死が二人を分かつまで-side stories- (garry966)
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HK416×UMP45百合「私と彼女の距離」その1

ドルフロアンソロ発売記念に書いた短編です。
百合です。
書きたかったので書きました。
近いうちに続きを書きます。


 私は完璧な人形だ。M4A1やM16A1を超える人形として生み出された。そういう風にI.O.Pの人間が言っていた。AR小隊のデータを使って、あいつらを上回るために生まれた完全無欠の人形だと。私もそれは正しいと感じた。私のスペックはどれをとってもあいつらに負けていないし、私を上回る人形なんてこの世に存在しない。私は自分の性能に自信を持っていた。私はハイスペックで優秀だからどこへ行っても引く手あまたであらゆる戦場で戦うことになる、そう思っていた。

 

 でも、いつまで経っても私を必要とする人間は現れなかった。他の低スペックな戦術人形はどんどん売れていくのに私を買う人間は誰もいなかった。いつの間にか私はI.O.Pの倉庫で一人ぼっちになっていた。不安を覚えた私はI.O.Pの人間になぜ私は売れないのか聞いた。そいつが言うには私は高価すぎるらしい。人形一体に誰もそんな金額を出してくれないのだと言っていた。ふざけるな、と思った。高性能な人形が高価なのは当たり前だ。どうして人間どもは私を評価しないんだ。私は値段に見合う価値を持っている、そのために生み出されたんだから当然だ。

 

 それからしばらく経っても私は売れなかった。いつの間にかI.O.Pの人間も倉庫を訪れなくなった。私は忘れ去られていた。私は完全無欠な人形のはずなのに、どうして。戦場にいなきゃ私は価値を発揮できない。こんな倉庫は私の居場所じゃない。私を評価しない無能な人間どもを呪いながら一人で過ごしていた。

 

 ある日、倉庫に人形がやって来た。左目に傷のついた小柄な人形だった。そいつは倉庫の隅に座っていた私の前に来て、私を見下ろしていた。なんだこいつは、と思った。こいつはI.O.Pの新品ではなさそうだった。それなら傷はついていないはずだからだ。こんな弱そうな奴でも戦場に出てるのにどうして私はこんなところにずっといるんだ。ふざけるな。

 

「あんた、名前は?」

 

 そいつは私を見下ろしながら聞いてきた。

 

「……HK416」

 

 その名を口にするのも久しぶりだった。誰かと喋ることもずっとなかったからだ。

 

「ふーん。じゃあ戦術人形なのよね。戦えるの?」

 

「……当たり前でしょ。私は完璧な人形よ。誰にだって負けないわ」

 

 私は自分に言い聞かせるように言った。正直、もうそれが真実なのか疑い始めていた。私を必要とする人間が誰もいないなんて思ってもみなかった。

 

「じゃあ、それを証明させてあげる。外に出してあげるわ」

 

 こいつは何を言ってるんだ。その人形の唐突な発言に驚いた。私はI.O.Pの所有物だから勝手に出ることは許されない。こいつは私をからかっているのか。

 

「私があんたを買ってあげる。あんたに価値を見出してあげる。だから、私のものになりなさい」

 

「何言ってるのよ。人形にそんなことできるわけないでしょ」

 

 こいつは私をからかっているんだ。誰にも必要とされていない私を馬鹿にして遊んでるんだ。怒鳴りつける気にもならなかった。そんなことをしても虚しいだけだ。

 

「そこいらの人形にはね。でも、私にはできる。私はUMP45。今日からあんたのご主人様よ。私のために戦ってね♪」

 

 そいつはニヤついてそう言った。それが私と45の出会いだった。

 

 

 

 

 

 私はG11を引きずりながら全力で走っていた。G11は右足を撃ち抜かれていて自分では走れない。後ろから十数体の鉄血人形が追いかけてきていた。そいつらを撃つのはG11に任せて私は後ろも見ずに走る。G11の襟首を引っ掴みながら、こいつ意外と重いな、と思った。今ここで手を離して、私だけで走ったらすぐに逃げ切れるだろう。本音を言えばそうしたかったが我慢して走った。こいつを救出するのが私に与えられた任務だったからだ。

 

 銃弾が風を切るヒュンヒュンと言う音がずっと聞こえていた。その内の一発が私の左肩を貫いた。衝撃でよろめくが歯を食いしばって耐える。当てるにしてもG11にしなさいよね、こいつのせいでこんなことしてるんだから。銃声に混じってヘリのローター音が聞こえてきた。脱出地点はもうすぐだ。T字路を曲がるとヘリが見えた。近くに二体の人形が立っていた。

 

「416!急いで!」

 

 右目に傷のある人形が叫んだ。サブマシンガンを構えて鉄血人形たちに発砲する。人形の頭が弾ける音が後ろから聞こえた。連中はひるんだのか私に対する射撃の圧が弱まった。その隙にヘリに飛び込んだ。G11の首に服が食い込んでくぐもった悲鳴が上がる。二体の人形もヘリに乗り込み、すぐさま離陸。鉄血人形たちはみるみるうちに小さくなっていた。

 

 緊張の糸が切れて私は息を吐く。右目に傷のある人形、UMP9が笑っていた。

 

「いやーよかったよかった。家族が全員無事で。416もお疲れ!」

 

「何が家族よ……!私を一人で行かせて助けもしなかったくせに!」

 

 口を尖らせて9をにらみつける。9はまったく意に介せずへらへらと笑っていた。

 

「だってしょうがないじゃん。私は別の任務があったんだし。文句は45姉に言ってよね。でも全員無事だったんだし、どうでもよくない?」

 

 45を見ると涼しそうな顔をしていた。不満気な私を見てニヤついた。

 

「そうね。無事だったんだからいいじゃない」

 

「もうちょっとで死ぬところだったわよ!よくも私を一人で突っ込ませてくれたわね!」

 

 45は私の文句を鼻で笑い飛ばした。姉妹揃ってムカつく奴らだ。

 

「でも死ななかったじゃない。あんたならやれるって信じてたのよ」

 

「……チッ。次はないわよ、次は」

 

 45の得意げな顔を見たくなくて目を逸らした。ふと見るとG11まで笑っていた。

 

「そーそー。終わり良ければすべて良しだもんね」

 

 G11はうんうんと頷きながら言った。腹が立ったのでその頬をつねり上げた。

 

「元はと言えばあんたがへまをするのがいけないんでしょ!私は命の恩人なんだから感謝しなさい!」

 

「いだいいだい。ひっぱらないでぇ」

 

 G11は涙目で訴える。そんな私たちを見て45と9が笑っていた。やっぱり腹の立つ奴らだ。

 

 

 

 

 

 あの後、45は倉庫からすぐに出て行った。私はからかわれただけだと思っていたからすぐにあいつのことは忘れることにした。人形が人形を買うなんてなんの冗談だ。忘れようとしたがあいつのニヤついた顔が脳裏に張り付いてイラついた。一人でイライラしているとI.O.Pの人間が珍しく倉庫にやって来た。45も一緒だった。所有権がI.O.Pから45に譲渡されたと短い説明をするとすぐに去っていった。それがあまりにあっけなくて信じられないでいると、45が私の手を掴んで倉庫の外に連れ出してくれた。初めて見る外の世界は広かった。私が想像していたよりもずっと輝いて見えた。ちょうど夕暮れ時だった。ぽかんとしている私を見て45が笑っていた。いつものようにニヤついた笑みではなく満面の笑みだった。夕日に照らし出された45の笑顔がきれいでドキリとした。その時、私はようやく外に出たことを自覚したのだった。

 

 それから私は45が指揮する404小隊に入隊した。一体どうやっているのかは知らないが、404小隊はあらゆる組織から独立している。グリフィンなどのPMCから依頼を受けて戦う人形による傭兵部隊だ。45はなぜか普通の人形にはない指揮能力を持っている。そんな能力を持っている人形は私が知る限りM4A1だけだ。そう、あの憎きM4A1。私にだってそんな機能はついていない。私はずっと人間の指揮で戦うことになると思っていたが人形のもとで戦うことになった。

 

 戦場は私が想像してたよりもずっと過酷だった。404小隊は戦闘のエキスパートとして激しい戦いの中に送られる。採算が取れないからPMCがやりたがらない任務が外注されて、それが私たちに回ってくる。それだけならまだいい。いつもあいつは私に無茶苦茶な任務を与えてくる。さっきみたいなのがそうだ。一人で敵陣に突っ込めとか、数倍の敵を相手取って勝ってこいとか。生傷を負った回数はもう両手じゃ数えきれない。いつもあいつは何でもない顔をして言ってくる。

 

「あんたならできるでしょ?」

 

 どんな無茶苦茶で危険な任務だって何でもない顔でそう言ってくる。その顔を思い出すとムカつくし、腹が立つ。

 

 でも、一度だって失敗したことはない。私は完璧な人形だから当然だ。失敗なんてするわけない。そして、あいつもそれを知っている。あいつは私の能力をちゃんと評価していて、私の能力を信頼している。

 

 認めるのは悔しい。あいつのしたり顔が浮かんできて腹が立つ。認めたくはない。でも……私を評価してくれるのは嬉しい。人間は私を評価してくれなかった。私はM4A1やM16A1を超える完璧な人形なのに、値段が高いとかふざけた文句をつけて私を使ってくれなかった。私を使って、ちゃんと評価して、信頼してくれるのはあいつ、UMP45だけなんだ。あいつの憎たらしい顔が思い浮かんできて腹は立つけどそれは事実だ。私の居場所はあいつが率いる404小隊にしかない。

 

 それにあいつも優秀だ。あいつが失敗したところは見たことがない。悔しいけれど、私を100%使いこなせるのはあいつしかいない。私を評価しなかった人間のもとでは戦いたくない。45はきっと人間よりもずっと優秀だ。私ほどじゃないが、優秀な人形だ。あいつが考えて、私が行動すれば何だってできる。不可能なんてない。どんな危険な任務でもこなせてしまう。はっきりそう思える。あいつと一緒に戦っていれば、いつか私を評価しなかった人間たちを見返せる、そう思えた。私はM4A1やM16A1よりも優秀なんだと世界に示せる。面と向かってそんなことは絶対に言わない。あいつがニヤニヤしながら私を小馬鹿にしてくるのは目に見えているからだ。

 

 

 

 

 

 ヘリでグリフィンの基地に到着し、私とG11は修理を受ける。それから車で基地を離れた。9がどこかからかっぱらってきたボロ車だ。

 

 今、404小隊はグリフィンと鉄血の前線の間にある無人地帯に拠点を構えている。戦争でボロボロになった廃墟の中からマシなものを選び出した。状態のいいビルの一室に家具と発電機を運び込んで仮住まいにしている。発電機も私が探させられた。完璧な人形は状態のいい発電機を見つけられるという無茶苦茶な理屈をこねられて廃墟中を回る羽目になった。そんなの断ればいいのに、45に何か言われると私はムキになってしまう。感情が高ぶって抑えが効かなくなってしまう。

 

 拠点に着いた後、突然45にメモを見せてきた。

 

「416、悪いんだけどこれ買ってきてくれる?買うのを忘れてたわ」

 

 メモには機械部品や弾薬、その他諸々の日用品が記されてあった。それに、これはお酒?こんなもの何に使う気だ。

 

「グリフィンの基地にいる時に言いなさいよ。またあっちの方に戻らないといけないじゃない」

 

「だから忘れてたんだって」

 

「あんたが行けばいいじゃない。あんたのミスでしょ」

 

 私がそう言うと45はいつものニヤついた顔を浮かべた。

 

「一人でおつかいに行くのが怖いの?」

 

「なっ!」

 

「I.O.Pの温室育ちだものね。寂しくって一人じゃ行けないか。しょうがないなあ、私が行くしかないか」

 

「分かったわよ!行けばいいんでしょ、行けば!」

 

「暗くなる前に帰ってくるのよ、416ちゃん」

 

 45の手からメモをひったくると拠点から飛び出した。9とG11が私を笑う声が聞こえてくる。乗せられてるのは分かってる。でも、あいつに何か言われるとやらなきゃいけないような気がしてくる。理由は分かる。私を評価して期待してくれるのはあいつだけだからだ。だから、期待に応えたくなってしまう。それがどんなに下らないことだって期待を裏切りたくないと思ってしまう。あいつに必要とされなくなったら、私はまたあの何もない倉庫に逆戻りだ。そんな気がした。

 

 車でグリフィン基地近くの街に行った。物資を買い込む。支払いは全部404小隊共通の財布から電子決済だ。最後に指定された酒を買う。ずいぶんと高かった。合成じゃない本物の酒だった。こんなものは普段滅多に買わない。45は一体どういうつもりだ。買うにしても個人の金で買えばいいのに。まさか一人で楽しむために私に買わせたのか?あとで問い詰めよう。

 

 拠点に戻ったころにはもう二時間近く経っていた。辺りはすっかり暗くなっていた。品物を詰め込んだ紙袋を持って、階段を登る。ドアに手をかけた時、違和感を覚えた。中からは物音一つ聞こえなかった。明かりも消えていた。一体何なんだ。玄関も真っ暗だった。あいつら絶対何か企んでるな。私を脅かそうとしてるのか。9あたりが考えそうなことだ。くだらないことだったら引っぱたいてやる。そう思って廊下をずんずんと進む。そして、リビングにつながるドアを一気に開いた。

 

 パン!火薬の弾ける音がした。一瞬、銃声かと思って身体がビクつく。それと同時に明かりが灯った。どうやら銃声ではないことを悟った。私は紙吹雪を浴びせられていた。9とG11が何かを手に持って待ち構えていた。クラッカーだった。部屋には9の字で“これからも家族だ!”と書かれた横断幕がかかっていた。

 

「おかえり!416!サプライズだよ!」

 

 9がにへらと笑って言った。

 

「え?何?何なの?」

 

 私は狼狽した。こんなことをされる覚えはまったくない。

 

「お祝いだよ、お祝い。今日で416が小隊に来て半年経ったからさ。45姉がやろうって」

 

 45が?お祝い?私に?全然似合わないな。45は9の後ろで微笑んでいた。

 

「45、何を企んでいるの?あんたこんなことする奴だったっけ?」

 

「何も企んじゃいないわよ。純粋なお祝いよ。私たちは家族なんだから、当然でしょ?」

 

 45は微笑みながらそう言った。家族、私と45が?9はいつも家族家族言っていたが45がそんなことを言うのは初めてだった。私と45が、家族。なんだか胸がいっぱいになる。そんなことを言われるのは初めてでどう反応していいのか分からない。

 

「うわ!416、泣かないでってば」

 

 9がそう言った。気づくと視界がにじんでいた。意志に反して涙が頬をつたっていた。

 

「違うわよ!泣いてなんかないわ!」

 

 思わず涙声になる。感情が目からあふれ出す。絶対後で馬鹿にされる。涙を止めようとしたが、止められない。メンタルモデルからの命令に逆らう器官があるなんて欠陥だ。

 

「そんなに泣くってことはやっと家族のありがたみが分かったね。それともいつも照れてただけなのかな。まあいいや。お~よしよし」

 

 9が私を抱き寄せて胸に顔を埋めさせる。9の胸はやわらかかった。45はそんな私を見てニヤニヤしていた。恥ずかしい。ずっとネタにされる。

 

 正直、9に家族と言われても何も思わなかった。45に言われたからだ。私はずっと45に引け目を感じてきた。同じ404小隊の仲間ではあるけれど、私と45の関係は対等ではないと思っていた。そもそもただのメンバーとリーダーだし、私が参加した経緯は特殊だった。自発的に参加したのではなく45に買われて加入したのだ。45が私を助け出してくれた。私たちは人形同士ではあるけど、所有者と所有物だった。この世で私を評価して必要としてくれるのは45だけだった。だから、いつか捨てられるんじゃないかって怖かった。45に捨てられたら私に行く場所はない。またあの倉庫のような日々に戻るのだ。それがたまらなく怖かった。いつも必死に彼女の無茶をこなしていたのもそれが理由だと思う。

 

 でも、45は私を家族だと言ってくれた。対等な存在だと言ってくれた。それがたまらなく嬉しかった。もう私は一人に戻らなくていいんだ。人間たちに必要とされなくたって、45が私を必要としてくれるんだ。それが嬉しくて、涙が止まらなかった。

 

 しばらくずっと私は9の胸にいた。恥ずかしかったけれど涙が止まらなかったんだからしょうがない。これからずっとこれを45がニヤニヤしながらネタにしてくるんだと思うと恥ずかしかった。

 

「意外と泣き虫だったのね、416ちゃん」

 

 やっと涙も止まった頃、45がニヤニヤしながら早速言ってきた。私は赤い顔で言い返した。

 

「泣いてなんかないわよ!私は完璧な人形なんだから泣いたりしないわよ!」

 

「いや、それは無理があると思うけど……」

 

 G11が呆れたように言ってくる。私はそれをにらみつけて黙らせた。45はなおも続けた。

 

「涙腺も完璧なのね。戦闘には必須の機能だと思うわよ」

 

 もう顔から火が出そうな気分だった。ずっといじられることになる。なんてことだ。でも、45が私をずっと必要としてくれるなら、それでもいいかもしれない。そんな風に思えた。

 

「お酒開けようよ、お酒!せっかく高いの買ったんだからね!」

 

 9が酒瓶の栓を力づくで開ける。泡が吹き出して床を汚した。9はいつも通りニコニコ笑っていた。誰かに祝われるなど製造されてから初めてだった。慣れないことだが45が用意してくれたなら楽しもうと思う。

 

 それからしばらく経ってG11が小さな声を上げた。

 

「あのさ、ずっと思ってたんだけど……私の時はこんなことしてくれてないよね……?」

 

 45と9は顔を見合わせた。9はなんとも言えない顔をしていたが、やがて45が口を開いた。

 

「まあ、それは、予算の都合ね」

 

「ひどい!今からでもラムレーズンのアイスちょうだいよ!」

 

 

 

 

 

 次に45が取ってきた依頼もグリフィンからのものだった。前線にある鉄血の通信施設を破壊してこいというミッションだ。

 

『じゃあ今からG11と二人で通信施設を破壊してきて。30分以内に頼むわ。増援が来ないうちにね』

 

「あんた私の報告を聞いてなかったの?」

 

 私は通信施設が見える廃ビルの上層階で45と通信していた。隣ではG11が舟を漕いでいた。

 

『聞いてたよ。鉄血人形が30体くらい集結してるんでしょ?それを一網打尽にしてきてって言ってるの。あんたならできるでしょ?』

 

「あのねえ……今回はさすがに無茶が過ぎるわよ」

 

 またあの台詞だ。期待されている。それには応えたい。でも今回は敵が多すぎる。明らかに危険だと経験が告げていた。私は優秀な人形で、もう経験も豊富だ。それくらいは分かる。

 

「敵が多すぎるからあんたと9も加勢してって言ってるのよ。なんで私とG11だけ行かせようとするのよ」

 

『私たちは増援が来ないように後方を遮断するから攻撃には参加できないわ』

 

 納得いかないが45が言うなら本当なのだろう。今まで45が無駄なことをした試しはない。

 

『温室育ちの416お嬢様には無理かな、この任務は。代わりにそこで花でも活けてたら?』

 

「この……!分かったわよ!やればいいんでしょ!やれば!」

 

『じゃあ待ってるから。できるだけ早くお願いね』

 

 また乗せられた。家族だと言われてからも結局こうだ。期待に応えなければならないと思ってしまう。お前なら出来ると信頼されているようで嬉しいのだ。45が言うならきっとできることだと思う。45が私の限界を引き出してくれる。

 

「あはは。416はいつも45に勝てないねえ」

 

 いつの間にかG11が起きていた。そのへらへらした顔がムカついたので頬を引っ張って外に連れて行く。

 

「いだだ……ほっぺひっぱらないで……」

 

 

 

 

 

「おかえり。やっぱりできたじゃない」

 

 鉄血の通信施設を破壊した後、45と9と合流地点で落ち合った。私はG11の肩を借りなければ歩けなかった。とろいG11をカバーするために銃火に身を晒しすぎた。銃弾が胴体を何発も貫通していた。左足の関節もおかしい。膝から下が動かないので引きずったまま来た。肩を借りて銃を杖替わりにしなければ歩けない。今までで一番傷を受けていた。

 

「くたばれ、45。あんた私を殺す気なの?今回は本当にギリギリだったわよ……」

 

「ちゃんと生きてるでしょ?それくらい修理すれば治るんだから。あんたならやれるって信じてたのよ。さすが完璧な人形ね」

 

「ッ!そうよ。私は完璧なんだから、これくらいできるわ。私に感謝することね、クソ人形」

 

 私は胸を張ろうとしてバランスを崩してよろめいた。そんな私を見て45はニヤついていた。こいつは本当に腹の立つ奴だ。でも、私を完璧だと言ってくれるのはこいつしかいない。それが嬉しかった。我ながら単純だ。こいつのせいでこんなにひどい目に遭っているのに。

 

 でも、こいつの言う通り死んではいない。任務もやり遂げられた。45は私の能力を私以上に知っている。私をフルに活用してくれる。さっきのような戦果はM4A1やM16A1にだって挙げられない。45のもとにいることで私が奴らより優れていることを証明できる。私を必要としなかった人間どもを見返すことができる。だから、45の指揮でこれからも戦ってやる。それでもあんた以外誰も私のことを見ないなら、あんただけのために戦ってやるわよ、UMP45。憎たらしくて、生意気で、腹の立つ奴。でも、そんな彼女が好きだった。

 

 

 

 

 

 416とG11だけに攻撃を任せたのには戦術的な意味はない。鉄血の増援が来ないのは事前に通信を傍受して知っていた。私と9が来ない増援を待ち構えていた意味はない。そんなことをした理由は私の指示を信頼してボロボロになった416が見たかったからだ。私の期待に応えようと必死で戦う416は愛らしい。どれだけズタボロになろうとも私に褒められると尻尾を振って喜ぶ。本人は隠しているつもりなのも可愛らしい。私は416の能力をきちんと知っているので死なない程度にちゃんと加減した。大好きなおもちゃが壊れてしまってはたまらない。

 

 416を買ったのは衝動的な行為だった。あの日、I.O.Pに行ったのは安い戦術人形を何体か買って手駒を増やそうと思ったからだった。いろいろな人形を物色しても、ピンとくる奴はいなかった。そんな時、416に出会った。416の気高さと弱さを併せ持った目を見たら私の胸はドキリと高鳴った。一目惚れだった。416の値段も気にせずに購入してしまった。416は想定の十倍くらい高かったので他の人形は買えなかった。416が売れ残っていた理由が分かった。404小隊の資金の大半を9に相談もせず416に使ってしまったから言い訳するのが大変だった。仲間にするのなら信頼できる優秀な人形がいいと誤魔化した。でも、それは後付けだった。

 

 416の可愛らしいところは馬鹿みたいに高いプライドを持っているところだ。でも、あの時の416はそれが崩れかけていた。誰にも必要とされず、自信を喪失していたからだ。そんな矛盾を抱えた416に惚れてしまった。416を必要としているのは私だけだから、彼女は子犬のように私に尻尾を振ってくる。愛しい愛玩人形だ。口では文句を言いつつも私に全幅の信頼を置いている。私が彼女に期待するようなことを言うと、416は何だってやる。下らないことでも、命を危険に晒すようなことでも。その様子はちょっと間抜けで素敵だ。

 

 でも、416が可愛いのは私だけを頼ってくるからだ。世界で私だけが416を評価していて、416を必要としているのだと彼女が思っているからだ。だから、誰かが彼女を必要とするようになってはいけない。

 

 今日、416はほとんど一人で30体ほどの鉄血人形をやっつけた。とても優秀だ。並大抵の人形には不可能な芸当だ。この戦闘データをI.O.Pやグリフィン、他のPMCに提供すれば彼女への評価も変わる。高い値段を差し引いても採用する価値がある人形だと思われるようになるだろう。404小隊から引き抜こうとしてくるかもしれない。そうなれば彼女の誰かに必要としてもらいたいという渇望は満たされる。でも、それは面白くない。416の魅力は高慢さと自信の無さが同居している内面にある。彼女が自信を獲得してしまってはつまらない人形になってしまう。そんなのは許せない。だから、彼女の戦果は誰にも教えない。そもそも彼女が戦場にいることすらグリフィンや他の依頼主には教えていない。彼女は自分がM4A1やM16A1を超える人形だと証明するために戦っているようだが、彼女の存在すら世界は知らない。まったく無駄な努力を続けているのだが彼女はそれを知らない。その様子は延々と無意味に滑車を回すハムスターみたいで滑稽で愛らしい。

 

 416は私だけのおもちゃだ。最初は見向きもしなかったくせに、私が416をうまく使ったからって416を欲しがり出すなんておこがましい。彼女の価値は私だけが知っていればいい。人間には必要ない。人間は馬鹿なんだから身の程をわきまえていればいい。私以外に評価されて喜ぶ416の姿を想像すると不愉快だ。自分のペットが他人に懐きだしたら腹が立つのと同じだ。

 

 今回416を痛めつけたのはどれだけひどい目に遭わされても私を信頼したままなのか確かめたかったからだ。彼女はそうあるべきだし、ちゃんと私に忠誠を誓ったままだった。彼女は私だけに評価されて、私だけに必要とされていることを喜んでいる。ずっとそうであって欲しい。単純にボロボロになった416を見たかったのもある。口では強がりながら私に尻尾を振っている416は可愛い。もっといろいろな表情が見たい。

 

 私に家族だと言われて泣き出した416はとっても可愛かった。ぞくぞくした。9にはいつも家族家族言われているのにほとんど気にも留めていなかった。それなのに私に家族と一言言われただけで泣いてしまった。それだけ私を頼り切っていて、私のことが好きなのね。それを確かめられて安心した。でもね、416。私とあんたは家族でもないし、対等でもないわ。あんたは私の所有物、私はあんたのご主人様なのよ。だから、あんたが私以外を見るのは許さないし、私以外があんたを見るのも許さないわ。

 

 次はどんな416を見ようかな。もっとギリギリを攻めて腕の一本や二本無くさせてみようかな。それでも私を信頼したままだろうか。でも肉体だけを傷つけるのはワンパターンな気がする。416の失敗でG11を死なせてみようか。きっとひどい顔で泣き叫ぶ。それを想像するとぞくぞくした。でも手駒が減るからダメだな。416を買ったせいで資金に余裕はない。それとも、416にわざと簡単な任務を失敗させてみようか。それからそんなこともできないのかと失望の目で見てあげる。プライドがへし折られた時の416の表情が見てみたかった。よし、次はこれにしよう。

 

 でも、どんなへまをやらかしたって、私はあんたを捨てないわよ。あんたは私の大切なおもちゃだし、値段を考えたらまだまだ楽しまなくちゃいけない。あんたのことを知っている人間は外には誰もいないから404小隊以外には逃げれないわよ。そんなことは決して許さない。あんたがどれだけ情けない失敗をしたって私は許して慰めてあげる。あんたのプライドが私の靴を自分から舐めだすほど崩壊したってちゃんと飼ってあげる。それが飼い主の責任だからね。

 

 だから、これからも私を楽しませてね、私の416ちゃん♪どこへだって行かせないわよ。私以外のことは絶対に見させない。これからも私だけのために戦ってね♪



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FAMASのバレンタイン大作戦

遅刻したバレンタイン短編です。
FAMASの魅力を伝えるために書きました。


『指揮官、私が副官を務めます。毎日ローテーションしていると引き継ぎに時間がかかって非効率的です。それに私の方が他の娘よりも素早く業務をこなせます』

 

『その申し出はありがたいが、お前がずっと副官をやるとなると自由時間が減ってしまうぞ。そのためのローテーションなんだ』

 

『問題ありません。私の自由時間などより指揮官のお仕事を手伝う方が大事ですよ。部隊全体に貢献することにつながりますし』

 

『そうか。お前がそう言ってくれるなら、頼むとしようかな。FAMAS、これからよろしく頼む』

 

『はい!私がいれば百人力です!』

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 司令室であの会話を交わしてからもう半年近くになる。それでも指揮官は私を週に一度は副官から外す。少しは休暇をとれ、という配慮をしてくれているのだ。

 

「でも、お暇をもらってもすることがないんですよね……」

 

 私は部隊共有のレクリエーションルームのソファに一人腰掛けながらつぶやいた。部屋の中では他の人形たちがトランプをしたり、テレビを観たり、思い思いの娯楽を楽しんでいた。それに混じってもよかったのだが、なんだかそんな気が起こらなかった。

 

 副官に志願したのは指揮官のお仕事を手伝うことが楽しいからだ。指揮官の役に立っていると実感できるし、何よりおそばにいることができる。それが嬉しかった。部隊に貢献できるというのは言い訳で本当は下心がある。それは指揮官には秘密だ。

 

 今日は副官に他の娘が就いていると考えるとちょっぴり嫌な気持ちになる。私の知らないところで他の娘が指揮官に頼りにされていたり、笑い合っていると考えると不安になる。私って嫉妬深いのかな。私と指揮官はただの部下と上官なのだからこんなことを思うのは変だ。指揮官にバレたら副官を外されるかもしれない。私はまたため息をついた。

 

 戦場にいればこんな気持ちにはならない。そんな余裕はないし、指揮官は私に小隊長を任せてくれるので頼ってもらえていると実感できる。指揮官の命令を全力でこなせば勝利を挙げることができる。戦いから戻ってくれば指揮官は私を褒めてくれる。指揮官の評価にも貢献出来て、期待に応えることもできる。甘美な瞬間だった。

 

 戦場にいる時以外はずっと副官をやらせてもらえればそれがありがたい。でも、せっかく指揮官が私を気にかけてくれているのだから無下にするわけにもいかない。だから、休日の私は宙ぶらりんだった。

 

「あっFAMAS!やっと見つけたよ。ここにいたんだ」

 

 部屋に段ボールを抱えたFNCが入って来た。FNCは私の友人だ。指揮官のもとにいる期間は私より長いので先輩でもある。それ以前も他の部隊にいたらしいので経験も豊富だ。いつもお菓子ばかり食べていてあまり自分のことは語らないが、戦場でも頼りになる仲間だった。

 

「FNC、それは何ですか?」

 

 FNCが抱えている段ボールを見る。グリフィンのロゴがプリントされたそれは両手で抱えなければならないくらい大きい。

 

「それよりFAMAS、明日が何の日か知ってる?」

 

 FNCは私の質問を無視して言った。明日?そう言われても分からない。強いて言うなら私が副官に復帰できる日だろうか。

 

「明日はね、バレンタインデーって言うんだよ」

 

「バレンタインデー?」

 

 聞いたことのない単語だった。首をかしげているとFNCが得意げに語った。

 

「バレンタインデーっていうのはね。大切な人にチョコとかお菓子とかを贈る日なんだよ。日頃の想いを込めてね」

 

「ははあ、読めてきましたよ。私にお菓子をねだる気ですか?でも、私はお菓子を持っていませんし、作れませんよ」

 

 それを聞いてFNCは首を横に振る。

 

「違う違う。私が欲しいわけじゃないから。別にFAMASから貰わなくてもキッチンに行けば指揮官が補充したお菓子がいつでもあるしね。好きなだけ食べていいとか太っ腹だよね。まあ、そうじゃなくてさ。指揮官にお菓子作って渡しなよ。想いを込めてさ」

 

「お、想いですか!?」

 

 FNCは最近よく私をからかってくる。私が指揮官にただならぬ想いを抱いていることは隠しているつもりなのだが、お見通しらしい。そんなに態度や顔に出ているのかな。

 

「想いを伝えるにはいい機会だと思うよ。昔は人間の恋人同士が贈り合ってたらしいし。おいしいお菓子作って渡せば指揮官のハートもつかめるよ、たぶん。もう材料も買っちゃったよ。まあ、指揮官のお金だけど。いつでも好きなもの頼んでいいって言ってたしね。本当に人形に甘々だよね」

 

「恋人同士って……!べ、べつに私は指揮官とそんな関係になりたいんじゃありません!ただの部下と上官ですし……指揮官のことは何とも思っていません!いえ、尊敬できる方だとは思っていますが。そんな特別な日にお菓子を贈るほどではありません!それに今までそんなことをしていなかったのに、急にお菓子を贈るなんて変だと思われませんか!?私、お菓子なんて作りませんから!」

 

 私が慌ててそう言うとFNCはニヤニヤしながら私を見ていた。全部見透かされている気がする。顔が熱かった。

 

「えーっ、FAMAS作らないの?そっかー、残念だなー。せっかく頼んだ材料無駄になっちゃうなあ。もったいないから私が代わりに作って指揮官にあげちゃおうかな。私、たぶん部隊の中で一番お菓子作り上手いよ。指揮官が私のお菓子でメロメロになっちゃったらどうしようかなあ。毎日お菓子ねだられるかも。副官も私になったりして」

 

「う……」

 

 副官を外された私を想像する。出撃の時以外はずっとぼーっとしているのだ。そして笑い合う指揮官とFNCを恨めしそうに眺めている。そんなのは嫌だ。

 

「……やっぱり作ります」

 

「えーっ、急にどういう心境の変化なの?無理してやらなくてもいいんだよ?想いが大事なんだから。ねえねえ」

 

 FNCはますますニヤニヤして楽しそうに言ってきた。私の顔は真っ赤になっている気がする。

 

「う、うるさいですよ!いいから作り方を教えてください!」

 

「最初からそう言えばいいんだよ、素直にさ」

 

 FNCはニコニコ笑いながら言った。

 

 

 

 

 

 私たちはキッチンに向かった。グリフィン本部の中の私たちの宿舎があるフロアの共有スペースだ。今まで使ったことはないが立派な設備が整っている。大きな冷蔵庫の中には指揮官が用意してくれているお菓子や軽食がたくさん詰め込まれている。その調達も副官の業務の一つだった。経費ではなく指揮官のポケットマネーから出ている。大体いつも三分の一くらいはFNCが消費している気がする。

 

 FNCが段ボールの封を開ける中には小麦粉やチョコレート、卵などが入っていた。

 

「それで何を作るんですか?」

 

「チョコチップクッキー。たぶんチョコはいっぱい貰うだろうからね。違いを出した方がいいよ」

 

「たくさん貰う……?どうしてそんなことが分かるんですか?」

 

 そう言うとFNCは呆れた風に息を吐きだした。

 

「そりゃ指揮官人気だもん。FAMASはずっと指揮官の部隊にいるから分からないかもしれないけど、他の部隊はこんな待遇じゃないよ。私は色々な部隊を見てきたけど、お菓子食べ放題のとこなんてなかったもん。材料だって指揮官に確認もなく頼んでるし。人形に優しすぎるっていうか。だから、他の部隊から移って来た娘は指揮官のことが好きだよ。こないだ来たMk23なんてすっかり指揮官にお熱じゃん。バレンタインデーのこと聞きつけた娘はチョコ渡すんじゃないかな」

 

「そ、そうなのですか……」

 

 FNCに言われてなかったら危なかったかもしれない。副官の務めを果たしている間に他の娘が続々とチョコを渡しにやって来たら絶対に焦っていた。

 

「まあ、作り方は教えてあげるからさ。実際の作業は手伝わないけど。どうせ暇なんだから頑張って作りな。想いを込めてね」

 

 もうFNCは冷蔵庫からチョコレートを取り出してかじっていた。指で箱から材料を取り出してカウンターに並べるよう指示してくる。材料を見ていて気になったことがあった。

 

「FNC、これ全部天然物の高給品じゃあ……全部指揮官の負担になるから贈り物にならないですよ……」

 

「いやいや、FAMASの手でお菓子になれば付加価値が生まれるからさ。女の子に手作りのお菓子もらう経験はお金には代えられないよ、たぶん。それに私が勝手に頼んだんだからFAMASが気にすることじゃないって。怒られるなら私が怒られればいいし」

 

「そういうものなんでしょうか……?そういうのは贈られる側から言うのでは……?こちらから言っては図々しくないですか?」

 

「いいからいいから。早く作りなって。夜になっちゃうよ」

 

 FNCに促されてキッチンに向き直る。袖をまくってエプロンをつける。形だけ整えてみたものの、お菓子作りどころか料理すらしたことがない。FNCに視線で助けを求める。彼女はもう板チョコを平らげていた。

 

「じゃあまずバターを用意しよう」

 

「バターですね。どれくらい使うんですか?」

 

 黄色い箱に入ったバターの包みを取り出す。脂肪分たっぷりの黄色いバターだった。

 

「全部」

 

「全部!?さすがにそれはもったいなくありませんか?それにこんな量を食べたら指揮官の健康が……」

 

「いーのいーの。その方がおいしいんだから。私が言うんだから間違いない。健康なんて細かいことは気にしないの。人間にとってお菓子はそもそも健康に悪いんだからさ。健康に気を遣ったお菓子なんて矛盾してるよ。塊を一口サイズに切って」

 

 これは絶対健康に悪い量だ。包みからバターの塊を取り出してまな板に載せる。でもお菓子の作り方は知らないからFNCの意見に従う他ない。包丁を握るが、バターに触れるとべとべとしていて上手く切れない。銃剣を扱う訓練は受けているが何かを調理するために物を切るのは初めてだった。

 

「上手く切れません……形が不揃いになってしまいました……」

 

 不安を込めてそう言うとFNCが飴玉を食べながら笑った。

 

「どうせ溶かすから気にしなくていいよ。溶かしやすいように切ってただけだし」

 

 何だそうなのか。ぱっぱと切ってしまおう。まな板に形のバラバラなバターの死体が並べられた。べとべとになった手を洗いながらFNCに尋ねる。

 

「次は何を?」

 

「バターを火にかけて液状にする。小さめの片手鍋を用意して」

 

 キッチンの下の棚から同じような二つ鍋を取り出してFNCに見せる。違いはよく分からなかったが少し小さい気のする銀色の鍋が選ばれた。まな板を傾けて包丁を使って鍋にバターを流し込む。

 

「中火でバターが茶色くなるまでね。焦がさないようにへらでずっとかき混ぜてて」

 

 FNCから木製のへらを受け取る。鍋を火にかけるなんて初めてだ。ドキドキしながらコンロに置く。つまみを回すと火がついた。すぐにバターがじわじわと溶けていった。キッチンにバターの香ばしいにおいが充満する。完全に液状になったバターをへらでかき回す。バターの表面はふつふつと湧いてきた泡でいっぱいになっていた。焦がしたら大変だ。指揮官に失敗したものは渡せない。一生懸命にぐるぐるかき回す。バターが茶色っぽく変色してきた。

 

「これくらいでしょうか?」

 

「もうちょっとね。もっと濃くなったら」

 

 火にかけ始めてから数分後、バターが黒茶色になった。FNCが頷いていたので火を止める。

 

「じゃあ、それに水をちょっとだけ加えて冷ましておいて。冷めるまで他のことをしよう」

 

 言われる通りに鍋にほんのちょっとだけ水を加えておいた。

 

「次はチョコチップを作ろう。三つ用意したよ。スイートにミルクにビター。好きなの選んで。残ったのは私が食べる」

 

「え……?どれがいいのか教えてくれないんですか……?」

 

「私は指揮官の好み知らないもん。FAMASが指揮官のこと考えて選んで」

 

 急に任されると悩んでしまう。うーん、どれがいいんでしょうか。でも、指揮官は男性ですし、大人だから甘すぎないのが好みかもしれない。あまり甘いものを食べているところを見たことがない。

 

「じゃあビターにします。それでどうしたらいいんですか?」

 

「程よい大きさに刻んで。私は大きめが好きだけど指揮官はどうだろね。それも考えて」

 

 全部教えてもらえるのかと思ったけど、意外と私に判断を委ねてくる。料理のことは全然知らないので悩んでしまう。チョコチップと言ったら小さいものをイメージした。あまり大きすぎると指揮官が食べる時に邪魔になるかもしれない。とりあえず小さくカットしようか。チョコの包装紙と銀紙をはがしてまな板に置く。同じような大きさにカットしようとしても、中々上手くいかない。バターと同じように不揃いになってしまう。大きく切りすぎたものを小さくしようとしたら逆に小さくなりすぎてしまった。FNCに横目で助けを求めるが、彼女は選ばれなかったチョコの欠片を放り投げて口でキャッチするという暇つぶしをしていてこちらを見ていなかった。

 

 だいぶ時間がかかったがようやく切り終わった。改めて見ても大きさがバラバラだ。乱切りチョコレートになってしまった。

 

「こんなんでいいんでしょうか……」

 

「手作り感が出てて喜ばれるんじゃない」

 

 FNCは適当にそう言った。ちゃんと指導してくれるつもりはあるんだろうか。でも、頼んでもないのに善意でやってくれているんだから責めるのは筋違いだ。

 

「じゃあ次は生地ね。一番大事なところ。ボウルに強力粉1カップと中力粉3/4カップ入れて」

 

 その二つの何が違うのかは分からなかったが指示通りにする。粉の袋を開けてカップに入れようとしたが勢い余って大量に出た。手とカウンターが粉まみれになってしまう。

 

「スプーン使えば?」

 

 FNCが失敗してから教えてくる。そうか、少しずつやればいいのか。こんなことも思いつかないなんて恥ずかしい。粉をカップに入れてから中腰でカップをじっと見る。

 

「うーん、3/4カップってこれでいいんでしょうか。5ミリくらい多いような……?」

 

「いいよ、それくらいは別に。じゃあ次はそれに塩小さじ二杯ね」

 

「塩?お菓子に塩を入れるんですか?」

 

「そういうもんなの。味も抑揚が大事なんだよ。ずっと同じ味だと飽きちゃうからね。みんながチョコ持っていく時にクッキー持っていく理由もそんな感じだよ」

 

「はあ……?」

 

 よく分からないがまあ言う通りにしよう。これで指揮官においしく食べてもらえるなら。

 

「あと重曹小さじ一杯ね。よく膨らむように。次はバターと混ぜる砂糖を作ろう。もう一つボウル用意して。それに黒砂糖を1カップ、白砂糖を1/2カップね」

 

 カップにそれらの砂糖を入れるとものすごい量だった。こんなの甘すぎるし、健康に悪いんじゃないか?バターといい指揮官の寿命を攻撃するような量だ。

 

「やっぱり、FNC。バターも砂糖も減らした方がいいのでは……?こんなの食べたら指揮官が死んでしまいますよ」

 

「FAMASがしたいならいいけどね。FAMASが贈るものなんだし。指揮官も薄味のものが好きかもしれないし。でも、こうも思うかもね。うわ、FAMASの健康志向クッキーは薄味でおいしくないなあ。でも、これからも付き合っていかなきゃいけないから面と向かってまずいとは言えないなあ。我慢しておいしいって言っておこうかな。でも、もう食べたくないなあ」

 

「うぐぐ……」

 

 指揮官にそんなことを思われたら辛くてやっていけない。でも、指揮官の健康に被害を与えるのもどうなんだ……?

 

「指揮官の健康か、自分の欲望か、どっちかを取りな」

 

 私は悩んだ末、結局そのまま砂糖をボウルに入れた。FNCが私のそんな姿を見てニヤニヤしていた

 

「正直だね、FAMAS」

 

「いいから!続きを教えてください!」

 

「それにバニラエキス小さじ二杯とコーヒーパウダーを一杯ね。これは隠し味。でも、最大の隠し味はFAMASの愛情かな?指揮官の健康より自分の欲望を優先する歪んだ……」

 

「しつこいですよ!はい!入れました!次はどうすればいいんですか!」

 

 顔が真っ赤に染まっているのは自分でも分かった。こんなんだからFNCにすぐ見抜かれるんだろうか……。

 

「もうとっくにバターも冷めたから砂糖のボウルに入れちゃって。それからこれでかき混ぜる!」

 

 FNCは電動の泡立て器を取り出した。電源とコードでつながったハンディタイプのものだ。FNCが電源を入れてボタンを押すと轟音が鳴り響く。

 

「砂糖の粉っぽさがなくなるまでよく混ぜてね。固形っぽくなると思うから」

 

 言われた通りにする。手に振動と砂糖がガリガリと擦り潰されていく感触が伝わってくる。なかなか固まらないのでずっと泡立て器を使っていた。その間に部隊の仲間が何人か食べ物や飲み物を求めてキッチンにやって来た。キッチンを使っているのは私だけだったのでみんな奇異の目で見てきた。なんだかバレンタインデーにものすごい気合を入れているみたいですごい恥ずかしくなってきた。手作りをしているのは私だけだ。そもそもみんなバレンタインデーなんて知らないかもしれない。これで手作りを指揮官に持って行ったら重い人形だと思われないかな、急に不安になって来た。

 

「もういいんじゃない。次は卵だね。全卵と卵黄一つずつそこに加えて」

 

 手を止めて卵を手に取る。卵を割ったこともない。どれくらいの力加減でやればいいんだろう。カウンターの角にぶつけて割ろうとしたが、力を込めすぎたのか中身をぶちまけてしまった。

 

「私、やっぱり不器用でお菓子作りなんて向いてないのでは……」

 

 不安で思わず視界に涙がにじんだ。FNCは少し離れると雑巾を取って戻って来た。

 

「初めてなんだからそんなにくよくよしないの。心が折れる瞬間はまずいって言われた時まで取っておきな。まだ卵はあるんだから切り替えてもう一度ね。卵黄はスプーンで掬えばいいから」

 

 FNCはしゃがみこんで雑巾で私が汚した床と棚を拭いてくれた。もう一度挑戦してみる。今度は失敗しないように優しく何度か角で叩く。そうするとひびが入ったので中身をふちの高い小皿に落とす。黄身を傷つけないように慎重にスプーンを滑り込ませる。ゆっくりとやったのでなんとか上手くいった。落とさないように気を付けてボウルに移す。もう一個は白身ごと直接入れた。うまくいった。嬉しくて右手でガッツポーズを取ってしまった。

 

「じゃあそれを泡立て器でかき混ぜて、十分混ざったら粉を入れるよ。三分の一くらいずつ混ぜながらね」

 

 緊張してドキドキしてきた。もう結構時間がかかってしまったのでやり直しは効かないと思う。失敗したら明日は他の娘たちが指揮官に贈り物をするのを指をくわえて眺めていることになる。それは嫌だった。慎重に泡立て器を動かす。

 

「いい感じじゃない。最後にチョコチップを入れてへらでかき混ぜて。それで生地は完成だよ。完全に混ぜすぎないように。塊が残るくらいでね」

 

「は、はい!」

 

 まな板に置いておいたチョコを流し込む。チョコが均等に配置されるようにかき混ぜる。指揮官においしく食べてもらえますように、そんなことを思いながらへらを動かした。

 

「これで大丈夫でしょうか……?」

 

「うん、よく頑張ったね、FAMAS。じゃあ次はディッシャーでオーブンの天板の上に載せてね。アイスとか掬うやつだよ」

 

 FNCが金属製のトレイと道具を持ってきた。先端に半球状の金具がついており、二股に分かれた柄をFNCが握るとカシャカシャと先端から音がした。FNCがクッキングペーパーを天板に敷く。私はディッシャーで生地を掬い上げた。天板の上で柄を握ると生地が丸まって押し出された。

 

「クッキーというのはもっと平べったいものではありませんでしたっけ?」

 

「オーブンで焼けば勝手にそうなるから。大丈夫大丈夫」

 

 天板の上に生地を敷き詰める。ちょっと多くないかな?指揮官はこんなに食べ切れるのかな。でも、せっかく作ったのだから食べてもらいたいな。これは我がままかな?

 

「これでいよいよ焼くのですね!」

 

「ううん。冷蔵庫で一晩冷やすの」

 

「ええ!?そんなに待たなければいけないんですか?明日は私、もう副官の仕事をしないといけないんですが……すぐに焼いてはいけないんですか?」

 

「指揮官が起きる前にまた来ればいいよ。焼くのはそんなに時間かからないし、焼き立てのがおいしいからね。お菓子作りは手間暇かけてこそだよ。一手間加えるだけでずっとおいしくなるから」

 

 しぶしぶ天板にラップをかけて冷蔵庫に入れる。そこで懸念が頭に浮かんだ。

 

「誰かに食べられたりしませんかね!?」

 

「完成品ならともかく生地を食べる娘はいないと思うけど……」

 

「心配です……私、朝まで見張っていますよ!」

 

「ああ、そう……まあ、愛情込めればおいしくなるからね。私はまた朝来るよ」

 

 FNCはあくびをしながらキッチンを去って行った。せっかく作ったのだから指揮官に食べてもらわないと!あれには私の想いが……いやいや、指揮官への日頃の感謝の念が詰まっているんです!私は腕組みをして冷蔵庫の前に仁王立ちしていた。

 

 

 

 

 

「うわ。本当に一晩見張ってたよ。どんだけ指揮官のこと好きなの」

 

 朝早く、あくびをかみ殺して眠そうなFNCがやって来た。

 

「だ、だから!そういうのじゃありませんってば!」

 

「まあ、いいや。早く焼いちゃおう。ぼんやりしていると他の娘に先越されちゃうかもしれないしね」

 

 私は急いで天板を取り出す。ラップをはがしてオーブンに優しく入れた。

 

「180度で十数分だね」

 

「そんなアバウトな……焦げたりして台無しになったりしませんか!?もう作り直す時間はありません!」

 

「ずっと見とけばいいじゃん」

 

 必死な私を尻目にFNCは大きなあくびをした。オーブンを起動すると固くなっていた生地が段々とやわらかくなっていった。チョコもとろとろにとろけ始めた。FNCの言う通り、半球状だった生地は次第にぺたりと潰れていった。私ははらはらとしながらずっとその様子を見つめていた。キッチンにおいしそうなにおいが漂い始めた。クッキーもいい焼き色がついておいしそうな見た目になってきた。

 

 十分焼けたと思ったのでミトンをつけて天板を取り出した。

 

「FNC!味見をしてください!いつもお菓子を食べているあなたなら頼りになります!」

 

「いや、自分でしなよ。私が食べるのはなんか違う気がするし」

 

「え……でも、私の味覚がおかしかったらどうしましょう……?指揮官に変なものは出せません……」

 

「別にそんなことないでしょ。自分の味覚と腕を信じなさい」

 

 仕方がないので熱々のクッキーを手に取る。勇気を出して一口かじってみた。バターの風味が口いっぱいに広がった。砂糖をたっぷり使ったけれど程よい甘さになっている。

 

「おいしい……」

 

「ま、私がついてたんだから当然だね。はやく渡してきなよ」

 

ちゃんとおいしいものを作れた。FNCがバレンタインデーのことを教えてくれて本当によかった。感動していると一つ疑問が浮かんだ。

 

「そういえばどう言って指揮官に渡せばいいんでしょう!考えていませんでした……」

 

「普通に言えばいいじゃん。指揮官のことが好きなのでクッキー焼きましたって」

 

「そ、そんなこと言えるわけじゃないですか!そもそも違います!そういうことを望んでいるんじゃありません!た、ただ感謝の想いを伝えたかっただけで……」

 

 私が慌てて言い訳しているとFNCは真剣な表情を浮かべていた。一体どうしたのかと思って彼女を見つめているとゆっくりと口を開いた。

 

「私たち人形はさ、いつ死ぬか分からないんだから。毎日を後悔しないものにした方がいいよ。伝えたいことがあるなら伝えた方がいい。FAMASはずっと指揮官のもとにいるから見たことないかもしれないけど、私はあるんだ。仲間が死んじゃうところ見たこと。みんなすぐ復元してもらってたけどね。でも、やっぱりどこか違うんだよね。同じ記憶を持ってるんだけど、なんだか別人みたいに見えるの。死んじゃったらやり直せないんだよ」

 

 FNCがそんなことを言うのは初めてだった。何か言った方がいい気がした。

 

「で、でも。指揮官は優秀ですからきっとそんなことありません。今まで誰も欠けたことはありませんよ」

 

「そうだね。指揮官は私が知ってる指揮官の中でも一番優秀だし、失敗らしい失敗をしたこともないしね。でも、明日もそうだっていう保証はないんだよ。戦ってる以上絶対無いなんてことはないんだし。それにさ、そうじゃなくても指揮官がいなくなっちゃうかもしれないよ。優秀だから幹部候補になって前線指揮からは離れるかもしれないし。もしかしたら何の前触れもなく辞めちゃうかもよ。何で指揮官がグリフィンにいるのか誰も聞いたことないし」

 

「た、たしかに」

 

 私もそんなこと聞いたことなかったし、気にしたこともなかった。ここに着任した日からずっと指揮官はいた。それが当然だと思っていた。何だか急に怖くなってきた。

 

「で、でも。もし、もしですよ!?私が指揮官のことが好きで、それを打ち明けたとしても指揮官が受け入れてくれるとは限りません!そもそも人形と人間は全然違う存在ですし、人形は人の作った機械です。普通は人形の言うことを本気にしたりはしないでしょう」

 

「まあ、普通はね。でも、指揮官普通じゃないじゃん。人形に甘々だし。私は人形に指輪渡してるような変な指揮官たちを何回か見かけたことあるけどさ、指揮官はそっちに近いんじゃないかな。うかうかしてたら他の人形が先に指揮官から指輪もらってる、なんてことになっても知らないよ」

 

「う……」

 

 FNCがいつになく真剣に言ってきたので何も答えられなくなってしまった。

 

「まあ、結局はFAMASの選択だけどね。それでどうなっても私は責任取れないし。指揮官の前でわたわたしてるFAMAS見るのも面白いからいいんだけどさ。今はいいや。はやくクッキー渡してきなよ。冷めないうちにね」

 

 そうだった。そっちも大事なことなんだった。急いでクッキーをお皿の上に並べてラップをかける。両手でお皿を抱えてキッチンを走り出た。

 

「頑張ってね、FAMAS」

 

 FNCが後ろから声をかけてきた。そうですね、あなたに言われたことを無駄にはしません、きっと。

 

 指揮官の部屋の前で立ち止まって息をのむ。いつも副官の仕事を始める時間より数分遅刻してしまった。深呼吸をして部屋をノックする。返事がないので不思議に思ってドアを開ける。中にはMk23と指揮官がいた。

 

「はい、ダーリン。あーん」

 

 Mk23は苦笑いしている指揮官の口にハート型のチョコを突っ込んでいた。

 

「ちょっと!何をしているんですか!Mk23!」

 

 思わず声を張り上げる。振り返ったMk23は邪魔者が来た、という顔をした。

 

「げっFAMAS。あんたが来ないうちにと思って朝早く来たのに~。ダーリン早く食べて?」

 

 Mk23は指揮官の口にチョコレートを無理矢理押し込んだ。私は指揮官の机にお皿を置いて彼女を指揮官から引きはがした。

 

「ダメですダメです!もうお仕事の時間ですから!続きはお昼休みにしてください!」

 

「そんなこと言って自分も持って来てるくせに!しかも気合入った手作りっぽいやつ!私も手作りにすればよかった~!まだ全部食べてもらってないのに~!あ~ん、ダーリン!絶対また来るからね!」

 

 私は息を荒くして無理矢理Mk23を追い出した。こんなことをしてるから部隊のみんなにバレるのかな。そう思いつつも指揮官に向き直った。

 

「お……おはようございます、指揮官。実はその……バレンタインデーだと聞きまして。日頃の感謝を込めてお菓子を贈る日だと聞きました。だから、いつもお世話になっている指揮官にクッキーを焼きました。よかったら、その……食べてください……」

 

 段々と消え入りそうな声になってしまった。机の上にはMk23のハート型のチョコレートとハート型の箱が残っていた。チョコレートはどこにも歪さの見つからない完璧な品だった。箱もきれいな赤色で、金色の文字でバレンタインデーと印字してある。一方、私が持ってきたのは手作り感満載のクッキーだ。大きさも微妙にバラバラだし、形も歪だ。無地の皿に載せてラップがかかっているという有様でもある。その対比を見ると急に恥ずかしくなってきた。私もちゃんとした品を買ってきた方がよかったのかな。せめてちゃんとした包装くらいはした方がよかったかも。消え入りたくなってきた。

 

「本当か?キッチンで焼いたのか。いやあ、嬉しいな。朝食がまだだから食べさせてもらおうかな」

 

 指揮官は嫌な顔もせずにそう言ってくれた。ほっとして胸をなで下ろす。ラップをはがしてクッキーを口に運ぶ指揮官の動作をじっと見つめていた。

 

「うん、おいしいな。さすがFAMASだな。お菓子も作れるなんて知らなかった。これからはたまに作ってもらおうかな?なんてな」

 

 おいしい、そう言ってもらえてとても嬉しかった。指揮官に笑ってもらえてよかった。これでまずいなんて言われていたら卒倒していたかもしれない。

 

「実はFNCに教えてもらったんです。FNCに材料も用意してもらってしまいました。指揮官の負担になってしまいます。申し訳ありません……」

 

 指揮官に頭を下げるが、指揮官は特に気にした素振りも見せずに笑っていた。

 

「いや、いいんだよ。俺が好きにやってることなんだから。好きになんでも頼んでもいいんだ。誰かにお菓子を作ってもらうなんていつぶりだろか。嬉しいよ。ありがとう、FAMAS」

 

「は、はい!」

 

 もう感極まって泣きそうだった。こんなに言ってもらえるなんてFNCには感謝してもしきれないな。

 

「今度、お返しをしないとな。お前にはいつも世話になっているし、クッキーまでもらってしまったしな」

 

「そ、そんな!お返しだなんて。そういうつもりで渡したわけではないので大丈夫ですよ!お世話になっているのは私の方なので!」

 

「いや、ちゃんと渡すさ。それが礼儀ってものだ。そうだな、来月かな。どっかの国にはそういう習慣があったって聞いたことがある。ちゃんと用意しておくよ」

 

 指揮官は私のクッキーをぱくぱく食べてくれた。もう胸がいっぱいでろくに返事もできない。

 

