E.V.A.~Eternal Victoried Angel~ (ジェニシア珀里)
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旧章:Dep-0.00
第零話 幸福の中の終結


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 波が、静かに打ち寄せる。

 

 

 空気は、不思議なほど澄んでいる。

 

 

 月が、虚空に浮かんでいる。

 

 

 

 

 

 -ポシャ

 

 

 水音がした。

 

 

 思わず顔を向けると、そこに彼女はいた。

 

 

 赤い瞳の、蒼い髪の少女。

 

 

 赤い水面に立つ姿から、目を離せない。

 

 

 刹那、彼女は消え去る。

 

 

 跡形もなく。

 

 

 

 

 

 身体を起こす。

 

 

 不意に、横たわる少女に目を落とす。

 

 

 包帯だらけの、痩せ細った彼女。

 

 

 

 

 

 恐怖。

 

 

 嫌悪。

 

 

 敵意。

 

 

 絶望。

 

 

 

 

 

 渦巻く、負の感情。

 

 

 手が、彼女の首を絞める。

 

 

 震える手に、力を込める。

 

 

 

 

 

 その彼女の手が、自分の頬に触れた。

 

 

 思わず目を見開いた。

 

 

 彼女の指が、そのまま顔の輪郭をなぞった。

 

 

 それは、とても、暖かく、優しかった。

 

 

 

 

 

 後悔。

 

 

 悲嘆。

 

 

 孤独。

 

 

 希望。

 

 

 

 

 

 嗚咽を漏らす。

 

 

 彼女は一言、吐き捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気持ち悪い……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いつまで塞ぎ込んでんのよ、バカシンジ」

「…………」

「って言っても、仕方ないか……」

「…………」

「…………」

「…………」

「アタシたち、ここで死ぬのかな……」

「…………」

「いや、愚問だったかも……死ぬわよね、絶対……」

「…………」

「…………」

「…………」

「ねぇシンジ、何か…………何でもいい、喋ってよ」

「…………」

「全てがもう無駄なら……どうせ死ぬんだし」

「…………」

「……少なくとも、もうアンタを見捨てたりしない……」

「…………っ」

「罵るなり何なり、好きにしなさいよ」

 

 

 

 

 

「…………んで……」

「?」

「何で……拒まなかったんだよ……殺そうと、したってのに……」

 

 

 震える声を、絞り出す。

 いや違う。

 震える全身を何とか抑え留めようと、呟いてゆく。

 

 

「何で受け入れるんだよ……払いのければ良いじゃないか……」

「…………」

「気持ち悪いなら、何で……」

「やっぱりバカね」

「っ…………」

 

 

 

「いつ、アンタに気持ち悪いなんて言った?」

「…………え?」

 

 

 思わず顔を上げた。

 

 

「自分によ。今になるまで気づかない自分に……」

「何の、こと…………?」

 

 

 アスカは顔を逸らした。僕は視線を向けたまま、答えを待った。

 

 

「…………好きだから……」

「え……?」

「アンタのことが、好きだから……っ!」

「……………っ……」

 

 

 

 

 

 実は知っていた。サードインパクトが起こったとき、世界中の人々の思いが流れ込んできた。その中には、もちろん、アスカの想いも。それでも……

 

 

「もう、これだからアンタは………っ。………バかで、優柔不断で、逃げてばっかで、だけどすっごく優しくて……」

 

 

 それでも、いくら頭でわかってはいても、信じきることなど、できなかった。共に生活してきたけど、一度も僕のことなんか考えてない、そう、思っていた……。

 

 偽善かもしれない。僕を試しているのかもしれない。好きだと言って、また、少ししたら捨てられるかもしれない……。

 

 

「最後に残ってるのがアンタで……安心したわ。やっとシンジと、二人になれた、って……」

 

 

 信用することができなかった。

 だから、彼女の首も絞めてしまった。けれど。

 

 

「フフッ、アタシって、結構独占欲が強かったのね……」

 

 

 けれども、目の前で自嘲気味に微笑みを浮かべていくアスカは、純粋な表情で自分のことを「好きだ」と言った。

 殺そうとした僕を、許してくれた。

 

 少なくともシンジは、そう信じたかった。

 

 

「……僕は、」

 

 

 俯く。混在する感情に、揺さぶられる。

 だけど、言わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

「僕も、アスカと一つになるのは、やっぱりイヤだ」

 

 

 

 

 

 暫くして、包み込まれる感触がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…………ありがと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、二日が過ぎた。思った通り、僕らは、長くは生きられそうになかった。食料も、水さえ殆どなく、すぐにでも餓死してしまいそうだった。

 僕とアスカは、お互いに、一瞬たりとも離れようとはしなかった。一人になることの恐怖もあったからだけど、それより、アスカのそばにいられる、そのことが、この上ない幸せだったからだ。

 

「ねぇ、アタシたちってさ、死んだら、どこに行くんだろ?」

 

 仰向けになって月を見上げるアスカが僕に訊く。

 

「分かんない……。L.C.L.に還るのかもしれないし、リリスがいないから、もうこのまま終わりなのかもしれない……。でも僕は、もう怖くなんかないよ」

「アタシもよ。この世界でシンジといられただけで、もう十分」

 

 意識が遠退き始めた。何だか可笑しかった。

 

「フフッ、そろそろダメかも……」

「そうね……」

 

 

 

 そうして、繋いでいた手を、どちらからともなく、強く、最後の力を込めて、握り締める。

 

「ありがと、シンジ」

「こっちこそ。ありがと、アスカ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でももし、

 

 

 

 

 

 できるのなら、

 

 

 

 

 

 もう一度、みんなと、

 

 

 

 

 

 アスカと、生きることはできないのかな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終焉と、

 

 

 

 

 

 再生と、

 

 

 

 

 

 未来と、

 

 

 

 

 

 希望と、

 

 

 

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『世界が、』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『終わることは、』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『決してないわ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無償の、愛。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第零話 幸福の中の終結】

【Prologue Beginning from EOE】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

こんにちは。初めまして。ジェニシア珀里と申します。
今回、pixivで先行公開しましたエヴァンゲリオンの二次創作をこちらでも投稿しました。

この小説、現時点は「無題」とさせていただきます。
二月十一日、タイトル及びタグの追加をする予定です。
よろしくお願いします。

☆追記:二月十一日 タイトル、タグ追加。並びに第壱話、公開。


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序章:Dep-1.00
第壱話 使徒、再来


 

 

 

 

 

「…………っ!」

 

 ふと、意識が戻った。夢から覚めたような感覚だった。

 手には、受話器を握っていた。目の前には、オレンジ色の公衆電話があった。

 

『現在、特別非常事態宣言発令中のため、全ての回線は不通となっております……』

「…………へ?」

 

 シンジは、目を丸くして、何度か瞬きを繰り返した。自分のいる場所が理解できなかった。ここって、まるで……

 

 ドォォォン―

 

「わっ!?」

 

 突然の轟音にシャッターが軋む。電線が空を切って揺れる。思わず受話器を手放して耳を塞ぎ、その場に立ち尽くす。刹那、シンジは何かが近づいてくる気配に気づいて振り向いた。

 山の向こうを飛ぶ戦闘機。その山の影から、見たことのある姿を、シンジは再び見たのだ。

 

「サ……」

 

 

 

 サキエル…………!?

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第壱話 使徒、再来】

【Episode:01 Uncharted Angel】

 

 

 

 

 

 国際連合直属非公開組織、特務機関「NERV(ネルフ)」。その第1発令所の巨大主モニターを、国連軍の幹部が食い入るようにして見ていた。

 

「目標は、依然健在。現在も、第3新東京市に向かい侵攻中」

「航空隊の戦力では、足止めできません!」

 

 オペレーターが悲観的な状況を報告する。

 

「総力戦だ。後方第4師団を全て投入しろ!」

「出し惜しみをするな!なんとしてでも目標を潰せ!」

 

 幹部たちは身を乗り出し、拳を握り締めて指示を飛ばす。一人は焦りのあまり鉛筆の方を折り潰した。

 

 

 

 ******

 

 

 

「な、な、なな……」

 

 なんで……?????

 

 シンジは口許を引き攣らせながら混乱に戦慄していた。目の前にいるのは確かに、一年前に見た第3使徒:サキエルだった。

 ネルフを初めて訪れ、父さんたちに言われるがまま初号機に搭乗し、わけも分からず自分が倒した最初の使徒。

 なのになぜ、また現れているのか。

 というより、この状況は…………。

 

 まさか。

 

 1つの、あり得ない結論へと思考が向かったその瞬間に、サキエルに攻撃していた戦闘機の一つが、サキエルの光矢に打ち貫かれた。そして制御を失った機体はシンジのすぐ傍へと落下した。

 

「わっ……!!」

 

 次いで、頭上に光の輪を宿しサキエルが空を飛び、墜落した機体を片足で踏み潰した。機体は爆発し、爆風に巻き込まれそうになり腕で顔を庇うシンジの前に、懐かしい声が聞こえた。

 

「ごーめんっ、お待たせ!」

「ミ……!?」

 

 ミサトさん!?っと言いかけて、飲み込んだ。先程からのこの流れ、前にも一回経験している。ここまでくると、もう認めるしかない。

 

 時間が、戻っているということを。

 はじまりの日に、戻ってきたのだということを。

 

 戦闘機が再び総攻撃を仕掛け始める。

 

「早く乗って!!」

「は、はい!!」

 

 慌てて車に飛び乗り、サキエルに踏み潰されそうになりながらも、高い運転技術を持つ彼女のお陰で、その場を何とか逃げていった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 一方サキエルは、国連軍の砲撃の雨、大型の爆弾を受けるも、無傷のまま立ち続けている。

 

「何故だ!直撃のハズだ!」

 

 幹部の一人が机を叩き叫んだ。かなりのストレスなのか、音をたてて揺れた灰皿には大量のタバコの吸殻が乗っている。

 

「戦車大隊は壊滅。誘導兵器も砲爆撃もまるで効果なしか……」

「駄目だ!この程度の火力では埒があかん!」

 

 

 

「やはりA.T.フィールドか」

 

 その後方、モニターの様子を眺めながら、一人の初老の男が呟いた。

 

「ああ。使徒に対し通常兵器では役に立たんよ」

 

 そして彼の傍で、座ったまま肘をついて顔の前で手を組み、狼狽する幹部たちを静観する眼鏡の男が応える。

 その時、国連軍の幹部の下へ緊急用の電話が入る。

 

「分かりました。予定通り、発動いたします」

 

 幹部が背筋を正して電話を受けた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジはサイドミラーから小さく見えるサキエルと国連軍の戦闘を見ながら、脳のフル回転を続けていた。

 どうして戻って来られたのだろうか。

 

 サキエル。公衆電話。ミサトさん。L.C.L.の海。

 

 アスカ……。

 

 

 

 もしかして……。

 

 

 

 物思いに耽ったのも束の間、攻撃していたVTOLがサキエルから離れていくのが視えた。瞬時にシンジは思い出して叫んだ。このあとに起こることを伝えるべく。

 

「あの、戦闘機、離れてくんですけど!」

「え、ウソ!?」

 

 ミサトは車をドリフトで急停止させ、双眼鏡を荒々しく取り外の様子に目を凝らした。サングラスをかけていてわかりづらいが、その表情がどんどん焦りの色を見せていく。

 

「ちょっとまさか……N2地雷を使うわけ!?伏せてっ!!」

 

 言うなり、ミサトはシンジを抱えてシートに伏せた。

 戦略自衛隊最強の兵器、N2地雷。その爆風に車ごと流されながら、シンジはもはや余裕の表情を見せていた。

 

(ってて……これで国連の人たちは倒せたもんだと思い込んでるんだよね……使徒のA.T.フィールドって、そんな生易しいもんじゃないのに……)

 

 

 

 ******

 

 

 

 そんなシンジの思う通り、ネルフでは国連幹部が喜びの表情を浮かべ、ついでに後方二人を軽く皮肉っていた。しかし、A.T.フィールドを張るサキエルに決定的ダメージを与えることなど到底できはせず、主モニターの回復によって映し出されたサキエルを見て、軍幹部の面々は完全に落胆したのであった。

 遂に国連軍は指揮権をネルフに完全譲渡。幹部の一人が、先程まで座っていた眼鏡の男に告げた。

 

「今から本作戦の指揮権は君に移った。お手並みを見せてもらおう」

「了解です」

「碇君、我々の所有兵器では、目標に対し有効な手段が無いことは認めよう。だが、君なら勝てるのかね?」

 

 幹部の一人が、男を見据えて嫌味を言う。

 

「そのためのネルフです」

 

 そうして、左手で眼鏡を上げた特務機関NERV総司令:碇ゲンドウは、自信のある表情を覗かせた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 その彼の息子である少年:碇シンジは、N2地雷の爆風で転がされたアルピック・ルノーから何とか這い出した。

 

「大丈夫だった?」

 

 やけに空元気な声がシンジに問いかけた。

 

「ええ。口の中がシャリシャリしますけど……」

 

 非常事態なのにも関わらず、おかしくなるほど能天気なテンションの運転者に半ば呆れながら応えた。

 

「そいつぁ結構♪それじゃ、いくわよぉっ!!せーのっ!」

 

 彼女の掛け声を合図に、シンジもルノーに背を当て、力を込める。少しずつ車体を傾け、タイヤを地面に着地させる。

 両手に付いた砂埃を払いながらシンジの方を見た彼女:葛城ミサトは、シンジの方を見た。

 

「……ふぅ、どうもありがとっ。助かったわ」

「いえ、僕の方こそ、ミサトさん」

「あら、いきなり下の名前とはね。改めてよろしくね、碇シンジ君」

「はい!」

 

 この世界では初対面であることを忘れていたシンジは、一瞬失敗したと思いながらも、晴れやかな笑顔で答えたのだった。

 

 

 

「ルノーが動いてくれて良かった~、ローンがまだ12回も残ってんのに、いっきなり廃車じゃあシャレになんないもんねっ。直通の特急列車も頼んだし、これで予定時間守れるかもっ!……って、なーんにも聞かないのね、シンジ君」

「えっ?……は、はい」

「さっきから、あたしばーっか話してんだけど?」

 

 それもそのはず、シンジはミサトの話を聞きながら、いろいろなことを考えていたためだ。

 

(N2の爆発で残ってたローンって、全部払いきれたのかな?それにしても、何だかんだで最後までもったんだもんなぁ、この車。意外と丈夫だよね。それにしてもミサトさん、あの時は本当にすみませんでした……キスまでして僕を送り出してくれたってのに、結局まともなこと何にもできなくて……)

 

 とかなんとか。

 

「あ、……すいません」

「謝ることないけど……ただ、さっきのでっかいのは何ですかーとか、何が起こってるんですかーとか、聞きそうなもんじゃない?」

 

 確かに。ですが、こちとらぜーんぶ知ってるんですよねぇ……。

 

「いえ、あの、聞いても何も答えてくれないだろうと思って……」

 

 咄嗟に考えた言い訳がこうなるのも無理はなかった。

 

「妙に気を回して決め付けるのね……子供らしくないわよっ♪」

 

 全部分かってるのも意外と厄介なものだなと、シンジはミサトに気付かれないように苦笑いした。

 

「ちなみにさっきのは、使徒と呼ばれる謎の生命体でね……」

 

 とりあえず今現在、碇シンジは初心者。退屈になりそうだと思いながらも、どうやら聞くしかなさそうである……。

 

 

 

 

 

 ******

 

 

 

 

 

「特務機関NERV?」

 

 ガムテープで応急措置を施されたルノーが桃源台中央駅へと辿り着いたとき、ミサトの話はシンジの向かう先の組織に移っていた。

 

「そ。国連直属の非公開組織」

「父のいる所ですね」

「まねー。お父さんの仕事、知ってる?」

「人類を守る大事な仕事だと先生からは聞いてます。これから父のところへ行くんですか?」

 

 下降を始めた貨物列車の中で、シンジは訊いた。

 

「ええ、そうなるわね。あっ、そうだ。お父さんから、ID貰ってない?」

 

 ミサトの声にはっとして、シンジはバッグの中を漁る。中からクシャクシャになった紙とIDカードが出てきた。その紙に書かれてる乱雑な字にそっと苦笑いしつつ、繋ぎ止めているクリップを外してミサトにIDを預ける。

 

「どうぞ」

「ありがと。じゃ、これ読んどいてね」

 

 そう言って、ミサトは『ようこそNERV江』というパンフレットをシンジに手渡した。

 

「ネルフ……か」

 

 シンジは、手渡された資料の表紙をじっと見つめ、微笑んだ。

 

 

 

「すごいっ!本当にジオフロントだ!」

 

 わざとらしいなぁとは思いながらも、シンジは驚くフリをしてみせた。貨物列車の走る線路は、空中に掛かる橋のように高い高い場所から地下へと続いていた。眼下には、広大な空間が広がり、湖や森林が見える。天井からは無数のビル群が突き出し、採光窓からは太陽の光が差し込んでいる。

 

「そう、これが私たちの秘密基地、ネルフ本部。世界再建の要、人類の砦となるところよ」

 

 ミサトは窓の外を見つめるシンジを見て説明する。もちろん、全て知っております。

 貨物列車の終着地点に到着した後、エレベーターに乗って更に地下深くへと降りて行く。世界再建とはいうものの、本当は壊滅を目的としているとは間違っても言えるわけがない。そんな辛い場所であったネルフも、苦々しい思いもあれど、やはり懐かしさを感じるシンジだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 エレベーターのドアが開くと、白衣姿の女性が中へ乗り込んで来た。

 

「到着予定時刻を12分もオーバー。あんまり遅いから迎えに着たわ。葛城二佐。人手もなければ、時間も無いのよ」

 

 女性は毅然とした態度でミサトを責めた。プールにでも入っていたのか、輝かしい金髪が少し濡れている。

 

「ごめんっ!」

 

 ミサトは右手を立ててサッと顔の前に出すと、腰をかがめて彼女の機嫌を取った。この道の途中でやっぱりミサトは迷ってしまったのだが、シンジはご愛敬ということで口出しはしていなかった。もっとも、ここの構造を知っているとバレては癪だ。

 

「ふぅ……例の男の子ね」

 

 その女性は、一息つくとシンジの方を見る。

 

「技術局第一課・E計画担当責任者・赤木リツコ。よろしくね」

 

 リツコは、白衣のポケットに手を入れたままシンジに自己紹介をした。

 

「はい!」

 

 シンジは、久しぶりに対面したリツコに笑顔を見せて力強く返事した。ただ、それと共に一つ疑問を感じながら。

 

(…………『葛城二佐』?)

 

 

 

 真っ暗な空間にシンジを案内したリツコは、照明のスイッチを入れる。

 

「碇シンジ君、あなたに見せたいものがあるの」

 

 シンジの目の前に巨大なロボットの顔が浮かび上がる。シンジにとっては懐かしい戦友であり、自分を守り続けてくれた母の棲む、紫の巨人。シンジは動じることなくその紫鬼の顔を見据えた。

 シンジの横に立ち、リツコが説明する。

 

「人の作り出した、究極の汎用人型決戦兵器・人造人間エヴァンゲリオン。その初号機。我々人類の、最後の切り札よ」

 

 シンジは微笑み、目を閉じた。

 

「なるほど、これが父の仕事ですか」

「そうだ」

 

 シンジたちのいる空間に低いバリトンが響く。

 

「……久しぶりだな」

 

 シンジが上を見上げると、高い位置に設置されたコントロールルームのガラス窓から、ゲンドウがシンジを見下ろしていた。

 

「父さん……」

 

 シンジはゲンドウの目を直視した。

 

 

 

 

 

 シンジは、もはや父に対してそれほど憎悪は感じていなかった。前史でのサードインパクトの時、ゲンドウの言葉も聞こえてきていた。

 

『すまなかったな、シンジ』という、謝罪の言葉が。

 

 淋しかったのだ。心の拠り所であったユイを失い、他人を信じられなくなった。避けてしまっていた。だからリツコさんにも手をかけてしまったし、多くの犠牲を払いつつも、ユイに、母さんに会いたいという願いを一瞬たりとも崩せなかったのだ。そうシンジは思った。

 やはり親子なのだと感じさせられる。シンジも、ゲンドウも、他人と関わるのが苦手だったのだ。そしてそれが、あのサードインパクトと、壊れて何もなくなってしまった世界を生み出すきっかけになってしまった。事実、自分たち親子が起こしたようなものだ。

 

 

 

 

 

「……出撃」

 

 ゲンドウは、何の前触れも無く出撃を命じた。

 

「出撃!?零号機は凍結中でしょ!?……まさか、初号機を使うつもりなの!?」

 

 ミサトは、ゲンドウの言葉を聞いてリツコに詰め寄る。自分が知っている話の流れとは違うことに困惑し、そして驚愕したのだろう。

 

「他に道は無いわ。碇シンジ君?」

 

 リツコはシンジの方を見た。

 

「はい」

「あなたが乗るのよ」

 

 リツコは鋭い視線をシンジに向けた。

 

「え?」

 

 シンジは目を丸くして見せた。

 

「このロボットに、ですか?」

「そうだ」

 

 ガラスの向こうでポケットに手を入れて立っているゲンドウが、シンジを見下ろす。

 

「じゃあ、僕がこれに乗って、さっきのと戦えってこと?」

 

 シンジは再びゲンドウを見る。

 

「そうだ」

 

 ゲンドウは即答する。

 

「…………」

 

 視線を初号機に移し、暫く沈黙した後、シンジはゆっくりと口を開いた。

 

「……嫌だ、と言ったら?」

「……帰れ」

 

 二人の目が、真っ向からぶつかり合った。

 

「なぜ、僕なの?」

「他の人間には、無理だからな」

 

 ゲンドウは言い切る。

 

「へぇそう?僕、ロボットなんて一回も乗ったことないよ?もっとゲーム上手い人呼んだ方がいいんじゃない?」

 

 突然、茶化すような口調に変えてシンジは言った。ゲンドウの目の奥が、少し歪んだように見えたのは、気のせいではないだろう。

 

「……適性がお前にしかないのだ」

 

 シンジの目が、異様な力を持っているように感じたゲンドウは、少したじろいだ。

 

「乗るなら早くしろ。でなければ、さっさと帰れ!」

 

 ゲンドウがそう怒鳴った直後、ジオフロント内部が微かに揺れた。揺れに気づいたゲンドウは天井を見て「奴め、ここに気付いたか」と小さくつぶやいた。その時だった。

 

「わかったよ」

 

 シンジが不敵な笑みを湛えながら言った。

 

 

 

 

 

 シンジは数時間前、といっても感覚的にではあるが、あの崩壊した世界で一度は死んだ。そこに悔いは全くなく、むしろ、隣で手を堅く握った彼女と、最期まで一緒にいられたのはシンジにとっては最も幸福だったといえるかもしれない。

 だが、この赤い世界が創られなかったら、とも思った。

 シンジは、一つの生命になるよりも他人と過ごす日常がやっぱり好きだった。そして、何度傷ついても、それでも自分で前に進んでいける個という存在を大切にしたいと思ったのだ。

 そのために、サードインパクトは起こさせてはならない。絶対に食い止める。あの赤い世界だけは、作らないようにせねばいけないのだ。

 みんなと共に、みんなと幸せに、

 

 アスカと、生きるために……。

 

 それが、碇シンジの、彼の願いであるから。

 

 

 

 

 

「えっ?」

「シンジ君!?」

 

 ミサトとリツコは驚いた。2人は、シンジは絶対拒絶するものだと思ったからだ。

 

「いいの、シンジ君!?」

 

 それなのに、それを受け入れたシンジを見てミサトは、慌てて問い直した。

 

「ええ、さっきの巨大生命体、倒さないと大変なことになるのは目に見えてますし、あれを倒すために父さんが僕を必要としてるのなら、それに応えるくらいの孝行はしないとですし」

「け、けど、死ぬかもしれないのよ!?心の準備とか……」

「あ、大丈夫です。今までさんざん死ぬ思いしてますから」

 

 半ば自嘲気味に笑ってみせる。実際、前の世界では何度死にかけたことか……。もしかしたら、今でさえも死んだあとの幻想みたいなモノを見ているのかもしれないわけだし。

 

「ただし、条件があるよ」

 

 シンジには、ここ数分で考えた計画があった。サードインパクトを防ぎ、みんなが幸福になるような世界を作るための。まだじっくり考えねばならないことも多くあるが。

 シンジに鋭い目を向けられて、ゲンドウが聞き返した。

 

「何だ」

「まず一つ、戦闘の時は現場の判断を優先させること。二つ、住居は自分で決めさせてくれること。そして三つ、」

 

 一回息を吐き、今度はあからさまに父を睨み付け、こう言い放った。

 

 

 

「僕への謝罪」

 

 

 

「へっ?」

「なっ……!」

「プッ……!」

 

 ミサトは呆然とし、ゲンドウは言葉を失い、リツコは思わず吹き出してしまった。まさかそう来るとは、誰も予想してなかったのだろう。

 これはちょっとした遊びだ。シンジも、流石に今まで自分に酷くしてきた父親の言うことをポンポン聞くつもりもない。それ故の冗談だった。

 

「今すぐにとは言わないよ、今まで僕にしてきた仕打ち、対応、それからこの『来い』っていう主述もなにもないただの紙切れ一つで僕を呼びつけた挙げ句脅迫じみた言葉で僕をこのロボットに乗せようとしたことに対して謝って頂戴。それじゃ、出撃に関することはこの金髪のお姉さんに聞けばいいの?」

 

 ゲンドウはもはや何が何やら分からなくなりつつあった。これがあのシンジなのだろうか。完全に取り残されたゲンドウは、くぐもった声しか出なかった。

 

「あ、ああ……」

「じゃ、よろしくお願いします、リツコさん」

「え、ええ」

 

 当の金髪のお姉さんは笑いを堪えるのに必死だった。ネルフ総司令のゲンドウが14歳の子どもにしてやられたのがひどくツボだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 初号機の発進準備が着々と進められ、作業の進捗状況が伝えられる。初号機のケージから発令所に戻ってきたミサトとリツコはモニターを見守る。

 

『第3次冷却、終了』

『フライホイール、回転停止。接続を解除』

『補助電圧に問題なし』

「停止信号プラグ、排出終了」

 

 オペレーターの一人:伊吹マヤはモニター越しに状況を確認する。

 

『了解、エントリープラグ挿入。脊髄連動システムを解放、接続準備』

『探査針、打ち込み完了』

『精神汚染計測値は基準範囲内。プラス02から、マイナス05を維持』

「インテリア、固定終了」

 

 マヤは、シンジが乗り込んだエントリープラグが無事に固定されたことをリツコに報告する。

 

「了解。第一次コンタクト」

 

 それを受けてリツコが指示を出す。

 

「エントリープラグ、注水」

 

 プラグ内では、シンジが入ってきたL.C.L.に悲鳴をあげた。もちろん、わざとらしいよなぁとは思いながらだが。

 

「うわっ、何ですか!?この水!あっ、あぁっ!」

 

 コックピットの中がオレンジ色の液体で満たされていく。シンジは、みるみるうちに液体に包まれ、思わず息を止める。

 

「大丈夫、肺がL.C.L.で満たされれば、直接血液に酸素を取り込んでくれます。すぐに慣れるわ」

 

 リツコは、マヤの後ろに立ってモニター越しにシンジを落ち着かせようとする。

 

「ゲホッ……!え……L.C.L.って言うんですか、これ……」

「ごめんなさい、説明してなかったわね……」

 

 それも、さっきのゲンドウのやり取りのせいですっかり忘れてしまっていたからなのだが。

 

『主電源接続完了』

「第2次コンタクトに入ります。インターフェイスを接続。A10神経接続、異常なし」

 

 マヤが報告を続ける。

 

『L.C.L.転化状態は正常』

『思考形態は、日本語を基礎原則としてフィックス。初期コンタクト、全て問題なし』

「コミュニケーション回線、開きます。ルート1405まで、オールクリア。シナプス計測、シンクロ率…………えっ……?」

「どうしたの?」

 

 マヤの報告が止まったのに疑問を感じたリツコは、モニターを見て驚愕した。

 

 

 

「シンクロ率……99.89%!?」

 

 

 

 エヴァに初めて乗るはずのシンジの出した数値を見て、リツコは驚き、目を見開いた。

 

「ハーモニクス、すべて正常値。暴走、ありません……!?」

 

 モニターを見つめながらマヤが告げる。

 

「どういうこと……?」

 

 リツコは、呆然とモニターを見つめた。

 

「リツコ、行けるの?」

 

 ミサトも驚いてはいたが、使徒が迫っている手前、今は気を取られている場合ではないと、リツコを促した。

 

「え、ええ、OKよ」

 

 それを聞いて頷いたミサトは力強く号令を掛けた。

 

「発進準備!」

 

 

 

 

 

『発進準備!』

『第1ロックボルト外せ!』

『解除確認』

『アンビリカルブリッジ、移動開始!』

『第2ロックボルト外せ!』

『第1拘束具、除去。同じく、第2拘束具を除去』

『第1番から15番までの、安全装置を解除』

『解除確認。現在、初号機の状況はフリー』

 

 そして遂に、エヴァンゲリオン初号機の体が現れた。

 

『内部電源、充電完了。外部電源接続、異常なし』

「了解、EVA初号機、射出口へ!」

 

 初号機を乗せたブリッジがゆっくりとスライドして、発射場所へと移動していく。

 

『各リニアレールの軌道変更問題なし』

『電磁誘導システムは正常に作動』

『現在、初号機はK-52を移動中』

『射出シーケンスは、予定通り進行中』

『エヴァ、射出ハブターミナルに到着』

「進路クリア、オールグリーン」

「発進準備完了!」

 

 マヤがモニターのステータスを確認し、リツコが最終確認を取った。

 

「了解。……構いませんね?」

 

 ミサトは後ろの司令席へ戻ったゲンドウの方を振り返る。ゲンドウは先ほどのシンジの恐怖から立ち直り、机に肘を付いて顔の前で手を組み、落ち着き払った態度で答える。

 

「もちろんだ。使徒を倒さぬ限り我々に未来は無い」

「碇。本当にこれで良いんだな?」

 

 ゲンドウの傍らに立っていた冬月コウゾウが念を押す。ゲンドウは、無言をもって応えた。

 

 

 

 

 

「発進!」

 

 ミサトの合図と共に、初号機が射出口内を急上昇で通り抜けていった。コックピット内のシンジは、上昇スピードによって発生したこれまた懐かしい強烈な重力に耐える。

 リツコの発した自分のシンクロ率の数値を聞いたとき、シンジも唖然としていた。かつてはオーナインシステムと呼ばれたエヴァ、そこでまさか、100%近いシンクロ率を叩き出せるのは、自分でも信じられなかった。可能性とすると……

 

(……母さん?)

 

 初号機の中に眠っているはずの母:碇ユイの力。それしか考えられなかった。シンジは発進の直前に半信半疑でそう呼びかけてみた。けれども返ってきた言葉は、

 

『手を出さないから、思う存分、やってみなさい』

 

 だった。

 

 それなら、これってもしかして、僕自身の力なのか?

 

 さっきのミサトさんといい、僕のシンクロ率といい、どうやらただやり直してるわけじゃないらしい。

 少しだけ不安になって、眉を寄せた。だが、すぐに目の前に見えるサキエルに鋭い視線を向け、操縦桿をガッチリと握りしめた。

 

 

 

 

 

 決めたんだ。

 

 僕はやる、やってみせる。

 

 全てを、護るために。

 

 

 

 

 

 残酷な天使の闘いが、再び始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

こんにちは、この度エヴァ逆行作品を書かせていただきます【ジェニシア珀里】と申します!
最初に申しておきますと、私は以前より「君の名は。」や「名探偵コナン」等のファンでもあり、そっち方面での二次創作を書かせてもらってます♪
それに伴って、結構コナンからのオマージュというか台詞を引っ張って来てたりします。「……嫌だ、と言ったら?」とか。(ゲンドウはそこで「力ずくで、乗せるまで」と言うべきでした笑)

初めてなので、なぜこの作品を書こうと思ったか、その経緯について書いておきます。
実は、元々はロボットアニメには全く興味ありませんでした。小学生の頃とかは、ジブリやらに一辺倒で。ただ、父親が一時期TVシリーズのDVDを連続して借りてきてたので、一緒に見てました。まっったく理解できてなかったけど(苦笑)
ハマり出したのは高校の時です。時期にして2016年。そう「君の名は。」……の年ですがそれだけではなく、「シン・ゴジラ」の年でした。あれの総監督を庵野秀明監督が手がけ、もちろん劇伴もエヴァの鷺巣さん。いつものEM20も炸裂し、見応え有りの素晴らしい作品で、エヴァももう一回観てみようと思ったのがきっかけ。
しかもちょうどその頃、私は鬱状態に陥っていてですね。通っていた高校の勉強についていけず、なんともまぁ……辛かったわけで(^^;
そんなときに新劇を、しかもQなど見たら、そりゃあもう自己投影といいますかなんといいますか。
今となっては、もう笑い話ですが♪

さて、シンジ君、EOEの世界から精神的にものすごく成長して戻って参りました!実際、ゲンドウを憎んだりしないのかと言われるかもなのですが、私的にはEOEでのあの一言がすごく印象に残ってるんですよね。なのでそこは作風として捉えていただけると幸いです。(まぁ、やられたままだとシンジ君も可哀想なので、度々ゲンドウに対して精神攻撃を仕掛けて楽しませます笑)

あと、お気づきの方もいるかと思いますが、

この小説の原典は、「エヴァ」ではありません。
「エヴァ」では。

それでは、次回更新もお楽しみに♪


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第弐話 変わらぬ、天井

 

 

 

 

 

 過去へと時を遡り、再び初戦闘の舞台に立った碇シンジ。

 再びこの世界に放り込まれたことに対して初めは戸惑いがあったものの、これはまたとないチャンスなのかもしれない、そう感じ、今、自分の意思でこの場所にいる。

 ネルフを守り、父さんを救い、綾波を助け、

 

 そして……アスカと共に生きるために。

 

 

 

『良いわね、シンジ君』

 

 ミサトが、地上に出たシンジに声を掛ける。

 

「はい」

 

 シンジは、決意に満ちた表情で前を見据える。

 

『最終安全装置、解除!エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ!』

 

 ミサトの合図で、エヴァが射出ブリッジから体を離す。

 

『シンジ君、今は歩くことだけを考え……え?』

 

 リツコが初号機に向かって声を送ろうとした。言葉が続かなかったのは、すでに初号機は歩き出していたためだ。

 

「へぇー、面白いですね、まるで自分の体みたいに動いてくれる……っと」

 

 そのまま大きく伸びてストレッチをする。

 

「で、相手の弱点ってどこなんですか?」

 

 しれっとシンジは質問する。辛かった思い出も、知ってる上での二回目となると意外と楽しいかもしれない。

 

『え、あ、えーと……?』

 

 あまりに想定外過ぎたのか、ミサトはシンジに伝えるべきことが混乱していた。それを見かねたリツコがミサトに代わって応えた。

 

『敵に顔みたいな部分があるでしょ?その下に紅い球があると思うけど、それが《コア》と呼ばれる、ヒトでいう心臓の部分よ』

「なるほどあれですね、分かりました。あ、武器は何か?」

『え、えーっと、肩のところにウェポンラックがあるわ。そのなかにナイフがあるから、必要ならそれを使って?』

「ありがとうございます。では……」

 

 満を持したように、シンジは走り出した。ただ、最初は使徒殲滅には向かわなかった。ある人物を探し見つけ、途中でその歩く足を止める算段だ。

 

「ミ、ミサトさん!!子どもがいるんですけど!!」

 

 その交差点左方の道路の真ん中に立っていたのは、クラスメートだった鈴原トウジのその妹:サクラちゃん。怯えているのだろう、足が震えて動けないでいた。

 思い返せば、トウジが参号機に乗った一番の理由は、サクラちゃんの怪我だった。妹をいい病院へ入れてやりたい一心で、トウジは参号機への搭乗を決意したのだから。

 しかし、バルディエルに乗っ取られた参号機を、初号機のダミープラグが破壊し、そのせいでトウジは左足を失ってしまった……。

 二の舞は避けねば。今度は、怪我させるわけにいかない。

 

「僕は使徒を遠ざけます、早く保護を!!」

『わかったわ、今すぐ救助班を向かわせるから、その子を傷つけないように戦って!!』

「了解!」

 

 シンジはそう答えると、通信を切って外部スピーカーに切り替えた。そして、ゆっくりと、なるべく優しく声をかけた。

 

『サクラちゃん』

「えっ……?」

『すぐに助けが来るから大丈夫。そこのビルに逃げて。そのまま動かないで、じっとしてるんだよ』

 

 サキエルとの距離は約1キロほどだ。急げ。サクラちゃんの頷くのを確認して、徐々に走るスピードをあげていく。

 エヴァに気づいたサキエルは、そのつぶらな目から初号機に向けて光線を放つ。だが、前史最強の使徒、かのゼルエルの猛攻から本部施設の全壊を防ぎ、一時的といえど自力で優勢に持ち込んだシンジである。彼にとってはサキエルのビームなどお茶の子サイサイ。エヴァ特有の防御壁、A.T.フィールドを展開して跳ねのけた。

 

『え、A.T.フィールド!?』

『まさか、あり得ないわ!!』

 

 当然、ミサトやリツコを始めとするネルフスタッフは驚くしかなかった。その間にも、シンジの戦いは続いていく。

 サキエルは次なる反撃をしようと、すぐさまその槍のような腕を伸ばしてきた。それを紙一重で躱し、シンジはサキエルに体当たりを仕掛けて転倒させた。

 

(ごめん、サキエル!)

 

 シンジは心のなかで謝りながら、プログナイフをコアに突き刺した。

 

 

 

 シンジ自身、本当は使徒を殺したくはなかった。

 そもそも使徒が、なぜここ第3新東京市にやって来るのか。それは話せば長くなることだろうが、簡単に言えば、セカンドインパクトによって母たるアダムを失った使徒が、ターミナルドグマにいるリリスに、アダムに似た波長を感じて縋ってくるからこそ。

 要するに使徒は、親を求めているだけなのだ。サードインパクトを起こそうなどとは、これっぽっちも考えてなどいないのだ。

 使徒の固有波形パターンが人間の遺伝子と99.89%同じという点も含め、使徒は人間と非常に似ていた。形状とかが違うだけで。

 それゆえ、何の罪もない使徒を倒すのは、申し訳ないという気持ちが非常に強かった。だが、サードインパクトを起こさないためには、やはりサキエルには倒れてもらうしかない。

 たとえそれが、使徒のせいで起こるものでなかっとしても。

 

 

 

 サキエルは反撃しようとしたが、手を出すことができない。結局最後は自爆という形での反撃で、ネルフ初の使徒戦は呆気なく終結した。

 高く上がる十字架の光に、ミサトはモニターから目を離さず訊いた。

 

「エヴァは……?」

 

 水を打ったように発令所は静まり返った。

 爆風によって立ち上がった煙が徐々に晴れていくと、凄まじい爆風にも耐え、粉塵の影から帰還を果たす初号機の姿が確認された。

 その光景にリツコも、

 

「あれがエヴァの……」

 

 ミサトも、

 

「本当の姿なの……?」

 

 思わず、息を呑んだのだった。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第弐話 変わらぬ、天井】

【Episode.02 Upset Plan】

 

 

 

 

 

「ってて……爆発するなんて聞いてないですよ……」

 

 シンジが頭をさすりながら呑気な声をあげた。もちろんサキエルが土壇場で自爆するだろうということは想定済みだったのでその発言は演技だったが。

 サキエルの爆発の寸前に、シンジは全力でA.T.フィールドを張った。お陰で前史ではかなりの額だった整備費も、そんなに嵩むことはないだろう。

 

「終わったので帰りますね、出てきた穴から戻るんでいいんですか?」

「え、ええ……」

「気を、付けてね……?」

 

 気を付ける場面はもう終わってるでしょうに。意味不明な発言をする作戦部長始めとし、ネルフ職員は全員混乱していたとみて、まず間違いはなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 辺り一面黒に塗りつぶされた暗い静寂の空間に7つのモノリスが浮かび上がる。その中央にて、例のポーズを決め込むゲンドウは、モノリスに囲まれて座っていた。

 

「第4の使徒襲来とその殲滅、そして3番目の子供の接収、及びエヴァ初号機の初起動。概ね既定通りだな」

 

 モノリスには「SEELE」と書かれた林檎に蛇、加えて逆三角形に7つの目が描かれている。その内の一つ、「01」と書かれたモノリスから、昨日の使徒戦の概況を振り返るような言葉が飛ぶ。

 

「だが、パイロットのあの戦い様、少々出来すぎではないかね?」

「聞けばその少年、碇君の息子だそうではないか」

 

 ゲンドウは手を組んで座り、モノリスの団体「ゼーレ」と応対する。

 

「ご心配なく。むしろ強力な手駒が増えたことは好都合でしょう。初号機の実戦配備に続き、2号機と付属パイロットも、ドイツにて実証評価試験中ですし、使徒との戦いには十分な布陣です」

「3号機以後の建造も、計画通りにな」

「ネルフとエヴァの適切な運用は君の責務だ。くれぐれも失望させぬように頼むよ」

「左様。使徒殲滅はリリスとの契約のごく一部に過ぎん。人類補完計画、その遂行こそが我々の究極の願いだ」

 

 一通りの意見を聞いたゲンドウは、落ち着いた態度でそれに答える。

 

「分かっております。全てはゼーレのシナリオ通りに」

 

 だがその心中は決して穏やかではなかった。その動揺した目の奥が気づかれなかったのは幸いで、サングラスの違った方面での貢献にゲンドウはひっそりと感謝したのだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「A.T.フィールドを失った使徒の崩壊、予想以上の状況ね」

 

 翌朝、使徒との戦闘現場を検証するため、偵察機に乗り込んだミサトとリツコ、そしてマヤは、使徒の爆心地上空を飛行していた。

 

「まさに血の池地獄、なんだかセカンドインパクトみたいで、嫌な感じですね」

 

 マヤは窓際の席から地上の光景を眺める。

 

「人類は使徒に勝てる。その事実だけでも、人類にわずかな希望が残るわ」

 

 ミサトは十字架のペンダントトップを手にして眺めていた。その顔に、安堵と希望に満ちた表情が見てとれた。

 リツコは、膝の上に乗せたノートパソコンのモニターを見ながら笑みを浮かべた。

 

「それにしても不思議ね、あの子」

「シンジ君のこと?」

「ええ」

 

 

 

 

 

 昨夜。

 自分どころかエヴァすら無傷なまま生還したシンジに聞きたいことは山積みだった。

 シンジにとりあえずシャワーを浴びさせ、いろいろと診察を行った。

 

「それでシンジ君、一つ聞きたいことがあるの」

「はい、何でしょうか?」

「初号機に乗ってる間、どんな感じだった?ほら、面白いって言ってたけど……」

「ああそれですか。なんか、意外にも身体動かしやすくて、とても楽しかったんですよね。母さんも側にいてくれましたし」

「え!?」

 

 さすがのリツコも、この時ばかりは素頓狂な声をあげた。

 

「なんか声が聞こえたんですよ。『思う存分やりなさい』って。思い出しましたよ、昔、母さんがあのロボットに取り込まれたのを」

「嘘……」

「あの時はだいぶショックでしたけど、今になって分かりました。僕のために初号機に入ってくれたのかもって」

 

 シンジはニコニコと笑って見せた。ちなみに、嘘は殆ど言っていない。あくまで真実だけで話をしようと思っていた。

 いずれは誤魔化したり、嘘で逃れなければならないことが多々出てくる。その時のために、なるべく今は本当のことのみで完結させておく方が得策なのだ。

 ……若干、大人をからかうことを楽しんでる部分が大きいようにも思えるが。

 

「あ、それで今夜なんですけど……」

 

 

 

 

 

「……確かに変ね、わざわざ病院のベッドで寝たいなんて」

 

 リツコから話を聞いたミサトはパックのお茶を飲みながら首を傾げた。そしてハッとして青ざめる。

 

「シンジ君、まさか病院を住居にしたいだなんて思ってるんじゃ……」

「……いや、流石にそれはないと思いますが……」

「………………」

 

 

 

 ******

 

 

 

「…………っ」

 

 シンジはベッドの上で目を覚ました。無機質な白色調の病室内だった。

 

「……フゥ……っいしょっと」

 

 体を起こし、周りを見渡した。病室の外では、蝉の鳴き声が窓を通して聞こえてくる。シンジは、もう一度ベッドに寝転がった。

 

「ふっ……。知ってる、天井……ってね。ファァ……。」

 

 ここに泊まらせてくれと頼んだのは他でもないシンジである。たまたま空いていたため(というか経験上空いてて当然なのだが)許可が降りた。それも全て、この台詞が言いたかっただけである。

 

 

 

 バタン―!

 

 いきなり開いたドアに、シンジは思わず飛び上がった。入ってきたのは、いつもの作戦部長様だった。猛ダッシュでここに来たのだろう、肩で息をして汗をかいている。

 

「ど、どうしたんですか、ミサトさん……?」

「ハァ、ハァ、……シンジ君」

「は、はい……」

「ここに住むのは絶対にダメよ!!」

「…………はい?」

 

 

 

 ******

 

 

 

「だからマヤも言ってたでしょ?病室に住もうだなんて流石にそんなことしないわよ」

『そ、そうね……』

 

 偵察機から猛ダッシュでシンジの病室に向かったミサトから電話を受け、事の顛末を聞いたリツコは大きなため息をついた。

 

「それで、彼は結局どこに住むことにしたわけ?」

『え?私ん家よ?』

「何ですって!?」

 

 思わぬ展開に、リツコは思わず叫び、手で回していたペンを止めた。余談だが、ペン回しは結構得意な模様である。

 

 

 

「だーかーらー、シンジ君は、アタシんところで引き取ることにしたの。もちろんシンジ君も納得してくれたしね♪」

『ちょっと待ちなさいよミサト!あなたあのゴミ屋敷に住まわせる気なの!?いくらなんでもシンジ君が可哀想よ!!大体あなたはいつもいつも…………』

 

 受話器から聞こえるリツコの怒号に思わず耳を遠ざけつつ、なおも続く彼女の説教にミサトは苦笑いした。

 

「相変わらず心配性なヤツ……」

 

 一方シンジは……

 

(無理ないよ……ミサトさん、生活破綻しかけてるからね……何とかして正さないと)

 

 着々とこれからの展開に思いを馳せていた。

 

 

 

 そんなこんなでミサトとシンジはかのコンフォート17マンションに帰ることとなり、ミサトは今夜の歓迎会のためにと途中のコンビニで大量の食べ物や飲料を買い込んだ。

 

「で、ミサトさん?」

「んー何?」

「なぜカゴに入ってるのがカップ麺とレトルトカレーと弁当とビールなのでしょうか……?」

「あ、ジュースも買う?何がいい?コーラ?ファンタ?」

 

 そういう問題じゃない……。予想はしていた、していたけど……。

 どうやら今後もしばらく料理は僕が作った方が良さそうだ……。

 

 

 

「やっぱり引っ越されますの?」

 

 そんなことを考えていたシンジの耳に、主婦の噂話が飛び込んでくる。

 

「ええ。まさか本当にここが戦場になるなんて思ってもみませんでしたから」

「ですよねぇ〜。うちも、主人が子供とあたしだけでも疎開しろって。なんでも今日一日で転出届が100件を超えたそうですよ」

「そうでしょうねぇ。いくら要塞都市だからっていったって、ネルフは何一つアテに出来ませんもんねぇ」

「昨日の事件!思い出しただけでもぞっとしちゃうわ……」

「ほんとねぇ〜」

 

 シンジは、部外者の反応を目の当たりにして、思わずため息をついた。

 

 

 

 

 

「シンジ君、済まないけどちょ〜っち寄り道するわよ」

 

 買い物を済ませたミサトは、家とは別の方向へ車を走らせた。

 

「はい。っと、どこへですか?」

 

 大量の荷物で膨れ上がったビニール袋を抱えたシンジは、ミサトの方に目を移す。

 

「ふふん。イ・イ・ト・コ・ロ」

 

 ミサトはカラっとした態度でシンジに笑った。

 丁度、街の向こうに夕日が沈んでいく時間だった。山のふもとから、太陽が最後の光で街を照らし、鮮やかなオレンジ色に染めていた。ミサトは、その景色が見渡せる丘の上にシンジを案内した。

 しばらくすると、街じゅうにサイレンが鳴り響き、地面のいたるところから高層ビルが伸びていく。

 

「これが……第3新東京市ですか」

「そう、使徒専用迎撃要塞都市、私たちの街よ」

 

 ミサトは、シンジにこの街に慣れてほしかった。劇的な活躍をしたとはいえ、見知らぬ地ではわからないことも多いだろう。ましてや、先ほどの噂話もそう、ネルフは周りから良いように思われていない。人類を救ったのに、そう文句を言われてしまうのはミサトにとってはあんまりだった。

 

「そして、あなたが守った街。自信持ってちょうだい、シンジ君。私も全力でサポートするから!」

 

 シンジがミサトに顔を向けることはなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 コンビニの袋を手に持ったミサトとシンジは、コンフォート17マンションへと帰ってきた。もう外は真っ暗で、街も不思議と静まりかえっている。

 

「シンジ君の荷物はもう届いてると思うわ。実は、あたしも先日この街に引っ越して来たばっかりでね。さ、入って」

「はい、お邪魔しま……」

「待った!シンジ君、ここは今日から、あなたの家でもあるのよ、気を使わなくても大丈夫よん♪」

 

 ミサトは明るく返した。こう言われるのもシンジは当然分かっていたが、こうすることで改めて、この場所に帰ってきたのだと実感したかったのだ。顔を緩ませると、明るく声をあげる。

 

「ただいま!」

 

 ミサトは明るい笑顔で答えて見せる。

 

「お帰りなさい!まぁ、ちょ〜っち散らかってるけど、気にしないでね」

 

 ミサトが部屋の明りを点けると、辺り一面には、缶コーヒーの空き缶と、一升瓶の山が出来上がっていた。出しっぱなしのダンボール、食べ残しのゴミ、散らかった服。

 

(あーあ……やっぱりかぁ……)

 

 シンジは、その光景を見ては落胆した。やはり、僕が掃除しなければならないらしい。結構骨が折れるんだよね、この作業……。

 

「あ、ごめーん。食べ物冷蔵庫入れといて?」

 

 ミサトは、部屋着に着替えながら扉越しに声を掛ける。

 

「あっ、はい」

 

 返事しつつも、シンジは更なる落胆にため息をついた。キッチンの冷蔵庫を開けると、その中身はミサトのずぼらな性格がそのまま詰まっているようだった。

 

「はい氷。はいツマミ。はいそしてビールばっかし。まったくミサトさんてば、よくこれで生活できてきたよな……」

 

 そういえば、なぜヱビスばかりなのだろうか。まだ未成年だし、ビールのこととかはさっぱりだけど、何か良かったりするのだろうか……。と、くだらない疑問も、二回目の人生では本気で考えてしまう新生碇シンジである。

 

「ミサトさぁん、先にラーメン用のお湯沸かしますよぉ?」

「あぁごめん、お願ーい!」

 

 

 

 ******

 

 

 

 ゲンドウは割れた窓ガラスの向こう側を眺めていた。ここは零号機の起動実験室。昨日午前に行った起動で暴走した零号機によって破壊され、使徒騒ぎもあって未だに修復に着手できていないようだ。

 

「レイの様子はいかがでしたか?……午後、行かれたのでしょう、病院に」

 

 リツコは無言で立っているゲンドウに向かって尋ねる。

 

「問題ない。凍結中の零号機の再起動準備が先だ」

 

 ゲンドウは淡々とした声でそう答える。

 

「ご子息はよろしいのですか?」

 

 リツコはシンジの件についても確認する。すると……

 

「…………放っておけ」

 

 微妙な間をおいてからそう言った。

 

「ですが、彼の住居が……」

 

 リツコはどうやら、あの生活破綻者と同居させるのがよほど心配らしい。

 

「葛城二佐なら問題ない。作戦部長との信頼関係の構築は早急に実行せねばならない、こちらとしても好都合だ」

 

 ゲンドウは特に意に介さないという態度を取る。しかし、彼を長年見てきた女性だ、リツコがその彼の動揺に気づかないはずがなく、小さくため息をついたのだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「予備報告も無く、唐突に選出された3人目の少年。それに呼応するかの様なタイミングでの使徒襲来。併せて、強引に接収された碇司令の息子。……確かに違和感残る案件ね」

 

 ミサトは湯船に浸かりながら、今回の一連の流れをなぞってみた。

 

「それにしてもシンジ君、ペンペンに驚かなかったわね……ペンギンなんて、セカンドインパクトで絶滅したっていうのに……」

 

 先ほど、夕食を済ませた後風呂に入ったシンジなのだが、出てくるときにペンペンを抱えて出てきたのだ。もう一人の同居人だということを教えたものの、よくよく考えてみると、セカンドインパクト後に生まれた14歳のシンジにとっては未知の存在のはず。仮にペンギンの存在を知っていたとしても、ミサトが飼っている経緯を知りたがるのが普通であろう。

 

「変な雰囲気を感じるのよね。あの楽観的な態度、大人にも引けを取らない発言……一体何なのかしら……」

 

 ミサトは、湯船の縁に頭を乗せて天井を見上げた。

 

 

 

 

 

「懐かしいなぁ……ハハッ、楽しみがいがあるよ」

 

 知ってる天井Part2。住んでいた期間は1年弱ほどなのに、碇シンジの人生の中で、ここほど思い入れの深い部屋もないのである。

 そう思えるのも、ひとえにたった一人の少女のおかげだったりする。そもそも今、シンジがこの世界で戦っていられるのは、まだ会わぬ彼女のためなのだから。

 早く会いたいのは山々だが、無理に急げば事態は悪い方にしか運ばない。今は我慢するべき時だ。

 

「さぁて、学校は明後日だったっけ……今度はトウジに殴られたりはしないだろうけど」

 

 前の世界の事が思い浮かぶ。そういえばあの後2人は、シャムシエル戦でシェルターから抜け出してきたんだっけ。どうにかして説得しとかないといけないだろうな、もしものために。

 シャムシエルか……どうせミサトさんのことだから、「パレットガンの一斉掃射」になるのは目に見えている。新たな計画を立てておかねば。危険な戦いはもうごめんだもんね。

 ふと、先ほどの第3新東京市の景色が頭に浮かんだ。その摩天楼の群れと、その向こうに見えた橙の夕焼けが、世界を血に染める太陽の断末魔のように、不穏に輝いていたように感じたのを、シンジは小さく息をついて、ゆっくりとかみしめた。

 

「使徒専用……迎撃要塞都市……か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

早く出てこい、アスカァァァァ!!!!!
うん、わたしが頑張って書けばよいのです。わかってますよ、もちろん。でも早く会いたいなぁ……。

ミサトさんは別にアンチ対象ではありません。ただ、素行が基本的にヤバいのでその矯正のためにちょいと厳しいことは言われまくります。主に()()()(←?????)

ゲンドウさんは情けないキャラになってます。彼、物語が進むと……一体どうなるんでしょうかねぇ。笑

よく意見が分かれる点なので言及しておきますが、零号機の起動実験、私は、シンジの来る『22日前』ではなく、物語上での『22日前』だと思います。もしシンジの来る22日前だとしたら、実験室もとうの昔に直ってるでしょうし、ケガから半月以上も経ったサキエル戦で綾波の怪我が全然治ってないのはおかしいように思えて……。

シャムシエル襲来が3週間後ですが、これも17日ぐらいでカウントすれば、起動実験とサキエルやラミエルの襲来時期などとの辻褄も合わせられますし。(勝手な解釈)

さて、次回はその零号機パイロット、遅くなってすみません、
綾波レイ初登場!!!
お楽しみに!!!


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第参話 希望は、明るく

 

 

 

 

 

「初めまして、碇シンジです。よろしくお願いします!」

 

 第三新東京市立第壱中学校。その2年A組にて、シンジは笑顔で自己紹介を行った。懐かしい仲間が沢山いて、もちろんその中には、かつて参号機に搭乗して自身が殺しかけてしまった親友、鈴原トウジもいて、思わず涙が出そうになる。

 はてさてクラスの女子陣からは、約1名を除いて歓声が上がった。大方、シンジの輝かしい笑顔に殺されたのだろう。実は前史から、《屈託のない笑顔+碇シンジ=女子の大多数は攻略可能》といった方程式が成立してしまっているのだ。もちろん、一途&鈍感なシンジがそのことに気づくはずもないのが残念だが……。

 ただ言えることは、前史では笑顔で過ごせなかったからか、そんなことなどなかったので、多少の違和感を感じていることくらいか。

 

(…………もしかして、エヴァのパイロットだって既にバレちゃってるのかな?)

 

 ……知らぬが仏、か。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第参話 希望は、明るく】

【Episode.03 Confidence and Intimacy】

 

 

 

 

 

「オイ転校生、ちょお顔貸せや」

 

 昼休み、真っ先に声を掛けてきたのは以前と同じ、トウジだった。

 

「え?い、いいけど……」

 

 シンジは疑問に思った。サクラちゃんなら確か負傷せずに保護されたって聞いたはず……。殴られる理由はないと思っていた。

 それでも、小学2年生の女の子にとってあの巨大な紫鬼は恐怖だったのかもしれない。仕方ない、今回は殴られておくか、と、シンジも半ば諦めで屋上へと上がっていった。

 結果的に言えば、その予想は完全に外れた。屋上に行くなり、トウジは頭を下げたのだ。

 

「……おおきにな、転校生…!」

「え、あの、ちょ、ちょっとどうしたのトウ……鈴原君!?」

「一回こうして礼が言いたかったんや。ホンマおおきに、ワシの妹を助けてもろうて……!」

 

(そ、そーいうこと?)

 

「だけど一つ言っとくわ、妹はまだ渡さへんからな!!」

「えぇ……?」

 

 

 

 

 

 時は数日ばかり遡る。

 

「どこや、サクラぁー!!?」

 

 トウジはシェルターの中で、まだ姿の見えない妹を必死に捜し回っていた。小学校から避難直接してきたということは聞いていたのだが、その中にサクラがいなかったというのである。

 サクラの同級生でトウジの友人、洞木ヒカリの妹である洞木ノゾミが慌てて伝えてきたことでトウジは初めて知った。それまで友人の相田ケンスケと談笑していた笑顔は瞬時に消え、トウジは目の色を変えシェルターを必死に駆けているのである。

 

「委員長、そっちはどうやった!?」

「ダメ、こっちもいなかったわ……!」

「こっちもダメだ。姿を見た人すらいないってさ……!」

「一体どこ行きよってんねん、アイツ……!!」

 

 ケンスケやヒカリに手を借りてシェルター内を隈無く探したというのに、一向に見つからない。トウジはいても立ってもいられずに走り出した。

 

「ちょ、鈴原!?」

「ここまで探していないんやったら、外しかないやろ!?俺は探しに行く!!」

 

 しかし当然ながら、民間人のシェルター外出は違法。しかもバカ真っ直ぐなトウジが駆けていったのはよりにもよって係員のいるところで、取り押さえられてしまった。

 

「離せや!妹がまだ外におんねん、迎えにいかなあかんねや!!」

「大人しくしろ!今は厳戒態勢が敷かれているんだ、外は危険だ、ここは開けられない!」

 

 取り押さえる係員の手をトウジは必死に振り払おうともがいた。

 

「外が危険ならなおさらや!頼むから迎えに行かせてくれ!!」

「ダメだ!」

 

 そうした言い争いがしばらく続いた。

 

「離せやって……言うとるやろが……っ!!」

 

 トウジは遂にしびれを切らして拳を強く握りしめて振り上げようとした、その時である。

 

「何しとんの、お兄ちゃん?」

「……………は!?」

 

 そこには、ずっと探していたはずの妹が、心底不思議そうな顔で首を傾げて佇んでいた。

 

「サクラ……、お前……いつからそこに?」

「えーとね……さっき来たとこ……」

 

 トウジはホッと胸をなで下ろした。だがそれからすぐに、険しい顔になってサクラを睨んだ。

 

「一体……今までどこおったんや?」

 

 サクラは兄の怒りを感じたのか、無理やり笑顔を作って答えた。

 

「学校に忘れ物しちゃって……それで逃げ遅れちゃった」

 

 トウジは目を瞑って息を吐き、サクラの頭をクシャッと撫でた。

 

「無事で良かったけど……心配かけよってからに……」

「ご、ごめんなさい……」

 

 サクラも咄嗟に謝った。

 

「怪我はしてへんか?」

「うん!ロボットのお兄ちゃんが助けてくれたんや!」

「……は?」

 

 急に顔を輝かせるサクラに、トウジは思わず目を丸くした。

 

 

 

 

 

 どうやらサクラちゃんは、あの時自分のことを気遣ってくれたのを理解したらしく、その初号機のパイロットにものすごく感謝しているのだと、シンジはトウジから教えてもらった。

 トウジの顔が心なしか怒っているように見えたのは、シンジのことを話す妹のはしゃぐ様子を見たことによるある種の嫉妬だったようで。……妹思いな兄なんですね、ホンマに。

 それでも、シンジが「無事で良かった」と安堵した表情を浮かべると、トウジも照れくさそうに笑った。

 

「そんな感じやし、妹が会いたい言うとるから今日は遊びに来んか?」

「あぁそれなんだけど、今日はネルフで訓練の予定が入ってて……サクラちゃんには申し訳ないけどまた今度行くって伝えてくれる?」

「ほうか……大変なんやな。ま、ワシらの命、お前に預けるっちゅうんはプレッシャーかもしれんが、頑張れな、転校生!」

「うん!あと、僕のことはシンジでいいよ?」

「おう、ワイもトウジでええで!よろしく頼むで、シンジ!」

「こちらこそ!」

 

 そして2人はお互いに強く握手し合った。

 

「……ん?なぁシンジ、ワシお前に妹の名前教えたか?」

「え"……?」

 

 なかなか気を抜けないのが辛いところだ……。

 

 

 

 

 

「それにしても……」

「ん?」

「どうして機密事項のパイロット情報を君が知ってるんだろうかね?」

 

 サクラのことについてやんわりと誤魔化しを利かせてから、シンジは少々嫌みを込めて言ってみた。もっとも、その対象は後方のドアのところにいる、かのミリタリーオタクメガネだが。

 

「あぁそれはなぁ、父親にネルフのお偉いさんがいる友達がおってな、そいつ経由でや」

「なるほどね。どっちみちみんなにも知られるだろうことだから別にいいけど、親のパソコン盗み見るのはいただけないね、相田ケンスケ君?」

「なんや、ケンスケそこにいるんか?」

 

 すると、もう隠れられないと思ったのか、ケンスケがドアから姿を見せた。その側にはヒカリも来ていたようだ。

 

「ごめんなさい、盗み聞きみたいなことしちゃって……」

「大丈夫だよ。それに洞木さんはトウジのことが心配で来てたんでしょ?」

 

 朝のホームルームで唯一歓声をあげなかった女子生徒がこのヒカリである。委員長であることも理由の一つなのかもしれないが、彼女に至ってはトウジに一途なため、言い方は悪いがシンジに対しての興味は更々ない。

 

「委員長も健気だもんなぁ」

 

 ケンスケがそのシンジの言葉を理解したのか、ニヤつきながらヒカリを見て言った。

 

「わわ、私は!鈴原が転校生に喧嘩をしかけるんじゃないかって思って……」

「まあ、見ての通り大丈夫だよ」

「ところでさ!!」

 

 ケンスケが思い立ったように急に叫んだ。

 

「碇、お前本当にエヴァのパイロットだったんだな!!どんな感じなんだよ、エヴァのコックピットって!敵を倒すときの感覚とか、教えてくれよ!!」

 

 シンジは笑いながら眉をしかめた。こういう世界が好きな人間にとっては、エヴァなどという決戦兵器は興味の塊なのだ。気持ちはわからないでもない。だがそれでも、極秘事項が外に漏れるのを黙認することができないのも事実。すべてが終わるまでは。

 

「正直言って苦しい世界だよ。起動するためにはコックピットをL.C.L.って液体で満たさなければならないし、息はできるんだけど血生臭くってさ」

「うんうん、それで!?」

 

 ケンスケは尚も興味津々に聞いてくる。

 

「でも初号機に眠ってる母さんの支えがあって戦えるから、そこは嬉しいとこかな?」

「「「…………え?」」」

「あぁそうそう、エヴァのパイロットって、なんか母親の魂が取り込まれてなくちゃいけないとかなんとか言ってたんだっけ」

 

 シンジは、母:碇ユイが初号機に取り込まれたという事実を打ち明けた。それを聞いたケンスケはがっくりと肩を落とし、そんなケンスケの頭をトウジは一発叩いた。

 

「ご、ごめんなさい碇君……お母さん、いないってことよね……」

「ケンスケが気ぃ利かんで、すまんな……」

 

 こりゃ早めに絶望させといた方がいい、とシンジは判断したのだ。おそらく、同年代のシンジが搭乗できているのだから自分も乗れるかもしれない。そういった可能性を見出だしているからこそケンスケはエヴァ・ネルフ関係に突っかかってくるのだ。ならば、可能性は0だと早めに納得してもらった方が良いのだ。実を言えば参号機以降は14歳なら誰でもシンクロ可能なのだが、極論を言えば大変な思いをするのは自分だけで十分なわけだし。

 それに、自分もエヴァどうこうで人から態度を変えられては堪らない。すべての使徒戦が終われば、自分だって一般人に戻るつもりなのだから。

 

「いいって。どっちみち母さんは死んじゃいないんだしさ」

 

 

 

 ******

 

 

 

「いい?シンジ君」

 

 リツコは、再び初号機のコックピットに乗り込んだシンジに声を掛ける。シンジはそれに明るい返事で答えた。

 

「はい!」

「一昨日のように、使徒には必ずコアと呼ばれる部位があります。その破壊が、使徒を物理的に殲滅できる唯一の手段なの。ですからそこを狙い、目標をセンターに入れてスイッチ」

 

 シミュレーションの画面に仮想の使徒(とはいえ完全にサキエルだが)が現れ、初号機がそれをハンドガンで破壊していく。

 

「これを的確に処理して。感覚で覚え込んで頂戴ね」

「了解しましたっ!」

 

 シンジは、リツコの指示に従って、操縦桿を操作する。

 

「結構。そのままインダクションモードの練習を続けて」

「はい!」

 

 リツコはコーヒーを飲みながら、コントロールルームの窓から見える様子を伺っていた。現在ケージの中では、無数のワイヤーに固定され宙吊りになったエヴァ初号機の脳核によって、仮想の戦闘試験が行われている。

 

「しかしスゴいですねシンジ君、かなりの確率で命中してますよ。射撃得意なんでしょうか?」

「さあ……。少なくとも、怖がる様子が全くないのは確かね。次からは使徒の攻撃パターンも組み込んでのシミュレーションにしようかしら?」

 

 シンジの方は、決して動じることなどなく、むしろ楽しんでいるかのような表情で同じ動作を繰り返していた。

 

「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をCenterに入れてSwitch、TargetをCenterにSetしてSwitchっと♪」

 

 ……中途半端に英語化するな。そもそもSwitchじゃなくてShootの方が正しいと思うのだが碇君……?

 

『気分高められるならそれでいいでしょ?』

 

 あ、はい、すみませんでした……。

 

 

 

(シンクロ率は今回は53.1%か、まぁまぁかな)

 

 シンジはシャワーを浴びながら一人考える。

 現在彼は、意識してシンクロ率を下げるようにしていた。サキエル戦での高シンクロ率は完全にユイの影響である、そう誤魔化しておくことで自分が逆行してきた事実を少しでもみんなから遠ざけておく方がよいと感じたからだ。ユイの一時的な覚醒なら父もリツコも納得するだろうし。

 それに、今はまだドイツにいるアスカが僕の情報を聞いてショックを受けてしまっては嫌なのだ。元々、プライドを高く掲げてエヴァにのみ自分の居場所を求めてきたアスカ。それを一瞬で崩壊させてしまうことはシンジにとっても心苦しかった。無論、アスカのエヴァへの執着は解消してあげるつもりだった。だからこそ最初から心に傷を負わせるのはやめておきたかった。

 ところで、今日の訓練はもう終わった。日はだいぶ傾きつつあるが、帰る前に一度、病棟の彼女の下へ赴いてみようとシンジは考えた。

 綾波レイ。ここ二日間忙しく、邂逅は少々遅くなってしまったものの、会えるのは楽しみだった。

 

「お邪魔しまーす……綾波、いる?」

 

 扉を開くと、彼女は身体全体に包帯を巻き、ベッドにもたれかかっていた。

 それでも、前史のように初号機ケージに駆り出されることはなかったので、比較的怪我の治りは早いように見られる。

 

「……あなた、誰?」

 

 やはり開口一番はそれである。そして無表情、か細い声。人の感情を知らない彼女だが、これもゲンドウの計画の一環だったりする。

 サードインパクトのトリガーともなったレイ。もとより母の遺伝子素体にリリスの魂が入れられて作られたヒトのため、あるべきところに還ったと言ってもよいのだが、本当に彼女はそれで幸せだったのだろうかと思う。

 おまけに最後は自分のせいで形象を保てず、見るも無惨な姿で地表に残された。彼女には守ってもらってばかりだったのに、自分はなにもできなかった。それをシンジは後悔している。

 今度は絶対守って見せる。そう決意した。

 

「初めまして、僕はサードチルドレンの碇シンジ。君と同じ、運命を仕組まれた子供さ」

 

 少し格好つけて言ってみる。まさか僕があの台詞を使うことになろうとは、とシンジは小さく笑った。

 

「い、かり……?あなた、碇司令の息子?」

「そそ。初号機パイロットとして呼ばれたんだ。どう?身体の調子は」

「……問題ないわ」

「そっか」

 

 シンジの質問にも、レイは淡々と答えていく。が、レイはふと、怪訝そうな顔でシンジを見た。その表情は、今のシンジでも気付くか気づかないか程度のものだったが。

 

「……碇、君?」

「ん?どうかした?」

「……私と、同じ感じがする……」

「…………え?」

「……いいえ、なんでもない」

「……?」

 

 レイがこの時、果たして何を感じてそう言ったのか、シンジは知る由もない……。

 

 

 

 そしてシンジは、この時一つ誤算していたことがあった。

 たまたま防犯カメラの映像をチェックしていたリツコが偶然この会話を聞いてしまったのだ。

 リツコはシンジの言った「サードチルドレン」の8文字に、言い様のない不審感を抱いたのだ。

 

 

 

 シンジはまだ気づいていない。

 この世界が、シンジの経験した世界とは、大きく異なっているということに。

 

 

 

 ******

 

 

 

 2週間後。

 ネルフ本部第1発令所では、新たな移動物体が海より接近していることを捉えていた。

 

「移動物体を光学で捕捉」

 

 青葉シゲルが目標の映像をモニターに回す。

 

『E747も、対象を確認』

「分析パターンは青。間違いなく、第5の使徒ね」

 

 モニターの情報を確認したリツコが、ミサトの方に振り返る。

 

「総員、第一種戦闘配置!」

 

 ミサトの号令で主モニターの表示が切り替わる。

 

「了解、地対空迎撃戦、用意!」

 

 指示を受けた日向マコトが号令を掛ける。

 

『第3新東京市、戦闘形態に移行します』

 

 

 

『中央ブロック、収容開始』

 

 街じゅうの高層ビルが、ロックを解除して次々と地下に収納されていく。それと入れ替わるようにして、迎撃用兵器を搭載したポッドが着々と地上に準備されていく。

 

『中央ブロック、及び第1から第7管区までの収容完了』

「政府、及び関係各省への通達終了」

 

 オペレーターの通知に続いてシゲルが報告を入れる。

 

『目標は、依然侵攻中。現在、対空迎撃システム稼働率48%』

「非戦闘員及び民間人は?」

 

 ミサトが最終的な確認を済ませる。

 

「既に、退避完了との報告が入っています」

 

 シゲルが状況を伝えた。

 

 

 

 ******

 

 

 

『小中学生は各クラス、住民の方々は各ブロックごとにお集まりください。第7管区迷子センターは、第373市営団に設置してあります』

 

 避難所に集まった住民の中に、トウジとケンスケの姿があった。ケンスケは、持っていたビデオカメラのワンセグテレビから情報を得ようとするが、「非常事態宣言発令中」の画面に切り替わったままであることにうんざりしていた。

 ──本日午後12時30分、日本国政府より特別非常事態宣言が発令されました。新しい情報が入り次第、お伝えいたします。

 

「うぅ……、まただよ……!」

 

 ケンスケはビデオカメラに付いた小さなモニターをトウジに向けて見せる。

 

「また文字だけなんか?」

 

 「報道管制って奴だよ。僕ら民間人には見せてくれないんだ、こんなビッグイベントなのに!」

 

「なーにがビッグイベントや。戦っとんのはあのシンジやで?」

 

 地上では既に戦闘が始まっているようで、その衝撃が地下の避難所にも時折小さな轟音として届いていた。

 

「ねえ、ちょっと二人で話があるんだけど」

 

 ケンスケは落ち着かない様子でトウジの方を見る。

 

「なんや?」

「ちょっと、ね」

「しゃあないなぁ……委員長!」

 

 トウジは友人の懇願に一旦乗ることにし、ヒカリの前に立つ。

 

「何?」

 

 女友達と談笑していたヒカリは会話を止めて振り返る。

 

「ワシら二人、便所や!」

「もう、ちゃんとすませときなさいよ!」

 

 ヒカリは、しょうがないわねといった様子で、トウジのぶっきらぼうな態度に眉をひそめた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 その頃、地上では国連軍の兵器がシャムシエルに向かって一斉射撃を行っていた。

 

「税金の無駄遣いね」

 

 リツコは全く効果がない攻撃にため息をつく。

 

「この世には弾を消費しとかないと困る人たちもいるのよ」

 

 ミサトは、ひとまず関係者が気が済むまでだまってやらせることにしていた。とはいっても、国連側もすぐに諦めたのか、早速シゲルから報告が入る。

 

「日本政府から、エヴァの出動要請が来ています」

「うるさい奴らね、言われなくても出撃させるわよ」

 

 腕を組んで立っていたミサトは、低い声で愚痴をこぼす。

 

『エントリー、スタートしました』

 

 既にスタンバイしていたシンジの下にオペレーターのアナウンスが聞こえる。

 

「L.C.L.転化」

 

 マヤが準備を進める。

 

「発着ロック、解除」

 

 リツコが指示を出す。

 

(頼んどいたから多分大丈夫だろうけど……ま、悪くても山に飛ばされなけりゃ大丈夫か)

 

 シンジは今朝の会話をぼんやり思い出しつつ、ストレッチをして発進の合図を待っていた。

 

「シンジ君、出撃。いいわね?」

 

 口を開けて欠伸をするシンジの下へ、ミサトからの通信が入る。

 

「はい、いつでも行けますよ~」

「よくって?敵A.T.フィールドを中和しつつ、ガトリングの一斉射。練習通り、大丈夫ね」

 

 リツコは、シミュレーションで教えた通りやればいいと指示を出す。

 

「了解です。ただ、100%本当に効くんですか?」

「そんなのわからないわ、でもこれが一番の作戦なの!!頼むわよシンジくん!」

 

 間髪入れずにミサトが怒号を飛ばす。

 

 ミサトさん……本当に使徒のことになると周りが見えなくなっちゃうんだな……。シンジはしみじみそう思う。

 自分の復讐の相手である使徒。セカンドインパクトで彼女が負った心の傷はシンジの想像を遥かに超えていたと、前史のサードインパクトで知った。その証拠に、ミサトは表面上ではシンジたちを気遣ったものの、本当はそんな余裕など全くなく、シンジたちの心を結果的に壊してしまった。

 多くの人は「偽善」と言うかもしれないが、シンジはそうは思わない。ミサトも良い人間になるために必死だった。だが、セカンドインパクトの悪夢は自分でも制御が利かない。逃げてはいけない運命から、意識下で逃避してしまう14歳の心が未だ残っている。

 

「分かりました。ですが、最終的には現場の判断で進めます。ご承知くださいね」

 

 

 

 ******

 

 

 

 トイレに移動したトウジは、用を足しながらケンスケに問いかけた。

 

「で、なんや?」

「死ぬまでに、一度だけでもみたいんだよ」

「…………」

「本物なんだよ!今度いつまた、敵が来てくれるかもわかんないし……」

「ケンスケ、おまえなぁ……」

 

 予想していた事とは言え、トウジはケンスケが本当にエヴァを見に行こうとしていることにほとほと呆れ返ってしまった。

 

「このときを逃しては、あるいは永久にっ!なあ、頼むよ。ロック外すの手伝ってくれ」

 

 だが。

 

「断る!!」

 

 と、トウジは強く言い切った。

 

 

 

 そう、その日の朝、シンジはトウジに向かって頼んでいたのだ。

 

「あのさ、多分今日あたりまた使徒が来ると思うんだ。それで、ケンスケのことなんだけど……」

「あいつがどないしたっちゅうんや?」

「ケンスケのことだから、シェルター抜け出して戦闘を見たいとか言い出す気がしてならないんだ。理由は何でもいいから、絶対に引き止めといてほしいんだ。もしも怪我とかしたら大変だし、姿が見えたら気が散ってこっちもスゴく戦いづらくなっちゃうからさ」

「確かに、ケンスケなら言うかもしれんなそないなこと……。分かったわ、ワイに任しとき!」

 

 

 

「えぇ~!?」

「完璧アイツの予想通りやな……あんなぁ、地表に出て怪我でもしたらどないすんねん」

「このシェルターの上は神社だぞ?そんなところで戦闘なんかするわけないって」

 

 ケンスケも一歩も引こうとはしない。

 

「それでもや。お前、シンジのことよう考えてみ。サクラの時は運が良かったかもしれんがな、敵のこともよう分かってへんのやろ?敵がこっちに迫ってくる場合を想像してみぃ。もしそこに俺らがいたら、シンジは簡単に倒せるもんも倒せなくなるんやで」

「で……でも……」

「デモもストライキもあらへん。死にたい言うなら止めへんが、シェルター出たらその時点で親父さんはクビやろうし、お前もこの町にはおられんようになるやろなぁ?」

 

 本当はそんな大袈裟なことにはならないのだが、それでもトウジはケンスケに対する攻めの手を緩めなかった。自分が行かずとも、コイツは一人で行ってしまうかもしれない。トウジは最後のトドメに出る。

 

「ま、全部シンジに頼まれたことや。世界守っとる兵士の邪魔はできんやろ」

「…………っ」

「話やったらシンジからいくらでも聞けるんやから、俺らはここで待ってようや、な?」

 

 流石に折れたのか、ケンスケはとうとう頷いた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「発進!」

 

 ミサトの号令で、初号機は地下発射台から打ち上げられた。

 

『A.T.フィールドを展開』

 

 エントリープラグ内のコックピットにマヤの音声が流れる。

 

「とりあえずはガトリング砲の一斉掃射……と」

 

 シンジは、練習したことを思い出して呼吸を整える。

 

「作戦通り。いいわね、シンジ君?」

 

 ミサトが最終確認を取る。

 

「はいっ」

 

 シンジは、射出口の物陰から身を翻してシャムシエルの正面に出ると、ガドリング砲を連射させる。シャムシエルは、初号機の攻撃を浴びて炎に包まれた。シンジは一心にトリガーを握り締める。

 

「バカッ、爆煙で敵が見えない!」

 

 ミサトが主モニターの状況を見て叫ぶ。巨大な薬莢が駐車している車を押しつぶす。大量の弾を撃ちつくした初号機が、ガドリングの回転を止めると、シンジはすぐにそそくさと右側へと跳ね逃げた。

 すると爆煙の中から、先程初号機がいた場所に向かって光の鞭が放たれた。シャムシエルの放った攻撃で建物が竹を割ったように切れて倒壊していく。

 

「予備のライフルを出すわ、受け取って!」

 

 ミサトの合図で、新たなライフルが格納されたケージが、地上から射出される。

 

「……シンジ君?シンジ君!?」

 

 シンジはケージに向けて動こうとはしなかった。ミサトは、モニターに移る初号機に向かって必死に声を掛けた。

 

「あのぉ、A.T.フィールドとか中和してみましたけど、大したダメージ加えられてないように見えるんですが……?」

 

 シンジはそろりそろりと移動しながら、相手に気づかれないように後方に回り込んだ。

 

「そうね、この様子だと多分パレットライフルも効果は見込めないわ」

 

 リツコがシンジの戦いぶりに感心しながら言う。傍ではミサトが歯ぎしりをしている。

 

「シンジくん!!何やってるの、早く戦って!!」

「まぁそう慌てないでくださいミサトさん。相手の攻撃方法を整理しますと、恐らくあの光の鞭だけかと思います。ムカデみたいな足が気になるとこですけど、多分関係ないでしょうね」

「だ、だからなんだっていうの!?」

「初号機、これより近接戦闘に移ります」

 

 そう言うや否や、プログナイフを取り出してシャムシェルの背後に飛びかかった。

 

「A.T.フィールド、全開!」

 

 そしてシャムシエルが気付くか気づかないかの瞬間に、シンジはその赤紫の背中をプログナイフで切り裂く。

 シャムシエルは光の鞭で反撃に出ようとするも、初号機が背後にいるためか上手く捉えることができない。A.T.フィールドを展開して上手く弾き返しながらシンジは再度ナイフを降り下ろしてシャムシエルのコア目指して次々と切り裂いていく。

 途中アンビリカルケーブルを切断されるも、すぐにコアを捉えたシンジは最後のトドメにかかった。ナイフに両手を添えると、コア目掛けて一気に振り下ろす!

 

(シャムシエル……すまない!)

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 初号機の一刀がシャムシエルのコアに深く食い込み、傷口は火花を散らしてダメージを与えていく。

 初号機は、火花を浴びながら、使徒に食らわした攻撃の一点に体重を乗せる。そして数秒の後にコアが破裂、大量の血液が初号機に降り注いだ。

 

 

 

「パターン青、消滅!!」

「目標は、完全に形象崩壊しました」

 

 マヤとシゲルが使徒の状況を伝える。ミサトは腕を組みながら無言で立ち、モニターを睨み続けていた。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 シンジは肩で息をし、プログナイフをウェポンラックに片付ける。そんな中、

 

 完全に予想外だった結果に半ば呆然としていた。

 

 

 

(どういうことだ、「形象崩壊」って……?)

 

 

 

 シンジは以前より深くコアにナイフを捻り食い込ませた筈だった。それは前史において、シャムシエルからサンプリングされたS2機関をエヴァ4号機に搭載実験をすることによってアメリカの第2支部が消滅したことを踏まえた計画であり、今回はコアのS2機関をプログナイフのマイクロウェーブを使い、分解するだけで構わないだろう、そう思ったからこそだった。

 しかし、攻撃の方法は前とほぼ同じだったにも関わらず、使徒のS2機関はおろかサンプル体さえ消滅したのだ。唯一、硬化した光の鞭を除いて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

ケロロ軍曹のようなシャムシエル。光の鞭のヒュンヒュンヒュンヒュンする感じはスゴい楽しい使徒です。そういえば、オリラジのあっちゃんがエヴァ賢者になったときに再現したシャムシエルの動き、スゴい面白かったなぁ~♪

ミサトさんの扱いあまりよくないですけど、ラミエル戦までにいろいろ変わります。どうなるかはお楽しみに。

あと、ここからは公式版に関する考察なんですが、トウジがTV版にて参号機に搭乗した理由として、コアにはトウジの母の魂がインストールされてるだとか、もしくは妹のサクラがインストールされてるだとか、皆さん様々な考察をなされていることと思います。
私は、初号機、弐号機の起動実験を通して、エヴァと大人のシンクロは不可能と判断され、零号機以降は大人による起動実験自体行われていなかった、さらに零号機でレイが一発でシンクロした(失敗はしたけど取り込まれなかった)ことを踏まえ、参号機以降は最初からチルドレンによる起動を図ったということだと推察しています。
ただし、零号機は結局のところプロトタイプで設計上の問題点があったため、搭乗できるのは使徒の力を持つレイがギリギリだった。そのためTV版拾伍話でのシンジによる零号機起動実験でも零号機は拒絶、錯乱の中で発令所にいるであろうと思ったE計画責任者のリツコを殴ろうとしたのだと思うのです。結果的に零号機とシンジから目を離せなかったレイが殺害されそうになったと、ネルフスタッフは勘違いしたようですが。
また、初号機と弐号機はそれぞれ碇ユイと惣流キョウコが取り込まれ、彼女らの意思によって制御される結果になってしまい、そのため彼女らの子供しか基本的にシンクロできなくなっている。

といったところが私の結論です。勝手すぎる解釈かもですが。
それは違うだろ、とか、ここはこうじゃねぇの?、とか、意見は色々ございますことでしょう。そこは尊重いたします。異論は認めます。ただ、なぜこの考察するかというと、

この物語を成立させるための裏設定になるためです♪

なので疑問点があれば言っていただいて構いません。できる限り説明いたします。が、考察を削除しろというのはナシで(^^;
よろしくお願いします。。。


さて、新劇場版の世界線に来てしまったシンジ君。狂いゆく経験済みのシナリオに、彼はどう立ち向かうのか。次回はラミエル戦突入前閑話です、お楽しみに!!


