まいづる肉じゃが(仮題) (まいちん)
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第一章 ようこそ? 艦隊これくしょんの世界へ
第1話 平穏から不穏への転換点(1/2)


「艦隊これくしょん」の世界観をベースに、作者の妄想をふんだんに盛り込んで作った物語となります。なので、公式設定を逸脱した部分も多数含まれていますので、ご注意下さい。

週一回の更新で、ぼちぼちと書いていきますので、お付き合いください。

なお、登場艦娘は、戦艦(金剛、扶桑)、空母(祥鳳)、重巡(羽黒、高雄)、軽巡(神通)、駆逐艦(不知火、島風、村雨)などが初めから登場しますが、物語の進行に合わせて、少しずつ着任しいくことになります。


ふと気づくと、季節は、もう11月になっていた―――。

 

ごく普通の会社に就職して三年目の冷泉朝陽(れいぜい あさひ)にとって、いわゆる「生活」というやつは、その七割以上が仕事であり、時間とノルマに追い立てられるように駆け抜けてきた。

 

三年目ともなると、ある程度仕事に慣れてきているわけだけど、朝から晩まで忙しさに追われ続けているのは、新入社員の頃とあまり変わっていない。

 

働いて、否、働かされてばかりで一日が終わっていくわけだ。

 

このまま年末まで突っ走り、有給休暇の消化なんて無理だと諦めていたんだけど、取引先の急なキャンセルが入ったため、いきなり一ヶ月近くポッカリと予定が空いてしまったわけで……。

 

この事については、何か大きな意志でも働いたのではないか? と本気で疑ってしまったし、このために立ち上げられたプロジェクトチームのみんなも同じような事を口にしていた。

 

「神の見えざる手」が動いたのかもしれないけど、ラノベとかじゃないんだから、そんなご大層なものが自分に関係するわけないんだけれど。

 

そんな妄想みたいな事はともかく、これからどうしようかと考えた。

社畜として教育されてきた冷泉に、長期休暇という概念は存在しない。ゆえに、次の仕事のことを考えてしまうわけで。

 

次の仕事、格好良い言い方をすれば、次の「プロジェクト」のための準備でもしようかと思っていた矢先に、突然、課長に呼び出され、「今すぐに長期休暇を取れ。いいな、これは業務命令だ。反論は許さない。休暇も仕事のうちだ。休みも取れない奴は、無能だ。もちろん、査定を気にしないのなら、休まなくても構わないが……」と休暇を取るように言われ、無理矢理、2週間もの長期休暇を取らされることとなった。

 

「休暇など取る暇のある奴は、出世など叶わん。働き方改革? 変な宗教にでもかぶれたのか? 」

課長は、真顔でそんな事を平気で言うような仕事人間だ。そんな彼が休暇を取れと言い出すなんて。

あの人のほうが、変な宗教でも拗らせたんだろうか? と少しだけ心配してしまった。

 

まさか、休み明けに出勤したら、席が無くなってるなんてことはないよなぁ、と不安になる。けれど、うちみたいなブラック企業ならありうる話だ。入社当時から受けてきた徹底した社員教育の成果か、そんなことばかり考えてしまう。

 

駄目だ駄目だ。ポジティブに行こう。まぁなんとかなるさ、と気持ちを切り替える。

 

実は……後で聞いたんだけど、労働基準監督署の調査が入るという情報が入り、慌てて休暇と取らそうとしたらしい。常軌を逸した時間外勤務が状態となっている我が社が目を付けられていたのは事実だし、関係のない業界では自殺者が出てマスコミも取り上げて大騒ぎをしていたからな。

結局のところ、それはガセだったらしいけども。

 

しかし、学生の頃以来の久々のまとまった休みが取れたわけで……。

それはそれで、嬉しい事だ。朝から晩までこき使われていたわけだから、少しくらいは羽を伸ばさないと。

 

そして、はたと気付いてしまう。

休むのはいいけれども一体、何をして過ごせばいいんだ? ……と。

 

こんな中途半端な時期に休んでも、何もすることなんて思いつかないし。一緒に出かけるような彼女は、勿論いない。

 

当然、スマフォのスケジュールアプリにはハロウィン→クリスマスイヴ→年末年始と空白で、何の予定も入っていない。

 

遊んでくれそうな友達だってみんな仕事で忙しいようだし、そんなに付き合ってくれないだろう。そもそも、友達と遊びに行ったのって何時のことだっただろうか?

仕事に追われていたせいかこれといった趣味も持ってないから、急に長い休みをもらっても、何をしていいかわからない。

 

録り貯めたドラマやアニメ、バラエティを観るか?

それとも買ったきりやってないゲームをクリアするか? 大学の頃に途中で投げ出してしまったタイトルもいれたら、相当な数があったはずだ。

 

最近やり始めた「艦隊これくしょん」のMAP攻略を、やろうかなと考える。

「艦隊これくしょん -艦これ-」開発/運営公式ツイッターによると、秋イベントが間もなく開催されるようだけれど、現状の冷泉が所属する舞鶴鎮守府の戦力では、攻略は難しいだろう。

 

戦艦は、金剛しかいない。任務のB10 「敵空母を撃沈せよ!」もクリアしていないから、正規空母赤城さえ所持していない状況だ。その他艦艇も始めたばかりだけに手薄過ぎる。初期艦の叢雲に怒られてばかりの毎日だ。時間もあることだし、本腰を入れて艦娘を建造もしくはドロップを狙い、既存の艦娘と併せて育成をしないといけないだろうな。

 

はぁ……。

思わずため息が出る。

ゲームばっかりじゃ駄目だろう。

 

今頃、後悔しても遅いけど、打ち込める趣味でも持ってたら良かった。かといって今からいきなり何か始めるっていっても浮かんでこない。

 

そんなことを考えながら家に帰り、ポストに押し込まれていた郵便物の整理をしていると、目についた封筒があった。

 

どういうわけか旅行会社のダイレクトメールが入ってたんだ。旅行会社なんて利用したことないのに、どうやって調べたんだろう。……そう考えてすぐに気づく。どうせろくでもない名簿会社から漏れたんだろうな、と。

 

「それはともかく、久々に旅行なんかもいいかな。温泉だったらなおいいかも」

チラシは、有名な旅行会社のものだった。全国各地の宿泊有のバスツアーが多かった。値段は、ピンからキリまで様々。しかし、どれもこれも家族連れをターゲットにしてる感じの物ばかり……。そんなバスツアーの中に一人で紛れ込んだら浮きまくるのは間違いなしって感じだ。

 

「こりゃ、駄目だ」

チラシを投げ捨てようとしたとき、一枚の紙切れがポロリと落ちた。

 

A4のコピー用紙にカラー印刷されたパンフレット。

用紙には、北海道ミステリツアーと書かれてあった。値段は相場より割と格安だし、日程もいい感じで、部屋も個室になっている。料理は全て食べ放題!

 

そして、限定10名様。

 

考えるまでもなく、即、電話して申し込んだのだった。

そして、何と抽選に当選のお知らせが来た。

すべてがとんとん拍子に進んでいった。これって、まるで運命の歯車が回り出したかのようだ……。

 

 

そんなこんなで、今、冷泉朝陽は、舞鶴発小樽行きのフェリーに乗っている。

 

旅程の始まりが、いきなりフェリーとは予想外だったけど。もちろん、添乗員は無し、チケットと行き先がマスキングされた謎の行程表だけが送られて来ただけのミステリーツアー。ちなみにフェリーは20時間程度乗船することになっている。その後、バスに乗り換えになっている。

 

ツアー参加者も誰がいるのか、限定10名となっていたけど、そもそも何人参加しているのかさえ知らされていない。

 

まあ、それはそれでいいかなと思う。ミステリだけに。

 

行程表を見ると、予定をきっちり組んでくれているので、考える手間が省ける。肝心の行き先が分からないのが不気味と言えば不気味だけれど。

 

けれど、どうせ行きたい所など、ほとんど無いんだし……ということで納得した。

 

それにしても、夜行フェリーの一人旅だ。

なんだか、久々にワクワクする自分がいた。

 

子供の頃の旅行を思い出して、用事もないのに船内をウロウロしたりカップラーメンをデッキに出て食べたりした。本当に童心に帰ってしまうな。子供のように興奮していたけど、一通りやることやったら、すぐにすることが無くなってしまった。

景色だって夜だから真っ暗で何も見えない。

 

仕方ない。寝るか。どうせ、まだまだ先は長い。そう思って、横になる。

 

しかし、深夜になってから、海が荒れてきたようだ。船が上下揺れるのを感じた。それも結構揺れている。船旅に慣れていないせいか、少し気持ち悪くなる。

 

小樽行きのフェリーでは、この程度の揺れは当たり前なのだろうか。そんなに多くないフェリーの乗客は、何事もないように平気で寝ている。

 

ミステリーツアーの客なら、この揺れに慣れていないから起きていると思うんだけれど……。冷泉と同じような客は、どうも見あたらない。

 

けれど、冷泉は眠ることができず、結局、再びデッキへと出た。

外に出てみると、確かに揺れ自体はそんなにたいしたことはないみたいだ。しかし、冬の海上の外気は恐ろしく冷たい。寒さで手をポケットに入れる。

 

やがて、霧が出て来た。

しかも、かなり濃密な霧のため、みるみる視界が狭まっていく。

 

突然、意味もなくホラー映画のワンシーンを思い出す。

 

少し背筋に寒気が。

 

――ザワザワ。

 

ワクワク感を伴うシチュエーションに、怖いながらもドキドキしているのを感じた。

いや、でも何か少し違うような……。ざらついた嫌な感じだ。

 

もしかして、何かが始まる?

 

……しかし、残念なことに、それは10分も経たないうちに霧散してしまった。そして、波も落ち着いてきたようだ。

 

どうやら、ただの気のせいだったらしい。

 

ホラー的な雰囲気も無くなってしまい、ただの真っ黒な日本海をフェリーが進んで行くだけだ。

期待しただけ、損をした気分になる。もっとも、何かあったら洒落にならないと騒ぐんだろうけど。

 

見えるのは、真っ黒な水面にわずかに見える白い波。

 

そんな時、遠くに光が見えたような気がした。

 

最初は、儚げなくらい弱い光だった。しかし、それは次第に接近して来ているのが分かった。フェリーと併走しているようで、追いついてくる感じだ。

光は一つではなく、複数……。

 

海なんだから、他に航行する船もたくさんあるだろうから、別に不思議でも何でもない光景なのだけれど。

やがて、光がかなりフェリーに近づいてくる。それは、幾艘の船のようだった。

船団がフェリーに接近してくる理由って何かあっただろうか?

しかし、その速度はフェリーに追いつくくらいなのだから、冷泉が乗るフェリーと比べると相当に速いわけだ。

 

一体、あれは何者で、何のために動いているのか。そん疑問が過ぎる。

 

次の刹那、激しい光の明滅がしたと思うと、あたりに耳を劈くような轟音が響く。

 

それが砲撃音と気づいたのは、フェリーのすぐ側に着弾し爆発したからだった。

 

轟音と共に、デッキに立った冷泉よりも高い水柱が立つ。

 

爆風と振動にあおられて、冷泉は倒れそうになる。同時に海水が滝のように頭上から降り注いでくる。

 

振り落とされないように必死になって、手すりに捉まり何とか転倒を免れた。

 

「なんだ、これ」

悲鳴にも似た声で叫んでしまう。

 

北朝鮮の工作船がフェリーに砲撃でもしてきたのか? 

しかし、攻撃してきた船は、この距離からでもかなり巨大だと視認できる。テレビなんかで見た工作船レベルは漁船レベルの大きさだったはず。だから、可能性はすぐ否定された。

 

考える間を与えないかのように、再度の砲撃が始まった。

先ほどと同じく、光の明滅の後、耳をつんざくような轟音の後、飛翔音が接近してくる!

 

そして、最悪の事態が起こる。

 

砲撃が、フェリーを直撃したのだ!



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第2話 平穏から不穏への転換点(2/2)

直撃の爆風とほぼ同時に襲ってきた衝撃で、冷泉は、いとも簡単に海へと放り落とされる。

 

海面までの高さは、5メートルはあったはず。着水の衝撃で一瞬気が遠くなる。

甲板からの落下衝撃もかなりのものだが、問題なのはそれだけじゃなかった。

 

冬の日本海は、想像を絶する程に冷たかった。一瞬にして全身が痺れるほどの冷たさだ。

 

必死に海面へと顔を突き出し、自分がいたはずの場所を見やる。

 

そこには、激しく爆炎をあげるフェリーの姿があった。吹き上げる炎でこの距離でも顔だけが熱くなる。

全身は凍えるほどの寒さを感じるのに、水面に出た部分だけは、炎に焼かれるように熱い。

 

フェリーの乗客はそれなりにいたはずだ。

攻撃が夜中だった為、寝ていた人も多いだろう。

 

いきなりの爆発音や発生した火災の騒ぎで人々が目を覚まし、状況を把握できずにパニックになっているようだ。彼らの混乱を嘲笑うように、現実は容赦なく彼らを襲う。

 

耳を塞ぎたくなるような悲鳴や怒声が聞こえ、どうすることもできない冷泉を責め立てる。

 

そして、更に水面を幾筋の白い軌跡が音をたてて走っていくのを見てしまった。

 

―――魚雷?!

 

「おい、マジか!! 」

視界を猛スピードで横切った軌跡は、すべてがフェリーへと一直線に進んで行く。

 

着弾と同時に、巨大な水柱が何本も上がる。

 

船は、その衝撃で垂直に数メートル真上に浮き上がったと思うと、そのまま轟音を立てて着水すると同時に、その衝撃で中央から真っ二つに船体が折れる。

 

鋼鉄が引き裂かれるとこんな音がするのか? 

割れるような引き裂かれるような音が耳をつんざく。そして、着水の衝撃による高波が押し寄せてくる。

 

フェリーは巨大な火柱を上げ、船首と船尾を持ち上げながら、中央部から傾き、ゆっくりと沈んでいく。

乗客達が逃げ場を求めて動き回り、落下していく姿も見える。

 

まずい、沈没する。

 

ぼんやりとここで眺めている場合じゃない。波に翻弄されながらも、冷静に脳が指摘してくる。

 

船との距離が近すぎる!!

このままだと沈没に巻き込まれてしまう。

 

冷泉は、必死でその場から離れようとするが、ダウンコートや靴がたっぷりと水を吸い込んでいて思うように泳げない。靴を履くとこれほどまでに泳ぎにくいなんて……。セーターやジーンズが体に張り付いて自分の体じゃ無いように重い。

 

それでも必死の想いで波の中を泳ぎ、できるかぎり安全な距離まで離れようとする。

冷たい海水を何度も飲み込み、むせる。

けれど、格好なんて気にしていられない。とにかく離れるんだ。

その思いだけで水をかき、蹴った。

 

冷泉がフェリーからだいぶ離れた頃、再び爆発音が聞こえた。

 

多くの乗客を乗せたまま、炎と黒煙を上げながら夜行フェリーがゆっくりと沈んで行く。

 

それを呆然と見つめるしかなかった。

 

自分が助かったことだけでも奇跡としか思えない。

誰も助けられなかった事に少し後悔する。けれども、あの状態で自分が何をできるというんだろう。そう思うことで心の隅に沸き出した罪悪感を打ち消そうとする。

 

しかし―――。

まだ油断できる状態ではないことを認識させられる。

 

暗闇にいくつもの灯りが接近してくるのが見えたのだ。

 

それは、フェリーを沈めた謎の船団の灯りだ。

 

船体につけられたいくつかの標識灯のような光が見えるが、艦橋などからは光が一切漏れていない。

 

目が慣れてきたせいか、そのシルエットが確認できる。

 

沈めた船団は五隻。

そして、大きめの船が一隻と小さいのが四隻だ。

 

しばらくの間、何かをしているのか停船したままだった。サーチライトの光が沈没した当たりを何度も何度も往復する。

 

生存者を確認しているのだろうか? 救助でもするのか? 沈めておいて?

 

もし、見つかったらどうなるのか? 

 

少なくとも非武装の民間船に砲撃し、雷撃までした連中だ。見つかればどうなるかなんて想像ができない。少なくとも、無事では済まないだろう……。そう思うと、恐怖を身近に感じる。

 

冷泉は、できるだけ彼らから見えないようにと、ずぶぬれのコートのフードを頭から被り、音を立てないように少しずつゆっくりと、現在地から離れようとする。

船影が確認できるまで近い距離にいるんだから、発見される恐れがかなり高い。

 

緊張……。

 

心臓は激しく鼓動する。

 

しかし、船団はフェリーの完全な沈没を確認すると、そのまま反転し去って行ってしまった。

船が完全に見えなくなるまで懸命に音を立てないようにするしかなかった。

油断はできない。

 

「助かった…… 」

完全に船影が見えなくなった時、大きくため息をついた。

 

命の危機が去った安堵感。

そして、ふと我に返った。

 

自分がちっとも安全じゃないままだということに。

 

残された俺は、どうすればいいんだ?

 

そもそも、ここはどこなんだ?

 

陸までどれくらいある?

そもそも、陸地まで泳ぎ切れるのか? 

周囲を見渡すが、どこにも灯りは見えない。

 

しかし、そんな心配、する必要なかった。

 

さっきまでは必死だったせいか忘れていた。必死だったので、気づかずにいられたことを。

 

日本海の冬の海水は恐ろしく冷たい。氷点下に近いんじゃないか。

こんな場所で、そう長くは生存できるはずがないよな。

 

いつの間にか指先や足先の凍えが次第に全身へと広がっていたんだ。

身体が震える。震えると言うよりも痺れているといった方が正しい。緊張から解放され、現実に気づかされてしまったんだ。否、気づいてしまったんだ。

 

体が動かない。思うように動けない。

動かさないと沈むのは分かっている。でも言うことをきかないんだ……。

 

「こんなところで死んでしまうのか? マジか……。まだ何もやってないってのに。誰か、誰か助けて、く」

叫ぼうとするが、口は微かにパクパクと動くだけ。

 

必死の抵抗空しく、凍える海の冷たさに次第に意識がなくなり、やがて沈んで行くのだった。

 

 




次の話から艦娘の登場です。


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第3話 そこは知らない日本

冷泉が気がつくと、何故かそこはベッドの上だった―――。

 

視界に広がる風景は彼が見慣れた、二年以上住んでいる自分のワンルームマンションとはまるで異なる趣きだった。

 

白い飾り気の無い天井、むき出しので固定されている飾り気の無い蛍光灯。。壁も同じく白一色。

安っぽいカーテンが開かれている窓から僅かに吹き込むそよ風に揺らいでいる。

 

住み慣れた自分の部屋と比べても、あまりに物が少ない。とても殺風景な部屋だ。

 

でも、この光景、全く記憶に無いわけじゃない……。

 

昔、友達と度胸試しをして、学校の三階から飛び降りて骨折し、入院してた部屋と同じ天井、同じ光景がここにあった。

つまり、これは夢で病院に入院した時の世界にいるって事なのだろうか?

 

記憶の混乱を脳が処理しきれず、現実と過去の記憶と妄想をごちゃ混ぜにしてしまった結果の現象という事なのだろうか。

ただ、少なくともここが現実の病室であろうことは推測された。

 

そして、不意に人の気配を感じ、そちらへと顔を向ける。

 

「え? 」

思わず呻いてしまった。

 

どういうことなんだ? すぐ側に女の子の顔があって、彼女はうつぶせの状態で微かな寝息を立てていた。

 

その距離、……わずか数十センチ。彼女の吐息がかかりそうな位の位置関係だ。

自分の顔のすぐ側で女の子が眠っているなんて図、夢想したことはあっても現実に経験したことのないシチュエーションだった。

そう現状を認識した途端、冷泉は一気に緊張するするのを感じる。

 

どうやら、ベッドのそばに置いた椅子に腰掛けてたんだろうけど、寝てしまったと推測される。

つまり、何らかの事情で入院をする羽目になった自分を看病とかしてくれていたのか? 根拠もなく淡い期待を寄せてしまう。

 

彼女がまだ目が覚めていないみたいなので、じっくりと観察してみる。

 

長めの茶色いサラサラした髪。金色のちょっと変わったデザインの大きなカチューシャをしている。

肌は、かなり白い。

着ている服は真っ白で、何かどこかでみたことのあるデザインをしている。

そして、それに思い当たる。……そうそう、これは神社でよく見かける巫女装束だ。

白衣だけに色は純白。袖のあたりに朱色のラインが入ってる。腕の付け根あたりに切れ目が入っていて、隙間から白い二の腕がのぞいている。

 

病院と巫女さん。

どういう取り合わせなんだろう。これは。さっぱりわからない。想像も出来ない。

夢にしては、リアルすぎる光景だけれど、現実とはかけ離れている。

 

冷泉が思い出せるのは、一人旅の途中で、乗っていた夜行フェリーが国籍不明の艦船(知りうる世界情勢から想像して北朝鮮としか考えられないけど。もちろん中国の可能性もあり得るし、韓国だってやりかねない当時の東アジア情勢だった)に攻撃されて沈没。海に投げ出されて、その後の記憶が無いという状態だった。ゆえに、このちぐはぐな現状をかみ砕いて理解できないでいた。

 

まさに、冷泉朝陽は、途方に暮れていた。

 

そんな混乱の中ではあるが、何気なく右手を彼女の方へと伸ばしていく。

それは、年相応のスケベ心なんかじゃなく、夢と現実の境界をはっきりさせるための行動だ。本当に触れられるならば、これは現実ということなんだから。

決して、彼女が寝てるうちに触っとかないと、絶対に損とかいう計算をしてるわけじゃない。

 

「これは、仕方のないことなんだ」

冷泉は、誰に言ってるのか分からないがそう否定した。

 

恐る恐る、指先を少女へと近づけていく。

起きたらびっくりするだろう。かなりの確率で、変態と悲鳴を上げられかねない。

 

そして、少女の髪の毛に指先が触れる。

ふわりとした、すごく、柔らかい感触。

 

……間違いない。目の前の彼女は、実際に存在している!

さらに調子に乗り、そっと頭を撫でてみた。

 

サラサラの髪の毛の感触が明確に伝わってくる。

 

「ん……うん!? 」

少女の体が少し動く。

 

「あ、やべ! 」

思わず口に出してしまう。

 

寝ていた少女は、少し頭を左右に動かしたと思うと、おもむろにその頭を持ち上げた。

「むにゃにゃ……」

発せられたその声は、あたかも小鳥のさえずりのように可愛い。

眠そうに両手で目を擦る。

そして、大きくのびをし、目を開いた。

 

泣き腫らしたような充血した大きな瞳がこちらを見るが、焦点(フォーカス)は合っていないようだ。

 

よく見ると、彼女の目尻には涙が流れたような跡が見える。

彼女は、ぼんやりとした様子で理解できないような感じでこちらを見ていたが、唐突に動きが停止した。

 

 

見た目から言うとまだ、十代後半って感じだ。少し太めのキリッとした眉に大きな茶色い瞳。自己主張の強そうに見える口元。

街で見かけたら、振り返ってしまうような、かなり整った顔立ちだ。

 

―――ただし、……冷泉は話しかける勇気なんて無いのだが。

 

彼女は、呆然とした顔でしばらくの間こちらを見ていたが、やがてその顔に驚きの表情を浮かべたと思うと次の瞬間には目が大きく見開かれ、涙ぐみながら喜びの表情へと変化していった。

目まぐるしく表情を変化させる少女。その様子に思わず見とれてしまう冷泉。

 

見つめられて、冷泉は鼓動が猛烈に高まるのを感じていた。

 

「て、……提督ぅー!! 気がついたんデスネーー!! やたーーーーーーー」

突然、少女は叫び、そのまま冷泉に飛びつくように抱きついてきた。

勢いで枕にぶつけてしまった。同時に後頭部に激痛が走る。

 

「うげっ! 」

冷泉は、思わず呻いてしまうが、彼女には聞こえなかったようだ。

 

「ずっと気を失ってたままだったから、すごく、すごーく心配したんだヨー。輾転反側して一夜を明かしてしまったネ-」

そう言って顔をすりすりしてくる。

 

良い香りが鼻孔をくすぐり、うっとりしてしまう冷泉。後頭部の痛みも忘れてしまう。

どうも頭は包帯でぐるぐる巻きになっているようで、自分が怪我をしているようだと初めて気付く。

 

「もう!、……せ、せい、正妻を心配させたら no! no! ナンダヨ~」

彼女は一端離れると、こちらを見つめ微妙に変なアクセントで話す。

 

む? ……彼女、【正妻】って今、言ったように聞こえたが。それは、何だ?

 

何だ、これ。

 

これは、何?

 

理解できないよ。……冷泉は、思わず呟いてしまった。



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第二章 艦娘との邂逅
第4話 とまどいの中、金剛との出会い


なんなんだろうか……このシチュエーションは?

 

当然なんだけれど、何一つ理解できない。それ以前に、現在、自分が置かれた状況が把握できていない。

 

いや、できるわけが無いか。

 

この世界の人間と接した事で、更なる混迷を極めている。

 

「ネエ、どうしたの、……テートク」

本当に不思議そうな顔で、いや、残念そうな目でこちらを見る少女の姿がある。

 

「えっと、すまないけれど、提督って? 何の事だい」

と、冷泉は思わず言葉を返す。

提督なんて言葉、普通に生きてたら聞くことない言葉だよ。

 

「テートクはテートクじゃない。今、ワタシの目の前にいる、ユーの事に決まってるじゃないデスかあ」

 

冷泉は、意味が分からず辺りをキョロキョロと見回す。

当然ながら、自分以外、この部屋には誰もいない。

 

「もしかしてだけれど、それって俺のことなのか? 」

と、自分を指さして質問を返す。

 

「えっ、もしかして……覚えていないのですか。オー、オーマイガーッ! です」

この子は、わざとこんな喋り方をしているのだろうか。冷静に見ている自分がいる。

 

「テートクったら酔っ払って二階から落っこちて、頭を強く打ち過ぎたんデスねーーー。お医者さまが言ってたとおり、本当にGeneralized Amnesiaになっちゃたんだ」

 

Generalized Amnesia、つまり、全生活史健忘だと思っているのか? 

 

いや、冷泉の記憶は、はっきりしている。これまでに無いほどクリアだと言っていい。

なのに、自分の置かれた現実とのこれまでの世界への認識との間の齟齬をかみ合わすことが不可能なんだ。これが、今の冷泉の理解できている事。

 

「テートクぅ-、冗談はやめてヨ。……ねえねえ、ホント大丈夫? 」

ぼんやりしている冷泉の事が心配だったのか、彼女は冷泉の頬に右手を当てると小首を傾げて心配そうな表情をしている。

 

状況はともかく、そんな少女を見て、思わずドキドキしてしまう。これはいけない。見つめられただけで、鼓動が高鳴るじゃないか。こんなのマジで惚れてしまいそう。本気で冷静さを失いそうになっていた。

 

しかし、夢だけど……夢じゃない!! なんて脳天気な事は言ってられない状況だ。冷泉は、全く理解不能なアナザーワールドに説明も無く放り出され、これまでの記憶は、全く役に立たないという状況。

 

―――なんだなんだ。

 

ここで取るべき行動とは、何だ!

 

冷泉は、その灰色の脳細胞をフル活性化させる。このような場面で行うことは決まっている。

 

―――四半世紀以上生きて会得したその成果を見るがいい。

 

「コマンド! ……ログアウト。ん、何も起きない?? では、セッション終了。……これでもだめか。冒険の書……それを中断!! 違う。menu save! 」

異世界転生もののラノベを読んだ記憶を頼りに、いろいろ叫んでみるが何も起こらない。

何もない空間をクリックするがメニュー画面は表示されない。

 

「……ログアウト不能なのか? クッ! どうして、何故? 」

何もかもが理解不能。

「どうして、こんなラノベみたいな展開の中に放り込まれなきゃいけないんだよ」

と、嘆いて気づいてしまった。

これまで読んだ小説では、こんなコマンドを連呼した主人公は、例外なく異世界から帰ることができなかった事を。

 

「ねえねえ、ダイジョウブですか」

頭がおかしくなったのか、と心配そうに少女は尋ねてくる。

 

「ああ、大丈夫だよ。ちょっと待ってね。……ふう、ちょっと待ってね。えっと教えてくれないか……ねえ、ここは一体、何処なんだい? 」

大きく深呼吸をし、再び意識を現実に戻してから、彼女に問いかけた。

 

「え? ここ? デスか。……よく分からない事を、提督は言いますネ。そうか、私をからかってるんですねー、面白い冗談です。ふふふふ、じゃあ、本当の事、教えてあげますネ。提督が今いる場所は、ですよねえ。……ここは、海軍病院デスよ」

 

「か、海軍? 海軍っていうのは何の事なんだ? じゃあ、ここは、どこの国なんだよ。もしかして日本じゃ無いっていうのか? そもそも、軍隊ってどこの軍隊っていうんだよ。憲法9条どうなったんだ? 廃棄されたのか。むむむ、共産党や社民党は無くなったのか? 戦争反対、憲法改正反対、原発再稼働反対、ヘイトスピーチ反対、差別主義者は死ねって連呼していた連中は、国外逃亡でもしたのか? まあ、そんなことはどうでもいいや。俺は、何者なんだ? 」

混乱のままに、冷泉は意味不明な事を連呼してしまう。

 

「再確認って奴ですか。じゃあ、お答えしマース。あなたは、舞鶴鎮守府司令官、【冷泉 朝陽】、若くして少将まで上り詰め、鎮守府提督となったエリート将校! それが提督のコトじゃないデスかー。本気で格好イイですね」

 

「え……理解できない。エリートって言われたら照れるけど、正直、俺には似合わない言葉だよな。それに、俺って何をしているんだい? 」

この子は冗談を言っているのだろうか。

 

「だーかーら、その名の通り、鎮守府提督デスよ。私たち【艦娘】の指揮官じゃないデスか。ねえねえ提督、大丈夫? 本当に大丈夫? 自分の名前まで分からなくなってるのデスか? 」

大きな瞳で真剣にこちらを見つめる。

 

ちょっと……。そんな可愛い顔でこっちを見つめられると、本気で困ってしまう。本気で照れてしまうし、ちょっとしたきっかけで彼女に惚れてしまいそうだ。

 

冷泉の不可思議な反応に、彼女も流石に冗談で言っているんじゃ無いことに気付いたらしい。

 

「OH! ジーザス!! 」

と、大声で天を仰いだ。

 

しかし大げさだな。それから、ごめん。もうその喋り方やめて……。冷泉は訴えたくなった。

頭が痛くなってきた。怪我をしてるから微かに痛みはあるんだけれども、それだけじゃない。ありえない現実を押しつけられ、途方に暮れて、頭が痛くなってるんだ。

 

しかし、事情は飲み込めないが、この現実は受け入れなくてはならないらしい。

 

……それが現実らしい。

 

メチャクチャな設定だけれども、まずは、これを受け入れないと話は前に進んでいかないらしい。

とにかく、与えられた情報を整理して、理解しなければならないらしい。

 

どうやら自分は提督という役職らしい。提督とは何だ? 何で提督なんだ? どうして俺が提督なんだ。

 

しかし、聞くにしても、あまりに基礎的な事を聞けるような雰囲気では無さそうだ。

そもそも、ここにいることという根源的なところからして、説明不可能理解不能なんだから。

 

この子の話によると、どうやら新しく来た艦娘の歓迎会の時に、はしゃぎすぎた提督(これは自分の事だ)が2階の窓から転落し、頭部を強打して海軍病院に運び込まれ、先ほどまで意識不明だったらしい。

 

ははは……完全なお調子者だな、まったく。

酔っ払ってドタマかち割れて失神するエリート将校だって……。いつの時代もエリートさんは変わらないな。やることが斜め上を行ってしまう。ここがいつの時代やら、分からないけれど。

 

しかし―――。

 

どうやら、記憶喪失という言い訳で、しばらくはこの危機的状況を乗り切られるのではないか? そんな計算が働いた。

 

つまり、少々言ってることが変でも、記憶喪失という事でごまかせそうだ。

うまくいくかどうかは分からないけれど、仮に本当の事を話しても納得してもらえないだろう。何故なら、彼女は冷泉朝陽という人間のの外見については、何の異常を感じていないんだから。

人間が入れ替わったというシチュエーションは想定されず、もともとこの冷泉朝陽という提督が自分のことであったのか、中身だけ入れ替わったのだろうか。

 

つまり、見た目はどういうわけか冷泉という名の提督らしい。

魂だけが入れ替わったのかという仮説も立てられるが、冷泉って自分の名前だ。そこまでの偶然の一致なんてないはず。

冷泉の先祖が軍人さんだったという記録は、無い。ひいじいちゃんは戦争に行ってたらしいけど、陸軍だったし、将校ではなかった。よって過去に意識が戻ったという話にもならない。

 

それ以前に彼女の外見やその言動。話すその内容について、何となく恐ろしい結論が待ち構えている予感がして、あまり考えたくなかった。

 

何かって?

