ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか? (龍華樹)
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1話

ユグドラシル。

かつて、世界最高のDMMORPGとして主要なゲーム大賞を総なめにした有名タイトルである。

一時‬期はDMMOゲームといえばユグドラシルのことをさすほど人気のあるゲームだった。

だが、どんなに人気のあろうと、いつか廃れる時はくる。

DMMOの先駆けとして人気を博したユグドラシルもオープンから10年以上が経過し、既にゲームシステムが旧式化して久しい。

 

そして、終わりの日を迎えた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にありがとうございました。では私はこれで」

 

「ええ。お疲れ様でした、ヘロヘロさん」

 

最後の一人を、そうしてモモンガは見送った。

 

顔を見せてくれたのは5人。

41人中、36人が辞めていった。ログインし続けたのは自分を含めて二人だけ。残りの3人がここに来たのは、どれだけ前だったか覚えていない。

既にギルドは残骸に成り果てている。かつての栄光を、アインズ・ウール・ゴウンの最盛期を共に築き上げたモモンガからすれば、あまりにも切なく、寂寥感に苛まれた。

 

……いや、わかってはいるのだ。

 

確かにみんなで築き上げたギルドはすばらしかった。だが、どれほど課金しても、どれほどデータを積み重ねても、所詮、これはゲームに過ぎない。

そして、人はゲームの中では生きられない。

モモンガこと鈴木悟とて、糊口を凌ぐために、現実の仕事をないがしろにはできない(そこでふと思い出し、悟は目覚まし時計のタイマーを‪朝の4時に‬セットした)。ああ、それにつけても金の欲しさよ……

思考が脱線してきたところで、つい口に出して叫んでしまった。

 

「チキショーメェー!!」

 

なんだか落ち着いた。

Be Cool!アインズ・ウール・ゴウンのギルド長は動揺しない!

 

「……ギルマス?」

 

不意に後ろから、やや呆れを含んだ声が聞こえてきて、モモンガは飛び上がった。

 

「アイエェ!!…って、キル子さん」

 

モモンガの背後にそっと佇んでいたのは、和服の少女型アバターだった。

水死体のような色白の肌に白無地の和服。

長い黒髪を無造作に垂らし、髪の間から死んだ魚のような目をのぞかせた凄惨な形相をしている。 口元を着物の裾でそっと隠しているので、顔はほとんど窺えないが、夜更けにテレビから這い出てきそうな恐ろしい外装だ。

和風ホラーの亡者か幽霊かといった風情だが、本人の談に依れば見た目は某古典ホラー映画の金字塔からデザインしたらしい。「リングは一作目が一番怖い」そうだが、モモンガには何のことだかよくわからなかった。

ホラー映画の主役はあくまで登場する怪物で、哀れな被害者はその添えものに過ぎないのだとか何とか。似たような趣味を持つタブラ・スマラグディナと意気投合し、二人でなにやら熱く語り合っていたのをよく覚えている。

ちなみに肌が青白いのは、正しく死体だからである。異形種、それも動死体(ゾンビ)系のアンデッドだ。

 

それが、アインズ・ウール・ゴウンに最後までログインし続けた、もう一人のメンバーだった。

 

「いらしてたんですか。これは、お恥ずかしいところを見せてしまいました…」

 

『キル子』と呼ばれたアバターはこくりとうなずくと、両手を目の前で合掌して深々とお辞儀した。アイサツは大事だ。

社会人であることが加入条件のためか、アインズ・ウール・ゴウンには礼儀正しいギルメンが多く、彼女もまた非常に礼節のとれた人物である。まあ、ギルメンに対して"だけ"は。

 

「なにやら鬱憤がたまっておられるようですね。私で良ければ相談に乗りますが?」

 

「あ、いや…その、なんというか、今日が最後だと思うと、つい気持ちが高ぶってしまいまして。ああ、本当にお恥ずかしい」

 

「いえ、お気持ちはよくわかります。私も長く遊んできましたから」

 

納得したようにうなずくキル子を見て、モモンガはほっとした。

本当は、ユグドラシルを一緒に楽しんだ筈のギルドのみんなが、最後の日だというのにほとんど集まってくれなかったのが寂しくて、切なくて、悔しくて…なんて子供じみた理由で奇声を上げたなどと知られたくなかった。

 

「実は、つい先ほどまでヘロヘロさんが挨拶に来てくれていたんですが…」

 

「はい、存じています。私はちょうど彼がログインする瞬間に出くわしましたので。別れの挨拶は済ませました。彼、仕事大変そうですね」

 

「ですね。私もあまり人のことをとやかく言えませんが、体が心配です」

 

「まったくです」

 

二人そろって、苦い笑いを共有する。

この時代、一部の富裕層を除けばサラリマンなどどこへ行っても、使い捨ての道具のような扱いだ。いや、もう百年前からそうらしいのだが。社会人ギルドであるアインズ・ウール・ゴウンでは、よく集まって仕事の愚痴を言い合ったものだった。

とはいえ、最後の日にして楽しい話でもない。

 

モモンガは話題を切り替えた。

 

「そういえば、外に出ていらしたようですが?」

 

「ええ、少しタウンを冷やかしてきました。どこもお祭り騒ぎになってましたね。花火が途切れることなく上がったり、バニーやらブルマやら花魁やらの季節限定コスや課金コスで仮装行列してたり。後は、無差別PK合戦やってたりとか。結構楽しかったです」

 

キル子はアサシン系のクラスについていて、アバターの見た目や種族を誤魔化すスキルや魔法を習得している。

アバターのユニークネームを偽る【偽名(フェイクネーム)】、種族や性別を偽装する【擬態(ポリモリフ)】、アバターの外装を誤魔化す【変装(マスカレード)】などなど。これらを駆使すれば、通常は異形種侵入不可のエリアやタウンに忍び込むことができる。

 

「後はゴッズやら希少アイテムのワンコイン投げ売り祭りをやってました。どうせ今日で終わりだというのに、つい買い込んでしまいましたよ」

 

そう言うと、買い込んだというアイテムを取り出して、モモンガに見せてくれた。

 

まず目に付いたのは、小ぶりの刃物武器だ。見た目は簡素な作りで、料理用の出刃包丁そのものだが、全体的に薄汚れた風に作り込まれていて、刃の部分など赤い錆や血痕が生々しく浮き出ている。

武器カテゴリーとしては短剣(ナイフ)。接近戦を得意とするタイプのアサシンが好んで使う武器の一つだ。

 

モモンガはキル子に許可を得て、《道具鑑定》の魔法を発動した。

 

「ゴッズアイテムですね。効果は…おお!クリティカル補正値がマックスじゃないですか!これはすごい」

 

レジェンド級以上のマジックアイテムは、専門の生産職が希少材料を使って低確率で作成できる素体に、各種データクリスタルを組み込むことで完成する。

ただし、ゴッズアイテムともなれば必要な素材の質も量も桁違い。作成に要する費用も莫大なものになるため、カンストプレイヤーでもゴッズアイテムを一つも持っていないなんてザラである。

それに、同じ素材やクリスタルを使って、同じように作成しても、できあがったアイテムには差が生じてしまう。

特定の効果を持つデータクリスタルを限界まで使用しても、補正値が微妙に理論最大値に届かない、なんてことがあるからだ。こればかりは作成する職人の技量というよりも、リアルラックの問題だ。

ところが、この短剣はただでさえ貴重なクリティカル発生率の補正が理論最大値に届いている上に物理攻撃力プラス補正等が軒並み高いレベルでまとまっていて、武器自体のステータスも高い。近接系のアサシンならば誰もがほしがる逸品だろう。

 

「さすがは最終日と言うべきか。クリティカル特化のアサシン用ゴッズなんて、昔はいくら払っても買えるようなもんじゃなかったのに」

 

「そうですね。クリティカル補正の最上位データクリスタルそのものが、ほとんど市場に出回りませんでしたしね」

 

クリティカル率をアップするデータクリスタルは物理職、魔法職を問わず一定の需要があった。そのせいで衰退期にさしかかり、ログインユーザーが激減したここ数年でも取引価格があまり下落しなかった。

 

「まあ、見た目が気に入ったんですけどね」

 

確かに、女幽霊のコンセプトで外装を纏めているキル子には似合いの武器だ。

 

「はは、よく似合ってますよ。しかし、名前が物騒ですね」

 

モモンガは魔法で読み取ったアイテムのユニークネームを眺めて苦笑した。

 

「確かに。『セクハラ殺し』って、すごい怨念宿ってそうです。何気に男性特攻効果も付いてますし、これ」

 

まったく、どんな人間が作って使っていたのやら。

 

「そういえば、帰りがけに一悶着ありましてね。これで試し切りをしてみたのですが、いい感じでしたよ。しっくり手になじみました」

 

「試し切り、ですか…」

 

その言葉が意味するところを、モモンガは正確に察した。そこらのモンスターを相手に試したのではない、ということだ。

モモンガは彼女の趣味、というか性癖をよく知っていた。

 

「まあ、これも個人的には大変良い出物でしたが、最大の目玉はこっちでしょうね」

 

ナイフをインベントリにしまい、代わりに無造作に取り出されたアイテムを見て、モモンガは首をひねった。

 

「?…なんです、これ。かぼちゃ?」

 

目の前に差し出されたアイテムは、幾重もの筋の入った不恰好な球形をしていた。見た目はまるで野菜のカボチャのようだ。その中央には人の顔のように、奇妙な形の切れ込みが入れられ、そこからオレンジ色の灯りが漏れている。

 

「かぼちゃ型のランタンです」

 

「ああ、なるほど。ランタンですか」

 

油や蝋燭などを中に入れて持ち運ぶ金属製の灯光具、ランタン。

この時代、ランタンなどは博物館にのみ存在する過去の遺物だが、ユグドラシルの中では暗闇のフィールドを照らす効果のある初心者向けのアイテムとして知られている。

装備した者はモンスターからヘイトを稼ぎやすくなるため、これを使うのはタゲ取り目的のタンク職か、【暗視(ナイトビジョン)】等の暗闇を見通す特殊能力を持っていないプレイヤーだけだ。

キル子やモモンガはアンデッドの基本的な特殊能力として、暗視スキルを有しているので必要とはしないはずである。

 

首をかしげるモモンガを見て、キル子が種明かしをした。

 

「いや見た目は滑稽ですがね、これ、ワールドアイテムです」

 

モモンガは仰天した。

 

「え?!嘘?!まさか、これもワンコインで売ってたんですか?!」

 

ワールドアイテム。

それは全ユグドラシルプレイヤーが所有することを憧れて止まない究極のアイテムだ。

ユグドラシルに全部で200個しか存在せず、各々が唯一無二の壊れ性能を有している公式バランスブレイカー。

たった一つのワールドアイテムを巡って幾多の大手ギルドが争い、所有者を巡ってギルド内部で対立が引き起こされ、あるいは内紛を起こして瓦解したギルドがいくらでも存在するという曰く付きの代物。

レベルをカンストしてしまったプレイヤーにとって、ワールドアイテムの探索はエンドコンテンツの一つである。アインズ・ウール・ゴウンもこれを手に入れるのを目的の一つに活動していた。

実際、ワールドアイテムの保有数ではトップである。それでも保有できたのはたったの11個だけだ。

 

それが、こんなにあっさり手に入るなんて!

 

「ユニークネームは『ジャック・オ・ランタン』。ほら、何年か前のハロウィンイベントで、期間限定で設置されたエリアにワールドエネミーがいましたよね。あれのファーストドロップだったらしいです」

 

「ああ、あったあった!あれですか!」

 

この手のMMORPGでは、季節の節目に合わせたイベントがよく開催される。

春は花見、夏なら夏祭り、秋はハロウィンの外にお月見イベントなんてものがあり、年末にはクリスマス、年を越せば正月やバレンタインにちなんだイベントが企画される。

イベント中は期間限定の特設エリアが開放され、イベントにちなんだモンスターやボスが出現したり、特殊クエストが開催されたりと、ユーザーをあきさせないように運営も知恵を絞るのである。

 

しかし、残念ながら、アインズ・ウール・ゴウンは最栄期ですらこの手のイベントには縁がなかった。

 

「われわれは嫌われてますからね。あの時もワールドエネミーのいるフィールドに近づくことすら出来なくて、悔しい思いをしたものです」

 

レアアイテムを落とすボス討伐戦は修羅場である。ワールドアイテムがかかっているとなればなおさらだ。

大手ギルドをはじめとして大勢のトッププレイヤー達が、血眼になってボスドロップを狙ってくる。そんな連中からすれば、ボスを倒すよりも、まずボスを倒そうとしているやつから倒せ!という理屈になる。これはユグドラシルのみならず、ありとあらゆるMMORPGで適用される真理である。

 

特に、不特定多数から嫌われていたアインズ・ウール・ゴウンなどは、狩り場に近づくだけで、直前まで互いにいがみ合っていた大手ギルドのプレイヤー同士が、連携して襲ってくる始末だった。

 

「でもその後、ぷにっとさんがいろいろ小細工したせいで、2chのアホ共とトリニティのクズ共がつぶし合いを始めたじゃないですか。それで最終的に連中が共倒れして、お目当てのドロップはどっかの中小ギルドが掻っ攫っていったという!」

 

「そうそう、まさに『策士ぷにっと』の面目躍如。‪一時‬期はどこもその噂で持ちきりでしたねー」

 

二人はケタケタと笑い合った。他者の不幸は蜜の味。それも、アインズ・ウール・ゴウンを目の敵にしていた憎いアンチクショウの不幸ともなれば格別である。

 

「流石にこれはワンコイン売りではなくて、ジャンケン大会の賞品になっていました」

 

「おお!そんなイベントまでやってたんですか。ジャンケン、お強いんですね!」

 

感嘆の声をあげたモモンガだが、キル子はふるふると首を横に振った。

 

「予選敗退です。なので、その場にいた連中を皆殺しにして奪いました。言ったでしょう、試し切りをしたって。まさに一石二鳥」

 

先ほどの"一悶着"はそのことかと、モモンガはげんなりしながら納得した。

 

キル子はゾンビ系の異形種についているが、種族レベルは高くない。その代わり、他のレベルをほぼ全てアサシン系の職業に割り振っている。

《完全不可知化》等の姿を隠す手段や、外装の見た目を誤魔化す変装系の魔法やスキルに秀でた『ハイドシーカー』。

逆に索敵、探知能力に秀で、完全不可知化すらたやすく見抜く『シャドウチェイサー』。

状態異常能力を豊富に覚えられる『マッドプレデター』。

それ以外にも、対人性能に特化した凶悪なクラスばかりを、いくつも選りすぐって取得した筋金入りのPK(プレイヤーキラー)。とりわけダンジョンやタウン等の入り組んだ地形でのPVPでは、初見勝率8割を超える猛者だ。

ただし、あくまで対人間種、対プレイヤー相手のPK性能に特化したキワモノである。まっとうに1対1のデュエルをすれば、ギルド内では精々上の下というところだろう。しかも、あまりにも穿ったビルドが災いして、モンスター相手の真っ当な狩りだとほぼ役立たずだ。

 

「このところ、どこの狩り場も過疎りまくりで碌な獲物がいませんでしたので、久々に堪能いたしました。ま、今日で最後ですからね。キルされた連中にもいい思い出になったことでしょう」

 

小声で「ケケケ、ざまあw」とつぶやかれた気がしなくもないが、恐らく空耳だろう。

 

「(相変わらずPKの話してるときだけは楽しそうだなあ、この人…)……そ、そうですか。それはよかったですね」

 

すくなくともモモンガがそんな仕打ちを受けたら、怒りのあまり数日間は胃のムカムカが収まらず、日中も仕事に集中できなくなるに違いない。

 

「それはさておき。これ、能力は割とえげつないですよ。他のワールドアイテムと同じく壊れ性能です」

 

「ほう?ちょっと拝見させて頂いていいですか」

 

「どぞどぞ」

 

興味を引かれたモモンガがワールドアイテムを詳しく調べだしたところで、不意に腕時計のタイマーが鳴り響いた。事前にセットしておいたものだ。

あわてて時計を確認すると、サービス終了の予定時刻まで、もういくらも時間が残っていない。

 

「もうこんな時間ですか…」

 

キル子も腕に巻いた数珠型の腕時計に視線を落とした。

 

「ですねえ。楽しい時間は過ぎるのが早い。…どうでしょう、最後は一緒に玉座の間で迎えませんか?」

 

悪を標榜した最高のギルドの終焉には、あの場所こそがふさわしい。

モモンガはそう考えていたのだが、キル子は一瞬逡巡するように視線をめぐらせた後、ふるふると頭を横に振った。

 

「いえ、せっかくのお誘いですが、実はここには武器やら消耗品を取りに来ただけでして。その、先ほどの一件を逆恨みして私を付け狙う連中が右往左往しておりまして、奴らと時間いっぱいまで大暴れしてやろうかと」

 

それを聞くと、思わずモモンガは頭を抱えた。少なくとも逆恨みではないと思う。

 

「それに、アルフヘイムの中央広場でユグドラシルの最後を穏やかに祝おうと、プレイヤーが集まって、ちょっとしたお祭りになってるんですが、そこに乱入してやろうと思ってますの。刺激的な最後になりますわ」

 

キル子はケケケケ!!と薄気味悪い笑い声を漏らした。本当に楽しそうである。

ブレてない。この人は、ぜんぜんブレてない。というかブレなさすぎワロタ。

 

「そんなわけで、申し訳ありません。というか、ギルマスも一緒に行きませんか?」

 

なんかこっちにまで飛び火してきた。

 

「最後の最後に伝説のモモンガ玉の威力を再び見せつけてやりましょう!千人殺し再びとか胸熱!!」

 

などと、キル子は勝手にテンションを爆上げしている。

 

「そういえばキル子さんは例の1500人防衛戦の時も、ほとんど5階層の中ボスみたいな感じで無双されてましたね」 

 

「ええ、氷結牢獄にあの数のプレイヤーが押し寄せてきたのは、後にも先にもあの時だけでした。ニグレドがいい仕事してくれましたよ、本当に。何せ、ギミックにビビって立ち往生してた連中、まとめて皆殺しにできましたので」

 

「ハハッ、あの時のタブラさんの得意げなことときたら!…っと、いけない。時間がなかったんだった…そういう事でしたら、お気になさらずに。申し訳ありませんが、私はここでNPC達と一緒にいてやろうかと思います」

 

ともすると、つい思い出話に花が咲きそうになってしまう。本当はまだまだ話していたい。これで終わりにはしたくはない。でも、残念だけど、仕方なかった。

 

「…そうですか、残念です」

 

本当に残念そうだった。

 

この人にとっては、みんなで作り込んだギルドが終わってしまうことよりも、大暴れできるゲームが終了してしまうということの方が悲しいのかも知れない。

まあ、それもゲームの楽しみ方の一つだ。ユグドラシルは、多種多様な楽しみ方を受容できる、本当に素晴らしいゲームなのだから。 

 

「では、ギルマス。逝ってまいります。最後までユグドラシルに残った物好き共の心に、我らがA・O・G!!の名前を刻み込んでやりますわ。掲示板が大荒れになるように、気合い入れて殺したり殺されたりしてきます!」

 

「あ、いってらっしゃい」

 

見送りの言葉が終わる前に、キル子は「みなごろしじゃ~~!!」などと雄叫びをあげて転移していった。

 

「なんだかなあ…おっと、時間がない。玉座の間に急がないと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そうやって意気込んで出てきたものの。

 

「…ぬっるいわぁ」

 

足元に転がる無数の死体オブジェクトを眺めて、キル子は何とも言えないため息をついた。

ユグドラシルではプレイヤーやノンプレイヤー、あるいはモンスターを問わず、キャラクターが死亡すると一定時間の間、死体オブジェクトが死亡した場所に残る。その間に蘇生呪文やアイテム、あるいは死体を対象にする特殊な魔法やスキルを使用することができる。

もちろん、キル子は真っ先に蘇生魔法を使える信仰系魔法詠唱者をキルしているので、こいつらが蘇生するには、デスペナルティであるレベルダウンを受け入れた上で、最後に登録した蘇生ポイントに戻るしかない。

 

八割くらいのプレイヤーは死に戻りを選んですでにこの場にはいないが、中には死体を晒したまま居残るプレイヤーもちらほらいる。もちろん、死体オブジェクトどもは聞くに堪えない罵詈雑言を吐き散らしている。負け犬どもの恨みと嘆きの声は、キル子にとって何より心地よい音楽である。

 

しかし、率直に言って、消化不良だ。

 

PKそのものは完璧に決まった。キル子を付け狙うプレイヤーの群れを引き連れて、突如としてアルフヘイムに乱入。

思い出話に花を咲かせたり、花火を打ち上げたり、仮装コスしたりしながら、和気あいあいとユグドラシル終了カウントダウンを待っていたプレイヤー達を巻き添えにして、不意打ち闇討ちだまし討ち。縦横無尽に大暴れして、数十名のプレイヤーを瞬く間にキル。うまくいきすぎなくらい鮮やかなPKだった。

 

これで最後だからと、ナザリックの各所からありったけ持ち出してきたアイテム類も、ほとんどが手つかずのままだ。実は経験値消費型のスキルを連発するために、宝物庫から『強欲と無欲』をはじめとする幾つかのワールドアイテムまで無断で持ち出してきている。もちろん、ギルマスには内緒だ!

 

そこまでしてこっちは気合い入れまくりだというのに、何とも手ごたえがなさすぎである。 FUCK!

 

まあ、無理もないとは思う。この場に集っていたのは、ほとんど引退していたところを最終日だからと久々にログインしてきたような連中ばかり。当然、往年のプレイヤースキルなどは、とうの昔に錆びつかせ、引退時に処分したのか装備もまともに整っておらず、ポット等の消耗品も持ち合わせず、バフもまともに受けていない。たんにレベルがカンストしているというだけのMOBのようなものだ。

 

所詮、ユグドラシルはオワコンだ。ログインプレイヤーの数は最高時の百分の一にも届かない。かつては順番待ちまで出ていた人気の狩場も閑古鳥が鳴き、掲示板は何年も前から更新されていないスレッドで埋め尽くされて久しい。

キル子だって、もうここ何年もまともにPKできない状態が続いていた。

 

とはいえ、最後の夜ともなれば、かつて猛威を振るった強豪プレイヤーどもが復帰してくるかなぁと、淡い期待を抱いていたのだが。

 

「わかっちゃいるんだけどね…」

 

みんな、ユグドラシルを辞めて新たなゲームに手を出すか、あるいはゲームそのものから引退して、職場や家庭や学校に、現実に戻っていったのだと。ゲームの中で生きることはできないのだから。

 

そんなことをぼんやりと考えていたら、サービス終了のカウントダウンが始まった。

 

 

 

【ユグドラシル・オンラインをご利用中の皆様にご連絡いたします。ユグドラシル・オンラインは西暦2138年○月×日、‪午前0時‬を持ちまして、サービスを終了させていただきます。サービス終了時刻までにゲーム内に留まられているプレイヤーに対しては、サーバーより自動ログアウト処理が実行されます。長年のご愛顧、誠にありがとうございました。運営一同、心より感謝を申し上げます。サーバーダウンまで後5分ほどとなります】

 

 

 

あたりに散らばる死体オブジェクトどもも、最後は粛々と受け入れようというのか、会話ログの流れも緩やかになった。

 

思えば、長く一つのゲームをやってきたものだと思う。

キル子がアインズ・ウール・ゴウンへ加入する以前から、異形種PKの現場に乱入して見境なく暴れ回る極悪PKKとして有名だった。ユグドラシルがまだ賑わっていた頃には、某掲示板に専用の板が立てられ、毎日のように屑だのキチガイだのネカマだのと、罵詈雑言を書き込まれていたものだ。

‪一時期は、あまりにも恨みを買いすぎて、2ch連合の有志を中心に立ち上げられた討伐隊につけ狙われたこともある。流石に多勢に無勢であり、それでも6割ほどを削り殺したところで追い詰められ、あわやというところを救ったのが、同じくDQNギルドとして有名だったアインズ・ウール・ゴウンだった。‬

それが彼女がギルドに加入することになった契機なのだが、今となっては楽しい思い出の一つである。

 

それも、もう終わり。

 

 

 

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・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、アイラ・コトフォードは深夜遅くまでバベル一階のギルド受付に詰めていた。

 

アイラはギルドの職員である。ギルドはオラリオの都市運営、冒険者および迷宮の管理、そして主要産業である魔石道具加工業を支える魔石を売買するための組織だ。神の1人であるウラノスを長としているが、事実上の運営は職員たちが行っていた。

 

迷宮は冒険者達のために基本的に24時間開放されていて、ギルド職員は交代制でその入り口にあたるバベル1階のフロアでサポートにあたっている。

迷宮の中は18階層のような例外もあるが、基本的に昼夜の区別無く薄暗いため、時間間隔が狂う。特に多量の物資を持ち込み、数日かけてダンジョンの下層を踏破するような一級冒険者達ともなればなおさらである。少数ではあるが、多数の魔石を持ち込んでくれる稼ぎ頭である彼らのために、ギルド職員も24時間の対応を強いられているのである。

 

とはいえ、そんな一流どころの冒険者の数はそう多くはなく、二級以下の冒険者はといえば「冒険者は冒険をしてはならない」という有名な格言があるように、あまり長い間ダンジョンに入り浸りはしない。そのため、夜更けにダンジョンから上がってくる冒険者の数はそう多くはなく、必然的に配置されているギルド職員の数も昼間に比べれば少ない。

 

折しも時刻は丑三つ時。同僚は仮眠をとるために休憩室に向かったばかりで、アイラは一人だった。昼間はダンジョンに向かう冒険者達がひしめき合って賑やかなものだが、今はアイラの外には人っ子一人おらず、物音一つしない。

ちょうど眠気が襲い来る時刻でもあり、勤務の疲れもあって、アイラがうつらうつらとしていたときのことだった。

カラン、コロン、と乾いた木が打ち合うような、軽い音が不意に響いた。

 

「?…誰か上がってきたのかしら?」

 

ややあって、迷宮の出口へと伸びる階段から、人影が姿をあらわす。

遠目には、その人物はくっきりと白と黒に色分けされていた。まるでガウンのように足下までを覆う白い布製の衣服を白い帯で留めていて、オラリオでは珍しい真っ黒い髪を腰元まで伸ばしているのだ。

足もとは木製の板に布のひもを通した不思議な形状の履き物で、迷宮内のような不整地な場所を歩くのには少しも向いていないと思われた。先ほどのカラコロという音はこのせいだ。

 

アイラは首をかしげた。

 

まず、衣装が珍しい。極東の民族衣装だろうか。最近極東から越してきて新たに立ち上がったファミリアがあったはずなので、そこに所属しているのかも知れない。

だが、違和感の正体はそこではない。余りに軽装すぎるのだ。一見して武器らしきものを帯びておらず、おまけにダンジョンに潜っていたにしてはきれいなもので、返り血ひとつ、土埃一つ付いていない。

そんなことを考えていると、いつのまにかカラコロという例の音は止んでおり、それどころか衣擦れの音ひとつ、いや息づかい一つ聞こえない。

 

ふと、首をかしげると、件の女性がいつの間に目の前に立っていた。息を漏らせばかかりそうなほどの距離だ。何故気づけなかったのかと、そう考えるより先に、アイラは思わず悲鳴を飲み込んだ。

 

「ひっ!!」

 

長い黒髪を無造作に垂らし、髪の間から死んだ魚のような目をのぞかせた凄惨な形相。目は血走って赤く、肌は蝋のように青白い。おまけに、凍てつくような冷気が漂ってくる。

思わず、ギルド職員の間に伝わる有名な怪談を思い出した。

 

曰く、深夜の宿直に詰めていると、迷宮の入り口から死んだ冒険者達の亡霊が這い出てくる。

 

いかにもよくありそうな怪談話だというほかはない。何年もギルドに勤めていて幾度となく遅番を経験しているアイラは、実際、一度も出くわしたことがなかった。…これまでは。

ギョロリと限界まで見開かれた目玉をうごめかし、亡霊はアイラを見据えている。 それだけで意識が飛びかけた。

 

アイラは無神論者である。一般的に言う所の信仰心というのは欠片も持っていない。神が下界に降り来たるこの時代には、珍しいことではない。もちろん、何らかのファミリアに所属する冒険者ならば大なり小なり自らの主神に対してはそれなりに信仰を持っている。

だが、アイラはギルドの所属である。ギルドの主神ウラノスは、方針として自らの眷属にはいくつかの例外を除いて恩恵を与えていない。そのため、ギルドの組織の大多数を占める下位職員は信仰心というものを持っていない。単なる職場の雇用主、それ以上の感情を抱いたことはなかった。

 

だが、この瞬間、アイラは生まれて初めてウラノスに心の中で祈りを捧げた。

 

助けて!!

 

そのかいがあったかどうかは分からないが、

 

「もし…」

 

死んだ魚の腹ような、青白い唇を蠢かし、亡霊が語りかけてきた。

恨み言だろうか。モンスターに殺されたか、あるいは同じ冒険者に殺されたのか。

続く言葉はそのいずれでもなかった。

 

「…ここは、どこ?」

 

そして、その言葉を聞き終える前に、アイラは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

「ルーチンが人間くさいなぁ。噂のAI内蔵式NPC?」

 

白目をむいて伸びているハーフエルフの女性キャラクターを前にして、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのキル子は途方に暮れていた。

 

いったい何が起こったのか。ユグドラシルの最後の日、ゲーム終了時刻の‪午前零時‬を回るその瞬間まで、キル子は趣味のPKにいそしんでいたものだが、気がつけばキル子は一人で、薄暗い洞窟めいたフィールドに飛ばされていた。

もちろん、高レベルプレイヤーが攻略するような難易度の高いダンジョンでは、プレイヤーをランダムに転移させるトラップなどは珍しいものではないので、それはいい。

だが、キル子が最後に居たのはアルフヘイムでも最大規模のタウンであり、そんなトラップが仕掛けられるような場所ではない。何より、いくらなんでもユグドラシルのサービス終了時刻はとっくに過ぎているはずだ。あるいはサービス終了が延期されたのか。

 

しまらない話だが、明日も仕事があるのでさっさとログアウトしたいのだが、どうやってもコンソール画面が開かず、ログアウト処理を実行できない。あるいは大規模なシステム障害でも起こったのか?今頃、運営が必死になって緊急メンテの準備をしているのかもしれない。

さすがにログオフ出来なくなっている状態は、電脳法的に極めて重大な問題なので、後で訴訟沙汰になるかもしれないが。

 

ひとまず、ここがどこなのか周囲を探ろうとして、適当に歩き回った末に出くわしたのが、目の前で泡を吹いて気絶しているハーフエルフだ。この反応からして、恐らくプレイヤーではなくNPCなのだろうが、なんとも動作が人間くさい。

 

「ユニークネームは、アイラ・コトフォード…名前からしてNPCっぽいね」

 

キル子が常時使用しているパッシヴスキルの一つに【死神の眼】というのがある。アサシン系の特殊な職業を取得すると解放されるスキルで、視界に入ったキャラクターのユニークネームと残HP量を、あらゆる情報阻害能力を無視して正確に見抜くことができた。

スキルによって把握できたアイラのHP量は、レベル一桁台のプレイヤーと同じ。つまりタウンなどに無数に配置されている一般人枠のNPCと同等といっていい。しかも、何らかの組織の制服のようなものを着ている。

 

あるいは何処ぞのギルドのギルドホームに迷い込んでしまったのかも知れない、とキル子は思った。

 

ユグドラシルにおいてギルドとはプレイヤーによって構築され、組織運営されるチームの事だ。ギルド間戦争や世界発見ポイント等でギルドポイントを稼ぎ順位を競い合っているため、大規模なギルドになればなるほど互いに仲が悪い。

ギルドの下位バージョンに『集団(クラン)』というのが存在するが、ユグドラシルの大多数を占めるライトユーザー層にはこちらの方が気楽なためか、ギルドよりも圧倒的に数が多かった。もっとも、ギルドはクランとは違って、維持は面倒だが様々な利点がある。

その筆頭が、ギルドホームだ。 これはギルドホーム系ダンジョンをクリアすることで、その場所の占有権を手に入れて、拠点として利用できるというものだ。敵対ギルドから攻撃を受けることもあるので、たいていの場合は防衛用のモンスターやNPCを配置している。

 

キル子は感知系の呪文やスキルをはじくパッシヴスキルやアイテムを常時使用しているので、未だ見つかっていないだけかも知れないが、あまり悠長にしていると排除のために押し寄せてくる筈だ。長居は無用だろう。

 

見たところ、一番目立つ大きな扉をくぐると、キル子はその向こうへと消えていった。

 

 

 

 

こうしてユグドラシルでも屈指の極悪PKは、深夜のオラリオの町へと去った。

 

次の日、ギルド職員が深夜に死んだ冒険者の幽霊を見たと、ちょっとした騒ぎになるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 



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2話

原作の有能なモモンガ様と違って、主人公はゴーイングマイウェイなうっかり属性持ちの屑でお送りします。


オラリオの町で最も巨大な建物、バベルの塔。

その中層の、おそらくは集合住宅の一室か何かのベランダに腰掛けて、キル子は途方に暮れていた。

ちなみに家主は不在なのか、締め切られたガラス戸の向こうに人の気配はない。もっとも、不可視化系の最上位スキルを使っているので、例え正面から直視されたところで、キル子の姿に気付くことはないだろう。

 

既に日は中天にさしかかっている。

手元の数珠型腕時計に目をやれば、サービス終了予定時刻から、既に半日ほどたった計算になるが、キル子は未だにこの世界に取り残されていた。

運営からシステムエラーやメンテナンスの告知はなく、コンソール画面はいっこうに開かない。ログアウト処理は実行されず、ゲーム外に連絡を取ることも出来ない。

藁にもすがる思いで《伝言(メッセージ)》の魔法を使ってみたがGMにはつながらず、ダメもとでフレンドリストに連なる名簿に片っ端から試してみたが、全滅。

何が何やら分からず、途方に暮れたまま現在に至る。

 

そもそも眼下に広がるオラリオという街、少なくともユグドラシルにこんな都市型フィールドは存在しない。キル子とてユグドラシルを隅から隅まで巡ったことがあるわけではないが、こんな大規模な都市ならば耳にしたことくらいはあるはずだ。

あるいは、新規に実装されたフィールドかとも思ったが、採算が合わなくなってサービス終了間際のゲームに今更新規アップデートもないだろう。

 

いや、それ以前にここは本当にゲームの中なのか、キル子は自信を持てなくなっていた。

ここがゲーム内だとすると、あまりにも違和感が大きいのである。

 

違和感を感じた切っ掛けは、ユグドラシルをはじめとするDMMOではシステム的にあり得ない、視覚以外の五感を感じることができたことだ。

キル子は日が昇るにつれて増えてきた人混みを避け、建物の屋上沿いを物理ステータスに任せて跳躍して移動しつつ、見慣れぬ町の風景を観察していたのだが、その際に頬をくすぐり、髪をなでる風を感じた。なにより、空気がうまかった。人工心肺を使わず、これほどの空気を思う様堪能できるのは、リアルではアーコロジーに住まう極一部の富裕層だけだろう。

どちらも、ユグドラシルの常識ではありえない。触覚や嗅覚といった感覚を感じ取る機能は、電脳法上の制約や技術的な困難さから、実装には未だ至っていない筈だ。

思わず自分の頬をつねってみれば、痛みを感じることすらできた。どうやら、夢ではないらしい。

 

流石にこれはおかしいと思い、その気になって差異を確認してみれば、いくらでも疑問が沸いた。

単なる画像データに過ぎず、決して無表情から変化しないはずなのにちょっとした動作や、内心に応じて自在に動く表情筋。

どれだけの数がいるのか分からないほど大量の、それも一人一人が決まり切ったルーチンを実行しているだけの単純なNPCだとはとても思えない、町の住民達。

極めつけは、そこらに軒を連ねる屋台から適当な総菜――ジャガ丸くんとか言うらしい、童顔で巨乳でツインテールという属性満載な売り子が声を張り上げているのを耳にした――を失敬した時のことだ。

 

本来、ユグドラシルでは、アンデッド系異形種は飲食不可のバッドステータスを持っているため、飲み食いすることはできない。だが、キル子はアサシン系職業を極めているため、【擬態(ポリモリフ)】のスキルを使うことで一時的に種族を人間に変更することができる。この状態ならば、一応飲食が可能だ。

擬態化している間は異形種の強みである種族固有の特殊能力が封印されるし、基礎ステータスも人間種に準じた値に変更されて大幅に下がってしまうので、滅多に使うものではないのだが、こういう時は便利だ。

 

キル子はジャガ丸くんなる揚げ物を、まず手にとってみた。生暖かく火ぶくれした表面のザラザラした手触りを感じ、香辛料のふんだんに使われていると思しき香ばしい臭いを嗅ぐ。食欲をそそられ、たまらず口中に放り込んで塩と芋、中に仕込まれたチーズの味を堪能した。

うまい。正直にそう思う。普段口にしている人造タンパク質をこねくり回して作られたマスプロ合成食品とは比べものにならない。

ついつい屋台からさらなる大量の総菜を頂戴して、貪るように食べてしまったのも仕方のないことだろう。

例の童顔巨乳ツインテールの売り子にはユグドラシル金貨を置いてきたので、何も問題はないはずだ。

「ジャガ丸くんが消えたと思ったら、なんか金貨がジャラジャラ降ってきた?!」という絶叫に、慌ててその場を後にしたのも全く問題はない…はずだ。

 

逃げ出した先の路地裏で、油でベトベトになった手をぬぐいながら、キル子はもう此処がゲームの中だとは思えなくなっていた。あまりにリアルに近すぎるのだ。

かといってゲームが現実になったなどと、他人に喋ったら頭がおかしいと疑われても仕方がないとも思う。

あるいはこれは現実に疲れ切った自分の脳が生み出した、都合のいい夢で、時間がくれば無慈悲に現実に連れ戻されるのだろうか?

さもなければ、自分は既に死んでいるのか?ゲーム中に心停止とか、満足な食事もとれずに過酷な労働を強いられ、体中ボロボロになった低所得労働者にはよくあることだ。

となると、これはゲームをしながら死にかけた自分が見ている胡蝶の夢か、あるいはクソッタレな神様とやらが哀れんで、面白そうな世界に放り込んでくれたとでも言うのだろうか?Fuck!!

 

まあ、どれでもいいか、とキル子は思った。

どれが正解だったとしても、正直、かまいはしない。

キル子は天涯孤独の身だ。物心つかない頃に施設に放り込まれて、労働年齢に達するまではそこで暮らしていた。家族はいないし、親しい友人はゲームの中にしかいない。ついでに言うと、環境が汚染され尽くされ、格差社会のきわまった、あんなろくでもない世界にも今更未練はない。

アディショナルタイムがどれだけ残されているのかは知らないが、その時がくるまではこの状況を楽しんでしまえばいい。ただそれだけのこと。 諦観したとも言う。どのみち、ログアウトできないなら、どうにもならない。現実逃避だと笑うのなら笑え、だ。

 

そうして腹をくくってしまうと、なんだか楽しくなってくる。

こそこそ姿を隠して、遠くから眺めているだけでは物足りない。 適当に変装して、街に繰り出すことにしよう。

見てまわった感じだと、オラリオは複数の種族が入り交じった都市のようだが、アンデッドをはじめとする異形種の姿は見あたらなかった。あるいは目に付かないところには居るのかも知れないが、用心に越したことはない。このまま一番数の多そうな人間種に化けていれば、さほど騒ぎにならずにすむだろう。

 

念のために、【偽名(フェイクネーム)】のスキルを使い、アバターのユニークネームを適当に変更しておく。ユニークネームは占星術系の情報魔法の対象にとられやすいし、呪い系の魔法を使われる際の対象にもなる。

さらに【変化(メタモルフォーゼ)】のスキルによって、アバターの外見を当たり障りのないものに変更する。

青白い肌は健康的な肌色に、血走った目はごく普通の黒い瞳に、黄ばんだ乱ぐい歯がびっしりと生えそろう口元は、薄紅色に色づく形の良い人間のそれに。ついでにボサボサの髪もそれなりに整えておく。

最後に【変装(マスカレード)】のスキルを使い、飾り気のない白装束を、あまり目立たない布の服に変化させた。 もちろん、変化させたのは外装データだけで、性能はアサシン用神器級アイテムのままだ。

これにレベルや職業を偽装するスキルを併用すると、野良パーティに参加して、だまし討ちPKを行う準備が整うのだが、今は別に必要ないだろう。

 

その気になれば体格や顔かたち、あるいは性別すら自在に変えることも出来るが、今はPKのリベンジを狙う連中に追われているとか、そういう切羽詰まった状況ではないので、この程度で十分だ。

 

「では、適当にぶらついてみますかね」

 

良いPKには、まず入念な下調べが必要不可欠。

 

我知らず、キル子はちろりと唇を舐めまわした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キル子が真っ先に向かったのは、例の総菜の屋台だった。

 

「もし、そこの童顔で巨乳でツインテールの方」

 

先ほどの売り子の少女がキル子が置いていった金貨の山を前にして、難しい顔でうんうんと唸っている。

 

「ひょっとしてそれはボクのことかな?!未だかつてそんな端的に特徴をあげつらった呼ばれ方をしたことはないよ?!」

 

プルンプルンと身長に比べて大きな胸を揺らし、少女は抗議の声を上げた。

よく観察すると、白い超ミニのワンピースに、青い紐を纏わり付かせた珍妙な格好をしている。あるいはこれがこの町の流行の服なのかも知れない。

 

まず、キル子はペコリと頭を下げてアイサツをした。アイサツは大事だ。

 

「先ほどは大変失礼をしました。貴方の売っておられるお総菜が余りに美味しそうだったので、つい行儀悪くつまみ食いをしてしまいました。一応、代金は置いていったつもりなのですが、足りなかったでしょうか?」

 

「この金貨は君のかい!!逆だよ、多すぎるよ!!」

 

売り子の少女は涙目になって金貨の山を指さした。

 

「ジャガ丸くんは1個30ヴァリスだからね。さすがに貰いすぎさ」

 

「ははぁ、オラリオは物価が安いのですね。良いことです」

 

キル子が置いていった金貨はユグドラシルのゲーム内通貨である。ユグドラシルでは空腹のバッドステータスを緩和する飲食アイテムの、最下級のパンひとつがおよそ10枚なので、1000枚も置いておけば十分だと思ったのだが。

 

なお、キル子の手持ち資金は今現在10億を超えている。もちろん、アルフヘイムで最後にPKした連中から奪いに奪った分である。装備アイテムも、あらかた掠奪済みだ。

どうせ最終日なのに、何故わざわざそんなことをしたのかと問われれば、その方が愉快痛快だからだとしか答えられない。他人が汗水垂らして手に入れたレアアイテムを奪うのは格別である。奪われた連中の恨みと嘆きの声は、キル子にとって日々の仕事のストレスを癒す最高の清涼剤だった。

 

この分ならしばらく資金の心配はしなくて良いだろう。出来ればオラリオで使われているというヴァリスなる通貨に両替しておきたい。

そんな皮算用をたてているキル子に、少女は小首をかしげてみせた。

 

「…?君はもしかして、オラリオにきたばかりなのかな?」

 

「ええ、アルフヘイムのセントラルから飛ばされてきたばかりですが、勝手が分からず右往左往していたところです」

 

キル子は適当に答えた。まあ、嘘ではない。

 

「アルフヘイム?聞いたことないなあ。よっぽど遠い所から来たんだね」

 

売り子の少女は納得するように頷いた。どうやら、オラリオでは田舎からお上りさんが出てくるのは珍しくないらしい。

 

「そういうことなら、このお金は返すね。何にしろ先立つものは必要になるだろう。大事に使うんだよ」

 

キル子は驚愕した。世の中にこんな発想をする人間がいるなんて、想像だにしなかった。

 

「いえ、そういうわけには参りません。食べた分はお支払いしないといけませんし、私はまだこの町の通貨を持っていませんので」

 

「なーに、気にしなくていいよ。どうせ3000ヴァリスにもならないさ!」

 

朗らかに笑いながら、金貨を返そうとしてくる少女を、キル子は珍獣を見る目つきで眺めた。

キル子のいたリアルの会社は控えめに言っても、人間関係の良いところではない。ノルマに追われ、残業に追われ、週に一度あるかないかの休日は一日寝て過ごすのが当たり前。誰もが人を気遣う余裕など無かった。 その吐け口というか、ストレス解消の手段がキル子にとってのPKだ。

いや、このご時世、社会全体が環境汚染と極度の貧富の差によって形作られたディストピアのようなもので、どこもかしこも人の心は荒みきっている。

そんな荒んだ環境に生きてきたキル子にしてみれば、この少女はひどく奇妙な存在に思えた。

 

「…奇特な方だ。それでは、こうしましょう。御察しのとおり、私はこの町に着いたばかりで、右も左も分かりません。色々と教えて頂ければ大変に助かります。その謝礼ということなら、いかが?」

 

「う~ん、そういうことなら町を案内するのは、やぶさかじゃないよ。どうせ今日売る分のジャガ丸くんは、君が全部食べてしまったからね。でも、流石にそれは貰い過ぎかな」

 

チョロい。いや、いい情報源を捕まえられたのは、幸先が良いと思おう。

 

「ではよろしくお願いします。私はキル子と申します」

 

言ってしまってから気付いたが、迂闊である。わざわざスキルで変更しているのに、うっかりユニークネームを名乗ってしまった。

 

「キルコ君だね。ボクはヘスティア、こう見えても神様だよ。よろしくね」

 

…神?

 

あなたは神を信じますか、と宗教に勧誘されることはあれど、自己紹介で自分は神様だと言われたら、どう反応して良いのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、いきなりの神様発言はともかくとして、町の要所を案内されながら、 キル子はヘスティアにオラリオの成り立ちをかいつまんで話してもらった。

 

曰く、オラリオは世界で唯一「迷宮」が存在する都市。

迷宮内に発生するモンスターを倒して得られる魔石や素材を求めて、世界中から人が集まってくる世界一の大都市であるらしい。

 

千年前に天から降りてきた神々の多くがここに居を構えていて、人の成長を加速させる神の恩恵を施しているという。これにより、人間はモンスターに対抗する力を得ることができるのだとか。キル子の目の前で、ツインテールと巨乳を揺らしている少女、ヘスティアもその一人らしい。

商店街を通りかかる時など、マスコットのように神様と呼ばれ慕われていて、老人に握手されたり、子供らにつきまとわれたりしている。てっきり自分を神様だと思い込んだ頭の痛い子だと思っていたのだが…

ちなみに、同じ神に恩恵をもらう徒党を『ファミリア』と呼び、基本的にファミリア単位で迷宮に挑んでいるそうだ。

 

「そしてボクらが恩恵を与えてステータスを獲得した人間を、冒険者と呼ぶのさ!」

 

ヘスティアは胸を張った。身長に比べて大きな胸がプルプルと揺れている。先程からすれ違う通行人の目の半分は、彼女の胸に注がれている。神の威厳とやらは胸に現れているのだろう。

 

「しかし、見たところ、この街の住人の方々が全て恩恵を受けているようには見えませんねえ」

 

キル子は【死神の目】を使って、道行く人間をつぶさに観察していた。ほとんどの住人は、ユグドラシルのレベル1程度の力しか有していない。

 

「それはそうさ。ボクらも恩恵を与える相手は、それなりに選ばせてもらうからね」

 

「でもボクにはベルくんさえいてくれれば!」などと叫んで妙にクネクネしだした乳神様はさておいて、聞いた限りでは冒険者とはダンジョンに潜ってモンスターを退治することで日銭を稼ぎ、経験値を貯めてレベルを上げ、武器や防具を揃えて武力を備えるアウトローのようだ。つまり、ユグドラシルのプレイヤーとやってること自体は大差がない。

冒険者は恩恵を与えた主神ごとにファミリアなる徒党を組み、戦力の拡張に努めつつ、神の暇つぶしという名の気まぐれに従い、争うこともあるという。これも、恩恵と主神という部分に差異があるが、ユグドラシルのギルドやクランと似たようなものらしいので、わかりすい。

一応、冒険者ギルドとやらがオラリオの治安維持を務めているようだが、戦力としては第一級冒険者を抱え込んだ大手ファミリアには遠く及ばず、事実上の無法地帯とくれば、まんまヤクザか暴力団である。一瞬、「修羅の国オラリオ」なる謎のパワーワードが脳裏をよぎった。

 

とはいえ、聞いた限りでは彼らのやってることはユグドラシルに比べればずっとお行儀がいい。

なんせ、あちらでは唐突に街中でギルド同士のPK合戦が始まったり、機嫌の悪い魔法職がストレス解消に超位魔法ブッパして町ごと吹き飛ばしたり、召喚魔法や創造スキルで街中をモンスターだらけにしてMPKしたりする傍迷惑なDQNが割とよくいたものである。キル子などはその筆頭だった。

 

さて、ここまでの知識を得て、今後どうするかと考える。

 

順当にオラリオをプレイするならば、何処ぞのファミリアの門を叩き、恩恵とやらを受け取った上で、ダンジョンに挑む、といったところか。

だが、これにはいくつか懸念がある。

 

まず、仮に恩恵を受けたとして、それがユグドラシルのステータスとどのように噛み合うのか分からない。

恩恵は受け取った時点では誰であろうとレベル1、ステータスは最下級として記録されるという。もし、ユグドラシルのレベル100プレイヤーとしてのステータスが、恩恵に上書きされて、レベル1に戻されてしまったりしたら、さすがに困る。

 

次に、ファミリアである。本音を言えばこちらも辛い。

なにせ、キル子は基本ぼっちである。

ユグドラシルではフィールドを気ままに徘徊し、獲物を見繕って即PK、アイテムを奪って売り払うという、タチの悪いモンスターのようなものだった。

ギルドには所属していたが、ギルメンとは誘われれば一緒に行動する程度の仲である。アインズ・ウール・ゴウンは社会人ギルドなので、それなりにみんな空気が読めたし、ゲーム内でも特に行動を拘束されることはなかった。例外は敵対ギルドに対峙する時だったが、それこそPKフリークのキル子には望むところ。

そんなフリーダムなプレイスタイルを、アインズ・ウール・ゴウンは許容してくれた。本当に得難い連中だったと思う。

ヘスティアから聞きかじった限りでは、このオラリオのファミリアで、同じことができるとは思えない。

 

何より致命的なのは、キル子が異形種だということだ。

ヘスティアの話では、オラリオには、やはり異形種はいない。

エルフやドワーフ、獣人種などはいるようだが、ユグドラシルでは全て人間種に分類される。亜人種すらダンジョンのモンスターとしてしか出現しないようだ。アンデッドのキル子など、とても受け入れられまい。あるいは、人間種に化けて適当なファミリアに潜り込むというのも手だが…

 

「……」

 

「?…何だいキルコくん?」

 

「…いえ、ヘスティア様、お気になさらず」

 

そういう意味では、この目の前にいる神、ヘスティアは論外だ。

 

未だ恩恵を授けた眷属を一人しか持たないという小さな女神は、仮にキル子がファミリアに入りたいと申し出れば、快諾してくれる可能性が高い。そうすればアレコレと世話を焼いてくれるだろう。ヘスティアの面倒見の良さは、現在進行形で確認している。

つまりは、恩恵も持たせずに、眷属をダンジョンに放り込むような真似は、絶対に承諾しない筈だ。

 

…まあ、いい。知識は得た。次は、とにかく先立つ物が必要である。

所詮世の中お金が全て。金でできないことなどそうはない、というのはリアルでもユグドラシルでも共通した価値観だったのだから。

 

「ヘスティア様、故郷から持ってきた品、武器や防具なのですが。それを買い取ってもらえそうなお店に、心当たりはありませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"ボクのとっておきのお店を紹介するよ!"

 

そう大見得を切ったヘスティアに案内されたのは、この町で一層目立つ高層建築、バベルだった。

高さ50階はある摩天楼だが、元々は周囲の建物と大して変わらなかったらしい。下界に降りてきた最初の神々によってわざと破壊されるというお約束をされた後、そのお詫びとして再建された結果、巨大な塔になったそうだ。

建物自体はギルドが保有していて、20階層までは公共施設や換金所、各ファミリアの商業施設が軒を構えているという。

 

そのうちの一軒、ヘファイストス・ファミリアなる鍛冶師系のファミリアが経営する店舗が目的地だ。

ヘファイストスは鍛冶の神としては他の追随を許さないほどの技術を持っていて、それに裏打ちされたファミリアのブランドは冒険者の間で最も信頼が厚いという。

キル子のみたところ、店内は大型ホームセンター程度の広さがあり、いくつもの武具が種類別に丁寧に陳列されていた。高級な品はガラスのショーウィンドウに並んでいるようだが、一握りの高レベル冒険者が必要とする更にハイグレードな装備は受注生産方式になっているらしかった。

 

キル子は店内で一番目立つショーウィンドウに展示されていた、大ぶりの刀剣に《道具鑑定》の魔法を発動させた。鑑定系の魔法は、本来は魔法使いや商人系の職業に就いているものが取得できるのだが、PKで奪い取った武器や道具を品定めするのに便利なので、キル子は魔法を発動できるアイテムを常に持ち歩いている。

 

「武器属性、両手剣。特殊効果なし、基礎性能は精々おまけしてレリック級、耐久力だけはやや高め…ゴミだな」

 

ボソッと思わず口から出てしまった台詞を、耳ざとく聞いていた店員の額に青筋が立ったが、キル子は気付かなかった。

 

「素材はアダマンか。柔らかすぎるねぇ…」

 

鍛冶の神が直接経営していると聞いたので、超希少金属くらいは当たり前のように使っているのだろうと早合点していたせいか、落胆も大きい。残念ながら、この分ではキル子のメイン武装はおろか、補助武装のメンテナンスを任せられるかすら怪しかった。

 

キル子はアサシン、大枠で分ければ物理系攻撃職に分類される。手になじんだ近接武器の性能は命綱だ。

最高の性能を誇る神器級アイテムですら、お手入れは必須だ。レベル90台のMOBが大量に沸いて出る狩り場で、半日も狩りをすればすぐに耐久値に響いてくる。不朽不滅の世界級アイテムならその必要はないのだが、キル子がナザリックから持ち出してきた世界級アイテムは直接攻撃力のあるタイプではないし、何より純粋な武器性能は特化した神器級の方が上だ。

 

「ラインナップを見る限りでは、精々伝説級が任せられるかどうか。受注生産の方は一見さんお断りっぽいしなあ。しばらく型落ちの伝説級予備武装に変えて我慢するか…?」

 

時には妥協も必要だろう。それに、もう少し見て回れば腕の良い職人を見つくろうことも出来るかも知れない。今は、先に換金を済ませてしまおう。

 

「済みません、買い取りを希望しているのですが、よろしいですか」

 

何故か苦虫を噛んだような顔をしている店員に声をかけ、キル子はインベントリから取り出した武器や防具をカウンターの上に無造作に転がした。

 

重量のある片手斧、神聖属性を帯びた鈍器、オーソドックスな片手剣、身軽さを重視した軽戦士用の革鎧等々。全てユグドラシル産のアイテムだ。全部、アルフヘイムでのPKで手に入れた戦利品だ。

 

「え?!…今、何もないところから?」

 

「査定をお願いします」

 

「は、はい!少々お待ちください!」

 

店員は目を白黒させると慌てて店の奥へと引っ込んだ。

 

「キルコくん、なんかどれもこれもすっごく強そうなんだけど…」

 

ヘスティアも目をむいている。

 

「故郷から持ってきたものです。せいぜい二級品ですよ」

 

キル子は白けたようにカウンターに並べたアイテムを眺めた。神器級は一つもない。補正も微妙なものばかりである。狩りの成果としてはハズレだった。

 

伝説級でも補正がよくまとまっていると、最栄期のユグドラシルならプレイヤー間で10M単位で取引されることもあったが、神器級なら最低でも桁が一つ違う。果たしてオラリオではどの程度の値がつくことやら。

まあ、捨て値でもいっこうにかまわない。インベントリを圧迫するクズアイテムは早々に処分したかった。キル子はギルマスのモモンガのように、使わないアイテムを溜め込む癖はない。

 

やがて店の奥から、わらわらと人が集まってきた。みんな一様にキル子の出した武器を手に取ると、難しい顔で唸っている。彼らも冒険者なのだろう、一般人とは文字通りレベルが違う。キル子のみるところ全員レベル10から20の間くらいだろうか。

中には一人だけレベル40台が混じっているのが目を引いた。小柄な女性で、黒髪赤眼で左眼に眼帯を装着している。周囲の反応からして、この店でもそれなりの地位にいるらしい。

 

急にざわめきだした店内をよそに、キル子はマイペースにインベントリから煙管型マジックアイテムを取り出すと、一服つけだした。

ユグドラシルでは煙草はバフを得るためのアイテムだが、他の飲食系アイテムと異なり、飲食不可のアンデッドにも使用可能なので、キル子もよく使っていた。煙管も見た目重視で大枚はたいてあつらえた趣味の一品だ。

 

リアルでは重度の大気汚染のために人工心肺を取り付けなければ酸素供給すらままならないご時世だが、煙草などと言うのは一部の富裕層が完璧に環境を整えられたアーコロジーの中でのみ楽しめる望外の贅沢。しかも、楽しみのためにわざと心肺機能を汚すという無駄の極み以外のなにものでもない行為である。それを好きなだけ心ゆくまで味わえるのだから、贅沢な話だ。

ちなみに今ふかしている煙草は素早さが40%アップするバフを得られるというもので、甘いバニラミントの香りがいたくキル子の琴線に触れた。ユグドラシル時代に愛好していたクリティカル発生率アップの煙草は、きついメンソール味だったのでふかした瞬間にむせかえったが。

 

優雅に一服を楽しみながら、しばらく店員達が大慌てで右往左往する様を眺めていたのだが、不意にざわめきが止んだ。

 

「いったいどこの誰、これをもちこんだのは?」

 

周囲にそう尋ねたのは、男装をした赤髪の麗人だった。女にしてはタッパがあり、右目に眼帯をつけている。店員達が揃って頭を下げているので、たぶん店の中で一番偉い人間なのだろう。

 

「御店主ですか?それの査定をお願いしたのは私です。キル子と申します」

 

キル子は両手を合唱して深々と頭を下げた。アイサツは大事だ。

 

「ヘファイストス・ファミリアの主神、ヘファイストスよ」

 

なんと、神様だったらしい。言われてみれば自らの徒党を率いるその姿は、威厳に溢れている。どこぞのギルドの腰低すぎるお骨様に見習わせたいくらいである。

 

「これは私が故郷から持ち込んだものですが、もう必要がないので処分に困っていたところ、ヘスティア様にこちらのお店を紹介されましたもので」

 

「ヘスティア?」

 

ヘスティアの名前を出すと、ヘファイストスの雰囲気が明らかに変わった。

 

「や、やあ、ヘファイストス」

 

何故かキル子の背後に隠れていたヘスティアが顔だけ出して挨拶した。それを見たヘファイストスも何とも言えない顔をしている。

 

「…ひとまず、場所を移させてもらえないかしら?店先でこれ以上の騒ぎになると収拾がつかなくなるから」

 

 

 

 

はて、単に要らないものを売り払いたかっただけなのだが、何やらやらかしてしまったのだろうか?

 

 

 

どうにもユグドラシルのゲーム感覚が抜けておらず、知らぬうちに色々やらかしていたと気付いたのは、それからすぐのことだった。



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第3話

キル子はヘファイストス・ファミリアの店の奥、上客用と思しき応接室で、下にも置かない接待を受けていた。

革張りのソファは柔らかく、床はフワフワした絨毯。分厚い一枚板の机には、香りのよい茶が湯気を立て、モダンな暖色の魔石照明がその全てを照らし出している。

正直、豪華さで言えばナザリックの9階層の方が上だろうが、こちらには単に高級品を配置しただけでは醸し出せない、気品のようなものが感じられた。

 

「すみません、お茶おかわり」

 

「はい、ただいま!」

 

キル子は部屋の隅に立っていた店員に、茶のおかわりを所望した。部屋に案内された時に、用事があればなんでもいいつけて良いと言われて付けられたのだ。

一方の店員はといえば、キル子をよほどの上客とみなしたのか、今にも揉み手をせんばかりに機嫌を窺っている。なんともむず痒く、尻の座りが良くない。気分は何処ぞのお大尽か。

 

あの後、キル子がこの部屋に通されると同時に、ヘスティアはヘファイストスに襟首を掴まれ、猫の子のように引き立てられていった。

今は別室で、キル子について色々と詰問されているようだ。

どこから来たのか、何者なのか、どういう経緯で知り合ったのか、その他諸々。その全てにヘスティアはしどろもどろになりながら答えているが、彼女自身も大したことを知っているわけではない。当たり前だ、まだ知り合って半日とたっていないのだから。

 

何故、彼らの会話の内容をキル子が知っているかと言えば、盗賊(シーフ)暗殺者(アサシン)系の職業レベルを上げると取得できる聞き耳系のパッシブスキルのおかげだ。このフロア一帯の会話くらいなら筒抜けである。高難易度ダンジョンでいきなり不意打ちPKをかましてくる同業者相手に、常に耳をすましていることに比べれば朝飯前だ。

ちなみに聴力強化系の魔法、《兎の耳(ラビッツイヤー)》を使えば、さらに周囲数キロまでは余裕である。

 

「ん〜、このお菓子うま〜」

 

図々しくも茶と茶菓子のおかわりを繰り返し、たまに煙草をやりながら、キル子は彼らの不毛な会話が終わるのを呑気に待った。

 

最初、店の奥に引っ張られた時は、知らずになんかやらかしたかと思ったが、おおよそヘファイストスの腹づもりも読めた。聞き耳対策や情報系魔法対策がゆるゆるの相手など、正直手玉である。まあ、なんとかなるだろう。

 

「ん、終わったかな?」

 

「は?何がですか?」

 

「いや、こちらの話。気にしないで」

 

ややあって、ファミリアの主神であるヘファイストスが、疲弊した様子のヘスティアを伴ってやって来た。

 

「ごめんなさい、待たせてしまったわね」

 

「いえいえ、お気になさらずに。こちらはこちらで有意義でしたから」

 

「そう?」

 

まあ、内緒話乙とは言うまい。

 

「まずは、これが査定額よ」

 

ヘファイストスは一枚の紙を差し出してきた。

残念ながら、見たこともない文字が並んでいる。日本語でも英語でもなさそうだ。数字らしき部分すら、独特の書体でイマイチよくわからない。だが、手はある。

 

キル子はインベントリから、マジックアイテムを取り出した。見た目はノンフレームの銀縁眼鏡だが、かければ魔法の力であらゆる文字が読めるようになる。

ユグドラシルでは時折、複数のゲーム内言語を読み解く必要のあるイベントやアイテムが出回るので、高レベルプレイヤーになると一つくらいは携帯している。

 

「ファッ!?…これ、桁を一つ間違えてませんか?」

 

だいたい予想してはいたが、やはり改めて提示されると驚きを隠せない。

 

「いいえ。妥当な金額だと、私、ヘファイストスの名前で保証するわ」

 

「いや、でもねぇ…最低でも一つ1億ヴァリスって…」

 

「い、1億ヴァリスぅ!!」

 

横で聞いていたヘスティアのツインテールが飛び跳ねた。

空を仰ぎながら、ジャガ丸くん何個分だとか計算しているが、キル子にしてもユグドラシル金貨にして何枚になるのやら見当もつかない。

ただ、感覚的には貰いすぎな気がする。ていうか、あんな中途半端なアイテム、まとめて10Mだって高い。

 

「どれも素材に希少な超硬金属(アダマンタイト)最硬精製金属(オリハルコン)が使われているし、武器としての完成度も高い。…名のある名工の作なんでしょうね。間違いなく、第一等級武装よ」

 

ヘファイストスは、やや悔しそうに告げた。鍛治の神様らしいので、プライドが刺激されたのかもしれない。

 

「全て見たこともない特殊な属性を付加された特殊武装(スペリオルズ)。決して高い金額だとは思わないわね」

 

ただし、とヘファイストスは続けた。

 

「残念だけどうちは製作の方が専門だから、素材ならともかく、ここまで高額な買い取りは流石に無理ね。無料で鑑定書を出すから、それで勘弁してもらえないかしら」

 

やはりか。まあ、盗み聞きしていたので、そこら辺の事情は察していた。

 

「そうですか、残念です」

 

ガーンだな。結局、現ナマにはできないってわけか。

 

「もし、本当に処分を検討しているなら、ギルド主催のオークションにかけることをお勧めするけど」

 

オークション!そういうのもあるのか。

 

「滅多にないことだけど、引退した第一級冒険者が現役時代の装備を出品することがあるのよ。新規に作るより割安だから、大抵はすぐに買い手がつくわ」

 

それは良いことを聞いた。是非利用したいところだが、肝心のギルドにツテがない。

 

どうしたものかとキル子が悩んでいると、ヘファイストスは、真剣な表情で"本題"を切り出した。

 

「…一つ確認させてちょうだい。これ、どこで手に入れたの?」

 

…まあ、聞かれるか。

 

「第一等級武装ともなれば、素材を揃えるだけでも非常に高額になるわ。大手ファミリアの第一級冒険者ですら、持っていたとしても一つか二つが限度。私も地上に降りてからそれなりに長いけど、一度にこの数を持ち込んだのは、あなたが初めてよ」

 

1億ヴァリスを超えると、まっとうに金回りのある商業系ファミリアでも、それなりに覚悟のいる金額だ、とヘファイストスは続けた。

 

「断言してもいいけど、これを作れる職人はオラリオでもほんの一握りね」

 

その言葉を聞いて、キル子は別のことが気になった。

今の話ぶりでは伝説級アイテムを、第一等級武装とやらと同等クラスとみなしているようだ。この店でも最上位の商品として扱っているらしい。

それはそれで結構なことだが、問題は果たしてさらに一段上の神器級の武器を取り扱えるかということだ。つまり、キル子のメイン武装のメンテナンスや修繕ができるのか、である。

 

そんなキル子の心の声を代弁すれば、こうなる。

 

(あれだけ苦労して借金したり、ギルドに加入した頃には既に鉱山奪われててアインズ・ウール・ゴウンに販売禁止されてた超々希少金属をツテを駆使して掻き集めたり、最上級の生産職に土下座する勢いで頼み込んだりして、やっとの思いでこさえたマイゴッズアイテム!!メンテも出来ずに朽ちていくだけとか、訴訟も辞さない!!)

 

…悲しいネトゲ廃人のサガである。

 

なお、そんな苦労しないと作れない神器級アイテムをPKで奪いとるキチガイがいるらしいが、知らない子ですね。

 

「うちで作られた物でないことはすぐにわかったから…悪いけど、待たせている間に裏を取らせて貰ったわ。最悪、盗品や横流し品の可能性もあったしね。でも、何処のファミリアも、これらを作った心当たりはないそうよ」

 

これだけの武具、自分や眷属が作ったものなら「いつ」「どこで」「誰が」「誰のために」作ったのか、どんな神だろうが間違いなく覚えている、と。ヘファイストスは断言した。

 

「主要な鍛治系ファミリア全てが否定した。それに、どれほど調べても製作の過程や工法が、まるで想像がつかない。つまり、少なくともオラリオで作られたものじゃない」

 

ヘファイストスは、キル子を見据えた。

 

「だからこそ、聞きたいの。これは、いったいどこの誰の手によるものなのかを」

 

「…ヘファイストス様、私は商人ではないのでね。あまり悠長な駆け引きといいますか、腹の探り合いは好みません。どうせ、貴方達には嘘は通じないのだから」

 

そう、盗み聞きしていてキル子が驚いたことの一つが、神には嘘が通じない、という点だった。つくづく最初に出会ったのが、ヘスティアのようなユル軽いので助かった。

 

「これは正真正銘、私が故郷で手に入れた物です」

 

どうやって手に入れたかについては触れていないので、嘘ではない。

 

「ですが、貴方がお知りになりたいのは、そんなことではないですよね。ズバリ、素材でしょう?」

 

キル子が確信をつくと、ヘファイストスは息を呑んだ。

 

「…やっぱり、そこまでわかった上で、うちに持ち込んだのね」

 

キル子が査定額リストの最上段にある、あるアイテムをトントンと指差すと、ヘファイストスは観念したように頷いた。

 

『査定不能』と簡潔に書かれたそれは、中途半端な補正の伝説級アイテムの中でも、頭一つ抜けた性能を持っている。

理由は、一つ。素材だ。

超希少金属を武器全体に薄くコーティングするように使っているため、耐久性が段違いなのである。

正直、その金属をこんな中途半端な武器に使うなら、真っ当に神器級作れや!と小一時間ほど問い詰めたいが、資金が足りなかったから妥協したんだろうなぁ、とキル子は思った。

 

ちなみにキル子のお気に入りの煙管も、一見すると銀製だが、実際には宝物庫からチョロまかした超希少金属を別の希少金属でコーティングしている。もちろん、ギルマスには内緒だ!

 

話に食いついたヘファイストスは身を乗り出した。完全に目が据わっている。

 

「これには完全に未知の金属が使われていることまでは分かったわ。それを薄く形成して武器の素体にコーティングすることで、性能を落とすことなく不壊属性並みの強度を持たせていることもね。正直、脱帽よ」

 

キル子も驚いた。さすがは鍛治の神、未知の素材を相手にして、そこまで調べ出したのだから侮れない。

 

「ご名答。刃物や鈍器、あるいはゴーレムなどのコーティング材として使用すると耐久性を飛躍的に高められる特性を持った超希少金属です。私の故郷の特産品で、極めて貴重な品です」

 

さて、勝負はここからである。

 

キル子はおもむろにインベントリに手を突っ込むと、今度は一振りの短剣を取り出した。

 

「そ、それは?!」

 

見た目は血錆の浮いた出刃庖丁だが、アルフヘイムのワンコイン投げ売り祭りで手に入れた神器武装『セクハラ殺し』だ。

武器性能は短剣というカテゴリでは最高補正。さらに、貴重なクリティカル発生率アップの最上級データクリスタルを限界まで注ぎ込み、おまけとして余ったデータ領域に男性特攻を詰め込んでいる。

見た目とネーミングに目を瞑れば、神器級の中でも最高の逸品だろう。

 

「鑑定してもらった武器より、もう三つか四つほどランクが上の代物です。ひとまず、お手にとってみてください」

 

キル子が机の上に置くと、ヘファイストスは飛びつくようにして『セクハラ殺し』を検めた。

刃に指を滑らせて切れ味を確認し、ハンマーを当てて音を聞き比べて強度を確かめる。

 

「これにも未知の素材が使われてる。しかも複数。どんな特性なのかまでは詳しく調べてみないとわからないけど、硬度だけでも超硬金属(アダマンタイト)より…いえ、最硬精製金属(オリハルコン)より上!」

 

ヘファイストスはユグドラシルが生んだ最高のアイテム、神器級武装に夢中のようだ。

 

キル子はその瞬間、自分が賭けに勝ったことを確信した。

 

やはり神というのは、自らの存在に根ざした欲求には抗えないようだ。ある意味では人間より嘘がつけないのだろう。

未知の素材と未知の技術、鍛治の神であるヘファイストスは、恐らくその誘惑に抗えまいと、キル子は読んでいた。

何せ、別室でヘスティアの襟首を掴んで振り回しながら、本人がなんとか素材の出所や製法を聞き出せないかと悩んでいたのを、盗み聞いていたのだから。

 

やがてヘファイストスはあらゆる角度から奇妙な形をした短剣を眺め、存分に確かめて、そして叫んだ。

 

「このナイフを作ったのは誰!」

 

…あるぇ?

 

「性能はいいのに、本当に性能はいいのに、すっごく良いのに!なんでこんな残念な見た目と名前にしたのよ!!」

 

どうやら《上位道具鑑定》の魔法のような何らかの手段で、この武器のユニークネームを探り当てたらしい。

ヘファイストスは、もう血涙を流さんばかりである。

なんかキル子が期待した驚きとは、方向性が違う。ケーキを期待して甘い物を所望したら、羊羹が出てきた的な感じで。

 

「うちのファミリアにも、良いものを作るくせにネーミングセンスのひどさで売れない子がいるけど、デザインはまともよ!流石にこれはないわ!」

 

「…解せぬ」

 

キル子的にはむしろ、このデザインに心惹かれたから手に入れたというのに。

 

「誰が作ったかまではわかりませんね。それは故郷の露店で買ったものですので」

 

「露店でこれを⁈どんな魔境なの⁈」

 

ヘファイストスはさらなるショックを受けたようだった。

さもありなん、自分のファミリアですら作れなさそうな超級装備が、ジャガ丸くんよろしく露店で売られていると聞けば、発狂もするだろう。

 

「本当ですよ〜」

 

キル子が嘘をついていないとわかるだけに、ヘファイストスの心労は余計に酷かった。

 

しかし、事実である。ユグドラシルでは、さほど値の張らない不要なアイテムは人通りの多いタウンなどで、露店売りするのがメジャーだった。税金として売り上げ価格の最大2割ほどが自動的にさっ引かれるのだが、商人系の職業についているとそれも軽減される。

 

「…さて、ヘファイストス様。他でもない、鍛治の神である貴方ならば、これと同程度のものを作れますか?」

 

キル子は、ヘファイストスの目を見据えて問いかけた。結局、これが聞きたかったのだ。

 

ヘファイストスは息を呑み、しばし考え込んだが、やがてキッパリと断言した。

 

「同じ素材さえ手に入る、という条件なら。そして私自身が打ち上げたなら。これと同じ…いえ、これ以上のものを作ってみせるわ」

 

文字通り、神の手による神器、ということか。

 

「…その言葉が聞きたかった」

 

思わず、頬が緩む。

 

キル子は、インベントリから7本のインゴットを取り出すと、ヘファイストスの前に並べた。

 

「私が故郷から持ち込んだ超々希少金属、通称七色鉱のインゴットです」

 

ワンコイン投げ売り祭りで買い漁った、ユグドラシルの素材系アイテムでも最上位に位置付けられた、七つの金属。

かつて涙を飲んで破産しながら集めた超々希少金属の山に、無駄とわかってはいたが、つい手が伸びて買いこんだ。それが、まさかこんなところで役に立とうとは。

 

「もちろん、ただで差し上げる、というわけには参りませんがね」

 

ここぞとばかりに、キル子は世にも邪悪な笑顔を浮かべた。ヘファイストスにしてみれば、まさに悪魔の笑顔に等しかっただろう。

 

「で、オラリオでは未だ未発見の貴重な素材。貴方ならいったいどれほどの値をつけていただけますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ケケケケケ!いやぁ〜、儲かった、儲かった!ヘファイストス様チョロいわ」

 

キル子は笑いが止まらなかった。気分はとてもいい。

 

結局あの後ヘファイストスは「悔しい、でも1億ヴァリス出しちゃうビクンビクン(キル子視点)」てな感じでインゴット1本につき、1億ヴァリスもの支払いを約束した。

流石に全部買い上げては天下のヘファイストス・ファミリアとて破産するので、ひとまず1本分を即金で、残りは資金の目処がついてから優先的に流す契約を交わしている。

突如として舞い込んだ大金に、キル子は大変機嫌を良くし、意気揚々とヘスティアを引き連れてバベルを後にしたのだった。

 

「しかし、まさか1億に化けるとは。ムスペルヘイムの商業系ギルドのクソどもの気持ちが良ーく分かったわ。一度でも味わうと、ボッタクリはやめられませんなあ」

 

あの難波の商人ロールをしていた守銭奴どもにはキル子が自らの最高の神器級を作る際に頼らざるを得ず、散々毟られたが、中身は複数のRMT業者の集まりだったので、後金支払う前に運営にチクッてやったから問題はない。

 

「ぼったくりだったのかい!?」

 

ヘスティアは、未だにジャガ丸くんが幾つ分だとか、頭を悩ませていたのだが、ボッタクリの言葉に反応した。

 

「いやいや、正直な話、故郷でもかなり希少な金属ですので、ボッタクリは言い過ぎました」

 

「本当かい?…本当のようだね」

 

嘘ではない。七色鉱は、かつてワールドアイテムまで使われて鉱山を奪い合った代物である。

ただ、それをキル子はワンコインで手に入れただけだ。

 

「それに、未だオラリオでは発見されていないという希少性を鑑みれば、妥当だと思いますよ」

 

「そ、そうなんだ。もう、キルコくん、ぼったくりなんて人聞きの悪い冗談はよしておくれよ…」

 

「まあ、それでも1億ヴァリスはないですね。ぶっちゃけ、10倍くらいふっかけたんですが」

 

まさか本当に出すとは思わなかった。しかも、繰り返すが仕入れ値はワンコインである。

 

「やっぱりぼったくりじゃないかー!!」

 

ツインテールを萎れさせて「ヘファイストスにとんでもない人間を紹介してしまったよ!」と落ち込むヘスティア。

何やら彼女はヘファイストスに色々と借りがあるようで、キル子にファミリアを紹介したのも、ヘファイストスを思ってのことなのだそうだ。

 

「インゴットならまだ大量にもってますし、今後も良い商売をさせてもらえそうですわ」

 

まあ、世の中、善意が全て実を結ぶとは限らないのだ。

 

ヘファイストスは早速ファミリアの幹部と共に、素材特性の研究に着手するらしい。

いずれキル子の秘蔵の神器武装のメンテナンスくらいは任せられるようになってくれれば万々歳である。それを見越して、最初の一本は、キル子がメインで使っている神器級の主要素材に使われているものを引き渡している。

あるいは材料持ち込みで新品を特注するのも悪くない。ユグドラシルの素材を用い、オラリオの神が打ち鍛える武器。どんな代物が出来上がるか興味は尽きない。

 

「ぐぬぬ…それにしても、いい武器って本当に高いんだね。まさか1億ヴァリスだなんて、想像もしていなかったよ」

 

「オラリオ的にそれが高いか安いかまでは私には判別つきませんがね。でも、良い装備が高いってのは身に染みて理解してます」

 

すごく実感の込められた言葉だ。

 

「まあ、実際問題、レベルがあがれば必然的に狩場のレベルも上がりますし。それなりに装備を整えないと『地雷』と見なされたりしますから、適正装備を揃えるのは必須です」

 

酷いときはそれだけで掲示板にキャラ名を晒されることになる。最高難易度の狩場なら、せめて伝説級くらいは必須だ。

 

「そうかぁ…やっぱりベルくんに最高の装備をあげられたらなぁ…」

 

確か、ヘスティアも眷属を持っているという話を聞いたので、恐らくそのことだろうと、キル子は思った。実は類い稀なるレアスキルを持ってしまった思い人のために、何ができるかと思い悩んでいたなんてのは、理解の範疇外である。

だから、ただ一人の眷属のために思い悩む女神に、老婆心ながら忠告をすることにした。

 

「…一つ忠告しときますがね、ヘスティア様。いくら眷属が可愛いからといって、身の丈に合わない高価な武器をもたせるのは、おやめなさい」

 

キョトンと此方を見返すヘスティアに、キル子は諭すように続けた。

 

「確かに性能のいい装備で低レベルに下駄履かせるのもありっちゃありですが、必要以上に良いもの持たせたって使いこなせやしませんから。レベルが上がって、今の装備に物足りなくなって、その度に自分の稼ぎとにらめっこしながら装備を買い替え、少しずつ強くなっていく。それが冒険の醍醐味ってやつです 」

 

だいたい、高価な武器を持った駆け出しなんて、良いカモだ。すぐにPKでアイテムを奪われるに決まってる。というかキル子ならやる。単なる趣味として。

 

「それより、頑張って眷属を増やして、パーティを組ませてやることです。その方がずっと役に立ちますよ」

 

実際、ロールを決めて各自が役割をこなすパーティの強さは、ソロとは比較にならない。下手な装備を持つより遥かに役に立つし、安全マージンも取れるだろう。

 

キル子は自分が初心者だった頃のことを朧げに思い出した。

人通りの多い広場や狩場近くで募集される野良パーティに参加し、毎日見知らぬ人間とレベル上げに勤しむゆるゆるふわふわな若葉ちゃん時代の思い出。

パーティの基本はタンクにヒーラー、あとは火力という鉄板に、ダンジョンの狩場では必須となる鍵開け要員の盗賊。各々が役割を持っていた。

時折、舌打ち一つでロールをこなさなければならない効率重視のギスギスパーティにぶつかることもあれば、駄弁ってばかりで遅々として狩りの進まないカジュアルパーティに出くわすこともある。あれはあれで楽しかった。

 

だが、そこに唐突に流行した異形種PK。異形種の苦難の時代の始まりである。

 

パーティからはハブられ、PKの標的にされ、金はたまらず、経験値もたまらない。挙句、稀に手に入れたレアアイテムは奪われる。

貧富の差の激しすぎる現実に絶望し、ゲームの中に逃げ込んですらこの仕打ち。

事ここに至ってキル子は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の異形種PKどもを除かねばならぬと決意した。

そういった恨み辛みをこじらせた挙げ句、キル子がたどり着いた答えとは、PKである。

己を訶み、絶望させたPKへの恨み。少しでもはらしていこうと考えた末の、一日一殺、悪意のPK。

 

そう、まっとうにレアアイテムが手に入らないのならば、殺して奪えばいいのだ!! やろう、ぶっ殺してやる!!返り討ちじゃあ!!

 

…それからの歩みは修羅の道であり、気がつけば自分から無差別にPKを繰り返してアイテムを奪う鬼畜へと堕ちていたが、今は昔の話である。

 

「ぬぬぬ、やっぱりそうかぁ…でもベルくんと二人っきりの生活も捨てがたいんだよね…」

 

そんな殺伐した思い出に浸るキル子をよそに、なんか色々と本音が漏れてる乳神様。

 

キル子はため息をつくと、インベントリを弄った。

 

「どうぞ。今日の報酬代わりにお受け取りください」

 

そう言いながら差し出したのは、オーソドックスな片手剣。ヘファイストス・ファミリアで売りそびれた物の一つだ。

性能はともかくデザインはおとなしめなので、駆け出しが使っていてもさほど目立ちはしないだろう。

ジャガ丸くんの代金として提示した金貨1000枚は持ち歩くのに不便なので、結局キル子のインベントリに放り込んだから、これを報酬代わりにしても良いだろう。

 

インベントリに空きが増えるな、などと気楽に考えていたキル子だが、ヘスティアはツインテールを荒ぶらせて驚愕した。

 

「うえぇぇ!!それってさっきの1億ヴァリスじゃないか!さすがに受け取れないよ!」

 

「私にしてみれば中途半端なガラクタです。じゃなきゃ売り払おうとしたりしませんよ。それに、性能もそこまで突き抜けてませんから、低レベルの若葉ちゃんに下駄履かすくらいならちょうどいい」

 

悪いからと、固辞するヘスティアの手に、キル子は強引に片手剣を握らせた。

 

「さて、ヘスティア様、はした金も入りましたし、日も傾いてきました。今日はここらでお開きにしましょう」

 

すでに街の至る所で魔石の照明が輝き出し、飲み屋や居酒屋らしき店が客引きを始めている。

 

「今日は、本当に助かりました。ご恩は忘れません。私はしばらくオラリオをぶらつくつもりですので、機会があれば、またお会いしましょう」

 

キル子は最後に両手を合掌して丁寧に頭を下げると、ヘスティアが止める間もなく、雑踏の中に消えていった。

 

「う〜ん、不思議な子だったなあ…オラリオに来たばかりだって言ってたのに、まるで歴戦の冒険者みたいな雰囲気だったし…」

 

色々とはぐらかされた気もするが、言葉に嘘はなかった。

 

後に残されたヘスティアは、しばしキル子の消えていった雑踏と、手元に残った片手剣を見比べていたのだが、やがて踵をかえすと自らのホームに向かって歩き出した。

愛しい眷属を出迎え、今日の不思議な出来事を話すために。

 

 

 

 

 

その様子を、《完全不可知化》によって姿を消したキル子はつぶさに観察していた。

 

「…さて、ではもう少しお付き合いいただきますかね、ヘスティア様」

 

そう言って嗤うキル子の頬は耳まで裂け、乱杭歯の生え揃ったゾンビの本性が、漏れ出ていた。



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第4話

キル子はヘスティア・ファミリアのホームである廃教会の屋根の上で、煙草をふかしていた。

行儀悪く足を組み、やさぐれた顔で煙管を口にくわえつつ、スパスパと白い煙を吐き出す。煙草の種類は今の気分を反映してか、いつもの甘ったるいバニラミントではなく、キツめのメンソールだ。

既に人間種への擬態化も解除しており、ゾンビの本性をむき出しにした醜悪な外装に戻っているため、アンデッドの特殊能力やステータスも存分に活用することができる。

 

あの後、別れたフリをしてこっそりヘスティアの後をつけ、寝ぐらを特定したまでは良かった。

ヘスティアが如何にもうらびれた廃教会に入っていった時には少し驚いたが、その地下に拠点を構える貧乏ファミリアらしいと納得もした。

だが、問題はヘスティア・ファミリア唯一の眷属、ベル・クラネルが帰って来てからのことだ。

まずは様子見と、ヘファイストスとの商談で役立った聞き耳スキルを使い、さらに《千里眼(クレヤボヤンス)》の魔法も使って、今回は映像もバッチリだった。もちろん、情報系魔法に対するカウンター対策も実施済みである。正直、ヘファイストス・ファミリアで確認したザル振りを思えば、過剰な気がしないでもないが、この辺りの対策はやっておいて損はない。

 

で、現在にいたるのだが…

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、夕暮れ時をやや過ぎ、夜闇の帳が降りてきた刻限を迎えた頃、ベル・クラネルはファミリアのホームへと帰ってきた。

 

「帰ってきましたー!ただいまー!神様ー!」

 

「やぁやぁお帰りー。今日はどうだったんだい?」

 

今日はちょっと不意を突かれて危なかった、と馬鹿正直に報告するベルに、ヘスティアは驚いた。

なにせ、ベルはつい先日、高レベル冒険者に追い立てられて低階層に乱入してきた、ミノタウルスというモンスターに殺されかけたばかりなのだ。

それ以降、前代未聞のレアスキルに目覚めたベルは飛躍的にステイタスを伸ばしているのだが、以前よりずっと貪欲にダンジョンに潜り、危険に身を晒してもいる。

表沙汰になったら確実に暇を持て余した暇神どものオモチャになるだろうレアスキルについては本人にも秘匿せざるを得ず、しかも最近では夜中にダンジョンに潜りっぱなしという無茶をやらかしもしていたので、ヘスティアとしてはハラハラしっぱなしである。

この愛しい眷属のために何ができるか、それがここ最近のヘスティアの密かな悩みだった。

今日はそれを多少なりとも緩和できそうなお土産を手に入れていたのだが…

 

「もう、無茶ばかりして!ボクは君の体が心配だよ…」

 

「すみません、神様…」

 

体に異常がないことを確認すると、ヘスティアはバツの悪そうなベルに抱きつき、全身をペチペチ叩いて抗議していたのだが、その時、不意に廃教会全体がわずかに揺れた。

 

「ん?地震かな」

 

「みたいですね、神様。珍しいですね」

 

幸い揺れは大したものではなく、すぐに収まったので、二人は気にせず夕食の支度をすることにした。

 

未だ駆け出し冒険者として満足な稼ぎのないベルと、糊口をしのぐためにバイトに明け暮れるヘスティアである。食事は粗末なもので、大抵はヘスティアがバイト先からもらってくる売れ残りのジャガ丸くんや、クズ野菜のスープなどがメインになる。

それでも二人は部屋に一つしかないソファに並んで腰掛け、食事を楽しみながら仲睦まじく、お互いに今日あった出来事を報告しあうのだった。

 

「そう言えば、今日は君にお土産があるのさ!」

 

「何ですか、神様?」

 

ジャジャーンと掛け声も勇ましく、ヘスティアがソファの下から取り出したのは、革の鞘に収まった、一本の剣だった。サプライズを演出するために隠しておいたらしい。

 

「今日、屋台のお客さんからもらったんだ。オラリオに来たばかりだというのでね、成り行きで街を案内することになったら、そのお礼に譲り受けたのさ」

 

その剣は、若草色の鞘にも所々凝った模様の刺繍がしてあり、あまり蘊蓄のないベルにも一眼で高価な品だと思わせた。

 

「これは…すごいですね」

 

鞘から抜き放ってみると、不思議としっくりと手に馴染む。

長さも厚みもこれといって特徴のない、両刃の剣だ。形状からして片手で振り回すタイプだが、未だレベル1のベルが片手で扱うにはやや重量があり、両手で振るのが精一杯だった。

その刀身は油も塗っていないのに艶やかな光沢を放ち、凄まじい切れ味を想像させる。それだけではなく、刃全体に薄く紫電の光を纏っていた。まるでお伽話の英雄が携える伝説の武器のように。

 

…それは、雷属性の上級クリスタルをありったけ詰め込まれ、攻撃時に属性ダメージと感電によるスタン効果を併せ持ったユグドラシルの伝説級装備だったのだが、そこまでのことはベルには分からない。

また、武器の名前が【感電びりびり丸】であることを知る日も、来ないのかもしれない。

 

「すごい!とてもすごい剣ですよ、神様!」

 

明日、実際にダンジョンで試してみるのが楽しみだ、とベルは興奮しきりである。

 

「そうだろう、そうだろう。何せ1億ヴァリスだからね!」

 

ヘスティアは胸を張って言い放ったが、ベルは半信半疑である。

 

「1億ヴァリス、ですか…?」

 

「あっ、その目は信じてないね!本当なんだよ!ヘファイストスが鑑定してくれたんだから!」

 

ツインテールを荒ぶらせて抗議するヘスティアだが、いくら主神の言葉とはいえ、さすがに1億ヴァリスというのは無理がある、とベルは思った。

 

「でも、そんな高価な武器なら、本当にもらってもいいんでしょうか?」

 

未だに冒険者登録をした際にギルドから支給された、大量生産の安物を使っているベルにしてみれば、当然の疑問だ。

 

「う〜ん、実はボクもそう思ったんだけどね。『自分からしてみればガラクタでしかない』ってさ、強引に渡されてしまったんだよ。だから、いいんじゃないかな?」

 

そこまで言われたのなら、是非もない。

基本的に冒険者は同じファミリアでパーティを組むのが当たり前であり、そのためベルは未だにソロ以外でダンジョンに潜った経験がなかった。

低階層とはいえ、ダンジョンでは四方八方からモンスターの押し寄せる危険があるので、ソロは大変危険だ。そのため、ギルドの担当アドバイザーからは、未だに深く潜る許しを得ていない。だが、この武器があれば、もう少し戦闘が楽になるだろう。

 

「すごく気前のいいお客さんだったんですね。そういうことなら、遠慮なく使わせて貰います。これがあれば、もっと楽に戦えますよ。ありがとうございます、神様」

 

その言葉に、ヘスティアは顔を曇らせた。

 

「…やっぱりソロはきついよね…ううう、キルコくんの言うとおり、眷属を増やすのがベルくんのためには一番だってわかってはいるんだけどさぁ…」

 

ヘスティアは「成長速度が段違いだから、下手な人間とは組ませられないしぃ…」等と言いつつ、ジャガ丸くんを口いっぱいに詰め込んでもきゅもきゅと咀嚼する。

 

「それにしても…ボクのファミリアに加わりたいという人は、今日も変わらず皆無だったよ」

 

ジャガ丸くんの屋台でバイトをしつつ、店に来た人間に声をかけてはいるのだが、反応はサッパリである。当然だが、誰もが主神がバイトしないと食べていけないファミリアに入るのは躊躇する。

本音を言えば、今日出会ったキル子には自分のファミリアに入ってくれないかと、内心で少し期待していたのだが、ヘファイストス・ファミリアでのやり取りを見て諦めた。あれほどのアイテムを大量に抱えているのだ。おそらくは、とっくに何がしかの神と契約しているのだろう。

 

「ごめんね、こんなヘッポコな神と契約させちゃって…」

 

「神様、それは言わない約束ですよ」

 

ベルは困ったように頬をかいた。

 

「いつも言ってるじゃないですか、ボクらのファミリアはまだ始まったばかり。発展途上なだけです。今は苦しくても、ここを乗り切れば生活も楽になるし、ファミリアに入ってくれる人もいますよ!」

 

嫌みの欠片もない、内面のさわやかさがにじみ出た笑顔でそう断言した。…実はそれはベル自身がギルドの担当に言われた台詞そのままだったりするのだが。

しかし、一見して男の子らしい前向きさと、明日への希望に満ちあふれた精神的イケメン発言に、ヘスティアの目は一撃でハートマークに変わってしまった。即堕ちである。

 

「べ、ベルくん!君ってやつは…!!」

 

「がんばりましょう、神様!」

 

二人は感涙にむせび、がっしりと抱きしめ合う。なお、ここまでがほぼ毎日繰り返されるお約束であった。

 

「…あれ?また地震ですね、神様」

 

「さっきの余震かな?」

 

天井から舞い落ちた埃がスープに入らないように、二人は慌てて喉に流し込んだ。

 

「ご馳走さま。それじゃあ、ボクらの未来のために、ステイタスの更新をしてしまおうか!」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…とまあ、キル子の視点でこの状況を一言で言い表すと、こうなる。

 

『何このキャッキャうふふのラブ空間』

 

思春期にしか許されざるプラトニックとかいうフィクションの中にしか存在しない、処女と童貞のスウィーツなスメル。

何かキッカケがあれば、それこそ若い獣達の背徳空間へとまっしぐらになりそうな微妙なバランスに成り立っているそれは、喪女を拗らせて◯年、リアルの出会いに恵まれず、ゲームの世界で憂さを晴らしていたどこぞのOLに実際よく効く。

 

「チキショウ、羨ましいな、おい!」

 

ステイタスの更新とか称して、半裸のベルにヘスティアがまたがった瞬間などは、目から血涙ものである。

 

ていうか、キル子はヘスティアのお相手のベル・クラネル某にも声を大にして言いたかった。

お前は本当に性欲と煩悩に塗れた10代なのか、と。

あれやぞ、ロリで巨乳で際どい衣装の主神様があんなあからさまにアッピールしてるというのに!チキンだよ、もげろ、ホモ野郎!

 

だいたいなんぞ、あの美少年ぶりは。

まず、若い。輝きと可能性に満ちた10代半ばの少年。しかも、童顔系のハニーフェイスで顔がとても良い!

体つきはひょろりとした印象があるが、冒険者をしているだけあって、着替えをガン見していたら意外に筋肉質な体つきをしていることに気がついた。だが、決してむくつけきマッチョではない。いわゆる細マッチョだ。お肌もすべすべつーやつや。しかも、アッチはフランクフルトときたもんだ…グヘヘへへ!

清潔感があるのもポイントが高い。町で見かけた低レベル層の冒険者達は、ほとんどダンジョン帰りの汗や土汚れを気にせず町に繰り出していたが、ベルはシャワーでも浴びてきているのか、最低限は身綺麗にしている。

何より性格がよい。よく躾されたのだろう、粗野でも野卑でもなく、礼儀正しい爽やか系のイケメンだ!

おい、ヘスティア、ちょっとそこ代われ!!!

 

キル子は廃教会の屋根の上を無様に転がり、バッシンバッシン叩いて悔しがった。

内心、単なるアホの子だと侮っていたヘスティアに完全敗北を認めた瞬間である。

 

 

 

「…また地震だよ」

 

「今日は地震が多いですね、神様」

 

 

 

レベル100の異形種のステータスでそれをやれば、軽く地震も起きようというもの。

もう、やってることは単なる壁ドンである。それもイケメンに壁際でやられて嬉しいアレではなく、リアルの壁薄いアパートで隣の部屋から毎夜聞こえる馬鹿ップルのギシギシアンアンうるせー声に対して行うソレだ。

 

もしや、神とはみんなそうなのか。昼間に会った、見た目クールビューティなヘファイストスも、実は影でこっそり若い子を囲っていて、今頃は…!

 

「クケー!!」

 

神とかユグドラシルでは割と弱めのイベントボス程度の扱いなので、いっそ皆殺しにした方が良い気がしてきた。アイテムも素材もドロップしなさそうなのがネックだが。

 

リア充な女神達への遣る瀬無い妬みが頂点に達した瞬間、ピカピカと発光するエフェクトとともに、キル子は不自然なほどに心が落ち着くのを感じた。

おそらくはアンデッドの精神鎮静作用だ。まさか、こんなことで確認するなど思いもよらなかった。ていうか確認したくなかった。

 

しかし、おかげでキル子は多少の冷静さを取り戻した。

結局のところ、ここに来たのはヘスティアに渡した片手剣を、彼女の眷属が装備できるかどうかの確認のためだ。

ユグドラシルでは良い装備品にはレベル制限がかけられていて、一定以上のレベルに達しなければ装備することはできない。

だが、ユグドラシルとは異なる、神の恩恵に依ったレベルを持つオラリオの冒険者に対して、それがどのように働くか一応確認しておこうかと思ったのだ。そのせいで極めて強力な精神攻撃を受けるはめになってしまったが。本来、精神系魔法の効果が無いアンデッドのキル子に、耐性貫通して致命傷を負わせたのだから効果は抜群である。

結果として、どうやらオラリオの冒険者はユグドラシルの装備制限を無視できるのではないか、という情報を得たが全然嬉しくない。

 

もういっそのことあの場に乱入してサクッとPKしたるかと思わないでもないが、大したアイテムも持っていない低レベルの若葉ちゃん相手にそれをするのは、キル子のPKとしてのポリシーに反する。

何より、そんなことをしたら、完璧にただの負け犬じゃないか!

 

「勝ち組のバカヤロー!!」

 

結局、そう叫んでキル子はオラリオの闇に逃げた。逃げざるをえなかった。

 

ユグドラシルでも音に聞こえた極悪PKを、人知れず叩き返した偉業はまさしく超越存在(デウスデア)たる神の面目躍如。

ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの面々に知られたら、驚愕の声と共に、満面の笑みを浮かべながら満場一致(少なくとも41人中40人は)で、拍手喝采にてヘスティアは讃えられたことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うい〜、ひっく。女将さん、お湯割り、もういっぱい」

 

その後、夜の歓楽街をあてもなく放浪し、アルコールの匂いにつられてキル子は適当なお店の戸をくぐった。

カウンターに掛けて強い酒を所望し、延々と飲み続けている。

 

アンデッドのクソッタレな精神鎮静作用を無効化し、〈酩酊〉のバッドステータスをわざと受けるためだけに、【擬態/ポリモリフ】のスキルで人間種に化けての飲酒だ。

なお、ユグドラシルでは〈酩酊〉状態に陥ると、朦朧と視界不良に加え、回避率と命中率にマイナス補正を受ける厄介なバッドステータスであり、本来は毒無効の基本能力を持つアンデッドには全く縁のないものなのだが、とにかく今はそうせずにはいられなかった。

 

本来のゾンビ面を晒して酒場に突撃しないだけの分別はあったので、再び【変身/メタモルフォーゼ】のスキルを使って外装を誤魔化しているのだが、【変身】スキルのデフォルトに登録されている人間種としての顔の造作は、ゲームキャラ特有のバランスの良さでそれなりに美形である。

加えて、人型アンデッドであるキル子の体型は、ユグドラシルの平均的な女性型アバターのデフォルトからほとんどいじられておらず、リアルとは乖離したボンキュッボンなナイスバディだ。

しかも、装備を変える精神的な余裕がなかったので、着ているのは愛用の神器武装である白単衣なのだが、生地の薄い衣装の上から豊満な体のラインが浮き出ている。

 

そんな美女がカウンター席に一人腰掛けて、先程からウワバミのように酒をカパカパと空けていくのである。おまけに今は〈酩酊〉のバッドステータスを得て、肌はほんのりピンクに色づき、瞳は潤みきっている。

 

…酒場のどこかで、誰かがゴクリと生唾を飲み込む音がした。

 

「ちょいとあんた、いい加減にしときなよ」

 

飲んで飲んで、また飲んで、たまに煙草を吸い出すという一人酒無限ループ。

そんなキル子に苦言を呈したのは、店の店主らしき中年女性だった。

筋肉質な体を他の店員と同じウェイトレス服に包んでいるが、見た目は如何にも肝っ玉母さんといった感じの女傑だ。

キル子が見たところ、レベルにして50台の半ばはあるだろう。オラリオに来てから見た中では、ステータス的に一番強いと思われたが、今のキル子にはどうでも良い。

 

「なにおう、金はあんのよ、金は。こちとら1億ホルダーよ。店ごと買っちゃうぞ〜」

 

女店主は、これだから女の酔っ払いはタチが悪いとでも言いたそうな顔で、それでも空いたグラスにお湯割りを注いでやった。

お湯9に酒1の思いやり比率である。まあ、店の会計にも優しい比率なので、なんの問題もないだろう。代金は定価通りに頂くが。

 

キル子はその思いやりが注がれたグラスを引っ掴み、一息に飲み干すと、ゲフーと息を吐く。

女店主も措置なしとばかりに頭を振った。

 

「悪い酒だよ。閉店時間になったら外に叩きだすからね、いいかい?」

 

「ほっといてよ。飲まなきゃやってられねーの。もうね、眷属とかファミリアとか若いツバメとか青田買いとか、そんなチャチなものじゃ断じてない、童顔で巨乳でツインテールの勝ち組っぷりを見せつけられましたよチキショウくそう!汚い流石神様汚い!」

 

「…ああ、そういうことかい」

 

キル子の支離滅裂な戯言をどう受け取ったのか、女店主は納得がいったとばかりに盛大なため息をついた。

 

「おおかた、どっかの女神様に想い人を掻っ攫われた、ってとこだろ?」

 

別にキル子は恋に破れたわけでも、恋人を寝取られたわけでもない。単に独り身の悲しさを拗らせ爆発させただけであり、盛大な誤解なのだが、特にそれを解く必要は感じなかった。

…だって、説明したら余計に惨めになるから。

 

「…まあ、似たようなもんです」

 

「やっぱりねぇ…」

 

実はこの女店主、半ば引退しているが元はレベル6の第一級冒険者。

しかも、オラリオでも最大規模ではあるのだが、気になった男を恋人がいようが構わずに魅了し、自らのファミリアに引きずり込むというタチの悪い女神が率いるファミリアに籍を置いている。

そのため、この手のトラブルには非常に理解が深かった。

 

「いいかい、神と人は寿命が違う。いずれ男の方が耐えきれなくなるか、先に飽きられて顧みられなくなるかさ…それでもいいって馬鹿なら散々見てきたがね。どっちにしろさっさと諦めて別の、もっといい男を捕まえな。若さは待っちゃくれないんだ」

 

「いのち短し恋せよ乙女、ですか?」

 

「そうさ、わかってるじゃないか」

 

「…こんなんですけどね、もういい年なんですよ、私」

 

それを聞くと女店主は、ハンッと鼻を鳴らした。

 

「な〜に言ってんだい。まだまだ全然若いじゃないか。あんた、そんなこと年季明け間近のダイダロス通りの姐さん連中に聞かれてみな、引っ叩かれるくらいじゃ済まないから」

 

「ううう…女将さんありがとう。もう一杯くだひゃい」

 

「あいよ」

 

女店主はもうキル子を止めようとはしなかった。他の店員が不安そうな顔をして袖を引いたが、無言で酒を注いでやる。

 

「…ミア母さん、いいんですか?」

 

「いいんだよ、もう好きなだけ飲ませてやんな。潰れたら店の奥で寝かせてやればいい。人生、酒の力が必要な時もあるさ」

 

特に、恋に破れたその時には、と。

店主は自分も一杯だけ、キル子に注いだのと同じ酒を口に含んだ。

 

「人の情けがしみるよぅ…お酒美味しいよぅ…男ほしーよぅ…若くてカッコいいイケメンかもん…」

 

涙の味は苦かった。

 

と、その時。

 

カランカランと、店の入り口の戸が音をたて、何人もの男女が店内に入ってきた。

店の客達の注意が店主とキル子からそちらに逸れ、一瞬にして空気が変わる。

 

「チッ…ロキ・ファミリアだ。また来やがった」

 

「ついこの間、宴だって派手にやったばかりなのに、良いご身分だぜ」

 

入ってきたのは、人気と実力を兼ね揃えた冒険者が数多く名前を連ねているオラリオ屈指の探索系ファミリア、ロキ・ファミリアの主要メンバー。

 

稼ぐ同業者に好意的な視線が集まるはずもなく、さりとてオラリオの勢力を二分する最大規模のファミリアに表立って喧嘩を売ることも出来ない。店にいた中小ファミリアの構成員から、そんな嫉妬と嫌悪の入り交じった複雑な視線が彼らに集まった。

だが、ロキ・ファミリアの方も分かったもので、有象無象の視線などいちいち相手する必要もないとばかりに、奥の空きテーブルを占拠する。

 

「相変わらず、雑魚どもの視線がうざってーな」

 

「ベート、今日は喧嘩は御法度の約束だよ」

 

「わーってるよ」

 

この店は料理と店員の質の良さで前々からロキ・ファミリアが贔屓にしているのだが、過日、彼らはこの店でちょっとした騒ぎを起こした。

ファミリアの一人、レベル5冒険者のベート・ローガが酒に酔い、迷宮内で起こった"とある出来事"について、同じくレベル5冒険者にして『剣姫』の二つ名を持つアイズ・ヴァレンシュタインに絡んだのだ。

結果として、派手に騒いだことで主神と団員と女店主の顰蹙を買い、その場は早々に解散する羽目になった。

今日はその仕切り直しの飲み直しであり、罰としてベートが全員分の飲み代を持つことになっている。

 

「みんな、今日は無礼講や!飲めるだけ飲んだれ!!」

 

「ベートさん、あっざーっす!」

 

「いやあ、他人の懐から出る酒ってのは、どうして美味いんだろうね」

 

「てめえら、覚えてろ!!」

 

ロキ・ファミリアの結束は硬いようである。

 

次々に好みの酒と料理を大量に注文していく団員達と、それを面白くなさそうな顔で眺めるベート。

 

そして、彼らの主神、ロキはといえば…

 

「お、美人さん発見!」

 

「…ん?」

 

カウンターで飲んでいたキル子に目をつけていた。

 

ロキは美男美女が大好きな神として知られていて、ファミリアの構成員はすべて容姿端麗な者達で構成されている。ファミリア内の女性陣にセクハラをするのも、酒場で好みの美女に声をかけるのも、日常茶飯事である。

そんなロキが、見た目だけは美女なキル子に粉をかけたのは、ある意味当然の流れだった。

 

「なあなあ、彼女。うちらと一緒に飲まへんか?知っとるかも知れへんけど、うちはロキ。ロキ・ファミリアの主神や!」

 

神、の一言にピクリと反応したキル子は、胡乱な瞳をロキに向け、不機嫌そうに上から下までじっくりと眺めたのだが、突如として目を見開いて絶叫した。

 

「きゃあああああ!!関西弁美少年ショタキタ━━━━━━!!」

 

そう、ロキは糸目で緋色の髪を持った小柄な容姿の持ち主だが、他の神々からも「ロキ無乳」との二つ名を奉られるほどの無乳。

ロキ本人はこの事を甚く気にしており、巨乳の神を敵視し、特にヘスティアとの仲は悪い。出会えば罵詈雑言の取っ組み合いが始まり、大体は喧嘩の最中で彼女の乳揺れを見て著しく動揺、逃げ帰ってヤケ酒を喰らうのが何時ものパターンである。

 

そんなフラットな体型が災いし、うらぶれた独り身の酔っ払い女の視点に立てば、ユニセックスな美少年に見えなくもない。

 

つまり、キル子の好みにドストライクだった。

 

「なんやて!!」

 

当然のごとくロキは激高した。

無乳にコンプレックスを抱え、巨乳を敵視する彼女からすれば当然である。男に間違えられるなど耐えられぬ屈辱だ。

 

「だーれがおと…グヘッ!?」

 

ところが、エセ関西弁の舌鋒が火を噴く寸前、ロキはキル子の胸に抱きかかえられてしまった。

 

「捨てる神在れば拾う神あり!!これが新しい恋なんですね、女将さん!!まさか、まさかこんな美少年にナンパされるなんて!!!」

 

「ふざけんな!は、はなさんかい!!ちょ、誰か助けてーな!!」

 

キル子は喜びの涙を流してロキを抱擁し、ロキは無念の涙を流してキル子の巨乳につつまれ絶望する。

自らには決して手に入れることの出来ない双球により、呼吸もままならないロキの敗北は確定的に明らかであった。

 

「自業自得ですね」

 

「セクハラの報い」

 

「…ま、たまにはよい薬だろう」

 

そんなロキの様子を彼女の愛すべき子供たちは、よい酒の肴が出来たとばかりに生暖かく見守っている。本当にロキ・ファミリアの結束は硬いようである。

 

「はーなーせー!なんや、この馬鹿力は!ほんまに誰か助けてーな!!」

 

キル子にもみくちゃにされつつも、ロキはなんとか抜け出そうともがいていたが、キル子の腕はビクともしない。

やがて、見かねたファミリアの団員が助けにはいった。

 

「チッ…おい、あんた、そのくらいにしといてくれ」

 

舌打ちをしつつ、嫌そうに声をかけたのは灰色の毛並みをもち、左の頬に入れ墨を入れた狼人(ウェアウルフ)の男性だ。

今回の宴の幹事を不本意ながらも引き受けざるを得なかった男、ベート・ローガである。

 

普段なら一括して黙らせるところだが、先に絡みに行ったのはロキであるし、相手は酔っ払いである。ついでに言えば、見た目は単なる水商売のカタギの女だ。

そこで、ベートは少しばかり視線に力を込め、剣呑な殺気を突きつけた。

いつもなら、それだけで相手は空気を読んで引き下がる。雑魚を追い散らすために、ベートがよくやる手であり、相手が一般人ならこれで十分だった。

 

「今度は俺様系ワイルドキャラキタ━━━━━━!!」

 

だが、デバフの状態を〈酩酊〉から〈泥酔〉にランクアップさせ、まともな思考力を放棄して酔夢の世界に逃げ込んだキル子に、そんなものが効くわけがない。

 

「はぁ?!」

 

これには、ベートも困惑した。

 

「アレだよね、ツンデレ一匹狼気取ってるけど、なんか複雑な過去を抱えてて、内心はアットホームな雰囲気に興味ありあり。根気よ〜くルートを進めていけば、いずれ必ずデレて『俺のものになれ!』発言かましてくれるワイルド君!」

 

いきなり喜色満面の笑顔を浮かべ「ショタもいいけど、こっちも良いわ-!!」などと訳の分からない事を叫びだしたキル子に対し、ベートは心底理解できないと頭を振った。

不幸なことに、彼もまたキル子の好みにドストライクなのである。

 

…ちなみに、キル子がこれまで一番課金を行ったゲームはユグドラシルではなく、22世紀の未来においても結構なシェアを誇る古き良き乙女ゲーだったりする。

 

「あなたのお名前なんてーの?…あ、わかった。ロキ様にベート様だね。私はキル子、これから末永くよろしくお願い致します」

 

【死神の目】でユニークネームを確認しつつ、キル子は器用にもロキを抱えたままその場に正座し、三つ指ついて頭を下げた。

 

「「ふざけんな!!」」

 

ロキとベートの声がハモった瞬間である。

なお、店内のいたるところから悲鳴のような爆笑が上がった。

 

「うぃ〜、ヒック。よく見たら美少年ばっかじゃないか。すげえ、ロキ様パネェ!うし、私もファミリア入る!ロキ様、どうかこのキル子めに盃を授けてやってくだせえ」

 

「敵対ファミリーの連中、皆殺しにしてやりますけえ!」等と真顔で言い出したキル子に対して、ロキは盛大に顔をしかめた。

 

「ドアホ!うちらはヤクザやないで!だいたい、何でそないなアンポンタンをうちのファミリアに入れなあかんねん!一昨日出直しや!ていうか、いい加減にうちを離せー!」

 

涙目で泣き叫ぶロキであるが、もう絶対に関わりたくないのに、今回ばかりは関わらざるを得ないベートこそ不幸である。

彼は盛大にため息をつくと、無言でキル子の腕の中でジタバタしているロキを引き抜こうとした。

 

「…!?なんて馬鹿力だ!」

 

だが、レベル5冒険者であるベートの力をもってしても、キル子の腕は微動だにもしない。

 

「ちょっと待ちや!身がもげるー!」

 

ロキは二人の間で、激痛に身悶えした。

 

それも当然、擬態している影響で人間種相当に下がっているとはいえ、キル子のステータスは未だベートのそれを凌駕している。

 

しかし、そんなことを知る由もないベートにしてみれば、こんな女の細腕が何故振りほどけないのかと疑問に思いつつも、ただでさえ低い怒りの沸点が、徐々に限界を迎えつつあった。

 

「…おい、女。ふざけるのは、そのくらいにしとけ」

 

先程までよりドスを利かせた声。

両手でポキポキと指を鳴らすと、ベートはいきなりキル子に向かって手刀を繰り出した。

 

「ちょっと、ベート!やりすぎだ!」

 

良い余興だと思って静観していた仲間から非難の声が上がったが、知ったことではない。一発殴って気絶させた方が早いと判断しての行動だ。

だが、軽く脳しんとうを起こさせるつもりで放った手刀の先に、既にキル子は居なかった。

 

「あふん、刺激的なとこも好みだわん♪」

 

そう、背後から耳元にかけられた声に、ベートは全身の毛が逆立つのを感じた。

 

「クソが!」

 

さらに、後ろを振り向くと同時に放たれた裏拳をキル子は鮮やかに回避。

ステータスが落ちていようが、適当に繰り出された手刀など〈泥酔〉のバッドステータスを得ていたところで、避けられぬ道理はない。

 

一撃目を避けられ、二撃目も避けられ、三撃目を繰り出したあたりで、ベートは理解した。この相手は、ただ者ではない、と。

 

なお、目にも留まらぬ速度で移動するキル子だったが、小脇に抱えられたロキは目を回している。

 

「女、お前何もんだ?!」

 

「ただの美人だ!彼氏ぼしゅーちゅー!ベート様、結婚して!」

 

「ふざけろ!」

 

訳のからないことを口走りながら、ぬらりくらりと気持ちの悪い動作で避け続けるキル子に対して、ベートは半ば意地になりつつあった。

 

「このやろう、せめてまじめにやれ!」

 

「お、勝負する気?おねいさんは強いよ、マジで。これでも公式の通算キルポイント数なら、ぶっちぎりでトップだったかんね!」

 

シビレを切らせたベートは、無言で拳を構えた。

徒手空拳、速さを活かした接近戦で圧倒的な膂力を叩きつける、ベート必勝の戦法である。

それを見て、いよいよ店内に悲鳴が上がった。

 

「ベート、いい加減にしろ!喧嘩はしない約束だろ!」

 

「うるせぇ!」

 

この時、ベートの獣人としての本能が、本人も気づかぬうちに刺激されていた。目の前に佇む怪物の本質を、オラリオで最初に感じ取ったのは、彼だった。

 

「ほうほう、モンクか。ではこちらは煙管一刀流にてお相手しましょう」

 

キル子はインベントリから愛用の煙管を取り出すと、さもうまそうに一口吸い、白い煙をベート目掛けて吹きかけた。ほろ酔い気分のまま、この刺激的な逢瀬を心底楽しんでいる。

 

そのあからさまな挑発に、ベートはビキビキと青筋を立て、一気に襲いかかった。

 

「オラァ!!」

 

目にも留まらぬ高速の連打。その全てをキル子は煙管の雁首で受け止め、逸らし、時折ペチリと軽く反撃する。

 

「…この感じ、対人間種特攻はともかく、対プレイヤー特攻も効いているっぽいね〜、ヒック。そうか冒険者はプレイヤー扱いになるのかぁ…」

 

と、ベートには意味不明な言葉をつぶやきながら、衣服にかすらせることすらない。

 

「ベート、危ない!当たる!やめぇや!」

 

時折、小脇に抱えたロキにベートの攻撃が当たりそうになれば、庇う余裕すらあった。

 

完全に遊ばれている、と理解した瞬間、どこかで何かがブチリと切れる音がして、唐突にベートの脳は限界を迎えた。

 

「舐めんじゃねぇ!」

 

ギアをマックスまで上げ、ステイタスにものを言わせた本気の踏み込み。

レベル5にして既にロキ・ファミリア最速の異名をとる、ベート・ローガ渾身の蹴撃だった。

 

「ベート、やめろ!!」

 

キル子の美しい白い顔の中心に脚先が吸い込まれ、赤いザクロの花が咲く。そんな幻視を、その場の全員が抱いた。

 

「…ちょびっとだけ、本気出す」

 

しかし、この程度のスピード、アサシン系物理職の中でも素早さに特化したキル子にしてみれば、ハエが飛んでいる程度のもの。

問題はこれ以上早く動くと、腕の中でグロッキーになっているロキが持たないということだ。

 

故に、こうした。

 

「【刹那の極み】」

 

瞬間、何が起こったのか、その場にいた誰もが理解できなかった。

 

「ぬふふ。両手に花よ〜、オラリオはまさに天国じゃあー!」

 

気がつけばベートは無様な格好で床に沈み、キル子はその頭を自らの膝に乗せて膝枕。白目を剥いたロキも手放さず、ご満悦の表情で頬ずりしながら笑っている。

 

「…いったい、何をしたんだい?」

 

そう、口を開いたのはロキ・ファミリア団長、『勇者(ブレイバー)』の二つ名を持つフィン・ディムナ。

今にもへし折れそうなほどに赤く鬱血した親指を押さえ、全身から冷や汗を垂れ流しながらも、果敢にキル子に問いかけた。

 

「第10位階魔法《時間停止(タイムストップ)》のスキル版だよ、ヒック。アサシン系の職業レベル上げてると生えてくるよ~」

 

総身から汗を拭きだして戦慄するフィンに対し、キル子はヘラヘラと笑いながら何でもないことのようにのたまった。

 

アサシン系の上位職業の職業レベルを最大まであげると取得できるスキル【刹那の極み】。

周囲の時間を止める第10位階魔法《時間停止(タイムストップ)》のスキル版とでも言うべき、擬似的な時間停止を行使できるが、1日に3回しか使用できない回数限定スキルだ。

その代わり、MPを消費せず、魔法妨害の対象にもならない。何より最大の利点は《時間停止(タイムストップ)》では不可能な、停止中にダメージを与えるスキルや魔法を行使できるという点にある。

これを使い、キル子は対象に触れることで麻痺させる別のスキルを併用し、ベートを苦もなく無力化したのだった。

 

対人戦で使われたなら、対策が無ければ、まず詰む。そういう能力である故に、ユグドラシルではプレイヤー間で対策が徹底され、対人戦では死にスキルになっていた。

 

「レベル70…ああ、オラリオ基準だと、多分レベル7か8になる頃には時間対策は必須だね。ヒック」

 

その舐め腐った態度を、フィンは咎めなかった。

 

「…って、よく見たら、まためんこいショタっ子ですなぁ。本気でファミリアに入りたくなってきたわ」

 

キル子の食指が、今度はフィンに向きそうになったその時、沈んでいた筈のベートが鷹揚に立ち上がると、キル子から飛び退った。

 

「いい加減に…しやがれ…」

 

「…まだ動けたんだ。麻痺耐性でも持ってたかな?」

 

【耐異常】。毒を始めとした様々な異常効果を防ぐことができる発展アビリティ。

ダンジョンの深層に潜れる第一級冒険者ならば、ほとんどの者が備えているとされるそれが、キル子の麻痺を阻害し、ベートに再び立ち上がる機会を与えた。

だが、能力高低がG評価の【耐異常】ならば、ほとんどの異常効果を無効にできる筈なのだが、今は震えるヒザを押さえて立ち上がるのが精一杯。 顔面は蒼白で、全身から汗が吹き出ている。

 

獣人は、他の種族に比べて野生の生存本能が強い。

だからこそ、わかってしまった。相手の、キル子の体に触れたことで。

心臓の音もした、体温もあった。なのに、どうしても人間の皮を被ったナニカが、人間のフリをしているかのようなチグハグな印象を抱いてしまう。

まるで、ダンジョン深層でしかお目にかかれない、未知のモンスターに街中で出くわしてしまったかのような薄気味悪さ。

思わず崩れ落ちそうになったベートの体をとっさにフィンが支えた。

 

その音は、シンと静まりかえっていた店内に、よく響いた。

 

「おんやぁ……?」

 

そこで、ようやくキル子は周囲の様子に気がつく。

 

ひとまずアサシン系の職業で取得できるデバフ解除のスキルをオンにし、一瞬で酔いを覚ますと、キル子ははっきりと理解した。

酒場の全員の視線は、今やキル子に向けられている。恐怖と驚愕が入り交じった、信じられないものをみるような、戦慄の視線が。

 

ベート・ローガはロキ・ファミリアの誇る第一級冒険者として、それなりに名が知られている。それを一方的に赤子扱いして"舐めプ"したのだから、周囲の反応も推して知るべし。

 

さらに、小脇に抱えたロキのHPが、あと数ドットしか残されていないのを悟ると、キル子はインベントリに手を差し入れて最上級の赤ポーションを取り出し、無言でその口元に垂らすようにして飲ませた。

 

その間、痛い沈黙が続く。

 

 

 

や っ ち ま っ た。

 

 

 

その一言に尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…《完全不可知化(パーフェクト・ アンノウアブル)》」

 

キル子は逃げ出した。

 



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第5話

タバコのポイ捨て、ダメ絶対



「あんのドグサレ、うちの前に連れてこ━━━━い!!」

 

ロキ・ファミリアの主神、ロキは荒ぶっていた。

 

ここはロキ・ファミリア本拠(ホーム)、『黄昏の館』。

普段はダンジョン深層への遠征前に、全員参加の打合せなどで使われる大広間には、上はファミリアの古参幹部から、下は入団したての下級冒険者に至るまで、全員が勢揃いしていた。

議題は昨夜、『豊穣の女主人』において起こった前代未聞の珍事件についてである。

朝一で休暇中の団員を含めた全員に緊急招集がかけられ、わけが分からないまま集められた彼らに配られたのは、とある女性の似顔絵一枚。

そして開口一番、彼らの主神であるロキから発せられたのが冒頭の台詞だった。

 

ロキはよほど腹に据えかねているのか、とにかく探し出して連れてこい!と繰り返すばかりで要領を得ず、見かねて口を出した団長のフィンも具体的な捜索理由については言葉を濁し、事件の現場に居合わせた者達も口をつぐむばかり。

招集された大多数の団員は首をひねり、憶測を混じえて勝手に噂しあった。

 

「…なあ、俺は昨日、歓楽街で羽伸ばしてたんで、何があったか知らないんだが?」

 

「いや、俺もベートさんの財布にたかるわけにはいかないから、パスしてた」

 

「豊穣の女主人で一悶着あったらしいぞ?」

 

「なんでも、この似顔絵の女にロキがとんでもない大恥をかかされたとか何とか」

 

「それって、いつものセクハラの自業自得じゃないの?」

 

「それがね、見かねて止めに入ったベートさんが返り討ちだそうよ。手も足もでなかったらしいわ」

 

「マジか!?気にくわないが、ベートは強い。てことは相手は少なくともレベル5以上だよな。それならすぐに割り出せそうなもんじゃないか?」

 

「面子の問題かな?内々に詫び入れさせる、とか」

 

「まったく、何処のファミリアだ。うちに喧嘩売るなんて」

 

「…この似顔絵、結構美人じゃね?」

 

「最低」

 

手がかりはその場に居合わせた者達が一晩で作ったという似顔絵に、種族はヒューマン、後は『キルコ』という名前のみ。恐らくレベル6クラスの力量があるため、見つけても幹部以外は手を出さないように、ということが徹底される。

あまり事件そのものを大っぴらにしたくないロキの意向もあり、賞金をかけるという案は却下され、関連するファミリアにも話は通さず、あくまでロキ・ファミリアの総力を挙げて捜索を行うという行動方針が示された。

 

秘密裏に動かざるを得ない状況での捜索は、最初から困難が予想されたが、かつてないほど怒りをたぎらせて眷属に檄を飛ばすロキの様子に、徐々に団員達のボルテージも上がった。

ロキは普段はひょうきんな行動が多く、女性団員へのセクハラなどで煙たがられてもいるが、自身のファミリアの子供たちへの愛情は深く、また眷属達のロキへの信頼も厚い。

主神の怒りは子の怒りである。

 

「どんな手をつこてもええ!必ずうちの前に、首根っこひっつかんで来るんやで!!わかったか!!」

 

「「「おう!!!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕刻、『第1回ドグサレ捕獲作戦進捗会議!!』とロキ自身の荒ぶる手書き文字が張り出された会議用の一室で、ファミリアの主だった幹部が勢揃いしていた。顔が見えないのは、昨夜の騒動のもう一人の主役、ベート・ローガだけだった。

 

「で、状況はどないなっとるんや?」

 

「余り芳しくはないね」

 

まず口火を切ったのはファミリア団長、フィン・ディムナだった。

 

「まず、豊穣の女主人亭周辺の聞き込みについてだけど、有力な目撃証言は皆無だ。少なくとも相手の居所や正体については依然として何もわからない」

 

明日からオラリオ全域まで捜査範囲を拡大するつもりだ、とフィンは続けた。

 

「僕自身はミアさんに詫びを入れるついでに店の方に探りを入れてきた。実は入れ替わりで、相手がもう一度来店していたらしいんだが…」

 

「なんやて!」

 

興奮するロキに首を振りつつ「慌てて引き返したけど、タッチの差ですぐに姿をくらましたらしい」と話すと、ロキ以外にも会議室の中から落胆する声が上がった。事件に直接居合わせなかった幹部の中には、この不毛な大動員に乗り気でない者もいるのである。

 

「騒ぎを起こした詫びとして、未払いだった飲み代に迷惑料込みで、そこそこのヴァリスを置いていったようだ。ちなみに、昨日が初めての客だったそうだよ」

 

初見の客となると、これ以上店の人間に話を聞いても無駄だ。何より、あの店はロキ・ファミリアとして贔屓にしてはいるが、店主は最大のライバルであるフレイヤ・ファミリアの元団長。あまり無理を利かす訳にもいかない。

 

「念のためにしばらく昼夜交代で店の周りに人を張り付かせている。二度あることは三度あるとはいうけど、当然相手も警戒しているだろうから、あまり過度の期待はしない方がいい」

 

最後に、店主からロキとベートはしばらく店に出禁を言い渡された、と付け加えてフィンは報告を終えた。

 

次に発言したのは、アマゾネスの姉妹だった。

 

「私達は団長の指示で何人か連れてギルドに行って来たよ。各ファミリアの登録名簿を確認したり、受付担当に片っ端から声かけて聞き込んでみたけど、収穫ゼロ。少なくとも、ギルドに届け出をしている正規の冒険者じゃないね」

 

「となると、他の土地でレベルをあげて、最近オラリオにやってきた、という線もありえるか」

 

フィンがそう指摘すると、姉妹の顔がやや曇った。

 

ティオネ・ヒュリテとティオナ・ヒュリテの祖国、テルスキュラがよい例だからだ。

闘争と殺戮の女神カーリーが運営する国家系ファミリア、テルスキュラ。団員はアマゾネスのみで構成され、ダンジョンでの経験値を得ずに高レベルに至った眷属が多数存在する。

だが、その理由は凄惨の一言に尽きた。人とモンスターを、あるいは人と人を、どちらかが生き残るまで殺し合わせることを繰り返す、そんな狂気の産物だ。

 

次に、フィンの両隣に座っていたエルフの女性とドワーフの男性が、互いに目配せを交わした。

そして、エルフの女性が口を開く。

 

「私はガレスと手分けして、主だった生産系ファミリアをあたってみた。この町で冒険者として暮らすなら、彼らの世話にならない筈がない」

 

ファミリア副団長、リヴェリア・リヨス・アールヴ。長い寿命を誇るエルフの王族の出身にしてファミリア最古参、常に冷静沈着で知られる才女は、如才なく報告を行った。

 

「残念ながら目撃証言は皆無だったのだが、ついでにこれをディアンケヒト・ファミリアに持ち込んで鑑定してもらってきた」

 

ディアンケヒト・ファミリアは、大手の医療系ファミリアだ。ポーション販売、原材料買取りなど、多くの冒険者と取引があり、ロキ・ファミリアとも良好な関係を築いている。

 

リヴェリアは一旦言葉を切り、机の上に一本のガラス瓶を置いた。

それは、底に僅かに赤い液体が付着した、まるで一流の工芸品のように精緻な細工が施された瓶だった。

 

瓶を見た瞬間、ロキが細目を薄っすらと開いて鼻を鳴らす。

昨夜、件の女によって、気を失っていたロキの口に、中身を注がれたもの。その際、現場に打ち捨てられていた瓶を回収したのである。

主神に正体不明の液体を注ぎ込まれた時は、その場にいた全員が肝を冷やした。

慌てて万能薬(エリクサー)を飲ませたり、万が一に備えて呪い解除の専用道具を引っ張り出したりもしたのだが、結果的に全て杞憂に終わった。

 

「この僅かに残った赤い液体、やはりポーションで間違いないそうだ。毒物や違法薬品は一切検出されなかった。品質は最高級のエリクサーと比べても勝るとも劣らない、とはディアンケヒトのお墨付きだよ」

 

最初は、誰もこれがポーションだとは気づかなかった。冒険者にとって見慣れたそれとは、似ても似つかない血のような赤色をしていたから。

 

「だが驚くべきことに、これは通常のポーションとは違い、ほとんど経年劣化しない特性を持っているそうだ。…ディアンケヒトに詰め寄られたよ、いったい何処の誰が作った代物なのかとな」

 

思わず、といった様子でその場の全員の視線が空瓶にそそがれた。

 

一度作ったポーションは必ず経年劣化する。それは最下級のポーションだろうが、エリクサーだろうが変わらない。

だからこそ、 ポーションは厳密な管理が求められる。劣化したポーションでは、いざという時に命に関わるのだから。

しかし、目の前にあるのは、その常識を覆す代物である。価値は計り知れない。

 

一気に騒めき始めた室内に、さらなる爆弾を投下したのはファミリア最古参の一人、ドワーフのガレス・ランドロックだった。

 

「儂はアイズ達を連れて鍛治系ファミリアを梯子するつもりだったんだがな、最初に顔を出したヘファイストス・ファミリアで、当たりを引いた」

 

全員の視線が、一斉にガレスに注がれる。

 

「ホームに顔を出した時から、いつもとは明らかに様子がおかしかったのだ。主だった幹部は揃って奥の工房に引っ込み、その周りを職人連中が囲んで、部外者が近づけないようにしていた。実際、儂らですら門前払いを食らわせられそうな雰囲気だった。それが気になってな、少しゴネてみた」

 

ガレスはヘファイストス・ファミリアの団長、椿・コルブランドと武器の専属契約を結んでいる。

その伝手を使ってなんとか聞き出したところによれば、ヘファイストス・ファミリアに最高精製金属(オリハルコン)を凌駕する、全く未知の新たな金属が持ち込まれた、とのことだった。

 

「下手をしたら、これまでの第一等級武装が軒並み時代後れになる代物だって、言ってた」

 

そう呟いたのは、弱冠16歳にしてレベル5に至った少女剣士、『剣姫』の二つ名を持つアイズ・ヴァレンシュタイン。

その表情はほとんど変わっていなかったが、つきあいの長い人間からみれば、非常に強い興味を持っているのが一目瞭然である。

 

アイズの戦い方は高威力の魔法と剣術を併用するため、武器に対する負担が大きい。そこで不壊属性を持った専用の第一等級武装を新調したばかりだ。

そのタイミングでこんな話を聞かされればナイーヴにもなろうというもの。いや、アイズだけではない、ダンジョンの最前線で体を張る第一級冒険者なら、誰もが関心を払わずには居られないだろう。

 

「たかが素材ひとつに、とんでもない金額が動いたらしい。ヘファイストス・ファミリアは今、そいつの研究に没頭しとるよ。しかも、それを持ち込んだのが、どうもこの似顔絵によく似た女だという話でなぁ」

 

目を血走らせ、鬼気迫る様子の椿から「これ以上研究の邪魔したら分かってんなオラ」と控えめな(直球)脅迫を受けたために、それ以上のことは聞き出せなかったという。

 

会議室のいたるところで、幾つものため息が漏れた。

 

オリハルコンは世界最硬とされる極めて希少な金属だ。全人類と亜人の技術の結晶である。破壊はほぼ不可能とされ、不壊属性武器の原材料となっている。

それを超える新たな金属の存在、しかも、よりによってそれをヘファイストス・ファミリアに持ち込んだのが、今現在ロキ・ファミリアが総力を挙げて探している人物とくれば、どう反応してよいやら分からない、というのが大方の出席者の感想だった。

 

ロキですら、ただでさえ細い目をさらに細め、訝しそうに唸っている。

 

「…ええわ、ちょうど神会が開かれるから、そっちはうちが直接探り入れたる」

 

ロキは腕を組み、何かを考え込むように俯いていたのだが、やがて向かいに座っていたフィンに視線を合わせた。

 

「ベートはどうしとる?」

 

「捜索からは外して療養させている。本人曰く「煙管で軽く小突かれた」ところの骨が、残らずいっているようだ。下手にエリクサーを使うと、骨が変なふうにつながりかねないから、添え木を当ててベッドに縛り付けてるよ」

 

命に係る怪我ではないし、高価な万能薬(エリクサー)を使わないで済むならその方がいい。

 

ベートは意外なほど静かに、ベッドで体を癒している。

それに、件の女性に対して含むものはないらしい。俺の方が弱かっただけだ、といっそ見舞いに行ったフィンが拍子抜けするくらい淡々と語った。

 

ファミリア内でも勘違いしている者が多いが、ベートは誰彼構わず噛み付く狂犬のような男ではない。

ベートが嫌いなのは彼自身の言葉を用いれば、身の程知らずの弱者だけだ。無理をして背伸びしても、死ねばそれまで。ベートは、誰よりもその事を知っている。

普段の態度が態度だから誤解されてしまうのもやむを得ないが、少なくともフィンやガレスあたりは、その事を承知していて、ベートに一目置いている。

 

今回の件も、単に成り行きを見れば、ベートは良いように振り回されたピエロだが、実際にはあの場の誰よりも素早く状況を認識して、怪物の手からロキを奪還しようとしていたと見る事もできる。

 

 

「しばらく養生させとき。今回ばかりはベートが先走ってくれたおかげで大金星や。さもなきゃ、なんも分からんと後手後手に回っとった」

 

その言葉に、この場の全員が真面目な顔で頷く。

始めは、またロキのわがままかと眉をひそめて会議に臨んでいた者も、既に事の重大性に気がついていた。

 

「これは、ここにいるもん以外は口外厳禁やで…あの女な、『恩恵(ファルナ)』もってへんのや。ハハ、笑かすやろ、ふざけんなってな」

 

神々から下界の住人に与えられる神の恩寵、『恩恵(ファルナ)』。

様々な事象から経験値(エクセリア)を得て能力を引き上げ、新たなる能力を発現させることを可能とする。

神々がまだ天界にいて下界を見守っていた古き時代には、人類は恩恵無しにモンスターに挑むことを余儀なくされたが、現在では冒険者が恩恵無しでダンジョンに潜ることなど考えられない。

 

「…確かなのか?」

 

フィンが確認すると、ロキは鷹揚に頷いた。

 

「どっかの女神とちごて、うちは余所様の子に手ぇ出すほど趣味は悪くないで。何処かの神の唾付きなら、一発でわかったわ」

 

だから口説きに行ったのだ、と言うと誰もが納得した。

 

恩恵とは『神の血(イコル)』を用いて、眷属の背中に神聖文字を用いて刻まれる。故に、眷属には恩恵を与えた神の気配が濃厚に残るという。どの神が授けたものかはさておいても、恩恵を持っているかいないかくらいは一目瞭然である。

もし、わからないとしたらよほど抜けている神だけだが、ロキはそんな間抜けには一人しか心当たりがなかった。

 

「つまり、なんだ。そのキルコとかいう女は、恩恵も無しにベートを、レベル5の冒険者を一蹴する強さを持っている、と?」

 

ガレスが呻くように唸った。

 

「そうなるね。どうりでギルドをあたっても何も出てこないわけだ。正直、信じがたいよ。僕もその場にいて彼女を直接見たけど、アレは…桁が違っていた」

 

フィンもまた、眉根を寄せて難しい顔をしている。

 

「あの場に居た人間は、彼女が最後にフッと姿を消したのを見ただろう?時間停止とかいうのは流石に眉唾としても、透明化できる能力なり魔道具なりを持っているのは十分にあり得る」

 

それだけでも放置するにはリスクがある。

いつ、どこに忍び込まれるか、わかったものではない。

 

「確か、透明になれる魔道具ってあったっすよね。あれを作れるとすると、その筆頭は… 」

 

「ああ、ヘルメス・ファミリアの道具店にも探りを入れる必要があるな。あそこは元から色々と怪しい取引の噂が絶えない」

 

次期団長候補とも噂されるラウル・ノールドが疑問を提示すると、リヴェリアが補足した。

 

「フン、ポーションといい素材といい、まだまだ隠し球は多そうやな」

 

ロキは不敵に笑った。

普段は飄々とした物腰をしているが、かつて地上に降りる前は暇つぶしの為に他の神々を嗾けて殺し合いを画策した事もある、天界きってのトリックスター。

不審な物事やキナ臭い話には、目鼻が利く。

 

「ま、ええわ。せいぜい落とし前代わりに、キッチリむしりとったろうやないか!」

 

ロキが邪神もかくやという陰惨な笑みを浮かべてそう宣言すると、彼女の眷属達は揃って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…なんて会話は、当然のごとくキル子には筒抜けであった。

 

場所はロキ・ファミリアのホームから、キル子の聞き耳スキルの最大可聴範囲ギリギリに位置する、一泊500ヴァリスのうらぶれた木賃宿。カビ臭いベッドの他には何もない一室である。

頭にウサギの耳を生やし、足元にネズミを這いまわらせながら、キル子はこの世の不条理に押しつぶされていた。

 

「やっちまった、やっちまった、やーっちまった、好ーきなあーの子をボコボコにー、ケンカは買うもの堂々とー、ショタを抱えて啖呵きるー、イケメンに、負けても、いいんだぜ〜、いつか、告られると、夢を見て〜」

 

死んだ魚のような目で、煙管をふかしつつ、妙な替え歌を歌っている。どうやら重症のようだ。

 

なお、キル子の頭に生えているウサギ耳は、聴力強化系の魔法《兎の耳(ラビッツイヤー)》を使用している証である。《千里眼(クレヤボヤンス)》の魔法は、キル子の魔法能力ではこの距離を見通すのは難しいため、今回は別の手段で補っている。

足元をうろちょろしている肉の爛れた体を持つネズミやカラスが、その答えである。

アンデッドの種族スキル【眷属招来】で呼び出した低レベルの獣の動死体(アンデッド・ビースト)。戦闘力はほぼ皆無だが《 不死の奴隷・視力(アンデススレイブ・サイト)》や《不死の奴隷・聴力(アンデススレイブ・イヤー)》によって自在に視覚と聴覚を共有できるので、使い魔としては使い勝手がいい。それに、街中に多少腐敗臭のするネズミやカラスがいたところで、顔をしかめられはするが、怪しまれはしなかった。

 

ロキ・ファミリアのホームの天井や壁の隙間に入り込んだ使い魔達から送られてきた、会議の様子を盗み見て以来この有様である。

 

そもそも、キル子がロキ・ファミリアに監視の目を伸ばした理由は、朝一に昨夜の飲み屋へ詫びを入れに行った時に遡る…

 

 

 

 

 

 

 

 

朝。

 

キル子は土下座していた。

 

相手は酒場兼食堂『豊穣の女主人』の店主、ミア・グラント。

 

気持ちよく飲める飲み屋というのは宝である。特にロックオンしたイケメンとの出会いの場とくれば、キル子的にはもはや世界級アイテムに匹敵する。

出禁にされてはたまらない。そのためなら、土下座など安いものだった。

 

店主のミアは両手を組み、怒り心頭と言った有様で、ひたすら床に土下座するキル子をにらみ付けていた。

ジロリ、とミアがキル子の横に視線をずらせば、そこに燦然と積まれているのはヴァリスの山。ゆうに100万ヴァリスはあった。

 

「姐さん!どうか、この通り、 ゆるしてつかぁさい!!」

 

「誰が姐さんだ!」

 

指詰めろ言われたら詰めますので 、とガクガクブルブル震えるキル子に、ミアはハアと特大のため息をついた。

 

「自分から支払いに来たんなら、ギリギリセーフかね。店を壊したわけじゃないし、先に突っかかっていったのはロキ・ファミリアの馬鹿だ」

 

あっちはしばらく出禁にしてやった、と女店主が宣言すると、キル子は足元が崩れ落ちたかのような錯覚を覚えた。嗚呼、ベート様とのフラグが…

 

「ただし、これっきりだからね。次に騒ぎを起こしたら、出入り禁止だよ!」

 

「…はい、わかりました」

 

キル子は悲しみにくれながら、気の無い生返事を返した。

 

「それと、ロキ・ファミリアの連中があんたを捜し回ってるよ。しばらく自分のファミリアにでも引きこもって、大人しくしとくんだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

…とまあ、そんな忠告を受けたことで慌ててロキ・ファミリアのヤサを探し出し、探りを入れてみれば案の定だったわけだ。

 

キル子は大人数の徒党を敵に回す厄介さはユグドラシル時代に嫌というほど身に染みている。彼らに組織立って動かれると詰むのだ。

何せこちらは常にログインしているわけではない。仕事や私生活に費やす時間の方がずっと多い。ところが、あちらはログイン時間の微妙に異なる連中が有機的に繋がって、常時稼働できる。24時間イン可能なリアル金持ち廃人様を一人でもメンツに捕まえておけばさらによし。ちなみに貧富の差の極まったこの時代に、ニートなる非生産階級は存在しない。

探索、感知、占星術、情報系魔法の波状攻撃で居場所を常に特定され、こちらの唯一の強みであるソロならではのフットワークの軽さすら殺される。ゲーム外のSNSを使った盤外戦に至るまで大人数を動員できる人海戦術は脅威だ。

 

「う〜ん、自業自得だけど、面倒なことになったなぁ…いっそのこと…」

 

しばし、考えこんでいたキル子だったが、やがてインベントリに手を突っ込むと、一つのアイテムを取り出した。

それは『魔封じの水晶』と呼ばれる、魔法を中に封じ込められるユグドラシルの消耗品アイテムだった。

 

中身は第10位階魔法《現断(リアリティ・スラッシュ)》。MP消費の燃費は悪いが、魔法防御力をほぼ無効化しつつ、トップクラスの破壊力を与える攻撃魔法である。

他にもやや威力は落ちるが効果範囲の広い第10位階魔法《隕石落下(メテオフォール)》や、与えるダメージは低いが最上位の効果範囲を持つ第9位階魔法《核爆発(ニュークリアブラスト)》の詰まった水晶などもある。

いずれにしろ、せいぜいレベル4、50台が10人程度、あとはそれ以下しかいないロキ・ファミリアを潰すには過剰な代物だ。

 

かつてギルド、アインズ・ウール・ゴウンの最栄期に敵対ギルド対策として、モモンガや、仲間内でも最強の魔法職だったウルベルト・アレイン・オードルがしこたま作り出したものである。

敵対ギルドの連中に爆撃かますにはちょうどいいので、遊撃要員のキル子やペロロンチーノあたりに貸し出されていたものだが、魔封じの水晶は展開から発動までタイムラグがあるし、何より高価なので滅多に使わせてはもらえなかった。

最終日のあの時、いざとなれば全部同時に起爆してやろうと思い、ナザリックの宝物庫から『強欲と無欲』や『山河社稷図』等といった世界級アイテム等と一緒に、ありったけ持ち出したものだ。

対人性能はともかく、範囲火力に決定的に欠けるキル子にとっては虎の子である。

 

今、ロキ・ファミリアのホームには主神と幹部が全員揃っている。これを使えば、一撃で何もかも一切合切決着するだろう。

キル子が直接やるより楽だし、取りこぼしなく確実に皆殺しにできる。範囲もそこそこ広いから目撃者を気にする必要もない。

 

それこそが、正解。たったひとつの冴えたやり方。そのはずだ。

 

少なくとも、ユグドラシル時代のキル子なら、嬉々として汚い花火を打ち上げて、大いに盛り上がった筈だが…

 

「…うん、却下だな」

 

やがて、煙管の中の煙草が全て灰になるくらいの時間が過ぎた頃、水晶をインベントリの奥深くに戻した。

 

使わない理由は、いくつかあった。

補充が利かない貴重品をむざむざ無駄にできないだとか、騒ぎが大きくなり過ぎれば必ず自分の首を締めるかもしれない、だとか。

そのいずれも、単なる言い訳に過ぎないことをキル子は自覚していた。それでも結論を変える気は無かったが。

 

昨夜の、あの酒場でのことは全て覚えている。

我ながら酒に溺れてバカをやった自覚はあるが、楽しかった。

かつて、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの全盛期、仲間達が毎日ログインし、そんな馬鹿を繰り返していた頃の日々が、わずかばかり返ってきたようで。

それが、ただの思い出、単なる感傷に過ぎなかったとしても。

 

それに、なにより。

 

「…そっかぁ…ロキきゅんはロキたんだったかぁ…残念。でも、俺様系のベート様ならワンチャンあるよね…?」

 

酔ったうえでの乱行だが、フラグが立ったと思い込みたい乙女心が(…あ?こちとらまだ乙女なんだよ、殺すぞクソが!)待ったをかける。

 

「強くなってみかえしてやる、って感じでリベンジに来たところを、如何にも激闘の末にさりげなく勝ちを譲る感じで。ライバル系カップルというのもアリやね!ありやろ!…たぶん…めいびー…ふヒヒ」

 

イケメンとの出会いフラグは何よりも優先されるのである。

 

「…うん、やっぱりほとぼりが冷めるまでは大人しくしとこうね。ヘファイストスのとこもバレたようだし、ベート様のお見舞いにも行きたいし」

 

土産は秘蔵の神器級装備とかでいいだろうか。キル子は他の職業に化けて街中をうろつくために、奪った装備をいくつかストックしている。確か、モンクが装備できそうなのがいくつかあったはずだ。どうせ滅多に使わないし、イケメンの好感度を稼ぐためなら安いものである。

 

「まあ、今は騒がしいからもう少し間を置かないとね。暇つぶしに、ダンジョンに潜っておきましょうか」

 

ダンジョンや町中等の入り組んだ地形でのPKはキル子の十八番である。いずれ利用することを考えたら、今のうちに地形や特性を把握しておくのは悪くない。

 

となれば、問題はどうやってダンジョンに潜り込むか、だ。

 

バベル1階から地下階ブチ抜きのダンジョン入口は、常時ギルドの管理下にある。

ダンジョンへ潜るには、まず冒険者としてファミリアごとに行う事前登録が必要で、出入りの際にも簡単な手続きが必要となるらしい。

当然、どこのファミリアにも所属していないモグリが入ろうとしたって速攻で止められるに決まってる。

これはダンジョン内でパーティが全滅した場合などを想定し、一定時間が経つと所属ファミリアへ連絡を行うための措置だ。

ダンジョンに侵入するだけなら、変装系のスキルを多用して、どこかのファミリアの適当な冒険者になりすますという手が使えるが、後でバレたときに面倒事になるのが目に見えている。

 

では不可視化系の能力を利用してこっそり侵入してしまうのはどうかというと、キル子はその手のスキルや魔法を豊富に持っているので、実行方法としては問題がない。

 

例えば、酒場から逃走するときに使った第9位階魔法《完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)》。

これは音や気配、体温、震動、足跡、その他諸々を探知されなくなるという最高位の不可視化系魔法である。これにキル子の持つ探知阻害スキルや情報隠蔽能力を駆使すれば、そうそう見つかることはない。

唯一のネックは《完全不可知化》を使っていると常時MPを消費することだが、キル子が取得している暗殺者(アサシン)系の上位職業『ハイドシーカー』の恩恵により、維持するだけならMPを消費しないで済む。

MP量は本職の魔法職使いに及ぶべくもない暗殺者ビルドのキル子が、MPを馬鹿食いするこの魔法をほいほい使えるのはそのためだ。

 

ただし、この方法の問題は、魔石やドロップ品を得た後で換金が難しい点にある。

ドロップ素材はまだ各生産系ファミリアや商人ギルドに直接持ち込みできるのだが、オラリオの産業の根幹を支える魔石販売だけはギルドの専売制になっている。ギルドを通さない流通は違法であり報復の対象だ。

 

「出来れば協力者がほしいところね。恩恵にしろファミリアにしろダンジョンにしろ、まだまだ仕入れたい情報も多いし…ユグドラシルwikiが懐かしいわ」

 

末期にはほとんど更新が途絶えていたが、ユグドラシルを始めたばかりの頃は何かとお世話になったものである。

 

「どっかに低レベルでくすぶってて、そこそこ経験豊富な冒険者とかいないかなぁ…いざとなったら後腐れなく始末できる感じの」

 

恩恵を受けて冒険者になれば全員がもれなくレベル1のステイタス0からの出発だと言うが、その後の成長についてはやる気と運と、才能の差が物を言うらしい。大半の冒険者はレベル2に上がれずに一生を過ごすという。

 

適当に町をぶらついて、悪所で腐ってそうなのを攫い、《支配(ドミネート)》あたりの魔法で傀儡にするのはさほど難しくないだろう。

問題はそれをやろうとすると、似顔絵片手に走り回っているロキ・ファミリアとかち合う可能性があるわけで。

 

「似顔絵まで配られたら、流石に今の顔じゃあ、お外歩けないわ…ロキ・ファミリアェ…」

 

ちなみにキル子は鬼畜PKとして、主にアイテムを奪われた被害者の有志の手で、ユグドラシルでも手配書が回されていたりする。

 

それはともかく、今使っている【変身(メタモルフォーゼ)】用の外装データが使えないなら、変更しておく必要があるだろう。

仮面系のアイテムで顔を隠すことも考えたが、手持ちの仮面はクリスマスにログインすると配られる『嫉妬する者のマスク』という運営公式の嫌がらせアイテムだけで、検討の余地なく却下である。こんなクソださくて、悪目立ちするものを使う気は微塵もない。

 

「とはいえ1から外装データいじるのは面倒だし、何か適当なやつが…あ!」

 

確かアレがあったような、と呟きながら、キル子はインベントリをまさぐると、1つのデータクリスタルを取り出した。

これは武具の製作時にに使うタイプとは全く別物で、外装調整用の別売りソフトを使って作った外装データを保存し、ゲーム内で使用するための課金アイテムである。

 

データクリスタルを使って【変身】のスキルを使うと、その場に元のキル子とは似ても似つかない、やや鋭い目付きをした金髪縦ロールの美少女が出現した。

 

「ギルドの年末隠し芸大会で使った悪役令嬢ムーヴの外装データ。取っておいて良かった。でも、これ腰に手を当てると勝手に高笑いするのよね。ペロロンチーノに大受けしたわ」

 

何せ、この外装専用として見た目重視の伝説級アイテムを献上されたほどである。代償にしばらく悪役令嬢ムーヴを強要されてドン引きしたものだった。

 

懐かしい思い出にひたり、ほっこりとしたところで、ようやくキル子は煙管の煙草がすでに燃え尽きていることに気がついた。我ながら随分悩んでいたらしい。

 

室内を見回したが、灰皿や煙草盆は見当たらなかった。諦めて窓に手をかけ、わずかに開いた隙間から、ポンと焼けた灰の塊を階下にポイ捨てする。

 

そして、新しい煙草を詰めようと、インベントリに手を差し伸べた、その時だった。

 

「キゃあああああ!!」

 

悲鳴が上がった。

 

慌てて窓を開け放ち、眼下を確認すれば、やたら大きなリュックを背負い赤い女物のコートを着た小柄な人物が、熱い熱いと悲鳴をあげている。

 

キル子は思わず頭を抱えた。どう見ても子供か、あるいは小人族だ。

自らやらかしたこととはいえ、ビジュアル的に小さな幼女が涙と鼻水を垂れ流しながら、火傷の痛みにもだえ苦しむ有様は凄惨であり、キル子は慌てて赤ポーションをぶっかけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リリルカ・アーデはその日も路地裏を駆けていた。

 

リリルカはソーマ・ファミリア所属の小人族である。

ソーマ・ファミリアは主神ソーマの手による極上の酒を下げ渡す代わりに、月々に明確な上納金ノルマのある極めてブラックでヤクザなファミリアだ。

しかも、神酒には依存性があり、団員はほとんどが中毒症状に陥っていて、神酒を得ようと他者を蹴落とす荒くれ者の集団と化している。

当然、リリルカは嫌気が差していて、さっさと他のファミリアに改宗したいと目論んでいるのだが、それすら膨大な脱退金を求められる有様だ。

リリルカの場合、自ら望んで所属したわけではなく、両親ともにソーマ・ファミリアに所属していたために、生まれた時から選択肢がなかっただけ、というのが救いようがなかった。まさに世は無情だ。

そんなわけで、リリルカは大金を欲していた。

 

だが、リリルカは冒険者としてはまったく才能に恵まれなかった。

持っているのは「縁下力持(アーテル・アシスト)」と言う、重い物が持てるようになるだけのスキルと、見た目が変わるだけの変身魔法のみ。戦闘力皆無の小人族だ。

だからこそ身の丈を弁えて、サポーターという冒険者を支援する仕事を生業としている。

サポーターは冒険者のドロップアウト組がなることも多く、立場は弱い。たかり、コジキ、寄生等、心無い言葉を向けられたのも、一度や二度ではなかった。

ファミリアの人間からは理不尽に金を巻き上げられ、冒険者達から侮蔑とともに酷い扱いを受け、やがてリリルカは歪んだ。

いつの頃からか、新米冒険者を相手にして、魔石やドロップアイテムなどをちょろまかしながら、生きるようになっていた。

 

今日もゲドとかいう冒険者から巻き上げた装備を売り払ったばかりであり、後をつけられないようにランダムにルートを変えながら、塒に帰る途中だったのだが…罰は、突如として頭上から降ってきた。

 

「キゃあああああ!!」

 

路地裏の二階屋から、心無い何者かがぶちまけた焼けた灰、それが運悪く顔面を直撃した。

 

魔石の熱源道具を使えない貧困層がひしめく路地裏では、暖炉や竃の焼けた燃え滓を投げ捨てるのはよくあることなのだが、やられた方としてはたまったものではない。

 

灰はリリルカの顔面に降りしきり、眼球や敏感な鼻の粘膜を焼き、呼吸器に入って喉を爛れさせた。

 

痛みに呻きながら、リリルカは思った。

 

もう、嫌だ。何故、自分ばかりこんな目にあうのか。だれか、だれか助けて!!

 

その思いが通じたのか…

 

 

 

「危ういところを助けて頂きまして、本当にありがとうございます!」

 

「いえ、顔に痕が残らなくて幸いでしたね。まったく、二階から灰をばらまくなんて、ひどい人がいたものです」

 

丁寧に頭を下げたリリルカに対し、偶然通りかかった所を助けてくれたヒューマンの女性は、笑顔で答えた。

人の情けも捨てたものではなかったらしい。わざわざ自分の宿の一室にリリルカを運び込んでくれただけでなく、ポーションを使って傷の治療までしてくれたのだから。

何故か恩人の目が泳いでいるような気がするのだが、きっと気のせいだろう。

 

「高価なポーションまで使っていただいて、恐縮なのですが、その、大変ありがたいのですけれど、恥ずかしながら今日は持ち合わせがなくてですね…」

 

リリルカは女性が片手に持つ空の瓶を見ると、言いにくそうに口ごもった。

 

「ああ、気にしないでください。これ、ログインボーナスで無駄に貯まってくやつなんで」

 

「ろぐいん…?」

 

「何でアンデッドまでログインボーナスがポーションなんだよ、クソ運営が」とよく分からない事を呟く相手のことを、リリルカは改めてよく観察した。

 

落ち着いて見てみれば、綺麗な人だと思う。

綺麗な金髪の巻き毛は丁寧に手入れされていて、キューティクル。肌も白くきめ細やかで、シミ一つ無い。顔立ちはややきつそうな吊り目をしているがとても整っていた。物腰も柔らかく丁寧だ。

着ているのは、所々に宝石が散りばめられ、薔薇の黄金細工が施された派手な甲冑である。実用性はともかく、売れば高値がつきそうだった。武器は腰に履いた短剣が一本だけだが、他にも宿に預けているのかも知れない。

 

この格好から見るに、何処かのファミリアに席を置く冒険者というところなのだろうが、リリルカにはとても彼女が冒険者だとは思えなかった。あまりにも見た目が整い過ぎているからだ。

女性の冒険者なら見慣れているが、大半はダンジョンに潜りっぱなしなので、肌は不健康に白くて荒れ放題、髪も適当だから枝毛が目立つ。ダンジョン用の装備を着慣れて普段着にしてしまう横着者も多くて、服装のセンスもあまりない。

一般の女性に比べて、どうしてもオシャレや美容というものに費やすリソースが少なくなってしまうのだ。

 

そこへいくと、この女性は随分と自分自身のケアにも手をかけている。むしろ、使用人を侍らせてドレスを着ている方がお似合いだ。

どこか裕福な良いところのお嬢様が、観光がてらお気楽な冒険者ごっこでもしているようにしか思えず、それが少しばかりリリルカの堪に障った。

 

「…申し遅れました。私はリリルカ・アーデと申します。サポーターをしています」

 

「ご丁寧にどうも。私はキ…キ、キルト、と申します。冒険者です」

 

リリルカはパッチワークのような名前だと思ったが、口には出さなかった。

 

名を名乗る時に妙に口ごもったのがまた怪しい。姓を名乗らないということは、偽名かもしれない。もしかしたら家出娘か、あるいはオラリオに出てきたばかりの冒険者志望のお上りさんか。

都市外の領地を持つ貴族の子女が冒険者に憧れて上京する、というのはよくある話だ。大半は下級冒険者から抜け出せなくなって、いずれ去っていくのだが。

まあ、帰れる家があるだけマシだろう。大半の冒険者は、食い詰めて家を追い出された農家の次男坊あたりが、止むに止まれずになるものなのだから。

 

いずれにしろ、見ず知らずのリリルカを助けて宿の一室に運び、ポーションで治療までしてくれたのだ、育ちは良いのだろう。

 

それに、装備も良い。

 

「その、失礼ですがキルト様はどこのファミリアの冒険者様なのですか?」

 

その質問に、キルトはしばし考えるような仕草をした。

 

「…も、モモンガ!そう、モモンガ・ファミリアに所属していますわ」

 

リリルカは首をひねった。聞いたことのない神だ。

 

「実は、田舎から出てきたばかりの零細ファミリアですの。眷属もまだ私しか居ませんが、死を支配する偉大な神様でいらっしゃいますのよ!」

 

え?死を支配とか、なにそれこわい。

 

「そ、そうですか。す、すごい神様なのですね」

 

「そうですのよ、なんせ千人殺しの伝説を成した偉大なお骨様ですから!」

 

キルトは腰に手を当て、得意げに高笑いをあげた。

 

実際にその神様がやばいのか、あるいはこの女の頭の中がやばいのか、リリルカにはもう判断できなかった。

とりあえず相手をヨイショするために、笑顔を維持するので精一杯である。

 

「ところでその、さぽーたー?というのは、どういうご職業ですの?」

 

キルトは小首を傾げて、そう言った。どうやら、田舎から出てきたばかりというのは、確かなようだ。サポーターも知らないらしい。

 

「そういえば、キルト様はオラリオに来たばかりだと仰っていましたね。いいですか、サポーターというのはですね…」

 

サポーターについて説明すると、キルトは首を傾げた。

 

「え?何それ罰ゲーム?」

 

解せぬと言わんばかりの表情である。

 

「荷物持ちしてドロップ拾うだけとか、経験値入らねーじゃん。まさか、遠回しにパーティから追い出すためのイジメ案件?単発攻撃しか持たないアサシンとか、パーティには要らない子ですかそうですか。範囲攻撃?知らない子ですね。盗賊さんに転生し直してダンジョンの鍵開け覚えて来いって?ハハッワロス、PKるぞこのやろう」

 

何かトラウマでも刺激されたのか、キルトは死んだ目をして何やら呟いている。

 

「ちょっと何言ってるかわからないですね」

 

なんか口調も変わってる。

 

「いえ、そもそもサポーターは、原則としてモンスターとの戦いには参加しませんので、そういうわけでは…」

 

冒険者の世界はカタギとは違い、所詮は切った張ったである。

レベルが上がらず、やがてモンスターとの戦いに耐えきれなくなって、ドロップアウトした下級冒険者がサポーターに転向するケースは多い。

それすら務まらなければ、果ては歓楽街かダイダロス通りへと真っしぐらだ。あそこは、元冒険者や元サポーターがひしめいている。

 

「…それは、世知辛い話ですわねぇ」

 

まるきり他人事のような口調に、少しだけカチンときたので、リリルカは次のターゲットをこの女にすることに決めた。

 

 

 

 

 

「(…田舎から出てきたばかりの物知らずのお上りさん。実家から持ち出したのか、装備は充実しているけど、眷属が一人しかいない零細ファミリアの所属。いざというときは、装備だけはぎ取ってモンスターの餌にしても何の後腐れもない)…キルト様、ちょっと提案があるのですが」

 

そんな皮算用を立てていたリリルカだったが、まさか相手が腹の中で似たようなことを考えていようとは、想像もしていなかった。

 

「(…レベル1のサポーターとかいう冒険者崩れ。そこそこ経歴長くて知識はある。恩恵や経験値、こちらの独特のスキルや魔法を確認できればなお良し。いざというときはダンジョン内で始末して口封じしても何の後腐れもない。出来ておる喃)…あの私からも、ちょっとよろしいですか」

 

 

 

 

 

 

「「一緒にダンジョンに行きませんか!!((これは、良いカモの予感!!))」」

 

二人とも実に良い笑顔だった。

 

 

 

次の日、一緒にダンジョンに行くことが、速攻で決まった瞬間である。



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第6話

次の日の早朝、リリルカはキルトとの待ち合わせより‪1時‬間早く、バベル1階のギルド受付にやってきた。

 

この時間になると朝一でダンジョンに挑むパーティが徐々に集まり始めていて、受付の前に列を成している。大抵はパーティのリーダーが代理で全員分の手続きを済ませるのだが、列に並ぶのを面倒くさがり、サポーターに丸投げするところもあった。

 

リリルカは馴染みの職員の顔を見つけると、迷わず列に並んだ。

 

列が進む合間に、手早く朝食を済ませる。塩気の強いコンビーフと茹でて潰したジャガイモを挟んだサンドイッチにミルクパック。よく利用する路地裏の屋台で売っていて、しめて20ヴァリスだ。パンも肉もパサついていて美味くはないが、安いし腹にはたまる。

 

サンドイッチを咀嚼しながらリリルカは列が消化されるのを待った。やや混雑している気がする。いつもより人が多いというわけではなく、どうやら職員の数が足りていないらしい。

やがて番が回ってくると、口の中のものをミルクで流し込んだ。

 

「ソーマ・ファミリアのリリルカ・アーデです。同行者一名と共に、ダンジョンへの入場許可をお願いします」

 

「ああ、君か。じゃあ、いつも通り、入場届けに必要事項を記載してくれたまえ」

 

馴染みの男性職員は、やや疲れたような顔をしていた。

 

「お忙しそうですね」

 

「くだらない話だが、夜中に冒険者の幽霊を見たと、一部の職員が騒いでいてね。おまけに怪物祭が近いものだから、ローテーションが混乱してこのザマさ」

 

差し出された所定様式の書類の空欄を、リリルカは慣れた手つきで埋めていった。すぐに書き終えると、男の手に戻す。

 

男は書類を適当にチェックしていたのだが、記載欄の同行者の部分に目を通し、首を傾げた。

 

「モモンガ・ファミリア?聞いたことがないな。レベルは1相当?」

 

「本人の申告です。オラリオに来たばかりの零細ファミリアだとか。今日がダンジョン初参加だそうです」

 

そう言うと、男は面倒くさそうに顔を曇らせた。

 

ギルドではダンジョンに初挑戦する人間に対して、登録手続きと新規入場者教育を行い、さらに場合によってはアドバイザーとして一定期間、面倒を見る業務が生じる。多くの場合、それは手続きを受け持ったギルド職員の仕事なのだが。

 

「……ところで、昨日君が組んだ冒険者、ゲドとか言ったかな。ここにやってきて、装備を盗難されたと、ずいぶん騒いでいたようだよ」

 

不意に、男は世間話でもするかのように話をずらした。

 

「ダンジョン外のトラブルについては我々は基本的にノータッチ、当事者間の問題だ。だが、あまりこういう事が続くと何らかのペナルティが発生するかもしれないな」

 

意味ありげな男の視線に、リリルカもスッと目を細める。

 

「……リリにはまったく身に覚えがありませんね。その方の勘違いではないでしょうか」

 

そして、書類を持つ男の手の中に、いくばくかのヴァリスを握らせる。

 

「……そうだね、たぶん彼の勘違いだろう。書類の方も私が適当に処理しておくから安心したまえ」

 

「ありがとうございます」

 

「なに、優秀なサポーター君は貴重な存在だからね」

 

また頼むよ、と下卑た笑いを浮かべながら手を振る男の顔をこれ以上見ていたくなかったので、リリルカはすぐにカウンターを離れた。

ゲスな男にも、そのゲスにたかられるようなことをしている自分にも、嫌悪感がわいた。

 

フードを目深に被り直し、同業者が屯しているあたりに陣取ると、軽く挨拶してからリュックを下ろした。 リリルカと似たような格好をしたサポーター達は、一瞬だけこちらに注意を向けたが、すぐに受付あたりに列を作っている冒険者に視線を戻す。彼らの頭にあるのは、太い金ヅルにどう自分を売り込むか、それだけだ。

フリーのサポーターというのは、金払いのいい冒険者さえつかんでおけば客が一人でも食っていけるものだが、反面、少しでもトラブルを起こせばたちまち干されてしまう。特にこの辺りの自称・サポーターなど、元を正せば冒険者崩れ。無用なトラブルを起こせばギルドからも睨まれる。

自分の客を取られないように同業者に対しては目立たず、されど太い客に対しては精一杯媚びる。それがうまくやるコツだ。

 

リリルカもそれ以上の興味を無くし、無言で荷物のチェックを始めた。戦闘力がない分、いざというときに身を守るためのアイテムの有無は死活問題なのだから。

天稟もギフトもない、ただの小人族の小娘が、この町で生き残るにはやるべきことはいくらでもあった。

 

やがて、待ち人は時間ぴったりにやってきた。

 

「おはようございます、キルト様!」

 

なるべく邪気のない笑顔を作るのには、慣れていた。この方が客受けするから。

 

「ごきげんよう、リリルカさん」

 

キルトは相変わらず派手な格好をしていた。

 

あまりに目立つので、周囲の人間が、皆キルトの方を窺いながらヒソヒソと小声で話している。

気持ちは分からなくもない。冒険者からは装備の良さに対して嫉妬とやっかみの視線が、サポーター達からは金ヅルを値踏みするような視線が突き刺さっていた。

 

キルトの防具は昨日リリルカと出会ったときに着ていた赤い薔薇の意匠が入った派手な甲冑だが、これだけでも相当に目立つ。しかも、その上からビロードのような光沢を放つ、ベルベットのマントを羽織っているので、ことさらだ。

だが、何より異彩を放っているのは、武器だ。

腰に短剣を履いているのは昨日と変わらないが、今日のキルトは肩に担ぐようにして特大の得物を持ち込んでいたのである。

 

身の丈を超える長大な長物の先端には、真紅のメタリックな艶を放ち、巨大な鳥類の嘴のように湾曲した片刃のブレードが輝く、ポールアーム系大型武装、大鎌(サイズ)

柄にも刃にも、鎧と対になるような見事な薔薇の細工が施されていて、時たま農夫上がりの駆け出し冒険者が携えているような麦刈り用のみすぼらしい農具とは、明らかに物が違う。

 

 

…それはユグドラシルから持ち込まれた、伝説級武装の大鎌『真紅』。

かつてアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー、ペロロンチーノが自分の前で悪役令嬢ムーブを披露させる見返りにと貢いだものであり、希少金属がふんだんに使われている。

特殊効果として、HP吸収のデータクリスタルが使われていて、攻撃時に与えたダメージ量に応じ、自身のHPを数パーセント回復できる。

かつてペロロンチーノが手がけた、ナザリックの某NPCに与えた神器級武装を作った材料の、余りを活用したものだった。

 

 

「わたくし、ダンジョンは初めてですの。リリルカさん、エスコートをお願いしますね」

 

「はい!リリにお任せください、キルト様!既に必要な手続きは終えていますので」

 

客の印象をよくするには、手間を惜しむものではない。案の定、キルトは笑顔になった。

 

「まあ、さすが気が利きますわね。大船に乗った気持ちですわ」

 

そうして、二人はダンジョンの闇に消えていった。

その後ろに、多くの有象無象の視線を引き連れながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは腕試し。

そう言ってリリルカがキルトを連れてきたのはダンジョン第6階層。

 

1階層からこの辺りまでは、出現するモンスターは代わり映えせず、コボルトやゴブリンといった人型亜人系モンスターが定番で、たまにヤモリ型モンスター、ダンジョン・リザードが壁や天井に張り付きながら素早く襲いかかってくる。

少々厄介なのが、新米殺しの異名をとるウォーシャドウ。全身が真っ黒な影の塊のようなモンスターで、長い腕に三本の鋭利な鉤爪状の指で攻撃してくる。

 

何よりも、ダンジョンに初めて挑む新米冒険者にとって、モンスターとはいえ生き物を殺す、あるいは殺そうとして逆に襲われるという体験はなかなかキツイものがある。それに耐えるか耐えられないかが試される最初の関門である。

 

さて、キルトは装備こそ立派だが、正直どこまでやれるのか、リリルカはまるで期待していなかった。ダメなら装備だけ頂いてサヨナラだ。

だから、駆け出しの死傷率が一気に高まるこの階層に連れてきたのだが、その期待は良い意味で裏切られた。

 

 

 

「せーのっ!」

 

ギェエエエ!!