…………あとがき、長いな。(苦笑)


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第肆話 心のトビラを閉ざす鍵

 

 

 

 

 

 使徒を殲滅した後、第3新東京市には雨が降り始めた。

 空は厚い雲で覆われ、辺りは薄暗くどんよりとした空気に包まれた。戦いから帰還したシンジは、シャワールームの更衣室でミサトに尋問を受けていた。シンジは、ベンチに座ってドリンクのカップを見つめている。ミサトは、シンジを見下ろすようにして、今回の行動について問いただす。

 

「どうして私の命令を無視したの?」

「すいません」

「あなたの作戦責任者は私でしょ?」

「はい」

「あなたは私の命令に従う義務があるの。分かるわね?」

「はい」

「今後、こういうことの無いように」

「はい」

 

 シンジは空返事を繰り返す。ミサトの厳しい表情の目の前で、UCCコーヒーを飲んで一息ついている。飲み慣れてるからか非常に落ち着く。そんなシンジの態度を見て、ミサトは声を強めた。

 

「あんた、本当に分かってんでしょうね!?」

「ええ、分かってますよミサトさん。……ただ一つだけいいでしょうか?」

「……何よ」

 

 シンジは、ミサトに顔を向ける。そして、心なしか語気を強めた。

 

「あの使徒に対してガトリング砲が効かなかった以上、あの場所での一掃射撃は意味を成しません。その事はミサトさんもよくご存じのはずです」

 

 それを聞いたミサトは、シンジの襟元を掴んで無理やり立たせる。そして、何かを言おうとするも、シンジの目の色に口を開くことができなかった。シンジとミサトの視線がぶつかる。ただ、その力強さは、圧倒的にシンジの方が上だった。

 

「それと、第3使徒との決戦の前もさっきも、僕は言いました。いざというとき以外は現場の判断を優先させてくれることが条件だと」

 

 シンジの言っていることは筋が通っている。実際、シンジの論に反撃できる内容を、この時ミサトは持ち合わせていなかった。ミサトは、今まで見たことのないシンジの表情に恐怖を感じた。

 

「ミサトさん、あなたは高い作戦能力を持っているはずです。我を忘れて、一体何の恨みでその地位にいるんです?」

「なっ…………」

 

 ミサトはシンジの襟元から手を離した。

 

「では僕はこれで。先に帰って休みます」

 

 そう言い残し、シンジは出口から出て行った。ミサトはやり切れない気持ちでただ呆然と立ち尽くすだけだった。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第肆話 心のトビラを閉ざす鍵】

【Episode.04 Secret of my Heart】

 

 

 

 

 

「それで、どうしてここにいるの?」

「いやなに、ミサトさんには変わってもらわなければならないからさ」

 

 シンジは市営住宅第22番建設職員用団地6号棟402号室、つまりレイの部屋を訪れていた。これも前史での経験だが、ミサトがレイの家に来ることはほとんどなかった。それゆえここは結構安全だと判断した。

 それでも、ここにいることが早くにバレれば面倒なことになるので、ここに来る途中リツコに連絡を入れ、事情を説明した上でここに匿ってもらっている。ついでに諜報部を誤魔化すために小細工もしてもらっている。どれだけ用意周到なことか。

 

「ミサトさん、使徒への復讐心があるみたいでさ。その意識捨ててくれないと倒せる使徒も倒せないよ。だから今日明日は帰らないつもり。あ、綾波も食べる?」

 

 シンジは道中で買ってきたコーヒーゼリーをレイに勧める。レイはサキエル戦直前の例のいざこざがなかったおかげで怪我も予想よりかなり早く治癒し、右腕のギプスも取れていた。

 

「え……?」

「こっちのプリンもあるけど。どっちがいい?」

「あ……なら、そっちがいい……」

「わかった。はいどうぞ♪」

 

 レイはシンジからプリンをもらった。そのプリンの蓋を開けながら、レイは疑問を感じていた。

 なぜ、自分のところなのだろうか。シンジが家に帰らない理由は分かったものの、この部屋に来る理由にはならない。街を徘徊し、ネルフに隠れている手だってある。

 

「どうして、私の部屋に来たの?」

 

 ほぼ向かい合わせになる形で椅子に座るシンジに顔を向けて、レイはシンジに訊いた。

 

「え?」

「だって……ここじゃなくても、隠れるところはたくさんあるわ……なぜ、ここなの……?」

 

 シンジは少し考えてから答える。

 

「ん~、ここなら見つからないだろうっていうのが一応理由なんだけど、本当は綾波の住んでるとこ見てみたくってさ」

「そう……」

「でも、この部屋には何にもないんだね……。食事とか、どうしてるの?」

 

 レイの部屋に来るのはこの世界では初めてである。シンジ自身は2回目だが。前はハプニングのせいで完全に忘れていたが、改めて見ると、この部屋は恐ろしく無機質だ。

 

「赤木博士からもらう薬を、飲んでる……」

「え……じゃ、料理とかしないの?」

「必要……ないもの」

 

 レイは不思議な感情を抱いていた。この少年は、なぜ自分にこんなに干渉してくるのか。だがそれは嫌なことでは全くなく、むしろ自分は歓迎しているかもしれないと思う。

 

「ダメだよ綾波、食事はしっかり摂らなきゃ。薬は簡単かもしれないけど、食べ物を頂くっていうこと、大事だからね。よしっ、それなら今日は僕がご飯作るよ、しばらく待ってて?」

 

 そうしてシンジはビニール袋ごと食材を持って台所に立った。レイはその姿をジッと見続けていた。

 

 

 

 

 

 その頃ミサトは、シンジが家に帰っていない事を知って今回のことを思い返していた。もちろん自分でまともな料理を作れるはずもなく、コンビニで買ってきた夕飯をつついている。

 

『一体何の恨みでその地位にいるんです?』

 

 ミサトは先ほどシンジに言われた言葉にかなりこたえていた。その言葉は、使徒殲滅の作戦部長に就いている葛城ミサトという女性の、心の奥を深く突き破ってくるものだった。

 既に本日5本目のビールを飲みながら、ミサトは静かな家での孤独に耐えた。シンジの作る料理が食べたかったものだ。

 

「見透かされてるのはこっちだったって訳なのかしらね……」

 

 

 

 ******

 

 

 

「美味しい……」

「そう?良かった、喜んでくれて♪」

 

 シンジとレイは食事を摂った。テーブルは近所の人から拝借してきたし、皿や箸はスーパーで買ってきたのでとりあえず大丈夫だった。というより、それらが元々ないというのはいかがなものなのか……。

 今日の夕飯はシンジ特製の目玉焼きと炊き込みご飯、そして味噌汁。炊飯器がなかったために多少時間はかかってしまったものの、レイが美味しそうに食べてくれたので良しとしよう。

 

「碇君は、いつもこういう料理をするの?」

「うん、昔から料理するのは楽しかったし、何よりミサトさんが料理できないから僕が作るしかなくってね」

「葛城二佐……ズルい」

「まぁそう言わないであげてよ、ミサトさんもずっと忙しい人生みたいだからさ。あ、ご飯おかわりする?」

「ええ」

 

 舞茸やえのき、人参等を入れた炊き込みご飯を、レイは非常に気に入ったようだ。レイが嫌いだったはずだと思い、肉も入れてなかったのでかなり好評なようだった。

 そんなレイがこの時初めて、微かに嫉妬していたことには、レイ自身はもちろんシンジも気づいていないのである。まぁ、そこはご愛敬だろうか。

 

 

 

 ******

 

 

 

 翌日の学校では、昨日の使徒戦の面影はどこへやら、いつも通り授業が始まっていた。

 

「碇。碇シンジ。……なんだ、転入早々、もう休みか」

 

 トウジとケンスケは、シンジの机を見て心配げな顔をした。昨日の使徒戦で何かあったのか。真実を知っていて状況を知らない分、不安になる二人である。

 

「まあいい、先日のテストを返す」

「えぇ~!?」

 

 先生の嬉しくない発表に、クラス一同が声を上げた。

 さて、そんなことはお構いなしとばかりに、レイは机に肘をついて窓の外を眺めていた。シンジは計画の一貫として今日は学校をサボるとのこと。トウジ、ヒカリ、ケンスケの三人以外には口外しないことを約束に、今日の晩ご飯も腕によりをかけて作ると言ってくれたので、表情には出さないものの非常に楽しみにしているのだ。

 

 

 

 いつの間にか昼休みとなり、レイはガサゴソとバックの中から箱を取り出した。それを見たクラスメートはギョッとした。

 

「あの綾波さんが、弁当を……?」

「珍しい……今まで見たことなかったよ」

 

 それもそのはず、レイが学校に弁当を持ってくるなど今まで聞いたことがなく、それどころか昼食を摂る姿さえ、クラスメートは見たことが一度たりともなかったのだ。

 トウジとケンスケはハッとした。イレギュラーも、二つ重なれば繋がりがあるかもしれない。そう思ったゆえ、行動に出た。

 

「なぁ綾波、今日は俺とケンスケと委員長と一緒に屋上で昼飯にせぇへんか?」

 

 急に声をかけられたレイはキョトンとした。

 

「ちょっと話したいこともあるんでさ、いいかな?」

 

 ケンスケも手を合わせて頼みこむ。

 

「……別に、構わないけど」

 

 当のレイも、シンジから話は聞いているので特に断る理由もなく、トウジにいきなり呼び出され慌てるヒカリを含めた四人で屋上へと上がった。

 

「ほんで、その弁当、まさかやけど……」

「ええ、碇君が、作ってくれたの」

 

 その真実を聞いて、三人は目を丸くする。

 

「碇が……綾波のために……?」

「愛妻弁当ならぬ、『愛夫弁当』やないか……」

「碇君の今日の欠席って、一体……?」

 

 さらにレイは、シンジがネルフの作戦部長の無能さを正すために壮大な計画を実行中であり、そのために今日の学校を無断で欠席し、現在はレイの家に匿われて留守番中であるという旨を説明した。

 

「……ちゅうことは昨日は」

「綾波さんの部屋で、碇君と二人っきりだったの!?」

「なんか……イヤ~ンな感じ……」

 

 しかしレイには、その肝心な意味は全っったく伝わることはなく、シンジとの約束を守れている自分自身に誇りを感じている。無表情に見えるものの確実に上機嫌な様子で、シンジの弁当をじっくりと味わうのであった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「しっかし、綾波にいつまでもこんなとこで生活させるわけにはいかないよなぁ……」

 

 レイの部屋に匿ってもらって早三日。部屋の掃除を一通り終えたシンジは、無機質なコンクリートの壁紙に囲まれた部屋を見渡してため息をついた。今、日本全域が亜熱帯に属し、一年中夏であることがまだ救いだが、これが冬になったときには防寒の面で一体どうなることやら……。

 

「近いうちに、コンフォート17マンションに来てもらうかな。ってか無理矢理でもそうしたほうがいいね。父さんが拒否したとしてもこっちにも考えあるし大丈夫か。ここにいるのは綾波のためにも良くないもんね」

 

 カチャ、という音と共に扉を開けてレイが帰ってきた。途中でスーパーに寄ってくるよう頼んでおいたため、片方の手に袋を持っている。

 

「おかえり綾波、ごめんね、いつも頼んじゃって」

「いいの。今日は洞木さんもついてきてくれたから」

「委員長が?そっか、後でお礼しなきゃだね♪」

 

 レイは小声で付け加えた。もっとも、シンジには聞こえていなかったようだが。

 

「それに、碇君の食事、食べたいから……」

 

 心なしか彼女の顔が紅く染まっていたのにも、シンジは気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 その頃ミサトは、シンジの行方を必死で追っていた。完全にLOST、諜報部や保安部の情報にも引っ掛かっていないまま三日も経っていることが、ミサトをかなり焦らせている。もっとも、ミサトにだけ伝わっていないだけなのだが。

 どこぞのスパイに誘拐されたのではないかと心配しまくってソワソワする彼女の真向かいで、リツコはすました顔でコーヒーを啜っている。

 

「ミサト、シンジ君が心配なのはわかるけど、少し落ち着きなさいよ?」

「落ち着けるわけないでしょ!?もう丸三日経つのよ!?」

 

 ミサトが声を荒らげるのを聞き、リツコはシンジの作戦に感心した。彼はやはり、本気でミサトを変えようとしている。敢えて、ミサトの親友である自分に諜報部と保安部への協力を要請するよう頼んできたのはその為だったのだと、今、改めて理解する。

 使徒戦において、ミサトの忘我が作戦内容に多大な影響をきたしていることはリツコから見ても明らかだった。第4の使徒と第5の使徒の時は正直な話、ミサトは少しも活躍できていない。普通なら無能と言われて解雇されて終わるまでだが、シンジの活躍のおかげで免れている。

 

「こうなったら、シンジ君を見失った場所から考えられる可能性を徹底的に洗い出すしかないわ。リツコ、MAGI使って協力してくれない!?」

「……ミサト、シンジ君が誘拐された可能性も否めないけど、一つ聞いていいかしら」

「何よ?」

「もし単なる家出だったとした場合、シンジ君はなぜ出ていったの?」

「?」

「仮の話よ。シンジ君があなたから隠れてる理由」

 

 リツコは考える。危険な目に遭っていると分かっているなら、シンジは早くミサトから離れるべきだと思うのだ。だがシンジはそうしない。わざとミサトを困らせ心配をかける。それも、決して嫌がらせではなくだ。これはシンジの顔を見れば一目瞭然だった。

 

「……もしそうなら、それは私のせいよね……」

 

 ミサトはため息をつく。

 

「えっ?」

「言われたのよ、何に恨みを持って作戦部長やってんだーって……シンジ君にはお見通しなのかもね……」

 

 急にしおらしくなったミサトを見て、リツコはもう一口コーヒーを飲む。もしかしたら、既にシンジの作戦は成功しているのかもしれないと、リツコはただただ感心するばかりだった。

 そのシンジはといえば、昨日今日はレイの家で掃除や料理などをする予定だと言っていた。

 シンジが何を考えているのかはさっぱり分からない。だが、人を思いやる気持ちはネルフの誰よりも強い。それだけは確かな気がした。

 

 

 

 ******

 

 

 

 今日の夕食は夏野菜カレー。肉を入れないというのは物寂しい気もするのだが、シンジにとっては全く関係なく、レイのことを考慮し調理する。

 

(とは言っても、綾波もだんだんと肉も食べられるようになってほしいな。そうだ、鶏ひき肉のそぼろなら案外あっさりしてるし、炒め物にも入れられるかも。今度試してみよっと♪)

 

 そんなことを考えつつ、付け合わせのコールスローにマカロニサラダを用意する。

 ところで今更だが、シンジはこの世界に海産物がないことに非常に驚いた。スーパーに行っても、前史ではあったはずの寿司コーナーが消え失せ、淡水魚でさえ値段は非常に高い。マグロの刺身、シンジはけっこう好きだったのだが……。

 それだけに、タンパク質の確保ルートを考えると、やはり肉は大切なのだ。残念ながら、それすらも九割人造なのだが。

 

「碇君、このくらい?」

 

 レイが皿をシンジに見せながら訊く。どういうわけか、今日は自分から手伝うと言い出した。

 

「ん?あぁ、そのくらいで大丈夫だよ、そしたらカレーもよそってくれる?」

「わかったわ」

 

 はたから見たら思いきり新婚カップルである。

 

「そうだ、ねぇ綾波?」

「何?」

「もし良かったらさ、僕とミサトさんの住んでる部屋の隣に引っ越してこない?ここだと何だか危ないっていうか、ちょっと心配だからさ。無理にとは言わないけど」

「行くわ。お願い、碇君」

「う、うん……?」

 

 即座に答えたレイに、シンジは少したじろいだ。

 レイの心は、このとき既にシンジの予想以上に変化していた。この三日間で、レイの無機質だった食事の時間は、同じ部屋だったとは思えないほど輝いて見え、シンジの料理は際限なく食べられそうなほど美味しかった。

 レイにとっては経験のないことであり、戸惑いもあるし、彼がなぜこんなに気遣ってくれるのかという疑問もある。ただ、それ以上に、レイは嬉しかった。

 

「カレーはこのくらいでいいかしら……?」

「うん、ありがとね」

 

 スパイシーな香りを立たせる美味しそうなカレーを運びながら、レイは心の中をカレーのようにポカポカさせていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 夕ごはんを食べ終わった30分後、ドアを叩く音がしてレイは開けた。

 

「……今日は何しに来たんですか、葛城二佐」

 

 立っているのはミサトである。後方にリツコもいるが二人だけのようなので、帰りがけに寄っていったのだろうと想像がつく。

 シンジとて、そろそろだろうなと予想はしていたが、帰ってこいと言われても流石にハイそうですかと答えるほど単純ではない。ここは一度部屋の奥に隠れて不在を装い、申し訳ないがレイにも演技してもらって、ミサトの出方を窺おうという作戦だ。

 ……なぜかレイは乗り気だったが。

 

「もちろん、シンジ君を迎えによ。ここにいるんでしょ?」

「知りません」

「知らないってことないでしょう?ちゃんと調べもついてるのよ」

「仮にいたとしても、無理矢理連れていくつもりですか?それなら、私は答えるつもりはありません。たとえ、命令であろうと」

「「なっ……!?」」

 

 ミサトは唖然とした。今の発言で、レイがシンジの居場所を知っているということは判明した。だが、彼女のこの言葉は、ミサトを非常に驚愕させた。

 いや、リツコの方が驚いただろうか。彼女にとっては自身がネルフに入ってからというもの、ずっと面倒を見てきた子である、ミサトよりも関わりは深い。

 それがどうであろうか。今まで他人に対しては従順な姿だけを見せてきたレイが、命令に反してでもシンジを庇っているのだ。

 ミサトとリツコは顔を見合わせた。

 

「碇君から話は聞きました。葛城二佐は、使徒戦での功績はほぼないと。自分の仕事はやり遂げるべきだと、私も思います」

「なっ、何を……」

 

 レイの言葉は容赦がなかった。知る人こそいないが、それはさながら、一人目のレイがリツコの母:赤木ナオコに対して放った「ばあさん」発言に匹敵するかもしれないほどミサトにとっては強烈だった。しかも無表情ときたものだ。ミサトは怒りを隠せない。

 

「ですが、我を忘れるほど周りが見えなくなるその根底には何があるのだろうかと、碇君は疑問に思っていました」

「え……?」

「碇君、近いうちに必ず帰るそうです。14歳の子どもにわかる話ではないかもしれないけれど、少しでも力になりたい。だから、いろいろ話してほしい。そう言っていました」

 

 ミサトは言葉を失った。

 この瞬間まで、ミサトはシンジを連れ戻すことに執着していた。はっきり言ってしまえば、ミサトは尚も使徒を倒すためにシンジにはいてもらわなければ困る存在、手駒ほどにしか考えていなかった。

 セカンドインパクトを起こしたアダムス。その種である使徒を倒すことが、ミサトにとっての真の生き甲斐だったからだ。

 シンジは、自身が利用されていることは分かっているらしい。それなのに、そんな自分を的確に批判し、それでいて心配してくれている。力になるとまで言ってくれている。

 

 この時ミサトは弾かれたように気づいた。

 

 自分は、どれほど子供だったのだろうか、と。

 

 ミサトは、暫く黙り込んでから弱々しく口を開いた。

 

「私……作戦部長降りようかしら……」

「えっ!?」

 

 今度はリツコが驚いた。使徒を倒すことにただならぬ使命感を抱いていたミサトが、いとも簡単に作戦部長のポストを退こうとしている。これはネルフにとってもリツコにとっても大事件だった。

 

「シンジ君に会ったら伝えといて。帰ってくるの、待ってるから、って」

 

 ミサトはそう言うと、クルリと背を向けその場を去っていった。振り返ることはなかった。

 

 

 

「ご、ごめんねレイ、急に訪ねちゃって」

 

 取り残されたリツコは、ミサトの立ち去った方向を直視し続けるレイに謝罪した。

 

「いえ、これも碇君のためです。私も言いたいこと、言えましたから」

 

 リツコはそんなレイの紅い瞳を見て、まじまじと思った。この子は、いつの間にこんなに人間っぽくなってしまったのだろう、と。蒼に染まった水流のような髪も、いつにも増して奥ゆかしさを感じた。

 そんな彼女の横顔の奥から、隠れていたシンジが顔を出した。

 

「すみません、リツコさん、ご迷惑お掛けしてしまって」

「……全部聞いてたのね」

「ええ。でも、もう大丈夫ですよ。ミサトさんは変われます。自分の罪を自覚しただけでも、前には大きく進めます」

 

 シンジは微笑んだ。

 

「僕らエヴァパイロットにとって、ミサトさんはいてくれなければならない人なんです。作戦部長の素質はあの人が一番持ってますし、いざというときに背中をしっかり押して、支えてくれるんです」

「……随分よく知ってるのね、ミサトのこと」

「ええまぁ。少々事情がありましてね」

 

 シンジははにかんで、すましてみせた。

 

「ああそうだリツコさん、綾波なんですけど、僕らのマンションに引っ越してもらおうかと思ってます。ここはインターホンも鳴らないしカギも上手く閉まりません……。生活上の環境は良い方がいいでしょうし、何より綾波には、ヒトの身体で生きてる以上、ヒトの生活をしてほしいので」

「えっ……?」

 

 リツコは目を見開いた。そして瞬時に、一つの仮説が頭をよぎった。

 

「シンジ君、あなた、もしかして……?」

「なぜ僕がこれを提案するのか、それについては、いずれ話しますよ。真実は、いつも一つですから」

 

 

 

 

 

 司令室では、ゲンドウと冬月が、がらんどうな空間の中央に設置された机に向かっていた。

 

「碇、赤木博士からの話は聞いたか?」

 

 冬月は、詰将棋の本を片手に、ゲンドウに話しかけながら桂馬を指した。

 

「レイの住居の移動のことか。問題ない、その必要はないと返しておいた」

 

 ゲンドウは、肘をついて顔の前で手を組みながら、落ち着き払った態度で答える。

 

「だが赤木博士や葛城二佐は、作戦遂行上における利点は大きいと話している。お前の息子も協力的なようだし、何よりレイ自身の希望だと聞いているが」

 

「…………」

「珍しいな、お前が葛藤とは」

 

 冬月は曖昧に表情を歪め、ゆっくりと言った。

 

「分かっている。だが、計画の遂行が最優先だ。ここで道を間違えることがあれば、全てが失敗に終わる」

「……14年前からのシナリオ、運命を仕組まれた子供達か。全く、過酷すぎるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

はいはいどうも、ジェニシア珀里です。
今回のタイトルはそのままコナンの主題歌から笑
倉木麻衣さんの曲はすごく好きです、「Secret of my Heart」♪

ってか、本当になにやってんでしょうね、我ながら。「真実はいつも一つ!!」って、モロパクリですね。(シンジだけに?笑)


さて、葛城ミサト補完計画、これにて80%完了です。
正直な話ですね、ミサトさんは使徒が来なければ非常にいい女性ですからね。アスカたちが来日する前は特に。

なんと言っても、セカンドインパクトで心の拠り代だった父を失い、酷で深い傷を刻み込まれたことによる使徒への憎悪が、計り知れないほど強力だということは言うまでもありません。ただ、それだけならまだ良かった。
ただ、大学にて、大学で会った加持に父の雰囲気を感じてしまうことで、ミサトは恋人という形で彼を新たな拠り代にしたわけで。しかし彼と接するのが恐くて別れてしまう。それがきっかけでミサトは完全に狂い始めてしまうのだと思うのです。

使徒殲滅を生業とし、あらゆる犠牲も惜しまない。偽善で自分を庇い、無理にでも正当化しようとする。そんな、冷酷な女性に。

アスカ(というより加持)が日本にやって来てから、ミサトはさらに狂っていきます。しまいには、真実追求のために何もかも投げた加持のお陰で、シンジやアスカの保護者まで放棄してしまう始末。はっきり言って、救いようはありません。

ですが、「まごころを、君に」でのミサトさんのシンジ君に対する言葉は、ミサトの人生でこの上ない本音だったと思うのです。死に際だったということもあるかもしれませんが、シンジと共に暮らしてきたからこそ、最後に伝えたいことがあった。それが、あの「大人のキス」なんじゃないでしょうか。

僕は、ミサトさんを責めようとは思いません。彼女も、きっと変われる人間です。そう信じていますから。

ちなみに、新劇ではちょっとだけ大人になってる気がします。ヤシマ作戦もハイレベルになってるし(新型ラミエルには通用しなかったけど)、「行きなさいシンジ君!」のあれは痺れなたぁ~♪
Qじゃ大人に()()()()()ちょっとイヤだったけど。(苦笑)


え、何?LRSが強いって?
あぁ……考えてみれば、確かに。ポカ波もさりげなく出てるし(笑)。でもこの小説、基本的にLASだからなぁ……。うん、この際LASR(ラスアール)にでもしちゃいますか!(雑)



次回、正八面体!……じゃなかった、ラミエル!来襲!


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第伍話 レイ、絆の導き

 

 

 

 

 

「ただいま戻りました」

 

 シンジは三日ぶりに葛城家の敷居を跨いだ。電気はついているが、返事はない。

 

「……ミサトさん?」

 

 おそるおそるリビングに入ってみると、そこはシンジがやって来た日以上に散らかりきっていた。シンジは思わず特大のため息をついてしまった。

 

「どっはぁぁぁー…………嘘でしょ、たった3日で?」

 

 当の本人はと言えば、ビールの缶を既に6本も飲み干し、完全に酔ったまま寝ているのである。

 

「また片付けしなきゃいけないか……ん?」

 

 しかし、部屋の隅の方に、ゴミ袋が5個ほど積み上げられていて、「明日出す!!」という張り紙がつけられていた。よくよく見てみれば、その周辺はさほど散らかってはいなかった。

 

「…………頑張りますか。ねぇ、ミサトさん?」

 

 シンジはミサトの肩に手を添え、優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第伍話 レイ、絆の導き】

【Episode.05 PROTOTYPE】

 

 

 

 

 

「…………そんなことが」

「ええ……」

 

 翌朝、シンジはミサトからセカンドインパクトについて聞かされた。教科書に載っていることとは現実はあまりに違う、あの災害は本当は使徒によって引き起こされたものだということ。自分はその時南極にいた唯一の生き残りだということ。父を失い、他人を拒絶し続けたこと。それ以来、使徒を憎み、破滅させたいと怨んでいること。

 

「辛いこと思い出させてしまって、すみません……」

 

 どんどん沈むミサトの様子に、台本通りの展開とはいえさすがにシンジもいたたまれなくなっていた。もしかしたらやり過ぎたかもしれないという後悔が軽く襲う。だが、ミサトの方は苦い表情ながらも笑顔が浮かんでいた。

 

「いいのよ。シンジ君が現実見せてくれたんじゃない。私ははっきり言ってバカ、そう、無能なんだから」

 

 そう言ってミサトは一つの封筒を机の上に出した。

 

「……辞表?」

「ええ、私がいたって、ネルフには得なんか全然ないんだもの。作戦部長なんか、さっさと降りるべきよ」

「それは違うんじゃないですか?」

「……え?」

「ミサトさんは、確かに使徒戦では何にもできていなかったかもしれません。けど、ネルフが二佐などという階級を与え、作戦部長の職に就かせている時点で、ミサトさんは一概に無能とは言えないと思いますけど?」

 

 シンジはさらに言う。

 

「経歴見させてもらいましたよ。戦闘訓練では素晴らしい記録を残しているみたいですね。使徒さえいなければ、ミサトさんは優秀な軍人だと思います。言い方は悪いですが」

「そう、なのかしら……」

「少なくともミサトさんは今、現実をちゃんと見れているじゃないですか。それだけでも、僕はミサトさんに作戦部長として、ネルフにいてもらうべきだと思ってます」

 

 シンジは封筒を手に取ると、真っ二つに引き裂いた。

 

「あ、ちょ……!」

「みんなを守るためにやりましょうよ。僕も頑張りますから、一緒に」

「シンジ君……」

 

 気づけばミサトは、涙を流していた。だが、ここ3日間の重い罪悪感や、自分を憎むような感情は、もうなかった。シンジがそう思えるほど、彼女の表情は、とても晴れやかなものに変わっていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「唐突に選び出された第3の少年、碇シンジ。碇司令の息子であり、エヴァ初号機の専属パイロット。その理由としては彼の母親、碇ユイが初号機に取り込まれてしまったため。司令の指示でその際の記憶は完全に抹消された……」

 

 ……はずだったのだが。

 

 リツコは、コーヒーを啜りながらシンジの報告書に今一度目を通していた。その表情は今日も険しい。

 不可解な点が多すぎる。初号機の中でユイと会ったことも、十年前にユイが初号機にダイブしたその理由も、彼の説明に納得できないわけではないのだが、…………忘れてはいないだろうか。

 

 彼はまだ、14歳なのである。

 

 反応が冷静すぎる。子供ならば、もう少し激しく反応しても良さそうなものだ。

 だが、それだけなら、まだ、良かったような気もする。ただでさえあのゲンドウとユイの息子だ、そういう性格でも仕方はないかもしれない。そう思った。

 しかし、昨日のシンジの言葉を聞いてリツコの疑問は倍に、いや3倍、いや5倍かというほどにまで広がってしまったのだ。

 

『作戦部長の素質はあの人が一番持ってますし、いざというときに背中をしっかり押して、支えてくれるんです』

 

 ミサトの全てを知っているような、そんな口調。そしてさらには、

 

『綾波には、ヒトの身体で生きてる以上、ヒトの生活をしてほしいので』

 

 やたらと「ヒト」の部分を強調したように聞こえた、あの言葉。頭をよぎった仮説は、到底信じられない。

 シンジの言葉を理解することはできないが、彼を侮ってはいけないと直感で思う。それと同時に、敵に回すべき存在でないとも強く思う。

 

「大丈夫ですかリツコさん、眉間にシワが寄ってますよ?」

「ー!?!?」

 

 いつの間にか目の前にシンジが現れていて驚いた。そういえば自分がいるのは、研究室ではなく発令所だった。

 

「ど、どうしたのシンジ君、今日はシンクロテストなかったはずじゃ……?」

「ええ。ですが、綾波の引っ越しの件で、早めに返事を頂きたくて」

「こんにちは、赤木博士」

 

 背後からひょっこりレイも現れた。

 

「こ、こんにちは……あ、あのねシンジ君、その事なんだけど……」

「なるほど、父さんがまた拒否でもしましたか」

 

 …………やはりこの子は侮れない。

 

 

 

 ******

 

 

 

 2時間後、ミサトはリツコから呼び出しを受けて彼女の研究室へとやって来た。

 

「レイの住居がアタシんとこの隣に?」

「ええ。本人たっての希望よ。作戦部長さんもいろいろとやり易いでしょうし」

 

 リツコはコーヒーを飲みながら答える。

 

「よく碇司令が許可したわねぇ」

「一回は断られたのよ。けれどさっきシンジ君と私を連れて直談判しに行くって言い出して……、」

 

 

 

 

 

『碇指令、あの部屋には何もなくて寂しいです。住居変更をお願いします』

『……その必要はない。緊急を要する支障はないはすだ』

『でも、碇君は葛城二佐の部屋で暮らしています。散らかってますが、私には明るく見えます。パイロットの生活環境は、公平にした方が、いいと思います』

『…………』

 

 

 

 

 

 話を聞いたミサトは目をぱちくりさせた。

 

「…………それ、ホントにレイが?」

「ええ、シンジ君もレイがそんな風に考えてたなんて全く知らなかったって」

「嘘でしょ、あのレイが??」

「でも本当よ。私も信じられないけどね……」

 

 綾波レイ14歳、マルドゥックの報告書によって選ばれた最初の適格者、第1の少女。エヴァンゲリオン試作零号機、専属操縦者。過去の経歴は白紙、全て抹消済み。

 とは言いつつ、本当はその裏に世界をも揺るがすモノが存在している。それはかなりの極秘事項、全世界で知っているのはネルフにいるゲンドウ、冬月、そしてリツコの3人のみである。それほどのトップシークレットだ。

 おまけに感情の起伏を全く見せない鋼鉄の表情。友人は作らず、いかなる時もたった一人での行動。およそ他人を寄せ付けない雰囲気を放っていた。

 ただし、碇ゲンドウを除いて。

 

「そういえば、レイが唯一信用してた碇司令だけど、きっかけはあの事故なのよね?」

「え?……あぁ、起動実験のこと……」

 

 

 

 

 

 22日前、シンジがネルフに来る日の午前。

 零号機の起動実験の最中に、それは起きた。

 

「起動システムに、異常発生!」

 

 異常を知らせるステータスを感知してマヤが声を上げる。

 

『第3ステージにも問題発生!中枢神経組織も、内部拒絶が始まっています』

『思考連動システム、混線』

「パルス逆流!せき止められません!」

 

 オペレーターの対応も効果がないまま、事態は悪化していく。

 

『直通モニター、断線しました!』

「プラグ深度不安定、エヴァ側に引き込まれて行きます!」

 

 マヤが続けて報告する。

 

「コンタクト停止。6番までの回路、緊急閉鎖!」

 

 リツコが素早く指示を出す。

 

「駄目です、信号が届きません!零号機、制御不能!」

 

 マヤが声を上げた途端に、零号機が固定器具を破壊して暴れ始める。

 

「実験中止!電源を落とせ!」

「はい!」

 

 ゲンドウが指示を飛ばし、リツコが緊急用のコックを引く。零号機の背中に付いていたアンビリカルケーブルが外され、床に落ちる。

 

「零号機、予備電源に切り替わりました」

「完全停止まで、あと35秒!」

 

 零号機は頭を抱えながら苦しみ悶えるようにして暴れまわる。

 

『自動制御システム、いまだ作動せず』

 

 コントロールルームに近づいた零号機は、窓ガラスを殴り始めた。いくら強化ガラスとはいえ、エヴァの強力な力には意味を為さない。次第にひびが入り、遂には粉々に砕け散る。

 

「危険です、下がってください!」

 

 窓ガラスの前に立っていたゲンドウは、リツコの叫びにも反応せず、その場所に立ったまま避けようとしなかった。

 

「オートイジェクション、作動します!」

 

 マヤがモニターを見て報告する。

 

「いかん!」

 

 ゲンドウが零号機の方に身を乗り出した。次の瞬間、零号機の背面ハッチが開き、エントリープラグが強制的に射出される。射出されたプラグは、ジェット推進の勢いで天井に激突すると、壁の隅を伝って部屋の角へ滑って行く。そして、ジェット推進が切れて降下したプラグは、勢い良く床に叩きつけられてしまう。

 

「特殊ベークライト、急いで!」

 

 暴走を止めない零号機は、壁に頭を打ちつけて壁を破壊し始める。リツコは、硬化するベークライトを注入して、零号機の足を固めるように指示を出した。

 

「レイ!」

 

 ゲンドウは、落下したエントリープラグを見て叫ぶ。マヤはカウントダウンを開始した。

 

「完全停止まで、あと10秒、8、7、6、5、4、3、2、1、」

 

「0」のカウントと共に、零号機の動きが鈍くなり、力尽きたように止まった。

 

「零号機、完全停止……!」

 

 ゲンドウは、すぐさま下に降りて落下したエントリープラグの方へ駆け寄っていく。プラグのハッチは高熱で焼けるように熱くなっていた。しかし、ゲンドウは素手でそれをこじ開けると、中に入ってレイの無事を確かめようとする。

 

「レイ、大丈夫か、レイ!」

 

 床に落ちたゲンドウの眼鏡が、高熱によって歪み、レンズにひびが入る。

 

「……そうか……」

 

 コックピットにもたれかかったレイが体を起こす。それを見たゲンドウは、安堵の表情をレイに向けた。

 

 

 

 

 

「それも、にわかには信じられない話よねぇ」

 

 リツコの話を聞いたミサトは目線を遠くに遣りながら間延びした声で呟く。

 

「正規の報告書では削除されているけれど、紛れも無い事実よ」

「そんな暴走事故を起こした零号機の凍結解除、ちと性急過ぎない?」

 

 ミサトはこれまでの流れに疑問を呈する。

 

「使徒は再び現れた。戦力の増強は、我々の急務よ」

 

 リツコは当然のように理屈で答える。

 

「それは、そうだけど……」

 

 ミサトは何か釈然としない物を残しながら、一応うなずく。

 

「レイの再起動実験はもうすぐよ。零号機本体の問題修正と、神経接続の調整が済めば……」

「即、再配備、というわけか……」

 

 

 

 ******

 

 

 

「いよいしょっと……!」

 

 翌日、シンジは学校から帰る途中にレイの部屋に寄り、レイの私物を入れた段ボールをレイと一緒にコンフォート17マンションへと運び入れた。とはいえ、レイの私物は極限まで少ない。制服と下着と毛布、そして眼鏡。段ボールもシンジが運ぶ一箱のみだった。

 

「整理は自分でできる?あ、いや、僕がやるとなんとなくマズそうだからさ……」

「大丈夫。ありがとう、碇君」

 

 レイは、いつの間にか自然な流れで「ありがとう」が言えるようになっていた。不思議なことだが、実は10日ほど前までは言ったこともない言葉である。

 だが決して、レイもそれが嫌なものとは思わない。心の浮き立つ、感謝の言葉。何度も何度も口にしては、言い様のない幸福感に包まれるのが楽しいと思った。

 

「にしても、やっぱりこれじゃあ少なすぎるよね。女の子なんだし、少しはお洒落してみてもいいんじゃない?」

「そう……かしら」

「うん。綾波はその水色の、綺麗な髪の毛も持ってるしさ」

 

 レイは自分の頬にかかる髪をいじってみた。お洒落という言葉も、一昨日の朝にシンジから初めて教えてもらったためあまり慣れないものだったが、自分が好きな服や自分に似合うと思う服を選んで着るというのは不思議と楽しみだった。

 

「今度時間が取れたら、綾波の服、一緒に買いに行こっか?委員長とかトウジとかも呼んでさ」

「ええ」

 

 

 

 

 

 数日後、ジオフロント内にあるバーには仕事帰りの二人の影があった。格納されたビル郡が一望できる大きな窓のついた店内には、二人以外の客の姿は見当たらない。リツコは3本目の煙草に火をつけてから、ミサトにシンジのことを尋ねる。

 

「シンジ君との生活はどう?」

「まあね、やっと慣れてきたって感じ」

 

 ミサトは頬杖をついて明るい返事を返す。

 

「緊張してるの?男と暮らすの、初めてじゃないでしょ?」

「8年前とは違うわよ、今度のは恋愛じゃないし」

 

 ミサトは手をだらんと振って昔の記憶を払いのける。

 

「冗談よ。それに最近の食事はレイも一緒でしょ?」

「そうなのよ、今夜はレイの希望で麻婆豆腐作るんだって♪」

 

 グラスに入った氷をカラカラと回して陽気に答える。それを見てリツコは皮肉を交えてからかう。

 

「あら、じゃあお母さんは早く帰った方がいいんじゃなくて?」

「誰がお母さんよ??」

「冗談よ」

 

 リツコは親友のコロコロ変わる表情を横目に、長くなった煙草の灰を灰皿にトントンと落とした。

 

「でも、……お母さん、ねぇ。どっちかっていうとシンジ君の方が母親っぽいのよね」

 

 ミサトは思慮深げに窓外のビル群に目を配す。掃除、洗濯、更には食事まで作ってもらっていて、終いには数日前の一件もそうだった。

 

「ミサト……あなた一応年上でしょ?いつまでも頼ってちゃダメよ」

「……わーってるわよ」

 

 ミサトは、グラスに入ったブランデーを一気に飲み干した。

 

「さて、と。時間だし、戻らなくちゃ」

 

 リツコはタバコを灰皿に擦り付けると、バッグを持って席を立つ。

 

「相変らず仕事の虫ねえ」

 

 ミサトは少し呆れてみせる。自分も大概仕事漬けの日々なのだが。

 

「ミサト、帰るからこれ。シンジ君の正式なセキュリティーカードと、レイの更新カード。昨日渡しそびれて。頼めるかしら?」

 

 リツコは、バッグからシンジのIDカードとレイのカードを取り出すと、重ねてミサトの前に置く。

 

「あぁ、いいわよ」

 

 

 

 

 

「相変わらず、スゴいわねぇシンジ君♪」

 

 初めて3人で座った葛城家の食卓の中央には、今日は麻婆豆腐が置かれている。今日は少しばかり、かなり粉々な状態ではあるが、挽肉を入れてみた。果たしてレイの反応はどうなのか。

 

「美味しい……とても」

 

 かなりの好評のご様子。それを見てシンジも安堵する。

 

「こうしてみると楽しいわね、3人での食事って♪」

「そうですね、家族が一人増えたみたいですし」

「私もです。ありがとうございます、葛城二佐」

「それじゃあ、そろそろその『葛城二佐』もやめてもらおうかしら?ミサト、でいいわよ。ね、レイ?♪」

「……わかりました、ミサト……さん」

「フフッ、レイに言われるとなんかくすぐったいわね♪」

 

 自分で言っときながら照れたのだろう。それを隠そうとしてか、ミサトは体を仰け反らせながら勢いよくビールを飲む。

 

「ミサトさん……いくらなんでも飲み過ぎですよ?」

 

 シンジがため息をつく。ミサトは本日既に4本目。急性アルコール中毒にならないのが不思議な位だ。

 

「いいじゃないの、人生この為に生きてるようなもんよぉ!」

「……倒れても、私は知りません」

「レイまで~。まったく冷たいんだからァ~♪」

 

 ダメだこりゃ。ミサトの口調とか態度から完全に酔いが回っているとわかる。そういえばさっきもバーでも飲んでたと言ってたか。ビール4本と言ったものの、これではどれほど飲んでいるか分からない。なるほどもう誰も、今日のミサトを止めることはできないらしい。

 

「あ、そうそう。はいこれ、二人の新しいカード。リツコのやつも結構横着よねぇ~」

 

 二人は新しいカードを渡された。これがなければ、ネルフ本部に立ち入ることは不可能である。もちろん特務二尉という二人の立場上、それなりに制限はつくのだが、それでも相当な情報の爆弾を持っていることを改めて感じる。

 そういえば、レイの零号機の再起動実験、そしてラミエルの襲来は明日だったかとシンジは思う。15年ぶりの使徒襲来は、休む暇がないほど慌ただしい。

 第6の使徒、前世界での第5使徒、ラミエル。正八面体型の青色浮遊物体。しかしその内部には陽電子加速システムが内蔵されている。周円部を加速させ、超越した破壊力を持つ光線を放射する、歴を見ても厄介な使徒。

 そういえば、こっちの世界では使徒の順番も1つずつずれて違うし、そもそも固有名詞では呼ばれない。おかげで今でもサキエルだとかシャムシエルだとか言っても通じないのがちょっとばかし癪なところである。せっかくなんだから名前くらいつけてあげればいいのに。

 はてさてそのラミエル、一体どう倒そうか。今回は初号機をいきなり発進させるつもりもないので大丈夫だろうが、問題はその後、第2戦のヤシマ作戦だ。レイに大きすぎる負担をかけてしまった「あれ」を、どうにかやらずに済ませたいものだ。

 

 

 

 

 

 結果的に考えがまとまったのは、翌日の零号機起動実験直前だった。

 ラミエルの加粒子砲のスピードは脅威だが、使徒自体は動きも遅く、加粒子砲も一度発射させてしまうと、数秒は止めることすら出来なかったはず。あと、ラミエル最大の弱点は、攻撃しながら方向転換できなかったことだ。一旦攻撃を止めてから向きを変え再び攻撃に移る、そうなると、時間はかなりロスする。

 前回のヤシマ作戦でマズかったのは、攻撃と防御を1地点から行うという前提のもとで進めてしまったことだ。他方向からの同時攻撃ならば、攻守ともに完璧とは言えなくなる。

 そこでシンジは作戦を立てた。ラミエルがドリルを展開するのはネルフ本部直上の交差点。その近辺の兵装ビルを上手く利用し、ラミエルに気づかれないように背後から忍び寄って攻撃を仕掛ける。その際はバルーンを、まぁ自走臼砲でも何でも構わないとは思うが、囮をラミエルに攻撃させる。そうすれば、相手に多少なりと隙ができるはず。

 まだ穴はありそうだが、ミサトやリツコの考えも取り入れて強化すればいい。これが終われば、次は待ちに待ったガキエルだ。

 

 

 

 ゲンドウがモニター越しに見えるレイに声をかける。

 

「レイ、聞こえるか?」

「……はい」

 

 レイは目を瞑ったまま動かずに答えた。その声は、ひどく弱々しげに聞こえた。

 その声を聞き、怪訝に思い眉をひそめるゲンドウの横から、シンジは身を乗り出した。

 

「綾波、大丈夫?」

「……碇君?」

「緊張することないよ、きっと上手くいく。僕もここで見てるから頑張って!」

「……ええ」

 

 満面の笑みでシンジが激励の言葉をかけると、レイの表情は相変わらず同じように見えたものの、リツコにはだいぶん和らいだように思えた。

 今までレイが心を開いていたのは、ゲンドウただ一人であった。それが今ではどうだろうか、ゲンドウより、むしろシンジに対しての方がレイは気を許している様子だった。

 リツコはこのやり取りの一部始終を見て、なんとも言えない愉悦を感じた。目論見が外れ、忌々しいといった表情でシンジを睨み付けるゲンドウを見たからである。

 隣を見ると、ミサトも勝ち誇った表情を浮かべていた。普通に考えればシンジがこの場にいるのはおかしなことなのだが、これまたパイロット同士の良好な人間関係の形成という名目でミサトが半ば強引に押し通して連れてきたのである。もちろんゲンドウは拒否したが、リツコの説得でここに至る。

 

「これより、零号機の再起動実験を行う。第一次接続開始」

「はい。主電源コンタクト!」

 

 不機嫌なゲンドウの指示を受け、リツコが合図する。

 

「稼動電圧、臨界点を突破」

 

 マヤが状況を報告しながら、作業は慎重に進められていく。

 

『フォーマット、フェーズ2へ移行』

『パイロット、零号機と接続を開始』

「回線開きます。パルス、ハーモニクス、共に正常」

『シンクロ、問題なし。中枢神経素子に異常なし。再計算、こちら修正無し』

 

 そしてマヤはカウントに入る。

 

「チェック、2590まで、リストクリア。絶対境界線まで、あと、2.5。1.7。1.2。1.0。0.8。0.6。0.5。0.4。0.3。0.2。0.1。突破……!」

 

 とりあえずの第1ステージをクリアし、マヤは声を弾ませた。

 

「ボーダーラインクリア!零号機、起動しました」

「よしっ!」

 

 その声を聞き、一同の緊張がようやく緩んだ。一度は失敗している手前、無事にクリアできるかどうかにはやはり不安が残っていたからだ。シンジも思わず軽いガッツポーズをした。

 

「なんとか成功ね。じゃあこのまま連動実験に……」

 

 リツコが次のステージに移行させようとしたその時、制御室の電話がけたたましく鳴り響いた。一番近くにいた冬月が受話器を取った。そして数秒の後、顔を険しくしてゲンドウに鋭い声をかけた。

 

「碇、未確認飛行物体が接近中だ。恐らく……」

「第6の使徒、ですね」

 

 ミサトも目つきを変えた。そのまま振り返ると、目が合ったシンジも、しっかりと頷いた。

 

「実験中止、総員、第一種戦闘配置!」

 

 

 

 

 

 体表のように透き通る甲高い声のような音を出しながら、巨大な幾何学立体はゆっくりと第3新東京市に近づいていた。早くも第1発令所のモニターには「Blood Type : BLUE」の文字、第6の使徒として認定していた。

 

『監視対象物は、小田原防衛線に侵入』

『未確認飛行物体の分析を完了。パターン青。使徒と確認』

 

 そこへゲンドウと冬月がブリッジに乗って上がってくる。

 

「やはり、第6の使徒か」

「ああ。初号機を出撃させる。葛城二佐」

「いえ、まだ初号機は使いません」

 

 ミサトはゲンドウの指示を背中から受けたが、はっきりとそれを退けた。

 

「……何?」

「敵の攻撃方法、防御システムについてはまだ詳しくわかっていませんので。まずは自走臼砲等で様子を見るべきかと」

「……好きにしたまえ」

 

 ゲンドウは、先程の起動実験から未だ続く苛立ちに拍車がかかってしまったらしい。それでも、ミサトの言っていることは至極もっともであるため、渋々ながらそう告げた。

 それを見ていたシンジは一人こっそり微笑んだ。前世のように無駄な怪我をしなくて済んだのもそうだが、前はシンジのことを顧みずに流れ作業で発進させたミサトが、今回は真逆、誰一人として損をしないように指示を出してくれたことが嬉しかったのだ。

 このミサトさんなら、ついていける。そう確信した。

 

 

 

「日向君、12式自走臼砲、準備いいわね?」

「OKです!空からMQ-9もすでに向かってます!」

「わかったわ、自走臼砲、攻撃開始!」

 

 数分後、ミサトの合図で自走臼砲が展開されようとしたまさにその時だった。

 

「目標内部に反応あり、高エネルギー反応!」

 

 シゲルのモニターのシグナルに異常が発生した。ミサトは直ぐに事態を察知する。第1発令所の緊張感が一斉に高まった。

 

「攻撃来たのね!?データ収集頼むわよ!!」

「「「了解!!!」」」

 

 さて、お手並み拝見と行こうか。飛び交う指示を軽く聞き流しながら大きく伸びをしてシンジはモニターを見た。

 しかし次の瞬間、シンジの予想は悪い方へと裏切られることとなる…………。

 ラミエルは、中心部から上部下部それぞれが逆方向に「回転」し、

 まるで液体金属であるかのように、

 

 「分裂」したのである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

どうも久々の登場となりました、ジェニシア珀里です♪
前回から1か月も休止期間となってしまい申し訳ございません。

ミサトの告白、レイの引越し、零号機の再起動実験、と、まぁ今回もいろいろありましたけど、やっぱり目玉はラミエルですかね。歴代使徒のなかでもトップ3を争うくらいカッコいいなと思うのがこの新劇版ラミエルです。もはや質量保存の法則を殆ど無視してるように見えるこの物体ですが、あの変形CGは謎なほどカッコいい……。
しかもドリル・ブレードもラミエル本体からの展開で非常にスムーズで、あの青い体表に無駄にマッチしてるんですよね~♪

ただ、一つだけ疑問に感じたところがあるんです。それは、……次回までのお楽しみで。(本編に盛り込みます♪)

次回、vsラミエル、本番戦と参ります!
あの台詞は果たしてどうなる!?笑


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第陸話 君の笑顔、私の涙

 

 

 

 

 

「目標変形、コアを確認!!」

 

 地上に展開された12式自走臼砲を、ラミエルは正八面体の身体を複雑に変形させ、荷電粒子砲をもって狙い撃った。中心のコアからの強力な砲撃は勢いを増しながら、現れた自走臼砲をそれまで隠れていたトンネルごと吹き飛ばす。

 

「自走臼砲、蒸発!」

「MQ-9の攻撃は!?」

「今始まります!」

 

 しかし次の瞬間、ラミエルは再び変形する。一度十字架になったように見え、刹那、細長い6つの四角錐へと形を変え、さらに外側に薄い正四角錐を複数形成し、中心を軸に回転し始める。それは徐々に加速し、なんとコアまで分裂させたラミエルは、奇声を発しながら今度はMQ-9無人攻撃機に向けて砲撃をした。

 威力は強大、攻撃機はラミエルの攻撃を避けることすらできず、空中で一瞬にして消え去った。

 

「MQ-9、蒸発!」

「……予想以上ね、今回の使徒は」

 

 リツコが顔を強ばらせながら呟いた。

 

「リツコ、会議室に技術部の人間、集められる?」

 

 モニターを凝視するリツコにミサトがそっと耳打ちした。

 

「……ええ、わかってるわ。対策会議ね」

「……よろしく」

 

 ミサトは一瞬リツコに目を向け、そのまま立ち去った。

 リツコもミサトも、今回の使徒の格の違いに愕然としていた。第4、第5の使徒とは全く異なる戦法でないと勝てないだろう。それは確実だったからだ。

 だがおそらく、この場で一番、この使徒に対して驚愕したのは、尚もモニターを凝視していた初号機パイロットであろう。

 シンジはラミエルから目を離すことができなかった。全くの予想外に唖然とするしかなかった。

 それもそのはずだ、この正八面体が、ラミエルが、

 

 「変形」したのだから。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第陸話 君の笑顔、私の涙】

【Episode.06 Battaile Decisive】 

 

 

 

 

 

 ラミエルはゆっくりと飛行しながらジオフロントの真上まで侵攻し、地下のネルフ本部がある直上で停止すると、正八面体の下端をスクリュー状に変化させて地面に突き刺した。硬いガラスでありながら同時に液体であるかのように、自らの体の形を柔軟に変えていく。地面に突き刺さったそのドリルは、そのまま地下を目指して一直線に掘り進めて行こうとしていた。

 

「現在目標は我々の直上に侵攻、ジオフロントに向けて穿孔中です」

 

 ミサトは戦術作戦部作戦局第一課会議室に職員を招集し、使徒殲滅に向けた作戦会議を行っていた。

 

「奴の狙いは、ここネルフ本部への直接攻撃か。……では各部署の分析結果を報告願います」

「先の戦闘データから、目標は一定距離内の外敵を自動排除するものと推察されます」

 

 男性職員がプリントアウトしたデータを見ながら報告する。

 

「エヴァによる近接戦闘は無理というわけね。初号機出さなくて良かったわ……。で、A.T.フィールドはどう?」

 

 ミサトがマヤの方を見る。

 

「健在です。おまけに位相パターンが常時変化しているため、外形も安定せず、中和作業は困難を極めます」

 

 リツコの隣に座ってノートパソコンを開いているマヤは、ミサトの方に体を向けて分かる事を告げる。続いてミサトの後ろに立っていたマコトが発言する。

 

「MAGIによる計算では、目標のA.T.フィールドをN2航空爆雷による攻撃方法で貫くにはネルフ本部ごと破壊する分量が必要との結果が出ています」

「松代のMAGI2号も同じ結論を出したわ。現在日本政府と国連軍が、ネルフ本部ごとの自爆攻撃を提唱中よ」

 

 リツコは眼鏡を掛けてデータの書かれた紙をめくる。

 

「対岸の火事と思って無茶言うわね。ここを失えば全て終わりなのに」

 

 ミサトは上を向いて愚痴をこぼす。

 

「しかし、問題の先端部は、装甲複合体、第2層を通過。すでに、第3層まで侵入しています」

 

 ミサトの正面に座っている男性職員が伝える。ミサトはそれを聞いて、シゲルの後方にあるモニターに目を向ける。

 

「今日までに完成していた22層の全ての複合特殊装甲体を貫き、本部直上への到達予想時刻は、明朝、0時06分54秒。あと、10時間14分後です」

 

 既にカウントダウンが始まっているモニターの光に照らされながら、シゲルがミサトを見る。

 

「おまけに零号機は未調整のため機動戦はまだ無理ですよ」

「状況は芳しくないわね……」

 

 ミサトがやれやれといった感じで頭を掻く。

 

「そういえば、なぜ今さらドリルなんでしょうか……あれほどの加粒子砲なら、装甲を破るのも可能なのでは……」

 

 マヤが恐る恐るリツコに尋ねた。リツコは眼鏡をあげて答える。

 

「さっき、ダミーバルーンを幾つか出したのを思い出して。あの使徒、銃を構えようとするまで全く反応しなかったでしょ?」

「なるほど。要するに、攻撃してくるものにしか反撃しないわけですか」

「よく判別できますねそんなこと……」

 

 シゲルとマコトが口々に言う。

 

「裏を返せば、相手はそれほど知識にも優れているってことよ」

「その分エネルギーを溜め込んでいるってわけか……」

「迂闊に攻撃もできない、まさに八方塞がりですね……」

「白旗でもあげますか……?」

 

 リツコの使徒に対するあからさまな嫌みに、同感すると応えるが如くシゲルが小さく呟き、マヤとマコトがため息混じりに言う。

 

「そうね。……その前にちょっち時間くれる?考えてみたいことがあるの」

 

 そしてミサトは席を立って会議室を後にしようとした。

 

「日向君、戦自研の極秘資料、諜報部にあったわよね。使うかどうかわからないけど、用意しといてくれる?」

「え?」

「頼むわ。15分で戻るから」

 

 

 

 

 

 ミサトは会議室を出て、エレベーターへと足を進める。

 向かう先は、セントラルドグマ。

 落ち着いて考えたかった。アレのいる場所は、普通は誰も来ない。静かに考えられるはずだ。

 一番下のボタンを押し、ジオフロントの地下を降下していく。しばらくして上部カウンターが赤い文字へと変わり、ミサトはセントラルドグマの再深部、「L-EEE(Level-Triple-E)」へと辿り着く。

 だがその入り口で思わず立ち止まった。なぜか、最終安全装置が解除されていたのだ。

 誰かがいる。でも一体誰が……?

 そう思いながら恐る恐る中に入ると、そこにいたのは、なんとシンジだった。

 

「シンジ君……!?……なんでここに……?」

「ミサトさん!?」

 

 突然の声にシンジも驚いたのか、目を丸くした。

 

「どうして、ここに……?」

「それはこっちの台詞よ……一体どうやって入ったの?」

「すみません、……マスターキー拝借しまして」

「マスターキー?」

「リツコさんの所から。……内緒ですよ?」

 

 ばつが悪そうにシンジは顔の前で人指し指を立てた。

 

 

 

「シンジ君知ってるの?……これが何なのか」

 

 本当は説教の一つでもしなければならない状況なのだろうが、ミサトはそれをあえて見逃し、目の前で十字架に磔にされている、白く下半身のない、一体の巨人を見ながらシンジに尋ねた。

 

「……使徒、ですよね?」

 

 シンジはどう答えようか迷った。この巨人、見たところリリスで間違いはなさそうなのだが、いかんせん顔が妙だった。仮面はゼーレマークが描かれた紫のものではなく、サキエルのような鳥の顔に似たものに変わっていた。

 つまるところ、これはもしかしたらリリスではないのかもしれない、そう思ったのだ。だからといってアダムという保証もないが。ただ言えるのは、これが使徒であるということだけだった。

 結果的には、先ほどの心配は杞憂だったわけだが。

 

「ええ。この星の生命の始まりでもあり、終息の要ともなる、第2の使徒『リリス』」

「リリス……」

「そう。サードインパクトのトリガーとも言われているの。15年前のセカンドインパクトで、人類の半分が失われた。今、使徒がサードインパクトを引き起こせば、今度こそ人は滅びる。一人残らずね。だからこのリリスを守るために、私達は戦っているの」

 

 驚いた。まさかミサトさん達もその理由を知らされているとは。でも実際は、使徒よりヒトの方が怖いのだ。一文字違いで大違いとはよく言ったものだ。

 

「それでエヴァを……」

「けど、それでもやっぱり失敗はつきものよ。シンジ君たちに頼りきっちゃってるけど、このL-EEEへの侵入を防げないこともあるかもしれない。その時は、ここは自動的に自爆するようになっているの。たとえ使徒と刺し違えてでも、サードインパクトを未然に防ぐ。それが私たちの使命なの」

 

 しかし、強気そうな言葉とは裏腹に、ミサトの声は、驚くほど小さかった。

 

「でもね……」

「?」

「何の特別もなしに、ただ適性があるからって理由でエヴァに乗る運命だなんて、本当に残酷よ……」

「……ミサトさん?」

「ねぇシンジ君、エヴァに乗るの、怖くないの……?」

 

 ミサトがシンジに向けた目は、ひどく悲しげだった。言うまでもないが、彼女のその表情も、今は偽善でないことは目を見れば明らかだった。

 

「……怖くないっていうのは、嘘になりますね、正直言うと」

 

 それはそうだ。迫り来る使徒に対して捨て身の覚悟で挑んでいかねばならないエヴァに乗るのは苦痛だ。過去へ遡ってきた現在でさえ、失敗するかもと思うと非常に恐怖だ。

 

「けど、」

 

 今回は前とは違う。みんなを守りたいという想い、前史での経験、それらを繋ぎ合わせて、誰も不幸にならない、そんな世界を作りたい。

 

 二度と悲劇は起こさない。そう誓って生きている。

 

「エヴァに乗って、世界が救われるのなら、僕は最後まで闘いますよ。そのためにいるつもりですから」

「シンジ君……」

「ですからミサトさんもそんな顔しないでくださいよ。せっかくの美人が台無しですよ?♪」

「……なかなかおだてるのが上手ね……。フフッ」

 

 ミサトも、シンジの冗談のような口調に気が緩んだのか安心したのか、顔を綻ばせた。

 

「それはそうと、作戦は大丈夫なんですか?使徒はもう侵入し始めてるんじゃ?」

「それがねぇ、あるにはあるんだけど、あんまり良い案じゃないのよ……あの強力かつ速すぎる加粒子砲のおかげで近接戦闘は無理だし、もはや近づくことすら無理…………しかも他方同時攻撃も可能だから囮を使うのも厳しいのよね…………そこで考えついたんだけど、陽電子砲って知ってる?」

 

 んで、結局「例のヤツ」になるわけか。シンジは即座にそう推察し落胆する。

 

「ええまぁ……。話には聞いたことあります」

「それ使えば理論上は可能なんだけど、多分勝てる確率は1割未満。もっと良い案があればと思ったんだけど……。シンジ君何か良い考えある……?」

 

 とはいえ、シンジもあまりの予想外に描いていたシナリオも先程のミサトの指摘通り全く意味をなさなくなってしまった。おまけに急すぎて新たな作戦も思いつかない。そのことがさらに追い討ちをかけてシンジをゲンナリさせる。

 

「いえ……」

「……そうよね」

 

 二人は苦い顔で首を振った。

 こうなったら仕方がない。ヤシマ作戦をいかに成功させるか。それのみである。

 

「ミサトさん、僕はやりますよ。どんな方法だろうと、最後まで最善を尽くすだけです」

「……そうね。またシンジ君とレイに負担かけちゃうけど……」

「元より覚悟の上です。勝ってみせましょうよ!」

「……ええ。ありがとう、シンジ君!」

 

 二人は目の前の白い巨人に目をむけると、少し、目をつり上げたのだった。

 

 

 

 

 

「それで、その作戦がこれなのね。全く無茶なんだから」

 

 ミサトとリツコは、新たな作戦の準備のために早速現地へと飛んだ。

 

「無茶とはまた失礼ね、残り9時間以内で実現可能で最も確実なもの。どれだけ精度を上げられるか、考えるの大変なんだから」

 

 ミサトは、ヘルメットを被って建設中の作戦現場を進んでいた。そして、列を成す大型ダンプカーの間を通って目的の場所へと向かう。

 

「ヤシマ作戦。その名のごとく、日本全土から電力を接収し、戦自研が極秘に開発中の、大出力陽電子自走砲まで強制徴発。未完成で自律調整できない部分はエヴァを使って精密狙撃させる。国連軍はいいとして、よく内務省の戦略自衛隊まで説得できたわね」

 

「ま、いろいろと貸しがあるのよ」

「……それってもしかして、例の……?」

「ええ。……別に脅しはかけてないわよ?」

「もしそうだとしたら、いくらネルフと言えど貴方を守り切ることなんてできないものね。まあ何はともあれ、『彼女』に感謝ね」

 

 そして、二人は高台に登ると湖の向こうに見える使徒の姿を捕らえた。本作戦はこの場所、下二子山山頂から決行される予定になった。

 リツコは幾分か涼しくなった風に乱された金髪をさっと掬うと、目標を睨み付けて呟いた。

 

「蛇の道は蛇……やるしかないものね」

「ええ。あの子達の為にも」

 

 

 

 

 

『今夜、午前0分より未明にかけて、全国で大規模な停電があります。皆様のご協力を、お願いします。繰り返します。午前0分より未明にかけて……』

「停電か……」

 

 市街地で、いや日本全国の至るメディアで、国民に向けたアナウンスが繰り返されていた。ビデオカメラから流れるワンセグでそれを聞きながら、トウジ、ケンスケ、ヒカリの3人は、遠方に見える深青色の正八面体に恐怖を抱いていた。

 

「今回は相当ヤバいんやろな……」

「日本全国からの電力を一つにまとめて、敵をやっつけるつもりなんだよ、多分」

「……大丈夫よね」

 

 ヒカリが不安そうに呟く。

 

「心配するなや委員長、あのシンジのことや。必ず倒してくる」

「……うん」

「……なぁトウジ、委員長、電話してみないか?」

「電話?」

「うん、碇と綾波にさ。激励、みたいな?」

「いいわね!」

「けど電話て……繋がるんか、こんな非常事態に」

「フッフーン、ウ・ラ・ワ・ザ♪」

「ケンスケ、お前なぁ……」

 

 結局今回ここに抜け出してきてるのも(もちろん絶対に安全だと確認の上で)、ケンスケの情報網があるゆえである。やめた方がいいとは何度も言っているのだが、危険度完全0%なら良いだろうと押し通されている。

 まぁでも、前回よりは全然成長している。あの日、もしシェルターを抜け出していたらここに来ていただろうが、シンジ曰くこの場所はかなり危なかったらしいのだ。何があったのかは分からないが。

 

「ほんじゃ、行くで。早めにやろうや?」

「「うん!」」

 

 3人は頷き合って地下へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 日が西に傾きかけた頃、ラミエルは未だ第3新東京市の地下へ侵攻を続けていた。一方、ヤシマ作戦の準備は着々と進められる。膨大な資材と人が投入され、作戦本拠地周辺は異様な熱気に包まれていた。

 

「使徒の先端部、第7装甲板を突破」

 

 シゲルが使徒の状況を報告する。

 

「エネルギーシステムの見通しは?」

 

 トラックの荷台に作られた仮設の司令室でミサトが状況を確認する。

 

『電力系統は、新御殿場変電所と予備2箇所から、直接配電させます』

『現在、引き込み用超伝導ケーブルを、下二子山に向けて敷設中。変圧システム込みで、本日22時50分には、全線通電の予定です』

 

 オペレーターの通信が次々と流れ込んでくる。

 

「狙撃システムの進捗状況は?」

 

 ミサトが確認を続ける。

 

『組立作業に問題なし。作戦開始時刻までには、なんとかします』

「エヴァ零号機の状況は?」

 

 ミサトは素早く振り返り、次々と指揮を執っていく。

 

「現在、狙撃専用のG型装備に換装中。あと1時間で形に出来ます」

 

 ミサトは不敵な笑みを浮かべた。

 

「それにしても、ここで零号機を使うなんてね。大丈夫なの?」

「シンジ君が要求してきた唯一の条件だからね。というかお願いかしら?まー何にせよ、彼のあの表情に、懸けてみることにするわ。調整も、ギリギリまでやってくれるんでしょ?」

「ま、頼まれたら仕方ないわ。どれだけできるか、時間との勝負ね」

「確かに」

 

 ミサトとリツコは、モニターをじっと見つめた。

 

 

 

 

 

 ネルフ本部の司令室から格納された地上施設を見上げる冬月は、今回の作戦においてゲンドウがどういう思惑を持っているのかを尋ねた。

 

「狙撃は零号機が担当するらしいな」

「ああ」

「……お前は良いのか、それで」

 

 冬月は懸念していた。初号機にはユイが乗っている。防御、つまり盾に回せば、それだけ初号機を失うリスクが上がってしまう。そうなれば、ゲンドウの計画は全て消え去ることになる。

 

「……構わん。それが確実というのならな」

「反論しないのか」

「コアさえ残っていれば、それで良い。いかなる手段を用いても、我々はあと8体の使徒を倒さねばならんのだ」

 

 ゲンドウは、先にある目標に到達するためには犠牲を問わない覚悟を見せる。

 

「……そうだったな」

 

 冬月は、まだ始まったばかりのシナリオに向きなおった。

 

「全ては、それからか……」

 

 

 

 

 

『明日午前0時より発動される、ヤシマ作戦のスケジュールを伝えます。碇、綾波両パイロットは、本日、1930、第2ターミナルに集合。2000、初号機、及び、零号機に付随し、移動開始。2005、発進。同30、二子山第2要塞に到着。以降は別命あるまで待機。明日、日付変更とともに、作戦行動開始を予定』

 

 スピーカー型の通信回線のミサトから、シンジとレイはスケジュールを伝えられた。

 

『以上よ。それまでは自由だけど、本番に備えて、体、休めといてね。じゃあ、また後で』

「「はい」」

 

「SOUND ONLY」のバーチャルディスプレイが消え、通信を終えた二人は、その先のモニターに見えるラミエルを凝視した。だんだんと辺りも暗くなり、ネルフは慎重に1つずつライトをつけるものの、ラミエルからの攻撃はやはりない。攻撃しないものは徹底的に無視を決め込むらしい。

 

「論理的な思考が存在しているのね……」

「うん……厄介なもんだよ……でも父さんよりはマシな気が」

「……どういうこと?」

「フフッ、父さんの頭は、あのラミエルの体表よりも固いのさ。……なんてね♪」

 

 意地の悪い笑みを浮かべたシンジに、レイは若干顔を歪めた。

 

「……碇指令の頭は、堅くなんかないわ」

「あ……ははっ、そ、そうだよね……?」

 

 冗談を言ったつもりだったのだが、レイにはちょっと嫌な風に聞こえただろうか。とちょっぴり後悔した。

 

「ハンマーで叩けば、簡単に割れるわ」

「………………」

 

 後悔した……はずなのだが。

 

「………………!!??」

 

 どちらかというと父に対して申し訳なくなるシンジであった。

 ……弁解しておこう。決して、レイに悪気はない。

 

 

 

 

 

 完全に日が落ちた第3新東京市では、ラミエルがサーチライトの光で照らされていた。巨大なモニュメントのように街の上空に浮かび上がるラミエルは、その透明な体表ゆえか、照らされた光を芦ノ湖の表面に反射させ、まるで宝石のような輝きを放っている。

 

『敵先端部、第17装甲体を突破』

 

 その様子を目視でギリギリ見えるかどうかの作戦本拠地周辺では、ヤシマ作戦の準備が滞りなく進められていた。

 

『ネルフ本部到達まで、あと4時間55分』

『西箱根新線及び、南塔ノ沢架空3号線の通電完了』

 

 連結したディーゼル列車に乗せられて大量の変電設備が運び込まれる。他方からは、陸路で輸送を行っているトラックが次々と到着する。

 

『現在、第16バンク変電設備は、設置工事を施工中』

『50万ボルト通常変圧器の設置開始は予定通り。タイムシートに変更なし』

『第28トラック群は5分遅延にて到着。担当者は結線作業を急いでください』

 

 全国の電源を集めるための変圧器が郡を為してひしめき合っている。なにせ一回撃つのに1億8000万kwも要するのだ。まさに国を巻き込んでの大事件だ。

 

『全SMBusの設置完了。第2収束系統より動作確認を順次開始』

『全超伝導・常超飽圧対象変圧器集団の開閉チェック完了。問題なし』

 

 そして、エヴァが射撃を行う場所に陽電子砲がクレーンで運び込まれる。

 

「これが、大型試作陽電子砲ですか」

 

 マコトは発射台に配置される鉄の塊を見て息を呑んだ。大型の船くらいもある常識外れの巨大なライフル、その大きさだけでも恐ろしく思えるのに、ここからあの使徒の加粒子砲以上の高エネルギーが凝縮され撃たれるなど、全く想像がつかない。

 

「急造品だけど、設計理論上は問題なしよ」

 

 ガコンという音とともに、巨大陽電子砲の設置が完了する。リツコは組みあがった作戦の要を見上げた。

 

「零点規制は、こちらで無理やりG型装備とリンクさせます」

 

 マヤはノートパソコンに向かって問題点を解決していく。

 

「正確さ重視で、お願いね」

「はい!」

 

 

 

 

 

「それじゃ改めて、本作戦における各担当を伝達します」

 

 作戦現場に遂に2体のエヴァが運び込まれ、サーチライトに照らされる。ミサトは手を腰に当てて、現場へと召集されたシンジとレイに指示を出した。

 

「まずはレイ、零号機で砲手を担当ね」

「はい」

「シンジ君は初号機で、防御を担当」

「はい」

 

 二人の返事の後で、リツコがより詳細な指示を説明する。

 

「レイ、いいかしら。今回の陽電子砲を使用するに当たっては、非常に精度の高いオペレーションが必要になります。陽電子は、地球の自転、磁場、重力の影響を受けて直進しません。その誤差を修正するのを忘れないでね。正確に、コアの一点のみを貫くのよ」

 

「あの、コアも分裂する可能性があるのでは……?」

 

 リツコの理路整然とした説明を聞いていたレイが、素朴な疑問を覗かせる。

 

「大丈夫。相手のコアは基本的には正八面体の中心部にあると考えられるわ。それに、狙撃位置の特定と、射撃誘導への諸元は、全てこちらで入力するから。あなたはテキスト通りにやって。最後に真ん中のマークが揃ったタイミングで、スイッチを押せばいいの。あとは機械がやってくれるわ」

 

 リツコが説明する背後では、零号機を射撃位置へ輸送する作業が進められていた。

 

「ただし、狙撃用大電力の、最終放電集束ポイントは、一点のみ。ゆえに零号機は、狙撃位置から移動できません」

「……はい」

 

 要するに、逃げることができない。もし外れて敵が撃ち返してきたら、その時はかなり危険。一撃で撃破することだけを考えねばならないというわけだ。

 

「……リツコさん。防御のためのアイテムは?」

 

 レイが身体を強張らせたのに気づいたのか、シンジがリツコに尋ねた。

 

「シンジ君の初号機には、SSTOの底部を再利用した盾を用意してあるわ。こっちも急造品で申し訳ないけど、使徒の砲撃にも計算上17秒は耐えられるようになってるから」

「わかりました」

「そろそろ時間ね。二人とも着替えてちょうだい」

 

 ミサトが腕時計を見て言った。

 

「「はい」」

 

 だがシンジは動こうとしなかった。シンジは先に去るレイとミサトの2人が見えなくなったのをを見計らってリツコを呼び止めた。

 

「リツコさん、少し、頼まれてくれませんか……?」

「……?」

 

 

 

 仮設の更衣室は一つしかない。そのため、シンジとレイ、二人の間は薄っぺらいシートで視界を遮られているだけだ。レイが着替える姿が黒いシルエットになってシートに映る。シンジは既に着替え終わり、近くにあるベンチに座る。シートと床の間からは、レイの素足が見える。

 

「……あの、碇君」

「ん?どうかした?」

「狙撃……、どうして初号機じゃないの……?」

「えっ?」

 

 レイは変だと思った。仮にも零号機を起動させることができたのは今日が初めてなのだ。そんな自分が、作戦成功率1桁の攻撃の駒として起用されるのは大丈夫なのか。それよりも、初号機で2回も勝利しているシンジの方が絶対に良いと考えるはず。なのになぜ。

 

「碇君の方が、確率は高いわ……」

 

 決して、狙撃をするのが怖いのではない。ただシンジの方が、圧倒的に、自分よりも信用できるのだ。尤も、レイ自身はそのことには気づいていないが。

 

「いや、だってさ、僕が狙撃をやったら、防御は綾波がやることになるでしょ?それは嫌だったからさ」

「……どうして?」

「女の子に危険なことさせるわけにはいかないから、ましてや綾波にはね。それにおそらく……」

「……おそらく?」

「……ううん、何でもない。それに、狙撃なら綾波の方が得意だろうし。投擲の腕、スゴいらしいじゃん?」

 

 レイはプラグスーツのスイッチを押す。スーツ内の空気が抜け、身体にフィットした。

 

「そう、なのかしら……」

 

 レイはシンジの曖昧な返事に、釈然としないものを感じて首を傾げた。だが、カーテンの隙間から一瞬見たシンジの柔らかな微笑みに、レイはそれ以上詮索するのをやめたのだった。

 

 

 

「シンジ君、レイ、ちょっといいかしら?」

「「?」」

 

 着替えた二人が外に出ると、ミサトがヒョイヒョイと手招きして呼んでいた。

 

「本部宛に伝言が届いていたみたいなの。はいこれ」

「あ、ありがとうございます?」

「碇君、誰から?」

「えっと……」

 

 シンジはボイスレコーダーの再生スイッチを入れる。聞こえてきたのは、陽気な友の声だった。

 

『どうも、相田です。碇、綾波、頑張ってくれよ!』

『えっと、洞木です。あの、無理はしないでね……?』

『なんや委員長、辛気臭いなぁ。こういうのはもっとバシーッっとやるもんやで?よっシンジ、綾波、俺や。よろしく頼むでな!!!』

 

 相変わらずの3人の声を聞いて、シンジは微笑んだ。レイもどうやら、彼らの励ましの声に安心したのだろう、強張っていた表情も緩んだようだった。

 それを見ていたミサトは、2人に良い友達ができたことを嬉しく感じたのだった。

 

 

 

 街の明かりが消え始める。それは、全国各地の電気が全て第3新東京市へと送られ始めたことを意味する。作戦開始まで、あと僅か。

 

「行こう、綾波」

「ええ」

 

 再度気を引き締めた2人は、それぞれのエヴァへと乗り込んでいった。

 

 

 

 

 

『ただ今より、午前0時、丁度をお知らせします』

 

 モニターのカウントが一斉に「0」へと変わる。

 

「時間です」

 

 マコトがそれを見て予定が来たことを告げる。

 

「レイ、シンジ君、始めるわよ」

「「はい」」

「私たちもついてるから。絶対勝って帰るわよ!」

「「はい!」」

 

 ミサトはコックピットに座るシンジとレイに通信を入れ、激励の言葉をかけた。

 

「ヤシマ作戦開始!陽電子砲狙撃準備、第1次接続開始!」

 

 ミサトの号令と共に、今まで待機中にあったものが一斉に動き始める。

 

「了解、各方面の1次及び2次変電所の系統切り替え」

 

 マコトが順を追って作業を進める。それに続き、次々とオペレーターの通信が始まる。

 

『全開閉器を投入、接続開始』

『各発電設備は全力運転を維持。出力限界まであと0.7』

『電力供給システムに問題なし』

『周波数変換容量、6500万kWに増大』

『全インバータ装置、異常なし』

『第1遮断システムは順次作動中』

「第1から第803管区まで、送電回路を開け!」

 

 マコトが次の指示を出す。

 

『電圧安定、系統周波数は50Hzを維持』

「よし。第2次接続!」

 

 ミサトが次のフェーズへの移行を宣言する。

 

『新御殿場変電所、投入開始』

『新裾野変電所、投入を開始』

『続いて、新湯河原予備変電所、投入開始』

『電圧変動幅、問題なし』

「第3次接続!」

 

 オペレーターの各報告を受けてミサトが指示を続ける。

 

「了解、全電力、二子山増設変電所へ」

 

 マコトがミサトの指示をつなぐ。

 

『電力伝送電圧は、最高電圧を維持』

『全冷却システムは、最高出力で運転中』

『超伝導電力貯蔵システム群、充填率78.6%』

『超伝導変圧器を投入、通電を開始』

『インジゲータを確認、異常なし』

『フライホイール回転開始』

『西日本からの周波数変換電力は最大値をキープ』

 

 大量のケーブルでつながれた機材に電力が供給されていく。

 

「第3次接続、問題なし」

 

 現状、作業は順調であることをマコトが確認する。

 

「了解、第4、第5要塞へ伝達。予定通り行動を開始。観測機は直ちに退避」

 

 ミサトの合図で、地上に設置されていた攻撃ポッドから大量のミサイルが発射される。時間稼ぎにもならないかもしれないが、陽電子砲に攻撃させないようにするための撹乱、つまりは保険である。

 ミサイルは群れとなってラミエルへ一直線に向かっていく。が、射程範囲内に敵を捕らえると、ラミエルは小さなパーツに分離して時計のような陣形を取ると、荷電粒子砲を照射しながらぐるりと一回転させて応戦する。さらに、それよりも強力な砲撃で攻撃を放った要塞を破壊し始める。

 

「第3対地攻撃システム、蒸発!」

 

 マコトが驚きと焦りの声で伝える。

 

「悟られるわよ、間髪入れないで。次!」

 

 ミサトは怯まずに次の攻撃を指示する。丘の上に設置された砲撃要塞から長距離射撃が実行される。砲弾はラミエルの至近距離まで到達するも、A.T.フィールドによって弾き飛ばされてしまう。使徒は砲台のような形に変形すると、強力なエネルギーを一点に集中させて荷電粒子砲を放つ。

 

「第2砲台、被弾!」

 

 主モニターに映し出された攻撃用マップが次々と赤色へと塗り替えられていく。

 

『第8VLS、蒸発!』

『第4対地システム、攻撃開始』

『第6ミサイル陣地、壊滅!』

『第5射撃管制装置、システムダウン!』

『続いて、第7砲台、攻撃開始』

 

 予想通り、通常兵器はラミエルに対しては全く歯が立たなかった。事前に分かっていることとは言え、ミサトを始めとするネルフ本部の焦りは強まっていく。

 やはり頼みの綱は、大出力型第2次試作自走460mm陽電子砲のみとなるのか。

 

『陽電子予備加速器、蓄電中、プラス1テラ』

 

『西日本からの周波数変換電力は3万8千をキープ!』

『電圧稼働指数、0.019%へ』

『事故回路遮断!』

『電力低下は、許容数値内』

『系統保護回路作動中。復帰運転を開始』

『第4次接続、問題なし』

 

 通常攻撃でラミエルの目を眩ましている間に、零号機の陽電子砲に繋がれた充電装置に次第に湯気が立ち込めてくる。

 

「最終安全装置、解除!」

 

 ミサトが号令を掛ける。

 

「撃鉄起こせ!」

 

 マコトの指示で、ヒューズが装填され、うつ伏せの体勢で陽電子砲を構えた零号機の顔の前に照準が下りる。

 

「射撃用所元、最終入力開始!」

 

 マヤが陽電子砲のステータスを報告する。

 

『地球自転、及び、重力の誤差修正、プラス0.0009』

『射撃は、目標を自動追尾中』

『陽電子砲、加速磁場安定』

「照準器、調整完了」

 

 マヤが零号機側の準備が整ったことを伝える。

 

『陽電子加速中、発射点まであと0.2、0.1』

「第5次、最終接続!」

 

 続いて、ミサトが次の段階へ進めるように指示を出す。

 

「全エネルギー、超高電圧放電システムへ!」

 

 マコトが現場へ指示を回す。

 

『第1から、最終放電プラグ、主電力よし!』

『陽電子加速管、最終補正パルス安定。問題なし』

 

 

 

 外で慌しく準備が進められる中で、シンジは迫り来る勝負の時に備えて目を閉じたまま深呼吸を繰り返していた。初号機の手には盾が握られている。思っていたよりも重く、重厚な感触が伝わってくる。

 今回の使徒は予想を遥かに上回る強さだった。前の第5使徒、この世界では第6の使徒となっているラミエル。まさかの変形スタイルに驚愕した。

 

『カウント、開始します!』

 

 もうこの先、自分の経験ではおそらく通用しない。今回も、勝てるかどうかは未知数だ。だがここを乗り切らねば、全てを失う。

 まだ戦いは始まったばかり。こんなの「序」章にすぎない。

 

「明日」が待ってるんだ。だから、勝つ……!!

