くわけでもない。俺が行くのは昇降盤の手前だ。そこでしばらく待っていると、昇降盤がすごい勢いで上がってくる。俺が乗ってた時はここまで勢いなかったはずなんだけどな。
「お待たせしました。何階へ行かれますか?」
「移動したいわけじゃない。名前をつけるって話をしてただろ?」
「なるほど。では付けてください。さぁ!」
「なんか饒舌になってない?」
「名前を頂けると思ったら心が踊りました。それだけです」
印象が壊れるんだけど、最初の時の印象は静かというよりかは人間味が薄いって感じだったし、これが本来の彼女なのかもしれない。そう考え、どこかそわそわしてる彼女の目を見る。名前は大切なものだから、ちゃんとこうして言うべきだろう。
「"エアリー"。どう?」
「エアリーですか。……ちなみに理由を聞いても?」
「え、可愛いと思ったから」
「はぁー。他人の名前をそんな理由で決めるのですか……」
「ごめんなさい」
「気に入ったので使わせてもらいますね」
「気に入ったのかよ! そりゃよかったよ!」
分からない。エアリーの思考回路が全然分からない。エアリーの表情が一切変わることなく言葉を発せられてるからだろうな。表情から読み取ることができないのだから。何度か自分で確かめるように名前を呟いたエアリーは、本当に気に入ってくれたようで、深々と頭を下げられた。
「この名は忘れず、大切にさせてもらいますね」
「こちらこそ受け入れてくれてありがとう。そう言ってもらえると名前を考えた甲斐があったよ」
もう一度礼を言ったエアリーは、昇降盤を操作して降りていった。どこか表情も明るくなっていたし、本当に名前をつけた甲斐があったと思う。ただの自己満として言ったことだったんだが、今回は良い方向に転がったらしい。
「さてと、こっからどうしたもんかね」
雲上庭園へと戻っていきつつ考える。今から俺が取るべき行動とはなんなのか。この世界のことを知った上で、俺はいったいどう動くべきなんだろうな。当初の目的からすればキリトの援護だし、最高司祭は聞いている限り気に入らないから敵対するしかないだろう。
決まっていることもあるんだが、決まってないこともある。だが、それもまた今決めるべきことじゃないだろう。キリトとアリスの二人と合流してから決めよう。ユージオが道を作ってくれてるだろうし。人任せなのは申し訳ないがな。
前回では忘れてましたね。
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13話 着実に
咎人の一人である剣士キリト。その者の《武装完全支配術》と私の《武装完全支配術》によって壁が破壊され、私達は外へと投げ出された。キリトは状況に応じてすぐに動ける人間のようで、私の手を掴み、剣をセントラル=カセドラルの壁の隙間へと差し込むことで落下を防いでいた。
「その手を離しなさい! 罪人に命を救われるなど、そんな恥を晒すことなど耐えられません!」
「おわっ! 暴れるなよバカ!」
「なっ!? 屈辱的な言葉を……。取り消しなさい!」
「いいや取り消さないね。こんなとこで暴れたって何も解決しないことが分からないからバカって言ってんだよこのバカ! あんたをここで死なせるわけにはいかないし、俺一人助かった時に俺は……ジークになんて言えばいいんだよ!」
「っ!」
その名を出されて私は息を呑んだ。無茶苦茶な手段を取って、命を危険にさらしながらも会いに来てくれたジーク。三年ぶりに出会えて、まだ全然話をできてない。そんな彼のことを忘れて、生き恥なんて気にして死のうとしてたなんて。
私が黙るとキリトは私の手を引き上げ、同じように壁の隙間へ剣を差し込むように頼んでくる。彼の腕が限界に近いらしい。私はその頼みを聞いて愛剣を差し込み、落下しかけたキリトの服を掴む。
「あ、ありがとう……」
「借りを返しただけです」
キリトを持ち上げ、キリトがもう一度自分の剣へとぶら下がる。お互い二向き合ったところで私はふと気づいた。顔立ちや体格は当然違うのだけど、髪色と瞳の色はジークと変わらないということに。ジークはキリトと知り合いだと言った。ジークは"ベクタの迷子"だけど、キリトと生まれた場所が同じなのだろう。
「停戦協定を結ばないか?」
「停戦協定?」
「ああ。一人でここからどうにかするよりも、二人で協力した方が生存率も上がる。細かいことを決めても仕方ないし、どっちかが落ちそうになったらさっきみたいに助ける。どうだ?」
「……なるほど。たしかにその方が良いでしょう。ですが、この窮地を脱したその時から敵同士です。すぐさま斬り伏せますので」
「お、おう」
冷や汗を流すキリトに冷めた目線を送りつつ、私は自分の鎧の籠手部分を鎖へと変えた。キリトはそれを見て物質変換術かと驚いていたが、そんなものを私ができるはずがない。知識の浅さを馬鹿にしながら今のは形状変化術だと教え、鎖をキリトへと渡す。鎖の端を腰へと引っ掛け、キリトもまた同様に引っ掛ける。これでお互い助けやすくなった。
「中に戻る手段は、壁をもう一度壊すか、下まで行くか、登るかだが……」
「壁を破壊するのは不可能でしょう。あの現象はお互いの《武装完全支配術》が衝突してたまたま起きたものです。狙ってするべきではないですし、足場もないですから」
「なら下か上かだな。たしか下に飛竜の発着所があるだろ? 飛竜で上までひとっ飛びしてもらうのは?」
「不可能です。最高司祭様の術式によって、飛竜はセントラル=カセドラルの一定の高さまでしか飛べません」
「なら自力で登るしかないか……」
「95階が《暁星の望楼》となっており、そこからなら入れます。そこまで登るとしましょう」
そう決まったところでキリトが神聖術を行使し、杭を作り出す。それを剣と同じように壁の隙間へと差し込み、キリトがその杭の上へと登る。それを繰り返して上を目指すらしい。たしかに登る手段はそれぐらいしかないでしょうね。キリトが上がったところで私もキリトの一個下の杭へと移動し、剣をしまう。
「これなら行けそうだな」
「そうですね。ソルスが沈むまでに登れるのが望ましいです」
「だな。……それにしてもさすが整合騎士だな。こういうのも簡単にできるなんて」
「以前の私では無理だったでしょうね。足が竦んでいたと思います」
「そうなのか? じゃあ特訓したとか?」
「こんな状況を想定して特訓などするわけないでしょう。……ジークに連れられて《不朽の壁》を登らされてるうちに慣れただけです」
「……お疲れさん」
私が目を遠くしてあの頃の気持ちを思い出していると、キリトが同情したように言葉をかけてくる。その声からして、キリトもキリトでジークの無茶に振り回されたことがあるのだと分かる。変な共通点があったものだと呆れたところで一度深呼吸し、気持ちを切り替える。中に残っているのはジークとユージオの二人。ユージオはキリトのように上を目指すはず。
──でもジークは?
それが不安だった。ジークがどう動くかが予想できない。ジークは馬鹿なことをするけど、頭がキレる人だ。状況判断だって間違えない。さっきの「自分を斬れ」発言は怒ったけども。
ユージオと一緒にいてもジークに戦う術がない以上足手まといになるのは明白。そんなことをすればユージオが不利になるのをジークが分からないわけがない。だからジークはたぶんユージオに同行しない。けど、じゃあジークはそこからどうするのか。それが分からない。もしかしたら他の誰かに捕まって処罰されるかもしれない。それだけは起きてほしくない。
「アリス?」
「はっ、すみません。ジークが何してるかが不安になって」
「あー、行動が読めないからな。けど、ジークはジークで上手いことやる奴だぞ? そこまで心配しなくていいんじゃないか?」
「素手でデュソルバート殿に挑んだんですよ?」
「何してんだあいつ」
このことはキリトの想像も超えていたようで、キリトは頭を抱えた。デュソルバート殿とも戦っているはずだから、あの方の実力も身にしみているはず。だからこそ余計に頭を抱えるのでしょうね。デュソルバート殿の《武装完全支配術》では炎が発生する。そんな相手に素手で挑んでいるのだから。しかも自分の負傷を鑑みずに攻撃をしかける始末。そんなジークの心配をするななんて言われても到底できない話なのだ。
「ま、まぁそれも考えるとすると、やっぱ着実に登っていくしかないな。慌てず、可能な限りの速さで」
「そうですね」
不安になったこの心境を切り替えることはできない。でも、ジークのことを知るためにはやっぱり中へと戻る以外にない。私は《暁星の望楼》を目指して登るのを再開した。
今何階あたりまで登っているのかは分からない。でも、ソルスは既に傾いており、すぐに日が落ちる。そうなってしまえばリソースの供給が無くなり、杭を作り出すことができない。まだ《暁星の望楼》までたどり着けそうにないというのに。
「なぁ、あそこになんか凹みないか?」
「……ありますね。私も知りませんでしたが」
「なんとかあそこまで登って一休みするとしよう。杭は……作り出せないか。あと二本あれば着きそうなんだが」
「二本……。もしもの為にと考えていましたが、どうやら今がその時のようですね」
私は残しておいた反対側の籠手を形状変化させ、二本の杭を作り出す。それをキリトへと渡し、また一段上がる。そうしたところでキリトがまた何かに気づき、私も
「ミニオン……!」
「ミニオン?」
「ダークテリトリーにいる術者によって土塊から作られる動く石像です。それがなぜこんな所に……」
「こんな所に設置させられる奴は限られてるから自ずと答えも出るんだが……っ!」
「足場が悪いです! すぐに上の凹みへと行きましょう!」
「んなこと言ったって……!」
ミニオンが三体動き出し、飛来する。この場でも戦えなくはないけど、もしどちらも体勢を崩してしまったらひとたまりもない。落ちるのを防げてもまともに戦えなくなる。だから先に上がってからミニオンを倒すべきである。でもミニオンの一体がキリトへと迫っている。キリトがなんとか撃退するのを見届けたら、鎖を少し引いてキリトの気をひく。
「この鎖を使って私を上へと飛ばしなさい! そうすればすぐさまお前も上へと引っ張りあげます!」
「整合騎士が考えるやつとは思えないが……、やるしかないか! しっかり掴まってろ!」
「っ!!」
キリトが両手で鎖を握り、私も鎖を鎖を握りしめる。キリトが腰を落とし、思いっきり私を投げ飛ばす。軽く放物線を描くように飛んだ私は無事にたどり着き、今度は私がキリトを引っ張りあげる。正直言って飛ばされるのが怖かったから、意趣返しも兼ねて全力でキリトも飛ばすように引っ張り上げた。するとキリトは一度壁へと激突してから私と同じ場所に到達した。
「痛かったんですけど……」
「すぐさま引き上げる必要がありましたので。それよりも構えなさい。来ますよ」
文句を言ってくるキリトを適当に流し、ミニオンへと意識を向ける。飛んでいるミニオンは三体。一体は先程キリトが迎撃した際に杭が一本胸に刺さっている。私の籠手から作った杭があのミニオンに刺さっているのはいい気がしませんね。というかもうあれ使いたくありません。籠手はまた新しく用意する必要が出てきました。
二体のミニオンが私の方へ飛来し、その一体に杭が刺さっているミニオンもいる。先に飛んできたミニオンを一閃で切り裂き、後から来た杭付きのミニオンも一閃で終わらせる。杭付きの方では少し力んでしまいましたね。まだまだ修行不足のようです。
「……手伝う必要がありますか?」
「ない、よ! っはぁっ!」
まだ倒していなかったキリトに少し煽りを入れると、キリトは珍しい剣技を使ってミニオンを倒した。四角を描くような四連撃。あれは見たことがありませんね。
「奇妙な剣術を扱うのですね。夏至祭で見世物小屋でもやればいいのでは?」
「そういう剣術じゃないよ。って、夏至祭に行ったことがあるのか? あれは庶民的なもので貴族も滅多に来ないし、そもそも整合騎士は民衆の前に姿を現さないもんなんだろ?」
「騎士見習いの時にジークに誘われたんです。ジークと合流出来たのは最後の舞踏会の時でしたが」
「まじであいつ何してんだ……」
ジークの行動は、私からしても当然訳のわからないもの。身分を隠していたとはいえ、ジークもジークなりに推測は立てていた。それでもジークは私を友人として対等に接してくれて、惜しみもなく手を差し出してくれた。裏がなく、純粋に。だからこそ私もジークの誘いに乗っていたし、今もジークとの関係が続いていることに喜びを覚えている。
また頭を抱えたキリトなのだけど、私はその頬にミニオンの血がついていることに気づいた。ミニオンの血は放っておくと病を呼ぶ。私は血を拭き取るようにキリトに言うも、キリトはそれを袖で拭おうとした。
「手巾の一枚も持っていないのですか。ジークはちゃんと持ち歩いていましたよ」
「すみません……」
「その手巾は洗って返しなさい。無論中に戻れば斬りますので、避けながら洗って返して斬られなさい」
「無茶苦茶だな!」
冗談交じりに言ってはいるのだけど、手巾を洗って返してほしいのは本音。それに戻ればまた斬るというのも本音。だから、洗って返してもらうまでは待ってあげるだけ。それ以降は容赦なんてしない。……ジークにどう思われるか分からないけど。
──もしかしたら、嫌われるかもしれないわね
そう思った途端胸が締め付けられる感覚を覚えた。私は膝を抱え、口元を膝で隠し呆然と前方を眺めた。いや、目を開いているだけで景色が脳に届いているわけでもない。ジークに嫌われたくないという思いが強くて、それ以外何も考えられない。
──どうしたらいいの……
私は整合騎士だ。使命を果たさないといけないし、役割を捨てようだなんて思わない。だからキリトもユージオも斬り伏せる必要がある。そして、私の擁護が認められなければ、身の潔白の証明ができないジークも。
そんなことはしたくないし、ジークに嫌われるのも嫌。だけど私は騎士の役割を果たさないといけない。教えてよジーク。私の心が痛まない、私が苦しまなくて、ジークも傷つかない方法を。
「──リス。おい、アリス」
「っ、……なんですか?」
「ほらこれ。ちょっとしかないが、食べないよりはマシだろ? ……あー、温めたほうがいいよな」
キリトが手に二つの饅頭を持っており、それに神聖術をかけて温めようとしていた。しかし、キリトが行使しようとした術式では温まるどころか黒焦げになってしまう。私はキリトから饅頭を奪い取り、それを温めて一つをキリトに返す。気休め程度の量しかないが、キリトの言うとおり食べないよりマシ。
「ところでアリス。なんか距離空きすぎじゃない? 間に成人もう一人は余裕で座れそうなんだけど」
「ジークとの会話を聞いての判断です。お前は女の敵ですから、これぐらいの警戒は当然でしょう」
「それは盛られた話だと言いたいんだが……、アリスってジークのことだいぶ信じてるよな」
「えぇ。ジークは私に多くの刺激と経験を与えてくれましたから」
ジークと過ごした期間は一年にも満たないし、日数ではなく時間だけで考えれば本当に少ない。だけど、その少ない時間でジークは本当に多くのことを教えてくれた。本人は遊んでるだけのつもりだったようだけど、私にとってはどれも大切な経験で、一つ一つが掛け替えのない思い出。
──
「それは?」
「ジークが私にくれたものです。私は何も返せないというのに」
「へー」
鎧の内側に入れていた首飾りを取り出し、取り付けられた蝶の金細工を手のひらに乗せ、その時のことを思い出す。これも忘れてない。ずっと持ち続けて、大切に手入れしている。
「……ん? 交換とかじゃなくて?」
「そうですが、何か問題でも?」
「いや、珍しいなって思ってさ。俺が知る限りジークが一方的に渡すのって他に一人しかいないんだよ」
「……一人いるのですね」
「でも本当に珍しいんだぜ? 要はそれだけアリスのことが特別なんだろ」
「へっ!?」
特別? ジークにとって、私が? いえ落ち着きなさい。落ち着くのよアリス。特別というのはそう、友達の中でも特別というだけよ。ジークはきっとそういう考えよ。だってジークなのだもの。勘違いしちゃ駄目。キリトの言い方に問題があっただけ。だからこの熱くなった顔も冷まさなきゃ。この煩い鼓動も静かにさせなきゃ。でも……、
──でも本当にジークが
「アリス大丈夫か? なんか顔が赤い気がするんだが……」
「だ、大丈夫です。キリトの気のせいでしょう」
「ならいいけど。それにしてもアリスって神聖術上手いのな。さすがセルカのお姉さんだ」
「……は? お前今なんと!? 今なんと言いましたか!」
「……君には妹がいる。そう言ったんだよ」
「馬鹿な……私に……妹など……」
キリトのその話は、私の熱くなった顔を冷ますには十分だった。早まっていた鼓動も止まったんじゃないかと思うぐらいの衝撃を受けた。私は天界から召喚された騎士の一人。五年間の鍛錬の後に最高司祭アドミニストレータ様に整合騎士に任命されたのだ。そのはずなのに、妹なんて……。
「君には妹がいる。もちろん父親も母親も。いや、アリスだけじゃない。整合騎士には全員元々家族がいるんだ。みんな大切な記憶を抜かれ、偽りの記憶を植え付けられてる」
「お前のその話が事実であるという証拠は?」
「明記に提示するのは難しい、かな。だから、俺が全て話すからそれから判断してくれ。俺達の目的のこともそれで理解してくれるだろうしな」
「……いいでしょう。聞いてから判断します。たしか、私の妹がセルカという子でしたね。……セルカ」
"セルカ"。知らない子の名前のはず。そのはずなのにどこか懐かしくて、愛おしいと思う名前。
月がある程度登るまで私達はここから先に進めない。だから、それまでの間に私はキリトから話を聞くことにした。
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14話 決意
アリスといた《雲上庭園》は80階。このセントラル=カセドラルは100階まであるらしく、最高司祭アドミニストレータがいるのが100階。ラスボス感あって分かりやすい。つまり、俺はあと20階分上がればいいわけだ。ユージオが先行しているし、安全にとはいかないかもしれないが、着々と進めるだろう。
「走るのも面倒だし、歩いていくんだけどな」
内側からあの壁を見た限り、何ブロックも積み重なって、この塔が建てられているということは明白だ。ブロックとブロックの間も何も入らないほど密度があるわけでもなさそうだった。どういう手段かは知らないが、キリトとアリスも塔も着実に登っていると考えられる。《不朽の壁》の時には怯えて泣いていたが、それも次第に慣れていた。今回もたぶん大丈夫だろう。
だから、不安要素があるとすれば、俺が全くと言っていいほど知らないユージオの方だろう。キリトと共にここまで上がってきたのだから、ユージオもまた強い。それは雰囲気からも察せられた。だが、整合騎士はおそらくいる。何人かは知らないが、少なくとも一人はいると考えていい。
──あの剣の力なら何とかできるのかな?
なんせ氷を発生させる剣だ。アリスは《金木犀の剣》が氷の範囲外だったからすぐさま復活したが、そうじゃなかったらあれで負けてた。って考えたらあの剣最強武器なんじゃないだろうか。やるなユージオ。どこか不安定そうというか、心が揺らぎやすそうな感じがしたけど、誰相手でも勝てるんじゃね。
「それにしても、こうも階段続きだとこの構造にも呆れるな。無駄に高く作られてるというか、権威を示したいのかね」
昔から人間は権威を示すのに高さや大きさを利用する。いや、人間だけではないな。動物の多くがそうだ。敵を威嚇するとき、雌の取り合いをするとき、勝敗を決めるのに、自分の体の大きさが関わる場合がよく確認されてる。そして人の場合は建築物でそれが出る。日本なら古墳だ。前方後円墳でも大阪にある仁徳天皇陵が最大だな。エジプトはピラミッド。ピラミッドはエジプトだけでなく、南アメリカにもある。神話で有名なのは『バベルの塔』だな。こんな感じで天を目指して高く建てられていき、あまりにも高くなったことで神が壊したという塔。
この世界でも神はいるらしいが、リアルの神話のように塔を壊したりすることはないらしい。ま、神の存在なんてあやふやだからそれも当然なのかもしれないな。
「ん? 大扉か……これ俺開けれっかな」
一人で黙々とひたすらに階段を登るのにも飽きてくると、途中で座り込んで休憩もしていた。キリトとアリスと合流できるのは、当分先だろうからな。だってどう考えても壁をよじ登るより階段を上がるほうが早いのだから。
そうしてダラダラ登ってきたらやっと次の大部屋にたどり着いた。そしてやはり馬鹿でかい大扉。《雲上庭園》の時はデュソルバートに開けてもらったし、俺が一回開けようとしてめちゃくちゃしんどかった記憶がある。そして今回は他人の助けはない。リベンジマッチだ。
「ってわけでもないのか。開いてるもんな。ユージオが先に行ってるんだしそれも当然か」
人一人通れるように扉は開けられており、俺もそこを通らせてもらった。開けたまんまにしてくれるなんてユージオは優しいな。きっとあの甘い顔と裏のない優しさでユージオも一人ぐらいは落としてるに違いない。というかティーゼは絶対ユージオに惚れてる。超分かりやすかったからな。
部屋の中はどうやら大浴場のようだ。超広いし、湯気が部屋を満たしている。温度を確かめてみると、絶妙な温かさだ。まぁ、温度の高さは人によって心地良さが変わるんだけどな。だがこの温度は俺にとっては丁度いい。
「もしかしたら浴槽によって温度が変わるのかもな」
風呂屋とかで時たまあることだ。浴槽によってぬるま湯から高温の湯まである風呂。俺は40℃くらいがありがたい。そんなことを考えながら奥に進んだところで異変に気づいた。
「ユージオの……力、だよな」
アリスと戦った時の出力ならこんなことにはならないはずだ。範囲が格段に広がっている。考えられるのは三つ。ユージオの本来の実力ならこれができるということ。ユージオが覚醒か何かでもしたということ。そして、《武装完全支配術》よりも高位な技があるということだ。妥当なのはこの三つ目だろう。
そう考えた理由の一つはこの範囲だけじゃない。
「ん? 誰だあれ」
そこまで状況分析して、ようやく俺はこの浴槽の中に一人いることに気づいた。むしろなんで気が付かなかったのだと思うぐらい分かりやすいところに。その人はとても動ける状態じゃない。氷漬けにされた浴槽の中で
「たぶん整合騎士なんだろうが……、なんで風呂場でこんなことなってんだよ。こんなとこで戦うか? まぁそこは置いとくとして」
──石化している。それが問題だ
ユージオの剣の能力では石化などできない。おそらくキリトの剣も同様だ。そんなことができるのであれば、アリスとの戦いで使っていたはずだからな。そして当然整合騎士のアリスの仕業でもない。そもそもあの二人はまだ外だろうし。
当然ながら俺の仕業でもない。だって今来たところだし。つまり、俺たち咎人組でもなく、整合騎士でもない
それよりも、そうなると大きな問題が一つ発生する。この浴槽を凍らせたのはユージオだ。だがこの人を石化させたのは、味方ではない誰かだ。では、
「ユージオはどこだ?」
悪い流れが起きそうだ。
☆☆☆
「俺もユージオやセルカから聞いたことしか知らないんだがな。とりあえず俺が知る限りのアリスのことを話すよ」
「お願いします」
「君の名前はアリス・ツーベルク。ルーリッド村出身で村長の娘。小さい時から神聖術に長けていたらしい。君はある日、ユージオと共に北の洞窟に行きそこで迷子になる。出口だと思って進んだ先は反対方向のダークテリトリーだった。そこで君は整合騎士に負けた暗黒騎士を助けようとして躓き、コケたときに指先がダークテリトリーに入ったんだ。それで《禁忌目録》に違反したとして当時北方の警備をしていたデュソルバート・シンセシス・セブンに連行される。そして記憶を消されて今の君になったんだ」
「デュソルバート殿が!? ……そんな馬鹿な……」
「信じられないだろうが、これが君の真実だ」
信じられない。当然信じられる話ではない。デュソルバート殿が私を咎人として連行してきただなんて。そんな話聞いたことがない。デュソルバート殿からそんな話など……。
「整合騎士の誕生に関わる記憶は整合騎士であれ消される。だからあの人もアリスを連行したことなんて覚えてなかったよ」
「そう……ですか……」
「公理教会は……いや、最高司祭アドミニストレータは、自分を絶対に裏切らない忠実で強力か駒として整合騎士を作ってるんだ。偽りの記憶を与え、偽りの忠義心を作る」
「信じられません! そのようなことなど!」
「だがこれが真実なんだ! だから俺とユージオは整合騎士と戦ってでもここまで来た! 最高司祭を倒し、公理教会を正すためにも!」
キリトの目は嘘をついている者の目ではなかった。彼が語っていることはおそらく真実。でも、そんなの受け入れられるわけがない。私達の存在意義が揺らがされる。公理教会へのこの忠義心も偽りだなんて。
「いずれ戦争が起きる。それを迎えるのに整合騎士だけじゃ勝ち目なんてない。最高司祭は端から人界を守る気なんてない。最高司祭が守りたいのは自分なんだからな」
「……たしかに、騎士長も戦争のことを危惧していました。何度も最高司祭様に打診したとも……。ですが我々整合騎士がいなければ、すでに人界はダークテリトリー軍に攻め込まれているのも事実です」
「それは……」
キリトが言い淀む。おそらく、私達の存在ですら本来いない方が良かったのかもしれない。上流貴族たちが堕落したのも、公理教会という大きな存在があり、整合騎士という守護者がいたことが関係しているのかもしれない。
そこまで考えて、もう一度私の本来の記憶のことを考える。"セルカ"。大切な妹の名前。毎朝、毎晩呼んだ名前。思い出せないのに、その事は覚えている。自然と涙が頬を伝い始める。
「見るな!」
こんな姿など誰にも見られたくない。キリトに強く叫び、抱えていた膝に顔を埋めて嗚咽を漏らす。声を抑えようとしても完全には抑えられない。私の中に無いはずの妹を想う感情に従い、私は涙を流し続けた。
しばらくして涙も止まり、心もひとまずは落ち着かせられたところで私はキリトへと問うた。私はまたセルカに会えるのかと。
「……セルカに会えるのは……君であって君じゃないんだ。アリスの記憶を戻した時、今の君の人格は消滅する」
「そう……ですか……」
私がいなくなる。それはつまり、私はジークともう過ごせないのだ。共に過ごした時間は余りにも短い。もっと彼と話をしたいのに、もっと彼といろんな場所に行ってみたいのに。それを望んでは……いけない……。
「一つ……お願いがあります」
「ああ」
「記憶はすぐに戻さないでほしいのです。……遠目でいい。離れた位置から見るだけでいいので、セルカの姿を見させてください……」
「ああ。約束する。でも……その……
何がとは聞き返さない。キリトが躊躇いながらも言ってきたことが何を指してのことなのか、そんなの分かりきっているから。キリトたちの目的の一つに、私の記憶を戻すというものが入っている。だから彼らは実行するはず。
『アリスに会いたいからここまで来た』
──っ!
優しく笑いかけるように言ってきたジークの言葉が脳裏に蘇る。唇を痛いほど噛みしめる。ジークが無茶をしてまで会いに来てくれたのに、私はこの体を"アリス"に戻さないといけない。だから……。
「
「……分かった」
──ごめんなさい……ジーク
優先するのは私情じゃない。本来の持ち主に体を返す。当然のことをするまでのこと。もういいじゃないか。過ごした時間は短いけれど、その内容が濃かったのだから。騎士として生きてから今までの中で、最も濃くて暖かい時間を過ごせたんだ。これ以上欲ばってはいけない。
「私は今を持って騎士の使命を──ッ!?」
公理教会への疑念、最高司祭様への疑念。それらを考え、使命を捨てようとした途端に眼が焼けるように熱くなる。。激しい痛みで、まるで警告してるようなもの。それに、何か文字が見える……。これはいったい……。
「これも……最高司祭様が……?」
「おそらく違う。この世界を作った神の一人が作ったんだと思う」
「神……が。ふざけるな! 私は……私達は人形などではない! こんなものを作って、記憶も忠誠心も偽りで……思考まで奪おうなんて!」
「それ以上考えるな! 右眼が吹っ飛ぶぞ!」
私の異変に気づいたキリトが静止を呼びかける。この痛みに逆らうと右眼を失うのだと。なればこそ、私は公理教会への、最高司祭様への疑念を明らかにしないといけない。向き合って確かめなければならない。問いただし、最高司祭様の真意を知らなければ、人界のこの先について考えられない。
──だから!
「最高司祭アドミニストレータ! そして世界を想像した名も知らぬ神よ! 私はあなた方と戦います!」
意志を強く示し、そう宣言した途端右眼に耐えられないほどの痛みが走った。私が認知したのはそこまでで、私はその痛みに耐えきれずに意識を失った。
☆☆☆
私が眼を覚ましたのは、ちょうど《暁星の望楼》に着いた時だった。キリトに背負われてここまで来たらしい。一応礼を言って即刻下ろしてもらい、右眼に触れる。そこには布で作られた眼帯があり、それもまたキリトが付けたのだとか。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして」
「おっ、やっぱここで合流できたか」
「ジーク! 怪我はありませんか?」
ジークが私達へと声を掛けながら歩み寄って来る。私もジークの方へと近づき、ジークの両腕に手を添えながら彼の体を細かく見る。見た感じ別れる前と違いはないのだけど、ジークなら見えないように隠してるかもしれない。それをジークに聞こうと顔を上げると優しく頭を撫でられた。
「ジーク?」
「よく頑張ったなアリス。
「っ! 知っていたのですか?」
「聞いただけだよ」
ジークの優しい手つきに目を細めていたけど、右眼のことを言われてすぐに目を見開いた。聞いただけというのは、ユージオから聞いたのだろうけど……。それなら全て知っていると考えた方がいい。だから、私はこの戦いが終わった後どうするのかをジークに打ち明けることにした。
「あのね、ジーク……」
「うん」
「私……
精一杯の笑顔でジークに私の決意を伝えた。私はいちゃいけない存在だから。勝手に奪ってこれまでの時間を使ってきた不届き者だから。それを元に戻すだけ。ジークならそれを分かってくれる。だってジークは──
「アリスはそれでいいのか?」
「え、うん。今そう言ったでしょ? これが私の意思で──」
「
「ぇ……?」
──やめて……
「なんで
「何……言って……」
──やめて……!
「アリスは嘘つくの下手だよな。三年前もそうだったけどさ。俺が分からないわけ無いだろ?」
「なんで……」
──私の心を暴かないで!
「アリスの本音は──」
「違う! 違うのジーク! 私は嘘ついてない! この体は
私の言葉が詰まった瞬間ジークに引き寄せられて抱き締められる。ジークの腕の中に収まって、ジークの胸に顔を埋めて。こんなことされたらせっかく作った壁が壊されそうで。
「アリス。なんで偽物は駄目なんだ? なんでアリスはいちゃいけない存在なんだ?」
「だっ、て……奪い取った……から、この名前も……私のじゃ、なくて……」
「アリスという名前はたしかにアリス・ツーベルクの名前だろうな。でも、アリス・シンセシス・サーティ。君の名前でもあるんだ。そして俺が知ってるアリスは、アリス・シンセシス・サーティ。君なんだよ。俺にとって今ここにいる
「ぁ……っ……」
なんで……なんでジークはいつも私に優しくしてくれるの。なんで私のこの心に優しさを、温もりを注いでくれるの。なんで私が欲しいものを与えようとしてくれるの。なんで……こんなこと……されたら……。
「整合騎士としての判断はさっき言ったことなんだろうさ。だから、今度は一人の少女としての
言っちゃいけない。私が望んじゃいけない。私は消えないといけない存在なのだから。
でも、ジークの瞳は吸い込まれそうで、それでいて私という重荷を受け止めてくれそうなもので。
──私は……
「きえたくない……わたし、きえたくない! もっと生きたい! もっとみんなと過ごしたい! もっと人界を愛したい! もっとジークと共にありたいです!」
私は全てを吐きだすようにジークに想いをぶつけた。ジークは暖かく微笑んでくれて、私の髪を撫でる。
「ああ。アリスはそれを望んでいいんだ。そのための障害は全て俺が壊すから。言ったろ? アリスは俺が絶対に守るってさ」
「うぁっ……ぁぁぁああ……!」
さっきいっぱい涙を流したのに、また涙が溢れてくる。私はジークに縋り付くように服を掴んで、ジークの胸で涙をこぼし続けた。そんな私をジークを力強く、でも優しく抱き締めてくれた。
「そんなわけだキリト。この戦いが終わったら、俺はキリトとユージオの敵に回る」
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15話 誓い
腕の中にいるアリスの髪をそっと撫で続ける。アリスは真面目過ぎる子だし、私情よりも役割を優先しようとする。だから、自分が消えるという道を選んでいたわけだし、それを告げるのに相当心を押し殺したはずだ。優しい子だから。そんなアリスを消すなんてことは俺にはできないし、させる気もない。たしかに今ここにいるアリスがアリス・ツーベルクから居場所を奪った。それは否定しようのない事実だ。だが、消えていい生命なわけがない。そんな生命などこの世に存在しない。たとえどんな悪であろうと、見る位置を変えればたいていが正義だ。正義のない悪のみが許されない存在だろう。
──建前なんていくらでも言える。だが、重要なのは本音だ
「そんなわけだキリト。この戦いが終わったら、俺はキリトとユージオの敵に回る」
「だと思ってたよ」
肩を竦めてヤレヤレと首を振ったキリトは、それでもどこか嬉しそうに頬を緩ませていた。キリトの本音は「選べない」なんだろうな。だからこそアリスの事はユージオの意志に委ねようとしていたのだろう。アリスの記憶を戻し、取り戻すためにここまで来たユージオを優先する。それがキリトの考えだ。
そして俺の考えは記憶を戻さない。俺が知っているのはこのアリスだけだから。強くて優しくて、そして弱いこの子だけだ。だからこそ俺はこの子を守る。たとえ戦友を敵に回しても、ユージオの意志を蹴り倒してでも。そんな俺の考えはきっと"俺らしい"のだろう。キリトがどこか嬉しそうにしていたのも、俺が変わらない言動を取るからかな。
「んっ、ジーク。もう、大丈夫です」
「そう? っとアリスジッとして」
顔を上げたアリスに腕を離してくれと頼まれたので、俺はそれに従ったが、アリスの顔を見て止まるように言った。涙の跡があるから、それを拭くためだ。ポケットからハンカチを取り出し、そっと拭いてあげる。俺がハンカチを持っていることにキリトが驚いていたが、俺も驚きだ。シェスキ家に滞在していた間にハンカチを持ち歩くように習性が付いたのだから。元々は持ち歩いてなかった人間だからな。その度に母さんに腹パンされるんだがな。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
「なぁジーク。ユージオはどこだ?」
「あーそうだった、そうだった。それについて俺も相談したいことがあってな」
「相談したいこと?」
「ここで話すより、一回見てもらった方が早いな」
首を傾げるキリトとアリスを連れ、俺は下の階へと案内する。俺が二人に見せたいというか、相談したいことは風呂場で見たあの光景についてだからな。氷漬けになった大きな浴槽に石化した誰かがいるなんて、口で説明して説明しきれるわけがない。
俺のすぐ横をアリスが歩き、キリトは一歩下がった位置で着いてきてる。なんかキリトが後ろにいるのは慣れないというか、蹴りたくなるな。いつも俺が後ろからフレンドリーファイアしてるから。だが、今回は俺が案内しないといけないから仕方ない。我慢するとしよう。
「ん? アリスどうかしたか?」
「い、いえ。なんでもありません」
袖を握られたから何かあるのかと思ったんだが、アリスは何でもないという。ならなんで袖を掴んだのかと聞きたいが、それは聞かないほうがいいんだろうな。それに、なんとなく分かる。以前同じようなシチュエーションもあったからな。これでもし違ったら俺は恥ずかしさでさっきの場所からスカイダイブしてやる。
「っ! ジ、ジーク!?」
「俺がこうしたいから。駄目か?」
「……どうしてもと言うなら仕方ありませんね」
「ははっ、ありがとう」
袖を掴んでいたアリスの手を握る。きっとこうするのが正解だろうからな。プライドか、恥じらいなのか、アリスの方からは来なかったから、俺からのお願いという形でこうする。アリスは仕方なしに許可しているという体で応じて顔はそっぽを向いた。それでも頬が緩んでいるのは見て取れるから、これで良かったのだろう。
後ろでキリトが「コーヒー欲しい」なんて呟きやがったが、言わせてもらおう。お前は普段からこれ以上に甘い展開を見せつけてきているのだと。しかも相手がコロコロ変わっているからな。本当にお前は刺されないのが不思議だわ。いつか刺されてしまえ。……あ、こいつリアルでラフコフのメンバーに刺されたんだった。
「着いたな」
「ここは?」
「大浴場になってたんだが、ま、俺が言いたいことはすぐに分かるさ」
「……っ! これは、冷気か?」
扉から漏れる白い煙。それは大浴場の湯気じゃない。ユージオの力によって凍らされた浴槽からから漏れでる冷気だ。俺が先に中に入って、手を繋いでいるアリスがその後に入り、キリトが続いて入ってくる。アリスは鎧を着てるからマシかもしれないが、ただの服を着てるだけの俺とキリトは普通に寒い。マジで寒い。できれば即刻出たい。
「氷ってことはユージオがやったことだと俺は思ってたんだが、合ってるか?」
「……ああ。ユージオの《青薔薇の剣》もあるし、間違いないだろう」
「あれそんな名前なのか。キリトのは?」
「黒いやつ」
「死ね」
「辛辣!! まだ名前を決められてないだけだから! ちゃんとしたやつをまだ考えられてないだけだから!」
いや自分の剣の名前を黒いやつって呼ぶとか、どうかしてるとしか思えないな。しかもなんだよ、『ちゃんとしたやつを考えられてない』って。変なやつなら考えついてるみたいじゃないか。みたいじゃなかったか。黒いやつだもんな。
俺とキリトが茶番していると、右手が強く握られた。もちろん握ってきたのはアリスだ。アリスの方に視線を向けると、信じられないものを見るような目である一点に釘付けになってた。その視線をわざわざ追わなくたって分かる。石化してる誰かなのだろう。俺は黙って足を動かし、アリスと共にその石化した人に近づく。ある程度近づいたところで足を止め、アリスとも手を離す。その瞬間アリスはその石化した人に駆け寄った。
「小父様!」
「その人は?」
「騎士長ベルクーリ閣下です……。なぜ小父様がこのような目に……!」
「キリト。ユージオが石化させられる可能性は?」
「ないな。俺もユージオもそんな高度な術式は知らない」
「……元老長です」
ないとは思っていたが、一応キリトに確認してみるとやはりユージオの仕業ではなかった。まぁ、愛剣を放ったらかしにして姿を消すわけもないしな。ならやはり別の誰かになるわけだが、アリスが答えを出してくれた。元老長なんて言われても俺は全くピンと来ないんだけどな。ユージオから細かく教会の構造を聞いておけばよかった。……ん? 過去に聞いたこともあったような……。忘れてるだけか。
「元老長や最高司祭が使用できる高位の神聖術だと聞いています。ですが、最高司祭アドミニストレータはあの場から出ることはない。自ずと元老長だと絞り込めるのですが……、こんなことを……小父様がこんなことをされる謂れはありません!」
「アリス……」
涙を溢すアリスに寄り添う。何か言える立場でもないし、何かしてやれるわけでもない。だから、ただ寄り添うことしかできない。己の無力さを痛感しつつも、そんな弱音をアリスに悟られないように振る舞う。
アリスが溢す涙が騎士長へと落ち、まるで呪いが解けるようにその箇所からひび割れていき、騎士長の首から上の石化が解ける。石化してる状態では分からなかったが、その眼を見ればよくわかった。この騎士長の器の大きさも強さも。とても俺では敵わないだろうな。ところで騎士長さん。開口一番がアリスに向かって「泣いたら美人の顔が台無しだぞ」って、あんたもなかなかに誑しだな。
「嬢ちゃん……右眼の封印を……破ったのか。このオレが……三百年かけてできなかった……ことを……」
「小父様……」
「……横にいるのは……そうか、
「え、どゆこと?」
「気にするな。大したことじゃ……ねえから」
そう言われた方が余計に気になるんですけどねー! すんごい思わせぶりなことを言っておいて、大したことじゃないってどういうことだよ! 絶対大したことだろ!