そりゃ……。

 

「提督ー。まさか私の名前、忘れたワケじゃないでしょーネ? 」

眼前の少女の髪型、服装、そして奇妙な喋り方。

背中に艤装を背負っていないだけで、どう見たって浮かぶのは一人しかいなかった。

絶対に認めたくは無いのだけれど、これって……。

 

 

 

艦隊これくしょん!!

 

 

 

――この世界は、まさにその世界としか思えなかった。

 

艦娘とともに深海棲艦と戦い海域を開放していくゲーム。

艦娘を集めたり、改造したり開発した武器をつけて強化したり、その萌え世界を堪能したり……。

 

そして、この子は、どう見たって超弩級巡洋戦艦金剛型四姉妹の「金剛」にしか見えない。ここまで見事なコスプレは見たことがない。いや、コスプレであってほしいが、そのコスプレをしている少女のクオリティが半端なく高すぎる。どう見てもホンモノにしか見えないんだよ。

 

非現実・・・これは夢なんだろうと判断するしかない。

夢幻、それはあるんだろうけど、ゲームの世界が現実になるなんて、かなり拗らせてしまったとしか思えない。

 

恐る恐る、冷泉は話す。

「ごめん。……全然思い出せないんだ」

 

「記憶ソーシツですかー!! まさかまさかまさか、本当に私の事も忘れちゃったんデスかー。OH! 」

 

「いや、何となくは思い出せる気がするんだけど……」

 

「NO! つ、んがっ!……妻である私の名前まで!!……忘れるなんてアリエマセン。酷すぎるです」

何故だか妻という言葉の前に噛んでしまい、顔を赤らめる少女。

 

なんか、どさくさに意味不明なことを言ってるようだが。

 

ゲームの中でも奥さんじゃ無いでしょ、君。と、突っ込みを入れたくなる。

 

「君、……こ、こんごう、金剛だよね? 名前」

頭に浮かんだ、少女の見た目とは全く合わない、厳つい名前を答えた。

 

少女の顔がパーッと明るくなる。

「OH! 正解デース!! 」

そう言って再び飛びついてきた。

 

思わず悲鳴を上げてしまう。衝撃で頭を痛打する。

 

「愛の力は、……記憶ソーシツさえも乗り越えたンデスネー!! やっほー」

そして、ぐいぐいと力任せに抱きしめてくる。その力は、抗えないほど強い。

 

「ちょちょ、痛い痛い。金剛さん、お願いです苦しい、やめて」

必死に嘆願するが、声を出すことすら叶わない。締め付ける力が女の子と思えないほど強い。視界が再び歪みそうになる。

 

助けて下さい。本当に逝ってしまいそうです……。そう何かに祈るしかなかった。口は言葉を発そうとするが、パクパクと動くだけだ。

 

冷泉が、再び暗黒の世界に墜ちて行きそうになった刹那、扉が開く音が聞こえた。



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第5話 扶桑と金剛

「金剛! あなた何やってるの? あっ、だめだめ、あなたそんなにきつく締め付けちゃ! 」

少しおっとりした声が聞こえ、別の誰かが病室に入ってきたらしい気配は感じたが、全てはそこまでだった。

 

「あら……あら、大変だわ。提督のお顔がどんどん土気色になってく……。駄目よ金剛、それ以上締め付けたりすると……ああ! 提督が失神しちゃうわ」

そんな言葉を聞きながら、冷泉の意識は再び暗転していくのだった。

 

 

―――。

 

どれくらいの時間が経過したんだろうか?

 

再び時は動きだし、完全なる暗闇の中に、光が差し込んで来るのを感じる。

 

ああ……これは夢から覚めたということなんだろうか? 

 

それはすなわち、先ほどまで見ていたものは、すべて夢。

願望が生み出した幻……。

結局、夢は夢でしか無く、現実へ戻るしかないのか……。

冷泉は、少しだけ失望感を抱いてしまっていた。

 

あの死は現実でなかったのだという喜びと、先ほどまでいた【艦隊これくしょん】の世界にもっといたかったのにという、ちょっと情けないわけではあるけれども、それに対する失望の狭間の中で瞳を開くこととなる。

 

目を開ければ夢から覚める。全てが元に戻るんだ。

やむを得ないし、そうなるのは必然だもんな。仕方ない。

そう思い、思い切ってまぶたを開くんだ。

 

そして……。

 

その開けた視界に現れたものは―――!

 

 

喜びと失望、どちらの感情を出せばいいか、すぐには判断できないな。

なんど、開けた視界の中には、二人の女の子がいたんだ。

 

二人とも立ったまま、こちらを見下ろしている。

 

一人はもちろん、先ほどまで話していた【金剛】。

何があったか分からないけど、何故か神妙そうな顔でもう一人の女の子とこちらを交互にチラチラと見ている。

 

隣の女の子。

たぶん、金剛より少しだけ年上に見える。

彼女の発する雰囲気が少し大人っぽいのだ、金剛と比べると。

とはいっても、そんなに歳が離れている訳でもなさそうだ。同い年といえばそう思えるけど、醸し出す雰囲気や落ち着き具合で年上なんだろうなって想像できる程度だ。

 

金剛と同じような巫女装束だけれども、デザインがだいぶ違うようだ。袖の部分がだいぶ長いし、肩のところにスリットが入ってるわけでもない。どちらかと言えば、かなり控えめなデザインかな。

でも二人とも袴ではなく、ミニスカートになっているし。金剛は黒のミニ。もう一人の子は朱色のミニに素足だ。

 

しかし、二人とも足長いな。

和装なのやら洋装なのやら分からない格好をしているのは共通点である。

 

さて、もう一人の子に話を戻すと、腰まである長い少し青みががったストレートのつやつやした髪が、神秘的な彼女の雰囲気にぴったりだ。儚げな感じがするし、やけに清楚そうに見える。

 

金剛は膝上までの黒いニーソックスにヒールを履いているようだけど、もう一人の子は足袋に草履。こちらのほうが明らかに巫女さんっぽい。ただ、足下の露出が多すぎて目のやり場に困るのだけど。

少し赤みがかったその瞳でこちらを心配そうに見つめるんだけれども、時折、隣の金剛が余計なことをしないように注意を払うような視線を送ったりしている。

しかし何となく、こちらへ示す態度が遠慮気味な感じがするのはどういうわけかな。

 

冷泉が意識を取り戻したのに気付いた金剛が、

「ほらー、扶桑が心配しなくたって提督、大丈夫そうデス」

取り繕うように訴える。

 

「だめよ、金剛。提督は、怪我人なのよ。自分の感情のままに扱ったりしたら、さっきみたいな事になってしまうのよ。本当に大変なことになってしまうところだったのよ。注意しなさい。。そもそも、ただでさえ、あなたはガサツなんだから。もっと慎重に行動しなくちゃ」

少し強い口調で扶桑と呼ばれた少女が隣の少女を睨む。まあ睨むといってもそんなに責めるような感じじゃなかったが。

 

「はーい、ゴメンナサ-イ」

舌をペロリとする仕草を見せる金剛。

 

「こら! 謝るのは私じゃなくて、提督にでしょ? それに何なの、その態度。謝る態度じゃ無いでしょう。きちんとしないさい。さあ! 」

 

妹を叱る姉のようだな。この子の金剛への対応は。子犬を叱る女の子のようにも見えるけど。

二人の姿を見ていて吹き出しそうになるのを何とかに堪える冷泉。

 

金剛の話から、巫女さんみたいな服装の子は扶桑ということか。まあ見た目で分かったけどね。

だって、艦隊これくしょんと同じだからね、二人とも見た目も服装も声質も。

喋り方はかなり違うけれども。

 

「はあ-い。えーと、ゴメンネテートク。苦しかった? 私の事、怒ってる?? 」

 

本気で死ぬかと思ったが、ここで余計なことを言うのは話がややこしくなるだけか。

「ま、まあ、驚いたけど、なんとか無事だよ。全然怒っちゃいない、さ」

 

「やったー! ほーらね、ね、扶桑。テートクだって怒ってないデスよ」

 

はしゃぐ金剛を軽くいなして、彼女はこちらを見つめてくる。

「すみませんでした、提督。私が目を離していたせいで、本当にひどい目に会われましたね。本当に申し訳ありませんでした」

と、深々と頭を下げる。

あまり丁寧に謝罪されるとこちらが恐縮してしまう。

そもそも扶桑は何もしていないのだが。

しかし、言葉使いが金剛に対するそれと比べると、どう考えてもよそよそしい感じがする。

 

「さあ、あなたも謝りなさい」

扶桑はよそ見をしていた金剛に気付き、慌てて彼女の頭を掴むと無理矢理下げさせる。

「きゃあ! 痛ったああいい。扶桑、首が折れちゃうyo! 」

 

「い、いや。扶桑、君が謝ることじゃないよ。それに、俺は大丈夫だから、さ」

 

「いえ、きちんとけじめを付けておかないといけないのです。常々、提督はその辺を曖昧にしすぎていると思っていたのです。そもそも、……絶対安静だというのにこの子が看病するからと我が儘言って、病室に無理矢理残ってたくせに、提督を危うく絶命させそうになったんですから。もう、何を考えてるのか……」

 

「違うモン。提督が目を覚ましたから、つい嬉しくって抱きしめちゃっただけデース」

頭をコツンと叩いて、テヘッと照れる金剛。

 

「他の娘だって提督の事を心配してたのに、絶対安静だからって仕方なく鎮守府に帰っていたんですよ。……まあ、あと一人どこかうろついているみたいだけれども……。とにかく、あなたと私が代表で残っていたんだから、提督が意識を戻されたのなら最初にするべきことがあるでしょう? それを置いておいて、いえ、恐らく忘れていたんでしょうけれど自分勝手な行動を取るなんて、ホントにもう、ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ」

金剛が可愛い子ぶるのを完全スルー。

 

「あん。もー、扶桑のお小言はイヤでーす、嫌いデース。聞き飽きたデース。みみたこみみたこ。テートクが目を覚ましたんだから、オールオッケー、ノープロブレムなんだから」

金剛は耳を両手で塞ぎ、あーあーキコエナイキコエナイと連呼している。

 

扶桑は、大きくため息をついた。

どうやら、いつもこんな感じらしいな。

微笑ましいと言えば微笑ましい風景だよ。

 

「まあまあ、扶桑。その辺にしておいたら……どうかな。俺は無事だったんだしさ。まあ何とかって感じだけれどね」

そう言って扶桑の肩に手をかけた。

 

「ひっ!! 」

いきなり触られて驚いたのか、扶桑は突然、大きな声を上げて飛び退いた。

 

「うわっ!! 」

冷泉の方が彼女の態度に驚いてしまった。

「……ご、ごめん。びっくりした? 」

 

「い、いえ、すみませんでした。えっと、急だったので驚いてしまいました」

すり足で半歩下がりながら扶桑は答える。なんだか少し怯えているようにさえ見えてしまう。

 

明らかに彼女は動揺している。

 

それは何故だ?

 

何で……なの?

 



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第6話 討論

はっきりとは分からないけれど、もしかして彼女に嫌われてるのか……? 

冷泉は、そんな気がした。

 

冷泉自身がという訳ではなく、自分が【成り変わった?】この存在であるかつての舞鶴鎮守府の提督であるなぜか自分と同じ名前の人間が、ということなんだが。 

 

「扶桑、済まなかった。金剛のほうがあまりにスキンシップが激しいから、君にも同じように対応しようとしてしまった。スマン、この通り、謝る」

冷泉は慌ててその場を取り繕うとする。

ここの世界での今の自分、舞鶴鎮守府司令官の冷泉朝陽……は、少なくとも彼女、扶桑に対しては馴れ馴れしくして無かったらしい。

ただちにこの誤りを修正をしておかないと、自分が提督である冷泉朝陽と違う人間ってことがばれてしまう危険性大。

 

冷静に、かつ適切に対応しないと小さな疑惑がさらなる大きな疑惑を生み、やがては自分の立場が危うくなるかもしれない状況だ。

 

「きゃー! 提督ーぅ、エッチー。でもねー、私は提督だったらオッケーだヨ」

と、冷泉の気持ちなど知るよしもない金剛が妙に楽しそうにはしゃぐ。この子は本気で言っているのか、それともわざとなのだろうか。

 

「い、いや、違うって」

否定しながら、めまぐるしく思考を巡らす冷泉。

 

この世界がはたしてどこであり、自分の立場がどういう状況なのかをまるで把握し切れていない状況なのである。

とにかく、現状を把握できないまま次のステップへ進もうとしたなら、おそらく、ロクでもない展開になるのは間違いないだろう。

まずは自分の足元を固め、そして横へと広がり縦へと繋がる。大学のゼミの教授のセリフだ。

 

今一番急がなければならない事、……それは、自分の立場についての現状把握。そして、次に必要なことは協力者を作ることだ。それができるまでは、そのためには彼女たちに疑われたりしないことが最優先事項なはずだ。

何か彼女たちは冷泉の事を違う人間(顔も名前も全て同じらしい)として認識しているようなので、しばらくはそれに合わせておいて状況を把握。その後、信頼できる存在が現れたら真実を話して協力してもらうしかなさそうだし。

しかしどうしたらいいんだろうか?

 

すでに扶桑への対応で、冷泉は明らかなミステイクを犯しているんだけれども……。

 

それにしても、困ったな。

 

ちらりと彼女の方を見てみると、目が合うがすぐに視線を逸らされてしまう。

明らかに驚きと疑いが入り交じった表情でこちらを窺っている。

 

突然、金剛が大声を上げた。

「あー! そーだ。言い忘れてたよ。OH!! 扶桑。BADニュースだヨー。なんとねー、なんと、提督は記憶ソーシツみたいなんだよ-。いろいろと忘れてしまってるみたいなんだよね。だから、いつもとちょっと違う感じなんだよネ。ふふふ……でも、でもね、私の名前は覚えててくれたネ」

 

それだ! もっと早くそれを言えよ、金剛。 

冷泉は金剛の話に素早く便乗することにした。

「そ、……そうなんだ。どうも、どうしてこうなったかは分からないけれど、俺は断片的に記憶を失っているようで、今でもだいぶ混乱しているんだ」

少し声のトーンを落として悩んでいるような素振りを見せてみた。

 

「え? 大丈夫なのですか、提督? 」

すぐに心配そうにこちらを見る扶桑。

「もう! 金剛。何でそんな大事なことを先に言わないのですか」

 

「だってー、扶桑ったらいきなりギャンギャン怒って来たから、そんなこと言う間なんて無かったんだもん。それに私もビックリしたり嬉しかったりで忘れちゃってたデス」

体をクネクネさせて言い訳する金剛。

 

「だって、仕方ないじゃない。……あの時、金剛、あなたは提督を絞め殺しかけてたんだから」

 

「殺そうなんてしてないデス!。提督の、私に対する愛が確認できたから、嬉しくってお返しでギューってハグしてただけダヨ」

 

「あなたみたいな、超弩級戦艦の馬鹿力で締め付けたら、普通の人間なら死んじゃうわよ。そんなことも分からないの? ……本当に、提督が生きていらっしゃたのは僥倖だったわ」

何だか扶桑の口調が結構きつくなってる。

 

「うわっ、扶桑、ひっどーい。私、馬鹿じゃないモン!」

と金剛は妙に勘違いして、頬を膨らませてプンスカしている。

 

「で、提督。実際のところ、どの程度の記憶はあるのでしょうか」

ギャーギャー騒いでいる金剛を無視して、彼女はこちらを見やる。

 

「うーん、君や金剛の名前はまでは分かるけど、自分の立場やこれまでどうやっていたかという部分が全然思い出せない。そもそも、なんで俺が病院にいるのかさえ、金剛から聞くまでは分からなかったからね」

決して嘘はついていない。現状について正直に、言葉にした。

 

扶桑は心配そうな、それでいてやはりどこか疑うような視線を冷泉に向けて来る。

 

「提督であることも、おわかりにならなかったのですか? 」

 

「うん。まっさらな状態でいきなり、……そうだな、全く知らない世界に放り出された感じだよ、今は」

実際この言葉の通りだから、嘘じゃない。

 

「そう、そうですか……」

少し考え込む扶桑。

 

「やっぱり先生の言ってた通りダヨねー、扶桑。あんなに強く頭を打っちゃったんだもんね。頭どかーんっ。血、ぶしゃーって感じだったんだよ、テートク」

と金剛が話に割り込む。

それにしても、この子、喋りがゲームよりもテンション高すぎだな、と冷静に観察してみたり。

 

「しかし、金剛。俺ってそんなにひどい怪我だったのか? 」

問い返す冷泉。

 

「うんうん。本当に血がぶしゃーって飛び散って、扶桑なんか、近くにいたから、まともにその血を浴びちゃって失神しちゃったんだから。他の娘も大騒ぎだったんだよ。あー思い出しちゃって、私もクラクラしてきた。扶桑だってそうだよネ」

 

「え……ええ」

そう答えた扶桑の顔色がなんだか青ざめている。眉間に手をやり、なんだかふらつく。

 

「おい、扶桑? 大丈夫なのか」

そう言って側に近づこうとする冷泉を

「だ、大丈夫ですから」

少し強い口調で拒絶する扶桑。

 

「扶桑、大丈夫デスカ? 」

すぐに金剛が駆け寄り、横から支える。

 

「大丈夫、よ。金剛」

答える彼女の声には力がない。

「提督、すみません、……ちょっと提督が怪我をした時の事を思い出したら、急に頭痛がして。ほんとにすみません」

 

「いや、俺は大丈夫だよ。でも、扶桑、少し横になった方がいいんじゃないのか」

 

「そ、そうですね。少し休ませてもらっていいですか? 」

 

「うんうん。そうした方がいいデスネー。提督、私、扶桑を寝かせて来ますネ」

そう言って、金剛は扶桑を連れて部屋を出て行った。

 

しかし―――。

冷泉の頭の中には新たな疑念が生まれていたのだった。



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7話

「扶桑……。体、大丈夫デスか? 」

心配そうに見つめる金剛。

 

扶桑はベッドに横になりながら何とか彼女に微笑み返す。

「大丈夫ですよ。……少し疲れてしまっただけだから。心配しないで」

 

「うん、わかった。……でも無理をしちゃダメですヨ。扶桑はいっつもいっつも、マジメすぎて気が張りっぱなしなんデスから。適当に緩ませることを覚えないと持たないヨ」

 

そうだ―――。

いつもこの子は、私だけでなく、みんなのことを気にかけている。彼女のほうが艦娘を束ねる器なのに……と扶桑は思ってしまう。誰よりもみんなのことを思いながら、決してそれを表に出そうとしない。本当にもったいないと思う。上っ面だけの金剛を見ると、少し抜けた、ただのお調子者のようにか見えないけれど、誰よりも繊細で気配り屋さん。

 

「あなたみたいに緩みっぱなしってわけには行かないけれども、珍しく言ってる事は正論ね」

 

「あー! 酷いデスー。まるで私が馬鹿みたいじゃないデスか!! 」

そう言って怒ったふりをするその姿も愛おしい。

 

「ふふふ、冗談よ。でも心配してくれてありがとう、金剛。私は大丈夫。少し横になって休めばすぐに元に戻るから安心して」

 

「ホントに大丈夫? 」

そういって、やはり心配そうに見つめてくる彼女にうなずく扶桑。

「さあ、提督のところに行ってあげて。あの人を放っておくわけにはいかないでしょう? またフラフラして怪我でもしたら大変」

 

「うん、そうダネ。提督のことは私に任せて。落ち着いたらまた来てネ」

金剛は何度かこちらを振り返り、手を振って部屋を出て行った。

 

「ふう……」

大きくため息をつく。

 

目を閉じて何度か深呼吸を繰り返すと緊張した気分が次第に落ち着いていくのがわかった。

金剛が言うように、提督が怪我をした時のことを思い出してショック状態に陥ってしまったのは事実だけれども、それ以上に衝撃を受けたことがあったことを扶桑は金剛には言わなかった。

いや、言えなかった。

 

あまりに突拍子も無いことで、そんなことを言っても彼女は、いや他の艦娘だって誰も信じてくれないとわかっていたから。

けれども、扶桑の心に浮かんでしまったその疑念は、彼女の心をゆっくりと、そして確実に侵食していっていた。

 

「ああ、提督。どうして私に優しくしたのですか……」

口にして問うてみる。

しかし、何一つ答えが返ってくるわけでもない。

 

提督は扶桑に馴れ馴れしく、それが当たり前のように体に触れてきた。金剛に対しても同じような態度であったから、それが提督にとっては当たり前の事、そう思えるかもしれない。

 

確かに、扶桑にとって【あの事】が無ければ、気にも留めることなどなかった筈。

しかし、現実は違う。提督が扶桑に対してあのような態度を取る事は絶対にありえないのだから。

なのに、彼はそうした。

それが原因で、それに対する疑問が生じ、すべてが、目の前に存在するすべてが嘘のように思えてきてしまっていたのだ。その瞬間、扶桑の足元が崩れ去り虚空に投げ出されたような気分になり、倒れそうになったのだった。

 

【あの事】それは―――。

 

それは、扶桑が提督に告白した夜のことだ。

提督と艦娘という関係でありながら、提督に恋してしまった扶桑は、激化する戦闘の中でいつ自分が戦地で轟沈するかわからない状況であることから、その秘めた想いを彼に伝えずにはいられなかった。

人間と艦娘の恋なんて成立するのかどうかなんてわからなかった。でも自分の中に芽生えたその気持ちを抑えることができなかった。

 

そして、その時、……彼は、冷泉提督は宣言した。

「扶桑、私は君の想いに応える事はできない。私は鎮守府司令官。君たち艦娘を死地へと送り込み、日本国民が生き残る為に君たちに戦いを強いる者。そんな立場の人間が、君たちに個人的な感情を抱いてしまったら、艦娘を人と同じものと思うようになってしまえば、……もはや戦えと命じることができなくなってしまう。そうなってしまえば、もう私は軍人として責務を全うすることができなくなる。それは、軍人にとって死ねということと同じ。……私はこの日本という国のためにすべてを捧げたい。閉塞したこの日本の現状を打破するためにすべてを犠牲にしてでも勝利を獲たいんだ。だから、立ち止まることも逡巡することも許されない。故に、君の気持ちに応える事はできない」

生真面目な提督らしい断り方だった。わざわざそんなに細かく説明しなくても、ただお前にに興味はない、と断るだけでよかった。なのに扶桑を傷つけないようになのか、回りくどい言い回しで答える提督の優しさ、まじめさがとても辛かったことを覚えている。

 

それ以降、提督は意図的に扶桑との接近を避けるようになった。

ただ、戦艦である扶桑は艦隊の中での要であることから、どうしても会話を避けることはできない。

 

しかし、その会話は事務的なもののみであり、私的なものは一切なされなくなった。

やがて艦隊に金剛が着任し、次第に扶桑が行っていた事務は彼女が引き継ぐこととなり、扶桑と提督との距離はどんどんと開いていっていたのだった。

いつの間にか、会話どころか目を合わすことすらもなくなっていたのだから。

 

それが、いきなりあの対応だ。扶桑の体に触れながら、あんな優しい笑顔で話すなんてことはもともとしない人だったし、あれ以降、そんなことが起こりうることなど皆無のはずだった。

あまりに唐突すぎて、おかしいと思わないほうが不思議だ。

 

記憶喪失だから?

記憶が無いから行動がちぐはぐ?

金剛や扶桑の名前を覚えているのに、【あの事】は覚えていないの?

そんな都合のいいことを信じることなんてできなかった。

 

そう。

まるで提督が提督でない……。

 

まるで提督が別の誰かと入れ替わってしまったような……。

そんなありえない空想があたかも正解のように思えてしまう現実。

扶桑が陥っているのはそんな妄想とも呼べるような代物。

でも扶桑には妄想として一蹴することができない。

 

そして、金剛は提督の事を全く疑っていない。いつも通り変化がない。

でも、そんなことがありうるのかしら?

おかしいのは自分なのか、金剛なのか。それとも二人ともなの?

考えれば考えるほど答えから遠ざかるような感覚。

堂々巡り……。

 

答えを知る者は、提督しかいない。

心に芽生えた疑念を晴らすには、直接あの人に訊いてみるしかないのだろうか。

それは、あのときの拒絶の恐怖を再び覚悟する必要がある。

それは怖い。恐ろしい。悲しい。そして切ない。

だけれども、知らずにはおられない……。

 

扶桑は思案するのだった。



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8話

扶桑と金剛が病室を出て行った後、冷泉は、どうすればいいのか思考していた。

頭に浮かんだ疑念は、なんとかして解決しないといけないとは思うけれども、先にやるべきことがある。

現状把握と打開策の模索である。

まずは、この世界がどういうものか、自分が居た世界とどう異なるのかを知る必要がある。そのためにはまずこの部屋を出る必要があるのだ。艦これの世界がどんなものなのかを知っておかないと、何もできないからね。

 

幸い、扶桑、金剛からはこの部屋から出てはいけないとは言われていない。つまり部屋を出たところで決して責められることはないんだ。

 

なぜか足音を忍ばせて扉の前に立ち、向こう側の気配をうかがう。

……病室の外には見張りは立たせていないようだ。

別に冷泉が囚われの身というわけではないから、当たり前なんだけれど。

 

ゆっくりと扉を少しだけ開き、確認をする。

病室の外は廊下であり、窓からは海が見える。そっと廊下に出るが辺りに人の気配は無い。

妙に静まり返っている。

 

朝まだ早いから人の気配が無いのだろうか? 

しかし……だ。病院なんだから、入院患者や看護師とかが一人や二人いたっておかしくない。入院施設があるのだから当然、入院患者の家族だって宿泊していたりしそうなもんだし……。

 

それにしても、不思議な雰囲気だな。

 

扶桑たちはどこにいるんだろう? そんな事を考えながら歩いていく。もちろん警戒を怠らずに歩いていく。

 

それにしても、ただっ広い建物だ。

病院という公共施設なのに案内図がどこにもないから、今どこにいるとか、どのくらいの規模の施設かさえよくわからない。

ただ、今居る場所が二階であり、上への階段もあるようなので少なくとも三階建てではあるようだ。

窓からの景色でわかる範囲では、この建物を中心にコの字型に4階建の建物が配置されている。だから、冷泉がいる建物も4階建なんだろうと想像できる。他にもごちゃごちゃと建物があるようだが、それらがどのような役目を持っているかわからない。増床増床で建てまして行った結果なのかもしれないけれど。

 

そんなことを考えながらも歩みを進める。

 

病院の敷地はここから見ても結構広い。駐車場らしき舗装され線引きされた枠が結構な数見えるが、車は、オリ-ブドラブ色に塗装された物資輸送車両のような幌をかけた六輪のトラックが数台停車しているだけだ。形も自衛隊のトラックみたい。

 

ん? 

 

艦これの世界なのに自衛隊のトラックがある? するとこの世界は時代設定的には冷泉がいた時代に近いということなのか? 

そうだったら、少しは嬉しいな。コンビニとかあった方が便利だし、ネット環境も必須だ。テレビも観たいし、漫画も読みたい。戦前の時代だったらそんなもん存在しないから対応できない。

 

マジ、個人的願望なんだけれど。

 

しかし、自分がいた時代には舞鶴鎮守府は存在しないし、日本海軍もない。

自衛隊と日本軍が共存していること自体ありえない、もう、カオス状態って解釈をしろということかな。

それはそれで艦これの世界みたいなもんかもしれない。良いか悪いかは別として。

 

敷地の向こうにはビルらしきものが点々と建っているようだが、ほとんどが空き地のようだ。そして遠くの方に海が見える。

方角は良くわからない。

これだけでここが何処かなんて想像もつかないな。

 

あーだこーだ考えていると階段が見えた。さて上に昇るか下へ降りるか……などと考えていた時、廊下の影から人影が見えたような気がした途端

「きゃっ!! 」

なんか悲鳴のような声を聞いたとゴチンという音と同時に衝撃が走った。

人と衝突したのだけはわかった。

 

女の子?

水色の長い髪の女の子。

真っ白なワンピースのセーラー服を着ている。

 

二人はお互いまったく存在を認識せずに出合い頭に衝突したため、受身も取れずそのままもつれるようにして転倒していく。

 

やべっ、階段に落ちる。。

必死で踏ん張ろうとしても無理だった。

自分だけなら持ちこたえられそうだが、女の子はまともに階段を転げ落ちる。

このまま転落すると、彼女は無事じゃ済まない。

そう思った途端、体が勝手に動いた。

 

どうにでもなれ!

 

冷泉は女の子の体を引き寄せ、きつく抱きしめると彼女を庇う様にし自由落下運動に身を任せた。

 

ふわりとした浮遊感。

宙を待ったのは数秒か?

それはすごく長く感じられた。

 

次の刹那、激しい衝撃が背中を襲う。

激痛!

また激痛。また頭を打ったかも。

「ぐはっ! 」

 

背中をまともに打った衝撃で呼吸が止まり息ができない。

少し意識が飛んだように思えた。

 

―――。

 

ごくごく近い場所に人の気配を感じた。

「う、ううん……」

なんか凄くいい香りがする。

 

冷泉が目を開けると至近距離に女の子の顔があった。

眉の上で切りそろえたぱっつん前髪。水色のロングヘアが彼の顔に少しかかってくすぐったい。

陶器のように白い肌。

 

あまりに近い距離なので、はっきりとその顔を認識できない。

 

彼女も気がついたようにこちらを見たと思うと、唐突にその大きな赤みがかった瞳が驚きと困惑のためか、さらに大きく見開かれた。

 

何で驚いているような顔をしているの?

不思議に思ったけど、その原因がすぐに判明する。

 

彼女と冷泉の唇がまともに触れ合っていることに。。

 

そして、どういう訳か右手がなにやら小さな柔らかいものをわしづかみにしていることに。

まあ、その柔らかいものは彼女の胸の位置にあるんだけれども。

 

艦これの世界と思っていたら、これってなんだかラノベっぽい展開なんじゃない?