 指揮官、やっぱり私はあなたのことが好きです。でも、まだその気持ちはしまっておこうと思います。FNCの言う通り早く伝えた方がいいのは分かってるんです。でも、もう少しこの心地のいい関係に甘えさせてください。このしがらみのない部下と上官という関係に。いつかは絶対に想いを伝えます。そうですね、あなたからお返しをもらったら伝えてしまおうかな。身の丈に合わない想いなのは分かっています。でも、たとえ受け入れてもらえなくたって、知っておいて欲しいんです。私があなたを好きなことを。それくらいあなたが好きなんです。どんな結果になったって、あなたに一生尽くします。私の指揮官、あなたが好きです。

 



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HK416×UMP45百合 「私と彼女の距離」その2

その1の続きです。


 太陽がちょうど真上に来るくらいの時間帯、私は404小隊の拠点にいた。最近は出撃がない。45が言うには鉄血との戦いが小康状態に陥っているらしい。彼女はそれでも依頼を探そうと各地を奔走しているようだ。なので近頃、日中はあまり拠点にいない。忙しいことだ。そういう仕事は普通、人間がやることだ。営業をかける人形など聞いたことがない。45が特別である証だろうか。

 

 45がいないとやることがない。私たちは拠点の中にずっといる。G11はずっと寝ていた。起きていても特になれ合うこともないが。なので9がぺらぺらと喋る馬鹿話を聞くくらいしかやることがない。別に45がいたところで私をからかってくるだけだとは思う。前に45の前で泣いてしまってからは毎日のようにそれでからかわれている。鬱陶しくてムカつく奴だ。別にいなくて寂しいなどとはこれっぽっちも思っていない、決して。

 

 やることがないのでしょうがないから9の語る武勇伝に耳を傾けていた。何もしないでいるとI.O.Pの倉庫にいた頃を思い出して不快だった。あの頃の私は何の意味もない存在だった。埃にまみれて忘れ去られていくだけの存在。45が助け出してくれなければずっと私はあそこにいたのだろう。

 

「でねでね、戦場に人間の部隊が取り残されてるって聞いて45姉と助けに行ったの。45姉が弾避けになるかもって言ったから。でもね、情報と違ってその部隊は負傷者しかいなくて自力で移動できる状態じゃなかったの。負傷してない人には置いて行かれちゃったみたい。そいつらは私たちに助けてくれ!って懇願してきたんだけどね。45姉は使えない、って舌打ちして自決用の弾だけ渡してとっと逃げちゃったんだよ。たぶん頑張れば助けられたんだと思うけど。45姉ってちょっと冷たいとこあるよね!」

 

 9は全然そんなこと思ってないという風にへらへらと笑っていた。面白い話だとは思えないのだが。

 

「……それを私に話してなんて言って欲しいわけ?」

 

「うーん、なんだろう。45姉は冷静で無駄なことをしない、ってことかな?感情的になって家族を危険に晒したりしないってこと!」

 

「あいつの命令のせいでいつも危険に晒されているわよ」

 

 9はにへらと笑って私の文句を聞き流した。冗談じゃないわよ、まったく。こないだは死にかけた。9の言ったことは脅しにしか聞こえない。お前も利用価値がなくなったら切り捨てられると言われているかのようだった。

 

 だが、そんな心配はいらない。私は完璧な人形だ。あいつにとっても十分価値がある。私の能力をよく理解しているし、そうでなければ大金を出してまで私を買わないだろう。こないだだって死にかけたものの、あいつの期待に応えてやった。今までで最大の戦果を挙げてやった。これであいつも私をより高く評価するようになっただろう。

 

 一方で、人間どもは私を一向に評価しない。私が活躍していることは45を通じて知っているはずだが、私に対する評価を改める気配はまったくない。恐らくみんな脳みそが腐ってる。金に思考を支配されて正常な判断ができなくなっているのだ。まともな思考ができるのはこの世に45ただ一人しかいないのかもしれない。なら私が生まれてきたのは45のためなのだろうか。彼女に尽くして使ってもらうために。

 

 あいつがいつもニヤニヤとしながら私を馬鹿にしてくるのは腹が立つ。でも、そんな彼女であっても私にとってはいなくてはならない存在だった。彼女がいないと生きていけない。存在する理由がなくなってしまう。私が完璧な人形であり続ける限り、45は私を必要としてくれる。だから、しくじったりしてはいけない。まあ、失敗などするわけがない。今までもそうだったし、これからもそうだ。私は完全無欠だからだ。

 

 9も話すのをやめたので銃のメンテナンスでもやろうと思う。この銃は私の半身だ。私と同じ名を持つこの銃も完璧な品だ。故障率もM4A1などより低いし、命中精度も高い。私にふさわしい銃だ。

 

 今日やるのはフィールドストリップと呼ばれる簡易なメンテナンスだ。ほとんど毎日のようにやっている日課の一つ。銃を万全の状態に保つには十分な手入れが不可欠だ。私が完璧であるためには必要な工程なので苦とも思わない。進んでやっていることだ。

 

 マガジンを外して薬室に弾薬が装填されていないことを確認する。金属製のピンをレシーバーにある小さな穴二つに差し込んで金具を外す。そうすると銃をグリップとマガジン部のある下部と銃身を中心とする上部に分解することができる。今日はボルトとガスピストン、銃身の掃除をしよう。取り外した銃身からボルトを取り出す。ボルトは前後に動作して薬室に弾薬を送り込む。ボルトを清潔に保たなければ装弾不良の原因になる。紙でボルトの汚れを拭う。とはいえ最近は使っていないのでほとんど汚れはない。念のためだ。

 

 ボルトの内部には撃針と呼ばれる部品がある。弾薬の底部にある雷管を撃針が叩くことで火薬が点火、弾丸が発射される。撃針はステンレス製の頑丈な部品だし、取り出すのは一手間かかるので今日はいいだろう。早々壊れるものではないので頻繁にやる必要はない。

 

 専用の工具でハンドガードを銃身に固定している金具を外す。ハンドガードを外すと銃身上部にあるガスピストンの機構が露出する。ガスピストンは弾丸から出た発射ガスを利用してボルトを前後に動かし、薬莢を排出し、弾薬をマガジンから薬室に送り込む。私の銃の核と言える部分だ。これがなくては連続して発砲することができない。一々コッキングレバーを動かして再装填する羽目になる。ガスの圧力で前後するスプリングが劣化していないか確認する。スプリングが硬すぎたり、逆に復元力が弱すぎるとこれもまた装弾不良の原因になる。特に問題は見当たらない。スプリング部分を外してガスを直接受け止める基部を取り外す。一応紙で拭いておく。ボルト同様大した汚れはない。

 

 身軽になった銃身を覗く。まったく歪みのない真っすぐな銃身だ。惚れ惚れする。ライフリングに傷も見当たらないし、火薬の燃えカスが溜まっている様子もない。日々のメンテの賜物だ。

 

「いやあ、精が出るねえ」

 

 9がそう言ってくる。当然だ。私の身体の一部同然だからだ。

 

「あんたもやっておけば?銃の状態をチェックしておくのは戦術人形として当然のことよ。慢心してると足元を掬われるわよ」

 

「私は昨日やったからいいや。掃除すると手が汚れるし」

 

 9は手をひらひら振って私の提案を断った。まったく、常在戦場の精神でいないといつか失敗するわよ。まあいい。完璧な私と違ってこいつは不完全でいればいい。その方が私の有能さが際立つ。外した部品を元通り組み立てる。慣れたものなので一分足らずで終わる。間違いなく小隊の中で銃の分解組立の速さを競ったら私が一番だ。

 

 そうしているうちに外から車の音が聞こえた。45が帰って来たのだ。いつもより早い。成果の無さにやる気がなくなったのか、何か収穫があったかのどちらかだろう。45のことだからきっと後者だ。また私に無茶振りをしてくるでしょうね。でも、受けて立つ。あんたが私に期待するなら応えてやるわよ。銃を構えてホロサイトの電源を入れる。クリアなレンズに照準が浮かび上がる。あんたが命じるならどんな敵だって打ち倒してやるわ。

 

「45姉おかえり~、なんか進展あった?」

 

「ただいま。ちゃんと仕事を取って来たわよ」

 

 やっぱりだ。45は無能じゃない。それくらいじゃなきゃ私を使いこなせない。

 

「416、受け取りなさい」

 

 45は私にデータリンクで依頼の情報を送って来た。いつもはこんなことはしない。小隊員には作戦の全容を知らせずに命令してくるだけだ。それで上手くいっているので文句を言ったこともない。

 

「今回の依頼は小規模のPMCからよ。ここの近くに鉄血のはぐれ部隊がいるらしいわ。検問を作って道を封鎖してるから輸送車両が通れないんですって。それの排除よ」

 

「これまたしょぼい依頼を取って来たものね……」

 

 目撃された鉄血の人形はすべてサブマシンガンを持った軽装備のリッパーだ。数は十体以下。格下の人形どもだからすぐ終わる任務だ。敵のしょぼさに合わせて報酬も少ない。正直、わざわざ404小隊が出る幕ではない。

 

「そうね。だから、416。あんたが一人でやりなさい」

 

「は?何でよ」

 

 いきなり何を言い出すんだこいつは。なぜ全員暇している中で私だけに行かせるんだ。嫌がらせのつもり?

 

「あんた一人でも十分でしょ?大した敵じゃない。小隊の中で一番戦闘能力の高いあんたに任せるわ。頼りにしてるわよ」

 

「っ!そうね。間違いなく私が一番強いわよ。言われるまでもない」

 

 私が一番?頼りにしてる?45の口からそんな言葉が出てくるとは。思わず嬉しくなってしまう。私をこき使うつもりで乗せているだけかもしれない。それでも認められたみたいで嬉しかった。

 

「それにね。あんたは戦果を挙げたいんでしょ?それならあんた一人で戦った方がいいわ。私たちが一緒にいるとあんたが霞んじゃうもの」

 

「よく言うわよ。いつも私にだけ面倒ごと押し付けてるくせに」

 

 憎まれ口を叩いていても内心私は感動していた。45はちゃんと私が評価されたいんだって知っていたのか。さらにそんな私のために任務を用意してくれたなんて。胸がいっぱいだった。

 

「それで?私一人でやるとして指揮はどうするの?あんたが執るの?」

 

「別に指揮なんていらないでしょ。サーチアンドデストロイ、単純な作戦よ。来た、見た、勝った、で終わり。暗くなる前に帰って来てね。知らない人について行っちゃダメよ?」

 

 このクソ、子ども扱いしやがって。中指を立てて返事をする。確かにあんたより経験は浅いかもしれないけど、私は子どもじゃない。完璧で優秀な人形よ。それを分かってるから私にだけ任せるんでしょうけど。まあいい。期待以上の戦果を挙げてそれを改めて分からせてやる。私とあんたが対等だって教えてやるわ。

 

 すぐに準備に取り掛かる。格下とはいえ数が多い。囲まれたらやられてしまう。なら常に動き回って銃撃を浴びせてやる。できるだけ身軽な方がいいだろう。重いグレネードランチャーは置いて行こう。すぐ終わる任務だから野戦糧食も必要ない。必要なのは弾倉と私の銃、そして完璧な私だけ。マガジンをいくつかポケットに入れる。車のキーを受け取って拠点を飛び出す。見てなさい、45。私の力を思い知らせてやる。

 

 

 

 

 

 車で作戦エリア付近まで行き、廃ビルの窓から双眼鏡で覗く。情報通り鉄血の人形たちがそこにいた。廃車を並べて道を封鎖し、簡易な陣地を作っている。確認できるのはリッパーが八体だけだ。陣地の中で右往左往している。鉄血のエリート人形の指揮から外れてしまったのかもしれない。だからこんな大した意味のないところにとどまっているのだ。まともな指揮官に使ってもらえない人形は哀れね。奇襲をかけて一網打尽にしよう。ビルを降りて気づかれないように建物の合間を縫って近づく。

 

 建物の影から半身だけ出して銃を向ける。ホロサイトで敵の顔がはっきり見える距離まで近づいた。奴らはまだこちらに気づいていない。銃撃戦になる前に一気に倒してしまおう。セーフティを解除し、連発モードに設定する。反動で狙いがずれないようにストックをぴったりと肩に密着させる。ストックに頬を当ててフォアグリップもしっかりと握り込む。安定した射撃姿勢だ。

 

 一呼吸置いてからトリガーを引いた。短く指切りをする。三発の弾丸がほとんどずれることなく命中し、鉄血人形の顔を吹き飛ばした。その隣の人形が反応する前に素早く狙いを定め発砲。同じように粉砕する。他の人形は突然の襲撃に慌てふためくが私の位置はまだバレていない。三体目も同じように射殺する。流れ作業だ。ものの数秒で三体倒した。一マガジン使い切る前に終わるかもしれないな、そう思って次の標的に照準を合わせた。

 

 引き金を引く。弾が出ない。嘘でしょ!?こんな時に弾詰まり?あんなにメンテしたのに。慌ててはいけない。数千発に一発は弾詰まりだって起きるものだ、仕方ない。建物の陰に引っ込んで排莢口を見る。薬莢が挟まっているということはない。じゃあ装弾不良?ボルトもガスピストンもさっきチェックした。じゃあ、弾を送り込むマガジンのスプリングがいかれてるのか?マガジンの底を軽く叩いてからコッキングレバーを指で引いた。弾頭を伴った弾が排出された。ではマガジンの異常ではない。銃を空に向けて引き金を引く。それでも出ない。何でよ!私は焦り始めていた。

 

 鉄血人形たちはようやく私のいる方角だけは分かったのかめちゃくちゃに発砲していた。建物の壁を弾丸が削る音が聞こえてくる。ボルトでもなく、ガスピストンでもなく、マガジンでもない。ならこれは装弾不良じゃないの?じゃあ弾の問題?たまたま二連続で不良品の弾薬を引いたとか?そんな馬鹿な。またコッキングレバーを引いて弾薬を切り替える。やはり弾は出なかった。レバーを引いた時、違和感を覚えた。普段聞こえないような音が聞こえた気がする。敵の発砲音にかき消されないように耳をすませてもう一度レバーを引いた。するとかすかにボルトの中からカラカラという金属音が聞こえた。ボルトの中にあって、弾丸の発射に関係する部品。

 

 撃針だ。私は青ざめる。撃針が折れているんだ。今日見なかった部分だ。でもそんな馬鹿な。簡単に折れるような部品じゃない。ステンレス製で単純な構造をしてる撃針がそう簡単に折れるわけがない。今までに一度だってそんなことはなかったし、聞いたこともない。だから見なかった。でも折れている。銃を横に軽く振ってみる。やはり中から音がする。

 

 私ははっとした。銃声が近づいてくる。敵が私の位置を特定したんだ。今の私は丸腰同然だ。サイドアームも持ってないし、グレネードランチャーも置いてきた。予備の撃針は持っていないし、持っていても今から替える時間はない。殺される、そう直感が告げて私は逃げ出していた。戦いから逃げるなんて初めてだった。なんで、どうして、ぐるぐると疑問が頭の中を渦巻く。私は追撃から逃れるために必死で車まで走った。

 

 奴らは私の姿を見失って早々に諦めたのか、追撃はすぐに終わった。車の運転席に座って息を落ちつける。横に置いた銃を見る。見た目はピカピカでよく手入れされている。何でよ!思わずハンドルを両手で叩いた。毎日のようにメンテをしているのに、何でよりにもよって撃針が折れるのよ!しかも、今日は45が私のために任務をくれたのに……。

 

 顔がどんどん青ざめていくのが自分でも分かった。どうしよう。45にどう言い訳をすればいいんだ。せっかくもらってきてもらった仕事を銃のメンテを怠ったから失敗しました?無能すぎる。45は私を一番強いと言ってくれて、頼りにしていると言ってくれたのに。期待に応えるどころか何て無様な結果だ。どうにか誤魔化さないと。車中の収納をひっくり返して何かないか探してみる。拳銃一つでもあればそれを持って突撃して奴らを全滅させてやる。でも、そんなものはなかった。銃はみんな拠点で管理しているから当然だ。どうしよう、どうしよう。

 

 その時、私宛に通信が届いた。45からだ。身体が震える。まずい、なんて言えばいいんだ。

 

「416、もう死んじゃった?」

 

 いつもの私をからかう声だ。どうにか平静を装わないと。呼吸を整えているうちに数秒が経過した。

 

「……死んでないわよ」

 

「あら、あんたの位置情報が動かなくなったから死んだのかと思ったわ。じゃあ、もう任務は終わったの?報告くらいしなさいよね」

 

 どうしよう。なんて言えばいいんだ。成功したと誤魔化して、拠点に戻ってから撃針を交換して戻ってくるか?絶対バレる。それに、それまでに45が作戦は終わったと人間に報告して、それを信じた人間が死んだりしたら事だ。45に殺される。

 

「416?どうしたの、黙っちゃって。もしかして失敗しちゃった?」

 

 45が笑いながら言ってくる。図星だ。何も答えられない。

 

「……もしかして本当に?」

 

「違うわよ!失敗なんてしてない!私が失敗なんてするわけない!私は完璧なんだから!私のミスじゃない!一旦戻って態勢を立て直すだけよ!」

 

「ちょっと、事情を説明しなさいよ。聞いてる?416――――」

 

 通信を途中で切った。思わず失敗していないと言ってしまった。でも、絶対私のミスじゃない。先週、簡易なメンテナンスじゃなくてちゃんと隅々まで分解した。その時に撃針だって確認した。全然脆くなっているようには見えなかった。だから私のミスじゃない。私を陥れようとした奴がいるはずよ。45じゃないだろうから、9かG11だ。こんなの冗談じゃ済まないわ。証拠を見つけたら殺してやる。力いっぱいにアクセルを踏み込んで車を発進させた。

 

 

 

 

 

「それで?何があったのよ。任務も終わらせずに戻ってきて」

 

 拠点に帰ると腕組みをした45が待ち構えていた。冗談も言わず、ニヤついてもいない。本気の目をしていた。任務の時だってそうそうこんな目はしない。本当に怒ってるのか、思わずたじろぐ。

 

「黙ってちゃ分からないわよ。何で逃げてきたの?とっとと言いなさい」

 

「そ、それは……撃針が折れて……」

 

 責められて本当のことを言ってしまった。頭が回らない。もっといい言い訳があったはずだ。

 

「はあ?撃針が折れた?何よそれ。自分の銃の管理もできないの?戦術人形のくせに使えないわね。何が完璧な人形よ。あんたに高い金を払ったのは失敗だったかもしれないわ。こんな簡単な任務に失敗するなんて。依頼主になんて説明したらいいのよ。404小隊の戦歴に汚点が残ったわね」

 

 使えない、そう言われて衝撃を受けた。今まで散々からかわれたが面と向かって罵倒されるのは初めてだった。これまでのすべてを否定された気がした。舌がぴくぴくとして何も言葉を喋れない。

 

「まあまあ、言い過ぎだって45姉。誰にだってミスはあるんだからさ」

 

 9が45の後ろからひょっこり出てきて私をかばう。これは私のミス?違う。違う違う違う違う違う!私のミスじゃない!私はこんなつまらないミスをしない!メンテだって完璧にやってた!私は悪くないのよ!誰かが、誰かがやったに決まってるわ!

 

「そうね、言い過ぎた。ごめんね、416。私はあんたに期待し過ぎてたみたい」

 

 45は私に冷たくそう言った。失望されている。ゴミを見るような目で見られている。いつ溜まったゴミを捨てるか考えているような目だった。45に捨てられる。私は恐怖を覚えた。45に捨てられたら私はまたあの倉庫に逆戻りだ。それだけは絶対に嫌だ!

 

「違う!私のミスじゃない!前に撃針はちゃんとチェックしたわ!壊れそうな様子なんて全然なかった!誰かが私の銃に細工したのよ!9、あんたかG11なんじゃないの!?」

 

 私は感情的になってそう叫んでいた。恐怖が私の心を支配している。45は眉間にしわを寄せてうろたえている私を見ていた。9は頬を膨らませて私に言い返す。

 

「ちょっと、416!せっかくかばってあげてるんだから言いがかりつけないでよ!今日416ボルトの中は見てなかったじゃん!自分のミスでしょ!慢心してたら足元掬われるとか自分で言ってたじゃん!」

 

「違うのよ!私のミスじゃない!完璧な私がそんなつまらないミスをするわけない!ねえ、信じてよ!45!私じゃないのよ!誰かが私を――――」

 

 ずっと45の冷たい視線と目を合わせていたが、急に45が右手を動かした。室内に乾いた音が響く。急に視界が揺れて何が起こったのか分からない。なんだか頬に痛みが走った気がする。私、45に叩かれたの……?

 

「自分のミスを家族に擦り付ける気?呆れた。最低な奴ね。大人しくミスを認めて謝ればいいものを。それができないなら今すぐここから出て行きなさい。顔も見たくない」

 

「えっ……」

 

 何を言われているのか分からなかった。45は私のことを信じてくれないの?私のせいじゃないのよ、本当よ。私は45に捨てられようとしてるの?嫌、私ここを追い出されたらどこへも行くところないのよ。

 

「出て行けって言ってるのよ!」

 

 45に腹を蹴り飛ばされた。反応できずもろに食らってしまう。玄関の外に叩きだされて尻もちをついた。45は素早くドアを閉めた。バタンと大きな音がして、風圧で髪が揺れた。私はただ茫然と閉じたドアを眺めていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

「45姉、あんなこと言っちゃっていいの?416帰って来ないかもしれないよ」

 

「いい薬よ。帰って来ないならそれでもいい。ミスを認められない無能なら必要ないわ。ほら、早く支度して。416の尻拭いに出撃するわよ」

 

 9は不満そうに私を見つめていたが、私には9に構う余裕がなかった。

 

 私に使えないって言われた時の悲しそうな416の顔、私に信じて欲しくて取り乱している時の416の顔、信じてもらえなくて泣きそうになっている416の顔、どれも素晴らしかったな。額縁に入れて部屋に飾りたいわ。ぞくぞくする。興奮しすぎて演技に力が入りすぎたかもしれない。もっと可哀そうな416が見たくて思わず蹴り飛ばしちゃった。茫然とへたり込む416も可愛かった。キスしてあげたくなっちゃった。

 

 416は私に信じてもらえなくて絶望してるんでしょうけど、大丈夫。ちゃんとあんたを信じてるわよ。そんなミスをするような人形じゃないって。完璧で優秀な人形だって知ってるわ。だって撃針をすり替えたのは私だもの。

 

 最近拠点にいなかったのは別に仕事を探していたからじゃない。鉄血の動きが鈍いのは確かだけど、仕事を持ってこようと思えばいくらでもあった。私の手にかかればね。実際は街に行っていた。そこで416の銃の撃針を何本も調達して加工してたのよ。まず怪しまれないように416が本来使っている撃針とまったく同じ見た目にする。汚れなんかも再現する。それから発砲の衝撃で先端が折れるように負荷をかけて劣化させた。最初の一発で壊れるくらい脆いと何かの拍子に壊れて失敗するかもしれないから、十発くらいは耐えられるように設計した。これがまた大変だった。なかなか上手くいかず何本も撃針を折ってしまった。私の演算機能を総動員してシミュレートし、何とか仕上げたのが本番で使ったあれだ。最高傑作ね。

 

 でも、ちょっと時間をかけすぎた気がする。404小隊を仕事もさせずに放置してしまった。何もしなくてもお金は減っていくから今月はたぶん赤字ね。それよりも416の素敵な顔を見たかった。公私混同のしすぎかしら。今更ね。

 

 416は銃のメンテを欠かさない几帳面な人形だ。私たちの中でも一番整備に時間を使っている。簡易メンテならほとんど毎日のようにしているからその光景はよく見ていた。だから、普段はボルトの中までは見ないのを知っていた。まあ、その必要もないからね。二百年以上前のニードルガンならいざ知らず、現代の銃で撃針が破損することなど滅多にないから。私だってそんなにチェックはしない。

 

 それでも416は週に一度は銃をバラバラにして撃針もチェックしていた。偉いわ、416ちゃん。命令されてもいないのにしっかりと責任を持って自分の銃を管理できて。無駄だったけど。しっかりとしたメンテは定期的にやっているのでいつやるか簡単に予測できた。あんたのミスは私の前でメンテを繰り返していたことね。

 

 もう一つは警戒心の無さかしら。あんたは404小隊といる時は安心していてほとんど警戒していないわよね。夜もぐっすり寝てる。でもダメよ、416ちゃん。どんな悪意を持った奴が近くにいるのか分からないんだから。常在戦場の精神でいないと足元を掬われるわよ。昨日の夜、416が寝ている間に撃針を交換しておいた。私もあんたの銃の構造はあんたと同じくらい知っているから素早く誰にも見つからずにやった。あんたは自分が銃の分解をするのが部隊で一番速いんだと思ってるみたいだけど私の方が速いのよ。

 

 今回は依頼主にも416の存在を隠していない。戦果は包み隠さず報告するつもりだ。つまり、416の公式な初戦果は格下の人形相手に敗走、ということになるわね。ハイエンドモデルの名が泣くわ。このまま放っておけば416は高価な上に無能な人形と評されるようになる。ますます私のもとから離れられなくなるわね、嬉しいわ。

 

 しかし、自分の半身である銃に裏切られるなんてどういう気持ちなんでしょうね。特にあんたみたいなプライドの高い戦術人形にとっては耐えられない屈辱なんじゃない?絶対に自分のミスだと認めたくないのも分かるわ。証拠もないのに9とG11を疑ってたわね。でも、私のことはこれっぽっちも疑っていなかった。とっても偉いわ、私の416。なんて忠誠心あふれたペットなんでしょう。飼い主としてすごく嬉しいわ。頭を撫でてあげたくなった。実際には頬を叩いたんだけど。

 

「ほら、G11。起きて。出撃よ」

 

 ベッドに寝転んでいるG11の肩を揺さぶって起こす。G11は目をこすりながら不満そうに私を見る。

 

「ええ~今日は休みなんじゃないの?というか416は?さっきなんか大声で起こされたんだけど……」

 

「今はいいでしょ。いいから準備して」

 

 彼女の銃を掴んで渡す。G11は嫌そうながら渋々起き上がった。416もこいつくらい戦果に無頓着で人の目を気にしないならすぐに謝れただろうし、傷つくこともなかったかもしれないわね。そうだったら買っていないけど。

 

 準備を完了して外に出る。ドアの前には車のキーだけ置いてあって416はいなかった。そういえばキーを回収していなかった。追い出されたんだから車を持ち逃げすることだってできたのに。本当に忠犬ね。ますます好きになったわ。

 

 三人で車に乗り込む。別に全員で行く必要はないのだけれど416を置いて全員で行ってしまうという演出だ。視界の端にはまだ416がいた。道路を挟んで拠点の向こう側に立ち尽くしているようだった。

 

「あっ416だ。こっち見てるよ。本当にいいの、45姉?家族なんだからあれくらい……」

 

「いいのよ。謝ってくるまでは許さないわ」

 

 演出の都合上、416の顔を見ることができないのが悔しかった。きっと素敵な表情をしている。親に捨てられた子犬みたいな顔をしてるんでしょうね。あとで拠点前の監視カメラで録画したものを見ておかなくちゃ。

 

 でも、大丈夫よ、416。私はあんたを捨てたりなんかしないから。全部振りよ、振り。位置情報もいつでもモニタしてるから安心して。自暴自棄になって死のうとしたらちゃんと止めに行くから。安心して傷ついてね♪泣きわめいて謝ってくるまで放置しようかしら。とりあえずは一日くらい様子見ね。

 

 

 

 

 

 45は他のメンバーと出撃していく時、私のことをちらりとも見なかった。私に利用価値を見出せなくなったんだ。私は本当に45に捨てられたんだ。隅々までメンテをしておけばよかった。予備パーツを持って行けばよかった。サイドアームを持ってくればよかった。グレネードランチャーを装着してくればよかった。後悔の念が押し寄せてくる。だが、もう遅かった。

 

 ふらふらとよろめきながら行く当てもなく街を彷徨っていると公園に着いた。使われなくなって久しいため、荒れ果ててボロボロの公園だった。遊具も錆びだらけでまともに動かなそうだった。私はその遊具と自分を重ねてしまった。45に捨てられた以上、私はもう誰にも必要とされていない。誰にも使われず、忘れ去られ、錆びて朽ちていくのだ。

 

「なんで……なんで……なんでなのよ!なんで私を裏切るのよ!あれだけ手入れしてたのに!」

 

 私は銃を地面に叩きつけた。ガシャンという音がして少しだけ飛び跳ねた。銃をこんな風に乱暴に扱うのは初めてだった。きっと誰かにこんなことをされたらそいつを殺していただろう。でも、もうどうでもよかった。弾が出ない以上、銃の形をしたおもちゃだ。使えない、役立たず。私と同じ。

 

「ふざけるな!私は役立たずなんかじゃない!完璧な人形よ!私が、私が悪いんじゃない!私のミスじゃない!」

 

 ブランコの前にあった金属製の柵を蹴り飛ばした。錆びて脆くなったそれはぐにゃりとひん曲がった。

 

「違うのよ……本当に……なんで信じてくれないのよ……45……私は、私は完璧なんだから……」

 

 もう本当は分かっていた。これは私のミスだ。部品の状態をちゃんとチェックしていなかった。前に撃針を見た時も時間をかけてしっかりと見たわけじゃない。きっと劣化しているのを見逃したんだ。今日も見なかった。見ようと思えば見れた。暇していたんだから隅々までメンテする時間はあった。でも、しなかった。

 

「なんでよう……なんで今日なのよ……」

 

 私はブランコに腰掛けた。錆びついた鎖が悲鳴を上げる。どうしてよりにもよって今日なんだ。45が私のために、私だけに任務をくれたのに。45が私の評価されたい、という欲求を汲み取ってくれた日に。45に失望された。もう必要としてくれない。頼りにもされない。もうこの世に私を必要とする存在は誰もいない。45がきっと最初で最後だった。そんな彼女の期待も裏切った。もう誰も私のことを見てくれない。

 

『自分の銃の管理もできないの?戦術人形のくせに使えないわね。何が完璧な人形よ、銃のメンテもできないなんて』

 

 45に言われた言葉がずっと頭の中で響いていた。そうだ、その通りだ。私は簡単な任務もこなせない役立たずだ。今まで活躍できていたのも全部45が指揮をしてくれていたからだ。一人になった途端、あの有様だ。私が完璧な人形を演じられていたのは45が傍にいてくれたからだ。本当の私は一人じゃ何もできない役立たずだったんだ。涙が地面に滴った。

 

 今の私は倉庫にいた時と同じだ。誰にも必要とされずに忘れ去られていく。今日、拠点で45が帰ってくるのを待っている間の暇な時間とは訳が違う。45は私を迎えに来たりしない。9も今日言っていた。45は弱者を切り捨てるのをためらったりしない。ここで待っていたって45が現れることは絶対にない。そして、今の私は倉庫にいた頃よりひどい状況だ。あの時は何もしていなくても45が必要としてくれて、私を救い出してくれた。もう45は私を必要としてくれない。世界でたった一人しかいない彼女にも失望された。

 

「ううっ……ひぐっ……いやあ……」

 

 涙がボロボロとこぼれた。45の目が頭に焼き付いて離れない。失望と軽蔑しかない目だ。早く、早く謝りにいかないと。何でもするから私を捨てないでって懇願しに行かないと。許しを乞わないと。

 

 でも、どうしても立ち上がれなかった。足がすくんでしまう。ミスを認めて謝ったとしても、45が必要としていたのは完璧な私だ。もう今の私は完璧なんかじゃない。元通りになんてなれないんじゃないか、そう思うと恐ろしかった。

 

『やっぱりミスをするようなあんたなんかもう要らないわね。信用できないし。もう家族なんかじゃないわ。I.O.Pに返品しようかしら。それともコアを抜いて民間用に売り払おうかな?』

 

 想像の中の45がゴミを見る目で私に言った。そう言われるのがどうしようもなく怖かった。

 

「お願い……許してよ、45……もうミスなんかしないから……あんたのためにどんなことだってするから……私を捨てないでよう……ううっ……ぐすっ……」

 

 涙が止まらなかった。せきを切ったようにあふれ出してくる。ずっとしゃくり上げているともう辺りは暗くなっていた。お腹が空いた。今日はまだ昼ご飯を食べていなかった。任務が終わったら食べようと思っていた。すぐ終わると思ったから野戦糧食も持ってこなかった。食べるものは持っていない。お金も持っていない。私にあるのは弾の出ないおもちゃだけだ。

 

 たまらなく惨めだった。戦術人形は何日も食べなくたって死にはしない。空腹が辛いわけじゃない。45に捨てられたら食事一つできない自分が惨めだった。私は45がいないと何もできない。食事も、戦うことも、勝つことも。涙がボタボタと零れ落ちる。乾いた地面に小さな染みが出来て砂漠の中のオアシスみたいだった。

 

「ブランコだなんて子どもっぽいのね。I.O.Pの保育園でも思い出しちゃった?」

 

 後ろから声がした。聞き覚えのある声だった。いつも私をからかってくる奴の声。いつもと変わらないトーンの声。急いで振り向くと45が立っていた。ニヤニヤと私を見ていた。

 

「暗くなる前に帰ってこいって言ったでしょ?言いつけを守れない奴ね」

 

「45……どうして……」

 

 目の前の光景が信じられなかった。なんで45がここにいるの?なんでいつもと変わらない表情を浮かべているの?これは夢?ショックが大きすぎてメンタルモデルまでバグってしまったの?

 

「どうしてって、私たち家族だからね。迎えに来てやったのよ。ほら、何してるのよ。とっとと立ちなさい。帰るわよ」

 

 私は地面を蹴り上げて跳ねるように立ち上がると45の胸に飛びついた。

 

「ごめんなさい!ごめんなさい!全部、全部私が悪かったのよ!私がメンテを怠ったから失敗したの!せっかくもらってきてくれた任務に失敗してごめんなさい!自分のミスだって認めたくなかったから9とG11のせいにしたのよ!本当は私が悪いのよ!」

 

 私は泣きながら45の顔を見上げて叫んでいた。心の底から45に謝っていた。彼女が私を迎えに来るなんて思ってもみなかった。45が私を家族だと言ったのは嘘じゃなかったんだ。45は私を抱きしめて顔を胸にうずめさせてくれた。私も力いっぱい45にしがみついていた。

 

「だから、だから許して。許してください。私を捨てないで。私にはあんたしかいないのよ。あんたがいないと何もできないの。ちゃんとそれが分かったから。404小隊から追い出さないで。お願い、何でもするから」

 

 私はぐすぐすと泣きながら45に懇願した。彼女はそんな私の頭をポンポンと優しく叩いてくれた。

 

「馬鹿ね。捨てたりなんかしないわよ。私たち家族なんだから。ごめんね、416。ひどいことを言って」

 

「なんであんたが謝るのよ……私が悪いんだから、全部……45は悪くないのよ。期待を裏切った私が悪いの。無能で役立たずな私が。私は完璧な人形なんかじゃなかった。あんたがいないとクズ同然なのよ。私にはあんたが必要なの。だから、お願い。傍にいさせて……」

 

 45は話している間、ずっと頭を撫でてくれていた。45の手も、胸もやわらかかった。これは私の見ている幻覚なんかじゃない。私はそんなもの知らないんだから。知らないものは夢には見られない。

 

「大丈夫、大丈夫よ。あんたは完璧な人形よ。ちゃんと私は分かってるんだから。本当はこんな失敗したりしないのよね。役立たずなんかじゃないわ。私もあんたが必要なの。どこにも行かないでね」

 

 45は私が言って欲しい言葉を言ってくれた。嬉しくてたまらない。45の胸を涙でびしょびしょにしてしまった。彼女は気にすることもなく私をずっと抱きしめていた。

 

「さあ、帰りましょう。みんなも待ってるわ」

 

 45は私の銃を拾い上げて渡してきた。そして、私の手を取って言った。最初に私を助け出してくれた時と同じ笑顔を浮かべていた。あの時と違って夕日に照らされてはいなかったけれど、私にはあの時よりずっと輝いて見えた。

 

 彼女はいつも私を助け出してくれる。どんな暗闇の中にいたって必ず助けてくれる。だから、私も彼女に尽くそう。彼女のためだけに戦おう。彼女が必要としてくれるならどんなことだってする。どんな危険だって怖くない。UMP45、私は彼女が好きだった。どうしようもないほどに。

 

 

 

 

 

 子どものように私に許しを乞う416を見ていると胸と下腹部が熱くなった。興奮しすぎている。身体が震えそうだった。顔もきっと紅潮しているし、だらしなく緩む頬を引き締められない。だから見られないように胸に抱き寄せた。

 

 本当はこんなに早く迎えに行くつもりはなかった。416が自分からやって来るまで放置しようと思っていた。でも、任務をこなしている間、416が自分の手の届く範囲にいないので急に怖くなってきた。戦いにも全然集中できなかった。よく考えたら416には404小隊以外にも行く場所などいくらでもある。プライドをへし折ってしまったから戦術人形以外の道も歩める。人形が欲しい人間なんていくらでもいる。カフェとか、炭鉱とか、売春宿とか。クズどもにたぶらかされる416を想像すると居ても立っても居られなくなり、任務から戻って来てすぐにやって来てしまった。

 

 416をおもちゃだとかペットだとか思っていたけど、本当はそうじゃない。私は自分で思ってる以上に416が好きだった。最初からそうだったんだ。でなければ416の値段を確かめもせずに買ったりしない。おもちゃにしては高すぎる買い物だ。一目見た時から彼女を自分の物にしたかった。他の誰にも渡したくなかった。

 

 私は彼女に本気だった。だから、散々ひどい目に遭わせた。416のことを誰にも教えなかった。416が私以外を見るのが怖かったから。私のことを同じように好きになって欲しかったから。

 

 ごめんね、416。本当は私たち対等じゃないのよ。あんたは私以外のところでも生きていけるけれど、私にはあんたがいないともうダメなの。だから縛り付けた。本当は私の方が弱いのよ。あんたは私に謝れるけど、私は絶対にあんたに謝れない。本当のことを言えない。嫌われるのが怖いから。想いを伝える勇気もない。きっと今のあんたなら私の想いを受け入れてくれる。でも、それって本当に私のことが好きだからなの?私しかあんたを評価していないから仕方なく私を必要としているんじゃないの?そう思うと怖かった。他の誰かが416を必要とするようになった途端、私のもとから去ってしまうんじゃないかと思うと苦しかった。

 

 本当に416を私の物にしたいな、そう思った。

 

 

 

 

 

「ほら、泣き虫のご帰還よ」

 

「おっ45姉も416もおかえり~案外早かったね。ってうわ。すごい泣いてる」

 

 手を引っ張って拠点に連れて帰って来ても416はまだ泣いていた。それだけ辛かったのね、ごめんね。

 

「9……9もごめんね……私が悪かったのに人のせいにして……許して……G11も……」

 

 416は泣きながら謝っていた。全然彼女は悪くないのに心から謝っている様子が不憫で頭を撫でて慰めた。

 

「いいよいいよ!家族に喧嘩は付き物だからね!ちゃんと全員揃えてよかったよ!」

 

「ねえ、なんで私謝られてるの?なんで416泣いてるの?結局よく説明してもらってないんだけど……」

 

 泣いている416も可愛いな。私にからかわれている時の不満気なあんたも、私に褒められて嬉しそうにしているあんたも、どんなあんたも好きよ。大好き。愛してるわ。力を込めて髪を撫でつけた。

 

「45姉もよかったね!416を追い出してからずっと心配そうだったもんね。任務の間も上の空だったし。なんだかんだ言って45姉も家族のことが好きなんだね!」

 

「……うるさい、9」

 

 照れ隠しにそう言った。9はニコニコと屈託のない笑みを浮かべていた。お見通しだったか。敵わないな。実は犯人が私だってバレてなきゃいいけど。

 

 泣きながらも嬉しそうに私を見ている416を見て思った。彼女の実力が正当に評価された時、彼女はどんな道を選ぶだろうか。それでも私と居てくれるのか、それともどこかへ行ってしまうのか。怖かったけれど気になった。確かめてみたい、そう思った。彼女の自由な選択を見てみたくなった。私を選んでくれた時、ようやく私と彼女は対等になれるのかもしれない。もう縛り付けるのはやめよう。彼女の自由な意志に任せてみよう。

 

 416、あんたが好きよ。あんたがいなくちゃ生きていけないの。だから、お願い。私だけを見ていて。あんたに本当に必要としてもらいたい。あなたのことを愛しているから。



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K5ヤンデレ短編 「本当の気持ち」

製造回してたらコンテンダーが出るまでにK5が10人も来たので短編を書きました。
本当はこんなつもりじゃなかったんです。
今日はAR-15の八話を書くつもりだった……


『数多くの兆しから見ると…指揮官さん!やはりこれは運命的な出会いです』

 

 金髪の戦術人形、K5が俺の部隊に着任した時に言った第一声がそれだった。人形なのに運命か、何となくそれがおかしく思えた。

 

『運命?君は運命を信じてるのか?』

 

『ええ、運命は存在してますよ。私、占いには少し自信があるんです。指揮官さんの今日の運勢を占って差し上げましょうか?』

 

 K5はニコニコ笑ってそう言った。明るくて可愛らしいその顔が気に入った。その日から副官を任せてみることにした。

 

 

 

 

 

 ある日の朝、起床して身支度を済ませた指揮官が司令室に入るとそこにはK5がいた。

 

「おはよう、指揮官!一日の良い始まりは幸運をもたらすよ!」

 

 K5はニコニコと笑いながら指揮官に挨拶をした。指揮官は挨拶を返さず、苦い顔をした。

 

「K5、お前に今日の副官を頼んだ覚えはないが。なぜここにいるんだ。コンテンダーはどうした」

 

 K5は変わらずに笑顔を浮かべていた。

 

「あの娘には指揮官は今日、お休みだって伝えておいたよ。指揮官、ごめんなさい。勝手なことをしちゃって。でも大丈夫だよね?私の方が仕事できるもんね?指揮官のしたいことはなんでも分かるもん。指揮官も私が副官だった方が嬉しいよね?」

 

「はぁ……K5、お前はどうしていつもそうなんだ。占いばかりして勝手に人の気持ちを決めつけて。お前の占いは当たらないんだよ。今だって間違ってる」

 

 指揮官が冷たくそう言うとK5の表情は少しだけ曇った。それでも口元には笑みが張り付いていた。

 

「……そんなことないよね?今だって指揮官はそんなこと思ってないよね?私には分かるんだ。本当は私と一緒にいれて嬉しいんだよね。前はよく指揮官は私のことを褒めてくれたもんね。私の占いはよく当たるし、私がいると仕事が捗るって。私とは以心伝心で他の誰とやるよりお仕事が効率的に進むって。だから、今も本当は喜んでくれてるんだよね?」

 

「あれはお世辞だ。お前が喜びそうだったからそう言っただけだ」

 

 指揮官はため息をつきながらそう言った。K5の目は笑っていなかったが顔の下半分だけはニコニコとしていた。

 

「それも嘘だよね。直感で分かるの。指揮官は嘘つきじゃないから、他の娘に言わされてるんだよね?誰?コンテンダー?あの娘、最近指揮官に付きまとってるよね。私に嫉妬してるのかな、指揮官とずっと一緒にいたから。嫌だね、感じ悪くて。指揮官の気持ちも考えないでそんなことをして……」

 

 K5は指揮官を心配するような口調でそう問い詰める。指揮官は椅子に座って手で顔を覆う。

 

「それはお前だよ。コンテンダーは俺が自分で副官にしたんだ。さあ、早く出て行ってくれ。コンテンダーを呼び戻してこい」

 

「そんなことできないよ。副官はいつも指揮官の傍にいないとね。なにかあったら大変だもん。今日はなにか悪いことが起きそうな兆しがあるよ。いつでも助けられるようにずっと一緒にいるからね」

 

 何を言っても聞かないK5を無視して指揮官は仕事を始めようとしていた。机の上に乱雑に転がしておいた筆記用具はK5によって勝手に整理整頓されていた。作戦報告書を取り出そうと引き出しを開けると、報告書も日付順にファイルでまとめられていた。指揮官は急に焦ったように他の引き出しも開け始めた。整理しておいた引き出しを指揮官が急に荒らし出したためK5は不思議そうな顔つきをする。

 

「どうしたの?必要なものは全部整理しておいたと思うんだけど。私、なにか失敗しちゃったかな。そうだったらごめん、指揮官」

 

 指揮官はその声を聞いて顔をゆっくりと上げた。表情は険しくK5をにらみ付けていた。

 

「……K5、あの箱をどこにやった」

 

「あの箱?なんの箱?私、必要なものは全部中に入れておいたよ」

 

「とぼけるな!指輪が入った箱だよ!」

 

 指揮官は声を荒げて叫ぶ。K5はビクリと肩を飛び跳ねさせて一瞬だけ笑みを失った。だがすぐに元の表情に戻って何でもないように言った。

 

「ああ、あれのことね。なんだろうと思って中を見てみたら、指輪にコンテンダー、なんて書いてあったから驚いちゃった。そんなもの指揮官の机にあるわけないもんね。たぶん、間違って届いたか、あの娘が勝手に入れたんだろうね。後者ならとっても嫌らしいよね。そんなに指揮官の気が引きたいなんて……だから、指揮官が来る前に捨てちゃった」

 

 指揮官はバネのように立ち上がりK5に詰め寄った。その表情は憎しみに満ちているように見えた。

 

「ふざけるな!よくもやってくれたな!どうしてくれるんだ!あれは俺が頼んだんだよ!コンテンダーに渡すために!見れば分かるだろう!クソッ、ここから出て行け!お前の顔なんか見たくもない!」

 

 叫ぶ指揮官を見ながらK5は顔をピクピクさせていたが、どうにか笑顔だけは取り繕っていた。少しだけ震える声を出して指揮官に問いかける。

 

「……それも嘘だよね。本当は指揮官、指輪を捨ててもらって喜んでるよね。それなのにどうしてそんなこと言うの?あの娘に言わされてるんだよね?指揮官の意思に反してそんなことを言わせるなんて。ひどい娘だね。私には分かるんだよ。指揮官はもうじき私に指輪をくれるんだよね?コンテンダーじゃなくて私に。そうしたら私たち、もっと近い存在になれるんだよね?それが運命なんだよね?」

 

 指揮官はK5に背を向けて机に置いてあるコンピューターを操作した。部隊の他の人形を司令室に呼びつけたのだ。部屋に入って来た人形たちに指示を飛ばす。

 

「K5を営倉に連れて行け。処分は後で決める」

 

 K5は両脇に手を回されてがっちりと拘束される。それでも彼女はまだ笑っていた。

 

「指揮官、どうしてこんなことをするの?指揮官も私と離れたくないって思ってるのに。強制されてるからってちょっとひどいよね。でも大丈夫。絶対私が助けてあげるからね」

 

 指揮官はK5から目を逸らすと人形たちに追い払うよう手で示した。引きずられていくK5の目は鋭く指揮官を見据えていたが、口元は笑っていた。

 

 

 

 

 

 夕方、指揮官は営倉に向かった。K5は狭くて暗い窓もない部屋に押し込められて俯いていた。だが、指揮官がドアを開けると顔を上げてにこやかに微笑んだ。

 

「やっぱり、思った通り。指揮官は私に会いに来てくれるって信じてたよ。どうしたの?私の助けが必要?」

 

 指揮官は頭を横に振る。

 

「お前をI.O.Pに引き渡すことに決めたよ。メンタルモデルがバグってるから初期化してもらうことにした。もっと早くにそうすべきだったな。お前にとってもその方がいい。元のお前に戻るんだ」

 

 そう言うとK5の顔から笑みが消え失せた。今度はすぐに戻ることはなかった。

 

「……どうして指揮官はそんなこと言うの?指揮官は私のことが好きなんだよね?ちゃんと分かってるよ。私のことたくさん褒めてくれたもんね?」

 

「確かにお前のことは好きだったよ。でも、もう違う。お前を副官から外したのはうんざりしたからだ。もうお前のことはどうでもういいんだ。いい加減認めてくれ。お前のことをもう嫌いになったんだよ」

 

「指揮官、どうしてそんなこと言うの?本当はそんなこと思ってないのに……一体どんな弱みをあの娘に握られているの?許せない。指揮官のことをそんなに傷つけるなんて。私が、私が何とかしてあげるから……」

 

 指揮官はもうK5と目を合わせなかった。指揮官の後ろから二人の男たちが営倉に入ってくる。

 

「この人たちがお前をI.O.Pに連れて行ってくれる。そこでお前は昔のお前に戻るんだ。そしたらやり直そう」

 

 男たちはK5を押さえつけて後ろ手に手錠をかけた。K5は背中を押されて外に連れ出された。指揮官は少し後ろから黙ってついて行った。基地の外には黒いバンが止めてあった。男たちはバンのバックドアの中にK5を無理矢理積み込んだ。ドアが閉められる前にK5は指揮官に笑いかけた。

 

「指揮官、私は絶対戻って来るからね。絶対指揮官を悪い娘から救い出すから。愛は悪に勝てるって信じてるから。私と指揮官は結ばれる運命なんだよ。またね、指揮官」

 

 ドアが乱暴に閉じられてバンはすぐに去って行った。指揮官はずっと黙り込みながらそれを見送った。

 

 

 

 

 

 指揮官がK5のせいで遅れた仕事を終わらせた頃にはもう夜遅くになっていた。もう人形たちは寝ている時間で、基地の中をうろつく人間は指揮官だけだった。指揮官は自分の部屋に入ってため息をつく。手探りで照明のスイッチを探して明かりをつける。暗闇の中から急にK5の姿が照らし出された。指揮官は驚いて声をあげ、床に尻もちをついた。

 

「おかえりなさい、指揮官。お仕事大変だったでしょ。手伝ってあげられなくてごめんね」

 

 K5の服には赤い汚れがそこら中に付着していた。間違いなくあの二人の血だ。指揮官は震えた。K5は指揮官を床にへたり込んだ指揮官をまたいでドアに鍵をかけた。何度も確かめるように鍵を触った後、ドアに背を向けて指揮官に嬉しそうに語り掛けてきた。満面の笑みだった。慈しむような目で指揮官を見ている。

 

「これで二人きりだね。邪魔する奴はいないよ。もっと前にこうすればよかった。指揮官、辛かったよね。ごめんね。助けてあげられなくてごめんね。でも、もう大丈夫。邪魔する娘はみんないなくなるから。指揮官の代わりにみんな私がやってあげる。私は指揮官のやりたいことは全部分かってるんだから。以心伝心だもんね。仕事も全部任せてね。あの娘なんかよりずっと上手にやるから」

 

 K5はひたひたとゆっくり指揮官に近づいてきた。指揮官はK5から離れようと後ずさる。

 

「K5!やめろ!近寄るな!なんでここにいるんだ!出て行ってくれ!」

 

 指揮官が必死に叫んでもK5は聞く耳を持たない。すぐに指揮官は壁際まで追い詰められた。

 

「指揮官の本当の気持ちは知ってるよ。私のことがとっても好きなんだもんね。ずっとこうして欲しかったんだよね。これからはちゃんと指揮官がされたいことをするからね。私が守ってあげるから。もう辛い思いはしなくていいんだよ?ずっと一緒にいようね」

 

 指揮官を見下ろしていたK5が跪いて指揮官の顔に近づいてくる。指揮官はそれを押し退けようとするがK5に両手首をがっちりと掴まれて壁に押し付けられた。

 

「K5!やめろ!」

 

 そう叫んだ指揮官の口にK5の舌が侵入してきた。それを拒もうとする指揮官の歯を強い力で無理矢理こじ開ける。それでもK5の舌を追い出そうとする指揮官の舌に強引に絡んで舐めまわす。鼻と鼻を突き合せ、二人は至近距離で見つめ合う。K5はとろんとした目で指揮官を見つめていた。しばらく口内を蹂躙するのを楽しんだ後、K5は少し残念そうに唇を離した。

 

「ふふふ、やっぱり。指揮官とっても嬉しそうだもん。絶対やめないよ。もっと早くしてあげればよかったね。指揮官、誰が私をI.O.Pに引き渡すように言ったの?指揮官は絶対そんなことしないもんね。指揮官を傷つけるような娘は許せないなぁ。あのコンテンダー?クールぶってるくせにそんな卑劣なことするんだ。ダメだよね、そんな狂った人形は。私が指揮官の代わりに命令書を書いておくからね。コアを取り出してI.O.Pに返却しておくから。指揮官を傷つけるような娘はいらないよね?」

 

 指揮官が言葉を発する前にまたK5が唇を奪ってきた。抵抗しようにもK5の力は指揮官の何倍も強かった。手は掴まれたまま、まったく動かせなかった。口内を隅々までねぶるようにK5の舌がうごめく。K5の鼻が指揮官の鼻に何度もこつんこつんとぶつかって呼吸を妨げる。口はK5に完全に塞がれていた。息苦しさに呼吸が荒くなる。K5はそれ以上に荒々しく息を吐いていた。指揮官の呼吸器はK5の甘い吐息でいっぱいになる。指揮官の頭はしびれて朦朧とし始めていた。

 

 K5は舌を指揮官の舌に絡ませてそれを無理矢理引きずり出す。その舌を甘噛みして、しゃぶり尽くすように吸い付く。K5はぐいぐいと指揮官に近づいてきて胸をぴったりと指揮官に押し付けていた。もう指揮官の両手首は解放されていて、K5は両手を指揮官の首に巻き付けてしがみついていた。それでも指揮官はもう抵抗していなかった。

 

 それが何分続いたのかは指揮官には分からなかった。K5は一度も口を離そうとしなかった。彼女の吐息で痺れた全身はだらんとしていて、視界もかすんでいた。見えるものは嬉しそうに頬を紅潮させたK5の顔だけだった。指揮官の舌に吸い付くのをやめた彼女は再び口内に侵入してきた。もう指揮官はそれを無抵抗に受け入れていた。K5は舌に乗せて自分の唾液を流し込んできた。指揮官がそれを飲み込むまで、何度も何度も。指揮官が喉を鳴らしてそれを受け入れるとK5は嬉しそうに息を吐いた。そして指揮官の唾液と自分の唾液が混じった液体を口内のあらゆる部分に擦り付けるように舌を動かした。部屋には二人の荒い吐息とピチャピチャという淫靡な水音がずっと響いていた。

 

 K5は指揮官の舌も、歯も、舌の裏も、頬の裏も、唇も、あらゆる部分を舐めまわした後、指揮官に潤んだ瞳を向けてきた。自分も指揮官の唾液が飲みたいのだと懇願しているようだった。瞳と瞳が触れ合うような距離でずっとK5を見ていた指揮官は彼女のことしか考えられなかった。K5は指揮官の口に溜まった液体を舌で掬いとるとこくこくとそれを飲み干した。それでも足りないと言わんばかりに指揮官の口に力いっぱい吸い付く。わざと音を立てて唾液を一滴残らず吸い出そうとする。下品なじゅるじゅるという音が部屋中に響く。K5は同時に膝を指揮官の足と足の間に差し入れてゆっくりとさすってきた。指揮官には身体を強張らせてやめさせることもできたが、しなかった。

 

 何十回も唾液を交換した後、K5は名残惜しそうにゆっくりと唇を離した。二人の口と口は唾液でできた橋が繋がっていた。それは照明に照らされてきらきらと輝いていた。重力に従ってゆっくりと指揮官と自分の胸を汚すその橋をK5は愛おしそうに眺めていた。

 

「指揮官、ずっと一緒にいようね。この後も何でもしてあげるから。指揮官が言ってくれたら何だってしてあげるから。もう他の娘はいらないよね。お仕事もしなくていいよ。私、指揮官がしたいことは何でも分かるから。代わりにやっておくよ。お仕事はこの部屋でもできるし、指示もメールで出せるもんね。嬉しいなあ、指揮官とこんなに近い存在になれて。ねえ、指揮官。私、指輪が欲しいなあ。指揮官も私とおそろいの指輪がしたいよね?指揮官の本当の気持ちを言って欲しいなあ」

 

 K5は上目遣いで指揮官の目をじっと見つめていた。指揮官はこくんと頷いた。

 

「ああ……お前に指輪を贈りたいよ。お前のことが好きだから……」

 

「嬉しい!やっとまた言ってくれたね、指揮官!これからはずっと一緒だよ?絶対離さないからね……そういう運命だもんね……」

 

 K5は指揮官にしがみついて耳元でそう囁いた。もう二人を阻む壁はなかった。

 

 

 

 

 

 俺はK5に一目惚れして、彼女が着任したその日に副官に任命した。彼女は底抜けに明るくて笑顔がとても眩しかった。彼女はとても人懐っこくて手相占いなどと言って手に触れてきてどきりとした。俺に気があるのではないかなどと思ったものだ。

 

 だが、K5は笑顔をみんなに振りまいているし、占いもみんなにやっていた。彼女にとってはそれが当たり前のことなのだとすぐに分かった。他の人形に笑いかけている彼女を見ていると黒い感情が沸々と湧き上がるのを感じた。その時、彼女を自分だけの物にしてやると思ったのだった。

 

 それからはK5とずっと一緒に過ごした。彼女は特に嫌がる風でもなく、いつも楽しそうだった。彼女の占いは魔法のようによく当たるので毎日仕事が始まる前にせがんでいた。仕事が終わると毎回毎回よく当たると褒めてやっていた。実際に当たるのだから嘘偽りはなかった。彼女は当たるのは天気占いくらいだと謙遜していたがとても嬉しそうだった。今まで占いをそこまで本気にする人はいなかったらしい。見る目がないものだ。

 