俺の心中を思いっきり叫んでやりたかったが、今はそういう状況じゃない。俺もキリトも完全に部外者だ。アリスに騎士長と話してもらおう。石化を解いたのも一時的なことだろうからな。
「嬢ちゃんなら……できる。公理教会の過ちを……正し……。歪んだ世界を……導くことが……」
「……私には……」
「一人で……やる必要は、ないさ。そうだろ? ボウズ」
「全くその通りですね。すぐに一人で抱え込むのはアリスの悪い癖だぞ。それと騎士長。俺の名前はジークだからな」
難しいことほど。大きなことほど一人で何とかしようと考えるアリスの頭を軽く小突いて注意する。俺と騎士長に咎められたアリスはシュンとしたが、今回は放置だ。たまには反省してもらおう。
「俺と戦ったユージオのことだが、おそらく元老長チュデルキンに最高司祭殿の部屋へ……連行された。急げよ……記憶の迷宮に……囚われる前に」
「あぁ」
「それと、ジーク」
俺の名を呼んだ騎士長が目を鋭くして俺のことを見てきた。敵意があるわけじゃない。俺のことを見定めているのだろう。俺はそれに動じずにジッと見返す。間違った評価をくだされたって面白くないからな。ぜひとも俺という人間を理解してもらおうじゃないか。
5秒ほど見られたら、ふっと騎士長が口角を上げた。嘲笑われてるのでもなく、面白がられているわけでもない。騎士長の中で何か落ちるものがあったのだろう。
「なるほどな。
「マジで先程からなんですか?」
「ジーク。お前はアリスを守れるのか?」
俺の質問は無視ですか。そうですか。まぁ別にいいんだけどさ。だって騎士長と話せる時間ももう長くないんだから。俺の話に付き合せたら時間が足らないわな。
脳内で軽い調子で考えるのも程々にして、俺は表情を引き締め直して騎士長の目を見る。相変わらず鋭さが消えないその眼光に、俺は俺の意志を伝える。嘘偽りなく、ずっと決めていることをな。
「守れるかどうかのその質問に意味は無いですよ」
「……ほう?」
「俺はアリスを守る。誰が相手だろうと、どれだけ強い奴が立ちはだかろうと関係ない。俺は必ずアリスを守り抜く」
「くくっ、……なるほど……な。安心……したぜ。……アリスを……頼む」
「言われずとも」
再び石化した騎士長に、元老長の術式をかけられた状態から僅かな時間とはいえ自力で解除した騎士長に敬意を評すと共に、決意を己の心に刻みつけ直す。隣で涙を流すこの心優しい少女を何がなんでも絶対に守り抜くと。
「ジーク……」
「ん。おいで?」
「はい……」
敬愛する騎士長のこの惨状に心を痛めたアリスの髪をそっと撫でる。騎士長と話せたから、アリスも決意が固められたとは思う。だが、それはそれ。流れる涙とはまた別。だから俺は、アリスが弱音を吐ける場を作る。アリスが弱ったときに逃げられる場所である。そしてまたアリスが前を向けるように。
アリスが落ち着くのを待っている間に、キリトは《青薔薇の剣》を回収し、右腰に引っ掛ける。バランスを取るために調整してたってことは、神器ってのはそうとう重たいってことだろう。
「……剣を二本持つとは酔狂ですね」
「キリトだからな」
「それで俺の説明を片付けようとすんのやめてくれね? ユージオにこれを届けるために持ってるだけだからな? 神器二本はさすがに無理がある」
「でしょうね。秘奥義も使えないでしょうから」
秘奥義ってのはたしかソードスキルのことだったな。騎士たちはソードスキルをさらに昇華させてるようだけどな。ソードスキルとは思えないぐらいに威力が高いんだったか。秘奥義は単発系のしかないらしいけど。連続のは連続剣と呼んでるらしい。
で、二本だったら秘奥義は使えないと……。どうせキリトのことだから神器二本でも使うんだろうさ。知ってる知ってる。キリトは結局そういうのをできちゃう奴だってお兄さん知ってるよ。俺はやろうとも思わないけども。まず刀ほしい。
大浴場から出て上へと戻っていきながらアリスとキリトの会話に耳を傾ける。俺がちゃんと聞いたのは最高司祭の話ぐらいなんだけどな。アリスが記憶を失い、目覚めたばかりの時に話したことがあるということ。その時に抱いた恐怖心が、教会に従わないといけないとアリスに思わせたらしい。
「さっきのとこに戻ったが、この上が元老院なんだよな?」
「はい。元老院があり、最上階が最高司祭の部屋となっています」
「残り5階……。ユージオも上にいるわけだし、ちゃっちゃと行きますか」
「ジークはもっと緊張感を持ってください」
緊張感を持てと言われてもな。会ったことはなくても、たとえどれだけ長く生きてる奴が相手だろうと、同じ人間であることに変わりはない。どれほどの強さだろうと関係ない。持てる力のすべてを出し切って倒すのみ。油断なんてしない。そして、心には余裕を持って挑む。それが俺のやり方だから。口調が軽いだけでやることは重たく考えているから。
アリスがそれを知っているわけでもないから、こうして苦言を呈されるのも無理はない。キリトからのフォローが入ったところでアリスも渋々頷くってだけで、まだ「本当にこいつ大丈夫か」みたいな目してる。大丈夫だっての。信じていただきたいものだね。
そんなことをしているうちに一階分の階段を駆け上がり、元老院がある階にたどり着く。さっきの《暁星の望楼》までは豪華できらびやかな場所ばかりだったのだが、元老院はその反対だな。全く豪華じゃない。というか暗くて陰湿な印象を受ける。
「奥に扉があるが……、なんでここになっていきなり小さいんだろうな」
「さぁ?」
「二人とも意識を切り替えてください。元老院は私達整合騎士以上の神聖術を行使できます。ですが、近接戦は人並みです」
「なら近接戦に持ち込むしかないな」
「私が神聖術を防ぎます。その間にキリトが斬り込んでください」
たしかにアリスの《武装完全支配術》なら神聖術を防げるだろうな。応用が効くから。汎用性がずば抜けて高いのも《金木犀の剣》の強みの一つだろう。キリトは魔法系の敵を大の苦手にしているが、妥当な采配だ。キリトの剣がアリス以上に応用が効くなら話は別なんだけどな。これにはキリトもぶつくさ言いながらも納得した。我儘を言える状況でもないのだから。
「俺とキリトが前に出りゃいいってわけだし。分担すりゃ楽だろ」
「ジークは私の後ろです」
「はい?」
「武器を持っていないのだから当然でしょう」
「素手でデュソルバートさんと戦ったけど?」
「それで死にかけてたじゃないですか」
たしかに死にかけていましたけども。今はあの時と状況が違うじゃん。キリトもいるし、アリスもいる。元老院の数は知らないけども、二人だけに戦わせるのはなんか違う。戦いの勘だって戻ってきてるから、デュソルバート戦よりは負傷せずに済むはずだ。何よりも、アリスの後ろにいてはアリスを守ることができない。
だからここは譲る気なんてない。アリスに何と言われようと俺は前に出て戦う。神聖術だって俺は習ってないからどういうのがあるのかなんて知らない。そもそもリソースが少ないこの場では悪手にしかならない。前に出て戦うしかないし、俺もそれ以外できない。アリスに目でそう訴えるも、アリスだって譲る気はないらしい。折れることなく目を見返してくる。そんな俺たちの仲裁をしたのはキリトだった。折衷案も提示してきたしな。
「ジークは一回しか戦ってないんだろ? 経験が少ないわけだし、最初はアリスの後ろにいてくれよ。そこから状況に応じて動く。それでどうだ? ジークなら見てるだけでも掴めるものがあるだろ」
「……はぁ。俺はそれでいいよ」
「キリト、ですがそれでは結局ジークが……!」
「俺達で全部できるならジークも動かなくて済む。そうだろ?」
「それもそうですが……分かりました。ここで時間をかけるわけにもいきませんしね」
俺もアリスもキリトが出した案に納得するということで戦法が決まった。冷静に考えてみれば、後ろなら後ろで全体の様子が見れる。それはそれでアリスを守ることにも繋げやすい。
俺達はキリトを先頭にして、身を屈めないと通りにくいほどに、妙に小さい扉を通って元老院に突入した。
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16話 vs元老長チュデルキン
それと、あとがきにてちょっとしたお知らせです。
元老院。そんな言葉を聞いても脳内に浮かぶのは、ローマ帝国の元老院なんだよな。そしてイメージとしては腐った時代の元老院の方が強い。そのせいもあってか、この世界の元老院も良いイメージがない。そもそも騎士長を《ディープフリーズ》させたのが元老長と聞いては、イメージも元から悪くなるというものだ。
そしてその悪いイメージを助長させているとも言えるのが、この薄暗い空間だろう。元老院へと入る扉があった通路と同様に、元老院の中も薄暗いものだ。部屋の中はそれなりに広さもあるが、それ以上に
そして、気味が悪いことに四角い箱のような場所があり、そこにあるものを見るといかにこの世界が腐っているのかが分かる。そこにある……いや、
「ここが……元老院なんだよな? 誰もいないようだが」
「ですが術式は唱えられています。それもいたる所から」
まだ目が慣れていないのか、それともただ気づいていないだけなのか、キリトとアリスは元老院の姿を認識していなかった。俺は二人に気づかせるためにキリトの前に行き、一番近い元老院の人間の前で止まった。
「ジーク勝手なことを……! ……なん、ですか? それは……」
「な、生首!?」
「これが元老院の姿なんだろうぜ。記憶を奪い、理性を奪い、感情も奪い。ただ与えられているのは動物以下の食事と何かの術式をひたすら唱えるという仕事」
「そん、な……。このようなことなど!」
この光景を生み出しているのも最高司祭アドミニストレータなのだろう。そしてこれを是としているのが、この元老たちの長である元老長だ。元老長はもしかしなくても元老を仲間だとは思ってないんだろうな。組織としての名ばかりの部署が元老。それを名目上束ねる立場に収まっているだけ。
「システム・コール……ディスプレイ・リベリング・インデックス」
「ん?」
「今のは……!」
「キリト知ってるのか?」
「ああ。ユージオが右眼の封印を破って学院で剣を抜いた時のことなんだが、あの一件の時にたしかに今の術式を聞いた。……思い返せばその時に見えた姿と変わらないな。てっきり素顔を隠すためのものと思ってたんだが……」
「人界をこれで細かく見張っていたということですか。何かの数値を見るための術式のようですが、それが何かまでは……」
なるほどなるほど。罪人をどうやって速攻で見つけ出し、カセドラルへと連行してきていたのかが疑問だったが、どうやらこの術式で見つけ出していたようだな。数値はおそらく犯罪指数かなにか。それが一定の数値を超えれば《禁忌目録》に違反したということになる。一人ではなく元老全員でやっているのであれば、見逃すはずもない。
だからこそ、八年前にアリスが《禁忌目録》に違反した次の日に、北の辺境であるはずのルーリッド村にすぐさまデュソルバートが駆けつけた。一番近かったとはいえ早すぎる。キリトとユージオに関しても同様だ。央都であるとはいえ、夜が明けたら捕まってた。
「機械的な処理をさせるために文字通り装置にしたってわけか」
「効率はいいだろうが、倫理からはかけ離れてるな。……あー、なるほど。最高司祭は
「……これが救済だとは思いませんが」
「アリス?」
静かに《金木犀の剣》を抜いたアリスは、目の前にいる元老の胸に突き刺した。たしかにこれでこの元老は"死"という方法で役目から解放されるだろう。しかし、アリスが言ったとおりこれは救済にはならない。戻す手段を知らない俺達はこれ以外の方法を知らないしな。
「ホアーー! いけません! いけませんよ最高司祭猊下ァーー! そのような……ホアーー!!」
「キモっ!」
なんだこの、まるでオタクが推しに直接出会って言葉を交わすだけでなく肌に触れた時みたいな反応は! そんなやつ見たことないからこの例えがあっているのかも分からないけども!
あまりにも気持ち悪かったから思わず声に出してしまったが、キリトも頷いてくれてるし、そう思ったのは俺だけじゃないだろう。アリスも目が鋭くなったし。いや、アリスがそうなったのは別の理由か。この元老院で声を発せられる人間は一人しかいない。つまり、この声の主は元老長だ。騎士長を解放するためにも元老長は見つけ出さないといけなかったし、意識を切り替えたんだろう。
声がする方向にアリスが歩いていき、それにキリトが続く。俺もそれについていくのだが、
『──!』
「っ!?」
「ん? ジーク? どうかしたのか?」
「……いや、なんでもない」
何かが聞こえた気がして後ろを振り返ったが、そこにはもちろん誰もいない。誰もいない
だが、今はそれよりも元老長だ。俺は視線を戻してキリトと共にアリスの後を追った。先行したアリスがある地点で立ち止まっており、そこにはまた小さな扉があった。その先には部屋があり、趣味の悪い調度の金色の家具だらけ。ぬいぐるみや人形、おもちゃなどもあるが、どれもよく分からない姿をしている。そんな部屋から聞こえてくる奇声。それが元老長の声で、何かに夢中になっているらしい。言葉からして最高司祭が何かしているらしいが、最上階にいるはずだからこいつは覗き見しているのだろう。変態だな。
「ありゃ、アリスが行っちゃった」
「追いかけるぞ!」
扉を潜り、たった二歩で元老長に近づき、元老長が振り向こうとした時にはアリスが首を掴んで吊し上げ、剣を突き立てていた。それに少し遅れてキリトがアリスの後ろに着いたが、俺は動かないでいた。元老長が何かするのなら、三人固まっていては敵にとって好都合だろうからな。それに、なんか俺はこっちにいた方がいい気がする。さっきの幻視がまだ脳内に再生されるからなのかもしれないな。
「お前! 三十号! なぜこんなところにィ! お前のすぐ後ろにいるその男をなァぜ斬らない!!」
「私を番号で呼ぶな! それにこの男を斬るよりも、貴様を斬ったほうがいいと分かりました。この歪んだ人界を正すためにも!」
「裏切るというのかァァ! よりにもよって最高司祭猊下をォ! 貴様ら騎士は黙って我々に従っていればいいものを!」
「それも貴様らがシンセサイズによって植え付けたものであろう!」
「なぜそれを!」
あのクソ丸デブ野郎。アリスのこと三十号って言ったか? 今三十号って言ったよな? アリスという名前を呼ばずに番号で呼んだよな。たしかに騎士たちの名前の最後のは数字だったけども。何番目に騎士になったかを表しているというのはすぐに分かったけども。だがしかし名前はちゃんとある。それにも拘わらずあのクズはアリスのことを番号で呼んだ。エアリーの名前が消えたのも、こういう奴が上にいるからってわけか。
「アタシは今でもくっきりと思い出せますよゥ? 幼く無垢で可愛らしいオマエが、ぼろぼろと涙を溢しながら何度も何度も懇願するさまを……『お願い忘れさせないで。私の大切な人たちを忘れさせないで……』とね。ホホホ」
あの幻視がまた脳内で再生される。今度は声もついて。そしてアリスの姿がはっきりと映って。
「おほ、おほゥ、思い出せますとも! アタシャ今でもあの光景を
騎士のアリスがどうやってあの方法でセントリアに来ていたのか。それは謎だった。だって真面目過ぎる性格なのだから、抜け穴を使ったあの方法を思いつくわけがない。その答えは今わかった。記憶を失う前に同じことをしていたというだけの話だ。
だが、今はそんなことはどうだっていい。
──いったいどれほどの絶望だったのだろうか。
──いったいどれほど哀しんだのだろうか。
側面を変えれば悪に見えるものも正義に見える。そう考えてきた。どうしようもない悪なんて、もしかしたらないのかもしれないと。だが、それも夢物語だった。あそこにいるあのピエロ野郎はどうしようもない悪だ。タイプは違えど、アドミニストレータもその類いなのだろう。
「お前は今奇妙なことを言いましたね。強制シンセサイズと。まるで強制でない儀式もあるような口ぶりではないですか?」
「ホ、ホ、案外耳ざといのですねェ。そうですよ。六年前のお前は、通常のシンセサイズに必要なナイショの術式をガンとして拒みましたからねェ。自分の天職はまだ故郷の村にあるから、あんたの命令を聞く必要はないわ! なんてことを、このアタシに言いやがりましたんですよゥ」
昔のアリスじゃなくても、今のアリスでも口調が違うだけで同じことを言いそうだな。
「まったく糞生意気なガキでしたよゥ。よっぽど最高司祭猊下にお目覚めいただこうかと思いましたけどねェ、それは儀式の準備が完全に整ってからっていう決まりになってましたからねェ。そこで仕方なく、自動化元老どもの任務を一時停止して、オマエのだぁーいじな物を守る心の壁を術式でこじ開けたんですよゥ。ま、そのおかげでアタシも、めったに見られない見世物をたっぷり楽しめましたけどねェ! ホヒー、ホッホーー!」
俺が激情にかられないように自分を制御している間にも、クソ丸デブ野郎こと元老長チュデルキンの話は続いていた。アリスがシンセサイズされる日。アリス・ツーベルクは心の壁を築くことで抵抗したということ。それを三日三晩かけて元老全員で強制的に引き剥がし、強制的にシンセサイズしたということ。つまり、俺がさっき幻視したあの光景は、アリスが強制シンセサイズされていた時の光景らしい。
そして、気を失ったアリスをチュデルキンがアドミニストレータの所へと運び、次に会った時は自分を天界から召喚された騎士だと名乗っていたと。それが滑稽なんだとか。あぁ、滑稽だな。自分の位に居座るだけで愉しめるというのだから、そんなお前は本当に滑稽だ。
「チュデルキン!」
「ホッホー! 神聖術だけが脳じゃないんですよゥ! 追いかけたいのならぜひとも追いかけるといいのですよゥ! たぁーっぷりもてなしてあげます!」
アリスがチュデルキンの体を斬ったことで、煙幕が発生した。道化師の見た目通り手品も得意らしい。そしてチュデルキンは隠し通路から逃亡したと。
俺はアリスが剣を振るったと同時に駆け出していた。部屋の中に
最上階に行くための通路があの隠し通路だけなはずがない。この場でシンセサイズに必要な準備を整えたとして、最終的に行うのはアドミニストレータだ。そしてアドミニストレータは最上階から出ない。そしてシンセサイズされる者の年齢はバラバラ。あのチュデルキンのサイズに合わせて作られた通路しかないのはおかしい。だから別に通路があるはずだとふんでいた。というか、まず最初に上に行くための通路は探していたしな。
元老長と騎士長はあくまで横並び。この関係を知っていたのも役に立った。横並びなのに、騎士長が頭を下げるような大きさの通路しかないのは道理に合わないからな。
「ホッホー! 久々に思い出しましたよゥ。何度思い出しても最ッ高の見世物でしたねェ!」
「最後に愉しめてよかったな」
「は? ぼはぁっ!」
自分が通った通路から追いかけてくるとふんでいたチュデルキンは、別の通路から追いかけた俺のことに完全に気づいてなかった。全速力で追いかけ、その勢いのままにチュデルキンの顔面を蹴飛ばす。クリーンヒットしたチュデルキンは壁へと衝突し、口から血を吐く。赤い床に少し違う色が混ざったな。汚い。
「元老たちの惨状。騎士長への不敬。それ以外にもいろいろとあるが、何よりも──アリスを嘲笑ったことを赦すわけにはいかない」
「くっ、ククッ。あの人形に情でも抱いたんですかァ!? お前も大概に頭のおかしい野郎ですねェ!」
「遺言はそれでいいか?」
「ホーッホー!! 怒ればアタシに勝てるとでもおーもっちゃってるんですかねェ! お前みたいなザァーコは指一つで倒せますよゥ!」
「やってみろよブサイク」
気味が悪いくらいに口元を歪めたチュデルキンは、宣言通り片手を突き出す。手が開かれ、指先には元素の光が灯る。あの色は何だったっけな。忘れたが、なんでもいい。殴り殺そう。
「システム・コォーール!! エアリアル・エレメント・ブレード!!」
チュデルキンの指先がそのまま端末になってたらしい。そして、今放たれた神聖術は、"エアリアル"と"ブレード"の言葉があったことから、かまいたちだと予想される。
かまいたちは条件が整えば大木だろうと切り倒す。チュデルキンが放ったものがどの程度化は知らないが、まともに受けたらもしかしたら体が分断されるかもしれないな。
だが──
「それがどうした」
「は?」
遅い来る刃に対して握りしめた拳をぶつける。俺がやったのはそれだけだ。ぶっちゃけ腕一本持ってかれるのは覚悟していたが、刃に当たった拳の表面が切られた程度で済んだ。そのことにチュデルキンは口を開けてるが、俺だって不思議だよ。だが、分析するのなんて後回しだ。チュデルキンが固まってる間に距離を詰めよう。
「なんなんですかァ! お前はァァ!!」
「知るかボケ!」
怒髪天とばかりに顔ごと赤くなったチュデルキンが新たに神聖術を行使する。指一つというのはもう諦めたらしい。今度は右手の指先全てを端末として利用してくる。前方から横倒しになった竜巻が迫っくる。これはさっきみたいな単発じゃないから相殺なんてできないだろう。
──だから、突っ切ればいい
アリスがここにたどり着くまでにこの戦いは終わらせる。アリスに怒られるから、なんて理由じゃない。傷を見られた時点で察せられて説教があるのは分かりきってるのだから。
──アリスに今の
──憎悪に染まった今の状態を
自殺行為だろう。チュデルキンはアドミニストレータに次ぐ術者だとアリスは言っていた。そのチュデルキンがまだ本気ではないとはいえ、どう見ても高位な術式を放っているのだ。威力だって見かけに劣ることなんてない。体の至るところが切り刻まれる。
だがそれがどうした?
アリスの痛みに比べればこんなものかすり傷でもない。
「鬱陶しいんですよゥ! さっさとくたばれェ!」
さらに威力が増す。進められていた足が止められそうになる。
──この程度の風がなんだ?
──フレニーカの涙も、ロニエとティーゼの涙も、ユージオがここまで努力してきたのも
──アリスが苦しんだのも
──こんなやつが上位にいるからだろ!
「鬱陶しいのは!」
足を動かす。出血しても血は体につかず、すぐさま後方の壁へと叩きつけられる。だが、俺は止まらない。止まってなんかやらない。勝利を掴んだと思っているあの憎たらしい顔を殴り飛ばすからな。
前へ進むどころか俺の速度がさっきよりも加速する。チュデルキンを追いかけてきた時よりも足に力が入る。足が止まりかけてから、三歩目で竜巻を抜け、チュデルキンの目の前に出る。
「お前だ!」
驚愕に染まり、憎たらしそうに表情を歪め始めるチュデルキン。俺はその表情が変わり切る前にその顔面に拳を叩き込む。腕をまっすぐ振りぬくのではなく、当たる直前から右腕を反時計回りに捻ることで威力を上げる。左腕は自分の方に引き、腰も回す。たった一撃だろうと、最大限の威力を出すためなら体全体を使うのは当然だ。
身長差からアッパー気味になり、チュデルキンの足は床から離れて部屋の奥へと吹き飛ぶ。そこにもまた扉があり、そちらへとチュデルキンは頭から突っ込む。
だが、チュデルキンが扉に激突することはなかった。丁度その奥から現れた人物が軽々と受け止めたからだ。
「……お前」
☆☆☆
チュデルキンを追うためにジークにも声をかけようと思って振り向いたけど、そこにはキリトしかいなかった。どれだけ呼んでもジークは出てこなった。それもそのはずで、ジークはジークで行動していた。それに気づくのに少しずつ時間を要し、私とキリトは一歩目を遅れる形となり、チュデルキンが通った通路を所狭しと通ることにした。
「……ジークはなぜ先に行ってしまったのでしょうか」
「チュデルキンと戦うためだろうな」
「それは分かってるのですが……」
私の先を進むキリトが前を向いたまま言葉を返す。そもそも狭過ぎて振り返ることもできないのだから当然なのだけど。
ジークはすぐに無茶をする。だけど、今回のは何かが違うと思う。カセドラルに入ってきた時にデュソルバート殿と戦ったのとはまた違う何かで。それは分からないけど、それがあって一人追いかけたのだと思う。
「……ジークは大切な人のことを貶されたり、その人の想いを踏み躙られるのを誰よりも嫌うんだよ」
「え?」
初めは明言を避けていたような印象があったキリトだったけど、自分の中で整理したのか、言葉を選ぶように話してくれた。
「逆鱗って言ってもいいかな。それにチュデルキンが触れたから、ジークは何も言わずに追いかけたんだろうぜ。今回の場合はアリスの過去の話だな。そして、一人で行った最大の理由は
「どういうことですか?」
「ジークは自分で『怒ってる』と言う時は、まだ怒りきってないんだよ。だが、今回は黙って行った。それはつまり最大に怒ってるってことだ。それをジークはアリスに見られたくないんだよ」
「それは……なぜですか?」
「……ある時、その状態のジークを見た人が言ったんだよ。『
『鬼人』……。それはつまり、ジークが怪物のように見られるほど普段からかけ離れているということ。ジークはそれを私に見られないように先行したと。……そんなの関係ないのに。どんなジークでもジークなのに。
正直に言ってそれを素直に飲み込めるわけじゃない。だって、あのジークがそんな言われ方をするほど豹変するだなんて思えないのだから。それよりも、なぜキリトはそれを知っているのだろうか。いったいいつジークと出会い、何があったのだろうか。それを聞こうとしたところで、キリトがこの狭い通路を抜け出した。
時間切れだ。私は戦いに集中するために思考を切り替える。私も通路から抜け出し、体を起こした。さっきまでとは違い、また明るい場所へと出たのだけど、私が視線を上げたと同時に
それは物ではなくて人で。
壁から剥がれ落ちるように床に倒れ伏したのは私がよく知る人物で。
「ジーク!」
私はすぐに駆けつけて神聖術を行使して傷を癒やす。体の至るところが切られており、また無茶をしたのだと理解した。
キリトは剣を構え、私達を守るように立ったけど、その目は信じられないものを見るように見開かれていた。
その視線を追ってその理由を理解する。
そこにいたのは、ジークにやられたのか、殴られた跡がありフラフラになっているチュデルキンと私達と対峙するように立つキリトの相棒、
──ユージオだった。
準備段階ではありますが、卒業論文の方に取り掛かっていきますので、申し訳ありませんが更新ペースが落ちます。息抜きであったり、一段落付いたりすればまたバーっと書こうと思ってます!
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17話 vsユージオ
そんなわけで投稿できました。
油断したわけではない。猪突猛進でチュデルキンと戦っていたが、一応理性は残していた。何か仕掛けられたらそれを避けられるようにな。さすがに自分の天命ぐらいは気にかける。見誤ってる可能性も十二分にあるが、気にかけないにこしたことはないからな。
だから向こう側からユージオが出てきても、警戒を解くことはなかった。鎧を着ていなかったはずのユージオが、鎧を着て出てきたのだから。いかにも整合騎士らしく、優先度の高そうな鎧だった。チュデルキンを助けたことを考えても、敵だと判断できた。
ただ、ユージオが強かっただけのことだ。
「何のつもりだユージオ。そちら側に寝返るのか?」
「寝返る? 何を言っているのかは分からないし、君のことは覚えていないけど、僕はあの人のために戦うだけだよ」
「なるほど。とりあえず意識を刈り取ればいいか」
ユージオと戦っている間にチュデルキンが逃走する恐れもあったが、気絶してくれているようで、その心配はいらなかった。これでユージオとの戦闘に集中できる。
俺はユージオと全く絡みがない。躊躇う理由もない。キリトの友人という認識だし、この状態ならキリトだろうとユージオと戦っているはずだ。だからユージオをチュデルキンへの道を阻む障害だと認識し、フラストレーションを維持する。
「その傷じゃ僕には勝てないよ」
「大口叩くじゃねぇか。ひよってた奴とは思えない、な!」
整合騎士となり、記憶を失ったからなのか。ユージオは自信に溢れていた。本人の本質として、嘘なぞつかないだろうから、それだけの自信とたしかな実力があるのだろう。だが、負けてやる気はこちらもない。チュデルキンとの戦闘で特攻をかましてたから傷も多いが、アドレナリンのおかげで体はまだ踏ん張れる。
床は蹴り距離を詰める。ユージオもまたチュデルキンを巻き込まないためか、単純に邪魔なのか、チュデルキンの体を壁に沿わせると同時にこっちに向かってくる。3秒もなく俺達は肉薄する。
俺の右ストレートをユージオは左腕で防ぎ、右拳を突き出してくる。俺は左拳でユージオの右腕を横から殴る。内側から外側へと力を加えてやることでユージオの狙いは反れ、俺の左肩スレスレを通り抜ける。俺は左拳を開き、掌をユージオの腹部へと添える。鎧の上からではあるが、デュソルバートの時と同じだ。中に振動を加えればいい。この技は止まっている状態だろうと関係ない。体重と力をきちんと移動させればいいのだから。
それを放とうとした瞬間にユージオの左腕で捕まれ、衝撃を伝えられないように止められる。ユージオはそれと同時に右腕でフックを仕掛けてくる。それを俺は右手で受け止め、ユージオの拳を握りしめる。
「なかなかやるね」
「ユージオもな。剣だけだと思ってたんだがな」
「剣があればもっと強い。それだけさ」
「そうかよ」
「君とこうして戦うのもいいんだけどね、もう終わらせるよ」
──なに?
そう言おうとしたんだが、その言葉を発することはできなかった。ユージオの放つ威圧が増大したからだ。何をする気かは分からないが、何かを仕掛けてくる。俺はこの状態からでも対応できるように何パターンか想定し、ユージオがどう動くのかを見極めようとした。
しかしユージオが繰り出したものは俺の想像を超えていた。いや、想像からズレていたと言った方がいいかもしれない。なんせ知らない攻撃である上に、受けても何か分からなかったのだから。
ユージオが何をしたのか分からないまま俺の胸部が斬られる。傷は深くはないが広い。流れ出る血を見たところでようやく脳が斬られたと認識し、体の力が抜け始める。チュデルキンとの戦闘による傷と今の傷。アドレナリンの誤魔化しも効かなくなったのと、出血の量だろうな。ユージオの顔を見ても、ユージオは表情一つ変わっていない。これが当然だと言われているようで腹が立つ。
「君も強かったよ」
「うる、せ……ぐっ!」
ユージオの重たい拳が俺の腹部に食い込み、俺は吐血しながら後方へと吹き飛ばされる。あんな細い体のどこにそれだけの力があるのか。この世界にはまだ俺の知らない法則でもあるのか。何もわからないまま勢いよく部屋の後方にまで吹き飛ばされ、壁に激突する。後頭部からも嫌な感じがした。また出血したのだろう。漫画の如く壁に埋まるかと思ったが、ここの壁は本来傷一つつかない。俺はゆっくりと剥がれ落ちるように床へと落ちた。
「ジーク!」
アリスの声が聞こえる。どうやら追いつかれたらしい。暗くなりそうな視界をなんとかこじ開けるが、体を動かせる気がしない。一度受けた暖かさが全身を包む。デュソルバートのように、アリスも治療してくれてるのかな。そんな俺とアリスの前に人の気配がする。たぶんキリトだろう。
「ユージオ……なのか……」
「ごめんね。僕は君を知らないんだ。ここで引き返してくれても構わないけど、僕と戦うなら追いかけてくるといいよ。この一つ上は戦いやすいからね」
声と足音が遠ざかっていく。チュデルキンがなんか喚いていた気もするが、あいつの声なんぞ耳に入って来ない。そしてお前は必ず俺が潰すからな。絶対に追いかけ続けて叩きのめすから、覚えてろよチュデルキン。
ユージオに敗北したが、チュデルキンへの憎悪は消えてはいない。戦意なんて消えない。そうして怒りを維持していたら体の向きを変えられ、うつ伏せから仰向けに変わる。ユージオにどうやってか斬られた胸部を治してくれるらしい。これでまた戦える。礼をアリスに言おうと思い、幾分かマシになった視界にアリスを収めて俺は言葉を失った。
──アリスが泣いていたから
「どうして……どうしてジークは……そうやって無茶ばっかりするんですか! あなたが傷ついてるところなんて……私見たくないんですよ!?」
「アリ……ス……」
「お願いだから……戦わないで……!」
アリスの瞳からこぼれ落ちる雫が俺の頬濡らす。泣いていてもこの子は綺麗だななんて思ってしまうのは、俺が馬鹿だからだろうな。そんな風にふざけられたら平和なんだろうが、そんなこともあるかもしれない未来を掴むために今戦っているんだ。
「ごめん。アリス」
──俺は何のために戦っているんだろうな
──アリスに泣いてほしくないから、傷ついてほしくないから
──そのはずなのに
腕を動かすことはできたようで、俺はアリスの頬にそっと手を添える。その手がアリスの手に包まれ、頬を押し付けるように力を加えられる。流れ落ちる涙は止まったが、アリスの表情がよくなったわけじゃない。そんな俺達の下にキリトが戻ってきた。というかお前、いつの間に離れてたんだよ。
「ジーク大丈夫か?」
「この通りピンピンしてる」
「体を起こせない状態の奴をピンピンしてるとは言わない」
「動かせるんだがなー」
アリスに傷口を塞いでもらったとはいえ、体の節々は痛い。痛いというか、違和感かな。傷の痛みはリアリティがあるというのに、傷は神聖術で治せちゃうのだ。そのギャップに体と脳が戸惑っているのだろう。
俺はネックスプリングで元気に起き上がり、もう大丈夫だと猛烈アピール。キリトは苦笑いというか、呆れ顔をする。肝心のアリスは顔を伏せていてよく分からない。俺はアリスに歩み寄り、治療の礼を言った。
──バシンッ!
鋭い痛みが頬を襲った。ヒリヒリするし、頬がじんわりと熱くなる。アリスに本気でビンタされたのだ。横に逸れた視線を戻すと、目を真っ赤にしたアリスが目を釣り上げていた。泣きながら怒るとはこのことだな。
「お前はまた戦おうというのですか!? 命を大切にしないのですか!? 私は戦わせるために癒やしたのではないのですよ!」
「……命は大切だ。だが、戦う理由がある。だから戦う。俺にはそうするしかないからな」
「ふざけないでください! それは誰のためですか?
「それは俺もだよアリス。君に傷ついてほしくないから──」
「ジークがそれで傷を負えば私の
涙を拭ったアリスがユージオたちを追うべく歩き始める。それを俺も追うが、足取りは重くなってしまった。結局俺は独りよがりで、守ろうとしていた人を見ていなかったのだから。だが、この思いも本物なんだ。俺達の思いは、どうしようもなくすれ違ってしまう。
「俺が言えた義理じゃないが、お前は心配かけ過ぎだ」
「本当にそれはキリトに言われたくなかったよ」
肩に手を置いて言ってきたキリトに軽い調子で言葉を返す。こうしてないと調子が沈んでしまうからな。それに、まじでそれはキリトには言われたくなかった。このハーレム王はどこへなりとも首を突っ込んでは生死を彷徨うのだから。
「昇降盤で上がるようですが……」
「あー、たしかルなんとかで上がってたな」
「雑だな。もっと聞き取れよ」
「いえ、十分です。ルから始まるのは一つしかありませんから」
優等生アリスがいて助かったな。俺とキリトだけじゃ分からずにここで止まってジ・エンドだった。戦わずして負けるなんてマヌケにも程がある。まぁ、そう断言できるわけでもないか。場合によってはその方が賢い選択ということもあるからな。ただ、今回の場合はそうじゃない。アリスがいるおかげでそれは回避したけども。
昇降盤を使ってユージオの待つ場所へと移動する。そこにたどり着くと既にチュデルキンの姿はなく、ユージオだけが待ち構えていた。あのクズが堂々とした戦いをするわけがないわな。
「この場所……覚えがあります」
「そうなの?」
「はい。私がシンセサイズされたのはこの場所でした。ここに私と最高司祭アドミニストレータがいて……」
「なるほどね」
最高司祭は引きこもりだと思っていたのだが、この99階へは降りてきていたんだな。アリスも思い出すまではそう思っていたわけだし、まぁ今はそこまで重要なことでもないけどもな。最高司祭はこの上にいるらしいし。
アリスとそんな会話をしている中、ユージオは一歩前に出てキリトへと話しかけた。当然のことだな。キリトが持ってるものに用があるわけだし。
「ありがとう。剣を持ってきてくれて」
「たしかにお前に渡すためだが、それはユージオであって今のお前じゃない」
「そっか。でもそれは僕の剣だから返してもらうよ。手渡しじゃなくていいから」
「なっ!?」
ユージオが手を前に突き出す。それだけで《青薔薇の剣》がひとりでに動き、まるで剣の意思で飛ぶようにユージオの手に収まった。見方を変えればユージオが手繰り寄せたとも言えるな。
「アリス、あれは?」
「心意の腕です。離れた位置にあるものを手繰り寄せる技だと考えてください。扱える者は非常に少なく、私でも剣どころか小石一つ動かせません」
「……心意ってなに?」
「はぁ。それも知らないのですね」
そんな呆れた顔をされても知らないものは知らないんだ。仕方ないだろ。俺のこの世界の生活で、一体どのタイミングでそんなことを知る時があったよ。平和に生活してて、いろいろもあったからこの場所に来たんだぞ。
そんなことをアリスに言っても仕方ないんだけどな。それに、知らなくてもここまでは一応来られたわけだし。途中を超ショートカットしてたけども。
アリスが心意について説明してくれて、俺の言葉でそれを解釈して脳内に補完する。要は意志の強さが反映されるということらしい。攻撃の威力や身体能力の向上だけでなく、ユージオが今やってのけた心意の腕や対象を斬る心意の刃なんてものもあるらしい。俺がユージオと戦っていきなり斬られたのもそのせいだな。
「ユージオ。お前に剣を教えたのは俺だ。師匠として、まだ弟子に負けてやるわけにはいかない」
「師は超えるもんじゃね?」
「がくっ。ジーク。茶々を入れないでくれ」
「それは悪かった。ユージオは強いから頑張れ」
キリトとユージオが同時に剣を構える。記憶は無くとも体で覚えていることはそのままのようだな。ユージオはキリトとまったく同じソードスキルを発動させた。まるでミラーマッチだ。すべての動作が同じというわけではないが、お互いに最適解のモーションで動き、仕掛け、防ぐ。キリトの成長も垣間見えるが、アインクラッドを始めとした修羅場を潜ってきたキリトに完全に張り合うユージオのポテンシャルの高さが伺える。キリトに剣を教わってたしか二年なのに、このレベルに到達しているというのだから、才能があったということなんだろう。
そんなキリトとユージオの戦いが一時的に中断される。キリトがユージオから距離を取ったことで。
「……あれは本当にユージオなのですか?」
「どういうことだ」
「先程の心意の腕もそうですが、今ユージオは同時に五つの風素を操った。どちらもこの短期間で習得できるものではありません。そういう意味で問うているのです。あれはユージオなのかと」
「……ユージオだ。俺が間違えるわけがない」
「ならお前が取り戻してみろ。親友をよ」
「ああ」
アリスとユージオを戦わせるわけにはいかない。そしてアリスに止められている以上俺もユージオと戦うわけにはいかない。だからキリトが一人でユージオを取り戻す必要がある。この短期間で騎士になり、使えてなかった技を使えるようになったということが異常だと言うのなら、取り戻せる可能性も考えられる。
キリトもその気だったようで、深く息を吐いてから剣を構え直し、ユージオとの戦闘を再開させる。アリスの方に視線だけ向けると、アリスは聞き取れない程に小さな声で、だがたしかに口を動かした。聞き取れなかったが、その動きで予想はつく。何か言うのはそれこそ野暮だ。俺は視線を戻してキリトとユージオの戦闘を見守った。
キリトの相変わらずの対応力の高さ。それを嫌というほど見せつけられるが、それはそれ。対応されようと勝てばいい。ユージオを応援してるわけでもないんだかな。それに、二人の勝負はそこまで長くはなかった。キリトの剣と心がユージオの心へと届いたんだろうな。ユージオは元の意識を取り戻していた。
「親友ならでは、だな」
「そうですね。私達も二人の下へ行きましょう」
アリスと共に二人の下へと歩いていく。ユージオにも改めて宣言しなくてはならないしな。俺はアドミニストレータを倒したら敵対すると。今のアリスを守るためにお前ともう一度戦うのだと。
だが、その宣言をすることはできなかった。
「──エンハンス・アーマメント」
「ユージオお前!」
「ごめんね。キリト、アリス、ジーク」
まず最初に一番近い位置にいたキリトが凍らされる。次いで俺とアリスも氷らされる。だが、《雲上庭園》でアリスが氷らされた時のように全身が氷ったわけじゃなかった。ユージオに何かしらの考えでもあるのか、まるで時間稼ぎのように中途半端に氷らされただけだ。多少時間がかかるだろうが、これなら自力で壊せそうだ。
「おい! ユージオ!」
声を荒らげるキリトにユージオは何も言葉を返さず、見向きもせずに最上階、アドミニストレータの居場所へと移動した。
「さて、壊して追いかけるか」
「あぁ、当然だ!」
この氷を壊してユージオを追いかける。それは当然のことで決定事項なのだが、いったいどうやってこの氷を壊したものか。モタモタしていたらユージオが事を起こしかねない。何をする気かは知らないけども、何かしら秘策を持っているのだろうけども。
「ホッホーー!」
「ブッ殺す!!」
いかんいかん。チュデルキンの声を聞いただけで条件反射でブチ切れてしまった。これではまともに戦えないな。だが、氷が壊せたから良しとしよう。
──さぁ、再戦だ
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18話 到達
神聖術を利用したギミックにもだんだんと見慣れてきたものだ。天井の一部分にぽっかり穴が開くようになっている。その大きさがそのまま昇降盤の大きさのようで、それに乗ってチュデルキンが気色の悪い高笑いをしながら降りてくる。正気に戻ったユージオの演技で、チュデルキンはこっちに来たんだろうな。こいつがやることなど想像がつく。
──ディープ・フリーズ
それ以外ないだろう。アリスは紛れもなく整合騎士であり、そして実力もトップレベルだ。そして整合騎士たちを辛くも突破してきたキリトもいる。戦力として後々に記憶を奪い、駒へと変えるんだろうな。俺は殺されるかもしれないが、その気もない。
「ホゥホゥ! 三十二号の言ったとおり氷漬けのようですねェ! あの憎たらしい小僧がいないようですがァ、尻尾を巻いて逃げたんですかねェ!」
このマヌケはどうしょうもないな。先に氷を破壊した俺は昇降盤を挟んでキリトたちの反対側。つまりチュデルキンの後ろにいるのだが、全く気づく様子がない。キリトもアリスもそれを悟られまいと演じてくれてる。
「さぁーっそく、ディープ・フリィィーズしちゃいますかァ!」
「馬鹿が」
昇降盤が降りるまでを待ちきれなかったのか、チュデルキンはある程度の高さにまで降りてきたら昇降盤から飛び降りた。それに合わせて俺は一息にチュデルキンに接近し、全力を込めた足を振り上げてサマーソルトを決める。頭が大きいからなのか、それともわざとなのか、丁度頭から落ちてくれてて蹴りやすかったしな。
「ボハァ!」
「お前の頭いい大きさしてるよな。蹴りやすいぞ」
「やかましゃァァ!!」
この世界には心意というものがあるらしい。それはアリスからさっき説明を受けた。どういうことかは知らないが、未だ修行中のアリスよりも先に新米騎士のユージオが巧みに扱っていたけども。とりあえずユージオが見せてくれたのは、斬撃と
そうやって応用が効くのなら、意識して使うのが初めての俺でも多少は蹴りの威力を上げられる。無意識だった時だと、ウンベールをリンチした時とチュデルキンを殴り飛ばした時だな。あの時は俺が思ってた以上の力が出た。つまり俺も使えるってわけだ。
そうして繰り出したサマーソルトでチュデルキンは天井に衝突し、ボトッと床に落ちてきた。落下のダメージもちゃんとあるだろうが、俺にやられてることが腹立たしいのか、頭全体を真っ赤にして怒鳴り散らしてくる。
「位に居座って良い気になってるだけのお前が、前線に出て体を張って戦う人間に勝てる道理もないんだよ。そんなわけで諦めてボコられて死ね」
「ホッホゥ! 笑わせてくれるじゃあありせんかァ。アタシがその程度の存在と思っているとはねェ? 元老長たる所以というものを見せてあげようじゃァアありませんかァァ!」
両手を広げて下卑た笑みを浮かべるチュデルキンの動作に集中する。チュデルキンは神聖術以外に戦う術を持っていない。だが、その分神聖術の腕は非常に高い。なんせ俺の体が切られまくったあの竜巻も
「燃え尽きて死になさァい!!」
「また炎か」