 

 

 

「5、4、3、2、1……」

「発射!」

 

 ミサトの合図でレイが引き金を引いた。充電された電力が、陽電子砲の先端から一気に放出される。陽電子砲の放ったエネルギーの塊は、ラミエルのA.T.フィールドを貫通し、コアを目掛けて尚も突き進んだ。ラミエルは体を黒くして硬直し、悲鳴を上げた後に大量の血を第3新東京市の辺り一面に撒き散らす。

 

「やったか!?」

 

 ミサトは拳を握り締めてモニターを見る。

 しかし、ラミエルは元の正八面体の姿に戻ると、ひび割れた体を瞬時に修復してのけた。

 

「……外した!?」

「まさか、このタイミングで!?」

 

 ミサトとマコトが声をあげた直後、すぐにモニターに変化が起こる。マヤがそれに気づいてすかさず報告を入れる。

 

「目標に、高エネルギー反応!」

「総員、直撃に備えて!」

 

 ミサトが叫んだ瞬間、ラミエルは海星のような形体に変化し、シンジたちのいる方へ向かって特別強力な荷電粒子砲を発射した。

 

「キャアッ!!!」

「う、くっ!」

 

 シンジはギリギリのタイミングで零号機の前に立ちはだかった。

 ラミエルの放った一撃は、矢のように鋭く山に到達すると、その高温であらゆるものを融解させた。

 

 

 

 

 

「……エネルギーシステムは?」

 

 指揮車を襲った大きな揺れで転倒させられたミサトは、歯を食いしばりながら起き上がってマコトに聞く。マコトは注意深くモニターを見据えて答えた。

 

「まだいけます。既に、再充填を開始!」

「陽電子砲は?」

 

 ミサトは膝をついたまま今度はマヤに尋ねる。

 

「健在です、現在砲身を冷却中、ですが、あと一回撃てるかどうか……」

 

 零号機と初号機は、後ろに吹き飛ばされて体勢を崩していた。

 

「確認不要、やってみるだけよ。レイ、大丈夫?急いで、零号機を狙撃ポイントに戻して」

「はい!」

 

 

 

 レイはかなり焦っていた。さっきの砲撃は、完全に逸れていた。初号機が盾を持って庇ってくれたものの、その盾は全く融解していない。たぶん、使徒自身の砲撃システムが調整し終わっていない状態で発射したためだろう。

 けれど、それなのにあの威力。もしかしたら、あの盾もそんなに持たないかもしれない。立ち込める煙のなかで、レイは歯を食い縛った。

 レイは、打ちつけられてズキズキと痛む身体を必死に起こし、ライフルに手をかける。這うようにして移動し、ライフルを狙撃ポイントに戻すと、もう一度目に力を入れ、対岸にいる海星形のラミエルに向き合った。

 

「銃身、固定位置!」

 

 マコトが状況を伝える。

 

「零号機、G型装備を廃棄、射撃最終システムを、マニュアルに切り替えます」

 

 マヤが第2射の準備に入る。その時、作戦指揮車に緊急警報が鳴り響いた。

 

「敵先端部、本部直上、ゼロ地点に到達!」

 

 ラミエルのドリルが地上施設の装甲を全て突破したのだ。ミサトは焦りを抑えきれずに声を上げた。

 

「第2射、急いで!」

「ヒューズ交換、砲身冷却終了!」

「射撃用所元、再入力完了。以降の誤差修正は、パイロットの手動操作に任せます!」

 

 マヤの指示を受け、レイは再び敵のコアに照準を合わせようと息を吐きながら微細な調整をし始める。しかしその時、中心部が微かに揺れ動く……。

 

「目標に、再び高エネルギー反応!」

 

 マヤが使徒の攻撃を察知する。

 

「やばいっ!」

 

 ミサトがモニターの方に振り返って叫ぶ。

 ラミエルは再び最強力の荷電粒子砲を発射した。今度は逸れることなく、零号機目掛けて一直線に向かってくる。

 

「……っっ!!!」

 

 レイは咄嗟に目をつぶり、声にならない声を上げた。もはや半分が消えかかっていた下二子山に、またしても目の眩むような光と焼けつくような高温が降り注ぐ。

 ミサトが叫んだ。

 

「シンジ君!!」

 

 その叫びにレイがハッと目を開けると、そこには盾を構えて荷電粒子砲を防ぐ初号機の姿が見えた。

 

「碇君っっ!?」

 

 初号機の持つ盾がどんどんと溶けていく。そして端から次第に崩壊し始める。

 

「盾がもたない!」

「まだなの?!」

「あと20秒!」

 

 マコトがすぐさま報告を入れる。それと同時に、レイの焦りの声がスピーカーから聞こえてきた。

 

『ミサトさん、早くっ、このままじゃ、碇君が……っ!!!』

 

 盾は高エネルギーを防ぎきれない限界まできていた。

 

『リツコさん!!!』

 

 シンジの叫ぶ声が聞こえた。それを聞いて、リツコは顔を険しく歪めた。それでも歯を食いしばり、すかさず手元のタッチパネルをタップした。

 

「ちょ、リツコ一体何を……!?」

 

 遂に盾は加粒子砲の勢いに耐えられず、攻撃を直に受ける中央部から完全に崩壊する。

 その瞬間、シンジの乗る初号機が強力なA.T.フィールドを展開した。状況を理解したレイは目を見開いた。

 

「碇君!!!」

『初号機、A.T.フィールド展開中!シンクロ率95%を越えます!!』

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

 シンジは、A.T.フィールドで敵の攻撃を何とか弾き返し、何がなんでも防ごうとしているのだ。

 けどそれがどれだけ危険なことか、レイは知っている。全く動じず避けようとしないシンジに、レイは必死で叫んだ。

 

「碇君ダメ、逃げてぇっっ!!!!」

「大丈夫だっっ!!」

「っ!!」

「大丈夫、綾波は絶対……僕が、守ってみせる……っ!!!!」

『L.C.L.温度上昇、現在46度!このままでは……!』

「頼む……狙撃っっ!!!」

「くっ……!!」

 

 その時、充電完了のサインがモニターに現れた。第2射が可能な状態になったその瞬間、レイの照準もラミエルの中心を捉える。レイは間髪入れずにトリガーを引いた。

 発射された陽電子砲は、ラミエルのコアを一直線に貫いた。ラミエルは攻撃を止め、正八面体へ戻り後方に火を吹いて爆発した。そして次の瞬間、突然無数の棘状の形体に変化すると、悲鳴を上げながらコアを破裂させる。ミサトは勢いよくガッツポーズをした。

 

「やったっ!」

 

 ジオフロントの天井を突き破って降下していたラミエルの先端は、血の雨に変わってネルフ本部へと降り注いだ。

 

 

 

「碇君っ!!!」

 

 遥か彼方でラミエルが崩壊していくのを横目に見ながら、レイは照準機を荒々しくもぎ取り、一目散に初号機に向かった。

 湖へ倒れこんだ初号機はぐったりとしていた。レイは必死でプログ・ナイフを初号機に突き立て、無理矢理エントリープラグを取り出した。

 

「返事して!碇君っっ!!」

 

 そのまま地上に運ぶと、自らも零号機から駆け降り、初号機のプラグへと駆け寄ってハッチをこじ開けようとする。エントリープラグは焼けるほど高温になっていたが、レイは火傷を負うことも厭わず、手に渾身の力を込めて回した。

 

「碇君!しっかりして!!碇君っ!」

 

 ハッチが開くのと同時にレイは叫んだ。シンジはその呼びかけに気づいて、眠りから覚めるようにして顔を上げる。その無事な姿を見て安堵したレイは、乱れていた呼吸を沈める。

 

「良かった……何とか……なったみたいだね……」

 

 弱々しい声でそう呟きながらシンジは頬笑んだ。それを聞いたレイは、ひどく心を揺さぶられた。

 

「どうして……そんなに、無茶するの……っ」

 

 レイは分からなかった。どうしてシンジは逃げなかったのか。危険だとか苦しさだとか、ヒトならば自分自身が一番よくわかってるはずなのに。身を挺して庇ってくれた理由が分からなかった。

 碇君に、代わりなんかいないのに……。

 

「泣いてるの……綾波?」

「え……?」

 

 レイが目に手をあてると、それは指を伝って流れてきた。レイは戸惑った。今まで、知ってはいたけれど自分には経験のないことだった。

 

「これが、涙……?……泣いているのは、私……?」

 

 シンジはレイの顔を覗き込む。レイはなぜか見られたくないと感じて、顔を横に背けた。

 

「ごめんなさい……私、どうして……」

 

 シンジは上手く言葉を紡ぎ出せないレイを見て、何やら面白おかしくなってしまった。でも、レイの言いたいことは、シンジにはよく伝わった。

 

「……心配してくれてありがとう、綾波」

「っ……!」

「ごめん、綾波をどうしても、助けたくってさ……」

 

 シンジの脳内には、どうしても前世でのラミエル戦、そして、第16使徒のアルミサエル戦が頭に残っていた。レイは2回とも、自分を守ってくれた。しかもアルミサエルの時は、自分の命を捨ててまで。

 だから今回は必死だった。零号機を狙撃に回してもらったのも、リツコに頼んでL.C.L.圧縮濃度を一時的に上げてもらったのも、その思いからだったのだ。

 

「行こっか、綾波?」

 

 シンジはゆっくり立ち上がった。だが、さっきA.T.フィールドを全力展開したときに本気になりすぎたらしい、一歩踏み出そうとして上手くバランスを取れずに倒れかけてしまう。

 

「危ない……!」

「っとっ!?」

 

 レイは思わず手を伸ばしていた。その華奢な腕にシンジの上半身が倒れ込む。

 

「……と、ご、ごめん。だいぶ疲れたらしいや……」

「……足下、気をつけて……」

 

 レイはそう言いながら、シンジの腕を自分の肩に回した。

 

「……うん」

 

 レイの涙は止まらなかった。だが、レイは、その暖かな感触に、不思議な安堵感と幸福感を抱いた。

 シンジが自分を守ってくれたこと、生きててくれたこと、その全てが、レイにはとても嬉しいことだった。

 支えられつつも、なるべく自分で歩こうと必死になるシンジを見て、レイは自然と、今までしたことのなかった表情を、

 優しい笑顔を、浮かべたのであった。

 

 

 

 

 

 その頃、血でも流れたかのような赤い線の引かれた地面に、一人の少年が足をついた。少年の後方には、5つが開かれ、4つがまだ閉じられた状態の棺。

 

「分かっているよ。あちらの少年が目覚め、概括の段階に入ったんだろう?」

 

 棺から起き上がった少年は、宙に浮かぶモノリスを見上げた。

 

「そうだ。死海文書外典は掟の書へと行を移した」

 

 少年の目の前には巨大な穴が掘られていた。そしてそこには、一体の白い巨人が寝かされていた。

 

「契約の時は近い」

 

 そう言い残して消える黒いモノリスを見届けながら少年は小さく微笑んだ。

 

「また3番目とはね。変わらないな、君は」

 

 少年は少し長めのロマンスグレーの髪を揺らしながら後ろへと振り返り空を仰ぐ。その視線の先には、紫に色づく惑星が、黒い空に、さながら宝石のように輝いていた。

 

「逢える時が楽しみだよ、碇シンジ君」

 

 渚カヲルは、不敵な笑みを浮かべ、

 そう、小さく、呟いた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

…………長っ!?!?

書き終わってから知りました。まさかこの本編全部で50KBだとか。ヤバい、ヤバすぎる……。(ちなみに今まで大体30KB近辺)

いや予想はしてたよ、色々台詞あるから、それ全部入れようとしたらこりゃ長くなるだろうとは思ったけど……。

……ま、いっか。これもシナリオの範囲内だ。(適当)



それと、補足説明幾つか。(長くはなりませんので。)

・序盤に出てきた「MQ-9」は無人攻撃機です。あれです、「シン・ゴジラ」の「ヤシオリ作戦」で使われたやつ。

・タイトル「Battaile Decisive」……そのままかよ!と思われるでしょうが、押し通します。EM20は至高のBGMです。

・前回のあとがきで述べた「序」での不可解な点というのがラミエルのドリルなんです。あの変形なら、普通にレーザーで装甲を突き破ってきた方が良いだろうに……。てなわけで今回は、攻撃対象でないものは撃たず、エネルギーを溜め込んでおくという「シン・ゴジラ」ばりの設定で通しました。

・本作で第一部は終了です。次回から物語は大きく動き出します。新たなシナリオ、その先に待ち受ける運命は……。

次回、閑話休題!だけど結構重要かな?♪


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第漆話 日常と非日常の間に

 

 

 

 

 

 あの時の、彼の強い眼差しが、今日も脳裏に蘇る。

 

 第6の使徒を倒して4日が経つ。地上施設の修復も急ピッチで進められ、第3新東京市の経済市場も回復は間もなくだ。レイたちも、今日は久々に学校に復帰するらしい。

 結果は素晴らしいものだった。作戦成功確率9.10%という窮状を跳ね除け、彼らはあの絶望的強力な攻撃力をもつ第6の使徒から生き延び帰ってきた。これには心から喜び、思わず二人を抱き締めてしまうほど嬉しかった。

 だが、ネルフNo.1の頭脳を持つE計画責任者の赤木リツコには、ただ喜んでいる暇もないのが現状だった。

 かなり体力を消耗したシンジを念のため病院に搬送した後、自身は本部へと飛んで帰り零号機の再調整並びに第6の使徒についての報告書作成を(戦況報告はミサトら作戦部の管轄だが、使徒本体は技術部の領域のため)行わなければならなかった(尤も、零号機に至ってはレイのシンクロ率が82.21%という最高値を記録したので、あまり変更措置はなかったのだが)。

 さらには今回の戦闘で実用化に希望が見えた陽電子砲のデータ処理も早急に済ませたかったため、結局リツコはこの3日間ほぼ寝ていない。

 それ故にマヤやシゲルなどオペレーターの面々から休むように勧められ、今は自分の研究室のソファに横になっている。

 

 しかし、リツコは眠りには就けなかった。目を閉じると、あの時の彼の表情が浮かんでくるのだ。

 

 

 

 

 

『リツコさん、少し、頼まれてくれませんか……?』

 

 ヤシマ作戦が始まる前、リツコはシンジに呼び止められた。いつにも増して真剣な目をしていた。

 

『……どうしたの、急に?』

『作戦実行中に、リツコさんの名前を大声で叫ぶことがあるかもしれません。もしそうなったら、L.C.L.の圧縮濃度を一時的に上げていただきたいんです』

『あ、圧縮濃度……!?』

 

 リツコは目を見開いた。

 

『ええ、相対的に110%くらいで構いません。それと、循環冷却システムもフル稼働にしていただけるとより良いんですが……』

『ちょ、ちょっと待って!なぜそれを……』

 

 エヴァの内部システムをシンジに説明したことはない。圧縮濃度も発令所から全てコントロールするため、パイロットが知る必要は全くなく、教えてもいないはずである。

 

『すみません、今は何も言わず聞き入れてほしいんです。後でちゃんと説明しますから』

『どうして……?』

『……簡単に言えば、精一杯の対策です。綾波を守るための』

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第漆話 日常と非日常の間に】

【Episode.07 United Front】

 

 

 

 

 

 リツコも今となってはシンジがなぜそう頼んだのかよく分かった気がした。L.C.L.の圧縮濃度を上げることはつまり、大気圧を上げることに等しい。もちろん上げすぎるとケーソン病などを引き起こしかねないが、1割増程度なら、少し呼吸しにくくなる位だ。

 だがそれよりも重要なことがある。L.C.L.は奇妙な液体で、熱伝導性が圧力で急激に変化するのだ。普通の圧力であれば水と同じような感じだが、増圧すると熱伝導率は急激に低下する。

 シンジが圧縮濃度を110%に上げてくれと言ってきたのは、自分が呼吸することのできる状態で、使徒の加粒子砲を初号機自ら受け止めるための策だったということだ。マヤが言っていたように、最終的にL.C.L.の温度は47度まで上がったが、もし圧縮濃度を上昇させなければ60度を優に越え、全身火傷は免れられなかったであろう。

 

 彼からはまだ詳しく話を聞けていない。なぜ圧縮濃度や循環冷却システムのことを知っていたのか。加えて、あの瞬間に記録した98.38%というシンクロ率。そして、レイに向けたあの言葉。積もる謎は深まるばかりだ。

 彼に対する恐怖なのか、期待なのか、それとも科学者としての興味なのか、果たして自分でも分からないのだが、とにかくシンジのことを考え始めると時間の経つのも忘れてしまうリツコなのだった。

 

 

 

 

 

「なんか、すっごい久しぶりな感じがする……」

「そうね……」

 

 その頃、シンジとレイは二人連れだって5日ぶりの学校へと登校していた。ラミエルが校舎にぶちまけた血液は昨日の大雨でほとんど流れ落ち、先生方の作業のお陰で校庭も結構元に戻っていた。

 今日はまだ緊急の職員会議があるらしく午前で授業が終わるため、放課後はレイの服、洗顔用品、布団、その他諸々必要なものを買いに行くことになった。コンフォート17マンションに引っ越してきてすぐに行きたかったのだが、シンクロテストだとか起動実験の準備だとかラミエル戦だとかでかなりバタバタしてしまい、結局今に至る。

 隣を歩くレイはいつにも増して足取りが軽そうであった。表情の方は、やはりいつもの鉄仮面仕様ではあるのだが、それでも前よりは随分と柔らかくなった。

 

「碇君……今日はよろしく……」

 

 少し声を小さくして(元から小さいのにそれ以上小さくできるのは正直驚きだが)おずおずと頼んでくるその様子からも、レイの内面の変化を見てとれる。シンジはそれを嬉しく感じ、いつもの笑顔をもって頷いた。

 

「うん!」

 

 

 

 ******

 

 

「しっかし、ワシらがついてきてホンマに構わんかったんか?」

「そうだよ、せっかくの買い物なんだから、碇と綾波と、二人っきりで行ったらいいと思うんだけど~?」

 

 第壱中学校からさほど離れていないデパートに、シンジたちはやって来た。トウジとケンスケ、ヒカリも誘っていて、5人での行動になっている。

 

「い、いやさ、僕一人だと何かと偏りそうじゃん?みんなの意見も聞きたいし、特に委員長を呼んだのは、女子の方が分かることもあるかなって思ったからね」

 

 ニヤニヤとしながら詰め寄ってくる二人に、シンジは言葉を濁しながらも回避を図った。多分、言わんとしていることは判る……。

 その奥では、ヒカリとレイが服選びに没頭しているようだった。ヒカリは自分なんかがレイのものを選んでしまってよいのかと躊躇っていたが、女子としてのファッションセンスを教えてあげて頂戴とシンジに頼まれ、快く引き受けてくれた。

 服選びなどしたこともないレイは、ヒカリからいろいろな事を聞いて四苦八苦しながら選んでいく。時折気に入ったものを試着してはシンジたちにも見せに来るのだが、不思議なもので試着してきたそれらの服は外れなしに似合っていて、そこのところレイのセンスとヒカリの手腕の凄さが見てとれる。

 結果的に3時間も買い物に費やしてしまったのだが、5人とも有意義な時間を過ごせたと感じているため、良しとしている。男子連中はこの後荷物持ちの役目が待っているのだが……(シンジはそれも理由にトウジとケンスケを誘っている。仲のよろしいことで)。

 

 

 

 

 

「はぁぁぁ……ちかれたぁー……」

 

 リツコは研究室にやって来てテーブルに突っ伏し、盛大にため息をつく親友に深く同情した。昨日、階級が一つ上がりめでたく「一佐」へと昇進した作戦部長の彼女の目の下には、くっきりと黒い線が入っている。大方、使徒殲滅の戦況報告と地上施設大量損壊の始末書を何十枚と書かされ、自分と同じく徹夜が続いていたのだろう。

 

「お疲れ様。そっちも大変みたいね」

 

 ブラックのインスタントホットコーヒーを差し出しながら、声をかける。今日は同じ境遇に居るからか、珍しく本音が続くものだ。

 

「ええ。もー無理……、通常兵器といえど、マジで侮れないわぁ……」

「でも、ああでもしないと倒せなかったんじゃない?」

「確かにねー……」

 

 正直言って、仕方がない。あれ以上の作戦を立案できなかったのが悪いのだ。ミサトも、自分も。二人は、再びため息をついた。

 

「でも、これからはもっと上手くやらなければね。見たところ、使徒も進化している様子よ?」

 

 リツコの言葉に、ミサトは天井を仰いだ。

 

「そうよねぇ……考えたらキリないけど、襲来してくる使徒のパターン、ある程度は予測しておくべきかしら……」

「備えあれば憂いなし。今回のヤシマ作戦は作戦成功率9.1%だったのよ?あれは奇跡だったってこと、しっかり覚えておくべきね」

「ええ……分かってるわ」

 

 ミサトは髪を掻き分けながら呟いた。

 

 

 

「ところで、明日少し、シンジ君を貸してほしいんだけど……いいかしら?」

「ん?どしたの一体」

「えと……、追加点検よ。調整が上手くできてなくて……」

 

 

 

******

 

 

 

 リツコは嘘をついた。本当はシンジと初号機の調整など少しも必要などなかった。むしろ、ハーモニクスは不思議なほどブレることがない。リツコがシンジを呼んだのは、他でもなく自分の仮説の答え合わせをするためだった。

 シンジは「いずれ話す」と言っていたため、その時を待つべきかどうかとも考えたが、リツコはこの謎をこれ以上先送りにしたくなかった。何と言っても、エヴァにかかわることだ、真実を早く知りたかった。でなければ安心して眠れもしない。

 

「リツコさん、検査じゃありませんよね?」

 

 リツコの嘘も、シンジはやって来て早々に見抜いたようだった。彼のこの高い洞察力も、なかなか恐怖である。

 

「ええ……教えてくれるかしら?」

 

 シンジはリツコの目を真っ直ぐに見た。射竦めるようなその目に一瞬ビクリとする。暫しの沈黙のあと、シンジは目を伏せて微笑した。

 

「分かりました。ただ、信じられない話とかも数多くあると思います。それは承知してくださいよ?」

「……ええ」

 

 そうすると、シンジはソファから立ちあがり、リツコの机から一つのリモコンを取り出した。

 

「え……ちょっと、シンジ君?」

「ついてきてください。場所を変えた方が良いと思いますので」

 

 別にここには盗聴器などないはずだけど……と思いつつ、今日はシンジに従うべきだと思い直し、リツコは慌ててついていった。

 

 

 

 二人はエレベーターに乗って地下へと降りていく。辿り着いた先は、人口進化研究所・3号分室だった。

 

「ここ……って」

「開けてもらって良いですか?」

 

 シンジは視線を扉に、いや、扉のその先に向けながら頼んだ。リツコは言われるがままそこにカードキーを通す。もはや、後に戻ることはできないことをリツコは悟る。

 扉が開くとシンジは拳を握りしめて歩き出した。その異様な雰囲気に気圧されながら、リツコはおそるおそるついていく。

 レイの部屋とそっくりな空間。ここは、彼女の生まれ育ったところだ。むしろここで育ったからこそ、レイにはあの無機質な部屋が与えられていたのだ。

 シンジは足音も立てずスタスタと奥へと進んでいく。次第にせり出した足場の下には巨大な空間が広がり、無数のエヴァの残骸が転がっている。数え切れないほどの大きな物体は、人の骨格のような形をしている。10年前に破棄された失敗作で、エヴァの初期型制御システム。そしてシンジの母が消えたところ。

 だがシンジはそれらにも、目もくれなかった。考えてみれば、彼には母親が消えた記憶も残っていた。ここの存在を覚えていても無理はない。

 けれど、この先は絶対に知り得ないはずのテリトリー。それなのに、シンジは歩く足を止めない。真っ直ぐ先を見据えて進む。

 

 そして竟に来てしまう。領域外の、空間に。

 

「……ダミープラグ」

「……」

「それを生産している工場、ですよね?」

「……ええ。まだ、開発途中だけれど」

「でも完成しているモノはある」

 

 シンジはポケットからリモコンを取り出し、スイッチを入れる。壁一面のガラスの向こうは蜂の巣のようになっていて、その一つ一つに無数の少女が横たわっている。

 リツコは全身を震わせた。自分の罪の象徴であり、呪縛であり、幻想である存在。

 

「本当は全部、今ここで、壊してしまいたいんですよ。でなければ綾波は、永遠にヒトになれませんから……」

 

 シンジの声は低かった。背中も震えているようだった。どれほど辛い思いがあるのか。リツコには想像ができなかった。

 

「リツコさん、僕は、」

 

 

 

 サードインパクトの起こった世界から

 

 この世界に飛ばされてきたんです

 

 

 

 現代の科学理論では、逆行だとか転生だとか、あるいはパラレルワールドの存在だとか、実際には説明不可能だ。科学者であるリツコも当然周知している。そのような説、非科学的だと一笑されて終わりだ。

 だがこの時、リツコは不思議にも納得してしまった。およそ予想していたからかもしれないが、それ以上にシンジ自身の告白が現実味を帯びていた。

 

「……驚かないんですね」

「……そうね」

 

 感心したような様子のシンジに、呟くようにして答える。

 

「あなたのいた世界では、もしかして私達、使徒に負けたのかしら?」

 

 一応聞いたが、おそらく答えはNOだと思った。奇妙な確信があった。

 

「いいえ、サードインパクトを起こしたのは、僕です。父さんや、ゼーレに利用されて」

 

 シンジはリツコにリモコンを手渡した。

 

「使徒は全部倒せましたよ。二つに分裂するもの、空から降ってくる巨大なもの、細菌状に寄生するもの、精神汚染を仕掛けてくるもの、アダムの魂を植え付けられたヒト型のもいました。それら全部、倒しました。……多くの犠牲の中でね。でも本当の敵は使徒なんかじゃなく……、同じ、人間だったんです」

 

 リツコは黙って聞いた。

 

「ゼーレと父さん、二つの人類補完計画がありました。ゼーレは人類の新生を、父さんは、母さんに会うことを、それぞれ夢見ていたんです。それに利用されたのが、初号機パイロットである僕であり、リリスの分身である綾波だった。最終的には、他人と共に生きることを選んだ僕によって、両方の計画は崩れ去ったんですけどね。でもその後には何も残らなかった。綾波の形をしたリリスも崩壊し、赤い海に、僕と、僕を最後まで拒絶し続けたアスカの、二人だけが残されたんです。本当、ついこの間のことみたいですよ」

 

 過去を思い返すシンジの表情は、かなり苦しそうだった。だがそれでいて、とても落ち着いていた。

 

「食料も水もなく、死ぬのは必然かと思われました。けど何の因果か、僕はネルフに来るあの日に、逆戻りしていたって訳です」

 

 シンジは微笑み、リツコに向き直った。

 

「サードインパクトの時、一瞬とはいえ僕はみんなと一つになり、ネルフで一体何が起こっていたのか、その事実を知りました。それで、あの悲劇を二度と繰り返してはならないと、そう決意したんです」

「それで……ミサトや、レイを……?」

「ええ。ですが、やはり完全に同じって訳でもないみたいですね。このダミープラント、前は水槽形式でしたからね。それにこの前の使徒も、まさか変形するとは思いませんでしたし。ついでに言うと、確か『第6の使徒』でしたっけ、僕のいた世界では『第5使徒ラミエル』って言ってました」

 

 シンジはケタケタと笑い出した。さっきまでの暗い思いが吹っ切れたようだった。

 

「なので、経験していると言っても当てにはできませんけど。……それでも、僕を信じてくれますか?」

 

 愚問だな、と思った。彼の顔を見て、誰が嘘だと言い切れようか。確かにまだ理解しきれないところはある。だが彼の誠意は本物だ。

 

「そんなの当たり前じゃない。それに、私に納得させるためにここに来たんでしょ?」

「……確かに」

 

 シンジはガラスに触れた。すぐ先には、無数の綾波レイが無感情な目でこちらを見ている。

 

「生きているんですよね、彼女達も」

「そうね……けど、これはただの容れ物でしかないのよ。魂がない、それって、本当にヒトであるとは言えないものね」

 

 ふと、レイの顔が頭をよぎった。もちろん、ここにいる無数のスペアとは違う、今のレイのである。

 ヤシマ作戦の後、シンジを初号機から救いだし、シンジに肩を貸しながら歩いてきた彼女は、笑顔を湛えていた。頬には涙が流れていた。

 レイも、感情を持つ、人間なのだ。その代わりになる者などいないのだ。だがこのままでは、レイは永遠に、道具として利用されるだけになってしまう。

 そして、自分も同じだと悟る。自分も、母・ナオコの代用品として、道具として利用されてきた。

 リツコは手にしたリモコンを見つめた。シンジがこれを渡したのは、自分にはっきり自覚させようとしているからなのだろう。

 真実を知っているということは、当然ゲンドウとの関係も分かっていはずだ。リツコ自身にとって、とても不愉快な形の関係を。

 それでも、確かに自分はゲンドウを愛した。初めて自分を求めてくれた彼を、多分、嫌いになることなど絶対にできないのだ。

 かといってこのままでは、歯止めが利かなくなる。全てを知っていたはずの自分が、知り得ない世界の事とはいえサードインパクトを防げなかったのだ。それは自分自身が追い詰められ、何もできなかった事を意味する。大方、MAGIと自爆しようとして失敗でもしたのだろう。MAGIの中の母は、それこそ自分のように、否、自分以上にゲンドウを愛したはずだから。

 その事をシンジが敢えて言葉に出さなかったことに、彼の気遣いを感じて感謝した。そして、リツコは決断する。

 

 今だ。

 

 破滅への道を絶つなら、今しか。

 

 リツコがリモコンを高く上げると、シンジも手を重ねる。

 

「今ここでこれを壊せば、父さんが黙っちゃいませんよ。僕も、リツコさんも、もしかしたら殺されるかもしれない。ダミーシステムの計画も、これで全て終わりになります。先の未来も、予想がつかなくなる。それでも、構いませんか?」

 

 シンジの言葉は重かった。ボタン一つで人生が変わるとは、皮肉なものである。それでもリツコは、微笑み、前を見据えて力強く頷いた。

 

「未来を変える。そのために、この手を乗せているんでしょ?」

 

 敵わないなと言わんばかりに、シンジも微笑んだ。

 

「ふふっ……仰る通りです」

 

 二人はダミープラントの生命維持装置停止のスイッチを押した。

 

 

 

 

 

「あの、僕のこと、まだ誰にも言わないでくれませんか?」

 

 シンジは帰り際にリツコの研究室でコーヒーを飲んで一息ついていた。そんな彼に唐突に頼まれ、リツコはキョトンとした。

 

「どうして?」

「いえ、逆に言えば、リツコさんだから話せたってとこなんです。ミサトさんは言っても混乱してしまうだけでしょうし、綾波にはできれば伝えたくないので。父さんはもっての他ですし。実際、僕がなぜこの世界にいるのか、自分でもよく分かってないので、そこで説明しても意味を為さないと思うんです」

「なるほど……」

「リツコさんなら常に冷静だし、頭も良いって思ってたので打ち明けられたんです」

「フフ、信頼されてるのね。いいわよ、これはとりあえず二人の秘密ね♪」

「ありがとうございます。ところで……」

 

 シンジはマグカップを机の上に置いた。

 

「これからどうします?」

 

 シンジはばつが悪そうな表情でリツコに訊いた。

 

「そうねぇ……あの人のことだから明日にでも私を営倉だか独房に放り込むでしょうね。でも……」

 

 リツコもマグカップを置いた。

 

「大丈夫じゃないかしら?科学者としても、MAGIを扱えるような私の代わりはまだ見つかってないし、初号機を一番上手く扱えるシンジ君もそう。レイも代わりはこれで消えたから、誰を殺そうにも殺せないわよ」

 

 シンジは頷いた。

 

「それと、今回は技術部長の肩書きを利用させてもらうわ。同じ部長同士なら、あの子は絶対動けるでしょうし」

 

 リツコはニヤリと笑った。そしてデスクの受話器を取った。

 

「ええ、私よ。マヤを呼んで頂戴?」

 

 

 

 ******

 

 

 

 ミサトは司令室へと向かっている。その表情は怒りに満ちてかなり険しくなっている。

 リツコが独房に拘禁されたと聞いたのは今朝のこと。詳細は不明。誰に聞いても何も知らないという。ただ、リツコを敬愛するマヤだけは、リツコが殺されるかもしれないと不安で泣きそうになっていた。

 一体何が起こっているのか、強い不審感を憶えたミサトは、上層部に直接問いただそうと歩いている。

 

 

 

 

 

 一方そのゲンドウは、真っ暗な独房でリツコに対して問いただしていた。

 

「何故ダミーを破壊した」

 

 低い声がリツコの耳に届く。その声がいつもよりも低く聞こえるのは、おそらく気のせいではなく、ゲンドウが憤っているのだと推察できる。

 

「現実を見ることにした、ただそれだけです」

 

 リツコは不思議とこの状況を楽しんですらいた。ゲンドウを裏切ったのは辛いが、それでもこれで一歩を踏み出せることに希望を抱いていた。

 私は、あなたの人形じゃない。それを知らしめるには絶好の場所だった。

 

「……どういう意味だ」

「レイは道具ではありません。もちろん私も。これ以上、他人のエゴに縛られたくないですから。私は、これからは自分の信念に従って生きていくんです」

 

 リツコは立ち上がり、口元に笑みを湛えたままゲンドウを真っ向から睨み付けた。

 

「……君には失望した」

 

 ゲンドウは一言言い残し、その場を立ち去った。

 リツコは、腹の底から沸き上がる笑いをとどめることができなかった。全く、過去の自分の馬鹿らしさに非常に呆れる。

 男と女はロジックじゃない。ひどく曖昧であやふやな関係。自分も彼も、お互いに欠けたものを満たそうとすがっていただけなのだ。

 でも私はもう違う。新たな人生に向けて歩き出すのだ。

 

 人の心とは、複雑で、難しい。

 それでいて、なんて凄く面白いものなのだろう。

 

 リツコは、独房で一人笑いながら、そう思ったのだった。

 

 

 

 

 

 ゲンドウは指令室に戻ってすぐに、作戦部長のミサトに問い詰められた。

 

「一体どういうことでしょうか?」

「……ネルフに離反した為だ、それ以上の理由はない」

「ですから、その離反内容を聞いています。知られてはならないことでもあるのですか?」

 

「君は知らなくて良い情報だ。これ以上の詮索は君の立場を危うくするぞ」

「……ネルフの秘密主義も全く怖いものですね」

 

 ミサトは呆れた。あくまでこの男はシラを切り通すつもりらしい。だが、半ば脅迫じみた言葉で警告されても、今回のミサトは折れなかった。

 

「いいでしょう、真実はまた後程お聞かせ頂くということで。ですがとりあえず、解放だけでもしてください。赤木技術部長には居てもらわなければ私達使徒殲滅チームが困ります。現に第6の使徒戦では、シンジ君と赤木博士の功績によって、初号機及び零号機をほぼ無傷に留めています。それに、ネルフ一の頭脳を失えば、殲滅のための作戦精度が低下するのは必至です」

 

 それに、まだ切り札もある。ミサトはポケットから音声レコーダーを取り出した。

 

「これはレイからの伝言です」

『赤木博士を解放してください。でなければ、私は本日以降、零号機には搭乗しません』

「なっ……」

 

 傍で聞いていた冬月は言葉を失った。

 

「私を脅すつもりか」

 

 ゲンドウはとりわけ低い声でミサトを睨み付けた。ミサトはすました顔で首を傾げた。

 

「さあ、どうでしょうか。とにかく次回以降、作戦遂行は厳しくなると思いますのでご承知おきを」

 

 ミサトは踵を返し指令室を出ていった。部屋には未だ手を組んだゲンドウと直立不動の冬月が残された。

 

「……碇、どうするんだ?……彼女の言っていることは至極正論だぞ?」

「分かっている……」

 

 

 

 

 

 なんやかんやで結局釈放されたリツコは、ダミープラントのことをミサトに全て打ち明けた。

 

「……はぁぁ!?!?」

 

 目の前の彼女は口をあんぐり開けて絶句した。驚くのも無理はない、一緒に生活している人間が、厳密には人間でなかったのだから。

 

「怖いわね……ここ」

「……そうね」

 

 ミサトは何か言いたげに頭や首筋を掻いたが、言葉が出てこないようだった。予想を遥かに越える事実、やはりミサトには理解し難かったのだろうか。

 

「でも、これで良かったんだと思いますよ。赤木博士は、とても聡明ですから」

 

 ミサトとリツコにコーヒーを出しながら、マヤが言った。

 

「それはそうとマヤちゃん驚いたわよ、まさかあれ演技だったなんて」

 

 そう、ミサトを焚き付ける起爆剤として、先程マヤには演技をしてもらったのだ。その演技力は、目の前のミサトも驚くほどのもの。

 

「先輩のためです。それならば私はたとえ火の中水の中です!!」

 

 そう言って胸の前で拳を握りしめる彼女を見、つくづく、この後輩は可愛いものだと思うリツコなのだった。

 

 

 

 

 

「ところで、そろそろよね、あの子が来るの」

「そういえば……」

「実に2年ぶりかしら?あなたが向こうに行ったのは大学卒業してすぐだったものね」

「そうね~。月日の経つの早いっての♪」

「そうね……」

 

 昨日のシンジも、『ついこの間のことのよう』だと言っていた。リツコにはその言葉が、シンジの前史での辛さを象徴する一言だった気がしている。

 思わずため息が漏れてしまう。前史の自分は果たして何をしてあげたのだろうか。恐らく自分の事で精一杯だっただろう。改めて自分自身が不甲斐なく思えてしまう。

 

「ん?どうかした?」

「いえ……、大したことじゃないわ。……大したことって言えば、その日確か碇ユイさんの命日だったような」

「そなの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





☆あとがき

今回のストーリー、後々の伏線になるかもしれない……どうなるかは今後の僕次第ってね……(汗)

リツコとシンジが綾波のダミーを破壊しました。あのシーンは僕もだいぶ辛かった。だから、早い内に訣別させておきたかったわけです。お陰で後半の内容が薄い……(^^;)

ゲンドウは翻弄されまくってます。お労しや……(笑)

今日はこれからバイトです。皆様もお疲れ様でございます。

pixivでも公開しております。感想や評価等いただけると嬉しいです♪(今後の励みになりますので。笑)



さぁーて、次回はあの娘が帰ってくる!!!
ようやくだァァァァ!!!!!!(精神崩壊)



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破章:Dep-2.00
第捌話 式波


 

 

 

 

 北極・NERV旧北極基地、ベタニアベース。

 

『Start entry sequence.(エントリースタート)』

 

 その地下でコックピットに乗り込んだ少女は、オペレーターの通信が飛び交う中で、肩で息をしながら待機していた。少女の顔にはメット型のバイザーが装着され、頭部の殆どが覆われている。

 

『Initializing L.C.L. analyzation.(LCL電荷を開始)』

『Plug depth stable at default setting.(プラグ深度固定、初期設定を維持)』

『Terminate systems all go.(自律システム問題なし)』

『Input voltage has cleared the threshould.(始動電圧、臨界点をクリア)』

『Launch prerequisites tipped.(全て正常位置)』

『Synchronization rate requirements are go.(シンクロ率、規定値をクリア)』

『Pilot, Please specify linguistical options for cognitive functions.(操縦者、思考言語固定を願います)』

『あ、えーっと……、初めてなんで、日本語で』

 

 オペレーターに呼ばれたことに気づいた少女は、呼吸を一旦沈めてからそれに答えた。

 

『Roger.(了解)』

『ぐっ……っ』

 

 言語プログラムが日本語へと切り替えられていく。そのシステム表示を確認しながら、少女はコックピットの上で、慣れないプラグスーツに体を馴染ませるように体を伸ばした。

 機内の様子をモニターを通してずっと見ていた一人の男が、彼女の通信が一通り終わったことを確認すると、守秘回線を厳かに繋ぎ、話し始めた。

 

「新型の支給、間に合わなかったな」

『胸がキツくて嫌だ』

 

 男の声に少女は少し気だるそうに、愚痴をこぼした。

 

「おまけに急造品の機体で、いきなり実戦とは、真にすまない」

『……やっと乗せてくれたから、いい」

「お前は問題児だからなぁ」

 

 男は自嘲気味に微笑んだ。少女がコックピットの座席にすっぽりと体をフィットさせるのが見える。

 

「新型はこの仕事が終わったら向こうで必ず渡す。俺は先に行ってるから、後から予定通りにな」

『分かってるって。ボディーガードお疲れ様♪』

「まあ、あとは頼むよ」

 

 その言葉をよそに、少女は機内の計器をピコピコといじり始めた。

 

『動いてる、動いてる。いいなあ、ワーックワクするなあ♪』

「まったく……。相変わらず人の話を聞いてるんだか聞いていないんだか……」

 

 少女が「コレ」に乗るのは初めてなのだ。新たな経験に心が躍るのも仕方がないことではある。男が立ち上がったその時、一通り感触を確かめてぐっと気合を入れた少女が宣言するのを聞いた。

 

『さて、エヴァンゲリオン仮設5号機、起動!』

 

 その掛け声と共に、メットの“EVANGELION-05”の文字が発光し、コックピットが一気に作動し始める。

 男はフッと微笑むと、モニターの電源を落として会議室を後にした。

 

 

 

 地下通路内では、四本の脚の上に硬い殻の胴体が乗り、そのヤドカリのような胴体から首長竜の骨のようなものが伸びているという奇妙な形をした生物が、目を光らせ首をぐねぐねと揺らしながら高速で進行していた。戦車隊がそれを追撃するも全く効果がみられず、オペレーションルームの司令官が焦りを見せていた。

 

「Defend the Limbo Area at all costs! We cannot allow it to escape from Acheron!(辺獄エリアは死守しろ!奴をアケロンに出すわけにはいかん!)」

「How can a containment system as secure as Cocito be neutralized……(まさか封印システムが無効化されるとは……)」

「It was within the realm of possibility.(あり得る話ですよ)」

 

 激を飛ばす三人の司令官たちの背後に、先程まで少女と会話していた男が現れていた。

 

「On its own,humanity isn't capable of holding the angles in check.(人類の力だけで使徒を止める事は出来ない)」

 

 男は呆然と見ている司令官に対して流暢な英語をまくし立てた。その表情は完全に余裕の笑みだった。

 

「The analysis following the permafrost excavation of the 3rd Angel was so extensive all that was left were some bones and that was the conclusion.(それが永久凍土から発掘された第3の使徒を細かく切り刻んで、改めて得た結論です)」

 

 男はそう言うとジェット機用のヘルメットを被り、さっと手を上げてその場を去っていった。

 

「That said.Gotta run!(てな訳で、後はヨロシク!)」

 

 

 

 男が飛行機に辿り着いた頃には、地下から響いてきていた爆発の振動が、次第に地上の方へと移動しているのが分かった。

 

「Der Lehrer wird in Kürze abheben. Bitte beeilen Sie sich.(先生、まもなく離陸します。お急ぎ下さい。)」

 

「Okay, ich weiß.(オーケー、分かってるよ。)」

 

 ドイツ語で話すパイロットに促され、加持は飛行機に乗り込んだ。

 

「アイツのことだから恐らく大丈夫だろうが……無茶はするなよ、……マリ」

 

 男は「マリ」と呼んだ少女を気遣いながら、シートベルトをしっかりと締め、メットのシールドを眼前に掛け降ろした。

 結局、アケロンに這い上がった第3の使徒と、それを追ってきた仮設5号機の戦いはまさに死闘の近接戦闘となり、最後は仮説5号機が片腕を犠牲にしながら使徒のコアを握り潰した。

 使徒のコアから血が噴出すと同時に、仮設5号機は脱出ポットのロックを外し、エントリープラグを射出。脱出ポッドのジェットが点火されて、少女の乗ったプラグは、その場から上空へ高く飛ばされた。

 次の瞬間、仮設5号機は使徒の形象崩壊と同時に自爆し、巨大な爆発をもって施設ごと吹き飛ばしてしまったのだった。

 

 

 

 仮説5号機が第3の使徒を槍手で柱に突き立てた辺りから、全てを飛行機から眺めていた男は、遥か上空を飛びながらその様子を見届けると、軽くため息をついて安堵した。

 

『Target obliterated.(目標消失)』

『Unit Five has been vaporizerd.(5号機は蒸発)』

『Pilot appears to have ejected.(操縦者は脱出した模様)』

 

 メットには通信用のヘッドホンとマイクも装着されており、オペレーションルームからの情報が逐一耳に入ってきていた。

 

「5号機の自爆プログラムは上手く作動してくれたか……。やれやれ、折り込み済みとはいえ、大人の都合に子供を巻き込むのは気が引けるもんだ……」

 

 そう、実は5号機の自爆どころか、第3の使徒の覚醒までこの男:加持リョウジは全てを仕組んでいたのだった。そして加持は、海面を見ながらそのまま飛び去っていった。

 

「だが……あの子たちは一体何だってんだ……?」

 

 加持が最後に発した小さな呟きは、飛行機のエンジン音に掻き消される。彼の手に握られていた端末には、一人の男の経歴書が映し出されていた。

 

 

 

 

 

 緊急脱出した少女は、エントリープラグごと海に不時着した。

 

「……っててて……。エヴァとのシンクロって聞いてたよりきついじゃん……」

 

 少女は、プラグのハッチから出ると、ヘルメットを脱いで長い髪を風に晒す。北極とはいえ、セカンドインパクトの時の地軸の歪みのせいで、氷河はおろか、今はさほど寒くもない。

 

「まあ、生きてりゃいいや……どうせ、こっからが本番なんだろうし」

 

 プラグの上に立ち、戦闘跡地に高く上った光の十字架を眺めた。同時に、この仕事が終わったことでとうとう帰れることになった故郷へと、思いを馳せた。

 

「自分の目的に大人を巻き込むのは気後れするなぁ……」

 

 そして、先程まで共に戦った戦友への感謝を胸に秘め、頭から血を流しながらも、真希波・マリ・イラストリアスは晴れやかな笑みを浮かべたのだった。

 

「さよなら、エヴァ5号機。お役目ご苦労さん」

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第捌話 式波】

【Episode.08 I missed you.】

 

 

 

 

 

「3年ぶりだな、二人でここに来るのは」

 

 ゲンドウとシンジは、ユイの墓がある場所へ訪れていた。地平線の向こうまで続く砂漠地帯。そこには無数の石碑がサボテンのトゲのように立っていた。

 

「そうだね。僕は、あの時逃げ出して……そのあと来てないや。ここに母さんが眠ってるってピンとこないんだ。顔も覚えてないのに」

 

 シンジは、母の墓前に花を手向け、ひざまずいていた。だが、内心では爆笑していた。

 ここにいるわけないだろっての。全く、母の居場所を知っているにも関わらず、親子二人して何してんだか。声を出して笑おうとするのをシンジは必死でこらえている。

 

「人は思い出を忘れることで生きていける。だが、決して失ってはならないものもある。ユイはそのかけがえのないものを教えてくれた。私はその確認をするためにここに来ている」

 

 ゲンドウはユイの石碑から一歩引いたところに立って淡々と語る。その言葉が、シンジの我慢に追い討ちをかけているとは、ゲンドウはわかるはずもない。

 その思い出を取り戻そうとしてるんでしょうが、アンタは。

 

「写真とかないの?」

 

 シンジはゲンドウの方は見ずに立ち上がった。今振り返れば、笑っているのがバレてしまう。

 

「残ってはいない。この墓もただの飾りだ。遺体はない」

 

 でしょうよ。

 ゲンドウはシンジの背中から視線を外した。

 

「先生の言ってた通り、全部捨てちゃったんだね」

「すべては心の中だ。今はそれでいい」

 

 はいはい。演技するのも大変なものだとシンジは思った。

 

 

 

 

 

 本当なら来なくても良かったのだが、数日前、ミサトから話を聞いて、この墓参りに来ることにしたのだ。

 

『へぇ、母さんの命日、そんなに早いんだ……』

 

 シンジはミサトから伝えられたことを他人事のように聞き流した。一度経験していることが狂ってくると、色々とこんがらがってくるため、もはやあまり考えないようにしている。それにシンジ自身もイレギュラーであるし、前史とは違うのは明確なのだ。むしろ完全に刷新されたシナリオでスリルを味わうのもアリかもしれないと呑気なことも思い始めている。………冗談です、はい。

 

『碇司令も来るみたいだし、行ってきたら?』

『そうですね。せっかくなので』

 

 とにかく、前史の父の言葉を思い出して楽しみになった。もちろん、全く悪い気はしない。

 ふと、隣に座るレイを一瞥し、一緒に来るかどうか訊ねた。

 

『いえ……私は赤木博士の研究室で留守番してるわ。もし、使徒がやって来た時、碇君には慌てないでほしいから』

 

 レイは自信に満ちた目でそう言い、シンジはそれを見て微笑んだ。とはいえ、実はレイは、ゲンドウから身を隠したいという理由もあった。リツコが独房に入れられた件もあり、彼と顔を合わせるのはなるべく避けておきたいと思っていたからである。シンジとミサトが知ることはないのだが。

 

 

 

 

 

 暫くして、ネルフの垂直離着陸型の輸送機が到着した。

 

「時間だ。先に帰るぞ」

 

 ジェットエンジンが砂埃を上げる中で、ゲンドウはシンジの方を見る。シンジは無言で振り向く。ゲンドウが立ち去ろうとした時、シンジは思い切って声を上げた。

 

「父さん!」

 

 輸送機に近づいて行く途中にあったゲンドウが振り向く。シンジは、満面の笑みで言った。

 

「今日は嬉しかったよ、父さんと話せて」

「……そうか」

 

 ゲンドウが乗り込んだ輸送機は、ゆっくりと機体を上昇させていく。前史ではいたはずのレイも、そこにはいない。シンジはしばらくの間それを見上げてから、遠ざかっていくジェットエンジンの音に背を向けて歩き出した。

 

 

 

 

 ******

 

 

 

「どうだった?」

 

 青いアルピック・ルノーに乗りながら、ミサトは、戻ってきたシンジに問いかけた。シンジは窓の外を見ながら呟く。

 

「ええ。相変わらず父さんでしたよ♪」

「……相変わらず?」

「はい」

「……??」

 

 ミサトはその真意を理解できなかった。やはり、親子にしか通じない話でもあるのだろうか。シンジは、片肘をついて助手席の外に流れる景色を、微笑みを浮かべながら見続けていた。

 

「それにしても、ミサトさんはどうしてわざわざついてきたんです?ネルフでの仕事とか大丈夫なんですか?」

 

 車は箱根の山間部をゆっくりと通り抜けていく。

 

「久しぶりに休暇貰ったのよ。もうここのところ休みなしで疲れ溜まってるし丁度良かったわよ……ファァ~……」

 

 大きな欠伸をする彼女だが、これでも宜しく階級が一つ上がり、一佐へ昇進している。何ならシンジも、留守番中のレイも特務二尉から特務一尉へ、つまり三人揃って階級が一つ上がっている。それはともかく、昇進したからなのかどうかは分からないが、最近のミサトは本当に、あまり休めていないのが現状である。

 

「お互い大変なもんですね……」

「うかうかしてられないわよ、いつ次の使徒が現れるか、分かったもんじゃないし」

 

 シンジは不意に気になったことを思いだし、ミサトに訊いてみた。

 

「そういえば、この間第3の使徒が倒されたって言ってましたよね?一体何してたんですか、北極なんかで……」

「あぁそれ?なんでも永久凍土から発掘されたとかで、研究とか、いろいろしてたみたいよ?詳しいことは私も知らないんだけどね」

「研究……ですか」

 

 とりあえず、使徒の順番が一つずつズレていた訳は判明したので良かったと思うのだが、シンジは釈然としない表情をしていた。

 

「ま、結局は倒せたんだし、トントン拍子じゃない?次は第7の使徒ね」

 

 その時、ミサトが付けているハンズフリーの通信に呼び出しが掛かる。キングギドラの鳴き声とは、ミサトも趣味が独特なものである。

 

「はい葛城」

 

 ミサトが声を正して応答した瞬間だった。突然空から巨大な物体が飛来してきて、ミサトの進行方向の目の前に落下した。

 

「うおぁあぁっ!?」

 

 ミサトは、突然の出来事に声を上げながらも、何とかハンドルを切って衝突を回避する。飛んできたのは護衛艦の砲台の一つだった。

 

「たっ……!!!」

 

 シンジも急な出来事に事態を把握できない。シートベルトが強い衝撃でロックがかかり、前に飛び出しかけるシンジを引き留める。

 

「なんですって!?相模湾に!?」

『詳しいことはまだわかりません。とにかく、今から第1発令所に繋ぎます!』

 

 ミサトはスリップ音を響かせて車体を立て直しながら、入ってきた情報に驚きの声をあげる。そしてシンジも、何とか体勢を立て直して外を見て、その光景に目を見開いた。

 

「な、何だ……あれ!?」

 

 海上では幾多もの護衛艦が巨大な移動物体と交戦していた。敵は長い2本の脚で水面を移動し、歩く度に赤い水面を瞬時に凝固させ、まるで雪のような結晶を作り上げていく。一方、仮面のような頭部は反時計回りに回転させている。

 

「ミサトさん、あれってもしかして!?」

「ええ、第7の使徒みたいね!スピード上げるからしっかり掴まっててっ!」

(って、ガギエルじゃないのかよ……ぉっ!!?)

 

 敵は頭部近辺に異相空間を展開させ、そこから光線を放った。そのエネルギーによって海水が間欠泉のように吹き上がり、次々と戦艦を持ち上げて破壊していく。

 

『葛城さんですか、青葉です。先程、相模湾沖で第7使徒を捕捉。第2方面軍が交戦中。3分前に非常事態宣言が発令されました』

 

 ミサトは第1発令所のシゲルからの報告を受けた。既に高速道は緊急封鎖に切り替わっている。

 

「こちらも肉眼で確認したわ。現在初号機パイロットを移送中。レイの準備はできてるわよね?零号機優先のTASK-03を、直ちに発動させて!」

「いえ、すでにTASK-02を実行中です」

 

 マコトが報告する。事態はミサトの予想よりも早く進行しているようだった。

 いや、それよりも……

 

「TASK-02……?まさか!」

 

 ミサトが驚いて空を見上げたタイミングで、上空に飛来していた輸送機から、エヴァが切り離された。

 その機体を目に捉えたシンジは、思わず息を呑んだ。

 

 

 

 エヴァンゲリオン・正規実用型2号機。

 

 

 

 その深紅の体を、シンジは片時も忘れることはなかった。

 最後に見たのは初号機から見えた無惨な姿だった。あの白い怪物共に食い荒らされ、思い出すのも痛々しい、自分が精神崩壊を起こす引き金となってしまうほどの残酷さだった。

 しかし今、太陽を背にして空から飛来してくるその様子は、紛れもなく、とても格好良かった。

 そして何よりも、シンジはそれを通して、そこに乗っている彼女を見、思わず涙が溢れそうになった。

 

 あの子が乗っている。

 

 

 

 アスカ……!

 

 

 

「やはり2号機!」

 

 ミサトはいつの間にかシートベルトを外し、車の窓から身を乗り出して、空を舞う赤い機体を見上げた。

 輸送機から飛び立った2号機は、使徒に向かって急降下していく。途中、輸送機から落とされたクロスボウ型の武器を拾おうとするも、使徒の攻撃に阻まれて回収を失敗してしまう。それでも攻撃を回避しつつ2度目のアプローチで回収を成功させる。そして武器を手に取った2号機はすぐさま使徒に向けて発射する。その弾道は、見事に使徒のコアを捉えた。

 

「すごい……コアを一撃で!」

 

 シンジはその戦いぶりを見て驚きの声を上げる。前からアスカの身体能力の高さは素晴らしいものだった。だが、今まで見た中で一番ともいえるアクロバティックなその動きに、シンジは感嘆した。

 しかし、助手席のシンジの方に体を寄せて窓から顔を出したミサトは、まだ使徒が倒されていないことを見抜く。

 

「違う、デコイだわ!」

「えっ!?……って、ミサトさん、ハンドルハンドル!!」

 

 使徒は、一旦体を撒菱状のパーツに分離するが、直ぐに再結合すると、下にぶら下がっていた本物のコアを振り子のようにして上部へ持ち上げた。2号機は怯まずにクロスボウを連射するが、今度はA.T.フィールドで完全に弾かれてしまう。効果を見込めないと踏んだのか、2号機は武器を捨て、体を丸めて回転をし始める。そして勢いを付けた後に、飛び蹴りの姿勢で使徒へ突っ込んでいく。

 

「どぅをりゃあぁぁぁーーーっ!!!!」

 

 2号機は使徒の放つA.T.フィールドに残っていたクロスボウの矢の一つに蹴り込んだ。そしてそのままA.T.フィールドを突き破ると、赤黒い球体を貫通して反対側から飛び出した。2号機のニードルにはしっかりと使徒のコアが刺さり、2秒も経たない内に破裂した。そしてコアが真っ赤な液体を撒き散らすと同時に、使徒は巨大な十字架の光を放って爆発したのだった。

 

「よっしゃっ!」

 

 ミサトは近くの駐車場に車を停めて使徒が崩壊するのを確認し笑みを浮かべた。シンジもその華麗な姿に思わず見とれていた。

 

「……って、ありゃ……?」

「なんか、こっち……来てません?」

 

 2号機は華麗に体を回転させて降下してくる。途中でロケットエンジンを噴射させ速度を緩め、慎重に地上へと着地する。

 

 ……かに見えたが残念ながらそうではなかった。

 

「ヤバッ……!!」

 

 ドォォォン―!

 

「「ぅわぁぁぁぁぁっ!?!?」」

 

 遅かった。運悪く、着地場所に駐車していたミサトの車はその衝撃に横転し、待機していた零号機の足にぶつかって大破してしまった。2号機は腰に手を当てて零号機の前に立つと、自信満々な態度を見せ、溌剌な声で告げた。

 

「状況終了!」

 

 

 

 ******

 

 

 

『第4地区の封鎖は全て完了』

 

 戦闘が終わりエヴァの機体が陸路で回収されていく。ミサトは遠くに見える大破したルノーを見てガックリと項垂れていた。

 

「まだローン9回も残ってるのに……今度ばかりはダメか。トホホ……」

 

 シンジは苦笑いするしかなかった。サキエル戦時のN2爆弾でのフラグはどこへやら……。

 

「ふぇー……。赤いんか2号機って」

 

 目の前を通り過ぎていく2号機を見上げてトウジが声を上げた。その横にビデオカメラのファインダーを夢中で覗くケンスケもいる。2号機が来たという情報をケンスケが(独自調査で)掴み、トウジと共にやって来たのだ(もちろんミサトの許可は得ている)。少し離れた場所には零号機から降りてきたプラグスーツ姿のレイもいた。

 すると、突然高飛車な少女の声が響いた。

 

「違うのはカラーリングだけじゃないわ」

 

 その聞き馴れた声に、シンジは目を輝かせた。

 

「所詮、零号機と初号機は開発過程のプロトタイプとテストタイプ。けど、この2号機は違う。これこそ実戦用につくられた世界初の本物のエヴァンゲリオンなのよ。正式タイプのね」

 

 2号機の上に仁王立ちで現れた彼女は、気の強い眼差しで少年たちを見下ろす。明るい栗色のロングヘアーに青い瞳。赤いプラグスーツがよく似合っている。

 

「紹介するわ。ユーロ空軍のエース、式波・アスカ・ラングレー大尉。第2の少女。エヴァ2号機担当パイロットよ」

 

 何とか立ち直ったらしいミサトが4人に少女を紹介する。シンジは楽しそうに頷いた。

 アスカは、第9番停車場に運び込まれる2号機の上をぴょんぴょん飛んでミサトの所まで降りてくる。

 

「久しぶりね、ミサト」

 

 アスカは、何も言わずに歩き去っていくレイの後姿をミサトの肩越しに見つけて軽く嫌味を言った。

 

「ふーん、あれがエコヒイキで選ばれた零号機パイロット綾波レイ……」

 

 次に三人の男子を無機質な目つきでゆっくりと見回す。

 

「で、どれが七光りで選ばれた初号機パイロット碇シンジ?」

「あ、あの……」

「ふーん……?」

 

 シンジは、アスカの相変わらずな態度に気後れしながら返事をする。アスカはシンジの声に反応して一歩踏み出すと、人差し指をビシっと突き出して言った。

 

「あんたバカぁ??肝心な時にいないなんて、なんて無自覚」

 

 アスカはおもむろに足払いを仕掛ける。シンジは突然のことに足を取られて地面に尻をついた。

 

「うわっ」

「おまけに無警戒。エヴァで戦えなかったことを恥とも思わないなんて、所詮、七光りね~」

 

 アスカは倒れたシンジの目の前に立ちふさがって腰に手を当てると、弱い者を見る目で不敵な笑みを浮かべながらシンジを見下ろした。その光景を見てミサトはやれやれといった表情をする。

 

「じゃあミサト、また後で♪」

 

 アスカはミサトに笑顔でそう言うと、スキップでその場を立ち去っていった。

 

「おい碇、大丈夫か?」

「フフッ、うん、大丈夫、問題ない」

 

 シンジは立ちあがりズボンをパシッと一回はたき、去りゆく彼女に目を向け、笑った。

 

 

 

 

 

 久しぶり、アスカ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

こんにちは、ジェニシア珀里です。
まず、読んでくださった皆様にお詫びしなければなりませんね。
昨日15時に一度、当話、第捌話を公開させて頂きましたが、ここで一つ懸念が生じていました。
前半部分、ベタニアベースでのやりとりがほぼ完全に《ただのノベライズ》となってしまったのです。
シンジ君が関わっていないから仕方がないと、そう考えておりましたが、感想にて多くの著作権関連のご指摘を受けまして、「消される前に消したる」ということで一旦緊急削除の形を取らせて頂きました。

楽しみにされていた方々には大変な混乱を招いてしまったことと思います。誠に申し訳ありませんでした。



てなわけで、あとがきです。

久しぶり、アスカ♪(それ全く同じ台詞やないかい笑)

いやぁ、ここからがひっじょーに楽しみです。ようやくアスカが帰ってきたので!、私のLASワールド、全開にしてやって参ります。皆様、どうかよろしくお願い申し上げます!!!

シンジは前史との相違点を細かく気にするため、ちょくちょく確認の話が入りますけど、そこはご愛嬌ということで。(私が考察したいだけだったりします。)
え、式波に変わってるよって?シンジ君……嬉しすぎで考えるの放棄したのかよ。笑
第玖話で一応言及しております。詳しくは次回をお楽しみに♪

これにて新劇場版・破に入りました。波乱に満ちる(と思う)第二部、是非、お楽しみください。


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第玖話 国際環境機関法人日本海洋生態系保存研究機構

 

 

 

 

 シンジ、トウジ、ケンスケの三人は、駅の改札口へ向かってエスカレーターに乗っていた。

 

「まったく、何様やあのオンナ!何ぬかしとんねん!シンジかて命懸けで戦っとるっちゅーのに。なぁ!?」

 

 トウジがアスカの振る舞いを思い出して腹を立てる。シンジは曖昧に笑うことしかできなかった。

 

「ま、まぁいいじゃないか、初めての日本で気が立ってるんだよ、多分」

 

「それにしても、同い年にして既に大尉とは、凄い!凄すぎる!飛び級で大卒ってことでしょ?」

「僕も特務一尉なんだけどね……」

 

 怒るトウジとは裏腹に、ケンスケはアスカに憧れを抱いたことを隠さない。さっきビデオカメラに収めたアスカの強気な言動をリピートしまくっている。それはいいんだけど、足下には気を付けた方がいいと思う。歩きスマホは危険です。いやスマホじゃないけどね。

 そして改めて、シンジは先程のアスカを思い返した。名字が「式波」に変わっていたり、髪の色も心なしか明るい金髪のようになっていたものの、あの強気な様子は、前史でも飽きるほどに見てきたアスカそのままだった。

 補完計画が失敗した後に残った赤い海で、最後まで自分の傍にいてくれた、大好きな彼女。少しでも気を緩めると、嬉しさで思わず泣き出してしまいそうである。

 

「失礼」

 

 その時、シンジは唐突に声を掛けられた。振り返ると、そこに無精髭の男が立っていた。

 

「ジオフロントのハブターミナル行きはこの改札でいいのかな?」

 

 加持リョウジだった。青いワイシャツに赤のネクタイ、長髪を束ねたその容姿は妙に粗放的。およそ裏の顔など想像できやしない。そしてその手には何やら大きなケースを持っていた。

 

「あ、はい。4つ先の駅で乗り換えがありますよ」

 

 一応シンジは初対面を装っておく。だがこの人、現在はともかく前史ではネルフ&ゼーレ&日本政府のトリプルフェイスだったほどの強者である。シンジ自身の秘密も案外早くバレそうな気がしている。

 

「ふーむ……たった2年離れただけで、浦島太郎の気分だな……」

 

 加持は天井からぶら下がった路線地図を眺めてしみじみと呟いた。

 

「ありがとう!助かったよ。……ところで、葛城は一緒じゃないのかい?」

 

 加持はシンジの方に振り向いて礼を言うと、突然全く別の質問をかましてきた。

 

「ミサトさん?お知り合いで?」

「ああ、古い友人さ。君だけが彼女の寝相の悪さを知っているわけじゃないぞ。碇シンジ君」

 

 言葉が意味深すぎるぞ。良いのかね、そんな質問して?

 さっきは初対面を装ったが、この際だ。シンジはニヤリと笑ってみせた。

 

「ハハッ、どうやらそうみたいですね。加持さん♪」

 

 その言葉を聞いて、加持の目が一瞬ピクリと動いたのを、シンジは見逃さない。だが、加持もそれに答えるかのようにニヤリと笑った。

 

「フッ、君は面白いな。じゃあまた」

 

 加持は手を振って改札口の奥へと消えて行ってしまった。

 

「寝相って……」

 

 ケンスケが妄想を膨らませて顔を赤くする。

 

「なんやアイツ?シンジ、お前知っとるんか?」

 

 トウジは怪訝な表情をして訊ねた。

 

「ま、ちょっといろいろあってね~♪」

 

 シンジは上機嫌に手を頭の後ろに組んで、改札とは逆方向に歩き出した。

 さっきのケースはおそらくユーロ支部からの密輸品。多分この後、父さん達のところにその中身であるはずのアダムを届けに行くんだろうけど、ま、今は見逃しといてあげようか。そうシンジは心の奥底で呟いた。

 しかし、シナリオの異なっている箇所は、一体どこに現れるか分からないものであることに、シンジはまだ慣れていない……。

 

 

 

 

 

 ネルフに到着した加持は、司令室のゲンドウと冬月に会った。

 

「いやはや、大変な仕事でしたよ。懸案の第3使徒とエヴァ5号機は、予定どおり処理しました。原因はあくまで事故。ベタニアベースでのマルドゥック計画はこれで頓挫します。すべてあなたのシナリオ通りです。で、いつものゼーレの最新資料は、先ほど……」

 

「拝見させてもらった。Mark.06建造の確証は役に立ったよ」

 

 冬月は一面に張られた窓から見える景色を見ながら言った。

 

「結構です。そしてこれがお約束の代物です。予備として保管されていたロストナンバー。神と魂を紡ぐ道標ですね」

 

 加持は持参した大きなケースを開けて、ゲンドウに中身を開示する。

 

「ああ、人類補完の扉を開く、ネブカドネザルの鍵だ」

 

 ゲンドウは、頭のない人型の神経組織と、カプセルのようなものの入った中身を見、不敵な笑みを浮かべた。

 

「ではこれで。しばらくは好きにさせてもらいますよ」

 

 加持はふらりと身を翻すと、司令室から出て行く。その扉が閉まった音を聞き、外の景色を眺めたまま冬月がゲンドウに問いかけた。

 

「加持リョウジ首席監察官、信用に足る男かね……?」

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第玖話 国際環境機関法人日本海洋生態系保存研究機構】

【Episode.09 The Way to Live in the Narrow Sea】

 

 

 

 

 

 リツコは今日は自分の研究室ではなく、実験室隣の情報集積室で仕事をしていた。机には2匹の黒猫の置物と、吸殻で一杯の灰皿と、あとはコーヒーの入ったマグカップがある。誰も知らないが、実は今日も、14時間も連続で作業を続けている。

 その背後からリツコは抱き締められる。もちろん、並々ならぬ気配で、その正体が誰なのかは気づいていたが。

 

「ちょっと痩せたかな?リっちゃん」

 

 加持はリツコの耳元で優しく囁いた。

 

「残念、1570gプラスよ」

 

 リツコは肩の力を抜いて、ニッコリと笑いながら返す。

 

「肉眼で確認したいな」

 

 加持はリツコの頬に手を当てて、自分の顔の方に向ける。

 

「いいけど……この部屋、記録されているわよ」

 

 リツコは少し声を低くして答える。

 

「ノン・プロブレム。既にダミー映像が走ってる」

「相変わらず用意周到ね」

「負け戦が嫌いなだけさ」

「でも、負けよ?」

 

 加持はいつまでも身を引かなそうである。元からこういうプレイボーイ的なところがあるのでさほど気に止めてはいないのだが、ガラス窓にへばりつく彼女には問題大有りであろう。

 リツコが向けた視線の先に加持も目を向けると、ミサトが廊下側からガラスに張り付いて鼻息を荒くしている姿が見えた。

 

「怖ーいお姉さんが見ているわ」

「oh...」

「リョウちゃん、お久しぶり」

 

 リツコは体を離した加持に、何でもなかったように声を掛けてコーヒーを啜った。

 

「や、しばらく」

 

 加持もいつものことのように、しれっとした態度でやり過ごす。

 

「何でアンタがココにいんのよぉ!ユーロ担当でしょっ!?」

 

 ドアを開き、ミサトがツカツカと音を立てて部屋に入ってきた。

 

「特命でね……しばらく本部付きさ。また三人でつるめるな、学生の時みたいに」

 

 加持はリラックスした雰囲気で、リツコの机の横に腰を下ろす。その言葉にリツコも微笑む。

 

「昔に帰る気なんてないわよ!私はリツコに用事があっただけなの!アスカの件、人事部に話し通しておいたから。じゃっ」

 

 ミサトはピリピリした空気で、早口で用件を伝えると、さっさと部屋を出て行ってしまった。目が異常なまでに吊り上がっていた。

 

「ミサト、あからさまな嫉妬ね。リョウちゃん、勝算はあるわよ」

 

 リツコは、ミサトの態度を見て加持に話を振る。

 

「さて、どうだろうなぁ」

 

 加持は両手を広げておどけてみせた。

 

 

 

「ところで、アスカの件って何だい?」

「あぁそれ?ミサトったら、アスカとも一緒に暮らそうって、住居手続き勝手に進めちゃってるのよ。シンジ君やレイが住んでるから良いでしょ、って」

「そうそう、そのことなんだが、ちょっと聞かせてくれないか?」

「何?」

 

 加持は突然真面目な口調になった。その声の変化に何か重大な様子を感じた。

 

「第3の少年。彼は一体何者なんだ……?」

 

 リツコはキーを打つ手を思わず止めた。

 

「……会ったの?」

 

 冷静な声で訊き返す。

 

「ああ。さっきね。それに経歴書も見させてもらった。………何か知ってるんだろ?」

 

 何を企んでいるのか分からない点で、この男は怖い。

 

「さぁ?知りたければ本人に聞くことね」

 

 リツコは再びコマンドを入力し始める。加持はその横顔を横目でじっと見続けたのだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 「何だこれ!?」

 

 シンジは自分の部屋が見知らぬダンボールで埋まっている光景を見て唖然としていた。ただし、演技で。

 

「失っ礼ねっ!私の荷物よ」

 

 キッチンの方から姿を現したアスカは、グラスに注いだオレンジジュースをゴクゴクと飲み干した。

 

「じゃ僕のは……ってあれ?なんで式波さんがここにいんの?」

 

 間の抜けた表情をするシンジに向かって、アスカは聞こえるように大きなため息をはく。

 

「あんたバカぁ?お払い箱って事よ。ま、どっちが優秀かを考えれば当然の結論ね」

 

 アスカはシンジの立っている方に近づいて、部屋の入り口に肘をついて寄りかかる。シンジは落胆の声をあげた。

 

「そんなぁ」

 

 でも本音では落ち込んでなどない。むしろ相当楽しんでる感がある。待て待てそこ、僕はMなんかじゃないぞ。イニシャルはS。

 

「しかし、どーして日本の部屋ってこう狭いのかしら。荷物の半分も入り切らなかったわ。おまけに、どうしてこう日本人て危機感足りないのかしら。よくこんな鍵のない部屋で暮らせるわね。信じらんない」

 

 アスカは部屋の扉を何度も動かしながら、自分の不満を遠まわしにシンジにぶつけるようにして言った。

 

「日本人の心情は察しと思いやりだからよ」

 

 いつの間にか帰宅していたミサトが、二人の背後から声を掛ける。

 

「うわあっ!?」

 

 シンジとアスカは驚いて二人同時に壁の方へ身を引いた。

 

「ミ、ミサトさん……帰ってたんですか?」

「あら~、気づかなかった?♪」

 

 相変わらずなノーテンキな声にシンジは思わず脱力する。それが気に入らなかったのだろうか、アスカはシンジをジロリと見て吐き捨てた。

 

「うっとおしいわね。ゴミと一緒にさっさと出ていきなさいよ」

「あら、シンちゃんもここに残るのよ」

 

 ミサトがしれっと告げた。

 

「えぇえっ!」

 

 アスカはシンジの肩越しに身を乗り出して、あからさまな嫌な顔をした。

 

「アスカとシンちゃんに足りないのは、適切なコミュニケーション。同じパイロット同士、同じ釜の飯を食って仲良くしないとね」

 

 というか、イスラフェル戦もないのにいきなり同居とは……なんだかいろいろすっ飛ばしている気がする。

 アスカはしばらくミサトを睨み付けていたが、折れたのかため息をつく。そして再びシンジを睨み付けた。

 

「仕方ないわね……アタシの邪魔したら許さないから!!」

「それとアスカ、あなたの段ボールはここじゃなくて隣に運んどいてくれない?ここまで狭いと過ごしづらいわよ」

「……は?隣???」

「そうよ~?レイなら許してくれると思うし~」

 

 アスカは最後まで聞く前に目を丸くして玄関の方に振り返った。その先に一人の少女を見つけ、さらにギョッとした表情を浮かべた。

 

「な、何であんたがここに……?」

 

 レイだった。

 

「晩ご飯……食べに来たの。貴女は?」

「あ、アタシは今日からここに住むのよ、悪い!?」

「……いえ」

 

 アスカとレイの視線が真っ向からぶつかり合う。何故だかミサトには、妙な火花が散っているのが見えたとか。

 

 

 

 

 

 その夜、シンジはこの一日で起きたことを思い返していた。

 

「フフッ、またアスカと暮らせる日が来るなんてね。まるで花畑だなぁ~……なんてね♪」

 

 いつにも増して笑顔が絶えなかったと自覚すらしている。やっぱり、アスカの存在ってスゴいんだなぁと、シンジは我ながら感心する。

 でも、どうして名字が変わったのだろうか?今まで、名前の変わっている人間はシンジ自身を含めても一人もいない。

 

「式波……か……」

 

 綾波と同じで「波」が入っている。何か意味でもあったりするのだろうか、などと思いつつ、それでもやっぱりアスカだよなあと、みたび頬が緩む。

 

「それにしても、ガギエルかと思ったら代わりにシャルギエルが出てきたし、イスラフェルもスキップで同居するし……まさかマグマダイバーまでやらず終いだったりするのかな……?」

 

 シャルギエルというのは昼間襲来した第7の使徒のことである。サキエル、シャムシエル、ラミエルときて、いきなり名前なしは可哀想だとかで、シンジが勝手に呼称している名称だ。由来は「雪を司る天使」だから、らしい。

 意外と楽しみにしていた浅間の温泉旅行が無くなってしまうのはちょっとばかり寂しかったりする。まぁでも、全部終わってからみんなで行くのも悪くないか。そう思うシンジであった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 第三新東京市の朝はとても清々しい。箱根の山々に囲まれていることもあってか、空気は美味しいし水も豊か。集光システムに朝日が照り始めるのを合図に、町全体が動き出す。ここ5年の新首都候補地としての経済発展を象徴するかのように、街に延びるいくつものモノレールが走り行く。

 その日、ミサトとリツコは、作戦課と技術課の緊急カンファレンスを開いた。

 

「今回集まってもらったのは他でもなく作戦のことについてです。今後も襲来してくるであろう使徒に対する対抗策をなるべくなら練っておいた方が良いかと思って」

「本当はパイロットも呼びたかったのだけれど、学校を休ませることまではしたくないものね」

「まずは、今までの使徒の傾向を見てみるわよ」

 

 ミサトが手元の端末をタップした。第3から第7の使徒の画像がプロジェクターによって映し出される。

 

「はい。昨日までにここに襲来した使徒は4つですね。さらに、ベタニアベースからの報告で第3の使徒も殲滅されたことを踏まえ、合計5体となります」

 

 シゲルが即座に答える。

 

「ですが、いずれのケースも攻撃方法は異なるようです。おまけに、第6の使徒に関しては防御力もかなりのものでした。今後の襲来数も分かりませんが、それらの使徒のスペックも未知数とみたほうがいいでしょうね」

 

 マコトが続けて答えた。

 

「そこで、今回は想像力を働かせてほしいの。まずは考えられる使徒の形態を挙げてみようかしら?」

 

 

 

 

 

 シンジたちも平日は学校で平凡な日々を過ごしていた。二年A組は至って普通のクラスである。エヴァパイロット3人がいるという知られぬ事実を除けば。もちろんこの事を知っているのはトウジ、ケンスケ、ヒカリのみではあるが。

 そして、1週間前に編入したアスカには、既に多くのファンができている。ドイツ人と日本人のクォーターというビジュアル的にも優れた超美人であることや、プライドが放つクールさとその近寄り難い雰囲気が、余計に男子連中には人気らしい。

 

「あのぉ……式波さーん♪」

「うっさいわね!!」

 

 トウジやケンスケと話している時、ふと目を向けると例のごとくアスカが男子連中を蹴り飛ばしていた。そしてそ知らぬ顔で手に持っていたWonderSwanに目を戻す。前史でもアスカは日本のゲームが好きだったよなぁ、と思いながらシンジは微笑む。

 

 ピリリリリリ―

 

 急な着信でシンジは驚いたが、そそくさと教室を出て画面を確認すると、その発信元は加持だった。

 

 

 

 

 

 その電話の内容を家に帰ってからミサトに伝えると、ミサトはあからさまに不愉快な顔をした。

 

「社会科見学?加持がぁ???」

 

 もっとも、それがミサトの感情表現なのだととうの昔に知っているシンジは、クスクスと笑いながら更に言った。

 

「みんなも誘えばいいって。ミサトさんも来ます?」

 

 シンジはダイニングテーブルの上に鞄を置いて荷物を整理する。

 

「アイツに関わると、ろくな事にならないっつーの……!」

 

 ミサトはビールの缶をテーブルに叩きつけた。

 

「ならアタシもパース」

「……私も」

 

 隣の部屋にいるアスカと、今日もちゃっかりといるレイが声を上げる。

 

「だめよー。和をもって尊しとなーす。二人も行ってきなさい♪」

 

 ミサトはアスカとレイも参加するように促す。

 

「……それも命令?」

「……ですか?」

 

 アスカはプレイ中のゲームを持ちながら、不満そうな顔を覗かせた。一方のレイは不満というより興味自体が無いようで、疑問の声をあげつつリビングにちょこんと座り、積んである洗濯物をペンペンと一緒にたたみ始めていた。

 

 

 

 

 

 その頃、ゲンドウと冬月は、月面に展開するNERV第7支部:タブハベースを訪れていた。とはいえ、この場所の管轄はゼーレである。二人を乗せた宇宙船は、浮遊するかのように静かに、関連施設の上空を飛び続けていた。

 

「タブハベースを目前にしながら、上陸許可を出さんとは……ゼーレもえげつないことをするな」

「Mark.06の建造方式は他とは違う。その確認で充分だ」

 

 ゲンドウは流れに逆らわずに落ち着いた態度で話す。

 

「しかし、5号機以降の計画などなかったはずだぞ?」

 

 ゲンドウと冬月は、宇宙船の小さな窓から月面の様子を覗き見ながら話す。そこでは、『Mark.06』と呼ばれたエヴァに拘束具を取り付ける作業が行われていた。

 

「おそらく、開示されていない死海文書の外典がある。ゼーレは、それに基づいたシナリオを進めるつもりだ」

「だが、ゼーレとて気づいているのだろう。ネルフ究極の目的に」

 

 二人の乗った宇宙船の前を、ロンギヌスの槍を運ぶ巨大な輸送船が通り過ぎて行く。

 

「そうだとしても、我々は我々の道を行くだけだ。例え、神の理と敵対することになろうともな」

 

 その時、ゲンドウはMark.06の指の上に座っている少年の姿を確認する。少年は上半身裸の状態で、宇宙空間に存在していた。

 

「人か?まさかな……」

 

 冬月もゲンドウが見ている方を確かめる。

 

「初めまして、お父さん」

 

 冬月の声は果たして聞こえていたのだろうか。目覚めた少年、渚カヲルは、ゲンドウたちが乗る宇宙船を見てそっとつぶやいた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 二日後、シンジたちは神奈川県旧横浜市の国際環境機関法人日本海洋生態系保存研究機構……やたらと名称が長いので略称として「日海保存研」とでも言っておこう、そこにやって来た。

 

「凄い!凄すぎる!失われた海洋生物の永久保存と、赤く染まった海を元に戻すという、まさに神のごとき大実験計画を担う禁断の聖地!その形相の一部だけでも見学できるとは!まさに持つべきものは友達ってカンジ!」

 

 ケンスケは海に浮かぶ巨大な施設を目の当たりにして、まるで羽が生えたように飛び回っていた。もちろん、手にはしっかりビデオカメラを握っている。

 シンジもこの世界に来て驚いたのだが、セカンドインパクトで海は赤くなり、生物が生息していない。おかげで魚が非常に貴重なものと化し、海は海という感じが全くしない。その「復元」という一大計画、実行するとなると、かなり大変だというのは聞かずとも分かった。

 

「こんなスゴい施設があったなんて……」

 

 ヒカリが茫然として言った。何しろ日海保存研の施設の総面積は芦ノ湖の1.5倍は軽く越えているようなのだ。その巨大さには開いた口も塞がらない。

 隣ではレイもペンペンを抱えたまま施設を見上げていた。なぜペンペンがここにいるかについては割愛するが、どうも最近、レイがペンペンを抱えて癒やされている姿をよく見かけるものだ。

 口が塞がらないといえば、一昨日アスカがパスすると言ったときにもシンジは思わず言葉を失ったものだ。てっきり、アスカは加持のことが好きだと思っていたから、当然この誘いにも否応なしに飛びつくだろうと予想していたのだ。この予想外もシナリオの改変によるものなのか。

 その加持は、どうやらこちらの世界ではこの「日海保存研」の総合統括部渉外係長という肩書きを持っている、らしい。

 

「渉外係長って……ただネルフに出向してるってだけじゃない」

 

 アスカが呆れたように言う。

 一方のトウジはシンジの肩に腕を回して、満足げな顔をしていた。

 

「ホンマ感謝すんでぇ」

「ハハッ、お礼だったら加持さんに言ってよ」

 

 既に施設の中に入っていた加持が窓の向こうで手を振って合図を送った。管理区域のゲートの前に到着した一同に向かって、モニター越しの加持が事前に断りを入れた。

 

「もっとも、こっからがちょいと面倒なんだけどな」

「「「「「「え?」」」」」」

 