 

キルトは身の丈を超える大鎌を目にも留まらぬスピードで振りぬき、正面から押し寄せたコボルトの首を一息に刈り落とした。鮮血が噴水のように吹き上がるのには目もくれず、間髪入れずにその後ろから迫っていたゴブリンの胴体を薙ぐ。

 

「次っ!」

 

さらに、不意に天井から降って来たウォーシャドウの真っ黒な皮膚を、股下から頭頂部まで綺麗に掻っ捌いた。

 

「はい、これでラスト。枯れるの早すぎじゃありませんこと?」

 

その有様に、もはやリリルカは驚きを通り越して呆れていた。

ダンジョンに潜るのは今日が初めてと言っていた癖に、肝の据わり方が尋常ではない。熱くなるでも硬くなるでもなく、ただ淡々と流れ作業でもこなすかのように、モンスターの命を大鎌で刈り取っていくのだ。

それも、ブレードの部分だけでもリリルカの全身に匹敵する肉厚の大鎌を、まるで草刈り鎌のように目にもとまらぬ速さで振り回しているので、当然そのリーチに踏み込んだモンスターはひどい有様になる。

 

あたり一帯には、まるで巨大な扇風機に巻き込まれた羽虫の群のごとく、無残なモンスターのバラバラ死骸が積み上げられていた。

運悪く一撃で首をはね飛ばされた首無し死体はまだ良い方で、四肢をバラされてのたくる芋虫や、胴体真っ二つになってモツがこぼれた変死体、あるいは刃のない部分で殴打され、脳みそが飛び散った撲殺死体などなど。

モンスターの死体から魔石剥ぎに慣れているはずのリリルカですら、思わず吐き気を催した。

 

同時に、リリルカの中でドンドン違和感が大きくなっていった。

理由は、手だ。

大なり小なり、冒険者は体に骨を折らせる仕事だ。それが顕著に表れるのが手だと、リリルカは経験的に知っている。手は嘘をつかないし、つけない。

日々モンスターを狩り、絶え間なく生傷を作り、骨折と疲労を繰り返し、やがて指先から二の腕に至るまで太くゴツく、皮膚も硬く分厚くなっていく。女性らしさとは無縁の手、それが冒険者の手だ。

なのになんだろう、あの目の前で踊る、白く細く柔らかく、白魚のように美しい手は。

茶器や刺繍道具でも持っている方がよほどふさわしい手で、何でもない事のように巨大な大鎌を振り回し、モンスターの命を刈り取っていく。

その強さを羨むより先に、存在の不気味さが際立ってしまって、内心の不安が増していった。

 

「す、すごい!流石です、キルト様!!」

 

そんなことはおくびにもださず、賞賛の声を上げる。

 

「オーホッホッホッ!この程度のこと、私の力をもってすれば簡単ですわ」

 

半ば本気の賞賛だった。これだけでもリリルカの一日分の稼ぎを大きく上回っている。

 

「まあ、ぶっちゃけ、無双系の別ゲーやってる感が強いですわね。いつもはこっそり近づいて、不意打ちヒャッハーですから」

 

「はぁ……?ま、まあ、これなら、もう少し下の階層でも行けそうですかね?」

 

リリルカは期待半分、不安半分で聞いてみた。一つ下の7階層なら、虫系の強力なモンスターが出没するため、危険だがその分稼ぎが良いのだ。

 

「ええ。正直、このあたりのモブでは手ごたえなさ過ぎですから、たぶん大丈夫ですわ。何せ、まるでクリームかムースの塊に力いっぱいナイフを突っ込んでるような感じでして」

 

リリルカには例えがイマイチよくわからなかったが、言いたいことはだいたいわかった。

 

この辺りのモンスターは爪や牙による近接攻撃をしてくるタイプしかおらず、それでは長いリーチと絶大な攻撃力を素早く繰り出せるキルトにはまるで通じない。

事実、先程からモンスターの攻撃を一発も受けることなく全滅させている。

しかも、何故かキルトはモンスターの不意打ちをほぼ正解に察知できるらしく、先程のような天井からの奇襲すら完璧に捌いてしまうのだ。

 

「では、ひとまず魔石と素材の回収をお願いしますわ」

 

「はい、お任せください!」

 

キルトがモンスターの息の根を絶やせば、次はリリルカの出番だ。

年季の入った専用のナイフを振るい、手早く魔石をぬきとれば、死骸は速やかに灰になる。

 

「何度見ても不思議な光景ですわね。魔石を剥ぐと死体が灰になるなんて」

 

「リリは迷宮のモンスターしか知りませんが、他所では違うのですか?」

 

「いえ、あちらでは魔石の代わりに金貨を残して消えますわ」

 

「え?金貨?」

 

「ええ、もちろん素材ドロップもありましてよ」

 

リリルカにしてみれば、その方が不思議だと思う。

 

「その魔石を色々なものに加工できるのですよね?」

 

「はい、オラリオの特産品です。コボルトやゴブリンから取れる小さな魔石も、こんな風に魔石照明に使われたりします」

 

リリルカは傍らに置いたランタンを指で指し示した。

どこもかしこも薄暗いダンジョンでは必需品だ。これに組み込まれた小さな魔石一つで節約すれば数日は持つ。

 

「なるほど。所々中世じみてるくせに、妙に文明的なのは魔石のおかげ、と」

 

キルトは興味深そうにランタンを眺めた。

 

迷宮を移動している間や、モンスターから魔石を剥いでいる間、手持ち無沙汰になるのか、キルトはこんな風に色々とリリルカに質問を投げかけてきた。

ダンジョンの中に現れるモンスターの強さや特徴など冒険者らしいものを聞かれることもあれば、オラリオにはどんな種族がいるのかとか常識以前の知識であったり、あるいはお酒の美味しい店はあるのかなど、たわいない世間話のようなものまで聞かれたのはさすがに辟易した。

よほどの田舎から出てきたのだろう、物知らずにもほどがある。

少々鬱陶しかったが、リリルカはそのたびに丁寧に答えていった。この程度のことで太い客の関心を買えるなら安いものだ。

 

それに、とリリルカはキルトの携える大鎌をじっと見つめた。

おそらくは第一級武装に匹敵する強力な武器だ。裏ルートで捌けば、捨て値でも今のファミリアを抜けるには十分な金額を稼げるのに違いない。だが……

 

「…?あの、何か?」

 

「…いえ、何でもありません、キルト様」

 

流石に大鎌なんて珍妙な装備を使っている冒険者は滅多にいない。いくら裏ルートといえど、流せばすぐに足がつくだろう。 あの鎧もすごいが、着込んでいる甲冑を盗むなんて至難の業だ。できれば、何か代わりになるようなものがあればよいのだが……

そんなことを考えつつ、リリルカはしばらくの間、作業に没頭した。

 

その間、キルトはリリルカの手元を興味深そうに眺めていたのだが、不意に何かに気づいたかのように、目を細めた。

 

「……リリルカさん。少しばかり、ギャラリーが増えてきましたわね?」

 

「?…ああ、アレですか」

 

キルトの目線の先を追い、リリルカが肩越しに目を向けると、同業者がチラチラと自分達を見て何事か話している。

 

この場で狩りにいそしんでいるのはリリルカ達だけではない。

ダンジョンは下層に行くほど広くなる円錐形をしているせいか、上層部の狩場は案外狭いのだ。

しかも、全冒険者の半数を構成するのはレベル1の下級冒険者なので、よほど大きなファミリアに所属してでもいない限り、次のレベルに上がるまでは12階層までの上層部で過ごす。

特に安定して稼げるこの辺りは人気の狩り場なので、時間帯よっては混雑することがしばしばあった。

今も、キルト達のほかに、数パーティほどが狩りに勤しんでいたのだが、彼らは手を止め、こちらを伺っている。

 

リリルカが知る限り、キルトのような稼ぐ冒険者に対して、同業者からこのような視線が向けられる理由は2つある。

 

一つは、もちろん嫉妬と悪意。リリルカには馴染みのものだ。

上層で活動しているのはほぼ例外なく下級冒険者であり、中には恩恵を貰ったばかりの駆け出しもいるが、大半は何年もレベル1から抜け出せないまま年を食い、いつしか主神に顧みられなくなり、ファミリアにすら居場所がなくなった中年冒険者ばかりである。

既に上を目指す心は折れているが、暮らしていくには先立つ物が必要で、さりとて今更冒険者以外の手に職を収めるには若くない。そんな彼らは何とか安全にモンスターを狩ろうと、罠や毒を使って戦い方を工夫したり、パーティを組んで協力し合ったりして、雀の涙のような日銭と経験値を稼いでいる。

冒険者は冒険してはならない、これは正しく、彼らのためにある言葉だ。

そんな連中の目に、明らかに図抜けた力を持ち、近い将来レベル2に上がっていくだろう若い同業者が、どう映っているかは容易に察することができる。

 

もう一つは、使える者をパーティに引き込んで利用し、効率よく稼ごうと、嫉妬と下心を隠して冷静に見定める者だ。

この手の輩は、これぞと見込んだ相手に取り入る。褒めちぎって優越感を刺激し、言葉巧みにパーティに誘ってしまえばしめたもの。

稼ぎは均等割り振りにすることで平等感を演出しつつ、危ない橋は丸投げして、おいしいとこだけ丸かじり。薄く広くカビのように搾取する。

さらに、次回以降のパーティの約束を無理矢理取り付けさせ、何度かダンジョンで過ごした後に、なんやかやと理由をつけて自らのファミリアへの改宗を迫り、囲い込むこともあるという。

 

そういう連中にたかられると骨だ。ある意味、リリルカの同類で、あの手この手でむしゃぶりつこうとする。ちょうど今、こちらを伺っている連中のように。

 

恐らく、キルトが大鎌をブン回している間は危なくて近づけなかったのだろう。魔石確保のために、一旦手が止まっている今がチャンスというわけだ。

 

その辺の事情を掻い摘んで説明すると、キルトはマズイものでも食べたような顔をした。

 

「……リリルカさん、河岸を変えたいのですけど、よろしくて?」

 

「はい、キルト様。ですがリリのバッグもそろそろ一杯なのです。もっと深く潜られるのでしたら、1度ギルドに戻って換金してしまいませんか?」

 

狩場に到達してからまだ半刻も経っていないが、魔石回収用の袋は限界に近かった。殲滅速度が早すぎるのだ。

 

「あら、それについては考えがありますの。悪いけど、時間がもったいないから、場所の案内を優先してお願いできるかしら?」

 

「はぁ?」

 

モンスターを倒しても、素材や魔石を持ち帰れないのでは大損だ。

リリルカとしては受け入れ難かったが、キルトは重ねて「大丈夫だ、問題ない」と言い含め、何ならこれまで手に入れたドロップは全部進呈すると言い出したので、渋々受け入れた。

 

「参りましょうか。……でも、その前に」

 

そう言うと、キルトは左手を灰になったモンスターの死骸があったあたりに突き出す。

 

いつのまにか、キルトは両手に奇妙な形をした籠手(ガントレット)を装着していた。

左手のそれは、まるで悪魔や悍ましい怪物からもぎ取ったような、見るからに禍々しい代物。目にするだけで魂を揺さぶられるような気持ち悪さが、リリルカの全身を走り抜けた。

対して右手は白を基調に、黄金が象眼された優美な形状をしていて、まるで絶世の美女を前にしたように、これまた魂が吸い込まれそうだった。

 

「起きて、強欲。喰らいなさい」

 

キルトの呼びかけに答えるように、灰の撒かれた地面から、いくつもの青い光の塊が尾を引きながら飛んで来た。そして左手の黒い籠手に、吸い込まれるように消えていく。

 

いったい何の儀式なのだろう、とリリルカは呆気に取られた。

魔法かスキルか、あるいはあの奇妙な籠手の持つ力なのか、判断はつかなかったが、とにかく何か酷く悍ましいことが行われているのだと直感した。

 

「やっぱり、雑魚を多少屠ったところで溜まるわけがないか」

 

リリルカが怯えた表情を浮かべているのを気にもせず、キルトは左手の籠手を確認して、残念そうにため息をついた。

 

「おまたせしました、行きましょうか」

 

リリルカは、引きつった笑顔を浮かべながら、頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、キル子は退屈してきていた。

 

これまでの道中で、既にリリルカから聞きたいことはあらかた聞き出していたし、MOBは雑魚ばかりである。

 

キル子は素早さ特化のビルドとはいえ、レベル100の物理職だ。物理攻撃特化型のガチムチ蛮族勢には劣るものの、筋力(STR)のステータスもそこそこある。その腕力に物を言わせ、重量級の大鎌を振り回してやれば、レベルにして7か8にもならないコボルトやゴブリンの相手など退屈極まる。スキルや魔法を使うまでもない。

まずは6階層あたりで様子を見ると、リリルカの話に乗ってはみたが、MOBの弱さも湧きの甘さも、どちらもキル子の想定を大幅に下回っていた。

 

むしろレベル100、全身を伝説級装備で揃えた準廃人様が、低レベル若葉ちゃん向けの狩り場に降り立ち、彼らがパーティを組んで必死にがんばっている横で無双しているわけなので、大人げないにもほどがある。

タチの悪い狩り場荒らしとして運営に通報され、サングラスと黒スーツのNPCに問答無用で監獄にぶち込まれても止む無しである。

 

だいたい、冒険者というのも案外つまらない。

こうして冒険者を体験してみるとわかるが、やってることは大昔の炭坑夫のようなものだ。

ダンジョンという穴倉に潜り、MOBを倒して魔石というエネルギー資源を地上へと持ち帰る。大なり小なりオラリオには無数のファミリアがあるというが、リリルカによれば、純粋にダンジョンでの魔石調達に依らずに財政を保っているのは、ヘファイストス・ファミリアくらいだという。他の生産系のファミリアも、それだけでは食べていけないのだろう。

つまり、キツい・汚い・危険と三拍子揃った3K職の典型。需要はあるのだろうが、カタギが手を出すには敷居が高かろう。ユグドラシルのように、蘇生手段があるわけではないというなら、尚更だ。

彼らをうまく使って魔石販売を独占し、安全に中間マージンを搾取しているギルドこそが、この町の真の支配者だ。

 

「キルト様、この階段を降りればもうすぐ7階です。ここから虫型モンスターが出没します。キラーアントはとにかく硬いし、ピンチになると仲間を呼びます。それにパープル・モスは蛾のように毒の鱗粉を撒くので、気をつけてください」

 

「わかりました。ありがとう、リリルカさん」

 

……それに、悪役令嬢ムーブの延長のような感じで悪ノリしてお嬢言葉なんぞ使ってみたが、そろそろキツくなってきた。ギルメンに受けを取るための一発芸ならいざ知らず、存外に面倒くさい。

どうせ、このリリルカもあらかた用済みなわけだし、最後にPKの実験台になってもらうのも良いか、などと物騒なことを考えながら、キル子は7階層への階段を降りきった。

 

「ん、これが7階ですか。あんまり代わり映えしませんのね」

 

「18階層までは、似たような洞窟が続くそうです。そこから先は森林地帯になっているとか。リリはそこまで深く潜ったことはありませんが」

 

「そうですの?いずれ行くのが楽しみですわね。では、ひとまずどこかMOBの湧きが良いところにでも……あら?」

 

キル子が思わず目を止めた先では、薄汚れた子供が三人、安全地帯のすぐそばで、一匹のゴブリンを相手にしていた。

 

「このっ!!」

 

「えい!えい!」

 

ギィイイ!!!

 

手にしているのは、どこをどう見ても薄汚れた錆だらけの鉄パイプだ。廃材置き場から持ち出してきたのだろうか。盾の代わりにしているのか、擦り切れたベニヤ板をかざしている。

 

キル子の視線を追ったのか、リリルカもそちらに目をやると、不快そうに眉をひそめた。

 

「ギルドから支給される武器を、早々に紛失したり壊してしまって、代わりに廃材や鉄パイプで武装するヘッポコな駆け出しの話はリリも耳にするのですけど……」

 

でも、これは酷い。と、単に感想はそれだけらしい。

 

廃材を握る手の指の爪はハゲかかり、ボロ布を合わせて纏った服はゴブリンの爪で引っ掻かれて、血が滲んでいる。痩せて細った体には、幾重もの生傷が刻まれていた。

それでも、垢まみれの彼らの顔に恐怖はなく、キチガイじみた必死さで、ゴブリンに打ち掛かっている。

 

「……子供、ですよ?」

 

「え?……あ、ああ、どこの神でしょうね、大して戦力にもならない子供に恩恵を与えるなんて」

 

違う、そうじゃない。

 

「たぶんダイダロス通りあたりのストリートチルドレンだと思いますが……今日は比較的安全な上の階層が混んでましたから、弾かれたんじゃないですかね。割とよくあることです」

 

ガキがダンジョンで命を張っていることに対して、彼女の中では特に疑問を覚えることではないらしい。

キル子はこの時初めてオラリオという土地に対して、明確なカルチャーギャップを覚えた。

あちらのリアルも相当ロクでもないと思っていたが、少なくとも就労可能な最小年齢に達するまでは施設にいられたし、最低限の労働教育は受けられた。まさか、それが贅沢だったと思わされる日が来るなんて……

 

粗末な武器でも、ゴブリン程度なら何とかなるようで、10回近く鉄パイプを叩きつける頃にはゴブリンは動かなくなっていた。

孤児達はすかさず死骸に群がって魔石を剥ぎ取っている。しかも、一人は辺りを警戒するためか武器を手離さず、周囲に視線を向けていた。

 

不意に、目があう。

 

「………」

 

相手は、まだ10才にも満たないような少女だ。

にも関わらず、その目に宿っているのは、獲物を奪われないかという警戒だけ。それ以外の感情は読み取れない。

かつて児童養護施設で、足りない食事や玩具を同室の子供と奪い合っていた自身が、浮かべていただろうソレ。

 

思わず、吐き気を覚えて口元を押さえた。

 

「キルト様!大丈夫ですか?」

 

「……ええ。少しだけ気分が悪くなりましたわ。大丈夫……すぐに良くなりますから」

 

「これだけ離れてても酷い臭いですからね、無理もありませんよ」

 

リリルカが鼻をつまんで、孤児達から嫌そうに顔を背けるのを、キル子は咎めなかった。

 

彼らは魔石を剥ぐと、少し休んでから、次に取り掛かった。石を投げて、モンスターを一匹ずつ引き寄せ、無理することなく倒していく。

 

その様子を見届けてから、キル子は歩き出した。リリルカが物言いたげにこちらを窺っていたが、あえて無視すると、黙ってついて来る。

 

背後では、孤児達が三匹目に取り掛かっていた。

 

「……ごめんなさいね、少しばかり、私にはショックな光景でしたから」

 

「気にしないでください、キルト様。さぁ、リリのおススメのポイントにご案内しますよ」

 

それ以降、二人は黙って歩みを進めた。

 

地肌がむき出しの通路を進み、いくつかの角を曲がった頃、やや開けた場所に着いた。

 

「ありゃ、ここもかぁ。今日は混んでますね」

 

リリルカが思わずボヤいたのも無理はない。

 

そこには既に複数のパーティがダンジョンの床や壁から湧くモンスターを相手に、狩りに勤しんでいた。

中でも、一人だけソロで狩りを行っている少年がいるのが、キル子の目を引いた。

 

「あの見覚えのある白髪頭は、確か……?」

 

「お知り合いですか、キルト様?」

 

「いえ、わたくしが一方的に彼を知っているだけですわ」

 

少年、ベル・クラネルが諸刃の剣を両手で振るうと、青白い稲妻が光り、巨大な蟻型のモンスターは硬そうな甲殻ごと切り裂かれた。

武器に反して、防具は革で補強されたレザージャケットのみのようだ。鋭い鉤爪による攻撃で、いくつも生傷を作っている。なんともチグハグ感が否めなかった。

それもそのはず、彼が手にしているのは、キル子がヘスティアに渡した伝説級装備『感電びりびり丸』だ。

 

モンスターはまだ息があるのかビクビクと蠢いていたが、感電しているのだろう、マトモに動けないところをベルが素早くトドメを刺した。中々慣れた手際だ。

だが、剣がよほど重いのか、ベルは額に脂汗を浮かべ、足下もよたついている。疲労困憊といった有様だ。 疲れからか、攻撃も単調になりがちで、ミスも目立っている。

 

まあ、レベル10にも満たないステータスでは、軽量な片手剣とはいえ伝説級装備を扱うのはきついのだろう。ステータス不足で、素早さにマイナス補正がかかっているのかもしれない。

 

「……ソロに使えないこともないのですけど。あの片手剣、本来は盾装備のタンク職が牽制のために持つものでしてよ」

 

傍らで、同じようにベルの片手剣に熱い視線を送っていたリリルカに、そう解説する。

この子はどうも武器や防具に興味があるらしく、先ほど狩りをしていた際にも、キル子の大鎌や鎧に似たような目を向けていた。

 

「え?……はぁ、そうなのですか?」

 

本来は「剣を手放しても盾は捨てるな」とされる重装備のタンク職、セイント・ガーディアンやヘヴィ・ディフェンダーあたりが、MOBのヘイトを集める傍らに気休めに〈硬直(スタン)〉を入れるための装備だ。

そうキル子は説明したのだが、リリルカには意味がよく分からなかったようで、曖昧な笑みを浮かべている。

 

「ええ、軽くて片手で振り回せて、スタンを発生させやすいことを前提にしてるの。だから、攻撃力はほとんど考慮されてないのよ」

 

伝説級以上の装備となると、コンセプトを決めて、自らのビルドに合うように作り込みを行うのが普通だ。

例えば、今キル子が携えている大鎌『真紅』も、一見ネタに走っているように見えなくもないが、対モンスター用の狩り装備としては一級品である。

その心は、デスペナルティを受けた後の辛く苦しいレベル上げを楽にするため、とのこと。

アレでペロロンチーノはビルドについてはギルド、アインズ・ウール・ゴウンの中でもガチ勢に分類される。

 

キル子の見たところ、ベル・クラネルはやや素早さ(AGI)よりのバランス型ファイター。いずれスピード重視の軽戦士(フェンサー)に向かうか、キル子のような一撃必殺のアサシン系ビルドに走るかするだろう。

そういう意味では軽量な片手剣というのは決して間違った選択ではないのだが、レベル10にも満たない筋力値(STR)で伝説級装備を扱うのは、流石に無理がある。

 

オーソドックスな片手剣なら職種やビルドを問わず装備可能だからと、ヘスティアに適当に見繕ったのだが、こういうことになるなら、もっとキチンとしたのを渡すべきだっただろうか?

 

「まあ、問題はそれよりバックファイアの方なのだけどね……それに、彼の周りもギャラリーがうるさそうですわ」

 

ベルに対して、周囲で狩りをしている連中から、先ほどまでキルト達に向けられていたものと、同じ視線が注がれていた。

 

狩り効率アップのためにパーティに誘う程度のことなら、キル子も放置したろうが、どうも彼らの興味の大半はベルの持つ片手剣にあるようだ。

 

振るう度に青白い稲妻を生み出し、派手なエフェクトと共に硬いモンスターを一刀両断する魔剣だ。見た目は飾り気のないオーソドックスな片手剣なので、持ち歩くだけなら悪目立ちはしないだろうと踏んでいたが、これだけの戦果をたたき出してしまえば目立つのも仕方ない。

 

ダンジョンというのは事実上の無法地帯であり、中で何が行われようが目撃者の口を封じてしまえばどうとでもなるという。つまり、追いはぎだろうが強盗だろうが、死して屍拾う者無し。

ベルを囲む状況はあまりはよくない。もう少し人目が減れば、その瞬間に奴らは行動を起こすだろう。

 

さて、どうしたものかとキル子は考える。

 

ヘスティア・ファミリア自体にはもう興味はない。ベルがヘスティアのお手つきなのは明らかなので、キル子的にはなんら旨みがないのだ。

しかし、ベルがキル子の渡した剣をうまく使ってレベルを上げるのなら、それはそれで結構なことだが、万が一彼が襲われ、剣を奪われて出所を詮索されるようなことになれば、ちょっと面倒くさい。

 

そうならないようにするためには、ベル自身に自衛力を持たせればよい。つまり、レベルアップ作業の底上げしてやれば良いのだ。

キル子が原因だと言えなくもないし、見てしまった後で知らぬふりをするのも、きまりが悪い。

 

「止むを得ないか……ねえ、そこの貴方!」

 

ちょうどベルは剣を地面に突き刺して息を整えていたのだが、そこにキル子は声をかけた。

 

ファサっと縦ロールの豪奢な金髪を梳くと、斜め60°の角度から目線を流し、口元には不敵な笑みを絶やさずに、両手を組んで胸を反らす。

悪役令嬢ムーブの掟、初対面の相手には出来るだけ高飛車な態度でツンと上から目線を飛ばすこと、である。

 

「……えっと、もしかして僕のことですか?」

 

ベルは一瞬だけ、なんかすごい人が来ちゃったなぁ的な表情をした。

だが、その視線はすぐに甲冑によって強調されたキルトの豊かな胸に行き、慌てて逸れる。……かわゆす。思春期の少年らしいなぁ。おのれ、ヘスティアのお手つきじゃなければ絶対に放っておかないのに!

 

「ええ、そうですわ。貴方、よろしくってよ」

 

そう言ってベルの手をとって自分の手で包み、グイっと顔を寄せる。小柄なベルよりキルトの方が身長は一回り上だ。そのため、ちょうどベルの視線は強制的にキルトの胸のあたりに釘付けとなる。

 

案の定、ベルは目を白黒させると、真っ赤になってしまった。

 

「わたくしの名はキルト、こちらはサポーターのリリルカさんですわ。いかがかしら、わたくし達のパーティに参加しませんこと?後悔はさせませんわ」

 

ドギマギする思春期の少年をからかうという新たな喜びに目覚めたキル子は、自身も気分が高揚しながら、ここぞと攻める。

 

威力抜群の攻撃に、ベルは速攻で陥落した。

 

「アッハイ、ベル・クラネルです!よろしくお願いします!」

 

……実は、ベルは連日に渡ってギルドの受付嬢兼専属アドバイザー、エイナ・チュールにより、年上美人属性への耐性をガリガリ削られまくっていた。

また、そもそも誰かにパーティに誘われるのは初めての経験であり、その相手が金髪縦ロールの美人とくれば、彼に断る理由は何もない。

何せ、祖父の教育によるものとは言え、彼がダンジョンに潜る理由は「女の子との出会いを求めて」なのである。

 

……もちろん、そんな事情をキル子が知るはずもなく、あまりにチョロ過ぎるので逆に不安になってしまった。

何故かダメなところが彼の主神によく似ている気がする。他にも何か、詐欺にあっていないか心配である。

 

「ふふふ、有望な若い戦力ゲットですわ!たぎって参りましたわね、リリルカさん!!」

 

ベルは頬をうっすらと染めてキルトの顔をチラ見しており、その視線にキルトことキル子の方もまんざらではない。若い子のエロい視線に晒されるなんて、何年ぶりだろうか。

 

「アッハイ」

 

そんな二人をリリルカがジト目で見つめながら、生返事をした。

 

この時、キル子はベルをからかうのとは別の理由で、少しばかりワクワクしていた。

レベルがカンストし、ビルドが固まってからは、ほとんどソロでPKばかりであり、狩場で突発的に野良パーティを組むなんて、本当に久方ぶりだったから。

 

「さて、パーティを組んだからには、キチッと仕切らせて頂きますわ。まずは、ベルくん!」

 

「はい!」

 

キル子がビシッと指差すと、ベルは律儀に手を挙げた。

その手を掴み、キル子はベルの手を包んでいた革のグローブを抜き取る。中身の素肌は、予想した通り酷い状態だった。

 

「やっぱり。無理してたでしょう?」

 

「はい。……すみません」

 

キル子が問答無用で取り出した赤ポーションをぶっかけて治療すると、ベルはバツの悪そうな顔をした。

ベルは隠していたようだが、キル子の【死神の目】は誤魔化せない。傷を受けた様子もないのにHPがジリジリ減っていれば何事かと思うのは当然だった。

 

これは雷属性攻撃のバックファイアによる火傷である。強力な属性攻撃に特化させた場合、使ったデータクリスタルによっては、使用者に僅かにダメージが入ってしまうことがあるのだ。

ユグドラシルの高レベルプレイヤーになれば、各属性攻撃や、感電等の状態異常に対する手段くらいは持っているのが普通であり、まず問題にはならないのだが、こちらの駆け出し冒険者のベルに、そんな備えがあるはずもない。

 

傷はまだ深刻なものではなかったが、放っておけば、いずれ神経をやられただろう。

 

「この剣は、ファミリアの神様が僕にくれた物なんです。それに、効果がとても強かったから、つい」

 

「その心意気は立派です。でも、それで体をやられたら本末転倒ですわよ。まあ、革手袋で掌を保護したのは悪いアイデアではないけれど、汗を吸って湿り気を帯びれば当然電気を通します。ひとまず、これを貸すから、狩りの間は付けっ放しにしておきなさい」

 

そう言って、キル子がインベントリから取り出したのは、一個の指輪だった。翠と白の螺旋が複雑に絡みあった、美しい形状をしたものだ。

 

指輪の銘は『風神と雷神の指輪』。風属性と雷属性に対する完全耐性を備えたアイテムで、属性に付随する感電等の状態異常も粗方無効化できる。

 

キル子はアンデッドであるため、他の種族より状態異常には耐性がある。だが、全ての属性に対する耐性を手に入れるのはユグドラシルのシステム的に不可能なので、状況に応じて複数の耐性装備を付け替えられるようにしている。これを持っていたのは、実はゾンビのキル子には肉無しのスケルトン系と違って感電による〈硬直(スタン)〉の状態異常が有効なのだ。

普段はさらに複数の無効や耐性を与えてくれるアイテムを使っているが、デスペナルティによるドロップもありえるので、念のために携帯している一品だった。

 

指輪の効果を簡単に説明し、恐縮するベルに半ば無理矢理身につけさせれば、今度はリリルカの番だ。

 

「リリルカさん、確か貴方、自衛用にクロスボウをお持ちなのですよね?」

 

「はい、一応持ってはいますけど……リリはあまり得意ではありません。あくまで、一発撃って逃げるためのものです」

 

「ふむ、射程はどれほど?」

 

「そうですね、5メドルくらいならあてられるとは思います」

 

「十分ですわ。では、貴方には"釣り役"をお願いいたします」

 

「釣り、ですか?」

 

聞き慣れない言葉だったのだろう、リリルカは首を傾げている。

 

「これを使ってください。命中率重視で、かなり軽く作ってありますから、たぶんリリルカさんでも余裕で使えると思いますわ」

 

そう言って、キル子は黒く艶のない塗装をされた、小振りなクロスボウをリリルカに渡した。

 

「?………なにこれ、軽っ!」

 

差し出されたクロスボウを両手で受け取ったリリルカは、あまりの軽さに驚いたように声を上げた。

 

この弩は、アルティメット・シューティングスター・クロスボウ・ライトプラス。命中率補正がついた装備で、射程が長く、しかも軽く作ってある。だが、その分威力は低い。

 

何故こんなものを持ち歩いていたかといえば、滅多にないことだが、ギルド内でパーティ狩りをするときには、キル子の役割上、必須だからである。

キル子のビルドは徹底的に対人特化なので、MOB相手の真っ当な狩りの火力はカンストプレイヤーにしては、とても低い。パーティにおいては火力以外の役目を担うことになる。

とはいえタンクやヒーラーが出来るわけはなく、必然的にやれることは足の速さを活かした釣り役、つまり狩り場において少し離れた位置に散らばっているMOBをパーティまでかき集めて誘導するというロールに限られる。

その場合、余り威力の高い弓を使うと、釣ってきてもタンクがヘイトを引きはがせないことがあるので、威力は最低に抑え、且つなるべく多くのMOBを釣れるように射程は最大に調整してある。

おかげで必要筋力値も極めて低く、それこそリリルカでも使えてしまう。

 

矢の方は、ユグドラシルで俗に『無限弾』と呼ばれるものを渡した。威力がかなり低いが、矢筒の中にほぼ無尽蔵に補給されるタイプなので、弾切れがない。

序盤から中盤まではよくお世話になるので、そこそこレアだが、高難易度の狩り場に行くと威力が足りなさすぎて見向きもされなくなるアイテムの筆頭だった。

 

「いえ、すみません。矢が無限に出てくるとか、その時点で常識がおかしいです」

 

リリルカは真顔で突っ込んだが、キル子に言わせればこんな豆鉄砲なぞダメージ軽減系のパッシブスキルを常備しているMOBがわんさか出てくる、60台後半以降の狩り場になれば、釣り以外には何の役にもたたない。

しかし、逆に言えば、釣りには使える。

 

キル子はリリルカにはアーチャーの才能があると思っている。魔石剥ぎの手際から、器用さ(DEX)が高いのは確認済みだ。

それに、リリルカの持つ装備重量を軽減するスキルはユグドラシルにもあった。要求筋力値の高い超重量型装備に身を包んだタンクか、重量のある高威力の遠距離武装を持ったガンナーやアーチャー系の職業が取得できるのだ。

リリルカの体格ではタンクはきついだろうが、アーチャーならやってやれないことはないだろう。

 

各々の役割を言い含めて、ようやくパーティとして動く準備が整った。

 

「行きます!!」

 

まず、リリルカがクロスボウで離れた所の獲物を狙い、敵意(ヘイト)を買う。

 

「はぁっ!!」

 

MOBが近寄ってきたところをすかさずベルが一撃入れ〈硬直〉状態にして無力化。

 

「オーッホッホッホ!!おかわりどうぞ、ですわ!!」

 

そして、キル子が大鎌でトドメを刺す。

 

最後にリリルカが死骸から魔石を剥いで、あとは再び次の獲物を釣るだけだ。

 

「ほんと、すぐに終わりますね。キラーアントって殻が硬いから、結構厄介なモンスターの筈なんですけど。……とりあえず魔石、魔石っと」

 

このサイクルは思いの外うまくいった。

 

リリルカは狩りに参加することで多少なりとも経験値を稼げる上に、釣りによってMOBの処理効率向上に貢献できる。コレに伴って、当初の契約より取り分を引き上げることにしたから、本人的にはウハウハである。それに、キル子が渡したクロスボウはこの階層のMOBならば一撃で体力を削りきることもしばしばで、リリルカは何故かそのことに異様に興奮していた。

 

また、それまでモンスターの居るところを駆け回っていたベルは、体力を温存しつつ力を溜めた一撃を放つことでミスが少なくなった。一匹ずつ釣ってくることで複数のモンスターに囲まれる危険も減る。結果的にソロでは不可能な数のMOBを処理することが可能になった。

 

キル子にしてみれば、相変わらず豆腐のようなMOBを一撃で殺す簡単なお仕事なのだが、釣りによってMOB湧きの頻度が改善されたため、そう悪くはない。

 

ただし、問題もあった。

 

「リリルカさん、大丈夫ですか?」

 

「り、リリで…結構、ですよ…ベル、様……」

 

30匹もモンスターを狩った頃には、リリルカは披露困憊といった有様で、ハアハアと荒い息を吐いていた。

 

「やっぱり、リリルカさんの負担が大きくなりすぎますわね。釣り役と解体役の兼務ですから、無理もないけど」

 

「だ、大丈夫です、キルト、様。か、かせげる…時に、稼がないと……食いっぱぐれますから……まだ、いけます……!」

 

全身汗まみれで疲れ切ってはいるが、リリルカの目は「¥」マークが浮かんでいる。

 

「その銭ゲバ根性は買いますけどね、実際問題、このままでは疲労で効率が落ちますわ」

 

「うっ」

 

反論できなかったようで、リリルカはうなだれた。

 

「そこで、ちょっとした提案があるのですけれど、よろしくて?」

 

悪戯っぽい笑みを浮かべたキル子の提案を、ベルは満面の笑みで了承し、逆にリリルカはかなり渋ったが、最後には折れた。

 

「では、みなさん!よろしくお願いしますわ!」

 

少し後、その場にはキルト達三人の他に、階段付近でゴブリンを相手にしていた孤児達が、狐につままれたような顔をして立っていた。

 

「とりあえず魔石剥ぎだけしてくれればいいです。ただし、取り分は1割ですから!そこんとこ、勘違いしないようにしてくださいね」

 

リリルカが不信感を滲ませた目で説明すると、彼らはコクコクと頷いた。

 

普段は三人でがんばってもゴブリンやコボルト数匹が良いところらしく、チャンスを与えられてギラギラと目が輝いている。

 

「もう少し分けてあげても良いんじゃないかな、リリ。このやり方なら効率もよくなることだし……」

 

ベル・クラネルは彼らの格好を見て心を痛めたのか、そう提案したが、リリルカは一も二もなくはねつけた。

 

「ベル様は甘すぎます。ちゃんと目を光らせてないと、魔石をちょろまかすぐらいは普通にやりかねません」

 

「リリは厳しいね」

 

「……そのくらいしないと、スラムで孤児が生き残れるもんですか」

 

ボソッと呟くようにリリルカが漏らした最後の一言は、声が小さすぎてキル子以外には聞こえなかっただろう。

なるほど、同病は相憐れむのではなく憎むのか、とキル子は妙に納得した。

 

「ともかく、これでリリルカさんは釣りに専念できますし、解体も三人いればはかどりますわ。徹底的に狩って狩って狩りまくりましょう!!」

 

「「「おー!!」」」

 

 

 

 

そこからの効率はひどかった。

 

狩り場に湧く虫型モンスターは次々にキル子達のパーティに群がり、瞬く間に殲滅されていく。まさに飛んで火にいる夏の虫。

その尋常ではない狩り速度に、周りで狩りをしていたパーティも、呆然として見守るほか無かった。

 

「……なんだありゃ」

 

「ひでえや、キラーアントがゴミみたいに狩り尽くされてる」

 

「何か虫に恨みでもあるのか?」

 

「でも、これ俺らの獲物も引っ張られてね?」

 

「いや、キラーアントは数が多いし、仲間を引き寄せる。あっちに引きつけられるなら、俺らはそのケツを殴って必要な数だけ自分のとこに引っ張ればいい。むしろ安全だ」

 

「だな。しかし、あの二人、かなり装備がいいぜ」

 

「ああ、そうだな……それにあの分なら、だいぶ疲れてくれるだろうなぁ……?」

 

「女の方は、結構な上玉だ……」

 

「やるなら、魔石と素材をたっぷり詰め込んだタイミングで。……後は、分かるな?」

 

怪しい目付きでキルトとベルを眺める外野の声はさておき、狩りそのものは頗る順調だった。

 

最初はリリルカの危惧したとおり、服や靴の裏に魔石を隠そうとしていた孤児達だったが、すぐにそんな余裕はなくなった。余りにも処理すべきモンスターの死体が多すぎるのだ。

彼らの非力な腕では、魔石を剥ぐ作業も一苦労であり、三人そろってようやくリリルカ一人分。油断していると、死体の山が積もり上がって酷いことになる。必然、必死に作業に集中するはめになった。

死体を剥いでは魔石と素材に分別し、渡された袋に放り込む。その単純作業を延々とこなしていると、余計なこと考える余裕もなくなるのだ。

 

しかも、ドロップ品を収めるためにと、キル子が彼らに渡した袋というのは、ユグドラシルの定番アイテム無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)。 名前に反し、体積を無視して重量にして500キロまで入る袋だ。

この袋に入れてあるアイテムはショートカットに登録することができるため、複数のアイテムを使いこなして戦闘を行うタイプのキル子などは、大量の予備品を持ち歩いている。それを都合したのだ。

なお、これの存在を知ったときのリリルカの反応は、ちょっとした見物であり「サポーターの仕事がなくなりますぅ!!」と涙目で訴えた顔が滑稽だったので、キル子は思わず吹き出した。

 

狩りの合間に昼食と休憩を挟み、モンスターを枯らさないよう適度に狩り場を移動しつつ、彼らは数刻に渡って狩りを続けた。

 

結果、用意した袋の容量限界まで、魔石と素材をため込むことになったのだが、流石にそこで限界を迎えた。

 

「みなさん、ひとまず本日の狩りはこれで切り上げましょう。お疲れ様ですわ!」

 

最後にお約束のように世界級アイテム『強欲と無欲』を使って経験値を吸い上げると、キル子は狩りの終了を宣言した。

 

「お疲れ様でした!!」

 

意外にも体力があったようで、ベルは額に浮かんだ汗をぬぐい、さわやかな笑顔を浮かべている。

逆にリリルカと孤児達はもう限界で、その場に座り込んでやけくそ気味に叫んだ。

 

「お疲れさまですぅ!」

 

「「「おつかれです!」」」

 

この分では、誰かが引率してやらないと、地上まで無事につけるか怪しいところだろう。荷物の重さを無視できるタイプの無限の背負い袋を渡したのが救いか。

 

「さて皆様、すこぉし、わたくしはこの場でやることがありますので。先に上に戻っていてくださらないかしら」

 

キル子は背後を見やりながら、そう提案した。

 

後ろを向いているので、どんな表情を浮かべているのかベル達には分からなかったろうが、リリルカだけは何かを感じ取ったのか、怯えるように後ずさった。

 

「キルトさんなら大丈夫だと思いますけど、本当に一人で平気ですか?」

 

心配そうなベルに対して、キル子は振り返ると、花のような笑みを見せた。

こういうところは、やはり男の子だ。好感が持てる。

 

「ええ、すぐに追いつきますわ。ほんのちょっとした野暮用ですので」

 

あっ、と何かを察したように、ベルは赤くなって急にうつむいた。

なお、ダンジョンで探索を行う冒険者のトイレ事情について、彼が何かを勘違いしたとしても無理はないだろう。

 

追い立てられるようにベル達が上への階段に消えたのを見送ると、キルトは笑みを消し、再び背後を振り返った。

 

そこには、同じフロアで狩りに勤しんでいたはずの冒険者達が、剣呑な空気を纏って勢揃いしていた。

 

「……あら、皆様も狩りを終えられたのですか?」

 

「いや、俺らの狩りはこれからが本番さ。まあ、獲物はモンスターじゃねーけどな」

 

まあ、予想はしていた。聞き耳スキルのおかげで、彼らの内緒話は筒抜けだったのだから。

 

「なるほど?考えることは同じですわね。……少し偽善が過ぎたから、私もここらで帳尻を合わせておかないと、気持ちが悪くて仕方がないのよ」

 

ヘラヘラと笑う男達に、キル子もにっこりと笑顔を返した。ベル達に向けていたのとは、明らかに種類の違う笑みを。

 

【擬態・解除】【変身・解除】【変装・解除】

 

そして、ひた隠しにしてきた異形種としての本性を、むき出しにする。

 

【クリティカルヒット無効】、【精神作用無効】、【飲食不要】、【毒・病気・睡眠・麻痺・即死無効】、【死霊魔法耐性】、【酸素不要】、【能力値ダメージ無効】、【エナジードレイン無効】、【ネガティブエナジー回復】、【闇視】、【対人間種与ダメージ倍増】、【対人間種被ダメージ半減】、【対プレイヤー与ダメージ倍増】、【クリティカル発生率上昇】、【攻撃速度上昇】、【回避率上昇】、【通常攻撃即死発生率上昇】、【隠蔽率上昇】、【情報魔法阻害率上昇】、【探知能力阻害率上昇】、【瞬影】、【絶影】、【悪意のオーラⅤ】……etcetc。

 

これまで人間種に擬態することと引き替えに失っていた、異形種固有の特殊能力や、あえてオフにしていたパッシヴスキル等が一斉に立ち上がり、ステータスも劇的に上昇。

 

耳まで裂け、乱ぐい歯がむき出しになった口を見たとき、ようやく冒険者達は目の前の相手が、本来自分たちが正しく倒すべき相手、モンスターなのだと気付いた。

もちろん、気付くのは遅すぎたし、彼らの適正レベルからは遙かに逸脱した怪物だったのだが。

 

「イケメン以外に人権は存在しないんで。せいぜい経験値になってどうぞ」

 

言うが早いか、キル子はアサシン系上位職業専用の特殊スキルを発動した。

 

「【冥府の手(ネザーハンズ)】!!」

 

同時に地面から夥しい数の青白い腕が生え、冒険者達の足首をつかんで拘束する。

 

これは術者から一定範囲内の対象を移動不可状態に陥らせるスキルだが、拘束時間は短く、最大でも10数秒ほど。時間経過によって勝手に解除されてしまうので、使い勝手はあまりよくない。

また、レベル100クラスの物理ステータスがあれば、さほど苦労することなく抜け出すことができるために、本来は牽制程度にしか使い道がないスキルである。

 

故に、彼らには正しく対処不可能な「冥府の手」となり得た。

 

「な、何だこりゃぁ!!」

 

「ヒィィ!!」

 

地面にガッシリと拘束され、身動きを取ることもままならない。そんな対象は、キル子にとってそこらのMOBと大差がなかった。

 

「まず、ひと~つ」

 

赤く輝く大鎌が、己の足首をつかむ手を外そうと、もがいていた男の首を落とした。

 

それは単なる通常攻撃ではない。首切りによる即死攻撃を100%の確率で発生させるアサシン系の定番スキル【首狩りの一撃(ヴォーパル・スラッシュ)】。

あまりにもレベル差のある相手には、いっそ大人げないほどエゲツない蹂躙であった。

 

「う~~ん、スキルは発動してるっぽいし、使い勝手に変わりなしと。次」

 

淡々と状況を見定め、手になじんだ能力と実際の効果を確かめつつ、さらなる実験のために大鎌を振るう。

 

「ふた~つ!」

 

鮮血が蛇口から零れるように頭のない首から吹き出し、男の仲間がそれに目を奪われている間にさらにもう一撃。今度は一振りで首二つ、鮮やかに宙に舞う。

 

「ゆ、許して下さい!!ご、ごめんなっ…!!」   

 

ソレを見て、ようやく状況を悟ると同時にその場に土下座し、謝罪を言の葉に乗せた者もいた。が……

 

ザシュッ!!

 

「みぃ~~っつ!!」

 

当然、謝罪の言葉など最初から聞く気があるはずもなく、嬉々として速やかに斬首。

 

あまりにも軽々と、疾く命を刈り取った。

 

「ぶっちゃけ、あんたらクソ弱すぎよ。せめてベート様くらい耐久値がないと、特攻が効いてるんだか分からないじゃない?リリルカさんより使えないわ」

 

ようやく目撃者を気にすることなく異形種としての姿とアサシンビルドを解放し、本来頼みとする強力なスキル群の使い勝手を思う存分試せるというのに、これでは検証作業がはかどらない。

 

不機嫌そうにつぶやくと、キル子は足下の首無し死体を蹴り上げた。

 

蹴られた死体は、未だ息の続いている仲間達の方へと一目散に吹っ飛ぶと、見事なストライクが決まった。ボーリングのピンのように、足をつかまれ身動きのとれない数人の冒険者が、無様に倒れ込む。

 

「はい、さようなら」

 

キル子が指をパチリと弾くと、蹴り飛ばされた死体は内部から膨れあがり、周囲の冒険者達を巻き添えにして、盛大に爆発した。

 

死体データを爆弾に改造して、その最大HP量に等しい値の負属性ダメージをばらまくスキル【死体爆弾(ネクロボム)】。

 

本来はプレイヤーの死体データや、使い魔として呼び出したアンデッド系のモンスターに施すスキルで、対象が蘇生魔法を受けたときに魔法の使用者ごと吹き飛ばしたり、使い魔が倒れた時に周囲のプレイヤーを巻き添えにして起爆するという、PKに大変便利な能力だ。

しかも、この爆発は強いノックバック効果や病気、盲目、聴覚消失等の複数のバッドステータスをばら撒くことができる。

また、対象がアンデッドなら自分にも仕掛けることもできるので、運悪くキルされた場合にも、相手を道連れにすることができるので、非常に使い勝手が良い。

キルカウントを稼ぐために、キル子が好んで使う18番である。

 

「あら、今ので皆殺しかと思ったら」

 

「……ひ、ひにたくなひ…ひにた…!」

 

運がいいのか悪いのか、一人胴体を吹き飛ばされて、上半身だけになっているのに、まだ溢れた臓物を引きずって逃げだそうとしている男がいた。

 

「苦しむ間もなく首をすぱぁん!」

 

慈悲深くも、キル子は笑いながらトドメを刺した。

 

スッパリと切断された切り口は芸術的なまでになめらかな切断面を晒し、そこからドクンドクンと赤ワインじみた血液が迸るのが大変に美しい。

切り落とされた首の方は、涙と鼻水と吐血にまみれ、必死の形相をしているが、おそらくは自分が死んだことに気がつく前に逝ったことだろう。

 

「南無南無、と。あ~〜、すっとした。やっぱモヤモヤしたらPKに限るわ!」

 

キル子は笑顔を浮かべた。

 

厄介な便秘が数日ぶりに解消したかのような、とてつもなくさわやかな笑顔だった。

そして、ケケケケッ!!と邪悪な笑い声をあげる。それは階層の隅々にまでに響き渡り、木霊した。

 

そのあまりにも不気味な嘲笑は、周囲を探索していた罪のない冒険者達の心胆を寒からしめ、ギルドを中心に出回っていた「亡霊」の噂を助長したが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さま、おまたせしましたわ」

 

とてつもなく機嫌の良さそうな笑顔を浮かべたキルトが、ベル達に合流したのは間もなくのことだった。

 

ベルは村で暮らしていた頃に、便秘に悩むおばさん達の井戸端会議に参加し、あけすけな会話を聞かされたことがあったため、特に遅れた理由については詮索しなかった。

何故か怯えた表情のリリルカや、疲れていてそれどころではない孤児達も、理由は問わなかった。

 

それからは特に大事なく地上までたどり着き、キルトが貸し出したアイテムを回収したり、ギルドで素材や魔石の換金を済ませた頃には、日はとっくに西の空に沈んでいた。

 

「換金終了しました!しめて7万とんで300ヴァリスでしたっ!!皆さまお疲れ様です!」

 

リリルカが凄まじくいい笑顔で報告した。今日一番の笑顔だろう。

それも無理はない。平均的なレベル1の冒険者5人パーティーで、1日に稼げるのが25000ヴァリスほどとされている。孤児達3人は戦力外としても、3倍近い金額を稼いだことになる。

 

「ではまずキルト様の取り分が4割、お受け取りください」

 

キルトは確かめもせず、ヴァリスの入った小袋を受け取った。

 

「次にベル様は3割になります。お確かめください」

 

次にベルが嬉しそうに分け前を受け取る。いつもの彼の稼ぎの4倍近かった。

 

「僭越ながらリリは2割ほど頂きます。ありがとうございました」

 

リリルカはホクホクしながら、取り分を懐に収めた。

 

「で、最後にこれが貴方達の取り分です。なくすんじゃありませんよ」

 

リリルカは真剣な表情で、孤児達に三等分した分け前をそれぞれ小袋に分けて渡した。

孤児達はそれを即座に服の下に隠した。そうしなければ、すぐに誰かに奪われるとばかりに。おそらく、彼らはそんな生活に身を置いているのだろう。

 

「貴方達、これを」

 

キルトは手にしたままだった自分の取り分を、彼らに押し付けるように渡した。

 

「それで体を清めて、まず服を買いなさい。武器や防具を揃えて、お腹いっぱい食べて寝て、力を養ってからまたダンジョンに挑むのよ」

 

孤児達はビックリしたように、押し付けられたヴァリスの詰まった袋と、キルトの顔を見比べていたが、揃ってペコリと頭を下げた。そして、夜のオラリオに消えていく。

 

その様子を、ベルは尊いものでも見るように、リリルカは羨ましそうに、あるいは嫉しそうに見ていた。

 

「……キルト様は、お優しいことで」

 

「あら、偽善はお嫌い?」

 

キルトが意地悪そうに流し目を寄越すと、リリルカは俯いた。表情を見られないようにと。

 

「……では、お疲れ様でした。もう遅いので、リリはこれで失礼させて頂きます。また御用があれば、サポーターのリリをよろしくお願いします」

 

勢いよく頭を下げて、リリルカも去っていった。まるで、すぐにこの場を去りたい理由でもあるかのように。

 

「さて、ではわたくしもこれで失礼しますが、ベルくん。……これ、忘れ物よ」

 

そう言って、キルトがベルに差し出したのは、彼が腰に履いているはずの片手剣だった。

 

「え?あれ、ない?!」

 

鞘が空っぽなのを目にして、ベルは慌ててキルトから剣を受け取った。

 

「もう、いくら疲れていても、主神からのプレゼントを"うっかり落として"しまうなんて、酷いですわ」

 

「あ、ありがとうございます、キルトさん!助かりました!」

 

「気をつけてくださいね。さもないと、今度こそ小さな妖精に持っていかれてしまいますわ」

 

そして、これはわたくしから、と言って例の指輪をベルに手渡した。

 

「これ、すごく高いんじゃないですか?!」

 

顔には欲しいと書いてあるが、それでも受け取れないと固辞するベルの様子が初々しく、つい要らぬお節介を焼いてしまうのだと、何の恥じらいもなく告げる。

 

「いずれ、それが必要なくなるくらい強くなったら、返しに来てね。それまで、君に預けておくから」

 

そう、柔らかな笑顔でやんわりと押し返されると、ベルはもう受け取るしかなかった。

 

「いずれ、必ずお返しします!」

 

「待ってるわ。それから、もう一つ。可愛らしい花には棘があるものです。それが荒れた野に咲く花なら、なおのこと。それを覚えておいて。出来れば、花の良さを見てあげてね」

 

首を傾げるベルに、ミステリアスな言葉を残して、キルトもまた去っていった。

 

後に残されたベルが、その言葉の意味を身をもって理解したのは、その数日後のことである。

 

 

 

 




花粉が殺しにくるんや…ダメぽ…orz


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第7話

オラリオ。

それは世界で唯一、いと昏き地の底へと続く迷宮の存在する都市。

一攫千金を夢見て数多くのはぐれ者や鼻摘まみ者、集団に馴染めなかった一匹オオカミ、あるいは腕に覚えのある無鉄砲な若者が集う街。

冒険者達が持ち帰る魔石を目当てにして、世界中から商人や職人が集い、今なお無秩序な開発が続く土地。

 

男は両親のように小作農として生きて、死にたくはなかった。

都会に憧れた。

デカイ金を掴んでみたかった。

だから、故郷を飛び出して、冒険者になった。

 

けれど。

 

「出せ、今日の分だ」

 

気がついたら、3人の小汚い餓鬼どもに、剣をチラつかせ、金をせびっていた。

 

 

 

 

 

 

ファミリアから任された路地の一つ、その住民から花代を徴収する。それが男のシノギだ。

 

路地に店を構える店主や屋台の親父、立ちんぼの売春婦、あるいは軒先で夜露を凌ぐ乞食や浮浪児どもからも、数日おきに相応の額をせびり取る。もちろん、多く稼いでるなら多く取る。

代わりに他の組織から守ってやる、というのが建前だが、だいたいは上の方で話がついている。例外は、この町の仕組みを知らない余所者だけだ。

 

たとえレベル1でも恩恵を受けてステイタスを得た人間の力は、恩恵を持たない者の及ぶところではない。大概の余所者は相手にもならないし、何よりカモから金を脅し取るには都合がいい。

冒険者というのは、暴力を以て身を立てる裏社会にはとても便利な存在で、何処の横丁にもドロップアウトした元冒険者が無数にひしめいている。男も、今やそんな最末端の一人だった。

 

日々、低階層のダンジョンに潜ってケチな日銭を稼ぐ傍ら、花代を集めて上納金のノルマをこなす。

そうすれば、運が良ければほんの一口、アレを口にする機会が巡ってくる。

 

かつては違った。もう少しマシなものになれるはずだった。そう夢を見てこの町に来た。

だが、現実は冷徹で冷酷で、どこまでも無慈悲だ。

 

所詮、小作農の小倅が知っているのは鋤の振り方と、種のまき方、作物の刈り方くらいなもので、ろくに教育を受けた訳でも無ければ、字も書けはしない。

ギルドでの登録時に職員に代筆させた筆跡を真似て、なんとか自分の名前が書ける、その程度。それでさえ、かなり怪しいものだ。

 

家から持ち逃げした金を持参金としてファミリアに入れてもらい、念願叶って冒険者になった。

だが、待っていたのは最下級のゴブリンやコボルト相手に死ぬ思いをして僅かな魔石を稼ぎ、クソほども変化しないステイタスに一喜一憂する、そんな日々だ。

 

何時か第一級冒険者が携えるような立派な武器を買ってのし上がろうと、爪に火をともすようにして貯金をしていた時もある。

けれど、ガタつく剣を少しでもマシにしようと研ぎに出す度に、あるいは怪我を負ってポーションを使う度に、金が飛ぶ。新品なんてとてもではないが、手が出ない。出来る事といえば、バベル中層の高級武器屋で、ピカピカ光る新品を指をくわえながら眺める事だけ。

そして自分が何処かで死ねば、このせせこましく貯めた金も、誰かが懐から抜き去って、その日の飲み代に消えるだろう。

そのことに気付いてからは、自分へのご褒美だとか何やかやと誤魔化して、金は瞬く間に消えた。

 

そんな典型的な冒険者様の生活に嫌気がさし、主神のつまらないものを見る目にも、仲間からの嘲笑にも耐えきれず、逃げ出した先で……アレに出会った。

そして、ハマって、すがって、気がつけば完全に囚われていた。以来、今のファミリアに改宗して、ここでこうしている。

 

我ながら情け無いと思わないでもなかったが、もうどうでもいい。

クソッタレな全てを忘れさせて、天国に連れて行ってくれるアレさえあれば、それで。

 

だから、今日も男はいつも通り、スラムにのたくる餓鬼どもから、アガリをせびり取ろうとした、が……

 

「やぁーっ!」

 

「これでぶきを買うの!」

 

「あの人たちみたいになるんだっ!」

 

なぜか餓鬼どもは、今日に限って反抗的な態度で頑なに金を渡そうとしない。

鉄パイプを振り回し、服に噛み付いて抵抗する。ヴァリスの詰まった袋をもぎ取るのに、随分と手こずった。

それに目が気に入らない。昨日まで死んだ魚みたいな、自分達の側の目をしていた癖に、今は妙に輝いている。ムカつく目だ。

 

そもそも、こいつらは新たなシノギの試金石にと、試しに恩恵を与えられ、ダンジョンに潜らされているに過ぎない。

孤児なんてオラリオには掃いて捨てるほどいる。大抵は冒険者か、冒険者と娼婦の間にできた子だ。親はダンジョンから帰らなかったか、ファミリア同士の諍いで死んだか、さもなければ単に面倒になって捨てたか、そのどれかだろう。

そんな使えないゴミどもに目をつけた上役がファミリアの主神に囁き、何処からか攫ってきた餓鬼どもに恩恵を授けたのは、悪くないアイデアだと男は思う。

 

何せ、ダンジョンはこの町で一番手軽な産業だし、餓鬼は素直でいい。ちょっと脅して痛い目に遭わせてやれば、すぐに従順になる。痛めつけて怒鳴りつけて、心を殺してやれば、便利な金集めの道具の出来上がり、だ。

それでダンジョンに向かわせて、生きて帰ってくれば金が手に入るし、死んだところで代わりはいくらでもいる。

 

まあ、どうせすぐに死ぬだろうからと、男は餓鬼どもに支給された武器を奪って勝手に金に変えていた。 一応上役からはモンスターを狩れるようになるまで、適当に面倒みろと言われてはいたが、気にすることはない。

そしたら奴ら、あろうことか廃材を担いでモンスターに挑みだしたのは、傑作だった。

 

肝心の稼ぎはボチボチだが、どうやら経験値を得たせいで、一丁前に気が大きくなったらしい。生意気にも反抗しやがる。

身の程を教えてやる必要があるだろう。

 

あまりに強情な態度に腹を立てた男が、剣を抜き放った、その時だった。

そいつは、何もないところから、急に現れた。

 

「こんなこったろうと思ったわ!」

 

唐突に響いた声に反応する前に、名もない男は殴り飛ばされて宙を舞った。

 

「まったく不愉快極まりない。せっかく人が珍しく仏心を出したというのに、それを台無しにする馬鹿がいるなんて!」

 

華麗にアッパーカットを決め、男の意識を彼方に吹き飛ばしたのは、薔薇の鎧を身に纏った金髪の女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キッカケは、あの一言だ。

 

"どこの神でしょうね、大して戦力にもならない子供に恩恵を与えるなんて"

 

言われてみれば、その通り。

 

あの時はショックで気付く余裕がなかったが、よくよく考えれば子供だけでダンジョンに挑ませるなんて、流石に無理がある。少なくとも、ギルドの職員が止めるはずだ。

それがない、ということは子供らの背後にはギルドに鼻薬を効かせられる人間がいることを示している。

 

久々に趣味と実益を兼ねた楽しい時間を満喫し、冷静な判断力を取り戻したキル子は、そのことに気が付いた。

だから、バベルで別れたフリをしてから、姿を消して後をつけたのだ。

 

キル子は殴り飛ばした男の手を離れ、地面に転がったヴァリス入りの袋を拾い上げた。

 

「はい。今度は取られちゃダメよ」

 

「あ、ありがと!」

 

生傷まみれ垢まみれの痩せた手に、そっと握らせると、涙を零してしゃくりあげる。その頭を、撫でてやった。

袋の表面に一瞬だけ、闇色に輝く髑髏マークが浮かび上がったのには、子供たちは気がつかない。

 

標的の印(ターゲットサイン)】。接触することでマーキングした物や人の位置を、常に知ることができる特殊スキル。

【盗聴】や【盗撮】などの起点にしたり、転移魔法の目印にもなる便利な能力だが、信仰系魔法詠唱者の解呪魔法などで無効化されるので、気付かれたら対策は容易だ。

なお、ユグドラシルでは極一部の心ないプレイヤーの所業により、出所不明のアイテムはまず鑑定系の魔法でよく調べるのが、常識になっていた。

 

キル子がマーキングした対象は、今のところ三つ。

あの爽やか美少年は廃教会にまっすぐ帰ってしまったので、下手に覗き見すると再び致命傷を受けるだろうから、今日のところは放置でいい。いずれ指輪を携えて会いに来てくれるはずである。

できれば彼の主神の目の前で見せつける感じで受け取るシチュエーションがよい。まあ、それをあの乳神様がどう受け取るやら……ケケケケ!!

 

さてそうなると、ひとまず残った二つのうち『感電びりびり丸』盗難未遂事件の下手人は後にして、先にこちらを優先したのは正解だった。

 

「このチンピラ、どうしてやりましょうかねぇ」

 

ムカッ腹が立っていたし、この場で素っ首突っぱねてやるのは簡単なのだが、どうせならやってみたいことがある。それまでは生かしてやってもいい。

 

ロキ・ファミリアを盗聴した時に、ロキ自身が言っていたのを聞いた。神ならば恩恵を持っているかどうかくらいは一眼でわかる、と。

今後も冒険者に化ける機会はあるだろうし、神に対面することもあるだろう。その時のために、恩恵を偽装する手段くらいは用意しておきたい。

 

例えば、恩恵を持った冒険者の背中の皮を剥ぎ、鞣し革にして背中に仕込んで持ち歩く、というのはどうだろう?

 

仮に失敗したとしても、消耗品アイテムの材料くらいにはなる。本来ならドラゴンやキマイラの皮を使うのが最上なのだが、恩恵を含んだ人間の皮ならどんなものができるのか、調べてみるのも悪くはない。

つい先程、貧相な武器や防具などと共に幾らかは手に入れていたが、皮は何枚あってもいい。

 

キル子がそんな皮算用を立て、無様に這いつくばって気絶する男の首筋に大鎌の刃を当てた、その時だ。

 

「あん?……こいつ、妙なデバフ食らってるわね」

 

多少は加減したつもりだが、別に死んでも構わない。そのくらいの一撃を食らって伸びている男を観察して、キル子は首を傾げた。

名も知らぬ、見た感じチンピラ以外の何者にも見えないくらいチンピラじみた男は〈神酒依存(高)〉なる妙なバッドステータスにかかっていたのである。

 

キル子はこれでもユグドラシルにおける異常効果については熟知している。

例えば〈気絶〉や〈睡眠〉、〈麻痺〉、〈朦朧〉といった体の自由を奪う厄介な状態異常に掛かって仕舞えば、多少のステータス差など意味もなく、一方的なサンドバッグになるだろう。

また、視界を奪う〈盲目〉を与えられてなおアバターを正常にコントロールできるプレイヤーはまずいないし、〈聴覚喪失〉や〈嗅覚喪失〉なども索敵能力を麻痺させ、不意打ちの危険が高くなる。

いずれにしろ対人戦闘においては、なまじ単純な攻防力の大小よりも勝敗を左右する。

 

「〈依存症〉は、アルコール系の食品アイテムや麻薬系薬品で再現できる筈だけど……なんだこれ?オラリオ独特の症状?」

 

キル子は状態異常を齎す能力に特化したアサシン系職業『マッドプレデター』を最大レベルまで取得している。おかげで、大抵の状態異常を与えることはできるし、逆に耐性も持っている。

仮に耐性貫通されたとしても、1日に使用できる回数に制限があるものの、凡ゆるデバフを一括して強制解除できるスキルも取得済みだ。対象は自分だけだが。

ユグドラシルwikiの該当するページを暗記しているくらい、状態異常を齎す能力には精通していた。

 

そのキル子をして、かつて見たこともない症状。つまり、キル子の持つ耐性をすり抜ける可能性があった。

 

「試しに解除は……あ、無理だ。自分にかけられたのならともかく、他人のはむずいねぇ……完全に解除するなら高レベルのヒーラーかバッファーじゃないと無理くせーな」

 

ただ、恐らく手持ちの巻物(スクロール)のどれかなら、いけそうな気もした。

巻物はあらかじめ込めた魔法を一度だけ使える消耗品アイテムだが、巻物に込められた魔法を使用するには、自身が使うことができる、もしくはそのクラスで習得できる魔法リストに載っている必要がある。

だが、例外として盗賊系のスキルを使うことでこの原則を無視できるので、キル子はかなり大量に持ち歩いていた。

魔封じの水晶と違って誰にでも使えるわけではないが、作成コストが安いから自分で使う分には手軽なのだ。

 

「下手に手を出すより放置で残当と………で、そこの方。いつまでコソコソ隠れてるのかしら?」

 

キル子が常時起動しているパッシヴスキルの索敵範囲にいれば、多少物陰に隠れて息を殺していたところで、意味などない。

 

「……ッ!!?」

 

その声によほど驚いたのか、路地の陰に隠れてこちらを窺っていた男は、慌てて逃げ出そうとした。

 

だが、残念!キル子からは逃げられない。

 

「はい、スト〜ップ!」

 

スッと頰に当てられた冷たい刃物の感触に、男の体が硬直した。

 

素早さ特化型アサシンのスピードは、他の職種の及ぶところではない。一つレベルをあげるごとに素早さが劇的に向上する『イダテン』の職業レベルを上げているキル子は、純粋なスピード勝負なら、似たようなステ振りのニンジャ系ビルドの弐式炎雷をも僅差で上回り、ギルド内でもトップだった。

 

逃げ出したはずがいつのまにか背後に立っている、なんてホラー映画のお約束のベタな演出をしてのけたキル子は、トドメとばかりにゾッとするような酷薄な笑みを見せつけて、耳元で囁く。

 

「麻痺抵抗はお持ちじゃないのね。このまま、首無し死体にして差し上げても良くってよ?」

 

「いっ?!」

 

鈍い男だ。ようやく首から下が石になってしまったかのように、まったく動かないことに気がついたらしい。

 

生物の筋肉を硬直させ麻痺状態にするスキル【麻痺の接触(パラライズ・タッチ)】。

効果は素手以外にも装備した武器にも乗るので、通常攻撃を含むあらゆる接触型スキルに乗せて放つことができる。それは便利なのだが、首から上は自由に動くという妙な仕様のせいで、魔法詠唱を防ぐことはできない。かつてのギルメンによれば、苦痛や拷問を存分に味わわせるためらしい。

 

キル子は指一本動かせない男の首に、巨大な鎌の刃を押し当てた。

まさに悪役令嬢と呼ぶにふさわしい、冷酷な笑みを浮かべながら。

 

「お名前は……ああ、ヘルメスさんと仰るのね?」

 

【死神の目】に映るユニークネームを読み上げると、男、ヘルメスは面白いほど狼狽した表情を見せてくれた。

 

「わ、わかった!冷静に話し合おう、君はきっと誤解してる!」

 

「見苦しいわね、デバガメさん」

 

と、そこで初めてキル子は相手の容姿をつぶさに観察した。

 

山吹色の髪をした中肉中背の若い男。ややくたびれた麻の服に革の手袋とブーツ、その上から赤いスカーフとマントを羽織っている。まるで西部劇に出てきそうな旅人姿だ。

羽根つき帽子の下からのぞく、甘いマスクの額からは、冷や汗が流れ、口元には引きつった笑みが浮かんでいた。

 

【死神の目】を通して見えるHP量からして、レベルは1。戦闘力のない一般NPCと同程度だ。

さらに隠蔽看破系のスキルを使ってみたが、外装を偽っている様子はなく、身に纏っているのも単なる布の服である。

だが、いくつかの装身具に妙な反応があった。恐らくはユグドラシルの力に依らない、純粋なオラリオ産のマジックアイテム。これで怪しむな、という方が無理がある。

 

「あら、意外にいいお…と……こぉ?」

 

うん、イケメンだ。イケメンなのだが、ちょっと引っかかる。

そう、なんというか、こう微妙にトラウマを刺激される顔というか……うっ……

 

……会社の合コン……勝組サラリマン……激戦……ホイホイしやがって……入れあげさせて……貢がせまくって……挙げ句に……ポイ……あの糞共……ゲス夫め……クズ夫め……チャラ夫めぇ……!!!!!

 

「チャラ夫殺すべし慈悲はない」

 

「ちょっと何言ってるかわかんないんだけど?!」

 

うん、首チョンパだ。それ以外ないね。

別に他意はない。その顔が、かつて痛い目を見せてくれやがったチャラ夫によく似ているとかいうのは、あまり大事なことではないのだ。イイネ?

 

「オーッホッホッホ!今のわたくしは悪役令嬢!理不尽な怒りをモブやヒロインにぶつけてギロチンにかけるとか当たり前ですわよね!」

 

大鎌にちょっぴり力を込めると、うっすらと血が滲む。

 

「いや、マジでやめてくれ!そこで伸びてる男とオレは、本当に何も関係がない!たまたま通りかかっただけなんだよ!」

 

イケメンが必死に許しを請う姿というのも中々乙なものである。キル子は新たな何かに目覚めそうだった。

 

「嘘おっしゃい。ならどうしてコソコソ隠れる必要がありますの?」

 

「物騒な大鎌持った女が、問答無用で大の男をのしてたら、誰だって隠れるだろう?! 」

 

一理ある気もする。

 

「子供を助けたかと思えば、嬉々として殺神(さつじん)を犯そうとする……君はサイコパスか何かなのか?」

 

「まあ、失礼な!…と言いたいけど、だいたいあってますわね」

 

キル子はユグドラシル全栄期には某大型掲示板に専用のスレを建てられ、クズだのキチガイだのネカマだのサイコパスだのと、散々な書き込みをされたこともある。

 

まさか肯定されるとは思っていなかったのか、ヘルメスは顔を引きつらせてドン引きした。

 

「勘弁してくれ。ソーマ・ファミリアのチンピラと一緒にされるのは、流石のオレも不愉快だよ」

 

「そーま?」

 

はて、つい最近聞いた名だ。

具体的には【標的の印(ターゲットサイン)】を刻印された無限の背負い袋(インフィニティ・バヴァサック)を、借りパクしたままの小人族の娘とか。

 

「気になるのなら、自分で調べてみることだ。その子らに恩恵を刻んだのも、間違いなく奴だぜ。ソーマ・ファミリアは至る所で諍いを起こして疎まれてるから、ちょっと調べればすぐにわかる」

 

それを聞くと、キル子はようやく大鎌を降ろした。

 

信用したわけではない。だが、先程から路地の角から顔だけ出して、やや怯えたようにこちらを窺っている子供達に、精神衛生上よろしくない惨殺シーンを見せつけて、新たなトラウマをこさえるのは気が引ける。

 

念のため、ヘルメスの帽子にマーキングを施してから、キル子はそばを離れた。

 

「いいでしょう。ただし、貴方は何も見なかった。それでよろしいわね?」

 

「ああ、了解した、物騒なお嬢さん」

 

ようやく余裕を取り戻したのか、ヘルメスは飄々とした笑みを見せた。

 

その答えを聞くと、キル子は子供たちを伴い、ついでに気絶した男の首根っこを引っ掴んで、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

……彼らの姿が見えなくなったあたりで、後に残されたヘルメスはその場にへたり込んだ。

 

麻痺が解除されたから、というだけではない。

割といろんな事に首を突っ込んで、巻き込まれなくて良いトラブルに飛び込んでいる神生(じんせい)を送っている自覚はあったが、流石にこれは予想もしない遭遇である。

 

たまたま騒ぎを聞きつけて、ひょいと野次馬根性を発揮したら、出し抜けにドラゴンに出くわした気分だ。

 

「うへぇ…ちょっとウラノス、なんかとびっきりやばそうなのが、オラリオに紛れ込んでるんだけどぉ………」

 

ヘルメス・ファミリア主神、ヘルメスは疲れたように頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リリルカ・アーデは俯いていた。

身体中、擦り傷、生傷塗れで薄汚い路地の壁に背を預け、体から痛みが抜けるのを待っている。

 

傷は痛むが、痛みには慣れていた。痛いのも、ひもじさも、惨めさも、物心ついたときから、ずっとリリルカと共にあったものだ。

饐えた臭いのする路地で空きっ腹を抱え、こうして寒さに震えながら夜を越したことなど数えきれない。

だから、辛くはあったが、耐える事はできた。

 

今日は、本当なら悪くない日のはずだった。

 

あのキルトとかいう派手な女冒険者をカモにするために、ひとまず今日は様子見の予定だったが、結果的にはかなりの収穫があった。

真っ当な狩りの成果だけでもリリルカの平均的な一日の収入を大幅に上回っている。やはり7階層あたりでパーティを組むと効率が段違いだ。

パーティに途中参加したベル・クラネルとかいう、妙に質のいい武器を携えた駆け出し冒険者や……あと、サポート要員で臨時参加させたあの孤児たちも、そこそこ働いたと思う。

 

それに、と。リリルカは自分の手のひらを見つめた。

いつぶりだろうか、サポーターとしてではなく、冒険者としてモンスターに立ち向かったのは。

 

リリルカがクロスボウを持っているのは護身のためだが、それはモンスター用というよりは、むしろ人間用だ。

ダンジョンの中は事実上の無法地帯なので、冒険者が追い剥ぎに変わるなんて日常茶飯事である。もちろん、リリルカ自身が冒険者を罠にはめることもある。

そのために、折を見て弓の練習はしているし、これでも器用のステイタスは高めだ。5メドルも当てられないと嘯いたが、実際には倍は余裕だろう。

だが、ああやってパーティの一員として狩りに参加して、モンスターを相手に活かしたのは、初めての経験だった。

それに、一時的に借り受けた、あの黒塗りのクロスボウの性能も素晴らしかった。

数十メートルは離れた位置にいるモンスターに百発百中で命中させ、たまに一撃で絶命させるのは、えも言われぬ充足感をもたらしてくれた。

 

そうやってモンスターを仲間たちの所に誘き寄せ、力を合わせて殲滅する。……楽しくなかったと言えば、嘘になる。

非力な自分には務まらないと、半ば諦めてしまった冒険者としての道。パーティに参加して、自分にしかできない役割を任されて、必要とされる充足感。

らしくもなく興奮して、つい張り切りすぎたあげくに、疲労困憊でダウンしかけたのはご愛嬌だ。

単なる生活のためにと、嫌々潜っていたダンジョンだが、初めて楽しいと思えた。

 

でも、その余韻に砂をかけたのも、リリルカ自身だ。

 

魔石と素材、両方合わせた換金額は実際には10万ヴァリスを楽に超えていた。そこから3万ヴァリスあまりをチョロまかした。

それに、何故かベル・クラネルの剣は盗み損ねてしまったが、キルトからは、質量を無視して物が大量に入れられる例の背嚢をくすねている。

知り合いのノームの店に流せば、いくらになるか見当もつかない。深層への遠征を行う大手ファミリアなら、こぞって高値をつけてくれるだろう。

あるいは、ようやくソーマ・ファミリアを抜けられるかもしれない。その誘惑には、抗えなかった。

 

だから、正直な話、少し浮かれていたのだと思う。

 

いい気分で寝ぐらに帰ろうとしたところを、同じファミリアに所属している狸人(ラクーン)に待ち伏せされ、アガリを巻き上げられて、このザマだ。例の背嚢を持っていかれなかったのが、唯一の救いである。

しつこくリリルカにたかってくるクズだが、残念ながらステイタスでは勝てない。そんな力があるならダンジョンで稼げばいいのにも関わらず、リリルカのような相手を他にも咥えこんでいて、楽に上前をはねようとばかりする。

 

あるいは似たような境遇の他の娘達のように、犯されて娼館に売り飛ばされないだけましなのだろうか。幸か不幸か、そういう店での小人族の需要は決して多くない。だから、リリルカは見逃され、サポーターとして使われ、気まぐれに暴力をふるわれている。

 

リリルカは空を見上げ、月に手を伸ばした。

路地の隙間から見上げる月は、あの頃と変わらず、青く冷たく輝いている。

 

ああ、そういえば今日出会ったあの子達。今頃は何処かの路地で、同じようにあの月を見上げているのだろうか。

いつか、彼らも搾取する側に回るのかもしれない。あるいはこのまま搾取される側に……

 

そんなことを考えていたら、涙が一筋、頰を伝った。

 

だから、だろうか。

金色の巻き毛がお月様を隠してしまうまで、リリルカは気がつかなかった。

 

「こんばんは、リリルカさん。良い月ですわね」

 

柔らかな笑みを浮かべて、いつの間にか、キルトがリリルカを見下ろしている。

 

「……?!」

 

完全な不意打ちだった。

驚愕して、思わず手で口をふさぐ。

 

「い、いえ!……その、どなたかと勘違いされて、いませんか?」

 

無理矢理に笑顔を浮かべ、人違いを装う。

普通なら誤魔化せないところだが、リリルカにはまだ手があった。

被ったままだったフードをとり、その下に生えた犬の耳を揺らす。立ち上がり、尻尾をフリフリと振ってみせた。

 

「ほ、ほら、リ…いえ、わ、私は犬人(シアンスロープ )なのですよ!」

 

「いいえ。貴女は間違いなく、先程までパーティをご一緒していた、小人族のリリルカ・アーデさんですわ」

 

キルトは、そこに浮かんでいる何かをなぞるようにして、リリルカの額を撫でた。それも、ゾッとするような青い目で。

まるで死神のような目だと、リリルカは何故かそんな感想を抱いた。

 

「まあ、これ以上、しらをきるというのなら」

 

キルトはリリルカの目の前で、指をパチリと弾く。

途端に、魔法によってリリルカの頭に生えていた犬耳が消え失せ、お尻から伸びていた尻尾も消滅する。

 

「…え?そんな?!」

 

変身魔法、シンダー・エラの効果が強制的に解除されてしまった。

 

「本来はバフを一度に解除して、弱体化したカスをフルボッコするための切り札なんだけどね」

 

キルトは困ったように笑うと手を差し伸べ、リリルカの服に付いた汚れを払った。

 

「さて、リリルカさん、貴女には色々と聞きたいことがあるのですけど」

 

一転して、鋭い目付きで自分を睨むキルトに、リリルカは力なく笑い、全身の力を抜いた。

 

まあ、いつかはこうなると思っていた。

あと少しだったのだけど、それだけが残念。でも、もういい。もう、楽になれる。

 

よりによって、あんな貴重なアイテムを盗んだのだ。冒険者にとって、何より重要な財産であるアイテムの盗難、発覚すれば私刑(リンチ)にかけるくらいはするだろう。

今のキルトはあの巨大な大鎌こそ携えていないが、そのステイタスは明らかにレベル1の範疇にはない。たとえ素手だろうが、非力な小人族の小娘を縊り殺すことなど、造作もない。

 

何より、このキルトという女は、おそらく殺人を厭わない。

7階層で狩りを終えたあの時、明らかにこちらに狙いを定めていた冒険者達を背後に窺いながら、キルトはその場に一人残った。

そして、すぐに戻って来た。新鮮な血の匂いを漂わせながら、これ以上ないほどに楽しそうな笑顔を浮かべて。

経験の浅いベルや孤児たちは気づかなかっただろうが、リリルカはそれが怖くてたまらなかった。

 

そんな恐ろしい相手を前にして、逃げられるとは欠片も思わなかったし、許して貰えるとも思わない。何よりリリルカは疲れきっていた。できれば苦しまないように、一息にやって欲しい。

 

だから、黙って目を閉じる。

 

「言い訳はしない、という解釈でよろしい?」

 

やはり、死ぬのは怖いな。

 

その震える足に、何かがまとわりつく。ペタペタと無造作に自分を弄る小さな手の感触。

まさかこの女、そういう趣味だったのかと、リリルカはおぞましさを覚えて唇を噛んだ。

 

「おねえちゃんも、いっしょにいくの?」

 

「そうね、まずはみんなでお風呂に入りましょうか。ちょっと汗臭いですわ」

 

「おふろー!」

 

「やった!」

 

舌ったらずな声が耳朶をうつ。

 

「……?」

 

さすがに違和感を覚えて、おそるおそる目を開けると、小柄なリリルカにすがりつき、こちらを見上げる小さな瞳と目があう。

 

「まずは体をきれいにしてから、ご飯にしましょうねー。お腹いっぱい食べさせてあげるわ」

 

「「「わ〜〜い!」」」

 

ついさっきまでパーティを組んでいた孤児達が、何故かリリルカにまとわりついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオ西地区の外れ。

 

ファミリアに所属していない労働者とその家族が住んでいる住宅街が立ち並び、オラリオをぐるりと囲む市壁にもほど近い。瓦礫や雑草が生えそろい、水たまりやぬかるみが無造作に放置されている場所の一角に、明らかに空気の違う建物が現れていた。

 

デーモンの刻印された瓦屋根が優雅なアトモスフィアを漂わせる和の邸宅。

枯山水めいた巨石とバイオ唐松の植えられた奥ゆかしい庭には、シシオドシが軽快なラップ音を奏でている。

屋敷のフスマには、サイバーボンボリの柔らかな灯りが内側から揺らめき、青々としたイグサの編み込まれたタタミ敷きの奥座敷には「不如帰」の掛け軸がかかっていた。

 

西洋ファンタジー風のオラリオの風俗からは、明らかに浮いたゼンめいた静寂に佇むのは、グリーン・シークレット・ハウス、期間限定特別エディション。

ニンジャやサムライなどといった職業が強化された中規模アップデートにおいて、期間限定で発売された拠点作成系の課金アイテムである。

別にキル子は欲しいとは思わなかったのだが、その時は別にお目当ての課金ガチャアイテムがあり、つい誘惑に負けて回したらこちらが出てしまっただけの話だ。

 

あまり不要なアイテムは持ち歩かない主義のキル子だが、身銭を切った課金アイテムだけは話が別。インベントリの一部は、それらのハズレで埋め尽くされている。

なお、お目当ての課金アイテムは結局出なかったのだが、直後に実装された同系統の似て非なるアイテムがポロリと出たので、そこで名誉ある撤退をしている。なので、どこぞのギルマスのように爆死は免れていた。課金は悪い文明である。

 

屋敷の中は居間に客間に寝室と、それなりに部屋数は揃っているし、トイレと台所も完備している。

さらに、離れには四畳半の茶室と、騎乗モンスターを繋いでおくための厩。おまけに露天風呂まで付いている。もちろん、中身は温泉である。

 

「あったか〜い!」

 

「ぬくぬくぅ!!」

 

「きもち〜!!」

 

「温泉なんて、生まれて初めてだなぁ…ああ、これが最後の贅沢……お父様、お母様、リリはもうすぐそちらに参りますが、よい土産話ができました……」

 

「何か勘違いされてるような…?ま、いいか。それより貴方達!お風呂で暴れないでちょうだい!」

 

スッポンポンで風呂場で戯れるチビジャリ三名。そして、何故か死んだ目でお湯に浸かるリリルカを横目に、キル子は湯に浮かせた桶の中で安定を保った蛍光ブルーのサケ・カクテルをストローで啜った。

古代日本では、このような贅沢な娯楽があったのだと、いつかギルメンの死獣天朱雀が力説していたので実践してみたが、子供達が暴れるせいで湯面が揺らぎ、思った以上に飲みにくい。

 

その後、楽しそうにじゃれつく子供らを湯冷めしないよう、リリルカと手分けしてタオルで拭き、客間に備え付けの浴衣に着替えさせた頃には精神的に疲れきっていた。子供の体力ってすごい。

なお、浴衣はマジックアイテムなので、サイズは自在である。

 

さて、風呂の後は、待望のディナーだ。

お腹をぺこぺこに空かせて、わくわく待ちわびていた一同の前に並べられたのは、まさにご馳走だった。

 

抹茶ラテやサケ、オモチ、オシルコ、オゾーニ、ソバ、サシミ、テンプラ、オーガニックスシの詰め合わせ等といった、日本人の心を刺激する飲食系アイテム。全てハウスの台所に付属している冷蔵庫めいたマジックアイテムに収められていたものだ。

各100食分ほどが収蔵されているそれを、適当に取り出して並べただけだが、腹を空かせた欠食児童達には効果は抜群だった。

 

「死刑囚には、最後にご馳走が与えられると言いますしね……」

 

「おいし〜!」

 

「あま〜い、のびる〜」

 

「もちもち」

 

何故かロボットのように口に詰め込むリリルカを他所に、極めて栄養豊富なオーガニック・トロマグロスシやワギュウ・ステーキを手づかみでお腹いっぱいに詰め込み、甘いデザートまで貪ると、子供達は眠気が降りてきたのか揃って船を漕ぎだした。

寝室に放り込めば、そのまま夢の世界にGO!である。フカフカの布団に川の字になって眠る表情は、安心しきっていた。

 

浴衣姿のキル子が寝顔を見ながら、随分懐かれたものだと零すと、同じく浴衣姿のリリルカが、子供らが足で肌けた布団をかけ直しつつ、応えてくれた。

 

「スラムの子供が人前で寝姿を見せるなんて、滅多にないことです。寝ているうちに何をされるか、わかったものじゃありませんから。それだけ、キルト様のことを信用しているんでしょう」

 

リリルカは、何処か腹をくくったような目をしている。

 

ならば、そろそろお話の時間だ。

 

「さて、リリルカさん。貴女、何故ここに呼ばれたのか、分かりますね?」

 

客間にて、座布団に座った二人は、座卓を挟んで向かい合っていた。

 

「……はい、これを」

 

リリルカが座卓の上に差し出したのは、無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)。あの時、素材や魔石の運搬に貸し出したものだ。

 

「ここに連れてこられるまでに、覚悟は決めました。せめて、楽にして頂けると、嬉しいのですが……」

 

リリルカは観念したように土下座した。

 

だが、キル子は鼻を鳴らしただけだった。

 

「こんなもの、どうでもよろしい。実用性は高いけど、所詮は安物です。代わりは幾らでもありますわ」

 

「……へ?」

 

ポカンと口を開けて間抜け面を晒すリリルカに、キル子は「欲しいなら差し上げます」とだけ告げた。

 

「とぼけるのはおやめになったらどうかしら。わたくしにも、忍耐に限度というものがありましてよ」

 

少々キツく言い放つと、リリルカは息を飲み、しどろもどろに口にした。

 

「あ、ああ!換金額をごまかした件ですね。さ、3万ヴァリスほど中抜きました!お金は、もちろんお返しします!」

 

「誰がそんな端金の話をしろと言いましたか!」

 

「え?!で、では、もしかしてキルト様の装備や、ベル様の剣を、盗もうとした件、とか…?」

 

恐る恐る、自信なさそうにリリルカが問うと、キル子は少しだけ考えてから、首を横に振った。

 

「あれは……まあ、今回はわたくしが誤魔化したから未遂ですので、不問とします。ただし、指輪に手を出したら殺すわよ」

 

殺意を滲ませると、リリルカは怯えたように震え出した。

 

あれは予備品とはいえ、キル子自身の持ち物だ。中途半端な補正の属性剣などよりよほど価値がある。相手がベルだからこそ、譲ったのだ。

何より、今後のための大事な大事なフラグである。

 

「ええ…?そんな、ではいったい…?」

 

リリルカは本気で理由が思いつかないらしい。カルチャーギャップもここまでくれば業が深いとしか言いようがない。

 

このままでは埒が開かないと悟ったキル子は、苛立ったように言い放った。

 

「いい加減になさい!あの子達のことですわ!貴女、いったい何処まで関わってるのかしら、ソーマ・ファミリアのリリルカ・アーデ。子供に無理やり恩恵を与えて眷属に仕立てあげ、ダンジョンに放り込むなんて」

 

あの後、チャラ夫ことヘルメスから言われたことが気になって、子供たちから事情を聞き出していた。

気絶していたチンピラの方も叩き起こし、ギャアギャア喚いたので両手の指を全てへし折ってやったら、色々吐いてくれた。

そんな状況に一度は助けた子供を放置していくのは、流石に後味が悪すぎる。

 

ソーマ・ファミリアに所属しているリリルカも、とても無関係だとは思えなかったので、見つけ出して締め上げてやろうと、マーキングを追って探したら何故か路地裏でボロボロになって泣いていたのだ。

そこで思わず振り上げた拳のおろし先に迷い、ここまで連れてきただけの話である。

 

「同じファミリアのあの子達を前にして、よくも白々しく無関係を装えたものですわね」

 

そう冷たい目をしたキル子に詰問されたリリルカは、激しく狼狽した。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!あの子達がうちのファミリアの所属だなんて、リリは今知りました!」

 

「ハン?確かあの子達をパーティに入れるのに、一番ゴネてたのは、貴女だったわよね?」

 

ああ、確かに。とリリルカは頭を抱えた。だからといって疑われても困る。

 

ファミリアの連中がそんな外道にまで手を染めていたなんて、知りもしなかった。

しかし、ソーマ・ファミリアは金の為なら何でもやる。オラリオでそんな事をやらかしそうなのは、リリルカの知る限りソーマ・ファミリアくらいのものだ。

何せリリルカ自身、あの子達と似たような境遇なのだから。

 

「お、お怒りはもっともです。確かにリリは人様に顔向けできないようなことをしてきました。ですが、誓ってこの件には一切関わっていません!」

 

リリルカの必死の懇願に、キル子は再び鼻を鳴らした。

 

「信じられません。貴女には信用がない。それはわかりますでしょう?」

 

リリルカは何も言い返せなかった。

確かに、信用を失うような事ばかりして、それを自ら告白したばかりなのだから。

 

「だから、態度で示してもらいます。全部ゲロしなさい。ソーマ・ファミリアについて、洗いざらいをね」

 

「……はい」

 

リリルカは素直に頷いた。どのみち、ファミリアの連中をかばう気は毛頭ない。

 

それに、金の話には目もくれず、赤の他人の孤児達の事情に怒りを露わにし、手を差し伸べた人だ。もしかしたら、自分もと。そう、淡い希望を抱いてしまった。

それがどれだけ卑しくて、どれだけ身勝手なことか、ハッキリと自覚しながら。

 

その後、リリルカは全てを語った。

それは、彼女の半生を語るに等しい作業だった。

それは、聞いていたキル子が、胸糞悪くなるような話だった。

 

あまりにイラついたので、途中で自重していた煙管を取り出し、無言で吸い始める。

甘いバニラミントの香りがリリルカの鼻孔を刺激して、どこかで嗅いだことがあるような、と首を捻っていたのだが、今のキル子に気がつく余裕はない。

 

やがて、長い長い話が終わった時、リリルカはいっそ清々しそうな、泣き笑いを浮かべていた。

 

「……というわけです。賭けてもいいですけど、ソーマ・ファミリアは、絶対にあの子達を手放しません」

 

どんな手を使ってでも探し出し、あの手この手で嫌がらせをして奪還するだろうと、リリルカは断言した。

その言葉には、ひどく実感が込められている。

 

「キルト様はお強いです。ですが、それだけであの子達を守れるとは、リリには思えません。そうしたら、奴らはキルト様の周りにいる、弱い人間から積極的に狙うでしょう。……リリが、そうでした

 

最後の言葉はリリルカの口中で消えたが、キル子の耳にはきっちりと届いていた。

高性能な聞き耳スキルを疎ましく思ったのは、これが初めてだった。

 

全てを聴き終わった時、しばし、キル子は沈黙した。

能面のような無表情で、吸うでもなく、消すでもなく、ただ片手で煙をたなびかせる煙管を弄ぶ。

そうして煙管の中身が全て灰になり、さらに少しばかりの時がたったころ、キル子はようやく口を開く。

 

「……ギルド徴収金がやたら高いブラックギルドとか、昔はよくあったわね。けど、あっちは脱退自由だから大抵つぶれんのよ」

 

リリルカには、まるで意味がわからなかった。

 

「リアルのブラック企業ってレベルじゃねーな。いや、ヤクザじゃね?……そうか、そうか。どこの世界にも湧いてきやがるわけね、あのクソどもはよぉ…!」

 

我ながら、他人事に随分と感情的になるなと、キル子は思った。自然と、頰が皮肉げに引きつるのがわかった。

何せ、このリリルカにしろ、最初は用が済めば口封じするつもりだったのだから。

 

だが、チンピラに痛めつけられてたガキ三人に、路地に打ち捨てられて泣いていた少女。それを連続して見せつけられて、平気でいられるような図太い神経はしていない。

こちとら、リアルではただの一般人だったのだから。そして、ここはもはや、新たなリアルだ。

 

あるいは、ベル・クラネルの清廉な気に当てられたか、リリルカ・アーデの悲哀に同情したか。

それとも、風呂に入れる前にヒビとアカギレにまみれた幼子の素肌に、ポーションを塗った時に見せられた、嬉しそうな笑顔にでも感化されたのか。

 

さもなくば、擬態化をせず異形種のままであったなら、何も思わず、何も感じず、単に利用対象とみなしたか、見捨てていたのだろうか。

ダンジョンの中で盗っ人どもを血祭りにした時には、スカッと爽やかだったので、あるいは逆方向に振り切れていたような気もするが。

 

……らしくない。本当に自分らしくはなかった。だが、もうキル子は、止める気はなかった。

 

「……リリルカさん、頼みたいことがあるのだけど」

 

聞いていただけますわね?

 

激情に震える瞳に睨まれ、リリルカは頷くことしかできなかった。

 

 

 




今年の花粉は化学兵器。
もうアカン。


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第8話

誤字脱字報告ありがとうございます



ソーマ・ファミリア団長、ザニス・ルストラは背中を強かに打ち付ける衝撃で目を覚ました。

 

「……痛ッ!なんだ?どこだここは?!」

 

最後に覚えている記憶は、ファミリアのホームにある自室にて、寝る前に日課の金勘定をしていたところまでだ。

ここが何処なのか、何故こんなところにいるのか、まるで見当もつかない。

おまけに縛られている様子もないのに、首から下が一切動かせなかった。まるで金縛りにでもかけられたかのように。

 

辛うじて動く首を巡らせると、随分と遠くにオラリオらしき街壁が見える。そこから漏れる都市の灯りと、月の光のおかげで、なんとか辺りの様子がわかった。

四角く、均一に揃った石のオブジェが無数に並んだ丘。その合間にある荒れた小道に転がされているのだ。

 

ザニスはそれだけで、ここが何処だか見当がついた。おそらくはオラリオ郊外、冒険者の墓地と呼ばれる場所だ。元々は市内にある共同の集団墓地だったものが、段々と手狭になり、郊外に第二、第三墓地が新設されたのだと聞いたことがある。

 

「い、いったい何故こんな場所に?」

 

思わず疑問を口にすると、応えがあった。

 

「うーむ、いくら顔だけイケメンでも、やっぱ萌えないわぁ」

 

ギョッとして首を巡らせると、白い衣服を纏った女らしき影が、すぐ近くの墓石に腰掛けている。

髪がやたらと長く、顔を完全に覆い隠しているので、どんな容姿をしているのかはわからない。

煙草でもふかしているのか、きついメンソールの香りが、微かに漂ってきた。

 

「ど、何処の誰だか知らないが、私がソーマ・ファミリア団長だと知っての狼藉か?!」

 

ザニスは苛立ちと共に怒鳴りつけた。

 

どこのファミリアの冒険者か知らないが、こんな真似をするということは、相手は手段を選んでいない。

目的は身代金か、市場に流している神酒の利権か、さもなければそれ以外の縄張りのショバ代あたりで揉めたかだろう。

いずれにしろ、交渉に持ち込めればまだ巻き返せると、ザニスは激高したように見せかける芝居の裏で冷静に判断していた。

少なくとも、相手は問答無用の殺し屋ではない。それならとうに殺されている。あるいは見せしめの為に酷い拷問をされる可能性は、考えないようにしていた。

 

オラリオは神々が集う冒険者の町、建前として統治機構はバベルを抑える冒険者ギルドが代行しているが、より多くギルドへ徴税金を支払っている大手ファミリアの力は強い。所詮は金だ。

そして、ソーマ・ファミリアは団員の質では見るべくもないが、数だけなら大手にも引けを取らない。犯罪組織まがいのことにまで手を伸ばしており、傘下にはかなりの数のチンピラやサンシタが含まれている。一声かければ、動員できる人員は枚挙に暇がなかった。

 

最近では孤児を使った戦力増強策にも着手している。ファミリア所属の、あるサポーターを見かけて思いついたのだ。彼女自身は非力だが、妙なスキルを持っているらしく、中々に稼いでくる。

孤児を使って、子供のうちからそういう者を増やし、ファミリアに囲いこむというのは悪くない試みだ。何せ、役に立たなそうなのは勝手にダンジョンで死ぬだろうし、代わりはいくらでもいる。

 

主神のソーマは酒造りにしか興味がなく、それ以外の雑事は一切をザニスに丸投げしている。実質的には今のソーマ・ファミリアはザニスの思いのままだ。

神酒を求める団員達に対して、ファミリアへの上納金が上位の者にだけ、神酒を報酬とするシステムを作り出したのもザニスだった。

 

ギルドにも鼻薬を効かせているし、他のファミリアにも伝手はある。いざとなったら、いくらでも無理は利く。

そうやって、ザニスは成功への階段を積み重ねてきた。

 

だが、今回ばかりは相手が悪かった。

 

「ベル君やベート様みたいに、内面から滲み出るイケメンオーラをちっとも感じない」

 

顔も見えぬ相手は、まともに話をしようとはせず、長い髪の合間から煙管だけ突き出し、白い煙を漂わせている。

 

手強い、とザニスは思った。

こちらのことをどうでもいい存在であるかのように扱い、見下すように構える。ヤクザ者が有利な状況で交渉する時の常套手段だ。

 

「まあ、予想はしてたから、手っ取り早くいきますか」

 

コン、と墓石の端に煙管を叩きつけ、中の灰を叩き落とす。

それを合図とするように、闇の中からふらりと数人の男達が、滲み出るように現れた。

男達は体温を感じさせない青白い肌と、焦点の合っていない虚ろな目をして、そのままよたよたとした足取りでザニスに近づいてくる。

 

「お、お前ら!まさか私を裏切ったのか?!」

 

その顔には見覚えがあった。皆、ソーマ・ファミリアの幹部、ザニスの取り巻き達だ。

 

「ま、待て!誰だ、いや、いくら摑まされた!倍、いや三倍出す!私に付け!」

 

ザニスは狼狽した。

まさかとは思ったが、犯人は身内だったかと歯噛みする。自分を蹴落とし、取って代わるつもりだ。

 

「あーあー、見苦しい。そういうとこだぞ」

 

女が何か言ってくるが、もうザニスにはそちらに構う余裕はない。

 

「それに、彼らもうお金とかいらないみたいよ。だって、"ああ"なっちゃったら、使い道がないものね」

 

その言葉に、何故かとてつもなく嫌な予感を覚える。

 

「…?そ、それはどういう……?」

 

思わず問い正そうとしたザニスだったが、すぐにその必要は無くなった。

 

グルァアアアアア!!

 

「ギィヤァアアアア!!!」

 

箍が外れたような甲高い悲鳴が辺りに響いた。それが自分の喉から発せられた物だと、ザニスは気がつかなかった。

 

「嫌だ、来るな!!あっちいけぇ!!!」」

 

吐息がかかるほどの距離にまで近づかれて、ようやく気づく。

爛れた皮膚、腐敗した肉、血の滲んだ爪、黄濁した瞳。

極め付けは、鼻がもげるかのような腐敗臭。

 

すでに、彼らは生きてはいなかった。

 

「さて、色々ウタってもらうし、協力もしてもらいますが。まずは躾の時間だ、坊や」

 

ゆっくりと、髪をかきあげてこちらを振り仰ぐ女の顔を、ザニスは見た。

 

青白い肌、血走った目、びっしりと乱杭歯の生えた口は耳まで裂けている。

 

「ヒィアアアアア!!」

 

ザニスは続けて絶叫した。

もう、気が狂いそうだった。

 

その体に、かつての仲間たちが取り付く。凄まじい力で爪を食い込ませ、歯を当てて肉を食いちぎろうとする。

食われる!と理解するも、相変わらず体は麻痺したように動かない。

 

「ポーションは山ほどあんだ。死にゃあしないよ。だからさ………痛けりゃ、わめきな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、キル子は朝一に、子供達を伴って街へ繰り出した。

今日は年に一度の怪物祭、オラリオ中が他所からやってきた観光客や物売り達で溢れている。

昨夜は遅くまでちょっとした仕事をしていたのだが、疲労無効、睡眠不要のアンデッドとして活動していたので疲れはない。それに、愉快な音楽に酔い痴れるだけの簡単なお仕事で、思わず何かが濡れてしまった。

 

大通りを歩くキル子は、当然だが悪役令嬢・キルトの外装を使っている。ただし、派手な鎧は脱ぎ、適当な服屋で調達したワンピースに着替えていた。手持ちは和装ばかりで、この外装には余り合わないのだ。

 

町の賑やかさにあてられ、気分は少し高揚していたが、少しだけ問題もあった。

 

「歩きにくいからね、できればもう少しだけ離れてほしいかな」

 

「やぁー!!」

 

イヤイヤをするように、子供達はさらにギュッとキル子に抱きついてしまう。

 

真新しい子供服に袖を通し、毎日風呂に入って清潔感を取り戻した彼らは、そこらにいる市民の子供と見分けがつかない。

だが、周囲をひどく警戒しているのだ。また捨てられるのか、あるいは元のところに連れ戻されるとでも思ったらしい。キル子の手や服を握って離さない。

どこで誰が見ているかわからないため、しばらく外には連れ出せなかったから、もっと喜ぶかと思ったら当てが外れてしまった。

 

むしろここ数日、グリーンシークレットハウスの中での彼らは元気はつらつで、ご飯をもりもりと食べ、しきりにじゃれついてうるさいくらいだった。

 

退屈なのだろうと、居間に置いてあった映像用のマジックアイテム(見た目は骨董品のブラウン管型テレビ・モニター)を見せたら、そちらにかじりつきになった。本来は獲物を待つ退屈しのぎに用意したものだが、キル子は著作権が切れたビデオプログラムを山ほど持ち込んでいる。

キル子の趣味で、ホラー映画とイケメン俳優の出る海外ドラマが多かったが、タダで取得できるのを無造作に詰め込んだせいか、子供向けなのもいくらかある。

 

一番受けが良かったのは、某指輪を火山に捨てにいく王道ファンタジーだ。種族とか世界観がオラリオと近いので素直に受け入れられたらしい。

特に小人族の女の子、カリンは「ぱるぅむがいる!!すごい!!」と興奮しきりだった。ヒューマンのコナンは大勢の騎士達が命を賭して戦うシーンに手に汗握り、獣人のレックスは自分の種族が出てこないことにやや不満そうだったが、尻尾をふりふりして見入っていた。

 

だが、不安そうに市街地を歩いてきた彼らも、ガネーシャ・ファミリアの闘技場についてからは、態度が一変した。

 

「すごい!あれ、なんてもんすたー?」

 

「みのたうろすだ!」

 

「すげえ!つよそう!」

 

自分たちが見たこともない高位のモンスターが、名うての冒険者の手によって調伏されていく有様に、もう夢中である。

最前列に陣取って、屋台で買った総菜をつまみながらはしゃぐ子供達は、ようやく明るさを取り戻していた。

 

実際、この見世物に見物席に座る市民達は歓声をあげており、中々好評を博しているようだった。

冒険者とモンスターの繰り広げる駆け引きに興奮し、その結果に一喜一憂している。中にはモグリの賭け屋が交じっていて、声を張り上げて今現在のレートを絶叫する有様だ。

オラリオでは、市民向けの娯楽が乏しいのかもしれない。

 

「MOBのレベルは最大でも20前後か。まあ、安全マージンを考えたらそれが限度なんでしょうね」

 

もしかしたら、来年はもう少し安全対策を講じる必要に迫られるかもしれないな、とキル子は他人事のように考えながら、手元の時計に目を落とした。

 

今日のオラリオは、常にもまして人が多い。事を起こすに絶好。これを防ぐは至難。

 

「さて、そろそろかしら?」

 

その言葉を待っていたかのように、キル子の背後に小柄な影が現れた。

 

「お待たせしました、キルト様」

 

リリルカ・アーデである。

黒いマントを羽織り、頭には可愛らしいウサ耳のカチューシャをつけて、髪型を変えている。

 

背中に背負っているのは、いつもの巨大なバックパックではなく、キル子が与えた無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)。あまり膨らみの目立たないこれに替えるだけでも、印象がずいぶん違って見える。

マントの方もユグドラシル由来のもので、隠れ蓑の外套(クローキング・マント)といい、着用者に不可視化の能力を与えるアーティファクトだ。

姿は消えるし、足音を消す機能も付いているが、《完全不可知化》とは違い、臭いや気配、体温などは遮断できない。だが、MPを消耗し、回数制限スキルも使い尽くしたような状況では重宝する代物である。

 

リリルカは、キル子の背後からそっと耳打ちした。

 

「ソーマ様の恩恵を与えられた子供は、全員確保しました。今はリリが予約したギルド本部の個室にいます」

 

「上出来です」

 

キル子は安堵した。これで後顧に憂いはない。

 

思わず安心したように微笑むキル子だったが、リリルカの顔は暗かった。

 

「ギルドに登録されていた子供の数は、全部で17人…………ですが、今残っているのは…………あの子達を含めて…………8人でした」

 

半減、か。チキショウめ。

 

あの陰険眼鏡、もう少しシメとくんだったと、少しだけ後悔する。しかし、あれ以上やると発狂して使い物にならなくなってしまう。何せ、奴の役目はこれからなのだ。

 

「朝方、ダンジョンに放り込まれそうになったところを、バベル一階の受付でギルド職員に止めさせました。ですが、その……代わりにお預かりしたお金の大部分が、買収資金に消えてしまいましたが、よろしかったのですか?」

 

「いいのよ、まだ一千万ヴァリスも使ってないじゃない」

 

その言葉に、リリルカは複雑な表情をした。

ソーマ・ファミリアから脱退するために、彼女が目標としていた金額と同じだった。

 

「……まあ、計画が順調に進めば、リリも脱退できそうですから、いいんですけどね……」

 

ソーマ・ファミリアに通じて便宜を図っていたギルド職員を特定したのは、リリルカの手柄だ。

受付でよくタカられていた馴染みの相手だったようで、性格はよく知っていたのだそうだ。大枚はたいて逆買収するのは簡単だったらしい。

 

件の職員は大金と引き換えに、ソーマ・ファミリアの名前で登録された子供達のリストを引き渡し、さらに犯罪まがいのやり取りの記録を洗いざらい暴露した。

責任をとって自分はギルドを退職し、田舎に引っ込むという。引き換えに渡した金額は、その決断をさせるには十分だったようだ。

 

こういう分野の駆け引きでは、ソーマ・ファミリアに通じ、ギルドにも伝手のあるリリルカの独壇場だった。

もちろん、決め手になったのはキル子が出した大量のヴァリスであり、また、説得にあたっては《支配/ドミネート》や《人間種魅了/チャーム・パーソン》などの魔法が大いに役立ったのは言うまでもない。

まあ、一度金で転ぶものは再び金で容易に裏切る。リリルカには黙っていたが、キル子としては明日にでも不幸な事故に遭ってもらうつもりだ。

 

なお、告発を受けて対応にあたったギルドの職員はかなりの堅物らしく、今、ギルド内はちょっとしたスキャンダルに揺れているという。

 

「例のものは?」

 

「酒蔵にダミーを交ぜて設置しました。効力は、あと半日は持ちます」

 

「例の人物へのコンタクトは?」

 

「はぁ、先方には快諾していただきましたが……あの金額は本気ですか?キルト様がお金持ちだというのは知っていますが、買収工作にも大量に使われましたし、さらにあんな金額を一括して寄付されるというのは……」

 

「あら?足りない?」

 

「逆です!リリですら信じられません。あちらにも何度も確認されました。本当なら孤児院の経営が100年は安泰だと……」

 

「いいのよ、足りなくなればまたヘファイストス様にタカリに行くから」

 

ヘファイストスの名を出すと、リリルカは解せないといった顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。いい子だ。好奇心は猫を殺す。

 

「では、リリルカさん。この子達のこと、任せましたわよ。事が終わるまではこの場に待機してちょうだい。恐らくガネーシャ・ファミリアの精鋭が集っているここが、市内で一番安全です」

 

「灯台の下はいつも節電している」とは、かつてのギルドメンバーの言葉である。

 

「はい。キルト様もお気をつけて」

 

未だ怪物祭に視線を釘付けにしている子供達に気付かれないよう、キル子は《完全不可知化/パーフェクト・ アンノウアブル》を発動させた。

目を見張って驚くリリルカの横を抜け、キル子はコロシアムの内部に向かう。

目的地は、ガネーシャ・ファミリアがモンスターを捕らえている一角。既に昨日、バベルから運び込まれるところを確認している。この手の事前準備は、PKとしてのキル子が得意とするところだ。

 

さて、とキル子は大きく伸びをした。

コキコキと首をならし、最後の一服とばかりに、煙管を咥える。

 

正直、ソーマ・ファミリアを潰すのは簡単だ。

やり方はユグドラシルと同じで、ファミリアにとって替えの利かない『ギルド武器』を潰せばいい。

問題は、そのやり方だ。後始末を押し付ける、というか泥を被せる相手を用意するのに、骨を折らねばならない。

 

「ちょうど宴もたけなわの頃合い。わたくしからオラリオの皆々様に、さらなる刺激をプレゼントですわ!!……って、やっべ。お嬢言葉が抜けきらねぇ」

 

まいったなぁ、と後頭部をかきながら、煙管をふかして甘いバニラミントの香りを楽しむ。

 

純粋に祭りを楽しんでいる善良な市民諸氏や、罪のないガネーシャ・ファミリアの皆様には誠に申し訳ないのだが、非常に都合のいいイベントだから仕方ないのよね。

ガネーシャ様とか、遠目に見ただけでも、そこそこいい男だったので残念。多少の罪悪感をキル子は感じていた。

まあ、キル子の罪悪感など、相手がイケメン以外には滅多に発揮されないのだが。

 

「ああ、もったいない。……それじゃ、やりますかね」

 

優雅に煙管をふかし、甘い香りの煙を肺いっぱいに吸い込んだ、その時だった。

 

「客を守れ!!モンスターが逃げ出したぞ!!」

 

「ゲッフゥ?!!!」

 

キル子はむせかえった。

 

ゴッホゲッホと胸を叩き、慌てて声のした方に視線を移せば、ガネーシャ・ファミリアの団員らしき、仮面で顔を隠した一団が大慌てで走り回っている。

 

「うそん、まさか同じ事考えてるやつでもいたの?」

 

解せぬ、とばかりに首をひねる。

 

「まあ、手間が省けたから結果オーライ?……って、それなら段取りを巻かないとマズい!!」

 

そして、慌ててどこかに向かって駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪物祭からモンスターが逃げ出したとの情報は、容易には広まらなかった。

 

オラリオの情報伝達手段は限られる。ほぼ人伝の伝言か、ふくろう等を使った文書のやり取りのみ。騒ぎの拡散よりもモンスターの跳梁の方がずっと早い。

 

運良くその場に居合わせた冒険者達が応戦しようと試みたが、ここはダンジョンではなく、モンスターから守られた絶対の‪安全地帯‬の筈の地上である。

祭りに繰り出していた多くの冒険者は軽装で、ポーション等の消耗品も持ち歩いてはおらず、苦戦は必至だった。

 

中でも最悪だったのは、逃げ出したモンスターの中にシルバーバックがいたことだ。

 

シルバーバックという魔物を端的に言い表すならば、下級冒険者の天敵。これに尽きる。

ダンジョン11階層以降から出現する野猿型のモンスターで、全身真っ白な体毛に覆われており、 両肩と両腕の筋肉が特に隆起している。

単純な物理攻撃しかしてこないし、武器も使わない。だが、その巨体と膂力だけで十分すぎるほど凶悪なモンスターの筆頭だ。

 

まず、巨体と敏捷性を活かした突進からの体当たり。運動エネルギーの暴力であるこれを受けた時点で、大多数の下級冒険者はさながら大型馬車に突っ込まれた一般人のごとく弾け飛ぶ。

より厄介なのは組み付かれた場合だ。人間の数十倍に及ぶ膂力と握力によって掴まれた人体は、膨らんだ水風船がそうなるように容易に中身を破裂させ、アリの手足をもぐように関節を引きちぎられるだろう。

噛みつきを受ければ、たとえ金属鎧に守られていようと無事では済まない。一本一本が子供の二の腕ほどもある牙の並んだ口の咬筋力は、薄い鉄板くらいなら容易に貫通するからだ。

 

防御力もまた秀逸である。針金のような硬い繊維の密集した毛皮は斬撃を受け止め、その下の分厚い筋肉は打撃の威力をよく吸収する。並の武器では傷をつけるのも難しい。

 

しかも、大抵は群で行動するので、うかつに手を出せばよってたかって集中攻撃を受ける。

 

ダンジョン11階層における初見殺しのモンスターであり、同程度のステイタスの者同士がパーティを組み、綿密な打合せをした上でようやく安全に狩れる、それがシルバーバックだ。Lv.2以上の上級冒険者とて、舐めてかかれば痛い目をみるだろう。

 

さらに事態を悪化させたのは、頼みの綱の一握りの上級冒険者達が、別口で市中に出現した凶悪な植物型モンスターの対応に、追われていたことだった。

現場に現れた極彩色の体色を持つ、触手の塊のような新種のモンスターは、打撃に強い体組織を持っているらしく、たまたま出張っていたロキ・ファミリアの上級冒険者が対応したのだが、一般人が何処にいるか分からない市街戦闘ということもあって、Lv.6を含む彼らすら苦戦していた。

 

結果的に、逃げ出したモンスターの大部分は下級冒険達が受け持つ形になった。

 

その中の一人に、ヘスティア・ファミリア唯一の眷属、ベル・クラネルの姿があった。

 

 

 

 

 

 

「ハァァアアア!!」

 

ベル・クラネルは剣を振るった。

その背後にはファミリアの主神、ヘスティアが庇われている。

二人で祭り見物をしていた時に、いきなり襲いかかられたのだ。白い毛並みのモンスターは、何故かヘスティアに群がり、執拗に害そうと襲ってきた。

 

周囲には、他にも数人の冒険者達が倒れ伏していた。息はあるが、もう戦えないだろう。

不意の襲撃に居合わせ、共に立ち向かってくれた者達だ。

 

ベルは彼らの名前を知らない。だが、顔は知っている。

彼らは下級冒険者で、たまにダンジョンで出会えば軽く手を上げて挨拶をする、その程度の仲だ。だが、ベル・クラネルという少年には、そんな彼らを見捨てることはできなかった。

 

ベルは腰の剣を抜き放ち、モンスターに対峙する道を選んだ。彼が憧れる、物語の英雄のように。

 

ヘスティアから託された剣は抜群の切れ味を発揮して、本来なら遙か格上の筈のモンスターの強靱な皮膚と筋肉を、まるでジャガ丸くんにフォークを刺すかのように容易く切り裂いた。

そして内部に、強力な雷を染み渡らせる。

 

グギャアアアアアアアア!!!

 

魂消るような悲鳴を上げて焼かれるモンスターをみて、ベルは確信した。

 

「いける!!」

 

そして、再び斬りかかった。

 

ベルが振るうのは、魔剣である。 だが、オラリオで一般的に呼称される意味での魔剣ではない。

本来、魔剣とは高レベルの鍛冶アビリティを持つ鍛冶師が作成し、一定回数使用すると砕け散るという魔法道具だ。威力は基本的に冒険者が扱う魔法より数段弱い。

その意味では、ベルが手にする剣はまったくの別物である。

 

数度も使えば砕け散る魔剣とは異なり、武器としてもすさまじい切れ味と強靱さを合わせ持ちながら、攻撃が命中した瞬間にまるで魔法(オリジナル)のようなすさまじい威力の雷撃を発生させ、容易くモンスターを焼き斬る。

さらに、筋肉を痺れさせて動きを止め、二度三度と追撃を加えることを容易にした。

 

我ながら武器に頼りすぎだという自覚がベルにはあったが、今はこの剣の力が頼もしい。

 

実はヘスティアには黙っていたが、この剣には危険な特性があった。振るう度に発生する電撃は、剣を通じて使用者の身をも焼くのだ。

敵に与えるダメージに比べれば微々たるものだが、未だレベル1の下級冒険者でしかないベルにしてみれば、厄介なダメージである。

 

顔なじみの神、ミアハから貰ったポーションを舐めて傷と痛みを和らげ、苦肉の策で購入した革手袋によって手のひらを保護して傷の軽減を試みたもののの、焼け石に水だった。

しかも、剣は小ぶりな癖にひどく重く、その分威力はあるのだが、使い続けると疲労から手足に震えが走り、体力の消耗も著しい。

 

そのおかげか、ベルのステイタスは類稀なるスキルの補助もあり、日毎目覚ましく上昇している。

特に(STR)耐久(VIT)の伸びはヘスティアが悲鳴をあげるほどだ。

まるで体の方が武器に及ばぬことを恥じ、追いつこうとしているかのように。

 

だが、その厄介なデメリットも、今はない。

 

「やっぱり、痺れない!火傷もない!」

 

数日前にダンジョンで偶々パーティを組んだ美貌の女冒険者、キルトから託された指輪のおかげだ。

指にはめているだけで剣の余波を完璧に無効化し、その力を十全に発揮することを可能にする、素晴らしいアイテムである。

 

その結果、ベルは本来ならあり得ざるジャイアント・キリングを可能とした。

 

大人の胴体にも匹敵する腕を振り回して盛んに攻撃してくるシルバーバック。その大ぶりな攻撃を紙一重で避け、がら空きの胴体に全体重を乗せた渾身の突きを見舞う。

 

「ここだぁっ!!!」

 

元々、ベルの素早さ(AGI)は他のステイタスより一段優れている。さらに、今は力と耐久も追随するように高まっていた。

本来なら、それでもシルバーバックには届かないのだろうが、この世界のコトワリの外から持ち込まれた剣の斬れ味は、絶対のレベル差を覆す。

 

キシャァアアア!!!

 

内臓を焼きつくされる痛みに絶叫を上げ、ついに白毛の巨猿は倒れた。

 

運良く、あるいは運悪くその場に居合わせた者達は、それを見て喝采を叫んだ。

 

「すげえ!!」

 

「あんな子供が、化け物をやりやがった!」

 

「ありがとうございます、小さな英雄さん!」

 

皆、雷鳴を纏った剣を振るい、巨大なモンスターを屠る姿に、悉く魅せられていた。

 

オラリオは冒険者のもたらす魔石によって成り立つ都市であり、そこで暮らす市民も、冒険者などは見慣れている。

しかし、彼らは決してダンジョンには潜れないし、潜らない。ダンジョンで戦う冒険者の姿を見るのは、そうはない。

だからこそ、怪物祭に繰り出して、その非日常に喝采を叫ぶのだ。しかも、今目の前で起こったこれは、本物だ。

その相手が年端もいかない少年とくれば、印象は鮮烈である。

 

そんなベルの勇姿を、特等席で眺めている者がいた。

 

「ウヘヘヘヘへへ!」

 

ニヤケ面を晒して惚ける神、ヘスティア。

 

公衆の面前で、勇ましくモンスターを倒す勇者のごとき少年。民草に歓呼の声で讃えられるベルは照れ臭そうでありながら、誇らしげでもある。

そんな吟遊詩人に歌われそうな物語の主役に庇われ、守られるヒロインは、自分!

吊り橋効果も合わさって、ヘスティアの乙女脳はオーバーフロー寸前である。

 

顔は真っ赤に紅潮し、ハートマークに染め上げられた目は潤みきっていた。

 

「見たか、ヴァレン(なにがし)ぃ!!これでベル君はボクのものさ!!誰にも渡さないぞ!!」

 

ツインテールを狂喜乱舞させ、勝利宣言をかます。その余りにもだらしない顔を見ていたのは、たった一人しかいなかった。

 

「あっ、また地震だ」

 

「最近、多いよな」

 

不意に起きた地震にも、市民達はすでに慣れたもので、誰も動じない。

 

今はただ、魅入っていた。

 

現代に再現された最新の英雄譚を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………そんな彼らの様子を物陰から見て、バッシンバッシンと地面を叩いて悔しがる女が一名。もちろん、キル子である。

 

「クソがぁっ!!!」

 

計画の最後のツメを自ら担うため、逃げ出したモンスターを追ってきたら、出くわしたのがこの耐性を貫通する精神攻撃である。

 

(ヘスティア、恐ろしい子!

いや、違う違う。本当に恐ろしいのは、こんな演出をなんの打算も打ち合わせもなくしてやってしまうベルきゅん!!

なんという天然ジゴロ。惚れた、抱いて、ホテル行こう!

マジ王子様ですよチキショウくそう、羨ましいなオイ、ヘスティアそこ代われ!

あれじゃ、誰だって転ぶ。私だって転ぶ。おのれヘスティア、あの子を独り占めとか許されざるよ!

ていうか、あのヘスティアのにやけ面を見なさいよ、ベルくん!あなた騙されてるのよ! )

 

もはやキル子にはヘスティアの笑顔は「くやしいのう、くやしいのう」とあおられているようにしか見えなかった。完璧な被害妄想である。

 

地面に倒れ伏し、バッシンバッシンやらかすキル子。

当然ながら、周囲はガラガラとゆれ、ベルや市民達も、一瞬だけ状況を忘れて冷や汗をかくほど。

 

キル子はギリギリと歯がみしながら手元の数珠型腕時計を見た。まだ時間が残っていることを確認し、計画を少々変更することを決意する。

どのみち派手に動いて"証人"を集めるつもりだったのだ。こうなれば是非も無し。

このまま放っておいたら、2人のボルテージは最高に高まるだろう。確実に今夜はお楽しみ案件である。にゃろう、絶対邪魔してやるぅ!

 

ケケケケ!!と気色の悪い笑い声を上げながら、キル子がインベントリから取り出したのは、馬をかたどった小さな像。

それを握る手は、青白い異形としての姿を取り戻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、こいつらどこから出てきたんだ?!」

 

不意に群れをなして襲ってきたモンスター達に、ベルは再び立ち向かっていた。

 

シルバーバックと入れ替わりに、無数の見たこともないモンスターが群れを成して現れたのだ。

そいつらは一見して、ダンジョンで見かけるモンスターとは、明らかに毛色が違っていた。

 

熊や猪、狼、あるいは蛇。オラリオの外でも見たことがある、大小無数の動物達。

ただし、それらは酷い悪臭を纏い、爛れた皮膚と腐った肉のところどころから、骨や内臓を露出させた異形だった。

 

その正体は動物の動死体(アンデッド・ビースト)。ゾンビの耐久性と動物の機敏さを兼ね備えるモンスターである。

ユグドラシルにおいて、レベル5から18にもなろうかという大小無数のアンデッドの群れは、ベルに……というよりベルに庇われるヘスティアへと襲いかかった。

 

動きは鈍いので攻撃は避けやすいのだが、とにかくタフだし、力も強い。痛みを感じていないのか、いくら傷つけても怯まず向かってくる。何より群れで襲ってくるのは、シルバーバックより厄介だった。

 

それは怪物祭から逃げ出したダンジョンのモンスターではなく、【眷属召来】なるユグドラシルのゾンビ種が持つ種族特有のスキルによって呼び出されたものであることを、彼は知らなかった。

 

ようやく3匹目のモンスターを倒した時、ベルの疲労はピークに近づいていた。

 

ただでさえシルバーバックとの激戦を経たばかり、それも今度は複数のモンスターを相手にしなければならない。

シルバーバックにやられた下級冒険者達の手当てもまだ済んではおらず、あたりには安心して顔を出してしまった一般市民も溢れている。もちろん、その中には彼の主神であるヘスティアもいる。

 

万事休す。ベルが焦りを覚えた、その時だった。

 

ベルの耳に、聞き覚えのある高笑いが聞こえてきたのは。

 

「オーッホッホッホ!!!」

 

同時に、路地の陰から一騎の影が飛び出した。

 

「キルトさん!」

 

「むむっ?!」

 

ベルは歓声を上げた。

そして、ヘスティアは新たな泥棒猫を見る目で睨んだ。

 

金銀細工の馬具に彩られた黒馬に跨がり、豪奢な金髪をカールにした美しき女騎士。

 

キルトは大声で名乗りを上げた。

 

「姫騎士キルト、華麗に参上!!ベルくん、義によって助太刀しますわ!!」

 

騎馬の正体は、動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース) 。騎乗動物を召喚することのできるユグドラシルのアイテムだ。 馬はユグドラシルでは、騎乗系のスキルを持たずとも、誰でも使える移動アイテムである。

しかも、これには課金ガチャのハズレアイテムを使っているため、派手な馬具が追加されている。地味に移動速度が10%加算される効果付きだ。

 

「成敗、ですわ!!」

 

薔薇の鎧を着た乙女は黒馬を操り、すり抜けざまに大鎌を振るうと、モンスターの首を一撃で飛ばした。

さらに、騎馬の機動力をもって次々に詰め寄り、一撃にて倒していく。

恐れをなしたのか、モンスター達は踵を返して遁走していった。

 

その姿に、ベルは魅入られた。「ベルくんを渡すものか!」という顔をした、ヘスティアに抱きつかれながら。

 

「ざっとこんなものですわ!」

 

さて、得意げにベルに微笑むキルトことキル子だったが、実は内心で悪戦苦闘していた。

 

(ヤッベ、馬の首って長くて邪魔!うっかり鎌でぶった切りそう!つか、走る速度も自分で走ったほうが速いわ!)

 

騎乗系のスキルを持っているわけではないので、馬に乗った状態ではせいぜい鎌を振り回すくらいしかできないのだが、やってみるとこれが意外に難しい。

人間種に擬態化しているため弱体化しているとはいえ、高レベルの物理ステータスにものを言わせた単なるゴリ押しである。

移動速度も降りて自分の足で走った方がよほど速いだろう。

 

では、何故これを持ち出してきたのか。

それは、こちらを伺うベルの表情が、全てを物語っている。

 

「か、かっこいい!!」

 

そう、視覚効果が絶大なのだ。

 

黒馬を操り、モンスターを一刀両断にしていく様は、まさに姫騎士。ベルだけでなく、周囲にいた冒険者や一般人は、残らず目を奪われている。

 

ダンジョンでパーティを組んだとき、ベルが『キルト』に脈があるのは確認済みである。でなければ速攻でパーティを組んだりしない。

となれば話は簡単で、最高に派手でインパクトのある登場をかまして、ベルの心に自分の姿を刻み込み、新たな属性を植え付けてやればよいのだ。

それで確実に新たなフラグが刻まれるだろう。こうやってフラグを積めば、いずれ必ず指輪と共に還ってくる……はずだ。

 

実際、ヘスティアはツインテールを荒ぶらせ、ムキーっ!と今にもハンカチを噛みそうな顔をしてこちらを睨んでいる。

 

「オーッホッホッホ!ザマアですわ!」

 

あまりにもせこくてみみっちい思惑を成功させたキル子は、馬上にて再び高笑いを上げた。

その場に居た者達に、あまりにも強烈な印象を植え付けながら。

 

「「「かっこい~~!!」」」

 

何故かこの場に現れたちびジャリ三名も、その勇姿に見ほれていた。

 

「え?……ちょ、あなた達!なんでここにいるのよ!!」

 

視界の隅で両手を合わせてごめんなさいしているリリルカを目に留めると、何とか「段取りと違う!」という言葉を飲み込む。

 

「ちょっとちょっと、リリルカさん!どういうことですの?!」

 

思わず馬を飛び降り、リリルカに詰め寄ると、小声で詰問する。

 

「すみません。途中までガネーシャ・ファミリアの誘導に従って避難していたのですが、この子達が……」

 

どうやらキルトの姿を探して飛び出してしまったらしい。無茶をする。いや、なまじダンジョンに潜ってモンスターに対した経験があるからか。

 

孤児達の一人、小人族の少女・カリンは短い金髪を揺らしてピョンピョンと飛び跳ねていた。

 

「わたしもおねえちゃんみたいになる!ぼうけんしゃになる!あくやくれいじょうになる!ひめきしになる!」

 

……後に彼女は冒険者として大成し、とあるファミリアの幹部まで上り詰める。

金髪をカールにし、高笑いを上げながら縦横無尽に大槍を振るう第一級冒険者、『覇王(エンプレス)』カリンの名をオラリオに轟かせることになるのだが、それはまた別の話である。

 

そんな幼子達のキラキラと光る汚れのない眼差しを受けて、キル子は悶絶した。

 

(そんな目で見ないで!こちとら単なる対人特化型のPKですよ!

ワールドチャンピオン様とかワールドディザスター様みたいな、皆から憧れられちゃう謙虚なチート職様とは違うんですぅ!!

むしろナイト様ゴッコするアホとか狙い撃ちにして、せっかく大枚叩いて作ったゴッズアイテムとか奪いまくりで泣かしてたのよぉ!!)

 

「……む、無垢な視線が痛い」

 

新手の精神攻撃は、キル子の完全耐性を貫いて実際よく効いた。

 

「も、もう、仕方がないですわ。リリルカさん、わたくしはこれからモンスターを追撃します。どうやらやつら、"ダイダロス通り付近"に向かっているようですわ。そちらには決して近づかないように!」

 

「了解です!」

 

リリルカは黒いクロスボウを携え、カチューシャのウサ耳をピクピクさせながら、力強く頷いた。

 

キル子が護身用に与えたアルティメット・シューティングスター・クロスボウ・ライトプラスと、着用する者に常時《兎の耳/ラビッツイヤー》の効果を与えるカチューシャがあれば、万が一、巻き込まれても何とかなるだろう。

 

ダイダロス通りの方へ逃げ出したモンスターたちを、放置することはできないし、"証人"はできるだけ多いほうがいい。

このあたりで、周囲に這いつくばる使えない連中を再起動させておこうと、キル子は一芝居打つことにした。

 

「あなた達、いつまでへたばってるの?!」

 

キル子は赤ポーションを取り出すと、辺りで沈んでいた冒険者達に、ぶっかけて回った。

 

【死神の目】によって確認したが、この程度のHP量ならば上級秘薬は必要ない。後でまとめて処分しようとして、気が付いたら4桁ほど溜まっているログインボーナスの中級ポーションで十分である。

 

「さあ、立ち上がりなさい!!オラリオを守るのよ!!」

 

モンスターに打ち倒され、うめき声をあげながら、ベルやキル子の活躍に魅入っていた者たちに、この一言は効いた。

 

一度は剣を取り、立ち向かったにもかかわらず、無残に打ち倒され、心も折れた。

だが、そこに颯爽と現れて英雄劇を見せつけた主役から、直々のオファー。

 

冒険者なんて、大なり小なり英雄願望の持ち主である。

彼らのほとんどは下級冒険者であり、普段から生活のためだ、稼ぎのためだと嘯いてはいるが、心の奥底にはいつか成り上がってやろうという野望がある。

吊り橋効果とでもいうべきだろうか、この状況は抜群の視覚効果を伴って彼らの脳に訴えかけ、キル子こと『キルト』の言葉を心に響かせた。

 

「で、でもなぁ……」

 

「ああ、俺たちじゃあ、逆に足手まといだ……」

 

それでも、多くの者たちはうつむき、自らのステイタスに歯噛みすしている。

 

もちろん、そんな心のわからないキル子ではない。

不敵な笑みを浮かべてインベントリから何枚もの巻物(スクロール)を取り出すと、惜しげもなく次々に使用していった。

 

「《集団標的(マス・ターゲティング)》、《上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル )》、《上位幸運(グレーターラック)》、《上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)》……」

 

ギルド戦闘等の団体戦においては、支援能力(バフ)の有無は死活問題である。

MPの回復は時間経過に頼るしかないユグドラシルにおいては、魔法職はMPを温存する必要に迫られ、余裕のあるときに巻物を用意しておくのは常識だった。

そして、集団PVPでは互いに消耗しきった膠着状態に陥る場合も多い。巻物を誤魔化して使用可能な盗賊系職業は、不可視化系スキルと高い素早さにより生存確率が高く、一種の隠し玉になりうるので、キル子はモモンガやぷにっと萌えからこの手のアイテムを大量に持たされていた。

 

まさか、この期に及んで日の目を見るとは思いもよらなかったが。

 

「すげえ!力が溢れてくるぜ!」

 

「ああ!これならいける!」

 

一通りのバフをかけまわすと、先ほどまで死に体だった冒険者達の目に、活力が戻る。

ユグドラシルでも最高クラスの支援魔法を受けた彼らのステイタスは、本来のレベルを遥かに逸脱して激増していた。

 

「《上位移動速度上昇(グレーター・ヘイスト)》、《上位クリティカル発生率上昇(グレーター・クリティカル・アッパー)》……これはオマケ!《経験値取得上昇(エクスペリエンス・パレード)》!!」

 

自分自身が使用可能な移動速度強化等のバフに加え、最後に取得経験値が一定時間上昇する課金バフの巻物を使うと、準備が整う。

 

こちらを力強く見返してくる冒険者たちに向かって、大鎌を掲げた。

 

「モンスターを追撃します!志あるものは、我に続け!!」

 

「「「おおおぉぉおおおおおお!!!!」」」

 

盛大な時の声が上がると同時に、彼らは一丸となって駆けた。

 

キル子は満足して頷くと、真っ先に飛びだそうとしたベルに声をかけて止める。

 

「ベルくん、お待ちなさい!あなた、馬には乗れる?!」

 

「は?…はい!村にいた頃はよく乗ってました!」

 

いつの日か名馬を駆って冒険に挑む勇者になることを妄想しながら、春に畑の梳き込みに使う農耕馬を走らせた幼い日の思い出。

なお、振り落とされて肥だめに落ち、祖父に爆笑されたのは思い出したくもなかった。

 

「なら結構!後ろにお乗りなさい!これは二人乗りが大丈夫なタイプなのですわ!」

 

そう言うと、キルトはベルを片手でひっ掴むと、鞍へと引き上げる。

そして、自らへとしっかりと抱きつかせた。役得である。

 

「ベ、ベルくん!!」

 

ヘスティアの目の前で、ベル(獲物)を掻っ攫うという暴挙を成し遂げると、馬の腹を蹴って全速で駆け出した。

 

「神様、ここに居てくださーい!僕も行ってきます!」

 

「べ、ベルくんの浮気者〜〜!!」

 

戦闘馬を駆るキル子は、ベルには見られないように、こっそり背後を覗き見ると、邪悪な笑顔でほくそ笑んだ。

 

計画通り。

 

涙目で歯噛みするヘスティアの負け犬じみた悲鳴が余りにも心地よい。

 

実は、昔からこういう役割は得意なのだ。

かつて、ユグドラシルでも、キル子は似たようなトレインを引き連れてひた走ることがよくあった。

その時背後に食いついてきたのは「待て!」だの「死ね!」だの「装備返せ、ドロボウ!!」等と罵倒を飛ばす、逆恨みも甚だしい不届きな連中だったのだが。

もちろん、そいつらはギルドメンバーが手ぐすね引いて張り巡らせた罠にご招待である。

 

これこそギルド、アインズ・ウール・ゴウンの策士・ぷにっと萌え考案『誰でもできる楽々PK戦術』の一つ、囮PK。

ギルドメンバーの誰かを囮に敵を誘き寄せて、食い付いてきた相手を狩り殺す戦術だ。この方法の欠点は囮も死ぬ可能性が非常に高いことだが、襲い掛かってきた敵は全部確実に殺してきた。

特にキル子は囮役を務めることが非常に多かった。

ギルド内最速を誇るキル子の足なら逃げ切れる可能性が高かったし、いざとなればゾンビ系アンデッド種族の特殊能力により、一日三度までならどんな攻撃を食らってもHP1で耐えきれる。 何より、ヘイトを集めやすかった。まさにカルマのなせる技である。

 

そして、あの手この手でプレイヤーを煽っては釣り出してきた経験を持つキル子のリアルスキルを駆使すれば、このような状況を作り上げることなど朝飯前である。

 

ドス黒い笑みを隠しつつ、冒険者たちを引き連れてモンスターを追撃していたキル子だが、お目当ての場所に近づくと、手綱を引いて馬足を止めた。

 

「どうどう!総員、止まりなさい!」

 

キル子が招来した動物の動死体(アンデッド・ビースト)だけではない。怪物祭から逃げ出し、討伐を免れたモンスター達すらも、まるで何かに引き付けられるかのように、一つの建物へと殺到していく。

 

「あら、モンスターたちが何かの建物に飛び込んでいったわね。あれはなにかしら」

 

すさまじく棒読みのセリフである。

 

だが、モンスターとの追撃戦で緊張の極みにあった冒険者たちは疑問に思わなかった。

 

「ありゃあ、ソーマ・ファミリアの酒蔵じゃねーか?」

 

「確か、すげえ酒を神様自身がこさえてるって、あの」

 

「あそこのファミリアはホームはガラガラな癖に、ここだけはやたらと人がつめてんだよなぁ」

 

「あのお酒は絶品だからにゃ……っていうか、なんかところどころ出火してないかにゃ?」

 

「酒造りの道具にでも引火したんじゃないか?」

 

キル子と馬に相乗りしているベルも、何かを思い出すかのように頭をひねっている。

 

「ソーマ・ファミリア……どこかで聞いたような?」

 

「確か、リリルカさんの所属ファミリアでしたわね」

 

キル子がさりげなくフォローすると、ベルは「あっ!」と声を上げた。思い出したらしい。

 

「そうか、リリの仲間……!」

 

ベルはそれだけで助けに行く決意を固めたようだ。『感電びりびり丸』を構えなおし、今にも飛び込んでいきそうにしている。

 

キル子もそれを後押しした。

 

「袖振り合うのはエンゲージ、とも言います。一度パーティを組んだ仲です、助太刀しましょう!」

 

「えんげ……?は、はい、行きましょう!」

 

妙な言い回しにベルは眉根を寄せたが、素直にうなずいた。

 

だが、多くの冒険者たちは困惑したように顔を見合わせている。

 

「あ、姉御。その、いくらモンスターどもが飛び込んでいったからって、余所のファミリアの敷地に無断で立ち入るのは……」

 

「ええ、マズイっすよ」

 

「後で問題になるかも……」

 

ファミリア同士は進んで対立しているわけではないが、決して仲が良いわけでもない。

余所のファミリアの縄張りを無断で荒せば、最悪の場合、神同士の対立から戦争遊戯(ウォーゲーム)と呼ばれる神々の代理戦争にまで発展することもある。

 

特に、ソーマ・ファミリアのような生産系のファミリアにとって、製造法の漏えいにつながりかねない工房への余所の団員の立ち入りは、非常に嫌がられる行為だった。

 

モンスターに対するのとはまた違う恐れから、二の足を踏む彼らを見据えて、キル子は叫んだ。

 

「機を見てせざるはチキンなり!!」

 

冒険者たちはカッと目を見開いた。

 

中には「義を見てせざるは勇無き……じゃね?」と些細な疑問を覚えた者もいたが、だいたいあってるのであまり気にはしなかった。

実際にはメイクラブのチャンスは不意にするな、との尊い教えであるが気にしてはいけない。

 

「お聞きなさい、このモンスターたちの邪悪な雄叫びと、無辜の民の悲鳴を!」

 

確かに、酒蔵の内部はひどい混乱に陥っているのか、すさまじい阿鼻と叫喚の混声合唱が絶え間なく響いている。

運よく逃れたソーマ・ファミリアの団員らしき怪我人達が、這う這うの体でその場にへたり込んでいたが、まだ内部にはいったいどれほどの人間が取り残されているのか、見当もつかない。

 

ソーマ・ファミリアは団員の数こそオラリオでも有数だが、質としてはお粗末なもので、最大でもレベル2が数名いるだけである。それはひどいことになっているだろうことは、想像に難くなかった。

 

その場の全員の視線を集めると、キル子は不敵に微笑んだ。

 

「わたくしは、行きます!皆様はこの場で怪我人の救助をお願いしますわ!」

 

そう宣言すると、後ろに乗っていたベルを地面へと降ろす。

 

「キルトさん?!なんで……?!」

 

「みんなで危ない橋を渡る必要はありませんことよ!!」

 

そして、煙と炎にまみれた建物の中へ、颯爽と騎馬ごと突っ込んでいった。

 

「キルトさん……!」

 

ベルの悲痛な声を置き去りにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベル・クラネルは歯噛みした。単身で飛び込んで行ったキルトを、呆然と見送ってしまった。

 

ファミリアがなんだ、神がなんだ、そんなものに囚われて義を見失うのか、と。

恩恵を受けて神の眷属となったオラリオの冒険者ならば、必ず躊躇する筈の問題を、笑い飛ばして正義を貫くキルトの姿に、つい見惚れてしまった。

 

「ぼ、ぼくも行きま…!!」

 

続いて飛び込もうとしたベルだったが、思わぬところから彼を止めるものが現れた。

 

「駄目よ、ベル君!やめなさい!」

 

「え、エイナさん?!」

 

その肩をつかんで止めたのは、ベルの馴染みのギルド職員、ハーフエルフのエイナ・チュール。

受付嬢とベルの担当アドバイザーを兼務している女性だ。

 

仕事中なのか、彼女の後ろには同じくギルドの制服を着た男女が何人か控えていて、ソーマ・ファミリアの惨状に言葉を失っている。

 

ギルドがなんでこんな所に出張ってきたのか、と。疑問を覚えた冒険者たちの探るような視線に答えるように、エイナはベルに状況を説明した。

 

「このところ、ソーマ・ファミリアの団員の行動がギルド内部でも問題になっていてね。ところが、今日になって……その、ひどい告発があったのよ」

 

エイナは言葉を濁した。

 

「それで、慌てて抜き打ち監査に来たら、こんなことに遭遇してしまって………ところで、あの飛び込んでいった女性は知り合い?ギルドでは見たことのない顔だったけど?」

 

「ああ、あの人は………うわっ?!」

 

ベルが答えようとした、その時だった。

不意に、凄まじい腐敗臭が何処からか漂ってきた。思わず手で鼻を覆ってしまう。

 

「うへぇ!おいでなすったな!」

 

「クソが!やっぱりひでえ臭いだぜ!」

 

爛れた皮膚と肉を持ち、潰れた目玉や骨を露出させた異形の動物達が、酒蔵から溢れ出てきた。

 

「また、あいつらだ!エイナさん、下がってください!」

 

剣を構えるベルだったが、続いて現れた存在を目の当たりにして、絶句した。

 

腐敗した動物の死骸達の後ろから、巨大なモンスターが、音もなく姿を見せたのだ。

 

「でかい?!」

 

「なんだあいつは?!」

 

「あんなの見たこともねえぞ!!」

 

「ちょ、無理にゃ!」

 

冒険者たちも驚愕している。

 

それは三つの首を持った、犬にも似たモンスターだった。体長は5メドルを優に越えているだろう。

爛々と輝く三対の目に、地獄のような赤い光を湛えて、その場の全員を睥睨している。

 

鋭い牙をビッシリと生やした首の一つには、血に染まった人影が咥えられていた。

 

「ソーマ様!!」

 

酒蔵の前に避難していたソーマ・ファミリアの団員達から、悲鳴が上がった。

 

すでに命があるのかないのか、神・ソーマと思しき人影は身動き一つせず、すぐに巨大な口の中に飲み込まれ、咀嚼されてしまった。

 

あまりに凄惨な光景に絶句する一同の前で、さらなる悲劇が起こる。

 

「ヒ、ヒヒヒ!やった、お、終わった……フヒ!こ、これで解放される!モグモグは嫌だ!!モグモグモグモグ、ごゆるりとモグモグモグモグ……!!!!!」

 

主神が食い殺されて気がふれてしまったのか、モンスターの後ろから、眼鏡を掛けた細面の男性が、狂喜の笑みを浮かべて這い出てきた。

 

目は焦点が合っておらず、口からは涎を垂れ流していて、明らかに常軌を逸している。

 

「ひ、ひひひ、もぐもぐもぐ……ケキャ!!!」

 

ガブリ、と。その男も瞬く間に犬の口の一つに、ひと噛みで飲み込まれてしまった。モグモグと咀嚼され、ゴクリと飲み込れる。

 

モンスターは次の餌食を見繕おうというのか、周囲を睥睨し、口の一つから雄叫びを放った。

 

ヴウォオオオオオオオオ!!!!

 

周囲一帯に木霊する遠吠え(ハウリング)

それは物理的な圧力を伴い、風属性攻撃となって酒蔵の前に集っていた冒険者を一息に吹き飛ばした。

 

ゴミや芥を箒で掃くように街路に叩きのめされ、その一撃で戦闘能力を奪われる者多数。だが、バフによる強化のおかげか、命を落とした者はいない。

また、ハウリングに含まれていた高周波の大音響による麻痺の状態異常は、事前に受けていた抵抗力強化のバフにより、ほぼ半数が無効化できていた。

 

ただ一人、その攻撃から指輪の守りによって完全に身を守ることができたベルは、背後にエイナをかばいながら、モンスターに立ち向かう。

 

「エイナさん、逃げて!!」

 

「ご、ごめんなさい、ベル君……こ、腰がぬけて……!」

 

エイナは立ち上がることもできずに、小刻みに震えている。麻痺してしまったのだ。

 

「き、君だけでも、逃げて!お願い!」

 

エイナの懇願に、ベルは首を振った。

 

「そんなことはできません!!」

 

三つの大咢は、さらなる獲物を求めるかのように涎を垂らし、二人を見つめている。そして、巨大な犬の口の一つに今度は赤い光が灯った。牙の境目から、灼熱の炎が漏れている。

 

それを見て、ベルは覚悟を決めた。

 

"仲間を守れ、女を救え、己を懸けろ、折れても構わん、挫けても良い、大いに泣け。勝者は常に敗者の中にいる、願いを貫き、想いを叫ぶのだ、さすれば、それが、一番、格好のいいおのこだ。"

 

それが祖父の教え。ベルが憧れ、目指す英雄の在り方。

 

「僕が囮になります!その隙に!!」

 

今にも炎を吐き出そうとしているモンスターから注意を引き付けようと、ベルが駆け出そうとした、その時だ。

 

「よく言いましたわ!!!」

 

赤い鎧を纏った女が、間一髪、その首に一撃を浴びせた。

 

「チッ……トリプルチャージで不意打ちしたのに、この程度か!さすがに第10位階の怪物、硬い!」

 

「キルトさん!!」

 

赤い薔薇の鎧を纏った女冒険者が現れると、ベルは喝采を上げ、怯えていた冒険者たちの顔にも生気が戻る。

 

「お待たせしました!どうやら中の人間は、残念ながら、ほとんどこいつに食い殺されてしまったようですわ!」

 

薔薇の刻印の大鎌が首の一つに食い込み、深手を負わせたが、切り落とすまではいっていない。しかし、その首は白目をむいてだらしなく舌をのぞかせていた。どうやら無力化したようだ。

モンスターは、残る二つの首を乱入者に向けて、唸り声を上げている。

 

キルトは背後にベル達をかばいながら続けて指示を出した。

 

「負傷者を下げて!わたくしが正面を引き受けます!皆様はその隙に取り巻きのモンスターを!」

 

腐敗臭を撒き散らす動物達も、ジリジリとこちらに近寄ってきている。

 

「おう!任せてくだせえ!」

 

「姐御にゃ近づけさせません!」

 

「ご武運を!」

 

キル子が声を張り上げると、その場に集った冒険者たちは再び時の声を上げ、動物の動死体(アンデッド・ビースト)に向かっていった。

 

それを眺めて、残る首の二つがグルルゥ!と唸る。

 

「やらせませんわ!」

 

キルトが大鎌を振るい、牽制する。

対して、モンスターは二つの首と前足の爪を使い、連続攻撃を繰り出した。風圧すらも凶器となり、その余波は周囲で戦っていた冒険者やゾンビをも切り裂く。凄まじい威力だ。

 

「パリィ系は持ってないけど、このくらいなら!!」

 

キルトは取り回しに難のある大鎌を巧みに使い、その全てを華麗に流していく。

 

その一進一退の攻防を、ベルはエイナを担ぎ上げて安全な場所まで運びながら、見つめていた。

 

「すごい……!!」

 

三つ首の巨犬、ケルベロスに立ち向かう戦乙女。

彼の目に、新たな憧れが焼き付けられた瞬間だった。

 

だが、いよいよ鬱陶しくなったのか、今度は無事な犬の首の一つから、バチバチと紫電のスパークが漏れ始める。

 

電撃の吐息(ライトニング・ブレス)!ちょ、待っ、やり過ぎぃ!!」

 

焦るキルトの様子に不吉なものを覚えて、ベルも剣を構え直す。

 

その時だった。

大乱戦の様相を呈してきたソーマ・ファミリアの酒蔵前に、更なる主役が登場したのは。

 

「オラァ!!」

 

突如として現れた男は、見事な飛び蹴りを繰り出すと、今にも雷撃を吐こうとしていたモンスターの口を無理やり閉じさせた。

 

ギャウン!!!