もの凄く既視感がある光景だ。この世界で俺の初戦だったデュソルバート戦で見せられた光景。何もかも燃やすんじゃないかと思わせる程に熱を持っていた炎の鳥。それを真似るようにチュデルキンは炎の鳥を生み出した。羽ばたいて突っ込んでくるその鳥を回避するために横に動く。距離は十分あるから余裕を持って避けられるはずだ。
そのはずだった。
「避けられませんよォ!」
「チッ。追尾かよ」
もしかしたらデュソルバートの鳥もそうだったのかもしれないが、チュデルキンが生み出した炎の鳥は、俺の動きにあわせてすぐさま機動を修正する。天命が減っていることもあるし、デュソルバートの時のように捨て身で突っ込むわけにはいかない。十個同時なのだ。その分あの鳥に練りこまれていると考えていい。少しでも考える時間を稼ぐために後方の壁へと退避する。無論鳥は突っ込んでくる。
「ホッホッホー! いいですねェ! そうやって逃げ惑ってくださいィ! アタシを愉しませてくださいよゥ!」
「雑魚め」
残り三メートルを切り、炎の鳥の熱がだんだんと伝わってくる。五秒もかからずぶつかるだろう。だが、俺はこの場で足を止める。今じゃ回避は無理だ。
「諦めましたァ? もっと悔しそうにしてくれた方が愉しめましたがねェ!」
「ジーク!」
☆☆☆
元老長チュデルキンが放った鳥は、ぶつかると同時に大爆発を起こした。中心から半径四メル程が爆発の範囲だった。煙のせいでジークがどうなったのかが確認できない。
「ホーッホゥホゥ! バーカァーですねェー! アタシのことをナメるからそうなるのですよゥ!」
「おのれ……チュデルキン!!」
「なんですかな三十号? ずーいぶんと怒ってるようですが、あのようなマヌケに気でも触れてたんですかなァ?」
「マヌケ……? 取り消しなさい! 今の言葉を即刻取り消しなさい!」
おかしそうに表情を歪め、腹を抱えて嗤うチュデルキンに言葉の訂正を要求するも、チュデルキンはそれに応じない。それどころかさらに下劣な言葉を並べ、ジークを罵倒していく。
「お前……覚悟はできているのでしょうね?」
「ホゥ? なんのことですかな?」
「私に斬られる覚悟のことです!!」
ようやくユージオの氷を壊すことができ、私は剣をチュデルキンへと向けて睨みつける。キリトも抜刀するけど、キリトの方は私ほど怒りを顕にしていない。ただ、その目は強く燃えていた。
「バァァカァ。勝てないと分かりきってることに挑む。そういう醜いところがアタシは心底嫌いですよォ。先程呆気なく散ったグズもそうでしたが」
「っ!! お前、には……生を悔いてから……命を落としてもらいます!!」
「──それは駄目だろ」
「ぇ……?」
「ホっ?」
「なっ! なぜ──」
「おせぇよ」
チュデルキンが手をかざして神聖術を放とうとした時には、ジークはチュデルキンの横へと下りていた。チュデルキンの喉へと手を伸ばしたジークは、チュデルキンの体を投げて宙に浮かせる。そして腹部、胸部、顎へと瞬く間に拳を叩き込んだ。
本当にジークなのかと疑いたくなるほど格段に早くなった攻撃だった。でも、ジークはそれを放った直後に眉を潜め、追撃を放つべくチュデルキンとの距離を詰めていく。それをチュデルキンは神聖術で牽制し、昇降盤を足場にして一足飛びで最上階へと逃げ込んだ。
「あいつの体どうなってんだよ……」
「はぁ。もしかしたらって思ったけど、ヒヤヒヤさせるなよな」
「敵を騙すにはまず味方からってな。アリスも悪かったな。心配かけた」
「バカジーク」
キリトと話しながら歩み寄ってきたジークに頭を撫でられる。私はそっぽを向いてジークを軽く罵った。だって本当に心配したし、私もジークが直撃を受けたと思ったんだから。
「ギリギリで避けて敵に当たったと思わせた。ってことでいいんだよな?」
「合ってるぞ。今回は心意のおかげでだいぶ騙しやすかった。使い方も分かってきたしな」
「……でも戦っちゃ駄目。もう動けるから、ジークは戦わないで」
頭を撫でているジークの手を掴み、両手で握りしめる。この手はきっとジークの言う通り戦って誰かを守ってきた手。私の知らないジークの大切な人のために使われていた手。その手をもう汚させたくない。私がジークを守るのだから。
でも、きっとジークは了承してくれない。戦う以外にできることがないからって言って、体を張って戦おうとする。再会したときに言っていたジークのもう一つの目的のために。もしかしたら、そっちの目的の方が本当は大切なのかもしれないけど。だから、
「分かってるよ。場合によっては俺が動く。それ以外は見てるだけ、だろ?」
「ぇ……」
「なんだ? 戦っていいのか?」
「い、いえ! ジークは駄目です! 私とキリトとユージオでなんとかします!」
「あぁ。頼むぞ」
「はい!」
意外だった。ジークが大人しく引いてくれるなんて思ってなかったから。またひと悶着起きると思ってたのに、そうならなかった。そうならずに済んだのは良かったことなんだけど、何か逆に怖い。
「あ、そうだアリス」
「なんですか?」
「怒りに身を任せての行動には俺も口出しできないが、憎しみだけは駄目だぞ。何があっても憎むのだけはな。その剣は憎い相手を斬るためのものじゃないだろ?」
「……はい」
ジークはいったい何を経験したのだろうか。私と出会ったあの日以降セントリアからは出ていないはず。それなのに、どうしてこんなに達観した意見を言えるのか。口先だけじゃなくて、まるで
チュデルキンを追うべく昇降盤へと向かっている中、私はジークの腕を掴んだ。衝動任せだったから私も混乱したけど、ジークが落ち着いて対応してくれたおかげで私も落ち着けた。片手はジークの腕を掴んだまま。反対の手を自分の胸に当て、深呼吸してからジークと目を合わせる。
「どうした?」
「ジークは……
「っ! ……はは、アリスは頭のキレがいいな。あとで話すよ。アドミニストレータを倒してからな」
「ジーク」
「必要なことだろ?」
「……それもそうか」
これではっきりと分かった。ジークはセントリアに来る前に何か大きな経験をしていたと。きっと私が知らなくて、想像もつかないことを。そしてそれにキリトも関わっている。何故キリトがユージオと共に行動し、ジークだけがセントリアにいたのか。その経緯もまた新たな謎として生まれたけど、それも話を聞けば分かること。
昇降盤が上がり切るのを待たずにキリトが最上階へと先に上る。私とジークは昇降盤に任せて上がり、昇降盤は隙間なく綺麗に床に同化するように収まった。目線を前方に向けるとユージオと最高司祭が見える。部屋の中央に天蓋付きの寝床があり、そこに最高司祭がいる。天井には神話を描いた象徴画があり、そこに紛れるようにいくつか光る何かが埋め込まれていた。壁には数十本の剣の模造品がある。
「あれが最高司祭か?」
「はい」
「あの露出狂ババアが?」
「お前ェェ! 最高司祭猊下になんたる無礼を!」
「そこにいたか! ケリつけようぜ!」
最高司祭の寝床の下の隙間からチュデルキンは顔を出した。よくもまぁそんな所にと呆れるしかないけど、ジークが好戦的になるからそれどころじゃない。私はジークの腕を掴んで静止させ、最高司祭へと目を向けた。かつて恐怖しか抱かなかった相手。でも今は大丈夫。一人じゃないから。ジークが手を握り返してくれるから。
「チュデルキン。サーティちゃんとイレギュラーを石化するように言わなかったかしら?」
「そ、それは……。私めも勇猛果敢に挑んだのですが、三十の隣にいるあの小僧めがそれはそれは卑怯で下劣で信じられないような手段を平然と使いまして……」
「近づいて殴るか蹴るかしかしてないけどな」
「はぁ。……それにしても、あなた武器を持たずによくもまぁ……」
「ろくに勝負に勝ってるわけじゃないけどな!」
何故か誇らしげに話すジークに何とも言えない気持ちになる。ジークが言っていることは事実だから。武器を持っていないからと言って素手で戦う。まるで己の身体が武器だと言うように。けど、その戦いはすべて勝てていない。デュソルバート殿もユージオも見逃しているだけ。チュデルキンは逃亡してるから論外として、でもまだあれが本気とも思えない。
──つまりジークは誰にも勝てない
きっとジークを気絶させて置いてきて置くべきだった。きっとそれが正しい判断だった。さっきも昇降盤から突き落としておけばジークはこの場に来られなかったのに。
それなのに私はジークの同行を認めてしまった。戦わなければいいとだけ言って、この場に来ることを許容してしまった。
──それは全て私の甘え
もう会うことはないと思っていたジークと再会できた。見殺しにしようとしたのに許してくれた。変わってしまった私を変わらない笑顔で受け入れてくれた。私の本音を見抜いてくれた。アリス・ツーベルクから居場所を奪った偽者なのに、私を望んでくれた。私を守ると言ってくれた。
そんなジークに心を揺らされて──
「ぁ……」
「ん? アリス?」
無意識にもらしてしまった小声。それすらも聞き取ってジークは私の方に視線を向ける。私もそれに合わせてジークを見る。
「何かあったか?」
「いえ……大丈夫です」
気にかけてくれるジークになんとか言葉を返す。分かってしまったこの気持ちを仕舞いこまなければいけないから。この気持ちはきっと戦いの邪魔になるから。だから、これに向き合うのは戦いが終わってから。区切りを付ければ、時間があるのだから。
「最高司祭様。あなたに問いたいことがあります」
だから──今は言葉にしなくていい。
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19話 難敵
アリスが言っていたとおり、たしかに冷めた目をしている。言うなれば価値の無いものを見る目。人に向ける目ではない。つまりアドミニストレータは人を人として見ない。
そんなアドミニストレータにアリスは堂々と自分の意見をぶつけていく。世界の真実を知ったから。今のあり方では先がないと判断したから。この人界を護るべく人界を正すために。
「人形をやめた人形、ね」
あのババアもまたそういう人間か。アリスのことを人形と、そう呼ぶのか。自分で作り替えた相手に対して、そういうことを言うのかこのババアは。
今すぐにでも宙に浮いてるあの変態を殴り飛ばしたい。だが、アリスが耐えているんだ。俺が先に動くわけにはいかない。アリスにまた怒られるだろうし、そもそも激情に任せて挑んだら死にかねない。チュデルキン以上の術者がアドミニストレータなのだから。
「チュデルキン。私は寛大だから、下がりきったお前の評価を回復する機会をあげるわよ。あの四人を、お前の術で凍結してみせなさい。天命は、そうね、残り二割までは減らしていいわ」
「ホッホー! このチュデルキンめに名誉挽回の機会を頂けるとは!」
俺が自制している間にアドミニストレータとアリスの問答が終わっていたらしい。話の詳細は聞いていないが、決裂したのだけは分かる。キリトやユージオも剣を構え、チュデルキンの動きを注視する。仕掛けられる前に仕留めにいくのも手だとは思うんだがな。突っ込みまくる俺とは考えが違うらしい。アリスが言うには、直接触れられたら凍結させられる可能性があるとのこと。既に俺はチュデルキンを二回殴り飛ばしているんだがな。
チュデルキンは頭を地面につけ、頭だけで体のバランスを取った。不自然にでかい頭と枝のように細い四肢だからこそできることなんだろうが、はっきり言って気持ち悪い。そんなチュデルキンだが、決して馬鹿ではない。両手両足の指、合計20本の指を使って神聖術を行使してくるのだから。
「アタシをそのへんの雑魚術士と同様に考えてたらァ、痛い目にあいますよゥ!」
チュデルキンが己の両手両足の指を端末として作り出したのは、20個の凍素らしい。キリトとユージオは相殺するべく一歩前に出て熱素とやらを作り出していたが、総数で負けている。そんな中アリスはその場から動くことなく剣を抜刀した。キリトたちとの勝負で見せたのと同じ技だ。刀身が無数の金木犀の花へと変化し、チュデルキンが放った10個の氷柱を相殺する。
「アリスって凄いのな」
「これくらい当然ですよ」
自身の力と剣を信じているようで、アリスは誇らしげな表情で言葉を返してきた。けど、素直に嬉しかったのもあるようで、頬が少し緩んでた。氷柱を砕かれたチュデルキンは、今度は氷柱ではなく四角い氷を作り出した。一辺あたり2mは超えてそうだな。しかも面の部分にはさらに棘が追加されていくし、あれ痛いだろうな。
「潰れなさァァい!」
「は……ああぁぁぁ!」
振り下ろされるその巨大な殺人サイコロを避けるべく、キリトとユージオは左右へと跳んだ。だが、アリスは今回も一歩も動かず、花を自分の前方に集め、ドリルの形状になるように並べさせる。氷と花が衝突した途端激しい閃光と轟音が部屋に響く。その音は耳が狂うんじゃないかと思うほど激しかったが、耳を覆うことなく、アリスの隣に行ってそっと左手に手を伸ばす。
「……!?」
こんな時に手を握られたからか、それとも危険な位置に俺が移動したからか、アリスは目を見開いてこちらを見てくる。俺はアリスに笑顔を向けながら「信じてる」と言葉を紡いでアリスの手を握る力を強める。この轟音だ。俺のこの言葉がアリスの耳に届くわけがない。だが、アリスには伝わったようで、アリスは無言で頷き俺の手を強く握り返す。
氷と花たちは少しずつ距離を近づけていき、やがてその二つが重なった時、一際音が激しくなる。その刹那、氷が花に砕かれた。俺はその際にこちらへと飛んでくる氷の破片が、アリスに当たらないように、その尽くを弾いた。全てを防げるわけもなく、いくつかは体で受け止めることにはなったがな。
「なぁぁ!? 猊下から承ったアタシの超絶に美して綺麗で最強に近い技がァ!」
「チュデルキン。貴様のような空虚な者に私の花弁が負ける道理などありません」
「キィィィィ!」
「チュデルキン。お前は何年経っても学習しないのかしら。アリスちゃんの武器の属性から考えて、物理攻撃は悪手。神聖術の基本でしょうに」
「へー。属性の相性なんてあるんだ」
「……坊や。無知過ぎないかしら?」
「学んでないから仕方ない!」
なんで敵にあんなに呆れられてるんだろうな。アリスも頭抱えてるしさ。仕方ないじゃないか。神聖術を学ぶ機会なんてなかったからな。この世界の法則で知らない法則はまだまだあるんだろうか。さすがに知らないとこの先困りそうだよな。キリトが言うにはダークテリトリーとの戦争が待ち受けているんだから。数の劣勢さは絶望的だけども。
さっきの氷を回避すべく左右に跳んでいたキリトとユージオが戻ってくる。その間にチュデルキンは、アドミニストレータから助言されたことで活力を漲らせていた。そして両手両足の指だけでなく、目さえも端末にした。つまり22個の端末。先程よりも強大な神聖術を行使してきた。
「……ピエロかな?」
「ジーク。それは今問題じゃないだろ」
「……キリト、ユージオ。10秒防ぎます。その間にチュデルキンを斬りなさい」
「10……秒」
なるほどね。アリスのは《金木犀》からできてる。つまりは植物。それに対してチュデルキンは炎の
キリトとユージオはその時間を短いと思っているようだが、そんなことは決してない。10秒あれば十分だ。チュデルキンを倒すことはできる。アドミニストレータの妨害がなければな。……ないか。あのババアはチュデルキンを守ろうなんて思わないな。だって価値なんてないって考えてるんだから。
俺はユージオへと近寄り、ユージオに耳打ちする。10秒の猶予で決着をつけられないなんて無能なことはできない。すぐさま行動すべきであり、焦ってもいけない。一発で確信を持てる方法を考えて伝えて行動するんだ。
「ユージオはチュデルキンの気を逸らしてくれ」
「え?」
「神聖術をなんか放つだけでいいんだ。できればチュデルキンの目が俺達から離れるように」
「僕達から……わかった。任せて」
案外察しがよくて助かるよ。アリスが炎の巨人を防ぐ。残り10秒というカウントダウンが始まった。俺は急いでキリトの横に行き、作戦を話す。作戦というほどでもないけどな。
「キリト。
「は? ……お前、まさか……」
「この世界はイメージが大事なんだろ? イメージしろよ。最強の自分ってやつをさ」
キリトの肩を強く叩く。若干よろけたキリトは苦笑いしたが、すぐにそこから良い笑顔に変わった。俺のことをわりと馬鹿って呼ぶけど、そんな俺の策にすぐに乗るキリトも大概だよな。だが、これほど頼もしいこともない。SAOから何度も踏破してきたキリトだからこそ俺は信頼してる。こいつはやってくれるってな。刀があれば俺が斬り込んで、キリトにトドメを頼むのが定番だが、それはこんかいはできない。だから、キリトに一人でやってもらおう。
ユージオが神聖術を行使した。鳥の形をした攻撃を放ち、それをチュデルキンに向けて放ったと思わせたところでチュデルキンの頭上を超える。それはそのまま後方にいるアドミニストレータに目掛けて飛ぶ。アドミニストレータからすれば簡単に落とせる鳥だ。俺達もそんなことは承知している。それが作戦なのだから。
しかし、アドミニストレータを崇拝しているチュデルキンは、俺達の狙いに気づかない。視線を俺達から外してアドミニストレータの方へと振り返る。この瞬間を待っていた。
「キリト!」
「あぁ!」
俺はキリト目掛けて全力のローキックを放つ。キリトがそれに合わせてその場でジャンプし、俺の足に乗る。そのまま俺は足を振り抜きキリトをチュデルキン目掛けて放つ。キリトは俺の足の上で《ヴォーパル・ストライク》の構えを取るという離れ技を成功させる。俺の蹴りによる加速とSSによる加速、そして自身の心意による加速。残り二秒ほどだが、余裕で間に合う。
キリトの心意は俺が予想してたよりも強いらしく、発射台となった俺の足が吹っ飛ぶかと思ったくらいだ。そして、心意はどうやら服装にも変化を与えるらしく、キリトはかつてSAOをクリアしたときに着ていたロングコートを着ていた。髪も若干伸びてるかな。
余所見していたチュデルキンが防御を間に合わせられるわけがない。チュデルキンが視線を戻した時にはキリトが眼前へと迫り、その枯れ細った枝のような体を両断される。さすがにグロいな。
「……まったく。あなたが考えることっていつも無茶苦茶なのですね」
「ははっ、こういうのしか思いつかないんだよ」
「それに乗るキリトも大概だけどね。相棒のまだ知らない一面を見させてもらったよ」
「ユージオのあの神聖術があっての成功だけどな。ありがとう」
「礼には及ばないよ」
花たちを剣へと戻し、鞘に納めたアリスが呆れ顔と笑いを半々にする。ユージオもユージオで、キリトが作戦に乗って成功させたことに苦笑いだ。俺も理解されるやり方とは思っていないが、なんか心外でもあるな。たしかにクラインとかアスナによく小言言われたけどさ。それにしても、キリトのやつ勢いつけすぎだろ。チュデルキンを斬ったあとも勢いが落ちずに壁に激突してるし。
「はぁ。結局チュデルキンではダメだったようね」
「アドミニストレータ。4対1だ。お前がいくら強かろうとジリ貧だと思うが?」
「ふふっ。それはどうかしらね? アリスちゃんはダークテリトリーへの備えがないことを危惧していたけど、私だって考えていたのよ? 『兵器』を」
「ヘイキ……?」
兵器か。その単語を聞いてもユージオどころかアリスまでピンと来ないということは、この世界に兵器なんて存在しないってことなんだろうな。誰よりも権力が高いアドミニストレータだけが知っている。そしてそこに絶対の自信を持っているということは、この状況を簡単に覆せる程に強大なんだろう。
「4対1ではないわ。
「は?」
「リリース・リコレクション」
《武装完全支配術》よりもさらに強大な《記憶解放術》。それをアドミニストレータが発動し、それに応えるように部屋中にあった30本の模造剣が動き出す。ガシャンガシャンと剣同士がぶつかり合い、一体の巨人が作られる。巨人というか、バケモノか。
「馬鹿な……。ありえません。神器を扱えるのは一人で1本のはず。記憶解放まで行ったものを30本同時だなんて、いくら最高司祭とはいえ……」
「……何かしらの仕掛けがあるんだろ。だが、今はそれを考えている余裕なんてないぞ」
「ふふっ。これこそ私がダークテリトリー軍と戦うために作り出した騎士人形。坊やたちの世界風に言えば『ソードゴーレム』ってところかしら」
3メートル前後だろうか。模造剣だったのにどれもが塗装が剥がれたようにその刀身を輝かせている。あれら全てが神器だというのだから、あの騎士人形はそうそう倒せるものじゃない。アドミニストレータが何かを騎士人形に送り込み、それが胸辺りで止まった。目っぽいのも光ったし、あんななりなのに視覚とかありそうだな。
──なんであれ、戦いながら打開策を見出すか
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20話 来訪者
最高司祭アドミニストレータによって作り出された「ヘイキ」。その単語が何を意味するのか私には分からないけれど、驚異的なものだということだけはわかる。最高司祭が言ったとおり、この存在ならばダークテリトリー軍をなぎ倒せるだろう。なんせ体らしい体がないのだから。30本もの神器が繋がることによって生み出された騎士人形。先程の言葉を借りるのならば「ソードゴーレム」。
横をチラッと見る。そして息を呑んだ。ジークの目が完全に戦闘の目に変わっていたから。私はこれが初めてだけど、それでもわかる。ジークが戦うと決めた時の雰囲気が今の状態なのだと。『鬼人』と呼ばれる時とはおそらく違う。頼もしさを感じる。でも、それじゃいけない。生身で武器を持たないジークには戦わせない。
──そんなのじゃ駄目。ジークが戦うなんて自体にしちゃ駄目!
焦っちゃいけない。気を揺らがせてしまったら、それだけ動きに無駄が出てしまうから。あれほどの怪物相手に一瞬の隙はそれだけで決定打となってしまうから。
冷静さを取り戻して私は騎士人形へと駆け出した。同時にキリトも駆け出している。騎士人形の目と思われる光は私を捉えている。おそらくだけど、キリトの方は見えていない。キリトは騎士人形の背へと迫っているから、私が引き付ければ有効打を叩き込んでくれるはず。
──狙う箇所は剣と剣の接合部!
強引に繋げられて成り立っているのがこの騎士人形だ。弱点となる箇所は剣同士が繋がっている部分としか考えられない。人体にとって関節部と言える箇所しか。
私はそこに寸分の狂いもないように狙いをつけて愛剣を振るった。しかし、こちらを見ている騎士人形がそれを許すはずもなく、腕と呼べる部分の剣を振るってきた。私は軌道を修正し、その剣の迎撃を図った。
しかし、騎士人形の力は私の想定を遥かに上回っていた。
──しまっ……
私の剣が弾かれ、その力強さに私は振り下ろした腕が頭上へと上がる。私の視線の先では騎士人形の剣が突き立てられ、今まさに私へと突き刺そうと迫っている。剣が霞んで見えるほどの速さに私は反応することができなかった。まさに電光石火の早業。
だから、何が起きているのか認識することができなかった。
「……ジーク……?」
ジークの左腕が私の左肩へと回され引き寄せられている。ジークの右手は騎士人形の剣の腹を殴っており、それで軌道がズレたらしく、私のすぐ横に騎士人形の剣がある。騎士人形がその剣を横に振り始めた瞬間にジークは私を抱えて後方にいるユージオの隣へと下がる。
その剣はただ私たちだけを狙ったのではなく、騎士人形の後方にいたキリトをも狙った攻撃だった。上体をそのまま反転させてキリトを斬りにかかる。キリトも弾かれていたらしいのだけど、剣を防御に回すのに間に合わせた。そしてその場で跳ねることで衝撃に合わせて距離を取ろうとしていた。しかし、騎士人形は上体を一回転させられるらしく、キリトは遠心力をつけられ、私達の方へと飛ばされる。
「キリト! っ!!」
ユージオが後方の壁へと叩きつけられたキリトの方へと振り返り、そして息を呑んだ。私もそれにつられて後方へと目を向け、ユージオ同様に息を呑む。キリトが壁へと激突した時に嫌な音が混ざっていたのは聞き取れてしまっていた。その音の正体は、壁に広がる赤黒い液体が飛散した際に聞こえたもの。広がっているのはキリトの血であり、広がってる血の中心の真下にキリトが倒れている。
その光景に言葉を詰まらせる私の髪をジークがそっと撫でる。視線を向けるとジークは変わらず真剣な顔していた。
「アリス。キリトを頼む。あいつを死なせるわけにはいかないんだ」
「は、はい……」
ジークに頼まれて私はキリトの方へと足を向ける。私は、この時の私を恨むことになった。
「……ジークは……っ!」
だって、振り向いた時にはジークはあの騎士人形へと駆け出していたのだから。
☆☆☆
アリスとキリトが勝てなかった相手だ。武器を持たない俺が勝てるとは思わない。だが、時間を稼ぐことはできるだろう。その間に打開策が出てくれたら御の字だ。出なくてもキリトの命を繋ぎ止める時間ぐらいは稼げるだろう。咄嗟にアリスを助けたが、どうやら心意を活用すれば、叩く場所次第であの剣の軌道を反らせると分かった。
──やれるだけはやるか
ソードゴーレムが右腕を振るう。このままだと胴体を上下で切り裂かれるな。だからスライディングの要領で体を倒す。剣が通り過ぎるのを滑りながら確認し、通り過ぎたらすぐさま体を起こして左へと跳ぶ。その数瞬後にソードゴーレムの左腕が俺のいた場所へと振り下ろされる。
「……なかなかいい動きするのね」
「そりゃどうも!」
ソードゴーレムを支えるのはあの四つ足。それであの巨体のバランスを保っているらしい。一本でもへし折れたらバランスを崩すんだろうが、それは不可能だ。キリトやアリスが弾かれたのだから。俺のパンチごときじゃ逆に俺の骨が砕けかねない。だってアリス助けた時も半端なく痛かったんだから。
だから、あの胴体の方も無理があるだろう。ソードゴーレムの胸辺りにある結晶を砕くか、場合によっちゃ取り出すだけでもソードゴーレムを倒せると思うんだが。高望みをしていてはそれで
ソードゴーレムが今度は左右から挟むように、両腕を同時に振るってくる。さっきみたいに体を倒しても斬られる。かと言ってジャンプしても斬られる。俺の身長に合わせて、立っている時の首の高さで振るってきてるのだから。
──こんにゃろっ!
逃げ道は一つだけ。あの速さからして左右どちらかに逃げるのは不可能だ。追いつかれる。
だから──
「寿命が縮むわ!」
「よく避けられたわね。でも、避けてるだけじゃ勝てないわよ?」
煽りたいのか、それとも俺が苦戦する様を見て楽しみたいのか、
第一の目的は、キリトが命を繋ぎ止めること。これは必須事項だ。この世界での死がリアルでの死に直接繋がるわけではないんだが、キリトの場合はそうとも言えない。なんせキリトは
第二の目的は、打開策を見出すこと。今のこの戦力でどうすればこのソードゴーレムを倒せるのか。それを見出すことができれば俺達は全員が生存することができる。一応整合騎士の存在を気にかけているのか、それともアリスが強いからなのか。その真意はともかく、アリスが殺される心配はない。俺とキリトはイレギュラーであるから、ギリギリ生き残れるかもしれない。だが、ユージオがどうなるか分からない。
第三の目的は、アドミニストレータが言ったとおりソードゴーレムに勝つこと。これは無理がすぎる。剣の腹なら斬られずに済むが、刃の部分だとバッサリいかれる。そしてあいつの弱点部位は高い位置にある。あれを攻撃しようと思ったらそれだけ跳ぶかよじ登るかしないといけないが、剣だらけの体だ。一歩間違えれば死ぬ。
「ジーク! なんとかキリトの天命を留められました!」
「わかった!」
ソードゴーレムとの戦闘以外に思考を割いていると本当に寿命が縮む。さっきからスレスレで躱せてるだけだ。何度か掠ってて腹や腕から血が流れ出てる。動きに影響が出るほどではないのが幸いだな。
アリスからの報告を受けて俺は意識を全てソードゴーレムへと注ぐ。アドミニストレータが妨害してくることは考えられないしな。無謀だろうと無茶だろうと、
「あら? 諦めたのかしら?」
アドミニストレータの言葉に耳を傾けず、神経が通っている体全体を意識する。そのために一度動きを止めた俺にソードゴーレムの右腕が振り下ろされる。それを最小限の動きで左へと躱す。跳躍してソードゴーレムの関節部分を掴み、反動をつけてその上へと登る。登った瞬間その場でジャンプする。ジャンプした俺の足元をソードゴーレムの左腕が通り過ぎる。遅れていたら両断されていたな。
自由落下を始める俺を斬るためにソードゴーレムが下ろしていた右腕を振り上げてくる。俺は体を捻って剣の腹を蹴ることでそれを躱し、反動で加速して床に到達する。床に足をつけると同時に脚に全力を込めて跳ぶ。心意なんて便利なものがあるおかげで、ロケットの如く跳べる。
狙いはもちろんソードゴーレムの弱点部位。剣の鎧に守られている結晶だ。守られているとはいえ所詮は剣での防衛。隙間がある。
──砕く!
拳を振り当てようと力を入れたその時、体を貫かれた。
ソードゴーレムの剣によって。
「ぬかった……」
剣でできている体なんだ。胴体部分にある剣が動いたって不思議じゃない。そこを見落としていた俺が負けることは必然だ。
「ガフッ」
喉奥から嫌なものがこみ上げてきて、口から赤黒い液体が吐き出される。跳躍してる時に刺されてる俺は、今も体が宙に浮いているのだが、それは俺の胸部を貫いた剣がまだ引き抜かれてないから。
視線をソードゴーレムの目と思われる光へと向ける。睨みつけるように。だが、思考も感情もないこいつにそんなとこしても無意味だ。その光は一ミリたりとも動くことはない。ソードゴーレムは俺に刺した剣を引き抜き、胸の前にクロスさせた両腕を振るってくる。X字に俺の体は斬られ、アリスたちの元へと吹き飛ばされる。ああやって斬られたのに四肢が全て繋がっているのはもはや奇跡だな。
「ジーク! 待っていてください。すぐに癒やしますので! ユージオも手伝ってください!」
「う、うん」
霞む視界と意識の中で聞こえてくるのはアリスとユージオの声。キリトはもう少ししたら意識を覚ますのだろうか。
「なんで……なんで血が止まらないのですか!」
「アリ……ス……リソースを……無駄にしなくて、いい」
「馬鹿なことを言わないでください! あなたが死んでしまったら私も後を追いますからね!」
「それは……こまった……な」
どうしたらいいんだろうな。俺はここで死んでも死なない。しかしそれをアリスどころかユージオも知らない。アドミニストレータは知ってるかもしれないが、アリスに教えるわけもない。そして俺がそれを教えることもできない。時間もないし、そもそも今言っても信じてもらえない。逆効果だ。
視線を逸らしてみて気づいた。さっきまで治療の手助けをしてくれていたユージオがいない。キリトの側にいるのかと思ったらそうでもないらしい。この部屋に入った時に使った昇降盤。床と同化しているが、昇降盤の位置が分かるように目印もある。ユージオはそこに短剣を刺していた。
「死なないでください……。お願いだから私を置いていくなんてことはしないで!」
アリスにここまで言われたら、俺も意地で生き延びたくなるというものだ。だが、俺は神聖術なんてさっぱり。手が思いつかない。
そんな時だった。この部屋に突然大扉が現れたのは。
「全く……無茶をする男よな」
扉の奥から聞こえてくる声。そして扉から放たれる雷撃。その雷撃はソードゴーレムを貫き、さらに数度放たれた雷撃によってソードゴーレムが倒れた。倒せたわけではなく、ダウンさせたってとこか。
霞む視界の中で見える光景から一応分析する。そんな俺の元へと歩み寄ってきた一人の人物。他に人が見当たらないことから、この人物があの雷撃を放ったらしい。
「あとは儂に任せるといい」
会ったことないチビだが、助っ人のようだ。俺の傷も癒やしてくれてるしな。そう認識したところで、俺は意識を落とした。
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21話 最高司祭アドミニストレータ
私事ではありますが、忙しくて見れずに溜まっていたSAOのアニメ(3話分)を親に消されてました。悲しい。
ところでOPがまた新しくなりましたよね。あれ見て思ったんですよ。「アドミニストレータは変態だ」って。だってあいつ全裸でキリトと斬り合いしてたじゃないですか。
突如扉が現れ、そこから出てきたのは貫禄のある一人の少女。だけど、その方がただの少女ではないことは明白。私達が手も足も出なかった騎士人形に雷撃を浴びせていたのだから。
その方はすぐにジークの下へと来てくださって、初めて見るような術式で瞬く間にジークの傷を癒やしてくださった。高位すぎる術式。私が知らない高位術式の一つ。今度改めて覚えようかしら。ジークは目を離したら怪我するから。
「キリト。この方は?」
「カーディナル。もう一人の最高司祭ってとこだな。大丈夫。俺達の味方だよ。俺とユージオに《武装完全支配術》を教えてくれた」
「そうですか。……ジークの傷を治してくださった方を疑いはしませんが」
抱きかかえているジークの傷を見ながらそう言葉を零す。ジークの傷はすでに塞がっていて、表情も穏やかなものになっている。こんな短時間でこれほどのことをできる方が味方をしてくださる。これほど頼もしいことはないでしょうね。
最高司祭とも面識があるようで、二人は違う呼び名でしばらく話していた。最高司祭の目的は、元からカーディナル様を呼び出すためことだったみたい。心から喜んでいることが分かる。それは再会した喜びなんてものじゃない。正反対。
「これでようやく邪魔なあなたを消せるわねぇ」
殺せるという喜びだ。
カーディナル様がいた場所は最高司祭でも手を出せないところだったようで、いつ出てきて殺しに来るか分からない天敵に杞憂してたとか。カーディナル様はカーディナル様で、私達整合騎士の存在があるから出てくることができなかった。その均衡を壊したのがキリトとユージオだ。二人が次々と騎士を打破し、この場所にたどり着いたから。ジークは完全に偶然というか、あれよね……。
最高司祭はカーディナル様がここに入った時点で、ある術式を発動させていた。それによりこの部屋は、どこの空間とも繋がらなくなったのだとか。外に出ることも、外からここに来ることもできない。完全に隔離された。それもカーディナル様を殺したいという一心で。
先程の雷撃を浴びたことで動けなくなっていた騎士人形が再度動き出す。あれに天命は無いのかと強い恐怖を抱いてしまう。だけど、カーディナル様は毅然とした態度でもう一度雷撃を浴びせ、騎士人形が近づけないようにしている。
「ふふっ、
「……なんじゃと?」
「一人気絶したけど、あなたが来たから人数差は変わらないわね。ソードゴーレム対あなた達、30対4のままよ。いえ、正確には300人ね。動かしてるのが30人というだけで」
「っ! 貴様……まさか……! 統治者であるというのに!」
「あっははははは! さすがに気づけたようねぇ!」
私はその数字がいったいなんの話なのか分からなかった。だけど、カーディナル様の話で理解できた。キリトからも聞いていた通り、私達整合騎士は最も大切な記憶を抜かれている。そしてその記憶が天井にある結晶にそれぞれ封じ込められているのだとか。つまり、この場には私達と最高司祭だけでなく、整合騎士になる前の31人もいるということになる。
そして姿のない人たちの力を最高司祭が利用して、神器を一本ずつ動かさせることで、あの騎士人形が動いているらしい。一人一本という原則を超えていたわけではなかった。あくまで原則に従っているままこれだけのことを可能とする。そして、そもそもあの剣がそれぞれなんだったのかも分かってしまった。30本の剣が元々は300人の人間だったと。
最高司祭アドミニストレータは、人界のことを憂いてはいなかった。やはり大切なのは己自身。人界に住む人々をまず人間として捉えていない。だから四万人もの人間を犠牲にし、戦争への備えを間に合わせるなどと言えてしまうのだ。
「どこまで人の命を愚弄するというのだ!」
「あら、さすがのおチビさんはもう全部わかったみたいね。一応合ってるか答え合わせといきましょうか?」
「シンセサイズによって抜き取った記憶は本来人間ユニットにはなり得ない。しかし体の代替となるものがあれば別じゃ。元のようには到底なれぬが、人間ユニットとはなれる。しかしそれは限りなく制限されたもの。本能的行動しかできん。武装完全支配術などの高度なコマンドはこうしできない。……しかしそれにも抜け道がある。記憶ピースと、リンクする武器の構成情報が限りなく共通するパターン持ってる場合じゃ。──具体的には整合騎士たちから奪った記憶に刻まれた、最愛の人間自身をリソースとして剣を作った。そういうことじゃな、アドミニストレータよ!!」
まず最初にキリトがその話を理解し、驚愕していた。私とユージオがそれに遅れてから理解することができた。あの剣は無作為に選ばれた300人を犠牲にしたものではなく、騎士たちのそれぞれ最愛だった人とその肉親といった近しい人が犠牲になった。
キリトからセルカのことは聞いているから、私の肉親は犠牲になっていない。だけどそれは安心できるものじゃない。記憶はすでに抜かれているのだから、いつセルカたちが犠牲になるのかも分からないのだから。
腕の中にいるジークを見やる。もし、私がまたシンセサイズされて記憶を抜かれてしまったら、間違いなくジークが犠牲になってしまう。小父様は一度再調整をされたみたいだけど、新たに記憶を抜かれたわけじゃない。だからその心配はないのだけど、可能性はゼロじゃない。
──ジーク……!
思わずジークを抱く力が強くなってしまう。ちょっと苦しかったかなって心配したけど、それでもジークは変わらず眠っているままだった。早く目が覚めてほしいという願いと、起きないでほしいという相反する願いを同時にしちゃってる。起きてくれたら、またあの目を見れて声を聞けたら、私はきっとまた立ち上がれる。だけど、そうしたらまたジークは戦おうとする。
私がそのことで苦悩してる間に、話が進んでしまっていた。カーディナル様は制約のせいで人を殺せない。それはつまり騎士人形を倒せないということ。
「わしの命をくれてやる。その代わり、彼らを見逃してくれ」
「そんな交換条件を私がのむ必要ある?」
カーディナル様が抵抗せずに殺される代わりに、今私達を見逃せという交換条件。最高司祭が受け入れる必要なんてない。だけど、最高司祭はその交換条件を受け入れた。カーディナル様が抵抗して戦闘になれば、騎士人形を従えている最高司祭といえど天命を削られるし、手間がかかる。そのことを嫌がった最高司祭は条件を飲んだ。
「神に誓うわ。あなたを殺したあと、その子達を一旦見逃すって」
「いいや貴様のフラクトライトに誓え。神をも敬わない貴様が神に誓ったところで意味などないのじゃから」
「……はいはい。フラクトライトに誓うわよ」
フラクトライトに誓った最高司祭は、すぐに愉しそうに表情を歪ませた。スラッと抜き取られた細剣。あれも神器だ。その先から迸る雷撃がカーディナル様の体を貫く。二撃立て続けに注がれ、カーディナル様は体をぐらつかせながらも、杖を支えになんとか立ち続けた。
「なん、じゃ……この程度か……?」
「あっさり殺すわけないじゃない。200年間この瞬間を楽しみにしていたのだから!」
そしてまた放たれる雷撃。カーディナル様は抵抗することなくそれに体を貫かれる。キリトの静止がなければ私もユージオもすでに飛び出している。私達が動かないのは、最も歯を食いしばってこの状況を堪えているキリトに止められているからだ。
とうとう倒れたカーディナル様にキリトとユージオが駆け寄る。私も駆け寄りたいけど、ジークのことがあるからここからあまり動きたくない。カーディナル様のことを気にしながらも最高司祭を睨みつけるしかできない。
「まだまだ愉しませてほしいわね〜」
抵抗しない相手をいたぶる。到底許せない行為だけど、私が動いちゃいけない。私達が一命を取り留めるためにカーディナル様はこうなることを選んだのだから。
だけど、ユージオは違った。ユージオはカーディナル様に何か話しかけ、覚悟を決めた表情で頷いていた。何かが起きる。あの目はあまり好きじゃない。騎士人形に挑んだジークと同じ目をしてるから。
静止させることもできず、ユージオはカーディナル様が発動させた術式で一本の剣へと変わった。正確には青薔薇の剣との融合。それに呼応するように、天井にあった一つの水晶も飛び出して融合されていた。そうして生まれた一本の剣は、飛翔して真っ直ぐに騎士人形の水晶へと向かっていった。
「小賢しいことを……!」
最高司祭の攻撃も躱し、騎士人形の攻撃も躱したユージオは、狙い通り騎士人形の水晶へと突き刺さった。それが砕かれたことでやはり騎士人形が崩壊した。これで厄介な脅威が消えた。あとは最高司祭だけ。協力すればきっと勝てる。
それなのにユージオは一人で向かってしまった。キリトの静止も無視して、最高司祭が放つ神聖術とぶつかる。激しい閃光が部屋中に広がる。目を凝らして見ると、少しずつユージオが押し込んでいってるのがわかった。やがて壮大な音が響き渡った。
「ユー……ジオ……?」
「チッ。やってくれたわね……」
最高司祭の細剣が折られていた。ユージオが神器を破壊したのだ。そして最高司祭は右腕をも肩から切られていた。でもその代償も大きかった。ユージオは剣となっていたけど、その剣も二つに折れていた。その折れた剣が人の姿へと戻るも、そこには胴と足に別れたユージオがいた。キリトはその光景に膝をついてしまった。後ろからはその表情は見えない。だけど、あれだけ誇らしげに語っていた親友があの姿なのだ。私にだってそれがどれほどの絶望なのか察することはできる。
「まさかメタリック属性じゃなかったなんてね。見抜けなかった私の落ち度だけど、まぁいいわ。結果は変わらないのだから」
左手を突き出した最高司祭は、飛ばされた右腕を回収した。治療するのかと思ったけど、自分の腕に息を吹きかけた最高司祭は、一つの剣を作り出した。それでキリトを斬るために。
最高司祭が近づいてもピクリとも動かないキリトを助けるため、一旦ジークを寝かせて駆けつけようと思った。でも、私がそれを行動に移すよりも先に、私の視界に一人の男性の背が映った。
──なんで何回も戦ってしまうの? バカジーク……
☆☆☆
「さようなら坊や」
「それはちょっと待ってほしいね」
膝をついて項垂れているキリトの首を斬るために振り下ろされるレイピア。それを俺は握って止めた。当然手からは出血するんだが、心意のおかげもあって傷はそこまでって感じだな。
「寝ていればよかったものを……」
「どのみち殺されてたんだろ? なら抵抗するね。それとキリト。お前はそれでいいのか? カーディナルがなんの為に動いたのか、ユージオがなんの為にそんな姿になるまで挑んだのか、分からないお前じゃないよな? お前は二人を裏切るのか?」
アドミニストレータから視線を外す余裕もない。俺はキリトに見向きもせずに言葉を投げかける。分かりきってるんだよ。キリトがこれで動かないわけがないって。こいつは人の想いを背負ってしまうと頑張っちゃう奴なんだって。
「悪い、ジーク。あとは任せてくれ」
「次勝手に諦めたら金的な」
「ピンポイントにダメージでかいのはやめろ!?」
アドミニストレータのレイピアから手を離すと同時に蹴りを入れる。寝てばっかって話のくせに動きもいいらしく、それは回避されたけどな。てかこいつ、服を着ないまま戦う気なのか? 露出癖強いのな。
「……アリス。目を塞ぐのやめてくれない? 戦いを見守れないじゃん」
「あなたが他の女の裸体を見るなんて許せませんので。戦いなら私が代わりに見守ります」
「それってつまりアリスの裸体は見ていいってこと?」
「なっ!? そ、そういうことではありません! 目を潰しますよ!?」
「アリスを見れなくなるのは嫌だからやめて」
キリトとスイッチしてアドミニストレータを任せ、アリスの下へと戻った途端これだ。まさか目を覆われるとは思ってなかった。説教されるって思ってたんだけどな。どっちもキリトの戦闘中にすることじゃないんだけども。
それにしても寝すぎた。状況を見てなんとなくは把握したけど、分からないところは分からない。特にカーディナルとユージオの状態について、その経緯がさっぱりだ。なんでユージオが真っ二つになってんだよ。
それをアリスに聞くのも酷な話だし、キリトに聞くのはもっと酷だ。そんなわけで経緯は知ることができたらいいな程度に考えるとしよう。さっきからキリトとアドミニストレータの戦闘音しか聞こえない。しかもそれが止んだと思ったらユージオとキリトの会話が聞こえてくる。マジでどういう状況なんだよ。アリスも俺の目を塞いで代わりに見るなら実況してくれ。
「戦って……僕の親友……僕の……英雄……」
「ああ。何度だって戦うさ。お前の為なら」
お前ら実はデキてんの!?