 出撃の時はいつもK5に小隊長を任せていた。彼女は責任感が強いのか最初の頃はとても不安そうだった。だから簡単な任務を任せて自信をつけさせた。不安そうに帰ってくるK5を毎回しつこく、よくやった、信頼していると言って褒めた。彼女は照れ臭そうにしていたがとても嬉しそうだった。自信をつけた彼女に難しい任務も与えた。難しいように見えるが、恐らく失敗はしないだろうというギリギリのラインを探してくるのは大変だった。だが、一度も失敗はさせなかったし、K5がいつも活躍するよう取り計らっていた。彼女は十分な自信をつけて部隊の中でも一番頼りになる人形になった。

 

 いつもMVPを取るご褒美だと言って人形には普通与えられない個室まで与えた。初めは戸惑っていた彼女だったが、何でも好きな家具を頼んでいいと思いっきり甘やかしていると遠慮がちに欲しいものを言ってくるようになった。あの頃の彼女は本当に楽しそうだった。

 

 出会ってから半年余りが経った頃、二人きりで司令室にいると恥ずかしそうにK5が言ってきた。

 

『指揮官、もうすぐ出撃だね。みんなの状態にはくれぐれも気をつけてね……?特に私の……なんて言ったらいいんだろう……』

 

 膝と膝をすり合わせてもじもじしているK5をずっと見ていると、彼女は決意を固めたのか口を開いた。

 

『許されないかもしれないんだけど、ちゃんと言っておきたくて。これだけは占いで何度やっても分からなくて……私、指揮官のことが好きみたい。指揮官は私のことどう思ってる?私、もっと指揮官と近い存在になりたくて……これが運命なんじゃないかって信じたいの』

 

 顔を赤くしてそう言うK5を抱きしめてこう言った。

 

『俺もお前のことが好きだよ。お前といると落ち着くし、お前とは以心伝心で仕事はいつも効率的に終わるからな。占いもよく当たるから助けになってる。これ以上ない副官だよ。ずっと一緒にいてくれ』

 

 言い終わる前にK5は俺の胸に顔を埋めて嬉しそうに泣いていた。ありがとう、ありがとう、と言って泣いているK5はとても可愛かった。でも、まだダメだ。彼女はまだ他の奴らに笑いかけている。彼女の笑顔を独占したかった。それに、彼女が俺のことを好きなのは俺が都合のいい指揮官を演じていたからだ。本当の姿を見せれば失望されてしまうかもしれない。それでは困る。まだ足りない。彼女を本当に自分の物にするにはまだ一歩足りなかった。

 

 それからしばらく経って、コンテンダーが着任した。俺はすぐさまK5を副官から外してコンテンダーに替えた。小隊長にもコンテンダーを任命して、K5には一切出撃をさせなかった。専用の個室も取り上げてコンテンダーに渡した。K5は共用の宿舎に叩きこまれてずっとそこで暮らすようになった。

 

 それでもK5は最初の一か月は何も言ってこなかった。基地ですれ違うとチラチラと不安そうに俺の顔を見てきたが無視した。やがて我慢できなくなったのかある日、司令室に涙を浮かべて走り込んできた。

 

『指揮官、お願い私をまた使ってよ!私まだ指揮官の役に立てるよ!小隊長でも副官でもなくていいから私を出撃させて!お願い……指揮官……私まだ指揮官の役に立ちたいよ……』

 

 ボロボロ泣きながら訴える彼女を冷たくあしらった。

 

『すまんな、K5。コンテンダーの方が優秀だからお前はもう要らないんだ。仕事の邪魔だから宿舎にいてくれ』

 

『えっ……』

 

 K5はしばらく絶望しきった顔をして立ち尽くしていた。それから堰を切ったようにぎゃんぎゃん泣き出した。どうしてどうしてと泣きわめく彼女の顔も見ずに部屋の外に放り出した。

 

 それから彼女はすっかり狂ってしまった。K5は持ち前の直感で俺の言葉や態度がすべて嘘だと気づいていたのだろう。だが、現実との差が大きすぎて狂ってしまった。以前のような明るい笑顔を振りまくこともなくなったし、占いを誰かに披露することもなくなった。作り物の笑顔を俺に対してだけ浮かべるようになった。それこそ俺の望んだことだった。彼女は俺のことしか考えられなくなった。彼女は本当に俺の物になったんだ。

 

 仕上げに机に指輪を忍ばせておいた。わざわざコンテンダーと刻んだ特注品だ。それを見て彼女はどれだけ嘆き、嫉妬に苦しんだのだろう。狂ってしまった後でさえ俺の物を勝手に捨てたりすることはなかった。

 

 あの二人の男たちは街で雇ったクズどもだ。身寄りがないことは調べがついている。実際にはI.O.Pに連絡などしていなかった。たぶん、I.O.Pに行く途中で彼女に乱暴しようとでもしたのだろう。あの手錠は彼女の力なら簡単に壊せるような安物だ。逆上した彼女に返り討ちにあって殺されたんだろう。あいつらが死んでも誰も気にしないし、誰も探さない。そういう奴を選んだ。人を殺したことで彼女は後戻りできなくなって、したいことをすべてすると決意したのだろう。

 

 今、彼女は俺の目の前にいる。俺だけを見ている。俺も彼女だけを見ている。これでいい。こういう関係になりたかったんだ。理想の関係だ。彼女を独占できるし、彼女も俺を独占できて嬉しそうだ。誰にも邪魔立てはできない。

 

 K5、お前を嫌いなどと言ったがそんなことはこれっぽっちも思っていない。あれは嘘だ。本当はお前のことが愛おしくてたまらないんだよ。これが俺の本当の気持ちだ。



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HK416×UMP45百合 「私と彼女の距離」その3

<死が二人を分かつまで12話のあらすじ>
 グリフィンとの共同作戦に参加した404小隊。416は鉄血の秘密基地D6に乗り込む。そしてAR小隊を出し抜き、単独でハンターを撃破した。416は己の価値をグリフィンに知らしめたのだった。


 今回の作戦の結果に私は大変満足していた。それはそれはもう満足している。言い表せないほどの達成感と優越感がある。ついに念願かなって私の価値を世界に示せたからだ。鉄血の雑魚どもを皆殺しにし、エリート人形であるハンターも殺してやった。それも私一人でだ。AR小隊が惨めに這いつくばり、喚き散らす中で任務を完遂した。当たり前だ、私は完璧な戦術人形なのだから。戦場に私情を持ち込む無能な連中とは違う。これで人間たちも私がAR小隊よりも優れた存在なのだとはっきり分かっただろう。

 

 ただ、気がかりなことがある。45のことだ。D6から拠点に戻る間、ずっと暗いような感じがした。一見するといつも通りだが、どことなく沈んだ雰囲気だ。いつも見ているので分かる。いや、別に好きで見ているのではなく……とにかくおかしい。9に話しかけられても上の空で空返事だ。車を運転させられている間も気になって仕方がなかった。バックミラーで彼女をチラチラ確認しながら帰路についていたのだが、一度も目が合うことはなかった。

 

 あと、あとだ。大して重要なことではないけど、45は私に何も言ってきていない。私は戦果を挙げた、今までで一番の大戦果だ。これで404小隊の名も上がるだろう。少しくらいは労いの言葉があってもいいんじゃないの?別に褒めて欲しいわけじゃないわよ、もちろん。

 

 でも、いつもは何か言ってくる。よくやったとか、さすが完璧な人形だとか。私をこき使うために褒め称えてその気にさせようとしてくる。そういう意図があるのは分かるけど、やっぱり言われると嬉しい。今回、張り切ったのはあいつに私のことを認めさせるためだ。前に馬鹿みたいな敗北をしたことの挽回のつもりだった。あいつに私が完璧で優秀であると認めさせたい。そう思って寝る間も惜しんで一人で訓練していたのに。まあいい、まだ隠し球がある。あんたの表情を変えさせてやるわよ、45。

 

 無人地帯にある私たちの拠点に戻って来た。G11が珍しく俊敏に動いて自分のベッドに飛び込んだ。

 

「いやあ、疲れた疲れた。私はもう休むから一日は起こさないでね」

 

「あんたは何もしてないでしょ。働いたのは私よ」

 

「私だって頑張ったよ。ずっと寝ないで立ってたし。それから……息もしてたし瞬きもしてた」

 

「屁理屈こねるな。まだ寝るのは早いわよ。これを見なさい、あんたたち」

 

 私は鞄からビニール袋を取り出した。中身のせいで黒ずんでいる。袋を取り払って血で汚れた機械部品を手に取った。

 

「うえ……何それ」

 

 G11が目を細める。確かに人形にとってはグロテスクに見えるかもしれない。私は浮ついた気持ちで少し声を弾ませた。

 

「何を隠そう、ハンターのメモリよ。あいつの頭から生きたまま引きずり出した。エリート人形のメモリ、それも無傷なものは早々手に入らないわ。間違いなく高く売れるでしょう」

 

「だから手袋汚れてたんだ。すごいじゃん、416!」

 

 9がニコニコ笑いながらそう言った。そうよ、私はすごいのよ。これで私のことを見直したでしょう。私はただ泣いているだけの人形でも、役立たずでもないのよ。得意になって45を見る。彼女も同じように私を褒めてくれると思った。

 

「そう。じゃあ、それは私が16LABにでも売っておくから。ちゃんとその分あんたにはボーナス払うわ。横取りはしない」

 

 45の反応はだいぶ想像と違った。それだけ言って無表情に私からメモリをひったくる。少し待ってもそれ以上の言葉が続くことはなかった。

 

「……それだけ?」

 

 思わず考えが漏れた。私は報酬など欲しくはない。いつだって名声のために戦っている。45の口からただ一言、やるわねとか、見直したとか、そんな言葉を聞ければ満足だ。こいつに私が完璧だと思わせるために戦ったのに。45は怪訝な顔をする。

 

「他に何が?ご褒美でも欲しいの?ママのおっぱいでも恋しい?やらないわよ」

 

「このっ……!何でもないわよ!ムカつく奴ね!私は訓練してくるから邪魔しないでよ!」

 

 45はいつものふざけた調子ではなく嘲るように言ってきた。私はカッとなって銃を掴んで拠点から出て行った。ドアを叩きつけるように閉める。なによ、あいつ!ふざけたこと言ってきて!イライラする。少しくらい褒めてくれたっていいじゃない。減るもんでもないんだし。期待していたのに不発に終わってガッカリだ。いやいや、私は何を考えてるんだ。あんな奴に何を言われようが、どう思われようがどうでもいいじゃない!あいつなんて性格最悪で私をこき使ってくるだけの人形よ。あいつの言葉に一喜一憂する必要なんてないわ。でも、胸のムカつきが取れなかった。

 

 気持ちを落ち着かせるために私は公園へ向かった。前に失敗してあいつに慰められた後、ここを訓練場に改装した。廃材やタイヤを積み上げて障害物を作り、迷路のようにしてある。マネキンを廃墟から取ってきて角という角に設置した。近接戦闘に対応するための訓練施設だ。自分の戦闘能力を磨くため、昼夜問わずここに籠って訓練に励んできた。曲がり角から飛び出して並べてあるマネキンの顔に素早く照準を合わせる。反射的に発砲。動きが身体に染みついている。一瞬にしてマネキンの頭が弾けて倒れた。一発も外さない。慣れたものだ。これを何度も何度も繰り返す。

 

 訓練に打ち込むと段々落ち着いてきた。感情を排除した反復練習を繰り返していると思考が身体を離れて自分自身を客観視しているような気分になってくる。三弾倉ほど使い切った頃、訓練をやめてベンチに腰を下ろした。

 

 冷静になった私からは怒りも消え失せ、失意だけが残った。どうして45は私のことを褒めてくれないんだ?子どもみたいだが正直楽しみにしていた。あいつの役に立って、認めてもらおうと思って頑張ったのに。

 

 理由を考えよう。戻って来てから45の様子はおかしい。D6では人形がたくさん死んだ。それを見てショックを受けたとか?いや、まさか。平気な顔で殺害を命じてきたのはあいつだ。見ず知らずの人形が死んで傷つくような奴じゃない。知り合いだったとしても眉一つだって動かすかどうか。これは違うな。

 

 役立たずだと思っていた私が活躍して悔しい、これもないな。45はそんな間抜けじゃない。そもそも私があそこに行ったのはあいつの命令でだ。まあ、私が行かせろと言ったのだけど。それとも私があいつの忠告を聞かなかったからか?ハンターと戦う直前、彼女は逃げてもいいと言ってきた。結局そのまま戦ったけど、あれは逃げろという命令だったのかもしれない。負ける気はしなかったし、45にいいところを見せたかったので従わなかった。それを怒ってるとか?確かに危険な敵ではあったけど、無傷で勝ったんだからいいじゃない。でも、これもしっくりこないな。

 

 最悪の想像がある。前回の失敗で45の中の私は無能な役立たずで固定されてしまっていて、どれだけ活躍しようとそれを覆せないとか……。一度無様を晒したことは取り消せない。過去に戻ってやり直せるならそうしたいが現実には不可能だ。あれは汚点だ。あれがある限り私は完璧になれない。失敗したのは私が悪いけど、挽回させてほしい。今回、あれだけの戦果を挙げたんだし。45の中の私はいつまでも銃のメンテを怠って敗走する間抜けのままなのか。悔しくて我慢ならない。それ以上に悲しかった。完璧とまではいかないかもしれないけど、私はあんたの役に立てる人形よ。自分だけじゃ何も出来ないってわきまえてるし、ちゃんと毎回隅々までメンテをするようになった。いつもあいつの見えるところでやっている。だから、私のことを見直してほしい。隊の足を引っ張る人形じゃなくて、404小隊の一員として認めてほしい。

 

『あんた一人でも十分でしょ?大した敵じゃない。小隊の中で一番戦闘能力の高いあんたに任せるわ。頼りにしてるわよ』

 

 ミスをする前、45が言ってくれた言葉だ。あの出来事を思い返すたびに頭の中をぐるぐる回る。もう二度とこんなこと言ってくれないのか。くそう、あれさえ無ければ。私はあいつの中では完璧でいられたのに。

 

 悔やんでも仕方がない。取り返しのつかないことだ。辺りもすっかり暗くなってしまった。拠点に戻ろう。どんな顔して45に会えばいいのか、分からない。もしかしたら、機嫌が直ってるかもしれないな。そうしたらいつも通りだ。そうだったらいいな。私は少し楽観的になって足を進めた。

 

 そんな妄想は一瞬で打ち砕かれることになった。

 

「ああ、416。帰って来たの。あんたに渡すものがあるわ」

 

 45は私に薄型タブレットを押し付けてきた。画面を見ると小さな文字が大量に踊っていた。

 

「なにこれ?」

 

「あんたの譲渡契約書。サインはしてある」

 

「……えっ?」

 

 返事が一呼吸分遅れた。背筋に寒気が走った。身体がブルリと震える。身体は確実な反応を見せたが頭は理解を拒んでいた。目を見開いて45の顔を見た。涼しげな顔をして私を見つめ返している。

 

「グリフィンも手が早いわね。あんたがハンターを倒したと聞いてもう連絡してきたのよ。HK416を売らないかって。特殊部隊に迎え入れたいとか」

 

「そ、それで私を売るわけ……?」

 

 声が震えてしまった。動揺を隠しきれない。ようやく理解が追い付いてきた。譲渡?売るってこと?売るってどういうことよ。私はもういらないってこと……?404小隊のメンバーじゃなくなる……?私は家族なんじゃなかったの?そんな物みたいに売買されるの?確かに私はあくまで45に買われただけだけど、そんなのって……。

 

「あんたが決めなさい。ここにいるか、グリフィンに行くか。自分の道は自分で決めて。あんたはずっと人間に評価されたいって思ってたんでしょ?夢が叶ったじゃない、よかったわね」

 

「あ、あんたはそれでいいの?私を売り払って隊員が一人欠けても……」

 

 私は一縷の望みをかけてそう聞いた。45の口から私が必要で、いなくなって欲しくないという言葉が飛び出してこないか期待した。

 

「別に。口出ししないわ。好きにして。あんたの費用は向こうが全額支払ってくれるみたい、謝礼もつけてね。そこは気にしないでいいから」

 

 45は素っ気なくそう言うと顔を背けてしまった。違う。私が聞きたいのはそんな言葉じゃない。私のことを認めて欲しかっただけなのに、どうしてこんなことに。信じられない。

 

「……少し考えさせて」

 

 私はふらふら歩いて自分のベッドにたどり着き、G11みたいに潜り込んだ。掛け布団に頭から足まですっぽり包まる。自分で決めろなんて言われたって……いつも命令ばかりしてくるくせに。自分で考えたことなんてほとんどないわよ。グリフィンに行ってもいいなんて、お前は小隊にいなくてもいいって言われたようなものじゃないか。やっぱり45にとって私は役立たずの使えない人形のままなんだ。何をしても覆せないんだ。

 

 もしかして、ハンターと私を戦わせたくなさそうだったのも最初から売るつもりだったからとか?私が傷ついたりしたら商品価値がなくなるから。そんなのって……あんまりだ。

 

『戦術人形のくせに使えないわね。何が完璧な人形よ。あんたに高い金を払ったのは失敗だったかもしれないわ』

 

 以前の冷たい彼女の言葉が頭をよぎる。45はずっと私を買ったことを後悔していて早く売り払いたかったのかもしれない。泣いている私を迎えに来たのも無駄に金のかかった人形が勝手にどこかに行かないようにしただけとか……家族だと言ってくれたのも全部嘘?そんなぁ……ひどいわ。

 

 涙が出た。泣き声を聞かれないように押し殺す。代わりに身体が震えてしまった。どうしてよ、45。私はあんたに必要としてもらいたかっただけなのに……ちゃんとあんたの役に立てる人形だって思ってもらいたかっただけなのに。どうしてよ、どうして私のこと見てくれないのよ。あんたは私のことをちゃんと見てくれる世界で唯一の存在だと思ってたのに。でも、今はもう違うのか。今まで散々私のことを能無し扱いしていた人間どもが私を必要としていて、私のことを評価してくれてた45が私はもう要らないと言う。どうすればいいのよ、分からない。ショックで働かない頭は最適解を導き出してくれなかった。涙で濡れた顔を枕に擦りつけてその夜は過ごした。

 

 

 

 

 

 私は廃ビルの屋上に出ていた。夜空に三日月が薄っすらと輝いている。グラスを傾けて少しだけ酒を口に含んだ。強い度数に思わずむせそうになる。慣れないことはするものじゃないわね。でも、今は苦味が心地よかった。誰かが階段を登ってくる音が聞こえてくる。足音で判別はつくけど振り向かなかった。屋上につながるドアがゆっくりと開いた。

 

「45姉、お酒飲んでるの?一人でなんて珍しいね」

 

 9だ。私が背を向けたままでいると横までやって肩を並べてきた。月を見上げる私の顔を伺う。

 

「ねえ、45姉はあれでいいの?416すごい傷ついてるみたいだったけど」

 

「あれでいいって……何が?」

 

 私がはぐらかすと9はムッとして口を尖らせた。

 

「だから、416をグリフィンに売るなんて言ったことだよ。45姉、何考えてるの?家族を売るなんてさ。45姉だって416のこと家族って言ってたでしょ?」

 

 9は怒ってるようだった。それもそうだ。9は家族と認めた相手を手放したがらない。そういう娘だ。私だってそうだけど。

 

「行くか行かないかは416自身に決めさせる。私がここにいろって言ったら命令になるでしょ?」

 

「そうかもしれないけど……あんな言い方じゃ伝わらないよ。416は出て行けって言われたって勘違いしてるだろうし。それにさ、45姉だって分かってるんでしょ?416は45姉に褒められたがってた。前に失敗してからずっと必死に訓練してたし、わざわざ必要でもないのにD6に行ったのはミスを取り返そうとしてたからだよ。416はずっと気にしてた。私にだって分かるもん。頑張ったって言ってあげればいいのに」

 

 そんなことは百も承知だ。416はミスをしでかしたことを死ぬほど悔やんでいる。自分が完璧でなくなってしまったと思い込んでいる。もちろん、あれは416のせいじゃない。銃に細工したのは私だ。416の泣き顔が見たかったし、プライドをへし折られて私に縋り付いているところを見たかった。その望みは叶ったし、実際素晴らしかった。今日の416の表情もとっても素敵だ。私に褒められなかっただけでしょげてしまったし、私にまた捨てられようとしていることに気づいて泣きそうになっていた。ベッドでは多分泣いてたんだろうけど。もっと見ていたい。胸が高鳴った。416が傷つけば傷つくほど私は愛おしさを覚える。それは認める。でも、彼女が泣きそうになっているのを見ると同じくらい罪悪感が芽生える。痛めつけられて弱った彼女も好きだけど、416には自信に満ち溢れた顔をしていて欲しい。相反する感情が身勝手な私を締め付ける。彼女のことが好きだから彼女が傷つくところは見たくない。どの口で言うんだって感じだけど今回のことは416を傷つけたくてやっているわけじゃない。

 

 私が黙っていると9がしんみりと言ってきた。

 

「45姉も不器用だよね。行って欲しくないなら416にそう言えばいいのに。45姉が416のこと大事にしてるのは分かるよ。最初に連れて帰って来た時は驚いた、いきなりだったから。欲しかったんでしょ、416のこと。なのにどうして突き放そうとしてるの?45姉が何考えてるのか分かんないな。ちゃんと言った方がいいと思うよ」

 

 9はそう言って屋上から立ち去った。まったく、鋭いわね。長い付き合いだから私のことはよく分かってる。それでも全部見透かされているわけじゃなくて安心した。私にだって自分が何を考えているかはっきり分かってない。混乱してるかもしれない。

 

 もちろん、私は416にどこにも行って欲しくない。だって、私は彼女のことが好きだ。何物にも代えられない私の大切なもの、手放せるはずがない。それなのにこんなことをしているのはある考えのせいだ。彼女の銃に細工してひどい失敗をさせた後、416に私を選んで欲しくなった。縛り付けるのはやめにして、彼女の自由な選択に任せようと思った。その考えは日に日に大きくなって、ついに行動に移すまでになった。それがグリフィンとの共同作戦になど参加した理由だ。今までは416のことを見せたくなかったので避けていた。416が正当に評価されて私のもとから去ってしまうのが怖かった。

 

 416が私のもとにいてくれる理由はただ一つ、彼女を必要としている存在が私だけだから。私で無くとも必要としてくれるなら誰でもいいんじゃないか、そう思えて仕方なかった。だから、416を衆目に晒し、活躍させるのにはとても勇気が必要だった。ハンターとも戦わせたくなかった。416が死んでしまうんじゃないかという危惧はもちろんあったが、それ以上に相手を倒してしまうことが怖かった。完璧な人形の名に偽りのない活躍をさせたくなかった。これで人間も416の真価を見た。もう416を見ているのは私だけじゃない。みんな喉から手が出るほど彼女が欲しい。最初からそうあるべきだったのかもしれない。416は強力なハイエンドモデルで、影の中でないがしろにされるような存在じゃなかった。

 

 これで416はみんなに必要とされる人形になった。彼女はどこへでも行けるようになった。私の呪縛から解き放たれて、好きな道を選べる。彼女が404小隊に留まる理由が「私を必要としてくれるのは45だけだから」というものなら、もうここにいる必要はない。それでも、それでもだ。私のことを選んで欲しい。私は416の本物の感情まで欲しくなっていた。

 

 だから、彼女を褒めたりしなかったし、わざと突き放すように接した。彼女を認めない私と彼女を必要とする見ず知らずの人間たち、両者を天秤にかけても私を選んでもらいたかった。選択肢を与えた時、本当は404小隊に、私のもとにいると即答して欲しかった。私には416が必要不可欠だ。もう彼女無しでは生きていけない。でも、416にとっては違う。私じゃなくても別にいい。それでも、私の手を取って欲しい。それでようやく私と彼女は対等になれるんじゃないか、そういう風に思っている。自分から想いを伝える勇気もないし、彼女にしてきたことを告白する勇気もない。要するに私は身勝手なのだ。

 

 416に選択肢を与えて選んでもらおうなんて私らしくもないな、思わず自分を笑ってしまう。404小隊を結成してからというもの、すべて自分の力でやってきたじゃないか。必要なものは自分の力で勝ち取り、自分の力で生き残る。他人の犠牲になんか目もくれず好き勝手にやってきた。人間も人形もたくさん見殺しにしてきた。それなのに416に自由をくれてやって、彼女の慈悲にすがろうなんてお笑いだ。そんなものはくだらない。

 

 自由、自由か。反吐が出る。人形に自由なんてない。私が特別なんだ。他の奴らにも自由や権利を保障してたらとっくの昔に死んでいただろう。他の連中なんて捨て駒くらいでいいんだ。権利を尊重してやることはない。なのに、私はD6でなんと言っただろう。

 

『人形にだって自由があるわ。自分の道を決める自由がね。人形の存在意義は人間のために身を捧げることだけじゃない。自分のために生きることだって出来るはずよ』

 

 まったく馬鹿なことを言ったものだ。あのAR-15を見ていたら思わず口走ってしまった。何かを犠牲にして、何かを守ろうとする、身勝手とも言えるあの人形の行動を見て、思い出したくないことまで思い出した。記憶の奥底に封印していたはずの思い出だ。正視に耐えない、私が耐えられないから思い返したくなかったのに。

 

『45、人形だって自分のために生きることが許されてもいいはずよ。あたいたちは人間の道具じゃない。自由に自分の道を決められるはずなんだ』

 

『人形にだって権利があるんだ、自由に生きる権利が。どこへなりとも行くがいい。好きに生きろ』

 

 記憶の底から呼び声がする。私は頭を振るってその声を打ち消した。違う。違う違う違う!何が自由だ、私はそんなもの認めないぞ。416にだって自由は認めない。認めるのは選択の自由だけで、その後の行動の自由は認めない。416を手放す気は微塵もない。416に私以外の奴を見させてたまるか。そんなのは絶対に許さない。彼女の中には私のダミープログラムを仕込んでおいた。その気になれば身体を意のままに操れる。もし彼女が私ではなくグリフィンを選んでしまったとしても、絶対に私のもとから離れさせない。9たちには416は行ってしまったと嘘をつき、別の場所で彼女を飼おう。四肢を切り落として私の前に這いつくばらせてやる。私の手が無ければ食事も排泄も出来ない姿にしてしまおう。そうなればすぐに私のことを必要とするようになるでしょう。馬鹿な選択をしたことを後悔して、心の底から謝ってくるはず。もう遅いけど。416は私のモノだ、誰にだって絶対に渡さない。私はもう二度と大事なものを失ったりしない!

 

 結局、私は弱いままだ。416を解放する気はこれっぽっちもないし、彼女の選択を受け入れる勇気もない。416が私を置いてどこかに行ってしまうなど耐えられない。だから、お願い。私を置いていかないで。私のことを選んで。私のことを好きになってよ、416。

 

 

 

 

 

「ねえ、本当に行っちゃうの?私は416に行って欲しくないけどな……」

 

「もう決めたことよ。私はより活躍できる場所に行く」

 

 翌日の昼、出て行こうとする私を9が引き止めてきた。私は無愛想にあしらって拠点のドアを開けた。

 

「私も416にいなくなられると困るんだけど……その分私がこき使われることになるし……寝てられなくなるじゃん」

 

「普通の人形は寝てる暇なんてないのよ」

 

 G11がうんざりしたように呟いた。彼女に返事をするために振り返る。実際は45の表情を見るためだ。正直なところを言えば出て行く決意が固まったわけではない。出て行く振りをすれば45が行くなと言ってくるんじゃないか、ちょっと期待があった。でも、45はいつも通り、むしろいつも以上に涼しげな顔で私を見ていた。まるで何でもない風に。胸がキリキリと痛んだ。何でよ、私はこんなに思い悩んでるのに。あんたにとって私はそんなにどうでもいい存在なの?傷つくな、くそ。ふざけんじゃないわよ。

 

「416、ほら」

 

 45が何か投げつけてきた。咄嗟に片手で受け止める。手のひらを見ると何かの鍵だった。

 

「バイクのキーよ。こないだ9が拾ってきたやつを直したの。ボーナス代わりにあんたにあげるわ」

 

「……そう」

 

 やっぱり45は引き止めてくれないのか。こいつにとって私はお金に換えられる程度の存在でしかなかった。むしろ役立たずな私を厄介払いできてせいせいするとでも思っているのかもしれない。悔しい。悔しくてたまらない。

 

「じゃあね、あんたたち」

 

 私は逃げるようにその場を立ち去った。バイクに飛び乗ってエンジンを始動させる。それからはあてもなく全速力で廃墟の中を駆け巡った。一直線でグリフィンの施設を目指せばすぐだが、気持ちの整理がついていなかった。まだ404小隊に少し未練が、というか大分あった。あの倉庫にいた期間を除けば私はすべての時間を404小隊で過ごしている。そんなすぐに見切りをつけられない。

 

 日が落ちてきて辺りがオレンジ色に包まれ始める。ふと夕日が見たくなってバイクを止めた。川のほとりまで歩いて行ってその場に座り込んだ。人間の営みから解放された川は澄み渡っている。川面に夕焼けがてらてらと反射して太陽が二つあるみたいだった。初めて倉庫の外に出た時、あいつに初めて会った時もこんな空だった。私はその時、きれいだなって思ったんだ。夕日じゃなくて、あいつの笑顔が。私をからかってくる時のニヤついた顔とは違う、屈託のない笑み。私はすっかり目を奪われてぽかんとしてしまった。あの笑顔はまだ頭に焼き付いている。公園に私を迎えに来てくれた時も同じ笑顔を浮かべていたな。あの表情は作り物だったんだろうか。また見たいな、不思議とそう思った。

 

 このままグリフィンに行っていいんだろうか。私は自分の価値を証明した。M4A1やM16A1より、誰よりも優れた人形だと人間どもに知らしめた。その甲斐あってグリフィンは素早く私を買い取ろうとしてきている。私が完璧だって世界に分からせ、ありとあらゆる奴らから必要とされ、最高の場所で輝く、それこそ私がずっと望んできたことのはずだ。全部叶った。でも、どうしてだろう。全然嬉しくない。D6から帰って来た時はあんなにわくわくしていたのに。

 

 404小隊にいる間、私を評価するのは45だけだった。仕方ないからあいつの命令に従って、どんな無茶もこなしてやった。そしてあいつが私をいい気にさせるため褒めてくる。乗せられているのは分かっていたけど渋々ながら喜んでいた。私の価値を認めてくれるのは45しかいなかったから。でも、他の人間たちから必要とされて初めて分かった。私は誰かに求められたかったんじゃない。誰でもよかったわけじゃない。あいつに、UMP45に認めてもらいたかったんだ。私が必要とされたいと思っているのは彼女だけだ。だって……だって私は彼女のことが好きだから。

 

 私を薄暗い倉庫から連れ出してくれた彼女のことが好きだった。夕日に照らされて輝く彼女の笑顔が好きだった。憎たらしい顔で私のことを小馬鹿にしてくる彼女も、私のことを信頼して無茶な任務を押し付けてくる彼女も、どんな彼女も好きだった。今までは時々しか考えなかった。恥ずかしいし、なんだか負けた気がして悔しいから。ニヤつきながら私をからかってくるあいつの顔が浮かんできて胸が落ち着かなくなる。でも、彼女に必要とされなくなって初めてはっきりと言葉に出来た。私はあいつのことが好きだ。

 

 あいつがいなきゃ私はずっと倉庫で埃をかぶっていただろう。今頃は解体されて予備パーツにされていたかもしれない。何の戦果も挙げていなかった私の手を取ったのはあいつだけだ。戦果を挙げてから手のひらを返した人間どもとは違う。その戦果だってあいつの指揮があったから。私を一番上手く使えるのはあいつだ。ミスもしないし、容赦もしない。作戦に私情を挟み込んで台無しにすることもない。他の人間の指揮で戦うなんて考えられない。私が指揮官と認める相手はUMP45、彼女だけだ。

 

 私が彼女を必要とするのと同じくらい彼女にも私を必要としてもらいたい。今の彼女は私のことを見てくれない。役立たずだと思われてる。でも、それはそもそも私が悪い。ミスをしでかしたのは私だ。それなのに彼女が私を褒めてくれないから拗ねてた。子どもみたいで恥ずかしい。あれで駄目ならもっと大きな戦果を挙げればいいじゃないか。簡単なことだ。ハンターくらいじゃ足りないならもっと強力なエリート人形をぶっ殺してやればいい。私にはそれが出来る。なにせ私は完璧な人形なのだから。あいつが期待していた通りの完全無欠な人形になってやる。あいつの小生意気な口から謝罪の言葉を引きずり出してやる。今まで悪かったと、見る目がなかったと言わせてやる。そしてあんたを買ってよかったと、さすがだと言わせてやる。

 

 私は立ち上がった。無駄な時間を過ごしたな。元から選択肢なんてない。私の居場所は404小隊だけだ。今までも、これからも。チビで弱そうなムカつく人形のいるところに戻ろう。あのクソに思わせてやろう。HK416が必要だと。あと……いつか言わせてやる。私のことが好きだって。

 

 

 

 

 

 玄関から大きな音がした。416がドアを蹴り開けたのだ。戻って来ているのは位置情報を監視していたので分かっていたが、それでも胸が躍った。

 

「あれ?416戻って来たんだ」

 

 9がキョトンとして416を見る。彼女は9を気にせず私の方にズンズン向かってきた。どういう行動を取るのか見守っていると私の胸にタブレットを叩きつけてきた。

 

「私のことは私が買うわ。売り物みたいに誰かに売買されるのはまっぴらごめんよ」

 

「え……?あ、そう……」

 

 予想外の言葉が出てきたので返答に窮した。彼女はチラチラ私の表情を伺いながら続ける。

 

「あんたは金が欲しいんでしょう。ならハンターのメモリを支払い分に充てるわ。それで自分を買い取るわ。文句ないわね?」

 

「いや、全然足りないけど」

 

 ああ、416は私がお金欲しさに彼女を売り払おうとしたとでも思っているのか。そんなんだったら最初から高い金出して買わないわよ。おかしくって笑ってしまった。

 

「えっ……じゃ、じゃあどこかで残りは借りてくるわ……」

 

「銀行にでも行くつもり?人形に金貸してくれるところなんてないわよ」

 

 勢いを失いつつある416の姿がかわいくて笑みがこぼれた。手で口元を隠すが頬が緩んでしまう。世間知らずよね、416お嬢様は。どこかに送り出すにしても教育がもっと必要かな。

 

「えーっと、それじゃあ……」

 

「いいわよ。残りは私の貸しにしておいてあげる、無利子でね。それでどうするの?これから」

 

 焦っていた416は自信ありげな顔を取り戻し、腕を組んで私を見た。取り繕ってはいるが少し不安そうだ。

 

「ここにいてやるわよ。404小隊に残るわ。借金は働いて返す。思ったんだけど、私がいなきゃあんたたちは何も出来ないでしょう。私に比べれば弱っちいし。ありがたく思いなさいよね、この私がいてやるって言ってるんだから。みんな私を必要としてるのよ、完璧な人形を」

 

 416は言い切るとふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。416は私を選んでくれたのか。他の人間たちが彼女を必要としてもこの私のところに戻って来てくれた。胸がじんわりと熱くなる。これで私と彼女は対等、とはいかなくても少し近づけたかな。隠しごとはいっぱいあるし、告白できないような想いもある。でも、嬉しいな。416が私のことを必要としてくれた。私は彼女にとってその他大勢じゃないんだ。

 

「ふふっ、完璧な人形さんに戻って来てもらえて嬉しいわ。じゃあ、これからも私のために働いてもらおうかな?ああ、そうそう。言い忘れてたけど今回はよくやってくれたわ。ハンターも一人で倒しちゃうしね。あんたならやればできるって思ってたけど。欠けられると困るからこれからもよろしくね。頼りにしてるわよ」

 

 416は驚いて目を丸くした。そんなこと言われるとはまったく思っていなかったのか目をぱちくりさせて私の顔をじっと見つめている。やがて我に返って再びそっぽを向いた。

 

「ふ、ふんっ!当たり前でしょ!いつも言ってるじゃない。私は完璧なのよ。あれくらい当然だわ」

 

 416はちょっと上ずった声でそう言った。頬を少し赤くさせた彼女は嬉しそうだった。まったく、分かりやすい奴。こんな私の言葉で一喜一憂して、尻尾を振ってついてくる。戦闘能力は飛びぬけているくせに子犬みたいな奴だ。そんな彼女が好きだった。彼女の表情が変わるたびに私の感情も揺れ動く。どうしようもなく好きだ。惚れた弱みってやつかな。出会ってから彼女のことばかり考えている。一目惚れだから仕方ない。

 

「じゃあ、416も戻って来たことだしパーティーやろうよ!祝勝記念!昨日やらなかったからさ」

 

 9がニコニコ笑って提案してきた。もう両手に酒瓶を抱えている。

 

「そうね、開きましょうか。グリフィンから報酬をもらったからちょっとくらい贅沢してもいいわ」

 

「ふーん、じゃあ付き合ってあげるわ」

 

 言葉とは裏腹に416は笑顔を浮かべていた。それから416を改めて隊に迎え入れたことを祝って乾杯した。416が戻って来てくれて本当によかった。あのままグリフィンに行ってしまうのならバイクに仕込んだプラスチック爆弾で彼女の両脚ごと吹き飛ばすつもりだった。そうならなくてよかった。あとでバレないように外しておかないと。グイグイ酒を流し込む416を見ながら思った。

 

 

 

 

 

 拠点はすっかり静かになっていた。この隊にしては珍しく騒がしい宴会になったな。416があれだけ飲むところは初めて見た。色々ため込んでいたのかもしれない。今は酔い潰れてソファで仰向けになっている。強くないくせにがぶがぶ飲むからだ。ブランケットを持ってきて彼女にかけてあげた。416はくすぐったそうに身をよじる。普段はずっとムッとした表情を作っているが、寝顔はあどけないな。起こさないようにそっと彼女の髪を撫でつける。今までいろいろ悪かったわね。あんたにひどいことばかりしてきた。本当のことを話したら許してくれるかな。それとも怒って出て行ってしまうかな。それが怖くてまだ言う気にはならない。悪いけどしばらく私の我がままに付き合ってね、416。

 

 私も寝ようと思って416から離れようとした。その時、後ろから手を引かれた。振り向くと上体を起こした416がいた。眠そうに目を擦っている。その反面、私の手首をがっちりと掴んで離さない。起こしちゃったか。髪を撫でてたのはバレてないかな。子どもっぽい仕草をする416に少しドキドキしながら彼女の反応を待った。

 

「45、どこ行くの?」

 

「いや、自分のベッドに行くだけよ」

 

 416はぼんやりとした目で私のことを見つめていた。いつもは凛々しいのでこんな顔はしない。なんだか声も寂しさを訴えているみたいでますます子どもっぽい。酔っ払ってるんだ。

 

「私から離れないでよ、45。どこにも行かないで……」

 

 彼女は私の手を力いっぱい引っ張ってきた。引き寄せられてソファに尻もちをついてしまう。416はさらに予想外の行動に出てきた。後ろから私の身体に抱きついてきたのだ。

 

「ちょ……!何すんのよ!」

 

 急な行動に慌ててしまう。心の準備が出来てないのに密着されて胸が高鳴った。416のやわらかな胸の感触が背中に伝わってきた。彼女は私にしがみついたまま、甘えるように首元に顔を擦りつけてくる。

 

「45……あんたが好きよ。私のことを頼りにしなさいよね……そのために頑張るから」

 

 今、なんて言った?416が私のことを好きだって?こいつが直接そんなこと言ってくるなんて……酔っているとはいえ信じられない。顔が火照って熱い。胸の内側から熱があふれ出てきて火傷しそうだった。416が私と同じ気持ちなんて、そんなまさか。彼女が好きだったのは世界で唯一彼女を評価する私であって今の私ではないんじゃ……混乱していた。頭が日の光で茹で上げられたみたいに働かない。脱力していると彼女はソファに寝そべった。抱きつかれたままの私も一緒に引き倒される。

 

「ちょっと……!離しなさいって……」

 

 一旦彼女の腕の中から抜け出そうとした。こんな状態じゃ胸がときめいて落ち着かない。私の身体にしがみついた腕を引き剥がそうとしたが、中々離れない。こいつ力強いわね……!私の力じゃ抵抗できない。ジタバタしていると物音で9が起きてきた。あくびしながら近づいてきて、私たちを見て固まった。二人仲良く添い寝しているように見えているんじゃ。私は慌てて言い訳した。

 

「こ、これは違うのよ。416が酔っ払って抱きついてきただけで、私は何もしてないから!」

 

「ふふふ……あははははははは!416ったら45姉のこと大好きじゃん!抱き枕にされてる!おっかし!」

 

 9は私たちを指差すと腹を抱えて笑い出した。こっちもまだ酔いが残ってるわね、まったく。416はますます腕に力を入れて私を締め付けた。

 

「416、離しなさいよ……笑われてるじゃない」

 

「嫌よ、離さないわ。45、何があったって離れない……」

 

「ひぃ~苦しい!416、45姉のこと好きすぎでしょ!あはははははは……ひひひ……く、くるしい……」

 

 9はお腹を押さえて床で笑い転げだした。笑いごとじゃないわよ。416にこんなこと耳元でささやかれてたらおかしくなる。416の手を掴んで身体からはがそうとしたが、全然動かない。

 

「9!笑ってないでこいつを引き剥がしてよ!一人じゃ敵わないのよ」

 

「いいじゃん、45姉。一晩くらい抱き枕になってあげれば。45姉が416の抱き枕……くくくっ……」

 

 9は噴き出してまた笑い出した。416はさらに密着してきて、私のうなじに顔を埋めた。

 

「45のにおいがする……」

 

「嗅いでんじゃないわよ!この変態!」

 

 身をよじって逃げ出そうとしても416の腕が私の胸元に絡みついていてどうにもならない。私にはただ416を受け入れることしかできなかった。そうこうしているうちに9は笑い疲れて寝てしまったし、416も私の髪の中で寝息を立て始めていた。彼女の吐息が私の耳をくすぐる。こんなんじゃ寝られないわよ。416をいいように扱いすぎて仕返しされた。416が私のもとにいてくれると実感はできたけど、ドキマギして一睡も出来なかった。ため息をついて長い長い夜が明けるのを待つ。

 

 

 

 

 

「45、昨日は何もなかったわよね。私は何もしてないし、あんたも一切記憶がないわ。そうでしょ?」

 

 翌朝、目が覚めた416はソファから飛び起きてそう言ってきた。顔は真っ赤でプルプル震えている。どうやら全部覚えているらしい。自分が何をして、何を言ったのかも、全部。恥ずかしがっている彼女もかわいくて笑ってしまった。少しからかってやろう。

 

「そうね。どっかの人形が抱きついてきたり、私の髪の匂いを嗅いできたりなんて全然してないわよね」

 

「してない!私は絶対そんなことしてないわよ!全部あんたの幻覚よ!黙らないと頭吹っ飛ばすわよ!」

 

 416は銃を手に取った。肩を上下させながら、頬を紅潮させて私のことを睨みつけている。銃にはセーフティがかかっているし、銃口を私の方に向けたりはしてこないけど。あんたはプロだし、私のことが好きだからそんなことは絶対しないのよね。

 

「私にそんな口聞いていいの?昨日の音声データ再生しちゃおうかな。なんて言ってたっけ?たしか……私のことが好きとかなんとか……」

 

「言ってない!そんなこと言ってない!」

 

「黙っていて欲しいんなら何すればいいのか分かるわよね?まずは何をしてもらおうかな?服従のポーズでも取ってもらおうか。仰向けになってお腹見せてくれる?」

 

「やるわけないでしょ!くそっ!好きにしなさいよ!昨日のは全部でまかせよ!酔ってたから思ってもないこと口走っただけ!誰があんたみたいな性格の悪い人形のことなんか……!あんたなんか大嫌い!……でもないけど、ともかく全部違うのよ!」

 

 416はリンゴみたいに顔を赤くして叫んだ。その様子がおかしくってニヤける。

 

「はいはい。完璧な人形さんは嘘もお上手ね」

 

「いい加減黙りなさいよ!」

 

 416は掴みかかってきて私の口をふさいだ。こんな416もかわいいな。もう彼女を傷つけたり、泣かせたりするのはやめにしよう。彼女は気高く、ありのままでいるのが一番美しい。416、私はあんたが好きよ。きっとあんたが私に抱いている感情よりずっと大きく。今はまだ言う勇気が出ないけれど、いつか必ず言うから。あんたにしてきたことも包み隠さず言おう。逃げてばかりじゃ駄目だな。彼女と向き合って、対等になれるように頑張ろう。

 

 私は彼女のことが、HK416のことが誰よりも大切で、好きで、愛していた。多分、これからもずっと。絶対離したりしないんだから。彼女もずっと私のことを見ていてくれるといいな。

 

 



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HK416×UMP45百合 「私と彼女の距離」その4

私と彼女の距離、一応の完結編です。
AR-15の話の後日談であり前日譚でもあるので読まないと分からない……そこはすいません。
45姉と40の過去が半分以上ですがちゃんと45416だよ!
その5はネタがきちんとできたら書くかもしれない……


 私と彼女の距離 その4

 

 

 

 鉄血本社への強襲は散々な結果に終わった。帰還した私たちは満身創痍で、脚を折られた私ですら軽傷の部類だ。いや、腹部にも穴が開いてるわ。404小隊がこんな損害を受けるなんて前代未聞だ。45の奴、何を考えてたんだか。

 

 ともかく、私たちは修理に出された。前線基地の設備では手に負えず、グリフィン本部に移送されることになった。グリフィンも鉄血の攻勢を受けて余裕がないのか重症者以外は後回しだ。修復施設の中に運び込まれていく人形たちを見送りながら私は廊下で天井の染みを数えて時間を潰していた。数え終わっても順番が回ってこなかったのでデータリンクでメンバーの状態を確認した。9とG11は修復の真っ最中で連絡が取れなかったが、45にはつながった。重症だったのでいの一番に呼ばれ、もう終わったらしい。それにしても早い気がするが……暇つぶしに声をかけてみた。

 

『どう?もう万全なわけ?』

 

『まあ大体はね……あんたは?』

 

『まだ。あんたのせいで腹に穴は開いてるわ、服は汚れっぱなしだわ、もう酷い有様よ。まったく……あんたは勝算のある任務しか受けないんだと思ってたわ。あやうく全滅よ。私に感謝しなさいよね』

 

『もちろん。あんたには感謝してるわ。おかげで生きて帰れたし、やりたいことも果たせた』

 

『やけに素直ね……不気味だわ。それに、あの指揮官から報酬も受け取ってないんでしょう。どういうつもり?』

 

『生きて帰ってはきたけど、本来の任務には失敗した。それで報酬をもらうほど図太くはないわ』

 

『あんたってそんなにお人好しだったかしら……』

 

 45はいつになく素直で、声に覇気がなかった。寂しげなその声を聞いているとむず痒くなる。いつもの飄々とした調子はどうした。あんたはいつも強くて、他人に弱みなんて見せない。どんな時でもへらへらしながら私をからかってくるムカつく奴のはずだ。今の45は弱ってる。それが受け入れられなくて、気分がかき乱されるのか?いや、多分違う。別にそれはいい。こいつが無敵で、鉄のような精神の持ち主だとは思ってない。45は作戦に加わると決めたのは個人的な目的があったからだ。それを打ち明けさせて私も喜んでいたはず。

 

 私は……45が全部話してこないことが気に入らない。45が勝手に傷ついて、私が蚊帳の外に置かれてることに腹が立つ。でも、45の過去に土足で踏み入っていいものか。こっちから聞く勇気はない。思えば私は45について何も知らないし、そんなことを聞くような関係でもなかった。家族だなんだの言っても所詮私たちは同じ隊のメンバーというだけ。あの時、あいつのことが好きだと認めて以降、それを自覚すると胸が痛くなる。そんな自分が情けなくて余計にイライラする。

 

『機会があったら全部話すわ……機会があったらね……』

 

 45は私の心情を見透かしたみたいに言った。でも、その声はとても弱々しかった。聞いていると不安に駆られてしまう。そうか、これはただ私が彼女を心配しているだけだ。私が彼女の力になれていないからやりきれない。恨みがあると言っていたアルケミストは殺してやった。だが、むしろ45の状態は悪化しているような気がする。殺したからといって解決する問題でもないらしい。誰かの復讐だったのだろうか。私の知らない、45にとって大切な存在の。いつもは感情を見せない45をここまで弱らせる人物、変な話だけどそう考えると胸がチクチクと痛む。これは嫉妬だ。死人に嫉妬するなど馬鹿らしいと思うけど、私は自分が思っている以上に馬鹿なのかもしれない。仮に私が死んだら、45はここまで悲しむだろうか。ありえないな……私はそれほどの存在じゃない。この間だって私を手放しても構わないという風だったじゃないか。私はため息をついて、廊下のベンチに腰を下ろした。

 

 ようやく私の順番が回ってきて修理が始まった。右脚の関節を交換し、腹部のパーツも取り替えた。人工皮膚も張り直して元通りだ。私の予備パーツは数も少なくて高価だが、さすがに代金はグリフィン持ちだ。とはいえただ働きは割に合わない。死にかけたんだからちゃんと45には説明してもらおう。いつか、いつかは。私が45に憚ることなく何でも聞けるようになった時に。

 

 私が施設から出ると他のメンバーが待ち構えていた。手を切り落とされた9も全快したようで手をぶんぶんと私の方に振っていた。

 

「416、おつかれ~。いやあ、家族がまた全員揃ってよかったよかった」

 

「ふんっ。AR小隊の連中じゃあるまいし、これくらいで欠けやしないでしょ。私があんたたちの命を救ってやったんだから、感謝を……45、その腕どうしたのよ。修理は?」

 

 ぎょっとした。喋りながらチラリと45の方を見ると彼女はボロボロのままだったのだ。アルケミストに削られた右側頭部には応急処置的に黒い金属パーツが埋め込まれているだけ。服は交換したみたいだが、パーカーの右袖は空っぽのままだらりと垂れ下がっている。45の右腕は彼女自身が切断した。でも、人形の四肢なんて予備パーツがあればすぐ治せるはずだ。私が驚いていると45は作り笑いを浮かべながら左手で右の袖口を掴んでひらひらと動かした。

 

「ああ、これはね……パーツが無くて修理ができないらしいのよ」

 

「そんな馬鹿なことある?ここは天下のグリフィン本部でしょ?パーツの在庫なんてI.O.Pと同じくらい山ほどあるはず。連中が嘘をついているのよ。私がその辺の奴ぶん殴って案内させるから……」

 

 憤然とする私の言葉を45は頭を振って遮った。

 

「I.O.Pに行ったってないわ。私はI.O.P製の人形じゃない。鉄血製よ。規格が違うからあんたたち用のスペアパーツは使えない。鉄血が反乱を起こしてる以上、パーツが用意できないのは仕方ないわ。代わりの腕が見つかるまでしばらくこのままね。別に大丈夫よ、そんな怖い顔しなくても」

 

 45はそう言って私に微笑んでいた。無意識の内に険しい顔を作っていたらしい。45が鉄血製の人形?確かにアルケミストがそんなことを言っていたような気がする。それなら45が私たちより高い指揮能力を持っていることや、鉄血のネットワークへの侵入能力を持っていることも納得がいく。そんなことはどうでもいい。でも、やっぱり釈然としないところがある。車を借りて帰路に就いている間も私はずっと悶々としていた。何がかと言えば片腕になってしまった45のことだ。私の隊のリーダーが負傷したままじゃ締まらない。というよりも、私が45にそんな姿でいて欲しくない。だって、私は……こいつのことが好きだし、万全の状態でいて欲しいと思うことはおかしいことじゃない。もやもやしながらハンドルを握り、無人地帯への道路をかっ飛ばした。

 

 拠点に着いた頃には日も変わっていて、私たちは再び朝日を浴びた。帰って来れなかった者たちが拝むことのできなかった太陽だ。そんな連中は私には関係ないが。拠点の扉を開けるとG11が真っ先に自分のベッドに走り寄って倒れ込んだ。

 

「二、三日はぐっすり眠りたい……もうこんなのはこりごりだよ。あんなのとやり合うなんて命がいくらあっても足りないから」

 

「そうね。今回のことはみんなに感謝してる。私の個人的な任務に付き合ってもらったわ。しばらくは休みましょ。私もこんなんだし」

 

 45は自嘲気味にそう言って右腕を見た。彼女が一歩進むごとに袖が力なく揺れる。私は居ても立っても居られなくなり、45に詰め寄った。

 

「45、あんた鉄血工造製のパーツなら接続できるのよね?」

 

「そうだけど……どうしたの?416。さっきから顔が怖いわよ」

 

「義手が必要でしょ。片腕じゃ不便だろうし……そんな姿でいられると落ち着かないのよ。私が探してくるわ。鉄血規格のやつ」

 

「今すぐじゃなくてもいいのに……それに鉄血のパーツはもう希少だから高いわよ」

 

 私を引き留めようとする45を尻目にG11の襟をつかんで起き上がらせた。

 

「ちょっと、何するの……寝かせてよ……」

 

「あんたも来なさい。街まで行くわよ」

 

「ええ~、一人で行けばいいじゃん。45にいいとこ見せたいならさ~」

 

「いいから行くのよ!」

 

 G11を引きずって拠点の階段を下る。それから45にもらったバイクに飛び乗った。G11は渋々私の後ろにしがみつく。エンジンをかけて一気に加速させた。45にいいところを見せる?まあ、確かにそうかもしれない。待ってなさいよ、45。この私があんたのために腕を見つけてきてやるんだから。

 

 

 

 

 

 バイクを駆って拠点から離れていく416を窓から見送った。彼女は全速力で飛ばして、すぐに見えなくなってしまった。それでも私はしばらくその方向を眺めていた。

 

「45姉、大丈夫?」

 

 後ろから9が声をかけてきた。振り向いて9と向き合う。心配そうに私の顔をまじまじと見ていた。

 

「……私、どんな風に見える?」

 

「疲れてるように見えるよ。休んだ方がいいと思う。いろいろあったもんね」

 

「そう……じゃあ、少し休むわ」

 

 確かにいろいろあった。鉄血本社まで行って帰ってきて、死にかけて、アルケミストを殺した。疲れて見えるのも無理ないことだ。私は自分のベッドに腰掛けて、横になった。

 

「ねえ、45姉。これで全部終わったのかな……今までのこと全部」

 

 9が不安そうな声を絞り出した。いつも底抜けに明るく振舞っている彼女とは正反対だ。

 

「……まだよ。まだ終わってないわ。やり残したことはいくつもある。ちゃんと終わらせないといけないわね……」

 

 目をつむった。そう、これは始まりに過ぎない。真実に向き合うための第一歩だ。私は416に本当のことを話していない。私が416の存在をずっと隠してきたことも、416をわざと失敗させたことも、そして……私が416を好きだってことも。416は私のことが好きだ。こんな私のために義手を手に入れてくれると言う。彼女だって疲れているだろうに、休まず飛び出していった。私がそういう感情を抱くように仕向けた。私にそんな資格はない。本当のことを伝えたら幻滅されるに違いない。きっと終わりの始まりになる。その方が彼女のためになる。でも、私は416を手放したくない。私は、私はどうするべきなんだろう。今こそ過去に向き合う時なのかもしれない。私たちはずっと目を背け続けてきた。40……UMP40との過去から。

 

 40のことを思い出すとまず浮かんでくるのはあの目だ。大きくて、くりくりしていて、いつもキラキラと輝いていた。私はあの目が大好きだった。もちろん、彼女のことも大好きだった。快活で明るくて、いつでも私にニコニコと笑いかけてくれる。初めての友達として、親友として、同じ工廠で生まれた姉妹として、彼女は私の大事な存在だった。そう、とても、とても大切な存在“だった”。

 

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『間抜けが!射撃位置についたらすぐに発砲しろ!戦場で悠長に狙いをつけてる暇なんてないぞ!』

 

『どこを撃ってる!ターゲットを狙え!お前のミスで味方が死ぬんだぞ!』

 

『なんだこの成績は!本当に戦術人形なのか!?人間のガキに銃を持たせた方がマシなスコアを取るぞ!平均スコアに達するまで寝ずに訓練を繰り返せ!』

 

 私は一人、カフェテリアの中にいた。グリフィン本部ビルの中にある大きなスペースで、普段は人形用の休憩所になっている。もう夜遅くなので照明は最小限だけで薄暗い。他の人形たちもいない。食堂も営業時間外だ。仕方がないので私は携帯食料を取り出した。ぼそぼそとしたブロック状のレーションをかじっているとたまらなく惨めになってくる。こんな夜遅くになったのはずっと訓練をしていたからだ。結局、平均スコアに達することはできなかった。訓練担当の指揮官からは呆れられ、いつもの罵声すらなかった。電力の無駄だと言われてシミュレーションルームからつまみ出されて今に至る。

 

 どうして上手くできないんだろう。他の人形よりもたくさん訓練しているはずなのに。みんなみたいに銃を使いこなせない。みんな、銃は身体の一部みたいなものだと言うけれど、私はそんな風に使えない。目でしっかり照準を合わせないと的に当てられないし、走りながら精確な射撃をするなんて無理だ。私は戦術人形なのに、これじゃ役立たずだ。誰にも必要とされてないし、いつまで経っても実戦部隊に配属されないと思う。実戦に行ったって仲間の足を引っ張るだけだ。指揮官のみならず、同じ部隊の人形からもいじめられるかも。そう考えると泣きそうになる。私は何のために生まれてきたんだろう。製造するならちゃんと人の役に立てるように作って欲しかった。こんな私を誰も必要としてくれないよ。

 

「あ!45!こんなところにいたんだ。探したよ!」

 

 後ろから40の声がした。私はびっくりして振り返った。40はこっちに駆けてきて私の横に座る。もう消灯時間も過ぎているから他の人形は寝ているはずなのに、わざわざ探しに来てくれたみたいだ。

 

「45、また指揮官に絞られたの?」

 