 

現在読んでいる、ぼっちの癖にやたらと美少女にモテまくり、なのに一人を選べないヘタレ主人公のお話がなぜか思い出された。

 

ああ、これは現実逃避なのかな。

 

そして冷泉は、ラノベ展開において近々に訪れるであろうカタストロフィを予感し、それを避けることができないという設定から目を背けようとした。

 

運命の歯車は廻り出す。

これ即ち、人は好むと好まざるとに関わらず運命の渦に巻き込まれ、翻弄されるのだ。

 

ならば、あえて踊ろう。運命の渦というものの中で。

 

冷泉は、やけくそ気味に宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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9話

「まったく、……もう」

扶桑の口から思わず愚痴がこぼれてしまう。

 

その声が聞こえたのか、隣に座った吹雪型駆逐艦の叢雲(むらくも)がピクッと反応したのが分かる。

うつむいたままこちらを見ようともしない。いつもの少し生意気ささえ見せる表情にも元気が無い。

まあ、彼女なりに反省しているんだろう。

一時間以上、みっちり説教しちゃったから堪えない方がおかしいけど。

 

外はもう真っ暗になっている。

 

舞鶴海軍病院から鎮守府への移動の車の中だ。

前後を同じような形のワゴンがこの車を護衛するように走っている。

そちらには完全武装した兵士が乗っている。

病院から鎮守府までの区間が治安が悪いわけではないけれど、鎮守府司令官と艦娘3人が移動するのだからこれくらいの警備は必要という訳だ。

 

鎮守府の兵士が運転するワゴン車の真ん中の列には提督と金剛が座り、三列目には扶桑と叢雲が座っている。

ちなみに助手席にも護衛の兵士が乗っている。

 

頭を包帯でぐるぐる巻きにした提督の後姿が痛々しい。

隣に座った金剛が心配そうにか面白そうか判別できないが彼を見つめ、何かヒソヒソ話しかけている。

 

しかし―――。

 

あの時、いきなり館内に悲鳴と炸裂音が響き渡ったのには驚かされた。

病院周囲は兵士たちが厳重に警備しているはずだから万全なはずの病院館内にありえない事態。

反体制派のテロリズムかと緊張が走った。

 

即座に戦闘態勢に入り、大急ぎで駆け付けた扶桑と金剛の前には、白目をむいて失神している提督と彼に馬乗りになって呆然としている叢雲の姿があったのだった。

 

テロリストとの戦闘を覚悟し、本気で緊張していた扶桑は、そのあまりに馬鹿げた光景に唖然とした。

 

まったく。

何やってるのこの子は。

そして、……何しているのよ提督は、と。

 

呆然としたままの叢雲を問いただしたところ、提督が意識を取り戻したことを知った彼女が、提督の様子を見に行こうと病室へ移動中にフラフラ歩いてきた提督と衝突し、勢い余って二人とも運悪く階段を転落したらしい。

そして、どうやら提督が彼女をかばったようで、叢雲は怪我一つしていない。提督は全身を強く打ったようだけど。

 

落下が原因かどうかわからないけれど、気がついた時には二人は口づけをしている状態になっていて、さらには提督の右手ががっしりと彼女の胸を掴んでいたとのこと。叢雲曰く、まさぐっていた状態らしいけれど。

 

彼女はぶつかった相手が誰か分からず、はっと気付いた時にそういう状態だったことからパニック状態に陥り、悲鳴を上げると同時に反射的に手加減なしのビンタを提督にしたのだった。

 

艦娘は人間の女性ような見かけはしているけれども、軍艦である。力は人間のそれを遙かに凌駕しており、加減無く人間を殴ったりしたら命の保証はしかねる程なんだけれども。

そんな一撃をまともに喰らったのに生きている提督、あなたは一体何者なんですか?

 

提督への疑念がますます強まっていく扶桑だった。

 

「まーまー、扶桑もあんまり怒っちゃだめデスよ。叢雲ちゃんだってビックリしただけなんだからー。これ以上責めたら可哀相だよー」

お気楽な口調で金剛が後ろを振り返る。

「私だって、いくら提督が相手だからっていきなりTPOをわきまえずにあんなことされたらびっくりするモン」

 

「いや、俺はそんなつもりがあった訳じゃあ……」

ぼそりと提督が前を向いたまま否定するが誰も反応しない。

 

「金剛、あなたの言うことは論点がズレまくりなのよ。手加減なしで人間を殴ったらどうなるのか、分からなかった訳じゃないでしょう? ただでさえ私たち艦娘は誤解を受けやすい立場にあることを忘れてはいけないの。私たちは兵器だけれども、人間の味方、人間の側にある存在であることを常々意識し主張していかなければならない。そうでなければ人間と私たちの共存を続けていくことなんてできないのだから。

人間たちは皆優しい。けれども、心ない人もたくさんいるのだから」

 

「そんなこと分かってるし、みんな分かってくれているじゃない。鎮守府の人たちはみんな優しい人ばかりダヨ」

気楽に金剛は言うが、現実はどうなのだろうか。

 

「とにかく、私たちは誤解されやすい存在なのだから、常々肝に銘じておけということよ。事実だけをみて、艦娘が馬鹿力で絞め殺そうとしたり殴り殺そうとしたって悪意ある人は利用する可能性があるのだから。そんな危険な芽は摘んでおかなければ……。

人間と艦娘の関係を引き裂こうとする勢力をいつも意識しておかないといけないのよ」

 

「心配性デスネ、扶桑は。でもさすが、まいちん艦娘のリーダー的存在デス」

 

「茶化さないで」

 

「分かってマス。今後は誤解を受けないように気をつけますヨ。叢雲ちゃんもそーだよね」

 

「あ、あたしは提督に怪我をさせるつもりなんてなかったもん! 吃驚しただけなんだから」

俯いたまま、涙声で訴える叢雲。

 

「それは分かってるから。あなたが反省していることもね」

姉のような優しい口調で答える扶桑。

 

「うん」

涙をぬぐいながら叢雲が答えた。

 

「そうそう。それでいいんだよ。俺も別に怒っちゃいないから、安心してくれ」

タイミングを計っていたように提督がこちらを振り返って笑った。

 

「あはっははは! 」

と、金剛が吹き出す。

 

こちらを振り返った提督の顔の左の頬は大きく腫れ、叢雲の手形が見事なまでに残されていたのだった。

それが薄暗い車内に時折入り込んでくる光で照らされ、とてつもなく不気味で不細工に陰影をつけていた。

「うぎゃー、提督の顔、凄いブッサイク!!」

 

「ヒッ」

扶桑もこらえきれずに吹き出す。

明るいところで見たときはなんとかこらえていたものの、さすがにこのシチュエーションで見てしまったら笑いを我慢できなかった。

 

殴ったことを反省しているはずの叢雲まで

「キモイ、こんなのにキスされたなんて、死にたい。あんた、どっか行きなさいよ」

とぼそっと呟いていた。

 

「ひどい、……ひどすぎるぞ。あんまりだろ、お前ら」

左頬をスリスリしながら、不満げに提督がぼやいた。

 

その言葉でさらに運転席と助手席の兵士も思わず吹き出す。

 

「やれやれだな」

呆れた提督まで照れ笑い。

 

 

 

おしまい。

 



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10話

ハァーイ!

 

金剛デース!

 

データベースによると、日本海軍初の超弩級巡洋戦艦、金剛型の1番艦の金剛デース。

 

結構軽いノリで話してるけど、舞鶴鎮守府では第一艦隊の旗艦を勤めてるダヨー。

だから、とっても偉いんだヨー、エッヘン。

自分で言うのもなんだけど、ホンートに凄い事なんだヨ。

 

とはいっても、舞鶴鎮守府、通称「まいちん」って呼ばれてるんだけれど、……実はネ、ここに着任してまだ半年もたってないのでした。

だから、ここの事は、ほとんどあまり知らないわけ。

そもそも、艦隊の指揮なんて何の事やら。

気合いで行くしか無いネ。

 

そんなわけで、何もかも私が来る前まで第一艦隊旗艦だった扶桑に頼りっぱなしデース。ほんと、扶桑には頭がアガラナイネー。

 

じゃあ、「まいちん」に来る前は何をしてたかって?

 

……実はですネー、何にも覚えてないんデス。

 

すっからかんの、からっぽ。

 

あ、違うな。全くの空っぽって訳じゃないんだけれど、でもでも、ほとんどなんにも覚えていなかったんだヨ。

記憶喪失??

 

気がついたら、なんか自分は戦艦だったし、人型として具現化した存在である状態の私は、変な服を着らされていたんだヨ。

そんでもって「舞鶴鎮守府ヘ赴任を命ズ」とかって変なおっさんに偉そうに指示されて、何がなんだか分からないまま、何隻かの駆逐艦の艦娘に護衛されて、ここまで連れてこられたワケ。

 

今思い返せば、神奈川県の横須賀って地名の所を出発して、日本列島っていういま私たちが住んでいる島を時計回りにぐるるるっと半周くらいして、「まいちん」までやって来たワケなんだ。

長い航海だったよ。

とはいっても高速戦艦っていう名前が付いてる位だから、私は凄く速く走れるのです。

並の駆逐艦なら置き去りする60ノットで巡航できるのだ。だからそれほど時間はかからなかったっていうのが正解デス。

 

日本海と人間に呼ばれる海は、暗くて辛気くさくて寒々しいなぁって思いながら到着しました。ちなみに塩の香りはしたけれど、香辛料臭くは無かったネ。

 

「まいちん」の第一印象も日本海のイメージとまったく一緒だったヨー。

まあ……そうはいってもどうにもならないからね。

いろんな不満が沸々って沸いてきたんだけど、すぐに忘れちゃった。

何でだろ??

 

はてなはてな……ん?

 

えーっと、それから、根本的な問題。自分が何者なのかとか、何をするために生まれ、何の為に舞鶴鎮守府に来たのかなんて誰も教えてくれなかったけど、すぐに理解できたヨ。

 

艦娘ネットワーク(ここでは説明は割愛します)に接続するまでもなく、……自分が「軍艦」であるって事。それも軍艦の中でも最上位である戦艦。つまり、戦う為にこの世に生まれたってことは定められた我が運命!! って理解してたんだヨ。

何が敵であり、何と戦うのかは自分の属する艦隊の司令官が決めればいい。私はその命令のままに敵を屠り、勝利するだけ。それ以外は何も考える必要なんてない。何で戦うのか、誰のために、何のために戦うのか、敵は誰なのか……そんなものを考える必要なんてない。考えてはいけない。ただただ勝利の為だけに存在する。

 

それが私なんデスよ。

艦娘はみんなそうなダヨ。

理屈なんて抜きに頭の中の奥の奥に、それがあるのを理解してた。

だって兵器なんだお。兵器なんだ。

 

それが私の「規範意識」なのデース。

それが、金剛(こんごう)なのデース。

 

目の前に敵が現れたら、速攻でぶち殺す。完膚無きまでにぶっ壊す。視界にあるすべての敵艦をばんばん沈め、すべての敵機を薙ぎ払う。自分がどれほど被害を受けようとそんなの関係ナーイ。

とにかく勝たなきゃ意味ナシ。負けたらただのゴミに成り果てる。

勝利勝利、勝利! それが全て。全てなのデース。

 

えっと、……金剛デース。

 

金剛デース。

 



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11話

でもね、「まいちん」で提督の指揮下に入ってから、何か変だったんだ。

 

結構、……違和感。

 

提督はたとえ勝利間近だったとしても、誰かの損傷が大きかったら目前の勝利を放棄してでも撤退したりしてた。

 

あれ何でなのカナ?

 

仮にその娘が轟沈したとしても、戦いに勝利することができればその海域を開放できるのに……。

 

それがどれほど鎮守府に、いえ日本国に……それだけじゃないヨ。提督だってにどれほどの恩恵を与えることになるか、提督が知らない訳ないもんネ。

 

「それ、絶対おかしーよ」って提督に詰め寄った事があったんだ。

最後の最後で逃げ出して、……その行いが鎮守府にどれだけの損失になってるか、分からないの? そんなことするうの、提督だけだよ。勝利にどん欲じゃない提督は。

そのせいで舞鶴鎮守府への艦娘の補充や補給が後回しにされていること。

失われた海域を奪還するのが鎮守府艦隊の使命。それが全然できないままじゃ、提督の評価にだって影響が出るんじゃないの? 一体どう思ってるのかって。

 

でもね、提督は寂しそうに笑って、それから私の頭を撫でてくれた。

 

「金剛、お前の言うことはまったくもって正論だよ。でも私は、勝利のためであっても、それ以上に大切なものを失いたくないんだ。それが、たとえ日本のためであったとしてもね。いわんや私の出世なんかのためなんかね」

 

「……私は君たちを戦わせたくなんか無い。君たちが人間なんかの為に戦う理由なんて本当は無いんだ。でも、日本の置かれた状況ではそれは言えない。だから、せめて私の部下である君たちだけは無駄死にさせたくないだけ。まあ、それも……ただの偽善なんだが」

 

「私は大丈夫だよ、テイトク。私たちは兵器。勝利するための道具なんだよ。勝利するために命なんて投げ出す覚悟は生まれながら持ってる。テイトクはただ私たちを使って、効率的に勝利を掴むことだけを考えればいいヨ」

励ましたつもりでもなんでもなく、当たり前のことを当たり前に伝えたつもりだったけど、提督はぜんぜん理解してなかったみたい。

 

なんだかなー。

これが人間と私達の違いなのかなって思った。

 

そんな疑問をずっと持ったまま提督の元で戦っているうちに、何となく提督の気持ちも分からないでもないかなー、とか思うようになってた気がする。

 

提督は私たちを軍艦ではなく「人間」と同じように見ているんだなって。だから私たちがもし轟沈(死)したら、人が死んだのと同じように悲しむんだなってなんとなく分かった。

 

私自身もまいちんでの生活の中で戦いの中にいるときは別として、普段は人間と同じように生活し、人間のように考えるようになっている。

戦場でいるよりも、鎮守府で提督や艦娘と一緒にいる時が楽しいし、この状態がいつまでも続けばいいのになって思ってる。

 

まるで、人間のように。

ありえないことだけれど。

 

そして、ある時、兵器なのに軍艦なのに、……人間である提督に対して何か「特別な感情」を持つようになっている自分に気付いてショックだった。

 

奥底にある規範意識には無い感情。

それが自分の中にあることは衝撃だった。

 

データの中にある「恋」や「愛」といった感情。、もしくは、そこまではいかないまでも、上官に対する信頼とはまた別の感情が芽生えていたのは事実。

 

でも、それはあっさり拒否されたけどネー。

 

私はがんばって、なんとか提督と今以上、提督と旗艦ではない関係を築きたくって接近を試みたんだ。でもね、提督は積極的な拒否はしなかったんだけど、さりげなく普通なら気付かないかもしれないレベルで避けてることにすぐ気付いちゃった。

端からみたらすごく仲よさそうに見えるかもしれないけど、これ以上は近づけないすごく高い壁が、おまけに溝付き、があったんだよ。それは提督に近づいた私にしか分からなかったのかもしれないなあー。

 

まるで私と仲良くしているように見せつける事で、別の誰かを避けるようにしていたのかもって勘ぐりたくなるくらいに。

 

イヤならイヤって言えばいいのに、提督はしなかった。

 

嫌いじゃ無いけど好きでもない。

だから、これ以上は近づかないでくれって無言で言ってる感じ。

 

なんか、なんかね、凄く寂しかったな。辛かったな。

 

でもね、でもでもでもでも!!!

 

どういうわけか知らないけれど、大怪我をして意識を取り戻してからの提督は何か変わった感じ。

 

何が違うけど、どう違うかは分からない。そもそも確証なんてないけどね。

 

私をあるラインまでしか近づけないオーラが消失して、まったくの無防備状態。

 

もう嬉しくってついつい抱きしめちゃった。そしたら泡吹いて気絶しちゃってホント驚いちゃった。

扶桑にはめっちゃ怒られちゃったし。

 

でも、いいんだ。

 

何かわかんないけど、提督は私を嫌いなワケじゃないし、もしかしたら好きになってくれるかもー。

そう思うとなんだかうきうきしてきてしまう。

早く明日にならないかな。

提督とお話したいよ。

 

……でも何か提督変わっちゃったのかな?

頭どかーんってなった時なんかあったのかな?

その時の事を思い出そうとした途端、

「痛ってーいってててててて I have a terrible headache.」

頭を指すような激痛が走って思わずしゃがみ込んでしまった。

 

「一体、何ですか」

 

何かあの夜、提督が怪我をした時のことを思い出そうとすると、頭痛がするみたいなんだなあ。

何でかな。

 

でも痛いのイヤだから、考えるのやめておこう。考えても意味ないし。

 

さっさと寝て、明日に備えないと。

いままでサボってきたから、いろいろやらないといけないことあるしなあ。

 

いやだなあ。

 

すぐに意識が遠のいていくのを感じた。

 

 



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12話

「ふーっ、やれやれだ。滅茶苦茶に疲れたよ……」

冷泉朝陽は未だにヒリヒリと痛む頬をさすりながら、大きなため息をつく。

「やっと一人になれた」

とても疲れた一日だった。いろんなことがありすぎたと実感。

しかし……。

あのビンタを喰らってよく生きていられたな! と自らの頑丈さを褒め称えざるをえない。

女の子なのに、戦艦である金剛だけじゃなくて、駆逐艦の叢雲も半端無い馬鹿力だった。

 

金剛:136,000馬力

叢雲: 50,000馬力

金剛はじゃれてきただけだけど、叢雲はパニック状態だったから全力だったかも。

 

そんな彼女たちの、まあ悪気はあまりない? 致命的な攻撃を喰らいながらも、かろうじて凌ぎきった自分。

すごいすごい。

まあ、そんなことを自慢しても、現状は何も変化無いことに気付き、狼狽する冷泉。

 

さて―――。

 

舞鶴鎮守府に着いた時にはすでに夜も更けていたため、一緒に帰ってきた金剛・扶桑・叢雲以外の艦娘と会うことは無かった。

よく分からないけれど、艦娘たちは就寝時間(就寝するのかどうか分からないけど、金剛は帰ったらすぐ寝るとか言ってた。だから睡眠という行為も艦娘には必要なのと推測)というものがきっちりと決められているのだろうか。

 

何せ、もう日付が変わってるからね。

 

しかし、今日が何年の何月何日であるかを今のところ知るすべがないだけど……。そもそも西暦とか平成なのかさえ謎です。

最近、ダコモSHOPで無料(タダ)で手に入れたスマフォ「ガラクターG∞(ジーアンフィニ)」とお気に入りの時計も紛失してしまっている。ま、仮に持っていたってここが自分がいた世界じゃなければ無意味なんだろうけど。

 

ベイビー、後ずさりするな。

 

それはともかく、帰ってくる時間が遅かったおかげで、他の艦娘と会わずに済んだのはある意味、僥倖と言えた。

今日はなんとか乗り切ったものの、今後、これ以上ぼろが出ないうちになんらかの対応を考えておかないと、まじでやばい。

 

それは実感。

 

いや、実際は、もうだめかも知れないですけれども。

叢雲に対する対応以前に、すでに扶桑にはかなり疑われている感じだしなあ。

叢雲とはあんなことがあったから、しばらくは近づいてこないだろうからその点だけに関しては大丈夫……かな。根拠無いですが。

それから、金剛はあまり物事を深く考えないタイプみたいだから、放っておいても大丈夫であろうと希望を込めて判断。

 

だが、しかし――。

何にしても明日以降はさらに多くの人や艦娘と出会うことになりそうだから、どうにかして情報を入手しておかないと絶対に破綻するな……。でも正体がバレたらなんて言い訳しようか。うーん、土下座したら許してくれるかな。

うーんうーん。どう考えても無理だよなあ。

「うおえっっぷ、おええぇぇぇぇ」

猛烈に吐き気がしてきた。胃がキリキリ痛み出すし……。先の事を考えたら気持ち悪くなってきた。

どうしよう、どうしたらいい、どうすんべ?

「ああああああああああああ」

頭を抱えるけれど、何も解決策なんて出やしないさ。

だめだー。

 

しかし! そこでハタと気付いたんだよ。

同時に唐突に怒りがこみ上げてくる。

 

自分が好んでこんな立場になった訳じゃないのになんで悩まないといけないの? 本気で自分が置かれた現実にイラッとする。誰か説明に出てこいや。チュートリアルでもやれよ、ヴォケー!! などと。

 

そして、再び思考が冷静になる。

最近、躁鬱が激しいな、自分でも思う。でもでも、決して新型鬱病じゃないよ。

 

しかし―――そもそも何故、自分の正体がばれないかということ自体が謎なんだけれども。

側にいたはずの艦娘も、冷泉の外見には全く異常を感じていないようだし、そもそも迎えに来ていた鎮守府の兵士にだって正体がバレやしないかと注意深く観察してたんだけど、少なくとも表面上は何の反応も無かったんだよね。

 

これは何故? どうしてなんだろう?

 

何かのドッキリだったら、すごく楽だけど。

んなわけないよな。

 

もうどうにでもなればいいやって投げやりになる自分がいるが、そんなことになったら自分はどうなるのか?

軍人でもない一般人の自分が軍事施設の中枢部に入り込んでしまっている。一般人といってもおそらく身元を証明なんてできないから、明らかな不審人物と思われるはず。運が悪ければ、といいうかほぼ間違いなくスパイ容疑はかけられるよなあ。

 

結論は明らか。

たとえ殺されるまでは行かなくても、ムショ的なところ(まあ間違いなく刑務所ですが)に放り込まれるんじゃないかと怯えている自分もいる。

正体不明だから拷問とかもされるんだろうなあ。

ファラリスの雄牛、凌遅刑、コロンビアンネクタイ、鍋責め……。

そんなんされたらすぐにゲロっちゃうよ。いや見た瞬間自供始めます。

でも、本当の事を言っても絶対に信用できない内容だから、殺されるかもです。

あーあー。

何も聞こえないし何も考えられないよ。

死にたくないし痛いの嫌。助けて。

 

落ち着け落ち着け。

まずは現状分析をするしかない。何事も分析分析なんだ。

 

深呼吸を何度も繰り返し、精神を落ち着かせようとする。

自分にいる部屋を見回す。

 

ここは舞鶴鎮守府のあるエリアの中にある、3階建ての建物の最上階の一室。ここが提督の部屋らしい。部屋の奥に扉があり、そこを開けてみると寝室となっている。8畳くらいの部屋で何故か畳敷きで簡素な家具が置かれ、布団が畳まれていた。なんかそこだけすごい生活臭がする。まあ、初期の艦これの提督の部屋みたいなもんだな。

 

ちなみに2階には会議室があり、どうもそこから自分は誤って転落して頭が爆発して入院したらしい。

 

そんなお馬鹿さんっているのか。しかも、それが自分だなんて。

 

コの字型に配置された建物の中央部である。舞鶴鎮守府の艦隊司令部といったところだ。夜だからほとんど見えないが、少し行けばもう港であり、我が艦隊の全艦艇が係留されている。

 

鎮守府の周辺はここで働く兵士達目当ての酒場や店舗が入る雑居ビル群があり、街行く人の数も多く、かなり賑やかでよくある軍港周りの風景に思えた。

 

鎮守府については警備の為か、その広い敷地の外周すべてが3メートル程度の高さのフェンスで囲まれいる。塀の中には一般兵士達のいる居住区や事務棟、兵器庫や格納庫がある。さらにその奥には艦船が係留されている港があるのだけれど、ドッグ部も含めてそのエリアについては外周を取り囲む塀を上回る高さの塀で厳重に囲まれている。このため、外からは塀の中に何があるのか分からないどころか、軍艦の姿さえ確認できないようになっている。周辺の建物は大きくても4階建てまでだったことから、もしかすると、高さ制限でもかけられているのかもしれないなと今思った。

 

鎮守府敷地への出入りは提督である冷泉が乗っていたのだけど、そんなの関係ないようにチェックは厳しく行われた。

敷地入り口のチェックもそれなりに厳重だったが、さらに進んで港エリアに入る時はそれ以上に厳しかった。

 

そこには重武装の兵士が複数立っており、それだけでなく周辺を複数の兵士が警備をしているのが確認できた。

何から警備しているのかは、冷泉には分からない。

 

今、冷泉は詰めれば三人くらい座れるくらいの大きさの、提督用の立派な革製らしい椅子に座わっている。両袖机の右側の引き出しを開けて、中に並べられている書類を確認しようとする。

ちなみに、この部屋には円卓が置かれていて、10脚の椅子が置かれている。ホワイトボードなんかもあるからここで作戦会議とかやってるのかもしれないな。

 

いくつかのファイルと取り出し、中身に目を通してみる。

海図らしいA4の資料に細々とメモが書かれている。これだけを見るとすでに攻略済みのマップなのかな?

そんなことを思いながらパラパラとページをめくる。

 

「提督……」

突然、背後から声。

 

「うひゃああああああ!! 」

慌てた冷泉は悲鳴に似た声を上げ、勢いで椅子から転げ落ちた。

臀部を痛打した。

 

激痛で死にそうになる。痛みで嫌な汗出たし。

 

みんな艦なり宿泊施設なりに帰ったんじゃないの? 違う艦娘が起きてきたのか? 職員はこのエリアに入ってくることは無いはずだし。

 

「すみません、びっくりしました? 」

冷泉が声のする方を見ると、そこには扶桑が立っていた。

 

しかも、何か思い詰めた表情をしてるし……。

 

あちゃー。これって、まずいんじゃない?

何も対策できてない状態だっていうのに。

 

 

 

 

 

 

 

 



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13話

「急に現れたから驚いたよ~。もう、びっくりしたなあ」

冷泉は必死に動揺を隠しながらも、軽めの言葉で返す。

実際には心臓はバクバク、腋に嫌な汗がにじみ出すのを感じてはいるけれど、それを悟られてはいけない。

 

「扶桑、こんな夜中にどうしたんだい? ……何か話しでもあるのかな」

艦娘から眼をそらさず、椅子の肘掛けを探り当てると十分な余裕のポーズを決めながら椅子に深く腰掛け、足を組んでみせる。

 

「驚かせてすみません、提督。……なかなか寝付けなくて」

言葉とは裏腹にその声は妙に切迫感にあふれてるし、冷泉を見つめるその瞳は一切の妥協を許さないような恐ろしい色合いを帯びているようにさえ思えた。

つかつかと歩み寄り、冷泉の直ぐ側までやって来る。

 

しまった!

 

そう思った時にはすでに遅かった。

冷泉は椅子に座った状態で逃げ道をふさがれ、彼女に上から見下ろされる状況に追い込まれていたのだ。

 

もはや、逃げ道はない。

 

「い、一体なんですか? ……ふ、ふそーさん」

普通に話したつもりなのに、何故だか声が震えてるし。

いろんな意味でドキドキだ。

 

自分の置かれた危機的な状況はともかく、普通、こんなに綺麗な子に迫られた事が無いから、それだけでもドキドキするよね。

冷泉を上方から見下ろす形で顔を近づけてくるから、彼女の長い髪が垂れて冷泉の体に触れてます。彼女の瞳を見つめ返そうとすると吸い込まれそうな気がするので、思わず視線をそらしてしまうけど、そうすると運悪く彼女の胸元へ視線が行ったため、その胸の大きさに気づいてしまい、さらに目のやり場に困ってしまう。

こんな夜中に二人っきりで迫られているシチュエーションに勝手に興奮してしまっていたり。

 

「提督どうされたんです? ……何か汗びっしょりですよ」

 

「そ、そうかな」

額に手を当てると、扶桑の言うとおり、汗びっしょり。

やばい。動揺が顔に出てるし。

間違って「親切な人だと思った。浅はかだったが、見返りは要求されていない」と答弁してしまいそうになる。

 

扶桑は余裕たっぷりの表情で「久しぶりに二人きりでお話したくなっただけですよ」と微笑む。

その微笑み、今の精神状態だと凄く邪悪に見えます。

 

どうにも落ち着かない。

ソワソワゾワゾワ。じっと見つめられるし。心臓に悪い。

「うむむ。立ち話も何だから、座ったら? 」そう言って立ち上がると、近くの椅子を引っ張って来る。

 

「ありがとうございます。……ところで提督、なんだか喉が渇きません? コーヒーでも入れましょうか?」と、冷泉が応える暇を与えずに。てとてとキッチンへ。

「提督は砂糖ドカ盛りの練乳たっぷりで良かったですよね」

 

おいおい、そんなモノ飲めないよ~。できればブラックでお願い…………。

そんなの言える雰囲気じゃないですよ。

 

「どうぞ……」

出されたコーヒーは、コーヒーと言うより泥水色の、ホントに泥水みたいな、おまけにかなりの粘り気を持った得体のしれないどろどろな奇妙な暗黒物質西か見えない。

「ふふふ。それにしても本当に提督は甘党ですねえ……」にこりと笑う扶桑。「どうぞ」

 

――鬼だろ。

 

「は、はあ……ありがとね」

一口、口に含んでみたもののゲロゲロに甘いし、飲み物と思えないくらいドロドロだし。くっそ不味いですよ、これ。人間の飲み物なんでしょうか、これ?

飲み込もうとしたら喉にひっかかって咽せたし。

 

「どうです、美味しいですか? 」

 

「うむ。我は満足である」

とにっこり。

 

どうやら提督はこんなもんを好んで飲んでいたらしいな。

しかし、ありえん。でもそれを顔に出したらまずい。

うまそうに飲まなければ。オエエエ。

 

「良かった」

扶桑は、別途入れた紅茶を飲みながら、にっこりと微笑む。

 

今すぐそれを奪って飲みたいぞ。

 

「そうそう、ところで提督。……また、一緒にオペラを見に行きたいです。今度連れて行ってもらえますか? 」

 

オペラ何それ? 困るぜ。

いきなりそんな話。どう反応したらいいか分からないじゃない。いきなりそんな話をしてきて、意味が分からないし。

「そ、それって……ど、どこであるんですかね」

とりあえずそう答えるのが精一杯。

 

「大阪でロメオとジュリエットがあるそうです。前から観たかった、帝都バレエ団なんです。是非是非お願いします」

 

「そ、そう……」

ロミオとジュリエットは知ってるぞ。知ってるだけだけどね。帝都バレエ団って何なのか?

 

躊躇する冷泉に寂しげな瞳で、

「やっぱり、駄目でしょうか? やっぱり、そう……そうですよね。今はとても大事な時期ですものね。こんな事言ってる場合ではありませんでした。私の我が儘に付き合うお暇が提督にはおありになるとは思えませんもの。我が儘言って、すみませんでした」

そういてペコリと頭を下げる。

明らかに残念そうな顔をしている。

 

うー。

 

なんか悲しそうな顔をする彼女をこのままにしておけないぜ。それに前の提督だって連れて行ってたんだろ。問題ねーだろ。たぶん。

何が大事な時期かわかんないけど、女の子を悲しませることなんて、どうもできそうにないよ。

このまま放置なんて、できない……よな。それが正解のはず。

「オーケーオーケー。そうかそうか。よしよし、扶桑、連れて行ってあげるよ。俺に任せてくれ。もういつでも連れてったげるよ。どんと任せろ」

と冷泉は明言する。するしかないじゃない!

 

「え!! 本当ですか? う、嬉しいです」

キラキラした瞳で嬉しそうに見つめる彼女にどきりとする冷泉。

 

か、可愛いなあ。

赤面したのを悟られないようにコーヒーをあおると喉に詰まってゲホゲホ。

 

「大丈夫ですか? 」

慌てて扶桑が来る。側に腰掛けて背中を優しくさすってくれる。

真剣なまなざしのその横顔に惚れてしまうぜ。おまけに女の子の良い香りもするにゃ。

 

「約束ですよ、提督」こちらを見つめ甘えるような声で言う扶桑。

 

くーたまらん。たまらんですよ、ホントに。冗談抜きでそんなことを考えてしまう。

 

こんな境遇で失踪したらしい提督は何考えてるんだ。酔っ払って頭が爆発してどっかで入院でもしてるのか。

 

本気で変わりたい。

 

 

「でもでも、提督がお怪我をされたときは本当に驚きました」

扶桑は、冷泉に寄り添ったままで、ささやくように言う。

 

ねえねえ、君君。ちょっと距離近いよ。

病院で肩を抱いた時は過剰反応したのに、今はむしろ積極的にこちらに接近してくる扶桑に少し違和感。

 

「ご、ゴメンネ心配させて。でも、もう大丈夫。包帯も取っても問題ないくらいさ。痛みなんてないもんね」

実際、痛みはまったく感じないし、傷口もほぼ治っているらしい。

 

「良かったです。……でも、提督がはしゃぎすぎたのも原因なんですよ。何か一人で盛り上がって、お酒を飲みまくるんですもの。泥酔して、着任したばかりの島風さんにかなりきわどく、しつこく迫ったりしてましたし、おまけに……わ、私を強引に口説いてきたりで本当に驚かされました」

 

マジですか?