親友にしては関係が親密な感じしたけども、まさかそこまでだったとは……。これは修羅場を作ってゲラゲラ笑う俺でもアスナに報告できねぇわ。ごめんよアスナ。全部キリトがいけないんだ。まさか男まで落とすなんて俺は想定してなかったよ。
「アリス。そろそろ俺の目を自由にさせて?」
「駄目です。まだ終わってません」
「ならせめて実況」
「キリトが二刀流で戦ってます。ユージオが託した青薔薇の剣もとい赤薔薇の剣を左手に持って」
「ならキリトの勝ちだな」
なんで赤薔薇の剣が誕生してるのかは分からないけど、キリトが二刀流で戦ってるのなら勝ちだ。あれに勝てるのはヒースクリフみたいな化物か、一年に一回ぐらい超絶調子いい時の俺ぐらいだからな。基本的には勝てん。まず手数で負けるし。
剣での勝負のはずだよな。キリトが二刀流で、隻腕のアドミニストレータがレイピアを使ってるはずだよな。なんで爆発音と爆風が巻き起こってるのさ。おかげでアリスの手が俺から離れたけども。
「……キリトが吹っ飛んでると。ふむふむ、で、アドミニストレータは……それで生きてるのか」
「ふ、ふふっ、私の……逃げ勝ちね……。また、向こう側で会いましょう」
両腕が吹き飛び、胸にも穴が空いてるくせにアドミニストレータはまだ生きてた。そして勝利宣言をしたと思ったら少しずつ体が浮き始めてる。『向こう側』ということは、リアルの方でってことになるんだろうな。ま、逃さないけども。
「お前はここで死ね」
「なっ!?」
地面を全力で蹴って加速してからのハイジャンプ。そして勢いに任せてアドミニストレータの腹部を右腕で穿く。自分でやっててなんだが、ぶっちゃけ気持ち悪い。だが、
「お、まえ……!」
「十分生きたろ? おばはん」
こいつを逃がすことなくここで仕留められたのだから良しとしよう。
腕を引き抜いて着地。返り血をそれなりに浴びたが、拭うのも後回しだな。今はそれよりもユージオだ。未だに会話できる余裕があるのが奇跡だが、それならさらなる奇跡が起きるかもしれない。そう思って駆け寄ったが、キリトとアリスの二人がかりの治療でも回復が追いつかない。血が変わらず流れ続けてる。
「死ぬなユージオ! お前は絶対に助けるから!」
「それ……だと、また君と……戦わないと、ね。僕はアリスの……記憶を戻すために……、キリトは……今のアリスを……守るために」
「っ! 分かってるなら戦えよ! 生き残って戦え! ジークだって既に宣言してんだ! 終わった後にユージオと戦うって!」
「そう……なんだ……。でも……もういいんだ……、僕はキリトに……剣を向けた。これは……その報いで、僕と君は……ここで道が分かれる……もので……」
「ふざけるなよ! 運命なんて……そんなの俺は言わせねぇぞ!」
キリトとユージオの会話に混ざることなんてできるわけがない。俺とアリスは二人のやり取りをただ押し黙って聞くしかない。もう分かってしまってる。ユージオを助けることができないってことは。
──フレニーカに謝りに行かないとな……
「そうだ……キリトの黒い剣……『夜空の剣』って名前が……いいな。どうだい……」
「ああ……いい名前だ。ありがとう、ユージオ」
「夜空みたいに……この世界を……優しく包んで……」
ユージオの腕が力なく重力に従って落ちる。キリトに初めてできた同年代の友人にして親友。ある意味アスナ以上かもしれない戦友にして最高の相棒ユージオ。気弱そうな雰囲気をしておきながらその芯は強く、熱いものだった。余りにも短い時間しか共にいられなかったが、こんな剣士に出会えてよかったと心から思う。
俺はその場を立ち上がって先程アドミニストレータを殺した場所へと戻る。この部屋は床に物を収納できるように術式が仕込まれていたらしく、行使していたアドミニストレータが死んだことでいくつかの家具が出てきていた。その中に一つ、明らかに異質なものがある。それが外とのコンタクトを取れるコンソールだと直感的に理解し、俺はそれを操作して外へと通信を飛ばす。外にいる菊岡たちに繋がる間に、キリトとアリスも俺の近くに来ていた。
外との通信が繋がったが、それは全く穏やかなものじゃなかった。まず誰もこっちに気づいてないし、明らかに騒々しい。
『あー! 菊さん! 中から通信っす!』
『中から!? キリトくん、ジークくん、そこにいるのかい!?』
「ああいるよ。いいか菊岡さん! あんた達がやろうとしてることは……!」
『誹りなら後でいくらでも聞く! 今は緊急事態なんだ! もうじきここも陥る!』
陥る? さてはこいつらヘマしやがったな。こんな極秘研究に首を突っ込めるとしたらアッコしかないが、それでもここまで気合い入れてるプロジェクトがバレるのもおかしい。つまり内通者がいるわけだ。だがそれを炙り出してる余裕もない。あれだけ慌ててるということは、五分もないだろう。二分もないかもしれない。
「この後どう動けばいい?」
『まずはアリスという少女を見つけてくれ!』
「それはもう見つけた。次は?」
『早いね!? さてはジークくんダイブする前からそれなりに察していたね!? ってそれはもういいんだった! アリスを連れて"ワールドエンド・オールター"まで行ってくれ! そっちで回収するから! ダークテリトリーに出てずっとずっと南下した先にある! 言葉通り世界の端だ!』
「了解」
『ぎゃあぁー! これはやばいっす菊さん! あいつら主電源ライン切る気っすよ! これじゃ桐ヶ谷くんが!』
主電源切るって、敵さんはなかなか思いっきって行動するね。いや、効率的な行動を最優先でしてるだけか。このアンダーワールドにまで影響が出ないか心配だが、そこは大丈夫らしい。さすがに気合い入れてるプロジェクトの要をそう簡単に壊されるようなことはしないか。
『何言ってるんだ! STLには何重にもプロテクトが……!』
『今全部機能してないんですって! 彼は今治療中なんすよ!?』
『なっ!? ……クッ、そっちは私の方で対処する!』
「治療? 何の話だ……」
ふむふむ。俺の方はひとまず大丈夫らしいが、キリトの方はヤバそうだな。って軽く言ってられる場合じゃないな。キリトも自分が治療中ってことすら知らないみたいだし。それもそうか、こいつ一回心臓止まったんだし。
主電源ラインを切られたせいなのか、外との通信が終わる。それと同時に脳に衝撃が加わった。脳を揺さぶられるというのが優しく思えるような衝撃だ。揺れるとも衝撃とも言えないかもな。ダメージが入ったという言い方がおそらく一番近い。
「ジーク!」
「だい……じょうぶ…………収まったみたいだ。っ! やっぱキリトの方が影響が……!」
倒れそうになった体をなんとか立たせ、アリスにも支えてもらいながらある程度の回復を待った。プロテクトをかけてある状態でもこのダメージだ。完全にノーガードだったキリトのダメージは計り知れない。それを表すかのようにキリトは目を虚ろにして倒れており、よく分からないがさっきまで繋がってた右腕も失くなってる。
「……クソッタレめ」
状況を整理したいし、アドミニストレータが死んだことで騎士団も揺らぐだろう。それへの説明はアリス経由と騎士長頼みになるか。……やることは多そうだが、ひとまずはここから出ないとな。
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22話 一休み
脳への直接のダメージなんて初めて経験した。痛みがあるって感じでもなければぐらつくわけでもない。体はぐらついたけども。なんというか、重いって感じかな。体がダルくて重いって感覚の脳バージョンってのが近いかもしれない。結局何が言いたいかと言うと、適切な表現が見つからないってだけ。
大丈夫だと伝えてもアリスは心配してる。それは嬉しいことなんだけど、今はここから出ることと、キリトのことが最優先だ。アドミニストレータが死んだことでどうやら普通に外に出られるようだし、降りるのには苦労しないで済むかな。だからキリトをどうするかだ。プロテクトがかかってなかったキリトへのダメージはデカすぎる。元々脳の治療をしてたはずだ。それなのに脳へのダメージて。
「……とりあえずキリト連れて出るか。騎士長と合流しよう。アリス、先導を頼めるか?」
「はい。ですがジーク。くどいとは思いますが、無理だけはしないでください」
「分かってる。何かあったらすぐに言うよ」
虚ろな目をして脱力しきってるキリトを背負う。こんな状態でも心というか、本能的衝動は働くらしく、青薔薇の剣も回収しようと求めていた。それが分かった俺はアリスに頼んで青薔薇の剣を取ってきてもらい、それをキリトの夜空の剣とは反対側の帯に挿してもらった。
「剣士の鏡だね〜」
「……友情の表れでもあるでしょう」
「そうだな。……親友、ね。こんなの見せつけられたら羨ましいもんだな」
「そうですね」
同年代って言ったらアスナか。けどアスナは親友って感じじゃないんだよな。ソウルメイトでもない。むしろソウルメイトは風林火山の奴らだ。ノリが大好き。あとスリーピングナイツな。
アリスに付いていって下の階へと降り、そこからどんどん下に降りていく。元老院は相変わらず術式を唱え続ける元老たちしかおらず、それも止まることがなさそうだ。止めれるのは今じゃ騎士長ぐらいか。直接の上司じゃないからそれも怪しいけど。
「すっかり夜が明けちゃってるな」
「当然でしょう」
95階の暁星の望楼へと出たところで、眩しく日が昇っているのが分かった。綺麗な青空だし、今起きてることなんて誰も把握してないから、きっと人界のみんなは何も変わらずいつもの生活をしているんだろう。
「そういや騎士長は90階の風呂にいるままかな?」
「それはさすがに……ないと思いたいですね」
可能性高いのかよ。チュデルキンが死んだ時点でディープフリーズは解除されてる。そうなるとあとはあの氷だけ。その氷もユージオが死んだ時点で溶けるとしても、そこそこ時間差があったはず。つまり騎士長はしばらくの間氷の中だったわけで、冷えた体を温めるために大浴場に浸かっててもおかしくはないな。
それならいっそ俺もそこに混ざりたい。普通に風呂に入りたい。キリトもついでに突っ込むとしよう。野郎の体を洗うのは超嫌だが、キリトには今回押し付けすぎた。それくらいはするべきだろう。
「おっ、無事……とは言い難いが、戻ってきたか」
「アリスの予想通り湯に浸かってますね〜」
「嬢ちゃんは慧眼だな。背を向けてるが」
「お、小父様! 何か身に纏ってください!」
「まだ体が温まりきってなくてな。悪いがしばらくこのままだ」
この世界ってわりと欧米感あるくせに、普通に風呂を満喫するよな。向こうの人ってシャワーで済ますことが多いって聞いてたんだが、そのへん混ぜて作るあたり菊岡たちも日本人だな。
俺の後ろで背中を向けてるアリスが落胆してるのを感じ取る。まぁ、男の裸なんぞ見たくないわな。しかもあれだけのことをやり終えた後で、これから今後の話をしなくてはって意気込んでたわけだし。
「お前さんたちもどうだ? 疲れたろ」
「ハッハッハ。騎士長は面白いことを言いますねー。これから今後の人界の話をしようって流れになってるのに」
「ふむ、まぁそりゃそうか」
「では、お言葉に甘えて浸かります。酒もあれば完璧」
「ジーク!?」
「ハハハ! 分かってるじゃねぇかジーク!」
キリトを下ろして俺も風呂に入ろうと思っていたら、アリスが瞬時に俺の目の前に移動する。その勢いに任せて服を掴まれ、前後にガクガク揺さぶられる。たぶんシリアスなムードを壊されたくないんだろうな。気持ちはわからんでもないが、とりあえず揺らすのやめてほしい。俺はキリトを背負ってるんだから。
「なんなら嬢ちゃんも入るか?」
「あんたにアリスの裸体見られるのは気にくわんな!」
「お前が怒んのかよ!」
「ジーク……」
「え、何この場違い感。オレ邪魔者になってね?」
さて、アリスの肩の力も抜けたところで、騎士長と真面目な話でもするか。まずキリトを下ろしたい。ずっと背負ってんのしんどい。そんなわけでキリトに大浴場の縁に背中を預けさせ、俺は足湯を満喫。アリスは騎士長を見ないようにと相変わらず視線を逸らしてるけど、俺の横に座ってる。キリトのことも見てくれてるし、まぁいいか。
騎士長と別れてからの話を俺なりにして、補足説明をアリスが加える。そうしてカーディナルのこともユージオのことも話した。だが、菊岡たちと話したことだけは伏せた。これはまだ話すべきではない。騎士長もそれには気づいていたけど、敢えて突っ込まずにいてくれた。話すタイミングは任せてくれるらしい。器が大きいね。さすがは騎士たちを束ねる長だよ。
「ふむ……。ま、やれるだけの備えをするしかないか」
「もしかしなくてもある程度想定されてました?」
「お前さんたちが挑むって時点でな。……いや、ユージオに負けた時点で可能性は脳裏にチラついてたか。惜しい若者を失った」
「小父様……」
「三人はしばらく休んでたらいい。一旦自分を見つめ直すのもいいだろう。ここからはオレが引き継ぐ。長たる者の役割だからな」
湯船から出た騎士長は、用意していた和服に身を包む。氷漬けになってた時に着てたやつだ。当然濡れてるわけだから、一気に湯冷めして寒そうなのだが、騎士長からはそんな様子が一切見られなかった。先に失礼すると言って堂々とした足取りで出ていく騎士長の背中はやはり大きい。騎士団だけじゃない。この人界を守るべく頂点に立ち続けてる者の背は、背負い続けてきたその魂は、計り知れないほど大きいな。
「凄い人だな。騎士長ってのは」
「はい。私の目標ですし、私の師ですから」
「なるほどね。……師なの!?」
「そうですよ。私は小父様に鍛えてもらいました。ちなみに私の弟子はエルドリエです」
「へ〜」
「と、ところでジーク」
「ん?」
騎士長に鍛えられたから、ってだけではないことは分かっているが、アリスの実力の裏付けは明かされた。そしてそんなアリスの弟子が、エルドリエらしい。姿しか見たことないが、整合騎士の一人だ。実力だってあるだろうし、アリスが鍛えているというのなら、是非とも戦ってみたい。なんて考えていたら、アリスが隣りでモジモジしながら話しかけてきた。デリカシーの欠片もないが、花を摘みに行くのならご自由にどうぞ。
「そ、その……お風呂……入りませんか?」
「……んん!?」
予想の斜め上どころか5段は上の言葉が飛んできた。俺の思考が止まるには余りある威力だよ。
☆☆☆
「いい湯だな〜」
「そ、そうですね……」
「この状況作ったのアリスだからな?」
「わかっています……!」
今私達は大浴場に浸かっている。一糸纏わぬ姿で、背中合わせで。髪のおかけでジークの背と私の背が直接触れることはないけど、やっぱり恥ずかしい。ジークがキリトも湯船に浸からせていて、溺れないようにジークが面倒を見てくれている。
──なんでこんなことしてしまったのでしょう……
なんでも何も私がこうなるようにジークに話を振ってしまったのが原因なのだけど、いったい全体私は何を思ってこんな……。
「アリスって凄いよな」
「へ?」
湯船の中でそっと私の左手にジークの右手が重ねられる。そして唐突に放たれたジークの言葉。それがよく分からなくて、私は思わず視線を後ろに回してしまった。それに気づいたジークも軽くだけど振り向く。
大丈夫。視線が下がらなければ。……やっぱり駄目。恥ずかしいから元に戻ろう。
「信じてたものが間違ってるからって、普通はそう簡単に動けない。信じてたのにって打ちひしがれたっておかしくない。それなのにアリスはすぐに人界を正そうと立ち上がった。右眼の封印すら破って。……それ、だいぶ痛かったはずだろ?」
「……はい。焼けるように熱くて、激しい痛みが神経すら焼きそうで……。でも、私が立てたのは私だけの力じゃないですよ? 微かに感じられるアリス・ツーベルクの記憶。そこにいる大切な人、騎士として護らなければならない民たち。何よりも、ジーク。あなたの存在が私を支えてくれたのです」
「どうだか……。俺はやりたいようにしてるだけの迷惑なガキだからな」
「自分を卑下にしないでください。それで救われる者もいるのですから」
「アリス……っ!? ちょっ! おまっ、何して……!」
こんなに慌てふためくジークを見られるなんてどこか新鮮な感じがする。それを見るためには、
「アリスさんアリスさん。背中に当たってるんですけど」
「……今はそういうの言わないでください。私だって恥ずかしいのを耐えてるんですから」
「ならしなかったらいいのに」
「そしたらジークは自分を責めることを止めないのでしょう? その方が私は嫌なのです」
「……ごめん」
「そうじゃないでしょう?」
「うっ、……ありがとうアリス」
「どういたしまして」
ジークの背に乗りかかるようにして、腕はジークの肩越しにそっと抱きしめるように回す。広すぎる首輪って感じかしら。ジークの背は小父様のような、がっしりとして全てを受け止めるような大きすぎるものじゃない。でも、決して小さいとも思わない。比較対象が小父様だから小さく思うだけ。十分大きい背中。私よりも背負ってるものが多いってわかる。
瞳を閉じてジークの頬に自分の頬をすり寄せる。たしかに感じられるジークの存在。私の心に広く深く居座るこの感情を抱かせる人。失いたくないし、離れたくもない。ジークが改めて私の手に重ねてくれた手を握る。この手を離さないために。
だから
──ジークには戦争に参加させない
──たとえ嫌われたとしても
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23話 けじめ
俺は引き続きキリトを背負っているわけだが、こいつが復活するのは当分先なのだろう。二人で今後の行動を決めたいところだが、俺だけで判断して行くしかないな。菊岡は外での対応で手一杯だし、今回の件でそれなりに思うところがあるっぽい。ひとまずは言われた通り《ワールドエンドオールター》を目指したらいいんだろう。ダークテリトリー軍との戦争が終わってから。
俺達の目的である肝心のアリスが、人界の行く末を見届けず、役目を投げ捨ててリアルに行くとも思えない。そんなアリスの意志を俺も尊重するさ。アリスを守り抜いて連れて行く。外が理想郷なんかじゃないことを説明だってする。むしろ外の方が汚れているということも。ぶっちゃけアリスが望まないというのであれば、俺はアリスを連れて行かない。
そのアリスなのだが、さっきから俺の斜め後ろを顔を伏せながら黙々と歩いている。整っていて可愛らしい耳が赤いようだし、さっきの混浴での自分の行動で自滅してるんだろう。
「お待たせしました。何階へ行かれますか?」
「50階までお願いします。
「かしこまりました。しかしながらアリス様。私は昇降係という名ではありません」
「え?」
「私はジーク様からエアリーという名をいただきました。これからはそう及びください」
「エアリー……ジークが名付けた?」
アリスが言葉を溢していくのが耳に入る。エアリーの名前に関しては、自分の中に入れるように、覚えるためだろう。そのへんはさすがアリスだ。しかし、後半の呟きがどうにも背筋を凍らされる。なにせアリスの声が疑問形なのに怒気を含んでいるのだから。背中に刺さる視線が痛い。
そんなアリスの反応をどう思ったのか、エアリーが嫌味ったらしく笑顔を浮かべる。アリスを煽るようにわざと腹立つような笑顔をし、若干顎を上げてアリスを見下している。今までこういう素振りを一切取らなかった人物にやられると、アリスも腹を立てるというもの。俺の半歩前へグイッと出てくる。
「何なのですかその態度は?」
「いいえ? アリス様が含みのある言い方をされていたもので」
「あなたには関係のないことです」
「そうですね。ジーク様から
「なっ!」
うっわ。エアリーがめちゃくちゃ楽しんでる。アリスを煽って楽しんでるよ。謝罪の言葉も全く謝る気ないよ。たしかに俺はアリスも何もできていないけども。強いて言うならアクセサリーあげたくらいだけども。
「そんなことはありませんよ! ジークは
「それはそれは大切な物をいただきましたね〜。ですが私は"名"という他に変え難いものをいただきましたので」
「うぅっ……。どういうことなのですかジーク!」
「アリス様。私に負けてるからとジーク様を攻めるのは見苦しいですよ?」
「……ジーク。私は醜いですか?」
「そんなことないからな? エアリーもアリスで遊ぶのはそこまでだ。これ以上は許さないから」
「失礼しました」
両手で支えながらキリトを背負っているのだが、それを調整して片手を使えるようにする。空けたその手で気を落としてるアリスの頬に手を添える。視線を合わさせ、蒼いその瞳を覗き込むようにしてフォローする。こうした方が伝わるっぽいからな。それが終わってからエアリーに釘を刺した。今度の謝罪の言葉は、さっきとは違って形だけではなかった。
アリスの機嫌を治しながら50階まで戻り、そこから地上まで歩く──わけでもない。アリスに飛竜の発着所まで案内され、そこでアリスの飛竜こと
「お前の主人は苦労人だな」
キリトを座らせ、身体を解しながら雨縁へと話しかける。ベルクーリから休暇を言い渡されたのもあるが、アリス自身休息が必要だ。特に精神面。それをどこまで自覚してるのかは分からないが、長い休暇を取るのだろう。そのためにもアリスは支度しに自室に行ったんだ。
アリスは優しい。優しすぎるまでに優しい。自身の傷よりも他人の傷を気にする子だ。そして、何の因果かそういうアリスが今回の件のキーマンとなってしまっている。外で襲撃されてるってことは、間違いなく連中の狙いはアリスだ。嫌なことにアリスがどう利用されるかに予測がついてしまっている。
──残酷過ぎるんだよクソッタレが
あのアリスに強要させるなんて俺が許さない。残念なことに思考ができるとはいえAIなんだ。制限やら改変やらされてしまうことだって考えられる。そんなことには絶対にさせてはいけない。
「いてっ! どした!?」
思考の沼に使っていると雨縁に小突かれた。何かあるのかと思ったのだが、小突かれただけでそれ以外何もされない。首をひねってからまた思考を始めると、また小突かれる。どうやらこれ以上考えるなと言いたいらしい。こいつほんとに竜かよ。知能高すぎないか? まぁいいや。思考を止めよう。
キリトの様子を確認して時間を潰していると、用意を終えたアリスが戻ってきた。それほど多くの荷物ってわけでもないな。飛竜に人を三人乗せるのと、荷物を乗せるってのも考えたらそうなるか。さて、じゃあ次は俺が待たせる番だな。
「アリス。悪いがここで待っててくれないか?」
「どこかに行くのですか?」
「ちょっとな。いいか?」
「ええ。急ぎではありませんので。待ってる間はキリトのことを見ておけばいいのですよね?」
「ああ。頼む」
アリスから許可を取った俺はすぐさまこの白亜の塔、セントラル=カセドラルから出た。向う場所は決まっている。俺とキリトとユージオの縁がある場所。フレニーカたちがいる修剣学院だ。
☆☆☆
「ジークさん!」
「フレニーカ。ただいま」
「ご無事でよかったです……。本当に……!」
あ、ごめんなさい。全然無事じゃなかったです。何回も死にかけました。アリスやカーディナルがいなかったらぽっくり殺されてました。神聖術で治されてるから気づかずに済んでるだけなんです。
目に涙を浮かべて安堵するフレニーカに大きな罪悪感を覚える。もしかしたら正直に話しても、その可能性も考えてたなんて言われるかもしれないけど。わりと無茶苦茶な人間だと認識されてるっぽいし。
「ジークさんが……騎士様と戦ってるかも……なんて考えてしまってて……」
はいアウトー!! この子めっちゃくちゃ鋭いっすわ! 俺の行動バレバレですわ!
そんなことなくてよかったです。なんて微笑んでるフレニーカに、俺は笑顔を引きづらせる。怪しまれない程度に話を逸らすしかない。そこで俺が取った行動は、早速本題に入るというものだ。急いでないとはいえ、アリスを待たせ過ぎるわけにもいかないからな。俺はフレニーカの両肩に手を置き、顔を引き締まらせる。フレニーカもそれで空気が変わったと察してくれた。動揺してるけどな。
「フレニーカ。戻ってすぐで悪いんだが、ロニエとティーゼを呼んできてくれないか?」
「ジーク……さん? お二人の身に何かあったのですか?」
「……少ししか話せないが、話せるだけのことを話すよ。だから呼んできてくれ」
「わかりました。少し待っていてください」
パシりに使って悪いんだが、フレニーカは全く気にすることなく二人を呼びに行ってくれた。空気を読んでフレニーカのルームメイトも退室する。それから気づいた。これ俺とフレニーカが二人の部屋に行けばよかったやつじゃん。もう遅いけども。
あとでお詫びに食堂で何か奢ろうと心に決め、フレニーカたちが部屋に来るのを待つ。急な呼び出しの上に、特に接点の無い俺が相手なのだが、ロニエとティーゼはわりと早く来てくれた。当然なんで呼ばれたのか分からず、二人は困惑しているが、不安そうにしてる面も見られる。キリトと知り合いだという俺が一人で戻ってきてるのも原因なのだろう。
「さて、二人が来たわけだし、まずは
「え?」
「ジークさん!?」
「な、何を! ひとまず頭を上げ──」
「ごめん。ユージオを助けられなかった」
「……え?」
二人が来たことですぐさま俺は土下座した。この世界に土下座のことが根付いているのかは知らないが、チュデルキンはしていた。二人が知らなくても謝らないといけないし、土下座というものが文化として存在し身についている俺にはこれが最大限の謝罪の仕方なんだ。
「ジ、ジークさん……助けられなかった、という、のは……」
「ユージオを死なせてしまった。俺の力不足だった」
「ユージオ……先輩、が……? そんな……うそ……」
「ティーゼ……」
「話せるだけ話す。ユージオがキリトと何をしていたのか」
ユージオに恋し、慕っていたティーゼがその場に崩れ落ち、ロニエとフレニーカがティーゼを支える。放心していたティーゼだったが、次第に瞳から涙が溢れ始める。今話してもティーゼの耳に届くかは分からないが、今話さないといけない。今後会えるのか定かではないのだから。ティーゼが聞けていなくても、ロニエもフレニーカは聞ける。その時には二人からまた話してもらうしかない。
俺はキリトやユージオから聞いた逃走劇、その後の騎士たちとの戦いを話し、ユージオがアドミニストレータとの戦闘で取った行動を話した。アリスからも少しは聞いていたからな。ユージオのおかげでソードゴーレムが倒せたということ、アドミニストレータにダメージを与え、そしてキリトに最大の援護をしたことを。ユージオの生き様を、無駄ではなかったということを丁寧に話した。
話は耳に入っていたようで、ティーゼは声を震わせながらユージオのことを褒め称えた。その精神力には俺の方が言葉をつまらされた。本当に強い子だよ。この世界は本当に、リアルより強い子が何人もいる。
「ジークさん。その……キリト先輩は……」
「……キリトは生きてるよ。無事とは言えないけどな」
「キリト先輩……」
「今キリトは誰とも話せる状態じゃない。……ごめんな。キリトのも俺のせいだ。俺が拘りを捨ててりゃきっと結果も変わってた」
「いいんです。キリト先輩は……誰かのために……頑張っちゃう方ですから」
この子たちのメンタルは本当にタフだな。悲しくないわけがない。今だって涙を流してる。それなのに現実を受け入れられてるのだから。俺が刀以外使いたくないなんてやってるせいで、そんな我儘のせいでこうなったのに。全く俺を責めないし。強いにもほどがあるよ、ほんと。
こんな子たちが慕う相手を片や死なせ、片や崩壊させた。そんな自分を自分で責めていると、そっと俺の両頬に手を添えられ、そのまま顔を上げさせられる。その相手はフレニーカで、少しムスッとしていた。
「ジークさんは何でも自分に置き換えすぎです。どうか背負いすぎないでください。背負うなら分かち合ってください。そして
「っ!」
「気づかれてますか? 自分を否定してしまっていることに。受け入れてあげてください。そうしたらきっともっとジークさんは、ジークさんが求めているものを掴めると思います。ジークさんは強くて、私の憧れなんですから!」
「……まいったな。フレニーカの方が年上に思えるよ」
「私だって成長するんですよ」
「はは、そうだな……。ありがとうフレニーカ。少し楽になったよ」
フレニーカと顔を突き合わせて微笑み合う。作り笑顔ではなく、自然と発生した笑顔だ。こうさせてくれるなんて、フレニーカを俺は過小評価してしまっていたな。か弱い小動物系少女だと思っていたが、全くそんなことはなかった。成長が早いったらありゃしない。嬉しいものだね。
だが、そんなフレニーカをまた俺は悲しませてしまうんだろうな。またいなくなるんだから。そして俺は休暇のあとに戦争に参加する。死ぬような行動はもう取らないが、終わったらすぐに外に出ることになるだろう。永遠の別れかもな。
──それなら
「フレニーカ。ちょっと手を出してくれるか?」
「? わかりました」
「不快だったらごめんな」
──今この場で
「約束する。俺は死なないって。必ずまたフレニーカのいる所へ戻る」
「ジークさん? 何を言って……」
──誓いを立てよう
フレニーカの手の甲に軽く口を押し当てる。さながら中世の騎士のように。刀好きなら武士らしいことしたほうがいいんだろうが、残念ながらそこまでの拘りはない。あくまで武器は刀がいいってだけだ。
手から口を離してフレニーカの様子をうかがうと、フレニーカはくすぐったそうに、そして恥ずかしそうに頬を染めてただけだった。よかった。不快ではなかったらしい。
「ごめんなフレニーカ。またちょっと行ってくる」
──この誓いは守り抜いてみせる
──この子を悲しませないために
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24話 休暇
遮蔽物もなく見渡せる青い空。美味しいと感じるほど澄んだ空気。常緑樹もあるみたいで寒くなり始めてるこの時期でも緑の葉をこれでもかと伸ばす木々。その中にも葉が移ろいゆく種類の木々もあるらしく、リアルと同じように紅葉を見せる葉もある。セントラル=カセドラルほどの高さがあるものは人界のどこにもなく、あの建物程ではなくとも巨大な姿を見せていたギガシスダーもキリトとユージオによって切り倒されている。それによって更にリソースが村に回るようになったんだとか。
「ジーク。今日は私が行きますから、偶には休んでください」
「悪いなアリス。でもこれは俺の仕事だからさ。アリスはキリトを頼むよ」
「ですが……」
「俺ってそこまで料理できないしさ。できることで分担したらこれくらいしかないんだ。だから、やらせてくれ」
「……あなたはズルい人です。そんな言われ方をしたら引くしかないじゃないですか」
目を伏せて首を振るアリスに一言謝る。アリスにどう言えば引いてくれるのか、そこを考えた上で発言しているという負い目もある。アリスの気遣いを無下にするという負い目もある。何より、アリスをこの小屋に閉じ込めてるような罪悪感がある。
「それじゃ行ってくる。昼には一度戻るから」
「……はい。どうか気をつけて」
アリスへの
俺とアリスがキリトを連れてきたこの場所はルーリッド村。アリス、キリト、ユージオの三人にとってはすべての始まりの村。俺にとっては初訪問だが、それなりに居心地がいい。もちろん他所者を迎え入れることに抵抗がある人もいた。
そんな俺達に小屋を提供してくれたのは、キリトにギガシスダーの枝で剣を作るように助言したガリッダさんだ。村から少し離れた場所に小屋を持っていたガリッダさんが、ここを俺達の拠点にさせてくれた。そして、勝手に居座る代わりにと俺達は樵をやることにした。初めは交代してやっていたが、俺が他にできることがないから、今では俺一人でやらせてもらっている。
──理由はそれだけじゃないけどな
「……今日はこの辺か」
用意された斧を持ってさっそく作業開始。アリスの金木犀の剣やユージオの青薔薇の剣、キリトの夜空の剣レベルのものであれば一回で切り倒せるのだが、あれらで樵の仕事はしたくない。アリスはやってたらしいけども。
「
斧を構えて意識を集中させる。やることは一言で済ませると《心意》の練習だ。この世界では《心意》の扱いの上手さが強者同士の戦いを左右させると分かった。キリトはソードスキルに変化を及ぼすほどだった。《心意の太刀》や《心意の腕》もあるという。
それらを極限に集中した状態でしか使えないのでは、この先の戦争に対抗できない。整合騎士レベルで一騎当千であっても、敵の数は推測で5万前後。数で押し負ける。義勇兵を募ったところで付け焼き刃だ。過酷な環境で生きてきてるダークテリトリー軍に気合だけで張り合えるわけがない。
そしてそれは俺にも言える。個人の目的であれば、キリトとアリスだけを連れてワールドエンドオールターに行けばいいだけ。それでも実力がこのままでは難易度が果てしなく高い。さらに、アリスが戦争を投げ出すわけがない。殲滅は不可能だから、着地点は和平だ。そしてそのためには和平を望まない者たちの主導者を殺していくことが望ましい。
──頭を潰せば他は止まる。実力で物を言う社会ってのが好都合だな
強者に従うのがダークテリトリーのルール。頭を潰したやつに従うのも当然と言えるだろう。だから、和平への道筋を確立させれば、アリスも納得してくれるはずだ。そうならなくても時間の問題ではある。和平が成立してからでも遅くはない。この世界は外よりも早く時間が経つのだから。
「──ふっ!」
《心意》で強化した斧を木に打ち込む。本来の性能では考えられないほど切れてはいるのだが、それでも一発で切断するには至らない。まだ意識が弱い証拠だ。《心意》とは思いの強さだ。チュデルキンやアドミニストレータと戦った時ほどの強さが今はない。アレを限界にするわけにはいかない。最低レベルにすべきなのだ。
「……あー駄目だな。焦ってちゃ習得できねぇ。アリスも時間がかかるって言ってたし」
焦っていては冷静さを欠く。これでは何もできない。……あー、そういうことか。俺はアリスが一人で頑張ろうとすることに焦っているのか。あの戦いでは何もできていなかったから。あれ以上のことが待ち受けていると考えられる戦争。そこにアリスが飛び込むことが嫌なんだ。
武器を持たない俺が戦場に立てない可能性の方が圧倒的に高い。拳でやり合えなくはないが、その内容は特攻だ。それを知るアリスが騎士長に頼み込めば、俺を戦場に出させないように手を打ってくるだろう。あの人は今や人界をその両肩に背負っている。そんな人間を戦場に立たせては、周りに悪影響が出かねない。だから、足手まといではないと思わせるために、誰よりも《心意》の扱いに長ける必要がある。
「すぅー……はぁー。よしっ!」
大きく深呼吸して、いつの間にか入っていた肩の力を抜く。《心意》は怒りでも発動させられるが、それでは不安定過ぎる。キリトのように純粋な意志のみで発動するべきなんだ。
斧を握り直し、肩幅程度に足を広げる。斧を肩に担いで一度目を閉じる。自分の心に語りかける。俺は何のために戦おうとしているのか。
──この世界を作った菊岡たちのため? 違う
──ボロボロになるまで背負い込んで戦ったキリトのため? 違う
──アリスを想って立ち上がり、そして倒れたユージオのため? 違う
──優しい心を仕舞って戦場に立とうとするアリスのため? 違う
──過酷な状況なのに誰よりも真っ直ぐ生き抜いた彼女のため? 違う
「俺は俺のために戦う。自己満足したいがために」
目を見開いて担いでいた斧を振りかざす。狙いは次に切り倒す木。斧を斜めに振り下ろして狙い通りの場所に打ち込む。今度は止まることなく振りぬくことができ、この一撃だけで切り倒すことに成功する。
倒れた木を軽く眺めてから、斧を持っている自分の手に視線を移す。何度か手のひらを開閉して先程の感覚を覚え込む。この感覚を体に覚え込ませ、そこからはさらに応用を効かせられるように練習だ。だがその前に。
「何のようだセルカ」
「あら、気づいていたのね。集中してたから気づいてないと思ってたのだけど」
「集中ってのは目の前のことにだけってわけじゃないんだよ。逆に視野が広がることだってある。超人の域にいくとどうなるかは知らないけどな」
「私からしたらジークは超人に入ると思うのだけど」
「俺なんて雑魚だよ」
俺の後ろにある木。その影から姿を現したのは、アリスの実の妹であるセルカだ。当然ユージオとも面識があり、キリトとも面識があるらしい。セルカは修道女として日々励んでいて、キリトが村にいたときは村にある教会で寝泊まりしていたのだとか。その時に教会の規則を教えたのがセルカというわけだ。
このルーリッド村に来てからすでに半年ほど。ここに来る前に騎士長から聞いていた《東の大門》の天命が尽きる日も近づいている。時間が足りないからここからは鍛錬の質を上げなければいけない。
「ねぇ、なんでジークはそうやって一人で戦うの?」
「いきなりどうした」
「はぐらかさないで。私が言いたいことは分かってるでしょ?」
「さぁな。俺とセルカは出会って半年しか経ってないし、半年間ずっと一緒にいたわけでもない。そして毎日顔を合わせていたわけでもない」
セルカにだってセルカの都合がある。本人がなるべくこちらに顔を出すようにしていても、その頻度には限りがあるし、時間にも限りがある。そして基本的にセルカと話すのはアリスだ。俺は部外者だからと距離を取ることが多かった。二人からしたら余計な気遣いらしいがな。
俺が言葉を躱すことに呆れたのか、セルカは半眼になってため息をついた。正直に言えばセルカが言わんとしていることに察しはついてる。そしてそれに対する俺の返答も決まっている。今さら覆らない。
「そのやり方はアリス姉さまを傷つける。それくらい分かってるはずでしょ?」
「そうだな。アリスは俺が戦うのを良しとしない」
「分かってるならなんで!」
「セルカ。俺はセルカほど
「っ!」
セルカは賢い。そして察しもいい。俺が言いたいことがこれだけで伝わってしまうほどにな。唇を噛み締めて手を強く握るセルカに、俺は何も言葉を投げられない。何一つとして言葉を持ち合わせていないから。
最愛の姉がいずれまた戦いの場へと出向く。アリスはそのことを語っていないはずだが、整合騎士となったことは証している。それなら戦いに行くことは明白。整合騎士の役割は誰だって理解しているのだから。それをセルカは受け止めた。姉が傷つくかもしれない。最悪の場合今の時間が最後になるかもしれない。それでもセルカは、その事実を受け止めきった。行くなと言わなかった。多少は表情を曇らせたが、それも数秒の間だけ。すぐに陽だまりのような笑顔を浮かべてアリスの帰りを待つと言ってのけた。
それが俺には眩しすぎた。そんなことは俺にはできないから。無事を祈って待つほどの心の強さを俺は持ち合わせていない。あるのは、アリスを信じきれない己の弱さのみ。
「……もう考えを改めることもないのね」
「まぁな」
「はぁ……。それなら怪我しないで勝てるぐらいに強くなって」
「は?」
「ジークが一度も傷を追うことなく戦い抜けるほど強くなれば、アリス姉さまだって心配事がなくなるでしょ? ジークも姉さまを守り抜ける。一石二鳥じゃない」
「……ははっ、やっぱお前はアリスの妹だよ。……ユージオの──」
「謝らないで。それはあなたが謝ることじゃないから」
「……わかった」
セルカのやつ、俺の何手先の思考をしているんだろうな。毅然とした態度で言ってきやがって。絶対に今のはこの瞬間に思ったことじゃない。あらかじめ用意していた言葉だ。つまり、説得が無理だった時ように保険をかけておいたわけだ。かつてキリトたちの脱獄を見抜いていたというアリスの慧眼。セルカも修行をすればその域に到達するだろうな。恐ろしい姉妹だ。
「そういえばずっとジークが樵してるわよね? 初めは姉さまもやっていたのに」
「あー、ちょっとした練習がしたいのと、アリスの方が料理できるからだよ」
「……パンケーキを熱素で炭にしてた姉さまよりできないの?」
「しばらくは俺の方ができてたんだぜ? 挑発したら急成長したんだよ。今じゃ足元にも及ばないぐらいだね」
「アリス姉さまも乙女なのね」
アリスのあの急成長は何だったんだろうな。日に日に料理の腕が上がっていってたぞ。俺の料理の腕を超した時のあのドヤ顔は忘れられないな。いずれまたコツコツやって追い越すとしよう。ALOなら俺の方が上だし。あー、でもあそこは上限が決まってるからなぁ。リアルの方ではアリスに食べてもらうこともできないだろうし。……またここに帰ってくればいいか。
「俺はもうしばらく仕事やるが、セルカはどうする? アリスのところに行っとくか?」
「そうさせてもらうわ。今日も長いはできないけど」
「それでも十分ありがたいけどな」
林を駆け抜けていくセルカを見送りつつ、その速さに呆れる。よっぽどアリスに会いたいらしい。それはそうと、あの速さって無意識に《心意》でも扱っているのだろうか。年相応の速さじゃないんだけど。
「まぁいいか」
樵としての仕事と《心意》の練習を再開し、さっきの感覚を思い出しながら斧を振り下ろす。意識を研ぎ澄ませ、全てを切り裂くように。
☆☆☆
「来客とは珍しい。てかよく分かったな」
「私の飛竜はアリス様の飛竜と兄妹なのでね」
「なるほどね。自己紹介しとこうか、ジークだ」
「デュソルバート殿から多少は聞いている。私はエルドリエ・シンセシス・サーティワン。アリス様の弟子だ」
「らしいな」
夜に来客してきたのは、正式な整合騎士としては一番若いエルドリエだ。ユージオは非公式だし、正気に戻ってからはあの時の力を使えてなかったから、整合騎士と言えるのかも怪しい。
エルドリエの来訪の理由は分かりきっている。アリスに戦争に参戦してほしいのだろう。騎士長からは休暇と言い渡されているが、細かなことはこっちに決定権がある。そしてアリスはまだ参戦へと踏み切れていない。アリスのことだから時間の問題ではあるんだがな。急がせるものでもないだろうに。
「エルドリエ。引き取りなさい」
「……とことん二人で話し合え」
「ジーク?」
「アリスがどうするかはアリスが決めればいいし、そこに他の誰かの存在を入れて考える必要もない。けど、エルドリエもわざわざ寄ってくれたんだ。話し合いぐらいするべきだろう」
「……わかったわ」
俺はアリスとエルドリエだけにするためにキリトを別の部屋に移動させ、俺自身は外に出た。軽く会釈していたあたり、エルドリエはプライドだけの人間じゃないらしい。案外仲良くなれそうだ。
「飛竜は……あれか。兄妹竜なだけあって仲いいのな」
少し離れた場所でじゃれ合う飛竜の姿に頬を緩ませる。整合騎士の相棒であり、戦闘にも用いられるらしいが、それでもやはり生物だな。心がある。アドミニストレータが作ったソードゴーレムは、たしかに戦場で最効率の殺戮を繰り返す存在だ。だが、そんなやつと肩を並べたくはないし、そんなやつの力で守りたいとも思えない。そもそめ代償が守るべき人間ときたら尚更だ。
「──っ! はぁー、
殴られたような激しい鈍痛。それが頭で響く。軽い目眩を覚え、体が崩れそうになるのを耐える。キリトが精神崩壊したあの日。あの日からたまに起きるこの現象。外のSTLで何かしら異常が出てるのか、それともあの時の衝撃が何度も押し寄せてきてるのか、それを確かめる術はない。
「これは慣れないな……。せめて戦闘中に起きないでくれよ」
謎の現象に独りごちる。痛みに引くまで体を草原に投げ出して星を眺める。SAOの時からそうだったが、作り物とは思えない精巧さ。リアルと同じ星座もあれば、どれにも該当しないものもある。それらをテキトウに繋げていき、自分で勝手に星座を作って名前をつける。もしかしたらこの世界では、すでに星座の名前が決まってるのかもしれない。その時は教えてもらうとしよう。
痛みが引いてから体を起こし、夜風に癒やされていると、エルドリエが飛竜の下へと歩いていくのが見えた。どうやら話し合いは終わったらしい。そしてその結果は予想通りだった。アリスはまだ決意が固まっていない。開戦までには戦う意思を固めて、戦場に出ると言うんだろうけどな。俺はそれに備えて少しでも技量を上げるだけだ。
俺のこの考えは叶わなかった。俺は開戦時に戦場に立つことができなかった。
──他でもない。アリスの手によって
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25話 開戦
体を起こそうにも気怠さが勝ってその気にならない。重たい瞼をなんとか押し上げてみる。どこかの中のようだが灯りがなくて薄暗い。光が差し込んでいることから日が昇っていることだけはわかる。
「知らない天井だ。……なんかこれ前にも言ったことあるような……、思い出せないからいいや。そこまで大事なことじゃないし」
軽く記憶を漁っても分からない。そして「知らない天井だ」という発言自体に、そこまで重要さもないからすぐに諦める。それよりも、目を開けて脳に情報を送り込んだからか、はたまた少しは喋ったからなのか、体の怠さがマシになった。だいぶ深く寝ていたらしい。
「テント……だな」
体を起こして周りを見渡してそう判断する。天井も壁も全て布だ。組み立てやすさを重視してるようだし、このテントは簡単に崩せるのだろう。遊牧民が使うやつに近そうだな。
目も慣れてきて意識も覚醒し始める。そこでようやく、俺は今一人じゃないことに気づいた。そいつは喋らないけどな。
「キリトもここにいたのか……」
車椅子に座らされ、片腕で大事そうに愛剣と青薔薇の剣を抱えるキリトを見つけた。復活にはまだ時間がかかるらしい。別に一人でもなんとかするが、キリトが起きてくれるに超したことはない。まず人を一人抱えながらってのが面倒だからな。
キリトから視線をテントの出入り口へと向ける。そこから入ってくるのは光だけでなく、
──テントがあるということはここは支援部隊の中。そこで戦闘が起きているということは、下手をすれば人界軍は後ろ盾を失うということだ。
「何が起きてるってんだよ……! クソッタレめ」
悪態をついて外に飛び出すと、近くで三人の人界兵と一体のゴブリンが対峙していた。その三人のうち一人は高性能そうな鎧を身に纏っている。つまりあの少年は整合騎士だ。戦いは任せて問題ないだろう。
一旦そっちから視線を外して別方向に目を向ける。他の箇所からも戦闘音と声が聞こえてくるが、どうやら人界軍が押し返してるらしい。どれだけのゴブリンが来ているのか分からないが、俺が手伝っても少し早く片付くか片付かないかのどちらかだろう。
戦闘が気になって飛び出したが気苦労で済みそうだ。近くで戦っていた整合騎士もゴブリンを倒したようだしな。どうやらあのゴブリンがリーダー格だったようだが。
「ジークさんお目覚めになられたのですね!」
「お目覚め……うん、まぁそうだな。ってそれよりも今どういう状況か、分かる範囲でいいから教えてくれないか?」
「分かりました」
「あの、こちらの方は」
「あ、レンリ様。こちらは私の友人の義兄で、ジークさんです」
紹介されたから俺からも一言挨拶をしておく。レンリという騎士は、整合騎士にしては頭が低い人のようだ。見た目は完全に年下だが、整合騎士は体の成長を止める術式を施される。そのタイミングはそれぞれのようだが、この人の場合この見た目の年齢の時に止められたのだろう。ショタだが年上だ。敬っておこう。