 

 

──長波放射線照射式滅菌処理室

 

 一同は下着姿にされ、レントゲンのようなフラッシュを浴びる。次に、熱蒸気による滅菌室に入れられて、熱い思いをさせられる。

 

──有機物電離分解型浄化浴槽式滅菌処理室 LEVEL-01

 

 続いて一同は、巨大な水槽に張られた液体の中に放り込まれる。次に、低温による滅菌処理で寒い思いをさせられる。

 

──有機物電離分解型再浄化浴槽式滅菌処理室 LEVEL-02。

 

 再度水槽の中。更に、巨大な送風機が壁を埋め尽くす部屋で強風に晒される。

 

──有機物電離分解型再々浄化浴槽式滅菌処理室 LEVEL-03。

 

 再々度水槽の中。そして……

 

 ……チン♪

 

 まるで電子レンジで料理が出来上がったかのような音が鳴り、モニターに入室を許可する表示が出る。

 

 -全滅菌処理工程完了

  人間 - 6名

  鳥 - 1羽

  入室 可(第3段階滅菌区域まで)

 

 シンジたち一同は施設に入館する前から体力を奪われたぐったりとしてしまっていた。絶滅危惧種の保全施設でこういうのがあるとは知っていたが、まさかここまでとは。

 しかし、そんな気持ちを一気に吹き飛ばしてくれる美しい光景が目の前に広がっていた。色とりどりの魚の群れ、イルカが踊り、クジラがゆっくりと泳ぐ巨大な水槽。

 

「うほー!でっかい水槽やなぁ!」

「スッゴい……!!!」

 

 トウジとペンペンははしゃいで走り回り、ケンスケは早速ビデオカメラを回した。

 シンジも目の輝きを取り戻して水の世界を見つめた。

 

「セカンドインパクト前の生き物……まるで水族館だ」

 

 クラゲや海ガメ、サンゴまでもが生きているその水槽は、海を知るシンジの人生の中でも、とても神秘的だった。

 

「クワーッ!」

 

 ペンギンの群れを発見してペンペンが大喜びする。ペンペンが身振りを加えて姿勢を正すと、ペンギンたちから拍手喝采が沸き起こった。ペンギン同士、意思の疎通はできるのであろうか。

 

「ほえー!生きとる!」

「凄い!凄過ぎる!」

「おっ背中に何か背負ったやつもおるぞっ!」

「カメって言うらしいよ」

 

 トウジとケンスケはテンションMaxで施設を歩き回る。

 

「アスカも行こうよ!」

 

 そう言ったのはヒカリである。アスカの転入早々に意気投合し、関係は至って良好だ。

 

「うん。けど、本当すごい施設ね~。こんなに大きい水族館はアタシも初めてよ」

 

 感心したようにアスカは言いながら、ヒカリに引っ張られてペンギンの水槽に向かっていった。

 そんな彼女らの行動も含め、施設を一通り見渡したシンジは、水槽に手を触れるレイに気づき、声をかけた。

 

「何か面白いものでも見つけたの、綾波?」

「……いえ。ただ、少しモヤモヤするの……」

「……どうかしたの?」

「少し、可哀想だと思う」

「可哀……想?」

「ここでしか生きられない命……もっと広いところで、泳がせてあげたい……」

 

 弾かれたようにシンジは息を呑んだ。

 そうだ。ここに生きているとはいえ、今は限られた空間でしか存在できない……。

 レイが言いたいのは、この生き物たちに、本当に「自由」があるのか、ということなのだろう。

 少し前まで、彼女自身がそうだったように。

 

「そこの2人!!」

「「!?」」

 

 2人は思わず呼ばれ振り返ると、アスカが腰に手を当てて仁王立ちしていた。

 

「アンタたちもこっち来なさいよ、クラゲもいるわよ?」

「クラゲ?」

 

 アスカの傍の水槽には、確かに白いクラゲがフワフワと漂っていた。

 

「……キクラゲ、あるの?」

「……あんたバカぁ?」

 

 ……レイがこう言ったのは、おそらく昨日の夕食の中華炒めにキクラゲが入っていたからだろう……。

 

 

 

 

 

「いっただっきまーす!」

 

 屋外の休憩スペースにシートを広げ、一同は昼食にすることにした。弁当を作ってきたのは、シンジとヒカリである。

 

「んむっ!!」

 

 ケンスケはシンジの持ってきた卵焼きを頬張り、思わず目を見開いた。

 

「碇……お前、スゴいな!?」

 

 ケンスケはあまりの美味しさに感嘆とした。トウジは感想を言う前に次々と二人の料理に交互に箸を伸ばしていく。

 

「毎度毎度……どうしてこうも美味いのよ?」

 

 アスカも卵焼きを口に放り込んでその味を噛みしめていた。

 

「おお、見事な焼き方と味付けだなぁ」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 加持はヒカリの料理を食べて絶賛する。ケンスケもそれを聞いてヒカリの作ってきた唐揚げを一つつまみ上げた。

 

「ヒャー……あの9割人造肉が、調理次第でこうも美味しくなるとは……、まさに驚愕だよ!」

 

 ケンスケもその味を絶賛する。

 

「ホンマ、三ツ星シェフ並みやで……独学なんか、コレ?」

 

 三ツ星シェフの料理を食べたことがあるのかどうかはさておくとして、トウジの言葉にヒカリは顔を赤らめた。

 

「ま、まあね。昔から時々お姉ちゃんと作ったりしてたから……でも碇君には敵わないわよ」

「そ、そんなことないよ……」

「でも、いつもお弁当は碇君が作ってるんでしょ?」

「しかも綾波と式波の分まで。よくやりよるよなぁ?」

「ハハハ……ミサトさんはいつもレトルトばかりだし、綾波とか式波さんに頼むのも気が引けるからさ、僕が作るしかないんだよね。ま、やりたくてやってる部分もあるし♪」

 

 シンジは家でのことを思い浮かべながら笑った。

 

「シンジ君、台所に立つ男はモテるぞぉ」

 

 加持が箸を振って言う。

 

「だってさ!」

「ん……いいやっ!ワシは立たんぞぉ!男のすることやないっ!」

「前時代的、バッカみたい」

 

 アスカが軽蔑するような目でトウジに突っかかる。

 

「なんやとぉっ!ポリシーは大事なもんなんやで」

「ますますバカっぽい」

「んんなんやとぉぉっ!」

「鈴原、食事中よ!」

「まあまあ、とにかく食べてよ食べてよ、たくさん作ってきたからさ♪」

 

 その会話の端で、レイがキクラゲ入りの味噌汁を飲んで一人ポカポカしていたのはまた別の話。

 

 

 

 

 

 その頃、ゲンドウたちの乗った宇宙船は、地球を背景に無重力空間を飛行していた。冬月は、窓から外の景色を眺めていた。

 

「これが母なる大地とは……痛ましくて見ておれんよ」

 

 南極点付近にぽっかりと穴を開けた地球。その黒い穴の周辺には赤や紫などの多色の輪が広がっている。

 

「だがしかし、この惨状を願った者たちもいる。人さえ立ち入ることのできぬ、原罪の汚れなき浄化された世界だからな」

 

 ゲンドウは窓の外を見ることはせず、天井を見つめていた。

 

「私は人で汚れた、混沌とした世界を望むよ」

 

 冬月は地球をまじまじと見続ける。

 

「カオスは人の印象に過ぎない。世界は全て調和と秩序で成り立っている」

 

 ゲンドウは瞬きもせずに一点を見つめている。冬月は、ゲンドウの言葉で顔を機内に戻して呟いた。

 

「人の心が、世界を乱す、か……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

庵野監督の描いてる世界って、スケールでか過ぎ……と、今更ながら感じているジェニシア珀里ですご無沙汰しております。

このシリーズ書いてみて分かったんですが、何やら途方もなく恐ろしい作品に手を出してしまったような気がしております。設定、一から見直しとかないとややこしいことに。笑

さて皆さん、ここまで来ていろいろと不思議ではないでしょうか?「アイツ、変だ」と思われた方、65%くらいはその通りだと思います。
なので、次回も楽しみにしていてください♪


次回のタイトルは予告しておきます。

【第拾話 還りし人(前編)】
【Episode.10 Common Destiny】

僕の中での超重要編となります。

それはそうと、今夜の0706作戦、スゴく楽しみです♪


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第拾話 還りし人(前編)

 

 

 

 

 

 シンジは、加持と一緒に海の水を浄化する施設の開閉ゲートの上に来て、潮風に吹かれていた。他の面々は昼食後も色々なところを見学しに歩き回っているらしい。

 

「僕が産まれる前は、この海が青かったなんて想像出来ませんね」

 

 シンジは青くなった水が溜まっているプール側の手すりに捕まってダムを覗き込んだ。

 

「こうして人が生きていける環境だけでも、よくも復元出来たものさ」

 

 加持は後ろ向きになり、手すりに肘をついて煙草をふかしている。

 

「それはそうと、少し聞きたいことがあるんだが……」

 

 シンジは加持に目を向けた。加持は空を見上げたままだった。

 

「……あまり深追いしない方がいいですよ」

「悪いようにはしない。俺はただ、」

「真実、知りたいんですよね?」

「……ああ」

 

 自分だけで真相を追い求めようとするはずの加持がここまで直接的に聞いてくるところからして、何としてでも僕を味方につけたいのだろう。

 ダムの外縁はなだらかになっていて、まるで本当の海のように波が打ちつける。コンクリートで作られた岸辺には、海草が幾らか打ち上げられている。

 

「後戻りは、できませんよ?」

「それでもいい。君の知ってることを……聞かせてくれ」

 

 やはり、さすがだと思った。自分の身を顧みず、ただひたすらに追い続ける。その精神には頭が下がる。

 

「……一つだけ条件があります」

「……なんだい?」

 

 だが、その先を生きる他人の運命まで、揺り動かさないでほしいのは率直な願いである。

 

「ミサトさんを、悲しませないであげてください」

 

 加持の顔を見ることはしなかった。

 真実が大切なのは当然だ。本当のことを知りたくなるのは人間の性、それを否定するつもりはシンジにもないし、そもそもできるはずもない。でも、加持の消えたあの夜のように、電話の前で蹲り一晩中泣き明かす、そんなミサトの姿は、もう二度と見たくなかった。

 

 遺された者の思いは、遺した本人は知ることなどできない。

 

「……シンジ君、俺は」

「『戻れない』とは、言わせませんよ」

 

 尚も視線は青い海に向けたままだ。

 

「……ついさっき、後戻りできないと言わなかったか?」

「……後戻りはできません。けど、『取り戻す』ことはできます」

 

 シンジは空を仰いだ。

 

「取り返してやるんです。突き進んだ、その先で」

「…………」

 

 

 

 セカンドインパクト前の青い地球を取り戻せるか。そう聞かれたら、本当は断答することはできない。自然の力に抗えないのは、シンジにもよく分かっていたから。

 しかし、人の心は、取り戻すことができるのだ。

 それは、アスカが教えてくれたことでもあった。人は誰しも、憂鬱や孤独、悲哀や憎悪に泣く。けれど、形はどうあれ、そこから立ち直ることができる。

 

 ママがいたから、アイツらに立ち向かって行けたの。

 

 アスカはかつての赤い海で、量産機と戦った時のことを僕に話してくれた。アルミサエル戦以来、僅かの気力も起きなかった自分がもう一度起き上がれたのは、母がいてくれたことだけだったと。

 希望を捨てる必要など、微塵もないのだ。

 

 

 

 しばらく沈黙していた加持は、負けたとでも言うように小さく笑った。

 

「……わかったよ」

「何かあったら、そっちも隠さないでくださいよ?」

「……ああ」

 

 

 

 

 

「サードインパクト……か」

「……ええ」

「どうりで色々知ってると思ったよ。タイムリープとはまた、なかなか不思議な話だな」

 

 シンジから話を聞いた加持は、短くなった煙草を携帯灰皿に落とした。

 

「ですが、もはや前史の話です。綾波レイのクローンも破壊して、ダミーシステムの研究……E計画も事実上頓挫しています。それがなくとも、僕の知らない使徒が出てきていますし……。この先何が起こるかは、保証しかねますよ」

「構わないさ。そもそも使徒とリリスの接触で本当にサードインパクトが起こるのかすら、君の世界でもこっちの世界でも、起こってない以上、ただの疑問だからな」

「僕はこの世界を守りたい。ミサトさんや、綾波や、アスカの笑顔を……」

「他人思いなんだな、君は」

「自分のエゴかもしれませんけどね」

 

 シンジは自嘲するように笑った。

 

「加持さん、協力してくれますか?」

 

 加持はポケットから青いスカーフを取り出した。

 

「……ああ。もちろん」

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第拾話 還りし人(前編)】

【Episode.10 Common Destiny】

 

 

 

 

 

 セカンドインパクト。

 かつて15年前に起こった地球規模の大災害。地球南極点近辺で巨大な爆発が発生した。4体の光の巨人が、天使のような羽と、頭上には光の輪を持って赤い空に揺らめいた。

 幼い頃のミサトは、父親と共にその光景を目の当たりにしていた。巨人の周りに、4本の槍が舞い上がる。父親は、ミサトを脱出用のシェルターに避難させると、十字架のペンダントを彼女に託した。その直後、父親は押し寄せてくる爆風に巻き込まれた。

 ミサトはその後の彼を知らない。気がついたのは、荒れ狂う海の上。そこに、父親はもういなかった。

 

 帰らぬ人となった父。彼は、研究、夢の中に生きる人だった。ミサトは、そんな父親を嫌っていた。いや、憎んでさえいた。

 だが、最後はその父に助けられた。

 生き残るというのは、いろいろな意味を持つ。死んだ人の犠牲を受け止め、意思を受け継がねばならない。

 そんな片意地が、ずっと自分を縛り付けていたのかもしれない。使徒に対する復讐心、世界を守るという名目の影に、自分をも騙し続け、強がり続けてきたのかもしれない。ミサトは胸元に下げた父の形見を見つめた。

 だからこそ、彼との出会いはとても幸運だったと言えよう。14歳で年端もいかない子供のようだが、持っているものが違う。彼は、絶対に『破壊』をしようとしない。それどころか、自分が盾になっても、全てを護ろうとしている。その心には、到底敵わない。

 それでも、自分のやるべきことはしっかりやり遂げる。それが、使徒を倒すという使命を与えられた作戦部長として、今彼らに返せる恩だ。

 

 

 

 腕を組み、ミサトは目の前のモニターを見上げた。そこには、「Blood Type:BLUE」の文字が浮かび上がっている。

 

「3分前にマウナケア観測所にて第8使徒を補足。現在、軌道要素を入力中」

 

 マコトがモニターに映し出された情報を確認した。

 

「目標を第3監視衛星が光学で捕らえました。最大望遠で出します」

 

 シゲルが使徒の姿を主モニターに回す。その姿を見て、第1発令所にいるほとんどの職員が息を呑んだ。

 

「光を歪めるほどのA.T.フィールドとは、恐れ入るわね……」

 

 作戦部長であるミサトも、その球体状の第8の使徒に、思わず感嘆の声を漏らす。

 

「N2航空爆雷も、まるで効いてません」

 

 マコトの言う通り、使徒は全ての爆発をA.T.フィールドで完璧に防いでいた。幸い反撃はないようだが、この状況ではそれを考えるのもかなり野暮とみえる。

 

「それで、落下予測地点は?……当然、ここよね」

 

 ここに来ずしてどこへ行く。ミサトは分かっているといった苦笑いを浮かべた。

 

「MAGIの再計算。ネルフ本部への命中確率、99.9999%(シックスナイン)です……!」

「軌道修正は不可能か……」

「A.T.フィールドを一極集中して押し出してますから……。これに、落下のエネルギーも加算されます」

 

 マヤがミサトの方を見る。ミサトは顔をしかめた。

 

「まさに使徒そのものが爆弾というわけね……」

「第8使徒直撃時の爆砕推定規模は、直径42万GY-1万5千レベル」

「第3新東京市は蒸発、ジオフロントどころかセントラルドグマも丸裸にされます」

 

 マコトがミサトの後ろに立ち被害規模を推測する。

 

「碇司令は?」

「使徒の影響で大気上層の電波が不安定です。現在、連絡不能」

 

 シゲルはノートパソコンのモニターを見て答える。

 

「ここで独自に判断するしかないか……」

 

 ミサトは意を決して姿勢を起こすと、周りにいたスタッフに大声で伝えた。

 

「日本国政府および各省に通達。ネルフ権限における特別非常事態宣言D-17を発令。半径120キロ内の全市民は速やかに退避を開始」

 

 するとシゲルが苦笑いしながら、冗談のように言った。

 

「問題ありません。既に政府関係者から我先に避難を始めてますよ」

「あら、そう……」

 

 既に第3新東京市上空には、イナゴのように大量発生した政府関係者の航空機が飛び立っていた。陸路は車の列で大渋滞が発生。海上でも艦隊が群れを成して離れていく。

 

 

 

『市内における民間人の避難は全て完了。部内警報Cによる非戦闘員およびD級勤務者の退避完了しました』

 

 今回ネルフが取ったのは市外避難という異例の措置だったが、マニュアルに基づいた素早い対応によって、最悪の事態を想定した対策は完了した。MAGIシステムのバックアップも松代に頼み込みが終了し、万一の備えはすべて整った。

 

「で、どうするつもり?」

 

 リツコが冷静な口調でミサトに質問する。肝心の作戦はまだ指示されていない。だがミサトは慌てていなかった。フッと笑い、モニターの黒い球体をジッと見つめていた。

 

 

 

「嘘だろ……」

 

 シンジは第1発令所でイヤホンを耳につけていた。しかし聞いているのはカセットテープではなくミサトたちの会話だ。

 この改良型S-DATは、先日リツコによって盗聴機能をつけてもらっていた。シンジの知恵が必要な場合もあると見て、会議室にのみ発信器を取り付けることを条件に、リツコが最新式のシステムを用意したのだ。遠目で見れば、ただ音楽を聴いているようにしか見えない。

 リツコは先日の作戦課技術課合同緊急カンファレンスもこれで盗聴させていた。もっとも、後で知らされるのだから「盗聴」する意味はあまりなかったように思うのだが。

 そこで意外にも、前史で襲来した使徒の特徴が意見として結構出されたため、シンジとしても手間が省けて良かったと思っていた。

 だが、その油断が仇となってしまったのか、シンジは今、ミサトたちの会話を聞いて愕然とした。空から飛来してくる巨大な使徒。その外見は黒い球体に、無数の目の模様。

 シンジの頭に、恐ろしい加算式が浮かび上がった。

 

 マトリエル+サハクィエル+レリエル。

 

 第7の使徒がシンジの知らない形だったために、第8の使徒もまだ見ぬ形で来ることも可能性として考えてはいた。

 だがまさか、成功率0.0001%だった奇跡の使徒戦、そのサハクィエルに新たな武器が付随しているかもしれない可能性があるなんて。もちろん、この心配も杞憂であることを願うが、できれば避けて欲しかった……。

 

 

『いくらエヴァといったって空を飛べるわけではないですし』

『空間の歪みが酷く、あらゆるポイントからの狙撃も不可能ですよ』

『近接戦闘しか不可能のようですが、そもそもあの巨大さであの落下速度、どうやって止めればいいんでしょうか……』

 

 シゲルやマコト、マヤたちも、本当はこのような消極的な意見を言いたくはないのだが、今回ばかりは手の打ちようがないと嘆くばかりのようだった。

 

『諦めるのはまだ早いわ。まだ手という手はある。無理だと思うなら、この前の考えを「応用」させるのよ』

 

 ミサトは声を低くした。

 

 

 

 シンジはイヤホンを耳から外し、更衣室に向かって歩き出した。こうなった以上、限界までやるしかないだろう。

 ミサトが立てた作戦はこうだった。シンジやアスカ、レイの過去の戦闘記録及び最新のシンクロ結果から、各エヴァをネルフ本部を中心として適当な位置に配置する。使徒の速度や第3新東京市到達予想時刻の計算もリアルタイムで考慮しつつ、作戦開始と同時に各パイロットにはA.T.フィールドを最大限まで展開してもらうのだという。

 使徒の予想落下角度は仰角約58度。使徒の落下を減速させた後は、ネルフ本部目指して直進してくるであろう使徒に、もしものためにリツコが開発を急がせた再改良第3次試作型380mm自走陽電子砲による近接砲撃に持ち込もうという。

 ちなみに、あくまで陽電子砲の管轄は戦自である。この前のヤシマ作戦の礼と言ってはなんだが、赤字を承知で戦自にデータと人員を特別提供していたのだ。戦自の手柄にしておけば、後々ネルフとしてもやり易い。

 

 「これ以上の作戦は無理だろうなぁ……」

 

 残念そうな声を出しつつも、シンジの口元には笑みが浮かんでいた。前史に比べれば遥かにマシである。それに、万が一失敗したとしても、サハクィエルの特徴が強ければ別の方策も知っている。

 

 ふと見ると、廊下の奥からレイが姿を見せた。

 

「あっ、綾波!」

「碇君?」

 

 ナイスタイミングだとシンジは思った。一応、自分が考えた作戦も話しておいた方がいいだろうと思ったからだ。

 

「ちょうど良かった。これから着替えでしょ?」

「ええ、今向かうところ。……ちょうど良かった、って?」

 

 レイはシンジの言葉に素朴な疑問を投げかけた。

 

「これから戦う使徒さ。ミサトさんが必死で考えてくれてるみたいなんだけど、もしものために第2プランを考えてみたんだ」

「第2プラン?」

「もちろんミサトさんのことは信じてる。だけど念のため、にね。もしこの作戦が失敗したら、この街がなくなるかもしれないらしいからさ。だから、僕は真っ先にヤツの真下に走って行って使徒を受け止めとく。そこを綾波とアスカで攻撃してほしいんだ」

「……えっ!?」

「ん?どうかした?」

「い、いえ……なんでもないわ」

「まあかなり大雑把だけどね……。悪いんだけど、後でアスカにも伝えといてくれる?」

「え、ええ……」

 

 いつの間にか更衣室の前まで来ていた二人は、そこで一旦分かれた。

 

「……どうして、同じなの……?」

 

 レイは目を丸くして呟いた。

 

 

 

 一方、ミサトの方は更なる成功確率の上昇のために計画を練りつづけていた。さっき11%とは言ったものの、これはあくまでデータ上での話なのだという。

 

「まさかミサト、これよりも上がるとでも言うの……?」

「ええ、そのまさかよ。私は彼を信じるわ。戦闘が始まったら、彼らの力は未知数だから……」

 

 ミサトは、過去3回のシンジ、レイ、そしてアスカの戦闘記録を開いた。何度も見たその報告書には、それぞれにグラフが表されている。

 

「99.89、89.62に、98.38……82.21……97.30……」

 

 ミサトは紙をめくる。胸ポケットに挿していたボールペンを取りだし、スラスラと紙に計算式を記入していく。

 

「賭けは……危ないわよ……?」

 

 リツコは顔を険しくする。

 

「そうね。みんなにはまた、迷惑かけるわね……」

 

 ミサトはペンを取り替え、今度は赤い円を素早く書いていく。

 

「だからこそ、その賭けを、確実なものにできるようにサポートする。今の私には、すまないけどそれが精一杯よ……。リツコ、ちょっとタブレット貸して」

 

 リツコからタブレットPCを受け取ると、凄まじいスピードでキーを入力していく。

 

「たとえこの作戦が外れだったとしても、結果と課程、両方を成り立たせるわよ」

 

 ミサトは手を止める。タブレットに、33.71±2.20の表示が出た。

 

「……本当に変わったわね、貴方も」

 

 

 

 ******

 

 

 

 作戦準備が開始されてすぐに、格納されていたエヴァが列車型の貨物台に乗せられて運び出された。

 

「エヴァ3機によるA.T.フィールドの同時展開?」

 

 ミサトの作戦を聞いたアスカが首を傾げた。

 

「そう。飛来する使徒を、エヴァのA.T.フィールド全開で減速させる。そこを第6の使徒の時にも使った陽電子砲の改良型で狙撃する。目標は位置情報を撹乱しているから、保障観測による正確な弾道計算は期待できないわ。状況に応じて多角的に対処するため、本作戦はエヴァ3機の同時展開とします」

「…………一人じゃ無理ってことね?」

 

 ミサトの説明を眉を歪めながらアスカが訊き返す。

 

「ええ。エヴァ単機では広大な落下予測範囲全域をカバーできないの」

 

 ミサトはパイロットたちにモニターに映し出されたシミュレーションデータを見せる。

 

「この配置の根拠は?」

 

 レイがそれを見て質問する。

 

「一応、使徒落下予測地点をネルフ本部直上として、そこを中心に均等に配置したつもり。何かあれば言ってちょうだい」

「案外広いのね……」

 

 アスカは腕を組んでモニターを覗きこんだ。

 

「勝算はあるんですか?」

 

 シンジがストレートに訊いた。

 

「MAGIの計算では11.17%だったわ。ただし、これはあくまで予測最低値。状況によれば、30%超えも夢じゃない」

「夢より現実見たら?」

 

 アスカが無機質な声で指摘する。感情の欠片すら無かったように聞こえたが、それも承知とばかりにミサトは軽く受け流した。

 

「ま、ギリギリまで軌道予測を試みるわ。悪いけど、これが私たちに考えつく最善の方策なの。A.T.フィールドはエヴァ同士による干渉も考慮しなければならないから、緻密で非常に細かい調整が必要になるけど、こっちで何とかするから心配しないで」

 

「……ねぇミサト?」

「ん?何?」

「3体の位置、東南東に2キロ移動させられる?」

「「……え?」」

 

 ミサトとシンジは同時に目を丸くした。

 

「使徒の落下は斜めなのよね。相手を減速させるんだったら、こっちもA.T.フィールドを押し出すように動いた方がいいと思うわ。けど、A.T.フィールドの強さを重視するんだったら、そんなに動けないと思うから、2キロくらいがいいかも」

「……流石ね、アスカ!」

「勝たなきゃ、……全部終わるもん」

 

 アスカはとても小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 

 エヴァに乗った3人は最終位置についた。時折本部から移動を要請させられるため、発進準備のための職員は既に撤退している。

 シンジは、すっかり考えを変え、勝てるような気がしていた。先程ミサトから言われた11%という数値や、ミサトの表情からそう思うのだろう。

 

 ただ腑に落ちないことがある。

 なぜだろう、一人でできるという発言を、一度もしなかった。

 シンジはアスカの態度に違和感を覚えた。そのアスカは、空をジッと睨み付けていた。

 

 

 

 そして遂に、発令所内に警報が鳴り響いた。

 

『現在、目標の軌道を補足中。重力要素を入力』

 

 オペレーターの通信が騒がしくなる。

 

「おいでなすったわね。エヴァ3機、フィールド展開準備!」

 

 待ち構えていたミサトは、腕を組んで作戦の合図を送った。

 ミサトの合図で、3人は一斉に深呼吸をした。

 

「限界までサポートするけど、2次的データが当てにならない以上、万一の時は現場各自の判断を優先します。エヴァとあなた達に全てを賭けるわ」

 

 ミサトは、エヴァパイロットたちに最後の思いを託す。

 

「目標接近!距離、間もなく2万!」

 

 使徒が近づいてきたことを、シゲルが伝える。

 

 

 

「作戦開始!A.T.フィールド一斉展開!!!」

 

 

 

 ミサトはいつにも増して緊張感のある声で叫んだ。

 

「「「了解!!!」」」

 

 3人は一気にA.T.フィールドを展開し始めた。その表面はすぐに第3新東京市全体へと広がっていく。

 

「干渉は!?」

 

 ミサトがマコトに報告を仰ぐ。

 

「零号機基準に2号機が+1.3、初号機が+2.9!!」

「調整頼むわ!下げすぎないように気を付けて!!」

「はい!」

 

 上空から飛来した使徒は、身にまとっていた黒い空間を剥がして、真の姿を表に出す。それをシンジも黙視で確認し、目を見開いた。カラフルではあるが、その姿は、前史のレリエルそのものだった。

 そしてすぐに、形が変化したことによって影響が発生したことを報告するシゲルの声が聞こえてきた。

 

「目標のA.T.フィールド変質、軌道が変わります!!落下予測地点、修正02!!」

「くっ!」

 

 ミサトが奥歯を噛み締める。

 

「エヴァのA.T.フィールドにより目標減速!!しかし、このままだと落下予測地点がかなりずれます!!」

「エヴァ3機、北側に3キロメートル移動して!!」

 

 すかさずミサトが指示を出す。

 その時、マヤから報告が発せられる。

 

「目標のコアを補足!!」

「陽電子砲は!?」

『いつでもいけます!』

 

 通信の繋がっている戦自の本部からは、自信たっぷりの声が聞こえてくる。ミサトの口角が上がる。

 

「目標との距離、間もなく1万!予定射撃距離に入ります!」

「計算出ました!落下角度、およそ61.3度!」

「よし、陽電子砲射撃カウント開始っ!!」

 

 ミサトの声と共に、陽電子砲の乗った可動台が傾いていく。

 

「初号機A.T.フィールド、+1.1.!」

「シンジ君、北側に500メートル移動!」

『はい!』

「射角調節完了、発射まであと15秒!」

 

 その瞬間だった。

 シンジたちのA.T.フィールドを受け減速しながらも降下を続ける使徒が、球体だった体を広げて蝶のような形に変化した。10枚の羽を広げた使徒は真ん中に目のような部位を残し、羽の輪郭には無数の触手のようなものを立ち上げる。横長に広がった使徒は、次第に羽部分を持ち上げ、空気抵抗を分散させながらV字型になって落下を続ける。

 

『目標変形、距離およそ8000!』

『目標A.T.フィールドのバランスが不安定化!』

 

 シゲルとマコトが素早く使徒の変化を報告する。

 

『陽電子砲発射まで、あと5秒!3!2!1!』

「まさか……!?」

 

 その時、シンジの脳裏に不穏な考えが揺らめいた。

 

『発射!!』

 

 ミサトの号令で陽電子砲が火を吹いた。青白い光が空めがけて放たれる。

 しかし、コアを貫通したかに見えたその攻撃は、完全に外れていったのだった。

 

「なっ……!??」

『相手のコア、一点に固定していません!高速で円運動をしています!!』

『そんな……!?』

 

 ミサトは言葉を失った。

 

『目標、依然健在!』

『外縁のA.T.フィールド、中心へ集束中!』

「まずいっ!!」

 

 シンジは無意識のうちに走り出していた。

 マトリエルやレリエルの要素など、端からなかったのだ。1枚の壁であるはずのA.T.フィールドを、自らの形を変えることで一点に収束させてくるとは、全くの予想外だった。そしてこのままだと、3機が別地点からA.T.フィールドを展開しても、一点集中の攻撃に対しては無意味になりかねない……!

 

『シンジ君!?一体何を!』

「今ならなんとかできます、アスカっ!!綾波っ!!!」

『っ、分かってるわよ!!!』

『こっちも、すぐ行く……!』

 

 3人のその叫びをミサトも理解したらしく、すぐにマコトに指示を出した。

 

『分かったわ、頼むわシンジ君!!日向君、緊急コース形成、605から675!!』

『はい!!』

 

 途端に、初号機が走っていた市街地に、巨大な装甲板の足場が何枚も立ち上がり始める。装甲板によって形成されたバンクを利用して、初号機はスピードを緩めずにカーブを駆け抜ける。

 

『次、1072から1078、スタンバイ!!』

 

 言うが早いか、すぐさま格納されていた兵装ビルがせり上がる。初号機はそれを足場に高く飛び上がり、更に加速をかける。

 

『354から362も上げて!』

 

 レイやアスカの足場も確保するためか、間髪入れずにミサトの指示が飛んだ。

 サハクィエルの落下予想位置はすでに確定的だった。おまけに減速しているために時間的な余裕もまだ残されていたのが救いだ。シンジは使徒の真下に辿りつき急ブレーキを掛けて止まると、迫り来る蝶のような巨体に向かって両手を広げた。

 

「A.T.フィールド、全開っっ!!」

 

 初号機は天に向かって両手を広げると、全面に巨大なA.T.フィールドを広げた。遂に地表近くへ接近した使徒は、初号機のA.T.フィールド目掛けて突っ込んでくる。そして、A.T.フィールドの表面に到達した使徒は、コアがあると思われる中心から人の上半身のような部位を覗かせる。

 

「なっ……!?」

 

 その人型の部位は、両手を伸ばすと、初号機の両手にがっちりと手を合わせる。

 次の瞬間、使徒の手が槍状に変化して初号機の手を突き破った。ヤバいと思ったが既に遅かった。避けられない、焼け付くような急激な激痛に、シンジは思わず悲鳴をあげた。

 

「っあ"ぁ"ぁぁぁぁぁーーーっっっ!!!!」

『シンジ君っ!!』

「っっぐっ……!!」

『神経接続30%カット、急いで!!』

『はい!』

 

 焦ってミサトが叫び、マコトがディスプレイを操作する。

 

「2号機!!」

 

 レイが叫んだ。

 

「陽電子ライフルで撃って!私はコアを掴まえる……!」

 

 初号機の腕からは血液が噴き出していた。だが2号機が辿り着くにはまだかなりの時間を要する。状況は非常に悪かった。

 だが、2号機の走行ルート付近には陽電子砲が残っていた。これを利用しようとレイは考えた。

 

 そして、アスカはそれに応え、耐える紫鬼に向かって、大声で叫んだ。

 

「OK……!耐えてなさいよバカシンジぃっっっ!!!!」

「…………っっ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

中途半端でもここで切ります。
ってなわけで第拾話でしたいかがでしたでしょうか?♪

新劇版になってそこそこ好きな使徒になったサハクィエル。あのカラフル版レリエルにはスタッフの本気が伺えますね♪

さて、伏線をいろいろ出しすぎて、回収するの大変そうだなぁ……笑
ま、でも一つはまもなく回収完了です。

もう、お気づきですかね。あの人物の「真実」。

次回の後編にて判明させます。

【第拾壱話 還りし人(後編)】
【Episode.11 REUNION】

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第拾壱話 還りし人(後編)

 

 

 私はなぜ、エヴァに乗っているのか。

 

 優秀だったから?

 

 違う。認めてほしかったからだ。

 

 母に、みんなに。

 

 エヴァという空間は、自分の存在意義だった。

 

 結果を出さなければ、私の価値はない。

 

 だから、無理に強がった。

 

 エリートを気取り、大人ぶり、

 

 自分の「ホンネ」を、圧し殺してきた。

 

 

 

 けれど、全てを失って気がついた。

 

 決して、一人なんかじゃなかった。

 

 私には、支えてくれてる人がいた。

 

 いつでも、求めてくれる人がいた。

 

 そう気づいたとき、思わず涙した。

 

 

 

 だから敢えて、あの世界で拒絶した。

 

 おなじ輪の中に入りたがった自分が、

 

 彼という「他」がいる世界を望んだ。

 

 だから私は、残ったのかもしれない。

 

 

 

 みんなには恨まれるかもしれない。

 

 自分の身ももたないかもしれない。

 

 だけどいい。私は、自由に生きる。

 

 自由に生きていいんだってことを、

 

 彼は、私に教えてくれたのだった。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第拾壱話 還りし人(後編)】

【Episode.11 REUNION】

 

 

 

 

 

 猛ダッシュで初号機のところに駆けつけたレイはその勢いでA.T.フィールドを破ると、がっちりと使徒のコアを鷲掴みにした。零号機の手は、掴んだコアのエネルギーによってみるみるうちに高温になってゆく。

 

「くっ……」

 

 レイは増していく激痛に苦しんだ。とはいえ、それも一瞬のことだったが。

 

「レイ、頭下げてっ!!!!!」

 

 1キロほど離れた地点で、陽電子ライフルを持ったアスカが引き金を引いた。

 青白い光は今度こそコアを貫いた。紅いコアは途端に輝きを失い、ガラスが砕けるような音を響かせて破裂し、大量の血を撒き散らして跡形を無くす。

 コアを潰されたサハクィエルは、ゆっくりと羽を下ろした。羽に生えた触手は硬直し、体は黒く変色する。そして、羽の先から触手をまるでドミノのように折り畳んだかと思うと、エヴァの何倍もある巨体から大量の血液を噴出した。

 血の濁流は山を下って街を襲い、第3新東京市のビルや民家を飲み込んでいく。その後に残ったのは、真っ赤に染まった街と、使徒の立ち上げた光の十字架だけだった……。

 

 

 

「ありがとう……みんな」

 

 発令所で使徒の殲滅を確認したミサトは、なんとか作戦が成功したことで、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「電波システム回復。碇司令から通信が入っています」

「了解。お繋ぎして」

 

 ミサトが気を抜いている暇もなく、シゲルが報告する。今一度表情を引き締め、モニターの前に背筋を伸ばして立った。

 

「申し訳ありません。私の独断でエヴァ初号機及び零号機を破損。パイロットにも負傷を負わせてしまった他、第3新東京市中心市街地に多数被害を与えてしまいました。責任は全て、私にあります」

 

 ミサトの説明にまず答えたのは冬月だった。

 

「構わん。目標殲滅に対しこの程度の被害はむしろ幸運と言える。予想外の事態への冷静な対応も良かったよ」

 

 続いてゲンドウが口を開く。

 

「あぁ。よくやってくれた、葛城一佐」

「ありがとうございます」

「初号機パイロットに繋いでくれ」

「は?」

 

 ミサトは意外な展開に目を丸くした。

 

 

 

『話は聞いた。よくやったな、シンジ』

 

 エントリープラグの中でゲンドウの声を聞いたシンジは、急な出来事に一瞬戸惑った。

 

「へ……?あ、はい、そりゃどうも……」

 

 そういえばサハクィエル戦後に通信が来るんだった。聞く場所は違えど、そこのシナリオは同じだったのか。

 

『では葛城一佐、後の処理は任せる』

『はい。3人とも、自力で戻ってこられる?』

 

 アンビリカルケーブルを切るタイミングも前史に比べれば全然遅かったために、内蔵電源はまだ1分ほど残されていた。

 

「あ、はい。56番にならたどり着けそうです」

『分かったわ。手の治療しなきゃだからシンジ君が先ね』

「「はい」」

 

 シンジはレイとともに返事をし、ケージへと戻っていった。

 戻る直前に、ふと、遠くにいる2号機を見た。2号機はライフルを片手に、直立したままだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジは、本部に帰るなり救護室に向かわされた。掌は赤くなり、痣になってしまっていた。そんなシンジに夕食を作るなどという無理はさせまいと、ミサトは自分の奢りで夕飯は外で食べようと言い出した。

 

「どこに行く?折角だから第2東京に行ってパーッとやってもいいわよん♪?」

 

 ミサトは高らかな声をあげた。だがそれに苦笑いしたのがアスカだった。

 

「そんなこと言って、給料日前なんでしょ。極上ビーフステーキとか言われたらどうするつもりなのよ?」

「うっ……」

「近場にいい屋台があるってジャージ野郎に聞いたから、そこにするわよ。エコヒイキも肉が苦手みたいだし、ラーメンなら食べられるでしょ?」

「別に……最近は大丈夫……」

「へぇ、そうなの?ま、とにかく行きましょ?」

「なんか……すまないわね……」

 

 

 

 そんなわけで、アスカやレイも含めた4人は前史同様、あの屋台にやって来た。

 幸い、芦ノ湖南岸はサハクィエルの被害をさほど受けていなかったので、駅伝好きという理由からこの場所に住み着いている屋台のオヤジさんは一足先に第3新東京市に戻ってきていた。これも前史とは変わっていないことだった。

 

「アタシ、鱶鰭(フカヒレ)ラーメン大盛り!」

「私は、ニンニクラーメン」

「僕は、豚骨醤油で」

「私は味噌バターコーンで。合計四つ、よろしく!♪」

「あいよ!」

 

 それにしてもやはり、あまり人のいない第3新東京市は怖いほど静かだった。周囲の電気は落ちているのは非常に不思議で、本当にここが次期首都なのだろうかと疑問に思ってしまう。使徒迎撃用要塞都市であるため仕方はないのだが。

 

(…………ジ)

 

「へいお待ち!味噌バターコーンとニンニク一丁!」

 

 綾波はチャーシュー抜きにはしなかったらしい。普通(とはいえ9割人造だが)の肉ももうだいぶ克服しているようで、最近ではハンバーグにも挑戦し始めていたであろうか。その成長ぶりにはシンジも感心している。

 

(…カ……ンジ)

 

「へい、鱶鰭と豚骨醤油、お待ちどーさん!」

「ありがとうございます」

 

 シンジは礼を言ってどんぶりを受け取る。湯気の上がるラーメンはとても美味しそうだった。割り箸を割り、思いきりすする。

 ふと、ゲンドウの顔が頭をよぎった。前史でも、この場所でミサトに話したから思い出したのだろうか。

 シンジはこの世界に来てから、前史と同じタイミングに記憶が重なることもしばしばあった。今回もそれかもしれない。

 ゲンドウに「よくやった」と直接褒められたのは、前はこのサハクィエル戦が最初で最後だった。そういえば、このタイミングで褒めたのには何か理由があったのだろうか。

 

(バカシンジ……!)

 

 ……ダメだ。

 

 昼間からずっと頭を巡っている。意識を逸らそうとしたがやはり無理だった。

 

 懐かしい響きだった。アスカが呼ぶときにだけ聞くことができた、僕の呼び方。けれど、嬉しいはずなのに、

 

 どうして、腑に落ちないのだろう。

 

「あ、あの、式な……」

「おじさん、ゆで卵二つちょうだい!」

「あいよ~!」

「…………」

 

 言葉を遮られ、シンジは口を閉ざした。

 聞いてどうするというのだ。そもそも何を聞こうというのか。

 複雑に絡みつくような心地のする感情にシンジは戸惑った。もどかしい思いに顔を歪めた。

 ゆで卵の殻をさらりと取ってラーメンに乗せ、尚も食べ続けるアスカを横目に見ながら、シンジも思いっきりラーメンを啜った。

 ラーメンは、信じられないほど美味しかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 帰ってきたのはそれから1時間後。今日の戦闘はいつになく大変だっただろうから早く寝るように、とのミサトの気遣いで、シンジもアスカもレイも、自分の部屋に戻った。

 だがシンジは寝ることができなかった。布団に横にはなったものの、目を閉じることができず、白い包帯の巻かれた手を見つめていた。

 こうやって自分の掌を見つめるのは、実は結構久しぶりかもしれない。この世界に来てからというもの、こんな風に見た覚えはなかった気がしている。

 その脳裏には、この世界だけではなく、前史も合わせたシンジの、14歳にしては至極濃すぎる記憶の数々が流れていた。

 

 ……なぜ今頃、過去がこんなにフラッシュバックする。

 シンジはその手でいろんなことをしてきた。ネルフに連絡しようと受話器を握ったのを皮切りに、ケージで倒れた瀕死のレイを抱き起こし、ライフルの引き金を引き、光の鞭で火傷し、綾波の乗ったエントリープラグのハッチを必死で回し、トウジの乗った参号機のプラグを潰し、量産機にロンギヌスの槍で貫かれ。不可抗力とはいえ綾波に悪いこともしたし、男として最低なこともした。

 アスカの首を絞めたのも、この手だった。

 それを改めて思い返し、シンジはため息をつく。数々の出来事を背景に、ここに生きている。それが「碇シンジ」なのだと。

 

 ……なぜ。なぜ今頃こんな感傷的になっている。

 手を握ってみる。以前から、自分の心を落ち着けるために無意識にやっていたこの動作。

 この世界に来てからはしていなかったが、今日はなぜか、こうせずにはいられなかった。この世界に来て、ここまで心が揺さぶられたのは今日が初めてだった。

 なぜだろうか。

 

 

 

 そんなことを考えていたせいで、シンジは背後の襖が開いたことに気がつかなかった。

 布団が微かに揺れて、ようやく誰かがいると気づくと同時にそれが誰なのか分かって思わず身体を跳ねさせた。

 

「……!?ち、ちょ……」

「こっち向かないで」

 

 アスカだった。振り向こうとしたシンジを、すかさず声で封じた。

 

「あ……う……ん」

 

 どうしていいか分からずに、シンジは身体を固めた。

 

「七光り……ちょっとだけ居させて」

「…………うん」

 

 アスカは息を吐くように小さな声でこっそりと言った。シンジは返事だけ返すと、手元に転がっている音楽プレイヤーに手を伸ばし、再生ボタンを押した。とてもじゃないがこの状況、長くは耐えていられそうになかった。

 

「ねぇ……七光り……」

「っ……なに…?」

 

 イヤホンを耳につけようとして、阻まれた。シンジはその手の行き場所を失い、イヤホンを握ったまま静止した。

 

「昼間……どさくさに紛れて、名前、呼んだでしょ」

「あ、ご……ごめん……」

 

 目を泳がせながら、シンジは小さく返す。

 

「………どうして?」

「……え?」

「だから、どうして名前で呼んだのよ」

「え……と、それ、は……」

 

 返答に迷った。どうするべきか、この時のシンジには全くわからなかった。

 

「…………答えて」

「っ…………」

 

 語気を強めてアスカは訊いた。

 

 シンジは悩んだ。このままはぐらかしたとして、今のアスカが諦めるとは思えない。だが、話してしまっていいのか。

 過去のアスカのことを……

 しばらく悩み沈黙した末に、シンジは呟いた。

 

 

 

「……惣流……」

 

 

 

 どこまで明かしていいかはわからない。だが、知らないということは、非常に不愉快だろう。自分も同じだったから。

 

 アスカが「何よそれ?」と訊き返してくるのを待った。

 

 応答は、なかった。

 

 少しして、背後から抱き締められただけだった。

 

 

 

「え……ちょ……っ?」

「…………っ……」

 

 アスカはシンジの背中にしがみつき、肩を震わせていた。

 

「アス……カ……?」

「っ、こっち向かないでって……言ったでしょ……っ」

 

 咄嗟に振り返ろうとしたシンジを、アスカはさらに強く抱き締めた。

 アスカは、泣いていた。

 

「……っ……うぅっ……」

 

 シンジがアスカの泣く場に遭遇するのはこれが2度目だった。前史でのアラエル戦、その直後に彼女が流していた涙は、絶望と恐怖に怯えている涙だった。

 だが、今回は違った。

 

「バカ……」

「え……」

「本当に、バカなんだから……っ……!」

 

 アスカはすがり付くように泣いた。シンジは身動きもとれず、ただ呆然と彼女のすすり泣く声を聞くだけだった。

 

 惣流。

 

 その二文字はアスカを震わせた。シンジの放ったその短い単語は、彼がこの世界の人間ではないことを示すには、

 そう、「アスカ」と同じ道を辿ってきたことを示すには、十分すぎるものだったのだ。

 

「……そ……っか」

 

 シンジは今、漸く理解した。アスカも自分と同じで、あの崩壊した世界から戻ってきた、逆行者だったのだ。

 惣流・アスカ・ラングレー。シンジを最後まで拒絶し、本当にその存在を求めてくれた、唯一の女性(ひと)。シンジが、一番好きだった女性(ひと)

 いつのまにか、シンジも涙を流していた。どうしてアスカは黙っていたのだろうか。どうして自分はアスカに気づいてやれなかったのだろうか。

 そんな悔しさと共に、どうしてこれほどまでに、彼女のことで心を揺さぶられるのだろうかと自分自身に問うた。

 まさか、また会えるなんて。

 胸の奥から抉られるようなほどの嬉しさに、涙はとどまる気配を知らず、溢れ続けたのだった。

 

「久しぶり……アスカ……」

 

 

 

 

 

「……落ち着いた?」

「……ええ。アンタも大丈夫?」

「うん」

 

 その後、そのままの体勢で10分以上も泣き続けた二人は、ミサトを起こさないようにそっと部屋を抜け出し、冷蔵庫から2Lのミネラルウォーターを取り出してきてその半分を飲み干した。

 

「まさか、アスカも戻ってきてたなんてね……」

 

 鼻をすすりながらシンジは笑った。

 

「ええ、こっちも驚いたわよ。名前変わってるの私だけだから、てっきりアンタもこの世界の住人かと思ってたもん」

「そういえば、名前……」

「あぁそれ?私も疑問に思ったのよね。なんかよくわかんないけど、経歴もまるで違うし」

「……どういうこと?」

「なんかね、ママがハッキリしてないのよ。キョウコって名前の人、今にも過去にも、一人もいないの」

「そう……なの」

 

 シンジは少し言葉を濁した。母のことが大好きだったというアスカに少し申し訳ないと思った。

 惣流アスカの母:惣流・キョウコ・ツェッペリン。エヴァ2号機の初期起動実験の被験者。だが実験は失敗し、魂がそのまま2号機に取り残され、精神状態が崩壊したまま自殺してしまう結果となった。その過去があり、惣流アスカは自分の存在意義の否定を恐れ、無理に強がり、意地を張り続けていた。

 量産機との戦いの時に、2号機に眠っていた母の存在を理解し、一瞬とはいえ立ち直ることができた。だからこそアスカにとって、母の存在というのはとても大きいのだ。それはシンジも同じだった部分もあるから、その母親がいないかもしれないというのは、アスカを想うシンジにとっても少し心を痛めるものだった。

 

 そんな風に心配そうな顔をするシンジを見て、アスカはフッと微笑んだ。

 

「違う世界だから仕方ないわよ。聞くところによると、加持さんとも全くと言っていいほど関わりなかったらしいから」

「えっ、あれ元からなの!?」

「何よ、そんなに驚いて」

「いや、てっきり、君だからだと……」

 

 アスカが加持に興味を持っていなかったのは、彼女が過去から遡ってきていたからだと、シンジはついさっき納得したばかりだった。アスカはそれを聞いてカラカラと笑った。

 

「どうしてそう思ったのよ~?」

 

 全く、分かっているくせにわざと聞いてくる。こういうところは昔と全然変わってないんだから。そうシンジは思う。

 でも、そんな彼女だからこそ、愛しく感じてしまうのだ。

 

「……独占欲、強いんだろ?」

「………覚えてたのね」

 

 シンジはにっこりと微笑んだ。

 

「忘れるわけないよ」

 

 あの赤い海で、アスカから受けた告白。

 

「あんな顔見せられたら、二度と離せやしないさ」

「………バーカ」

 

 あまりにも唐突すぎる、直球すぎる口説き文句に、アスカは頬を真っ赤に染めてシンジから顔を背けたのだった。

 

 

 

「それにしても、どうして戻ってこれたのかしら……ほーんとそこのところ、謎で謎で仕方がないわよ」

「確かに、もうダメだなーって思ってアスカの手を握ったはいいけど、気がついたらサキエルの日だったし」

「サキエルの日って、アンタが初めてここに来た時よね?」

「そそ。最初の二、三週間はそんなにシナリオも変わってなかったからね、その間はいろいろ楽だったんだけどさ。……楽じゃないミサトさんは相変わらずだったけど」

「にしても、めいっぱいからかってやろうと思ったのに、何だか最近調子いいのよね。なんだかつまんない」

「まぁまぁ。ミサトさんにはいざというときに役立ってもらわなきゃ。無能じゃ困っちゃうよ」

「アンタ、あの女を思いっきり利用してるわね……」

「…………結局はね」

 

 自分のエゴとは、よく言うものだ。

 

「けど、アンタのやってることは正しいわよ。少なくとも私は、そう思う」

「……ありがとう」

 

 どちらからともなく笑い出す。逆行してから今までの時間を隅々まで埋めていこうとするかのように、二人は話し続けた。

 

「アスカはいつ戻ったの?」

「アンタと同じくらいよ。確か、2号機のシンクロテストの直前だったかな?戻ったばっかだからワケわかんなくて、シンクロ率最高記録叩き出しちゃった♪」

「嘘!?凄いじゃないか!」

「そういうアンタも99.89だったんじゃない?」

「へっ!?なんでわかったの……!?」

「愚問ね、アタシも同じだったからよ」

「へぇ~……なんか意味でもあるんかなぁ、99.89?」

「さぁね。それはそうと、そんな数値出して感づかれたりしてないわよね?」

「大丈夫。僕のこと知ってるのはとりあえずリツコさんと加持さんだけだよ。父さんもかなり翻弄されてるみたいだし♪」

 

 シンジはそう言い、まさにその父親譲りの不敵な表情でニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 ゲンドウと冬月はようやくネルフ本部へと帰ってきた。暗い中でも、第3新東京市と芦ノ湖が赤く染まっているのが見てとれた。

 

「またゼーレに小言を言われるな」

「ああ。だが、被害はこれでも最小限に抑えている。第8の使徒殲滅の遂行、印象は悪くない筈だ」

「死海文書では、あと4つか……」

「ああ。…………冬月」

 

 ゲンドウは急に立ち止まった。

 

「……ゴルゴダに電話を繋いでくれ」

 

 

 

 ******

 

 

 

「ほはよぉ……」

 

 一夜明け、窓からは次第に陽の光が射し込んでくる。目が覚めたミサトは一升瓶を手に、あくびをしながら襖を開けた。

 

「あ……おはようございます、ミサトさん……」

 

 シンジは目の下に隈を作って弱々しく答えた。結局、延々とアスカと話を続け、結果的にほぼ徹夜となってしまったのだ。眠たそうな目とは裏腹に、満面の笑顔を浮かべてはいるが。

 

「ん?大丈夫、シンジくん?かなり眠たそうだけど」

「……えぇ、結局寝つけなくって、あんまり休めてないんです」

「もー、育ち盛りなんだから、ちゃんと寝とかないとダメよ。……仕方ないから、たくさん昼寝しときなさいね?今日は学校休みみたいだし」

「はい、ご心配お掛けしてすみません。でも今日はネルフに少し用事があるので……」

「あらそうなの?」

 

 ミサトは空の瓶をテーブルに置いて髪を縛り直した。

 

「とにかく、体調には気をつけてね。ところでまだ寝てるの?」

「アスカですか?いえ、顔洗いに行ってるはずですが」

「シーンジぃっ、洗顔フォームの予備どこにしまってあんのよぉ!?」

「へっ?予備って、そんなに残ってなかったんだっけー?っとミサトさん、ちょっとこのブロッコリー頼みますね」

「えっ?あっ、ちょっとぉ!?」

 

 菜箸を押しつけられ、何も言えぬままミサトは一人キッチン台に取り残された。仕方がないので、鍋に浮かび茹でられているブロッコリーを適当にかき回した。

 その背後で、既に朝食を食べに葛城家に来ていたレイが、食器棚からミサトの弁当箱を取り出していた。

 彼女の視線は、洗面所の方へと向いていた。

 

 

 

 

 

 信号が青に変わり、伊吹マヤは横断歩道を渡る。第3新東京市のほとんどの企業がまだ営業を再開していない中、特務機関NERVは今日も通常運転である。

 途中、ジオフロント行のケーブルカーにて、青葉シゲル、日向マコトと合流した。

 

「あっ、おはようございます!」

「おっ、おはようマヤちゃん、今日も早いね」

「そういう日向さんたちこそ、まだ7時半ですよ?」

「ハハッ、確かにね。でも休んでられやしないからなぁ」

「僕は第8の使徒の落下現場の現地視察、シゲルはエヴァ3機の修理計画の立案、マヤちゃんの方は赤木博士と陽電子砲の再改良やるんだっけ?」

「はい……本当、やることが多いですよね」

「仕方ないさ、それが俺たちネルフなんだし」

「それに……」

 

 3人は、隣の車両に座っている少年少女をチラッと見た。

 

「大人が逃げてちゃダメだもんな」

 

 マコトが微笑みながら言った。

 

「……ですね」

「だな……。でもマコトお前、ちゃっかり一番奥に座ってる葛城さんの方をじっくり見つめてるよな」

「…………不潔です」

「いや何でそうなるんだよぉ!?」

 

 

 

 

 

「へーぇ?まさか貴女も……」

「そ、本当の名前は『惣流・アスカ・ラングレー』。今のところ他言無用で頼むけど」

 

 学校が休みなのを最大活用、シンジとアスカはネルフに赴き、協力者であるリツコにアスカのことを話していた。

 

「それはそうとリツコ、角砂糖あと2つ頂戴……流石にコレは苦すぎよ……」

「そうかしら?」

 

 二人の目の下には濃い隈、そして時折シンジが背を向けて欠伸をする仕草。これらから、リツコは二人がほぼ徹夜の寝不足なのではと踏んで、かなり高濃度のコーヒーを淹れていた。苦さでいえばエスプレッソ超えだ。

 

「おかげで目は覚めましたけどね……」

 

 シンジは自嘲気味に笑った。

 リツコはシュガーポットをアスカに渡すと、話を切り替えた。コーヒーをあえて苦くしたのは、本当は二人と真面目にある話をしたかったからだった。

 

「ところでシンジ君、アスカ、この世界にいるイレギュラーは、あなた達だけで大丈夫なのよね?」

 

 シンジは突然の質問に目をパチクリさせた。

 

「……というと?」

「ミサトとか加持君とか、一番はレイね。前の世界の記憶を持ってたりしないかってこと」

「……ええ、とりあえずは」

「それと何の関係があんのよ」

 

 コーヒーに砂糖を加えたアスカが不思議がった。

 

「この間シンジ君が言ってたじゃない?『サードインパクトが起こった後、地上に残されたのはシンジ君とアスカだけだった』って」

「「あ……」」

「これまでのシンジ君の証言のなかで、疑問に思うところを私なりに考えてみたのよ。それで、あなたたちが何故この世界に来られたか。それを紐解く鍵がそこにあるような気がしてきたの」

 

 リツコはこういう謎や疑問を見過ごせるほど寛容ではないのだ。不思議に思ったことはとことん突き詰める。第二東京大時代のとある教授から教わったことだ。

 

「…………」

「あとは、そっちの世界の記憶を持ち合わせたままこの世界で生きていられるその理由なんだけど」

 

 リツコはそう言うとタブレットにある文字を打ち込んだ。

 

「輪廻(りんね)……?」

「そう。人が何度も転生し、また動物なども含めた生類に生まれ変わること。普通、人は誰でもこれを経験すると言われているわ。嘘か本当かはともかくも、前世の記憶を持ち合わせてることもしばしばある」

「でもリツコ、私たちの場合、輪廻というよりは逆行じゃ……?」

「ええその通り。あなた達二人は、まるで同じ時間、同じ場所から生活しているの。でも逆行の事例は今まで、ただ一つもないわ」

「…………」

 

 シンジとアスカは息を呑んだ。

 

「あなた達の壊れた世界を完全に理解した訳じゃないし、この考えが適用されるか定かじゃないけど、一つ仮説があるの」

「……何ですか」

 

 シンジはコーヒーをテーブルに置いて前屈みになった。

 

「人の、リリンの還るべき場所。リリスの力よ」

「リリス……?」

「これを説明するには少し時間がいるけど、整理しながらついてきてくれるかしら?」

 

 シンジとアスカは一瞬目配せし、すぐに強く頷いた。

 

 

 

「15年前、葛城博士……ミサトのお父さん、彼が調査隊を組織して南極に行ったのは知ってるわよね。もちろんミサトも同行していたわ。その時、セカンドインパクトが引き起こされてしまった。けれどそれから15年後、すなわち今年、使徒は再び、サードインパクトを引き起こすためにこの街に襲来する、そう予言されていたのよね?」

「え、ええ」

「なぜ15年も空いたのか、気になったことはなかった?」

「そういえば……」

「サキエルからシャムシエルまではたった3週間、その後も1か月経たずで襲来してたってのに……」

「セカンドインパクトの時、アダムはバラバラになったんじゃないかしら?」

「そういえば……あの後、魂はカヲル君になって、肉片は復元して父さんが……」

「しかもその肉片、復元されたのはつい最近じゃない?」

 

 リツコが確信めいた声色で訊く。

 

「そうそう、加持さんが私のボディーガードを口実についてきたのも、アダムを密輸するためだったわ」

「……やはりね。アダムが生きるのも儘ならない状態だったから、その同系民族の使徒は15年間もここに来られなかったのよ」

「……ってことは……!」

「アダムの子である使徒、それと同じに、リリスの子であるリリン、私たちは、リリスなしには生きていけないの。あなた達の世界では、リリスはレイの形をしたまま崩れ去ったって言ってたじゃない?その崩壊が、本当にリリスの『死』だったかっていうことよ」

 

 シンジとアスカはハッとした。

 

「……そうよ、リリスが完全に消滅したのなら、私たちはその時点で死んでたはずだわ」

「そうだ、生きてたんだ。……そういえばあの時、あの赤い海の上で綾波も立ってた、一瞬だったけど……」

 

 それを聞いて、アスカは途端に目を吊り上げた。

 

「……ってまって待って待って!?シンジ、あんた戻ってくるとき何か聞こえたりしなかった!?」

「え……、何かって、何さ……?」

「こぅ、説明できないけど、脳の奥に響くような……」

「……っ?!」

 

 

 

 

 

『世界が、終わることは、決してないわ…………』

 

 

 

 

 

 逆行のトリガー、それを仕組んだ正体を、シンジは掴んだ気がした。それもなんとなくではなく、ほぼ確信に近かった。

 

「…………綾波だ」

 

 はっきりと思い出した。あの瞬間に聞こえた声は紛れもなくレイのものだった。碇ユイでも、初号機でもなく、リリスとなった綾波レイだった。

 

「世界が終わることは決してあり得ない。けれどリリスもアダムも崩壊に追い込まれて、あの地球の意識生命的な歴史が終わりそうだったんだ。だからリリスは、綾波は、自らが完全に死ぬ前に意識だけをこの世界に引き継がせた」

「その時、地球に残っていた生命が、たまたま私たちだけだったってことね……」

「だからさっき、綾波とかがこの世界に戻ってきてるかって訊いたんですか……」

「ええ。世界に、終焉など存在しない……面白いわね」

 

 口元を歪めるリツコの表情は、隠された謎に挑む科学者の顔だった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 そのレイは、現在ある実験のためにと一人呼び出され、NERV地下実験施設の円筒状水槽のL.C.L.に浸かっていた。その部屋の隅にはミサトもいた。

 

「レイ、食事にしよう」

「……はい」

「……」

 

 司令室に移動する3人。ミサトがこの場にいることがゲンドウはおもしろくない。ミサトは現在パイロット3人の保護者代理人。しかもここしばらくでネルフ職員にとってのミサトの株は現在進行形で上昇中。なので、下手に退出を指示して迂闊に職員の反発を買うこともできない。ゲンドウにはまだ時間が必要だった。

 対するミサトは、シンジに頼まれてこの場に入り込んでいる。レイのダミーは既に破壊されたと聞いているが、念のため、ゲンドウが変なことをしないようにそれとなく監視しててほしいと言われていた。

 

「……碇司令」

「……なんだ」

「……あと、どれくらいかかりますか」

 

 レイが質問する。レイは誰に注文したのか、綺麗な形のオムライスを端からパクパク食べていた。

 

「……」

 

 ゲンドウは目を逸らした。司令室の隅でカップラーメンをすするミサトの時折向ける鋭い視線が非常に怖かった。

 

「……今日中には終わる」

「……わかりました」

 

 レイはホッとした。

 早く帰りたかったのだ。家族であるシンジに早く会いたかった。そこでレイは、ふと思い至る。

 シンジとゲンドウも親子だが、どこかよそよそしい感じがする。でもシンジはそんなに他人行儀な言い方はしたことがない。

 となると、避けているのはゲンドウの方か。

 

「……碇司令」

「……なんだ」

「碇君のこと、どう思いますか」

「……」

 

 ゲンドウは返答に困り、シャトーブリアンを切り分けていたナイフとフォークの手を止めた。そのことについては、考えることをやめていたから。

 ゲンドウの脳裏に、シンジを駅に置き去りにした時の光景が蘇る。ユイを失ってから、父親としての自分が怖くなったのだ。

 このままだと、お互いに傷つけあってしまう、その怖さに怯えているのだ。だからこそゲンドウは常に孤独に震えているのだ。

 残念ながら、ゲンドウはその事に気づけないでいるのだが。

 

「……今はそのような余裕はない。だから考えていない」

「そう……ですか」

 

 部屋の隅でパイプ椅子に座るミサトは、二人の様子を伺いながら厳しい目つきで一気にラーメンのスープを飲み干した。

 どうでもいい話だが、ミサトはこの時、カップラーメンより1時間前にすでに食べ終えたシンジの弁当の方が断然美味しかったという。もっとも、比べるだけ無駄だったが。

 

 

 

 




☆あとがき

支離滅裂とはよく言うものです、はい。
今回は、感動の再会だったはず……うん。(苦笑)
あと、レイのオムライスについては、
ただ単に私の好物だからです。(苦苦笑)
なお、ゲンドウは最高級ということで。(笑)

還りし人、正解はアスカでした。私の物語で「アスカ」というキャラクターを描くに当たっては、新劇場版を見て以来ずっと考えさせられている「惣流から式波への設定変更」の謎を取り入れようとしていました。

実は企画当初はシンジとアスカの二人が逆行することしか決まっていなかったのですが、ただ逆行するのもなんとなくありきたり、書いてても萎えそうな気がしてたので、「だったら新劇場版の世界線でいけば……!」と思い立ったのです。(加持に興味をもたない様子、やたらとWonderSwanを持ち出す行動、その他諸々から、もしかしたら本編でも逆行してんじゃないのかと破を初めて見たときに思わされたこともあるほどなので。)

さてですが、「エヴァ」という作品は、旧世紀版も新劇場版も例外なく《上げて落とす》のが大変得意な作品だと思っております。

私の物語は基本的にスパシンですが、その上で、
「少々覚悟していただきたい部分」もこの先ございます。

それをお伝えして、今日は終わりにします。
ではまた。

追記:ラーメン屋のオヤジが駅伝好きなのも私の趣味です。箱根と言ったらエヴァと並んで箱根駅伝。あと数年で100回ですね♪


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第拾弐話 渦巻く葛藤

 3ヶ月前の事だ。

 

「……っ!?」

 

 突然に目が覚めたその場所は、見馴れたコックピットの中だった。

 

「……エヴァ?」

 

 一瞬、状況が飲み込めなかった。

 ゆっくりと、周囲を見渡して、自分が今何をしているのか、寝起きのようなぼぅっとした感覚に囚われながらも理解を試みた。

 ふと、違和感を感じて左目に手を当てた。

 痛くなかった。しかも、しっかり、物を見ることができる。

 

「……治って……る?」

 

 その時、突如コックピットにアナウンスが響き渡った。

 

『Bereit. Wir werden das Experiment der Evangelion-Normal maschine vom Typ 2 beginnen. Eintrag, Start.(準備完了。これより、エヴァンゲリオン正規実用型弐号機の起動実験を始めます。エントリー、スタート)』

「Experiment!?(起動実験っ!?)」

 

 久しぶりに聞いた母国の言葉に懐かしさを感じたのも束の間、思いがけない指令に思わず叫んでしまった。

 

『?……Was ist los?(?……どうかしました?)』

「Ah ... nein, danke.(あ……いえ、よろしくお願いします)」

 

 何が起こっているのか、全く把握できずに思考の袋小路に迷い込んでしまった。

 だがその結果、「99.89%」という驚異のシンクロ率を叩き出してしまったことは、誤算であると同時に必然であったのだろうと、今にしてみればそう思う。

 

 

 

「式波・アスカ・ラングレー」としてこの世界に戻って来てから、不思議に思うことばかりだった。1年前、自分自身が辿ってきた途を繰り返すようであったこともそうだが、その反面、それまでの経歴は全く異なっていたからだ。

 その1つが、人間関係に関してのこと。

 例えば加持さんだ。今は全くだけど、前の世界では私は加持さんに憧れていたから、こっちの世界でもそうだろうと思っていた。加持さんは世界最強のトリプルフェイス、接し方が変わって、彼の鋭い眼光に止まってしまうのは非常にヤバいと思ったので、無理矢理な演技で加持さんに話しかけた。

 のだが。

 

「加持さぁん♪」

「ん?アスカか。珍しいな、そんなにハイテンションで。何か良いことでもあったか?」

「…………はい?」

 

 逆にヤバい状況を作ってしまったような気がしたのは内緒である……。

 

 もう一人はママだ。こっちは驚いたことに、存在すらも一切不明だったのだ。

 ドイツ支部のコンピューターの私のプロファイルに検索をかけたところ、母親に関する項目全てに、詳細不明を示す「Details unbekannt」の文字がついていた。

 私の生い立ちも全く異なっているという予想外の有り様を知ったのもこのときで、その驚愕の事実に3分以上微かにも動けなくなったのは仕方のないことだった。

 

「式波の代償……か……」

 

 

 

 その2ヶ月半後、私は出現していた第7の使徒を殲滅しながら、再び日本へと降り立った。

 正直、第7の使徒戦はとても楽しかった。少なくとも、空中回転してコアに蹴り込む位には。というのも、ようやく会えると思ったからだ。

 あの、スーパー弱虫の根暗七光バカに。…………ね♪

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第拾弐話 渦巻く葛藤】

【Episode.12 Swayed of Little Love】

 

 

 

 

 

「むぅー……、2号機の赤は大好きなのに、この赤は本当に嫌いよね……」

 

 アスカは通学路を歩きながらいかにも嫌そうな顔でボソリと呟いた。あれから6日経ったとはいえ、津波のごとく第3新東京市を襲ったサハクィエルの血液は、いまだに流れ落ちていなかった。

 

「血……だもんね……」

 

 シンジは徐に答えるが、その言葉の裏に別の意味があることにはアスカも既に気づいている。

 全てが崩壊したあのサードインパクト後の世界。その赤と、全くと言っていいほど同じであるからだ。

 学校も辛うじて今日から再開するが、校庭も校舎もまだ赤かった。……今夜から明日の朝にかけて雨らしいから多少はマシになるだろうが、気持ちのいいものでは到底ない。

 

「セーンセ!!」

「「わっ!?」」

 

 突然、シンジは後ろから飛びつかれ、それの勢いにアスカまでもが思わず飛びのいた。肩に腕を回してきたトウジは、相変わらずのジャージ姿でニカッと笑った。

 

「トウジ!!」

「相も変わらず美少女と仲良く登下校とは、ホンマ羨ましいやっちゃなぁ~」

「……だってさ、アスカ」

「はん、アンタに褒められても嬉しくもなんともないわよ。それに、アタシの他にも美少女はたくさんいるでしょうが」

「……は?」

 

 冷やかしのつもりで声をかけたはずのトウジは、思わぬ切り返しに目を丸くした。

 

「ほらシンジ、早く行かなきゃ。アンタ今日日直でしょ?」

「あぁそうだった! ごめんトウジ、また後で!!」

「お、おぅ……?」

 

 トウジは去り行く二人を呆然と見送った。そこに、背後からケンスケが険しい表情でやって来た。

 

「なぁトウジ……あいつら、今……」

「あぁ……『アスカ』に『シンジ』やと……?」

「……というか、式波のあんな表情始めて見たぜ」

 

 ケンスケはそう言うと人差し指と中指で眼鏡を整える。

 

「……なーにがあったんやろなぁ?」

「この一週間で……」

 

 二人は職員室に駆け込むシンジとアスカを眺めながら、怪訝な表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

「「なんだ(や)とぉぉ!?」」

「だ、だからそのままの意味だよ……」

 

 場所と時間は変わって2A教室ホームルーム直後。世紀末のような驚愕の表情を浮かべたケンスケとトウジに、シンジは頬を赤らめながら一瞬たじろいだ。

 

「碇……碇だけは味方だと思ってたのに……」

「あ、あの……?」

「裏切り者や……」

「えぇぇ……いいじゃないか。僕だって恋はするんだよ?」

「その相手が式波なのが一番信じられないんだけど……?」

「そうや、あんな乱暴で顔が堅くて自分勝手で我儘で思いやりのカケラもあらへんあの女のどこgぅ!?」

 

 視界から一瞬でトウジが消えたかと思えば、アスカが()()()拳を握り締めていた。

 

「何か言ったかしら、えぇ?? 色黒万年朴念仁ジャージのス・ズ・ハ・ラ・クン???」

「っでで………な、…なんやとぉ!? シンジ、やっぱおかしいやろ、お前と式波が付き合うとガゥハァッ!!」

 

 体勢を立て直し、起き上がったかと思えばトウジは再び消滅した。無論、彼の言うことも当然理解はできるのだが、それも含めてシンジはアスカのことが大好きなのであり、今更それを覆せる事象など存在しないのだ。なので、今のところ、殲滅されたことに対する同情くらいしかしてやれそうになく、窓に激突して目をまわす彼に、シンジは黙って手を合わせた。

 

「つくづくウルトラバカ。ヒカリが可哀想でならないわね……」

 

 微かに聞こえたその意見に、シンジも深く同調した。委員長も大変なものである……本当に。

 

「ところでシンジ、今日の弁当は?」

「あぁはいはい。これがアスカのね。あとこれ、綾波に渡しといてくれる?僕、先生に呼び出し受けててさ」

「りょーかい♪」

 

 アスカは弁当袋を2つ受けとり華麗にかしこまポーズをしながら、職員室に向かうシンジを見送った。

 

「あーぁ、式波のこと、陰で少し狙ってたんだけどなぁ……」

「アンタには絶対に靡かないから心配しないで?」

 

 小走りで去るシンジの背中を見送りながら小さく呟いたケンスケに、アスカはニッコリと笑って答えた。

 

「……そんな眩しい笑顔で言わないでくれよ……」

「フフン、落ち込むだけ落ち込みなさい?♪」

 

 相田ケンスケ、この瞬間にKOである。

 

「そっかぁ、でも確かにアスカ、転校してきてから碇君のことずっと気にしてたもんね♪」

 

 ヒカリが微笑ましげに言った。

 

「うぇ!?まさかバレてたの!?」

「自覚はあったんかいな……」

 

 ようやく起き上がったトウジも呆れるばかりだった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「あら珍しいわね。今日はエレキじゃないの青葉君?」

 

 ミサトが作戦会議室に入ると、そこでは青葉がアコースティックギターを弾き鳴らしていた。今は休憩時間ということもあり、部屋には彼一人だけだった。かく言うミサトも休憩に来ただけであり、近くの椅子に腰を下ろした。

 声をかけられた青葉は手を止めて立ち上がった。

 

「あぁ葛城さん。なに、たまには電子音じゃなくてこういう自然な音もいいかなって思ったんすよ」

「なるほどねぇ。ちなみに何弾いてたの?」

「『Hedgehog's dilemma』って曲ですよ。20年ほど前に作られた歌詞はない曲ですけど」

「Hedgehog……ヤマアラシのこと?」

 

 しばらく前に聞いたことのある単語だった。

 

「ええ。直訳すると、『ヤマアラシのジレンマ』っすね」

 

 ヤマアラシ……か……、とミサトは思った。

 

「青葉君、まだ時間大丈夫かしら?良かったら聞かせてくれない?」

 

 

 

 元はピアノ曲だという「Hedgehog's Dilemma」。優しく流れるような、どこかジャズに似たギターソロ。けれど、少しもの悲しげな旋律。およそ「葛藤」を表すには文句なしだった。

 その、虚空に流れていそうな音を聴きながら、ミサトは、数日前にリツコと話したことを思い出した。

 

「どうだったかしら、レイの様子は?」

「問題ないわ。なんか変な筒状の水槽に入れられてたけど。特に変なこともなかったし」

「そう。ならよかったけど」

「って、あの水槽とやらはいったい何なのよ。司令の趣味とかじゃないでしょうね…」

「否定はできないけれどね…」

 

 リツコは引き攣った笑みを浮かべた。全面ガラス張りとは、誤解されても文句など言えるだろうか。もう少し良いシステムを構築しても良かったのではとため息をつく。

 

「でもそれ以上に重要なのは、レイが人の手で創られた存在だってこと。何かあったりすると大変でしょ?だからたまには検査しないとなのよ。レイには本当に申し訳ないけど……」

「なるほどねぇ…」

「クローンの素体を破壊するまでは記憶のバックアップもやってたんだけれどね」

「今となっては、完全に無意味っつーことか…。……それはそうとリツコ、一つ聞いていい?」

 

 ミサトは表情を再度正し、リツコに向き直った。

 

「司令は何を怖がってるの?」

「……どういうこと?」

 

 リツコはミサトからの意外な質問に思わず聞き返してしまった。

 

「あの日の昼食、レイと碇司令の話を聞いて不思議に思ったのよ。碇司令は、もしかしたら故意にシンジ君を避けてるんじゃないかって……」

 

 リツコは視線をミサトから外し、天井の一点を見つめた。遂にミサトも気づいたか、と改めてゲンドウの弱点を認識させられたように思ったのだ。

 

「……あの家族はね、とても複雑なのよ。ユイさんも含めて」

「ユイさん……って、シンジ君のお母さんのこと?」

「ええ。碇司令がああなったのは、ユイさんがいなくなってからだもの。それ以前は不器用ながらも、表情豊かな人だったわ」

 

 ミサトは過去のゲンドウをイメージしようとしたが、リツコの言葉通りにどうしてもならず、人差し指で頬をかいた。

 

「今の司令の態度からは、想像もつかないわねぇ……」

「仕方ないわよ。ヤマアラシのジレンマって、知ってる?」

 

 リツコは少しだけ話題を変えて質問した。

 

「ヤマアラシ?あの、トゲトゲの?」

「ええ。ヤマアラシの場合、相手に自分のぬくもりを伝えたいと思っても、身を寄せれば寄せるほど身体中のトゲでお互いを傷つけてしまう。人間にも同じことが言えるわ。特に司令はね。ユイさんを失ってからずっと、その痛みにおびえて臆病になってるんでしょ」

「ヤマアラシのジレンマ、かぁ……」

「けど……、」

「?」

 

 

 

『あの子は逆に、その状況を打ち破ろうとしているわ』

 

 ミサトの脳裏に、強烈な印象を放つ少年の姿が浮かび上がる。

 彼が来てから何もかもが変わった。殻に閉じこもって傷つかないよう怖がっていたミサトの棘を折り、他人に無関心だったレイを仲間として受け入れて関わるようにさせたり、精神的な傷を髄まで負っていたリツコを救い上げた。

 リツコの言うとおり、彼は人との関わりを拒むことがなかった。むしろ、幾ら傷つこうが、人との距離は縮めるべきだと、そう伝えてくるかのようだ。

 ただ……ミサトには一つだけ、どう考えを巡らせてもわからないことがあった。

 他人を変え続け、シンジは、何をしようとしているのか。

 

(あなたは一体、何を望んでいるの……?)