 

口中で雷撃が誤爆したのか、モンスターは苦悶の悲鳴を上げて身をよじらせた。

 

「こいつはおまけだ!!」

 

更に駄賃とばかりに両目に向かって猛烈な拳打を浴びせると、男は無理することなく、下がった。まるで羽が生えたかのように跳びのき、モンスターの前に佇んでいたキルトの横に陣取る。

 

その姿をポカンと見つめていたキルトは、次の瞬間、黄色い歓声を上げた。

 

「きゃあああああ!!ベート様ぁあああ!!」

 

果敢にモンスターに痛打を浴びせた男こそ、ロキ・ファミリアが誇る第一級冒険者、ベート・ローガ。

 

「どいてろ雑魚ども!!雑魚にゃ、こいつの相手はつとまらねー!!大人しく周りの雑魚でも狩ってろ!!」

 

周囲でゾンビと戦っていた者達も、思わず手を止めて歓声を上げた。

 

「ベート・ローガだ!第一級冒険者が来てくれたぞ!」

 

「あれがロキ・ファミリアの凶狼(ヴァナルカンド)!」

 

「クソが!嫌な奴だが、こういう時は頼もしいぜ!」

 

当のベートは有象無象の戯言など眼中にもないのか、不敵に笑っている。

 

「ヘッ!病み上がりだからって、フィンの野郎に置いてきぼりくらったら、まさかの大物にでくわしたな!!勘を取り戻す相手にゃ、不足はねぇ!!」

 

一度だけパシッと両手を叩きつけ、構える。

 

その姿にキルトはキュンキュンと目を奪われ、ベルはかつての屈辱の記憶を想起して歯噛みする。

 

 

 

事態は、最終局面に移っていた。

 

 

 



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第9話

その日も、ソーマ・ファミリア主神、ソーマはいつも通り自らの酒蔵で酒造りに没頭していた。

 

ソーマは酒造りにしか興味がない。正確には自らの作った酒の出来にしか興味がない、というべきか。酒造りは好きだし、何より酒神としての自らの存在意義のようなものだ。

 

最近では下界の材料を使い、神としての力を振るわぬまま、それなりに満足できるものを仕込むことが出来るようになった。

だが、不出来な失敗作もまだまだ多い。満足のいく物でさえ下界の子達ならばともかく、未だ神を完全に酔わせる域には達していない。

 

ソーマはそれなりに眷属が多い。最近では明らかに子供のような者達まで恩恵を受けに来る始末だ。それだけ神酒に魅せられたのだろう。

元々ファミリアも酒造りの資金のために設立したものなので、加入者が増えるのは何も問題はない。

だが眷属達は、神酒に酔いしれ、それに溺れてしまっている有様だ。ソーマはあきれ果て、ファミリアの運営を投げ出し、ひたすら酒造りに没頭していた。

 

それ以外の全ての雑事は団長のザニス・ルストラに任せている。

ザニスはザニスで事実上の派閥の支配者として振舞っていて、ソーマの前ではあたかも崇拝している風に装っているが、内心では見下されているのはソーマ自身にも分かっていた。

ソーマはソーマで、ただ面倒ごとを代わりに片付けてくれる小間使い、という程度の認識しか持っていない。

酒造りを邪魔されず、材料を揃えるための金を貢いでくれるなら、誰でも良かった。

 

だからその日、ザニスが珍しく切羽詰まった顔で、ファミリアの運営で相談があるとか、新たな眷属候補に会って欲しいだとか、理由をまくし立ててソーマに懇願し、外出を控えてほしいと言われても、多少奇妙だと思ったが反論することなく了承した。

そもそもソーマは酒の材料や道具の仕入れに同行して品質を見るぐらいしか、滅多に外出しない。

だから、いつも通り、自らの酒蔵へと引きこもっていた。

 

そろそろこの間仕込んだ酒が、ほどよい具合に醸造されている頃合いである。

 

「ふむ……ふむ……」

 

ソーマは匂いを嗅ぎ、味を見て顔をしかめた。また失敗だ。

壺の蓋を閉め直し、失敗作が纏めてある辺りに動かした。思わずため息が漏れる。

 

さて次のものは、と別の酒壺の蓋を手にかけた瞬間、不意に何か大音響が聞こえてきた。

人間の悲鳴と、大型の動物がほえているかのような凄まじい咆哮。

流石に驚き、酒蔵から出ようとした、その時だった。

 

はて、とソーマが違和感を覚えて自らの胸元に視線を移せば、墨汁の塊で出来たかのような漆黒のナニカが、せり出している。

何の痛痒もなく、何かに触れた感覚すらない。だが、闇の塊のようなそれは、いつの間にか胸を貫いていた。

 

「……は?」

 

それがソーマの最後の言葉になった。

 

「私の名はキル子。ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの末席にしてゴミ処理係。お初にしておさらば」

 

背後から耳朶を打つ言葉の意味を理解する前に、ソーマは塵と化した。

一瞬にして全身が白く染まり、次の瞬間には粉々に砕ける。骸は非常にキメ細かい霞か何かのように崩れ、空中で四散して消えていった。後には何も残らない。

 

「存外にあっけない。が、それならそれで、まことに結構」

 

突如として現れた乱入者、キル子はソーマが消えた辺りに目をやって、ため息をついた。

今はアンデッドとしての本来の姿とステータスを取り戻し、装備も所謂ガチ装備に換装している。

 

その手にはソーマを文字通りの意味で終わらせた武器、小太刀が握られている。つい先ほどまで漆黒に染まっていた刀身は、今は本来の銀一色を取り戻していた。

キル子は小太刀を白木の鞘に戻すと、慎重にインベントリへとしまい直した。何より大事な虎の子の神器武装だ。

 

「色々考えましたがね。監督責任というか、結局のところ、ケジメ案件でしょう、これ?」

 

ケジメは大事である。

ブラック企業の蔓延るリアルでは、些細なミスでサラリマンは落とし前として、指や鼻をそぎ落としたり、切腹したりとか日常茶飯事(チャメシインシデント)だった。

 

「しかし、それは後付けの理由でして。ぶっちゃけた話、これは私の八つ当たりだ。どうせ天界とやらに強制送還なんだろ?あっちで後悔しろ、クソが」

 

 

 

Deathscythe(死神の一撃)】……42時間に1度のみ使用可能。対象の1体に対して、あらゆる耐性を無視して即死させる。それは蘇生できない。

 

 

 

対人戦闘に有利なスキルを数多く取得し、レベルを一つ上げるごとに対プレイヤー与ダメージを20%増加できる暗殺者(アサシン)隠し(エクストラ)職業、『グリムリーパー』。その最大レベル5で取得できる制限スキル。

 

『グリムリーパー』は隠し職業ではあるが、wikiに取得条件が晒されているため、それなりに有名である。

特定のアサシン系職業を複数取得し、レベル90以上にした上で、非常に大量のプレイヤーをキルすると転職イベントが解放される。

この職業を極めた者はPVPイベント等で上位陣に残るのも珍しくはなく、その際にはこのスキルをいかに温存するかが勝負の分かれ目だった。あらゆる近接攻撃が即死につながりかねないため、すべてを回避するという選択を相手に強要できるからだ。

 

アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガの有する切り札【The goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である) 】の劣化版と言えなくもない。

あちらは他のスキルや魔法と併用して範囲攻撃可能な初見殺しの即死攻撃だ。発動までに12秒のタイムラグがあるとはいえ、範囲に巻き込まれてしまえば、あらゆる耐性を無視して即死させられる。リキャストタイムの100時間も納得の性能である。

かつて1500人からなるプレイヤーがナザリックを襲撃した際に、たった41人の寡兵で返り討ちにできた要因の一つは、このスキルに依るところも大きかった。 何せ、ロール重視のビルドでしか出現しない隠し職業のスキルなんて、当時は誰も知らなかった。

結果として超広域化された即死魔法に対して、おそらく対策として即死無効アイテムを装備していただろう連中は、油断しきっていて何も対応しようとはせず、一網打尽になった。

あらかじめ12秒の猶予時間内に復活系能力を仕込んでおけば、多少のデスペナルティと共にその場で復活できるのだが、そんなもの初見で見破れるはずがない。

アレは本当に胸がすくような思いだった。

 

対して、こちらは1体しか対象にとれず、しかも近接攻撃成功時にしか効果が発揮されない。ほとんどの防御は貫通するが、回避されたり空間遮断等の攻撃を届かせないタイプの防御能力とも相性は悪い。

何より、一体キルするだけにしてはリキャストタイムが長すぎる。

蘇生不可なんてオマケのようなもので、ユグドラシルでは復活系の魔法やアイテムを無効化して、デスペナルティによる5レベルダウンを100%受けさせるための、嫌がらせでしかなかった。

 

しいて長所を挙げれば、出だしの速さと、あまり効果対象を選ばないことだろうか。

ワールドエネミーのような一部のボス以外なら、何でも一撃で殺せる。タフなエネミーを一撃でキルするのは中々爽快だ。

スキル説明欄に「生きてるのなら神様だって殺せる」等という妙なフレーバーがあるためか、神系のモンスターはほぼ全てが効果対象だった。

 

故に、オラリオの神という未知のMOBをキルするには、キル子の有するどの能力より確実性が高い、と判断していた。

問題は本当に死んだのかの確認だが、ことオラリオの神に関しては手軽な判別法が存在する。

 

キル子は手をパンパンと叩いた。

すぐに酒蔵の入り口の戸が開かれ、よたよたと現れたのはザニス・ルストラ。髪はボサボサ、皮膚は引き連れ、一晩で十歳も年を取ったかのように焦燥している。

背後にはかつての彼の仲間達が、ゾンビと化して付き従っていた。キル子が付けた見張りである。

ザニスはキル子の足元に這いつくばると、頭を地面に擦り付けるようにして土下座した。

 

「で、恩恵とかどうよ?」

 

「はっ、はぃい!!ふぁ、恩恵(ファルナ)は停止してますぅ!!!」

 

ふむ、と頷くとキル子はザニスのHP量を眺めた。確かに激減している。レベル10台前半程だったのが、いまやレベル1相当。信用してもいいだろう。

 

「ふんふん。例のものは?」

 

「ど、どうぞ!お受け取りくださいぃぃ!!」

 

ドサドサとキル子の前に積まれたのは、いくつもの無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)。中身はソーマ・ファミリアの全財産である。

これをすすんで差し出すくらいには、ザニスの心は折れていた。

 

「はい、お疲れ様でした。じゃあ、もう用済みなんで、どっか行ってどうぞ」

 

「ヤ、ヤッター!!自由だー!!ばんじゃ~い!!」

 

キル子が顎をしゃくって、失せろと示すと、ザニスは涙と鼻水を垂らしてフラフラと歩きだした。

リトマス試験紙代わりとして、彼の最後のお仕事は、これで終わりである。

 

ザニスはなかなか役に立った。

この場にキル子を案内し、溜め込んでいたお宝を残らず吐き出し、さらに神ソーマが逃げ出さないように手を尽くしてくれた。

一応、転移を妨害する魔法を酒蔵全体に仕掛けておいたが、杞憂だった。

 

後は速攻でカタをつけるために素早さ上昇のバフや必中効果のあるバフを自らに重ね掛けし、《完全不可知化》で姿を消した上でのアンブッシュ。

相手の情報をとにかく収集し、奇襲でもって早々に勝負を付ける。これが『誰でも楽々PK術』による基本戦術だ。

 

キル子は無限の背負い袋を残らずインベントリに放り込むと、代わりに煙管を取り出して一服つけだした。

 

「しかし、神様キルしたんだから、もっとこう、派手なエフェクトがあるかと、わりと期待してたんだけどね」

 

ユグドラシルではボスやレイドモンスターを倒したときは、派手なエフェクトと共に消え去った。それはボスからのドロップを巡るPK合戦の開幕の狼煙でもあったのだが。

 

本来、オラリオでは地上に降りた神が天に強制送還される場合、かなり目立つ光の柱がそそり立つ光景が見られるのだが、そのことをキル子は知らなかった。

また、その日、一柱の神が天に送還されることもなく、文字通りの意味で殺されたことも、キル子は知らなかった。

 

「んで、これが噂の神酒と?」

 

首尾良く標的を仕留めた後は、お楽しみタイムである。

キル子は壺の封を勝手に切ると、中身の匂いを嗅いだ。近くに置いてあった長柄杓を手に取ると、中身をすくって、舌先になめとる。

 

「おおう、これはなかなか。いけますな」

 

期待通り、味は素晴らしかった。なんとも蠱惑的な香りが後を引く。

 

「しかし、アンデッドの耐性も貫通してくるか……解除は……可能だね。他人にかけられたら無理そうだけど。私はかけるの専門で、解除はそもそもバッファーやらヒーラーの領分だしなぁ……」

 

この時点で、既に神酒中毒になってしまったものへの対処をキル子は諦めた。

 

自らに掛かった【神酒依存(極小)】なるバッドステータスを確認すると、デバフ解除のスキルを使って無効化し、ケタケタと笑う。

 

「まあ、レアアイテムっぽいから残らず頂きます。これもPKの醍醐味よね」

 

薄気味悪い笑みを浮かべると、この場の酒壺を片っ端からインベントリに放り込む。他人のレアなお宝を奪う瞬間は、何より楽しいひと時である。

 

ひょいひょいと手際よく片づけてしまうと、そろそろ後始末の時間だ。

数珠型の腕時計を確認すれば、あまり時間に猶予はない。

そろそろキルトに戻って、最後の一芝居である。

 

「こんな大人しめの演出なら、証人の皆様の前で派手にやれば良かったかな?いやいや……それなら……おい、お前。こちらに来なさい」

 

キル子が命じると、その場に佇んでいたゾンビの一体がヨタヨタとキル子の前に出る。

背格好は神・ソーマとさほど変わらない。

 

「確か、こんな顔だったかしら……【変身(メタモルフォーゼ)】」

 

スキルを使うと、キル子にしか見えない特殊画面が視界に表示され、対象に適応するための『目』や『鼻』、『唇』、『髪型』等の選択肢が現れた。 それを適当に入れ替え、モンタージュ写真のように手早く作り込みを行っていく。

課金ソフトと違って、自由度は大きくない。見る物が見れば一発でバレるだろうが、その前に処分してしまえばいいだけだ。

一瞬だけチラリと見せて、誤認させることが肝要。あくまでソーマはモンスターにやられた、その事実が必要なのである。

 

「…っと、こんなもんかね?後は服装をちょちょいといじってやれば」

 

変装(マスカレード)】のスキルを使い、男の服装をソーマが着ていたのに近い白いローブに変えれば、準備は万端である。

 

「出来た。残りのゾンビどもは、適当に火を放ってその場で待機。こんがり焼けてどうぞ」

 

モンスターが突入した時点で醸造施設に引火でもしたのか、所々煙を吹いている。今更、焼死体が追加されたところで怪しまれはしないだろう。

 

「さて、もちっとばかし、ベルきゅんに良いとこ見せちゃるかのう。確か、都市系ギルドとのPVPで嫌がらせに配置するアレが、未だ残ってたような……お、あった」

 

キル子はインベントリから一本の巻物(スクロール)を取り出した。

自分の使えない魔法の込められた巻物は、今や補充のできない消耗品であり、本来、無駄遣いをするべきではないが、ここぞという時にケチっても仕方がない。

 

「《第10位階怪物召喚(サモン・モンスター・10th)》」

 

羊皮紙が燃え上がるのと、魔法陣が浮かびあがるのはほぼ同時だった。

燃え尽きた灰の欠片が掻き消えていく中、先ほどまで無かったものが狭い室内を占拠するように出現する。

 

小山のような巨体と、爛々と燃え上がるような三対の眼光を持った獣の姿。

地獄の番犬、ケルベロス。レベルにして80になる、ユグドラシルの召喚モンスターだ。

 

ユグドラシルでは召喚魔法を使うと、位階によってそれに見合ったレベルのモンスターが召喚される。

1位階なら10レベルまで、2位階なら20レベルまで、という風に。だが、第10位階を使えばレベル100までの怪物を召喚できる、というわけではない。この位階と召喚モンスターのレベルの相関関係は、高位階になればなるほど緩やかなカーブを描く。

最高位の超位魔法による召喚でようやくレベルにして85から90。さらに上の世界級アイテムによる召喚や、多大な維持コストのかかるギルド拠点に設置可能なNPC等でようやく100レベルを使役可能となる。

あるいはサモナー系の職業や、配下のモンスターを強化できる能力を持った指揮者系、さもなければ特定のモンスターに限って強化可能な職業を修めていればその限りではないのだが、そういった能力が皆無なキル子が巻物で呼び出したのでは、精々このレベルが限度だ。

 

キル子はケルベロスを見上げると、あっけらかんと命じた。

 

「じゃ、これ咥えて。お外に出て、なるべく人が多いところでゴックンしてね」

 

命令されたケルベロスは嫌そうに「くぅ~ん」と唸った。

さすがに臭いで腐乱死体だと分かったらしい。エンガチョである。

 

「好き嫌いしないの!ああ、それと今しがた表に出てったのは用済みだから、食べてどうぞ。ついでに用済みのダンジョン産モンスターも片してね」

 

ケルベロスは三つの頭で思考した。

新鮮なお肉と腐ったお肉、両方食べればプラマイゼロである。

大人しくソーマの身代わりに仕立て上げられたゾンビを、嫌そうに口に咥えるのだった。

 

「表に出たら、変装して本気で殴りに行くんで、なるべく鮮やかに負けてね。お供に‪ゾンビーズ‬も呼び出してあげるから寂しくないわよ。後、白い髪の男の子に手を出したらぶち殺す」

 

踏んだり蹴ったりとはまさにこのことであろう。

 

尻尾を垂らして出ていく畜生の心中など知ったことではないので、キル子はどうやってベルにいいところを見せようかとウキウキしながら、キルトとしての外装を纏い直すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……とまあ、その結果として現在に至る。

 

「おい、トマト野郎。お前も後ろに下がってろ。雑魚がいきがるんじゃねぇ!」

 

「嫌です!」

 

ベートは苛つくようにベルを詰ったが、ベルも大人しく引き下がるつもりはないらしい。

 

二人とも男の子だなあ、などと思いながらも、頰が歪むのを抑えきれない。

 

「そこの金髪の女、お前は雑魚じゃなさそうだが、足引っ張るんじゃねーぞ!」

 

ベートはケルベロスから目をそらさずに、キル子に指図した。

この場にロキ・ファミリアの団員がいたら驚いただろう。ベートが、初見の相手に背中を預けたのだから。

 

「はい!お任せくださいまし、ベート様!」

 

いきなり出てきて上から物を言うベートの言い草に、周囲の冒険者達は眉をひそめて不満顔になったが、もちろんキル子に不満などあろう筈がない。

 

「様ぁ?気色く悪い呼び方すんな!」

 

「で、ではベートさん、と。わたくしはキルトとお呼び下さい」

 

ベートは頬を染めるキル子を胡散臭そうに見ると、クンクンと鼻をひくつかせ、目を細める。

 

「……?フン、まあいい。今はあの化け物を何とかする方が先だ!」

 

「ええ、二人の初めての共同作業ですわね!」

 

キル子は大鎌を振りかぶった。

予想外にかかった獲物(ベート)を逃す気は、キル子にあるはずがない。

 

「ベルくん!貴方は吐息(ブレス)が飛びそうになったら、みんなを守ってあげてね。今の貴方なら風と雷の吐息は問題ないはずよ」

 

ジェラシーに燃える目で(……と、キル子は解釈した。顔がニヤけるのを抑えるのに必死である。)ベートを見ているベルに対し、フォローすることも忘れてはならない。

キル子がウィンクしてみせると、ベルはパァッと笑顔になった。

 

「は、はい!わかりました!」

 

両手に花。花より男子。

 

「もう何も怖くない!」

 

キル子は今、確実に人生の絶頂にいた。

 

グルルゥ…?

 

そんな腐れた召喚主はさておき、ケルベロスは思案していた。

最終的に送喚されるのは仕方ないにしろ、彼だって少しくらいお零れが欲しい。

具体的には肉食いたし。先ほど腐った肉を食わせられた感触を忘れるため、さらなる新鮮な肉に飢えている。

 

そこで、ケルベロスは標的を、目の前の獣人の男に定めた。

この相手に関しては、召喚者から事前に何も指示を受けていない。思い切り食い殺していいはずだ。

相手は筋肉質な男で、食べごたえがある。潰されてしまった頭を除いて、二つの頭で仲良く半分こできる計算である。

左右の首は競って大咢を開け、本気のスピードでオヤツに飛びついた。

 

「こいつ、速ぇ!!」

 

その凄まじい突進を前に、ベートは目を見張った。

 

これまでケルベロスがとった行動と言えば吐息(ブレス)を吐くか、手を抜いてキル子とじゃれたくらいのもの。

そのトップスピードを初めて目の当たりにして、一瞬にして跳びのいたのは、ロキ・ファミリア一の敏捷性を誇る、ベート・ローガの真骨頂。

ステイタス差は歴然ながら、優れた動体視力と蓄積された戦闘経験から、右の首が噛み付いてくるのを読んで避け、ついで左の前足の爪を見切る。さらに流れるように迫った左の噛み付きすら紙一重で凌ぐ。

 

仮に、この場にいたのが他のロキ・ファミリアの幹部だったなら、最初のひと噛みで終わっていてもおかしくはない。素早さに特化した第1等級冒険者、ベートだからこその荒技だった。

 

紙一重で命を繋いだベートだが、余裕などカケラもありはしない。

カウンターとして蹴りや拳を叩きつけるも、まるで手応えがないのだ。

 

かつて倒したダンジョン深層の怪物の中には、驚異的なタフネスを誇るものもいれば、圧倒的な攻撃力を持つもの、ベートに迫るほどの素早さをもつものもいる。あるいは見上げるような体躯の持ち主も珍しくはない。

だが、それら全てをレベル差をつけて併せ持ち、さらに知恵すら兼ね備えた怪物と対峙するのは、これが初めてだった。

 

「チィ…!速いだけじゃない!硬いし、強ぇ!!」

 

正面からの猛攻をいなすのに精一杯のベートだが、ケルベロスにとっては全てがフェイク。

本命は、長く硬い鱗を纏った蛇の尾。

 

シャァアアア!!

 

猛毒を滴らせ、牙を突き立てようとする蛇の頭が、ベートの首筋に迫った。

 

「このケダモノ!」

 

それを防いだのは、もちろんキル子である。

 

大鎌の刃でガードし、全身の筋力を動員して威力を殺す。

擬態化してステータスが下がっている上に、曲がりなりにも相手はユグドラシルでも高位の怪物。長い体をしならせ、硬い鱗に守られた蛇体は鋼鉄の鞭にも等しい。

受け止めたキル子にもそれなりに負荷がかかり、体が軋んだ。

普段は回避専門なので、受け止めたり、防御するスキルは皆無なのだ。

 

邪魔をされたケルベロスは非常に不満げに睨んだが、大人しく引き下がった。召喚者には抗えない。

 

「乙女心の分からない馬鹿犬ですわ!とっとと屠殺しましょう!」

 

理不尽な怒りを抱きながら、キル子は大鎌を振り払った。

 

ケルベロスほどの巨体が相手だと、首狩り攻撃の成功率はグッと下がる。

そうなると大鎌の重量を活かした薙ぎ払いで地道に切り刻むしかないのだが、問題は攻撃力の不足である。

相手が人間種でもプレイヤーでもない以上、キル子の頼みの綱である特攻能力が発揮されない。人間種に擬態している今は尚更だ。

 

カンストプレイヤーの中でも、キル子の素の物理攻撃力は精々中の上。

先ほど通常攻撃の三倍まで威力をチャージできるスキルを使用し、且つ不意打ち状態から放つことで更に倍、計6倍の威力の攻撃を叩き込んだにもかかわらず、ケルベロスのHPは3割も減っていない。

斬撃に特化した大鎌という重武装を使ってこれである。一般的なユグドラシルのカンストプレイヤーなら、5割は削れているだろう。

 

グルルゥ?!!!

 

一方でいくら相手が召喚主だって、無闇に切り刻まれたくないケルベロスも必死である。

召喚主を傷つけないように、されど癇にも障らないように、爪を振り回して必死の抵抗を試みる。その心は「こっちくんな!」だ。

 

しばらくキル子が押し、ケルベロスが防ぐという一進一退が繰り広げられたが、やがて痺れを切らしたキル子は叫んだ。

 

「跪きなさい!お手!」

 

思わず右前足が伸ばされると、そこに向かって勢いよく鎌が振り下ろされる。

ケルベロスは慌てて引っ込めようとするも、爪の生え際をザックリと斬り飛ばされ、悲鳴をあげた。

肉球を破損したわけではないので動きに支障はないが、爪による攻撃はもう出来ないだろう。

 

「姉御がやったぞ!」

 

「いいぞ!ブッ殺しちまえ!!」

 

「…っていうか、今更だけどあの人、何処のファミリアだにゃ?!」

 

周囲で動物の動死体と戦っていた下級冒険者達から歓声が上がった。

傍目には爪による攻撃を鮮やかに迎撃したようにしか見えなかっただろう。

 

「誰かこの悪魔を何とかして!」とケルベロスは内心で盛大に罵ったが、それは唸り声として発露し、手を出すなと言明された白髪の人間を怯えさせるに留まる。

それを見て彼の召喚者はますます機嫌を悪くしたようだった。

ビキビキと額に青筋を浮かべ、乙女が浮かべてはいけない表情でケルベロスを睨んでいる。

 

「オーッホッホッホ!もはや、情け無用ですわよオラァアアア!!」

 

往生際の悪いケルベロスに業を煮やしたキル子は、大鎌を手放すと、魔法を詠唱した。

 

キル子は直接攻撃力のある魔法は一切覚えていない。

ほとんどは自らに掛けて能力を向上させたり、逆に敵に掛けて能力を押し下げたりする補助系、あるいはそのいずれにも収まらない特殊魔法だ。

 

「《束縛する地獄の鎖(バインド・オブ・ヘルズチェーン)》!!」

 

キル子の両腕から、赤色に輝く鎖が群れを成して現れ、ケルベロスの全身を雁字搦めに縛り上げて拘束した。

 

カルマ値がマイナスであればあるほど強い拘束効果を発揮する第八位階魔法。

代償として両手を鎖に塞がれ、その場を動けなくなるので、パーティプレイが前提の魔法である。

 

「今ですわ、皆さま!このケダモノをフルボッコにしておしまいなさい!!」

 

キル子がまさに悪役令嬢といった冷酷な笑顔を浮かべて宣言すると、既に動物の動死体(アンデット・ビースト)を粗方始末していた冒険者達は、これまたチャンスとばかりに、舌舐めずりしながら各々の武器を構えた。

 

「おうおう!よくも好き勝手やってくれたな犬コロ!」

 

「動けねーのか、そーかそーか!」

 

「経験値うまいにゃ!」

 

「ウヘヘヘ!大人しく俺の経験値になれぇ!!」

 

「汚物は焼却よぉ!!」

 

ケルベロスが動けないのをいいことに剣を叩きつけ、槍を突き刺し、鈍器で殴り、魔法の炎で焼く。やりたい放題のタコ殴りである。

 

「ヤァーッ!!!」

 

ベルも愛剣を振りかざし、金属か何かのように強固な毛皮の隙間に、刃を滑り込ませて刺し貫いた。

皮膚を貫通する感触はあれど、雷撃に焼かれる様子はない。ケルベロスは風と雷と火属性に対しては強固な耐性を持っているためだが、ベルにはそこまでのことは分からなかった。

 

「そのまま、縛り上げとけ!!」

 

逆に、後方に全力ダッシュし、距離を取ったのはベートだ。

彼は先に一当てした感触から、生半可な攻撃は通用しないと判断していた。

 

十分な助走距離を稼ぐやいなや、すぐさま反転して突貫。

走行速度が強化されるスキル、孤狼疾駆(フェンリスヴォルフ)。そして、加速時に力と敏捷のアビリティが強化されるスキル、双狼追駆(ソルマーニ)

ベートをしてロキ・ファミリア最速足らしめた二つの能力を存分に駆使し、一撃の威力を最大に高めた状態から繰り出される、シンプルな飛び蹴り。

その脚部を覆うミスリル製のブーツの強度をも加味された一撃は、狙い違わずケルベロスの首の一つを貫いた。

 

グギャァアアアアアア!!!

 

ケルベロスが堪らず苦痛に喘ぐのを見て、キル子は「ほう!」と感嘆した。

 

良いところに入ったのか、蹴りを食らったケルベロスの首が口から泡を吹いている。HPも数パーセントは削れていた。

しかも、今のスピードは支援魔法(バフ)やパッシブスキルを抜きにした、キル子の通常攻撃のそれとさほど差がない。あくまで擬態化してステータスが人間種相当に下がった状態と比較して、だが。

 

オラリオの冒険者を少し舐めすぎていたかもしれない、とキル子をして認識を改めさせる一撃を放った本人は、不満そうに吐き捨てた。

 

「やっぱ硬ぇ、クソが!」

 

ベートに言わせれば、モンスターからの反撃を気にしなくてもよく、しかも止まっている相手に攻撃を繰り出せる状況など実戦では滅多にない。

そんな機会に恵まれながら、攻撃の起点となった足先に伝わってきたのは、あまりにも硬い感触。

脚部を覆う愛用の第2等級武装、ミスリル製のそれが、見事にひしゃげてしまっている。

 

それを見て、ベートは血が滲み出る程に、唇を噛み締め激情を抑えた。

未だ弱い、我が身に悶えて。

だが、腐ることもない。

そんな暇があれば更に「牙」を磨く。

それがベートの信念なのだから。

 

グルァアアアア!!!

 

そして、身動き一つ取れぬまま、全ての攻撃を受け止めたケルベロスは、忸怩たる思いで自身に群がる雑魚どもを睨んだ。

 

レベルにして80にもなるケルベロスの毛皮は、先の獣人から貰った一撃以外はチクチクするだけでむず痒いだけである。なお、一番堪えたのは、召喚者から受けた不意打ちであり、おかげで体力はもう半分も残っていない。

 

何より、ケルベロスは邪悪な笑顔を浮かべて群がり攻撃してくる冒険者達に、生理的嫌悪感を感じていた。黒くて小さくてゴソゴソ動くアレに集られている気分である。

言葉を話せるなら、「それが人間のやることか!」と一喝していただろう。

あまりに鬱陶しいので、吐息(ブレス)で薙ぎ払いたかったが、口を鎖で雁字搦めに塞がれているので、それも出来ない。

彼にできたのは、恨みがましく、召喚者を睨むことだけだった。

 

「そーれ、がんばれがんばれ♪」

 

当の召喚者であるキル子は、ベートやベルの勇姿を眺めてご満悦である。

 

(ベート様とベル君の見せ場を作って華を譲る!これぞ男をたてる日本のデントウ、ヤマトナデシコ!)

 

その顔は、もはや悪役令嬢だとか姫騎士だとか、俄かムーブでは誤魔化せないほどにニヤけていた。

 

「(ケケケケ!最後にトドメを決めて出来る女アッピールでイチコロじゃあ!!)……ああ、もうげんかい、くさりがひきちぎられそうですわ〜」

 

この地獄の鎖は時間経過で解除される以外にも、耐久値が決まっていて、破壊されるまでは拘束可能なタイプの魔法である。物理ステータスの高いレベル100プレイヤーなら、5秒ほどで抜け出せるだろう。

 

ケルベロスは文字通り借りてきた犬のように大人しく、鎖に拘束されるがままになっているので、耐久値はピクリとも減っていない……

 

「あ〜れ〜!皆さま、お逃げになって〜!」

 

……のだが、もちろん使用者が魔法を解除してしまえば、その限りではない。

 

鎖がくだけ散ると、蜘蛛の子を散らすように、ケルベロスの周りから冒険者達は一斉に逃げ去った。

 

そして、いい笑顔を浮かべながら、キル子は改めて大鎌を構える。

 

「さあ、フィナーレよ!!」

 

キル子も単に拘束魔法を維持していたわけではない。

 

「チャージカウント5!マックスで行きますわ!!」

 

次の攻撃の威力を増幅するスキル、【蓄積(チャージ)】。

謂わば、魔法使い系の必須とされる魔法二重化(ツインマジック)魔法三重化(トリプレットマジック)等の威力強化系スキルの物理版だ。瞬間火力が重要視される対人戦闘では特に重宝される。

不可視化状態から不意打ち上等を旨とするアサシンビルドのキル子は、特によく使う定番スキルである。

 

ただし、便利なスキルなのだが、チャージ数に比例して事前待機時間と、事後の硬直時間が等比級数的に増大するため、手軽に使えるのはチャージ(トリプル)くらいまで。それ以上になると、普通に連続攻撃を放った方が効率がいい。

 

今回は少なくともチャージの時間はたっぷりあったし、何より反撃は気にしなくて良い。所詮は召喚モンスター、召喚者様には逆らえない。

 

「オーッホッホッホ!用が済んだらチャッチャとおっ死ねですわ!!」

 

円舞を舞うように大鎌を 振り回し、息もつかせぬ連続攻撃。

もはや、チマチマした小技は無用とばかりに、分厚い毛皮をザクザクと切り刻んでいく。

 

チャージの威力が乗るのは最初の一撃だけなので、後の攻撃は単に大鎌を振り回しているだけであり、さほどのダメージは入っていない。

だが、血飛沫をブチまけてモンスターを切り刻む姿は、とにかく派手で見栄えが良かった。

 

ケルベロスはたまらず、飼い主に虐待される子犬のような悲鳴をあげた。

 

「あら、数ドットほどHPが残ったかしら?じゃあ、最後は実用性皆無だけど見栄えのいいスキルでも……!」

 

キル子がスキル使用後の硬直時間を待ちながら、さて何を使おうかと思案した、その時だった。

 

黄金の風がその横を駆け抜け、瀕死のケルベロスへと迫る。

 

「"目覚めよ(テンペスト)"!!」

 

吹きすさぶ風が少女剣士の金髪をなびかせ、突き出された手に持つサーベルに収束された。

攻防一体の風属性魔法を身に纏い、一直線に駆ける姿に、響めきが上がる。

 

「剣姫だ!!」

 

誰かが叫んだ。

 

ロキ・ファミリアが誇る第一級冒険者、アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

姿勢を低く、地を滑るかのように風を纏って駆け抜け、アイズは最高のタイミングで突撃からの刺突技を放った。

 

"リル・ラファーガ!!!"

 

それは見事にラストアタックを決め、ケルベロスの最後の数ドットを削り切った。

 

アウォーーーン!!!

 

断末魔を叫びながら、ケルベロスの巨体は崩れ落ちた。

次は優しい召喚者様に呼び出されたい、と切なる願いを抱きながら。

 

「美味しいところもってかれた〜?!」

 

それを見て、キル子は思わず素で叫んだ。

 

アイズの狙ったかのように華麗な登場。見せ場を奪われて、思わず取り乱す。

ベルやベート、その他の有象無象の冒険者達の視線も、突如として現れた金髪美少女剣士に釘付けだ。

白い煙に包まれ、消えていくケルベロスを他所に、束の間、キル子はアイズに目を奪われていた。

 

次の瞬間、一斉に歓声が上がる。

 

「剣姫が決めやがった!!」

 

「やった!やってやったぜ!!」

 

「うしゃあああああ!!」

 

「生きてる……ハハッ、俺は生きてるぞ!」

 

「二度とやらねーからな!!冒険者は冒険しねーんだよ!!」

 

冒険者達は歓喜に沸いた。

 

通りに連なる二階屋の窓という窓が開いて戦闘の様子をおっかなびっくり伺っていた市民達も顔を覗かせ、一斉に拍手を送り、口笛を吹く。

それを受ける冒険者達もまんざらではない様子で頭をかき、帽子や兜を放り投げた。

 

「ヤッホーイ!!やりましたよ、神様!!」

 

ベルも誇らしげに自慢の剣を鞘に収め、隣り合った者達と肩を組んで喜ぶ。

その様子を、アイズが何やら言いたそうに見つめている。

 

そこで、ようやくキル子は我に返った。

 

(……しまった!辻褄を合わせておかないと!!)

 

背筋に薄ら寒いものを覚えて、慌ててやるべき事を思い出す。

 

その場の全員の視線が、あの金髪美少女に注がれたのは気に食わないが、ある意味では好都合。キル子はその隙をついてスキルを行使した。

 

「【刹那の極み】 …!!」

 

世界がぶれ、次の瞬間には何事もなかったかのように、全てが元通り。

ただ一つ、先頃までケルベロスがいた地点に無造作に転がっている、やや大ぶりのいくつかの魔石を別にすれば。

砕けてしまったかのように、乱雑に転がるそれをみても、誰も違和感は覚えなかった。モンスターを倒せば、魔石が残るのは当然だからだ。

骸が消えたのも、最後の一撃がモンスターの弱点である魔石を直撃したのだろうと、都合よく解釈された。

 

その事に、違和感を覚えたのはただ一人。

 

「この感覚?!前に、味わったような……?」

 

ベートは何やら目を見開き、しばらく唸っていたのだが、やがて頭を振るとキル子へと視線を移した。

 

「……危ない、危ない。ギリギリだわ」

 

ベートの視線にはまるで気付かず、キル子はギリギリのタイミングで誤魔化せたと、冷や汗を拭っている。

 

そして、一仕事終えた気安さから、気を抜いたところ。

 

「あ、アイズさん!!」

 

突如として現れた金髪の泥棒猫に、ベルが目を奪われているのに気付いた。

 

思わず、ビキっと額に青筋を浮かぶ。

 

「アイズ!お前もこっちに回されたのか?」

 

「怪物祭から逃げ出したモンスターを追ってきた。ロキもガネーシャに借しを作りたいから、って」

 

「そういうことか」

 

ベートまでがこの金髪小娘に親しそうに接している。ジェラシー!!

 

「貴女、いきなり美味しいとこだけ掻っ攫うなんて、マナー知らずではございませんこと!」

 

「……?」

 

悪役令嬢のお約束、ヒロインに難癖をつけてみるものの、当のアイズは不思議そうにキル子を見返すのみ。

ムキーっと小物臭を漂わせながら歯噛みし、さらなる悪役令嬢ムーブで、アイズをイビリ倒そうとした時、伏兵が現れる。

 

「ベルくん!!かっこよかったよ~~!!!」

 

「か、神様?!来ていたんですか?!」

 

執念でこの場に駆けつけた乳神様が、ベルに飛びついた。

小柄なくせにやたらと豊満な体を密着させ、頬ずりしながら、顔を赤くしたベルに見えないよう、キル子に舌を出す。

 

(へーすーてぃーあー!!!己は一体どこから湧いた!!!っていうか、この小娘も!私のベート様に馴れ馴れしいんじゃゴルァ!!)

 

いきなり現れてキル子の見せ場をかっさらった金髪の小娘に、置き去りにした筈の(ヘスティア)までもが参戦した状況。

散々仕込みをして、後はうまく刈り取るだけというのに、鳶に油揚げを掻っ攫われた気分である。

 

どうしてくれようか、と暗い笑みを浮かべながら悩んでいたキル子の前に、更なるお邪魔虫が現れた。

 

「すみません!ちょっと通して下さい!」

 

人波を掻き分けて、ハーフエルフの女性がキル子の前に進み出てくる。

 

「私はギルド職員のエイナ・チュールです。失礼ですが、お名前を窺ってもよろしいですか?」

 

「え!…ギルドがなんでここに……!」

 

ギルドの制服を目の当たりにして、キル子は慌てて意識を切り替えた。

 

これはキル子の想定外の事態だ。ソーマ・ファミリアの不正に関してギルドが動くのはわかっていたが、いくら何でも動きが早すぎる。

 

「あ、あら、ご機嫌よう!わたくしの担当は別の方ですが、時折、遠目に拝見していましたわ、チュールさん」

 

笑顔で手を差し出したキル子に、エイナは軽く目を見張ったが、すぐに握手を返してくる。

その手が離れた時、エイナの掌の内側に、髑髏のマークが一瞬だけ闇色に光った。

 

「キルト、と申します。モモンガ・ファミリアに所属していますわ」

 

「モモンガ?失礼ですが、私どもの担当職員の名前を伺ってもよろしいですか?」

 

エイナは聞いたことのないファミリアだと首を傾げた。

さらに、キル子がしどろもどろに担当職員の名前を告げると、途端に顔が強張る。

 

ソーマ・ファミリアの仕出かした幼児誘拐、そして恩恵を刻んで無理矢理ダンジョンに放り込むという前代未聞の虐待の不祥事を告発し、後の面倒事を投げ出すかのように、ギルドから夜逃げ同然に退職して去った人物の名前であるので、ある意味当然の反応だ。

ソーマ・ファミリアの所行を咎めることなく放置していたことといい、他にも故意の書類改ざん、リベートの受け取りなどの不正が明るみに出たため、今現在、ギルドは血眼で行方を追っている。

キル子はそこまで知らなかったが、担当していた冒険者も、ヘルメス・ファミリアやタナトス・ファミリア、イケロス・ファミリア等々、どれもこれもソーマ・ファミリアと同じかそれ以上に胡散臭く、良い噂を聞かないファミリアばかりなのだ。

 

エイナのキル子を見る目が、何かを探るようなものに変わった。

 

「……そう、ですか……お疲れのところを申し訳ありませんが、少々お時間を頂けませんでしょうか?ギルドとしても、今回の件について詳細を知りたいのです。お手間は取らせません」

 

なお、キル子は件の職員を魔法で操り『モモンガ・ファミリア』を書類上は登録させているのだが、あまり突かれるとボロが出かねない。

本来なら、こうなる前に颯爽と現場を去るはずだったのだが……

 

「い、田舎から出てきたばかりの零細ファミリアでしてよ!眷属もわたくししか居ませんし!肝心要の主神様も放浪癖がありまして!どこをほっつき歩いているのやら、見当もつきませんわ!!」

 

何とか取繕わねばならないと、四苦八苦するキル子だったが、間の悪いことに、今度は小柄な赤毛の神物(じんぶつ)が現れた。

 

「ももんがぁ…?いや〜、ウチも聞いたことないで、そんな神」

 

そう言いながら、人の悪い笑みを浮かべて会話に割り込んできたのは、ロキ・ファミリア主神、ロキ。

 

「まあ、神なんぞ腐るほどおるから、ウチかて全員覚えとるわけやないけどなぁ……」

 

細い目を薄っすら開けて、意味ありげにこちらを見てくる。 正直、嫌な予感しかしない。

 

今まで適当に誤魔化してきたことのツケが巡り巡って来たかのような状況に、キル子は盛大に冷や汗を流すと、テンパって高笑いを上げた。

 

「オーッホッホッホ!み、皆様、残念ですが、そ、そろそろ、わたくしは門限の時間です!こ、こ、これで失礼しますわぁ!!」

 

慌ててその場を後にしようとしたキル子であるが、その手をロキがむんずと掴む。

 

「まあ、待ちや、ジブン。ギルドなんぞはほっといてええから、ウチとちょ〜っとお話しよか。タダとは言わんで、タダとは。豊穣の女主人て、ええ店があるんや。一杯奢ったるで〜」

 

店の選択からして悪意がにじみ出ていると思うのは、気のせいだろうか?

 

「ロキ、確か出入り禁止にされたんじゃない?」

 

「そういや、俺も出禁だったな」

 

「かまへん、かまへん!ウチとミア母さんの仲やで!なんとでもしたるわ!」

 

アイズとベートが冷静に突っ込んだが、ロキは聞く耳を持っていないらしい。

 

右には探るような目つきのギルド職員、左には薄気味悪い笑顔の神、ロキ。

前方ではベートがアイズと何やら親しそうにしており、後方ではベルがヘスティアにモーションをかけられてあたふたしている。

まさに四面楚歌だった。

 

「ううう!お、覚えてなさい!あいるびーばっくですわ〜!!」

 

結局、キル子は涙目で捨て台詞を吐くと、動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)を呼び寄せ、その場から逃げ出すように駆け出すのだった。

 

「逃げたで、追え〜〜!!」

 

何故か楽しそうなロキの掛け声に触発され、無数の冒険者が後に従う。

 

「あ、姐御!待ってくれ〜!俺はあんたに付いてきやす!」

 

「私も改宗します!」

 

「置いてかないでください、お姉様!」

 

……後に、この騒動に参加した下級冒険者は全員がLv.2に昇格したことが判明するのだが、それはまた別の話である。

 

「ちょっと待てコラ!さっきの奇妙な感じ、まさかお前、あの女と何か関わりがあんのか?!」

 

「き、キルトさん!待ってください!」

 

「ベルくん!ボクというものがありながら〜!!」

 

「あの魔法は興味深い」

 

「そ〜ら、捕まえや〜!」

 

 

どうしてこうなった?!!!

 

 

結局、その鬼ごっこは、キル子が《完全不可知化》を使えばいいと気がつくまで、続けられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の深夜。

 

「さて、まずは一献」

 

「頂きます」

 

グリーンシークレットハウスの中で、キル子とリリルカはひっそりと祝杯をあげていた。

 

キル子が差し出したお銚子を、リリルカが恐縮しながらお猪口で受ける。

中身はソーマ手製の神酒、それも依存性のない失敗作の方だ。

 

子供らはリリルカが無事引率し、ソーマ・ファミリアの仕出かした前代未聞の犯罪行為の重要参考人として、今はギルドが保護している。

カリン達はギャン泣きしたようだが、明日、キルトが必ず迎えに行くと約束したら不承不承、納得してくれたらしい。

ギルド職員とて、あの子らには敵にしか見えないのだろう。無理もないが。

 

そんなわけで今夜は久々に子供達はいない。

明日には迎えに行って『キルト』として寄付と支援を約束したダイダロス通りの孤児院に、保護された他の子供達共々、預けに行かねばならない。

妙に懐かれてしまったので、また泣かれるかもしれないが、少なくともこんなヒトデナシと一緒にいるよりマシだろう。

 

そんなわけで今はリリルカと二人だけ。大人同士の生臭い話を済ませておく必要があった。

 

「さて、だいぶ当初の計画からは外れたけど、悪くはない結末じゃないかしら?」

 

「ええ、リリはファミリアから抜けられれば、なんでもいいです」

 

「恩恵はいいの?封印されてしまったのでしょう?」

 

主神の強制退場と時を同じくして、ソーマ・ファミリアの全団員は恩恵を封印された。新たな神に帰依すれば元どおりに復活するらしいが、それまでは一般人とほぼ同じ状態になっているそうだ。

ただし、運悪くその時ダンジョンに潜っていたファミリアの団員は、かなりの数が犠牲になったという。祭に見向きもせずに金策に走っていたのが災いした。

 

「どのみち、レベル1止まりでしたから」

 

リリルカはなんとも言えない顔で、お猪口を空にした。

 

キル子が彼女に聞かせていた表向きの計画は、こうだ。

 

まず怪物祭からモンスターを数匹逃し、ソーマ・ファミリアの酒蔵に突っ込ませる。酒蔵にはあらかじめリリルカがモンスターを引きつけるための、トラップアイテムを仕掛けてあった。

ダンジョン内部ならともかく、街中で使っていたとしても、何の意味もないアイテムである。それも酒蔵が焼け落ちたせいで、証拠隠滅は確認済み。これで非難の矛先は、真っ先にガネーシャ・ファミリアに向くだろう。

後はドサクサ紛れに工房をぶっ壊して酒の生産を不可能にしつつ、騒ぎを大きくして周囲の注目を集めさせ、隠しきれない規模でソーマ・ファミリアの悪行の証拠を洗いざらい表沙汰にする。そうやって、ギルドが重い腰を上げざるを得ない状況に追い込む。

ここまでやらかせば神会で問題になるのは明らかで、最悪ソーマの強制退去から、最低でもオラリオ追放は疑いない。

その場合は、過去の例からして眷属には改宗が認められるだろう、と踏んでいた。

 

「まあ、ソーマ様が亡くなられたのは、大誤算でしたわ。何せ、アレだけの騒ぎを起こせばてっきりすぐに避難されると思いましたもの」

 

キル子はいけしゃあしゃあと、とぼけてみせた。

 

「それは、確かに……その為に色々騒ぎを起こしましたからね」

 

などと、キル子はリリルカを丸め込んでいたが、実際には最初から最も確実な手段を取る気満々だった。

 

どうにもオラリオの人間の倫理観というのは、神を手にかけるのを忌避しているように思える。

アレだけソーマ・ファミリアに酷い目にあわされたリリルカでさえ、計画を相談した際に言の葉に乗せただけでも、かなりの拒否反応を示していた。

だから、キル子は一番重要な部分を秘密裏に進めた。

 

神、ソーマ暗殺計画を。

 

「………」

 

「?どうされました、キルト様」

 

「いえ、結構いけるわね、このお酒」

 

「失敗作とはいえ、ソーマ様手製の仕込みですから」

 

正直、波乱万丈なロクでもない人生を歩んできて、揉まれ続け、ある意味で鍛えられているリリルカが、そんなご都合満載の表向きの計画をどこまで信じていたかは疑問だ。

 

あるいはキル子がこうすることまで見透かした上で、したり顔で手を貸したのかも知れないし、全てがどうでも良かったのかもしれない。どう転ぼうが彼女に損はないのだから。

 

「で、あの大量の神酒はどうされるんですか?」

 

リリルカはジト目で奥座敷に山と積まれた神酒の壺を眺めた。

 

ソーマ・ファミリアの酒蔵を襲撃した際に、彼らが集めていた上納金と共に、あらかた奪ってきた戦利品である。

 

「機を見て市場に流しますわ。少しずつ、ささやかな量でね」

 

ソーマが消え、再入手が絶望的になった以上、これからプレミアがついて値が暴騰するのは目に見えている。

一度に売り払えば足がつくだろうから、キル子としては値が吊り上がるまでしばらく塩漬けするつもりだ。

たまに流すだけでも、しばらく金には困らないだろう。

なんならオラリオの外に流しても良い。

 

「というわけで、管理と販売は任せましたわ、リリルカさん」

 

「え?!リリがですか!」

 

「貴女以外に誰がいるのよ。わたくしは商人じゃないし、伝手もないわ。それに、元ソーマ・ファミリアの人間なら多少神酒を溜め込んでいたって、不思議はないでしょう?」

 

「たしかに。でも、リリは単なるサポーターなんですがね」

 

「あら、抜け目ない性格の貴女は、商人向きだと思うのだけどね。恩恵も封印されて、カタギに戻ったのでしょう。商売を始めるのも悪くはないのではなくて?」

 

「はあ、まあ……」

 

「それとも、また何処かのファミリアに入って、冒険者なりサポーターなりを始めるのかしら?」

 

リリルカに貸し出していたアイテムのいくつかは、もう使うこともないだろうと、報酬の一部として下げ渡した。

上手く使えば今後は冒険者としても、レンジャーやスカウトなどで何処のファミリアでも十分やっていけるだろう。もちろん、彼女が望めばサポーターとしても。

 

そう言うと、リリルカはしばらく考えるように目を閉じた。

 

「正直、これからの事は、まだわかりません。今までファミリアを抜けることだけで、頭がいっぱいでしたから」

 

そう言ってから、はにかむように笑う。

同性のキル子からみても、とても魅力的な笑顔だった。

 

「でも、商人ですか。……花屋さん、なんてのも良いかもしれませんね」

 

選択肢が無数にある。それだけのことが、彼女にとって何よりの報酬のようだ。

 

「まあ、ゆっくり考えなさいな。人生はまだこれから。でも、いのち短し恋せよ少女よ」

 

「キルト様はちょっと気が多過ぎる気がしますがね」

 

「あら、何のことかしら」

 

指摘されて、キル子は誤魔化すように高笑いをあげた。

 

「一度聞いてみたかったのですが、キルト様って良いものなんですか、それとも悪ものなんですか?」

 

リリルカは小悪党のような顔をして、からかうように聞いてくる。

 

「そんなの悪党に決まってますでしょう。何せ、わたくしは悪役令嬢ですもの」

 

「それ、自分で言っちゃうんですね」

 

リリルカも苦笑した。

そして、真顔に戻って頭を下げる。

 

「キルト様、この度は、ありがとうございました」

 

「……礼は不要よ。貴女と私は共犯者、うまくいってもいかなくても、秘密は墓まで持っていく。そういう約束だったでしょう?」

 

リリルカは頭を振った。

 

「それでも、です。リリ一人では、何もできませんでしたから」

 

キル子は穏やかな笑みを見せた。

 

今この瞬間も、各地に放った使い魔ゾンビからは胃が痛くなるような情報が送られて来ている。

特に問題なのは、ロキ・ファミリアで『キルコ』に続いて『キルト』までマークされてしまったらしいことで。

頭の痛いことである。そろそろ本気で話をつけた方がいいかもしれない。

 

それ以外にも冒険者『キルト』の名は祭に訪れていた商人や旅行者を通じて口コミで広まりつつあるらしい。

噂はどれも好意的なものばかりで、ユグドラシルでは鬼畜PKとして悪名高かったキル子には、それがなかなか新鮮だった。

 

まあ、いずれにしろマッチポンプがバレた形跡はないので、まだなんとかなる範疇だろう。

いざとなったら【眷属召来】で疫病悪鬼(シックネス・スピッター)あたりを呼び寄せて流行病を感染させれば、強制的に沈静化させられるだろう。その場合はオラリオも酷いことになるだろうが。

 

今日だけは、何もかも忘れて自棄酒を飲んでもかまうまい。

 

「さ、神酒はまだまだ腐るほどありますから、好きなだけ飲みましょう」

 

「はいっ!」

 

 

 

そうして、夜はふけていった。




気管支やられたので、入院してきまふ


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第10話

「疲れた〜!」

 

ギルド職員、エイナ・チュールはため息をつきながら書類の末尾に自らのサインを記すと、机に突っ伏した。

 

一字一句下書きと異なっていないか確認し、インクが滲まぬよう十分に乾かし、自分用に茶を入れた後のことである。

ランチを抜いて作業に没頭していたので、お腹はかなり空いている。机の引き出しから、忙しい時に摘むためのナッツを砂糖で固めた菓子を取り出し、サクサクと口に入れた。これで今日は定時に上がれるだろう。

 

明日はエイナが担当している新米冒険者、ベル・クラネルとちょっとしたデートの約束があり、そのために気張って仕事を上げたのだが、流石に疲れた。

 

「おつかれ、エイナ」

 

と、背後からクッキーの缶が差し入れられる。

 

「ありがとう、ミィシャ」

 

カップを片手に現れたのは、受付担当のヒューマンのミィシャ・フロット。エイナの同僚で友人のヒューマンだ。

ここ数日、上司から丸投げされた別件に忙殺されていたエイナの分まで受付業務を引き受けてくれた。

 

もう半刻ほどすると、ダンジョン上層で日銭を稼ぐ下級冒険者達が上がって来るので忙しくなるが、今はちょうど暇な時間帯だ。

 

「それ、例の報告書よね。怪物祭のときの」

 

「何とか形にはしたけどね。現状でわかっている情報を整理しただけよ。調査部に提出してくれば私の仕事は終わり」

 

「じゃあ、弟くんとのデートは間に合いそう?」

 

「ええ、おかげさまでね」

 

事件に関して、怪物祭に協賛していたギルドは当然のことながら徹底的な調査を行なった。

オラリオの治安と運営を担うギルドにとって、今回の事件は見逃せないのだが、調査は難航していた。

折しも、ギルド内で幽霊騒動による退職者が続出したタイミングであり、さらに身内の不祥事が発覚し、そちらの調査にも人手を割かねばならないギルドは今、オーバーワークに陥っている。

そのため、本来なら受付担当のエイナが事務処理能力の高さを買われ、書類作成に参加する羽目になっていた。

エイナの仕事は会議や打ち合わせの結果を要領よくまとめて、書類に起こすだけのことだが、次々と新事実が明らかになり、それに従って報告が塗り替えられていくため、現状把握をするだけでも多大な労力が必要となる。

 

見逃せないのが、怪物祭からモンスターが逃亡した件である。

当然だが、祭りに持ち込まれるモンスターの数と種類については、何ヶ月も前からガネーシャ・ファミリアとギルドの間で綿密に取り決められていた。

怪物祭から逃げ出したモンスターは九匹。いずれもLv.1から2相当のモンスターであり、ガネーシャ・ファミリアより救援依頼を受けた複数のファミリアの冒険者によって討伐が確認されている。

問題は、それ以外にも複数の、それもまったく未知のモンスターが出没していた事だ。

 

まず、ロキ・ファミリアの上級冒険者に倒された新種の植物型モンスター。

打撃に滅法強く、体組織は強靭そのもの。複数の第一級冒険者が応戦するも、大苦戦の末、ようやく討伐されたという。

骸からは虹色に輝く奇妙な魔石が確認されたが、謎の人物の手により回収されてしまった。

オラリオ地下の下水道から侵入した可能性が指摘されているが、現在、調査中である。

 

次に問題となったのは、ソーマ・ファミリアを壊滅させた三つ首の犬型モンスター。

齎した被害の甚大さでは、今回最大級である。何といっても、神・ソーマが衆人環視の中、モンスターに食われてしまったのはあまりにインパクトがあった。

エイナもその場面には偶然居合わせたのだが、ギルド上層部の幹部達にはこの件について、散々詰問された。エイナは他に神が強制送還されたケースは見たことが無いのだが、彼らは何か腑に落ちないといった顔だった。

モンスターはロキ・ファミリアの第一級冒険者を始めとして複数のファミリアの冒険者達により、居合わせたギルド職員の目の前で討伐された。

一般市民の目撃証言も多いのだが、捜査はほとんど進んでいない。あれだけ強大なモンスターが何処から、どのようにして侵入してきたのか、その糸口すら掴めていない。

さらに事後の調査により、討伐現場に残されていた魔石の欠片は、何故か破砕断面が噛み合わず、質もマチマチであり、ギルドの鑑定士を悩ませている。

 

最後に、同じ場所に出現した腐敗した体を持つ動物型モンスターに至っては、かなりの数が確認されたにも関わらず、犬型モンスターと同じく侵入経路がまるで不明。しかも不思議なことに、魔石ドロップが一切確認されていない。

 

当初、ギルドはこれら一連の犯行全てを、同じ犯人の手による計画的なテロ行為であると判断した。

まず、怪しまれたのは闘技場からのモンスター逃亡への関与が濃厚であると疑われた、とある女神である。

ギルドと神・ガネーシャが直接行った詰問により、当の女神は非公式ながら事実関係を認めたとされているが、新種のモンスターについては関与を否定したらしい。

街を大混乱に陥れ、神・ソーマが強制退去した原因の一端を担った事が特に重要視されたが、オラリオでも最大の戦力を有するファミリアの主神であることをギルド上層部は重く見た。

結果的にペナルティとして、ファミリア資産の半分を没収、当分の間活動を自粛するよう通達されるに留まる。

 

ところが、それ以降の捜査は完全に足踏み状態に陥っていた。

実際問題として事件の規模と後の影響が大きすぎ、ギルドの処理能力はパンクしかかっている。

 

「……とまあ、残念ながら、これ以上の新事実は出てないわね。おかげで調査部はかなりカリカリしてるわ」

 

「あ〜、しばらくあそこには近づかないようにしよっと」

 

「せめて例の冒険者から証言が得られれば、もう少し捜査も進むと思うんだけど……」

 

「ああ、今評判の。確かキルトさん、だったっけ?」

 

「ええ。事件の直後から行方不明。あの後、散々追いかけ回されていたから、無理もないけどね」

 

あの日から女冒険者、キルトの名前はオラリオの隅々に広まっていた。

 

曰く、義に篤き美貌の女騎士。

傷付き倒れた冒険者達に癒しと祝福を与えて奮い立たせ、その大鎌の一撃は容易く怪物共を屠りさる。

 

この逸話は噂好きのオラリオの市民達に大いに喜ばれた。

何せ、迷宮の中で何が起きようが冒険者でもない彼らには知りようがないが、今回は目撃者が大量にいる。

普段は魔石を持ち帰る勇者として持ち上げていながらも、内心では何をするかわからない無法者として冒険者を疎んでいる市民達も、この振る舞いには賞賛を送った。

噂は討伐に参加した冒険者達や現場を目撃した市民達から人伝に伝わるに連れて面白おかしく脚色され、瞬く間にオラリオの内外に広まったが、肝心のキルトはその日から姿を消してしまった。

 

ギルドは参考人の一人として行方を追っているが、暇を持て余した暇神達もあわよくば自らのファミリアに改宗させようと独自に捜索を行っているらしい。だが、何処に雲隠れしたのか、まるで手掛かりがなかった。

唯一、事件以前からの知り合いであると判明したベル・クラネルも、その後の行方に関してはろくに情報を持っていない。

なお、キルトが乗馬登録もせずに人通りの多い街中で騎乗した件については、緊急時である事を鑑みても極めて危険であるとして、都市の運営を担うギルドから遺憾の意が表明された。二人乗りの相方であるヘスティア・ファミリア所属のベル・クラネルからは、行方不明の当人に代わり二人分の罰金2万ヴァリスが徴収されている。

 

また、別件で保護された子供達はキルトと数日共に生活していたと目されているが、決して口を割らないまま、孤児院に引き取られていった。

エイナはその時、子供達から向けられた敵意と恐怖の視線が少しばかりトラウマになっていた。彼らの経歴からすれば、無理もないと理解はしていたが。

 

それはさておいても、最大の貢献者と目されたキルトが見つからないとあって、ギルドは他の冒険者に証言を求めた。

ロキ・ファミリアのベート・ローガやアイズ・ヴァレンシュタインからは、詳細な戦闘報告がファミリア経由でもたらされ、他の冒険者の証言がそれを補完した。

 

特に現場に居合わせた下級冒険者からは異口同音にキルトへの賛辞が語られ、ギルド職員を驚かせた。冒険者などは同じファミリアでもなければ、単なる商売敵でしかないため、これは非常に珍しい事だ。

だが、彼らには彼らの言い分がある。

来る日も来る日も、ダンジョンに潜ってモンスターと戦ってもステイタスの上昇は微々たるもので、ランクアップなど夢のまた夢。下級冒険者として鬱屈した日々を過ごしていた彼らの目に、キルトは希望として映ったのだ。

特に最大の激戦地の一つだったソーマ・ファミリア酒蔵前の決戦に参加した下級冒険者達は、その後一人の例外もなくLv.2に昇格しており、その影響力は絶大である。

レベルアップの機会をくれたキルトは、もはや彼らにとって女神にも等しいのだ。

中には冒険者になって一月でのレベルアップという最短記録を打ち立てた者もいたが、それ以外にも3カ月や半年で昇格した者もおり、個別にはさほど悪目立ちしなかった。

いずれにしろ大幅な記録更新に違いなく、この事がギルドから発表されるや否やオラリオ中の冒険者達の話題をさらう事になる。

 

ただ、苦労してレベルを上げた熟練の冒険者達にしてみれば、討伐に参加したベート・ローガやアイズ・ヴァレンシュタインら、第一級冒険者のお零れに与っただけにしか見えず、口さがない者達から、"運の良い奴ら(ラッキーズ)"なる不名誉な渾名を付けられていた。

 

さて、では渦中のキル子が何処で何をしているかと言えば……

 

 

 

 

 

 

 

「お姉さん、今暇? いくらよ?」

 

薄闇が降りてきて、やや賑やかになってきた繁華街。

鼻の下を伸ばした酔客に、キル子は袖を引かれていた。水商売の女と間違われたのだ。

 

「鏡見てから出直して。《人間種魅了(チャーム・パーソン)》」

 

キル子が指差すと、男は瞳をまどろませて財布を差し出し、夢見心地になって去っていった。

今夜はいい女を思う存分抱いた気分を抱いたまま一人ベッドで夢精でもするだろう。

 

夕刻、やや肌寒くなってきた頃合いにグリーンシークレットハウスを抜け出したキル子は、歓楽街を気ままに散策していた。

キルトの外装を久々に封印し、今はロキ・ファミリアに手配書を回された和風美人の外装である。

黒地に花蝶が入った小袖を纏い、人でごった返す歓楽街をスイスイと歩きながら、キル子は屋台を冷やかし、適当な総菜をつまみ、大道芸人の拙い芸に拍手を送った。

極東風の衣装に身を包んだ美女は人目を引いたが、場所が場所だけに客引きの娼婦の中にうまく溶け込んでいる。おかげで、何度も酔客に絡まれるはめになった。

 

やがてちょっとした飲み屋に入ると、キル子はカウンターの隅に腰掛けた。

 

ほどなくして、隣の席に小柄な男が腰掛ける。柔らかな薄紫色のシャツに、白のスラックス。金属のネックレスや腕輪が軽薄な雰囲気を醸し出しているが、嫌味なところが少しもない。

 

キル子はそちらをチラとも見ずに、注文を行なった。

品書きを眺めて、値段の欄に『時価』と記されたそれに指先を這わせる。

 

「この神酒(ソーマ)を。冷やでお願いね。あと適当に摘めるようなものを、何かオススメを貰えるかしら」

 

スキンヘッドにパリッとしたシャツとベストを着こなしたバーテンは、軽く片眉をあげて微笑んだ。

 

「お客さん、それ、今一杯5万ヴァリスからだけど、大丈夫?」

 

バーテンは少しカマっぽい喋り方をしたが、それが不思議と似合っている。

 

「ええ。ソーマ様が居なくなってから、飲めるとこ少ないでしょ?」

 

今、ソーマはキル子が予想した通り、値段が高騰していた。少し前なら、その値段でグラス一杯どころかひと瓶買えただろう。今日の目的の一つは市場価格の調査だったのだが、大凡は果たした事になる。

 

「オーケー。ならオツマミは、トマトと水牛チーズのサラダなんてどうかしら? 癖がないから、ソーマを楽しみたいならオススメ」

 

砕けた雰囲気のバーテンに注文し終えると、インベントリから煙管を取り出す。

それを一応バーテンに見えるように掲げて見せると、大丈夫よ、とばかりに微笑まれたので、キル子は火を灯して吸い始めた。

 

中身は先程歓楽街で見つけた煙草屋で仕入れた、チョコレートのフレーバー。

他にもストロベリーやスパークリングワインなど、フルーティな香りを好むキル子の趣味に合ったものをいくつか買い込んでいる。

 

キル子が一服やりだすと、隣の席の男もバーテンに注文をした。

 

「マスター、僕にも彼女と同じものを」

 

「あら、お久しぶり。顔を見せてくれて嬉しいわ」

 

「悪いね、しばらく忙しくてさ。ようやく取れたオフなんだ」

 

少しして、バーテンは流れるような手付きで酒と料理を用意した。

 

薔薇の細工がされた、澄んだ青ガラスのグラスを手に取り、中の液体を口に含む。

毎日晩酌しているが、変わらず飽きない味と香りだ。それにこういう店で飲むと、また趣が違う。

この酒を作れるのなら、ソーマは生かしておいた方が良かったかと、少しだけ後悔した。

 

そして、白い皿に盛られたサラダに目を落とす。

白くて柔らかな、脂肪分の少ないチーズの塊を一口サイズに切り、合間にジューシーなトマトを挟んで、上にバジルを乗せたシンプルなサラダ。

細く削られた木製のフォークで舌先に乗せて咀嚼すれば、濃厚な神酒の味が洗われて、またお酒が欲しくなる。

 

さて。

 

「こういった場所で、素人さんに尾行をさせるのは感心しませんね、フィン・ディムナ様」

 

「おや、何のことかな。僕はオフを満喫しに来ただけだよ」

 

隣の席で、同じものに舌鼓をうっていたフィンがウィンクする。

ラフな格好が意外なほどにこの場にマッチしていた。先程のバーテンとのやり取りを見るに、常連なのかもしれない。

 

キル子はひとまず飲みかけのグラスを向けると、フィンが差し出したグラスの縁に軽く触れさせて乾杯した。

チン、と軽い音が響く。

店内にはキル子とフィンしかおらず、バーテンもいつの間にか奥に引っ込んでいる。

 

この店に入るかなり前から遠巻きに尾行されているのには気が付いていた。いい加減、鬱陶しくなったので、適当な店に退避したのだが、この様子からして店ごと借り切ったのかもしれない。たいした手際だ。尾行していた連中は、今は店の周りを取り巻いている。

組織力という点では、キル子の及ぶところではない。こちらもそろそろ傭兵NPCあたりを呼び出しておくか、とキル子は思った。

まあ、キル子の感知スキルの精度が高いことを差し引いても、尾行そのものはお粗末なものだった。慣れていないのだろう。

 

キル子はゆっくりと酒を舌先で転がし、グラスの中身が半分になるまで酒を味わった。

 

「それで、私に何か御用ですか?」

 

「そうだね、用があるかと聞かれたら、その通りさ」

 

フィンはグラスの酒を一口含んだ。

 

「しかし、貴女は面白いな。いや、面と向かったら、豊穣の女主人で見た時の貴女と、今とでギャップがありすぎてね……少し、戸惑ってる」

 

フィンがなんとも言えない笑みを浮かべるのを見て、キル子は冷や汗を流した。

ぶっちゃけ、あの時は色々とやらかし過ぎたので、キル子的には忘れ去りたい黒歴史である。

 

「そ、その節は大変に失礼を致しました。酒の席のことと笑ってお見逃し頂ければ、幸いなのですが……」

 

「ああ、勘違いしないで欲しい。あれは悪ノリしたウチのロキやベートにも非があるし、ミアさんが許したのなら、僕らがとやかく言う筋合いはないよ。ただ、貴女には色々と聞きたいことはあるかな」

 

「まあ、お答えできるものであれば、お答えしますが」

 

キル子は惚けてみせた。

嘘はつきたくない。なんせ、この街では何処で神に見られているか、知れたものではないのだから。

答えられないものには、答えない。

素直にそう言うとフィンは、それで構わない、と頷いた。

 

「正直、僕としては貴女を敵に回す愚は避けたいからね」

 

フィンは真顔だった。

 

「お戯れを。故郷では単なる事務員です。接客と応対が主な仕事でした」

 

しかし、今は職なしのニートである。

働かずに食う飯の美味いことよ。

 

「う〜ん、流石に信じがたいかな。貴女の能力の一端を実際に目の当たりにした人間としてはね」

 

うん、気持ちは分かる。だが、事実だ。

 

「貴女は、何処から来たのかな?」

 

「ユグドラシルのアルフヘイムから」

 

「聞いたことのない土地だね。そこから、何のためにオラリオへ?」

 

「特にこれといって目的があるわけではないのですが……観光、ですかね。美味しいもの食べて、美味しいお酒呑んで、珍しいものを見て、いい男ゲットしたりできれば最高ですかね」

 

キル子は何も考えずに、思ったことをそのまま口にした。

行き当たりばったり。難しいことは考えるのも面倒。その場のノリでストレスフリーがキル子のモットーだ。

 

「貴方は、自由だな」

 

フィンはなんと言ったものか迷ったようだが、それだけを口にした。

 

「ええ、浮世のしがらみからオサラバしたばかりなので、何に束縛されるのも真っ平御免なんです。これからは、なるべく自由気ままに生きられればと思います」

 

答えてからキル子は気が付いた。

なるほど、それが自分の望みなのか、と。

 

「それは、難しいと思うよ」

 

フィンは目を細めた。

互いにグラスの中身は既に空になっている。

フィンは「貴女について、少し調べさせて貰った」と言った。

 

「まず、ギルドで都市の出入記録を調べてみた。貴女がオラリオに入った時の記録は見当たらなかったね。正規の旅行者ではないのでしょう?」

 

「ええ、そうなるかと」

 

オラリオに密入国するのは別に難しくはないが、さほど意味はない、とフィンは語った。

冒険者の町であるオラリオは、基本的に来る者拒まずなので、過去に追放されていたり、犯罪歴が無ければ誰でも出入りできると言う。

 

「貴女がオラリオで目撃されたのは、あの日の昼、神・ヘスティアと一緒にヘファイストス・ファミリアの店を訪れたのが最初だ。そして、夜には豊穣の女主人で僕らと出会い、それから今日まで、貴女は完璧に姿を消していた」

 

キルトとして活動していた間のことだろう。

よくもまあ調べたものだ。

 

「つまり、貴女がオラリオで動いたのは実質一日に満たない。しかし、貴女の齎した影響は多方面に渡って大きいね。ヘファイストス・ファミリアは未だ謎の金属素材にかかりきりだし、その噂は大手ファミリアにも密かに流れている。ロキ・ファミリアと関係の深いゴブニュ・ファミリアも、同じ鍛治系として無関心ではいられないようだ」

 

ああ、そういえば。

超々希少金属のインゴットを丸投げしてから、気にする余裕がなかった。

少し落ち着いたので、一度ヘファイストスの様子を見に行ったほうがいいだろう。

 

「医療系のディアンケヒト・ファミリアは貴女が持つポーションに興味津々らしい。劣化しないポーションなんてものができれば、ダンジョン深層への攻略は進むだろうし、代わりに規模の小さな零細薬師は注文が減るかもしれない。いずれにしろ影響は大きい」

 

フィンはカウンターの上に、一本のガラス瓶を置いた。

キル子がロキに使った最上級ポーションの瓶だ。HP量を対象の最大値まで回復させる効果がある。

 

あの時は知らなかったが、オラリオにも万能薬(エリクサー)なる高ランクポーションに似た効果の薬品があるらしい。瀕死の怪我でも忽ち快癒するという代物だが、品質はマチマチ。最高品質のものなら50万ヴァリスはいくという。

こちらの品ならアンデッドにも使えるかと思って試したが、残念ながらポーションでダメージを受けるのは変わらなかった。

 

キル子的にはそれよりも高等精神力回復薬なる、MP回復薬の存在に驚いた。

あちらの魔法職が知れば卒倒しただろう。ユグドラシルにそんな便利なものはない。MPは時間経過によってしか回復しなかった。

試しに買って飲んだら、量は微々たるものだがキチンとMPが回復したのを確認した。

 

コストに目を瞑れば薬剤はこちらの方が優秀なのではないかと思ったので、ポーションの色が違うくらいのことは悪目立ちせんだろうと高を括っていたが、そうもいかないらしい。

 

「言っておきますが、私は鍛治師ではないし、薬師でもありません。作り方だの何だの聞かれても困りますよ」

 

「そうなのかい? いずれにしろ興味深いのは確かだ。それに貴女はそれを少しも隠していない。最初は都市外からやって来た商人が、商品の宣伝にヘファイストスや僕らを利用しているのかと思ったよ」

 

ああ、そういう解釈もあるか。

 

「少しずつ商品を小出しにして噂の浸透を待ち、値を吊り上げる。商人の常套手段だ」

 

「私は商人でもありませんので」

 

「だろうね。こうして直に話していればわかる、貴女は駆け引きに長じているわけじゃない。単に明け透けなだけだ」

 

その通り。

いちいち何かを隠したり怯えたりして過ごすなんざ、御免被る。

何せ、どの程度残っているかもわからないアディッショナルタイムを楽しめれば、それでいいのだから。

 

「そういう意味では、貴女の人となりを確認できたのは収穫だな。こちらも他に調べなくてはならないことがいくつか出来てね、正直、余裕がない。貴女への捜索も、この後は打ち切らせるつもりだ」

 

キル子はフィンの話を聞きながら、煙管を弄ぶようにクルクルと回した。

 

恐らくは怪物祭で出たという、植物型モンスターへの対応に忙しいのだろう。

ダンジョン18階層のリヴィラの町とやらで何か騒ぎがあったらしいから、そちらへの対処もあるかもしれない。

ギルドやロキ・ファミリアが『キルコ』や『キルト』を探っていたように、キル子もまた至る所に張り付けた【標的の印(ターゲットサイン)】を辿り、情報収集は欠かしていない。

 

もちろんそんな事を訳知り顔で嘯く気は微塵もないが。

 

「一つ、確認したい。貴女が恩恵を受けていない、というのは確かなのかな?」

 

フィンはいよいよ本題に踏み込んだ。

 

「ええ、恩恵とやらを貰った覚えはありませんわ」

 

「……にも関わらず、その強さか」

 

フィンは深いため息をついた。

何故かは知らないが、親指あたりを押さえている。

 

「なんか過大評価を頂いてるみたいですね。私もそれなりに腕に覚えはありますが、故郷では私を凌ぐ強者(つわもの)は幾らでも居ますよ」

 

ワールドチャンピオンと真っ当に一対一(タイマン)をやらかせば間違いなく負けるだろうし、遠距離からワールドディザスターの大災害(グランドカタストロフ)を受ければ魔法防御の弱いキル子には耐えられない。あるいは開けた平野でアーチャー系に狙われたら、生き残るのは難しいだろう。

それでも相手が人間種且つプレイヤーなら、特攻が効くのでまだ何とかできるかもしれないが、逆にどちらでもなければ分が悪い。特にペットや召喚モンスターを多数けしかけてくるタイプは非常にやりにくかった。

 

いずれにしろ、どんなビルドも一長一短。ユグドラシルには、凡ゆる状況に対処できる万能職など存在しない。

 

「貴女の故郷は恐ろしい場所のようだ。いずれその『ゆぐどらしる』から、貴女のような人間が大挙してオラリオに雪崩れ込んでくるのかと思うと、憂鬱だね」

 

なるほど、それも心配しているのか。

てっきり頭から否定して信じないかと思いきや、なかなか頭の柔らかい御仁である。

 

「それは分かりません。私は偶々オラリオに流れ着きましたが、他の連中は何処で何をしているのやら……」

 

まあ、自分という例があるのだから、他にもユグドラシルから人が来ない保証はない。

アインズ・ウール・ゴウンのメンバーなら大歓迎だが、それ以外が来ていたら厄介だ。何せ、キル子ほどヘイトを集めていたプレイヤーは珍しい。いきなり襲われても不思議ではないので、今も索敵系パッシブスキルはフルで稼働している。

 

まずないとは思うが、キル子と同じくユグドラシルで蛇蝎の如く嫌われていたPKどもがこちらに来たら、かなりヤバいことになる。奴らはキル子より見境がない。

町中にいきなり高位階魔法をブッパするテロリストや、見た目を白濁液にした劇毒を女性プレイヤーにぶっかけてまわる猥褻野郎、気化させたブラッドオブヨルムンガンドを無差別にばら撒く毒ガス犯や、低レベの若葉ちゃんに粘着する初心者PKなどなど。どうしようもない連中ばかりである。

未だにその手の馬鹿の噂をオラリオで聞かないので、大丈夫だろうとは思うが……。

 

「ふむ、フィン様。もし、それを恐れておられるというのでしたら、私に一つ提案があります」

 

フィンは眉をピクリともさせなかったが、心臓の鼓動がやや速くなったのを、キル子は聞き逃さなかった。

 

「何かな?」

 

迷宮の楽園(アンダーリゾート)という場所がダンジョン18階層にあるそうで。なかなかの絶景とか」

 

キル子がそう言うと、フィンは不思議そうに頷いた。

 

「まあ、一見の価値はあるかな」

 

18階層は基本的に階全体がモンスターをポップアップしない安全地帯になっており、『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』と呼ばれている。

しかも、時間周期で光量を変える水晶が多量にあるため、独自の昼夜が存在し、地下水脈による水源もあって、植物が繁茂して独自の生態系を形成しているという。

 

「なんでも冒険者の町まで作られているようで」

 

「リヴィラの町だね。遠征時にはよく仮拠点にしているよ」

 

リヴィラは迷宮の楽園の中にある、古くからある冒険者たちが築いた宿場町だ。

町の住人は全員が中層まで降りられる実力を秘めた冒険者で、宿を営むもの、道具を売るもの、モンスターからのドロップアイテムを買い取るものなど、各々が商売に励んでいるという。

 

「そこに案内して頂けませんか? 物見遊山というのは、貴方方には御不快かもしれませんが、代価として……」

 

キル子はインベントリから、伝説級アイテムをいくつか取り出して、カウンターに並べて見せた。ヘファイストス・ファミリアで売りそびれたものだ。

金には不自由しなくなってたので、取っておこうかと思ったが"見せ餌"にはちょうどいい。

 

キル子が何もない虚空に手を伸ばし、アイテムを取り出す様子を、フィンは険しい視線で眺めていた。

 

「あるいは、こちら側の情報についても、私が知る限り御教えするのも吝かではありませんが、いかが?」

 

フィンは解せないとばかりにキル子を見つめた。

 

「君なら、問題なく実力で行けると思うのだけどね」

 

「ええ、難しくはないでしょう。ただ、ロキ・ファミリアの皆様に同行頂ければ、心強いですわ」

 

『キルト』ならともかく『キルコ』は単なる旅行者に過ぎない。

ギルドの連中の煩わしい干渉を受けずに、大っぴらにダンジョンに出入りするのは難しい。

だが、一度でもあのロキ・ファミリアとダンジョンで行動を共にすれば、周囲は勝手に都合よく誤解してくれるだろう。

 

「……次の遠征は10日後だ。それで良ければ、同行を許可するよ。ただし」

 

「ええ、ダンジョンの中では貴方方の指示に従いますわ。それでよろしいですか?」

 

「ああ、その条件を飲むならね」

 

キル子は微笑んだ。

 

深層への遠征は彼らにしても命がけだ。

部外者を引き連れて、指揮系統の混乱を引き起こす不安は取り除きたいに違いない。

しかし、そのリスクを飲んでも、こちらの情報が欲しいらしい。

 

「それで、ですね……その、道中はベート様と、ご、ご一緒したいのですが……!」

 

キル子が頬を染めながらそう言うと、フィンは満面の笑顔で頷いたのだった。

 

「善処しよう」

 

よっしゃ!! フラグ回収のチャンス来たコレ!!

 

 

 

 

それが次なる事件の始まりだったのだが、その時のキル子には知るよしもなかった。




しばらくゆったりペースになりまする。


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第11話

遠征当日、バベル前の広場には、Lv.2以上のロキ・ファミリアの団員が、ほぼ集結していた。

 

大多数はサポーターとしての参加である。

サポーターと言えば冒険者のドロップアウト組が転向するという印象がありがちだが、下層や深層への遠征を行う余力のある大手のファミリアでは、見込みのある若手を教育がてらサポーターとして高レベル冒険者に同行させる場合が多い。

 

サポーター達は中継地点である18階層の迷宮の楽園(アンダー・リゾート)に搬入するための物資が満載された大きな背嚢を背負っていた。

中身の大部分は消耗品だ。

回復薬(ポーション)万能薬(エリクサー)、毒消し薬、包帯に添え木といった医薬品。仮拠点の設営に使用する天幕に寝袋。後衛にして火力である魔法使いが精神力(マインド)を消耗していたり、詠唱が間に合わなかった場合に攻撃力を発揮する魔剣。そして、日持ちする食料や18階層で水を補給するための水筒だ。

何より消耗が予想される武器については、予備を含めて多数持ち込まれ、さらには迷宮内で修理や修繕に対応するために大手鍛冶系ファミリアのヘファイストス・ファミリアから団長である椿・コルブランドが上級鍛治師を率いて参加している。

 

「おおう、太陽が黄色い」

 

椿は目の下にべっとりとクマを浮かべていて、見るからにやつれているにもかかわらず、充血しきった目だけは妙に生き生きとしていた。

 

前回の遠征で確認された腐食液をまき散らす新型モンスターに対応するため、急ピッチで依頼した不壊属性武器(デュランダル)を納品してくれたのだが、流石に急がせ過ぎたかと、フィンは不安を覚えた。

 

「大丈夫かい? かなり調子が悪そうだけど……?」

 

「手前、このところ色々と忙しなくてな! だが、心配ご無用! 昨日は‪2時‬間も寝たし、出がけに万能薬(エリクサー)をがぶ飲みしてきた!!」

 

高笑いをあげる椿を見て、フィンはさらに不安になった。

 

ヘファイストス・ファミリアがひと月ほど前から未知の金属素材を手に入れ、その研究に血道を上げていることは、すでに大手ファミリアには公然の秘密となっている。

それもあり、今回の依頼はゴブニュ・ファミリアに回そうかという意見もあった。だが、遠征に同行してもらうには鍛治師としての技量に加えて冒険者としての能力がいる。数と質、双方を兼ね備える鍛治師を出してくれるとなると、少数精鋭のゴブニュには頼みづらかった。

 

「この短い期間に不壊属性武器を仕上げてもらったのには感謝しているよ。ところで、噂の素材を使った武器は、まだ見せてもらえないのかな?」

 

「ハハハ! 今更隠そうとは思わぬが、まだまだアレはまるでモノに出来ておらぬ故、勘弁くだされ! 今はようやく試作品の作成ができるかどうかというところでな!」

 

「……ほう、既にそこまで進んでおられましたか。流石は天下に名高いヘファイストス・ファミリアの皆様」

 

カランコロン、と乾いた木が打ち合うような軽い音が響き、会話に割り込まれた椿とフィンはそちらに視線を向けた。

 

「御機嫌よう、フィン様、椿様」

 

白い肌と黒い髪の女だった。

日傘を手にし、着ているのは小春めいた桜模様の小袖に、足元は金箔と黒漆で仕上げられた女物の下駄。肌には化粧をし、唇には薄く紅をさしている。

極東から出てきた良いところの令嬢に見えなくもないが、もちろんキル子である。

これからダンジョン深層に遠征しようというのに、まるで物見遊山に行くかのような空気読まない格好をして、朗らかな笑みを浮かべている。

 

その背後には、従者らしき老人と童女が佇んでいた。

白髪頭の老人は作務衣姿に大きな行李(こうり)を背負っており、おかっぱ頭の童女は紅色の雅な着物を着ている。

 

キル子が目で促すと、二人は口元を笑みの形にして無言で一礼した。

 

「こちらはカシンコジとトビカトウ。私の身の回りの世話をしてくれる者たちです。護衛として同行します」

 

フィンは目を細めて二人を眺めると、親指の根元を押さえた。疼きが止まらない。

 

「ああ、二人とも、私よりは強いですよ」

 

キル子はフィンに意味ありげに流し目をよこすと、今度は椿に話を振った。

 

「椿様、先日はお忙しいところをお手間を掛けて頂きまして、ありがとうございました」

 

この小袖はキル子が今日のためにヘファイストス・ファミリアに依頼してあつらえたものだ。

材料はキル子が持ち込んだ糸や布、染め粉や飾り紐に至るまで、それなりに希少素材を使っている。性能的には聖遺物級に掠るかどうかというところだが、キル子的にはデザインが気に入っていた。

 

「なんのなんの! それよりも、例の件はよろしく頼むぞ、キルコ殿!」

 

「ええ、お任せくださいませ」

 

豪快に笑う椿だったが、その目は赤く充血しきっていて、何より少しも笑っていない。

キル子もキル子で口元を袖で隠しながら上品に笑っているが、目は少しも笑っていない。

 

「………」

 

傍らで見守っていたフィンとしては、その「例の件」とやらが気になるところだったが、二人の間に流れる微妙に不穏な空気を感じ取り、敢えて何も言わなかった。

 

一通り椿と語らうと、キル子はロキ・ファミリアの団員達に向き直る。誰も彼もが、不審げな様子でキル子を見ていた。

 

「ロキ・ファミリアの皆さま、ご苦労様でございます。既にフィン様から伺っているかも知れませんが、今回の遠征に同行させて頂きます、キル子と申します」

 

日傘を畳んで深々とアイサツする。

風変わりな従者達もそれに合わせてお辞儀をした。

 

「ダンジョンというものに伺わせて頂くのは初めての事でございまして、何かとご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうかよろしくお願い申し上げます」

 

キル子はこれ以上ないくらいドヤ顔を披露していた。

そんな内心を一言で言い表すと、こうなる。

 

(勝ったな!!)

 

今日のために毎日欠かさず温泉に浸かって肌を手入れし、最高級の化粧水と乳液で磨き上げた。歓楽街の武装娼婦御用達のエステにも通っている。

そして今朝は念入りに化粧し、眉を整え、薄く紅をさし、髪も結い上げてきた。

衣装はデザイン重視で今日の為に用意した特注品。

キル子の見たところ周りの女どもは無骨な武器や防具に身を包み、化粧の一つもしていない。内心でせせら笑うしかなかった。

 

もちろん、ロキ・ファミリアの彼女達だって、オフに思い人と共に街に繰り出そうとするならば、それなりの準備をするだろう。

だが、これから行くのはダンジョンである。しかも、未だ誰も到達したことのない深層。

状況を舐めきっているとしか思えないキル子に、周囲からどのような視線が突き刺さるかは、推して知るべしだった。

 

本来なら文句の一つも出たのだろうが、そこは事前にフィンが根回しをしている。

曰く、オラリオ外の未知の土地からやってきた異邦人。

オラリオの事情には疎く、だが秘めた能力は底知れず、常識では計り知れない強力な隠し球を幾つも持っている。

怪しいことこの上ないが、恩恵も持たず、特定のファミリアにも入っていないにもかかわらず、最低でもレベル6以上の力があるので、敵対的な行動は厳禁。

要観察対象であり、ちょっと突けば重要な情報をドバドバ漏らすカモ……もとい金の卵、みんなでうまくヨイショして欲しい、と。

故に、団員達は努めて笑顔で(引きつった笑顔にしかならなかったが……)キル子を眺めていた。

 

「各自言いたいことはあるだろうが、努めて抑えて頼む。……キルコさん、道中は我々の指示に従ってもらうよ」

 

「はい、何でもご指示くださいませ」

 

フィンにしてみれば、18階層に連れて行くくらいならば、わざわざ遠征に同行させる必要はない。幹部クラスならそれこそ日帰りで往復できる距離だ。

だが、それはあくまでダンジョンに慣れた上級冒険者が全力疾走したら、という前提である。ダンジョンに不慣れな素人、それも自己申告によれば、一度もダンジョンに入ったことのない人間を引率するとなると、日を複数またぐ可能性がある。

遠征を目前にしたタイミングで不測の事態に巻き込まれるリスクは負いたくないし、では幹部クラスを複数名引き連れて部外者を引率しては、流石に目立ちすぎる。

かといって、鴨がネギ背負ってやってきたような状況を、みすみす見逃す手はない。

 

だからこそ、遠征に同行させるのだ。

遠征時ならばそもそも人数が多いのは当たり前だし、他のファミリアの人間も数多く同行する。木を隠すなら森の中だ。

それに、仮に何か企んでいたとしても、これだけの人数に囲まれた中で下手な事はやりにくくなる。

 

『虎穴にいらずんば、やな』

 

この状況を、出発前に彼らの主神、ロキは偽悪的な顔でこう表したという。

 

「それと、貴女の同行を許可するのは18階層までだ。いいね?」

 

「はい。そういうお約束ですから。私は約束を違えたことはありませんよ、フィン様」

 

フィンに鴨葱扱いされているとは知らず、キル子は緩い笑顔で請け負った。勝手に後ろから付いていく分にはなんら問題はないだろう、と考えていたりする。姿を隠して後を追い、ピンチの際に劇的登場! ベート様もイチコロだね! たぶん、めいびー。

思わず口元が歪みそうになるのをキル子は袖でそっと隠した。

 

それはそれとして、流石のキル子も考え無しに18階層に行きたいなどとワガママを言っているわけではなかった。

 

「実は18階層のリヴィラとやらに、拠点を作りたいと考えておりまして。色々と準備して来ておりますのよ」

 

「リヴィラに?」

 

「ええ、建材や生活用品、食料、酒肴品、衣服に武器も。あちらでさばけそうな物は一通り仕入れてきましたわ」

 

オラリオの市街地で手に入れた品々に加えて、ユグドラシル由来のアイテムも存分に活用するつもりである。

限定版ではない、通常のログハウスのような外見をした拠点型アイテム、グリーンシークレットハウス。

2拠点間を転移回廊で結ぶことのできる転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)

それに傭兵NPCを雇うための、本型アイテムも。

 

「便利なものだね。貴方の故郷由来の品を一つ手に入れられるとしたら、その収納能力を欲するよ」

 

フィンは本当に残念そうにため息をついた。

 

アイテムボックス、所謂インベントリはゲームを開始したプレイヤーなら誰もが初期状態で持ち得る共通能力だが、初期状態では収納量は多くない。課金アイテムによって段階的に拡張することができるのだ。収納量は課金していないプレイヤーとNPC、課金したプレイヤーでは圧倒的に違う。

当然、キル子は最大量まで課金していたし、一部の領域には極めて希少な課金ガチャアイテムでドロップ防止対策を施していた。

 

「こればかりは再入手は不可能でして。既に生産技術の喪失した遺失道具(ロスト・アイテム)というやつです。お貸しした無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)でご勘弁ください」

 

「いや、これだけでも貴女を今回の遠征に加えた甲斐はあった」

 

ロキ・ファミリアの何人かは、小さな鋼板製の背嚢を背負っている。

背嚢そのものは頑丈さを優先して作られた単なる入れ物で、中身はキル子が貸し出した無限の背負い袋の予備品である。

 

あの日、歓楽街の酒場で会った後、色々とユグドラシルについて聞かれたのだが、その時にフィンが何よりも食いついたのが、この総重量500キロまで収納できる魔法の鞄だった。

ロキ・ファミリアの団長として、遠征の指揮をとるフィンにしてみれば、物資の搬入は目標の階層と人数を鑑みて、適切な量を見極める必要がある。だが、これを使えばその量を飛躍的に増大させる事が出来る。

 

いくら出しても惜しくはない、とフィンが真顔で断言したときには流石のキル子もドン引きした。

手持ちに三桁ほどあることだし、一つ貸し出す毎に少なくない額を支払う約束で、深層域へサポーターとして同行する人数分を引き渡していた。

 

無限の背負い袋を防護するために、ロキ・ファミリアは専用の軽くて丈夫な保護道具まで作成してきたので、気合いが入っている。

鉄鋼製で頑丈であるため重いのだが、物資を普通の背嚢にいれて持ち歩くより軽くてかさばらない。

 

「いざとなったら、モンスターの攻撃に晒される可能性もあるからね。肝心な時に荷物を取り出せなくなったらコトだ」

 

「私の経験ではそういう場合は、中身が外にぶちまけられますので、運が良ければ回収できますよ」

 

「うん、その場合に備えて作ってある。一応、普通の背嚢も折りたたんで持ち込んでいるよ」

 

フィンにぬかりない。

頭いいなぁ、とキル子は感心した。まるでモモンガやぷにっと萌えが指揮を執っているかのような安心感があった。

 

「さて総員、これより遠征を開始する!」

 

フィンの一言で、団員達に緊張が走る。

 

ダンジョンは構造的に下に行くほど広くなる円錐形をしているらしく、上層部が一番狭い。さらに、上層部は下級冒険者の稼ぎ場でもあるので、かなり混んでいる。

大人数で突入すると迷惑になるので、18階層までは二班に分かれて時間差で突入するという。

 

キル子も気合いを入れなおした。

そう、いよいよベート様とラブラブハネムーン大作戦の幕開けなのである!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二手に分かれたロキ・ファミリアは、ダンジョンを疾く速やかに踏破していた。

ダンジョン内部をするすると慣れた様子で進んで行く。その歩みは速くもないが遅くもない。至る所に下級冒険者がひしめく狭い上層部を、縫うようにして最短ルートを選んでいる。

 

キル子は二人の従者を従えて、ロキ・ファミリアの幹部達に守られながら歩いていた。

 

「……とまあ、そんなわけで、結果的に敵対ギルドのレアアイテムを奪う形になりまして」

 

「それでそれで! どうなったの?!」

 

「ええと、奴らが攻めて来る前に、まずは私らの拠点の周囲に点在する毒の沼地でゲリラ戦をしまして、周りに生息していたモンスターを掻き集めてMPKを……」

 

……あるぇ?

 

ベート様とラブラブな道中の筈が、何で私はヘソ出しルックの褐色元気娘に纏わり付かれてるのだろうか。

 

「えむぴーけー?」

 

「モンスターを引き連れ集めて、プレゼントフォーユーって感じです」

 

「ああ、怪物進呈(パスパレード)のことだね!」

 

困惑しながらもわりかし丁寧に説明するキル子であるが、実はすぐ前を歩いているベートの犬耳がピクピク動いていて、話に興味津々らしいのが見えているので、途中で打ち切る事も出来ない。

 

「ごめんなさいね、この子、冒険譚に目がないのよ」

 

キル子を挟んで両隣を走っているアマゾネスの姉妹、元気に纏わり付いてくる短髪が妹のティオナで、性格がお淑やかで髪を伸ばしているのが、姉のティオネというらしい。

キル子にしてみれば同性の相手なんざどうでもよく、早くベートに甘々ラブアタックしたいのにぃ! と内心ではホゾを噛んでいる。

 

「お気になさらずに、私と仲間達の話を聞いてくださるのですから」

 

だが、やはり、キル子の中でアインズ・ウール・ゴウンは特別である。

聞かれれば、問われれば、応えずにはいられない。

 

「……仲間か。お前は、いやお前たちは神に恩恵を刻まれたわけじゃないんだったな」

 

ずっと聞き役に回っていたベートが、初めて自発的に口を挟んだ。

これ幸いと、キル子はベートに寄り添うように隣に並ぶ。

 

「ええ。むしろ、オラリオに来て驚きましたね。恩恵とか神様とか、聞いたこともありませんでしたので」

 

「それなら、恩恵もなしにどうやって、そこまで力を手に入れた?」

 

「そうですねぇ、フィン様にも似たような事を聞かれましたが、改めて問われると説明に困ります。私らも意識してやってるわけじゃないので。でも、しいて言うなら情報量の差ですかね……?」

 

「未知を踏破する」がコンセプトのユグドラシルでは、公式からの情報提供は恐ろしく少ない。

その欠落を補ったのは、ユグドラシルwikiを始めとする有志による検証サイトだ。効率的な狩場、効率なビルド、強力なスキルや魔法、武器や防具の作成法……検証厨のワールド・サーチャーズを中心に情報が広く公開されていた。

そういったノウハウが、オラリオではファミリア単位で秘匿されているので、表に出てこない。

 

「重要な情報は晒せる筈がない、とファミリア内で抱え込む。だから、みんな知らない。どんな強力なスキルがあるか、どんな便利な魔法があるか、どんな使い勝手の良い道具があるか……そら、千年も足踏みする筈ですわ」

 

ロキ・ファミリアの面々は首を傾げた。

スキルにしろ魔法にしろ、ステイタスの情報は冒険者にとって生命線。隠すのが当たり前なのだから。

 

「お前らのところは、違うってのか?」

 

ええ、とキル子は頷いた。

 

「さすがに何もかも、というわけではありませんが、スキルや魔法、その取得条件はよほどの隠されて(エクストラ)でもなければ、大抵のものは手に入ります」

 

そこまで口にした時、キル子は気付いた。

ロキ・ファミリアの冒険者達は、全員がキル子の話に耳を傾けている。その心臓はやや早めに鼓動を打っていて、彼らがどれだけ緊張感を抱いているか告げていた。

なるほど、先程からやたらとアマゾネス姉妹が纏わり付いてきたのは、こうやって話を聞き出すための前振りか。

 

「………」

 

中でも剣姫と渾名されるアイズ・ヴァレンシュタインは非常に強い興味を抱いているようで、一言一句を聞き漏らさないよう、集中しているのが手に取るようにわかる。

 

人様から見せ場を奪った金髪小娘だが、今は花より冒険に燃える年頃のようだ。若いなぁ、とキル子は思った。

仕事ばかりが人生じゃないと彼女が気付くのはいつになる事やら。時間は淀みなく残酷に流れてしまうというのに。

 

まあ、ベート様やベル君に手を出さない限りは大変結構だが、とキル子はほくそ笑む。

 

「あとは無数の選択肢から、有限のリソースに対して、何をどう組み合わせるか、それこそセンスが問われますね」

 

そう言ってキル子はコロコロと笑った。

 

「おかげで我々プレイヤー……オラリオで言うところの冒険者が保有するスキルや魔法は、最低でも百はくだりません」

 

「は…?!!」

 

この発言には、その場の全員が絶句した。

 

「特に魔法使いは、最上位のプレイヤーなら最低300、多ければその倍は魔法を取得しているものです。実用性のない小技から、驚天動地の大魔法までね」

 

「それ、リヴェリアが聞いたら発狂するかも」

 

「こちらの魔法使いが三つ四つしか魔法を使えないなんて聞いたら、彼方の魔法狂いも発狂しますよ」

 

モモンガとか、何気に自分が使える魔法を全部暗記している変態だった。

一見常識人ぶっていたが、アインズ・ウール・ゴウンの中でもキル子やるし★ふぁーみたいなガチキチ勢に次いで、リアルに狂っていた気がする。

 

「私自身は、仲間内では斥候(スカウト)のような役割をしていました」

 

さすがに暗殺者(アサシン)と口にしない程度の分別はキル子にもある。

 

「感知や探知、索敵は得意でして。逆に身を隠すのも、このとおり」

 

言い終わると同時に、キル子の姿が空気に溶けるようにして、その場から消えた。

 

「え……?!」

 

そして、ティオナが手にしていた巨大な大双刀、ウルガが彼女の手を離れ、勝手に動き出す。

重量を感じさせない軽やかな動作で剣の舞を披露し、ピタリと止まる。

次の瞬間、その場には大双刀を手にしたキル子が現れた。

 

「自らを不可視状態にするスキルです。失礼しました、ティオナ様」

 

目を瞬かせて驚くティオナに大双刀を返却すると、武器を勝手に借りた非礼を侘びる。

 

「モンスターが徘徊する危険地帯をやり過ごすには便利な能力ですが、奴らは鼻がきくし勘もいいので、過信はできません」

 

姿が見えなくなる能力を持っている、というカードを一つ渡した形だ。

酒場の一件で、そういう能力なりアイテムがあるとはバレているので、自分から申告した方が信頼感を演出できる。

単に姿が見えなくなるだけの能力だと、ミスリードできれば更にいい。

 

「どちらかといえば、私にとっては索敵系スキルの方が生命線です。範囲は狭いですが、精度には自信がありましてよ」

 

ちょうどその時、キル子が常時オンにしているパッシブスキルは、敵の出現を捉えた。

ダンジョンの壁面から、今まさに生まれ出てくるのは、白くてフサフサした体毛をもつウサギ型モンスター、アルミラージ。数は4つ。

 

一番近い位置にいるのは、小柄な体躯に特徴的な長い耳をしたエルフ種の少女。

ポニーテールをフリフリしながら背嚢を背負って歩いている。おそらくレベルは30前後だろうか。まだ、モンスターのポップには気づいていない。

 

それなりにレベルがあるので放っておいても大した事にはならないだろうが、ここは印象を改善しておこうとキル子は思った。

 

「右側の壁15メートル……いえ、15メドル後方、あと少しでモンスターがポップします」

 

キル子が口にしたまさにその瞬間、壁の一部が盛り上がり、モンスターの形を取り始めた。

 

「トビカトウ」

 

「あい」

 

それまで無言だった童女が、初めて口を開いて返事をすると、ふぅわりと浮かぶように飛び跳ねた。

ひと蹴りで天井近くまで飛び上がり、壁面に対して"真横"に着地する。

そのままスタスタと壁を90°の角度を保ったまま歩きつつ、流れるような動作で袖口から取り出したのは、クナイと呼ばれる東洋の短刀。

 

件のエルフの少女が驚いたように足を止めた時には、既にトビカトウはモンスターの首をはねていた。

お手玉のように首が舞うのを尻目に、トンと軽快な音を立ててエルフの少女の隣に着地する。

 

「……あ、ありがとう」

 

相手は何故か怯えたように頰を引きつらせた。

 

トビカトウは無言で再び跳び上がり、今度は天井に足をつけた。

着物や髪も、着地した天井に対して、そこが地面であるかのように、垂直に垂れている。

トビカトウは逆さまになったまま早足に歩くと、キル子達のところに戻った。

 

「ご苦労様」

 

何やら驚いたように眺めている一堂に、トビカトウはペコリと頭を下げた。

 

「すごいね。どうやったの?」

 

ティオナが尋ねたが、童女は無言でキル子の背後に隠れて澄まし顔をしている。主人に命令されない限り、愛想を振りまくつもりはないらしい。

 

「この子は内気なもので、ご勘弁を」

 

その頭をキル子が撫でると、嬉しそうに目を細めた。

 

「私の感知能力にしろ、この子の移動能力にしろ、彼方ではさほど珍しくありませんことよ」

 

オホホホとキル子は陽気に笑った。

 

人間種に擬態化しているためにアンデッドの基本能力である【暗視】などは失っているが、アサシン系職業由来のスキルは生きている。

聞き耳系スキルはもとより、【気配察知】や【敵意察知】、【罠感知】に【地形把握】など。こういう薄暗い閉所環境はキル子のビルドがもっとも得意とするフィールドだ。

 

「なら、貴方達に教えて貰えば、新しいスキルが手に入る?」

 

アイズは熱意のこもった目でキル子を見た。

 

「さて……? 私は私の得意とするビルドの転職アイテム……秘伝書だの奥義書だのは持ち歩いてますが、それ以外は、ほぼ手持ちがありませんから、どうでしょうね?」

 

キル子のインベントリに放り込んである雑多なPKの戦利品の中には、探せばあるかもしれないが。

 

「剣士やモンク、バーサーカーや魔法使い、そういった真っ当なビルドにはとんと縁がありませんので。貴女は斥候には興味はないのでしょう?」

 

コクリ、とアイズは頷いた。彼女が求めるのは、あくまでモンスターを狩るための力だ。

 

「あるいは故郷に戻れば手に入るかもしれませんが、私は偶然こちらに落ちてきたようなものです。帰り方はわからないし、知りたくもない。むしろ二度と戻りたくないですわ」

 

キル子は真顔で断言した。

 

「どうして?」

 

不思議そうに尋ねるアマゾネス姉妹の妹に、キル子は人の悪い笑みを浮かべながら答えた。

 

「貴女達の故郷、テルスキュラとやらと似たり寄ったりの地獄だから、とでも言えば納得されますか?」

 

「はァ?」

 

ビキリと、物柔らかな態度を崩していなかった姉のティオネの顔付きが、一変する。

空恐ろしい表情を浮かべて凄むティオネを、キル子は涼しい顔で眺めた。

 

「猛毒の大気に包まれ、一切日のささない暗黒の世界。大地は腐れてマトモに植物が育たず、食べ物は全て専用の魔道具で人工的に作り出す。人は小さな岩窟じみた地下空間に逃れてせせこましく生きている。そんな場所です」

 

こちらにも辛い事やしんどい事はあるだろう。リリルカの境遇を見ればわかる。

だが、少なくとも人工心肺を必要としなくても誰もが美味しい空気を好きなだけ味わえ、海や大地からは天然(オーガニック)の食材がいくらでも取れて、汚染物質による奇病を恐れる心配もない。住むところにも不自由はしない。

何より、世界は自然に満ち溢れ、とても美しい。

 

「そんな劣悪な環境でも、一握りの支配階級は何不自由ない暮らしをしていて、残りは全て奴隷です。最低限の労働教育を施されたら、死ぬまで働き続けなければならない。逆らえば食料を断たれ、飢えて死ぬ。なかなかステキなトコロでしょう?」

 

ケタケタとキル子はキチガイじみた顔で笑った。

 

「知も武も富も、支配階級が独占し、パイの分け前は増やさせない。弱者は弱者であり続けることを強者から強要される。愚民化というやつですかね。その方が、支配しやすいから」

 

ベートの顔が、一瞬にして嫌悪感に歪むのがわかった。

 

「お前は、どっちだったんだ?」

 

「もちろん、支配される側です。それも最低辺でした」

 

「そんだけの力を持っててもか?!」

 

キル子は思わず吹き出した。

その辺の事情を話したところで、決して理解されないだろうし、信じられることもないだろう。何せキル子自身、他の誰かに話されたとしても、とても信じられないだろうし、実際、何が起きてこうなったのか把握もしていない。

 

「こんなもの文字通り遊戯(ゲーム)ですよ……私程度が何千人、何万人集まろうが、どうにもなりゃしませんて」

 

笑い過ぎて、泣き笑いのような顔になったキル子を見て、ベートは顔を背けた。

 

「……狂ってるな」

 

キル子のいた世界をさしているのか、キル子自身を揶揄しているのかは、わからない。

 

だが、キル子にはベートが眩しく映った。

初めて会った時から、暇さえあればスキルや魔法を駆使してストーキング……ゲフンゲフン……もとい遠くから見守ってきたのである。

彼は弱者が嫌いだと公言しているが、その裏にあるのは、単なる強者故の傲慢さではない。

強さを得る為の努力を、あえて上から見下すことで、他者にも強いている。見下されたくなければ強くなれ、と。

 

なんて歪で、不器用で、まっすぐな心根だろうか。やはり、彼は良い。

 

「そんなわけで、あんなロクでもない場所には、二度と戻りたくありません。できることならオラリオに骨を埋めたいので、これでも新参者として弁えているつもりなのですよ?」

 

キル子は上目遣いでそう言うと、さりげなくベートの腕に手を絡ませた。

もし、拒否されたらと思うと少し怖かったが、ベートは振り払いはしなかった。

しなやな筋肉が幾重にも重なった太く逞しく、熱い腕。キル子の細くて白くて冷たい腕とはまるで違う。

できればベッドの中で、この腕に抱かれたい。

 

「見てよ、ティオネ。ベートってば固まってるよ」

 

「ええ、珍しいわね」

 

アマゾネスの姉妹は面白がって、困惑するベートをニヤニヤ眺めていた。

ティオナはキル子に親指を上げ、ティオネは、もっとキル子の話を聞きたそうにしている剣姫の肩を叩いて、邪魔しないように袖を引っ張る。

キル子の中でこの姉妹がいい人認定された瞬間だった。

 

「なんか、お前には毎度調子を狂わされるな……」

 

「お嫌ですか?」

 

「歩きづれぇ」

 

ベートはボヤいたが、キル子のさせるがままにさせている。

 

キル子は知っていた。

ベートが、ロキ・ファミリアの幹部達から、出来るだけキル子から情報を引き出すように促されていたことを。ベートが、そんな彼らに反発していたことも。そして、あの日、怪物祭で彼が気付いただろう真実を、誰にも話さずにいることも。

 

……嗚呼、夢なら覚めるな。素晴らしきかなオラリオ。私はこんなヒトデナシだが、どうか受け入れておくれ。

 

このままいい気分でいたかったのだが、キル子の卓越した聞き耳スキルは、性能を遺憾なく発揮してこちらに近づく不審な物音を捉えていた。

 

ため息を一つ。そして、ベートから離れる。

 

「……前方で複数の人間が、何やら騒ぎたてながら此方に走って来ます。闇討ちだとか、そういう感じじゃありませんが、ご注意を」

 

途端に、二人の従者がキル子の前に出た。

 

程なくして、薄暗がりの奥から、複数の人影がこちらに全力疾走してくるのが見えてくる。

 

「げぇ?! ア、大切断(アマゾン)!!」

 

「ティオナ・ヒリュテぇっ!?」

 

「ていうかロキ・ファミリア?! え……遠征?!」

 

やってきたのは下級冒険者らしき風体の男が3、4名。いずれもキル子が【死神の目】で見たところ、レベル一桁台の半ばというところだ。

何やら慌てていたようだが、ロキ・ファミリアの有名どころが揃っているのに気が付くと、こちらを見て呆然としている。

 

「ねー、どうしたのー?」

 

「やめなさいって。ダンジョン内では他所のパーティには基本不干渉よ」

 

ティオナが問うのをティオネが咎めたが、ベートは知ったことかとばかりに彼らを遠慮会釈なく問い詰めた。

 

「お前ら、何してんだ!」

 

恐怖に駆られたように、彼らは叫んだ。

 

「み、ミノタウロスだ! ミノタウロスがいたんだよ!!」

 

ミノタウロスといえば、ギリシャ神話の有名どころのモンスターで、ユグドラシルにもダンジョン型のフィールドに実装されていた。

一種のレイドボスであり『豪傑の腕輪』という筋力(STR)が微増するアクセサリー系アーティファクトを稀にドロップするので、ユグドラシル全盛期にはレベル20台あたりのプレイヤーが、湧き待ちをするくらいには人気だった。

 

察するに、そのミノタウロスから逃げてきたのだろう。

 

「あの化け物が上層でうろついてやがったんだ! ()()のガキが襲われてるのを見て、俺たちは必死に逃げてきたんだ!」

 

……なんだと?

 

嫌な予感がして、思わず登録してある【標的の印(ターゲットサイン)】の反応をたどれば、ベル・クラネルは確かにダンジョン内に、それもキル子の位置より下にいる。

 

思わずキル子がその男の胸ぐらを掴みあげる寸前に、アイズが叫んだ。

 

「そのミノタウロスを見たのはどこですか?! 冒険者が襲われていた階層は?!」

 

「きゅっ、9階層だ!!」

 

その言葉を聞くやいなや走り出したアイズを、キル子は追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“ミノタウロスに襲われているのがあの子なら、万に一つも勝ち目はない”

 

アイズの思考を占めているのは、それだった。

だから、最速で9階層を目指して突き進んだ。

 

遠征までのここ数日、彼に特訓を申し出て付き合い、鍛えた。

最初はまともにアイズの攻撃から身を守ることすらできなかったが、最後には一矢報いるまでに成長していた。だからこそ、わかる。

まだ、早い。アレ(ミノタウロス)には、勝てない。

 

「剣姫、手合わせ願おう」

 

だから、こんな場所で都市最強(オッタル)に出くわすのも、邪魔をされるのも、想定外に過ぎた。

 

「そこを、どいて!!」

 

力強く一歩を踏み出しながら、アイズは細剣(レイピア)を抜き放つ。

ぴたりと呼吸を合わせたように、オッタルも大剣を抜く。長い剣だ。ちょうどアイズの身長ほどもあるだろうか。

二歩目を踏み出しながら呪文を唱えた。

 

目覚めよ(テンペスト)!!」

 

たちまち風の魔力刃がアイズの細剣に纏わり付いて渦を巻く。

生半可な攻撃が、目の前の男に通じるはずがない。

 

アイズは駆けた。

すさまじい勢いでオッタルに跳びかかり、大上段から必殺剣(エアリアル)を振り下ろす。

オッタルが頭上に大剣を構え、アイズの愛剣『デスペレート』と打ち合う。まぶしく火花がはじけ飛び、アイズの剣とオッタルの剣が拮抗した。

 

(あんな大剣が私の細剣より速く……強い!!)

 

オッタルが間髪入れず剣を引き、右足を蹴り上げてくる。

 

目覚めよ(テンペスト)!」

 

再度呪文を唱え、風の力を利用してアイズは後ろに跳びすさった。ばさばさと、服がはためく。

 

低い声でオッタルが唸りながら突進してきた。その速度はアイズよりはるかに速い。

逃げるアイズにたちまち追いついたオッタルは、大剣を頭上からたたきつけてくる。

細剣で受け、その威力に逆らわず、アイズは後ろに跳び、ダンジョンの壁に足をついた。

 

「あッ?!」

 

その時、微かに聞こえてきた。この先で行われているだろう、戦闘音が。

 

ぎしり、と奥歯を噛み締める。

 

「リル・ラファーガ!!!」

 

限界まで精神力を注ぎ込み、風で無理矢理加速する。

アイズはすでに地上に降り立っており、右回りに振り向きつつ右手の細剣を腰だめに構えた。

足のバネすべてで地を蹴り、体をひねりながら、まっすぐに剣を突き出す。剣が風を巻き込んで渦が生じ、アイズの剣がオッタルに突き込まれた。細剣は大剣の隙間を縫うように、オッタルの額を狙う。

 

次の瞬間、オッタルが吠えた。

 

「オオオオォォ!!!」

 

奇をてらわぬ、愚直なまでに真っ直ぐな大剣の一撃。それが、正面からアイズの技をねじ伏せる。

 

「止め、られた……!!」

 

信じがたいほどの衝撃がアイズを襲った。

それほど、オッタルの一撃には威力があった。魔法を使い、不壊属性武器を用い、アイズの全力の剣技を乗せた一撃を、腕力だけで弾いたのだ。

 

大剣は威力こそあるものの、重く取り回しづらい。防御には向かない武器だ。全身の力を使って振り回すことで、初めて真価を発揮する。

ところがオッタルは腕の力だけで、細剣の刺突に大剣を合わせてみせた。オッタルの膂力と反射神経は、アイズの想像を絶するものだった。

 

負けた、とアイズは瞠目する。

技に頼らない、純粋な力押し。これがLv.7、これが猛者(おうじゃ)、冒険者都市の頂点。

 

「……なぜ、じゃまするの?」

 

「敵対する積年の派閥と一人、ダンジョンで相見えた……殺しあう理由には足りんか?」

 

オッタルは大剣を正眼に構え、淡々と答えた。その瞳はアイズを捉えて離さない。

間違いなく、オッタルは本気だ。

 

「なら、私らは関係ありませんね。通して頂きましょうか」

 

カラン、コロンと東洋の木靴を打ち鳴らし、ヒョコリと姿を現したのは今回の遠征に同行している謎の女性、キルコ。背後には従者達を引き連れている。

 

「なんせ、ファミリアなんてものには、入った覚えがありません」

 

キルコはアイズとオッタルの殺し合いなど気にしていない風に、気楽な調子でオッタルの脇を抜けようとした。

 

「で、これは、なんの真似ですか?」

 

そのキルコの前に、大剣の刃先が差し出される。

 

「俺はお前の言葉を信じる気はない。見知らぬ顔だが、ロキ・ファミリアの団員でない保証などなかろう」

 

その瞬間、キルコの纏う雰囲気が一変したように感じられた。

 

「ふ〜ん、あっそう」

 

何気なく呟かれたその声を聞いた時、アイズは全身の毛が総毛立ち、思わず細剣をキルコに向けた。

アイズの位置からは、黒髪を背に垂らしたキルコの後ろ姿しか見えない。だが、心なしかその行く手を塞ぐオッタルが、冷や汗を流したように見える。

 

「ガチムチは好みじゃないんで。とっとと死んでどうぞ」

 

いうが早いか、オッタルがその場を飛び退るのと、鮮血が飛び散るのは、ほぼ同時だった。

カランと大剣が滑り落ち、ダンジョンの床に突き刺さる。その柄元に、切断された手首を残したまま。

何が起こったのか、その一部始終を身じろぎもせずに見守っていたはずのアイズにすら、理解が及ばない。

 

「へえ、首斬り必中攻撃(ヴォーパルスラッシュ)を避けるか……ちっとだけ本気だすかな」

 

それをやったと思しきキルコはいつのまに抜刀したのか、赤黒い血錆の浮いた包丁を手にして、オッタルを睨みつけていた。

 

手首を失い、盛大に出血したオッタルの顔色は、当然のごとく悪い。

いや、切り飛ばされた腕の先から、肌が変色しているのがアイズにはわかった。あの包丁に毒でも塗ってあったのかもしれない。

 

オッタルは残る左手に大剣を持ち替えると、片手で振り回した。

もはや腕力だけでは剣の重量を支えきれないのか、全身の筋肉を淀みなく動かし、アイズが見惚れるほど鮮やかに、ダメージを感じさせない動作でキルコの肩口に一撃を見舞う。

目にも留まらぬ速度でくりだされた大剣は、キルコの体を真っ二つに突き抜け、迷宮の床に刺さった。胸の中央から切り飛ばされたキルコの体が、ゆっくりと後ろに倒れ……

 

「あ?!」

 

アイズは息を呑んだ。キルコの体が、幻影のごとく消え失せたからだ。

その背後に陣取る作務衣姿の老爺が、いつの間にか幻術なる能力を行使していたことに、アイズは気づかなかった。

 

「【冥府の手(ネザーハンズ)】」

 

何処からともなく響いてきた声が何事か囁くと、無数の青白い腕が地面から伸びてきて、オッタルの足首を掴む。

 

「トビカトウ」

 

「あい」

 

さらに、童女が袖口から取り出した鎖鎌を振り回した。

先端に巨大な分銅の付いた鎖は、とても童女に振り回せるような代物には見えなかったが、軽々と放られたそれは生き物のようにオッタルの左手に巻きつくと、ガチガチに拘束する。

 

「……ッ?!!!」

 

四肢を完全に押さえられたオッタルは、抜け出そうともがいていた。しかし、あの青白い腕にしろトビカトウにしろ、どれほど強靭なステイタスをしているのか、とても外れる気配はない。

 

「チャージカウント、3(トリプル)

 

そして、迷宮の闇から染み出すようにしてキルコが、オッタルの背後に現れた。

手には、包丁に代わって巨大な太刀が握られている。オッタルの手にする大剣をさらに上回る、全長3メドルはあろうかという異常な長身の刀。

 

「人の邪魔する野暮天男、首をはねられ地獄行き」

 

その武器の名は、素戔鳴(スサノオ)

かつてアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーである弐式炎雷が愛用し、引退する時にキル子が受け継いだ、超巨大な忍刀型の神器級武装。

様々なペナルティーが付いていて、止まっている相手くらいにしか当たらないほどに攻撃速度が遅いが、威力はまさに一撃必殺。ボスモンスターの攻撃力すらも凌駕する。

 

「いっぺん、死んでみる?」

 

凍える目付きをしたキルコが、今度こそ無防備なオッタルに、凶器を振るう。

 

致死の刃が意外なほどゆっくりと、首筋に吸い込まれ……

 

「待った! キルコ、ストップだ!」

 

その寸前で、停止した。

 

「はいな」

 

気の抜けた返事をしながら、キルコはあっさりと長刀を引いた。

後方に飛び退り、いつの間にか追い付いてきたフィンの隣に並ぶ。二人の従者も、主人の両側に並んだ。

 

「やけに親指が疼いていると思ったら、これも含まれていた……ということか、オッタル」

 

フィンは油断なく手槍をオッタルに構えた。

 

「さて、敵対派閥のオラリオ最強が、手負いで一人。こちらは遠征前で、色々準備は万全だ。好機といえば好機かな?」

 

「……ならば何故止めた?」

 

声を絞り出すかのようなオッタルに対して、フィンは涼しい顔をしている。

 

「確認したかったからさ。この戦いは派閥の総意、ひいては君の主人の意思と受け取っていいかな? 女神フレイヤは全面戦争をお望みで?」

 

その言葉に、アマゾネスの姉妹が武器を抜き、ベートは拳を握り、アイズは再び細剣を構えた。

 

「……いや、俺の独断だ」

 

無念そうに、オッタルはうな垂れた。

 

「なるほど。こちらも遠征の途中でね、フレイヤ・ファミリアとのゴタゴタを、今この場で起こされても困るな」

 

その言葉に、ロキ・ファミリアの面々は明らかに気をぬいた。

ただ一人、キルコだけは先を急ぎたそうにイライラして言った。

 

「では、その雑魚はそちらでどうぞ。私はこの先で襲われているという冒険者の方が気掛かりでして」

 

いうが早いか、従者達を引き連れて、一目散に駆け出す。後に置かれた者達が、何か言葉をかける暇もない。

思わずアイズが呆然とキルコの後ろ姿を見送っていると、クスッとフィンが吹き出した。

 

「いや、久々に愉快痛快な気分だ。いやはや、彼女は天然だね」

 

何やら思うところがあるのか、クツクツと人の悪い笑みを浮かべている。

逆に、オッタルは苦渋に満ちた顔をして頷いた。

 

「どの道、お前たちが徒党を組む以上、俺に勝ち目はなかった。とどめられなかった不覚を呪おう」

 

その場に大剣を残し、オッタルは無言で歩き出す。

フィンの横を抜ける際に、オッタルは視線を合わせぬまま問うた。

 

「……アレは、何だ?」

 

「うちのファミリアの客分だ。何者か、という意味なら、僕の方が知りたいね」

 

「……そうか」

 

言葉少なく、猛者は去った。

 

その背中に、闘志が陽炎のように纏わり付いているのを、アイズは束の間幻視していた。

 

「さて、色々手札を見せてもらったが、まだまだいくつの切り札や奥の手を隠し持っていることやら。興味は尽きないね」

 

フィンが呟く。

口元は笑みの形に歪んでいたが、目は先程から少しも笑ってなどいない。

その目は、オッタルが去った方ではなく、逆側、キルコが向かった方向に固定されていた。

 

 

 

 

 

 



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第12話

女神フレイヤは、ここ最近、妙な胸騒ぎを覚えていた。

 

その始まりは、怪物祭だ。

 

あの日、思い人たるベル・クラネルへ試練を与えるため、モンスターを解き放った。

その件ではロキに軽く脅迫されたが、天界にいた頃に彼女に貸したまま持ち逃げされた鷹の羽衣をダシに、軽くいなしたので問題はない。

それはいいのだが、ガネーシャ・ファミリアの団員を魅了した件から手繰られたのか、ギルドから執拗に追及を受けたのは流石に辟易した。

 

確かにガネーシャ・ファミリアのところから何匹かモンスターを解放したが、極彩色の魔石をもつ食人花や、三つ首のモンスターが現れた件について問い詰められても、身に覚えが全くない。

完全な濡れ衣なのだが、かつてない程に激怒していたガネーシャには、魅了も言い訳も通じなかった。

結果的にソーマ・ファミリアが壊滅した件の責任を取らされ、ファミリア資金の半分を没収されたが、怪物祭でベルが飛躍的に経験値を稼ぎ、ついにレベルアップを果たしたのであまり気にはしていない。

 

気掛かりだったのは、ベルがアイズ・ヴァレンシュタインに続き、怪物祭で三つ首のモンスターに相対したというヒューマンの娘に強く感化されたことだ。彼はより高みを目指すようになったが、同時に魂に新たな想いを刻んでしまったらしい。

 

フレイヤは怪物祭でベルの様子を遠くから観戦し、彼に憧れを抱かせたキルトとか言うヒューマンの娘の魂も見ていた。

特にみるべきところのない、非常に平凡な、典型的な俗人で、興味がわかなかった。

幸い、あれから姿を消したらしいので、もう気にすることもないだろう。

 

後の問題は、ベルの魂にこびりついた微かな澱みだ。

それを取り除くために、最強の眷属(オッタル)の進言により、かつて彼にトラウマを刻み込んだ魔物、ミノタウロスをぶつけるべく手はずを整えさせた。

オッタルは手を抜かずにミノタウロスを実地で仕込み、強力な個体になったという。最近ではソロではなく、パーティでダンジョンに挑むようになった彼の為に、わざわざ取り巻きも揃えたらしい。

この試練で仮に彼が死ぬ事になっても、フレイヤは地上で築いた全てを捨てて、天上まで彼の魂を追いかけるつもりだった。

 

その一部始終を見守る為に、フレイヤは神の鏡まで用意していた。

本来は、いと高き天より遍く世界を見守る為に、地上では行使に大幅に制限のかけられる神の力(アルカナム)の一つだが、これはその数少ない例外である。

地上で使うには手続きが面倒なのだが、オラリオの勢力を二分するフレイヤの影響力を以ってすれば、さほど難しくはない。

 

そうして、フレイヤが命じ、オッタルが用意した舞台の上で、ベルと怪物(ミノタウロス)は激突した。

既に過去最速でLv.2に昇格していたベルは、ミノタウロスを圧倒。

止むを得ず巻き込んだ他のパーティ・メンバーの助力もあって、危なげなく勝ちを収めた。

魂の淀みは消え去り、トラウマは克服されたようだ。それはいい。

 

問題は、ベルとミノタウロスをぶつけている間、横槍を入れさせないよう人払いを命じたオッタルに起きた異変だ。

ベルの様子に満足して、オッタルに撤収の合図を送ろうと鏡を切り替えたところ、目に飛び込んで来たのは、あのオッタルが散々に嬲られている場面であった。

 

乱入の気配を見せた剣姫、アイズ・ヴァレンシュタインを一蹴して退けたまでは良かったのだが、その直後に現れた奇妙な童女と老人の“二人組”に、オッタルは一方的に追い詰められた。

彼らの行く手を大剣で遮った途端、いきなりオッタルの右手が、手首から切断されたのを見た時には、流石のフレイヤも目を疑った。

 

その後、オッタルは左手に持ち替えた剣を“何もない空間”に振るった。当然、空振りなのだが、直後に地面から伸びた無数の青白い腕に足を捕らえられ、そこを童女が放った鎖鎌に雁字搦めに囚われてしまう。

呆気にとられていたフレイヤだが、何処からともなく響いてきた声に、心胆を寒からしめた。

 

 

『いっぺん、死んでみる?』

 

 

あまりにも酷薄な女の声。

しかも、それはフレイヤの耳元から聞こえて来た。思わず後ろを振り返るも、当然、誰もいない。

フレイヤは背筋が薄ら寒くなった。

 

神は死なない。少なくとも、地上では現し身を害されたところで、天界に強制送還されるだけだ。

にもかかわらず、フレイヤはその時確かに感じていた。超越存在(デウスデア)たる神には何より縁遠い筈の、死の恐怖を。

 

鏡の向こうにフィン・ディムナに率いられたロキ・ファミリアの集団が現れた時には、むしろ胸をなでおろした。

その場を離脱したオッタルには、帰還後に詳しい事情を聞く必要があるだろう。

そんな事を考えながら、鏡を見守っていたフレイヤだったが、すぐに悲鳴をあげることになる。

 

鏡の向こうで、オッタルは倒れていた。

無残に血反吐を吐きながら。

 

「誰か!すぐにダンジョンに向かって!!」

 

 

 

 

 

……急いでいるところを邪魔され、頭にきていたユグドラシルのカンストアサシンが、半ば本気で仕掛けた状態異常、〈壊死(ネクローシス)〉。

一定以上の傷を穿たれた際に発動し、痺れと吐き気、熱と朦朧状態を同時に引き起こす。さらには傷口を腐らせ、部位欠損を引き起こし、HPの絶対量を低下させる。

しかも、第9位階魔法以上の治癒能力でしか解呪不可能な上に、解除されない限り徐々に体力を奪いながら全身を侵し続けるという、タチの悪さである。

キル子の怨念の塊とも言えるそれは、オッタルの【耐異常】を貫通し、切断された右手の傷から徐々に全身を蝕み、ついに地上への帰還を許さなかった。

 

そうなることが分かっていたからこそ、アッサリとキル子が引いたのだと理解できた者は、勿論、オラリオには一人もいない。

 

その後、都市最強はしばし表舞台から退場を余儀なくされるのだが、それは別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミノタウロス。

ダンジョンの15階層以下を寝ぐらにしている人型モンスター。牛頭にして身の丈十尺を超える巨躯に、あらん限りの筋肉を纏った怪物だ。

身体能力は強靱にして俊敏、筋肉は火にも冷気にも強く断ち難い。また、強制停止(リストレイト)を起こす咆哮を放つ。

斧や剣といった天然武装(ネイチャーウェポン)を膂力に任せて振り回してくるので、攻撃力もかなり高い。

下級冒険者の天敵とされるシルバーバックの上位互換のようなものだ。前衛ならばLv.2、後衛職ならばLv.3はなければマトモに相手をするべきではない。

 

何よりやっかいなのは凶暴性が高いことだ。

ダンジョンのモンスターの本当の怖さは、その強靱な肉体と攻撃力ではない。命を惜しまないということにある。

地上ではどんな生き物も、いよいよとなれば死を厭う。致命傷を負うことを恐怖し、ある程度になれば逃げるものだ。ところが迷宮で生み出されたモンスターは、よほどパニックにでもならない限り、ほぼ例外なく傷も痛みも無視して命潰えるまで冒険者に攻撃を加える。

真っ当な生き物の摂理からは外れているのだ。

 

 

 

 

 

キル子達が現地に着いたとき、勝負は佳境を迎えていた。

 

荒ぶるミノタウロス、その数は三匹。

一匹は無数の矢を射かけられてハリネズミになって沈んでおり、既にHPはゼロ。

もう一匹は関節がズタズタになった右足を引きずりながら、見当違いの方向に向かって岩石で出来た手斧を振り回している。よく見れば、その両目には矢が突き立っており、視界が奪われていた。矢に毒でも塗られているのか、HPが少しずつ減っているので、放っておいても大丈夫だろう。

 

最後の一匹は、ひときわ巨大な体を持ち、鋼の大剣を持っていた。

未だ致命傷は一つもなく意気軒昂だが、巨大な盾を構えたヒューマンの男によって攻撃を受け止められ、その合間から剣や槍、弓矢による攻撃を加えられて徐々に体力を削られている。

 

どうやらベルは一人ではなかったらしい。

キル子はホッと胸をなでおろした。

 

「良かった。あのガチムチめ、今度邪魔したら必ず首チョンパしてやる。まあ、それまで生きてればの話だけどね」

 

キル子は袖で顔を隠しながら、ケケケ!と不気味に笑った。ガチムチ死すべし慈悲はない。

 

〈壊死〉は発熱や朦朧状態を引き起こし、対人戦で隙を突くのに向いている呪いのようなスキルだが、第9位階クラスのヒーラーかバッファーでも無ければ解除できない。

しかし、これでもキル子にしては有情な措置である。ロキ・ファミリアの団員が巻き添えになったり、感染したりする可能性がなければ、ブラッドオブヨルムンガンドあたりの致死性の超猛毒か、危険度最大レベルの疫病でも使っていたところだ。

オラリオにも呪い解除の専用具はあるらしいが、果たしてどこまで通じるものか。そもそも地上まで体力が持つのかも怪しい。

 

何やら情報系魔法で“覗き見”していた不埒者が居たようだから、あるいは回収したかも知れない。

逆探知をかけていたので、覗き見していた相手の居場所は割れているし、逆にこちらは情報対策が十全に働いていたので、大した情報は漏れていない。オラリオに来て初めてこの手の対策が役立った。何事も用心は大事である。いずれ御礼参りに行くとしよう。

まあ、今はそんなことより、ベルの方が重要だ。

 

ベル達の攻防を見据えながら、キル子は背後に佇む従者達に目配せした。二人とも承知したと言うように頷く。

カシンコジはいつでも幻術を仕掛けられるよう備え、トビカトウは着物の袖から暗器を取り出せるよう身構える。

キル子もまた短刀『セクハラ殺し』をインベントリから手元に引き出した。

 

まだ手を出すべきではない。他のパーティーが戦闘している場に、呼ばれもしないのに手出しするのは、『横殴り』と言って、あらゆるMMOで嫌われる行為である。

ピンチには直ぐ介入できるよう、キル子は備えていた。

 

よく見ればベルは白い部分鎧(プロテクター)を着けて、防御力を補っている。見たところ、軽くて動きやすそうだ。

俊敏性が武器のベルにとって、重くて体の動きを阻害する防具はNGなので、悪くない選択である。

残念ながら、キル子の持つ伝説級以上の防具はどれもそれなりに重量がある。あまり高価な武具を与えても使いこなせないし、悪目立ちするだけだ。いずれベルがレベルを上げるまで、ご褒美はお預けにした方が良いだろう。

武器も防具も今のベルの力量に見合ったものを使っている気がする。

 

「もう一踏ん張りだ!!ベル、かましてやれ!!」

 

「はい!」

 

ヒューマンの男に促され、ベルは愛剣『感電びりびり丸』を肩に担いだ。

本来なら使用者にフィードバックをもたらす強力な電撃の影響は、その指に輝く『風神と雷神の指輪』のおかげで欠片もない。

 

ベルが構えを取ると、どこからともなくゴーンと、鐘が鳴るかのような低い音が鳴り響いた。

英雄願望(アルゴノゥト)】……ベルがLv.2に上がった際に獲得した、攻撃や魔法の威力を蓄積(チャージ)して一度に解放することのできる強力なスキル。

それはあの日、三つ首の巨犬・ケルベロスに対して、大鎌を携えた女が使った能力に酷似していた。

 

「ヤァアアアアアア!!!」

 

ベルが振り上げた剣が雷を纏って輝く。

 

ミノタウロスの脇腹を抉りながら走り抜け、一撃を入れる。

剣は毛皮を易々と突き破って肉を穿ち、骨と内臓を焦がす。さらに感電による硬直(スタン)状態を引き起こし、ほんの数秒、ミノタウロスの動きを止めた。

 

「ベルさん、下がって!!」

 

間髪入れずに、フードを被った小柄な人物が何処からともなく現れて、黒い石弓に番えた矢を放つ。

それは見事にミノタウロスの片目に刺さった。視界がふさがれたミノタウロスは絶叫を上げる。

 

「ロイドさん、お願いします!」

 

「ほいきた!」

 

ほぼ同時に大盾を持った男が前に出てミノタウロスの視界を遮り、ベルはその後ろに隠れた。

ミノタウロスは手に持った大剣を執拗に振り回して、盾を構える男を鬱陶しそうに追い払おうとしたが、却って翻弄されるだけだった。

 

盾持ちが場を繋ぐその隙に、槍使いの女が脇から攻める。

 

「アンジェ、今だ!」

 

「了解にゃ!!」

 

目の潰れた側から忍び寄った猫人(キャットピープル)の女戦士は、手にした槍の穂先をミノタウロスの脇腹に突き立てた。皮膚と肉を貫き、肋骨を避けて重要な臓器の位置を貫き、大出血を招く。

槍は身をよじるミノタウロスの筋肉に捕らわれ、柄が半ばからへし折れてしまったが、十分な深手だ。あの出血量、おそらく心臓か、太い動脈を絶ったのだろう。いずれ失血でミノタウロスは動けなくなる。勝負あり、だ。

 

なかなか連携が取れている、とキル子は思った。

ヒーラーがいないのが、やや危うく思えるが、時折ポーションを取り出して適度に口に含んでいるので、さほど問題はなさそうだ。

 

「手堅いな。あのヒューマンの盾持ち、なかなか場を仕切るのが上手い」

 

顎に手を当てながら、いつのまにか追いついてきたフィン・ディムナが、そう評した。

 

「だが、キーマンはあの黒い外套を着た野伏(レンジャー)だ。目や耳、首元、手足の関節……ミノタウロスの弱点に的確に矢を撃ち込んでいるね。威力も凄まじいが、何より恐るべきは命中精度。おそらく器用のステイタスが並外れて高いんだろうけど……」

 

フィンは探るような視線を小柄な黒マントに向けた。

 

「矢をばら撒きすぎじゃないですか?何処にあの数を仕舞ってるんだろ。スキルかしら?」

 

「あの子の剣、斬りつけるたびに雷撃が出てるよ!すごい!でも魔剣?にしては回数が多いし威力も高いような……スキル?魔法?」

 

「ああ、下手くそ!相手は力押しのモンスターなんだ、全部盾で受ける必要ねーだろ。フェイントの一つも混ぜろや」

 

いつの間にか、フィンだけではなくベート達、ロキ・ファミリアの面々が追い付き、戦いの趨勢を見守っている。

 

傷口から噴水のように血を垂れ流し、口からも盛大に吐血するミノタウロス。そこへ、トドメの一撃が繰り出された。

 

ベルが右手を差し出す。

 

「【ファイア・ボルトォ】!!!」

 

途端に、掌から稲妻のように弧を描きながら吹き出した炎の槍が、ミノタウロスの顔面に迫った。赤い角の片方を吹き飛ばし、頭部を包む。

 

「なんと…?!」

 

思わずキル子は目を見張った。

 

男子三日会わざれば刮目して見よ、とはまさにこの事。

ほんの十日ばかり会わない合間に【蓄積(チャージ)】系スキルはおろか、攻撃魔法まで取得していたとは。ユグドラシルではさほど珍しくもないが、オラリオ基準では、ちょっとすごいことではないだろうか。

いやはや、若い子の成長は早い。

 

蓄積系スキルの使い勝手は分からないが、魔法の方は中々面白そうだ。

威力はせいぜい第2位階か第3位階程度だが、速攻性が高く、出だしが速い。あれなら対人戦では不意打ちで体勢を崩すのに使えるし、目潰しにもなる。モンスター相手なら牽制か、今みたいにトドメにも使えるだろう。軽量ファイターの奥の手としては悪くない。

 

酸欠による窒息効果も狙えそうだが、既に半死半生のミノタウロスには十分すぎるほどの致命傷だったようだ。

残った片目が白く白濁し、瞳孔から生気が失せる。キル子の【死神の目】には、HPがゼロになったのが分かった。

巨体が傾ぎ、音を立てて倒れる。同時に、力つきたようにベルの体も大の字になって倒れて荒い息を吐いた。

 

「ベルは休んどけ!よくやった!」

 

「私らは、最後の奴にトドメ刺しちゃいましょう」

 

「槍が折れたから、ぶん殴るにゃ!」

 

冒険者達が最後に残って呻いていたミノタウロスに、よってたかってトドメを刺すのを見ながら、ティオナが楽しそうに目を細めている。

 

「懐かしいなぁ、昔はあんなだったよね〜」

 

「ええ」

 

「何のことはねえ、奴らはやるべきことをやっただけだ」

 

ベート・ローガがそう締めくくる。何時ものように、他者を見下す風ではなかった。

 

華のある戦いではない。だが、手堅く、危うくはなかった。

個々の力量はミノタウロスに伍するには明らかに足りていない。つまり、勝敗を決したのは、単純なステイタスの差ではなく、パーティとしての連携だ。

 

その場で見守っていたロキ・ファミリアの冒険者達は、思い出していた。かつて、彼らが駆け出しだった頃のことを。

武器も防具も足りなくて、スキルも魔法もなくて、それでも何とか工夫して補って、上を目指して駆け抜けていたあの頃を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベル・クラネルは地べたに仰向けになって、ゼェゼェと息を吐いた。もう立ち上がる力も残っていない。

 

今朝は、パーティ・メンバーと共に9階層に足を踏み入れた時から、何やら嫌な予感がしていた。妙な静けさに包まれていて、モンスターの数が少なすぎたのだ。

そこに出くわしたのが、ミノタウロスだった。かつて5階層でベルを襲い、殺されかけ、アイズ・ヴァレンシュタインとの出会いをもたらした、因縁のモンスター。

 

激闘だった。何故かミノタウロスはベルを執拗に狙ってきたので、無我夢中で争った。そして、倒した。

パーティの力を借りたが、それでも結果には満足している。かつては一方的に嬲られ、殺されかけた相手を、文字通りレベルで追いついたのだから。

何より、ベルは知っていた。ミノタウロスなどより遥かに強大で、強力なモンスター(ケルベロス)がいる事を。即席の徒党を纏め上げ、それに立ち向かった冒険者(キルト)の勇姿を。

 

最後に使った魔法には、我ながら手応えを感じている。精神力(マインド)の消費が大きいので、乱発はできないがうまく使えば決定打になる。

数日前、豊穣の女主人に放置されていたところを譲り受け、それとは知らぬままに読み込んでしまった魔道書。読みさえすれば強制的に魔法を発現できるが、その代わり一度使うと二度と使えなくなる貴重品によって得た魔法の力に、ベルは酔っていた。

主神に授けられた剣の力ではない、自らの精神力を削って発現する自らの力だ。初めて使ったときには、調子に乗って連発して、精神力枯渇(マインドダウン)を起こしてしまった。

 

その全てを絞り出し、精も根も尽き果てていた。

 

「……?」

 

気がつけばベルは後頭部に、何か柔らかい感触があるのに気が付いた。

ゆっくり瞼を開くと、黒い瞳と目が合う。

黒く長い髪に、白い肌、水蜜桃のように柔らかな肌の感触。

見知らぬ女性に、膝枕をされていると認識した瞬間、思わず起き上がろうとして、脳が爆発した。

 

「……ガッ!!!」

 

全身の神経を刃物で抉られるような痛みに呻きながらも、体は疲れ切っていて指一本動かせない。

女性は憂いの表情を浮かべ、動かないようにと唇を動かす。

 

呻いていると、口元に何か液体を流し込まれた。思わず飲み込むと、それは甘く、冷たく、喉に優しかった。

すぐに体が火照り、傷口が甘噛みされているかのような、むず痒さが襲う。ポーションを飲んだ時の特有の症状だ。

唇を動かして礼を言う。女性は柔らかく微笑み、ベルの額を撫でてくれた。

 

不思議な気分だった。

初めて会う人のはずなのに、初めて会った気がしない。

ベルには母がいない。幼い頃から、祖父が面倒を見てくれていた。自分の両親はどんな人なのか、祖父に聞いたことはない。

あるいは、自分に母親がいたのなら、こんな綺麗な人だったらいいなぁと。そんな益体もない事を考えながら、ベルは微睡みに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベルの頭を膝に乗せたまま、キル子はインベントリから取り出したポーションを口元に飲ませてやった。

ベルは全身傷だらけで、力無く横たわっているが、【死神の目】に映るHP量は目減りしているものの、命に別状はない。

これはディアンケヒト・ファミリアとやらで纏め買いした、オラリオ産の万能薬(エリクサー )だ。ユグドラシル産と違って経年劣化するが、悪目立ちせずに済む。

 

「……あ、ありが…とう、ござい……ます…」

 

蚊の鳴くような声だった。よほど疲労しているのだろう。

 

「お気になさらず。すぐにポーションがきいてきましょう。今はお心安らかに」

 

掠れた声で礼を言うベルの額を撫でる。頑張ったね、と。

やがて、ベルはすぅすぅと寝息をたて出した。

キル子は手拭いをポーションで湿らし、ベルの額についた傷を拭ってやった。

 

その横には、巨大な骸が横たわっている。

 

牛頭人身の魔物、ミノタウロス。

ミノタウロスはベルに向かって伸ばした腕を切り落とされ、巨体を前のめりにして沈んでいる。

毛皮は至る所が切り裂かれ、傷口は雷撃により肉が焼かれて焦げ臭く、激戦の様子を物語っていた。

片目には矢が突き刺さり、もう片方の目は瞳孔が開ききっていて、大ぶりの赤い角も半ばから折れている。

 

膝枕をしていると、ベートがやって来て、ベルの顔を覗き込んだ。

 

「そのトマト野郎は、知り合いか?」

 

「トマト?いえ、直接の面識はないのですが……ヤキモチを焼いて頂けるので?」

 

「アホ抜かせ、そんなんじゃねえ」

 

心なしかいつもよりぶっきらぼうなベートに、キル子はクスリと笑った。

 

「この子の神様、ヘスティア様にはオラリオに来たばかりの頃に世話になりまして」

 

それだけのことですわ、と。そう告げる。

 

これは見込みアリだよね、とキル子は機嫌をよくしたが、ベートは鼻を鳴らしただけだった。

 

「じゃあ、後は私が診る」

 

金髪の小娘、アイズ・ヴァレンシュタインがベルの頭を奪うようにして自らの膝に乗せた。何故だか手慣れている。

しかも、生意気にもこちらを睨んでいるではないか。やはり、こやつもベルを狙っているらしい。

 

「……ホホホ。左様ですか」

 

キル子は笑顔の下で殺意を押し隠し、裾を払って立ち上がった。

アイズのあの細っこい首とか、切り飛ばしがいがありそうだが、ここは引きさがろう。

二兎追うものは一兎をも得ず。ベルには、いずれまた『キルト』として会いに行けば良い。

 

ひとまずベートの見ている方に視線を移すと、ベルと共に戦っていた冒険者達が騒いでいた。

 

「チキショウ、肩がイカレやがった!馬鹿力め!おまけに鋼板貼り直したばっかの盾までぶっ壊しやがって!」

 

「お疲れ〜、こっちは槍がポッキリだにゃ!せっかく新調したのに、トホホ」

 

敵意(ヘイト)を取ってもらったおかげで、こちらは楽させてもらいましたね」

 

半ばから拉げた盾を構えて大量の汗を流すヒューマンの男に、穂先の欠けた槍を持つ獣人の女、 そして彼らに守られながら黒い石弓を携えた小柄な女性には、なんとなく見覚えがあった。

激しく疲労しているようだが、命にかかわる傷はなさそうだ。ベルの傷が一番重いくらいだろう。

 

ヒューマンの男は三十路前後。

二メートル近い長身に、面の開いた兜を被り、傷やへこみの目立つ金属鎧を着込んで、大ぶりな盾を携えている。典型的なタンクだ。

盾は所々破壊されており、表面に張られた金属は拉げ、木目がのぞいている。武器は持っていない。いや、半ばからへし折れた鉄製の剣が近場にうち捨てられている。おそらく、この男の物だろう。

面長の容貌に焦げ茶色の頭髪を中途半端に伸ばし、鎧からのぞく麻のシャツはよれていて汗で変色しているし、若いが無精ひげを生やしている。

身なりは典型的な中堅冒険者のそれで、身だしなみがだらしなく、清潔感がない。

キル子はすぐに興味をなくした。趣味ではないからだ。

 

後の二人は女だったが、キル子は大いに興味を持って彼女らを観察した。

万が一、ベルをたぶらかす泥棒猫なら、不幸な事故が起きるかもしれない。ダンジョンは危険である。

 

一人は獣人の女だ。短い赤毛の髪の合間から、猫科の獣の耳がのぞいている。

ゆるい笑顔を浮かべながら、ピクピクと耳を揺らす仕草には愛嬌があった。

スレンダーな体躯に軽装の革鎧を纏い、半ばから折れた長物の柄を杖のようにして、内股座りにへたり込んでいる。

革鎧は動きやすさを重視しているためか、胴と胸を覆い、下はミニスカートのように半ばから途切れている。その下に部分的にハードレザーで補強した脚絆を付けているのだが、革鎧と脚絆の隙間から真っ赤な下着がのぞいていた。

……この女、あれか、私のベルを誘惑する気だな。地獄送りだクソが!と、キル子は柔らかな微笑みを維持したまま、心の中でギルティを下した。

 

もう一人は小柄な体躯の少女で、どこかで見たような黒い石弓を携え、フード付きのマントを目深に被っている。

フードのせいで顔はうかがえないが、常時【死神の目】を発動しているキル子に正体を隠すことなどできない。

そのユニークネームは……リリルカ・アーデ。

HP量からして、レベルにして10前後はあるだろうか。最後に会った時より、かなり増えている。

 

そういえば神酒(ソーマ)の販売をリリルカに丸投げしてからこちら、何かと忙しなかったので放置したままだった。そろそろ連絡をとろうかと考えていた頃合いだが、結局、リリルカはどこぞのファミリアに入り直して、冒険者として身を立てることにしたらしい。

キル子が与えた装備を使っているので、野伏(レンジャー)弓職(アーチャー)としてはそこそこ働けるし、見たところパーティの司令塔もやれている。後ろから戦場を俯瞰できる後方火力がリーダーを兼務するのは良くあることだが、まさかベルとパーティを組んでいようとは……リリルカ、恐ろしい子!!

事と次第によっては、尋問(OHANASHI)する必要があるだろう。

 

「これは、ずいぶんと大物を討ち取られましたね」

 

そんな内心は微塵も表に出さず、キル子は何気ない様子で彼らに話しかけた。

 

「うお!って、ロキ・ファミリアじゃねえか?!なんだなんだ?!」

 

ヒューマンの男は、ようやくこちらに気が付いたようで、ロキ・ファミリアの精鋭を前にして、目を白黒させている。

 

「ありゃ、ロキ・ファミリア?遠征かにゃ?でも、冒険者には見えないのもいるようにゃあ…?」

 

獣人の女は、華やかな着物姿のキル子や、その従者達を訝しげに眺めた。

僅かに瞳孔が縦に裂けた獣特有の瞳の先は、人間種に擬態し、その上で地道に整えられたキル子の玉の肌に向けられている。細く白い手、綺麗に整えられた艶のある髪、シミひとつない肌を見て、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

まあ、気持ちはわかるw(愉悦)。女冒険者は体を張る職業の為か、一般女性に比べて大なり小なり肌荒れが多いのだ。

 

「ああ、気にしないでくれ。お察しの通り、遠征に向かう途中さ」

 

フィンが笑顔を浮かべながらリリルカの前に出た。

 

「…?何ですか?」

 

フィンは興味深そうに眺めた後、おもむろにリリルカが目深に被っていたフードを脱がせる。

 

「な、何を…?!」

 

顔が露わになり、リリルカは驚いたように目を見張った。

 

「やはり、君は同族(パルゥム)か」

 

「え?……ええ」

 

「僕はフィン・ディムナ。ロキ・ファミリアの団長を務めている。君の名前を教えてくれないかな?」

 

「フィン?!……し、失礼しましたっ!!り、リリはヘスティア・ファミリアの、リリルカ・アーデと申します!」

 

途端に態度を変えるリリルカ。フィンは小人族の間で英雄視されているらしいから、そのためだろう。

 

「うん、よろしくね」

 

フィンは朗らかに微笑んだ。リリルカも顔を赤くしている。初々しいなぁ。

 

ああ、これはアレだ。

キル子はピンと来た。恋はいつでもハリケーンなのだ。少々惜しいが、腹黒ショタはリリルカに譲るとしよう。

いつの間にかヘスティア・ファミリアに入っていたようだが、ベルくんからは手を引くのだリリルカよ。

 

キル子と同じ結論に至ったのか、アマゾネス姉妹の巨乳の方が、ムスッとした顔でリリルカを睨んでいる。こちらもこちらで分かりやすい。頑張れ!

当のリリルカ本人は、間近でフィンに迫られて、それどころではなさそうだ。

 

お見合い状態に突入した二人(プラス1)はさておき、獣人の小娘(アンジェリカ)金髪の小娘(アイズ)の膝で寝息を立てるベルの顔を、心配そうに覗き込んだ。

 

「今更ですけどベルっち、死んでないかにゃ?」

 

「大丈夫、今は疲れて寝てるだけ」

 

その位置だと、ベルが目を覚ませばあやつの下着がバッチリ見えてしまう。あざとい。クソが!

 

キル子は涼しげな笑みを浮かべつつも、額に青筋を立てた。

 

「ホホホ……ベル様、と仰られるのですね。やはり、この方は怪物祭でご活躍されたという、評判のベル・クラネル様でございましょうか?」

 

怪物祭では一般市民の目の前で大立ち回りをした為か、ロキ・ファミリアの第一級冒険者や『キルト』に並び、ベルの名前も市中ではそこそこ噂話に上がっている。

 

「ああ〜。多分、そのベル・クラネルにゃ。やっぱ、ベルっちは名前が知られてるにゃあ。一応、あたしらも、あの時いたんだけどね」

 

獣人女が少しだけ残念そうに頭をポリポリかいた。

 

「仕方ねーだろ。結局、キルトの姐御があの場に居なけりゃ、俺たちみんな御陀仏だったんだ。しかも、お零れとはいえ、ランクアップまで……姐御ぉ、どこいっちまったんだよぉ……!」

 

ヒューマンの男が急に情け無い声を出して、その場にへたり込んだ。

 

「そりゃまあ、あんだけ騒がれたら出ていきにくいだろうにゃあ。うちの主神様も見かけたら連れて来いって、うるさいし……」

 

察するにこの連中は、怪物祭の時にキルトに扮したキル子が唆して、ソーマ・ファミリアの拠点まで連れて行き、目撃者に仕立て上げた下級冒険者のようだ。

 

そう言えば見たことがある気もするが、基本的にキル子は趣味でない男など記憶に残らないので、自信がない。

 

「皆様はパーティを組んでおられるのですね。見たところ、ファミリアはバラバラのご様子ですが…?」

 

「そうだにゃ。あたしはヘルメス・ファミリア、このバカはガネーシャ・ファミリア、ベルっちとリリっちはへ……へ……?ジャガ丸くんの屋台の神様のとこだにゃ」

 

哀れヘスティア、名前も覚えてもらってないらしい。

 

「多分、お姉さんも知ってるだろうけど、あの怪物祭で討伐に参加した下級冒険者は、みんなレベルが上がったにゃ」

 

ああ、そう言えばノリで奮発して、経験値取得増加の課金アイテムを使ったからなぁ。

 

「それは良かったんだけど、あたしらみんな上手いことやったって、古参連中からやっかまれてハブにされたのにゃ。だから、こうしてハブにされた者同士でパーティ組んでるってわけにゃ」

 

なるほど。何処に行っても職場の人間関係というのは世の常らしい。身に覚えがありすぎる。

 

「まあ、リリっちは事情が別だけどにゃ」

 

その一言に、フィンが訝しげな表情を浮かべてリリルカを見た。

 

「どういうことだい?」

 

リリルカは、少し迷うそぶりを見せたが、ややあってから口を開いた。

 

「……リリは元ソーマ・ファミリアですから。色々と悪い噂が出回って、元ソーマ・ファミリアの団員を受け入れてくれる所は、なかなかありません……」

 

それでヘスティアのところに入ったか。

あの面倒見のいいお人好しなら、リリルカを見捨てる真似はすまい。

 

「ていうか、あんたもロキ・ファミリアなのかにゃ?見ない顔だし、そんな格好だし?」

 

露骨に怪しげなものを見る視線の小娘に、キル子は手を差し出した。

 

「私はキル子と申します。お察しの通り、冒険者ではありませんが、よろしくお願い致します」

 

「あたしはアンジェリカ、ヘルメス・ファミリアの所属だにゃ」

 

差し出した右手を無視して、こちらを探るような目で見るアンジェリカ。チッ……この女、惚けた様子だが、なかなか勘が鋭い。

 

「冒険者じゃないにゃ?」

 

「ええ、見ての通りの道楽者の遊び人ですよ」

 

アンジェリカの隣で、リリルカもまたジト目でキル子を眺めている。

視線の先はキル子が身に着けている桜柄の小袖や漆塗りの下駄、金銀細工の簪や耳飾り、指輪など。これは、売ったら幾らになるか見定める、盗っ人の目だ。

 

……500万ヴァリス……いや素材がいい、もう少し上かな……?

 

ボソッと呟く。流石、目の付け所が違う。

かなりの小声だが、キル子の聞き耳スキルは聞き逃さない。

 

「……冒険者でもない人が、こんな階層まで何しに来たんですか?」

 

ハッキリとした遠慮会釈ない物言いである。

 

キル子は苦笑した。

なるほど、リリルカにとっての恩人である『キルト』として接するのではないのだから、この態度も仕方なかろう。

とはいえ、出会ったばかりの頃の、饐えた目で値踏みするようにこちらを窺っていた彼女よりは、こちらの方がまだマシだ。

あるいは、これが彼女の生来培ってきた素の性格なのかもしれない。

 

「ぶっちゃけた話をさせて頂きますと、18階層のリヴィラの町に、趣味の店を開こうと考えておりましてね」

 

「趣味…?」

 

リリルカはおろか、獣人の娘もヒューマンの男も、何やら不可解そうな顔をしている。

 

「ええ、そこで大枚払ってロキ・ファミリアの遠征に同行させて頂いている最中なのです。趣向品に日用品、武器に防具に、その他諸々。開店の折には、是非お立ち寄りくださいませ」

 

キル子は優雅に一礼した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョン18階層、迷宮の楽園(アンダーリゾート)

ダンジョンに幾つか存在するモンスターのほぼ出現しない安全地帯(セーフティポイント)の一つである。

 

この階層は巨大な一個の空間になっていて、天井が水晶で埋め尽くされ、そこから光が降り注いでいるため、魔石灯が必要ないくらい明るい。

不思議なことに光は外界の日の運行に連動して、ここにも昼夜が存在しているという。夜の合間も仄かに発光していて、それは幻想的な光景が見られるそうだ。

その下は至る所に大小無数の湖沼が存在する森林地帯で、モンスターは滅多に現れず、小動物が溢れている。

 

それなりの広さのある階層の東部には、高さにして数百メドルはあろうかという高台が存在し、その上にリヴィラの町はある。

 

リヴィラはこの階層に到達可能な冒険者によって作られた町だ。

直下に大きめの湖が広がっているので水の補給には事欠かないが、それ以外は何もかも不自由する所である。

酒場も飯屋も武器や道具を売る店も、一通りそろってはいるが、売られている物がすべて非常に高額なのだ。あらゆる物が地上の10倍から100倍は当たり前、しかし、それなりに需要はあり、ダンジョンでの補給の厳しさを物語っている。

 

その町の片隅、断崖に面した一角に、瀟洒なログハウスが出現していた。

 

切り出してきたばかりのような真新しい丸太が組み合わせられた壁材は、木のぬくもりが感じられ、出窓には白いレースのカーテン。屋根はモスグリーンに塗られ、玄関周りの広々としたサンデッキには、揺り椅子が置かれている。

地上で見かけたなら、ちょっとした小金持ちの別荘かと思う程度の作りだが、それがここリヴィラにあるとなるとなると、話が違う。

 

リヴィラの町は危険である。モンスターが比較的出現しづらい安全地帯とはいえ、まったく出現しないわけではないし、モンスターに襲われないという意味でもない。過去300回以上も破壊され、そのたびに再建されてきた。

そのためか、リヴィラの建物はどれも掘っ立て小屋に毛が生えたようなものばかりで、いざとなればすぐ再建できるように簡素な作りになっている。

そこにいきなり出現した、キチンとした職人の手によって作られたであろう建物は、住人達の目を引いていた。

 

つい昨日までは何も無かった筈の場所に、いきなり一軒家が出現していれば 誰だって驚くし、興味を持たれても仕方がない。

しかも、煙突からは香辛料をふんだんに使った料理の、なんともいえない良い匂いが漂ってきていて、 保存食ばかりの簡素な食事しかしていないリヴィラの住人の胃袋を刺激する。

匂いにつられて、今にも押しかけそうな様子のガラの悪い冒険者もいたが、ログハウスに近づくと、揃って踵を返して、遠巻きに見守るのだった。

 

「何か用?」

 

サンデッキの揺り椅子に寝そべり、昼寝を楽しんでいた人物は、人が近づく物音に反応して目を覚ますと、声をかけた。

 

「あ、大切断(アマゾン)!!てことは、これはロキ・ファミリアの……?!」

 

「うちの遠征隊なら、今日はここに泊まってるよ〜」

 

「し、失礼しました!」

 

冒険者が踵を返して去るのを見届けると、ティオナは再び昼寝に戻った。天井から注ぐ水晶の光はやや陰り、そろそろ日が落ちる頃合いだ。

お腹はいっぱいで、柔らかなクッションが気持ちよく、眠気を誘う。

 

ロキ・ファミリアの遠征隊は、9階層で出会った冒険者達と別れた後、予定通り18階層のリヴィラで宿営していた。

別れ際に、アイズが後ろ髪を引かれたように白髪頭の冒険者を見送っていたので、気になって聞いてみたら、ひと月ほど前に遠征帰りにミノタウロスに出くわし、上層へ逃がしてしまった時に、襲われていたのを助けた子らしい。

ティオナもその話はベートが酒場で吹聴していたので知っている。

以来、縁があるらしく、今回の遠征に出発するまでの間、密かに彼に訓練をつけていたのだそうだ。すわ、アイズにも春が来たかと、姉と一緒に盛り上がった。それをベートが面白くなさそうに見ていたが、何も言わなかった。おそらく、あのキルコという女性が近くにいるからだろう。あちらはあちらで、なかなか見ていて面白い。

ちなみに、今日の宿と食事を提供したのも、キルコである。

 

先程堪能した料理は実に美味しかった。

出された料理はどれも、まるでオラリオの料理店からそのまま出前でもされてきたかのように美味だった。

酒も飲み口軽く、酔い軽く、それでいて腹の底からキューっと温まる代物。一度飲んだことのある神酒(ソーマ)に似ていた気もするが、あれは最近やたらと高いので、流石にそんなはずはないだろう。

いずれもリヴィラにしては安価な価格で、町の住人にも振舞われるというが、評判になるに違いない。

 

「ティオナ、そろそろ始まるわよ」

 

「はーい!」

 

戸口から顔を出した姉に声を掛けられ、ティオナは揺り椅子から起き上がる。チリンチリンとドアベルを鳴らして、扉を潜った。

 

「これなら天幕いらなかったね」

 

「まあね。でも、まさかこんな事になるなんて想像もしてなかったじゃない。団長も驚いてたわ」

 

ログハウスの中は、外見からは想像もできないほどの広さがあった。

 

玄関から続くホールには柔らかな絨毯が敷かれ、いくつものソファが置かれていたのだが、今はそれは片付けられて、無数の木箱や麻袋が置かれている。

その合間をサポーターとして遠征に同行したメンバーが動き回り、深層への突入に必要となる物資を詰め替えていた。

 

奥にはいくつもの部屋があり、男女分かれた相部屋にすれば、遠征隊全員が寝泊まりできるだけのスペースがある。

流石にベッドの数は足りないため、半数は寝袋を使うが、キチンとした床の上に寝られるというのは、体力回復の観点からありがたかった。

さらに風呂やトイレ、キッチンに宿堂まで設備が整っていて、至れり尽くせりだ。

 

いずれ此処は商店として機能させるという話である。

主に扱うのは、リヴィラでは非常に高騰しやすい食料品や嗜好品。しばらくは町の品揃えや価格を見て、商品の出し方を決めるらしい。もちろん、素材や魔石の買取も行うという。

ロキ・ファミリアの遠征の際には、宿屋として部屋を提供するのも吝かではないとのことで、代わりに彼らはロキ・ファミリアの後ろ盾とお墨付きを受け取る。

実際、この町を仕切る顔役のボールス・エルダーという眼帯をした中年男に、フィンが口を利くとすぐに出店の許可が得られた。ボールスはもみ手をせんばかりだった。

 

姉妹が先程まで宴会を楽しんでいた食堂に入ると、そこはすでにあらかた片付けられ、地図や書類が広げられて、打ち合わせの準備が整えられつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見かけと容積がまるで違う。いったいどうなっているんだ?!」

 

大きな机の片隅で、発狂しそうな様子で頭を抱えているのは、ロキ・ファミリアの最高幹部であり、オラリオ最高位の魔法使いであるエルフ、リヴェリア・リヨス・アールヴ。

いつもの如才無いクールなキャラが見る影もない。

 

「そう言われましても、私らにしてみれば、これはこういうものでして。何度も言いましたが、作り方だの原理だの聞かれても私らには分かりませんよ。これは買ったものですから。あ、そこの台拭き取ってくれますか、リヴェリア様」

 

エプロン姿のキル子は、茫然自失のリヴェリアが差し出した布巾で、大テーブルの上の食べカスを拭った。

なお、このテーブルはグリーンシークレットハウスに備え付けの備品ではなく、オラリオで買い求めたもので、中々お高かった。

 

実際、キル子は辟易している。

先刻、設置したばかりのグリーンシークレットハウスに案内した際には、他のロキ・ファミリアの団員同様、目を飛び出さんばかりにして驚かれた。

その後、リヴェリアに質問責めにあったために、食事の準備が遅れてしまった。どうやら、このエルフの女は所謂魔法ヲタクらしい。

もちろん、キル子はその人物が、オラリオ最高の魔法使いであることなど知らなかった。いい男ならともかく、美人などはみんな敵、争奪戦の競争相手である。

 

「よし、と。ああ、ありがとう」

 

キル子はトビカトウの差し出した手に、空のサラダボウルを渡した。

レベルにして80を超えるニンジャ系職業の童女型傭兵NPCは、キル子と揃いの白いエプロンを着用して、食事の後片付けに勤しんでいる。同じレベルの老人型NPCであるカシンコジは、洗い場で皿を片してもらっている。

 

なお、先程ロキ・ファミリアに振る舞った料理は、2拠点間を転移回廊で結ぶことのできる転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)で地上から取り寄せたものだ。

こればかりは流石のキル子にも、表沙汰になると悪影響が大きいことがわかっていたので、ロキ・ファミリアの面々にも秘密にせざるを得ない。

 

料理スキルを持たないガチビルドのキル子は、料理に関する凡ゆる行為が、自動的に失敗(ファンブル)する。

実際、肉を焼く程度のこともできなかった。実験した時に出来上がったのは、炭状態の黒焦げ肉。肉を焼き始めてからの記憶すら漠然として覚えていない。ゾッとする体験だった。

キル子達ユグドラシルの法則の影響下にある存在は、専用のスキルを持たなければ、その程度のことすら出来ないのだ。

 

そこで、拠点にしている市内のグリーンシークレットハウス限定エディションから、その防衛のために置いている傭兵NPCに命じて、料理や惣菜を購入したり、調達させて、こうやって運び込んでいた。

 

やがて机の上をすっかり綺麗にして、人数分のお茶を配ると、キル子はペコリとお辞儀して、その場を辞する。従者達も、キル子の後に続いた。

 

「さて、では最後の打ち合わせを始めよう」

 

これからは、ロキ・ファミリアの遠征に関する、大事な仕事の時間。部外者のキル子が関わるべきではない。少なくとも、そのポーズは大事だ。

そこは一線を引かなければ。良い女は引き際もわきまえているものなのだから。

 

だから、一言。

 

部屋を出る際、扉の横の壁に背をついていたベートにのみ分かるように、キル子は囁いた。

 

「お早いお帰りを、お待ちしております」

 

まあ、隠れて付いて行く気は、満々だったが。

 

 

 

 

 




中途半端ですがキリが良いところで投稿。


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第13話

おかっぱ頭の女の子が、赤い何かを持ちながら、奇妙なお歌を歌っている。

 

 

 

ひぃ ふぅ みの よ

 

天神さぁまの細道よぉりも、こぉわい御店(おたな)を見ぃつけた

 

人も魔物も食い散らかした、道楽者の放蕩娘

 

無頼の町のすみっこで、首を並べてご満悦

 

今日はいくつの首をとる?