 

そもそも、その場にいなかったから記憶なんてないんだよねえ。

自分がやった事じゃないけれども

「ごめんなさい」

と謝る冷泉。俺であって俺でない提督、あーんた、一体なにやってんの?

 

「けれども……酔った席とはいっても、私は、……とても、嬉しかったです」

頬を赤らめて呟く扶桑。

 

!!

 

少しこちらに体を寄せてくる。体が密着してるしでちょっとパニック。彼女の鼓動まで感じとれるぞ。

そしてどう答えていいか分からない。

全くもってね。

 

扶桑は扶桑でうつろな瞳でこっち見あげているし。

 



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14話

どぎまぎして彼女の視線から目をそらすと、何故か、……いやあ意図している訳じゃないんだけれども、必然的に胸元を見てしまう。

これまた、結構大きく、そして美しく豊満ですな。目のやり場に困る。

「あーあー」

もはや意味不明な呻きを上げ、天井を見るしかないし……。

 

「……そっか」

ようやく口から紡ぎ出した言葉は、たったそれだけ。それ以上言葉が出ない。ただ、彼女を見つめるしかできない……。

 

でもこの子、提督のことが本当に好きだったんだなあ。そう思った瞬間、ここが自分の居場所じゃない感が猛烈にこみ上げてくる。

 

この子が好きなのは、自分じゃない。前にいたはずの自分じゃない提督だ。今、彼女と向かい合っている自分ではないんだよなあ。

この現実……当たり前の現実がとてつもなく寂しい、凄く寂しい。そして心がチクチク痛い。

 

でも、まあそうだよなあ。

彼女が自分なんかに興味を示すなんてありえないもんなあ。それを口にすることはできないけど。

 

「ねえ、提督……」

少し甘えた口調。

 

「はい、何でしょうか」

異常に硬い返事をしてしまう。おそらくキョドったような声を出したと思う。

 

「私のことを、提督は、どう思われていますか? 」

言葉にするとすごく畏まった感じだけれど、体をすり寄せ、顔を近づけながらだったのでホント凄いぞ。

 

こんなん、たまらんお。

 

「あの……お、お嫌いですか? 私、何を言ってるんだろ……は、恥ずかしい」

言っておいて照れる姿もいい。実にいい。

 

「いや、いや、そんなことないよ。あるわけない、……じゃん」

 

「本当ですか! 私を、戦艦としてではなく、あの、その……。女の子として興味をお持ちくださっている? ということですか」

 

おお、もちろんだよー。そう答えたいけど、冷静な自分がそれを否定する。よって何も答えられない。

 

無言に耐えきれなくなったように

「ねぇ提督、あの時のように抱きしめてくれませんか」

 

えー!!

 

あの時って何時だよ。

 

扶桑は冷泉の混乱など関係なく、体を冷泉に委ねてくる。

 

これって完全に理性がぶっ飛ぶシチュエーションだよね。

 

どうしよう。

 

こんな子に迫られて、理性を維持することなどあり得ないよなあ。

 

しかし、彼女の肩を抱くべき腕は、抱きしめるべき腕は硬直したままだった。自分の体の一部で無いようだ。彼女を口説くはずの口も動かない。

「お、俺は、俺は……わう」

そうやってうわごとのように呻くだけ。

 

「ねえ、……提督」

そう言って、少し頬を赤くし、うつろな瞳でこちらを見つめながら唇を近づけてくる扶桑。

 

これって、これって。

この先には……。

 

キース! キース! キース! キース! キース!

 

キスしろ、キッスしろ。ちゅーちゅー。

 

女の子に恥をかかせるな。

 

何故だか、外野が騒ぐ声がする。ホントはいないけど。

 

キスするぞ!

そうすべきであるはず。でもでも。

 

たぶん……前の提督も彼女とキスくらいはしてたんじゃないのかな? たぶん間違いないはず。そう思わせるような扶桑の態度だ。なんか、その所作はすごく自然な感じにも思えるし。

 

そして、それを拒否すれば自分が偽者、前にいた提督とは別人であることを自ら、ばらすことになるし。

ここで不自然な行動をとることは、決して自分にとって正しい選択ではないのは自明の理。いろいろな疑問点とかもあるけれど、ここは流れに任せて行動した方がいい。今ここで正体を明かす事なんてあり得ないだろ。そんなことしても何らメリットが無いのだから。

彼女の気持を利用することになるかもしれないけれど、それはそれで仕方ない。そう思うしかない。正体が暴露されれば、一体どうなるか分かったもんじゃない。

軍隊の、しかも提督になりすましているなんて、こちらに何の非が無かったとしても、無事に済ませてくれるとなんて思えないよな。

理性的に考えても、感情的に考えても、答えはすでに出ている……。感情的にはもうね。

 

しかし―――。

 

「ごめん、扶桑。……俺にはできないよ」

俺は世界レベルで馬鹿だった。

 

「え? 何故ですか。……私のことがキライ? なのですか」

ショックを受けたような顔でこちらを見る。

彼女なりにかなり無理をして告白をしたように思える。それに応えないなんて彼女に恥をかかせているようなもんだよなあ。

 

「ちがうちがう、そうじゃない。……君は凄く可愛いし綺麗だし魅力的だしセクシーだと思うよ、本気で。でも、でもでもでも。いや……だからこそ、俺にはできない」

 

できるわけないじゃないか! 

 

「何を、ですか?」

 

「俺は!」

いかん。それを言ったら、もう後戻りできない。口に出そうとする言葉を必死に飲み込もうとした。

喋ったら駄目だ、必死に誰かが否定しようとする。

だけど、だけど止められないよな。

 

俺は立ち上がると、そのまま三歩ほど後ずさりした。

ズボンの裾を少し持ち上げるとそのまま床に跪き、震えながら手を床に付けた。

そして、大きく息を吐くと一気に頭を下げた。床に頭をぶつけるくらいに。

 

それは渾身の土下座だ。

 

「扶桑、許してくれ!! 俺は、嘘をついていました。……俺は、俺はこれ以上君を騙す事ができない」

 

「は? え、……一体どうされたのです、提督。それは、どういうことですか? 」

いきなり上司である提督に土下座され、少し慌てた口調で扶桑が問いただす。

 

「俺は……」

ああ、俺的人生の終了か……。なんか感慨深いな。

そんな思いに囚われながらも、

「俺は、君が知っている冷泉朝陽という男じゃないんだ」

と顔を伏せたまま叫んだ。

 

あちゃー。

あーあ、マジで言ってしまったよ。

 

 






まだまだ続きますよ。よろしくです。


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15話

一瞬の静寂―――。

 

 

「は? ……何をおっしゃるんですか? アナタは冷泉提督ですよ。どうしたのでしょうか……。きっと頭を打ったショックで記憶がいまだ混乱したままなのでしょうね」

少しの哀れみを含んだ口調。

 

「ち、違う。違うんだよ。これは、残念だけれど、俺が記憶障害を起こしているわけでも、頭がおかしくなってるわけでもないんだ。すべて本当の事だよ。そもそも……俺はこの舞鶴鎮守府の事なんて全く知らないし、それどころかこの世界のことさえ知らないんだから。本当に君たちとも初対面だった。俺はただのサラリーマンで、無理矢理取らされた休暇で、仕方なく始めた旅行中に乗っていたフェリーが攻撃されて沈没し、気がついたらベッドに寝かされていて、そして君たちがいたんだ」

冷泉は顔を上げ、必死に話した。

 

「ずいぶんと荒唐無稽な事をおっしゃるのですね。そんなこと……そうですね、金剛ならともかく、私が信じるとでもお思いなのでしょうか?」

哀れみに呆れが含まれた苦笑いを浮かべてこちらを見る扶桑。

そして、さり気なく金剛をディスってますね。

 

「君が信じる信じないは、この際、関係ないよ。言えることは、俺は君の知っている冷泉朝陽じゃないって事。俺は、君たちの知る冷泉という人物とは全くの別人だよ。何故こんなことになったかなんて分からないし想像もつかない」

 

「ならば、教えてください。あなたは何者なのですか? 」

話を信じていない彼女は、呆れたような顔をしている。

 

「うん、教えてあげよう。……俺の名前は冷泉朝陽というんだ。年齢はもうすぐ27歳。職業:世間ではブラック企業に限りなく近いと言われている会社の社員。最終学歴は、地元でさえ知らない人間がいる私立大学を卒業。それから独身。現在、彼女無し。貯金は、たぶん100万円くらいある。趣味はこれといって自慢できるものは無し。強いてあげるならパソコンくらい。ゲームの艦隊これくしょんとCSOが好き。CSOは運営があれなんで最近やってないけど。まあ、あとは語る事が特に無い、……そんな男だよ」

我ながら恥ずかしくて途中で声が小さくなる。

ホント、自分でいうのもなんだけど、何ら自慢できるものが無いよな。

 

彼女は冷泉の顔を見つめたままだ。そのままで言葉を発さない。

 

「あの、提督。私の理解力が無くてすみません。未だにおっしゃっている事の半分も理解できていません。……そもそも、私の記憶と照合した結果、貴方は冷泉提督でしかありえないのです。しかし、貴方は違うと言う。また、私たち艦娘のネットワークにある貴方に関するデータで照合しても、やはり貴方は冷泉提督です。この齟齬をどう説明するのですか? 」

 

「君を納得させるような説明なんてできない。俺は証拠を何一つ持たない。……けれど、違うということは俺が知っている」

扶桑の記憶や艦娘ネットワークの記録がどーとかこーとか言われてもちんぷんかんぷんだけれども、とりあえず反論する。説得力は皆無なんだけれども。

 

少し遠くを見つめ、黙り込む扶桑。

「成る程。もし貴方の言葉を信じるとするならば、貴方は私達のデータベースに侵入し、貴方に関するデータを書き換え、外見を完璧に模倣し提督になりすましたスパイと言う結論になりますよ。……ならば、貴方は即刻逮捕されることになるでしょうし、収監される事になるでしょう。その後の貴方がたどる運命を私は想像したくありません」

 

「おそらく、俺の正体を知るためありとあらゆる拷問がなされ、行き着くところは死なんだろうなあ……」

自分で口にしながら、恐怖した。体が震えたかも。実際、膝はガクガクしてるんだ。

 

「それを貴方は自ら認めるというのですか? 何の証拠も示されていないのですよ。なのに何故自ら正体を明かすのです? このままうまくやれば正体がばれなくて済むかもしれないというのに。告には何のメリットも無いはずですよ。今、私が連絡を取ればすぐに警備兵がやって来ます。即座に貴方は拘束されることになりますよ。そして末路は貴方の予想通りでしょう」

 

「ぐぬぬぬ」

実際しゃれにならん。思わず情けない声が漏れ出す。

 

「どうしたのです。怖いのですか」

 

「ああ……実際、まじで怖いよ。捕まったらどうなるのか想像しただけで漏らしそうだ。ううう、なんでこんな事になるんだろうなあ。俺はただ旅行していただけなのに。嫌だよう」

 

「だったらどうして? 」

 

「自分でも理解できないんだ。ただ、あのまま提督を演じたとしたら、君を騙す事になる。君の弱みにつけ込んで、君の、その、……提督への気持を踏みにじることになるじゃないか。それは、耐えられない。そんなことをしたくなかったんだ。自分の立場が最悪になるって事は分かってたんだけど」

 

「……貴方、馬鹿ですね」

 

「おお、そこまで言う? でも本当に馬鹿だよな。でも、でもね、それでも女の子の心を弄ぶなんてことはできないよ」

 

「その代償が死としてもですか? 」

ずいぶんと意地悪な事を言うな。

 

「それは勘弁してほしいけど、それでも君の想いを踏みにじるような真似はしたくない。たとえ。俺が生きるためでもね」

究極にかっこいいと思いながら、完全な馬鹿ですなと自省する。

 

「ふふふ……」

突然、扶桑の肩が上下に震えたと思うと、笑い出した。

 

「ど、どしたの? 」

何がどうしたか理解できず、あたふたする冷泉。

 

「提督、……いえ、冷泉さんとお呼びした方がいいんでしょうか? 貴方、本当にお人好しですね。全く提督以上です」

 

「え? そ、ですか。そりゃどうも」

と頭をポリポリ。もうどうでも良くなってる。

 

扶桑は大きくため息をついた。

「やれやれですね。……せっかく貴方の正体を確かめようといろいろ計略を考えたのに、貴方から正体を明かすなんて思っても見ませんでした」

 

「え? 俺の正体知ってたの? 」

 

「いいえ。少しおかしいなと思っていただけで、私の記憶、ネットワークの記録全てがあなたを本物と認定していました。少しの違和感があったのでそれを確かめたかったんです」

 

「それであんな事をしてきたの」

 

「お出しした泥水のコーヒー。……提督はコーヒーはお嫌いでした」

扶桑は頷く。

 

「なるほど。俺はブラックが好きなんだ」

 

「オペラを観に大阪に連れて行ってくださいって言いましたよね? 」

 

「うん」

 

「大阪市は2年前に暴動により壊滅し、今は完全なゴーストタウンです」

 

「えー!! 」

驚きで思わず大声を出してしまう。あの大阪が無いだって?

 

「大阪どころか、神戸・京都の近畿の三大都市は、すでにこの世界から消失しています」

恐ろしいことだ。でもここが異世界であることが確定したので、とても大変な事なのになんだか凄く遠い世界の事のように思えてしまう。

 

 

「そして、私と一緒にオペラを観に行く事。これは完全な禁止事項です。任務以外で私たちは外界に出ることを禁じられています。それを提督が知らないはずがないのに、貴方は躊躇無くOKしました」

 

「あらら」

 

「そして、失敗しましたが、私と提督は恋愛関係にはありません」

 

「え? そうなの」

かなり自然な感じだったので完全に騙されてしまったよ。

 

「恥ずかしいことですが、貴方が正直におっしゃって下さったのですから、私も正直に話す必要がありますね。私は提督のことを男性として好いていたと思います。ですが、提督は私を避けようとしていました。ですから病院で貴方が私の体に触れてきた事で驚きました。……あの行動が私が貴方に対する疑問を持ったきっかけとなったわけなんですが」

 

「あー。そんなところですでに疑われていたんだなあ」

 

「でも、まあ良いです。私の疑念が晴れたので……」

と、彼女は笑った。

すごく魅力的な笑顔でした。

 

「そっか……」

冷泉は椅子に深く腰掛けた。

「いろいろ他に聞きたい事があるけど、そろそろ警備兵を呼ばなきゃいけないだろ? 」

 

しかし、扶桑は動こうとしない。

 

「どうしたの?」

 

「私は、提督、あなたを告発する気などありませんよ」

 

「え? でも、俺の正体を暴こうといろいろ考えていたんだろ? 」

 

「最初はそのつもりでした。そして偽者なら容赦しないつもりでしたが、その、……あなたから告白されたので、もうどうでも良くなりました」

 

「え? 」

 

「提督がどこに行ってしまったのか、どうして私たちの記憶が定かで無くなっているのか?……いろいろと調べる必要があるのかもしれませんが、ここで貴方を偽者と告発してしまえば全てが終わってしまうような気がします。だからアナタはこのまま冷泉提督のままでいて下さい」

 

「しかし、俺は何も知らない人間だ。やがてボロが出てしまうから結果は一緒じゃないかな」

 

「大丈夫ですよ。私が補佐します」

 

「ありがたいけど大丈夫かな」

 

「提督を失踪させ代わりに貴方を送り込んだ存在。それが何者かは分かりません。ですが、私達の記憶を気づかれずに操作する権限もしくは力を持つ存在です……。たやすく解明できるとは思えませんが、提督が協力してくださるのなら、もしかしたら何とかなるかもしれません。私たちの記憶の喪失の謎を解くために協力をしていただく……それが交換条件です」

 

「おーそれくらいならおやすいご用さ・」

 

「それに……」

 

「それに? 」

 

「アナタがいなくなったら、きっと金剛が悲しみますからね。それから、島風さんも。他にもいるかもしれませんし。そして、……私も」

 

「え? 何だって……? 」

突然、難聴になってしまった。

どこかのラブコメかいな。

 



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16話

「ふわぁぁぁぁぁぁぁあああ……」

意識を集中しているつもりなのに、体は正直なもので連続してあくびをしてしまう。

猛烈に眠くて、頭もクラクラ、目もしょぼしょぼしている。

冷泉は、ふかふかの提督専用の椅子に腰掛け、背もたれを思いっきり倒している。

 

今日……いや、すでに昨日の話だけれども、あの後、必要最低限の事を扶桑にみっちり教えてもらっていたのだ。どれくらいの時間がかかったか記憶は定かではないけれども、一通り彼女の説明が終わる頃には窓から見える空が白んでくるころだった。

 

つまり、徹夜しました。

 

その成果があったかどうかは分からないけれど、まあこれで朝行われる作戦説明にはなんとかボロを出さないレベルの知識と打ち合わせはできたと冷泉は思っている。

それでも、所詮、詰め込みの一夜漬けで覚えられる量なんてたかが知れているから、どこかでボロを出す可能性は極めて高いんだけれども……。最悪、扶桑が助けてくれるという約束になっているから、結構安心している。完全に扶桑だよりだけど 、仕方ないもんね。

 

先ほどまでの彼女との会話が思い返される……。

 

「私が秘書艦だったら助け船も出しやすいんですけれど……あ、秘書艦っていうのは提督を補佐する役職の名前です。一つの作戦ごとに提督の指名により、艦娘の誰かがやることになっているんですけれど、今は金剛が秘書艦の番ですからね。しかし……何も知らない提督とあの金剛のコンビですか。さて、ふふふ……どうなるやら」

と扶桑が妙に面白そうに言うので、「マジ勘弁して下さい。ひどすぎます」って焦ったし、本気で困ったんだけどね。

 

「大丈夫ですよ。彼女は提督の事を信じ切っています。もし何かあったとしても彼女は絶対にあなたを護ってくれますから」

本当か嘘かは分からないけど、彼女はそんな解説もしてくれた。

 

「金剛も提督の事を好きだったのかな? 」

ふと浮かんだことを口に出してしまう。

 

「さて、どうでしょうかね。彼女の気持ちは彼女にしか分からないですからね。それでも、提督に対してあれだけ積極的なんですから、少なくともキライとは思っていないでしょうね」

 

「あの積極性か……。困ったな」

病院での金剛の自分に対する態度を思い出すと、冷泉は何故か大きくため息をついてしまう。

 

「どうされたんです? 」

 

「いや、金剛は提督の事を好きだったんでしょ? これって……うん、これはきついよなあ」

扶桑に対して感じていたのと同じく、金剛に対しても申し訳なく思ったのだ。

「彼女の俺に対する好意は、俺に対するものではなく、前の提督に対するものだからなあ。それを受け入れるのは 彼女の気持ちを踏みにじることだし、かといって拒否するのは明らかにおかしいし……。どうしたらいいんだろう?

やっぱり、君と同じく、きちんと話したほうがいいのかもしれないなあ」

 

「……それはやめておいた方が良いと思います。しばらくは金剛には内緒にしておいた方がいいですよ。彼女は……他の艦娘もそうでしょうけど、提督の仰る「現実」を信じないですし、受け入れられないと思いますから」

 

「確かに……そうだよな。どうみたって荒唐無稽な、ありえない話だもんな。艦娘全員の記憶が改ざんされているとかなんて信じられないよねえ。鎮守府の職員達だって俺に対してはまったく普通そのものだったし。こんな状況で証拠も何もないままで話したって、やっぱり無理かな。うーん。自信はないけど、……その辺はなんとかうまくやってみるしかないか」

 

「ふふ……そうですね。期待していますわ」

何を期待しているんですか、君は。

 

「それは置いておいて、提督、今はこれから始まる会議をそつなくこなしてくださいね。そして来る出撃の準備を進めなければなりませんよ」

と扶桑。

 

「ううう。まずはここを乗り越えないとね。……俺、会議の司会すらやったことないし、おまけに戦闘指揮なんてやったら、どうなるやら」

ゲームでは実戦経験はあるけれども、現実世界では全く縁の無い世界にいたからなあ。

艦娘の顔と名前も一致させないとな。これ間違えたら致命的だよ。……扶桑、金剛、叢雲はゲームと同じ外見をしていたから間違えないと思うけど、もし異なる顔とかしてたらやばすぎだよな。

 

「大丈夫ですよ。会議の進行については私がフォローしますから。金剛はいつもあんなだから、どうしても私がまとめていますからね。誰も違和感を持たないでしょう。それから戦闘については、金剛に任せておけば大丈夫だと思います、たぶん」

いやいや、かなり適当なことを言いますネ。

 

しかし―――。

ここは冷泉が住んでいた世界と似てはいるが全く異なる世界。

当然ながら、そこには冷泉が住んでいた世界とは別のリアルがあるのだ。

 

ここは艦隊これくしょんの世界であることはどうやら間違いなく、日本という国は「深海棲艦」という謎の勢力によって完全包囲されている状態である。

輸入大国である日本。

外からの供給が閉ざされたとしたら、じり貧に陥るのは確実であり、打破するには包囲網を突破するため戦うしか無い状況にまで追い込まれているのだった。

そのために海域を開放し、日本国の陣地を広げていく。そしてやがては包囲網に風穴を開け、外界と接続する。その役目を担うのが日本国海軍であり各地にある鎮守府なのだと。

この世界には自衛隊はなく、軍隊が存在しているのだ。ゆえに冷泉がいた世界とは異なる根拠の一つといえる。

 

これは扶桑から聞いた事なんだけどね。

 

やるしかないなら、やってやるぜ! ほとんどやけくそ気味にではあるけれども、本当にやるしかない。

実戦経験が無いから実戦というものがどれほどのものか想像するしかないから、結構強気に構えていられるのかもしれない。知らないことが幸せな時もあるんだ。

 

さて、ここでいう作戦会議とは?

扶桑の話からだいたい理解した範囲では以下のとおりとなる。

 

ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」と同じく、提督の鎮守府においての基本的活動は「出撃」と「遠征」の任務をこなすため、その所属艦娘を効率よく運営することである。

「出撃」とは艦隊を編成し、現在、敵である「深海棲艦」の支配領域である海域に侵攻し、敵艦隊と交戦し勝利条件を満たすことにより、その海域を開放することである。当然ながら敵のテリトリーでの戦いとなるため、どんな事態

が起こるか分からず、戦闘であることから当然に轟沈等のリスクがある。

 

「遠征」とは同じく艦隊を編成し、様々な任務をこなすことである。主たる任務としては「輸送」「護衛」「探索」などであり、これらはすでに「解放済」となった海域においての活動となり、交戦ということはまずない比較的安全といえる任務となっている。

 

これら以外に「待機」というものがあり、実は解放済みの海域であっても、艦隊を組んで攻めてくることはないとはいえ、「深海棲艦」の小型艇や潜水艦が入り込んでくることが結構あるらしい。それらの艦船から港を防衛するため

艦船を残しておく必要があるため、そのための艦娘の配置任務もあるのだった。

 

そして実は、「出撃」「遠征」にはノルマがあるらしく、成績によっては鎮守府への資材の補給等が後回しにされることがあるとのこと。世界から孤立した状態である日本国において、当然ながら資材資源は貴重であり、戦果の挙が

っている部署(鎮守府)へ優先的に配分されるのはやむなしといったところか。

そして、舞鶴鎮守府の成績は下の方らしく、資材の配給が遅れ気味になっているとのことだった。

 

戦果に応じてという能力主義は、当然ながら艦娘の補充にも影響が出るようで、舞鶴鎮守府における艦娘の数は最大といわれる横須賀鎮守府の五分の一程度であり、舞鶴鎮守府の艦隊は第2艦隊までしかなく、この艦数では、任務をこなすこともままならず、さらに冷遇されてしまうという負のスパイラルに陥っているのです、と扶桑がぼやいていた。

まあ、そうなるよな。本当に自転車操業みたいだな。

「私たち艦娘の力不足のせいなのに、提督の評価が下がることが本当に辛かったし腹立たしかったです。よくみんなで集まって反省会をしていました」

そう言って、凄く悔しそうな顔をする扶桑になんだか微笑ましく思ってみたり。少なくとも舞鶴鎮守府の提督だった男は部下には慕われていたようだ。振り返って自分はどうかというと、部下はいないから分からないけれど、上司や同僚から有能とは思われていなかったんじゃないかなあと反省する。

 

冷泉に前任の提督のような事ができるのだろうか?

 

 

「……提督、提督」

耳元で呼ばれ、ふと我に返る。どうやら一人で考え事をしていたようだ。半分寝ていたのかもしれない。

声のする方を見ると扶桑が立っていた。まるで徹夜の疲れなど感じさせない爽やかな笑顔をしている。

「あまり体調がすぐれないようですね」

 

「う、うん。やっぱり眠い、……ね」

そう言って彼女を見ると、昨夜より背が高くなっているように思えた。原因を求めて足元へ目をやると、かなりの厚底の草履を履いている。

 

「ああ、これですか? 普段はこのような厚底のものを履くようにどういうわけかなっているので……。歩きづらいので、あまり好きではないのですが」

なるほど。そういえばゲームの中でも艦娘は厚底サンダルやらハイヒールやら厚底下駄を履いていたね。何の為かは分からないけど。10センチは高くなっているので一緒に歩くと彼女の方が大きくなるね。

 

「いろいろ大変なんだな、艦娘は」

 

「そうですね」

 

「今日はよろし……」

と言いかけた時。

 

「ヘーイ、提督ぅーー」

勢いよくドアが開かれると金剛が駆け込んできた。

「おはよーございマス。今日もよろしくですー」

ドタドタと側まで駆け寄ってきた。

開け放ったドアが勢いでバウンバウンしてるし。

 

「もう、相変わらずの馬鹿力なんだから」

と思わず扶桑がぼやく。

 

「お、おう。おはよう」

苦笑しながら応える。

 

扶桑には今日はよろしく頼むと言おうとしたが、どうやらその時間を与えられそうにないな。

冷泉の気持ちを察したのか、扶桑が彼の顔を見、意味ありげに笑った。

 

「提督、眠そうですネ-。何してたんですか? 夜更かしはダメですよー」

ハイテンションで話す金剛に思わず後ずさり。

 

「ま、まあね。なかなか寝付けなかっただけだよ。心配してくれてありがと」

 

「Oh! そんな水くさい言い方はダメですよ。わ、私と提督の仲じゃないですか」

などと意味不明なことを喋り続ける金剛。何故か耳が赤くなってるし。気合い入れすぎなのかな。

「妻として夫の事を気にかけるのはトーゼンですネー」

 

「はいはい、金剛。冗談はそこまでにして。他の娘達がそろそろ来るわ。戦艦として、鎮守府第一艦隊旗艦として相応しい態度を取りなさい」

 

「ぐぬぬ……これからだというのに。扶桑のイジワル」

ジト目で扶桑を見つめる金剛。しかしすぐに気分を入れ替えたのか

 

「ま、……そだね。提督が復帰して初めての会議だよね。気合い入れて行きマスヨ」

と宣言。

 

「それでいいわ、後は任せますね」

そういうと扶桑は一番近い席に腰掛けた。

 

すぐに階段を登る複数の足音が聞こえ、がやがやとした華やかな声が聞こえてきた。

 



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17話

「おはようございまーす」

ガヤガヤと挨拶を交わしながら、次々と少女達が部屋に入ってくる。比較的幼い顔立ちの子が多いと感じる。

……もちろんその中には叢雲もいた。冷泉と目が合うと、一瞬頬を赤らめ、すぐにフンって目を反らす。

 

ふう。

大きくため息をついてしまう冷泉。

 

それにしても……。

さすが艦娘だけに、ほとんどの子がセーラー服を着ている。しかし、これは誰が決めたルールなんだろうね。

まあ数人、違う格好をしてるのもいるが……。

(ちなみに武器とかは背負っていない。)

 

数えたら13人だ。金剛と扶桑を加えたら15人か。この数が多いか少ないかは分からない。

 

とはいえ、賑やかであることは間違いないな。若い……幼い子もいるわけだけれど、これだけの女の子が一つの部屋に集まっているわけだから賑やかだし、みんないわゆる美少女揃いなので、とても華やかだ。

 

この艦娘の数が多いのかどうかは、判断つかねる。ゲームの「艦隊これくしょん」ではまだまだ少ないけれど、現実世界とはまた違うはずなのだから。

 

当然ながら、ゲームと現実は当然違うのだから……。

 

顔と服装なんかでだいたいの艦娘の名前が推測できる。こちらに来る前にやっていたゲームの「艦これ」にいた、自分の艦隊の子たちは特に覚えているからね。

 

提督である冷泉を視界にとらえた少女たちは、一様に安心したように笑顔を見せる。

それだけで分かってしまった。提督の負傷入院に、彼女たちは本当に心配していたようだ。

 

ただし、……ここにいる「冷泉」の事ではないんだけれど。

 

「はいはい、みんな座って頂戴」

扶桑が立ち上がり指示をする。

どうやら、ここでも彼女はまとめ役みたいだ。なかなか大変そうだ。

 

艦娘たちは椅子に腰掛ける。座る順番は決まりがあるようで、並んだ艦娘を確認すると扶桑から順番に空母、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦に並んでいく。

「さて、全員揃ったかしら? 」

見回しながら、扶桑が確認を取る。

 

「島風ちゃんがまだみたいダヨ」

金剛が指摘する。

 

「あらあら……どうしたのかしら」

おとぼけ声を出す扶桑。

 

すぐに遠くからキャーとかワーとか悲鳴やらうめき声やら判別つかない奇声と駆けてくる足音がした。

「わーわー遅刻しちゃたー」

転がり込むような勢いで一人の少女が部屋に飛び込んでくる。

 

―――おいおい、マジであんな格好する奴いるんだな……。

それが最初に感じた事だった。

 

遅刻して飛び込んできた少女は、「艦隊これくしょん」のキャラクターの中で異質な(ある意味、あざとい? )格好をそのままに着装している。

黒いウサギの耳のようなヘアバンド、丈の短いセーラー、超ミニスカートをローライズにし、赤白のボーダーのニーソックス、ヒールの高いハーフブーツを履いている。

何よりも黒い見せパンに目がいってしまい、焦ってしまう。

 

ふう……どうなってるんだよ。幼い顔立ちとのアンバランスが絶妙じゃないか。2Dのイラストなんて目じゃない。リアルな存在は、……とにかく、すげえ。

 

「あれ? ……私の席がなーい」

 

「あ、そうでした。会議椅子を追加で発注してたんだけど、提督が怪我をして入院したりのバタバタで、運んでもらうのを忘れてました」

扶桑が済まなそうに答える。

「うーん、仕方ないわね。……私の椅子を貸しますから、島風さん、それを使ってね」

そう言って立ち上がると、椅子を押していこうとする。

 

「ううん。大丈夫だよ。私の場所、はっけーん」

島風と呼ばれた、まだ幼い顔立ちの少女は、とてとてと駆けて来た。つまり冷泉の方へ。

彼女は冷泉の側にやって来るとニコリと微笑むと、そのまま冷泉の膝の上に「よいしょ」と腰掛けた。

「私、提督のお膝の上でいいよ。ね、いいでしょ、提督」

そう言って島風は冷泉を振り返る。

彼女の顔が直ぐ側にあって、メチャクチャ距離近いし。

 

「え、え。いや、なに」

不意の攻撃に少しパニック状態となる。

 

「このままじゃズリ落ちちゃうから~」

島風は冷泉の両手を掴むと彼女の体を抱え込むようにさせる。しかも結構強めに。

両手が直に彼女のお腹に触れ、ぬくもりが伝わってくる。金髪の後頭部が口に当たっているし。

 

……ちょっと嬉しい。

 

「ちょーっ! このガキャア!!、……テメエ、しれっと提督に何してやがるデスか」

激高した怒声が脳内を揺るがすほどに響き渡る。その声は冷泉の直ぐ隣から聞こえたように思えた。

 

そういや、冷泉の側には秘書艦として、金剛がいたのでした。

 

金剛は額に青筋を張らせ、目じりを吊り上げ、唇をひん曲げ、怒りをこらえているのか体がガクガクと震えている。背後には黒いオーラが立ち上っているようにさえ見えた。……そんな風に見えた。

 

あれ?