挨拶を済ませ、現状を可能な限り教えてもらった俺は、頭を掻きながら前線の方へと体の向きを変える。アリスも間違いなく向こう側にいる。具体的に何処なのかは分からないが、とりあえずあっちに行くしかない。
「アリスめ。まさか
思い起こされるのはその瞬間の出来事。そしてその時のアリスの表情。
『ごめんなさい……ジーク』
「ったく。
☆☆☆
雨縁の背に乗って上空でリソースを集め続ける。私の役割はたった一つだけ。そしてそれがこの大戦の第一戦を大きく左右する。
「……ッ!」
東の大門が崩壊したことで始まったこの戦争。人界で迎え撃つわけにはいかず、私達はダークテリトリー側へと踏み込んだ。すでに分かっていたリソースの乏しさ。そんな環境下でも何倍もの戦力差を覆さないといけない。そのための一手が大規模な神聖術。
かつてキリトはファナティオ殿の光線を鏡で跳ね返したという。その話を聞いたことで着想を得た手段が球体の鏡。発動するのはファナティオ殿のような光線。その威力を飛躍的に上昇させるために光を球体の鏡に押し込める。そして足りないリソースは
「ジークには……怒られるかしら……」
ぽつりと呟いた言葉は私の耳にしか届かない。雨縁にも聞こえているとは思うのだけど、何も返さずにこの高さで停滞することを維持し続けてくれている。あの母竜に似た優しい相棒。後でしっかりと労わないといけないわね。
意識を切り替えて、術式を発動するその時までこの球体を維持することに集中する。戦争に参加させたくないから、と半ば騙し討ちのようにジークを眠らせた。そのために作った術がどこまで効果を発揮するのか分からないけど、きっと嫌われるわね。騙して、その間に私は
「でも……これは私の決めたことだから」
★☆★
ルーリッド村でゴブリンとオークの混合軍を撃退した私は、北の洞窟の一部を崩落させることで道を塞いだ。時間をかければそれも意味をなさなくなるのだけど、そこに執着するほど相手も愚かではない。戦争の準備を進めることの方が賢明だと判断するはず。
私はキリトとジークを雨縁の背に乗せ、お世話になったガリッタさんや最愛の妹であるセルカに別れを告げた。また再会することを約束して。
「アリスが望むなら戦争に行かなくてもよかったんだがな」
「……私が参戦するだけで何かが変わるとも思っていません。ですが、私は整合騎士です。たとえこれが強引に与えられたものであっても、私はその使命を果たします。──私はこの人界が好きですから」
「そっか。ならこれ以上は言わないよ」
キリトを支えながら話しかけてきたジークに、私は振り向いて言い切った。自然と笑みが零れたことから、私は心からこの世界を好きでいられてるのだと確信できた。それがジークにも伝わったのか、彼も柔らかく微笑みを返してくれた。
雨縁に適度に休憩を取らせながら、可能な限り急いで騎士団の下へと戻った。私が戻ったことを多くの人は潔く受け入れてくれたけど、中にはそう思わない騎士もいた。正確には私ではなく、キリトやジークのことを。
「今はこの状態のようだが、こいつの強さはオレが保証する。なんたってこいつの相方であるユージオはオレに一人で勝ったんだからな」
小父様のその言葉に、周りにいた騎士たちの間で衝撃が走った。二人の最高司祭がいなくなったこの人界において、最強の人物は間違いなく小父様だ。その小父様が負けたと言ったのだ。何か策に嵌められたというわけでもなく、正面から戦って負けたと。
小父様が嘘をつくわけもなく、信じ難いことではあってもそれが事実なのだと皆が受け入れる。すぐに受け入れられる者は、二人と戦ったことがある人だけ。そうじゃない人は少し時間がかかった。
「ではその者はどうなのですか? 武器も持たぬその男は!」
「ん? 呼んだ?」
「ジークが話すとややこしくなるので黙っててください」
「ひっでぇ」
「ハハハ! ジークお前、アリスの尻に敷かれてやがるな!」
「小父様も余計なことを言わないでください!」
話が逸れるのを嫌う相手にこんなやり取りをしてはいけないというのに、ジークはそのことを知らないけど。でも小父様はわかってるはず、それなのにこんなことして……。
困った私を助けてくれたのは、騎士の中で唯一ジークと戦ったデュソルバート殿だった。ジークのことを擁護してくれて、十分実力がある強者だと。それでもそう簡単に納得してもらえず、小父様が一手打つことになった。ジークもそれに便乗したのだけど、お願いだから軽い調子で返事をしないでほしい。
「死んだら自分を恨めよ」
「ははっ、騎士長も手加減しないでくださいよ?」
「おう!」
気楽な様子で話していた二人の気配が同時に鋭いものへと変わる。小父様が本気でやるということが伝わってくるし、ジークもそれに応えようとしていることがわかる。小父様が目を開いた瞬間、二人の間で火花が散った。小父様が何かを仕掛け、ジークがそれを相殺できたからだ。
「小父様……今のは」
「心意を刃にしたってだけだぞ。《心意の太刀》ってとこか。同じことをジークにされたけどな」
「半年間何もしなかったわけじゃないですからね。武器が無くても戦えますよ」
「ククッ、恐ろしい小僧だな」
「ジーク……」
この瞬間に私はやっと理解した。ジークが何かと理由をつけて樵をしていたのは、この鍛錬をするためだ。《心意》は大きな力となる。それをジークは実感したから自在に扱えるように鍛錬をしていたのだ。それも全て私が戦争に参加するため。戦える力を身につけてしまえば、武器がないことを理由に不参加とはできない。
そんな私の懸念をよそに話が進んでいた。騎士団の中で誰が参戦するのか、ジークとキリトの扱いをどうするのか、戦略はどうするか。決める内容はまだまだ残ってる。その中でも、すぐに決められることから順に決まっていった。キリトは後方部隊のテントへ、ジークに関しては私に一任されるということに。
「──ッ! ……騎士長」
「あぁ。今一瞬剣気が広がって……消えたな」
「ダークテリトリー側で、それだけの力がある者が消えた。となると、それ以上の誰かがいると」
「そうなるな。……そのことは今は置いておこう」
私は気づけなかった。小父様だけが気づけて、それにジークも気づけた。それはつまり、ジークにもそれだけの能力があることの証明となってしまう。戦力となるのは間違いない、と。私に一任されているとはいえ、ジークにも何か役割をと考える騎士も当然いる。それでも、私は……。
「倍以上の戦力差があると推定されるダークテリトリー軍に正面から戦うことは無謀と言う他ありません。そこでアリス、あなたにやってもらうことがあるの」
「ファナティオ殿?」
ファナティオ殿の策はたしかに効率的だった。それを私ができるのか不安が残るけど、任されたからにはやりきらないといけない。そのことが今回の戦争を大きく左右するのだから。
それから開戦の日までは早かった。小父様は一般民に呼び掛け、衛兵を集めていた。集まった者たちに鍛錬を積ませ、戦えるようにしていた。私もそれを手伝おうと思ったのだけど、ファナティオ殿に託された役割を全うするための術式を考案しないといけなかった。
ジークは意外なことに一般民たちの指導にはいかなかった。ジークはジークで一人鍛錬を始めて、時折私の様子を見に来ては考えるのを手伝ってくれた。そのおかげで神聖術の考案も間に合ったことだし。
「もうすぐ壊れるな」
「……そうですね」
今日、人界とダークテリトリーを隔てていた東の大門の天命が尽きる。人界軍は既に隊列を組んで
視線の先には東の大門が。隣にはジークがいてくれている。不安は募るばかりだけど、時間は私を待ってくれない。
空間を裂くようにひび割れる音が聞こえてくる。とうとう天命が尽きるときが来た。一度ひび割れた音が聞こえ、少し遅れてから追いかけるように崩壊していく音が聞こえてくる。空へ届くのではないかと思われるほどの大門が呆気なく崩れていく。
崩壊前に一度現れた神聖語。それを私は理解できなかったけど、隣にいたジークはおそらくわかっていた。ブツブツと何かしら呟いていたから。
分かっているなら、あの文字の意味が何か聞くべきなのかもしれない。だけど、私はそれよりも優先することがある。
「ジーク」
「どうしたアリ──ッ!? かは……」
ジークに声をかけてこちらを向かせる。さっきの文字に意識がそれていたジークは、私に反応することができない。隙ができてるジークの溝内に本気の拳を叩き込む。ジークは私の肩に手を置いて、崩れ落ちそうになるのを耐えようとする。その姿に心がいたんだけど、ジークを戦わせないためにはこうするしかない。
「ごめんなさい……ジーク」
「アリ……ス……」
「あなたは眠っていて」
ジークの顔を覆うように手を翳す。ファナティオ殿に与えられた役割を果たすための大規模術式。それを考案する時に同時に考案していた神聖術。それをジークにかける。
淡い光がジークの中にスッと入っていき、すぐにジークの瞼が閉じる。意識が落ち、力が抜けたジークの体は崩れ落ちていく。それを支え、ジークをある二人に託す。キリトとユージオの傍付だった二人に。
その後すぐに踵を返して、相棒の雨縁の下へと駆ける。その背に飛び乗って手綱を握り、雨縁を上空へと旅立たせる。後ろを振り返らない。眼下の人界軍を目にして決意を固める。
「ジークには戦わせない。──私が人界を護ってみせる」
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26話 乱戦
後方部隊のテント群から戦場へと向かって走る。アリスに眠らされたことで記憶も混濁していたが、目の前に意識が覚醒したことで聞いていた戦略を思い出せてきた。
まず、人界軍を第一陣と第二陣に分ける。それをさらに三分割ずつすることで、六部隊作る。整合騎士がそれぞれの部隊の指揮官となる。第一陣の中央部隊には副騎士長である
第二陣の中央部隊が騎士長。その両翼には
「ん? あのショタなんで後方にいた!?」
部隊率いてるはずの人間がなんで後方に単独でいたんだろうな! その理由を聞きに戻るなんてやってられないから、とりあえず放置された部隊の場所へと向かうとしよう。たしか第二陣の左翼だったはず。たぶん、きっと、めいびー。
「なんだ、見ればわかるもんだな」
見えてきた第二陣の後ろ姿。その中でも左翼だけが乱れている。右翼は動かず、意外なことに中央も兵が動いていない。それぞれの場所でのみ迎撃しろという形を取ってるのか。厳しいといえば厳しいし、信頼の表れとも言えなくはない。なんにせよ、俺が行く場所はあそこになるな。アリスがいるあの上空にはどう行こうか。それは後で考えるとしよう。
進路を左側へと変えて走る。一応聞いていたが、人界とダークテリトリーはこんなにも違うもんなんだな。まず空の色が違う。余りにも露骨に違う。地面の色も。谷だから草木が殆どないのかと思っていたが、こんな環境が当たり前なら資源に乏しいというのも納得がいく。空気も違うからな。ここに慣れてから人界の空気を吸ったら、空気が美味いって感じることだろう。
「乱戦か……!」
左翼の様子が見えてくると、戦況がどうなってるのかも分かってくる。指揮官であるショタがいないために統率が取れていない。幸いというべきか、第一陣をすり抜けてきたゴブリンたちがいる程度らしい。これならすぐに立て直せるだろう。
軍が混乱して乱れているせいで、間をすり抜けていくのに手間取る。列が整っていれば間を一直線に行けたんだが……、文句を言っても仕方ない。
「お前らどけ!!」
俺の声が聞こえた人たちが驚いてこちらを向いてくる。目の前にいる人を強制的に退かし、少しできた道を初速からトップギアで駆け抜ける。それを見た人たちが慌てて道を作り、さらに前方の人にも急いで開けるように声を張り上げる。そこからはその連続だった。俺が駆け抜ける前に兵士が横にそれる。望み通りの一直線の道ができ、ゴブリンと乱戦を繰り広げてる第二陣左翼の前方へとたどり着く。
俺は指揮を出すような人間ではない。それはヒースクリフやアスナのような人間がすることだ。俺にできることは最前線に出て敵を撃つのみ。だから、今回もそうするために前線に出る。心意を使って跳躍し、兵士たちの頭上を飛び越えて先頭に躍り出る。
「白イウム共を殺せー!!」
「お前が指揮してそうだな」
「あぁ? ……ハハハ! この白イウム武器も持ってねェ!」
ゴブリンたちのやり方なのか、こいつがそういうタイプなのかは知らないが、周りに指揮を出す者が最前線にいてくれている。頭が潰れたら隊は成り立たないものなのにな。
指揮ゴブリンの高笑いが聞こえた他のゴブリンも、俺を見ては笑い出す。さすがに人界軍と交戦中のゴブリンはそっちに集中してるけどな。
「き、君! せめて何か武器を!」
「いらねぇよ」
近くにいた兵士が気を使って言ってくるのを跳ね返し、目の前の指揮ゴブリンを観察する。資源が乏しいダークテリトリーの中でも、暗黒騎士と呼ばれる者たちだっているらしい。その者たちの武装はこちらのものと遜色ないと聞いた。だが、目の前のゴブリンたちはそうではない。切れ味の悪そうな武器を使ってるあたり、ダークテリトリーの中でもさらに資源に困っているのだと推測できる。刃がガタガタになってるが、あれはあれで痛い。もはやノコギリに近い何かだからな。
「黒イウムの拳闘士じゃあるまいし、白イウムのガキ如きが手ぶらで戦場とは良い度胸だなぁ。たっぷり怖さを教えてやる!」
「ふん、実験台にしてやるよ」
剣を一度横に振ってから指揮ゴブリンが突撃してくる。それを迎え撃つために俺も前へと出る。近くに味方がいる方がやりにくいからな。連携を取れる味方ならともかく。
俺が試したいのは、心意の活用だ。さっきの跳躍の時や開戦前の騎士長との腕試し。樵をしていた時の練習では、どれも時間をかけてやっていた。一秒の無駄も許されない戦場において、俺はどこまで自在に心意を使えるのか。それの検証をしないといけない。
「まずは腕ェ!」
向こうの目的は俺をいたぶること。速攻で殺そうとしないところが、今の俺にとってありがたい。
左腕を狙って剣を横薙ぎにしてくる。ならばこちらは左腕一本で防いでみよう。左腕に強固な籠手が装着されるイメージをする。そのまま避けずにわざと左腕を敵の剣にぶつける。
──物が壊れたような音がした
それと同時に左腕に痛みと熱が生じる。しかし敵の目は驚愕に染まっている。俺の左腕を切り落とせなかったからだ。傷も肌が斬られ、若干肉も斬られた程度。まだまだ鍛錬が足りない証だ。この世界で誰よりも強くなるには、誰よりもイメージを強く持てる人間にならないといけない。
"イメージするのは常に最強の自分だ"って好きなゲームのキャラも言ってた。……あれはまさかこの世界を示唆していたとでもいうのか。もしかしたら菊岡たちもあのキャラが好きなのかもしれない。出たら聞いてみよう。三発殴ったあとで。
「ギィィ! 白イウムごときがァ!!」
「見下してるだけじゃ強さの証明にはならんぞ」
上段から振り下ろされる剣を左拳で右側に殴りつける。それと同時に体を半身にして右腕を引いておく。剣の腹を殴ったから今度はどこも斬られずに済み、怒り心頭のゴブリンは力み過ぎて大きな隙を作ってくれた。そこに容赦なく間髪入れずに右アッパーをゴブリンの腹に入れる。体が浮き上がったゴブリンの足を掴み、ジャイアントスイングをして他のゴブリンたちに叩きつける。
──命名ゴブリンボーリング……誰にもオススメしない悪趣味な遊びになるな。この戦争以外では絶対にやらないでおこう。
「やっぱ戦いながらじゃないと磨けないか……。まぁいい、ちょうど戦争だ」
「君はいったい……」
「んー、俺のことは今はいいだろ。敵はまだ残ってるし、最前線のほうが激戦なんだからな。……この部隊ってそれぞれ隊が細かくなってたりするか?」
「あ、ああもちろんだ。衛士長たちがいるよ」
「んじゃそいつら全員ににすぐに伝言だ。『今すぐ自分の隊を立て直して近くの隊と協力しろ。じゃないと自分の隊員が死ぬぞ』ってな」
「分かった」
普通ならいきなり現れた謎の人物の指示なんて聞かない。だが、今回は先にゴブリンを倒した。俺の理想の形ではないが、苦戦していた人たちからすれば好印象だ。そこを突いての指示である。
ぶっちゃけそこまで考えて行動したわけじゃないけどな。結果から逆算して考えたら、そういうことなんだろうってだけだ。
「俺はもう少し敵を討ったらこの先の第一陣のところへ行く。ここの騎士も時期に戻ってくるだろうから、あとはその指示に従え」
言うだけ言ってすぐにゴブリンたちに突っ込む。動きを見ていれば誰が指揮をしているのかわかる。だからそいつを狙い撃ちで倒す。ここよりも酷いことになっている第一陣にすぐに突っ込むなら、これが効率的だからな。
☆☆☆
──大失態だ
その一言が脳内で何度も反芻する。
私は第一陣の左翼として、この戦争に大いに貢献すると息巻いていた。それが私の役目なのだと。師アリスに応える唯一の手段なのだと。
そう思って開戦の時を待っていた。しかし、いざ始まるとこの体たらくである。ゴブリンたちの煙幕によって視界を塞がれ、部隊は大混乱。煙幕に紛れて戦うのかと思いきや、敵は我らをすり抜けて後方へ。
もちろん全てのゴブリンがそうしたわけではない。戦闘にいたものが間違いなくゴブリンたちの長だった。その者の近くにいたゴブリンたちがどこまで行ったのかは分からないが、敵は数が多い。半数以上は今まさに私達の部隊と交戦中である。乱戦ではあるがな。
「この……!」
己の神器でゴブリンたちを一人一人屠っていく。乱戦となってしまった今の状況では《武装完全支配術》を扱うことができない。頼れるのは己の剣術のみ。
指揮系統も乱れている。各々が個別に戦う状態となっており、近くにいる指揮官に頼るという状況だ。かく言う私も近くにいる者には指示を出すが、立て直しの余裕がない。
──アリス様の期待を裏切った
このことが私に冷静さを失わせるからだ。
今までやっていたような「騎士らしい戦い」や「優雅な振る舞い」などかなぐり捨てている。汚れにまみれようと関係ない。可能な限り、一人でも多くの敵を討つ。そのことだけが私の頭の中にある。
「──ッ!!」
「……後方で何が」
戦場の空気が変わったことを感じ取った。そしてそれは後方からだ。そちらに視線を向けてみたが、どうにも詳細が分からない。感じ取った限りでは、さらに劣勢になったというわけではなさそうだ。自体が好転したように思える。
だが、いったいどうやって。何があってそんなことが起きるというのか。その答えはやがて明らかへとなっていった。
「乱戦が……解けていく?」
敵と味方が入り乱れて戦っていたものが変わっていく。後方では敵と味方の区切りが分かりやすくなっており、それが少しずつ
「……何をした」
「単純なことだよ。乱戦ってのは敵味方の境が崩壊するから被害がデカイ。裏を返せば先に連携を取れるように立て直したほうが優勢となる。俺はそれを実行しただけだ。ちょうど俺は後方から来たわけだし、やりやすかったぜ」
「貴様……これは私の部隊ですぞ!」
「馬鹿かお前」
怒鳴りつけると冷淡な言葉が返ってきた。その声の冷たさ、視線の鋭さ、その者の気配の変化。それらを感じ取った瞬間、私は背筋が凍りつく思いがした。
「これは戦争だ。そしてあいつらはお前の駒じゃなくて人間だ。プライドがあるのは分かる。俺だって譲れない信念があるからな。だが、私情を指揮に持ち込むな。それで余計に兵が傷つくんだぞ。最悪命だって落とす。お前はあいつらの帰りを待つ人間に、『私の誇りのために死なせた』って言うつもりか?」
「!!」
「私情を持ち込んで戦うなとは言わない。自分一人の戦いならそれでいいさ。だが、部隊全員の命を預かる立場にいるなら、第一に考えるべきなのはいかに味方を死なせないかだ」
「そう……ですな。……ええ、貴殿の言う通りです」
握り拳を自分の頬に本気でぶつける。我ながら威力の大きさに驚いたが、より気が引き締まるというものだ。目の前にいる男……ジーク殿も目を見開いたが、私が視線を真っ直ぐぶつけるとすぐにニヤッと口角を上げた。
「あいつらは自分たちで前線を押し上げてこれる。ゴブリンも次々に後方に下がっていってるしな」
「で、あるならば私が指示すべきことも必然的に絞られますな。
──速やかに隊を再編して背を打つ」
「分かってるならこの後は任せるぞ。俺は指揮するの嫌いなんだ」
「ふふっ、アリス様が仰った通りの人物ですな」
「……何言われたんだか」
撤退する敵を見つめつつぼそっと言葉を溢す。そんなジーク殿を横目に見つつ、衛士たちに呼びかける時を見計らう。彼らは今、容易に敵を討てる状況に酔ってしまっている。それを止めねばならぬが、早く止めてしまっても止めきれない。逆に遅いと収拾がつかなくなってしまう。
それらを計算しつつ、アリス様がジーク殿を語った時のことを思い返す。
『彼は自分勝手な人間ですよ。誰かのために行動してるように見えるのですが、冷静になって観るとそれが違うのだと分かります。彼は自分の守りたいものを必死になって守ろうとするのです。そのためなら自分が傷ついてもいいのだと考えてしまう。……なぜあそこまで自分を考えられないのかは分かりませんが』
そう語ったアリス様は、寂しげにされていた。東の大門が崩れさった後に一度お会いしたが、その時にジーク殿の姿はなかった。眠らされていたから。それらのことを考えたら、自然とあの方のお心がどう向いているのかなど当然分かる。
「そろそろか」
「分かっていますよ」
敵を追撃せんとする兵士たちを呼び止める。あれだけの興奮状態の者たちを止めるためには、より声を張り上げる必要があった。初めてそれほどの声をだしたが、その甲斐もあって皆を止めることができた。
そこから隊を速やかに再編し、私自身が先頭に立つ。ジーク殿も先頭に立ち、敵を観察している。あちらは再編に少し手間どっているようであり、始めるなら今だろう。
「ジーク殿」
「どうしたエルドリっち」
「……その呼び名はやめていただきたいが、今は置いておくとしましょう。貴殿の目的はこの部隊を整えることではないはず、ここに来たのは私に用件があるから。違いますか?」
「ははっ、アリスが褒めてただけあって、なかなかの頭のキレだな」
「アリス様が!?」
にわかには信じられないが、それがもし本当であればこれほど喜ばしいことはない。胸の内が跳ね上がる思いを抑えきれず、つい素っ頓狂な声で反応してしまった。その反応が面白かったようで、ジーク殿は苦しがるほど笑われていた。腹を抱え、空を仰ぎ、声を抑えることなく笑う。
「そこまで笑われると私も思うところがありますぞ……!」
「ははっ、はぁーわりぃわりぃ。やっと柔らかくなったなって思ってさ」
いったいどういうことなのか聞こうと思ったが、ここで時間を使ってしまったために敵の再編が終わる。そして終わると同時に突撃を仕掛けてきた。私も意識を切り替え、神器を抜刀する。
「始まったか」
「敵が来るまでに貴殿の用件を聞こう」
「そうか? なら遠慮なく──」
ジーク殿がここに来た用件は、「やはり」と思う内容だった。いかにもジーク殿らしい。そして、その用件を達成する前段階として、この部隊の立て直しを図ったのだと理解できた。
「エルドリエ、死ぬなよ」
「ジーク殿もご武運を」
今度は失態を犯さない。今度こそ師アリスの期待に応えるとしよう。
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27話 狙い
久しぶりに書いたら作風やら書き方やら忘れてて焦りました。書き終わっても「こういうのだっけ?」という不安が拭えません(^_^;)
遥か上空で待機する。ただ待機するわけではなく、大規模な神聖術を放つその時が来るまで暴発しないように維持している。誰も行ったことがない神聖術。それを私が放つ。理論上は可能であり、今も維持し続けることに成功している。
リソースの乏しいダークテリトリーでその術を可能にするには、空間リソース以外からも集めないといけない。戦争によって落ちる命。それらを集め続けることでこの神聖術は、この場で放つことが可能になる。
誰の命を集めているのかなんて判断できない。敵味方に差などないから。そしてこれに集中しているために下の様子も見られない。だから、私は信じるしかない。人界軍が押されていないということを。
「……っ……」
玉のような汗が流れ続ける。意識が揺らぎそうになる。住んでいる場所が、生まれた環境が違うだけで、皆同じ人なのだ。それをこの神聖術の行使のための現段階にて理解した。理解できてしまった。
私は人界を愛している。そこに住む人々も。しかし、ダークテリトリーに住む者たちの命も何一つ変わらないのだ。私が愛する人たちと遜色などない。それを理解したというのに、私はその多くの命をたった一撃で屠ろうとしている。
「ジーク」
一言溢してしまう。こんな時に脳裏を過ぎってしまうのは、無茶なことをする人物の存在。出会いは偶然だった。あんな場所で出会い、それから交流ができた。私が抜け出さない限り出会えない人物。出会うといつもどこかしら連れて行ってくれた。誰もが考えもしないであろうことを平然として、天命が減るんじゃないかという思いを何度もさせられた。
それでも彼といると心地良かった。身分を隠していたとはいえ、彼は私を見てくれていたから。本人は何か勘付いていた節もあったけど、それでも何も言わずに変わらず接してくれた。それは再会した時も、そして今でも同じ。整合騎士としての私ではなく、一人の人物としての私を見てくれる。
──それが今では辛い……
私のこの両手はすでに多くの血で汚れている。使命のために多くの命を切り裂き、人界を守るためにその何倍もの数を奪おうとしている。
そんな私を彼に見られたくない。そんな私が彼の隣にいていいわけがない。彼の優しさは、私の心を温めてくれた。だけどその優しさが心に刺さってしまう。私にはそんな資格などないのだと。
手先が凍えるような錯覚に陥る。体が冷え込む。ジークのことを考えれば考えるほど、私の体が冷え込む。それは心もが冷え込んでしまうから。冷え込み、凍てつき、孤独感を覚える。
「そんなんじゃ暴発するんじゃないか?」
「……ぇ」
突然隣から声をかけられ、閉じていた瞳を開いて声のした方向を見ると、私がついさっきまで考えていた人物が立っていた。ところどころ汚れ、服も何箇所か破けている。それでもジークは何もなかったかのように、いつも見せてくれる無邪気な笑顔を浮かべている。
「なん……で……」
「ちょいちょい! 集中力切らすなよ!?」
「あっ! す、すみません! ……ですが」
「んー。ま、ちゃんと話すから、ひとまずその術に集中して?」
「はい……」
ジークのことを知れば知るほど、考えれば考えるほど、その人物像が分からなくなる。もっとキリトに聞けば良かったと思っても後の祭り。今ある情報で判断するしかない。
ジークは戦いが好きであっても命の取り合いが好きなわけではない。それは、ルーリッド村で一緒に生活している間に聞いたこと。ただ、それはジークの中で矛盾が生じていることでもある。誰にも死んでほしくないと思う反面、嫌悪感を募らせ憎んだ相手には容赦なく命を奪いに行く。アドミニストレータとチュデルキンを相手にしていた時がそうだった。
では今はどうなのだろうか。今まで接したことのない相手が今回の敵である。ジークの普段の考えでは、進んで命を取ろうと思わないはずの敵だ。それなのに、ジークは私がやろうとしていることを止めようとはしない。そのことにある種の不安を抱きつつ、彼の説明に耳を傾ける。
「えーっと。とりあえず、ここに来られたのは、エルドリエの飛竜に乗せさせてもらったから。アリスを止めないのは、それが必要なことだと分かっているから」
「そう……ですか……」
「あ、別に戦争だからって命を軽んじてるわけじゃないぞ? それだったら俺はここに来ないし」
「……では何故来たのですか?」
当然の疑問をそのままジークに投げかける。セントラル=カセドラルで再会してから、私は彼のことを何も知らないのだと何度も思わされた。それは一緒に生活してからも同じこと。
知ることが増えているはずなのに、それに合わせてジークという人物への理解から遠ざかる。そんな感覚に陥っている。そんな私の不安に気づいてないであろうジークは、私の疑問に答えるよりも先に行動に移した。
金木犀の剣を握る私の両手がそっとジークの手に包まれる。すぐ隣にはジークがいて、お互いに前方を向いてる。顔だけ動かしてどういうことなのか目で問う。
「アリスって自分で抱え込むよな。
ジークのその言葉に何も返せなかった。だってジークが言った通りなのだから。たしかにこの作戦を考えたのは、ファナティオ殿かもしれない。認めたのだって小父様だ。でも、それを承諾して、こうして準備しているのは私なんだ。大勢の命を一瞬で奪い取るのは他でもないこの私。これは私が背負うべき業なのだ。
「……軽蔑しますか? この作戦を躊躇わず遂行する私を」
不安に思っていたことを微かに震えながら口に出す。ジークに嫌われるだろうと思いながらも行動している。それでも、やはり心に引っかかってしまうのだ。
それを彼に問いかける。答えを求めて。この苦しみから解放されたくて。たとえ恐れている答えでも構わないと、半分ヤケになりながら。
「バカだな、アリスは。俺がこれくらいで嫌いになるわけないだろ」
「え……?」
「アリスが嬉々としてやろうとしていたら流石にドン引きだけどさ。全然そうじゃない。アリスは恐れながらも、この世界の人々を想いながらもここにいる。想像もできないほど葛藤して、今だってこんなに青ざめながらさ。自分の優しさを抑えてその時に備えてる。しかも死んでいく人たち、死んでいった人たちのことを背負おうとしている。嫌いになるはずがない」
「……それでも、私がこの手を汚すことは事実なのです! どれだけ拭おうとしても決して洗い流せない。それだけの業を……私は……!」
私が望んでいた答えを言ってくれた。そうだというのに、私はまだ足りないらしい。私の心にはまだ足りなくて、私は駄々をこねるように言葉を強める。それでもジークは朗らかな表情のままで、私の言葉を受け入れていく。
「アリスはきっと、言葉でも言い表せられないほどのことを背負おうとしてる。それがアリスの性格なんだろうけどな。だが、それをアリス一人で背負う必要がどこにある?」
「何を……言って……だって、私がこの術を放つのですよ!? 私以外の誰が背負うというのですか! これだけのことを何故誰かに押し付けられると言うのですか!」
「頭が固いな。俺がここに来た意味がまさにそこにあるんだが」
苦笑するジークに言葉を失う。ここまで話してそう言われたら、いくら私でも言っている意味がわかる。脳裏に浮かび、消そうとしても消えない言葉がある。
「
「っ! ジー……ク……」
「ったく、なんて顔してんだよ。それだけしんどかったなら先に言えっての」
「だって、ジークには」
「アリスが手を汚すなら俺も汚す。アリスが業を背負うなら俺も背負う。アリスが独りになろうとするなら俺がそこに駆けつける。だから、これも一緒に放つぞ」
「はい」
真剣な目つきへと変わったジークの視線の先には、ダークテリトリー軍の第二陣、小父様が厄介だと言っていた暗黒呪術団の軍勢がいた。さらにオーガ軍の軍勢も見える。混合軍ということは、ダークテリトリー軍の遠距離攻撃を担う軍勢だと考えられる。
雨縁に頭を下げさせ、リソースを貯めに貯めた球体を下方へと転がせていく。方向を安定させるために、金木犀の花たちを支えにする。
「照準は?」
「問題ありません」
「そっか。それじゃあ……撃とうか」
「はい」
重たい一言に同意する。剣を握る手は未だにジークに包まれたまま。彼が来るまでは冷え切っていた手も体も心も、今ではたしかな温かさがある。籠手越しだというのに、ジークの温もりも感じられる。だから──
「リリース・リコレクション」
──私は狙いを狂わすことなくこの神聖術を放つことができた。
☆☆☆
アリスが放った神聖術は、さながらレーザー砲みたいなものだった。その光線が届いた地点を中心とした大規模な爆発。それにより敵の第二陣は壊滅的な被害を受けた。全滅とまではいかなかったようだが、軍と呼べる状態ではなくなっていた。これは大成功と言えるだろう。
玉のような汗を流し、顔色も悪くしていたアリスだったが、作戦を成功させ、その重圧から解放されたことで顔色が回復していた。アリスの表情が柔らかくなったことを確認し、内心で安堵した俺は、アリスに言って飛竜たちに降下させた。
第一陣が成果を上げず、第二陣もすぐさま壊滅被害。ダークテリトリー軍は一時的に後退したらしい。その間に人界軍も立て直しを図るはずだし、アリスの今後の動きも確認したいからな。
「ん?」
「ジーク? どうかしましたか?」
「……ちょっとな」
降下した飛竜の背から降りた俺は、ダークテリトリー軍が撤退した方へと足を運ぶ。二頭の飛竜に休むように指示したアリスが、追いかけるように早足で来て、チラッと後ろを見たらエルドリエもこっちに来てることが分かった。そこで一旦足を止め、アリスとエルドリエを待つ。アリスはともかくとして、エルドリエの用事がわからないからだ。
「ジーク。勝手に移動しないでください。それも敵方の方へ。何かあってからでは遅いのですよ?」
「ごめんごめん。少しやることがあってな。それよりもエルドリエはどうした?」
「……師アリスへの謝罪をと思いまして」
「? 謝罪、ですか?」
「あーあー、エルドリエは硬いね〜。俺は聞かないでおくか。あ、飛竜貸してくれてありがとな」
俺には分からない師弟関係。そして俺には分からない騎士としての誇りと、アリスの弟子であるという誇り。エルドリエなりの、けじめをつけるための謝罪ってとこなんだろうが、完全部外者である俺は聞こえない位置にいるべきだ。
エルドリエに礼を言ってすぐさま離れ、声をかけようとしてきたアリスに気づかないふりをする。たぶん短く終わるんだろうけども、俺は俺でやることをやるとしよう。
「あの神聖術を食らってよく生きてたな」
「オーガ族の……悲願のため……」
「悲願、ね」
俺が足を進めたのは、目の前にいるオーガの存在を感じ取ったからだ。アリスとエルドリエも話が終わればすぐに気づいてない来るだろう。だが、こいつとは俺が戦う。整合騎士でも術の発動者でもない俺が。
相手の様子を確認すればするほど、本当によく生きていたなと思わされる。並大抵の人間なら死んでいてもおかしくない。ましてや動くなんて無理だ。しかし目の前のオーガは、重傷を負いながらもその目を死なせずに立っている。悲願のため、だけではないだろう。彼を支えているものは。
「治療してから出直すべきだと思うんだが」
「皇帝、言った……。欲しいものを手に入れたら……この世界に要はないと……」
「欲しいもの? 皇帝はわざわざそのためだけに戦争を?」
「強者に従う。それが、掟」
「そうだったな。それでその皇帝の目的は?」
重傷を負ってるから理性がそこまで働いてないんだろうな。それかもしくは本人の性格だが、何にせよ情報が簡単に手に入る。これを利用しない手はない。そう思って言葉を投げかけ続けていると、オーガの存在に気づいたアリスとエルドリエが駆けつけてくる。俺は後ろを振り返らずに、手だけで一旦止まるように指示した。
「皇帝は……《光の巫女》を探してる。《光の巫女》を連れて行ったら……その種が世界を統べる……。さっきの術撃った……やつ、《光の巫女》」
「貴様戯言を!」
「待て待てエルドリエ。皇帝の目的がアリスかはともかくとして、敵の狙い自体は分かったんだ。良しとしようぜ」
「しかしジーク殿」
「それに、こいつと戦うのは俺だ」
十二分に情報を手に入れた。もう聞き出せることはないだろう。用済みってわけじゃないが、このオーガにトドメを刺そう。俺の手で。
皇帝の目的が本当にアリスなのかは分からないが、少なくとも目の前にいるオーガはアリスだと思っている。俺が戦う理由はそれだけでいい。アリスに危害を加えようとする奴は俺が倒す。
数歩前に出て拳を握る。他の誰かに譲る気はサラサラない。アリスが止めようとするも、それをエルドリエが止めてくれる。男の維持ってやつはやっぱり男にしか分からんらしい。
「緑の地……戻る……!」
「それがお前たちの悲願か……。戦争が終わった後のことはわからんが、共存の道を探れば叶うかもな」
「共存? 不可能だ」
「はぁ。悲願って言うなら少ない可能性でも信じるべきだろうに。まぁいい。その傷を負いながらもここまで来たあんたに敬意を表し、俺の全力で戦わせてもらう」
右足を半歩引いて腰を落とす。格闘の専門家から習ったわけじゃないが、リアルの方で何回か見た戦闘アニメやらゲームを参考にしている。あとは実践からのフィードバックだな。一対一で集中するならこれがよさそうだ。複数の時もそうかもしれないけど。
「ジークだ。挑ませてもらうぞ
「っ! オーガの族長フルグル。戦士ジークの挑戦を受けて立つ」
「──フッ!」
足に集めた心意で加速し、一息に距離を詰める。先制を叩き込んで一気に終わらせるのが俺の狙いだ。騎士長から聞いた話では、ダークテリトリーにいるものは心意のことを知らない。一部の暗黒騎士が微かにその片鱗に触れている程度だそうだ。だから、心意による急加速は、フルグルの予想外となり、戦いを優位に進められる。
──そのはずだった
「ヌゥッ!!」
「は……? しまっ、ぐっ!」
拳を顔面に叩きつける。そのつもりで振り抜いた俺の拳は、寸前のところでフルグルに躱された。そのことに驚愕し隙を作ってしまった俺の腹にフルグルの拳がめり込む。一瞬足が浮き上がり肺から空気が漏れる。
続けざまに頭上から振り下ろされる拳骨を、フルグルにタックルすることで防ぐ。よろけたフルグルに右拳でボディブローを入れ、ターンすることで勢いをつけた回し蹴りを入れる。これは足を掴まれることで防がれたけどな。
「まさか初手を避けられるとは」
「手負いの者ほど手強いものぞ!」
「ぐっ……!」
掴まれた右足を抱え込まれ、そのまま砲丸投げのように回転してから投げ飛ばされる。手負いとはいえオーガ。俺達とは少し異なる種族。素の身体能力が高いようだ。
投げ飛ばされた勢いを止めることができず、俺は谷の壁面に激突した。頭から嫌なものが流れている気がするし、土煙で前方が見えない。頭以外にも、主に上半身への衝撃が強く、両肘も僅かに痺れてる。
「クソッ……なんつー馬鹿力……っておわ!」
「ぬぅ、避けられたか」
急いで横に飛び退いて正解だった。さっきまで俺がいた壁に、フルグルの左足がめり込んでいるのが見える。あれを食らっていたら天命が消し飛んでたな。
急いで体勢を立て直し、
「すぅー、ふぅー。……
「……もはや別人、か」
フルグルの体をよく見てみれば、重傷だった体が軽傷に変わっている。無意識下にも自己回復していたらしい。今でもフルグルは気づいていないようだが、それならば気づかれぬうちに削りきるまで。
構えるフルグルに対して俺は脱力状態。余計な力を入れないようにするためだ。これが正しい戦い方とも思えないが、俺にはこれが合っている。この方がスムーズに殺れる。
「……! なっ!」
フルグルの構えに隙はなかった。遠距離軍の種族でありながらも近接戦もできることには、素直に評価しよう。オールラウンダーだと。しかし、それは逆に言えば器用貧乏だ。特化した相手には勝てない。今のようにな。
構えに隙はなくても、フルグルの意識には隙が生まれる。たとえば瞬き。一瞬とはいえ、視界を遮る。たとえば呼吸。呼吸は一定のリズムで行われるわけだが、息を吐いているときの方が力が入らない。つまり体を動かす時に差が生じる。では、その両方をついてしまえばどうなるか。
答えは簡単だ。勝てる。
俺にリズムを掴まれたフルグルにもう勝ち筋などない。最初の時と同じ要領で差を詰め、対応が遅れたフルグルの喉元に拳を叩き込む。気管へと衝撃が届き、呼吸がさらに乱れる。それは大きな隙であり、見逃してやる道理などない。
「じゃあな」
足を引っ掛けて体を倒させ、手刀に心意を集めてフルグルの首に横一閃。返り血を浴びたが仕方がない。この距離で浴びないほうが無理がある。
「ふぅー、悪い二人とも。時間かかった」
「ジークのバカ! そんな無茶な戦いをして! すぐに傷を癒やすのでジッとしていてください!」
「いや、今回は敵の実力を見誤っただけで……」
「関係ありません! 私に任せてくれていたら良かっただけのことなのです!」
「ジーク殿、大人しくアリス様の治療を受けてください」
「へーい」
二人の下へと歩いていった俺に待っていたのは、アリスの手痛いビンタと説教と治療だった。俺としては『無茶な戦い』という部分に反論したいのだが、武器を持たずに戦っている時点で無茶ってことなのだろう。そこは飲み込むとして、もう一つは譲れないね。
「でもな、できるだけアリスに人を殺させたくなかったんだよ」
「……バカジーク。それは私も同じなのですよ?」
「こりゃ平行線だわ」
お互いに譲れないことは、何度話し合っても譲れないんだろうな。きっと早いもん勝ちとかそんなやり方で落ち着きそうだ。そんなことをボケっと考えていると、一瞬頭に鋭い痛みが走った。
──何か約束が……
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28話 光の巫女
アリスによる治療を受けた俺は、アリスに首根っこを掴まれたまま騎士長がいる場所へと連れて行かれた。元より騎士長のいる所に行くつもりではあったんだが、これはちょっと悲しい仕打ちだ。エルドリエに目で助けを求めても首を横に振られて終わりだったし。実は笑ってただろあいつ。
「……なんで引きづられて来てんだよ」
「俺にも分からないっすわ」
「目を離すと何をするか分からないということが分かりましたので」
「え、今さら何を。っ! へいへいアリスさん! その拳は何かな!? 暴力は良くないと思うんだ!」
「はぁー、痴話喧嘩は後でやってくれ」
騎士長に痴話喧嘩と言われ、アリスは狼狽してから咳払いして誤魔化した。何一つ誤魔化せていないんだが、そこをツッコむとまた脱線するから黙っておこう。それと騎士長。痴話喧嘩呼びはやめてほしい。既婚者なんだから。知られたらザクザク刺されそうだ。まぁここに来てからのことを振り返れば何一つ言い訳できないけども。
空気が引き締まったところで騎士長が口を再度開く。これから話し合われることは、もちろんのことながら、これからの人界軍の動きについてだ。敵軍に大打撃を与えることに成功したとはいえ、主力である暗黒騎士と拳闘士団は無傷。数も未だに敵の方が多い。これからが本番と言えるだろう。
そんな話し合いの中、アリスが一つの提案をした。《光の巫女》ということを偽って、敵を分断するというものだ。
「不確定要素が多すぎる。アリスが敵の言う《光の巫女》だという確証がない以上、狙い通り敵を引きつけられるか分からん」
「騎士長。引き付けられなかった場合、それはそれで敵を討ちやすくなるのでは? 飛竜を活用すれば上空から一方的な展開に持ち込める。暗黒騎士も飛竜を活用するようですが、どの道整合騎士の方が強い。優勢は変わらない」
自分でもこんな好戦的な言葉が出てきたことに驚く。他の騎士たちも少し面食らった様子で、騎士長とデュソルバートさんは顔を顰めた。今の俺はどうやら冷静さに欠けているのかもしれない。先程のフルグルとの戦闘で心を凍らせたことも影響しているだろうな。
俺の立場からしても、本来この場で発言する権利はない。行き過ぎた発言だったことと、許可なく発言したことを謝罪し、一歩下がって口を閉ざす。アリスの憂いた表情が胸に刺さり、空気を気まずくしたことにも罪悪感を抱く。
「ま、やってみんと分からんか」
「閣下?」
「アリスの提案を受け入れるとしよう。失敗したとしてもジークの言った通り上空から攻めたらいいだけのこと。暗黒騎士はともかくとして、拳闘士は飛ぶ手段を持ち合わせていないからな。それで、編成だが──」
空気を悪くした尻拭いをしてもらう。情けない話だが、これから気をつけるとともに、騎士長のような器の大きな人間を目指すとしよう。いったいどれだけの場数を踏めばそうなれるかは分からんがな。
騎士長は器が大きい人間であるが、やはり大人であり整合騎士だ。しかも今では事実上人界のトップ。人界に住む人を守る使命がある。それに従うのは当たり前の話だ。だから、
「ジークは居残り組な」
俺がアリスと離されるのも当然のことだろう。そして、おそらくはアリスの意思汲み取ってもいる。
☆☆☆
「正直な話驚いたぞ」
「何がです?」
「貴殿であればあの場で反論してもおかしくないと思ったのだ。貴殿と騎士アリスの仲を探る気はないが、関係は深いように見えていたのでな」
「……まぁ、それなりに深いですけど、男女間の仲ってわけじゃないですよ。……それに、アリスを困らせたくはないですから。どうやら俺が側にいるとアリスは騎士になりきれないようですし」
「……そうか」
俺と同じ居残り組となった騎士の一人、デュソルバートさんに声をかけられ、俺は正直に思ったことを話した。視線の先にはダークテリトリー軍。少し視線を上げれば上空に数頭の飛竜が見える。別働隊の主力である整合騎士たちの飛竜だ。地上には何台かの馬車と人界軍の半数の兵士。騎士長の合図と共にひたすらダークテリトリーを南下する部隊だ。
居残り組は、敵が分断されれば残った敵と戦闘。誰も反応しなくても戦闘。全軍があっちを追いかけたら、文字通り居残り。ここで東の大門を守り続ける役割を担う。
その軍を束ねるのが、副騎士長のファナティオさん。騎士長とのやり取りからして、どうやらガチで母となったらしい。バブみだなんだと言っていた過去の自分を殴ってやりたい。今隣にいるデュソルバートさんも残った騎士だ。さっきの戦闘で矢が尽きたからって理由で騎士長に止められてた。
今近くにはいないが、エルドリエも居残り組だ。どこにいるんだろうな。あとなんか双子のちびっ子騎士も居残り組。雰囲気からしてあの子らは危険そうだったね。毒とかもられそうな雰囲気してた。
「俺からすればエルドリエが何も言わなかったことも不思議なんですがね」
「ふむ、騎士エルドリエは先程の戦闘のことを気にしていたようだが……、その事を踏まえて黙っていたのではないか?」
「ですかねー。俺の方がエルドリエのこと知らないですし、デュソルバートさんがそう言うのならそうなんでしょうね」
「私も憶測の域は出ないがな」
いったい何を考えているのかはさっぱり分からないが、少なくとも作戦に影響が出るようなことは考えてはいないはず。エルドリエだって整合騎士なわけだし、騎士であることに強い誇りを持っているのだから。そんなわけで、深く考える必要はないだろうな。
視線を上げて飛竜たちの動きを見守る。一頭の飛竜、雨縁が集団から離れてダークテリトリー軍の方へと近づく。アリスが《光の巫女》を名乗り、敵を引きつけるという分断策が始まるようだ。
この作戦自体は有効的だろう。フルグルのあの執念からして、ダークテリトリー軍が、何よりも皇帝ベクタが《光の巫女》を強く求めていることは明白だ。誰一人として引き付けられない、なんてことにはなるはずがない。
ただ、俺達は敵のことを見誤っていた。アリスが《光の巫女》を名乗る前に、敵の攻撃が別働隊を襲おうとしていた。
「何だあの気持ち悪いの!」
「暗黒呪術団の術だろう! しかしなぜだ! あれ程の術を発動する空間リソースはあるはずがない!」
「……っ!