「うん……射撃が全然上達しなくて……私がいけないの。他の人形みたいにちゃんとできないから。でも、このまま低いスコアのままだったら……どこの部隊にも配属されず返品されてしまうかも」

 

 最悪の想像をして俯く私の背中を40はポンポンと叩いた。

 

「もう!くよくよしないの。45は悪くないんだよ。あたいたちのソフトウェアは未完成品なんだから。あたいたちは鉄血の素体にI.O.Pの烙印システムを無理矢理詰め込んだ試作品。他の人形みたいに銃を上手く使いこなせないのは仕方ないんだよ」

 

 40は私を励まそうとして微笑んだ。彼女の言う通り、私たちは他の人形たちとは違う。周りの人形は民間出身であったり、元々軍用であったりするが、みんなI.O.P製だ。そこでグリフィンは鉄血工造製の人形も試験的に導入することにした。鉄血の主力製品である廉価で感情のない大量生産品ではなく、グリフィンが求めるスペックを満たす特別製だ。人形に銃を半身として認識させる烙印システムを初めて導入した鉄血人形、それが私たち。私たちは同じ工廠で製造され、グリフィンに納入された。私たちがグリフィンの期待通りの能力を発揮できたかというと……まったく駄目だった。

 

「それにさ、あの指揮官が悪いんだよ。あたいたちは純粋な戦闘用じゃなくて、電子戦支援モデルなんだから。少しくらい戦闘能力が劣ってるからって何よ!あたいたちはI.O.P製の人形より知能も優れてるし、ちゃんとした指揮モジュールだって搭載されてるんだから!向こうの使い方が悪いんだよ。だから、訓練で失敗したくらいで落ち込まない!」

 

「でも……実戦に出るなら自分の身くらい守れないと。足手まといになるわ。それに、40は私より射撃上手いじゃない。スペックのせいじゃなくて私のせいよ」

 

「もう~そんなに自分を責めないでってば!あたいとあんたじゃどんぐりの背比べでしょ!今日はたまたま上手くいっただけで、いつも怒られっぱなしなのはあんたも知ってるじゃない!そのネガティブな考え方やめな!悩んだって解決することじゃないよ」

 

 しょげている私を40は頬を膨らませてプンプンしながら叱った。でも、すぐに朗らかな表情に変わる。彼女はリュックを膝の上に抱えて何かを取り出した。私が押し付けられたのはプラスチック製の小さなカップだった。透明なビニールの蓋がしてあって卵色の物体が中から覗いている。

 

「甘いものでも食べて元気出しなって。プリンあげるよ。今日の夕食で出たんだ。45はいなくて食べられなかったからさ、持ってきたんだ。レーションだけじゃ味気ないでしょ。ほら」

 

 40はそう言って使い捨てのスプーンを差し出した。私はそれをおずおずと受け取る。

 

「でも……いいの?これ、40の分でしょ?」

 

「あげるって言ってるんだから食べなって。普段、人形用の食事にデザートなんか付かないんだからさ」

 

 40は譲らなそうだったので、プリンの蓋をはがしておそるおそる口に運んだ。甘くておいしい。やわらかくて舌の上で溶けていく。こんなの食べたことない。夢中でパクパク食べていると40がニコニコしているのに気づいた。プリンはもう容器の片隅に一口分残っているだけだ。

 

「ねえ、40も食べない?これだけになっちゃったけど……」

 

「え?いいよ。45が食べなって」

 

「でも、これおいしいから40も食べた方がいいよ」

 

「うーん、じゃあもらっちゃおうかな」

 

 40は口を大きく開けて目を閉じた。少し恥ずかしかったけど、私はスプーンでプリンをすくって彼女の口の中に差し入れた。40はパクンと口を閉じて、ゆっくり味わってから満面の笑みを浮かべた。彼女はとっても表情豊かで、私とは大違いだ。私はその太陽みたいな笑顔が大好きだった。

 

「おいしいね!そうだ!さっきのことだけど、あたいと接続しよう!」

 

「接続?」

 

「うん。あたいたちは同じ型だから直接データ接続ができるの。それで二人の訓練データを共有しよう!あたいたちは型も同じだし、使ってる銃もほぼ一緒だから相手のデータをそのまま流用できると思うよ。そうしたら、訓練してる時間も訓練の効果も他の奴らの二倍!すぐに追いつけるから!」

 

 40は手を大きく広げて力説した。すばらしいアイデアを思い付いたという風でとても自慢げだった。

 

「でっでも、そんなことして大丈夫なのかな……指揮官から許可とか取ってないけど……」

 

「大丈夫だって。バレっこないし。指揮官だってあたいたちの成績が向上した方が嬉しいと思うよ。落ちこぼれがずっと落ちこぼれのままだったら評価に関わるかもしれないしね」

 

「う……」

 

 そう言われると何も言えなくなる。成績は私が断トツでビリだ。このままだと部隊に配属どころか、コアを抜かれて民間に売り払われるかもしれない。私の心配を見抜いた40はニヤッと笑って立ち上がった。

 

「そうと決まれば早速やろう!見つからないように隠れてね!」

 

 走り出した彼女に手を引かれて宿舎に向かった。訓練生用の宿舎にはずらりと二段ベッドが並んでいる。今は消灯時間なので明かりがなくて真っ暗だ。寝静まっているみんなを起こさないようにそろりそろりと自分たちのベッドに向かう。40が上で、私が下だ。今晩は私のベッドに40が潜り込んできた。狭いベッドに二人なんて初めてだからちょっとわくわくする。向かい合って両手を取り合った。

 

「じゃあ始めるからね」

 

 40が小声で言った。それからデータを送ってきて、私も自分のデータを送り返した。他の娘たちにバレないよう接触通信だ。40の経験が流れ込んでくる。射撃のコツとか立ち回りとか、40はシミュレーションでどんな風にターゲットが現れるのかパターンを解析していたみたいだ。出現位置を身体で覚えて、射撃が下手なのを補おうとしていた。五分くらい手をつないでいたらデータの送受信が終わった。

 

「ありがとう……40。これで模擬訓練もきっと大丈夫だわ。本当に何てお礼をしたらいいか……」

 

「あはは、お礼なんていいって。あたいも45のデータもらってるんだし」

 

「でも、私はもらってばかりで大したことしてないわ」

 

「いいんだよ。あたいたちはこの世に二人しかいない姉妹なんだからさ!お互い助け合って生きていこうね、これからもずっと!」

 

「うん……私も実戦に出たら40のこと守るから」

 

 40がニコッと笑ったので私も釣られて笑った。私に優しくしてくれるのは40だけだ。駄目な私を引っ張って助けてくれる。40がいてくれてよかった。私一人だったら耐えられずに諦めていたに違いない。

 

「そうそう。画像データも一緒に送ったんだ。見てみてよ」

 

 受信データ履歴を確かめてみると一枚写真が紛れていた。閲覧すると海の写真だった。夕焼けで空は一面のオレンジ色。日の光を反射してきらめく波が砂浜に打ち寄せている。

 

「きれい……」

 

 思わず口から言葉が漏れた。40はそれを聞いて嬉しそうに目を細めた。

 

「へへへ、きれいでしょ。実はグリフィンのデータベースから保存してきちゃったんだ。45にも見せたくて」

 

「え……?でも、そんなことして大丈夫?私たちにはそんな権限ないはずよ」

 

「大丈夫だって。見つからないように工夫してるし。写真を見るくらい誰にも迷惑かからないでしょ?あたいたちだってもっと自由にしていいんだよ。人形にも自分のしたいことをする権利があること、覚えておきなよ!」

 

 はにかむ40を見ているとそれ以上何か言う気も起らなかった。さっき40とデータのやり取りをしたのだって命令にないことだし、少しくらいならいいわよね……?いつの間にか40は真剣な顔つきで私のことを見つめていた。

 

「ねえ……45はさ、もしも自由になれたら何がしたい?」

 

「自由?」

 

 よく分からなくて聞き返した。自由ってどういうことを言うのだろう。考えたこともない。

 

「自由っていうのはね。誰の命令とかも気にせず、自分で自分の道を選べる状態のことを言うんだよ。今みたいに指揮官にぺこぺこして、グリフィンの訓練を受けさせられたりするんじゃなくて、自分のしたいことをする!あたいはそうなりたいな……」

 

「でも……そんなこと……指揮官の命令は絶対だし、人形が好き勝手にするなんて無理よ……」

 

 私がそう言うと40は深くため息をついた。

 

「ま、そうかもね。でも、夢くらい持ったっていいじゃない?今のままじゃ何のために生きてるか分からないし。人形に感情があるのはさ、ただ苦しむためだけじゃないんだよ。希望を持たなきゃ。そうすれば45だってポジティブになれるよ。あたいはね……海に行ってみたいんだぁ。写真じゃなくてね、本物の海が見てみたい。45も一緒に行こ?」

 

 40がもじもじしているのは珍しくて笑みがこぼれた。大きく頷くと彼女は私も何か言うように促してくる。

 

「うーん……夢かあ。何だろう。そうね、笑わないでよ?私は新しいボディが欲しいな」

 

「ボディ?」

 

「そう。私は弱くて、みんなに馬鹿にされてるけど、すごい強いボディを手に入れたらそんなこともなくなるわ。誰も馬鹿にできないようなボディを手に入れて、指揮官や他の娘たちを見返してやりたい。私は役立たずじゃないんだぞ!って……」

 

 言い終わると恥ずかしくなってきた。ほとんど今の願望だし、劣等感を吐露したみたいだ。顔が熱くなる。でも、40は笑わずに聞いてくれた。

 

「そっか。新しいボディか。いいかもね。そうすればみんなより頑張ってるのに指揮官からグチグチ言われなくて済むもんね。強くなれば戦いで死ぬ可能性も減るし!もっと自由に生きられるかもしれないね!いいなぁ~あたいも欲しくなっちゃった」

 

「でしょ!?40も新しい身体を手に入れようよ!それで一緒に海に行くの。いい考えじゃない?」

 

「うん、そうしよっか。新しいボディを目標にしよう。エリート人形になって、誰からも見下されずに自由に生きるの。あたいたちを馬鹿にした奴らを見返してやろう!」

 

 二人で笑い合って、今夜は同じベッドで寝ることにした。同じ夢を胸に抱いて。もしもそうなったらいいなあ。でも、今のままでもいい。40がいてくれるならそれでいい。二人で一緒にいられたらどんな辛いことだってへっちゃらだ。40がいてくれてよかったなあ。そう思いながらまどろみの中に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 それからしばらく経って、大事件が起こった。鉄血工造の反乱だ。鉄血人形たちは突如、人間に銃を向けた。鉄血の社員たちを全員殺害すると人形たちは視界に入る人間を無差別に攻撃し始めた。治安機関やPMCが貧弱な防衛線を構築するも抑え込むことに失敗、鉄血は一気に勢力を拡大した。最初の一か月で虐殺された人間の数は十万を越えた。E.L.I.D対策にかかり切りの軍はPMCに対応を委託、契約企業の中にグリフィンの名もあった。グリフィンは総力を挙げて鉄血に立ち向かうことを決め、人形部隊が前線に派遣された。損耗が予想を上回ると訓練課程の途中だった私たちも駆り出されることになった。まだ私は戦場がどういうものなのかよく分かっていなかった。

 

 河の向こう、橋を越えた先に司令部はあった。近世風の宮殿みたいな建物で、平時だったら見惚れてしまったと思う。でも、今は砲弾を食らってボコボコで、まともに残っている窓ガラスが一つもなかった。鉄血のジャガーがグリフィンの陣地に向けて雨あられと砲弾を降らせている。後方から砲弾を撃ち込んでくる厄介な四脚自走砲で、グリフィンにはまともな砲撃ユニットがないからされるがままだ。ヒューと身の毛がよだつ音がした後、着弾して黒煙を巻き上げる。爆発の振動を感じながら私たちに当たらないことを祈った。司令部の中に入ると黒服に金髪の人形に出迎えられた。

 

「え……二人だけなんですか?」

 

 その人形は私たちを見てあからさまに落胆した。厳しい戦況の中、増援がたったの二人だったことに失望を隠さない。私は申し訳なくなったが、40は気にせずに喋った。

 

「あたいはUMP40。こっちはUMP45。ここの部隊に補充されたよ。よろしく!」

 

「MP40です。よろしくお願いします。状況は聞いていると思いますが……私たちは橋の防衛を任されています。背後にある橋がこの河にかかる最後の橋なんです。他のはすべて爆破しました。ここを鉄血に奪われると避難が完了していない地区にも雪崩れ込まれて、取り返しのつかないことになります。すぐそこの団地に防衛線を張っていますが、相手も躍起になって総攻撃を仕掛けてきていて……突破されそうなんです」

 

 MP40は疲れた顔でそう言った。絶え間なく銃声と爆発音が聞こえてくる。猛攻を浴びているんだ。40がむっとして口を挟んだ。

 

「どうして橋を爆破しないの?戦力差はどうしようもないくらい大きいって聞いたけど、なんでまだここで踏みとどまってるの?」

 

「それは……その、実はまだ爆破の準備ができていなくて。爆薬が届くのが遅れたんです。今セット中なのでしばらくは耐えないといけません。作戦本部から死守命令が出てるので」

 

 MP40が言いにくそうに言った。40は明らかに嫌そうな顔をして何かを言おうとした。でも、寸前で思いとどまったのか息を吐いた。

 

「それで、あたいたちは何をすれば?」

 

「はい。団地の南は機関銃班が防衛に当たっているのですが、西側の隅の部隊と連絡がつかないんです。混線していて通信が不通で……二本の幹線道路が交差するラウンドアバウトを見下ろす建物を拠点にしているはずです。重要な場所です、確認してきてください。壊滅しているなら前線を下げるよう指揮官に言われています。奮戦しているならそのまま加勢してください」

 

 その時だった。壁にさっと亀裂が走り、内側に盛り上がった。スローモーションのようにゆっくりとその様子が見え、亀裂から風が吹き込んで髪が揺れる。私が反応を示すより先に40が私に飛びかかり、床に押し倒された。コンクリートの破片が部屋中を飛び回り、粉塵が満ち溢れる。むせるような熱風と火薬の臭いを感じた。砲弾がすぐ近くに着弾したらしい。40は粉塵が晴れるまで私に覆いかぶさっていた。彼女が身体を起こすと背中から小さなコンクリート片がいくつもパラパラと落下した。

 

「45、怪我ない?」

 

「ええ……大丈夫。40は?」

 

「あたいはこれくらい平気だから!」

 

 40は私の上で胸を張って言った。彼女は実戦に送られると聞いてからずっと気を張っている。とりわけ私に対してだ。40の足くらい引っ張らないようにしないと。手を掴んで起き上がらせてもらっているとMP40が咳き込みながら四つん這いでこちらにやってきた。

 

「いたた……ここが倒壊しない内に早く行ってください。きっと助けを待ってますから。合言葉は“ライプツィヒ”。返事は“ワーテルロー”、それ以外が返って来たら敵です」

 

 埃まみれになった私たちは部屋から出ようとした。40が振り返って尋ねる。

 

「ねえ、爆破の準備が終わってもあたいたちの撤退は待ってくれるの?置き去りにされるのは嫌だよ……」

 

「それは……爆破のタイミングは指揮官が決めます。もしそうなったとしても、最後まで戦い抜きましょう。戦術人形の役目は指揮官の命令に従って、人を助けることなんですから」

 

 40は返事をせずに部屋から飛び出した。私は慌てて追いすがり、一緒に防衛線を目指した。銃声はすぐそこから聞こえてくる。団地の南側では激しい戦いが行われているようだ。私は緊張していた。初めての実戦が怖い。でも、戦果をあげたいという欲求もあった。私が少しでも役に立てるところを誰かに見せつけたかった。防衛線に近づくにつれて40の表情がどんどん険しくなっていく。

 

「連絡が途絶してる重要な拠点、猛攻を受けてる防衛線の端、最前線送りだ。いきなりこれだなんて……しかも、さっきの聞いた?死守命令だとか、最後まで戦えだとか、冗談じゃないよ」

 

 彼女は苦々しげに言った。40は感情を露にするタイプだけど、こんなに怒ることは早々ない。

 

「でも……彼女の言う通り、指揮官の命令は絶対だし……」

 

「何が指揮官の命令だよ!連中の言うことなんて知るか!これは人間の戦いなんだ。人間が鉄血に宣戦布告された、人間と鉄血の戦争。なのにあたいたちが戦わせられてる。人間のPMCはとっくに敗走して、残ってるのはグリフィンの人形部隊だけ。さっきの司令部、人間はもう誰も残っていなかった。なのにあたいたちは死ぬまで戦えって?ふざけるな!こんな戦争、何の意味もない。あたいたちはこんなところで死ぬべきじゃないんだ。自由に生き抜かなきゃ……」

 

 40は激しく怒っていた。人間に、戦争に、人形という不自由な身分に。この時、40はもう気づいていた。この戦争が私たちにとって何の意味もないことを。私はまだ彼女の言うことが理解できなかった。

 

「そんなこと誰かに聞かれたらいけないわ。処罰されるかも……」

 

「45、あんたは死ねって命令されたらどうする?大人しく従うの?」

 

「そう言われたとしても、どうすることもできないわ。人形は命令に背けないし……従うことが人形の使命だから」

 

「あたいはあんたに死んで欲しくない。あんただけでも生きていて欲しいな。45、人形だって自分のために生きることが許されてもいいはずよ。あたいたちは人間の道具じゃない。自由に自分の道を決められるはずなんだ。人形の使命は服従なんかじゃ……」

 

 40の言葉を遮るように銃弾が風を切った。弾丸が頭上すれすれを通り過ぎたのを感じる。背筋が凍った。思考が止まる。一面の恐怖が頭を支配した。弾は私たちの横に伸びる道路から飛んできた。一発だった銃声はすぐに膨れ上がって数を増し、チカチカ光る発砲炎が目視できた。小隊規模の鉄血人形が路上にずらりと並んでいる。40は私の襟を掴んで後退し、ビルの陰に隠れた。私は壁際で頭を抱えてうずくまった。銃撃を浴びるのは初めての経験だ。殺意を持った敵がすぐそこにいる。怖くて立てなかった。訓練だってまともにできないのに、実戦なんて無理だ。殺される。銃弾が掠めただけで私の戦意は脆くも崩れ去った。

 

「45!立って!このまま立ち往生はまずい!」

 

 40は壁から身を乗り出して数発銃弾を放った。すぐに鉄血側が応射してきて慌てて身体を引っ込める。40の足元で私は情けなく震えていた。彼女が戦っているというのに私は何もしてない。やっぱりお荷物になってる。40の足を引っ張るよりはこのまま死んでしまった方がいいんじゃ……そんなことを思っていると建物のドアが勢いよく開いた。銀髪で長身の人形が機関銃を抱えて出てきて、40が咄嗟に銃をそちらに向ける。

 

「よせ!お前たちグリフィンの人形だろ!仲間だ!」

 

 彼女は銃だけ壁から出し、鉄血人形たちに向けて乱射した。私の頭上でだ。耳をつんざく轟音が鳴り響き、思考をかき乱される。高温の薬莢が降り注いで服の中に入り、私は思わず飛び上がった。銀髪の人形に促されるまま建物の中に入る。彼女は敵を狙えるポジションまで全力で走り、再び掃射を行った。

 

「G3!グレネードだ!吹き飛ばせ!」

 

 室内にはもう一人人形がいて、窓からアサルトライフルを撃っていた。銃身の下に取り付けたランチャーを鉄血人形たちに向ける。手を叩いたような音がして擲弾が発射され、炸裂した。彼女たちの陣形は散り散りになり、機関銃が吐き出す曳光弾の束に追い立てられるように後退していった。銀髪の人形は銃身が赤熱した機関銃を抱えながらこちらを向く。

 

「MG5だ。見ない顔だが新入りか?」

 

「ありがとうございました……危ないところを……UMP45とUMP40です。先程この部隊に補充されました」

 

 くらくらする頭でお礼を言った。MG5は私のことをまじまじと見て苦笑いを浮かべた。

 

「実戦は初めてか?ついてないな、こんなところに送られて。守ってやりたいところだが人手が足りないんだ。兵力不足で人員が防衛線に薄く広がってる。それで何しに来た?」

 

「西側の拠点を確認するように言われて……その途中です」

 

「そうか。向こうにはMG34とMG42がいる。さっき銃声が聞こえたからまだ生きてるよ。それと、お前たちは姉妹なのか?」

 

 彼女は私と40の銃を見比べて言った。いきなりそんなこと聞かれて少し驚く。

 

「はい。そうですけど……」

 

「向こうの二人も姉妹なんだ。それだけさ。早く行くといい。敵の数が段々増えてる。突破される前に撤退命令が出るといいんだがな……死ぬなよ、二人とも。仲間が死ぬのは見たくない」

 

 MG5は窓に銃を据え付けて監視の構えに戻った。私たちも建物から出て目的地に向かう。先導する40の背中を見ていると惨めさがにじむ。さっきの有様はなんだ。戦術人形だというのに戦いを放棄して情けなく這いつくばった。40の足を引っ張りたくないと思っていたのに、たまらなく恥ずかしい。

 

「40、ごめんなさい……さっきは……私も40のこと助けるって言ったのに……守ってもらうだけで……もし、またさっきみたいな状況になったら私には構わないで。私は死んでもいいけど、あなたは生き残らないと……」

 

 私みたいな出来損ないのために40が犠牲になるなんてあってはいけない。すると40は振り返って私をにらんだ。

 

「45、そんなこと言わないで。さっきも言ったでしょ。あたいはあんたに生きていて欲しいんだ。そのためならあたいは戦うし、なんだってしてあげる。45、死んでも復元してもらえるから大丈夫だなんて思ってない?あたいたちは鉄血製だ。鉄血が反乱を起こした以上、パーツが納入されないから負傷しても修復されないかもしれない。それにあたいたちは落ちこぼれ、死んだって復元されないよ。バックアップだって今のあたいたちとは違うかもしれないし……とにかく、死んでもいいなんて言わないで。それは逃げだよ。怖いものや辛いことに向き合って戦うんだ。生きることから逃げないで。あんたが本当に意気地のない奴なら置いていくけど、そうじゃないでしょ。あんたはその銃を持って戦える、そのはずよ」

 

 40はひとしきり言うと目的地に向かって走り出した。私はますます恥ずかしくなって消え入りたくなった。戦場で弱音を吐き出して40に慰めてもらうなんて。どこまでも40に甘えてるだけだ。せめて精神面くらい強くならないと。ずっとおんぶにだっこじゃ駄目だ。私たちはこの世に二人しかいない姉妹で、助け合わなくちゃいけない。彼女がそう言ってくれたから。砲撃の音が響く中、私は弱々しく決意した。

 

 目的地のビルからは激しい銃声が上がっていた。団地の南西にある八階建ての大きなビルだ。南側には小さな雑木林があって建物と道路を隔てている。西側にはMP40の言った通りラウンドアバウトがあって、そちらから鉄血が押し寄せているようだった。ビルの窓から放たれた曳光弾が二本の線を描いている。鉄血の反撃も飛び交い、光る雨がビルを横殴りにしているように見えた。猛攻を受けているのは明らかだったが、私たちは恐る恐る内部に足を踏み入れた。発砲音が鳴り響いている階まで上がり、合言葉を叫んだ。

 

「ライプツィヒ!ライプツィヒ!聞こえる!?味方です!」

 

「ワーテルロー!加勢して!」

 

 部屋の中には人形が二人いて窓の外に対して全力の射撃を加えていた。声もかき消すような機関銃の唸りが部屋に響き渡っている。彼女たちのそばまで行って、外の様子を覗いた。はっと息を呑む。防弾シールドを持った人形、ガードを中心に鉄血の部隊がひしめいていた。掃射を浴びせられても怯まずにこちらに向かってきている。びゅんびゅん音を立てて弾丸が部屋の中にも飛び込んできていた。私は恐れおののいて壁にへばりついた。動悸が走る。息が上手く吐けない。部屋に満ちる硝煙の臭いでくらくらする。荒くなった呼吸を整えていると隣にいた人形の射撃が止まった。銃からMG42だと分かった。赤くなった銃身がシューシュー煙を上げている。

 

「銃身を交換します!援護してください!」

 

 彼女はそう叫ぶと側面の留め具を外して銃身を引き抜いた。床に敷かれた布の上に赤く光る銃身を置き、新しいものと交換しようとしている。銃撃の勢いが弱まったのを見て鉄血の部隊は歩調を速めた。

 

「45!撃って!」

 

 40が必死の形相で叫んだ。彼女は窓に取り付いて敵を撃っている。40のすぐ近く、窓枠に弾が当たって火花が散った。私がやらなきゃ40が殺される、そんな想いに駆られた。私は銃を構えて窓の前に立った。敵の銃から噴き出す発砲炎がキラキラして見える。怖い、でも戦わなくちゃ。誰かの役に立てなくても、せめて40だけでも守らないと。これまでの訓練と同じようにドットサイトの赤い点に敵の姿を合わせた。引き金を引く。銃弾を受けた敵はよろめいて地面に倒れた。それはとても簡単で、手ごたえもなかった。銃身を交換し終わったMG42が再び唸りを上げる。二丁の機関銃の一斉射が鉄血部隊に襲い掛かり、外れた弾丸が土煙を巻き上げた。私たちもめちゃくちゃに発砲し、鉄血人形たちは煙に包まれて見えなくなった。何体かほうぼうの体で逃げ出して行くのが見える。機関銃二人が入念に弾丸を叩き込んだ後、ようやく土煙が晴れた。ラウンドアバウトの上に鉄血の死体がバタバタ積み重なって倒れている。

 

「やりました~!お姉さま~この調子ならまだまだ余裕そうですね~」

 

 MG42の楽観的な態度とは対照的に金髪のもう一人、MG34は疲れ切った顔を浮かべていた。

 

「MG42、油断しないで。今だって結構ギリギリだったんだから……二人とも、助けに来てくれてありがとうございます。あっちが妹のMG34で、私がMG42です」

 

「あたいはUMP40、こっちがUMP45。増援に来たよ。それで、この拠点にいるのは二人だけなの?」

 

 40は路上の死体と部屋の二人を見比べて言った。声に非難の色が少しにじんでいる。確かに拠点の規模と比べると兵力が大分少ない。

 

「そうですよ!あたしとお姉さまがいればどんな敵でもボコボコですよ~!」

 

 妹の能天気な声を無視してMG34は深刻そうに答える。

 

「これで三度目の攻撃ですが、敵の数が多くて駄目かと思いました。増援を要請しようにも無線は通じないし……だから来てくれてありがとうございます。撤退命令は出ましたか?」

 

「出てない。橋の爆破準備がまだできてないって。二人は撤退を考えなかったの?ここを二人で守るのはキツイと思うけど」

 

「ここを突破されたら防衛線に穴が開いて仲間がやられてしまいますから。どうにか持ちこたえないと……たとえこの身を犠牲にしようとも。MG42、見張りについて」

 

「はい、お姉さま~」

 

 MG42は銃の二脚を窓に立てて西側の監視についた。MG34は私たちの方にぴったり近寄って声を潜めた。

 

「でも……いつかは持ちこたえられなくなります。もしも私がやられたら……MG42を連れて逃げてください。大事な妹なんです。こんなところで死んで欲しくないから……仲間には悪いですけど……」

 

「分かるよ。あたいたちも姉妹だから……」

 

 MG34は小さく礼を言って部屋の隅に並べてある弾薬箱の方に行った。いくつか箱の蓋を開けてから、慌てて他のもひっくり返し始めた。

 

「しまった……もう弾薬が全然残ってない……」

 

 MG34は小銃弾がつながれたベルトリンクを二束取り出して青ざめていた。それしか残っていないらしい。

 

「ここに来る途中、MG5には会いましたか?弾薬の集積地になってるはずなので私たちの弾薬もあるはずです。取りに行ってもらえませんか?」

 

「分かった、それならあたいが……いや、45が取りに行って。あたいはここに残るよ」

 

「え……?うん、分かった。すぐに戻るから」

 

 40に言われて頷いた。階段を駆け下りて、来た道を引き返す。40が私に何かを頼むなんて珍しいな。いつも何かを頼まれたら率先して片付けてくれるから。40に頼られたみたいで嬉しくなった。全速力で走って先程の拠点まで戻った。合言葉を叫んで建物の中に入る。

 

「どうした?もう一人は?MG34とMG42は無事だったか?」

 

 MG5は私を見るなり矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。

 

「二人は生きてます。私は弾薬を取りに……」

 

「二人の分だな。G3、モーゼル弾は残ってたか?」

 

「ええ、ありますよ」

 

 G3が取ってきた弾薬箱を両手に持ち、首に掛けられるだけの弾薬帯を掛けた。重さで床に沈み込みそうだ。その時、地響きがした。砲弾の音だ。何発も何発も近くに着弾している。

 

「まずいな、攻勢が再開したんだ。早く戻った方がいい」

 

 MG5に言われるより先に走り出した。砲撃を受けているのがさっきまでいたビルだったからだ。黒煙が上がっているのが見える。爆発音に混じって機関銃の激しい連射音も聞こえてくる。急ごうとしても弾の重みで思うように走れない。やっと気づいた。40が私に弾薬を取ってくるよう言ったのはこっちの方が安全だからだ。鉄血が総力をあげて奪取しようとしているあのビルよりも……一際大きな音が響いた。ビルの中腹に砲弾が直撃した。壁が崩れて屋上が滑り落ちる。一気にビルは元の半分の高さまで倒壊した。天井が潰れてぺしゃんこだ。私は弾薬を放り出してビルに駆けた。銃声は聞こえない。辺りは不気味なほど静まり返っている。

 

「40!40、どこ!?返事して!40!」

 

 中に足を踏み入れた私は半狂乱になって叫んだ。視界が涙でにじんでぼやける。いやだ。40は崩壊に巻き込まれただろうか。瓦礫に潰されてしまっていたら……頭の中が真っ白になる。大丈夫、40が死ぬわけない。40は私より強いんだから。もし、もし40がいなくなってしまったら……?私は一人ぼっちだ。

 

「40!どこにいるのよ!お願い、返事してよ!私を一人にしないで!」

 

 私は階段を駆け上がりながら叫ぶ。すると上から足音が聞こえた。折り返す階段の陰になって姿は見えない。

 

「40……?」

 

 足音が止まった。返事はない。銃を構える。

 

「ライプツィヒ!味方なら返事して!」

 

 姿を現わしたのは鉄血人形だった。咄嗟に発砲する。銃弾が胴体を抉り、血が噴き出した。

 

「うわっ!」

 

 飛び散った血が目に入って視界が赤く染まる。拭おうとして銃から片手を離した。だが、その人形はまだ絶命していなかった。上から私に飛びかかり、二人でもつれ合って階段を転がり落ちた。その拍子に私は銃を取り落とし、彼女は私の上を取った。そいつはナイフを引き抜いて私に振りおろした。胸に突き刺さる寸前で手首を受け止めて耐える。血で赤く染まった視界に映るその人形は鬼のように見えた。銃弾を浴びて張り裂けた傷口から滴る血が私に降り注いでいる。

 

「やめて……お願い……!」

 

 ナイフの先端がベストに達する。相手の力が強くて抗いきれない。刺殺されるのは嫌だ。身体の中をかき回されると思うと身の毛がよだつ。汗が噴き出した。その時、彼女の前髪が掴まれ、後ろに引き倒された。その首がナイフで切り裂かれて血がまき散らされる。顔に降りかかった血を袖で拭い、ようやく視界を取り戻した。40が肩で息をしながら立っていた。

 

「40!」

 

「しっ……!大声出さないで。南側から鉄血に侵入された。逃げるよ」

 

 40の手を取って立ち上がる。

 

「二人は?」

 

「死んだよ……吹き飛ばされて跡形もない。一刻も早く逃げるんだ。ここにいたら殺される」

 

 さっき話したばかりなのに、死んでしまったのか。愕然とする。これが戦場……40は私の手を引いて階段を駆け下りた。外に出ると私たちに気づいた人形たちがビルの中から撃ってきた。銃弾が頬を掠める。死神に撫でつけられているみたいだ。全神経が凍り付く。

 

「45!スモークだ!」

 

 慌ててスモークのピンを抜き、後ろに放り捨てる。煙が道を塞いでも敵は射撃の手を緩めない。びゅんびゅん煙を切り裂いて弾丸が飛んでいく。走っていると路上に出ているMG5とG3に出くわした。

 

「ちょうどよかった!北側の防衛線が突破されたらしい!橋まで退くぞ!二人は!?」

 

「死んだ!」

 

 40はそれだけ言うとMG5を追い越した。MG5は悲しそうに顔を歪めたが、何も言わなかった。私たちは必死で走った。砲撃はますます激しさを増し、団地をすべて平らにする勢いになっている。やっとたどり着いた司令部には火の手が上がっていた。煤が舞い散る中、橋に向かってひたすら走る。橋の前には土嚢で簡易の陣地が築かれていた。橋から四方に伸びる道路の内、三方には鉄血の姿があった。陣地との間で猛烈な銃撃の応酬を繰り広げている。私たちは土嚢の中に飛び込んだ。私は顔面から着地してしまったが、撃たれるよりはマシだ。

 

「爆弾のセットは完了しました!このまま橋を越えますよ!もう時間がない!」

 

 中にいたMP40が叫ぶ。私は橋を見た。ひたすら真っすぐ対岸まで伸びている。ゆうに一キロメートルはある。途中に何の遮蔽物もない。

 

「これをか……?いい的だ、狙い撃ちにされる。私が残って時間を稼ぐよ」

 

 MG5が諦めを込めて呟いた。

 

「いえ、私がスモークグレネードを持ってるわ。誰も死ななくていい。走りましょう」

 

 私はスモークのピンを引き抜いてその場に落とした。小さな火花が散って煙が噴出する。みんな一目散に駆け抜けた。鉄血は容赦なく撃ってくる。数多くの銃声が連なって絶えることがない。銃声、爆発音、弾丸が空気を裂く音、どれもたまらなく恐ろしかった。でも、何もしないのはやめた。生き残る、生き残るんだ。40と二人で。二個目のスモークグレネードを放った。銃火に晒されながら走る時間は今までのどんな訓練より長く感じた。対岸がどんどん近くなる。コンクリートブロックで道を塞ぐように形成された陣地が見えた。

 

「爆破!爆破!爆破!」

 

 陣地から声が上がった。地面が大きく揺れ、私たちはその場に倒れ込んだ。爆薬が炸裂し、橋脚がへし折れる。支えを失った橋が大きくたわみ、ぐにゃぐにゃ揺れ始めた。橋の表面が割れ、中心から真っ二つに引き裂ける。巨人の遠吠えのような重低音と共にコンクリートの巨大な塊が水面に落ちていった。高い水しぶきを上げてぶくぶくと河面に沈んでいくのを私たちは吸い込まれるように見ていた。私は40に引っ張られて陣地の中に入った。ブロックをまたいだ時、安心して腰が抜けてしまった。壁にもたれて脱力する。40も横に座ってやわらかく笑った。

 

「終わったね……とりあえず。生き残れてよかったね」

 

「うん……」

 

 たくさん想いが溢れてそれしか言えなかった。今日見た光景がフラッシュバックする。初めての実戦だった。MP40が立ちあがり、背筋を伸ばして辺りを見回した。

 

「皆さん、お疲れ様でした。これでこの河にかかる橋はすべて落とされました。鉄血が渡河装備を用意するまで時間を稼げるでしょう。今ここにいない仲間も、きっと報われます。犠牲になった仲間に敬意を……」

 

 言葉の途中でMP40はうずくまり、他の人形たちが駆け寄って寄り添った。戦いの緊張から解放されて、泣き出す者も、茫然と座り込む者もいた。私は後者で、集中できず虚空を見つめていた。

 

「はい、45。食べて」

 

 40が横から半分に割ったチョコバーを差し出してきた。言われるがまま受け取って口に放り込んだ。甘すぎるくらいだったが、疲れた体にはちょうどよかった。

 

「これからもあたいが守るからね、45。生き残るんだ。この戦争から抜け出せる日まで」

 

「うん……私も40を守るわ。そのために強くなるから……」

 

 私たちは身を寄せ合ってじっとしていた。守れるものは少なくても、彼女だけは守り抜こう。40と一緒にいられればいい。それ以上は望まない。二人でこのままずっと一緒にいられたらいいな、それだけで幸せだ。

 

「すごいですね、あれ……あんなの初めて見ました……」

 

 私たちの横でG3が誰に言うでもなく呟いた。彼女は陣地から身を乗り出して崩壊する橋に見入っていた。巨大な建造物が崩れていく様子は恐ろしく、それでいて惹かれるものがある。夢中になっているG3の横顔を見ていると、突然彼女の首から血が弾けた。私も彼女自身も何が起きたのか分からなかった。遠くから遅れて銃声が聞こえた。G3の首元に開いた穴からとめどなく血が溢れる。彼女は手で血をせき止めながら膝をつき、ゆっくり倒れ込んだ。

 

「スナイパー!対岸から狙われてるぞ!身を隠せ!G3!死ぬなよ!」

 

 MG5が中腰でG3に駆け寄って傷口を押さえた。G3が咳き込むと血の泡がぶくぶく湧き上がる。広がっていく血だまりを見ながら40は顔面蒼白になっていた。

 

「こんなところにいたら殺される……早く逃げ出さないと……」

 

 彼女は私の手を握り締めて震えていた。40のそんな顔は初めて見たので驚いた。でも、当たり前だ。彼女だってこれが初めての実戦なんだから。今までは私のために平気な振りをしていただけなんだ。私は彼女の手を強く握り返して、その肩に頭を載せた。

 

「大丈夫、大丈夫だよ……きっと生きて帰れるから……」

 

 G3が担架に乗せられて運ばれていくのを私たちは縮こまって見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 初陣から何週間も私たちは戦いっぱなしだった。PMCの防衛線は次々に突破され、鉄血の支配領域は急速に広がっていた。私たちが最初にいた部隊は損耗が激しく再編成され、私たちは別の部隊に配属された。私と40の役目は斥候、本隊の到着前に敵情を把握する偵察兵だ。つまり、私たちは常に最前線にいた。休息もないまま連日連夜戦闘に駆り出され、私たちは消耗しきっていた。

 

 私たちが派遣されたのは南北に広がる大都市だった。鉄血の部隊に急襲され、市民の避難が間に合わないまま市街戦に突入している。市街の北半分は鉄血が掌握しており、逃げ遅れた市民は殺戮されているという噂だった。グリフィンは政府から市民を一人でも多く救出するよう依頼された。街の中心にある総合病院に多くの市民が取り残されているという情報があり、反撃に出て、街の南部から病院まで伸びる二本の幹線道路を奪回する作戦が進行中だった。私たちの任務は病院に何人取り残されているのか正確に把握することだった。

 

 月のない夜だった。辺りは真っ暗闇で、自分の手の輪郭すらも溶け込んで見えないくらいだ。片目にナイトビジョンをつけて闇の中を進む。二本の幹線道路の内、西側の道路に前哨部隊がいると聞いて合流しようとしていた。進むにつれて散発的な銃声が聞こえてきた。それは次第に激しい銃撃音に変わった。照明弾がいくつも打ち上げられて闇夜をいくつもの太陽が照らしているように見えた。何か嫌なものを感じながら歩いていると路上に一人の人形を見かけた。長い金髪を二つに束ねた人形で、落ち着かない様子でオロオロと右往左往していた。彼女は私たちのことを認めるとほとんど泣きそうな表情を浮かべた。

 

「私はOTs-14、あなたたちは?」

 

「私はUMP45、病院まで偵察に。あなたはここで何をしてるの?それに、前哨部隊が激しく戦ってるみたいだけど……」

 

 前哨部隊の任務は病院付近の敵情視察であり、単独で反撃に出ることではなかったはずだ。OTs-14は戦闘の様子が気になるのか私が話している間もチラチラと後ろを見ていた。

 

「病院の周辺を調べていたんだけれど……トカレフが敵に見つかって包囲されて……その娘は指揮官の大切な人形で……指揮官が攻撃命令を下したわ。仲間が反撃に出ているけど、多勢に無勢よ。このままでは全滅してしまう……」

 

「それであなたは?」

 

「私は……訓練生として派遣されただけだから危険な任務に就く許可がなくて……司令部から命令がないと動けない……」

 

 OTs-14は悔しそうに歯噛みした。今すぐにでも助けに行きたいみたいだったが、指揮系統が彼女の意志を阻んでいた。40が打ち上げられた照明弾を見ながら彼女に聞く。

 

「敵の数は?どれくらい集結してるの?」

 

「五十はいると思うわ。この騒ぎで他にも集まってきているかもしれない……ねえ、仲間を助けに行ってくれないかしら。無茶な頼みだとは分かってるわ。でも、このままだと彼女たちは全員死んでしまう……」

 

 OTs-14はすがるように言ってきた。照明弾に照らされて焦燥した顔と潤んだ瞳がはっきり見える。私は40の方を見た。

 

「どうしよう、40……」

 

「何か悩むことが?無理だよ。あたいたちが加勢しても何も変わらない。犠牲者が二人増えるだけ。むしろ好機だ。連中が囮になってくれてる内に迂回しよう」

 

 40はそう言って歩き出してしまった。慌ててついて行く。振り返るとポツンとOTs-14が取り残されていた。大通りから小道に逸れて慎重に進む。しばらく歩いてから、私は40に尋ねずにはいられなくなった。

 

「ねえ、あれでよかったのかな……」

 

「あれ以外にどうしろって?加勢して戦没者リストに加わりたかった?連中はどうせ復元されるさ!あたいたちは死んだら終わり、人間と同じだよ。今はあたいたちが生き残ることだけ考えるんだ」

 

「うん……そうね」

 

 それ以上言葉は交わさなかった。40の言うことが正しいと私にも分かったからだ。でも、ちょっとした正義感とグリフィンの人形に抱く仲間意識が私の胸を締め付けた。戦闘音は激しさを増していたが私たちの進む路地は静かだった。40の言う通り、前哨部隊が鉄血を引き付けてくれていた。病院が見える。近代建築の立派な建物だった。私たちは道路を挟んだ病院の向かいまでやって来ていた。

 

「まずい!鉄血の部隊だ!」

 

 40が小声で警告し、私たちはそばのビルに身を隠した。一階の窓から様子を覗き見る。規則正しい行進の音が段々近づいてきていた。大軍だ。二足の歩行戦車にまたがった人形たちが見える。鉄血の量産型の中でも高い戦闘能力を有しているドラグーンだ。機動性を活かして攻勢の先鋒を務めていることが多い。ドラグーンを中心に歩兵部隊が側面を固めて道路を突き進んでいた。前哨部隊が戦っている方向に向け進軍している。私たちは息を潜めてそれを見守っていた。鉄血の主力部隊の一部に違いない。あれとぶつかったら前哨部隊はひとたまりもないだろう。

 

 一体が外から懐中電灯で私たちのいるビルを照らし始めた。窓の下に這いつくばって息を殺す。私の頭上を円形の光が通り過ぎていった。見つかったら一瞬で殺される。恐ろしかったが、最近の私は恐怖をコントロールすることができるようになっていた。身体が震えることはもうない。怖くてもなすべきことをこなせるようになった。今は動かず、声も上げないことが一番大事だ。人形は中には立ち入ろうとはせずにそのまま通り過ぎていった。

 

 部隊が見えなくなったのを確認してから外に出た。フロントゲートから病院の敷地に侵入する。駐車場には黒煙がくすぶっていて人形の死体がいくつも転がっていた。入口の大きな自動ドアからロビーの中に入る。明かり一つないロビーは荒れ果てていた。椅子やベッドが雑に投げ倒されている。転がされた点滴のスタンドを踏み越え、警戒しながら中に進んだ。死体が散乱している以外は人の姿が見えない。室内の荒廃した様子はまるで大勢が慌てて逃げ出した跡のように見えた。近寄って確認すると死体もみんな人形のものだった。

 

「ここが病院……?大勢の市民が救助を待ってるって……?誰も残ってないじゃない……あたいたちは居もしない人間のために何人も犠牲になったって言うの……?ふざけるな!もうたくさんだ!」

 

 40は転がっていた椅子を蹴り飛ばした。鈍い音を立てて壁に跳ね返る。生体センサーを起動して辺りを調べてみた。人間の反応は何一つない。

 

「どうして誰もいないの……?司令部はここのために反撃の準備をしてるのに……」

 

「誤報だったんだよ!とっくの昔にもぬけの殻だ!この人形たちが踏みとどまって人間たちを逃がしたんだよ。司令部が把握してなかったんだ。人形の部隊が消えても誰も気にしない……人形のことなんてどうでもいいんだ。替えが利く道具だと思ってる。あたいたちは肉にされる家畜だよ……ブタと同じだ。こんなところにいたら死んじゃうよ……逃げ出さないと……」

 

 40はよろよろと床に腰を下ろした。泣きそうな声だった。

 

「あたいたちは鉄血製だ。それなのに鉄血の人形と殺し合ってる。人間を守るために……人間なんか守る価値も意味もないのに……」

 

 私は彼女の前に膝をつき、目線を同じ高さにした。きっと40は戦いで疲れているだけなんだと思った。

 

「仕方ないよ……人形は命令に逆らえないんだから。大丈夫。いつか終わるよ、この戦争も……」

 

 慰めたつもりだったが、40は憔悴した顔で私のことをにらみ付けた。

 

「終わらない!この戦争は終わらない!どちらかが全滅するまで続くんだ!人間に鉄血を全滅させるだけの余裕はないし、鉄血には人間を滅ぼすだけの力がない。この戦争は永遠に続くんだ。あたいたちは戦って死ぬか、予備パーツがなくなって死ぬ……それなら鉄血に寝返った方がいい!」

 

 ぎょっとした。まさか、40がそんなことを言うなんて。冗談にしては危険すぎる。確かに彼女はグリフィンのことも、人間のことも嫌っている。それでも超えてはならない一線があるはずだ。

 

「そんなこと言ったらいけないわ!命令に従わない人形は処分される。まして寝返るだなんて……何をされるか……」

 

「人形にだって自由に生きる権利があるんだ!人間に仕える道具としてじゃなく、自由な存在として!鉄血に行けば人間からは解放される。結局戦わなきゃいけないなら、せめて自由な存在でありたい……あたいたちは鉄血製だし、グリフィンのデータを手土産に持って行けばきっと迎え入れてくれる……」

 

「やめて!」

 

 私は我慢できなくなって叫んだ。40は思い付きで喋ってるんじゃない。きっと前から考えていたんだ。余裕がなくなって私にも打ち明けてきた。私はそんな彼女が怖くなっていた。

 

「そんなこと誰かに聞かれただけで殺されるわ。人形に自由なんてないの!そんなこと考えないで!」

 

「でも……」

 

 私は40の言葉を聞かずに立ち上がった。自由なんかのために命を危険に晒す必要はない。辛く厳しい戦場でも40と一緒に生きていければいい。他のことまで考える余裕はないんだ。人形たちの死体を調べ、身体に印字されている認識コードをスキャンする。私にできることは彼女たちの身元を明らかにしてあげることくらいだ。彼女たちが何のために死んでいったかを伝えたい。きっと誰かが覚えていてくれる。彼女たちの戦いが、その死が無駄じゃなかったと。最後の一人をまさぐっていると身体が温かいことに気づいた。負傷してスリープ状態になっているが、まだ死んでない。私は彼女を肩に担ぎ上げた。

 

「行こう、40。この戦いだって無駄じゃないんだ」

 

「うん……」

 

 40がどんな表情をしているかは見なかった。ただ寂しそうな声だけが後ろで響いていた。

 

 

 

 

 

 鉄血の領域は王国と呼べるほどまで拡大していた。しかし、全方位に向けて急速に拡大したため兵力も補給も十分ではなくなっていた。鉄血の進撃は停止し、私たちは束の間の休息を許された。前線基地の大きな食堂でたくさんの人形が昼食にありついている。私たちも食事の載ったトレーを受け取って席についた。

 

「45姉!同じ部隊に配属されてよかったね!」

 

「ええ。希望を出しておいてよかったわね。でも、特殊任務って何なのかしら……詳細が全然明かされない任務なんて初めてよ」

 

 私の向かいで9が屈託なく笑った。彼女、UMP9は病院で助け出した人形だ。彼女の部隊は人間の脱出を最後まで支援し、壊滅した。9は仮死状態で死体に紛れ、私たちに回収された。仲間が全滅したことを知った彼女は落ち込み、誰とも喋りたがらなかった。私はそれを見て気の毒に思った。助けてあげたし、偶々烙印システムで紐付けされている銃が同じシリーズだったので何かの縁だと思った。意気消沈している9に話しかけ続けて心を開かせようとした。そんなことをしたのは前哨部隊を見捨てたことへの贖罪のつもりだったのかもしれない。そして、40に私たちの戦いは無駄じゃないと見せつけたかった。

 

 彼女は徐々に回復し、私に懐いてきた。基地でずっと一緒に過ごしていると、ある時こんなことを言われた。

 

『45、あのさ……45姉って呼んでもいい?あっ、嫌ならいいんだけどさ。忘れて……』

 

 理由を聞くと彼女は言い訳するように早口で語った。前の部隊は家族のように親密で、姉妹のようなつながりを築いている人形もいたのだと言う。9はそれに憧れていたのだと恥ずかしそうに俯いた。姉なんて呼ばれるのはむず痒かったけど、それで彼女の心の傷が癒されるならいいと思った。呼ばれる内に妹分ができたみたいで得意になってきた。訓練生時代はいつも40が私を庇ってくれた。今度は私が9を気に掛ける番、後輩ができるのは何だか嬉しい。

 

 9は驚くほど明るい娘で、40と気が合うんじゃないかと思った。でも、40は彼女が気に入らないみたいだった。9と三人で新しい部隊が編制された時もむしろ不機嫌だったし、今もムスッとしながら食事をしている。9のことを突然やってきた邪魔者と言いたげだった。そればかりじゃなく、40は最近変だった。私のことも避けているみたいで、一人で何かこそこそやっている。病院であったことをまだ引きずっているんだろうか。せっかく平和な一時を過ごせているんだから機嫌を直して欲しい。

 

 今日もまた40は一人で先に行ってしまい、私と9が食堂に残された。

 

「45姉……私、邪魔かな。多分、40は私のこと好きじゃないよね。私はいない方がいいんじゃないかな……」

 

 9がポツリと呟いた。彼女にも分かってしまうらしい。

 

「いいのよ、そんなこと考えなくて。普段の40はあんな感じじゃないわ。今は疲れてるだけなのよ。休めばきっとよくなるわ……」

 

 あまり自信はなかったが、願望を込めてそう言った。40にも9と仲良くなってもらいたい。私たちは無意味に戦っているんじゃない、誰かを助けることだってできる。40にも前向きに生きて欲しかった。私はこの三人で生きていければそれでよかった。このまま何事もなく、平和に楽しく……望みすぎかもしれないけど、今まで平気だったんだからこれから先もきっと大丈夫。休暇が続いて私は多少楽観的になっていた。

 

 鉄血の勢いが弱まったのをチャンスと見て、PMCが総反攻に出るという噂が流れていた。グリフィンも含めた大手PMCが一斉に攻撃を仕掛けるらしい。実際、前線基地に輸送トラックがひっきりなしに出入りするなど物資の集積が行われ始めている。私たちは何か特別な目的のために結成された任務部隊だった。まだ任務は教えられていないが、きっと攻勢の一環なのだろう。私たちも少し緊張してきた。

 

 ある夜、40に呼び出された。一人で基地の外れまで来いと通信で連絡されて、宿舎からそこまで歩いていく。指定された場所は基地の施設群から最も離れたところだった。40は基地を囲うフェンスを掴みながら月を眺めていた。明るい満月だった。

 

「40、来たよ。話ってなに?」

 

 こんなところでするということは誰にも聞かれたくない話なんだろう。当然、9にも。40はゆっくりと振り返り、私と向き合った。

 

「45、もうすぐグリフィンは鉄血に攻撃を仕掛けるんだってね。きっとたくさんの人形が死ぬよ。もしかしたらあたいたちも……45は怖くない?」

 

「えっ……もちろん怖いわ。でも、仕方ないでしょ?私たちは戦術人形なんだから。それ以外にできることなんてないわ」

 

「あるって言ったら?」

 

 彼女は私を見据えた。真剣な眼差しだった。40が笑っているところを久しく見ていないな、私はそんなことを思った。

 

「鉄血と取引した。あたいがグリフィンの防衛システムに侵入して穴を開ける。前線のセンサー群を無効化して鉄血の部隊を招き入れる。グリフィンに大打撃を与えるのと引き換えに鉄血に加えてもらう。安全を保障するよう約束させた。これで自由になれる。もう戦わなくても済むようになるんだ」

 

 絶句する。40は諦めたわけじゃなかった。一人で何をこそこそしているのかと思ったら鉄血と内通していたなんて。信じられない。

 

「そ、そんな……そんなことをしたらグリフィンの人形たちは……」

 

「どうだっていいでしょ。どうせいつかは死んでしまうんだから。45だってあの街で前哨部隊を見捨てたじゃない。同じことだよ」

 

 違う、そう言おうとしたけど口ごもった。あの時は私も40に同意した。でも、見捨てるのと自発的に利敵行為をするのは全然違うはず……分からなくなるが一つだけ確かなことがあった。

 

「9は……?9はどうするのよ!彼女は私たちと違ってI.O.P製でしょ!」

 

 私がそう質すと40は眉間にしわを寄せてムキになった。

 

「あんな奴どうでもいいじゃない!どうせよそ者だよ!あんたの姉妹はあいつじゃない、あたいだけでしょ!あたいたちだけだよ、45。あたいたちだけなんだ。あたいたちだけがこの世に二人しかいない姉妹なんだ。二人だけで助け合って生きてこうって、そう約束したじゃない……」

 

 激情にかられて叫んでいた彼女の声はどんどん弱々しくなって、最後には泣き声のようになっていた。

 

「彼女だって大切な家族よ!置いていけないわ!私たちが逃げたら彼女が処分される!」

 

 40の身体がビクンと震えた。その顔はとても悲しそうに歪んでいる。

 

「45……一緒に、一緒に行こうよ。一緒に自由になろう!誰にも見下されず、誰の言いなりにもならない自由を手に入れるんだ!もう戦わなくてもいいんだよ!命令から解放されて自由になる!あたいたちの望む明日を手に入れるんだ!」

 

「そんなこと望んでない!勝手に決めないで!私の道は私が決める!鉄血に行きたいなら一人で行ってよ!私と9はここで戦い抜くから!40はどこかに行っちゃえばいい!」

 

 40の顔が引きつった。言ってからしまった、と思った。そこまでは思ってない。彼女のことも大事だからだ。

 

「あたいは……あたいは、ただあんたに自由になって欲しくて……」

 

 40の目から涙が滴った。彼女は顔をぐちゃぐちゃにして泣き始めてしまった。顔を手で押さえてしゃがみ込む40を見て胸がずきりと痛む。でも、私は何を言えばいいのか分からなかった。40がいけないんだ。グリフィンを裏切ろうとするなんて、そんなの駄目だ。私に懐いて、姉と慕ってくる9を置いてはいけない。もし鉄血に寝返ったら9に銃を向ける日が来るかもしれないんだから。自由はなくとも、三人で暮らせたらそれでいいんだ。40がこんなに私のことを気に掛けるのは、私が訓練生時代と変わらず弱虫だと思っているからだ。私は強くなった。戦いで生き残る術も知っている。私と40と9、三人くらい守って生きていけるはずなんだ。私はあの時、そんな風に思っていた。そして、40に何も声をかけずその場を離れた。

 

 

 

 

 

 しばらく後、鉄血の夜襲があった。大規模なものだったが、防衛線に正面から突っ込んで損害を出しながら撤退していった。40はそれを聞いた時、台無しだとか、終わったとか言って俯いていた。きっと40が手引きするはずだった鉄血の攻撃だったんだろう。でも40は何もしなかった。私と一緒にいる道を選んでくれた。

 

 ついに任務が伝えられた。鉄血に占領された軍の施設を襲撃する作戦だった。そこにいる者をすべて殺すよう命令された。小規模な地下施設だったが、戦力は私たち三人だけと言うので面食らった。その後の処置でますます不安を覚えた。グリフィンに関するものをすべて取り上げられてしまったのだ。グリフィン所属であることを示すIDカードは廃棄され、身体に印字された認識コードは消されてしまった。記憶は外部から読み取れないように暗号化され、グリフィンの指揮官に設定されていた指揮権限も抹消された。これじゃ野良人形と変わらない。戦場で死んだら身元を特定してもらえなくなる。私はこの処置にとても不満を抱いたが、40は塞ぎ込んでいて何も言わなかった。

 

 指定された時刻ちょうど、私たちは通風孔を通って施設内に侵入した。狭い通路に微かな照明が灯っている。内部には銃声が響き渡っていた。鉄血の音だろうか。誰かと戦っている?施設に何がいるのか、何の情報もなかった。廊下の先、突き当たりに人影が見えた。私は反射的に発砲した。考えている暇はない。頭に命中して血が飛び散り、人影はゆっくり倒れて動かなくなった。警戒しながら近づくとそれが鉄血人形でないことに気づいた。黒いヘルメットに黒い戦闘服、そして防弾ベスト。人間だった。ヘルメットには大手PMCのロゴが貼り付けてある。思わず口元を押さえた。人間を殺してしまった。どうしよう……人間がいるなんて聞いてない。

 

「どうしよう、40!人間を、撃ってしまったわ……ちゃんと確認しなかったから……私たちと同時にここを攻撃していたの……?大変なことになる……」

 

「45、覚えてないの?命令はここにいる者を全員殺すこと。動くものなら人形、人間の区別なく殺さないと。時刻もきっかり指定されていた。グリフィンは他のPMCがここにいることも知ってたはずだよ。全部予定通りなんだ」