 

でもそれは冷泉の幻視幻聴だったようだ。

 

金剛の表情には全然変化なかったしね。少し驚いたような顔をしているだけだ。

 

「えーっと、し、島風ちゃん。……ちょっと、さすがに提督の膝の上は駄目ダヨー」

そう言って微笑む金剛。

でも、彼女の瞳からは光が消えてたし、いやにぎこちない笑顔である。若干痙攣を起こしているし。

 

「うーうん。大丈夫だよ、だって、私、提督のお嫁さんだもん」

島風は首をブンブン振る。

 

「は?」

 

「は……」

 

「うん? 」

金剛、扶桑、冷泉が同時に声を上げる。

他の艦娘たちからも声が上がる。

 

「提督がこの前、『島風ー、お前、俺の嫁さんにしてやるよ』って行ってくれたんだもん」

 

「この前とは、島風さんの歓迎会のことでしょうか? 」

扶桑が嬉しそうな顔をして、冷泉の膝の上の少女に問いかける。

 

「うん、そうだよー。ビックリしたけど、でも、とっても少し嬉しかった」

少し頬を赤らめるうさみみ少女。

会場が騒がしくなる。

 

ざわざわざわざわ。

 

「……ねえ、提督ゥ。本当に、そんなこと、……言ったんデスか? 私以外にもそんなこと言ってるんデス? 」

ぎこちない笑顔で、金剛がこちらを射るような視線で見る。

目を逸らしそうになるが、逸らした瞬間、殺られる。そんな予感がするほどの眼力だ。

 

「いや、あの、その」

その場にいなかったんだから、覚えている訳がない。冷泉は返答に困り切ってしまった。

助けを求めて扶桑の方を見ると、彼女は笑いを必死に堪えている状態だった。

 

『おいおい、どうにかしてくれよ。助けてくれ、いや助けてください。』

冷泉は泣きそうな顔で、テレパシーを黒髪の美少女へ送る。

魂の叫びが通じたのか、彼女は仕方ないですね、といった感じで立ち上がった。

 

「はいはい、島風、金剛、今は会議の時間ですよ。雑談はそれくらいにして。島風も椅子は私のを貸してあげますから、そんなワガママ言わないで、それに座ってね。みんな驚いてるでしょ」

 

「いやだもん。提督のお膝がいい」

と、島風。

 

「あらあら。そんなこと言うと提督が困っていますよ。奥さんなら旦那さんを困らせちゃ駄目でしょ」

扶桑がのんびりした口調で諭すが、効果は無さそう。

 

「提督は困ってないよー。ね、ホラ全然困ってないでしょ? 」

こちらを振り返って同意を求める島風。吐息がかかるくらい近い距離で話されるとちょとドギマギする。

いやまあ悪くは無い感じ。

 

「あ、あ? うん」

 

「提督、鼻の下伸ばしてニヤニヤしちゃ駄目ですよ。少し気持ち悪いです」

 

「あ、ごめん」

扶桑に指摘され謝る冷泉。

 

「さてさて。もう、どうしましょうかね……。面倒くさいですね」

右手の人差し指を顎に当て、あまり困ってなさそうに、そしてかなり投げやりな感じで呟く扶桑。

もう少し真剣に考えてもらいたいものだ。

 

「あー、もう! 決めたデス」

突然、沈黙を続けていた金剛が叫んだ。

おもむろに近づくと、そのまま冷泉の座った椅子に体をねじ込んでくる。

 

「きゃっ」

金剛のお尻に押されたのか、島風がバランスを崩す。そこを狙ったかのように更に体を寄せ、冷泉の膝の片方を奪取した。

 

「私も提督の膝の上に座りマース。ここは譲れないモンネ。正妻として!! 」

そしてガッと冷泉の左腕を取ると、自分の体に回させる。

 

「あん、いったーい。もう!」

不満を言う島風の事など気にしていないようだ。

 

「いててて」

冷泉は金剛、島風の二人の艦娘を膝の上に抱きかかえるような体勢になっていた。

 

「これで会議を始めましょう! 決定デース」

金剛はそう言いながらぐいぐいと体を押しつけ、島風を圧迫する。

 

「もー! 」

プンスカ顔で島風と金剛がにらみ合う。

冷泉はどうしていいか分からず、二人の顔を交互に見る。

他の艦娘たちは呆れたような表情をしている。

 

「どうやら二人は忙しいようですね。……仕方ありませんね。今日の会議は本来は金剛が司会進行なんですが、私、扶桑が代理で行うことにシテよろしいですか?」

そういって黒髪の美少女が提督に問いかける。

 

「あ、……そうだね。扶桑、済まないが、グエ、二人ともそんなにぐいぐい動くなよ、……それでお願いできるか」

冷泉は眼前で展開される超弩級巡洋戦艦と高速・強雷装の駆逐艦の膝上の無言の戦闘に翻弄されながらも何とか答えた。

 

「了解しました。では、これより作戦会議を始めます」

 

ある意味、扶桑と冷泉の予定通りの形で会議が始まった。

一時はどうなるかと思ったが、何とかうまく行きそうで、そう思うとほっとした。

けれども、会議に集まった他の艦娘たちを見ると、この光景に何か思うところがあるような顔をしている娘もいるみたいだし、何か全然別の形で新たな問題を抱え込んでしまったようで、また頭痛の種が一つ増えたのではと不安になる冷泉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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18話

作戦会議は、前回のおさらいから始まった。

 

本来なら省いてもいい事なんだろうけど、何にも知らない冷泉への説明のために、わざわざ扶桑がおさらいしてくれたようだ。

 

ありがとうな、扶桑、助かるよ

 

その思いを込めて目配せしたら、どういう訳かプイと横を向かれてしまった。

 

うむ。照れているのか、怒っているのか。

しかし、なかなか難しいのは、女心である。

 

さて……。

まずは海域解放作戦であるが、前回の作戦は失敗に終わったらしい。場所は鎮守府より北東の海域、佐渡島北50キロの海域での作戦だった。……佐渡島は、一時、深海棲艦の支配下にあったそうで、数ヶ月前の作戦で領域の解放に成功している。

 

「敵の軽巡洋ヘ級、駆逐ロ級、ニ級の混成艦隊でしたが、装備練度共に高く、海域BOSSに到着前にこちらの2艦が中破状態だったため、提督の命により撤退となりました。未確認ではありますが、通常型とは異なる艦船が存在した可能性が考えられています。それはともかく、勝利し海域を解放するためには、艦隊の編成を見直す必要があると考えられますが……」

扶桑がこちらを見る。どうやら何か発言をしろ、ということらしい。

 

平和な日本で暮らして来た「凡人」冷泉にとって、艦隊戦などというものは、映画やゲームでしか見たことはなく、当然ながら知識も経験も無いド素人であることは既に伝えてある。故に彼女の問いかけは、正解を求めているわけでは無いことは分かった。差し障りの無い返事を期待しているわけで、その後、彼向けの説明をさりげなく織り交ぜながら話を続けるということみたいだ。

 

「敵の編成に合わせて、組み直すと言うことだな。……扶桑はどう考える?」

 

彼女はうなづき、話を続ける。

「途中で撤退したので、敵の主体であるBOSS艦隊の構成は不明のままです。けれど、これまでの海域での戦闘記録から、同一海域内においては基本的な艦隊の構成は極端に、つまり、駆逐艦主体の艦隊編成だったものがいきなり戦艦及び空母中心といったような極端にレベルが上がる編成となるようなことはありませんでした。今回も同じように推論して問題ないと考えます。今回の海域での道中の敵の艦隊編成は軽巡洋艦を旗艦とした駆逐艦主体の艦隊であり、仮に最終BOSSの強さを強めに想定したとしても、わが第一艦隊との戦力比較から、決して勝てない相手ではないと判断します」

 

駆逐艦主体ならば、こちらのレベルがそれなりにまで上がっていたなら、苦戦することはないだろう。無いはずだ。単縦陣でゴリ押し勝利だ。

ただし、ゲームなら、という条件付きだけれど。

 

さて、こちらは、どんな艦隊編成だったんだろう?

 

提督の思いをすぐに感じ取ったのか、扶桑が答える。

「金剛と私の戦艦2、祥鳳の軽空母1、高雄、羽黒の重巡2、駆逐艦村雨のの編成だったので、敵の軽巡洋艦3、駆逐艦3の編成に負けるとは思っていなかったんですが」

 

「あの、ごめんなさい! 私が被弾してしまったから」

突然、椅子をガタリとさせて一人の少女が立ち上がる。

少し猫背気味で身を守るように両手で自身を抱きしめ、気弱そうな瞳でこちらを見ている。何故か体を縮こませているので、怯えた子猫? のようにさえ見える。

「私が中破状態にならなければ進軍できたのに、す、すみません! 」

なにもそこまで謝らなくとも、と思うほどペコペコ頭を下げる。

 

「ノーノー。あれは、アンラッキーだっただけデース。羽黒が気にすることナイネ」

膝の上で金剛がパタパタと両足を動かす。

 

その動きはちょっと下腹部にとってもよくないです。

ちょ、刺激するのやめて下サーイ。

何故か金剛の口調のまねで思考する。けれど声には出せない。

落ち着け落ち着け、冷泉は自身を落ち着かせるに神経を集中せざるをえない。

 

「提督、どーかしたんですかー?」

冷泉の異変に島風が反応する。グイと振り向くので、顔と顔が触れるくらいの距離に島風のロリフェイスだ。

彼はロリコンでないと自認しているが、それでも島風の顔にドキッとしたのは止むを得ないと思う。

 

「俺は、大丈夫だ」

とにかく、彼は意味不明な言葉を返すのが精一杯。

「コホン、そ、それよりも、……。羽黒、お前が気に病むことはない。今は休むことに専念し、次の機会に挽回すればいい。休養し体調を整えることも大事な任務だからね」

理解ある提督らしい台詞を言っているつもりなのだが、二人の少女を抱きかかえて彼女たちの陰から話しているので、真面目に言っているのかどうか疑問を感じられてるようにも感じる。

 

「はい。……ありがとうございます」

少し頬を赤らめながら、羽黒が答える。

中破したということは、しばらくは、入渠ということだろう。

それがどのくらいの時間なのかは、今の冷泉には分からないし、推測もできない。

 

当然、ゲームとは異なるのだろうけれど。

 

「そうそう。羽黒さん、ドンマイだよ」

座ってたツインテールの可愛げな雰囲気の少女が言う。

この子は?

 

「えーと、村雨さん、貴方も被弾してたんだけれども」

 

「あっはー、そうだった」

扶桑のツッコミに舌を少し出して照れ笑いする。

この子が村雨か。中学生くらいに見えるな。ちなみに羽黒は高校生くらいに見えるし。艦娘の平均年齢はどういうわけか低いな。これについては知ってたけど。

この鎮守府のまとめ役っぽい扶桑だって、冷泉よりだいぶ年下みたいだし。

 

「提督の仰るとおり、羽黒さん、村雨さんは、まずは怪我を治すことに専念すること。そして、次の戦いで挽回してくださいね。……さて、提督、私たちは、今回の艦隊編成をしなければなりません。前回から羽黒さん村雨さんが欠けていますので、どうしましょうか」

 

唐突に話をこちらに振られてしまった。

 

一瞬慌てたが、表情には出さないように必死になる。

艦隊編成ならゲームでやり尽くしている。データは、ほとんどないが、なんとかなるだろう、と冷泉は思考する。

 

「提督ぅー、どうするんデス? 」

 

「提督、島風を入れてください! 」

 

冷泉の腕に抱きかかえられたままの二人の艦娘が振り返る。

 

見つめられるのに慣れていないため、平静を装うのは結構大変だったが、それ以上に艦隊編成を考えるのに真剣になっていたため、なんとか感情を制御することができた。

扶桑の話から、戦闘の行われる海域の敵は、軽巡洋艦主体らしい。基本、前回の編成で問題無いはずだが、重巡の羽黒を欠くこととなっている。その穴を埋めなければ。

 

冷泉は、着席した艦娘達を見回す。

 



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19話

 火力重視であれば戦艦もしくは空母が欲しい。しかし、冷泉が率いることとなった舞鶴鎮守府艦隊には現有戦力以外の補充予定は無い。戦艦に次ぐ火力を持つ重巡洋艦も作戦に参加できるのは高雄のみ。

 

 あとは軽巡洋艦、駆逐艦の中から選ばなければならないということになる。

 

 そして事前に扶桑から聞いた事実が足枷となる。

 

 ―――出撃できる艦船の最大数は6隻まで―――

 

 艦これでは当たり前の事だけれども、これが現実世界においても適用されていることに唖然とした。

 深海棲艦の制圧下にある海域では彼ら彼女らの結界が張られており、6隻までの艦船しか侵入できないとのことだった。当然このルールは深海棲艦にも適用されるようで、敵側も6隻までしか出てこないそうだ。

 大規模艦隊戦などということは対深海棲艦との戦いではあり得ないということらしい。

 

 もちろん、解放後の通常海域では艦隊における艦船の制限数はないのだけれど。

 

 よって、量によって質を補うという作戦は不可能なのだった。火力においては前回より一段落ちる戦力で、攻略失敗した海域を攻略しなければならないということになる。

 

 ただでさえ条件が悪くなっているのに、戦闘未経験者の自分にこれは厳しい条件ではないか?と冷泉は困惑するが、悩んだところで誰も解決してくれそうにない。

初心者に対する愛は無いのかと叫びたくなる。

 

 

 当たり前すぎることだけど、ゲームの中での艦隊編成のようにはいかない米帝のような圧倒的な戦力を投入することはできない。。

冷泉の艦隊には大和も武蔵もいない。空母も大鳳どころか赤城・加賀もいないんだから。

 

 そもそも、それほどの艦船があったとしても、ゲームのように勝てる保証も無い。 今更ながら、自らが置かれた理不尽な立場に嫌気がさしてきた。

 

 せめて艦船のステータスでも解れば……。今のままでは彼女たちの外見の可愛さとかしか分からない。

 

 ありえないと思いながら、叶うはずのない願いを念じてみる。

 

 ……当然ながら何の変化も生じない。

 当たり前当たり前当たり前なのだが。

 

 黙り込んだまま何かを考えている冷泉にそろそろ艦娘たちも待ちきれない雰囲気になってくるのが分かる。

 

 しかし、答えが出ない。

 

 刹那……。

 視界が一瞬、揺れ、明滅する。こんな時に眩暈? それは一瞬の出来事であったようで、すぐに元の視界を取り戻した。しかし、何かが変な感じがする。何かは分からないけど、よく分からないだけの違和感を残し。

 

「一体何だったんだ? 」

 思わず口に出してしまう。

 

「テートク、どうしたの? 」

 島風が不思議そうな顔をして振り返り、冷泉の瞳をのぞき込んでくる。

 

 相変わらず無防備すぎるほど距離が近いなあ。

 

「い、いや、……何でもないよ」

 そう言って誤魔化し、右膝の上の少女から目を逸らす。

 

 ―――あれ?

 

 そして、気づいた事がある。

 島風から目を逸らすために見た視界の右隅。そこに奇妙なものがあることに。

それは白い矢印のような形をしていた。

 どこかで見たことがある形。……そう。それは見慣れた、パソコンのカーソルだ。それもデフォルトのデザインの。

 なんでそんなモノが視界に現れたのか?

 冷泉は『ソレ』を凝視する。

 

 決して幻覚なんじゃなく、そこに存在している。浮かんでいるかのようにふわふわと微妙動きながらに漂っている。

 更なる発見は、カーソルが冷泉の右手の人差し指の動きにリンクしていることだった。

 

 試しに右へ左へ振ってみると、すいすいと動く。

 そして、カーソルを艦娘のところに持って行くとその艦娘の名前が表示されることが分かった。

 

 金剛・島風は距離が近すぎてカーソルが合わせにくいので、さっきから何か冷泉が面白い事を言うのじゃないかとワクワク期待しているような笑顔をしている扶桑に合わせてみる。

 

「戦艦:扶桑 Lv26」

 と彼女の頭の上に表示される。

 ここだけは艦これではなく、よくあるMMORPG的な表示となっている。

 

 確か戦艦扶桑はレベル20で航空戦艦に改造できるはずだったが、その改装は行っていないということになる。舞鶴鎮守府の艦隊構成からすると航空戦力は喉から手が出るほど欲しいはずなのに、改装を行っていないのは何故だろうか。

 

 彼女の詳細ステータスを呼び出すことはできるのかな。

 そう思い、おそらくはパソコンと同じだろうと考えて、彼女の頭の上に現れた艦名をダブルクリックする。

 思ったとおり、ポンという電子音に合わせてサブウィンドウが開いた。

 

 そこには艦これの編成画面で見慣れたステータス画面が現れる。

 名前とレベル。HPとそのHPゲージが表示されている。さらにその隣に戦の文字と扶桑の顔写真。キラキラはしていない。名前の下には攻撃力と耐久値が表示されている。顔写真の下には詳細ボタンがあったのでそれをクリックすると更に詳細な数値と装備した武器が表示される。

 扶桑がどれくらいのステータスだったかは覚えていないのでなんとも言えないけれど、装備をみると35.6cm連装砲、15.2cm単装砲、零式水上偵察機となっていた。確かこれは初期装備じゃなかっただろうか。

 艦隊の主力である戦艦が初期装備のまま、しかも装備枠を一つ余らせているっていうのはどういうことなんだろう。

 前の提督はどういう意図でこの状況にしていたのかという疑問がよぎる。それとも現実の艦船はゲームのように改装はできないとでもいうのだろうか。

 

 冷泉は疑問を持ったまま同様に舞鶴鎮守府の艦隊の艦娘のステータスをざっとチェックする。

 

 戦闘に出る出ないでの経験値取得状況の差が出ているのだろうか。金剛の32が最大レベルであり、第一艦隊の艦娘はレベル25程度。その他の艦娘は10レベル台だった。絶対的に層が薄いことだけは分かった。

 

 レベルというものがどれほどの意味を持つかは現段階では不明なので即断はできないので、確定ではないけれど。

 

「提督ぅー。さっきから黙ったまんまだけど、どうかしたんデスカ」

心配そうに金剛が見つめてくる。

 

「いや、誰を羽黒と村雨の代わりに今回の作戦に出撃さそうかと悩んでいるところなんだが……」

 

「だからー、島風を入れたらいいんだよー」

 島風が顔を更に近づけてくる。こら、近い近い。

 

「島風、あなた提督に近すぎデース」

 負けじと金剛も振り返って割り込むように顔を近づけてくる。

 

「おいおい、お前ら近すぎ」

 冷泉は二人から距離を取ろうと必死でのけぞる。

 

 その時、間違って操作をしたのかポンと音がする。どうやら動いたときに間違って誰かのステータスを表示させてしまったんだろう。

 

 そこに表示されたのは、

 

【大井・改】重雷装巡洋艦 Lv18 

 

装備:甲標的 甲、61cm四連装(酸素)魚雷×2

 

 そして、こちらを呆れたような、どちらかというと馬鹿にしたような表情で見つめる茶髪ロングの大井がいた。

 

 重雷装備巡洋艦だけに電撃的なひらめきが走る。

 

 重雷装巡洋に甲標的甲を搭載すると開幕で雷撃をする。つまり大井にもそれが可能なはず。この攻撃と祥鳳にはめいっぱい艦上攻撃機を積み込み、開幕攻撃で敵の数を削ればなんとかできるのではないかという戦略で行くしかない。

 

 そして、それには大井は必須ということになる。あとは火力重視でいくなら残された軽巡洋艦の神通か夕張のどちらかを選ぶことになるだろうが、扶桑から聞いた話で夕張は参加させられないということだから、神通以外ありえないということになる。

艦娘の装備については少し見直すことがあるかもしれないが基本はこれで問題ないだろう。

 

 遠征については、残された艦娘で編成することにせざるをえない。駆逐艦だけとなるけれど、やむを得ないな。

 

 冷泉の戦略が固まった時だった。

 

「よし、決めたよ」

 冷泉は艦娘たちに宣言する。

 

 

 



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20話

そして、その日の午後―――。

 

冷泉朝陽は舞鶴港に立っていた。

 

「ひえ、でけー」

最初に出た言葉はそれだった。

 

岸壁に横付けされたそれは、極黒の見上げるほど巨大でかつ圧倒的な存在感でそこにあった。

 

超弩級巡洋戦艦、金剛型一番艦「金剛」。

確か全長220m弱だったと思うけど、現実に見た200メートルを超える船舶は想像以上に巨大で圧倒的な量感を持って迫ってくる。

冷泉のしる世界の乗り物でいうと、フェリーの「すずらん」が同じくらいの大きさだったはず。

しかし、大きさはさほど変わらないとはいえ、武装した艦船とフェリーとではその存在感自体がまるで異なるのが感じ取れる。

当然ながら戦艦であることから、人を効率よく殺傷することに目的を特化させた兵器だ。禍々しささえ発散されているように思えるのは当たり前だ。

一瞬ではあるが恐怖さえも感じた冷泉は背筋が寒くなるように思えた。

 

となりには妙に高い艦橋の扶桑が並んでいる。

そして他の艦船も港のそれぞれの場所に係留されている。

十数隻の艦船がひしめき合うように港に並べられたその姿は圧巻といっていいレベルのものだった。軍艦マニアなら歓喜するんだろうとさえ思う。

 

ただ……。

 

舞鶴港の巨大さに比して、我が舞鶴鎮守府の艦隊の艦船数が少なすぎるのではないか? そんな疑問が冷泉の心に浮かんでいた。

舞鶴鎮守府は見渡す限りのすべてが港として作られた施設である。ドッグも10以上あるし無数の倉庫群が建てられている。

その巨大な施設にわずか十数隻の艦船しかないため、使われていないであろう施設だらけで、閑散とした寂れた港のようにしか見えないのだった。

 

どう考えてもこの3倍の艦船は充分に収容できる施設であるように素人目にも見える。どうしてほとんどの施設が遊休施設となっているのかさっぱり分からない。

単純に艦船数が無いだけなのか、それとも他に戦力を集中しているためなのか、そもそも状況が劣勢であり、舞鶴鎮守府に割く戦力が無いのかもしれない。

 

「まさに太平洋戦争末期の日本海軍の状況なのか? 」

思わず呟く冷泉。

 

「テートクー!!! 」

背後からの叫び声に振り返る。

 

金剛が両手を振りながら歩いてくる。

扶桑も一緒だ。

 

冷泉も思わず金剛に手を振り返す。

 

すると隣にいた扶桑が怒ったような顔をしたので、先ほどの事を思い出して肩を竦めてしまった。

 

 

―――。

 

そう。

作戦会議で戦略を立てたまでは良かったのだが、余計な一言を冷泉は言ってしまったのだった。

 

「では、戦艦金剛を旗艦とした、軽空母祥鳳、重巡高雄、重雷装巡洋艦大井、軽巡神通、そして私戦艦扶桑の6隻で今回の海域攻略にあたることとします」

と、扶桑が作戦会議を総括した時に冷泉が何気なく、ほとんど当たり前の事のように言葉を発してしまったのだった。

 

「じゃあ、俺は戦艦金剛に指揮官として同行するんだな」

何気なく発したその言葉。

それに対する艦娘たちの驚きの声が会議室に響き渡った。

 

何事? と扶桑を見ると頭を抱えた格好でこちらを睨んでいた。

「あなた何言ってるの? 」そんな風に唇が動いてたし。

 

あとで扶桑に聞いたところ、海域攻略も含めて戦闘や遠征に提督が同行することなど無いとのことだった。そもそも艦娘の本体である船に人が乗ることなど無いらしい。彼女たちは単体で船をコントロールすることができ、出航から開戦、帰投までをこなすとのことだった。

人間が介在するのは帰投後の修理や補給、待機中の艦船の防衛のみなのだった。

そんな中、鎮守府司令官たる階級の者が戦地に共に赴くと言ったのだからこれはもう混乱を生むしかないね。

人間は戦地にには行かないということを知ってる上での発言と判断されるから、間違いでしたとは取り消すことなんてできない。知らなかったということは言えない。

 

故に、行くしかない。

 

鎮守府司令官のこの発言は艦娘にとっては驚きであるとともに、戦意高揚の効果は絶大だったようだ。

金剛は大喜びだったし、他の艦娘たちもまずは心配の声を上げたものの提督の勝利への意気込みが伝わったようで好意的に受け取られた。彼女たちも勝利への士気が相当上がったようだった。

 

「結果オーライと言えますが、あまりに軽率でしたね」

 

「うん。反省している。ごめんね」

扶桑に攻められてただただ謝るしか無かった。

 

「戦いにおいては何が起こるか分かりません。極力提督をお守りするようには努力しますが、どうにもならないこともあるということを理解しておいてください」

 

「うー。恐いこと言うなあ。だけど、大丈夫だと思う。いや、大丈夫さ」

 

「まーた、根拠なしに適当な事を仰いますね」

扶桑は呆れたように大きなため息をついた。

 

そんな扶桑の肩に手をかけ、冷泉は答えた。

「大丈夫さ。何も案ずるこは無い。……俺はお前たちを信じている。お前たちの能力を。だから、きっと勝利できる。そして、扶桑。お前も俺を信じろ。舞鶴鎮守府の司令官たる俺の力を。お前たちの能力を俺が100パーセント発揮させてやるから」

 

格好付けて言った台詞はどうやら扶桑にはうまく伝わらなかったようだが。

 

―――。

 

思わず扶桑とのやりとりを思い出して苦笑いをしてしまった。

 

「テートク、何笑ってるんですか?? 」

隣に来ていた金剛が不思議そうな顔で冷泉を見る。

 

「いや、何でもないよ」

そういって扶桑を見ると、なんだか疲れたような顔をしている。

冷泉は金剛と扶桑の二人の肩に手を回すとぎゅっと抱きしめた。

 

「ひゃっほー」

「な、何をするんです」

 

喜ぶ金剛、戸惑う扶桑を強く抱きしめて冷泉は声にする。

 

「この戦い、必ず勝利して必ずみんなで帰ってこような」

 

「おー! 」

大はしゃぎする金剛、呆れながらもとりあえず肯定する扶桑。

 

「じゃあ、行こう」

 

そして、冷泉は扶桑と別れ、金剛と一緒に艦娘「金剛」の本体である超弩級戦艦金剛の側へと歩く。

 

「じゃあ、行きますヨー」

金剛がいきなり駆け出すと飛び上がる。

まるで足場があるかのように、もしくは何かに吊り上げているかのように軽やかなステップで飛び上がっていく。

 

「えええええ! 」

冷泉は歓喜の声を上げた。

どういう身体能力をしてるんだよ。

 

まさかと思い、扶桑の方を見ると彼女も同じように宙を舞うように甲板へ軽々と飛び乗っていた。

 

「テートク、早くおいでよー」

甲板から金剛が見下ろしながら叫んでくる。

 

「金剛、タラップとか無いの? 何も無しじゃそこへあがれないよー」

 

「そんなの無いよー」

あっさりと返事を返す金剛。

そりゃそうだな。人が乗るように想定されていないんだもんな。

納得。

 

急遽、搭乗用のはしごを探し回らせたため、出撃が20分ほど遅れたのは公式記録には残さない事とした。

 

ともかく――。

 

一五時二○分。

 

舞鶴鎮守府より金剛を旗艦とした第一艦隊が海域解放のため出撃したのだった。



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第三章 領域解放戦
21話


鎮守府提督、冷泉は艦長席に深く腰掛け、おもむろに宣言した。

「……我が青春のアルカディア、……発進する」

 

そして、一瞬の間があった。

 

隣に立った秘書艦・金剛を見上げると、不思議そうな顔でこちらを見ていた。

 「あのーテートク-。何訳わかんないこと言ってるんデスか? そもそも私の名前は金剛ですよ~。……もう、妻の名前を忘れるなんて、ほんと、うっかりさんなんだからー」

そんなうっかりさんいるのか? などと思ったが声には出さなかった。

 

「いや、一度言ってみたかっただけっす。すみません」

と謝る。

 

「ふふ。テートクは言葉ひとつひとつが意味ありげでなんだかミステリアスですネ。……そんなところに惚れちゃったんデスけどね。うん……出撃の号令は私に任せてくださいネー」」

などと良く分からない事を言いながら彼女は冷泉の座った席の机に飛び乗る。

そして、おもむろに、左手人差し指で前方を指さし叫んだ。

「金剛型一番艦・金剛、抜錨するネー」

 

冷泉は何気なく机に立ち上がった秘書艦を見上げる。

そして、その瞬間、視界に見てはならないものを見てしまい、驚きで思わず目をそらしてしまう。

 

「格好いいでしょ、提督? ……あれ何で俯いてるんですかー」

何故か俯いたままの提督に不信感を感じたのか金剛が質問する。

「……」

冷泉は答えられない。机の上に立ち上がったままの艦娘から目をそらすようにしてるだけだ。

「どうしたの? テートク。こっち向いてヨー」

 

仕方なく金剛を見上げる冷泉だが、立ち上がった状態の彼女を下から見上げる状態であることに着目されたい。そして秘書艦金剛はミニスカートであることに注視せよ。このシチュエーション、何がどうなるかは想像するまでもない。

 

彼はなんとか彼女の顔だけを見ようとするが、意図せずとも下から覗き込むような体勢である。どうしても彼女の足のすらりと伸びた白い脚に視線が吸い込まれてしまうし、意識せずともどうしても視界に飛び込んでくる彼女の白い下着に目が吸い寄せられてしまう……のだった。

理性と本能のせめぎ合い。

これは仕方がない。

 

「どうかしたのー? テートク、顔が赤いよ~。……ハッ!! もしかして体の調子が悪いの? 」

不自然な提督の態度に金剛は体調の異変と判断し、心配そうな顔で彼の顔をのぞき込んでくる。

 

「いや、いや……体調が悪いわけじゃないんだ……よ」

 

「No! 無理しちゃダメだよ。やっぱり、まだ病み上がりだから出撃なんて無理なんダヨ!! テートクがまたダウンなんかしたら鎮守府にとって大変な事なんだから。……ううん、私が困る。ホントに困る。調子が悪いんならこんな出撃なんて取りやめたっていいんだよ。だから、だからネ、無理しないで」

あまりに真剣に冷泉の事を心配している金剛。

 

なのに、上手く誤魔化すような気の利いた台詞が出てこない。これは正直に話すしかないと判断した冷泉は顔を赤らめながら答えた。

「いや、その。ごめん。……実はね」

 

「な、何なんですカ? 」

真剣な眼差しの金剛。

 

「あのね……金剛。実は……パンツ見えてるよ」

消え入りそうな声で冷泉は指摘した。

 

「え? 」

一瞬停止してしまう金剛。

そして彼の位置と自分の立ち居位置。冷泉の視線等を確認する。彼女の視線が冷泉と彼女の間を何度か往復する。

……そして事実に気づいた途端、その色白の顔が真っ赤に染まる。

「テ、テイトク……見たんです、……か?? 」

 

金剛の問いに恥じらいながらも頷いてしまう冷泉。

 

「な、な……、ギャーーーーース!! 提督のエッチィー」

叫んだと思った次の刹那、冷泉の視界に金剛のヒールの裏が光速で迫ってくるのを感じたような気がしたが、それを確認するまもなく猛烈な衝撃が冷泉の顔面を襲い、爆発するように赤い液体が宙に舞ったかと思うと、宙を舞う感覚とともに意識が吹っ飛んだのだった。

おまけにゴキリ、という何かが折れるような音を聞いたような聞かなかったような。

 

そして全てが暗転した……。

 

 

 

どれくらいの時間が経過したのだろう?