空間リソース以外にもリソースはある。アリスがあのレーザー砲を撃てたのも、戦争で命を落とした人たちのリソースを回収し続けたからだ。リソースは根こそぎ奪って撃った。だからこの戦場にはリソースが無いに等しい。
それなのに敵は大規模な術を発動できた。それはつまり、味方を殺すことでリソースを得たということ。あれほどの術を可能にするために、いったいどれだけの人数を殺したというのか。
ダークテリトリーは強さが全て。皇帝ベクタがいる以上、皇帝が是とすればそれは行われる。つまり、皇帝は味方の命を何とも思っておらず、呪術団もそれに近しい至高なんだろう。反吐が出るね。
「あれを防ぐ
見た目がおぞましい羽虫のような化物が大量発生し、急速旋回して逃げようとする飛竜たちを追いかける。放っておいてどうにかなるものでもない。あの虫を全滅させねば。
「焼き払うのが最適ではあろうが……リソースがない現状では……。私の炎でも全滅させられる保証がない」
「くっ!」
やはり俺は無力だ。アリスを護ろうと決めておきながら、アリスが本当に窮地に陥った時に何もできない。たとえ刀を持ち合わせていても、あれだけの夥しい数の虫を斬れるわけもない。何よりも俺には空に行く手段がない。
飛竜がいないから
そう。俺には飛竜がいない。整合騎士ではないからな。そして空を飛ぶこともできない。人間に翼なんてないのだから。
だから
この状況を打破したのが一人の整合騎士であっても不思議ではない。
「ッ!? あの飛竜は!?」
「あれは
「エルドリエか! あいつ……!」
『どうする気なんだ』という言葉は口から飛び出さなかった。エルドリエがどういうつもりで飛竜を駆ったのかなんて明白だ。アリスを守る。それだけだ。そのたった一つの目的のためにエルドリエは飛竜に跨ったんだ。
最大速で逃げる別働隊の飛竜たちと、同じように最大速で虫の軍勢に飛び込んでいく滝刳がすれ違う。誰も声をかける暇もなく、滝刳は虫たちに接近する。それに合わせてエルドリエが腰に据えていた神器を手にする。
「リリースリコレクション」
聞こえるはずもない距離で紡がれた言葉。それが何故か耳に届く。俺はエルドリエの技を何一つ知らない。いったいどんなものなのか。それはすぐに目に見えて分かった。
二頭の白い大蛇が出現し、どちらも牙を向いて虫たちに食らいつく。
「不可能だ……。騎士エルドリエの技をもってしても、あれだけの数を相手にできるはずがない……!」
隣にいるデュソルバートさんが僅かに声を震わせる。そこに、いったいどれだけのものが込められているのかは、推し量ることもできない。だが、エルドリエが犬死するはずもない。本当の狙いが別にあるはずだ。
その答え合わせは、視線の先で行われた。
「あいつまさか……!」
そこまで見ればエルドリエの行動だって分かる。別働隊へと向いていた虫たちを自分一人に向けさせる。それがあいつの目的だ。自分一人を
大蛇が虫たちに喰い殺され、大蛇を食べられたなかった虫たちが、術者であるエルドリエへと殺到する。その次の瞬間、およそ人間の体から出たとは思えないような破裂音が響き、エルドリエの体は上下に二分された。
「あの、バカ……!」
「……今は騎士エルドリエの英断を褒めるべきだろう。あの者の行動を無駄にしてはならん」
「分かって……ますよ……」
知り合ってからそれほど長くはなかったが、エルドリエとはそれなりの仲になれたと思っている。妙に気が合い、話が弾みやすかった。お互い友人になれる。そんな気がしてたんだがな……。
短い期間でしかエルドリエを知らない俺より、もっと長い期間エルドリエと接していた人たちの心境は、俺の比ではない。デュソルバートさんも、篭手から軋む音が聞こえるほどに手を強く握っている。
ならアリスは? 唯一弟子にして、最もエルドリエと接していたであろうアリスは? そんなことを疑問に抱く必要なんてない。アリスが激情にかられるなんて目に見えてる。今は飛竜の背から落ちたエルドリエを受け止め、何か会話しているようだが、会話できているだけでも奇跡だ。エルドリエはもうすぐその命を落としてしまうだろう。
「……死んだら何もできなくなるだろ……!」
「……」
耐えないといけないのに、言葉が口から飛び出してしまう。デュソルバートさんももう止めることはしなかったが、今度は自分でそれ以上の言葉を抑えられた。
目頭が熱くなるのを感じつつ、雨縁から視線を外さない。やがて雨縁の背から微かな光の粒子が舞い上がっていくのが見えた。エルドリエがとうとう完全に命を落としてしまったらしい。
歯を食いしばっていると、激情にかられたアリスが、雨縁と滝刳を連れてダークテリトリー軍に特攻を仕掛ける。それを見た騎士長がすぐさま飛竜で追いかけていく。遠くで二頭の飛竜がブレスを噴くのが見えた。その後に美しい金色を輝かせる無数の刃が、上空から地上へと下り、敵を一掃していく。
それが収まったところで飛竜もその場で滞空を始めた。どうやらアリスが《光の巫女》をこのタイミングで名乗るようだ。あれだけの攻勢を見せた後なら説得力も増すだろうな。
「これからだってのに……」
『申し訳ない、ジーク殿。アリス様のことを……お願いします』
「っ!? ……ああ、任せろ戦友」
アリスが騎士長とともに別働隊へと合流すると、すぐに南下を始めた。真偽はともかく、《光の巫女》の存在を目にした敵は、まさかの全軍での追跡を始めた。皇帝ベクタにとって、《光の巫女》はそれほどの存在のようだ。それが今の行動によってそのままアリスへと置き換わる。
──これからが本当の戦いだ
俺はすぐさまこの場から離れた。デュソルバートさんにも止められることはなかった。
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29話 拳闘士
腰に挿した弟子エルドリエの神器『
そのおかげでどれほど私は救われていたことか。ジークと会うことがなくなり、騎士としての使命のみに没頭していた日々。そんな日常をエルドリエという一人の弟子が壊してくれていた。風通しを良くしてくれていた。急激に成長してくれる彼の存在が嬉しかった。私もまた意識を引き締められた。
でも、その弟子エルドリエはもういない。
私達を護るためにその身を犠牲にしたから……。
「アリス大丈夫か?」
「小父様……。はい、大丈夫です。エルドリエの命を無駄にするようなことはしません」
「そうか。……さて、
視線を前に向けた小父様に合わせ、私も意識を切り替えて前方に目を向ける。まだ距離はあるが、ダークテリトリー軍が全軍をあげて追いかけてきているのが見える。戦力として残っている敵軍の構成は、暗黒騎士と拳闘士。それ以外は軍と呼べるほどの数が残っていない。
騎士であれば戦い慣れている。けれど、拳闘士は未だに対峙したことがない。飛竜がいない拳闘士が果ての山脈へと来ることなど滅多にないからだ。
だから──今からが初めての対戦となる
「拳闘士たち、か……あいつら厄介なんだよな……」
「そうなのですか?」
「あぁ。……嬢ちゃんはその……脱ぐのには抵抗あるよな」
「……は? な、何を言うのですか!?」
身体を抱きしめるように腕を交差させて小父様から距離を取る。戦場にいるというのに、これから戦闘が起きようとしているというのに、小父様はいったいなにを言っているのか。
私が距離を取ると小父様が慌てて弁明を始める。曰く、やらしい意味ではないらしい。私の早合点かもしれないけれど、言い方が悪い小父様にも責任があると思う。
「
「……先程から何を言っているのですか?」
「最近辛辣になったな。ジークの影響か? まぁいいけどよ……、ああー口で説明するの難しいな。それに、あいつらの体は剣を受け付けねぇ」
「受け付けないって……」
拒みたくて拒めることでもないだろうに。いったい何が言いたいのか。小父様の言うように戦って分かることなのかもしれないけれど、嫌そうに話していることから事実として戦いにくい相手なのでしょう。でも、それならなおさらどうしたらいいと言うのか……。
「剣が利かないなら拳でしょ」
「それができりゃ苦労しないな」
「ジークあなたまた無茶苦茶なことを……ぇ……ジーク?」
「よっ! やっと追いついたぞ!」
「お前さんどうやってきた」
「走ってきた!!」
笑顔で胸を張って言うジークに頭を抱える。なんのためにジークを別働隊に入れなかったと思っているのか。私の心配をすべて跳ね除けて行動するバカジークは、いったいどうしたら大人しくなってくれるのかしら。小父様は面白そうに大声で笑ってるだけだし。
予定が崩れたことに頭を悩ませる私の目の前までジークが来た。わざと憎らしげに視線を送るけど、相変わらず朗らかに笑ってるだけ。でも、その中に少し寂しげな感情があるのが分かった。
一瞬だけ逸らされたジークの視線の先は、私が持っているエルドリエの霜鱗鞭。いつの間にか仲良くなっていた二人の関係が、どういうものかを私は知らない。分かるのは良好だったことだけ。
「さて、拳闘士の相手は俺がしてくるよ」
「っ! 馬鹿なことを言わないでください! あなたが行ってもあの者たちを止められません! それぐらいあなたにも分かるでしょバカジーク!」
「はは、散々な言われよう。……まぁ俺一度も誰にも勝ってないからそうなるか」
「そうです。私と小父様で迎え撃ちますからジークは──」
「駄目だ」
言葉を遮られ否定されたことに少し腹を立てる。睨みつけるてもジークは怯まない。それどころか視線を鋭くする。ジークにそうされるのは初めてで、逆に私が動揺してしまった。
「拳闘士との戦闘経験が無いことはアリスも同じ。騎士長は戦い方を知っているとしても、まだ向こうにはベクタが残ってる。こっちの大将を先に消耗させるわけにもいかない。対処できる人間で対処するべきだ」
「ですが……、それでジークが戦う理由にはならないはずです! あなた言っていたではないですか! 格闘術に心得があるわけではないと! 敵は格闘術を日々磨いている相手です! 無駄死にするようなものです! そんな所へ送り出すなど……!」
「アリスってほんと優しいよな」
コロッと態度を変え、柔らかな笑みをジークが溢す。両肩に手を置かれ、真っ直ぐな目で瞳を覗きこまれる。それによって心音が早く鳴るも、意識してなんとか収めようと心掛ける。
「その優しさのせいで判断を間違えないで。誰がどこで戦うべきなのか。数で劣るこっちは効率的に有利に戦いを進められる方法を取るしかないんだ」
「ですから、それであなたを戦わせることにはならないのです……」
「なるさ。この軍の中では俺が一番肉弾戦ができる。剣が利かない相手なら俺が出る他ない。大丈夫だって、死ぬ気なんてないし、エルドリエにアリスのことを頼まれたからな」
ニッと笑ったジークが、私の静止を聞かずに飛び出していく。咄嗟に手を伸ばすもその手は届かない。空を掴むその手をだらりと下ろし、視線を落としてポツリと最近の口癖を呟く。バカジークと。
「あいつってあんな頑固なのか」
「……そうですよ。何一つ聞いてくれないのです……。本当に……バカなのです」
「死なすには惜しいな。本人は死ぬ気がないって言ってたが、さすがにあの数相手は脱出の手がない。……やっぱオレが出るか」
「閣下。私が出ます」
「ぬおっ! 驚かすなっての!」
私も突然現れたその人物にギョッと反応してしまう。音も無く、気配も無く一言そう言った人物は、シェータ・シンセシス・トゥエルブ。《無音》の異名を持つ人物であり、謎に包まれている方。そんなシェータ殿は最初に発したその一言以外話さず、自分の飛竜の背に乗ってジークが向かった戦場へと飛んでいった。
「小父様。彼女はどういう方なのですか?」
「あいつはな……。ディープフリーズから解き放つか悩んだ」
「え?」
「……危ないんだよ。さすがにジークを斬るとかはしないはずだが……」
どうしよう。不安が増しただけだ。
☆☆☆
別働隊が陣取る場所からそれなりに走り、適当な場所で敵が来るのを待つ。敵の姿ははっきり見えるようになっており、武具を一切身につけていないことが分かる。完全に体の動かしやすさを重視している。それほど自分たちの鍛え上げた体に自身があるってことだろう。
さて、学習の時間だ。
「あぁ? 何だテメェ一人で待ち構えやがって」
「あんたらの敵だよ。遠慮なく来い」
「くくっ。大層な自信だな。誰か適当に相手してやれ」
「チャンプ! それなら俺がやりますよ!」
なるほど。予想していたが、やっぱり先頭を走っていたこの人がトップなのか。身に纏う覇気も他とは違うと思っていたが、こいつもまた怪物の域に入ってやがる。母さんが知ったら嬉々として相手したがるだろうな。
さて、意識を切り替えるとしよう。どうやら敵が一人なら一人で戦うっていうポリシーがあるらしい。それか単純に俺がナメられてるかだな。いや、どう考えても後者か。なんでもいいが。
「あん? お前武器無しで戦う気かよ。そっちの軍のお得意の鎧も付けてねぇし、ナメてんのか?」
「いやいや、俺は鎧って好きじゃないんだよ。重たいし、体重くなるし。あと、武器がないのは、単純に俺が使おうって思うやつを今は持ち合わせてないからだな」
「はっ! 後悔しても知らねぇぞ!」
滑るように走ってくるとかキモいな! 全然動作が読み取れない!
なんて驚く暇もなく、一秒で距離を縮められその勢いのまま拳が突き出されてくる。避けるのが間に合わないから、それは手のひらを押し当てることで防ぐ ──こともできなかった。
正確には防ぎ切れなかった。
「がっ……」
「はっ、素人に毛が生えた程度か」
加減されていた。小手調べ程度のパンチだ。それでこの威力。防ぐこともできないような技巧。それほどの腕前で一構成員なのか。
やられたことはとてもシンプル。殴るときに真っ直ぐ拳を突き出すだけではなく、半回転させていただけ。ライフルの弾と同じだ。螺旋状に動いたほうが貫通力が増す。左手で抑えようとしたら弾かれた。しかも手首あたりで剥離骨折というおまけ付き。
「基礎を磨き上げるだけでここまでとは……。侮れないもんだな」
「余裕こいてたら早死するぜ?」
「それはごめんだな!」
初手で左手が使い物にならなくなった。だが、相手の実力が分かったから良しとしよう。対価としてはぼったくられてるけどな。
突き出される拳をギリギリ躱しながらカウンターとして右腕を突き出す。拳を握られ、相手が不敵に笑うもこっちだって笑うね。だって自分から動きを止めてくれたんだから。これならサマーソルトで顎を蹴り抜ける。
「っらぁ!」
「ごぁっ……! っつー、逆手に取ってくるとはな」
「実力が分かったならそれを最大限利用しないと勝てないだろ?」
「はっ! おもしれー野郎だ」
我ながら見事にサマーソルトを決め、それにより握られていた右手も解放される。口の中でも切れたらしく、相手が吐いた唾は赤色だった。剣は受付けないようだが、やはり肉弾戦は通用する。あとは俺がどこまでできるかだな。
一度の跳躍で距離を縮めてきた相手の飛び回し蹴りをしゃがむことで避け、お返しとばかりに拳を
続け様に相手の右拳の防御は間に合わず、左頬に重たく叩き込まれるが、それと同時にこっちの右脚も相手の横腹にめり込む。
「ジーク。あなたは後退して」
「っ!? ビックリしたー。シェータさんいつからいたんですか?」
「今来たところ。それと、後退して。後は私が斬る」
「……この人の相手は俺です」
「……そう。なら他を斬るわ」
突然真後ろから聞こえた声に、心臓が飛び跳ねそうになった。謎に満ちて戦闘力も未知数のシェータさん。分かってることは、この人の思考が危ないこと。何でもかんでも斬りたいらしい。
突然現れたシェータさんが女性ということもあり、女性が戦場に出てくることに批判的な拳闘士達が口々に不満を言う。シェータさんはそれに耳を傾けず、近づいた他の拳闘士をあっさりと切り裂いた。
……おかしいな。剣は受け付けないって聞いていたんだけど。
「次は誰?」
「……上等だ!」
顔色一つ変えずに拳闘士を斬ったシェータさんが次の対戦者を探す。なかなかに狂戦士だけど、実力も相まってて怖い。騎士長が危険と言っていただけはある。
そんなシェータさんに、さっきまで俺と対戦していた相手が挑んでいった。挑んでいってしまった。決着をつけたかったんだがな。どうやらそれは叶わないらしい。シェータさんが今回もスパッと切り裂いちゃったから。
その後も次々と挑む拳闘士たちをあっさり切っていく。シェータさんが使う剣が特殊なのもあるんだろうけど、心意も関係してるんだろうな。シェータさんの剣は、本当に剣なのかと疑うほどに細く、そしてしなやかだ。どれだけ曲がっても折れない。拳闘士の拳とぶつけてもフニャッとしなり、そして反動とともに相手の肉体を切っていく。
「ッラァァァ! テメェの相手は俺だ!」
「……あなたを斬るのは面白そうね」
「斬れるもんなやってみやがれ!」
シビレを切らしたのか、相手のトップが出てきた。チャンピオンと呼ばれてる人らしい。これはいい勉強素材になってくれる。
他の人たちとは当然体の鍛え方が違う。シェータさんの剣でも簡単には斬られない。せいぜい傷がつくくらい。どう鍛えたらそうなるのかさっぱりだけど。
「貴殿の相手は私がしましょう」
「あ、チャンピオンの補佐みたいな人」
「……まぁそれでよいでしょう」
許可を貰ったから補佐と呼ばせてもらおう。てか、単純に考えてこの人がナンバー2だよな。バリバリの実力者じゃん。そして、こういう人ってのはたいてい──
「全身全霊をもって相手いたすとしましょう」
「どうもありがとうございますー!」
本気で来るんだよな。
まぁいいけども。チャンピオンの戦い方を少しは見れたし、さっきよりは俺もいい動きができるようになってる。見てるだけでは見につかないものだけど、今はその常識を覆す。じゃないと生き残れないから。
柔らかな口調とは打って変わって、空気を氷つけるような闘気が放たれる。燃え上がるようなチャンピオンとは正反対だな。
「なら、俺もそうするよ……!」
戦いを楽しむことをやめる。強くなりながら戦うというゲーム感覚を投げ捨てる。勝つためではなく殺すために戦う。そのスイッチを押して補佐と対峙する。
「それが強さとは限りませんぞ!」
「お前に勝てたらそれでいい!」
これが強さじゃないことなんて分かってる。もしこれが正しかったならヒースクリフにだって負けなかった。だが、こうでもしないと勝ち目がない。……もしかしたらこのやり方に移す行為そのものが弱さなのかもしれないけどな。
振り下ろされるチョップに右手の裏拳をぶつけ、軌道をそらさせる。そこで攻勢に出ようと思っていたんだが、チョップは囮だったらしく後ろ回し蹴りが放たれていた。それをギリギリ防ぐが威力に押されて後退させられる。崩れたバランスを直しながら視線を補佐に向けるも、既に次の攻撃に移っており、俺の頭に踵落としを放とうとしていた。慌てて飛んで避け、地に足がついた瞬間に地面を蹴って前に出る。
砂煙の中に補佐がいて、視界では捉えられないが今なら気配で場所を掴める。堂々と真正面からその腹へと拳を叩き込む。ダメージもしっかりと通ったようで、苦悶の声が漏れ出たのを聞き取る。だが、敵はナンバー2。これしきでは膝をつくわけもない。
「いい拳ですが、そこで止まるのが貴殿の甘さですぞ!」
「てめっ!」
「ぬおぉぉ!」
「ッ、かはっ!」
右腕を両手で掴まれ、ジャイアントスイングで体勢を完全に崩されてから地面に背中から叩きつけられる。左手は使い物にならず、動かせる右手も掴まれていた。受け身なんて取ることもできず、肺から空気が漏れ出て軽い呼吸困難に陥る。
「
「はッ……ぁっ……かはっ……」
「貴殿の強さは
「ジーク。撤退」
ブレスで補佐に距離を取らせたシェータさんの飛竜こと宵闇は、呼吸困難になって蹲っている俺を掴んで飛び上がって行く。反対の足の方にはシェータさんがいて、シェータさんは自分で宵闇の足に摑まっていた。
空に上がってから俺は今の戦況に気づいた。拳闘士たちは先行していただけであり、後ろから来ていた暗黒騎士たちが今まさに合流しようとしている。引き際としては今が最適だ。それをチャンピオンと戦いながらシェータさんは判断したらしい。視野が広いな。
さて、それじゃあこれからはあの2部隊を相手取らないといけな──
「ぐっ……!」
「……ジーク?」
またもや頭痛に襲われる。今度は今までよりも酷い。
「あ、たまが…………」
横から声をかけてくれるシェータさんの声が聞き取れない。正確には聞き取る余裕が消えてるんだ。そのあまりにも激しい痛みに耐えきれなくなった俺は、飛竜の足に掴まれたまま意識を飛ばした。
相変わらず主人公は勝てない!!
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30話 露呈
『ねぇ兄ちゃん。兄ちゃんって刀振る時に何を想ってるの?』
『は? いきなりなんだよお前』
『だって兄ちゃんの刀って他の人と違う感じするしさ。それって何かを込めながら振るってるからでしょ?』
『これだから感覚派は……』
──あぁ、懐かしいやり取りだ。何年も経ってるわけじゃないのに懐かしいと感じる。
『別に褒めてないからそのニヤケ顔やめろ』
『はーい。で、答えてくれるの?』
『答えないとずっと聞かれるからな──』
──そうだ。しつこく聞いてくる子だ。だから答えた。俺は────
「……あれが明晰夢ってやつなのか? 分からんけど」
「ジーク……!」
「んぁ、アリス? どうしたんだ? 酷い顔してるぞ。あとここってど──」
「このバカジーク!! 何ですか人が心配していたというのに! どれだけ声をかけても起きなかったというのに……! わたし……」
「……ごめん。アリス。俺はもう大丈夫だ」
体を起こした俺に弱々しく寄りかかってくるアリスを受け止める。気を張っていたはずなのに、いや、気を張っていたからなのか。騎士としての意識を緩めているからこそ、アリスは今こうなってるんだ。
体を震わすアリスをそっと抱きしめ、落ち着くまで待つ。アリスだって俺が起きるのを待ってくれていたんだ。これくらい待てるさ。その間に自分で可能な限り状況を把握するとしよう。
俺がいるのはテントの中だな。俺とアリスしかいないんだが、ここは負傷者用なのだろうか。たぶん寝る時もここかな。そして、こうしてテントを張れているのなら、敵の攻勢への対処に成功したということだろう。その辺のことは後で聞けばいいか。
「……ジーク、これから話し合いがあります。あなたもその場に来てください」
「ん。参加できるならそうさせてもらうよ。それまでに今に至るまでの話も聞きたいけど」
「もちろんそうします。ふふっ、あなたもきっと驚きますよ」
「それは楽しみだな」
アリスがこれだけ明るく話せているのなら、被害は出なかったか最小限に抑えられたかのどっちかだろうな。
「なんせリアルワールドから──アスナという人物が来ましたから」
おおっと?
☆☆☆
本来ならジークが意識を覚ますのを待たずに、話し合いを行うべきだった。ジークは騎士でもないのだから、話し合いの場に呼ばなくても問題がないから。そうならなかったのは、私が平常でいられなかったこと、そしてアスナさん本人が、ジークがいるのなら目が覚めるのを待とうと言ったから。いつ目が覚めるかは分からないから、ある程度制限時間は設けていたけど、ジークはそれまでに起きてくれた。
話し合いが行われる天幕に行き、火酒を片手に寛いでいる小父様に声をかける。小父様はすぐに衛士長に指示を出し、この場にいないシェータ殿とアスナさんを呼びに行かせる。
「体の調子はどうだ?」
「休めたので快調ですよ」
「ふむ……嘘はついてないようだな。ならアリスも一安心だな」
「なっ! 小父様!」
「ははは! 今さらだろう!」
急に矛先を向けられて狼狽する私を、小父様は軽快に笑う。レンリ殿は反応に困っており、何も知らないという
ジークが席に座りながらも体を伸ばしていると、シェータ殿が天幕に入り、続いてアスナさんも入ってくる。その後ろから衛士長が数人入り、話し合いに必要な面々が揃う。
「久しぶり……に、なるね」
「だろうな。いろいろと説明してくれるんだろ?」
「うん。分かってることは全て話すよ」
「……やはりジークもリアルワールド人なのですね」
「アリス……ごめん。隠してた」
「いえ……、あなたは必要のないことはしませんから……」
心が締め付けられる。アスナさんからジークのことが口に出た時点で分かってはいた。いや、それよりも前。セントラル=カセドラルの最上階でも分かっていた。素性がわからないはずのジークのことを、キリトが細かに教えてくれた。その訳もこれなら合点がいく。そう分かっていた。
──だけど、それは違うのだと思いたかった
──住む世界が違うのだと理解したくなかった
だって……それはつまり、私はジークと……
「アリス」
「っ! ジーク」
俯いていた私の手にそっとジークの手が重ねられる。顔を向ければやはりジークはいつもの柔らかい笑み。それが余計に私の心に刺さった。ジークの優しさが辛い……。
「住んでる世界が違っても、気持ちには関係ない」
「ぁ……」
私にだけ聞こえるようにそっとかけられた言葉。たった一言だけど、それ故に心に響く。私達は今ここで同じ時を刻めている。今は……今はそれだけでいい。
私がアスナさんに視線を向けると、彼女は一度小さく頷いてから話を始めた。リアルワールドの軽い説明は先程聞いたけど、それの確認と補足説明。それが終われば敵の素性──曰く、皇帝ベクタもリアルワールド人──と目的。そして今後の方針。
最後の話は受け入れることができなかったのだけど、それを言ったのは私でもなく小父様でもなかった。
「ここを見捨てる気はない。先を急ぐって言うならアスナ。俺を倒してからにしろ」
「ジークくん……。あはは、やっぱり変わらないね。君はSAOの時から変わらない。何を経験してもブレない」
「で、どうする?」
「君とは戦わないよ。ダメ元で言っただけだし、君に勝てるとも思わないから。……刀を持ってたらの話だけど」
「うっせ」
今後の方針に変更はない。移動しながら戦い、祭壇を目指す。ダークテリトリー軍と交渉できるようにするためには、皇帝を討つことが必須条件。皇帝もリアルワールド人と分かったのなら尚更。
分からないこと、不安なこともある。私が祭壇に至ったらどうなるのか。外の世界がどうなのか。またここに帰ってこられるのか。何一つ分からない。だからこそ、隣にジークにいてほしいと思う。
「アスナさん。あんたも戦力として考えていいのか?」
「はい。キリトくんやジークくんがそうしているように、私も皆さんの力になります。……ただ、地形を変えるあの術は期待しないでください。そう何度も使えるものではありませんので」
「大丈夫ですよ騎士長。こいつ狂戦──」
「何か失礼なこと言おうとしてないかしら? ジークくん」
「いえ何も」
圧力だけでジークを黙らせた!? そんなことがなぜ可能なの!? 全然言うことを聞いてくれないジーク相手に……なんで……。
今のやり取りは小父様たちも驚きだったようで、静かになったジークと怖い笑顔をするアスナさんを交互に見てた。こんな珍しいジークをデュソルバート殿にも見せてみたい。あの方もきっと驚愕するから。
話し合いが終わればこの場も解散となり、私がアスナさんと言葉を交わしている間にジークもいなくなってしまった。できればジークの側にいたかったのだけど……。
「ふふっ、アリスさんってジークくんのこと好きなんですね」
「なぁっ! いや、これは……!」
「全然隠せてないので諦めてください。それに、私で良ければジークくんのことを知っている限り話しますから」
「それはお願いします。ぜひ!」
「お願いされました」
つい勢いでお願いしてしまったけど、アスナさんは柔らかい笑みを浮かべて快諾してくれた。ここで話すのもなんだからとキリトのいる天幕へと移動することになったのだけど、キリトの傍付きだった少女ロニエも話に混ざることとなった。
「私もこの世界でキリトくんがどう過ごしたのか聞きたいので」
とのこと。それならたしかに私よりも彼女の方が適任だ。そこにキリトの先輩にあたるセルルト氏が加わるとは、誰も思っていなかったけど。
移動している間に、私とアスナはお互いに呼び捨てにするようになった。年がそう変わらないということもあるけど、こっちの方がお互いに話しやすい距離感でいられると分かったからでもある。ちなみにジークがアスナと同い年であることも今知った。彼って年上だったのね。全くそんな気がしないのだけど。
「ジークくんも大概だけど、キリトくんも無茶しちゃったんだね……」
天幕に入ってすぐにアスナはキリトの側に行き、虚ろな目をするキリトに視線を合わせながらそっと呟く。キリトが片手で大事に抱える二本の剣を見ては、君らしいと言い、そっと撫でてから私達の方へと振り返る。
「らしい、というのはどういうこと? キリトは剣を二本使って戦うのが本来の姿なの?」
「ううん。……いつもは一本だよ。ただ、どうしても必要に迫られた時だけ、絶対に負けられない戦いだけは二本使うの」
「そう……これ以上は聞かないほうが良さそうね」
「ありがとう。それじゃ、アリスの愛しのジークくんの話をしましょっか!」
「だっ……げほっげほ! だからそういう言い方しないでよ!」
とんでもない切り返し方をされて思わず咳き込んでしまう。顔に熱があるのを感じつつキッと睨みつけるも、アスナは楽しそうに笑うだけ。ロニエとソルルト氏からは驚きと興味を交えた視線が送られてくる。
「キリトくんがどれくらい話したのかは分からないし、私も話せないことだってあるから、もしかしたら追加情報は少ないかも」
「……構わないわ。……けど、そうね。私の質問に答えてもらうって形式の方が良さそうね」
「あ、たしかに」
両手をパンと音を立てながら合わせたアスナが首を上下に降る。私は真剣なのだけど、どうやらアスナはこの手の話になると楽しんでしまうらしい。もう少し抑えて話をしてくれる人がいてくれたら良かったのだけど、文句を言っても仕方がない。わざと咳払いをして、何を聞くのか整理してから口を開く。まずはジークの本来の姿についてを。
「戦いのこと……でいいのかな? それならもう知ってると思うんだけど」
「刀を使う。それは知ってるけど、
「そっか。刀を使った時のジークくんはね、二刀流のキリトくんと同等の実力だよ」
その事実に息を呑む。それと同時に納得する。なぜキリトがあれ程ジークのことを信頼していたのかを。二刀流のキリトは最高司祭に打ち勝つほどの実力を見せた。それに並ぶ強さがジークの本来の強さ。
では、それならなぜジークは未だに刀を使おうとしないのか。刀を使えば勝てる勝負を既に何度も経験しているはず。それなのになぜ未だに刀を手にしようとしないの。
「……それはジークくんの深いことに関わるんだけど、私が言えることは、ジークくんが使うって決めてる刀が
「ただ?」
「……もしかしたらジークくんは、
──もう二度と刀を手にしないかもしれない」
☆☆☆
俺が眠っていた天幕。そこが俺にあてがわれた天幕で合ってたらしい。明日に備えて寝ようかと思ったんだが、気を失っていたとはいえ寝ていたから、なかなか寝れそうになかった。だから俺は少し移動して、見晴らしのいい場所で闇夜とそこに光る星をしばらく眺めていた。
「まだ大丈夫だ」
「ジークさん」
治してもらった左手を軽く動かしながらそう呟くと、後ろから可愛らしい声が聞こえてきた。振り返るとそこには若干薄めの茶色い髪をした少女が立っていた。こんな時間にこんなとこに来るのもどうかと思うんだがな。
「まさか君みたいな子が参加していたとはな」
「私だってできることをしたいですから。それより、少し気になることもありまして」
「どうした? 答えられることは答えるぞ」
きっとそんな難しいことは聞かれない。俺が物知りポジションじゃないことなんて皆分かっているからな。ってなると、聞かれるのが何か予想もつかないな。
「──
「…………は?」
この子は何を言っている……?
なぜ俺の心臓はこんなに激しく打ち鳴らされる?
なぜこれほど嫌な汗が大量に流れる?
この子の名前なんて、そんなの──
「ロニエとティーゼがもしかしたらって」
──
「ジークさん。記憶が無くなってますよね?」
「うそ……ジークの記憶が……?」
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31話 悪夢
昨夜話しかけてきた少女──フレニーカと話し合って、俺の今の状態を再確認した。記憶が欠落している事自体、俺は認識できていなかった。誰と知り合いなのか、その相手とどういう時間を過ごしたのか、俺は何をしてきたのか、そして、どの記憶が欠落しているのか。何一つ俺は自分で認識することができない。
何かを忘れているということに対する違和。それを感じることができないからだ。人界軍が二部隊に別けられる前、俺がアリスに気絶させられた後に出会った黒髪の少女と赤毛の少女。ロニエとティーゼとも知り合いだったらしい。そしてその二人がフレニーカと友達だ。だからフレニーカに俺の話がいった。俺とフレニーカの仲が良いから。
『ジークさんは今、
『……それは……』
なぜこの子がそんなところまで見抜けるのだろう。そう思ったが、彼女からしたら当然のことらしい。央都で話していた時と今とでは俺が纏う雰囲気が異なるのだとか。それならなぜアリスに気づかれなかったのか。それも分かっているのだとか。
『アリス様は人界を背負われている方ですから、ジークさんのことを気にかけていても、気づききれないのですよ』
なるほど、たしかに当然の結論だ。だが、そうなってしまえば、アリスに気づかれた時、俺はどうしたらいいんだろうな。何を忘れているのか、何か約束をしたのか、何も分からないんだ。対処の仕様がない。
そして、俺がなぜ戦うのか。フレニーカのその問いはきっと、あの明晰夢でかけられた問いと本質的に同じことなんだろう。なぜ刀を振るうのか。それなら現段階で行き着く答えは同じだ。
──
ここにたどり着く。
「ジークくん!」
「──!」
突き出される拳を咄嗟に躱してカウンターを叩き込む。顎に命中したことで相手の脳は揺らされ、ガードが甘くなった溝内に拳を叩き込む。トドメの一撃として、がら空きになった頭に回し蹴りを入れる。飛んだそいつの体で、数人の拳闘士の足止めに成功する。
少しの間できた余裕を使って、アスナにお礼を言いつつ状況を再確認する。昨日アスナが作ったらしい大峡谷。そこに縄を繋げて綱渡りし、こちら側に渡って戦争再開。それが皇帝が出した指示のようだ。強い者に従うことがダークテリトリーのルール。それに逆らえないダークテリトリー軍は、最速で渡ってこちら側へ。渡った者から順に縄を守るためにこちらと戦闘。
それに対してこちらが取る作戦はシンプル。縄を斬るだけ。
そうして始まったこの戦闘なのだが、俺はいまいち集中し切れていない。それは昨夜、フレニーカに記憶のことを指摘されたからであり、自分を分からなくなったからである。
──
これに確信が持てなくなった。重い強迫観念にすら思えてきた。アリスを守らないといけないと思っていたのは元からなのか。それともエルドリエに託されたからなのか。果たしてどっちなのか。
そして、
「あんたら程度ならもう負けない」
「ぐっ……!」
チャンピオンの動きならある程度見ていた。補佐となら直に戦った。2トップの動きを軽くだが知ったんだ。それ以外の拳闘士には負けない。暗黒騎士も混ざってるようだけど、整合騎士の実力を身をもって知ってる。やはり負けない。たとえ不安定な今の状態であろうと。俺は止まるわけにはいかないんだから。
自分という存在が分からないが、だが俺の中で一番うるさく訴えてくるものがある。アリスを護れと。アリスを傷つけさせるなと。今はそれに従うだけだ。
自分たちの判断で飛び出してきた別働隊が参戦し、総力を上げて拳闘士団と戦闘を行っている中、とある事象によって全員の動きが止まる。
「なんだ……あれは……」
それが誰の言葉なのか分からないし、それに答えられる者もこの場には誰一人としていない。無数の赤い線が丘に、さながら雨のように降り注ぎ、その赤い光が地につくとそこに突如人影が現れる。真っ赤な鎧を身に着けた者たちが。
突如現れた第3軍。それが敵なのか味方なのか、それとも完全に別の軍なのか。それはすぐに分かった。
「──! 全員固まれ! 一点突破でこの状況を切り抜ける!」
すぐに指示を飛ばした騎士長の言葉に従い、全員が固まり始める。そんな中、俺は軍ではなく、アスナの下を目指して走っていた。アスナは優しすぎる。たとえ戦っていた相手だろうと見捨てることができない。つまり、アスナはダークテリトリー軍を守るために赤い兵士と戦っている。
そんなアスナに、やってもらわないといけないことがある。どうやらそれを考えたのは、俺だけじゃなかったようだが。
「さすがチャンピオン。俺の友人のお姫様を助けてくれてありがとう」
「状況が変わったからな。お前も同じ考えのようだが」
周りが見えなくなっていたアスナに斬りかかろうとした兵士を、駆けつけたチャンピオンが殴り飛ばした。気せずして集まれたわけだが、同じ考えを持ったのなら必然だろう。
ところであんたさっきふっ飛んで来なかったか。対岸から。いったいどういうやり方であの距離を飛び越えてきたんだよ。
「ジークくん? 何か考えがあるの?」
「あの兵士たちはアメリカ人だ。外からの乱入者。内情を知らずに暴れてるだけ。そんな奴らにこの世界の趨勢を揺らがされるわけにはいかない。だから共闘する。ダークテリトリー軍と共闘してあの兵を討つ。そのためにアスナは大峡谷を元に戻してくれ」
「正気!? 私達が圧倒的に不利になるだけだよ!?」
「なら、
「ッ!!」
……チャンピオンの覚悟が強すぎだ。さっきから右目を抑えてるなって思ってたけど、まさかその痛みを無視するために自分でくり抜くとか。そんなの誰もできないことだぞ。
目を見開いて、両手で口を覆うアスナに、チャンピオンは片目を突き刺すように向ける。これでも信用できないのかと。これ以上時間をかけるわけにもいかず、俺はアスナに声をかける。アスナは静かに頷き、大峡谷を元に戻した。それにより、対岸に残っていた拳闘士団と暗黒騎士たちが、こちらへとやってこれる。
「アスナは騎士長たちの下へ」
「何言ってるの!? ジークくんも行くよ!」
「……アリスを頼む」
「っ! ……アリスに怒られても知らないから!」
アスナはやっぱり優しい。俺に対して言い方がキツくなりやすいのはいつものことだけど、俺の心境を汲み取ってくれる。まぁ、今回はだいぶわかりやすいってのもあるんだろうな。今日一度もアリスと俺が言葉をかわせてないから。……あ、たぶんフレニーカと話してる時に聞かれたな。今になって気づくとは、相変わらず俺は遅い。
「ははっ」
「あ? いきなり気味悪く笑うなよ」
「ごめんごめんチャンピオン。いやー、自分の馬鹿さ加減に笑いしか出なくてさ」
「おかしな奴だな。……イスカーンだ」
「ジーク。死ぬなよイスカーン」
「テメェこそな、ジーク。弱いんだし」
「うっせ!」
チャンピオン改めイスカーンと握りこぶしを軽くぶつけ合い、俺達を包囲する赤い兵士たちに目を向ける。いつの間にか近くにいたシェータさんを加え、三人で死角を潰し合う。もうすぐで拳闘士団が赤い兵士たちを突破して合流するから、そうなったら乱戦開始だな。
アスナは無事に合流できたようだし、騎士長もいる。人界軍とアリスの心配はひとまずしなくていいだろう。
「申し訳ありませんチャンピオン! しばし手こずりました!」
「ハッ! 鍛え方が甘いからだ! ──鍛錬の成果を活かすときだぞオメェら!」
『ウッス!!』
衝撃を中に響かせる拳闘士たち。その攻撃の前に鎧など意味をなさない。優先度の関係上勝ち目が薄い騎士たちより、断然効率的に戦うことができる。
こうして死地に立ってやっと俺も思考が絞られてきた。今は生き残らないといけない。システムによって、一方的な虐殺が可能となっている、アメリカ人プレイヤーたちに対して。拳闘士たちと戦った経験を活かして。
「ここはゲームじゃねぇんだよ……!!」
掌底を胸部分にぶつける。鎧の上からだろうと関係ない。衝撃を中に通すんだからな。そしてこのプレイヤーたちは、ここで死んでも現実では死なない。気心を加える必要もない。何一つ懸念しなくていい。だから、戦いに没頭できる。
斜め前から伸びてくる剣を避け、伸ばされた腕を掴む。瞬時に狙いを定めて顎を蹴りぬき、反対の足でそいつの体を蹴ることで距離を取って着地する。こいつらにも天命が存在するんだろうが、果たしてその数値はどうなってることやら。
「心意の使い時、なんだけどな」
心意を狙い通り使えない。戦う理由が曖昧になっているせいだろう。仮初の目標を決めようと、それに向ける想いも仮初。心意を発動できるわけがない。だったら漠然としていようと、俺の中で煩く騒ぎ立てるこの気持ちに従うしかない。
あいつらに味方意識なんてない。あの赤い兵士たちはこぞって自分が楽しむことを目的としている。どんな名目で突っ込んできたのか知らないけど、殺して楽しんでるあたり、そういうゲームだって思ってるんだろうな。
「これも皇帝の策戦か。反吐が出る」
こぞって向かってくるプレイヤーたちを迎え撃つ。相手の人数が多いおかげで、一人を軽くでも飛ばせば周りが巻き込まれる。そうやって隙を作り、自分に余裕を作り、呼吸を整えながら戦う。どう足掻いても短期決戦にはできないんだからな。
殴り、蹴り、突き飛ばす。瞬時の判断の連続に頭が痛くなってくるが、それも意地で押さえ込む。今は痛み一つ気にしていられないのだから。
だが、俺は一つ見落としていた。
それに気づいたのは、何度目かも覚えていない僅かな余裕を作れた時のことだ。そして、それに気づいてから冷や汗が止まらない。嫌な予感しかしない。
「
皇帝ベクタはどうやってかは知らないが、縄を用意して拳闘士と暗黒騎士たちに綱渡りをさせた。事前に準備をしていたのかは知らないが、アメリカ人プレイヤーたちをこの世界に大量にログインさせた。
大峡谷は閉じ、そこにいたダークテリトリー軍
敵軍の最大戦力である皇帝の狙いは?
現状況で取る手段は?
「────!!」
答えに至ったと同時に空間が震えた。声から判断するに騎士長だ。あの温厚な騎士長がこれほど激怒するということは……。
人界軍の方に目を向けて全てを理解した。やはり皇帝は単独行動を取っていたのだと。全てはカモフラージュ。目標であるアリスを捉えるための。そしてそれをたった今達成したのだ。ダークテリトリー軍の飛竜の背に乗り、飛竜にアリスを捕まえさせることで。
「アリ──」
「おいジーク!!」
「──っ!! かはっ……!」
ぬかった。俺は今、敵にほぼ囲まれている状態だったってことを、忘れてしまっていた。がら空きになった敵を刺さない馬鹿はいない。この結果は当然のことなんだ。
何本もの剣が俺の体を貫く。刺された箇所からも、口からも鮮血が溢れ出す。確認できないが、きっともの凄い勢いで天命が減っているのだろう。……エルドリエに託されたというのに。
そんな串刺し状態となった俺に近づいてくる一人の兵士がいた。そいつは徐ろに兜を取り素顔を晒したのだが、驚愕させられたね。なんせそいつは
「くくくっ、いやぁ、いい気味だねぇ」
「趣味わるい、な。誰……だよ、あんた」
「酷いなぁ。別のゲームとはいえ。お前にズッタズタに体を切り刻まれたというのにさぁ! あー、でも覚えてないのも仕方ないかぁ。あの時って
「は……?」
「えぇ〜、これでも思い出せないのかぁい? じゃあこぉ言えばいいのかなぁ? 君の
「……ア……」
こいつが?
『お兄ちゃんお兄ちゃん! このゲーム一緒にしよう?』
この歪みまくった人間が……
『大丈夫大丈夫! 僕は強いし、お兄ちゃんとなら負けないんだから!』
この趣味の悪くて憎たらしい顔した奴が……!
『お兄ちゃん……だぁれ?』
「アアアアァァァ!!」
殺してやる。肉片一つ残すことなく。
そいつは、俺の
はしょるせいでテンポ早い気がしますが、まぁいいですよね!