 

いつ むぅ なな やぁ ここのつ とぉ

 

 

 

歌の終わりに、ぽーんと、ソレを放り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その店は、リヴィラの町の片隅にポツンと建っていた。

 

掘っ建て小屋に毛が生えたような平屋の目立つリヴィラにあって、切り出してきたばかりの丸太を組み合わせたような新築のログハウスは実際よく目立つ。

その戸口周りのサンデッキには、『OPEN』と書かれた木板の看板が立てかけられていた。

その隣にはオラリオでは誰も読めない文字で『ナザリック』と、書き殴られた小さな木板が一枚。

 

その店に、今、一人の男が訪れる。

男は洗い晒しの麻のシャツの上から革鎧、カーキ色のスボン、腰には剣を佩いていた。典型的な冒険者の身なりだ。

無精髭をポリポリとかきながら、小ぶりな暖簾が下された板戸をくぐると、中は驚くほど広い作りになっていて、所狭しと商品が積まれている。

部屋の奥は小ぶりなバーカウンターになっていて、壁際は大小無数の酒瓶が並べられた棚があり、昼間は商店、夜には酒と料理を出しているという。

 

カウンターの奥には揺り椅子が置かれ、そこに腰掛けて東洋風のドレスに身を包んだ店主と思しき女が、布巾でグラスを磨いていた。

客の姿を目にとめると、手にしかけていた煙管を傍らの煙草盆に戻し、椅子から降りて頭を下げる。

 

女が椅子から降りた瞬間、何処からか「ぐぇっ!」と首を絞められた鶏めいた呻き声が聞こえたような気がしたので男は首をひねったが、恐らく気のせいだろう。

 

「いらっしゃいませ」

 

女が深々とアイサツすると、白梅香のよい香りが漂って来たので、男は思わず鼻の下を伸ばした。

 

この階層に来ることのできる女冒険者など、どいつもこいつも肌は荒れ放題、髪はボサボサ、おまけに態度もガサツで、とても食指が動かないのだが、この女はまるで花街の娼婦のようだった。

髪は丁寧に手入れされて艶があり、肌は白く美しく、仕草ひとつにも品があり、匂い立つような色香がある。

 

男は思わず舌舐めずりをした。

瀟洒な店の佇まいがリヴィラに似つかわしくなければ、店員もまたリヴィラには似つかわしくない。

もちろん、どちらも良い意味で、だが。

 

「この町にしては随分と奇妙な……いや、小綺麗な店を見かけてね。ふらりと立ち寄らせてもらったぜ」

 

「はい、先日店を開いたばかりでして。どうぞ、ゆるりとご覧ください」

 

男はヘラリと笑うと、うずたかく積まれた商品の山を眺めた。

 

半数は食料品だ。 乾麺や乾燥豆、干し肉、あるいはナッツ等といった保存食はリヴィラでも珍しくはないが、それに混じって瑞々しい野菜や肉や魚の燻製等といった、日持ちの限られる食品が大量に並べられている。

重くかさばるので持ち込むのが一苦労の瓶詰め等も、豊富にある。

 

何より目を引くのは嗜好品の充実ぶりだ。

当然というべきか、冒険者に無くてはならない酒類は言うに及ばず、菓子や煙草、書籍や新聞紙までそろっている。

男がチラリと適当な雑誌の日付を確かめると、つい先日発売されたばかりの号数だ。

 

菓子が大量にあるのは悪くない。冒険者にとっては必需品だ。

どこからモンスターが出現して襲われるかわからないダンジョンでは、すぐに口に入れられてカロリーを補える菓子は重宝される。

ビスケットなどは味が良く保存が利くので、乾パン代わりに愛用する冒険者は多いし、疲労しているときには甘みの強い飴玉や砂糖菓子が好まれる。

 

煙草の種類の多さにも、目を見張るものがある。

常に緊張感を強いられ、楽しみの限られるダンジョンでは、愛煙家は一定量いるものだ。

軽めのライトからきつめのメンソール、フルーツやバニラ、ミントなどのフレーバー。葉の刻み方も煙管用だけにとどまらず、葉巻に細巻き等も取りそろえ、安い紙巻きすら豊富な種類があった。

デメテル・ファミリアの専用農場から仕入れてきたらしく、いずれの商品にもファミリアのエンブレムが輝いている。

カウンターに置かれた煙草盆からは甘いバニラミントの香りが漂ってきているので、あるいはこの品揃えは女の趣味なのかもしれないと男は思った。

 

値札に書かれた数字は、さすがに地上とは比べものにならないが、リヴィラにしては随分と良心的だ。

これだけの品を揃えてみせたのは実際、大したものだ。これなら“上がり”もたんまりと期待できる。

 

「すまねえな、ちょっといいかい?」

 

「はいはい、何を差し上げましょう」

 

恐らく店主と思しきこの女は単なる雇われ人で、仕掛けたのは外の商人か何かだろうと男は睨んでいる。

確かにこれだけの店をリヴィラに用意してみせた手腕はキチガイじみているが、正直、アホだとしか思えない。

こんな手弱女を店番に置いておくなんて、町の仕組みのわかっていない素人だ。

 

この階層に来られる冒険者となると最低でもLv.2以上、どいつもこいつも荒くれ者の腕自慢で、ついでに言えばガラも悪い。

こんなあからさまに美味そうな商売をしている店を、放っておく筈がないのだ。

この店の連中が町に来る時には、ロキ・ファミリアを護衛として伴っていたらしいが、奴らだって四六時中リヴィラに張り付いているわけじゃない。遠征隊が数日前に出発したのは確認済みだ。

なら、鬼の居ぬ間に美味そうなところは頂くだけ。早い者勝ちだ。ロキ・ファミリアの名を恐れて様子見を決め込んでいるチキンに先んじて、うまい果実は独占するに限る。

 

「なかなか景気が良さそうじゃねーか」

 

「ええ、この町の皆さまには開店以来、良い商売をさせて頂いています」

 

着物の袖で口元を隠し、柔らかく微笑む女に、男は一転して凄みのある顔つきをした。

 

「そうかい。だがよ、リヴィラに店を出すんなら、ウチらに一声かけてもらうのが筋ってもんなんだぜ!!」

 

いきなり怒鳴りつけられた女は、キョトンとした顔をした。

 

「それが今の今まで挨拶もナシじゃねえか!!どうなってやがるんだ?!あぁん!!」

 

「……こちらはボールス・エルダー様に、事前にご許可を頂いているのですがね」

 

女は呆れたようにカウンターの上の煙草盆から煙管を手繰ると、一口吸って白い煙を吐き出した。度胸はあるらしい。

 

「へいへいへい、 ボールスの野郎なんざ、単なるこの町の表の顔さ。俺こそ裏の顔、真の纏め役ってやつなんだぜ!」

 

実際には男はLv.2で足踏みしているチンピラで、Lv.3にして顔役を任されているボールスあたりに嗅ぎつけられたら、とても敵うわけはない。

 

「はあ、左様ですか」

 

女は不愉快そうに眉を曇らせた。憂いた顔も悪くはない。

 

「つーわけでな、まずは手付けに100万ヴァリス、都合してもらおうかい」

 

下卑た笑みを浮かべながら、男は女の胸元に手を伸ばす。

もちろん100万なんて金額が出せないのは織り込み済みだ。難癖をつけて適当に押し倒し、コマしてしまえばいい。女なんてのは、それでどうとでもなる。

 

「なんだったら、あんたの体で払ってもらってもいいぜぇ?」

 

その手が女に触れるか触れないかという瞬間。

 

「薄汚い口を閉じろ、下衆」

 

女は手にした煙管で、男の首筋を小突いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、今日だけでも三組めだ。まさかこんなにアホが多いなんて、少し早まったかしら…?」

 

キル子はやさぐれた顔で、スパスパと白い煙を吐き出した。

女が煙草を呑むのを嫌う人間もいるので、ロキ・ファミリアが遠征に出るまでは自重していたのだが、さすがに今の気分では煙草なしではやっていられない。

 

その足元には首をへし折られた男がビクビクと呻いている。

【死神の目】で見たHP量からしてレベル10の半ば、オラリオ換算でLv.2といった所だろう。雑魚にもほどがある。

ほんの軽く、蟻をつまむ程度の力しか込めてはいなかったが、男の首は軽い音を立ててひしゃげていた。店の中を血で汚したくなかったので、その程度で済ませたが、さもなければ首を落としている。

麻痺(パラライズ)〉の状態異常もついでに食らわせているので、しばらく起き上がることはないだろう。

カウンターの裏、客からは見えない揺り椅子の足下には、二人ばかり冒険者風の小汚い身なりをした男が、同じように声も出せずにうめいていた。

このバカと同じく、いきなり無遠慮にやってきて、商品を床にぶちまけた挙げ句、『用心棒代』を請求してきた連中である。

 

開店以来、連日のように客が訪れ、少なくない商いをしたが、同時にこの手の連中まで押しかけてきた。

こんな面倒事まで舞い込むのなら店なんぞ出さずに、単なる別荘にしておけば良かったと後悔しているあたり、やはり自分は商人には向いていないらしいとキル子は思った。

 

パンパンと手を叩くと、姿を消していたトビカトウが【不可知化(アンノウアブル)】のスキルを解除して、その場に現れる。

 

「これ、裏の崖からポイしておいてね」

 

「あい」

 

湖の魚達が綺麗にしてくれるだろう。ここ数日、餌が大量に投げ入れられたので、肥え太っているかもしれない。

 

トビカトウがバカを引きずって出て行くと、キル子はお気に入りの揺り椅子に座り、壁際に置かれている姿見に視線を移した。

遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)』。ユグドラシルではタウンなどの混雑しそうな場所を覗き見て、買い物がしやすい時間帯を見計らう時に使う程度のアイテムだ。

しかし、こちらでは迷宮の中からでも外の風景をたやすく映し出すことを可能とするアイテムへと変化している。情報系魔法への対策が甘いので、ユグドラシル時代にはほとんど利用しなかったが、キル子の《千里眼/クレヤボヤンス》の魔法よりは視認距離が上なので、腰を据えてのぞき見したいときには重宝する。音が拾えないのがネックだが、いざとなれば使い魔を放てばよい。

 

キル子は暇なときにこれをテレビ感覚で使い、オラリオの演劇や音楽などをタダ見していた。

標的の印(ターゲットサイン)】を貼り付けた対象を監視することもできるので、お気に入りの男子は適宜要チェックである。

 

特に、ここ数日はロキ・ファミリアの遠征隊の動向を探るのに、威力を発揮していた。

彼らはそろそろ五十階層の半ばに到達した頃合い。こちらも駆けつける準備をしておいた方がいいだろう。

 

「さて、ベート様はどのあたりまで進んだかな…?」

 

いそいそとボーイズチェックに戻ろうとしたとき、再びチリンチリンとドアベルが鳴り、キル子は思わず顔をしかめた。

 

「よお、景気がよさそうじゃねえか」

 

ニヤニヤと笑いながら入ってきたのは、片目に眼帯をした四十過ぎの中年男。ボールス・エルダー、このリヴィラの町の顔役だ。

 

先程、同じ台詞を言ったバカがいたなと思いながら、キル子は笑顔を取り繕った。

 

「これはボールスの旦那。ようこそおいでくださいました。何かご入り用で?」

 

この男はフィンを伴って出店の許可を貰いにいった時以来、何かとキル子の店の様子を見に来るのだ。

 

ちなみに本業は荷物の保管所を経営しているという話である。冒険者も中堅以上になると、リヴィラを起点に何日かかけて下層へトライすることも珍しくなく、魔石やドロップ品の保管を引き受ける保管所は、そこそこ需要があるのだとか。

 

「なぁに、フィンの野郎に口利きされたとはいえ、ここに店を出す許可を出したのは俺だ。一応、様子を見に来てるだけさ。この町は地上よりガラの悪いのが多いからな」

 

キル子がロキ・ファミリアの関係者であることは、折を見て周知しているが、そんなことでは止まらないロクデナシもリヴィラには多い。

地上で騒ぎを起こして表を歩けなくなった挙げ句、リヴィラに入り浸りになった冒険者もいるという。

 

キル子は顔をしかめて煙管を吸い、白い煙を吐き出してから答えた。

 

「今日だけでも、花代をせびりに来たチンピラが三組も現れましたわ。わたし、そんなにカモに見られてますかね」

 

思わずため息をつきながらぼやくと、ボールスは苦笑した。

 

「まぁ、こんな品揃えのしっかりした店の主人が、あんたみたいな美人とくれば、欲をかいた連中の気持ちもわからんじゃない。だが、見てくれの良い花には毒がある。最近の若い連中には、そこんところがわかってねえ」

 

言い得て妙だ。この男、単なる小物かと思いきや、なかなか人を見る目がある。

 

「ちなみに、そのチンピラどもはどうした?」

 

「裏の崖から下にドボン、魚の餌ですよ」

 

キル子は事も無げに告げた。隠す程のことではない。

ユグドラシルの全盛期なら、一夜で三桁はいっている。それに比べれば可愛いものだ。

 

実際、ボールスも肩をすくめただけだった。

 

「それでいい。ただでさえ新顔ってのは舐められやすいからな。冒険者稼業ってのは舐められたら終わりだろう?」

 

そう言って悪党じみた顔で笑う。

 

冒険者などというのは、良く言えば自由を愛する者、悪くいえば自分勝手で身勝手な連中の集まりだ。

特に迷宮内は治外法権。どんな悪事を働こうが、それが迷宮内の出来事ならば、ギルドも動かない。

面倒ごとを避けるには自助努力あるのみ。まったくヤクザな家業である。

 

「わたしは冒険者じゃないんですがね。しごく真っ当な道楽者です」

 

「道楽者に真っ当もクソもねえだろ!」

 

ボールスは何やらツボに入ったらしく、下品に手を叩いて笑った。

 

「へへへ!……あんた、綺麗な顔してるが、色々とツテも金も腕っ節もありそうだな。他所でそうとう鳴らした口か?」

 

ボールスはキル子が身に纏う衣服や装飾品の数々、店内を彩る内装や、所狭しと積まれた商品の山を眺めて、意味ありげに薄笑いを浮かべる。その目は少しも笑っておらず、こちらを探るように見据えていた。

 

「……旦那、女の過去を詮索するのは、野暮ってもんですよ」

 

キル子は煙管を吸うと、さもうまそうに一服つけてから微笑む。

 

「ちげえねえ。だが、この町は住人の過去には寛容なんだ。他所でお尋ね者になってようが、町中で騒ぎを起こさない限りは問題にゃならねえ。それは覚えておいてくれ」

 

これは、あれだな。他所で何かやらかして逃げ込んできた犯罪者だと思われてるな。

まったく失礼な話だ。単に何処にでもいる無差別PK(プレイヤーキラー)だっただけなのに。

 

「これでも以前は、ごく普通のOLだったんですがね」

 

キル子がさも心外そうにボヤくと、ボールスは「わかった」とばかりに、おざなりに頷いた。

ダメだ、この顔はまるで信じちゃいない。

 

「リヴィラってところはな、ぶっちゃけた話、上であぶれた連中の吹き溜まりだ。馬鹿も身の程知らずも多いが、それでもいざって時は協力しなきゃならないこともある。そこさえ違えなきゃ、後は互いの商売には知らないふりをするのが、ここのルールだ」

 

リヴィラでは、特定のコミュニティに地代を払う必要は無いが、モンスターの襲撃など、町の存続に関わる有事の際には、物資や武力の提供を求められることがあるという。

まあ、このグリーンシークレットハウスの周りは、いざとなればカシンコジの幻術による結界で一時的に隔離することができる。その必要もあって、常駐要員として忍術系スキルに長けたカシンコジを、大枚叩いて呼び出したのだ。

 

「はいはい、わかってますよ。持ちつ持たれつ、でしょ?」

 

「まったくだ。世の中は、それで万事事も無し、ってな」

 

キル子が鷹揚に頷くと、ボールスも満足そうに相槌を打つ。

 

知らん振りを決め込むわけにもいかないだろう。ムラハチにされてしまう。

組織の和を過度に重んじるマッポー社会に生まれたキル子は、ムラハチの恐ろしさは身に染みている。あの恐るべき上層民、カチグミ・サラリマンですら会社内やネットにおけるムラハチを恐れたものだ。

キル子の育った孤児院の子供社会はもちろん、ハイスクールやカレッジの学校社会、マケグミ労働者や、ファック&サヨナラめいた犯罪集団においてさえ、ムラハチは脅威であり、人々の行動を縛るのである。

 

「じゃあ、またな。角の立たない程度に、うまくやってくれや」

 

そう言うと、ボールスは店を出て行った。

ついでに何か買っていけばいいものを、けち臭いと思いながらもキル子は笑顔で見送った。

 

さて、ようやくお邪魔虫がいなくなったことだし、今日はもう店仕舞いにして楽しい楽しいボーイスチェックに戻ろうかと、キル子が表の看板を『closed』に入れ替えようとした、その時だった。

コンコン、と。入り口の引き戸が控えめにノックされたので、流石のキル子もげんなりした。

 

キル子が常時張り巡らせている感知系パッシブスキルによれば、戸口の外に男が一人。さらに、店の周囲を取り巻くようにして、四人ほど曲者が隠れているつもりのようだが、キル子の感知を誤魔化せるレベルではない。

強さ的にはレベル40台から50台程だろうか。オラリオ基準ならかなり強い方だ。

いずれにしろ、情報隠蔽系の能力を使われているとも限らないので、確実に推し量るには【死神の目】で直接視認するしかない。

 

「どうぞ、開いていますよ」

 

ややあって、戸口から姿をみせたのは、なかなかの美男子である。思わず目元を緩めた。

 

小柄で細身の若い男、ブラウンの髪の合間から猫の耳が見えているので獣人、それも猫人(キャットピープル)だろう。

ベル・クラネルにも似た童顔に、ベート・ローガに通じるワイルドな雰囲気を纏ったイケメンだ。HP量からして、レベルは50台の半ばというところだ。

 

「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」

 

キル子は揉み手しながら、機嫌よくアイサツした。

背後で呆れたように主人を見ているトビカトウに、茶を出すよう指示するのも忘れない。

 

「食料品に趣向品、雑貨、衣服、もちろん武器や防具もございます。勉強させて頂きますよ」

 

もちろん勉強するのは、いい男に限る。

 

ちなみに店の目玉はヘファイストス・ファミリアで売りそびれた伝説級武装の数々である。キル子的には使えない中途半端なアイテムだが、一応、ヘファイストス直筆の鑑定書付きだ。

他にもインベントリの片隅に放置されていたPKの戦利品の中から、『ゴブリンの角笛』だとか大して害のない、適当なアーティファクトも数合わせに並べている。

 

トビカトウが盆に乗せて運んできた茶と茶菓子を客の前のカウンターに手ずから差し出したのだが、男は眉ひとつ動かさず、どこか白けた視線をキル子に向けたままだった。

 

そして、ボソリと呟く。

 

「フレイヤ様の使い、と言えばわかるな?」

 

「……はい?」

 

いや、ぜんぜん分からない。

『フレイヤ』の名前はさすがにキル子も知っている。なんでもオラリオ最強の何とかいうLv.7冒険者を筆頭に、Lv.6クラスを数多く保有するファミリアだとか。

女神フレイヤの美貌に心酔して忠誠を誓う冒険者たちにより構成されているらしく、一面識もないがリアルに逆ハーレムを作っているという時点で万死に値する。美人で美食家の女神とか死ねばいい。

 

そんな本音はともかくとして、今のところは特に何かちょっかいをかけられたわけではないので、こちらからどうこうするつもりはなかった。

アプローチされるまでは無視するつもりだったが、まさかこの店を狙っている?

 

「おっしゃっている意味が、分かりませんが?」

 

少しばかり警戒しながら、惚けてみせたキル子だが、ふと気付く。

この男、魅了系の状態異常にかかっている。それもキル子の手持ちでは解除できなさそうな特殊なやつだ。

これでは流石に見込みは薄そうな……好みのイケメンが既にツバ付きとは……うん、やっぱり美の女神とかいうのはサクッと殺しておくべきだね!

 

内心、殺意をマックスまで上げたが、顔にも態度にも少しも出さない。リアルのブラック企業勤めで鍛えられた接客スキルの賜物である。

 

「オッタルの件だ。俺としては奴が死のう生きようがどうでも良いが、あの方が気になされている。解毒か呪いの解除か、救う手段があるなら言い値で買うとの仰せだ」

 

……?おったる?

 

「ああ、無いなら無いで、俺は一向に構わんぞ」

 

男は唇を吊り上げて笑った。

いや、そんな胸にキュンキュンくるようなニヒルな笑顔を見せつけられても、困る。残念ながら記憶にございません。

 

首を傾げているキル子を見兼ねたのか、男はムッとしたように眉を顰めた。

 

「おい、さすがに都市最強と持ち上げられてる奴を知らないはずないだろ……?……いや、その顔は惚けているわけじゃなさそうだな……身長2メドルを超える短髪の猪人(ボアズ)だ。額に赤いバンダナを巻いている。奴の右手を切り落としたのは、貴様のツレだと聞いてるが……?」

 

「ああ!あのお邪魔虫のこと!」

 

キル子はようやくピンときた。正直、どうでも良い出来事だったので完全に忘れていた。

 

まさかまだ生きているとは、なかなか頑丈である。とっくに墓の下だと思ってたが……というか、今更だが、アレが噂の『猛者(おうじゃ)』だったのか……つい雑魚とか言っちゃったけど……そういや、あの腹黒ショタ笑ってたもんなぁ……

 

「どんなロクでもない毒や呪いを使ったか知らないが、奴は死にかけてるぜ」

 

詳しく話を聴くと、結局オッタルはあの後、ぶっ倒れてディアンケヒト・ファミリアの施療院に担ぎ込まれたのだそうだ。

解毒薬も万能薬(エリクサー )も通じず、呪いを解除する為の専用の魔道具まで持ち出したが、まるで効果はなかったらしい。

切断された右手から徐々に侵されて膿が溜まり、全身の筋肉が痩せ衰えて白く変色してしまったとのこと。

そこまでいくと、いつ死んでもおかしくはない。むしろ、本当によく生きてたな。

まあ、割と本気(ガチ)で仕掛けた状態異常(バッドステータス)なので、あっさり無効化されては『ユグドラシル最悪』と呼ばれたPKの沽券にかかわるが。

 

「ああ、そういう事ですか。こちらとしてもあの件はもうどうでも良いので、お助けするのは吝かではありませんが……手数料、高くつきますよ?」

 

この猫人はどうにもキル子にはなびきそうにないので、思考を切り替える。

落とし所をどうしようかと思案しつつ、試しに九桁の数学をあげてみが、相手は事も無く頷いた。

 

「一億だろうが二億だろうが、好きに持っていけ」

 

そう言って、懐から取り出したのは、ギルド発行の為替。

さすがは都市最強の名を欲しいままにするフレイヤ・ファミリア、資金も潤沢らしい。

 

「では、交渉成立ですね。こちらをお持ちください」

 

キル子はインベントリから緑色のポーション瓶を取り出すと、為替と引き換えにソレを渡した。

中身はユグドラシル産の最上位解毒薬。大抵の毒や病気系状態異常はこれで解除できるし、微量の体力回復効果もある。

ちと勿体ない気もするが、わざわざ出向いてまでガチムチの為にスキルを解除(治療)してやる気にはなれない。

 

「それと、コレもお持ち帰りくださいませ」

 

キル子がパンパンと手を叩くと、その場に二人の人影が現れた。

 

一人は覆面をした忍者服の人物。中肉中背で、体格からは男か女かわからない。その両手には一人ずつ、黒装束を着込んだ小柄な人間を抱えている。例の曲者だ。

こちらは気絶しているのか、グッタリとして動きがないが、キル子の目にはHPバーがはっきりと見えているので、命に別状はない。ヘルメット型の仮面を被っていて顔はわからなかったが、体格からは小人族(パルゥム)であることが窺える。

 

もう一人は、全身に黒衣(くろこ)の衣装を纏った人物だが、こちらも両手に一人ずつ小人族らしき黒装束を抱えている。

 

「!……ガリバー兄弟を、いともあっさり返り討ちか」

 

ハンゾウ達が差し出した黒装束の小人族を受け取ると、猫人の男は不愉快そうに舌打ちをした。

 

「この者たちを相手にするなら、せめてLv.7以上でなければ、お話にはなりませんね」

 

暗に、お前では相手にならないから帰れ、と挑発する。

 

店の周囲にはオラリオ市内の拠点と同じく、姿を消したハンゾウやフウマ達が警戒にあたっている。

いずれもレベルはトビカトウ達と同じく80台。オラリオの一般的な上級冒険者が手に負えるものではないだろう。実際、この程度の戦力なら一瞬で一網打尽である。

 

「良いだろう。……だが、あの方が命じられたなら、それが何であろうとも、俺たちは命を賭して全うする。それは覚えとけ」

 

「はいな、次は何かまっとうな買い物をお願いします」

 

つまり、キチンと取引をするつもりもあるのだと、そう告げる。

 

だが、猫人の男は手をヒラヒラさせながら、最後まで茶には手をつけず、名乗らずに去っていった。

 

やはり相手にはされないか……無理もないが……。

 

「フレイヤ・ファミリアにも探りを入れますか……ああ、面倒くさい……」

 

キル子は煙管を取り上げると、味わうように香りを楽しんだ後で、口から押し出すように煙を吐き出した。それは上に登るにつれて輪に変形し、最後は霧散して消えていく。

煙を見送った後で、キル子は魔女のように笑った。

 

「まあ、ゆるりとやりますかね……さてさて、ベート様はどうしてるかなっと♪」

 

今度こそキル子は遠隔視の鏡を起動させた。万が一、水浴びの場面に出くわしたなら役得、目の保養である。

 

だが、ウキウキとチャンネルを合わせた瞬間、目に飛び込んできたのは、巨大な炎に飲まれるロキ・ファミリアの姿だった。

 

「……?!!!」

 

キル子は思わず煙管を取り落とした。

 

鏡の向こうでは、かなり広大な空間を赤い炎の渦が嘗め尽くし、後に残ったのは巨大な一本の植物。極彩色をした無数の触手の群れが絡み合ってできているようで、見た目は生理的な嫌悪感を誘う。

キル子の目算では高さにして50メートルはあるだろうか。ナザリック第四階層の地底湖に沈めてある攻城型ゴーレム、ガルガンチュアが30メートルだったはずなので、それより大きい。

 

だが何より着目すべきは、巨木の頭頂部にくっついた、女の上半身。こいつは、おそらくアルラウネ型のモンスターだ。

その口元は何やら呪文のようなものを唱えている。先程の炎もこいつの仕業だろう。あの威力、最低でも第六位階…いや第七位階魔法クラスはあると見た。

【死神の目】に見えるユニークネームは何やらバグっているようでうまく読み取れないのだが、それより問題はHP量だ。ボスやセミボスクラスはある。

呪文詠唱者(マジックキャスター)、それもHP量が規格外のレイドモンスターだ。

 

「なんて厄介な!!」

 

思わずキル子は呻いた。

 

HP量の多いモンスターは、瞬発力と瞬間火力に特化したキル子の天敵である。何せ、頼みの綱の対プレイヤー特効も対人特効も通じない上に、首斬りや臓器討ちなどの弱点を突いた即死攻撃も受け付けないことが多い。

しかも、アレは魔法攻撃までしてくる。回避頼みで魔法防御が紙みたいなキル子にはやりにくい。

 

巨木の周囲には先の炎に飲まれ、焼け残ったロキ・ファミリアの精鋭が倒れ伏している。

それを見てキル子は冷や汗を流した。【死神の目】に見える彼らのHP量は、急激に低下している。

ベートに施した【標的の印(ターゲットサイン)】の効果はまだ消えていないので、最悪でも彼だけは無事だと信じたい。

 

「チキショウ!……全員集合、出番よ!」

 

キル子の掛け声に合わせて、この場に連れてきた全戦力が集結する。

音もなく影もなく、瞬時にその場に現れたのは、ヒューマノイドタイプの傭兵NPC、ニンジャ軍団だ。

 

「主様、御前に」

 

ハンゾウ、フウマ、カシンコジにトビカトウ。各々、5体はいる。

全員、片膝をついてこうべを垂れ、キル子の指示を待っている。

 

キル子が手持ちのユグドラシル金貨を消費して呼び出した虎の子だ。目指すはダンジョン59階層、生半可な戦力ではあのアルラウネ擬きには通じまい。切り札を使う局面である。

 

キル子はインベントリを弄ると、一本の巻物(スクロール)を取り出した。

 

「標的は巨大な植物型モンスター、しかも範囲魔法を連発してくる!触手による物理攻撃もだ!まずはロキ・ファミリアの連中を助けろ!いざとなれば彼らを連れて撤退戦に移行する!」

 

「ハハッ!承知致しました!」

 

リーダーに任命したハンゾウが、代表して頷くと全員が頭を下げた。

 

ニンジャ達は沸き立っている。少なくとも不慣れな商店の店番よりは、彼らにとってやりがいのある命令だったらしい。

だが、今のキル子にはそのことに気がつく余裕がなかった。

 

「これより《転移門/ゲート》を開く。いざという時の為に、一人残りなさい。後は私に続け!」

 

マーキングを目印にして、転移魔法の巻物(スクロール)を使用する。

 

そして門が開くと同時に、キル子は真っ先に飛び込んで行った。

 

 

 

 

 

 

 




いつも誤字報告ありがとうございます。


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第14話

ロキ・ファミリア団長、フィン・ディムナは奮起していた。

 

発端は怪物祭(フィリア)だ。祭に乱入してきた未知のモンスターの出所を、ロキ・ファミリアは独自に追っていた。

ベートとアイズが遭遇した三つ首の猛獣型モンスターについては、まるで情報を得られなかったが、極彩色の魔石を持つ植物型モンスターについては幾らか調べがついた。

 

その手掛かりを追う内に18階層のリヴィラの町で出くわした奇妙な殺人事件を皮切りに、リヴィラ自体が植物型モンスターによって襲われる事件に遭遇、さらには24階層でのモンスター異常発生事や、その最中に起きた闇派閥の介入…etcetc。

 

全てのキーを握るのは、極彩色の魔石を持つ植物型モンスター『食人花(ヴィオラス)』を操り、事態の裏で暗躍していた赤髪の女調教師(テイマー)

しかも、その女は、アイズ・ヴァレンシュタインを“アリア”と呼んだ。

 

『アリア、59階層へ行け。ちょうど面白いことになっている。お前の知りたいものがわかるぞ』

 

その言葉が、今回の遠征の発端だ。

 

虎穴に入らずんば虎子を得ず。

結果として、59階層の地を踏んだ遠征隊を待ち受けていたのは、かつて記録に記された氷河の世界ではなく、密林に覆い尽くされた大森林。

その中心部に聳え立つのは、深層に生息する巨大植物型モンスター『死体の王花(タイタン・アルム)

…否、それを依代に誕生した『穢れた精霊の分身(デミ・スピリット)』。

 

深層モンスターの強靭さに加えて、その頭頂部から生えた美しい女性型の上半身は、かつて神が地上に遣わした精霊の力を継承しているのか、極めて強力な魔法を連発してくる。

その階層全体を焼き払うほどの大魔法を受け、既に団員達は半死半生。特にファミリアの盾となって魔法を受け止めたリヴェリアとガレスに至っては虫の息だ。

 

普通なら即座に撤退して然るべき状況だった。本来なら。

 

「あの怪物を、討つ」

 

だが、フィンは敢えて吼えた。

 

唖然とした様子の団員達を見返すと、続けて言葉を重ねる。

 

「なんて事はないだろう?いつも通り、手分けして為すべきことを為す、それだけさ」

 

そう言われて彼らが思い出したのは遠征当日、通り掛かりに出会った、ミノタウロスを相手にしていた冒険者達。

彼らのステイタスでは、まともにミノタウロスの相手をするのは相当キツかっただろう。一匹だって手に余った筈だ。

だが、各人がやれる事をやって補い合い、協力し合う事で不可能を可能にした。

それこそが、冒険者だと言わんばかりに。

 

単にステイタスに任せて暴れるだけなら、モンスターと変わりはない。

協力し、連携し、助け合う。それが、冒険者の最大の武器。

 

「それとも、僕らはそんな初歩もマトモにできない大ファミリア様に、成り下がってしまったのかな?」

 

この一言は、効いた。

傷付き倒れ伏し、闘志の尽きかけていた彼らの目に、光が戻る。

 

立ち上がる仲間たちを横目に、フィンはすでに新たな魔法詠唱を始めている精霊を見上げた。

正直、無謀だと思っている。だが、他に策がない。

逃げたところで、後ろから焼かれて全滅する。生き延びるには、前に出るしかないのだ。いざとなれば、自分が盾となれば……

豪胆に笑うその裏で、フィンが悲愴な決意を決めた、その時だった。

 

突如として、穢れた精霊とロキ・ファミリアの間を遮るようにして、中空に黒い霞のようなものが展開された。

 

「なんだ、あれは?!」

 

これも新手の魔法か、それとも特殊攻撃かと身構えたフィン達だったが、直後に59階層全体に怒鳴り声が響く。

 

「わたしの男に手ェ出してんじゃねぇぞ!!!ザッケンナコラー!!」

 

意味不明な叫び声を上げながら、黒い靄の中から飛び出して来たのは、白い着物を着た女。

しかも勢いをそのままに、穢れた精霊の顔面に飛び蹴りをかました。

 

「ギャアアアアアア!!!」

 

見事な角度でクリティカルヒット。巨体を揺るがし、轟音を立てて仰向けに蹴倒してしまった。

 

「ハァッ?!」

 

ロキ・ファミリアの一同、思わずポカン。あっけに取られてしまったが、無理もない。

そんな彼らの目の前に、トンと軽い音を立てて着地したのは、もちろんキル子である。

 

「クソッタレのズベ公がよぅ…どう落とし前つけんだっコラー!!」

 

キル子はガチギレしていた。

 

せっかく見守り尽くして(ストーキング&ストーキング)きた、イケメン(ベート)。いきなり訳の分からない糞モンスターに殺されてはたまったものではない。

 

今のキル子には、いつもの取り澄ました様子は微塵もなかった。

腰まである長い黒髪を振り乱し、目は赤く充血しきっていて鋭い光に満ち、顔はハンニャめいた怒りの形相で染め上げられて実際コワイ。

着物は白い布で襷掛けしており、その手には生物の牙めいた棘をビッシリと生やした、世にも悍ましい凶悪な形状のチェーンソーじみた凶器を携えている。

フィン達の見間違いでなければ、その棘は透明な液体にまみれ、自ら意思を持っているかのようにギチギチと勝手に蠢いているのだが……なにそれこわい。

 

「ナンオラー!!楽に死ねると思うなよ!!」

 

キル子はフーフーと荒い息をつきながら、ヤクザスラングを放ちつつ、恐ろしい形相で穢れた精霊をにらみつけている。

ロキ・ファミリアの面々は、穢れた精霊に殺されかけた時よりも強い恐怖を感じて、思わず後退った。ドン引きである。こういった肌の感覚で、より強い危険を察知できるのは、上級冒険者にのし上がるまでに積み重ねた長年の経験の賜物だ。

 

顔を青ざめて後退りする他の面子はさておき、あえてキル子に声をかけようとする(おとこ)がいた。

 

「お、おい、キルコ!」

 

その名はベート・ローガ。

 

キル子に対するベートの感情は複雑だ。

あれだけ露骨にモーションをかけられていれば、流石のベートもキル子の好意に気付かない筈もなく、然りとて素直に受け止めるにはまだまだ彼は若すぎたし、男女経験にも疎かった。

それに加えて初めて出会った時、あの酒場で植え付けられた敗北感は強烈である。

とはいえ、あれだけ想いを寄せられることに関しては一人の男としての満足感もあったし、憎からず思わぬこともない。

 

思うところは在るものの多少(…いや、かなり譲歩して)の奇行・奇癖に目をつぶれば、キル子は伴侶として悪くない資質を持っている。

強さを信条とするベートにとって自分より強い女は望むところだし、相手は神の恩恵に依らない特殊な知識や数々の希少なアイテムまで持ち合わせている上に、頭も悪くない。

もちろん欠点もある。些か自らの強さをひけらかし気味なところだが、それはベートを含めた上級冒険者なら誰しも持ち合わせているものだし、鼻につくほどではない。

 

何より、一見して見境がないように見えて、その実は最低限の分別はあるのがいい。引くべきところは弁えていて、そこは一線を引いていて、出しゃばらないのは美点だ。

これならファミリアの同僚と揉めることなく上手くやれるだろう、とベートは密かに感じていた。

 

ベート自身も自分が周囲と揉め事ばかり起こしていることに自覚がないわけではなかった。

彼はロキ・ファミリアに加入する前、別のファミリアに入団していた時は今とはまるで異なる人当たりのいい好漢児で、周囲の人望を集めていた。当時を知る人物が今のベートを知れば、逆に驚かれるだろう。

その時はベート不在時に好意を寄せていた副団長の女性をダンジョンで亡くしたせいで、そのファミリアと喧嘩別れした。

それが今に至るまでのベートのトラウマであり、また強さに拘るようになった契機だ。

 

口に出したことはなかったがそんなベートにとって、殺そうとしても死ぬところが全く想像できないキル子などは、一周回って逆にありなんじゃね?と思っていたりする。

……それに美人だ。ベートだって男である。子作りする伴侶は美人にこしたことはない。

 

「おまえ、いったいどうやってここまで来たんだ…?!」

 

そんなわけで、ベートは荒ぶるハンニャめいたキル子の肩を叩いたのだが、効果は劇的だった。

 

「……ベート、様?」

 

キル子は一瞬、虚をつかれた顔をして、手にした得物を取り落とした。

次いで、インベントリから最上級グレードのユグドラシル産ポーションを取り出し、無言でベートにぶっかける。

 

「おい!冷てぇだ、ろ、が……?」

 

ベートは言葉を最後まで続けることができなかった。

キル子が目に涙を浮かべると、ベートの胸に飛び込んですがりついたのだ。そして、幼子のように泣き出す。

 

「よがっだぁ……!本当に……無事だったぁ…!」

 

胸板に頬を擦り寄せて泣くキル子をどうしたものかと、ベートは本気で途方に暮れた。

こんな風に女に泣かれた経験は、かつてない。

 

「泣くなよな……」

 

キル子の頭を抱き寄せて軽く撫でる。敏捷(AGI)ならともかく筋力(STR)はキル子の方が上であり、引き剥がそうとしたところで無理だ。

なお、抱きつかれている間、キル子が思ったよりも小柄で、なおかつ非常に豊かなボディラインをしていることに今更ながら気がつき、内心ドギマギしたのは内緒だ。

 

ダンジョン深層、それも前代未聞の強敵を前にファミリア全滅の危機から一転、何故か目の前で展開され出した王道派ラブコメ展開。

その場に出くわした者達は揃って苦笑を浮かべた。

 

長く冒険者をやっていれば、稀にある場面だ。命を張る危険な稼業、男女を問わず自然と性欲も強くなる。迷宮内でコトに及ぶ、なんてのもしばしばだ。

TPOを弁えないにも程があるが、その片割れがロキ・ファミリア一、その手のことに縁のなさそうなベートだというのが、また妙におかしかった。

 

「ベートめ……あいつも存外やるじゃないか!」

 

黒焦げで力なく横たわっていたガレスが笑いながら身を起こせば、

 

「お前の若い頃には負けるさ!」

 

リヴェリアも折れた杖に身を預けて立ち上がる。

 

「いいなぁ……私も団長と……!」

 

ティオネはティオナに肩を貸しながら、二人に羨望の眼差しを向け、

 

「ベートさんこそ本当の勇者(ブレイバー)なんじゃねっすか……!」

 

サポーターとして同行していた超凡夫(スーパーノービス)ことラウル・ノールドが、自分にはとても真似できない、と敬意を込めて軽口を叩く。

 

「まったくだ!二つ名をベートに取られかねないな!」

 

先程まで悲壮感に満ちていた団員達に、いつもの調子が戻ってきたのを見て取ると、フィンが笑いながら頷いた。

 

「さて、お二人さん。仲が良いのは結構だけど、続きはベッドの中で二人っきりで存分にどうぞ」

 

「フィン、てめぇ!」

 

「もう、フィン様ったら、嫌ですわ!」

 

顔を赤らめるベートとは裏腹に、キル子はさりげなく指を立てる。

 

「とはいえ、残念ながら今は取り込み中でね。これが終わったら……」

 

キル子のキツイ一発を受けたとはいえ、相手はこうやっている合間にも、問答無用で襲いかかってきてもおかしくない。

 

「……いや?奴め、何故動かない?!」

 

しかし、当の穢れた精霊は、倒れた姿勢から微動だにもせず、動く気配がない。

あるいは油断か慢心か、それならそれでありがたいのだが、何か様子がおかしい。

 

「というか……苦しんでないですか、あれ?」

 

フィンの視線の先に気がついたのか、ティオネが困惑したようにつぶやく。

 

「ヒッ…!ギィヒ…!オェエエ…!!」

 

穢れた精霊の急所、もしくは本体と思わしき頭頂部の女性の上半身は、苦しそうに白目を剥いてビクンビクンと小刻みに震えつつ、口元からどす黒い粘液を吹いていた。

 

(あの雑草(ぺんぺん草)め、幾らかデバフ耐性があるようだけど〈石化(ペトリファクション)〉やら〈壊死(アポトーシス)〉やら、効きそうなのを纏めて叩き込んでやったら効果抜群じゃよ……枯葉剤でも喰らいやがれダボが!……ケケケ!!)

 

キル子はベートの腕に収まって、泣いたふりで男心を刺激するあざとい作戦を敢行しつつ、ザマァと笑う。

ベートに見えないよう袖で隠した顔には、涙の跡は微塵もなし。ケロリとしたものだ。

 

「…………」

 

しかし、ベートと違って色々と経験豊富な四十路のフィンはその悪意に満ちた邪悪な笑顔を見逃してはおらず、やはりこの女の仕業らしいと確信していた。

穢れた精霊の巨体の足下に犇めく無数の触手を注意深く観察すれば、いずれも灰色や茶色に変色して立ち枯れるようにボロボロと崩れている。根腐れを起こしているのだ。 いったいどんな能力やアイテムを使ったのか、検討もつかなかった。

 

「……キルコさん、済まないが、ちょっといいかな?」

 

「はいはい、フィン様。何の御用でしょうか」

 

キル子はベートに腕を絡めて自分の男アピールしながら朗らかに応えた。

 

「色々と言いたいことも聞きたいこともあるけど、とりあえずひとつだけ。……何しに来たの?」

 

それを聞くと、キル子はニッコリと微笑む。

 

「営業活動です!後払いで結構ですので、ポーションなど如何?」

 

言うが早いか、インベントリからディアンケヒト・フィミリア謹製の万能薬(エリクサー )を取り出し、ズラリと並べてみせた。

 

ちょうど使いきりそうな勢いだったので、喉から手が出るほど欲しかったが、フィンはぐっと堪える。

 

「なるほど?そういえばリヴィラに店を出すという話だったね。……ここは59階層の未踏破領域なわけだけど」

 

ジト目のフィンを前にして、キル子は笑顔で誤魔化す。

 

「いやぁ、ちょっと散歩の最中に道に迷いまして……ところで助っ人なども御入り用ではないですか?今は開店セール中でして、大変御安くなっておりますよ」

 

もうどう突っ込んでいいやら分からずフィンは頭を抱えていたが、やがて何かを悟ったように乾いた笑いを浮かべた。

 

「言い値で雇おう」

 

それを聞くと、キル子は満足そうに頷く。

 

フィンにとって何より防ぐべきは、ファミリアの全滅。生き延びられるなら、また挑むこともできる。この相手に後ろを見せて逃げるのが不可能と見てとったからこそ、対決を決めただけだ。

 

逆に言えば、ほかに生存の可能性が高い方法があるなら、其方を選ぶのに躊躇はない。プライドなどはクソ食らえ。しかも、それが金で済むなら安いもの。

徒党のトップは吝嗇家であるに越したことはないが、同時にフィン・ディムナという男は、金の使い所を弁えている。

 

「では皆様、負傷者の回復をお急ぎくださいませ。それまでアレは、配下の者達に相手させましょう」

 

「……配下?」

 

訝しげに問い直したフィンだったが、キル子がパンパンと手を叩くと、頭上から四つの影が音もなく舞い降りた。

 

その内二人はダンジョンに潜るにあたって従者だと紹介された老人と童女。

他の二人は、いずれも全身を覆い隠すような布の衣服を着用しており、中肉中背で体格からは男か女かわからない。

 

「カシンコジとトビカトウは面識がありましたね。こちらの二人はハンゾウにフウマと申します」

 

紹介されると、彼らは軽く頭を下げた。

 

「彼らも君の従者なのかい?」

 

「そのようなものです」

 

以前、同郷者がこちらに来るかどうかわからない、などど韜晦していたくせに、次から次へとよく出てくるものだとフィンは呆れた。

だが、ひとまず戦力が増えるのは望ましいので、考えるのをやめる。

まったくこの女は、言葉は通じるのに話は通じない。

 

頭痛に耐えるフィンはさておき、ひときわ長身のハンゾウなる人物がキル子の前に進みでると、おもむろに跪いた。

 

「キル子様、委細承知に御座ります!まずは我らにお任せあれ!」

 

「やらいでか!ベート様の仇打ちよ!あの腐れビッチを薪の山にしておやり!!」

 

「「「ヨロコンデー!!!」」」

 

ニンジャ達の目にギラギラとした光が灯った。イクサのイサオシに興奮しているのだ。

 

「いや仇って、死んでねぇからな……」

 

何やらぼやいているベートはさておき、ニンジャ達は戦仕度を始めた。

 

カシンコジは作務衣を脱ぎ、その下に着込んでいたオリーブドライの忍者服を露わにすると、フルフェイスのメンポを付ける。

おかっぱ頭の童女、トビカトウも赤い着物を脱ぎ捨てて、ミニスカめいたクノイチ衣装を披露した。

ハンゾウとフウマはもとより忍装束であるが、両手の指をゴキゴキと鳴らしてヤル気をアッピルしている。

 

そして、一糸乱れず突撃した。

 

「「「ワッショイ!!」」」

 

直後、その光景を目撃した者は目を疑った。

 

「はぁ?!」

 

何せ横一列になって駆け抜ける四人の背後に、ソックリ同じ顔、同じ衣服の五つ子めいた人間が四人、計二十人にもなる集団が現れたのだから。

 

「ありゃなんだ?!」

 

「分身の術ですよ〜」

 

すっとぼけるキル子だが、実際には【不可知化】のスキルで潜んでいた同型傭兵NPC達が、スキルを解除しただけだ。

事情を知らない人間には、何か得体の知れない能力を使ったように見えただろう。

 

「近寄ヨルナ!!」

 

突如として現れたニンジャ軍団に対抗すべく、精霊は無数の食人花(ヴィオラス)をけしかけた。

うねり生えたいくつもの触手は、一本一本が鋭い牙を生やした口を備えていて、ヨダレを垂らしながらニンジャ達に殺到する。

 

「キエー!!」

 

最初に仕掛けたのは、童女めいたクノイチ、トビカトウだった。

五人横一列に並ぶと、ニンジャ特有の十字型投擲武器、スリケンを両手の指にあらん限りつかみ取り、目にも留まらぬ速度で発射。

弾切れ(アウト・オブ・アモー)など存在しないかのようにキチガイじみた弾幕を放って、食人花の群れをハチの巣に変えた。

武器攻撃を得意とするトビカトウにとって、この程度は朝飯前だ。

 

「イヤー!!」

 

続くカシンコジは、襲いかかる食人花の合間をひょいひょいと身軽に動きまわり、幻術をしかけて同士討ちをさせている。カシンコジは直接戦闘力は低いが、幻術系忍術を多く取得しているため、このような乱戦では脅威となる。

 

さらに恐るべきはハンゾウやフウマ達だ。

チマチマした小技は無用とばかりにモンスターの群れに飛び込むや、得意のカラテを叩き込んだ。

ハンゾウやフウマはカシンコジ達に比べて物理ステータスがやや高く、忍術系のスキルよりも素手戦闘を得意とするのだ。

 

「「「(フン)ッ!!()ッ!!」 」」

 

カラテシャウトを放ち、一糸乱れぬシンクロ。

ニンジャ達が繰り出したサマーソルトキックをくらい、食人花の巨体が蹴り上げられて宙に浮かぶ。

 

ギィヤァアアア!!!

 

たまらず悲鳴を上げた食人花に、間髪入れずに繰り出されたカラテチョップは容易く巨体を粉砕する。

 

さて、そんな目を疑う奮戦を繰り広げている彼らの頭目、キル子はといえば。

 

ここが勝負所よね……忍術、お色直しの術!」

 

叫ぶが早いか着込んでいた白い着物を脱ぎ払った。

 

その下から現れたのは、非常に露出の多いニンジャ装束である。……なお、何が勝負所なのかは本人のみが知るところであり、またユグドラシルの忍術系スキルに『お色直しの術』なんてのは存在しなかったりする。何よりキル子は忍者系職業は一切取得していなかった。

 

ともかく、それはレオタードじみた真っ赤なボディースーツだった。

体にピッチリとフィットしたスーツの上からは、豊満な体のラインが露わになり、さらに網タイツに包まれたスラリとした足が艶かしい。足元はヒールと一体になったブーツに包まれていてセクシー。

口元は布の面頬で覆われており、普段は背に流している髪も頭の後ろで一つに縛っていて、色白素肌のうなじが丸見えである。

 

全身をほぼくまなく覆う普段の和装とのギャップ萌えを狙い、ベートを悩殺する気満々であった。

余りにもあざとい。まさに災い転じてラブチャンス……キル子は本気でベートと、「今夜はお楽しみ」するつもりで仕留めにきている。

 

なお、見た目は痴女めいているがユグドラシルは倫理規定が厳しく、セクハラめいた猥褻装備をプレイヤーが作ることは、実際不可能である。

これこそは倫理コードにギリギリ抵触しないバランスを見極め、エロゲーマニアの某ギルメンが情熱を込めて作りあげた、“対”峙する“魔”物を屠る“忍”者の由緒正しき正装であり、引退時にキル子に半ば無理矢理譲られたまま、インベントリの奥底に放置されていたものだったりする。

 

「ドーモ、アルラウネモドキ=サン。キル子です」

 

キル子は合掌して深々とアイサツした。アイサツは大事だ。

 

対する「アルラウネ擬き」こと、穢れた精霊はようやく巨体を起こすと、眦を吊り上げてキル子を睨みつける。

根腐れした組織は触手に食い千切らせて、汚染を止めていた。

 

「オ前、ブッ殺ス!!」

 

先程まで因縁めいた意味深な台詞を吐きつつ、アイズ・ヴァレンタインを『アリア』と呼びながら執拗に襲っていたのだが、よほどキル子が憎くなったのか、既に眼中にないらしい。

 

優美な口元を醜く歪めると、大音声で再び魔法の詠唱を開始した。

 

「まずい!またアレが来る!!」

 

そう叫んだのは、ポーションのおかげで息を吹き返したオラリオ一の魔法使いにして、ロキ・ファミリアの最高幹部、リヴェリアだった。

慌てて半ばから折れた杖を構え、再度防御魔法の詠唱に取り掛かろうとしたが、魔力は既につき掛けている。精神力回復薬を口にしてはいるが、すぐに回復してくれるような便利な代物ではない。

 

打つ手なしかと歯噛みするリヴェリアの前で、キル子が薄気味悪い顔で笑った。

 

「皆さま、反撃の準備を。あのハエ取り草はわたしが黙らせます……《死神の呼び声/デッドリーコール》!!」

 

キル子の眼前に、闇色に光る魔法陣が現れた。同時に、穢れた精霊を同色の光が包み、すぐに消える。

魔法陣の方も何ら効果を発揮することなく搔き消えたように見えたので、リヴェリアは首を傾げた。

 

「おや、抵抗されたか……魔法抵抗力はそこそこあるようだから、スキルに切り替えよ。まあ、追加効果が本命なんだけどね」

 

精霊の本体ともいうべき頭頂部の女性型は詠唱を中断し、目を回したように額を押さえていた。フラフラとしていて、隙だらけだ。

 

特殊なアサシン系職業クラスのみが取得可能な第10位階魔法、《死神の呼び声/デッドリーコール》。

その効果は対象を強制的に術者の近接攻撃の射程圏内に召喚するというものだが、抵抗された場合でも〈召喚酔い〉というアンデッドにすら効果のある特殊な朦朧状態にすることができる。

うまくタイミングを合わせれば、魔法詠唱をキャンセルさせるのは容易かった。

 

ユグドラシルでは超位魔法を筆頭とするキャストタイムの長い能力は、邪魔する手段が豊富にあるのだ。

 

「今です!」

 

言うやいなや、キル子は自ら飛びかかった。

だが間一髪、壁のように盛り上がった食人花の群れに阻まれる。

 

「クタバレ!!」

 

キル子は構わず、異形のチェーンソーをギュインギュインと唸らせると、触手の群れに深い裂傷を刻んだ。

無残に食い千切られたかのような傷口は灰褐色に変色し、徐々に組織が腐り落ちていく。

 

「オラァアアア!」

 

ほぼ同時にベートが駆けた。

 

十分な助走距離から運動エネルギーの全てを乗せた蹴りは、腐った戸板を破るかのように、触手の壁を粉砕した。

その向こうに聳え立つ穢れた精霊は、ようやく〈召喚酔い〉から回復したようだった。

 

「全員、合わせろ!!」

 

そこへ、フィン、ガレス、ティオネ、ティオナ、アイズがタイミングを合わせて襲いかかる。

 

精霊は憎々しげに顔を歪めて再度魔法詠唱を開始したが、到底間に合うものではない。これで決まるかと思われたが……

 

「奴め、短文詠唱に切り替えたぞ!避けろ!」

 

見守っていたリヴェリアが叫んだ。

直後、レーザーじみた怪光線がフィン達を薙ぐ。

 

呪文詠唱を切り詰め、射程と速射性に特化した魔法。威力はさほどなく、全員が武器を盾にして防いだ為に、たいした傷は負っていない。

ただし、強いノックバックを食らって遠くに吹き飛ばされてしまった。

 

「オ前モ喰ラエ!!」

 

光線はキル子にも向けられた。

 

「ハッ!ぬるいわ!」

 

眼前に迫るそれを、キル子は鼻で笑ってやり過ごした。

この卑猥なニンジャコスチュームは、一見して実用性など考慮されていないかのようなデザインに見えるが、実は物理防御力が低い代わりに、魔法防御力は非常に高く作られている伝説級武装。

威力を落とし、第6位階程度にまで減衰した短文詠唱の攻撃魔法なら、ほぼ完封できる。

 

キル子は難しい顔をしたベートの隣に並んだ。

 

「今ので振り出しに戻されましたね」

 

「チッ…そう簡単にはやらせてくれねぇか」

 

「ええ、でもパターンはだいたい分かりました」

 

あのレーザーじみた攻撃はさほど脅威ではない。来るとわかっていれば、どうとでも対処できるだろう。

問題は、壁となって立ち塞がった触手の方だ。

 

「……本体が召喚酔いしてたのに、触手が盾になった…?…まさかこいつら全部、独立したモンスターなのか?」

 

【死神の目】を通したキル子の視界には、複数のHPバーが乱立して見えている。

おそらく無数のモンスターが入り乱れて一体になった群体なのだろう。触手の一本一本が、弱点部位である魔石とやらを持っていると見ていい。

しかも、潰しても潰しても地面からとめどなく生えてくる。

 

「つまりはアレと同類……呪われろ、るし★ふぁー!」

 

キル子はトラウマを刺激されて、嫌悪感に顔を歪ませた。

 

ナザリック大地下墳墓2階層、黒棺(ブラック・カプセル)

悪を標榜するギルドに相応しくプレイヤーに恐怖を与えるために設計された領域だが、純粋なホラーを愛したキル子やタブラ・スマラグディナとはベクトルがかなり違う。

かの領域を生み出した創造主は「主に女性プレイヤー相手に恐怖と嫌悪感とその他もろもろ精神ダメージを負わせる」をコンセプトにしていた。

 

つまりはプレイヤーが第一~第三階層までのトラップに引っかかった場合、黒くて小さくて脂ぎったアレが、隙間なくひしめき合う部屋に強制転移させるのだ。

そこに送られた大半のプレイヤーは恐怖と混乱と嫌悪感によって乱闘したり、同士討ちになったり、精神的にダメージがド辛くなったので強制ログアウトするといった阿鼻叫喚の様相を呈し、ナザリックの悪名を大いに高めた。

だが、当然のことながらキル子達、女性メンバーからの評価は最悪である。

 

推測するに、あの食虫植物擬きのモンスターは、その領域守護者として造られたNPCと同じ能力を持っている。即ち、眷属の無限召喚を。

 

「見た目がアレでないだけ、まだマシか…!」

 

食人花は強さ的にはレベル40台程度なのだが、やたらHPが多く、対人特化ビルドのキル子では連戦するのはキツイ。なにより面倒くさい。

 

「しからば、本体を潰すのが早いかな……一応、てっぺんの人型が弱点っぽいですかね?」

 

キル子のつぶやきに、ベートが頷く。

 

「ああ、魔石もあそこだと思いてぇがな……」

 

フィンも精霊から目を離さずに頷いた。

 

「あからさまに過ぎるな。でも、他に見当がつかない以上、目立つところから潰すしかない。最悪、魔法詠唱を潰すだけでもいい」

 

外見からは中に魔石があるのかどうか分からないし、あるいはダミーの可能性もある。

 

いかにも弱点ぽいビジュアルを複数用意して、プレイヤーをきりきり舞いさせた挙げ句、悪辣なギミックやトラップをたんまりと仕掛けて全滅するところを眺めて愉悦するのは、ユグドラシル運営の一八番である。奴ら死ねばいい。

 

実際、そのくらいの対策は取っていると想定すべき、とキル子は思った。

オワコンと化したユグドラシルのマゾ仕様に、最後までつきあったプレイヤーとしての本能だ。

 

「……!!………!!」

 

穢れた精霊の頭頂部、女性型の本体は、今やすさまじい目つきでキル子を睨んでいる。

何やら意味不明な言語で恨み言を口にしているようだが、負け犬の戯言などキル子にとっては心地よいメロディーに過ぎない。

 

「パターンを崩されたら途端に混乱して動きが単調になる、と……素人め、対人戦闘ってもんがまるで分かってないわ」

 

呪文を詠唱して範囲攻撃、魔力が足りなくなれば周囲から吸い上げて補給する。その間は触手の群れでやり過ごす。

アレの行動パターンはそれだけだ。ギミックが分かってしまえば対処は簡単である。

所詮は生まれたての赤ん坊のようなもの。経験値がまるで足りてない。

 

「私はこのままデバフ要員として魔法攻撃を抑えますんで。例のレーザーだけは出が早いから、注意してください」

 

対人戦ならともかく、大型ボスモンスター相手にキル子が出来ることはさほど多くない。

 

キル子のビルドは対人戦闘にあまりに特化しすぎている。

得意な瞬間火力は優秀だが息切れも早く、しかも対プレイヤーと対人間種への特攻能力で火力の底上げをしているので、素の攻撃力はさほどでもない。

ユーザーの八割以上が人間種のアバターを選択していたユグドラシルでPKをするには、それでなんの問題もなかったが、真っ当なボスモンスター相手に長丁場のダメージレースをするのは難しい。

 

一応、一撃必殺の奥の手もあるにはある。時間停止系のスキルと組み合わせれば瞬殺だ。

ただし、一度使うと42時間のインターバルが必要だし、何よりあまり大っぴらに切り札を衆目に晒したくはなかった。

 

それに、うっかり一度でも例の大規模魔法を許すと、キル子自身はともかくロキ・ファミリアが全滅しかねない。

適度にデバフを与えて、魔法詠唱を妨害するのが、現状では安パイだ。

 

「魔法を邪魔してくれるだけでも十分だよ。あれさえ無ければ、ウダイオスあたりの階層主とさほど変わらないさ」

 

「だな。あとは全員でフルボッコでいいだろ」

 

フィンが槍を構え直し、ベートが拳を叩きつける。

 

いつの間にか全滅覚悟の決死の決戦が、多少危険だがやれないことはない階層主(ボス)狩りにまで、引き摺り下ろされていた。

 

「うちのニンジャ達には取り巻きの処理でもやらせますか……【羊達の沈黙(サイレントシープ)】!」

 

相談しているその隙に、精霊は再度詠唱を始めたのだが、即座にキル子に一定時間魔法詠唱不可となる状態異常(バッドステータス)を喰らわされて、強制的にキャンセルさせられてしまう。

精霊は必死に詠唱を紡ごうとしているが、その喉からは「メェメェ!」と可愛らしい羊の鳴き声しか出てはこなかった。

これで相手が完全な植物タイプなら、状態異常が効くかわからなかったが、下手に人型を残しているのが運のツキだった。喉を潰すなりなんなり、詠唱を中断させるだけなら、暗殺者(アサシン)系のキル子は豊富に手段を持っている。

 

「部外者に頼りきりではロキ・ファミリアの名が泣くぞ!僕が道を開く!ガレスとベートは付いて来い!露払いだ!残りはリヴェリアとレフィーヤを守れ!」

 

「おう!」

 

「任せろ!」

 

フィンが指示を下した。

 

「最大砲撃に移る!レフィーヤ、行けるな!」

 

「はい!」

 

リヴェリアは愛弟子と共に杖を構えて最大威力の魔法を放つべく、詠唱を開始した。

 

「アイズ、トドメは任せた!力を溜めろ、全力の一撃でやれ!」

 

「わかった!」

 

フィンの意図をアイズは正確に理解した。

愛用のサーベルを正眼に構え、残り全ての魔力を込めた風の魔法を纏わせる。

そして、これまではあえて使用を自らに禁じていた、切り札のスキルを解禁し、タイミングを待つ。

 

「後方から例の芋虫型が接近中っす!」

 

戦場に新たな敵が現れたのを誰よりも早く察知したのは、サポーターとして同行していたメンバーの取りまとめ役、ラウル・ノールドだった。

 

「なんですか、あの生理的な嫌悪感を催す形状の卑猥な芋虫は?!」

 

後方から接近する毒々しい極彩色をした巨大な芋虫の群れを目にすると、キル子は眉をしかめた。

生理的に受け付けない見た目である。

 

「新種のモンスターっす!攻撃すると破けて中身の酸が飛び散りますんで!第一級武装だろうが溶かす厄介なやつっす!」

 

キル子は素で恐れ慄いた。

 

「なにそれこわい」

 

第一級武装ということは、伝説級武装クラスなら溶かしてしまうということだ。キル子の手持ちの装備の中には相手の特性や状況に合わせて使用するための伝説級武装も数多い。

あるいは、神器級武装ですら溶かしてしまう能力があったとしたら、ヤバイ。

 

「ヘロヘロの親戚か!!ローション好きのHENTAIめ!!」

 

かつてのギルメンに対する風評被害も甚だしい捨て台詞と共に、キル子は両手に持っていた武器をインベントリに仕舞い込んだ。万が一にも、溶かされてはたまらない。

 

なお、ヘロヘロとはギルド、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーであり、コールタールのように黒くどろどろした『古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)』というスライムの上位種である。最高位の酸攻撃で相手の装備に劣化効果を与えることができる。

素の物理攻撃力はお察しなのだが、とにかく酸耐性を貫通する武装破壊攻撃で神器級武装の耐久値をゴリゴリ削る対人戦の嫌われ者だ。

 

先の台詞を仮にヘロヘロが聞いていたとしたら、訴訟も辞さないだろう。

 

「魔剣用意!近づけさせないっすよ!」

 

「了解!」

 

「ちょっと団長っぽいね!」

 

ラウル達は背負っていた無限の背負い袋(インフィニティ・ハバサック)から、遠征の為に買い集めた魔剣をありったけ取り出すと、遠距離攻撃を始めた。近づく前に破裂させるつもりだ。

 

「なるほど!……トビカトウ、こちらを援護なさい!あれを近づけさせるな!」

 

その意図を見抜いたキル子も、飛び道具の使える配下に指示を飛ばす。

 

「あい!」

 

食人花をハチの巣にしていたトビカトウは、ラウル達の横に並ぶと、今度は芋虫型のモンスターを目掛けてスリケンの弾幕を展開する。

投げ放たれたスリケンはモンスターの表皮を容易く貫通し、厄介な溶解液をその場にブチまけさせた。

 

「た、助かるっす!小さいのにすごいっすね!」

 

トビカトウはすまし顔でスリケンを投げ続けているが、ラウルが褒めると、少しだけ顔を赤らめた。照れているらしい。

 

「ラウル、ちょっとロリコンっぽい!」

 

「ご、誤解っすよ!」

 

サポーター仲間から飛んだ野次に、今度はラウルが顔を赤らめた。

 

「ラウル殿、幼女趣味は感心せんなあ!」

 

この場に鍛治師として居合わせたヘファイストス・ファミリア団長、椿・コルブランドも、ラウルを揶揄いつつ、自ら打ち鍛えた不壊属性武器を手にして芋虫型に打ち掛かった。

 

その場の全員が一体となって、穢れた精霊を打ち倒す為に向かっていく。

精霊はもう涙目だ。汚い流石冒険者汚い、とその顔は訴えている。

 

その有様を眺めて、キル子は感慨深そうに目を細めた。

 

「レイドボス戦なんて何年ぶりか…懐かしいわぁ……!」

 

ユグドラシルがサービス終了間際のここ数年、テコ入れの為なのか、大型のレイド専用ボスモンスターが次々と実装されたことがあった。残念ながら一度離れた客足を戻すほどではなかったが、それなりに楽しめたように思う。

特に、ボスドロップ狙いの廃人様を後ろから狩り殺すのは最高に楽しかった。

残念ながら、その頃にはギルド、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーにも引退者が続出していたのだが。まあ、それはいい。

 

「ベート様との幸せ家族計画の為に、魔石と素材を残して散れ!」

 

攻略法を見つけられたボスキャラなど、単なるアイテムドロップの為の周回要員に過ぎない。

極彩色の魔石とかいうレアアイテムには、幾らの値がつくのか、キル子は興味津々だった。

 

「ベート……お前、えらいのに惚れられたなぁ……!」

 

斜め上にやる気を漲らせるキル子を呆れたように眺めて、ガレスは思わずそう漏らした。

ちなみに、今でこそ老いて枯れた風情のガレスだが、かつては絶世の美青年としていくつもの浮名を流したという。

 

「いい加減、覚悟を決めちまえ。あんないい女、そうはいないぞ」

 

もうあと十年も若ければ放っておかないんだがな、と言ってガレスは豪快に笑った。

 

「喧しい、色ボケ爺ぃが!」

 

照れ隠しなのか、ベートは迫ってきた食人花をガレスの方に蹴り飛ばした。

ガレスも、それを素手で明後日の方向に殴り飛ばす。

 

「青い青い。女心と秋の空、ちゃんと捕まえておかないといかんぞ!」

 

「うるせえ!!これ以上情けないとこばっか見せられねーんだよ!」

 

「なんじゃ、わかっとるじゃないか!!」

 

ジャレあっているように見えて、二人とも手は抜いていない。

十重二十重と迫り来る触手の群れをさばき、潰し、駆け抜ける。勝利への道を舗装して。

 

「今だ、やれリヴェリア!!」

 

ガレスが吼えたちょうどその時、リヴェリアの詠唱も完了していた。

 

「"焼き尽くせ、スルトの剣!我が名はアールヴ!!"」

 

魔法詠唱にさらに魔法詠唱を継ぎ足し、短文から長文、超長文と伸ばすごとに、魔法の威力を変え、効果すら変えるという前代未聞のレアスキル『詠唱連結』。

エルフの王族、リヴェリア・リヨス・アールヴにのみ許された力。

 

『レア・ラーヴァテイン!!』

 

射程最長、威力最大を誇る広範囲殲滅魔法が解き放たれた。

 

リヴェリアの足元から同心円上に広範囲に渡って展開された魔法陣。

その陣の内側にいるファミリアの団員を守るように、外周部から吹き上がった純粋な破壊力の塊は穢れた精霊の巨体を飲み込み、焼き尽くす。

 

「ヒッ……!!」

 

後には、身を守る触手を取り払われ丸裸にされた、無防備な本体が残るのみ。

 

「ここ!!」

 

そのチャンスを、『剣姫』アイズ・ヴァレンタインは見逃さない。

風をまとい、愛剣を突き出し、突進する。

 

「……?!【ヒ、火ヨ来タレ!猛ケヨ猛ケヨ猛ケヨ、火ノ渦━━━ガッ】!!」

 

アイズの接近を阻止すべく必死に唱えかけた詠唱は、またしても邪魔された。

 

「はいはい、無駄無駄。【絞首台の鐘(ギャローズベル)】」

 

見えないロープが精霊本体のか細い首に食い込み、詠唱を強制的に中断させる。

同時に何処からかゴーンゴーンと、不気味な鐘の音が聞こえてきた。

この鐘の音がなり終えるまで、このロープが千切れることはない。

 

精霊は涙を流しながら、必死になって己が首を絞め上げる見えざるロープを掴もうとしたが、その手は虚しく空を掴むだけだった。

 

その隙に、ほんの100(メドル)ばかりの距離は一瞬で消え去り、一つの暴風となったアイズが正面から激突する。

 

『リル・ラファーガッ!!!』

 

「ア━━━?!!!」

 

狙い違わず、アイズの一撃は精霊の巨体に大穴を開けた。

 

さらに直撃した箇所から破壊の力が伝播するように穢れた精霊を駆け巡り、50(メドル)はあろうかという巨体を、粉微塵に砕いていった。

 

「なんだ、あの馬鹿げた威力は?!」

 

それを見て、キル子は己が目を疑った。

 

【死神の目】で逐一確認していたから断言できるが、まだエネミーのHPは三割ほども残っていた。それが一瞬にしてゼロになり、砕け散った。

 

思わず金髪の小娘(アイズ)をガン見したが、レベル的にはベートと同じく50前後というところだろう。だが、あれはそのレベル帯で繰り出せる威力の攻撃ではなかった。

 

PKを生業とし、他者のプレイングを観察し続けてきたキル子は観察眼にだけは自信がある。

だからこそ、わからない。というより、あり得ない。

少なくとも、ユグドラシルのシステム的には、不可能な所業なのだから……

 

 

 

それは、怪物種に対する攻撃力を高域強化するアイズのスキル『復讐姫(アヴェンジャー)』。

憎悪の丈によって効果が向上し、オラリオの歴史の中でも、最強の出力を誇るレアスキル。

普段はオーバーキルになりかねない為、使用を自重しているこれをアイズは躊躇することなく使用していた。

 

 

 

……もちろん、そんなことはキル子には知る由もなく、思わず呆然として、アイズを眺めていた。

 

崩れゆく精霊が、キル子に向かって憎悪の視線を向けていた事に、気付かぬまま。

 

「オ、オ前ダ!!オ前サエ居ナケレバ!!」

 

精霊は、最後の悪あがきとばかりに、短文詠唱による魔法を放とうとしていた。狙いは、もちろんキル子だ。

 

「セメテ、道連レ二……!!」

 

『アルクス・レイ!!』

 

その横っ面を、突如として放たれた魔法攻撃が無慈悲に吹き飛ばした。

 

「……ナン、デ?」

 

結局、それがトドメになった。

 

「や、やりました!!」

 

ひしゃげかけた杖を掲げて喜んでいるのは、ロキ・ファミリアのLv.3冒険者にしてエルフの魔法使い、レフィーヤ・ウィリディス。

 

九魔姫(ナインヘル)』が自らの後継者とすべく育てている愛弟子は、見事に師の期待に応えた。

 

リヴェリアが大魔法を放った隙をフォローすべく、魔法詠唱を準備していた愛弟子の放った閃光魔法が、この戦いを締めくくる事になった。

 

 

 

精霊の巨体が、粉微塵に砕け消え去ってから、十分な時間が経った頃、

 

「疲れた〜〜!!」

 

「お疲れ様!!」

 

まず、ティオネとティオナが仰向けにひっくり返った。

 

それを皮切りに、全員がその場にへたり込む。既に気力も体力も尽きていた。

 

「重傷者は万能薬(エリクサー )を使え! 数がないから、軽傷者は回復薬(ポーション)を使うように!」

 

団長のフィンも同じようにへたり込みたかったが、そうもいかない。

とりあえず、傷の手当てと休息をとるように命じると、ガレスとリヴェリアを呼び寄せる。

 

「やれやれ。またしても装備は半壊、消耗品はほぼ消費し尽くしたな」

 

リヴェリアがどの程度の損害が出たか、軽く計算して美しい眉を歪ませた。

 

「入手した武器素材はヘファイストス・ファミリアにも提供する必要があるしな」

 

ガレスが思い出したかのように付け加える。

 

ロキ・ファミリアは59階層に突入する前に、50階層に仮設したキャンプを起点として、深層で入手できる素材をなるべく確保していた。今は59階層(ここへ)へは連れて来なかったメンバーに預けてある。

そのうち少なくない量を、上級鍛治師を派遣してくれたヘファイストス・ファミリアに提供しなくてはならない。

 

「おまけにキルコさんへの支払いもまだだ。しばらくファミリアの財政は火の車だろう。次の遠征をやるには、資金集めが先決だね」

 

フィンがそう締めくくる。

 

「うちの払いはローンでも結構ですよ。その分、割増料金は頂きますが」

 

キル子が愛想よく付け加えた。

 

「はは、ありがたいなぁ……」

 

いったい幾らの請求書を突きつけられるのか、フィンはこの後のことを考えたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

離れた場所で、そんな彼らを見守る影があった。

 

外套を羽織り、仮面をつけていて、外見からは男か女かも判断できない。

 

「マサカ一人モ殺セズ、アレガ葬ラレルトハ……」

 

深くため息をつく。

 

「シカシ、何ナノダ、アノ女ハ。地上ノ戦力ヲ掴ミ損ネテイタカ?」

 

解せぬとばかりにひとしきり首を傾げると、やがてダンジョンの何処かへと、去っていった。

 

その背後に、【不可知化(アンノウアブル)】によって姿を消した曲者を引き連れて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……キル子様」

 

「ええ、わかっています。ハンゾウ、後をつけなさい。気取られないようにね」

 

「承知」




誤字修正ありがとうございます。
やたらと暑くて風邪ひきダウンなう。


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第15話

誤字修正しました。
毎回、報告ありがとうございます。


「ああ〜!よく寝た!」

 

今日も今日とて、キル子は昼過ぎあたりに布団から起き出した。…何やら数ヶ月寝ていたような気もするが気のせいだろう。久方ぶりに引っ張り出したグリーンシークレットハウスの限定エディションの寝具は最高級の寝心地を提供してくれたため、寝過ぎたのだ。

 

キル子はオラリオ市内に特定の拠点を持っておらず、寝泊まりはもっぱらリヴィラに設置したグリーンシークレットハウスか、あるいはその限定版の和風屋敷を適当にインベントリから出してその都度設置し、居場所を悟らせないように市街地をランダムに移動している。

今日の宿営地はオラリオ北東、市壁近くのあまり日当たりの良くない辺りで、日銭で暮らす下級冒険者や下級職人らのための簡素な長屋や木賃宿が固まっている一角だった。

 

昨夜はダンジョンから帰ってきて、久々に地上で深酒した。

ちょっとした野暮用で一足先に地上まで戻る必要のあったベートに引っ付いて、リヴィラをNPC達に任せて、オラリオに戻って来たのだ。

ベートと二人っきりのアバンチュールを楽しみたいのは山々だが、ロキ・ファミリアはまだ遠征から帰還途上にある。未来の旦那の仕事に口を挟むべきではない。

そこでベートと別れ、一人市内に残ったわけだが、此方でもそれなりにやることはあった。

 

例えば、59階層で、覗き見していた出歯亀野郎への対処であるとか。

 

「まあ、そんなことより“小姑”へのアイサツが大事だよね。旦那様の会社の上司みたいなもんだし、ご機嫌取らないと……面倒くさいなぁ…」

 

キル子がボヤきながら布団から半身を起こし、ボサボサの髪をかいていると、側に待機していた傭兵NPCのトビカトウ達が群がり、髪を整えたり、寝汗を拭いたりと、甲斐甲斐しく世話をしだした。

そうして、一通り身繕いが整うと、襖一枚隔てた座敷には既に朝餉が用意されている。

 

擬態化を解除し、アンデッドの基本能力である〈睡眠不要〉や〈飲食不要〉のスキルを利用しておけば、そもそも寝たり食べたりする必要すら無いのだが、それはそれとしてキル子は惰眠を貪る事や、美食を好む。むしろアンデッドになったからといって積極的にバケモノじみた行動をとる奴がいたとしたら気が狂っている。

 

今日の朝食は塩胡椒で味付けした焼き魚に、干し葡萄入りの蒸しパン。それに冷えた黒ビールを付けるのが、キル子の最近のお気に入りだった。

 

「いただきます」

 

手を合わせ、童女達に見守られながら、キル子は箸に手を伸ばした。

 

料理は作られてからやや時間が経っていたが、グリーンシークレットハウスに備え付けの電子レンジ型マジックアイテムを使っているため、程よく温められている。

焼き魚はやや小骨が多いが肉厚で脂がのっており、そこに蒸しパンを千切って別売りのクリームチーズに付けて食し、ビールで流し込むとたまらない。

 

「プッハァー!!美味いんだな、これが!お代わり!」

 

一息に飲み干して口元の泡を拭うキル子に、トビカトウ達は何やら言いたそうな顔つきをしながらも、無言でお代わりを注ぎ足してやった。

 

なお、キル子としては本当なら料理スキルを持ったNPCを呼び出して出来立ての料理を賞味したいところだが、ユグドラシル時代から持ち歩いていた召喚アイテムには戦闘タイプ以外のNPCは登録されていなかった。

そのため食事は変装能力を持ったニンジャに、お気に入りの屋台や食堂へ毎日買いに行かせている。

 

「ご馳走さまでした。……明日はお米がいいかな。職人街の外れにある、鳥飯屋さんのをお願いね。ついでに同じ通りの喫茶店のベリーエールを一杯。同じやつを人数分買って、みんなで分けなさい」

 

カシンコジ達はキル子が食べ散らかした食器類を丁寧に片しながら、嬉しそうにコクコクと頷いた。彼らも好みらしい。

 

ちなみに、NPC達は〈飲食不要〉の能力を持たないため、基本的には主人と同じ食事を与えられている。

〈飲食不要〉を付与するマジックアイテムもあるにはあるが、手持ちは数が少なかったし、呼び出したNPCの数もせいぜい二十を少し超える程度。今のところ手持ちのヴァリスにかなり余裕があるので、彼らの食費をケチケチ削る必要はない。

 

「じゃあ、私は一風呂浴びて来るから、貴方達も適当に休んでね」

 

キル子が風呂場に向かうと、待機していたトビカトウの一人が桶と手拭いを差し出した。

いつでも気軽に温泉に入れるのが、この和風屋敷じみた限定版グリーンシークレットハウスの利点だ。外観があまりに目立ちすぎるので、リヴィラに持ち込めなかったのが悔やまれる。

 

風呂を浴びてさっぱりとしたところで、着物に着替えた頃には、既に日はかなり西に傾いていた。

 

「少し出かけてきます。護衛に五人付きなさい。残りは屋敷の守りに残るように」

 

「「「イッテラッシェーマセー!!」」」

 

ヤクザクランのオヤブンを見送るかのように、戸口の左右に勢ぞろいして頭を下げるニンジャ達。

その中央を抜けて、キル子はオラリオの街中に繰り出して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キル子は屋敷を出ると、オラリオの市内を中心部に向かって歩いた。

 

オラリオはバベルのそびえ立つ中心部から四方八方に大路が伸び、その合間を小路が繋ぐという、上から見ると蜘蛛の巣めいた都市設計をしている。都市内を移動するなら、一度中心部を抜けた方が早い。

 

大通りを東へ、さらに細い運河や街路を隔てて職人街のある辺りに入ると、オラリオの主要産業である魔石や魔道具の工房がぎっしりと軒を連ねていた。

魔石の砕石工や研磨工、細工師、鋳物、木工、鍛治といった職人が汗を流しているのが、通りからでもよくわかった。店はたいがい、一階は店舗を兼ねた作業場で、二階は親方の住居になっているようだ。

 

通りを挟んだ向こう側には漆喰工、煉瓦大工、屋根葺き職人に硝子細工師といった、都市の機能を維持するのに欠かせない職人らが店を構えている。さらには屋根などの材料に使う鉛や銅を扱う一角があり、蹄鉄屋、鋤や鍋釜を打つもの、匙や釘など小物の専門店がずらり。

 

その隣にはパン屋、肉屋、野菜に穀物、香料や乾物を行商して歩く者たちの問屋など、食品を商うもの達の通りだ。どこも良い香りを漂わせている。

 

キル子は思わず口元が緩んだ。

何につけても賑やかな街だと思う。何度見ても飽きない。

大気も土も汚染され尽くされた何処ぞのマッポー世界では、もはや映像ライブラリの中でしかお目にかかれない光景だ。

 

インベントリから煙管を出して一服付けながら、上機嫌で街を歩くキル子だったが、不意にその眉が曇った。

 

「……またか」

 

げんなりとするキル子を目掛けて、不自然な足取りで、進路を塞ぐように歩いてくる男が一人。

咄嗟に動こうとするニンジャ達をキル子は視線だけで抑えた。

 

次の瞬間。

 

「おっと。ごめんよ、お嬢ちゃ……ギャアァアア?!!!」

 

態とらしくキル子にぶつかりかけて、すり抜けざまに袖口に手を突っ込もうとした運の悪いスリは、当然の報いとして手首から先をスッパリと切り落とされた。

 

あまりに滑らかな切断面から鮮血が飛び散り、通行人の衆目を集めた時には、既にキル子の姿は現場から数百メートルは先の位置に音も無く移動している。

オラリオ市内はスリが多い。返り討ちにされてキル子の被害にあったスリは、これが初めてではなかった。

 

「…乙女に無断で触れようとするお馬鹿さんは、廃棄処分でどうぞ」

 

歩みを止めず、それだけを呟く。背後の騒ぎには目もくれない。

ただ、着物の袖で隠した口元は邪悪な笑みの形に歪んでいた。

 

道中、そんな些細なイベントがあったりもしたが、やがて中心部を抜けて北へと通じる街路を進むと、程なくして目的地に着いた。

 

ロキ・ファミリアのホーム『黄昏の館』。

 

「こんにちは」

 

「へ?!は、はい?」

 

キル子がその玄関口に歩み寄ると、本日ホームの門番を任されていた新入りの団員は、目を白黒させた。

 

キル子は頰に薄くチークを入れていて血色良く、腰まで伸びた黒髪は艶やか、少しも尖ったところを感じさせない穏やかな雰囲気を身にまとっている。

身につけている衣服や装飾品も、高価そうなものばかりだ。

 

だからこそ、第一級冒険者を数多く抱える都市有数のファミリアを訪ねてくるにしては、ドレスコードに違和感があり過ぎた。

実際にはユグドラシル由来の神器級、伝説級マジックアイテムの数々なのだが、流石にそんなことはわからない。

 

新入りの団員がどう対応すべきか頭を悩ませていた横で、その場に居合わせ、キル子の顔を知っていた数名の団員は、うめき声を飲み込み、そそくさと足早に立ち去った。

誰だって厄介ごとの塊には関わりたくないのだ。

 

「キル子、と申します。ロキ様にお目通り願えますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご無沙汰しております」

 

「よう来たな。ま、楽にしとき」

 

従者共々応接室へ通されたキル子は、まず正面のソファに腰掛けるロキに深々とアイサツした。アイサツは大事だ。

 

「遠征じゃ世話になったそうやな。一足先に戻って来たベートから聞いたわ。礼を言っとくで」

 

色々とツッコミどころは満載やけどな、と笑顔で続けるロキにキル子も笑顔で無言を貫く。二人とも、目は笑っていなかった。

 

「…ま、ええわ。ああ、ベートならもうココ(ホーム)にはおらん。解毒剤の買い付け資金を取りに寄っただけで、またすぐトンボ帰りしよったからな」

 

実はロキ・ファミリアは例の59階層の遠征を終えた帰り道で、極めて強力な毒液をはき出す毒妖蛆(ポイズンウェルミス)のモンスターパーティに出くわしていた。

おかげで【耐異常】のアビリティがH以下の団員は残らずリヴィラに足留めを食らって伏せっている。

そこでロキ・ファミリア一の俊足を誇るベート・ローガが解毒薬の買い出しのために地上までひとっ走りしたのだ。

 

「皆さま、命には大事ないとのことで。流石はロキ・ファミリアが誇る精鋭です」

 

実際、彼らで無ければ毒で何人か命はなかっただろう。

半ば本気で褒めたキル子に、ロキはニコリともせずに頷いた。

 

「死人が出なかったのが不幸中の幸いや」

 

実のところ、キル子のインベントリにはあの程度の毒をなんとかするアイテムなぞ腐るほどあったし、いざとなればリヴィラの拠点に設置した『転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)』を使えばノータイムでオラリオに直行して、解毒剤を買い求めることもできた。

 

だが、あえて何もしなかった。

未来の旦那(ベート)の見せ場を奪うなどヤマトナデシコにあるまじきことである。

こういったオクユカシサこそ日本人が尊ぶものであり、それを忘れて出しゃばれば、たちまちムラハチにされてしまう。古事記にもそう書いてある。

 

そのため、毒を受け付けなかった幹部クラスの面々は、未だにリヴィラに残り、素材や魔石を集めたり、ダンジョンで採取できる希少な鉱物や植物を採取したりと、金策に走り回っている。

汗水垂らして必死に働く彼らの姿を他人事のように眺めながら、キル子は豊富な資金で優雅な生活を送り、のんびりとベートの仕事が終わるのを待っているというわけである。

 

気分は旦那の帰りを待つセレブな新妻だ。ウヘヘヘヘ!

あれやね、そろそろ"既成事実"とかもいけるっしょ?ベート様、ベッドの中でも獣に……たぶん、めいびー…!

 

「フヒヒ…勝ち組、圧倒的勝ち組…!」

 

「………」

 

ニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべるキル子に対して、ロキは珍獣を眺めるまなざしを向けていた。

 

「おっと、いけない…コホン。ロキ様、遅れましたが手土産です。つまらない物ですが、お納めくださいませ」

 

キル子は妄想から我に返ると、インベントリに手を差し入れ、手土産を取り出した。 人間関係を円滑に進めるためには、こういったものも欠かせない。

 

「おおきに。ん~?…神酒(ソーマ)か?!ウチはこれが大好物やねん!ありがとな!」

 

ロキは酒瓶にほおずりした。ロキが無類の酒好きだというのは、よく知られている。

 

早速、瓶の蓋を開封すると立ち上る芳香を楽しみ、グラスを二つ用意して、中身の液体を注ぎ入れる。二人は軽くグラスをふれあわせるようにして乾杯した。

 

「っく~~!!たまらんわ!」

 

親父臭い仕草で一息に飲み干すと、ロキは手酌で二杯目を注いだ。その様子を眺めながら、キル子は舌先で転がすようにゆっくりと飲み干していく。

 

早くも三杯目をグラスに注ぎながら、ロキは何気ない様子でキル子に尋ねた。

 

「それにしてもジブン、よくコレ手に入ったなぁ。ソーマのところがあんなんなってから、最近めっきり見かけなくなってたやろ?」

 

一見、上機嫌に細められた目は、実のところ油断なくキル子を窺っている。先ほどから心音にも変化はない。

つまり、これはただの演技。可能な限りキル子の情報を引き出そうとしているのだ。しかも、精度100%の嘘発見器付きで。

 

こんな見てくれをしていても、中身は千年以上生きている大年増。食えない女だ、とキル子は愛想笑いを浮かべながら思った。

 

「運良く元ソーマ・ファミリアの人間の知己を得まして、都合がつきました。私もお酒には目がありませんので」

 

キル子は慎重に言葉を選んだ。嘘ではない、が真実そのままでもない。どうとでも受け取れるように言葉を濁す。

 

「そら大したもんやな。どこの商人も血眼になってコイツを探しとるでぇ」

 

ロキはニンマリと笑うと、グラスの中身を揺らした。チャプチャプと酒が揺れ、かぐわしい芳香が部屋中に拡散される。

 

実際、このところの神酒の値上がりはとどまるところを知らない。

最新の市場単価では一瓶数百万ヴァリス近い値を付けている。めざとい都市外の商人達が、買い占めに走ったからだ。

ソーマ・ファミリアの壊滅によって市場供給が絶たれた以上、時間経過によって確実に値上がりが見込まれるので、投機商品としては魅力的なのだ。

 

ロキはそのあたりの事情にも通じているらしい。

 

「運に恵まれました。神酒は飲んでよし、売ってよし。寝かせれば寝かせただけ、味も値付きもよくなっていきますので」

 

素人が手を出すには手堅く手頃な商売です、とキル子は嘯いた。

 

「ソーマか……そういやジブン、『キルト』って冒険者、しっとるか?」

 

何気ない口調のまま、ロキはいきなりジャブを放ってきた。

 

「え?!…ええ、市中では有名な方ですから」

 

思わず口に含んだ酒を吹き出しそうになるのを、何とか堪える。

 

「怪物祭の時、実はウチも現場に居合わせたんや。どえらい騒ぎになっとったで。んで、噂のキルトたんと出くわした」

 

キル子は背筋に大量の汗が浮かぶのを感じた。表情には出さなかった筈だが、内心ではレッドアラートが鳴り響いている。

 

「驚いたで、何せ()()()()にあんな真似のできる人間が、この世に()()もいるとは、思わんかったからなぁ」

 

ロキはクツクツと妙に楽しそうに笑った。目の前の獲物をいたぶる猫の顔だ。

 

ヤバイ!こういうときは受け身に回ったら負けである。

キル子はかつての負け組サラリマン時代の経験から、さっさと話をずらすことにした。

 

「そ、そう言えば、ロキ様!じ、実は今日は、少しばかりお耳に入れたいお話がありまして…!」

 

キル子は今日の来訪の本題を切り出した。元々このために来たのである。

 

「今回の遠征で、ロキ・ファミリアの財政はかなり厳しくなられたと伺っています」

 

「…まあ、それなりにな。今頃、フィンが頭抱えてるやろ」

 

ロキはキル子のあからさまな話題の転換をとがめなかった。

あるいは、慌てたキル子の反応だけでも知りたいことを知るには十分だと判断したのかも知れない。

 

「実は、それに関連しまして、良い儲け話をお持ちしたのです!」

 

「もうけばなしぃ?」

 

ロキはあからさまに胡散臭そうにキル子を眺めた。

 

そんな詐欺師を見るような目を向けられても困る。

 

「例の59階層でのことでなのですが、実はあの場には妙な曲者が隠れ潜んでいました」

 

「……ほう?」

 

ロキの口調が少しばかり真剣みを帯びたものに変わった。うまく話に食いついてくれた、とキル子は内心で胸をなで下ろした。

 

「黒装束に身を包み、奇妙な仮面を被っていて、見るからに怪しい格好でしたわ」

 

「ベートからは、そないな報告は受けとらん」

 

「ロキ・ファミリアの皆様は、誰も気付いておられないかと。私も斥候(スカウト)能力に長けた部下から報告を受けなければ気がつかなかったかも知れません」

 

実際には隠密能力に長けた傭兵NPC、ハンゾウの一人に後をつけさせたのだが。

 

「それで、ここからが本題です。その曲者、部下に後をつけさせましたところ……あろうことかダンジョン内を、隠し通路らしきものを通って移動していました」

 

キル子の爆弾発言に、思わずロキは目を見開いた。

 

「なんやて?…隠し通路やと⁈ダンジョンにか⁈」

 

「ええ。残念ながら、曲者はそこで見失いましたが、隠し通路の場所は押さえました。明らかに人の手で作られた、言わば人造の迷宮のようなものです」

 

ロキは絶句しているが、キル子にしてみれば別に珍しくはない。

何せ、拠点だったナザリック地下大墳墓も、元は地下6層しかないフィールドだったのを、ギルドポイントを投入しまくって、全10階層の非公式ラストダンジョンと呼ばれるまでに魔改造したものなのだから。

 

「どうやらダンジョンに外付けする形で、後から作られたもののようです。しかも……通路の外壁は全てアダマンタイト、各所に無数に取り付けられた扉はオリハルコン。これは、ちょっと尋常ではありませんでしょう?」

 

「ちょい待ち⁈アダマンタイトにオリハルコンやて⁈」

 

流石のロキも驚いている。

まあ、そうだろう。報告を受けたときには、キル子も絶句した。

 

キル子はインベントリから、いくつかの金属片を取り出してロキに示した。

証拠として、壁材や扉の一部を削り取ってきたものだ。

 

「ほんまにオリハルコンかいな?」

 

ロキの視線がキル子の手元に突き刺さり、声音が剣呑さを増す。

 

最硬金属(アダマンタイト)や、それを精製して産み出される最硬精製金属(オリハルコン)はオラリオ最硬とされる金属で、不壊属性武器や第一級武装の素材として欠かせない。

並みの刃物では歯が立たないのだろうが、あいにくとユグドラシルではそんなものはありふれている。

 

「はい、私の秘蔵の武装で切り取って来ました。強度と切れ味はヘファイストス様のお墨付きですよ」

 

キル子がそう言うと、ロキは鼻を鳴らした。

 

「噂の未知の金属を使った武器かい。そういえば、ヘファイストスのとこに持ち込んだんは、ジブンやったな。そら、武器の一つ二つは持ってて当然か」

 

キル子は薄く微笑みながら頷いた。

 

「オリハルコンにしろアダマンタイトにしろ、私にしてみれば多少値の張る程度の素材ですが、流石に通路の建材にしようとは思いません。経費がかかり過ぎますので」

 

「せやろうな。それに、そんなアホみたいな量が取引されとったら、流石にギルドが黙ってないやろ。その隠し通路とやら、どのくらいの広さがあるか、見当つくか?」

 

問われてキル子は一枚の紙を取り出した。

中身はキル子が適当に描いた隠し通路の地図だ。ニンジャ達を動員してわかった範囲は全て記載してある。

通路を使う曲者に気取られないように、隠密能力の高いものだけを選抜して投入しているので、現時点でわかっている範囲には限りがある。

 

「あいにくと、まだまだ未知の領域の方が広そうですが…」

 

ロキはキル子から受け取った地図を眺めると、難しい顔で唸った。

 

「十分や。少なくとも、こんだけの範囲にアダマンタイト使って穴蔵掘ってるキチガイがいる、ゆうことやろ?これは昨日今日で作られたわけやないな……まさか、闇派閥(イヴィルス)か?

 

最後の一言は小声だったが、キル子の耳にはきっちり届いていた。

 

何年か前まで『闇派閥(イヴィルス)』とかいう、邪神を名乗る暇な神々と、それに付き従う厨二病の塊のような連中が幅を利かせていたらしい。

悪を標榜するギルドとかが許されるのは、ユグドラシルの中だけだというのに、迷惑なものだ。

 

こういう一部の心ない連中が騒げば騒ぐほど、自分のような善良な一般人が迷惑をするのだ、とキル子は心の底から思った。

アレだね、てっとり早く怪しげなファミリアの主神とか、まとめて天界に垢BANすればいいんじゃね?

割と本気でそんな他愛もない事を考えながら、キル子はため息をついた。表面上は眉を曇らせ、憂えた表情を造りながら。

 

もちろん、そんなものはキル子の前に陣取る神、ロキには通用しなかった。

 

「…ジブン、なんかめっちゃ物騒なこと考えとるやろ?」

 

「オホホホ!まさか、私は平和主義者ですのよ?」

 

ロキは「お前が平和主義者やったら、世の中から争いごとなんざ無くなっとるわ!」とでも言いたそうな、極めて苦み走った表情でキル子をにらみつけた。

 

「嘘はついてへんな。余計にタチが悪いわ……んで、それがどう儲け話に繋がるんや…?」

 

この時、ロキは内心で嫌な予感を覚えていた。

目の前の珍獣は、腕は確かだが思考回路は常軌を逸しており、常に予想の斜め後ろの行動をとるのである。

 

「どこの誰が作ったものかはわかりませんし興味もありませんが、大事なのは、そこに大量のアダマンタイトとオリハルコンがあることです。まさに宝の山!削り取って生産系ファミリアあたりに横流しすれば、大儲け間違いなしです♪」

 

ロキは無言で頭を抱えた。

それだけの情報を得ておいて、何故その結論に行き着くのかが、サッパリ理解できない。

 

「掘り出すには、私の部下では手数が足りません。どうでしょう、儲けは折半ということで?削りとるための武器、というか工具ならば適当なものをいくらでもお貸ししますから、ご心配なく!あっという間に大金持ちですわ♪」

 

キル子は得意満面に断言した。

ドヤ顔を浮かべるキル子の内心は、単純きわまりない理屈で動いている。

 

ロキ・ファミリアには今現在、お金がない。人間の幸福とはお金の量に比例するというのが、キル子がリアルで培った哲学である。

意中のベートを助け、好感度を上げるなら、このチャンスを逃してはならない!

この素晴らしい儲け話を手土産に、ロキ・ファミリアに貢献すれば、もはやこの小姑(ロキ)もベートとの仲を認めざるを得ないだろう!むしろ進んで、祝福してくれる筈である!

フヒ…ドレスはやっぱり白のレースよね。いやいや、ここは白無垢というのも捨てがたい!!

 

「このドアホーー!!!」

 

数秒後、ロキの咆哮が響きわたった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「解せぬ。何がまずかったんだろ?確実に大儲けできるのにぃ…」

 

ロキ・ファミリアからの帰り道、キル子はぼやいていた。

その後、散々に怒られた挙句、事態の調査協力と、口外厳禁を言い渡されてしまったのである。

 

小姑ことロキの点数を稼いで、心象を良くするつもりだっただが…

 

「まあ、ひとまずベート様がダンジョンから戻ってきたら再度アプローチしてみますか…」

 

さて、ひとまず今日の予定はだいたい終わった。

後は久しぶりに歓楽街を冷やかすか、屋台巡りでもするかと思っていたキル子だが、ふと思いつく。

 

確か、荒ぶる童顔ツインテールの乳神様のホームというか、住み着いている廃屋がこの辺りにあった筈だ。

ミノタロルスとやり合っているところに居合わせてから、だいぶ経ったし、最近、ベル・クラネルの顔を見ていない。

いつの間にやらリリルカも改宗していたようだし、久々に『キルト』の外装を引っ張り出すのも悪くあるまい。

 

「小姑にイビられた口直しに、ベルきゅんを愛でに行きますかね〜」

 

キル子は気楽な気持ちで、ベルにマーキングした【標的の印(ターゲットサイン)】を確認した。

これは対象に貼り付けると、解除されない限り、常にその位置を把握できるというストーカー垂涎のタチの悪いスキルであり、キル子は要チェックした男子には漏れなくプレゼントしている。

 

「おや、まだダンジョンの中か。場所は…18階層?まだレベル的にキツイ筈だけどなぁ?」

 

キル子が思わず首を捻った、その時だった。

 

「…キル子様」

 

姿を隠してキル子の周囲を付かず離れず警護している傭兵NPC、ハンゾウの一体が膝をついてその場に姿を見せた。

 

「リヴィラの拠点より、至急の知らせがありました。18階層に巨大な人型モンスターが出現、街の総力を挙げて迎撃中との由。旗色わるく、このままではリヴィラ壊滅の危機との事でございます!」

 

「ファッ?!」

 

 

 

 

 

 




お盆休みでようやく時間が取れました。反省


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第16話

状況説明回で少し短め。


 

 

「ちょ?!迷宮の楽園にはモブ湧きしかないんじゃないの?!って、またベルくんが巻き込まれてるっぽいぃぃいい!!」

 

ハンゾウから報告を受けると、キル子は大通りで悲鳴を上げながら、拠点へと駆け出した。

 

「そもそもレイドモンスターが湧くのは17階層じゃないの?ホワイ?!」

 

いったい、何が起きているのか分からず、キル子は混乱していた。

 

 

 

 

……話は少し遡る。

 

 

 

 

 

その日、ガネーシャ・ファミリアの冒険者、マックダンは朝からダンジョンに潜っていた。

マックダンはLv.3。両手剣の使い手として、パーティの最前線で命を張る、切り込み役だ。

10代最後の年にLv.2となってから10年、ひたすら実績を積み、20代の最後を目前にして、先日ランクアップを果たした。

 

マックダンは冒険者としては平凡だ。

これといったレアなスキルが芽生えるでもなく、魔法を覚えるでもなく、発展アビリティもパッとしない。

だが、冒険者は冒険をしない、を地でいく堅実な判断力が認められて、最近では中堅どころのパーティを率いるリーダーをこなしている。

その日もLv.2に昇格したばかりの若手を任されて、18階層のリヴィラの町を目指す途中だった。

 

「止まれ!」

 

マックダンは手振りを交えて、背後に付き従うパーティのメンバーに停止を命じた。立ち止まって息を整えさせ、自身も水筒の水を飲んで小休止する。

今回はある事情から、非戦闘員のサポーターも多く連れてきているので、慎重すぎるくらいで丁度いい。

 

ダンジョン上層を危なげなく突破し、もうすぐ中層の入り口に当たる13階層の手前。ここからは適正Lv.2、俗に最初の死線(ファーストライン)と呼ばれているが、それには理由がある。

中層からはモンスターが魔法に近い遠距離攻撃をしてくるのだ。有名なのは、ヘルハウンド。子牛くらいの大きさがある犬型モンスターで、別名「放火魔(バスカビル)」。

口から強力な火炎を吐いてくるので、事前に炎対策をしていないとそれだけで詰む。こいつが13、14階層のほとんどのパーティ全滅の原因だ。

マックダンも気を使っていて、火炎対策のアイテム『精霊の護布(サラマンダー・ウール)』を全員に装備させていた。

 

やがて全員の息が整うのを確かめると、マックダンは両手をパンと叩きつけて気合を入れた。

 

よし、行くぞ!

 

と、掛け声を上げようとした、その時だった。

 

「たぁすけてくれぇ〜!!」

 

何処からか、世にも情け無い叫び声が聞こえて来たのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな早く走って!追いつかれるよ!」

 

その日、ベル・クラネルは走っていた。

場所はダンジョン13階層。中層と呼ばれる場所の入り口だ。

 

漂白されたかのように色素のない白髪を振り乱し、高い敏捷のステイタスにものを言わせて脇目も振らぬ全力疾走である。

 

「ロイドさん、ヴェルフさん、遅いですよ!ベルさんの軍団に追いつかれてしまいます!」

 

その背後にはパーティの目と耳を担う野伏(レンジャー)、リリルカ・アーデが走っていた。こちらも脇目も振らぬ全力疾走だ。

素早さ重視で布地の際どいスカートの裾がめくれ上がり、小人族(パルゥム)のロリボディにはあまりに大人びた黒の下着が見えているのだが、今は知ったことではない。

 

「ロイドのノロマは置いてくにゃ!最悪、私らだけでもその間に逃げ切れるにゃあ!!」

 

三番手に控えるは、パーティで一番の攻撃力を持つ槍使いの猫人(キャットピープル)、アンジェリカ。足の速さならパーティでもベルに引けをとらないが、得物の長槍が邪魔をして、ダンジョン内での移動には難がある。

こちらも大胆なスリットの革鎧(レザーアーマー)の隙間から真っ赤でセクシーな下着がのぞいているが、今は誰も気にしない。

 

「ち、チキショウ!!ベルめ!足はぇえええ!!!」

 

最後尾、這々の体でヨタヨタ走るのは全身鎧に大盾を構えた長身の人間種(ヒューマン)、ロイド・マーティン。

パーティの盾として筋力と耐久のステイタスが飛び抜けているものの、重量装備が邪魔をして当然足は遅い。

 

「さ、流石にみんなLv.2だな!!付いてくのが精一杯だぜ、コンチクショウ!!」

 

そんなロイドの隣で荒い息を吐いているのは、黒い東洋風の衣装を身に纏った赤毛の男。今回のパーティに同行することになったヘファイストス・ファミリアの鍛冶士で、ヴェルフ・クロッゾという。

ベルが買い求めた新たな軽装鎧の製作者であり、その縁で今回の遠征に経験値稼ぎに同行している。

 

ただし、パーティ内では唯一のLv.1であり、ベルの人の良さに付け込んで、ノコノコついて来たはいいがこの状況ではぶっちゃけた話、お荷物に等しい。

生産系最大手ファミリアの所属じゃなければ、ベルはともかく他のメンバーからは見捨てられていただろう。

 

 

「あのパスパレードを擦り付けて来た連中、地上に戻ったら覚えてろ!」

 

ヴェルフが吠えたが、何はともあれ今は生き延びねばならない。

 

そんな彼らの背後から、群れをなして迫り来るのは、ウサギの群れだ。

迷宮の中層以降に出現するウサギ型の魔物、アルミラージ。 白髪頭と赤い目、愛らしい見た目から、このパーティでは通称“ベル”と呼ばれている。

 

見た目に反して、手斧を武器に切りかかってくる、かなり狂暴な魔物である。しかも移動時は手斧を口に咥えて、四足で追いかけてくるので動きも素早い。

一体一体はさほど強力な魔物ではないが、とにかく数が多いのが特徴である。

 

中層に足を踏み込んだ冒険者がアルミラージの集団に囲まれるのは、よくある事なのだが、今回はとにかく運が悪かった。

中層は初めてだというヴェルフの慣らしをするつもりで、13階層の入り口あたりで狩りを始めたはいいものの、アルミラージの群れに囲まれていたどこぞのファミリアのパーティから、怪物進呈(パス・パレード)されてこのザマだ。

あとは処理能力の限界を超える圧倒的物量に、尻をまくって逃げ出すのみ。

 

「このままじゃジリ貧ですぅ!!」

 

リリルカが叫んだ。

 

体力の続く限り無我夢中で走り続けているが、アルミラージはどこにそんな体力があるのか、未だに追跡の足が鈍らない。

おまけに、どこから引き連れてきたのか、いつの間にかヘルハウンドといった中層の厄介なモンスターまで入り交じっている。

 

「?!……前の方に誰かいる!」

 

全員がそろそろ体力の限界を迎えようとしていた、その時だった。

最前列で前から来るモンスターを凪ぎながら走っていたベルが、前方にかなりの人数の集団がいることに気が付いた。

 

「よっしゃ!そいつらに擦り付けるにゃ!」

 

怪物進呈(パスパレード)ですね!」

 

女性二人が嬉々としてシビアな発言をするのを尻目に、露骨に顔をしかめたベルが何か言う前に、ロイドが叫んだ。

 

「ま、マックダンの兄貴だ!やった!助かったぜぇ!」

 

ロイドは歓喜の叫びを上げてそちらに向かって走り出したが、逆にこちらに気付いた前方の冒険者達は、この世の終わりのような顔をした。

 

「たぁすけてくれぇ〜!!」

 

「げぇっ!!ロイドの馬鹿野郎!!こっち来んな、あっち行けぇ!!」

 

同じファミリア所属のロイドに気が付いたマックダンは、シッシッと犬でも追い払うかのように手を振ったが、もちろんそんなことではロイドも、その背後から迫るモンスター達も止まらない。

 

「そんな事言わずに助けてくれぇ!!見捨てたら化けて出てガネーシャ様にチクッちゃうぞー!!」

 

「クソがぁ!!」

 

マックダンは思わず髪を掻きむしった。同じファミリアじゃなければ殺してやりたいほど憎たらしい。

地団駄を踏んで、背中に背負った両手剣を抜き放つ。

 

「野郎ども、戦闘準備だ!サポーターを守れ!積荷を傷モンにすんじゃねーぞ!」

 

「ありがてぇ!さすが兄貴だぜ!」

 

「うるせぇ!こちとら大人数だから逃げ切れねぇんだよ!!いいから盾構えやがれ!」

 

調子のいいことを言うロイドを無視して、マックダンは仲間に指示を下した。

 

「リドゥ、魔法だ!かましてやれ!」

 

「【煉獄の炎よ】!!」

 

マックダンのかけ声と共に、背後で魔法の詠唱を終わらせていた魔法使いが一撃を放った。長年マックダンと連れ添った相方の一人で、タイミングは心得ている。

 

即座に魔法使いがかざした杖の先端から、白熱した炎が吹き出て回廊全体を埋め尽くし、魔物の群れを飲み込んだ。

 

「油断するな!後続が来る!」

 

直撃を受けた魔物達は魔石ごと炭化したが、その同胞の骸を足蹴にして、後から魔物の群れが殺到して来る。

先頭を走るのは、顎門を開いてそこから真っ赤な火炎をのぞかせているヘルハウンドだ。

 

「ベルさん、トドメをお願いします!」

 

リリルカがそう叫ぶと同時に、火を吹きかけていたヘルハウンドの口内に、正確に矢が突き刺さった。ヘルハウンドは貫かれた穴から炎が吹き出して立ち往生している。

その光景に目を見開いたマックダンの横を、さらに続けて矢が走り抜け、モンスターを串刺しにする。

 

「やるな、ちっこいの!」

 

思わずマックダンが背後を振り返ると、矢を放ったばかりのリリルカと目が合った。その目は「いいから、前向け!殴れやボケ!」と雄弁に語っている。

 

「ハァアアア!!」

 

間髪入れずに、ベルが突進してヘルハウンドにトドメをさした。両手で構えるにしては小ぶりな剣が振り下ろされると、青白い稲妻がほとばしる。

 

「ベルっち、頭下げるにゃ!!」

 

さらに、言うが早いかアンジェリカが槍を振るった。ベルが絶妙なタイミングで頭を伏せた瞬間、迫っていたアルミラージをまとめて数匹たたき落とす。

 

「ロイドさん、アンジェリカさんのカバーに入ってください!」

 

「よし来た、まかせろ!」

 

長物を振り切って無防備なアンジェリカのカバーに、盾を構えたロイドが入るのを見て、マックダンは感心した。

大手ファミリアのおこぼれに恵まれてランクアップしただけの幸運な奴ら(ラッキーズ)だと思っていたが、中々連携がとれている。

 

「奴らの足が止まった!たたみかけろ!!」

 

「「「おう!!」」」

 

この気を逃さず、マックダンが剣を掲げると、ようやく腹をくくったのか、彼の仲間も鬨の声を上げて切り込みをかけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ややあって、魔物共を残らず平らげた一行は、その場で休憩を取っていた。

どこから魔物がポップしてもいいように、周囲を交代で見張りながら負傷した仲間の手当をしつつ、水や食料を口に入れている。

 

「何とかなったね、リリ」

 

「ええ。久々に死ぬかと思いました」

 

ベル達は酷使した武器のチェックに余念がなかった。

 

普段からベルはダンジョンから戻ると、何をおいてもまず愛剣の手入れをする。モンスターを切って付着した血や脂の汚れや滲みを、丁寧に洗い落とし、錆びないように乾いた布でよく拭う。最後に薄く錆止めの油を塗って鞘に納める。

これだけのことだが、ダンジョンに潜った日には、毎日欠かさず続けていた。

 

不思議なことにこの剣は未だに刃こぼれ一つ、引っかき傷の一つもできていない。奮発して買った質の良い砥石も出番がなかった。

剣の握りの部分には適度に柔らかく弾力のある素材を巻いてあるのだが、これがまた未だヒビ割れひとつなく、よく手に馴染む。普通なら汗や垢が染み込んで崩れ解れてくるものだが、刀身と同じく多少の汚れを拭えば新品同然だった。

 

「相変わらず、刃毀れひとつない…まだまだ剣に使われてるってことだよね」

 

以前、とある冒険者とダンジョンに潜った日、結構な稼ぎを得たベルは、この剣を専門の職人の手で手入れしてもらおうと、ヘファイストス・ファミリアの店に持ち込んだことがあった。

その時に剣を突き返されながら、言われたのだ。

 

この武器は不壊属性並みの強度と切れ味を両立させ、しかも魔剣並みの魔法攻撃を放つ事が出来るという、世にも稀なる銘品。おそらくは、名のある名工が鍛えた傑作だ、と。

 

そして、同時に言われた。

お前はただ武器に使われているだけだ、と。

 

「それはリリも同じですかね。だいぶ射りましたから、真っ当な弓使い(アーチャー)なら大散財ですよ」

 

リリルカが弦に付いた汚れを布で拭い、歯車に油をさしながら、ベルに応えた。

実際、矢がいくらでも出てくる矢筒型のマジックアイテム無しでは、矢弾の代金だけで破産するだろう。弓をメイン武装に選ぶ冒険者が滅多にいない理由の一つだ。

 

「武器なんて使ってなんぼだにゃ。せいぜい振り回してやればいいって、ウチのファミリアの人らは言ってるかにゃ」

 

本職のヴェルフに槍の穂先の具合を確かめて貰いながら、アンジェリカがどうでも良さそうにそう言った。彼女はズボラな性格なのか、道具の扱いが荒っぽく、毎回のように武器を壊している。

 

「ベルやリリの武器みたいな手入れ要らずの逸品はともかく、職人としちゃあ耳が痛い話だな。武器の扱いは丁寧にするに越したことはないが、それにこだわって命を危険に晒しちゃ本末転倒。……ま、それにしたってあんたはもう少し丁寧にあつかえよな。荒っぽ過ぎて、すぐにぶっ壊れちまうぜ」

 

「にゃはは…」

 

ヴェルフが槍の穂先の差込口の歪みを修繕しながら苦言を呈すると、アンジェリカは決まり悪そうに頭をかいた。

 

ベル達がそんな事を話している一方で、ロイドはマックダンに事情説明を強いられている。

 

「…それで、慌てて逃げ出したってわけっす。面目ねえ」

 

「なるほどなぁ。だいたい分かった」

 

怒り心頭に発していたマックダンだが、怪物進呈(パスパレード)をなすりつけられて這々の体だった、とロイドが力説すると多少は怒気が和らいだ。

 

「おそらく、お前らに怪物進呈(パスパレード)を仕掛けたのは、タケミカズチ・ファミリアの連中だ。極東風の衣装を着た集団となると、他に思いつかねぇ」

 

「タケミカズチ?聞いたことねぇっす」

 

「最近、極東から出てきたファミリアだ。10名足らずの弱小ファミリアだそうだが、極東風ってのが珍しいって、そこそこ名が知られてる。もっとも……極東風といえば最近もっと名の売れてる連中がリヴィラにいるがな

 

マックダンがボソリとつぶやいたのを、ロイドは聞き逃した。

 

「とりあえず地上に戻ったらガネーシャ様と団長に話しておけよ」

 

「合点でさ」

 

彼らの所属するガネーシャ・ファミリアは都市でも最大勢力の一つに数えられていて上級冒険者をオラリオでもっとも多く抱えており、戦力はロキ・ファミリアやフレイヤ・ファミリアにも劣らない。

腕の良いモンスター調教師を多数抱え、年に1度観客の前でモンスターを調教するギルド公認の祭典である怪物祭(モンスターフィリア)を主催していることで名前が知られている。そのおかげか、冒険者達の間でも悪い噂を聞かない希有なファミリアだ。

都市最強と呼ばれてはいるが、ランクの高い者を魅了して引き抜いていくフレイヤ・ファミリアや、美形揃いでやっかまれているロキ・ファミリアなどが、凡百の冒険者から蛇蝎のごとく嫌われているため、ガネーシャ・ファミリアは相対的に評価が高い。

 

また、都市の治安維持活動を務めていることもあり、所属している団員も冒険者にしてはお行儀のいい部類に入るのだが……

 

「もちろん、お礼参りっすよね!」

 

「おうよ!お前のパーティの連中のファミリアにも声かけとけよ。抜け駆けは後で揉める元だぜ」

 

「了解っす!」

 

……それはそれとして団員に怪物進呈なんぞ仕掛けられて黙っているほど、彼らは温厚でもなければ惰弱でもなかった。

 

「まあ、それは一旦置いとくとしてだ。お前らの命を助けた俺らにも、支払いはあっていい筈だよなぁ、ロイド」

 

「感謝してます!ありがとうございましたっ!!」

 

ロイドは満面の笑みを浮かべて頭をさげた。 ほぼ土下座である。

その後頭部を足蹴にしながら、マックダンは攻撃的な笑みを浮かべた。

 

「誠意ってのは、言葉じゃなくてヴァリスの金額だぜぇ」

 

仲間の為に躊躇なく頭を下げる男気を見せたロイドだが、マックダンにも仲間はいる。

死人は出なかったが多数の怪我人が出て、予想外にポーションを消耗してしまった。同じファミリアの後輩だからといって、タダで帰してはパーティの仲間に申し訳がたたない。

 

「しょ、娼館の割引券くらいならあるっす!」

 

「馬鹿野郎!それはお前がどうしても童貞捨てたいからって、俺が連れてってやったアイシャちゃんの店のだろが! 」

 

少し離れたところでこっそり話を聞いていたベルは、わずかに顔を赤らめて、興味深げに耳をそばだてた。

 

「ベルさんの助平!」

 

「また夫婦喧嘩かにゃ?浮気は良くないにゃ」

 

その様子を見て、同じく話を盗み聞きしていたリリルカが面白くなさそうに膝をつねり、アンジェリカが囃し立てる。

 

そんな喧騒はともかくとして、マックダンは債権者を追い詰める借金取りのような邪悪な笑みを浮かべて、ロイドを追い詰めた。

 

「どうせ金ないんだろ?なら、体で払って貰う」

 

「う、うっす!お手柔らかにお願いするっす!」

 

ロイドは稼ぎの半分を装備やポーションにつぎ込み、残る半分は飲み食いや女に使ってしまう。つまり、慢性的にオケラである。

そんなことはロイドがファミリアに入団した時から面倒をみているマックダンにはお見通しだ。

 

「まあ、そう身構えんな。ようはお前らも俺のキャラバンに加われ、っていう話さ」

 

「きゃらばん?……もしかして例のリヴィラ行きの便っすか?」

 

「ああ、そうだ」

 

マックダンは頷いた。

 

18階層『迷宮の楽園』にあるリヴィラの町へ、食料や消耗品を送り届けるために、複数のサポーターと冒険者で構成されるキャラバンが組まれることがしばしばある。

リヴィラを拠点として下層に潜って荒稼ぎする上級冒険者が、行きがけの駄賃に引き受けることも多く、上と下の物価の差を利用して物資をさばくので、そこそこの稼ぎになる。

今回はマックダンがその取りまとめ役だった。

 

これまで地上からの物資の仕入れはリヴィラの住人が気ままにやっていたので、キャラバンも不定期だったが、とある店がリヴィラにできた事から、風向きが変わったとマックダンは語った。

 

どういうカラクリか、その店はリヴィラの平均的な物価に比べて売値がかなり安く、しかも大量に品物を卸しているらしい。

普通はそんなことをやらかせば、同業者から寄ってたかって袋にされそうなものだが、その店主というのが女だてらにやたらと腕っ節が強く、直接的な恐喝や嫌がらせに赴いた同業者は例外なく18階層に広がる湖の魚の餌になったという。

しかも、都市の勢力図を二分するロキ・ファミリアと太いパイプを持つらしく、手がつけられないそうだ。

 

「……さしものリヴィラの荒くれどもも頭を抱えたというわけさ。で、出した答えがこのキャラバンだ」

 

それまで各自で好き勝手にしていた仕入れを改め、手を組んで定期的に大規模なキャラバンを委託することにしたのだ。

単価を下げて真っ当に商売で対抗というわけだが、おかげでリヴィラの物価は全体的に値下がり傾向にあった。

 

もちろん、そんな事情は委託を請け負った冒険者達には関係ない。

話を聞いたロイドは不安そうな表情を隠さなかった。

 

「事情はわかったっす。でも、俺らはまだLv.2に上がったばかりっす。しばらく中層の入り口あたりで慣らしてこうかと思ってたんすよ。流石にいきなりリヴィラまではちょっとキツイっす」

 

「心配すんな。俺の見たところ、お前のパーティはかなり筋のいいのが揃ってる。あの小人族の嬢ちゃんとか、うちに引き抜きたいくらいだぜ」

 

「引き抜きは、勘弁して欲しいっす!」

 

ようやく連携がとれてきて、さあこれからという頃合いで、いきなりパーティ瓦解の危機とかシャレにならない。

特にリリルカはパーティの目と耳を兼ね備える司令塔だ。

 

「それはお前の働き次第だ」

 

「う、うっす」

 

マックダンが真顔で断言すると、ロイドが折れた。

 

「なぁに、お前らにも悪い話じゃあないだろう?リヴィラまで引率付きで遠征できる機会なんざ、そうはないぜ」

 

「確かに、いずれはリヴィラに行きたいと思ってたっす」

 

そう言われると、ロイドにもこれがチャンスに思えてくる。

大手のガネーシャ・ファミリアに所属しているとはいえ、ランクアップしたばかりのロイドが大人数の遠征に加われる機会はそうそうない。中小ファミリア所属の他のパーティメンバーにいたっては、それこそ滅多にないチャンスだろう。

 

「リヴィラの依頼主どもが積荷を欲張りすぎてな、サポーターの手が足りてねぇ。重いし嵩張るしで青息吐息さ。ていうか、さっきもちょっと危なかった。かといってフリーのサポーターってのは、当たりハズレがあるだろう?その点、お前らなら御誂え向きだ」

 

つまりはリヴィラまでタダで荷物運びをさせたいらしい。ついでに護衛としても期待されている。

 

「行き帰りの飯と水、それにリヴィラでの寝床は保障してやる。ついでにヤル気があるなら、ダンジョン下層ってのを体験していけばいい。いい経験になるぜ」

 

ファミリアの先輩にそこまで言われると、ロイドも徐々にヤル気になってきた。

 

「…ちょっと仲間と相談させて欲しいっす」

 

「おう、もう少し休んだら出発だ。早くしろよ」

 

結局、そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまん!そういうわけで頼む!」

 

両手を目の前で合わせて、頭を下げるロイドに、仲間達も苦笑した。

 

「僕は気にしてないよ、ロイド。大人数の遠征に参加するなんて初めてだから、むしろ楽しみだよ!」

 

まず、ベルが乗り気で頷いた。

 

「ですね。そもそも、あの人達に助けてもらわないと危なかったわけだし。でも少しくらい手間賃が欲しいですかね」

 

リリルカが抜け目なく賃上げを交渉できないかと提案する。

 

「そいつは働き次第だってさ。すまねえが、そのな…」

 

「ああ、そこまでこだわってませんよ。さっきのパスパレードの魔物の魔石も半分貰えたし、収支はトントンだと思います。いずれリヴィラに行くための訓練だと思って、今回は割り切りましょう」

 

リヴィラ行き自体には、ヘスティア・ファミリア所属の二人は特に問題ないようだった。実際、弱小ファミリアからすれば、むしろ良い機会なのだ。

ベル達にとって心配なのは拠点(ホーム)に残してきた主神様が心配することだった。

18階層までとなれば、あと5階層分の距離だ。行き帰りを含めて二日分は見ておく必要があるだろう。

元々ダンジョン中層へのトライとなると、往復にも時間がかかる。最悪何日かは帰らないと、出てくる時に主神には告げているので、問題はないだろうと考えた。

 

「まあ、しゃあないかにゃ。ガネーシャ・ファミリアまで敵に回したくないし。ていうか例の連中、タケミカヅチ・ファミリアだったっけ?……奴ら、絶対締め上げちゃる」

 

アンジェリカは不承不承頷いたが、心は怪物進呈をやらかした連中への報復に傾いているらしい。ここはガネーシャ・ファミリアに歩調を合わせるべきだと考えたのだろう。

 

「俺もいいぜ。Lv.1でリヴィラまで行けるなんざ、思ってもみなかった。それに、うちの団長がロキ・ファミリアの遠征に同行して深層に潜ってるんだ。うまくいけば、リヴィラで落ちあえるかもしれない」

 

ヴェルフにも異存はないようだ。

 

「じゃあ、行くか、リヴィラへ!」

 

「「「異議なし!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

……この判断が、後にリヴィラにとてつもない災いを招くキッカケになろうとは、この時は誰も予想していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

時同じくして、一人ホームに残っていたヘスティアの下に、珍しい来客が訪れる。

 

「やあ、タケ!久しぶりじゃないか!」

 

久しぶりに会うヘスティアの友神、タケミカヅチは顔色が悪かった。

 

「…ヘスティア、久しいな」

 

「今、うちの子たちはダンジョンに行っていて、何日か留守でね。あいにく何もないけど、ゆっくりしていってくれよ!」

 

ひとまずお茶と、バイト先からもらってきたジャガ丸くんを用意しようとしたヘスティアの前にもう一人、珍しい来客が姿を見せる。

 

「やあ、ヘスティア。久しぶりだな」

 

「…ヘルメス?まさか君がタケと一緒に訪ねてくるなんて、珍しいね」

 

困惑するヘスティアの前で、いきなりその場に土下座するタケミカヅチ。

 

「ヘスティア、すまぬ!この通りだ!」

 

「…?いったい、どういうことだい?」

 

神・ヘルメスはなんとも言えない薄ら笑いを浮かべながら、その様子を眺めていた。

 

 



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第17話

ガネーシャ・ファミリア主導のキャラバンに参加してから二日目の昼過ぎ。ベル達はリヴィラの町にたどり着いた。

 

リヴィラには入場税がなく外壁もない、ギルドの衛兵もいない。岩肌むき出しの小山の上に柵をぐるりとめぐらし、粗末な掘立小屋がびっしりと立ち並んでいるといった風情で、見た目はなんとも粗末なものだが、独特の活気がある。

そこらじゅうで古びた装備を売ったり修理をしたり、即席のパーティーを集めたり、食べ物や消耗品や情報を売ったりする者達がひしめき合っている。素材や魔石の買い取りを呼びかける者や、治療はいりませんかと呼びかける施療師らしい者もいた。

まるでスラムと歓楽街と職人街が合体したような雑然としたありさまだが、住人はいずれも武器や防具を帯びた冒険者だ。当然ながら堅気は一人もいない。

 

街の中にはボロ布を敷いて品物を並べただけの露店がびっしりと並んでいるのだが、どれも目の玉が飛び出るくらいの値段がつけられていた。なるほど、道理でこんなキャラバンが組まれるはずだとベルは納得した。

意外にも情報通のアンジェリカに聞くと、これでも以前に比べると値がだいぶ下がったのだという。ここ最近、リヴィラではあらゆる品物が値崩れを起こしているそうだ。

 

「原因はアレ」

 

アンジェリカは意味深そうな笑みを浮かべて、とある方向に顎をしゃくった。

やや奥まった一角、立派な丸太づくりのログハウスのような建物が一軒だけポツンと建っている。入口の大扉はあけ放たれていて、人がひっきりなしに出入りしているのが見えた。

大手のファミリアの拠点かギルドの出張所だろうかと、ベルは首をひねったが、アンジェリカは「ベルっちは知らないほうがいいにゃ♪」と教えてはくれなかった。

 

それはともかく迷宮の楽園(アンダーリゾート)に辿り着いた当初こそ、「イヤッッホォォオオォオウ〜!!ついに来た、18階層!!」 等と騒いでいたベルだったが、着いてから早々にやらされたのは大量の荷物の整理だ。

サポーターに交じって目一杯に箱詰めされた荷物を取り出し、リストのとおりに並べ替え、傷や痛みがないか一つ一つ確認する。あらゆる物が高額で取引されるリヴィラでは、小さな品物一つとて大事な商品、無下にすることは許されない。

リストとにらめっこして「あれがない!」「これはどこ?!」と右往左往していると、気が付けば深夜になっていた。

 

今更のようにそれまでのモンスターとの連戦や、17階層で出会した階層主(ゴライアス)との遭遇戦の疲労が一気に襲いかかり、思わず寝転がったところで、ベルはようやくソレに気が付いた。

 

「…きれいだなぁ」

 

18階層の天井に輝く、星明かりにも似たクリスタルの輝き。

思わずここが地下空間(ダンジョン)であることを忘れて、ベルは見入った。

 

ほんの数ヶ月前、生まれ故郷の寒村では、毎日のように見ていた光景だ。

オラリオに来てからは朝から晩までダンジョンに潜り、ホームに帰っても疲れて早々に寝てしまうという生活を繰り返していたせいか、もはや懐かしささえ覚える。

オラリオは魔石の産地だけあって、街灯が市街地の至る所に潤沢に使われていて、絶えることなく人の営みを照らし続けているせいか、空はこれほど昏くはない。

 

ぼんやりと、そんなことを考えていたベルの頭上に、影が落ちた。

 

「ベルさん、起きてます?」

 

視線だけそちらに向けると、同じように疲れた顔をした小人族(パルゥム)の少女と目が合う。

パーティの目と耳を担う野伏(レンジャー)のリリルカ・アーデだ。弓の腕は百発百中だし、危険な先行偵察も難なくこなすので、パーティメンバーからも一目置かれている。

ベルとは同じファミリアに所属しているため、最近は何かと行動を共にする機会が多く、仲が良い。

 

リリルカは水浴びでもしていたのか、髪に湿り気を帯びていて、微かに石鹸の良い匂いが漂ってきた。

いつも身につけている黒いコートを脱いでいて、赤いビスチェとショートパンツを身につけただけのラフな格好だ。

 

リリルカは両手に白い湯気の立つ木の椀を二つ抱えていた。どうやら‪今日の夕食‬らしい。

食べ物の臭いを感じ取ると、とたん空腹を思い出したかのように、ベルの腹が「くぅ」と鳴った。

顔を赤らめるベルに、リリルカは笑いながら椀を一つ差し出した。

 

「これ、‪今夜の‬ご飯です。あまりおいしくないですけど、量はたっぷりありますよ」

 

キャラバンに参加して以後の食料はガネーシャ・ファミリアのキャンプから配給を受けているのだが、中身は可も無く不可も無く。大量に汗をかく肉体労働者向けに塩味が強く、しかし量だけは十二分に支給されていた。典型的な冒険者の食事だ。

 

「うん、ありがとう」

 

ベルが体を起こして椀を受け取ると、リリルカも足下を軽く払って隣に座り込む。

碗に突き込まれていた木の匙を手に取ると、しばしの間、二人は無言で椀の中身を口に放り込む作業に没頭した。

 

椀いっぱいに盛られていたのは、干し肉を湯がいたスープで雑多な乾燥豆を煮込んだだけのものだったが、かすかに香草(ハーブ)の香りがして食欲を刺激する。塩味がきついが、酷使したばかりの体には不思議とよく馴染み、二人とも瞬く間に食べてしまった。

 

「ごちそうさま!」

 

「お粗末でした。あ、コレも食べます?」

 

そう言って、リリルカが懐から取り出したのは、不揃いに砕けた飴玉だった。

なじみの雑貨屋で仕入れて、冒険の移動中に口に含んでいるらしい。小人族は体格にも体力にも恵まれていないので、なるべくこまめに栄養補給しているという。サポーター時代からの習慣だそうだ。

 

「アンズ味はこれで終わりなんです」

 

リリルカから受け取った飴玉の、甘酸っぱい風味に舌鼓を打ちながら、ベルは感心した。

顔色一つ変えずにパーティに先駆けて斥候を果たし、頼れる弓の腕で戦闘をこなしているリリルカも、こういう目に見えない努力をしている。

 

そう褒めると、何故かリリルカは苦い笑いを浮かべた。

 

「…下積みが、長かったのですよ」

 

あまり口に出さないが、サポーター時代に色々と辛酸をなめてきたらしい。

自分がほんの一月余りで駆け抜けてしまったLv.‪1時‬代を数年もの間、彼女がどんな風に耐えてきたのか、ベルは改めて聞いたことはなかったし、リリルカもあえて口にはしなかった。

 

少し気まずくなって、ベルは再び天を仰いだ。そんなベルの視線を追って、リリルカも星空を見上げる。

 

「…来ちゃいましたね、18階層」

 

「うん」

 

「途中で死ぬかと思いましたけどね。怪物進呈(パスパレード)されたり、階層主が出現するところに出くわしたり」

 

「うん、でも来れたね」

 

「来れただけですけどね」

 

「しょうがないよ。今度はキチンと準備して、僕らだけで来よう」

 

「え?…そ、それって…」

 

何故かリリルカは顔を赤らめると、ベルの手に自らの掌を重ねてきた。

 

小さな手の温もりに内心でドギマギしながら、ベルはそっと横目でリリルカの横顔を覗き見る。

湿り気を帯びて肌に張り付いた髪、赤く色づいた頬、淡く吐息を漏らす唇、心なしか潤んでいる瞳を見て、動悸が早くなるのをベルは自覚した。可愛い、と思う。

種族の特性上、リリルカはかなりの小柄ではあるものの、なかなかに出るとこは出ている抜群のスタイルをしている。 服装もパーティでの役割上、動きやすいものを着用しているそうなのだが、胸が強調される赤いビスチェやヘソ出しルックのホットパンツが今は妙に扇情的に感じられた。

意識してしまうと、我知らずベルの全身は熱に冒されたように火照った。命がけの冒険をこなしてきた達成感と、死線を乗り越えた開放感が合わさり、奇妙な陶酔感が、ベルを酔わせていた。

 

同じファミリアに所属する冒険者同士。しかもLvが同じで互いに得手不得手が噛み合うせいか、ペアでダンジョンに潜る事も多い。女の子として、リリルカを意識しないわけがない。

しかも、今は周囲を薄暗がりに包まれて二人きり。…これは、そういう事だよね。

 

不意に、偉大な祖父の教えがベルの脳裏をよぎった。

 

『ベルよ、英雄は色を好むものだ!』

 

幼い頃から英雄に憧れていたベルを、出会いを求めてオラリオへと駆り立てた偉大な金言。

 

ベルはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「……リリ」

 

ベルは、リリルカの手を握り返した。掌を合わせると、リリルカもまたベルの指に自らのそれを絡ませてくる。

ベルの手がそうであるように、触れるといくつもの小さな傷があり、指もやや太く長い冒険者の手。 でも、男のソレとは明らかに違う、女の子の手。柔らかくて艶があって、温かい。

 

「…ベルさん」

 

潤んだようにこちらを見返す瞳に吸い寄せられ、ベルはその顔をのぞき込んだ。

空気は甘く熱を帯びる一方で、それがむしろ当然のように思えて、互いに見つめ合う。後は、言葉はいらなかった。

 

リリルカがそっと目を閉じ、ベルはその顎に手を添えて上向かせる。

一瞬だけ、脳裏に金髪の少女の顔がよぎるが、もう二人の唇は互いの呼吸を感じとれるほどに距離を詰めていた。

 

リリルカの豊かな胸がベルの胸板に当たり、二人の唇が軽く触れ合う瞬間………リリルカの体が、ビクリと震えた。

 

「?!…だ、誰か来ます!」

 

リリルカの短めの赤毛を纏めているヘアバンドのうさ耳が、ぴょこぴょこと揺れている。

 

「え⁈…う、うん!」

 

ベルは我に却った。慌てて顔を離す。

 

このウサ耳の付いた可愛らしいヘアバンドは、単なるアクセサリーではない。聴力を増幅してくれる魔道具だ。

いたるところからモンスターが湧き出すので、一時たりとも気の抜けないダンジョンの中では極めて重宝する代物だが、そのことを打ち明けられているのは、今のところパーティの中でもベルだけである。

 

リリルカは探るように周囲を見回しながら、耳を澄ませた。

 

「…一人、こちらに走って来ます。その後ろから複数…かなりの人数です!」

 

「わ、わかった!」

 

気恥ずかしさを誤魔化すように、ベルは愛剣を構えた。

 

…どうかしていた。色々と疲れていたし、場の雰囲気にのまれてしまったのかもしれない。

やり場のない悶々とした思いを抱えるベルの傍らで、リリルカも石弓を構えている。

 

「せっかくのチャンスが…勝負下着だったのにぃ…!!」

 

何故かリリルカは般若のような顔つきをしていたが、幸いにもベルは気が付かなかった。

 

なお、一般的な冒険者稼業における出会いがある女子とそうでない女子は両極端である。堅気の男性とはそもそも生活環境の違いから反りが合わないので、冒険者仲間でくっ付くのが理想であるとされているが、それもハードルは高い。

ブラックな労働環境(ソーマ・ファミリア)から解放され、レベルもあがり、ようやく真っ当な冒険者としての将来の夢や展望を抱き始めた頃合いで、今更ながらにそんな恋愛環境に気が付いたとある女性冒険者(リリルカ・アーデ)が、将来有望で性格良くてルックスもイケてる年下の身近な男性に、コロッといったりするというのは無理のない話であろう。

 

各々、相異なる感情を持て余しながら、不埒な乱入者に意識を集中する二人だったが、状況そのものは剣呑極まりない。

18階層に降りる前に、この場所で何より恐るべきはモンスターではなく同じ冒険者だと、パーティメンバーからよく言い聞かされていた。

冒険者の町・リヴィラは、またの名を無法者の町。ここに屯している冒険者は諍いを起こして地上にいられなくなった本物のアウトローが多く、しかも独力で18階層まで到達できる実力を持っている。腕っぷしが強い上にガラの悪いのが揃っているため、少しでも油断すると身包み剥がされて草葉の陰に放り出されかねないという。

 

「来ます!……え?」

 

デバガメ野郎にまず一発、脳天に矢を撃ち込んでやろうと舌舐めずりしていたリリルカだが、何かに気付いたかのように、慌てて石弓のトリガーにかかっていた指を離した。

 

「どうしたんだい、リリ…?」

 

首を傾げるベルだが、次の瞬間、疑問が氷解した。

 

「べるぐんのうわぎもの〜〜!!!」

 

「か、神様ぁ?!!!」

 

乳とツインテールをあらぶらせ、全力疾走から飛びついてきたのは、地上で彼らの帰りを待っている筈の主神様だった。

 

目を白黒させて驚くベルだったが、さらに続けてヘスティアの後ろから、独特の東洋風の衣装に身を包んだ集団が現れる。

 

「あ!怪物進呈(パスパレード)の?!」

 

リリルカが目を剥き、敵意も露わに石弓を構え直した。

和装の集団も緊張の面持ちでこちらを見ており、ベルもヘスティアを守るように剣を構え、背後に庇う。

だが、さらにその背後から、彼らを警戒するかのように、見知った顔が現れた。

 

「よお、ベル」

 

「お楽しみ中だったかにゃ?」

 

ベル達のパーティーメンバーに加えて、ガネーシャ・ファミリアの一行がゾロゾロと後に続き、油断なく和装の集団を睨め付けているのを見て、いよいよ訳がわからないとベルとリリルカは顔を見合わせた。

 

「これは、いったいなんの騒ぎですか?」

 

「見てのとおりさ。ま、騒ぎになるかどうかは奴らの態度次第だな」

 

そして。

 

「やあ、君がベル・クラネルだね。俺はヘルメス。ヘルメス・ファミリアの主神さ」

 

胡散臭い笑みを浮かべた男神が、空気を無視して進み出たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

…時はしばし巻き戻る。

 

 

 

 

 

 

 

その日、ヘスティア・フィミリアのホームである廃協会には、三柱もの神々が集っていた。

竈の守り手にして処女神、孤児達の守り手たる女神・ヘスティア。

東方からオラリオに出てきたばかりの武神・タケミカヅチ。

そして、オラリオ一胡散臭いと評判のヘルメス・ファミリア主神、ヘルメス。

 

「…というわけでね、うちのアンジェリカや、君のところのベル・クラネルはタケミカヅチ・ファミリアのパーティに怪物進呈されて行方不明というわけだ」

 

神、ヘルメスの説明は簡潔であったが要所を抑えており、ヘスティアはすぐさま状況を理解すると同時に、全身が粟立つかのような恐怖を感じた。

ベル・クラネルにリリルカ・アーデ。たった二人しかいない自らの眷属がダンジョンで生死不明。それは、初めて眷属を持ったヘスティアにとって、例えようもない恐怖に他ならなかった。

 

「すまぬ!!このとおりだ!!」

 

同時に、未だに土下座の姿勢を解いていないタケミカヅチの尋常ではない様子も理解した。

 

思わず怒鳴りつけたい気持ちを押さえつけて、口を開く。

 

「…状況は理解したよ、タケ。大事な眷属を危険に晒されたとあっては、流石のボクも冷静ではいられないな」

 

いつになく険しい顔をしたヘスティアがそう言うと、ヘルメスも常日頃浮かべている胡散臭い笑みを消してうなずいた。

 

「俺もまったく同感だ。だが、もっと冷静でいられないのはガネーシャだろうな」

 

ヘルメスの口からその名が出ると、土下座の姿勢を維持したままのタケミカヅチの背中が、はっきりと震えた。

 

「うちやヘスティアみたいな零細ファミリアならいざ知らず、相手はオラリオ最大規模の探索系ファミリア。規模も戦力もロキやフレイヤのところに勝るとも劣らない。話の持って行き方次第では、せっかく怪物進呈なんてしてまで生き延びた眷属もろとも、お前のファミリアは潰されるぞ」

 

ガネーシャは享楽的で退廃的な神々の中では、酷く稀な常識神(じょうしきじん)で、誰に対しても分け隔てなく接する紳士的な神の筆頭格だ。ギルドに協力して都市の治安を一手に引き受けるなど、ウラヌスからの信頼も厚い。

だが、決して温厚なだけの相手ではない。

サンスクリットで群衆(ガナ)(イーシャ)を意味する神性は、神々の中でも特に人間(こども)達への愛が深く、時に苛烈ですらある。

かつて自ら主催した怪物祭で闘技場のモンスターが街へ逃亡した際などは、メンツから自分達だけで対応しようとした団員を叱りつけ、民衆を守ることを優先して他のファミリアへ支援を要請している。さらには事件の黒幕と目された女神フレイヤに対しては常になく激怒し、眷属達を率いてフレイヤ・ファミリアのホームに乗り込んだという。

あの時はギルドの取りなしにより、フレイヤの活動自粛とファミリア資産を半分没収することで事なきを得たが、一歩間違えばフレイヤ・ファミリアとガネーシャ・ファミリアの全面戦争に発展しかねず、オラリオに激震が走ったのは記憶に新しい。

 

今回のケースでは、奇しくもヘルメスが口にしたようにいきなり潰される事はないだろうが、ただで済むとも思えない。

 

「それが分かっているから、まず俺やヘスティアに話を通したんだろ?ヘファイストスのファミリアの眷属も巻き込まれちゃいるが、あそこは生産主体だから戦力自体はそう多くない。最悪でも、荒事にはならないだろうぜ」

 

タケミカヅチは沈痛な面持ちで頷いた。

タケミカヅチはかつては極東で自らが庇護した子供たちと共に暮らしていた。今現在の眷属達は、幼いころに両親を失った孤児で幼少期からタケミカヅチが面倒を見ていた者も多く、文字通りわが子も同然。その不始末を詫びるためなら、タケミカヅチはなんでもするつもりだ。

 

「この後、ヘファイストスのところに詫びを入れに行くつもりだ。もちろん、ガネーシャにもな。…いざとなれば、俺のこの首ひとつで事を収めてもらう腹づもりだ。だから、まずはお前達に頭を下げに来た」

 

自分が天に強制送還される前にと。

それを聴くと、ヘルメスは呆れたように鼻を鳴らした。

 

「相変わらず真面目だねえ、タケ。…けどさ、誠意ってのは言葉ではなくて行動だぜ」

 

非の打ちどころのない正論だが、それが常日頃から胡散臭い行動ばかりしているヘルメスが口にすると、鼻につく。

ヘスティアは何やら不穏なものを感じたが、口には出さなかった。タケミカヅチも同じものを感じたのか、土下座の姿勢から顔だけ上げて、ヘルメスを見上げる。

 

「…どうしろと、いうのだ?」

 

「つまりさ、ガネーシャに首を差し出す前に、やれる事はやった方がいいって話」

 

と、そこでヘルメスは唇を歪ませて笑みを浮かべた。それは側で見ていたヘスティアが怪訝に思うほど明るい笑顔で、トンでもないことを口にする。

 

「ダンジョンに行こう!俺たちの手で彼らを救出するんだ!」

 

「ちょ!ヘルメス待った!」

 

流石のヘスティアも止めに入った。

何せ神がダンジョンに潜るのは地上における禁忌の一つだ。怪物達は自らをダンジョンに押しとどめている神に対して、極めて強い殺意を抱いている。つまり、飛んで火にいるなんとやら。あまりに危険だ。

 

「だからこそ、誠意を示すには、これ以上ないだろう?」

 

誠意という言葉からは、あまりにも程遠い胡散臭い顔でヘルメスは断言した。そして、例え彼らが手遅れになっていたとしても、そこまですればガネーシャなら温情を示すだろ?と、言葉巧みにタケミカヅチを諭す。

 

一方で、内心では気が気ではないヘスティアもまた、この提案には聞くべき点があった。

神の与える恩恵は、与えた眷属が死亡すると消え失せる。そのことを、恩恵を与えた神は何処にいても知ることができるのだが、少なくともヘスティアの眷属達は未だ死に至ってはいない。

 

「なら、ボクも行くよ!」

 

ヘスティアも腹を括った。ヘスティアにとっては、眷属の身の安全こそが、何より優先されるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そんな覚悟を決めてダンジョンにやってきたというのに、君ってやつは!君ってやつは〜!」

 

ヘスティアはベルの首根っこにしがみついてツインテールを荒ぶらせ、豊かな胸をベルに押し付けている。

 

「だよなぁ。全員無事だわ、何事もなくリヴィラに遠征してるわでさぁ。ぶっちゃけ、別に俺らが来る必要なかったんじゃね?」

 

ヘルメスは身も蓋もない一言を放ち、場を凍らせた。

 

「うんうん、さすが新進気鋭のラッキーズ!!お前のとこのファミリアにやられた怪物進呈(パスパレード)なんざ心配する必要すらなかったようだな、タケ!!」

 

とりあえずこちらのパーティメンバーが全員無事だったと知って一息ついていた神・タケミカヅチが、その一言で再び顔を青ざめさせた。

 

「すまなかった!このとおりだ!」

 

そして、躊躇なくその場に土下座する。

 

「お、おやめください、タケミカヅチ様!!」

 

悲鳴のような声を上げて、眷属たちが慌てて取りすがろうとしたが、タケミカヅチは一瞥にもせず、ひたすら頭を地につけて只人の子達に許しを乞うている。

 

「これは、ケジメだ」

 

土下座である。まごうことなく土下座である。

 

「うわぁ…」

 

それを見て、さすがのリリルカもうめき声を抑えられなかった。実のところ怪物進呈をやらかした連中を前にして、内心では怒り心頭に達していたのだが、いきなり冷水をぶっかけられた気分である。

 

神というのは冒険者の都市であるオラリオでは絶対の存在だ。非力な人の身で迷宮に挑み、モンスターを相手にできるもの、神々がもたらす恩恵(ファルナ)があればこそ。

石を投げれば神に当たると言われるほど神が大量に集っているオラリオでは、神の存在は珍しくもないし、性格的にも能力的にも当たりはずれが激しいが、少なくとも神を至上のものとして敬うのはオラリオの平均的な価値観だ。

その神が人に頭を下げるなど、かつてソーマ・ファミリアにひどい目にあわされ続けてきたリリルカですら、本能的に拒否反応がでる。

 

土下座する主神の背中を見詰めるタケミカヅチ・ファミリアの連中は、それこそ目から血涙を流さんばかりにしていた。リリルカ的にはザマーミロなのだが、さすがに神に頭を下げさせたままというのはいくら何でも、気分が悪すぎる。

先ほどまで極めて凶悪な笑顔を浮かべて状況を見守っていたガネーシャ・ファミリアのメンツすら「おいおいやり過ぎだろう!」と顔を青ざめさせていた。それほど神はオラリオの住人にとって重い。

 

思わずリリルカは自らの現主神であるヘスティアに視線を飛ばしたのだが、普段は喜怒哀楽を素直に表すこの主神にしては、珍しく無表情で成り行きを見守っている。ベルを危険にさらされたことがよほど腹に据えかねたのかもしれない。

 

そんな重すぎる空気を吹き飛ばしたのは、やはりこの神物(じんぶつ)だった。

 

「ハハッ、頭なんて、いくら下げてもタダだからねえ。やっすいもんだよな!」

 

…というか神をガンガンに煽ってるこのヘルメスとかいうのは何者だ?ああ、神様ですか。そうですか。と、リリルカはそこで考えるのをやめた。

 

「ヘルメス様、どうかそのぐらいで」

 

「お前は優しいなぁ、アスフィ。…じゃあ、少し真面目な話をしようか」

 

さすがに見かねたのか、眷属らしき眼鏡の女性が割って入ると、ヘルメスは遊びは終わりとばかりに本題を切り出した。

 

「つまりは、落とし前だよ。単刀直入にいくらまで出せる?」

 

金は命より重い、と言わんばかりの口調である。

 

「な!…へ、ヘルメス様!それはタケミカヅチ様ご自身がダンジョンに向かう事で、お許し頂けるとのことではなかったのですか!?」

 

堪らず口を挟んだのは、タケミカヅチ・ファミリアの団長を務めるカシマ・桜花。そもそも負傷した団員を抱えていてやむを得なかったとはいえ、ベル達のパーティに怪物進呈を行う決断をしたのはこの男である。だが、結果としてファミリアにこのような危機を招いてしまったという自責の念があった。

 

ヘルメスは桜花をアホを見るような目で眺めた。

 

「ああ、あくまでガネーシャならそれで許すだろう、とは言ったな。でも俺が可愛い眷属の受けた仕打ちを許すなんて、一言も言ってないぜ?なあ、辛かったろう、アンジェリカ?」

 

「ううう、ヘルメス様!コイツらに怪物進呈された時は生きた心地がしなかったにゃ!コイツら血も涙もない鬼畜ですにゃ!仇とって欲しいにゃあ!」

 

などと言いながらヘルメスに抱きつくアンジェリカ。わざとらしく目元を覆い、泣き真似をしながら、悪意たっぷりの視線でタケミカヅチ・ファミリアを窺っている。

一方のヘルメスも大仰にアンジェリカをかき抱き、外連味たっぷりの仕草で頭を撫でた。

 

「よく無事でいてくれたな可愛い眷属よ!心配で心配で、いてもたってもいられなかったぞ。見ているがいい、この不始末のツケはタケミカヅチがキッチリ支払ってくれるだろう!」

 

「まさかヘルメス様自らダンジョンに迎えに来てくれるなんて、あたしは幸せものだにゃあ!慰謝料たっぷりなら余計に幸せになれるにゃあ!」

 

そして、二人揃って抱き合ったままタケミカヅチをチラ見した。実によく似た主従である。

 

「…で、できうる限りで。それでなんとかならないだろうか?」

 

タケミカヅチは蚊のなくような声を絞り出した。

 

「よーし、言質はとったからな、タケ?」

 

「よっしゃ!示談成立だにゃあ!復讐とか1ヴァリスにもならないにゃあ!」

 

主従は抱き合って喜んでいるが、それで話は終わりではない。

 

「…とまあ、そんなわけで納得してもらえないかな、ガネーシャの子達よ?主神直々に助けに来たのは確かだし、最低限の仁義はきってるわけじゃん?流石に今更お礼参りとはいかないんじゃないかな、ガネーシャの性格的にね」

 

後ろにロイドを従えたマックダンが、苦々しい顔をしてヘルメスを睨みつけた。

相手が神でなければ怒鳴り散らして噛み付いていただろうと言わんばかりの表情だ。

 

「まあな。だが、ヘルメス様、怪物進呈を食らったのはあんたのところだけじゃねえ。当然、支払いはうちのファミリアにもあるはずだよなぁ?」

 

奇跡的に死人は出ていないし、彼らの主神・ガネーシャならば、ここまで筋を通したなら、水に流すに違いない。

マックダン個人としても、あとは金額の折り合いさえつけば(もちろん、実際に金が支払われる弟分のロイドから、手数料兼迷惑料としてささやかな額を分取るのは正当な取り分だ)手打ちとするのに十分な落とし所だと考えている。

取り分を増やすためにも、ヘルメス・ファミリアに主導権を持っていかれるわけにはいかない。金は命より重いのである。

 

「そ、そうですよ!うちのファミリアは2人も巻き込まれてますからね!分け前はその分を考慮してもらわないと!」

 

リリルカもまた果敢にタケミカヅチ・ファミリアをにらみつけた。

 

なお、笑顔とは元来攻撃的なものであり、この時マックダンがリリルカに向けた「口を挟むんじゃねえ!」とでも言いたげなソレも、彼女が速やかに下着を取り換える必要性を覚えるくらいには刺激的であった。だが、そこで引いては元・守銭奴(ソーマ)ファミリアの名折れである。

 

三者が如何に自らの取り分を増やそうかと互いに睨み合う横で、割を食うのが確定的に明らかなタケミカヅチ・ファミリアの面々は、まるでお通夜の如き様相を呈していた。

 

「あ、あのさリリ。僕らは全員無事だったんだし、その、あんまりむごいことは…」

 

「ベルさんは黙っててください!」

 

流石に哀れになったのか、助け船を出そうとしたベルをリリルカはぴしゃりとはねのける。今のリリルカには「金銭>恋愛」である。むしれる時にむしれる所から徹底的にむしり取るのは冒険者の嗜みだ。

 

「いやいや、もちろん君らをハブる気はないよ!」

 

ニタニタと胡散臭い笑顔を浮かべながら、分かっているとばかりにヘルメスが頷いた。

そして、背後のタケミカヅチ・ファミリアには見えないように、指を2本立ててみせる。取り分はこのくらいでどうだという意思表示だ。

 

マックダンとリリルカは目配せを交わした。この瞬間、タケミカヅチ・ファミリアを横に置き、二人にとっての交渉相手はヘルメスへと切り替わったのだ。

マックダンは無言で首を横に振って不満を表し、指を4本立ててみせた。一方でリリルカは左右の手で指を二本ずつ立てて自分とベルを交互に指さし、二人分よこせと主張している。

 

そこからは仁義なき戦いの始まりだった。ときおり小声でやり取りを交え、指でレートを示す高度な駆け引きが繰り返され、やがて三者の間で合意が成立する。

 

「じゃあ、そういうことでよろしく!」

 

「仕方ねぇ、負けといてやるよ」

 

「ごちそうさまです」

 

そして、三人に突きつけられた金額と条件に、タケミカヅチは目をむいた。 彼のファミリアの年間収益のざっと10年分に匹敵したからだ。いくらなんでも無体であろう。

 

「こ、こんなとんでもない金額を払えるあてはないぞ!!」

 

タケミカヅチの必死の抗議を、ヘルメスは涼しい顔で受け止めた。

 

「分かってるって。俺のファミリアで立て替えてやるから安心しろよ。その代わり、色々と働いてもらうことになるけどな」

 

ヘルメス・ファミリアといえば、オラリオでも胡散臭いファミリアの筆頭格である。都市外の裏組織や、闇派閥とすら取引があると噂されており、借金を盾にどんな無茶を押し付けられるか知れたものではない。

 

「いいじゃないか、それでお前のかわいい眷属の安全が買えるんだ。なあ、アンジェリカ?」

 

「ヘルメス様ぁ、あたし、怪物進呈のせいで身も心もボロボロだにゃあ!なのにこいつら誠意の一つも見せないにゃあ!!悔しいにゃあ!」

 

「ああ、可哀想なアンジェリカ!安心するがい、タケミカヅチは俺たちの中でも神格者で名が通っている。心配しなくとも、ちゃあ~んと誠意を見せてくれるさ。そうだろう、タケ?」

 

もちろん、ここでいう『誠意』とはヴァリスの金額のことである。

 

「…あ、ああ」

 

タケミカヅチは項垂れた。

もはや哀れな債務者にかけられる慈悲はなく、後はあれよあれよという間に話が進められていく。そして、ヘルメスが何処からか取り出した契約書に、タケミカヅチ自身の神の血(イコル)で血判を押した瞬間、タケミカヅチ・ファミリアからはこの世の終わりのようなうめき声が上がった。

 

なお、この契約書はヘルメス・ファミリア団長にして万能者(ペルセウス)の二つ名を持ち、『神秘』のレアアビリティによって魔道具(マジックアイテム)を製作する稀代の魔道具作製者(アイテムメーカー)、アスフィ・アル・アンドロメダの特注品だった。よりによってそんなものに神の血(イコル)で血判してしまったわけであり、もはや契約の強制力は神の力(アルカナム)にも等しい。

交渉相手の無知に付け込んで不利な契約を結ばせ、借金のカタに嵌めるのは典型的なヤクザ・クランのやり口であるが、ヘルメス・ファミリアでは稀によくある常套手段であった。

 

契約書が尋常の代物ではないことに目ざとく気づいたマックダンとリリルカは揃ってドン引きしていたが、別にタケミカヅチ・ファミリア以外は誰も損をしないので、もちろん黙っていた。沈黙は金である。

生き馬の目を抜く冒険者業界では、隙を見せた同業者は即座にカモへと変わる。水に落ちた犬はみんなで囲んで棒で叩くべきである。

 

さて、詐欺師も真っ青な手法で邪悪な契約を成立させたヘルメスといえば、契約書の文言と署名欄を何度も丁寧に確認していたのだが、やがて満足がいったのか、朗らかな笑顔を浮かべた。

 

「よし、これでいい。悪いようにはしないから安心しろよ」

 

タケミカヅチの胃がキュッと音を立てた。まったく安心できない。

 

「…ヘルメス、借金の件は承知したが、あまりに無体なことを眷属達に強いる気ならば、私にも考えがあるぞ」

 

相手は悪名高いヘルメス・ファミリアである。眷属たちを守るための契約で眷属たちを危険にさらし、あまつさえ悪事に手を染めさせるようなことになっては、本末転倒。

 

タケミカヅチはいざとなれば、ファミリアを解体して眷属たちを他の神にゆだね、一人で借金を背負う心算であった。神の血を用いた契約の強制力は強力だが、あるいは契約した神が天界へ送還されれば、その限りではない。

眷属()達を守るためならばと、ダンジョンに入る前に、すでに腹は括っている。

 

「そんな覚悟完了みたいな顔をしなくとも、無茶振りしたりしないよ。俺とお前の仲じゃないか?」

 

そんなタケミカヅチの悲壮な決意も、ヘルメスはどこ吹く風で受け流し、いかにも親しそうに無理やり肩を組むとその耳元にささやく。

 

実際の所、今のヘルメス・ファミリアは猫の手も借りたいくらい人手不足だった。

ちょっとした事情で24階層で起きたモンスターの大量発生を調査した際に、ファミリアの中でも使える人材を多数失ってしまった為だ。その皺寄せが、肉体的にも心労的にも団長のアスフィにのし掛かっている。

タケミカヅチ・ファミリアは精々lv.2程度の団員しかいない弱小ファミリアだが、それならそれで使いようはある。何より…

 

「…お前、極東にコネあるよな?それを使って調べたいことがある」

 

薄気味悪い猫撫で声に、タケミカヅチはますます不信感を募らせたものだが、ヘルメスは気にせず視線をそらした。その目はリヴィラのはずれにたたずむ、瀟洒なログハウスに向けられていた。

 

「ウラヌスからも言われたし、俺としても不安要素は早めに探っておきたいんだよね」

 

 

 

 

 

その時だった。

 

 

 

 

 

 

最初に異変に気付いたのは、リリルカ・アーデだった。

 

「…?」

 

少し怪訝そうな顔をして小首をかしげ、念のためといった風情で大地に耳を手を当てて目を閉じる。

ピシリと、何かが砕ける音がした。音は連鎖的に広がりながら徐々に大きくなっていったが、よほど遠くから聞こえて来るのか、聴力増幅のアイテムを持つリリルカ以外には聞き取れない。

 

ようやく音の方向性を掴んだ瞬間、18階層天蓋のクリスタルに、蜘蛛の巣じみた罅が縦横無尽に入った。

リリルカはすぐに目を見開き、大粒の汗を流しながら叫んだ。

 

「上から、何か来ます!」

 

瞬間、大音響が鳴り響いた。砕けたカケラが光を反射しながら地上に降り注ぐ。同時に、天井をぶち破って巨大な何かが落下した。

 

最初、それは巨大な岩塊に見えた。崩落した天蓋の一部だと思った。

すぐに間違いに気がついた。その巨岩が立ち上がったからだ。

 

「アレは…ゴライアス⁈」

 

誰かが叫んだ。

 

迷宮の孤王(モンスターレックス)と呼ばれる17階層に出現する階層主。

灰褐色をした巨人で、「嘆きの大壁」と呼ばれる一面真っ白の綺麗に整えられたような壁からのみ出現する。

 

「そんな馬鹿な!ゴライアスにしちゃあ、デカすぎる⁈」

 

ゴライアスには17階層を通り過ぎる際に出くわし、命からがら逃げ出した際に目撃している。運良く逃げ出すことができたが、大量の荷物を抱えたサポーター達を庇いながらの撤退戦は二度とやりたくはなかった。巨体を活かした剛腕の一撃にしろ、足の踏みつけにしろ、ダンジョンを震わせるほど威力があった。

一応、人の形をしているが大きさは7メドルもあり、つまりはリリルカの約四倍だ。初めて見た時にはその巨体に驚愕したが、目の前のコイツはそのさらに倍、いや三倍近い体格がある。体の色もドス黒い。

 

何より決定的な違いは、頭部だった。

 

「ア、ア、アノ女!!アノ女ハ、何処ダァアアアア!!!」

 

巨人の頭部には、顎から上にあるべきものが無く、代わりに醜く爛れた女性の上半身らしきものが生えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「59階層デハ失敗シタ。都市デ効率ヨク暴レサセルニハ良イト考エタガ、魔法ヲ封ジラレタラ巨大ナ(マト)ダッタ。ソレヲ踏マエタ改良型。コレハ、廃品ヲ利用シタ実験ダ」

 

穢れた精霊に寄生されたゴライアスは、前進を始めた。高台の上に築かれたリヴィラの街、その片隅にある瀟洒なログハウスを目指して。

 

「アノ女ガ18階層ヲ拠点ニシテイルナラ、燻リ出スマデ。…不確定要素ハ、早メニ潰ス」

 

 

 

 

 




未だに感想頂ける人がおられたので、嬉しかったので久々に更新。
昨年は台風と地震で自宅が酷いことになったり、ようやく一息ついたと思ったら、春先に後ろから車に追突されて死にかけたりしましたが、なんとか元気になりました。ありがとう。


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第18話

誤字報告ありがとうございます。


リヴィラの町の元締め、ボールス・エルダーは黄昏ていた。

 

建前上、彼は顔役としてリヴィラの町の一切を仕切っていることになっているが、町の住人の商売については原則口を挟むことはない。客や店同士で諍いを起こしても、よほどの騒ぎにならなければ見て見ぬ振りをする。この町は客も商売人も地上で行き場を無くした悪党ばかりなので、その程度のことは問題にすらならない。

 

もちろん、余りに度が過ぎれば見せしめに制裁するし、あるいは町そのものの存続に係わるような厄介事にも全力で対応する。

ボールスが前任者から縄張り(シマ)を引き継いで以来、問題といえばもっぱら、他の階層から吹き出したモンスターの襲撃だった。ダンジョンのモンスターというのは放っておくと際限無しに増殖し、飽和して他の階層になだれ込むことがある。

18階層は滅多にモンスターが出現せず「迷宮の楽園(アンダー・リゾート)」とも呼ばれているが、過去リヴィラの町は300回以上もそうやって破壊されては再建されてきた。

 

ところが、最近のボールスは過去に例のない問題に悩まされている。

原因は、リヴィラにできた『とある店』だ。

 

その店が何か看過できない物騒な騒ぎを起こしているのかといえば、そんなことはない。いたって真っ当な商売をしている。

では、ギルドで取引が禁止されているご禁制の品でも扱っているかと言えば、否だ。別に扱っていてもこの町では問題にならないのだが、仮に扱っていてくれれば、それを口実にして出店許可を取り消すという(ブラフ)を使えただろう。

実際には、ありふれていて、何処でも手に入るものしか彼らは商っていない。武器、防具、傷薬、食料品に趣向品、衣服や雑貨、その他諸々。

問題は、リヴィラでは常に不足し高騰するはずのそういった物資を大量に、それもかなり安価な値段で売っていることそのものだ。

 

まるでオラリオの商店から今し方買ってきたばかりのような新品が、元の値段の二倍から三倍、つまりリヴィラの相場の半分以下で売られている。少々の量なら直ぐに売り切れて、同業者に高値で転売されて終わるのだが、売れるそばから大量の商品が即座に補充されていく。

ボロボロの中古品を10倍以上の価格で売るのが当たり前のリヴィラでは、それは価格破壊なんてものでは済まない。おかげで商売あがったりで怒り心頭の連中が、今のリヴィラには溢れている。

宿屋や酒場、飲食店を営んでいる者達はまだいい。仕入れ先を変えれば済むのだから。問題はそれ以外の、雑多な品物を扱っていた露天商だ。彼らは総数としてリヴィラの過半数を占めている。

 

本来なら、こんな真似をすれば、よってたかって囲んで袋だたきにされそうなものだ。

しかし、例の店の女主人もその取り巻き共も、その強さは化け物じみている。せいぜいLv.2から3程度のリヴィラの住人では鎧袖一触、実際にカチコミをした連中は例外なく魚の餌になった(その中にはボールス自身が手を回した者も多く含まれている)。

おまけにオラリオ最高峰の探索系ファミリア、ロキ・ファミリアがケツモチについているので、手が付けられない。

 

そのことが知れ渡ると、どいつもこいつも二の足を踏んだ。以来、顔役であるボールスの所に悲鳴のような陳情というか、抗議が殺到している。

 

つまり。

 

「アレをなんとかしろ、お前はリヴィラの元締めだろ!!」

 

…要約するとこうなる。

 

あまりこの声を蔑ろにするわけにはいかなかった。元締めとしての面子と信用にかかわる。ボールス自身がケツモチを務めている連中の支持を失えば、その地位も危うい。 ボールスの後釜を狙う者はいくらでもいる。

かといって、いくらボールスといえど、露骨にあの女の不興を買う真似は危なくてできない。 奴らは本当に容赦がない。

 

なんとか事態を丸くおさめようと、痛む胃を抱えながらボールスは根気よく店を訪れては腹芸を駆使し、まずはたわいない話にばかり明け暮れた。慌てるコジキはなんとやら。何事も相互理解、社交が大事だ。おかげで成果はあった。

ある程度気心がしれたところで、それとなく探りを入れたのだが、どうやら相手は今以上に商売の手を広げる気はないらしい。規模を拡大するには、おそらく純粋に人手が足りてないのだ。

 

実は、店員を買収して内側を探ろうと、ボールスは何度か仕掛けていた。結果は全敗だ。金にも女にも靡かず、酒や賭博にも食指を動かさないとは、あの"ニンジャ"とかいう連中は何が楽しくて生きているのやら。

まあ、リヴィラのような場所で店を広げるなら腕っ節だけでなく、信用も必要となる。かなり厳しく躾けられているのかも知れない。 信用できる人材というのは貴重だし、数が少ないというのは分かる話だった。

となると、女店主自身の目が届かなくなるような大商いには、本当に手を出す気がないのだろう。

 

そんなこんなで悩みに悩み、粘り強く根回しと交渉を繰り返した結果、ようやくある合意を取り付けつつあった。

手間のかかる個々の冒険者を相手にした小売りはやめて、今後は問屋のような形で卸売りを専門にしてはどうか、と。

 

後ろ盾のロキ・ファミリアや、既に付き合いのある冒険者にはこれまでどおり対応し、それ以外はボールス配下の露天商を中心に物資を卸す。

彼方としては卸売りに徹して窓口を絞った方が手間がかからず安定した収益が見込めるし、此方としてはカルテルを結んで末端価格を操作できる。しかも、卸先はボールスの意のまま。あの店の経済的な影響力を掠め取れる妙手だ。互いにWIN-WINの取引きである。

 

もっとも、これはこれで問題がある。一部の違法な御禁制の品を除いて、事実上、リヴィラの流通をあのキルコとかいう胡散臭い女に握られてしまう。

まったく、綺麗な顔をしているが手強い。背後にはロキ・ファミリアとは別に、かなり大きな黒社会系の組織(ファミリア)がついていると見て間違いない。おそらくあの女自身も幹部だろう。

苦肉の策で馴染みの腕利き冒険者を通じて、大規模な物資移送のキャラバンを依頼している。少しでも牽制になればよいが…

 

と、そこでボールスは頭痛を覚えて、手元の蒸留酒(頭痛薬)をあおった。これもキルコから差し入れられたものだ。いったいどこから聞きつけてきたのやら、彼の何より好物の銘柄だった。油断も隙もない。

 

痛飲していたボールスの下に、さらなる凶報がもたらされたのは、その時だった。

 

「おやっさん!! 大変です!!」

 

何やら慌ててやってきた手下をジロリと睨みつけると、ボールスはもう一杯、キツめの蒸留酒を干した。

 

「うるせぇ!ようやく例の話がまとまって、俺は一息ついてんだ。今日はもうテコでも動かねーぞ!」

 

既に強かに酔っている。肴は例の店から出前させた新鮮な肉や野菜を使った料理の数々。労働に対するささやかな報酬である。

 

「いいから、外出て見てください!このままじゃ、リヴィラが無くなっちまう!!」

 

「…ハア?」

 

ボールスの悩みは尽きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

突然、天蓋をぶち抜いて降ってきた小山のような巨人の偉容を見上げて、この場に集った神々は揃って顔を青ざめさせていた。

 

「おいおい…まさか、ボクらのせいだっていうのかい?別に神威を開放したわけじゃないのに…」

 

「しかし、ヘスティアよ。これはどう考えても…」

 

ダンジョンからの刺客だろう、とタケミカヅチは苦々しそうに口にした。

ダンジョンは憎んでいるのだ。こんな地下に閉じ込めている神々を。そして、神がダンジョンに足を踏み入れれば、こうやって襲ってくる。

 

「そのまさかだろうな、タケミカヅチ。流石に神が三人もダンジョンに入れば、気が付かれても仕方ないか…?」

 

ただ一人、事情に通じているヘルメスだけは、別の理由で驚愕している。

 

(アレはロキ・ファミリアが遭遇したという、穢れた精霊の現し身(デミスピリット)!なんで18階層なんかに現れるんだ⁈まさか本当に俺たち(神々)を殺しに来たのか⁈)

 

ヘルメスはここ最近オラリオを騒がせている極彩色のモンスターの一件について、利害の一致したロキやディオニュソスと情報をやり取りしている。先ごろ59階層で起こったロキ・ファミリアの遠征の結果についても大凡は把握していた。

だからこそ、わかる。オラリオ最高の戦力を有するロキ・ファミリアですら、半死半生の目にあわされたという怪物。とてもではないが、この場の戦力では太刀打ちできない。

 

ヘルメスは少し離れたところで呆けているベル・クラネルに視線を向けると、盛大にため息をついた。旧主と仰いだ男が最後に残した義孫、果たして英雄の卵たるか否か、見極めようと色々と画策していた思惑が全てパァだ。

 

「…アスフィ、リヴィラに向かえ。応援を呼ぶんだ!」

 

ヘルメスは、傍らの眷属に命じた。

ヘルメス・ファミリア団長のアスフィ・アル・アンドロメダ。Lv.4の冒険者としてより、稀代の魔道具製作者(アイテムメイカー)として名が知られているが実戦経験も豊富で、ヘルメスの頼れる右腕だ。

自ら製作した魔道具をいくつも携帯しており、それを使えばこの場の誰よりも早く増援を呼べる。

 

それに戦力としてこの場で最も優れているのは…と、ヘルメスは彼らの一団に同行していた、とある女性を見やる。

その人物はフード付きのコートを羽織っており、その隙間から僅かに緑色をした短髪が覗いていた。口元を覆面で覆い隠しているので、目元くらいしか露出していない。腰には大小の剣を佩いている。

物腰は如何にも歴戦の冒険者を思わせるが、その正体を知るヘルメスとしては、この状況では頼もしい。

 

用意した『保険』がこんな形で生きようとは、夢にも思わなかったが、残念ながらまだ足りない。

 

「ボールスを動かせ。奴にとっても他人事じゃない。リヴィラ中の戦力をかき集めれば、あるいは…」

 

冒険者は量より質。 Lv.5、Lv.6クラスを豊富にそろえていたロキ・ファミリアが一蹴されたのだ。使えるものは全て使うしか、他に手はないだろう。

珍しく焦った様子のヘルメスに、一応、アスフィは確認を行った。

 

「…あなたの仕込みではないのですね?」

 

こんな状況下でもそんな台詞が出てくるあたり、自らの眷属にヘルメスがどう思われているかのよい示唆である。

 

「俺が小細工したって、こんなシロモノ用意できるもんか」

 

ヘルメスは引きつった顔で断言した。いつもの胡散臭さが微塵も感じられなかったので、逆にアスフィは不安を増した。

 

「アレと戦うというのですか?逃げるのではなく?」

 

「…見ろ、今や俺たちは逃げ遅れた間抜けなネズミだ。一人も生かして地上へ返す気はないらしい」

 

ヘルメスはある方向に顎をしゃくった。ゴライアスが落下してきた地点、地上へ向かう唯一の逃げ道(出入り口)が、見事に破壊され閉ざされている。

 

「それとも更に下層に逃げてみるか?少なくとも俺は生き残る自信はないな。それに、アレが後を追って来たらどうする?」

 

それを聞くと、盛大にため息をついてから、アスフィは駆け出した。

 

「もう!生きて帰れなかったら恨みますからね!!」

 

リヴィラを目指して一目散に掛ける背中を見守りながら、ヘルメス自身はどう退避するかを考える。地上ではあらゆる権能を封じられ、人の子と同程度の力しか持たない神がこの場でできることは何もない。

 

「…というわけだ、アンジェリカ。悪いが付き合ってもらうぞ」

 

「いいからとっとと安全なところに逃げてくださいよ、ヘルメス様。あんたに何かあるとあたしらの恩恵(ファルナ)がポシャるんすから」

 

赤毛の猫人(キャットピーブル)は普段の飄々とした態度を崩し、厳しい顔で槍をとる。

 

「可能な限り足止めを頼む。おそらく奴は魔法を使うぞ。このままリヴィラに殴りこまれたら、戦力を集めるどころじゃない」

 

「ま、適当にがんばります。…貧乏くじをひくのは、ロイドの付き合いで慣れてる()()♪」

 

わざと砕けた調子で死地へ向かおうとするアンジェリカの前に、ロイドが進み出た。

盾を構え、兜を被り直し、聳え立つゴライアスを見据える。わずかに震える膝頭を、叩いて無理やり黙らせた。

 

そして、精一杯の虚勢をはる。

 

「へいへい、貧乏くじに付き合わせて悪ぅござんしたね。…それとな、そのわざとらしい語尾、前々から似合わねーと思ってたんだ」

 

「黙れロイド!これくらいキャラ作りしなきゃ今時は目立てないのにゃ!」

 

「へっ!そんだけ憎まれ口叩けりゃ十分だ!お前はそのぶっといのを奴さんに突き刺すことだけ考えな!守りは俺に任せろ!」

 

そう言って、愛用の盾を掲げるロイドから顔をそらし、アンジェリカは明後日の方を向いて囁いた。

 

……馬鹿

 

そんな二人を見て、ベル・クラネルとリリルカ・アーデは、クスリと笑って目配せを交わす。

 

「やろうか、リリ」

 

「ですね」

 

「…二人とも、こんな状況じゃ無茶をするななんて言えやしないけど、無理だと思ったら引いてくれ。わかったね?」

 

彼らの主神、ヘスティアもそんなやり取りを見て、不安そうにしながらも、そっと背中を押す。

 

「…Lv.2に上がったばかりのヒヨッコ共が、一丁前にほえるじゃねーか!野郎共、若ぇ衆にばかりいい格好させてんじゃねえ!」

 

ガネーシャ・ファミリアのマックダンは豪快に笑った。

これでも都市の治安を任されているガネーシャ・ファミリアの一員、冒険(ヤクザ)者特有の義侠心は持っている。ギラギラと光る眼は「主神様(オヤジ)団長(姐さん)の面子を潰したら、どうなるか分かってんな?」と雄弁に語っていた。ここでケツをまくろうものなら小指一本では済まさないだろう。

 

「ガネーシャ様に恥をかかせるんじゃねーぞ!根性見せやがれ!」

 

一方、今回の件の主原因とも言えなくはないタケミカヅチ・ファミリアはと言えば、皆悲壮な決意を固めていた。

怪物進呈(パスパレード)によって命長らえたが、ファミリアの名誉は地に落ち、師とも親とも慕う主神に尻拭いを押しつけてしまった。危険なダンジョンに赴かせた挙げ句、あのような悪魔的な血判まで押させてしまう始末。

これ以上の恥の上塗りは許されない。

 

「状況は見ての通りだ。一戦せねばならんが、無理はしないでくれ。何とか騒動を収める算段がついた矢先なのだ、無事に皆で地上に帰ろう!」

 

その時、穏やかな口調で語るタケミカヅチの透き通るような笑みを見たヤマト・命は、妙な胸騒ぎを覚えた。

タケミカヅチはダンジョンに潜るにあたって、護身用のためか腰に一振りの剣を佩いている。簡素な拵えをした、拳が十ばかり並ぶほどの長剣だが、その柄元を撫でる仕草がどうにも不吉に思えてならなかった。

 

「命、いくぞ!!」

 

「…!…あ、ああ。わかった」

 

嫌な予感を振り払い、黒い巨人へと向かう。背後は、振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

…そうして、つい先ほどまで互いに腹を読みあい、殺伐とした駆け引きを繰り広げていた集団は、ただ一つの強大な敵に協力して立ち向かう。

 

「みんな聞いてくれ!俺はガネーシャ・ファミリアのアレックス・マックダン。ひとまず、この場は俺が仕切らせてもらうぜ!」

 

ファミリアもランクもバラバラな多種多様な冒険者達だが、その場を纏めたのは、ガネーシャ・ファミリアのマックダンだった。

 

長く冒険者をやっていれば、ダンジョンで偶然出会った者同士が成り行きで組まざるを得ないことが稀にある。こういった時に不慣れな集団が何とか連携を成功させるか、あるいは諍いを起こして無惨にバラけてしまうかは、リーダーシップをとれる人間の有無にあった。

冒険者というのは腕っ節で生きる人種だ。なまかな人間では舐められてしまう。上に立つには相応の貫禄(カリスマ)がいる。

その点、ネームバリューのあるガネーシャ・ファミリアでLv.3冒険者を務める彼は最適だった。

 

マックダンは有無を言わせぬ迫力で全員の顔を見回し、異論が出ない事を確認すると、手早く指示を出し始めた。

まず声をかけたのは、白い軽装鎧と肉厚の片手剣を装備した人間族(ヒューマン)の少年だ。

18階層までのキャラバンに同行した者達の能力を、彼はおおよそ把握していた。誰に何をやらせればよいかは、瞬時に判断をくだせる。

 

「ベル、切り込み役を任せる。最初にきついの一発いれたれ!」

 

「はいっ!」

 

ベル・クラネルはまだ若いが、天性のスピードファイターだ。剣に雷撃を纏わせて攻撃する手段を持っていて、ヒットすると属性ダメージに加えて、少しの間モンスターの動きを止められる。頼れる切り込み役だ。

 

彼の持つ片手剣自体が特殊な能力を秘めているらしいのだが、その強力な電撃は、剣を伝って使用者も焼く。一度マックダンも試しに使わせてもらったが、腕が痺れてしばらく剣が握れなくなった。

そんなロクでもない欠陥品を涼しい顔で使っているのは、電撃を無効化する特異体質か、そういうスキルでも持っているのだろう。このことがキャラバン内で知れ渡ると、高価な特殊武器(スペリオルズ)持ちに対する羨望の眼差しは、珍獣を眺める生暖かい視線に変わった。

 

細身の体付きをしているくせに意外とパワーもあるし、威力は弱いが速射性の高い魔法も使える。ただ、マインドの消費がやたら大きいらしいので、直接殴りに行かせた方が効率は良い。

今は未だ荒削りだが、総合力は半端ではなかった。短い付き合いだが、いずれは第一級冒険者にまで上り詰めるだろう、とマックダンは見込んでいる。

 

「やっこさんの足が止まったら、仕掛ける。階層主狩りの要は魔法使いだ。リドゥ、悪いが精神疲弊(マインドダウン)ギリギリまで粘ってくれ」

 

自らのパーティで長年連れ添った相方の魔法使いに声をかけると、相手も承知したもので、肩をすくめて頷いた。

 

「覚悟はしてるよ。精神力回復薬はガブ飲みすっから、必要経費でおとせよ」

 

「俺が奢る。いくらでも使え」

 

強靭極まりない階層主討伐戦において、強力な攻撃魔法を放てる魔法使いの存在は何より心強い。

特に発展アビリティ【魔導】を発現した者は威力強化、効果範囲拡大、精神力効率化の補助をもたらす魔法円(マジックサークル)を作り出すことができるため、たった一人でも戦局を覆す力を持った戦場の主役だ。

 

「残りの連中はリドゥを守りながら、囲んでボコれ。リヴィラの荒くれ共がやってくるまで時間を稼ぐんだ」

 

「了解にゃ!」「おうさ!」「あいよ!」「わかりました」「はーい!」

 

残りの面子は前衛が足止めに成功したら、とにかく殴って殴って殴りまくるだけの簡単なお仕事である。

 

「リリルカ、お前は周囲のモンスターの警戒も頼む」

 

マックダンは黒いフード付きマントを羽織った小人族の少女に、別途で指示を出した。

 

「?…警戒ですか?迷宮の楽園(アンダーリゾート)って、ほとんどモンスターがいないんですよね?」

 

「ああ、だがまったく出現しないわけじゃないし、別の階層からやってきて居座ってるのもいる。階層主やら希少種ってのは、周囲のモンスターを引き寄せて怪物の宴(モンスターパーティー)を引き起こすことがあってな。あのデカブツの相手してる最中に、後ろから群がられたら厄介だ」

 

「なるほど。了解です」

 

さらに、先程見せつけてくれた弟分に、からかい半分の視線を交えて指示を出す。

 

「それとロイドは…まあ、アレだ。誰とは言わねぇが、狙われたら死ぬ気で守ってやれ。つうか死んでも守れ、盾だけは手放すんじゃねーぞ!」

 

「ガッテンだ!」

 

ガネーシャ・ファミリア所属の人間種、ロイド・マーティンは全身鎧を着て大盾を持った典型的な前衛壁役(ウォール)だ。あまり器用ではないが、モンスターの攻撃をひるまず受け止める根性は誰もが認めるところだし、意外と機転も利く。

 

「ヴェルフ、お前は絶対にゴライアスにゃ近づくなよ」

 

最後に、一人だけLv.1で参加していた赤毛の鍛冶師に釘を刺す。

 

「わーってるって。俺だけLv.1なんだ、階層主相手に無理はしねーさ」

 

「ならいい。こっちだってヘファイストス・ファミリアと余計なしこりは作りたくねえ」

 

ヴェルフは【鍛冶】の発展アビリティを獲得するのが目的で、ここまで同行している。ヘファイストス・ファミリアくらいの大手なら、ランクアップの手伝いくらいどうとでも都合がつきそうなものだが、何故かこんな零細ファミリアの寄り合い所帯に参加している変わり者だ。

だが、生産系最大手の鍛冶士、しかもあのクロッゾの末裔とくれば、マックダンとしては今のうちにコネを作っておきたいという欲目があった。下手に参加させて怪我などさせられない。

 

「装備を整えろ!リドゥの魔法に巻き込まれたくなきゃ、火精霊の護布(サラマンダー・ウール)は忘れんな。急げよ!」

 

各自が武器や防具を確認したり手持ちの消耗品を融通しあったりするのを尻目に、マックダンは一人離れたところにいたフードを目深に被った女性に歩み寄った。

 

「…お久しぶりです、『疾風』の姐御」

 

長かった髪を切り、緑に染めて変装していたが、マックダンがこの人を見紛うことはない。

かつて共に都市の治安維持に努めたアストレア・ファミリアの、たった一人の生き残り。まだ駆け出しの頃に世話になった相手だ。冒険者としてのランクも自分より高い。

生きていることは知らされていたが、まさかこんなところで再会するとは思ってもみなかった。

 

「本来なら姐御に指揮を取ってもらうのが筋なんでしょうが、鉄火場に余計な混乱は持ち込みたくねえんです。勘弁してやってください」

 

マックダンは深々と頭を下げ、詫びを入れた。

 

「…相変わらず義理堅い男だな、アレックス。だが、気にしないで欲しい。今の私は一介の助っ人だ」

 

素顔を覆うマスクから覗いた目が、困ったような笑みを浮かべたのを見て、マックダンは思わず口から飛び出しそうになった言葉を飲み込んだ。

5年前、闇派閥との抗争が最も激しかった頃に、この女性が所属するファミリアを襲った悲劇には思うところが多々ある。あの時代の闇派閥の外道どものアコギなやり口にも、それと通じていたギルド職員の腐敗にも。

この人…リュー・リオンが落とし前をつけたのも当然だと思っている。結果として、当時、幅を利かせていた闇派閥がほぼ壊滅したのにも助けられた。

だが、当然、割を食ったのもこの人だった。身内に被害が及んだことでギルドはリューをブラックリストに載せ、冒険者の権利を剥奪した。以来、この人は変装無しでは表を歩けない。

 

「私の能力は知っているな?いざとなれば、囮を引き受ける。気にせず使ってやってくれ」

 

「…へい」

 

そう告げて背を向けた相手に、マックダンはかける言葉が見つからなかった。

 

「…今は、ある店で店員(ウェイトレス)をしている。落ち着いたら、食べに来るといい。味は良いと評判なんだ」

 

「ウ、ウェイトレスですか⁈姐御が⁈」

 

まさかと思った。想像もできない。この五年の歳月をこの人がどう過ごしたかはわからないが、そう悪い日々ではなかったのかもしれない。

 

「必ず、行かせていただきやす!」

 

後でまた話す機会もあるだろう。その為にも、生き残らなくては。

パンと自分の頬を打ち据えて、気持ちを切り替えた。

 

「よし!…行け、ベル!野郎ども、ベルを援護しろ!」

 

号令一下、先陣を切ったのは、ヘスティア・ファミリアの剣士、ベル・クラネルだった。

 

「わかりました!!」

 

まずベルが俊足を活かして切り込みを行い、先制攻撃(ファースト・アタック)から『感電びりびり丸』による〈硬直(スタン)〉を入れるのは、彼達のパーティーの必勝法だ。

 

「間近で見ると、やっぱりおおきい!!」

 

突貫しながら、ベルは絶叫した。本当に大きい。それが地響きを立ててこちらに突撃し、今や目の前に迫っている。

実際にはそれは錯覚だった。彼我の距離はいまだ100メドル以上は離れている。だが、ゴライアスがあまりにも巨大であるため、ベルは実際の距離よりも近くにいるように感じてしまった。

ゴライアスは、通常の個体でも7メドルはあろうかという身長があり、17階層で初めて出くわした時にはベルは頭が真っ白になって、思わず腰を抜かしかけた。

この黒い肌をしたゴライアスはそのさらに倍、いや三倍ほどもある。それが18階層の上から下まで貫くほどに屹立しているのである。

足がすくむのをかろうじてこらえ、ベルは攻撃を繰り出した。

 

「ヤアァアアアアッ…!!!」

 

踏み潰されるのではないかとヒヤヒヤしながら、巨木のようなゴライアスの脛を駆け抜けながら切り裂く。ユグドラシルから齎された伝説級武装の片手剣は恐るべき切れ味を発揮し、刃渡りいっぱいに肉を切り裂いた。同時に、雷属性のダメージとともにその筋肉を痺れさせる。

 

後は魔法使いやリリルカの矢の邪魔にならないよう、そのまま走り抜けようとしたベルの上から、巨大な拳が隕石のように落ちてきた。頭上を見上げ、思わず呆然とする。

あまりの巨体故に〈硬直(スタン)〉が全身には行き渡らないのだと、気付いた時にはもう遅い。これまで何度となく繰り返してきた〈硬直(スタン)〉が入った敵への対処法、身に染み付いていたそれがベルの反応を一瞬だけおくれさせた。

 

「馬鹿、ぼうっとすんな!」

 

間一髪、後ろから襟首を掴まれて強引に引っ張られる。

 

「ごめん、ロイド!!助かった!!」

 

狙い外れて拳は大地を叩いた。足元が爆発したかのような衝撃を尻目に、ベルは自分が死にかけたことに気づき、思わず全身の毛が総毛立って、慌てて距離を取る。

ゴライアスの一挙一動で風が巻き、大地がうねる。まさに動く自然災害だ。余波に身体が吹き飛ばされそうになるのをベルは必死に耐えた。

ここまで体躯(スケール)が違うと、まともに攻防が成立しない。単に歩いただけでも、まとわりつく小虫を十分に蹴散らせる。

 

そのベルの頭上を、幾本もの矢が通り過ぎた。

 

「リリ…!!」

 

「一旦引いて!こいつ、大きいけど素早いです!」

 

リリルカはゴライアスの真正面に立ち、浅い呼吸を繰り返していた。

大丈夫、自分ならヤレる。そう自らにに言い聞かせた。

かつてのファミリアと決別し、再び冒険者として立つと決めた日から毎日、弓使い(アーチャー)としての訓練は欠かしていない。元々高かった器用(DEX)のアビリティもさらに伸ばしている。

結局のところ、射手の道を志す者は常に自らとの戦いだ。必要とされるのは、どんな時でも動揺を表に出さない忍耐力と、心を澄ませ、指先の動きから感情を切り離す冷静さ。

その領域ならば、リリルカは誰にも負けない。かつてサポーターとして泥水を啜りながら這っていたリリルカが、唯一持っていたものなのだから。

 

精心弓手(アルカディア)

弓による攻撃時、命中率に高補正。さらに器用のアビリティ数値が矢の威力に加算される。

 

ヘスティア・ファミリアに改宗し、レベルアップした際に、リリルカが得た新たなスキル。

ベルの持つ【英雄願望(アルゴノゥト)】のような爆発的な火力は期待できないが、使用時に体力や精神を消費しない恒常型パッシブスキルなので、常にアシストが掛かるのが強みだ。

かつてアレほど望んだ冒険者としての力を、リリルカは得ていた。

 

今やリリルカの指は感情と切り離され、精密機械のように淀みなく矢を番え、撃ち放つ。全ての指に矢を掴み取り、続け様にクロスボウに装填しては弾幕の如き矢を放つ絶技。

 

「いけェエエエー!!!」

 

四本の矢がゴライアスの頭上、弱点に見える女性の人型に向かう。2発は胴に当たって弾かれ、1発は顔面を掠めて空に消える。そして、残り1発は見事に顔のド真ん中を射抜いた。

だが、頬が醜く裂けたように開き、口で受け止めた矢をへし折って凄惨な笑みを浮かべたのを、リリルカはつぶさに見てとった。

 

その唇が何事かを呟く前に、背後で魔法円が輝く。味方の魔法使いが、杖をゴライアスに突き出していた。

 

【現世に出でよ、煉獄の炎。猛り狂いて、全ての影を焼き尽くせ】

 

たっぷりと時間をかけて詠唱されていた魔法が、解き放たれた。

 

【インフェルノ】!!