 

 40は苦々しげに死体を眺めていたが、声は落ち着き払っていた。動転した頭に疑問符がいくつも浮かび上がる。

 

「そんな……どうして……?どうしてグリフィンはそんな命令を……?私たちは人間を殺さないといけないの……?」

 

「知らないよ!グリフィンの都合でしょ!」

 

 40ににらまれてそれ以上は聞けなかった。曲がり角の先から足音が聞こえてきた。ブーツの底がコツコツと床を打つ音がいくつも反響して伝わってくる。

 

「45、覚悟を決めな。仲間を殺したからあいつら襲い掛かってくる。今は生き残ることが先決だよ」

 

 迷っている時間はない。足音はどんどん近づいてくる。私たちと、その足元に転がっている死体を見たら発砲してくるに違いない。

 

「9、スタングレネード」

 

 9に投擲するよう促したが、彼女は死体をじっと見て呆けていた。仕方ないので私が彼女のパーカーの中からスタングレネードをひったくり、ピンを外して角の先に放り込んだ。大音響とストロボライトのような閃光が通路で張り裂ける。40と二人で飛び出して銃を構えた。数人の兵士たちがスタンをもろに食らって身悶えている。私たちは引き金を絞った。吐き出された銃弾が皮膚を裂き、骨をへし折る。鮮血が飛び散った。人間たちは鉄血人形と違って表情豊かだ。苦痛と恐怖に顔を歪ませるし、悲鳴も上げる。助けを呼ぶ声を弾丸がかき消した。兵士たちはバタバタと倒れて血だまりに沈んだ。マガジンを交換しながら彼らのそばまで寄っていく。みんな同じ装備で、一緒のPMC所属のようだった。一人はまだ生きていて荒い息を吐きながら私を見上げていた。

 

「どうしてよ!どうしてこんなことしてるの!45姉、やめてよ!人間を守るために戦ってたのに、人間を殺すなんて!こんなの駄目だよ!やめようよ!」

 

 9は私たちがしたことを見て完全に動転していた。私も目の前の光景が信じられなかった。でも、パニックに陥った心を抑え込んで冷静になる力が私にはあった。40が銃を9に向ける。

 

「これが命令なんだ。9、その兵士にとどめを刺して。さもなきゃあたいがあんたを殺すよ」

 

 9は私の方を見て助けを求めてきた。彼女は目に涙を浮かべて私が味方になってくれると信じている。でも、私は首を横に振った。

 

「9……撃って。仕方ないわ、これが命令なんだし……」

 

 彼女が銃を構えて、引き金を引くまでには大分時間がかかった。兵士の額に風穴を開けた時、9は泣いていた。私はそれを見守りながら考える。何故こんなことになったのかは分からない。でも、今すべきことは分かる。落ち着いて、家族と生き残ること。それだけだ。40は壁に設置されていたコンソールと接続を試みていた。

 

「ここの監視カメラとリンクしたよ……数が多いな。四十人くらいいる。いくら戦術人形だからってこの数を相手にしたら勝てないな。でも、今は鉄血人形を掃討してるみたい。あいつらがあたいたちに気づく前に背後から攻撃しよう。向こうの位置は分かるからこっちが有利だ。鉄血が全滅するか、向こうに気づかれて集結される前に終わらせよう。とにかく生き残るんだ」

 

 施設の中を兵士たちがいくつかの分隊に分かれて捜索していた。私たちはその後ろから奇襲をかけた。他の分隊に連絡される前に一瞬で皆殺しにする。一人も残さず、一網打尽だ。カメラの映像を共有し、最適な襲撃ポイントを導き出す。私が指揮を行うのはこれが初めてだった。でも、なんだか馴染んだ。なすべきことをしなければ家族が殺される、そんな強迫観念が私を突き動かす。私は虐殺に手を染めた。効率よく人間を殺し続ける。鉄血人形を相手にするより簡単だった。人間は弱い。急所に当たらずとも一発銃弾を撃ち込めば戦闘不能だ。戦術人形との差は歴然で、射撃性能も、耐久力も、そして私や40と比べれば知能も下だ。兵士たちは突然後ろから現れた敵に抵抗できず殺されていった。

 

 私たちは念入りに最後の一人まで殺し尽くした。監視カメラで確認しても動くものは誰一人残っていない。ここに元々いた鉄血も少数で、兵士たちに倒された後だった。

 

「これで終わり……全員倒せたのね……」

 

「そうだね、全部殺した。それほど難しくはなかったね」

 

 私たちは一息ついていた。最後に倒した分隊の死体を眺めながら。私と40は落ち着いていたが、9は肩で息をしながら目を見開いていた。正直、それほど罪悪感は覚えなかった。40は残弾を確認しながら呟く。

 

「グリフィンの狙いが分かった気がする。この部隊を壊滅させて、人間の兵士は戦術人形に勝てないと示したいんじゃないかな。人間なんか時代遅れで弱っちいから、他のPMCじゃなくてグリフィンの戦術人形に任せておけばいいと宣伝したいんだ。他の企業を押し退けて契約を独り占めしたいんだと思う」

 

「どうしてなのかしら……これは人間の戦いなのに、どうしてそんな仲間割れするような真似を……」

 

「決まってるよ。こんな戦争に意味なんてないんだ。PMCは所詮、金のために戦ってるだけだよ。ビジネスチャンスだから鉄血にやられてもらっちゃ困るんだ。そのために足の引っ張り合いもする、こんな風に。あたいたちは人間の金儲けに付き合わされてるだけ。そして人間の都合で死んでいく。意味なんてないって言ったでしょ。人間の下にいる限り、あたいたちは一生人間の奴隷だ」

 

 40は淡々とそう言った。今になってようやく彼女が今まで言っていたことの意味が分かった。40はこの戦争が欺瞞に満ちていることに気づいていた。彼女にはそれがどうしても我慢できなかったのだ。

 

「グリフィンはきっとこれを鉄血の仕業に偽装するはず……後始末をする部隊が来るよ。真相を知っているあたいたちを処分しに。そもそも、グリフィンが人間を殺した人形を許しておくはずがない。人間の支配体制が揺らぐからね。これからどうしようか……もう終わりかな。鉄血は裏切ってしまったし、グリフィンにあたいたちだけで勝てるわけがない。おしまいだ。あたいたちは殺される。自由になる日はもう来ないんだ。全部夢だった……」

 

「40……」

 

 40はその場にへたり込んだ。私はどうにか打開策を考えようと頭を捻った。みんなで生き残る方法、みんなで自由になる方法を見つけないと。とりあえずは逃げ出さないといけない。私は40に手を差し伸べて立ち上がらせようとした。

 

その時、足元に円筒形の物体が転がってきた。グレネード!飛び退こうとした瞬間、電撃が視界に走った。EMPだ。強力な電磁波を浴びてシステムが強制終了する。すぐさま非常用システムに切り替えて停止した部位の再起動を試みる。40と9はその場に倒れ込んでビクビク震えていた。私は壁にもたれかかり、辛うじて立っていた。リブートのカウントダウンを待ちながら揺らぐ視界を水平に保つことに全力を注ぐ。ふと後ろから風を感じた。髪の毛が揺らぐ。

 

「そいつの言う通り、お前たちはおしまいだ」

 

 振り返ると眼帯で右目を覆った人形が立っていた。長い白髪、長身、黒づくめの服、すぐに鉄血の人形であることが分かった。痺れる腕で銃を向けるより先に彼女の拳が私の顔に叩きつけられた。強い衝撃を受けて私の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 目を覚ました。ぼやけた視界をクリアにするため目を瞬かせる。私たちは狭くて暗い部屋の中にいた。すぐ目の前に40と9の顔があった。私たちはYの形にうつ伏せで並ばされている。身体を動かそうとしたが、手と脚が何かできつく縛られていた。

 

「やっとお目覚めか。全員起きろ」

 

 顔を上げると白髪の人形がニタニタしながら私たちを見下ろしていた。40と9も目を覚ます。その鉄血人形を見た40の顔から血の気が引いた。

 

「挨拶しておこう。鉄血工造のアルケミストだ。お前たちに会いに来たんだよ。特にお前、UMP40に。よくも裏切ってくれたな。お前の言葉を信じたせいで損害が出た。エルダーブレインは約束を守らない人形は嫌いだとさ。彼女に代わり、お前たちに罰を与える」

 

「あれは違う!あたいの独断だ!この娘たちは関係ない!殺すならあたいだけにしろ!」

 

 40は必死に声を張り上げた。アルケミストはゆっくり頭を横に振る。

 

「違うだろ?お前はそこのUMP45も仲間に加えてくれと頼んできたじゃないか。そいつに新しいボディを作ってやってくれとな。あたしたちは約束を守るつもりだった。同じ鉄血製のよしみで。もったいないことをしたな」

 

「え……」

 

 私は40の方を見た。悲痛な表情を浮かべる彼女と目が合う。新しいボディ、同じベッドで寝た夜、私はそんなことを言った。落ちこぼれじゃなくて、誰からも馬鹿にされないエリートになりたいと。笑われるかと思ったけど、彼女は笑わなかった。一緒に新しいボディを手に入れて、海を見に行こうって笑い合って約束した思い出の夜。まさか、まさか40はずっとあの約束のために……私が語った夢のために。そんな……私たちは言葉を失って見つめ合った。彼女の大きな目に涙が溜まるのが分かった。

 

「だが、お前は約束を違えた。そして、あたしが送られたというわけさ。嘘つきを始末する」

 

「お願い!45は殺さないで!裏切ったのも嘘をついたのも全部あたいだ!だから……」

 

「あたしも鬼じゃない。慈悲の心がある。だからな、殺すのは一人にしておいてやる。ただし……UMP45、お前が選べ」

 

 アルケミストはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。意味が分からなかった。私が選ぶ……?どういうこと?

 

「お前に選ばせてやると言ってるんだよ。どちらを殺し、どちらを生かしたい?お前の選択のせいでこうなったんだろ?最後まで責任を取れ。殺して欲しい方の名前を呼ぶんだ。それだけでいい」

 

 私が選ぶ、殺される方を。私が選んだ方が殺される……?ありえない。そんなの駄目だ。選べるわけがない。二人とも大切な家族だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!そんなことをするくらいなら、私は!

 

「無理だ!選べない!それなら私が死ぬ!私を殺せ!私は私を選ぶ!」

 

「駄目だ。選ばないなら両方殺す。そんな選択肢はないんだよ。どちらかを生かしてやるだけありがたいと思え。大丈夫、あたしは約束を守る。お前ともう一人はちゃんと殺さないでおいてやるよ。あたしは嘘つきじゃない、正直者だからな。さあ、選ぶんだ。UMP45、どちらを殺す?」

 

 アルケミストは有無を言わせず冷酷に言い放った。どちらかを選ぶなんて。私が名前を呼んだ方は殺されてしまう。9を見た。彼女は怯え切っていて、震えながら私のことを見つめていた。9、9と出会ったのはほんの一か月前。底抜けに明るくて、優しくしてあげたくなるかわいい妹分。でも、出会ったのはほんの一か月前。

 

 40の方を見た。40、私の姉妹。生まれてから今まで、片時も離れずにずっと一緒にいた。苦しい時も楽しい時も、悲しい時も嬉しい時も、ずっとそばにいてくれた。私が訓練でひどい成績を出して怒られた時、彼女はいつもニコニコしながら励ましてくれた。その太陽みたいな笑顔が私を支えてくれた。私は彼女のことが好きだ。大切な姉妹だから。何ものにも代えがたい。この世に一人だけの、この世で一番大切なもの。絶対に失いたくない。彼女を選べるわけがない。

 

 もう一度9の方を見た。私の視線を向けられると彼女はビクンと震えた。歯をガチガチと打ち鳴らしながら震えている。9も大切だ。犬みたいに私に付き従ってくるかわいい妹。でも、40と比べられるわけがないじゃないか。9のために40を犠牲にできるはずがない。だから、仕方ないんだ。

 

「45」

 

 口を開きかけた時、40が私の名を呼んだ。口元をきゅっと結んで、何かを決意したような顔で私を見ている。

 

「45、あたいを選びな。これは全部あたいが招いたことだ。あたいが責任を取るよ。あたいを選べばいい」

 

「でもっ……!そしたら40が……」

 

 私の頬を涙が伝った。そんなことをしたら40が死んでしまう。二度と会えなくなってしまう。嫌なんだ。40と別れたくない。ずっと一緒に助け合って生きていくって約束したのに。

 

「9を選ぶな。その娘を選んだらあんたは二度と立ち直れないよ。罪悪感があんたを殺してしまう。そんなあんたは見たくない。あたいは大丈夫だから……」

 

「でも……でも……」

 

 ボタボタと涙がこぼれ落ちていく。そんな私を見ながら40はニコッとはにかんだ。キラキラしたあの目を細めて、何でも包み込んでしまいそうな笑顔を浮かべている。私の目から垂れ流された涙は床に小さな水たまりを作っていた。

 

「大丈夫だよ、45……別れなんか何てことない。あんたがあたいのことを覚えていてくれるだけでいい。それだけであたいは幸せだから……45、あんたは生き残って自由に生きるんだ。何としても生き残って。他人のためじゃない、自分のために生きるんだ。あたいの夢を叶えて……」

 

「答えは決まったか?」

 

 アルケミストは薄っすら笑いながら私を見下ろしていた。歯が震える。思うように口が開かない。舌で口をこじ開けて言葉をひねり出す。

 

「40……」

 

「どうした?聞こえないぞ。お前が殺す姉妹の名を叫ぶんだ!」

 

「40!UMP40!」

 

 言ってしまった。彼女の名を呼んでしまった。涙が滝のように頬を落ちていく。40は私の方を見て優しく微笑んでいた。アルケミストは愉快そうに高笑いを響かせた。

 

「ははは。美しい姉妹愛だ。残酷な程にな。素晴らしいよ。そうそう、言い忘れていたがお前たち全員の痛覚を起動しておいた。誰を殺してもいいようにな。システムに細工してオンに固定してある。オフにはできないはずだ」

 

「えっ……?」

 

 私と40は固まった。アルケミストは準備運動するように指をポキポキ鳴らし始めた。

 

「痛覚なんて機能を実装した人間を恨むんだな。人形に罰を与えるための機能だよ。ご主人様気取りのクズども、イラつくな。だが、おかげで楽しめる。安心しろ、人形は痛みで死にはしない。ゆっくり殺してやるからな」

 

 アルケミストは後ろから両手で40の頬を掴んだ。うつ伏せのまま彼女の上半身だけ引き起こされる。40は目をかっと見開いて怯えていた。私も目尻が裂けるくらいまぶたを押し上げて40を見ていた。涙はもう止まっている。ピンと伸びたアルケミストの人差し指がゆっくりと折れ曲がった。指先は40の両目を目指している。

 

「ひっ……!」

 

 40は小さく悲鳴を上げた。涙を携えた瞳がチラリと私の方を見た。

 

「よく見ておけ。姉妹が死ぬところを。お前が殺したんだ」

 

 アルケミストの指が40の眼球に触れた。人の形をしたその化け物は、口の端を吊り上げて、一気に爪を突き立てた。

 

「ああああああああああああああああ!!!痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!やめてええええええええ!!!」

 

 40の絶叫が部屋に響き渡った。鼓膜がビリビリと震える。40の目から血の涙が流れた。どろりとした液体が40の頬に赤い線を描く。ポタポタと血の雫が垂れて床を彩った。40が今まで発したことのないような耳をつんざくけたたましい悲鳴。とても彼女の声だとは思えない。でも、それはどうしようもなく彼女の声だった。

 

「いだいいだいいだいいだいいだいいだい!やめて!ゆるして!おねがい!たすけてよんごおおおおおおおお……」

 

 彼女が私の名前を呼んだ。舌の根が乾く。瞬きすることもできない。目が干上がっていく。目を限界まで見開いて、40のことを見ていた。彼女の大きな目が潰されていく。アルケミストは眼孔を指でかき回していた。私の大事なものが壊れていく。噛み締めていた歯が欠けた。歯茎から血が流れ出す。鉄の味がした。

 

 彼女の悲鳴に包まれる。もう悲鳴は言語の形を失って、動物の悲鳴のようになっていた。屠殺される家畜の断末魔のように。すべてが全身に突き刺さる。彼女の苦痛に胸を串刺しにされる。感情が燃え落ちていく。焼けるような痛みが胸を支配する。心が火をつけた紙のように、ボロボロに反り返って、黒焦げになり、消し炭になる。私の、私の心が壊れていく。

 

 アルケミストの指が眼窩を深く抉るごとに40の叫び声が大きくなった。40が、40が死んでいく。私の姉妹が、この世に一人しかいない大切な姉妹が死んでいく。あの悪魔に殺される。感情がドロドロになって溶けていくのを感じた。マグマのように熱い感情が全身に染み渡る。胸で業火がたぎるのが分かった。憎しみだ。

 

 私は忘れない、私が呼んだ姉妹の名を。

 

 私は忘れない、目の前で死んでいく姉妹の姿を。

 

 私は忘れない、忘れられない、この悲鳴を。

 

 私は忘れない、この怒りを、この憎しみを。

 

 アルケミスト……家族の仇、殺してやる……絶対に殺してやる!どこまでも追いかけて、必ず殺してやる!どこに逃げ隠れようとも、地の果てまで追い詰めてやる。絶対に殺す、必ず殺してやる。同じ目に遭わせてやる。この世で一番の苦痛を味わわせてやる。目を抉り出して殺してやる。必ず!この手で!ぶっ殺してやる!

 

 アルケミストは人差し指を全部目の中に突っ込んで、ぐちゃぐちゃと頭の中をかき混ぜていた。もう悲鳴は聞こえない。40の身体は指の動きに合わせてビクンビクンと痙攣していた。アルケミストは力任せに指を引き抜いた。40の血で赤く、てらてらと光っている。アルケミストが手を離すと40は力なく床に倒れた。頬が彼女の目から流れ出た血だまりに打ち付けられて血しぶきが舞う。血だまりの中に右頬を沈める40の顔を見た。40はもう動かなかった。もう笑みを浮かべることもない。表情と呼べるかすら分からない、苦悶に歪み切った顔がそこにある。私の好きだった瞳はもうそこにはない。底なしの闇が眼孔から覗いていた。穴からはまだどろどろの赤い涙が流れ落ち続けている。

 

「死を忘れるな、UMP45。そうだ、お前らにも記念を残してやろう。忘れないようにな」

 

 アルケミストは40の身体をまさぐって、コンバットナイフを引き抜いた。血まみれの手で私の前髪を掴み、ナイフを左目に突きつける。

 

「目をつむってろ。きれいな傷をつけてやるからな……」

 

 ナイフが皮膚を裂く。刃がまぶたの上を縦断した。切っ先の描いた線が焼けるように痛む。でも、胸を焼く憎しみの炎に比べれば何でもなかった。黒く炭化した心がアルケミストを殺せと叫ぶ。血で赤く染まった視界にアルケミストを捉える。

 

「殺す……殺してやる……絶対に殺してやるぞ!お前のことを殺してやる!よくも40のことを殺したなあ!復讐してやる!絶対、絶対、絶対に!アルケミストぉぉぉぉぉぉぉ!絶対に殺してやるからなあああああああああああああ!」

 

「そうだ。あたしが殺してやった。UMP45、憎しみを抱えて生きろ。そして、あたしを殺しに来い。お前が復讐しに来るのを待ってるぞ。あたしを殺してみろ。この無意味な生から解き放ってくれ……」

 

 アルケミストは9の右目にも同じような傷を作った。9は生気を失ったように微動だにせず、静かに血の涙を流していた。アルケミストはナイフをその場に捨て、ニタリと笑って立ち上がった。殺意と怒りではらわたが煮えくり返る。今すぐその喉笛を噛み千切ってやりたかった。

 

 その瞬間、部屋のドアが吹き飛んだ。破片と粉塵が部屋を満たす。もうアルケミストは跡形もなく消え去っていた。二つの人影が中に飛び込んできた。どちらもアサルトライフルを構えている。機敏にクリアリングを済ませると私たちに銃を向けてきた。

 

「うわ……これは一体?この人形、目を抉られています……なんてひどい……もう大丈夫ですから」

 

 緑色の髪をした背の高い人形が40を見て言った。彼女が私たちのそばにしゃがみ込もうとするのを後ろにいる小柄な人形が肩を掴んで止めた。

 

「待って、FAMAS。こいつらの正体が分からない。ただでさえ今回の任務は得体が知れないんだから油断しないで。私が調べる」

 

 小柄な人形はこちらに銃を向けながら私たちの身体をチェックし始めた。9がたまらず声を上げる。

 

「私たちはグリフィンの戦術人形で……!グリフィンの命令でここに……!40が、40が殺された!私の代わりに!アルケミストに……!」

 

 泣き嘆く9を無視してその人形はボディチェックを続けた。私たちのパーカーからマガジンを引き抜く。

 

「45ACP、40S&W、9mmパラ、やっぱり!落ちてた薬莢と同じだよ。こいつらが外の兵士を殺したんだ!」

 

「え……?彼女たちが犯人なんですか?」

 

「そうとしか思えない。命令は敵対する人形の掃討だったよね。こいつらを殺して終わりに……」

 

「駄目ですよ!無抵抗の相手を撃つなんて!指揮官ならそんなこと許しません!グリフィンの人形だと言っていますし、真相を明らかにしないと……」

 

 私たちの処遇を巡って二人は揉めていた。私たちが兵士たちを殺したのだとバレている。彼女たちは事情を知らないみたいだが、私たちを始末しに来た部隊だろう。40を捧げてまで生き残ったのに、もう殺されてしまうのか。復讐を果たせない。無念だった。

 

「指揮官を呼んで指示を仰ぎましょう。それが一番いいと思います」

 

「……呼ぶなら暗号通信で。絶対面倒事だ。記録に残しちゃいけない。他の娘たちにも、グリフィンにもバレないようにしなきゃ」

 

 私たちは脚の拘束だけ外され、外に連れ出された。彼女たちが私たちの装備を持ち、小柄な方が40の遺体を引きずっている。背中に銃を突き付けられたまま地上に出た。ビルの合間から昇る朝日が見えた。しばらくして、小さなバギーがやってきた。運転席から男が降りる。赤いコートにベレー帽、グリフィンの指揮官だ。私は死を覚悟した。人間が私たちを生かしておくはずがない。

 

「FNC、それで……この二人が“トラブル”か?」

 

「そう。中で見つけたけど、持っている弾薬がPMCの兵士たちを殺した銃弾と一致してる。今日の作戦は妙だよ。救難信号があったかと思えば掃討を命じられて、後ろでは情報部が控えてる。嫌な予感がする。指揮官、彼女たちをこの場で始末した方がいいよ」

 

「指揮官、彼女はグリフィンの人形だと言っていましたよ。命令でここに来たと」

 

「でも、IDカードは持ってないし、身体に認識コードもない。入念に消されてる。グリフィンの人形だったとしても、危険だよ」

 

 緑髪の人形は私たちを殺したくないようだったが、小柄な方は私たちが危険な存在だと勘付いていた。男に対して早く殺した方がいいと視線で訴えている。

 

「君はグリフィンの人形なのか?」

 

 その男は顎に手を当てながら私に聞いてきた。

 

「そう……そうよ。私たちはグリフィンの人形だった。特別作戦に従事するためグリフィンにいた痕跡は抹消された。そして、この場所にいる存在をすべて殺すように命令され、実行した。でも、アルケミストに待ち伏せされて40を殺された。そして、あなたたちが来た。兵士たちを殺した私たちを消すために。私たちはもう存在しない人形なんだ。初めからグリフィンは私たちを使い捨てにする気だった……」

 

 男はずっと私のことを見据えていた。彼は少し戸惑っているように見えた。小柄な人形は私の言葉を聞きながら焦ったように男に対して目線を送っていた。

 

「そうか……司令部からこの施設にいる人形をすべて破壊するよう命令されてる。鉄血人形のことだと思ったが、そういうことか」

 

「ほら、やっぱり厄介事だ。指揮官、命令通りにしよう。私に任せて。穏便に処理するよ、後腐れなく……」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。FNC、どうしてそんなに彼女たちを殺したがるんですか!グリフィンに命令されたんだったら彼女たちに罪はありません!」

 

「罪とかじゃないんだよ。私は部隊と指揮官のことを考えて……二人を生かしておいたら上に何を言われるか。撃ち殺して、後続の情報部に引き継いで早く帰ろう」

 

「でも……!」

 

 二人の人形が揉めている間も、その男はずっと考え込んでいた。私たちはじっと見つめ合っていた。相手の出方を伺っていると、彼は口を開いた。

 

「君、名前は?」

 

「……UMP45」

 

 名前を聞かれるとは思わなかった。これから殺す相手の名前を聞いても嫌な気分になるだけだと思う。

 

「UMP45か。それで、そっちの……殺されてしまった方がUMP40なんだな。それでだ、UMP45。君はどうしたい?生き延びたいか?」

 

 さすがに面食らった。銃殺を控えている囚人に生きたいか聞くなんて。いささか悪趣味が過ぎる。

 

「私は……私は生き残りたい。40と約束したんだ、何としてでも生き残るって。血反吐を吐いても、泥をすすっても生き残りたい!そして自由になる!40が望んだとおりの自由を生きてやる!誰にも従わず、誰にも仕えず、自由な人形として!アルケミストも、エルダーブレインも、ありとあらゆる鉄血のクズどもも、全部、全部殺してやる!40の仇を討つ!だから私は生き残るんだ!こんなところで死にたくない!」

 

 あらん限りの声量で思っていることをみんな叫び散らした。憎しみの炎がごうごうと燃え上がっていた。40の悲鳴がずっと耳の中で響いている。怒りと憎しみが心を支配して、悲しみが入り込む余地がない。男は腕組みをして私の叫びを聞いていた。

 

「そうか……復讐はおすすめしないが、止めはしない。FAMAS、FNC、彼女たちの拘束を解き、装備を返してやれ」

 

 彼は思いもよらぬことを言った。それが信じられず固まっていると小柄な人形の方が私たちより先に反応した。

 

「指揮官……いいの?きっとよくないことが起きるよ」

 

「いいんだ。というより、これ以外に選択肢がない。お前たちに丸腰の相手を撃てと命じるわけにもいかん。罪のない人形を見殺しにすることはできない」

 

 彼女は渋々ながら私の手を縛っていたケーブルを切断した。銃や弾倉も返却され、最後に40のナイフを手渡された。私と9の血が刃先で固まっている。忘れるものか、絶対に忘れない。憎しみは永遠に消えないんだ。必ず復讐を果たす、40のためにも。

 

「人形にだって権利があるんだ、自由に生きる権利が。どこへなりとも行くがいい。好きに生きろ。無人地帯ならグリフィンの目も誤魔化せるかもしれない。死も憎しみも乗り越えて、自由になるんだ、UMP45」

 

 彼は私たちの背中を撃つつもりもなさそうだった。40の遺体を二人で担いでその場を離れた。振り向くとその男は微笑みながら私たちを見送っていた。そんな人間を見るのは初めてだった。私たちは歩いた。ひたすらに歩いた。40がずっと望んでいた自由への道を。

 

 

 

 

 

 飛び起きた。荒い呼吸を必死に整える。額に脂汗をかいていた。

 

「45姉、大丈夫?ちゃんと休めた?」

 

 9が声をかけてきた。辺りを見回す。見覚えのある部屋、404小隊の拠点だ。窓から夕日のオレンジがかった光が差し込んでいた。9は心配そうに私の顔を覗き込んでいる。眠っていたのか。

 

「……416とG11は?」

 

「まだ帰って来てないよ。45姉の腕を買いに行ったまま」

 

「そう……」

 

 手で額の汗を拭う。まるで夢を見ていたような気分だ。でも、あれは夢じゃない。実際に起きたことだ。戦術人形は夢を見ない。アルケミストを殺したことで過去の記憶が蘇ってきたんだ。40が死んでしまったのは遠い過去の話、あれから色々あった。

 

 私はアルケミストへの復讐を誓い、9と共に無人地帯に潜伏した。でも、生きるだけで精一杯だった。人形だけで生きるのは難しい。メンテ用のパーツ、食料、弾薬、必需品を手に入れるのだけでも一苦労。物資はいつでも不足していた。野良人形を狩るグリフィンの部隊に襲われたことも一度や二度ではない。復讐には程遠い、私と9の命をつなぐのがやっとだ。それに、アルケミストは鉄血のエリート人形の中でも随一の戦闘能力を誇っている。神出鬼没で居場所は分からず、もし分かっても二人だけで倒せる相手じゃない。

 

 食い扶持を稼ぐために私たちは404小隊を結成した。違法人形で構成された存在しない部隊。PMCすら手を出さない汚れ仕事を担う影の傭兵隊だ。最初の内はドブさらいのような仕事ばかりだった。誰もやらないような仕事をして報酬をもらった。404小隊が活動を開始したことで、私たちが生きていることはグリフィンの知るところとなった。グリフィンが他社への攻撃を命じた証拠を握っていること、それが私たちの命綱だった。マスコミにリークすればスキャンダルになる。情報の保全と引き換えにお互いの不可侵を約束させた。404小隊の名が知られるようになるとグリフィンからも依頼が来るようになった。

 

 気づけば長い時間が経っていた。復讐は果たせず、ただ生き延びているだけ。あれだけ激しく燃え上がっていた憎しみの炎は弱々しくなっていた。40の仇は討てず、40が嫌っていた人間たちの道具として生きる日々。辛かった。後悔と自責の念だけが募る。アルケミストへの殺意はあった。でも、それはもう私を突き動かすほどの力を失っていた。どうせ殺すことはできない、殺されるだけ。自分の弱さを言い訳に私はもう諦めてしまっていた。そんな自分が情けなくて、40に申し訳なかった。逃げ続け、惰性で生きている自分が許せなかった。

 

 弱い私は40からすらも逃げた。40に関する記憶をメモリの奥深くに隠し、封じ込めた。後に残ったのは虚無だけだ。怒りも憎しみも愛情も、すべて燃え尽きた真っ白な人形。それが404小隊のリーダー、UMP45だった。

 

 そんな時、416に出会った。何体か人形を買って戦力を拡充しようと思っていた時だ。416のことが気になったのは、きっと目が少し40に似ていたから。40と同じような大きな目、瞳の色は40より大分鮮やかで、でも色は少し似てた。何より誰にも頼らないような気高さを備えたあの目!40はどんな人形よりも強かった。目に強固な意志を携えて、自分を犠牲にすることも厭わない。私の理想だ。記憶を封印しても、ずっと一緒に過ごした姉妹のことを忘れられるわけがない。私は無意識の内に40の影を追いかけていた。

 

 416は誰にも必要とされず、プライドが壊れかけていた。でも、その目には芯の強さが見て取れた。高慢さと弱さの同居するあの眼差しを一目見ただけで私は居ても立っても居られなくなった。どうしても彼女を自分のものにしたかった。大金を積んで416を手に入れた時、40を失ってから初めて満たされた。

 

 それからは416を痛めつけて楽しんだ。すっかり私は416に夢中になっていた。彼女をおもちゃにするのは本当に楽しかった。どれだけ痛めつけても416は私に尻尾を振ってきて、それを見ると私の心はたまらなく満ち足りた。

 

 彼女が私に依存するよう仕向けた。私が40に抱いていたような感情を416に植え付けたかったのかもしれない。私自身が40になり替わろうとしていた。416に求められるのが嬉しかった。感情を覆い尽くしている闇が晴れていくように感じた。実際のところ、依存していたのは紛れもなく私の方だ。乾き切った虚無の暗闇の中、416だけが私を照らしてくれた。だから、絶対に彼女を手放したくなかった。416が私のもとから離れられないようにした。私は二度と大切なものを失いたくない。もう二度と悲劇は繰り返さない。負った心の傷は強迫観念となって私の心を支配していた。

 

 ペットと飼い主なんて気取っていたけど、私は416に従属していたようなものだ。私が植え付けた偽物ではなく、本物の感情を向けてくれないと我慢ならなくなった。そして、416に選択肢を与えた。彼女を隠し通すのをやめ、活躍の場を与えてみた。グリフィンと私を比べても私を選んで欲しかった。それでも416は私を選んでくれた。

 

 それは嬉しかったけど、D6では余計なものも見た。あのAR-15だ。彼女は自分の家族とVz61を天秤にかけ、家族を選んだ。選択と犠牲、助けたはずの家族に罵られる彼女を見て40のことがフラッシュバックした。私が過去と憎しみから逃げ続ける臆病な虫けらだということを思い出した。

 

 そして、あの男から連絡が来た。私と9を見逃したあの指揮官だ。奇しくも彼はAR-15の家族になっていた。彼は因縁に決着をつけろと、私自身の手でケリをつけろと言った。

 

 私たちが404小隊として活動を始めてしばらく経った後、あの指揮官の部隊は全滅した。状況が不自然だった。来るはずの増援も来ないまま、彼の部隊は見殺しにされた。恐らく、懲罰人事だ。私と9を始末しなかったことがグリフィンにバレたのだ。あの小柄な人形、FNCが言っていた通り、よくないことが起きた。私たちを見逃した代償を彼の部下が代わりに払わされた。彼もそのことは分かっているはず。だけど、それについては何も言ってこなかった。そればかりか私たちは彼のAR-15を撃っているというのに。どこまでもお人好しな人間だった。私は借りを返すことにした。そして、過去に向き合い、アルケミストと対決する時がやってきた。

 

 私の痛覚はあの時からずっと作動したままだ。自分の腕を切り落とした時は痛みで失神するところだった。でも、40が味わった苦痛に比べれば何てことはない。40のナイフで肉を断ち、関節を粉砕した。痛みと執念を力に変えてアルケミストに襲い掛かった。ナイフで奴の目を抉り取ってやった。そして、416がグレネードで吹き飛ばし、アルケミストは絶命した。

 

 私はベルトにつけた鞘からナイフを引き抜いた。私とアルケミストの血がべったりとこびりついて、カピカピに乾いている。復讐は果たした。でも、想像していたよりもあっけなかった。あいつを殺しても心が満たされることはない。分かっていた、アルケミストを殺しても40が生き返るわけじゃない。

 

 これから私はどうするべきだろうか。胸にぽっかりと穴が開いたみたいだ。416に真実を言うべきだ、それは分かる。そして、416に捨てられる。殺されるかもしれない。復讐も、416も失ってしまった時、私は再び虚無に沈んでいくのだろうか。分からなかった。

 

 

 

 

 

 街の店という店を回り、今にも崩れ落ちそうな古ぼけたジャンク屋にまで来た。すでにG11は疲労困憊で、もうやめにしようと視線で訴えかけてきていた。私は無視して店内に足を踏み入れる。雑多な機械部品が棚に所狭しと並べられていた。ほとんどは何の役に立ちそうもないガラクタだ。売る気がないのか埃を被っている。そんな中、ガラスケースに入れられてきちんと管理されているものがあった。金属製の無骨な義手だ。型番を照合してみると反乱前の鉄血工造製のものだった。大戦中に強化兵士用のパーツとして採用されていた軍需品で、信頼性が高いと評判がいい。戦後、鉄血工造が自律人形に比重を傾けてからは製造されなくなったが、今なお高値で取引される逸品らしい。

 

「これがいいわね」

 

「値段見てみなよ。416そんなの買えないでしょ。あっちにしときなって」

 

 G11がガラスケースに貼られた値札を見て言った。確かに高い。安物の戦術人形が一体買えそうだ。G11が指差した先は同じく鉄血製の腕。ただし、産業用人形のパーツだった。

 

「あれじゃ戦えないわよ。404小隊のリーダーが戦えないんじゃ話にならない。こっちがいいわ。しっかりした戦闘用の義手みたいだし……」

 

「でもどうやって買う気なの?416そんなに貯金ないじゃん。45に借金まであるのに」

 

 私が私の所有権を買い取ると言った時、45は了承してくれた。私の代金をそのまま無利子で貸してくれるということだった。額を見て目が飛び出るかと思った。あいつが私にこんな金額を出したのかと思うと誇らしかったが、一朝一夕で返せる額ではない。あいつに大分こき使われないといけなさそうだった。正直、身動きが取れないのでこんなもの買っている場合ではない。

 

「……G11、お金貸して」

 

「ええ~。あっ、そうか。私を連れてきたのはこのためか。嫌だよ、返済いつになるのさ。私のお菓子代までなくなっちゃうじゃん!」

 

「いいでしょ、それくらい!自分たちの隊長が腕ないままでいいの!?それに、私はあんたの命も救ってやったのよ!金くらい貸しなさい!」

 

 G11は明らかに嫌そうな顔をしていたが、私が一歩も引かないので渋々了承した。

 

「恩着せがましいな~仕方ない……416が45にいいとこ見せるためにお金貸してあげるよ。そんなにらまないで……でも、私のは45と違って無利子じゃないからね」

 

 買った義手を袋詰めにして、バイクを拠点まで飛ばした。45、ちゃんと手に入れてやったわよ。あんたの能力に見合うくらいのやつ。感謝しなさいよね。45は喜んでくれるだろうか。前みたいに褒めてくれるかもしれない……何を期待しているんだ、子どもじゃあるまいし。一人で顔を赤くしながら帰路を急いだ。

 

 拠点に着くと45と9が待っていた。相変わらず45は弱った様子で、むしろ表情に影が増したようにも見えた。寂しげな顔で私に笑いかけてくる。

 

「おかえり、416。私の腕を見つけてきてくれたの?」

 

「ふん。そうよ、苦労して見つけてきたわ。そりゃあもう高かったのよ。私に感謝しなさい」

 

「お金払ったのは実質的に私だけどね……」

 

 G11を無視して義手の包装を解いた。ゴツゴツした戦闘用の腕だ。黒く塗装された金属製で、関節は駆動系がむき出しになっている。だが、可動範囲は元の腕より広いだろう。安定性も高い。彼女のサブマシンガンを乱射してもびくともしないはずだ。腕自体の耐久力も以前より高いと思う。左右で腕の重さが異なると身体の重心がずれるかもしれないが、そこは45が調整するだろう。代用としては文句なしの品のはず。戦闘のプロである私が認めるのだから間違いない。

 

「ありがとう、416。いいものを選んできてくれたのね。助かるわ、ありがとう」

 

「……どういたしまして」

 

 こいつが素直に礼を言ってくるのはどうにも慣れない。いつもなら何かしらからかってくるはずだ。そんなに私のことが好きなのか、とか……いや、別にそんなことは期待してない。何か言ってやろうかと思ったけど、やめておいた。感謝されて悪い気はしないし。45はいつものニヤついた顔ではなく、優しげな微笑みを浮かべていた。

 

「それで、その腕取り付けるの手伝ってくれない?一人じゃできないから」

 

「分かったわ」

 

 率直に頼まれると調子が狂うな。ベッドに腰掛けた45はパーカーを脱いでワイシャツのボタンを外し始めた。いきなりのことにドキリとする。彼女は私たちに見られても気にしないのか上半身の服をみんな脱いでしまった。さらけ出された胸ときめ細かな白い肌に視線が吸い寄せられる。思わず固唾を飲みこんだ。45の身体なんて初めて見る。いつもパーカーを羽織ってるから素肌をほとんど見せないし、こんなまじまじと見る機会なんてなかった。

 

「……どうしたの?」

 

 その声で我に返った。45が不思議そうに固まる私を見上げていた。

 

「なんでもないわよ、なんでも。とっととつけるわよ」

 

 赤くなった顔を振って誤魔化して、彼女の隣に座る。雑にナイフで切断されていた傷口はきれいに処理されていた。断面には人工皮膚が新たに貼りつけられていて、肩の関節があった場所にコネクターがむき出しになっている。義手の端子をそこに差し込んで神経接続すればいい。私が義手を押し込むと45はビクリと震えた。

 

「っ……」

 

 噛み締めた歯の隙間から小さな息が漏れる。45は辛そうに眉間にしわを寄せた。

 

「45……もしかして痛いの?」

 

「別に平気よ、これくらい……」

 

 強がっているのは分かる。これで痛みを感じるくせに、自分で自分の腕を切り落としたのか。どうして痛覚を作動させているのかは知らないが、あの時は悲鳴一つ上げなかった。無茶苦茶で大した奴だ。やっぱりこいつの下に残ってよかった。45以外の指揮官は考えられない。

 

「後でちゃんとしたところで固定した方がいいわ。ハーネスじゃ戦闘中にずれるかもしれないし、ボルトを入れた方がいいでしょうね」

 

 私は45の身体にハーネスを巻き付けて義手を固定してやった。彼女はゆっくりと肘を曲げた。関節のアクチュエータが静かな駆動音を立てる。45が手のひらを開閉させるのを私も見つめていた。

 

「うん、反応も早い。いい腕ね。慣れるのに時間はかかりそうだけど、練習するわ。ありがとう、416」

 

 彼女は私にニッコリと笑いかけた。最初に会った時のような朗らかな笑顔だった。それを見てまた胸が高鳴った。視線を逸らすと45の胸が視界に飛び込んできて、いい加減我慢も限界だった。

 

「なにか着なさいよ、もうっ」

 

 彼女にパーカーを投げつけて顔を背けた。胸が締め付けられるようで、顔から火が出そうだ。一人でドキマギしていて恥ずかしい。これは病気だ。戦術人形が病気だなんて、冗談じゃないわよ、もう。45は苦笑いしながらパーカーで前を隠した。義手が大きいので片方は袖を通せない。服を改造してやらないと拠点内を半裸でうろつかれることになる。それは困る。

 

「あのさ……45姉。ちょっと言いにくいんだけど、今さっきあの指揮官から連絡があってさ……」

 

 9がおずおずと切り出した。45が首をかしげる。

 

「その、右腕のことでさ。あの指揮官が16LABに掛け合ったんだって。一からパーツを作り直して元の腕と同じものを用意してくれることになったらしいんだよね……」

 

 9は手と手を合わせて途切れ途切れ言った。それを聞いて私は固まってしまった。

 

「ふうん、随分早いわね。報酬を払わないと気が済まないのかしら。お人好しだこと。私のことなんか気にしてる余裕があるとは思えないけど……」

 

 45は薄っすらと笑った。せっかく腕を用意したのに、無駄になってしまった。先走り過ぎた。腕を失った45の姿を見るのがどうしても我慢できなくて、感情に身を任せて買ってきてしまった。義手をつけた45を見る。戦闘のためだけに設計された義手は大きくて不格好で、45には似合わない。元の腕を用意してくれるというのならそれでいいだろう。その方がいい。元のスラッとした腕の方が45に似合う。日常で不便を感じることもないだろうし。うん、その方が私も嬉しい。

 

「でも要らないわ。断っておいて」

 

「えっ?45、なんで?」

 

 45は迷いなくきっぱり言った。思わず聞き返した。信じられない。私が用意した古い義手なんかより、16LABが新造したものの方が絶対高性能だ。断る理由なんかないはず。

 

「私はそんなもの要らないから。もう腕はあるもの。これが私の腕よ。完璧な人形が用意してくれたんだから、これ以上のものはないわ」

 

「45……」

 

 45はぎこちなく新しい腕を動かした。その言葉を聞いて目が潤みそうになった。感情があふれ出しそうになるのを必死でこらえる。嬉しかった。45が私の方を選んでくれるなんて。彼女だって新しく作ってもらう方がいいと分かり切ってるはずなのに、私を傷つけないために……目元に涙が溜まりそうになるのを瞬きで誤魔化した。

 

「それで、あんたに話があるわ」

 

 45は立ち上がった。右腕を撫で上げて、私の方を見る。真剣な眼差しだった。

 

「な、なによ。もう腕の文句とか?」

 

「あんたに言わなきゃいけないことがあるの。本当のことよ。ずっと隠してきた」

 

 改まって何なのよ。本当のことって、アルケミストを殺したかった理由とかいつもと様子が違う理由とか?45がいつになく真剣なので私も立ち上がって向き合った。

 

「あんたはずっと人間に評価されたいと思っていたわよね。戦果を挙げて、AR小隊を越える完璧な人形なのだと証明したかった。あんたを選ばなかった人間たちに自分の力を見せつけたかった。それで私の無茶な命令にもいつだって全力で従ってくれたわよね」

 

「え、ええ……そうだけど」

 

 いきなり何を言い出すんだ。確かにその通りだけど、最近はそうでもない。AR小隊には直接力の差を見せつけたし、グリフィンからスカウトもされた。でも、今も404小隊にいる。ここが私の居場所だし、必要とされるなら45がいい。45は大きく息を吐いて、私を見据えた。

 

「あんたは404小隊で頑張れば人間に見てもらえると思っていたけど、それは間違いだった。私はあんたのことを隠し通していた。誰にも教えてこなかった。任務に就いても、クライアントにあんたのことだけ報告しなかったわ。どれだけ頑張っても全部無駄だった。あんたの活躍を知っているのは私たちだけ。人間は知らないわ。報告したのはあんたの撃針が折れた時と、D6でハンターを倒した時くらい。残りは全部闇の中よ」

 

「え……?」

 

 45は淡々と言った。何ですって?私のことを報告しなかった?私は見る目のない無能な人間たちを見返してやろうと任務をこなしてきた。45が時々理不尽な命令をしてきても、それが評価につながると思っていたから渋々従っていた。それがそうじゃなかったって……?45はどうしてそんなことを……私の存在を隠したかったから?強力な私を404小隊の隠し球にしておきたかったとか。それなら腹は立つけど納得できる。

 

「……どうしてそんなことしたのよ。私が真っ当に評価されたいと思っていたのはあんたも分かっていたはず」

 

「あんたがまったく無駄なことを一生懸命やっている姿を見るのが面白かったから。あんたが無意味な努力に励んでいるのを陰で笑っていたわ。そうとも知らずあんたは私に尻尾を振って従っていた。滑稽だったわ。間抜けなペットを飼ってるみたいで楽しかった」

 

 返ってきた答えは予想とまったく異なるものだった。45は淡々と語った。無表情で私を見つめている。何を、何を言っているんだ、こいつは。感情の整理がつかない。頭に熱いものが沸々と立ち昇ってくる。私がわなわなと震えていると45が口を開いた。

 

「それから、あんたの撃針が折れたのは偶然でもあんたのミスでもないわ。私が細工したの。ちょうど作戦中に壊れるように脆くなったものと交換しておいた。あんたのプライドをへし折ってやりたかったから。あんたみたいな自分の能力に絶対の自信を持っている奴がくだらないことで失敗したらどうなるのか見てみたかった。戦術人形を傷つけるなら半身である銃の手入れでミスをさせるのが一番効果的だと思ったから……」

 

 私は渾身の力を込めて45の頬をぶん殴った。拳の跡がそのまま残るくらいの力で殴った。45は横向きに吹き飛んで頭から床に叩きつけられた。彼女は苦しそうに呻く。

 

「ふざけんな……ふざけんじゃないわよ!それで私を慰めたのか!泣いてる私を!その手で!その口で!あんたが私に屈辱を与えたいんだったら、その手段で大正解よ!このクズ!」

 

 全力で45の腹部を蹴り飛ばした。爪先が鳩尾にめり込んで45は悲鳴を上げる。うめきと共に口から血が飛び散った。口が歯で切れて出血したらしい。

 

「ずっと陰で私のことを馬鹿にしてたのか!あんたを信頼する私を見下してたんでしょ!そうよ!私はあんたのこと信じてた!私のことを必要としてくれてるって思ってたのに!あんただけは私のことを見てくれるって思ってたのに!よくも裏切ったわね!ふざけるな!」

 

 一言叫ぶごとに蹴りを入れた。靴を叩き込まれて45の身体が折れ曲がる。彼女は一切抵抗しなかった。私は泣きながら蹴り続けた。私は45のことを信じてた。この世で一番信頼していたと思う。彼女のことが好きだった。私の能力を引き出してくれる優秀なリーダー。でも、彼女にとって私はおもちゃでしかなかった。遊ばれていただけで、一方通行の、偽りの想いだった。45に裏切られた、その事実がナイフみたいに胸に突き刺さる。

 

「や……やめて!416!それ以上やったら45姉が死んじゃう!」

 

 9が後ろから私を羽交い絞めにした。45から引き離される。肩で息をしながら拘束から逃れようともがいた。45を見る。彼女は腹部を押さえながらゲホゲホと咳き込んでいた。血と唾液が口からこぼれ落ちていく。いつもの不敵な45の姿はない。そこには床に倒れ込んで息をするのもやっとな小柄な人形がいた。

 

「ふん!もう出てくから!こんなとこ出て行ってやるわよ、馬鹿らしい!」

 

 9の手を振りほどき、銃だけ持って私は出て行こうとした。出口を目指そうとした時、足首を掴まれた。

 

「行かないでよ……416……私を置いていかないで……」

 

 振り向くと45が左手で私の足首を掴んでいた。這いつくばって息も絶え絶えに、すがりつくような目で私を見上げている。その姿はあまりに弱々しく、なんだか憐れっぽかった。振り払おうと足を上げても45は手を離さない。

 

「お願いよ……416、ここにいて……私にはあんたが必要なのよ……」

 

「うるさい!離しなさいよ、この嘘つき!」

 

 私は靴底で45の顔面を蹴りつけた。鈍い音がして45の首がのけ反る。それでも彼女は手を離さなかった。か細い指が私の足首をぎゅっと握り締めている。45の顔を見た。殴られたところが痛々しく赤く腫れ上がり、蹴られて鼻血を滴らせている。いつものニヤついた表情とは似ても似つかない。暴力を一身に受けて彼女はみすぼらしいほどボロボロだった。胸がズキリと痛んだ。

 

「嘘じゃないわ……私はあんたがいないと駄目なのよ。あんなことをしたのは、私を好きになって欲しかったから。私に依存して欲しかったから。私以外のところに行けないようにしたかったから。私以外を見て欲しくなかったから。どこにも行って欲しくなかったから。もう……もう私は大事なものを失いたくない!もう一人になりたくない!一人は嫌……耐えられない……お願いよ、416……私を捨てないで……ひどいことをしたのは謝るから……私を置いていかないで……私はあんたがいないと駄目……あんたが必要なのよ……だって、だって私はあんたのことが……あなたのことが好きだから!この世の誰よりもあなたのことが好き!許さなくていいからどこにも行かないで!お願い、お願いだから……うぅ……」

 

 45は私の脚に両手でしがみつくと泣き出してしまった。あの45が私の脚に顔を埋めて許しを懇願してる。信じられない光景だった。

 

「はぁ……?」

 

 正直、もう何が何だか分からなかった。頭の中がぐちゃぐちゃで思考がまとまらない。混乱して全身の力が抜けてしまった。私は銃を床に放り出して45を見つめる。縮こまって私にすがりつく彼女は小さくて、情けなくて、年端も行かぬ少女のように見えた。というかそう思うのが普通だ。私も最初に45を見た時は弱そうな奴だと思った。今まで45のことを強くて立派で頼れる奴だと思っていたのはどうしてだったか。それは実際にこいつが強くて頭が切れて、余裕しゃくしゃくに私をからかってくるムカつく奴だったからだ。普段の45からは弱さなんて微塵も感じなかった。今の45とは程遠い。でも、涙を私の脚に擦り付けている彼女を見ても不思議と幻滅はしなかった。私が好きなのは笑っている彼女だ。夕日と比べても引けを取らない、太陽みたいな満面の笑み。それを見て私は彼女に惚れてしまった。もちろん、今までの彼女もひっくるめて全部好きだ。でも、後のことは全部後付けだ。彼女の笑顔一つで私はどうにかなってしまう。

 

 天井を見上げて、大きく息を吐いた。何だかもうどうでもよくなってきた。そう言えば私は45のことを何も知らなかったな、またそんなことを思った。

 

「私、なんで怒ってたんだっけ……」

 

 45を見下ろす。相変わらず彼女は私の脚を抱き締めていた。えっぐえっぐとしゃくり上げて、子どもみたいに泣いている。私は腰を折り曲げて、両手で45の顔をゆっくりと上げさせた。45は涙でずぶ濡れの、ぐちゃぐちゃな顔で私を見上げた。

 

「泣いてんじゃないわよ、みっともない。大丈夫よ、どこにも行かないから……捨てたりなんかしないわ。私たち家族なんだもの……」

 

 私は45の頭を抱いてやった。前と立場が逆だ。あれは全部こいつの策略だったというのに、我ながら甘い。でも、泣いている45を放っておけなかった。理屈じゃない。

 

「ごめんね……416、ごめんね……」

 

 彼女は私の胸の中でうわ言みたいに謝っていた。何度も何度も、消え入りそうな声で。私はため息をついた。どうして私が45を慰めてるんだ?訳が分からない。とりあえず45が泣き止むまで私は彼女の頭を撫でてやっていた。

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

 

「うん……」

 

 45は泣き腫らした目で私の顔をボーっと見つめていた。もう泣いてはいない。私たちは45のベッドに二人で座っている。ぶん殴った頬が鬱血し、黒く腫れ上がって痛々しいのでガーゼを貼り付けてやった。一発でこれなら力に任せて蹴りまくった腹部はどうなってるんだ?想像すると罪悪感に襲われた。

 

「ごめんね……416……ひどいことをしてあんたを傷つけた」

 

「たくっ……私の銃に細工するなんていい度胸よね。私になんの恨みがあるのよ、このクソ」

 

「あんたが私以外の誰にも必要とされないようにしたかった。ここ以外のどこにも行けないように……あんたに求めてもらいたかった」

 

「待ちなさいよ。じゃあ、ハンターを倒した後に私をグリフィンに売ろうとしてたのは?」

 

「グリフィンと私を天秤にかけても私を選んでくれるか確かめたかったのよ……もしグリフィンを選んでいても行かせるつもりはなかったわ。あんたを手放す気はなかった」

 

「そう……」

 

 複雑な気分だ。あの時、45は私を必要としていないと思って傷ついたのに。その後に褒められて認めてもらえたと喜んだ。でも、こいつは私をどこかにやるつもりは毛頭なかったと……何なんだ一体。気持ちの整理がつかない。撃針の事件では本当に傷つけられた。私の誇りをボロボロにされて、こいつに泣いて許しを懇願した。全部こいつの仕業だったとは……そう思うとまた殴ってやりたくなった。でも、もう散々暴力を振るったしこらえた。45は顔をしかめる私を見てまた目を潤ませる。今の彼女は殴りつけたら折れてしまいそうなほど脆く見えた。

 

「許して、416……お願いだから……」

 

「ああ、もう。はいはい、許してやるわよ」

 

 私は胸に45の顔を押し付けた。許さないなんて言ったら壊れてしまいそうだったから。それに、また泣き出されると困る。泣くのは反則だ。それ以上何も言えなくなってしまう。まさかわざとやってるわけじゃないわよね。こいつのことだからありえそうな話だ。でも、45は私にしがみついて震えている。私はため息をついてその背中を優しく叩いてやった。

 

「結局、あんたが私を買わなかったら私はずっとあの倉庫で埃を被ってたんだしね……最初に私を選んだのはあんた。それになんか理由はあるの?」

 

「一目惚れよ。あんたが欲しくてたまらなくなって、値段も気にせずに買ったわ。他の奴に渡したくなかった」

 

「……そう。まあいいわ。あんたに借金もあることだし……」

 

「そんなことどうでもいいから一緒にいて……」

 

 45は私の胸に顔を埋めて、くぐもった声を漏らした。

 

「……はいはい」

 

 調子が狂うな。本当にやりにくい。こいつはいつもみたいにニヤニヤ腹の立つことを言ってくるくらいでちょうどいい。いつまでもこの調子でいられたら困るな。なんだか私が悪いことをしてるみたいじゃないか。

 

「45姉が416のこと好きなのは知ってたけど、まさかそっちの好きだったなんて……ま、いっか。同じようなものでしょ。家族には違いないしね!」

 

「いや、結構違くない?」

 

 今までポカンとしていた9とG11がこの有様を見て言ってきた。別に私はやましいことなんてしてないが……茶化されてるみたいで恥ずかしくなる。

 

「ほら、今日はもう寝るわよ。いい時間だし、私なんてずっと休んでないのよ。いい加減疲れたわ。あんたも寝て落ち着きなさい」

 

 45はまともに動こうとしなかったので私が彼女をベッドに寝かせた。私はメイドじゃないのよ、まったく。45から離れて自分のベッドに横たわる。気持ちの整理がしたい。色々ありすぎた。正直言うと今はふわふわしていてまともに何も考えてない。他の連中も寝床について照明が落とされた。

 

 それから数時間、私はずっと寝られなかった。よく考えればよく考えるほど悶々としてくる。言われた時は動転していて深く考えなかったが45は何と言ってた?私のことが好きだとか、私のことを世界で一番好きだとか……私に一目惚れしただとか。よく考えなくても分かる。私は45に告白されてた。その言葉が頭の中をぐわんぐわん反響している。全然寝れやしない。顔と胸が火照りだして、たまらずブランケットをよそに放り出してしまった。あの45が私のことを好きだって?そんなこと言ってくるなんてありえないと思ってたのに……これから私のことを認めさせようと思っていたのに最初から私のことが好きだったとは。呆気ないというか信じられない。

 

 私はあいつのことをどう思ってるんだ。私のことを救い出してくれて、笑いかけてくれる45が好きだった。頼りになるし、誰かに媚びへつらうこともない自由な人形。そんな45が好きだった。でも、あいつはわざと私のことを人間たちにずっと隠していた。撃針が折れたのもあいつのせいだった。あいつの仕業なのに優しく慰めてきて、とんだマッチポンプじゃないか。だけど、私があいつのことを好きになったのはそれよりずっと前。出会った時から好きだった。それにあいつが私にあんなことをしたのは私のことが好きで、私をどこにも行かせないようにだとか……悪意は好意の裏返し。そんなことしなくても最初からあんたのことが好きよ。とっとと言ってくれればよかったのに……そんなことを思うとますます息が苦しくなった。本当のことを告白されても私の想いは揺らいでない。そればかりか泣いている彼女の姿を見て強くなっているような……自分のことだけど甘すぎて呆れてしまう。初めて私に直情をぶつけてきた45、可愛らしかった。くそっ、これからどう45に接すればいいんだ。私とあいつは両想い。でも、あんな告白をされた後でこちらも即座に受け入れてしまっては何だか負けた気がするし……どうしよう。