それは数日のようでもあり、ほんの一瞬のことだったのかもしれない。

 

冷泉は意識を取り戻した。

瞼を開き、中空に視線を彷徨わせると、金剛が心配そうな顔をして彼を見つめていた。

 

なんか、この光景?

……前にもあったような気がする。でも、今は置いておく。

 

「俺は……一体? 」

 

意識を取り戻した事に気づいた金剛はほっとした安堵の表情を浮かべる。

「な、……なんかデスねー、提督が急に卒倒したからビックリしたんだよー。えーとね、想像するにー。私と二人っきりになったから、変な妄想をして興奮して血圧が急上昇したんですネー。鼻血ブーブー」

 

「う、そうなのかな。なんか白い三角形の布を見たような気がするし、その後、何かが顔面を直撃したような記憶もあるんだけど」

金剛の話す言葉にまるで真実味がないんだけれど、冷泉にも気を失う瞬間の記憶がないからなんともいえない。

 

「OH! 提督、それは、テートクお得意の記憶の混濁ネ。たぶん。……きっと夢と現実がごちゃまぜになってるんですよ。テイトク、……あなた疲れてるのよ」

金剛が不自然なまでに慌てて否定する。

「そ、それにですね。……だって提督、どこも怪我をしてないですヨー」

 

言われて体のあちこちを触ってみるが、確かにどこも痛みはない。

しかし、純白の軍服の胸元全面に赤黒く染まっているのは何故なんだろう? それに顔の周りを手でなでてみるとなんだかがさついているし、ボロボロと茶色い粉みたいなのが落ちるし。

 

金剛の言っている事は本当なのか……。

 

冷泉の記憶と彼女の言葉にはかなりの齟齬があるように思うが、強く頭を、いや顔面を打ったような事態発生の影響なのだろうか、数瞬前の記憶が完全に欠落しているようでそれ以上反論することができなかった。

そもそも、この軍服に染み付いたものが出血であったとしたら、この出血量でこんなに平気でいられるはずがないのは間違いないし。そもそもこんな短期間で回復できるような怪我のレベルじゃないし。

 

事実関係から想像するに、金剛の言うことが事実と判断せざるをえない。

 

ではでは、やりなおし。

 

冷泉の横に立った金剛が彼を見る。今度は机の上には上がらないようだ。……そもそも金剛が机の上に上がるようなはしたない真似するわけないもんね。そんなことしたらパンツ見えちゃうデース。

 

「提督、指示をお願いするネ」

 

「よし。……舞鶴鎮守府第一艦隊、出撃する」

 

「いえっさー。みんな聞こえたー? 全艦、発進するよ」

 

空間に画面がポップアップし、それぞれの艦娘の顔が現れる。

「了解しました」

と扶桑。……なんか半笑い。

 

「ちっ。めんどく……いえ、大井、発進します」

 

「了解です。発進します」

「了解しました」

艦娘の声が聞こえてくる。

 

「じゃあ提督、私も出撃するね。……反重力リアクター稼働。金剛、出撃する」

音もなくそして振動もほとんど無い。滑るように、200メートルを越える巨大な戦艦が動き出した。

 

なんか今、聞き慣れない言葉を聞いたような気がするけど。

この艦の動力は蒸気タービンとかじゃないのか? 今なら原子力なんだろうけど。外から見たときは煙突があったように思うけど。

そんな疑問に対する回答は全くなし。聞くこともできないし。

 

 

金剛は港内で方向転換を行い、静かに前進を始める。

その他の艦船も金剛の進行を待っていたようにその後に続くのが艦橋からおよび艦内のモニターから見えた。

確かにどの艦も煙突から煙出ていない。

一体どんなテクノロジーなのですかねえ。

 

 

 

舞鶴港は周囲を高さ10mに達するほどの高く巨大な壁によって外洋と遮られている。

ちなみにその理由は現段階では知らないし、聞けない。今度扶桑に聞いておかないと。

 

今、その中央部に設置された幅20mのゲートがゆっくりと上へとせり上がり始めていた。

 

唐突に艦内に女の子の声が響き渡る。

「先陣は私に任せてー」

刹那、直ぐ側を艦影が通り抜ける。

 

「な? 」

艦橋からその船を見た時に思わず驚きの声を上げてしまった。なんと艦橋の上に一人の女の子が立っていて、こちらに手を振っているのだ。

風に靡く茶髪、うさみみヘアバンドに赤白ボーダーのニーソックス。

 

「こら、島風! 勝手に行かないで!! 」

追いかけるようにもう一隻が駆け抜けていく。

 

「あっはははー。叢雲おっそーい」

 

「馬鹿! アンタがスピード出し過ぎなのよ!! 港の中で馬鹿みたいに飛ばすんじゃないわよ!! 死ぬわよ? 」

 

「島風に叢雲? お前たち何で」

 

「外洋はワタシたちの管轄下にあるけど、たまに潜水艦や魚雷艇がいたりするんだよね。編成によっては対潜水艦能力のある艦船がいなかったりするから深海棲艦の領域手前までは援護用の艦艇も同行してるのを忘れたんですか? 」

当然のように金剛が答える。

 

「い、いやそうだったな」

慌てて誤魔化す。

 

「あいつらと通信は繋がるかな?」

 

「音声は各艦とは常時つながっているから話せばみんなに伝わりマスヨ」

 

「なるほど。テステス。えー……島風、叢雲、聞こえるか」

 

「なーにー提督」

 

「何よ、何か用なの」

二人の駆逐艦娘が答える。

可愛い島風、ツンツン叢雲。

 

「いや、その、ありがとう。道中頼むよ」

 

「うん! 島風に任せてくれたら大丈夫だよ」

元気そうに答える島風。

 

「な……べ、べつにアンタのためにやってる訳じゃないんだから! に、任務だからやってるんだからね! か、勘違いしないでよね、馬鹿!!」

思わず微笑んでしまう冷泉。

相変わらずのテンプレ通りのツンデレ。叢雲可愛いなあ。

 

そんなこんなで、やっと冷泉朝陽提督率いる舞鶴鎮守府第一艦隊は、外洋へと出撃することになったのであった。




次回予告

ついに深海棲艦との戦闘が始まった。
初めての実戦に衝撃を受ける冷泉。
そして戦いの中、彼は重大な決断を迫られることになる。


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22話

「周辺海域に異常、なーし!! 」

 先に港から出た駆逐艦の2隻、島風と叢雲が周辺の海域の艦船の存在を探査していたのだった。

 

ここでいう艦船とは、深海棲艦の勢力の、小型魚雷艇とか小型潜水艦のことである。こいつらは、艦娘の活躍で彼らの支配海域でなくなったところに密かに侵入し、ちょろちょろと動き回って、隙あらば輸送船などの民間船を襲撃したりする。この被害は結構馬鹿にできないほどのものとなっていれ、そのため、鎮守府艦隊は民間船の護衛や海上での工事の警備等を行わなくてはならなくなっているのだ。小型魚雷艇や小型潜水艦は使い捨てのようで、航続距離の限界を超えて活動しているらしい。たまに燃料切れとなり海上を漂っている船が捕獲されることがある。完全武装の特殊部隊が突入をかけたが、船内には人や知的生命体は存在せず、かといって遠隔操作ができるような機器も積まれていなかった。これらの艦船がどういう構造で動かされているかは深海棲艦と同様、現在も謎のままらしい。

……らしいというのは、この話は冷泉が扶桑から聞いた話であるからである。

 

ちなみに2隻の駆逐艦が出ると、すぐにゲートは閉じられていた。

「あれ、なんで閉めちゃうんだろ? 」

冷泉のつぶやきにすぐさま金剛が反応した。

 

「うっ! すぐに閉めないと、隠れていた敵の小型潜水艦が港に潜り込んだりするからネ。注意するにこしたことないデス。あいつらは卑怯なんだもん。ダイッキライね。ふんすっ!! 」

不快そうな顔で金剛が呟いた。何故かかなり怒っている。よくは分からないけれど、何度か痛い目に遭ってるのかもしれない。

 

「潜水艦……嫌いなんだ、金剛は」

 

「うん、だーいっきらい。見えないところから魚雷撃ってくるし、こっちには反撃する武器ないし、すぐ隠れるしで卑怯なんだもん。あー、艦爆や艦攻も嫌いだよ。正々堂々と大砲で打ち合わないとネー」

 

さすが大艦巨砲主義時代の申し子、悪く言えば、まっすぐな単純馬鹿ってところかな。そのままではすぐに死ぬぞ。

「金剛は駆け引きとかしないんだな」

 

「駆け引きみたいな姑息な真似、したくないネー。私は何も考えずに、まっすぐに愛するテートクの胸に飛び込むだけダヨー。ふぉーりんらぶネー。ふふふ」

何を顔を真っ赤にして両手を冷泉に向けて伸ばしてるんだろう? 本当にこの子は冗談なのか本気なのか分からないな。考えても冷泉の心はかき乱されるだけだ。どう対処していいかわからない。

 

「はいはい、金剛……少ししつこいですよ。冗談はいいからそろそろ出撃しましょう」

冷静に扶桑が指摘をしてくる。

 

「えー! せっかくこれからだったのにー」

不機嫌そうに答える金剛。

 

「何言ってんの。私たちが命がけで索敵してるんだから、さっさと出てきなさいよ。そもそもアンタ艦隊の旗艦なのよ。立場をわきまえなさいよ。まったく……馬鹿な冗談は丘の上でやりなさい」

すぐさま叢雲が突っ込む。

 

「へーい。もうみんなせっかちなんだからぁ。もう仕方ないなー。ハイハイ……了解しましたヨ。こほん。それでは、島風・叢雲ありがとね。それじゃあ、みんな、行くヨー。てすてす。管制塔、ゲート再オープンしてねー」

金剛の声を合図に、再びゲートが稼働する。そして金剛を先頭に第一艦隊が外海へと出たのだった。

 

駆逐艦島風・叢雲の2隻を先頭に配置し、舞鶴鎮守府第一艦隊は出撃をした。

目標は前回攻略を失敗した海域。

 

佐渡島から北へ20キロの地点……。舞鶴港から佐渡島まで500キロ程度。それを聞いて「結構な長旅になるなあ」と呟く冷泉に金剛は不思議そうな顔で答えた。

「変なこと言いマスネ、テートクは。普通に4時間程度で到着しますヨ。今から出たら日が暮れる前には到着デス」

 

「えーっ。いったいどんな速度で行くんだよ」

 

「まあ飛行機ほどは速くないですケド、敵さえいなければ艦娘なら時速70ノットくらい連続で出せますヨ」

 

「提督、聞いて聞いて。なんとね、島風なら80ノットは出せるんだよ~」

と乱入してくる存在あり。

 

「はあ、……スピード馬鹿は黙って任務を遂行しなさいよ、まったく」

すぐに相棒が注意をする。

 

「ひゃーい。もう、叢雲は怒りんぼなんだから」

 

「あんたが落ち着きがないからよ。提督にいいところ見せるって言ってたでしょ。いつもみたいにぶっ飛んでミスをするようなまねをしないようにしなさいよ」

 

「はぁーい。……提督、私の格好良いところ見ててねー」

 

「了解した。二人ともがんばってくれよ」

冷泉は二人のやりとりにニヤニヤしながら答えた。

 

「それじゃあ、叢雲を戦闘に単縦陣でまずは佐渡島へ向かうネー」

旗艦の金剛が指令する。

 

「えー! なんで島風が先頭じゃないのー」

 

「えーとですネー。島風ちゃんは、どうも速力を抑えることができないみたいだから、先頭だと隊列から突出しちゃうからデスよ」

 

「だってぇー、みんな遅いだもん。仕方ないじゃん」

 

「仕方ないじゃないでしょ、アンタ。駆逐艦が一隻で先行したら敵と遭遇したらすぐにやられちゃうじゃない。それに他の艦がそれについていこうとしたら、みんなそれぞれの最高速力は違うんだから陣形も乱れるでしょ? ちゃんと集団行動するときはルール守りなさいよ。死ぬわよ」

ビシバシと叢雲がつっこむ。

 

「えーん、提督。叢雲と金剛がいぢめるー」

モニタ越しに島風が訴えてくる。

 

「アンタ、提督の同情引こうって考えてるんでしょうけどバレバレよ。まったく、嘘泣きはやめなさい」

「私は島風ちゃんをいじめてないデース」

同時に二人が反応する。

 

「まあまあ。……島風。ここはみんなの速度に合わせて行ってくれ。わかるね」

 

「うん。提督が言うならそうするよ」

にっこりと答えるうさみみっ娘。

 

「チッツ」

隣で舌打ちしたような音を聞いたが、金剛の方をみると「どうしたの? 」といった感じの笑顔でこちらを見てくるだけだった。たぶん気のせいなんだろうと冷泉は判断する。

 

「仕切り直しですね~。みんな陣形を整えてくださーい。叢雲先頭で単縦陣。殿は神通でヨロシク。速力は60ノットに固定ネ」

そう言うと金剛はこちらを見た。どうやら号令は提督である冷泉が出せということらしい。

 

「これより鎮守府第一艦隊は海域奪還のために出撃する。これまで鎮守府提督は司令部において作戦指令を行ってきていた。だが……私は、それを改めるつもりだ。……砲弾の届かぬ安全な場所から君たちに死ねという指令を出す……。たとえ、それが勝利という免罪符を得ることにより、提督の罪が免除されるとしても、自らは決して血を流すことなく安全な場所で安穏とし、勝利という果実のみを命を賭して戦った者からかっさらう卑怯者という立場には耐えられないからだ。ここに私は宣言する。……常に私は諸君らと共にあり、諸君らとともに戦い、諸君とともに生き、そして死んでいくと」

一気に話し、間をおく冷泉提督。

 

金剛はぽかーんとした顔でこちらを見ている。口が半開きで折角の美少女が台無しな感じ。

「どうした、金剛」

 

「はへはへ。テートクまた頭がおかしくなっちゃった」

他の艦娘にも動揺が広がってる。

「提督、キャラがぶれてる」

「頭打っておかしくなった」

「ヘンタイ」

 

「いや別におかしくなったわけじゃない。……コホン」

そこで口調を変える。

「これより戦地に赴くこととなるけど、俺はいつも君たちと一緒にいる。……偉そうな事を言ってるけれど、なあに、敵に勝ってみんな生きてここに戻ってこようってことなんだ。決して命を粗末にするようなまねはしないでくれよ。これだけは守って欲しい。俺は絶対にみんなを死なすようなことはしない。勝利のための犠牲など不要だ。言いたいのはそれだけなんだ」

 

ざわついた雰囲気が収まり、なんだか艦娘たちの雰囲気が変わったように思える。こちらを見る金剛の瞳がなんだか潤んでいるし(冷泉視線での話)。

 

冷泉は金剛をみて頷くと立ち上がった。

「舞鶴鎮守府第一艦隊、佐渡島へ向けて全速前進」

 

呼応するように少女たちが応じる。

「了解、発進します」

 

 




前回の次回予告どおりに話を進められませんでした。
すみません。戦闘始まらず。。


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23話

冷泉は艦橋から外の景色を眺めていた。

 

……これが船なのかと思うほどの速度。海の上を言葉通り、まさに滑るように戦艦金剛は進んでいる。

 

―――その速度、時速50ノット―――。

 

これは陸上の乗り物でいうと時速90キロを超える速度だ。海上を走る船で言えばパワーボートだろか? そういえば、どこかのテロリストが反捕鯨活動に中古のパワーボートを使っていたな。

しかし、パワーボートは競技用のボートでありその、その大きさも小型だ。

しかし、今、冷泉が乗っている「戦艦金剛」は全長219.4メートル、31,720トンのパワーボートなど比較にならないほど巨大な戦艦なのである。

そんな巨大な船が、通常なら飛び跳ねてしまうような速度で進んでいる……。

 

それでも最大戦速からすると控えめな速度なのだ。

 

「ありえないな……」

思わず口に出てしまう驚愕。

そしてさらに驚くことは、乗っていても振動が全く感じられないのである。海面は穏やかとは言い難い状況。そんな荒れ気味の日本海を、滑るように金剛以下8隻の軍艦が信じがたい猛スピードで進んでいるのだ。

 

一体、艦娘たちは何者であり何なのだろうか?

今更ながらそんな疑問がよぎる。

これまで見てきた町の状況などから、冷泉がかつていたであろう世界と時代的にはそれほど変わらないはずである。鎮守府にあった設備からも21世紀初頭の時代設定としか思えない。スタンドアローンの提督用ノートパソコンのOSはウィンドウズ7だったしね。

しかし、艦娘たちの能力は全くそれらと次元が異なる。地球外生命体か、もしくは遥か未来のものとしなければ納得できない。

それは考えても答えは出ない。現段階では出ない設問なのだろう。冷泉自体がなぜこの世界に来たのかと同レベルの疑問だから。

 

ふと視線を感じそちらを見ると、金剛がこちらを注視していた。少し頬を赤らめている。

 

「ん。どうしたんだい? 」

 

「えーと、テートク、なにそんなに物思いに耽っているんデスか? 」

言いながら金剛がトテトテと近づいてくる。

 

「う? いや景色を眺めていただけだよ」

戦艦金剛はいかなる動力で動いているのか。なぜ50ノットという高速なのに揺れも無く、エンジン音も聞こえてこないのか。沖合に微かに見える赤黒い積乱雲のようなものは何か?……などなどいろいろと聞きたいことはあったけれども、これは提督であれば本来は既知の事であるので聞けなかった冷泉は、さしあたりのない言葉を返す。

 

「そうデスか。えーとね、何か真剣な顔で考え事しているテートクがなんだか格好よかったんで、ずっと見つめていたいねーって思ってたんデスよ」

思わず吹き出しそうになる。冗談のつもりなのだろうか。しかし、彼女の顔を見る限りそれは冗談で言っているようには思えない。

 

冷泉は、今更ながら思う。

どうしてこの子は自分に無防備なまでの好意を寄せてくるのだろうか……と。

 

冷泉は自分の事を普通の人間より客観的に見られると考えていた。そんな彼からして、自分の容姿は彼女と釣り合うレベルに無いと思っている。だから、そんな劣等感があるから余計に感じてしまうのかもしれない。まあそもそも女の子に積極的な好意を寄せられた経験がほとんど無いだけに、その扱いにとても苦慮するし困惑してしまうのは仕方の無いこと。そして、それが金剛のような容姿の女の子なら余計にだ。

 

仮に、まっさらな状態で出会い、女性からそういった好意を寄せてこられているのなら、そんなこともあるのかなと勘違いできるくらいの若さを持ち合わせているが、冷泉は彼が知らない「誰か」の後釜としてその「誰か」の人生を引き継がされた存在なのだ。だから金剛が彼に寄せる好意は、その前にいた「誰か」に対するものであり、決して冷泉に対するものではないという現実が立ちはだかる。その現実が重くのしかかってくるのだった。彼女の想いをそのまま受け入れることは彼女に対する欺罔であり、かといってすげなく対応することは自分の正体を明かしてしまう事になりそれもできない。その狭間でどうしてもつかず離れずの対応しかできないもどかしさ……。これは他の艦娘に対しても同様なのだろう……な。

舞鶴鎮守府提督である限り、この煩悶は続くのだろう。

 

「あー。またテートク、また何か考え込んでるデスネー。そんなに格好つけなくたって、いつでもテートクはイケメンなんですからネー」

そう言って腕に手を絡ませ、上目遣いでこちらを見つめる金剛。ごくごく自然にそういう事ができる子なんです。

「ああ、せっかく二人っきりになれたんですから、もっといちゃいちゃしたいネー」

冗談なのか本気なのかよく分からない口調で体をすり寄せながら金剛が囁く。

 

「あっふ、おっふ。こ、金剛……あとどれくらいで佐渡島に到着なのかな」

わざとらしく咳き込んでみせる。

 

「ちぇっ、これからなのにぃ。……まあ仕方ないですネー。今は出撃中でしたモンネ」

そう言うと組んだ腕をほどく。

「現状報告シマスね。まもなく佐渡島が前方に見えてくるネ。でも、まだ肉眼では見えないから、モニターに映すね」

そう言うと、パチンと指を鳴らす。

 

いきなり巨大な画面がポップアップし、そこに島が映し出される。そして沖合には何隻かの駆逐艦らしい艦船が見えるし、港付近にも複数の船が停泊しているのが分かる。

 

佐渡島。

新潟県佐渡市。新潟県西部にある、沖縄本島についでの大きさの島。

万人を越える島民が暮らしている。それは冷泉のいた世界でも同じであるが、異なる点があった。

この島はほんの数ヶ月前までは、深海棲艦の支配領域の中にあったということだった。つまり、海域解放がなされるまでの間、島民は先ほどから遥か沖合に見える雲のようなものに包まれた支配領域の中にあり、外界とは完全に遮断されていたのだ。

なお、佐渡島の海域開放は、大湊警備府所属の艦隊によりなされている。

新潟県は本来なら舞鶴鎮守府の管轄区域であるから、舞鶴鎮守府により攻略がなされるべきものであるが、なぜ大湊の艦隊が攻略を行っていたかは扶桑からも聞いていないので冷泉には分からない。その時に聞けば良かったが、それ以上にショッキングなことを聞いてしまったため、そこまで考えが及ばなかったのだ。

 

それは―――。

 

大湊の艦隊が海域を解放した後、陸軍兵士を乗せた船が到着し佐渡島に上陸し、島を探索したのだが、そこに島民誰一人いなかったのだ。島は破壊された痕跡などほとんど無かったというのに、島全域からすべての人が消失していたのだった。さらに消失は家畜・ペットにまで及んでいて、島に上陸した兵士たちはゴーストタウン化した町に呆然としたのだった。

そして現在に至るまで捜索が続けられているが、いまだ一人として生存者はおろか死者すら確認されていないのだった。期間も経過したことから、島の捜索もまもなく打ち切られる予定となっている。

 

島民の消失。それが何を意味するのか? 

それは、この世界を理解していない冷泉でも分かる。佐渡島は深海棲艦の支配下にあったということは、島民が自力で島を脱出することなど不可能だったということだ。なのに解放後島民は行方不明となっているということ。遺体は一切発見されていないということ。……普通に想像すれば島民たちは深海棲艦によってどこかに連れ去られたと考えるしかない。そして島民たちの運命は決して楽観できない状況であるということは簡単に想像できてしまう。殺されるか奴隷とされるか。それくらいしか無いだろう。

……深海棲艦のあの領域に取り込まれてしまえば、皆同じ運命を辿るのは火を見るより明らか。考えるだけで怖気が走る。

 

「みんな、港に入港するネー」

金剛の声に我に返る冷泉。

そうだった。今回の任務は海域解放の戦いがメインであるが、現在復興作業中の佐渡島に物資を運び届ける事も重要な任務だったのだ。

 

軍艦は荷物の運搬には適していないが、日本国の現存する艦船の絶対数が少ないことから、機会があるごとに荷物の運搬も任務に入れられてしまっている。

甲板には所狭しとコンテナが積み込まれ、ワイヤでくくりつけられている。そこには建築資材や食料などが入っているのだろう。今後は佐渡島に基地建設がなされ、人も住むようになり、海域解放の拠点として利用する目的もある。本来の鎮守府の任務とは離れているように見えるこの輸送も、将来的には中継基地として利用することになるのだから文句は言えない。

無理矢理荷物を搭載したために、船のバランスがかなり悪くなり、速度を落とさざるをえず、万一本格的な艦隊と交戦したとしたら、かなり危険な状況になるはずなのだから、なんとか無事たどり着けてホッとしていた。

 

「やっとこの重たい荷物を下ろせるネー」

金剛が肩をぐるぐると回す。艦への影響は艦娘にも及ぶのだろうか?

「私は輸送船じゃ無いのに、いっつもこんな作業嫌ネー」

 

「それについては同意するわ」

扶桑が同意する。

「さっさと入港して荷物を下ろしてもらいましょう」

 

「そうだね。……みんなお疲れ様だったね」

冷泉がモニターに映った少女たちの顔を一人ずつ確認しながら、労りの声をかける。

一様に疲れた表情をしていた少女たちに笑顔が戻る。

「荷下ろし作業が終わるまで少し休んでくれ」

 

「あの、ところで提督」

唐突に扶桑がモニタ越しに話しかけてくる。

 

「なんだい扶桑? 」

 

「提督は下船されないのでしょうか? 」

 

「え、……なんで? 」

彼女の意図するところが分からずに問い返す。

 

「いえ、次に出航した後は戦闘領域となります。……その間、いつ休憩が取れるかわかりません。私達は問題が無いのですが、提督は人間ですから、その、あの」

モニター越しに何故か言いにくそうに言葉を濁す黒髪の少女。

 

「え、どういうことかな。食い物でも買っておいたほうがいいってことかな? それとも風呂でも入っておけとか? 」

 

「えと。まあそちらもありますが、まず優先すべき事は、飲食をすればその後どうなるかを考えたらお解りになるかと」

 

「……うん? 食べたら……、あー、そか。トイレね。でも船にはトイレあるでしょ」

 

「提督。これまでの出撃の時は、提督がどうしていたか覚えていますか? 」

 

「えーとだね。鎮守府で待機して指示をしていたよな」

 

「そうです。これまでは艦娘だけで出撃していましたから、私達は、人間が船に乗るようには作られていないのです。……つまり」

 

そこで冷泉は気づいた。気づいてしまった。

「そうか、宿泊する設備が無いんだな。でも大丈夫だよ、毛布かなんかがあれば床で寝られるし。風呂やトイレくらいは、金剛用のはあるだろう? 共用になるのは金剛には抵抗があるかな」

 

「お風呂もそれからト、トイレもありませんよ」

 

「そーでーす。戦艦金剛、風呂トイレ無しネ。劣悪物件あるね」

金剛がちゃちゃを入れる。

 

「え、でもお前たちは……」

 

「私たち艦娘はトイレなんて行きませんよ」

 

「えーーーーーーー!! 」

まさかの衝撃の事実。

 

「私達には、そういった生理現象などありません。だから艦内にそんな設備など必要ないのです」

 

「えええ、じゃ、俺はどうすれば」

そういって金剛を見る。

 

「いくら夫婦といえども船の中でお漏らしとかは、ちょっと。……ゴメンネー」

 

「あのさ、教えてくれるかな。深海棲艦との戦闘ってどれくらいの期間かかるのかな? 」

 

冷泉の焦りを感じ取った扶桑がなぜか意地悪な笑みを浮かべた。

「そうですねぇ。敵との遭遇はある意味ランダムでありますし、一概には言えないのですが、少なくとも艦隊戦の勝敗が決するには2-3日はかかりますね。海域解放まで4~5戦はあるでしょうし、移動時間まで入れたら、うーん。……どれくらいかかるんでしょうねぇ」

 

これって深海棲艦との戦いより厳しい戦いではないのか!

冷泉は天を仰いだ。

 

南無八幡大菩薩、わが国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願わくばこの究極の危機から私を救ってください。この歳でお漏らしは耐えられそうにありません。しかも部下であり年頃の美少女たちの前でなんて……。

 

美少女たちに見られながら漏らす……。そんな羞恥プレイをご褒美と思えるような域に達するほどの達人ではありませんし、なりたくもないです。

まじで泣きそうデース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




提督はこの危機から脱出できるのでしょうか?
しかし物語は淡々と進んでいきます。


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24話

舞鶴鎮守府第一艦隊は佐渡島に到着した。

 

島は現在、陸軍の工作部隊(旧陸上自衛隊東部方面隊第12旅団)と民間建設会社の混成部隊により復興作業が行われている。港には部隊を輸送してきた輸送船や工作船が停泊し、それらを護衛するために巡洋艦・駆逐艦等が警備にあたっている。

 

警備については大湊警備府と舞鶴鎮守府の艦隊が交代で行っているらしい。本来なら舞鶴鎮守府が行うべき業務であるが、海域解放を行ったのが大湊警備府艦隊であることと、舞鶴鎮守府にすべての警備を行うほどの艦船が無いということが原因でこの状態になっているとのことだった。

 

積み卸し作業の間に冷泉は島に上陸を行った。

それは重大な目的を果たすためだった。

ちなみに金剛と扶桑は荷物の積み卸し作業の立会があるためどうしても抜けられないということらしく同行はできないとのことだった。そこで冷泉は神通に同行を命じた。

陸軍の現場司令部を訪れ、食料の調達と仮設トイレを一基借りる交渉を上手くとりまとめることができた冷泉は両手一杯に保存食と水を抱え、ご機嫌で歩いていた。

斜め後ろを橙色のセーラー服を着た神通が歩いている。黒のミニスカートから伸びた生足に目が吸い付けられる。

出会った当初からずっとなのだが、いつも何か自信なげで怯えたような目で冷泉を見ている。同じような態度を示すタイプで羽黒もいるが、少しタイプが違うかな。どちらもとっても気になる艦娘ではあるのだが。艦これにおいても結構使っていたこともあるし、史実においても興味深い艦であったからね。

彼女はレジ袋に詰め込んだペットボトルの水を軽々と持っている。6本は入っているから艦娘はみんな怪力だな。

 

「なあ、神通」

 

「は、はいっ! 」

冷泉の問いかけに驚いたように反応する神通。

 

「いや、そんなに緊張しなくていいんだよ。もっと自然に話してくれたらいいよ」

 

「い、いえ。司令官に気軽に話しかけることなんてとんでもないです……」

 

川内型 2番艦 軽巡洋艦 神通(じんつう) LV20。

彼女の頭の上にポップアップした画面を見る。改造可能レベルになっているのに彼女も強化されていない。

大井もそうだし、どうして前の提督は改造をしていないのだろう。艦隊が更に強くなるし、そうなれば勝率、艦娘の生還率もアップするというのに。

それは怠慢? それとも別の理由があるというのか。

そんな詮無きことを考えてしまったのかしばらく黙り込んでしまった。それを冷泉が怒ってしまったと思ったのか神通が申し訳なさそうに声を上げた。

「す、すみません。私、提督のお気に障るようなことをしたのでしょうか? でしたらどんな罰でも受けます」

 

えへへ。どんな罰でも受けるのぅ~??