 

 

 

 そんな疑問を巡らせながらミサトが家に帰ると、なにやら奥でギャーギャー騒ぐ声が聞こえた。

 

「ねぇアスカ、無理しなくても良いんだよ?夕飯くらい僕が……」

「うっさいわね、たまにはアタシがご馳走したいの!それぐらいわかりなさいよ……」

 

 気になってそーっと覗いてみると、心配そうにオロオロするシンジと、気合い十分に棚から調味料を取り出すエプロン姿のアスカがどうやら夕飯のことで言い合っていたのである。

 

「でも、包丁とか大丈夫?手伝うこととかあれば……」

「だから良いの!確かにアタシ不器用だけど……でもやっぱり挑戦したいの!だからシンジ、さっき買いそびれた玉ねぎ買ってきて」

「そ、そう……?じゃあ、なんかあったらすぐ呼んでよ?」

「はいはい、分かってる」

「本当に気をつけてよね?」

「分かってるっての!」

 

 その雰囲気から、だいぶ長いこと言い争っていたらしいとミサトは推測できた。ついに折れたのか、シンジはアスカの方を気にしつつ外に出て行った。隠れていたとはいえ、ミサトに全く気づかなかったところ、本気でアスカを心配しているようである。シンジが外出したのを確認したアスカは、小さく笑った。

 

「全く、本当に心配性なんだから。あれじゃ相当過保護な父親になりそうね……」

「そうね。とりあえず、ツッコミどころだらけなのは分かったわ」

「ヒャエッ!?!?」

 

 ミサト帰ってたの!? と文字通り飛び上がったアスカに、問い詰める価値ありとミサトはニヤリと笑った。アスカは一瞬ヤバいと思ったが時既に遅し、彼女の不気味な笑みに、絶対逃れられないことを悟ったのである。

 そしてミサトは、つい直前まで疑問に思っていたシンジのことも、彼らの、青春を楽しむ姿を見ると、なんかどうでもいいように感じてしまうのであった。

 

「ま、いっか♪」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 その後、夕飯を終え、片付けも風呂も済ませ、何とか誤魔化して寝ようとアスカは試みたのだが、やはりミサトからは逃げられるはずもなくあっさり確保され、シンジ共々根掘り葉掘り聞かれる羽目となった。

 当然時間は遅くなり、翌日二人が寝不足になったのは必至だった。二人の目の下には今日もうっすら隈ができていた。

 

「まさか…………僕まで付き合わされるなんて……」

「ホントごめん……油断してた……」

 

 午前で放課になった学校はともかく、この後昼過ぎに調整テストがあるということ、ミサトはまさか忘れていたのではなかろうか。

 

「いや、出かける前にミサトさんがいるのに気づかなかった僕も悪かった……」

「ってか、ただいまって言わないミサトが悪いわよ。……まぁ別に知られちゃダメってわけじゃなかったけど……」

「でも今のタイミングで知られたくは無かったよね……唐突すぎて」

「そうね……」

 

 シンジとアスカは二人して溜め息を吐いた。しかし、この二人はまだ楽しそうな表情ではいた。

 違ったのは、後ろを歩く、レイの方だった。

 

 

 

 ネルフで昼食を取った三人は、シンクロテスト施設のL.C.L.に浸けられたエントリープラグで、定期的なデータ収集と調整が行われていた。

 

『パイロット、2次シンクロ状態に異常なし。精神汚染濃度、計測されず』

「なんか、イレギュラーな事態がないと退屈ですね。使徒とか現れないもんですかねぇ?」

 

 シンジが皮肉っぽく愚痴を言ってエントリープラグ内で大きく伸びた。それを聞いていたコントロールルームのミサトは、オフィスチェアに乗ってぐーるぐーると回りながらノー天気に答えた。

 

「いーんじゃないのぉ?使徒の来ない、穏やかぁな日々を願って、私らは働いてんの、よっと」

 

 勢いをつけてクルクルと3回転くらいする。使徒襲来の時のような緊張感は全くなく、ミサトの言う通りひっじょーに穏やかである。

 

「昨日と同じ今日、今日と同じであろう明日。繰り返す日常を謳歌。むしろ、感謝すべき事態ね」

 

 リツコはコンソールに寄りかかりながら、コーヒーを飲む。そして、本当は早く事態を収束させたいというシンジの本音を読み取って、小さく微笑んだ。

 

「それにシンちゃんは、使徒がいなくなっても楽しい日常が待ってるじゃな~い♪♪」

 

 ミサトはニヤリと笑った。その一言にシンジとアスカはギクリと顔を硬直させた。思わずリツコも苦笑いする。

 

「ミサト……」

「そ、そうですね! 普通の中学生生活、送ってみたいなぁ~……!?」

「そ、そうよね!エヴァがなくなったらどうなるのか、まあまあ興味あるし!?」

 

 変にたじろぐ二人の態度に、マヤは首をかしげた。

 

「……何かあったんですか、アスカとシンジ君?」

「教えたげよっか?♪」

「「ミサト(さん)っっ!!!!」」

 

 その時アラームが鳴った。モニターにはAll Clearの文字。リツコはマヤの肩にポンと手を置いた。

 

「マヤ、そのことは本人たちから聞きなさい。ほら、終わったわよ」

「は、はい…? とりあえず、チェック終了です。モニター、感度良好」

 

 マヤの報告を受けて、リツコはパイロットに通信を入れる。

 

「お疲れ様。三人とも上がっていいわよ」

 

 

 

 通信をこっそりプラグ間通信だけに切り替えたアスカは操縦桿を動かしながら、モニターに映るコントロールルームのミサトを睨みつけた。その手の動きから、イメージではコントロールルームを殴っているらしい。

 

「ミサトの奴……後で覚悟しときなさいよ…」

「……どうするつもり?」

「相田にでも頼んで加持さんとのスクープ写真」

「oh……」

 

 まさかこんなところでケンスケの隠し撮りの技術が応用されそうになるとは。アスカといえど、意外とえげつないことを考えるものだなと、シンジは冷や汗を流した。(とはいえL.C.L.に溶けてしまって見た目には分からないけれど)

 

「『目には目を、歯には歯を』。一石二鳥なんだし、いいでし…」

 

 そう言ってシンジの映るモニターに目を向けた時だった。

 

『L.C.L.排水開始、3分前……』

 

 オペレーターのアナウンスが三人のプラグ内に響く。直後、シャットダウンのためにモニターの映像は遮断された。

 

「……?」

 

 さっきまでの表情とは打って変わり、アスカは顔を強ばらせた。

 消えたモニターに一瞬映った表情が脳裏に焼き付く。アスカは目元を吊り上げ、金色に輝く自身の髪を手櫛で一撫でした。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「ヘアックショイ!!」

「なんやケンスケ、風邪でも引いたんか?」

「ん……いや、何でもないよ、大丈夫大丈夫」

 

 まさか噂されているとは露知らず。ケンスケはいつものビデオカメラを持ったまま盛大なくしゃみをした。

 トウジとケンスケは今日も町を遊び歩いていたところだった。ケンスケがまだ少しムズムズする鼻をかきながら顔を上げると、前の横断歩道に、大きな紙袋を持った見覚えのある姿があった。

 

「なぁケンスケ、あそこにいるのってもしかして……」

「あぁ、確かネルフの日向マコト一尉だよ。碇たちの上司、葛城さん直属の部下さ。日向さーん!!」

 

 私服姿ではあったが、太縁の眼鏡はやはり印象深いらしい。ケンスケはマコトに向かって手を振った。

 

「あれ?君たちは確か、第7の使徒が殲滅された後に葛城さんが連れて来てた……」

「はい!第一中学校2年A組の相田ケンスケです!!」

「どうも、鈴原トウジ言います」

 

 当然のことながら、シャムシエルの時にNERVのお世話になってはいないため、二人とマコトが直接会話するのは今回が事実上初めてである。

 

 

「今日はどうしてこんなところに?非番ですか?」

「あぁ……今日は仕事もあまりないからって、葛城さんの洗濯物を取りにね……」

 

 マコトは手に持っている紙袋に目を落とし、苦笑いした。先ほどクリーニング店から電話があり、数日前にジャケットのクリーニングを出していたことをようやく思い出したらしい。しかし現場管理職のミサトは始末書の仕事が今日もたんまり残っている。そこでマコトをパシリに出したのだとか。

 

「……それって給料出るんかいな?」

「……一応はね。ま、これも人類守る仕事の内!どんな些細なことでも、役に立てば嬉しいものさ♪」

 

 キリッと一言決めたマコトに、NERV大好きっ子のケンスケは思わず息を呑んだ。

 

「カッコいい……! 俺やっぱり、将来ネルフで働きたいっす!!」

「そ、そうかい……?」

「はい!日向さんのような優秀な人のもとで!」

 

 信号が変わっているというのに、マコトは詰め寄るケンスケのおかげで歩き出せない。トウジは呆れてため息を吐き、首根っこをつかんで横断歩道を渡り始めた。

 

「えっ、あっ、ちょっ……」

「すんまへんなぁ。コイツめっちゃミリタリーオタクやってんで……」

「いやまぁ……嬉しいけど……」

 

 マコトも、今一度紙袋をしっかり抱え直して横断歩道を渡る。

 

「でも、ネルフもいつなくなるか分からないよ?」

 

 少し遠くの空を見上げて、マコトは少しゆっくりと話し始めた。

 

「特務機関なんて大層な名前ついてるけど、結局は使徒を殲滅するためだけに結成されたような組織だし、使徒が来なくなったら僕たちの役目は終わりだからね。もちろん終わりとか来るのかどうかは分からないけど、そういう橋の上に立ってるんだよ、僕たちは」

 

 マコトは続ける。

 

「僕も今はネルフでこうやって頑張ってるけど、優秀かって考えたらそうでもないのかもしれない。いっつも葛城さんには迷惑かけっぱなしだし、シンジ君やアスカちゃん、それにレイちゃんたちが身を挺して戦ってるところで僕は発令所で指示出してるだけだし、いささか疑問なんだ」

「そんなことないです!!」

 

 ケンスケは堪らなくなって声を上げた。

 

「碇から聞いてます。日向さんにはいつも励ましてもらったり、支えてくれてるって言ってました。例え危険なエヴァのパイロットではなくても、日向一尉は立派な戦士ですよ!」

 

 目力が強い。ケンスケの語気に少し圧倒されながらも、マコトは嬉しくなった。

 

「そう……なのかな。ありがとう。少し、元気出たよ」

 

 いつの間にか3人は桃源台中央駅に到着していた。マコトは自動販売機を見つけると立ち止まり、コーラを3本買った。

 

「これはお礼だよ。話、聞いてくれてありがとう。もし、君が大人になってもネルフが残ってたら、その時は是非スカウトさせてくれ」

 

 そう言うと、コーラを1本ずつ、ケンスケとトウジに手渡した。

 

「は、はい!是非!!」

「ただし」

 

 マコトはケンスケの頭にポンと手を置いた。

 

「ただし、今ある青春を、しっかり謳歌すること。ネルフに入ったら、忙しくてたまんないからね」

 

 それじゃあ、とそう言うとマコトは駅の改札へと消えていった。

 

「やっぱりいい人だなぁ……日向さん」

「確かに、骨のある大人やと思うわ。にしてもケンスケ、お前ホンマにネルフに入るんか??」

「当然だよ!人類のための仕事、日向さんも言ってただろ?些細なことでも、役に立てば嬉しいもんさ。トウジもさ、目標とか夢とか、大きく持っといた方が絶対いいさ」

 

 ケンスケは日向からもらったコーラを開けて喉に流し込む。

 

「せやなぁ……」

 

 夢、と言われて、トウジは彼らのことを思い浮かべた。アイツらは、シンジたちはエヴァのパイロットという、命がけの使命を負っている。けれどもそれに臆することなく、闘い続け、しかも青春もちゃんと謳歌している。

 今朝も、目の下に隈を作っていながら楽しげな表情を浮かべていたシンジとアスカ。最初こそ付き合っているのが信じられなかったが、見ている内にだんだんと微笑ましくなってきた。

 そうか、コイツらは未来に希望を抱いているんだ、だからあんなに笑えるんだと、トウジはその時、気づかされたのだった。

 

 だが……。

 同時に浮上した疑問に、コーラを一口飲んでトウジは考えた。

 

「彼女」は、どうなんやろか……?

 

 

 

「マヤ!」

 

 いつもの制服に着替えたアスカは、一直線にリツコの研究室に向かっていたその中途で目的の人物に邂逅する。即座に声をかけ、彼女が振り向くのを待たずに足取りを速めて近づいた。

 

「あらアスカ……ってどうしたの?顔、怖いわよ……?」

 

 アスカはマヤの前で立ち止まると、彼女の手にあるファイルを一瞬見た。そして素早くマヤの目へと視線を戻す。

 

「それ、今日のデータよね?」

「え、ええ。そうだけど?」

「見せてくれる?」

 

 アスカは真剣な顔で呟いた。

 

「い、いいけど……アスカ、今日は何も問題なかったわよ?シンクロも安定してたし……」

「私じゃないわ」

 

 被せるように言ったアスカの目は、マヤもたじろぐほど鋭かった。

 

「綾波レイ。彼女のデータを見せて」

 

 

 

 

 




☆あとがき

どうも、ジェニシア珀里です。
今回はかなり閑話休題でしたね。でも執筆時間は一番長かったかも……。(日常を書くのが実は一番難しいのです。。。)

だがしかし、しかぁし、今回も言います。私は、
伏線を作るのが大好きなのだぁぁ!!!!
(あれ、前にこれ言ったのは他の作品だったかな……?笑)

さて、彼女は一体この後どうするのやら。
次回もお楽しみに♪

(ちなみに、マヤさんはアスカの真剣さに聞きたいことは聞けなかったみたいです笑)


追記:図々しいことは重々承知ですが。

   感想がほしいです。
   意見質問感想等、心の底から待ってます。m(_ _)m


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第拾参話 贖罪と感謝の味

 何度通ったであろう、ネルフの廊下。

 レイにとってはほとんど家のような存在であるこの施設。

 しかし、そこを歩くレイの足取りは、今日はとても重かった。

 

 数日前から、レイはモヤモヤとする気持ちに戸惑っていた。それは決して心地良いものじゃない。

 しかし、何が、どうして嫌なのか、レイには分からなかった。どうしてこんなにも嫌な気分になるのかが。

 ただ、モヤモヤする感情に襲われるときは決まって、シンジとアスカが楽しげに話すときなのだった。

 分からないのだ。二人が楽しそうに過ごしているのは悪いことでは全くない。むしろ喜ばしいことのはずだ。それなら、私は何に不満を感じているのだろう。

 レイはエレベーターまで辿り着くと、下向きのボタンを押した。

 エレベーターが降りてくるまでの時間は、苦しいほど長かった。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第拾参話 贖罪と感謝の味】

【Episode.13 What to Protect, What to Change】

 

 

 

 

 

 レイのモヤモヤは増幅するばかりだった。降りてきたエレベーターには既に先客がいて、しかもそれがさっきまで脳内に居座っていた2号機パイロットだったのだ。

 感情があまり表に出ないレイも、この時ばかりは自分でも分かるくらい顔を歪めた。奥の壁に横向きに寄りかかっている彼女がチラリとレイを一瞥した。エレベーターを閉めると、彼女の方に背を向けて目を合わせないようにした。そして、早く目的の階に着いてくれることを願った。

 

「……心を開かなければ、エヴァは動かないわよ」

 

 後方の彼女が突然口を開いた。レイは眉をゆがめる。なぜわざわざ話しかけてくるのだろうか。話したくなんか、ないのに。

 

「何の話……」

「そのままの意味。エヴァは自分の心の鏡だってこと」

 

 そんなこと、言われなくても分かっている。

 

「……動かせるわ。シンクロ率に、問題はないもの」

「心理グラフが大きく乱れてた。アンタも自覚あるでしょ?」

「…………」

 

 否定ができなかった。さっきもモヤモヤする気持ちのままテストを受けたから、結果が悪いのは何となく予想していた。

 

「アンタもガキよね。無理に強がっちゃってさ。シンジと同じだわ」

 

 そのたった一言がレイの逆鱗に触れた。自分を悪く言われたことだけでなく、シンジのことも悪く言われたということを瞬時に理解し、途端に、モヤモヤが怒りに変わるのを感じた。

 

「っ……、碇君は、そんな人じゃない……」

「いいえ同じよ。自分の感情に蓋をしながら、自分の居場所を見つけようと現実逃避し続けてる。そんなの、ガキ以外の何でもないわよ」

 

 どうしてそんなことを言うの。レイは沸き起こる怒りに歯を食いしばった。シンジとあんなに仲良さそうに話をしてるというのに、どうして。

 シンジはレイを助けてくれた。第6の使徒との戦いの時、自分の身を挺して守ってくれた。それが脳裏に浮かぶレイにとって、この時のアスカの言葉は許せなかった。

 

「いつか絶対ボロが出……」

 

 シンジはガキなんかじゃない。レイはとうとう耐えられずに、思いきり手をあげていた。

 

 

 

 パァン、という乾いた音が小さな密室に響き渡った。

 アスカは表情を変えずにレイの目を見た。レイの方は歯を食いしばったまま、眉をつり上げて目の前のアスカを睨みつけ、言い放った。

 

「……碇君の悪口は言わないで……!」

「………」

 

 レイに平手で叩かれたアスカの頬は赤くなっている。しばらくの間、アスカはレイの目をまっすぐに見続けると、ふと微笑んで目を閉じた。

 

「これで貸し借りチャラか……」

「え……?」

 

 アスカが急に、さっきとは違ったとても優しい声で、脈絡のない言葉を呟いたので、レイは目をパチクリさせた。

 一方のアスカはどこか物憂げな表情を残しながら、レイに笑って見せた。

 

「悪かったわね、気分悪くするようなこと言って。アンタの気持ちを聞きたかったのよ」

「私の……気持ち……?」

「謝るわ。心理グラフが乱れたのも、十中八九、アタシのせいだから」

 

 その時、エレベーターが開く。ドアの外には誰もおらず、レイの目的場所ではないから、目の前の彼女が降りるのだろう。

 そう理解するが早いか、レイは思わずアスカを引き留めていた。

 

「ま、待って……!!」

 

 服を掴まれたアスカは、予想外のレイの行動に一瞬目を丸くした。

 

「?」

 

 しかし、アスカを引き留めたは良いものの、レイはどんなことを言うのか言葉がまとまらなかったらしく、目を泳がせていた。

 

「あ、あの……」

 

 そんなレイの様子にアスカはやれやれとため息をついた。

 レイの言いたいことは大体分かる。どうして、私をわざと怒らせたのか。どうして心理グラフを乱したのが自分だと言うのか。どうしてそんなことを聞いたのか。そんなところだろう。

 アスカは開いたエレベーターの扉が閉まらないように、腕を組んで寄りかかった。混乱するかもしれないから今は言うまいと思ったが、やっぱりこれは、今、伝えるべきなのかもしれない。

 

「アンタさぁ」

「?」

「アイツのこと、どう思ってんの?」

 

 アスカは訊いた。問い詰めるような顔を向けることはしなかった。

 

「アイツ……?」

「……今の流れから察しなさいよ。シンジよ、碇シンジ」

 

 マヤからシンクロテストの結果を聞き出したとき、アスカの疑問は確信へと変わった。レイはすでに、前の世界の同じ時期よりも、シンジに対して特別な想いを抱いている。心理グラフに乱れが生じていたのはそのせいだ。シンジと自分が付き合い始めてから彼女の表情が暗くなったことも、自覚していない嫉妬心からくるものなのだ。

 残念なことにレイはそのことに気づかない。いや、気づくことができないのだ。もともと、ヒトの感情をあまり知らないのだ。マヤからテスト結果を聞いたとき、アスカはその事実を再認識し思わず歯噛みしたのだった。それと、自分が無意識のうちにレイを追い詰めていたということにも。

 

 

 

「…………分からない」

 

 レイは小さく、少し悔しそうに答えた。

 

「分からない……けど、碇君といると、安心する……」

 

 小さく言うレイの姿が、アスカには微笑ましく映った。シンジに対して特別な想いを持っている、そのことを、言葉に換えて必死に表現しようとしているのがとてもレイらしいと思った。

 自分とは正反対だな、とアスカは思った。アスカは、前史では加持に向けていたような「憧れ」の感情は全面に出しながらも、本当の「好き」という感情は、一切認めようとしなかった。

 なぜなら、好きになってしまったら、もし、予期せずに相手が消えてしまった時、自分は絶対、平静を保ってはいられなかっただろう。かつて母親をエヴァによって失ったという経験が、アスカの最心部から「好き」の感情を排除していた。

 そう、好きな人を失うのが怖かったのだ。前史のサードインパクトが起こってしまってからやっと気づいたが、シンジに対してあれほどまでツンケンしてたのには、はっきりとした拒絶があったのだ。好きになってしまったら、もう、後には戻れないから。ましてや自分たちはエヴァに搭乗し使徒に対抗するチルドレン。命の保証などない。だから思いきり突き放し、何とも思わない存在にしたかった。例えシンジが死んでも、何食わぬ顔で過ごすために。

 けど結局、自分はシンジのことが好きで仕方なかったことに気づいた。突き放そうとしたという事実が逆に、自分の本音を証明してしまったから。

 それが、アルミサエル戦後に壊れ、葛城家から逃げた最大の理由だ。

 心の奥底の感情など、易々と変わることなど、決してない。

 

「ねぇ、綾波レイ?」

 

 アスカはエレベーターの外に目を向けて話し始めた。

 

「よく覚えときなさいよ。それが、好きってことなのよ」

「好き……?」

「そう」

「好き……私が……碇君のことを……?」

「そうよ。アタシも同じだからよく分かるの。アイツとは、これからもずっと、死ぬまで一緒にいたいって思う。シンジが貶されればさっきのアンタみたいに殴りかかるし、シンジが危なくなったら、エヴァを使ってでも助け出す」

 

 レイは目をパチクリさせた。アスカの勢いに圧倒されたのか、それとも感心したのか。とにかく、レイはこのアスカの言葉に深く共感した。

 

「そう、あなたも……」

「アスカよ」

「え?」

「アタシのことも名前で呼びなさいよ。友達なんだし」

「友達……」

「アタシも、アンタのことは『レイ』って呼ぶから。じゃあ、また後で。ちょっと用事があるから」

 

 腕時計をチラッと確認したアスカはそのまま少し薄暗い廊下に歩いて行く。

 一人エレベーターに取り残されたレイは、閉まりゆくドアの向こうで、歩きながら手を振るアスカを見て、小さく微笑んだ。

 

「ありがとう………アスカ」

 

 

 

 どうしてあんなことを言ったのだろうか。レイに気持ちを自覚させれば、いくらシンジが自分のことを好きであっても、ライバルを増やすだけのはず。

 

 でも。

 

 レイには返しきれない恩がある。自分とシンジに、もう一度やり直すチャンスを与えてくれた。ならば、こっちもその期待に応えなければならない。

 シンジと、自分と、そしてレイも一緒に。みんなで幸せになりたい。そう願ってのことだった。

 

「アイツめ……大人しそうな顔して力は強いんだから……」

 

 未だに少しヒリヒリする左頬をさすりながら愚痴をこぼす。しかしその言葉とは裏腹に、フッと笑みを零したのだった。

 

(三人で料理でもしようかな)

 

 意外に楽しかった昨日のことを思い出し、不意にそう思ったアスカだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジは自販機コーナーでイヤホンをしながらS-DATのラジオダイヤルを回していた。今日もとりあえず盗聴機能の感度は良好のようだった。

 特に今日は会議もなかったので問題なかったが、もしもの時のために使えなくなっては困るので、なるべく高頻度で点検作業を行うことが結構重要なのだ。もっとも、この盗聴システムはリツコが開発した特殊なアナログ周波数で繋げてもらったため、異変が起こればすぐに分かるといった優れた仕組みになっているのだが。それゆえに、盗聴器の存在に気づかれたとしても、それに気づいたのが誰なのかも特定できる可能性がある。

 例えば、加持リョウジのような。

 

「ヒッ!?」

 

 その瞬間、首に冷たい何かが当たってシンジは思わず飛び上がった。振り返ればヤツがいた。

 

「かっ……加持さん!脅かさないでくださいよ」

「ま、いいじゃないか。たまにはデートでもどうだい?」

「デートて……。僕、男ですよ?」

 

 差し出されたアイスコーヒーの缶を受け取ると、シンジは加持から距離を取るようにして身構える。

 

「ノープロブレム。愛に性別は関係ないさ」

「それより何ですか、要件があるなら家にでも来ません?」

 

 シンジは加持の冗談をさらりと受け流し、飄々と笑った。

 

「食えないなぁ、君は」

「僕が誰か知ってる癖に」

「ハハッ、敵わないな。では、家よりも良い場所に案内して差し上げますよ。もっとも、シンジ君はもうご存知でしょうがね」

 

 なるほど、あそこか。

 

「ええ、じゃあお邪魔します」

 

 

 

 シンジが連れて来られたのは加持の菜園だった。誘われたのもあって畑仕事を手伝うことになったシンジは、しゃがみ込んで草をむしり始めた。痺れを感じて一旦立ち上がると、背伸びをして腰を叩いた。

 

「土の匂い……」

 

 シンジは、手についた土の匂いを嗅いでつぶやいた。

 

「もうヘタバったのかい?給料分は働いてもらうぞ」

 

 首にタオルを掛けた加持がシンジの方へ振り返る。

 

「給料って、まさかさっきの缶コーヒー?ったく、デートって言ってたのに。加持さんてもっとマジメな人だと思ってました」

「……皮肉かい?」

 

 加持は以前、日海保存研でシンジから聞いた前史を思い浮かべて思わず苦笑いした。真実を追い求め、最後はゼーレとネルフを両方とも裏切って殺された自分のことを。

 シンジはニッと笑った。

 

「いえ、ホントのことですよ。殺されると分かっていながら、最後まで自分の信念を貫く人ですからね」

「そんな風に見られてたのか……」

「にしても、やっぱりスイカなんですか。忙しいのによくやるもんですね」

 

 シンジはしゃがみ込んで草むらを覗くと、感心したように加持に問いかけた。

 

「ああ。かわいいだろ?何かを作る、何かを育てるってのはいいもんさ。趣味でやってるだけだが、いろんなことが見えてくるからな」

 

 二人は背中合わせで地面に向かいながら話す。

 

「加持さんらしいです」

「ハハッ、そうか?」

「楽しいことも、辛いことも、人生にはいろいろなことがある。特に、辛いこととか苦しいこととか、イヤな経験もあります。でも、そこで逃げてちゃ駄目ですからね」

 

 加持は感心した。

 

「強いんだな、君は」

「加持さんが教えてくれたんじゃないですか。辛い事を知っている人間のほうがそれだけ他人に優しくできる。それは弱さとは違うって」

「……なるほどな。それならシンジ君、君にとって辛いことっていうのは、前史でのサードインパクト後の世界か?」

 

 加持は一呼吸置いてから、シンジに問いかけた。

 

「ええ。でもそれより辛かったのは、その虚無の世界を作ってしまった僕たちリリンの存在でしたけどね……」

「そうか……」

 

 シンジはスイカの一つを抱え、軽く叩いた。緑の球体、それがほんの少しだけ、自分の棲む地球にみえた。

 

「だからこそ守りたいんです、この世界を。加持さん、5号機と第3の使徒について詳しく教えて下さい」

「………シンジ君」

「はい」

「俺の作ったスイカは美味いぞ?」

「……はい?」

 

 

 

「流石にバテそうだったからな。時には休憩も必要だ」

 

 木陰のベンチに座るシンジに、加持が持ってきたのはカットされたスイカだった。畑の端の方にあった水道で、今朝から加持が冷やしておいたのだという。シンジは釈然としないまま礼を言った。

 

「はぁ……ありがとうございます」

「それで、5号機と第3の使徒だったな?」

「! はい、確か、ベタニアベースでしたっけ?」

「そうだ。セカンドインパクトが起こって10年位経った頃、今から5年くらい前だな。シンジ君の言う『E計画』が着々と進んでたんだが、突然、北極の永久凍土の中で発見されたんだよ、第3の使徒がね」

 

 シンジの知り得ない先駆の使徒。その存在は極めて異質だと、シンジはこの時既に感じていた。

 

「急遽ベタニアベースが作られ、第3の使徒をバラバラにして研究したんだ。そしたら驚くべきことが分かったのさ」

「な、何ですか……?」

「『目には目を、歯には歯を』って諺、知ってるだろ?あれと全く同じだってこと」

 

 シンジは目を見開いた。

 

「使徒に勝つには……使徒を使え、ですね」

「そう。だから司令とゼーレはエヴァの複数建造を急いだ。その一つが初号機であり、2号機なんだが、異質だったのはこの間破壊した仮設5号機」

「異質?」

「あぁ、使徒を倒すためにエヴァを作ったのなら、いっそのことエヴァと使徒を同時にコントロールすれば一石二鳥だとゼーレは考えて、5号機だけ『封印監視特化型限定兵器』の位置づけにしておいたんでな、じきに第3の使徒と融合させる予定だったんだ」

「融合!?じゃあもしかして、ゼーレのヤツらは使徒を倒すんじゃなくって、リリンの領域に引き入れようと……?」

「そう考えているのかもな。だが碇司令はゼーレとは別の補完計画を進めている。つまり、ゼーレ側の計画の加速を防ぎたい訳だ。だから、派遣された俺がちょっと細工して使徒を目覚めさせたのさ♪」

「いや何やってんですか……」

 

 シンジはほとほと呆れ、2つ目のスイカに齧りついた。

 

「何が心配でこんなことさせたのかは俺にも謎だがな……。ところでシンジ君、この後は一体どうなるんだったかな?」

 

 加持はシンジに聞いた。

 

「そうですね。僕の経験だと、イロウルっていう細菌レベルの使徒がMAGIを襲ってきます。この時は完全にリツコさんに任せる形でしたけどね。その後はレリエルっていうやつで、ディラックの海を展開して僕を闇に引きずり込んでいきました。まあ物理的攻撃より、どちらかというと精神汚染型のタイプですね。結局、A.T.フィールドを張って虚数空間をうまく乱せれば倒せるのではないかと踏んでます」

「なるほど……」

「その後のは、……あまり思い出したくないですけど、アメリカから輸送されてくる3号機に寄生します」

 

 その言葉に、それまで頷いて聞いていた加持は初めて疑問を呈す。

 

「3号機?おかしいな……せっかく自力で完成させたのに、あのアメリカが手放すはずが……」

「それがあるんです。エヴァと違って、使徒には活動限界がないでしょ?その不可思議の元システムであるS2機関をエヴァ4号機に直接導入しようとして、失敗したんです。アメリカは」

 

 そこから先は、加持にも想像がついた。失敗とは恐らく、爆破による消滅を意味する。そしてそれと共に、残っている3号機も危険視される。

 

「そうか……押しつけられて」

「ええ。けれどそこを突かれたんです。結果……僕の友人が左足を失う羽目に……」

「この事は、リッちゃんも知ってるのか?」

「ええ、イロウルとレリエルのことも一応は。けれど、アメリカ支部の研究内容はなぜだか、今回リツコさんにも下りてきてないそうで……」

「なら、その件は俺が預かるよ」

「え?」

「恐らくは、これも碇司令がやってることだ。計画を食い止めれば良いんだな?」

 

 加持はそう言って、シンジにビニール袋に入ったスイカ一玉を差し出した。シンジはその意を理解し、不敵な笑みで受け取った。

 

「さすがは加持さん。なんとかお願いします」

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジとアスカが付き合いだしたことを知ってからというもの、ミサトの機嫌はやけに上昇をキープしていた。どうしてもこういった性格上、他人の色恋沙汰には目がなく、からかいたくなってしまうのである。もちろん本人もそれは自覚済みで、特に酒の入った状態であれば自分でも止めることはできないのである。

 まさに昨夜がそれであり、今日の調整テストがあるということを半ば忘れて問い詰めたもので。

 ただ、そうやって他人をからかえるほど楽しいとは思うのだが、同時に少し寂しくなるのもまた事実だった。身近な人が少し遠くに行ってしまうことに、次第に離れていってしまうことに。

 ふと、大学時代の彼氏のことが頭をよぎったが、すぐに頭を大きく振って払いのけた。

 

「たっだいまー♪」

 

 いつも以上の能天気な声をあげながらミサトは今日も定時に帰宅した。すると台所では、今日はアスカのみならずレイまでがシンジと共に立っていた。

 

「レイ、アンタって意外に料理できたのね……」

「……前に、碇君に教えてもらったから」

「シンジに?いつよそれ」

「シャムシエル戦だよ。あの後ちょっと匿ってもらってさ。アスカも戦闘記録見たでしょ?」

「……納得いったわ」

「アスカ、少し、怒ってる…?」

「おお怒ってなんかいないわよ!」

 

 少し考えてから納得した表情を見せ、しかし憮然として答えたアスカは、その態度の変化に違和感を覚えたレイに核心を突かれたらしく、顔を赤くし慌てて否定した。レイもさっきのエレベーターで理解したことだが、いわゆる「嫉妬」の感情なのだろうと納得した。

 

「もう、さっさと作っちゃうわよ!!ミサトも帰ってきてるし」

「そういえば、お帰りなさい、ミサトさん」

「フフフッ、楽しそうね♪」

 

 三人が仲良さそうに料理をしている様子を見たミサトは、口元が緩むのを抑えられなかった。鞄を下ろし、ジャケットを脱ぎながらミサトは続けた。

 

「私も何か手伝おうか?」

「あ、じゃあお皿出すのお願いしていいですか?」

「その前にミサト、台拭きお願いね~」

「OK~」

 

 ミサトは台拭きを手に取る。するとアスカが鍋をかき回しながらおもむろに呟いた。

 

「それにしても、ミサトから手伝うだなんて珍しいわね。明日は雪でも降るのかしら?」

「しっつれーねー、これでも昔は一人暮らしだったのよ?」

 

 そう言ったミサトだったが、その直後、ふと気づいた。やっぱりどこか、シンジたちに置いていかれているような心持ちがして寂しかったのかもしれない。彼らの輪の中に混ざりたかったから、わざわざ「手伝いしようか」などと言ったのかなと、ぼんやり考えた。

 

「えーっと……どれ出すの?」

「そうですねー、二段目に入ってるパン祭りの平皿を二つと、赤の小鉢をお願いします」

「はいはーい」

 

 指示された皿を取って、シンジのところに持って行く。

 

「ありがとうございます。じゃあご飯も盛ってもらっていいですか?」

「はいよーん♪」

 

 指示通りにミサトは茶碗を取り出す。茶碗は赤いストライプのものがアスカ、桔梗模様のがシンジ、水玉模様のがレイ、そしてミサトのは底にヱビスマークが印字されている。ヱビスのキャンペーンの特典でついてきたものだ。

 そのヱビスのマークを見て、ミサトは一瞬手を止めた。

 隣で冷蔵庫から緑茶のガラスポットを出していたレイが、ふとミサトに声をかけてきた。

 

「ミサトさん、今日も、3本で良いですか?」

 

 ビールの話だ。本数指定で訊かれたのは、いつもミサトが最初に食卓に持って行くの本数だからだろう。

 

「んー……今日は2本でいいかな」

「「えっ!?」」

 

 シンジとアスカがミサトの方に振り向いた。

 

「……な、何??」

「だ、だってあの酒豪のミサトが……」

「ねぇ……」

 

 シンジとアスカはお互いに顔を見合わせて怪訝そうに頷いた。そんなに驚かれることなのかとミサトは頭を掻いた。

 そんなミサトの側をスススッとレイが横切り、ガラスポットとビールをテーブルに並べ始める。彼女はいつになく微笑んで、「ポカポカ♪」と呟いた。

 流しのボウルの中では、青々としたスイカが水を浴び続けていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 以前ミサトはリツコから、自身が味覚障害を患っていると告げられたことがあった。レトルトでさえ満足に料理できないでしょ、と言われて眉を寄せたが、確かに周りの人間が自分の作った料理を美味しいと言ったことはなかった。リツコが言うには、簡単に言えばセカンドインパクトの後遺症であり、その悪夢からアルコールに逃げ続ける結果、この味覚障害も改善に向かっていないと、そう言われた。

 ため息をつきながら、治すのなんて無理よ、と答えたが、その反面ここしばらく不思議なことが起こっている。

 ミサトはこの頃、アルコールを摂取する量が極端に減っていた。それはシンジやアスカ、そしてレイによる制限で減らしていたこともあるが、最近は普段の仕事疲れに対しても、不思議なことにビールやら日本酒やらでは強い満足はできなくなっている。

 さらに不思議なのは、今食べているシンジの弁当がそれとは全く正反対であることだ。最近ではカップ麺やレトルトカレーでは納得できない奥深さが感じられる。流石はシンジの料理だ、万人に対しても評価は高いが、ミサトにとってはそれ以上だ。今日の卵焼きもパーフェクトだった。

 

「遅い昼メシだな」

 

 そう言って現れたのは加持だった。ミサトのテーブルに缶コーヒーを置くと、後ろからぐるりと隣の席へ回り込んだ。

 

「あ……ありがと」

「シンジ君に作ってもらってるんだって?ま、キミは手料理ってガラじゃないしなぁ」

 

 加持は冗談を言いながらミサトの隣にある椅子を引くと、いやに近い距離に腰を下ろした。

 

「……そうねっ。暇のあんたと違って現場の管理職はたんまり仕事があんのよ」

 

 ミサトはおもむろにブロッコリーをもう一つ口に放り込み、加持から目を背ける。思えば昨晩のデザートは加持から貰ったというスイカだった。自分が忙しいときに、この男は呑気に農作業をやっているのである。その上で小馬鹿にされたのが何とも悔しい。

 

「相変わらず真面目だなぁ。まぁそこが葛城のいいとこだが、弱点でもある。この前の時だって葛城らしくない小難しい戦法なんか立てて。もうちょっと余裕持てよ」

「あいにく、私の器は責務でいっぱいなのよ。それに最善策を模索したらああなるってアンタも分かるでしょうが」

「緊張感ありすぎると男にモテないぞ?」

「余計なお世話よっ………っ!?」

 

 カチンときたミサトは加持の方を睨みつけようとした。しかし、ミサトをじっと見つめる加持の目を見て、照れで怒りを吹き飛ばされてしまった。

 

「んじゃ、一ついっただきまーす」

「あぁそれアタシの卵焼きぃぃー!!!!」

 

 食堂にミサトの叫び声が響き渡った。今日のネルフも平和である。

 

 

 

 

 

「レーイっ♪」

 

 第壱中学校2年A組。昼休みにレイに声をかけてきたのは、笑顔のアスカだった。

 

「……どうかしたの?」

「今日の弁当、一緒に食べない?」

 

 レイは珍しいと思いながら、クラスをキョロキョロと見渡した。どうやら一緒にいるはずの彼の所在が気になったのだ。

 

「碇君は?」

「アイツは屋上でカセットプレーヤーのメンテ中。たまには女子だけでも良いじゃない」

 

 そのアスカの背後にはヒカリもいて、嬉しそうに自分の弁当箱を持ってみせた。

 

 

 

「………なんでやろなぁ」

「ん?どうしたんだよトウジ?」

 

 トウジは購買のパンを頬張りながらボソッと呟いた。独り言だったのだろうが隠すつもりもなかったのか、それを聞いていたケンスケに疑問を投げかけられた。

 

「んー、どうにも不思議なんや……」

「だから何が?」

「綾波や。おかしいと思わへんか?」

「……あー、そういえば」

 

 ケンスケは今朝、トウジから聞かされていた事について心当たりがあった。

 近頃のシンジやアスカとは対照的に、レイの顔色が優れない。同じパイロットであるがどうかしたのだろうかと、トウジは純粋に心配していた。

 それを聞いたケンスケはレイの不満の原因に見当がついていたのだが、どうしたことか今日のレイはやけに調子も良さげであり、不満の原因だとにらんでいたはずのアスカと楽しそうに弁当を食べているのである。

 確かに不思議だなぁと思っていた矢先、アスカが横目で二人の方を見た。すると、目を細めてニタリとした笑みを浮かべた。トウジとケンスケは何故か悪寒が走った。

 

 

 

「本当に美味しいわね、これ!」

 

 ヒカリがアスカからもらったミートボールを頬張って幸せそうに言った。

 

「そう?実はそれね、レイが作ったのよ♪」

「えぇっ、そうなの!?スゴい、綾波さん!」

「ありがとう。洞木さんのエビカツも、とても美味しいわ」

「そうよ。ヒカリもさ、料理得意なんだし、たまには他の人に作ってやったら?」

 

 アスカが肘をついたままニッコリとヒカリに笑いかけた。 

 

「えっ?」

「いっつも購買のパンだと、お金もかかるし、味気ないと思うんだよね~?」

「ちょ、ちょっとアスカ……っ!」

 

 ヒカリの方もその言葉が何を意味するのか何となく察したのか、顔を赤くしてアスカを制止しようとする。すると突然レイが口を開く。

 

「……他人との触れ合いは、心の均衡を崩す。けれどもそれは、新しい希望の構築への、第一歩」

「あ、綾波……さん?」

「前に進んでみるのも、良いと思うわ」

「そ……そう……?」

 

 レイは頬を緩めながら頷いて、卵焼きを口に入れた。ヒカリはまだ戸惑う様子だけれど、レイに言われたことで良い化学反応が起こるといいな。アスカは優しい笑顔でトウジとヒカリを見た。

 青春のそよ風が吹く第壱中学校も、平和な昼休みが過ぎていく。

 

 

 

 

 

「僕が言うのもなんですけど、こうも損傷回数が多いと、作戦運用に支障が出ますよ…。使徒が来るのもいつになるか分からないですし。バチカン条約、破棄していいんじゃないっすか?」

 

 数日後、従業員用の列車に乗ってミサトとリツコ、マコトとマヤはネルフ内を移動していた。マコトは修復作業の行われているエヴァ初号機を横に見て、思わずぼやいた。

 

「そうよねぇ……。一国のエヴァ保有数を3体までに制限されると稼動機体の余裕ないもの」

 

 ミサトもその意見には同意した。

 

「今だって初号機優先での修復作業です。予備パーツも全て使ってやりくりしてますから、零号機の修復はかなり遅れてます……」

 

 マヤも初号機に目を向けた。修復中の初号機は腕に大きい白い包帯を巻かれ、その巨大な体を横たわらせていた。

 

「条約には、各国のエゴが絡んでいるもの。改正すらまず無理ね。おまけに5号機を失ったロシアとユーロが、アジアを巻き込んであれこれ主張してるみたいだし。政治が絡むと何かと面倒ね」

 

 さすがのリツコも愚痴をこぼす。

 

「人類を守る前に、することが多すぎですよ」

「ホントにね。シンジ君も呆れてるわよ、きっと」

 

 マヤとミサトが口々に言った。それを聞いて、リツコはポケットに入れていた小型装置にそっと触れておいた。

 

 

 

「バチカン条約……何なのさその面倒な決まり事は」

 

 そのミサトの言葉通り、S-DATに繋いだイヤホンを耳につけながら、シンジは第一中学校の屋上で寝そべり呆れていた。最近はリツコの持つ発信装置から会話が聞こえてくることもあり、今の会話もしっかりと聞いていた。

 バチカン条約。一国のエヴァ保有数を三体までに制限する。前にもミサトに聞いたことはあり、どうやら兵力の集中を防ぐためらしいが、シンジにとっては納得がいかない。次に襲来してくるであろうレリエルやバルディエル、さらに言えばゼルエル戦に備えるにはエヴァの数が少なすぎる。政治が何だ。各国のエゴなんかクソ食らえだ。

 そんな風に心の中で悪態をついていたその時だった。

 一瞬、ほんの一瞬だけだがシンジのいる場所が陰った。思わず目を向けると、上空からパラシュートで落ちてくる少女の姿が目に入った。みるみるうちに近づいて来る少女は、シンジに向かって叫ぶ。

 

「どいてどいてどいてぇぇーっ!」

「うわぁーっ!?」

 

 シンジはとっさに立ち上がろうとするが間に合わなかった。

 少女は、シンジの体を両足で挟むようにして突っ込んでいく。二人は屋上に勢いよく倒れ込んだ。シンジは、少女の胸と校舎の屋上に板ばさみになって息が出来ずに苦しんでいた。

 

「っててて……おぉ?」

 

 少女は起き上がると、サッと目元に手を当てて、シンジの上から下りる。シンジは解放されてようやく息を大きく吸った。

 

「んーと……メガネメガネ……」

 

 シンジが起き上がると、その少女は地面に転がった眼鏡を四つん這いになって手探りで探していた。

 

「……あの」

 

 少女は、ようやく眼鏡を見つけて掛けなおすと、シンジの方に振り向く。

 

「ああ、ごめん。大丈夫?」

 

 その少女は、見慣れない制服姿をしていた。一体どこの生徒だろうか。というか、平日の昼間になぜパラグライダーなんかやっているのだろうか……。

 その時、彼女が背負っていたバックパックの中から呼び出し音が鳴る。彼女はバックパックのベルトを手繰り寄せると携帯電話を取り出して通話を始める。

 

「Hello, Mari here. Yes, I seem to have glided off target. It looks like I'm in a school of some sort.(ハイ、こちらマリ。そう、風に流されちゃった。今どっかの学校みたい)」

 

「マリ」と名乗ったその少女は、肩で携帯電話を押さえてパラシュートをバッグにしまいながら、通話を続けた。

 

「What!? Well you told me to enter into Japan covertly! Can't you have the Euro people walk this out?(ええ?極秘入国しろって言ったじゃない!問題はそっちから話つけてよ)」

 

 極秘入国(to enter covertly)。そう聞こえたシンジは、瞬時に浮かんだある可能性に眉を歪めた。

 

「Just be there for my extraction later okay? Thanks!(そしたらピックアップよろしく。じゃあ)」

 

 携帯のボタンを押して通話を切ったマリがシンジの方を見る。マリは、険しい顔をしてして座り込んでいるシンジの方へおもむろに近づいて行くと、四つん這いになって首元の臭いを嗅いだ。

 

「え、ちょっと……」

 

 突然のことに戸惑うシンジ。

 

「君……いい匂い……。L.C.L.の香りがする」

 

 マリは、シンジの目の前でボソッとそれを言うと、身を翻すようにして立ち上がった。

 

「はぁ……?」

「君、面白いね」

 

 立ち上がったマリは、シンジを見下ろして低い声でつぶやく。するとマリは、声のトーンを明るくしてシンジが落としたS-DATを手渡しながら言う。

 

「じゃ、この事は他言無用で!ネルフのワンコ君」

 

 唖然とするシンジにそれを無言で渡すと、そのまま階段の方へ向かって走り去っていった。そしてシンジは、そんな彼女をただ呆然と見過ごすことしかできなかった。

 

 

 




☆あとがき

遅くなってしまい申し訳ありません大丈夫ですよ辛うじて生きてますよどうもジェニシアです今後ともご贔屓にお願いしゃす。

ここに来ての真希波マリ降臨。シンジもアスカも、彼女の存在はまだ知りません。あ、アスカは名前だけ知ってるかも。さて、今後どうなっていくのやら。

日常回はやっぱり難しいです。右往左往しながら書いてます(苦笑)。それでも今回、アスカとレイが和解し、仲良くなった点においては、今後の物語でも重要になることでしょう。楽しみにしていて下さい。♪

さあ、まもなく大イベント。

覚悟は、良いですか……?


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第拾肆話 彼女の決意

「四人目の適格者?!」

 

 葛城家のテーブルでアスカは目を丸くした。シンジが慌てて人差し指を立てると、アスカはミサトが風呂にいるのを思い出してジェスチャーで軽く謝った。

 

「うん。多分そうなんじゃないかって」

 

 シンジは静かに鞄を下ろしながら険しい顔でそう返した。

 

「でもどういうこと?だって普通にいけばフォースは……」

「うん。トウジになるはずだと思ってた。けど彼女、L.C.L.って言葉を知ってた上に、ユーロから極秘入国してきたらしいんだ」

 

 今日の昼休み、シンジは見知らぬ少女と学校の屋上で邂逅した。それが何者なのか分からなかったが、関係者であることは間違いなく、しかも体型的に15歳前後とあれば、否が応でもエヴァパイロットの可能性が浮上する。

 ユーロ。シンジがドイツとかヨーロッパなどと言わずにそう表現したことにアスカは眉をひそめた。

 

「名前は? ……そいつの」

「『マリ』って言ってた。外見も日本人っぽかったけど」

「マリ?………真希波か!」

「やっぱりアスカ、知ってる!?」

 

 シンジは目の色を変えて慌てて椅子に座った。

 

「聞いたことがあるくらいだけどね。でもユーロ支部で姿は見なかったわよ?何でも派遣されてたって……」

「派遣?どこに?」

「さぁ……そこまでは……。けど、どうして極秘入国なんか──」

 

 その時、ものすごい音と共に脱衣所の扉が開き、髪の毛を拭きながらミサトが慌てて飛び出してきた。

 

「ミサトさん!?」

「あっシンジ君、帰ってたのね。悪いけど今日の私の晩ご飯、抜いといて!」

「ちょ、ちょっと何があったのよ!?」

 

 風呂と着替えに帰っただけとはいえ、ミサトは明らかに何かに焦っていた。ミサトはジャケットを素早く羽織ると、厳しい目つきで衝撃の一言を放った。

 

 

 

「消滅したのよ、アメリカ第2支部と、エヴァ4号機が」

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第拾肆話 彼女の決意】

【Episode.14 Darkness Creeping】

 

 

 

 

 

「Tプラス10。グラウンドゼロのデータです」

 

 急いで本部へ駆けつけたミサトは、作戦会議室に関係者を招集し、緊急会議を開いた。会議室のデスクに立体的に浮かび上がった映像を見ながら、シゲルが説明すると、ミサトは眉を歪めた。

 

「酷いわね……」

「A.T.フィールドの崩壊が衛星から確認できますが……詳細は不明です」

 

 ミサトの後ろに立っていたマコトが報告する。

 

「やはり4号機が爆心か……ウチのエヴァ、大丈夫でしょうね?」

「4号機は……!」

 

 ミサトがリツコの方を向くと、それに反論するかのようにマヤが咄嗟に声を上げた。ただ、隣に座るリツコの手前、その後の言葉を紡ぐことができなかった。

 

「エヴァ4号機は、稼動時間問題を解決する、新型内蔵式のテストベッドだった……らしいわ」

 

 リツコは珍しく自信なさげに言う。

 

「北米ネルフの開発情報は、赤木先輩にも充分に開示されていないんです」

「知っているのは……」

 

 ミサトは何かを勘ぐった表情で、ある人物の顔を思い浮かべた。

 リツコが顔を歪めて歯を食いしばったのには、誰も気づくことができなかった。

 

 

 

 司令室では、冬月が事故データの資料を見ながら状況を確認していた。

 

「エヴァ4号機。次世代型開発データ収得が目的の実験機だ。何が起こってもおかしくはない。しかし……」

 

 ゲンドウは、司令席に座ったまま、何も言わず、黙ってそれを聞いた。冬月も、それ以上は何も言わなかった。

 

 

 

 本当に事故なのか……?

 

「そう、疑い始めているだろうな、葛城は。だが……」

 

 まさか、本当にただの事故だったとは。

 コンピュータールームのバックヤードで、煙草を吸いながら考え込んでいた加持は、左手に持っていた缶コーヒーを一気に飲み干した。

 裏ルートから手を回し、ゲンドウの計画を妨害しようと加持は企てていた。しかし、いくら嗅ぎ回ってもゲンドウや冬月が干渉した形跡は皆無。至って通常通りに、というのは語弊があるが、アメリカ支部の最高機密(トップシークレット)で行われた4号機の開発実験に、加持が手出しすることなど天地がひっくり返っても不可能だったのだ。

 しかもこれによって、危険で、止められない、消すべきだったシナリオが遂に進み始めてしまった。加持は歯噛みするしかなかった。

 

「シンジ君……すまない……」

 

 

 

 ******

 

 

 

「あっ、シンジお兄ちゃんや!」

 

 向かいの通りから走ってくるランドセルの少女にシンジは手を振り返した。彼女のその弾けんばかりの笑顔が見られる、それだけでシンジは嬉しくなる。

 

「おいサクラ、あんまりはしゃぐとまた怪我するで?」

「大丈夫やって♪」

 

 隣では彼女の兄がぶっきらぼうに、それでいながら幸せそうな笑顔を浮かべている。多分こういう家族思いなところや優しいところが、委員長が惹かれる理由なんだろうなと思った。

 

「こんにちは、サクラちゃん」

「こんにちは!」

「今日もノゾミちゃんのところで遊んでたの?」

「うん!」

 

 委員長の妹:洞木ノゾミと、トウジの妹:鈴原サクラは度々互いの家に行っては遊び合う仲である。特に、洞木三姉妹に感化されでもしたのか、九州新幹線の辺りは殆ど、いやもうほぼ完璧に熟知している模様である。サクラだけに。

 そして今日もまた、洞木家が新しく買った某玩具会社の商品である「N700s系新幹線」をテーマに、小学生にしては本格的すぎる討論をやっていたようで、とても嬉しそうにその事をシンジに語ってくれた。

 

「それでね、N700s系って駆動システムに発熱が少ない炭化ケイ素の素子を使ってるんよ。せやから冷却システムも簡単にできるし、駆動システムをすっごく軽くすることに成功したんやって!あとな、機械の配置ももっと整理して、12両編成とか8両編成とか、いろんな形態で運行させることもできるようになってるんや!早ければ来年度には新しいダイヤで東海道新幹線を……」

 

「……なぁシンジ?」

「ん?どうかした?」

「俺、コイツの兄妹やけど、なんやコイツのことが怖くなってきたわ……」

 

 目に恐怖の笑みを浮かべたトウジの言葉に、シンジも何だか否定することができなかった。

 

「ハハ……将来は鉄道開発研究者かな?」

「俺の妹がこんなに頭良いはずがないんやけど……」

「なんか言うた?お兄ちゃん??」

「いえなんでもあらしません……」

 

 こういう気丈なところはトウジにそっくりだなぁ、とシンジは思う。

 

 

 

 4号機消失の一報を聞き、シンジは何とも居た堪れない気分になった。

 人的被害は死者・行方不明者25名、重傷34名、軽傷146名。これでも前史に比べれば全然マシだったものの、食い止められなかったという事実に悔しさを隠せなかった。

 詳しいことを早く加持から聞き出したかったが、電話だと通常回線のために危険すぎる。自分からネルフに出向いたときに聞くしかなかった。

 4号機消滅。これによって、もはや確定的となった3号機の日本移送、そして、バルディエルの襲来。

 そうなると、誰かが適格者に選出されることになる。その役が、前史では目の前で笑っている親友だった。

 

「ねぇ、トウジ」

「ん?なんやシンジ?」

「………ちょっと寄り道しない?」

 

 トウジは一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、すぐにニカッと笑って、「構わへんで」と言った。

 シンジは決断しかねていた。いつかは、前史でのことを話さねばならないことは分かっている。特にトウジは、3号機に搭乗させられる可能性が残っている。彼のことだから、選出された以上は責任感を持ってやり遂げるはずだ。

 それが、悲劇を生むことになる。

 3号機は何とかして処理せねばならないのだ。しかしゲンドウのことだ。現状では、起動実験の中止はあり得ないだろう。最悪、チルドレンが乗る選択肢は考えておかねばならない。そうなった時、ゲンドウがシンジを乗せるという展開に持ち込むためには、何としてでも最初に白羽の矢が立つトウジを、行かぬように留めておかねばならなかった。

 

 シンジたちは近くにあった駄菓子屋でアイスを買った後、公園に行き、ベンチに腰をかけた。近くで小さなネコが──首輪をしていたからおそらく飼いネコだろうが──、ミャアと可愛らしげに鳴いたのを見たサクラは、ランドセルをベンチに残したままそのネコに駆け寄っていった。

 

「しっかしあれやな。あの時センセがサクラのこと気づいとってくれたから、アイツは助かったんやもんなぁ」

 

 トウジが感慨深げに呟いた。そんな彼に、シンジは少し意地悪な質問をした。

 

「もし僕が気づいてなくて、サクラちゃんに怪我を負わせてたら?」

 

 トウジは少し驚いたように振り向いた。そして少し考えてから、トウジは力なく微笑んだ。

 

「もしそうなってたら、ワシはセンセをドついてたかもしれんなぁ……。まぁセンセがわざとそんなことやるなんて考えられんし、ありえへんけど」

「いや」

 

 やはりトウジは良いヤツだ。実際、前史ではそうだったのだから。

 

「トウジのその答え、正しいと思うよ」

 

 シンジは笑った。

 

「最初に会った日の昼休みさ、僕はトウジに殴られるつもりでいたんだよ。サクラちゃんがいたことに気づいてたっていっても、戦闘で瓦礫が飛んだかもしれない。最後には使徒は爆発したし、もしそれで怪我でもしたら、傷つけた張本人を責めたくなるのは、当然の心理なんじゃないかな」

「……そうかもな」

「僕だって、大切な人を傷つけられたら、自分でも止められないほど怒り狂うと思うよ。エヴァを占拠して、ネルフをぶっ潰すくらい、僕は多分やるんだと思う」

 

 かつてトウジを殺しかけた苦い記憶を思い出しつつ、シンジは言った。いつもは内向的だったシンジが、過去にしたことないほど激昂した。彼は、それほど大切な友だったのだ。

 

「ネルフをぶっ潰すて……そら流石にアカンやろ……」

「ッハハ、本当にね……。でも、そうしてでも守りたいってことなんだ。もっとも、助けられなかった自分を責めるかもしれないけどね」

「なるほどな。悩んでたんは、そういう理由からか?」

「え?」

 

 シンジが振り向くと、トウジはアイスの棒を咥えたままに、いまだネコと戯れるサクラの方を見ていた。

 

「なぁセンセ? 俺なんか、センセや綾波や式波みたいにエヴァにも乗っとらんし、ネルフともほとんど関わりは持っとらん。背負ってるもんも、同じ14歳でも違いすぎる。それでも、悩んでるセンセの話を聞くことくらいはできるやろ?」

 

 シンジは参ったと言わんばかりに夕日に染まる空を仰いだ。

 

「ありがとう、トウジ。実は……」

 

 

 

「なるほどな。3号機のパイロットか……」

 

 結局、前史のことは話せず終いだったが、3号機が輸送されてくることと、トウジがそのパイロットの候補者になるかもしれない可能性について、シンジは粗方話した。

 

「心配なんだよね。あの機体は4号機を失ったアメリカで建造されてるから。そもそも、それが理由で日本に押し付けられたから、かなり危ないのは変わらないと思う」

「ほんで、そいつには乗らんでほしい、もし話が来たら断ってほしい、と」

「うん」

「センセの頼みや、そう言われればそうするわ。けど……そうしたらその3号機、誰が乗るんや。シンジか?」

「いや、できれば誰も乗せたくないんだ」

「そない危険なものなんか……!?」

 

 トウジは表情をこわばらせてシンジに詰め寄った。

 

「うん。今回だけは、乗れば犠牲になってしまう」

 

 トウジはシンジの顔を見て確信した。アメリカで建造されたから欠陥がある、それが誤魔化しであるということに。

 

「……シンジ、お前はどうするつもりなんや」

「3号機に不具合があるとでも言って解体させるように仕向けてみる。それでダメなら……僕が乗る」

 

 トウジは一瞬、止めようかと思った。シンジの目が、その言葉を現実にしてしまいそうだったから。しかし同時に、彼の目が異様な自信に満ちているような気がして、ただ、警告の言葉しか、発することができなかった。

 

「……気ぃつけろや……シンジ」

「分かってる。だからくれぐれも、ケンスケと委員長以外には内密にね」

 

 そうは言うものの、おそらくもう既に、クラスのみんなには、それどころか学校中で噂になっていると思う。シンジ、アスカ、レイの3人が非常事態宣言の度にいなくなっている事実を踏まえれば、3人がエヴァのパイロットであることは否応なしに勘づかれる。

 だがそれでも、危機から少しでも離れたところにというのが、シンジの精一杯の願いだった。トウジもその意を察したのか、力強く頷いた。

 

「あぁ、もちろんや。任しとき」

「……ありがとう」

 

 シンジは、寂しげに微笑んだ。

 

「あぁ~っ」

 

 遠くでサクラが声を上げた。

 

「また外れたぁ……」

 

 シンジとトウジもその言葉につられて手に持っていたアイスの棒を見た。「当たり」と書いてあればもう1本。しかしこれがなかなか……。

 

「ハハッ、当たらへんもんやなぁ」

「そだねー」

 

 サクラの足下で、ネコが不思議そうに「ミャァ?」と鳴いた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「先に、エヴァンゲリオン5号機が失われ……」

「今、同4号機も失われた」

「両機の損失は、計画の遂行に支障をきたしますが」

「修正の範囲内だ。問題はなかろう」

「エヴァ3号機は米国政府が是非にと君へ差し出した。君の国の政府も協力的だ」

「最新鋭機だ。主戦力に足るだろう」

 

 重苦しい暗い空間の中、ゲンドウと冬月は、ゼーレのモノリスに囲まれていた。ゼーレの面々が一通り言い終わると、ゲンドウがNERVの要求を告げた。

 

「使徒殲滅は現在も遂行中です。試験前の機体は信頼に足りません。零号機修復の追加補正予算を承認頂ければ」

 

 しかし、そう簡単に要求が飲まれることはない。それが既に分かっているからか、ゲンドウは光るサングラスの奥で目を僅かに細めた。

 

「試作品の役割はもはや終わりつつある。必要はあるまい」

「左様。優先すべき事柄は他にある」

「我らの望む真のエヴァンゲリオン。その誕生とリリスの復活をもって契約の時となる。それまでに必要な儀式は執り行わねばならん。人類補完計画のために」

 

 ゼーレの要求はいつも一方的なものである。人類補完計画の遂行、その目的はゲンドウとて同じなのだが、如何せんその行動原理が違いすぎる。計画を遂行する最高責任者にゲンドウを据えているにもかかわらず、結局は自分達が進めているという変な話だ。しかしここで歯向かう訳にもいかず、ゲンドウは更に声を低く落として応える。

 

「分かっております。すべてはゼーレのシナリオ通りに」

 

 その言葉を合図に七体のモノリスは一斉に消滅する。

 

「……真のエヴァンゲリオン」

 

 光が戻るとブルースクリーンの何もない空間が広がる。

 

「その完成までの露払いが、初号機を含む現機体の勤めというわけだ」

「それがあのMark.06なのか?偽りの神ではなく、遂に本物の神を作ろうというわけか」

「ああ」

 

 冬月はゼーレの真意について考えを巡らせる。

 本物の神。それを創り出すことが、人類補完計画の最終過程なのだ。執行者が、ゼーレが思いのままに操れる、神となりしエヴァンゲリオンを。

 しかしゲンドウも、指を咥えて見ているつもりなど端からない。ゼーレの計画はしっかり利用する予定でいる。その為にも。

 

「初号機の覚醒を急がねばならん」

 

 

 

 

 

「それで、3号機が危ないって情報は確かなのね?」

 

 酔いが回って若干呂律が怪しい様子だったが、ミサトのその真剣な目に、加持は思わずため息をついた。やはり、あの事故があってから何かに勘づいたようで、何度かMAGIに秘匿アクセスを試みているようなのだ。

 

「あぁ、詳しいことは分からないが、おそらく、使徒に乗っ取られている」

「なら、早く殲滅しないとマズいじゃない……!」

「そう簡単にいけば苦労しないさ。今はまだパターンオレンジ、せっかくの戦力候補を、あの上層部が手放せるわけがない」

「……そうよね。ちなみにそのソースはどこなのよ」

 

 加持は一瞬回答に詰まった。今の状態で、ミサトにはシンジが逆行者であることを知られるのは避けたいからだ。それに、この問題にミサトを関わらせたくないというのが心底にあった。ただ、いずれは関わることになってしまう以上、隠すのも無意味だとは分かっているのだが。

 

「……とある整備士から聞いた。あんまり深くは言えないがな」

「そう……」

 

 あまり深追いできないことを悟ったのと、加持が話せない事情を抱えていることに勘づいたミサトは、苦々しいといった感じに顔を歪めた。

 しかし、まだ話は終わってないとばかりに、再度身を乗り出した。

 

「それと、ゼーレとかいううちの上層組織の情報、もらえないかしら」

 

 加持は声のトーンを落としてミサトに顔を近づけた。いくら大衆居酒屋の個室とはいえ、誰がどこで聞いているか、分かったもんじゃない。

 

「例の計画を探りたいのなら、止めておけ」

「そうもいかないわよ。人類補完計画……NERVは裏で何をしようとしてるの?」

「それは……、俺も知りたいところさ」

 

 加持はひどく真面目な表情になった後で、不意に表情を緩めてぐったりと背もたれに寄りかかる。それを聞いてミサトもがっくりと肩の力を落として席に座り直した。

 

「久方ぶりの食事だってのに、仕事の話ばっかりだ」

 

 加持は少し不満そうな表情をする。もちろん、ゲンドウの真の目的も、ゼーレの思惑も、加持はシンジから聞いているため知っている。だが加持は、以前彼が言った一言を思い出して、口を閉ざしたのだ。

 

『ミサトさんを、悲しませないであげてください』

 

 彼のその言葉がとても大きく、加持に響く。人類補完計画は、触れたが最後、命をかけねばならないパンドラの箱。前史で加持は、ミサト達よりも早く抹殺された。それほど危険なものだからだ。

 だが、ミサトが次に発した言葉で、加持は、その危険を承知の上で、彼らが守ろうとしているモノが想像を絶する大きさなのだと実感してしまうのである。

 

「学生時代とは違うわよ。色んなことも知ったし、背負ってしまったわ」

「……お互い、自分のことだけ考えてるわけにはいかないか……」

「シンジ君たちなんか、もっと大きなものを背負わされてるし……」

 

 そう、大きすぎる。それこそミサトが考えている以上に、シンジとアスカは巨大な障害に立ち向かっている。そして自分たちはそれを知っていながら、弱冠14歳である彼らに救われている。紛れもない事実なのだ。

 

「ああ、子供には重過ぎるよ。だが、俺たちはそこに頼るしかない。とんでもない皮肉だな……」

 

 

 

 

 

「何よ、これからキャンプにでも行くの?」

 

 翌日、迷彩服に身を包んでいたケンスケはその高圧的な声の主を瞬間的に理解して振り向いた。

 

「キャンプというか、戦闘訓練だよ、式波」

「戦闘訓練んん??」

 

 アスカは心底怪訝そうに首をかしげた。

 

「そうさ!これから仙石原行って……って、すっげー見下してるなお前……」

「そりゃそうよ。アンタみたいなちゃっちい装備じゃ、本物のゲリラ戦には対抗しきれないわよ」

「それくらい分かってるさ。でもさ、心構えだけでも固めといた方が、後々どっかの場面で活きてくるんじゃないかって思うんだよ」

「心構え、ねぇ………」

「いつまでも君らに頼っていちゃあ申し訳が立たないし、それにあれだ、『自分の身は自分で守れ』とか言うだろ?」

 

 先日、マコトと約束したこともある。使徒が現れる以上、この街に安全など残されてはいない。それならばせめて、自分が今できることをやろうと、そう思うのだ。

 

「……確かに。アンタもただのオタクじゃなかったってことね」

「ハハハ、ひでぇ評価だな。式波は今から買い物?」

「ええ。今日はシンジもレイも戦闘訓練だし、早く帰ってカレーでも作っとこうと思って」

 

 なるほど、とケンスケは納得する。ここ最近、シンジとアスカとレイが仲良く料理している様子が3人の弁当を見ているとよく分かる。両手に花かよ羨ましいヤツめ、と少しだけシンジに対して嫌みを送念しておく。

 これまで隠れて女子の写真を撮っては密売していたケンスケからみても、アスカはレイと並んで学校トップの可愛さを誇ると確信している。

 ただ、彼ら三人の様子を見ていると、なんだか理想の世界に自分も生きているような気がして、変な話だが、幸せになってしまうのだ。

 

「相田」

「ん、おっと!?」

 

 突然飛んできた細長い何かを、慌てて両手で受け止めた。投げつけられたのは何の変哲もないコーラで、当のアスカ本人は不敵な笑みを浮かべて手首を回した。

 

「それなりの反射神経はやっぱりあるわね」

「……試したのかよ。もらっていいのか?」

「えぇ。私からの奢りよ、ありがたく思いなさい」

「ハハッ、式波が奢ってくれるとはね。明日は雪かな?」

「ハンッ、言ってなさいよ」

 

 二人は軽口をお互いに叩き合った。しかし、その瞳の奥に揺らいだ違和感に、気づくことはなかった。

 

 

 

「……情報は全て揃ったね。いささか遅かったけど、これが限界かな」

 

 とある暗い研究室の一室。また中学生ほどの少女は、安心したような、後悔するような表情を見せた。その言葉に、モニターから目を離さずに、鋭い目つきの女性ははっきりと、しかし優しく、少女に語った。

 

「仕方がないわよ。すでにここは、未確定の結末に向かっているわ。プログラムの行く先を知れる者は、この世には存在しない」

「だけど、同じ幻想を辿れないという点で、生命はみな平等なんだよね」

「そう。世界は調和と秩序で成り立っている。全ての根底にあるのは、ただひたすら『無』だけ。でもそこから何を選ぶのかは、私たち個々の決意よ。……貴女みたいにね?」

「……そう言って頂けると嬉しいです。ありがとうございます、先生」

「何言ってるのよ。闘いはこれからよ?」

「はい、わかってます!」

 

 極秘の研究室であるかのような雰囲気が漂う空間で、少女は覇気のある声で鋭く返事をした。

 

 

 

 ******

 

 

 

 やたらと広く薄暗い部屋に机が一つ。NERV総司令である碇ゲンドウを眼前に、シンジは制服の右ポケットに手を突っ込んで、直立していた。

 

「……何の用だ」

 

 ゲンドウがぶっきらぼうに応える。自身の息子がアポも取らずに訊ねてくることなど、初めてのことだった。しかし表情には出すことはしない。光の反射でそのサングラスの奥の瞳が揺らいでいるかどうかは、シンジには確認できない。

 

「ダミーシステムの話、聞いたよ」

 

 その一言に、そばで立っていた冬月の方が微かに動揺した。

 

「……誰から聞いたのかね?」

「加持さんからです。この間、スイカ畑で彼の手伝いをしていたときに少しだけ」

「……」

 

 ゲンドウは相変わらず少しの動作も見せない。サングラスの奥では、こちら睨み付けている可能性が高いだろうけれど、その真意はまだ分からない。

 張り詰めた空気の中で、シンジは冷静に分析しつつもシナリオ変更の必要はないと判断。そのまま再び口を開いた。

 

「パイロットの代わりに、僕らのパーソナルデータを用いたプラグ、すなわちダミーって呼ばれてるシステムを用いてエヴァを制御する。凄く良い計画じゃないですか。何でも近々導入するとか」

 

 シンジは無邪気な子どものような笑顔で、自然に話す。この薄暗い空間には場違いな雰囲気だったが、それを完全に無視して喋り倒す。

 

 自身の手で計画が破綻させたダミープラグの話を持ち出すという、ある意味カマをかけているようにも思えるシンジの言動。しかしその実、「スイカ畑で聞いた」発言を除けば全て真実であり、それを利用しようと画策しているのだった。

 この前日、シンジはようやく加持と接触することに成功。偶然を装ってリツコの研究室に向かい、前史の存在を知る極秘の三者会談を開いていた。そこでシンジは、とある真実を知ったのだ。

 

 

 

「ダミープラグの計画が?」

「再始動!?」

 

 加持から聞いたその内容に、シンジは思わず大声をあげて驚いた。リツコの方も思わず眉をひそめた。計画を破綻させた2人にとって、その一言はあまりにも衝撃的すぎたのだ。

 

「ああ。ゴルゴダラボって知ってるか、シンジ君?」

 

 対する加持は、彼らの反応も予想通りとばかりに、微かに笑みすら浮かべながらシンジに訊いた。シンジはまたしても初出の用語に首をかしげる。

 

「いえ……前のサードインパクトでもそんな情報は……」

「そうか、やはりな……」

「……どういうことですか」

 

 状況が理解できないシンジに、リツコが険しい顔で助け船を出す。

 

「ダミープラグの元になる魂、それがレイであることは、シンジ君のいた世界とおそらく同じ。けどそのプラグシステムは、この本部で作られてるわけじゃないのよ」

「そうなんですか!?」

「ああ。NERV中国支部、新上海基地に存在しているダミーシステム開発事業部さ。それを俺達は『ゴルゴダラボ』って呼んでる」

「ゴルゴダラボ……」

「魂がなければ、レイがいなければ絶対起動できないはずなのに……碇司令は何故……?」

 

 リツコはシンジの驚きとはまた別の方向で動揺していた。ゴルゴダラボの存在は知っているどころか、ダミー計画の遂行を執っていた者としては密接に関係する組織である。

 しかしコアとなるレイの魂がないのでは、結局のところゴルゴダラボでのプラグ建造も全く意味を為さない。だからこそ、ゲンドウの意図が読めず、リツコは焦りにも似た疑念を抱いたのだ。

 

「…………いや、むしろそれがいいだろう」

「えっ?」

 

 そんな中、加持が呟いた。

 

「むしろ、って?」

 

 リツコは咄嗟に訊き返した。

 

「初号機と弐号機が特殊すぎたんだ。参号機以降の機体は、大人を乗せさえしなければ、つまり14歳の人間なら誰でも乗れる。ほら、初号機と弐号機には基本的にシンジ君とアスカしか乗れない理由さ」

 

 かつて、シンジが二人に話したことだ。

 初号機と弐号機にはそれぞれ、碇ユイと惣流・キョウコ・ツェッペリンの魂がインストールされていた。起動実験に伴う事故という、あくまで偶然の結果ではあったが、そのせいで初号機と弐号機は、基本的にシンジやアスカしか乗ることのできない特殊機体となったのだ。

 言うなれば母と子の魂の共鳴。だからシンジは400%のシンクロ率を叩き出したし、アスカは量産機との戦いで覚醒した。

 しかし参号機以降は、大人による起動実験は行われていなかった。それはつまり、正真正銘の正規実用型-14歳のチルドレンであれば誰でも搭乗できる機体であったのだ。

 

「……ってことは、14歳の人間のパーソナルデータがあれば、起動はダミーでも可能かもしれない……?」

 

 リツコは加持の考えていることを理解して、目を見開いた。今回の試験では、機体の操舵は完全無視して良い。よって、既にバックアップを取ってあるレイのパーソナルデータ、それを用いることで、起動のための最低条件であるL.C.L.電荷、パルス、ハーモニクス同調を試みようというのだ。

 加持も、真剣な目で頷いた。

 

「碇司令の行動が、今回ばかりは吉に出そうだな」

 

 しかしリツコは、険しい顔を崩さずにさらに問う。

 

「でも……これ、提案できるの……?」

「そうだな、リッちゃんとシンジ君は意図的にダミーを破壊してる。しかもシンジ君はダミーについては知らないと思われてるだろうし、同じくダミーに関わっていない俺が言うのもリスクはあるだろう。だが、そんなに悠長なことも言ってられないだろう。俺が進言する」

「……分かったわ」

 

 その時、沈黙を貫いていたシンジが口を開いた。

 

「いえ、僕にやらせてください」

「「!?」」

 

 リツコは慌てた。

 

「ダ、ダメよシンジ君。だいいち、ダミーのことをどうやって知ったと説明するの」

「それは何とかして考えます。もしダミーの使用が却下されたとき、パイロットに志願するように話を持って行かなければなりませんから」

 

 シンジの思わぬ提言に、加持も思わず声を荒げた。

 

「まさか……犠牲に、なるというのか!?」

「いえ、死んだりなんかしませんよ。そもそもバルディエルを覚醒させるなんて考えてませんから。でもやっぱり、こんな危険なこと、アスカや綾波にさせるわけにはいかない」

 

 シンジの意思は確固なものだった。

 

「シンジ君、どうして……? ダミーで起動できるならそんな危険なこと……」

「……誰も搭乗しなくて済むなら、もちろんそっちの方が良いに決まってます。でもあの父さんのことだ、有人での起動実験を図る可能性が高い」

 

 そう、そもそもダミーで起動を試みるという前提が苦しいのだ。加持もそれに気づき、歯を食いしばった。

 

「相手がゼーレなら、尚更か……」

 

 エヴァをダミーシステムで起動したことをゼーレに知られれば、ゼーレはすぐさまダミーの量産に移る。そうなれば、見える未来は黒赤の血に染まった惨劇の湖だ。

 ゲンドウの計画は阻止すべきだが、それ以上にゼーレに主導権を握らせてもまた追い詰められるのは確かだ。まさに背水の陣、シンジはそれを承知で、犠牲になることを買って出たのだ。

 具体的な作戦はこうだ。松代での実験中に人為的なエラーを発生させ、パターン青の検出をMAGIで偽造するというものだ。つまり3号機の電源を入れるなど端から考えてはおらず、バルディエルに乗っ取られる前に3号機を殲滅してしまえばいい。

 ただしリスクもある。悪いことに、「3号機の起動」がどのフェーズにおける状態を指すのか、シンジにもリツコにもわからないのだ。実験過程に不審な点を残してはいけない中で、バルディエルの覚醒タイミングを図らねばならない。かなりギリギリでの闘いを強いられるのは間違いないだろう。

 

「ダミーを押し通すことが最善ですけどね。もし3号機でダメなら、ダミーは初号機で使わせましょう。無論、母さんは僕が追い詰められてる状況じゃないとダミーを受け付けるはずないので起動なんかできませんし」

 

 シンジは有無を言わさぬ鋭い目で二人を見据え、自分の決意を静かに響かせた。

 

「バルディエルの覚醒前に、何とか3号機をできるだけこっちのコントロール下に引きこむんです。ヤツが進化しているとはいえ、肉弾戦になれば2号機と零号機で上手く食い止めてくれます」

「……わかった。だがシンジ君、君は一番疑われるべきでない人間だ。だからこの情報のソースだけは、俺から聞いたことにしておいてくれ」

「……ええ、分かりました」

 

 

 

 虎視眈々。年相応な笑顔を見せるシンジのその瞳の奥には、静かに機会を窺う炎が揺らめく。

 シンジが考えを巡らせているここからのシナリオ分岐は3パターンだ。まずはダミーを使用する予定があるかどうかの質問だ。

 

「そのダミーシステムが起動すれば、僕らがエヴァに乗って戦う必要はなくなるわけだけど……導入の時期って決まってたりするの?」

 

 あくまでダミーという事象に興味を持つ子どもとしてゲンドウに問いかける。ここで使用・導入予定があれば詳しく話を聞く体で3号機の話に、ないと断言された場合も4号機の爆発事件の話から3号機に振っていく。

 ゲンドウは姿勢を変えずに返答する。

 

「利用予定はない。現時点ではゴルゴダラボからの完成予定も上がってきていないからな」

「そっか。この間のアメリカでの4号機だっけ? 消滅してから少し怖くってさ」

「話はそれだけか」

 

 ゲンドウはさらに低い声で告げた。シンジはゲンドウの動揺を確信した。

 

(早く出て行け、ね。そうはいかないよ)

 

「いや、ここからが本題だよ。その4号機の消失で、3号機がこっちに送られてきたでしょ? 2回にわたる運用実験の失敗、それがどうにも不安でね」

「2回? 4号機以外にもあったと言うのかね?」

「ほら、零号機の話ですよ。僕が来る前に、試験に失敗してたじゃないですか。別に父さんたちに落ち度はなかっただろうけどさ」

 

 冬月は納得したように頷いた。

 3号機の起動実験、その危険性を、かつてのレイを例に訊いてみて、中止に引き込む。ここが2つ目のシナリオ分岐点だ。

 ただ、おそらくここはほぼやる方向で押し通されるだろう。ここで「そうだな、危険だからやめようか」となるはずがないのはシンジも知っている。

 

「問題ない。零号機や4号機の反省を活かし、起動はきわめて慎重に行う予定だ」

 

 そこで3つ目の分岐点、思いついたようにダミーの使用提案。ここでダミー使用を検討し、その方向に持って行ってくれれば御の字だ。

 その提案を退けられた場合、加持やリツコとも話した最終手段。シンジ自身が3号機搭乗に志願する。なんとか説き伏せることに全力を注ぐ。

 

「でもさー、やっぱり心配だよ。これで何かあったら、父さんたちもいろいろ大変なんじゃない?」

「何が言いたい」

「いや、今思いついたんだけどさ。せっかくなら、ダミーを使ったら? ってさ」

 

 ゲンドウと冬月が少しだけ顔を上げる。僅かな動揺か、はたまた驚きか。

 

「まだ完成予定はないみたいだけど、導入予定なのは間違いないでしょ? それまでは僕らが使徒に対抗するからさ」

「不可能だ。3号機の起動は急務、ダミーが完成するのを待っている余裕などない」

「危険性よりも即戦力としての面を重視するってこと?」

「その通りだ。使徒に勝つ、それが我々の生きる唯一の道だからな」

「そっか。じゃあしょうがないね」

 

 シンジは残念そうに眉を下げた。こうも真っ向から言われては、反論するのは逆に危険。

 しかし最終提案は押し通す。バルディエルが覚醒する前に3号機をシンジのコントロール下におく。シンジが乗ることによるデメリットはないため、押し通せるはずだ。

 

 しかし、シンジは大事なことを見落としていた。

 

 気づくべきだったのだ。この世界では、セカンドインパクトを引き起こした光の巨人が「4体」であったことに。

 

 

 

 




☆あとがき

お久しぶりです。ジェニシアです。
お待たせして申し訳ありません。
これまで1年半、書き続けてきましたが、書いててキツくなってきました。でも最後までしっかり書くつもりです。今後もゆっくりですが、お付き合いください。

どうしても、避けては通れぬ道があるのです。
偶然か、必然か。それは誰にも分かりません。
執筆者である、私でさえも。
こんなことで庵野監督の本当の辛さがわかるはずもありませんが、それでも感じてしまうのです。
エヴァQを創ったあと、壊れてしまった監督の気持ちが。
私はただ、彼らの思うままに描くだけです。
その先に見える希望を信じて。

そろそろ新劇場版とも一線を画す設定になってきました。
今後は独自解釈を多く含むことになりますが、お付き合い頂ければ幸いです。



☆追記 2022.2.3
現在執筆中の第23話以降の展開に整合性を持たせるべく、ゴルゴダベース→ゴルゴダラボと変更致しました。


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第拾伍話 悲憤慷慨

 

 

 IPEAの機体封印格納庫に深紅のエヴァがゆっくりと降ろされていく様子を、リツコとマヤは神妙な面持ちで見つめていた。

 

「まさかこんなところで、バチカン条約が……」

 

 2号機のパスはユーロが保有している。リツコたち本部職員には拒否も、他の機体に変えることすらもできない案件だった。これは、最高司令であるゲンドウに至っても同様、すなわち、どうにもできないことなのだった。

 

「3号機との引き換え条件……。最新鋭機とはいえ、起動実験もまだでしたよね……」

 

 マヤはリツコに心配そうな視線を向けて返した。あの4号機の事故以降、敬愛する先輩からいつもの笑顔がさっぱり消えていたからだ。

 これまでも、リツコが暗い影を落としている様子は幾度と目にしてきた。それでもその時は、自嘲的とはいえ微笑を浮かべたり、軽い冗談で誤魔化されてきたものだ。

 しかし今回の、2号機の封印命令を聞いてからのリツコの表情は、焦りと、葛藤と、悔しさが入り混じった険しい顔だった。

 

「搭乗者は……誰に?」

 

 マヤはおそるおそる、訊いた。エヴァは実戦兵器だ。操縦者も含めて、全てにバックアップを用意している。だからこそ、今度の「被験者」は誰になるのか……。

 

「…………」

 

 無言だった。眉を寄せながら、リツコは格納されていく2号機から目を離さなかった。結局、マヤもそれ以上の追及をすることはなかった。

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第拾伍話 悲憤慷慨】

【Episode.15 Tragedy】

 

 

 

 

 

「……決まってんの?」

 

 シンジは強張る顔を必死に自然体に保ちながら聞いた。

 

「そうだ。3号機の起動実験は予定通り行う」

「何が起きても対処できるように、碇のモニター付きでな」

「だ、だけどどうしてさ? 選考の理由は!?」

「バチカン条約だ。お前も知っているだろう」

「……っ!」

「現在機体のない彼女が搭乗するのが合理的だ。既に本人の了承も得ている」

「なっ……!!」

「話は以上だ。他に何かあるのか?」

 

 シンジは拳を強く握りしめた。

 

「いや……大丈夫。ありがとね、父さん」

 

 今最も言いたくない言葉を腹の底から絞り出し、すぐさま振り返って、出口に向かって歩く。掌に爪が食い込み、血が滲んでいるのがわかる。けれどシンジは、痛みを一切感じることができなかった。

 告げられた言葉に、脳の奥がチカチカと明滅する。

 嘘だ。なんで。どうして。

 疑問と不信と、そして怒りと形容すべきであろう負の感情だけが、彼を重苦しくさせながら動かしていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 食堂では、レイとアスカが一緒にパフェを頬張っていた。それは何の変哲もない、訓練が終わったあとの女子会と表現して相違なかった。もちろん誘ったのはアスカだったが、レイの方もかなり乗り気で、豪勢なストロベリーパフェをそれはまた美味しそうに食べていた。

 

「美味しいでしょ♪」

「ええ。前に碇君や洞木さんたちと食べたチョコレートパフェよりも、私には合ってるかもしれないわ」

 

 嬉しそうに言ったレイだが、最後の一言にアスカは思わずガクッと脱力してしまった。

 

「んもぅ、そういうのを『好き』って言うの! 遠回しに言わなくったって良いんだから」

「そう……これが、『好き』……」

「まったくアンタは……でも仕方ないか。これから少しずつ覚えてけば良いわ。それに……」

 

 アスカはパフェを一口頬張る。そして眼前にある苺を見てもう一言付け加えた。

 

「レイがそういうのも納得だけどね」

 

 その呟きに純粋な疑問を抱いたレイは、アスカに訊き返した。

 

「どういうこと?」

「レイってさ、まあアタシもそうだけど、これまで自然のものをあんまり食べてこなかったでしょ? どれだけ人工でいいものを作ろうったって、やっぱり自然には敵わないのよ」

 

 セカンドインパクトで狂った天候の中で、農産業もかなり打撃を受けたのだが、各地で懸命な保存研究が行われ、常夏である日本で、今も地域密着型の農産業は辛うじて保たれているのだ。苺も同じように、栃木を主導として更なる品種改良が加えられ、今に至る。

 

「加持さんのスイカと同じ。やっぱり陽の光を浴びた食べ物っていうのは美味しいものよ」

「自然……陽の光……」

「もちろん、私たち人間もね」

 

 レイはアスカの目を見据えた。アスカは左手で頬杖をつきながら、軽い動作でもう一口パフェを運んでいく。

 

「……使徒も?」

 

 アスカはスプーンをくわえたままレイの目を見る。

 

「この世界に生きる生命が全てそうなら、私たちを襲ってくる使徒も、自然から力をもらってるの?」

「……そうかもね」

 

 アスカは自嘲気味に微笑んだ。目の前の蒼い髪の彼女だって、薬に頼らず積極的に食事をするようになってから心なしか変わったような気がする。簡単に壊れてしまいそうな雰囲気を纏っていたのが、今ではなんだか逞しい。アルビノの奥に輝く光が、一層揺らめいている。

 

「アスカ……どうしたの?」

 

 他人のわずかな心の動きも、レイは気づけるようになってきた。人の心を持つようになって、一人の友人として、家族として過ごしている。それがアスカにはとても嬉しく、そして苦しかった。

 そう、この幸福な時間を切り裂いてしまうかもしれない残酷な真実を、彼女に突きつけなければならないことに、アスカは罪悪感を抱かずにはいられなかったのだ。

 

「……私たちには、この世界が必要なのよ」

「え……?」

「太陽に照らされて、自然の力の中で、必死にもがきながら一人一人が生きている……。レイが今感じてる苦しさも悲しさも、楽しさも嬉しさも、それって人がそれぞれにもつ、大切な感情なの。私はそれを失いたくないのよ。だから、」

「だから、犠牲になるってのかよ」

 

 レイは背後から聞こえてきたその声に、思わず振り返った。そこには、怒りと悲しみに満ちた表情の少年が立っていた。

 今の一言はレイには別人のものではないのかと錯覚するほど重く感じた。抱いたことのない類いの不安が、レイを微かに震わせた。

 

「……早かったわね」

 

 アスカも少し驚いた表情を見せながら、シンジの目を見て俯いた。本当はもう少し、自分の気持ちが整理できるまで黙っていたかったのだが、突き止められては無理もない。逃げ場がなくなったことに諦めの笑みを浮かべ、グラスに残っていた最後の苺をレイのパフェに乗せた。

 

「ごめんね、レイ。あとでちゃんと話すから。この苺は今日のお礼ね」

 

 そう言って席を立つと、シンジに一瞬の目配せをして、そのまま食堂から出て行った。

 

「碇……君?」

 

 レイにはもはや訳が分からなかった。二人とも一体どうしたというのか。いつも、あんなに明るく朗らかな二人が、今日は纏っている雰囲気が、なんだか怖かった。

 

「ごめん、綾波。あとでちゃんと説明する」

 

 アスカと全く同じ台詞を言い残し、そのままシンジも立ち去っていった。

 食堂に一人取り残されたレイは、目の前の苺を見つめながら、言いようのない恐怖に席を立てず、しばらくの間、身体の震えを止めることができなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「どうしてなんだよ」

 

 廊下でアスカに追いついたシンジは、怒りを隠さずに彼女へ問いかけた。その非難めいた口調に、アスカは心が痛むのを抑えられなかった。

 

「……起動実験のためには、誰かが3号機に乗らなきゃいけない。今回は私が選ばれたの。光栄よ、こんな重要な実験に起用してもらえて」

「そういう話じゃないだろ!?」

 

 シンジは啖呵を切った。バルディエルが寄生していることはアスカも知っているはずだ。だったらなぜ、何も言わず(・・・・・)、自ら犠牲になることを承知した? シンジには訳が分からなかった。

 アスカは振り返ると、首と目線を一度振った。シンジはその動きで監視カメラの存在にやっと気づき、拳を握り締めて言葉を飲み込んだ。

 彼女はまだ、冷静だった。

 

「とりあえず、コーヒーでも飲みながら。ね?」

 

 その寂しそうな笑顔すらも今のシンジには辛くて、悔しくて目を伏せたのだった。

 

 

 

 リツコの研究室へと着いた二人は、リツコも心配するほど暗い影を落としていた。もちろん彼女も、二人がなぜこんな状況なのかは理解していた。というより、この状況を防げなかったことに、リツコ自身も落胆していたのである。

 リツコからコーヒーを差し出されたものの、無言のまま、数分が経った。その間に偶然か、加持も神妙な心待ちで研究室へとやって来ていた。

 

「……私が乗らなかったら、シンジが乗ってたでしょ」

 

 静寂を裂いたのはアスカだった。シンジはアスカの目を見据えた。

 

「……こんなこと、他の人にやらせたくなんかないだろ。ましてや、綾波やアスカに……」

 

 シンジは力なく答えた。

 

「でもよく考えて。シンジが今回のことで戦闘不能になったら、ゼルエルはどうするの?」

「だから、3号機から帰還するための策を考えてるんじゃないか……!」

「前のように、同じように事が進むと思ってるの?」

 

 シンジは息を吞む。アスカは悔しさに手を強く握る。

 

「前と同じだったらどれほど良いか……そんなの私も分かってる。でも今回、碇司令が遠くで状況をモニターしてる。変な動きをしたらすぐにこの場所から追放、人為的なエラーも起こせないの、わかるでしょ。それにラミエルやサハクィエル見てたら、絶対にこれからも一筋縄じゃいかない。ましてやパワーアップしたゼルエルとの戦いに、初号機が、シンジが無傷で残っていなきゃ何もかもが終わる。私たちがこの世界に還ってきたのは、この世界を救うためでしょ……?」

 

 アスカは諭すようにシンジに語りかけた。事実、彼女の言っていることは一番合理的であるし、サードインパクトを防ぐために何が大事なのか考えたとき、簡単に導かれる結論だった。

 だがシンジは絶対に認めることができなかった。ゼルエルだけじゃない、バルディエルだって変わっている可能性は大だ。もしも、トウジのように左足を失うのみならず、「死」という最悪の結果になったとき、自分はどうすれば良い?