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32話 鬼人
あれはもはや戦闘なんかじゃねぇ。
「あいつは何なんだよ……!」
「私も知らない。……きっとアリスも
「クソッ!」
あー腹が立つ。敵に四方から刺されたかと思ったら、叫び声を上げてあの状態だ。武術もクソもねぇ。ただ
音よりも速い拳が敵の鎧をごと体を穿く。払われた手が刃と化し、寸分の狂いもなく鎧と兜の隙間、つまり首を切り落とす。しかも傷が既に治ってやがる。人間とは到底思えない状態だ。
「お前ら! 今のあいつに近づくなよ!」
情けねえ。チャンピオンたるこの俺が飛ばせる指示。それが『距離を取れ』ということだけなんだからな。俺が力づくで止めるということもできねぇ。それほど今のあいつは危険過ぎる。それこそ、死の間際に竜巻を発生させたシャスターのようにな。
「彼に注意しつつ敵を斬る」
「ああ。それしかねぇな」
それ以外にできることなんてねぇ。巻き添えを喰らわないように距離を取り、変わらず俺達を包囲してる赤い兵どもを討つ。
だが、ジークの近くにいながらも、未だに討たれてねぇ奴が一人いる。あいつはいったい何者なんだ。
☆☆☆
「ジークくん……」
「アスナさん、あれはいったい」
アメリカ人プレイヤーたちの包囲を突破し、皇帝ベクタを追う騎士長さんを追いかける。それが私達のすべきこと。それは頭では分かっているのだけど、今のジークくんの状態を見ると不安が募ってしまう。
かつて「鬼人」と呼ばれた状態。それと同じ状態にジークくんはなっている。キリトくんもその名は知っている。だけど、
ジークくんが鬼人と呼ばれる状態になったのは、過去にたった一度だけ。そしてそれを知っているのは、私と
「……今の彼をどうすることもできません。私達は先に進みましょう」
「いいのですか!?」
「残念ながら、……そうするしかないんです。彼を止められる人はこの場にいませんから」
「……分かりました」
レンリさんの指示で、隊が再び足を早める。みんなジークくんのことを気にしているけど、足を止めることはなかった。私も最後にチラッと見ただけで、すぐに視線を前に戻して、二度と振り返ることはしなかった。
ジークくんが「鬼人」と呼ばれる状態は、今のように怒りで我を忘れた状態のこと。俗に言うガチギレ、それすら超えた怒りという炎に呑まれてる。この世界は《心意》があるせいで、今のジークくんを止められる人なんてそうそういない。私も無理。
ジークくんの慟哭が響き渡り、それと同時に彼の周囲にいた赤い兵士たちが爆ぜた。一時的な赤い雨がその場に降り注ぎ、それが止んでから始まった
ああなる条件はたった一つ。彼の大切な人であるあの子関連だけ。それを知ってる人なんて、このアンダーワールドにいるはずがない。そもそもその人数すら限られてる。それなのに暴走した。それはつまり、知っている人が敵にいるということ。
「アスナさん! 前方にもあの赤い兵たちが!」
「っ!!」
振り返りはしないものの、原因が何かを考えてしまう。それに思考を割かれていると、レンリさんの声で戻される。視線を上げると、たしかにこの先にプレイヤーたちが次々と現れている。今の戦力だけで突破できるだろうか。きっと多くの犠牲者を出してしまう。
何か策はないかと考えている間に、レンリさんが乗っている飛竜が走る速さを上げていった。飛竜の口には炎が溜められ始めている。それを見たら、やろうとしていることが瞬時に分かった。分かってしまった。
あの人は、自分を犠牲にして私達の道を開こうとしている。
「レンリさん──」
静止しようと声を出したところで、空が突然輝き始めた。突如現れた十字状の光。その中から現れた一人の人物。身の丈はありそうな大きな弓を持ち、どこからともなく現れた矢を添えて一撃を放つ。
たった一度の攻撃。それだけの攻撃でアメリカ人プレイヤーたちの大半を倒してしまった。広範囲爆撃。それが今行われた攻撃で、おかげさまで道ができている。
「シノのん?」
「ええ。駆けつけに来たわよ、アスナ」
空から降りてきたのは、私の親友の一人であるシノのんだった。見たことのない姿をしてるから、私と同じでスーパーアカウントを使ってるんだね。じゃないとさっきの爆撃も説明がつかないし。
「アスナ、キリトとジークは?」
「キリトくんは後ろにいるよ。ジークくんは……」
「……何あれ……あれをやってるのがジークなの?」
ジークくんがいる方向を指差すと、シノのんはそっちを見て驚愕していた。それもそうだよね。だって、ジークくんが暴走してるとこなんて見たことないから。
困惑した視線を向けられて、私はゆっくりと頭を左右に振った。それだけでシノのんには伝わって、彼女はキリトくんに会ってからすぐさま私にアドバイスをくれた。曰く、この先に遺跡があって、そこなら有利に戦うことができるだろうって。
「待って、シノのんは飛べるの!?」
「え、ええ。このスーパーアカウントの能力の一つらしいわ」
「それならお願い! アリスを追って! ベルクーリさんが追いかけてるけど、相手もリアルの人でスーパーアカウントを使ってる! いくら騎士長さんでも厳しいと思うの!」
「分かったわ。そっちは私に任せて」
シノのんはすぐさま飛びたってくれた。あの速さなら本当に間に合うかもしれない。だから、私は私達のことだけを考えたらいいんだ。この部隊の人々を守ることだけを。
私達もまた移動を再開して、シノのんが言ってくれた遺跡を目指す。アメリカ人プレイヤーたちが、私達を追いかけ始めたのは、私達が無事に突破してからだった。それだけシノのんの爆撃が衝撃的だったみたい。
「遺跡が見えてきました」
「たぶんあれがそうなんでしょうね。すぐに仮拠点を作りましょう」
「はい!」
遺跡は、どこか神殿みたいな作りだ。この世界のことはほとんど知らないから、ここがどういう場所だったのか分からない。ダークテリトリーにあることを考えたら、ベクタを祀っていたと考えるのが妥当なのかな。
遺跡を手分けして散策し、拠点とできそうな場所を探す。三方を壁に囲われている場所を発見し、そこに支援隊を入らせる。敵の数が多くても、一方向からの攻勢であれば対応しやすい。数で劣るのだから、効率的に戦わないといけない。
「……敵の足も速いですね」
「ええ。ですが、ここが正念場でしょう」
腰に据えていたレイピアを構える。劣勢な戦いは今まで何度か経験してきた。その度に策だって考えてきた。連携のとり方も。だから、今はそのすべてを駆使して戦う。キリトくんが守ろうとしているこの世界の人たちを守るために。
ただ待ち構えるだけじゃなくて、私の方からも前に出て斬りかかる。いつも頼りにしているソードスキルは、使用後に硬直時間がある。この状況では、それは致命的な隙となるから使えない。
「左方下がって! 後方隊が入れ替わりで前へ!」
行ったのはただの入れ替え。戦力差はない。でも、敵の目に見える情報を増やす。それが今の指示の狙い。膠着させてしまうと、目の前の相手に集中させてしまうから。そうなっては武装が劣るこちらが不利。
それをさせないために隊の入れ替えを行う。相手の意識を途切れさせる。でも、これは何度もできる手ではない。相手だってすぐに慣れる。そうなる前に可能な限り敵を減らさないといけない。その役割を私とレンリさんで担うんだ。
慣れない感触。今までのゲームには存在しなかった、人の体を斬る感触。斬ればエフェクトが発生するのではなく、血が溢れだす。相手の苦悶の声や痛む声がすぐに耳に届く。慣れたくないのに、こんなことしたくないのに。だけど、これはやらないといけない。守ると決めたのだから。
いったいどれだけの敵を斬ったのだろう。いったいどれほどの味方が斬られたのだろう。いったいどれほどの血が流れ、どれほどの命が失われたのか。
何一つ把握できない。
分かっていることは、とうとう私達が追い込まれたことだけだ。
「はぁはぁ……、ここまで……ですか」
「レンリさん……まだ、諦めないでください」
下手な慰めもいいところだ。素人だって分かる。ここから逆転させることは、無理だということが。私の、ステイシア神の能力を使おうとすれば、脳がひび割れるような激痛に襲われる。
ジリジリと敵が寄ってくる中、
一つは、私達から見て右側に青色の糸が雨のように大量に降り注いだこと。
もう一つは、左側に何かが飛来し、大量の砂埃が発生したこと。
「な、何が……」
右側から現れた人たちは、ソードスキルを駆使しながら敵を突破して私達の方に合流してきた。ソードスキルが使えるということは、リアルからの援軍。そしてその顔ぶれは、これ以上なく頼りになる面々。かつて同じ場所に閉じ込められ、そこで出会い、共に困難を乗り越えてきた仲間たち。そしてそれ以降に出会い、共に過ごしてきた仲間たち。
「よっ、アスナ。遅れちまったが俺達も参戦するぜ」
「クラインさん……エギルさんたちも……」
「説明なしじゃさっぱりだが、この赤い奴らが敵ってのは分かる。ひとまずこいつらと戦えばいいんだよな?」
赤いバンダナを頭に巻き、刀を肩に担いでいるクラインさんが、お茶らけた口調で聞いてくる。不真面目な人なんかじゃない。私の心労を気遣って、わざと軽く話してくれてる。その姿に思わず頬が緩んで、自然と浮かび上がるいつもの笑顔で肯定した。
「おっしゃ! 野郎ども! 風林火山の実力の見せ所だぞ! 漢を上げろ!」
「おっしゃぁ!」
「末っ子には負けてらんねぇからなぁ!」
「……アスナ。ジークの奴もいるはずなんだが、あいつはどこにいるんだ?」
「……ジークくんは……」
クラインさんが立ち上げたギルド『風林火山』。そこにジークくんも所属している。クラインさんはジークくんの従兄弟ということもあり、当然のことながら気にかけてる。
私はどう答えたらいいのか分からなかった。だって、クラインさんですらジークくんの「鬼人」のことを知らないのだから。でも、隠すわけにもいかない。どう説明するか言葉に悩んでいると、その答えはひとりでに現れた。
砂埃が晴れ始めたから
「おいクライン……あそこにいるの……ジークじゃねぇか?」
「エギルの旦那? あそこってあの砂埃のと……こ……」
ジークくんを知ってる全員がその光景に固まる。敵であるアメリカ人プレイヤーたちも、
「
信じられないといった表情で、クラインさんは心中を溢した。それは他の人たちの心すら代表して言った言葉だよね。だって、いつもの彼からは想像もできない光景なんだから。
「あぁ? 死ぬには早いんじゃねぇのか? クソスライム野郎。なぁ返事をしろや。勝手に肉塊になってんじゃねぇよ!」
もはや人の原型を留めていない誰かをジークくんは全力で蹴り飛ばす。それはアメリカ人プレイヤーにぶつかったところで光に包まれ、やがてこの世界からいなくなる。
大量の返り血を浴び、髪も顔も服も、その全身に血のりを残しているジークくんが、こっちを見る。いや、正確にはこっちの誰も見ていない。何も映していないその瞳は、ただ
「ああ、そこにいたか。あいつにやったことを、テメェが生きてることを後悔するまでミンチにしてやるよ」
呟いたようなか細い声。だけどそれが離れた場所にいる私達にさえ届いた。それを聞いた人たちは身を震え上がらせ、中には口を抑えて蹲る人まで現れる。
次の瞬間には誰かの血しぶきが上がり、その周囲にいた人の叫び声が聞こえてくる。ジークくんが一瞬で赤い兵士に距離を詰め、誰かの命を奪ったんだ。
彼の近くにいる赤い兵士たちは、恐怖を叫び声で隠しながら斬りかかる。離れている人は、更に離れようと逃げ惑う。だけど、ジークくんが傷を負うことはなく、次々と人が倒れていく。
やがてジークくんの周辺から人がいなくなるのだけど、私達はそのショックな光景に硬直していて、ジークくんを止めに行けない。そんな中、一人の少女がジークくんの下へと歩み寄って行った。武器を手放して。
「ジークさん……もうやめましょう? アリス様をお守りするのが、あなたが自分に課した使命ではなかったのですか?」
「……誰だお前。邪魔をするな」
「ぐっ! ぅぅっ……ジーク……さ、ん」
「フレニーカ!」
「いい加減にしろジーク! お前を想うこの子を殺す気か!」
「邪魔すんなよバンダナ。知らねぇ奴にとやかく言われっ……。ってぇな」
クラインさんがジークくんを殴り、フレニーカさんが解放される。咳き込むフレニーカさんを庇い立つクラインさんを、ジークくんが睨みつける。その目は決して味方に向けるものじゃない。明らかに敵に向けるものだ。
『しょうがないなぁジークは〜』
聞こえないはずの声が聞こえた。声のする方を見上げると、そこには淡い紫の光が浮かび上がっていた。ただの光なのに、それとなぜか目があった気がして、不思議なことに、顔もないそれに笑いかけられた気がした。あの輝かしくて、真っ直ぐに貫いて生きた少女を彷彿させられる光。
その光は揺らぐことなく、真っ直ぐにクラインさんたちの下へ飛んでいき、ジークくんとクラインさんの間に浮かぶ。
「
光のはずのそれに、ジークくんは躊躇することなく誰かと問いかけた。それに答えるように、その光は輝きを増していき、ある形へと変わっていく。
「ヒドイな〜、ボクのこと忘れちゃったの? ジーク」
「っ!?」
「う、そ……」
私達はその姿に目を見開き、その光景が幻なんじゃないかと思ってしまう。
それもそのはず。だって、その人の姿は、ALOで最強最速の剣士と呼ばれ『絶剣』の異名を持っていた少女──ユウキだったのだから。
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33話 緋桜
温かく大きな存在。今の私は知らないけれど、
逞しい膝の上に乗り、大きな手で髪を撫でられる。そう、父親。もう少しこの感覚に甘えていたい。
そう思っていたけれど、目覚め始めた意識はそうさせてくれなかった。名残惜しくも瞼を開けば、静かに瞳を閉じている小父様が見える。なぜ小父様がこうしてくれているのか。それもすぐに分かった。
意識を失う直前に、私は敵の総大将である皇帝ベクタに捕らえられたのだ。だが、周りを見渡してもその姿は見えない。ここにいるのは私と小父様だけ。つまり小父様が私を助けてくださったのだ。
──この方がいれば心配することなんて何もない
そう思った矢先に、私は現実を認識した。小父様の左腕は肩から切り落とされており、顔や胸にも真新しい無数の傷が見える。そして何よりも、小父様の呼吸が止まっている。
「小父、様……? うそ……ですよね……」
嫌だ。受け入れたくない。信じたくない。嘘であってほしい!
唇も指先も震え、そっと手を伸ばしてみると認識させられてしまう。小父様の体が冷たくなってしまっていることを。その場に膝から崩れ落ち、嗚咽する。私が敬愛し、目標とした小父様が、私のせいで命を落としてしまったのだ。私が焦って単独行動をしてしまったから。
「……間に合わなかったようね」
突如現れた新しい気配。そちらに目を向けると、そこには見たことのない人物が立っていた。敵意がないことから、彼女が少なくとも敵ではないことが分かる。
「あなたがアリスよね? 私はシノン。キリトやアスナやジークの友人よ。アスナに頼まれてこっちに先行してきたのだけど」
「ジークの……。来ていただいて申し訳ないのですが、私は戻ります。戻って、ダークテリトリー軍と和議を結ばねば」
「ちょっと待ちなさい。概要しか聞いてないけど、あなたは南の端を目指しているのでしょ? 戻ってどうするの?」
彼女の疑問も当然だ。たしかに私達は南を目指している。その理由は、《果ての祭壇》に辿り着くため。でも、それだけが理由じゃない。南下しながら敵の数を減らし、そしてダークテリトリーと和議を結ぶためだ。最大の難敵であったベクタは、小父様が身を犠牲にして討ち取ってくれた。ならばもう移動策は必要ない。
「……それが、そうもいかないのよ。敵はまた来るわ」
「どういうことですか?」
「皇帝ベクタはリアルの人間。リアルの人間は、仮の姿を使ってこの世界に来るのよ。つまり、ここで命を落としても、別の器を用意すればまたここに来られる。皇帝ベクタじゃない、別の姿でね」
「なん、ですか……それは……! では小父様はなんの為に! 無駄死にだったと言うのですか!」
そんな理不尽なことが許されていいのだろうか。そんな不条理なことが。そんなの不公平ではないですか。命の重さが全く違うじゃないですか。
「……ジークやキリト、あなた方もそういうことですよね?」
「……そうね。でも、私達はこちらの命が軽いなんて思わない。だからキリトはああなるまで戦った。ジークだってそうじゃなかったかしら?」
「それは……」
思い返す。セントラル=カセドラルであった戦闘を。キリトの覚悟とその戦いぶりを。ジークの激情を。
シノンの言うとおりね。少なくとも彼らは命を軽んじなかった。ユージオの死に涙し、エルドリエの勇姿からその覚悟を受け取った。そんな彼らに代わって動いてくれる彼女たちが、敵と同じであるわけじゃない。
「騎士長さんの死が無駄になるか。それはアリス、あなたの行動次第よ。敵の目的はあなたを捕らえて外に出ること。私達の目的は、あなたが敵の手に落ちずに外に出ること。だから──」
「分かっています。もう迷いません。……その前に三点だけ。うち二つは質問に答えてもらえれば構いません」
「私に答えられることなら」
彼女のその言葉に感謝し、まずは小父様の体を、小父様の飛竜である星咬の背に乗せる。東の大門へ、ファナティオ殿の下へと向かわせる。
「恋敵?」
「まさか。私の恋敵はまだ見ぬ誰かです」
「ふーん?」
今なら分かる。分かるようになった。彼女もまたキリトに恋している人物なのだと。だから、彼女は私の恋敵ではない。私の恋敵は、私がまだ出会っていない、ジークが最も大切にするという人。
それは、ジークと再会したら聞いてみよう。外に出たら会えるのだろうから。
「一つ目の質問をしますね。私はまたここに、この世界に帰ってこられますか?」
「確証はないけれど、きっと戻ってこられるわ。キリトとジークがそのために動き回るだろうし、私達も微力ながら協力する。それに、ジークって達成するまで止まらないでしょ?」
「ふふっ、それもそうですね。……良かった。愛するこの世界にまた戻れるんですね」
「ええ。それで、もう一つは?」
あまり悠長にできない。敵がいつ、この世界にもう一度来るのか分からないのだから。それで彼女はすぐに最後の質問を聞いてきたんだ。少しでも私が《果ての祭壇》に辿り着くのを早めるために。
「……今ジークはどうなっているのですか?」
「どうって?」
「
「っ!!」
「不思議と分かるのです。彼のことが、何となくですけど」
「やれやれ、ジークもとんでもない子を引っ掛けたわね。アスナ並みかしら」
酷い言われようである。私はそんなとんでもない人間ではないと思うのだけど。それに、何となくだけどアスナと同類扱いされるのは不本意だ。
不満に思ったことが顔に出てたみたいで、シノンは呆れてため息をついた。そして話してくれた。ジークが暴走してしまっていることに。それを聞いて、私はアスナから聞いた話を思い出す。かつて一度だけ暴走したということを。キリトも知らないほどの暴走を。
そしてそれを止められた人物が、この世界にいないということも。
北へと視線を向ける。もちろんジークの姿など見えない。人界軍もダークテリトリー軍も、赤い兵士たちも。何も見えない。だけど、そっちにジークがいるのは確かだから。
「ジークならきっと大丈夫です」
「それも乙女の勘かしら?」
「はい。悔しいですけど、私以外の誰かがジークを止めてくれるかと」
本当に悔しいことだけど、今のジークを止められるのは私じゃない。近くにいたらきっと私でも止められる。止めてみせる。負けたわけじゃない。今回はたまたま離れ過ぎているからできないだけであって、そうじゃなかったら私がその役を担っていたはず。
心の中で愚痴りつつ、雨縁の背に乗る。シノンの感謝を述べ、私は二頭の飛竜と共に《果ての祭壇》に向けて進んでいく。
「ジーク、きっと追いついて。待ってるから」
☆☆☆
あはは、まさかジークがこんなことになるなんて思ってなかったな〜。アスナから聞いたことはあったけど、実際見てるかどうかで結構違うよね。ボクは初めて見るし、ぶっちゃけ怖かったりする。
でも、それ以上に呆れるというか、仕方ないな〜って感じ。世話が焼けるっていうのかな。いっつもしてもらう側だったから、初めての感覚で新鮮だね。
「お前……」
「脳では忘れてても、心では覚えてるってやつかな? それだったら嬉しいなぁ」
「ぐっ……るさい、喋るな……!」
「やだ。ボクはこういう人だって、ジークが一番知ってるはずだよ?」
「うるさい!」
右手を頭に添えてふらついてる。頭がすっごく痛かったりするのかな。痛みを隠したがるジークが、全然隠せてないもん。でもボクはやめてあげない。きっとここで失敗したら、取り返しのつかないことになるだろうから。
今のボクは重量とかない。体だってフワフワ浮かんでるし、アバターのユウキの姿をしているけど、輪郭は薄く光ってるしね。でも、ボクは地面に
「こらこら、逃げようとしないでよ」
顔を逸らそうとするジークの頬に手を伸ばす。触れることはできない。ボクの温もりをジークに感じさせることも、ジークの温もりをボクが感じることもできない。
でも、ボクの手がジークの頬に添えられると、ジークは体をビクッとさせて動きを止める。視線もボクから逸らすことをやめた。
「ねぇ、君は今何がしたいの? 本当は何をしないといけないの?」
「俺は……あいつを、敵を……!」
「それはもう終わったでしょ。ジークだって分かってるはず。それなのに止まろうとしないのはなんで?」
「それは……」
ジークが言い淀む。答えに迷ってるんじゃない。答えが分からないわけがない。ジークだって分かってる。とっくに理解してる。だけど、それが言えないんだ。なら、ボクが言ってあげなきゃね。甘やかしちゃうことになるけど、
「ジークはさ、
「っ!!」
「SAO時代のことはボクも知らない。ボクが知ってるのは、君と出会ってから過ごした短い時間だけ。でもさ、それだけでもいっぱい分かったんだ。君は頑張り過ぎちゃう人だって。抱えきれないのに自分でなんとかしようとして、弱音を誰にも吐かなくて。常にいっぱいいっぱいだから、自分を赦せないから、だから余計に取りこぼしちゃう。違う?」
「ちが、う……だって……俺は……、……?」
「記憶が……。なら、思い出させてあげる。できるか分かんないけど、こういうのってロマンチックなことすれば何とかなるって決まってるしさ!」
怪訝そうにするジークにさらに近づく。身長差があるし、今のボクじゃ背伸びもできないから、代わりに体をフワッと浮かび上がらせる。ジークの顔の至近距離までボクの顔を近づける。戸惑う姿にクスッと笑っちゃう。そのままそっとボクの唇をジークの唇に重ねる。
本当は何も感じないはずなのに、不思議と温かみを感じる。胸がポカポカするね。
「っ、えへへ、どう?」
「どうって……根拠もないくせによくやるよ、
「でも治ったでしょ? そんな気がしてたんだよね〜。改めて久しぶり!」
「久しぶりだな、それとありがとうユウキ」
「どういたしまして!」
うんうん、やっぱりジークはこうじゃなくっちゃね。ボクらがよく知る、自分勝手で生き生きしてるジークじゃなくっちゃ。
ジークが戻ったところで、近くで待ってくれていたエギルさんが近づいてくる。その手にはひと振りの刀が握られている。ジークの刀で、ボクと一緒にクエストをクリアして手に入れた刀。ボクらの大切な思い出が詰ってる。
「そろそろ受け取れよジーク」
「エギルさん……でも、俺はまだ……」
「ねぇジーク、それって
「ちがっ! それは違う……これは俺が……」
ボクとジークが二人で攻略したクエスト。難易度はグランドクエスト並で、でも二人じゃないと参加できないやつだった。ジークに頼まれて、ボクも挑戦してみたかったから了承した。最後のフロアじゃボスが一人だけだったんだけど、そのボスが使ってた武器がクリア報酬。
刀身が
「ねぇジーク。ボクさ、言ったよね? 『幸せをいっぱい貰ったって』あの言葉に嘘なんてない。でもね、一つだけ心残りがあるんだ」
「それは?」
「
「……っ、ユウキ……」
困った感じにふにゃって笑うと、ジークが泣きそうな顔になる。涙なんて流さないくせに、そういう表情はするんだから。本当に甘いよね。でも、その甘さを自覚しながらも前に進んでいく姿が好き。カッコよくて、力強いよ。
「悔しいけどさ、その役割をボクが担うことはできないんだ。それを担う人はもう決まってる。だからさ、ジーク。君が今したいことは何?」
「……俺は、アリスを守りたい。あいつに傷ついてほしくない」
「うん! それなら今どうすべきかも決まってるよね!」
ボクの言葉に合わせてエギルさんが刀を渡す。今度こそ受け取ったジークは、それを腰に据えた。それと時を同じくして、ボクの方も限界がきた。この姿を保つ限界が。
「ユウキ……」
「大丈夫だよジーク。ボクはずっと、君たちの心の中で生きてるから。……ジーク、幸せになってね? なってくれなかったら、ボクはジークを怒るよ」
「ははっ、それは嫌だな。ありがとうユウキ、俺はもう大丈夫だから。やり抜いてみせるから」
「うん、見守ってるよ」
ジークがクラインさん、エギルさんと言葉を交して、フレニーカさんに謝る。安堵したことで涙がこぼれ出したフレニーカさんを、ジークが慌てながら慰めて、クラインさんとエギルさんがそれを揶揄する。
「すみません、ジークさん」
「いや、フレニーカが謝ることじゃないから」
「ですが」
「あのさ、フレニーカ。改めて約束させてくれないか? 今度こそ全部やりきって、また会いに来るって」
「はい。私も必ず生き抜いて、待ってます」
フレニーカさんと約束を交したジークが、最後にまたボクのところに来る。でもお互い何も言わなくて、無言のまま拳を作って突き出し合う。合わせた音もなく、ぶつかった感触もないのだけど、それで通じあえたことが分かる。ジークの覚悟が伝わってきた。
「行ってらっしゃいジーク」
「行ってきます、ユウキ」
その場でしゃがみこんだジークが、足に力を溜め込んだ後にそれを爆発させて跳躍する。数秒でジークの姿が小さく見えるほどの跳躍。よく見たら空中でもジャンプしてるな。いいな、この世界も面白そうだ。
吹っ切れたジークが、大切な人の下に向かっていった。ボクと一緒に入手した大切な刀──
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34話 約束
お久しぶりです。なんとか1ヶ月経つ前に更新できました。
『お兄ちゃんは何のために戦うの?』
──俺は俺のために戦う
あー
「俺は守りたいもののために戦うんだ」
自分に言い聞かせるためにハッキリと言葉に出す。誰かに向けてじゃない。俺は俺の中にいる
見失っていた
俺がなんのために刀を振るっていたのかを。俺がなんのために強さを求めていたのかを。それは全部、自己満足のためなんかじゃない。自分だけで完結するような理由のためじゃない。俺にはいつも守りたい人が側にいて、失いたくない存在が隣りに居てくれて、だから強くなりたかったんだ。
「だからさ。アリスを奪おうなんて許せねぇんだわ。アメリカ人」
アリスはダークテリトリーの最果て、ワールドエンドオールターを目指してる。それを敵の総大将が追いかけてるわけだが、俺はどこでそこに乱入できるんだろうか。まずアリスは今どの辺だ。
「……んー?」
前方を細かく見てみると、所々地形が抉れている場所が見えた。さらにはそこに人の気配も感じる。それが敵の物ではないことはすぐに分かった。だってそこにいたのは知り合いだし。
「見事に負けてるな。シノン」
「うっ……さい、わね……。敵は、先に行った、わよ。……右腕は飛ばしてやった」
「うひゃ物騒な女なことで。敵の情報は?」
倒れているシノンに寄り添い、気合でシノンの治療を開始する。アリスによく神聖術をかけてもらったから簡単な呪文ならできる。あと、神聖術にも心意が関係するみたいだから、それもあって応急処置はできるのだ。
「敵はこの前のGGOの大会……第四回BoBで優勝したプレイヤー、サトライザーよ」
「強敵だな。どんなやつか知らんけど」
「軽い調子で言うわね。本当にそう思ってるのかしら?」
「思ってるさ。ベルクーリさんの気配が無くなってるし、シノンをここまで追い込んだ。そんな相手を過小評価するわけがない。だが俺が負けるわけない」
「……はぁ、馬鹿ね」
意外と治療が上手いこといってるようで、シノンが軽口を挟みながらスムーズに話せるようになった。シノンはため息をつきながら俺にしっしっと手を振る。与えられる情報を与えたから、さっさと行けってことなんだろうな。戦闘スタイルとかを言わなかったってことは、相手はオールラウンダーなんだろう。
今まで経験したことのないタイプの強敵。負ける気などさらさらないが、警戒を高めておいた方がいいだろう。人界最強の剣士もGGO最高のスナイパーも打ち破ってるわけだし。
「負けてないわよ」
「負けず嫌いだな! ってか心を読むな!」
「騎士長さんはベクタと相打ち。私は逃げられただけ」
「……なるほど」
ベクタのアカウントを失ったから、サトライザーのアカウントでまた来たってわけか。ストーカーにも程がある。どんだけアリスにご執心なんだよ。……極秘任務って理由以外にも何かありそうだな。私情でも挟んでるのか。
「俺はそろそろ行くぞ」
「ええ。守り抜きなさいよ」
「分かってる。
「ジーク……。そういえば言ってなかったわね」
「何を?」
「おかえりなさい、ジーク」
いつも俺を揶揄うような皮肉げな表情じゃない。珍しく素直というか、柔和な表情を見せてくる。そのことに面食らって驚いていると、反応が返ってこなかったことにしかめっ面される。というか、俺が荒れてたのをシノンも知ってたんだな。いつの間に知られたんだろ。
「はぁ……まったく、人がせっかく心配してたというのに」
「シノンに心配されたことにも驚きだわ」
「私をなんだと思ってるのよ。……まぁいいわ。さっさと行きなさい」
「あぁ、行ってくる。コンバートまでしてこっちに来てくれてありがとな!」
今度こそシノンに送り出され、俺はここまで移動した時と同じ要領で跳ぶ。リソースが少なかろうと関係ない。空気自体は存在するわけだし、俺の心はもう安定してる。心意だって正しく使える。もうあの状態になることはない。
ダークテリトリー。荒れ果てた土地で恵みの乏しい世界。そんな場所に住んでいたらそりゃあ人界の肥沃な土地を夢見ることだろう。たとえそれが仕込まれたことだとしても、ここに生まれここで育っている人たちにしたら関係ない話しだ。彼らはここで精一杯生きている。自分たちに誇りを持ち、腐ることなく。その魂は輝かしく、決して汚されていいわけがないし、蔑ろにされていいわけがない。
「だからさー、サトライザー。俺はあんたを許せない。……PoHの野郎はキリトに任せるけども」
目を凝らせば捉えられる距離にまでは縮まった。空中に浮かぶ一つの点。それがサトライザーなんだろう。そう思うと自然と足に力が入る。早く追いつこうと体が急ぐ。それを止めることなく、感情に任せて体を動かす。こんな状況じゃなければ、空中を跳ね回ってることにはしゃぎまくれたんだがな。ま、もしものことはいいや。
さて、それはそうとPoHだ。アスナたちがいたあの場所にいたのは間違いないだろう。殺し合いを高みの見物決め込むのが大好きな変態。アインクラッドでも踊らされたもんだ。そして今回もあいつが途中からシナリオを描いてる。サトライザーが単独行動を取り始めた辺りから。
「踊らされるのは、今回で最後になるだろうけど」
キリトは未だに復活していないが、あのキリトがあのままなわけがない。引きこもりゲーマーだったキリトが、SAO、ALO、GGOを経験したんだ。特にSAOは2年もいたんだ。あそこでの経験がキリトの精神を育てた。今は休んでるが、必ずまた動く。俺以上にこの世界のことを考えてるわけだしな。
サトライザーがどうやって空中にいるのかが、はっきりと視認できるようになった。悪趣味な有翼生物の背に乗り、着実にアリスを追いかけてる。未だにアリスの居場所はよく分からんが、おそらくもうそんなに離れてるわけでもないんだろう。あの有翼生物、地味に速いし。
心意は応用が効く。それは今だってそうだし、《心意の太刀》やら《心意の腕》なんてものもあるんだ。もっとレパートリーがあったって不思議じゃない。他に何があるのかはアリスに聞けばいいとして、サトライザーに追いつくとなるともうひと工夫がいるな。
「遠いが……なんとかなるだろ。てか、なんとかなれ」
《心意の腕》は、離れているものを手繰り寄せる技だって聞いた。なら、
「オォォッ!」
イメージするのは有翼生物を引き寄せるものじゃない。俺があっちに引き寄せられるイメージだ。空を蹴って距離を詰め、勢いが落ちる前に心意で引き寄せさせる。それの繰り返しで、さっきよりも格段にペースを上げることに成功し、サトライザーまで100mほどの距離に縮まった。そこまでくればもう引き寄せさせる必要はない。この距離から仕掛ける。
真紅に染まった刀『緋桜』。キリトのエクスキャリバーのように、ここぞという時にしか使わない刀。それに手をかけ、居合の体勢のまま突っ込む。真後ろからではなく、若干サトライザーより上から。
──50m
まだ距離はあるが、サトライザーを斬ることに集中する。余計な力を抜き、最高の一閃を放つために。
──20m
この速度なら、この跳躍が最後になるだろう。
──10m
目前だ。サトライザーは気づいていない。
「ふっ! ……!?」
「……ほう。飛行ユニットなしか。いかにして追いついた」
たしかに斬った。サトライザーは気づいてなかった。そうだというのに、サトライザーには傷一つ付いていない。シノン相手にはたしかに傷を負ったというのに、右腕はないというのに。
「剣が効かないとか反則じゃね?」
「私の邪魔をするか」
「アリスを奪われるわけにはいかないからな」
サトライザーなんてプレイヤーは、GGOに元からいたわけじゃない。それなのにシノンに勝った。つまり、こいつは瞬時の対応力が凄まじく高いんだろう。そんな奴相手に、空中歩法を見せるわけにもいかない。少なくとも今は。アリスがこいつに捕まる心配がなくなれば話は別だし。
そんなわけで気色悪い有翼生物の上に、サトライザーと共に所狭しと乗る。斬撃が効かない相手にどう戦ったものか。神聖術はさっぱり分からないし、ここは武術になるのかな。
「しばらく相手してもらうぞ」
☆☆☆
ダークテリトリーの南の果て、ワールドエンドオールター。祭壇を目指してここまで来たけれど、どうやら飛竜ではここまでが限界のようね。ここからどうやって祭壇にたどり着くのか、それはまた考えないといけない。
「……雨縁?」
私を下ろした雨縁が、低い唸り声をあげながら後方を睨む。それだけで何が近づいてきているのか分かった。敵の総大将。騎士長ベルクーリと相討ちしたにも拘らず、別の体で再び戻ってきた皇帝ベクタが近づいているんだ。……体が違うなら、ベクタでもないのかしら。
雨縁と共に、滝刳も後方を睨んでる。私もそれに合わせて視線を追ったのだけど、そこには敵だけでなく、別の人物の姿も映っていた。まだ離れているけれど、この距離だろうと見間違えるわけがない。
「ジーク……」
武器を持っているようだけど、何故かそれを使わずに格闘戦を繰り広げてる。よく見ればジークの方が劣勢で、敵の攻撃をなんとか防いでいるといった方が正しい。力だけでなく技量も兼ね備えた格闘術を繰り広げる敵に対し、ジークはそれを見切って最適な動きをしている。でもそれは経験則からではない。その場での対応だけ。つまり、少し間違えれば敵に絡めとられてしまう。
「あ……!」
「──がはっ!」
ジークが弾き飛ばされ、私の頭上を通って後方の壁に叩きつけられる。
「ジーク!」
「いってぇなあの野郎!」
「あ、元気なのね」
壁に叩きつけられたのに、それが軽傷だと言わんばかりの元気さ。その姿にホッとすると同時に胸が温まるのを感じる。あの姿は間違いなく、私の想う大切なジークなのだ。
「
「え……」
「よっと」
壁を蹴ったジークが私の側に着地する。その目は私にも敵にも向いていなかった。
「ゆっくり休めたかよ、キリト」
「休み過ぎたくらいだな」
「ははっ、ちょっとの間そいつを任せるぞ」
「なんなら俺一人でもいいぜ?」
「抜かせ」
軽口を叩き合い、拳を突き出し合う。距離があるから、手が届くことはないのだけれど、私にはそれがしっかりと重なっているように思えた。
「……んで、その……アリス」
「はい」
「……ごめんな。一人にして」
「っ! ……何を……馬鹿なことを……。私が焦って……輪を乱したために混乱を招いたのです」
「いやな、アリスがそう動いた理由が分からないわけじゃないんだ。それに、俺はすぐに追いかけたらよかったのに、そうできなかった。俺が……心が弱かったから」
言いにくそうに、歯切れを悪くしながら、それでもたしかに言葉にして話してくる。私が敵に捕まったのは、私の独断のせい。きっとそれがなければ、小父さまだって命を落とさなかった。
「ジークは決して弱い人間ではないです」
「いいや弱いよ。俺は一人じゃ何もできないから。なんでもなんとかなるって思い込んでただけだから」
そんなはずはない。ジークはいつだって、私の見えない視点で物事を見ていた。見方が変われば、世界がより絢爛に見えると教えてくれた。私に多くのことを気づかせてくれた。それなのに弱い人だなんて……、そんなこと……。
「俺はさ、誰かが隣にいてくれないと頑張れないんだよ。……ずっとそうだった。昔から……。俺はそういう奴だったんだ。嫌いになったか?」
「……バカ」
驚けるように、そのくせして寂しそうに眉を下げて、そんなことを聞いてくる。どこまでもバカで、どこまでも私の心を揺さぶってくる人。計算なんてしてないのにズルい。でも、そんなのどうでもいいくらい、私はこの人と共に在りたいと想う。
「アリス……」
「バカジーク。嫌いになるわけないじゃないですか。……たとえあなたの本性が、私の抱いていた印象と違ったとしても。それでも私は、あなたのことを想い慕っているのです」
そっと背に腕を回し、ジークの胸に頭を預ける。珍しくジークが声を詰まらせて押し黙っているけれど、それを見て揶揄うことはできない。私だって今、心中を明らかにしたことで、平常心を保つのがやっとなのだから。早なる鼓動が煩く聞こえ、顔だけでなく身体が熱くなるのを感じる。今ジークと顔を合わせたら、私の気がおかしくなってしまいそうだ。……でも……ジーク相手なら……
「あのーお二人さーん? 水を指すようで大変申し訳無いのだけど、外に脱出しないと、今までの戦いが無意味になっちゃうのだけどー」
「〜〜っ!? ァ、アスナ!? いつからあなたはそこに!?」
「キリトくんと一緒に来たんだけどなー。アリスってばジークくんにそんなに夢中なのね」
「なっ……ぁ……っっ、忘れなさい! 今あなたが見たこと全て!」
今度は違う意味で顔が熱くなった。騎士団の皆に見られたらきっと全員に驚かれるわね。小父さまとファナティオ殿くらいかしら、笑いそうなのは。
そんな考えがほんの少しだけチラついているけれど、それ以上に私の心は羞恥に悶ていた。クスクスと笑うアスナがなんだか小悪魔に思え、知られてはいけない相手に知られたと直感的に理解した。だからアスナに詰め寄って忘れるように口を酸っぱくしているのだけど、アスナは全然応えていないようで返答をはぐらかされる。
「アスナ。閉まるまであとどれくらいだ?」
「……あと10分もないかな」
「分かった」
「ジーク?」
ジークは私達に背を向け、上空にいるキリトの戦闘を見つめている。いったい何をしようとしているのか。そんなことは聞かなくたって分かる。ジークと共にいた時間は、全てを足しても一年にも満たない。それでも分かるんだ。だから、きっと送り出すべきなんだ。
──そうと分かっていても、私はその言葉を言えない
「大丈夫だってアリス。キリトと俺が共闘して勝てない相手なんていないんだから」
「いや……いやよ……」
「アリス? ジークくんが言ってることは本当よ?」
違う。それも分かりきってる。でもそうじゃない。私が言いたいのは、私が引っかかっていることは、そこじゃない。
振り返ってこちらを見ているジークに近づき、両手で襟を掴む。責め立てるように。
「あなたの
「っ!? 記憶……? どういうこと!? それはユウキが治したんじゃ……!」
ユウキ……。きっとそれがジークを止めることができた人の名前。それだけのことができたということは、ジークとの仲が深かったということ。……今は考えないでいいわね。
「あなたが記憶を失う時は、決まって
「それは……」
「あなたが戦おうとしていることは分かっています。本当なら送り出したいです。ですが! それでまた記憶を失ってしまうのなら反対です! 嫌なのです! あなたに忘れられたくない! だから──」
言葉の途中で、ジークに頭に手を置かれて引き寄せられる。抱えるように抱きしめられ、自然と何も言えなくなった。
「そこまで見抜かれてたとはな。けど、本当にもう大丈夫だから。絶対に記憶を失わない。必ず外で再会する。だからさ、アリス。先に行って待っててくれないか?」
「いや……保証なんてないじゃない……」
「ああ。だから信じてくれ。俺が必ず記憶を失わずにこの戦いを終わらせることを」
「っ!」
「誓うよ。この刀に、そして他でもないアリス、君に誓うから」
身体が強張る。恐る恐る見上げると、力強い光を灯したジークの瞳と目が合う。その瞳に射抜かれ、私はもう反対の言葉を言えなくなった。一旦視線を外し、掴んでいた襟を離してそっとその胸に耳を押し当てる。心音は一定で、ジークが本心からそう言っているのだと確信する。
「分かりました。もしその誓いを破ったら、一つ私の言うことを絶対に聞いてもらいますからね」
「わかった。できることならなんでもするさ」
「ふふっ。それでは、行ってらっしゃいジーク」
「あぁ、行ってくるよアリス」
空を地面に見立てて駆け上がるジークを見送りつつ、私もアスナと祭壇を目指す。ジークったら、あんなやり方でここまで追いついたのね。小父さまもきっと驚かれるわ。
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35話 決戦
ガブリエル戦は、原作から多少変化してます。ご了承ください。心意システムも一部独自解釈というか、追加しちゃいました。
アリスと別れてキリトと合流する。俺が言うのもなんだが、今のキリトは心意で何でもかんでもできるからズルいよな。万能感が半端ないぞ。それにサトライザーのやつも翼なんて生やしちゃって。天使かな。エンジェルでも参考にしてるのかな。いい年して中二病なのかよ。
「もういいのか?」
「ああ。時間もないし、リアルで再会すりゃいいだけのことよ」
「ははっ、相変わらずだな」
キリトの隣りに
適当に言葉を交わしながらキリトの様子を確認する。さっき腕がへし折られてた気がするんだが、それも治したらしい。心意ってそんなに便利なのか。こいつの応用力にはほんと舌を巻く。
「さっきから思ってたんだが」
「ん?」
「なんでジークは空中で立ってるんだよ!」
「心意ってこうやって使うんだろ?」
「無茶苦茶だな……」
「お前にだけは言われたくない」
いやほんと、キリトにだけは無茶苦茶とか言われたくない。復活早々あっちのを片付けて速攻でこっちまで来たんだから。常識というものを知れ、常識を。常識に囚われないからこそなんだろうけども。茅場がこの世界を知ったら狂喜乱舞だな。……やっぱ考えんのやめよ。あいつが心意使いこなしたら手を付けられんわ。
「あいつ、属性吸収だぞ」
「剣が効かないし、神聖術もってとこだろ? 肉弾戦と弾丸は効くようだが」
「あいつの中で『攻撃』と認識したものが効くんだろ」
「めんどくさいな」
職業はほぼ間違いなく軍人だろう。軍人じゃなくても、経験者か似た職業をしている。そこの答え合わせをする気はないが、ともかくそのせいで攻撃がなかなか通らないんだよな。他にもやり方自体はあるんだが。一応提案するか。
「キリト。どう倒したい?」
「どうって?」
「メタ張って倒すか、正面から潰すか。ちなみにメタ張ってるとたぶん脱出が間に合わない」
「なら一択だな。正面から戦って勝つ!」
だろうな。お前はそういう奴だよ。ま、俺も約束がある以上後者しか選ぶ気はなかったんだが。さて、なんだか敵がまた気持ち悪くなってるんだが、なんだあの禍々しい剣。中二病満載じゃないか。
「早いもん勝ちな」
「は? ちょ、おい!」
キリトを無視して突っ込む。俺に合わせて振るわれた剣を避けて踵落とし。キリトやサトライザーとは違い、俺は飛んでるわけじゃないからな。足場を作って移動してるだけ。別にそれは足元にしか作れないわけじゃない。自分の目の前に障害を作り、そこを掴んで鉄棒で回るように回転して避け、相手の上から踵落としをしたってわけ。足技は通じるしな。トリッキーにやらせてもらおう。
「おっと」
サトライザーがこっちを見てなくても関係ないのか、気配で分かるってことなのか。なんにせよ、君の悪い闇が俺に向かってくる。それを俺とサトライザーの間に足場を作ってそれを蹴ることで回避。体勢を立て直してあの闇について考える。そうしてるとキリトが横に来た。
「あれには触れるなよ」
「だいたい予想はついてるんだが、伸ばせるのはセコいな〜」
「なんでわかるんだよ……」
「だってついさっきまで
「は!?」
あーそっか。キリトは知らなかったのか。一応見えてたはずなんだが、死角だったとかか。その辺を話している暇はないんだけども。ある程度共有してたほうがいいだろう。
「
「なるほどな。なら、あれに触れないように交互に立ち回るべきか」
「あれが複数方向に同時に伸びないのであれば、な。それと、あれは時間制限がある。人間は本来"自分の中の正義"のために生きる動物だ。それが無い状態で戦い続ければ、あれだけの力を使い続ければ自分自体が持たない」
「それがさっき言ってたメタを張る作戦に繋がるわけか」
すぐに理解してくれるのは本当に楽で助かる。それでも正面から潰すって方針なあたり、やっぱり俺たちバカなんだなって思う。だが、それがいい。俺たちはずっとこうやって進んできた。正面から向き合うことしか知らない。別の方法なんて知らない。なら、切羽詰まってる今もそれでいいんだ。
「さて、剣士らしく斬って終わらせるぞ。あのストーカーサトライザーとの騒動も、戦争も、全てここで終わらせる」
「ああ。ちなみにあいつのリアル名は、ガブリエル・ミラーらしいぞ」
「ガブリエルどころかやってることルシフェルだけどな!」
同時に飛び出し、変則的に動き回れる俺が先行する。キリトはどうせ時間に間に合わないとか思ってるんだろう。アスナとアリスを脱出させて、自分はここで敵を倒してこの世界に残ろうと。現実的だが、俺はそれに乗ってやる気はサラサラない。真正面から潰すなら、二人で確実に叩きのめして時間に間に合わせて帰るんだ。そのための方法もある。キリトにはできないし、教えてやらない。
[──悪いが付き合ってもらうぞ]
【──構わないさ。どうせなら戦って消滅してやるよ】
[──今まで悪かったな]
【──気にするな、楽しめた】
自分の中にいる"鬼"との短なやり取り。弱い俺が作り出した
「っ!?」
「何を驚いてる?