なんかドMな性癖に目覚めてしまいそうな神通の態度に妙な反応をしてしまいそうになるが、今はそんな時ではないのですぐに軌道修正を行う。

「もっと自然な感じで俺に話してくれ。立場上、死地にお前たちを駆り立てることしかできない俺だ。だからせめてお前たちの気持を知っておきたい。お前たちが何を思い、何を考え、何を欲しているか隠し立てすることなくすべてを俺に話しておいて欲しいんだ。お前たちがどういう状態でいるのかを知ることで少しでもお前たちが生き残ることができる戦略を立てられる事ができれば……。戦いはどうしようもない避けられない事だけど、少しでもお前たちが生き残ることが俺の最大の望みだから。……何を甘いことを言っていると思うかもしれない。けれどこれは俺の本音だ。これはみんなに知っておいて欲しいんだけど、なかなか話す機会が無くてね」

話している間に自分の言っていることのクサさに照れてしまう。

 

神通はじっと冷泉を見つめている。

なんだか目が潤んでいるようにさえ見える。

 

「て、提督。そこまで私達の事を考えてくださっていたんですね。嬉しいです。こんな私のことさえも気遣っていただいて。本当に嬉しいです。ありがとうございます」

 

「だめだめ、そんな話し方。あまりに他人行儀だぞ。もっとくだけた話し方で構わないよ。もう一回やり直しだよ」

 

「はい。……あり、ありがとう、提督。……でいい? 」

少しはにかみながら言い直す神通になんか来た。

 

「お、おう。それでいい。それでいい・良い感じだ」

なんとなく、満足感。

「それから、歩くときはもっと俺の横を歩けばいい。こっちへおいで」

 

命じられるまま、神通は少し離れてはいるが冷泉の横へと来た。

「そうだなあ。これくらいの位置関係じゃないかな」

そう言って冷泉は肩が触れるくらいまで近づく。

 

「え? 」

少し驚く神通。

 

「本当は腰を抱くんだけど、荷物が一杯で無理だから今日はこのくらいで勘弁な」

直ぐ側に彼女の顔がある。驚いたような照れたような顔をしている。

これで少しは彼女と自分の距離が近づいたかなと一人納得する冷泉だった。この調子で他の艦娘たちとも距離を縮めていきたいと願う。

 

艦娘たちに戦いを強いる立場の自分が何をやっているんだ? と疑問を呈する自分がいる。彼女たちを人間と同じように扱ってどうするつもりだ? 自分に対する偽善か? と批判する自分がいる。

そもそもどうして艦娘と戦地に赴く必要があるのか。自らの命を危険にさらしてどうするつもりなのか? 一緒に死線をかいくぐることで少しでも自分の罪の意識を減らそうとでもいうのか。

すべてが偽善でしかないぞ、それは。

お前は「艦これ」というゲームのように安全なディスプレイの前で艦娘たちを効率的に殺し、戦いに勝利すればいいだけなのだ。感傷的になるくらいならゲームなどやめてしまえばいい。

 

違う。降りられるくらいならこんなゲーム降りてやるさ。けれどそれはできない。まだこの世界の一端すら垣間見られていない状況であるけれど、自分がこの立場を放り出して逃げたところで誰かがこのポストに据え付けられるだけだ。彼女たちが戦わざるをえない立場であることに変わりはない。

ならば自分自身がやるしかないんだ。

舞鶴鎮守府の艦娘たちと出会ってしまった以上、彼女たちの命運を預かる立場に据えられてしまった以上、引き下がるわけにはいかない。何の能力もない自分ではあるけれど、絶対に彼女たちを守ってみせる。そうせざるをえないのだから。それは義務ではないけれども、やらなければならないことなんだから。

 

「提督、ど、どうしたの? 」

まだぎこちない言葉ながらも神通が問いかけてくる。

 

「いや少し考え事をしてしまった。ごめんな。なあ……神通」

 

「はい? 」

 

「この戦い、きっと勝利してみんな一緒に帰ろうな」

 

神通はニコリと微笑んで答えた。

「もちろんです。私は、いえ、私達はみんな提督の事を信じていますから」

 

その言葉の重さを感じながら、彼女が寄せる信頼に必ず応えてみせると冷泉は誓った。

 

「帰ったら、もっと提督とお話がしたいです。だ……だめですか? 」

 

「そんなことないさ。もちろんOKだよ。俺もお前ともっと話してみたいからな。……さあ、みんなが待っているから行こうか」

 

「はい」

 

肩を寄せ合いながら冷泉と軽巡洋艦神通は艦隊が停泊している港へと急いだ。

 

 

 

 

―――そして。

 

帰るなり金剛に怒られた。

 

「ちょっとー、テートクー!! 何ですか、あれ!! 」

金剛はプンスカしながら戦艦金剛の艦橋の少し後ろに設置された長細い長方形の物体を指さした。

 

「いや、見れば分かるだろ? 仮設トイレだよ」

 

「ムキー!! あんな不格好なものを乗っけられたら私の格好良さが台無しデース」

 

「いや、だって仕方ないじゃん。金剛にはトイレが無いんだから。トイレ無しで何日も俺が生活できるわけないし。まあ、なんというか、こればかりは我慢してくれないか」

 

「テートクには美的感覚が無いんデスカー。美しいシルエットが台無しじゃない。ぷんぷん」

そうは言っても生理現象は我慢できるはずがないし、船内で漏らすわけにもいかない。これだけは譲れないよな。

 

「金剛、提督の命令だから我慢しなさい」

扶桑が助け船を出してくれた。

「提督がお漏らししたら可哀相じゃない。生理現象は人は我慢できないものなのよ」

 

「でもあんなの乗っけられたら格好悪いヨー。艦隊の旗艦なんだヨ」

 

「だったら船内で大きいのを漏らされてもいいの? よくは知らないけれど、データベースによると、その臭いはとても臭いものらしく、事案が発生すれば、清掃しても簡単には臭いとかは落ちないらしいわよ」

 

何かデータのやりとりがあったのか、金剛の顔がみるみる青ざめる。

「オーノォー!! こんなにカタストロフィ! こんなことって」

 

「あ、でも提督の○○○なら正妻である金剛なら我慢できるかしら? 」

クスクス笑いながら扶桑が問いかける。

 

「親しき仲にも礼儀あり。たとえ夫であっても越えられない受け入れられない物があるデース。もう……提督、仕方ないデスネ。あれの設置は我慢しますデス」

 

「……ヤレヤレだ」

一つ問題が解決したわけで、まあかなり大きな問題なのだが、これで戦いに挑める。

「さて、いろいろあったが出撃というわけだな」

ほっとした冷泉を冷たく見つめる視線あり。

それは金剛のものだった。

直ぐ側で冷泉に寄り添うように神通が立っている。

 

「なんか知らない間に神通と仲良くなってるワケだけど、それについては帰還してから尋問シマス。次から次へとなんたらかんたら……」

金剛がぼそりと呟いているが聞こえないふりをした。

 

とにかく、いよいよ、やっと深海棲艦の領域へと艦隊は侵入する。

 

 



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25話

そして、冷泉朝陽が率いる舞鶴鎮守府第一艦隊は佐渡島を後にした。

目指すは佐渡島の北上に位置する、深海棲艦の領域(リヤウヰキ)。

 

ついに戦いが始まる……のか。

その現実がすぐ側まで来ていることを再認識し、冷泉は緊張が高まるのを感じた。胃のあたりにチクチクと痛みを感じる。

できることなら避けたい現実。それがもはや避けられないところまで来てしまっている。嫌なことは常に先送り先送りで逃げてきた、かつての自分が、異世界に飛ばされたというのに相変わらず自分の内に存在することを認識し、やはりこれは夢ではなく現実なのだと思い、ほっとするとともに情けなくなる。

 

優柔不断で臆病で常に誰かに判断を仰がなければほとんどの事を自分では決められなくなる自分。さらに負け犬根性をあたかも呪いのように重ねがけられた自分。そんな自分がこの場にいて、しかも艦隊の指揮をとることが可能なのだろうか。

……いや、絶対に無理だな。

日常生活でさえそんな奴だ。

なのに今回はこれまでとは格段に難易度が高い。甘くない。

本当の戦場だ。……一歩間違えれば、いや、間違いなく事を進めたとしても、そこは死と隣り合わせ。常に死の臭いが付きまとう場所。

完全に無理ゲー。

考えただけで、鬱になりそうだ。

 

「ふう」

冷泉は大きくため息をつく。

 

「テートク、どーしたんデスか? なんか顔色悪いヨー」

すぐさま金剛が反応する。

 

「いや、ついに戦場なんだなって思うと緊張してきた」

 

「へー、テートクも緊張なんてするんデスネー」

何か冷泉が変なことを言っているのかのような反応。彼女の中での冷泉朝陽とはどういう評価がなされているのだろうかと疑問さえ感じる。

 

「正直に言うけれど、死ぬかもしれないという現実は、恐いよ。偉そうな事を言ったけど、死ぬのは嫌だ。戦場を前にして、臆病風に吹かれてしまっているのかもしれない」

つい本音を部下に漏らしてしまう。戦いを前に弱気な司令官などありえないのに。しかし、誰かに言わなければどうにもならなかった。

「ははは、情けないな。……お前たちの司令官なのに、こんな弱気で」

力ない声が出てしまう。

 

金剛はそんな冷泉をじっと見つめていたと思うと側に近づき、彼の顔をぐっと抱きしめた。。

ほのかな香水の香りが冷泉を包む。

 

「な? 」

 

「テートク、大丈夫デスよ。ちっとも怖くなんてないデース。私を信じるデース。……いえ、テートクの部下の艦娘の力を信じて欲しいデース」

そして、優しい口調で囁くように金剛が言う。

「……私達艦娘はどんなことがあっても提督だけは、すべてに代えてでも護ります。絶対に危険な目になんて遭わせなません。たとえ私の命に代えても提督のお命はお守りします。だから、だから安心して。私達を信じて下さい」

 

「金剛……」

 

「えへ。だから安心して下サーイ。私達は強いデスよん。深海棲艦に負けるわけありまセーン」

先ほどの真剣な口調が消え、いつもの口調にもどった金剛が冷泉を見つめ、そして笑う。

その笑顔に思わずドキリとしてしまう。

 

「そうだな。艦隊司令がこんなんじゃダメだよな。それもまだ戦う前からなんだから。……給与に見合った仕事ができないようじゃダメだよな」

少し自嘲気味に呟く冷泉。

「まだ何も始まってさえいないのに、何を弱気になってたんだろうか。指揮官がこんな弱気を見せてしまってごめんな、金剛。でも、もう大丈夫だ」

そう言って自分を鼓舞する。

昔の自分に戻るのは勝手だが、役職に応じた仕事はしないと。できるかどうかではない。今、冷泉を信じる者がいること。冷泉の判断に命を預ける者がいるということ。それに応えなければならないのだから。

 

「そうデース。それでこそ私のダーリンでう、……デス」

明るくて健気で、ちょっとおとぼけだけれど、常に冷泉の事を気遣ってくれている、笑顔で自分を見つめてくれる秘書艦にどういった感謝の言葉を言えばいいかわからなかった。ただ一つだけ分かることは、みんな無事で帰ることが彼女の想いに応えることになるんだろうと確信していた。

まだ乗り越えたかどうか分からないが、一つ障壁を乗り越えられたような気がした。

 

「ありがとうな、金剛」

 

「いえいえ、のーぷろぶれむデース」

しかし、どうして金剛はこんな変な言葉遣いをするんだろう? 見た目は人並み以上、いやそんなレベルなんか超えているのに、変な言葉遣いだからなんか痛い子に思えてしまい、損をしているのではないだろうか。普通に話せばもっともっと魅力的に見えるのに。さっきの金剛の話し方、思わずドキリとさせられてしまった。

そんな想いで彼女を見ると、冷泉の感情を読み取ったのか、何故か照れくさそうに視線を逸らした。

そんな、はにかんだ様子が可愛いと思え、思わずにやけてしまっていたのだろうか?

「も、もう、テートク。どうしたんデス? なんかいやらしい目で私を見てマース」

 

「い、い? そんな目で見てないけど」

 

「ベツにそんないやらしい目で私を見ても、ま、まあ夫婦なんだから構わないデスけど、これから戦闘だというのに何か不謹慎デス。……お楽しみは帰ってからで、いい?」

と顔を真っ赤にして照れてる。

 

「だ、だから」

否定しようとするが、あまり聞く耳は持ってないみたい。

 

「はいはい。二人とも漫談はそれくらいにして。領域(リヤウヰキ)が近づいて来ましたよ」

と割り込むように扶桑の声が艦内に響く。

 

冷泉は艦橋の外に視線を走らせた。

 

遠方に見えていた暗雲と思っていた物。それは近づくにつれ色を持ち始め、赤黒く不気味にアスペラトゥス波状雲のごとく垂れ込める濃密な雲であることが分かった。

アスペラトゥスは荒れたという意味らしい。つまり荒れた波のような模様のある雲という意味だが、今眼前に広がるそれは、そんな言葉で簡単に説明できるようなものではなかった。

海面ギリギリまで垂れ込めた赤黒い雲。見る者を覆いこみ飲み込むような圧倒的な圧迫感を持ち、雲の粒子自体が練り込まれた悪意で造られているかのように陰鬱な妖気を発散し、遙か天空まで達する巨大な壁といってもいい。

ときおり稲光が走り、それがまるで血管のようにも見え、不気味だ。

それは自然が作り上げたものというよりは、この世界のものでない邪なる者が産み落としたものとしか思えないものだった。

 

「う……」

言葉が出てこない。

あの雲の中に入ったら二度と出てこられないような予感しか感じ取れない。冷泉は思った。今まで恐怖や嫌悪を感じたことは当然ながら何度でもあった。だが、これを目の前にした今、すべてが根底から覆されたような気がした。今まで感じてきた恐怖や嫌悪など、全く薄っぺらな、取るに足らないものであったということ。その現実を突きつけられ、おののいていた。

この中に入っていかなければならないというのか?

確かに、こんなものを見せつけられ、さらにはその中に入って戦えといわれたらほとんどの兵士は戦闘どころではないだろう。すでに入る前から自分の気持ちが萎えていくのを感じていた冷泉であった。

普段なら逃げ出すんだろうな、と自身感じていた。

 

「テートク、大丈夫デス? 」

と金剛。

 

「提督。これが深海棲艦の領域(リヤウヰキ)の外観です。私達は今からあの中に入って戦わなければなりません。ちなみに、この中に入って、生きて帰ってきた人間は、現在まで一人としていません。念のために確認しておきますが、今なら間に合いますよ。……島風・叢雲に乗って鎮守府に帰るという選択肢もありますから」

扶桑が冷泉の事を気遣って助け船を出してくれる。人間があそこに入る事なんて無理。決してそれは恥ずかしいことではないと言ってくれているようなものだ。

彼女の意見を採用すれば、あの得体のしれない空間に入ることなく島風か叢雲に乗って鎮守府に帰ることができる。少なくとも命は安全だ。提督が最前線で指揮をとるということはこちらの世界では一般的ではない。誰に責められることもない。決して臆しているわけではないのだ。

 

「扶桑、確認させてくれ。えーと、本当にあの雲の中に入って帰ってきた人間っていないのかな? 」

 

「深海棲艦がこの世界に現れてから現在に至るまで、何度か人間による軍事的侵攻が行われています。当時の自衛隊および日本に取り残された米国第七艦隊第70任務部隊の合同軍が数度、領域に突入をかけたものの一隻の艦船すら戻ってきていません。軍以外でも多数の艦船や陸地が領域に飲み込まれ、そのすべてが生死不明のままとなっています」

 

「つまり、俺がお前達と一緒に領域に入るということは……」

 

「はい。とてつもなく愚かで無謀な行為であると、私は判断しています。領域に入った時、人体にどのような影響があるかは全く未知。人間が領域内で戦うことはもはや想定されていませんから、領域内の外気がどのような成分となっているかサンプリングは行われていません。故に、猛毒が含まれているかもしれませんし、とてつもない未知のウィルスがあるかもしれません」

 

「入っただけで死ぬかもしれない……か」

 

「そうですね」

 

「しかし、俺はお前達とともに戦うと誓った。今更撤回など司令官として、いや人として、いやいや、男として、できない」

 

「そんなこと無いデース。その気持ちだけで私達は嬉しいネ」

 

「金剛の言うとおりです提督の言葉は私達の戦意を鼓舞する効果がありました。それだけで充分です。仮にここで船を降りたとしても私達は決して提督を批判することなどありませんし、人間達もそれを当然のこととして認めるでしょう」

 

「ほんとうにそうなのか? 」

 

「少なくとも私はそう思います」

 

「私も思うネー」

 

「臆病者って言われないかな? 」

 

「これまで艦娘とともに戦地に赴くと言葉にした人はいません。でも提督はそれを仰った。それだけでも誰よりも立派です」

 

「そ、そうか……。ここで降りても誰も俺を責めたりしないんだ」

 

「だから提督。ご判断をお願いします。これが最後のチャンスです。無理をなさらないで」

 

「そ、そうか……」

冷泉は視線を彷徨わせる。怯えたような、懇願するような目。

そして、口を開いた。

 

 

「……だが断る! 」

 

 

 

 



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26話

「……」

 

「……」

 

しばしの沈黙が続く。

 

「えーと……」

たまりかねて冷泉が口を開いた。

「今言ったのは、マンガの登場人物の台詞で……」

 

「提督。……私は、真剣なお話をしていました」

遮るように扶桑が言う。そのはが明らかに普段より低くなり、怒気をはらんでいるようにさえ聞こえた。

 

まずい。これは明らかに怒らせてしまったかな? 

「……はい、すみませんでした」

と、冷泉は即座に謝罪する。

 

「わーーい。テートク怒られちゃった」

脳天気に金剛が冷やかす。

 

馬鹿、黙れと声に出さないように金剛に伝えようとするが、彼女にとってはそれが面白かったようだ。

「テートク、何言ってるのかよく聞こえないデスヨー。金魚みたいに口パクパクしてオモシロイ。でもなんで怒った顔してるんデスかあ? 」

ダメだ。この子を相手にしてたら話が進まない。そう判断した冷泉は彼女の会話を無視することとした。

 

「……まったく。どうして提督は場の空気を読めないんでしょうか」

 

「ホントだね。テートクはダメダメ」

いや、お前がダメダメだろうと口にするのを必死に押さえる冷泉。

 

「私は、いえ、私達は提督の事を心配してるのです。わざわざ危険を冒してまで私達に同行する必要性は無いのですから。だから……」

 

「ならば、何故お前達だけが敵の領域に行かなければならないのか? 」

冷泉は素直な感想を口にする。

 

「え? 」

一瞬、虚をつかれたような口調になる扶桑。

「そ、それは、私達が兵器だからです。そう、私達は敵を斃す為だけに造られた兵器。ゆえに戦地に赴き戦うのです」

 

「だったら、俺もこれでも一応軍人だ。軍人だって戦うのが仕事だよ。安全な後方にいて指示を出すのが仕事じゃない」

 

「そもそも、あなたは鎮守府司令官です。前線に出るような立場の役職では無いはずです」

 

「本当はね。でも、お前達が命がけで戦っているっていうのに、安全な場所で指揮だけするなんていうのはできないよ。俺から見たらお前達は軍艦であるまえに一人の女の子なんだから。本来ならば戦場なんて行かせたくない。行くべきでないって思っている。けれど、そんなことが認められる状況ではないし、人間では深海棲艦と戦うことができないのだから仕方ない。だったらせめて俺がお前達の側にいてやりたいんだ。役には立たないだろうし、邪魔かもしれないけど。これは司令官として、いや人間として、……一人の男として絶対に譲れないことなんだよ」

 

「提督……」

 

「女の子だけを戦わせるなんてありえないだろ? せめて同じリスクを司令官である俺も共有しないと。お前達だけを危険な場所へは行かせたくない。勝つときは共にその喜びを分かち合いたいし、そして仮に死ぬ時があったとしても、お前達だけじゃない。俺も一緒だ」

 

「テートク格好いい! 」

金剛、大はしゃぎ。

 

それに反して扶桑はしばらく黙り込んだままだった。どうしたのかと声をかけようとした時、彼女は言葉を発した。

「分かりました。そこまでの覚悟をされているのであったら、私がどうこう言っても仕方ないですね。私もできるかぎり協力します。共に戦いましょう」

 

なんとか納得してもらったようだ。

モニタに映った他の艦娘たちの顔を見回す。みんな頷いている。

「……よし。では領域に向けて出発する」

冷泉は宣言した。

 

そして、護衛で来た島風、叢雲とここでお別れとなる。

「叢雲、島風。ここまでありがとう。次に会うときは領域開放後だな……。無事帰投できたら、お前達にもなにかお礼をしないとな」

 

「あー、何かくれるんだ。……えーと島風はねー」

少し考え込む島風。そして何か思いついたように声を上げた。

「島風はね、提督とチューしたい」

 

「は? 」

言ってることがよく分からん。

 

「キスでいいよー」

繰り返す島風。本気か冗談かよく分からないが、まあ彼女なりの気配りなんだと判断。まだまだ子供だなあ。

 

「そうかぁ。島風は面白いなあ。……よし、無事帰ったらキスしてあげるよ。叢雲は何か欲しいものあるかな? お前もキスでいい? 」

そういってモニタに映る叢雲に問いかける。

彼女は一瞬惚けたような顔をし、次の刹那には急激に顔が真っ赤になった。

 

「な、何を言ってるの? そ、そんなもんいるわけないでしょ!! この変態変態。一回死んできて! 」

予想通りの反応に思わず笑いそうになる。

「でもね、でも……アンタ、必ず帰って来なさいよ」

 

「むふーん。やっぱり叢雲は俺を心配してくれるんだ」

 

「な! し、心配なんてするわけないじゃない。何でそんなことしないといけないのよ。あー、もういいわ。馬鹿馬鹿しい。……帰ってきたらみっちり説教してあげるんだから!! 」

 

「ははは。覚悟しておくよ。二人ともありがとう」

そういうと冷泉は金剛を見た。

 

「全艦、これより出発するヨ」

金剛は頷くと指示を発しはじめる。

 

「対衝撃用障壁、機動開始」

艦全体が振動すると同時に、艦橋の窓部分が閉鎖されていく。不気味な空が閉ざされていく。

 

「続いて、全動力停止」

窓が完全に覆われると同時に艦内の灯りが明滅したと思うと、消えて暗闇となる。あたふたする冷泉を無視し、金剛の指示が続く。

「続けて動力切替……。完了。……艦内への電力供給、開始」

 

暗闇に灯りが点る。

しかし先ほどまでとはだいぶ照度が落ちるが。そしてポップアップしていた画面は今回は機動しない。モニタだけは稼働し、外の景色を映し出している。

 

「こちら戦艦金剛、切替、問題なし。みんな、状況を報告してネー」

 

「……」

 

返答は無い。しかし、金剛には何かが聞こえるようで頷いたり「了解ネ」と呟いたりする。

 

「なあ、金剛」

反応なし。再び声をかける。

「金剛? 」

 

「ゴメンね、テートク。今他の艦娘からの報告を受けてるから、ちょっと待ってネ」

そう言うと再び独り言を始めた。

 

どうやら、通信は艦娘同士で行うようだ。テレパシーか何かか? 先ほどまでのような通信機器を使っての会話はできないらしい。

 

「お待たせ、テートク。全艦準備完了したネ。これより突入を始められるヨ」

そういうと、金剛は冷泉の側に近づく。直ぐ側まで彼女の顔が近づき驚く。

「それから、あの雲の中に突入する時はかなり揺れるから、ベルトでしっかり固定するネ」

シートに装備された四点式のベルトをしっかりと固定してくれる。少しきつめだが。

 

「金剛は大丈夫なのか? 」

 

「私はこの船と一体だからネー。どんな振動が来ても平気だよ」

なるほど。

 

「じゃあ、出撃するね」

 

「了解だ。ところで、通信はどうなってるんだい。さっきから何か独り事言っているようにしか見えないんだけど」

 

「ああ、変だったデスカ? 領域に入ると奴らの影響が大きくなって電気機器に異常が発生するんです。だから動力を旧式のものに切り替える必要があるんだよ? あれテートク知らなかったっけ? ……まあいいや。でね、通信妨害も凄いから通信機器は一切使用できなくなるの。でも安心して。私達艦娘の生体通信能力を使用するから連絡は取り合えるんだよ。独り言みたいに見えたのは、そのせいデース」

 

「なるほど。すると俺の指示は金剛経由になるわけだね」

 

「そうデース。時間のズレが出るけど、まあ仕方ないデスね。……あ、そうそう。島風と叢雲から伝言あるよ。無事に帰ってきてねって」

 

「はは。……では返信頼むよ。みんな無事で帰って来るからなって。帰ったらみんなで旨いモン喰いに行こう」

 

「了解ネー」

 



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27話

「それじゃあ、行くネー」

それを合図に戦艦金剛が動き出す。唸るようなエンジンの重低音が足下から振動と共に伝わってくる。

 

そして、旗艦金剛を先頭に、不気味な立ちこめた霧のような雲の中に突入体勢に入る第一艦隊。

モニターに映し出された壁と呼ばざるをえない領域の入り口が迫ってくる。

 

ついに、雲の壁に艦首が突入した。

 

同時に激しい衝撃が冷泉を襲う。モニタに映し出された風景が激しく乱れ、ノイズのみになってしまう。

 

一瞬の浮遊感がやってきたと思った後、一気に墜落しいくような、それでいて持ち上げられるような意味不明な、どこかで経験したような世界を飛び越えるような感覚。

 

体が持って行かれそうで、思わず近くにあったものにしがみつく。

むにゅっとした柔らかい感触。

「きゃー」

すぐ近くで悲鳴が上がるが、激しく揺さぶられる衝撃でそちらを見る余裕はない。

 

そして第二の衝撃が来る。

今度の衝撃は急ブレーキをかけたような前後の衝撃だった。

 

70ノットで快走してもほとんど揺れなかった艦が。激しく揺さぶられそして制止する。

 

しばらくの間は声も出すことができなかった。目も開けられなかった。

静寂が訪れたため、目を開く。

開けた視界は白かった。直ぐ側に白い生地がある。良い香りもするし。

 

「おう、テートク。いきなりは恥ずかしいデース」

冷泉が揺れに逆らおうと思わずしがみついた物は、金剛デース。

思いっきり胸に顔を埋めていた。

金剛はあの揺れの中でも何にしがみつく出もなく立っていることができたようだ。

 

「わー! ゴメン、金剛」

慌ててしがみついた手を離す冷泉。

 

「う、うん。いくら提督でも時と場所をわきまえてほしいデース。せ、戦場でこんなことされたら私、混乱しますヨ」

少し頬を赤らめながらこちらを見ている。

 

「いや、……本当にゴメン」

 

「まー、テートクだから別にいいんデスけどねー」

そんなやりとりの後、冷泉はモニタを見た。

この謎につつまれた深海棲艦の領域というものを確認するために。しかし、モニタはまだノイズまみれとなっていて全容は把握できない。

 

「どうもカメラの調子が良くないみたい。ちょっと待っててネー」

金剛はそういうと指でキーボードを叩くような動きを見せた。

するとモーターが唸るような音を立て、艦橋の窓をカバーしていたシャッターが動き始めた。

 

「な、んだ……」

そこは、まさに異空間だった。

 

空も海も色が変わっていた。赤いフィルター越しに見ているような光景となっている。

視界は霧も出ていないというのに、良くない。

 

「今日はまだいい天気ネー」

と安心したように言う金剛。

「みんな、通信回路変更チェック。生体通信の状況確認してネー」

 

おそらくは他の艦娘と話しているとは推測できるが……。

 

「あれ、テートクどうかしたの? 」

 

不思議そうに見ているのに金剛が気づいたのか。

この事実を本来提督は知っているのか? 知っているなら何を話しているのか聞くのはおかしいのだろう。でも、聞いておかないと今後の会話にも問題が出そうだ。思い切って質問することにする。

「誰かと話しているのかい」

 

「ここでは電波障害が相当に強いから、通常の通信機器は一切使えないネー。だから、艦娘のリンク機能を使ってやり取りするしかないだヨ」

 

「電波障害? 通信妨害みたいなものがあるのか」

 

「うーん。何て言ったらいいんですかネー。ここは外とは全く異なる空間なんデスよ。領域は深海棲艦が造り上げた結界みたいなモンだから、私達の世界の自然の法則がねじ曲げられ、あいつらの都合の良いように書き換えられてるんデス。だから空は赤い、海は黒っぽい。鳥や魚もほとんど見たこと無いネ。艦の話で言うと、通信はできないンダヨ。それどころか電探もほとんど役に立たないし、射撃管制装置なんかもダメになっちゃって、信用できないネー」

 

「本当か? とても簡単に金剛は言うけど、それって肉眼のみを頼りに戦うしか無いって事じゃないか」

 

「そーですよー。私達はいつもそれで戦って来たネー。だから平気だヨ」

けろりとした顔で金剛は微笑む。それがここでのルールならそれに従うしかないのだろう。敵のテリトリーで戦うのだから当然、敵は自軍に有利な環境設定を行っている。当たり前といえば当たり前だけれど、なんかずるい。

 

ぶーん。

外からプロペラ機の音がしたと思うと、何機かの飛行機が飛んでいくのを確認した。フロートを付けた水上機だ。……たぶん、零式水上偵察機だろう。

 

「全艦、エンジン停止。……テートクにも通信内容が分かるように口に出して見るね」

 

「エンジン停止ってなんで? 」

 

「さっきもこの領域はやつらの法則が適用されているネー。ここには水の流れがあって、撤退するとき以外はその流れに拘束されるの。流れをそれて行こうとしても結局押し戻されてしまうから、燃料の無駄遣いをしないように流されたほうが効率がイインダヨ。敵を発見したときだけ動力を使用すればいけるネ。何にしても省エネ省エネ。侵攻中は背後から敵が来ることは無いから、前方だけに注意して分岐の確認と敵の索敵をすればいいだけ何デスヨー」

 

なるほどなるほど。

冷泉は一人納得した。

なんとなくゲームに似ている。ゲームも自分の意志でルートは決定できず羅針盤だより運任せの侵攻だったな。……いや部隊編成とかが重要だったか。こちらの世界ではそういった要素があるのだろうか。……あるはず無いか。

ゲームじゃないんだから。

 

「敵はすぐに現れるのかな」

少し不安になって冷泉は呟く。

 

「敵の領域に入ったからネー。当然、あいつらもこちらがどんな艦隊かを知りたいだろうから間違いなく偵察部隊とは接触すると思うネ。……それもそれほど遠くないうちに……」

そう言いかけた金剛が言葉を唐突に止める。

 

「どうしたんだ? 」

まさかとは思いながら問う。

 

「偵察機から連絡が入ったネー。前方で敵艦隊発見ダヨー」

少し緊張気味に金剛が言葉を返す。

「全艦隊戦闘態勢ネー。機関再始動!! 」

唸りが再び艦底より響き渡る。

 

心の準備ができていないまま、まもなく戦闘になってしまうという緊張感で胃が痛くなってきた冷泉であった。



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28話

唐突に―――

艦隊戦は始まった。

 

敵艦体の編成は、どうやら駆逐艦のみの編成で、……その数4。

ノイズまみれのモニタ越しに見えるそいつらの敵影は、冷泉が普段見慣れていた船の形をしていなかった。

「艦これ」をやったことのある人ならそれについてあまり違和感を感じない? かは分からない。いや、現実にあの形をしたものを見てしまったら、違和感を感じないわけがないけれど。

当然ながら、冷泉にとってもその姿を見たときは圧倒的な違和感を先に感じた。違和感? いやそうじゃないな。感じたそれは明らかに恐怖感。握りしめた両手は、いやな汗をかいている。

明らかな非現実を突きつけられて、僅かながらもパニックに陥りかけてるのかもしれない。

 

今は、とにかく冷静になるしかない。

 

再びモニタを見る。

映し出された深海棲艦。パソコン画面で見るのモノと現実に見るのモノとではその迫力が違いすぎる。……外見からはどう見たって船ではなく、B級のSF映画に出てくるようなクリーチャーしか見えないのだ。

 

海面にのぞいた姿は黒に近い灰色で、頭だけを水面に突き出した亀をクリーチャー化させたモノにしか見えない。眼らしきものがふたつ、遠くからでも碧色に光っている。歯もあるようで時折、むき出しになったそれをパクパクさせている。その辺が亀とは違うところか。水面下の体はどうなっているかはモニタから判別はできない。しかし、ゲームと同じなら体は存在せず涙滴形状をしていんだろう。