 アスカを喪うこと、それはこの世界で生きる意義を失うことと同義だからだった。いくら前史を、世界の理を知っているからといって、14歳の少年の心にはあまりにもショックな事実だった。

 シンジは悔しくて、自分の無力さにただ悔しくて、手のひらで顔面を力いっぱいに押さえて叫んだ。

 

「だからって……なんで君が犠牲にならなきゃいけないのさ……!」

 

 しかしアスカにしてみても同じだった。シンジを喪いたくない、その気持ちが彼女を強く動かし、3号機への搭乗を決断させていた。

 シンジが無茶をすることも、感情を抑えきれずに苦しむことも、アスカはよく知っている。だからこそシンジの叫びはアスカにも、大きく響いていた。

 

「リツコさんも加持さんもなんか言ってくださいよ……なんとかできないんですか!? 起動前に殲滅する方法とか!」

「……僅かでも、可能性の高い方法で挑む。さっき調べたんだが、碇司令は松代のMAGI2号を自分のコントロール下に置くつもりらしい」

「そんな……小細工ができないってことですか……?」

「……そうだ」

 

 加持が眉を寄せながら呟いた。リツコも続けた。

 

「バチカン条約によって2号機が封印された以上、アスカの乗れる機体は3号機以外にないの。客観的に見ても、司令の方針を打ち崩すのは……」

「そんな……」

 

 シンジは悔しさと怒りに打ち震え、俯いた。

 

「……シンジ」

「……何だよ……」

「……アンタって、本当にバカよね」

「……は?」

 

 シンジが顔を上げるとそこには、またしても笑顔のアスカがいた。

 

「知ってるわよ。世界の理なんか、本当はどうでも良いってこと」

 

 これには加持とリツコが少しばかり反応した。しかし二人も、何も言うことはできなかった。

 

「それよりも自分の大事なものを絶対に手放そうとしないで、我武者羅に駆け抜けていく。その正義と優しさは、はっきり言って大バカよ」

「……」

「でも……私はそういうアンタが好き。それが『碇シンジ』っていう、惣流・アスカ・ラングレーにとって一番輝いて見える存在なの」

 

 -だから、絶対に死んだりなんかしない。

 

「……え……?」

「相手がいくら進化してようが、こちとら百戦錬磨のアスカ様よ? 鈴原は左足失ったけど、アタシは右腕の骨折ぐらいで済ましてやるわよ」

 

 シンジにはやっぱり分からなかった。どうしてそんなに笑っていられるのか、と。

 

「それに、ヤツには個人的に復讐したいのよ。アンタを傷つけたバルディエルには、アタシが一矢報いたいの」

 

 そう、アスカは以前より決意していたのだ。これまでの使徒や自分だけの干渉に留まったアラエルはともかく、シンジやレイを傷つけたバルディエル以降の4体に対して、妥協するつもりなど一切なかった。

 前史と同じ道なんか、絶対に辿ってやるもんか。それがアスカの覚悟だった。

 

「そんな不安そうな顔しない。アンタを一人残して死ねるかっつーの。当日は加持さんが松代に来て。そうすれば、後処理や職員保護も上手く動けると思う。リツコはネルフを……頼むわよ」

 

 リツコはハッとした。自分と、そしてミサトが本部に留まれば、少なくとも司令の冷酷非道な命令は防げるかもしれない。そうすればシンジやレイのみならず、オペレーターたち通常職員のプレッシャーも軽減される。

 加持もその意図を汲み、そして軽く微笑んだ。

 

「まったく、人使いが荒いな、アスカは」

「伊達に大尉なんかやってないわよ。生き残るためには、使えるものは使わないと」

 

 そしてアスカは、シンジに向き直って言った。

 

「私は、私たちの未来のために闘う。この世界を、守るんでしょ?」

 

 シンジはその微笑みに、言葉を返すことができなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「……3号機に?」

 

 その夜、アスカとシンジはレイの居室を訪ね、バルディエルのことを打ち明けた。

 

「そう。来週の起動実験でシンクロした瞬間に、ヤツは起動する。そのままネルフに向かうはずだから、その途中をシンジとレイで迎え撃つ作戦よ」

「でも、そうしたらアスカは……」

「ええ、おそらく。エヴァに侵食されて、コントロールを乗っ取られると思うわ。でも安心して、それだけだったら死ぬことはないはずよ」

 

 シンジは顔を背けた。レイは引っ張られるように顔を向けると、眉をひそめた。

 アスカがやろうとしていることがどれだけ危険なことなのか、それはレイ自身もすぐに理解できた。シンジの神妙な顔を見れば尚更だ。

 それでもレイは、おそらくその危険さえもわかっているのであろうアスカに返せる言葉がなく、震えながら膝の上に置いていた拳を握り込んだ。

 

「そいつを倒すには、司令を欺きながらやり通すにはこれしかないの。迷惑かけるけど、やってちょうだい」

 

 外は今日も静かだった。ミサトがいないところで、こっそりと話すために、レイの部屋だけに集まって、ひたすら小声で話していた。

 

「大丈夫。レイ、アンタならできる。私が保証する」

 

 その真剣な目に、レイは知った。

 アスカだって、碇君だって必死なのだ、と。戦いを終えたら、それこそなんにもなかったように楽しそうな顔で過ごしているけれど、本当は一つ一つの戦いを、全力で生き抜こうとしている二人に、自分は何ができる?

 碇君だって、本当は嫌なのだろう。アスカを危険な目に遭わせたくなんかないんだ。

 でも。

 

『勝たなきゃ、……全部終わるもん』

 

 第八の使徒との戦いの前、アスカが小さな声で呟いていたのをレイは思い出した。

 勝つために、全てを守る覚悟が、アスカにはあるのだと悟った。

 レイは、一先ず覚悟を決めた。

 

「……どうすれば、いいの?」

「……ありがとう。3号機は自立状態の松代から東御経由で本部に向かうと思う。戦線は野辺山で展開できるよう、リツコに話してあるわ」

「時間は、夕方ごろ?」

「そうね、近接戦闘になると思うんだけど、だいぶ暗くなってるはずだから、いつもよりも身動きは取れないから覚悟しておいて」

「……わかったわ」

「相手は侵食型。いざとなったら、アタシの腕の一本や二本は気にしなくていいから、絶対に3号機の殲滅を優先すること。いいわね?」

「……わかったわ。でもアスカ」

 

 レイは、最後にアスカの手を掴んで言った。

 

「絶対に、死なないで……」

 

 

 

 ******

 

 

 

 遠足や修学旅行の日が早く来ないかと待ちわびる子どもみたいに、楽しみにしていることがある日が来るまでは、いつもよりも時間がとても長く感じるものである。

 世界が自分の思い通りに動いてくれたらどんなに楽しいかと、誰もが思うだろう。でも、時の流れはそんな願いをことごとく裏切ってゆくのだと、シンジはこの一週間で痛いほど実感した。

 起動実験の日が永遠に来なければいいのに。絶対に叶いっこない願望を心に何度も抱いた。けれどそう思えば思うほど、その日は着実に、あっという間にやってきてしまったのだ。

 準備のためにミサトが本部待機となり、家を留守にしたのが三日前。今回は加持も作戦に参加するために不在だった。一日一回マヤやマコトたちが様子を見に来たりはしたが、保護者がいないという環境にアスカは思いっきり羽を伸ばしていた。レイと何時間もゲームをして盛り上がってみたり、コンビニに売っているスイーツやお菓子を驚くほど買ってきて宴会まがいのことをしてみたり。

 そのたびにシンジはその破天荒ぶりを笑いながら見つめたり、諫めたり、時には自分も参加して楽しんだりした。

 でも、やっぱり不安を拭うことはできなかった。ふと気を緩めると、脳裏に、かつて三号機をめちゃくちゃにした時の光景がよみがえってきてしまうのだ。

 もし、自分のこの手で、アスカを傷つけることになってしまったら。一番の恐怖が、シンジの肺を突いていた。

 そんな、あまりに早く感じた一週間を経て、起動実験の当日の朝がやってきた。

 

「じゃあ、行ってくるわね」

 

 アスカはただ一言、まるでヒカリと街に買い物にでも出かけてくるかのような普通の表情で家を後にした。

 

「行ってらっしゃい」

 

 レイは手を振って見送った。これが、無事では済まないであろう、起動実験に行く日の朝の会話だとは、端から見れば絶対に考えられない。

 でも、こうでもしなければ気持ちを保ってられなかったのかもしれない。シンジも、不安も混じった笑顔ではあったが、いつの間にか笑って手を振っていた。

 

「……綾波」

「……わかってるわ。……絶対に……助ける」

 

 その言葉だけで、レイの視線が、明るい栗色のロングヘア―の彼女の後ろ姿を捉えたまま離していないことをシンジは知った。震えるようなレイの声が、これから始まるであろう、厳しい戦いに対する不安と決意を物語っていた。

 

「うん。……助ける」

 

 シンジも、もう一度拳を握り込んだ。

 

 

 

 

 

「それにしても妙よね、加持のヤツが指揮を買って出るなんて」

 

 ミサトのその一言に、リツコは思わずキーボードに滑らせていた手を止めた。

 

「作戦部長の私は本部で待機しろだなんて、せっかくの起動実験なのに変な話だと思わない?」

「……4号機の件があったからじゃない? 司令もいろいろと張り詰めるものがあるのよ、たぶん」

「んー、そんなものかしら。あのバカに責任者が務まるとは到底思えないんだけど」

「あら、嫉妬? それともリョウちゃんのことが心配でたまらない?」

「べっ……別にそんなんじゃないわよ……!」

 

 リツコはフフッと微笑んで、再びキーボードを叩き始めた。

 NERVでは本来の加持の役職は首席監察官である。調整役ともいえる、いわゆる中間管理職の立場なのだ。ゆえに、現場責任者を任されることは本当ならあり得ない話なのだ。

 しかし今回に至っては事態が変則。バルディエルの3号機寄生による松代での事故被害を極限まで抑えるため、ミサトに代わり、裏から手を回すために加持がその役目に名乗り出たのだ。

 この申告にリツコは関わっていない。一度ゲンドウを裏切った経緯がある以上、提言をして怪しまれることを避けたのだ。結果、少し怪訝に思われたものの特に疑われることもなく、起動実験に加持が責任者として向かうことが認められた。

 アスカの思惑通りに、事は全て進んでいた。

 だが。

 

「大丈夫よ、何があっても松代はちゃんとやってくれるわ。……松代はね」

 

 リツコは声のトーンを落として言った。ミサトも、その言葉に思わず眉をひそめた。

 

「……そうよね、この前加持が言ってた使徒の話が本当なら、全て辻褄が合うもの。ただじゃすまないかも、ってね」

「……そうね」

 

 リツコは別段驚くこともなく、ミサトの真剣な呟きにただ頷いた。口に出さなかっただけで、今回のバルディエルの一件をミサトも周知していることはリツコも知っていた。知っていたからこそ、彼女も責任者交代をすんなりと受け入れたのだと、リツコは頭の隅で改めて納得する。

 彼女のその懸念は、あと一時間もしないうちに現実となる。結局のところ、バルディエルが3号機へ侵食することに変わりがないだろうという事実に、リツコはやはり悔しさを隠せない。

 本音を言えばリツコも、加持も、そして恐らくミサトも、3号機には決して誰も乗せたくなどない。報告書を捏造して3号機を破棄することも、もちろん考えた。だが無理なのだ。3号機の件はバチカン条約と同様に、各国のエゴが絡む国際案件。NERV本部と他国・他機関との関係の悪さは言わずと知れている。そんな中でアメリカから輸送されてきた最新兵器を、リツコを含むNERV職員の一声で破棄することなどできなかったのだ。

 そんな中でアスカは3号機に乗ると言いだした。過去を知るアスカがシンジの制止さえも振り切って3号機に搭乗する。それは彼女の決意を絶対に変えられないという一番の証明だ。しかもこれがNERVにとっての最適解となってしまっているのだ。

 全ては、パイロットである3人に託された。事情を知っていながら、今回も大人は力になってやれないのか。そう思うと悲しくて堪らなかった。

 

 ピピッ-

 

 ポケットにしまっていたスマートフォンが微かに鳴った。一応ミサトに気づかれないよう、リツコは画面を開く。

 

『まもなく始める。あとのことは任せた。 加持』

 

 絶望へのカウントダウンが、鮮明に現れ始めていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

『送信完了』の文字を確認した後、加持は煙草の煙を吐きながら青い空を見上げた。

 計画は驚くほどにスムーズに進んでいた。完全にアスカのシナリオだ。誰一人、その案を捨することができなかった。シンジすら、折れた。それだけ、彼女の決意は固かった。

 加持は、少しだけ自己嫌悪に陥っていることを自覚した。前史での自分は、真実を追い求めて死んだ。シンジたちの真実を聞いていなければ、この世界でも自分は破滅へと進んでいただろう。

 真実を知るためなら死も厭わない。それだけ加持の決意も固かったのだ。だがそれは、周囲の心配や哀しみを無視した勝手な自己満足だ。加持はその事を悔やんでいた。

 ただ、それよりも悔しいのは、アスカの優しさだった。アスカはその心配や哀しみ、そして今回の行動が自己満足だと言うことすらも理解した上で、シンジを全力で諭し、起動実験と3号機を自分たちに託したのだ。

 アスカが真実も、本心も、全てを曝け出している以上、止めたくとも止める術を加持たちは持てなかった。それがアスカの、心からの優しさだと理解しているから、尚更だ。

 

 遠くに見える漆黒の機体を見ながらそんなことを思っていたとき、不意に携帯が震えた。アスカからの守秘回線だった。加持はコントロールルームから少し距離を取ろうと、歩きながら端末を耳に当てた。

 

『もしもし、加持さん?』

「よっ、珍しいな? そっちから連絡してくるとは」

『フフッ、こっちの世界じゃやっぱり珍しいんだ?』

「大体が俺からの業務連絡だったろ? でもそうか、確かアスカたちの世界では、慕われてたんだったかな」

 

 以前加持は、シンジからそんな話を聞いたことがあった。その時はすでにアスカも前の世界の人間だということを知っていたため、加持は思いっきりからかい返してやったものだが。

 

『慕われてた、なんてもんじゃないわ。猛アタックしてたんだから』

「ハハッ、そうかそうか」

『それなのに加持さんはミサトに未練ばっかりで。ホーント、どれだけ悔しかったことか』

 

 電話の奥から、プラグスーツの空気の抜ける音が聞こえてきた。ミサトの話題については意図的にスルーをかまして、加持は話を続けた。

 

「それだけ好かれてたってことは、俺もまだまだ捨てたもんじゃないな」

『そうよ。今だってアタシは信頼してる。……ずっと』

 

 急に、アスカの声のトーンが下がった。加持は立ち止まり、耳元の端末へ視線をずらした。

 

「……どうかしたのか?」

 

 加持は尋ねた。アスカが突然に見せた感情に、加持が気づかないはずがなかった。

 

『……3号機が起動したら、一旦隠れるんでしょ? だから、言っておきたかったことを、ね』

 

 この起動実験で松代は大被害を被る。職員の安全は確保するように仕組んであるのだが、責任者として処分を下されるように加持は話を持って行く予定なのだ。ただでさえ目をつけられている加持である、判断をゲンドウらに敢えて委ねることで、自身を、そしてシンジやアスカを疑われないようにさせる回避策である。

 すなわち、どう転んでも監視がつくであろう加持が、チルドレンやNERV職員に接触することは極端に減るということ。アスカはそれ故に、加持と話をしたくて電話をかけてきたらしい。

 ただ、次に聞こえた「話したかったこと」に、加持は戸惑った。

 

『前の世界で勝手に殺されたの、ショックだった。どうして死ぬのが分かってたのに黙ってたのか、それが分からなくて、許せなかった』

 

 思えばこの「アスカ」から、俺に対しては、本音を語られたことがなかったなと加持は思った。初対面の時からどこか「自分自身」と闘い続けているようだったし、逆行してきた彼女に関しても、ひたすら世界とシンジのことだけを見ていた。

 加持は黙って、アスカの次の言葉を待った。

 

『……でもね、最後にミサトに遺したICチップのことを知って、アタシなんだか納得しちゃったの。加持さんが命を賭して警告してくれたのが、ミサトを動かして、シンジを救ってくれた』

「買い被りすぎだ。多分俺のことだ、ただの自己満足でのことだろうさ」

 

 咄嗟に反論していた。自分はアスカとは違う、自分のことしか考えていないのだから、と。

 

『ううん。結果的にっていうのはそうかもしれないけど、もっと大事なことよ』

 

 しかしアスカは否定する。その後に続いた言葉は、どれだけ加持の心に優しく響いただろうか。

 

『私は、この世界に一番真摯に向き合ってたのは、加持さんだったと思ってる。隠された真相に向かって、全力で闘ってた。そのためには、正体を悟られないことも必要だったんでしょ?』

「……なんでもお見通しか。参ったよ」

『でもその覚悟は、普通の人じゃできない。加持さんだからできたこと。だから今でも、私は憧れてるの』

 

 電話の奥で、ゴンドラの揺れる音が聞こえた。そろそろ、通話も切らねばならなくなった。アスカは高らかな声に切り替えて加持に言った。

 

『そろそろ搭乗だから切るわ。あとのこと、よろしくね?』

「アスカ」

 

 思わず引き止めていた。彼女の言いたかったこと、それが「感謝」であることに、加持はとっくに気がついている。

 だからこそ、まだ、大事なことを言えていない。

 

「シンジ君は……」

 

 しかし、もう一度加持は逡巡した。

 シンジ君は絶対に諦めたりしないぞ、と言うつもりだった。だが、止める道理などない。もはや引き返せと諭すつもりもない。そんなことを言う意味は、そこにはなかった。

 ならば、と、加持は口を開く。

 

「彼の信念は、アスカも知ってるはずだろう。絶対に、この世界を救うって」

 

 そして、深く、息をして、一言、尋ねた。

 

「アスカ、お前の信念は何だ?」

 

 

 

『……私の信念は、』

 

 -未来永劫、アイツの信念の隣で笑い続けることよ。

 

 

 

 ******

 

 

 

 加持は2本目の煙草を取り出した。冷静な状態で起動実験に臨むには、もう少しだけ時間が欲しかった。

 そんな加持に、背後から太い声がかけられた。

 

「どうした、気難しい顔をして?」

「高雄さん……。いえ、なんでもないですよ」

 

 その声宜しく、体格も加持に比べて一回り大きい彼は、いつもより元気のない加持を怪訝そうに見た。しかしすぐに笑みを浮かべて、加持の隣に立って手すりに寄りかかった。

 

「これからが本当の勝負なんだろ? もっとシャキッとしろよ。こっちの準備はもう整ってるぜ」

 

 不敵な笑みを浮かべた彼に、加持も笑み返した。

 

「ありがとうございます。すみません、迷惑かけてしまって」

「なぁに、気にすることないさ。確かに目ぇつけられるかも知れねぇけど、そこは上手くやってくれてるんだろ?」

「まぁ、できる限りのことはやり尽くします。その先は、探り探りになると思いますけども」

 

 加持の眺める黒い機体が、微かに揺らいだ。

 

 

 




☆あとがき

本当であれば「シン・エヴァ」が公開されていたであろう今日。
そんな日にこの章を投稿したのは吉なのか凶なのか。(苦笑)
前章までとの感情の振れ幅や下落が変で、現実的に展開としておかしいかもしれませんがごめんなさい、見逃してください。
それでと言ったらなんですが、次の更新がいつになるか分かりません。
というのも、一番辛い部分を書いていて、実は今3回くらい書き直してます。
8年待ってとは言いません。でも待っててください。
全身全霊、込めて書き切ります。
「希望は残っているよ、どんな時にもね」って言葉を信じて。
(今辛かったら第三部(Q相当)の時どうなるんでしょう……?汗)


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第拾陸話 正義の形

「……3号機のパイロットに?」

「あぁ、近いうちに2号機が封印されることになる。君は大学卒業済みと、成績も申し分ない。2号機の代わりに搭乗してもらう」

「……3号機は、アメリカから送られてきたと聞きます。危険性は、大丈夫なのでしょうか……?」

「問題ない。当日は私も状況をモニターする。それとも何だ、乗りたくない理由でもあるのか?」

「……いえ。2号機は……だいぶ気に入っていた機体だったので、……つい」

「カラーリングは後に君の好きにさせよう。カスタム仕様も検討するのが交換条件としよう」

「どうだ、式波大尉」

 

 金髪の少女は、拳を強く握り込んだ。

 

「……分かりました」

 

 

 

 ******

 

 

 

 その日は快晴だった。

 雲一つなく、蝉の鳴き声が響き渡り、大陽の陽射しが、強く第3新東京市の地面を焼いていた。

 

 ピピッ-

 

「はい、碇です」

『もしもし、こちらミサト。今、松代で爆発事故が発生したって連絡が入ったの。原因不明でちょっとヤバい状況だから、悪いんだけど至急、NERVまで来てちょうだい』

「……分かりました」

 

 屋上には、シンジとレイの二人だけ。

 同時に端末を耳から外すと、視線だけをお互いに向けた。

 

「……行こう」

「……ええ」

 

 

 

 

 

《E.V.A.~Eternal Victoried Angel~》

 

【第拾陸話 正義の形】

【Episode.16 Schuld und Sühne】

 

 

 

 

 

 トウジたちに、感謝しなくちゃな。そうシンジは思った。3号機の起動実験が間近に迫っていたこと、それにアスカが選出されていること、それに使徒が乗っ取られていることは、トウジたちも既に知るところだった。ショックは、少ない方が良い。そう考えたために知らせていたのだ。

 でも本当は、自分たちが、安心したかったからなのかもしれない。事情を知られていないのと知られているのでは話が変わってくる。どうしてアスカを止めなかったのか、責められるかもしれないのが怖かったのだ。

 トウジたち3人はその話に、ただ頷くだけだった。屋上で、シンジとレイの二人きりにしてくれたのも、もしかしたら彼らなりの気遣いだったのかもしれない。それが嬉しくもあり、少し悔しくもあった。僕はまだまだ、ただの子どものままじゃないか、と。

 シンジは電車に乗りながら目を固く瞑った。

 

 

 

「被害状況は?」

「不明です。仮設ケージが爆心地の模様。地上管理施設の倒壊を確認」

「第3部隊まもなく現着。すぐに負傷者の救助活動にあたらせます」

「わかった。戦自が介入する前に全て処理しろ」

「了解」

「事故現場南西に未確認移動物体を発見。パターンオレンジ。使徒とは確認できません」

 

 発令所には、未だかつてない緊張が漂い、空気が張り詰めていた。息をするのが苦しかった。

 

「2人ともお疲れさま。出撃準備、良いわね」

 

 シンジたちの到着に気づいたミサトが、険しい表情で2人の肩に手を置いた。シンジは努めて冷静に返事を返したつもりだったが、ちゃんとした表情にできているか、もう自信がなかった。

 

「総員、第一種戦闘配置!」

 

 ミサトは振り返り、声を大に叫んだ。

 

 

 

 その後、シンジとレイは野辺山に出撃し、続報を待った。既に陽も傾き始め、張り付くような陽炎の立つ田園に立ち、時間の経つのを目を閉じて、待った。

 そして司令室のモニターには、東御付近で捉えられた映像が送られてきた。それを目にした冬月が、小さく呟いた。

 

「やはりこれか……」

「活動停止信号を発信して。エントリープラグ強制射出!」

 

 ミサトがすかさず言い、マコトが間髪入れずに作業をするが、3号機のエントリープラグは異物に阻まれて射出することができない。

 

「ダメです。停止信号およびプラグ排出コード、認識しません」

「3号機とのコンタクト遮断、通信もできません……!」

「エントリープラグ周辺にコアらしき侵食部位を確認」

「分析パターン出ました……青です」

 

 周りでオペレーターたちがどよめいた。「そんなバカな」という不信、「松代での爆発って……」という戦慄、「パイロットは無事なの……?」という心配、様々な声が飛び交う。

 そんな中でリツコは一人、深呼吸をしてから漆黒の機体と会敵する覚悟に、目を開く。

 

(シナリオ通り……か)

 

 明らかな悔しさが、瞳に灯っていた。

 

「監視対象は第9の使徒と認定、殲滅作戦に移行。ただし、パイロット救出を最優先事項とします。全白兵戦用武具の準備を急いで」

 

 近くでそう発したミサトの声も、いつも以上に震えていた。

 

 

 

 

 

「昨日、夢を見たの」

 

 唐突に、モニター越しのレイが話し始めた。

 

「……夢?」

「そう、夢。世界が真っ赤に染まっている夢」

「……真っ……赤?」

 

 シンジは閉じていた目を見開いた。

 

「海も、地面も、空も真っ赤になってたの。そこに私だけ、一人で漂ってた」

 

 サードインパクト。その光景がシンジの脳裏に、鮮明に現れていた。

 

「それで、地面に、たくさんいたの……エヴァのような形をしたモノが。それがなぜか、とても、怖かったの」

「たくさん、って……」

「怖くて、寂しかったの。……ねぇ、碇君」

「……なに」

 

 レイの呼吸が速くなっているのが、シンジにも伝わってきた。弛緩しない緊張と、重なる恐怖が、彼女を震わせていた。

 

「もし負けたら……なにが起こるの?」

「……っ」

 

 事情を知らないレイは、気付き始めていた。もしここでアスカを失うようなことがあれば、この世界が崩壊してしまう、と。仲間がいなくなることへの不安が、レイを本当の真実へと駆り立て始めていた。そんな彼女を責めることなど御門違いだし、気づかれつつある以上、シンジは応えねばならない思いだった。

 そうは思ったが、彼には答えることができなかった。シンジの頭には、前に起こった、あの忌々しい補完計画の残酷な光景が絶え間なく駆け巡っていた。少しでも気を抜けば、過呼吸になりかねないところまで、シンジは追い詰められてしまっていた。絶望の景色を夢に見たレイよりも、はるかに。

 

『目標、接近!』

 

 言葉に詰まっているその間に、因縁の相手は目の前に迫ってきていた。レイは口を滑らせるように呟いた。

 

「3号機……」

『シンジ君、レイ、聞こえる?』

 

 ミサトからの通信だった。

 

「「はい」」

『3号機に、アスカが乗ってるわ。エントリープラグは侵食されて排出できない状態よ。危険だけれど、救出することに異議はないわよね』

「当然です」

 

 シンジは即答した。レイは小さく頷いた。

 

『良いわ。救出後、即座に作戦を殲滅に切替。3号機は、そのまま破棄処理するように』

「「了解」」

 

 太陽の断末魔の下で、悲哀と戦慄の空気が緊張に張り詰める。

 二度目の死闘が、始まる。

 

 

 

 ******

 

 

 

 不気味な咆哮を狼煙に、戦いは始まった。異常な跳躍で初号機へと飛びかかってきた3号機をまず躱すと、後方支援の位置に隠れていたレイが振り返った3号機に背後からスマッシュホークを手にしてタックルを仕掛けた。

 3号機はレイのその俊敏さに一度跳ね飛ばされ、シンジはその隙を狙ってエントリープラグの射出口に手を伸ばす。しかし3号機はすぐに態勢を立て直したかと思えば、初号機の手が届く前に左腕で跳ね飛ばした。

 その背後に回っていた零号機がさらに背後に飛びかかるが、さらにそれを察知したのか3号機はすぐに跳躍して空中に逃げ、そのまま急回転して零号機を蹴り飛ばす。瞬間をシンジがカウンターフレイルチェイン(棍棒付分銅鎖)を振り上げて3号機を振り飛ばす。が、一瞬で態勢を元に戻しながら地面に軽々しく着地する。

 

 この間、僅かに13秒。恐るべき超速の肉弾戦である。シンジとレイは息もつかずに用意されていたソニックグレイブとマゴロク・E・ソードをそれぞれ手に、3号機の背中を狙っていく。

 その戦速に、発令所の面々は目を見張った。ミサトも、リツコも、人知を超えた激しい戦闘に、否が応でも目を奪われていた。

 

「すごい……」

「まさかここまで……」

 

 モニターでの初号機のシンクロ率計測値は、98%を超えていた。初戦闘のサキエルの時のような、いやもしかしたら、ユイが意識下で関わっていないだろう今は、シンジの集中は過去最大レベルになっていて違わない、そうリツコは思った。

 だが発令所に、()()()()は響かない。そのシンジとレイを以てしても、3号機の背中に手の届く気配がなかったからだ。

 

(……どうして……っ!)

 

 数十秒の戦闘を続け、シンジの不安は増すばかりだった。前史ではこんなに激闘にはならなかった。それは自身が攻めの態勢を取らなかっただけが理由ではない。3号機の速度が、以前よりも明らかに上がっていたためだ。

 もっと激しい攻撃をしなければ、3号機の背中は捉えられない、そんな考えが頭をよぎった。相手の動きを無効化しなければ、自分たちに勝ち目はない。

 だが殲滅することは絶対にできない。大きな傷を与えることはできない。エントリープラグを救い出さなければならない。アスカを、助け出さねばならない。それこそがこのバルディエル戦の根幹だった。だからこそシンジは焦った。

 しかし、その僅かな焦りがいけなかった。一瞬の隙に、3号機の腕が伸びてきたことに気づくのが遅れてしまったのだ。

 しまった。そう思ったときには初号機の脚を掴まれていた。

 

「碇君!?」

 

 レイが直前の攻撃から振り返って次の攻撃を仕掛けようとした矢先にその状況を認識し、瞬時に叫んだ。直後3号機はそのまま初号機を引き寄せるように右腕で後方に振り上げた。その勢いは凄まじかった。狙っていたのか、奇しくもレイの乗る零号機もろとも山腹へと叩きつけられてしまう。さらに悪いことには、弾みでレイが手離してしまったスマッシュホークが零号機の左肩に直撃してしまったのだ。

 

「ぁぐっっ……!!」

『零号機、左腕破損!』

『レイ!』

『神経接続下げて!!』

「綾波っ!」

 

 シンジは右後方で倒れる零号機にむかって叫んだ。しかしその矢先、もう片方の手で首を掴まれた。3号機は初号機の左脚を離してはいなかった。振りほどこうとしたが、紛う事なき、前史と同じ状況に陥ってしまったのだ。

 

「くっ………そぉっ!!!」

 

 なんとか振りほどこうと右脚と両手で3号機を引き剥がそうとした。だが次の瞬間、シンジは目を疑った。

 

「!?」

『拘束具が!?』

 

 発令所からも、驚嘆したリツコの声が聞こえてきた。

 3号機の肩の部分、拘束具を突き破り、新たな両腕が出現したのだ。そして腕は、一気に初号機の首を絞めにかかる。

 

「がぁっ……っ!!」

 

 伸びている4本の腕が、シンジを追い詰める。

 発令所のミサトが焦りの叫びを響かせた。

 

『シンジ君!!』

 

 苦しく顔を歪めるシンジを見て、歯を食いしばってリツコはミサトに告げた。

 

「ミサト、このままだと……!」

「くっ……飛び道具は使いたくなかったけど……」

 

 できるだけ3号機に傷をつけたくはない。だからこその近接戦闘を主とした作戦だったのだが、それすらできないのならば逆に危険だ。

 本当は選択したくない選択だったが、この際やむを得ない。ミサトは覚悟を決めた。

 

「しかたないわね、作戦プランをBに移行! 少しでもいい、シンジ君が態勢を立て直す猶予を作り出して!!」

「待て」

 

 しかし、動こうとするオペレーターたちの手を、低い声が遮った。その声は一瞬にして、場の空気を凍り付かせた。

 ゲンドウだった。そして次の瞬間、信じられない言葉を放った。

 

「N2誘導弾の使用を許可する」

 

 発令所内が驚きの声に染まった。その驚きは、冬月までも思わず訊き返したほどだった。

 

「N2だと!? どういうつもりだ、碇」

「レイ、聞こえるか」

 

 冬月の疑問をも小さく無視し、ゲンドウはレイに呼びかけた。

 

「3号機に奇襲を仕掛けろ。初号機から3号機の腕を解いた直後、初号機と共に緊急退避だ」

 

 レイも、目を見開いていた。左腕を右手で抑えながら、ゲンドウの言葉に硬直していた。

 

「すぐにN2を落とす。爆雷範囲から撤退しろ」

『待ってください。今ならまだ反撃できます。零号機の神経接続を戻してください……!』

「リスクを負う必要はない。2機とも戦闘不能になれば、世界が滅ぶぞ」

『……っ』

 

 画面の向こうで、レイは息を呑んだ。今朝の夢に見た、あの残酷な光景が、如実に表れてしまっていた。

 

「被害範囲も、今ならば少なく済む。作戦を即時殲滅に切り替えろ」

 

 その時だった。

 

 

 

「巫山戯゙ん゙な゙ぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!」

 

 突然、シンジの怒号が発令所に響いた。

 

「N2がなんだよ!? 被害範囲がなんだってんだよ!? 今やらなきゃいけないのはアスカを助けることだろ!!?」

 

 シンジは首を絞められながら、ただただ叫んだ。

 

「父さんだって知ってるはずだろ!!? 大切な人を失う苦しみを、辛さをっっ!!!」

 

 シンジは必死に首を絞める腕を振りほどこうと、身体をのたうつ。焦りと怒りが、シンジの声に重い響きを与えている。

 

「N2なんか落とさせてたまるかよ……アスカを、助けるまではっ、絶対動かないからなぁぁっ!!!」

 

 しかしその声も虚しく、ゲンドウが動く。国連軍への直通電話を取ったのだ。

 ゲンドウは初号機のシンジを無視し、N2の投下を強行させるつもりでいた。

 

『碇!?』

『子どもの駄々に付き合っている暇はない』

『まさか、強行するのか!?』

 

 その会話を理解する前に、シンジは、

 気づけば全力で叫んでいた。

 

「アスカァァァァァァァァッッッッッ!!!!!!!!」

 

 

 

 ******

 

 

 

 視界が歪んでいる。

 頭が痛い。

 身体が痛い。

 吐き気がする。

 息すらできない。

 

 シナプスが思うように繋がらない。

 この空間すべてが不快に混濁している。

 自我を保っていられない。

 何もかもが、壊れる。

 

 けれど。

 アイツの声だけは。

 ちゃんと聞こえている。

 

 縋るように、呼んだ。

 

 

 

 ******

 

 

 

『待ってください!!!』

 

 司令官と争う声が飛び交う発令所に、普段は物静かな少女の必死の声が響いた。

 

『3号機との通信を繋いでください!』

 

 レイは目を見開いていた。信じられないといった驚きの表情で、3号機に顔を向いたまま訴えた。

 リツコは一瞬でその意味を捉えた。そしてすぐに後輩に向かって叫喚した。普段のクールな姿は、完全に捨て去られている。

 

「マヤ!!」

「は、はい!」

 

 さっきまで一切繋がる気配のなかった、3号機との通信。マヤがキーを叩いた直後、不気味な音が聞こえてきた。

 思わず耳を塞ぎたくなる音に、発令所の面々は一瞬身をすくめた。しかし次の瞬間、その噪音の中で、誰もがはっきりと、耳にした。

 

『……シ…………ン……ジ』

 

 その声に、ミサトが勢いよく身を乗り出した。

 

「アスカ!!?」

 

 絞り出すようなか細い声。けれど明確な意思を持った、アスカの声に、誰もが驚いた。

 

「マヤ、状況は!?」

「わ、わかりません……モニター、Indistinct……依然として不明瞭のままです……!」

「コンタクトは?」

「ダメです、反応は通信だけ!」

 

 咄嗟にリツコとマヤが状況確認に動くが、なぜ通じたのか、なぜ遠隔でコントロールできないのか、理由は分からなかった。ミサトが叫ぶように訊く。

 

「無事なの、アスカ!?」

『ミサ……ト?』

「良かった……無事なのね……」

 

 ミサトは安堵した。しかしすぐに表情を強張らせ、次の言葉を放った。

 

「今すぐに助けるわ。痛みがくるかもしれないけれど、なんとか耐えてちょうだい!」

 

 アスカの生存が確認された今、いくらゲンドウでもN2での殲滅はできない。予定通りのプランBを行使し、一刻も早く救出することをミサトは選んだ。

 しかし、今度はレイがそれを遮った。

 

『だめ……、攻撃しないで……!』

 

 目を見張ったまま、レイがもう一度呟いた。

 

『攻撃したら……だめ……』

 

 一切動こうとしないレイに、今度こそ発令所は静まり返った。響いたのは、ただ3号機の不気味な音だけだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 どういうことなのか、リツコも、ミサトも、誰も理解できていないその状況下、レイも冷静を保っていたわけではない。ただただ信じられない「彼らの叫び」に、震えていただけだったのだ。

 そう、その不気味な音に、ちゃんとした言葉があるのだと、レイたちだけが気づいていた。

 彼女の脳内にだけ、その音が声となって伝導する。

 

(レイ……アンタは、分かるのね……?)

「…………っ」

(その通りよ……。私はもう、首から下が、全く言うことをきかないの。バルディエルの侵食のせいで、プラグ深度はおそらくマイナス。エヴァとの神経接続は、理論値を超えてるわ……)

 

 神経接続の理論値限界。それは、エヴァとパイロットの物理的なシンクロが100%であることだ。すなわち、通常ならば痛みが多少緩和されるはずのエヴァの負傷が、そのままパイロットの負傷に直結してしまうことを意味する。

 その理論値を超えている- 攻撃することができないとレイが叫んだ理由は、そこにあった。

 

 一方のシンジは、詰まりそうな息苦しさに必死に抗っていた。抑えられていない脚を3号機の腕に絡めるように引っかけ、何とか引き剥がそうと試みる。しかし腕の数は相手が4本に対して自分は2本、完全に不利な状況だった。

 

バルディエル(コイツ)を侮ってたわね、私たち……。コイツの怖さは、侵食力でも物理的な力でもない、圧倒的な寄生力だった)

「だったら……どうすりゃ良いんだよ……!!」

 

 シンジは絞り出すように叫んだ。さっきまでの声量はない。首を絞められ、L.C.L.が身体にまわらず、とても悪い状況に陥っていた。ただ、シンジの意識ははっきりしていた。

 

「世界のために納得したんだ……っ、アスカと生きるために、僕はエヴァに乗ったんだよ……!」

 

 なぜ。

 なぜ運命は、またしても自分から大切なものを奪おうとするのか。

 

「また……何もできずに終わるってのかよ……」

 

 涙が、L.C.L.に溶けた。自分がいかに無力だったのかといことを、未来を知っているのにも関わらず大切な人を救えないことを。シンジは痛感してしまった。悔しくてたまらなかった。

 

 だが、悔しいのは何も、彼だけではないのだ。

 次の瞬間。

 全てのスピーカーを震わせる声の直後、シンジの首が、さらに強く絞められた。 

 

「……自惚れてん……じゃ……ないわよ……!」

「がっ…………!?」

「アスカ!?」

 

 レイは声を荒げた。端から見れば、バルディエルがさらに体重をかけたように見えた光景だったのだが。

 今加わった力は、アスカの意思によるものだった。レイは脳の奥深くで、そう認識した。

 

「何……何をしてるの……!?」

『頸椎部の生体部品に侵食が拡大、生命維持に支障発生!』

『まずいわよリツコ!』

『くっ……マヤ、初号機の神経接続を40%カット!』

『ダメです! 遠隔システムに異常発生、信号不通!』

『何ですって!?』

『コントロール、全く利きませんっ……!』

「アスカ、やめてっ……!」

「うるさい!!!」

 

 怒号が、空気を凍り付かせる。

 

「シンジ! アンタは……っ、自分が神にでも、なったつもり……?!」

 

 息も絶え絶えに、アスカは声を絞り出した。

 

「目を……覚ましなさいよ……っ! この世界を、操れるなんて……できるワケないでしょ……!? アタシたち、は……ヒーローには……なれない。……消えないのよ! この罪はっ……」

 

 アスカも、シンジも、理解はしているのだ。自分のシナリオ通りに世界の時計を進めることなどできないということを。ただ、本当にその事実を納得し、認められるかは、別の問題だった。

 3号機搭乗の命令が下されたとき、アスカは悟った。自分が犠牲にならなければ、誰も望まない結末を迎えることになるのだと。自分やシンジが考えてきた回避策は、全て潰えたのだと。

 シンジは絶対に反対する。是が非でも止めようとするかもしれない。そのことすら、アスカには全て分かっていた。

 だから、シンジが本気で悔しがってくれたことに、本当に嬉しかったのだ。それと同時に、シンジに辛い思いをさせてしまう自分の不甲斐なさに、この1週間、ずっと心を痛めていたのだ。

 

「痛いわよ……アタシだって、苦しいわよ……っ。運命に……っ、押し潰されてっ……、悔しいわよ……」

 

 けれど、アスカはもう二度と、後悔したくなかった。今までやってきたこと、前史での罪、今受けるべき罰、それら全部を、自分の証にして、生きたい。

 この選択も、間違ってなかったと信じるために。

 アスカは感情をそのまま、シンジにぶつけた。

 

「でも……、前に、未来に、顔、向けてかなきゃ……何も変わらないでしょ……!?」

 

 アスカは、自分の意思でシンジの首を絞める。

 自分の言葉で、シンジと向き合う。

 

「抗う……っ本気の、覚悟を、持ってよ……っ!」

 

 それが、彼女の「正義」だから。

 

「アンタの……! 力で……っ!」

 

 全てが止まって。

 

「救ってみせなさいよ……! 碇シンジ!!!!!」

 

 動き出す。

 

 

 

 ドォン-と、鈍い音が響き渡った。

 首に焼け付くような痛みに表情を歪めたまま、でも視線は標的から外すことなく、シンジは息を吸い込んだ。

 

『……ジ君!! 大丈夫!? シンジ君!?』

 

 スピーカーから届いている発令所の声が、次第に言葉の形を取り戻していく。

 3号機は再び態勢を立て直し、再び初号機に飛びかかる。初号機に蹴り飛ばされてもなお、3号機の動きは俊敏なままだった。対して初号機はシンジの消耗により動きが鈍くなっている。圧倒的に不利な状況に、変わりはなかった。

 だが、シンジの瞳に宿る光はさっきまでとは違っている。攻めることはせず、3号機の動きをしっかりと目で追い、的確に避けていく。

 

「……綾波……っ」

 

 4本の腕の猛追から逃れながら、シンジは小さく、しかしはっきりと呼びかけた。

 

「チャンスは……1度……」

 

 レイがその言葉を受け取った後、佇むこと数秒。ふと、気づいて駆け出した。幸い、3号機は零号機に目を遣ることなく、初号機への襲撃に徹していた。レイは走りながら、発令所に叫んだ。

 

「ミサトさん……!」

『レイ! どうしたの!?』 

 

 レイは小さい武器コンテナにやってくると、スイッチを踏み、ハッチを開いた。そして収納されていたハンドガンを取り出し構えながら、告げた。

 

「5秒間のカウントを、お願いします……!」

 

 その言葉を聞いたミサト。疑問に思うところはこの際関係ない。

 彼らに、全てを託すことを決断した。

 

『……分かったわ』

「……ありがとうございます!」

 

 3号機の攻撃を躱しながらシンジは、心の中で、呼びかけた。

 

(3号機のコントロールを、取り戻す。だから、)

 

 アスカに対しての、心からの本音。

 

(だから……帰ってこなかったら、……許さない)

(……上等、よ……。やってやろうじゃないの)

 

 アスカは笑って、目を閉じた。

 

 

 

 ******

 

 

 

(聞こえてるわよね)

 

 アスカは静かに、呼んだ

 

(悪いけど、3号機は返してもらうから)

 

 -無駄よ。

 

 自分ではない自分の声が、アスカの心に応える。

 

 -エヴァは私が支配してる。アナタに取り戻せっこないわ。

 

(そうね、アタシひとりだったら無理ね。でもね、A.T.フィールドを、)

 

 アスカは、不気味に笑ってみせた。

 

(心の壁を、もし開いたら、どうなるかしら?)

 

 目の前の自分自身-バルディエルが、怪訝な顔で首を傾げた。

 

 -ヒトは、心の壁を作って、自分を保ってる。A.T.フィールドがあるから、アンタの存在がある。

 

(心を開いたら、それはアタシの形が崩れるかもしれない。アンタを受け入れることにもなりかねない。分かってるわよ、それくらい)

 

 -それなら、どうして?

 

 使徒が戸惑っているのを目の当たりにして、アスカはなんだかおかしかった。

 やっぱり本当に闘うべき相手は、自分自身だったのだ。

 アスカは優しく、応えた。

 

「笑って欲しい人が、いるから」

 

 

 

 ******

 

 

 

「行くわよ!」

 

 ミサトが叫んだ。それに合わせて、発令所のメインモニターが一斉に切り替わり、大きくタイマーが映し出される。

 

「カウント開始します!!」

 

 マヤの声に、レイはスッと目を瞑り、深呼吸をした。

 頭の中にあるイメージは、かつてのラミエル戦。

 この一発で、全てを決める。そう信じて。

 再び目を開く。

 

「5……! 4……!」

 

 1秒1秒が、とても長く感じた。

 首を長く絞められ、今も3号機の攻撃をよけ続け、シンジの体力はもう限界を超えていた。

 でも、彼は動き続ける。

 ただ、彼女にもう一度会いたい。その想いだけで。

 

 

 

 そして、アスカも。

 

「3……! 2……! 1……!」

 

 0のタイミングで、アスカは目を見開いた。

 

「A.T.フィールド反転っ!!」

 

 レイが放った弾丸は、真っ直ぐ3号機のコアへ向かって直進していく。そして読み通り、バルディエルは弾丸に向きを変え、A.T.フィールドを展開したのだ。

 アスカのやったこと、それは前史でのアルミサエル戦でレイがやったことと、まさに同じ事だったのだ。ただ1つ違うのは、使徒を3号機に抑え込み殲滅すること「ではなく」、ほんの一瞬、コントロールを奪うという目的だけ。

 バルディエルの気配を手放したのを感じた一瞬に、アスカは全神経を左腕に集中させる。意識の電気信号が、バチバチという音を立てながらアスカの感覚へと帰還する。

 

「全残電力直轄接続、高機動モード展開、主線神経系統切断っ……!」

 

 操作を声に出して自分を鼓舞し、ぼやける視界の隅を経験と感覚で的確に制御していく様は、エリートとして過ごしてきた、彼女の意地によるものだった。

 そして最後の力を振り絞り、激痛に耐え、両手で左操縦桿に全体重をかけて押し込んだ。

 

「逆侵っっ!!!!」

「碇君っっ!!!」

「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 

 3号機の動きが停止した。その一瞬の隙にシンジは飛びかかった。2つの機体はそのまま地面に勢いよく倒れ込み、山々に重厚な音が響き渡る。

 次の瞬間、初号機は再び3号機によって振り飛ばされる。発令所に一瞬、凍り付くような緊張が襲った。

 しかし次の瞬間、ミサトはモニターの端に消えた初号機の左手に、口角を上げた。

 

『レイ、今よ!!』

「はい!!」

 

 間一髪で、初号機は3号機からエントリープラグを引き摺り出していた。レイは停止した3号機に向け、再び構えたハンドガンの引き金を、躊躇うことなく引き続けた。

 首と肩、腹部を連続で撥ね飛ばされた3号機は、完全に沈黙した。

 

『パターン青消失っ!』

『救護班急いでっ!』

「アスカっ……!!」

 

 発令所に次々と指示が飛び交う中、シンジは自分の乗るエントリープラグを強制射出させ、必死に駆け出していた。

 初号機の腕を滑り落ち、一目散にエントリープラグのハッチへとひた走る。

 沸騰したL.C.L.が充満していて、息苦しい。

 何度も躓く。それでも足は止まらない。

 ハッチのレバーを掴み、回そうとする。だが、バルディエルの侵食体のせいなのか、一度は回したことのあるはずのレバーが回らない。

 さらに力を込めたそのとき、レバーが折れた。だがシンジは驚きもせず、今度は素手で、プラグの部品の僅かな溝に指を捻じ込む。

 

「アスカ……っ!!!」

 

 手が爛れ、血が滲むるのも厭わず、シンジは残っている全ての力を腕に込めた。

 

 

 

 ピッ-

 

 

 

 発令所のマヤのモニターに、1つの表示が灯った。

 その瞬間、アスカの乗っているハッチが、爆ぜた。

 

「アスカっっ!!!」

 

 彼女は、ぐったりしたまま、プラグの中で横たわっていた。シンジは縋るようにアスカの身体を抱きしめた。

 

「…………っ」

 

 シンジはこみ上げる涙を、抑えきれなかった。

 

 生きている。

 

 アスカの鼓動が、聞こえる。

 テスト用のプラグスーツがいつものモノよりも薄かったこともあって、アスカの心音が、呼吸が、温もりが、シンジの心に、はっきりと伝わってきていた。

 

「よか……った……っ……」

 

 シンジは、さらに強く、きつく、彼女の躰を腕に抱え込む。

 

「……い……たいわよ……バカ」

「っ! アスカ!?」

「まったく……なんて顔、……してんのよ」

「……だって……っ!」

 

 アスカは、咽び泣くシンジに、柔らかく微笑んだ。

 

「でも……許す」

「……え……?」

「やっと、……抱きしめてくれた、し」

 

 シンジは、その言葉に、もう一度、しっかりと彼女を抱いた。

 そういえば今まで、シンジの方からアスカを抱きしめたことはなかった。恥ずかしかったのと、自分に彼女を抱きしめる資格があるのかという不安があったからだ。

 

「やっぱりガキだよ……。俺は……っ」

 

 でも、もう二度と離してやるもんか。

 絶対に、2人で生きるんだ。

 シンジは、決意と夢と、自分の願いに心を沈めた。

 そうしているうちに、彼らはエントリープラグの中で、静かに眠りについたのだった。

 

 

 

 レイは、無残に破壊された3号機の上からその様子を眺め続けていた。

 絶対的な安心感と、左腕に走る鈍い痛みと、少しの不安が、彼女の心を渦巻いていた。

 それは次第に、1つの決意へと、辿り着く。

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 モニターを操作していたマヤが、1つ、瞬きをした。

 駆けつけた救護班から「パイロット2名の命に別状なし」の報告を受けた発令所は歓喜と安堵感に包まれ、それでも冷静に事後処理を行う指示が飛び交っている。ミサトもマコトの机に両手をつき、涙こそ見せないものの感極まっている。リツコも一時の絶望からの奇跡に目頭が熱くなっていた。

 が。

 

「どうかしたの、マヤ? 急にマギのシステムファイルチェックなんて始めて」

「いえあの、あり得ないんです……」

「……何が?」

 

 システムチェックの結果が出る。エラーはない。

 

「……A.T.フィールドです」

「……まさか、残ってる……?!」

「使徒じゃないんです」

「……へ?」

 

 リツコは、マヤが何を言っているのか、分からなかった。

 

「使徒だったら、3号機か、3号機のエントリープラグ『内』に現れてるはずです。パターン青の観測時間も、ほんの2秒以下なんです」

「どういうこと……?」

 

 マヤは、震える声で、こう告げた。

 

「エントリープラグの、()()……ハッチを破るあの瞬間だけ、現れてるんです……」

 

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

ジェニシア珀里です。今回も読んで頂いた皆様には、心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
文体が変わり、雰囲気が変わり、展開が暗く、ここまで読んでくださった皆様全員に楽しんで頂ける文章が書けたという自信は、ごめんなさい、実はありません。
本当のことを言うと、昨年1月の執筆当初からこの章のプロットだけは書き続けていたのですが、第拾伍話を投稿してなお、これじゃない感が凄かった。
悩みに悩み抜いた果てが、この結果です。正直疲れた。笑
そして辛かった。彼らにとっての罪と罰を描いていて、いつしかこの物語を書く自分自身の正義って何だろうと考えるようになり、この物語で私が書きたい事って何なのかと、自問自答するようになりました。

『E.V.A.』はまだ続きます。むしろ、本当の闘いはまだ始まってないわけですから。
ですが、皆様のおかげで、この第拾陸話を経たおかげで、このシリーズの先が再び見え始めました。
更新頻度が高くなると断言できるわけではないのですが、皆様に楽しんで頂けるように、精進します。
これからも、何とぞ何とぞよろしくお願い致します。

最後、不穏な終わり方でしたが、とりあえずアスカが無事に助かってくれて本当に良かったです。(安堵)
次回もお楽しみに。(- v -)

ついでに、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』も近づいてきている予感がしますので、私のTwitterID、置いておきますね。笑
ジェニシア珀里→@LASR_eva2020SC


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第拾漆話 見知らぬ明日(前編)

セカンドインパクト発生から、今日で20年。


 目を開くと、そこは電車の中だった。

 誰もいない、静かな電車。オレンジ色の夕陽に車内は照らされ、窓の外には見覚えのあるような気がする景色が、右から左へと流れていく。

 

「ここか……」

 

 シンジにとっての精神世界。久しぶりの風景だった。

 また、夢でも見てるらしい。懐かしくも変な感覚が、シンジの周りを包み込む。

 早く起きなければ。近いうちにゼルエルもやってくる。対策しなければならない。

 

 -対策して、何になるの?

 

 いつの間にか、向かいのシートに自分が座っていた。

 

 -結局、考えたことなんて、当てにならないのに。

 

「それでも、世界を救わなきゃ。そのために戻ってきたんだ」

 

 -それが、目的?

 

「そうさ」

 

 -本当は、彼女と二人きりが、良いんじゃないの?

 

 いつの間にか、目の前の自分は綾波になっている。

 

 -世界のコトなんて、どうでも良いんじゃ、ないの?

 

「……違うよ」

 

 シンジは心乱されながら、必死に言葉を紡ぐ。

 

「僕一人じゃ、何もできないんだ……世界を救うことも、アスカを助けることさえも」

 

 包帯を巻いた紅い彼女に変わっていた目の前の存在が、言う。

 

 -本当に寄り添ってくれるヒトなんて、いると思ってんの?

 

「……確かにね。本当はいつでも、孤独なんだ」

 

 だけど。

 

「僕はアスカと、一緒にこの世界を生きたい。だから僕は、この世界を救うために、この世界に抗うんだよ」

 

 -でもさ。

 

 心の声が、三重に響きわたる。

 

 -世界はいつだって、アンタを裏切るのに。

 -世界はいつだって、 僕 を裏切るのに。

 -世界はいつだって、あなたを裏切るのに。

 

 

 

 

 

【第拾漆話 見知らぬ明日(前編)】

【Episode.17 The day of Gathering】

 

 

 

 

 

「結局、アスカは別棟で隔離検査か……」

 

 会議室のモニターを操作しながら、ミサトは寂しげなため息をついた。それを見ていたマコトが、少しばかり悔しそうに呟いて、目の前にコーヒーを置いた。

 

「仕方ないですよ。殲滅されたとはいえ、第9の使徒にずっと侵食されてたんです。あの状態で助け出せたことすら、奇跡なんです……」

「そうよね……」

 

 ミサトはディスプレイを消し、椅子にもたれかかった。マコトが用意してくれたコーヒーを、感謝の意も込めてまずは一口飲む。苦い味と香りが、鼻腔に広がる。

 

「結果的に使徒は殲滅、アスカちゃんは救出できたわけですから安心ですけど、使徒に寄生されてるって分かっていればって、シゲルもマヤちゃんも言ってますよ」

「無理よ。事前の整備ですら何の異常もなし、気付けって方が難しいんだから」

「……そうですかね」

「それに……」

「……それに?」

「……いえ、なんでもないわ」

 

 ミサトは「気付たとしても強行されていた可能性がある」という言葉を、コーヒーとともに飲み込んだ。そのような証拠はどこにもないし、もし本当だったとしても、ここでNERVが分断されるようなことがあれば、今後の使徒戦に確実に悪影響を及ぼすだろう。

 ゲンドウが、加持が、リツコが、一体何を考えながら動いているのか。ミサトは冷静に、未だ見えない真実へと思いを褪せていた。

 

「それより……」

 

 マコトが、マグカップをコトリと置く。そっと視線を向けると、両方の拳を固く握り締めていた。

 

「僕にはどうしても信じられません……パターン青だなんて……」

 

 その言葉を聞いて、ミサトも思わずマグカップを持つ手に力が入った。

 

「……けど、データは嘘をつかないわよ。現にMAGIに異常は見られない」

「ですが葛城さん!」

 

 マコトは声を荒げた。その瞳は、今度は本気の悔しさに揺れている。無理もない話だ。ミサトはそう思い、目を伏せる。

 マヤとリツコから伝えられた耳を疑う事実。それを知る者は、今のところシゲルやマコト、そしてミサトくらいしかいない。ただ、先ほどシンジが拘束されたという件が、どうにもこの事実に関係しているとしか思えない。

 

「私だって思うところはある。何故こんなことになってるのか、簡単には説明なんてつかないわよ……」

 

 3号機を殲滅した直後、エントリープラグからアスカを救い出す際に検出された数秒間のパターン青。しかもそれが発せられていたのは、エントリープラグやその内側ではなく、ハッチを破壊しようとしていたシンジの方だったのだ。

 無論、反応はすぐに消えたわけで、端から見たらシステムのバグのようなもの位に見えるかもしれない。しかし、

 NERVで使っているコンピュータは「MAGI」なのだ。

 ミサトは眉間にシワを寄せながら、マコトに、そして自分自身に言い聞かせるように呟く。

 

「でも、シンジ君は敵じゃない。絶対」

 

 ミサトは、再びコーヒーに口をつけた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジとアスカがいないという構図は、考えてみればサキエルが襲来するまでのものと全く変わらないのである。しかし、真夏であるにもかかわらず、第壱中学校2年A組の教室は、狂ったように冷え切っていた。事情をちゃんと知っているトウジたちにとっても、その光景に疑問は持たなかったものの、居たたまれない気持ちでいっぱいだった。

 そして他の生徒たちも、前日の野辺山での戦闘の概要から、薄々何があったのか勘づいているようだった。

 

「ってことはまさか……」

「碇君と式波さんが戦って……」

「そのせいで、ってか?」

「ねぇ、もしかしたら……」

「あぁ、このままずっと来ない、ってことも……」

 

 噂というものは、時に風船のように、膨らみ続けていくものである。そしてそれは、いつ弾けるか分からないという不安と恐怖を掻き立てる。

 

「碇のヤツ、式波と付き合ってたんだろ……? なのに」

「なのに殺さざるを得ない状況になったのなら……」

「そんな残酷なこと……!」

 

 ガタンッ-

 

 クラスの視線が、1カ所に集中した。その先には、机に手をついたまま、蒼髪の少女が無表情で立っていた。

 否、無表情ではなかった。微かだったが、彼女は悔しげに、そして悲しげに、唇を震わせていた。クラスの誰もが、彼女の暗き感情を、はっきりと認識した程に。

 そして綾波レイは、静寂に包まれた空気を裂きながら、無言のまま教室を出て行った。

 

「あ、綾波さん……!」

 

 その後を、委員長のヒカリが慌てて追っていった。

 2人が出て行ったのを見計らってか、腕を組んだままだったトウジが口を開いた。

 

「……お前らよぉ」

 

 誰かを責める口調でも、諫める口調でもない。ただ、彼らしい言葉遣いで、教室の隅まで届くだけの声で言った。

 

「シンジも式波も無事や。ちゃんと生きとる。そんな心配すんなや……」

「け、けどさ鈴原……」

 

 一人の男子生徒が、おそるおそる訊き返そうとした。だがトウジは、それを静かに制止した。

 

「ワシらには無理なんや……シンジたちの背負ってるモンを全部理解しようなんちゅうコトは……」

「何かを護るための勇気と……覚悟。碇たちはそれだけ本気になってる……。アイツらの本当の辛さなんか、俺たちだって分かりたくても分からないんだ……」

 

 ケンスケも、アスカの席に目をやりながら、彼らの状況を案じて顔を歪めた。

 

 

 

 

 

 

「綾波さん!……っ待っ……て!!」 

 

 ヒカリは早足で廊下を歩き続けるレイの腕を掴んだ。今クラスにいる誰よりも、彼女はレイの苦しさを強く感じていた。

 朝、レイから3人に伝えられた事実。アスカは3号機に搭乗後、使徒に侵食されたこと。その後戦闘を経て、なんとか救出に成功したこと。隔離検査を行われることになったものの命に別状はなかったこと。シンジはその後、上官への侮辱行為として拘束されたこと。

 しかし、彼女は自分のことは喋らなかった。ただ事実を伝えただけ。ヒカリには、彼女が何か抱え込んでいることを察したのだ。

 レイが教室を出て行ったとき、なんとかして彼女を引き留めなければならないと直感して、慌てて後を追っていた。

 

「……碇君、泣いていたの」

 

 消えそうな声で、レイは言った。

 

「アスカを助け出して……アスカが生きてるって分かって……泣いていたの」

 

 レイは逃げなかった。ガラスのように壊れてしまいそうな繊細な肌に包まれた腕を、身体を、微かに震わせていた。

 

「無事で、嬉しかった。生きててくれて、嬉しかった。だから……許せないの」

 

 ヒカリは思わず、レイの身体を引き寄せた。レイはその勢いに抵抗することなく彼女にもたれかかるようにして、そのまま座り込んでしまう。ヒカリはレイを抱きしめたまま、目を固く閉じて、レイの言葉に耳を傾ける。

 

「許せないの。アスカを、碇君を苦しめた使徒を……碇君たちを閉じ込めるNERVと碇司令を……何もできなかった、私を……」

「……綾波さんは……レイは、悪くない……っ。アスカをちゃんと助けたじゃない……!」

 

 ヒカリはフルフルと首を振る。レイの辛さを少しでも分かってあげたいなんて烏滸がましいのは理解している。それでもこうしないと、レイが本当に壊れてしまいそうで、ヒカリには耐えられなかった。

 

「なぜ……」

 

 レイは、ズキズキと痛む胸に拳を押し当てて、誰に対してなのか分からない問いを、口にした。

 

「なぜ……碇君たちが、傷つかなくちゃいけないの……?」

 

 その問いに、ヒカリは答えることができなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 2日後、研究室にいたリツコは目の前に並ぶデータの羅列に頭を抱えていた。

 シンジが拘束されてから、実に3日が経とうとしていた。司令に対して「巫山戯んな」と叫んだのがさすがに尾を引いてしまったのだろう、職員の間ではそう言った同情の波紋が広がっている。

 だがしかし、技術局長のリツコは拘束の理由が単なるものではないことを知っていた。パターン青だ。職員には隠し通せても、NERVトップ2に隠し通すのは無理な話なのだ。

 司令も副司令も、かなり混乱しているのだろうとリツコは推察した。彼らにとってのキーパーソンが、まず倒さねばならないはずの使徒と識別されてしまったのだから。SEELEもこの事態を黙ってはいまい。拘束する理由は十分だ。

 だがそれ以上に、リツコ自身がこの事実に混乱し、そしてこれから取るべき方策に関して結論を出せずにいた。

 こうなった以上、ゲンドウはテコでも動かないだろう。だがシンジのいない状態で、勝てる見通しなどあるのだろうか。

 シンジの言っていた通りなら、あと1週間もないというのに。

 

 

 

 数時間前から、自分の端末から片時も目を離そうとしない同僚に、青葉シゲルは堪えきれなくなって声をかけた。

 

「あんまり無茶するなよ、マヤちゃん……あんまりやり過ぎると身体壊すぞ?」

「…………」

「……マヤちゃん?」

「……ダメなんです、青葉さん。今やめるわけには、いかないんです」

 

 マヤは苦しそうに呟いた。エヴァとMAGIに記録された至るところのデータを必死に集積し、リンク付けとソートを繰り返していた。本来やっておくべき必要量の仕事を終えた後も、ひたすらに。コンソールを叩く指は全く止まらなかった。

 

「ねぇ……」

「……?」

「私たちのやってることって……正しいわよね?」

 

 シゲルはハッとした。自分の勤める特務機関。そこで自分は、本当は一体何のために仕事をしているのか。

 

「正しい……はずさ……」

 

 シゲルは、そう返すのが精一杯だった。だが心の底では、本当は違うのだと警鐘を鳴らしているのを感じていた。

 自分たちは、本当は何も、真実の片鱗も見えていないのだ、きっと。

 

 

 

 彼らを狂わせる「パターン青」。

 それは、人類の敵「使徒」を示す特定波長コードである、とされている。

 その事実は半分正しく、半分間違いである。

 真実とされている間違いに気付いたとき、人は今までの自分を否定しなければならなくなる。

 その恐怖に、人はいつも怯えているのである。

 

 だが幸か不幸か、人々がその間違いに気づく前に、最強の拒絶タイプが、ふたたび街を蹂躙するのである。

 

「レイ?」

 

 朝食を取っていたレイが、箸を止めた。ミサトも咄嗟に箸を止め、レイの表情を覗き込む。

 シンジとアスカがいない葛城家は、とても静かで、二人だけの食事も、とても淋しいものだった。ミサトは努めて明るく接しようとしていた。そんなものは慰めなどにならないのだと、気づいていながらも。

 

「……くる」

 

 レイは、何かに引っ張られるように立ち上がった。

 

「待ちなさい、レイ」

「……」

 

 レイのその反応で、多分、次の使徒がやってきたのだと、ミサトも直感で理解した。しかし、今までであれば慌ただしく家を飛び出していたミサトは、席を立たず、逆にレイを引き留めていた。

 

「……まずは、ちゃんと食べてから。自分の作った料理でしょ?」

 

 悔しさを紛らすためか、それとも彼らとの繋がりを消したくないからか、ここ数日、レイは一人で料理をし続けていた。見れば、レイの左手薬指には、絆創膏が巻かれていた。

 

「……はい」

 

 レイがふたたび座ったのを確認したミサトは、彼女が作ってくれた炊き込みご飯を、口へとかき込んだ。

 

 

 

 ******

 

 

 

 緊急事態宣言のサイレンが鳴り響いたのは、シンジが拘束されてから5日も経った後の昼過ぎだった。

 なぜ釈放されないのか、非戦闘職員の間でも不信感が募り続けていた。加えてアスカの意識回復もまだで、そんな状況下での戦闘は開始前から絶望的と言わざるを得なかった。

 リツコは自分が作戦を立案できるような思考回路をしていないことを心底悔やんだ。目の前のミサトのような思いきりの良さも、瞬時の判断力も、攻撃態勢のバランス構築力も、自分にはなかった。

 しかしそんなミサトも、今回ばかりは相手のあまりの強力さに、本気で恐怖を見せていた。

 

「旧小田原防衛線、突破されました!」

「国連軍から通達、全兵器使用許可を下したそうです!」

「ですが、全攻撃が無効にされてます……!」

「なんて奴……!」

 

 分かっていたことだ。なのにもかかわらず、何もできない。リツコはただ歯噛みするしかなかった。

 そして、NERV本部が体験したことのない、異常なレベルの衝撃波が発令所を揺らした。

 

『第4地区に直撃! 損害不明!』

「地表全装甲システム融解!」

「24層すべての特殊装甲が、一撃で……」

 

 マコトはあまりの破壊力に、呆然とした。

 国連軍とNERVは、すぐさまN2を繰り出す。

 今度は、躊躇うことはなかった。

 しかし。

 

『目標健在』

『第二波攻撃、効果なし』

「いいから、市民の避難が最優先だ!」

 

 シゲルが電話口に叫ぶ。

 

「N2誘導弾の第3弾を許可する! 直援に回せ!」

 

 ゼルエルに対しては、N2すら効かない。増すのは、焦りばかりだ。

 

「碇司令!」

 

 唐突にミサトが後ろへ振り返り、険しい表情で叫んだ。

 

「エヴァの出撃を要請します! 零号機、及び初号機を!」

 

 発令所が一瞬、静まり返った。

 

「……シンジ君を解放してください。零号機単体ではあまりにも危険です」

「駄目だ」

「何故ですか!?」

 

 ミサトは啖呵を切った。

 

「葛城一佐、君も知っているはずだ。F区画から出すわけにはいかん。君は世界を滅亡させる気か」

「くっ……、しかし……!」

「ミサト!!」

 

 反論しようとするミサトを止めたのは、リツコだった。

 

「……耐えて、今は」

「……」

 

 リツコはモニターを苦しい表情で凝視しながら、ミサトを一切見ずに、背中で訴えた。

 絶対に何かあるけれど、触れてはいけない何か。ミサトは歯噛みしながらも、リツコのその懇願を受け、わき上がる怒りを心の奥へと押し込めた。

 

「……後で洗いざらい、吐いてもらうわよ」

「分かってるわ……」

 

 長年過ごしてきた「友」だからこそ、言えなかった。

 それでも、「友」だからこそ伝わる心も、あった。

 全てを打ち明ける刻が、そこに迫ってきていた。

 

 そのとき、モニターに表示された「Start-Up」の文字とマコトの報告が、発令所をザワつかせた。

 

「エヴァ2号機、起動!」

「嘘……封印は!?」

「解除されてます。搭乗者も不明!」

「どういうこと?!」

 

 その2号機のエントリープラグ内。ピンクのプラグスーツに包まれた彼女が、呑気に鼻歌を歌いながらストレッチをしていた。

 

「さってと、あの子には悪いけど、ちょっと貸してもらうよん♪」

 

 真希波・マリ・イラストリアスだった。

 

「目標、ジオフロント内に侵入!」

「エヴァ2号機と会敵します!」

「2号機との相互リンク、プラグ側からカットされています! こちらからの干渉は不可能、通信もできません!」

「誰なのか分からないけど、恐らくは……」

「一人でやりたいってことね。……零号機は左腕が完治してない、バックアップに配置して! あと……」

「なに……?」

「リツコ……一方通行(いっつう)でもいい、こっちの声、2号機に流せない?」

 

 ミサトは苦く表情を歪めた。 

 

「一人で戦わせるわけには……いえ、一人だけで戦わせたくない」

「……わかったわ、やってみる。マヤ!」

「はい!」

 

 マヤは目の色を変えてコンソールを操作し始めた。

 

 

 

 

 

 2号機はジオフロント内の地表へ到着する。マリは新しいプラグスーツの感触をもう一度確かめて、コックピット内で深呼吸する。

 

「やっぱり新型は気持ちいいにゃん、動きやすいし胸もピッタリだし♪ それにこの機体もなかなかいいじゃん? 他人の匂いのするエヴァも悪くないってね」

 

 さて、とマリは一度伸びをしてから、インダクションレバーへ手をかける。

 

「ふぅ、第5次防衛線を早くも突破、か。ソッコーで片づけないと本部がパーじゃん!」

 

 そう言ってマリは、2号機の両手に装備させたハンドガンを天井に向かって乱射する。ジオフロントの天井からは、使徒が迫っていた。ゼルエルは、まるで空から舞い降りる堕天使のように、黒いローブ状の体をなびかせて下りてくる。

 最強の拒絶タイプ、ゼルエル。その防御力たるや、凄まじかった。

 

「うーん、A.T.フィールドが強すぎるぅ。こっからじゃ埒があかないじゃん!」

 

 マリはハンドガンを後ろに放り投げると、武器コンテナを開いて、サンダースピアを装備する。

 

「よっ、と。これで行くかぁ〜? にゃあっ!」

 

 助走を付けて高く舞い上がった2号機は、使徒の頭上からダガーを突きたてて奇襲を仕掛ける。

 

「ゼロ距離ならばっ!」

 

 鉄板のように硬いA.T.フィールドにダガーを突き立てたマリは、肩のウェポンボックスを開いてニードルガンを連射した。しかし、ゼルエルは全ての攻撃を完全に防いでしまった。

 

「なっ……!?」

 

 直後、全身が叩かれたような衝撃を受けた。A.T.フィールドで2号機を遠くまで吹き飛ばしたのである。

 

「いってってってぇ……うぐぅ……」

 

 天井から落ちてきたビルの残骸に叩きつけられた2号機は、奇妙な態勢に倒れ込む。全身に痛みが走っていく。しかし、ゼルエルは休む暇を与えずに第二波を放ってきた。

 

「……!? やっば!」

 

 マリは間一髪、バク転をして使徒の攻撃をかわす事に成功する。

 

「にゃろ〜、なんてやつ……」

 

 明らかに劣勢だったのだが、マリの口角は上がっていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 ガンッ、と言う音を立てて、シンジは扉を破ろうと体当たりした。しかし、重厚な黒い扉はびくともせず、シンジは焦るばかりだった。

 さっきの地響き、絶対にゼルエルだ。時期的にそろそろだとは思っていたけれども、一つだけ誤算があった。シンジは未だに、独房から出ることができていないのだ。

 今回ばかりは話が違う。ゼルエルに、正面から太刀打ちできるような者など、誰一人としていないのだ。

 しかも、アスカには戦闘は無理だ。だとすれば、今ゼルエルに対抗しているのは零号機だけ、綾波しかいないじゃないかと、シンジは推測していた。

 

「くっそ……っ、誰か!!」

 

 このままだとまずい。綾波が危険すぎる。もし前史のように倒されたら、本気で全滅だ。

 なのに。この独房を出なければ、初号機に辿り着くことすら不可能だというのに。

 

「っ……どうする、どうすればいい……!?」

 

 焦るばかりだ。目を閉じ、部屋を歩き回り、座り、立ち、ふたたび扉をこじ開けようとし、脳を全力で稼働させていく。だが、一向に答えが出ない。シンジは今までにないほど焦っていた。

 シンジは、自分が拘束された理由を知らなかった。前史同様に稚拙な恫喝を行ったことが、理由だと思い込んでいたのだ。しかしここまでくると、シンジも確実に疑いを持った。

 なぜ父さんはまだ自分を呼び出さない? なぜこんなに長期間閉じ込められている? なぜ?