 

白熱した巨大な炎の塊が、巨人の全身を襲う。ゴライアスは両手を交差させて炎を防いだが、とても防ぎ切れるようには思えなかった。

とにかく凄まじい熱量だ。ゴライアスの足元の地面は焼け焦げ、溶けている。かなり長い時間をかけて炎は吐き出され続けた。

周囲で見守っていた冒険者達も熱に炙られたが、中層を突破するのに必須となる火精霊の護布(サラマンダー・ウール)を全員が装備していたおかげで、凌ぐことができている。せいぜい網膜に残像が残って目がチカチカしたくらいで実害はない。

やがて炎が止んだ時、杖を突き出していた魔法使いは、ガックリと膝をついた。

 

「…アレックス、看板だ。魔力が回復するまで、しばらくかかる…!」

 

「十分だ!よくやった!お前ら、いくぞ!」

 

「「「オウ!!!」」」

 

これは詠唱の仕方によって、照射時間を自在に変えることのできる魔法だ。魔力をギリギリまで絞り出して、時間を稼いでくれたのだ。

未だ爆煙がゴライアスの全身を包んでいたが、冒険者達は鬨の声を上げて一斉に斬り込みをかけた。

 

「一番槍頂きィ!!!」

 

真っ先に仕掛けたのは赤毛の槍使い。

猫人特有のしなやかさと瞬発力を発揮し、アンジェリカは長槍を掲げて、パーティ最強の一撃を放つ。

 

乾坤一槍(デサイシブ・スピアー)

自身より強大な敵と対峙した際に、力と敏捷のアビリティに高補正。敵が強ければ強いほど効果上昇。

 

アンジェリカはL v.2に上がった際に獲得したこのスキルにより、攻撃力だけなら格上の相手に届きうる。

 

「獲ッた……?!!!」

 

刹那、黒煙の向こうから覗いたドス黒く濁った瞳と目が合い、アンジェリカは思わず悲鳴を飲み込んだ。

 

【突キ進メ雷鳴ノ槍。代行者タル我ガ名ハ雷精霊、雷ノ化身、雷ノ女王】

 

直後に完成する短文詠唱。

 

【サンダー・レイ】

 

何本もの稲妻を捩って纏めたかのような極太の極光。たかがLv.2の冒険者ならば一瞬で消し炭にしてあまりある明確な死のビジョン。

穢れた精霊より放たれたそれは、瞬きする間に不届きな冒険者に迫る。アンジェリカは思わず目をつぶり…

 

「やらせるかァ!!!」

 

寸前に割って入ったロイドが盾で受け止めた。

 

盾は融解され、鎧は弾き飛ばされ、ロイドは光に飲み込まれた。踏ん張ることも出来ず、威力に押されて明後日の方向に吹き飛ばされる。

  

「ロイド!クソ、誰か回収して回復してやれ!」

 

マックダンの指示が飛ぶ前に、アンジェリカが血相を変えて飛び出した。何人か後に続こうとしたが、マックダンは止めた。その目は、黒煙の向こうを見据えている。

 

大量の煙の中から、のそりと現れたゴライアスは全身を焼け爛れさせていた。特に穢れた精霊本体を防御していた両腕は、半ばから溶け落ちている。

これならいけるかも、という僅かな希望は、次の瞬間には消え失せた。

爛れた皮膚を突き破り、植物の根か茎のようなものが、瞬時に傷口を覆い尽くしたのだ。極彩色をしたそれは、黒いゴライアスの全身に絡みつき、欠損部を補い、時計を逆回しにしたかのように復元させた。

 

「自己再生⁈…あの魔法だけでも厄介なのに、タフな階層主が持ってて良い能力じゃねーぞ!!」

 

その場の全員が目を見張り、絶望感に喘いだ。

 

一方、吹き飛ばされたロイドが猛烈な勢いで頭から突っ込んだのは、18階層に点在する小さな湖沼のうちの一つだった。

 

「ごめんロイド、あたしを庇って!!あたしが先走ったから!魔法があるかもって、聞いてたのに!」

 

アンジェリカは泣きながら、ずぶ濡れのロイドを岸へと引き上げた。

落下場所が良かったのだろうが、ロイドは鎧にしろ兜にしろ、くまなく焼け焦げ、未だに余熱が抜けきっていない。その下の皮膚が相当に酷いことになっているのは、容易に察せられる。

アンジェリカは悲鳴を上げながら、ロイドの全身にありったけのポーションをぶち撒けた。さらに口にポーションを含み、口移しで中身を流し込む。同じ事を何回か繰り返すと効果があったのか、ロイドは弱々しくも自分から嚥下しだした。

 

「へへ…俺の、しぶとさは、知ってるだろ?このくらい、大したこと、ねぇよ」

 

ゴホゴホと口に入り込んだポーションにむせながら、強がりを言って起きあがろうとするロイドを、アンジェリカは黙って抱きしめた。

実際、あれほどの魔法を正面から受け止めたにしては、軽症の部類に入るだろう。本来なら一撃で即死の筈だ。その不可能を覆したのは、ロイドがLv.2に上がった際に発現したスキルによるものだった。

 

堅牢心慕(エイジス)

仲間を守る際に、耐久のアビリティに高補正。また、被ダメージを大幅に軽減する。思いの丈により効果上昇。

 

「俺の目の黒いうちは、お前にゃ指一本、触れさせやしねぇ」

 

くっ付いたり離れたり、身を寄せ合ったり喧嘩したりで、それでも共に冒険者になった幼馴染。素直になりきれなくて互いに違うファミリアに入ってしまったが、結局、同じパーティで馬鹿をやっている。不思議なくらいに息はピッタリだ。

そんな友人以上恋人未満な二人の関係には、鈍いと言われるベルですら、とっくに気付いていた。

 

「ロイドぉ…」

 

「アンジェリカ…」

 

思わず下腹部にキュンキュンきていそうなアンジェリカと、満身創痍ながらキメ顔のロイドこそ見ものだったが、状況は切迫している。

 

不意にロイドの頭に冷たい何かがぶっかけられた。

 

「冷てぇ⁈」

 

それは付着した箇所から、みるみるうちに全身の火傷痕を癒していく。体力も急激に回復していったので、ロイドは目を見張った。いつも使っている安物のポーションでは考えられない効能だ。

 

ロイドに冷や水ならぬ、冷や高等回復薬(ハイポーション)をぶっかけたのは、肩で息をしているリリルカだった。

 

「そういうのいいから!二人とも早く戻ってください!手が足りないんですぅ!!」

 

言うが早いか、空の瓶を投げ捨てて、二人の首根っこを掴んで前線に引きずっていく。その顔は「ラブコメは他所でやれ!肉盾(タンク)はよう!」と如実に語っていた。

…別に勝負下着まで用意した自分のラブチャンスを不意にされた鬱憤を、他人の恋路で晴らそうとか、そういう意図は全くない。見つめ合う二人にジェラシーを燃やして、虎の子の高価な高等回復薬(ハイポーション)を使ってまで邪魔してやろうとか、そんなことはないのだ。イイネ?

 

実際、瞬く間に傷口を塞いだゴライアスは、何事もなかったかのようにノシノシとリヴィラに迫っている。しかも、ロイドを焼いた怪光線を時折薙ぎ払うように乱発するので、危なくて迂闊に近づけない。

踏みつけや拳の一撃を受けかねない足元だけが、ある意味唯一の安全地帯だったが、おかげで前衛盾役(ウォール)の手が足りなかった。生きてるのなら、高価なお薬をガンガン使って無理矢理にでもコキ使わねばならない。

 

「邪魔スルナァアアア!!アノ女以外ニ用ハナイ!!!」

 

いい加減鬱陶しくなったのか、頭頂部から生えている穢れた精霊が、身の毛もよだつ咆哮を上げた。

しかし、「あの女」とは、よほど憎い仇なのだろうかと、叫び声を聞いた者は首を傾げた。こんなとんでもない怪物にここまで憎まれているとは、よほどの悪魔的所業をしたのだろう。

 

「煩ワシイ!纏メテ消エロ…!!」

 

それまでは適当に反撃していたのを一転、穢れた精霊は眼下の蛆虫(冒険者)を睨みつけると、明確な敵意をむけて魔法を詠唱し始めた。どうやら本命の前に、小うるさいのを片付ける気になったようだ。

 

【火ヨ来タレ────】

 

その場に集った冒険者たちは、またあの光線が来るかと身構えた。だが、詠唱は途切れることなく続いていく。一斉に血の気が引いた。

基本的に魔法というものは、詠唱が長ければ長いほど効果が強い。

さて、たった数文の詠唱ですら、あの雷を束ねたかのような凄まじい威力の魔法となった。なら、それを超える超長文の詠唱から繰り出される魔法の威力は、いったいどれほどか?

 

「ぜ、全員退避!!!逃げろ!!」

 

マックダンが叫ぶと同時に、全員が脱兎のごとく駆け出したが、一人だけその場で呆然と見上げるものがいた。 リュー・リオンだ。

百戦錬磨のエルフの戦士は、目を見開き、口を半ば開けたまま自失している。その顔は如実に語っていた。「あ、コレ撃たせたらアカン」と。

リューは理解してしまった。人が扱える量をはるかに超える、おぞましいまでの魔力が集積しているのを。

 

「ダメだ!撃たせるな!!」

 

そう理解した瞬間には、駆け出していた。

 

穢れた精霊は詠唱を続けながら、駆け寄るリューに巨大な右腕を振り上げた。ヒラリと回避し、その伸び切った関節に鋭く斬撃を放つが、まるで堪えていない。

これでも並みの下層モンスターが相手なら、当たり所が良ければ致命の一撃(クリティカル・ヒット)となるくらい威力があるのだが、あの黒いゴライアスは大きすぎるし硬すぎた。必然的に、狙いは限られる。

 

リューは勢いをつけて跳躍した。飛翔するかのようだった。

当然、穢れた精霊は反応する。リューの勢いが衰え、無防備になったところを今度は両手で薙ぐ。

ところが寸前でリューはその指先を蹴って軌道を変えた。身体能力、バランス感覚、目の良さ、度胸、何もかもが尋常ではなかった。

呪文を詠唱する最中の穢れた精霊の本体めがけて、何度も体表を蹴り距離を縮める。いよいよあと十歩あまりの距離に達したとき、腰の二刀を両手に引き抜いた。

 

「……ッグ!!」

 

そこで、横合いから地に叩き伏せられた。

悲鳴を噛み殺して己を襲ったものを見据えれば、緑色をした触手のようなものがゴライアスから生えている。

 

遠目に見守っていたヘルメスはその正体を見抜いた。

 

食人花(ヴィオラス)…!!」

 

黒い皮膚を突き破り、無数の触手が吹き出した。見る間に巨体を覆い尽くし、鎌首をもたげて威嚇する。

 

そうこうするうちに、長い長い詠唱が完了した。

穢れたの精霊の口元に生じた蝋燭の火を思わせるような小さな焔。穢れた聖霊は悪意に満ちた表情で、それに息を吹きかけようとしている。それが魔法を完成させる、最後の動作。かつて59階層で猛威を振るい、都市最高のロキ・ファミリアを壊滅寸前に追いやった超広域殲滅魔法。

 

【ファイア・スト……!!】

 

絶望の炎が放たれ、18階層そのものを焼き尽くさんとした、その時。

 

【燃え尽きろ、外法の業】!!!

 

今まさに形を成そうとしていた大魔法が、一瞬にして崩れた。さらに、制御を失った魔力は巨大な爆発となって、穢れた精霊自身を襲う。

 

「ギャィアアアア!!!」

 

誰もが魂消るような悲鳴を上げながら仰反るゴライアスの巨体を、呆気にとられて見守っていた。

 

「…あ、あれ?うそ、決まっちまった?」

 

むしろ困惑するように、魔法を放った姿勢のまま首を傾げたのはこの場において唯一人、最弱のLv.1。しかも戦闘を得意としないへファイストス・ファミリアの鍛治師、ヴェルフ・クロッゾだった。

 

穢れた精霊の魔法を食い止めたのは彼が使える唯一の魔法、対魔力魔法(アンチ・マジック・ファイア)『ウィル・オ・ウィスプ』。

対象が魔法あるいは魔法属性の攻撃を発動する際、タイミングを合わせて発動する事で自動的に失敗(ファンブル)させ、魔力暴発(イグニス・ファトゥス)を誘発、自爆させる。

その威力は対象の魔力の量に比例するのだが、人間が使う魔法とは比べ物にならない魔力の込められたソレは、絶大な威力を発揮して穢れたゴライアスの半身を吹き飛ばした。

 

「オォォマァエェエエエ……!!ジャ、邪魔シタナ!!ワタシノ魔法ヲォオ!!アイツミタイニ!!アノ女ミタイニ、邪魔シタナアアアア!!!」

 

ダメージは穢れた精霊本体にも及んでいる。本来は美しいといって差し支えない顔は焼け爛れ、煤に塗れて薄汚れていた。だが怒り心頭に発し、表情は悪鬼のように歪み、在らん限りの憎しみを湛えてヴェルフを睨む。負ったダメージ以上に、かつて受けたトラウマを抉り出される行為への憎悪が、遥かに勝っていた。

 

「き、傷が!」

 

「嘘だろ、これでも治っちまうのかよ!!」

 

遠巻きに見守っていた冒険者達から悲鳴が上がる。

ゴライアスの抉れた傷口から、原色の緑をした肉塊が溢れた。無数の触人花が、ゴライアスの巨軀を苗床として爆発的に成長。本来のゴライアスの魔石から滋養を搾り取り、魔力に換え、傷を癒し、侵す。

今や触手の集合体のような有様になった異形の巨人は、歩き出した。怒りに我を忘れ、獰猛な獣さながらに、ヴェルフを目指して。

 

こんなのに追いかけられる方こそ、たまったものではない。

 

「うおおおお〜!!ふざけろッ!こっち来んな!!」

 

文字通り、レベル違いの相手に全力で敵視されたヴェルフは、涙目で逃げている。必死である。が、悲しいかな彼は未だLv.1。ステイタスの差は歴然で、忽ち追いつかれてしまう。

ゴライアスから生えた食人花(ヴィオラス)の一本が伸びて、ヴェルフを食い殺そうと不揃いの牙が生え揃った口を開いた。

 

その鎌首は大剣の一撃で逸らされる。

 

「野郎ども、ヴェルフを守れ!!あの魔法に対処できるのはあいつだけだ!」

 

マックダンが大剣を振り切った姿勢のまま吠えると、その場の全員が一斉に動く。剣を構え、槍を突き出し、盾を備え、弓を引き絞った。

 

だが、止まらない。

 

あるいは、通常のゴライアスならば十分に押し留められたのかもしれないが、穢れた精霊に寄生された異形の魔物の足を止めるにはまるで足りなかった。打撃は通らず、刃は切り裂けず、矢は表皮に刺されど相手は構わず動き続ける。

とにかく体表が硬い。生半可な攻撃は弾かれる。しかも、魔法や魔剣で傷つけても、すぐに治ってしまう。チクチク攻撃してはいるが、足止めもままならない。

怒りに我を忘れた穢れた精霊は、地響きを立ててヴェルフに迫っている。もう距離は一歩もない。

 

「アハハハハ!!潰レロォオオオ!!」

 

突進のスピードを殺さぬまま、虫けらのように踏み潰すつもりだ。

もうダメかと思われた、次の瞬間。

 

「《束縛する地獄の鎖(バインド・オブ・ヘルズチェーン)》!!」

 

何処からともなく赤色に輝く鎖が群れを成して現れ、ゴライアスの全身をガチガチに拘束した。

それは、かつて怪物祭にて三つ首のモンスター(ケルベロス)を捕らえるのに使われた、対象のカルマ値がマイナスであればあるほど強い拘束効果を発揮する第八位階魔法。

 

「こいつ、案外カルマ値は低くねーですわ。……ま、それはともかくとして、高いところから失礼致します!」

 

突如として、謎の声が響き渡る。

 

「誰だ?!」「どこよ?!」 「あそこだ!」

 

誰かが指差したのは、リヴィラに続く高台の先端。

 

「来てくれたんだ!!」「姉御ォ!!会いたかったっす!!」 「…ちょっと、ロイド?」「…うへ、あの人来ちゃったんですか⁈」

 

歓喜の声を上げるもの、悲喜交々に顔色を変えるもの。

あるいは純粋な困惑、さもなければ希望。

その人物に向けられた感情は千差万別であった。

 

「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 悪を倒せと私を呼ぶ!」

 

長く伸びる豪奢な縦ロールの金髪。

薔薇の細工も見事な鎧。

背にはベルベットのマントがはためく。

その突き出された両手からは、赤く輝く鎖が伸びていた。

 

「お聞きなさい、邪悪な怪物!!愛と正義の美少女戦士、キルト!新たな時代に誘われて、華麗に活躍ですわ!!」

 

暇つぶしに眺めていた古今東西の映像プログラムから、適当にチョイスした台詞を並べ立てたド派手な登場。

当然のごとくその場に集った冒険者達は、口を開けて呆然とした様子でキルトを眺めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…さて、話はキル子が18階層に設置したグリーンシークレットハウスへ、転移門の鏡を通り抜けてやってきた時に巻き戻る。

 

「うぉおおおおお!!ベルきゅんはどこだぁあああ!!」

 

雄叫びを上げて飛び込んできたキル子を、ニンジャ達は頭を下げて出迎えた。

 

「おかえりなさいませ、キル子様」

 

「ご苦労様!とりあえず状況を教えて…ん?この連中は何?」

 

床の上にリヴィラの冒険者らしき男達が数名ほど倒れて、ニンジャ達に取り押さえられていた。ここ最近増えている同業者の嫌がらせだろうか。

 

「幻術トラップにかかった不審者で御座います。どうやら透明化の能力を持っている様子。ひとまず対処を伺うべく捕らえました」

 

「ほぅ?」

 

どうやら脇に置かれたダサい形をした奇妙な兜が、透明化できるマジックアイテムらしい。姿が透明になるだけで音や臭い、気配等は遮断できず、感知系の魔法やスキルも誤魔化せないようだ。それでは感知能力に長けたニンジャ達が相手では、何も対策していないのと同じである。

 

キル子はたちまち興味を失うと、適当に処理するように申し付けた。つまりは魚の餌だ。今はそんなものに関わっている暇はない。

 

「そんなことより、ベルきゅんよ!!」

 

標的の印(ターゲットサイン)】で確認したところ、ベート・ローガはすでにリヴィラを離れているようなので、もっぱらキル子の関心はベル・クラネルの身の安全に注がれている。

ぶっちゃけた話、ベルさえ無事ならリヴィラが壊滅しようが、巻き添えになって冒険者が何人死のうが、どうでも良い。 いざとなればグリーン・シークレット・ハウスを畳んでインベントリに突っ込んで、ベルだけ抱えて逃げればキル子的には被害はゼロだ。

 

だが、ここで尻をまくると後でボールスあたりのリヴィラで幅を利かせているヤクザ・クランに後ろ指を差されてしまう。おそらくあの隻眼の強面ならこう言う。「オドレ、落とし前どうつけんねん?二度とリヴィラのシマ使わさんぞ、ゴルァ!」

つまりは、ムラハチ案件である。

 

流石のキル子も身に染み付いた日本人としての本能で、ムラハチは恐ろしい。

マッポー社会を睥睨する上級国民(カチグミ・サラリマン)ですら恐れるムラハチは、キル子のような下層民にとっては魂レベルで恐怖が染み付いており、実際コワイ。

かつての会社時代、ニュービーに命じられる伝統のオチャクミにおいて、チャを出す順番を間違えて社内カーストを前後し、ムラハチされたのは悪夢の記憶だった。あなおそろしや、オツボネサマ。

 

それにリヴィラに開いたキル子の店は今や貴重なドル箱である。

転移門の鏡を使ってオラリオ市内で買い叩いた商品を、適当に値付けをして並べておくだけで次から次へと売れていく。ウハウハだ。

ここまでボロい小遣い稼ぎになるとは思わなかった。気分はイノベーション的にロクロを回す意識高い系経営者だ。 このベネフィットを理解できない心無い同業者の嫌がらせが増えた気もしたが、些細なことだから気にしない。

おかげでキル子の懐は暖かいが、やたら忙しくなった。バッファがオーバーでフローしそうだったが、ここで頼れる外部のアライアンスが、有益な提案をもたらした。ボールス・エルダーの手下のサンシタを、下請けとしてアサインしたのだ。手間のかかるところは、コストカットでアウトソーシングである。もちろん、イケメンはキル子が個別対応重点!

 

これを捨てるなんてとんでもない!何とかしてこのビッグなイッシューのソリューションをひねり出さなくては!!

 

と、天井からハンゾウの一体が下りてきて、その場に平伏した。どうやら偵察に出ていたようだ。

 

「御注進致します。巨人はリヴィラの手前にて居合わせた冒険者と交戦中、されど劣勢にて総崩れは時間の問題かと。また、リヴィラの住人は未だ大半が混乱し、統制はとれておりませぬ。なお、意中のベル・クラネル殿はお仲間ともども最前線におられます」

 

如才ないハンゾウの報告に、キル子は頭を抱えた。

 

ガッデム!なんということでしょう!

 

「うう…まあ、ベルきゅんならそうするよなぁ…ベルきゅんだもんなぁ…そら魂のイケメン行動しますわぇ…ウヒヒヒヒ!」

 

マジ爽やか系王子様!惚れた、抱いて、うちに来て私をF○ckしていい!

 

「…っといけない。混乱してる場合じゃねーわ。マジどうすっか?」

 

ひとまず《遠隔視(クレヤボヤンス)》を発動して現場を確認する。

キル子が【死神の眼】で見たところ、あのどっかで見たようなのを頭から生やした巨人型は、見た目ほどHP量は多くない。ただし、HP回復というボスモンスターに許されざるチートに手を出していやがる。回復するボスとか、流石にユグドラシルの運営ですら滅多に出さなかったぞ、クソが!

キル子のビルドは徹頭徹尾、対人特化。MOBが相手では相性次第で格下相手にも不覚を取りかねない。ニンジャ系NPC達も人間タイプとして街中での使いやすさで選んでいるので、多人数相手の戦闘ならともかく、ボス相手の討伐戦は苦手だ。

 

そういうのは、ボス狩り特化型のガチレイド勢にでも任せるべきだ。

奴らはキル子のような対人戦に燃えるガチ勢とはまた別の方向性に極まった廃人様で、新規実装されたワールドエネミーの最速討伐や、最高難易度のボスエネミーの討伐レコードを1秒でも短くすることにのみ関心を持つキチガイだった。

最栄期のユグドラシルにはそういう連中が一定数いたもので、しかも対人向けのビルドでは決してない癖に、いざやり合うとやたらめったら強かった。まあ、歯応えのある獲物だった。

 

「…!そうだ、ロキ・ファミリアは?!確か、まだここに滞在してるよね?」

 

そう、こういう時は餅は餅屋。専門家に丸投げしてしまえばいいのだ。

ベートは下層に降りているようだが、幹部クラスが何人か残っていれば儲けもの。この際、あの小癪な金髪小娘(アイズ・ヴァレンシュタイン)でもかまわない。

 

「それが解毒治療が終わったと同時に、皆さま総出で下層に向かわれました。おそらく、あと半日は戻ってこないものかと…」

 

チキショウメー!にゃろう、いざというときに役にたちゃしねぇ!

 

つい先日、ロキ・ファミリアは一人も失うことなく59階層の死闘を制し、遠征を成功させた。しかし、その代償は大きい。

参加者は軒並み高価な武具を損壊させ、魔剣や万能薬(エリクサー)といった消耗品も消費しつくした。しかも帰還途中で多くの団員がモンスターから毒を受けたために解毒薬が必要となり、なけなしの貯えまで払底する始末。挙句の果てに、よりによってキル子などに借金を背負ってしまった。まさに踏んだり蹴ったりだ。

事実上、現在のロキ・ファミリアは財政破綻している。当然、オラリオに帰還する前に、稼げるだけ稼いでおきたい。

拠点にしているキル子のグリーン・シークレット・ハウスには、下手な団員より強いニンジャ達が常駐している。後顧の憂いがないため、動ける団員は一人残らず引き連れて、彼らは下層で金策していた。

 

キル子としてはなるべく多く借金を背負わせてカタにはめ、愛しの旦那様(ベート)の職場との仲を円滑にしたかったのだが、債務者(ロキ・ファミリア)だって馬鹿ではない。胡散臭い女(キル子)からの借金は、早く返したいに決まっている。至極当然だ。自業自得である。

 

「…ということは、レイドボスとマジでガチンコしながら、リヴィラの屑どもの手綱を握らなあかんのか?!」

 

以前、顔役のボールス・エルダーが指摘した通り、普段は反目していても街そのものの危機には共に立ち向かうという暗黙の了解がある。だが正直、あの荒くれどもと肩を並べるなど、キル子としては論外だ。

 

何故かリヴィラの住人どもには、キル子には身に覚えの全くない逆恨みを抱く者が数多い。キル子が戦場に現れたら、これ幸いと後ろから卑劣なバックアタックを仕掛けてくるだろう。乱戦中だ、言い訳なんぞどうとでもなる。変装して野良パーティーに潜り込んでからのMPKとか、昔はよくやったからなぁ!

あるいは騒ぎに乗じ、手薄な店の方に突撃して火事場泥棒を働こうとするかもしれない。クソが、こちとら善良な商売しかしとらんのだぞ!

実際、スキルで変装して味方のふりをし、バックアタックを決めるのはキル子の18番。相手がやられたら嫌なことは、自分がやられて嫌なこと。任せろ私は詳しいんだ!

 

「…やっぱりニンジャの半分は拠点に残さざるを得ない。人間の敵は所詮、人間だね」

 

いざとなればナザリックの自室や宝物庫からたんまりと持ち込んでいる巻物(スクロール)や魔封じの水晶を使って、第10位階魔法クラスを絨毯爆撃かませば、あの程度のボスならどうにかなる。

その際は、ボスに群がる有象無象の冒険者どもも、巻き添えになるだろう。それは一向にかまわないが、うっかりベル・クラネルを巻き込みかねないうえに、出費が痛い。

何せ、ユグドラシル由来の消耗品アイテムは、現状、再入手できない。腐るほどある中級ポーション程度ならともなく、キル子の使えない呪文が詰められたクリスタルや巻物(スクロール)類は、今や貴重な虎の子だ。

こんなことなら生産系NPCの召喚アイテムを持ち歩いておけばよかったと後悔したが、今更の話である。ユグドラシル金貨だけなら、手に入れる目算があるのだが…

 

それに、問題はそれだけではない。

 

「…あの小姑(ロキ)に気付かれないわけがないんだよなぁ。手の内は隠しておきたいけど、ついさっきまでホームでおしゃべりしてたわけだしねぇ。これ以上弱みを握られるのは避けたい、マジで」

 

地上から18階層までは、慣れた第一級冒険者の足でも半日はかかる。つい先ほどまで黄昏の館でロキと会談をしていた筈のキル子が、時をおかずしてダンジョン18階層のリヴィラに現れるというのは、オラリオの常識に照らせばあり得ない。そんな状況でキル子自身が派手に暴れると、ロキは間違いなく聞きつけるだろうし、いらんことに気付くだろう。

忌々しいが、あのツルペタ女はやたらと頭が切れるし、勘もいい。伊達に千年クラスの大年増はやってない。

 

リアル頭脳チートの「ぷにっと萌え」や「モモンガ」あたりならともかく、少なくともキル子にはロキを誤魔化せる自信は無かった。万が一、秘匿している転移門の鏡あたりがバレたら目も当てられない。

 

「…むしろギルマスあたりなら口八丁で騙くらかして、ベート様とかファミリアから引き抜いたりしてくれたり結婚式の準備とかしてくれるはず…流石ギルマス、マジチートェ…!」

 

かつてのギルメンに対する謎の信頼感を発揮して現実逃避するキル子だったが、そこで天啓が下った。

 

『トリニティに喧嘩を売られた?キル子さん、2ch連合に成りすまして奴らにその罪をなすりつけましょう。後は適当に双方を煽って潰し合いさせればいいんです』

 

キル子のニューロン内に突如として降臨した某お骨様の幻影が、実際適切なインストラクションを授けた!

まったくもって荒唐無稽な妄想であるが、溺れる者は藁をもつかむのである。

 

「それだ!!!」

 

さっすがギルマス!!素敵!!でも抱かれたくない。だって所詮骨だし、中身は残念なモブ男の匂いがするから。多分、童貞だし。

本人が聞いたら挙動不審になりながら慌てて否定したであろう。

 

そう、何も馬鹿正直に『キル子』が矢面に立つ必要は無いのだ。『キル子』は生憎留守だったことにすればいい。あとはニンジャ達に適当に支援させれば、ボールスへも面目は立つ。

だいたいベートのいない今『キル子』が出張って活躍したところで、何のメリットもないではないか。そして相手がベルならば、うってつけの外装がある!

 

というわけで…

 

「オーッホッホッホ!オラリオよ、私は戻ってきた!!悪役令嬢キルト、恥ずかしながら出戻りデビューですわ!!」

 

かくして、その場には豪奢な金髪縦ロールの髪を靡かせて、『キルト』が出現したのだった。

 

テンションを爆上げして高笑いを放つキル子だが、それを「何やってんだコイツ」とでも言いたげな目をしたニンジャ達が呆れながら眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 




低気圧が来ると、右足に埋め込んだ金属プレートがうずくんや。天気予報人間になった気分。


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第19話

いつも誤字修正ありがとうございます。


「…なんじゃ、ありゃ?」

 

ボールス・エルダーは頭を抱えた。

彼が仕切っているリヴィラの町の目の前にモンスターが迫っている。 ここは『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』などと呼ばれてはいるが、モンスターが全くいないわけではないので、それ自体は珍しくない。ただし、これでも長いこと冒険者稼業をやっているが、極彩色をした触手の群れが寄り集まった巨大な人型モンスターなど、見たことも聞いたこともない。

巨人型のモンスターといえば17階層の迷宮の孤王(モンスター・レックス)、ゴライアスが真っ先に思い付くが、目の前に迫るアレは似ても似つかなかった。

 

「見ての通りですよ、ボールス。アレはただのモンスターではない」

 

冷や汗を流しながらそう言ったのは、ヘルメス・ファミリアの団長、アスフィ・アル・アンドロメダ。

ほろ酔い気分のボールスをここまで連れ出し、酔いを完全に消し飛ばしてくれた下手人である。

ボールスとは取引を通じて多少の付き合いがあるのだが、この女が来るときは決まって厄介を運んでくる。しかも、今回のこれは飛び切りだ。

 

「ク、クソっ…なんで俺ばっかり…ちきしょう!」

 

「ボールス、しっかりなさい!アレは、いつぞやリヴィラを襲った極彩色のモンスター、その集合体です」

 

「あ?…アレか!!」

 

言われて思い出した。

以前、ガネーシャ・ファミリアの高ランク冒険者がリヴィラの売春窟で殺された事件の際に、町を蹂躙した植物型モンスターだ。

 

ボールスは恐怖に駆られた。あの時は頭のおかしいロキ・ファミリアの第一級冒険者達が勢揃いしていたから勝てたのだ。しかし、間の悪いことにあの連中は今朝方、下層に向かったばかり。とてもではないがボールスの手に余る。

 

「こんなもん逃げるが吉だ!まともにやりあえるか!」

 

「私だって出来るものならそうしてます!残念ですが、南の洞窟は崩れ、退路は絶たれました!」

 

つまり、今現在この階層にいるものは漏れなく袋のネズミだ。

 

「放っておけばアレはいくらでも仲間を呼び集める!それはあの時居合わせたという貴方の方が詳しいでしょう?力と数で蹂躙される前に、この町の冒険者とありったけの武器を集めて対抗するしかない!」

 

どうあがいても、やるしかないのか…ヂッギショー!!!

 

せっかく頭を悩ませていた問題が解決したというのに、今度は町そのものが消し飛びかねない厄介事。あまりにタイミングが悪すぎる。これは何かの陰謀か。

このところ人生が上手く回っていないように考えていたボールスは被害妄想を募らせた。思えば馴染みの娼婦のアイシャちゃんが自分に靡かないのも、あのキルコとかいうバケモノ女がリヴィラに来たのも、何もかも誰かの陰謀だ。そうに違いない。いったいどこのどいつの仕業だ?!

 

「ククク…どこのどいつか知らねえが、そこまで俺が憎いのか!!」

 

「…?ボールス?」

 

何やらキチガイを見る目で見られたが、それどころではない。ボールスの脳みそは常になく回転し、自分を襲う一連の不幸の元凶を導き出した。つまり、犯人は…

 

「…あの時の女…赤髪のテイマーの仕業か!!ふてー女だぜ!復讐か?報復か?逆恨みもたいがいにしやがれクソが!!」

 

すべてあの女が悪い!そうに決まった!見つけ出したらタダじゃおかねぇ!!ヤキいれたるわ!!

…ボールスはこの件が終わったら全力を挙げて赤髪の女テイマーを探し出すことを決めた。

 

そうと決まればまず目の前のデカブツをなんとかしなければなるまい。

 

「話は聞いてたな、てめェら!」

 

ボールスは背後に勢揃いして、迫り来る巨人に慄いているリヴィラの住人達を睨みつけた。

 

「あの化け物と一戦やるぞ!今から逃げ出しやがった奴は二度とこの街の出入りを許さねぇ!!」

 

「「「おう!!!」

 

はっぱをかけると、目に戦意をみなぎらせ始める。

不満はあるだろうが、曲がりなりにも18階層(ここ)まで来れる猛者ばかり。そう馬鹿でもないし臆病者でもない。

 

「よし!武器と防具だ、ありったけ持ってこい!」

 

普段はボッタクリ上等のリヴィラだが、街の危機なら話は別だ。各人が溜め込んでいる物資を次々と放出していく。

特に元締めであるボールスにはこういう時こそ器量が求められる。最大限の負担を覚悟しなければならない。

幸い、例のキルコから受け取った品々を本業の貸し倉庫にまとめて放り込んだばかりで、物はある。既に前金は支払い済みなので、少なくない出費だ。後で傘下のチンピラどもに露店で捌かせる予定だったが、それを全部放出する。

 

ただし、ボールスは自分一人だけが損をする気はなかった。こうなれば道連れだ。

 

「おい、お前。キルコのところに知らせに行け!」

 

「は、はい!」

 

このままリヴィラごと店を壊されては、流石のキルコとて大損害を受けるだろう。あいつも出し惜しみはしないはずだ。

 

「…その必要はない」

 

「うおっ⁈い、いつの間に⁈」

 

いつの間にか、ボールスの背後には黒子の衣装と覆面をした人物が佇んでいた。フウマとかいうキルコの手下の一人だ。

 

「キル子様は上の街に出かけられて不在だ」

 

「なんだと⁈」

 

ボールスは舌打ちをした。タイミングが悪い。

 

「案ずるな、こういう場合の手筈は事前に指示されている。できる限り、協力は惜しまぬ」

 

フウマは両手の指をゴキゴキと鳴らした。

戦意は十分らしい。剣呑な連中だがこういう時は頼もしさを感じる。

ボールスも気合いを入れ直した。

 

「よし、まずは魔法使いだ。詠唱を揃えていっせいに仕掛ける。急げよ!」

 

 

 

 

 

 

…その様子を《完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)》の魔法で姿を隠しながら眺める者がいた。

 

「ボールスめ、やればできる子じゃないの」

 

もちろん、悪役令嬢・キルトに扮したキル子である。

あの人型ぺんぺん草をぶちのめすにあたって、少々小細工する必要を感じたので隠れて待機していたが、この分ならリヴィラの連中は何もしなくてもアレに向かってくれそうだ。

目障りなモンスターとキル子に反発するリヴィラの連中が潰し合うのは好都合。双方に梃入れして高みの見物、適当に弱らせてから美味しいところを頂く。さすがはギルマスのインストラクションである。

 

それにしても、あの巨人型ボス…すでに体中が蔦と触手だらけで巨人と呼んでいいのかすら怪しいが、アレに似ている。PKの合間の暇つぶしに見たモンスタームービーに出てきた植物型モンスターに。

某ギルメンのインテリ爺こと「死獣天朱雀」に聞いたことがあるのだが、古代日本はモンスタームービーの特産地として知られていたらしい。特に口からビームを撃つ恐竜型モンスターが人気があったそうだ。オーガニック・マグロをむさぼり食う贅沢なやつらしいが、古代人の趣味はよくわからない。確か6階層のアウラのペットに似たようなのが居たはずだ。

暇つぶしに版権切れでネットに流れていたのを何作か見たが、そのうちのどれかに出ていた植物怪獣にそっくりだ。特に一回倒された後で、パワーアップしてリベンジしてくるところがよく似ている。

迷惑な話である。今度は二度と蘇生できないように殺してやる。

 

「となると、やっぱり段取りというか、ちと小細工が必要か…」

 

ただ、何人かボールスに反抗的な態度を示している者がいるのが、少々気にかかった。

 

「おいおいおい、死ぬぞ俺ら!」

 

「さすがに逃げる一択だろ!前の時だってロキ・ファミリアの連中しか相手にならなかったんだぜ!」

 

「町なんざ建て直しゃいいじゃねーか!リヴィラはそうやって何百回も復活したんだ!」

 

「ボールスの野郎、例のバケモン女に大枚掴まされてんじゃねぇのか?!」

 

「ケッ…こちとら商売あがったりだってのによ!いっそ全部潰れてくれた方が清々するぜ!」

 

口々に不平不満を並べ立て、 機を見て逃げ出そうとしている。むべなるかな。

クソどもめ、動死体(ゾンビ)に変えて負属性ダメージをばら撒く自爆スキル【死体爆弾(ネクロボム)】を仕込んで、文字通りのゾンビアタックにでも使ってやろうか?

いっそのこと、あの連中を根こそぎ動員して万歳アタックでもするか。かなりのHPを削れるだろう。

悲しいけど戦いの最中に不幸な事故は付きものなのよね。町を守るために我が身を犠牲にするとは、流石リヴィラの男である。尊い犠牲だ、ケケケケ………ん⁈‼︎

 

ひとまず最初の獲物の首を掻っ切るべく、適当に視線を移した男の一人。頭から耳が突き出ている。獣人だ。それも狼人(ウェアウルフ)。顔立ちはいたって凡庸で、ずんぐりとした体型をしている。

()とは似ても似つかないが… 毛並みは()()

それだけで、煮え立ったキル子の頭に冷や水をかけるには、十分だった。

  

嘆息を一つ。そしてインベントリから煙管を取り出し一服つけると、キツいメンソールの香りを吸い込む。

 

昔の仲間に見られたら、日和ったかと笑われるかもしれないが…

 

「…彼なら、どうしたかな」

 

弱い奴らだと、罵るだろうか。それとも…

 

まあ、急いだヒキャクがカロウシした、という格言もある。やり過ぎは良くない。ここは顔役殿に陰ながら協力する程度にしておこう。

真の恋の道は荊の道である(The course of true love never did run smooth.)」。キル子がナザリックの宝物殿の扉の一つに、キーワードとして指定した言葉だ。

 

その場の人間がボールスに気を取られているうちに、さりげなく反抗的な態度をとっていた男の一人に近づき、軽く肩を叩く。攻撃判定(アクティブ)が成立して、《完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)》は自動的に解除された。

 

「…そこの貴方、少しよろしくて?」

 

「おっと…?俺のことかい、ねえちゃん?悪ぃが今は忙しいんだ、またな」

 

不意に強い衝撃を感じて男はよろけたが、同時にその場に現れた絶世の美女を訝しげに眺めた。

男も状況が状況なら鼻の下を伸ばしただろうが、今はそれどころではない。ひとまず追い払おうとしたのだが、それよりキル子の方が早かった。

 

「《人間種魅了(チャーム・パーソン)》」

 

途端に男は目をトロンとさせ、夢見心地のように全身から力を抜いて脱力する。

 

「ボールスの言うことにも一理ありますわ。今回はみんなで協力してあのモンスターを倒すべきよ。貴方のお仲間にも、そう説得してね」

 

「…そう、だな。そうするか」

 

フラフラと立ち去る男を見送って、キル子は鼻を鳴らした。もう何人かに同じ処置をする、こんなところか。

この魔法を使うと魅了効果が切れた後でも記憶が残ったままになるが、この程度なら後で誤魔化しが利く。

ユグドラシルには《記憶操作(コントロール・アムネジア)》なんて魔法もあるが、残念ながら本職の魔法詠唱者ではないキル子には使えない。

 

キル子は手元の数珠型腕時計を操作した。備わった機能の一つを起動させて《伝言(メッセージ)》の魔法を発動する。

 

〈ハンゾウ、そのまま聞きなさい〉

 

〈ハッ!〉

 

魔法を使って呼びかけると、キル子自身の影の中に潜んでいたハンゾウの一人が微かに身じろぐのを【気配察知】のスキルによって感知する。 いざという時の為の護衛役だ。

 

〈私はこれから、あのモンスターに仕掛けます。貴方達も適当に戦いながら、周りの冒険者達が危なそうになったら、可能な範囲で助けてやりなさい。ここが恩の売り時よ、せいぜい高く売りましょう〉

 

人間というのは面白いもので、普段から良いことをしている人物の善行よりも、不良の見せたちょっとした優しさの方が、強く印象に残る。

そう、DV男は殴った後に急に優しくするのだ。それで勘違いして騙される…クソが。やっぱりチャラ男に人権はないな、ゾンビ爆弾でどうぞ。

その辺の機微はかつてのギルメンの「ぷにっと萌え」が詳しくて、時にはPKした相手のドロップ品を返すなどして、恨みを抱かせないようにヘイト管理をしていた。まあ、やたらめったらヘイトを稼ぎまくって彼に頭を抱えさせる極悪PKがいたそうだけど、知らない子ですね。

 

それはともかく、リヴィラに開いた店は何故かやたらと同業者に敵視されている。ニンジャ達を使って多少なりとも印象を改善しておきたいところだ。

目に見えない恩というのは、存外バカにしたものではない。こうやって影響力を積み重ねれば、この素晴らしい世界にまた一つ、根を下ろすことができるだろう。

 

〈ただし、無理はしないでね。貴方達の方がよほど大事だから〉

 

何せ、召喚するのにかなり大量のユグドラシル金貨を消費した。無理して死なれでもしたら、大損である。

 

〈…!…承知いたしました。されど、我らは主様に尽くす為の存在。如何様にも使い潰しくだされば、本望で御座います!!〉

 

…おや?なんかこいつ、急にやる気出したような…?

 

〈僭越ながら、キル子様の御店(おたな)に手を出してきた奴輩の背後で、糸を引いていた者どもは既に調べ上げておりまする。御命令頂ければ、この騒ぎに乗じて速やかに排除致しますが〉

 

うわっ…この子達の忠誠心高すぎぃ…!

 

家に火がついていれば泥棒してもバレにくいとのコトワザもあるので、言いたいこともわからないではないのだけど…

 

〈…う、うーん、今はいいかな?いずれ心変わりして、未来のお客様になってくれるかもしれないし…?〉

 

殺せば(スクロール)、生かせばお客(金蔓)である。

 

〈ハッ!差し出口をたたきました。何卒、お許しくださいませ〉

 

〈いえ、気持ちは嬉しかったわ。ありがとう〉

 

キル子は《伝言(メッセージ)》を終了させた。

なんかやたら忠誠心高いけど、ニンジャ達は優秀だ。戦闘能力は物足りないが、この手の工作には申し分ない。

呼び出す時、召喚コストがより安上がりな虫型傭兵NPCのエイトエッジ・アサシンか、戦闘能力に秀でた悪魔系にでもしようかと思ったが、人前に晒すことを考えると人型NPCの方が使い勝手が良い。

後で休暇かボーナスを取らせてあげるべきだろう。かつて大変お世話になったリアルのクソみたいなブラック企業の経営者とは違うのだ。ホワイトな職場を目指さないとね。

 

「ククク…あとは、ベル君の好感度を稼げるタイミングで介入すれば…フヒ!!これぞまさにサイオー・ホース!」

 

こんな会話をしながらも、キル子の目は巨人の一挙手一投足に注がれており、万が一、例の広域魔法を使う素振りを見せようものなら、たちどころに止めに入れるよう備えている。

先ほど、かなり長めの詠唱をしていた際にはもう割って入ろうかとも思ったが、結果的には不要だった。赤毛の奇麗な顔のイケメンボーイが何らの手段でその魔法を暴発させたのだ。

 

「っていうか…確かあの赤毛の坊やは、ヘファイストスのところの鍛治師見習い君、だったかな?」

 

ヘファイストス・ファミリアにはわりと出入りしているので、何度か見かけたことがある。キル子の記憶力は気になった男子の顔だけは忘れない。

そのイケメンは人型ハエトリ草に追いかけられて涙目で逃げている。何やら子犬か何かのようでかわいらしい、とキル子は思った。ベートやベルとは違った魅力を感じる。

キル子にロックオンされるというデスノボリを立てた不幸な男は、今まさに踏みつぶされようとしていた。

 

ふざけんな、イケメン様は同じ重さの七色鉱より貴重やぞ!

 

瞬時に《束縛する地獄の鎖(バインド・オブ・ヘルズチェーン)》の魔法を唱え、クソ巨人野郎をガチガチに拘束する。

 

「お聞きなさい、邪悪な怪物!!愛と正義の美少女戦士、キルト!新たな時代に誘われて、華麗に活躍ですわ!!」

 

口上も高らかに、悪役令嬢・キルトに扮したキル子は颯爽と登場をかました。

まさに狙い澄ましたタイミング。まずはラブポイント1点は固いだろう。

 

世にも邪悪な怪物(キル子)に『邪悪な怪物』呼ばわりされる屈辱を味わわされた穢れた精霊は、怒髪天をつくような形相を浮かべてキル子を睨んでいる。

 

「ソイツ殺セナイ!!邪魔スルナァアアア!!」

 

「お馬鹿さん♪邪魔するに決まってますわ!」

 

キル子は鎖を引き絞って、締め上げた。何とか抜け出そうと暴れているが、鎖は軋むだけで小揺るぎもしない。

アホめ、レベル差がかなりあるから抜け出せるものか。

 

今のうちに追撃したかったが、第八位階魔法《束縛する地獄の鎖(バインド・オブ・ヘルズチェーン)》は使用中に両手がふさがり、他の行動が制限される。

武器攻撃が不能になるのは物理攻撃職にとって致命的な欠点だが、代わりに拘束力が非常に高い。拘束された相手は魔法の詠唱や能動的な特殊能力(アクティブ・スキル)も使用不可となる。時間稼ぎにはもってこいで、パーティプレイで味方の援護をするのが基本的な使い方だ。

キル子がこうやって無力化した敵に、攻撃力が恐ろしく高いが攻撃速度が非常に遅い武器『素戔嗚(スサノオ)』を携えた「弐式炎雷」がトドメを刺すのがセオリーだった。

 

もっとも、この魔法には弱点もある。

 

「カルマ値は『中立』よりの『悪』。持って一、二分か…」

 

相手のステータスからして、いくら暴れても破壊されることはないだろうが、この魔法の拘束時間は相手のカルマ値に依存する。

 

ユグドラシルでは重要なステータスの一つとして、カルマ値というものがある。キャラクターの性質を表すものであり、+300から-500まで各々『極善』『善』『中立』『悪』『凶悪』『邪悪』『極悪』の7つのタイプに分かれていた。

ちなみにキル子は『極悪』、タイトル詐欺ではない。ある特殊な職業クラスに就いているせいで、数値的にはマイナスのシステム下限値を更に下回っているのが困りものだ。おかげで、カルマ値の低い対象への特攻がやたら良く効く。

 

この数値は一部の魔法・スキルの効果や使用条件、装備品の装備条件等に幅広く関係している。特にプラスやマイナスに偏っている存在に特攻ダメージを与える職業クラスやアイテムの存在は、押さえておかないとPVPで痛い目をみる。

例えば、有名なのは使いきりのために特に効果が高い「20(トゥエンティ)」と呼ばれる世界級アイテムの一つ『光輪の善神(アフラマズダー)』。世界(ワールドサーバー)一つを覆うほどの効果範囲を持ち、カルマ値がマイナスの対象に絶大な効果を発揮する。 キル子はかつてコレが発動する場面に居合わせたことがあるが、えらい目に遭った。

 

束縛する地獄の鎖(バインド・オブ・ヘルズチェーン)》も対象のカルマ値によって効果の変わる魔法の一つだ。カルマ値がマイナスに高い対象なら破壊されない限り最大効果時間まで確実に拘束できるが、逆に『極善』ならば、そもそも対象にとることすらできない。

できればカルマ値を引き下げる能力の援護が欲しいところだ。かつて仲の良かった女性ギルメンがそういうのを得意としていた。

「ぶくぶく茶釜」は自身に攻撃した相手のカルマ値を極限まで下げるスキル《生贄》を使えたし、「やまいこ」はカルマ値がマイナスの場合よりマイナスになる超位魔法《オシリスの裁き(ペレト・エム・ヘルゥ )》を使うことができる。

あるいはその状態でサムライ系ビルドの「武人建御雷」あたりが、五大明王コンボを食らわせればあの程度のボスなんぞ瞬殺だろう。

 

残念ながら、これだけの巨体を持つ敵を長時間足止め可能なのは、キル子の手持ちだとこの魔法だけだ。

ひとまずヴェルフは逃げ切れたので、良しとしよう。

 

「皆さん、そう長くはもちません!!今のうちに態勢を整えてくださいませ!!」

 

キル子が呼びかけると、この場のリーダーらしき大柄な両手剣の使い手から応えがあった。

 

「あ?…ああ!助かった、かたじけねぇ!!野郎ども、今のうちにポーション使っとけ!!」

 

「了解です!」「合点でさ!!」「リリっち、ポーション分けてくれない?さっき全部ロイドに使ったにゃ!」「いいですよ、半分こしましょう」

 

ベル達もこの男に従っているようだ。むさくるしい無精ひげを生やらかした巨漢である。趣味ではないので一目見るなりキル子は興味を失った。

 

キル子の視界にだけ表示されている拘束時間の残りカウントを眺めながら、この後どうするか考える。あまりやりたくはないが、ニンジャ達を動員してタコ殴りさせるのが無難だろうか。

 

「下がれ!デカイのがいくぞ!!」

 

そんなことを考えていると、頭上から叫び声が聞こえた。

 

同時に、無数の魔法らしき光が巨人に着弾した。炎、氷、雷に風、その他雑多な魔法が次々に命中し、巨軀を砕き、揺らがせる。

さらに、大勢の冒険者が雄叫びを上げながら駆けてくるのを見て、キル子は鼻を鳴らした。リヴィラの連中め、ようやく出てきたか。

 

安全階層(ここ)で好き勝手してんじゃねーぞ、クソモンスター!!」

 

「叩き潰してやらぁ!!」

 

「おうおう、おあつらえ向きに動けねーのか!」

 

「臓物ぶち撒けて、俺らに功徳施せや!」

 

リヴィラの冒険者達は、嬉々としてボスをぶち殺そうと群がった。

頼もしいと言えば頼もしいのだが、コイツらはオラリオの冒険者よりずっとガラが悪いのだ。

ともかく、これで一息つける。リヴィラのヤクザどもよ、せいぜい頑張って働くのだ。レベル20台がせいぜいの雑魚ばかりなので、大半は溶けて消えるだろうがな、ケケケケ!

 

ちょうどそのタイミングで、魔法の鎖は砕け散った。

 

「時間切れです!皆さま、気をつけてください!図体が大きいけど、こいつ意外に素早いですわ!」

 

巨人は鎖から解き放たれると、さっそく群がる者を蟻のように叩き潰し始めた。

冒険者達は踏み潰され、蹴倒されてはいるが、意外にも致命傷を受けた者はまだいない。伊達にダンジョン内部で暮らしているわけではないらしい。

 

遠巻きに見守っていたベル達がキルトに駆け寄ってきたのは、そんなタイミングだった。

 

「キルトさん!」

 

「あら、お久しぶりね、ベル君」

 

微笑んで軽くウィンク。ベルの頬に薄く紅がさすのを確認すると、優越感に浸った。

う〜ん、ディ・モールトなベネ!素直で強くて可愛い若い子に慕われるとか、やっぱりイイネ!

 

内心ご満悦なキル子だが、もう一人、先程要チェックしたばかりのイケメン君が現れる。

 

「ヴェルフだ。あんたのおかげで助かった。礼を言う」

 

律儀にも頭を下げにきたのは、赤髪の鍛治師見習い、ヴェルフ・クロッゾ。

礼儀正しいのはなかなかキル子的に好感度が高い。ラブポイントにプラス1だ。

 

「フフ、お気になさらずに。袖振り合うのもエンゲージですわ」  

 

キル子は微笑みながら手を差し出し、さりげなく握手を交わした。もちろん、手が触れ合った瞬間に【標的の印(ターゲットサイン)】を貼り付けるのを忘れてはならない。後でこっそりストーキングである。

 

「あ、姉御!お久しぶりっす!」

 

「どうもですにゃ!」

 

…ん?誰ぞコイツら?

 

イケメン様以外は正直どうでも良いのだが、なんとなく見覚えのある連中が嬉しそうに頭を下げてくるので、キル子は首を捻った。

 

…ああ、確かベルとパーティー組んでたモブどもだったか?

よいよい、ベルの盾兼引き立て役として頑張るんじゃぞ。

 

「…えーと、確かロイドさんに、アンジェリカさんだったかしら?」

 

もちろん、そんな内心は()()()にも出さず、外面を取り繕うキル子である。【死神の目】に映るユニークネームを見つめながら、しれっと惚けてみせた。

 

「お、俺の名前を覚えてくれてたんですか、姉御!嬉しいっす!光栄っす!」

 

「………」

 

何やら喜色満面なモブ顔の男と、それを複雑な顔で見守る赤毛の猫人(キャットピープル)を見て、キル子の鋭敏なラブセンサーは仄かに薫るラブ臭をとらえた。

 

猫耳娘さんや、そんな顔しなくてもとりゃしないわよ。悪いけどあなたの男に興味はないんよ。顔が趣味じゃないからな。

 

「…ご、ご無沙汰してます、キルト様」

 

ところでベル君の背中にしがみついて此方を窺っているリリルカなアーデさんや、君ちょっと距離感近くない?処す?処す?ダンジョンは大変危険ですわよね、オラ。

 

「ええ、お久しぶりね、リリルカさん。ベル君と同じファミリアに入ったのですってね。一応、おめでとう、を言わせて頂くわ」

 

軽く青筋をたてながらも笑顔を崩さないキル子であったが、目はまったく笑っていない。その顔をみたリリルカは、何故か怯えて一歩下がった。…自覚はあるのね、泥棒猫!

 

人のいぬ間にやらかしたらしい小娘に、少しばかりOKYU(拷問)をすえる必要を大いに感じたキル子だったが、その時、常時オンにしている感知スキルに妙な反応があった。

 

何かが、上空を飛行している。

 

「…上!?《食い散らかす(イートアンダイディ)…!!」

 

思わず叩き落しかけて、慌てて止めた。

見上げれば、水色の髪に銀枠の眼鏡をかけた理知的な雰囲気の女が、靴から羽をはやして自在に空を駆けている。どう見ても冒険者だ。

 

万能者(ペルセウス)だ!!」

 

「アンドロメダめ、あんな隠し玉があったのか!!」

 

歓声があがった。【死神の目】に映る視界に表示される名前は「アスフィ・アル・アンドロメダ」。どうやら有名人らしい。羽を生やすタイプの飛行魔法かアイテムでも使っているのだろう。

 

「よおおおし、お前ら!アンドロメダが囮になるから心置きなく詠唱を始めろぉ!」

 

「ボールスぅぅ!あとで覚えてらっしゃい!」

 

どうやらあの女、あえて目立つことで自ら囮になっているらしい。中々豪儀なことである。悪党ばかりのリヴィラの住人にしては珍しい。

しかし、景気よく飛び回ってるが、あの程度の速度と旋回能力だと…

 

「…って⁈…キャアアアア!!!」

 

緑色の触手が群がって、即座に叩き落された。まあ、そうなるな。

あれは硬いし強いし、長く伸びる。数も多い。捕らえられて引き千切られるか、食い殺されなかっただけでも運がいい。

 

飛行能力はユグドラシルでもさほど珍しくもなかったが、高速飛行に特化した職業に就いているか、そういう種族でもなければ戦闘中に飛ぶやつはあまり居なかった。空中での三次元戦闘はプレイヤースキルを要求されるし、あちらでは対空迎撃手段が豊富だったのも理由だ。足場が安定している場所なら、地面を走った方が早いし安全である。

 

「アスフィ!!」

 

悲鳴を上げながら落ちた女に取りすがったのは、何やら見覚えのある優男…確か、ずいぶん前に出会ったチャラ男ではないか。

標的の印(ターゲットサイン)】を貼り付けたはいいが、すっかり忘れていた。傷ついた女を助けようとは、見た目チャラ男のくせにそこそこ気骨はあったらしい。

まあ、囮は多いほうがいいか。手助けしちゃろう。

 

伝言(メッセージ)》の魔法を使って指示を下すと、即座に数人ばかりのニンジャ達が【不可知化】のスキルを解除して、チャラ男とその腕に抱かれた女の前に立ちふさがる。

 

チャラ男ことヘルメスは、女をかばう様にして、突如その場に出現したニンジャ達に身構えた。

その対応は実際正しい。本来なら自在に姿を隠し、不意打ち(アンブッシュ)からカラテ・チョップによる致命の一撃(クリティカル・ヒット)を放つ恐るべき傭兵NPC(手練れ)である。

 

「こ、こいつらは確か例の店の…?!…まさか、バレたのか?

 

何やら冷や汗を流しながら警戒しているチャラ男を他所に、ニンジャ達はどうでもよさそうに顔を背けて巨人に対して構えた。

 

「「「ワッショイ!!」」」

 

古代から受け継がれるニンジャの実際正しいカラテ・シャウトを放って、繰り出されるサマーソルトキック!

触手の塊は蹴り飛ばされ、ネギトロめいて爆破四散。だが、即座に寄り集まって再生した。どうやらあの触手が本体を守る鎧の役割を果たしているらしい。

ニンジャ達はすかさず、さらなるカラテ・チョップを叩きこんだ。

 

「す、すごい!!素手でゴライアスを圧倒してる!!」

 

「ヤッベ、奴らあんなに強かったのか⁈」

 

冒険者達は目を見開いて驚いている。

 

「アイエエエ!?」

 

「ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」

 

「コワイ!」

 

「うぁああああ!!ニンジャ!?本物だぁあああ!!スゴイ!!」

 

何やら発狂するほど驚いている和服の集団がいるが、なんだあいつら?ちなみに一人だけテンション爆超で雄叫びを上げて狂喜乱舞するポニテ女子が混ざっているが、 見なかったことにしよう。

 

「和服…噂の極東出身者か?……似通った文化もあるのね。気をつけないと

 

「…?」

 

不思議そうな顔で、キョトンとこちらを見るベルきゅんラブリー。

 

「いや、こっちの話よ。…さて」

 

ひとまずアレの取り巻きの腐れハエ取り草を除草しよう。あんなのが安全地帯(セーフティポイント)に居座ってたらおちおち商売(ぼったくり)もできない。 配下にばかり働かせては主人の沽券にかかわるし、適当に働いてベル君とヴェルフ君の好感度アップだ。

 

ベル達にいいところを見せつけるべく、キル子は秘蔵の神器級武装を開帳することに決めた。

耐久値が下がったら、へファイストスのところに持ち込めばよい。そのくらいは任せられる程度には彼らもユグドラシル産に慣れてきた頃合いである。

 

「よーし、お姉さんちょっぴり本気だしちゃうわよぉ!!」

 

インベントリに手を突っ込み、嬉々としてキル子が取り出したのは、異形の武器だった。

 

ドクンドクンと脈打つ血管のような筋が幾重も刻まれた朱塗りの長い柄に、刃先のみ禍々しいほど金色に輝く巨大な刃が取り付けられた武器、大鎌(サイズ)。いつぞや手慰みに使っていた伝説級の大鎌とは、物が違う。

異様なのはその(ブレード)だ。柄とのバランスが崩れる程に刃の部分が大きい。しかも、その両側に瞼のない血走った目玉が付いていて、ギョロギョロと絶えず周囲を睥睨している。明らかに生きていた。

見た目が不気味な必殺武器というのは純然たるキル子の趣味だ。宝物庫に置いてあるこの手のキワモノ系は大抵キル子か「タブラ・スマラグディナ」のコレクションだった。

 

「まずは一匹!」

 

キシャアアアアア!!

 

その金色の刃が食人花(ヴィオラス)に向かって振り下ろされるや否や、()()怪鳥(けちょう)の雄叫びをあげた。

インパクトの瞬間、長大な刃がパックリと上下に分かれ、巨大な鳥の嘴めいて獲物に食らいつく。ボロ切れのように強靭な体組織を引き裂き、肉を啄まれて食人花はたまらずのたうち回った。

 

「え、えぐい…!」

 

周囲で共に戦っていた冒険者達はドン引きしたが、この武器の有する特殊能力はこれで終わりではない。

 

食人花(ヴィオラス)に食い付いた嘴の奥、真っ赤な口中から蠍の尾めいて節くれだった長い舌が飛び出し、ズタズタに裂けた傷口に潜りこんだ。その先端部の棘が刺さると、瞬く間に肉が腐り落ちる。食人花はもがき苦しみながら膿のようなものを垂れ流して息絶えた。

 

「さぁて、サクサク逝きますわよォ!!」

 

いい笑顔を浮かべながら、キル子は新たな獲物に向かった。

 

「…オエッ!」

 

「…ありゃ、ほんとに武器なのか⁈」

 

「気色わりぃ…!」

 

モンスターの骸から零れ落ちた体液が、異臭を放って地面に穴を開けるのを見て、周囲の冒険者達は恐れ慄き、思った。この女はやべえ、と。

 

キル子の持つ七つの特化型神器級武装の一つ、『金嘴蝎尾蕉(ヘリコニア)』。

鋭い嘴による装甲貫通能力、さらに猛毒による状態異常付与(デバフ)を兼ね備えた逸品。【毒耐性】の装備やスキルを無効化する、極めて希少な【毒耐性無効】のデータクリスタルを使っているので、ゴーレムやアンデッドの様な体質的に毒の効かない種族でもない限り猛毒を喰らって三歩と持たない。

 

見た目に反して『金嘴蝎尾蕉(ヘリコニア)』は槍やスティレットと同じ刺突系武器に分類される。【斬撃耐性】では防げないし【毒耐性】は貫通する。【刺突耐性】で防ぐか回避するしかない。

キル子が好んで使う武器だが、手持ちの武器の大半は心ない連中の手でネットに情報が晒されてしまっている。対策してくる奴らが多くて、その裏をかく装備を用意していたら、七つも神器級を作るはめになった。罪のないちょっとしたPKに対して、大人気ない奴らも居るものだ。

ちなみに状況に応じた特化型の伝説級以下の武装も併せると、総製作費用は膨大である。

 

…え?お前はそんな大金をどうやって稼いだのかだって?

もちろんPKして強奪した金やアイテム…神器級やら希少なアーティファクトやら素材やらを他のプレイヤーに転売したり、NPCに店売りボッシュートしたに決まってるわい。

あとな、エクスチェンジ・ボックスってあるじゃろ。投入した物の材料の価値の分だけユグドラシル金貨を排出するアイテムでな、通称シュレッダー。それに戦利品を適当に突っ込む。あとはわかるな?

いやあ、悲しいなぁ。PKして奪い取った他人の血と汗と涙の結晶をユグドラシル金貨の山に換えるのは本当に心が痛むなぁ。ご飯がすすんで困る。

ついでに、その光景をユグドラシルの提携動画サイトにアップするじゃろ。するとプレイヤーの皆様から阿鼻と叫喚と絶叫と怨嗟のレスが伸びる伸びる。ついでに再生数も伸びて、ストレス解消できる上にお小遣い(リアルマネー)まで手に入るんじゃよ。それで課金アイテムが買えるんだから、PK稼業はやめらんなかったね。

 

 

 

…これこそユグドラシル史上に燦然と輝くキル子の悪行の一つ、『盗難ゴッズアイテム破壊動画生配信(ゴッズをシュレッダーにかけてみた♡)事件』。

このあまりに鬼畜な所業にプレイヤー達は震え上がり、被害者による「いいからコイツを垢BANしろ!」との悲鳴のような要請が運営宛に引きも切らなかったという。今は昔の話である。

 

 

 

…まあ、そんな心温まるエピソードでホッコリしていても仕方がない。

 

「フー ハイ ホー フン!皆さま、あのウドの大木をさっさと切り倒してしまいましょう!」

 

キル子は庭の邪魔な雑草を払うかのように、一撃で食人花(ヴィオラス)を始末していった。

『金嘴蝎尾蕉』は嘴を器用に使って死体から魔石を穿り出し、旨そうに「んがぐっぐ」と飲み込んでいる。可愛いやつよ。しかし、こんな機能付けた覚えはないんだがなぁ。なんか艶々してるし、心なしか攻撃力も増えてるような?…ま、いいか。

 

嬉々として食人花を毒まみれにして屠るキル子だが、そんな『キルト』の勇姿を眺めるベル達一行はといえば…

 

「「「……」」」

 

絶句していた。

当然である。あんなグロテスクな武器を振るい、しかも斬られたモンスターが苦悶に満ちた奇怪な死に様を見せていれば、然もありなん。ドン引きであった。

 

「…あるぇ?」

 

キル子は首を捻った。

おかしいな、ユグドラシルではこの手の派手なギミック武器はウケが良かったのだが。それにこんなにキモ可愛いのにぃ…

しかし、傍目に見ても明らかに引かれている。なんかしくじったか。

 

どう誤魔化そうかと悩むキル子だったが、その時、実際名案なインストラクションが浮かんだ。

古き良き古典小説(ライトノベル)でお馴染みの、あのシチュエーションが使えるではないか!

 

「おぅ!………う、ううっ!…腕が!…鎮まりなさい!」

 

不意にキル子はその場に膝をつき、怪我もしてないのに苦しそうに鎌を持つ右手を押さえてうめいた。芝居がかった仕草であるが、ベルは驚き、心配そうに近づく。

 

「キルトさん、どうしたんですか⁈」

 

「近づいちゃだめよ、ベルくん!呪いがうつってしまうわ!」

 

「呪い⁈」

 

「そうよ、この武器は呪われているの。強力な力と引き換えに、一度でもコレを手にした者は呪われてしまう…」

 

そう言いながら、涙を浮かべて切なそうな笑顔を浮かべるキルトに、ベルは衝撃を受けた。

 

先ほど、次々に敵を屠るキルトの姿に恐れ慄きながらも見ほれ、ベルは唇をかみしめていた。

強くなった筈だった。なのに、あの背中はまだあんなにも遠い。 我知らず、愛剣を握りしめた。

だが違った。密かに憧れていたこの人は恐ろしいリスクを抱え、引き換えに強さを得ていたのだ。

 

巨大な目玉をギョロつかせ、嘴から真っ赤な異形の舌を垂らす悪魔じみた武器。確かに、呪われていると言われても納得するしかない。柄を掴むキルトの右腕には、赤黒く脈動する葉脈のようなものが伸びている。ベルには呪いに侵食されているように見えた。

 

…なお、実際には何の効果もない単なる視覚エフェクトなのだが、ベルにはわからなかった。

 

「…ふぅ、ようやく収まりましたわ…ベルくん、笑ってちょうだい。力欲しさに禁忌に手を出した無様な女を…わたくしは、貴方に気遣われるような資格はないのよ…」

 

強く凛々しく、輝いて見えた女性(ヒト)が、不意に見せた弱さ。

そのギャップに、ベルは不覚にもときめいてしまった。

 

…なお、口元を隠すように添えられた手の下で、唇が邪悪な笑みの形に歪んでいたが、ベルからは見えなかった。

 

「そんなことはありません!キルトさんは強い人です!呪いにも負けずに、その力を正しく使っているじゃないですか!」

 

どこまでま真っ直ぐな瞳で、キル子を見つめて断言するベル。

キルトは感極まったように泣き笑いの表情を見せた。

 

…なお、喪女の涙ほど信じられないものは世の中にはないのだが、ベルには未だ経験値が足りなかった。

 

「…ありがとう、ベルくん」

 

見つめ合う目と目。心臓のトキメキ。もはや、世界には二人だけ。

 

その裏でキル子は完全勝利を目の前にして、頬が緩みそうになるのを辛うじて押さえ込むのに必死だった。効果は抜群である。

駄目だ。まだ笑うな。こらえるんだ。し、しかし、これは……

 

…なお、すぐ近くではジト目をしたリリルカ・アーデ女史が物言いたげに見守っていた。

 

このまま、邪悪な女怪人にベルを掻っ攫われてしまうかと思われた、その時。

 

「のろい〜?右腕が疼くって、ほんとかなぁ?」

 

救世主現る。

 

「ていうか、キルトくんだったっけ?なんか君からは神会で悪ノリする暇神達に近い雰囲気がするんだよねぇ…?」

 

慧眼である。

リリルカにも負けないジト目でキル子を眺め、ベルの前に割って入ったのは、ツインテールを荒ぶらせたロリ巨乳の処女神、ヘスティア。

人の子の嘘をたちどころに見抜く超越存在(デウスデア)は、胡散臭そうな目でキル子を眺めていた。

その意図するところは確定的に明らかであった。即ち「ボクのベルくんに手を出すな!」。

 

「(チッ、いいところだったのにぃ…!)…そ、そうですわ。不用意に触れるとデバフに侵されましてよ」

 

「う〜ん?一応、嘘じゃない、かな?」

 

キル子は万が一この武器が奪われたことを想定して、不用意に第三者が手を触れた場合、複数の致命的な状態異常(バッドステータス)に侵されるよう悪辣なギミックを組んでいるので、『呪い』というのもあながち嘘ではない。人様が苦労してこさえたマイゴッズアイテムに手を出す不届き者には相応しい末路であろう。

何故かこの事を打ち明けられたギルドの仲間達は、揃って何やら言いたそうにしていた気もするが、気のせいだろう。

 

「オホ、オホホホ!さ、さあ、呪いもおさまりましたわ!今は闘いに集中しましょう!」

 

「はいっ!」

 

クソがぁ!ロキといい、いずれのファミリアにしろ邪魔なのは年増の小姑(主神)なのか。千年クラスの大年増は黙って引っ込んで、あとはお若い者同士にまかせてどうぞ、チキショウくそう。

 

キル子はお邪魔虫(ヘスティア)を睨んだ。

 

ヘスティアは泥棒猫(キル子)を睨んだ。

 

「…ベルさん、あっちに怪我人がでてます。応援に回りましょう!」

 

「え?うん、わかったよ、リリ」

 

リリルカはいい笑顔でベルを連れ去った。

 

そうこうしている内にも、穢れた精霊は絶好調で大暴れ。もはや、群がる冒険者全てが憎いのか、手当たり次第に襲い掛かっては被害を増やしている。

離れれば雷撃魔法を連発し、近づけば手足の一撃。しかも縦横無尽に動き回る。加えて地面やゴライアスの体表からは、突如として食人花が吹き出して襲ってくるので手がつけられない。例の超長文詠唱魔法もあるので気が抜けなかった。

リヴィラの冒険者も奮戦し、大魔法を撃ち続けているが、すぐに回復されてしまう。

ニンジャ達も奮戦しているが、やはり敵の回復速度がネックだった。

 

「チッ…流石に鬱陶しいですわね!」

 

勿体ないからあまり使いたくはないが『ブラッド・オブ・ヨルムンガルド』をセットして打ち込むか、あるいは魔封じの水晶か巻物(スクロール)を使って一気に削るかと、キル子がインベントリに手を差し伸べた時だった。

 

穢れた精霊が、先に痺れを切らした。

 

【火ハ失セヨ、風ハ淀ミ、水ハ枯レ、地ハ腐リ堕チヨ。昏キ深淵ヨリ這イ出デ、蝕ミ侵セ。我ハ闇の精霊!!】

 

悍ましい呪文を唱える度に、穢れた精霊の肉が崩れて形が歪む。

 

また例の広範囲魔法かと、キル子は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

ぶァかめェ…!そんなとろい詠唱をやらせるとでも思ったか!

出の早いレーザーじみた魔法ならともかく、長々と詠唱する必要のある範囲魔法などやらせるものではない。妨害スキル一発で終わりだ。

 

「学習しないぺんぺん草ですわ!【羊達の(サイレント)…⁈」

 

いざスキルを放とうとした瞬間、キル子は瞬時にその場を離れた。

ほぼ同時に、キル子が居た場所に大量の液体が着弾する。

ジュウジュウと音を立てて溶け落ちる地面には目も暮れず、木陰から姿を現したソレを凝視した。

現れたのは、極彩色の巨大な芋虫型モンスター。 ずんぐりとした頭の先端にのぞく鈴口から、白濁した溶解液を放水のように吹きかけてくる。

 

「下がって!触れてはダメよ!」

 

感知スキルで捉えていたキル子はあっさり回避したが、周りで戦っているその他大勢の冒険者達はそうもいかない。

 

「なじぇえええええええ!!」

 

哀れな冒険者の一人が、直撃を受けて骨も残さず溶け落ちた。

 

「溶解液⁈」

 

「こんなモンスター見たこともないぞ⁈ 新種か⁈」

 

「離れろ!魔法か飛び道具を使え!」

 

冒険者達は慌てふためいているが、キル子は眉一つ動かさなかった。この程度のグロ映像は趣味の4Dホラーで見慣れている。

それより、やや離れたところに居るベル達が心配だ。

 

「【ファイアボルトォ】!!」

 

「ロイドさん達は離れてください!こいつらはリリとベルさんで牽制します!」

 

「おう!」「了解にゃ!」

 

すかさず魔法や弓で対処し始めたのは及第点。

ただし、問題は…

 

「ふざけろッ!なんで俺ばっかり⁈」

 

「ヴェルフ、逃げて!」

 

敵が明らかに、狙いを絞っていたことだ。

 

キル子の視線の先には複数の芋虫型に迫られ、今まさに殺されかけているヴェルフの姿。

敵にしてみればヴェルフを排除すれば魔法を妨害する者が一人減るし、殺すに容易い。キル子が敵の立場でもそうするだろう。

ただでさえレベル20台前後では手に余る怪物、しかもヴェルフは一人だけ明らかにレベルが違うのだ。

 

舌打ちを一つ。

 

「《死神の呼び声(デッドリー・コール)》!」

 

即座に魔法を発動すると、キル子の目の前に闇色の魔法陣が浮かんだ。

 

「うぉっ…⁈」

 

間髪入れず、殺される寸前だったヴェルフが転送されてくる。

本来なら離れた場所にいる敵を近接攻撃の間合いに強制召喚する特殊な第10位階魔法だが、こうやって味方を助けるのにも使えないわけではない。

だが、代償としてヴェルフは白目を剥き、口から泡を吹いて朦朧としていた。〈召喚酔い〉にかかったのだ。しばらくは起き上がれないだろう。貴重なデバフ要員が欠けたのは痛いが、死なれるより遥かにマシだ。

 

「ヴェルフ君をお願い!安全な場所に連れて行って!」

 

「わかりましたっ!ヴェルフ、しっかりして!」

 

戦闘不能になったヴェルフをベルの手に委ねる合間も、キル子の視線は固定されている。

 

「…で、あなたは何処のどなたかしら?」

 

ヴェルフを襲った芋虫の背中、黒尽くめの不審者が仁王立ちしていた。

シンプルな黒の仮面に同じ色のフード付きローブを目深に被り、肌の露出が一切無い。

確か、いつぞや59階層で見かけて、ハンゾウに後をつけさせたことがあったか。

 

「 …本命ノ前ニ、コレ以上ハ見逃セナイノデナ」

 

機械的な声だった。何らかの手段で声色を変えているらしい。

キル子は【死神の眼】でこの不審者のユニークネームを読み取ろうとした。

 

「…?…この感じ…さては分身体か何かだな、お前」

 

ユグドラシルには本人と同質の分身体を生み出す能力が幾つかある。

ニンジャ系の分身忍術や、ワルキューレの【死せる勇者の魂(エインヘリヤル)】等、魔法行使能力やスキルの一部は使えないが、武装や能力値や耐性はオリジナルに準ずるという厄介な能力だ。

 

「…⁈ソ、ソレヲ何故⁈…オ前モ、アノオ方ノ障害ニナル‼︎」

 

不審者は足元の芋虫をけしかけようとしている。

訳の分からない理由で人様をPKしようとは、とんでもない悪党である。 返り討ちだ、馬鹿め。

丁度おあつらえ向きに、芋虫型が大量に乱入したせいで、周囲の冒険者達は自衛に手一杯。こちらに注意を向ける余裕のある者はいない。というかさっさと片付けて芋虫をなんとかしないと、ちょっとベル達には手に余るレベルだぞ、これは。

 

「そういうのいいから、死んでどうぞ……【刹那の極み】」

 

次の瞬間、不審者は芋虫共々八つ裂きになった。時間系対策が徹底されていたユグドラシルでは死に手だが、対策していなければこんなもの。

芋虫は溶解液が飛び散らないよう魔石を砕かれて消滅し、黒尽くめの不審者は人体の急所という急所をズタズタに抉られ、毒まみれの変死体に変わっている。

 

情報を吐かせるために本当は捕らえたかったが、いつでも消せる分身体では意味が無い。とっとと始末するに限る。

念のために仮面を引っ剥がしてみれば、案の定、既に中身はなかった。

 

「…対プレイヤー特攻は効いていた。では本体は冒険者か…?」

 

キル子自慢の【死神の眼】も、分身体からオリジナルのユニークネームは見抜けない。単に分身を生み出したスキル名が表示されるだけだ。

分身かオリジナルかを見抜くには都合がいい反面、オリジナルのユニークネームを特定したい場合には無力だ。

ナザリック5階層の「ニグレド」がいてくれれば楽なのだが、キル子は情報探査系魔法はあまり得意ではない。探すとなると地道に足を使うことになる。

面倒くさいが、推しのイケメンに手を出すクズは生かしちゃおけない。

やろう、ぶっころしてやる!!

 

キル子がフツフツと怒りを煮えたぎらせていたその時、長々と詠唱していた穢れた精霊の魔法が完成した。

 

「…あぁああああ‼︎しまった⁈忘れてた‼︎」

 

【ヴォイド・ハウリング】

 

狂気に堕ちた穢れた精霊から、黒い波動が見渡す限り周囲一帯に拡散していく。

それは一見、物理的な現象を何も伴わなかった。いったい何が起きたのかと、その場の全員は首を捻ったが、目につくような異常は見当たらない。ただ、当の穢れた精霊はニタニタと悪意に満ちた笑みを浮かべている。

 

異常の正体はすぐに判明した。

 

「…この感じ、まさか⁈」

 

「詠唱できねー!魔法を封じられた⁈」

 

「決め手を、奪われた…!」

 

魔法封じの呪いにより、力ある言葉によって精神力(マインド)を使って引き起こされる筈の現象が、即座に霧散していく。

呪詛(カース)…発動者に代償を与える代わりに魔法にはない呪術的効果を付与する能力だ。発展アビリティの『耐異常』も無力、防御も解除も方法は限られる。

恐るべきはその効果範囲だ。この階層に集っていた冒険者、ほぼ全員が一度に魔法を封じられていた。

 

「て、撤退だ!一か八か下層に逃げ込め!」

 

「逃げてどうする⁈地上に戻れなくなるぞ!」

 

「じゃあ、魔法無しであの化け物とやれるってのか!」

 

迷宮の孤王(モンスター・レックス)討伐の主力は火力のある魔法使い。それが封じられては、もはや勝ち目はない。

彼方此方で混乱が生じた。冒険者達は統率を欠き、逃げ出す者も多数。

その間も、モンスター達は待ってくれない。被害は加速度的に増えていった。

 

「…耐性を、貫通された⁈」

 

キル子もまた〈詠唱不可(サイレント)〉の状態異常に侵されていた。

回避優先のビルドのため、キル子の魔法防御力は紙である。だから魔法に抵抗(レジスト)出来なかったのは仕方がない。

問題はキル子の状態異常耐性を抜いて〈詠唱不可〉の 状態異常(バッドステータス)が効果を発揮したことだ。

 

「…認めよう。正直、舐めてたよ」

 

キル子は状態異常を解除するスキルを発動した。〈詠唱不可〉は即座に解除されたが、嫌な汗が止まらない。

〈詠唱不可〉程度で良かった。これが睡眠や石化、朦朧、麻痺、封印、あるいはより致命的な状態異常なら、終わっていた。解除スキルを発動することもできずに、サンドバッグとして殺されていた。

状態異常の専門家であるキル子は、その恐ろしさを誰よりもよく知っている。

 

「全力で殺してやる!!」

 

凡ゆる手段を使って、即時抹殺。それがキル子の結論だ。

 

急いで《伝言》を使ってハンゾウにいくつかの指示を出すと、インベントリから巨大な巻物を取り出す。

それは巻物といっても羊皮紙を丸めたスクロールではなかった。東洋で書画を記すのに使われるタイプの古風な巻物だ。それも、かなり大きな。

 

「やれ、『山河社稷図』」

 

次の瞬間、ゴライアスの巨軀が消えた。キルトの姿と共に。

 

それが、後に『18階層の悪夢』と呼ばれる事になる事件の、唐突な終幕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神、ヘルメスはその一部始終を見ていた。

 

「…タケミカヅチ、見たな?」

 

隣でタケミカヅチが絶句している。全身から滝のような汗を流し、その視線は直前まで『キルト』が居た場所に固定されていた。おそらくは自分も似たような顔をしているのだろう。

 

「…見た。だが、信じられん」

 

「俺もだ。まさか、恩恵なしであそこまでモンスターと戦える人間がいるなんてな…」

 

そう、アレは人間だ。その魂の輝きはどこまでも平凡な、ありきたりな只人の子だ。

だが、如何なる神からも恩恵を受けていない。にもかかわらず、あの化け物じみた強さ。

まだ神が地上に降りる前、モンスターが地上を闊歩して子供達と壮絶な闘いを繰り返していた時代には、極稀に人の身でありながら怪物達を圧倒する超人が生まれたという。アレはまさかその同類か?

 

特に、最後にゴライアスと共に姿を消した現象については、何をしたのかまるで見当もつかない。

魔法かスキルかアイテムか、それなりに長く生き世界を放浪して様々なものを見聞きしてきたヘルメスにもサッパリだ。

だが、何故かかつて天地が生まれた日に感じた感覚、世界全てが軋むようなそれに近いものを感じた。まるで世界がもう一つ産まれたかのような…いや、まさかな。

 

あのニンジャとかいう連中にいたっては、人でもモンスターでも、異端児(ゼノス)でもない。彼らの言葉の真偽は神にすら見抜けないだろう。

何が起こっているのかまったく分からなかった。

 

神は下界に刺激と娯楽を求めてきたが…

 

「気軽に手を出せる範疇を超えたな…ひとまずウラノスに報告するとして…ロキかガネーシャあたりを引っ張りこむか…?」

 

ヘルメスは天を仰いだ。

 

 

 




温泉が良い季節ですね。血行良くなって浴槽でスヤァ


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第20話

いつも誤字修正ありがとうございます


「…ふと昔読んだ古い漫画(コミック)の台詞を思い出したわ。

"RPGで最高までレベルを上げてからラスボスに挑むと、こちらは硬くてボスからダメージを受け付けないけど、敵も硬くて微々たるダメージしか与えられなくて時間がかかる"

…こんな感じだったかな?」

 

そこは、薄暗い空間だった。

 

ワールドアイテム『山河社稷図』。

その効果は、使用者含む相手やそのエリア全体を、全100種類からなる異空間から選んで隔離するというもの。

決着を付けたい相手と横槍を気にせず戦ったり、あるいは敵対集団を分断して罠に嵌めるには便利な道具だが、ある特殊な方法で異空間に閉じこめた相手に脱出されると、所持権限が相手に移ってしまうというデメリットも存在する。

かつてアインズ・ウール・ゴウンはこの方法で敵対ギルドから、このアイテムを奪った。

返してほしいとの連絡が後を絶たなかったのを、せせら笑ったものだ。

 

今回は適当にフィールドを選んだのだが、ちょうど懐かしきナザリックの第八階層を思わせる荒野だった。

 

「今、ちょうどそんな気分ね。特効能力が効かない相手だと、ゴッズを使っても私の攻撃力はせいぜい中の上。苦しめてごめんなさい」

 

キル子は完全武装だった。

異形種としての姿と能力を開放し、装備しているのは自らのビルドを最大限に生かす為に、手ずから製作したアイテムの数々。

身に纏う白単衣は回避特化型神器級防具『白夜』。また、手甲、腰帯、脚絆、下駄…その全てが同じく神器級装備だ。

指にはシンプルな金の指輪がずらりと嵌められており、耳には小さな金輪の耳飾り、首にはお守りが下げられ、左右の手には数珠。アクセサリー類も最高位の希少なアーティファクトで構成されている。

肝心要の武器は、余分な飾りの一切ない白鞘の小太刀が一振りのみ。

傍らには様々な毒蟲の彫刻が施された、巨大な棺が鎮座していた。

 

「…ウ、アァ……」

 

穢れた精霊は、死にかけていた。

 

切創、裂傷、擦過傷、裂挫創、刺創、咬傷、挫創、熱傷、凍傷、電撃傷…ありと凡ゆる種類の傷がつけられ、グズグズの肉の塊と化した巨軀。

ゴライアスと融合していた本体の下半身は断ち切られ、残されたのは上半身のみ。さらに右手は千切られ、左手は溶かされ、顔は血と涙と鼻水に塗れて殴打痕が生々しい。肌は至る所が変色し、数多の毒や致命的な病原菌、さらに〈石化〉や〈腐食〉、〈壊死〉といった状態異常に侵されていた。

 

半死半生の相手に、キル子は漆黒に染まった刃を突き付けている。

 

「まあ、いろいろと試せてよかったわ。そろそろ終わりにしましょう」

 

Deathscythe(死神の一撃)】で問答無用に抹殺してもよかった。

実際、この空間に引きずり込んだ当初はそのつもりだった。

 

だが、途中で考えを改めた。

今後も、こういった自分に刃を届かせうる能力を持った敵は出てくるだろう。

今までのように油断、慢心、環境の違いに安心していては、足をすくわれかねない。

 

だから、試すことにした。

キル子の持つ特殊能力、魔法、武器、アイテムの全てを。

【死神の目】で残りのHP量を確認しつつ、決して殺しきってしまわないように加減しながら。

己を知り、敵を知れば何とやら、だ。

 

それは、やられる方にしてみれば極めて凄惨な拷問だった。

 

「…イヤァ…モウ、ヤメテ…許シテ……」

 

眼に涙を浮かべながら首をふる穢れた精霊。か細い声で、慈悲を乞うている。

哀れといえば哀れだ。 顔はいくらか爛れた痕があるものの、美しい人間の少女である。それがまるで凌辱後のような有様に成り果てていれば、まっとうな感性を持った人間なら躊躇するだろう。

 

だが、【擬態(ポリモリフ)】のスキルを解除し、アンデッドの精神性を取り戻した今のキル子にとっては塵芥、そこらの虫と同じ程度の感慨しか抱けない。

 

「ゴ、ゴメンナサイ…ゴメンナサイ…ゴメンナサイ……!」

 

相手はなおも地べたに顔面をこすりつけて、泣きながら謝り続けている。既に心は折れていた。

 

さて、ここで殺すのは容易い。HPは数ドットも残されていない。

そして、今のキル子は異形種(アンデッド)。久々に【精神作用無効】が働いて強制的に感情が抑制されたおかげで、つい先程まで燃え盛っていた怒りは既にない。熾火のように燻る感情も、張本人を時間をかけて嬲ったせいか大部分を発散していた。

他者が虫けらにしか思えない反面、いっそ冷酷なほどに冷静だ。今なら頭の中で算盤をはじき、損得を勘定することができる。

この感覚が好きになれなくて、最近では滅多に擬態化を解かない。思考も趣向も何もかも、落差が激しいのだ。

 

しばし、キル子は考え込んだ。

 

「……はぁ」

 

ため息を一つ。

 

白銀色に戻った刃をインベントリにしまい、代わりに液体の入った瓶を取り出す。

 

「ヒッ…!」

 

穢れた精霊はさらに怯えた。

先ほどまでこうやって取り出したアイテムの数々に散々苦しめられたせいで、学習したらしい。

 

キル子は問答無用で中身をぶっかけた。

 

「⁈‼︎……………?……イ、痛クナイ?…傷、ナオッテル?」

 

毒ではない。ナザリック9階層の副料理長謹製、ユグドラシル産の最高位ポーションだ。

さらにスキルを解除して状態異常(バッドステータス)を取り除いてやれば、土気色だった顔色がやや持ち直した。見る間にポーションの効能が発揮され、四肢が再生していく。

驚いたことに下半身には人間のそれと同じような足が生えてきた。アルラウネの一種でも、キメラ系のモンスターでもなかったらしい。

 

残念ながら顔の爛れはそのまま。既に癒着してしまった古傷を治すには高位階の信仰系魔法が必要になる。確か、手持ちの巻物(スクロール)にあった筈だ。

それにPKの戦利品をまとめて詰め込んでいるインベントリの一角に、似たような効果のアイテムがいくらかあったように思う。

なるべく使いべりしないのがあると嬉しいのだが、後で確認してみよう。あのグチャグチャとした雑多なアイテムの山を整理するのは骨が折れそうだが。

 

「あなた、名前は?」

 

「…エ?……ナ、名前?」

 

怯えながら此方を伺う少女に、キル子は無言で早く答えるよう促す。

 

「…ナイ。『デキソコナイ』トカ…『デミ』トカ…呼バレテタ……」

 

『出来損ない』もひどいが、『半端者(デミ)』もまたひどい。ブタ草だのぺんぺん草だの、ハエトリ草だのと呼ぶのも五十歩百歩だが。

 

さっき遭遇した黒覆面の不審者が残した意味深な言葉を思えば、結局、こいつも単なる下っ端に過ぎないのかもしれない。

 

「では、名乗りたい名前はある?これからは必要になるでしょうから」

 

顔に半信半疑の表情を浮かべながら、上目使いにこちらを見上げてくる。そんないじめられた子犬みたいな目をするなよ。

 

「…許シテ、クレルノ?」

 

うん、と頷くと相手はホッとしたように全身の力を抜いた。

 

「いいよ。私もちょっと耐性抜かれてテンパってたところあるし。あ、でも私の男に手を出したら次はないからね」

 

もちろん、物心両面においてである。

 

「⁈…ワ、ワカッタ‼︎」

 

尚も怯える相手のほつれた髪を整え、泥だらけの顔をぬぐってやると、ようやくぎこちない笑顔をうかべる。

チョロいなぁ…昔同棲してたチャラ男というか、DV野郎もこんな気持ちだったのだろうか。

 

「名前、『アリア』ガイイ」

 

しばらくして落ち着いたのか彼女、アリアはポツリと告げた。

 

「アリアね。私はキル子、これからよろしく」

 

握手を交わす。

それが、幕引きだった。

 

安心したようにメソメソ泣きだしたアリアを抱きしめ、ポンポンと背中を撫でながら、キル子は冷めた目つきをしていた。

まあ、生かしておけばなんかの役には立つだろう。

 

あるいは相手が人間だったなら、問答無用で殺していたかもしれない。

これでもキル子は同胞(異形種)には寛容だ。かつて異形種狩りにあい、よってたかって嬲られていたのを、同じ異形種の仲間達に救われたが故に。

 

「さて、外に戻るか。かなり時間かけちゃったし……ハンゾウめ、ちゃんとベルきゅんとヴェルフきゅんを最優先で守ってるだろうなぁ?」

 

それはそれとしてロックオンしたイケメンはキル子的に優先度が高いのである。

ベル達に万が一の事があれば、このアリアこと元ブタクサ娘の命もそこまでだ。

 

「あとはカシンコジに情報操作させて、リヴィラの連中にも飴をくれてやらないと…あの覆面の捜索もあったな……出費が痛い。そろそろ例の話を椿にしておくか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リヴィラは半壊した。

 

唐突にゴライアスが消えた後、残された冒険者は総出で大量に湧き出た食人花(ヴィオラス)や芋虫型モンスターにあたり、戦い続けた。

ニンジャと呼ばれる集団も奮戦していたが、多勢に無勢。魔法を封じられ、武器も溶かされてしまう状況で、少なくない犠牲が出た。

もうダメかと思われた矢先、下層に出ていたロキ・ファミリアが間一髪、間に合った。彼らはニンジャと合流し、凶悪なモンスターを瞬く間に駆逐してしまった。

辛くも生き残った者達は既に疲弊しきっていて、歓声を上げるでなく、ようやく終わったという安心感に満たされて、その場で大の字になって眠りについた。

 

そして目覚めた時、目の前に広がっていたのは、瓦礫の山。

木っ端や布切れで作られた掘立小屋ばかりのリヴィラは、激闘の余波に耐え切れなかった。ダンジョンの中では雨風をしのぐ必要はないが、誰もが途方に暮れた。

 

そこに飄々と登場したのは、最近何かとリヴィラを騒がせていた女、キルコ。 

 

当初、彼女はリヴィラの生き残り達の非難に晒された。

彼達の言い分を簡潔にまとめると、こうなる。

 

「何を今更ノコノコやって来たんだ!逃げ回ってたんじぁねぇだろうな‼︎」

 

実際には、キルコ配下のニンジャが凄まじい戦果を上げていたし、提供された武器防具などの物資も夥しいものがある。

そもそも、冒険者は自己責任。事前に街を留守にしていた事さえ、本来は非難されるようなことではない。

しかし、頭では分かってはいても納得しかねる者は多い。つまりは、感情論だ。それまでに集めていたやっかみが、吹き出したのである。

これを謂れないことだと切って捨てなかったのが、キルコという女の狡猾なところだった。

 

キルコは言い訳を一つもせずに、街の危急に留守をした不手際を詫び、落とし前としてリヴィラが必要とする物資のすべてを用立てた。

何処に保管していたのか、衣服、食料、食器、医療品はおろか、天幕に毛布まで。いったいどれほどのヴァリスを投じたのかわからない。

さらに、これまで謎に包まれていたキルコの店も、主に怪我人の救護所として一時的に開放される。そう、あれほどの激戦を経て廃墟と化した街にあって、キルコのログハウスだけは小動もせず、新品同然の佇まいを維持していた。

 

冒険者達は、おっかなびっくり瀟洒な店内に通され、外見よりよほど広い室内に瞠目し、そこでの生活を堪能した。

清潔なシャワーを浴び、新品の服に着替え、旨い飯をたらふく食べ、暖かい毛布にくるまって屋根のある室内で寝る内に、キルコへの非難は瞬く間に鳴りを潜めた。

地上と何ら変わらぬ御殿のような暮らしを体験して、彼女を非難していた者の大半は事実上取り込まれてしまったのだ。逆らうより諂った方がよほど得だ、と。

 

何より評判が良かったのは、怪我人に無償で振舞われた回復薬(ポーション)だ。重傷者には惜しみなく万能薬(エリクサー)が使われたのが、殊の外喜ばれた。

驚くべきことに四肢欠損を負って絶望感に喘いでいた者すら、何らかの怪しげな手段で再生させてしまった。自在に動かせるが極めて高価な魔道具の義手に頼ることなく、再び冒険者として立つことができるようになった者の熱狂ぶりは、筆舌に尽くし難い。彼らは例外なくキルコの信奉者になった。

 

また、救援に駆けつけたロキ・ファミリアがキルコと親しくしていたのも判断に拍車をかける。長い物には巻かれろ、と。

特に極端なまでの実力主義者でとっつき難い『凶狼(ヴァルナガンド)』ことベート・ローガを、キルコがさも自分の男であるかのように振る舞い、またベートが否定も拒絶もしなかったというのが、驚愕をもって受け止められた。

「しばらく天幕暮らしを強いて申し訳ない」と謝るキルコにベートが頭をポンポン撫でながら「気にするな」と短く返した瞬間を目撃した者達は自分の目を疑い、白昼夢を見たのだと断じて疑わなかった。

 

これにはボールス・エルダーをはじめとするリヴィラの有力者達も舌を巻いた。

彼らはこの件を奇貨として、キルコの影響力を削ぎ、街の再建に利用するつもりでいた。

ところが、気がつけばキルコはあくまでリヴィラに拠点を構える一店主という立ち位置を崩さぬまま、大勢の傘下(シンパ)を抱えてしまった。街と自身の危機すら、逆手にとって利用したのだ。

挙げ句の果てに、当のキルコからリヴィラ再建の為に建材の提供を打診されるに至り、さしもの彼らも匙を投げる。

 

以来、誰が呼んだか『迷宮商店(ダンジョンストア)』。

地上で手に入るものなら、ここで手に入らないものはないと。

迷宮の楽園(アンダーリゾート)』に、新たな顔役が誕生した瞬間だった。

 

 

 

そしてもう一人。

悪評混じりに語られるキルコと対をなすように、あの戦いの最大の立役者と見做された人物の名が、まことしやかに噂されることになる。

 

「金の髪を靡かせて、薔薇の鎧に身を包み、赤い外套翻す。

異形の武具に呪われて、されど心は侵されぬ、誇り高き女騎士。

仲間を守り、怪物どもと渡り合い、ついには悪夢の巨人を討ち果たさん。

誉れは要らぬと立ち去りし、見目麗しき冒険者。

偉業を果たせし英雄、キルト。

諸人挙って『姫騎士(ワルキュリア)』と奉らん」

 

〜後年、定番となった吟遊詩人の歌より〜

 

神より与えられる『二つ名』ではなく、誰いうことなく自然に定着した『通り名』で知られる冒険者。

新たな英雄譚がオラリオの歴史に綴られた。

 

 

 

ベル・クラネルが意識を取り戻したのは、ちょうどそんな頃合いだった。

 

「…こ、ここは?…いったい…?」

 

どうやらベッドに寝かせられているらしいが、意識がはっきりしない。

最後の記憶は、モンスター達に向かって【英雄願望(アルゴノゥト)】でありったけの力を注ぎ込んだ一撃を放ったところまで。魔法を封じられた状況では、それしかなかった。

剣から凄まじい雷鳴が轟き、網膜を白く焼いた。そこから先の記憶がまったくない。

 

「ベルくん、気が付いたんだね!」

 

目に入ったのは、自らの主神だった。

ヘスティアは普段の丈の短いワンピースではなく、白い貫頭衣じみた衣服を着ている。

布を手桶から引き上げ、絞ろうとしていたところだった。水で冷やした湿布を取り替えてくれたらしい。

 

「か、かみ、さま…ぼくは、どのくらい…?」

 

思わず身を起こしかけて、激しい頭痛に襲われる。

ヘスティアに促されて、再び横になった。

 

「いいから、楽にしてておくれ。君は疲労困憊で二日も寝ていたんだ」

 

英雄願望(アルゴノゥト)】は能動的行動に対するチャージを実行し、威力を跳ね上げるが、その分消耗も激しい。体力と精神力を一気に使いすぎてしまう。

 

ということは、ベルはモンスター達の前で意識を失ったのだ。ようやく意識がはっきりしてきて、思わずゾッとした。

あの巨大な牙を剥き出しにした植物型モンスターに、溶解液を噴射する芋虫型モンスター、どちらも恐ろしい怪物だ。ベルの目の前で、何人もの冒険者が無惨な姿に変えられた。

慌てて全身を確かめたが、どうやら()()()ところはない。五体満足なのを確認して、ホッと息を吐いた。

 

「…み、みんなは?無事、ですか?」

 

だんだん意識がはっきりしてくると、気になったのは仲間たちのことだ。

 

「安心してくれ、戦いは終わった。みんな無事だよ。むしろ、ベルくんが一番重傷だったくらいさ。君の最後の一撃が、みんなを守ったんだ」

 

「そう、ですか…よかった…」

 

枕に深く頭を押し付け、天を仰ぐ。

しばし、安心感に浸っていたが、やがてベルの脳裏に別の光景が映し出された。

あの戦いの最中、助けられなかった者達の末路。

次から次へと死んでいった、名も知らぬ冒険者達の顔。

彼らが最期に叫んだ悲鳴が、次々にフラッシュバックしてくる。

 

何か、もっと何かができた筈なのに…!

 

一度意識してしまうと、後悔の念が後から後から湧き出て来て止まらない。

我知らず、体が震えた。

 

「…君はよくやったよ、ベルくん。今の君ができる最善をやりとげたんだ。誇っていいんだぜ」

 

ヘスティアはそう言いながら、静かに涙を流すベルの体を抱きしめる。

 

初めて会って恩恵を刻んだ日から比べて、ずいぶんと筋肉がついてガッシリとしていた。背も伸びている。ほんの数ヶ月前のことなのに、子供達は目まぐるしいスピードですぐに変わってしまう。それは永遠不変たる神々の世界にはなかったものだ。

でも、その優しく真っ直ぐな心根は変わらない。困難に挫けず立ち向かい、時に笑い、泣き、激しく傷つく。

人のために悲しむことができる子なのだ。冒険者には不似合いなほど、優しい。そこに、ヘスティアは惹かれた。

 

ベルの震えが収まるまで、ヘスティアは幼児(おさなご)を安心させるように、その頭を自らの胸に押しつけ、背中をさすってやった。

 

やがてベルは顔を赤らめながら、涙を拭って身を離した。

 

「…ありがとうございます、神様。もう大丈夫です」

 

すこし照れ臭そうにしながらも、ようやく笑顔を見せてくれた眷属に、ヘスティアも胸を撫で下ろした。

 

「ところで、ここは何処です?いつの間に地上に戻って来たんですか?」

 

ようやく周囲に注意を払う余裕ができたのか、ベルは不思議そうに室内を見回した。

 

そこそこ広さのある個室、床も壁も天井も木目の鮮やかな木板で、真新しい木の香りが漂ってくる。

家具はベルの寝ているベッドに、手桶と水差しの乗った脇机、ヘスティアの座っている柔らかそうなクッションの付いた椅子、床には柔らかそうなカーペットが敷かれていた。レースのカーテンがかけられた窓からは柔らかな光が漏れていて、暖かい。

奥には長椅子と机が応接間のように配置されている。長椅子には毛布が畳まれていて、どうやら寝台代わりにされていたようだ。壁際には書類の山が乱雑に積まれたデスクと豪奢な椅子があり、商社のオフィスか何かに見える。

ただし、部屋の隅には小さいながらも食器やグラス、酒瓶などが並べられたホームバーが設えられているのが目を引いた。

 

ベッドも糊のきいたシーツに、柔らかな花柄の羽毛布団が敷かれていて心地いい。いつのまにかベルもピンクのパジャマらしき服装に着替えさせられていて、少し恥ずかしくなってしまった。

 

少なくとも迷宮内ではない。

ヘスティア・ファミリアの本拠地(ホーム)である廃教会地下室でないのも明らかなのだが、ちょっと見当がつかなかった。

 

ヘスティアはそんなベルの混乱を察したのか、苦笑した。

 

「ベルくん、君がそう思うのも無理ないんだけど、実はボクらはまだ迷宮の中にいる」

 

「…え?」

 

「ここは18階層にあるリヴィラの街だよ。ボクの知り合いのキルコくんが開いたお店の中なんだ。ここは今、怪我人の救護所として使われているのさ」

 

そういえば、ほのかに薬品と消毒液の匂いが漂っている。

ヘスティアもベルの様子を見ながら、合間に他の患者の看病もしていたらしい。

既にベル以外のパーティーメンバーは体調を取り戻し、力仕事や炊き出し等を手伝っているそうだ。

 

「ちなみに、ここはキルコくんの自室だそうだよ。ボクの眷属のためだからって、特別に使わせてくれたんだ!」

 

正確には「ベル・クラネル様()()でしたら、幾らでも使って頂いて構いませんわ」と言われたのだが、ヘスティアは微妙なニュアンスの違いには気づかなかった。

「持つべきものは頼れる人物とのコネクションだぜ!」と得意そうに鼻の穴を膨らませている。

 

「…すごい。リヴィラにこんな立派な建物があったなんて。流石は冒険者の街ですね」

 

「そうだね。ボクもリヴィラについては聞いていたけど、これは噂以上だよ。くやしいけどボクらのホームより……いや、下手な中堅ファミリアのホームより立派かな」

 

ヘスティアもたまに他の神が開催する『神々の宴』に招待されることがあるのだが、この建物はそういったファミリアの本拠地(ホーム)と比べても遜色がない。

 

なお、この言葉を真っ当なリヴィラの住人が聞いていれば、盛大に首を横に振って否定した筈である。

 

「そうですね、神様。…あ!…そう言えばキルトさんはどうしているんだろう?」

 

思わず、といった風にベルはその名を口にした。

戦いの最中にはぐれてしまったが、あの人のことだ。ベルの仲間たちと一緒に、この街のどこかで手伝いでもしているのだろう。

 

そう尋ねると、ヘスティアは顔を曇らせた。

 

「…その、キルト(なにがし)なんだけど。街中の噂になっているんだ。あの巨人型モンスター…ゴライアスの特異個体だったらしいけど、それと相打ちになったらしい」

 

「あ、相打ち⁈」

 

そういえば、頼みの綱だったヴェルフの対抗魔法が封じられた状態で、あの雷撃魔法の餌食になるしかないのかと、戦々恐々としたのを朧げながら覚えている。

その後すぐに、ゴライアスは姿を消した。てっきりリヴィラの高ランク冒険者達が倒したのだろうと思っていた。

ベルも大量の食人花や芋虫型モンスターとの苛烈な戦いに明け暮れていたので、あまり気にする余裕はなかった。

では、あの時すでに…

 

「安心してくれ、ベルくん。人伝に聞いた話だけど、ちゃんと生きているそうだよ。何でもきつい代償のある特殊なスキルを使ったとかで、しばらく人前に出られないみたいなんだ」

 

現場に居合わせたという神、ヘルメスからの報告により、ゴライアス特殊個体を討伐したのは冒険者『キルト』であるとの話が伝わっていた。神の証言である、これ以上の信憑性はない。

その直後からヘスティアが耳にしたような噂話が、生き残った冒険者の間で(まこと)しやかに囁かれ始めた。いったい何処から流れた話なのかわからないにも関わらず、既にリヴィラではそれが真実であるとされている。

複数の目撃者からもたらされた、キルトが『呪い』を帯びた悍ましい武器を使っていた、という話もこの噂を補強していた。

 

ヘスティアは若干引っかかるものを感じていたが、他に有力な情報源がない以上、その噂を信じるしかない。

 

それにしても魔法を封じられた状態での階層主撃破は、第一級冒険者の業績と比べても遜色がなかった。ロキ・ファミリアの『剣姫』が37階層の階層主『ウダイオス』を単独で討伐したとの噂があるが、勝るとも劣らない偉業だ。

 

「キルコくんの部下のハンゾウくんに、伝言を残していったそうだ。しばらく会えなくなるけど心配するな、ってさ」

 

それは遺言じゃないのか、という疑問をベルは飲み込んだ。その手は無意識のうちに、右手の薬指に嵌めた翠と白の指輪を撫でていた。

 

陰鬱な表情で沈み込むベルを、ヘスティアは殊更明るい口調で励ました。

 

「大丈夫だよ、ベルくん!あんなに強い冒険者なんだ、生きていれば、また何処かで会えるさ」

 

「そう、ですね」

 

その『キルト』に関して、今回同行した友神達の間で不穏な話が聞こえてきているのだが、ヘスティアはあえて口には出さなかった。

これからベルには少々、辛い話をしなくてはならない。これ以上、心配事の種を増やしたくはなかった。

 

「…それより、君に話さないといけない事があるんだ」

 

ヘスティアはベッドの下に置いてあった物を、脇机の上に取り出してみせた。

それはベルの装備一式。

ヴェルフの鍛えた軽装鎧(ライトアーマー)兎鎧(ピョンキチ)』に、短刀『牛短刀(ミノタン)』。いずれも激しい戦いを経て、傷だらけになっている。

ある程度覚悟していたが、思っていたより消耗が激しい。

 

中でも、ひどく傷ついていたのは…

 

「…⁉︎こ、これは…まさか僕の…剣?」

 

「うん、どうやらあの芋虫みたいなモンスターに、溶かされてしまったみたいでね…」

 

愛剣『感電びりびり丸』は、ほぼ破壊されていた。

刀身は原形を留めているものの、切先から柄元に至るまでの刃は残らず崩れ、溶けている。武器としてはほぼ死んだも同然だった。

手入れ知らずの自慢の逸品で、今まで刃こぼれの一つもなかったが為に、逆にショックが大きい。他の装備が壊れようとも、これだけは無事だろうと、無意識のうちに思い込んでいた。

 

「…す、すみません、神様……せっかく頂いた武器なのに…こんな風に…壊して、しまって…」

 

そう謝りながら、ベルの顔は目に見えて青ざめていた。

これまで冒険を共にしてきた愛剣の無惨な姿に、動揺を隠せない。

 

「ベルくん、ヴェルフくんから聞いたけど、もうこの剣は……」

 

魂が抜けたような顔のベルに、ヘスティアが言いにくい事を口にしかけた、その時だった。

不意に、ノックも無しに部屋の扉が開いた。

 

「…取引額が破格なのは理解しているがな、キルコ殿。しかし、物が物だ。さすがに手前達、ヘファイストス・ファミリアでもそこまでの量は買い取りきれんぞ。例の件もある」

 

「ええ、それは分かっております。ただ、今回の件で私も少なくない被害を受けて、手持ちの現金に不安を覚えていまして。できれば少しずつでも良いので、安定した取引の契約を交わしておきたいのですよ。今のところ、無名のユグドラシル産素材よりか、需要はありますでしょう?」

 

「それはそうだが……ん?」

 

「あら?……これはお騒がせして申し訳ありません」

 

話しながら室内に入って来たのは、この部屋の本来の主人であるキルコと、黒髪と褐色の肌に、左目の眼帯が特徴的な女性だった。

 

「やや、これはヘスティア様。お久しぶりですな」

 

へファイストス・ファミリア団長、椿・コルブランド。

極東出身のヒューマンとドワーフのハーフで、神を除けばオラリオ最高の鍛冶師だ。自らの作品の試し切りにダンジョンに行くという変わり者で、冒険者としても一流の実力を持つという。

 

「や、やあ。久しぶりだね椿くん」

 

かつて神界から地上に降りた際に、ヘスティアは神友のへファイストスのところで何ヶ月も食っちゃ寝のぐーたら生活をしていた事があり、椿とはその頃からの付き合いだ。

かつての自分の行いを省みると、少々顔を合わせ辛かった。

 

一方のキルコは、ベルの寝ているベッドに近づくと、深々とお辞儀した。

 

「以前お会いした時には名乗りそびれましたね、ベル様。当店の主人のキルコと申します。意識を取り戻されたのは何よりでございますが…失礼」

 

キルコはベルの額に手を当てた。

 

顔を近づけられて、ベルは思わずドギマギしてしまった。

綺麗な人だ。腰まで伸ばされた艶のある黒髪、屈んだ着物の胸元からわずかにのぞく白い肌、薄く化粧をして色づいた唇。いかにも大人の女性の魅力である。額に当てられた手のひらの柔らかさも、冒険者の硬い手とは明らかに違う。

そういえば、もしかして、普段このベッドを使ってるのは…⁈‼︎

 

「…特に問題なさそうですね。後で消化の良いものでも持ってこさせましょう。今はお心安らかにお休みくださいませ」

 

目を白黒させているベルを楽しそうに眺めると、キルコは改めてヘスティアに向き直り、これまた深々とお辞儀をした。挨拶は大事だ。

 

「ヘスティア様、ご苦労様でございます。実はここに置いてあるものに用がありましてですね」

 

ヘスティアは満足そうに頷いた。

キルコは豊富な食材を惜しみなく使い炊き出しをしたり、店舗を怪我人に開放したりと気前がいい。出会ったばかりの頃も、じゃが丸くんに大量の金貨を払おうとした。壊れてしまったベル愛用の名剣を譲ってくれたのも彼女だ。

それだけでなく、会う度にこうやって丁寧な挨拶をする礼儀正しい人柄なのだ。

 

「いやいや、気にしないでくれ、キルコくん。ボクらは居候の身だからね」

 

「そう言ってもらえますと、気が楽です。すぐに済ませますので」

 

キルコはそそくさとデスクに積まれた書類の山に向かった。

 

「…ええと、確かアレは…このあたりにしまったはずなんだけど……ちゃんと整理しとくんだったわ…」

 

何かの書類を探しに来たらしい。あまり目がよくないのか、キルコは銀縁眼鏡を取り出してかけ、中身を一枚ずつ確認している。

この散らかり具合を見るに、少し時間が掛かるかもしれない。

 

その間、椿は手持ち無沙汰にしていたのだが、脇机に置かれたベルの愛剣に目を留めると、鋭い視線を向けた。

 

「ふむ、察するにこれはお主の武器か?」

 

「…はい」

 

ベルは死んだ魚のような目をして、抑揚のない声で応えた。

 

「手前はへファイストス・ファミリアで鍛治師をしている椿・コルブランドという。ちと拝見させてもらってもよいかな?」

 

「へファイストス?…あの生産系最大手の⁈」

 

「ベルくん、椿くんはヘファイストスのところでも一番腕のたつ職人だよ」

 

ヘスティアの言葉に、やや生気を取り戻したベルがうなずくと、椿は壊れた剣を手に取り、つぶさに見てとった。

溶けた刃の断面に指を走らせ、匂いを嗅ぎ、小さなハンマーを当てて音を聞く。

やがて得心がいったのか、残骸を机の上に戻した。

 

「…やはり、いつぞやキルコ殿がうちの店に持ち込んだものだな。魔法並みの雷撃付与を常時纏うとは恐れいるが、基礎性能も第一等級武装に匹敵する…それがこうも無残に破壊されるとは、例のモンスターの溶解液か。ロキ・ファミリアに同行して下に降りていたのは、運が良かったか……」

 

つい先頃、椿は第一等級武装すら瞬く間に溶かしてしまうこの溶解液対策の為に、ロキ・ファミリアから不壊属性(デュランダル)武器の大量注文をこなしたばかりだ。

むしろ不壊属性でもないのに、あれを受けて形が残っているだけでも凄まじい耐久性だと、椿はやや悔しそうに言った。

 

「椿さん…何とかこの剣を直せないでしょうか?」

 

ベルのすがるような視線に、椿は顔を歪めた。

 

「はっきり言うが、無理だ。これには未知の素材と技術が使われている。ちょっとした修繕程度なら、同じ素材があればなんとかなるやもしれぬが、ここまで破損してはな…」

 

椿は「それに」と続ける。

 

「仮に修復できたとしても、決して元通りにはならん。少なくとも、剣に込められた特殊能力は失われる。それではよく似た別の剣を手にするのと変わらぬ。恐らく修復された剣を手にして、誰よりも違和感を感じてしまうのはお主自身だ」

 

項垂れるベルを他所に、椿は未だに書類の山と格闘しているキル子を横目で睨んだ。

 

「これを渡したのはキルコ殿か?あまりに強い武器は使い手の成長を妨げるぞ」

 

咎めるような口調の椿だが、キルコはどこ吹く風だった。

 

「ええ。以前、ヘスティア様にお譲りしたものですね。ベル様が使われていたとは知りませんでしたが」

 

その会話に驚いたのはベルだ。

 

「この剣の元々の持ち主って、キルコさんだったんですか⁈」

 

「はいな、オラリオに来たばかりの頃にね」

 

キルコは書類にむけていた視線を上げると、ばつの悪そうな顔をしているベルに、優しげに微笑んでみせた。

 

「ベル様、武器(それ)は所詮、道具です。こんなになってまで使い手を守ることができたのですから、むしろ本望でしょう。貴方が無事で、本当に良かった」

 

椿も真顔で顔で頷いた。

 

「そうだな。手前が言うのもなんだが、あまり一つの武器に入れ込まないことだ。常に戦い続ける冒険者の武器の寿命は、短い」

 

もちろん、大事に使って貰えれば職人としては嬉しい。しかし、どれほど会心の一本を鍛えようと、徐々に朽ちていき、やがて必ず壊れる。

まだ駆け出しの頃は、作った武器が消耗して修繕に持ち込まれる度に誇らしく思う反面、ひどく切なくなったものだ。作ったばかりの武器が、すぐに壊れてしまった時などは特に。先達からは、すぐに壊れるナマクラを作ったお前が悪い、と鉄拳をくらったが。

 

オラリオ郊外の貴族の中には美術品として飾るだけの武器を欲しがる者もいる。だが、そんな物は武器ではないと、へファイストス・ファミリアの鍛治師ならば口を揃えて言うだろう。

自らの作品が摩耗していくのを見守り、次に繋げるのが武器職人の宿命。

使われてこその武器。それこそ職人冥利に尽きる。使い手にほんの一時寄り添って、道を切り開く力を与え、泡沫のように消えゆくもの。

 

数回も使えば砕け散る魔剣など、その筆頭だろう。椿も主神と同じく魔剣はあまり好きではないが、それによって命をつなぐものがいる事も知っている。

目をかけている団員の中には魔剣作りを毛嫌いしている者もいるのだが、その事に早く気付けばな、と思わないでもない。ただ、今回の件であの男も思うところがあったらしく、あまり心配はしていなかった。

 

まあ、それはそれとして。

 

「…キルコ殿。手前どもとしては、貴女の持ち物をあまり無闇にばら撒いてほしくない、というのも偽らざる本音なのだ」

 

キルコ自身は職人ではないので製造法の知識はないというが、持っている武器や素材を調べれば、いくらでも学べるものはある。

生産系最大手ファミリアを率いる身としては、情報は一つでも多くほしいし、独占したくもあった。

 

実際、キルコが故郷から持ち出したというインゴットを買い取った際に、それを使って作られた『神器級』なる武器を参考用として極秘裏に貸り受けている。へファイストス・ファミリアの上級鍛治師(ハイスミス)達は、主神共々その研究に血道を上げていた。

 

同じ生産系のゴブニュ・ファミリアなどは引っ切り無しに探りを入れている。彼らもあの手この手で情報を得ようと必死だ。

 

「善処いたしますよ、椿様。私も自分の()()を安く売るつもりはありませんので」

 

情報もまた武器の一つ。

チラリと意味ありげな視線を椿に向けると、キルコは再び書類を探す作業に戻った。

 

レジェンドでこれなら、ゴッズも危なかったか。卑猥な芋虫め…っと、ありましたわ、椿様。貸倉庫の預け証」

 

キルコはようやく一枚の紙を引っ張りだした。

 

「ハンゾウ達が手隙の時に()()してもらってる精製済みのアダマンタイトとオリハルコンの塊。私がリヴィラに不在の時はなるべくボールスの旦那に預けるようにしてましてね。幸いあそこも()()()難を逃れたようですし、まあ、持ちつ持たれつというわけで。魔石なんかの換金も任せてますから………ああ、結構な量になってる。頑張ったわね」

 

椿はキル子から書類を受け取ると、食い入るように目を通した。

 

「…()()()()最硬精製金属(オリハルコン)がどうしてダンジョンから採掘できるのか大いに疑問だ、キルコ殿。疑うわけではないが、現物は確かめさせてもらうぞ」

 

「ご随意に。続きはボールスの旦那のところでいたしましょう。…ではベル様、ヘスティア様、失礼いたします」

 

二人は連れだって部屋を出て行った。

 

ベルはしばらく黙って扉を見つめていたが、やがて何かを吹っ切ったような顔をした。目には光が戻っている。

そんなベルを見て、ヘスティアも嬉しそうに目を細めた。本当に、子供達の成長は早い。

 

それにしても、今やキルコくんも立派な商人なのだな、とヘスティアは思った。

椿もキルコも知り合いだが、先程のやり取りを見る限り、中々に気の置けない間柄のようだ。

同時にヘスティアは彼女らがちょっとした嘘をついた事にも気が付いていたが、口をつぐんだ。商売上のかけ引きかもしれないし、あの程度の些細な嘘までいちいち咎めるほど、神の了見は狭くない。

 

キルコ達が出て行っていくばくもしないうちに、室内にノックの音が響いた。

 

「うちの団長がここにいると聞いたんだが、入っていいか?」

 

入れ替わるように入ってきたのは、ヴェルフ・クロッゾだった。

 

「ベル⁈目が覚めたのか!」

 

「ああ、ついさっきね」

 

大事なさそうなベルを見てヴェルフは嬉しそうに笑ったが、机の上の物に気がつくと、途端に顔を曇らせる。

 

「入れ違いだったね、ヴェルフくん。椿くんならちょうど今しがた出て行ったところだよ」

 

「いいさ、ついでにベルに話したい事があるんでな」

 

ヴェルフは神妙な顔をして壊れたベルの剣を手に取り、これを引き取らせてほしい、と言った。

 

怪訝な顔をするベルとヘスティアに、ヴェルフは語った。

これは自分が理想とする『魔剣』を作り出す為の、足掛かりになると。

 

「ヴェルフ、確か魔剣は…」

 

「ああ、俺は魔剣が大嫌いだ。理由は、前に話したよな」

 

ヴェルフの一族は精霊の血を宿しており、その影響で彼は強力な魔剣を作製出来るスキルを発現している。こと魔剣においてはオラリオ最高の鍛冶師である椿・コルブランドすら凌駕するだろう。

だが、ヴェルフは魔剣が嫌いだ。

安易な力、使い手に驕りを与え、鍛治師(スミス)さえも腐らせる。そして使い手を残して、絶対に砕けて散っていく。

 

「でもな、少し考えを改めた」

 

そう言って、着流しの懐からヴェルフが取り出したのは、砕けた魔剣の残骸だった。

魔剣『火月(かづき)』。ヴェルフの作品だ。

ファミリアの主神に預けてあった筈のそれは、戦いの直前にリュー・リオンの手でヴェルフへと届けられた。主神からの伝言と共に。

 

"意地と仲間を秤にかけるのはやめなさい“

 

今、ヴェルフの手に残っているのは、自身の手でモンスター目掛けて撃ち放たれ、砕け散った欠片のみ。

 

「ゴライアスに追いかけられて、芋虫みてーなモンスターに囲まれて、死にかけて……俺、その時に思っちまったんだ。魔剣があればってさ。虫の良い話だよな。分かってる。さんざん魔剣を否定して啖呵きっときながら、いざてめえの命がかかった途端にこれだ!」

 

「………」

 

ベルは知っていた。

ヴェルフがやむなく魔剣を使ったのは、魔法を封じられた状況で危機に陥った仲間達を助ける為だったことを。

ヴェルフが魔剣で一掃しなければ、モンスターの数に押し切られ、全滅していただろうことを。

 

「魔剣は嫌いだが、もし使()()()()()()()()魔剣なんてモノができるなら、俺はそいつを作ってみたい」

 

ヒントはあるという。それが、ベルの使っていた剣だ。

 

刃渡りは短め、大型の盾と共に用いられることが多い片手剣(ショートソード)

片手剣というのは基本的には軽量で取り回しの良さに比重が置かれるのだが、この剣は切れ味も頑丈さも、これまで見たこともないほどに極まっている。

何より驚嘆させられたのは、強力な電撃を発生させる魔剣だということ。しかも、モンスターに無残に破壊されるまでは、何度使おうと壊れなかった。

 

魔剣とは、言ってしまえば剣の形をした消耗品だ。武器というより兵器の類で、数回も使えば必ず破損する。しかも、威力は冒険者の使う魔法(オリジナル)に及ばない。

ところがこれは高位冒険者が扱う付与魔法(エンチャント)に勝るとも劣らない威力の雷撃を纏い、何度でも繰り返し使えるのだ。

初めて見た時は我が目を疑い、思わず強奪してファミリアのホームに持ち帰りたくなったという。

しかも、武具としても未だ彼が到達しえない高み、第一等級武装に比類する。

 

これこそが、自分が目指すべき頂きなのだと、ヴェルフは語った。

 

「…けどな、今の俺にはまだ何もかもが足りてない」

 

まずは【鍛治】のアビリティを手に入れなければ話にならない。

剣の仕組みを解き明かすのも、一朝一夕には行かないだろう。素材も吟味する必要がある。

あるいは【神秘】のレアアビリティを持つ人間の助力も必要かもしれない。

だから、時間が欲しい。

 

胸のうちを吐露するように語るヴェルフの話を聞き終えると、ベルは笑顔で快諾した。

 

「…待つよ、ヴェルフ。その剣に負けないように、僕も自分を鍛え直したい」

 

二人は不敵な笑みを交わし合った。

 

「なあ、ベルくん。まずはステイタスの更新から始めようじゃないか。あれだけ激しい戦いを潜り抜けたんだ。きっと大幅に上昇しているはずだぜ!」

 

「はい!」

 

そんなやり取りを微笑ましそうに見守っていた女神の提案に、元気よく頷くベル。

 

部屋の扉が勢いよく放たれたのは、その時だった。

 

「ベル、目が覚めたんだって⁈」

 

「やっほ、ベルっち。だいぶ寝坊助だったにゃあ!」

 

「ベルさん、お粥持ってきたんですけど、食べられますか?リリが食べさせて差し上げましょうか?」

 

「クラネルさん、無事でよかった。これで私もシルに顔向けができる」

 

「クラネル殿ご無事か!ヤマト・命と申します!怪物進呈(パスパレード)の件について改めて謝らせてください!いや、決してクラネル殿をダシに使って、ここに残って本物のニンジャを見たかったわけではないのです……!なあ、千草!ニンニン!」

 

「…命、浮かれすぎだよ。やっぱりニンジャが見たかっただけじゃ?」

 

「ちょっと待った!みんな、これからベルくんはボクとステイタスの更新をするんだぞ!出てけ〜!」

 

一気に騒がしくなった室内。

ベルは思わず吹き出して、声をあげて笑った。

とにかく、みんなで生き残ったのだと、ようやく実感できたから。

それが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 

 

この後、ステイタスの更新を行ったベルは、新たな能力を得た事が発覚するのだが、それはまた別の話である。

 

 

 




コタツでハーゲンダッツがマイジャスティス。気のせいかお腹がポヨポヨと…


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第21話

いつも誤字修正ありがとうございます。


「海だ!」

 

ギラギラと輝く太陽。

 

「水着だ!」

 

どこまでも白く滑らかな砂浜。

 

楽園(パラダイス)だ!」

 

つまり、戦争だコラ!

 

 

 

メレン港。迷宮都市オラリオの外、南西に位置するオラリオと外海を繋ぐ玄関口として日夜大量の船と品々、そして人が行き交う港街。

眼前には海と繋がる汽水湖、ロログ湖が広がっている。

 

そこに、ロキ・ファミリアがほこる美女達は勢揃いしていた。

 

「うわ、ひろーい!」

 

「へえ…なかなか綺麗なとこじゃない」

 

レース付きの水着に身を包むアマゾネスの姉妹。

 

「リヴェリア様は?」

 

「渡された水着を見て呆然とされてたわ」

 

「おいたわしや」

 

パステルの可愛らしい水着を着たエルフの少女達。

 

「こ、この格好…ある意味、裸より恥ずかしいんですが…」

 

「これが『水着』。神々の発明した三種の神器の一つ…!」

 

他の有象無象の女性団員は置いとくとして。

 

「三種の神器、ですか?他はブルマかバニーかナースか…?…今度、ベート様に試してみよう!

 

キル子は水着だった。

赤いビキニと花柄のパレオが、白い素肌に映えている。

デッキチェアに寝そべり、ハイビスカスを挿した蛍光ブルーのサケ・カクテルをひと啜り。カメラ目線でサングラスを外し、そのツルを噛む。あざといアッピールだ。

適当なところで【変身(メタモルフォーゼ)】のスキルで、肌を小麦色にし、日焼けした感じにでもしてみようか。いや、それだとベート様の好みから外れる可能性がある。彼はアマゾネス姉妹に興味を持ったことはない筈だ。褐色属性はないとみた。どちらかと言えば…

 

と、キル子は隣で恥ずかしそうにモジモジしている金髪の小娘に、忌々しそうな視線を向ける。

 

「えっと…動きやすい、けど……」

 

白のビキニに身を包んだ金髪の小娘(アイズ・ヴァレンシュタイン)。少女らしさを強調しつつ、露出が多いので若さゆえの肌の白さときめ細かさをこれでもかと主張している。

そのアンバランスな魅力に加え、無意識の上目遣いのポーズがサマになりすぎる。チキショウ、天然か?この純真無垢な風情が、世の男どもにうけるのか。実際、主神のロキはメロメロである。あざとい。存在自体があざとい!

 

チッ…よくおにあいですね」

 

だが、負けてはならない。

そう、バカンスである。一夏のアバンチュール。この暑さでは四六時中水着が当たり前。アッピールの時間も急上昇!

触れ合う肌、高まる鼓動、普段はガードが堅い彼もイチコロよ!

 

…なのに、なんでベート様がいないんですか!」

 

途中から心の声を口にしていたキル子は涙目で訴えた。

 

「いや、だって女子限定イベントやし」

 

ニタニタといやらしい笑みを浮かべて水着姿の眷属たちを眺めているのは、スポーツタイプの水着に身を包んだロキ。

 

「眼福、眼福…っていうか、勝手に勘違いして付いてきたのはジブンやろ?一応、これ調査のついでの息抜きやから」

 

ロキは視線を眷属達に釘付けにしたまま、どうでも良さそうに言った。

 

眷属(みんな)引き連れて海いくで〜♪」なんて言われたら勘違いするに決まっているわい!くそうくそう!男性陣だけオラリオに居残りとか思わんじゃろ!

 

久々にバッシンバッシン砂浜を叩くキル子。

軽く地震が起きて、ロキ・ファミリアの低レベル層の団員達は怯えていた。逆に高レベルの幹部たちは哀れな珍獣を見る目で眺めている。

なお、群青色のワンピース…かつてペロロンチーノに無理矢理渡された『すくみず』なる水着をキル子に与えられたトビカトウが、そこに交じってジト目をしていた。

 

「ジブンはほんまに男が絡むとポンコツになるなぁ…」

 

やかましい!

だいたい、おたくの団員はやたら馴れ馴れしいんじゃい!あれだ、主神(ロキ)の影響じゃろ。着替えの最中にやたらめったらスキンシップされたわい。私はノーマルだ!……いや、よく考えたら競争率が下がるんだから、別にいいか。よし、許す。思う存分、百合百合するがよい。だから、私は巻き込むな。ついでに良い男は私んだ!

 

何やら悶えているキル子を他所に、ロキは恥じらうアイズから視線を外さないまま隣に並んだアマゾネスの姉妹に問う。

 

「…んで、どうやった?」

 

「着替えの時に肌を確かめたけど、()()はどこにも見当たらなかったわ」

 

ロキは細い目を薄らと開き、次にリヴェリアに視線を移す。リヴェリアは紐のような水着を手にロキを睨みつけていたが、変身魔法を使っている形跡はない、と言った。よほど特殊な能力(スキル)や魔道具で隠蔽されているかと念入りに調べさせたが、結果はシロ。少なくともオラリオにおいて既知の方法は残らず試させた。

 

「つまり、怪人(クリーチャー)やない。元々可能性は低かったし、そう考えてええやろ」

 

恩恵(ファルナ)も持たずに、異常な身体能力を発揮する異邦人、キルコ。ロキ・ファミリアには、そんな存在に心当たりがあった。

怪人(クリーチャー)。ここ最近、ダンジョン深層に関わる異変の際に必ず出てくる、人間と怪物の混合種。

ダンジョンのモンスター同様、自らの核となる魔石が存在し、他の魔石を吸収して自らを強化することができる。その実力は油断していたとはいえ、ガネーシャ・ファミリアのLv.4の冒険者を瞬殺し、当時はLv.5だったアイズを圧倒した。

 

キルコは奴らの仲間の怪人で、地上での工作の為に送り込まれたスパイ。未知の能力や、オラリオの常識から外れた数々の品々も、未だ前人未到のダンジョン深層に由来する代物。その可能性もあった。

しかし、態度はあまりにも堂々としていた上に、自らの力を隠そうともしない。おまけに59階層ではロキ・ファミリアに合力して穢れた精霊と戦い、明確に敵対している。そこで一旦疑惑を保留にして観察していたのだが、確認が取れた形だ。

分かったのは益々訳の分からない存在だということだけ。まあ、今更だが。

 

ロキは敵である可能性は低いと見ていた。ロキにはキル子の魂がはっきり見えている。

薄汚れていたり、濁っていたり、透き通っていたり、斑らだったりと、つまりは典型的な俗人だ。大好きなのは金、美味しいもの、エステ、温泉、服、宝石、化粧品、アクセサリー…そして何より男。

好きなものを食らい、好きなときに眠り、好きなことをする。愛でるものがあればなおよし。まさに俗物の極み。

 

「ようは『ギルドの豚』の同類や。どっちも能力はあるくせに、俗世の欲に目が眩んどる」

 

『ギルドの豚』とはギルドの最高権力者であるギルド長、ロイマン・マルディールの渾名だ。

ギルドに1世紀以上勤めているエルフであり、今の地位に就いてからは豪遊・放蕩生活三昧で、でっぷりと太っている。更に金を使うのが好きなのかカジノに足繁く通っているという。

本来、エルフは容姿端麗で精霊に次ぐ魔法の使い手であり、矜恃の高さから他部族との馴れ合いを嫌う者までいる。当然ながら、ロイマンはオラリオにいる全てのエルフから忌み嫌われていた。

 

あの聡明なエルフでさえ、こうまで堕落する。子供達は何て愚かで愛しいのだろう。ロイマンを見る度に、道化をこよなく愛する女神はそう感じるのだ。

キルコなどはまさに、最高の道化。何をやらかすのか楽しみで仕方ない。

これだから下界暮らしはやめられないと、ロキは邪悪な笑顔で評した。

 

「…わざわざオラリオから連れ出して来て、よかったのか?」

 

同族の恥を引き合いに出されたことで、ようやくV字水着から意識を逸らしたリヴェリアが不快そうに問うた。

 

「かまへん、かまへん。こっちの知らないところで変な男にコロッと騙されて、敵対しかねんのが一番ヤバイ」

 

特にオリュンポスあたりの男神にはそういうの(N T R)が得意なロクデナシが多い。

 

「アレは、絶対になんかやらかす。目の届かないところで破裂されるくらいなら……目の前で大いに爆発させた方がええ。そうやろ?」

 

まったくの正論なので、リヴェリアは口をつぐんだ。

正直、キルコのあの性格というか性癖は、性に潔癖なリヴェリアとしてはどうかと思っている。具体的には贔屓にしている魔道具屋で彼女が買い漁ったという()の件で。

だが、幾つもの重要な情報をもたらす人物なのは確かだ。穏便に囲い込めるなら、それに越した事はない。

 

「怪しいのは目の届くところに置いとくのが吉やで……んじゃ、そろそろやるか。ティオナ〜、ティオネ〜、任したで〜」

 

「わかったー」

 

「ちゃっちゃと終わらせましょ」

 

アマゾネスの姉妹が準備を始めた。

 

二人は【潜水】の発展アビリティを持っているため、水中活動が得意なのだという。一時間は余裕で潜れるそうだ。水の抵抗、圧力にも強くなり、水中内での攻撃の威力が増すというので、海中の調査には確かにうってつけだ。オラリオに来る前には、海のモンスター退治を多く引き受けていたそうだ。

彼女らの水着も水中戦闘を考慮した特別製とのこと。あとは水中専用の武器も用意されているらしい。

 

キル子は首を傾げた。

 

はて?

ということは、水中の調査をしに来たのだろうか。

 

「水の中に、なんかいるんですか?」

 

「…ジブンは、ほんまに人の話を聞かんやっちゃな」

 

数日前、このバカンスの話をされた際に何やら色々とロキが話していた気もする。

ただし、その時にはキル子の頭は当日どんな服を着ていくか、どんな水着を用意するか、どうベートを落とすかで占められていたので、全然耳に入っていなかった。

 

食人花(ヴォイラス)や。湖や近海で目撃者がでとってな、確認しに来たってわけや」

 

「ああ、アリ……ハエ取り草の取り巻きをしていた植物モンスターですね」

 

ロキは面倒臭がって、幾つか説明を端折っていた。

長い間、存在を知られることなくダンジョン下層と繋がっていた湖底の大穴。かつてはそこから多くの水棲モンスターが外海に進出し、生態系を荒らしまわったという。だが、十五年前に当時最大勢力だったゼウス、ヘラ、ポセイドンの三派閥の合同作戦で、穴は塞がれている。

今回はその穴を塞ぐのに使われた蓋の様子を確かめにきたのだ。

 

「となると…私、暇ですね」

 

残念ながらキル子には水中活動の為のスキルはない。

 

ユグドラシルにも海や湖沼、河川といった水中フィールドは用意されており、水中活動に特化した職業や種族などもあった。マーマンやマーメイドのような水中種族で構成されたギルドなんてのもあり、海底の大型ダンジョンを支配していたが、どちらかといえばロール重視の人間が好む程度で、不人気だった。

理由としては、水中以外のフィールドでは、さほど意味あるビルドにならないからだ。多くのプレイヤーが活動するのはやはり地上であり、ユグドラシルが商業ゲームである以上、あまりニッチな需要にばかり応えてはいられない。結果として大多数のプレイヤーは泳げなかった。 キル子もその一人だ。

 

「好きにしとき。ただ、オラリオに戻るときはウチらと一緒やないと、門番に足止めくらうで」

 

今回のお出かけに男子が来れなかったのは、ギルドからの横やりのせいらしい。都市の最大戦力の一つであるロキ・ファミリアが、近隣とはいえ総出で都市外に赴くことに難色を示したのだそうだ。

 

オラリオは冒険者の街として、他所から新たに人が来ることに対しては寛容だが、逆に冒険者となったものが外に出るには制限がかかる。 戦力を外部に流出させないための措置らしい。

本来ならキル子のようにどこのファミリアにも所属せず、恩恵も持っていないような一般人(…逸般人?)はほぼフリーパスに近いそうだが、リヴィラで色々やらかしたせいでギルドの目が厳しくなっている。冒険者ですらないポッと出の怪しいヤツが、いきなりリヴィラを仕切りだしたら警戒されても仕方ない、とはロキの談だ。

今回はロキ・ファミリアの遠征隊に同行者として申請したので、一応の許可が出た。

 

なんということでしょう!これではベート様に会いにいけないではないですか!