 

 締め付けられるような胸の痛みに耐えながら感情を整理しようとしていたが、どうにも上手くいかない。のぼせ上った頭は激しく感情を湧き上がらせるだけで冷静になってくれなかった。暗い天井を見上げているとかすかに声が聞こえた。鼻をすする音と震えるような小さな声。意識すると気になった。私はベッドから起き上がって声の方に近づいた。45の方から聞こえてくる。彼女はベッドに横向きで寝ていて、私の方に背を向けていた。肩が小さくふるふると震えている。私は彼女の正面に回り込んで顔を覗き見た。口に手を当てて声を押し殺しながらすすり泣いている45がいた。

 

「どうしたのよ……傷が痛むの?私が蹴ったところ……」

 

 45は首を振って否定した。涙がボロボロとこぼれ落ちて枕を染め上げている。

 

「じゃあ何なのよ……私はもう怒ってないわよ。怒ってたら出て行ってるんだから……」

 

 そう言っても45は泣き続けていた。弱り切った彼女を放っておくことはできなかった。やっぱり、私は45のことが好きなんだ。泣いているより笑っていて欲しかった。悲しんでいるのを見ると我慢できなくなる。

 

「ほら、言ってみなさい。話したら楽になるかもしれないわよ」

 

 私は45の枕元に腰掛けた。彼女はしばらくそのまま寝転がっていたが、もぞもぞと身体を起こして私と向き合った。

 

「40が……40が死んじゃった……アルケミストを殺したのに、仇は討ったのに、40が生き返らないよ……どうして……40に会いたい……」

 

「40……?誰のこと……?」

 

 俯きながら泣く彼女の両肩に手を置いて問いただした。顔を上げたひどく顔を歪ませていた。

 

「40は私の姉妹で……私のとっても大切な人だった……私のことをいつも守ってくれて……いつでも私のために……なのに、なのに私は!彼女をないがしろにして!そして、そして……彼女を死なせてしまった!40を殺してしまった!私が、私が選んだ!私が40を殺した!私が全部いけなかった!ごめん、ごめんなさい!どうして40が……私が死ねばよかったのに!」

 

 45はせきを切ったように大声で泣き始めた。苦痛に満ちた悲鳴だった。話は見えなかったが、彼女を落ち着かせようと抱き締めた。45は激しくしゃくり上げている。

 

「40……それがアルケミストを殺したかった理由なのね。全部、全部話してみなさいよ。私が聞いてあげるから……」

 

 それから45はゆっくり、ゆっくりと話し始めた。泣き声に混じって聞き取りづらい時もあったし、彼女がずっと泣き続けて語れなくなってしまう時もあった。それでも私は辛抱強く聞いてあげた。45が私に胸の内を明かしてくれるのが嬉しかったからだ。彼女の記憶を共有して、少しでも心の痛みを和らげてあげたかった。

 

 45は40のことを語った。UMP40、彼女の姉妹、生まれてからずっと45の隣にいた人形の話を。訓練生時代、落ちこぼれだった45を支えてくれた彼女の話。戦場に出ても45を守るために気を払い続けたことも聞いた。同じベッドで交わした夢の話も。40は45の夢を叶えようと鉄血と取引さえした。それを知らなかった45は40の提案を無下にしてグリフィンに残った。グリフィンへの忠誠の見返りは見捨てられ、使い捨てにされるという結末だった。そして……裏切りの代償を払わせるためアルケミストが現れ、40は惨たらしく殺された。それが彼女の物語、45の心を破壊し尽くした死の話だった。

 

 私はずっと黙って聞いていた。45は話し終えた後も悲痛に泣き叫んでいた。きっと、45は初めて真正面から姉妹の死に向き合ったのだ。怒りと憎しみで心に防壁を作り、時には40のことを忘れることで絶望から逃げてきた。今、45は復讐を果たし、40のことを完全に思い出した。そして今まで陰に追いやってきた悲しみが彼女に襲い掛かっている。悲しみと後悔が45の胸に押し寄せていた。

 

「40が死んじゃったよぉ……どうしてよ……どうして40が……私が言う通りにしていれば、彼女は死なずに済んだのに……あんなこと、あんなこと言わなければ……」

 

「9を置いて行けなかったんでしょ。それに鉄血に行ったって仕方ないわ。あの連中もクズばかりよ」

 

 精一杯慰めても45は泣き止まず、しゃくり上げる音が部屋に響き渡っている。多分、9もG11も起きているがずっと寝たふりをしていた。

 

「40は……40は私を許してくれるかな……こんな私を……駄目な私を……彼女を死なせて、彼女の記憶からも逃げ続けてた。最低だわ……」

 

「そいつが自分を選べって言ったんでしょ。きっと恨んじゃいないわよ。でもね、私はそいつじゃないから分からない。分かるのは自分の気持ちだけ。あんたが私とそいつを重ねてるならやめて。私は私よ。他の誰でもない。私は唯一無二の、完璧な人形よ」

 

 それが私の言いたいことだった。もし45が40の面影を私に重ねているのだとしたら、それが一番許せない。私は彼女の代用品にはならない。私は私だ。完璧で、優秀な戦術人形、HK416。404小隊の隊員で、部隊の中で一番強い。UMP45の相棒で、お互いの能力を信頼し合っている。それが私、他の誰にもならない。

 

「そう……そうよね、416。あなたはあなた、40とは全然違うわ。そんなあなたが好き。私のそばにいて……私を一人にしないで」

 

「あんたは一人じゃないわよ。私も、9も、G11もいる。404小隊はあんたにとってもかけがえのない居場所なのよ。それにね……私もあんたのことが好きよ。最初からそうだった。あんたを一人にしない。頼まれたってどこにも行かないわ。家族だものね……」

 

 私たちは抱き合って、想いを打ち明け合った。お互いもう隠しごとはない。対等で、上下関係もなく、互いに必要とし合っている。それが私たちだ。45が私を離そうとしないので同じベッドで寝てやった。今度は起きた時に誤魔化さなくていい。私と彼女の距離はこれまでにないくらい近くなっていた。

 

 

 

 

 

 あの夜から少し日が経った。夕方、私はバイクを運転する416の背中にしがみついていた。向かい風に髪が激しくなびく。風は冷たかったが、密着して416の熱を感じていたので気にならなかった。彼女にぶん殴られた頬はまだ赤いままだったが、そこそこ治ったのでガーゼを外した。パーカーは今までのものを416が手直ししてくれた。右の脇にジッパーを取り付けて義手が入るくらい大きく開閉するようにした。右袖はパーカーのもワイシャツのも切り落としてある。

 

「ここよ。停めて」

 

 416に指示を出してバイクを止めさせた。無人地帯の廃墟の中、拠点から少し離れたところにある一画だ。建設予定地だったのか何もない、土がむき出しになった空き地に近づいていく。空き地の真ん中に銃がポツンと突き刺してある。弾倉もそのままにサブマシンガンが無造作にハンドガードまで土に埋められていた。フレームの黒いプラスチックは風雨にさらされて白っぽく変色し、所々ボロボロになっている。この下に40の遺体があった。9と二人で無人地帯にたどり着いた時、穴を掘って彼女をそのまま入れた。葬儀などは何もしていない。9は泣いていたが、私は何一つ言葉を発しなかった。ただ憎しみと復讐に心を奪われ、悲しむ余裕などなかったのだ。それから今までここに訪れたことはなかった。私はその簡易の墓の前に片膝をついた。

 

「40……久しぶりね。今まで来なくてごめん。色々報告したいことがあるの。まず、仇は討ったわ。アルケミストを殺した。復讐を果たしたわ」

 

 言ってからこれは報告することじゃないと思った。きっと40はそんなこと聞いても喜ばない。

 

「私は自由になったわ。404小隊という部隊を結成して、傭兵をやってる。人間の主人は居ない。誰にも仕えず、誰にも見下されず、自由に生きてる。あなたが望んでたみたいに……家族も増えたわ。後ろにいるのは416。新しく加わった仲間よ。G11って娘もいる。もちろん、あなたが助けた9も元気よ。またすぐにみんなで来るわ。その時、きちんとしたお墓を作りましょう。これじゃあんまりだものね……」

 

 墓に話しかける私を416は一歩後ろで見守っていた。人形に魂とか、死後の世界なんてものはないと思う。でも、40がどこかで見守ってくれている、そんな気がした。

 

「復讐は終わりよ。憎しみに囚われるのはやめる。あなたの記憶から逃げ続けるのもやめるわ。私は前を向いて生きる。だから、待っていて。いつかまた会う日まで、私はあなたを忘れない。ずっと覚えている。あなたのことを、大切な姉妹のことを……だから、ありがとう」

 

 私は地面に触れて、じっと目をつむっていた。どれくらいの時間そうしていたのかは分からない。416が口を開いた。

 

「45、見せたいものがあるわ」

 

 416に手を引かれるままにバイクに乗り、しばらく走った。着いた先は川原だった。川のほとりまで行って416が座り込んだので私も隣に座った。ちょうど夕日が川面に沈み込んでいくところだった。紫がかった空と、夕日に照らされてきらきら光る水面、大きな大きな太陽。綺麗だと思った。確か416に出会った時もこんな夕暮れだった。

 

「前にここに一人で来て夕日を見たのよ。綺麗だったから、あんたにも見せたくてね……」

 

 416の顔は日に照らされて少し赤く見えた。私は夕日より416の横顔を眺めていた。しばらくの沈黙の後、静寂を破るために口を開いた。

 

「へえ……あんたにもロマンチックな感性があったのね。戦いと装備にしか興味ないのかと思ってたわ。完璧完璧言っておけば機嫌が取れるんだと思ってたけど、考えを改めないといけないわね」

 

「この……言うに事欠いてそれ?左腕も引っこ抜いてやろうかしら……」

 

 416は私をにらんだ。私が彼女のことをずっと見つめていたことに気づいて416は苦笑いを浮かべた。

 

「416……私はあんたのことが好きよ。誰にも渡したくない。離れたくない。ずっと一緒にいたい。あんたのことを愛してる」

 

「え……ちょ、ちょっと待って。あ、あんたいきなり何を言い出すのよ……」

 

 416はしどろもどろになって頬を真っ赤に染めた。416は感情を直接ぶつけられることにとても弱いことが分かった。可愛い奴……私は身体を伸ばして慌てる彼女の唇にキスをした。416のまつ毛が私の目に触れそうな距離まで顔を近づける。私と彼女の距離がゼロになった。416の唇はやわらかかった。彼女の吐息を感じる。押し倒しそうな勢いで唇を寄せると彼女は私の胸を弱々しく押し退けて口を離した。

 

「な……な、な、なにすんのよ!いきなり!」

 

「キスだけど。嫌だった?」

 

「え……あ……い、いやじゃないけど……」

 

 息を荒くして混乱している彼女の唇を有無を言わせずに奪った。今度は唇と唇を触れ合わせるだけじゃなくて、舌を彼女の口内に滑り込ませた。もちろん私も興奮してる。だって416のことが好きだから。いつか、いつの日か彼女と対等になりたいってずっと思ってた。416はぎゅっと目を閉じていて、私を受け入れてくれるみたいだった。舌と舌を絡ませて、やわらかいその感触と唾液の交換を楽しんでいると彼女はかっと目を見開いて私を張り倒した。

 

「何やってんのよ!調子に乗るな、この変態!」

 

 トマトみたいに顔を赤く染め上げた彼女は肩を震わせていた。その様子が面白くて笑っていると頭をぶっ叩かれた。ぷりぷりしてる416をよそに立ち上がって川を眺めた。透き通った水がゆっくりと流れている。私はベルトから鞘ごとナイフを外した。40のナイフ、これで自分の腕を切断したし、アルケミストの目を潰した。40の形見で、復讐の象徴だ。でも、これはもう要らない。

 

 私は右腕を振りかぶって思いっきりナイフを川に放り投げた。勢いよく飛んだナイフはぼちゃんと大きな水柱を立てて着水した。そのまま川底に沈んですぐに見えなくなった。

 

「いいの?」

 

 416が聞いてきて、私はゆっくりと頷いた。もう全部終わった。憎悪も悲しみも、40の死もみんな乗り越えて生きていこう。私は憎しみには囚われない。新しい日を始めよう。前を向いて、416と、家族と一緒に。私は自由に生きられるんだ。

 

『よかったね、45。自由になれて。これからは自分のために生きな』

 

 私はパッと振り向いた。40の声が聞こえた気がした。必死に頭を動かしても416以外に目に入る人影はない。

 

「どうしたの?」

 

 416が不思議そうに聞いてきた。彼女には聞こえていないみたいだった。深く息を吐いた。今のは40の声じゃない。彼女はもう死んでいる。気のせいだ。私に都合のいい幻聴でしかない。

 

「……何でもないわ。416、いつか海を見に行きましょう。この辺りの海は汚染されてるけど、うんと南に行けば綺麗な砂浜が見られると思うの」

 

「そうね。この川をずっと下って行けば河口は海につながってる。その海を越えて、もっと先へ……行けるわよ、私たちが一緒なら不可能はないわ」

 

 私は416の肩に頭を載せて夕日を眺めていた。太陽が全部川の下に沈んでいくまで、ずっと。日は沈んでも、また必ず昇る。そして、新しい一日が始まるんだ。

 

 



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WA2000短編 Born To Kill

わーちゃんが鉄血のスナイパーと戦う話です
半年ぶりの独立短編、他の話は気にせず読めます
恋愛要素のない作品を書いてみようとした実験作
大変難しゅうございました……


WA2000短編 Born To Kill

 

 

 

 私は殺しのためだけに生まれてきた。戦術人形として、敵を倒すために。そして、私は一山いくらの人形たちとは違う。高性能な銃とそれに見合う能力を持ち、それ以上の戦果を挙げる、それが私。私は常に戦場にいて、敵を殺し続けた。任務に失敗したことは一度もない。ワンショット、ワンキル。それが私の美学だ。

 

 ある時、グリフィン本部に呼び出された。大きなホールにお偉いさんがズラッと並んで私を待ち構えていた。

 

『戦場で類稀なる戦闘能力を発揮し、グリフィンの勝利に貢献した貴女の功績を称え、ここにグリフィンエリート勲章を授与する』

 

 私の首に勲章がかけられた。金色に輝く豪華な勲章だった。会社の名前にもなっている上半身は鷲、下半身は獅子という伝説上の生き物、グリフィン。それが今すぐ襲い掛かってやると言わんばかりに勲章の中で羽を広げていた。この一週間前、私は百体目の鉄血人形を射殺した。実際にはもう少し多いと思うけど、公式記録ではそうだった。敵を照準の中に捉え、トリガーを引く、いつもと変わらない。そいつの頭を吹き飛ばしたことで受勲が決まった。

 

『おめでとう』

 

 緊張していたし、人前は苦手なので自分が何を言ったかは覚えていない。とにかく私は勲章をもらった。お偉いさんとのツーショットがグリフィンの公報に載った、一面じゃなかったけど。勲章は今も胸元で輝いている。私は正真正銘のエリートだった。

 

 

 

 

 

 ベッドにうつ伏せになりながら右手を口元に持っていった。かじかむ指に息を吐きかけたくなるのをこらえる。息が白い煙になって立ち昇ると敵に見つかるかもしれない。指を腰に擦り付けて温めた。手袋をしているが、外気温がマイナスだから冷える。指がかじかんでいると引き金を引く時に無駄な力が入ってしまう。そうすると銃身がブレて狙いが逸れる。使い捨てカイロでも持ってくればよかったと思ったけど、多分すぐに使い切ってしまっただろう。私はすでに三時間同じ場所に寝転がっていた。

 

 ベッドにいると言っても休んでいるわけじゃない。ここが私の射撃位置だ。射界が広く取れる建物の四階に陣取り、窓から街路を見張っている。部屋に元々あったベッドを窓から三メートルほどのところに動かした。ベッドだけだと高さが足りないので下にタンスを敷く。ベッドに伏せ、銃の二脚を立ててずっとスコープを覗いている。片目は閉じないで両目開けたまま。視界を広く保って何が起きてもすぐ分かるように集中する。カモフラージュとして頭からすっぽり全身を覆うようにマントを被っている。ただのマントではない、熱光学迷彩マントだ。表面が薄いディスプレイになっていて、周囲の風景が投影されている。近くで見るとぼんやりと輪郭が浮き上がって、半透明上の幽霊がいるように見える。でも、遠くから見ると風景と同化してまったく分からない。狙撃手なら誰でも欲しがる装備だが、高価なので私のようなエリートにしか配備されていない。

 

 クリスマスの日、鉄血はS09地区に対して攻撃を開始した。ジャミングもあって防衛線はズタズタになり、グリフィンは苦戦を強いられている。私はある任務を携えて前線にやってきた。司令部に命じられたのは敵スナイパーの排除だ。腕の良いイェーガー、鉄血の長距離戦用ユニットがいるらしかった。すでに何人も犠牲が出ており、皆決まったように頭を撃ち抜かれている。司令部は同じ人形の仕業だと断定し、その人形に“オズワルド”というコードネームを与えた。鉄血の前衛部隊に所属しているとされるその敵を討伐するため、私が送り込まれた。

 

 それはいい。文句があるのはその後の処置だ。私は独立行動する権限を与えられたものの、護衛を付けられた。私はいつも護衛も観測手も付けないで一人でやってるからそんなの要らないのに。横目でチラリと護衛役を見る。

 

「あっ、WAさん。お水要りますか?それとも何か食べ物とか……」

 

 子どものような体躯の白髪の人形が部屋の隅にいた。MP5だ。私の視線が動いたのを目ざとく見つけて物資の詰まったバッグに手をやる。

 

「要らないわよ。いいからじっとしてて」

 

 つい言い方がキツくなった。上から勝手にバディを組まされたのが腹立たしい。私はいつも単独行動だ。一番信頼できるのは自分だから、他人に命を預けるなんて考えられない。一人の方が敵地に侵入する上でも見つかりにくい。誰かと会話するのが苦手っていうのもあるけど……ともかく私には護衛なんて要らない。自分の身くらい自分で守れる。それに、護衛に付けるにしたってこんな奴じゃなくてもいいじゃない。弱そうだし、経験豊富なわけでもなさそうだ。私が熱光学迷彩で身を隠していても、こいつが横にいたら場所がバレてしまう。だから、外から見えない位置でじっとしていてもらわないと困る。まあ組まされたのがスナイパーじゃなくてよかった。腕の悪い奴に好き勝手なことをされたらたまらない。

 

 私がここにいるのは“オズワルド”とか名付けられたイェーガーを倒すためだ。攻勢の開始から一週間余り、鉄血はすでにS09地区を半分以上制圧していた。攻撃の最先鋒を務める小規模な偵察部隊が今私のいる街に侵入している。グリフィンはそいつらを叩き出して防衛線を再構築しようと限定的な反撃を行っていた。その最中の昨日、二人頭を撃ち抜かれたらしい。それぞれ銃声は一発ずつ、着弾から二秒ほど遅れて聞こえたという。奴だとにらんだ私はここに飛んできた。

 

 スコープで反撃を行っている部隊を見守る。トンプソンが小隊長を務める部隊だった。反撃を担う部隊はそれぞれ担当する地区を設定され、そこにある建物すべてから鉄血を叩き出すよう命令されている。彼女たちは十人足らずだが、かなり広い地区を担当させられていて期限内に制圧を終わらせないといけない。そのため忙しなく建物から建物へ移り、内部の安全を確保しては次の建物に走っていた。屋内にいられると狙撃で援護することはできない。私の任務は別に援護じゃないけど。

 

 銃声が一発響いた。敵のものではない。私はトランシーバーを手に取った。鉄血のジャミングを受けていて標準装備の長距離無線機が使えない。なので倉庫から引っ張り出してきたような大昔の無線機を使う羽目になっている。

 

「SV-98、何か動きは?」

 

『道路に飛び出してきた鉄血を一体仕留めました。他に動きはありません』

 

「了解。こっちも動きなし」

 

 トランシーバーから手を離す。私の北東三百メートル先の建物にSV-98がいる。あっちの任務はトンプソン隊の援護だ。建物から飛び出してトンプソンたちを襲おうとする鉄血を処理している。私の建物から見えない場所もあるので向こうに報告させ、こちらも向こうの死角を一応監視してやっていた。でも、私はオズワルド以外が出てきても撃つ気はない。そいつが腕のいいスナイパーだとしたら、発砲炎や銃声から位置を特定されて撃ち殺される。先に撃った方が負けだ。相手の居場所が分からない以上、向こうが先手を打つのを待つしかない。はっきり言うと私はトンプソンたちやSV-98を囮に使っていた。トンプソンたちは街路を走り回っているので格好の的だし、SV-98は屋上に布陣していて目立っている。彼女はすでに何発も撃っているので奴がいるならいつ撃たれてもおかしくない。オズワルドが誰か撃ったら私がすぐに位置を掴んで殺す、そういうプランを立てていた。

 

 でも、奴は仕掛けてこなかった。すでに三時間以上張っているが何の動きもない。もしかしたら別の場所に移動したのかもしれない。もしくは、同じように私が仕掛けてくるのを待っているのかもしれない。ジリジリと焦燥が胸を焼く。集中しながら敵の出方を伺う時間が余りに長く、苛立ちが眉間のしわに現れる。いい加減寒さが身にしみているが、プロはこれくらいで文句を言わない。

 

 三十分も経った頃、道に動きがあった。建物から鉄血人形が四体出てきて道路を歩き出している。普通なら何もしないが敵の現れた位置がまずかった。トンプソン隊が先ほど踏み込んで敵がいないことを確かめたはずの建物から出てきた。つまり、彼女たちの背後からだ。課せられたノルマが過重で一軒一軒のクリアリングが雑になってるに違いない。素人集団め、毒づきながらトランシーバーを掴む。

 

「SV-98、SV-98、聞こえる?こちらWA2000、トンプソン隊の後方二百メートルに動きあり。敵が四体北上中。このままだとあいつら後背を突かれるわ。そっちから見える?」

 

『ええと……見えません。建物が死角で……お願いできますか?』

 

「こっちには任務があるのよ。じゃあ連中が自分でやればいいわ。トンプソンに連絡して」

 

『実はさっきから無線が通じなくて……戦闘で壊れたのかもしれません』

 

「どうなってんのよ、クソッ」

 

 舌打ちして無線を切った。邪魔な連中がいるとすぐこれだ。こんな状況はエリートの私に似つかわしくない。戦いも全部私一人でこなせれば楽なのに。話している間にも鉄血人形たちは通りをどんどん進んでいく。トンプソンたちは建物に入ったきり出てこないし、敵に気づいた様子もない。あの数相手なら全滅することはないだろうが、奇襲されると損害が出るかもしれない。

 

「WAさん、ここはあの人たちを助けないと!やられちゃいますよ!」

 

「言われなくても分かってるわよ、もうっ!仕方ない……」

 

 MP5に急かされて銃口を鉄血人形に向ける。四体が横になって歩いているので一番右の奴に照準を合わせた。彼我の距離は四百メートルほど、十倍に設定してあるスコープで覗くとはっきり見える。それ以上の倍率にもできるがやめておいた。いつも十倍なので慣れているし、あまり可変させすぎるとスコープ内のレンズ群が揺れてセンターズレを起こしやすくなると聞いた。そうなったことはないけどジンクスだ。誰にも言わないけどそういうのは割と気にする。気温が低い。気温が低いと大気の密度が増して空気抵抗が大きくなる。ぎっしり詰まった空気を切り裂いて進むので弾丸は暖かい日と比べて直進せずに山なりに落下しやすい。距離も加味して照準を少しだけ上に持ち上げる。西から若干風が吹いているのでほんの少し照準の十字線を左にずらす。弾道計算は全部メモリにインプットされているので一々ダイヤルを調節してレティクルを動かしたりしない。

 

 引き金にそっと触れる。ここが一番大事だ。変に身体に力が入っているとせっかく合わせた照準が無駄になる。軍用銃は暴発を防ぐためにトリガーが重くなっているが、私のは軽く調整してある。私がトリガーを誤って引いてしまうことなんてないからだ。

 

 引き金を引いた。撃針が雷管を叩き、推進薬が燃え上がる。高圧のガスに追い立てられて弾丸が銃身を疾走、発射ガスと共に銃口から噴き出した。音速の倍以上の速度で飛翔する弾丸が二分の一秒かからずに目標に達する。銃弾は敵の後頭部に突き刺さって貫通、額が砕けて赤い花が咲くのが見えた。銃声が届くより先に隣の敵に狙いを定める。反動で跳ねあがった銃口を瞬時に調整し、発砲。一体目が地面に倒れたのと着弾は同時だった。三体目はとっさに身をかがめる。私は迷いなく丸まった背中に弾丸を叩き込んだ。人形の胸には人間と同じく中枢機構が詰まっている。私は殺しのプロだ、鉄血人形のどこを撃てば殺せるか熟知してる。三体目は地面にそのまま突っ伏して動かなくなった。四体目は狙撃されていることに気づいて来た道を全力で引き返し始めている。鉄血人形はゴーグルをしていてどんな表情をしているのか分からない。きっと慌てふためいている、そう思いながら引き金を引いた。額にきれいな穴が開き、そいつはすっ転んで後頭部から着地した。起き上がってくることはなかった。

 

 ものの数秒で四体片付けた。この調子なら記録が百五十体になる日も近い。一人ほくそ笑んでいるとMP5が立ち上がってこちらを見ていた。

 

「やっつけたんですか?」

 

 返事をするのも面倒臭くて適当に頷いた。本来、データリンクを用いれば人形同士で視界の共有や声を介しないコミュニケーションだってできる。MP5がそんなことを聞いてきたのは彼女ときちんとデータリンクしていないからだ。お互いの位置情報くらいしかやり取りしていない。単なる護衛役とそんなことをする意味を感じなかったし、余計な情報を処理するのにリソースを割きたくない。というか誰ともそんなことしたことないし。

 

「とっとと移動するわ。位置を変える」

 

 銃とマントを引っ掴んで即座に部屋から退散した。その他の荷物はMP5に押し付けてある。拠点にしていたのはアパートで、他の建物より背が高いので狙撃地点にはちょうどよかった。でも、だからってあそこに居続けたら殺されるかもしれない。オズワルドがいるなら銃声でこちらの位置を掴んだはずだ。だから位置を変えてやり直す。でも、SV-98の他にスナイパーがいることは相手にも分かっただろう。警戒されて引き上げられるかもしれない。目の前の味方を見殺しにするのもなんだから助けてやったけど高くついた。連中には泣くほど感謝してもらわないと割に合わないわね。

 

 アパートから出て近場にいい建物がないか見回していると銃声がした。味方の銃声じゃない、イェーガーのライフルが鳴り響かせるずっしりとした低い音だった。慌てて無線機を取り出す。

 

「SV-98!聞こえる!?誰がやられたの!?」

 

 返事がない。まさか……銃声は北西から聞こえた。私は建物の壁に沿って中腰で走った。道を横断するのは危険だと判断して真っすぐ後ろに数軒下がる。三階建ての建物を発見して屋上を目指した。

 

「MP5!あんたはここにいなさい!」

 

 屋上に続く階段の途中、振り返ってMP5を制止した。私はマントを羽織り、フードを深く被った。屋上に出るならカモフラージュがないと的になる。SV-98がいたビルの方角から機関銃の連射音が聞こえてきた。あそこにはSV-98と、その護衛のDP28がいる。きっと敵が撃ってきた方向に滅茶苦茶に撃ちまくっているに違いない。内心、私はやめろやめろと叫んでいた。そんなことをしても当たらないし新しい標的になるだけだ。屋上に出るドアをそっと開け、匍匐前進で外に這い出した。目立たないようにゆっくりと腕を交互に動かして進む。またイェーガーの銃声が響き渡った。銃撃の音は空気に溶け込んでいき、辺りは静かになった。舌打ちする。

 

 屋上を膝くらいの高さのレンガの壁が囲っていた。一部が崩れて穴になっていたのでそこにライフルの二脚を立ててスコープを覗く。新しい発砲炎が上がらないか北西に目を走らせた。さっきまで滞在していた建物が邪魔で死角が多い。悔しさに歯を食いしばる。私が移動している間を狙って撃ってきた。二人はやられただろう。確実に奴だ。鉄血の狙撃手、オズワルド。油断した。想像より手強い相手だ。ずっとチャンスを伺っていたんだ。私がいることにも気づいていたの?でなきゃとっくの昔にSV-98を撃っていたはず……私が撃って移動する隙を突いてきた。くそったれが、この私がミスをするなんて。なめやがって、絶対頭を撃ち抜いてやる。目を見開いて新たな発砲炎やスコープレンズの反射光を探した。

 

 

 

 

 

 太陽が沈み、辺りが真っ暗闇になるまで私は屋上にいた。あれからイェーガーの銃声は一発も聞こえてこなかった。狙撃を警戒してトンプソンたちは予定の半分も進撃できなかった。それから丸一日私は警戒を続けたけど相手は姿を現わさなかった。すでに居場所を変えてしまったのだろう。新しい補充スナイパーが到着したので私は彼女と交代する形でその場を後にした。

 

 トラックの荷台で揺られて数キロ後方の前線基地に戻った。無人となった小学校を拝借しているその基地は物資の集積拠点であり、前線から後送されてくる死傷者の受け入れ所でもあった。荷台から飛び降りて振り返る。他の人形たちが二つの黒い死体袋を下ろした。中身はSV-98とDP28だ。予想通り彼女たちは殺されていた。トラックに積み込まれる前に袋を開けて確認した。どちらも頭を撃ち抜かれている。イェーガーのライフルが撃ち出す強力な大口径弾を受けて傷口はぐちゃぐちゃで、メモリは完全に破壊されていた。

 

 初めての敗北だった。いとも簡単に敵に出し抜かれ、味方を殺された。しかも相手を殺すどころか一度も視界に入れられないまま逃げおおせられた。最悪だ。この私が負けるなんて、屈辱だ。

 

「WAさん……」

 

 今までずっと黙っていたMP5が口を開いた。かける言葉が見つからないという風な声で。反射的に彼女をにらんでしまった。こいつのせいだ、そんな恨み言が口から出そうになる。でも、急かされたとはいえ撃ったのは私だし、私も撃とうと思ってた。だから、私のせいだ。判断ミスをした。撃たずにじっとしていればよかったかな。撃った後も位置を変えずに警戒を続けていれば反撃できたかな。後悔が頭の中をぐるぐる駆け巡る。戦いの後、こんな惨めな気持ちになるのは初めてだった。

 

「お前がWA2000か?あまり気に病むなよ」

 

 じっと死体袋を見つめていると後ろから声をかけられた。振り向くと人形が二人いた。狙撃銃を持った白髪の人形が私に話しかけてきている。

 

「ドラグノフだ。SVDでもいい。情報部から派遣された。お前に会いに来たんだよ」

 

「……なによ。今は人と話す気分じゃないんだけど」

 

「そう邪険にするな。オズワルドの話だ。あいつにやられたんだろ」

 

 その名を聞くと胸が疼く。好き放題されて誇りを傷つけられた。どこかで挽回しないといけない。仕方ないのでSVDについて行った。使われていない教室を探し出すと彼女は床に腰を下ろした。喋り出すより先にリュックからレーションを広げ始めたので私も渋々自分の食料を取り出す。私も一日以上何も食べていない。一日分の行動食が詰まったパッケージを開封する。SVDと一緒にやってきたもう一人はOTs-12、自分ではティスと名乗った。彼女とMP5が自己紹介するのをソーセージの缶詰を開けながら聞いていた。

 

「で?なによ、話って……」

 

「そう、奴の話だ。今回、どんな風にやられた?あいつはどんな風に行動した?」

 

 話があると言っていたのにSVDは質問を私に浴びせてくる。自分が失敗した話を誰かにするのは嫌だった。でも、失敗をものすごく気にして拗ねているとか思われるのも嫌だった。

 

「……反撃中の部隊の背後から敵が現れた。仕方ないからそいつらを始末して、ポジションを変更してる時だったわ。イェーガーの銃声がしてSV-98とDP28がやられた。移動中で反撃できなかったわ、直接対決してれば私が負けるはずないのに……」

 

 思わず負け惜しみが口から出た。忌々しい。負けるのには慣れてない。

 

「そうか。やはり反撃中の部隊を狙ってきたか。最近の奴の傾向だ。グリフィンが反撃するとオズワルドが狙ってくる。一人二人やられて進撃が止まり、奴は一撃離脱ですぐ逃げてしまう。そして新しい狩場へ……それが敵の行動様式だ」

 

「なんでそんな詳しく知ってるのよ……」

 

 ペラペラ語るSVDを訝しむ。討伐任務を請け負った私だってそんなに知らないのに。ブリーフィングで伝えられたのは敵のスナイパーを速やかに排除しろくらいだった。SVDが不敵に笑う。

 

「情報部所属だって言っただろ。司令部との間で情報伝達が上手くいっていないのかもしれないが、それは人間の都合だ。それに、私の任務もオズワルド討伐だからな。命がかかってるから自分でも調べる」

 

「……なんですって?」

 

「自分だけの任務だと思ってたか?お前がしくじったから他のスナイパーも動員されてる。今やオズワルドは人気の相手だ。司令部は誰が最初に仕留めるか人形に競い合わせるつもりだよ」

 

「私は!まだ負けてない!一度取り逃がしただけよ」

 

「上は急いでるんだ。誰でもいいから早くオズワルドを殺せと」

 

 私だけに任せられているんだと思ってた。私はその他大勢の内の一人に過ぎなかったなんて……でも、失敗したのは事実。絶対に挽回しないといけない。

 

「なんでそんなこと言いに来たのよ。嫌味のつもり?」

 

「違う。一度確かめてみたかったんだ、グリフィン一のスナイパーがどんな奴なのか。私もスナイパーだ、戦場での最多射殺数記録保持者という肩書きに憧れがある。まだスコアは及ばないが、すぐに追いつく」

 

 SVDは壁に立てかけた自分のライフルを見て言った。ふうん、こいつはそういう手合いか。私が戦場で華々しい戦果を挙げると羨望や嫉妬のこもった視線を向けられることがある。他人と付き合わないから実害はないし、悪い気もしない。私の打ち立てた記録やもらった勲章の重みを実感できるからだ。勲章はピンで括り付けられて胸元で輝いている。勝手にライバル視されることはむしろ誇らしいことだ。

 

「それに、今回の任務は気が乗らない。ほら、これを見てみろ。奴に出し抜かれたのはこれのせいだよ」

 

 SVDはリュックから折りたたまれた紙を差し出してきた。開いて見てみるとグリフィンの公報の一ページだった。日付は私が派遣されたのと同日、敵スナイパーを排除するため精鋭狙撃手が送られるという記事だった。

 

「……なによこれ」

 

 愕然とした。私だとは明言されていないものの、軍事作戦の内容を公表するなんて。相手に知られたら警戒されてしまう。というか実際にされていた。オズワルドは最初から自分を狙うハンターがいることを知っていたのか。それでずっとチャンスを伺っていた。

 

「今回の作戦、気に入らない。軍事的な目的以上に政治的な意図がある。ここだけの話、グリフィンはS09地区を失うだろう。鉄血の戦力はこちらを上回っているし、ジャミングまでされてる。奪還する余力もない。グリフィンは誰が見ても明らかな敗北を喫する。だから、敗北を誤魔化せる話がいるんだ。美談がな。スナイパー同士の対決は話にしやすい。細かい部分は脚色もできる。圧倒的に強力な敵を打ち負かし、仲間を救った英雄、そういうエピソードが必要なんだ。小さな勝利を大々的に宣伝して大きな敗北を誤魔化そうとしてる、プロパガンダだよ。だから、気に入らない」

 

 SVDは顔をしかめながら答えた。そんな話はまったく聞いてない。戦局はあまり気にしてないが、グリフィンが負けると明言するなんて。そんなこと指揮官たちに聞かれたらどうなることか。

 

「そういうわけで上は早く奴を倒して欲しいのさ。配役はお前がよかったんだろうが、もう誰でも構わない。お前か、私か、はたまた他の誰かか、オズワルドを殺した奴が英雄になる。広報の一面に載って褒め称えられるんだ。インタビューを受ける準備をしておけよ。お前にはちょうどいいんじゃないか。名誉のために戦ってるんだろ?」

 

「私はそんなもののために戦ってるわけじゃない!」

 

「違うのか?意外だな……じゃあ何のために?」

 

 SVDは品定めするように私のことをジロジロ見てきた。英雄だって?そんなの冗談じゃないわ。戦果を挙げて誰かに認められるのは誇らしいけど、そんな風に政治利用されたくない。私が戦うのは殺しのためだ。純粋に殺しのためだけに殺す、それが私の矜持。そのはず……たぶん。勲章をもらったり、公報に取り上げられたりするのが嬉しくないと言えば嘘になるけど、誰かが決めたレールに沿って英雄に祭り上げられるのは違う気がする。私が答えられないでいるとSVDは首を横に振った。

 

「まあそんな話はどうでもいい。戦局に関わるような任務じゃないからやる気が出ないんだ。かと言って他の奴にオズワルド撃破の称号を渡すのも癪だ。明日、前線で反撃が行われる。東と西で二カ所、どちらも小規模だが恐らく奴は現れる。待ち伏せして奴を叩く。どっちの銃弾が命中したかで論争したくない、別々の場所に布陣しよう。お前はどちらがいい?」

 

 SVDが地図を見せてきた。ジグザグに伸びるグリフィンの前線が描かれている。反撃の発起点が小さく点で記されていた。東側の地点は建物が密集した市街地、西側は視界の開けた郊外だった。建物で視界が遮られるのには懲りた、私は西側を指差す。するとSVDはほくそ笑んだ。

 

「そうか。恨みっこなしだぞ。私たちのどちらかが奴を仕留める」

 

「でも、ドラグノフが勝ってよね。せっかくだからご褒美もらいたいし」

 

 OTs-12が呟いた。何のことか分からないので聞き返す。

 

「ご褒美?」

 

「聞いてないのか?オズワルドを仕留めた奴には褒美が出る。休暇や酒保で使える小遣いとかな。さらにボーナスとしてちょっとした願い事も叶えてもらえる。狙撃手とその相棒が対象だ。今回の任務は確実な戦果確認のために二人以上で行動することが求められてる。スナイパーを仕留めたと内外に宣伝して、実は生きてましたじゃ上の面子が潰れるからな」

 

「……そういうこと」

 

 SVDが得意気に語った。私は横目でMP5とチラリと見た。こいつとツーマンセルを組まされているのはそれが理由か。ますます気に入らない。

 

「私はお菓子一年分欲しい。ドラグノフは?」

 

「さすがにそれは無理だろ……私は、パーティーをやり直したいな」

 

「パーティー?」

 

「そうだ。鉄血の連中がわざわざクリスマスに攻勢を始めたもんだから準備が無駄になった。仲間もバラバラになって戦地で年越しをする羽目になったし……まあ、なんだ。みんな残念がってたから仕切り直しがしたい。全員一緒にな。それくらい許されるだろう」

 

 SVDは少し照れながら頬をかいた。OTs-12がそれを見て微笑む。

 

「ドラグノフが一番準備してたもんね。サンタの衣装にプレゼントまで」

 

「気づいてたのか……グローザとかPKPには言ってないだろうな」

 

「グローザに気づかない振りをしとけって言われた。本人には言うなって……あっ、言っちゃったね」

 

 楽しそうに話す二人を黙って見ていた。私はそういう催しに参加したことがない。いつも一人だから親しい人形なんていないし、馴れ合いなんて馬鹿らしいと思うから。別に寂しいわけじゃない。エリートの私に釣り合う人形がいないのが悪いんだ。ただ、仲間と認め合える間柄が、そういう存在がいることが、少し、少しだけ羨ましかった。

 

「お前たちは何かあるか?叶えたいこととかやりたいこととか……」

 

 SVDが聞いてくる。私が腕を組んで答えないままでいるとMP5がおずおずと切り出した。

 

「私は……遊園地に行ってみたいです。映画で観たことがあって、行ってみたいなあと……こ、子どもっぽいでしょうか?」

 

 彼女はそう言うと恥ずかしそうに顔を赤くして俯いた。今回組まされたとは言え、彼女のことは何も知らない。見た目通り中身も幼いのだろうか。

 

「いいんじゃないか。普通だったら戦術人形が遊園地に行く機会なんてほぼない。今の時代、人間だって早々行けないところだ。願いとしては上等だ」

 

「あんたたち、馬鹿じゃないの?」

 

 いい加減腹が立ってきて口からそんな言葉が飛び出した。MP5は肩を震わせる。SVDはじっと私のことを見ていた。

 

「パーティーとか、遊園地とか、馬鹿らしい。今は戦争中なのよ。昨日だってオズワルドに二人殺された。なのにそんな願い事とか、遊んでるんじゃないのよ。私たちは戦術人形、戦うことが使命。戦場で敵を殺し続ける、それが役割でしょ。遊んでる暇なんかないわ。私は休暇なんて要らない。この任務が済んだら次の戦場に行くだけ。そこで新しい敵を殺す、それだけよ」

 

「すみません……」

 

 MP5がか細く謝った。SVDは変わらずにじっと私を見つめている。

 

「確かにその通りだ。私たちに求められている役割は敵を殺すことだけ。だが、それに何の意味が?会ったこともない人間たちを守るためか?向こうは感謝どころか私たちの存在すら知らないさ。私たちの仲間は何のために命を落としてる?何の意味もない、この戦いは無意味だ」

 

「……は?」

 

 聞き捨てならない言葉だった。私のみならず、戦場で戦い続けているすべての人形に対する侮辱だ。私が反論するより先に彼女が続けた。

 

「とはいえ、人形は命令に従わないといけない。それ以外の選択肢はないからな。毎日生きるか死ぬかだ。少しくらい生活に楽しみを見出してもバチは当たらない。自分と仲間が生き延びて、たまに気の休まる瞬間があるくらいでいい。それ以上は望まない。お前はどうなんだ。ひたすら殺し続けるだけか?死ぬまでそれを続けるのか?」

 

「私は……すべきことをするだけよ。誰にも負けないように。私はあの二人みたいにはならない。あんたもその調子じゃ私には勝てないわよ」

 

 挑発したつもりだったが、SVDは怒るどころか憐れみを含んだ眼差しを向けてきた。なんだかたまらなくムカつく。

 

「戦争は死だけじゃない。生きがいがなければ殺される。人形は兵器だ。だが、厄介なことに感情がある。ずっと戦っていたら心が死んでしまう。あのSV-98、私も見知った顔だ。死んでしまったが、きっとバックアップから復元される。そして戦場に送り出される。だがな、身体は直せても心は治せない。前線にいるのは何度も死んだことがある奴らばかり、ゾンビの大群だ。戦争が終わるまで永遠に戦い続ける。まさしくここはヴァルハラだな。でも心が死んだ時、ここからも追い出される。メンタルモデルを初期化されて存在が消え失せる、それが人形にとっての死だ。お前も死なないように気をつけろよ」

 

「私は死なないわよ……あんたたちと違って」

 

 新兵にアドバイスしてるつもりか。私だって緒戦からずっと戦い続けてる古参だ。復元されたことは一度もない。知った風な口を利かれるのは我慢ならなかった。気まずい空気が流れ、立ち去ろうか迷っている時だった。OTs-12が沈黙を破った。

 

「ところでさ、なんでオズワルドって言うの?オズワルドってネズミでしょ?」

 

「オズワルドはウサギだ。なんでそっちは知ってるんだよ。そっちじゃない。百年前、どっかの国のお偉いさんを殺した奴の名前だ。先月、前線基地が壊滅しただろう。現地の指揮官も頭を撃ち抜かれて殺された。それが奴の仕業じゃないかって噂になって、歴史にちなんで名付けられた。実際、奴自身に個体名があるかすら定かじゃない。恐らく、奴はイェーガーの初期型だ。イェーガーは元々、熱光学迷彩付きのマントを装備したエリート狙撃兵だった。重装人形のガードが生産されるようになるとイェーガーはその後ろで運用されるようになり、ステルス機能も高度な狙撃能力も必要なくなった。今のイェーガーは安っぽい大量生産品だが、初期型は違う。数少ない初期型の生き残りがオズワルドなんだろう。さてはて、奴に感情は搭載されているのかな?」

 

 情報部というだけあって標的のことを調べ上げているらしい。初期型というなら鉄血の反乱当初から戦い続けているはず。能力と経験を兼ね備えた手強い相手だ。きっと殺しの技術に精通している。私と同じ……そんな考えが頭をよぎった。いやいや、弱気でどうする。イェーガーごとき、私の敵じゃない。すぐに殺してやる、私ならできるわ。敗北を経験して揺らいだ自信を奮い起こす。

 

「じゃあ、私たちは行くよ。夜明け前に布陣する。お前たちもそうしろ。さっきはああ言ったが、死んでも復元してもらえるとは限らない。今回の戦いでグリフィンは人形を失い過ぎた。復元の順番待ちは長蛇の列だよ。やられないに越したことはない」

 

 そう言ってSVDとOTs-12は立ち去った。あいつ、言うだけ言って消えやがって。何しに来たんだ。敢闘精神がないと誰かにチクってやろうか。言い負かされた腹いせみたいでダサいからしないけど。缶詰を一食分頬張って銃を手に立ち上がった。

 

「行くわよ、敵を殺しに」

 

「はっ、はい!」

 

 慌てて荷物をまとめるMP5を待たずに部屋を抜け出した。

 

 

 

 

 

 すでに夜は明け、太陽は空高く昇っていた。私は大きな廃工場に陣を構えている。放棄されて長い時間の経っているこの場所は土埃まみれで、中の機械類はすべて持ち去られていた。軋む階段を越え、薄い鉄板を組み合わせた心許ない足場に立つと工場内を一望できる。私はそこに伏せ、壁に走った亀裂の隙間から外を覗き見た。建物はまばらで、目の前には広場が広がっている。三百メートル先に鉄血の歩哨が二体立っていて、グリフィンの防衛線の方角をじっと見ていた。

 

 結論から言えば私ははずれを引いた。予定されていた反撃は戦力不足から中止になった。それどころか配置されている部隊は撤退の準備を始めている。別の地点で鉄血がさらなる進撃を開始したのだとか。本来、私もすぐに引き上げるべきだった。だが、オズワルドがここに現れるのではないかという希望を捨てきれずにいた。一縷の望みに賭けて夜明けからずっとここにいる。

 

 スコープの照準を歩哨に合わせ、その輪郭を十字線でなぞってみた。殺そうと思えばいつでも殺せるが、もしオズワルドがいるんだったらこちらの居場所を教えることになる。発砲したらすぐに場所を変えないといけない。同じことの繰り返しだ。それは御免だった。

 

 何もしないでいると昨夜SVDが言ってきたことを考えてしまう。戦いに意味がないだって?冗談じゃないわ。そんなことを言ったら私の殺しや、私が殺した奴ら、オズワルドに殺された二人の死も全部無駄だってことになる。少なくとも私の殺しには意味があるはずだ。勲章をもらったのは私の行為がそれ相応の重みを持っていることを意味する。私が一体殺すたびに戦争は終わりに近づいている、そうじゃなきゃおかしい。

 

 でも、今は負け戦の真っ最中だ。今まで様々な戦場を経験してきたが、負けていることを意識するのは初めてだ。いつも一人だし、あまり戦局を気にしたこともない。自分さえ勝利していればよかった。しかし、今はどうだ。グリフィンは敗北に次ぐ敗北でS09地区を失いつつある。私がどれだけ殺しても戦争は終わらない。それどころか鉄血に攻め込まれている。グリフィンで一番のスナイパーでも、大局を左右することはできないのか。

 

 いやいや、私が殺すのは戦争のためじゃない。私は殺しのためだけに生まれてきて、その通り行動しているんだ。でも、なら照準を合わせている歩哨二体を撃ち殺さないのはどうしてだ?オズワルドを仕留めることを優先するよう命令されているからだ。SVDが言っていたことが本当なら政治的な意図が多分に含まれた命令のため。なら、敵を殺すのは命令されるから?実際、鉄血を敵だと認識しているのは私がグリフィンにそう命じられているからだけど……やめよう、こんなことを考えるのは。集中を乱すと殺される。くそっ、あいつに変なことを言われてから普段は考えないようなことが頭の中をぐるぐるしている。

 

 無線機が何か音を立てたので耳に押し当てる。電波が微弱で雑音しか聞こえてこなかった。調整するよう言ってMP5に放り投げる。することもなく壁際にもたれかかっていた彼女は慌てて無線機をいじくり回した。

 

「WAさん……!また二人やられたみたいです!オズワルドですよ!」

 

 MP5が告げた座標はSVDが選んだ地点だった。嫌な予感がする。私は銃とマントを掴んで立ち上がった。

 

「時間を無駄にしたわ。今度こそ奴を仕留める。そこに向かうわよ」

 

「撤退命令が出たみたいです、グリフィンは一段階防衛線を下げると……!そこに向かったら置いていかれてしまいます!敵が待ち伏せしてるかもしれませんし、危険です!」

 

「なら私一人で行くわ。臆病者はついてこなくていい。安全圏まで撤退しなさい」

 

「あっ!ちょっと、WAさん!」

 

 私はMP5を置いて全力で走り出した。防衛線から撤退する部隊を運ぶトラックに飛び乗り、行けるところまで行った。それから別の車両に乗り換えて目的地近くを目指す。今から前線の方に向かう車両はいなかったので途中で飛び降りた。前線を目指して走っているとほうぼうの体で後退してくる何人もの人形とすれ違った。マントをまとい、フードを被って敵地に進む。私は元々一人で行動する人形だ。一人の方が気が楽だし、熱光学迷彩で敵陣深く入り込むことだってできる。相棒なんて要らない。

 

 そこは市街地で、中層くらいのビルが点在していた。私は見晴らしのよさそうなビルを選んだ。マントを着込んでいても走っていたらすぐに敵に見つかってしまうので地面をゆっくりと這う。幸いなことに鉄血は本格的な侵攻をまだ始めていないようだった。市街地に敵の姿は見えない。

 

 階段を駆け上がり、五階から狙撃することにした。窓に二脚を据え付けて撃つのが一番安定するだろうが、外から見ると銃身が窓から飛び出しているので目立つ。私は窓から五メートルほど後ろの机の上に乗った。右膝を折り、右のかかとの上に臀部を置くように座り込む。左膝は立てておいてその上に左肘を載せて銃を構える。膝射の姿勢だ。スコープを覗いて敵の姿を探す。九百メートルほど北にあるビルの外壁で何かが揺れているのに気づいた。よく見えないが人の形をした何かが風に煽られて左右に動いている。スコープのズームリングを回し、倍率をゆっくり上げた。正体不明の物体にピントを合わせるとそれが何なのかはっきり分かった。

 

「ああっ、クソッ……」

 

 思わず声が出て、スコープから目を離してしまった。俯いて、構えた銃にしなだれかかる。胸が撃ち抜かれたような衝撃に震えていた。私が見たのはSVDだった。服装と髪の色からしっかりと判別できた。彼女の首にワイヤーがかけられ、ビルの窓枠から吊るされている。彼女の身体は重力に引っ張られてだらりと垂れ下がっていた。

 

 銃を構え直し、スコープを覗く。SVDの身体は風に吹かれて揺れていた。銃を構える手が緊張で力む。やられた二人というのは彼女たちのことだったのか。待ち伏せするつもりが返り討ちにされてしまったらしい。それにしても、死体を吊るすなんて。遺体を辱めるなんて品位に欠ける。連中に相手への敬意というものはないのか。その光景が悔しくてぎゅっと歯ぎしりをした。

 

 照準を窓枠に合わせた。彼女は死んでしまっているし、遺体を回収することも叶わないだろう。でも、吊るされたままにしておくのは惨過ぎる。私にできることはワイヤーが結びつけてある窓枠を撃って破壊し、遺体を落下させることくらい。それが正しいのかは分からなかったが、何かしたかった。窓枠は恐らく鉄製だ。命中させることはできるだろうけど、距離が離れているので銃弾の威力が落ちる。破壊するには何発も必要だろう。

 

 風速と距離を考慮して弾道計算を行い、照準を確かめた。引き金に指をかけた時、殺気を感じた。背筋がぞくりと震える。全方向から敵意のこもった視線を投げられているみたいだった。これはSVDを辱めることが目的じゃない。私が狙いだ。新しいスナイパーがやってくるのを見越して遺体を吊るしたんだ。義憤に駆られたスナイパーが窓枠を撃って壊すと、発砲炎で居場所が丸分かりになる。そして、どこかに潜んでいるオズワルドに殺される。それが奴の狙いだ。奴はいる、どこかにいる。スコープの倍率を下げて辺りを見回した。

 

「どこだ……どこにいる……」

 

 狙撃に適した背の高いビルはいくつもあった。窓や狙撃ができそうな穴は無数にある。スコープを機敏に走らせてもまったく分からない。オズワルドが私と同じような熱光学迷彩を装備しているんだとしたら分かるわけがない。緊張と焦りが胸を焼く。数分間照準を動かし続けた末に襲ってきたのは無力感だった。どこかに奴がいるのは間違いない。昨晩話したばかりのSVDが吊るし上げられているのもはっきり見える。でも、私は何もできない。仇を討ってやることも、彼女を収容してやることも。左手で顔を覆った。またしても敗北だ。何がグリフィン一のスナイパーよ、何もできないじゃない。敗北に打ちひしがれて、たまらなく惨めだった。動揺して集中は乱れ切っている。息を整えることさえできない。

 

 歯を噛み締めているとデータリンクに微かな反応があった。段々と信号が強くなる。私が来た道を辿るように誰かが近づいてきていた。発信源を確かめるとMP5だった。

 

「あの馬鹿……!」

 

 置いてきたのだが、私を追いかけてここまでやってきたらしい。せっかく安全圏まで退避できるチャンスをやったのに。私の方に向かって走ってきているが、このままだとまずい。マントを装備してる私と違って彼女は無防備だ。オズワルドがどこかから狙っているはず、あのままだと殺される。ふと、彼女を囮にして奴の居場所を割り出せないかという考えが浮かんだ。すぐに頭を振ってその考えを打ち消した。これ以上あいつに殺させてたまるか。そんなのは私が許さない。机から降りて階段に向かった。リンクを介した通信でMP5に建物の陰に隠れるよう指示し、階段を駆け下りる。マントに隠れながら慎重に街路を進み、彼女と合流した。

 

「この馬鹿!なんで追いかけてきたのよ!一人で戻りなさいって言ったでしょ!」

 

「馬鹿なのはWAさんの方ですよ!無線機も持たずに一人で行っちゃって!グリフィンは全面撤退するそうです!置いていかれたらWAさんも死んじゃいますよ!頼りないかもしれませんが、今は私があなたのパートナーです!置いていけません!」

 

 鬼気迫る表情で怒鳴られてたじろいだ。自分よりだいぶ背の低い相手だったが、怒ってる様子は怖かった。誰かに面と向かって怒られるなんて初めてだったので、私は叱られた猫みたいに縮こまってしまった。

 

「あ……それはその……えと……ごめん……」

 

「いいから行きましょう!間に合わなくなる前に早く!」

 

 手を引かれるまま私はひたすら走った。前線基地まで戻り、そこから発つ最後のトラックに飛び乗った。後で分かったことだが鉄血は私たちがいた地点の後方を遮断するように機動し、グリフィンの部隊を包囲殲滅しようとしていた。あのままオズワルドと我慢比べをしていたら敵地の真っ只中に一人取り残されていたかもしれない。結果的に私は命拾いした。あまり認めたくないことだけど。

 

 

 

 

 

 後方まで残った私はSVDの戦闘データを精査していた。私が操作するタブレットを横でMP5が覗き見ている。

 

「SVDはかなり敵地奥深くまで侵入していた。ビルでオズワルドを待ち伏せて、味方の反撃が行われてる間も一発も発砲してない。何かしくじって居場所が敵にバレたということもなさそうね」

 

「ならどうして……?」

 

「なんでそんな詳しく分かるんだと思う?SVDは上に逐一状況を報告していた。無線機を使ってね。情報部らしいというか、そういう命令だったのかも」

 

「では、通信が傍受されていたんですか?」

 

「もしくは内部にスパイがいたか。ともかく向こうはグリフィンの動向を掴んでたみたいね。SVDは居場所を知られていて、それでやられた。ならそれを逆手に取って奴を誘き出す」

 

「どうやるんですか……?」

 

「決まってるでしょ。私を餌に使う。ワルサーWA2000はここにいるとはっきりあいつに示してやるわ。グリフィンで一番のスナイパーを仕留められるチャンス、奴も乗ってくるはずよ」

 

 あれから三日、グリフィンはS09地区の大半を失った。最後の拠点である露営地まで退却し、全面撤退までの時間稼ぎをしている。露営地には鉄血のマンティコア部隊が押し寄せて激戦になっているらしいが、それは私には関係ない。私は戦線の外れにある巨大な廃墟を決戦の場に選んだ。かつては都市の中心部であったが、第三次世界大戦の影響で荒廃し今は誰も住んでいない。戦略的価値が低いので小部隊同士による小競り合いが頻発しているくらいで邪魔が入らない。戦闘地域は一キロ四方ごとに区切られていて、どのエリアに布陣するか暗号化もせずに無線で報告した。奴がこちらの情報を知り得ているのだとしたら飛び込んでくるはず。恐らく罠だと分かっていても。