 また何か、大きく裏切られた心持ちになる。逆行したことが意味をなさないほどに台本が変わっている。

 裏切られることには慣れてきてしまっている。それは理解している。だがやはり、こみ上げる悔しさを抑えることができない。

 

「ちくしょう……開けよっ!!」

 

 両足を壁に張り上げ、腕に全力を込めて、扉を引き剥がさんとばかりに身体をのけぞらせた。それでもやはり、扉はびくともしなかった。

 

 

 

 

 

 身体中の痺れるような痛みと共に、彼女は目を開けた。

 視界が紅く染まっていた。自分の呼吸の音が、狭い空間に反響して響いている。

 

「ここは……」

 

 見たことない場所だった。というか、閉じ込められていた。

 

「どこ……?」

 

 その時、鈍い振動が、身体を揺すった。

 

「…………!?」

 

 瞬間、脳が完全に覚醒する。

 思わず自分を閉じ込めているカプセルに全身の力を込めていた。

 数秒の後、バキィン-と音を立てて、カプセルは二つに破壊されていた。

 

 

 

 

 

 マヤの操作状況を見ながら、リツコはミサトに告げた。

 

「ミサト、何とか繋がりそうよ。けど、」

「パイロットがさらに通信を切れば、そこまでよね」

 

 ミサトはリツコの言葉を引き継ぐように答える。

 

「ええ。持って10秒くらいだから」

「わかった」

「センパイ、コンタクトいけます!」

「ありがとう、マヤちゃん」

 

 ミサトは前屈みになって、言う。

 

「2号機へ、作戦部長の葛城です。一つだけ命令よ。……危険だったら、即時撤退するように」

 

 どっこいしょ、とマリは立ち上がった。ジオフロントは既に荒廃した瓦礫の山々に埋め尽くされつつあった。

 遠くでゼルエルが動き出していた。時間の猶予も、あまりない。そしてスピーカーからは、ミサトの声が聞こえていた。

 

「せーっかく通信切ってたのに。やっぱり本部の人間は只者じゃないってことかにゃ」

 

 少し間合いを取った位置に待機する2号機。再度通信システムを弄くり回した後、マリは拳をパンッと叩く。そして、紅い眼鏡の縁を、スッと持ち上げる。

 

「危険なのは百も承知。死にさえしなけりゃ何とかなる。作戦部長さんには悪いけど、試す価値は十分だよ」

 

 マリの顔から、笑顔が消えた。

 

「ヒトを捨てたエヴァの力、見せてもらうわ」

 

 そうして、マリは叫ぶ。

 

「モード反転! 裏コード、ザ・ビースト!」

 

 瞬間、エントリープラグ内のモニターが落ちて赤く染まる。2号機の肩に装備されていた拘束具が木っ端微塵に吹き飛び、そこから2本の突起物を出現させ始めた。

 

「我慢してよ……エヴァ2号機。私も……我慢する……」

 

 操縦席の上に立ったマリが前かがみになると同時に、2号機も同じ姿勢になって背中から突起物を出現させる。背中に左右5本ずつ計10本、さらには腰の辺りから更に4本の突起物を出現させた2号機はこの後、驚異的な能力を発揮することになる。

 

「エヴァに、こんな機能が……」

 

 主モニターを見つめるマコトが驚く。ミサトも、2号機の変貌に目を見張った。マヤは内部の状況を報告する。

 

「リミッター、外されていきます! すべて規格外です! プラグ内、モニター不能! ですが……」

「恐らくプラグ深度はマイナス値。汚染区域突入も、いとわないつもり……?」

 

 リツコはマヤのモニターに映し出された数値を見て、このイレギュラーなパイロットがやろうとしていることを察した。

 マヤは想定の範囲内を超えた数値を見て叫んでいた。

 

「ダメです! 危険すぎます!」

 

 ミサトは主モニターに映る2号機の姿をじっと見据えた。

 聞いたことがある。エヴァ開発時に設定された、隠されし秘匿コード。人の域に留めておいたエヴァを解放するための暗号。それを知る者は、初期の開発に携わっていた、ほんの一握りの人間だけのはず。

 つまり。いま、2号機に乗っている人間は、只者じゃない。NERVの中枢を、もしかしたら人類補完計画すらも知っているかもしれない人間だ。ミサトの首を、嫌な汗が伝う。

 

「身を……捨ててこ、そ……浮かぶ、瀬も……あれっ!」

 

 マリは拳に力を入れてぐっと身を縮めると、全てを解放させるようにして目を見開く。

 マリの叫びと共に咆哮を放った2号機は、アンビリカルケーブルを引きちぎる勢いで突入していく。恐ろしいほどの脚力で宙に舞った2号機は、ゼルエルの放ったA.T.フィールドを突き破って懐に迫っていく。

 しかし、ゼルエルは分厚い鉄板のようなA.T.フィールドを追撃させて自分の間合いを死守しようとする。一旦跳ね返されたものの、2号機は再度助走を付けて飛びかかると、強化ガラスを一枚一枚割っていくようにして、A.T.フィールドに殴りかかっていく。

 

「ぬぁぁーっ!! おぉるぁぁーっ!!」

 

 人を捨てたエヴァ。そのパイロットもすなわち、人を捨てるつもりでいる。マリの半狂乱状態が、それを物語っている。彼女は何層にも重なるA.T.フィールドを叩き続けた。

 しかし、ゼルエルがそれを黙って見ているはずが、ない。

 

「はっ……!?」

 

 帯状の腕をドラム缶状に丸めると、それを勢いよく伸ばして2号機を切りつける。前史と形が変わっていたとはいえ、その腕の先は微粒子をも切り裂く程の鋭利さを誇るのである。

 強力な刃物となって襲い掛かった腕を振り上げた途端に、2号機の左腕は切断されて湖に落下する。切り落とされた左腕と切りつけられた右腹部から大量に出血する。

 

「うぅ……うぅうっ……」

 

 連動するように、マリの身体にも焼け付く痛みが走る。手で押さえながら呻き声を上げ、必死に耐える。冷静さは、既に失われている。

 

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!!」

 

 マリは左腕を押さえながら、丸腰で使徒に突っ込んでいく。しかし、使徒は正面から狙い済ましたかのように、2号機の顔面目掛けて帯状の腕を突き出す。2号機は頭部を粉砕されて後ろに倒れこんでしまった。危険ならば撤退しろという命令は届いていなかったのか。それとも敢えて無視されたのか。どちらにせよ、自分たちに2号機を救う手立てはないのか。光景を見ていたミサトは拳を硬く握り締める。

 裏コードの存在を知っていたリツコが小さく呟いた。

 

「エヴァの獣化第2形態……。ヒトを捨て、闘争に特化させても勝てないなんて……」

 

 ミサトが主モニターを見ながら立ち尽くす。

 リツコは、ただただ願うだけだった。

 ゲンドウが、誰かが、シンジを解放してくれることを。

 

 その時だった。

 

「……!? 赤木博士!」

 

 突然に、シゲルがリツコを呼んだ。

 

「なに? どうしたの?」

「これを見てください!」

「……E区画303……えっ、ちょっと?!」

 

 画面に表示されていたのは、「LOST」の文字だった。

 

 

 

 

 

 





☆あとがき

ジェニシア珀里です。
データ量が30キロバイトを超えたので、前後編に分けました。後編はまだ書いてません。行き当たりばったりで書いているため、一寸先もどうなるか全く分かってません。
けれど前話から結構早く書けたのは、暇だったからなのか何か吹っ切れたからなのか。(笑)

それはともかくとして。
REBUILD(再構築)って、一回壊すからこそ成り立つのだと知りました。逆に言えば、壊さないとできないんですね。
庵野監督の苦しさとか辛さとか覚悟とかは、そういうところにもあるのかも。
「我々は再び、何を作ろうとしているのか。」
この言葉に倣って、一言だけ。


「我々はなぜ、エヴァに心惹かれるのか。」


さて、そろそろ本格的にヤバくなってきます。
次回もよろしくお願いします。
感想・コメント、バシバシお待ちしております!
(作者のモチベになります。笑)

あー、イチャラス(LAS)を書きたいー!!!笑
(↑早よ物語進めろやい。)


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第拾捌話 見知らぬ明日(中編)

 

「……E区画303……えっ、ちょっと?!」

「シッ!」

 

 驚くリツコに、シゲルは一瞬人差し指を立てて制止した。シゲルは司令塔の上に視線をやる。その行動に、リツコはハッとする。

 

「っ……」

「……どうします、これ」

「……ありがとう。もちろん秘匿よ。見なかったことにして」

「了解っす」

 

 まさかの展開にリツコは動揺した。このことがゲンドウに伝われば、何が起こるか分からない。いずれはバレてしまうにしても、気を利かせてくれたシゲルに心から感謝した。

 しかし。

 

(まさか脱出するなんて、常識ではあり得ないわね……)

 

 科学理論をまたしても覆した可能性に、リツコは動揺と共にある種の高揚感を感じていた。そこに、マヤの報告が飛んだ。

 

「零号機、左腕応急処置終了! 起動作業入ります!」

 

 

 

 

 

【第拾捌話 見知らぬ明日(中編)】

【Episode.18 REBELLION】

 

 

 

 

 

 その日の朝。

 葛城家を出る前、ミサトの支度が整うまで、レイはシンジの部屋を訪れていた。

 シンジは、独房に5日間も閉じ込められている。その事に対してゲンドウへの不信感を覚え、何もできなかった自分に静かな怒りをずっと抱いていた。

 けれど、本当は部屋にひょっこり戻ってきているのではないか、もう2週間近くも見ていない彼の笑顔が、すぐそこにあるのではないか。そんな淡い願望があった。

 これから襲来するであろう使徒に対して、私はどうすればいいのか。シンジやアスカがいないこの状態で、私に何ができるのか。レイは不安と悔しさに思い詰めていた。

 

「碇君……」

 

 部屋には誰もいなかった。当然だった。分かっていた。しかしレイは、シンジのことを想うと、部屋に足を踏み入れたまま動くことができなかった。

 

「……?」

 

 シンジの部屋の一画にある、彼の机。そこには、教科書やノート類が整頓されて並べられていた。しかしレイはそれらではなく、それらの上に置かれているカセットプレーヤーと手帳に目を向けていた。赤色の手帳だった。

 

「……これ」

 

 レイにはそのどちらにも見覚えがあった。カセットプレーヤーは、シンジが常日頃から、学校やNERVに行くときにさえ持ち歩いていたS-DATだ。なのに3号機との戦いの日にはなぜか持っていかなかったのだと、レイは疑問と共に初めて知る。

 手帳の方は以前、シンジやヒカリたちと自分の服を買いに行ったとき、シンジが「ついで」と言って唯一買っていたものだ。

 その深紅の手帳を、レイは引き寄せられるように手に取っていた。その赤色が、妙に目を引いていたから。

 感情を知る前の彼女なら、何が書いてあるのか気になっても、他人の物を勝手に見るようなことはしなかっただろう。しかし、積もりゆく負の感情に、レイの心は暗く沈んでいた。何かに縋りたい気持ちが、無自覚ながらもあったのだ。

 

 静かにページを開くと、そこには彼の字で、1日ごとに数行ずつ、文が記されていた。それが日記なのだということは、彼女にも容易に分かった。

 ただ、目に写ったその内容を、レイは1回では理解することができなかった。

 1ページ、また1ページ、彼女は手帳をめくり、文字を追っていく。自分が知らなかった事実、みんなにも伝えていなかった真実、そして。

 文字として赤裸々に語られる彼の想いが、レイの心を大きく揺らした。

 最後の日付は、3号機との戦いの日。

 シンジは、その日の朝に書いた上で置いていったのだ。

 その理由(こたえ)はそこにあった。

 

『世界のために、アスカのために、僕は何ができる?』

 

 その疑問を最後に、日記は終わっていた。

 

「レイ? 行くわよ?」

 

 支度のできたミサトが、リビングからレイを呼ぶ。レイは、そっと手帳を閉じた。しばらくその場に佇んで、何を思ったか、カセットプレーヤーを掴み、早足で部屋を後にした。

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジの腕は、限界に達しようとしていた。

 乳酸が溜まりに溜まって、額には脂汗が浮かんでいた。

 扉はびくともしない。それでもシンジは、諦めるわけにはいかなかった。般若のように顔を歪め、歯を食いしばり、叫ぶ。

 

「っだあぁぁぁぁっっ!!!!!」

 

 その瞬間、急に扉が開いた。弾みで、シンジはそのまま独房の外へと転げ出る。

 

「たっ……!!?」

 

 転んだ拍子に鈍い痛みが肩を伝ったが、すぐに扉が開いたのを確認し、やった、と笑みを浮かべた。

 しかしその扉の前に立っていた人物を見て、シンジは立ち上がろうとしていた足を思わず止め、中腰の状態でその男を見上げた。

 

「え……加持さん!?」

「なるほどな……呪詛紋様か」

 

 加持は扉の縁をなぞりながら、小さく呟く。そしてシンジに目配せをすると、フッと微笑んだ。

 いつものワイシャツ姿ではなく、黒いベストにヘルメットを被っていた。一瞬、戦自の隊員を彷彿とさせる格好だ。

 

「ど、どうしてここに……」

「まったく、君達にはいつも驚かされる。お見事なビンゴだ、アスカ」

「は……?」

 

 加持の向けた視線の先には、包帯を巻かれたままの病院服姿の少女が、壁に左手をついて不敵な笑みでシンジを見下ろしていた。

 

「アスカっ!?」

 

 刹那、顔を歪めてバランスを崩し、倒れ込まんとする彼女を、シンジは咄嗟に立ち上がって抱きとめた。

 

「ちょ、ちょっと……!?」

 

 アスカはホッとしたのか、シンジに身体をあずけて、彼の胸に顔をうずめる。

 

「……良かった……無事で……」

「っ……」

 

 シンジは泣きそうになる。この子は、こんな状態になっても自分のことを心配してくれていたのか。そう思い、たまらなく、嬉しくなる。愛おしくなる。

 湧き上がりそうな涙を堪えて、シンジはアスカをしっかりと、しかし優しく抱きしめた。

 

「……こっちの台詞だよ、それ」

「フフ……そうね」

 

 数秒間、二人はそのままの態勢で、互いの存在をしっかりと感じ取った。その安心感は、安らぎは、彼らの心を、潤していく。

 ただ、悠長にしてられる暇もない。アスカは全身に力を入れると、息を吸い、シンジに告げる。

 

「ごめん、ちょっと安心しただけ……。ほら、行くわよ……!」

「……うん!」

 

 シンジも力強く頷いた。

 

 

 

 

 

「初号機のケージへはルート32を通った方が良い。手薄な筈だからな」

 

 加持は銃に弾を込めながら廊下の奥を伺う。その手元を見て、シンジは表情を苦くしながら忠告をする。

 

「……誰も殺さないでくださいよ」

「分かってるさ。子どもに残虐シーンはごめんだよ」

「いや、それはもはや今更すぎますけど……」

 

 冗談さ、とケラケラと加持は笑う。

 

「それにしてもさ、加持さんはどうしてここに? 謹慎中じゃなかったの?」

 

 ふと、アスカが加持に訊ねた。計画では、3号機起動実験の後、松代事故の責任を取って何らかの処分が下されるというはずだったからだ。アスカも加持と合流したのがほんの2分前だったため、まだ加持の現状を知るには至っていなかった。

 しかし、帰ってきたのが予想に反し、2人は絶句する。

 

「あぁ、今もそうさ」

「「え」」

 

 嫌な結論が頭を過る。しかもこういう場合、こういう台詞に限ってそれは的中するものだ。

 

「じゃ、じゃあまさか……」

「抜け出してきた」

「それバレたらマズいやつじゃないですか!?」

 

 シンジは呆れながら咎める。例え冗談っぽく言っても、この人が言うと笑えない内容であることが多すぎる。

 ただでさえ目をつけられている立場にいるのだ、自分を救出しに来てくれて本当に助かったものだが、この人が何を考えているのか、表情からでは分からないというのが実に怖い。

 しかし、加持はその笑顔を急に消し、シンジたちにある事実を伝えてきた。

 

「電話があったんだ」

「電話?」

「ゼルエルを倒せるのは初号機だけだと。だからシンジ君、何としてでも君を助け出してくれ、ってな」

 

 シンジとアスカは顔を見合わせた。何か、変なニュアンスの文言だと思った。アスカが、よく分からないといった顔で加持に訊ねる。

 

「それって、リツコから?」

「いや、違う」

 

 しかしすぐさま否定される。半ば予測できたことではあるが、2人の脳はその一言で混乱に落ちる。

 

「誰なのかは分からなかった。非通知の守秘回線で、発信先も分からない。聞き覚えのあるような声だったが、正体は分からず終いさ」

「……どういうことですかそれ?」

「ま、それはともかく、どちらにしても君がこのまま幽閉され続ける訳にはいかないだろう?」

 

 はぐらかされたように思ったが、この様子だと恐らく加持も知らないのかもしれない。釈然としないながらも、2人は加持の背後にしっかりとくっついて隠れ続ける。

 

「それに気づいているか知らないが、君は今、使徒かもしれないと認識されているんだからな」

「嘘っ!?」

 

 思わずアスカが声をあげた。シンジの方も、まさか、と目を見開き、そして自分の掌を見つめる。

 

「3号機のプラグのハッチを破壊したとき、僅かだがパターン青が検出されていたらしい」

 

 逆行とかシナリオ改変とか、あり得ないことをやってのけてきた2人でも、流石にこんな事態になっているとは信じられなかった。微かにだが、怖れに身体が震えた。

 考えてみれば、言われた通りではある。エントリープラグのハッチを破壊するなど、常人にはできやしない。使徒のような、生命の実を持つ者なら有り得る話だ。

 だが、そんな力を持っているなど今の今まで知らなかったのだ。いつそんな力を手に入れたのか。あまりの衝撃に、自分を見失いかけるほどにシンジは混乱した。

 こんなの、いくらなんでも予想外(イレギュラー)すぎ……

 

「イレギュラー……?」

「そういうことだ。恐らく碇司令は、何が何でも君を閉じ込める算段だ。そうしなければSEELEを誤魔化すことができないからな」

 

 そうか、とシンジは納得した。いつまで経っても、ゼルエルすら現れても独房での監禁が続く不可解な展開。それはもしかすると、父:ゲンドウすら焦るほどの巨大な爆弾を、自身が持っているかもしれないからなのだ。

 予想外すぎる展開。元々あったシナリオの破壊には、もしかするとそれがうってつけなのかもしれない。

 

「シンジ君、ここはピンチと同時にチャンスだ。少しのことで計画は簡単に揺れ動くだろう。だから、この世界がどうなるか、俺は君に賭けることにしたんだ」

 

 加持はひそかに笑った。

 

 

 

 

 

「んにゃろぉぉ……!」

 

 マリは痛む全身を震わせてゼルエルを睨み付けた。その震えは、怒りと、恐怖と、そして異常なことに「快楽」の先にあるものだった。

 楽しくて仕方がなかった。額から流れる血がL.C.L.に滲みゆく。

 もう一度。あの壁を破ってコアを引き摺り出してやる。

 マリはそのまま飛びかかろうと、跳ねる。

 

「ぅおっ!??!」

 

 しかし跳び上がる瞬間、脚部を何かに引っ張られた。躓くような形で、2号機は地面に叩きつけられた。

 その頭上を、ゼルエルの黒い腕が掠めていく。マリはキッと、足元に目をやる。そこには予備用のアンビリカルケーブルが巻き付いていた。そのまま後方を睨み付ける。

 

「っ、零号機……!」

 

 そこには、黄色い機体がケーブルを持ったまま、ゼルエルの刃腕を避けるが如く、地面に伏していた。

 

「電源が切れるわ、早くそれ繋いで退却して!」

 

 レイは起き上がりながら叫んだ。

 

「自分の命、自分で大切にしなきゃダメ……!!」

「……その言葉、そっくりそのまま返すけど?」

「私は死なないわ! 生きて、碇君とアスカを待たなきゃ……!」

 

 ゼルエルは距離を取る零号機に手を出すことはしなかった。しかしその背後にあるNERV本部に身体を向けると、ジリジリと2体の機体へと迫ってくる。

 スピーカーからリツコの声が飛んだ。

 

『レイ、いいわね。さっき話したN型防御特化機能を展開して』

「はい……!」

『こうなったら全ての可能性に賭けるしかない。だからそれまでお願い、耐えて……!』

「……はい!!」

 

 N型防御特化機能。

 リツコは戦闘計画こそ立てられなかったが、来るべきゼルエル戦に備え、初号機と零号機の防御力を極限まで高めんとしていたのだ。

 俊敏性の強化、敵攻撃の瞬時警告システムの搭載、そのほかにも、対ゼルエルで少しでも有効となるように。

 それすらこの最強の相手に通用するのかは分からない。ただ、何もせずにいるわけにはいかなかった。絶対に、死なせるわけにはいかないから。

 

 そしてその気持ちは、レイも同じだった。

 

「絶対に、これ以上誰も死なせない」

 

 レイは敵を睨み付け、歯を食いしばる。

 

「2人が守りたかったものを、私も守りたいの……!」

 

 マリはその横顔に、密かな哀しさを感じたのだった。

 レイの座るプラグには、シンジのS-DATがあった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 背後のアスカが、ポツリと呟いた。

 

「……変わったわよね、加持さん」

 

 加持はそっと振り向く。アスカはどこか寂しそうな、しかし安心したような笑みを浮かべていた。

 

「こんなに危険なのに、加持さんのやってることは確実な反逆。いずれバレたら殺されかねない行動よ」

「ハハッ、いろんな所でスパイをやってるんだ。そんなの今更だろ?」

「けど加持さんは危険を冒してまでシンジを助けに来た。その意味、シンジにも分かられてるわよ」

 

 シンジも小さく頷いた。比較はできないが、以前の加持であってもこの状況下でなら助けに来てくれたのかもしれない。しかし、今の加持の決意は、明らかに固かった。世界に対して虚無的な関わり方をしていたかつての姿は、見る影もない。

 

「それに、この前の電話もそうだった。以前の加持さんなら、あんなこと訊いてこないわ」

 

 3号機起動実験の前に、加持が放った「お前の信念は何だ?」という言葉。アスカはその言葉の奥に、加持の心配が隠れていることを感じていた。

 今まで誰にも見せてこなかった、気遣いを。

 自分の与り知らぬところでの話だったが、シンジもアスカの静かな問いかけに黙って耳を傾けた。

 

「ねぇ、何か怖いことでも……?」

「……」

 

 加持は答えない。しかし、その沈黙は肯定と捉えて良いのだろう。アスカは確信した。

 加持は通路に誰もいないことを確認すると、両手で銃を持って走り出す。シンジとアスカもそれに追随する。

 

「なぁ、サードインパクトを経験したのなら知っているんだろう? 俺の過去を」

「……弟さんたちのことですね」

「……そうだ」

 

 再び立ち止まり、曲がり角の通路の奥を伺う。そして誰もいないことを確認すると、また走り出す。加持の読み通り、ルート32に人影はない。

 かつて、軍に仲間と弟を売ったという事実。加持の心に暗い影を落とすことになった残虐な過去。

 

「君らは否定するだろうが、俺はやっぱり、幸せにはなれない人間なのさ。そうだと思っていないと、押し潰されそうで苦しくてな」

 

 再び立ち止まる。加持の、拳銃を握る手に力が入る。

 

「だから今まで、いつ死のうとこの世に未練なんて感じちゃいなかった。けど今は、それが怖い」

 

 人影が見える。加持はそっと撃鉄を起こし、ポケットに手を入れた。

 

「罪にまみれても生きて、幸せになれるって可能性を、君たちから教わったんだよ。シンジ君、アスカ」

 

 嫌な予感。その気配を感じ、シンジは即座に引き留めようとしたが、遅かった。

 加持は一発、拳銃を天井に向けて発砲すると、掴もうとするシンジの手をすり抜けて走り出したのだ。

 

「加持さん!!」

「シンジ、ダメっ!」

 

 アスカに腕を引っ張られる。アスカも、顔を歪めていた。

 分かっている。今、僕らがこの場で倒れるわけにはいかない。

 だけど。

 シンジは踏みとどまりながら、悔しさを滲ませた。

 数発の銃声と爆弾の破裂音が、廊下に鳴り響いた。

 

 

 

「って死亡フラグ立てておけば、多分死なないんじゃないか?」

「「ブラックジョークすぎる(ます)って!!!」」

 

 流石に憤慨した2人は、加持を睨みながら叫んでいた。

 そんな少年少女の怒りはどこ吹く風か。呆気なく諜報部員2人を閃光弾(爆弾)を利用して無傷で気絶させた加持は、いつものようにヘラヘラと笑っていたのだった。

 

 

 

 

 

「F区画に侵入者だと?!」

「!!」

 

 突然の報告に声を荒げたのは冬月だった。その声に、リツコとミサトがすかさず反応して振り向く。

 

「誰なのかは分からないのか!?」

『はい……! 防犯カメラの映像はダミーに差し替えられていて、中の様子は実認でないと……!』

「まさか……遠隔アクセスか?」

『特定を試みてはいますが、かなり複雑な暗号化をされています。外部からの可能性も否定できません……!』

「このタイミングで、か……」

 

 冬月はモニターへと視線を走らせる。ジオフロントでは、零号機がゼルエルの侵攻から紙一重で逃れながら、注意を自身に向け続けるよう必死で駆け回っていた。

 F区画への侵入者、その言葉に、ミサトは叫んでいた。

 

「レイ! もう少し粘ってちょうだい!」

 

 リツコも、戦況をじっと見守りながら、レイに祈った。

 彼が来る。一縷の、大きな望みを賭けられる、彼が。

 だから、願う。

 

「大丈夫、チャンスは来るわ!」

『……はい!』

 

 レイも意味を理解して、再びL.C.L.を吸い込んだ。

 碇シンジに賭ける側と、碇シンジを怖れる側。司令塔の2人と現場の軋轢は決定的だった。しかしこの緊急事態に戦闘員を欠くことは不可能、つまるところ今の面々を即時更迭することなど、碇ゲンドウであってもできない。冬月は普段から険しい顔を一層歪めて電話口に叫んだ。

 

「……とにかく! 第3の少年に接触させるな! 増員して対処にあたれ!」

『り、了解です!!』

 

 冬月は誰よりも怖れていた。今の初号機パイロットは、人類補完計画を破綻させるだけでないのだということを。独房から解放し、戦わせて使徒と勝つこと、それ以上に。

 

「どうするつもりだ、碇……?」

「……」

 

 冬月は未だ微動だにしないゲンドウへと訊ねた。その眼前のミニモニターには、『E303:Lost』の小さな赤文字が、音も立てずに規則的に、静かに点滅していた。

 

 

 

 

 

「マズいなぁ……」

「ええ、早くしないと綾波が……!」

 

 気絶した諜報員から拝借した通信機と端末で状況を、通路のダクトの中に潜んで確認した3人は、焦りを募らせた。

 

「いざとなったらリツコが神経接続を切ってくれるとは思うけど……」

「アイツ相手に、1人で勝つなんてのは覚醒でもしない限り……」

「無理ね。しかも2号機は既にダメっぽいし……」

 

 2号機を勝手に奪われたアスカは言葉とは裏腹にだいぶ悔しそうだった。愛機を奪われた上に自身が戦闘に参加できなくなったわけだから無理のない話だが。加持もその状況に思わず溜息が出た。

 

「……無茶苦茶しすぎだぞ、まったく」

「真希波マリ……やっぱり只者じゃなかったわね」

 

 冷静に考えても、形勢は圧倒的に不利だった。何せ人の形を捨てた2号機ですら敵わなかったのだ。ゆえに、N2を使わず、メインシャフトへの侵入を何とか食い止め続けているレイはとんでもなく凄いことをやっている。

 

 冬月の指示でF区画周辺の警戒が高まり、とりあえずは隠れざるを得なかったのだが、幸い、シンジたちは初号機のケージへと直行できるダクトに入り込んでいた。

 ここまで来れば、あとは一人で行っても見つからずに済む。シンジは意を決して加持に伝えた。

 

「ここからは僕一人で行きます。加持さんはアスカと発令所に行って下さい!」

「……たった1人で、大丈夫か?」

「もう障害もないはずです。いざとなったら投降してでも辿り着きますから」

「……分かった。気をつけて行け」

「はい……!」

「シンジ!!」

 

 ダクトを進もうとしたその時、アスカが呼んだ。

 シンジは立ち止まり、アスカへと顔を向ける。

 アスカはなにか、悔しげに少し俯いた。

 

「……アスカ?」

 

 気になったシンジがアスカに近づいて声をかける。アスカは一度、逡巡して、しかし何かを決意したのか、小さく謝ってきた。

 

「ごめん……アタシ、自分のこと何も分かってなかった」

 

 アスカらしくない、か細い声がダクトに微かに反響する。シンジは一度加持に顔を向けるが、加持はただじっと、2人を見守るだけだった。

 

「自分の自己満足のために、またアンタを傷つけた。自分が嫌いになりたくなくて、強がってるフリして逃げてた」

 

 あぁ、そういうことか。とシンジは納得する。この前のバルディエル戦だろう。生きて帰って来られたからこそ、罪悪感にも似た感情が、苦しいほどに溢れ出したのだろう。

 

「サードインパクトで全部知ってたはずなのに」

「……お互い様だよ」

 

 シンジは柔らかい声で返した。

 

「僕だって、結局は自分のことしか考えてないんだ。前にアスカも言ってただろ? 世界なんてどうなったって良いって。ただ、アスカと生きていたいから、抗って動いてるにすぎないんだ」

 

 アスカは顔を上げる。複雑に絡み合う悲しさと嬉しさの感情が、シンジのその笑顔に現れていた。

 

「人間ってそういう生き物なんだと思う。自分を完全に好きになることなんかできないんだ。だけど、僕はそれでいいじゃないかって、……思う」

「……そうね。そうよね」

 

 シンジは頷いた。サードインパクトの時抱いた、自分と他人の存在意義(レゾンデートル)。どんなに傷ついても、それを背負って、乗り越えて、生きていく。

 アスカと笑っていたい。だから碇シンジは、戦う決意を抱き続けるのである。

 

「……1つだけ約束して。絶対に、帰ってくること」

「……分かってる。死んでも、戻ってくる」

「……それ、死亡フラグ?」

「ハハッ、言っておけば死なないでしょ?」

 

 オイオイ、と加持が視界の隅で苦笑する。その様子に少しおかしくなって、シンジは肩を揺らして笑う。アスカも、つられて笑った。

 

「……行け、シンジ」

「うん」

 

 

 

 

 

「加持首席監察官!? と式波大尉!」

「よぅ、大変なことになってるな」

「シンジは見つかったんですか?!」

「いえ、いませんでした。それより監察官、今確か……」

「こんな非常事態に謹慎なんてじっとしてられるか」

「それより行方は! 分からないんですか?」

「ええ、外部の何者かが侵入した可能性があるとかで……」

「……初号機が狙いかと思ったが、この混乱に乗じて拉致と言うこともありえるな。E区画とD区画の出入口も監視した方が良いかもしれない」

「確かにそうですね。連絡します」

「頼む。俺はアスカを発令所に連れて行く。絶対に見つけてくれ」

「お願いします……!」

「了解しました!」

 

 

 

「加持さんって、結構な演技派よね」

「アスカもだろ? これも生きていく術さ、このNERVではな」

「確かにね」

 

 

 

 ******

 

 

 

「初号機、起動!!」

 

 マコトのその声に、発令所全体が大きくざわめいた。ほとんどの人間が、その意味を瞬時に理解した。

 

((来た……!))

 

 とりわけ、リツコとミサトは口角が上がるのを抑えることができないほどの高揚感と戦慄に震えていた。

 対する冬月は、敷いていた警戒をくぐり抜けたことに対する疑問と危機感に、思わず叫んだ。

 

「まさか……パイロットは!?」

「搭乗していません! 動いているのはエヴァだけです!」

 

 続くマヤの報告に、ざわめきが増す。パイロットなしでの稼働は、ここにいる面々は見たことがなかったためだ。

 ただ1人、リツコはその意味をしっかりと噛みしめていた。

 

『拘束具、破壊!』

『自力で突破するつもりですっ!!』

「ケージ及び射出口までの整備員は退避! エヴァの出撃線開けて!!」

「初号機パイロット発見! 上部ダクトです!!」

 

 次々と交わされる応答に、未だかつてない覇気が感じられた。それほどまでに初号機の存在は、これまでの戦闘で確固たるものになっていたのである。

 そしてさらに聞こえた声に、発令所は再び騒然となる。

 

『レイ、聞こえる!?』

「「「!?」」」

『ありがとう、よく粘った! 今からシンジがそっち行くから!』

「あ、アスカ!?」

 

 ミサトが驚きの声を上げた。するとすぐ後方の扉が開き、そこからアスカが加持と共に現れた。

 モニターを見たレイも、その姿に息を呑んだ。

 

『アスカ……無事なの……!』

「心配かけてごめん。今から作戦を言うわ、避けながら聞いて!!」

『っ……、ええ!!』

 

 その返事に、アスカは笑った。

 ミサトは2人の会話を聞きながら、堂々と佇む随伴者に驚きと困惑の表情を向けていた。

 

「加持……」

「もう初号機は止められない、あとは彼がどうするかだ」

「アンタ、まさか……」

「待て待て、俺じゃないぞ?」

 

 加持は笑いながら、マイク付のヘッドセットをつけたアスカを一瞥した。

 

「……まったく。ただじゃ済まないわよ……?」

「……上等さ」

 

 

 

 シンジはインターフェースヘッドセットを付け、エントリープラグへと座り込む。

 そして、静かに語りかけた。

 

(さあ、行くよ。初号機、母さん)

 

 

 

 

 

 そして。

 

(さあ、約束の時だ。碇シンジ君)

 

 日の傾き始めた第3新東京市の上空に、紺の影が揺らいだ。

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

ゼルエル戦、終わらなかったぁ!!!笑(本当にすみません。笑)

どうも、ご無沙汰しておりますジェニシア珀里です。
前回の第17話(前編)を無計画に書いてしまったのと、破のサントラをリピしながらひたすら書いていたらまさか書きたいことがこんなに増えてるなんて、ねぇー?(汗)
そんなわけで初の前中後の3話展開になってしまいました。
シンジ・アスカ・加持の対話パートが異様に長くなっとる……綾波が必死にやってんだよ、早く行きなさいよっての(←すべて作者のせい)
まあ、再編するときにまたその前後関係は書き直すかもしれません(再編するかどうかも現段階では全くの無計画ですが()。)

いろいろな部分を解説するのが大変なので、今回以降は来た質問に答えていきます。返信はなるべく早く行うので、聞きたいことがあればコメント欄(感想欄)へどぞ。(適当すぎてホントごめんなさい。疲れたので許して……)

さぁ、頑張って後編書くぞぉ……。(苦笑)
あ、それから第二部(Dep-2.00)、次回で終幕(になるはず)です。

応援してくださっている皆様、いつもありがとうございます。今後もジェニシア、精一杯頑張ります。よろしくです。


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第拾玖話 見知らぬ明日(後編)

アスカ&宮村優子さん、誕生日おめでとうございます♪
そんな日に投稿する、破壊の終章。
開始。




《Extra:STEEL》


「いい?」

 大勢の大人を前に、1人の少女は鋭い目で言葉を発した。

「いま、第10の使徒が第3新東京を襲ってる。この戦いには辛うじて勝てるとは思っているけれど、問題はその先」

 彼らの囲むテーブルに、何百桁にも及ぶ数字の羅列が映し出される。

「エヴァンゲリオン初号機は神の力を手に入れると思う。その展開は、必然的なものよ」

 息を呑む大人たちに、少女は小さく頷く。

「だからいま一度、ここにいる全員に質問する。計画を壊し、他者とこの地球(ほし)の存在を護る、その覚悟はある?」

 反論する者は、誰一人としていなかった。

「オーケー。それじゃ、始めるよ」





【第拾捌話 見知らぬ明日(後編)】

【Episode.19 Quickening】

 

 

 

 

『2号機! 真希波よね!?』

 

 通信装置から、再び発令所の声が響いた。

 

『アンタは早く撤退して! その状態じゃ戦闘は無理よ!』

 

 しかし、マリは動じなかった。頭から血を流したまま、零号機と攻防を続ける眼前のゼルエルを睨み続けていた。

 

『真希波!!』

「そんなこと言って、大尉だってこの状況で引くわけないでしょ……?」

 

 断線したアンビリカルケーブルの断片を左肩に巻き付け、足と右腕で目いっぱい締め付けて止血を試みる。神経系統に刺すような痛みが走るが、歯を食いしばって我慢を貫く。

 

「……その状態で、戦おうっての?」

「っぐ……無茶なのは承知。ここまで来たからには引き下がれないよ。それこそ、It is the final decision we all must take……だし!」

 

 その様子を見たアスカはため息をついて首を振った。非常に癪だが、この女は自分に似ている、そうアスカは思った。

 ならば。

 

「まったく、とんだ強情ね……いいわ、やってみなさい」

『ラジャ……!』

 

 悔しいとかどうとかはこの際無視することに決め、アスカはマリに、2号機を託すことにした。それだけ賭けてみる価値はあると判断したのだ。その意図はマリにも伝わった。赤く染まったままのエントリープラグで、マリは不敵な笑みを浮かべて舌なめずりをした。

 

「シンジ! 聞いたわね?」

『了解、作戦は正面強行でいくよ!』

 

 アスカは息を飲む。さっきのルート32で話したことだ。

 ゼルエルの堅牢なシールドを破るには、覚醒が最も確実ではあるかもしれない。だが、それによってシンジが初号機に取り込まれる可能性がある上、覚醒自体、ゲンドウの思惑に乗っかってしまうことになる。

 それを避けるために、飛んで火に入る夏の虫の如く、逆に近接戦闘で攻めるのが確実だと踏んだのだ。

 

「……本当に、それでいいのね?」

「ああ。地力のまま勝つには、近接しかない……!」

「……わかった。ゼルエルのA.T.フィールドが弱まるわずかな隙をつくしかないから! レイはヤツの攻撃を引き出してちょうだい! どう、やれる?」

『三段構えってことね……! わかったわ!』

「オーケー、真希波はA.T.フィールドの破壊を!」

『ガッテンでぃ……!』

「よし、オペレーション開始!」

 

 アスカの指令と共に、3機のエヴァが動き出す。

 レイはハンドガンを手に、再びゼルエルを引きつける。リツコが構築したN型防御システムのおかげもあってか、ゼルエルの動きははっきり見えていた。

 そしてさらに、その機能が吉となる。零号機のコックピットに警告音が響いた瞬間、まず2号機が駆け出す。

 刃腕の攻撃が零号機へと向けられたその隙に、斜め横から飛びつく。更にその背後から、シンジの初号機が残ったA.T.フィールドの膜にプログナイフを突き立てる。

 だが、ゼルエルの堅牢さは、彼らの予想を遙かに上回っていた。A.T.フィールドの連続的な発生だ。何十枚と破ってもなお、その奥から湧水の如く膜が生まれていたのだ。

 N2ミサイルでも持っていたら違ったのだろうが、初号機と2号機の2機を持ってしても、まだ破りきることができなかった。

 

「くっそ、破りきれない!!」

「碇君、逃げて!!」

 

 レイの叫びに、シンジは一旦飛び引く。刹那、ゼルエルの刃腕が直前までシンジのいた空間を切り裂いていく。

 

「2機がかりでも……?!」

『ダメだ、防御のレベルが異次元すぎる……!』

 

 経験が当てにならない。想像すら超えてくる。発令所に緊張が募る。アスカも拳をコンソールに叩きつけた。

 

「っんもう、どんだけ堅牢なのよ……っう」

「アスカ?」

 

 突然の呻き声に、加持が異変を感じた。見ると、アスカの額には脂汗が浮かんでいた。加持は咄嗟に声をかけた。

 

「おい、大丈夫か?」

「……っ、大丈夫よ。しばらく寝てたせいね……それより、あのA.T.フィールドを破る方法を……!」

 

 アスカは額の汗を右手で拭うと、目前のモニターで未だに浮遊するゼルエルの突破口を、必死に探る。

 

「どうする……。僅かでもいい、一瞬でもいい、破れる策は……」

「……なら、あれがあるじゃない」

 

 ミサトが、何かを思い立った。すぐにその内容をマコトに向かって叫んだ。

 

「日向君、戦自に繋いで! 陽電子砲の最新版を派遣してもらうように要請!」

「それならビンゴですよ、たった今向こうから来ました。陽電子ライフルの第5次試作型、ジオフロントに配備完了です!」

「……これまでの対応が吉と出たわね。あと、彼女にも、か」

 

 ミサトは不敵な笑みを浮かべた。

 ラミエル戦、サハクィエル戦で用いた陽電子砲のリニューアル版。戦自の方から協力してくれたのはできすぎている展開にすら思えた。

 しかしこの機を逃すつもりはない。生温い汗も浮かぶ緊張感に、ミサトは武者震いした。

 

「そうか、あの武器なら……」

 

 アスカもその選択肢に、希望の光を見た。

 マコトがさらに続けて報告し、ミサトはそれを受けてアスカへと伝えた。

 

「地点はK-240! 射撃システムはエヴァ用に換装済み!」

「あとは好きに使いなさい、アスカ!」

「……Danke! 聞こえたわね、シンジ!!」

『ああ! 綾波、ライフルをお願い!』

 

 射撃はレイが一番信頼できる。シンジは咄嗟にレイへと伝え、レイはすぐに走り出す。布陣は決まった。

 

「真希波! もう一度行ける!?」

『っ……なんとかね。ただ、今度こそラストっぽいよ、これ』

「そうね、1度失敗してる以上、悟られたら終わりよ。次が最後のチャンス、いいわね!」

『『了解!』』

 

 そして、ミサトもさらに叫ぶ。

 

「残りの通常兵器も全て投入させるわ! 青葉君、N2の発射オペレーションをこっちに回して!」

「了解! 全て同時発射するよう切替を要請します!」

 

 これがラスト。全てを賭ける。

 必ず成功させる。成功できる。

 その思いだけが、彼らの心にあった。

 

「大丈夫……絶対やれる……」

 

 アスカが、祈るように呟いた。

 そして、ミサトが合図を出す。

 

「行くわよ。N2、発射!!」

 

 ジオフロントに十個以上のミサイルが一斉に降り注ぐ。ゼルエルはその堅牢な体表で防ぎ、次の瞬間、地表を吹き飛ばしかねない程の爆風と閃光がジオフロントを包む。それに乗じ、シンジはハンドガンでゼルエルのコアに突っ込みながら狙い撃つ。それに気付いたゼルエルが刃腕をシンジへと向けた。

 

「レイ!!」

『……っ!』

 

 シンジはコックピットの警告音を聞き、前へと駆けながら跳び上がる。そして目と鼻の先、間一髪でゼルエルの刃腕を躱すことに成功する。そしてその奥から、蒼白い光がコアめがけて直進する。

 ゼルエルはすぐさまA.T.フィールドを張るが、最新鋭の陽電子ライフルは伊達ではない。何層にも重なった膜を、一発で貫いていく。ゼルエルは咄嗟にコアを肋骨のようなシールドで辛うじて守り通す。

 膜状のA.T.フィールドはたった1カ所の綻びから瞬間的に崩壊していく。いくら束になっているとはいえ、だ。

 

「でぇえりゃぁぁぁぁあああっっ!!!」

 

 その僅かな綻びに、マリの2号機が飛び込んだ。今度は何層にも重なり合うバリアの塊に跳ね返されることはない。

 そして、跳躍していたシンジが上からコアめがけてナイフを振り下ろす。マリに気をとられていたゼルエルは、最強の刺客の攻撃を諸に受けることとなる。

 

「捉えたぁ!!」

『よし……っ!!』

 

 2号機がシールドをこじ開け、初号機がその隙間から刃を突き立てることに成功する。

 

「ぐぅ……っ、もうちょい……!」

『全軍目標腕部に撃て! 初号機に攻撃させるなっ!!』

『戦自にも繋いで!!』

『無人攻撃機も全残機投入!』

『良いから、損害は全てこっちで持つ! 徹底的にやれ!!』

『着弾開始!』

『陽電子ライフル再充填完了します!』

 

 幾多にも飛び交う指令の中、アスカがとりわけ大きい声で叫ぶ。

 

「レイ! もう一度っ!!」

『っ……!!』

 

 トリガーが引かれた。銃口から放たれた光は、一直線にコアを突き破る。

 次の瞬間、ゼルエルは幾つもの黒い帯腕を張り伸ばした。かと思えば、最初に出現した蛹の様相を見せるかのように、もの凄い速さで身体中に腕を巻き付け始めた。

 明らかに異変が生じていた。モニターの数値にも異常が示されていた。

 

「目標のA.T.フィールド反転! 内部エネルギー、増大していきます!!」

「……自爆か!!?」

『碇君、逃げてっ!!』

 

 レイの叫びに辛うじて2号機は退避したが、シンジはトドメを刺そうとその場を動かなかったのだ。

 否、仮に逃げていたとしても、時既に遅しだ。ゼルエルはコアを中心として、すなわち初号機の四方八方を、しっかりと包み込むかのように腕を巻き付けていた。

 結果、その腕にガッチリと包囲された初号機は、巨悪なエネルギーを発するゼルエルの自爆に巻き込まれることとなった。

 

「シンジ……っ!!」

「マヤ、初号機は!?」

「爆発による衝撃波でモニターできません!」

 

 爆発の衝撃はNERVにも直撃する。かなりの揺れに、ミサトや加持も直立姿勢を保つのがやっとだった。

 その威力に、ミサトは巻き込まれた少年の安否を思案した。額を、嫌な汗が伝った。

 

「救護班の出動待機させて!」

『各モニター、回復します!』

「エヴァ各機の状況は!?」

「2号機、零号機は確認取れています! 初号機は……」

 

 ミサトとリツコが息を呑む。

 

「機体は中破、パイロットは、意識不明……。ですが、心音脈拍に異常はありません……!」

 

 その言葉に、全身の力が抜けた。一瞬は残酷な報告も予感した。それだけに、無事だということが確認されたのにはひたすら安堵だった。

 特にアスカは、心臓が止まりそうなほどまで張り詰めていた緊張が、一気に解けていくのを感じていた。

 

「……っ。……よかった……」

「初号機のプラグを射出。救護班向かわせて」

「こちらからのコントロールはできません。恐らく先ほどの爆発で関係機能が……」

「……人力でやるしかないかぁ」

『なら、私が連れて行きます』

「レイ?」

 

 レイの突然の提案に、ミサトはキョトンとした。

 

『ケージまで行きます。初号機を連れて』

「……ムリしなくて良いのよ?」

『これぐらいさせて? アスカと碇君には、助けてもらってばかりだもの……』

「……まったく」

 

 そう言い、アスカは笑った。

 

 爆発によってジオフロントは大半が焼け付いてしまった。折角加持が育てていたスイカ畑も、一から作り直さねばならないほどだ。

 とはいえ、発令所の面々も、アスカも、レイも、すっかり安心していた。笑顔が浮かんでいたほどだった。

 2号機内でも、マリが零号機が初号機の元へと歩いているのを横目に見て微笑んでいた。

 

『青春だにぇ……君には驚かされてばっかりだよ、ワンコ君……。……ん?』

 

 視界の隅で、何かが蠢く。マリはその方向にふと視線を向けた。

 次の瞬間、マリは叫んでいた。

 

『零号機っっっ!!!!!』

 

 

 

 ******

 

 

 

「っ!?」

 

 マリの、耳をつんざくような叫び声の直後、零号機が大きく揺れた。レイは一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 

「…………っ?」

『……レイ?』

 

 息ができない。胸の中心に、違和感がある。

 次第に痛覚が襲ってくる。

 

「……ぁ、……う……っ?」

 

 零号機の中心を、漆黒の刃が貫いていた。

 発令所は騒然となった。

 

「目標は!? どうなってるのっ!?」

「パターン青、再検出……! コアは……ありません……!」

「そんなバカな……!?」

「レイ……!!」

 

 アスカも目の前で起きている事に理解ができない。

 

「零号機、侵食されていきます……!」

「マズい……! レイを脱出させて、早く!」

 

 アスカは慌ててマコトに指示を出す。しかし、無情にも状況は瞬時に彼女らを裏切っていってしまう。

 

「ダメだ、コントロールが乗っ取られてる!」

「そんな……何とかできないの!? このままじゃ……うっ……ぐ……」

「アスカ!?」

 

 ほんの数秒だった。顔を歪め、アスカがその場に倒れたのである。急な頭痛が彼女を襲っていた。左目を抑えながら、蹲ってしまった。

 加持がすぐに駆け寄り、ミサトも思わず声をかけていた。

 

「おい、アスカ!!」

「ちょっと、大丈夫!?」

「青葉、救護班呼べっ!!」

「しっかりして、アスカ!」

 

 アスカの返答はない。ただただ苦しげに、身体を震わせていた。

 何がどうなっている。一気に発令所は混乱に陥っていた。

 

「お、おい葛城……!」

「何よ! ……え?」

 

 加持がアスカの頭を支えながら、目の前の様子に言葉を失った。ミサトも加持に言われてモニターに目を向けるが、信じられない光景が広がっていた。

 ジワジワと黒く染まっていく零号機。拘束具は弾け飛び、頭部は変形してゼルエルの顔のようになってしまっていた。

 

「融合、しやがった……!?」

「識別信号は!?」

「未だ零号機です! ですが、プログラム数値が混濁化しています……!」

「通信機能もブラックアウト! 乗っ取られます!!」

「マズい……やられた!」

 

 このままではドグマまで降下されてもNERV本部は自爆しない。リリスに苦もなく辿り着いてしまう。

 しかもショックなのは、レイが取り込まれてしまったことだ。ミサトは悔しさのあまり、コンソールを思いきり叩きつけた。

 零号機の動きはゆっくりだった。やはりゼルエル自体、先ほどの自爆の影響は少なからず見られるようではあった。とはいえ、次にNERV本部へ向けられた破壊光線は、無惨にもその本部の表面を焼き尽くす。

 

「地上装甲板融解!!」

「メインシャフトが丸見えだ、どうする葛城……!?」

「っ……ここに来る。非戦闘員退避、急いで!! 加持、アスカを連れて脱出して」

「分かった……!」

 

 しかし次々と入ってくる情報に、発令所にも危険が淡々と近づいているのは明白だった。

 総員退避に拡大すべきか。そう考え始めた時、ミサトはキーボードを叩き続ける友人の姿に気づいた。

 

「リツコ、何やってんの! 奴がここに来るわよ!?」

 

 彼女は技術開発部長とはいえ、武術行使をすることはないに等しい非戦闘員だ。

 だがリツコは逃げようとしない。歯を食いしばり、考えに、考えに、考え続けていた。ミサトの声すらも、届いていないのかもしれない。

 

「……リツコ?」

(どうすればいいのよ……)

 

 リツコは初号機を、シンジを呼び起こそうと必死だった。最後の希望に縋るが如く、祈っていた。

 

(助けてよ……、シンジ君……、ユイさん……!)

 

 その時。

 ガンッ-と、背後で鈍い音がした。その音に、リツコは思わず振り返った。ミサトもつられて振り返った。

 加持が頭を抑えて顔を歪めていた。誰かに攻撃でもされたかのように、司令塔の壁に思いきり頭をぶつけたらしい。

 

 ……攻撃?

 

 違和感を覚え、視線をずらすと、加持に運ばれようとしていたはずの少女が、ゆらりと立ち上がっているのが見えた。

 

「ア、アスカ……?」

 

 突然、マヤのモニターから警告音が鳴り響く。

 しかし振り返ったのはそばにいたマヤだけだった。

 それほどまでに異様な、不気味な、力が見えた。

 

 少女は、マコトのコンソールに向かって、ゆっくりと足を進め始める。その姿から、誰も目を離せない。

 歩きながら、少女は片手を左頭部に持って行く。そして巻かれていた包帯を、スルリと解いた。

 

「パターン、青……?」

 

 マヤが、か細く呟いた。

 モニターに表示された、新たな(・・・)使徒の反応。

 場所は、第1発令所の中心にあった。

 その瞬間、彼女の左目の奥深くで、蒼い光が揺らめいた。

 

 ドンッ-!

 

「ヒッ!?」

 

 発令所に銃声が鳴り響いた。その場にいた全員が心臓を跳ねさせた。

 ゲンドウの手に握られた拳銃から、煙が上がっていた。その銃口は、彼女に向いていた。

 

「嘘、だろ……?」

 

 加持が、驚愕に顔を固めた。ゲンドウが引き金を引いたことが、一瞬信じられなかった。しかし何より、彼女に弾は当たっていなかったことに、全員が言葉を失った。ミサトもリツコも、位相変換の膜をモニターを通さずに見たのは初めてだった。

 A.T.フィールドを発生させた手を下ろすと、ゲンドウを睨み付けたまま彼女は言った。

 

「マヤ、今すぐにMAGIに接続している全記録装置のフル稼働をして」

「き、記録装置……?」

 

 急な指示に、マヤは思わず訊き返した。

 

「青葉一尉は2号機にアクセスしてプラグの強制排出を。日向一尉は発令所とケージからジオフロントまでの全隔壁の解放をお願い」

「ア、アスカちゃん?」

「一体、何を……?」

「急いで。ミサト、あとは頼む」

 

 そう言い残すと、なんとコンソールから身を乗り出し、飛び降りたのだ。

 

「ちょっ!?」

「アスカっ!!」

 

 誰もが目を疑った。次の瞬間、メインモニターが破壊され、零号機と融合したゼルエルがミサト達の眼前に出現した。

 しかしその正面から、跳び上がったアスカが思いきり拳を振るう。A.T.フィールドの塊が、その巨体にクリーンヒットし、ゼルエルは壁を突き破りながらケージの方へ飛ばされる。

 

「……! アスカの指示に従って! 射出口の固定ロックも全解除!!」

 

 ミサトが叫ぶ。

 

「ミサト、まさか!」

「アスカが向かったのはエヴァのケージ、奴をジオフロントまで押し戻すつもりよ……!」

 

 その言葉通り、少女はA.T.フィールドの塊でゼルエルを射出口へと叩きつけると、自身も壁伝いに飛び跳ね、ゼルエルの破壊光線を避けて射出の強制スイッチを蹴り入れる。

 すぐさまゼルエルと少女はリフトによって、強制的に上昇させられる。

 

「ジオフロントへ行くわよ! 作業急いで!!」

 

 ミサトは恐怖と焦燥に震える身体を必死で抑えながら叫んだ。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ぐっ……っ!!」

 

 空中へと放り出された少女は、そのままゼルエルを地面へと叩きつける。体躯の大きさが敵の100分の1にも満たないというのに、果たしてどこからその力が来ているのか。

 少女は拳で何度もゼルエルを叩き続ける。その拳からはA.T.フィールドの壁塊が出現し、ゼルエルの中心部にクリーンヒットする。

 

「はぁっ……!! ぅうぁっ!!」

 

 小さく声を上げながら、一回一回、確実にゼルエルのコアを破ろうと試みる。

 しかしゼルエルも黙ってやられるわけはなかった。すぐさま手を黒く染め上げると、その腕を少女に向かって突き出す。

 少女は咄嗟に腕をクロスさせA.T.フィールドを張る。間一髪でゼルエルの刃は少女には届かずに済んだが、A.T.フィールドごと吹き飛ばされ、少女はジオフロントの地面へと叩きつけられる。

 

「っが……ぁ!!」

 

 少女は敵を睨み付ける。ゼルエルがゆらりと立ち上がり、少女を眼下に捉えた。

 ゼルエルの目の奥に光が輝き始める。少女は息を呑む。

 

 やられる-アスカは目を瞑った。

 

 だが、そうはならなかった。

 ゼルエルと少女の間に、紫鬼がいた。

 

「碇……シンジ……」

 

 少女は目を見張った。

 初号機が、仁王立ちになりゼルエルの光線をフィールド一つで防いでいたのだ。

 ゼルエルは刃腕を初号機の張るフィールドへと伸ばし、至近距離からもう一度光線を浴びせようとする。しかし、その光は初号機には届かない。

 次第に、初号機の緑色が、赤く輝き始める。

 ジオフロントへと駆け出してきたミサト達も、初号機の異常な力に、言葉を失いかけていた。

 

「初号機に、一体何が……?」

「分からない……。だけど……」

 

 リツコは何か嫌な予感がして、マヤに訊ねた。

 

「マヤ、プラグ深度は……?」

「170、いえ、180をオーバーします……これ以上は……!」

 

 マヤは悲痛な声を上げた。後に続く言葉は、聞かなくてもリツコには分かる。

 ヒトに戻れなくなる、と。

 だが、リツコには止めることができなかった。

 

『……聞いてるか、バルディエル』

 

 初号機から、怒りに震えた声が発せられた。

 

『俺は、お前らが憎いよ』

 

 ゼルエルの光線に、一切動じていないその姿は、少女の、バルディエルの目に痛いほど焼き付いていた。

 

『俺から何度も大事なものを奪って、傷つけて、殺して』

 

『憎くて憎くてたまらない。きっと分かんないんだろ、この感情は』

 

『でも、もう誰も、何も奪わせない。アスカは……綾波は……』

 

 シンジの眼は、紅く光っていた。

 

『絶対に返してもらうからなっ!!!』

 

 初号機の目から放たれたエネルギーの光が、ゼルエルを切り裂く。

 その破壊力たるや、凄まじかった。

 いつの間にか、初号機の頭上には天使のような光の輪が出現していた。

 

「……他者の存在があってこそ、自分を自分、たらしめる、と?」

 

 初号機の力を一番至近距離で見ていた少女は、陰でも陽でもない零の表情で、シンジの言葉の真意を探った。

 そして同時に、何かが、空の隅で光ったのを見た。

 

「それなら、私にちゃんと、教えてみなさいよ」

 

 少女は静かにそう叫ぶと、落ちてくる一筋の光に手をかざした。瞬間、2号機が跳び上がる。そしてそのまま初号機の真上で、落ちてくる一筋の光と衝突した。

 2号機はそのまま力を使い果たしたのか、地面に派手に転がり落ちる。その側に、1本の槍が刺さる。

 

「一体何が……!?」

 

 ミサトは目の前の状況が理解できない。ミサトだけではない、その場にいた誰もが、そう思ったであろう。

 

(おやおや、君は僕に刃向かうつもりかい?)

 

 少女の脳内に、どこからともなく声が響く。

 

(それにキミの願いは、こんなことではないだろう? 君に、干渉する意味などないはずだ)

 

 その言葉に応えるように、少女は黙ったまま、空上を睨み付ける。

 

(それはこっちの台詞よ。世界がどうなろうと、それは彼が選ぶ道。守ることがどんなことか、私は知らなければならない。邪魔なんてさせないわ)

 

 既に射出されていたプラグから出てきたマリは、倒れている2号機を見て呆れるように笑う。

 

「……なるほどね、既にシン生の啓示を受けてた、と。これじゃ、説明できることが少なすぎるよなぁ」

 

 マリが更に横を向くと、初号機が倒れたゼルエルのコアに向かって手を拡げていた。

 強烈な力によって侵入を拒むコアに向かって、シンジは叫んだ。

 

「綾波、どこだっ!!」

 

 その言葉に、ゼルエルの中で何かが揺れた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 レイは、ゼルエルのコアの中で身体を必死に動かそうともがいていた。侵食され、コアの奥深くに閉じ込められ、それでも抗おうとしていた。だが無情にも、ゼルエルはレイを解放しようとはしなかった。

 

(……なぜ、あなたたちは)

 

 -こんなことをするのか、って?

 

 目の前の自分を-自分の姿を模したゼルエルを睨み付けるレイに、ゼルエルは不気味ともいえる薄ら笑いを浮かべる。

 

 -あなたたちがいけないのよ。わたしたちは、ただ生きたいだけなのに。なのにあなたたちは、よってたかってわたしたちをせめる。

 

(だからって……)

 

 -あなただって。ホントウはいてはいけないヒトのくせに。

 

(……っ!!)

 

 -ヒトのエゴによってつくられたニセモノのくせに。

 

(違う! 碇君は……アスカは私を認めてくれた……! 私は私しかいない……そう言ってくれた。だからこれ以上、あなたの好きにはさせない……!)

 

 -そう? でももうオシマイよ。あなたはもう、ここでしか生きられない。

 

 ゼルエルは勝ち誇ったように微笑む。だが、それでもレイは諦めることはしなかった。

 

(……あなたには分からない)

 

 -?

 

(碇君が、どんな思いであなたたちと戦ってきたのか。アスカが、どんな思いで私たちを守り続けてきたのか。きっとあなたには分からない)

 

 シンジの日記に書かれていた言葉の数々を、レイは思い出す。過去から遡り、未来を、幸せを掴むために、駆け抜けてきたシンジとアスカ。その根底にあった、覚悟と決意。

 

『世界のために、アスカのために、僕は何ができる?』

 

 日記の最後に書かれていた、シンジの、自身への問いかけ。葛藤と後悔と、そして罪にすらまみれても。絶対に大切な人を守りたい。アスカを助け出した時に涙を流した、そんなシンジが、レイには気高く、美しく見えていた。

 手にしていたS-DATを、感覚のない手でしっかりと握る。誰にも、その信念を曲げさせないと言わんばかりに。

 

(何があっても、大切なものを守る。それが私たちの、生き方なの)

 

 その時、コアが大きく揺れた。

 

 

 

 初号機は使徒のコアに手をかざしたまま空へ浮かんでいく。頭上にあった光の輪は、赤いブラックホールのように変化し、徐々に大きくなり始めた。

 

「そんな……形状制御のリミッターが消えています!解析不能!」

 

 マヤはモニターを見て驚きの声を上げる。

 

「センパイ、これって……!」

「ええ。人の域に留めておいたエヴァが本来の姿を取り戻していってる。人のかけた呪縛を解いて、人を超えた神に近い存在へと変わっていく」

 

 リツコは目の前で起きている現象を、自分の持てる語彙を全て使って語り始めた。

 

「天と地と万物を紡ぎ、相補性の巨大なうねりの中で、自らをエネルギーの凝縮体に変身させているんだわ。純粋に人の願いを、彼らの願いを叶える、ただそれだけのためにね……」

 

 ミサトは初号機が今まさに起こしていることを見て言葉を失っていた。

 

「綾波っ!!」

 

 シンジは光のエネルギーに包まれながら、全力で使徒のコアに手を伸ばして行く。初号機は両手をかざして全エネルギーをコアに集中させる。すると、遂にコアの表面が解放され、深部への道が開かれる。シンジは操縦席を飛び出してエントリープラグの深部へと這って行く。

 

「うぅ……くっ……くっ……」

 

 意識の向こう側にレイの姿が見える。

 

「綾波っ!!」

 

 シンジはレイのいる元へ必死に潜っていこうとする。少しずつ、少しずつ這うようにして深い場所まで下りて行く。レイを包む闇の海に手を差し込んで、必死に名前を叫ぶ。

 

「綾波っ! 手をっ!!」

 

 シンジは闇の世界に踏み込んでいく、腕を伸ばし、顔を入れ、レイのいる場所へ少しでも近づくために。シンジの意識はそこで焼かれるような痛みに晒される。それでもシンジは手を伸ばし、レイに向かって声を上げる。

 

「碇君……!」

「来いっ!!」

 

 シンジの願いの強さか。レイの身体がゼルエルの呪縛から解放される。すぐにレイは歯を食いしばって、シンジへと手を伸ばす。

 

 -なぜ……?

 

 ゼルエルの疑問の声が、レイに問いかける。

 

 -なぜ、そこまでのことができるの?

 

 純粋な疑問だった。

 綾波レイは、その疑問に、自信を持って答えた。

 

「碇君は……アスカは……」

 

 今までの、3人の記憶を辿る。そして、

 その幸せの記憶に、笑った。

 

 

 

「私の一番大切な、友だちだから……!」

 

 

 

 レイはシンジの手につかまる。シンジはレイの手を掴むと、全身全霊を込めて闇から引き上げる。

 同時に、初号機が使徒のコアから手を引き抜く。使徒のコアは分解し、一つの形に収束する。コアの結晶はレイの姿に変わり、初号機と共に天空へと上って行く。

 

「始まるのか……」

 

 加持がミサトの隣で小さく呟いた。ミサトはペンダントを握り締めながら、震える声で言った。

 

「これが、答えなの……?」

 

 世界の終わり。セカンドインパクトの続き、サードインパクトの始動。

 ミサトには分からなかった。シンジが、初号機が、何故こんなことをしているのか。

 返答をしたのはリツコだった。

 

「……これで終わるはずない」

 

 祈るように、リツコは目を瞑った。

 

「あの子たちの願いは、世界すら変える。でも、守ろうとする、誰よりも強い心がある。私は、そう信じてる……」

 

 かつて使徒のコアだったレイの姿をしたものが、初号機に取り込まれて行く。初号機の上空に渦巻く赤いブラックホールの拡大は勢いを増して、全ての物を飲み込んでいく。初号機は赤い光に包まれて宙に浮かんでいた。

 

 その様子を、金髪の少女はじっと見守っていた。

 

「……この世界では、『覚醒』はあなたたちの知っている以上のことが起きるのよ。それでもまだ、この選択が正しいって言える?」

 

 少女はどこかへと言葉を投げかけた。

 そして数秒後、再び目を開いた。

 

「……そう。それなら、取るべき選択は一つね」

 

 少女は再び手をかざした。

 

「2号機、最後の仕事よ。もう少しだけ、耐えてちょうだい」

 

 2号機の目が光る。もうほぼ動かない身体を必死に動かし、そばに刺さっていた槍を抜き、最後の力を振り絞って空中に投げた。

 

 そしてその槍は、光の翼を広げる紫鬼を、貫いた。

 

 

 

「……イレギュラーがもたらすシナリオの変化、か。君とは相容れることはなさそうだね、惣流さん」

 

 赤いブラックホールが消え、満月の輝く夜空が戻った第3新東京の上空から、紺色のエヴァがゆっくり降下していく。

 

「碇シンジ君を幸せにするのは、この僕だ」

 

 渚カヲルの顔からは、いつもの笑みが消えていた。

 

 

 

 

 




☆あとがき

ここからは本格的に読者を選ぶような展開になるなと、書き終わって100%確信した作者:ジェニシア珀里です。
まず、ここまで応援してくださった皆様、大変ありがとうございました。皆様の応援があったからこそ、ここまで書いてくることができました。

いやはや、何といいますか。遂に辿り着いてしまったなという感じです。今作で書くべき、書かなければならないなと思っていた近作5話にわたる3号機編とゼルエル編。これを書き切った今、安堵感に満たされています。

とはいえ、原典の新劇ヱヴァ同様、謎を残したままにした第二部。
今回でDep-2.0:破章も終幕とし、次回から遂に、Dep-3.0:Q章へと突入していきます。
破章までは全てのエヴァファンと共有したい思いで書きましたが、Q章からは容赦しません。(原典の新劇並には。)
私の趣味、嗜好をこれでもかと言うほど詰め込んでいこうと思います。それが先に書いた、「本格的に読者を選ぶような展開になる」という言葉です。
(※LASRを根幹にするのとハッピーエンドを目標にするのは変わりませんのでご安心を)

それでも読んで頂けるならば、投稿者としては嬉しい限りですので、今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。

感想、ぜひぜひお待ちしています。励みになります。笑
それからエヴァファンの皆様、本日から始まる旧作上映と来年1月のシンエヴァに向けて、よければTwitterで繋がりましょう♪
それと、C99に向け、ジェニシアの中の人は少々忙しくなるので、次章の投稿は遅くなるかもです。(元から遅いっつーのw) ご了承ください。
ではでは、また次回♪

《Twitter》
ジェニシア珀里:@LASR_eva2020SC





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Eternal Victoried Angel
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Q章:Dep-3.00
第弐拾話 急襲起動


 

 目を開くと、そこは見知らぬ場所だった。

 眼前の窓の外は、赤い海の中。

 波が揺れているのが、分かった。

 

「……ここは?」

 

 空気が、冷たい。

 寒さが、脊髄を叩く感じがした。

 

『碇シンジ君』

 

 背後からの声に、思わず振り向く。

 

『あなたはもう』

 

 その声の主に、僕は驚いた。

 

『何もしないで』

 

 次の瞬間、爆発と衝撃波に吹き飛ばされる。一瞬見えたのは、見慣れた黄色いエヴァと、見たことのあるような女性の叫ぶ姿。

 

『碇君、どこ?』

『エヴァにだけは乗らんでくださいよ!』

 

 僕はそのまま、翼を広げる機体から空中を落ちていく。

 

「何だ、あれ……?」

 

 青空に、月が浮かんでいた。

 赤く染まった大地が、呆然とする僕を吸い込んでいく。

 

『僕は君と会うために生まれてきたんだね』

「……っ!?」

 

 その声に、聞き覚えがあった。

 声のする方に振り返る。

 紫の機体が、メインシャフトを降下している。

 

『時が来たら、その少年とこのエヴァに乗れ』

『旧姓は「綾波ユイ」、大学では私の教え子だった』

『DSSチョーカーのパターン青? 無いはずの13番目?』

 

 脳内に響く、人々の声。

 紫の機体は、いつの間にか腕を4本にして2本の槍を抜いていた。

 

『こんな時、「綾波レイ」なら、どうするの……?』

『せめて姫を助けろ、男だろ!!?』

『希望は残っているよ、どんな時にもね』

 

 何が、起こっている?

 分からない。何が何だか分からない。

 ただ、最後に聞こえた彼女の声だけが、明確な異常を、僕に突き立てていた。

 

『あれから14年経ってるってことよ、バカシンジ』

 

 

 

 

 

【第弐拾話 急襲起動】

【Episode.20 Turbidity and Déjà Vu】

 

 

 

 

「っ……!!」

 

 目を開くと、映ったのは、見知らぬ天井だった。

 カプセル状の何かだろうか、視界は赤く染まっていて、確実に隔離されているような状態だった。

 

「どこだ、ここ……?」

 

 条件反射のようにシンジは呟く。声は出る。身体も動かそうと思えば動かせる。狭くてままならないことは置いておくとして。

 だんだんと意識が覚醒していくにつれ、脳が徐々に回転を始める。無意識に呟いた言葉も、再び自分の耳へと帰還して、シンジの思考に問いかけてくる。

 周りを見渡してみる。自分のいる場所からは、ベッドを囲む装甲板に阻まれて、あまり外の様子は見えない。

 誰かを呼ぼうかと考えたが、恐らく無意味なのだろうと、すぐに諦める。それに、いずれ誰かが来るだろうと高をくくっている部分もある。

 そして意識は、なぜこんな場所にいるのだろうという疑問へと、明確に向く。シンジは記憶を辿り始めた。

 

「そうか、あの時綾波をゼルエルから助け出して……」

 

 そこからの記憶はない。ただ、あの時は無我夢中でゼルエルに立ち向かっていた、その感覚は残っていた。

 だとすれば、また同じようにやってしまったのだ。

 

「シンクロ率、何%だったんだろ」

 

 アンチA.T.フィールドによってL.C.L.に溶けることになった前史同様、多分400%は超えたのだろう。またリツコさんとかに迷惑をかけてしまったな、と情けないながらもため息をついた。

 それと……。

 シンジは、あの戦闘の時に瓦礫の上に立っていた、病院服姿の彼女の姿を思い返す。

 

「……バルディエル」

 

 ヤツに寄生されていたとは、微塵も思わなかった。しかもアスカの人格を乗っ取ってやがった。

 幸い、ゼルエルに刃向かっていたことだけが救いだ。使徒殲滅に荷担した事実は、アスカを処分することには直結しないだろう、そう思っていた。

 だが、気がかりなのには変わりない。はやく、誰か来てくれないだろうか、シンジははやる気持ちを抑えながら目を瞑った。

 その時、扉の開く音が聞こえた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 いよいよ訳が分からない。

 シンジは手と足に装着された枷を見ながら、キョトンとした表情を浮かべていた。

 隔離室からベッドごとストレッチャーで移動させられ、今はエレベーターでどこかに連れて行かれる最中らしい。

 解せないのは、自分に填められた枷と、自分に銃を向ける四人の男だ。いやなんで狙われてるんだ。理由は十二分にある気はするけれども。

 

「……ええ、心肺機能は正常よ。四肢の麻痺もないわ」

 

 それと気になるのは、エレベーターの隅で誰かと会話する一人の女性だった。赤みがかった茶髪で目元は若干鋭い。白衣姿は、どこかリツコさんを彷彿させる格好だ。

 あんな人、NERVにいたっけ?

 シンジがまず思ったのはそれだった。

 

「自分が誰だか分かりますか?」

 

 その女性とは別に、ベレー帽を被った大学生くらいの女性が覗き込んで話しかけてくる。

 

「え……? 碇シンジ……ですけど」

「大丈夫ですね、反応のタイミングも、おおかた先生のデータそっくりです」

「分かったわ。……ええ。とりあえず、彼女に睨まれることはなさそうよ」

 

 会話している相手の声は、シンジの所からは聞こえない。

 

「なら、このまま連れて行くけどそれでいい? ……OK、他にも確認は取っておくわ。じゃあ、よろしく」

 

 白衣の女性は誰かに向かってそう伝達すると、端末を切った。その間にも、ベレー帽の女性からの質問が続けられる。

 

「尿意や空腹感はありますか?」

「いえ……いまのところは」

「分かりました。意識を失うまで何をしてたか、覚えてますか?」

「えと……ゼルエルと、あ、いや、使徒と戦ってました。それで綾波を……綾波レイを助けて、そこからは……」

「なるほど」

 

 シンジは思い切って白衣の彼女に尋ねた。

 

「あの、アスカは。綾波や皆は、無事なんですか……?」

「…………」

 

 返答は無かった。

 

「あ、あの……?」

 

 ベレー帽の少女が、バインダーを握る手に力を込めた。顔が、少し険しくなっている。

 

「先生……」

「私の役目じゃない」

 

 白衣の女性は、小さく答えて、目を閉じてしまった。シンジはその有無を言わさぬ口調に、黙り込むしかなかった。

 2人が誰なのかは分からない。

 けれど、ベレー帽の女性の横顔が、誰かに似ている感じがした。白衣の女性も、何故か声に聞き覚えがあるような気がした。

 

 

 

 エレベーターが地下のフロアへ到着して、シンジの乗せたベッドは巨大な空間へと運ばれて行く。周囲には、何らかの作業を進めるスタッフの声が飛び交っていた。

 

『補給作業、搬入リストの86%までクリア』

「稼働中のN2リアクターは出力で90%を維持、圧力弁は手動で解放してくれ」

「半径1200以内に艦影なし。未確認飛行物体も認められず」

「乗員の移乗は、Dブロックの船を最優先」

「食料搬入作業の人手がまるで足りない! 至急手当してくれ」

「艤装作業、ロードマップをチェック。武装タンクが予定より3%遅れています」

 

 シンジを乗せたベッドが通り抜けようとしている空間には、何かの操縦席と思われる椅子を先端に付けたアーム状の装置が何本も伸びている。無数の丸い窓がはめ込まれた壁はドーム状に湾曲している。

 そして空間に飛び交う会話のところどころに、聞き覚えのある声があった。日向マコトと青葉シゲルの声だ。

 ここは自分の知るNERVの第1発令所じゃない。けれどこの2人がいるってことは、一体。シンジの混乱は強まる一方だった。

 

「艦長さん、BM-03、連れて来たわよ」

 

 白衣の女性が、ブリッジの上で腕を組んで立っている女性に状況を報告する。ストレッチャーの車輪は固定され、目的の場所へと到着したらしい。

 

「了解です。拘束を解いて」

 

 その女性が冷静な声で指示を出すと、シンジとストレッチャーを固定していた拘束器具が音を立てて解除された。

 

「ありがとうございます、先生。あとはこちらで。少尉も下がって結構」

「構わないわ、私もサクラも暫くここにいるから。データの方は送っておいたから好きにして」

「わかりました」

 

 シンジは、体にまとわりついた重力を引きはがすようにして、ベットからゆっくりと体を起こす。ずっと横になっていたからなのか、身体が少しダルい。

 

「い……っつ……」

 

 そして、ブリッジの上に佇む女性の背中に目を向けた。その時、周囲のスタッフたちの妙な気配に気付き、彼らのいる方へと視線を送る。

 

「え……?」

 

 椅子に座る面々のうちの数名が、各々の持ち場に付きながらも、明らかにシンジのいる方へ意識を集中させていた。

 自分へと視線を向ける人々を、シンジは知らなかった。彼らは憎しみか、怯えか。そんな表情を浮かべていた。

 

「何だ……?」

 

 シンジは自分の置かれている状況が把握できずに動揺する。そして、その答えを求めるようにして、ブリッジの中心に立つ女性の方へ顔を戻した。

 

「ミサトさん……?」

 

 シンジは既に確信していた。かつての同居人、NERVの作戦部長、葛城ミサトであることを。

 

「碇シンジ君……でいいのよね?」

 

 ミサトは、奥にいるもう一人の女性へ向かって言葉を発した。

 

「そうね。物理的情報では、コード第3の少年と完全に一致。生後の歯の治療跡など身体組織は、ニアサー時を100%再現しているわ」

 

 カーキ色のジャケットに身を包んだ女性は、電子カルテを眺めながらそう言った。

 金色の髪と知的な声、そして彼女の発する語彙の理系チックさ。

 リツコさんだ。シンジはベッドから降りると、素足で床の上に立ち尽くしてブリッジを見上げた。

 

「深層シンクロテストの結果は分析中よ。……おそらく結果は見えてるけど」

「そうね」

 

 明らかに変だった。リツコは見た感じ、白衣の代わりにジャケットを羽織っている位しか違いは見受けられないが、ミサトの格好はいつものようなラフなものではなくなっていた。鋭い形のサングラスのせいかもしれないが、あのずぼらな性格が一切見受けられないほど、カッチリとしていた。

 

「面会終了。彼を隔離室へ」

 

 そう言ってミサトはモニターの方に向き直す。シンジは唖然とした表情をブリッジに向けた。

 何が起こっているんだ。隔離室? どういうことだ。

 シンジは訳も分からず、眉をひそめるばかりだった。

 その時。

 

「デコイ01と05が消滅。波長も補足!」

 

 場内にアラーム音がけたたましく鳴り響き、瞬く間にEMERGENCYの赤文字がメインモニターを埋め尽くしていく。

 

「なんだろ、これ……?」

「パターン青だよ! 識別コードは?!」

「コード4C、ネーメズィスシリーズです!」

「また来たか……」

「深層が立体的ね。私たちをここに封鎖するつもりよ」

 

 リツコはモニターから得られる情報を的確に読み取っていく。

 

「まだここを動くわけにはいかないわ。全艦、第二種戦闘配置。主機関連作業のみ続行。目標、全ネーメズィスシリーズ!」

 

 ミサトは、全オペレーター向けて力強く宣言した。

 

「了解。全艦第二種戦闘配置」

 

 それを受けてリツコがモニターの表示を切り替え、それに引き続き、マコトが作戦の進行を引き受ける。

 

「対空・対水上および水中戦用意!」

「補給作業を中断。乗員移乗を最優先!」

 

 続くように青葉が受話器を手に取って指示を出す。

 

『積み残しは置いて行け。乗組員の移動が最優先だ』

『各砲塔、各個に発射準備』

「主機伝道システムは注入作業を継続。急げよ!」

『N2リアクター。出力99%で稼働中』

 

 戦闘配置への切替に伴うオペレーターの指示無線の号令の交錯。そのピリついた緊張感に、シンジはどこか懐かしい感覚に囚われてすらいた。

 しかし気になるのは、見たことのないオペレーターたちの手つきだ。説明書を片手に操作するその指の動きは、シゲルやマコトと比べると頼りにならなそうだ。

 

「ええと、艤装作業をここで中断。隔壁の閉鎖を開始って……これか……?」

「対空監視を厳として、トナーの方位はこれ」

「北上! 甲板作業の状況は?」

 

 シゲルが桃色髪の女性に確認を促す。どうやら彼女は「北上」というらしい。

 

「それ、私の担当ですか?」

 

 彼女はシゲルの方へ振り返り、初耳だ、という態度を取っている。シゲルはそんな彼女の態度を気にすることなく続けて言い放った。

 

「兼任だ! 当然だろう!」

「ええ〜! マジィ〜?!」

 

 彼女は、女子学生のようなアクセントで思ったままを声に出す。シンジは思わず呟いてしまっていた。

 

「……緊張感ないなぁ?」

「しょうがないのよ」

 

 背後から聞こえた女性の声にシンジが振り向くと、白衣を着た例の茶髪の女性がブリッジを見上げていた。

 

「この軍は戦闘経験のない民間人が4割を占めてる。オペレーター達だって、この緊急事態に艦長達が骨身を削りながらなんとか寄せ集めることに成功した、心許ない集団なのよ」

 

 シンジは女性から告げられた息の詰まる事実に、唾を飲み込んだ。

 

「寄せ集め、って……。やっぱりここ、特務機関NERVじゃ無いんですね……?」

「……詳しいことは、後で赤木副長が教えてくれるわよ。とにかく、暫くはここにいた方が良いわね」

「そうですね。今動いたらいろいろと危険です。エントリーブロックの方が安全ですし」

 

 2人の背後でシンジを連れて来るためのストレッチャーを固定する作業をしていたベレー帽の少女が、腰に手を当てて立ち上がり、そのまま伸びをして身体の疲れをほぐしながら呟いた。確か「サクラ」と呼ばれていただろうか。

 

「あれ……?『サクラ』?」

 

 シンジは何か大事なことを見落としているような感覚に陥る。その名前に聞き覚えはあるし、同じ名前の少女には自身も何回か会っているのだ。

 だが、そうだとすればこの世界は、予想と経験を超越した未知の状態に突入していることになる。シンジのこめかみを嫌な汗が伝う。

 

「せやけど、艦橋での戦闘配置、緊張しますわぁー」

「ここに来ることはあまりないものね。タイミングは最悪だけど」

 

 2人の会話もどこか緊張感には欠けるものである。だが状況を見るに、この2人は本当に戦闘には何も関わりが無いのだろう。それに、この軍自体が組織されたばかりというなら、オペレーター達のもたつきも確かに理解できる。

 だが、NERVでないのならば、一体どこなんだ。この2人の、それにこの艦にいる人々の正体は何だ。コード4C、ネーメズィスシリーズと呼称されたパターン青は新たな使徒なのか、それとも。

 シンジは与えられた情報から状況を理解すべく、知識総動員で頭を回す。しかし、ミサトが次に発した言葉に、シンジの表情はそれらの情報を超える驚きに支配される。

 

「……了解。各対空システムを連動。初号機保護を最優先」

「初号機……!?」

 

 さらに次の瞬間、メインモニターが一斉に切り替わる。咄嗟に北上と呼ばれた女性が真剣な声で状況を叫ぶ。

 

「来ました! 目標の光の柱を確認、えっと……数がなんだか増えてます!」

「目標コアブロックは捕捉不能。おそらく位相コクーン内に潜伏中と思われます」

 

 シゲルが冷静を保ちながら報告を続けるものの、艦内の緊張感は先程までとは違い、一気に変貌を遂げる。

 リツコは事の展開を懸念しているようだった。

 

「まずいわ。このままだと飽和攻撃を浴びる」

「接触まで、あと600秒!」

 

 北上がカウントダウンを開始する。リツコは作戦の変更を申し出ていた。

 

「葛城艦長。艦隊の即時散開を提案します。乗員の定数および練度不足。おまけに本艦は艤装途中の未完成。おまけに、攻撃目標たるコアブロックも捕捉できない。つまり、現状での勝算はゼロです。ここはいつも通り撤退を。なすすべがないのよ。葛城艦長!」

 

 しかし、ミサトはそれを聞き入れることはなく、リツコを含む皆が驚愕する予想外の発言をかましたのだ。

 

「……だからこそ、現状を変えて後顧の憂いを断つ。副長、飛ぶわよ」

「飛ぶ……? まさか、主機を使う気!?」

「全艦、発進準備! 主機、点火準備!」

「「「ええぇっ!!!?」」」

 

 その場にいた誰もが、その宣言に驚きを隠さない。ミサトがとんでもない賭けに出ようとしているのだと、周囲の反応からシンジも感じ取る。

 リツコやオペレーター達は、次々と艦長・葛城ミサトの発言を撤回するように求める。

 

「いきなり本艦での実戦は無茶よ。葛城艦長」

「同意します! 試運転もなしに、危険すぎます!」

「重力制御も未経験です。自信ありません」

「勝てない戦は無しがいいな。私まだ死にたくないし」

「死ぬときゃ死ぬ、そんだけだ。若いもんが細かくいうな!」

「ええー! 年寄りなら慎重に行くもんでしょ!?」

 

 だんだんとオペレーター達同士の言い争いへと移行していく艦内に、再びミサトが語気を強めて言い放つ。

 

「無茶は承知! 本艦を囮に目標を引きずり出します。神殺しの力、見極めるだけよ。分かってるでしょ、時間がないのよ」

 

 強引に自分の判断を押し通すミサトに、リツコは未だ不安な感情を拭い去ることができていない様子だった。

 

「けれど、肝心の点火システムは未設置なのよ。まさか……エヴァを使う気?」

 

 ミサトは有線のレシーバーを手に取った。

 

「マリ!」

『8号機、まだ無理!』

 

 シンジは瞬時に目を見開いた。通信の相手は真希波マリだ。しかしまだ用意が整っていないらしい。

 ミサトはすぐさま通信先を切り替え、もう1人の名前を叫んだ。

 

「アスカ!」

 

 シンジは息を呑んだ。艦内に、彼女の声が響き渡る。

 

『もうやってる。ようは点火器をぶち込みゃいいんでしょ?』

「頼むわ」

 

 アスカの声を聞いたミサトは、表情を変えずに短く答えた。

 

「しかし、主機周辺は結界密度の問題が……それに、換装作業中でしょ?」

『今さら結界密度問題(それ)言っちゃう?』

 

 アスカが呆れた声でぼやいてくる。

 

『まったく、良くも悪くも慎重なのは変わらないわね、リツコ。それに引き下がるつもり無いのはこっちだって承知済みだし。気にせず出るわよ! エヴァ改2号機、起動!』

 

 シンジは思わず、円形の窓に駆け寄って外の光景を食い入るように見つめる。赤黒く染まった水中に目を凝らすと、右側から真紅のエヴァの姿が現れた。

 

『改2号機、起動』

『換装作業はステップ6を省略、臨時形態で対処します』

「主機点火作業用コンテナをDP87に。以降はコアブロックと改2に委任します」

 

 2号機はシンジの目の前を横切って行く。その姿は、まるで水族館にある巨大な水槽の中で優雅に泳ぐサメのようだった。

 

「エヴァ……2号機」

 

 4つの目の光が1つ欠けていたり、左肩の拘束具が無かったりと、死闘だったゼルエル戦の代償はあまりにも大きいようだった。しかし無事に動いている姿は、やはり安心する。シンジも、眉間に皺を寄せながらも、口元に笑みを浮かべた。

 そして、なによりも。

 

「アスカ、無事なんだ……。……っ、良かった、本当に」

 

 これまでに何があったのかは知らない。しかし、聞こえてきたあの口調、あの明るい声。

 アスカだ。

 バルディエルじゃない、紛れもなくアスカだ。その事にシンジは、涙を浮かべた。

 

「全艦、第一種戦闘配置!」

 

 ブリッジ上のミサトが、もはや聞き慣れたかけ声を強く叫ぶ。艦内の照明が赤に変わり、オペレーター達の指令の声が艦内に響き渡る。

 

『全艦、第一種戦闘配置。繰り返す。全艦、第一種戦闘配置』

「戦闘指揮系統を移行。主要員は戦闘環境へ」

「重力バラスト、準備」

「了解。全ベントをチェック」

「艦の主制御をアンカリングプラグへ集中」

「了解。ディセンド準備。インジェクター確認。カウント入ります」

 

 シンジは意を決して、ミサトを呼び止めようと声を出す。

 

「ミサトさん!!」

 

 オペレーター達の声が止む。艦内のアラート音だけが、規則的にその場の面々の鼓膜を震わせていた。

 シンジは拳を握り締めて問いかけた。

 

「新たな敵なんですよね? 手伝わせてください。僕にできることは無いんですか!」

 

 しかし。

 

「チッ……」

「え……」

 

 オペレーターの1人が、北上が舌打ちをするのが聞こえた。シンジはそれに驚き、オペレーターたちの表情を次々と確認する。そして唖然とする。

 緊張が走る。あきらかに嫌われている。自身が想像していたよりも、はるかに深刻な憎悪だった。

 

「……どういうことですか、ミサトさん?」

 

 オペレーターの乗ったコントロールデスクと、ミサトを乗せたブリッジが、戦闘隊形に移行するために艦内の上部へと移動を開始する。

 無言のまま、ミサトとシンジの距離は、みるみるうちに離れていく。なす術の無いまま立ち尽くすシンジは、自分だけでは正解を導き出せなくなるほどまで膨れあがった疑問と、自分に向けられた敵意に対する恐怖に震えながら、ミサトの目をなんとか見据え続けることしかできなかった。

 ミサトはサングラスを外して、シンジの方を見下ろす。その視線は、明朗快活だった彼女のものとは思えないほどに、恐ろしく冷たかった。

 そして、少しの静寂の後、ミサトはただ一言、言い放った。

 

「碇シンジ君。あなたはもう……何もしないで」

 

 ブリッジは天井付近に差し掛かると、球状の殻に包まれて見えなくなった。そして、その球体は回転しながら上昇を続け、天井のハッチが大きな音を立てて閉じた。シンジは言葉を無くしたまま、球体の消えた先を、ただじっと、見続けた。

 握り込んだ手には、血が滲み始めていた。

 

 

 

「……どうする?」

 

 白衣の女性が、ポケットに手を入れたまま近づいてくる。

 背後ではベレー帽のサクラさんが、不安そうな顔で自分を見ていた。

 

「戦闘の様子、見ていく?」

 

 女性は不敵な笑みを浮かべながら、シンジに問いかけた。シンジは息を大きく吸い込み、歯を食いしばって頷いた。

 

「それにしたって、大した演技力ね、彼女」

「……えっ?」

 

 白衣の彼女は、艦上に上っていったコアブロックを見て微笑んでいた。

 

 

 

 

 

「……ミサト」

「……何?」

「もう少しあったでしょ、……言い方」

「…………」

「まあ……彼らの手前、仕方ないのかしら……」

「始めるわよ、……副長」

「……ええ」

 

 

 

 ******

 

 

 

「まいったなぁ。姫に先を越されちゃうとは」

 

 8号機の機体に腰かけながら、真希波マリはため息をついた。エヴァの起動にはそれ相応の時間がかかる。第2種戦闘配置の一報を聞き、マリは第4巡洋副艦整備甲板からすぐに8号機へと向かったのだが、今回はどうやらお役御免のようだ。

 一方のアスカはまるでこうなることを予見していたかのように、ずっと2号機に張り付いて左腕の換装作業を進めていたのだ。

 最近の彼女の動向には目を見張るものがある。臨機応変な対応を見せ、その場においてベストな方策を導出している。

 数年ぶりに「目覚めて」からも、ひたすら前だけを向いて、その地位を自分で確立させてきたのだ。

 

「それもこれも、……全部彼のためなんだよねぇ」

 

 マリは主艦底部に設置された遠隔カメラの映像をモニターに映すと、小さく微笑んだ。

 

『全艦、第1種戦闘配置。繰り返す、第1種戦闘配置!』

 

 マリは8号機の起動準備を進めながら、コアブロックからの新たな指示を、のんびりと待つことにした。

 

「渋柿の長持ちとは言うけど。こっからが本番だってこと、覚悟しときなよ、ワンコ君」

 

 

 

 






☆あとがき

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開日、ジェニシア珀里は東京に行きたい。世界最速上映をこの目で見届けたい。
そんな思いもありますが、所謂地方の人間は、昨今の状況を鑑みて行くべきではないのでしょうし、緊急事態宣言で最速上映自体どうなることやら。あぁ、悲しきことかな。笑

まぁとにもかくにも、公開が延期され、まだまだ先は長いなとか感じていたと思ったら、もう年明けですよ、あと20日切ってしまいましたよ。笑
公開までの一日一日はひたすらに長いのに、まったく不思議なものです。笑
さてそんな『シン・エヴァ』、どんな物語になるのか、最新予告を見ても毛頭想像ができません。それが余計にワクワクするものですが、本当に連日連夜ソワソワソワソワしております♪

当作も今回からDep-3.0:Q章へと入った訳ですが、シン・エヴァの試写会感想でも言われているような「エモさ」を書きたいなって思いがあるんです。書けんのか、って話ですけどw
正直今回は箸休めです。ほとんど『:Q』を踏襲してますし。笑

次回以降、どうなるか楽しみです(←自分で言うかw)
感想、一言でも良いのでお待ちしております♪






☆追記(2021年3月8日)

ようやく、決まりましたね。
二度の公開延期を経て、ついに終幕の火蓋が切られる。
私も、この後午前10時15分から、鑑賞してきます。
新世紀エヴァンゲリオン第壱話が放送された
西暦1995年10月4日から今日まで、
その日数、9287日。
アニメを、映画を、全てを超越した物語の辿り着く先を、
この目に焼き付けて、
最後のエヴァを、
見届けましょう。

そして私もEternal Victoried Angelを、
きっと決着へと導きます。

今後の当作を、ご期待ください。

西暦2021年3月8日午前3時10分 ジェニシア珀里


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第弐拾壱話 生殺与奪

☆はじめに

当話より、現在劇場公開中の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』に言及した描写を多数取り込んでおります。
また、決まっていなかった今後の展開をREBUILDした結果、確実に『シン・』のネタバレになっている部分もございます。
そのため、まだ『シン・』をご覧になっていない方、まずは劇場に行って鑑賞されることをお奨めします。
庵野監督の最後の『エヴァ』、その世界のリスペクトを根幹に描く私の『エヴァ』、そして皆さんのエヴァが、美しく繋がって欲しいと、願うものです。
では、お待たせしました。第弐拾壱話、どうぞ。

2021.03.14 Jenissia HAKURI





 

 空を航行する艦船にしては、振動がほとんどなかった。

 それどころか、あれだけ激しい戦闘をしたうえ、艦が体勢を垂直になるまで回したというのに、シンジは一切転ぶことが無かった。

 つまり、だ。

 この戦闘艦は重力制御が完全になされているのだ。

 シンジのこめかみを、嫌な汗が伝っていく。

 そんな技術、この間まであっただろうか?