もちろん、無視してオラリオに戻ることは容易いが、それでギルドにいちゃもん付けられるのは、ロキ・ファミリア。つまり、ベートを困らせてしまう。

キル子的にはいろいろな準備が台無しである。具体的には近場のホテルのスウィートであるとか、ダブルでキングなベッドであるとか、7区の魔道具屋『魔女の隠れ家』の婆から仕入れたびや…ゲフンゲフン…精力剤であるとか。

 

「目的は湖底にある『海竜の封印(リヴァイアサン・シール)』の調査や。場所は湖の底、ここからもうちょい南に下った湖峡寄りや」

 

ふくれっ面になったキル子を無視して、ロキは眷属たちと話を進めている。キル子を介入させる気はないらしい。

キル子とて興味はないし、不要な出しゃばりは敵を作るだけだ。目立ちたがりは早死にする。

 

「では、適当に時間をつぶしますか」

 

男がいないなら、せめて美味しいもの食べてお酒飲んで、ショッピングを満喫するくらいしかやることがない。

 

フラフラ遊びに出ようと踵を返したキル子の背中に、ロキが声をかける。

 

「…おっと、そうや。キルコ、後で時間作ってもらってええか?()の調査も大事やけど()()()の件も聞いときたいんや」

 

…アレか。 ロキめ、その為に呼び出したな。

オラリオ市内は色々と煩い。キル子も実質的にリヴィラを手に入れてから、目立っている。

 

「承知いたしました。では後ほど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、その日の夜更けのことだ。

 

適当に街をぶらつき、新鮮な魚料理を賞味したり、海辺の景色を満喫したり、予約しておいたホテルのエステを受けたりと、そこそこ満喫していたキル子である。

今は風呂上がりの熱った肌を着心地のいいガウンで包み、ホテルの最上階からの夜景に見入っている。

 

昼間の海は透き通るようなコバルトブルー、その下を泳ぐ魚や珊瑚、雑多な生き物達がさらなる彩を加えていた。控えめに言っても絶景だったが、夜の海というのはまた一種独特な雰囲気がある。

満天の星明りに照らされて、深く静かな凪に揺蕩う広大な水面。それは不吉にも見えるし、神聖にも見える。そして、その下では数多くの生き物たちが、営みを送っている。

 

(ブループラネットが力説したはずだ…海は生命の源、すべての母か…)

 

残念ながら、彼方(リアル)の海は人類の行ってきた愚行のツケの象徴だ。

あらゆる汚染物質が最終的に流れ着く場所。人類の罪業のすべてをさしもの海も受け止めきれず、分解されないままに今なお大量の化学物質が溢れている。それは徐々に気化し、気流に乗って拡散し、海から離れた土地に住む者たちをも苦しめる。悍ましい悪臭と共に。

かつてそこで生きていた夥しい生命…魚類、貝類、ほ乳類等はほぼ死滅した。

 

此方の海は、かつて人類があらゆる表現で賛美し、ネットの中にその痕跡を残した美しい姿を、原形のままにとどめている。

こうした光景を目にする度に思うのだ。

この世界の神々は、形はどうあれ間違いなく子供達を愛している。羨ましい話だ。神のいない土地からやってきた身としては。

 

「…さて、そろそろかな?」

 

キル子が手元の数珠型腕時計を確認すると、時間ピッタリ。

ヒュルヒュルと気の抜けた音が鳴り、次の瞬間、夜空に大輪の花が咲く。

 

ユグドラシル最後の日、少なくない数のプレイヤーが、用意していたアイテム。カウントダウンに合わせて打ち上げられる筈だったそれは、その前に何処ぞのPKに襲われて奪われた。

結果として、キル子のインベントリには大量の花火が積み上げられたのである。

 

次々と打ち上がり、夜空を華々しく染めていく花火。

打ち上げているのは、ミズグモなるニンジャ特有のアイテムで、水面を滑るように移動しているトビカトウ。あとで褒めてあげよう。

 

できることならベートと二人っきりで、この素晴らしい景色を楽しみたかったのだが…

 

「たーまやー!ん~、花火を肴に飲む神酒(ソーマ)はまた格別やな!」

 

残念ながら今、キル子の向かいに腰かけて高い酒を食らっているのは、煮ても焼いても食えない大年増こと神・ロキである。

 

「ジブン、なんかめっちゃ失礼なこと考えとるやろ?」

 

「いえいえ、そのような」

 

「あからさまに目なんぞ逸らしよって。神じゃなくても嘘とわかるで」

 

誤魔化す為に、キル子も手元の酒杯を傾ける。卓に並ぶツマミの数々はルームサービスだが、酒だけは自前の持ち込みだ。

昨今では一杯100万ヴァリスを超えたとも噂される神酒。

キル子が市内の流通を制限して値を吊り上げた影響だが、そこに投機目的で参入してきた商人達のせいで青天井になってしまった。

 

「最近じゃ高過ぎて流石のウチも中々口にできん。…にしてもソーマの奴、天界に戻ってないんやないか、ってこの間の神会で騒がれとったな」

 

「それはそれは。私の店じゃ隠しメニューにしてますね。…それよりロキ様、こちらがご依頼の品になります」

 

ちょっと話が怪しくなりかけて来たので、キル子は早々にロキの希望の品を、テーブルの上に広げた。

 

それは地図だった。ただし、地上の土地のものではない。ダンジョン、それも特殊な区間の地図だ。

 

「これが、モグラの巣穴ってわけやな?」

 

「ええ。前回お見せした時より、だいぶ調査済みの範囲が広がりましたが、未だに全容が掴めません。思っていたより、ずっと広い」

 

モグラの巣穴…つまりは人知れずダンジョンに作られていた『人造迷宮』とでも言うべき場所のことだ。キル子はロキからその調査を依頼されている。

正直、面倒くさいが小姑(ロキ)の指示とあらば断るのは得策ではないし、キル子もあの場所にはちょっとした用事がある。ニンジャを一人か二人ほど割り振って、片手間のやっつけ仕事にしていた。

そのせいで、調査はなかなか進んでいない。単純に広いというのもあるのだが、あそこを利用している者達に気付かれないようにするのが骨だ。痕跡を残さずコッソリやるには、それなりに時間がかかる。

 

「確かに広い。しかも、至る所に罠。例のオリハルコン製の扉も腐るほどある。迂闊に突っ込んだら、えらい目に遭いそうやな」

 

地図に書き込まれた罠や扉を示す記号の数の多さに、ロキは思わず唸り声を上げた。

 

「こいつを利用してる連中の正体は?」

 

「不明です。見張らせていた部下からの報告では、ごく稀に白尽くめの怪しいのが出入りしていたようですが」

 

「白尽くめ、な。格好は典型的な闇派閥やけど…」

 

「強行手段に打って出れば、どうとでもなりますが、どうします?」

 

つまりは誘拐して聞き出すという事だ。

キル子が《人間種魅了(チャームパーソン)》か《支配(ドミネート)》の魔法で聞き出してもいいが、いずれにしても魔法の効果が切れた後で記憶が残る。捕虜を返すわけにはいかないので、騒ぎになるだろう。

 

ロキは地図を睨みつけて髪をかきながら、別のことを口にした。

 

「扉の鍵は、どうや?」

 

「専用の鍵がありそうです。どうやら手のひらに収まるくらいの、小さな球形をしているらしいのですが…」

 

調査が進まない原因のひとつに、入口や通路内の至る所に設置された扉の存在がある。

最硬精製金属(オリハルコン)製の扉は、当然ながら不壊属性を持ち、オラリオの技術ではほぼ破壊不可能。しかもその構成素材である最硬金属(アダマンタイト)が回廊全域を囲うようにして補強されている。

仮に中に侵入できたとしても、閉じ込められたら袋のネズミ。下手したら死ぬまで出られない。

ロキが眷属達ではなく、調査をキル子に依頼した理由の一つだ。

 

「それ、奪えへんか?」

 

「可能です。しかし、おそらく鍵はかなり厳密に管理されているでしょう。奪えばすぐにバレますが、それでもよいですか?」

 

「…せやな。鍵は欲しいけど、奪われた事に気付かれたとして相手の出方が読めん。おんなじ理由で強行策も却下や。やるなら、こっちの手が空いてるタイミングで一気にやる」

 

食人花を使役している連中が、ギルドの管理している正規のルート以外を使ってダンジョンに出入りしているのは明白だ。

本命は十中八九、モグラの巣穴の方だろう。人造迷宮のような規模の大きいものを作るなんて、常軌を逸している。

ロキはこの事を未だに協力関係にあるヘルメスやディオニュソスに流していない。単純にあの二柱の神が信用できないからだ。情報漏洩を気にして、眷属にも最高幹部の三人以外には話していなかった。

 

昼間の調査では、実際に港や湖周辺に食人花(ヴォイラス)が現れたのを確認した。穴が二つある可能性も無視できない。まずは本命の前に、他方から潰すべきだろう。

それに調査の最中に出くわしたカーリー・ファミリアの立ち位置も気になる。果たして食人花の件とつながっているのかどうか。カーリーに刺激されたのか、フィリテ姉妹、特にティオネの方がかなり感情的になっている。放っておくと、暴走しかねない。

 

「…二兎追うものは何とやら。とりあえず、オラリオに戻るまでは今の調子で続けたってや」

 

「では、そのように」

 

口元をそっと押さえながら、キル子はほくそ笑んだ。もう少しダラダラしてくれた方が、キル子的には都合がいいのだ。

 

調査を隠密裏にやるとなると、手段は限られる。キル子はアサシン系のビルドをしており、鍵開け技能を持っているが、どうしても本職のシーフに比べると劣る。レベル30程度の鍵がせいぜいだ。残念ながら、オリハルコンの扉には歯が立たなかった。

オリハルコンなどより遥かに硬い金属で出来たユグドラシル由来の武具を使えば容易く破壊できるのだが、あまりやり過ぎてはそれこそすぐにバレる。ただでさえ、キル子の内職というか小遣い稼ぎの為にあちこちガリガリ削っているのである。()()()()()()()に気付かれるのも時間の問題だろう。

 

ここでロキが大々的に動いてあの便利な鉱山の存在が広く認知されたら、キル子と同じ事を考える奴が確実に出る。

そうなったら買取相場は駄々下がりになり、あるいはギルドに根こそぎ没収されてしまうかもしれない。いざとなれば、エクスチェンジボックスを使えば無駄にはならないのだが、それは最終手段だ。

こっそりひっそりと甘い蜜を独占するためにも、もう少し時間を稼ぎたい。

 

「ジブン、なんか不埒なこと考えてへんか?」

 

「オホホホ、滅相もない」

 

「ふ〜ん?…まあ、ええわ。それより、約束の報酬やけどな」

 

一転してニタニタと人の悪い笑みを浮かべながら、ロキは幾つかの紙切れを取り出し、キル子にヒラヒラと見せびらかす。

 

「そ、それは!」

 

市壁の通行証、販売業営業許可証、不動産取得許可証、迷宮入場許可証、魔石取扱許可証… etc。

いずれもキル子が喉から手が出るほど欲しい代物である。

 

オラリオは意外なほどに社会基盤が整備されていて、市民の合法活動には必ず様々な文書が必要となり、取得にはギルドの審査が伴う。

例外は主神の裁量が全ての各ファミリアへの加入と、冒険者の権利だけ。

 

「ウラノスに話つけてコイツを手に入れるんは苦労したで。なんせ、ジブンは神から見てもツッコミ所満載のオモシロ生物(ナマモノ)やからな」

 

キル子の存在を他の神々、特に暇を持て余している暇神どもが正しく認識すれば、ちょっとした騒ぎになるだろう。

なんせ、何から何まで狂ってる珍獣だ。その癖、人格的にはさほど珍しくもない俗人。見ていて飽きないし、娯楽としては悪くない。眷属として取り込もうと、取り合いになるかもしれない。

…あるいは馬鹿な神の数だけ、血の雨が降るかも。あの愚かなソーマのように。

ロキは顔色ひとつ変えず、逆に面白そうに唇の端を釣り上げる。

 

「…?」

 

「なんでもない。それより、何でこんなもんが欲しいんや?」

 

ロキは邪気のない笑顔を浮かべ、純粋な疑問をぶつけた。

 

「いや、私もいつまでも根無草では、色々不都合がありましてね」

 

そう、キル子には今現在、公的な身分証明が一つもない。

だからこそ、リヴィラに店を出した。あそこだけは、オラリオにあって不動産の保持にも、営業活動にもギルドの認可がいらない。

ロキ・ファミリアやへファイストス・ファミリアとのコネクション、そして実質的なリヴィラの顔役としての影響力。それらはいずれも、目に見えない非公式なものに過ぎない。

よく言えば何処からかやって来て都市に居着いた異邦人、悪く言えば住所不定無職の浮浪者だ。

オラリオに根付く為の、あくまでリーガルな身分証明。キル子はそれを切実に欲している。

 

「…そういえばジブン、リヴィラに店を出したらしいな?」

 

「ええ、ロキ・ファミリアの皆様のおかげを持ちまして、そこそこ繁盛させていただいております」

 

キル子は謙遜してみせたが、実際には転移門の鏡によって物資を大量に運び込み、オラリオとリヴィラの物価差を利用して荒稼ぎしている。

 

「商人じゃない、なーんて言ってたわりには、やるやないか。リヴィラで大盤振る舞いしたって話、聞いてるで」

 

ロキは細い目をうっすら開けてコチラを見ている。どうせ情報を色々と仕入れていただろうに、白白しいことだとキル子は思った。

 

「いえいえ、自分の食い扶持を稼ぐための、ささやかなものですわ」

 

お金はあればあるほどよい。幸せの総量はお金の総量によって決まる、というのはリアルでは絶対普遍の法則だった。

 

「それに、お金は貯めるより使う方が楽しい性分ですので。恥ずかしながら、オラリオに来てからは放蕩三昧をさせていただいておりますよ」

 

キル子は優雅に笑った。

正直、今はやることなすこと全てが面白おかしくてたまらない。

汚染とは無縁の新鮮な空気や水を思う存分味わえるし、三度の食事は100%オーガニックの食材を使用していて美味。労働からは解放され、好きなときに寝て好きなときに起き、気ままに温泉につかってエステに通い、暇ができればそこらを適当にうろつくだけで、珍しい出来事が向こうから寄ってくる。

まるで、はるか昔に実在したという伝説の特権階級『ニート』になった気分だ。

 

それに、目をかけた良い男には、そろそろリーチをかけられる。

その為にも身分の証は必要だ。市民証さえ手に入れば、()()届出が受理される。

 

「ほーん?…まあ、なんや。ウチも鬼やないで。ひとまず一枚な」

 

いい笑顔でロキがキル子に渡したのは、市壁の通行証。

キル子が一番欲していたものではないが、実は意外に入手が難しく、オラリオではこれ一枚でも身分証の代わりになる。

調査にかけたコストに比べると、そこそこ釣り合いが取れるのが、見透かされているようで面白くはないが。

 

「ううう…くやしい。でも受け取っちゃう」

 

ビクンビクンとのたうつキル子に珍獣を見る視線を向けながら、ロキは空いた酒杯に神酒を注いだ。

もちろん老獪なロキには、キル子の狙いなどお見通しだ。

 

「しかし、ジブンも難儀なやつに入れ込んどるな」

 

話の切れ目を感じさせないほどなめらかに、ロキはそう口にする。

 

「そら、ウチのファミリアは自慢じゃないけど、イケメンが勢揃いやで。ウチが厳選しとるから」

 

思わず目をパチクリと瞬かせたキル子から目を離さず、ロキはグラスの中身を一気に飲み干した。お代わりを注ぎながら話を続ける。

 

「せやかて中には不器用な子もおる。()()()はその筆頭や。実際、ファミリアの中じゃ当たりがキツイ。あの性格やし、無理ないけどな」

 

キル子は苦笑した。自分の眷属に対してあんまりな言いぐさだが、間違ってはいない。

 

「そうですね、確かに器用な方じゃありません。でも、恋人にするならあのくらい性根のまっすぐな人の方がいいじゃないですか?」

 

「まっすぐ、ね。二言目には()()()()やで。それ以外にはほんと興味をしめさん。弱い奴はあからさまに見下す。そら疎まれるわ」

 

「下手なお為ごかしを口にされるより、ずっとマシです」

 

ムッとして、反射的に言い返してから、気付いた。

 

ああ、ダカラかも知れない。

キル子は世界が理不尽だと知っている。人は不平等だと知っている。それは彼方(リアル)でも此方(オラリオ)でも変わらない真実だ。

例えゲームの中の戯れだとしても「困っている人は助けるのが当たり前」だとかいうブラックジョークは口にしたくもない。

あのリア充バッタ野郎と相性が悪かったはずだ、と今更ながらに納得した。

そして、()に惹かれる理由も。

 

「…そういう人だから、自分に振り向かせたくなるじゃないですか」

 

キル子こと、田中桐子は知っている。つくづく自分は、本当に嫌になるくらい平凡なのだと。

辛く苦しい逆境においても自分を貫き、立ち向かえる者は多くない。少なくとも自分には無理だった。

現実(リアル)では弱くて、卑小で、ちっぽけで…自分を誤魔化して漫然と生きていた、最底辺の労働者。挙句、何の因果かこうなったら、チートに頼って好き放題。こんなザマを晒している。

だから本物の強さ、魂の輝きをもつ男達が眩しくて、尊くて、憧れて…どうしようもなく惹かれてしまう。花に誘われる蝶、いや、炎に焦がれ焼かれる蛾のように。

 

キル子は細く柔らかく、儚く笑った。

あの時、優しく頭を撫でてくれた、手の暖かさを思い出しながら。

 

それは思わずロキが目を見張るほど、優しい微笑みだった。

 

「…本気、なんやな」

 

なまなかな気持ちで可愛い眷属に言い寄っているなら、ロキは一言釘を刺そうと思っていた。

はっきり言ってロキから見ても、キルコは眷属として傘下に収めるには劇薬過ぎる。付かず離れず、今のビジネスライクな距離感がちょうどよいのだが…

 

ロキには、もう何も言えなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キル子がロキと酒盛りに興じていた同時刻。

オラリオ市内でも、ささやかな宴が開かれていた。

 

「…では遅まきながら、みなさんのランクアップ記念兼遠征成功記念兼無事に集まれた記念兼その他何やかやの記念ということで…乾杯!!」

 

「「「乾杯!!!」」」

 

グラスが突きだされ、声が唱和される。

 

音頭を取ったリリルカと同じテーブルを囲んでいるパーティメンバーの4人だけではない。周囲のテーブル席から一斉に酔客が声を合わせた。

酒場の中では宗派(ファミリア)の違いもさして意味はなく、無礼講が冒険者のお約束。たまにこうやって羽目を外し、酒場で見知らぬ誰かと杯を交わすのは嗜みとも言える。

 

ベル達も声を揃えて喝采し、カチンとグラスを合わせると、冷えたエールを飲み干した。

 

「ぷっはぁ~~!!うめ~~!!」

 

「この一杯のために生きてるって感じだにゃ!」

 

「…おやじ臭いですよ、二人とも。店員のお姉さん、ジョッキ三つ追加でお願いします!」「はい、ただいま!」

 

そう言うリリルカも早々にジョッキを空にしている。

意外にもリリルカはザルである。いくら飲んでも酔っ払ったところを見たことがない。

 

「あ、この豚肉おいしい」

 

腹肉(ロース)の揚げ物は柔らかく、揚げたてではないが甘酢の(スープ)で揚げ浸しにしてあって、よく味が染みている。付け合わせのニンニクと玉ねぎも、ほどよい歯ざわりだ。

 

ベルはあまり酒が得意ではない。特にエールは少し苦みがあって苦手なのだが、こういう如何にもな冒険者の酒場で最初に飲むのはエールがいい。冒険者の様式美というやつだ。

なので、二杯目以降はあまり甘くないワインの水割りをチビチビ空けながら、料理をつつくのが定番だった。

 

「このエビの炒め物もいけるな」

 

ヴェルフは器用にチョップスティックを操って、大皿に盛られた川エビの塩炒りに舌鼓を打っている。

 

「はい、ベルさん。どうぞ」

 

「ありがとう、リリ」

 

リリルカがベルの皿にハッシュパピーの山を取り分けてくれた。皿を受け取る際に肌が触れ合い、爽やかな香水の香りが漂ってくる。唇にも薄いピンクのリップ。

最近のリリは綺麗だな、とほんの少しだけ頰を染めたベルは、照れ隠しに唐黍の揚げ団子を口いっぱいに詰め込んだ。ほんのりした甘味に塩が効いていてうまい。

 

この町の大衆食堂はどこに行ってもそうなのだが、きつい肉体労働をこなす冒険者の為に、油と塩気の強い料理が多い。量も盛りだくさんだ。それがまた安酒とあう。

ベルが時折食べに行く『豊穣の女主人』もいい店なのだが、人気店なだけに早々に席が埋まってしまうし、少々お高い。今回は人数が人数なので、リリルカが見つけてきたという穴場の店をチョイスしたが、当たりのようだ。

何処のテーブルも人であふれていて、活気がある。そのほとんどが冒険者だ。堅気らしいのは一人もいない。

 

一つだけ、気になるのは…

 

「コレ、モウ一皿!」

 

奥のテーブルを占拠して、一人で大量の料理を食べている白いワンピースを着た少女。

空いた皿が天井にまで達するように積み重ねられている。あの細身のどこにあんな量が入るのだろう。

 

「美味シイ!美味シイ!魔石ト違ッテオ腹膨レナイケド、美味シイ!」

 

どこかで見たような顔の気がするのだが、気のせいだろうか?

 

何とか思い出そうと頭を捻っていたベルだが、不意に隣で楽しそうにジョッキをあおっていたロイドが、悲しそうな表情を浮かべて呟いた。

 

「それにしても、キルトの姐御はどこに行っちまったんだろうなぁ…」

 

「そうだね。いろいろ探してみたんだけど…」

 

ベルも眉を曇らせる。

 

あの日から再び、冒険者・キルトは姿をくらましていた。

代わりにリヴィラで囁かれていた噂が、冒険者たちを経由してオラリオ市内でも広まり始めている。

曰く、ゴライアス討伐の立役者。

曰く、リヴィラの守り手。

曰く、呪いに侵された姫騎士。

若干、脚色されている気もするが、噂なんてそんなものだろう。

 

怪物祭に引き続き、新たなキルトの英雄譚は噂好きの市民から喝采を受けた。

ギルドには当然のごとく様々な冒険者や神々から問い合わせが殺到しているらしいが、大した情報は出てこない。

 

「ゴライアスと相打ちって噂、聞いたにゃ」

 

「傷が深くて療養中って話ですよね?」

 

「俺は呪いのせいだって聞いたぜ。なんでも意識を乗っ取られかけて『闇のキルト』の人格が表に出てきそうだとか」

 

現場にいたベル達にしてみれば、どれもこれも信ぴょう性の高い噂ばかりである。

残念ながら本人には会えずじまいだ。今日の打ち上げにも、出来れば誘いたかった。無事ならいいのだが…

 

場の空気が少し沈んだ、その時だ。

 

「なんだなんだ⁈何処ぞの目立ちたがり女が、有名になったなんて聞こえてくるぞ!」

 

少し離れたテーブルから、そんな声が聞こえてきたのは。

 

ギリっと、ベルは誰かが歯軋りする音を聞いた。自分だった。

 

キルトの噂に対して、何も好意的な反応ばかりではない。もともと目立つ同業者というのは、冒険者にとって目障り以外の何物でもないのだ。

 

新人(ルーキー)は怖いもの無しで羨ましいぜ。目立つところで騒いだだけで、さも自分が英雄様みたいに吹聴しやがる。呆れてものが言えねぇな」

 

その声は不思議なほど店内に響き渡り、ベルの周囲のテーブルで騒いでいた冒険者たちは、一斉にそちらを睨みつけた。

当の本人は気が付いていないのか、それともワザと煽っているのか、一向に止める気配がない。

 

「そしたら今度はゴライアスを倒してリヴィラを守ったって?嘘もインチキもやり放題!オイラ恥ずかしくて、とても真似できねぇよ!」

 

ちょうどベル達とは通路を挟んで向かい側の大テーブルを占拠している、黒っぽい軍隊じみた制服に身を包んだ集団の1人。栗毛の髪を撫でつけた小人族(パルゥム)の男。

あの辺りのテーブル席の一団は、どうやら全員が同じファミリアに所属しているらしい。

 

「オイラ知ってるぜ、『姫騎士(ワルキュリア)』なんて煽てられてるけど、運よく他の派閥(よそ)の手柄を掠め取っただけじゃねーか! カスみてぇな屑ファミリアの連中を掻き集めて、新進気鋭のラッキーズでござい! ときたもんだ! ま、運はいいな。運だけはな!」

 

憧れの冒険者を悪し様に罵られるのは、気分のいいものではない。それが根も葉もない誹謗中傷となればなおさらだ。

 

()()()だったっけ?どんなアバズレか、顔を拝んでみてぇよ。面の皮だけで1メドルはあるんじゃないか?…いや。案外、顔だけは良かったりしてな!じゃなきゃ、他の派閥の連中を咥え込んで手柄を横取りなんざ、できねーもんな!」

 

とうとう、ベルは席を立ちあがった。

 

「どっちにしろ、とんだ売女…ぶふぇっ!!」

 

ベルが動くより早く、景気よく演説をぶっていた小人族は、横合いから伸びてきた腕に張り倒された。

 

「…おい、チビ。幸運な奴ら(ラッキーズ)がなんだって?」

 

テーブルを囲って談笑していた冒険者の1人が立ち上がり、拳を振り上げている。その額には幾重もの青筋が浮かんでいた。

さらに、彼の仲間と思しき冒険者たちも立ち上がる。

 

「…そりゃあ、俺たち全員に喧嘩売ってるってことだよな?」

 

「…キルトお姉さまを侮辱したわね、この〇〇野郎!!」

 

「…一度吐いた唾は飲めねぇぞ!」

 

さらにはその奥のテーブルからも、そのまたさらに奥のテーブルからも、次々に冒険者が立ち上がる。

 

「え…ちょ?…え?」

 

栗毛のパルゥムは鼻血を流しながら身を起こし、首をめぐらして自分に集まった敵意の視線を数えた。

 

「まさか…このあたりのテーブル全部…?!」

 

遅まきながら状況を理解したらしく、浅薄な小人野郎から血の気が引く。

 

過日、怪物祭にて冒険者キルトに率いられ、ソーマ・ファミリア酒蔵前の決戦に参加した下級冒険者は、全員がランクアップした。そう、()()だ。

ヴェルフを除くベル達4人はたまたま同じパーティを組んでいたが、俗に『幸運な奴ら(ラッキーズ)』と呼ばれる冒険者は、ほかにも大勢いる。

そして、今日はあの時のほぼ()()が集った打ち上げだった。

 

当然、ベルと同じテーブルを囲んでいた彼の仲間たちも面白いはずがなく、全員が無言でその小人族を睨んでいる。

 

うわ…あの人の悪口をあんな堂々と…命がいらないんでしょうか?

 

何故かリリルカだけは、冷汗を流していたが。 

 

「チッ… ルアン、どけ。もう、これは収まらん」

 

事ここに至り、小人族のファミリアの団員達も席を蹴倒して立ち上がる。

 

一触即発。

 

誰かが振り下ろした酒瓶が、ゴングの代わりだった。

 

「やっちまえ!」

 

「地獄に落ちろ!」

 

「返り討ちだ、クソが!」

 

皿やらジョッキやらが宙を舞い、椅子やテーブルが凶器に変わる。

酒瓶が飛んできたのを誰かがつかみとり、投げ返してストライクを決める。

誰かが高笑いを上げて椅子を振り回し、別の誰かがそいつの横面を張り倒す。

 

誰も商売道具(武器)には手をかけていない。せいぜい机や椅子、その場にあった食器のみ。それが冒険者同士の喧嘩の、暗黙の了解だ。

多少の喧嘩ならお目こぼしされるが、刃傷沙汰はご法度。ギルドが動いて面倒なことになる。

 

店の人間は頭を抱え、巻き込まれてはかなわないとカウンターの後ろに退避していた。文句を言う度胸はない。何せ相手は恐ろしい冒険者、下手に止めては何をされるかわからない。

酒場の建物はそこそこ立派で頑丈だが、ドアやテーブルはオンボロを使っている。冒険者が暴れて、壊されるのも計算のうち。その分の勘定は、酒と料理の代金に含まれている。

 

迷宮で命を張り、大いに飲んで騒ぐ。それが冒険者だ。

血の気が荒く、酒場でちょっとしたことで喧嘩をする。それも冒険者だ。

 

双方はさほどレベルにも人数にも差がなく、いい勝負になっていたが、一人、黒い制服を着た連中の側に、頭一つ抜きんでた男がいた。

実力は幸運な奴ら(ラッキーズ)より上、Lv.3はあるだろう。複数のLv.2冒険者を相手取って、見事にいなしている。

大喧嘩に発展してしまったのは本意ではないのか、なんでこうなった、と顔に書いてあった。

彼の主神である『守備範囲の広過ぎる変神(へんじん)』が、『姫騎士』と謳われた冒険者を見初めたため、何とか誘き出そうと至る所で挑発紛いの行動をしていた…なんて事情は、この場の誰の理解の範疇にもない。

残念ながら、こうなってしまっては不毛な殴り合いに興じるのみである。

 

だが、いつ終わるとも知れない大乱闘は、唐突に終わりを迎える。

 

「ゴ飯ノ邪魔スルナ!カエレ!!」

 

奥のテーブルで騒ぎを気にせず食い、飲んでいた例の少女が、突然キレた。

直接的な原因は、顔面に向かって飛んできたスパゲティの皿だろう。端正な顔はトマトソースに塗れ、艶を放つ金髪の上には茹で上がった麺が乗っかっている。

 

【…大気ヲユラス轟、幽ケキ稲光ヲココニ。我ハ雷ノ精霊】

 

喧噪が支配する酒場の中でも、その声は不思議なほどよく響き渡った。

思わずその場の全員がギョッとして振り返る。

 

冒険者の表道具を使うのは禁じ手だが、店ごと破壊しかねない『魔法』を使うのはさらにまずい。確実にギルドに目を付けられる。

 

「や、やめ…!!」

 

近場にいた男が手を伸ばしたが、残念ながら詠唱が完成する方がずっと早かった。

 

【エレクトロ・バインド!!】

 

解き放たれた電撃の網が、その場にいた冒険者達の視界を埋め尽くした。

その一本一本が、電撃で構成された細い糸。雷属性攻撃としてはかなり微弱で、せいぜい皮膚や髪の毛の先端を焦がす程度。

しかし、同時に齎される〈硬直(スタン)〉の状態異常の効果を食らい、冒険者達の体は反り返り、その顔は激痛に歪み、堪らず床に倒れ伏す。

 

「怒ラレルカラ、一人モ殺サナイ。アリア、手加減覚エタ。コレデ落チ着ツイテ食ベラレル」

 

酒場の冒険者は、陣営を問わず全員まとめてノックアウトされた。

命を落としたものはいないが、筋肉が痺れてしまって、床で呻き声をあげている。

例外は、右手にはめた指輪の力で〈硬直(スタン)〉を無効化したベルと、その腕の中に庇われて雌顔になっていたリリルカのみ。

 

喧嘩には加わらず壁際に退避していたベル達は、得意満面に目の前を横切る少女を呆然と見守った。

 

「コノオ肉、モウ一皿チョウダイ!」

 

惨劇を引き起こした主犯は、カウンター裏にいたために難を逃れたコックを捕まえ、豚肉のフライのおかわりをねだっている。

 

「…アリア殿、もう十分に食されたじゃろう。そろそろ戻りまするぞ」

 

何処からともなく現れた、作務衣を着た白髪の老人が、空の皿を眺めて呆れたように窘めた。

アリアと呼ばれた少女は頬を膨らませたが、反抗することなく素直に従う。

 

「ウ…分カッタ。帰ッテ甘イノ食ベル」

 

「腹八分目と申しますじゃ」

 

老人は少女が食べた分のヴァリスを支払うと、連れだって去って行った。

 

「な、何だったんでしょうね?」

 

「さ、さあ…?」

 

 

 

 

それが幸運な奴ら(ラッキーズ)とアポロン・ファミリア、そして、その他一名の因縁の始まりだった。

 

 

 




こたつが手放せませぬ。甥っ子に腹の肉をプヨプヨされて、笑われる瞬間が切ないんや。


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間話1

かなり短いですが、ちょっとした外伝。本編はまた今度に(汗)。


怪物祭での騒動から、数週間後。

 

ダイダロス通りの孤児院の一室で、カリンは眠い目をこすっていた。

 

眠気をこらえつつ、書き取り用の小さな板書に書き込んだ文字を、ボロキレで消す。 消した後に再び同じ文字を書き付け、また消した。

書いているのは自分の名前だ。孤児院の院長が適当に綴り(スペル)を考えたそれを、何度も何度も繰り返し書いては消す。読み書きの練習だ。最近、ようやく使える単語が増えてきて、簡単な読み物を読んだり、長文を書けるようになってきた。

 

孤児院の生活は単調だが、忙しない。掃除に洗濯、給仕の手伝いといった仕事が山ほどある。

多少手が空く時間を、カリン達はこうやって将来のために読み書きや計算の練習や、走り回って体力作り、あるいは廃材から作った剣や槍を使った鍛錬に費やしている。

 

場所は食堂、天井から午後の柔らかな日の光が差し込んで眠気を誘う。

実際、カリンの隣で白墨と板書に向かっていたレックスやコナンは、お昼寝タイムに突入している。

正直に言えば、カリンも眠い。だが、眠るわけにはいかない。

 

「レックス、コナン!おきなしゃい!」

 

「…っ痛ぇ〜!」「うわわ…!」

 

デコピンを食らわせると、二人は飛び起きた。

時間は有限なのだ。特にカリンに残された猶予時間は多くない。少しも無駄に出来なかった。

 

ほんの半年前まで、カリンはオラリオの下町で、拙い魔石職人をしていた父とともに暮らしていた。 母はいない。父に聞いたことはあったが、曖昧な笑みでごまかされた。

父はカリンの金髪とは似ても似つかない茶髪だったので、おそらくこれは母譲りだろうと思う。

 

ある日、その父が帰ってこなかった。

父は飲兵衛で、その日も酒場でクダをまいていたところを、些細な事で冒険者崩れに殺されたというのは、孤児院(ここ)に来てから知った。

あのときは訳もわからず借家を追い出され、父を探して泣いた。色々と知人を頼ってみたが、結局、気がつけば軒先や路地裏で寒さに凍えて、ゴミ箱から残飯をあさる毎日を過ごしていた。惨めだった。

 

冒険者の都市、オラリオでは浮浪児は珍しくない。

たいていは冒険者の子供か、冒険者が娼婦に生ませた子供だ。親がダンジョンから戻らなかったか、面倒をみられなくなって捨てられたかのどちらかだ。

そんな子供の行く末は、さほど多くない。

親切な誰かに拾われるなんてのは夢の又夢。スリか置き引きでもした挙げ句にしくじって殺されるか、どこぞのファミリアに入って冒険者になってダンジョンで死ぬか。女の場合は人買いに浚われ娼婦になって梅毒で死ぬという選択肢が増える。

いずれも末路は似たようなものだが、まだ幼いカリンにはそこまでのことはわからない。ただ、なんとなく感覚的には理解していたと思う。まっとうな未来なんて、望めないって。

 

そんな生活が再び一変したのは、あの胸くそ悪いソーマ・ファミリアの孤児狩りにあってからだ。奴らは嫌がるカリン達を無理矢理拐かして、ダンジョンに放り込んだ。

死ぬかと思った。実際、同じ日にダンジョンに追い立てられた子達はみんな死んだ。レックスもコナンも、生き残った者同士で組まされて出会った。

モンスターと戦わされて命を奪い、あるいは奪われる。体格に恵まれない小人族の子供のカリンが生き残れたのは、運以外の何ものでもない。

 

いくつもの夜を越え、モンスター相手の殺し合いに慣れ、徐々に心は冷えていった。

起きてダンジョンに行き、モンスターを殺し、魔石を集めて、それを上役の大人に渡す。

魔石と引き換えに与えられる食べ物を口に入れ、毛布にくるまって寝る。その繰り返しだった。

そのルールを理解できるまで何度殴られ、蹴倒されたかわからない。

 

そして、あの人に出会った。

 

ダンジョンで遠目に初めて見た時、あの人は優雅にカールした金髪を靡かせ、薔薇の鎧を身に纏い、大鎌を振るってモンスターをなぎ倒していた。

その姿は綺麗で、眩しかった。天使のようだった。 暗く冷たいダンジョンに、光が射したかと思った。

薄汚れたボロを纏い、ゴミ捨て場で拾ってきた鉄パイプとそこらの石を武器にして、モンスターと泥だらけになって戦う自分とは、まるで別の生き物だ。

 

でも、とカリンは思った。

どうせ他の大人たちのようにカリン達を汚いものみたいに見て、鼻をつまんで去っていくに違いない。さもなければ、わずかな稼ぎを奪おうとするに違いない。

だから、あの人がカリン達に近づいてきた時、感じたのは恐怖だけだった。

 

ところが、あの人はビクビクと震えるカリン達のところに来ると、垢まみれの汚い手を取って、一緒にパーティを組まないか、と誘ってくれた。

あの時は、まともに水浴びもさせてもらえなかったから、とても臭かったと思う。

思わず呆けてしまって、気がつけば、うん、と頷いていた。

 

それからは、夢のような時間だった。

 

あの人達が倒したモンスターの魔石を剥ぐだけで、分け前は一割。

大人の冒険者がパーティを組んで稼ぐ魔石の分け前だ。一割でさえ、大して力のない子供三人でやるのとはわけが違う。

実は魔石をくすねようと、こっそり服や靴の中に入れたりもしてみたが、すぐにそんな余裕はなくなった。

次から次へとモンスターの死骸が運ばれてくるので、手早く魔石を剥がないと死骸で埋まってしまうのだ。

あの人から渡されたナイフはとても切れ味がよくて、芋の皮をむくようにサクサク魔石を剥ぐ事ができた。魔石を詰めるためのリュックはいくら中身を入れても見た目も重さも変わらない不思議な魔法の道具だった。もう、夢中になって魔石を剥いだ。

やがて不思議なリュックがパンパンになるまで魔石や素材を詰め込んだ頃、お開きになった。

 

そして、地上に戻る帰り道で、カリン達はまた不安になった。

話がうますぎる。本当に分け前をくれるのか。働かせるだけ働かせてから裏切られるんじゃないのか。そう思った。

ところが、あの人は自分の取り分までカリン達に寄越して、こう言ったのだ。

 

「それで体を清めて、まず服を買いなさい。武器や防具を揃えて、お腹いっぱい食べて寝て、力を養ってからまたダンジョンに挑むのよ」

 

思うに、カリンが本当の意味で冒険者になろうと決意したのは、この時だ。

 

その後はまた色々あった。

カリン達の稼ぎをいつも通り奪おうとした上役に逆らってみたり、その上役をどこからともなく現れたあの人が叩きのめしたり。

あの人の家に連れていかれて、一緒に大きなお風呂に入って、お腹いっぱい珍しくて美味しいご馳走を食べさせてもらって、フカフカの布団で寝て。

そして、何日か一緒に過ごした後、ギルドに連れていかれた。

ギルドでは、これまで何をしていたのか、どうしてダンジョンに潜ったのか、色々と聞かれて背中を調べられたりもした。担当のハーフエルフの女の人が、根気強く話さなければ、カリン達はまた不安にかられて怯えるばかりだっただろう。

 

色々と話し終えた頃合いで、あの人が迎えにきてくれた。

そして、カリン達は同じようにソーマ・ファミリアに囚われていた孤児達と共に、ダイダロス通りの孤児院に行くことになった。

 

孤児院は広くて清潔で、食事もたくさん出る。院長は優しい女の人で、信用出来そうだった。それに、同じような境遇の仲間も大勢いる。

あの人の家とは比べ物にならなかったけど、カリン達には十分にステキなところに思えた。

……後で知ったことだが、元々この孤児院の経営は火の車で、潰れかけていたそうだ。それをあの人がとてつもない額の寄付をして、一気に盛り返したらしい。

 

あの人とはそこで別れることになった。

別れは辛かったけど、カリンはワガママは言わなかった。ずっと一緒にいられるとは思っていなかったから。でも、そうなったらいいなとは思っていた。

だって、あの人は冒険者なんだから。カリン達を助けてくれた、素敵な冒険者なんだから。

 

別れの挨拶の代わりに、あの人に言った。

冒険者になりたい、貴女みたいに素敵な冒険者になりたい、と。

そしたら、あの人は複雑な顔をして言った。

 

「…できれば、冒険者みたいな危険な仕事はして欲しくないわね。読み書きや計算を覚えて、手に職をつけて、まっとうな人生を歩んだ方がいい」

 

でも、カリンの決意は固かった。

貴女みたいになりたい!なるんだ!そう言い募ると、諦めたように微笑んだ。

 

「せめて、12歳になるまで冒険者になるのは禁止よ。私が社会に出たのもその年だったから。それまでは孤児院で過ごして、力を蓄えなさい」

 

そして白くて美しい籠手をつけた掌を、カリン達に向けた。

そこから青い小さな光が無数に溢れ出て、カリンの中に入っていった。思わずビクついてしまったけど、特に体に変化は何もなかった。

 

「貴方達が冒険者になって、再び恩恵を得た時に、多分ちょっとだけ意味があるかも」

 

あの人は最後にそう言い残して去っていった。アレの意味は未だによくわからない。

 

本音を言えば、あの人について行きたかった。一緒に冒険をさせて欲しかった。

でも、それではあの人の迷惑になる。

嫌々だったけど、ダンジョンに行っていたカリンにはわかる。あの人はとても強い、すごい冒険者なのだ。

実際、あの人の偉業は瞬く間に街の噂になっている。『姫騎士(ワルキュリア)』の名前を聞かない日はないほどだ。

 

今、あの人の冒険に無理矢理ついて行っても、足手まといになるだけだ。

だから、いいのだ。今は自らを鍛えよう。

憧れのあの人に、少しでも追いつくために。

 

…ただ一つだけ、カリンはあの人に黙っていたことがあった。

カリンは小人族(パルゥム)だ。

つまり、見た目より年齢は少しだけ上なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんの数ヶ月の後、12歳になったカリンはレックスやコナンより一足早く孤児院から卒業すると、迷わずとあるファミリアの門を叩いた。

 

手にする武器や防具は、そこまで質の良いものではないが、事前に下調べした信用できる武器屋で、悩みながら買った品だ。

支払いは、あの日、あの人から渡されたものに、孤児院の活動で得た雀の涙ほどの小遣いを貯めて足したものを使った。ちゃんと三等分、残りは後でレックスとコナンが使うだろう。

 

そして、紆余曲折を経て恩恵を授かるやいなや、カリンは前代未聞のレアスキルを()()も発現することになる。

 

 

 

憧憬淑女(マイ・フェア・レディ)

早熟する。願いが続く限り効果持続。願いの丈により効果向上。

 

【世界樹の加護を受けた者】

…解読不能。スキル名さえも神聖文字では表示されず、主神が『こうであろう』と解釈したものに過ぎない。その効果は、まったくの未知。

 



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第22話

いつも誤字修正ありがとうございます。


次の日、方々にせわしなく調査に駆け回るロキ・ファミリアの女性団員を他所に、キル子はある人物と会談していた。

 

「…で、景気よく花火をぶち上げたのは、お前さんだって話だが?」

 

頭部が見事に禿げあがった、五十路前後の大柄な男。もちろん、キル子の趣味からは完全に外れている。ビジネスの話をしにきたのだ。

ボルグ・マードック。このメレンを治める街長だ。

 

「はい、マードック様。オラリオで雑貨商を営んでおります、キル子と申します」

 

キル子は合掌すると深々と頭を下げてアイサツした。アイサツは大事だ。

キル子の背後に控えていたトビカトウとフウマも揃って頭を下げる。

実際にはキル子はダンジョン18階層にあるリヴィラに拠点を構えているわけだが、オラリオの中にあるのは確かなので嘘ではない。

 

「丁寧に痛み入る。知ってるとは思うが、街長のマードックだ」

 

マードックも軽く会釈してアイサツを返した。

 

「この度は勝手をしました事を謝罪いたします」

 

「いいさ。どうせ現物を見るまで信じられなかっただろうからな。それに、見事だった」

 

キル子は再度深々と頭を下げたが、相手は気にするな、と笑いながら答えた。

マードックの口元は笑みを浮かべているが、目は油断なくキル子を見据えている。

 

メレンは、昨日の夜に何の予告もなしに打ち上げられた、花火の話題でもちきりだった。

ここのところ交易船がモンスターに襲われたり、魚が思うように取れなかったりと憂鬱な話題ばかりだった市民には久々に明るい話だ。あれをやったのはいったい()()()()()()なのかと、誰もが知りたがっている。

何せ、花火というのはとても高価な趣向品である。貴重な薬剤を大量に使い、優れた職人が手間暇かけて作り出し、ほんの一瞬で燃えて消えてしまう。こんなものを入手し、実際に使えるのは、金の有り余っている人間だけだ。

 

「お気に召して頂けたならば、幸いでございます」

 

本来ならベートと共にベッドで鑑賞して雰囲気を盛り上げる小道具だった筈なのだが、肝心の想い人が不在でも惜しまず打ち上げたのには訳がある。

もちろん、ロキを喜ばせる為ではない。この男との交渉材料に必要だったからだ。

 

実は昨日、キル子は事前にアポなしでマードックを訪問していた。そして、見事に門前払いを食らった。

キル子はそれを当然のこととして受け止めた。この街を治める名士が、どこの馬の骨ともわからない女に易々と会うはずがない。

そこでひとまず出直す事にして、応対した使用人には手土産を託すとともに「今夜、メレン近海の洋上で花火を打ち上げるので、是非ご鑑賞ください」との伝言を頼んだ。使用人がそれを主に伝えるかどうかは、この際どうでもよい。実際に花火が打ち上がったなら、マードックはその理由を調べずにはいられないだろうから。

そうして、花火という誰の目にも明らかな財力の証を誇示したことで、ようやく相手は交渉のテーブルについたのだ。

 

実際に相対してみると貴族というより、ヤクザクランの頭目のような、妙な迫力を感じる男だとキル子は思った。

本質的に粗野な冒険者ともまた違う。本物の貴族なんぞ見たことないのだが、その印象はさほど間違っていないだろう。

 

「それで俺の船を使って荷を運びたいという話だが…?」

 

そう、この男はメレン港の船便を牛耳る船乗り達の元締めなのだ。地元の漁師達からも『ボルグ親父』と呼ばれて親しまれているという。街長というのはその延長上の役割に過ぎない。

 

「はい。どうか船の空きを都合いただけないでしょうか。そこまで嵩張る品ではないので、一口でもよいのですが…?」

 

「うちは一口1000キルロ以下の荷運びは引き受けない」

 

「存じております」

 

マードックはキル子の身に着けている黒地に彩り豊かな花火をあしらった着物や帯、髪を彩る金銀細工の簪、そして持参した手土産に視線を走らせ、僅かに眉根を寄せた。

遠い土地からやってきた金満商人か、あるいは単なる好事家か。さもなくば山師か、詐欺師の類か。キル子の正体を図りかねたのだろう。

 

荷船というのは利益を出すのにひどく時間と手間のかかる商売だ。

マードックの手がけている航路だと、一番近場でも片道10日はするだろう。それだけの航海をこなせる熟練の船乗りを確保しておくのがまず難しい。

金もかかる。船員たちの給料や航海に必要な消耗品の数々、船だって傷む。途中でモンスターに襲われるか、嵐に巻かれて船が沈むなんてのも珍しくはない。

その分、リターンは大きいのだが、どだい素人がおいそれと手出しできる商売ではないのだ。

 

さて、財力があるのは花火の件で証明済み。そこらの詐欺師が用意できるような代物ではないが、信用のない新参者を商売にかませるのはリスクが高い…とでも思っているに違いないとキル子は踏んでいた。

 

「船便の空きはないこともない。だがな、おいそれと見知らぬ人間の荷をうけるわけにゃいかねぇ。他の荷主の推薦か、それなりの身分の証が必要だ」

 

「こちらをどうぞ」

 

間髪入れずにキル子が差し出したのは、オラリオ市壁の通行許可証。昨夜、ロキから受け取ったばかりの品である。

 

マードックは一目見るなり、片眉を上げた。ギルド発行の正規の書類だ。信用が違う。

 

「…人が悪いな、あんた。最初からこれを見せていたら、話が早かったろうに」

 

「ギルドの回し者かと思われるのも躊躇われましたので。なんせ、ギルドは私ら商人に優しい方々ではありませんでしょう?これを手に入れるのも、それなりの出費でした」

 

マードックは満足そうに頷いた。

いきなりコレを見せられて、さあ如何だと居丈高に切り出されたら、マードックは問答無用で叩き出していただろう。

彼にしてみれば、ギルドは都市の玄関口であるメレンに対して何かと口を出そうとしてくる鬱陶しい連中だ。商売に必要な相手として付き合いはするが、決して好いてはいない。

この話の持っていきかたは、マードックの面子に十分に配慮していた。

 

サラリマン時代に鍛えられた接客スキルのおかげでキル子の腰は恐ろしく低く、マードックの自尊心を満足させるものだったし、外面がよく見た目だけなら絶世の美女だ。美人に煽てられたら、誰だって悪い気はしない。

その上で、花火という手札で財力を誇示してもいる。詐欺師や山師ではない、あくまでビジネスが目的だと、わかりやすく主張しているのだ。

いけすかないギルドの手先なら、こんな迂遠なことはしないだろう。

 

ようやくマードックは相好を崩し、人好きのする微笑みを見せた。

 

「いや、試すような事を言って悪かった。昼前にロキ・ファミリアの奴らが押しかけてきてな。食人花がどうとか訳の分からん事を聞いてきたが、ギルドと連んでる連中に話すことは何もないと追い返してやった。てっきりあんたもそうかと早合点しちまったよ」

 

「いえいえ、お気になさらずに」

 

キル子は笑顔で相槌を打ちながら、内心で首を傾げていた。

ギルドを嫌っていることまでは予想していたが、それを理由にオラリオ最強勢力の一端であるロキ・ファミリアまで門前払いとは、想像以上に当たりがキツい。

オラリオに出入りする商人達の間では『下手な王侯貴族より神の派閥(ファミリア)に手を揉め』とされている。キル子がロキ・ファミリアやへファイストス・ファミリアとそうしているように、強大なファミリアとの繋がり(コネクション)は何かと便利なのだ。

或いは、何か後ろ指を指されると困るような商売にでも、手を染めているのだろうか。

 

「いいだろう、新しい顧客は歓迎するよ」

 

「ありがとうございます」

 

まあ、マードックが裏でどんな悪事に手を染めているか知らないが、キル子自身に関わりが無ければ無問題(ノープロブレム)だ。

 

「だがな、お嬢さん。新しく枠を入れるとなると、少しばかり割高になるんだが、それは勘弁してくれないか」

 

マードックの目の輝きが変わった。余所者を警戒する街長ではなく、ビジネスチャンスに沸き立つ商売人の目だ。

 

「そうでございましょうね。ここは天下のメレン港。オラリオ特産の魔石道具を世界に運ぶための玄関口ですから」

 

「まあ、そういうことだ」

 

そこからは商談の時間だった。

船荷の中身、船の選定、荷を運ぶ場所、出航の日程、現地で受け渡しに同行する随行員の数、それに何より大事な代金に関する諸々。

最初、マードックが提示した金額は、キル子が当たりをつけていた額のほぼ二倍だった。花火の件で金があると見られたらしい。ボッタくる気なのは明白である。

そこからやんわりと食い下がり、三割ほど値引かせたが、キル子の交渉スキルではそれが限度だった。

 

おおよその内容で合意が取れると、マードックは部下に命じて羊皮紙に文書を書き起こし、キル子に差し出した。特に問題がないことを確認して、最後に互いのサインを入れる。

これでひとまずの契約は成った形だ。後は規定の金額を為替でやり取りすれば、正式に発行される。

 

「お手間をおかけいたしました、マードック様」

 

柔らかく微笑みながら頭を下げたが、キル子は内心穏やかではなかった。禿げ爺め、ボリ過ぎだろう。

 

「いやいや、なかなか手強いお嬢さんだ。今回は勉強させて貰うよ」

 

とか何とか言っているが、おそらくマードックには最初から折り込み済みの妥協点だったに違いない。万年ヒラ事務員だったキル子とは、さすがに年季が違う。相手の方が一枚も二枚も上手だ。

 

「またまた、お上手ですわね」

 

「本気さ。俺がもう十も若けりゃほっとかないんだがな。それにやり手だ。船荷のリストを見せて貰って驚いたよ。まさか神酒(ソーマ)とは!…よく手に入ったな」

 

キル子が提示した書類を眺めて、マードックは探るような視線を飛ばした。

 

「ええ、うちの目玉商品です。何かと値上がり気味の神酒(ソーマ)ですが、ラキアか海洋国(ディザーラ)辺りに持っていけば更に値が跳ね上がると聞きましたので。それに極東由来の商品の仕入れもと思っております」

 

ダンジョンを抱えるオラリオは豊かな土地だが、稼ぎ頭の主役は冒険者だ。

そして冒険者が何より金をかけるのは武器や防具、ポーションなど。高価な嗜好品の需要は都市外の方が高い。

収入面でも安定した荘園を抱える貴族達の財力は、大手派閥のそれと比べても遜色がない。

 

「なるほどな、それで俺もお溢れに与れたってわけだ」

 

マードックはニンマリと笑ってキル子の手土産、神酒入りの小瓶を手に取った。

これが、マードックの心証をよくした最大の理由だった。この男、大の酒好きなのだ。

 

「このご時世、高級品志向で差別化を図らないとやっていけないもので。物が物ですので、くれぐれも扱いは丁寧にお願いいたしますね。詳細は船に同行させる、このフウマとトビカトウに一任します」

 

キル子がアイコンタクトをすると、ニンジャ達が頷く。

 

「払うものを払ってくれれば何だろうが、誰だろうがキッチリ運ぶさ。ご禁制のもの以外ならな」

 

最後に握手をして、キル子はマードックの館を辞した。

脂ぎった中年男の手の感触が不快だったので、館を出るなり入念に手を清める。

白地に金魚をあしらった手ぬぐいはユグドラシル産のアイテムで、汚れを落とす第1位階魔法《清潔(クリーン)》と同じ効果がある。汚れや返り血などを落とすと、地味に探知系能力にかかり辛くなるのだ。

 

やがて納得いくまで手を拭うと、キル子は煙管を吹かしながら港町の雑踏を歩き、思索に耽った。

まあ、こんなところだろう。

結局のところ神酒の輸出は小遣い稼ぎを兼ねたブラフ。あまり舐められても面白くないので食い下がってみせたが、何ならマードックが最初に提示した金額を丸呑みしても、キル子としては何ら問題がない。

本当の目的は()()()()を持たせたフウマ達を、現地まで送り届けてもらうこと。それさえできれば御の字だ。

 

「フウマ、トビカトウ。貴方達に転移門の鏡(ミラーオブゲート)を託します。《伝言(メッセージ)》を使えるようになるアイテムも渡しておくから、道中は連絡を絶やさないように」

 

「ハッ!必ずやご期待に沿います!」

 

「あい!」

 

地味だが大事な任務である。

海の向こうに、新たな拠点を設置する為に。

 

キル子はユグドラシル時代、PKをやる必要からナザリック9階層の自室は滅多に戻らず、フィールド上を転々としていた。その為、グリーンシークレットハウスや転移門の鏡等のアイテムをそれなりの数、所持している。それを使えば、さほど難しくはない。

 

「期待していますよ」

 

オラリオをそうそう離れる気のないキル子だが、それはそれとしてこの世界には他にどんな珍しい物があるのかと、気にならないわけではない。

自在に転移可能な拠点を各地に作っておけば、何かと便利だ。遠隔地貿易で、それなりに利ざやを稼ぐこともできる。

まずは手堅く船舶を使った大陸沿岸の輸送路の把握から始めるが、いずれはオラリオ南東の陸路、大砂原(グランド・サンド・シー)『カイオス大砂漠』の方面から数多くの国がひしめく大陸中央にまで進出する気でいる。

 

かつて、未知を探索する、というのがユグドラシルというゲームの醍醐味だった。

プレイヤーには必要最低限の情報しか与えられず、最初期はコンソールの使い方ぐらいしか情報がない状態で世界に放り込まれたそうだ。あまりにも未知な事が多すぎるのでプレイヤーからは「製作元まじ狂ってる」とか「糞運営」などと呼ばれ、「限度という言葉をどこかに忘れてきたのだろう」と言われていたらしい。生憎、キル子がユグドラシルを始めたのはサービス開始から何年か経った後のことだが。

今この状況は、それに近い。モモンガあたりなら大喜びしただろう。

或いは、この美しくも広大な世界の何処かに、キル子と同じようにかつての仲間たちか、あるいは仇敵が流れ着いているのかもしれない。そう考えるのは愉快だった。

 

それに、キル子にはどうしても手に入れたい食材があった。

コメだ。日本人が愛してやまない作物、コメ。

リヴィラで親しくなったタケミカヅチ・ファミリアの連中から、極東にはコメがあると聞いた。やたらニンジャに食いつくポニテ女子で、知りたいことは何でも素直に答えてくれる便利な奴だ。

そして、コメさえあればスシができる。実際スシは栄養豊富な完全食だ。ニンジャ達や、最近仲間にした腹ペコの精霊も喜ぶだろう。

かつてキル子が口にできたスシといえば、合成加工したバイオ・サカナの粉末に、化学調味料スープを加えてペースト状にし成形したものだが、此方なら至高の贅沢、オーガニック・スシが食べられる。

ユグドラシルから持ち込んだ食材アイテムもいずれ先細りすることが目に見えている今、コメの確保は急務である。

キル子は期待に胸膨らませた。

 

「さて、用は済んだし、オラリオに戻るかなぁ。ホテル代がもったいないけど、ダブルの部屋に一人で泊まるのもねぇ…」

 

数日はバカンスに滞在するつもりで部屋をとっていたので、根が小市民なキル子は宿賃がもったいないと思ってしまう。だが、ホテルの人間に、彼氏にドタキャンされた哀れな女だと思われるのも憂鬱である。

ロキから受け取った通行証があればオラリオには出入り自由。マードックとの交渉が長引いたせいで、日は大きく西に傾いているが、キル子とニンジャ達の足なら日暮れまでにオラリオに辿り着けるだろう。

 

「…決めた。夕飯に魚料理でも買って帰りましょう。これからはいつでも来れるわけだし、リヴィラで留守番してるハンゾウ達のお土産でも……⁈」

 

不意に、常時発動している聞き耳系スキルが、魂消るような悲鳴を捕らえた。

隣でキル子の護衛を勤めるフウマ達も、ほぼ同時に気が付いたらしく、騒ぎの起こった方を眺めている。

 

「?……ッ!!!」

 

何事かと《千里眼(クレヤボヤンス)》の魔法を使って現地を覗き見した瞬間、キル子は全力疾走した。

瞬時に屋根の上まで飛び上がり、一蹴りで数十メートルを跳躍。その背後には二人のニンジャが周囲を警戒しながら続く。

三歩も()()を蹴り進めば、瞬く間に現場に到着する。そこでキル子が目の当たりにしたのは、惨劇の瞬間だった。

遅れず着いてきていたフウマとトビカトウを抑え、キル子は自ら飛び込んだ。彼らでは間に合わない。

 

「【刹那の極み】!!」

 

瞬時にキル子の時間が極限まで加速され、相対的にそれ以外の時間の流れが鈍化する。

 

ゲームじゃないんだぞ、クソが!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティオネ・ヒリュテは歯を食いしばった。

 

街中で、肩がぶつかったと因縁をつけて地元漁師を甚振っていた同族。思わず止めに入ったが、やはりというべきか、それでは収まらなかった。力こそ全て、強いものこそ美しい。それがテルスキュラの流儀なのだから。

おまけに相手はかつてティオネに戦い方を仕込んだ師、カーリー・ファミリア団長のアルガナ・カリフ。この女の血の気の荒さは嫌になるくらい知っている。一度戦い出したら血を見るまで止まらない。

それに、突っかかってきたアルガナを凌ぐうちに、ティオネ自身も抑えが利かなくなってしまった。この女と顔を合わせたのなら、故郷での因縁を精算しないではいられない。

 

徐々にヒートアップする戦いの最中、ソレが目に入った。

 

「いやぁあああー!!」

 

幼い悲鳴。巻き込まれ、逃げ遅れた子供。ティオネは思わず振り返っていた。

 

瞬間、脳裏に思い起こされるのは、あの日、故郷でこの手にかけてしまった親友。

酷く怯えた子供の表情は、彼女と似ても似つかなかったが、あの頃とほぼ同じ年の女の子。

しまった、と思考が行動に追い付いた時にはもう遅い。ティオネはアルガナに殴り飛ばされていた。懐に、少女を庇いながら。

 

「…なんだイマのは…?かばったのか、ソレを?」

 

訛りのきつい共通語(コイネー)からでも、アルガナの困惑が読み取れる。

 

「変わったな、オマエ。強くなったのか、弱くなったのか…少なくとも、センシではなくなった」

 

この女には、いやテルスキュラのアマゾネスには理解できない行動なのだろう。他者を、弱きものを守るということが。かつて自分がそうだったように。

 

そもそも闘い、強くなることはアマゾネスの本能。

テルスキュラで生まれたアマゾネスは立って歩けるようになれば恩恵を刻まれる。言葉を覚えるより先に闘技場(アリーナ)に放り込まれ、ゴブリンと戦い、殺し方を覚える。

徐々に戦うモンスターは強くなっていき、闘技場と寝食を行う石の大部屋、二つの場所を移動するだけのシンプルな日々が全てになる。モンスターを殺すか、自分が殺されるか、それだけだ。

そうやって物心ついた時にはモンスターと、そして時には捕らえられた人間と殺しあう生活に疑問を持たなくなる。

 

最終的には、同じく恩恵を刻まれた同族同士での殺し合いだ。互いに仮面を被り、誰が敵となるかもわからない状況で、殺しあう。

同胞の少女を得物で殺し、素手で殺し、技で絞め殺す。闘技場の観客席からは絶えず歓声が響き、女神が笑う。いつからかティオネの心には、乾いた風が吹いていた。

心の支えは、同じ大部屋に放り込まれた同年代の仲間達。毎日同族同士で殺しあうテルスキュラでも、同じ部屋で育った仲間とだけは殺し合わずに済む。そのことが心を楽にした。

 

だが、ある日。

いつものように闘い、いつものように殺した。

剥がれ落ちた仮面の裏に見た顔は…

 

慟哭の中、ティオネはランクアップを果たした。

 

「お前、まだセルダスを殺した事を後悔しているのか?アイツを殺して、オマエは強くなったのだろう?」

 

―――おかえり、ティオネ

 

呆れたように投げかけられた一言が、ティオネの逆鱗に触れた。

 

「言うなッ…!!!」

 

「ククッ…!!!」

 

ティオネは背後に庇っていた少女を放り出して全力でアルガナに打ちかかり、アルガナはそんなティオネを見て満足そうに笑いながら迎え撃つ。

互いに実力はオラリオでも最高峰とされるLv.6。

拳の一撃で衝撃波が発生し、蹴りは大地を穿つ。

遠巻きにしていた住民達から、悲鳴が上がる。

今度は本当に、どちらか死ぬまで止まらない……筈だった。

 

だが…

 

「…カタギの皆様を巻き込んだ喧嘩は、ご勘弁願います」

 

ティオネが振り抜いた拳は、白く華奢な手に止められている。

 

「キルコ?!」

 

二人の間に割り込んだのは謎多き女、キルコ。

ティオネの拳を片手で受け止め、もう片方の手にした煙管で、振り下ろされたアルガナの蹴り脚を防いでいる。

曲がりなりにも第一級冒険者の繰り出した本気の攻撃だ。しかも、挟撃された形になったので相当な衝撃が生じた筈だが、キルコは涼しい顔をして、微動だにもしていない。

ティオネは触れられた手のひらの冷たさに、思わずゾッとしながら拳を引いた。

 

「何だ、貴様は?」

 

対してアルガナは鼻を鳴らし、無視して振り払おうとしたのだが…すぐにそれが不可能であることを悟った。

 

「フン…?……ッ……?!!」

 

どれほど力を込めようと、添えられた煙管はビクともしない。まるで大地に根が生えているかのように。

数合の後、アルガナは諦めて足を退けた。

そして、改めて相手を観察する。

肌は透けるように白く、烏の濡れ羽色をした髪を長く伸ばした女。薄手のガウンのような長衣に身を包み、肌の露出はほとんどない。

勇猛を誇るアマゾネスとは対局に見える手弱女だが、Lv.6のステイタスを誇るアルガナの全力を、白く細い白魚のような指先でつまんだ煙管を操り、容易く抑え込んでいる。かなりの実力者だ。

キルコと呼ばれた女は、底なし穴のように黒く深い瞳で、アルガナを無機質に眺めている。

 

「おもしろい…!!」

 

アルガナは再び攻撃的な笑みを浮かべると、今度はキルコを標的にして、目にも止まらぬ連撃を繰り出…

 

「いいから、寝ててどうぞ」

 

…そうとする寸前で、パタリと倒れた。

唐突にその場に沈み、そのまま動かない。

 

「…は?」

 

「ア、アルガナ⁈」

 

「嘘だ⁈」

 

背後で様子を伺っていたカーリー・ファミリアの団員から、うめくような悲鳴が上がる。アマゾネス達は目を見開き、信じられないものを見るように、無様に倒れて動かないアルガナを見つめた。

何が起きたのか、一番近くで見ていた筈のティオネにも、訳がわからなかった。

 

 

 

飛びかかろうとしたアルガナの機先を制し、目にも留まらぬ速さで動いたキル子が、意識を刈り取っていたのだが、この場でそれを認識できたのは高いレベルを持つニンジャ達のみ。

煙管の羅臼で顎先をこづいて脳震盪を引き起こし、対象を〈気絶〉状態に陥らせるアサシン系のスキルである。

キル子が手ずから製作した他の武具と同様、この煙管も『暗器』の一種。素材には高価なデータクリスタルや、宝物庫から無断で持ち出された超希少金属がふんだんに使われており、武器性能はそこそこ良い。

さらに接触の瞬間に〈睡眠〉〈麻痺〉〈朦朧〉等の状態異常を叩き込み、それがアルガナの【耐異常】を貫通して抜群の効果を発揮したことも、ティオネには知りようがなかった。

 

 

 

「………」

 

アルガナは白目を剥き、ビクビクと泡を吹いている。完全に意識を刈り取られていた。

 

キルコが「お前もやるか?」とでも言いたそうに胡乱な目を向けてきたので、ティオネは慌てて首を振った。

 

「さ、先に手を出して来たのはそいつよ!」

 

「左様で。まったく街中で非常識な人です」

 

非常識なのはお前の方だと言いたかったが、ティオネは賢明にもその言葉を飲み込んだ。

何せ相手はアルガナどころか、都市最強(オッタル)すら雑魚扱いできる怪物だ。背後に従えたニンジャとかいう連中も、59階層で共闘したことがあるが、油断ならない強者である。

 

そんなティオネを他所に、キルコは傍らで怯えていた少女に微笑みながら手を差し出した。

 

「大丈夫?怪我はない?」

 

「…ゔ、ゔん!」

 

少女はその手を借りて立ち上がると、キルコに抱きついて泣きべそをかきだした。

よほど怖かったのだろう。キルコはその頭を撫でてやり、高価そうな刺繍のされた薄手のハンカチで涙や手足の汚れを拭っている。

やがて少女はキルコとティオネを交互に見て頭を下げると、近場で見守っていたらしき両親のところに駆け出した。

 

その間、誰もが動けずにキルコの一挙手一投足を冷や汗を流しながら見守っていた。

 

「で、何なんですか、あの人?」

 

今更のようにキルコが問うてきたので、ティオネは呆れながら答えた。

 

「カーリー・ファミリアよ。あなたもどういう連中か知ってるんでしょ?」

 

「ああ、噂のテルスキュラですか。……迷惑な」

 

キルコは周囲を見回し、破壊された民家の軒先や商品がぶち撒けられた露店、怯えて遠巻きに見守る住民達を見て、眉を顰めた。

そして、徐に煙管を一服つける。

キツいメンソールの香りが、ティオネのところにまで漂ってきた。キルコの全身から不機嫌さが滲み出ている。

 

そんなやり取りをしている間に、辺りには双方の派閥(ファミリア)の団員が集まりだしていた。

カーリー・ファミリアからは、アルガナの妹であるバーチェ・カリフが姿を見せており、ロキ・ファミリア(こちら)も幹部格は全員集合している。

互いに睨み合って一触即発の雰囲気だが、ちょうど間に不気味な存在感を放つキルコがいるせいで、どちらも迂闊に動けない。いや、カーリー・ファミリアはむしろキルコの方を警戒している。

 

キルコは周囲に目をやると、無言で手をパンと鳴らし、何事か合図をした。

すると、何処からともなく配下のニンジャ達が姿を現した。

キルコの背後に佇む赤い着物の幼女に、全身をすっぽりと黒衣に包んだ男とも女ともわからない正体不明の人物。それとまったく同じ姿、同じ背格好をした者達が五つ子めいて現れ、周囲を取り囲む。

 

…魚の餌が穏当かな?

 

ボソリと呟かれたキルコの言葉に、ティオネは冷や汗を流した。

 

キルコの漂わせる不穏な気配を察したのか、そこでようやく仲裁の声が入った。

 

「はい、そこまでや。街中ではっちゃけ過ぎやで、ジブンら。洒落にならんわ」

 

「バーチェ、お主も止めよ」

 

別々の方向から異口同音に発せられたのは、己が眷属を諌める主神の声。

路地裏からポケットに手を突っ込みながら現れたロキと、通りに面した二階屋の踊り場から、腕を組んで眼下を見下ろす奇妙な仮面を被った幼女。

カーリー・ファミリア主神、カーリーだ。ティオネも久々に顔を見た。決して再会したい相手ではなかったが。

 

そんなティオネの葛藤を他所に、二柱の視線が空中にて交わる。

 

「お初にお目にかかる。妾がカーリーじゃ」

 

「ロキや。ウチが今のこの子らの親や。よく覚えとけ」

 

ロキはティオネに向けて視線をよこした。

ティオネが頷くと細い目をさらに細くして笑い、再びカーリーに向き直って睨みつける。

当のカーリーは余裕の笑みでロキの視線を受け止めた。

 

「知っておる。妾のテルスキュラまで名声は聞こえておるでな。知っておるのじゃが……?……ロキは男神だったのか?」

 

話の途中で、何故か首をかしげたカーリーの視線は、ロキの胸に注がれている。

 

「女神や‼︎めちゃめちゃ麗しい女神‼︎どこ見て判断しとんねん‼︎」

 

久々にこの手の侮辱に晒されて、ロキは激昂した。荒ぶり、絶壁を振り乱して絶叫している。

それを見てキルコが袖で口元を隠し、小刻みに体を揺らした。

 

カーリーすらも道化を見るようにクスリと笑う。直後、視線をこちらに向けてきた。

 

「ティオネもティオナも久しぶりじゃのう」

 

カーリーはティオネとティオナを懐かしそうに眺めて、目を細めた。

その目を、ティオネは正面から睨みつける。

 

「無視‼︎無視か⁈ええ度胸してるなドチビ2号の分際で‼︎」

 

「…ロキ、黙って」

 

なおもチンピラじみて気炎をあげるロキを、空気を読んだアイズが諌めて引きずっていった。

 

「カーリー…!!」

 

「カーリー、何しに来たの?」

 

歯を食いしばって怨嗟を呑み込むティオネの隣で、妹のティオナは純粋な疑問を問いかける。ティオネと違い、ティオナは必ずしもカーリーとの仲は悪くなかったのだ。かつては忌々しかったが、今はそれがありがたい。

今更テルスキュラから出てきて、何をしに来たんだコイツ?

 

「何、ただの()()じゃよ」

 

カーリーは薄ら笑いを浮かべて、そう嘯く。

 

ティオネは激昂しかけた。

この忌々しい戦女神が、そんな理由で血に塗れたあの土地を離れるわけがない。

残念ながら、神は子らの嘘をたちどころに見抜くが、神の嘘は同じ神にすら見抜けない。

 

「しかし、流石にオラリオの冒険者は粒が揃っておるな。まさかアルガナが赤子の手を捻るように一蹴されるとは。よほど強者が……って…えぇ?」

 

カーリーの視線は、我関せずと煙管を吹かしていたキルコに向けられたのだが、不意に何かに気付いたように目を見開き、ポカンと口を開ける。

 

「……待て。そやつ、恩恵を持っておらんではないか!どうなっておるんじゃ⁈」

 

まあ、その気持ちは分からなくもない。

 

「ドーモ、カーリー=サン。キルコです」

 

その場の全員の視線が集中する中、キルコは両手を合掌し、深々と腰を折った。キルコの手下のニンジャ達も同じような動作で頭を下げている。

ティオネの知る限り、この女はどんな相手にも敬語を使い、挨拶を欠かさない。こう見えてかなり礼儀正しいのだ。

 

「…カーリーじゃ。それで、お主いったい何者じゃ?」

 

問われたキルコは、少しばかり考えるように目を閉じ、やがて紫煙を吐き出しながら答えた。

 

「D'ou venous-nous? Que somm es-nous? Ou allons-nous?」

 

「は?」

 

カーリーは思わず素で突っ込んだ。

 

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか、という意味のフランス語だそうで。シジュウテンスザク…何処ぞのインテリ爺の遺言です。自分自身が何者か、本当に知っている者が世にどれだけいることでしょう?」

 

キルコはそう言って韜晦した。

 

「まあ、少なくとも私は冒険者ではありませんね。恩恵もなく、ファミリアにも入っておりませんし。趣味の店を営んでおりますが、生粋の商人というわけでもない。では、何者かと問われたら……ただの美人とか?」

 

『遊び人のおキルさん』というのはどうでしょう、などといけしゃあしゃあと曰うキルコに、流石のカーリーも眉根を寄せて困惑しているようだ。

 

「…冗談にしか聞こえんな。だが、こやつ、まるで嘘をついておらん。本気でそう思っておる」

 

「ええ、本音ですよ。あなた方、神には嘘は通じないのですから」

 

キルコは冷笑を浮かべながら、こともなげにそう口にする。

神に対して慣れたものは、沈黙こそが真偽を守る唯一の手段だと知っている。ところがこの女は、本音だけを口にして神の問いを煙に巻いたのだ。

ザマをみろ。ティオネは溜飲が下がる思いだった。

 

だが、続くカーリーの一言は、予想外に過ぎた。

 

「ふ〜む……少なくとも派閥には入っておらんのだな。ならば、キルコとやら。お主、我が眷属になる気はないか?」

 

思わずティオネは目を見張った。カーリーめ、気が狂ったか!

 

隣に佇むティオナやアイズ、ロキ・ファミリアの面々、さらにはカーリーの眷属、そしてロキまでが唖然とした表情を顔に貼り付けている。

 

当のキルコはといえば、間髪入れずにハッキリと拒絶した。

 

「遠慮させて頂きます。私の想い人はロキ様の眷属です。他所様のファミリアに入るわけには参りません」

 

一切の迷いなく告げられた言葉に、ティオネは落雷に撃たれたかのように体が震えた。

 

神には嘘はつけない。その言葉に嘘はない。

キルコがベート・ローガに入れ込んでいるのはロキ・ファミリア内では周知の事実だが、それをあのカーリーに対して堂々と惚気てみせるとは!…恐れ入る、としか言いようがなかった。

 

ティオネにも、好きな人がいる。

かつて妹と共にテルスキュラを離れ、オラリオにやって来たばかりの頃、荒んでいた自分達を打ち倒し、ファミリアに誘ってくれた恩人だ。

控えめに言っても、最初の出会いは最悪だった。貧弱な小人族(パルゥム)なんぞに舐められてたまるかと思った。喧嘩を売られて、買って、気がつけば床を舐めていた。

自らを倒すほどの強い異性に強く惹かれるのは、アマゾネスの本能。以来、ティオネは団長フィン・ディムナにぞっこんだ。

でも、それだけではない。ファミリアに入ってからその背を見つめ続け、育んできた想い。それもまた本物だ。

あの女、キルコと同様に。

 

今、初めてティオネはキルコのことを本心から認めた。

 

「あ〜、男かぁ…それだけは、なんともなぁ…」

 

キルコの言葉に、カーリーは苦笑いを浮かべた。

テルスキュラは男子禁制だ。繁殖に必要な男は、あくまで種馬として攫ってくる。

アマゾネスは自身を打ち倒した雄に惚れてしまうので、下手に強い男を入国させるわけにはいかないのだ。

 

「それよりも、街中ではお行儀良くされるよう、ご忠告申し上げます。さもなければ、その()()()()と同じように対処させて頂きますので」

 

そう口にするキルコの視線は、未だ倒れ伏したままのアルガナに注がれていた。次いで、カーリーの眷属達を眺め、あからさまに蔑んだ視線を送り、鼻で笑う。

見え透いた挑発だが、もとより血の気の荒いテルスキュラのアマゾネスを激昂させるには十分だ。

 

「舐めんじゃないよ!!」

 

「アルガナやったくらいでいい気になるな!!」

 

「ブチ殺すぞ!!」

 

舐められたのを理解したのか、カーリー・ファミリアの眷属達が額に青筋を浮かべて沸きたった。

 

それに応じて周囲に展開しているニンジャ達が身構えたが、彼らを従えるキルコは無言で片手を上げて、それを制止する。

 

高く掲げられたキルコの手は、いつの間にか異形の籠手で覆われていた。

黄色と黒と赤が入り混じり、蜘蛛の意匠を象った不気味な籠手(ガントレット)

それを見た瞬間、ティオネは無意識のうちに大きく後ずさっていた。何故かは分からないが、細切れに惨殺される自身の姿が脳裏によぎり、汗が吹き出て止まらない。

見れば、カーリー・ファミリアのバーチェも同じようにキルコから距離を取っている。バーチェは常に口元をマスクで隠しているので表情を読み辛いのだが、遠目にも大量の汗をかいているのが分かった。

 

「郷に入っては郷に従え、とも言います。観光は、穏やかにするものですよ。ねえ?」

 

そう言い放つキルコが浮かべたのは、あまりに凶悪な笑み。

この時、ようやくティオネはキルコが静かにブチ切れていたことに気が付いた。

 

「ハハハハ!言うではないか!……いや、愉快愉快!」

 

その場の全員を問答無用で黙らせる鬼気。

だが、カーリーはむしろ面白いとばかりに手を叩いて笑う。

 

「ククク…妾達はしばらくこの街に滞在する。気が変わったら、遠慮なく訪ねるが良いぞ。強者は歓迎する。……ティオネ、ティオナ、そなた達もまた会おうぞ。愛する子供(ムスメ)達よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、ロキは宿の一室で、一人酒をしていた。

 

普段は眷属達と共に賑やかに酒席を囲むのを好むロキだが、今は一人きり。酒もツマミも宿で適当に注文したものだ。

酒は普通だったが、魚介類の煮込みがなかなかうまい。付け合わせのニンニクで焼いたパンにもよく合う。サクリと音を立ててパンを食い千切り、手酌で空いたグラスに酒を注ぐ。

開け放たれた出窓から月明かりが降り注ぎ、寄せては返す渚の音だけがロキの耳朶を打つ。

 

やがて、ロキはグラスをもう一つ取り出すと、黙って酒を注ぎ、対面に置いた。

 

「一人酒とは珍しいな、ロキ」

 

不意に横合いから伸びてきた手が、酒杯を掴む。

 

「まあ、たまにはな」

 

ロキ・ファミリア団長、フィン・ディムナだった。

 

一息に酒を飲み干したフィンのグラスに、ロキはお代わりを注いでやった。オラリオにいる筈のフィンが、深夜にメレンに現れた事には何の疑問も持ってはいない。

 

「わざわざ来てもらって悪かったな。色々あったから、一度話を整理しときたかったんや」

 

フィンを呼び寄せたのは、ロキ自身だ。内緒話をするには、直接面を合わせた方がいい。

 

ロキはメレンで得た情報をつぶさに話した。

食人花が現れたこと。動きの怪しいギルドのメレン支部長や街長マードック、そしてニョルズ・ファミリアのこと。タイミングよくやって来たカーリー・ファミリアのこと。

全てを語り終えると、ロキは机の上に一枚の紙を広げた。

 

「これが例の人造迷宮の地図や。キルコから受け取ったばかりの最新版やで」

 

一目見るなり、地図に記された領域の余りの広さに、フィンはため息をついた。

 

「…これは、一筋縄ではいかないな。こっちの調査も成果があった。この人造迷宮、クノッソスと呼ばれているらしい。ダイダロス通りに出入り口らしきものがある、という情報を得た」

 

キルコの探索能力は恐るべきものだが、それはあくまで個人の能力に依るもの。この手の情報の捜査は、長年築き上げた人的繋がり(コネクション)がモノを言う。

フィン達はオラリオに残り、地道な調査にあたっていた。

 

「これを利用しているらしき闇派閥(イヴィルス)にも、いくつか見当が付いた。イケロス・ファミリア、タナトス・ファミリア、それにイシュタル・ファミリア……元から叩けば埃が出るような派閥ばかりだけど、最近になって妙な動きをしている」

 

「そいつは重畳。こっちもキルコが掻き回してくれよったで。おかげで、カーリーの動きが読みやすいわ。あれだけ挑発されたら、必ずキルコにちょっかいかけるやろうからな」

 

「それこそ、狙い通りに?」

 

「まあな。ティオネがカーリーに刺激されて、かなりナイーブになっとるから気を逸らすにも都合がええ。……そういや、ベートの奴はどないしとる?」

 

「相変わらずさ、ダンジョンに潜ったり、自主トレに励んだり。自らを磨き上げるのに余念がないが……聞きたいのは、キルコさんとの事かい?」

 

フィンも二人の関係には注意を払っている。

色恋沙汰の諸々が拗れて潰れたファミリアの話を聞かないでもないからだ。

一応、彼女はどこの派閥に入っているわけでもなければ、恩恵も受けていない。冒険者と一般人との恋愛や結婚は、ファミリア内で奨励されている訳ではないが、禁止されてもいないので、問題はない筈だ。あくまで、アレを一般人とするならば。

 

「いや、ウチはもうこの件に関しては何にも言わん。他の派閥が絡まんのなら、後は当人同士の問題や。好いた惚れたは、好きにしたらええよ」

 

ロキには、自らの子の心が手に取るように分かっている。

ベートは戸惑っているのだ。人から純粋な好意を向けられることに慣れていない。キルコを相当に意識している癖に、一歩が踏み出せない。

チキンめ、モンスターに食ってかかる度胸の半分、いや更に半分程度もあればキルコを押し倒して、ものにしてしまえるだろうに。

面倒くさいが男としての矜持(プライド)もあるのだろう。何せ、キルコは()()()()。『強さ』に拘るベートならば、尚更のこと。

 

一方のキルコも、アレだけ熱烈にアタックしておきながら、案外臆病なところがある。以前、変な男にでも引っかかったことがあるのかもしれない。だとすると、過剰なアピールはその反動か。

情緒面ではベートとそう大差ないと、ロキは見抜いていた。

 

「そういう意味では似合いの二人だな。初々しいというか何というか…」

 

「そうやな。せいぜい生暖かく見守ってやろうやないか」

 

二人は人の悪い笑みを浮かべた。他人の恋バナというのも、酒の肴としては悪くない。

 

「そういうフィンは、ティオネのこと。どうする気なんや?」

 

「どうもこうもないよ。僕は伴侶を同族から選ぶ」

 

至極、あっさりとした口調だった。

フィンの夢は、小人族の復興。その為に全てを捧げている。

そんなフィンの一番の応援者を自称しているロキとしては、それ以上何を言うつもりもない。

 

この話はそれで終わりとばかりに、フィンは話を変えた。

 

「そういえばロキ、留守をしている間に入団希望者が来た」

 

「お!久々やな。フィンがウチに話すってことは、合格ってことやろ?」

 

ロキ・ファミリアでは、ホームの門番を担当するのは新入りの仕事だ。かつて自分がファミリアの門を叩いた時にされたのと、同じ対応をする事になる。つまり、誰が来ようが()()()()だ。

そこで何度断られようと諦めずに食い下がった者には、熱意をかって手隙の幹部が直々に対応する。そこで見込みがあれば最終的にロキの面接を経て合格になる。

意志薄弱な者は不要。ロキ・ファミリアでは、強い意志を要求する。

反りが合わない人間を加えても、派閥に馴染めず腐ってしまうだけなので、やむを得ない措置だ。程度の差はあれど、何処の派閥でも似たようなことをしている。

 

「ああ。だが、ちょっと今週の門番担当は少しやり過ぎたらしくてね。まあ、ある意味、無理もなかったというか…」

 

「なんや、怪我でもさせたんか?」

 

なるべく手をあげる前に心を折るつもりでやれ、とは指示してはいるが、別に多少は暴力沙汰になっても問題ない。

冒険者というのは所詮、荒事稼業である。その程度のことで折れるなら、端から見込みはあるまい。

 

そうひとりごちるロキだが、続くフィンの一言には、軽く目を見開いた。

 

「いや、逆だ。返り討ちにされた」

 

「は?……ああ、派閥替え(コンバート)の希望者やったんか?」

 

いくら門番が新入りの役目とはいえ、恩恵のない人間にやられる筈はない。…いや、例外もいるが、あんな珍獣がそうそういてはたまらない。

常識的に考えれば、既に恩恵を受けていた他の派閥の眷属が、派閥を変更して入団しようとしたのだろう。

さほど珍しいことではない。ロキ・ファミリアでも、ベート・ローガやフィリテ姉妹などが同じように他の派閥から移ってきたクチだ。

 

その場合は、その派閥の主神の許可を得て、恩恵を書き換え可能な状態にしている筈だが、ステイタスを失ったわけではないので、まだレベルの低い新入りが返り討ちになっても不思議ではない。

それに相手が他派閥の人間なら門番を担当する新入りが、頑なに追い返そうとしたのもわかる話だ。他派閥の人間をそう易々とホームに入れるものではない。

 

「いや、たしかに恩恵は持ってはいたんだが…既に効力を失っていた」

 

「…なんやて?」

 

つまり、元のファミリアを放逐されたか、あるいは主神が天に還ったかして、恩恵が封印状態にあるということだ。

その状態で、いくら新入りとはいえ恩恵を持った眷属を一蹴したというなら、よほど場数を踏んだ百戦錬磨の猛者に違いない。

 

「オラリオに戻ったら、ひとまず本人に会ってみてくれ。入団希望者ということで、ホームに引きとどめている」

 

そう語るフィンの言葉に常にない熱を感じとって、ロキはおや?と首を傾げた。

いや、これは期待感か。何故かはわからないが、フィンはその希望者とやらをいたく気に入ったらしい。

 

「実は軽く組み手をしてみたんだが…あるいは彼女なら、僕の後継者になれる器かもしれない」

 

ロキは絶句した。

フィンともあろう男が、未だステイタスの定かにならない人物を、えらく高く買ったものである。

しかも、その口ぶりからして、相手は小人族だ。

 

「…それは、今から会うのが楽しみやな。さっさと片付けてオラリオに戻るで!」

 

 

 

 

 

 

 

…ところが、ロキはその見込みある新人とは、結局、会えずじまいにおわる。

 

ちょうどフィンがオラリオを抜け出してメレンにやってきたのと時を同じくして、()()()()は出て来たばかりの孤児院が焼き討ちを受けたとの話を聞きつけ、居ても立っても居られずロキ・ファミリアのホームを飛び出したからだ。

そして、現地で救援に当たっていた()()()ファミリアへと、なし崩し的に入団してしまうこととなる。

後に、そのヘッポコな女神本人から話を聞かされたロキは、大いに悔しがるのだが、それはまた別の話である。

 

 




朝のお布団が至高の嫁の季節ですね。


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第23話

いつも誤字修正ありがとうございます。


キル子は予定を変更し、未だメレンのホテルに留まっていた。

 

「…というわけで、少しの間、ホテルを貸し切りたいのです」

 

「いや、その…大変ありがたい申し出でございますが……他のお客様のご都合もありましてですね…なんとも…」

 

ホテルの支配人は額の汗をぬぐいながら答えた。

彼の左右には威圧的な黒スーツに身を包んだ双子めいてそっくりな男たちが立ちすくんでおり、剣呑なアトモスフィアでプレッシャーを与えている。

視線がサングラスで隠れているのが救いだ。さもなければ失禁していたかもしれない。

 

この男たちを従えている、目の前の極東風の衣装に身を包んだセレブ・レディは、長らく使用者のいなかったスウィートを借り切った上客であり、多少の無理は聞いてやりたいが他にも客は泊まっている。

最近は近海にもモンスターがはびこって危険なため、高級ホテルを利用するようなセレブ層はもっと内陸か、オラリオ市内に宿をとっており、宿泊客は実際少ない。

しかし、だからと言って他の客を追い出すような真似をしてはホテルの信用に瑕がつく。

なんとか穏便にお断りしなければならない。

 

「一千万ヴァリスほどで足りるかしら?」

 

「ヨロコンデー!!」

 

相場の数十倍近い値段に、支配人は掌をグルングルンして狂喜乱舞した。

 

「従業員も最低限の人数を残して、しばらく退去して頂けるかしら?人が少ない方が落ち着くから」

 

「ヨロコンデー!!」

 

揉み手で火傷しそうな支配人をその場に残し、キル子は最上階のスウィートルームに戻った。

ベランダから外に出て、一服つけながら眼下を見下ろす。

一見、風光明媚な観光地の賑わいを見せているが、そこここに褐色肌の痴女めいた格好の連中が潜んでいる。すでにホテルの周囲は囲まれていた。

 

背後でフウマが膝をつき、頭を下げる。

 

「御方様。先ほどの奴輩ども、すでに周囲を取り囲んでいる様子。あれでも隠れているつもりのようですが」

 

「ええ。間抜けな連中だこと」

 

キル子もニンジャも尾行、待ち伏せ、潜伏からのアンブッシュは得意中の得意である。あんなミエミエの気配に気付かないわけがない。

 

恐らくこのホテルは戦場になるだろう。万が一を考えて借り切ったが、それなりの出費だ。一般人が意味なく巻き込まれるよりマシだが。

此方にきたばかりのころは単なるモブとしかみなしていなかった街の住民たちにも、今のキル子はそれなりに配慮している。

彼らはAIでもなければモブでもないし、暴力の世界で身を立てる冒険者でもない。血の通った、まっとうなカタギの人間…つまりは、かつて彼方(リアル)で慎ましくも細々と生きながらえていたキル子の同類だ。

 

だからこそ、あの褐色痴女軍団(アマゾネス)のやりようは、キル子の癇に障った。キル子が毛嫌いしているヤクザ・クランどもとゴジュッポヒャッポ。礼儀と奥ゆかしさの欠片も感じられない。

最初はカタギと思わせて近づき、同棲したらすぐに暴力を振るい、人の金で好き放題しながらバックのヤクザ・クランをひけらかして脅す。最後は違法ケミカルトリップで心停止したチンピラじみたクソDV野郎…未だに根強いトラウマを刺激され、キル子のカンニンブクロが少しだけあたたまっていた。

 

「今はまだ監視に留めなさい。身の程知らずに攻めてきたなら、貴方達の好きにしていいわ」

 

「ハッ!畏まりましてございます」

 

黒衣(くろこ)の頭巾の向こうから、フウマの嬉しそうな感情をキル子は察した。

 

「あと、()()()()の指揮権は貴方達に与えます。好きに使いなさい」

 

キル子は部屋の壁際にズラリと居並んだソレに胡乱な眼を向けた。

 

 

 

 

 

キル子はかねてより人手の足りなさを痛感していた。

キル子が既に呼び出しているユグドラシルの傭兵NPCは22名。これに、最近仲間にしたやたらと食費のかかる欠食精霊が加わる。質はともかく、使える手駒の数自体は実際少ない。

ニンジャ達は素晴らしく優秀だが、引き換えにお高く、キル子のお財布のユグドラシル金貨はかなり寂しかった。そもそもニンジャ系職業は最低60レベルに達しないと取得できず、傭兵NPCもそれに応じて高レベルで高額である。

 

ひっきりなしに人の出入りがあるリヴィラの拠点には少なくとも五名は残しておかないと安心できないし、オラリオ市内に設置した和風屋敷めいたグリーンシークレットハウスの限定エディションにも同じ数は残しておきたい。

キル子自身の護衛に、情報操作に回す人員、人造迷宮の調査に割く人員も必要だ。

今後、各地に拠点を設けることを考えると圧倒的に人手が足りない。かといって、信用のない外部の人間には任せられるものでもない。

 

「アリアのお目付け役も必要か。あいつ頭パッパラパーだし」

 

この際、強さ的には雑魚でも良いので、安くて数を補える手駒が欲しかった。秘匿性のいらない任務はそちらに任せてしまえばよい。

例えばリヴィラでボールス傘下のチンピラ相手に商売するのはニンジャでなくともよい。ニンジャの役目は警備だけに絞ってハイローミックスだ。

 

「なるべく安くて大量に呼び出せて、死んでも良心が痛まないような…そんな都合のいいのがあったかしら?」

 

キル子は22世紀現在では古典と化した某猫型ロボットじみて、インベントリをまさぐった。

キル子は普段から自ら使用するアイテムについては、装備にしろ消耗品にしろ小まめに整理整頓する派だ。おかげでいつ使うか分からないような適当なアイテムはほとんど残っていない。

ダメ元で雑多なPKの戦利品や、課金ガチャのハズレなどをあさりだし、やがて一つのアイテムを引きずり出す。

 

「ゴブリン将軍の角笛?…なんぞこれ?」

 

雑魚のようなゴブリンを19体召喚するだけという効果しかないアイテムのようだ。ゴミである。

強さは雑魚でも構わないが、ゴブリンはダンジョンの下級モンスターとして悪い意味で有名なので…こんなものを引き連れていたら完全にヨタモノだ。

 

キル子はポイした。

 

「…え~っと、他には…?」

 

そして紆余曲折の末、一つの傭兵召喚アイテムを引っ張り出す。

 

「これがあったか!…暇な時の遊び道具にしてたやつ。すっかり忘れてたわ」

 

しばしして、その場に無数の人影が現れた。

 

「「「ドーモ、ヨロシクオネガイシマス!!」」」

 

同じ髪型、同じ顔立ち、同じサイバーサングラスと同じダークスーツに身を包んだ、クローンめいてソックリな屈強な男たち。それが12ダースほど居並んでいる。どこからどうみてもリアルヤクザだ。

おおブッダよ、なんと冒涜的な光景であろうか!

 

これはニンジャやサムライなどが強化された期間限定イベントで実装された雑魚エネミーであり、その名もずばり『レッサー・ヤクザ』。

レベル的には10台半ば程度で、種族はナザリックの9階層に配置されている一般メイドと同じホムンクルスだ。同レベル帯の他のモンスターよりやや弱いが、非常に低コストに調整されており、これだけ数を揃えてもニンジャ達を呼び出した後に余っていた金貨のおこぼれで事足りてしまう。実際ヤスイ。

リアルでヤクザクランを毛嫌いしているキル子が、あえて強さ的にも微妙過ぎるこのNPC召喚アイテムを持っていたのは、深い理由がある。暇なときに強制デュエルを仕掛けて、いたぶって遊ぶためだ。ざま見ろクソが!クケケケケ!

フレンドリィファイアが禁止されていたユグドラシル時代には、ダメージは一切通らなかったのだが、よい気晴らしになった。

こいつ等ならばニンジャたちと違っていくら殺されても、アダマンタイト程度の防御力を持つキル子のハートは傷まない。財布にも優しいのでいくらでも呼び出せる。用が済んだら血祭りにして遊ぶのもいい。

 

そんな哀れなヤクザ達のネクタイには家紋めいた紋章が刺繍されていた。『心臓を鷲掴みにする手(ハートキャッチ)』。ナザリックにおけるキル子の紋章だ。

最初は素直にアインズ・ウール・ゴウンのギルド章を使おうかと思ったが、キル子ひとりであれを背負うのは気が引けるし、傭兵NPCとはいえヤクザにくれてやるのも業腹だ。

それにユグドラシルから来ている人間が他にいたら一発で身元がバレる。その点、キル子の紋章なら、そうと理解できるのは身内だけだ。

 

これは課金ガチャで出るすごく微妙なアイテムによる効果であり、同じギルドやクランに所属していることを表す装飾という以外に、なんの効果もない。

フウマたちがうらやましそうにしていたので、ニンジャ装束にも同じ紋章を入れてあげたら、やたらと喜ばれた。福利厚生としては安いもので、大変に経済的だ。

 

クローンめいたヤクザ軍団を眺めると、キル子はヤクザ・クランの女オヤブンめいて指示をとばした。

 

「ガンバルゾー!」

 

「「「ガンバルゾー!!!」」」

 

「ガンバルゾー!」

 

「「「ガンバルゾー!!!」」」

 

ニンジャ達までもがそろって両手をバンザイし、儀式めいて「ガンバルゾー」を唱和する。

 

「アイエエエエエ!!!」

 

「ヤクザ!?ヤクザナンデ?!」

 

「コワイ!」

 

その禍々しきアトモスフィアをまとわせた雄叫びに、聞き耳を立てていたホテルの従業員らは残らず失禁。ホテルからの退去を渋っていた他の宿泊客たちも、慌てて逃げ出す始末。

 

そして、忽ちのうちにメレンの街中に不穏な噂が広がった。

 

「どっかの黒社会系派閥(ヤクザ・ファミリア)の女幹部が、ホテルを借り切ったそうだ!」

 

「いかにもボスの情婦って感じの美女らしい」

 

「さっそくロキ・ファミリアやカーリー・ファミリアと一悶着起こしやがった!」

 

「ファミリー同士の抗争に巻き込まれたら大変だわ!」

 

「何処もかしこもヤクザだらけ!いったいメレンはどうなっちまうんだ…!」

 

「平和なメレンを返しておくれ!」

 

…でも、わたしをたすけてくれたの

 

哀れな一般市民(モータル)の嘆きを他所に、騒ぎが起こったのはその日の深夜の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

草木も眠るウシミツアワー。

 

「やるよ、お前達!!」

 

突如として雄叫びを上げ、カチコミをかけてきたカーリー・ファミリアを最初に出迎えるのは、コンマ一秒のズレもなくシンクロしたヤクザスラングだ。

 

「「「ザッケンナコラー!」」」

 

同時にチャカガンの一斉掃射。

どちらもアイサツを交わすことのないアンブッシュである。奥ゆかしさの欠片もないが所詮はヤクザふぜい、実際不寝番を命じられていた彼らは気が立っており、先陣を切って飛び込んできた白い髪のアマゾネスに、鉛玉の集中砲火を浴びせた。

ちなみにレッサー・ヤクザの標準装備である低位の魔導銃『チャカガン』は、弾切れ(アウトオブアモー)の危険がない代わりに威力は御察しだ。それでも相手が一般人(モータル)ならば確実にネギトロなのだが…

 

「ザッケンナコラグワーッ!」

 

「やかましい!!」

 

一斉掃射が終わった後、再びヤクザスラングを放とうとしたレッサーヤクザの頭がネギトロめいて爆散!

 

「アイエエエエエー!」「アイエエエエー!」「アババババーッ!」 

 

一瞬のうちにさらに三つ。首をねじ切られ、心臓を抉られ、股間を蹴りつぶされてのたうち回る。

 

「フン、雑魚が!」

 

それをやったのはカーリー・ファミリアを率いる双子の1人、アルガナ・カリフ。

キル子に苦もなく捻られた鬱憤を晴らすかの如く、全身をレッサーヤクザの血液に染めて吠えたける。

 

本来ならば今夜、彼女らはファミリアをこの地に呼び込んだクライアントと会談する予定であり、アルガナも主神・カーリーの警護に同行するはずだった。ところが昏睡状態から目を覚ましたアルガナは、僅かな手勢を引き連れて宿営していた大型船を飛び出した。

 

目標は言わずもがな、キル子だ。

衆目の前でベイビーサブミッションされるという、かつてない屈辱…お礼参りだ、ゴルァ!!

テルスキュラの『怒蛇』としての矜持、それに泥を塗りたくったアバズレにリベンジしなくては気が済まない。カーリーに指示されていたフィリテ姉妹との殺し合いなど、もはやどうでもいい!

 

「キルコとやら、出てくるがいい!!昼間の借りを返してやる!!」

 

「「「ナンオラー!!」」」

 

レッサーヤクザ達はチャカガンの効果が薄いと見てとるや、短剣型武器『ドス・ダガー』を引き抜いて接近戦を仕掛ける。

 

鼻先をかすめる刃を、アルガナは余裕の表情で人差し指と中指で挟み、受け止めた。

 

「アイエエエエー!」

 

レッサーヤクザはもがくが、ドス・ダガーは動かない。アルガナは無言で男の股間を蹴り砕いた。

 

「アバーッ!?」

 

アルガナはその手からドス・ダガーを奪い取ると、男の鼻面を斜めに切り下ろす。

 

「フンッ!」「グワーッ!」

 

さらに切り上げる。

 

「フンッ!」「グワーツ!」

 

顔面を惨たらしく切り裂かれたレッサーヤクザは白目を剥き仰向けに引っくり返った。

アルガナは噴き出すアドレナリンに高揚しながら顔面に降りかかってきた血を舐め取り、直後にひどく顔を顰める。

 

「グェ…⁈マ、不味い⁈」

 

苦いしエグいし、よく知る血の味とはかけ離れている。たまらす蛍光グリーンのバイオ血液を吐き出した。

アルガナは戦う相手に食らいつき、泣こうが喚こうが吸血しながら殺す事で恐れられ、テルスキュラの頂点に立った。だが、コイツらの血はまずくて吸えたものではない。

恩恵を持った者の血を吸う呪詛により、耐久力を犠牲に全能力を劇的に向上させるレアスキルも、これでは意味がなかった。

 

「緑の血だと!」

 

「人間ではないのか?」

 

「まさかモンスターか?」

 

「気味が悪いね」

 

溢れ出たレッサーヤクザの緑色の血液が、空気に触れて赤く染まるのを見て、カーリー・ファミリアの団員達は眉を顰めた。

しかも如何なるマジックか、しばしの時間を置いて、死体が次々に消えていく。実際にはユグドラシルの傭兵NPCなので、死体データがデリートされているだけなのだが、彼女らにはそんな事はわからない。完璧に怪奇現象である。

 

「…何なんだ、こいつら?」

 

流石のアルガナも不気味に思ったが、思考に耽る暇は与えられなかった。

 

「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」

 

ただちにホテルの階段を駆け降りてくるダークスーツとサングラスの集団。全員が同じ姿勢でアルガナへ殺到する。レッサーヤクザのお代わりだ!

 

「しつこい!」

 

「グワーツ!」

 

当然ながらレッサーヤクザ如きでは相手にもならず、再びのアルガナ無双。蹴りや拳の一撃で、緑色のバイオ体液を周囲にぶち撒ける。

 

「アルガナに続け!」

 

「オラァ!!」

 

所詮、レッサーヤクザはレベル10台の雑魚NPCである。対するカーリー・ファミリアはオラリオを目指して精鋭を引き連れて来ており、最低でもLv.3の猛者がそろっている。

意表を突かれて怯んでいたものの、すぐに生来の勇猛さを発揮してボーリング・ピンめいてヤクザ達をなぎ倒した。まさにゴリラに蹂躙されるラビットの如し。

 

「………」

 

そんなアルガナ達を、姿を隠しながら離れて見守る影があった。

フウマにトビカトウ…キル子直属のニンジャ達だ。

戦闘能力の詳細な分析を行った上であらためて己のカラテをぶつけるべく、その為に捨て石めいた役割を担うのは配下のレッサーヤクザ達。まさに冷徹に成熟した組織的思考、合理的なフーリンカザンと言えよう。

 

彼らの主君であるキル子もまた、その様子をつぶさに眺めていた。

アインズ・ウール・ゴウンのギルド長・モモンガや、脇を固める策士・ぷにっと萌えは、PvPにおいて情報収集を何より重視する。もちろん、キル子も同感だ。

レッサーヤクザごとき、いくら殺されても構わない。金貨10Kにもならない消耗品である。

 

「武器は素手格闘のみかな?モンクかストライカーか…今のところ物理攻撃オンリーで、気功術も魔法もなし…」

 

おそらくはレベル60未満の純粋な徒手空拳の格闘家といったところ。物理攻撃力がやや高めに見えるが、そういうスキルなりを持っているのだろう。対人戦ではさほど怖い相手ではない。

 

キル子は今、メレン郊外の海岸沿いに設置したグリーンシークレットハウス・限定版『山城バージョン』の天守閣にいた。

曲輪や堀切、土類、幟旗で囲まれて堅牢。さらに足軽奴が待機するための二之丸、三ノ丸にはレッサーヤクザが詰め、本丸はニンジャ達が守っている。即席ながら、相手が弱小クランならユグドラシルの大規模レイドPvPにも幾らか耐えられるだろう。

ギルド長のモモンガあたりなら魔法を駆使してノーコストで似たような拠点や手勢を用意できただろうが、物理型アサシンビルドのキル子では、どう頑張ってもこの程度が関の山である。

 

天守の上座で床几に座り、煙管を吹かすキル子の両側は、特別にリーダーの証として赤と青のマフラーを与えられたフウマとトビカトウが固めている。

なお、このマフラーはユグドラシルでは、参加者をランダムにチーム分けするPvPイベントで頻繁に配布されるマジックアイテムであり《伝言(メッセージ)》の魔法が込められていた。彼らはキル子の護衛であると同時に、市内に散った各々の同類に対して、指示を伝える役目を任されているのだ。

 

キル子達の目の前には何枚もの遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)が置かれ、アルガナ達の狼藉や、メレン市内各所の映像を映し出している。普段はキル子がロックオンしたイケメンのストーキングに使っている便利な逸品だ。

遠隔視の鏡は、本来は建物の中までは見通せないのだが、キル子がマーキングした【標的の印(ターゲット・サイン)】を起点として連動することで、特定対象に限り、それを可能としていた。ただし、妨害魔法には弱いので、念のためにカウンター対策を施している。

 

キル子は遠隔視の鏡の向こうの戦闘とも呼べない一方的な蹂躙を眺めて、首を捻った。

レッサーヤクザが弱すぎるのを差し引いても、相手の褐色痴女軍団(アマゾネス)のレベルは高くない。

不意の遭遇戦で互いに手の内は何も見せないまま終わった、昼間のお遊びとは違うのだ。戦の準備を整え、策を巡らし、更にレベルの高い眷属を揃えるか、少なくとも何らかの対策をしてくる筈と予想していたのだが…?

 

ちなみに、一番警戒していたのは、大魔法でホテルごと潰されることだ。

あのホテルはユグドラシルのギルド拠点と違って要塞でもなんでもない。ユグドラシルで一般的(オーソドックス)な戦法をとるなら、転移対策をした上で、いきなり大火力を叩きつけてホテルを全壊。後は水を流し込まれた蟻の巣じみて逃げ出す連中を狙いうって、各個撃破が定番だろう。キル子ならそうする。

故に、まず間違いなくそうくるだろうと備えていたのに、まさか普通に正面から殴り込まれるとは。斜め上の反応すぎて拍子抜けだ。周囲をくまなく調べたが、伏兵の気配もない。派手な囮ではなく、これが本隊のようだ。奴らには常識がないのだろうか?

オラリオ市内で同じことをされたら困るので、わざわざメレンのホテルに留まったというのに。

 

キル子が呆れて新たな指示を下すと、画面の向こうに変化が起きた。

 

『ドグサレッガー!!!』

 

上級ヤクザスラングをシャウトしながらエントリーしたのは、レベル30越えのブラザーヤクザ!

スーツの色がやや青みがかっているだけで、レッサーヤクザのグラフィックを使い回した2Pカラーだ。ユグドラシルの運営的には実際経済的なモブである。

更に上位個体のグレーターヤクザやレジェンドヤクザ、ゴッドヤクザになるとレベルが跳ね上がるが、やはり見た目にさほど違いはない。

 

ブラザーヤクザはポン・ソードを振り回してアルガナに斬りつけた。

アルガナは余裕のステップでしめやかに回避。

 

『ナンオラー!』

 

そこにヤクザキックが炸裂する。

立って体を正面に向けたまま、足の曲げ伸ばしの反動に体重を乗せるだけの簡単な蹴りだが、ヤクザ系モンスターの得意技だ。ノーモーションから繰り出されるので初見だとかわしにくく、急所を一点集中攻撃するため意外とダメージもある。

 

『クッ…!見た目は区別が付かんが、コイツだけ妙に強い!』

 

アルガナは意表を突かれたらしく、まともに食らった。

しばしの間、拳とポン・ソードの応酬が繰り広げられたが、ステータスの差は明白なので、いずれ倒されるだろう。それまでにスキルか魔法の一つでも暴ければ万々歳である。

まあ、大凡のアマゾネス達の能力は見れたので、キル子的にはヤクザどもは用済みだった。

 

「よほどの隠し玉や切り札がなければ、私が出張るまでもないわね」

 

キル子はホテル内を映している鏡から、その隣の鏡へと目を移した。

 

そこには何やら密談しているらしきロキとフィンの姿が映し出されている。

わざわざ団長のフィンをオラリオから呼び出しての密談とは、相変わらず食えない(ロキ)だ。

彼らの関心はもっぱら食人花(ヴィオラス)とやらを操っている謎の勢力と、そいつらが利用しているらしき人造迷宮(クノッソス)に向けられているらしい。

 

なお、鏡からは映像だけで音声は拾えないが、会話を読み取るだけならキル子にはこれだけで十分だった。唇の動きから会話内容を読みとる【読唇術】の効果である。

対象の尾行や追跡、偵察が得意なアサシン系職業『シャドウチェイサー』で得られるスキルだ。

 

『そういう意味では似合いの二人だな。初々しいというか何というか…』

 

『そうやな。せいぜい生暖かく見守ってやろうやないか』

 

むきゅー…!キル子は自分の顔が、みるみる赤面していくのを自覚した。人の恋路を酒の肴にされているのを見るのは、なかなか堪える。いや、決して嫌じゃないというか、その…ウヘヘへ!

 

キル子はキョドりながら、更に隣の鏡へと視線を移した。

 

『ヤクザをメレンに呼び込むなんて!ボルグ、いったいどういうつもりだ!』

 

『まさか、例の密売の手を広げるつもりじゃないでしょうね!!』

 

『濡れ衣だー!!』

 

二人の男達に詰め寄られ、弁解しているのはキル子と船荷の契約を結んだ街長のマードック。握手された時にマーキングしておいたのだ。

マードックに抗議している二人のうち一人は管理職めいた雰囲気の七三分けの中年男で、ギルドのメレン支部長らしいが、もとよりキル子の目には入らない。ブサメンに人権はない。

 

問題はもう一人である。

夏めいた爽やかなパーカーとハーフパンツを着こなした、極上のイケメン!

ファッションモデルのように均整が取れ、肌も髪も美しい。しかも、彼らの会話から判断する限り、神様らしい。ニョルズ・ファミリア主神のニョルズ様…漁師系ファミリアの釣り男子…尊い!

もし、キル子がオラリオに来て早々に出会っていれば、是が非でも眷属にして貰っていただろう。それほどの爽やか系イケメンのアトモスフィアを放っている。

 

『…もう、限界なのかもしれない』

 

『どういう意味だ?』

 

『昼間、ロキ・ファミリアが探りに来ただろう?彼らはオラリオでも一、二を争う探索系ファミリアだ。例の件が探り出されるのも時間の問題だ』

 

悲壮な顔をするニョルズ。

他の二名はなおも、なんやかやと話していたが、既にキル子の耳には入っていない。

 

要約すれば、彼らは談合して、オラリオの謎の勢力から例の食人花を借り受け、水棲モンスターが大繁殖して荒らされた海を何とかしようとしていたらしい。食人花は魔石に反応するので、人間よりも他のモンスターを積極的に襲うので、有害獣(モンスター)の駆除には最適らしい。なるほど、考えたものだ。

その見返りに、その謎の勢力から密輸の片棒を担がされているとのこと。

 

キル子としては別にさほどアコギな話には思えない。全ては生活の糧を得る為。密輸に目をつぶっても、誰かに迷惑をかけているわけでもない。世知辛い、身につまされる話だ。

しかも…これはビジネスチャンス兼いい男に恩を売るチャンスでもある。

 

邪な笑みを浮かべながら、キル子は次の鏡に向かった。

 

最後の鏡に映し出されているのは、無数の褐色痴女軍団(アマゾネス)。昼間出会った連中の何人かにマーキングしておいたものだ。

画面の中では、アマゾネス達が何やら二派に分かれて睨み合っている。

すわ派閥の内乱かと思いきや、どうやら全く別のファミリアと会同しているだけらしい。

 

鏡の向こうでは、褐色肌のたいそうな美女が、高飛車な風に演説を奮っている。

 

『オッタルが半死半生で、動けない今がチャンスなのさ!』

 

…ん?

なんかどっかで聞いたガチムチ野郎の名前がでたような気もしたが、キル子は思い出せなかった。好みの男以外のことを、キル子の脳みそが記憶し続けるのは稀である。

 

なお、カーリー達と睨み合っている美女は、歓楽街を支配する美の女神、イシュタルというらしい。

よく見れば、イシュタルが取り巻きに引き連れている眷属達には、チラホラとキル子の見知った顔があった。何を隠そう、キル子はイシュタル・ファミリアが誇る戦闘娼婦(バーベラ)御用達のエステサロンの常連なのである。

 

会話内容を斜めに解釈するに、カーリー達をオラリオに呼び寄せたのはイシュタルで、目的はフレイヤ・ファミリア主神のフレイヤ。美の女神として何かと比較されるフレイヤを、カーリーの力を借りて排除したいらしい。つまりは抗争の密談である。

それだけなら勝手にやってくれと放置したいのだが、明確にキル子に敵対してきた以上、看過できない。

 

それに、神どもの会話には、不穏な内容が入り混じっている。

 

『…報酬の件じゃが、金は要らなくなった。代わりに、ロキ・ファミリアと戦いたい』

 

『ふざけるな! フレイヤの眷属どもは馬鹿げているが、あそこの連中も大概だ!』

 

イシュタルが吠えた。

まあ、そらそうだよな。作らなくていい敵を、わざわざ増やそうとしてるんだから。

 

『何、ロキの眷属全てを敵に回したいわけではないのだ。とある姉妹と、こちらのバーチェとアルガナを…?はて、アルガナはどこじゃ?』

 

ここに居るわい、馬鹿め。

 

『…例の女のところだ』

 

カーリーの隣に控えていた、顔の下半分をベールで覆った女が答えた。

こいつも、あの突撃馬鹿ゾネスとレベルは同じくらいあるだろうか。ただ、こいつの方が冷静そうに見える。

 

『なんじゃ、結局、収まらんかったのか。まあ、無理もないがの』

 

『?…ロキのところの、アマゾネスの双子のことか?』

 

『まあの。それに、こちらに来てからアルガナが執着しておる者もおってな。確か…キルコ?だったか。アレも愉快な存在よの』

 

カラカラと笑うカーリーだが、引き合いに出されるキル子としては、たまったものじゃない。

 

『きる…?誰だソレは。まあ、好きにしろ』

 

『とりあえず、その姉妹と戦う場を整えたい。団員を人質に誘き出す。…お前達も協力せよ』

 

どうやらカーリーはロキ・ファミリアの褐色巨乳娘と褐色無乳娘の姉妹にご執心らしい。

かつて自分の下を離れて外界で強くなった眷属と、自分の手元で鍛え上げた眷属、どっちが強いか比べたいとか調教(テイミング)モンスターの品評会じゃないだろうに…。ナザリック6階層のアウラだって、そんな悪趣味なことはやらない筈だぞ。フレーバーを決めたぶくぶく茶釜ちゃんの性格的に。

 

平和主義者のキル子としては、これ以上の面倒事はごめんである。一銭にもならないし、何より不毛だ。どちらも一般市民(モータル)を巻き込むことに躊躇がない。

 

キル子はため息をついた。ヤンナルネ。

 

「…少し、警告しておくかな」

 

それにはオミヤゲが必要だ。

時にはPKした相手のドロップ品を返すなどして恨みを抱かせない行動は必須だと、キル子はぷにっと萌えからことあるごとに言い聞かされていたものだ。

 

キル子は再びホテル内を映し出している鏡に目を移す。

ヤクザを粗方片付けたアマゾネス達が、最上階を目指して階段を駆け上がっていた。

なんて単純なお頭なのだろう。あんな見え透いた監視を配置しておきながら、こちらが密かに拠点を変えているくらいの想像がつかないらしい。脳筋ゴリラめ。

ホテルの内装が散々に破壊されたり、汚れた為に、後でクリーニング代を請求されてしまうかもしれない。後でカーリーに請求書まわしてやるからな!

 

なお、実際ホテルの被害の八割は、無造作に発砲されたレッサーヤクザのチャカガンだったが、キル子は見て見ぬふりをした。

 

「…トビカトウ、奴らを生かして捕らえなさい。口がきければいいわ」

 

キル子はそう呟きながら、室内に控えていたトビカトウの一人に指示を出す。赤い着物の童女は無言で頷くと、己の同類に《伝言》の魔法を発動した。

 

即座に画面の向こうに動きがあった。

 

『キェーッ!!』

 

『キャアアア!!』

 

『キェーッ!!』

 

『ンァーッ!』

 

気炎を吐いていたアマゾネス達の四肢に、何処からともなく飛来したクナイ・ダートが突き刺さる。

的確に関節を破壊され、もんどりを打って倒れたところにトドメの手刀が振り下ろされ、即座に意識をオタッシャ。素晴らしく手早い手際だ。

 

『何だ貴様ら! 何処から湧いて出た⁈』

 

辛うじてアンブッシュを察知したアルガナ以外のアマゾネスは瞬時に床に無力化された。やったのは赤い着物を着たトビカトウと、黒衣(くろこ)の衣装のフウマだ。

 

『キェーッ!!』

 

四人のトビカトウが放つ鎖鎌に四肢を絡め取られ、アルガナも動きを封じられてしまう。猛獣じみて身を捩るが、ビクともしない。

それもそのはずで、トビカトウのレベルは80台に達している。何かのスキルで多少(STR)敏捷(AGI)を強化しているようだが、所詮はレベル60にもならないステータスでは焼け石に水。

ユグドラシルではレベルが10も離れていては、まず一対一(サシ)でPvPに勝つことは不可能。オラリオでもランクが一つ離れれば戦闘力の差は絶対と見做されているようなので、妥当なところだろう。

しかも、今は力量で上回る相手に一対四。はなから勝負にもならない。

 

『御方様がお主に用があるとのことだ。しばし、寝ておれ』

 

『グハッ…!?』

 

身動きを封じられたところで、二人のフウマがシンクロじみたポン・パンチを浴びせた。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 

一発耐え、二発耐え、三発耐える頃にはさしものアルガナの意識も朦朧。なおも激しく前後じみて繰り出されるパンチに体がのたうち、血反吐を吐く。

サンドバッグのようにされるがまま拳打を浴びせられ続けると、やがて敢えなくダウンした。

 

それを見届けると、キル子は新たな指示を出した。

 

「お礼参りに行くわよ、準備なさい」

 

「ハハァー!」

 

「あい!」

 

イクサの予感に、興奮気味に畏まるニンジャ達に対して、キル子は唇を吊り上げて邪悪に微笑むと、更なる命令を下したのだった。

 

「それとカシンコジに連絡して、アリアをメレンに連れてきなさい。あの子向けの仕事ができたわ」

 

少しばかり、陰謀の時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオ市内某所。

 

アポロン・ファミリア主神、アポロンは憂いていた。

 

「うーむ…それほど効果はなかったか」

 

「申し訳ございません。ご指示通り、各所を巡りましたが、成果は皆目…」

 

土下座せんばかりの勢いで無念そうに項垂れたのは、アポロン・ファミリア団長、ヒュアキントス・クリオ。

アポロンに対する忠誠心はファミリア一高く、主神の如何なる無茶な命令にも顔色一つ変えずにこなす為、アポロンからの信頼も一際厚い。

結果、付けられた二つ名はそのものズバリ『太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)』。

なお、アポロンからの命令というのは大凡の場合、自分が見初めた者を眷属として派閥に引き入れるようにというもので、その度に彼は色々と頭を悩ませている。

 

アポロンは恋多き神であり、天界にいた頃には数多の神々に求愛し、ほぼ全てから振られたことで、嘲笑を込めて『悲恋(ファルス)』なる渾名を付けられている。

地上に降りてからもその性癖は変わらず、今では恋愛対象を子供達へと変えて、男女に関係なく見初めた相手は地の果てまで逃れても絶対に手に入れようとする。

ただし、自身の愛を受けた者には紳士な態度で接する一面があるせいか、団長のヒュアキントスを始め、眷属の中にはアポロンに熱狂的な忠誠を捧げるものも少なくはない。

一方で、アポロンの偏執的な求愛に晒されて、半ば無理矢理に派閥を移らざるを得なかったものも多く、愛憎入り混じった複雑な思いを抱くものもいる。

 

そんなアポロンの目下の関心は、ここ最近オラリオを騒がせている冒険者、『姫騎士(ワルキュリア)』なる通り名を奉られた『キルト』に向けられていた。

神々から賜る二つ名ではなく、その偉業からごく自然に奉られた通り名を持つ冒険者は、そう多くない。その為、恋多く惚れやすいアポロンのみならず、数多くのミーハーな暇神(ひまじん)がキルトの行方を追っている。だが、未だに居所を特定するには至らない。

キルトはダンジョンや市内各所に神出鬼没に現れては消えている為、何処か有名ファミリアの高ランク冒険者が変装しているのではないか、などという埒もない噂まで出回る始末だ。

ここ最近ではリヴィラの街に現れ、『18階層の悪夢』と呼ばれる事件の解決に尽力したそうだが、それ以降の足取りは不明。ギルドに照会するも、なしの礫だ。

 

おかげで、他の神に遅れを取ってはならないとやや焦っていたアポロンから、少しばかり荒っぽい方法をヒュアキントスは示唆されていた。実行してみたが、散々な結果に終わってしまった。

具体的には、方々の冒険者御用達の酒場や道具屋、人通りの多い広場などで、わざとキルトの評判を貶すように振る舞ったのだ。

噂通りの誇り高く高潔な性格ならば、出て来られずにはいられまい、と踏んでのあからさまな挑発だった。だが、これがキルトと縁深く、俗に『幸運な奴ら(ラッキーズ)』と呼ばれるLv.2に上がったばかりの若手冒険者集団の反発を招き、つい先日、とある酒場での大乱闘に発展してしまった。

騒ぎは当然、ギルドの耳に入る事になり、アポロン・ファミリアは『警告』のペナルティを突きつけられた。これに付随する具体的な懲罰は何もないが、次に何かあれば厳罰に処すという事実上の脅迫だ。

 

この通告を受け入れる際、ヒュアキントスは青ざめていた。

敬愛する主神の望みを果たせぬばかりか、恥までかかせてしまったからだ。

 

以来、ヒュアキントスはなりふり構わずキルトの行方を追い、それはとうとう実を結んだ。

 

「しかし、お喜びください、アポロン様。代わりに、姫騎士(ワルキュリア)の手掛かりを得ました」

 

「何!誠か、ヒュアキントス!」

 

アポロンはやや興奮気味にヒュアキントスに尋ねた。

 

「はい、アポロン様。実は、キルトが最初に現れた怪物祭の事件での、ギルドの調査報告を入手致しました」

 

「?…ああ、確かソーマが送還されたというアレか。…しかし、ギルドの調査報告だと。姫騎士の行方を追っているのはギルドも同じ筈だが…?」

 

アポロンは一瞬、意表を突かれたような顔をした。

ギルドは怪物祭の事件、そして『18階層の悪夢』での最重要参考人として、キルトを探し求めている。だが、未だ行方を掴めていないというのは、半ば公然の秘密だ。

 

ヒュアキントスはアポロンに、分厚いファイルを捧げ渡した。その目元にはベッタリとクマが張り付いていて、満足に何日も寝ていないことを示していたが、アポロンは気が付かない。

それはかなりの量の書類の束だった。所々に付箋紙が挟まり、赤いインクで下線が引いてある。ヒュアキントスや眷属達の寝る間を惜しんだ地道な努力の成果だった。

 

アポロンは無言でその部分に目を通した。

すると、彼方此方に散見する文言から、一つのキーワードが浮かび上がる。

 

「…ダイダロス通りの…孤児院?」

 

意味が分からず、首を捻った。

 

「はい。冒険者・キルトの名義で、極めて高額が振り込まれています。…具体的には1億ヴァリスほど」

 

「い、1億ヴァリスだと⁈」

 

アポロンは普段の芝居がかった仕草を忘れて、素でビビった。

1億ヴァリスといえば、かなり稼いでいる商業系ファミリアですら、それなりに覚悟のいる金額だ。

 

「その孤児院、キルトの喜捨で財政を持ち直すまでは、経営破綻寸前であったとか。つまりは…」

 

意味深い眷属の言葉に、すぐさまアポロンの顔にも理解の表情が浮かんだ。

 

「そ、そうか!そんな金額を投げ渡すとは、キルトはその孤児院の関係者ということ!」

 

「あるいはかつて孤児院に在籍していた元孤児、という可能性もございます。孤児というのは、あまり職を選べるものではありません」

 

立場の弱い孤児達に、選択できる仕事は多くない。

最近になってようやくキルトの寄付により、読み書きや計算、職業訓練などが充実してきた矢先であるが、かつては食べていかせるだけでカツカツで、文盲も同然だった時代もある。

そんな孤児達の仕事といえば、いくらいても困らない農奴か、原始からある職業、娼婦。あるいは命をかける冒険者だ。

 

「でかしたぞ、ヒュアキントス!」

 

感極まり、ヒュアキントスを抱擁するアポロン。

苦労が報われたヒュアキントスは、目に涙を浮かべてされるがままになっている。久々に褥を共にすることを許されるかもしれない。ヒュアキントスは歓喜したが、今だけは、このまま久しぶりに睡眠を貪りたかった。

 

しかし、すぐさまアポロンから次の指示が飛んだ。

 

「よし、ヒュアキントスよ。その孤児院の者達を丸ごと我が眷属として迎え入れよう!」

 

主神の突飛な発言に、流石のヒュアキントスも理解が追いつかなかった。

 

「ぜ、全員でございますか?」

 

「そうだ。この重要な手掛かりを、他の神どもに知られる前に囲い込んでしまうのだ。あるいは、それこそ目当てのキルトを誘き出すこともできよう」

 

つまりは、体の良い人質である。

 

「それは流石に…孤児達は、未だ幼い者達ばかりです。あのソーマ・ファミリアの悪行を冒険者も市民も忘れてはおりません。アポロン様の御名に傷がつくかと」

 

いくらアポロンの言葉でも、こればかりは見過ごせない。アポロン自身の為にならない。

 

孤児狩りをして無理矢理眷属を増やし、派閥を強化しようとした旧ソーマ・ファミリアの行いは、既にギルドの手で白日の下に晒され、市民の知るところとなっている。

この不埒な悪行は、善良な神々や眷属、市民達から盛大にバッシングを受けた。当のソーマが不慮の事故で帰らぬ人となった為に、残されたかつての眷属達は肩身の狭い思いをしている。

 

孤児院にキルトの関係者がいるのは明白なので、後は地道に孤児院を見張り、キルトが現れるのを待てば良いのだ。

ヒュアキントスはそう主張した。

 

「で、あるか…」

 

しばし、その場を彷徨いて考えを纏めていたアポロンだが、やがて静かにヒュアキントスを見つめた。

その目は座り、狂気が見え隠れしている。

 

「ヒュアキントス…今日は暑いな」

 

「は?…た、確かに。何か冷たいものでも持って来させましょう」

 

季節は初夏。

オラリオの気候は乾燥しているため、さほど暑さを意識せずに済むが、小まめに水分を補給しなければならない。

恩恵の力で常人より頑丈な冒険者が、我慢をして脱水症状を起こして倒れるのは夏の風物詩だ。また、火事も起こりやすい。

 

水を取りに、誰か呼びに行こうとしたヒュアキントスを、アポロンは止めた。

 

「いや…この季節だ。()()()()()()()()珍しくもなかろうな」

 

…まさか!

 

ヒュアキントスの額を、暑さ以外の理由で冷たい汗が流れた。

 

「ヒュアキントスよ、焼き出された可哀想な孤児達に、手を差し伸べるのはどうだろう。暑い日差しは幼い者達には堪えよう。冷たい果実水でも振る舞えば、喜びそうではないか」

 

ああ、やはり…。

 

ヒュアキントスは次の一言を予想し、瞬時に覚悟を決めた。

ギルドの調査書類を読み進めるうちに嫌でも理解した、孤児達の悲惨な境遇。

せめて、彼らを眷属として迎え入れた暁には、団長として何不自由させることなく面倒をみようと決意しながら。

 

「ただし、我らがファミリアのホームへと迎え入れるのだ。()()()()我が眷属になってもらわねばならぬ。そうであろう?」

 

「…良きご案かと」

 

ヒュアキントスは首を垂れて、愛する主神の下知に従うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ま、こんなもんかな。馬鹿は動きが読みやすくていいなぁ」

 

ギルドの調査ファイルを、然るべき神物(じんぶつ)の下へと流した黒幕は、影でそう嘲笑う。

 

「藪を突いて蛇を出しかねない役目は、それに相応しい奴に任せるべきだよね」

 

神、ヘルメスは邪な笑いを浮かべていた。

 

 




今年最後かも。皆様、よいお年を。


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間話2

今年の更新は最後と言ったな。あれはうそだ。
…年末、暇だったので書き上げた間話を挟みます。本編はまた年明けに。



広い部屋の中央で、カリンは男と向き合っていた。

 

相手は灰色の毛並みを持った狼人。首元に付けた、鋲の打たれた鎖付きの首輪じみたチョーカーが目を引いた。

構えはごく自然体で、目はこちらの一挙手一投足を胡乱な目で見つめている。

戦いは先程からカリンの防戦一方、手も足も出ない。

 

「どうした?これで終わりか?」

 

男の挑発的な言葉に、荒い息を吐きながら、カリンは行動で答えた。

 

「イヤーッ!!」

 

手にした槍を構え、2歩ほど進み出ると、強い力を込めて突きだした。

大ぶりな攻撃はしない。だから大きな隙はできない。槍を突き込んで、直ぐに引く。

 

孤児院で日々鍛錬していたせいか、これでもカリンは力があった。2メドル以上もある鋼鉄の槍を、楽々と振り回せている。何故かは分からないが恩恵を失っているはずなのに、逆にステイタスが増えている気がする。

本音を言えば()()()が使っていたのと似たような大鎌が欲しかった。残念ながら、あんな奇抜な武器はなかなか見当たらなかったので仕方がない。いずれ稼いで、鍛冶師に注文(オーダーメイド)しようと思っている。

 

「悪かねぇが…荒削りだ!」

 

相手は立ち位置からほとんど移動せず、一見、無造作にも見える緩やかなステップを踏んでいた。自然体に構えているが、先ほどから、カリンがどう打ち込もうと容易くはじかれてしまう。

明らかに経験もレベルもずっと格上だ。こちらの攻撃はまるで通じない。カリンからすれば、巨岩に打ち込み続けるようなものだった。

 

やがて攻撃をやめ、カリンは後ろに下がった。

大きく肩をゆらして息を吸い、吐く。

生半可な攻撃は通用しない。ならば…!

 

「イヤーッ!!」

 

再び雄叫びをあげて突進し、跳躍する。

走り込んだ勢いのまま全体重を乗せるのだから、小柄な小人族でも威力のある攻撃になる。だが、飛び上がってしまえば、空中で体勢を変えることはできない。

 

「馬鹿、勝負を急ぐな」

 

果たして、すばやくカウンターを合わせた右ストレートが、カリンの腹に炸裂した。

 

「ンァーッ!!!」

 

腹部に強烈な激痛。世界が反転し、衝撃で槍をもぎ取られてしまう。さらに威力に押し流され、後ろに吹き飛ばされた。

 

背中から床にたたきつけられたカリンを、男の蹴りが襲う。意識を維持していたカリンは即座に身を捩ってかわし、そのままゴロゴロと床を転がって距離をとった。格好悪くても無様でも、なんでもいい。とにかく体勢を立て直し、反撃することだけを考えた。

 

壁際まで転がると身を起こし、カリンは右手で腰に佩いていた短剣を抜いて、逆手に構える。

このナイフは孤児院に入る時に()()()から護身用に譲られたものだ。硬いモンスターの表皮も肉もサクサクはぐことができるくらい、切れ味がよい。

 

「遅い!」

 

その時には、すでに相手の体が目の前に迫っていた。

迫る蹴り足に向けて、カリンはカウンター狙いにナイフを振り下ろす。避けられないなら、せめて肉を切らせて骨を断つ。

手を切られても戦闘を続行できるが、どんな生き物も足を切られたら動きが鈍る。それに、小柄で動きの素早いカリンには、上半身よりも足元の方が狙いやすかった。

 

狙いあまたず刃が太ももを切り裂く直前、相手は蹴り足の威力を殺さぬまま、ぐにゃりと方向を変えてナイフの腹をたたき、手から弾き飛ばした。

しまった!と思った次の瞬間には、額に拳がたたき込まれていた。

 

「…?!!!」

 

刹那、意識が飛んだ。

インパクトの寸前に、自分から後ろに跳んだにもかかわらずこの衝撃。頭の骨が割れたかと思った。

 

「オラァ!」

 

容赦なく、再び蹴りが繰り出される。脇腹を捉えたそれを、もうカリンはかわせない。

やられる!……カリンは思わず目をつぶってしまった。

こうなれば仕方ない。ひとまず一撃受けてから、なんとか()()()で体勢を立て直すしかない。

 

カリンはそう覚悟を決めたが、予想された衝撃はいつまでたってもやってこなかった。

 

…瞼を開ける。

 

「新入りにしちゃ、動ける方だな」

 

振り上げられた右脚を下ろして、相手は何事もなかったかのように此方を見下ろしていた。

 

「疲れて単調になってたんだろうが、馬鹿みたいに上に飛ぶんじゃねえ。いい的だ。それと、目はつぶるな。最後まで相手の動きをよく見ろ」

 

「は、はい!」

 

そう言いながら、足が痺れてしまったカリンに手を貸して、立ち上がらせてくれた。

 

「ま、それだけ動けりゃ、ダンジョン上層なら余裕だろうが、油断はすんな。ミノタウロスが乱入することもあれば、同業者に狙われることもある」

 

何があるかわからないのがダンジョンの怖さだ、と最後にインストラクションを授けてその人物、ロキ・ファミリア幹部、ベート・ローガは訓練の終了を宣言した。

ちなみにこの場はロキ・ファミリアの本拠(ホーム)『黄昏の館』の2階にある修練場だ。主に基礎トレーニングや、怪我でダンジョンに潜るのを控えている者がリハビリ目的などで使う。今も数名の団員が遠巻きにこちらを見ながら、体を動かしていた。

 

「ありがとうございました!」

 

カリンは両手を合掌して深々とお辞儀した。

お辞儀はアイサツになくてはならないものであり、教えを乞うべきメンターならば礼儀として当然。仮に、敵対する相手であっても欠かしてはならないものだ。カリンは孤児院を何度か訪れてインストラクションを授けてくれた()()()から、そう厳しく躾けられている。

 

「お前、筋は悪くねぇ。せいぜい頑張んな」

 

最後にベートがそう付け加えると、カリンの小さな胸がトゥンクと高鳴った。

 

「ひゃい!がんばりましゅ!!」

 

噛んでしまった。恥じゅかしい…!

 

茹でタコのようになったカリンをさておき、壁際でその様子を見守っていたガレス・ランドロックとラウル・ノールドは目を丸くしていた。

 

「…ベートのやつ、何か悪いものでも食べたのか?」

 

「だから言ったじゃないっすか。この間の遠征から帰ってきてから、様子が変なんすよ!」

 

ラウルはむしろ薄気味悪いものでも見るように、ベートを眺めている。

 

二人が揃って首を捻るのも無理はなかった。何せ、相手はあのベートなのである。

 

普段の彼ならば相手が入団前の見習い未満であろうが、見た目は幼女な小人族の子供であろうが、容赦なくぶちのめしてダメ出ししまくり、毒舌の嵐である。それで何人もの新人が心を折られていた。伊達に『性格のクソさじゃファミリア随一』などとは呼ばれていない。

 

ところが、先ほどは上から目線ながらも必要以上にカリンを嬲ることなく、また先輩風を吹かすでもなく、適切なアドバイスを授けるというインストラクターぶりを発揮していた。ベートなのに。

普段の彼の塩対応を熟知している人間からすれば、優しみに溢れていると言っても過言ではない。ベート・ローガなのに。大事なことなので(ry。

 

「こりゃあ、キルコのやつと何かあったか?男ってのは付き合う女で変わるもんだからな…?」

 

ガレスは目を細めて、生暖かい視線をベートに送った。

 

例の59階層を踏破した遠征の帰り際、次の日はオラリオに帰還するというリヴィラで過ごす最後の夜に、キルコとベートが密会していたらしい、というのはロキ・ファミリアでは公然の秘密である。

あの時は、下層で金策している間に18階層でゴライアスの変異種が大暴れしたとかで、慌ててリヴィラに帰ってみれば街は半壊状態だった。おかげで常宿にしていたキルコの店が仮設病院として開放されたので、天幕で野宿をすることになった。

耳ざとい女性団員によれば、その夜に二人がリヴィラ近くの湖畔で何やら話し合っていたそうなのだ。その後は天幕で夜を明かす他の団員をさしおき、キルコのログハウスに二人してしけこんだそうなのだが…

 

「…つまり、二人でお楽しみしたんすね?うらやましいっす!」

 

「そうなるな」

 

ラウルとガレスは声を潜め、今度は二人そろってタオルで汗を拭いているベートに生暖かい視線を送った。

 

「おい!聞こえてんぞ!」

 

当然、揶揄されている当人としては面白いはずもない。

 

「なんじゃ、聞こえとったのか?」

 

いけしゃあしゃあと言い放つガレスに、ベートが吠えた。

 

「わざと聞こえるように話してんじゃねえ!」

 

「照れるな、照れるな。その首輪型のチョーカーもキルコからのプレゼントなんだろう?そんなものを普段から堂々と見せびらかされてはなあ、揶揄いたくもなるわい」

 

「…ああ〜、こいつはな。なるべく肌身離さずって言われてっからな」

 

ガレスは戯けたように囃したが、ベートは何故か至極真面目な顔で頷いた。

 

「なんと!文字通り、首根っこ引っ掴まれて首輪をかけられたわけか。こりゃ、人生の墓場に送られるのも時間の問題か?」

 

「まさか、あのベートさんが一番乗りとか…想像もしてなかったっす!」

 

「ガレスはともかく、ラウル!テメーいい度胸だな、オイ!久々に組み手で扱いてやろうか!」

 

「え、遠慮するっす!」

 

ベートは汗に濡れた髪をかきあげながら凄んだが、それ以上は口にしなかった。

…この世にも稀なる()()()を手渡された本人から、あまり秘密を吹聴しないように口止めされていたからだ。

 

「リヴェリアが悔しがるのが目に浮かぶわい。あいつもそろそろエルフとしては行き遅れの年だからな」

 

「…おい、リヴェリアに殺されても知らねーぞ」

 

本人がいないのをいいことに、ガレスは言いたい放題だった。当の本人が聞いていたら、威力最大、範囲極小の魔法を問答無用でぶちかまされていただろう。

 

そんな風に笑っていたガレスだが、不意に声を顰めると、真面目な顔でベートに尋ねた。

 

「…で、どうだった。カリンと手合わせしてみた感想は?」

 

ベートも小声で応じる。

 

「あいつ、おかしくね?」

 

ベートは手合わせ中は決して見せなかった顔をして、タオルで汗を拭っているカリンを見やりつつ、解せぬとばかりに首を傾げる。

 

「つーかよ、身体能力だけなら下手するとLv.3クラスあるぜ。フィンの野郎が目をかけるわけだ」

 

「だよな。信じられるか?アレで恩恵封印されとるんだぞ」

 

ガレスも我が意を得たりとばかりに頷く。

 

「しかも…多分、あいつ何か隠し球があるな」

 

「最後のアレだろう?確かに、何か奥の手を出すタイミングを計ってるような動きだった」

 

実際、12を超えたばかりの子供、それも体格に恵まれない小人族でしかない筈のカリンの身体能力は、なまじ冒険者として長いキャリアを誇る彼らから見ると、末恐ろしいとしか言いようがなかった。

かつて齢8歳にして冒険者となり、今やヒューマン初のLv.6に至った例外(剣姫)が身内にいるが、カリンはそもそも恩恵(ファルナ)すら停止している。つまりはほぼ一般人も同然。その筈だ。

 

「確かめたわけではないが、怪人(クリーチャー)とも思えん。背後関係も洗ったが、これといって裏もない」

 

「ああ、どう調べてもオラリオ生まれのオラリオ育ちだ。キルコの同類って線もない」

 

元・ソーマ・ファミリア所属の孤児。孤児狩りにあって、訳もわからずダンジョンに放り込まれながらも生き延びた、哀れな子供達の一人。そして強い意志を持ち、ロキ・ファミリアの門を叩いた期待の新人。

それが現時点でのカリンを表す情報の全てだ。

 

「つっても怪人ほどのパワーはないし、体術は明らかに素人同然だ。単純に身体能力だけが飛び抜けてる感じだな。俺のアビリティが今、半減してるのをさっ引いても、久々に手が痺れた」

 

「ん?…アビリティ半減だと?呪詛(カース)でも受けたのか?」

 

「…ああ、それは…」

 

目を丸くして驚くガレスに、ベートが首元の首輪じみたチョーカーを撫でながら、どう話したものかと眉根を寄せながら口を開いた、その時だった。

 

「火事だ!」

 

不意に、そんな叫びが聞こえてきたのは。

 

ベートはガレスと顔を見合わせると、咄嗟に窓際に駆け寄り、窓を開け放った。

 

ロキ・ファミリアの本拠(ホーム)『黄昏の館』は、オラリオの北区にある。中心街からは離れているが、ここらの土地はやや傾斜しているため、眺めはいい。2階から窓を開け放てば、オラリオの街が一望できる。

 

見れば、確かに遠目にも黒煙が立ち昇っているのがわかった。

卓越したステイタスを誇る冒険者は当然ながら目も良い。二人は瞬時に大凡の位置関係を把握した。

 

「東の空が真っ黒だな」

 

「ありゃあ、ダイダロス通りの方か…?」

 

火元はオラリオの南東、第三区画らしかった。

あの辺りは無作為に広がった貧民街(スラム)、迷宮街の異名を持つダイダロス通りが存在する。

貧困層が暮らすボロ布や木切れで覆われたテントが複雑に密集している上に、上下水道がろくに整備されていないので、一度火の手が上がると燃え広がりやすい。

 

二人の会話をそばで聞いていたカリンは傍目にも分かるくらいに顔を青ざめさせた。

 

「…そんな⁉︎みんなが危ない!」

 

「おい、カリン⁈」

 

止める間もなく、カリンは『黄昏の館』を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

いても立ってもいられず、ロキ・ファミリアのホームを飛び出したカリンは、逃げ惑う人々でごったがえす大通りを避けて薄汚れた小路を進んだ。

 

この辺りの複雑怪奇に入り組んだ路地は、まるで巨人が無造作に寄木細工を組み合わせたかようで、いくつもの通りが入り混じっている。しかも、たくさんの浮浪者や貧困者が寄り集まり、猥雑なスラム独特の雰囲気を醸し出していた。

父を失ってからカリンが浮浪児として過ごしていた町に、つい先日まで過ごしていた孤児院がある。

 

今更ながらにひどい場所だと思う。

溶けかけたゴミ、人間が吐き出したもの、元が何か見分けもつかない動物の死骸。ゴミ山からのぞくあれは、人の体の一部だ。カリンはそれを見て少し眉を顰めたが、気にせず走り抜ける。もう慣れたものだった。

 

普段なら、真昼間のこの時間はイシュタルファミリアの本拠『女神の宮殿(ベーレト・バビリ)』以外の風俗店は、扉も窓も閉まっている。ここが色町であるとは気付かないほどなのだが、今は至る所から煙が漏れて視界もおぼつかない。しかも、ボロを纏った貧民が悲鳴を上げながら逃げ惑っているので、控えめに言って地獄絵図だ。

 

そんな光景を見ながら、カリンは走った。

神はいない。少なくとも、無条件に貧民を助けてくれるような、都合の良い神様など、この世には存在しない。

奴らは金が好きで、物が好きで、キラキラした人間が好きだ。つまりは、ちょっと変わったことができるだけで、邪悪で薄汚い人間と変わらない…カリンはとうに悟っていた。少なくとも、カリンを助けてくれたのは、冒険者だったのだから。

だから、カリンはロキ・ファミリアを訪ねた。探索系最大派閥だから。神・ロキがどんな悪党だろうが、どうでもいい。それで、あの人に追いつくことができるなら。

 

「…!火元は、ここなの⁈」

 

やがてカリンは、あたりをぐるりと廃墟に囲まれた裏庭に這い込んだ。

そこに建っていたのは、苔むした石造りの古い教会。年経て灰色にくすんでおり、塵にかえる日も遠くはないだろう。かつて神が降り来る前、神が人々の想像上の産物以外の何者でもなかった時代に建てられ、やがて放棄された遺跡である。

この街には他にもこんな建物があり、その幾つかが孤児院として再利用されている。皮肉な話だが、実在してしまった神などより、よほど貧民の役に立っている。

 

「レックス、コナン⁈」

 

それが今や、赤々とした炎を発し、黒煙に包まれ燃えていた。

 

「《火属性防御(プロテクションエナジー・ファイア)》!」

 

火属性のダメージを軽減する防御魔法を自らにかけると、カリンは躊躇なく中に飛び込んだ。

 

相変わらず室内は薄暗く、そこらじゅうに煙が充満していた。

部屋は道中の雑多で薄汚れた感じからすれば、随分と清潔に保たれている。床は掃き清められ、飴色に変色した木の椅子に、大きな食卓。暖炉には数本の薪がくべられ、金具で吊るされた鉄鍋を煮えたたせ、コトコトと良い匂いを漂わせていた。

 

机の上にはいくつもの籠や敷布が敷かれて、中身が無造作に並べられている。

造花に小物にタペストリー、あるいはチャチな作りの安ピカ物など、場末の土産屋に放置されて埃をかぶっていそうな物ばかりだ。孤児達に手に職をつけさせるため、あの人が老いて引退した職人達に頼み込んで指導させながら作らせていた。

今作ってるのは次の祭に出す土産物で、少し前に怪物祭の書き入れ時が終わったので、秋の祭りに間に合わせるものになる。

祭りは神事、神々は祭りを好む。神もたまには粋なことをしてくれる、とカリンは派閥選びの際に最後までガネーシャ・ファミリアにするかどうかで悩んだものだった。

いくらかでも売り上げになれば、卒業する時に餞別として院長が持たせてくれる。最近では迷宮商店なる店から冒険者向けの保存食作りも依頼されていて、職人志望の子達の希望になっているらしい。

 

「ゴホッ…?…ライ、フィナ、ルゥ⁈…みんな、どこ⁈」

 

カリンは咳き込みながら呼びかけたが、応えはなかった。

つい先ほどまで人のいた気配があるのに、人っ子一人いない。

机の上に置かれた欠けた陶器のカップから、湯気が立ち上っている。おそらく院長のものだ。あの人は冷え性で、夏場でも温めた飲みものをよく口にしていた。

 

「もう、避難した後ってこと?」

 

カリンは小首を傾げた。

 

その時、奥の食器棚が微かに揺れた。

カリンは近寄り、最下段の開戸をそっと開ける。中から小さな女の子がはいでてきた。手には作りかけの、端切れを縫い合わせた小さな人形を持っている。一番年下の妹分、ロアンナだ。

 

「ロアンナ⁉︎大丈夫だった⁉︎みんなは⁈」

 

ロアンナはカリン抱きつくと、腹に頭を押し付けてきた。よほど怖かったらしい。

 

「……!…!!」

 

ロアンナは目に涙を湛えて、何かを訴えている。

残念ながら、ロアンナは口がきけない。ソーマ・ファミリアの畜生どもにダンジョンに放り込まれて以来、恐怖から声を失ってしまった。心の傷はポーションや治癒魔法でも癒せない。

 

「……!!」

 

ロアンナは手にしていた端切れに、暖炉の燃え滓で何やら書きつけた。

ロアンナは小さいが努力家だ。読み書きが達者で手先も器用なので、将来は腕っこきの針子になれると、婆様連中から可愛がられながら針仕事を教えられていた。

 

『みんな、つかまった』

 

「誰に⁈」

 

カリンの脳裏に、ソーマ・ファミリアに攫われた時のトラウマが蘇った。

 

『わからない』

 

『かじだからにげろて、いいながら、みんなをつかまえた』

 

『くろいふくをきた、ひとたち、たくさん』

 

辿々しい筆跡でそれだけを伝えると、再び泣き出したロアンナをカリンは抱きしめた。

 

「黒い服を来た連中……?」

 

心当たりはまるでなかった。だが、多分、冒険者ではないと思う。

貧民街であるダイダロス通りに拠点を構えているファミリアは存在しない。また、火事だからといって、わざわざ貧民を助けに来るような冒険者など、一人を除いてカリンには思いつかない。ましてや、奥まった一角にあるこの孤児院にやってくるなんて、あるはずがない。

一応、ダイダロス通りにも一柱だけ、ペニアとかいう老婆の神が住んでいるが、あの物狂いに何かできるとは思えなかった。

 

おそらくは火事場泥棒か、人攫いの類だ。

()()()のおかげで孤児院が持ち直して以来、どこから嗅ぎ付けたのか、金をせびり取ろうと冒険者崩れのチンピラが襲撃してきたのは一度や二度ではない。ダイダロス通りには、冒険者をドロップアウトして犯罪組織に身を落とした人間がいくらでもいるのだ。その度に、カリン達は貴重な実戦経験を積んできた。

 

「…とりあえず、他にも逃げ遅れた子がいないか見てくるわ。ロアンナは先に外に逃げて!」

 

ロアンナは頷き、カリンの服から手を離した。聞き分けのよい、頭の良い子なのだ。

 

「その必要はないぜ。お前らで最後……⁈」「イヤーッ!!」

 

奥に続く戸口から、何者かが顔をのぞかせるやいなや、掛け声と共に繰り出されたカリンのキックが炸裂した。

あの人に授けられたインストラクションでは、アンブッシュも一撃までなら許されるので問題ない。

 

「どうも、カリンです」

 

カリンは倒れた相手に素早くアイサツすると、即座に槍を突きつける。

あの人直伝の必勝法その一、敵はなるべく蹴倒してマウントからタコ殴り、である。

不審者にインタビューする際は、必ずアドバンテージを確保してから行うべし、との教えに忠実に従った結果だ。

 

「名乗りなしゃい!さもないとブスリよ!!」

 

「テメェ、いきなり何しやがる⁈」

 

倒れた状態で目の前に刃を突きつけられながらも、男は気丈だった。

この状況を、カリンを恐れていない。明らかに刃傷沙汰に慣れている。やはり冒険者崩れの小悪党といったところだろう。

 

カリンは相手を冷静に見定めた。

黒い軍服じみた服を着た小柄な男、同族(パルゥム)だ。

栗毛の髪を切りそろえており、清潔感があるが、何というか雰囲気が小物臭い。不意を打ったとはいえ、カリンに簡単に蹴倒されたところといい、さして強くはないだろう。子供が相手だと舐めきっていたのか、武器は持たず、素手である。

 

「お家に不審者がいたら誰だってそうしましゅ!」

 

「こっちだって好きでやってるんじゃねーよ……火事からは、助けてやるから。大人しく付いて来てくれ」

 

小人族の男は、何故か後ろめたそうにカリンから視線を外して、そう言った。あからさまに怪しい。

 

「嫌だって言うなら…悪いが力尽くだぜ」

 

男は槍の穂先を握った。動かせないほどではないが、かなり強い。

同時に、プレッシャーがカリンを襲う。さっきまでの男とは違う迫力に、軽く気圧された。どうやら相手を本気にさせてしまったようだ。

 

だから、カリンは迷わず男の股間を踏み潰した。

 

「イヤーッ!!」

 

「アバーッ!!」

 

男は血の小便を垂れ流してしめやかに失禁。泡を吹いて気絶した。

 

本来なら、未だに恩恵が封印状態にあるカリンの力では、この男には通用しない可能性が高かった。それほど恩恵を持った者とそうでない者の差は絶対だと聞いている。

だが、どれほど高いアビリティを持っていようとも、人体には鍛えることが不可能な弱点がある。あの人直伝の必勝法その二である。

 

「《火属性防御(プロテクションエナジー・ファイア)》……ロアンナ、行って!」

 

「…!」

 

カリンが火除けの魔法をかけると、ロアンナはコクコクと頷いた。邪魔にならないよう、トテトテと勝手口から外に逃げて行く。

 

その後ろ姿を見送ってから、カリンは男が出てきた戸口の奥に注意を向けた。まだ仲間がいるかもしれない。

 

「ルアン、手伝え!あの子供らやたらと強い。傷つけないよう手加減していては手に負え……ぬ⁉︎」

 

歩み寄る男の姿が見えるか見えないかのうちに、カリンは迷わず槍を突き出した。

狭い戸口である。前後にも左右にも逃げられない。

 

「まだ一人残って居たのか…少女よ、火事だ。こちらに来たまえ」

 

ところがカリンの不意打ちを、その男は完璧に捌いた。槍の穂先を片手で瞬時に掴み取ったのだ。引き戻そうとしてもビクともしない。

…こいつ、強い!アイサツをする暇もなかった。やはり武器は持っておらず素手だが、油断すべきではない。

 

「火事場泥棒についてくわけないでしょ!」

 

その言葉を、男は否定しなかった。何やら、やるせなさそうな表情をしているが、悪党の心情などカリンには知ったことではない。

 

「火事場泥棒か…否定できぬ我が身がもどかしい。だが、全ては我が神の思し召しだ。黙ってついて来てくれないか。決して悪いようにはしないと誓う。君らを傷つけたくはないのだ」

 

カリンは無視して槍に力を込めた。

敵の話を聞いてはいけない。一瞬の迷いが勝敗を分ける。万が一、勘違いだったら、後でごめんなさいすれば良いのだ。

それに、男の背中の向こうに、見知った人物が僅かに顔を覗かせていた。

 

「イヤーッ!!」

 

軽くウインクして合図を送ると、男に気がつかれる前に、カリンは雄叫びを上げた。

 

「イヤーッ!!」

 

同時に、背後から忍び寄っていたヒューマンのコナンが襲い掛かった。

必勝法その三、強い敵は前に引きつけて後ろから倒すべし、だ。

 

「…⁈… クソッ…‼︎」

 

咄嗟にカリンの槍を掴んだまま、男は左手でコナンが振りかぶった木剣を受けとめたが、それは悪手だ。

メキリ、とイヤな音が響き、男は悶絶した。

 

コナンはカリン達冒険者志望の孤児達三人の中で、一番腕力がある。

普段からコナンが訓練に使っている廃材を利用した木剣は、元は上等なテーブルの足か何かだったらしく、かなり重みがあって頑丈だ。もう片方の手に持つ丸盾も、大きな樽の蓋から作ったもので、厚みがある。

そんな凶器をカリンの倍以上の腕力でブンブンと振り回すのだから、まともに受けたら腕が痺れるどころか、当たりどころが悪ければ骨折してしまう。

カリンは手合わせの際に身をもって体験済みだ。おかげで長物を使い、近寄らせないように戦う術を覚えるしかなかった。

 

「ど、どうなってるんだ、ここの子供達は⁈強いなんてものじゃないぞ⁈」

 

男は負傷した左手を庇いながら、前後を挟んだカリンとコナンに交互に視線を向けていたが、攻撃はこれで終わりではない。

 

「《魔法の矢(マジック・アロー)》!!」

 

コナンの背後から現れた獣人族のレックスが、耳を逆立てながら杖代わりの木の棒を突きつけると、そこから光が溢れた。光は三本の矢の形をとり、正確に男を撃ち抜く。必中属性のついた回避不可の魔法の矢だ。

 

必勝法その四、どんな敵もみんなで囲んで叩けば倒しやすい。

ここ数ヶ月、揃って訓練していた三人の連携はバッチリだった。

 

魔法の矢は一発あたりの威力はレックスの魔法詠唱者(マジックキャスター)としての技能が未熟であることもあり、さほどでもない。

しかし、足元に集中するように着弾して炸裂した矢は、反射的に痛みに備えて歯を食いしばった男のバランスを崩し、床に転がせた。

苦悶に顔を歪めながらも、慌てて上半身を起こして立ち上がろうとした男より早く、カリンの追撃が襲う。

 

「アバーッ!!」「うるしゃい!…レックス、コナン、状況は⁈」

 

倒れた男に先程の小人族と同じようにトドメの一撃をくれてから、カリンは問いかけた。

二人は青い顔をして、股間を押さえながら答えた。

 

「コイツら、いきなり火事だって叫びながら押し入ってきたんだ」

 

「マリア先生が止めようとして、奴らにぶたれてた」

 

「なんでしゅって⁈」

 

カリンは激怒した。

マリア院長は孤児院の責任者で、あの人以外にカリンが唯一心を許している大人だ。

 

「敵は他にもいるの?みんなは無事?」

 

二人は目を泳がせた。何か言いにくい事があるときの、この男どもの癖だ。

 

「…その…あ、あいつに上手く誘き出されて」

 

「みんなから引き離されちゃったんだ。あ、でも助っ人が…」

 

「それを先に言いなしゃい!」

 

カリンは駆け出した。

駆けながら、唇を噛んだ。

 

魔法詠唱者を目指しているレックスは、既に十以上もの魔法を使える。まだカリンはその半分も使えないのに。

コナンは魔法は使えないが、腕力も体力もカリンの倍近くあり、魔法抜きの立ち合いでは一度も勝てたことがない。カリンの方が二つも年上なのに。

魔法ではレックスに勝てず、近接戦闘ではコナンに勝てない。今のカリンは何もかもが中途半端だと痛感していた。

ましてや、たまにカリン達に稽古をつけてくれるあの人には、三人がかりでも一撃も入れられた試しがない(…ちなみに、あの人はたまに共通語(コイネー)の読み書きを習いに、孤児院にやって来る。勉強が苦手なのだと知って、カリンは少しだけホッコリした)。

 

そして、大手派閥(ファミリア)の第一級冒険者達はあの人と同じく、カリンなどよりずっと強いに違いないのだ。実際、ロキ・ファミリアのフィンやガレス、ベートなどにはまるで歯が立たなかった。

おそらく彼らは魔法だって大量に使えるのだろうし、未だにカリンが覚えられていないスキルだって、同じくらい持っている筈だ。

こんな()()ごときに太刀打ちできなくては、話にならない。あのソーマ・ファミリアのような悪党どもから、自分の身だって守れやしない。

あの人に追いつくにはもっともっと強くならないとダメなんだ!

 

カリンが狭い通路をくぐり抜け、たどり着いた先は、孤児院で一番広い部屋だ。みんなで遊んだり食事をしたり、勉強したりする、思い出のいっぱい詰まった部屋だった。

 

「何してるの⁈」

 

今、そこは赤々と燃え盛る炎に包まれている。

そんな状況を尻目に、数人の黒服に囲まれながらも背後に子供達を庇って剣を抜く男と、黒い石弓を構える小柄な少女がいた。

カリンはその人たちの事も知っていた。ベル・クラネルとリリルカ・アーデ。かつてあの人と共にダンジョンでパーティーを組み、世話になった事がある冒険者だった。

庇われている仲間たちも、怯えているが、怪我をした様子はない。

 

黒服達は一瞬だけカリンに視線を向けたが、孤児院の子供の一人だとでも思ったのか、無視される。

 

「…いいから、子供を渡しなさい!」「もう時間がないんだ!火が…!」「周り見ろや、火事なんだよ!」

 

「断る!」「貴方達こそ、避難の邪魔です!」

 

ベル達の背後には、同じくらいの年頃の少女達がいた。

 

「この子達に手を出さないでください!」

 

一人は子供達を庇うように両手を広げているメイド服姿の銀髪の少女で、カリンも見知った顔だ。名前はシル・フローヴァ、かつてこの孤児院にいたという先輩で、時折、お土産を持って訪ねて来てくれる。

 

「やっちゃえ、ベルくん!」

 

もう一人は黒髪をツインテールにした少女で、カリンは顔に見覚えがなかった。悪漢達を威嚇するようにファイティングポーズをとっている。

白く丈の短すぎるワンピースに、青い紐のような物をまとわりつかせた奇抜な衣装を着ており、生脚がほとんど丸見えだ。しかも足元は裸足である。夏にしても露出が激しすぎるとカリンは思った。

 

それが神・ヘスティアだとは、カリンは後で知った。

偶然、シルがベルを誘って孤児院を訪ねてきたところ、嫉妬にかられてこっそり後をつけてきていたリリルカとヘスティア共々、この騒動に巻き込まれたという理由も。

 

だが、何よりカリンの目を引いたのは、その四人ではなかった。

 

「マリア先生⁈」

 

年配の女性が、頭から血を流して床に横たわっている。顔には複数のアザがあった。おそらく、何度も殴られたのだ。カリンはそれを見て血の気が引いた。

 

「カリンねーちゃん!まりあせんせいが!」

 

「ぼくらをかばってくれたの!」

 

「せんせい、だいじょうぶ?」

 

マリアの体に取り縋っていた兄弟達を傍にどけると、カリンはその場にしゃがみ込み、魔法を使った。

 

「《中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)》!」

 

傷口が瞬く間に塞がっていくが、油断はできない。あの人によればカリンが使える最高の治癒魔法であるこれも、せいぜい第二位階魔法に過ぎず、外傷はともかく内部の傷は治りにくいという。

特に頭というのがまずかった。脳にダメージがあったら、カリンには手に負えない可能性がある。一応、呼吸は安定しているので、無事だと思いたい。念のため、後でポーションを手に入れて飲ませるべきだろう。

 

「…もう、大丈夫よ。あなた達は、下がってなしゃい」

 

槍を片手に、カリンは立ち上がった。

その目は、怒りと憎悪に燃え猛っている。

 

「よくもやってくれたな!」

 

「あいつはブッ倒して来たぞ!」

 

さらにカリンの後ろから、コナンとレックスが追いついて来て、黒服達を牽制した。

 

黒服達は目を見開き、恐怖の視線を二人に注いだ。

 

「うわ、また来た!」「そんな…⁈せっかく団長が引き離してくれたのに!」「化け物小僧どもめ!ヒュアキントスはうちで唯一のLv.3なんだぞ⁉︎」「もう無理だよぉ…!逃げようよ、黒髪の白い殺し屋にみんな殺されちゃうよぉ…!今ならたぶん許してくれるよぉ…!」「今更何を言ってるのよ、カサンドラ!黒髪の白い殺し屋なんて、どこにもいないじゃない!」

 

慌てる黒服達に、カリンは容赦なく仕掛けた。

 

「《下級筋力増大(レッサー・ストレングス)》《鎧強化(リーンフォース・アーマー)》!!」

 

煙が周囲に充満し、満足に視界を確保出来ない室内に、筋力(STR)と物理防御力を強化したカリンの雄叫びが轟く。

 

「ザッケンナコラー!!」

 

あの人から教えられた、余りにもシツレイな相手に対する最大級の罵倒の言葉。

黒服達が驚き、竦んだのを尻目にカリンは槍を構えて襲いかかった。

2メドルを超える鋼鉄の槍が唸りを上げ、遠心力も十分に振り回されると、最前列にいた男達が一息に薙ぎ払われる。のみならず、その背後で何やら揉めていた二人の女まで巻き添えにして吹き飛んだ。

 

「…ちょっ⁈こ、この娘も化け物だぞ!」

 

同時に、コナンも丸盾を突き出して突撃する。

 

「イヤーッ!!」

 

その一撃で、残りの黒服達が一斉に弾き飛ばされた。コナンが得意とする【シールドバッシュ】なる特殊技術だ。

コナンは()()()という()()()に適性があるらしく、あの人から主に剣術や盾術などの指導を受けていた。

 

「これはオマケだ…《電撃球(エレクトロ・スフィア)》!!」

 

「「「ギャアアアアアアア!!?」」」

 

そして、レックスが掲げた杖の先端から、電撃の球が放たれる。それは着弾すると一気に膨れ上がり、広範囲に膨大な電撃を飛散させ、床で呻いていた者達を残らずノックダウンさせたのだった。

 

「死なない程度に加減してやったぜ!」

 

「悪党め、ギルドに突き出してやりゅわ!」

 

「何だったんだろ、こいつら?」

 

腕の一本や二本はへし折るつもりで全力でぶっ叩いたのだが、見たところほぼ全員が五体満足である。チンピラの癖に頑丈な連中だ。やはり、何処かのファミリアに所属している冒険者崩れなのかもしれない。

 

「え…?…あの子達、恩恵(ファルナ)がない…?…いや…停止してるだけ…?…え?」

 

そんなカリン達を、シルは目を見開いて、あり得ないものを見る目で見つめており。

 

「うわぁ…つ、強い…」

 

その隣でベル・クラネルは呆気に取られて、ポカンと口を開けている。

 

「にーちゃんはシルねーちゃんの彼氏?」「ぜんぜん強くないよね」「カリンねーちゃん達の方がつよいよねー」「ねー。シルねーちゃんに捨てられちゃうよ?」

 

そのベルをちびっ子達はツンツンし。

 

「ベル君は僕のなの!」

 

ヘスティアはツインテールを荒ぶらせ、ちびっ子達に抗議していた。

 

「そんなことより、火事がまずいってレベルじゃねーですぅ!逃げて〜!!」

 

そして、そんな彼らを見て、なんて呑気な連中だろうと思いながらリリルカが避難を促すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして。

焼け落ちる孤児院を見ながら、カリンは誓った。

二度と、こんな事はさせないと。

必ずや、あの悪党どもの首魁を除かなければならない。

カリンには小難しい理屈はわからない。何故、此奴らが孤児院を襲撃したのか、そして都合よく火事が起きたのかもわからない。

カリンはただの孤児だ。けれども吐き気を催す邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。身を以って味わった、辛酸が故に。

その為にも、強くなければならない。

世の中は、結局、強さが全てだ。弱いものの意思など無視され、踏み躙られる。だから、カリンは強くならなければいけなかった。カリンよりもさらに弱い弟分や妹分を、守るために。

 

ただ、ひとまずは今夜の宿を探すのが先決だった。

なんとか幼い兄弟姉妹達のために、雨風を凌ぐ場所を確保しなくては。

 

そんな風に、思い悩むカリンを見かねたのか。

 

「みんな、僕らのところにおいでよ!」

 

そう提案したのは、神・ヘスティアだった。

 

「最近はベルくん達がかなり稼いでくれるし、タケのところからも結構貰ったからね。本拠を改装したんだ。少し狭いけど、みんなが十分、快適に過ごせることを保証するよ!」

 

ヘスティアは子供達を安心させるような笑顔を浮かべた。

 

…結局、他に伝もなく、意識を取り戻したマリア院長をはじめ全員がヘスティアの好意に感謝し、廃教会を改装したヘスティア・ファミリアの本拠(ホーム)に厄介になる事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その数日後。 

『キルト』の手掛かりを横取りされたと思い込んだアポロンの命により、神の宴の場でアポロン・ファミリアからヘスティア・ファミリアへと戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の挑戦状が叩きつけられる事態へと発展する。

そして、ヘスティア・ファミリアは、神会で多数を占める暇神達…即ち、何事も楽しければそれで良いという享楽的な神々に対して用意周到に根回しをしていたとある神(ヘルメス)の画策により、戦争遊戯を受けざるを得ない状況に追い込まれてしまう。

 

仲間達を守るため、なし崩し的にヘスティア・ファミリアに身を寄せていたカリン達もまた、否応無しに事態の渦中に取り残されることとなる。

 

 

 

その報せが、とあるユグドラシルからの来訪者の耳に届いた時には、事態は戦争遊戯不可避の段階まで進んでおり、その全てがかつてない程に彼女の逆鱗に触れることになるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 




Yggdrasill System(世界樹の加護を受けた者)
戦士(ファイター)10
神官(クレリック)5
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第24話

寄せては返す波の音だけが響く、ウシミツアワーのメレン港。

 

商人や船乗りで賑わうメレンの港も、この時間帯になると人通りが絶える。薄暗い中での操船作業は事故が起きやすいため、船は波止場にしっかりと係留するか、あるいは逆に沖で碇を下ろすかの二択であり、たまの陸地ではめを外す船乗り達も、さすがに寝入る時間帯だ。

 

いくつもの大型帆船が係留される波止場の一つに、カーリー率いるアマゾネス達が寝泊まりしている大型帆船があった。

 

「さすがに遅いのう。やはりアルガナは返り討ちに遭ったとみるべきかや?」

 

船倉に近い大部屋の中央、多くの眷属に囲まれながら、小柄なカーリーは両腕を組んで思案していた。モンスターの骨を模した仮面から覗く目元には、悩ましげな皺が寄っている。

アルガナが飛び出していったのが宵の口、それからすでに三刻以上も過ぎている。

 

「まったく、予定が台無しじゃ。とはいえ、止めても無駄じゃったろうしなぁ…」

 

さて、どうするかとカーリーは唸った。

カーリーには眷属達の奏でる闘争がすべてだ。神としての権能、存在意義、そのすべては闘争に集約される。

そんなカーリーの目下の関心は、かつて外界に飛び出しオラリオで揉まれたフィリテ姉妹と、逆にテルスキュラの蠱毒の中で鍛え上げられた生え抜きのカリフ姉妹。そのいずれが勝るか、である。イシュタルの誘いに応じてはるばるオラリオくんだりまでやってきたのも、それを確かめるために、良い機会だったからだ。

 

にもかかわらず、肝心のアルガナがオラリオの土を踏む直前で生死不明。相手があのキル子とかいう得体の知れない女でなければ、カーリーとて、もう少し鷹揚に構えられたのだが。

 

正直に言えば、アレと眷属共をぶつけてみるのも一興と、そう思わないでもない。

だが、頭の奥のどこかで、それはヤメロ!と警鐘が鳴るのだ。

 

昼間、カーリーはキル子の魂を見た。

薄汚れ、欲にまみれた典型的な俗人…なわけがない。あの斑模様に穢れた魂の奥底には、カーリーの親しむ血と殺戮とは別種の狂気が隠れ潜んでいる。

地上に降りきたり、アマゾネス達を従えテルスキュラを興して幾星霜、カーリーにして初めて見る異物だった。

 

さて、どうしたものかと思い悩んでいたその時だ。

ぱたり、と。

カーリーの周囲に屯していたアマゾネスの一人が、なんの脈絡もなく倒れ伏した。

 

「ん?…おい、どうした⁈」

 

そう叫ぶ間に、また一人。ぱたりぱたりと倒れていく。

 

この場に集っている眷属達はカーリーの供回りである。精鋭中の精鋭であり、全員がLv.3以上、【耐異常】の発展アビリティもH以上に達している。並大抵の魔法やスキルは通用しない。その筈だ。

 

「ドーモこんばんは、カーリー様。お早い再会で御座いましたね」

 

やがて最後の一人が倒れ伏し、後に残されたカーリーの前に、薄暗がりから滲み出るようにして現れたのは、アルガナを手玉にとって沈めた女、キル子だ。

 

「やはり、お主の仕業かッ…!」

 

キル子は両手を合掌すると、深々と頭を下げてアイサツした。

 

その手には虫の翅を模した優美な鉄扇が握られている。

それはカーリーの眷属達を睡夢の世界に誘った【睡眠耐性無効】のデータクリスタルを使用して作られたユグドラシル由来のアイテムなのだが、もちろんカーリーが知る由もない。

 

キル子の背後には手下どもが居並び、何やら大ぶりな荷物を抱えていた。

何か手土産でも持参したというなら少しは可愛げもあるのだが、とカーリーは思った。

 

「こんな時間じゃが…まあ、歓迎しよう。あいにく、眷属共は何故か眠りこけてしまったようでな。たいした持て成しもできぬがの」

 

カーリーはふてくされたようにそう言った。

実際のところ、手足たる眷属を纏めて無力化されてしまっては、カーリーにはできる事が他にない。

下界では神の力は大幅な制限を受ける。身体能力も恩恵を持たぬ只人のそれと大差はなく、この状況ではまな板の鯉のようなもの。相手の出方次第である。

 

「お構いなく。そちら様も何やらお忙しそうで御座いますし、ちょっとした用件さえ済めば、すぐにでも引き上げさせて頂きますので」

 

対するキル子は、笑っていた。

余裕の笑みであり、嘲笑の笑みだ。恩恵すら持たない只人の子に過ぎないくせに、本来敬うべき神たるカーリーを、路傍の石のように見なし、そのように扱おうとしている。不遜である。

 

そして、大した事ではないように、先程来客があった、と告げた。

 

「夜更けのことですので、大したオモテナシもできませんでしたが、カーリー様の眷属のようでしたので、こちらまでお連れさせて頂いた次第で御座います」

 

そう言って、背後の手下共に目配せし、彼らに担がせていたソレを目の前に並べて見せた。

さては無惨な死体を見せつけて妾を恫喝するつもりかと、カーリーは身構えたのだが、直後に呆気にとられた。

 

薄暗い船室のランタンに照らし出されたのは、十体ばかりの、アマゾネスを模した石像だった。

等身大のアマゾネス達の石像は、まるで生きているかのように皮膚の皺の一本一本まで掘り込まれており、名のある石工の手によるものと思われた。テルスキュラのコロッセオに並べたら、見栄えがすることだろう。

ただ、作品の出来自体は素晴らしいのだが、どれもこれも勇猛なアマゾネスにふさわしくない、苦悶の表情を浮かべているのが少しばかり気にかかった。

 

「フン、なかなか良い手土産だなキルコとやら。それで、用件とは何じゃ?」

 

カーリーの問いかけに、キル子はクツクツと嫌らしく嘲笑った。

 

「いえいえ、カーリー様。私、言いましたよね。お客様を()()()()()と」

 

「…?……いったい、何を………いや、まさか⁈!!!」

 

その意味を理解した瞬間、カーリーは雷に撃たれたかのように硬直した。

視線を正面に戻し、目の前に置かれた石像の一体を改めて観察する。その目、その顔、その体つき……これは間違いない、アルガナだ!