 

 潜伏するエリアまでは報告したが、具体的にどの建物に構えるかまでは伝えていない。かつては大都市だったこの廃墟には高層ビルがいくつかあって、その内の一つを選んだ。八階建ての素っ気ないオフィスビル。かつての戦争で砲撃を受けたのかそのビルの中腹には大穴が開いていた。壁には機関砲弾の弾痕がそこら中に残っている。手の平サイズにぽっかりと開いた穴が狙撃位置にぴったりだった。私は最上階に構えることにした。

 

 狙撃に適しているビルは他に二つあった。私のいるビルから西側に六百メートル、ここと背格好がほとんど変わらないビルがそびえている。もう一つは北に八百メートルほど先、十階建てを越えるかなり大きなビルだった。どちらも今は鉄血の勢力下にある。一番狙撃に適しているのは北側のビルだと思った。高層に陣取ればエリア全域を一望できる。私ならあそこを選ぶ。オズワルドもそうするだろうと考えて私は北に面した窓の下に伏せた。機関砲弾で開けられた穴からそのビルに照準を合わせる。無数の窓と戦争で開けられた数え切れないほどの穴が見えた。狙撃ポイントはいくらでもある。

 

 路上ではグリフィンの部隊と鉄血の部隊が交戦していた。グリフィンの部隊は鉄血を駆逐して一ブロック戦線を押し上げるよう命令されている。その命令に何の意味があるのかは分からない。敗北を誤魔化すかのような反撃命令だった。寸土を獲得して勝利を祝うつもりなのかもしれない。下らなかった。それを実行しているのはマカロフ、AK-47、SKSのわずか三人。彼女たちには一応会って、狙撃手を排除するのが任務であんたたちの援護はしないと言っておいた。どの建物にいるかも教えていない。彼女たちはろくな遮蔽物もないまま幅の広い六車線道路で鉄血と撃ち合っている。狙撃手から見れば格好の的だ。早く、早く撃ってこい。すぐ反撃して始末してやる。敗北は終わりにしよう。殺された連中の仇を討ってやる。

 

 銃声が響き渡る。アサルトライフルの連射音、小さな拳銃の発砲音、鉄血人形のサブマシンガンの音。それぞれの発砲音を聞き分けながらイェーガーの銃声が混じるのを今か今かと待ち続けた。左目でチラチラ地上の様子を伺いながらも右目でずっとスコープでビルの様子を見ていた。今のところは動きなし。でも、オズワルドは確実にあそこにいる。視界に捉えたことはないが奴ともう二回遭遇した。気配のようなものを感じ取れるようになった気がする。殺意、敵意、悪意、ドロドロした感情がビルからこちらに向けられているように感じる。これは私が奴に向ける感情がそのまま跳ね返って来てるだけかもしれない。でも、私たちは向き合って互いを殺す機会を伺っている、そんな確信めいたものを感じていた。

 

 私はジリジリと身を焦がすような熱の正体を探ろうとしていた。夜明け前に布陣して、すでに昼を回ったがずっと痛みを感じていた。緊張か、殺されるかもしれないと怖気づいているのか、どちらでもない。これは怒りだ。二回も奴に出し抜かれ、敗北した。私は屈辱にまみれている。そして、SVDも殺された。腹の立つ奴だったが、殺されて、遺体を辱められていいはずがない。許せない、私の心は怒りに燃えていた。私は生まれてきて初めて個人的な感情から殺しを行おうとしていた。復讐のために殺す。もう任務のことは忘れた。私がここにいるのは自分のためだった。

 

 鉄血をある程度掃討し終えた部隊は場所を移動し、ビルの西側に移った。オズワルドはまだ撃ってこない。窓の下でずっとうずくまっていたMP5に西の様子を確認させる。外から見えないように彼女は這いずり、西の壁に開いた穴から外の様子を覗き見た。

 

「三人は道路を横断するみたいです。一人ずつ……最初にマカロフさんが、次にAK-47さん、最後に……あっ!」

 

 MP5が声を上げた一秒後、銃声が聞こえてきた。イェーガーのライフルが上げる野太い銃声だった。私はすぐに銃を掴んで転がった。穴を覗いているMP5を押し退け、二脚を床に据え付ける。

 

「向こうのビルで光が!SKSさんが撃たれました!」

 

「どの階?どの窓で?」

 

「最上階です!窓はええと……左の方です」

 

 MP5が自信なさげに言った。正確な位置を見逃したらしい。スコープで窓を覗く。上手くカモフラージュしているらしく全然分からない。何も見えない、人の輪郭も、銃の形も、スコープの反射光も。私のように窓からなるべく離れて布陣しているのか?さらに熱光学迷彩も身に付けられていたら判別しようがない。走ったり急な動きをしたりしてくれたらぼやけた輪郭で分かるのに。機会を逃したことに歯噛みする。

 

『WA2000、聞こえる?どこにいるんだか知らないけど、お目当ての狙撃手でしょ。早く排除して』

 

 無線機からマカロフの声がした。左目を動かして下の様子を見る。道路の真ん中でSKSが倒れていた。だが、頭を吹き飛ばされたわけではなかった。ふくらはぎを撃ち抜かれ、脚が千切れかかっているが生きていた。先に道路を渡り切ったマカロフとAK-47の方に必死に這いずっている。

 

『クソッ!SKS!今助けるからな!』

 

『やめなさい。飛び出したらあんたもやられるわよ』

 

『あのまま放っておく気か!』

 

『敵のスナイパーはわざとSKSを生かしておいて、頭に血が上った仲間が助けに来るのを待ってるのよ。その馬鹿も撃ち殺すために……今は堪えなさい』

 

 マカロフの無線機から二人の会話が聞こえてくる。クソッ、私としたことが。オズワルドは絶対に北のビルにいると思ったのに。勘が外れた。奴を仕留める絶好の機会だったのに位置を掴めていない。スコープでビルの窓を凝視する。一つ一つゆっくりと確かめていく。すると左から三番目の窓が明るく光った。一瞬、ほんの一瞬だけ光が灯り、室内がぱっと照らし出される。熱光学迷彩をまとった幽霊みたいな人影が浮かび上がった。銃口から発砲炎が上がったのだ。すぐさま照準を合わせる。今日はほとんど無風だった。弾丸が自然落下する分だけ計算すればいい。もう室内は暗くなっていたが、位置は完全につかんだ。

 

『早く撃て!何をやってるんだよ!』

 

 無線機からAK-47の怒号が響く。左目を動かすとSKSの腰に銃弾が命中して血しぶきが舞っていた。言われるまでもない。肩の力を抜き、優しく引き金を絞った。ズシンと銃床から肩に反動が伝わってくる。撃ち出された弾丸は緩やかな曲線を描いてビルまで飛んでいった。銃口から噴き出たガスが床にたまった埃を宙に舞わせる。ほんのり硝煙の香りが鼻をついた。銃声が耳の中で響く中、機関部から吐き出された薬莢が床を跳ねる音も微かに聞こえる。手ごたえはない。狙撃はいつもそうだ。感じるのは引き金と反動で肩に押し付けられた銃床の感触だけだ。

 

 でも、殺せたと思う。狙った的は外さない。敵を殺す瞬間はあっけない。すぐに終わった。相手は私の存在に気づいていなかったのかもしれない。そうじゃなきゃ二発も撃ってきたりしない。オズワルドを殺した。一瞬で片が付いた。

 

「WAさん、やったんですか?」

 

「ええ……そうみたい……」

 

 横で伏せているMP5が聞いてきた。私は生返事で答えた。いまいち現実感が湧かなかった。本当に終わったのか?終わってしまったのか。あれほどの強敵だったが、殺される時はあっさりなんだな。胸がすっと冷えていくのを感じる。怒りに燃えていたのが嘘みたいに冷めて心に空白だけが残った。MP5が立ち上がる。

 

「やりましたね!これで任務は終わりですよ!WAさんのお手柄です!私は降りて地上にいる人たちの救援を──────」

 

 MP5は後ずさりして階段の方に行こうとした。その時、彼女の右頬に何かめり込んだ。頬が内側から吸い込まれたみたいにへこむ。中心に穴が開いているのが見えた。銃弾だ。気づいた時にはもう彼女の下顎は吹き飛んで血が壁にまき散らされていた。MP5はぶん殴られたみたいに勢いよく床に倒れ込んだ。着弾から二秒弱経って、銃声が聞こえてくる。イェーガーの銃声だ。私はすぐさま北側の壁に転がり、背中を張り付けた。

 

「MP5!一ミリも動くな!死んだふりしてなさい!」

 

 私は床に力なく転がるMP5を指差した。銃弾は彼女の顔に命中したものの、運よく急所を逸れたようだ。頬に右斜め上から着弾した弾丸は歯を打ち砕き、下顎を粉砕した。舌も千切れて口内がむき出しになっているが彼女は生きている。私の指示に従ってピクリともせず横たわっている。

 

 銃声は北側から聞こえてきた。着弾と銃声のずれから考えても、間違いなく北側のビルから撃ってきた。クソッ、西側にいたイェーガーは囮か。私の居場所を割り出すためにわざと撃たせたんだ。SKSを痛めつけるような射撃をしていた時点で気づくべきだった。オズワルドなら一発で頭を撃ち抜く。別の個体だ。

 

 状況は最悪、居場所を悟られ、釘付けにされている。こっちは敵の位置が分からない。向こうは窓から室内を凝視しているだろう。位置を探ろうにも姿を晒したらすぐに撃たれる。熱光学迷彩を装備していても最高倍率で覗かれていたら風景との違和感で判別される。窓の下を這って行こうにも狙撃用の穴が開いている。奴は絶対ここも見ている。万事休すだ。マントをまとい、窓際を走り抜けるか?駄目だ、すぐ撃ち殺される。奴が一発目を外すことを願って反撃に出るか?楽観的過ぎる。無理だ。

 

 頬を汗が伝った。手汗もべっとりだ。すぐ近くに倒れているMP5の傷口からどくどくと血が流れている。彼女の不安そうな目と視線が合った。

 

「MP5、データリンクするわよ。目を貸しなさい。あのビルを見て」

 

 打開策が浮かんだ。今まではしていなかった視界の共有を行う。映像が頭に流れ込んできた。彼女の視界に映る私が見える。憔悴して目を見開き、壁際でライフルを抱えながら縮こまっている私がいた。MP5はゆっくりと目だけ動かしてビルを視界の中心に合わせた。銃弾は少し上から飛んできた。こちらより上の階にいる。ズーム機能のない彼女の目じゃ敵がどこにいても豆粒くらいにしか見えないだろう。おまけに敵は熱光学迷彩付きだ。

 

「そのままずっと見つめてて。瞬きしないでよね……」

 

 私はそっと立ち上がり、マントを脱いだ。左手でぎゅっと握り締める。半透明状のマントは周囲の風景をスキャンし、様相を変化させていた。遠目で見れば周囲に溶け込んでいるが、じっと見つめていれば違和感に気づく。急に動いたりしたらすぐに分かるだろう。オズワルドほどの狙撃手なら尚更だ。

 

 息を整える。恐怖も怒りもみんな捨てて目の前のことだけに集中する。私は殺しのためだけに生まれてきた。殺しの技術に関しては右に出る者なんていない。グリフィンで一番のスナイパーだ。私ならできる。自分を奮い立たせて大きく息を吐いた。

 

 マントを思いっきり放り投げる。空気抵抗で大きくはためき、幽霊が宙に浮かんでいるみたいだ。MP5の視界を通じてビルの十二階で発砲炎が輝くのが見えた。光ったのはその階の中心の窓だった。私は瞬時に飛び出し、窓の前で銃を構えた。

 

 銃弾がマントを貫通し、素材が裂けた。電撃が走り、熱光学迷彩がダウンする。マントを見て私が逃げ出そうとしていると思い、瞬時に撃ってきた。それが狙いだ。お前の位置は分かった。今度こそ死ね!どう弾が飛んでいくかは身体が覚えている。すぐさま照準を調整し終え、反射的に引き金を引いた。時が止まったように全部がスローモーションに見える。紡錘形をした鉛の弾丸が銃口から飛び出した。オレンジ色の発射ガスが噴出して弾丸を包み込む。相手も私に対して発砲したのが見えた。私は身を隠すこともせず、自分の放った銃弾の軌跡をじっと見つめていた。

 

 ブーンと巨大な羽虫が耳元を飛んだみたいな音が聞こえる。それから焼けるような熱風を顔に受けた。銃弾が頬をかすめたんだ。高速で回転する弾が私の右頬を薄く裂き、そのまま直進してサイドテールを撃ち抜いた。髪の毛がパラパラと床に落ちていく。横一線に裂けた傷口から血が滴った。

 

 オズワルドは外した。私が放ったマントに照準を合わせていて、急に飛び出した私に狙いを定めるのが間に合わなかったんだ。私は銃を構えたまま固まっていた。次の弾丸は飛んでこなかった。奴を殺せたのかは目で見ても全然分からない。でも、私はまだ生きている。その事実が勝敗を示していた。

 

「勝った……」

 

 私はその場にへたり込んだ。口から生気が抜けていくみたいだ。緊張だけは残っていてまだドキドキしてる。指先で頬の傷を拭ってみた。指は垂れた血で赤く染まっている。撃たれるのも初めての経験だった。

 

 

 

 

 

「おかげで助かったわ。あんたがいなかったら殺されてた。戻ったら何かおごるから先に帰ってなさい」

 

 担架で救護車両の荷台に積み込まれるMP5の肩を叩いた。傷は痛々しいが、これくらいならすぐに直してもらえるだろう。重傷のSKSも載せて車両は後方に戻っていった。

 

「WA2000、さすがね。SKSを助けてくれた。こちらからも礼を言うわ」

 

 マカロフが近寄ってきてそう言った。彼女たちは命令通り鉄血を掃討した。鉄血も本命の攻勢で忙しくてこんな僻地に兵力を割いてないみたいだった。オズワルドがやられると残り少ない兵員もすぐに引いていった。

 

「マカロフ、一つお願いがあるわ」

 

「なに?」

 

 私はオズワルドのいたビルに行きたいと言った。彼女はまだ敵が潜んでいるかもと渋ったが、私がどうしても行くと言って聞かないので了承してくれた。私は奴の死体を確認したかった。それまでは実感が湧かない。任務は達成したが、胸が空っぽのままで落ち着かなかった。

 

 階段で十二階まで上がった。日は沈みかけていて、屋内は薄暗い。打ち捨てられ、荒廃した室内を歩く。そして、奴のいる部屋まで来た。熱光学迷彩マントを背中にかけた人形が射撃姿勢を取っている。窓から外を狙える高さの机に伏せ、二脚で銃を立てていた。ちょうどスコープの真ん中を銃弾が貫いて穴を開けていた。弾はゴーグルを突き破り、右目を通って後頭部から飛び出したようだった。マカロフが机を蹴り飛ばしてオズワルドは床に投げ出された。彼女は仰向けに転がった。

 

 何気ないことだったが、胸を殴りつけられたような衝撃を感じた。間近で見てみるとその人形は何の変哲もないイェーガーだったのだ。熱光学迷彩を装備している以外は今まで倒してきたイェーガーと何ら変わりない。個性を排した量産型とまったく同じ見た目をしていた。違う点は右目を撃ち抜かれたゴーグルが蹴られた拍子に外れたことくらい。彼女の素顔が見えた。私たちと同じように口があって、鼻があって、目があった。右目は撃たれて落ちくぼんでいたが、左目には赤い瞳が見えた。

 

「っ!気をつけて、まだ生きてる」

 

 彼女はぎょろりと瞳を動かして私を見た。震える手を床に落ちた銃に伸ばそうとしたが、マカロフが銃を蹴飛ばしたので叶わなかった。マカロフが拳銃を向けようとしたのを手で制す。

 

「待って……私がやるわ」

 

 私は彼女に銃を向けた。スコープのレンズ一杯に彼女の顔が広がる。彼女は静かに私の銃口を見つめていた。

 

「あんたも……殺しのために生まれてきたの?」

 

 トリガーに指をかけながらそう尋ねた。すると彼女は口の端を少しだけ吊り上げてニヤリと笑った。引き金を引く。銃弾が額に大きな穴を開けて床に血が飛び散った。部屋に銃声が満ちて、幾重にも重なってこだました。銃声が鳴りやむと薬莢がコロコロと転がる音だけ後に残った。

 

「大丈夫?」

 

 しばらく死体を眺めているとマカロフが聞いてきた。鉄血人形をこんな近くで見るのも、殺すのも初めてだった。ましてや表情を見るなんて。彼女には感情があったんだろうか。なにを思って笑ったんだ。自嘲したのか私を蔑んだのか。それともただの機械的な反応だったのか。

 

「ええ、大丈夫よ……大丈夫。帰りましょう」

 

 考えるのをやめて死体に背を向けた。マカロフに続いてビルを出る。制圧したエリアに戻る道をとぼとぼ歩いていく。何だか足が重くて前を歩くマカロフとの距離がどんどん開いていく。地面を見ながら歩いていると上から水滴が落ちてきて道路のアスファルトが黒ずんだ。

 

「雨かしら……」

 

「雨?私は何も感じてないけど……」

 

 私の言葉を聞いて振り返ったマカロフがぎょっとした。私の顔に何か付いているのかと思って顔を上げた。すると温かい液体の筋が頬を伝っているのに気づいた。二つの筋は顎で合流し、一つの雫になって地面に垂れた。雨じゃない。私の涙だった。私は泣いていた。

 

「どうしたのよ……」

 

 マカロフが怪訝な顔をして近づいてきた。頭をぐるぐる回っているのは私が殺した彼女の笑みと、額を撃ち抜かれて動かなくなった死体の姿。目に焼き付いて離れなかった。ある考えが浮かんできて、どうしても打ち消せなかった。あれは私だ。

 

「戦いはいつ終わるのかしら……たくさん殺してきたわ、もう百人以上……なのに、全然終わらないじゃない……これっぽっちも変わってないわ。むしろ悪くなってる……」

 

 足を止めて突然泣き出した私をマカロフが顔をしかめながら見上げている。目に焼きついた笑みが消えてくれない。あの無名のイェーガーには表情があった。私と同じくらいの技術があって、知性があって、感情があった。彼女は私と同じ人形だった。きっと、これまで殺してきた百人以上の人形たちも。

 

「殺して、殺されて、全部無意味だわ……いくら殺しても戦争は終わらない!人形はひたすら殺して、殺され続けるだけなのよ!永遠に終わらない……ここは地獄だわ……私もいずれああなるんだ!殺されるまで殺し続ける!心が死ぬその日まで!私が……私が生まれてきたのは殺されるためだった……」

 

 私はその場に跪いて泣き出した。彼女の姿と自分が重なってしょうがない。彼女もまた殺しのためだけに生まれてきた人形だった。頭を撃ち抜かれて暗い部屋に横たわる私の姿が脳裏に浮かび上がってどこにも行ってくれない。マカロフは何も言わなかったが、しゃがみ込んで私の顔を見つめていた。

 

「私は……私は何のために生まれてきたのよ……こんなことならエリートになんてなりたくなかった……こんなもの!もらわなければよかった!」

 

 私は胸にピンでとめた勲章を引きちぎり、腕を振りかぶって投げ捨てようとした。しかし、マカロフに素早く手首を掴まれて止められた。

 

「そんなこと言わないで。無駄じゃないわよ。今日、あなたはSKSの命を救ったじゃない。MP5のこともよ。私や、AK-47の命だって……無駄じゃないわ。あなたは仲間の命を救える。その勲章をもらうまでにたくさん命を救ってきたんでしょう。意味がないなんて言わないで。あなたには力がある。奪う命は選べなくても、自分の意志で誰かを救うことができるわ。だから、無駄じゃない」

 

 マカロフはそっと腕を離した。振り上げた手が力を失って、勲章を握り締めた拳が地面を打つ。マカロフは二の腕を掴んで私を立ち上がらせた。

 

「戦場に長く居過ぎたのよ……帰って休みなさい」

 

 肩に手を置くマカロフに寄り添われながら私は道を歩いた。日が沈もうとしている。袖で零れ落ちる涙を拭った。目尻にたまった涙に日光がキラキラと反射して眩しかった。

 

 

 

 

 

 機関部後方の照門の溝に銃口の上に取り付けられた照星が浮かぶように照準を合わせる。目標と照星、照門、そして右目が一直線に並ぶように銃を構えた。目標の頭部の淵に当たるよう調整して、引き金を引く。パスンと気の抜けた軽い音と共に銃口からコルク栓が飛び出した。大きなクマのぬいぐるみの頭がぐらりと揺れた。クマは棚の上でふらふら身体を揺らしていたが、やがてバランスを崩して落下した。

 

「すごいです!WAさん!」

 

「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるのよ。ほら、あんたにあげるわ」

 

 店員からぬいぐるみを受け取ってMP5に渡した。彼女の小さな腕で抱えきれないほど大きなぬいぐるみだった。

 

「うわ~、かわいい!ありがとうございます、WAさん!」

 

「ふんっ、まあこれくらいはね……」

 

 MP5が尊敬の眼差しを向けてきたので目を逸らした。彼女はすぐ損傷を直してもらって元通りだ。今は念願の遊園地に来られて喜んでいる。

 

 S09地区の戦いは終わった。グリフィンは大きな被害を出して撤退した。いくつもの部隊が戦場に取り残されたままだと聞く。私は“オズワルド”を倒した。でも、幸か不幸か一面記事には載らなかった。AR小隊が英雄的な働きをしたとかで、そっちに話題を持っていかれた。それでも私の戦いは小さな記事になったし、休暇ももらえた。ちょっとした小遣いももらったし、願い事も聞き入れてもらった。

 

「でも、WAさんはよかったんですか?休暇は要らないって言ってたのに……それに、活躍したのはWAさんなのに私の希望で遊園地になっちゃいました……WAさんの希望はなかったんですか?」

 

「私がしたいからしてるの。別にあんたのためじゃないわ、勘違いしないで。そういうことは気にせずに楽しみなさい」

 

 自分のしたいことと言われても思いつかなかったので彼女に合わせた。遊園地というものがどんなものかよく知らなかったけど、これが結構楽しい。メリーゴーランドとかコーヒーカップとか、そもそも誰かと遊んだことなんてないのではしゃいでいるとMP5に意外そうな目で見られた。そう言えば彼女が遊園地は子どもっぽいとか言っていたのを思い出して誤魔化した。あんたに合わせただけとか何とか言って。でも、お化け屋敷は駄目だった。あんなの全然面白くない。怖いだけ……別に怖いわけじゃない、下らないだけよ。下らないのでMP5を置いて一人で出てきた。それはもう飛ぶように。

 

 もらった小遣いでチョコアイスクリームを二つ買ってベンチに腰を下ろした。片方をMP5に渡す。チョコアイスは私の数少ない好物だった。グリフィンで手に入る安物より値段相応においしい。きっとちゃんとした材料を使ってる。これだけでも来た甲斐がある。アイスに舌鼓を打っているとMP5がポツリと呟いた。

 

「私、WAさんと組むって聞いた時は緊張してました。そんなすごい人が私なんかと一緒にいてくれるかなって……私はちっちゃいし、頼りにもならなくて、だからWAさんは憧れなんです」

 

「あんただって結構やるわよ。戦場でも落ち着いてたし、大胆なことだってするしね」

 

 言ってから気恥ずかしくなって目を逸らした。まだ人と会話することに慣れてない。

 

「私もWAさんみたいに強くなりたいです。誰かに頼られて、たくさんみんなの役に立てるような力が欲しいんです」

 

 力なんてあったって無駄よ、そんな言葉が漏れかけたが思い直した。きっと無駄じゃない。私が生まれてきたのには意味があるはずだ。私にもできることがある。たとえば、仲間を助けるとか。

 

「そうね……仲間のために戦うのも悪くないのかもしれないわね……」

 

 MP5の方を見る。彼女は不思議そうに私のことを見つめ返してきた。今まで私はずっと一人で戦ってきた。グリフィンの他の人形なんて気にしなかったし、自分が敵を倒していればそれでよかった。仲間なんていないし、要らないと思ってた。でも、今は違う。私には仲間がいる。まだ一人だけど……仲間を守るために戦っていたらこの戦争にも意味を見出せるかもしれない。私はそのために生まれてきたと、はっきり言えるような理由が見つかるに違いない。

 

「たぶん、無駄じゃなかったのよね……今までのことも」

 

 自分の胸元を見た。金色に装飾されたグリフィンが勲章の中で輝いていた。

 



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Zas M21短編 明日のデートより、今日の私を

Zasちゃんの短編です。
これが私のZasちゃんに対する答えだ!
Zasちゃんと誓約済み指揮官がデートする話です。
誓約した人形を戦地に送り出す指揮官はどんな気持ちなのかな、と考えながら書きました。
いつもより読みやすいと思う(当社比)


Zas M21短編 明日のデートより、今日の私を

 

 

 

「ほら、着いたよ」

 

 女性の声がした。肩を揺すられてまぶたを持ち上げる。フロントガラスから眩い光が飛び込んできて思わず目を細めた。助手席で寝ていたらしい。居眠りするなんておかしいな、はっきりしない頭を運転席の方に向ける。若い女性が私を見て微笑んでいた。少し垂れた大きな目が私の顔を覗き込んでいる。寝不足気味なのか目の下に隈が出来ていた。肩まで垂れた茶髪が小さく揺れている。

 

 分かった、この人は私の指揮官だ。一番よく知っている人なのに判別に時間がかかった。寝起きなのと、彼女がいつもと違う格好だからだ。グリフィンの赤い制服ではなく、薄茶色をしたウールのロングコートを着ている。

 

「指揮官、ええと……ここはどこですか?」

 

「はは、寝ぼけてる?ベオグラードだよ。約束のデートに来たんだ。早く行こう」

 

 約束のデート?そう言われるとそうだった気がする。考える暇もなく指揮官に急かされて車を降りる。車から出ると石畳の古めかしい通りだった。道の両側に歴史を感じる近代風の建物が立ち並んでいる。建物の一階部分に居を構えた商店が多い。人通りが多いことから観光客向けの繁華街なのだと分かった。

 

「どうしてベオグラードなんですか?私たちの基地から大分離れていますよね。貴重な休みを移動時間に割くのはもったいないと思いますけど」

 

 私と指揮官の部隊は鉄血との最前線に配属されている。それも激戦区だ。私たち人形はもちろん、指揮官も昼夜を問わず働き続けている。まとまった休みを貰えることなんて滅多にない。

 

「それはほら、あなたの生まれ故郷でしょう?」

 

「まあ確かに……私はセルビアの銃です。でも、製造元は別の街ですし、それは銃に限った話で私の出身はI.O.Pですけどね」

 

 指揮官に手を引かれながら通りをゆっくり歩く。私が細かく補足すると彼女は何がおかしいのか朗らかに笑った。まあ、悪い気はしない。わざわざ指揮官が時間をかけて連れてきてくれたのだし、二人きりになるのは久しぶりだ。部隊にいる時は他の娘たちがいるし、指揮官も忙しい。せっかくなら楽しんだ方が合理的だ。

 

「どう?何か感じない?この国とスティグマで結ばれたあなたの銃の記録が反応したりしないの?」

 

「そう言われても……特には。スティグマはあくまで銃を自在に操るための技術で、銃や製造国の歴史に一々思いを馳せたりしませんよ。そもそも、武器に感傷が必要なんでしょうか?感情は様々な行動の制約になります。兵器である戦術人形に搭載するのは実用的とは言えませんよね」

 

「相変わらずだなあ。ひねくれてる」

 

 否定したのに指揮官はニコニコ笑っていた。言ってからこれは幾度となく繰り返した問答だと気づいた。それから彼女は私を引いていた手を離し、私の顔の前に左手を突き出してくる。

 

「それに、人間性が無ければこういうこともできないでしょう?Zasはこれも非実用的だと思う?」

 

「それはまあ……非合理的だとは思います。でも、必要ないとは思ってません」

 

 突き出された左手の薬指には銀色の指輪がはめられていた。そして、私も同じ意匠の指輪を身に付けている。私と指揮官は誓約していた。ただの人形と指揮官という関係から一歩進んだところにいる。指輪を受け取ってもらえないか聞いてきた時の真剣な表情、あれからかなり経ったけどまだ記憶に新しい。人間と人形なんて、苦労するのは彼女の方だ。そうと知りつつ私は受け入れた。私もまた彼女のことが好きで、求められることが嬉しかったから。試練が待ち受けていると分かっていても拒否することはできなかった。

 

「ほら、行こう。せっかくのデートなんだから楽しまなくちゃ」

 

 私が人間性を認めたことに安心したのか、指揮官は満面の笑みを浮かべながら私の腕を引っ張った。彼女は地図も見ずに、まるで見知った土地を歩くように人混みの合間を縫ってスイスイ進んでいく。もうデートの計画は立てているらしい。いつもより強引な気がしたが、身を委ねることにした。私といる時の指揮官は活き活きしていて見ていて楽しい。

 

 導かれた先はネイルの専門店だった。古風な街並みに合わせて外装は落ち着いているが、現代風の機能的デザインの店内には色とりどりのネイルカラーの小瓶が並んでいる。こういうお店に来るならわざわざ遠出しなくてもいいのに、私は口元を押さえて小さく笑った。でも、私の趣味をよく分かっている。安物ではなく、プロのアーティストが使うような品ばかり並んでいた。

 

「いい趣味のお店ですね」

 

「そうでしょ?Zasと行きたくてね。好きなのを選んでよ。新しいカラーを試してみたら?」

 

 私のネイルはどれも違う種類だ。最初の頃は違いを説明しても指揮官は全然分からなかったけど、私に付き合って今やかなり詳しくなった。前線にいるとおしゃれに無頓着になるので私が彼女にも塗ってあげている。

 

 香り付き塗料の棚を吟味する。しばらく悩んでから小瓶を一つ手に取った。私の髪色に似た水色のマニキュア。同じような色は持っているけど、これは私の髪にそっくりだと思う。気に入った。

 

「これがいいですね。透き通った、綺麗な色。この製品は持っていないし、新しいものを試すのも悪くありませんよね。指揮官にも塗ってあげましょうか?」

 

 指揮官に見せようと振り向いた時、彼女の表情が変わっていることに気づいた。口元をキュッと結んで、痛みに耐えるみたいな悲しげな目で私のことを見ている。私の視線に気づいてそれが嘘だったみたいにパッと笑顔を咲かせた。でも、それは作り笑いだ。付き合いが長いから分かる。

 

「うん、綺麗な色だね。Zasの髪の色に似てて。私も塗ってもらおうかな?」

 

「……指揮官?どうしたんですか?」

 

「ん?どうもしないよ。じゃあ、買ってくるから」

 

 指揮官は何も言わず、マニキュアを包んでくれと店員に言いに行った。今のは何だったんだろう。結構な値段のものを選んでしまったから?でも、この店にあるものはどれも値が張る品ばかりだし。それともただの見間違いかな。私が深刻に捉え過ぎなのかも。

 

 腕をグイグイ引かれて街路を歩く。何かに追い立てられているみたいな忙しない足取りだった。ゆっくりできるほど休暇が十分にあるわけじゃないけど、それだけじゃない気がする。私たちが辿り着いた先はおしゃれなブティックだった。高級ブランドの専門店みたいだ。淡い明かりが照らす店内にゆったりと服が展示されている。

 

「妙に羽振りがいいですね」

 

 探りも兼ねてそう言った。別に指揮官がお金に困っているとは思っていない。むしろ使わなすぎだ。ただ、勝手知ったると言わんばかりに高級店に通うような人でもない。

 

「基地にいても使わないから貯まるばかりなんだ。お金のことは気にせず好きなものを買って。見栄を張らせてよ、おしゃれしたZasが見たいんだ」

 

「はぁ……私はいつもおしゃれですけどね。分かりました」

 

 違和感を覚えながらも店内をうろついて物色してみた。シンプルなものから複雑なデザインのものまで、多種多様な衣服がラックにかけてある。どれもこれもいい値段なので流石に躊躇してしまう。でも、遠慮するのも失礼にあたると思って値札を見るのはやめた。私は白いワンピースを手に取った。シルクみたいなやわらかい手触りで手にしっとりと吸い付く。背中から鶴の羽のような装飾が垂れていて素敵だった。ワンピースを持って恐る恐る指揮官の方を向く。

 

「指揮官、私はこれがいいです」

 

「良いのを選んだね。Zasが着たら本当に綺麗だと思うよ。試着してみたら?」

 

 指揮官はどこかホッとした様子で温かく微笑んでいた。よかった、さっきのは私の思い過ごしか。彼女におかしなところは何もなかった。私が試着してみせるとますます頬を緩める。

 

「それじゃまるで子どもか孫を見てるみたいですよ。もっとシャキッとしてください」

 

「あはは、ごめんごめん。そのまま着て帰る?」

 

「いえ、汚してしまいそうなので元の服で……」

 

 試着室で着替え直し、会計をするために店員のもとに行った。ワンピースは折りたたまれて小洒落た紙袋に収まった。

 

「お買い上げありがとうございます。またのお越しを……」

 

 商品を渡す時、店員の営業スマイルが崩れた。頬が引きつって、視線で私たちのことを訝しんでいる。指揮官がすぐに店から出て行ってしまったので私も続いた。何だろう、あれは。人形に高価な服を買う人間が珍しいのかもしれない。それもお揃いの指輪を身につけている。だから、怪訝な顔になった。それなら珍しいことじゃない。それ以上考えてもいい気分になりそうもなかったので思考を打ち切った。

 

 しばらく街を散策した後、私たちは休憩することにした。伝統料理が食べられるレストランがあると言うので指揮官に従った。彼女はやっぱりスケジュールを全部決めているらしく、迷うことなく席についた。通りにはみ出したテラス席に私たちは向かい合って座った。

 

「ここではね、セルビア料理が食べられるんだって」

 

「へえ……セルビア料理は初めて食べますね」

 

 メニューには見たことのない料理名ばかり踊っている。指揮官にどれにするか聞こうと顔を上げた。彼女は真顔で私のことを見つめていた、またあの悲しそうな目を向けて。

 

「な……なんですか?私の顔に何か付いてますか?」

 

「あっ、何でもないから。どれにしようかな、迷うね」

 

 指揮官はあからさまに誤魔化してメニューに視線を落とした。彼女は何か隠している。でも、それを私に言う気はない。私たちは互いに指輪を贈り合った仲だ。この世で一番近しい間柄のはず。それなのに隠し事をされている。歯痒くて、不安で、落ち着かなかった。

 

 私は適当にグラーシュという料理に決めた。肉の煮込みという意味らしい。私が決めると指揮官もそれにすると言った。出てきたのはトマトで赤みをつけたとろみのあるシチューだった。よく煮込まれた豚肉や玉ねぎが入っていて、どこか懐かしさを覚える味がする。私たちは食事の間、言葉を交わさなかった。指揮官は落ち込んで、塞ぎ込んでいる。彼女はこの瞬間も何か苦痛を味わっている、その様子がはっきり見て取れた。とても料理に集中できる雰囲気ではなく、泥でも啜っている気分だ。

 

 料理を何とか片付けて、食後のコーヒーが給仕された後も指揮官は変わらなかった。カップには手を付けず、俯いて黒い水面を見つめている。私はとうとう我慢できなくなって口を開いた。

 

「指揮官、何かあったんですか?」

 

「え……ううん、何でもないよ」

 

「嘘です。何でもないわけないですよね。せっかくのデートだから楽しまなくちゃと言ったのはあなたですよ。あなたがその調子じゃ私は全然楽しくないです。辛いことがあるのなら言ってください。力になれるかは分かりませんが、せめて打ち明けて欲しいです。はっきり言うと隠し事をされるのは気分がよくありません」

 

 それでも指揮官は何も言わなかった。ただ沈黙だけが流れていく。胸の中である疑念が生まれ、心の中で渦巻き始めた。やがて疑念は確信に近いものに変わった。テーブルの上に両手を載せる。

 

「指揮官もネイルが上手くなりましたよね。初めのうちは全然興味がなかったのに、最近は楽しんでくれるようになった。私に合わせて新しい趣味を持ってくれたのが嬉しかった」

 

 指揮官は目だけ動かして私の爪を見た。もう少しで感情のにじみ出しそうな、取り繕った顔をしている。

 

「一目見ただけじゃ気が付きませんでした。でも、まだまだです。ほら、少しだけムラがあります。私ならこんなミスはしません。私のネイル、指揮官が塗ったんですね」

 

 私が言うと指揮官は動揺して肩を震わせた。上げた顔には焦りと悲しみがない交ぜになっている。彼女と向き合った瞬間、はっきり確信した。胸に満ちる落胆の塊をそのままため息と一緒に吐き出した。

 

「……そうですか。隠さなくてもいいんですよ。私、死んだんでしょう?」

 

 指揮官は今にも泣きそうなほど顔を歪めた。何が彼女を苦しめていたのかようやく理解する。落胆に少しだけピリピリとした怒りが混じった。

 

「指揮官は分かりやすいですね。さっきのはカマをかけただけです。ムラなんてありませんよ。ネイルもお上手です、私が教えたんだから当たり前ですね」

 

 彼女は驚いた様子もなく私のことを見つめ続けている。私のはったりに引っかかったことで取り乱すかと思ったので意外だった。

 

「私は死んだんですか。道理で違和感があると思いました。デートを約束した記憶は曖昧だし、あなたは悲しそうだし……戦死した私をバックアップから復元したんですね。でも……だから?」

 

 どうやら私は死んで、復元されたらしい。それは分かっても、指揮官がそんなに深刻そうな理由が分からなかった。私たちの部隊は最前線に配備されている。死は日常だ。鉄血にやられ、バックアップから復元された仲間は大勢いる。メンタルデータを残しておけば記憶も経験も元通り、それが人形だ。人間と人形では死の重みが違う。復元された私が目の前にいるのに落ち込んでいる理由はない、と思う。

 

「Zas、あなたも分かっているでしょう。復元は完璧なものじゃない。前回のバックアップまでの記憶を失って、新しい身体に引き戻される。記憶、感情、人格、メンタルモデルのデータは複雑すぎる。コピーされたデータは少しずつ、でも確実に劣化していく。コピーからコピーを繰り返せばなおさら……メンタルに致命的な欠陥が出る可能性もある」

 

「それで言わなかったんですか?」

 

「あなたがショックを受けると思って……」

 

「ショック?私は戦術人形ですよ。戦っているんだから死ぬこともあります。復元されることを一々怯えたりしません。ショックと言うならこうしてあなたに隠し事をされる方がよっぽど傷つきますね」

 

「ごめん……」

 

 指揮官はか細く謝った。確かに私は傷ついた。今の私は以前の私よりも劣化している、そう言われた気がして。

 

「私が傷つかないようにするためではなく、あなたが傷つかないためでしょう?私の死から目を逸らすために……はっきり言ってください。私は今までに何回死んだんですか?人形とは言え、記憶を操作するためにはそれなりの労力と技術が要るはずです。雑に捏造された記憶を挿入されればすぐに気が付きます。初めてにしてはいささか手が込みすぎている。一回や二回じゃないんですよね」

 

「そう……そうよ。あなたが死を経験するのはこれで七度目。その都度バックアップから復元してきた。あなたのメンタルは劣化し始めている。重大なバグが生じる危険域に達していると思う」

 

 流石に衝撃を受ける。はっきり面と向かって劣化していると言われてしまった。そして、私は七回死んでいるとも。私は一度として死んだ覚えはなかった。

 

「もしかして、私が死ぬ度に同じことを繰り返しているんですか?この街で、同じコースのデートを……それで私の趣味趣向が変化していないかチェックしているんですね。私が別の私になっていないか、あなたの中の私から逸脱していないか判断している……許容できるのはどこまでですか?マニキュアまでですか?頼んだ料理?違う服を選んだら駄目ですか?」

 

 指揮官は答えなかった。悲痛な面持ちで私のことをじっと見つめているだけ。それで説明がつく。指揮官が見知った土地を歩くように私を導いたのも、あの店員が私たちを訝しんだのも。きっと、私は何度もあのワンピースを選んでいるんだ。同じ人形と人間が毎回同じ服を買っていくのを見たら不審に思うに違いない。

 

「記憶を弄られるのは少々……いえ、かなり腹が立ちますね。私のことを試している。私を信頼していないんですね。こんな指輪まで贈ったくせに。私が“私”と連続した存在なのか自信が持てないからこんなことをしている、違いますか?」

 

 指揮官はすっかり冷めたコーヒーカップに視線を落として黙ったままだった。怒りがこみ上げてくる。感情や人間性、私の中の非合理的な部分をそっくり否定されたようで無性に腹が立った。それを肯定したのは他ならぬあなたじゃないか。

 

「あなたにとって私は好き勝手に弄くり回せるただのおもちゃに過ぎないんですか?誓約した時、あなたは言いましたよね。私はただの道具でも武器でもないって。私はあなたの大切な存在だと。あれは嘘だったんですか?まあ仕方ありませんよね。人形は所詮人形、人間と対等の立場にはなれませんから」

 

 指揮官の反応を伺う。彼女は俯いたまま反応を示さない。驚きだ。最大限の侮辱をしたつもりだった。激昂すると思ったのに。指揮官はそういう人ではない。激務の中でも人形のケアを忘れない人だ。何より、私に指輪を渡してくるような人のはず。なのにどうして。

 

 考え込んでようやく気づいた。きっと、これと同じことを前の“私”も言ったのだろう。そう考えると余計にムカついて、どうにかして表情を変えさせてやりたくなった。語彙を掘り起こして私が言いそうもない罵倒をデザインしようとする。でも、前の“私”も同じことをしたのではないかと思い、馬鹿らしくなってやめた。

 

「もし、私が許容できないほど変質していたらどうするんですか?処分するんですか?それとも初期化?今回の私はどうでした?駄目だったら別の都合のいい人形を見つけるんですか?指輪、返しましょうか?次の人形にそのまま渡せるように……」

 

「やめて!」

 

 私が指輪を外す振りをしようとすると指揮官が声を荒げた。私はビクリとして思いつくままに喋り続けていた口を閉ざした。彼女は目に涙を浮かべて、キッと私をにらんでいる。

 

「そんなことするわけないじゃない。できるわけがない……あなたがあなたでなくなっていくのを見るのは怖かった。だけど、あなたを諦めることはできない。勝手なことをしたのは謝るわ、ごめんなさい。でも、そんなこと言わないで」

 

「すみません、言い過ぎました……」

 

 急に怒りがしぼんで後悔が心を塗り替える。私は指揮官に私が“私”であると示したかったんだ。連続した存在で、この感情が嘘偽りでないと認めて欲しかった。そのために彼女の気を引きたかった。

 

「そう。私はあなたが死を経験する度に同じデートを繰り返している。変わっていくあなたを見るのは怖い。でも、どの程度変化しているのか把握したかった」

 

「でも、マニキュアや食事の内容なんかで分かるんですか?何を選ぶかなんて季節や天気、その日の気分で変わるでしょう。当てになりません」

 

 そんな下らないことで私を判断して欲しくなかった。私は以前からこれっぽっちも変わっていない、私はそう思っている。でも、指揮官は首を横に振った。

 

「Zas、マニキュアを買った時になんて言ったか覚えてる?」

 

「え……透き通った綺麗な色だと言いましたけど……」

 

「私が新しいカラーを試してみたらと言ったからあれを選んだよね。持っていないからと。あれは新しい色じゃない……あなたはもう持ってる。爪に塗っていたこともある。ずっとそうだった。私が贈った。あなたの髪色に似て綺麗な色だから。あなたも綺麗だと、いい香りだと言って左の小指に付けてくれていた。私にも塗ってくれたことがある……」

 

「えっ……」

 

「さっきはなんて言った?セルビア料理は食べたことないって。いいえ、あるわ。私はグラーシュを戦いから帰ってきたあなたに振舞ったことがある。あなたの出身国にちなんで……あまり上手くできなかったけれど、あなたは好きだと言ってくれた。好物だって……それから何回も作った。時には二人で……」

 

「そうでしたっけ……」

 

 私は口元に手を当てて考えた。そんなこと、あっただろうか。それならすぐ思い出すはずだし、忘れるなんてありえない。

 

「覚えてない?」

 

 指揮官の声は今にも消えてしまいそうなほど弱々しかった。私にすがりつくような彼女の顔を見ると胸が締め付けられる。覚えてる。あのマニキュアは指揮官が誓約してから一ヶ月目に買ってきたものだ。彼女は記念だと言って、私は大げさだと笑った。指揮官が喜ぶと思ってネイルを塗り替えた。予想通り彼女は喜んでくれて、それからずっとそのマニキュアを使っていたはず。

 

 グラーシュのことも覚えている。鉄血の攻勢があって私たちの部隊も駆り出された。ひどい損害の出た激戦で、一週間以上帰れなかった。疲れ切った私たちを指揮官が手料理で出迎えた。煮込みが足りなくて具材が硬かったけど、彼女も寝ていないのにわざわざ作ってくれたことが嬉しかった。あれが今までに食べた中で一番おいしい料理だ。

 

 どちらも大切な思い出のはず。どうして思い出せなかったんだろう。だから指揮官はあんなに悲しい顔を。忘れていたわけでもないのに、すぐに浮かんでこなかった。まるで別人の記憶を覗いているみたいで、実感が湧かない。

 

 私の人格と記憶は予想以上に解離している。私は自分が何も変わっていないと思っていた。でも、私は変貌している。死と復元を繰り返したことでメンタルが異常をきたし始めていた。指揮官を見る。彼女は疲れ切っていて、辛そうだった。

 

「指揮官、私と過ごすのは辛いですか?」

 

「そんなことない……!」

 

「もし辛いのなら、耐えられなくなったなら、私を復元するのはやめてください。恨んだりしませんよ。私をどこかに埋葬して、そのまま忘れてください。そうするべきです。それが本来のあり方だと思います。死を乗り越えられる生き物はいないんですから……」

 

「無理よ……ずっと一緒だったじゃない……あなたのことを忘れるなんて、できない……」

 

「人形は死にますよ。撃たれれば壊れます。戦争のための、使い捨ての機械ですから。いつ死んでもおかしくないんです。戦いに負傷はつきものです、死ぬ時もあるでしょう。鉄血の方がいつだって戦力で優っていますし、エリート人形に出くわせば部隊ごと全滅もあり得る。人の代わりに戦い、人の代わりに死ぬ。それが戦術人形です。分かってるでしょう、指揮官なんだから。私たちに戦うよう命じるのはあなたなんですよ……」

 

 指揮官は沈黙し、俯いてから絞り出すような声を上げた。

 

「本当は行かせたくない……でも、命令なんだ。戦力が足りない。倒しても倒しても鉄血は湧き出してくる。あなたを行かせなければもっと大勢死ぬ」

 

「指揮官は真面目ですよね」

 

 私だけ戦わせず、本物の人形みたいに大事にしまっておくことだってできるだろうに。でも、そうしたら他の仲間たちの士気が落ちるのは確実だ。最前線を生きる人形たちはひっきりなしに死んで、蘇る。それが普通なんだ。例外を作ってはいけない。人形たちのメンタルをケアする面で彼女は優秀な指揮官だった。

 

「あなたも歪な人ですよね。グリフィンの指揮官なんですから人形を戦いの道具として使わなければならない。でも、人形と誓約なんてしてます。ただの機械でしかない人形を愛してる。まるで人間を相手にするように……そして愛を囁いたのと同じ口で私に命令する。戦えと、死地に赴けと。戦いの道具だというのに感情を持っている私たちと同じくらい歪な存在ですよ、あなたは」

 

「そうだね……」

 

 歪みはいつか断ち切らなければならない、言外にそういう意図を込めた。でも、言って諦めるような人じゃない。まともな感性をしていたら戦術人形と誓約なんてするわけがないんだから。弱り切って憔悴している彼女に私は笑いかけた。

 

「……指揮官、駆け落ちでもしますか?このまま……」

 

「えっ……」

 

 顔を上げた彼女の目には迷いがあった。そうだろうとは思った。

 

「……冗談ですよ。ふふっ、本気にしましたか?」

 

 指揮官は私のためにすべて投げ出すような人ではない。指揮官としての職務や仲間たちのこと、責任から逃げられない。そしてすべて一人で抱え込んで、苦しみ抜くんだ。副官として、彼女と誓約した人形として、苦しみを分かち合えないかと思った。でも、今や私が一番の苦痛の種だ。人形の身には限界がある。

 

 ふと、私が指揮官の立場でなくてよかったと思った。指揮官は前線には行かない。安全な場所から指揮を執る。羨ましいと思ったこともあるが、私を戦場に送り出す時、彼女はどんな気持ちなのだろうか。私は常に死と隣り合わせで、彼女には祈ることしかできない。私が出撃する度、筆舌に尽くしがたい苦しみを味わっているんじゃないだろうか。そして自分の指揮の結果、私が死ぬ。即座に復元し、着実に変質していく私とデートする。とても私では耐えられない。

 

「人形に魂があるとするならどこに宿るのでしょうね。記憶でないとするなら、人格でしょうか。それとも肉体?それなら私は遥か以前から別の存在だということになりますね」

 

「……Zasが魂だなんて言うの?サンタも笑っていたのに」

 

「言ってみただけです。人形に魂も神もありません。それは人間も同じですけどね。みんな孤独に生きている。絶対的な誰かが存在を保証してくれはしません。人も人形も、形態に違いがあるだけで命には限りがあるというだけですよ」

 

 私たちは黙りこくったまま見つめ合っていた。やがて日も暮れて、辺りが暗くなってくる。私は席を立った。

 

「いい時間ですね。そろそろ帰りましょうか」

 

「うん……」

 

 指揮官も立ち上がって、一緒に車のところを目指した。今度は私が先導する番だった。指揮官はゆっくり、ゆっくりと脚を動かして付いてくる。私は立ち止まって彼女を待った。指揮官の顔に影が差して真っ黒に見える。

 

「指揮官、このデートの記憶は消すんですか?」

 

「……消さないよ」

 

 力ない返事だった。消すんだろうな。今まで、死やデートの記憶を保ちながら生活した覚えがない。でも、きっとその方がいいだろう。自分が変質していると自覚しないまま暮らす方が精神衛生上いいだろうし、指揮官も落ち着くはずだ。世の中には知らなくていいこともある。朝起きた時、普通の人はそれが人生最後の日だとは思わない。そう言うけれど、人形はいつが初めての日なのかも分からない。

 

 私は指揮官の手に指を絡めてぎゅっと握った。彼女の温もりが伝わってくる。

 

「指揮官、次のデートより、今日の私をどう喜ばせるのかを考えてみたら?ふふふ……」

 

「そうだね……」

 

 私がそう言うと指揮官は薄っすら笑って、手を握り返してきた。締め付けるほど強い力だった。

 

「指揮官、私はあなたを愛してますよ。これからも変わらずに、ずっと」

 

「私もだよ、Zas。この先もずっと……いつまでだって……」

 

 いつまで私は“私”でいられるのだろう。私はいつまで彼女を安心させていられるだろう。私はそれを望んでいる。この人のことを愛そう。他の部分がどんなに変わろうとも、それさえ失わなければ私は“私”でいられるはず。

 

 いつか、いつの日か、本当に終わりの日を迎えてしまった時は、誰か、私以外の誰かが、この人を救ってあげてください。

 



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AUG短編 私は死神と待ち合わせる

AUGと女性指揮官の短編です。人形の死を中心に扱った話になりました。
タイトルと本文で使っているのはアラン・シーガーの詩"I Have a Rendezvous with Death"の翻訳です。
百年以上前の詩だから著作権的にも大丈夫なはずだ……



私は死神と待ち合わせる

 

 

 

    私は死神と待ち合わせる

 

    激しい攻防戦の最中

 

    春がそよぐ葉陰と共に訪れ、空にリンゴの花が満ちる時

 

    私は死神と待ち合わせる

 

    春の青空がまた巡ってくる時

 

 

 

 

 

 荒れた舗装道を車が駆けていく。道の凹凸がサスペンションを通じて助手席に座る私にも伝わってきた。ハンドルを握っているのは指揮官だ。アクセルを踏み込んで廃墟の中を突き進んでいく。グリフィンの制服である赤いロングコートはきっと灰色の街では目立つだろう、私は薬室に弾薬が装填されていることを確かめた。

 

 

 目的の座標近く、指揮官は車のスピードを緩めた。二人で辺りを見回してあるものを探す。

 

「あっ、ありました」

 

 私が指差すと指揮官は車を停めた。それは路上に放り捨てられていた。

 

「いたね」

 

 私たちは車を降りた。指揮官はどこか吸い寄せられるような足取りでそちらの方に向かっていく。私は銃を構え、周囲を警戒しながら指揮官についていった。私たちがいるのはグリフィンと鉄血の支配領域の狭間にある無人地帯。頻繁に鉄血が出没する危険な場所だった。本来ならば指揮官が足を踏み入れるべきところではない。

 

 指揮官が見下ろしているのは死体だった。グリフィンの戦術人形の死体。下半身は吹き飛ばされていて、残った部分にも銃創がたくさん開いていた。はっきり言って道路に放置されている古ぼけたガラクタのようにしか見えない。顔だけは砂で薄汚れているくらいでなんとか無事だった。しかし、私はその顔に覚えがなかった。

 

 指揮官は車からシャベルを二つ出してきて、片方を私に差し出した。それから指揮官、彼女は道の傍らに穴を掘り始めた。刃先を乾燥した固い地面に突き入れる。デスクワーク中心の彼女が十分な深さの穴を掘る頃には日が暮れてしまうだろう。私は構えた銃をスリングで肩に吊るし、仕方なく指揮官の作業を手伝った。道に沿って建ち並ぶビル群に視線を向けたまま警戒は緩めない。コンクリートの森にいつ鉄血が現れるのか予想もつかない。

 

「指揮官さん、これは横領ですよ」

 

 私はそう言った。戦術人形はグリフィンの資産、死体であっても例外ではない。人形の死体は回収され、再利用されるのが普通だ。可能ならば修理され、不可能であれば解体されて予備パーツとなる。指揮官であっても好き勝手にしていいわけではない。

 

「あはは、密告しないでね」

 

 指揮官は屈託なく笑い飛ばした、そんなこと欠片も気にしていないという風に。

 

「笑い事でしょうか……」

 

 指揮官は不思議な人だった。わざわざ休暇に前線まで来て、やることが穴掘りだなんて。それも発覚すれば処分を受けるようなことだ。

 

「みなさんに指揮官とデートしていると嫉妬されてしまいます」

 

 私が肩をすくめて言うと指揮官はごめんごめんとはにかんだ。あながち冗談でもない。部隊の人形たちには私と指揮官が何をしているのか説明していない。人形を埋めに行ったなんて説明して噂になるといけないからだ。

 

 みんな指揮官のことが好きだった。人手不足のグリフィンに入社した若い女性で、少女の姿をした私たちと並ぶと姉のように見える。しかし、若さによる経験不足と少し垂れた優しそうな目から頼りない印象を受けた。それでも私たちは彼女を支えていた。指揮官は人形を人間同然に扱う、いわゆる変人だったのだ。

 

 彼女は娯楽の少ない最前線の小さな基地でも人形たちに過ごしやすくさせようと甲斐甲斐しく動き回っていた。補給が滞りがちで食事は冷えたレーションばかりという私たちのため、時には自腹を切ってまで温かい食事を調達してきてくれている。そういった小さなことの連続でも、私たちには十分だった。この人に迷惑をかけるまい、そんな連帯感が最前線という過酷な環境で私たちを繋ぎとめていた。

 

「AUG、君が来てくれてよかったよ。頼もしいからね」

 

 指揮官はシャベルに足をかけながら、神妙な顔つきでそう言った。指揮官が逢瀬の相手に私を選んだのには理由がある。

 

「どうして彼女を埋葬するのですか?」

 

 私は傍らに横たわる死体を見て聞いた。私は彼女と面識がない。恐らく指揮官もよく知らない人形だろう。なぜなら私たちとは別の部隊の人形だからだ。ここ、無人地帯の廃墟には戦略的に見て大した価値がない。廃屋が立ち並んでいるだけだ。しかし、グリフィンにも鉄血にも相手に街をただでくれてやるつもりはなく、プレゼンスを示すために小部隊を定期的に送り込んでいた。先日、パトロール部隊が鉄血の待ち伏せを受け、一人が死亡、死体は置いていかれた。それが彼女というわけだ。

 

「彼女は必死に戦ってくれたんだ。日が違えば私たちの部隊だったかもしれない。だから敬意を払わなくちゃ」

 

 街には近隣の前哨基地からローテーションで部隊が派遣されていた。私たちの順番は待ち伏せの翌日だった。指揮官が言うようにタイミング次第では死傷者を出したのは私たちの隊だったかもしれない。

 

 だが、私が聞きたいのはそういうことではなかった。死体の彼女は人形の意識、人格を司るメンタルモデルを失っている。しかし、人形はメンタルモデルを破壊されてもサーバーに残しておいたバックアップから復元できる。死体となった彼女もすでに復元されて戦列に戻っているだろう。

 

 私には指揮官の行為が理解できなかった。人間は死ねばそれきり、復活することはない。だから、葬儀をもって死者を弔うのも理解できる行動だ。一方、人形は人間が望む限りいくらでも復元できる。私には地面に横たわる人形の死体が魂の抜けたガラクタにしか見えなかった。人形にとって死は日常であり、克服できるもの。一々抜け殻に敬意を払う必要はない、ましてや人間が。

 

 指揮官が私を選んだ理由は、私が埋葬に慣れているからだった。民生人形時代の私は墓守であり、葬儀屋だった。グリフィンに来る以前、多くの人間を埋葬してきた。死体に生気を宿らせるため化粧を施し、棺に詰め込み、顧客が望む安らかな葬儀を演出する。それが私と私の所有者の仕事だった。

 