 

「ええ、大丈夫よ艦長。ご配慮、感謝してる」

 

 目の前では白衣の女性が、無線電話で誰かと話している。艦長と言うからおそらくミサトだろう。

 それにしても、やっぱり、どこかで聞いたことがあるような声の気がする。

 電話を終えた彼女に、シンジはおそるおそる尋ねた。

 

「あの……1つ訊いて良いですか?」

「……何かしら?」

「あなたは……誰ですか?」

 

 白衣の女性は答えない。その代わりに、ベレー帽の少女に目で合図した。

 

「ごめんなさい、先生はいつも自己紹介をしたがらないんです。なので、ここでも知ってるのは私と艦長たちくらいで……普段はみんな「先生」って呼んでます」

「……そうですか。なら、あなたは?」

「えっと……」

 

 少女は、白衣の女性の様子を窺った。

 

「いいんじゃない? いずれ言うことになるでしょ?」

「そ、そうですね!」

 

「改めまして、お久しぶりです。シンジお兄ちゃんの管理担当医官、鈴原サクラです」

 

 名前を聞いて、シンジは血の気が引いた。

 

「……まさか……本当、に?」

「はい、14年ぶりですね!」

「……うっそでしょ?」

 

 

 

【第弐拾壱話 生殺与奪】

【Episode:21 Deity Slayers】

 

 

 

「よぅ、お疲れ」

 

 青葉シゲルは廊下の奥からやってきた同期に声をかけた。声をかけられた女性は、その姿に少しだけ驚いた。

 

「シゲル! オペレーションはいいの?」

「あぁ、今は多摩にやってもらってる。束の間の休憩だ」

 

 その言葉に、彼女・伊吹マヤは少しだけ微笑んだ。

 

「そう、お疲れ。そういえば彼、目覚めたんだって?」

「ああ、例の。さっきまで中央司令室(センターブロック)で戦況を見てた」

「何か言ってた?」

「いいや。葛城艦長に何か手伝えないかって訊いてたけど、今の状況も、自分の立場も把握しきれてなさそうだったしな」

 

 マヤは眉をひそめた。

 

「……無理もないか」

「まあな……。でもこれは、俺たちがどうこうできる問題じゃない」

「分かってるわよ」

 

 マヤは即座に言い放った。言われなくても、と伝えたいのがシゲルにも痛いほど伝わってきた。

 

「分かってる……WILLEの整備局長としてはね」

 

 マヤはそう言い残すと、シゲルに手を振りながら去って行った。

 シゲルはふと、まだNERVで働いていた時代を思い返していた。あの頃の伊吹マヤは、よく笑っていたなと思う。

 というか、純粋だったのだ。戦闘の様子を見て涙を流したり、予想外の事態に恐怖を抱き震えることもあった。情報処理に長けた頭脳でそれをカバーしていた姿は、それはそれで立派だったけれど。

 彼女の笑顔をほとんど見なくなったのは、あの一件があってからだ。あの事件は、自分を含め、WILLE結成時の主要メンバーに少なからず影を落としているのだ。

 シゲルは小さく呟いた。

 

「……正念場だな」

 

 

 

 ******

 

 

 

 シンジはその後、一応指示に従って隔離室へと連れて行かれた。壁と鉄格子に囲まれたその場所は、まるで警察署の留置場のようだった。

 後でミサトさん達から説明があるってことを聞いたはいいものの、もう何を聞いても混乱する未来しか見えない。なんたって「14年」だ。

 

「……本当にどういうことだよ? 初号機の中で14年も?」

 

 何故そんなに時間がかかってしまったのだろうか。

 いや、サルベージを慎重に行おうとしたのならこの点は分かる。

 だが、問題は使徒だ。シナリオ通りならすでにサードインパクトが起こったとしても13年経っているはずなのだ。それこそ、ゼルエルは倒したのだから次はアラエルのはず。もっとも、使徒が定期的に襲来してくるという法則もないのだけど。

 しかしシンジが先ほどの戦闘で目にしたのは、前史で目にしたどの使徒とも似つかない、明らかに人工の戦闘兵器だった。円盤状の、位相空間に潜んでいると視認もできなかった敵。しかし倒された瞬間は、まるで使徒のように形象崩壊した。

 一体何が、この世界に起こっているのだろう。シンジは考えることをやめなかった。いや、やめられなかった。

 

 

 

 コンコンと、格子を叩く音がした。シンジが振り向くと、そこには目深くキャップを被ったアスカが立っていた。

 

「ア、アスカ!?」

「相変わらず腑抜けた面してるわね、まったく」

 

 彼女は、呆れるように笑っていた。左目に眼帯を付けていたが、その声はやはり紛れもなく、彼女そのものだった。

 だがシンジはすぐに、あることに気づいた。彼女の声が、僅かながら震えていることに。

 

「アスカ……」

「っ……やっぱりダメね、抑えきれない」

 

 シンジの心配そうな顔が、自身の心を読まれたことを、明確に表していた。そのことにアスカも瞬時に気づいて、感情を隠すことが無意味なのだと悟る。

 アスカは格子の隙間に空いた部分からトレーをシンジの方に差し出す。そしてすぐに背を向けて、格子に寄りかかった。

 

「食事。味の保証は無いけどね」

「……ありがとう」

 

 シンジはトレーを受け取った。

 

「……ねぇアスカ。その……眼帯は」

「……残ってんのよ」

「っ……」

 

 言わずとも分かる。まだ、彼女の中で息づいているのだ。

 

「皮肉よね。敵だったはずのヤツに、生かされたってのは」

「やっぱり、あの時に……」

「アンタには、関係ない」

 

 アスカは一言言い放つ。だけどゆっくり、付け加えた。

 

「アタシが無茶をした。身体が心に追いつかなかった、……それだけの話よ。ほら、食べて」

「……うん」

 

 中身を空けて、シンジは息を呑む。ペースト状になっているおかずに、パックに入れられた飲み物。辛うじて主食が食パンであったが、シンジにとってはお世辞にも食事とは言い難いものだった。

 14年の空白期間には、こんなことにまで激変の手が伸びていたのか。シンジは再びショックを受けた。

 しかし予想に反し、味は悪くないと思った。

 

「そう?」

「うん。苦労して作ったのが、なんかわかる」

 

 料理を得意としていたシンジだからこそか。何が起こってこうなったかは分からないが、この食事を作り上げるまでに相当な苦労があったのだと、味で分かったのだ。

 ペーストを食パンにのせ、半分に折って頬張る。即席サンドイッチという感じで、割と美味。

 

「……ちょっと安心したわ」

「……?」

「この状況に、混乱して塞ぎ込んでんじゃないかって、少し心配してたのよ。アンタいつも、何でも一人で抱え込むから」

 

 アスカの声は、安堵に満ち、穏やかだった。

 

「……理解はできてない」

 

 シンジは、格子に寄り掛かるアスカの背中をじっと見据えて、真剣に言う。

 

「14年も経ってるって、何がどうなってるのか、正直訳が分からない。しかも、ここに僕の居場所は無いみたいだしね」

 

 シンジは即席のサンドイッチをもう一口かじる。

 発令所のような場所で、見知らぬ人々から向けられた明らかな憎悪。隠そうともしない敵意。北上と呼ばれた桃色髪の女性からは、舌打ちまでされた。終いには、ミサトから「何もしないで」と突き放される始末だった。どれほど過酷な状況を打破してきたシンジですらも、ショックを受けた。

 

「でも、それは多分、僕のせいなんだと思う。14年も眠りながら、知らないところで何かしてたんだ」

 

 かつて、前史でのサードインパクトの元凶となった、シンジと初号機。その経験をしているからこそ、シンジは自分が何かしらのトリガーとなった可能性を、否定することはしなかった。

 

「僕はもう逃げたくない、自分の運命から。君と生きる世界を、この手に掴むためなら」

 

 アスカは振り返らなかった。

 

「……本当にごめん。14年も……」

 

 シンジは口を真一文字に結ぶ。

 時間の流れとは、恐ろしいのだ。容易く変わってしまうヒトの感情が、14年の時の流れに晒されたらどうなるのか。

 どれだけ寂しい思いをさせたのか、シンジには想像すらできなかった。ただ、謝ることしかできなかった。

 しかし、アスカは笑っていた。

 

「お互い様よ。どうせアタシも、バルディエルのせいでほとんど寝てたようなもんだし。いろいろはあったけど、実はアタシも実質目覚めたばっかなのよ」

「……そうなの?」

 

 アスカは帽子を更に目深に被った。シンジはまだ申し訳なさが残っていたが、しかし眼帯をコンコンと叩くアスカの笑みを見て、少しだけ安堵した。

 

 

 

 扉の前で、サクラは平常心を保つように深呼吸しながら、周囲の様子を窺っていた。

「……世界って、残酷や」

 思わず言葉が溢れた。自分の無力さのせいで、このあまりにも息苦しい状況を打破できないことに心が痛くなる。

 サクラ自身も理解していた。今の彼には、その存在を純粋に受け入れてくれる人など、ごく少数であるということを。WILLEの総職員は延べ3万人。その中で、彼の味方となれるのは、たったの十数人。

 不意に、無線が鳴った。

 

「はい、鈴原です」

『私です』

「ふ、副長……!」

『彼の様子は?』

「……問題ありません。ニアサーから14年経過していることは、理解した模様です。現在、昼食を取らせています」

『アスカの所在は?』

「っ…………」

 

 核心を突く質問に、身体が強張る。

 

『……くれぐれも、周囲には気をつけるように』

「……了解です」

 

 無線を切られ、サクラは手にしたファイルを握る手に力を込める。

 少しの油断も、許されはしない。

 ニアサードインパクトを引き金に、人類は絶滅に危機にさらされた。その元凶となってしまった彼に向けられる視線に、温かさなどないのだ。

 彼のせいで、どれだけの人が犠牲になったのか。それを考えるだけで、掌に血がにじむ。

 

『どうするべきなんやろ……』

 

 ほかならぬ自分でさえ、許せないというのに。

 

 

 

 

 

「ニア……サードインパクト」

 

 シンジは聞いたことのない、新たな言葉に生唾を飲んだ。

 

「そう。ゼルエルを倒したときにガフの扉が開いて、第3新東京は一気に吸い込まれ始めた。扉を開いたのは、覚醒した初号機よ」

「……なんてこった」

「今地球上は、人間の住める環境にはない。その後に起こったサードインパクトで、海だけじゃなく、大地までコア化されちゃったからね」

「コア化……」

「話すと本当に長くなる。でもこれだけは言っておく。この世界は前史とは根本から違ってた。そんな中で今回もアンタは、初号機は、最初から完全に利用されたのよ」

「……父さんか」

「ビンゴ。……何とか説得したかったわよ。私だけじゃない。ミサトやリツコも、マヤたちも否定した。けど聞き入れてくれる人なんて、いなかった……」

 

 シンジは首を振る。

 

「信じてくれてただけでも嬉しいよ。孤独より、よっぽどマシさ」

 

 その言葉に、アスカは笑う。

 

「でも気をつけて。今この艦にも、アンタの味方は数えるくらいしかいない。全員から疎まれてる演技をしてほしい」

 

 シンジは、それで全てを察する。

 

「やっぱり、まだ終わってないんだね、父さんとの戦いは」

「ええ。サードインパクトが起こっても、まだ人類補完計画はどういう訳か続いてる。私たちも、もうNERVじゃない。ここはWILLE。NERVとSEELE、そしてヤツらのエヴァを壊滅すべく結成された組織。次なるインパクト、フォースを阻止するためにね」

「……さっき襲ってきたのも、まさかエヴァなのか?」

「ええ。エヴァ・Mark.04。アメリカで消えた4号機あったでしょ? あれの実験データから組み込まれた、文字通り『兵器』として使われてるエヴァのニュータイプ」

「……パイロットは?」

「ダミープラグよ。碇ゲンドウ、残ったデータから全て作り直したのよ」

「そんな……」

 

 シンジは歯噛みした。リツコと共に破壊したはずの、彼女のダミー。自身の父は、一度破壊されてもなお、諦めていないのだ。何より、あれから14年も経っているのに人類補完計画を続行しているのが、確たる証拠だ。恐るべし執念に、シンジは震えた。

 それと同時に、シンジはあることを思い出す。

 

「ダミー……。ねぇアスカ、綾波は……?」

 

 ゼルエルから助け出し、初号機に護り込んだ少女。しかし、シンジが目覚めてから数時間、彼女の存在は、目にはおろか、聞いてすらいなかった。

 アスカの顔色が変わる。シンジも、1つ、覚悟する。

 

「……わからない」

「……え?」

「プラグ内に確認できたのはアンタだけだったの。それとなぜか、このラジカセが復元されてただけだった」

 

 そう言うと、アスカはポケットからS-DATを取り出す。

 

「……嘘だろ? サルベージは……」

「……できなかった。私はまだ、多分初号機の中に眠ってるって信じてるけどね」

「……どういうこと?」

「驚かないでよ。シンジの、初号機とのシンクロ率。0%って出たらしいから」

「ぜ……ろ?」

 

 そうか、そういうことか。シンジはここに来てようやく納得した。

 

「それと……これ」

 

 アスカは同時に、輪のような何かを取り出す。

 

「……それは?」

「エヴァが覚醒した時に、命を賭してインパクトを止めるための枷。《DSSチョーカー》」

「……まさか」

「ええ。アタシもつけてる。エヴァパイロット、信用無いのよ」

 

 シンジは渡された首輪を見つめ、唇を震わせた。

 

「アンタはもうエヴァには乗らなくていいし、それを渡す必要もないと思ってる。でも、アタシの知ってる碇シンジは、きっとまたどっかで乗る気がするの」

 

 アスカは続けた。

 

「世界が滅ぶことをアタシは良しとしないのは、シンジもわかってくれるでしょ? けどアタシはアンタに命をかけることはしたくない。だから、エヴァに乗るかどうかは、シンジが決めてほしい」

「そんなこと言ったって、アスカもつけてるんなら……」

「だから、死ぬときは、アタシも一緒よ」

 

 アスカは苦しそうに笑った。

 

「ごめん、もう行かなきゃ。サクラに見張ってもらってるんだけど、いつまでもここにいると怪しまれるの。ミサトに無理言って、内密で来てるもんだから」

 

 アスカは諭すように、少しだけ淋しい表情を浮かべながらシンジに語りかける。

 

「暫くはここにいてもらうことになる。でもいつかきっと、助けてあげるから」

 

 シンジから食べ終わった食事トレーを受け取ると、アスカはそのまま立ち去ろうとする。シンジは思わず呼び止めた。

 

「アスカ」

 

 アスカは立ち止まる。振り向くことはしない。

 

「……死ぬときのことなんか、僕は考えないよ」

「……」

「帰ろう。いつか二人で、絶対に」

「……そうね。……ありがとう」

 

 

 

 

 

「DSSチョーカー、つけなくていいの?」

 

 白衣の女性が、柔らかな表情で訊いた。彼女にとって、安心できる場所というのは、自分の部屋とこの艦長室だけなのだ。先ほどまでシンジに見せていた鋭い眼光は、今はその影を潜めている。

 

「問題ないわ。アスカが直接持って行った。彼女がつけていると知れば、シンジ君は必然的につけるわよ。最低限のことも伝えるように言ってあるわ」

「……聞き方が悪かった。つけたくないんですよね、本当は」

「……」

「罪と罰の証。贖罪のためとはいえ、彼にまだ世界を背負わせる、それがどんなにミサトさんにとって重荷になってるか」

「けれど、この結果を招いたのは、間違いなく私たちにもある。最後まで背負っていくのが、償いであり、果たさなければならない責任なのよ」

 

 リツコがミサトの代わりに答えた。その覚悟と罪悪感に満ちた顔に、白衣の女性は参ったなと言わんばかりに、自身の赤みがかった茶髪の端を摘まんで擦り合わせた。

 

「……そうですね。これしか私たちに、できることはない、か。こうしてWILLEに残り、戦い続けるのは」

「あなたまで背負う必要なんてないのよ。例え、過去に何かあるのだとしても」

「……いえ、良いんです。私も、彼に救われた。なら、その命を私は、彼のために使いたい。我が儘なのは分かってます。けれど、これが私自身のケジメだから」

 

 このナルシストっ気のある少女が彼とどのような繋がりを持つのか、ミサトは知らない。ただ、ミサトはサングラス越しに、彼女の決意の目を見て思った。彼女もまた、シンジやアスカの想いを、繋げたいと思っているのだ。

 

「例え彼らの中に、私の存在がなかったとしてもね」

 

 彼女から発せられた、寂寥を僅かに含んだ言い方に、ミサトは思わず目を細める。

 そう、この世界の形は歪みまくっている。誰もが本来あるべき場所を見失い、彷徨っている。

 それでも自分たちは、今でもしぶとく、頑固に、居場所を探しながら生きているのだ。

 彼女も、リツコも、自分も、敵である碇ゲンドウも。

 そして多分、彼らでさえも。

 

「っ、なに!?」

 

 その時、艦船が揺れた。白衣の女性は急なことに目を見開いた。一方のミサトは慌てることはせず、すぐに受話器をひったくった。

 

「私です」

『目標後甲板です! いきなり取りつかれました』

「……本命のお出ましか」

 

 

 

 ******

 

 

 

 アスカは上着のジャージと帽子を即座に脱ぎ捨てると、無線を片手に全力で走り始めた。

 なんだってまたこんな状況下で。敵にタイミングの文句を言ったところでどうしようもなく無意味のは重々承知だが、いくら何でも急すぎる。

 

『総員、第一種戦闘配置! 繰り返す、第一種戦闘配置! 初号機保護を最優先!!』

 

 アスカはすぐさま無線のスイッチを入れ、待機しているはずの8号機のプラグに呼びかける。

 

「マリ!! 準備できてるわよね!!」

『もちのろーん♪ いつでも行けるよ、姫~。それよりワンコくんの様子どうだった? おとなしくお座りしてた~?』

「その話はあと! はやく出撃しなさい!!」

『おぉう怖い♪ 教えてくれてもいいのに~。聞いてた通り、惣流は独占欲が強いのかにゃ?』

「うっさい黙ってろぉっ!!」

 

 スピーカーから響き渡る怒号に驚くことも無く、マリはニャハハハッと楽しそうに笑った。記憶の共有が為されていると、より揶揄い甲斐があるというものだ。

 

「しっかし……」

 

 アスカからの無線が途切れた直後、マリは途端に笑みを消し、プラグ側面に映し出されたモニターを怪訝な表情で見つめた。

 

「エヴァがこのタイミングで襲来するなんてね。しかもたったの1機……。いくらかつての零号機に擬態させているとはいえ、ちょっと早計過ぎない……?」

 

 モニターに映されたエヴァの姿を見ながら、マリは違和感を感じていた。

 

『8号機起動シークエンス正常! 63秒後に出れます!!』

 

 

 

 シンジは掌にのせられたDSSチョーカーを眺めながら、アスカのさっきの言葉をかみしめていた。

 

「……」

 

 死ぬときは一緒。彼女はそう言った。

 あの寂しそうな、悔しそうな表情に、どれだけの思いが込められていたのか。

 バルディエルによって生かされた。エヴァの呪縛にとらわれて、14年間ずっと同じ姿のまま、生き続けて。

 

「それでもまだ、信じてくれるっていうのか、君は……」

 

 今の自分には、できることなどない。だが、どうにかして、信じてくれた彼女の支えになりたい。

 そのために、自分は何をするべきだ?

 

「……?」

 

 急に、夕陽の香りがした。

 どういうわけか、顔を上げる前に、その気配が、予想と正しいものだと知った。

 

「そうか……」

 

 チョーカーの電子音が、シンジの脳髄に響き渡った。

 

「エヴァに乗らなければならない……こういうことなのか」

 

 シンジは手にしていたDSSチョーカーを、迷うことなく首に巻き付けた。

 

 

 

「……!」

 

 アスカは走っていた足を思わず止めて振り返った。

 

「まさか……!?」

 

 今の気配、間違いない。

 重大な間違いを犯していることに、アスカは気づいた。

 無線のスイッチを切り替え、叫んだ。

 

「サクラ!!」

 

 しかし、3秒待っても返答はなかった。

 

「……やられた!!! ミサト! マリ!!」

 

 無線をさらに切り替える。

 

『奴らの狙いは初号機じゃない!』

 

 無線機から響くアスカの声に、ミサトは目を見開いた。

 そして瞬時にその意味を理解し、動揺を表情にあらわした。

 スピーカーからはマリの驚いたような声が響いてくる。

 

『まさか……ワンコ君の方か……!?』

「ミサト!」

 

 別のモニターを見ていたリツコが声を荒げた。

 

「後甲板に人影を2つ確認したわ。このフォルム、彼よ!」

「第7独房の扉も破られてる! 間違いない、本命はシンジ君だ……!」

 

 側自分のタブレットを操作していた白衣の彼女も状況を見て確信した。

 

「全艦砲撃体勢! 目標を逃がすな!!」

 

 ミサトは電話に向かって全力で叫んだ。

 

 

 

「サクラ!?」

 

 独房へと駆け戻ったアスカは、扉の前で倒れているサクラを見つけた。

 

「しっかりしろ! サクラ!!」

 

 咄嗟に手首を握る。脈はある。呼吸も問題なかった。ただ、異常な匂いが辺りに漂っていて、記憶の奥にチラつくものと同じ弾丸の薬莢が、あたりに散らばっていた。物理的攻撃のための弾ではなかった。

 間違いない、これは強制昏倒散剤弾だ。

 

「ったく、まどろっこしい方法取りやがってぇ……!」

 

 強奪ならばそのまま殴り込んでくればいいものを。側にあった梯子を駆け上がり、アスカはヴンダーの上甲板へと乗り出した。

 既に8号機によって頭部を破壊されたエヴァは、その状態でも倒れることはなく、マントのようになびかせていた白い布をブースターへと変形させていた。

 

「……っ!!」

 

 アスカのこめかみに青筋が立った。エヴァの手に覆われたその隙間から、気絶しているシンジと、もう一人の影をアスカは見た。

 ここまでのまどろっこしいやり方は、WILLEに対する挑発でも、初号機強奪に見せかけたカモフラージュのための作戦でも無い。

 自身に対しての宣戦布告だったのだ。

 

(言っただろう、シンジ君は僕が幸せにすると)

 

 ブースターから炎が吹き出し、エヴァはヴンダーから爆速で離脱し始めた。マリの乗った8号機が「挨拶くらいしてけコラァァ!!!」と叫ぶが、被弾を物ともせず、あっという間に遠ざかっていく。

 その刹那、少年は、影に隠れながら薄気味悪い笑みをアスカに向けていた。

 アスカは、その笑顔を睨み付け、拳を握り締めた。

 

「くっ……タブリス……!!」

 

 

 

 

 

 まんまとしてやられた。最初から碇ゲンドウは、シンジを利用するつもりでいた。まだトリガーとしての利用価値があるのだということだ。

 しかし。

 

「DSSチョーカーの作動が90秒前に開始している。シンジ君、自ら業を背負うつもりで付けたのね……」

 

 モニターに映された表示を見て、リツコは目を細めた。

 

「……追撃不要。各位、損傷個所の応急処置と艤装作業を再開」

 

 ミサトは努めて冷静に、電話口へと告げた。

 

 

 

 

 

「ごめん。向こうは、アンタに任せる……」

 

 遠ざかるエヴァの光を睨み付けるアスカの眼帯には、蒼い光が灯っていた。

 必ず、救い出すから。

 

「負けんじゃないわよ、バカシンジ」

 

 

 

 

 




☆あとがき

(棒読み→)ほんの偶然です。当話にピッタリのタイトルがあの文言だっただけです。決して流行に乗っかったわけではありません。冨岡義勇は関係ありません。

はいすみませんジェニシア珀里です。笑
英題に「slayer」とか使ったら逃げ切れるわけ無い。笑
とは言うものの、「Deity Slayers」は直訳すると「神の殺し屋」。生殺与奪の権を握るのはDSS。一番の本筋からはぶらさずにいきたいと思っていまーす。笑

さて、今回は本作品の展開についての言及はナシです。
それよりも話すべきことがありますからね♪

祝!
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』全国公開!!
二度の延期を乗り越えて、遂に、ついに……!!(泣)
私ももちろん、初日午前の回、観てきましたよ♪
2時間35分の決戦、最初から最後まで動悸が治まらず、描写の一つ一つに、9287日の歴史と、「エヴァ」という世界の意味と、私たちの絶望と希望を存分に見せてくれたと、感激しました。(翌日疲労で起き上がれなかったのは笑い話。笑)

もちろん、辛く、悲しい別れもありました。私のようなLAS派の人間にとっては、苦しく、寂しい思いが今でも募っています。
ですが、「エヴァ」は他ならぬ庵野監督の物語ですから、否定するつもりは毛頭ありません。むしろあの結末は、「エヴァ」の最後に一番相応しかった。そうとすら思います。

だからこそ、私は書くのを辞めることはしないと、改めて決めました。絶対に最後まで書き切ってやろうと。
数日前、伏せったーにこんなようなことを述べました。
「行きたかったはずの駅に行けなかったのならば、自分の足で、違う手段で行けば良い」と。(全文はこちら→ https://fusetter.com/tw/4u6WNTLB?s=09#all
私は今、『シン・エヴァ』を経て、このLAS作品の続きを俄然書きたくなってきました。相変わらずスローペースの更新ではありますが、絶対に辿り着いてやろうと思います。
ですので、どうかこれからも、応援よろしくお願いいたします!

送って頂いた感想への返信のほとんどが、次話更新と同時になってしまっていること、大変申し訳ありません。ですが皆様の感想は、届いてからすぐに読ませて頂いております。
いつもいつも、本当にありがとうございます!!
今話もお待ちしております♪♪


予告:次回から本格的にギャグパートです。多分。
  (できるとは言っていない。汗)


……毎度のように長くなるあとがきってどうなの……?汗


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第弐拾弐話 韻鏡久間

2021年6月6日、碇シンジ誕生祭。


「……ここか」

 

 目が覚めて目に入ってきたのは、知っている天井だった。

 結局、あの戦艦で何が起こったのか、詳しいことは分からないが、ここにいるということは、自分が攫われてきたということを確実に意味している。

 首元を触ってみると、やはり気絶する直前に自分の手で装着した首輪が、はっきりと存在していた。なるほど残念ながら、WILLEもAAAヴンダーも14年後の世界も、夢ではなかったらしい。

 

「誘拐とか、警察がいたら即時逮捕ものだよ、これ?」

 

 戦場と化している世界にしてみればあまりに馬鹿げたようなことを言いながら、シンジはゆっくりと身体を起こした。

 

「あ……」

 

 顔を上げたその眼前に、黒いプラグスーツを着た少女が佇んでいた。その姿は、初号機に眠っていると思っていたはずの、蒼髪の彼女だった。

 

「綾……波?」

「……こっちへ」

 

 彼女は淡々と、一言だけ告げると、扉の方に向かって歩き出した。

 いつの間にか自分は制服へと着替えさせられていて、ベッドの下にはいつもの靴まで、ご丁寧に用意されていた。

 枕元にS-DATもちゃんと残されている。シンジは慌ててカセットプレーヤーを掴むと、彼女の後を追って部屋を出た。

 

 シンジはゴンドラへと案内された。向かう先がNERV本部なのだろうということは、容易に想像できる。

 それよりも、シンジは訊かなければならないことがあった。

 

「ねぇ綾波」

「……なに?」

「君は……何人目なんだ?」

 

 彼女は不思議そうに、首をかしげるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

【第弐拾弐話 韻鏡久間】

【Episode:22 R-367 and A-278】

 

 

 

 

 

 シンジは彼女と共にゴンドラを降下していく。ピラミッド型が特徴だったNERV本部は見る影も無く崩壊していて、辺りには特殊ベークライトと思われる血の色をした固形物が、波打ったまま硬化して溜まっていた。

 そもそも、ジオフロントのはずなのに空が見える。それに地形もシンジが見たことのないような形に変化している。ジオフロントがこんなに狭かったはずがないのだ。

 驚きはしない。しかし、その凄惨さには流石のシンジも息を詰まらせる。一体どれほどの戦いが行われてきたのかと、戦自に攻め落とされかけたあの日のことをシンジは思いだし、痛くなる胸を握り締めるように押さえた。

 そして、シンジが今、心を痛めている原因はそれだけでは無い。隣にいる、蒼髪の彼女。何も喋らず、何を考えているのか、何を見ているのかさえ、シンジには分からなかった。

 目の前に居るのは、シンジの知る綾波レイではない。己の直感とアスカから告げられていた言葉を線で結び、導き出された確信的な事実に、悔恨の表情を浮かべた。

 14年も経っていることが、余計に現実味を増している。下手をすればゲンドウのことだ、何人もの彼女を犠牲にしたかも分からない。

 

「ねぇ……綾波?」

「何?」

 

 彼女の返事は素っ気ない。

 

「これから行く場所は……父さんのとこ?」

「知らない」

 

 なるほど。知らされていない、という訳か。

 2人は壊滅状態のNERV本部へと向かっていく。

 

 

 

 崩壊状態のNERV本部だが、長いエスカレーターはかつてのように動いている。レイと少し距離を取った位置に立って、地下深くへとシンジは降りて行く。

 理解するまでには時間がかかりそうだな、とシンジは考えた。かつて初号機のあったケージまでもが、一面真っ赤に染め上げられていたのである。そしてその上空には、青空が広がっている。

 

「これは、想像以上に……」

 

 シンジは、サードインパクトで終焉を迎えたかつての世界を思い出す。赤い海と、崩壊した大地。暗い赤に染まる空が、頭の奥にチラついていた。

 

「……ん?」

 

 突然、シンジもよく聞き慣れた打鍵音が、どこからともなく響き渡る。周りは静かだったが、シンジはさらに耳をとぎ澄まして、音の発せられている場所を探した。どうやら、下からだ。

 

「……?」

 

 手すりのないブリッジから落ちないように気をつけつつ下方を窺い見る。

 

「あ……っ」

 

 廃墟と化している場所の中では強烈な異彩を放つ白い床、その空間の中央に置かれた一本の木と、パールブラックのグランドピアノ。そして―優雅にそれを弾く一人の少年が、そこにいた。

 

 渚カヲル。第1使徒アダムの魂を持つ、最後のシ者。

 

 シンジは硬直していた。嫌な汗が、ドッと噴き出すのを感じていた。

 AAAヴンダーで意識を失う直前に感じた夕陽の匂いは、彼の存在を示唆するものだとは分かっていた。AAAヴンダーからここに連れて来たのは、綾波ではなく、彼だ。

 

「……っ」

 

 爽やかすぎるくらいの笑顔を空に向けながらピアノを弾いていた彼は、曲を弾き終わると同時に目をゆっくりと開いた。

 まるでシンジが来ていたことを予感していたかのように、バッチリと目が合う。

 

「……碇君?」

「あ……ごめん、今行く」

 

 シンジは動揺を必死に押し留めようとしながら、綾波レイの呼び声に無理やり意識を引き戻した。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ここ」

 

 ケージ跡から、さらに綾波レイに連れられて十分弱。シンジはNERV本部の奥深くまでやって来た。初号機と初めて相見えた時のような暗闇で、数秒待つ。

 そして予想通り、重く低い点火音とともに、辺りがライトで照らされる。シンジの目に飛び込んできたのは、大きく「EVA13」と書かれた半球状の紫の物体だった。

 

「これって……エヴァ?」

「そうだ」

 

 シンジの呟きに、野太い声が応えた。

 視線を上げるまでもなく、声の主が誰なのかは分かった。

 若干の緊張に身体を強張らせながら、自分を見下ろす男へと顔を向ける。

 

「……久しぶりだね、父さん」

 

 シンジ自身にしてみれば父・ゲンドウと会っていなかったのはものの数日である。だが、まるで父と同じ目線で話す(・・・・・・・・・・・・)その態度は、自身が思っている以上に混乱しているということを、シンジは間接的に証明してしまう結果となっている。

 思わず口に出てしまったその言葉に、シンジは表情を険しくする。しかしゲンドウはそんな息子の感情など気にする様子もなく、一方的に言い放った。

 

「エヴァンゲリオン第13号機。お前とそのパイロットの機体だ」

 

 ゲンドウがそう言うと、再びガコンという音がして、シンジの後方でライトがついた。

 

「……は?」

 

 銀髪の少年、渚カヲルがそこにいた。

 

「時が来たらその少年とこのエヴァに乗れ。話は終わりだ」

「あ、ちょっと父さ……!」

 

 シンジは慌てて振り返るが、ゲンドウの姿は、すでになくなっていた。

 

「…………」

 

 

 

 ******

 

 

 

 混乱することばかりで、正直疲れてしまうが、泣き言は言っていられない。

 綾波レイに案内された部屋のベッドで寝落ちし一夜を明かしたシンジは、再度状況の整理を試みていた。

 何もかもが変わり、自分の知らない世界になっている。この部屋も、NERV本部も、ミサト達も、補完計画の形さえも。

 考えねばならないことがあまりにも多すぎる。14年間に起こったことの把握、この世界での補完計画の実態、世界を取り戻すために自分が為さねばならぬ事は何か。

 おそらくは、「第13号機」と銘打たれたあの新型エヴァが起動するときがタイムリミットだ。それまでには、全てを取り戻すために、状況を組み立てなければ。

 

「にしても、ダブルエントリーか……」

 

 ゲンドウは「その少年とこのエヴァに乗れ」と言っていた。あの新機体は、建造時点から二人で乗ることを前提としているらしい。今までのエヴァとは違って、何とも奇妙な話である。

 しかも同乗者が、彼だとは。

 

「……カヲル君」

 

 分かってはいたが、いざ彼の姿をこの目にすると、シンジはあの時の、残酷な感触を否が応でも思い出してしまうのだ。

 自分の意思で、彼を殺してしまったということを。

 かけがえのない友を殺めた。そんな過去の罪に、動悸までも激しくなるのだった。

 ただ、安堵感もあった。

 14年経っていても、彼はまだ生きているのだ。これも父の策略か、それともゼーレによる操作か。いずれにしても、使徒であるはずの彼はまだ殲滅されていなかった。その事に安心した。

 チャンスは、残されている。

 彼のことも、今度こそ救い通してみせる。

 たとえ使徒だろうが関係ない。無知だった頃とは違う。きっと僕らは共存できると、シンジは信じているのだ。

 

「……とにかく、会いに行こう」

 

 

 

 ******

 

 

 

 NERV本部の構造は、そんなに変わっているわけではなかった。今まで主要に使っていた場所の機能が崩壊して別の場所に転移していたり、一部のブロック(区画)は改装されて新たな居住空間や保管庫になっていたりと、変化も見受けられたが。

 1つ言えることは、どのブロックも異様に静かであることだ。自動販売機は完全に停止しているし、人影、いや足音一つすら聞こえてこないのである。

 その割には、改装されたブロックに位置する自分の部屋や、その周囲の廊下には塵一つ落ちていない。切れかかっている電球とか、ドアのガタつきもない。誰もいないのに、とても清浄。まるで全システムが自動で制御されているような、なんだか宇宙船にでもいるような感覚を抱く。

 

「……あれ?」

 

 シンジはNERV本部内を彷徨い続けると、巨大な支柱が地下深くまで続いている広大な空間に行き着いた。

 

「ここって確か……」

 

 確か、レイの検査用プラントだ。そういえば、定期的な検査が彼女には欠かせなかった。リリンから逸脱した存在ゆえに避けられないのは、悔しいが事実だ。

 文字通り、運命を仕組まれた少女なのだと、改めて思い知らされる。自身やアスカにも称されていたことだが、綾波レイはその魂のときから、常に父・ゲンドウに支配されていた存在だったのだ。

 だからこそ、かつてのサードインパクトでゲンドウに反逆したのは、彼女なりの自立だったのかもしれない。そんなことを、シンジは思う。

 

「碇君?」

「わっ、綾波か……って、ちょ、ちょっと!!?」

 

 後ろからかけられた声に思わず振り返ると、そこに裸体の彼女が立っていた。シンジは慌てて逃げるように近くにあったプレハブ小屋の陰に逃げ込んだ。この世界ではほとんど冷静を保てるシンジとて、14歳の思春期男子である。同年代の異性の裸は、やはり目に毒である。

 

「な、何してんのさ……!」

「調整を、受けていたの」

「そ、そっか! と、とりあえず服着て、ね?!」

 

 シンジは決して目を開けないように綾波に語りかける。この状況は絶対に誰にも言えないと瞬時に結論づける。特にアスカにバレたら確実に一回殴られる。見ちゃダメだ見ちゃダメだ見ちゃダメだ。

 

「命令、ならそうする」

 

 

 

 シンジが隠れたプレハブ小屋は、どうやら彼女の居住地だったらしい。この広大な空間にしてみれば、まるでマッチ箱のように小さく見える。入口近くには歪んだ段ボール箱があり、彼女のものと思われる制服らしきものが放置されていた。

 

「……入るよー?」

 

 シンジはカーテンを開けて、中に入ろうとするが、すぐにその足を止めた。寝袋がこれまた無頓着に置かれていた。

 

「ここが……寝床?」

 

 どこからともなく、悲しさと悔しさが込み上げてくる。今の彼女は、かつてのレイよりも、さらに粗雑な扱いを受けているというのがすぐにわかったからだ。

 彼女は無表情のまま、瞬きを一つするだけだった。

 

「……何考えてんだ父さんは。まったく……」

 

 シンジはワシワシと頭を掻く。

 彼女をこんな環境に置き続けるわけにはいかない。しかし以前とは違い、今のシンジに協力してくれる者がいない。カヲルに掛け合ってみるのも手ではあるが、この世界ではまだ話したことすらない初対面だ。どうしたものか。

 

「碇君?」

「あ……いや、ごめん」

 

 黒いプラグスーツを着た彼女は、不思議そうな顔をしていた。

 感情の起伏は、とても微細なものだった。今までの何人かの綾波レイを見てきたシンジだからこそ気づけたようなものである。いや、シンジも一瞬気づけなかった。それほどまでに、彼女は無表情を崩さずにいた。

 かつての、3人目の綾波もこんな感じだった。魂は同じといえど、今の彼女にはそれまでの記憶はない。みんなと共に洋服を買いに行ったことも、アスカと3人で料理をしたことも、ラミエルやバルディエル、ゼルエルと死闘を繰り広げたことさえも……。

 

「……ん?」

 

 悔しさに苛まれていた矢先、シンジはふと何かがおかしいことに気が付いた。

 

「3人目……。あれ……?」

 

 変だ。

 綾波レイの魂は、元来リリスのものであるはずだ。思い出したくはないが、クローンであるレイは魂を宿らせなければただの容れ物なのだと、かつての世界でリツコは泣き崩れていた。

 現在、彼女の魂は初号機の中に残っているはずだった。自分と初号機とのシンクロ率が0%だということからも、そうだと思って疑わなかった。

 なら、目の前にいる彼女は一体……?

 

「綾波……なんだよね……?」

「そう。綾波、レイ」

 

 自分は、思った以上にとんだ勘違いをしていたのかもしれないことに、シンジは気が付いてしまった。

 

 

 

 

 

「ゼーレはまだ沈黙を守ったままか」

 

 空間に、赤黒い7つのモノリスが浮かび上がっていた。それに囲まれるように立つゲンドウのもとに、冬月がやって来ていた。

 

「人類補完計画は死海文書通りに遂行される。もはや我々と語る必要はない」

「碇、今度は第13号機を使うつもりか?」

 

 冬月の問いに対して、ゲンドウは何も答えなかった。その成り行きは、既に自明であるかのように思われた。

 

「まあいい。俺はお前の計画についていくだけだ。ユイ君のためにもな」

 

 冬月もまた、ゲンドウの無言を既に自明のものとして受け止めた。

 ただ、1つのことを除いては。

 

「しかし、あの少年はWILLEよりも手強いぞ? 良いのか、ダブルエントリーで」

 

 ゲンドウは、沈黙を貫くだけだった。冬月は小さな溜息と共に、一言だけ零した。

 

「ヒトにかけられた呪縛は、簡単には消えぬか」

 

 

 

 

 

「……ここに出るんだ」

 

 黒い綾波(とか言うと闇堕ちしたみたいに聞こえてちょっと変だけど、ほかに呼びかたも思いつかないのでとりあえずこう呼ぶことにした)と別れて32分。しかしNERV本部の構造変化に、帰り道が途中で分からなくなってしまって道に迷うこと24分。本部の構造から覚えなければならなそうで少々気が滅入ってしまいそうである。そんなこんなで途方に暮れかけながら彷徨い続けた結果辿り着いたのがこの場所だった。

 目の前に、グランドピアノと1本の木が立っている。さっき、カヲルが弾いていたものだ。肝心の彼はいなかったが、しばらく待っていれば姿を現すだろうと、なんとなくそう予感していた。

 

「ピアノか……。弾いたことないけど」

 

 シンジはおもむろに椅子に座ると、ピアノの鍵盤の1つをを人差し指と中指で撫でてみた。

 ピアノを弾いた経験はなかったが、音楽経験のある身としては、楽器はあるだけで心の癒やしになるものである。シンジも以前はチェロを弾いていた経験がある。第二新東京に住んでいた頃には部活で四重奏の練習をしたこともあったし、アスカが拍手で褒めてくれたこともあったなぁと思い出す。

 

「……誰もいないよね?」

 

 カヲルを待とうと思った心はどこへやら。興味が湧いたシンジは、辺りをキョロキョロと見渡した後、人差し指で白鍵の1つを叩いた。ポーンと跳ねるような響きが、辺りに広がる。いい音だ。

 

「カノンのコード進行ってどういうのだったっけな……」

 

 C、G、Am、Em……と、手探りで和音を探っていく。

 やはり音楽はいつの時代も楽しいものなのである。彼の言葉を借りるとすれば、リリンの生み出した文化の極みである。

 

「あとは……主旋律か」

 

 パッヘルベルのカノン。四重奏では、2小節8音を繰り返し続ける「大逆循環」を奏でるチェロの伴奏に、3つのバイオリンが主旋律を2小節ずつずらしながら演奏する「追随型」の楽曲だ。

 さすがに4パート全ての旋律を奏でるのはシンジには難しかったが、左手でチェロパートの伴奏を、右手で第1ヴァイオリンの旋律を演奏する程度なら何とかなりそうだ。

 

「……ん」

 

 途中からは4分音符だけでなく、主旋律は8分、16分へと転換する。だんだんと左右の手の動きが違ってくるが、ゆっくりと、丁寧にシンジは奏でていく。

 しかし、この後に控えるサビ、32分帯域は少し大変だろうか。頭の中でイメージしながら譜面を辿る。

 その時。

 

「……!?」

「続けて」

 

 音もなしに隣へと近づいていた影が、そう答えた。そしてシンジの右隣で、鍵盤を叩き始めていた。

 

「……っ」

 

 彼はシンジの伴奏に合わせながら、カノンの主旋律を、アレンジを加えながら弾き始める。さっきも感じたが、彼の手の動きは見事なまでに滑らかで、それまでどこか覚束なかったシンジの演奏さえも調えるかのように奏でられていく。

 視界の縁に、彼の笑む口元が見えた。

 

 -さすがだよ、カヲル君。

 

 彼と奏でるピアノは、初めてにもかかわらずなぜかとても楽しい。心がこんなにも浮き立っていることに、やはり彼は凄いと、そう感じていた。

 シンジは負けじと左手の伴奏をアルペジオで弾き始める。彼の旋律に合わせるように、そして彼を驚かせるように、時折、変化も加えつつ。

 いつの間にか、2人で奏でる音色を心から楽しんでいた。

 

 

 

 少し汗ばんだが、久々に爽快感を味わった気がする。ピアノの鍵盤から手を離し、シンジは手の甲で額を一度拭った。

 

「凄いね。ピアノを弾くのは初めてだろう?」

 

 彼は立ったまま、笑顔でシンジを見下ろしていた。

 

「昔、チェロを弾いてたから。けど、君の演奏についていくのが精一杯だったよ」

「謙遜しないでいいさ。さっきのアレンジ、綺麗だったよ」

「そ、そうかな……?」

 

 渚カヲルは、とにかく純粋な心の持ち主だと、シンジは思っている。「綺麗だよ」という歯の浮くような台詞でさえ、一切の躊躇なしにストライクゾーンど真ん中へと投げ込んでくる。

 

「えっと、僕は碇シンジ。自己紹介まだだったよね?」

「気にすることないよ。僕たちは運命を仕組まれた子どもだ。そうだろう、シンジ君?」

「!」

 

 そんなに遠回しな言い方をせずとも良いのに。そうシンジは思った。だがそんなところも、実に彼らしい。

 

「うん。そうだね」

 

 自分と同じで、カヲルも「こちら側の人間」なのだと、シンジは悟った。

 

「……また会えて嬉しいよ、カヲル君」

 

 途端に気楽になったからか、自然と笑みがこぼれた。カヲルも、シンジの目を見据えて笑った。

 

「お帰り、シンジ君。待っていたよ」

 

 

 

 ******

 

 

 

 リリンの域を逸脱した自分の首元につけられたチョーカーは、シンジがつけている物と全く同じだ。いざという時は艦長によって即時処分が可能で、ある状態になると自動的に作動してしまう。

 それ程までに自分は危険な立場にあるわけで、実際に居住するこの場所も対爆隔離室という厳重管理ブロックになっている。ただ、正式な許可がない限りはこの部屋から出ることができないはずなのだが、何だかんだで艦内をうろつき回っている時間が長いというのはまったく変な話だ。

 

「ひーめっ、何読んでるの?」

 

 シャワールームから帰ってきた真希波マリが、雑誌を読んでいる自分の両肩に手を乗せて寄りかかってくる。こういう過度なスキンシップはずっと昔からのことらしく、言わば彼女なりの処世術なのだとか。

 

「んーなになに、コントラバス?」

「……安直なボケ方するんじゃないわよ。チェロでしょ、どう見たって」

「つれないなぁ、ニャハハッ♪」

 

 頬擦りしてくるマリを鬱陶しく感じながらも、何を言ったところで無駄になるから軽く受け流すだけだ。もうすっかり慣れた、お決まりのパターンだ。

 

「んで、もしかしてワンコ君絡み?」

「……まあね」

「へぇ弾けるんだ彼。ちょっと意外」

 

 マリはさらにぐいっと顔を伸ばし、本に顔を近づける。

 

「ま、こっちの世界では弾いたこと無いらしいし、知らなくても無理ないわね」

「姫は聞いたことあるんだにぇ♪ 上手だった~?」

「ん……まあ」

 

 揶揄い口調で訊いてくるマリの言葉に、アスカは過去を思い返しながら肯定の息を吐く。以前の私なら、おそらくマリのことを睨み付けでもしたのだろうが、そうすることで少しでもシンジのチェロの腕を否定するそぶりを見せることすら、今の自分にはできなかった。

 ずいぶんと自分のプライドに対しては丸くなったものだと、アスカは思う。一方でシンジに対する執着は相変わらずな気がするが。

 

「そういえばゲンドウ君もよくピアノ弾いてたっけ。結構音楽家肌なのかもね、あの親子」

「あの司令が?」

 

 まさか、と言うようにアスカは眉を歪めた。

 固定観念に囚われてはいけないとは常々思うことであるが、それにしたってあのサングラス男がピアノを弾いている姿など想像するには至れない。

 

「……あー、でも、だからか」

 

 よくよく考えれば。アスカは一つ納得がいった。

 シンジに返したあのカセットプレーヤー。彼曰く、あれは外界と自分を隔てるためのアイテムだったとか。そしてそれは元々、ゲンドウのものだったとも。

 音楽という世界に潜り込むことで現実との距離を取るというのが2人に共通していたのであれば、別に碇ゲンドウが何かしらの楽器を弾いていた可能性は割とある。

 

「さみしかった……のかもね」

「にゃ?」

 

 シンジがチェロを弾いていたことにも特に理由はなかった。弾き続けていたのは、ただ「誰も止めなかったから」だ。無意識ながらも自分の心の拠り所になっていたと解釈するのが一番妥当だろう。シンジ自身が気づいているかは知らないが。

 

「あの頃のシンジは、母親を喪って、父親に拒絶されて、縋れるものが何もなかった」

 

 幼い時期にそんな思いをしていたら、心が壊れるのだって仕方ないに決まっている。

 

「碇ゲンドウの過去は知ったこっちゃないし同情もしないけど、アイツの人類補完計画のきっかけだって、あの頃のシンジが感じていた絶望感とちっとも変わらないのよ」

「……なるほどね。ユイさんへの執着から、か」

 

 マリはふぅとため息をつく。なぜかこの女はゲンドウやユイと知り合っているような言動を時偶見せるのだが、その真相はアスカには分からない。だが言いたいことは伝わったようで、説明する手間が省けたことに肩の力が抜ける。

 

「特に恋なんかは喪失感を増幅させるから、執着心も余計に膨れ上がる。ほんっとに恐ろしいモノよ。ヒトを極限まで狂わせるんだから」

「けど、姫もワンコ君に恋してる」

「ええ、人のこと言えるわけない」

 

 マリにブーメランを指摘されるが、それも当然、承知の上。腕を広げて大袈裟っぽくおどけてみせる。

 

「そういう混乱に身を投じてしまうのも、人間のさだめなのかもね~」

「まぁ、コイツの方はイラついてるみたいだけど」

 

 アスカは人差し指と中指でこめかみをトントンと叩いた。

 

「心配しなさんな。姫の愚痴は、いつでも聞いてあげるよん♪」

「悪いわね、いつも」

 

 アスカはそうして再び雑誌に目を落とした。マリもアスカから離れて髪の毛を乾かし始めた。

 いつ来るかも分からない緊急事態に備えて気を引き締めなければならないのだが、それでもふとしたときに、ついついシンジのことを考えてしまう。

 今のアイツのことだから、恐らくは状況を飲み込んで冷静に対処できると思う。例えいろいろとショックを受けたとしても、味方がいないわけではない。

 ただし最悪なのは、その味方があの忌々しい最後のシ者だということにあるのだが。

 

「ワンコ君、元気にしてるかねぇ?」

「大丈夫じゃない?……少なくとも、奴がいるんだったら」

「ほぉ、大層悔しそうなことで?」

 

 不機嫌さを隠すこともせずに虚空を睨み付けた自分を、マリはニヤニヤしながら茶化してくる。

 はっきり言って、アイツのことは嫌いである。かつての世界で壊れかけていたシンジの心を救い、そして絶望へと叩き落とした張本人。彼なりの信念や死生観があったことは認めるが、その癖してシンジを幸せにしようだとは虫のいい話だ。

 一度くらい顔面を殴り飛ばしてやりたかったのだが、如何せん惣流アスカの人格が今のように現出し始めたのはごく最近である。なので未だに奴と真正面から向き合ったことはない。

 

「いつかL.C.L.の底に沈めてやるわよ。あのナルシスホモめ」

「ニャハハ、やったれーぃ♪」

 

 ただ、それにしても、だ。

 碇ゲンドウがシンジをトリガーとして使うのは確定路線だとして、それをシンジが知らない状態で実行されてしまえばマズいことには変わりない。こんなことなら、ちゃんと伝えておくべきだった。そんな後悔が残っている。

 そしてもっと大きい、一番の懸案も残っている。

 

「ねぇマリ」

「んー?」

「……例のオルタナ278、……どうするべきだと思う?」

「あー……」

 

 マリの目を見据える。マリも真剣な様子を汲み取ってか、口元から笑みを消した。

 

「やっぱり、悩んじゃうか……」

「……」

「……怖い?」

 

 マリが、心配そうに訊いてきた。一瞬、首を横に振ろうとしたが、こめかみを伝う嫌な汗に、動きを阻まれた。

 

「……ええ」

 

 そうだ、私は怖いんだ。果てしなく膨れ上がる恋心の先に見える結末を直視しなければならなくなるのが。

 

「……アスカ」

 

 マリが肩にそっと手を置いた。

 

「大丈夫だよ、きっと。私はさ、今こうやって生きていて、アスカと一緒に過ごしているだけで幸せ者だと思ってる」

「……」

「呪縛に囚われていても、幸せな時間を過ごしちゃいけないなんて決まりはないでしょ?」

「……うん」

 

 いつもはどこか気の抜けたような言動をするくせに、この女はこういう時に温かい言葉をかけてくれる。それが変にむず痒くって、そして落ち着いてしまう。

 

「彼女は、シンジ君に託そう。アスカは、アスカの思った途を進めばいいんだから」

「……そうね、ありがとう」

「その時を待とう。取り返すんでしょ? アイツから」

「……ん」

 

 こんなところで折れてなんかいられない。

 絶対にシンジを取り返す。シンジと並んで笑いあえる未来を、この手に掴むために。

 

 

 

 

 

「次は即興で弾いてみるかい?」

「そうだね、やってみよう♪」

 

 楽しげに並んでピアノを弾く二人の様子を、遠くから眺める影が1つあった。黒いプラグスーツを身に纏ったその影は、旧初号機ケージのブリッジに座りながら、眉をひそめて見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

毎度毎度、お待たせしてしまい本当に申し訳ありません。
執筆スピードが遅いのがジェニシア珀里の悩みです……(泣)
ですが、「僕は僕の落とし前をつけたい」。
そして、応援してくださる皆様のために、誠心誠意書かせて頂きます。そんなわけで第弐拾弐話でした。

いつもあとがきが長くなってしまうので、今日はサッパリと。
カヲル君とアスカのバトルが楽しみだなぁ~♪(←鬼畜)
「僕のために争わないでっ……!」とかいうシンジ君が見れるかもしれませんね。……いやさすがに無いか(苦笑)

コメントなど、励みになります♪
前回は沢山の感想ありがとうございました♪
返信は基本的に必ず致します。もうしばらくお待ちくださいませ。

では、次回もお楽しみに、ですっ!!



☆追記 2022.2.3
現在執筆中の第23話以降の展開に際し、原作リスペクトのため、サブタイトルおよび一部セリフを変更しました。
最新話投稿まで、今しばらくお待ちくださいませ。


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第弐拾参話 魂の器

 

 

 

「彼女の居住場所をかい?」

 

 日も落ち始めて、今日はこのまま解散しようかという話になり、ピアノを弾くのを終わりにした後、黒い綾波の部屋についての相談をカヲルにした。

 

「うん。あのプレハブ小屋にいさせたくはないんだ。綾波本人は良いかもしれないけど、彼女のためにはならない」

「……本当に、変わらないな君は」

 

 カヲルはニコリと微笑んだ。

 

「わかったよ、部屋のことは任せて。僕の居住区画には、まだ少し余裕があるからね」

「ありがとう。……あとさ、カヲル君」

「なんだい、シンジ君」

 

 シンジは、真剣な目でカヲルを見つめた。

 

「今度は必ず、君を助ける。僕は君にも、生きててもらわなきゃ困るんだ」

 

 タブリスと呼ばれた、最後の使徒。

 普通であれば敵対する存在で、殲滅しなければならない。

 だがもちろん、シンジはそんな風には思わない。

 大切な友人の1人なのだ。過ごした時間は短くても、シンジは彼のいる世界の方が、何倍も輝いた世界だと、思っている。

 

「生と死が等価値だなんて、言わせないから」

 

 カヲルは困ったように、でもどこか嬉しそうに、微笑んだ。

 

 

 

 

 

【第弐拾参話 魂の器】

【Episode:23 PRODUCTIONMODEL】

 

 

 

 

 

 ここで出る食事はオールペーストでとても人工的であり、WILLEで食べたものと比べると、なにか違う感じがするのはたぶん気のせいではないだろう。それでも、もしかしたら食べられるものがあるだけマシなのかもしれない。

 そんな朝食を、部屋で時間どおりに食べながら、シンジは黒い綾波のことについて考えを巡らせていた。

 昨日の別れぎわにカヲルに頼んでおいた居住場所についてだが、そこで聞いた話がこれまたどうしてシンジの常識外れな内容だったからだ。

 

 

 

「綾波の件だけど、この事は父さんには……」

「心配いらないよ、司令は彼女に対しての興味はないからね」

「え……そなの?」

 

 シンジはそれを聞いて拍子抜けした。綾波レイのクローンは今でも駒の一つとして利用されているものと当然思っていたからである。

 

「そう。彼女はオルタナティヴ・アヤナミシリーズの4番体。彼女にはリリスの魂は宿っていない」

「オルタナティヴ……か。代わりの、ってことだよね」

「ああ。君が破壊したんだろう? 元のシリーズは」

「う、うん……リツコさんと一緒に」

 

 少しだけ、心が痛んだ。リツコと共に彼女たちを破壊した、あの時の覚悟と涙を思い出したからだ。

 しかし、同時に一つ浮かんだ疑問に、シンジは困惑した。

 

「……宿っていない? 魂が?」

 

 カヲルは、小さく頷いた。

 

「……ってことは、まだ?」

「だろうね。君と仲が深い彼女は、初号機に残されている」

 

 アスカの言ったとおりだ、とシンジは思った。レイはまだ、あの中に息づいている。なぜ初号機からサルベージされなかったのかは謎だが、それでも、レイが完全に消えてしまった訳ではないことに、安堵する。

 

「あ……でも、そうしたらあの綾波は? 魂はいったい……」

「それこそだよ」

 

 カヲルはシンジに被せるように言った。

 

「魂がなければリリンは肉体を制御できない。けれどその反対は違うってことに、みな気づかなかったのさ」

 

 ……まさか、とシンジは息を呑んだ。そしてそれは、見事に的中していた。

 

「君の知る綾波レイは魂を2つ持っていた。前の世界でも、今回もね」

 

 そう考えるのが自然じゃないかい?と言わんばかりにカヲルは微笑んだ。

 

「そうでなければ、バルディエルが『彼女』と共生できないだろ?」

 

 シンジの脳裏に、眼帯を付けたアスカの姿が浮かび上がった。

 

 

 

 

 

 そうなると、このNERVにいる黒い綾波は、文字通り「道具」のためだけに生きているわけで。

 あれから一晩、いろいろと考えてはみたが、シンジはなんだかいたたまれない気持ちになってしまった。

 

「『命令』でしか生きられない……」

 

 何せ、命令がないと服さえ着ないのだ。羞恥だとか、好意とかといった感情すら知らないのが綾波レイという少女なのは知っていたが、こと彼女にいたってはそれよりももっと、根底から何も知らないように感じた。

 父は一体何を企んでいるのか。たった一つの目的のために、今度はあの13号機を使うつもりなのだろうが、シンジの経験も想像すらも超えた今、その真意が分からない。

 

「……やっぱり、もっと聞かなきゃ」

 

 彼ならば何か知っているかもしれない。世界の逆行者の一人である彼ならば。

 シンジは食べ終わったトレーを受け取り口に戻すと、新しいワイシャツに着替え、ピアノのある広場に向かった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 楽譜もなしに即興の連弾をしている姿を誰かが見たら、思わず拍手を送りたくなるだろう。しかもその演奏が、ピアノ経験のない少年であるなら尚更だ。

 しかし当のシンジはそんなことは一切関係なしに、カヲルとのデュエットに楽しく集中していた。

 

「どうしたらもっと上手く弾けるかなあ」

「上手く弾く必要はないよ。ただ気持ちのいい音を出せばいい」

 

 カヲルは高音域の主旋律を弾いているだけあって音の変化が激しい。それでもポンと弾む音が清らかに鼓膜を刺激してくるその指さばきに、シンジは見とれ、聞き惚れてしまう。

 

「気持ちのいい音、かあ……どうやったら出せるんだろ」

「反復練習さ。同じ事を繰り返して、少しずつ自分の正解に近づく。自分が納得できるまでね」

 

 自分の低音域とカヲルの高音域が、ピッタリ意識がかち合い、次第に高い方へと上がっていく。

 この感じ、ダ・カーポだ。

 

「良いね。音が楽しいよ」

 

 主旋律をもう一度奏でていき、ここでコーダ。

 カヲルも穏やかな旋律を捨て、終曲へと走る。

 そして、最後の和音を二人で叩く。綺麗に決まった。

 

「……うん。二人ってすごいや」

 

 反響する音が完全に消え去ってから、シンジは小さく呟いた。

 

「第13号機は、ダブルエントリーした両者の息を合わせなければいけない。結界の張られているセントラルドグマに侵入するためには、どうしてもね」

 

 カヲルはピアノの天板にそっと触れながら言う。

 

「でも大丈夫さ。これだけリズムが合っていれば」

 

 カヲルから聞いた父の次なる計画は、セントラルドグマにある2本の槍だという。今のセントラルドグマはリリスの張った結界、いわゆる「L結界」によって完全に封印されてしまっているのだとか。

 自身が原因となったニアサードインパクト。その後、ゲンドウとSEELEによって画策されたその続きの儀式を、リリスへの接触・解放で引き起こしたサードインパクト。そのさらに次のステージ、フォースインパクト。その発動を、NERVとSEELEは目論んでいるらしい。

 そもそも、これまでのセカンドとサードの、人類補完計画での位置づけは大きく違うものとなっていた。カヲル曰く、セカンドインパクトで海の浄化、サードインパクトで大地の浄化、そして前史ではなかった、次なるフォースインパクトで魂の浄化。

 今度のインパクトは、そのフォースを実行するために2本の槍を回収するというものらしい。

 

「約束の時はすぐに来る。僕にとってはようやくだけどね」

 

 カヲルは、その計画を利用しようと提案した。

 ドグマにあるのは、ロンギヌスの槍とカシウスの槍。カシウスの槍は初めて聞く名前だったが、ロンギヌス同様に神の力を宿す槍であることは同じらしい。

 この二つを用いることで、世界を書き換える。絶望のロンギヌスと希望のカシウス、2本が揃えば世界を書き換えることも、人類補完計画を起こさない世界も実現できるというわけだ。

 タイミングさえ、ちゃんと掴めば。

 ただ……。

 

「……」

「うん? どうかしたかい?」

 

 シンジは少し、胸につかえていることがあった。

 それを振り払うように、目を閉じて首を振った。

 

「ううん。なんでもない。もう1回やろう?」

 

 紅く染まった鋼鉄の壁際から、2人を見る影があることには、シンジはまだ、気づけなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 翌日、シンジはカヲルと共に黒い綾波の新居へと荷物を移動させた。といっても、今度の彼女の荷物は段ボールすら必要ない程の量である。

 今の荒廃したこの建物に、まともなものがある保証はないとカヲルは言うが、それでもやはり、ちゃんとした服とかを用意してあげたいところではある。

 

「……?」

 

 寄るところがあると言ったカヲルと一旦別れてから歩くこと数分。彼女のことを考えていたシンジは、突然に視線を感じて立ち止まった。

 何やら、気配が不穏だった。昨日まではなかった、凍てつくような視線。しかし、振り返ってもそこには埃ひとつない廊下が長く続いているだけで、歩くのは自分一人である。聞こえていた自分の足音の反響すらも、自分が立ち止まったことですぐに消えてしまう。

 

「……気のせいかな?」

 

 そう思いながら、再び歩き始めた。

 この世界にやって来てから、感覚が敏感になっているのは事実である。悲劇を免れるために意識している節もあるし、かつてのサードインパクトのときに初号機と共に神化した感覚が残っているためか、無意識下でも何となくそういった気配には敏いのだ。

 気配だけではなく、音や光に対してもそうだった。だからこそ。

 気のせいではないということに気づくのは、すぐだった。

 

「────!?」

 

 後ろで、何かが落ちる音がした。

 そして感じていた気配が、殺気立つものに変わっていく。

 少なくとも、カヲルではないことは確かだ。なら一体誰だ。いったい誰に狙われている?

 シンジは息を殺しながら音のした方を見ながら少しずつ近づいていく。音のした方は、通路を曲がった先だ。

 聞き間違いでなければ、あれは薬莢の音だ。カラカラと転がる金属の、反響が際立つ筒状の物体。

 けど、どうしてそんなものが? 疑問を抱えながら、シンジは曲がり角を慎重に覗く。

 

「……ん」

 

 やはり、薬莢だ。ホコリ1つもない廊下に、転がっていた。

 静かに近づいて、それを手に取る。

 

「……?」

 

 薬莢に鼻を近づけて、匂いを嗅いだ。

 

「……夕陽の香り?」

 

 次の瞬間。

 頭上からガコン──!という耳をつんざく音がして、刹那、シンジは腕を捻り取られて組み伏せられてしまった。

 

「がッ……──!?」

 

 咄嗟に振りほどこうとしたが、すぐにシンジは静止していた。

 後頭に、重く黒い鉄が押し付けられているのを感じたためだ。

 ただ、シンジは意外にも冷静だった。完全に背後を取られる格好になったこともそうだが、それ以上に見事すぎる相手の身のこなしに、素直に感服したのだ。

 

「……僕もまだまだってことか。完敗だよ」

 

 体躯的には高校生、いや、自分と同じで中学生くらいだろうか。そこから推測するに、チルドレンかもしれない人物だろう。

 

「…………」

 

 背後のソルジャーは答えず、無言のまま撃鉄を引いた。

 さすがにマズいと思ったシンジは、そのままの体勢で訴える。

 

「待ってよ。僕はここの対抗勢力から拉致されてきたんだ、NERVの人間なら知ってるだろ」

 

 この完全自動化された施設で、NERV以外の人間が入り込めることはおそらくない。それ故の結論。

 

「…………」

「……君が誰なのかは知らないけど、少なくとも僕を殺すメリットはないんじゃないの?」

 

 ソルジャーは、銃口をさらに押し付ける。

 

「それとも……もしかして試してる? 僕のこと」

 

 一瞬だけ、捻られている手が震えた。その一瞬の隙をシンジはつき、動いた。

 いつだったか、アスカに教えてもらった戦術だ。神経を研ぎ澄ませ、精確なタイミングで精確な場所を打破する。

 一対一であれば、完全に抑えつけていても関係なく、人間誰しも隙ができる。その隙「だけ」は絶対に逃さないのが大事だと。

 銃口を頭から逸らし、床を右脚で蹴り上げると同時に上体を捻り込んで相手の拳銃を持つ手を掴む。そのままさらに上体を捻り、拳銃を奪い取って素早く構える。

 実に2秒。あっという間に攻守は逆転する。

 アスカに教わった事がここで役に立った。

 そう思った瞬間──

 

「ふーん?」

「──っ!?」

 

 シンジは自分の目を疑った。

 そこには、自分のよく知った姿が。

 大好きな彼女と同じ姿があったのだ。

 

「伊達にナナヒカリ、ってわけじゃなさそうね。第13号機パイロットα?」

 

 

 

 ******

 

 

 

 艦橋を歩くアスカに向けられる視線は、決して良いものではない。敵視されていないだけマシではあるが、それでもリリンと乖離した存在であるアスカを、WILLE職員のほとんどはどこか畏れて、あるいは哀しみの目で見てしまっている。けれど、それをアスカは咎めなかった。

 アスカは14年間、眠っていた。その間は「彼女」が、自身の記憶と自らの信念に従って、行動していた。

 14年。その年月は本当に長く、遠かった。本来なら自分だって28歳、アラサーと呼ばれていてもおかしくはない。しかし、惣流アスカにとって、この身体と心は未だに14歳で、簡単に変わることはない。

 

『死ぬときのことなんか、僕は考えないよ』

 

 しかしシンジはまだ、諦めていなかった。絶対にアスカと帰るんだという決意を、変えていない。その姿は、アスカにはあまりにも眩しすぎた。

 だから、DSSチョーカーを渡したのだ。

 命をかけてほしいなどとは微塵も思ってはいない。シンジを死に近づけたいなどと、アスカが思うわけがないのだから。しかし、シンジにチョーカーを渡すことを一番初めに提案し、その役目を買って出たのは、実は他ならぬアスカだった。

 シンジに装着させることを本心では望まなかったミサトやリツコも、シンジを憎む人間の多いWILLEのトップという立場上、何も言うことはできなかった。

 これは、アスカのエゴだ。

 WILLEにはシンジを処したい人間が多いが、結局のところ殺されることはないだろうと思う。それは偏に、心の底ではシンジを守りたいと願うミサトやリツコが、人類の意志を、希望を信じてWILLEを率いているからだ。

 NERV側にしても、フォースのトリガーとなりうるシンジを、みすみす使い捨てることはしないはずだ。それに碇ゲンドウは、結局はシンジの父親だ。

 だが、自分はシンジとは違う。元を辿れば替えがきくロット型。おまけに身体にはバルディエルが潜んでいる。シンジよりも、確実に死に近い存在と成り果てた。だからといって簡単に死ぬつもりはないが、やはりアスカは不安なのだ。

 もし世界を取り戻したとして、その先で自分が、アスカがそこに生きられるのか。純粋に笑って、シンジの隣に立てるのか。それが不安だった。

 だから、アスカはチョーカーを渡した。碇シンジと式波アスカが、この世界で一緒に立っている、その姿を見たい、信じたい、感じていたい、ただそれだけのためだ。

 

「まぁ結果的に、NERVに攫われちゃったから結果オーライなのかもだけどね……」

 

 眼前に、コア化しているかつての紫鬼が現れた。いまはAAAヴンダーのメインエンジンに転用されている。

 

「もうすぐ、碇司令があの切り札を出してくる。今度こそ絶対に、決着をつける」

 

 目の前の巨体が動くことはない。しかし、紛う事なき生命の鼓動に、アスカは語りかける。

 

「……レイ」

 

 アスカは、その機体に残っていると信じる蒼髪の少女に向けて、静かに叫んだ。

 

「待ってて。戦い終わったらその時は、アンタも必ず取り戻すから」

 

 言い終わると、アスカは再び襲ってきた頭痛に一瞬よろめいた。

 

「……ぐ……っ」 

 

 眼帯を押さえるように左目をかばい、手すりを掴む右手に、力を込める。

 

「……アンタたちの生きていく世界は、絶対に守る」

 

 痛みが弱まったところで左目を押さえていた手を外し、初号機を見据えた。その左目は、蒼く煌めいていた。

 

「たとえその世界に、……私たちがいなくても」

 

 

 

 ******

 

 

 

『この世界は、根本から違ってた』

 

 アスカはこの前、そう自分に告げていたが。その意味が、もっと大きいものであることを理解した。

 苗字が「惣流」ではなく「式波」であった理由。彼女の母親について何も分かっていないという謎。

 これが真相か。自らの存在理由さえ、魂の形さえ異にしているこの現状を、根底から違うと言わずに何と言えようか。

 

「シキナミ・アスカ・ラングレー。Mark.10のパイロットよ」

「……碇……シンジ。よろしく」

 

 黒いプラグスーツを身に纏い、目には何も着けておらず、両目からのぞくサファイアブルーの綺麗な瞳が自分を見据えている。

 クローンだ。彼女はアスカのクローンなんだ。背筋がゾッと凍った。

 

「どうなってるんだよ、カヲル君」

 

 背後に近づいていた気配に対し、シンジは言い放った。

 動揺を、ひた隠しに隠して。

 

「君の考えている通りさ。この世界では『惣流・アスカ・ラングレー』という人物ではなく、NERVによって造り出された《兵士》としてのクローン体。零号機と2号機のように、アヤナミシリーズがプロトタイプなら、シキナミシリーズが正規版(プロダクションモデル)ってところだね」

 

 膨れ上がる動揺を全力で拳に握り込み、シンジは目の前の彼女を真っ直ぐに見つめる。彼女はどこ吹く風で、拳銃を返すようにシンジに手を出した。

 

「彼女はシキナミシリーズの278番体。最も戦闘力に長けた戦士だよ」

「所詮戦闘データだけよ。じゃなきゃ、こうやって呼び出されたりしてない。それに、コイツにだって隙をつかれた」

「本気を出してはいないだろう?」

「ったく、いちいちうるさいわね。私は戦闘訓練始めるから」

 

 彼女は素っ気ない態度で、シンジから受け取った自身の拳銃をホルスターに仕舞い、歩き出す。カヲルは呆れた面持ちでそれを見ていた。

 

「相変わらずだね、レヴ」

「レヴ?」

 

 聞き慣れない呼び名に、シンジは訊き返した。

 

「レボリューションの『REV』さ。この世界に革命を起こして、自らの居場所を取り戻そうとしているから、彼女のことはたまにそう呼んでいるのさ。それに、WILLEの彼女と区別するにもその方が良いだろう?」

「余計なお世話よ」

 

 レヴと呼ばれた彼女は、眼光鋭くカヲルを睨んだ。

 

「同じ人間が二人。そんなことするからややこしいことになるっての。まったく、いい迷惑よ」

「けど、それを打破するために、君も望んで残っている」

「……ええ。絶対這い上がってやる」

 

 彼女はそう言うと、廊下の奥へと消えていった。

 

「シンジ君もおいでよ。彼女たちの戦闘訓練、見てみるといい」

「…………」

 

 カヲルに誘われるまま、シンジはあとをついていった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ゼーレの少年がMark.10の少女と第3の少年を引き合わせた」

 

 すっかり崩壊したNERVの司令室。その中央にある机に肘をつきながら、ゲンドウは冬月の報告を聞いた。

 

「その後、Mark.10の少女が主導で戦闘訓練を行っている。ここ数日はMark.09のパイロットも交えて数回だ。……些か動きが速いようだが、大丈夫なのか、碇?」

「問題ない。第13号機の完成は近い。セントラルドグマに侵入さえできれば、それでいい」

 

 ゲンドウは重い声で、淡々と応える。

 

「……ゼーレのシナリオを書き換えるだけでは済みそうにないと、私は思うがね」

 

 冬月は外に広がる荒廃した世界を眺めながら、一言呟いた。

 

 

 

「ぷはっ──!!」

 

 ボトルの水を一気に半分飲み干し、シンジは肩で息をしながらタオルで汗を拭った。

 ようやく、心の整理ができるようになってきた。シキナミアスカ・ナンバー278、通称レヴと呼ばれた彼女は、父によって作り出されたクローンシリーズ:シキナミタイプの1人であり、選別に最後まで残ったうちの片割れだった。WILLEの動きを警戒した父の独断行為であるが、ゼーレも沈黙を以て特に干渉はしてきていないらしい。

 この感情を何と形容すべきなのか、シンジには分からなかった。彼女と面と向かって話せるはずもなく、ただひたすら彼女と、黒い綾波と、カヲルの3人に交じって、葛藤する間もないくらいに訓練をすることでこの数日を過ごした。

 あの子は……「アスカ」はこのことを知った時、何を感じただろう。そして僕は……彼女とどう接していくべきなのだろうか。

 

「ナナヒカリ」

「っ……?」

 

 気が付くと、目の前に黒いプラグスーツの彼女が仁王立ちでシンジをを見下ろしていた。

 

「ど……どうしたの?」

 

 戸惑いながら尋ねるシンジに、ドリンクを口に含みながら、乱雑にヘッドホンを放り渡した。

 

「え……何?」

「ちょっと付き合いなさい。こっち」

 

 彼女はそう言うと、飲み終わったスパウトパックを回収シューターに放り込み、スタスタと歩いていってしまう。渡されたヘッドホンを手に、シンジも慌てて彼女の後を追いかけていった。

 

 

 

 ダンッ―!と言う爆発音と共に、50m先の的に風穴が空く。次に、薬莢の転がる音が反響して聞こえてくる。耳当てをしているとはいえ、音の1つ1つはちゃんと聞こえてくる。

 もう一発銃声が鳴り響き、彼女の放った弾丸は今度は的の中心を貫いた。シンジはその結果に感心しつつも、対象を鋭い眼光で見据える彼女の様子に何も言えず、ただただ気圧されていた。

 

「次。アンタの番」

「あ……うん」

 

 ヘッドホンのマイクスイッチをオンにした彼女から、拳銃を構えるように促される。シンジは指示通りに腕を上げ、照準と視線を真っ直ぐに的に向ける。

 

 ダンッ──!

 

 発射した反動で、手首が跳ねる。弾丸は少し外れたところを貫く。若干の痺れが、シンジの腕を襲った。

 

 ダンッ──!

 

 もう一発。今度はさっきよりも中心近くに直撃する。彼女のようには、やはり上手くいかないが。

 ただ、彼女はどうやら感心した様子だった。

 

「……ふぅん、なかなかやるじゃない。射撃訓練もやってたわけ?」

 

 彼女はカヲルから聞いていたのか、シンジが14年眠り続けていたことを知っている。ただし細かい事情は聞かされていないらしく、時折こうやって「碇シンジ」に対する探りを入れてくる。

 今の問いも、字面通りの意味ではない。真意はおそらく「エヴァで戦うのがメインなのに、なぜ射撃の訓練までやってた?」というような尋問である。

 

「……まぁね。NERVにいる以上は、必要みたいだったから」

 

 カチャリと弾のリロードをしながら、シンジは素っ気なく答えた。シンジはこの手の質問に関しては、悟られないようにはぐらかそうとしている。気を抜くと真実を──自らがこの世界の人間ではないことを、うっかり喋ってしまいそうなのだ。

 

「理由はそれだけ?」

「……そうだよ。狙われて当然だったし」

 

 当たり障りのない答えを、できるだけ自然に投げ返す。自分に視線を向けられているのを感じるが、シンジは頑として横を向くことはしない。彼女の眼を見たが最後、確実に射貫かれると分かっているから。

 少しの沈黙の後、シンジが弾の装填を終えるのと同じタイミングで、彼女は口を開いた。

 

「それはそうね。この世界に、……頼れる人間なんていない」

 

 ダンッ──!

 

「っ!?」

 

 キーンという反響音が脳を貫いた。

 

「……悪かったわね、スイッチ切り忘れた」

 

 シンジがヘッドセットごと耳を抑えて横を向くと、彼女は顔を苦く歪めながらスイッチを弄っていた。そして三たび銃を構えて、彼女はもう一度弾を撃つ。

 切り忘れは、動揺からだろうか。彼女の顔は、心なしか険しくなっているように見えた。

 シンジはふと、14年前のある一日の景色を思い出した。

 

 

 

 この世界で過ごすようになってから、時間のあるときは戦闘訓練も行うようにはしていた。しかし武術訓練はともかく、エヴァのシミュレータを使わない射撃訓練は怪しまれる危険もある。そのためリツコ経由で貰った重さや反動制御などの改造を施した特製のエアガンを使い、葛城家の廊下を上手く使って少しは練習をしていたのである。

 時にはアスカやレイとも一緒にやっていて、的当てで競ったりしたこともあった。彼女たちには、シンジは一度も勝つことができなかったものだが。

 

「鼻先?」

「そう。心臓を狙っても相手はしばらくは死なない。一発で仕留めるなら意味がないの」

 

 険しい顔で、その時のアスカは語っていた。

 

「脳を撃ち抜くのが、より確実」

「……残酷」

 

 そう発したのは、シンジではなくレイだった。

 

「分かってるわよ。私だってやるつもりはない」

 

 心が荒んでいた時なら、やっていたかもしれない。いや、きっとやってたわね。そうアスカは付け加えた。

 アスカは顔を歪めてエアガンを構えると、的から少し外れたところに弾をぶつけた。

 

「けど、私たちは常に、鼻先にコイツを突きつけられてる。それは覚えとかなきゃいけないのよ」

 

 シンジとレイは、お互いに顔を見合わせた。

 それだけこの世界が残酷であるということを、その日もまた突きつけられたのである。

 

 

 

 レイの前では口に出さなかったものの、アスカが言った「心が荒んでいた時」というのは、前史でのアスカ自身のことだ。結果だけを見て、自らの居場所の為には躊躇などしない。かつての惣流・アスカ・ラングレーの行動原理は、それだった。

 目の前の、黒いプラグスーツの彼女は、そんな前史のアスカとよく似ていた。それも、縋れるような人間が一人もいない、より孤独に蝕まれ続けたような瞳だった。

 

「……ねえ」

 

 シンジは、レヴに対して、初めて問いかけた。その声に、彼女は構えていた銃をそっと下ろして、静かにマイクを入れる。

 

「……何?」

「……君は、……どうするつもりなの」

 

 怪訝そうな顔を、レヴはシンジに向けた。

 

「何を、願ってるの」

 

 途切れ途切れになりながら、シンジはゆっくりと、訊く。

 

「……」

 

 重く冷たい空気が、2人を纏う。

 いつの間にかシンジは、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめていたことに気づく。

 

「……じゃあさ」

 

 レヴが、口を開く。

 

「アンタは、私をどうするつもり?」

 

 レヴはそれだけ言うと即座にマイクを切り、拳銃を構えた。

 彼女の弾は結局、一発も的の中心から外れることはなかった。

 

 

 

 

 

 




☆あとがき

9ヶ月もお待たせして、言い訳なんて言えるわけがない。(笑)

ご無沙汰してます、ジェニシアです。
エヴァって、本当に訳が分からないです。(良い意味で。)
自分の中で納得しようとするために始めたこのシリーズを書きながら、自分ってなんだろう、世界ってなんだろうとか考え出してしまうんですから。奥深いどころの話じゃない、うん。笑

さて、本日は『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』公開から1周年です。もう1年が経ってしまったというのがなんだか信じられないです。そしてふと、思うのです。エヴァンゲリオンという作品は、「まだ終わってないのではないか」と。
新劇場版は、25年の歴史は終わったけれど、まだまだ分からないことがあまりに多い。観客に対して、ファンである私たちに対して、「シン・」を通して投げかけられた問い。それに、私は何と答えるのか。

相変わらずスーパースローペースですが、このシリーズを通して、私は自分なりに、これからも考えていきたいと思います。
よろしくお願い致します。

2022.03.08 ジェニシア珀里


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