それだけではない、よくよく見直してみれば、どれもこれもアルガナ共々襲撃に出て行った眷属達に生き写しなのである。

つまり、これは眷属に似せて作った石像ではなく、石に変えられた本人……!!!

 

「ご安心くださいませ。暴れられると厄介でしたので、些か静かになって頂きましたが、ちゃあんと元に戻せますよ。ただし…」

 

慇懃無礼を体現したようにドロリとした笑みを浮かべ、キル子はのたまった。

 

「手数料、高くつきますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、その次の日のことである。

 

 

 

アイズ・ヴァレンシュタインは覚醒した。

同時に、瞼の裏に白い光が漏れ出てくるのを感じる。頭の後ろに柔らかい感触があり、どうやらタオルか何かを枕代わりに倒れていたらしい。

ゆっくりと起き上がりながら、周囲を観察する。

 

「気が付かれましたか?」

 

真っ先に視界に入ったのは、ファミリアの協力者にして自称・遊び人、キル子。

煙管を片手に持ち、いつも通り路傍の石でも見るような目をこちらに向けていた。ベートに向けるものとは明らかに違う、こちらに何の関心も無さそうな目だ。

恐らくこの女は、興味のない他人など、心底どうでもよいと思っている。

 

隣には副団長のリヴェリア・リヨス・アールヴが苦虫をかみしめたような顔をしており、さらに隣には団員のレフィーヤが心配そうに此方を伺っていた。周囲には丁寧に世話されていると思しき草花が生え揃っており、何処か瀟洒な庭園を思わせる空間である。

と、そこでようやくアイズに直前の記憶が戻ってきた。ここはキル子が宿泊しているホテルの中庭だ。

 

そう、暇そうにしていたキル子に、アイズは自分から手合わせを申し込んだのだ。

LV.6に上がってから、まともに自分と手合わせできるのは同じファミリア内の幹部くらいしかおらず、力を持て余していたのが理由の一つ。それに、かつて都市最強(オッタル)を苦もなく一蹴したその力、今の自分とどれほど差があるものか、興味は尽きなかった。

ダメ元で腕試しの機会を求めたのだが、キル子はあっさりとそれを受けた。

その結果が、これだ。

審判を務めたリヴェリアの開始の合図を聞いて以降の記憶がまったくない。

 

アイズの記憶の空白、その間の一部始終を目撃していたらしきリヴェリアは、言いにくいことを口にするように眉を曇らせながら、しかし、彼女らしく飾ることのない言葉で一刀両断に言い放った。

 

「開始三秒、失神KO」

 

「…うわ」

 

アイズは頭を抱えた。

恥ずかしい。勝負にすらならなかったらしい。

 

「合図と同時に、突っ込んでいったと思ったら、体が硬直して倒れたように見えたが…すかさず頸部に手刀をくらっていた」

 

「いや、綺麗に倒れましたね。えーと…見事な受け身?だったですよ」

 

リヴェリアの辛辣な言葉に対して、キル子が目を泳がせながらフォローになっていないフォローを口にする。レフィーヤは何かを口にしかけて、結局は口をつぐんだ。かける言葉が見当たらなかったらしい。

 

何がどうして負けたのか、未だに混乱しているアイズをよそに、キル子は煙管に火をともしながら講評を始めた。

 

「レベルやステータスの差はさておいて。ぶっちゃけた話、貴女のようにビルドが固まってる人間に対して私がアドバイスできる事って、ほとんどないんですよね」

 

それでも言わせて貰えば素直過ぎる、とキル子は断言した。

 

「モンスター相手ならともかく、それなりに賢い人間様が相手だと、格下以外には通じませんよ。貴女には、致命的に悪意が足りない」

 

吐き気を催す邪悪な行為を平然と行える奴が対人では強い。

自分がされたら悍ましさに青ざめるようなことを相手に強いるのが基本、とキル子は続けた。

 

「そもそも正面からきたのがNGです。貴女と私では基礎に差がありますから、やり合うなら不意打ち、闇討ちを基本とするべきですよ。御飯時や風呂、トイレ、あるいは親しい知人との逢瀬のひと時。気を緩ませずにいられないタイミングであればなおよし」

 

いや、それは暗殺者のやり口ではなかろうか、とアイズは訝しんだ。別にアイズは殺し屋に転職する気はないのだ。

 

「ちなみに、私は特殊なカウンター系のスキルを展開できますから、馬鹿正直に突っ込んでくるとか、良いカモです」

 

言われて、アイズは目を凝らしてキル子を観察したが、特にこれといって見た目の変化は分からなかった。アイズの得意とする魔法などは、発動と同時に風が体を取り巻くのでわかりやすいのだが。

 

「【悪意のオーラⅤ】。エネミーが効果圏内に入ると完全にランダムで何らかの状態異常を付与します。今回は<硬直(スタン)>が発動したようですね。ちなみにこのスキル、発動中に見た目の変化はありません。というか、私の特殊能力のほとんどは、見た目に分かり辛いのがデフォなので」

 

アイズは試合開始と同時に抜刀し、最速の鋭さを持つ突きを全力で放った。

この相手にチマチマした小技を放っても意味がないと思ったからだ。冒険者として数々の修羅場をくぐってきたアイズの勝負勘は並外れている。自身の最強を初手に放つ、それが最適解だと確信していた。

実際、それは正しかった。強大なモンスター相手ならば。

 

だが、相手はユグドラシルという魔境で対人戦闘に特化し、『最悪』と称されたPK。

【耐異常】の発展アビリティを上回る異常状態(デバフ)をもたらす特殊能力を無防備に受けてしまっては、高ランクの冒険者とはいえ、ひと溜まりもない。

全力で突っ込んでいったところを<硬直(スタン)>を食らって地べたにキスし、間髪入れずに追撃されて意識を刈り取られてしまった。

 

「【耐異常】とやらを過信されないよう忠告させていただきます。対人系ビルドのカンストプレイヤーなら【耐性貫通】や【耐性無効】系の切り札の一つや二つ、持ってるのはザラです。ヤバいと思ったら迷わず距離を離しましょう」

 

例えば、ギルドマスターのモモンガなどは極めて広範囲な即死無効を貫通する即死能力を持っていた。

 

耐性無効系能力や、逆にそれを無効とする対策はカンストプレイヤー間ではありふれていて、アイテムやスキルで常にメタを張るのは当たり前なのだ。決まると即死につながりかねない時間系の能力などはその筆頭である。

新しいジョブやアイテムが実装された時には、一刻も早く新たなメタ環境を手探りする検証地獄をしたものだ。

 

「状態異常対策に、専用装備を揃えるか、一時的な耐性薬を持ち歩くのをおすすめします」

 

その装備やら薬やらは、果たしてオラリオの何処で手に入るものなのだろうかと、アイズは訝しんだ。

 

「どちらも『迷宮の楽園』の私の店で取り扱っております。なかなか希少な品でして、少々値が張りますが買って損はありませんわ。18階層にご用の際は、是非ともお立ち寄りください」

 

キル子は満面の笑みで、ファミリア副団長のリヴェリアにもみ手をした。雑多なPKの戦利品に含まれている中途半端なアイテム類を高値で処分するいい機会なのである。

さてはこのために勝負を受けやがったか、宣伝効果抜群だなコンチクショウ、とでも言いたそうな苦々しい顔をリヴェリアはしていた。

 

「後は、対人専用武器なんかも想定しておいた方がいいでしょう。例えば、こんなのとか」

 

といって、キル子がどこからともなく取り出したのは、細身の刀身を備えた剣だった。

 

細剣(レイピア)?」

 

刀身は1メドルほどの細い棒状、先端は鋭いが側面に刃は無く、突くことにのみ特化した形状をしている。鍔が椀状になった刺突専用の剣だ。

 

「一見、そう見えますね」

 

キル子はその場で細剣を無造作に振り回した。狙いは、庭の片隅に植えてあった一本の植木だ。

次の瞬間、剣の間合いの僅かに外に生えていたそれが、真っ二つに切断されたので、アイズはあっけにとられた。

 

「とまあ、ぶっちゃけると透明な刃を備えた武器です。わざと見えるように作られてる部分で、刃渡りを誤認させて間合いと戦術を狂わせます」

 

キル子はその剣を片手で構え、刃先から数セルチほど離れた場所に指を滑らすと、その指先をアイズに示して見せた。パックリと裂け、血が滲んだ傷口を。

 

そこまでされて、ようやくアイズにも理解できた。

細剣に見えている刀身は、この武器のごく一部にすぎない。実際にはそこから更に長い刀身が伸びている。完全に透明な、視認できない刃が。

 

「これで接近戦をされると、分かっていても回避は難しいです。その代わり、攻撃力自体は低めですが」

 

これはレベル80台の透明な希少金属を使った暗器の一種で、キル子がまだレベル100になりたての頃に作ったものだ。度重なるアップデートによるメタ環境の変化や仕様変更に耐え、そのころから愛用している数少ない武器である。

見えない刃による斬撃というのも地味に厄介なのだが、見た目が細剣(レイピア)であるというのが嫌らしい。刺突属性の武器だと誤認させることができる。

ユグドラシルにおける物理攻撃は刺突、斬撃、殴打の三つに区分され、それらに対する物理耐性もこのいずれかに分かれているため、細剣という見た目で刺突属性と誤解させれば、実際には見えない刃による斬撃属性の攻撃で簡単に耐性を抜ける。これが意外に効果的なのだ。

 

キル子はそこまでの説明をしなかったが、アイズにもそれが殺人にのみ特化した凶悪な凶器であることは理解できたし、そんな代物を当たり前のように携帯している女のヤバさも理解できた。

 

「もちろん、相手がガチガチに防具で身を固めてたら、そもそもこれの出番じゃないです。あるいはHPそのものが異常に高いとか。そういう場合は、貫通力重視の武器に切り替えて、更に毒を塗ったりもします」

 

そう言いながら、キル子が取り出したのは、掌にすっぽりと収まるくらいの小ぶりなガラス瓶だった。

中身は不気味な真紅の液体で満ちている。

 

「ブラッド・オブ・ヨルムンガンド。私が知る限り、致死性の毒物の中では最も強力な代物です。ほんの数滴も貯水池に垂らせば、オラリオの人口が愉快なことになるでしょう」

 

大量殺戮できる劇薬をこともなげに取り出して見せびらかしたキル子を、アイズは狂人を見る目で眺めた。

 

「残念ながら、これは非常に希少なレアモノですので、いくら積まれてもお譲りできませんが」

 

金の問題ではない気もするが気のせいだろうか、とアイズは純粋な疑問を抱いた。

 

「ま、アレコレと申しましたが、要するに対人戦闘経験の差、とでもしておきましょうか。モンスター相手の真っ当な戦闘経験では、私じゃ貴女の足元にも及ばないので」

 

そう締めくくったキル子に対して、アイズは何やら言いたそうな顔をしていたのだが、隣で話を聞いていたリヴェリアが先に口を開く。

 

「お前はオラリオ随一の危険人物だと、改めて認識したよ……ところで、カーリー・ファミリアに襲われたと聞いたが、そちらはもういいのか?」

 

どうせそっちも何かやらかしたんだろう、とリヴェリアは疑いの目を隠しもせずにキル子に向けた。

 

「ご心配なく、リヴェリア様。おおよそ、あの方々とは手打ちで話がまとまると思いますわ」

 

なんせホテルに襲撃かましてきた馬鹿どもは、残らず<石化(ペトリフィケイション)>して送り返してやった、と狂気の笑みを浮かべて断言するキル子に、アイズとリヴェリアはドン引きした。

 

「愉快なポーズで固まった痴女の石像の群れを見れば、カーリー様の頭も冷えるのではないでしょうか?」

 

ユグドラシルにおいて<石化>は致命的な状態異常(バッドステータス)の一つで、ある意味死亡状態よりもタチが悪い。<石化>は解除できない限りその場に延々と足止めされるからだ。

大規模PVPでこれをされると非常に厄介で、しかも、高レベルのヒーラーかバッファーでないと解除も難しい。

 

「意外だな。殺さなかったのか?」

 

「私は平和主義者です。お金にならない殺しはごめんですよ」

 

実際、カーリーの率いるアマゾネス達と事を構えたところでキル子にはなんら、うま味がないのだ。

 

まず、アマゾネスは金を持ってない。

基本的にアマゾネスは略奪民族だ。欲しいものは力で奪う。食べ物も衣服も奪うか、好みのものを攫った奴隷に作らせるという。

つまりは、ほぼ文無しである。

 

奪えるアイテムもない。

揃いも揃って防具はひどい軽装というか、水着か下着である。この格好でうろつくのはまんま痴女だ。

武器すらろくなものを持っていない。ではどうやって戦うのかといえば、ほぼ徒手空拳、ステゴロなのである。

しかも娯楽といえば戦うことのみ…というか、テルスキュラのアマゾネス達は基本的に、戦い以外には興味がないのだそうな。それでは奪って換金できるものが何もない。

なんだこの脳筋集団は、たまげたなあ…

 

キル子はPK(強盗)であって、戦闘狂でもなければ快楽殺人鬼でもない。

こういう場合はお金で解決するのが一番なのだが、相手は破落戸であり、貧乏人である。倒しても経験値もドロップもゲロマズいモブのようなものなので、喧嘩するだけ無駄。もうサッサと手打ちにしてお帰り願うのみだ。エンガチョである。

 

そんな算盤勘定をしつつも、涼しい笑みを隠さないキル子を見て、リヴェリアは目を細めた。

 

「怖いな。怨恨でもメンツでもなく、純粋な損得勘定で動く手合いは恐ろしい」

 

「いやいや、我ながら暗黒メガコーポの連中に比べたら、優しい対応だと思いますよ?痴女みたいな薄着をしているのは単に金がないせいだと知ったときは、まとめて魚の餌にしてやろうかと………おや?」

 

キル子は話の途中で何かに気付いたように視線を動かした。

 

釣られてアイズが振り向くと、背後で作務衣姿の老人が恭しくキル子に向かって頭を下げている。いつの間に現れたのか、全く気配を感じることができなかった。

 

「ああ、カシンコジ。早かったわね、アリアは連れてきてくれたのかしら?」

 

ニンジャ系傭兵NPCの一人、オラリオで留守番を命じた頭パッパラパーのぺんぺん草に付けたお目つけ役のニンジャだ。

 

「はい、アリア殿は旅籠の賄処に直行しました。朝餉を抜いて走り通しでしたので」

 

「もう昼過ぎだものね。ご苦労様でした、貴方も食事にしてちょうだい。ここの魚料理はいけるわよ」

 

キル子がわざわざアリアを呼びつけたのには、もちろん、相応の理由がある。昨夜、メレンの有力者達を覗き見した結果、ちょっと面白い事がわかったのだ。

 

近年、メレン近海はかつてダンジョンから逃げ出した水棲モンスターが自然繁殖し、魚を食い荒らしたり、商船に被害を出しているらしい。

そこに悩んでいたメレン街長・ボルグやギルドのメレン支部長、そしてニョルズ・ファミリア主神のニョルズがタッグを組み、オラリオの謎の黒社会勢力から食人花を借り受けて活用していたようなのだ。

食人花は魔石を持つモンスターを優先して襲って捕食するので、害獣駆除にはうってつけなのだが、そこをロキに嗅ぎつけられたというわけだ。

ただ、所詮は食人花もモンスターであり、他のモンスターを優先的に狙うといっても、人的被害はゼロではないそうな。

 

さて、最近、キル子の軍門に降った穢れた精霊の写し身とかいう厨二的な存在であるらしい欠食児童(アリア)は、例の食人花を制御できる。

アリアを使ってモンスター被害を適切にコントロールできれば、メレンの経済事情はV字回復重点間違いない。これぞまさにサイオーホース!

もちろん、逆に食人花を暴れさせることも可能であり、最早メレンの経済はキル子の胸三寸。 

そしてメレンはオラリオの玄関口であり、オラリオの経済の動向を左右している。つまり、間接的にオラリオ経済に影響を及ぼせるのである。

ブッダ!なんと邪悪な暗黒メガコーポじみた悪魔的発想であろうか!

 

「ああ、そういえば留守中、オラリオに変わりはなかったかしら?」

 

上機嫌のキル子はついでのように何気なく問いかけた。

問われた方のカシンコジはといえば、さて何かあったかと頭を巡らせたのだが、オラリオ市中で起きた、とある些細な出来事について報告することにした。

ダイダロス通りの貧民街(スラム)を焼き尽くした、大火事の話を。

 

「……当日は風が強う御座いまして、瞬く間に貧民街に飛び火し、延焼いたしました。中々の大火で御座いましたが、御方様が目をかけておられました例の孤児院の童達は全員無事で御座います。ヘスティア・ファミリアに保護されましたようですので、ご安心下さい」

 

淡々と報告したカシンコジであったが、それを聞いたキル子の顔からは瞬時に表情が消えた。

 

「…被害は?どの程度焼けたの?」

 

急に顔色を変えた主人にやや面食らいながらも、カシンコジは如才なく答えた。

 

「およそ半分ほどは焼け落ちたように御座います。火に巻かれ命落とした者の数、夥しく。また、焼け出されたものはその倍ほどかと…」

 

貧民街(スラム)では廃材をボロ布で覆った程度の荒屋が無数にひしめいている。当然、燃えやすく、しかも上下水道がないので消火も難しい。酷いことになっているのは、想像に難くなかった。

 

そこまで聞くと、キル子は手にしていた煙管の灰を乱暴に地面に叩き落とした。

 

「皆のもの、引き上げじゃあ!トビカトウ!」

 

「あい!」

 

護衛として背後に控えていたトビカトウはキル子に名指しされると、懐から巨大な法螺貝を取り出して、一息に吹き鳴らした。

市内に散っているニンジャやヤクザ達への緊急連絡手段であり、その意味するところは「全員集合、急げ!」だ。

 

「ハンゾウ、先触れとしてオラリオへ先行!フウマは足の遅いヤクザどもを取りまとめて後から来なさ……いや、アレを使えばいいか……。火急の用ができました、これにて失礼!」

 

最後の言葉はリヴェリアとアイズに向けられたものだったが、呆気に取られた二人が口を挟む暇もなく、キル子は配下を引き連れて駆け出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠りを忘れた大都会、オラリオ。

バベルを筆頭とする高層建築が立ち並び、そのすべてが魔石を使った照明に彩られ、夜の闇を切り裂いている。

だが、強い光はその真下に強い陰を落とす。一握りの強者と、その他大勢の弱者。世界がその二つにより構成されているのは、どこの世界でも変わらない。

 

高額な税金を納める大手ファミリアが居を構える主要区画は明るく清潔に整備されている一方、貧しい者達が寄り集まる貧民街(スラム)では、うち捨てられたかのように雑多なゴミと悪臭に満ちている。

つい先日、炎によって何もかも焼かれる前までは。

 

住処を焼かれ、追われた貧民に他に行く当てはなかった。

男は身売りして郊外の大農園に農奴として流出し、女は老いも若きもセックスビズで凌ごうとして辻に立つ。

そのいずれにも行き場のない者達は人知れず元の焼け跡に戻り、冷たくなっていった。

 

そんな中、ほんの一部だが、運良く受け入れられた者達が集う場所があった。

 

 

 

「リリ先輩、食事休憩終わりました。あんた達、今度は私が相手よ!」

 

「おや、早かったですね」

 

「カリンねーちゃんだ~!!」

 

「ねーちゃん、アレやって!ぐるぐる!」

 

「ぐるぐるしゅき!!」

 

幼い兄弟達がじゃれついてくるのを、カリンは右手に持った鋼鉄製の槍にぶら下がらせ、そのままぐるんぐるんと振り回した。子供達はキャッキャと歓声を上げた。

 

ここはヘスティア・ファミリアのホーム。

元は神が架空の存在だった時代に作られ、うち捨てられた廃教会であったものだ。ヘスティア・ファミリアの手に渡ってからは、多少なりとも痛みのマシな地下部分だけが利用されていたのだが、今は地上部も綺麗に改装されている。

 

玄関から続く朽ちた礼拝堂は広めのホールに。ゴミと汚物が散乱していた小部屋の幾つかは眷属の個室に。日当たりの良い庭に面した一室は主神の部屋へと改装されていた。

風呂や炊事場もきちんと手を入れられ、使用可能になっている。

かつては何かのホーリーシンボルが掲げられていたとおぼしき天窓付近の出窓には、ヘスティア・ファミリアのホームであることを示す、竈と炎のエンブレムが掲げられていた。

 

少し前までは、眷属達が主神と共にアットホームに過ごしていた、小さいながらも楽しい我が家だったのだが、今やそこはダイダロス通りの孤児院から移ってきた孤児達が所狭しと走り回っており、てんやわんやの活気に満ちている。

 

「リリねーちゃんもっとあそぼー!」

 

「あそぼーあそぼー!」

 

「ごほんよんで!」

 

「あんた達!あんまりリリ先輩を困らせるんじゃないわよ!」

 

「子供の相手って、何でこんなに体力使うんでしょうね……」

 

カリンが食事休憩に行っている間、一人で子供らに取り囲まれていたリリルカはげんなりとぼやいた。

 

「しゅみません、先輩。苦労をかけます」

 

頭を下げるカリンに、リリルカは気にするなとばかりにその頭をポンポンとなでた。

 

「いいですよ、かわいい後輩の兄弟なんですから」

 

それに大家族というのには少しばかり憧れがあったのだ、と。同じ小人族(パルゥム)の先輩冒険者は快活に笑う。

 

「さて。じゃあ、私はベルさんの手伝いに回りますね」

 

「了解です!」

 

いそいそとファミリア団長のもとへ向かうリリルカの後ろ姿をカリンは生暖かい目で見送った。

これでもカリンはこの先輩冒険者の恋を、陰ながら応援しているのである。

 

カリンはヘスティア・ファミリアに入団し、すでに恩恵(ファルナ)を授かっていた。

ヘスティア・ファミリアは行き場のなかった兄弟達をホームに受け入れ、寝食の世話までしてくれている。大変な恩を受けてしまった。

この恩を返すためにはヘスティアの眷属となり、身を張る以外のことをカリンは思いつかなかった。

 

一度は都市最強のロキ・ファミリアの門をたたき、入門を許された身でありながら、義理を欠いた行いであるのは重々承知している。

だが、ここで兄弟達を見捨てて一人でロキ・ファミリアに戻るなど、カリンにはできなかった。カリンの憧れる()()()だって、許してくれないだろう。

それに、例の火事場泥棒と思しき黒装束の悪漢共、どうやらアポロン・ファミリアとやらの冒険者だったようなのだが、あれからもしつこく何度もやってきては改宗を迫るので、そいつらから兄弟達を守る必要もあった。

ロキ・ファミリアへは、落ち着いたらいずれ詫びを入れに行くつもりだ。

 

そんな訳で、ヘスティアの眷属となったことには何の後悔もないのだが、カリンには幾つかの誤算があった。

その一つは、恩恵を授かるや前代未聞のレアスキルを二つも発現してしまったことで、口外厳禁を主神に言い渡されている。

暇を持て余している暇神どもにバレたら、厄介なことになるそうなのだ。…おそらく()()()が姿を隠しているのも同じ理由なのだろう。

 

そして、もう一つはといえば。

 

「カリン、稽古しようぜ!」

 

「新しく覚えた魔法を早く試したい!」

 

「あんた達、油売ってないで手伝いなさいよ!」

 

兄弟分のコナンとレックスまで、どさくさ紛れにヘスティアの眷属になってしまったことだ。

 

どうやらヘスティアは彼らもカリンと同じ小人族で、見た目より年上なのだと勘違いしたらしい……というより、こいつらが勘違いするように仕向けて、済し崩し的に眷属になってしまった、というのが真相だ。

レックスなど、魔法使いだからとローブを目深に被って耳を隠し、尻尾をズボンにしまい込んで誤魔化したらしいので、完璧な確信犯である。

カリンは後であの人に告げ口をして、シメて貰うつもりだった。慈悲はない!

 

うっかりやらかしてしまったヘスティアは「子供を眷属にしてダンジョンで戦わせられるもんか!」と、ツインテールを荒ぶらせて怒ったものだ(これを見たカリンは、ソーマ・ファミリアの糞共とは違うのだと、ますますヘスティアに信頼を寄せた)。

 

小人族の先輩冒険者、リリルカ・アーデが宥め、取りなしてくれなければ大事になっていただろう。

リリルカに言わせれば、働かざる者食うべからず、というのが助け舟を出してくれた理由らしい。 未だ幼い兄弟はともかくカリン達はこの数ヶ月、()()()の教えに従ってダンジョンで戦うすべを磨いていた。あの火事場泥棒を撃退した際に、その腕前を見て、認めてくれたのだ。

ファミリア団長のベル・クラネルは渋っていたようだが、最終的には折れてくれた。

 

一人の女の子がコナンに肩車をねだった。コナンが肩車をしてやると、女の子がはしゃぐ。

 

「すごい、すごーい。たかい!」

 

コナンは、自分も!と頭の上に這い上がろうとする他の子達を慣れた様子で擽りながら、高い高いと持ち上げ、そっと地面に下ろす。

 

「順番だ、順番。それにお前ら、そろそろ日が落ちて暗くなる。おとなしくしろよ」

 

「えー、レックス兄ちゃんの魔法があるじゃん!」

 

「あれ明るいよねー」

 

「ねー。兄ちゃんおねがい!」

 

「しゃーねーなあ!」

 

レックスは兄弟達の賞賛のまなざしにノリノリで《光源(ライティング)》の魔法を使い、小さくも明るい光の球を浮かべるのだった。

 

「レックス、ちょうどいいから、ありったけ灯りを付けて回ってきなさい。魔法の練習のついでに照明が節約できるわ。コナン、あんたは体力が取り柄なんだから、この子達が疲れて眠くなるまで肩車してあげなさい。体力トレーニングになるでしょ」

 

「りょうーかーい」

 

「うっ…わ、わかったよ」

 

カリンが眉を怒らせて指示を出すと、男共は決まり悪そうに返事した。まったく、目を離すとすぐサボろうとする。

 

子供らの相手を二人に押しつけてしまうと、カリンは別の手伝いに回ることにした。実際、仕事はいくらでもあるのだ。

 

正面の扉から外に出ると、辺りは夕闇が降りつつあった。

黄昏時、嫌な時間帯だ。もうすぐ夜になる。カリンが大嫌いな夜闇が。

オラリオの裏路地を彷徨っていた浮浪児時代、闇の中で飢えと寒さと孤独を抱えて泣きながら寝た記憶。寄る方のない辛さは、身に染みて理解していた。だから、()()の気持ちも理解できるのだが……

そんな感慨を抱きながら、カリンは辺りを見回し、ため息をついた。

 

ヘスティア・ファミリアのホームの敷地内は、古い毛布や雑多な布を継ぎ接ぎして作った急増の天幕で埋め尽くされ、その合間を大勢のボロを着た人間が一列になって並んでいた。どの顔も煤で薄汚れ、その身に饐えた匂いをまとっている。

彼らはダイダロス通りの火事で焼け出され、家を失った者達だ。孤児院のみんなと共に、ぞろぞろとくっついて来てしまったのである。

ヘスティアの性格からして、彼らを追い返すことなんて出来ず、おかげでホームは難民キャンプの如き有様を呈していた。

 

「さあ、熱いから気をつけて下さいね」

 

「ありがとうございます」

 

そのキャンプの中央、湯気の立つ大鍋の前には、ファミリア団長のベル・クラネルが元気に炊き出しをしていた。

鍋の中身は煮えたぎった油であり、その中に大量に浮かんでいるのオラリオ名物のじゃが丸くんだ。じゃが丸くんは偉大である。はやいしうまいし安い。

 

「団長、手伝います!」

 

「カリン、ちょうど良かった!ジャガイモの皮を頼むよ!」

 

「ベルさん、次揚がりました!」

 

リリルカが穴あきのお玉を握りしめて、次から次へと香ばしく揚がったじゃが丸くんを古新聞の上にのせていき、ベルは差し出された皿に揚がったばかりの熱々を盛っていく。

 

「アンジェリカ、ゆで上がったぜ!」

 

「んじゃ、潰すにゃ!」

 

「相変わらず息ぴったりだなお前ら」

 

「ちょっと、大きさがバラバラじゃない!」

 

「腹に入れば同じだろ?とにかく手早く量を作ろうぜ!」

 

「しっかり油で揚げちまえば腹を壊すこともねえしな」

 

「衣は分厚く味付けは濃く。これがオラリオのいつもの味ってやつさ」

 

湯が煮えている鍋の前で大量のジャガイモを次から次へと茹でているのは、ガネーシャ・ファミリアのロイド・マーティン。その隣でジャガイモを親の敵のように潰している赤毛の猫人(キャット・ピープル)はヘルメス・ファミリアのアンジェリカだ。二人ともベルのパーティ・メンバーらしい。

それ以外にも数多くの冒険者が、マッシュしたポテトを適当な大きさに丸めて小麦粉をまぶしたり、付けダレを作る作業にいそしんでいる。

 

彼らは俗に"幸運な奴ら(ラッキーズ)と呼ばれ(あまり名誉な渾名ではないらしく、こう呼ばれることを嫌がる人もいるから要注意だ)ている冒険者らしい。ベル曰く、背中を預けて戦った大切な仲間、とのこと。

みんな、ヘスティア・ファミリアの窮地を見かねて応援に駆けつけてくれたのだ。

ちなみに主神のヘスティアは、急遽、神の宴とやらに呼ばれたらしく不在だが、さっきまで自らバイトで鍛えた腕前を発揮していた。そもそも炊き出しを始めたのも主神様である。

 

「…うめぇなあ」

 

「まさか俺たちに手を差し伸べてくれる神様がいるなんてな……」

 

「ありがてぇ、ありがてぇ」

 

焼け出され行き場を失った難民達の多くは、被災した際のショックを引きずっていたり、先の見えない未来への不安でマグロじみた目をしているのだが、熱々のじゃが丸くんを頬張るときだけは、生き生きとしたエネルギーに満ちていた。

 

石を投げれば神に当たると言われるオラリオにあっても、これまで日陰者たるダイダロス通りの貧民に手を差し伸べてくれる神など皆無だったので、ありがたさもひとしおである。

粗末な木の皿に盛られたじゃが丸くんを受け取る際には、全員が両手を合わせてヘスティアを拝んだり、土下座じみた勢いでお辞儀をしていた。

そんな彼らにヘスティアは気さくに笑いかけ、気にするなと肩をたたくのである。これはもう、神徳(じんとく)のなせることだろう。

 

カリンはありがたさと申し訳なさで、小さな胸が締め付けられるような思いを感じていた。

ホームは元から大きな建物ではないし、そこに孤児院のみんなで押しかけてしまい、ただでさえ手狭である。その上、焼け出された者が大勢詰めかけてしまった。

孤児院のマリア院長は、どうにか他に空き家を借りられないかと、今も東奔西走している。

 

だが、この光景を見る度に、神や人もまんざら捨てたものじゃない、とカリンは思いを改めるのだ。

 

「よし、やるか!」

 

気合いを入れ直して、ジャガイモの皮をむき始めた、ちょうどその時。

見覚えのあるツインテールがカリンの視界に映った。

 

「やあ、ただいまカリン」

 

「お帰りなさいませ、ヘスティア様」

 

カリンは芋を手放すと、両手を合わせてアイサツした。アイサツは大事だ。

 

神の宴とやらに呼びつけられ、留守にしていた主神のヘスティアが帰宅したのである。

ヘスティアは愁いを帯びた表情をしており、元気がなさそうだ。トレードマークのツインテールも力なく垂れ下がっている。何かあったのだろうか?

 

「何か、あったのですか?」

 

「ちょっとね…アポロンの奴が……いや、後で話すよ」

 

ヘスティアは言葉を濁した。この明るく快活な主神様がここまで悩んでいるとは、どうやらかなりの厄介事らしい。

 

カリンが訝しんだ、その時だった。

ブオオオーン!!と、聞き慣れない爆音が轟いたのは。

 

何事かと目を見開いたその場の一同の前に現れたのは、黒塗りの威圧的なリムジン。

如何な魔石技術で世界の先端をいくオラリオでも、あり得ざるハイテック。しかも、これはただのリムジンではない。ルーフに家紋入りの瓦屋根を備えた家紋タクシーなのだ!

 

なお、彼方(リアル)の家紋タクシーは特定のヤクザクランに仕える忠実な足だが、ユグドラシルでは製作可能なアイテムの一つに過ぎず、戦闘力を大幅に引き上げるサポート装備であるパワードスーツと同じく新規ユーザー獲得のため、後発プレイヤー用に導入された装備の一つだったりする。

複数のプレイヤーを中に搭載して移動する事が出来、防御力もそこそこある。主に騎乗系スキルや長距離転移能力を持たないプレイヤーがフィールド移動の足として利用していたのだが、そんな事情を知るものは当然、この場にはいなかった。

 

心臓を鷲掴みにする手(ハートキャッチ)』のエンブレムを刻まれた家紋タクシーは、あろうことかホームの前で急停止!

そして、中から現れたモノを目にすると、善良なるオラリオの市民達は目を剥いて仰天した!

 

「アイエエエ!!ヤクザ、ヤクザナンデ⁈!!!」

 

タクシーからはまるで揃えたように同じ髪型、同じ顔立ち、同じサイバーサングラスをかけ、同じダークスーツを着込み、同じ家紋をネクタイに刺繍したヤクザめいたアトモスフィアの男達が、無数に吐き出されたのだ。

明らかに車体の大きさを超えた人数であり、鮨詰め状態に詰め込まれたまま移動してきたとしたら狂気の沙汰である。

 

なお、説明するまでもなく、ヤクザとは暴力や威圧などの非合法手段によって裏社会に巣くう者達だ。

主な収入源は違法薬物の流通、地上げ、マイコ・ポンビキ、ミカジメ料徴収、違法賭博、ボッタクリショップ運営、マグロ漁船襲撃などなど。一般市民が聞けば身の毛もよだつような恐ろしいビズにばかり手を染めている暗黒集団である。

 

大抵はドロップアウトした冒険者が落ちぶれて行き着くものであり、一般市民が相手ならば十分な力を持っている。

主神自らそのようなビズに手を染め、眷属達を思いのままに操る暗黒ファミリアまで存在するという。

おお、ブッダよ!昼寝をしているのですか?!

 

「べ、ベルさん、まさか借金の取り立てじゃないですよね⁈そういえばベルさんが持ってた剣て、すごく高そうでしたけど⁈」

 

「い、いや、アレは貰い物だから大丈夫な筈だよ!」

 

「世の中、タダより高いものはないですよ⁈」

 

まさかベル可愛さにヘスティアが何億ヴァリスもの借金をして有名ファミリアにオーダーメイドしていたのじゃあるまいな、とヘスティアの金銭感覚をいまいち信頼しきれないリリルカはベルを問いただした。

 

「吐けぇえええ、ロイドォ!!お前、またヤクザから借金したにゃああああ!!」

 

「濡れ衣だー!!ギ、ギブッ!俺はやってない!ちょ、やめっ、信じてくださいアンジェリカさん!!」

 

最近、同棲を始めたカップルの片割れが金遣いの荒い恋人を締め上げて、破局の危機に直面していた。

 

「お、俺は借金なんてないぞ!」

 

「そ、そうだぜ!アイシャちゃんの店はツケが効くから大丈夫…の筈だ!」

 

「わ、私もよ!そりゃ、ちょっとイケメンホストに貢ぎ過ぎて借りたけど!」

 

他の冒険者達も急に身に覚えのない借金を抱えていないか、気になり出している。

生馬の目を抜く冒険者の世界では、勝手にファミリアのメンバーの名前を借りて、ヤクザクランに借金をすることなどチャメシインシデントなのである。

実際ヤクザの情け容赦ないトリタテは冒険者だってコワイ。

 

「アイエエエ!アイエエエ!」

 

「ナムアミダ、ヘスティア=サン、ナムアミダ、ヘスティア=サン」

 

炊き出しに並んでいたホームレス達は錯乱し、敬虔な老婆がネンブツチャントを唱え出す。

 

「ボ、ボクのホームにヤクザがぁあああ?!ナンデ?!」

 

当然、ヘスティアも驚愕した。

 

「ヘスティア様!!」

 

カリンはヘスティアの前に立ち塞がり、守るように槍に手をかけた。

そして、レックスとコナンに目配せし、ホーム内部の兄弟達を守るように促す。

 

自らの生み出したマッポーめいた光景を見ながら、ヤクザ達は同時に肩を震わせて含み笑いをし、同時にサングラスを指で直すと、同時に手を叩いて拍手した。

 

「「「「Congratulation!(コングラッチュレーション)Congratulation!(コングラッチュレーション)」」」

 

「へっ?」

 

固まるヘスティアの前で、ヤクザ達は同時に拍手を止めると、同時にオジギをした。

両手を揃えて腰を九十度の角度に曲げるスゴク丁寧なアイサツだ。アイサツは大事である。

 

「ドーモ。エート、あなたはヘスティア=サン?はじめまして、我々は善良な市民です」

 

「あ、これはご丁寧にどうも。ヘスティアです」

 

丁寧なアイサツに、ヘスティアは思わずオジギを返してしまった。

 

「我々はヤクザではないです。善意の寄付をしに来た市民の集団です。極めて合法的な、クリーンな、実際安全な」

 

『合法的』『クリーン』『安全な』を強調しており、カリンはあまりの胡散臭さに眉をしかめたのだが、彼女の主神は別の見解を持ったようだった。

 

「そ、そうだったのかい!ありがとう、助かるよ!」

 

あっさりと信じてしまった。本人達がそう言っているんだし、見た目で人を判断しちゃいけないよね!とでも言わんばかりである。

ちなみに、どう見てもヤクザにしか見えない自称・善良な市民どもは悪党めいた含み笑いを漏らしており、怪しさがとどまるところを知らない。

 

「アイェッ⁈ヘスティア様、信じるのでしゅか?!」

 

カリンは「私の主神様、チョロすぎ!」とでも言わんばかりに驚愕した。

 

「落ち着くんだカリン。ボクはこれでも神だよ。嘘くらいちゃんと見抜け…見抜け…ううん?…まあ、たぶん大丈夫さ!」

 

実際、ユグドラシルの最下級傭兵NPCであるところのレッサーヤクザ達は人の子の範疇にはないため、神すら言葉の真偽を見抜くことは出来なかったのだが、下界に降りてまだ一年足らずしか経っていないヘスティアは経験が足らず、そんなこともあるのかとスルーしてしまった。

なお、ヘスティアにはつい最近まで恩恵の隠蔽方法すら知らなかったという前科がある。

 

しかし、不安そうにやりとりを見守っていた冒険者や難民達は、ヘスティアが笑顔で断言するとあっさり納得してしまった。

冒険者達は当然のことながら各々がファミリアに属しており、神というものがどういうものか普段から親しく接してよく理解している。神を前にすればどんな嘘もたちどころに見抜かれてしまうことを知り抜いているので無理もない。

また、一方の難民達はといえば、ヘスティア様が言うならば、とそれだけで納得している。彼らのヘスティアに対する信頼感は、既に高すぎて天元突破しているのである。

 

「では受け取ってください、市民」

 

そう言いながら、明らかに家紋タクシーの容積に収まり切らないほどの物資を積み出し、次から次へと並べていく。

中身は食料品や衣類、簡易テントに毛布などなど。実際ありがたい物資の数々であり、それを見たヘスティアや難民達の顔に笑顔が浮かんだのだが……カリンの目には後ろ暗い企みを誤魔化す為の欺瞞行動にしか見えなかった。

 

「(ダメだこいつら、私が何とかしないと…!!)」

 

カリンの小さな胸に新たな決意が宿った瞬間だった。

 

 

 

なお、この後、神の宴にて決定したアポロン・ファミリアとの戦争遊戯について知らされたカリンは思わず髪を掻きむしるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

ダイダロス通り焼け跡にて。

 

 

 

「…久々ね、私をここまで怒らせたおバカさんは」

 

キル子の髪はワナワナと物理的に逆立ち、目は真っ赤に充血し、口は怒りのままに耳まで裂け、乱杭歯が剥き出しになっていた。

 

足元には、白装束を着た集団が、無惨に倒れ伏して呻いている。人造迷宮(クノッソス)を利用していた闇派閥だ。

 

「やってくれたな…!闇派閥(イヴァルス)とやら…!」

 

ダンジョンに張り巡らされた人造迷宮。その調査を行なっていた最中に、地上への出入口のあるダイダロス通り周辺を焼き尽くした大火。しかも、事はキル子がオラリオを離れたタイミングで起こった。あるいはロキ・ファミリアが人造迷宮を調べている件から手繰られた可能性もある。

いずれにしろ、証拠隠滅を図ったとしか思えなかった。

この不埒な蛮行、万死に値する!

 

…もちろん、当の闇派閥からすれば、濡れ衣も良いところである。

彼らにしても、人造迷宮の出入口を隠すのにダイダロス通りほど適した場所は他になく、わざわざ焼き払って衆目を集める危険を侵す道理はない。

この場に倒れている連中にしても、焼け跡の様子を調べに来たところを、運悪く怒れる怪物に出くわしただけなのだから。

 

だが、キル子は手に入れた情報から、あくまで状況をそのように判断してしまった。

情報を収集をする能力と、収集した情報を整理して事態を把握する能力は、また別物なのである。

あるいは老獪にして頭脳明晰なロキがいれば、適切なアドバイスを授けたかもしれない。しかし、ロキは未だメレンにあり、キル子は冷静さを欠いている。

その為、外見に難のあるレッサーヤクザ達だけでヘスティア・ファミリアに物資を届けさせる、という普段ならやらないミスも冒していた。

 

キル子は怒り狂っていた。

目をかけていた三人の孤児達…彼らを預けた孤児院の子供達…孤児院に何度か通う内に嫌でも目に付く貧民街(スラム)の状況…そこにきて、かつての自身と同じか、それ以下の境遇に身を置きながらも慎ましく生きていた者達への、惨い仕打ち。踏み躙られる、モータル(同胞)の嘆き。

それがキル子自身にも不思議なくらい、怒りを掻き立てていた。

 

「私は此奴らにインタビューします。お前達は再度情報を集めなさい。……今度は仔細も漏らすな!」

 

「ハハッ、承知いたしました!」

 

怒れる主人を前に、ニンジャ達は脂汗を流しながら土下座めいて平伏する。

状況を軽視していたカシンコジの一体は、キル子に八つ当たりめいて中指を一本ケジメされていた。

 

「おのれ…闇派閥!…生かしてはおかんぞ!!!」

 

 

 

 

 

 

 




キル子「全部、闇派閥って連中の仕業に違いない!」
闇派閥「ナ、ナンダッテー?!」

大分間が開いてすみません。
気管支がね、コロナって花粉症よりコワイ。


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第25話

誤字修正ありがとうございます


 

 

 

「ぷ、グフっ、アハハハハハハ!!!!」

 

ロキは爆笑していた。

指を指して爆笑していた。

 

「わーらーうなー!」

 

指を指されているのは、体育座りをしているカーリーだ。ムキーっと涙目である。ブザマ!

その周囲にはアマゾネス達が冷凍マグロめいて倒れ伏し、スピスピと安らかな寝息を立てている。

 

「よ、様子を、見に来たら…プククッ……ぜ、全滅て!」

 

プークスクスとわざとらしく口にすると、床をバンバンと叩き、ゴロゴロとのたうち、再び声を上げて笑い出した。腹を抱えているのは笑いすぎて腹筋を痛めたからだ。

 

この有様では取引にならず、呆れ果てたイシュタルは眷属を率いてオラリオに戻ってしまったという。

肝心の食人花についてもカーリーはシロ。ただし、イシュタルは何か知っている節があったらしいが…

 

「ひー、わらったわらった!これならわざわざオラリオから男連中を呼び寄せる必要なかったわ……ククク、キルコに手を出して不幸になる奴の見本やな!」

 

「うるさいのじゃ!!」

 

悔しそうに地団駄を踏んだカーリーがロキに飛びかかった。

ロキ無乳とロリ無乳は不毛な取っ組み合いを始めたが、ロキ・ファミリアの女性団員達は呆れたようにため息をつくだけで誰も止めようとしない。

 

「ダメです、全然起きません」

 

「薬でも使われたのかしら?」

 

「あるいはスキルか魔法か、さもなくば呪詛か。あの女のやることだ、どんな隠し球を持っていても不思議ではないか」

 

エルフの団員を率いたリヴェリアは眠りこけるアマゾネス達を調べていたのだが、やがて諦めたように頭を振った。そして、室内に無造作に並んだ石像を見る。

 

ぞくり、と。背筋が粟立つのが分かった。

 

アルガナを含む石にされた者達を元に戻すにあたって、キル子が請求した金額は1億ヴァリスという。とんでもない金額だ。

もちろん、基本的に金銭を必要としない生活を送るテルスキュラに、そんな大金は払えない。体で払っても良いので応相談とのことらしいが、いったい何をさせられることやら。

 

「危うい。流石に危険ではないか…?」

 

思わず、リヴェリアは口に出していた。

 

同じ疑念は、フィンやガレスも持っているだろう。今はロキ・ファミリアに貢献しているが、このまま野放しにしておくとどうなるか分からない。

そもそも恩恵も持たない人間が冒険者を凌駕する力を持っているという異常。それも猛者(オッタル)を一蹴したのだから事実上の都市最強であると言っていい。

 

リヴェリアは長い寿命を持つエルフの王族、ハイエルフだ。

故郷を離れて世界を見聞し、放浪した先でオラリオに行き着いた。

王族であるリヴェリアが里を出た理由は、自分の知らない世界を自身の目で見たいが為。

ロキによって半ば無理矢理ファミリアに加えられてしまったが、ゆくゆくはオラリオを出て世界を旅するつもりだった。

 

そんなリヴェリアにとって、『未知』は永い生を慰める無聊であり刺激でもあるが、恐れでもある。

キル子という、未知への恐怖。徐々にソレが勝り始めていた。

59階層では命を救われた身であるが、いずれロキ・ファミリアにとって、いやオラリオにとって致命的な災いを呼び込むのではないかと、その疑念がどうしても拭えない。

 

しかし。

 

「それはないやろ」「ないじゃろな」

 

互いにコブラツイストをかけようと試みていたロキとカーリーが、異口同音に断言した。

 

「…何故だ?」

 

リヴェリアは訝しんだが、ロキはカーリーの仕掛けたチョークスリーパーを外す作業に夢中になっている。

やがてロキが泡を吹いてバンバンと床を叩いた。タップアウト、カーリーが1ラウンドを制した。

 

「よしっ…!確かにあの女は少しばかり…いや、かなり狂っていたがの。魂は完全に、典型的な人間()のそれじゃよ」

 

「ぐぎぎっ…!そ、そやな。ある意味、あいつほど人間らしい人間はおらんかもな…」

 

見るものが見れば眼福のくんずほぐれつキャットファイトを演じつつ、二神は片手間に答えた。

 

「ぬぉりゃぁ…!!…ふぅ…()()()()()があんまりに常軌を逸しとるからわけわからんだけで、結果だけ見るとたいした騒ぎにはなっとらんやろ?」

 

第二ラウンド、やや体格に勝るロキがカーリーを床に押しつけ、エビ固めによるホールド。

何故かレフリーをやらされているアイズ・ヴァレンシュタインが「なんで私が…」とでも言いたそうな顔をしながら3カウント数えた。ピンフォール、これでイーブン。次で決まる。

 

ロキから見れば、キル子がオラリオで起こした騒動など、実は大した影響はない。

様々な物を持ち込み、配下と共に強力な戦闘力を垣間見せ、色々と好き勝手やっているが、ではそれでオラリオの何が変わったか?

強力なアイテムは、これまでもダンジョン深層への探索が進み、新たな素材が発見される度に齎されてきた。

戦闘力にしても、ロキのファミリアが名を上げる前、長い間オラリオに君臨していたゼウス・ファミリアやヘラ・ファミリアも相当なものだった。Lv.7を複数抱え、Lv.8すら居た。都市最強を謳われながら未だロキ・ファミリア、そしてフレイヤ・ファミリアもあの高みには至っていない。

それに比べれば、どうだという話だし、何よりキル子はダンジョンの探索や、ファミリアそのものにも大して興味を持っていない。

 

…それに、馬鹿な神がファミリアごと潰されるのも、そう珍しい事ではなかった。闇派閥が幅をきかせ、無数の神が消去されていた頃の方がよほどひどい。

それをよく知っているロキとしては、お行儀が良くわかりやすいキル子などは……まあ、恩恵無しというのを露骨に嫌がる神もいるだろうし、確かに脅威ではあるが、興味が勝る。最高の道化だ。

 

「よっしゃ!……ようは本人も自覚しとる通り、俗物なんや。男遊びが大好きで、リヴィラじゃアコギに荒稼ぎ、そしてダイダロス通りの孤児院やらに大金を寄付する篤志家でもある。本人は隠しとるつもりかも知らんが、な!」

 

ロキの大技、ジャーマンスープレックスが見事に炸裂!カーリーのKO負けだ。

 

あの女は、ロマンだの憧れだの、夢だの希望だのからはほど遠い。神が待ち望み、冒険者が心の底で憧れる、英雄への願望を欠片も抱いていない。目が向いているのは徹頭徹尾、現世利益のみ。

色に溺れ、美酒に酔い、美を愛で、情に流される。欲望の形がわかりやすい。

 

「のじゃあ!……そうじゃな、結局、妾の眷属は一人も殺されておらんし。プライドは完全にボロボロじゃが…」

 

逆転負けしたカーリーは、トホホと項垂れた。

テルスキュラを出てから散々だ。お外は怖いところである。

 

「…まあ、あの女はやろうと思えば全員を石塊に変えて海に沈めることも出来たわけじゃよ。そうなっていたら今頃、魚礁としてタイやヒラメと戯れとったじゃろ」

 

面白くもなさそうにつぶやくカーリーに対して、だからこそ面白い、とロキは嘯く。

 

何処までいっても心根は矮小な凡人に過ぎないのに、力だけは有り余っている。広い下界には時たま出てくる異物だが、そういう人種の末路は大抵、力に振り回された末の破滅と相場が決まっている。ロキの大好物だが、さてどうなる事やら。

 

「キル子のやつ、ベートに惹かれるわけやで。あの二人、一見正反対に見えて、根っこの部分がよーく似とる」

 

愛と憎しみは紙一重、という言葉もあるようだが、愛の反対は憎しみではない。無関心だ。

多くの神や冒険者は、そもそも弱者に関心を持たない。特に成功した上級冒険者や大派閥の神は。ロキ自身やその眷属、アイズやリヴェリアなどもその点は変わらない。

 

「あいつらはな、違うんや。見てるものがな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイダロス通りの跡地に、土砂降りの雨が降り注いでいた。

未だに焼け焦げた匂いがわずかに立ちこめ、煙と雨で辺りは白くけぶっているが、ようやく熾火が鎮火して熱さが収まってきている。

家とも言えない荒ら屋は軒並み焼け落ち、そのあとに豪雨に押し流され、微かに名残を残すのみ。

炎は何もかも、焼き消してしまった。そこで暮らしていた人も。

 

灰を含んで黒く濁った水たまりに浸された焼け跡を、キル子は無表情に見つめていた。

 

暑く空気の乾燥したこの季節に火事は珍しくないが、今回のそれはあまりにも唐突に起こり、しかも火元が限定されすぎている。そして、瞬く間に延焼してしまった。

ニンジャ達の尻を蹴飛ばして集めさせた情報のすべてが、この火事が単なる自然発火や、過失によるものではないことを示している。

 

オラリオの司法に照らせば放火は重罪である。だが、都市の統治者を自認するギルドはあまりこの件に関心を持っていない。

彼らの第一義は派閥の利害調停と冒険者への支援であり、貧乏人が寄り集まった貧民窟(スラム)が数十ヘクタールほど焼けた程度、どうでもいいと思っている節がある。これ幸いと、焼け跡を再開発地区に指定して、出入り商人に入札させる計画すら持ち上がっているらしい。

標的の印(ターゲットサイン)】を介して盗聴した際に、嘆くようにそう呟いていた、とあるハーフエルフの受付職員の言葉が、耳から離れなかった。

 

キル子は煙管からキツめのメンソールの香りを漂わせながら、時折、数珠型の腕時計を確認し、白い煙を吐き出す。背後には護衛役のフウマとトビカトウが控え、蛇の目傘を頭上に差し出していた。

 

「…待ち人来らず雨が降る、か」

 

オラリオに雨を降らせたのはキル子だ。

第6位階魔法、《天候操作(コントロールウェザー)》。天候や気象現象の変化を起こすことができる、ドルイドの使う信仰系魔法。

雨や霧は視界を遮り、匂いを消す。暗殺(PK)に適しているので、結構な数の巻物(スクロール)をキル子は持っていた。

その日、キル子がオラリオに居さえすれば、たちどころに延焼を抑えていただろう。

 

雨は霧雨に変わり、やがて曇天に薄らと晴れ間が覗く。

キル子が憂鬱そうに煙管の灰を捨て、煙草を入れ替えようとした時だった。

 

「御方様、あちらを」

 

背後のフウマが警告するまでもなく、キル子の【聞き耳】スキルは、微かに水たまりや泥濘を踏む足音を捉えていた。まだ距離はあるが、確実に此方に向かっている。たまたま通行人が立ち寄るような場所でも時間帯でもない。

 

「あんたかい、あたしに用があるってのは?」

 

やって来るなりキル子に胡乱な目を向けたのは、乞食のような身なりをした長身の老婆だった。

 

至る所がすり切れたローブを羽織り、中途半端に伸ばした白髪頭は鳥の巣のようだったが、鋭い目つきには独特の迫力がある。

背後にはこれまたボロを着た男が二人、そして隠れているつもりのようだが、もう何人か老婆を守るかのように周囲の廃墟に隠れているのをキル子は感知していた。

 

キル子に八つ当たりめいた怒りを向けられたニンジャ達が一晩で探し出してきた、この辺りの顔役だ。

ダイダロス通りの界隈で長いこと暮らしている長老格で、スリや置き引き、物乞い達の相談役のようなことをしており、顔が利くという。

 

「ドーモ、ペニア様。初めまして、キル子と申します」

 

キル子は両手を合掌してアイサツした。アイサツは大事だ。

 

だが、深々と下げたキル子の頭が上がる前に、老婆は言い放った。

 

「…ここらでスリや巾着切りの手首を落とした女ってのは、あんただね?」

 

アイサツを返さないばかりか途中でアンブッシュめいて遮るのはスゴクシツレイであり、彼方(リアル)なら問答無用でセプクを迫られるケジメ案件だが、老婆は意に介さず、ギロリとキル子を正面から睨んでいる。

 

「?……あ~、そういえば、そんなこともありましたかね?」

 

キル子的にはどうでも良い出来事なので忘れていたが、そんなことをした気もする。

 

乙女の懐に手を突っ込み、柔肌に触れようとする愚か者には似合いの末路ではなかろうか。ちなみにキル子が手を下した愚か者の数は両手の指に余る。

 

「尊い仕事(シノギ)だよ。修行をして技を身につけ、汗水垂らして、有るところから無いところへ富を移すために働いている」

 

スリをそんな風に評するあたりに、この老婆の価値観が端的に表れている。

 

「そんな()()()()な商売をしている貧乏人の手首を切り取る、おっそろしい女がいるって、この界隈じゃみんな震え上がってるよ」

 

暗に手を出すのをやめろ、と言いたいらしい。

 

「ふむ。…私の財布に手を出さない限りにおいては、その方々に手を出さないとお約束しますよ、ペニア様。私の知りたい事を教えて下さるのであれば、ですが」

 

「安心おし。もう、あんたに手を出す奴はいないよ。おっかなくってね」

 

老婆の背後に控えて此方を睨んでいる男たちの手首がないことに、キル子は気付いた。どうやら愚か者…もといキル子の被害者らしい。

 

「それに、わざとらしく"様"なんて付けるのもお止め。敬称ってのは本当に敬いのある相手に付けるもんだ。あんた、神なんぞ屁とも思っちゃいないんだろ?」

 

当たり。キル子は心の中で舌を出した。

 

ペニアは神の一柱だ。人の子の嘘など、たちどころに見抜く。

 

『貧窮』の女神・ペニア。

ダイダロス通りに住まい、下界に降りていながら派閥(ファミリア)も眷族も持たないという変わり者。

 

下界の者たちから持ち寄られた金品を頂戴し、ダイダロス通りの貧民に恵んでいるという。そのため貧民街(スラム)の住民からの支持は高く、名実共にダイダロス通りの主として振る舞っている。

神々の間では悪い意味で有名で、天界ではよく他神の神殿から貯えを掻っ攫っていたとか何とか。神々の間では屈指の嫌われ者らしい。

 

「そこはそれ。私ら日本人は礼節を重んじますのでね」

 

キル子が不敵に笑うと、ペニアは不愉快そうに鼻を鳴らして、顎をしゃくった。

 

それが何の合図かは、すぐに分かった。

焼け落ちたレンガ造りの廃屋の影から、ぼろを着た浮浪児のような少年がひょこりと出てきた。キル子が感知していた反応の一つだ。

十代の半ばほどの年齢の少年は顔も服も、裸足の足も真っ黒で、歯が何本か欠けていたが、ニコリと笑う顔には愛嬌があった。

 

「リカルド、教えてやんな」

 

「あいよ、婆ちゃん」

 

リカルドは煙突掃除夫を生業にしているのだと話してくれた。

最近では魔石を使った装置が増えてきているが、まだまだオラリオの煮炊きと暖房は暖炉と煙突に頼っている。煙突一つで1000ヴァリス、そこそこの稼ぎになるという。

彼が黒いのは火事で焼け出されたのではなく、元から煤で汚れている為らしい。

だが、職業柄、見晴らしのいい場所から、色々と見聞きする機会がある。

 

「自慢じゃないけど、オラリオの煙突でオイラに登れないのはありやせん。あの日も、オイラはこの辺りの煙突に登ってやした」

 

リカルドは火事の当日、ちょうど煙突掃除に呼ばれていた。そこで火事に巻き込まれて慌てて逃げる前に、火元近くで怪しい集団を()()見たという。

 

白装束で全身をすっぽりと包んだ怪しい奴らと、黒い軍服じみた装束を着込んだどこぞの派閥らしき集団。どちらもボロを纏った貧民で溢れたダイダロス通りで活動するには、少しばかりドレスコードが不適切だった。

黒いのは初めて見たが、白装束は時折この辺りに出没しているという。

 

間の抜けた連中だ。素人さんに見咎められるとは。オラリオの冒険者は恩恵を持たぬ一般人(カタギ)を軽視しているので、今更だが。

 

「白装束の方は……典型的な闇派閥のそれですよね?」

 

「さあね。確かに何十年か前から、そんな馬鹿げた連中がいるけどさ。あたしゃ面倒が大嫌いなんだ」

 

惚けてみせているが、オラリオ中のスリや物乞いなどから報せが集まるので、ペニアは事情通だ。

 

昨夜、焼け跡辺りを彷徨いていた闇派閥らしき白装束は、怒り狂っていたキル子自身がたたきのめし、本拠の和風屋敷に備え付けられている座敷牢に拉致監禁している。

所詮は下っ端というべきか、大した情報は持っていない。せいぜい奴らの派閥の()()()()、そのくらいだ。

本拠地の場所だとか、他の構成員の数や質、どの程度の戦力があるのか、あるいは何を目的にして活動しているだとか、そういう肝心な事は何一つ知らされていないようだった。

洗脳系の魔法やスキルを使ってインタビューし、体にも聞いたから間違いはない。

死者に会いたいだとか、主神に仕えればそれが叶うだとか、新興宗教にハマった狂信者じみた戯言ばかりを口にしているキチガイだ。

 

ダイダロス通りの地下に張り巡らされた人造迷宮を利用しているらしき闇派閥、そいつらの本拠地の場所を特定するのが何より重要なのだ。

カチコミするにも相手の場所が分からなければ、どうにもならない。新たな情報、その黒い服を着た連中というのも気になる。

 

更に詳しい話を聞こうとしたキル子だったが、ペニアは抜け目なかった。

 

「おっと、そっから先は別料金だよ。卑しく稼いだ不浄な稼ぎ、浄財するいい機会さ」

 

がめつい婆様だ。そう思ったが、今は時間が惜しい。

時間を金で買う、というのは勝ち組サラリマンの特権だと思っていたが、まさか自分が買う側に回ることになろうとは。

 

キル子はインベントリから大量の金貨が詰まった袋をドサドサと取り出した。

慰謝料込みの値段だ。それに、棲家のダイダロス通りがこの有様では、金は幾らあっても足りるまい。彼方(リアル)では誠意と言えば、金額のことだった。

 

何故かペニアは顔を顰めたが、ペニアの連れてきた連中は袋の口からのぞく金貨の輝きに目の色を変えた。

 

「持ちすぎだね。豊かさは肉体から労働を奪い、富は精神を腐らせるよ」

 

キル子は嘲笑った。

馬鹿馬鹿しい。どうやらこの老神(ろうじん)とは、どこまでも意見が合わないらしい。

贅沢は敵ではない、素敵だ。

 

「私が生まれたところじゃね、そういうのは人を安くこき使うために、暗黒メガコーポがよく吹聴してましたよ」

 

『納期厳守』『顧客が大事』『コンプライアンス重点』『成せば成る』…etcetc

暗黒メガコーポが支配する欺瞞に満ちたマッポー社会。いつだって先立つものを大量に持っている方が強いのだ。金持ちがさらに金持ちになる経済メカニズムが世を支配する素晴らしき哉、暗黒社会。マッポーカリプスナァウ!

 

「さあ、対価は払いました。タイムイズマネー、ビズはクールにいきましょう」

 

忌々しそうにペニアはキル子を一瞥したものだが、不意に懐から酒瓶を取り出し、ラッパ飲みをした。唇からこぼれた赤い液体を袖で乱暴に拭うと、蠱惑的な香りがキル子のところまで漂ってくる。

 

おや、とキル子は思った。かなり上等な葡萄酒だ。

おそらくは、キル子が一手に商っている神・ソーマの遺した神酒とは、別系統の神酒。

何せ、飲み干したペニアに【酩酊(神酒)】なる状態異常(バッドステータス)がくっついたのだから。

 

「ちっ、いい味してるねぇ……本当に生意気な小娘だが、マリアの所の子供達が世話になったって話だし。ちぃとばかし足りないが、残りはまけといてやるよ。―――その代わり、ここをこんな風にしちまった奴らを見つけたら、あたしらの分までヤキ入れとくれ!」

 

その後、ペニアは、キル子の知りたいことをあらかた教えてくれた。

恐らく、例えばロキあたりが真っ当に尋ねたところで、この偏屈な老神は何も答えなかったのではなかろうかと、そう思う。

 

ペニアの態度は実際シツレイだったが、何故かキル子は嫌いになれなかった。ペニアは単にキル子自身の行動や言動が気に入らないと、ただそれだけだったのだから。

相手を人間だからと格下に見なかった神は、キル子の知る限り、ヘスティアに次いで二神目だった。

 

 

 

 

ペニア達が去った後、キル子はその場で煙管を蒸していた。

やがて、煙管の中身が全て灰になった頃合いには、考えがまとまっている。

 

「ハンゾウ」

 

「ハハッ、御前に!」

 

赤いスカーフを首元に巻いたハンゾウが、おくゆかしく平伏しながら進み出た。適当に選んでリーダーに任命した一体だ。

背後には、同じく青や緑、黄色のスカーフを巻いたトビカトウ、フウマ、カシンコジが並んで平伏している。

 

(黒い服……闇派閥(イヴァルス)とは別口か?)

 

否、とキル子は頭を振る。状況的に、そいつらも闇派閥の一派なのは間違いない。

 

そもそも闇派閥が四六時中、白装束なんて目立つ格好をしている道理はないのだ。

闇派閥とは『邪神』を名乗る複数の過激派ファミリアの総称。傘下の団員は幹部格を除いて一様に顔を隠した白装束に身を包んでいると聞いていたが。

むしろ、そんな如何にも闇派閥で御座いと言わんばかりに目立つ囮を泳がせて、裏でごく普通の一般人や冒険者の格好をした奴らが動いている、そうみるべきだ。黒服共はその一味。ピタリ、とピースが嵌まった気がした。

 

チクショウ、こんな単純なことにナンデ気付かなかったのか!

となると、やはり昨日ひっ捕まえたのは囮だ。大した情報を渡されていないに違いない。

 

やってくれた(のう)、タナトス・ファミリア=サン!

 

怒りに燃えるキル子は、自らの常識に照らし合わせ、明後日の方向に推理を働かせた。

 

「リカルド君から聞き取った黒服どもの特徴、頭に入っているわね?」

 

「ハイッ、何処の家中の者どもか、直ちに調べまする!」

 

キル子は満足そうにうなずいた。

 

リヴィラとオラリオ、そしてメレンに必要最低限の人員を置き、残りはすべてこの探索に投入する。

レッサーヤクザどもを呼び出しておいて良かった。おかげで人員不足をある程度補える。

 

「それと、人造迷宮(クノッソス)の地上側の出入り口を特定しなさい。穴は一つ二つじゃない筈よ」

 

キル子は追加の命令を下した。

その手の中では「D」の一字が刻まれた球形のマジックアイテムが弄ばれている。捕らえた闇派閥から奪った、人造迷宮の鍵だ。

かつてロキにも話したように、鍵は厳密に管理されているだろう。ことが露見するのも時間の問題、奴らは相当焦るに違いない。あまり時間をかけてはいられない。

 

「畏まりました、必ずや!」

 

ハンゾウは首を垂れた。

 

おそらく闇派閥の本拠地は、人造迷宮の何処かにあるとキル子はみている。

だが、あのだだっ広い穴蔵を隅から隅までしらみつぶしに探すというのは、現実的ではない。 ならば、地上との行き来を押さえるまで。

かつてユグドラシルで猛威を奮ったPKの妙、今こそ見せてくれよう。

 

下調べにもう少々、準備にも時間がかかるだろうが、致し方ない。

PVPの基本は相手の情報をとにかく収集し、奇襲でもって一気に勝負を付けること。これが『誰でも楽々PK術』によるギルド、アインズ・ウール・ゴウンの基本戦術である。

何度この場にぷにっと萌えかモモンガが居てくれれば、と思ったことか。正直、キル子はこういった頭脳労働は苦手なのだ。ソロで遊撃に回るのが一番強い。

腹黒策士・ぷにっと萌えか、万能の天才・モモンガならば、こんな手間暇かけずにズバッと解決してくれただろう。

かつての仲間に対して、キル子は無条件の信頼を寄せている。

 

「幸い戦争遊戯とやらのおかげで、オラリオ中の目はそちらに向いている。……準備ができ次第、カチコミだ。気張れ!」

 

「「「ハイッ、ヨロコンデー!!」」」

 

ニンジャ達は闇の中に溶けていった。

 

一人残ったキル子の手には、町中でバラ撒かれている戦争遊戯なる見世物のチラシが握られていた。

 

「戦争遊戯ねぇ。公式PVP大会ってとこかしら?」

 

ルールは殲滅戦というらしい。お行儀のいいユグドラシルの公式PVPよりも、どちらかというとルール無用の盤外無差別PK合戦に近い気がする。

要するに、何も考えず全員キルすればいいのだ。そういうのはキル子の得意中の得意である。

 

「ちょっとだけ、ベルきゅん達の様子を見て来るかな」

 

ヘスティア・ファミリアとアポロン・ファミリアの戦争遊戯。気にならないと言えば嘘になるが、今はやる事がいくらでもある。闇派閥のクソ共殲滅が最優先だ。

それに、死人の出ないルールらしいから、単なるスポーツ的なお気楽イベントなのだろう。

 

あくまでも様子見のつもりのキル子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘスティア・ファミリアのホームの一室は、重苦しい空気に包まれていた。

 

どうしてこうなった、と。

主神、ヘスティアは辛そうに頭を抱えている。

 

彼女の頼れる眷属、ベル・クラネルの瞳は静かな怒りを湛えており、リリルカ・アーデは口元に苦悩を浮かべて押し黙り、最近ファミリアに加入したばかりの元孤児、カリンは頭をかきむしっていた。

なお、カリンと同時期に加入した見習い冒険者のレックスとコナンは、逆に目を輝かせている。

 

部屋の外からは対照的に、焼け落ちたダイダロス通りの孤児院から移ってきた孤児達が元気に駆け回って遊ぶ声が響き、窓の外からはホームの敷地内で生活する避難民の喧騒が絶え間なく届いている。

 

「ごめんよ、みんなぁ……ボクが、ボクがふがいないばっかりに……!」

 

涙を浮かべて項垂れる主神を責める者は誰もいなかった。

ヘスティアが悪いわけではないのだから。

 

全ての原因は、急遽、呼び出された神の宴にあった。

 

その名の通り神のみが参加を許される会合だが、主催する神も開催時期も無原則であるこの宴は、特に目的意識もなく、ただ騒ぐためだけに開かれることが多々あるのだが、今回のコレは異色だった。

 

宴というには会場に華やかさがなく、広さもない。

申し訳程度の飲み物や食べ物が壁際に並べられており、卓は真ん中を開けるようにして配置されている。

左右を見回せば、見知った顔はほとんどなく、せいぜいがヘルメスくらいのもの。

おまけに居並ぶ神共は、何故かこちらを見てクスクス忍び笑いを漏らしているとくれば、流石に鈍感なヘスティアでも、これは何かあると気付くというもの。

 

その予感は当たっていた。

何せ、いきなり訳も分からず中央に引っ張り出されたと思ったら、いつも通り外連味たっぷりのア()ロンから 『ヘスティア・ファミリアにステイタス偽装の嫌疑あり!』と指を突きつけられたのだから。

 

ヘスティアにとってアポロンは出来れば相手にしたくない神の筆頭格で、ぶっちゃけ苦手である。

天界に居た頃から、色恋沙汰にうつつを抜かしまくり、気に入った相手は老若男女問わず手を出す色情狂。しかも、やたらめったら執念深い。

お近づきになりたくない相手なので、ヘスティアは近寄ろうともしなかった。それは下界に降りてからも変わらない。というか、存在そのものを忘れかけていたくらいだ。

だから、決して恨みを買うような相手ではなかったのである。ついさっきまでは。

 

アポロンの主張はこうであった。

『過日、ダイダロス通りで痛ましい火事があり、()()()()通りがかった我が眷属は、直ちに救助活動を行った。ところが逃げ遅れた可哀想な孤児達を避難させようとしていたところを、ヘスティアの眷属に妨害された。

これだけでも非難されるべき大問題だが、あろうことかヘスティアの眷属、それも申請ではLv.1にしか過ぎない者達の手でアポロン・ファミリア団長にしてLv.3にもなるヒュアキントスが、男として致命的な重傷を負わされた。これはあり得ない事態であり、ヘスティア・ファミリアがステイタス偽装に手を染めているのは確定的に明らかだ』…と演説をふるった。

 

その時はまだカリン達三人はヘスティアの眷属でも何でも無かったのだが、アポロンはその事を意図的に無視していた。

もっとも、あの時、現場にはヘスティアも居り、またカリン達は悪名高いソーマ・ファミリアからの改宗(コンバート)組の為、この事を主張しても無駄だっただろう。

 

アポロンが槍玉に上げているステイタスの偽装とは、ギルドに報告すべき眷属のレベルを、実態と偽って報告することである。

冒険者にとって恩恵によって与えられるステイタスの内容は本来隠すべきものであるが、レベルだけはギルドへ正確な報告の義務がある。どの程度のレベルの眷属を何人抱えているかで、ギルドへ納める納税額が決定するからだ。

 

冒険者はダンジョンに探索に出向き、モンスターから素材や魔石を得て換金することで収入を得るが、実際にはどの程度の収益を得ているのか正確に算出するのは難しい。換金はギルドの買い取りだけでなく、大小無数の商店でも可能だからだ。また、生産系のファミリアに属する者は、そもそもあまり探索に出かけないことも多く、判断が難しい。

そこで、かなり大雑把な措置ではあるが、ギルドでは抱えている眷属の数と質により納税額を決めている。

 

これを過小に申告することは、重大な犯罪である。脱税だ。

派閥からの収益によって公共サービスが成り立つオラリオでは、ある意味一番罪が重い。

何かにつけて腰の重いギルドだが、このステイタス偽装にだけは目を光らせており、少しでも疑いがあれば即座に査察を派遣する。

神の中には、戦力を秘匿して悪さを企む者もいるからだ。

 

そこを突いたアポロンは、重ねて言った。

ステイタス偽装ではないとすれば、何らかの特殊な能力を持っているのではないか。疑いを晴らすためにも、それを明らかにすべきだ、と。

 

「そ、それは…!」

 

一瞬、ヘスティアは言葉に詰まった。

 

ベル・クラネルの前代未聞のレアスキル【憧憬一途(リアリス・フレーゼ) 】。

カリンの同系統のスキル【憧憬淑女(マイ・フェア・レディ)】。

さらにはレックス、コナンにカリンを加えた三人に同時に発現してしまった正体不明のスキル【Yggdrasill System(世界樹の加護を受けた者)】。

前回のリヴィラへの遠征から帰ってから、リリルカ・アーデまで新たな特殊スキルに目覚めており、これを明らかにしたら周りで爛々と目を輝かせている暇神(ひまじん)共が、どんな反応をするか分かったものじゃない。

そもそも、そんな希少なスキルを持った眷属ばかり、どうやって手に入れたのかという話に発展したら、収拾が付かなくなるだろう。

 

…ちなみに、だいたいの原因と言えなくもないユグドラシルからの来訪者は、その時、唐突なくしゃみに襲われていた。

 

ヘスティアが言葉に詰まったのを見て取ったアポロンは、ここが攻め時とばかりに、更なる口撃を浴びせた。

「何故、答えられないのか!」

「やはりステイタス偽装しているのか! 」

「孤児院の子供達はヘスティア・ファミリアに無理矢理、拉致されたのだ! 」

「悪逆非道な派閥に可哀想な孤児達を預けておくことは正義に反する! 」

「我がファミリアにより救い出されねばならない!」

と、言いたい放題である。

 

この謂われのない誹謗中傷に、流石のヘスティアも黙ってはいられなかった。

ヘスティアは竈の女神にして処女神。だが、もう一つ司っているものがある。

それは、全ての孤児達の保護者。弱く恵まれない子供達は、彼女にとって須く守り愛すべきもの。アポロンの暴言は、神格(じんかく)の否定に他ならない。

その為、ヘスティアは常になく激怒した。黒幕の描いたシナリオのままに。

 

「ボクらがそんなことするわけないだろ!っていうか、あのときの人攫いは君の眷属だったのか、アポロン!!!」

 

「誰が人攫いだ!人聞きの悪いことを言うな!」

 

「誰がどう見ても人攫いじゃないか!マリアくんは君の眷属に大怪我させられて大変だったんだぞ!謝れ!」

 

「おおかた、火事に動転して救助の邪魔をしたんだろう!そんな事まで知るか!!」

 

徐々にテンションをエスカレートさせたアポロンは、挙げ句の果てにダイダロス通りに火を付けたのはヘスティア・ファミリアで、被災者達を囲っているのは自作自演を誤魔化すための欺瞞、とまで言い放った。

 

「ふざけるなっ!!」

 

もちろんヘスティアは反論したが、ここで思わぬ妨害にあった。

普段は面白がりながらも大して口を挟んでこないギャラリーの暇神どもが、今回に限って全面的にアポロンの肩を持ったのだ。

いちいち野次を入れてくるおかげでヘスティアの反論は遮られ、言いたいことの半分も口に出来ない。 完全なアウェーだ。

 

そして、いよいよ舌戦に熱が入り、佳境に突入した時のこと。

 

「まあまあ、二人とも頭を冷やせよ」

 

したり顔で間に割って入ったのは、神・ヘルメス。

 

「どっちの言い分もわかるけどさ、証拠は何もないんだぜ。言うだけ無駄じゃね?」

 

神の嘘は同じ神にすら見抜けない。どっちが正しいか、などと不毛な言い争いをしても意味が無い。

証拠は何もなく、その場に居合わせた眷属達の証言には信憑性が担保されない。論ずるに値しない、とヘルメスは言い切った。

 

冷静に考えれば、これはおかしな話だった。

確かに神の嘘は神にも見抜けないが、眷属()達の証言は別だ。この場(神会)に呼び寄せればいいだけのこと。

そうなれば都合の悪いことを聞かれた方は沈黙するに決まっており、どちらに非があるかなど、たちどころに明らかになるだろう。

それに眷属の証言が信用できないというのなら、その場に居合わせた孤児院の院長や、孤児院出身の『豊穣の女主人』の店員からも詳しい話は聞ける筈である。

 

残念ながら、ヘスティアは冷静さを失っていて、そのことに気がつかなかった(実際には、巧みな煽り術で激高させられていたのだが)。

また、この場でそれを指摘する神は居なかった。

神友であるヘファイストス、公平さに定評のあるガネーシャ、あるいは腐れ縁のロキといった、多少なりともヘスティアの味方をしてくれそうな神々は、一人も出席していなかったのだから。

それもまた黒幕のシナリオ通り。アポロンすらも役を演じるだけの道化にすぎない。

 

善意の第三者気取りで二神の調停に乗り出していた、その黒幕は、わざとらしくため息をつきながら、こう言った。

 

「こりゃあ、もう収まりがつかないなぁ…」

 

やれやれ、とばかりにヘルメスは頭を掻きながらアポロンに目配せした。

頃合いだ、とばかりに。

ツインテールが荒ぶり過ぎて、文字通り怒髪天を突いていたヘスティアは、そのことに気づかなかった。

 

大袈裟な身振り手振りを交えながら、アポロンは片手の手袋を投げつけた。

 

「ならば、ヘスティアよ!もはや言葉を尽くす段階は過ぎた!後は剣によって互いの正義を示そうではないか!―――戦争遊戯(ウォーゲーム)だ!!」

 

つまり、決闘裁判だ。

 

「望むところだ!!」

 

ヒートアップしていたところで、思わず応じてしまったのがヘスティア痛恨のミスである。

 

ヘルメスは密かにほくそ笑んだ。

 

「諸君、ここに両者の合意はなった!戦争遊戯(ウォーゲーム)の開催だ!!」

 

面白そうに観戦していた暇神達から、やんややんやの喝采が上がった。

 

そして話は冒頭へと戻る…

 

 

 

「戦争遊戯!うぉー!かっけー!」

 

「やってやるぜ!!」

 

無邪気にはしゃぐお子様二名はさておいて、残る三名は事態の深刻さを正確に認識している。

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)、それは神と神が己の威信と誇りを賭けて眷属同士を争わせる代理戦争。

ファミリアの総力を結集して挑む仁義なき闘争であり、賭けられるのはその派閥のすべて。勝者は敗者の全てを奪う権利がある。ホームも、資金も、眷属すらも。利害を争うヤクザの抗争と本質的には変わらない。

暇を持て余した神々にとって、何よりの娯楽だ。勝者を讃え、敗者を嘲笑う。

 

この戦争遊戯は速攻で承認されると同時に、ギルドを通じて大々的に布告されてしまった。

あらかじめ刷っていたらしいチラシがバベル最上階から大量にまかれ、町中にポスターが貼られ、大通りでは賭けの予想屋が現れてレートを声高に叫ぶ。

何もかもが、あまりにも早すぎる。最初から仕組まれていたかのように。

 

「戦力差は…ちょっと考えたくないですね」

 

リリルカが重苦しい口調で言った。

 

相手は探索系中堅派閥のアポロン・ファミリア。

Lv.2の団員がそれなりに所属しており、団長であるヒュアキントスに至ってはLv.3に至っている。

いや、単純に所属する眷属の数だけみても、ヘスティア・ファミリアが5名なのに対し、アポロンの眷属は104名。

彼我戦力差は5対104。質の差を考慮すればさらに開くだろう。

 

「形式が殲滅戦だって事も痛いでしゅ…」

 

カリンが呻くようにつぶやいた。

 

戦争遊戯には決まった形は存在しない。

全員が制限時間までひたすら殴り合い、ポイント数を競う総力戦方式。

ファミリア代表の最強戦力が一対一で勝負を決める決闘方式。

決まった数のチームを出し合い、勝ち星を競うトーナメント方式。

過去には神々が審査員を務める料理勝負や歌勝負なんてのも存在したらしい。

 

そして、今回はどちらかの戦力が無くなるまで時間無制限で行われる殲滅戦方式。

明らかに戦力に劣るヘスティア・ファミリアに不利である。 しかも、開催まで時間が無い。

 

さらに、妙なルールが追加されているのも不可解だった。

 

「この助っ人枠っていうルールも良し悪しだね。うまくいけば強力な味方が増えるけど、逆に強力な敵も増える」

 

ベルが険しい顔をして唸った。

 

基本的に戦争遊戯に参加できるのは所属ファミリアの眷属のみなのだが、今回は特別に他派閥から一人だけ助っ人を呼び込めることになっていた。

弱小派閥のヘスティア・ファミリアへの温情措置に見えなくもないが、コネや資金力で上回るアポロンの方が、より強い助っ人を呼べる道理。大派閥から1級冒険者を呼ばれでもしたら、それだけで蹂躙されかねない。

ヘスティアの知己で助っ人を頼めるとすれば、真っ先に思い付くのは神友・ヘファイストスの眷属にしてファミリア団長の椿・コルブランドだ。協力してくれたらこれ以上なく戦力として頼もしいのだが、主神共々、新素材を使った武具の作成が佳境に入っているとかで工房に引きこもり、会うことも出来なかった。

では、他の派閥はといえば、付き合いのあるミアハ・ファミリアやタケミカヅチ・ファミリアでは、いいとこLv.2が精々だ。

質の差は如何ともし辛く、かといって開催まで時間が無いので新たな眷属を増やして数を補うことも難しい。そんなすぐに眷属が集まるのなら、ヘスティアは苦労していない。

 

「ルールも開催日も、てっきり後で話し合うのかと思ってたよ…」

 

ヘスティアが力なく項垂れた。

 

街中にバラ撒かれたチラシやポスターには、さも当然のように戦争遊戯の詳細が記されていた。

神の宴からの帰り道、足元にハラリと落ちてきたチラシを何気なく拾い上げたヘスティアは、それを見て唖然とした。

 

当事者を無視して重要事項が決められているという状況は、通常の戦争遊戯ではあり得ない。

事ここに至り、ヘスティアにも彼女の眷属にも、ハッキリと分かった。

これは、明らかにヘスティア・ファミリアを陥れるために用意された罠だと。

 

戦争遊戯の勝者は、敗者に如何なる条件も突きつけられる。

この戦争遊戯に負けることは、犯してもいない罪を認めるということ。

当然、オラリオ市民の悪意は、負けた方に傾く。ギルドだって黙ってはいないだろう。

負けた方はすべてを失うのだ。

 

絶望感に澱む室内。

その時、空気を振り払うかのようにパチン!と乾いた音が鳴った。

 

「みんな、やろう!どのみち後には引けないんだ。前に進むしか、ない!」

 

自分の両頬を叩き、気合いを入れて宣言したのは、ヘスティア・ファミリア団長、ベル・クラネル。

 

ベルは奮起していた。

自分たちが置かれている状況は、明らかに理不尽だ。

不名誉な誹謗中傷にさらされ、不利な状況に追い込まれ、不意打ちのように優勢な敵との戦いの場に引き出されてしまった。正義は何処にあるのかと、叫びたくなる。

 

だが、ベルが憧れる英雄達は、理不尽な状況に置かれなかったか?

フェアな状況でなければ勝てなかったのか?

メソメソと負け犬のように恨み言を募らせるだけだったか?

断じて、否だ!

ベルの密かな憧れ…()()()だって、きっとこうするに決まってる!

追い詰められたネズミは二度噛めばライオンをも倒すという。いまこそアナフィラキシー・ショックを起こす時だ!

 

そう力説し、闘志を漲らせる思い人を見て、思わず目がハートになったリリルカも腹を括った。

 

「ベルさん…… もう、仕方ないなぁ……やりましょうか!」

 

どうせ、一度は捨てた命。

サポーターとして先の見えない未来を呪い、ソーマ・ファミリアの下で泥水を啜っていた頃に比べれば、この程度は苦境とも言えない。

せっかく手に入れた力、思う存分振るってやろう。サポーターではなく、冒険者として!

 

「わ、私も頑張りましゅ!」

 

カリンには、もとより否応はない。

幼い兄弟達を救ってくれた恩。

ここで返さずしてどうするというのか!

 

なお、レックスとコナンはテンションが上がったのか「よろしい、ならば戦争だ!」「一心不乱の大戦争を!」などと申しており、「やかましい!」とカリンから鉄拳をくらって沈黙した。

 

「み、みんな…!」

 

ヘスティアは心の底から思った。ボクは、よい眷属を持てた。 

感動に打ち震えるヘスティアの内心に呼応して、ツインテールが喜びの舞を舞っている。

 

その時である。

 

「よぉ、ベル。なんか不景気なツラしてるな」

 

「よっ、ベルっち」

 

ノックもなしに扉が開き、入って来たのはベル達のパーティー・メンバー、ロイドとアンジェリカだった。

彼らは勝手知ったる他派閥のホームに、いつも通り、ずかずかと踏み込んできた。

そして、炊き出し用のジャガ丸くんをつまみ食いしながら、今日はヘスティア様にお願いがある、と言った。

 

「実はな、俺らファミリアやめてきたんだ」

 

「へ?」

 

昨晩のおかずの話をするような、気楽な口調だった。

 

ヘスティアは何かの冗談かと思ったが、二人は揃って後ろを向くと、背中の恩恵を見せてくれた。改宗可能な状態になっている、それを。

どうやら冗談ではないらしい。

 

「元々、ファミリアの古参からはハブにされてて、ホームじゃ居心地悪かったんだ。だから、ちょうどいいかなってさ」

 

「ヘルメスの野郎のクソ無茶ぶりに付き合わされるのは、うんざりしてたにゃ!」

 

などと二人は語ったが、派閥というのはそう簡単に抜けられるものではない。

しかも、このタイミングでの派閥異動が意味することは、ただ一つ。

ヘスティア・ファミリアへの助太刀だ。

 

実際、ロイドはファミリアの兄貴分のマックダンから、ケジメとして小指をエンコ詰めするよう迫られていた。スゴク怖かった。ちびるかと思った。

だが、ヘスティア・ファミリアに行くと告げると、主神のガネーシャ様は憤る団員達を抑えて、快く送り出してくれた。今回の戦争遊戯について、あの方なりに思うところがあったようだ。

 

一方のアンジェリカは、今回の黒幕が某主神様であることを知っている。だから、抜けるのを決めた。

元々胡散臭いファミリアであることは知っていたが、流石にやってはいけないことの一線を越えている。最後の奉公で、その事を余所に漏らしはしないが、ハッキリ言って愛想は尽きていた。

団長のアスフィ・アル・アンドロメダは、諦めたようにアンジェリカを送り出した。

 

「根無草になっちまったわけっす。…っつーわけで、ヘスティア様!俺ら()()名、どうかヘスティア・ファミリアに入れてやってくだせえ!」

 

「もちろんだ!歓迎する…よ…?……え?……20人?」

 

ヘスティアは小首をかしげた。"2人"の聞き間違いだろうか。

 

そんなヘスティアに対し、ニヤリと小悪党じみた笑みを浮かべたロイドとアンジェリカの顔こそ見物だった。

 

二人が左右に分かれると、そこに勢揃いしていたのは幸運な奴ら(ラッキーズ)と呼ばれる若手冒険者達。

全員がヘスティア・ファミリアへの改宗(コンバート)希望者だ。

 

「ここでベル達を見捨てたら、キルトの姉御に顔向けできねえ!」

 

「俺もダイダロス通りの出身なんだ。ヘスティア様の情けは身にしみたよ」

 

「あんたみたいな神様なら、付いていっても悔いはない!」

 

「アポロン・ファミリアってあれだろ、酒場で俺らに喧嘩ふっかけてきたクソ野郎どもだ!」

 

「きっちし、白黒つけてやりましょうぜ!」

 

「よろしく頼むぜ、ヘスティア様!」

 

「及ばずながら頑張らせてもらいます!」

 

ヘスティアの瞳に、思わず涙が浮かんだ。

 

「き、君たち……ありがとう!ありがとう!」

 

ヘスティアの視界は、溢れる涙で霞んでいた。

Lv.2にもなる戦力が一気に20名も加入。これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。

光明が見えた気がした。

 

『オーッホッホッホ!!その意気やよし、ですわ!』

 

その時だった。

一同の耳に、聞き覚えのある高笑いが聞こえたのは。

 

「こ、この声は!」

 

「まさか…!」

 

「ヤッター!」

 

「これで勝つる!」

 

「来てくれると思いましたわ、お姉様!」

 

轟音を立てて部屋の天窓を突き破り、掲げられていたヘスティア・ファミリアのエンブレムを巻き添えにしつつ、華麗に着地したのは、薔薇の鎧の戦乙女!

 

「祝・キルト復活!…話は聞かせて貰いましたわ!助っ人の空きは十分かしら!」

 

キルトはカールした金髪の髪を優雅に靡かせて、派手なポーズを決めたのだった。

 

単に少しだけ様子を見るつもりで盗み聞きしていた筈が、ベル達の熱血なノリにテンション上げつつ感化され、諸々の段取りやら思惑やらを投げ捨てて、思わず勢いのまま飛び込んでしまったキル子であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオ南東部、歓楽街に拠点を構えるイシュタル・ファミリアのホーム。『女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)』 。

その最上階に位置する主神の私室にて、二柱の神がまみえていた。

 

「これがご依頼の品だ」

 

ヘルメスはイシュタルの前に、一抱えほど有る小箱を差し出した。

 

「確かに」

 

イシュタルは中身を一瞥すると大事そうに手ずから仕舞い込んだ。

 

「ヘルメス、分かっているとは思うがこの件は他言無用だ」

 

「大丈夫、信頼は裏切らないよ。ただし、報酬はいただくぜ」

 

「もちろんだ。…だが、変わった報酬だな、ヘルメス?」

 

イシュタルはヘルメスの背後に回ると、蠱惑的に顔を引き寄せ、細く滑らかな指先で顎をなで、耳元に囁いた。

 

紫色の髪と褐色の肌を有する美の女神は、非常に扇情的な露出の多い格好をしており、仕草も歴戦の娼婦のそれ。

 

だが、ヘルメスは余裕の表情を崩さない。

 

友神(ゆうじん)のアポロンに泣きつかれたんだよ。残念ながらウチのアスフィは切った張ったは苦手でね。だから、得意そうな眷属を持っている貴女に頼んだ。それだけさ」

 

イシュタルは胡散臭そうに眺めた。

 

神の言葉の真偽は同じ神にも分からない。

 

「本当に? 例の茶番劇は私も見せてもらった。なかなか笑わせてくれるわ」

 

お前の仕込みだろうに、と遠回しに揶揄するイシュタルに、ヘルメスは変わらず薄笑いを浮かべているのみ。

 

「ヘスティアも可哀想にな。元から戦力差は明らかなのに、その上我が眷属が加わるのだ。悪趣味な見世物になるぞ」

 

()()()の趣味は知っているだろう?

 

言葉とは裏腹にイシュタルの唇は邪な笑みを浮かべている。

これで嵌められた相手がヘスティアではなく、イシュタルにとって何より憎い、同じ美の神でありながら格上扱いされているフレイヤならば最高だった。

 

「イシュタル、そっちこそ何を企んでるんだ?あんなものを注文するなんて」

 

ヘルメスは目を細めた。

探られたくない腹を持っているのはそちらも同じだろうに、と言わんばかりだった。

 

「フン……よかろう。例の戦争遊戯には我が眷属、フリュネを出してやる」

 

男殺し(アンドロクトノス)が出てくれるなら、アポロンもさぞ心強いだろう。恩にきるよ、イシュタル」

 

さて、これで大凡の仕込みは整った、とヘルメスはほくそ笑む。

 

アポロン・ファミリアの眷属達は、当時はまだ恩恵が封印状態にあった一般人の子供にすら後れを取ったと耳にしている。

馬鹿げた話だとは思うが、念には念を入れた。その方が、本命をつり出しやすくなるだろう。

例の人物が、噂通りの人格の持ち主であるならば、食い付かずにはいられないはずだ。

 

今回の戦争遊戯の特別ルール、例の助っ人枠はアポロン陣営を強化する為であると同時に、ヘルメスの本命をつり上げるための仕掛けでもある。

 

(さあ、ここまでお膳立てしたんだ。出て来るがいい、キルト!)

 

真なる人の英雄か、あるいは神と眷属の物語(ファミリア・ミィス)を汚す化け物か。

いずれにしろ表舞台に引きずり出し、見定めねばならない。

 

ヘルメスは無意識のうちに首筋をなでていた。

あのとき、大鎌の刃を突きつけられ、薄皮一枚を切り裂かれた際に、生まれて初めて感じた感情。

超越存在(デウスデア)たる神には、最も縁遠いはずの死の恐怖。

あのとき確かに感じていた。

 

(そして、ベル・クラネル。

このヘルメスが用意した神の試練、見事乗り越えて、英雄への道を駆け上がれ!)

 

神々にとっては下界の救界(マキア)こそ悲願。新たな英雄を誕生させることが急務なのだから。

 

 

 

全ての役者は彼の記す脚本のままに動き、ヘルメスは脚本家の悦に浸っていた。

 

その帽子に、一瞬だけ闇色の髑髏が浮かぶ。

 

深淵をのぞく時、深淵もまたお前を見返しているのだと、ヘルメスはついぞ理解できなかった。

 

 

 

そして、戦争遊戯の幕が開く。

 

 




大分間が開いてたのに、感想ありがとうございます。やっぱり気力がわきます。


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第26話

いつも誤字修正ありがとうございます。


戦争遊戯(ウォー・ゲーム)当日。

オラリオは年に二度ある大祭に負けず劣らず賑わっていた。

 

冒険者同士が戦うという、滅多に見られない見せ物を一目見ようと近隣から人が押し寄せ、その客を目当てに屋台や行商人が集まり、大きな黒板を持ち歩く無数の賭け屋(ブッキングメーカー)が声を張り上げる。

 

「さあ、張った張った!半日で勝負が付けば白有利!」

 

「おっと、そこ行く小粋なおっさん、ちょいと一口乗らないか?銅貨が銀貨に早変わりだぜ!」

 

「アポロン・ファミリア優勢だ!ヘスティア・ファミリアに賭ける奴は他にいねぇか⁈」

 

オッズは乱高下していた。

当初は5対104とあまりにも戦力差が明らかなので、そもそも賭けが成立しないと思われていたのだが、突如としてヘスティア・ファミリアに20人ものLv.2になる眷属が加入したという話が拡散し、持ち直す。

それでも戦力差は25対104。そもそもアポロン・ファミリアにはヘスティア・ファミリアを超える数のLv.2の眷属が所属しており、しかも他派閥から改宗してきた寄り合い所帯じみた有様に比べて、連携も期待できる。…と、ここまではアポロン・ファミリア優位と見られていた。

 

しかし、結局のところ、冒険者は量より質が重視される。

注目が集まったのは今回の特別ルール、各々のファミリアが一人ずつ他派閥から戦力を借り受けることができるという助っ人枠だ。

 

まず、発表されたのはアポロン・ファミリアの助っ人だった。

イシュタル・ファミリア団長にして第一級冒険者、『男殺し(アンドロクトノス)』ことフリュネ・ジャミール。曰く付きの二つ名を持ち、悍ましい噂の絶えない女傑。

アポロンとイシュタルの間に何か繋がりがあっただろうかと首をひねる者も多かったが、評判は最悪にしてもLv.5に至ったフリュネの強さは本物であり、雪崩をうつようにオッズが傾いた。

 

ところが、その後、ヘスティア・ファミリアから話題の冒険者『戦乙女(ワルキュリア)』の()()()を持つキルトが出ると発表されると、人気が爆発して一気に盛り返す。

 

現状のオッズはほぼ互角。

オラリオ中の冒険者が、どちらが有利かに首を捻った。

 

「…結局のところ、冒険者は量より質だ。その…キルトだったっけ?そいつがフリュネを抑えられなきゃ、アポロン・ファミリアの圧勝なんだよなぁ」

 

男殺し(アンドロクトノス)とか、金貰っても相手したくねーわ」

 

「18階層で俺はキルト本人を見たがな、あれはかなり()()。正直、どっちが勝つか分からん」

 

「そうなのか?…まあ、どっちが潰れても目障りな商売敵が消えるだけさ。そんなことより、おい!エールもう一杯追加!」「はい、ただいま!」

 

主要な飯屋や酒場は昼間から冒険者で溢れており、商人達は臨時ボーナスにうれしい悲鳴を上げている。

 

「うぃ~ヒック!昼から飲むのはたまらんね!」

 

普段はダンジョンにこもっている冒険者達も、今日ばかりは剣の代わりにジョッキを握り、酒びたりになっていた。

 

酒の肴はもちろん、『神の鏡』に映し出される映像である。

 

『…戦争遊戯開始まで残すところ後僅かです!なんといっても今回の注目株は話題沸騰中の女性冒険者、『戦乙女(ワルキュリア)』ことキルト氏でしょう!あの怪物祭のモンスター脱走事件解決の立役者にして、18階層の悪夢と呼ばれるゴライアス変異種を討伐した英雄!第一級冒険者にも引けを取らない偉業をなし、もはやその名を知らぬ者はほとんどいません!そんな彼女ですが、今回はヘスティア・ファミリアの助っ人として戦争遊戯に参加します!』

 

『神の鏡』は、 本来は神々が持つ神の力(アルカナム)の一つであり、天界から下界を覗くために利用される。神の力は下界では大幅な制限がかかるのだが、催しなどの際には例外的に『神の鏡』の使用が認められる。

今回もオラリオ中の主要な通りや大きな酒場、バベル前の大広場などに設置され、戦争遊戯を中継する手筈になっていた。

 

なお、画面にはビキニアーマーのオイランめいたリポーターが、艶かしく肌を晒しながらセクシーに映し出されている。その胸は豊満であった。

 

『ヘスティア・ファミリアは新進気鋭の探索型ファミリアです!怪物祭では逃げ出したモンスターの討伐に参加!最近はダイダロス通りの大火事で焼け出された市民の保護にあたるなど、奉仕活動も積極的に行っています!』

 

画面には子供達と戯れる笑顔のヘスティアが映し出され、ネオン文字が明滅する。

【善意の奉仕!】【市民の味方的な】【ヘスティア=サンは実際ブッダ】

 

…もちろん彼女は実況を()()で請け負った()()の冒険者であり、ジャーナリズム精神に基づき、実際中立的なレポートに務めている。

 

続いてグレーのスーツにサングラスという出で立ちの解説者が登場し、合いの手を入れた。

 

『対するアポロン・ファミリアは予てから冒険者の強引な勧誘がギルドでも問題視されていますネェ! ダイダロス通りの孤児院に押し入ったという情報もありますし、最近では闇派閥との関係も噂されています! 実際コワイですネェ!』

 

今度は画面に、高圧的な悪党顔のアポロンが映し出され、ネオン文字が再び明滅する。

【闇派閥との疑惑も!】【幼児誘拐未遂?】【実際アヤシイ!】

 

…もちろん、彼も中立的な報道を旨とする立派な冒険者である。

 

『…さて、冒頭で紹介させていただいたキルト氏ですが、その偉業こそ知られているものの、実際に何処のファミリアに所属している冒険者なのか、またどれほどのステイタスを持っているのか、一切が謎に包まれています。唯一分かっているのは、大鎌と魔法を使いこなす美貌の魔法戦士であることのみ!そこがまたミステリアスな魅力ですよね!』

 

画面中央にデカデカとピースサインをかますキルトの姿が映し出された。

【愛と正義の味方的な】【実際姫騎士】【カワイイヤッター!】

 

『そうですネェ!実のところ怪物祭の事件ではロキ・ファミリアの【剣姫】や【凶狼】を抑えて大活躍したという情報がありますネェ!18階層の事件でも、彼女がいなければ実際全滅していたという話ですし!それに引き換え、アポロン・ファミリアはよい噂を聞きませんネェ!まったく、本当に!』

 

画面を見ていた視聴者は怒りをあらわにした。

 

「ひでえ連中だな、アポロン・ファミリアってのは…!」

 

「ああ、前々から怪しいと思ってたんだ!」

 

「それに引き換え、ヘスティア・ファミリアってのは、なかなか気のいい奴らみたいだな」

 

『神の鏡』に映る司会者達の掛け合いは、リアルタイム映像メディアの存在しないオラリオでは非常に珍しく、視聴している市民の大半は流される情報を疑いもせず鵜呑みにしてしまっていた。

 

『ここで一旦CMです。CMの後は、限られた情報から、戦乙女の素顔に迫りたいと思います!』

 

『もしもダンジョンで必要な物資が途中で尽きてしまったら?冒険者ならそんな経験ありますヨネ!コワイ!でもアナタ、もうダイジョーブ!実際お得な朗報!なんでも揃う!実際ヤスイ!迷宮商店(ダンジョン・ストア)、18階層にオープン!』

 

画面が切り替わり、笑顔のキラキラした冒険者達が清潔な店内で和やかに買い物をする映像が流れると、多くの視聴者は今のうちにトイレや用を済ませるために席を立った。

 

 

 

 

 

常にも増して人の溢れるオラリオだが、その中心部は少し前に焼け落ちたダイダロス通りの跡地だった。

焼け跡は()()()()()のおかげで急ピッチで整備が進み、瓦礫や燃えかすが残らず撤去され、綺麗に整地されていた。そして、戦争遊戯の期間は特設の広場として開放されており、大量の屋台や行商人で溢れかえって、過去に例のないお祭り騒ぎと化していた。

…なお、この場所は戦争遊戯が終わった後は『オミヤゲ・ストリート』なる極東風観光地に整備される計画が()()()()()により持ち上がっている。

 

「じゃが丸くん!じゃが丸くんはいかが!塩にチーズにチリペッパー、チョコ、クリーム、アンチョビ、アズキ味!」

 

「のどごし爽やかなエールだよ!キューッと一杯、たまらねえぜ!一杯50ヴァリスだ!」

 

「おせんにキャラメル、甘納豆!ラムネにレモネードはいかがっすか~!」

 

「肉汁たっぷりソーセージ!この暑さじゃ、水物だけじゃぶっ倒れちまうぜ!一本くわえて精を付けな!ケチャップとマスタードは付け放題だ!」

 

オラリオ名物のじゃが丸くんを大量に売っている屋台の横では、よく冷えたエールが売られており、長蛇の列ができている。

ほかにも輪切りのレモンと蜂蜜を入れた水売りや、井戸水でよく冷やした果実を売る行商人、肉汁溢れるソーセージを売る屋台。そして夏場の名物、脂ののった酢漬けニシンなどが売られていた。

 

「さあ、いらはい!ニシンの酢漬けだよ~!今朝、メレンで揚がったばかりのピチピチだ!酒によくあうよ~!」

 

屋台のおやじに注文すれば、その場で捌いて出してくれる。1匹を一口大に切ったニシンが4切れで80ヴァリス。刻んだタマネギとピクルスが添えられている。

ちょいと一工夫をした屋台では、客に各ファミリアのエンブレムが入った小さな旗付き楊枝を選ばせてくれる。食べた後はそれを応援旗めいて使えるときて人気がある。今日はヘスティア・ファミリアの売れ行きがダントツだった。

コレに目を付けた土産屋の若亭主が、安めの布をたんまり買い込み、適当に切ってヘスティア・ファミリアのエンブレムを入れ、汗ふき用のタオルとして販売していた。暑い季節だし、応援には持ってこいなので、これまたよく売れた。

 

…なお、これらの屋台や行商人が使用したエンブレムのコピーライトは、『迷宮商店』なる店舗が勝手に仕切っていたのだが、今は戦争遊戯のことで頭がいっぱいなヘスティア・ファミリアは気にしている余裕はなかった。

 

 

 

 

『さあ、いよいよ戦争遊戯開始まで1時間を切りました!』

 

元・ダイダロス通りの中央に設置されたステージでは、双方のファミリアの主神や眷属が集い、最後の準備に勤しんでいる。

 

「無理を言ってごめん、ヴェルフ」

 

「気にすんな。…まあ、流石に体にきたけどな」

 

ベル・クラネルは、ヘファイストス・ファミリアのLv.2鍛治師、ヴェルフ・クロッゾから注文の品を受け取っていた。

急に大所帯になったヘスティア・ファミリア全員分の武器と防具を、ヴェルフは短時間で一手に整備し、万全の状態にしてくれたのだ。

 

「客が増えるのは大歓迎だ。今後とも贔屓に頼むぜ」

 

そう強がるヴェルフだが、目の下にはべっとりと濃いクマが浮かんでいる。

本来ならファミリアの同僚の手を借りたいところだったのだが、ヘファイストス・ファミリアでは今、上級鍛治師(ハイスミス)が全員、修羅場に突入しており、その皺寄せが下級鍛治師に及んでいた。その為、ヘスティア・ファミリアの分はヴェルフ一人で対応せざるを得なかった。

しかも、ヴェルフは新たな剣まで用意してくれていた。

 

「銘、牛短刀(ミノタン)。お前が持ち込んだミノタウロスの角から打ち出した。ここ最近じゃ一番の自信作だ。他にも幾つか試作品を渡しておく。使ってみてくれ」

 

例の新たな魔剣の作製には、まだまだ時間がかかる。その間の、繋ぎの剣。刀身は短いが攻撃力は高く、微量ながらも火属性が付与されている。

残念ながらかつての剣には及ぶべくもないが、鞘から出すと吸い付くように手に馴染んだ。鍛治師として、今のヴェルフができる全てを込めた力作。

何より、その気持ちが嬉しかった。

 

「ありがとう、使わせて貰う」

 

「勝てよ、ベル。せっかく捕まえた大口の客を逃したくないしな。…さて、果報は寝て待て。俺は一眠りさせてもらうぜ」

 

そう言って、大あくびをしながら立ち去るヴェルフの背中を、ベルは見えなくなるまで見送った。

 

「じゃあ、手早く準備しちゃいましょう!」

 

物資の手配を担当していた副団長のリリルカ・アーデが、ソツなく対応してくれるのが、頼もしい。

 

武器に防具、そして魔剣。ミアハ・ファミリアから今朝方受け取ったばかりのポーションの数々。現時点でヘスティア・ファミリアに用意できるありったけをかき集めた。

 

…いや、それだけじゃない。

 

『豊穣の女主人』で働くシル・フローヴァとリュー・リオンは、戦争遊戯が決まってから、毎日のようにお弁当を差し入れてくれた。

18階層のリヴィラまでパーティーを組んだことのあるガネーシャ・ファミリアのマックダンは、仲間達を引き連れて(…ロイドの頭にゲンコツを落としながら)対人戦のコツを教えにきてくれた。

かつて怪物祭でベル達に逃げ遅れたところを助けられた市民達は、この場に駆けつけて、応援してくれている。

 

自分達は、多くの人たちに励まされ、助けられている。

その事に思いを馳せれば、不思議と勇気が湧いてきた。

 

「みんな、ボクは見ているしかできないけど、がんばろう!…ヘスティア・ファミリア、ファイト!」

 

「「「オォーーー!!」」」

 

「ファイト!!」

 

「「「オォーーー!!!!」」」

 

「ファイトォ!!!」

 

「「「オォオオオオオオオーーー!!!!!!」」」

 

ヘスティア・ファミリアの気力は十分。

主神と眷属は肩を寄せ合い、円陣を組んで熱い掛け声をあげている。

 

「ヒュアキントスよ、この期に及んで四の五のは言わぬ。我に勝利を捧げよ!」

 

「御身に勝利を捧げることを、ここに誓います。アポロン・ファミリアに栄光あれ!」

 

「「「勝利を!!」」」

 

その様子を横目に、揃いの軍服じみた黒い制服に袖を通したアポロンの眷属達は、一分の隙も無く整列し、主神に頭を垂れて勝利を誓った。

 

(ここまでは我が友の筋書き通り…ありがとう、ヘルメス。恩にきるぞ。必ずや勝利し、戦乙女(ワルキュリア)を手中に収めん!我が下に来たれ、英雄よ!)

 

首尾良くキルトを引きずりだしたアポロンは、ヘスティアの噛みつくような視線もなんのその、上機嫌だった。

 

「ハハッ、そう睨むなヘスティア。ところで我が戦乙女は何処にいる?」

 

「さあね!君の顔なんか見たくもないってことだろ!」

 

「「「Boooooo!!Boooooo!!」」」

 

ヘスティアは自分も同感だとばかりにそっぽを向き、彼女の眷属達は親指を下にして突き出した。

この場に集う市民達からも盛大にブーイングがあがったが、当のアポロンはどこふく風だ。アポロンの眷属達は主神ほど面の皮が厚くないのか、居心地悪そうにしている。

 

「へすてぃあしゃま、がんばえ~!」

 

「りりねーちゃん、がんばれ~!」

 

「ベルにぃちゃんがんばれ~!負けたらシルねぇちゃんに捨てられちゃうぞ~!」

 

「かりんねーちゃん、がんばえ~!」

 

「コナンにぃちゃん、ゆだんすんな~!」

 

「レックスにぃちゃん、しっぽふりしゅぎ~!」

 

「みんな、危ないから飛び出し過ぎないようにね!ここから心を込めて応援しましょう!」

 

幼い孤児達が、院長のマリアに引率されてこの場に駆けつけ、舌っ足らずな声を精一杯響かせて応援をしていた。

また、その周囲にはボロ布を不器用に繋ぎ合わせたあり合わせの応援幕が張られ、ダイダロス通りを焼け出された貧民や、その徳の高い行いに感服したオラリオの市民が声を張り上げてエールを送っている。

 

「ヘスティア・ファミリア頑張れ!」

 

「あんなロクデナシに負けるな~!!」

 

「引っ込め、アポロン!!」

 

「ナムアミダ、ヘスティア=サン、ナムアミダ、ヘスティア=サン」

 

オラリオ全体の9割以上がヘスティア・ファミリア贔屓に靡いており、アポロン・ファミリアを応援する声はほとんど聞こえない。

これはアポロン・ファミリアのやり方が強引過ぎて、これまでにも顰蹙を買っていたことが理由の一つ。

だが、他にも原因があった。

何処からともなく広がった(ニンジャの手による)悪い噂や、オラリオの各種新聞がアポロン(ヒール)ヘスティア(ベイビーフェイス)を比較し、巧妙にヘイトを煽った影響が非常に大きい。

…なお、オラリオのジャーナリズムは中立的で信頼性が高く、深夜に双子めいてそっくりな黒服で強面なサングラスの集団が、金貨の山(コーベイン)が詰まっていそうな重箱を持って訪問した事実と、新聞の論調は実際無関係である。イイネ?

 

「人さらい~!」

 

「人助けのフリして、ええ格好しいか!」

 

「偽善者ー!」

 

「…アナタ、ちょっとこっちに来いっコラー市民!」

 

「何をするんですか、我々はただの…アイェエエエエ!」

 

僅かにヘスティア・ファミリアに罵声を浴びせている者達もいたのだが、すぐさま双子めいてそっくりな黒服で強面なサングラスの男達に連れ出され、何処へともなく消えていく。

 

「騒々しい…皆々様、道を開けて頂けますか?」

 

不意に、声が響いた。

特設広場は喧噪が最高潮に高まっていたのだが、不思議とその声は真綿に水が染み込むように人々の耳朶に届いた。

次いで波が引くように静けさが訪れ、人ごみが左右に分かれていく。

その中を多数の黒服達を引き連れて歩むのは、白地の極東風ドレスに身を包み、艶のある黒髪を背まで垂らした美女。

 

一行はヘスティアの前まで来ると、深々と頭を下げてアイサツした。

 

「ご無沙汰しております、ヘスティア様」

 

「キルコくんじゃないか!久しぶりだね」

 

やってきたのは、ヘスティアと懇意の商人、つまりはキル子だった。

 

「陣中見舞いをと思いまして。無作法ですが押しかけさせて頂きました」

 

ヘスティアは満面の笑顔で歓迎したが、周囲で様子をうかがっていた他派閥の神や眷属達は、目を細めた。

 

「アレはまさか、リヴィラの魔女…!」

 

迷宮商店(ダンジョン・ストア)の店主が…何故…?」

 

「ロキのお手付きだと思っていたが…ヘスティアめ、意外に手が広い」

 

例の神の宴に出ていた神も、そうでない神も、皆ヘスティアを遠巻きにしてヒソヒソと何かを囁いている。

 

ヘスティアにとっては礼儀正しく親切で篤志家の商人に過ぎないのだが、キル子の別の顔、つまりはリヴィラの顔役であることを知る事情通の神々は別の考えを持った。

 

主神が地上に降り来たってから未だ一年も経っていないヘスティア・ファミリアは、これまで弱小零細派閥としか見なされていなかった。

水に落ちた犬はみんなで棒で叩くべし、というのは冒険者業界の鉄則であり、本来なら弱小派閥のヘスティア・ファミリアなど、戦争遊戯前にしゃぶられ尽くしてゴミ溜め行きになりそうなものだ。

ところが、幸運な奴ら(ラッキーズ)と呼ばれる若手冒険者集団をまるごと抱え込み、質も量も弱小派閥を一気に脱しつつある。しかも、話題の冒険者・キルトを助っ人に呼び込めるほどの伝手を持っていて、リヴィラを仕切る謎の商人とのコネクションまで確保しているとなれば…

急速に派閥を育てている油断ならない新神(しんじん)、ヘスティアはそう認識されつつあった。

 

当の本人はといえば、キル子が持参した大量のオミヤゲを前に、目をキラキラと輝かせている。

 

「ポーションがこんなにいっぱい!助かるよ!」

 

薬品類は戦争遊戯を直前に控えた今、いくらあっても困ることはない。

 

ぷくくっ…いえ、詰まらないものですが、お受け取り下さい」

 

キル子はヘスティアの無作法を鼻で笑った。

 

持参したオミヤゲをそのまま受け取るのはエド様式の作法に反しており、実際シツレイだ。

なお、正式な手順は以下の通りである。

 

『詰まらないものですが』『いえ、結構です。悪いです』

『そう仰らずに』『それでは』

 

一度断ったことで十分な奥ゆかしさが付与されるが、さらに受け取ったオミヤゲを二回にわけて、合計180度回転させ、向きを逆にしてから拝領しなければならない。

さもなければ「ヨクバリ」扱いで即座にムラハチだ。

 

日本を支配する暗黒メガコーポ内の熾烈な出世競争では、こういった複雑怪奇な礼儀プロトコルに精通する必要があり、作法を誤れば恥辱のあまり自らセプクするはめになるだろう。

マッポー時代のサラリマン社会は、こういった油断のならないトラップで満ちあふれており、これを誤ると即座にムラハチ!社内カーストから弾き出されるのだ!

 

キル子は礼儀マウントをとって、小物的満足感を覚えた。

 

「実はここ最近、私も何かと忙しなくて。先日もシツレイとは存じましたが、うちの若いのに幾らか粗品を届けさせましたが……何か粗相をしやがりませんでしたでしょうか?」

 

キル子は据わった目つきで、背後に居並ぶレッサーヤクザ共を眺めた。何かやらかしていたら、セプクさせるのもやぶさかではない。

新入社員(ニュービー)が失態を犯したら、管理責任を問われる前にケジメさせて放逐し、有耶無耶のアトモスフィアで保身に走りなさい、と古事記にも書いてある。

 

「そうかぁ…君のところの人だったかぁ…」

 

ヘスティアはレッサーヤクザ達を見て、なんとも言い難い引きつった笑みを浮かべた。

 

それを見たキル子は確信した。

やはり粗相をしやがったな、セプクしかあるまい。

 

「大変シツレイしました。今すぐセプクさせますので、お許し下さい」

 

キル子は懐からドス・ダガーを取り出し、レッサーヤクザに手渡した。

 

しかし、レッサーヤクザがその土手っ腹をセルフカットする前に「さ、さすがはキルコくんのところの人だね!スゴク礼儀正しかったよ!」と、空気を読んだヘスティアが慌てて取りなした。

 

「左様で御座いますか…」

 

キル子は、しぶしぶドスダガーを懐にしまった。

 

なお、そんなキル子の所作はヤクザ・クランの女オヤブンめいており、周囲で様子をうかがっていた者達は一斉にドン引いている。

 

「それで、ヘスティア様。勝ち目はありますかね?」

 

一通りの社交辞令が終わったところで、キル子はさらりと本題を問うた。

 

「絶対勝つ!ボクはみんなを信じてるよ!」

 

いいお返事である。

ヘスティアの鼻息は荒く、ツインテールも荒ぶっており、やる気満々だ。

 

ヘスティアの決意を聞き、キル子は満足そうにうなずいた。

そして、周りを見渡し、目を細める。

ヘスティアを慕い、集まった民衆。ボロで作られた拙い応援幕。温かい声援。

そのすべてが、キル子の目にはまぶしく映った。

 

「初めてお会いした時から思っていましたが、あなた様は奇特な方で御座いますね」

 

「……?」

 

突然、何を言い出すのかと首をかしげるヘスティアに、キル子は苦笑した。

 

「焼け出された者達の為に、ホームを開放して寝起きする場所を与え、炊き出しを振る舞う。何の得にもならないのに。…なかなか出来ることでは御座いませんよ」

 

キル子は金を出し、物資を渡したが、実際に汗をかいて動き回ったヘスティア達に比べれば、大した働きはしていない。

自分が怒りに駆られ、報復のために動いていた時、彼らは助けるために働いていた。それを、少しだけ後ろめたく思う。

 

「なーに、人間(きみ)達が困っていたら、できる限りなんとか手を伸ばしたい。それがボクら神ってものだよ」

 

ヘスティアはなんの気負いも無しに、そう言った。

 

困っている人を助けるのは当たり前。ギルド内で唯一、キル子が密かに嫌っていたメンバーが、ことある毎に口にしていた言葉。

未だに好きにはなれないのだが…何故だろう? 同じ言葉の筈なのにヘスティアの口から出ると、素直に受け止められそうな気になってしまうのは。

ブッダを見たことはないし祈りを捧げたこともないが、おそらく目の前に居たとしたら、こんな感じなのかも知れない。

 

「君も色々助けてくれたしね。物入りだったし、正直助かったよ」

 

「それは良う御座いました。でも、私のは単なる偽善ですよ」

 

満面の笑みを浮かべたヘスティアを、キル子は悪党のように頰を吊り上げ、嘲笑う。

 

"施し"こそは至高の贅沢。

持たざる者に上から目線で恩着せがましく、財力を見せびらかし、賞賛と羨望と嫉妬の視線を集めまくれる、俺SUGEEEEEEの極み。有り余るほどのものを持つ者にしか許されない究極の愉悦だ。

 

この際、貧民の皆様にちょっとした振る舞いをして、名と恩を売っておくのも悪くない。そのための偽善はやぶさかではないのだと。

キル子という女は、賢しらに語った。

 

「君ってやつは、素直じゃないなぁ……キルコくん、神に嘘は通じないよ」

 

人の悪い笑みを浮かべて揶揄するヘスティアから、キル子は顔を背けた。

照れたのではない、恥じたのだ。そんな資格はないことを、キル子は誰よりも知っている。

 

ヘスティアは自らの足で避難民を回り、その手を取って労いの言葉をかけ、手ずから料理した食事を振る舞い、天幕をこさえるのを手伝い、毛布を配った。

神がやる事ではない、そんな仕事は眷属に任せた方がいいと、人は言うかもしれない。

だが、彼らが本当に欲しかったものを、ヘスティアは与えた。

辛い時に寄り添おうとする気持ち…真心を。

それを打算無く行動にうつせるのが、ヘスティアだ。だから、人がついてくる。こんな風に。

 

自分にはとても真似できそうにない、とキル子は思った。

 

「…では、これにて。皆様のご武運をお祈り申し上げます」

 

キル子は合掌し、深々と頭を下げた。

 

常日頃からしているように一般的な日本人としての礼儀、形ばかりのアイサツと見た目は同じでも、込められた意味はまるで違う。

キル子は相手が神だから頭を下げたのではない。そもそもキル子は人と神とモンスターを区別することに、たいした意味があると思っていない。

力ではなく、徳によってキル子に頭を下げさせたのは、ヘスティアが初めてだった。

 

「ああ、ありがとう、キルコくん!」

 

祈り、という行為の本質は利己的な物だ。

物事がうまくいきますように、あるいは不幸を避けられるように、と。

まして神が下界におり来たり、空想上の産物ではなくなってしまって以降、祈りという行為自体が廃れている。

眷属(ファミリア)に入れば、引き換えに恩恵(ファルナ)という現世利益が享受できるのだから。

 

キル子は祈った。

この小さくも慈悲深い神のために。

 

 

 

 

 

 

 

『戦争遊戯、開始30分前!!各ファミリアはスタート位置に移動してください!』

 

 

 

 

 

 

 

…まあ、それはそれとして。

安心しろ、ヘスティア。戦争はガチでやっからな!

 

キル子は、ヘスティア・ファミリアの置かれた状況に、覚えがあった。まるで、いつか何処ぞの極悪PKが出くわしたようなシチュエーションではないか。

彼方(リアル)で味わい尽くした理不尽、そこから逃げ出した先のゲーム内ですら味わった異形種狩りの理不尽。そんな自分に手を差し伸べてくれた、かつての仲間たちの姿が、彼らに重なって見えて仕方がない。

おかげで思わず我を忘れて飛び込んでしまったが、後悔はなかった。

 

ここで手を貸さなきゃ、女が廃るってもんよ!

 

だから。

 

「愛と勇気の美少女戦士、キルト参上!戦争遊戯は初めてですが、今日は精一杯頑張りますですわ!」

 

「キルトさん!」

 

「姐御!よろしくお願します!」

 

「また一緒に戦えるなんて光栄です、お姉様!」

 

カールした金髪をなびかせ、漆黒の毛並み輝く巨大な黒駒を駆って現れたキルトの姿は、まさに姫騎士と呼ぶにふさわしかった。

黄金細工の薔薇が象眼された見目麗しい鎧を着込み、頭にはヘッドドレスめいた薔薇の意匠の防具。その手には大鎌に代わり、長大な騎兵槍(ランス)と盾が握られている。

完全武装の騎士の出で立ちだ。

 

「しかし、姉御。まさか騎乗したまま戦争遊戯に出られるとは…」

 

「あら、騎馬を持ち込んじゃいけない、なんてルールはなかったわよね?」

 

実際、過去にはテイムしたモンスターを持ち込んだ冒険者も居たらしいので、この程度は許容範囲内なのだろう。少なくとも、どこからも文句は出ていない。

 

キル子は怪物祭で、騎乗してオラリオ市内で戦ったときの事を教訓とした。

騎乗スキルを持たないキル子では、馬に乗った状態では武器を振り回す程度の事しかできず、しかも大鎌というのはその状態では取り回しが難しい武器だ。

そこでインベントリに放り込んでいたPKの戦利品の山を漁り、適当に持ち出したのがこの騎乗槍だ。等級は神器級(ゴッズ)の一つ下、伝説級(レジェンド)なので性能はお察しだが、見た目はなかなか悪くない。

鍔の付いた3(メドル)にもなる騎兵槍は振り回すのに適していない形状だが、これなら馬に乗った状態で突き出せば、そのまま突き刺す攻撃となる。また、盾は騎乗状態では回避に難があるので、防御を補える。

騎馬にしている動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)もパワーやスピードがそこそこあり、勢いをつければ精々レベル20程度の相手なら、鎧ごと貫通するのも容易い。

 

もちろん、キル子のビルドとしては馬なんぞをパカラせずに、そのまま戦った方が遥かに強い。

しかし、だ。

今回の()()()は、あくまで助っ人。

こういう場合、日本人的には目立って戦果を上げると逆に顰蹙をかう。戦績が集中しないよう気を使う必要があるのだ。

仮にキル子がアポロン・ファミリアを開始早々に全部食ってしまったとしよう。すると、参加者も観客も敵味方関係なく盛大なブーイングを飛ばし、即座にムラハチされてしまうのは疑いがない。マッポー社会に生きてきた負け組サラリマンにとって、それはコーラを飲んだらゲップが出るくらい当たり前のことだ。

それに『神の鏡』とやらでオラリオ中に映像が中継されているのだ。あまり手の内を晒したくはない。

 

ここはオクユカシサを発揮してヘスティア・ファミリアをサポートしつつ、主役を食うぐらいの活躍を。それがベスト。

なら、見た目と格好良さ重点だ!素敵なあの子(ベル)の好感度も爆上がり間違いなしだコレ!

男殺し(アンドロクトノス)』とかいうゲテモノが出て来るそうだが、所詮はLv.5。ユグドラシルでいうところのレベル40台なぞ、どうとでもなるだろう。…キル子は慢心していた。

 

騎士の出で立ちのキルトが前に進み出ると、見晴らしの良い都市を囲む城壁の上に陣取った市民達から、大歓声が上がる。

 

戦乙女(ワルキュリア)だ!!」

 

「ついに出てきた!!」

 

「すげぇ!見た目は【剣姫】にだって負けてないぜ!」

 

「まさに姫騎士だ!」

 

「きるとしゃま、がんばれ~~!!」

 

どの声も、キルトやヘスティア・ファミリアに好意的なものばかり。事前の仕込みはバッチリだ。メディア操作に金を使ったかいがあった。 相手も何やら慌ててサクラを使い、対策しようとした形跡があったが、そんなもの焼石に水。

PKとは何もフィールド内だけで決まるものではない。SNSを駆使した盤外戦術によって、煽れるだけ煽った相手を不利な戦場におびき出すのは、キル子が好んで使った戦術だ。

 

(神の宴とやらでは、うちのヘスティアが世話になったようだな!今度は貴様らがアウェーの洗礼を受けるがいい!)

 

インガオホー!

まさに、悪党は悪党を知るのである。

 

「…さて。みんな!予定通り、まずはわたくしが一当てして相手の出鼻を挫きます。その隙に例の拠点の制圧を頼むわね」

 

「姐御こそ気をつけて!」

 

「ご武運を!」

 

今回の戦争遊戯の舞台に選ばれたのは、オラリオ郊外に広がる荒野。

その両端から各陣営が一斉にスタートすることになるのだが、かなり見通しがいい地形の為、そのままぶつかると戦力の少ないヘスティア・ファミリアが不利だ。

 

ただし、戦場の中心には、放棄された太古の城砦跡地がある。

ここを取られたら、ただでさえ戦力差があるのに厄介な攻城戦を行うはめになる。攻守三倍則である。

逃げ場のない荒野で高所を取った上、堅固な城壁を自在に活用して好きな時に攻撃し、好きな時に守れる。やられる側はたまったものではない。

 

キル子の見るところ、このルールを考えた奴は、かなり性格が悪い。

殲滅戦となると、劣勢に陥ったファミリアが逃げに回って負けを回避するダラダラした展開になりかねないが、設定された戦場は遮蔽物のない荒野。下手をすると序盤から両軍入り乱れた大乱闘にすらなりかねない。

しかも、その中心に強固な拠点があるというのがいやらしい。

寡兵のヘスティア・ファミリアはここを押さえられたら厳しくなるので取りにいくしかないし、そうなれば相手も動かざるを得ない。

序盤から荒れる展開を、意図して狙っているとしか思えなかった。

 

「こ、こちらは任せてください!」

 

ベル・クラネルも力強く頷いた。だが、その声はやや震えている。

 

キル子の【聞き耳】スキルは、ベルの心臓の鼓動が平常心とは言いがたい状態にあるのを捉えていた。

無理もない、と思う。15歳の少年がファミリア団長として、いきなり24人もの指揮をとる事になったのだから。しかも、決して負けられない大勝負。

プレッシャーがモロに出ている。

 

「…ベルくん、慌てるチェリーはラブチャンスを逃すわよ。落ち着きなさい」

 

キル子は馬上から手を伸ばし、ベルの手を引き寄せた。

その右手の薬指にはめられた、翠と白の螺旋が複雑に絡みあった美しい指輪に、軽く口付ける。

 

「キ、キルトさん?!」

 

真っ赤になったベルの顔こそ見ものであり、キル子はクスリと微笑んだ。

 

(かわい〜♡やっぱベルきゅんラブリャー!!うへへへへ!もうね、お肌ピッチピチやぞ!頬擦りしたいわぁ!)

 

…などといった内面はおくびにも出さず、外面は凛々しい姫騎士のアトモスフィアを取り繕う。

 

「大丈夫、あなたならやれますわ!自信を持って!」

 

それで幾らか緊張がほぐれたのか、ベルの顔にいつもの笑顔が戻ってきた。

 

「ハッ、ハイ!」

 

若い子に慕われてご満悦のキル子だが、その背後ではリリルカ・アーデが悔しそうにハンカチを噛んでおり、さらに背後ではやたらとキルトにスキンシップをしたがるヘスティア・ファミリアの新人女性冒険者達が「お姉様ぁ…!」と悔しそうにハンカチを噛んでベルを睨んでいる。

もちろん『神の鏡』の向こうでは紐神様がツインテールを荒ぶらせてハンカチを噛んでいた。

 

「キルトさんこそ気をつけてください。貴女が一番危険なんですから!」

 

「その為の騎馬よ。機動力で引っ掻き回して差し上げますわ!」

 

ヘスティアを認めたキル子だが、恋の勝負を譲る気は欠片もなかった。

 

「さあ、ちょうどいい頃合いだし、そろそろバフを配っておきましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

『戦争遊戯、開始10分前!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アポロン・ファミリア団長、ヒュアキントス・クリオは覚悟を決めていた。

 

都市外の戦場からオラリオの市壁を見渡せば、見物している市民の右を見回しても、左を見回しても、ヘスティア・ファミリアを応援する声ばかり。逆にアポロン・ファミリアには罵倒と嘲笑が降りかかっている。苦肉の策で幾らかサクラを雇ってはみたが、効果はなさそうだ。

オラリオそのものがアウェーになったような感覚におちいり、団員達にも動揺が走っている。

 

「もうだめだぁ…おしまいだぁ…黒髪の白い殺し屋にみんな殺されちゃうよぉ…!」

 

「いい加減にしなさい、カサンドラ!だいたい、黒髪の白い殺し屋なんてどこにもいないじゃない!」

 

どうやらストレスで正気を失いかけている者もいるようだ。この有様では、普段の力を出せるかどうか…

 

無理もない、とヒュアキントスは思う。

それだけのことをしてしまった自覚もある。

だが、敬愛する主神が悪評と汚名を被るような事態に至ってしまったことだけは、後悔しきりであった。

 

あのとき、もう少しうまくやれていれば。

あるいは、自分がアポロン様を諫めていれば。

 

…否!否!否!…すべての元凶は、キルト!!

 

戦乙女(ワルキュリア)などと持て囃されているが、所詮は田舎から出てきたばかりのポッと出の小娘。まともに姓も持たないのがその証拠だ。

そんな者に敬愛するアポロン様が心奪われ、このような騒ぎにまで発展してしまったとは…内心忸怩たる思いがあった。

機会さえあれば自らの手で叩きのめしてやりたい。

醜い嫉妬と笑わば笑え!

 

だが、ヒュアキントスは全身全霊で内心の激情を押さえつける。

戦争遊戯の敗者は勝者にすべてを奪われる。これまで血と汗を流して築き上げてきたファミリアのすべてが。詰めを誤ることは許されない。

 

全てはアポロン様の為に!

 

「選抜隊、前へ!事前の作戦通り、開始直後に突撃する!」

 

ヒュアキントス自身が指揮を執る、高ランクの眷属だけを選抜した強襲部隊。うまくいけば、それだけで勝敗が決する。

 

「ダフネ、お前は別働隊を率いて先に城塞に到達しろ」

 

「了解!」

 

ダフネ・ラウロスにランクアップしたての眷属や、Lv.1の者を別働隊として纏めさせ、先んじて城砦の占拠を命じる。ダフネは冷静沈着かつ気の強い性格のヒューマン。Lv.2にしてダンジョン探索時にも度々指揮官を務めており、能力に不足はない。

 

戦力を分散させるのは用兵上の愚とは言うが、際だった強さを持つ冒険者が相手となれば話は別。 ヘスティア・ファミリアは数は少なくとも、ほぼ全員がLv.2に達している。侮ってよい敵ではない。 しかも、数少ないLv.1の眷属といえばヒュアキントスの男の象徴を大変なことにしてくれた例の化け物小僧共である。ぶっちゃけコワイ。

 

対してこちらはLv.1がファミリア全体の7割を占めている。正面から当たれば彼らが真っ先に犠牲になるだろう。

一生のうちにランクアップを果たせる冒険者はほんの一握りとされているので、これでも多い方だ。何せアポロン・ファミリアでは、これと見込んだ冒険者を主神があの手この手で他派閥から引き抜くのだから。

 

もちろん、肉の盾としてあえて彼らを犠牲にするのも手だ。すべては派閥のため。彼らも覚悟は出来ている。

数は圧倒しているので、極端な話をすればこちらのLv.2冒険者が確実に一人一殺すれば、それだけで勝てる。

ただ、そんなことは机上の空論。

結局のところ勝負を決めるのは、高レベル冒険者の存在だ。

 

即ち、Lv.3のヒュアキントス自身と、もう一人。

 

「ジャミール殿、開始直後に我らは突撃する。そちらも予定通り頼む」

 

ヒュアキントスは感情を感じさせない瞳で、傍らの巨大な人物に語りかけた。

 

一方の相手はヒュアキントスを無視して、手にした大皿から焼いた肉の塊を頬張り、ムシャムシャと口に入れながら、五月蝿そうにヒュアキントスを睨む。

おかっぱ頭の2(メドル)を超える巨女。大きな目と裂けた口、短い手足、顔と胴体がずんぐり太っており、モンスターと思われても無理のない体格をしている。しかも、そんな全身にピタリとフィットしたドギツいピンクの全身鎧に身を包んでいるので、なおさら見るに堪えない。

初めて紹介されたときはモンスターと間違えて、危うく剣を抜きかけた。

 

それがイシュタル・ファミリアが誇る戦闘娼婦(バーベラ)にしてファミリア団長、フリュネ・ジャミールだった。

 

「ゲェーップ!……フン、お前らがどうしようが、知ったことじゃないね!」

 

咀嚼した肉を飲み込み、とどろくようなゲップをしながら傲岸不遜に答える。

とても助っ人に応じてくれた人物のものとは思えない言い草だが、仕方が無い。下手に出ざるを得なかった。何せ、相手はヒュアキントスを上回るLv.5の第一級冒険者なのだから。

 

(化け物めっ…!)

 

この相手と連携を取ることを、すでにヒュアキントスは諦めていた。

これの仕事はただ一つ。それさえ果たしてくれれば、何も問題は無い。

 

「アタイの獲物は戦乙女(ワルキュリア)だ!そっちはそっちで勝手にやんな!」

 

「…ああ、それでいい」

 

この戦争遊戯の勝利条件は、いずれかの派閥の眷属全てを撃破、または行動不能にすること。

他派閥からの助っ人は、戦力ではあるが、勝利条件には含まれない。

双方の助っ人が潰れてくれるなら、相対的に戦力の多いアポロン・ファミリアが有利になる。

 

「アタイの美貌の足元にも及ばないブスの分際で、少し名が売れた程度で調子に乗って!その顔、ズッタズタに刻んでやるよ!」

 

そう気炎をあげるフリュネの傍らには、異形の兜と靴が大事そうに置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

そして。

 

『戦争遊戯、開始!!!』

 

ついに、宴の幕が上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

先制の一撃は、ヘスティア・ファミリアの助っ人、キルトにより齎された。

 

ヒュアキントスの目が無謀にも一騎駆けしてくる武者の姿を捉えた時には、相手は高らかに名乗りを上げている。

 

「やぁやぁ、遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ!姫騎士・キルトここにあり!我が槍にかかりたいものから、前に出なさい!」

 

ヒュアキントスの判断は早かった。

 

「奢ったな戦乙女(ワルキュリア)……鶴翼に広がれ、左右から包み潰す!盾持ちは前へ!」

 

「ハイッ!!」 「お任せをっ…!」「抜かせないぜ!」

 

「何とか受け止めろ!……【我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ!】」

 

大型の盾を構えた団員達を前に出す。

その影に隠れて剣を抜き、同時に呪文の詠唱を始めた。

 

キルト本人は冒険者として凄まじい力を持っているのだろう。だが、この場合、突撃の衝撃力を生み出しているのはあくまで()

そして、盾を構えているのはいずれもLv.2に至った精悍な眷属で、モンスター相手に攻撃を受け止める役割を果たす前衛壁役(ウォール)をこなしている者達ばかり。日々、迷宮のモンスターを相手にし、その凄まじい膂力と打ち合っている冒険者にとって、ただの馬の突撃など脅威にはならない。

 

「【我が名は罪、風の悋気。一陣の突風をこの身に呼ぶ。放つ火輪の一投!来たれ、西方の風!】 」

 

勢いを殺された騎兵に待つのは死あるのみ。

最大火力である魔法を至近距離でたたきつけ、足が止まったところを左右から包み、囲い、群がり潰す。

うまくいけば、これで勝負が決まる…筈だった。

 

「ギャアアアアアアアア!!!」

 

盾を密集させた即席の防御陣が、軽く吹き飛ばされる。

キルトの突き出した騎兵槍(ランス)は紙のように盾を突き破り、さらに持ち手の胸を貫通して抉り抜く。

凄まじい暴威!

 

"まず一つ"

 

キルトの唇が嗤い、そう呟くのをヒュアキントスの瞳は捕らえた。

まるで虫ケラを見るような目も。

 

「【アロ・ゼフュロス!!】」

 

大量に出血して倒れる部下達を尻目に、ヒュアキントスは魔法を撃った。

太陽の如き円盤状の光弾が突き出した腕から飛び出し、キルト目掛けて一直線に吸い込まれる。

キルトが左手にした盾で防ごうとするのを見届けたところで、更にもう一手。

 

赤華(ルベレ)!!」

 

爆散鍵(スペルキー)を唱えることで、放った魔法を任意のタイミングで起爆させる奥の手。

円盤が炸裂し、爆炎をまき散らした。

盾で防御したとしても爆風が回り込んで大ダメージは避けられない。

 

ところが。

 

「精々第3位階ってところね……もう、毛先が焦げたじゃないの!!」

 

爆炎を突き破って勢いよく現れたのは、ほぼ無傷のキルトの姿。その乗馬にすら目立った傷はない。

 

「何故だ…?!!」

 

ヒュアキントスの誤算は二つ。

 

キルトの操るユグドラシルから齎された伝説級武装の力は、最上級の第一等級武装に匹敵、あるいは凌駕する。

騎兵槍(ランス)の一撃を受け止めるには盾の防御力が全く足りず、逆に盾と鎧を抜くには魔法の威力が足りなかった。

 

何より、騎乗する戦闘馬は確かに()()だろうとも、槍を突き出し盾を構えるキルトのステータスは、人間種に擬態して大幅に弱体化しているとはいえ、物理型カンストプレイヤーのそれ。レベルにして10や20そこらの相手はゴミに等しい。

たかがLv.3でしかないヒュアキントスの手に負える相手ではないのだ。

 

「せ、接近戦では歯が立たない!なんとか魔法や飛び道具で牽制しろ!」

 

ヒュアキントスの指示は少しだけ遅かった。

 

鶴翼に広がっていた中央を突破して分断したキルトは、即座に馬首を翻し、左翼に陣取っていた団員達に襲い掛かった。

その勢いは凄まじく、しかも仲間がゴミのように殺されかけたのを間近で目撃したせいで及び腰になり、とても立ち向かえるものではない。

 

キルトは馬の勢いを乗せた一振りで、一度に二人をたたき伏せた。

打たれた者は身に纏っていた金属鎧をひしゃげさせ、血の泡を吹いて悶絶している。あの有様ではもはや戦えまい。

 

「いやぁあああ⁈」

 

「ヒイッ…!!」

 

「に、逃げるな…ギャアアア!!!」

 

もともと戦争遊戯とは、負けた際のリスクが大き過ぎて、格下相手にしか仕掛けないのが鉄則。

アポロン・ファミリアもまた、これまで戦った相手は例外なく格下であり、量でも質でも圧倒していた。今回もまた、本来ならそうなる筈だった。

故に、彼らはコレが初めてだったのだ。圧倒的に格上の敵に挑むという経験は。

 

その隙を見逃すような相手ではなく、無造作に繰り出される槍は、アポロン・ファミリアの団員達を散々に打ち据える。

瞬く間に左翼は半壊。ものの数分で半数近くが脱落させられてしまった。

しかも、やった当人はつまらなそうに自ら手に掛けた者達を眺めている。まるで虫ケラを踏み躙ったかのように。

 

「おのれ…!怪我人を下がらせろ!ポーションを使え!」

 

内心、恐れていた事が起きてしまった。

これが恩恵(ファルナ)によって強化された冒険者の理不尽だ。どれほどの数を用意しようとも、突出した質を持つ個には蹂躙される。

 

同時に、はっきりと悟る。

この女は市井で謳われているような、高潔な騎士などではあり得ない。

人を、ゴミのように殺すことになれている!

 

…実際にはキルトは【死神の眼】なる能力によって相手の残ライフ量を確認し、むしろ死なないように手加減していたのだが、そんな事は理解の範疇にはなかった。

 

(化け物めっ…!)

 

化け物の相手は、化け物がするのが妥当だろうに…!

歯軋りしてこちらの助っ人、フリュネの姿を探したが、一体どこに雲隠れしたのか見当たらない。

 

そして、ついにその矛先が、ヒュアキントスに向けられた。

 

「少し食い足りないけど、ヨクバリはダメ……これでオワリ!」

 

ヒュアキントスは突き出された槍の穂先に剣を合わせ、同時に力を抜いて威力に逆らわず、吹き飛ばされた。

数十メドルは空を舞い、地べたに叩きつけられる。肺の空気が残らず搾り出され、肋骨が折れる音がした。

だが、ギリギリで意識を留められたのは僥倖だった。

 

立ち上がり、睨みつける。

 

あら、中々美形の坊や♪…フフ……その覇気に面構え、雑兵では無さそうね。名乗りなさい!」

 

「ゲボッ…ゴホッ…ア、アポロン・ファミリア団長、ヒュアキントス・クリオ!二つ名は【太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)】!!」

 

血の塊を吐き出しながらも、つかえることなく言い切った。

この様子は『神の鏡』をとおしてアポロン様も見ているのだ。

無様は晒せない。

 

「我が名はキルト!満身創痍にもかかわらずその闘志、敵ながら天晴れよ!」

 

戦場で朗々と口上を述べるなど、舐めているとしか思えなかった。…いや、これは余裕か。いずれにしろ、聞く耳を持つ必要はない。

ヒュアキントスは腰のポーチからポーションを取り出して口にした。飲みながら背後の団員に目配せし、この隙に態勢を立て直させる。

 

「そちらも噂に違わぬ武勇だな、戦乙女(ワルキュリア)…」

 

この相手を褒める言葉など口にしたくもないが、今は少しでも時間を稼ぎたかった。

 

「賞賛の言葉はありがたく受け取っておきましょう。…しかし、太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)。貴方は自分達の行いに胸を張れるのかしら?」

 

ヒュアキントスの秘めていた内心の葛藤を、見透かしたかのような物言いに、虚を突かれる。

真っ直ぐこちらを射抜く視線に、唇を噛み締めた。

 

「…言うな。貴様に、何がわかる!」

 

「貴方の態度は恥を知る者のそれよ。ならば、答えなさい。あの日、ダイダロス通りで何をしていたのかを!」

 

「……⁈」

 

このやり取りは、『神の鏡』を通して神々も見ているだろう。

故に、ヒュアキントスは何も答える事が出来なかった。

 

「………」

 

「沈黙もまた"答え"よ。貴方は、仕えるべき主を間違えた」

 

「私は何と罵られようと構わん。だが、アポロン様への侮辱は許さぬ!」

 

「その忠義は見事と言っておくわ。……惜しい。アポロンには過ぎたるものね」

 

 

 

この戦争遊戯の後、ヒュアキントスはランクアップを果たし【過ぎたる者(ヴァスタム)】の二つ名を新たに得る事となるが、それはまた別の話である。

 

 

 

「嬲るな、キルト! ここは戦場、剣を以って己の正義をたてるのみ!」

 

「潔し。なら、せめて一太刀で………ッ!そこォ!!!」

 

突然、キルトは明後日の方向に向かって騎馬槍(ランス)を突き出した。

 

何もない虚空を穿った筈の穂先は、()()に火花を散らして受け止められた。金属同士が強い力で打ち合わされる特有の不協和音が響く。

 

大気を揺るがす衝撃が、さらに三度。

 

「チッ…舐めプし過ぎた!騎乗したまま勝てる相手じゃない!」

 

キルトは虚空に向けて目まぐるしく視線を変え、手にした槍を突き放つ。その度に火花が散った。

それを見て、ようやくヒュアキントスは()()()()()と激しく打ち合っているのだと気付いた。

 

「一度馬を降りて……しまった!!」

 

キルトが何かに気付いた瞬間、その体が乗馬ごと宙に舞う。

攻撃は土砂を撒き散らし、真下からきた。

騎兵の絶対死角、馬の足元から。

 

「ゲッゲッゲ!どうやらお前には見えない相手を見る力がありそうだね!せっかくカス共をヤっていい気分の絶頂を、無様に叩き殺してやろうと思ったのにさ!」

 

舞い上がった土埃が、襲撃者のシルエットを浮かび上がらせる。

ずんぐりと丸く、育ち過ぎたカエルじみた姿を。

 

男殺し(アンドロクトノス)!貴様、我らを囮にしたな!」

 

憤るヒュアキントスを、フリュネは気味の悪い声で嘲笑った。

 

「そのくらいしか役に立ちゃしないんだ、ありがたく思いな゛ッ…グェエエエ!!」

 

姿を消して得意げに高笑いするフリュネだったが、突如として悲鳴を上げた。

同時に、強い衝撃を受けたのか、凄まじい勢いで吹き飛ばされるフリュネの姿が、ヒュアキントスにもハッキリ見えるようになった。まるで童子の戯れで水溜りに叩きつけられるカエルのようだった。

 

思わずザマみろ!と思ってしまったヒュアキントスだったが、恐る恐る背後を振り返れば、そこには騎兵槍(ランス)を投擲した姿勢のまま怒り狂うキルトの姿。

 

「ザッケンナコラー!!この腐れツヴェーク擬きがぁあああ!」 

 

先程までの清廉な騎士のような態度は何だったのかと疑いたくなるほど、狂犬じみた恐ろしい形相をしている。

ヒュアキントスの見るところ、おそらくこちらが本性だ。

 

「…っぐはぁあああ!!よくもやってくれたねぇえええ!このアタイの美しい美貌に嫉妬するクソ虫がぁああああ!!」

 

一方の化け物ガエルも起き上がった。

腐っても第一級冒険者というべきか、めぼしい傷は見当たらない。

 

…ヒュアキントスは知らなかった。

先の一撃がフリュネの頭部を覆っていた『漆黒兜(ハデス・ヘッド)』を破壊していたことを。

装着した者を透明状態とし、隠密行動や奇襲を可能にする世にも稀なる魔道具だが、気配や視線を消すことは出来ない。そんなものでは、キルトが常時使用している感知系のスキルは誤魔化せなかった。

 

「嫉妬?…ヒキガエルの感覚は理解できませんわね。鏡を見たことがないのかしら?」

 

ビキビキとキルトの額に特大の青筋が浮かんだ。

 

「フン?アタイは強いィ!硬いィ!美しいィ♡」

 

フリュネが気色悪い仕草で投げキスを放った。

ヒュアキントスは吐き気を催した。

 

「はぁ〜?馬っ鹿じゃないかしら!人に聞いたら100人中100人が醜いトードマン擬きと答えてよ。ヘソで茶が沸きますわ!」

 

「ハッ!よく聞く台詞だね、アタイの美しさに嫉妬した連中はみんな同じことしか言わないんだ!聞き飽きたよ!」

 

「ああ、なるほど。失礼、あくまで人間にアンケートを取った場合よね。ガマガエルに聞いたら違う回答もあるでしょう!」

 

「気に食わないねぇ、こんなブサイクがアタイより美しくって強いだってぇ…ブッ潰してやるよォ!!」

 

狂犬とカエル…正直、頭の中身はどっちもどっちだとは思ったが、ヒュアキントスは賢明にも口には出さなかった。

そんなことより化け物共が睨み合っている今がチャンスだ。

 

コッソリと態勢を立て直していた部下達に指示を下す。

 

…おい、今のうちにヘスティア・ファミリアの方に向かうぞ!

 

了解です!ここにいたら命がいくつあっても足りません…!

 

今なら先行したダフネの部隊と挟み討ちにでき…危なッ…!!

 

ヒュアキントスは咄嗟に頭を下げ、飛んできた巨大な瓦礫を避けた。

 

見れば、化け物共が盛大な殴り合いを始めている。

何処から取り出したのか、キルトは薔薇の意匠が施された巨大な大鎌(サイズ)を振り回し、これまた巨大な斧槍(ハルバード)を携えたフリュネと打ち合っていた。

その一撃が大気を震わせ、大地を抉り、周囲の岩や瓦礫を吹き飛ばす。

 

向こうでやれ!と、ヒュアキントスは怒鳴りたかった。

 

「オーホッホッホ!そらそら!口ほどにもないブタガエルですわね!」

 

「クソがァアア!!」

 

あの細腕のどこにそんな剛力が宿っているのか、力ではキルトが圧倒しているらしく、大鎌を軽々とぶん回してあのフリュネの巨体を鎧ごとズタズタに切り刻んでいる。

防戦一方のフリュネだが、奴は力と耐久に特化している上に【治力】の発展アビリティを備えている体力お化けだ。まだまだ戦える筈、と思いたい。遺憾ながらあれが倒されたら試合終了である。

 

「チイィ…!!ち、チキショウ!覚えてろ、戦乙女(ワルキュリア)!!」

 

フリュネが無様に逃げ出した。あの体躯で凄まじく素早い。

逃げる時までカエルじみて飛び跳ねている。

 

「オーホッホッホ!ブザマな捨て台詞ですこと!ザマァですわ!オーホッホッホ!!」

 

キルトは逃げ出したフリュネを嘲笑い、腰に手を当てて高笑いに興じている。

 

「さて、予想外に時間を食いましたが、そろそろベルくん達に合流を……って、ア゛ア⁈」

 

突然、キルトは何かに気付いたかのように、ダッシュでフリュネの後を追いかけ始めた。

 

「ヤッベ!あいつベルくん達を先に倒すか…いや、人質に取る気だな!」

 

「ゲッゲッゲ!今さら気づいても遅いんだよォオ〜〜!!」

 

既にかなり遠くまで逃げていたフリュネの煽るような声が、それが正解だと告げている。

それにしても、何故そんな直ぐにフリュネの思考をトレースできたのだろうか?