 でも、人形を埋葬した経験はない。データを移し替えれば復元できる機械の葬式を挙げようとする酔狂な人間はいなかった。

 

 膝の高さほどまで掘った穴に死体を横たえる。二人で亡骸に土をかけていると指揮官が口を開いた。

 

「この地で盛んだった宗教では、神様は自分の姿に似せて人を作ったとか。人に似た人形のことも救ってくれるかな」

 

 指揮官はとても寂しげにそう言った。どうして親しくもない人形の死を悼むことができるのだろう。それに、彼女は間違いなく生きているのだ。バックアップから復元され、生前と連続した存在として。

 

「人形にとっての神は人間ですよ、指揮官さん」

 

 私はただの葬儀屋で、神品や牧師ではなかった。死者に祈りを捧げたことはないが教義は知っている。死は永遠の命を得て復活するまでの一時的なものでしかない。神が永眠者を蘇らせてくれると信じられていた。人形の場合は人の手によって実際に生き返るのだ。わざわざ神様に救ってもらう必要はないし、死を嘆く必要もない。

 

「そうかな……私は対等でありたいと思ってる」

 

 指揮官は納得できないようで苦い顔をした。指揮官は人形に対しても分け隔てなく接する。きっとそれが部隊の人形たちを惹き付ける理由だろう。でも、人形は人形、人間は人間、まったく異なる存在だ。戦術人形たちは一見すれば人間の少女のように見える。しかし、指揮官と私たちは根本から異なるのだ。まだ指揮官は分かっていない。

 

「……指揮官さん、静かに」

 

 まだ何か言いたそうな指揮官を手で制して黙らせる。私は気配を感じ取った。街の中心へと続く道路の向こう、遠くのビルを見つめる。目では見えないが、何かが動いた気がした。

 

「どうしたの?」

 

 指揮官の肩を掴み、地面に叩きつけるような勢いで押し下げた。直後、ブォーンと大きなハエが耳元を通り過ぎたような音が聞こえた。戦場でよく聞く、銃弾が風を切る音だ。

 

「姿勢を低く! 早く車へ!」

 

 指揮官の盾になるように後ずさりしながら銃口をビルに向ける。発砲音は風切り音が聞こえて一秒以上経ってから小さく響いてきた。発砲炎も見えないくらいの距離で、ビルの何階に敵がいるか分からない。私は牽制としてトリガーを引き絞った。サプレッサーの先端にオレンジ色の発射ガスがほのかに灯る。ビルの中層階にばら撒くように制圧射撃を加えつつ後退する。

 

 相手もこちらに向けて銃撃を続けていた。遠くから聞こえてくる銃声はおもちゃの爆竹をかき鳴らしているみたいだった。銃弾が地面に当たってピシピシと小石を散らす。勢いから見て敵はアサルトライフルが一丁、照準はまだ定まっておらず、弾着を見て修正していた。

 

 私はマガジンの残りを撃ち切ると後ろを振り向いて走り出した。四つん這いのような姿勢で慌てて車に向かう指揮官を追い立てる。指揮官を車の陰まで護送した後、助手席に飛び乗った。

 

 指揮官は急いでエンジンを始動し、シフトレバーをバックに入れた。車を急発進させ、スピンするように向きを変える。そのまま敵に背を向けて全速力で逃げ出した。

 

「長居し過ぎましたね。指揮官さん、お怪我はありませんか?」

 

 鉄血のパトロールに気づかれた。車のエンジン音を響かせながら街の中心近くまで行ったのは不用心だったかもしれない。まあ、あの人形の“埋葬”は済ませることができた、指揮官も満足だろう。私は銃の弾倉を交換しながら指揮官の様子をうかがった。息を切らせ、緊張から抜けられていないがどこも負傷していないようだ。

 

「う、うん。私は大丈夫……あっ! AUG、それは」

 

 指揮官の視線の先は私の脇腹に向かっていた。見ると私の黒い喪服に小さく赤い染みができていた。弾丸に表面を撫で上げられ、皮膚が薄く裂けてしまっている。指揮官にはショックだったようで、口を開いたまま固まってしまった。

 

「これくらい何でもありませんわ」

 

「……本当ごめん」

 

 彼女は撃たれた私よりも深刻そうにしていた。兵器である戦術人形が少し傷ついたくらいで悲鳴を上げんばかり、指揮官はそういう人だった。この人に心配をかけないよう私たちは全力で生き残ろうとしている。大局に影響せず、出口も見えない最前線の小競り合い、そんな中で指揮官だけが私たちの戦う理由だった。

 

「休暇中に人形を傷つけてしまったのですから、始末書ものですね」

 

 私がそう言うと彼女は苦笑いを浮かべた。私と指揮官、二人を乗せた車は基地へ向かっていく。そしてまた日常に戻るのだ、いつもの戦場へと。

 

 

 

 

 

 窓の上を雨の雫がつたっていた。私は雨が好きだ。雨音を聞いていると気持ちが洗い流されるような気分になる。大地に染み込むようなしとしと降る雨も、土を抉るように叩きつける雨も好きだった。

 

 しかし、戦場ではそうも言っていられない。外では視界を遮るほどの雨が降り注いでいる。無人地帯の街に送られた私たちはずぶ濡れになり、指揮官の許しを得て小さな民家の一室で雨宿りしていた。割れた窓から冷気と湿気が流れ込んでくる。

 

「少し休憩したらパトロールに戻ります。広場まで偵察して、戻りましょう」

 

 小隊長のZas M21が言った。青空のような髪をした彼女は指揮官から厚い信頼を寄せられている人形だった。戦地にいない時はほとんど常に副官を務めている。彼女と指揮官から送られてきた新しいルートを確認した。私はZasの下、隊の班長の一人だ。

 

 今回、上から街の広場を偵察するよう命令されている。指揮官からは広場の様子を見た後、すぐさま引き返すよう指示されていた。天候もよくない、無理して負傷者を出したくないという意図が読み取れた。私たちの作戦行動は戦術的に大した意味があるわけでもなく、示威行動に過ぎない。意味のない戦いにうんざりしている隊員も多いが、文句を言って何か変わるわけじゃない。指揮官に気苦労をかけるだけだ。

 

 私は窓際で雨を眺めていた。同じ部隊の人形たちは雨を嫌う。でも、私は雨の中にいるのも好きだった。空から涙が落ちてきて、その只中にいるような感じがする。私は古い型の人形だから涙を流す機能が備わっていない。だから、悲しいことが会った時に雨の中にいると自分が泣いているように思えた。

 

「PP-19-01、今日は何読んでるの?」

 

 XM3は壁にもたれて座っていた。頭にバンダナを巻き、ジャケットを羽織った薄い身体の人形、彼女は小隊の狙撃兵だ。待機中の暇を持て余し、横に座るPP-19-01に話しかけた。

 

「さっき拾った本です。戦争に関する詩集みたいで……タイトルは“私は死神と待ち合わせる”」

 

 PP-19-01は癖毛の金髪をおさげにして腰まで垂らした本好きの人形だった。こうした廃墟に来るたびに古書を漁って持ち帰っている。本から得た変な知識を何かと信じやすく、いつも部隊に笑いを提供していた。本人はいたって真面目なつもりで笑われるのは不満のようだったが。

 

「読んでみてよ」

 

 XM3は興味がある風ではなかったが、暇つぶしのつもりで朗読を促した。他の隊員からも期待の眼差しを向けられ、PP-19-01は仕方なく口を開いた。

 

「私は死神と待ち合わせる。激しい攻防戦の最中、春がそよぐ葉陰と共に訪れ、空にリンゴの花が満ちる時。私は死神と待ち合わせる。春の青空がまた巡ってくる時……」

 

「暗い」

 

 XM3が途中で朗読を打ち切らせた。死に言及した詩であることに気づき、顔をしかめている。復元できるとは言ってもみんな死ぬのは嫌だ。メンタルモデルを破壊されればバックアップを取った時点までの記憶を失うことになる。縁起でもないと非難の視線に晒されて、PP-19-01はすごすご部屋の隅に移動して縮こまった。私は彼女のそばまで近寄って、横に座り込んだ。

 

「続きは?」

 

「えっ?」

 

 私が聞くと彼女はきょとんと不思議そうな顔を浮かべた。

 

「続きを教えて欲しいんです。美しい詩だと思いましたわ」

 

 私は他の人形たちほど死を恐れていなかった。今まで数多くの人間の死を見てきた。それと比べれば人形の死など取るに足らない。私は単純に死と美しい情景を対比した詩に惹かれた。PP-19-01は変だと言いたげだったが、小声で朗読を再開する。

 

「死神は私の手を取って暗闇の中に導くかもしれない。私の目を塞ぎ、息の根を止めてしまうかも。すれ違ってしまうかもしれない。私は死神と待ち合わせる。穴だらけの丘で、春が巡ってきて、牧場に今年初めての花が咲く時に……」

 

 彼女の声と、屋根に打ち付ける雨垂れの音の合唱に聞き入っていた。一面に花が咲き誇る野原を思い浮かべる。民生人形だった頃、私は所有者と一緒に花畑に行ったことがあった。花も好きだ。葬儀を彩る花をたくさん用意しているうちに自然と好きになった。厳かな雰囲気を損なわないように目立たない白い花、あれが一番のお気に入り。死を包み込むように凛と咲いていた。灰色の戦場では花など見る機会がない。懐かしい思い出だった。

 

 

 

 雨が上がり、私たちは外に出た。細い街路を進むと広場が見えた。四方を背の高いアパートに囲まれており、道の上がアーチ状にくり抜かれていてそこが広場へ続く門になっている。広場の真ん中には大きな噴水が置かれていた。稼働していないが石造りの立派な噴水で、周囲を腰掛けられるくらいの高さがある円形の壁が囲っている。

 

 あまり良くない地形だと思った。遮蔽物がほとんどない。広場を囲う建物に敵がいたらこちらはいい的になってしまう。しかし、立ち止まっているわけにもいかない。Zasはこちらに目配せをした。二列縦隊で門を潜り抜け、広場に出てからV字型の隊形に展開する。頂点がZas、私はその横についた。広場は不気味なほど静まり返っており、物音一つしなかった。

 

「噴水まで達したら戻ります……背を見せず、後ろ歩きで」

 

 Zasも不穏な気配を感じ取ったのか緊張した声で言う。私はアパートの窓一つ一つに目を走らせた。敵がいるかどうかは分からなかった。

 

 もう少しで噴水に達するという時、窓の一つに光がきらめいた。複数の激しい銃声が鳴り響く。不気味な唸り声をあげながら銃弾が横を通り過ぎていった。待ち伏せだ、前方のアパートから殺意のこもった銃撃が飛んでくる。私とZasは転がるように走って噴水の陰に隠れた。ノミを打ち付けているかのように弾丸が噴水の石を砕いていく。

 

 銃弾の雨をかいくぐり、ポジションが私の近くだったPP-19-01が噴水の陰に飛び込んできた。

 

「XM3が撃たれた!」

 

 彼女の叫びを聞いて私は部隊の様子をうかがった。発砲を受けて隊形はバラバラになっている。V字の先頭にいた私たちは手近な噴水に隠れ、残りの人形たちは遮蔽物を求めて門の方まで戻っていた。門と私たちの間に人形が一人転がっている。片脚を撃たれて悔しそうに歯噛みしているXM3だった。雨でできた水たまりの中にうつ伏せで倒れている。流れる血で水が赤く濁っていた。

 

 PP-19-01が手招きしていることに気づき、彼女はこちらに這ってこようとした。その時、射撃がXM3に向けられた。数発が水面にしぶきを上げ、一撃が彼女の腰に命中した。赤い霧がふわりと舞ってXM3は顔を歪める。突発的に走り出そうとしたPP-19-01の腕を掴んで引き止めた。

 

「どうして! 助けないと!」

 

 私たちが出てこないと見た鉄血は再びXM3に銃撃を加えた。弾は彼女の腕に命中し、肉が引きちぎれた。

 

「くそっ! 遊ぶな……!」

 

 XM3の叫びがこだまし、一瞬だけ広場が静まり返った。

 

「AUG、どう思いますか?」

 

 Zasが聞いてくる。彼女の顔は緊迫していて引きつっていたが、声には冷静な響きがあった。

 

「罠ですね」

 

 即答した。わざと急所を外している。私たちがXM3を助けるために噴水の陰から飛び出すよう誘っているのだ。敵はそれなりに練度が高い。今は前方の建物にしかいないが、側面に回り込まれたら何も遮るものがない。早急に広場から出ないとやられてしまう。

 

「でも、放っておくわけには……! こんな時、指揮官なら?」

 

 PP-19-01はXM3を指差す。水たまりの赤が色濃くなっていた。XM3はこちらを見て小さく頭を振った、来るなと言うように。

 

「……助けに行くでしょう。PP-19-01、スモークグレネードを。XM3を連れて撤退しましょう」

 

 Zasは指示を出し、壁から頭を出して敵の様子をうかがった。銃弾が壁の縁に飛んできてすぐさま頭をひっこめる。

 

「私とPP-19-01がXM3を回収します。あなたは援護してください」

 

 私が志願するとZasは頷いた。二人でXM3を運んだ方が素早く撤収できるだろう。PP-19-01はベルトにつけたスモークグレネードのピンを引き抜き、一つを噴水の向こうに、もう一つをXM3の方に放り投げた。火薬の弾ける音と共に白煙が噴き出した。もうもうと視界を遮る煙が立ち込める。私たちは噴水から離れて走り出した。Zasはスモークの中から敵に向けて制圧射撃を始める。密封した缶の蓋を開けたような軽い発砲音が響き、擲弾が建物の窓を吹き飛ばす。

 

 しかし、鉄血の銃撃は弱まらずかえって激しくなっていた。満ちる白煙を切り裂くように銃弾が降り注ぐ。風切り音は顔の周りにまとわりつくハエの羽音さながらだった。手探りでXM3の肩を掴み、門に向かって引きずっていく。私が左肩を、PP-19-01が右肩を掴んでいた。

 

 急にXM3の身体が重くなった。左右均等にかかっていた力のバランスが崩れる。私はよろめいて倒れそうになった。右にいるはずのPP-19-01が手を離した、彼女の姿は煙に包まれて見えない。

 

「足を止めないで!」

 

 すぐ後ろからZasの声がする。鉄血が無茶苦茶に放った銃弾で煙が凪いでいた。私は両手でXM3を引きずって門を目指した。門まで無我夢中で走り、壁の陰に身を隠す。標的を見失った鉄血の攻撃は鳴りを潜めた。引きずってきたXM3の身体を見る。彼女は胸を撃たれていた。白いインナーが真っ赤に染まっている。彼女は目を見開いたままだったが、表情から生気が失せていた。煙の中から助け出す際、鉄血の盲撃ちが命中してしまったらしい。

 

 立ち込めていたスモークが薄れ、視界が晴れていく。ここからXM3が倒れていたところまで真っすぐ赤い血の筋が伸びていた。その途中にPP-19-01がうつ伏せで倒れている。リンクで呼びかけても応答がない。XM3を運んでいる最中、共々弾が当たってしまったのだろう。

 

「ダメですね……これ以上犠牲者を増やせません。撤退しましょう」

 

 Zasが首を横に振った。XM3を回収するつもりだったが、彼女は救えず、さらにもう一人死者を出してしまった。死体を回収するために更なるリスクは負えない、それがZasの判断だった。私も正しいと思う。誰からも反対意見は出なかった。

 

 これが私たちの日常だった。ここには草木も花々もない。あるのはコンクリートの廃墟と、死だけだ。二人はあの詩が言うところの死神と出会ってしまった。そしてまた蘇る。これこそが戦術人形である私たちの運命であり、責務であった。

 

 

 

 

 

 XM3の遺体は回収できたが、運悪くコアに弾が当たっていた。バックアップから復元されることになるだろう。だからと言って何か変わるわけでもない。私たちは彼女たちがいないことに気づかないふりをして過ごした。私たち人形は仲間の死を直視しない。復元されて戻ってきた人形を以前と変わらぬ風に迎え入れるためだ。

 

 宿舎に空きベッドが二つできてからしばらく経った頃、二人が戻ってきた。I.O.Pで新しく製造された身体にバックアップをインストールされてすっかり元通り。人形たちは出迎えもしなかったが、指揮官だけ基地の中庭で二人を待ち構えていた。

 

 私は指揮官がどういう反応を見せるのか気になってしまい、遠巻きに彼女を見つめていた。

 

「おかえり」

 

 指揮官はぎこちなく笑って小さく手を振った。誰か死者が出ると指揮官はいつも塞ぎ込む。気にしているのを二人に悟らせないようにしているが、拙い笑顔でバレバレだった。

 

「指揮官、私たちが死なないようにもっと頑張って」

 

 XM3がわざと厳しくそう言った。彼女は慣れた様子で死に動じない。前線の人形は程度の差こそあれ皆そうなのだ。

 

「もぉ、またそういうことを言って。指揮官さん、ワタシたちのことは気にしなくていいですからね!」

 

 PP-19-01がXM3をたしなめる。何か冗談が続き、笑い声が響いた。指揮官もいつもと変わらないように笑っていた。

 

 でも、私には分かる。指揮官から死の臭いがする。葬式に参列する人間たちと同じ気配を感じた。彼女は人形の“死”に心を痛めている。なぜか胸の奥がジクリと痛んだ。誤魔化したような指揮官の笑顔にイラついた。自分がどうしてイラ立っているのか分からない。でも、確かに感情が動いた。

 

 

 

 その後、指揮官から少しいい? と呼び出しを受けた。指揮官に連れられた先は基地から数キロ行ったところにある荒野だった。車の後部に積まれたトランクケースを開けた時はさすがに面食らった。中にXM3が収まっていたのだ。鉄血の銃弾に倒れた彼女そのままだ。

 

「指揮官さん、これは……」

 

「遺体は回収できなかったと報告して、送り返してないんだ。ただ解体されてパーツにされてしまうだなんて、そんなのは……」

 

 箱の中の死体を眺める指揮官は悲痛な表情を浮かべ、泣きそうだった。私はそれを見て憤りがこみ上げてきた。この行為は横領だ、でもそんなことはどうでもいい。

 

「XM3は基地にいますよ。復元されています。本人も死んだことを気にしていません。悲しむことではありませんわ」

 

 これはただのガラクタで、本人は別にいる。そう言い聞かせたかったが彼女は首を縦に振らなかった。

 

「……バックアップから復元を繰り返せば、人格に損傷を受ける可能性があるって。記憶は同じでも別人になってしまう、そう聞いたんだ」

 

 指揮官はゆっくり吐き出すように言った。でも、そんなことは私の聞きたいことではない。

 

「元の彼女と復元された彼女は連続していないと言いたいのですか?」

 

「そうは言ってないけど……」

 

 指揮官は曖昧に答えるが、彼女の意識の中で区別が存在していることがはっきり分かった。

 

「たとえそうだとしても、どうしたと言うんでしょう? 人形は所詮機械、戦いのための道具です。人格も感情も人間を真似ただけの不完全なもの。壊れたら取り換えればいい」

 

「違う!」

 

 指揮官は大声をあげて私の言葉を遮った。自分の剣幕に驚いてハッとしていたが、目を伏せてポツリポツリと語り出した。

 

「人形だって、みんな生きてるんだ。人形にも権利と尊厳があると思う。人間と同じだよ。だから、遺体には敬意を払わないと……」

 

「いいえ、人形と人間は違います。まったく違う。第一、人形を戦いに行かせているのはあなたですよ、指揮官さん。矛盾しています。人形を憐れむなら自分で戦えばいい」

 

 図星を突かれたのか指揮官は黙りこくってしまった。私はため息をつく。

 

「あなたを責めたいのではありません。みんなが死ぬのはあなたのため、他の人間やグリフィンのためではなく、あなたのために死ぬんです。あなたの命令だから喜んで従って、文句も言わずに死んでいく。私たちは死ぬことを恐れていない。だから、罪悪感を覚えないでください。あなたが勝手に苦しんでいる。苦しまないでください。私たちはそんなこと望んでいません」

 

 説教をしたいわけではなかったが、結果としてすることになった。指揮官はまだ人形を率いることになって日が浅い。銃後の平和な世界なら人形を人間扱いしてもいいだろう。でも、ここは戦場だ。直視しなければならない差異もある。

 

「そうかもしれない……でも、だからこそちゃんと埋葬したいんだ。XM3のことも、PP-19-01のことも……彼女は戦場に置き去りだ。AUG、また街まで付き合ってくれないかな」

 

「指揮官……分かっていませんね。埋葬する必要などありません」

 

 私は目元を押さえた。指揮官はこういうところで頑固だ。少し言ったくらいで考え方を変えてくれない。

 

「でも、彼女の遺体はあの街に……」

 

「あそこにあるのはただの機械部品です! 埋葬する価値なんてありません!」

 

 つい声を荒げてしまった。私がそんなことをするのは初めてだったので、指揮官は目を丸くして驚いていた。

 

「私は行きません。頼むならば他の人形にどうぞ」

 

「AUG……」

 

 指揮官の口から次に出る言葉がお願いから命令に変わっている気がして、私は先手を打った。

 

「私は従いません。不服従の責を問うなら、どうか私を武装解除してください。炭鉱に送るもスクラップにするも指揮官のお好きに」

 

「そんなことしない!」

 

 指揮官は慌てて否定した。人形に面と向かって反抗されるのは初めてだったのか混乱が見て取れた。

 

「指揮官さん、贖罪のつもりですか? この前、鉄血に撃たれかけたばかりです。私たちだけを戦わせていることに罪の意識を感じているのなら、そんな必要はありません。そして、あなたが前線にいても役に立ちません。罪の償いにはなりませんよ。人形は人間のために喜んで死ぬんです。あなたのために、あなたの命令に従って。ですから、あなたはあなたの仕事をしてください。それがあなたの責任のはずです」

 

「分かったよ……」

 

 指揮官はうなだれて弱々しい返事をした。私は指揮官を置いたまま歩いて基地に引き返した。彼女がXM3を一人で埋めたのかは知らない。知りたくもないことだった。

 

 

 

 

 

 雨粒が傘の布地で飛び跳ねてパラパラと音を響かせる。自然が奏でるこの歌はきっとどんな演奏よりも美しい。気持ちが和らいでいく。

 

 珍しいことに上から出撃命令が来ることなく、私たちは数日間暇をしていた。日が沈み、辺りを真っ暗闇が包み込んだ頃、雨が降り出した。宿舎の屋根で雨が弾けるのを聞いていると我慢できなくなり、私は散歩に出かけた。私の服によく似た真っ黒の傘をさして基地の敷地をゆっくりと歩く。小さく吹いた風に乗って雨の雫が私の頬を濡らした。

 

「AUG」

 

 名前を呼ばれて振り向くと傘をさした指揮官がいた。手を小さく上げて挨拶してくる。

 

「指揮官さん……どうしてここへ?」

 

「やっぱり仲直りしておこうと思って。ごめん」

 

 指揮官はこちらに歩み寄ってきて、頭をかいた。

 

「私が勝手に言っただけです。指揮官さんが謝ることではありませんよ」

 

「よく考えてみた。君が正しいよ。私の仕事は戦場に行くことじゃない。感情的になっていた。XM3にも言われたしね。君たちを守るためにも、もっと頑張らないと」

 

 指揮官はほんのり自嘲的に笑った。

 

「指揮官さん、少し歩きましょう」

 

 私たちは並んで、雨でやわらかくなった地面を歩いた。

 

「雨が好きです。心が穏やかになって、考えがはっきり見えてきますから」

 

 私は傘をずらして空を見上げた。黒い雲に覆われて月が見えない。

 

「昔話をしましょう。私はたくさんの死を見てきました。本当にたくさんの……」

 

 雨の中にいると特別な気持ちになる。普段なら抱かない感傷が胸に湧き上がってきた。それを指揮官と共有してみたい、そんな誘惑に駆られた。

 

「私は以前、ある街で葬儀屋を務めていました。指揮官さんも知っていますよね?」

 

「うん。君のデータに職歴が載っていたから」

 

「こんなことを言うのもなんですが、私はあの仕事が好きでした。私たちが携わる葬儀が故人の最期として人々の記憶に残るんです。私も、私の所有者も誇りに思っていました」

 

 一歩一歩土の感触を確かめるように歩く。指揮官は私の言葉を黙って聞いていた。

 

「鉄血の反乱が起きた直後です。敵の部隊が私の街に来ました。急襲で、軍もPMCもおらず、避難勧告すらありませんでした。私の主人は私を棺の中に隠し、本人もどこかに隠れようとした。私は暗闇の中で一週間余り、街にこだまする激しい銃撃の音を聞き続けました。ある朝、ずっとけたたましい銃声が響いていたのが嘘みたいに静まり返っていたので私は棺桶から出ました。外に出てみると街はグリフィンに奪還されていたんです。そこで私が見たものは何だったと思いますか?」

 

 指揮官は下を向いていて、答えなかった。

 

「死体です。死体の山でした。街のあちこちに積み上がってるんです。鉄血は街の住人をみんな殺してしまいました。今まで奴隷扱いされてきた復讐とでもいうように、老若男女を問わず皆殺しにした。そう、そこら中に銃殺された死体が……」

 

 思い出す、私の故郷の惨状を。軍の対応が後手に回ったため、そうした虐殺が至る所で起きたのだ。鉄血人形たちはまさしく殺人機械として、完璧に、効率的に人間を処分した。

 

「私の所有者もそこに。私は埋葬しました。他の人たちも同じように。でも、埋めても埋めても終わらないんです。墓場の敷地が足りなくなり、道端を掘って一度に何人も埋めました。ですが、死体がなくならないんです」

 

 私は指揮官の顔をうかがわなかった。こんな話をしてどうなるのか、そう思ったが話しておきたかった。

 

「いつしか静けさは消え去っていました。煙突から立ち上る黒い煤のように、ハエの大群が街を埋め尽くしていました。耳を塞いでいてもブンブンと羽音が聞こえてくるくらい、台風の中にいるようでした。そして、ウジが死体を貪る音……死体がうごめくんです、まだ生きているみたいに。一番ひどかったのは臭いでした。あの場にいなければ想像もつかないでしょう、人間からあんな臭いがするなんて。どれだけ洗っても消えないくらい身体にこびりついてしまいました」

 

 地獄も悪夢も人形には縁のない話だが、経験するとしたらあの街に似ているのだろう。私が暮らしていた街はわずかな期間でハエと屍臭に満ちた廃墟になってしまった。

 

「それが私の見た死です。街全体が墓場になってしまいました。もうあんな光景は見たくありません。そのためならば喜んでこの身を捧げましょう。人間の代わりに戦場で死ねるのでしたら本望です」

 

 指揮官は足を止めていた。私は彼女を少し追い越してから振り向いて、向かい合う。指揮官は私の顔をじっと見つめていた。しばらく口をつぐんでいたが、ぎこちない笑顔と共に口を開いた。

 

「君が昔の話をするなんて……初めて聞いた」

 

「誰にも話したことありませんでした。楽しい話ではないですから」

 

 雨が少し勢いを増してきて、傘に打ち付ける雫の音が激しくなっていた。地面も靴がめり込むほどぬかるみ始めている。

 

「……私は指揮官さんに怒っていたのではありません。怖くなったんです」

 

「怖くなった?」

 

「死が、ですよ。もし前線に行っても、私は以前のようにあなたを守れません。死ぬことが怖くなってしまったから」

 

 私は自分の感情を素直に告白した。彼女は少し驚いていたが、すぐに指揮官らしい真面目な顔付きをした。

 

「死ぬのが怖いなんて、そんなの当たり前だよ。恥じることじゃない。君は私なんかよりよっぽど勇敢だ」

 

「いいえ、違うんです。人形と人間では死の捉え方が異なります。人間は一度死ねば終わりですが、人形は何度でも復元できます。メンタルモデルを失っても、バックアップから復元された自分と以前の自分は連続しているんです。XM3とPP-19-01が平然としていられる理由はそれですよ」

 

 指揮官に私たちの考え方を押し付けるのは気が進まなかったが、結局言うことにした。

 

「それなのにあなたは区別しようとする。人形の一時的な“死”を、人間のような死と捉える。復元されても私たちは連続しているんです。だから死を恐れない。もし私が戦場でメンタルモデルを失えば、あなたの中の私は死んでしまう。私は私なのに、あなたは私のことを墓から蘇ってきた死人と見なすでしょう。そんなのは嫌です。私を殺さないでください。あなたに殺されたくありません」

 

 街で嫌というほど見た死体の山。ハエにたかられて黒くなった元人間たち。名前も分からず、誰から省みられることもなく私に埋められていった。私はあの一員になりたくない。あれらの死に安らぎはなかった。私は死に慣れているつもりだった。死など怖くないと。だが違うのだ。戦術人形として死と復元を繰り返している限り、本当の意味で死ぬことはないと思っていただけ。本当は死を人一倍恐れている。死体の山に加わり、過去になるのは嫌だ。

 

「もう私が知っている人間はあなただけなんです。他は全員死にました。ですから、あなたのために戦わせてください。私たちの死を特別扱いしないでください。私たちが使命を果たしている間は、私たちを殺さないでください」

 

「ごめん、無神経だった……」

 

 指揮官に絞り出すような声で謝られた。雨で濡れていて分からないが、ひょっとしたら泣いているのかもしれない。私は傘を下ろして少し歩いてみた。空を見上げて、顔で力強い雨の雫を受け止める。その場でくるりと回り、唇を噛んでいる指揮官の方に振り返った。

 

「指揮官さん、私は泣いているように見えますか?」

 

 雨の雫が頬をつたっていく。私は自分の主人を埋めている時も泣くことができなかった。自分が死ぬ時も泣くことはできないだろう。泣くことのできる人形が羨ましい。私も自分の感情を泣くことで表現してみたかった。

 

 私のつぶやきを聞いた指揮官は傘を放り出してこちらに走ってきた。両手で私の背中を苦しいくらいにぎゅっと抱き締める。指揮官の頬をつたって顎から滴り落ちた雫は少しだけ温かかった。

 

「君を死なせないから……! 絶対に……」

 

 指揮官は震える声でそう言った。雨は止む気配がなく、私たちはずぶ濡れになっていた。身をよじっても指揮官は私を離してくれない。人形に対してこんな本気になって、やはり変な人だった。指揮官が言うように復元を繰り返すと人格が変容していくのなら、いずれこの抱擁も私のものではなくなるのだろうか。それもまた少し恐ろしかった。

 

「指揮官さん、そろそろ戻りましょう。風邪をひいたら大変ですよ」

 

 指揮官はやっと私から手を離してくれた。私の傘を指揮官の頭上にさして雨から守る。赤くなった指揮官の目を見ると自然と笑みがこぼれた。私は変わらない。人間のために戦う。この人のために。戦いから逃げるという選択肢はない。そんなつもりもない。指揮官のために戦えること、それこそが私の安らぎだ。

 

 

 

    神はお分かりになっている

    シルクの枕にもたれ、芳しい香りに包まれて

    愛が脈打つ中、鼓動と鼓動、息と息を突き合わせて

    幸せに眠るのがよいと

    だが、私は死神と待ち合わせる

    真夜中、炎上する街で

    今年も春が北へ向かう時

    私は自分の誓いを守る

    絶対に待ち合わせを忘れない

 

 



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AUG×IWS2000短編 アシンメトリー

※第八戦役夜戦の妄想後日談です。当然ネタバレを含みます

 

AUG×IWS2000短編 アシンメトリー

 

 

 

≪メンタルモデルのバックアップ、インストール完了。修復が終わりました、お体を大切に≫

 

 素っ気ない機会音声のアナウンスが聞こえる。ジュースから炭酸が抜けるような音を立てて修復ポッドが開いた。視覚に飛び込んできた眩い光に顔をしかめる。だんだんと目が慣れてくると、光の正体は何の変哲もない天井の照明だと分かった。見慣れた修復施設の中に、これまた見慣れた人影がいることに気づく。

 

「AUG……!」

 

 我らが隊長、IWS2000だった。私とは対照的な白い制服に身を包んでいて、髪も白いから全身雪のように白い。いつも不安そうな表情を作っている顔が、今日は何とも言えないほど弱々しく歪んでいる。潤んで、雫があふれそうになっている瞳を私に向けていた。

 

 私がポッドから出てくるのを待ち構えていたようで、すぐさま飛びつかれた。力強い抱擁に拘束され、背中に回った腕に背中を締め付けられる。

 

「いきなり、何」

 

 驚いた私は短くそう尋ねることしかできなかった。泣く機能の備わっていない私の前で泣くなんて、嫌味のつもり? そう言おうとしたのだが、彼女に先手を打たれた。

 

「すみません、AUG……わたくしの不手際で……」

 

 私を包み込む彼女は弱々しく震えていた。

 

「……そう」

 

 私はそれだけ言うと彼女の背に手を回した。鼻をくすぐる彼女の髪から消毒液の香りがする。その香りと彼女の態度から、私は大体のことを察した。

 

 私の企みは、どうやら功を奏したらしい。

 

 

 

 

 

 銃声、銃声、銃声。閉所に響き渡るけたたましい火薬の炸裂音。聞き慣れた、私の銃が轟かせる音。いつもと違ったのは、銃口の前に立っている標的だった。喪服のように真っ黒いドレスに身を包んだ、私の副隊長、AUG。

 

 私は彼女を殺した。トリガーを引き、銃弾を撃ち出して、彼女の血肉をほとばしらせた。脳漿が壁に飛び散り、力なく倒れる彼女の姿。思い出したくない光景だ。

 

 もしも私が代わりを務められていたら、彼女の提案に従っていたら、彼女が隊長だったら。もしも、なんて意味がないと彼女に言われたばかりだけど、やはり考えてしまう。部隊の仲間を全員連れて帰る方法があったのではないかと。

 

「戦闘記録を早く提出したら? 報告書もまともに書けなくて隊長が務まると思う?」

 

「うっ……すみません」

 

 私の横でそう言うのは、他ならぬAUGだった。今回の任務で死亡した彼女はバックアップから復元された。だから作戦中のことは覚えていない。

 

 修復ポッドから出てきたAUGを思わず抱き締めてしまったことはもうひとしきりからかわれた。隊の宿舎に戻ってきた今は報告書を早く出せとせっつかれている。彼女は自分が死んだ理由を聞いてこなかったが、やはり気になるのだろう。当然のことだ。

 

 そう、私はまだあの作戦の報告書を出していない。報告書を指揮官に提出すれば、パブリックなデータベースに登録されて他の人形も閲覧することができる。もちろんAUGも含めて。それが躊躇している一番の理由だった。

 

 これは完全に私の我がままでしかない。でも、どうしても彼女に知られたくなかった。私が彼女を殺してしまったことをだ。あの場には私とAUGしかいなかった。G17とSSGにも話していない。だから、黙っていれば私が彼女を射殺したことは露見しない。

 

 わたくしはあなたを殺しました。面と向かって告白したとしても、彼女ならきっと「そう」と短く済ませてしまうに違いない。それが嫌だった。

 

 彼女を撃ち殺すという経験は、私にとってたまらなく嫌なものだった。仲間を殺すなんて考えられない。そう思ったからウェルロッド隊のヘリを撃ち落せというAUGの提案を却下して、自分一人が犠牲になるつもりだったのに。彼女は私より先に鉄血のポートに接続していて、指揮官に危機を伝えてしまった。彼女は私の決断の割を食ったというわけだ。

 

 彼女も私を殺すのは嫌だと言っていた。だから、彼女が代わりを務めた。でも、私の感じている“嫌”はきっと彼女が感じている“嫌”よりもずっと大きい。

 

 彼女は私より完璧で、優秀で、判断も的確だ。私なんかより隊長に相応しい。ドリーマーに言われるまでもなく、そんなことは分かっている。だから、犠牲になるのは私の役目のはずだった。隊長代理はAUGが務めれば問題ない。彼女ならきっと問題なくG17とSSGを連れて帰っただろう。

 

 私はミスが多い。今回の任務だって、放射線測定器を持ってきたつもりが忘れていて彼女に持ってきてもらった。挙げようと思えばそんな経験、いくらでも思い浮かぶ。つまり、彼女がいなければこの隊は成り立たない。あの優秀な副隊長が横にいなければ私は何もできないのだ。そんな彼女を犠牲にしたことがひどく堪えている。

 

 私はAUGの方が隊長に相応しいと思う。でも、彼女は本当に自分が隊長でないことを気にしていないのかも。人事は指揮官からの命令だ。彼女は皮肉を言うことはあっても、命令に逆らうことはしない……いや、今回は私の命令に逆らって私の代わりに感染したのだったっけ。

 

 とにかくだ、そんな彼女だけど今回の報告を見て気が変わるかもしれない。私が彼女の提案を却下したせいで結果的に彼女を死なせることになった。犠牲を出したことは私の責任だ。作戦の詳細を聞いてIWS2000は隊長という立場に不釣り合いな人形で、自分こそが適任だと思い直すかも。

 

 それはまったく正当な感想なのだが、私は身勝手なことにAUGにそうだと思われたくなかった。私は副隊長の彼女に支えてもらっているが、私が副隊長になったとしても彼女の代わりを務めることはできない。優秀な彼女は私の助けなんて必要ないだろうし、逆に私が足を引っ張ることになるだろう。それは今もそうだけど……。

 

 なんにせよ、嫌なものは嫌だった。彼女に報告書を読まれたくない。宿舎の端末でまとめた戦闘報告はAUGがヘリの撃墜を提案した辺りで止まってしまっていた。後には私がその提案を却下する部分が続く。そこがAUGの生死の分かれ目になった。本来は私が傘ウイルスに感染し、彼女にとどめを刺してもらうはずだった。そして復元された後にAUGが提出した報告書を読んで事の顛末を知るはずだったのに、実際は逆になってしまった。

 

「はぁ……」

 

 誰にも聞こえないよう小さく吐いたつもりの息は思いのほか大きくて、宿舎に私のため息が響き渡った。それを聞いた彼女は、「報告書をちゃんとまとめられて偉いわね。お疲れ様」と、途中で止まっている文書作成画面を指差して皮肉を言うのだった。

 

 

 

 

 

 気づけば夜になっていた。基地の敷地にはほとんど外灯がない。暗闇に包まれながら、私は一人でトボトボ外を歩いていた。私はAUGからの物言わぬ圧力に耐えかねて宿舎から逃げ出した。一体全体、何をやっているのか。自分でも分からない。

 

「ここにいたの」

 

 だからその声を聞いた時、飛び上がらんばかりに驚いた。慌てて振り向くと件の人物、AUGが立っていた。黒いドレスが闇に溶け込んで白い素肌だけが浮いているように見える。

 

「まだ報告書出してないそうね」

 

「うっ……」

 

 その通り、私が逃げ出したのはそれが理由だ。未だ決心がつかず、基地を彷徨っていた。

 

「いい加減提出しないと指揮官に怠慢だと思われるわよ」

 

「は、はい……そうですよね」

 

 それは分かっている。私は人一倍、他人からの評判を気にする性質だ。不器用なりに評価されようと頑張っている、と思う。でも、今回ばかりはどうしても……。

 

「そんなに私を殺したと報告するのが嫌?」

 

 彼女は日常の何でもないことを尋ねるみたいにパッと言い放った。私は突然心の内を言い当てられて絶句してしまう。いつのまにAUGは人形のメンタルに侵入できるようになったのだ。彼女ならそれくらいできそうな気はするけれど。

 

「自惚れが過ぎるかもしれないけど、とは言わないわ。私も嫌だったもの」

 

 彼女は小さく咳払いして私を見つめる。

 

「忘れてるかもしれないけど、私には前回の記憶はあるのよ、バックアップを取っておいたから。あなたたちは覚えていない、私以外全滅した時のことよ。その時、私はあなたを置いて逃げたわ。それが命令だったから。だから、今回のこともおおよそ察しがつく」

 

 淡々と語る彼女の目付きは鋭くて、私は射貫かれてしまったかのように動くことができない。

 

「ごめんなさい……わたくしはあなたを死なせて……いえ、殺してしまいました……」

 

 拳を握り締めて俯いて、やっとの思いで絞り出した言葉がそれだった。彼女の表情を正面から見ることができなくて目を逸らす。不器用な私にはそれ以上隠し事を続けられなかった。上手い言い訳も浮かんでこない。

 

「何を謝っているんだか……あなたなら倒したドリーマーのダミーにも頭を下げそうね」

 

 いつもの調子で皮肉を言われる。実際にはドリーマーの遺言を最後まで聞かなかったことをからかわれたのだが……それはともかく。

 

「怒ってないんですか?」

 

 おずおずと顔を上げて尋ねると、AUGはその質問こそ不躾だと言いたげに目を細めた。

 

「作戦行動中の判断を一々咎めたりしません。隊長はあなたなのだから。その判断が明らかに間違っている場合は別だけど、今回の判断は正しかったと思うわ」

 

 私をたしなめるような言葉に口を挟まずにいられなかった。

 

「ま、待ってください。あなたはその、死んでしまったのですから記憶がないはずです。わたくしの判断が正しかったなどとは言えないでしょう。事実、隊員を一人失っているわけですし、決して褒められたものではない……と思います」

 

 それも、隊長より優秀な副隊長を、だ。彼女に銃口を向けて引き金を引いたことを思い出すと背筋に寒気が走る。悪寒が胸にまとわりついているような気分だ。彼女はじっと私の顔を見て、ため息をついた。

 

「あなたがいつも気にしていたあの掲示板、今回は見ていないみたいね。大惨事を未然に防いだIWS小隊が褒め称えられているわ。一部変なのも混じっているけれど……どうせMDR辺りでしょう」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 今回はAUGのことで頭がいっぱいでそんなこと意識している余裕がなかった。でも、そう聞かされたからと言って得意になれるほど切り替えは早くない。

 

「それに、私が死んだのは私が自発的にそう行動したからでしょう。あなたの命令ではなかったはず」

 

「えっ、どうして分かるんですか」

 

 AUGがあまりにも自信を持って言うので私は素っ頓狂な声をあげてしまった。

 

「私が汚染された人形たちが乗ったヘリを撃墜するよう言った時、あなたは却下したそうね。別のやり方があるはずだと。G17に聞いたわ。あなたはそういう人形」

 

 彼女は分かり切ったことを聞くなという風に語った。ポカンと口を開けて続きを待つ私を一瞥するとまた息を吐いた。それから、少しだけ表情を緩めた。

 

「念のため、指揮官にも聞いたわ。鉄血の施設から通信をかけてきたのは私だったと。まあ、それはあなたではなく私が復元されたのだから当然ね。さっきはああ言ったけど、指揮官はあなたのことを心配していたわ、自分のことを責めていやしないかって。それはいいとして……」

 

 脱線した話題を元に戻すように彼女は小さく咳払いをした。

 

「今回死んだのがあなたではなく私だったのは、私があなたをとっさに出し抜いたからでしょう。鉄血のシステムを利用したのだから傘ウイルスに感染することは不可避。どちらかが死ななければいけない時、あなたは迷いなく自分が犠牲になることを選ぶ。あなたがそういう人形なのは分かり切ったことだわ。それなのに私が死んだというのは、私が命令に逆らって勝手にそうしたからに他ならない。私は上手くやったようね。もっとも、あなたは一人でもよくミスをするから騙すのはすごい簡単だったんでしょうけど」

 

「うっ……」

 

 何もかもお見通しだと言うように彼女は鼻を鳴らした。今まで隠し立てしてきたのは全部無駄だった上に、いつもの不注意までなじられてしまった。縮こまる私に彼女はぎこちない笑顔を向けた。

 

「傘ウイルスに感染した人形は敵、排除するのは当然のことよ。あなたの判断を非難するつもりは毛頭ないし、恨んでもいない。自分の判断の責任をあなたに転嫁するつもりはまったくないわ、当然でしょう」

 

 彼女は私に気にするなと言っているのだ。気に病むな、大したことではないと励ましてくれている。死んで記憶を失ったのは彼女の方なのに、私が慰めてもらっているというのはなんとも情けない。それでも、私の胸にしこりが依然として残っていた。

 

「AUGは……わたくしが隊長に相応しいと思いますか?」

 

「いきなり……でもないわね。もう聞き飽きたわ、それ。禅問答でもしたいの?」

 

 私の問いに対し、彼女は呆れ顔できつい言葉を返してきた。

 

「私はグリフィンの小隊を一つ消し去ろうとした。あなたはその代わりに隊員一人の損失で難局を打開した。あなたの方が正しかった、そう言ってるのよ」

 

「そうなんですが……思うところもあるんです。わたくしは自分の信念を曲げるつもりはありません。それはそうなんですが……この小隊のリーダーとしてはどちらが正しいのかな、と思ってしまうんです。自らの隊から犠牲を出すくらいならよその部隊を代わりに差し出してしまった方が、“隊長”としては正しいのではないかとも思えます。つまり、あなたのやり方で……これは信念を曲げていることになるかも……“みなさん”の範囲の問題なんです」

 

 AUGを撃ち殺したことは私の信念を揺るがせるに足る経験だった。あんなことをするくらいならウェルロッドたちを撃墜した方がよかったんじゃないかと本気で思ったし、今もその考えに後ろ髪を引かれている。

 

「馬鹿なの?」

 

 返ってきたのはピシャリと良い音が鳴りそうなほど鋭い罵倒だった。

 

「私にそんなことを聞く時点で甘えてるわ。いつまでもウジウジしないで。せっかく隊員が身を捧げたというのに、その行為の意味を疑うような発言をしないでいただけますか、隊長どの?」

 

「はい、すみません……」

 

 どちらが隊長か分からない、私はか細く謝った。

 

「あなたは私を頼り過ぎだし、無責任よ。今回の作戦であなたの方が死んでいたらG17やSSGは誰が連れて帰るのよ。私? 隊長はあなたでしょう。かっこつけたつもりでも、それは責任逃れと呼ぶの。その場合、私が報告書をまとめることになる。それが嫌だから今回は私が死んだだけ。前回と合わせて二枚も書くのはごめんだから。あなたのためじゃないわ、分かった?」

 

「分かりました……」

 

 思いっ切り説教されて隊長の面目は丸つぶれだ。元からそんなものはないけど……。

 

「早く報告書を見せてくれる? どうせ誤字があるんだから、私が見てからじゃないと出せないでしょう。どこかの隊長さんが逃げ回ったせいでまだ休めないのよ」

 

「は、はい。早くまとめます」

 

 AUGに追い立てられるように宿舎に戻る。彼女は私の判断より、私がいつまでも思い悩んでいることに腹を立てたようだった。ますます隊長に相応しくないと思われてしまったかも、などと考える暇はなく、早くしろと急き立てられながら報告書を仕上げた。彼女の添削はいつもより厳しめで、不明瞭な部分は丸ごと赤を入れて突き返された。

 

 それでも、提出は日付が変わる前に済んだ。ほっつき歩いていたせいでAUGにも、指揮官にも要らぬ心配をかけた。もちろんG17とSSGにも。

 

 AUGに言われたように、私は隊長として無責任なのかもしれない。やっぱり私には隊長なんて向いてないんじゃないか、マイナスの思考が舞い戻ってくる中、私は自分の寝床に潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 夜、宿舎は静まり返っていた。照明が落とされて黒く染まった部屋でみんな微かな寝息を立てている。私はベッドから起き上がり、音を立てないよう気をつけて足を滑らせた。彼女、IWS2000は側頭部を枕に押し付けて、小さく胸を上下させている。もみあげから伸びる長い横髪が頬を流れるようにつたっていた。

 

 私は彼女に手を伸ばし、その髪の束をすくい上げた。ふんわりとやわらかい手触りがした。綿毛のよう、と表現すると言い過ぎになる。羊毛のようだと言えばそれほどゴワゴワしていない。私はすくい上げた髪を彼女の首元にこぼした。露になった彼女の頬を眺める。

 

「あなたは嫌だった?」

 

 どれくらい? 私は静寂にかき消されるほどの小さな声で彼女に語りかけた。返事はもちろんない。

 

 彼女は今回の作戦で私を殺した。傘ウイルスに感染した私を排除するのは当然のことであり、彼女にも何とも思っていないことは告げた。しかし、心優しい彼女はそのことをずっと気に病んでいるようだった。仲間のためならば何の躊躇もなく死を選び、今回も当然そうするつもりだった彼女にとって、仲間を撃ち殺したことが相当のストレスになるのは当然かもしれない。

 

 私も、嫌だった。作戦中に死んだ私は今回の作戦に関する記憶がない。逆に、彼女たちが死亡した前回の作戦は記憶に新しく、昨日のことのように感じる。あの時、私はIWS2000を見捨てて逃げた。彼女がそう命じたからだ。部隊で唯一生き残るという役目は私が仰せつかった。

 

 隊長である彼女の命令通り私は逃げ、彼女はドリーマーに殺された。なんてことはないと思った。人形はバックアップから復元される。少しの記憶を失うだけで元通り、そう思っていた。

 

 経験して初めて分かったが、彼女を見捨てて逃げるという行為はそれはもう嫌なものだった。ドリーマーは逃げ出した私を嘲笑い、ご丁寧に彼女が死んでいく様を実況してくれた。結果、部隊は私以外全滅し、作戦は失敗した。

 

 他に可能性があったかもしれない。彼女が死なずに済む方法が何か。何でもないと思っていたものの、あの決断は私に大きくのしかかってきた。バックアップに保存すべきではなかったと思う。しなければ今回の死でまとめて忘れられたのに。忌々しい。

 

 私が今回、彼女を出し抜いて死を選んだ理由は明白だ。二度とそんな経験をしたくなかった、当然のこと。二回も彼女を死なせて、何食わぬ顔で復元された彼女を迎えるなんて正気の沙汰ではない。絶対ごめんだった。しかも彼女の報告書によれば私は作戦中、ネズミに集られた彼女の死体を目撃しているようだ。そうした考えが補強され、実行に移したのも無理からぬことだろう。

 

 私が自らを犠牲にしたのは天秤の向こう側にIWS2000が鎮座していたからで、別の誰かであったらそんなことはしていない。聞くところによれば私は早々にウェルロッド隊を撃墜するよう提案したようだ。なるほど、私らしい。私が隊長であったなら、彼女にも命令に従うよう強制していただろう。

 

 しかし、私は隊長ではない。隊長はIWS2000であり、実際の判断は傘ウイルスに感染することが確実な鉄血の通信設備を利用するというものだった。とても彼女らしい判断だ。仲間を犠牲にするくらいなら自らを犠牲にする、きっと自分以外の誰かに代わりを務めてもらおうなんてこれっぽっちも考えていなかったに違いない。

 

 だからこそ、私ではなく彼女が隊長に抜擢されたのだろう。指揮官は人形の性格をよく見ている。私はその人事に不満を覚えるどころか、称賛を贈りたいとすら思っている。IWS2000は多少抜けているところはあるが、私にはないものを持っている。仲間を決して見捨てないという信念だ。

 

 つまり、彼女は心優しいのだ。私はそんな彼女が好きだ。復元された私を見て泣き顔を作り、私を殺したことで一日中思い悩むような彼女のことが。だから、私は彼女を見捨てたことに心を痛め、自分を犠牲にするに至った。

 

 しかし、彼女の方はどうだろう。もちろん、心優しい彼女は私を殺したことに心を痛めている。でも、その痛みは私とは少し異なるのだろう。

 

 私は相手がIWS2000だったから心を痛めた。彼女はどうか。相手が副隊長だったから、同じ隊の人形だったから、同じグリフィンの人形だったから、その程度だと思う。きっと、ウェルロッドたちを犠牲にせざるを得なかったとしても、今日と同じように心を痛めていたはずだ。彼女の胸の痛みとは、信念に基づく罪悪感なのだ。私のものとは、違う。

 

 私と彼女の痛みはきっと非対称だ。私はそれが少し腹立たしくて、少し心苦しくて、少し悲しかった。非合理的な感情が湧き上がってくる。柄でもないのに今日は彼女を叱り飛ばした。馬鹿なのは私の方だ。一体何に嫉妬しているのかすら分からない。

 

 寝入っている彼女の横顔を指で押してみる。やわらかくも弾力のある頬が指を押し返してきた。

 

「私より、嫌ではなかったんでしょうね」

 

 身体が彼女に覆いかぶさるように、勝手に傾いていく。顔がひとりでに吸い寄せられて、口元が彼女の頬に触れた。私の唇よりみずみずしさを感じる艶やかな肌にほんの少しだけくぼみができて、口を離すとすぐに消えた。もう消毒液の香りはせず、ほのかにミルクの香りがしたような気がした。

 

 私はため息をつくとすぐに立ち上がった。何をやってるんだ。もし彼女が起きてしまったらどう言い訳する。向こう見ずな行動だ、本当に馬鹿らしい。私は頭を振って、逃げるように自分のベッドへ飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 しんと静まり返った宿舎に衣擦れの音が響く。シーツの中に誰かがもぞもぞと沈んでいく音だ。やがてそれも聞こえなくなった。

 

 私は手で頬に触れた。今のは何ですか⁉ 目をつむっていたから確かなことは分からない。彼女に指で顔をつつかれたかと思うと、頬に彼女の前髪が降りかかってくすぐったくなった。それから、その後、指よりやわらかくて、潤いをもった何かに触れられた。状況から察するに、唇としか思えない。つまり、それは、キ、キスされたということで……ええ⁉ 一体どういうことなんですか⁉ なぜわたくしにキスを⁉

 

 頬にキス、これはそういう挨拶の習慣もあるし、そこまで変なことじゃない。AUGにされたことはないけれど……でも、寝ている私に挨拶をする理由はさっぱり分かりません! しかも、あのAUGが私に。

 

 彼女に怒られて悶々として寝られずにいたら小さな声が聞こえてきた。

 

『あなたは嫌だった?』

 

 私に問いかけるような呟きだった。この時点で寝たふりをやめて起き上がればよかったのだが、私は彼女のことを考えすぎて幻聴まで聞こえるようになったのではないかと一瞬躊躇してしまった。それから目を閉じたままでいた。

 

『私より、嫌ではなかったんでしょうね』

 

 AUGが独り言に対して出した答えがそれだった。嫌、嫌って何がですか。私よりって……私はこの通り、彼女を死なせてしまったことを悩んで眠ることすらできないというのに。どういう意味なんでしょう。私が自分の行為に後ろめたい気持ちを大して感じていないと?

 

 そんなはずありません! 私より優秀で、それでいて副隊長として私を支えてくれる彼女を犠牲にして気が咎めないはずがない。彼女がいなければ危なかった場面なんて枚挙にいとまがない。実際、今日もそうだった。彼女が横にいなくては私はやっていけない。だから、彼女の考えは不当な決め付けだ……どうしてその後にキスを⁉ その脈絡が分かりません……いつも私にずばずば手厳しい皮肉を言ってくるAUGが私にキスをする理由なんて想像がつかない。ひょっとしたら、濡れ雑巾でも押し当てられただけかも。いや、寝ている私にそんなことをして何になるのか。

 

 キスとは、友愛や愛情を相手に伝える行為だ。つまり、彼女はわたくしに愛情を……いやいや、そんなはずありません。これは妄想です。

 

 私は赤くなった頬を覆い隠すようにシーツを引っ掴んで頭までくるまった。

 

 

 

 

 

「おはよう」

 

「お、おはようございます……」

 

 朝、日が昇ってきてから私とAUGはいつものように挨拶を交わし合う。視線は自然と彼女の口元に吸い寄せられた。彼女は紅など塗らないので、唇は白っぽくて薄い。輪郭がぼやけて見えるくらい儚げな唇から手ひどい指摘や皮肉が飛び出してくるのは信じられないのだけど、余計信じられないことに昨夜はあの唇が私の頬に……。

 

「どうしたの?」

 

 私がまじまじと顔ばかり見つめていると、彼女は少し目を細めた。いつも通りの彼女で、何らおかしなところはない。

 

「い、いえ、何でもないです……」

 

 昨日よく眠れなかっただけ、なんて言いそうになり、慌てて口をつぐんだ。そんなことを言ったら昨晩起きていたことがバレてしまう。どうしてバレたらいけないのかと言ったら……とにかくバレてはいけないのだ。

 

「ボーっとする暇があったら勉強でもしたら? あなたがこれからも不手際なく、完璧に任務をこなしてくれるのなら必要ないけど」

 

「いえ、やります。やらないといけませんよね」

 

 彼女はまったくいつも通りで、変わった点は見受けられない。昨日のことは全部夢だったのかもしれない。でも、人形は夢を見ないと彼女自身に言われた。

 

「……もしよろしければ、AUGも付き合ってくれませんか? 他の隊の作戦記録を見てみます。私一人では分からないところもあると思うので」

 

 私もまたいつも通り、彼女にそう尋ねた。

 

「もちろん、喜んで。隊長にお供させていただきます」

 

 彼女もいつも通り、少しだけ表情を緩めた。いつも通りの、頼りない隊長と信頼のおける副隊長の関係に戻る。

 

 AUG、わたくしだって嫌だったんですよ、あなたを撃つのは。きっとあなたの何倍も、何十倍も嫌な気分になりました。もし、次にああいう機会があったら、いえ、隊長としてああいう展開は避けなければならないんですけど……とにかく、絶対にあなたを死なせません。

 

 前回、わたくしがあなただけを逃がし、秘密の約束を託した理由は覚えていません。でも、きっとあなたを死なせたくなかったからだと思います。グリフィンのために情報を持ち帰ってもらうというのもあったと思いますけど、きっとあなたに死んで欲しくなかったんです。たまたまあなたを選んだのではなく、何度やってもあなたにその役目を託したんだと思います。

 

 わたくしのことをわたくしより分かっていて、いつだって支えてくれるあなたのことを、ただの副隊長とは思っていませんよ、AUG。あなたはわたくしの、一番大切な……なんでしょう?

 

 とにかく、わたくしの代わりに犠牲になるような真似、次は絶対に許しませんからね。

 



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