「ジークどうやって……」
「キリトには無理だな。だが、俺がガブリエルを斬れる状態にするから、キリトも遠慮なく戦え」
「……わかった」
「理性飛ばしてたら速攻で死ぬぜ? ガブリエルさんよ!」
闇の剣を俺の刀で防ぐ。伸びてくる闇すら
ガブリエルの三連撃をいなし、左腕で右腕を掴まれるのをこっちでも掴み返す。闇が俺の腕を覆おうとするが、それを打ち消していく。より正確には、
このカラクリに気づいたガブリエルが、若干表情を変える。もともと表情が希薄なんだろう。変化がわかりづらい。だが、このやり方が有効的に扱えると確信できた。
「お前……」
「どう終わるかはあんた次第だぜ? そのまま破滅に向かうのか、踏みとどまってぶつかり合うか。どの道勝つのは俺達だがな!」
「ふっ、若いな」
「あ?」
「ジーク!」
「っ! こいつ……!」
ガブリエルが取った選択肢は前者だった。ガブリエル自身は、あの心意のことを理解できてないんだろう。愚者だが、厄介なことに変わりない。増幅された闇が俺の全身へと伸びだす。
意識が遠のく。力が入らなくなる。無気力感に覆われ、瞼を開けることすら億劫になる。なるほど、これがベクタとガブリエルの力の融合か。なんで未だにベクタの力が使えるのか。疑問でしかないが、それもどうでもいいや。
「眠れ。永久に」
「…………バーカ!!」
「なに?」
「眠れって? 俺が止まるときは俺が決める! 外野は黙ってやがれ!」
左拳でガブリエルを殴るもそれを受け止められ、続けざまにやった頭突きで怯ませる。ガブリエルが怯んだ瞬間に距離を取り、自分の顔も一発殴る。それで意識を覚醒させ直し刀を構える。
【──あと2分で終わらせろ。じゃないと
[──了解]
タイムリミットが迫ってる。一つはこの世界から抜け出すまでの時間。もう一つは、今のガブリエルを斬れる状態にできる時間だ。早期決戦だとは分かっていた。なら、残りの二分で全てを出し切って終わらせてやる。
「キリト! 2分で終わらせるぞ!」
「任せろ!」
こっちの全力に応えようとしたのか、ガブリエルがさらに異形へと変化していく。全身を闇に覆われ、翼を生やした人型の何かへと変貌する。理性を飛ばし、人を辞めた。ただ力だけを求めた奴の行き着く先。それがあの姿か。
「力が満ち溢れている……。圧倒的な全能感……。お前たちの全て、魂までも食べつくそう」
「やってみろ!」
左から回り込み、素早く二回斬りつける。てっきり受け流すかと思っていたが、ちゃんと反応して防いできた。理性が消えても防御はするのか。
その確認を済ませ、空中を縦横無尽に跳び回りながら斬りつけていく。本来は短刀でやるようなヒットアンドアウェイ。それを刀でやる。俺が速度型というのもあるんだが、ガブリエルの意識をこっちに向けさせるためでもある。俺達の戦いはいつだってキリトが主力なんだから。
「ハァァァ!」
俺がガブリエルに背を向けさせ、それをキリトが二刀流で襲う。絶え間ない攻めだが、ガブリエルはそれをすぐに翼で対応し始めた。キリトは剣が2本。だがガブリエルの翼は6枚だ。たとえ見えていなくても、無造作に振るうだけで十分対応できる。だが、それは背に意識を向けたも同然だ。
「甘いぞガブリエル」
毒をもって毒を制す。それと同じ。俺の闇を
大切なナニカが、本来失ってはいけないはずのナニカが、俺の内側から消えていく。その奇妙な感覚に身体も心も魂も嘆く。痺れ、どうにかしろと訴えてくる。犠牲にするなと。
【──ざっけんな! 俺をここで
その一言で全ての異常が抑え込まれる。動きが鈍っていた間に斬り傷が増えた。左手は動かず、右の太ももからの出血が多い。額を斬られ、血が右眼に流れ込んでる。キリトとかガブリエルみたいに治せるわけでもないし、このままだな。
「ジーク大丈夫か!?」
「大丈夫なわけないだろう! まぁ二人いるしなんとかなるだろ。
「相手の限界が近いのか?」
「それもある。あとは、あいつの属性吸収を封じ込める限界が近いってことだな」
「なるほど」
俺達の間に一瞬で割って入ったガブリエルの攻撃を防ぐ。キリトと分断された上に、今度はキリトが襲われ、俺には翼が襲い掛かってくる。本能で勝ち方を悟ってやがる。
キリトと違って俺は武器が一本。しかも今は視界が半分だし、機動力も落とされてる。この状態で6枚の翼を捌き切るなど至難の業。最低限の傷で済むようにするしかない。そしてキリトは、俺とは違ってこの状態のガブリエルには不利だ。自分の中にもう一人いるってわけじゃないし。
致命傷だけを避け、なんとかタイミングを見出して範囲外に逃げる。それでやっとキリトの様子を見れたのだが、だいぶグロテスクな状態が視界に入ってきた。が、やっぱりキリトはただではやられない。キリトの方がダメージが大きいが、ガブリエルの方が引いて距離を取ってる。
「生きてっか?」
「なんとか、な」
「……その状態で生きてるのって不思議だな。生命って凄いな〜。……治せるか?」
「たぶん……な」
「ならいいや。……さすが親友ってとこか」
「え?」
「なんでもない」
見誤ってたな。キリトだって一人じゃなかった。キリトの中にいる
「次で終わらせるぞ」
「ああ。
キリトの左手に握られている《青薔薇の剣》から20本ほどの氷のツタが伸び、ガブリエルの体を拘束する。振り払おうとしたガブリエルだが、簡単には解放されない。想いの力をなめ過ぎだ。キリトは右手を頭上に掲げ、《夜空の剣》の力を解放する。ガブリエルの闇を彷彿とさせる黒さじゃない。優しく包み込んでくれる、そう感じさせる黒さ。そんな"黒"が空へと伸び、やがて大きく広がり始める。どこまでも、どこまでも。赤い空を塗り替えるように。
「敵わねぇな〜」
広がった夜空に、色とりどりの光が集まっていく。遠く離れた地でも関係ない。すぐ近くのアリスやアスナからも想いが光となり、キリトが広げた夜空へと集まる。範囲内のリソースを集めて力に変える。そんなとこか。何もかも背負っていくキリトにピッタリだな。
集まった光たちが、流星となってキリトの剣へと降り注いでいく。それは《夜空の剣》だけじゃない。《青薔薇の剣》にも降り注ぎ、集まった力を示すように剣が輝き出す。
「……なんで緋桜にも来てんだか。……まぁいいや、ありがとう」
俺の刀に集まった光の数から、該当者に検討を付けて心の中でそれぞれに感謝する。一旦刀を左腰にある鞘へと納刀し、右足を前に出して腰を落とす。キリトも二刀を持ってある構えを取る。キリトが放てる最高の技を打つために。
合図はなく、言葉もない。だが、いつも通り俺が先行した。ガブリエルの斜め後ろから接近し、空中を走れるために迎撃の翼を掻い潜って距離を詰めれる。6枚の翼全てが空振ったと気づいたガブリエルが振り返るも、その時には刀を抜いている。音が鳴る前に振り切りながらガブリエルの後ろにすり抜け、振り向きながら剣を振るうガブリエルを再度斬りつけて横を抜ける。また背後を取ったところで納刀し、俺が最も得意な居合い斬りを放つ。
「……あとは任せたぞ、キリト」
怪我を治さずに全力以上を出し切った俺は、その場から後退して攻撃を避けることもできない。だからわざと足場を無くし、自由落下に任せて距離を取る。頭上から翼が迫ることもない。ガブリエルはそんなことをしている暇なんてないからだ。
6枚の翼と一本の剣がキリトに迫る。それに対してキリトは、二刀流専用スキル、16連撃を放てる《スターバーストストリーム》を発動した。本来は速度も威力も決められてるソードスキルだろうと、この世界ならその制限を超えられる。斬りながら加速していき、やがてガブリエルの体をキリトの剣が捉える。
だが、16撃目だけは僅かなタメができる。それをガブリエルは見逃さなかった。16撃目を放つキリトの左腕を斬り飛ばし、上げた剣をそのままキリトへと振り下ろす。しかしそれはキリトに届かない。空中で《青薔薇の剣》がガブリエルの剣を食い止めたからだ。
「さすがはキリトの相棒だよ、ユージオ」
体がなくても関係ない。
それを見届けた俺は自由落下をやめ、キリトを回収する。やり切った感満載の、もうやることはない、みたいな顔をしているキリトを。
「終わったな」
「ああ。だからキリトは外に出ないといけないんだぜ? アスナにも俺がキリトを出させるって言ってあるし」
「え? おまっ、ちょっ……!」
「ちょっとだけアリスをよろしく」
「ふざけんな!」
右手で掴んだキリトの腕を全力で振り回し、遠心力もつけたところで祭壇目掛けて放り投げる。チラっと見てたが、何か操作して出るってわけでもなさそうだったしな。外にいる菊岡たちが回収してくれてるんだろ。つまり、あの祭壇のすぐ近くにいれば自動的に回収されるってわけだ。ついでに、キリトが心意を使えないようにちょっと俺の闇を流し込んでおいた。
「さてさて、キリトも無事に外に出られて何より」
「……なぜだ」
「何が?」
「なぜ
後ろから話しかけてくる存在。さっきまでキリトと二人で戦っていた相手、ガブリエルの方に振り返る。相変わらず翼は生えてるが、ちゃんと人間の姿をしてる。何より何より。
「生かした、か。俺は俺のツケを払うために残ったってだけ。生かしたってのも違うな。そうなっちゃったってだけだよ」
「……なるほど。お前のもう一つのイマジネーションの影響か」
「変に作用しちゃったみたいでな。だから、悪いが今度こそ死んでくれ」
【──悪い、俺は限界だ。置土産して消えさせてもらうぜ】
[──ごめんな、最後まで頼って]
【──バーカ。言葉が違うぜ?】
[──そうだった。最後までありがとう
傷ついた身体が全て治療される。さらに半身が消えたにも拘わらず、力が抜けるような感覚もない。それがあいつの置土産なんだろう。消えるんじゃなくて吸収される。それがあいつの選んだ道。
「決着をつけよう」
俺とガブリエルの最終戦は1時間に及んだ。
『はぁ〜。しょうがないなージークは』
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36話 帰宅
今回短めです。
知らない天井……だな。間違いない。この天井は知らない天井だ。体を起こしてみるも、めちゃくちゃダルい。気力が出ないというか、どうにも俺の脳やら神経やらとこの体が一致していないような感じだ。意識はあるのに無気力的な。
「ジーク!」
何分ボーッとしていたのだろうか。それもよく分からない。体感的な時間がどうにも掴めない。それはともかくとして、部屋のドアが開かれたと思ったら、懐かしい声が響いた。そっちに目を向けると、息を呑むほどの美少女が見える。輝かしい金色の髪。澄み切って凛としている蒼い瞳。
「アリス……」
会いたかった人の名前を発する。ずっと会いたかった。狂おしく思う程に愛おしい存在。
そんなアリスに手を伸ばそうとするも、イメージ通りに動いてくれない。ゾンビみたく、プルプルしながらゆっくり動く。その手がアリスに伸ばされる前に、アリスがすぐ近くに来た。そして……
──バシィィン!
鉄拳制裁……ではないが思いっきりビンタされた。
「いってぇぇ!?」
「この、バカジーク!! なんで貴方だけ残ったんですか!? 貴方がいないのに、私……リアルワールドに来たって……!」
「アリス……ごめん……」
思いっきりビンタされた後、思いっきり抱き締められる。今のアリスの体は生身じゃない。用意された機械の体だ。だから、生身の人間が発するような声の震えもない。その瞳から涙が溢れることもない。
だけど、分かりきってることだ。俺はまたアリスを泣かせたんだ。アリスの声の震えだって伝わってる。見えない涙が見える。
「無事に目が覚めたようだね。よかったよ」
「200年なんてよく生きられたっすね」
「……あんたら、俺が言いたいこと分かってるだろうな?」
「それはもちろん。本当に申し訳ないと思っているよ」
アリスの髪をそっと撫でながら、入ってきた菊岡たちを睨む。二人とも降参だと言わんばかりに両手を上げて首を横に振る。シンクロにでも出たらいい。
「君の記憶を消せばいいのだろう?」
「えっ!?」
確かめるような菊岡の質問に、アリスが体を跳ね起こして驚く。菊岡たちの方へと振り返り、すぐさま俺に向き直した。「どういうことですか!?」と混乱するアリスを落ち着かせるため、ふわりと微笑む。
「アンダーワールド内の記憶を俺が持っておくわけにもいかないし、あと俺の脳の容量が限界だ。……個人的には後者の理由が大きいわけだが、面倒な諸事情もあってな。大丈夫。アンダーワールドに残ってから過ごした200年分の記憶だけを消すから」
「それはつまり……」
「アリスと出会ってから、ガブリエル……ベクタだった奴を倒すまでの記憶は残るってこと。あーそれと、セルカはディープフリーズを選んだぞ。セントラル=カセドラルの80階、雲上庭園の丘でアリスとの再会を待ってる」
「そう、ですか」
セルカの名前をぽつりと呟くアリスから、菊岡たちへと視線を移す。アリスにはアンダーワールドのあの後の事を知る権利がある。だが、逆に言えばアリス以外はその詳細を知る権利などない。俺も含めて。
あの世界に留まった俺を繋ぎ止めてくれたのは、ちゃっかりと残っていたユウキだ。実体を持たないユウキは、常に俺に付き添ってくれていたわけだし、過ごしたかった以上の年月を共に過ごすことができた。その記憶が消えるのは、正直言って寂しいわけだが、すでに言葉を交わし終えている。流す涙も流し終えた。
だから俺は、記憶を消すことにもう迷いなんてないんだ。
☆☆☆
記憶を消した後、俺とアリスはしばらく言葉を交した。主に説教を受けていたわけなんだが、それもアリスに心配をかけたから。それを自覚している俺は甘んじて受け入れた。鉄拳制裁は痛かった。口にはしなかったが、アリスは今機械の体なわけだし。
アリスはアンダーワールド代表としてこっちに来たわけなのだが、残念なことに世論はそんな事情を知らない。お偉方の頭の中にもそんな事情など含まれていない。アリスを、つまりロボットを人間として扱うかどうか。その点に絞られている。全く面白くない話なのだが、そう思えるのはあの世界を知っているからなのかもしれない。俗にオタク文化と呼ばれるものに触れない人たちは、アリスを人間とは見られないんだろうな。
「そういう人たちが多いから、世論がそうなってるわけでもある、か」
夜空を眺めながらそんな事を考える。記憶を消し、アリスと別れたあとは検査をしていて帰りが遅くなっている。そして未だに家に連絡を入れていない。どう動いたところで母親のガチギレは確定なわけで、下手したら病院に逆戻りにされかねない。その事を考えると足取りが重くなるんだ。
等間隔に設置された街頭。この辺りは一軒家が多いが、少し離れた場所ではマンションなどの集合住宅が目立つ。漏れて聞こえてくる声は家族で過ごしているものだったり、友人を招いているのだと思われるものだったりする。そんなさまざまな声をBGMにしつつ、戻ってきたことを実感する。そして目の前にある我が家を見て震撼する。
「なんて言って入ろうか……。ただいまは絶対として、あと謝罪も絶対いるわけで……」
「ブツブツ言ってないでさっさと入ってきなさい!」
「ぐぇっ!?」
突然開かれたドアに驚いている間に、母親の細い手に喉を握られる。どこからそんな力がって言いたくなるが、生憎とそんな余裕はない。力任せに握られて苦しくなっていると、これまた力任せに玄関へと引き込まれる。それが僅か3秒の出来事で、漫画みたいな展開だと現実逃避をしたくなる。
「さぁーて? 命乞いを聞こうかしら?」
「聞くことがおかしくないか!?」
「あらそう? じゃあ遠慮なく始めるわね」
「そういう意味じゃねぇ!!」
尻餅をついてる俺へと振り下ろされる拳。慌てて避けた途端聞こえる乾いた音。恐る恐るそこを見ても、母さんの拳が俺のいた場所で止まっているだけだ。何にも当たっていない。強いて言うなら、そこにあった空気が破裂したってとこか。イスカーンが喜びそうだ。
「長く寝てたわりには動きがいいわね」
「まだ体は思ってるほど動いてないんだけど」
「そう。ま、今の動きとその顔に免じて鉄拳制裁は許してあげる」
頬に指を差されて気づいた。どうやらアリスのビンタの跡がついているらしい。たぶん、母さんはこれだけで分かったんだろう。俺が何をしていたのか。その結果どうなったのかを。詳細までは分からなくても、大まかな流れは。
「晩御飯は?」
「食べるよ」
「食べるの?」
「食べたっていいじゃん!?」
コロコロと笑う母さんに流され、俺は先に風呂に行くことになった。我が家のルールでは、「一番風呂に入りたければ風呂掃除をしろ」ってことになってる。そんなわけで風呂掃除を始めるわけだが、母さんには頭が上がらない。だって、風呂掃除が終わって、ゆっくりと湯船に浸かってから出れば晩飯を食べられる、という流れにしてくれてるんだから。
いや、それ以上に、話を根掘り葉掘り聞き出さないでいてくれてるんだ。話さないといけないことなのに。大きな出来事に首を突っ込んでいたのに。それを話すタイミングを任せてくれてる。
「何かお礼を用意しないとな。……母の日か誕生日くらいしか受け取ってくれないけど」
どうしたらいいものか、と頭を悩ませながら体を洗って湯船に浸かる。アンダーワールドにも風呂はあったが、やはりこちら側とは感覚が違う。こっちで生まれた俺たちは、こっちの風呂の方がいいって実感してしまうものだ。
結局いい案は浮かばず、髪をドライヤーで乾かしてリビングに向かう。料理もほぼ出来上がっているようなのだが、こんなに早くできるものだったっけ。
「仕込みは先にしてたのよ」
「さすが。ところで考えを読まないでほしい」
「単純なのがいけないのよ」
煽るように見下してくる母さんに、俺は何も返せず料理が乗った食器を運ぶ。さらっと俺の好物を中心にした献立になっていて、ますます頭が上がらなくなる。
「いただきます」
「久々に張り切ったから、食べきりなさいよ」
「うん。ありがとう」
母さんの言葉通り、晩御飯の量は多かった。それを俺はがっつくように次から次へと口に運んだ。美味しいのもある。久しぶりに食べられているというのもある。でも、やっぱり一番の理由は、母さんが作ってくれたからだ。心配もかけた。小さな返し方ではあるが、元気な姿を見せるのも責任のとり方の一つだと思う。何年経とうと俺はこの人の子供なのだから。
「……母さん」
「なに?」
腹八分目まで食べた頃、俺は箸を止めて母さんを見つめる。大事な話をするって察してくれた母さんも、箸を止めて言葉を待ってくれた。大事な話……ではあるが、まだ全てを話すわけじゃない。ただ一つだけ、先に話さないといけないことがある。
「ユウキに……会ったよ」
「っ! …………そう。あの子……どうだった?」
「相変わらずだった。元気で、笑顔を弾けさせて、真っ直ぐに力強く前を見てる。何も変わらない、俺たちが知ってるユウキだった」
「ふふっ、あの子らしいわね。……また話せたのは、羨ましいわね」
お茶を一口飲んだ母さんは、チラッと横に視線を向けた。そこにある写真立てには、ALOで一位に輝いた時のユウキの写真がある。母さんはまるでユウキがオリンピックで優勝したかのように、褒めまくって祝いまくってた。画面越しにユウキがむず痒そうに照れていたのを、今でも思い出せる。
「話しそこねたこととかはないわよね?」
「もちろん。全部出し尽くした」
「ならいいわ。どうせ、あの子に気合を入れさせられたんでしょ?」
「当たってるけども……」
母さんの中では、俺とユウキの間柄がそういう事になってるんだな。間違ってないんだけども。完全に俺が尻に敷かれてるってわけじゃないんだよなぁ。訂正させようとしても、口で勝てるわけもないか。
しばらくユウキの話をしてから食事を再開し、食事が終わってからもまた話が再開した。あの時、俺はともかくとして、母さんはユウキと話すことはできなかったから。あまりにも突然の出来事で、いつか来ることと分かっていたはずなのに、俺は感情を処理しきれなかった。その様子を見ていた母さんも、俺にユウキの話をすることはなかった。その時の精算を今している。
「……
「……まぁ、気が合うだろうな」
「近いうちに行ってきなさいよ?」
「分かってる。今週中には行くよ」
ああそうだ。行ってちゃんと話さないといけない。理解してくれるかは分からないけど、顔を出しに行く必要はあるから。
そうだな、アリスも連れて行こう──
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37話 真実
リアルワールドは、思っていたような世界とは違った。目覚めたばかりの私は、ただ驚くしかできなかった。アンダーワールドとは違った建物や衣服。見たこともない物体の数々。多くのリアルワールド人たち。そして──何も感じられない体。
私が最も辛かったのは、私がリアルワールドで活動するために必要な体だった。定期的に"充電"と呼ばれる行為をしなければ活動に限界をきたし、一歩も動けなくなるのだという。感情も意志もあるのに、私の体は不自由だった。痛みを感じることもできず、人が本来持つ柔らかさなどなく、感じられていた温もりも感じられない。
──ジークに抱きしめられても、心は満たされなかった
ジークと再会したのも束の間。私はアンダーワールド人代表として、数多くの場に赴かなくてはならなかった。本音を隠し、思惑を腹に潜ませながら化かし合う人たち。私には分からないリアルワールドの事情があるのだと理解するも、その者たちと話すのは決して心地良いものではなかった。
行動力の塊で、戦いが強かったジークも、リアルワールドではただの一般人。彼に同行してもらうこともできず、時折電話というもので声が聞けるだけ。ある程度は心が楽になっても、すべてを払拭することなどできなかった。弱音を吐くこともできず、電話を終える直前に絞り出すように言った一言も。はたしてそれは聞こえてほしかったのか、聞こえてほしくなかったのか、私にも分からない。
「えっと……この辺りでいいかしらね」
ただ、今はジークに会いたいという想いが、私の心を占めていた。ある程度過ごしたことによって、この世界での過ごし方の最低限のことは分かっている。タクハイ、というものを利用すれば、私はジークのいる場所にたどり着けるという作戦だ。
「箱に入るのが趣味なのか?」
「そんな趣味はありません! って……ぇ……」
「こんばんは、アリス」
「なん……」
私が与えられた部屋は監視されている。そこで私は、その監視が映らなくなるように深夜まで待ち、真っ暗になった部屋から出ていた。1階まで階段で降り、箱を用意し、機械の体を箱に入れて蓋を閉じる。そうするつもりだったのだけど、私の目の前には会いたかったジークの姿がある。
目を疑った。当然だ。この建物には警備員もいて、関係者以外入ることができない。ジークは私の関係者だけど、それで押し通せるはずもない。だから、この機械の体が幻覚を見せている、そう思わざるを得なかった。信じられるはずがない。
「アリスが言ったんじゃねぇか。『助けて』ってさ。言葉は違ったけど、こういう意味で合ってるだろ?」
「っ!!」
「生憎と警備の裏をかくのは慣れててね。こそこそーって忍ばせてもらった。監視カメラとか警報器はユイちゃんに頼んで対処してもらったけどな」
「ほん、とうに……ジークなの……?」
「ははっ、こんなバカなこと、俺以外の誰がするん──」
「ジーク!」
言葉を遮るように彼の名前を呼んだ。彼の胸に飛び込み、空いた心を埋めることに集中する。最初は戸惑っていたジークも、黙って私を包み込んでくれた。背中に手が回され、髪をそっと撫でてくれる。あぁ……でも……
「ごめんなアリス」
「え?」
暗くなりそうだった考えも、彼の謝罪で遮られる。彼が何に謝っているのか分からず顔を上げた。ジークの目は揺らいでいた。何を映しているのか。いくつかの想いが重なり合い、せめぎ合い、そのせいで苦しんでいるように私には思えた。
「制限された体に押し込ませてしまった」
「っ! ジー、ク……」
「俺はアリスをこの世界に連れてきたのに、アリスを側で支えてやることができない。温もりを感じない体にアリスの魂を押し込んでるし、俺は技術者じゃないから改善策を見出すこともできない」
ジークの腕に力が入る。抱きしめられている力が強くなった、というのも感じられない。私が判断できるのは、ジークの腕の硬直を見たから。細かな部分を感じられず、それをジークは自分のせいだと責めている。
リアルワールドとアンダーワールドの大きな違いは、『天職』だと思った。アンダーワールドでは、一定の年齢になることで役割を与えられ、それに従事することになる。しかしリアルワールドはそうじゃない。何にでもなる可能性がある。教養を身に着け、専門性を高め、その道に進む。ジークはまだその途中段階。それなのに──
「あなたは本当に優しいのねジーク」
「どこがだよ……。連れて来といて
「……たしかに寂しいと思うわ」
罪悪感を覚え、目を逸らすジークの頬に手を添える。美しく愛おしい瞳を覗き込む。
「でも、やっぱりあなたは優しい。ジークはその道に進んでいるわけではないのでしょう? 素人で、関わっていないのに責任を感じてる。それは優しい証」
「そんなの──」
「私が優しいと言ったのだからジークは優しいの。いいわね?」
「ははっ、強引だな。……分かったよ」
鼻を鳴らして広角を上げると、ジークもそれに釣られてふっと笑う。その表情はどこかスッキリしていて、少しでも吹っ切れたのだと思う。
話に区切りがついて、私はジークに手を引かれてここから脱走した。バイクという乗り物に乗り、後ろからジークのお腹へと腕を回す。全然違うものだと分かっていても、こうして密着して風を感じていると、雨縁の背に乗っていた時を思い出した。私の大切な飛竜の存在を。
「着いたぞ。アリスの方から降りてくれ」
「あ、分かりました」
物思いに耽っていると、ジークの家に着いていた。住宅街の中にある家。大きさも周りと特に変わらない。だいたい同じくらいの富裕さなのだろうか。
「ただいま"っ……」
「ジーク!? 敵襲ですか!?」
ジークが扉を開けた途端、ジークの顔に球が直撃する。当たった球は地面を柔らかそうに跳ねているし、ジークも怪我をしたというわけではなさそう。だけど、家でこんなことになるはずがない。誰か刺客が待ち構えていたと判断できる。そう思った私は、ジークの前に出て家の中にいる刺客を睨みつけた。
「あらあら? ……あ〜、なるほど。そういうこと」
「貴様は何者だ!」
「そこのバカの母親よ」
「そんな戯言──」
「アリス。この人マジで母さんなんだ」
「……は?」
私の肩に手を置いたジークの一言に耳を疑う。一旦ジークの方へと振り向き、それからまた目の前の女性を見る。もう一度ジークの方を見ると、無言でコクリと頷かれ、前方を見ると女性が笑顔で頷く。
「失礼しました!!」
「いいのよ〜。それより上がってちょうだい。少し話を聞かないといけないようだし?」
家の奥へと消えていったお母様に呆然としていると、先に靴を脱いで上がったジークに手を差し伸べられる。様式に従い、靴を脱いで並べた私は、ジークの手を取って家へと上がった。通された場所は居間で、お母様は椅子に座って私達を待っていた。
「ささっ、座ってちょうだい」
「それでは失礼します」
ジークがお母様の正面に座り、私がジークの隣に座る。失礼かと思いつつ軽くリビングを見渡すと、二つの写真立てが目に止まった。片方は四人。もう片方は三人。後者はおそらくALOで撮ったもの。
「写真が気になる?」
「あっ、いえ……すみません勝手に」
「真面目なのね。……あとで教えてあげるけど、私が話すより
「アキト?」
聞き慣れない名前に首を傾げてから気づく。この流れでその名が当てはまる人物は一人しかいないと。つまり、リアルワールドでのジークの名前が「秋刀」なのだ。
「話してなかったのね」
「そのタイミングがなかったからな」
「ふーん。さて、自己紹介しましょうか。私は黒瀬雪乃。そこのバカ息子の母親よ」
「初めまして。私はアリス・シンセシス・サーティと申します」
「よろしくね、アリスちゃん」
柔和な笑みとともに手が差し伸ばされる。私はその手を取り、握手を交した。
「──さて、今回は何に首を突っ込んだのか、話してもらうわよ? 秋刀」
切り替えの速さに目を丸くしたし、お母様から放たれる圧が一般人とは思えなかった。そういえばジークも、格闘術は身内から学んだとか言っていたような。
☆☆☆
夜が明け、時刻が13時を過ぎた頃。私はジークに連れられて、とある施設に来ていた。正確には、私が同行をお願いしたのだけど。
昨日はお母様にジークがアンダーワールドでの出来事を話していた。時折私が補足を入れていたけど、リアルワールドの事情を絡めての話だったからほとんどジーク任せになった。話を聞いたお母様は、一度目を閉じて沈黙。数秒後に凛とした瞳をジークにぶつけ、後悔をしていないかを聞いていた。
『後悔は微塵もしてない。だって俺は──』
──あぁ、ジークはどうしていつも……
半歩先を歩くジークの横顔を見上げる。少し真剣な顔をしているけど、私の視線に気づいたら普段の軽い調子の笑みを浮かべる。そこに一つの安心感を覚え、そして若干の曇りがあるのも見破る。
それが何に対してなのかは分からない。ひょっとしたら、私がわがままを言ってジークを困らせたことなのかもしれない。本来なら私はここに来られず、アンダーワールド人代表として行動している。だけど、それに疲れてしまった私は、ジークという逃げ場所に避難した。朝に電話が来たけれど、ジークが交渉して私に時間をくれた。だからこうして一緒にいられる。
ひょっとしたら、それが迷惑になっているのかも……。
「アリスって暗くなると勘違いが激しくなるよな」
「え?」
「俺もアリスと一緒にいたい。そう思ったから交渉したんだ」
振り返ることなく放たれた言葉が、胸に刺さる。何も感じられない体だけど、こうして心に響いてくれる。感情がしっかりと動いてくれる。変わらない。ジークを想うこの心だけは、何一つ変わることがない。
「着いたぞ。この部屋だ」
扉の隣にある表札には、この部屋の番号とここにいる人の名前がある。名前の一部がジークやお母様と同じということは、ここにいる人も身内と考えるのが妥当なのかしら。
コンコンと2回扉をジークが叩くと、中から明るい声が聞こえてくる。許可が下りたところでジークは扉を開け、私はジークの後ろに続いて部屋に入った。真っ白な空間で、窓際にある寝床に少女が座っている。思わず見惚れるような美しい黒髪。首辺りの高さで切り揃えられていて、人懐っこい笑顔を浮かべている。見た目で判断すると、ユウキくらいの年齢の少女。
「あ、お兄ちゃんだ!」
「久しぶり
「うん元気だよ! あ、聞いてお兄ちゃん。この前ね
「……ぇ?」
「お、マジで? どんな情報が出た?」
楽しそうに話す春花さんの話を、ジークも優しい笑顔で聞いている。だけど私は戸惑っていた。SAOと呼ばれるものが
そのはずなのに、彼女はその世界の新情報という名の過去の情報を、ジークに話している。ジークは一つ一つに反応し、二人で情報について考察していく。その光景に私は慄くほかなかった。
「──でもそれだと……ちょっと、おか……」
「……眠くなっちゃったか。今日はもう寝ような」
20分ほど経過すると、春花さんは体をグラつかせた。ジークがそっと支え、静かに春花さんを横にさせた。春花さんは瞳を揺らがせ、ジークを離さないようにと手を掴む。
「お兄ちゃんと……もっといたい……」
「うん。ここにいるから。今日はギリギリまで一緒にいるし、また話しに来るから。これが終わりじゃない。終わらせない。だから、今日は休もう」
「やく……そく……」
「あぁ。約束だ」
ジークが空いている手で春花さんの髪を撫でていると、うとうとしていた春花さんの瞼がそっと閉じられた。しばらくすると可愛らしい寝息も聞こえ、表情も穏やかだ。ジークの手は抱きかかえられているけど。
私はジークに一声かけ、彼の隣に椅子を用意して座った。後ろから見ていて感じた違和。それは最初に引っかかった一つだけじゃない。彼女が私を
「……春花はSAOに一緒にログインした俺の妹だ。俺の4歳したで、見てて分かっただろうが、とにかく明るくて笑顔を振りまく子だ。俺より強かったし、刀を振るう速さも鋭さも俺とは段違いだった」
「ジーク……」
「事件が起きたのはSAOクリア後だ。当時ALOを実質的に牛耳っていた須郷の研究。春花はその被害者の一人だった」
「研究、ですか?」
「ああ。仮想世界……リアルワールド以外の世界にリアルワールド人が行こうとすると、そのための装置が必要だ。SAOの時はナーヴギアが作られ、事件後は後継機としてアミュスフィアが作られた。脳から送られる電気信号を捉え、それで別世界の自分の体を動かす。簡単に言ったらそんな仕組みなんだが、そこを利用された」
ジークの言葉に怒気が含まれ始めた。髪を撫でていた手を離し、握り拳が作られていく。
「SAOから帰還する人たちの中から、無作為に一部のプレイヤーだけALOに移送させられた。だがそこに移送された人たちには体など与えられず、そもそも意識もない状態。ただ眠りについてるってだけ。……その間に行われていたのは、記憶や感情や意識のコントロールの研究。いわば人体実験だ。その研究が一番捗ったのが、春花の脳だったらしい。他の人よりも多くの刺激を与えられ、その結果──目を覚した春花は脳に異常が出た」
歯を食いしばり、血が滲み出るほど拳を強く握っている。私は慌ててジークを止めようとするけど、私にできることなどたかが知れている。ジークの気持ちを和らげることも難しい。だから、私はただただジークを後ろから包み込むように腕を回すことしかできなかった。
「春花はな、SAO開始前までの記憶しかないんだよ。SAOであったことも忘れてるし、何度も話していて気づいたのは、嫌な記憶は何一つ残らないということだった。小さい頃ににあった失敗談も全部忘れてる」
「それは……寂しいですね」
「そうだな。ある意味幸せなのかもしれないが、それはやっぱり違うんだろうし。……アリス、ごめんな。俺は春花の──」
「いいんですよ。ジーク、あなたは春花さんのために生きていいんです。私は応援してます」
寂しい気持ちはある。自分のために頑張ってくれる人、というのは心地が良いから。でも、そうじゃない。私は私のために頑張るジークが好きなんじゃない。自分の道を進んで行く、愚直だろうと歩み続けるジークが好きなんだから。
ありがとうの礼とともに、後ろに手が伸ばされ、頭をそっと撫でられる。それに目を細め、ジークの肩に顎を乗せて頬同士を当てる。
「この際だし、アリスに今話そうか」
「……いいんですか?」
誰の話か、などと聞く必要などない。ジークの周りの人のことで、重要人物と言える人はあと一人なのだから。ジークの暴走を止めることができ、ALO内で永久的に最強で最高なプレイヤーと今もなお称される彼女の話。それを私が聞いてもいいのかと、離してくれるのかと確認する。
「これは話さないといけないからさ。俺がこれから進むためにも」
「分かりました」
ジークとユウキの物語。
ジークの隣の椅子へと座り直した私は、ジーク本人の口からその全てを知ることとなる。
「君と掴むのは」がユウキとの話を書いた短編となります。
https://syosetu.org/novel/182927/
(飛べなかったらゴメンナサイ。こういうのに疎いんです)
次回が最後になると思います。
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最終話 共に歩む未来へ
俺の周りの事情をあらかたアリスに説明し、時間が許す限りアリスとともに病室にいた。俺のすぐ隣にアリスがいても、春花はアリスに気づくことはなかった。過去の記憶にアリスがいないから。どうすれば治るのか、どうすれば春花が前へと進めるようになるのか。現段階ではその明確な手段が不明だった。医者も捻れ切れるんじゃないかというほど頭を捻り、それでも糸口が掴めない。
見つかるかも分からない治療法。その時が来るのをただ待つなんてできない。必然的に俺の進路は確定した。
「ジークらしいです。私は応援していますよ」
「ありがとうアリス」
肩を並べて帰っている時、アリスはそう言ってくれた。単純なことだが、背中を押されると自然とやる気が増してくる。
だが、俺がそれに集中するためには、やらないといけないことがある。先送りにしていたことを、済ませるんだ。もう目を逸らしてはいけない。
「なんでこうなってんだか……」
「二人とも存在が知れ渡ってるからだろうな」
「ちなみにキリト。お前は
「まさか。ヒースクリフとやった時にウンザリしたからな。俺は関わってないぞ」
「俺は、ね」
軽く睨むとキリトは両手を上げて苦笑いした。そこまでは勘弁してくれってことだろうが、せめて「口では止めた」とかはしてほしかったね。
ため息をついてモニターを見る。俺が今いるのはALOにある闘技場だ。モニターから見えるのは、闘技場の客席に座る大勢の人たち。見知った顔もチラホラ見える。見せ物にされるとは思ってなかったし、アリスも予想外だろう。アルゴとクラインは後でシメるとして、他にもいるであろう協力者もシメないとな。
「炙り出しとかもやらないからな?」
「別にいいさ。スリーピングナイツに動いてもらってるし」
「容赦ないな」
俺が自分の道を一心不乱に突き進むため、決心を固めるために行うと決めたのは、アリスとの決闘だった。それをこんな見せ物に変えられたのだから、これくらいは当然なんだよ。むしろまだ抑えてる方だ。
「キリト」
「ん?」
「アリスのこと頼んだ」
「……ハード面なら承った。それ以外は無理だな」
「分かってる」
そのつもりで言ったのだから。
アナウンスに従い、キリトと拳をぶつけ合ってから控え室から出ていく。聞こえてくる歓声が腹立たしいが、それもすぐに気にならなくなった。向かい側から歩んでくるアリスを見たから。陽の光を浴び、綺羅びやか輝く黄金の髪。青空より澄んでいて、凜した真っ直ぐな蒼い瞳の少女。
「ごめんなアリス。こうなるとは思っていなかった」
「構いません。私はあなたとの試合にのみ意識を集中させているので」
「ならよかった」
リングに上がり、言葉を交わしてからそれぞれ武器を構える。俺は愛刀の『緋桜』を。アリスも愛刀の『金木犀の剣』を。アリスがそれを持っていることには誰しもが目を疑った。アリス自身驚いていたんだが、ユイが頑張っちゃったらしい。そこまでできるとか反則レベルな気がするし、ユイが本気になれば仮想世界はユイの世界になるんじゃないかと戦慄したのも記憶に新しい。幸いにもユイはそういう子じゃないが。
金木犀の剣は、エクスキャリバー級の武器としてこの世界に存在している。当然な性能だが、《武装完全支配術》や《記憶解放術》は使えない。あのシステムはアンダーワールドにしか存在しないからだ。だが、それを抜きにしてもアリスは強い。
『カウントダウンスタート!』
──10秒間のカウント
それが始まると同時に、「猫耳とか可愛いなぁ」という思考を遮る。「チョロンと出てる尻尾も可愛い」とかも脳から消し去る。たぶんアリスにも気づかれてたんだろう。射殺さんとばかりに鋭利な視線が突き刺さりまくってたし。
ある程度距離があるから、最初は駆け寄らないといけない。今回の勝負は地上戦のみ。ユウキとの勝負のように翼を展開しながら戦うことはできない。
──残り5秒
意識を完全に切り替え、スタートダッシュを決めるために右足を半歩前に出す。重点を下げ、鞘に収まっている刀に手を重ねる。対するアリスは毅然と立ち、剣を下げたままこちらの様子を見ている。キリトがユージオと挑んだ時もそうだった。アリスは己に絶対の自信を持ち、決闘となれば待ち構えるのだ。
あくまで俺の方が挑戦者。話を持ち出したのも俺だし、甘んじてその立場を受け入れよう。
『試合開始!』
そのアナウンスが聞こえるより前に、秒数が0になると同時に駆け出す。心意がないから一瞬で距離を詰めることもできない。加速することもできない。だが、その方がいい。あれはあれで楽しかったが、これは素の実力だけだし違った楽しみがある。
「ッ!」
全力で駆ける。10歩も進まずにアリスとの距離を詰められた。横をすり抜けつつ得意の居合斬りを放つ。足を止めてる時が一番やりやすいんだが、これで精度が落ちるような特訓の仕方はしていない。
刀を持つ右手に僅かな痺れが走る。それを抑えつつ刀を右肩の近くにまで上げ、振り向きざまに振り下ろす。甲高い音が響き渡った。緋色の刀身と黄金の刀身がせめぎ合っている。
「さすがに無傷か」
「見失いかけましたけどね」
「よく言うよ」
僅かに距離を取り、クロス状に刀を振ってバックステップ。仕掛け直そうとしたんだが、攻撃を弾いたアリスが距離を取らせてくれない。横薙ぎに迫る剣を防ぎ、間髪入れずに放たれた突きを右に躱す。そのついでに刀を振り下ろしたんだが、アリスの左手に腕を掴まれて止められる。左斜め下からは黄金の刀身が迫ってくるが、アリスの右腕を左足で抑えることでそれを防ぐ。
「容赦ないな」
「試合と言えど、負けたくはありません」
「負けず嫌いめ」
「こういう人は嫌いですか?」
「いいや。好きだよ」
自分から振っておいたくせに、俺の反応に僅かに照れるアリス。その隙を逃さずに左手でアリスの手首を殴り、右手を解放させて距離を取る。今度は追われることがなく、俺とアリスの間に3m程だが距離ができた。
一度深呼吸したアリスの表情が引き締まる。アリスの周辺の空気も変わり、重く、そして鋭い圧がヒシヒシと伝わってくる。それに思わず武者震いをしてしまい、口角も自然と上がってくる。左手も刀に添え、下段に構える。
「行きます」
「行くぞ」
それは同時だった。
同時に言葉を発し、同時に床を蹴りだした。
下段から斜め上に振り上げ、防がれようと止まらずに素早く3連続で横に斬る。その尽くを最小限の動きで防がれ、重たい縦の一閃が放たれる。防ぐことはせず、刀身を滑らせて軌道を逸し、カウンターを入れる。先に体力ゲージを削ったのは俺だった。が、その優位は一瞬で消え去った。
振り下ろしていた剣を逆手に持ったアリスが、ノールックで俺の背に突き刺したからだ。
ただの負けず嫌いじゃない。筋金入りの負けず嫌いだ。認識し直し、剣が引き抜かれた瞬間に体を回転させて刀を振るう。アリスもそれに対応し、眼前で火花が散る。火花越しに見える表情は、真剣ながらも楽しんでいるように見えた。きっと俺もそうなっているんだろう。
「ははっ」
ぽろっと笑いが溢れる。その間にも2色の交差は続いていて、相変わらず体力ゲージは削れない。ミリ単位で違うのかもしれないが、パッと見た感じだと同じだ。だが、俺は今勝ち負けを気にしているわけじゃない。こうしてアリスと競い合うことが、刀と剣を交わらせることが心地よく思えるんだ。
戦闘狂とか言われようとどうでもいい。強い奴とぶつかり合うと楽しいんだから。スポーツやゲームだって同じだろ。拮抗する相手との勝負ほど白熱して盛り上がるものはない。
──剣舞を見ていた
後に誰かがそう言ったらしい。
アリスとの勝負に夢中になっていた俺は、自分がどう動くかなど考えもしなくなっていた。思考する前に直感と経験で体が反応し、アリスへの攻勢を緩めなかった。それはアリスも同じで、防いで反撃、という流れをいつの間にか捨てていた。攻撃が最大の防御。そう言わんばかりの攻め方だった。
時間が無制限であれば、どれだけでも続けられたかもしれない。お互いが果てるその時まで、試合を続けられただろう。だが、この試合は制限時間がある。そして俺もアリスも、残り時間を体内時計で把握していた。
(これで最後だ)
同時にスキルモーションに入る。どちらもデフォルトスキルの構えじゃない。独自のスキルの構えを取り、ライトエフェクトが刀身を包んでいく。俺の刀はより赤くなり、アリスの剣はより黄金色の輝きを増す。
発動時間はアリスの方が若干早く、黄金の剣筋が4本
『試合終了ー!! 結果は……まさかまさかのドロー!!』
そんなこともあるんだな。なんて思いつつ、刀を収めてアリスに手を伸ばす。勝敗がつかなかったのに、アリスは満足した様子で俺の手を取った。試合後の握手はマナーだよな。
「楽しかったな。アリス」
「ええ。心地よい試合でした」
ニッと笑うと、アリスも朗らかな笑みを返してくれる。会場の煩い歓声を無視し、アリスにだけ聞こえるように話しかけた。アリスは無言で頷いてくれて、俺たちはそれぞれの控え室に戻った後、俺はキリトに、アリスはアスナにこの後は任せたと言って逃亡。
「ジークの方が先でしたか」
「ま、飛び慣れてるしな」
「私はまだ慣れませんね」
とある孤島で待ち合わせ、大木に並んで背を預ける。肩を寄せ合って空を見つめ、ついさっきまでやっていた試合の余韻に浸る。そうしてると肩に微かな重さを感じ、それを確認せずに手を繋ぎ、指を絡めあった。
「あの試合……ジークがその気なら勝ててましたよね?」
「それはアリスにも言えることだと思うけどな。……一度アリスを斬った時に思ったんだよ。俺はたとえゲームだろうとアリスを傷つけたくないって」
「……私もです。ジークを刺した時、まるで自分の心が突き刺されたように感じたのです」
あの時、お互いに放ったソードスキルは何も捉えなかった。ぶつかる前に制限時間が過ぎたからだ。俺もアリスも、最後まで本気を出さずにはいられなかった。だが、斬りたくなかった。だから制限時間ギリギリに放ち、斬らないようにしたんだ。
視線を隣に向けると、アリスの青い瞳が揺らいでいた。それを見てるとこちらも胸を締め付けられる。視線が交わり、向き直る。
もう先送りにしないと決めたんだ。アリスに伝えよう。
「アリス。……俺は、ユウキのことを忘れることはできない」
「……はい。分かっています」
「でも、アリスのことを思うこの気持ちに嘘をつきたくない。……最低な奴だとは思ってる。それでも、アリスのことが好きだ。だから……これから一緒に生きていたい」
「…………いいの……ですか? わたしは……文字通りあなたと住む世界が違うのですよ? あなたの世界で子を産むこともできない。あなたの世界で共に老いていくこともできない。それでも……」
「それでもいい。アリスがいてくれたらそれでいい」
「ジーク……」
アリスの瞳から雫が溢れだす。静かに流れるそれはアリスの頬を伝い、やがて地面へと落ちていく。
「本当に、いいのですね? わたしが、あなたの隣にいて」
「ああ。むしろこっちからお願いする」
「よかった……。本当に……、ジーク……私もあなたを想い慕っています。あなたと幸せになりたい」
アリスの背に腕を回し、その細い体を引き寄せる。瞳を閉じ、僅かに背を伸ばすアリスに応え、俺も瞳を閉じて唇を重ねた。
リアルの諸事情により更新が遅れたり、時たまグダったりしてしまいましたが、これにて完結です。最後まで読んでくださって皆さん、本当にありがとうございました。
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