ヒュアキントスは訝しんだ。

 

「格下相手に無双して嬲ろうだなんて、卑怯者めェ…!」

 

ついさっきまで自分が似たようなことをしていた記憶はキルトから綺麗さっぱり消えているらしい。

お前が言うな!と、ヒュアキントスは言ってやりたかった。

 

「ゲッゲッゲゲゲゲ!」

 

独特の笑い声をあげたフリュネの体が天高くジャンプした、次の瞬間。

フリュネの履く()から、金色の翼がはためいた。

ニ翼一対、左右合わせて4枚の翼を広げて自在に空をかける巨大なカエルじみたその姿は、まるで神話に登場する怪物のようだ。

 

「仲間がグチャグチャに潰されるのを、指を咥えて見てるがいいさ!ゲッゲッゲゲゲゲ!!…おっと!」

 

それは装備者に飛行能力を与える魔道具『飛翔靴(タラリア)』。

レアアビリティ【神秘】を保有する稀代の魔道具作製者、アスフィ・アル・アンドロメダの手による、天外の能力を持った逸品。

悔し紛れにキルトが投げつけた盾を軽々と避け、天高く羽ばたき、あっという間に飛び去っていく。

 

「させるかァ…!空を飛べるのが貴様だけの専売特許と思うなよ!」

 

言葉と共に、キルトもまた空を舞った。

 

同時に、その背に翼が展開される。

陽の光を受けて艶やかな漆黒に輝く、大きな翼が。

 

  

 

 

誰が知るだろう。

これこそギルド、アインズ・ウール・ゴウンのエロゲーマスター、ペロロンチーノから受け取った悪役令嬢ムーブ用コスチュームの、真の能力。

大鎌『真紅(しんく)』と対になる伝説級の鎧『薔薇の処女(ローゼンメイデン)』に備わった第一の機能(ドール)

堕天使の如き漆黒の翼による、飛行能力。

 

その黒翼はバードマンであるペロロンチーノ自身の飛行モーションデータを参考に非常に見栄えよく作り込まれ、着用者の動きに合わせて稼働し、何処から撮影されようと最適のカメラ写りを保証してくれる。

ぶっちゃけた話、実際には翼は単なる飾りであり、空中移動そのものは仕込まれた第三位階魔法《飛行(フライ)》によるものだ。

単に空を飛びたいだけなら、より小さな鳥の翼を象ったネックレスといったアイテムがあるため、性能的にはかなり微妙だった。

 

しかし、視覚効果は絶大である。

 

 

 

 

 

「なん、だと…!!」

 

ヒュアキントスは、一瞬、ここが戦場であることを忘れた。

 

カールされた金髪を靡かせ、大鎌を携えて、薔薇の鎧を身に纏い、漆黒の翼を持つ、美しき堕天使。

これまた神話の一場面を切り取ったかのような光景。

その美しくも妖しき姿は『神の鏡』を通してオラリオ中に中継され、見るものを悉く魅了する。

 

「「「オォオオオオォオオオ〜〜!!!!」」」

 

特設会場で見守っていた観客からは大歓声があがった。

 

『アイェエエエ!!』

 

オイランじみたアナウンサーは興奮のあまり豊満なブラのホックを弾けさせた。

 

そして、バベルにて観戦していた神々もまた、然り。

 

「 ( ゚д゚)」

 

「やべーよやべーよ、キルトたんマジ洒落になってねーよ!」

 

「マジパネェ!キルトたん、ちょっと盛り過ぎだろ!」

 

「俺らの贈る二つ名は『†漆黒の堕天使(るし★ふぁー)†』で決まりだな!」

 

「厨二力53万…恐ろしい子!」

 

「…俺の目がおかしいのかね、キルトたん、恩恵なくね?」

 

「…実は神威隠してる神だったりしてな?」

 

「馬ッ鹿、魂よく見てみ。どう見ても人間だ」

 

男殺し(アンドロクトノス)も、よくあんな貴重な魔道具ばっかそろえたよなぁ…幾らかかってるんだか」

 

「ヘルメス、これもお前の仕込みか?」

 

「アポロンに泣きつかれて仕方なくね…アスフィには散々渋られたよ」

 

やれやれとばかりに軽口を叩きながら観戦しているヘルメスだが、その目はまったく笑っておらず、食い入るように画面を見つめていた。

 

 

 

 

「待っててね、ベルくん!」

 

戦場を、黒き翼の堕天使が征く。

 

 

 

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)は、まだ始まったばかりである。

 




今年の雪は殺しに来てる。
なお、これで入院中の書き溜めストック使い切りなり。


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第27話

いつも誤字修正ありがとうございます。


ベル・クラネルは走っていた。

 

「みんな、このペースならすぐに辿り着くよ!!水の補給は欠かさずに!!」

 

彼の後ろにはヘスティア・ファミリアの団員が一糸乱れず付いてきており、城砦跡地を目指して全力疾走している。

 

「うーっす!」

 

「しんど~!暑い!」

 

ここから更に東に向かうと砂漠にでるが、そのためか周囲には砂塵が舞い、目を保護するのに難儀する。

気温は30℃を超えてなお高まり、思わず水筒の水を口に含んだ。飲めば飲むだけ汗が噴き出してくるようだった。

長丁場の長期戦になることも想定しているため、水は貴重だがこの暑さで水分を欠けば日射病で戦うどころではなくなる。それに、いざとなれば『無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)』なる魔道具も貸して貰っているので、今は何より足を動かすのが最優先だった。

 

助っ人を買って出てくれたキルトがアポロン・ファミリアを足止めしてくれているうちに、何としても重要拠点を占拠しなければならない。

 

「泣き言、言うな!こっちは、フル装備、なんだぞ!金属鎧の、フル、装備!!」

 

「そうだにゃ~!そろそろ着くにゃ~!」

 

盾役(シールド)のロイドがガシャガシャと鎧の音を立てて走り、後続を叱咤する一方、その恋人の槍使いのアンジェリカは普段からスピード重視の軽装なので涼しそうにしている。

 

「応よ!せっかくキルトの姐さんが気張ってくれてんだ!」

 

「狼煙は未だ見えない!うまくやってくれてる証拠だ!」

 

野伏(レンジャー)技能に卓越した副団長のリリルカ・アーデは、キルトの後ろから付かず離れずの距離を保っており、斥候の役目を果たしている。

魔道具の発煙筒を携えていて、万が一、キルトが抜かれたり倒された場合には狼煙をあげる手筈になっていた。

今日の天気は快晴無風、照りつけるような暑さが徐々に地面を焼き、大気を揺らせつつある。この一帯は枯れ木一本ない荒野、遠くまでよく見渡せる。今のところ、合図は上がっていなかった。

 

「レックス、ちょっとペース落ちてるわよ!」

 

「仕方ないだろ!尻尾が蒸れるんだよ!」

 

「せめてローブは脱いでこいよな!見てるだけで暑いよ!」

 

走る続ける一行の中程に、カリン達、元孤児の三人の姿があった。

 

小人族(パルゥム)のカリンと人間のコナンはまだ余裕があったが、獣人のレックスは舌を出しながら荒い息を吐き、尻尾を振って風を起こしている。

レックスは魔力重視のステイタスというのもあり、三人の中では一番体力がないのだが、それでも目立って遅れる様子はない。

下手をするとベルを含めたLv.2の団員達より余裕があるかもしれなかった。

 

「ちびっ子ども、走れ走れ!!」

 

「っていうか、あいつら下手すると俺らより体力有るじゃん!」

 

「ははっ、かわいげのねえ後輩共だな!」

 

彼らについては未だLv.1、しかも()()ソーマ・ファミリアの犠牲者なので、そもそもこの戦いに連れ出すべきかファミリア内でも意見が分かれた。だが、本人達が強く望んでいる上に、貴重な戦力であることから参加が決定した。

何せ、対人戦の訓練を兼ねたファミリア内総当たり戦ではトップ10入りしている猛者だ。特に三人揃った時のコンビネーションの破壊力は凶悪である……凶悪過ぎる……何故、何故あんな非道な攻撃を躊躇なく実行できるのか、小一時間ほど問い詰めたい、というのがファミリアの総意だった。

 

ちなみに、ぶっちぎりの一位は言わずもがなのキルトであり、1対25でも散々に叩きのめされた。しかも、そこらに生えてた雑草を武器にして、涼しい顔で対人戦の蘊蓄を語りながら、だ。

青々とした猫じゃらし二刀流で思う存分じゃらされてしまったのはヘスティア・ファミリア一同のトラウマである(…特にベルは他人に見せられない顔になるくらい徹底的にヤられた)。次はタンポポ二刀流くらいは使わせたい。

しかも、プライドを叩き折られたその後からが本番とばかりに、武器を大鎌に持ち換えての乱取り稽古がまたキツかった。一撃掠っただけで即死亡の攻撃から目を離さず、ビビらず体を動かせるようになるまで寸止めを撃ち込まれて恐怖に慣らされた。しかも、油断して気を抜こうものなら、痛くなければ覚えませぬとばかりに容赦なく殴られ蹴飛ばされ、へばっても赤いポーションをぶっかけられて強制的に復帰させられる。

キルトは対人戦闘に関しては、まったく甘くなかった。

 

…それはともかくとして、走り続けるうちに、ようやく城砦が視界に入ってきた。

 

「見えたよ、あと少しだ!」

 

ベルが鼓舞すると、全員が気を引き締めた。

 

目標は5(メドル)はある二重の堀と防壁に囲まれた強固な城塞の遺構だった。四方に物見の尖塔を持ち、ぐるりと回廊と城壁に取り囲まれている。 雨の少ない気候のせいだろう、照りつける太陽と風により、かなりの部分が風化して崩落していた。

神が未だ天にあり、地上でダンジョンから吐き出される無数のモンスターと、恩恵を持たぬ人が血みどろの生存競争を繰り広げていた時代、最前線の防衛拠点として建設された遺物だ。

ベルが城壁に近づき、軽く手で触れると細かな粒子が手に張り付いた。表面の風化は著しいが、内部は未だ重厚な石の厚みを感じさせる。

 

戦場の中央に位置するこの城塞を挟んで両端より両陣営がスタートしていた。恐らく、城砦の反対側にはアポロン・ファミリアの別働隊がたどり着いている筈だ。時間はあまりない。

殲滅戦のルールとしては、各ファミリアの眷属を一人残らず戦闘不能にすればいいので、必ずしも城塞を占拠する必要は無いのだが、誰がどう考えてもこんな拠点を放置する手はない。獲らなければ獲られるだけだ。

故に、城塞に急行する部隊と相手を阻害する部隊の二つに分かれて行動する、この基本方針はどちらのファミリアも共通していた。

 

こちらは最強戦力であるキルトが先行して出鼻を挫き、その隙に残りの全員で一目散に城塞を目指す。

アポロン・ファミリアの人数はこちらの約4倍。向こうは戦力を二つに分け、こちらに抑えの部隊を回しても十分な余力がある。半分が城塞の占拠に回されたとして、50人は出せる筈だ。こちらの全戦力の2倍、厳しい戦いになるだろう。

 

故に、一刻も早く内部を占領しなければならないのだが……

 

「バリケードで、塞がれてる?!」

 

城塞は既に放棄されてから千年もの年月が経ち、その間、修繕もされないまま放置されていたため、門や城壁の一部が崩れ落ちている。

中には幾つかそのまま人が通れそうな程に崩落している箇所があり、そういった切れ目から内部に侵入する手はずだった。実際、事前に現地を偵察し、確認もしている。

 

だが、目星を付けていた城壁の切れ目には大量の石や木などが放り込まれ、ご丁寧に鉄条網を敷かれて通せんぼされていた。

明らかに人為的に手が加えられた痕跡だ。

 

「最後に下見したときはちゃんと通れたぞ?!」

 

「まさか、アポロン・ファミリアが?!」

 

「あり得ねえ!俺たちだって全力疾走してきたんだ!そんな時間があるもんか?!」

 

その時、頭上から大量の弓が射かけられた。

 

「居たぞ、ヘスティア・ファミリアの連中だ!」

 

「こっちだ!攻撃用意!」

 

「弓使い、やっちまえ!!」

 

城塞の欄干から姿を見せたのは、アポロン・ファミリアの団員達だった。

 

「弓使いは射続けろ!石と油も落としてやれ!近づけさせるな!」

 

指揮官は女性だった。黒い制服の色味を反転させたかのような、白の制服に身を包んでいる。アポロン・ファミリアで指揮官待遇の幹部に与えられる専用服だ。

その左右には弓を構えた者達が並び、眼下のヘスティア・ファミリアに絶え間なく矢を浴びせている。

 

さらには人の頭ほどもある石や、熱せられた油まで降ってくるとあっては堪らない。慌てて距離を取った。

 

「うわぁッ…!ひ、膝に矢が…!!」

 

「こ、後退!下がってポーションを!」

 

何人かが矢を受けてしまった。残念ながら戦争遊戯の間はこれ以上は戦えないだろう。痛いロスだ。

 

「お前ら、卑怯だぞ!」

 

「事前に手を加えてやがったな! 」

 

矢に石、油、それに油を煮立たせる鍋や燃料など。これほどの荷物を戦争遊戯の最中に運び入れるのは不可能だ。…事前に準備して運び入れておかない限りは。

 

ヘスティア・ファミリアの全員が卑怯と憤ったが、アポロン・ファミリアは鼻で笑った。

 

「お前ら、甘いんだよ!」

 

「戦争遊戯の常套手段だ!」

 

「事前に手を加えちゃいけない、なんてルールは戦争遊戯にはない!」

 

自分たちに不利な穴があると分かっているなら当然、調べて塞ぐ。現地で必要な物資があれば、当たり前のように運び込んでおき、隠しておく。荷物は少ない方が身軽に動けるし、そうすれば敵より先に拠点に辿り着くこともできる。

どれも戦争遊戯の常套手段だと、胸を張られた。

 

表向きに戦争遊戯で公認されている行為ではないが、かといって禁止されているわけでもない。

逆に相手の準備行為を妨害したり、斥候に偽情報をつかませたり、あるいは相手の妨害を阻止するために昼夜を問わず見張りを立てる等といった組織的な暗闘も、ある意味では醍醐味。

 

むしろ、ヘスティア・ファミリアがあまりに素直に普通の対応しかしてこなかったので拍子抜けしたくらいだ、と白服の女性指揮官、ダフネ・ラウロスは重ねて挑発した。

いざ戦場に出るまでに何を積み重ねたかが、勝敗を決するのだと。

 

「それを怠った自分たちの怠慢を恨みなさい!」

 

勝ち誇るように告げるダフネにも、実は余裕はなかった。

何せ、ほぼ全員がLv.2のヘスティア・ファミリアの方が、この場に限れば圧倒的に戦力は上。こちらはLv.1が大多数をしめている。

どうにか地の利を得ているが、ヒュアキントス率いる主力が戻る前に雪崩込まれたら、忽ち全滅する。

 

「ダフネ、魔法はどうする?」

 

火力の高い魔法の撃ち合いなら、高所を押さえ、強固な防壁から眼下を狙える方が有利だ。

 

そう提案する仲間に、ダフネは一瞬考えてから首を横に振った。

 

「いえ、まだ早い。向こうもまだ戦意は十分だし、長丁場になるかもしれない。ただ、あいつらが犠牲を覚悟してバリケードの突破を図ったら、その時は…」

 

「わかった。準備しておく。それとヒュアキントスに場所を知らせよう。狼煙を使うぞ?」

 

「ええ、お願い」

 

その時、遠方から金属が鈍い音を立てて軋むような、鈍い音が響いた。

 

「正面の城門が閉じた…何とかやってくれたか…!」

 

ホッとしたようにダフネはつぶやいた。

 

それは壊れて動かなかった筈の、城砦の古い正門が閉ざされた音だった。

戦闘ではあまり役に立てないアポロン・ファミリアのLv.1の眷属達が、徹夜で修理した成果である。

これで堀と壁が有効に機能し、城塞はかつての難攻不落を取り戻す。

 

一方のヘスティア・ファミリアは要塞が着々と戦力化されるのを尻目に、散々に追い散らされ、指を咥えて見ているしかなかった。

 

「………」

 

ベルは唇を噛んだ。

これは、悔しいが相手の言い分に理があった。

確かに、そんなルールはない。無いからといって、そういう発想を持てなかった。

 

下調べをしなかったわけではない。

過去の戦争遊戯の資料を調べ、戦法や戦術についてみんなで知恵を出し合って検討した。 その上で、最強の戦力であるキルトを初っ端に出し、相手の出鼻を挫いて先に要塞を押さえるという結論に至ったのだ。

だが、結局はギルドに照会すれば手に入るような、うわべの情報ばかりを集めていたのではないかと、今更ながら後悔がわく。

 

対人戦のコツを教えてくれたガネーシャ・ファミリアのマックダンが、何か言いたそうにしていたのを思い出す。

思わせぶりな態度をとりながらも、結局は何も言わず、人の悪い笑みを浮かべていたのだが……そういうことだったのだ。

「教えるのは対人戦のコツだけでいいのか?他に聞きたいことはないのか?」と、そう言いたかったに違いない。

キルトもまた意味深な笑みを見せて、今回は助っ人に過ぎないから自分達で考えてやってみろ、と戦術については一切の口出しをしなかった。

 

厳しい先輩方だと、ベルは思った。

 

開始までにアポロン・ファミリアから、ホームや団員に対する嫌がらせがなかったことも、油断してしまった理由だ。実際には裏で戦争遊戯を有利に進める為に、着々と準備していたのだ。

手を尽くして戦争遊戯を勝ち抜くため、できる限りのことをしたと思っていたが、あちらは更に上をいった。

 

そう、落ち込むベルの足をポンポンと叩く者があった。

 

「さっきの矢、毒が塗ってあるよ。でも、ありふれた痺れ毒だ。これなら手持ちの解毒薬でどうにかなる。飲んでおくといい」

 

匂いから毒の種類を判断し、異臭を放つ丸薬をみんなに配っているのは小人族(パルゥム)のムムリクだ。

地代をいきなり倍に上げたロクデナシの代官を蹴り飛ばして故郷を出てきた元猟師で、短弓や罠、スリングの扱いに長けている。毒草や薬草にも詳しい。

 

「糞尿じゃないだけマシだぜ。ダンジョンで潤ってるオラリオの冒険者は、戦い方もお上品なもんだ」

 

クソミソになって戦うのも悪くないんだが、と呟いているのは戦争大好き国家ことラキア王国出身で、上官の()()に手を出して軍を追い出された元工兵のアベシ。鋭利に砥いだスコップを武器に使う一風変わった男だった。

時折、ベルの尻に熱い視線を向けてくるのが困りものだが、仕事はスマートにこなす実力派だ。

 

「どうする?あの程度のバリケードならアベシと俺なら四半刻、いやその半分もあれば取り除けるぞ?」

 

ドワーフのゴンザレスが片手に持った戦闘鎚(バトルハンマー)をパシパシと叩きながら言った。

元々生産系ファミリアに入っていたものの、先達の腕の高さについていけずドロップアウトし、ダンジョン探索に切り替えて糊口を凌いでいた元職人である。

 

「…いざ取り掛かったら、魔法を使って一斉攻撃が来るよ。油をかけて焼き払うかい?」

 

暗い目をして指摘したのは、都市外で繁殖したモンスターに村をメチャクチャにされてオラリオに流れてきた羊の獣人、フレイル使いのパヤック。

 

「そうね、油はギリギリ足りると思う。お姉様が足止めしてくれてる間になんとかしましょう」

 

エルフの魔法使い、フローラが荷物のリストと睨めっこしながら呟いた。

元はちょっとした魔法が一つ使えるだけで落ちこぼれて腐っていたのだが、L v.2にランクアップした際に新たに得た魔法によって化けた。以来、チャンスをくれたキルトへの慕心が人一倍強い。

 

仲間達が色々と意見を出すのを聞いて、ベルは少し心が軽くなるのを感じた。

パン、と自分の頬を張って気合いを入れ直す。

一人で抱え込んでも仕方がないし、そもそも抱え込めるものじゃない。それがパーティー…いやファミリアなんだから。

 

「…纏めると、キルトの姉御が敵の主力を食い止めてる間に、バリケードを突破して勝負しに行った方がいい、って感じか。どうだい、団長?」

 

ムードメーカーのロイドが話を纏めてベルに確認する。

年齢的に中堅どころのロイドが、こうやって何かとベルを立ててくれるのは、正直、ありがたかった。

 

「いいと思うよ。ただ、他にも攻め込めそうな崩落箇所がないか、そちらの偵察も…」

 

と、口にしかけた時、ベル達の前に不意に人影が出現した。

 

「ただいま戻りました!」

 

うさ耳のヘアバンドを付けたリリルカ・アーデが、チャーミングな笑顔を浮かべながら、そう報告する。

リリルカが赤いビスチェの上から常に羽織っているマントは、透明になることができるという、斥候職垂涎の魔道具なのだ。

 

「事前に目を付けてた城壁の切れ目は、三箇所ともバリケードが張られてます。正面の大手門は完全に閉じてて突破は容易じゃ有りません。あんな錆び付いたのをどうやって修理したんだか……ああ、それとキルト様は現在進行形で()()で激しくやり合ってますから、しばらくこっちの援護は難しいと思いますよ」

 

リリルカが報告すると、その場の全員が空を見上げた。

 

雲一つ無い蒼空に時折、チカチカと赤い火花が散るのが、辛うじて分かる。

黒い翼を羽ばたかせて大鎌を振るう金髪の美女と、金色の翼で器用に空中を跳ねて斧槍を振るうピンクのカエル。

オラリオでも史上初となる冒険者同士の空中戦が、展開されていた。

 

 

 

 

「クッソ、羽が邪魔すぎる!!ペペロンチーノェ…!!こんな雑魚相手に手間取るなんて!!」

 

「ハン!負け惜しみかい、所詮は不ッ細工だね!」

 

…実のところ、キル子にとって、翼を生やしての空中飛行など、見た目は派手で見栄えがするが、見物人共への目くらましにちょうどいい程度の見せ札に過ぎなかった。

 

そもそも魔法で空を飛ぶこと自体、普段なら絶対にやらない。

ユグドラシルでは対空迎撃手段が豊富にあるのが理由の一つだが、キル子本来の空中での戦い方は、移動速度が向上する職業クラス『イダテン』で取得できるスキルを駆使して()()を踏みしめ、足場として駆け回るというもの。

だが、それは衆人環視の中で易々と見せてよい手札ではない。

 

そこで、お祭り騒ぎのお遊びで使うにはちょうどいいと思って、これまで一度も使わなかった鎧の飛行機能を使ってみたのだが、そもそも使用しているのが第3位階程度の魔法なので飛行速度も旋回性能もお察しだった。また、フワフワと体が浮いて足場がない感覚というのも、慣れていないと思いのほか動きづらい。

 

何より、ペロロンチーノ謹製の伝説級の鎧『薔薇の処女(ローゼンメイデン)』はとんでもない欠陥品であった。

黒翼を解放して本来の機能を発揮すると、見得を切っているかのようなカメラ写りの良い動作を着用者に強制する厄介極まりないギミックが働いてしまい、逐一行動を阻害する。

おまけに見栄えのいい黒翼は、実際には単なる飾りに過ぎず、空気抵抗がやたら強くて飛行性能を激減させてしまう。

そのおかげで、あの程度の相手に空中戦ではそこそこ勝負になってしまっているという無様な状況。クソが!

 

ベルのピンチに颯爽と現れ、堕天使ムーヴでラブポイントを稼ぐ綿密な計画が、これでは台無しである。

まあ、ヘスティア・ファミリアの連中にはユグドラシルでも最高の支援魔法(バフ)を配ってあるから、プラス5レベル分くらいまでの相手なら敵ではないので、キル子抜きでもまず負けはしないだろうが…

本気を出せばあんなイボガエルなぞ瞬殺なのに、こんな迂闊に手の内晒せない衆人環視の中で縛りプレイとか、ストレス溜まりまくりじゃ!

 

キル子は自分が当初舐めプしていたことなど、完全に忘却の彼方だった。

 

「あんのエロゲガッパの童貞野郎め!タダじゃおかねーですわよ、クラァアア!!」

 

挙げ句の果てに鎧の製作者に対して、八つ当たりめいた怒りを抱く始末である。

 

なお、本人が聞いていれば「ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!」と挙動不審に陥った後に「宴会芸用のネタ装備にそんな期待されても無理ィ!むしろ忘年会を盛り上げるステキな機能を七つも詰め込んだ伝説級を作ったことを褒めやがれください!だいたいその悪役令嬢コス、古典エロゲ界の金字塔『Bible ○lack』の一押しキャラにソックリだったからついティン!ときて…!」等と激しく弁解しただろう。

 

結局のところ、ステータスで圧倒しているので力押しでどうとでもなると、高をくくったのがキル子の運のツキだ。

だが、そんな事情はキル子以外の誰にも分からない。

 

「オォォォォ!!!」

 

「すげぇ!俺、感動しちゃった!」

 

「こんな空中戦、もう二度とお目にかかれないぞ!」

 

「てんししゃま、がんばえぇえええ!」

 

鎌を振るたび、逃げるフリュネを追うたび、見得を切っているかのような、非常に様になる絵が『神の鏡』を通してオラリオ中に映される。

これが結果的に、さも好勝負を演じているかのごとく観衆の目に映った。

客観的に見ればLv.5の第1級冒険者を相手にした、前代未聞の空中戦なのだ。観客は熱狂の渦にたたき込まれ、中には感極まって気絶するものまで出る始末である。

 

キルトの伝説に、新たな一頁が追加された。

 

 

 

「姉御、派手にやってんなぁ…」

 

「そうだね…つうか、あの人、空まで飛べたのかのかよ…もう、何でもありじゃん」

 

ロイドがポカンと口を開けて眺め、その隣ではアンジェリカが思わず語尾を付け忘れて見入っている。

 

「でも、あれならイシュタル・ファミリアの化物蛙は、ほっといて良さそ……お゛?」

 

「そうだね。いや、そうだにゃ……あ゛?」

 

突如、ドカァアアアン!と盛大な音を立てて、地面が揺れた。

 

熾烈な空中戦を行っていたキルトとフリュネが突如として急降下し、城塞に激突したのだ。

 

飛び回って熾烈な争いを繰り広げていた両者は空中でもみ合いになるやいなや、あろうことか城壁の上に陣取っていたアポロン・ファミリアの集団に突っ込んだ。

眼下のヘスティア・ファミリアに集中していたアポロン・ファミリアの一同にとってはまさに青天の霹靂であり、巨象に弾かれるネズミのような有様である。

 

なお、原因となった二人は墜落してもなお意気軒昂であり、運悪く目の前に立っていたアポロン・ファミリアの冒険者達は残らず震え上がった。

 

「こ、こっち来るなぁ!!」

 

「ママぁ!!」

 

「ちょ、待っ…!!」

 

「「邪魔じゃボケェ!!!!」」

 

一瞬にして大鎌(サイズ)で城壁ごと切り刻まれ、あるいは斧槍(ハルバード)によりネギトロめいて潰される。

二人は完全に頭に血が上りきっており、目の前に立っているのが敵か味方かなど、既に気にしていなかった。

 

「ハッ、遅い遅い!!ざまぁないね、戦乙女(ワルキュリア)!可憐なプロポーションで勝るアタイの方が素早く飛べるんだよォ!!」

 

フリュネはクネクネと気色の悪いポーズをとり、その馬鹿にしたかのような態度がキル子の怒りに油を注ぐ。

 

「ああ゛?!吐いた唾は飲めねーぞ!!望み通り、(うえ)でぶっ殺してやるでございますわよ、オラァアア!!」

 

やらかすだけやらかして即座に両者は上空に戻っていった。

 

全てを見届けたロイドとアンジェリカはまぶたを閉じて黙祷した。

こっちを散々に弓で射てきた憎いアンチクショウ共ではあるが、哀れなものである。

そして、突如として降ってわいたチャンスに目の色を変えて各々の得物を握り直す。

 

「よっしゃ、今だにゃ!」

 

「流石はキルトの姐さんだ!こっちのフォローまでしてくれるなんてな!いいよな、ベル!」

 

「ああ!今のうちにバリケードを破って侵入しよう!」

 

もちろん、キル子達が突っ込んできたのは完璧な偶然であり、強いて言えばアポロン・ファミリアの運が悪かった為であろう。

 

「ゴンザレス、アベシ、頼む!みんなも一緒に瓦礫を弾いてくれ!人一人が通れればいい!今なら上からの攻撃はない!」

 

「任せろ!すぐにぶっ壊してやる!!」

 

「おうさ!少量だが火の秘薬を持ってきた。希少な火山花(オビアフレア)の粉末、ラキアの工兵部隊がトーチカの破壊に使う優れ物だ。パヤック、お前も油をまいとけ。硬いおケツをゆるゆるの熱々にしてやろうぜ!」

 

「……油は分かったが、その不穏当な例えはどうかと思うぞ?」

 

「ムムリクさん、リリ達はいざという時の援護に備えましょう。万が一はありますから」

 

「わかったよ。でも"さん"付けはやめて欲しい、副団長」

 

軽口を叩きながらも、各々が出来ることを手早く分担してこなしていく。

 

即席で他派閥から移ってきた改宗(コンバート)組が多数含まれるヘスティア・ファミリアは、長年に渡り同じ釜の飯を食み続けた一般的なファミリアに比べれば絆も連携も劣るだろう、本来ならば。

そもそも、ダンジョンでは同じ派閥同士でパーティーを組むもの。他派閥とパーティーを組むのは、よほどの弱小派閥だけだ。

 

だが、ヘスティア・ファミリアへと参集した彼らは、元より幸運な奴ら(ラッキーズ)と蔑まれ、同じ派閥から爪弾きにされていた者ばかり。

冒険者の中でもLv.1から2へと魂の昇格(ランクアップ)を果たせる者は一握り、一生を費やしても届かない者が各派閥に溢れている。そんな者達から見れば、大派閥の第一級冒険者のおこぼれで、たまたま運良く成り上がった者など許せるはずがない。

そうやって派閥内で排斥され、同じ境遇の者同士で寄り集まってパーティーを組まざるを得なかった、それが彼らだった。

 

だから、絆も連携も、初めからあった。

だから、今、同じ旗の下に集結した。

 

各々が得物を使って手早く土砂や瓦礫を取り除き、瞬く間に道を通していく。

 

「そろそろいけるな。秘薬に点火するぜ、みんな少し下がれ!」

 

「…待った!後方から何か来ます!!」

 

沸き立つヘスティア・ファミリアだったが、好事魔多し。

 

うさ耳のついたヘアバンドをピョコピョコと揺らし、何かを聞きつけたらしきリリルカが、石弓を後方に向けた。

 

即座に全員が踵を返して得物を構え、備える。

 

「居たぞ~~!!!見つけた、こっちだ!ヘスティア・ファミリアの本隊だ!!」

 

ほぼ同時に、後方で鬨の声が上がった。

 

キルトに妨害されていたアポロン・ファミリアの別働隊が、追いついてきたのだ。

 

「化け物共が潰し合ってる今しかチャンスはない!!派閥の興廃、この一戦にありと心得よ!!」

 

その先頭を征くのは団長、ヒュアキントス・クリオ。覚悟を完了させた凄惨な形相をして、遮二無二突っ込んでくる。

 

「こちらも突撃!」

 

「返り討ちだ!」

 

「あの時の借りを返してやる!」

 

ベルを先頭に、ヘスティア・ファミリアもまた斬り込みを行った。

 

「魔法を使います!上が沈黙している今なら勝負は互角!むしろチャンスですぅ!!」

 

前衛部隊を引き連れて打って出たベルに代わり、副団長のリリルカが後衛に指示を出しながら、立て続けに矢を放つ。

 

「め、目があぁあああ!!!」

 

それは狙い過たず先陣の一人の兜の隙間から目玉を穿ち、戦闘力を奪った。

 

「魔剣、用意!フローラさん、マチルダさん、詠唱合わせてせーので、やっちゃってください!…あれ、レックスは?あの子何処行ったの?」

 

「OK!…【いと気高き冬の主人、霜と共に歩む者!】」

 

「【光溢るる天を仰ぐ、雲の切れ間に現れ出でよ】」

 

リリルカの指示を受けて、数少ない魔法使い達が詠唱を開始する。

その前を守るように数名が進み出ると、背負っていた小ぶりの背嚢、無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から魔剣を取り出した。今朝方、ヴェルフ・クロッゾが届けてくれた試作品の数々だ。

 

「せーの、ハイッ!!」

 

「【フリーズクラウド!!】」

 

「【フォトンレイン!!】」

 

合図と同時に、極低温の気圧の渦と、熱線の雨が降り注ぎ、アポロン・ファミリアの前衛部隊に直撃した。

肺を凍てつかされ、四肢を光に貫かれて倒れるもの多数。しかし、後続は盾や鎧で難なく受け止めると、一目散に殺到する。

 

ヒュアキントスは声を張り上げて味方を鼓舞した。

 

「怯むな!こんなもの、見てくれは派手だが大した威力はない!」

 

数に任せて接近を許せば、魔力のステイタスに偏りがちな魔法使いはひとたまりもない。

残念ながらヘスティア・ファミリアには発展アビリティの【魔導】を持つ者はいない為、魔法の威力も範囲も乏しい。

だが、そこは連携でカバーし、詠唱時間を稼ぐ為に魔剣を使う。

 

「魔剣、撃てェ!!」

 

次々に放たれる炎や氷、あるいは電撃。

魔剣は数度も使えば壊れる消耗品だが、その都度、見た目は小ぶりな背嚢から、無尽蔵に思えるほどの数が吐き出されていく。

 

高価な魔剣の鶴瓶撃ちに、アポロン・ファミリアの団員達は驚愕した。

 

「な、何本魔剣を持ってやがるんだ?!!」

 

あるいは、今は遠いメレンにいるロキ・ファミリアの者達ならば、目を細めた光景だろう。

 

だが、今そのことに違和感を感じられたのは、バベルにて全てを余さず見届けようとする狡猾なる神、ヘルメスだけであった。

 

 

 

 

 

「(あの背嚢、見た目と容積が合っていない。あんな魔道具は見たこともないが……いや、確かロキ・ファミリアの遠征隊が妙な物を迷宮の楽園(アンダーリゾート)に持ち込んでいたと、聞いた覚えがある。そこから手繰れば、あるいは…)」

 

糸口を掴んだと、ヘルメスは少しばかりの満足感を覚えた。

 

「フフ…楽しそうですね、ヘルメス」

 

すぐ隣から聞こえてきた声に、ヘルメスはギョッとした。

思わず目を見開き、そろりと視線だけ真横に動かす。

いつの間にか、すぐ隣に旧知の神物(じんぶつ)が腰掛けていた。

 

「!…やあ、ベルダンディ。久しぶりだな」

 

それは、美を司るフレイヤやイシュタルに勝るとも劣らない美貌の持ち主だった。

 

「ドーモ、お久しぶりです」

 

黄金の髪を結い上げ、白銀のエキゾチックな装束に身を包んだ女神が、上品な笑顔で丁寧なアイサツをした。アイサツは大事だ。

 

女神、ベルダンディ。

ロキやフレイヤと郷里を同じくする神族、運命を司る三女神(ウィルズ・シスターズ)、ノルニルの一柱。

100年に一度程度のペースでしか眷属を持たないという、えり好みの激しすぎる女神として知られている。その分、眷属の質は高く、かつてオラリオを支配していた大派閥のヘラやゼウスからも一目置かれていたのを、ヘルメスは覚えていた。

 

特定の拠点を持たず、大陸中を気ままに流離っていると聞いていたが…

 

「オラリオに来ていたとは、知らなかったよ」

 

「はい。各地を色々と見て回っているのですが、たまたまオラリオにも立ち寄ったので、久々にバベルに足を運んでみました」

 

そろそろ100年の()()()()の時期ですから。

 

そう、ベルダンディは柔らかく微笑みながら語った。

 

「まさか戦争遊戯(ウォー・ゲーム)を開催されているとは思いませんでしたが…」

 

「ふぅん?…まあ、運がよかったな。滅多に見られるもんじゃないからね」

 

相変わらず頭のゆるそうな女だと思いながら、ヘルメスは今回の仕込みのもう一つの本命を映す『神の鏡』に視線を移す。

そこには、意中の英雄候補が、死闘を演じていた。

 

「…ええ、滅多に見られないですよね……本当に……」

 

隣に座るベルダンディもまた『神の鏡』を眺め、楽しそうに柔らかく微笑んだのだが……ヘルメスは気が付かなかった。

 

ベルダンディの口元は上品な笑みを形作りながら、ヘルメスに向けた視線は、凍てつくように冷えていたことに。

逆に『神の鏡』の向こう、黒翼で天翔ける戦乙女(ワルキュリア)を見守る視線は、陶酔したかのように蕩けていたことに。

 

 

 

 

 

 

アポロン・ファミリア団長、ヒュアキントス・クリオと、ヘスティア・ファミリア団長、ベル・クラネルは相対していた。

 

互いに派閥の頭を意図的に狙ったわけではなかった。乱戦の最中、たまたま対峙しただけだ。

しかし、一目で互いに互いを倒すべき敵だと認識した。

 

無言のまま、何の前兆もなく、戦いは始まった。

 

「フン!!」

 

「……!!」

 

まず、ヒュアキントスが赤くうねる様な刀身を持つ剣を正眼に構え、剣戟を繰り出した。

 

その一撃を、あやうくベルはかわしそこねるところだった。あまりにも素早く、あまりにも自然に振り下されたからだ。

単なるステイタス頼みの乱暴な剣捌きではない。経験と、何より地道な鍛錬によって生み出された剣閃だった。

鋭い刃物で斬られる痛みがベルの頬に走り、左頬から流れ出た血が宙に一筋の糸を引く。

 

ヒュアキントスが手にする得物はフランベルジュ。

炎のようにうねった刀身が肉を引き裂き、傷口の止血を難しくする。殺傷能力が高く、死よりも苦痛を与える剣だ。

速やかに治療をしなければ、破傷風にかかりやすくなるのだろうが、ベルは気にせず相手の次の攻撃に備えた。

 

「ハァアアアア!!」

 

「くぅ…!」

 

次いで繰り出された突きを自らの剣で受け止めると、横に押し出すようにして流す。

真っ向勝負の力比べでは分が悪い。文字通り、レベルが違う。

だが、キルトの手によりユグドラシルでも最高クラスの支援魔法(バフ)を受けていたベル達のステイタスは、魂の階梯(レベル)を逸脱して激増している。

受け止めるならともかく、受け流すことは難しくない。

 

何より、こんなフランベルジュなどより遙かに凶悪な大鎌で、速度も力も比ではない相手に、何度も挑み続けていたのだから。

 

「…ぬぅ?」

 

その思わぬ抵抗に、攻めあぐねたヒュアキントスが一拍の間を置いた瞬間のこと。

 

「(ここだ…!)…【ファイア・ボルト!!】」

 

ベルの突き出した右掌から、稲妻の様な爆炎が迸る。

 

「甘いわ…!」

 

冷静にフランベルジュで斬り払うヒュアキントスだが…

 

「【ファイア・ボルト!!】」

 

「なんだと…⁈」

 

間髪入れずに放たれたもう一発には、流石に反応しきれなかった。

 

これこそが、詠唱を必要とせず撃発音声だけで放てる速攻魔法の真骨頂。

本来、魔法とは放つまでに長い詠唱と精神集中を必要とする。

肉弾戦の最中に詠唱を行う『並行詠唱』なる技術もあるが、それを実戦で活用できる冒険者は極めて稀だ。

 

だが、ベル・クラネルの魔法、ファイアボルトはただ一言で詠唱が完了する。

素の威力は抑えめなので強敵相手には牽制にしかならないが、対人戦では絶大な効果を発揮した。

 

「ッ…!!おのれェ…!!」

 

無意識のうちに格下と侮り、さっさと倒さねばと焦っていたヒュアキントスは、これをまともに受けた。

爆発は丈夫な厚手の衣服を焼き、二の腕までを焦がす。暑さ対策に軽装で来たのが、裏目に出ていた。

 

逆に、ベルの着込んでいる白い鎧、『兎鎧(ピョンキチ)』はヴェルフ・クロッゾが手掛けた逸品。下級冒険者向けの防具なれども、軽さと防御力を兼ね備えている。うまく装甲部に当てれば、たとえ相手が冒険者として格上であろうと、ダメージを大幅に軽減できる。

 

苦し紛れに振り回されたフランベルジュを手甲で逸らすと、ベルはさらに容赦なく追撃した。

 

「【ファイア・ボルト!!】」

 

たまらずヒュアキントスがフランベルジュを顔の前にかざしたところをすかさず、ガラ空きの腹に小剣(ショートソード)牛短刀(ミノタン)』を叩き付ける。狙いは人体の急所、水月だ。

 

「カヒュ…?!」

 

ヒュアキントスの腹から空気が搾り出される嫌な音がなり、胃液が逆流し、白い泡が口から漏れる。

 

事ここにいたり、ヒュアキントスは相手の厄介さを認めざるを得なかった。

斬り合いをしながら常に瞬間的に魔法を使われることを警戒しなければならず、当たれば致命傷にならずとも目潰しや牽制には十分。続く追撃を防ぐのは難しく、また攻撃力も侮れない。明らかに、ただのLv.2ではあり得ない腕力だった。

 

「ヨシ、いける…!」

 

一方のベルは、確かな手応えを感じていた。

 

キルト監修、対人戦闘レッスンその1。

使える手札の使い方はできる限り工夫しろ。不意打ち、闇討ち当たり前、常に意識の裏をかけ。

 

優れた魔法使いほど詠唱のタメが長く、距離を置いて戦いたがるもの。その意識は、長く冒険者をしている者ほど無意識のうちに染み付いている。

故に、接近戦に絡めた速射魔法の連発、これは効いた。

 

「き、貴様、本当にLv.2なのか⁈やはりステイタス偽装か⁈」

 

思わずヒュアキントスが発したその言葉は無理もなかったが、それがベルの逆鱗に触れた。

彼の主神、ヘスティアを貶める為に『神の宴』で使われた言葉だったのだから。

 

ベルの石膏のような白い髪がバチバチと帯電し、文字通り、怒髪天をついた。のみならず全身から放電し、紫電を纏う。

 

「そうやって、あなた達はぁあああ!!!」

 

「ば、馬鹿な…?!」

 

怒りのままに振るわれたショートソードをフランベルジュで受け止めた瞬間、ベルの全身に帯電していた電流が、剣を伝ってヒュアキントスに流れ込んだ。

それは物理的な防御力を無視して皮膚を焦がし、筋肉を痺れさせ、神経の動きを狂わせる、〈硬直(スタン)〉の状態異常(バッドステータス)

 

「そんなに戦争がしたいのかぁああ!!!」

 

「………ッ?!!!」

 

一瞬だけ硬直し、棒立ちになったヒュアキントスを、怒りに任せたベルの乱打が襲った。

 

キルト監修、対人戦闘レッスンその2。

有利を取るには状態異常(バッドステータス)を与えること。そして、身動きできないカスをサンドバッグ。

 

そのために最適な武器を、ベルはつい最近まで所有していた。 切った相手に雷を流し込み絶大な属性ダメージと共に〈硬直(スタン)〉状態にして、動きを止めてしまう恐るべき魔剣を。何よりも頼もしかった()()()は18階層で失い、既に無い。

だが、ベルの脳裏には今もあの剣を振るっていた時のイメージ、最強の幻想が焼き付いている。

 

その想いの強さを、ベルは力にすることが出来た。

成長ではなく飛躍、主神にそう言わしめた前代未聞のスキル【憧憬一途(リアリスフレーゼ)】。

想いを受け止め、昇華し、形とする。

 

【雷のオーラ(Ⅱ)】

エネミーとの接触時に雷属性の追加ダメージ(小)を付与。また、感電による〈硬直(スタン)〉の判定を行う。

 

「お、おのれ!妙な小細工を…!!」

 

ベルが18階層の死闘を経て、愛剣と引き換えに獲得した新たなスキルは、一撃ごとにヒュアキントスの【耐異常】を貫き、厄介な電撃を流し込み、徐々に腕を痺れさせ、足を萎えさせていく。

モンスターがよく使う為にメジャーな炎や氷への対策ならばいざ知らず、希少(レア)な雷属性となるとそうそうお目にかかるものではない。

 

ヒュアキントスは舌を巻いた。 

どんな手妻を使ったのか知らないが、純粋な身体能力にもそこまでの差はなく、しかも連発可能な速射魔法まで備えているのだから、この間合いでは手に負えない。

 

一対一の決闘ならば、あるいは勝負がついただろうが、しかし、これは乱戦だ。

 

「ヒュアキントス!」

 

団長のピンチを察して、黒い制服を着たエルフの男が一人、ベルの背後から斬りかかった。

 

「え⁈…うわっ…!!」

 

前の敵に集中していたベルは、危ういところを慌てて飛び退った。

 

「【我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ!】」

 

その隙にヒュアキントスは距離を取り、朗々と詠唱をはじめている。

 

「…あ!ま、待て!!」

 

あと少し、【英雄願望(アルゴノゥト)】でチャージした一撃をトドメに放つ…そのタイミングをはかっていたところで…!

 

「行かせるか!!」

 

追いかけようとするベルだったが、その前に別の敵が立ち塞がる。

辺りは大乱闘の様相を呈しており、敵は至る所にいる。だが、味方もまた然り。

 

「邪魔を…!」

 

するな!と言いかけたところで、ベルはそれ以上を口に出来なかった。

 

「イヤーッ!!」「グァー!!」

 

何故なら、いきなり()から降って来た小柄な影が、手にした盾で男を殴り飛ばしたからだ。

 

「イヤーッ!!」「グァー!!」

 

堪らず倒れた男の顔面に、続いて降って来た更に小柄な影が着地する。グキャッ!という音をたてて男の首が嫌な方向に曲がり、それきり動かなくなった。

 

思わず呆気に取られたベルの前で、空から降って来た二人の子供は、上を向いて何やら騒いでいる。

 

「レックス!もっとしっかり落としなしゃいよ!少しずれちゃったじゃないの!」

 

「そだぞ〜!もうちょい右だった〜!」

 

「贅沢言うなよ!この《浮遊(フローティング)》の魔法、覚えたてで疲れるんだぞ!」

 

つられて上を向くと、ローブ姿の獣人の子供がフラフラと宙に浮かんでいた。手足をバタバタと動かしながら危なっかしい動作で浮遊しているが、どうやらキルト達のように自由自在に空を飛ぶことはできないらしい。

 

恐らく、浮遊することができる魔法を使って、みんなで上から奇襲をかける気だったのだろう。相変わらずやる事がエグい。

そもそも魔法とはそんなポコポコ覚えられるものだっただろうか?

 

訝しむベルはさて置き、アポロン・ファミリアの屈強な団員が、カリン達の前に立ち塞がる。

 

「餓鬼が、何もわかってねぇ…」

 

「大人を舐めるとどうなるか分かってんのか?」

 

「冒険者は餓鬼のお遊びとは違う。お前ら、手加減してもらえると思うなよ」

 

いずれもヒュアキントスが指揮していた精鋭、Lv.2になる強者達。

 

返答は、問答無用でぶっ放されたレックスの魔法だった。

 

「《電撃球(エレクトロ・スフィア)》!!」

 

「「「うあぁああ!!!」」」

 

電撃をまともに受けて、痺れきって動けなくなった男達の股間を、カリンが容赦なく踏み潰す。

 

「イヤーッ!!」「アバーッ!!」「イヤーッ!!」「アバーッ!!」「イヤーッ!!」「アババーッ!!」

 

血の小便を垂れ流しながら、男として終わってしまった哀れな者達が積み重なった。

 

「ザッケンナコラー!!!」

 

更なる餌食を求めて咆哮を上げたカリンに、アポロン・ファミリアの男達は震え上がった。

なんと邪悪な悪魔の所業であろうか。ブッダエイメン!!

 

「げぇっ !あの時の化け物小僧どもが出たぞーッ!!」

 

「み、みんな()を守れ〜!」

 

「へ、へへへ!お、オメェらなんか怖かねぇ!」

 

「なら、お前から行けよ!」

 

「いやいや、お前から行けよ!」

 

こうなるともういけない。屈強な男達が自分の背丈の半分もない子供達を前にして、威勢のいい台詞を口にするものの、明らかに腰が引けている。

もちろん、三人は嬉々として襲い掛かった。

 

「あんた達!今度は手加減しないわよ!」

 

「俺は骨しか砕かないぞ!」

 

カリンが美しい装飾が施された巨大な騎兵槍(ランス)を振り回して一息に薙ぎ払えば、コナンもまた立派な盾を構え、体当たりで一度に数人を吹き飛ばす。

 

「《電撃球(エレクトロ・スフィア)》!!」

 

「「「ギィヤァアアアア…!!!」」」

 

そして倒れた所をレックスの魔法で一網打尽に戦闘力を奪ってしまった。

頼もしすぎる子供達である。

 

いや、それよりも…

 

「その盾と槍って、確かキルトさんが使ってた…?」

 

彼らが使っている武具に、ベルは非常に見覚えがあった。

 

「へへ〜ん、いいだろ、ベル兄ちゃん!なんかいきなり目の前にすっ飛んできたんだ!」

 

「頭がすっ飛ぶかと思ったわ!でも、すっごく使いやしゅいのよ!」

 

二人は手にした得物を軽々と振り回している。

 

「…後でちゃんと返すんだよ?」

 

「ちょっと、借りるだけよ!」

 

「そうだぜ!死ぬまで借りるだけだぜ!」

 

キルト監修、対人戦闘レッスンその3。

お前の装備(もの)は俺のもの。拾ったり奪ったりした装備は自分のものにすべし。

 

かねてからユグドラシル最悪のPKよりインストラクションを授けられていた三人は、たくましく成長していた。

 

「お前らも身ぐるみはいでやる〜!」

 

ただ一人、戦利品に恵まれないレックスは倒れたアポロン・ファミリアの団員達を漁っている。

装備やらポーションやらを奪っていくのは捕虜にしたものに対する武装解除の範疇だとしても、財布を抜き取ろうとするのは止めさせるべきだろう。

流石は路地裏育ちというべきか、本当に頼もしすぎる子供らである。

 

「【アロ・ゼフュロス!!】」

 

その時だった。

太陽の如き円盤状の光弾が、ベル目掛けて放たれたのは。

 

「《火属性防御(プロテクションエナジー・ファイア)》!」

 

「【シールドプロテクション】!!」

 

ほぼ同時に、カリンが魔法を唱え、コナンがベルの前に割って入る。

光弾が盾に当たって燐光を発した瞬間、レックスが後ろに大きく跳躍したのがベルには見えた。その跳躍に合わせるように、ヒュアキントスが飛び込んできて、フランベルジュを振り下ろす。

その切っ先を、カリンが槍の柄で受け止めた瞬間。

 

赤華(ルベレ)!」

 

轟音が轟き、光と熱があふれかえって視界をおおう。

朗々と立ち上る黒煙が消えると、そこにはコナンが倒れ伏していた。全身、黒焦げだ。

 

「コナン?!…スッゾオラー!!!」

 

相棒の無残な様子を見て激高したカリンが、恐るべき剛力でヒュアキントスを突き飛ばし振り払った。慌ててコナンに駆け寄り、治癒魔法を使う。

その間は、ベルが自由になったヒュアキントスを牽制した。

 

「《重傷治癒(ヘビーリカバー)》!」

 

カリンの手のひらから白く温かな光が降り注ぎ、コナンの体を癒やしていく。赤黒く焼け焦げた表皮が、速やかに元に戻っていくのを見て、ベルも胸をなで下ろした。

 

「大丈夫、命に別状はありましぇん。自分で後ろに飛んで威力を消したの。単に脳しんとうで気絶してるだけです」

 

カリンは念の為にポーションを使うと、耳を当ててコナンの心臓の音を聞き、閉じたまぶたを指で開けて反応を見て、そう結論づけた。普段の安物の盾だったら危うかっただろう。

いずれにしろ、コナンはここでリタイアだ。

 

「…ごめん。ありがとう、コナン」

 

俯くベルを他所に、カリンとレックスが怒りの形相を湛えて、ヒュアキントスをにらみつけている。

 

「よくもやってくれたわね!覚悟しなしゃい!」

 

「こいつめ、コナンの仇討ちだ!!」

 

「…また君らか、お子達よ。今度は手加減しない。そちらこそ覚悟するがいい」

 

ヒュアキントスは、静かに子供達を眺めると、フランベルジュを構えた。

 

対するカリンは冷ややかに笑った。

このときベルは、笑顔とは意外に凶暴なものだ、と感じた。

目に獰猛な怒りがある。まるで大型肉食獣が獲物にトドメを刺す寸前のような顔だ。

 

「度胸ありゅわね。手下はあらかた片付けた…残るはあんた()()だけよ!」

 

言われてみれば、周囲の喧噪はほぼ収まっていた。

 

あちらこちらで双方の冒険者が倒れ伏し、うめき声を上げている。パッと見て取った感じでは、幸い死者はいなさそうだ。

こちらも半分ほど討ち取られているが、アポロン・ファミリアの黒服で立っているものは他にいない。

 

「よぅ、色男。いい尻してるじゃねーの」

 

「…うちの子供らが世話になったねぇ…覚悟はいいかい?」

 

アベシがスコップを担いで熱い視線を注ぎ、その隣ではパヤックが暗い殺意に淀んだ目をして血塗れのフレイルをヒュンヒュンと唸らせている。

 

「ベルさんがLv.3のあなたを抑えてくれましたからね、その他を倒すのは楽でした」

 

「諦めて降参するのをすすめる」

 

リリルカとムムリクは、それぞれ石弓とスリングを構えて、ヒュアキントスの額に狙いを付けている。

 

「見たところ、そこそこやり手っぽいし。みんなで囲んでフルボッコね?」

 

「卑怯とは言うまいな?」

 

フローラは半ばから切り落とされた自身の杖の具合を見て眉をしかめながら言い放ち、ゴンザレスは戦闘槌をどこかに放り出し、鼻息も荒く両手の指をゴキゴキと鳴らす。

 

キルト監修、対人戦闘レッスンその4。

しぶとい敵も数で囲んでボコれば、実際倒しやすい。

 

「…もう勝ち目はありません。降伏して下さい」

 

「断る」

 

ベルは最後の情けをかけたが、ヒュアキントスはにべもなかった。

 

ヒュアキントスは、満身創痍だった。

ベルの雷によって痺れた筋肉は未だ小刻みに痙攣していて本調子には程遠く、魔力も既に心許ない。何より、序盤でキルトに受けた傷が深く、実のところベルとの戦いの最中も辛かった。

 

だが、今まさに追い詰められているはずのヒュアキントスの瞳は、水面のように落ち着いていた。暗く淀んだ感情は一欠片もない。

 

「ベル・クラネル、逆に聞こう。貴様が同じ立場なら、むざむざ降伏するか?」

 

「………」

 

「沈黙もまた"答え"だそうだぞ?」

 

ヒュアキントスは、皮肉気な笑みを浮かべた。

 

「そういうことだ。今更、名も命も惜しまん。全ては我が主神の為に………アポロン様、万歳!!」

 

「よく言った!望み通り、仲間の後を追うがいいでしゅ!」

 

「い、言い方ぁ!それ悪党の台詞だよ、カリン。むしろ、あいつの方が正義の味方っぽいこと言ってるよ」

 

…その数分後、ヒュアキントスは倒された。

 

ありとあらゆる武器で斬られ、突かれ、刻まれ、殴られ、呪文で焼かれ、総出でボコられた。

それでも仁王立ちのまま、倒れることなく気絶するという漢気に、ヘスティア・ファミリアの一同は感じ入った。

 

「敵だけど、立派な人だったね…」

 

「死なせるには惜しい漢だ。治療してやろう」

 

「ああ。偉い奴だが、早死にするタイプだな…」

 

「さて、後は姐御の方だが…」

 

「いや、決着したみたいだぞ?」

 

その場の全員が上を見上げると、潰れたカエルめいた悲鳴を上げつつ、天からピンク色をした丸くて巨大な物体がピンポイントに意識を失ったヒュアキントス目掛けて落下してきた。

 

『ほげェエエエ…?!!!』

 

フリュネの巨体は勢いよくピンボールめいて弾み、哀れなるヒュアキントス諸共、城壁まで吹き飛んで激突。そこでようやく止まる。

 

「あ、さっき火薬を仕掛けたバリケードに…!」

 

「不運なやつだなぁ…」

 

「言ってる場合か!巻き添えになりたくなけりゃ、はよ逃げろ!」

 

蜘蛛の子を散らすように逃げ出すヘスティア・ファミリアを尻目に、大爆発が起こった。

 

城塞の一部が吹き飛び、噴煙が辺りを覆い尽くす最中、天より高笑いがこだまする。

 

「オーッホッホッホ!た〜まや〜ですわぁ〜!!」

 

ようやく憎たらしいピンクのイボガエルを血祭りに上げて叩き落としたキルトが、空を舞いながら上機嫌で高笑いをあげていた。

 

「素晴らしい!ホラ、見て御覧なさい!皆さま、こんなに綺麗な花火ですわよぉ!オーッホッホッホ!」

 

まるで悪役のような事を宣いながら勝利の高笑いを楽しむと、黒い翼を翻して地面に降り立った。

着地と同時に羽根が崩れて飛び散り消えるというエフェクトに、周囲から感嘆の吐息が漏れる。

 

「わたくし達の勝利ですわ!」

 

キルトは勝ち誇るように威勢よく宣言した。凄まじいドヤ顔である。しかし、ヘスティア・ファミリアの一同は、困惑したように顔を見合わせた。

 

「…いや、姐御。それがまだ勝ちと決まったわけじゃねぇんです」

 

「あら?」

 

今回のルールは殲滅戦。勝敗の確認は、バベルにて神の鏡を操作している神々が行っている。

終了の合図がないのを見るところ、どうやら未だ五体満足で逃げ回ってるのが何処かにいるらしい。

 

「たぶん、要塞の中だよ。罠を仕掛けてゲリラをやる気かな?」

 

ムムリクが煙を上げて爆散した城壁を見ながら言った。

 

「ちょうど突入口も空いたところだし、行くかい?」

 

中には不意打ちに最適な隠し部屋や、罠が山ほど仕掛けられているに違いない。

事前にあれだけ入念な準備をしていた連中だ。恐らく、そのくらいはやっている。

 

「なにそれ。流石にかったるいですわ」

 

キルトは手元の時計を確認した。もう半刻ほどで日が落ちる。

 

…高精度の感知スキルを持つキル子なら、罠も不意打ちもさほど怖くはない。むしろ間合いが限られる閉所での戦闘は得意中の得意。内部に突入して残敵掃討してもいいが、あまり手早くやると感知能力の精度がバレる。それは面白くない。

 

それに、さっさと終わらせて飲み屋に行きたかった。

この日のために打ち上げの店は予約済みであり、二次会の準備までバッチリだ。

キル子は日本のサラリマンの伝統、飲みニュケーションでアルハラを仕掛け、酔ったふりしてベルをお持ち帰りする気満々だった。

 

となれば、だ。

 

「例の確認もしておきたかったし、ちょうどいいかな?………皆さま、わたくしから最後のレッスンを実地でお目にかけましょう!」

 

()()は建築物にしか効果がないので、せいぜい堅固な要塞の破壊くらいにしか使えない。今後もオラリオで活動する以上、そうそう滅多に使い所があるわけでもないから、見せ札にしても構うまい。本職の魔法職ではないキル子にとっては、その程度の手札。それに見た目も派手だから、ウケも取れる。

 

「下手な拠点に籠もってしまうと魔法一発でオタッシャ、ですわ!」

 

いったい何人のユグドラシル・プレイヤーが逃げ場のない()()の中で床ペロし、SNSに晒されてペロリスト認定され、引退を余儀なくされてしまったことか。もちろん、キルして晒したのはキル子の仕業であったが。

 

「全員、負傷者を連れて避難なさい。さもないと、巻き添えになりましてよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかりして、カサンドラ!」

 

頭から血を流す親友を抱えて、ダフネは城外へと続く回廊を歩いていた。

あの時、キルトとフリュネの戦闘の余波から、カサンドラがダフネを庇ったのだ。

おかげでダフネ自身は軽傷で済んだが、代わりにカサンドラの傷は深い。

 

まだ要塞内部には罠や毒の備えがあったし、無事な団員達の中には何とか一矢報いようと足掻いている者もいる。だが、もうダフネは戦う気はなかった。それよりもカサンドラが優先だ。

 

城壁の傍に設置されたレバーを操作し、巨大な転輪を回転させて鎖を巻き取り、先程閉ざしたばかりの城門を自ら開け放つ。

 

「もう少し、あと少しの辛抱だから…!」

 

ありったけのポーションを使ったが、意識が戻らず、呼吸は荒い。心臓の鼓動も早鐘のようだった。嫌な予感しかしない。

 

ダフネは唇を噛み締めた。

これが逆ならば、まだマシだった。ダフネは耐久に超高補正のかかるスキル【月桂輪廻(ラウルス・リース)】を有しているし、俊敏に補正のあるスキルもある。

後悔しきりのダフネの目に()()が映ったのは、その時だった。

 

黒翼を広げ、上空から地上を睥睨する金髪の美女……戦乙女(ワルキュリア)

 

ダフネはファミリアには強引に入団させられた為、主神であるアポロンに対する忠誠心はほぼ無い。何不自由なく尽くしてくれていたアポロンに対して、多少の感謝の気持ちもなくはないが、それ以上に恨んでいる。

それでも事前準備にも戦闘指揮にも手を抜いた覚えはなかった。ダフネの性格的に、そんなことは出来ない。

にもかかわらず、結果的にはほぼ戦乙女一人の為に、戦略を覆されてしまった。

 

「今度は何する気…!」

 

ダフネは怒りと困惑、それに多少の羨望を交えて、天高く舞う戦乙女を睨む。

直後には、そんな思いも消し飛んだ。

 

突如として空中に滞空する戦乙女(ワルキュリア)を中心に、10(メドル)にもなろうかという巨大な球状の魔法陣が展開された。

魔法陣は蒼白い光を放ち、幾つもの光の文字や記号のようなものを吐き出しつつ、目まぐるしく姿を変えている。

折しも灼熱の太陽が地平線にさしかかり、夕闇の降りてきた頃合いであり、薄闇に包まれた空に、遠目にもはっきりと目にすることが出来た。

 

発展アビリティ【魔導】を持つものは、魔法円(マジックサークル)を展開することで魔法の威力強化、効果範囲拡大、精神力効率化の補助をもたらす。だが、アレは【魔導】によって展開される魔法円とは、形も規模も全くかけ離れていた。

あれが何なのか、何をしようとしているのか全く理解できずに、ダフネは困惑した。少なくとも、アポロン・ファミリアにとって良いことは起きそうになかった。

 

嫌な予感が背筋を駆け回り、ダフネはもう無我夢中で駆け出した。胸に抱いたカサンドラを決して離さぬようにして、この場から少しでも遠くに行くために。

 

 

 

 

 

 

同じ頃、バベルも混乱の極みにあった。

『神の鏡』にも魔法陣に取り囲まれたキルトの姿が大写しになり、見守る神々を唖然とさせていた。

 

「なんだあれ…」

 

「知らない。魔法じゃ、ない…⁈」

 

「空が、いや世界が()()()…」

 

先程までの余裕は、既にない。

それは悠久を生きる神々すらも、未だかつて目にしたことのない光景だったのだから。…ただ一柱を除いて。

 

 

 

 

やがて光の魔法陣が弾け、無数の光の粒となって天空に舞い上がる。

そして一気に―――爆発するかのように天空に広がった。

それは天を遡る流星、あるいは極光。

 

この日、世界に新たな爪痕が刻まれた。

 

神々の箱庭たるこの世界の外から持ち込まれ、使われた法則(コトワリ)。ユグドラシルが超位魔法の一つ。

 

即ち、それで――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界に、光が堕ちる。

 

 

    

 

 

 

 

 

 

何が起こっているのか理解できたものは、誰一人としていなかった。

そう、人も神も。戦場にいた者も、『神の鏡』を通して見ていた者達も。

あまりの事態を、直ぐには理解できなかった。

 

何よりも、その効果を自らの身をもって味わうことになった者達は、理解を拒絶したまま、ありのままを受け入れるほかなかった。

 

「天が、落ちてくる…」

 

誰が呟いたか、その言葉は事態を的確に表していた。

それはダフネ自身の言葉だったのだが、そのことには気づけなかった。

 

遙か天の彼方、空と宇宙(そら)の狭間に集った光がまっすぐに降りてくる。

天を覆い、地に影さえ落とさない極光。

それはみるみるうちに地上へと到達し、やがて白い光が弾けた。

 

瞬時に音が消え、光が消える。

 

ダフネは吹き飛ばされ、地面にたたき付けられた。

網膜は残像に覆い尽くされ、鼓膜は破れて意味をなさない。

我が身を省みず、カサンドラをかばって丸くなる。凄まじい爆風と光と熱がその背を撫でている間、ダフネは神に祈っていた。どんな神に祈りを捧げていたかは、後になっても思い出せなかった。

 

しばらくして光と鳴動が収まると、そろそろと頭をもたげて起き上がる。

キーンと耳鳴りがして、吐き気と目眩が襲ってきたが、頭を振って立ち上がった。辺りの様子を確かめなければならない。

だが、現実を認識するまでに、また途方もない時間がかかった。

 

城塞が消えている。

目の錯覚ではない。城塞があった場所は完全に陥没し、跡にはクレーターだけが残されている。

ダフネ達と同じように逃げ出し、何とか生き延びたと思しきアポロン・ファミリアの黒い制服姿の人間が、あちらこちらで呆然としていた。

 

その有様を眺めているうちに、ダフネはチョロチョロと下半身が濡れていくのを自覚した。だが、恥とは思わなかった。生き残れた自分を誇りに思いさえした。

そして、カサンドラを誘ってカタギに戻り、冒険者を辞めようと思った。

 

その日、オラリオの周囲に暮らす者たちは、雲を消しとばして極大の光の柱が降る光景を、目の当たりにしたという。

 

 

 

 

 

天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)》。

信仰系第十位階魔法《自然の避難所(ネイチャーズ・シェルター)》で作った防空壕を打ち砕ける威力がある、対建築物専用の超位魔法。

 

宇宙兵器とも揶揄されるエフェクトは非常に派手だが、対建築物に特化しており、対人殺傷力はほとんどない。せいぜい舞い散る瓦礫に運悪く巻き込まれる程度だろう。

ユグドラシルではタウンやギルド拠点のようなゲーム内の重要箇所を破壊できるほどの威力は無く、使いどころが限られる魔法だった。

あまりやり過ぎてフィールドが滅茶苦茶になると運営的にもサービス提供が難しくなるという、大人の事情だったのだろう。せいぜい大規模PVPにおいて、魔法やアイテムで作成される仮設の砦などを壊す、といった使い方しかされていなかった。

キル子もビルド構築上、取得可能だったから取得しただけで、数える程度しか使ったことはない。

 

そもそも超位魔法は、ユグドラシルにおいて強力な切り札の一つだが、使用後に強制的な冷却時間(クールタイム)が同じチーム全員にかかるため、超位魔法を先打ちする者はまず負ける、という定説がある。

大規模戦の際は、超位魔法を発動しようとする者を最初に潰すのが定石。転移魔法による突貫、出の早い超位魔法による絨毯爆撃、超遠距離からのピンポイントショット。それら無数の手段を使って妨害に出るのが基本中の基本だ。

この周囲に他のプレイヤーがいたら、まず間違いなく、そう出るはず。

実際、オラリオ全域に配置し、()()()()()()()()他のプレイヤーからの介入を警戒させていたニンジャ達からは、なんら報告がない。

ならば、やはりプレイヤーはいないのだ。その確認が取れただけでも儲けもの。

 

キル子にとっては優先度の低かった案件を処理するついでに、お祭り騒ぎの最後にちょっとした花を添え、勝利までの時間を短縮するだけの一発芸に過ぎなかった。だいたい、魔法強化や広範囲化のスキルを持たないアサシンが放つ、ただの超位魔法なんて、ユグドラシルのプレイヤーからすれば呆れて失笑される程度の代物なのだから。

 

…もちろん、他の全員がそうは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

バベルには静寂が満ちていた。

 

「………」

 

破壊の光を目の当たりにした時、神々はまったく同じ感想を共有した。

千年前、かつて地上の民が作り、怪物との生存競争を戦い抜くために用いられた最初のバベルの塔。

それは、神が地上に降臨した際に破壊された。神の力(アルカナム)によって。

 

神々がキルトへと向ける視線は、既に激変していた。

神から人間()へと下賜する恩恵(ファルナ)を必要とせず、黒き翼をはためかせ、大鎌を携えて、破壊の光を齎す堕天使。

まるで、神への反逆を示しているかのように。

 

「………」

 

裏で全てを画策したヘルメスすらも、今は滝のような汗を流して沈黙するのみ。

 

ただ一柱、"現在"を司る女神だけは、感極まったように涙を流しながら、優しく微笑んでいた。

 

「ああ、まさしくユグドラシルの……我らが愛し子……」

 

その左手の薬指にはめられた『永劫の蛇(ウロボロス)』を象った指輪が、鈍い光を湛えていた。

 

 

 

 

 

 

対照的にオラリオ市内は喧騒に包まれていた。

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)の行末を固唾を飲んで見守っていた観衆からは、大歓声が上がっていた。

 

「うぉああ!すっげ!」

 

「うはぁ…俺、今日は眠れないかも…」

 

「わかるわぁ…あんなの見せられたらな…」

 

「おかあさん、あたしもぼうけんしゃになる!ひめきしになる!」

 

『ヘスティア・ファミリアの勝利です!スゴイ!』

 

『私は最初からヘスティア・ファミリアが勝利すると確信していました!まったく!本当にネェ!』

 

ヘスティア・ファミリアに賭けた者達は狂喜乱舞し、アポロン・ファミリアに賭けていた者達は悲鳴を上げて紙切れと化した賭け札を放り投げる。

 

「よっしゃ、儲けた!戦乙女(ワルキュリア)ばんざ〜い!」

 

「チキショウ、アポロン・ファミリアめ……まあ、相手が悪かったか。ヒュアキントスもよくやったよ…」

 

さらには、どこから湧いて出たのか、同じ髪型、同じ顔立ち、同じサイバーサングラスをかけ、同じダークスーツを着込み、同じ家紋をネクタイに刺繍したヤクザめいたアトモスフィアの男達が屋台を並べ、『戦乙女・キルト』の物販を始めた。

 

戦乙女(ワルキュリア)の公式グッズの販売です。本人から許可を得た正規品です。実際、正当な。実際、安い。さあ、遠慮なくお買い上げください市民」

 

「三つずつくれ!」

 

「こっちもだ!」

 

ロゴ入りTシャツやポスター、フェイスタオル、マグカップ、タンブラー、団扇などにミーハーな市民や観光客が群がり、たちまちのうちに売れていく。

 

また、酒場にてジョッキを片手にほろ酔い気分で観戦していた冒険者達も、いつの間にか酔いを忘れて見入っていた。

 

戦乙女(ワルキュリア)…まさかあれほどの()()()だったとは…」

 

「【九魔姫(ナイン・ヘル)】とどっちが上かな?」

 

「さあな。だがあれだけやらかしたんだ。キルトとヘスティア・ファミリアは、しばらく台風の目になるぞ」

 

「うちの主神様、一時期はキルトを引き抜けって、うるさかったからな。また、騒ぎ出すぞ…」

 

「っかぁ〜!英雄譚見せびらかしやがって!…おもしろくねぇ!…おう、姉ちゃん、エール追加だ!」

 

良くも悪くも、人々は熱狂していた。

 

たった今、目の前で繰り広げられた光景がどれだけ異常なことなのか、理解できずに。

 

 

 

 

 

 

「よし、これなら勝利判定は問題なしですわね!皆さま、お疲れ様でした〜!さっそくアフターファイブに繰り出して勝利の美酒に酔いましょう!今夜は奢りますわよ!」

 

時間の節約になったとご満悦のキル子だったが、ヘスティア・ファミリアの一同は、ぽかんと口を開けて唖然としている。

 

「うわぁ…姉御、あんな魔法使い顔負けの大魔法まで…」

 

「もう、あの人に関して考えるのやめるわ…やめるにゃ…」

 

「…実は、最初からあの魔法で要塞ごと吹き飛ばせば良かったんじゃ?」

 

「たぶん、リリ達が要塞を取られたら、それを利用して騙し討ちみたいにやるつもりだったのでは?あの威力なら敵は一箇所に集まってた方がまとめて倒しやすいでしょうから。……あの人の考えそうなことですよ」

 

「お姉様、素敵!一生ついていきます…!!」

 

「流石はキルトしゃま!」

 

「すげえ!!とにかくすげえ!!レックス、お前もあれ覚えろよ!!」

 

「コナン、お前いつの間に復活してるんだよ…っていうか、無理だから。僕はまだLv.1だから」

 

アポロン・ファミリアの一同も、驚愕と諦観の入り混じった表情で、その光景を眺めていた。

 

「負けだ負けだ…やってらんねぇ…」

 

「はなから、勝ち目なんて無かったわけだ…」

 

「どのみち、うちのファミリアは終わりさ。俺、田舎に帰るわ」

 

「お労しや、アポロン様…」

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、戦争遊戯(ウォーゲーム)は終結した。

 

様々な禍根を残して。

 

 




CV.永遠の17歳様な感じで。


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間話3

※作者注
人によっては吐き気を催す可能性がありますので、苦手な方は読み飛ばしてください。



 

 

 

「みんな、戦争遊戯はよく頑張ってくれたね!今夜は無礼講だ!飲んで食べて歌って踊って朝まで騒ごう!」

 

ヘスティア・ファミリア主神、ヘスティアのそんな言葉から宴は始まった。

 

ここはオラリオでも知る人ぞ知る、冒険者御用達の酒場、『豊穣の女主人』。

つい先ほど、ヘスティア・ファミリアが見事な勝利をおさめた戦争遊戯の祝勝会が開催されていた。

 

なお店を予約したのは功労者の一人であるキルトであり、その当の本人といえば大テーブルの中央に座ったヘスティア・ファミリア団長、ベル・クラネルの対面に陣取っている。

 

なお、キルトは普段の冒険者然とした装いを改め、ラフな私服を着ていた。

大きく肩があいたカットソーに、ヒラヒラしたフリンジ。襟元にはクリアカラーのビジューが施してあり、下は同色のショートパンツを合わせている。戦争遊戯でのキリッとした騎士装束とギャップ萌えを狙い、ここぞというときにカワイイ系の私服で攻めるという、あざとい戦略である。

 

実際、初めて見るキルトの私服に、ベルは少しだけドギマギして頬をうっすらと染めていた。

 

「(つかみはオッケーじゃコラ!)……さ、乾杯の音頭を頼みますわ、団長様」

 

乾杯を促されたベルは、慌ててジョッキを掲げた。

 

「か、乾杯!!」

 

「「「乾杯!!!」」」

 

ヘスティア・ファミリア一同は、互いのグラスをカチンと響き合わせ、すぐさま盃を一気に傾けた。

居合わせた他の客達も、ヘスティア・ファミリアに合わせて唱和し、大量のグラスが宙に突き出される。

 

「んぐっんぐっ……ぷぁ~~!」

 

「うめぇ~~!この一杯のために生きてるって気がするな!」

 

「シルさん、お代わりおねがいしま~す!」

 

「はい、少々お待ちください!」

 

今日は一日、炎天下の中で戦争遊戯を戦い抜いたので、戦士達の体は乾き切り、飢えている。

そこに泡の立つ冷えたエールはたまらない。たちまちのうちにジョッキは空になり、すぐさま全員がお代わりを注文した。

 

「ぷはぁ…美味しくて飲み過ぎちゃうかも。でも、いざとなったらベルくんが介抱してくれるから大丈夫、よね?」

 

「え!……は、ハイ!」

 

唇を耳に寄せ、瞳を潤ませながら微笑むキルトの姿は常になく色っぽく、アベシ以外の男性陣は生唾を飲み込んで胸元の開いたワンピースに視線を注いだ。

ベルの視線も当然のように、素晴らしい双丘に吸い込まれた。

 

「…ベルさん、このリンゴのカクテル、いけますよ」

 

「う、うん。ありがとう、リリ」

 

思わずキルトといい雰囲気になりかけたところで、さりげなくベルの手を握りしめて気をそらし、空いたグラスを取り替えたのはベルの左隣の席をちゃっかり確保していたリリルカ・アーデだ。

 

リリルカは並の冒険者ならダンジョン探索で荒れ気味になる筈の肌のお手入れにも気を抜かず、若さを活かしたナチュラルメイクを武器にしつつ、今日は化粧にも気合いが入っている。

身につけているのはいつもの赤いビスチェではなく、黄色いフリフリのガーリッシュ。

向日葵が咲いたかのような笑顔を浮かべるリリルカから、ベルは淡い色のカクテルが入ったグラスを受け取ると、口をつけた。

 

「後口すっきりで、おいしいね」

 

クセのない澄んだ蒸留酒に、りんごのフルーティーな甘酸っぱさが加わったすっきりとした味わい。

最初の一杯はともかく、エールは苦みがあって実は苦手なのだ。甘いものも、実はベルはあまり好きではないので、アルコール自体が得意ではないのかも知れない。

そんなことは百も承知のリリルカの勧めたカクテルは、ベルの味覚にばっちりとあっていた。

 

「私のおすすめですよ」

 

リリルカもベルと同じものを飲んでいる。

二人はチンとグラスを軽くあわせて、澄んだ音色を響かせた。

 

「ベルくん、このエビフライ、おいしいよ!」

 

と、横からやや強引に口を挟みつつ、大量のガーリックシュリンプをトングで掴んでベルの皿にのせたのは、右隣に座るヘスティアだった。

 

飲み会に出る前に、女神のみが入浴する事を許された『神聖浴場』で念入りに汗を洗い流し、ややお高めな石鹸を使って身だしなみを整えているため、爽やかなラベンダーの香りを纏っている。

服装もいつもの青い紐を纏わり付かせた神の衣装ではなく、こつこつとバイトで貯めたお小遣いをはたいて買った夏らしい白のサマードレス。ツインテールに纏めていた髪もまっすぐにおろしていて、普段とは異なる年上めいた雰囲気で、年上属性を持つベルに魅力をアピールしている。

他の二人に負けず劣らず、こちらも相当に気合いが入っている。

 

ロリ巨乳と奉られる偉大な双丘が揺れるたび、ベルは思わずドギマギして視線を逸らしてしまう。

 

「こ、これ美味しいですね、神様」

 

体が油分を欲しているのか、ベルは皿に盛られたエビの揚げ物を数個纏めてフォークに刺し、一息に食べた。

大量にまぶされたニンニクに、微かに唐辛子がきかせてあり美味。濃い味付けが体に染み入るようで、いくらでも食べられる。

 

もしゃもしゃと料理を食べつつ幸せいっぱいの笑顔を浮かべるベルを、三人の美女、美少女が静かな笑顔を浮かべて見守っていた。

 

ヘスティア・ファミリアの男性団員からは「もげろ!リア充ハーレム野郎!」と嫉妬の視線が集中し、女性団員からは「お姉様!!」と殺意の視線が集中したが、本人はまるで気付いていない。

主人公体質の備えるべき素養、即ち『鈍感』をベルは当たり前のように備えていた。

 

「あらあら」

 

「あはは」

 

「ふふふ」

 

なお、空中では件の女性三人の視線がバチバチと交わり、互いに互いを牽制している。

隙あらば小兎を捕食しようと企む苛烈な女の戦いのトライアングルに囲まれていることなど、ベルはまったく気付いていなかった。

 

「女はコワイねぇ。なあ、ベル。男同士の世界はいいぞ」

 

アベシが白い歯を見せながら和やかに笑った。

 

さて、そんな風に始まった宴会だったが、何はともあれ勝利の後である。

酒も料理も美味で、疲れ切った体は栄養を欲している。体を酷使した彼らは次々に杯を干し、皿を空にしていった。

 

「アポロン・ファミリアの奴らめ、ざまーみろだな!」

 

「…ああ、流石のヘスティア様も腹に据えかねていたし。奴ら、ホームとファミリア資産の没収、それにオラリオからの追放らしいね。ご愁傷様」

 

「妥当だな。アポロン・ファミリアのホームはかなり大きいから、ちょうどいいんじゃないか?今のホームも悪くはないけど、流石にこの人数だと手狭だしな」

 

「ダイダロス通りから焼け出された連中は、どっかの金持ちが寄付した仮設住宅に移るらしいぜ。で、今のホームは孤児院にゆずるんだとさ。流石はヘスティア様だ」

 

勝利の美酒はただでさえ、うまい。そこに来て、うまい料理にうまい酒。酔わずにはいられない。戦士たちは大いに飲み、大いに食らい、大いに騒いだ。

 

「シャリアピン・ステーキの盛り合わせ、焼き上がったよ!」

 

「はい、持ってきます!」

 

「ミア母さん、お酒追加お願いしま〜す!」

 

店員も大わらわであった。

 

いつもなら目に余る馬鹿騒ぎは咎める酒場の女店主もわかったもので(支払いが既に目が飛び出るような額を前払いで受け取っていたこともあったが…)多少のことは大目に見ながら、奇跡の勝利に浮かれる彼らに酒と料理を絶やさなかった。

 

「うう、もう食べられにゃいよう…」

 

「まんぷくまんぷくぅ〜」

 

「むにゃむにゃ…すぅ…」

 

幼いと言っていい年齢のカリン達お子様三人組には、流石にアルコールが禁止されており、代わりに料理をたらふくおなかに詰め込み、甘いジュースで流し込んだ。

デザートのアイスを食べきってしまう頃には、昼間の疲れが出たのか、仲良く並んで夢の世界の住人となっていた。

三人とも今が成長期である。しかも、ソーマ・ファミリアに捕まっていた頃は慢性的な栄養失調だったため、今はその分を取り戻すかのように毎日よく食べ、よく学び、よく働いて、よく寝ている。

 

「そら、飲めや飲め!」

 

「飲み飽きたら、歌えや歌え!」

 

やがて酔いが回りだすと、道端で無聊を託っていた手すきの手風琴師を引っ張り込み、調子の外れたフォークソングを歌い出した。

ファミリアの半分ほどはオラリオの出身だが、もう半分は大陸各地から迷宮で一山当てようとやってきた田舎者。皆が田舎の収穫祭で歌われているような素朴な歌を披露し、手拍子を合わせ、お国自慢に花を咲かせた。

 

そんな拙い歌を耳にしながら、キルトことキル子もまた、今は遠い故郷に思いをはせていた。

 

大気は有毒なガスや粉塵で汚染され尽くされ、重金属を含んだ酸性雨が絶えず降り注ぎ、人工心肺がなければ呼吸すらもままならない暗黒社会ニッポン。

赤黒い雨に濡れた街は接触不良でバチバチと音を立て明滅する大小無数のネオン看板の瞬きを吸い込み、濡れそぼった夜の歓楽街にケミカルな色彩を上塗りしていた、あの懐かしい日々。

その中を徘徊するバイオイグサ製の編笠と耐酸性雨コートで全身を被った市民たちの表情は疲れ果てて乏しく、誰もが何かに抑圧され、耐えているかのような死んだ目をしていた。

「安い。安い。実際安い」「アカチャン!アカチャン!」「体温何度あるかな?」等、深夜になれば猥褻広告の音声がいっそう喧しく騒ぎ立て、湯気を立てるケミカルまみれの激安スシバーが建ち並び、高層建築に狭く切り取られた夜空をマグロツェッペリンが我が物顔で威圧する。

ごく一部の勝ち組サラリマンは完全環境都市、アーコロジーに移り住んで何不自由ない暮らしを満喫し、大多数の負け組は汚染下で短い寿命を何とかやりくりして日々を生きる。

終わりの見えない暗黒の日々に絶望し、サイバーゴスやアンタイブディスト、ペケロッパカルトといった発狂マニアックが蔓延り、悍ましい残虐犯罪に手を染める。

そして混沌、汚濁、陰惨、死。ああ、懐かしきかなネオサイタマ。終末の日を乗り越えた、マッポー世界日本の首都の、あまりに見慣れた光景。

 

……うん、やっぱり二度と戻りたくねーぞクソが!死ね、ネオサイタマ死ね!

 

思い出したらキル子はムカムカと気分が悪くなり、手元のお湯割りを一気飲みした。

 

「お姉様、お代わりどうぞ!」

 

「私のも飲んで下さい!」

 

「ありゃ、ありがと〜!!」

 

すかさずキルトを慕うフローラやマチルダといったファミリアの女性冒険者が、空いたグラスに酒を注ぎ足す。

 

なお、注がれる酒のアルコール濃度は徐々に高くなっていたのだが、キル子はまったく気付かず、知らぬうちに酔いが回り始めており、またそれを見つめる彼女たちの瞳が妖しく濡れて上気していたことにも気付いていなかった。

オモチカエリを企む無軌道学生めいた小技を駆使してグラスを勧める彼女らに、いったい如何なる思惑があるのかは、言わぬが花である。ウカツ!

 

「あ〜なんか、いい気持ち〜!」

 

キルトは既にとろりと蕩けた目をして、完全に酔っ払っている。

 

人間種に化けている間は、アンデッドの基本能力である〈飲食不可〉が緩和される代わりに〈毒無効〉の能力も無効化されるため、今のキル子は〈酩酊〉を通り越して〈泥酔〉にまで至った状態異常を得てしまっていた。

 

「ベルさんも顔が赤いですね。リリが膝枕しましょう」

 

「膝ならボクが貸すよ、ベルくん!」

 

なお、ライバルが脱落したのを好機とし、ベルを奪い合うリリルカとヘスティアの争いは盛大に激化していた。恋は戦争なのである。

 

「お酒がおいひいの……ふふふ」

 

「酔ったお姉様、かわゆす」

 

「胸元を緩めて差し上げますわ」

 

キルトの周りは女性団員が取り囲み、男性陣から完璧にガードしつつ、妖しい手つきで介抱していた。

このままでは、ベルをお持ち帰りするどころか、自分が百合の園にお持ち帰りされてしまうであろう。

 

そんな頃合いだった。

 

カウンターで一人酒をしていた酔客が無言で立ち上がり、

 

「…お前、相変わらず酒癖わりーな」

 

「うにゅ?」

 

逞しい腕を伸ばして、猫の子のようにキルトを摘みあげたのは。

 

「ちょっと、あんた!お姉様に何するのよ!」

 

「!…待って、フローラ!この人、確か…⁈」

 

男は灰色の毛並みをもつ狼人(ウェアウルフ)だった。

 

「あ〜〜、ベートさまだ〜〜!」

 

キルトが喜色満面でその首筋に抱きつく。

その肢体を受け止めたのは、都市最大の探索系派閥、ロキ・ファミリアのベート・ローガ。

凶狼(ヴァナルガンド)】という二つ名を持つ、Lv.6の第一級冒険者だった。

 

「どーして、ベートさまがいるのー?」

 

「…よ、ようやくこの店の出禁が解けたから、久々に一人酒してただけだ。つうか、お前、また()()で悪酔いしてんのか…」

 

ベートは普段の彼には似合わず、言葉を濁した。

 

…なお、ロキ・ファミリアの主力メンバーは未だメレンで食人花騒動の後始末に追われており、そんな最中にベートは一人でファミリア随一の瞬足を活かし、オラリオに駆けつけたばかりだったのだが、そんな事情はそれこそ言わぬが花。

 

カールされた金髪をわしわしと乱暴に撫でるベートと、嫌な顔一つせずに逞しい二の腕にスリスリと頬擦りをするキルト。

あまりにも親しげに会話する両者の姿に、店内が俄にざわついた。

 

「あ、姐御ぉ…!」

 

「ロイド、ありゃ完全にできてるにゃ。そっか、あの人、男いたんだ」

 

「相手はあのベート・ローガ!確かに格は姐さんに匹敵するけどよぉ…」

 

「いや案外、あの人にゃ、ああいうタイプがいいのかもしれん。並の男じゃ釣り合いがな」

 

「チキショウ、もげろ!」

 

「お姉しゃまあぁぁ!!!」

 

「…フローラ、お姉様が幸せなら、そ、それでいい…ううっ…ヒック…キルトさまぁ……」

 

「大スクープだ!姫騎士(ワルキュリア)に熱愛発覚!お相手は()()泣く子も黙るロキ・ファミリアの第一級冒険者!明日の朝刊の一面は貰った!」

 

そんなギャラリーの喧騒を他所に、ベートは素早く勘定をすませるとキルトを抱えたまま足早に立ち去ろうとしている。なお、キルトはお姫様抱っこである。

 

「こいつは貰ってくぜ」

 

「そ、そんな…キルトさん!」

 

「かえる〜、ベート様に送ってもらうの〜」

 

「……⁈」

 

思わずベルは幸せそうな顔のキルトをみて、ショックを受けたように押し黙った。

 

「よっしゃ!…頼んだよ見知らぬ人!」

 

「どーぞどーぞ、お持ち帰りください!」

 

ヘスティアとリリルカは異口同音に賛成し、問答無用に送り出す。男を巡る仁義なき戦いは、隙を見せた方が負けなのである。

 

「フン、じゃあな」

 

「ベルくん、またね〜」

 

恨みがましく睨んでくるベルに、勝ち誇ったようなニヒルな笑みを見せながら、ベートはキルトを連れて店を出た。

 

そして、二人の姿は夜のオラリオに消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あははー、つい飲み過ぎちゃった〜

 

 

()()()、お前酒に強くねーんだから、ほどほどにしとけ

 

 

うん、わかったぁ…………ねえ、ベートさま。…なんでバレたの?私がキル子だって?変装とか完璧だと思ってたから、少しだけショック

 

 

匂いだ。お前、匂いが全く()()。割とタバコ吸ってるのによ。そんな人間が、二人もいてたまるか

 

 

…そっかあ。実は《消臭(ディオドライズ)》の魔法使ってるの。嗅覚系の探査スキル対策に

 

 

相変わらず多芸だな。安心しろ、うちのファミリアでも気づいてるのは、せいぜいロキくらいだ。たぶんな

 

 

うん…ねえ、ベートさま……怒ってる?黙ってたこと

 

 

………別に

 

 

あー、ちょっと怒ってるぅ………ごめんなさい

 

 

怒ってねえよ

 

 

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい

 

 

だから、怒ってねぇって!

 

 

許してください。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。捨てないでください

 

 

おい、キルコ…お前……

 

 

お金あげます。あたしの持ってるもの、なんでもあげます。だから、だから捨てないで!一人にしないで!ぜんぶ、ぜんぶあげるから、なんでもするから、役に立つから、だから…!

 

 

……いらねえ

 

 

…ヒッ…あっ……ああっ……あ゛あ゛あぁあああ…!

 

 

んなもんいらねーよ!お前だけでいい!

 

 

…え゛?

 

 

お前だけでいい。だから、俺だけみてろ。俺だけな

 

 

わ、私で、いいですか?

 

 

ああ。もう、雑魚には…いや、他の男にかまうな

 

 

…………

 

 

くそっ…我ながら何を口走ってんだか

 

 

…本当に?一緒にいていいの?

 

 

ああ

 

 

…嬉しい。優しいよ、ベート様ぁ!な、なんで、なんで私なんかにこんな優しくしてくれるの?!じ、自分でわかってるもん!性格とか最悪だし、疑り深いし、嫉妬深いし…!あと、あと…年だし!ほんとはベート様より一回り以上、年上なの!

 

 

バッカ、フィンやリヴェリア見てみろ。四十路に…100歳越えのババァだぞ

 

 

…………

 

 

性格だって、俺も人のこと言えねーし。…我ながらな

 

 

あ、あはははは!

 

 

笑うな!クッソ…やっぱお前といると調子狂うわ

 

 

うふふふ……あー、リヴェリア様に怒られるよー

 

 

……黙ってろよ?

 

 

うん……ふふ。ありがとう、ベート様

 

 

あと()は止めろ

 

 

え?……じゃ、じゃあ、ベートって。呼んでいいですか?

 

 

それでいい

 

 

エヘヘ〜。ね、ベート?

 

 

なんだよ

 

 

大好き!

 

 

 

 

 

 

 

これはただ、それだけのお話なのです。

 

 

 

 




なぁ、砂糖吐くじゃろ?


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第28話

連投してますが、一つ前の間話は読まなくて問題ありません。


 

 

 

 

 

 

 

「アポロン様、あと少しで宿場町に辿り着きます。もう少しのご辛抱をお願いいたします」

 

「ああ。それにしても暑いな…」

 

アポロンは額から流れ出る汗を拭った。

 

夜明け前の涼しい時間帯に都市を出て一日歩いた。

アポロンの体力を気遣い、途中で木陰を見つけては休憩をとって来たので歩みは遅く、もうすぐ日が沈む刻限。だが、そろそろ今日の宿場に着くはずだった。

 

夜逃げ同然にオラリオを出てきたので、馬車を捕まえることは出来なかったが、ひとまずメレンまで出れば船が使える。

水に落ちた犬はみんなで棒で叩け、というのは冒険者業界の不文律であり、こうでもしなければどんな目に遭わされることやら分からない。

身に覚えのない借金の請求や、謂われのない難癖、はたまた直接的な略奪行為…数え上げればきりが無い。

アポロン・ファミリアとて、これまで似たような事をしてきた。今度は此方が叩かれる番が来たというだけの話。それが分かっていたからこそ、脱出は速やかに行った。

 

ファミリア資産は全て差し押さえられてしまったが、個人名義で登録されている資金や不動産は手つかずのままなので、ひとまず都市外のとある温泉保養地に確保していた別荘に向かい、再起を図るつもりだ。

 

今この場で付き従っている者達は皆、アポロンを慕い、ギルドの制止を振り切ってまで付いてきてくれた者達ばかり。正真正銘の忠義の士だ。

勿論、その筆頭は団長のヒュアキントスだろう。あの戦争遊戯では負けたものの、ファミリア団長の名に恥じない戦いぶりを見せつけて逆に名を上げ、ランクアップを果たしていた。次の神会では新たな二つ名を賜るだろう。

残念ながらアポロンはオラリオを追放されたので、神会でどんな二つ名を付けられるかに関わることは出来ないが、一応の候補は友神に託してきた。【過ぎたる者(ヴァスタム)】…まさにヒュアキントスにふさわしき二つ名だ。

 

アポロンは離れていった眷属達にも、十分な金額を渡していた。

戦争遊戯で無理をさせてしまったし、例の悪評のせいで他の派閥への改宗にも苦労するだろうから。

一人一人に、これまでありがとうと伝えながら、残らずヴァリスを分配した。

 

「申し訳ありません、アポロン様。我らが不甲斐ないばかりに、このようなご苦労を…」

 

悲壮な表情で告げるヒュアキントスに、アポロンは微笑んだ。

 

「よいのだ、ヒュアキントス。お前達はよくやってくれた。…むしろ

 

あの化け物(キルト)()()を目撃した今となっては。

 

「思えば、あの者達にも済まぬ事をしてしまった……いや、今となっては、詮無いことか」

 

アポロンはそこで口をつぐんだ。

 

彼も恥というものくらいは知っている。

貧しい者達を、そして幼く恵まれない人間()達を数多く巻き込んだ挙げ句、分かったことと言えば自分が最初から最後まで道化だったことのみ。

言い訳だが、まさかあれほどまでに火の手が燃え広がるとは、予想だにしていなかった。少し煙でいぶすだけで十分と思っていたのだが、この季節の暑く乾いた空気と、燃えやすい物で溢れていた貧民街の有様を、まったく考慮していなかった。

 

愛し子欲しさに目がくらむと、どうしても視野狭窄に陥ってしまう。

悪い癖だと自分でも思うのだが、こればかりは天界に居た頃から改まらない。

 

「?…アポロン様?」

 

不思議そうにこちらを見返すヒュアキントスに、アポロンは力なく微笑んだ。

 

「…先を急ごう」

 

左右に広がる麦畑は刈り入れの時が近づき、緑から枯れ草色に変わりつつある。麦秋と呼ばれる時節だ。麦の穂が生ぬるい風に吹かれて、ザワザワと波打っていた。

血のような色をした太陽が小麦畑の向こうに沈み、炭を溶いたような闇が東の空からあふれ出ている。

極東では、逢魔が時と呼ばれる刻限。

 

アポロンはクンと空気を嗅いだ。土の匂いが入り交じっている。これは、一雨来るかも知れない。

そう思った矢先に、頬に冷たいものが落ちた。

 

「降り出したようです。こちらを」

 

「いや、よい」

 

同じく隣で空を見上げていたヒュアキントスが傘を差し出すのを断り、先を急ぐ。

 

唐突な土砂降り、凄まじいスコールだった。

人の歩みが道を作るという言葉のとおり、踏み固められた土の街道は連日の猛暑で乾ききっており、水を吸って瞬く間に泥濘と化した。

バシャバシャと泥道をかけると、猛暑にあぶられて火照った体がほどよく冷える。

晴れていた時はすぐ近くに見えた丘が、水煙に紛れて見えなくなるほどの豪雨だ。視界が利かず、方向感覚が狂う。

 

「これはたまらんな。……ぬ?」

 

ひとまず街道沿いから逸れぬように、注意しつつ駈けていると、不意に向かいから無数の人影が現れた。

アポロンはそそくさとすれ違おうと道の端によけたのだが、集団は広がり、進路を塞ぐようにして立ち止まる。

藍色の小袖に袈裟を掛け、尺八を手にした虚無僧達。編み笠を深く被っているため人相はわからない。

 

「何者だ?!」

 

ヒュアキントスが如何したが、相手は答えず、黙って腰のものを抜いた。

 

「…刺客か?」

 

再度問われても、虚無僧達は沈黙を返答とした。

 

アポロンは唇を噛んだ。

恨み辛みをかっている自覚はある。ファミリアという盾を失い、オラリオを放逐された今、こういう行動に出る者が出てもおかしくはない。

 

「何処の派閥のものかは知らんが、恐れ多くも神を手にかけようとは恥を知……れぅ……」

 

庇うように進み出たヒュアキントスが、突然、その場に倒れた。

膝から崩れ落ち、顔面が水溜りに突っ伏して、そのまま動かない。

同時に、アポロンの周りを囲んで警戒していた者達も、糸を切られた傀儡人形めいて倒れ伏す。

 

「!…みな、どうした?!!」

 

アポロンは慌てて駆け寄り、息を確かめた。

胸は上下し、呼吸もしている。だが、試しに顔を叩いてみても、目を覚まさない。瞼からうっすらのぞく瞳は焦点が合っておらず、口元からはよだれが垂れている。

 

「き、貴様ら、いったい…」

 

「何をした!」との言葉を、アポロンは最後まで紡ぐことが出来なかった。

目に見えるかのような、濃密な殺意を感じたからだ。地上に降りてより、いや、かつて天界に居た時すら覚えのない恐怖を感じ、総身が震えた。全身に鳥肌がたち、汗が噴き出る。

 

だが、アポロンは逃げなかった。

足元に横たわる眷属達を守る為、両手を広げて前に出る。

 

「神を舐めるな!」

 

アポロンは迷わず神威(アルカナム)を解放した。

神々は下界では基本的に神の力を使うことは認められていない。仮に使えば、即座に感知され、天界に強制送還されてしまうのだが、これには幾つか例外がある。

自らの心身が危機に瀕したとき、限定的に神威(アルカナム)の解放が認められている。

 

アポロンの全身が、眩いばかりの黄金に光り輝いた。

まさに太陽神にふさわしい威容。

 

だが…

 

愚者の封印(シール・オブ・フール)

 

アポロンの全身に、禍々しい赤黒い模様が浮き出た。それは呪いのように蠢き、とぐろを巻くかのように数字の『0』の形を取ると、アポロンから放たれていた神威の光が一瞬にして消えた。

 

(馬鹿な…神威(アルカナム)が、神の力が消え……!……あ?)

 

直後、無明の闇よりなお昏く、深い漆黒の刃が、アポロンの胸を貫通した。

 

痛みはなかった。それどころか、何かが触れる感触すらなかった。

ただ、己の神生(じんせい)が終わってしまったことだけは、不思議と理解できた。

 

驚愕しきりのアポロンの耳元に、背後から唇が寄せられる。

 

「これはペニアの婆様からだ。つりは取っておけ」

 

若い女の声。

何処か聞き覚えのある声だったが、言葉の意味は、半ば以上砕け散り、塵芥になりつつあるアポロンには理解できなかった。

 

「なに、もの…?」

 

「貴様に名乗る名は無い」

 

それが、最期だった。

 

 

 

 

 

「阿呆が、散々やらかしやがって…!」

 

キル子はイライラとしながら吐き捨てると、煙管を口にくわえた。

 

「わしら悪役(ヒール)気取りの厨二ギルドかもしれんが、タビの風下に立ったことは一度も無いんで!人様の縄張りで調子こいたクソ野郎にイモ引くほど、アインズ・ウール・ゴウンの代紋は安ぅないぞワレェ!」

 

黒い塵となって、文字通り消えたアポロンに、キル子はそれ以上の感慨を持たなかった。

 

あの火事で何人死んだのやら。背後で何やら糸を引いていた連中は言うに及ばず実行犯にも恩赦はない。これはケジメだ。

生かして拷問にかけようとも思ったが、それなら相手はこの馬鹿(アポロン)でなくともよい。眷属どもに聞けばいいからだ。

 

結局のところ、色々と状況証拠が重なったから、つい勘違いしてしまったが、蓋を開ければ、実に単純な話だったというわけだ。まさか、キルトを目当てにした変神(へんじん)の仕業とは。

もちろん、色々と陰に日向に協力した神どもはいるだろう。いずれ残らず血祭りに上げてやる。

戦争遊戯の対策のためにアポロン・ファミリア周辺に探りを入れておいてよかった。おかげで事件の全貌がひょんなところから顕になったのだから。人生、何が何処で役立つか分からん。まさにサイオー・ホース。

てっきり闇派閥の仕業と思って先走ってしまったのが、ちと恥ずかしい。後でロキをどう誤魔化したものか、頭の痛いことである。

こういう時、ぷにっと萌えか、ギルマスがこの場にいてくれたらと思わずにはいられない。頭脳労働担当ぷりーず!

 

さて、とキル子は紫煙を吐いて一息つくと、残ったアポロンの眷属に目を移した。

【昏睡】の状態異常(バッドステータス)にかかり、深い眠りの中にあるアポロンの忠臣達。

ヒュアキントスとかいうお顔の綺麗な坊やは多少惜しかったが、アポロンに付き従ってオラリオを離れる決断をする者達だ。転ぶ見込みはあるまい。

 

「御方様、この者どもは如何いたしましょうや?」

 

問いかけるハンゾウに、キル子は無言で顎をしゃくった。

 

連れ帰り、尋問する。

洗脳や魅了を多用するので、聞き出し終わり次第、始末することになるだろう。どのみち、キル子の神殺しが露見する可能性がある者は、残らず排除だ。

哀れな事だが、やむを得ない。君らの主神が悪いのだよ。

 

その意図するところを正確に察して、ニンジャ達は黙々と眠りこけている者達を肩に担ぎ上げた。

 

「撤収する。次はヘルメスだ。ピタリ、42時間後に動く」

 

「「「ハイ、ヨロコンデー!」 」」

 

キル子は手元の数珠型の腕時計を操作し、タイマーをセットした。少なくとも42時間はキル子自身は直接戦闘を避け、インターバルを空ける必要がある。

 

色々と嗅ぎ回っていたあの野郎には聞きたいことが幾らでもあったが、危険性の方が勝る。即時、抹殺だ。万が一、キル子とキルトの関係に気付かれたら洒落にならない。

 

「…ん? また情報防壁に反応あり、と。馬鹿め、その程度でこっちの情報がぬけるもんか。逆探して芋蔓式に叩いてやるわい」

 

キル子が真に頼みをおく、異形種専用の極めて特殊な職業クラス。その最大レベル5まであるうちの2レベルで取得できる特殊スキル【NamelessMonster(正体不明の怪物)】。世界級を除く凡ゆる情報系魔法やスキルを無効化する。

また、レベル3で取得できる【ElusiveMonster(神出鬼没の怪物)】と連動させて、キル子が対象に取った(ターゲッティングした)者の背後に、無条件で転移することも可能だ。

今のところはまだ、こちらの監視が主目的のようなので、映像や音声を含むあらゆる情報をシャットアウトするに留めているのだが…

 

「ユグドラシルじゃあ情報系能力の使用は、宣戦布告と同義。あからさまに喧嘩売りやがって…!」

 

 

 

だが、結論から言えば、キル子がヘルメスをその手にかける事は、ついぞなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、オラリオ某所に三柱の神がいた。

 

ヘルメス。

 

タケミカヅチ。

 

そして、ガネーシャ。

 

やや薄暗い部屋の中、彼らの周囲には無数の光を放つ平面体が浮かんでいた。地上で行使できる数少ない神の力の一つ、『神の鏡』。三柱は一様に難しい顔をして、唸りながら頭をひねっている。

 

今回の戦争遊戯を画策したヘルメスの目的の一つは、アポロンを突いて戦争遊戯の場にキルトをおびき出すこと。それだけだった。

キルトは神出鬼没。どんな魔法を使っているのか、この手の人捜しを得意とするヘルメス・ファミリアの組織力とコネクションを駆使しても、全く網にかからない。

なので、発想を逆転することにした。出てくる気が無いのなら、出てくるよう仕向ければいい。

今回の戦争遊戯に連なる一連の出来事の全ては、その一点にある。

 

その総仕上げが、この『神の鏡』。

地上の全てをのぞき見ることが出来るという、プライバシーの保護という概念が存在しないこの世界にあっては真に便利な代物だが、残念ながら使用にあたっては相応の手続きがいる。複数の神による申請と、使用目的、意図を明らかにすること。少なくともヘルメス単独でどうにかなる代物ではない。

 

アポロンを突いて無理矢理戦争遊戯を仕掛けさせた意味も、ここにあった。

娯楽に飢えた暇神達は、戦争遊戯に神の鏡を使いたがるに違いない。また、そういった状況ならば、腰の重いウラヌスも使用に同意せざるを得ない。

そして、戦争遊戯の終了後、事後処理なり何なりと理由を付けてダラダラと使用期間を延長させ、便利な道具を使い倒すのは、口八丁のヘルメスには難しい仕事ではなかった。

 

そして、いつぞやの19階層の事件の際に取り交わした例の契約書と引き換えにタケミカヅチを取り込み、さらにはガネーシャにも根回しをして何とかこの場に呼び寄せることに成功した。

神二柱が証人となり、神の鏡の証拠能力も十分。しかも、いつもヘルメスが連んでいる暇神共とは違い、ガネーシャもタケミカヅチも神格者として知られている。

 

神ならぬ身が神に手を出すのはオラリオでは重罪。最低でも都市追放は免れない。アポロンはオラリオに巣くった()()()を暴き出すための尊い犠牲となる。

 

と、そこまでがヘルメスのシナリオだったのだが…

 

「あり得るのか、こんなことが…?」

 

タケミカヅチが呻くように呟いた。

 

あり得ないことが起きている。

地上の如何なる場所をもたちどころに映し出すはずの『神の鏡』は、その表面を底なし穴のような光を返さぬ漆黒に染め、何も映すことがない。

『神の鏡』が、『神威(アルカナム)』が、明らかに妨害されている。

 

続いて沈黙を破ったのは、ガネーシャだった。

 

「なるほどな。お前の顔など見たくもなかったが、タケミカヅチの顔を立てて来てみたのは正解だったか」

 

「だろぅ?いくら何でも、あまりにも危険すぎる。そうは思わないか?」

 

ヘルメスが胡散臭い笑みを浮かべるのを、ガネーシャは仮面越しでも分かるくらい不愉快そうに眺めると、首を横に振った。

 

「いや、俺はそう思わない」

 

続く一言に、ヘルメスの顔が凍った。

 

「俺達の力は、決して万能ではない。一方で、人間()達が呼び覚ます可能性は無限大だ。神の力を凌駕するものを生み出すことは十分あり得るし、だとしたらむしろ喜ばしいことだ」

 

いよいよ人間()達の力が俺たちに迫り、追いつき、追い越そうとしているのだから。

 

「多少、寂しくはあるが、誇らしさが勝る。お前のところの万能者(ペルセウス)が、それを何より体現していると思うぞ?」

 

未熟で非力だった人類が、神の補助を脱して独り立ちする時。

幼年期の終わり。千年続いた神の時代の終わり。

人は自立し、神は寄り添う存在になるだろう。

 

いざその時が来たならば俺は受け入れる、と。ガネーシャは何の憂いもなく断言した。

 

「今すぐの話ではない。人間()達が独り立ちするまで、まだまだ時間はかかるだろうが、いずれ必ずその日は来る。出来るならば力に見合うだけの寛容な心と、成熟した精神を持ち合わせることを願うが……今、その芽を潰すことなど、あってはならない」

 

故に、お前の企てには賛同しない。

 

ピシャリと、ガネーシャはヘルメスに"否"を突きつける。

 

「ま、待てガネーシャ!あれを放置すればオラリオにどんな災いを呼び込むか!」

 

「何ら悪しき行いは確認できない。にも係わらず、ただ脅威である、と言うだけで排除するなど、あってたまるか」

 

多少の異物でも、受け入れる。それがたとえ人でなくとも、という言葉をガネーシャは飲み込んだ。

それは彼が『異端児(ゼノス)』という秘密を抱えているが故の反応だったが、ヘルメスにそこまでのことは分からない。

 

「それと、もう一つ。こういった姑息な企ては、好かん!!」

 

吐き捨てるように言うと、ガネーシャは足音も荒く立ち去った。

 

ガネーシャの姿を苦々しく見送るヘルメスに、タケミカヅチは大きなため息を吐いた。

 

「…なぁ、ヘルメス。例の契約書に見合うだけの、十分な義理は果たしたはずだな?」

 

そして、自分も抜けさせて貰う、と告げた。

 

「おい、タケ!お前だって、アレの危険性は分かってるだろ?!」

 

「だからだ!これ以上、眷属達を分不相応な危険に巻き込みたくはない」

 

かつて18階層で、タケミカヅチ・ファミリアは全滅の危機に瀕した。

その時の恐怖の体験からか、タケミカヅチは考えが保守的になっている。

 

「悪いが、これが分水嶺だ。後はお前だけでやってくれ」

 

「ま、待て、タケミカヅチ!!」

 

静止を振り切り、タケミカヅチもまた去った。

 

残されたヘルメスは、やるせなさと胃痛を抱え、その場に大の字になって寝転ぶ。

 

「ハァ…結局、一人でやるしかないのか」

 

いや、ああは言っていたがガネーシャだってそのまま放置はすまい。幾らかなりと警鐘を与えられたとすれば、無駄ではなかったか。

今後は関わりの深そうなロキか、因縁のあるフレイヤ、さもなくばヘスティアを巻き添えにするべきだろう。ついでにディオニュソスにも情報を渡して働いてもらう。

 

戦争遊戯で化けの皮の一端をはいだは良いが、藪を突いて深淵の化け物を呼び出してしまった気分だ。あれではいくら弱小ファミリアを巻き込んでも、効果は無い。

 

「あるいは、一端オラリオを離れるべきかもな」

 

ヘルメスは真面目に身の危険を感じていた。

相手は神を殺すことに躊躇がないように思える。しかも、あの闇派閥よりも狡猾で抜け目がない。まったく得体が知れない。

 

ヘルメス・ファミリアはオラリオを離れて地方に遠征することがしばしばあるため、ヘルメスが都市外に出ても誰も不思議には思わないだろう。護衛として何人か眷属を連れて行く必要もある。高ランクの眷属を都市外に連れ出すのはギルドが良い顔をしないが、ウラヌスと太いパイプを持つヘルメスには難しくはない。

それに大事をなすには相応の準備が必要になる。相手は怪物、用心に越したことはなかった。

 

そこまで考えたところで、そう言えば、とヘルメスは懐から絵葉書を取り出して、手に取った。

幾つものルートを経由して、ついさっきヘルメス宛てに直接届けられたもので、中身は未だ見ていない。旧主と仰いだ男と定期的にやり取りしている連絡便だ。

 

何気なく中身を読み進めて、すぐに全身から汗が噴き出した。

よほど急いで書かれたのか、文体に普段の砕けた調子は欠片もなく、警告とも取れる文言が強い調子で綴られている。

読み進める度に全身の毛が総毛立ち、同時に己が如何に危険地帯でタップダンスを踊っていたかを、ヘルメスは理解した。

 

読み終えた時には、すっかり腹は決まっている。

 

「アスフィ、俺は今すぐオラリオを離れる!悪いが後のことは…!!」

 

近場に待機している筈の腹心に、指示を出そうとしたその時だった。

 

───ああ、やっぱり。貴方がゼウスの駒だったのですね

 

そんな不穏な声が聞こえたのは。

 

「なッ?!」

 

ヘルメスはこれまで散々、好奇心のままに厄介事に首を突っ込んでは修羅場をくぐり抜けてきた。

その経験から、即座に身につけていたアスフィ・アル・アンドロメダ手製のアイテムの数々を起動させた。

アイテムの機能は敵対者の足止めと妨害、ヘルメスの逃走を補助することに特化している。実際、万能者の二つ名を持つファミリア団長の手によるアイテムは、これまで幾度もヘルメスの窮地を助けてきたのだが……今回ばかりは相手が悪い。

 

【影縫い】【足殺し】

 

アイテムによる妨害をものともせず、赤いド派手な忍装束を纏った男が短剣を投げ放ち、ヘルメスの足を射止めた。刺さっている部分に痛みはないが、体が一切動かない。

 

いったい、どこから現れた?!

ヘルメスは混乱しながらも逃げだそうと思考したが、相手は待ってはくれない。

 

次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)

 

「転移無効、完了したよ~」

 

『はたらいたらまけ』と意味不明なロゴのTシャツに短パン姿のエルフの少女が、あくびをしながら魔法を使った。

 

絶対非破壊領域(フィールド・オブ・ピースクラフト)

 

スーツを身に纏ったホスト風の優男がロン毛をかき上げつつ、効果範囲内のフィールドオブジェクトに対して一定時間、不壊属性を与えるスキルを使う。

 

「ジャスト3分間、よっぽどの大技を使っても周囲に影響はないっス。思い切りやっちゃってください!」

 

慌てて神威(アルカナム)を発動しようとしたヘルメスだったが、遅きに失する。

目の前で、白銀の鎧に身を包んだ騎士が、見事な装飾のされた大剣を振りかざしていた。

 

 

 

 

その日より、神・ヘルメスはオラリオから姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)》の魔法が解除されると同時に、その場には数人の男女が現れていた。

 

「……好奇心は神をも殺す。お疲れ様でした、皆さん」

 

「いいよいいよ、ベルちゃん。神力開放した神様相手じゃ、プレイヤーが3人はいないとキツイっしょ。…でさ、この後のことは、どう考えてる?」

 

「ひとまず彼女に接触を図ろうと思います。少し調べましたが、割と温厚で常識的な来訪者に見受けられました。オラリオでもあまり騒ぎを起こしてはいないようです。少なくともこれまで来訪者の方々が起こした騒動…というか()()に比べれば、ですが。久々に穏便な対応になるかと」

 

「うわぁ…アレのことなんも知らないと、そう見えるのね……いや、ぶっちゃけ、超ヤバイいんだな、これが」

 

「ベルさん、今すぐオラリオから逃げましょう!」

 

「…はい?」

 

「裏ボス降臨、試合終了ってこと。あいつ、こっちに来たメンツ全員で束になっても返り討ちだ、たぶん」

 

「うん、酷いよね。どうして、よりによって非公式ラスダンの裏ボス様が来るんだろうか、ボクは訝しんだ」

 

「アレをどうにかしろとか無理ゲーっす!!いくらベルさんの頼みでも断固拒否!!」

 

「皆さん…?もしかして、有名な方なのですか?」

 

「有名も有名なキチガイだよ。公式キルポイントで二位にぶっちぎりの差を付けて、サービス終了までトップを譲らなかったサイコパス」

 

「レア装備を奪っていくロクデナシっす!俺の神器級かーえーせー!!!」

 

「うっ…頭が…カエシテ……ボクのゴッズ、カエシテ…!」

 

「ベルちゃん、正直、マジで洒落にならない。みんなで世界の裏まで逃げて引きこもろう。ぶっちゃけ、オラリオはオワコンだね!」

 

「ええぇ……また胃痛案件の方なんですか、そうですか」

 

「うん、過去最悪にやべーのが来たと思ってちょうだい。力押しじゃどうにもならない、あのド腐れPKは。…というか、さっきから黙りしてるおたくが何とかするべきじゃないの?同じDQNギルドだったんだろ?」

 

「…DQNは言い過ぎだ。それに、私は彼女に嫌われてたから、逆効果な気がするな」

 

白銀の鎧を纏った男が、天を仰いだ。

 

「私とはプレイスタイルも真逆だったし。せめてモモンガさんも一緒に来てくれてたらなぁ」

 

ため息が、溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、それから10日ばかり後のこと。

 

 

 

青い空に入道雲。

木々のざわめき、蝉時雨。

オラリオ市中は戦争遊戯の喧噪も過ぎ去り、冒険者達は命をかけてダンジョンに潜り、彼らの持ち帰った魔石や素材を職人が加工し、商人が売り捌く。そんな日常を取り戻していた。

 

うだるような暑さに炙られて、平時の往来よりもやや人気が失せる時節だが、逆にかつてない賑わいに沸く一角があった。

 

かつてダイダロス通りと呼ばれていた貧民街。冒険者崩れを多く囲っていた犯罪組織や、ヤクザ者が縄張りを区切って取り仕切り、後ろ暗い商売や取引が行われていた所謂悪所。

ところが、件の大火事で全て焼き尽くされ、後にはだだっ広い焼け跡と、途方に暮れる貧人の群れが残された。

浮世のシガラミもかつての縁も、ついでに住処も商売もなくして、他にいき場所もない人の群れ。放っておけば治安悪化の要因になっただろう。

しかし、今やその場所は、奇妙で奇天烈で、風変わりに変貌していた。

 

大路にはボンボリ・ツリー、電飾フクスケやコケシ、マネキネコといった様々な幸福オブジェ。

雅な白い漆喰に板戸、障子、門松で構成され、鼠色の瓦屋根が連なるエド風建築様式で統一された街並み。

キンギョ屋、コケシ屋、オメーン屋といった高級オミヤゲ店や、スシ、オモチ、キナコ・クレープなどのカジュアルな飲食店が軒を連ねている。

少し奥まったところにある歓楽街めいた通りには、最高級の合法行為を保証する高級オイランハウスのノボリが奥ゆかしくも林立していた。

その合間を無数の観光客や、リキシャーが縦横無尽に行き交うという、オリエンタルな光景。

 

「イヨ~~!!」

 

「ハイッ!!」

 

東方から喚ばれた本場のヒケシ・アクロバティックラダーによるパフォーマンスが、ワビサビの趣に更なる彩を加えていた。

 

「極東風の町並みってすごいよな、本当に家が木や紙で出来てるんだぜ」

 

「キナコクレープを食べようよ!」

 

「お母さん、キンギョが欲しい」

 

「早くオイランと前後したい!」

 

物珍しさに惹かれ、オラリオ内外から大量の観光客が集まり、大賑わいの様相を呈している。

これこそ、どこぞの怪しい謎の出資者の手により魔改造された新たなオラリオの観光スポット『オミヤゲ・ストリート』!!

 

その目玉とも言うべき商業スペースには新進気鋭のベンチャー企業が進出していた。

大手農業ファミリアやメレン港の漁師と直接契約を結び、大量購入によって新鮮なオーガニック食材を極めて安価に販売する大型スーパーマーケット『コケシマート』。

大手医療ファミリア、ディアンケヒト・ファミリアと業務提携を結び、通常のポーションよりも遙かに長期間保存が可能なパープル・ポーションの販売をしている『ヨロシサン製薬』。

東方から直輸入されたオーガニック・コメに、オラリオ近海の新鮮なオーガニック食材を使い、東方老舗スシ店から拉致して洗脳…ゲフンゲフン…ヘッドハンティングされた職人の手によるスシを適切な値段で振る舞う『ウェルシー・トロスシ』。

 

その他にもオラリオでは珍しいチェーンショップが続々と進出を果たしている。それらすべては、A・O・G・ファンドなる謎の企業の傘下であった。

 

そして、おお、見よ!ストリートの向こうからやってくるダイミョ・ギョーレツじみた一団を!

 

『オイデヤス!オイデヤス!アカチャン!』

 

先頭を行くのは妖しくも美しいオイランドレスに身を包み、無数の短冊タリスマンで飾り付けられたバイオ竹林の合間をポールダンスめいて踊る美女達だ!

 

ブンズーブンズーブンズズブンズー!

 

さらに、大型魔石アンプを担ぎあげ、どぎつい色のサムライドレスに身を包み、片方の肩または両方の肩をはだけて鍛え上げられた筋肉を見せびらかしつつ、テクノダンスを決めながら練り歩いていいるのは、テクノ・サムライだ!

 

「「「コッコッコッココッ、コケシマート!!」」」

 

サムライ達は『コケシマート』の安売りチラシをばらまいており、セール中であることを過剰にアッピール。実際、広告効果重点な。

これぞオミヤゲ・ストリート名物のサムライパレード。

このようなストリート・パフォーマンスが突発的に繰り広げられるのがオミヤゲ・ストリートの醍醐味なのだ。

 

『今から1時間、3割引セールを開始しますドスエ!!出血大サービスドスエ!』

 

「ナ、ナンダッテ!」

 

「只でさえヤスイのに、ここからさらに3割引!」

 

「ウレシイ!」

 

「早くしないと売り切れちゃう!」

 

観光客に交じったサクラ達が大仰にはやしたてると、買い物目当ての客達は目の色を変えた。

なお、売値ははじめから割引を考慮した価格設定になっており、実際店側に損はないのである。欺瞞!

 

『ヤスイドスエ!安全な!オイシイ!実際ヤスイ!コケシマートドスエ!』

 

オイラン達が「ヤスイ」と発言する度に、オイランドレスのそこかしこに仕込まれた魔石ライトがキャバーン!キャバーン!と怪しく点灯。オイランの胸は豊満であった。

 

「「「イヨーッ!!イヨーッ!!」」」

 

ドンドコドン!ドンドコドン!ドンドコドコドコ、ドンドコドン!!

 

サムライ達がタイコ・ドラムを叩きつつ、追加パフォーマンス重点!

 

「「「ウ、ウアーッ!買い物しなきゃ!買い物しなきゃ!」」」

 

絶えぬ音、光、パフォーマンス!刺激に次ぐ刺激の嵐により、オミヤゲ・ストリートを訪れる観光客のニューロンは破壊されてしまった。

先を争って店に押しかけ、爆買いに次ぐ爆買い!もはや彼らは商品を買いあさるズンビーのごとし。

 

「ああ、今日もうちの店には客が来ない…」

 

そんな狂乱を尻目に、死んだような目をして見守るのは、客を奪われた周辺の零細店主達である。

 

大量発注による低コスト化、エンターテイメント性による差別化など、零細個人商店には決して真似出来ない芸当の数々。

このままではいずれ土下座めいて暗黒企業群の傘下にM&Aされ、オイランやサムライにカスタマイズされてデリバリーされるのは時間の問題だ。

信じて都会に送り出した幼なじみの純朴な少女が、垢抜けたオイラン・ショーガールに変貌させられるかのごとく、オラリオの風俗は徐々に日本的サイバーマッポー都市へと変貌させられていくことになるだろう。なんたる邪悪な文化汚染であろうか!

 

なお、ショップの店員やエキストラには元ダイダロス通りの住人が積極的に雇用されており、地域経済の活性化に著しく貢献しているため、ギルドすらもこの惨状を追認せざるを得なかった。ヒレツ!

 

「なんであたしらまでこんな事を……」

 

「借金返すまで仕方ないだろ?」

 

「でも食い物うまいんだよな、ここ」

 

そんなオショガツめいた喧噪を無気力に眺めているのは、オイランドレスに身を包んだ褐色肌の美女達だ。

 

彼女たちはオイランではない。恐るべき戦闘力を持ったテルスキュラのアマゾネスだ。

1億ヴァリスもの莫大な借金を背負わされたカーリー・ファミリアのアマゾネス達は、示談の条件としてオミヤゲ・ストリートの警備員をやらされているのである。

実際、利にめざとい冒険者崩れや中小ファミリアの下級冒険者が勝手に自らの縄張り認定して用心棒代を要求する事例が散見していたが、アマゾネス達の殺人クエストにより、ことごとくネギトロ!奥ゆかしくリヴィラに埋められるか、メレン港に沈められていた。

 

そんな狂乱じみた繁栄を謳歌するオミヤゲストリートより、通りを二つ三つほど奥に入った場所。

そこには、静謐な和風建築じみた大邸宅が奥ゆかしく聳えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、結構です。59階層でのローンは、これで完済ですね」

 

やや離れたオミヤゲ・ストリートから流れ聞こえて来る雑多な喧噪を尻目に、キル子は単眼鏡に目を当てて魔石の品質をチェックしていた。

 

この単眼鏡は鑑定の魔法が込められたアーティファクトで、対象アイテムの価値をユグドラシル金貨換算で教えてくれる。

あくまでNPCショップに投げ売りした際の価格でしかないし、キル子は商人系スキルを持っていないので最低価格しか表示されないが、アイテムをシュレッダーに突っ込んだときに吐き出される金貨の枚数を調べるには便利である。かつては色々と有効活用したものだ。

まあ、他人が汗水垂らして作った神器級を金貨の山にしてやる瞬間というのは、一度味わうとやみつきになる至高のエクスタシーだったわい。ケケケケ!

 

なお、キル子は冒険者ではないのでギルドの保証する『冒険者の権利』を持っておらず、ギルドで魔石を換金することはおろか、商人と魔石の取引すらできない。ギルドを介さず魔石を取引をするのはオラリオでは違法であり、これだけは本気でギルドが介入してくるので非常に面倒くさい。

その気になれば抜け道はいくらでもあるのだが、キル子は魔石をシュレッダーに放り込み、このところ目減りしつつあるユグドラシル金貨の補填に利用するつもりだった。ヴァリスは他でいくらでも稼げるのだから。

 

「借金は早めに返すに限るで。借りた相手が相手やしな」

 

そんなキル子の対面で、高級座布団に行儀悪くあぐらをかいているのは神、ロキ。

 

茶菓子をパクつきながら、手にした青磁の茶碗を物珍しげに眺めている。

メレンから出航した荷船が極東から持ち帰った逸品で、そこそこ値が張る品だ。代わりにこちらから持ち込んだ神酒(ソーマ)は、あちらのお公家さんが高値で買い入れたとかで、なかなか良い取引だった。確かサンジョウノ…三条のことかな?向こうではやんごとなき身分のお方と繋ぎが出来ただけでも申し分ない成果だ。

 

い草の香り漂う応接間では、一枚板の巨大な座卓がしつらえられ、大量の魔石とヴァリスが詰まった袋が広げられている。

いつぞやの59階層の一件での、ロキ・ファミリアが背負ったローンの返済がこれである。

 

実のところ、月々の月賦払を前倒しで、ロキが一括支払いを申し出てきたのはキル子にしても意外なことだった。

案外、戦争遊戯のトトカルチョで一山当てたのかもしれない。流石に現金の一括払いは厳しかったのか、魔石も支払いに混じっているが。

 

「にしてもジブン、極東趣味いうんか?ずいぶん変わった屋敷を建てたもんやね」

 

畳のバイオイグサの匂いに鼻をひくつかせながら、ロキは室内を見回した。

高級感溢れる和の佇まいに、流石のロキも興味津々である。

 

ここは旧ダイダロス通りの跡地でも、一等地。そこに突如として出現したキル子の屋敷の正体は、もちろんグリーンシークレットハウス期間限定エディションである。今後は、ここがオラリオにおけるキル子の拠点になるだろう。

 

「しかも、焼け出された連中のために借家まで建ててるて? 職人街の大工組合の間じゃ、篤志家のお大尽が大盤振る舞いしてるって結構な騒ぎになっとるで。ま、そこだけ聞いたら大した慈善家やと思うやろうがな?」

 

ロキは疑わしそうな目を向けている。相変わらずどこから聞きつけてきているのやら、耳の早い婆だ。

 

「何故、疑問形なんでしょう」

 

(表裏のない立派な善行だぞ!)

 

なお、働かざる者食うべからず、とマッポー時代の基本的メンタリティの下、キル子は焼け出された貧民を雇い入れて、荒稼ぎをしていた。

戦争遊戯のお祭り騒ぎでは各地から集まってきた観光客を相手に、飲み食いや土産物の需要はいくらでもあったし、商売を開く為の土地も抑えていた。

土地を貸し、商売を斡旋し、先立つものを貸し付けてと。そんな事を繰り返していたら、いつの間にやら香具師の元締めのようなポジションに上り詰め、今やオラリオでも有数の顔役の一人である。

ヘスティアがヘッポコで利権関係に疎いのを良いことに、バッタもん商品を無知な観光客相手に売りさばく商売は、実際ぼろくて濡れ手に粟、ウハウハだった。

『ヨタモノが雨の日に捨てられた子猫に傘をさしたら、実際善人めいて見える』とはミヤモトマサシの言葉である。

 

なお、ダイダロス通り一帯の土地を買い占めるにあたり、土地の保有に必要なギルドの許可証を手配したり、土地の購入を仲介したのが目の前のロキだ。

流石にオラリオの勢力を二分する大ファミリアの主神であり、根無し草のキル子ごときとは信用が違う。

 

「ハン?ここらの再開発利権の一番美味しいところを持ってったくせに。これで慈善家やと言い張ったら、面の皮が厚いにもほどがあるわ」

 

「初期投資に、大分散財したのですがね」

 

キル子は土地の買い入れにも、手に入れた土地の再開発にも多額の資金を投資しており、手持ちのヴァリスがお寒いことになっている。

最近は、いつの間にかオミヤゲ・ストリートに居着きやがったペニアの婆様にちょくちょく強請られるのだが、無い袖は振れない。そろそろインゴットをもう一本、ヘファイストスに売り飛ばす頃合いだろう。

 

そんな事情もあって、ロキから支払いの前倒しの話が来たのは渡りに船なのだが…

 

「んで、例の土地は押さえたんやろうな?」

 

もちろん、狡猾なロキがそんなうまい話を、ロハでキル子なんぞに持ってくるわけがない。

 

「ええ、そこは手抜かりなく。人造迷宮(クノッソス)周辺の土地は真っ先に確保しました。ギルド所管の登記簿は書き換え済みです。いささか手数料は高く付きましたがね」

 

キル子は怒りにゆがみそうになる口元を、袖でそっと隠した。ギルドの豚め、足下見やがって!!

 

「そいつは重畳」

 

憤るキル子を余所に、ロキは満足そうな笑みを浮かべた。

 

ロキにしてみれば人造迷宮の出入り口を自由に使えること、それが肝要。ただし、そのために周辺の土地をわざわざ購入して維持するのは不経済だ。

そこでギルドに干渉して広大な跡地の再開発を唆し、自由に顎で使える便()()()()に購入させ、人造迷宮への突入口を確保すれば、後は好きなときに好きなだけ使うことが出来る。

しかも、その便()()()()ことキル子は、目の前に美味そうな利権をぶら下げれば、即座に食い付いて交換条件を鵜呑みにするボンクラだ。おまけにロキは、ギルドからもキル子からも、手数料として少なくないマージンをせしめており、この件に関しては一人勝ちだった。事実上のインサイダー取引である。

 

クヤシイ!でも土地再開発の利権美味しいです、ウヘヘヘヘ!

 

ビクンビクンと畳の上でのたうつキル子を、ロキはアホを見るような目で見下した。

 

「だんだんジブンの扱い方が分かってきたわ───にしても戦争遊戯じゃ、だいぶ派手にやらかしたな」

 

スッと、切れ目を感じさせないほど静かな口調で、不意にロキが話の矛先を変えたので、思わずキル子の背に冷や汗が吹き出た。

 

「バベルは蜂の巣を突いたような騒ぎになっとるで?」

 

「はて。心当たりはありませんが?」

 

とぼけるキル子だが、ロキは有無を言わせなかった。

 

()()()の件や」

 

思わぬ直球に、キル子は言葉を失った。

 

噂は広まれど、本人の実態がまるで見えなかった『戦乙女(ワルキュリア)』こと冒険者・キルト。

戦争遊戯において神々とオラリオの市民達が見守るさなか、ついにその力の一端が露わになったわけだが。

 

「ひとまず神共の総意を意訳したろか?『アレはない』や。もう、どいつもこいつもアホ面晒して頭抱えてるわ」

 

ロキはケタケタと悪魔のように笑った。

 

「ウチに言わせりゃ、今さらギャアギャア騒ぎ過ぎやな。退屈は神を殺す、だからウチらは下界に降りてきた。この手のお祭り騒ぎは大好物やろうに……本気で遊ぶ覚悟のない凡神(ぼんじん)共が多すぎるわ」

 

そこで一端言葉を切り、ロキは一口茶を啜った。

 

どこかで、カコンと鹿威しが鳴った。

 

「大多数の神はな、いくら口で人間が愛しいて猫可愛がりしてても、本音じゃペットの扱いと大差ないんや。バベルで無聊を囲っとるような有象無象の神どもはな。弱いから、愚かだから、その生き足掻く様が面白い。そういうわけや。ぶっちゃけ、一段も二段も下に見とるんよ」

 

ロキは不愉快そうに吐き捨てた。

 

「つまり、ダメ男が好きと?」

 

たしか昔の会社の同僚が似たようなのにハマってた筈だ。承認欲求が満たされるらしい。

 

ようするに神というのは基本的に()()()()()()()な面倒くさい連中なのだろう。

 

「おう、本当のことだからって何言ってもいいわけやないで。……いやそこはいいとして、ナチュラルに格下扱いされてるのは何も思わへんのな、ジブン?」

 

キル子は黙って一口、煙管に口を付けて、甘い煙を吐き出した。

 

「人の愚かさは骨身にしみておりますので」

 

ロキはキル子を試すように口にしたが、キル子にしてみれば何をか言わんやだ。

 

人の罪業と愚行の果て、世界を巻き添えにして滅んだ世界に生まれた身。

神のおかげで緩やかな停滞と安寧を享受しているこの世界に、含むものがあるはずが無い。

 

「人間なんて、自分の見たいものを見て、信じたいものを信じるものです。神も人も、そこは変わらないのでは?」

 

「まあな。せやけど、神は()がいい。どっからどう見ても恩恵(ファルナ)の入っとらん、100%混じりっけ無しの人間()なら見ただけでわかる。そいつが恩恵を与えて可愛がっとる毛並みのいい犬……もとい第一級冒険者を終始圧倒した挙げ句にあのザマや。おまけに最後に見せたアレ。ウチもちょいチビリそうになったで」

 

天を逆下り、大地を舐めた極光。巨大な要塞を跡形もなく消し飛ばし、後には何も残さなかった。

威力も精度も、明らかに冒険者が放つ既存の魔法とは一線を画す力。

 

それがせめて恩恵によって齎されたものならば、下界の未知であり地上の子どもたちの可能性と、割り切って考えられたのかもしれないが。

 

「ちぃと()()()()()のとちゃうんか?今やオラリオ中のファミリアが血眼で、キルトの行方を追っとるぞ」

 

ロキの目は既に笑っていない。

 

恩恵(ファルナ)とも神威(アルカナム)とも異なる未知の力。

おかげで何処の神も、神としての矜恃を刺激されてキルト排斥を願う一方で、あの力を自らの派閥に取り込みたいと欲望をみなぎらせてもいるという。

 

「ほとんどはただの凡神(ぼんじん)やが…ガネーシャが動いた。あいつ、ウラノスとツーカーやねん」

 

それはつまり、ギルドの主神であるウラノスの耳に入ったということ。ギルドも、もはや『キルト』の存在を野放しにはできないと考えている、とロキは静かに語った。

 

これまで、キルトはギルドとほとんど繋がりがなかった。

戦争遊戯での化け物じみた活躍を見て、ギルドも慌てて記録を調べたようだが、ダンジョンの入場記録に一度だけ名前が出てくるだけで、魔石の売買記録も素材の販売記録もなく、それどころか都市への入場記録すらも存在しない。その事に気付くやいなや、ギルドは本気でキルトを押さえようとして色めき立っているという。

 

ギルドが躍起になる最たる理由は、キルト個人の持つ絶大な戦力だ。

冒険者は量より質。戦争遊戯で実証されたように、いくら雑兵を束ねても隔絶した個には蹂躙される。特にキルトのように強大な魔法を操る魔道士は、戦略兵器のようなもの。

そのために高ランクの冒険者はギルドの制約を受けている。都市外への戦力の流出を防ぐという名目で行動の自由を妨げ、オラリオ内で飼い殺しにするのがギルドの基本方針だ。

 

だが、高ランクの冒険者であればあるほど、そして大派閥の所属であるほど、主神の意向を第一とするので、必ずしもギルドの意向に従うわけではない。

例えばオラリオ最高の魔道士たるリヴェリア・リヨス・アールヴなどは、都市最高峰の戦力を有するロキ・ファミリアの一員であり、エルフの王族である。リヴェリアに何かあれば都市中のエルフ達がファミリアの垣根を越えて敵対するだろう。だからこそ、ギルドをはじめとした有象無象からの干渉をはねのけることができる。

 

だが、キルトは市民の人気こそあるが、実際のところ権力的な後ろ盾は何もない。

手が出しやすく、すでに野放しにしておけるような戦力でもない。

 

「高ランクの冒険者は、他派閥から声がかかることも多い。ウチの眷属も年がら年中、あの手この手で引き抜きの話がくるで。しかも、あっちこっちのファミリアと連んどるからか、()()()は派閥の色が薄い。おかげで都市外からも興味を持たれてるようやな」

 

侵略戦争を繰り返している国家系ファミリア、ラキア王国はオラリオに誕生した新たな強大な戦力に、強い関心を抱くだろう。

また、大神オーディンの支配する魔法国家アルテナも、キルトの行使した魔法に興味を持つに違いない。

その一方で、魔法に対して強い誇りを持っているオラリオ中のエルフ達も、無関心では居られない。

 

いよいよ様々な勢力が独自の思惑を持ってキルトを探し出そうと躍起になっている、とロキは言う。

 

「…件の天才美少女冒険者の活躍についてはよ~く存じておりますが、ロキ様……あくまで()は一介の雑貨屋店主に過ぎません、とだけお答え致します」

 

キル子は冷や汗をかきながら言葉を選んだが、残念ながら(ロキ)の前で嘘は通用しない。

 

「ほんとにぃ?…どうせその場のノリでついやらかした、ってとこやろ。ああ、もちろん()()()のことやで?誰もジブンの事やとは言ってへんねんで。でもなぁ」

 

ロキは唇の端をつり上げて、人の悪い笑みを浮かべながら続けた。

 

「負けて追放されたアポロンの足跡が途絶えた。メレン方面に向かったらしいんやけど、都市を出てから目撃者がおらん。付いてった眷属も含めて、な。しかも、オラリオに残った元眷属は残らず恩恵封印状態になっとったそうや」

 

「……」

 

キル子はうっすらと笑みを浮かべ、沈黙を守った。

神の問いかけをかわすには、沈黙有るのみ。

 

もとよりキル子はその件については微塵も妥協する気は無かった。ケジメは重要である。

 

「ただ、あのド腐れ芝居を仕組んだヘルメスの奴まで姿を消したんは……ん?なんや、そっちは無関係みたいやな、ジブン」

 

「……」

 

キル子のポーカーフェイスがほんの少しだけ揺らいだのを、ロキはめざとく察した。

 

アポロンを始末した直後から、ヘルメスに施していた【標的の印(ターゲット・サイン)】が途絶えている。そのためニンジャの半数を動員して行方を追っているのだが、未だに行方がつかめない。

逃げたか、あるいは別口で殺されたかまでは分からない。が、逃げられたとしたら癪な話だ。

 

アポロン、ヘルメス、そして闇派閥。そのいずれもキル子は生かしておく気はない。

神の怒りが天の怒りなら、キル子の怒りは地の怒りだ。

 

「まあ、ようはこのままほっとくと、超やっかいごとが向こうから()()()()来るっちゅうわけやな。…で、ほんまに、ほっといてええんかぁ?」

 

神とは思えないほど邪悪で悪辣な顔だった。というか絶対悪魔だろ、コイツ。

 

さて、ここまで知られているとなると、ロキの口を封じるのも一手だ。 キル子の心の天秤が黒に傾いた。

屋敷の周りを高ランクの眷属、エルフの魔法使いやらアマゾネスの姉妹やらで囲んでいるのは把握しているが、その程度でどうにかなると思ったら大間違いだ。5分もあれば皆殺しに出来る。

のこのこキル子の屋敷にやってきたのが運の尽き。ダイダロス通りは元より悪所である。不運にもヨタモノに襲われ、天に送還されたとしても、なんら不思議はあるまい。

 

天秤はほとんど黒に傾きつつあったが、そこまで考えたところで、キル子は正面のロキを見た。

 

ニコニコと笑顔でキル子を眺めながら、しかし決して目は笑っていない。

認めざるを得ないが、この大年増は頭が良いし、勘も鋭い。しかも、本気で遊ぶ覚悟の出来てる手強い女だ。

自身の身に何かあったときに備えて、保険をかけていないわけがない。キル子にとって価値のない、女性の眷属ばかりを周囲に配置しているのも気にかかるところ。

 

それに何よりも、愛しの男の主神。でなければ、何度首をかっさばこうと思ったことか。

でも、それだけで、キル子が心の天秤を蹴っ飛ばし、問答無用で白をとるのに十分な理由になる。

 

キル子は諦めて白旗をあげた。

頭脳労働の苦手なキル子に、駆け引きでロキを出し抜くことなど、もとより不可能なのだから。

 

「(クッソ婆!!!)……え、えへへへへ。い、卑しい私めに、どうかロキ様のお慈悲におすがりさせて頂けませんでしょうか。も、もちろん、ただでとは申しません!」

 

キル子は卑屈な笑みを浮かべながら揉み手をし、ロキを仰ぎ見た。足を舐めろと言われたら舐める勢いである。

 

「フフン。まあ、ええやろ。ウチの胸は広いからなぁ」

 

キル子の弱みにつけこみマウントを取ると、ロキは楽しくて堪らないと言わんばかりに真っ平らな胸をそらし、勝ち誇ったように笑った。

 

誰かこの大年増をなんとかしてくれないものだろうか。キル子はブッダに祈った。

 

「他の神共はウチがうまくかき回したる。キルトの件については任しとき。…その代わり」

 

「はい、分かっております。今後も協力は惜しみません」

 

キル子は嫌な相手に借りを作ってしまったと後悔したが、後の祭りだ。

だが、他に手がない。他の神共までしゃしゃり出てくるとか、面倒くさいにもほどがある。

パパッと皆殺しにした方が後腐れがないので、機会があればバベルごと殲滅してやるか、とキル子は引きつった笑顔の裏で物騒なことを考えた。

 

一方のロキはその事に気付いているのかいないのか、再び真顔に戻ってキル子に問いただす。

 

「さて、話を元に戻すけど、闇派閥の動きはどうや?」

 

「何度かこの土地を奪還しようとする動きがありましたが、全て撃退しました。白尽くめをした如何にもな連中から()()()()()()()()()まで、残らず引っ捕らえて監禁しています」

 

キル子がそう言うと、ロキはスッと目を細める。

 

白装束=闇派閥というテンプレの図式が崩れた形だが、勘のいいロキのことだ。この程度は想定はしていただろう。

 

あんな目立つ格好を好き好んでするのは阿呆のやること。白装束の囮を派手に使い、闇派閥といえば白装束という認識をすり込み、本命は目立たず地味な服装でオラリオに溶け込む。キル子だってそうするだろう。

 

「こちらで軽く尋問しましたが、大したことは知りませんでした。そちらに引き渡しますか?」

 

「せやな、後でフィンかガレスあたりを寄越すわ。うちらがカチこむまで、蟻の子一匹、外に出すんやないで」

 

ロキ・ファミリアは本気で人造迷宮の攻略を考えているようだ。

 

「畏まりました」

 

この件について、キル子の基本方針は人造迷宮の奪取、ないし破壊である。

 

せっかく地上との物価の差を利用してリヴィラをドル箱に仕立て上げ、阿漕に荒稼ぎしているというのに、人造迷宮とか言う別ルートを放置していては、いずれその利権が脅かされる可能性がある。

商売あがったりになる前に、人造迷宮に使われている大量の最硬金属(アダマンタイト)最硬精製金属(オリハルコン)ごと奪う。最悪でも、誰も使えないように破壊しなければならない。

邪魔する闇派閥は皆殺し。人造迷宮とやらをPKの戦利品として奪うまでだ。

 

キル子は恭しく頭を下げて恭順の意を見せながら、ロキに伏せた顔は薄ら笑いを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃ、ウチはこれで帰るけど。そういえば、キルコ」

 

「はい、なんで御座いましょう?」

 

「ベートと朝帰りしたらしいな♪」

 

直後、顔を真っ赤に染め上げたキル子の口から首を絞められた鶏のような悲鳴が発せられることになるのだが、二人の間に何が起こったのかも含めて、ソレハマタベツノハナシデアル。なのであるったら、なのである!!

 

 

 




色々と忙しかったので気付いたらまた三か月…orz


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第29話

油断してたら間が空きすぎてしまいました。


 

 

オラリオ某所。

VIPしか足を踏み入れることを許されない極東様式の大きな屋敷の離れにて、二人の人物が正座で向かい合う。

 

部屋の間取りはわずかに三畳。

互いに向き合う両者が不用意にお辞儀をすれば頭突き事故になりかねない狭さであるが、この狭さは建築士の設計ミスによるものではない。

遠くオラリオを離れた極東では、貴人が茶席を口実にして集い、陰謀を巡らせる密談の場としてこのような偏執狂じみた小部屋が必要とされる。

本来ならば蛍光ピンクのバイオイグサがフローラルな香りを漂わせるバイオタタミや、ワビサビの風雅なオリエンタルアートに彩られたフスマを、純金のそれに置き換えた派手な茶室の中で、これまた純金の茶釜が煮え立っている。

 

立ち上る湯気を挟んで正座しているのは、極東式の着物に身を包んだ美女。

藍色の着物を着た黒髪の女が、茶釜より湯を黄金の柄杓で掬い上げ、茶器に注いだ。毎度お馴染みキル子である。

キル子はメレン港を通じて極東から齎された最高級の茶葉を惜しむことなく大量に注いだ。素早く力強い手つきでチャ・ミキサーを用い、チャが泡立てられる。甘みやコクをブレンドするため、クリームや砂糖、スパイスといったアクセントも忘れてはならない。キル子は苦いのが大嫌いなのだ。会社勤めの負け組サラリマン時代も、この絶妙な味付けがウケて、よくお茶汲みを命じられたものだった。何故かハイソな顧客の接客時には絶対に出すなと厳命されたが。

 

「つまらないものですが」

 

差し出された茶器は歪に歪んでおり、色もナスめいた艶やかな黒。一見、黄金の茶室に合わせるには見窄らしいが、見るものが見れば目を見張らずにはいられないワビサビに満ち溢れている。

ゼンのアート観はショッギョ・ムッジョを内包したストイックなもので、極めて注意深い洗練の上に存在する。華美なだけではダメなのだ。

少なくとも茶席の主、キル子は己のワビサビに深い自己満足を覚えた。

 

一方、その対面に座り、キル子の持て成しを受けているのは、これまた頗る付きの美女だ。

 

「お手前、頂戴いたします」

 

茜色の着物に身を包み、金髪の髪の合間より獣めいた耳をのぞかせた狐人(ルナール)の女、サンジョウノ春姫は茶席の主人に一礼すると、おだやかな笑みを保ちながら右手で茶器をとり、左てのひらにのせた。

軽く頭を下げて神仏に感謝を示すと、手元で二手ほど廻して正面を避け、いよいよ口元に運んで、一口飲む。

 

格調高い香気を陵辱するかのごとき味付けをされたそれは、落ちぶれても元上流階級たるサンジョウノ家の一粒種として生まれた春姫の感覚からすれば『誰が茶席で抹茶ラテを作れと!』と、小一時間ほど問い詰めるべき事案である。

茶菓子もまた、バターとクリームとアズキをふんだんに使った甘ーいオハギ。春姫の知る牡丹餅とは明らかに別物のそれは、喉が焼けるほどに甘く濃厚で、()()()()に合わせるにはやや強すぎると思われたが…

 

春姫の口元に、微かに苦笑が浮かんだ。

間違っても故郷の正式な茶会で出されるようなものではないが、そういうものだと思って飲めば、これはこれで。

それに、この型破りな茶を故郷の作法にうるさいお歴々に出したらどのような顔をするか、と。つい想像してしまう。

 

そんな内心はつゆほども漏らさず、静かに三口半で飲み干し、右手の親指と人さし指で飲み口を拭った。

懐紙を取り出して指を拭い、茶器を先ほどと逆に回して置いてから、居住まいを正す。

その一つ一つの動作に、洗練された優美さがあった。

 

「さて、キルコ様。お手前、しかと拝見させて頂きましたが…」

 

「はい、センセイ。いかがだったでしょうか!」

 

己のウデマエに自信満々のドヤ顔を浮かべるキル子に対して、春姫は困り塩梅の笑顔を浮かべた。

 

「客人を持て成そうというお心がけはしかと伝わって参りました。大変素晴らしく思います。これが親しい友人を招く茶席ならば、十分なお手前と言えましょう」

 

キル子の鼻腔が得意げに膨らんだ。

 

「…ですが、やはり正式なお席としては、いささか拙うございます。一例をあげるなら、お茶に砂糖を入れるのはいただけません。せっかくの良き茶葉なのですから、素の苦味、渋み、香気を味わってこそ、茶席の醍醐味。ならば、菓子の甘味も引き立ちましょう」

 

まず無難に褒め、その上で拙いところをやんわり諭す。かつて過ごした公家社会で身につけた処世術である。

 

「個人的にはキルコ様のお茶も好ましくは思いますが、古来より伝わる定石には、それはそれで敬意を払うべきものが御座います。まずはキチリと定石を修めた後、己が数寄を見出されるべきかと」

 

「なん、だと…⁈」

 

驚愕に打ち震えるキルコを見ながら、実際、春姫は悩んだ。

この頓珍漢な作法の、何処から正したものか、と。

 

春姫は娼婦である。

かつては上流階級の子女なれども、実父より勘当され、遠方に送られる途上で山賊に襲われ、人買いに売られた。

その後は故郷を遠く離れ、流れ流れて最後にたどり着いたのが、オラリオの歓楽街を仕切るイシュタル・ファミリアだった。

そのイシュタル・ファミリアにおける春姫の立場も微妙なものである。娼婦ではあるのだが、実際に客を取らされたことは一度も無い。

 

春姫は極めて希少なレアスキルを有しており、それは女神・イシュタルにとって来たるべき宿敵との抗争において切り札になり得るほどの手札。

おいそれと下手な客の前に出して情報が漏れたり、あるいは春姫を失う危険はおかせない。そのため、娼婦としてファミリアに所属しつつも、普段はファミリア・ホームの奥深くで、籠の鳥の日々を過ごしていた。

 

その風向きが変わったのは、つい最近のこと。

オラリオ中の話題をさらった戦争遊戯の直前、オラリオ近郊のメレンにてカーリー・ファミリアとの同盟がご破算になったあたりから、時折、イシュタル・ファミリアの内部で()()()()()が囁かれるようになった。

 

迷宮商店(ダンジョン・ストア)の店主、キルコ。

 

ある日、唐突にオラリオに現れるや、冒険者ではない一介の商人にもかかわらず18階層に拠点を構え、リヴィラの勢力図を一変させた女傑。今やダンジョン内部の物資の流通を完全に掌握し、ファミリアの垣根を越えた大勢の冒険者に影響を及ぼす立場にある。

 

その一方で、旧ダイダロス通り跡地の再開発を一手に受注し、極東風市街に仕立て上げ、表社会への進出も著しい。

生産系ファミリアと直接契約を結び、巨大資本の暴力で安く大量に仕入れた商品を売りさばいて価格破壊を起こしつつ、観光業にも手を広げている。

 

もちろん、恩恵を持たない只人がこんなことをやらかせば、タチの悪いファミリアによってたかって食い物にされるだろう。

キル子の背後には都市最大の探索系派閥であるロキ・ファミリアがケツモチについており、今のところ掣肘されるような様子はない。

さらに、黒社会系ファミリアともつながりがあるとされていて、あのカーリー・ファミリアを傘下に収め、メレンの港湾利権すら手にいれたという。

 

なお、私生活においてはLV.6の第一級冒険者にして【凶狼(ヴァナルガンド)】の二つ名を持ち、昨今では恋多き色男として名をはせているベート・ローガの愛人の一人であり、『戦乙女(ワルキュリア)』と名高い女性冒険者・キルトと恋のさや当てを繰り広げていると、もっぱらの噂だ。

 

事ここに至り、有象無象の勢力からの妬みと恨みは有頂天に達し、直接的な殴り込みや暗殺の標的にされること、枚挙にいとまが無い。

だが、そのすべてをキルコは返り討ちにしたという。恐ろしいことに、その悉くを皆殺しにして。

 

そういった噂を話半分に聞くとしても、イシュタルがかつて同盟を組もうとしていたカーリー・ファミリアを赤子の手をひねるかのごとく蹂躙した力量は尋常ではない。

また、イシュタルの怨敵・フレイヤの誇る都市最強、Lv.7たるオッタルを半殺しにしたともされており、今やオラリオ中で密かな語り草になっている。

 

イシュタルとしても、それが真実ならば喉から手が出るほど欲しい戦力であるが、背後に控えているらしきロキ・ファミリアは、都市の勢力を二分している最強派閥の一角。うかつには手が出せない。

かといって無視もできない。キルコの経営するオイラン・ハウスは徐々に歓楽街を仕切るイシュタル・ファミリアの縄張りを侵しつつあり、フレイヤ・ファミリアなどよりよほど目障りだ、という意見もファミリア内では少なくない。

 

そんな頃合いだった。

渦中の人物から、奇妙な依頼が舞い込んで来たのは。

 

【求む、ハイク、カドー、チャドーのマスター・センセイ!】

【経験者優遇!高給保証!有給完備!タイムサービス有り!!】

 

…ひたすら怪しいが、これでもギルドを通した正規の依頼だ。

 

イシュタル・ファミリア一同はそろって首をひねった。

例えば、だ。たまにファミリアの門を叩きに来る冒険者志望の初心な娘に、戦闘娼婦の心得を手取り足取り体に覚え込ませる、といったことなら、まだ分かる。

しかし、歓楽街を仕切り、戦闘娼婦を売り物にするイシュタル・ファミリアに、礼儀だの作法だの俳句だのとそんなハイソなものを求められても困る。

だいいち、そんなものを教えられそうな眷属もいない。…只一人の例外を除いては。

つまりは、これはそういった方面に詳しい唯一の眷属、サンジョウノ・春姫への直接指名依頼である。

 

さて、前述したとおり春姫はイシュタル・ファミリアの切り札。おいそれと外に出せるわけがないが、さりとてイシュタル的にはキルコとのパイプにも同じくらい興味をそそられる。

怪しいと言えば怪しいが、キルコの縄張りである旧ダイダロス通りこと現オミヤゲ・ストリートは、歓楽街から目と鼻の先。春姫の護衛に付き添いの眷属をいくらかつけて送り出せば、件の人物を堂々と品定めできる。

 

それに()()()は神・ヘルメス(最近失踪したらしいが、いつものことだ)より既に受け取っており、計画は順調に進んでいる。その効果が最大となる次の()()()()まで、まだしばしの時間がある。ならば、ここは一石二鳥を狙ってみるか、と。

 

そんなイシュタルの思惑により、春姫はここでこうしているのだが…

 

「マ、マスター・センセイに何というシツレイを…!!」

 

春姫の指摘を受けたキルコは、顔に驚愕を貼り付けたまま、速やかにその場に土下座した。

そう、土下座である。土下座の姿勢をとる事は、相手への全面的な屈服を意味し、母親とのファックを強いられ記憶素子に保存されるのと同程度の、凄まじい屈辱なのである。

 

もちろん、春姫は慌てて諌めた。

 

「キ、キルコ様!そのようなことをされては困ります!」

 

「いえ、ケジメさせて頂きます!!許してつかぁさい!!」

 

「アイエエエエ!!ケジメ?ケジメナンデ?」

 

キルコは血まみれの出刃包丁を取り出し、覚悟完了した表情で自分の小指を切り落とそうとしている。

 

実のところ、春姫はキルコ本人に会うまで、どんな面妖な(それこそイシュタル・ファミリア団長である"男殺し"のような)怪物が出てくるかと、内心でビクビクしていた。

ところが、実際に出向いてみれば大勢の使用人(見た目があからさまにヤクザなのはどうかと思ったが…)と共に玄関で深々と腰を折って出迎えてくれたのは、趣味のいい小袖を纏った美女である。

しかも、春姫を"先生"と呼び、下にも置かない歓待をしてくれた様子からは、とてもオラリオ中に悪名をとどろかせている人物には見えなかった。

あれよあれよと茶室へと案内されながら「噂などあてにならないもの」と思っていたのだが…

 

結果はご覧の通りである。

 

「確かに拙いところは御座いますが、知らぬは恥ではありません!そ、そのような猪突猛進な礼儀は、かえって失礼になります…!」

 

「なるほど!オクユカシサ重点ですね!勉強になりますセンセイ!」

 

鼻息も荒くメモをとるキルコを目の当たりにして、春姫は重度の目眩に襲われた。

 

幼い頃より身につけた、多少なりとも他者に誇れる芸事。それを教え導く仕事と聞き、内心では期待があった。

春姫には、もう時間が残されていない。

何か一つでも、誰かに何かを残して逝けるなら。あるいは自分がこの世に生を受けた意味もあるのではないか、と。

 

…なのだが、人に何かを教えるという行為は思った以上に難しいようだ。

この相手は何処で覚えたものか、面妖極まりない歪な作法を身につけており、まずはそれを矯正するところから始めねばならない。茶器を持つ手つきからは、さほど慣れているようには見えないし、また本人もやる気に満ち溢れているのでだが……いささか、満ちあふれすぎている気もするが……

 

それに、気になるところは他にもあった。

例えば、()()()自体は紛れもなく慣れ親しんだ極東様式なのだが、だからこそ違和感の大きいこの屋敷とか。

 

全てが黄金で満たされた、あまりにも華美な茶室。

赤や青の蛍光色じみた不気味な提灯。

部屋の床の間に張り出された画一的過ぎる書体の『不如帰』の書画。

廊下に幾つも飾られている総金張の鎧甲冑。

庭の隅にズラリと並び、軽快なラップ音を奏でている鹿威し。

小ぶりな雪洞を繋げて天井に吊るしたアレはまさか…シャンデリアのつもりだろうか?

 

「…ひとまず、お茶については、今日のところはこれにて。他にも、お花やお歌のお稽古と伺っています。まずは一通り、お手前を拝見したく思います」

 

問題点を一通り洗い出した方がよさそうである。数寄の塩梅も様子を見た方がいい。付け焼き刃でどうこうなるものではない。

 

なお、茶室の出窓の向こうでは、春姫の護衛として付いてきたイシュタル・ファミリアの誇る戦闘娼婦(バーベラ)達が、差し入れと思しき酒瓶や馳走の詰まった重箱の山を傍らに、朱塗りの杯や匙を使って盛大にかっくらい、酒盛りに興じている。

 

お気楽そうな姉女郎達のことをうらやましく思いながら、春姫は微かにため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さま、お久しぶりごきげんよう初めまして、キル子でございまぁす!

 

いささか唐突ではございますが、つい先日なんやかやとありまして、めでたくベート様と結ばれました。なお、それがどういう意味かは各自の脳内で補完してくださいませ♪オホホホホホホホホ!(勝ち組の余裕)

 

快挙でございます!大勝利でございます!

恥ずかしながら新妻でございます!

新妻なのでございます!!!!

大事なことなので(ry

 

フィーヒヒヒ!……コホン。さて、そこで私、考えました。

立派な人妻になるために、必要なものは何かと。

料理にお掃除、お洗濯といった生活スキルはもとより、教養も必要です。

特にハイクは重要です。生き馬の目を抜くネオサイタマのサラリマン社会では、出世に必須のスキルでした!

下手なハイクで婦人会のマウント合戦で敗北し、旦那様に恥をかかせて恥辱のあまりにセプクさせるなど、断じて許されることではありません!

 

しかし、でございます。そこで、はたと気がつきました。

恥ずかしながら、これまでの人生で、その手のリアルスキルを何も学んでいないのです!

 

特にお料理はまったくのダメです。かつては食事は毎日のようにドンブリポンに通って済ませていましたし、ましてやオーガニック食材なんてオラリオに来るまで見たこともありませんでした。

 

お料理に挑戦したいのはやまやまなのですが、致命的なことに料理スキルを一切持っていないのです。つい先ほどもメレン産の新鮮なお魚で焼き魚チャレンジをしてみましたが、ことごとく消し炭と相成りました。メシマズ以前の問題です。

 

どうやら私、ユグドラシルの法則に縛られているようでして、スキルに該当する行動に制約が生じているようなのです。

料理一つするにも、料理に関する何らかのスキルを持っていないと、自動的にファンブルする体質になり果てているようでして。

 

お掃除やお洗濯といった、ユグドラシルにスキルが存在しない行動に対しても…その、ええと…スキル的な問題ではなくですね。一人暮らしのズボラ生活が長かったせいと申しますか…リアルスキル的な問題があります。まあ、汚部屋作りには一家言ありますわ!

 

とまあ、我ながら情けなくなる有様です。

では教養はどうかといえば…白状しますと、ハイクの一つも読んだことがありません! っていうか、単なる最下級事務職にそんなん必要なかったんじゃよ!!!

ま、まあ、その分夜の方は頑張って、最近ようやくオバケ体力のベート様に最後までお付き合いできるようになってきて…その…いい気になってたら本気出したベート様にわからせられたというか…ゲフンゲフン……はい、この話しゅーりょー!続きは脳内補完してくださいませ!

 

し、しかぁし、これではいけません!ええ、いけませんとも!ベート様がセプクしてしまいます! キル子奮起の時で御座います!

とまあ、そんなわけでニンジャ達の尻を叩いて探し出し、大枚はたいて歓楽街から講師としてお招きしたのが、サンジョウノ・春姫センセイなのです!

ちなみにこの方、色気がヤバすぎます!

これは絶対に数々の男を咥え込んで腹上死させてきた名うてのオイランに違いありません!

…まあ、サンジョウノ・センセイを招いた理由は、それだけじゃあ、ありませんがね。

 

 

 

 

 

 

「メレン港 水面に沈む ドラム缶 …如何ですか、センセイ!」

 

キル子はハイクを詠んだ。

つい先日、額に汗してささやかな労働に勤しんでいた際に浮かんだ、渾身のハイクだ。

 

魚が食べたい気分だったのでメレンに()()に行ったが、リヴィラに()()()時もある。人様の縄張りに手を出そうとするアホには似合いの末路だろう。いずれにしてもアリア配下の食人花が綺麗さっぱり片付けてくれる。

 

そういった尊い労働の喜びと、ナニカが詰まったドラム缶が水瀬に沈んでいく風雅な情景を、奥ゆかしくも表した一句だった。

 

なお、キル子の目の前には無数の剣山で滅多刺しにされた山盛りの彼岸花が、青磁の花入れにいけられ鎮座している。無惨に切り取られた人の首を思わせるアート、即ちカドーである。

 

己のワビサビに深い自己満足を覚えるキル子だったが、意見を求められた春姫は何故か顔色を真っ青にして、ガタガタと震えている。

 

「ヒエッ……な、なかなか味のある句と存じますが…ひ、ひとまず、そういった方面からは離れましょう。季語も入っておりませんし…」

 

どうやらワビサビの道はまだまだ遠そうである。

 

 

 

 

 

 

さて。

本日の稽古事もひと段落し、春姫がどうしようかと内心頭を抱えながら、そろそろファミリア・ホームへ帰ろうかと身支度をしていた頃合いのこと。

 

「本日はタイヘンにありがとうございました。流石は朝廷の覚えめでたき三条(サンジョウ)家の姫君であらせられます」

 

微妙なアクセントの違いに、思わず訝しんだ春姫の前で、キル子は極東渡りの高価な湯呑みを片手に、意味ありげな流し目をよこした。

 

「…私が商っている品には、極東交易で得たものも多く含まれますので。親しく商いさせて頂いているのですよ、御実家のサンジョウ様とは」

 

いきなり父親の名を出され、呆気に取られる春姫を他所に、キル子は「ですが」と続けた。

 

「サンジョウ様は最近、とみに体調がすぐれないご様子でして」

 

奥方を亡くし、春姫を遠ざけてより、心痛のせいか酒量が過ぎるようになったらしく、昨今では朝廷への参内も滞り、口さがない公家衆からは良くない噂の的になっている、と。

 

「ま、まさか父が………⁈」

 

ついには内裏からも『構い無し』を告げられるに至ったという件を聞き及び、春姫は思わず悲鳴を上げた。

 

極東は『朝廷』と呼ばれる超巨大国家系派閥【アマテラス・ファミリア】が治めている(…表向きはそうなっているが、実際には地方に行けば行くほど、まつろわぬ民が跋扈し、相争う戦国乱世だ)。朝廷には複数の有力氏族により公家社会を構成しており、春姫の実家、サンジョウもその一つ。

 

そして、内裏の寵愛を失うのは公家社会では死を意味する。

このままではお家断絶は免れない。幼い頃から公家社会で育った春姫にはその重さがよく分かった。

 

「…心中、お察しいたします。わたくしどもも、何とかお力になりたいとは思いますが、お心の問題ばかりは余人にはどうにも…」

 

顔を青ざめさせて呆然とする春姫を前に、小袖の裾で邪悪な笑みを浮かべた口元を隠しつつ、いかにも憂えた表情を取り繕っているが、珍しい美味い酒ならば、相手がだれであろうと高値で買うというサンジョウのバカ殿の噂を聞きつけ、迷うことなく神酒を売りつけたのはキル子である。

しかも、よりによって、あまりに強すぎて、本来なら販売に適さない方を。

 

極東社会は新参者を嫌う。伝統と格式が重用され、たかが商人の商いにさえ、明確な序列と格式が存在する。

マッポー時代の暗黒メガコーポじみて複雑怪奇な風習やしきたりが蔓延り、限りあるリソースを身内だけで独占すべく、余所者を締め出しているのである。

まるで故郷、ネオサイタマに戻ったかのような企業カーストの煩わしさに痺れを切らしたキル子が、サンジョウに目をつけたのは当然の成り行きだった。

 

もともと心が弱って酒浸りになっていた春姫の父親に神酒を売り込み、完全に依存させて影から家を操り、商売の手を広げるというスバラシイ計画!

…だが、神酒があまりにききすぎたため、当のバカ殿がぶっ壊れて、スバラシイ計画は破綻した。ブッダシット!

今では神酒を求めて譫言を繰り返すゾンビのような有様である。当然ながら人前には出せず、屋敷に押し込めているので、サンジョウ家は周囲からハブられている。本末転倒な有様だった。

もちろん、そんな些細なことはキル子的にはどうでもいい。問題なのは、このままではせっかく苦労して手に入れた極東交易の旨みがないことだ。

 

…しかし、八方塞がり万策尽きたかに見えたキル子に、手を差し伸べた人物がいたのだった。

 

「オホホホ!お困りのようでおじゃるのう」

 

キル子と春姫しかいない筈の茶室に、突如として壮年の男性の声が響いた。

 

思わずギョッとする春姫を他所に、澄まし顔のキル子は一歩下がると、隣室に繋がる襖を開く。

 

「サンジョウは清華家でも内々の家柄。このままお家が絶えるは、惜しい事でおじゃる」

 

おしろい顔に高眉、冠を被って杓を持ち、煌びやかな着物を着た、典型的な極東貴族の出立をした男が正座していた。

 

「久しいのう、春姫殿」

 

「イ、イチジョウ三位(さんみ)様!」

 

春姫は平伏した。

 

イチジョウノ・公麿。三位中納言の位にある朝廷の重臣中の重臣である。

 

「ホホ、麿はここにはいないでおじゃる。よいな?遠く離れたオラリオごとき辺境に、麿がいよう筈がないでおじゃろう?」

 

極東貴族独特の迂遠な言い回し。

その意味するところを、春姫は正確に察した。密使であると。

 

「…内裏は憂いておられる。古より続くサンジョウがなくなるは忍びないとな。サンジョウめも、ちとやり過ぎたでおじゃる。酒が過ぎた故、もう、先も長くはなかろうが…」

 

それを聞き、春姫の胸中に複雑な感情が溢れた。

 

母の死をお前が生まれたせいだと罵られ、生まれて初めて出来た友との関わりを否定され、挙句、勘当され、放逐され…

それでも、あの家は、あの父は…

 

そんな春姫の胸中を無視して、イチジョウは話を続けた。

 

「それはあやつの責。しかし、このままでは歴史あるサンジョウ家まで取り潰すほかない。あまりに道理の通らぬ春姫殿の勘当の一件しかり。流石に醜聞が過ぎよう…」

 

そもそも貴族社会では血筋が重要なステータスであり、たった一人しかいない正統な血を継ぐ嫡子を、大した咎でもないのに勘当して追放するなど、あってはならない。

しかも、後添えも迎えず、養子も取らず、朝廷への出仕さえ滞るとあらば…

 

「分かるであろう?もはや、御家を守るには、サンジョウめを隠居させ、春姫殿が家督を継ぐほかはないのじゃ」

 

春姫は我知らず、唇を噛んだ。

 

今の春姫は、娼婦である。

とても元の身分に戻れようはずもない。

公家は強者には媚びるが、弱者には辛くあたる嫌らしさがある。

伝統と格式を何より重んじる朝廷にとって、娼婦に堕ちていたなど、大変な醜聞なのだ。

例え春姫が家督を継いだとしても、禁裏で復権するのは不可能に決まっている。

下手をすれば名誉のセプクか、ボンズ・シスターとして出家あるのみであろう。

 

「ホホホ、春姫殿、ご案じ召されるな」

 

イチジョウの目が、嫌らしく笑った。

そんなことは、百も承知とばかりに。

 

「所詮は遠くオラリオでのこと。口さがない噂雀に京童とて、地の果てまでを見聞きすることは出来ぬでおじゃる。麿の口もほれ、この通り、固いでおじゃるからのう?」

 

家を潰すも潰さないも、自分の口次第だ、と。その目は如実に語っている。

 

「そうそう、家を継ぐとあらば、独り身では春姫殿も心細いでおじゃろう?春姫殿も年頃でおじゃるし、如何かな、婿を取られては。サンジョウに釣り合う、よい血筋の男子を婿に迎えれば、朝廷での立場も自然とよくなるでおじゃるよ」

 

その言葉に、春姫はイチジョウの狙いを悟った。

 

「オホホホホ!万事、この麿に任せておくでおじゃる!サンジョウ家を継ぐとあらば、引く手数多。婿の成り手には事欠かぬでな。まあ、下手な婿をあてがうことはできぬであろうから、そこは麿がしかと後見するでおじゃる。大船に乗った気でいるがよい」

 

そして実権はその婿とやらが握り、春姫は再び屋敷に押し込められるだろう。しかも、婿を選ぶのは、当然、目の前のイチジョウである。

意味するところは、あからさまなお家乗っ取りだ。

 

断ることは出来ない。そうすれば、この男の口はたちどころに軽くなり、サンジョウは潰される。

勘当され、放逐されたとて、公家社会で生まれ育った身。自ら実家を潰す選択肢は、取れなかった。

 

こういった人の心の弱さにつけ込む陰湿な陰謀は、極東貴族のお家芸である。

例えるならば、旗本三男坊に身をやつし、隙あらば外様大名に難癖をつけてデーンデーンデーンと成敗し、改易して幕府天領を増やす狡猾な将軍オーバーロードにも似た鬼畜の所業であろう。

 

そこで、春姫はある意味、最後の希望に縋った。

 

「…イチジョウ様、御好意、大変有り難くは思いますが、今の私はイシュタル様の眷属で御座います。ありがたいお話ではあるのですが、イシュタル様の許可なしには…」

 

「その件につきましては、ご心配なく、春姫様」

 

それまで、側で成り行きを見守っていたキル子が、初めて口を挟んだ。

 

「イシュタル様には、私から話を通しますので。…まあ、それ以前にイシュタル・ファミリアは、すぐにそれどころではなくなると思いますがね」

 

意味深な言葉を告げるキル子に、イチジョウも頷く。

 

「ふむ。…だそうだが、春姫殿?」

 

最後の逃げ道を塞がれた春姫は深々と頭を下げ、下知を受け入れるほか、なかった。

 

「…よろしく、お願い申し上げまする」

 

生くるも地獄、死ぬも地獄。

春姫は涙を堪え、己が波瀾万丈の運命を嘆いた。

今度は、家と父と。全てに破滅をもたらさずにはいられない、己の汚れた身と魂を呪いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

悲嘆に暮れた春姫が、キル子の屋敷を去った後のこと。

 

ケバケバしい黄金茶室は、その本来の用途に用いられていた。

 

「これで春姫は取り込んだも同然よ。サンジョウを立て直したとあらば、ミカドもお喜びになるでおじゃろう。ニジョウやゴジョウめの悔しがる顔が目に浮かぶでおじゃる!」

 

イチジョウは専用に用意された重箱から、トロマグロ・スシを取り出し、一度に二つ食べた。

 

「おめでとうございます、イチジョウ様。その暁には…」

 

「わかっておるわ。我がイチジョウと、ついでにサンジョウめの海外交易の販路は、そちにくれてやるでおじゃる。その代わり…」

 

「もちろん、イチジョウ様への手数料は惜しみませんわ」

 

「オホホホホ!迷宮屋、そちも(わる)よのう!」

 

「いえいえ、イチジョウ様ほどでは!」

 

なんという邪悪な密談であろうか!

このまま哀れな春姫は馬の骨じみた婿を取らされ、実家を乗っ取られるしかないのか!

ブッダよ、そろそろ昼寝から起きて、悪党をアビ・インフェルノ送りにしてもいいのではないですか⁈

 

 

 

 

 

そして。

 

「春姫…」

 

醜悪極まる陰謀渦巻く茶室の外で、悍ましき会話の一部始終を、イシュタル・ファミリアが誇る戦闘娼婦(バーベラ)にしてファミリア幹部、アイシャ・ベルカが盗み聞いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御方様」

 

「首尾はどう?」

 

「彼の者はしかと、話を盗み聞いておりました。遠からずイシュタルの耳にも入ることかと」

 

「よろしい。では、作戦を第二段階に進めましょう。ロキに伝令を」

 

「ハハッ」

 

 




どっかの邪悪のせいで更なる人生ハードモードな春姫の明日はどっちだろう。


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