見える範囲で確認しても武器を装備しているようには見えない。どこから砲撃や雷撃をするのだろうか。

 

何かの合図があったのか唐突に4隻の敵艦がこちらに向けて進み始める。

敵艦の頭上にポップアップ画面が表示されている。

 

【駆逐イ級】

4隻とも同じ名前が表示されている。ゲームでいうと一番の雑魚だ。

一つの艦の上に表示された画面を無意識にタッチすると、隠れていた詳細画面が表示される。

 

艦名   駆逐イ級

レベル  2

火力   5  

雷装   15

対空   6

装甲   5

耐久   20

射程   短

装備   5inchi単装砲

 

対空装備は無さそうなのに対空が5あるのか。……つまり対空5程度では意味がないということかな。

 

さらに思考。

少し安堵する冷泉。

どう考えてもこちらの戦力が敵を圧倒している。

そして結論。

負ける要素は無いね。

 

「敵艦隊接近ネー。全艦砲撃準備。……派手にやってやるネー!! 」

考え事をする冷泉を置いてきぼりにして、金剛が勝手に指示を出し始める。

「私に続いて全艦、進撃開始-」

 

言うより早く戦艦金剛のエンジンがうなりを上げ、ゆっくりと進撃を始める。他の艦も同じように動き始めた。

陣形とかそんなもの全く無視した、てんでばらばら無秩序な隊列で進み始める。

「おい、おいおい、金剛ちょっと待った」

 

「No! デスよ。今は戦闘中ダヨ。……そして敵艦、急速接近中ぅ。モタモタしてたら狙い撃ちされちゃうよ、テートク! 」

やや興奮気味に捲し立てる金剛。完全に瞳が戦闘モードだ。

 

しかし、……いつもこんな感じで艦隊戦が始まるのだろうか? 何の戦略もなく勢いだけで戦端を開くなんて。少し呆れ気味に少女の横顔を見つめた。

「敵艦、まもなく射程内。全艦、砲撃準備。合図を待って……」

金剛が各艦へ指示をしている途中で、先に深海棲艦の砲撃が始まった。

 

ぽん、ぽん。

 

さすがに小型の駆逐艦からの砲撃であり轟音をとどろかすことなく、なんというか……とても軽い炸裂音だ。

おまけに射程外だからこちらに届くこともない。さらには照準もまともにとれていないのか見当違いの方向に着水し、ぽしゃぽしゃ水柱を立てられる。

 

モニタに映し出された敵艦に視線を戻すと、拡大表示された深海棲艦の頭部が少し持ち上がり、そこから砲門がせり出していた。魚雷発射管も同様なのだろう。なるほど、普段は隠しておいて水や空気の抵抗を極力減らしているのだ。

その砲門は固定式にしか見えず、どうやら回転することはなさそうだ。魚雷も同じだろうな。つまり、側面もしくは背面を取ることができれば、敵の攻撃を受けることなく撃破できそうだ。もちろん背面に武器が隠されている可能性も否定はできないけれど、敵のステータス画面に表示された武装からして他に武器は装備していない。

 

これは結構楽勝かも……。

たいした根拠も無く、そんなことを冷泉は考えてしまう。自身がうまいこと指揮をすれば思ったより楽勝かもしれない。

 

現在のこちらの陣形を確認する。

確認するには補助モニターに自艦隊の状況を写されているのを確認すればいい。……そして、それを見て少し呆れた。

基本、横陣形で進んでいたらしいが、艦のそれぞれの最高速度が異なるのは分かっているのに、艦娘たちは、めいめい好き勝手に進撃を始めている。このため、船速の違いにより、でこぼこで無秩序な陣形になってしまったいた。

速度の速い巡洋艦が前に突出してしまい、金剛、祥鳳、重巡高雄が続く。足の遅い扶桑だけがだいぶ遅れてしまっている。

 

そして、何の指示もないままに大井、神通が砲撃を始める。

 

「おい、まだ射程に入っていないじゃないのか」

冷泉が止めようとするまもなく、

「全砲門ファイヤー!! 」

どこかで聞いたような台詞がすぐそばで発せられたと思うと、耳を劈く轟音と視界が消し飛ぶような閃光!! 全身を揺さぶる振動が前方より襲ってきた。

旗艦金剛の砲撃と時を同じくして他の艦も砲撃を始めたようだ。……当然ながら好き勝手に。

 

心臓が止まるかと思うほどの戦艦の砲撃の衝撃で、気を失っていたのかもしれない。なぜなら、冷泉が気づいた時にはすぐ近くを灰色がかった黒いクリーチャーかと思うような巨大な物体が猛スピードですれ違っていったからだった。

 

遠目には小さいと思ったが駆逐艦というだけに全長は100メートルはある。近くでみると、やはりデカイ!! おまけに見たこともない不気味な形状だからさらに異様な迫力に圧倒されてしまう。

おまけにすれ違いざまに緑色に光る目のようなものと目が合ったような気がしたし。

結構寒気が走った。わりとマジで怖い。

 

形は涙滴形状だ。正確には魚雷みたいな形というべきか。跳ね上げる波ではっきりとは認識できなかったが、後部には白い足らしきものもあるようだ。そしてバックリと開いた口には巨大な歯が生えている。

時折、海水をはき出すようなそぶりも見せる。

しかし、口があるということは何かを食べるのだろうが、あの巨大さでいったい何を食べるのか。仮に食べるためでないなら、武器として使うつもりなのだろうか。

何にしても、その使用方法に思いをはせると、とても気持ち悪い。

 

どうやらこちら側も敵側にも損傷は無かったようだ。射程外から好き勝手に発砲したってなかなか当たるもんじゃない。このままでは、すれ違った後、素早く回頭反転して再び戦火を交えるのだろう。

だけど、こんなのを続けていたら、それはただの消耗戦でしかないネー。

 

「金剛! 金剛!! 」

 

「はい、何です? テートク」

 

「ちょっと待ってくれないか。今から艦隊の指揮は俺が執る。だからお前は他のみんなに俺の指示を伝えてくれ」

 

「わお。……それはカマイマセンが、そういった事は初めての事なのでうまく行くかワカリマセンよ」

 

「おいおい、今までの艦隊戦ってやつは、どうやってたんだ? 」

驚いて問い返してしまう。

 

「基本的な戦術については、鎮守府会議室でテートクが前もって指示してくれてて、その後の戦場においての行動は臨機応変やるように私たちに判断は任されていたデスね。領域に入ってからのテートクの仕事は、撤退か進軍かの判断をしてたくらいかなあ。だって、こちらからの映像は向こうには届かないからねー」

何故か自慢げに答える金剛。

 

そういやゲーム世界でも提督ができることって編成および進軍撤退くらいだったよな。戦闘においては好き勝手に砲撃をやらかし、てんでばらばらの攻撃で沈めるべき敵を沈めず、どうでもいい敵を集中攻撃したりしてたよなぁ。

 

「まあいいや。とりあえずこのままで、あと1キロは前進してくれ。その間に陣形を組み直す。大井を先頭。次に金剛、扶桑、高雄。その後に祥鳳。殿は神通の順に単縦陣を組む」

 

「オーケー。了解ネー」

直ぐさま、秘書艦らしくてきぱきとした口調で金剛が伝達しているようだ。

指示のもとに速度を落としたり早めたりして艦船の並びが入れ替わっていく。そして冷泉の指示通りの並びとなった。旗艦を先頭とするのが正式なのかもしれないけれど、ここは攻撃に即した並びとしている。

 

「よーし。このまま一列の単縦陣を維持し、1分後に逐次回頭を行う。速度は扶桑に合わせろ」

 

「了解ネー」

金剛が各艦に指示をする。指示をする際は言葉には出さないようだ。テレパシーかなんかなのだろう。

モニターを見ると敵艦隊は単横陣のままこちらを追撃してくる。



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29話

「祥鳳に指令。艦爆の出撃準備を急げ。めいっぱい爆弾を搭載し、とにかくなんでもいい、飛べるだけの数を発艦させろ」

冷泉は今回の遠征に際し、過去のこの領域攻略戦における情報すべてに収集して目を通していた。

その結果、この領域における全ての戦いにおいて出撃してきた艦船は、軽巡洋艦までだったのだ。空母は一切現れず、潜水艦の姿も確認されていない。ただ、当然ながらBOSS戦は行われていないため、それ以上の艦船が出てくる可能性は否定できないが、今回の戦いについて、冷泉の中では海域攻略を目標とはしておらず、とりあえずは敵BOSSを確認できれば十分な戦果だと考えていた。そして運良く攻略できればもうけものと考えていたため、精神的にはかなり余裕をもっていた。故に出撃に際し航空戦力による戦いは捨て、対艦攻撃能力のみに特化させていたのだった。

 

ただ、舞鶴鎮守府の艦隊における空母が祥鳳という軽空母一隻しかいないという事実から容易に予想はできたのだが、艦載機についても型遅れの機種しか無く、しかも数もギリギリしか無かったことには本気で怒りさえ覚えていた。

勝つつもりはあるのか! と。

 

主戦力である「九九式艦上爆撃機」だけでは足りず、倉庫で保管されていた「九六式艦上爆撃機」も積み込んでいる。さすがに九六式は複葉機でぼろっちかったが無いよりマシと思っていたが、飛び立つその姿をみて、本気で大丈夫かと自分の作戦なのに不安さえ感じた

ちなみに、航空機には人は搭乗していない。無人機のように見えるがはたしてどうなのだろうか。……通信機器はほとんどジャミングされて使えないこの領域であの数の航空機を同時に遠隔操作することなんてできるのかな。金剛に聞いたら「妖精さんが操縦している」とのことだった。彼女の言うことだからあまり当てにならないけれども、艦隊これくしょんでも確かに妖精さんが操作したり艦内の作業を行っているとのことだったから、まあそんなもんだろうか。いやそうなんだろう。きっとそうに違いない。たぶん。

 

「テートク! 隊列を整えたデース」

 

「よし、大井に指令。甲標的を発進させるんだ」

冷泉の指示を素早く伝達する金剛。

 

肉眼でも深海棲艦がはっきりと確認できる。相変わらず単横陣のままの隊列を維持してこちらに向かって来ている。

 

「テートク、大井から攻撃指令はまだ? だって」

 

「まだ射程に入っていないだろ? 撃って当たらないだろうし、そもそも届かないだろ。うーん。なんかまどろっこしいなあ。……なあ金剛、彼女の言っていることをそのまま伝えたりできるか? 」

 

「了解ネー。えっと、コホン。【提督、早く指示をお願いします。そう言ってる間に敵艦はどんどん近づいて来てるわ】」

【】部分については妙に作った声を出す金剛。どうやら金剛的には大井の声真似をしているらしい。あまり似ていないが。

 

ぽん! ぽん!

相変わらず敵は射程外なのに砲撃を始めるてくる。奴らは本拠地にいるわけだから弾薬の残量を気にする必要が無い。だからやたらめったらに弾幕をはってくるのだ。あわよくば射程外よりの砲撃こちらにもさせ、弾薬の浪費を誘うつもりなのだろうか。確かにさっきまでの艦娘たちの対応を見れば有効な作戦であることが分かった。しかし、敵の攻撃にこちらも同じように合わせたら、弾薬があっという間につきてしまうだろうな。

 

「【きゃー! 早く反撃の指示を!】」

悲鳴まで伝えなくていいんだけれども。

それでも緊迫感は伝わってくる。

 

「まだまだ。辛抱してくれ、大井」

 

「【え-。チッ、まったく使えない提督ね。ゲフンゲフン……提督、了解しました。私は提督の指示を待ちますね。】」

言葉は丁寧だが、かなりいらついた口調になっている。

「【ちょっとぉ~金剛、アレに余計な事を伝えないで!! 】」

声を潜めて伝えてくる金剛。二人はなんかやりとりしていますが、金剛が馬鹿正直にそのまま伝えてきてるので、ちょっと落ち込んでしまう冷泉。

 

そんなやりとりの中、大井から放たれた甲標的と敵艦隊との距離が縮まり、射程内となっている。敵は甲標的の存在を捕らえられていない。敵艦隊は4隻の艦のうち、右から二隻めの艦が突出している。

 

「よし、大井。雷撃戦を開始してくれ。目標は右から二隻目の駆逐イ級! 攻撃開始と同時に全艦最大戦速で前進してくれ。つづけて祥鳳に指示。艦載機を発艦させろ。全艦、攻撃は一番前に出ている駆逐イ級のみに集中。とにかくあれを撃沈する」

 

まずは甲標的の雷撃つづけて、艦載機による爆撃。そして砲撃。これをすべて一隻に集中させればさすがに沈めることができるだろう。これに成功すれば6対4から6対3となりさらにこちらが有利となるはず。

頭上を祥鳳から発艦した艦載機が通過していく。

 

大井の前方数百メートルをよたよたと進んでいた甲標的より二本の魚雷が発射される。完全に射程内。命中すれば敵も無事では済まないはず。

拡大映像としてもさすがに甲標的の潜望鏡は見えないが敵艦の前部右側に水柱が上がったのは確認できた。

「【やったー! 命中!! さすが私ね】」

はしゃぐ大井の声真似をする金剛の声が艦内に響く。

魚雷命中のダメージがどの程度かは分からない。艦これでの大井の雷撃なら駆逐艦クラスなら轟沈だろうが、これはまたゲームとは異なる。

追撃の必要性はあるだろう。

 

「航空機による爆撃を開始せよ。大井、甲標敵を回収開始。金剛は大井を追い越し砲撃戦を展開しつつ的艦隊の中央を突破する。扶桑、高雄は祥鳳を護衛しつつ続いてくれ。そして神通は回収中の大井を援護し、同様に中央突破してくれ」

 

「了解ネー。戦艦金剛、最大戦速で突っ込むネー!! 」

エンジン音がさらに高まり、戦艦金剛が加速する。

クレーンを出し甲標的を回収中の大井を追い越す。大井の周囲には敵艦からの砲撃による水柱が立っている。ただ、敵艦は祥鳳から発艦した艦載機に注意を奪われているせいか、無防備状態の大井への攻撃は散発だ。

黒煙を上げる駆逐イ級に次々と九九式艦上爆撃機および九六式艦上爆撃機の混成部隊の攻撃が続く。

 

 

「【何なの? 私、狙い撃ちされてるじゃない。被弾したらどーしてくれるの? あのバカ提督、マジ、ムカツクんですケドー。あ……金剛、これあれに伝えたら駄目よ】」

 

「ごめーん。伝えちゃった。【な、なんですってぇ! 今のは冗談ですよ、提督。金剛も冗談はやめてもらえる? てへ】」

 

漫才でもやってるのか、こいつら。

そんなことを考えるが、すぐに状況把握に努める。

艦載機の爆撃のうち数発がイ級に命中したようで、爆発が起こり、黒煙を上げている。どうやらかなりのダメージを受けたようでさらに爆発が続き、砲撃もできない状態だ。浸水もひどくなってきたようで、次第に傾きはじめている。

いわゆる大破状態。

 

全速力で疾走する金剛が敵艦隊に急接近する。

爆撃機への応戦に意識を取られていた敵艦隊もさすがに戦艦の接近に気づき、こちらへ砲撃を開始しはじめた。

一隻が金剛に向かってくる。

「よし、接近中の艦へ攻撃する」

 

「リョウカイ、私の実力、見せてあげるネー」

 

「いや、まだだ。……引きつけるだけ引きつけるぞ。いつでも砲撃できる準備はしておけ」

 

「えー! 」

不満げに声を上げるが、それ以上の言葉は無かった。

「ぐぬぬ。ここはテートクに従うネー。夫の言うことはまず全て受け止める。それが正妻の度量ってヤツネー。ふふん。もちろん、テートクの指示ですぐ撃てるように準備できてるョ」

どこでそんな言葉を覚えるのだろうか。聞いてみたいが今はそれどころじゃない。

 

駆逐イ級は砲撃しながら一直線にこちらに向かってくる。緑色の二つの目がさらに輝きを増し、口を大きく開いて威嚇してくる。歯茎のようなところまでむき出しにしている。

 

「あんなのに噛みつかれたら大変ネー」

早く砲撃しろということなのか、不安そうに金剛が呟く。

敵艦は速度を落とすことなく、一直線にこちらに向かいながら砲撃を繰り返す。

次第にその精度が上がっているようで、直ぐ側に着弾し水柱が上がる。

「テートク……」

不安げに金剛が呟く。

「当たらなければどんな攻撃も何の事は無い。敵の攻撃など気にするな。今は狙いを定めるんだ」

 

敵艦との距離はほとんど無い。

「金剛、今だ! 砲撃開始。敵をなぎ払え」

 

「了解、撃ちます!Fire! 」

前方で閃光と轟音。

戦艦金剛の連装砲が火を噴いた。

 

激しい爆発音と共に、前方より急接近中だった駆逐イ級に着弾する。敵艦は船体の上部が吹き飛び、激しい火炎を吹き上げる。

 

「直撃ネー! 」

金剛が声を上げる。

 

「速度を落とすことなく、敵艦の左を通過しながら追撃する。砲撃準備完了後、砲撃だ」

 

「リョウカイネー」

 

黒煙を巻き上げる駆逐イ級の横を通過しながら金剛が追撃を加える。

 

全弾命中。

至近距離からの戦艦の一斉射撃をまともに食らって無事に済む艦船など存在しない。しかもそれが駆逐艦であればなおさら……。

爆発を繰り返しながら駆逐イ級は沈没していく。

 

「やったネー! テートク、やったよー」

金剛がはしゃいで抱きついてくる。なんだか嬉しいけれど、今は戦闘中。デレる気持を押さえて指示を続ける。

 

「わかったわかった。よくやったよ、金剛。だが戦闘はまだ続いている。現状を報告してくれ」

秘書艦の報告によると、戦況はほぼ決したようだ。大井の雷撃と祥鳳からの艦載機の攻撃により駆逐イ級沈没。金剛の攻撃により駆逐イ級沈没。高雄、扶桑の攻撃により駆逐イ級中破。

艦隊は金剛を先頭に単縦陣を維持しつつ、敵艦隊を突破している。

 

「全艦、急速反転。敵艦隊の背後を突く。それと金剛、祥鳳に確認してくれ。艦載機の状況はどうなっているかを」

 

「現在、第二次攻撃隊の発艦準備を完了してるんだって」

すぐに報告が入った。

 

「さすがだな」

 

「てへ」

何故か金剛がデレる。

指摘しようと思ったがまあ良い気分になっているところを邪魔しても悪いかな。そういうことでここは何も言わずにおく。

 

「よーし、敵を殲滅するぞ」

すでに勝利は確実な状況ではあるが、確実に敵を倒し、敵の戦力を削いでおかないと。勝てるときは確実に徹底的に勝っておく。これは間違いない。

 

「リョウカイネー」

 

そして、舞鶴鎮守府第一艦隊は深海棲艦との最初の艦隊戦おいて完全勝利を収めることとなった……。

 



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30話

舞鶴鎮守府第一艦隊は、緒戦の勝利に酔いしれることなく、海域解放のための進撃を開始した―――。

……とはいっても、海流に流されるままに移動するだけなのだけど。

 

「なあ、金剛……」

 

「何ですか、テートクゥ~? 」

金剛は、どこからか持ってきた椅子を艦長席に座る冷泉の横へとくっつけるようにしてに並べた。そして、そこに腰掛けると上目遣いでこちらを見ている。

 

「あ、えと。なんか、全然速度が出ていないように思うんだけど、気のせいなのかな? 」

 

「当然デスよ、エンジンは切ってるからネー」

当たり前のように、むしろ冷泉が疑問を感じていることがおかしいかのように不思議そうな顔でこちらを見る。

 

「進撃を開始してるのに、何で進まないのかなって思ったんだけど」

何、当たり前の事を聞いてるのかな? といった感じで金剛が答えるため、何か自分が間違ったことを言ってるんじゃないかと不安になりながらも尋ねる。

 

「制圧前の深海棲艦の領域は、海図が存在しないのデース。つまーり、深海棲艦の領域に取り込まれてしまった世界は、かつてのデータは一切通用しない状況にまで書き換えられちゃってるのデス。だから、何度も何度も遠征を行い、その積み重ねで航路が判明していくワケなんデス。私たちはこの海域に進軍してからまだそれほど日が経っていまセーン。だから航路における分岐点がどこにあるかは全くもって未知なんデス。そんな中、進んでいっても燃料の浪費にしかならないネ」

 

「でも、エンジン切ってたら、ここに停泊しているだけなんじゃないのかな」

 

「テートク、No、Noネー」

人差し指を左右に振りながら金剛が否定する。

「外をよく見て欲しいネー。艦隊は動いているヨ」

そう言って艦橋の外を指さした。

確かに、外をみると外の艦は動いているのが分かる。

 

「領域には海流が幾本も有り、複雑に流れてマース。それらはいくつもの分岐を繰り返しながら、最終的にいくつかのルートが敵BOSSの元へと続いているワケ。だから私たちは分岐点を見つけたら、その時だけ向かうべき進路を決定するためにエンジンを点火シマース」

 

「そんなことしなくても敵ボスのところへ一直線に向かったほうが効率がいいと思うけど」

 

「NoNoネ。テートクは思ったよりせっかちさんだったんデスね-」

直ぐさま否定された。

「海流の流れに逆らって進んだとしても、【ヨクワカラナイチカラ】の干渉を受けるんですよ。そして、もとの海流に押し戻されちゃうか、運が悪ければ渦巻きに巻き込まれて大幅なロスをしてしまうことになるのデス」

 

「何それ、ヨクワカラナイチカラって」

と思わず突っ込んでしまう。

渦潮に巻き込まれたってことだけはゲームで体験してますが。

 

「ダ・カ・ラ……。ここは深海棲艦の領域(テリトリー)であることを思い出して欲しいデース。その原理や方法は全くワカリマセンが、通常自然界の摂理がこの領域の中では完全にねじ曲げられて、あいつらの都合のいいように書き換えられ変質されてしまってるノ」

 

「それじゃあまるでチートだな。ルールは敵が作っているっていうなら、絶対に勝てないじゃないか」

 

「うーん。その辺は良く分からないネー。でも、あいつらのチカラも万能では無いみたいで、さっきの戦闘でわかると思うけど、戦闘だけは普通に行われ、勝つ時もあれば負ける時もあるわけなのです。だから、それまでの間はこの世界のルールに従って進むしか無いワケなの」

 

「つまり森羅万象を奴らが完全に掌握している訳では無く、その一部を、限定的に、彼らに都合良く書き換える権限を与えられているだけだと。深海棲艦の固有結界の中に引き込まれている訳ではないということだね。空想具現化は完全ではないと。ふむふむふむふむ。つまり、領域と呼ばれる世界の真理を解析することができたなら、奴らを出し抜くことも不可能では無いということか……」

 

「えとえと、何言ってるか分からないネー」

金剛が心配そうにこちらを見ている。

 

「あ、ごめん、いや、気にするな金剛。独り言だよ。つまりは、無駄に流れに逆らっても結局は引き戻されるだけだから、移動については流れるに任せるということだよね」

妄想から現実へとシフトする。

 

「そうデース。あいつらの領域外なら、反重力リアクターエンジンによりほぼ無限の移動能力を持っているんだけれど、この領域の中ではそういったテクノロジーは【稼働限定指定】とされているワケ。だから化石燃料による移動手段を使うことになっちゃうわけで、おまけに武器も実弾系に制限されてるの。……まだ調査がほとんどできていないこのエリアをむやみやたらと移動しちゃうと燃料切れで立ち往生なんてことになっちゃう可能性が高いネー」

 

「つまり、極力、燃料消費を抑えなければならないから、エンジンを切って海流の流れに身を任せているってわけなんだな。……海流の流れの先に敵がいるわけだから、理にかなってるってことか」

 

「海域を制圧できればいいけど、できなくて撤退する場合は流れに逆らって来た道を帰らないといけないから、その燃料もきっちり残しておく必要があるネー」

 

「なるほど。だいたいは分かったよ」

 

「敵艦隊との交戦がいつになるかは分からないから、常に警戒はしておく必要がありマスけどね」

 

「いつ敵艦隊と接触するかは分からないのか? 」

過去何度かこのエリアに来てるだろうから、緒戦・次戦くらいの接触ポイントや構成は把握できているんじゃないだろうか?

 

「基本的には海流の分岐点が艦隊戦の場所になるケド、遊撃的に動いている奴らもたまにいるから何ともいえないネー。でも、まああと一日くらいは遭遇しないと思いマスよ」

少し考えた後、金剛が答えた。

かなり適当に答えたように感じられたが。

 

そして、彼女の言うとおりに何事もなく夜が更けていく。

 

慣れない(慣れるわけが無い)戦場。そして、いつ戦闘が起こるか分からない状況に対する異常なまでに精神が張り詰めた状況が続く。

何か食べないとこのままじゃ保たないな、と思い途中で買い物した携帯食を食べようとするが、何故か味が感じられなかった。スポンジか段ボールを口に含んでいるような気がしてとても食べられる味じゃ無かった。島で試食したときはそれなりに美味しかったような気がするんだけど。これも領域の影響下にあるものに該当するのか。それとも単に緊張しすぎているせいなのか。

仕方なくミネラルウオーターを飲んで誤魔化すしか無かった。

 

空腹なのに食べるものがのどを通らない。眠さをかなり感じているのだけれど眠れない。

この体の変調も領域の影響なのだろうか。

 

椅子に腰掛け、隣に座る金剛を見る。

彼女は真剣な表情でモニタを見つめている。

かすかに唇が動いて何かを話しているように見える。おそらくは他の艦娘と通信しているのだろう。

彼女は休むことなく各艦娘と交信を交わして状況把握を行っているようだ。時折、状況を冷泉に教えてくれる。

「特に異常なし」と。

 

休むことなく食事を取ることもなく、疲れなどまるで見せないそのタフさは、彼女たちが人で無く人を超越した存在であることを示す一つの証拠といえた。

戦地においてはこちらから話しかけない限り、金剛でさえ普段のあのボケボケぶりを見せない。

 

艦橋の窓から見える風景は暗闇に覆われたままで、かすかに他の艦の明かりが明滅しているのだけが見える。

灯りの明滅を見ているとうつらうつらとしてくる。

 

「テートク、何かあったら起こすから、寝たらどーです? 」

心配そうに声をかけてくる。

 

「うん、そうだね」

彼女の言うことが正しいのは分かってる。だから背もたれを倒し目を閉じてみる。しかし、そうすると何故か急に艦隊戦の光景が浮かんでしまう。そうなると次の戦い方を意味も無く考えてしまうし、敵艦との戦いで誰かが犠牲になってしまうような嫌な予感がして不安になってしまう。駄目だ駄目だと思い目を開いてしまう。それを何度も繰り返すだけで休むことなんてとてもできそうにない。

おまけに、まだ体調も万全とはいえない状態での出撃で、いつも以上に疲労が蓄積されていっているのがはっきりと認識できる冷泉。

 

それにしても、やはりおかしい。

 

この疲労感は普段では考えられないほど、ありえないものだ。

人間が深海棲艦の領域に行かないのは、あながち戦場に行くのが嫌だからだけではなかったのかもしれない。

冷泉は少し考える。やはり、個人的に感じている緊張や興奮以上に、この領域の何かが悪影響を与えている可能性も考慮すべきなのかもしれない。

 

いろいろ考えてみるが、そんなことお構いなしに時間だけは経過していく。そして疲労だけが蓄積されていく。

冷泉は起きてはいるものの、なんだかもやがかかったみたいに思考がはっきりとせず、何を考えても上滑りしているようにさえ感じ、少し不安になるが、すぐにそれも何故不安になるのかが良く分からなくなっていた。

 

やがて外が白み始め夜明けが近いことを知らせる。

ただ、冷泉の知る朝ではないが。

 

そして、運が悪いことに雨がパラつき始めた。

「Oh! 霧まで出てきたネー」

 

いつのまにか霧のようなモノが立ちこめてきていて、次第に視界が狭まっていく。

見えていた各艦娘の灯りもぼやけて次第に見にくくなって行っている。

 

「これはひどいな」

 

「領域の天気は変わりやすいね。悪天候での艦隊戦は良くある事ネー。だから大丈夫デース」

不安げに呟いた冷泉を励ますように金剛が答えた。

 

これは明らかにいい状況ではない。霧が濃くなれば航空機が発艦できない。航空機による偵察が不可能となると索敵が弱くなる。敵に対するアドバンテージといえる索敵能力をそがれてしまうと、地の利がある敵に有利だ。おまけに雨まで降り出して視界がさらに悪くなる。水上機の発進も無理のようだ。

 

仕方なく巡洋艦大井と神通が索敵のため艦隊から前後に大きく離れて索敵に当たらせることとした。

 

それから、それぞれの艦同士がこの霧の中で誤って衝突を起こすような事態を避けるため、普段より距離を取るように指示を追加。

いろいろと金剛経由で指示をし終わると、急に眩暈がして、倒れそうになる。

 

「テートク、大丈夫? 」

 

「ああ。大丈夫だ。ちょっとふらついただけだから」

心配させないように笑顔を作ってみるがこわばっていたのだろうか。

「もー! テートクは限界を超えてマース。ここは妻を信じて休んで欲しいのデース!! 」

そういうとどこからかマットレスを運んできた金剛。

無理矢理冷泉を押し倒す。

「ひゃ! 」

なぜか情けない声を出してしまう冷泉。金剛はマットレスの上に座ると冷泉の頭を自分の膝に乗せる。

「目を閉じて、少し休んでくださーい。何かあったら起こしマスから……ね」

そういって冷泉の頭を撫でる。

金剛の太ももの感触。頭を撫でる柔らかく小さい手。それは何故だか冷泉の気持を次第に落ち着かせていく。

「すまない」

そういうと、冷泉は瞳を閉じた。

微かに聞こえる風や波のような音だけが聞こえてくる。

次第に意識が眠りの世界に沈み込んでいきそうになるのを遠くに感じていた。

 

しかし!

唐突に艦内にアラームが鳴り響く。

 

冷泉は慌てて目を開く。一瞬、現実なのか夢なのか区別できなかった。

「な、何事? 」

 

「もう! せっかくテートクが休めるところだったのに」

忌々しげな口調で金剛が呟く。

 

「テートク、敵襲です」

そう言って敵と遭遇を知らせる。

 

「な。……金剛、状況を教えてくれ」

 

「敵艦6隻。距離至近」

 

「なんだと」

驚愕。

 

「敵はこの雨と霧を利用して、距離を詰めてきてたみたいネー」

 

モニタに映し出された映像には鎮守府艦隊の隊列をど真ん中を遮るように、6隻の艦影が映し出されていた。



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31話

舞鶴鎮守府第一艦隊は、単縦陣の横腹を急襲され、艦隊を分断される形となってしまった。

 

「敵は巡洋艦2隻、駆逐艦2隻……ううん、まだまだいるみたいダヨ。駆逐艦4隻! どーしようテートク! 」

なんとか敵の艦種とその内訳を伝えようとするが、声がうわずる。

 

モニタに映し出された艦影の上にポップアップされるウィンドウを注視する。

 

軽巡ヘ級    2

 

駆逐イ級elite 1

 

駆逐ロ級  3

 

まずいな……。艦種を見て最初に思ったのはそれだ。さきほどの艦隊とはレベルがまるで違う。そしてさらに奇襲を受けている。

さて、どうすればいいのか。

 

気づかないうちに縦長になってしまっていた艦列の土手っ腹を付かれてしまい、大井・扶桑・祥鳳・高雄と冷泉のいる金剛・神通の二手に分断されてしまっていた。しかも、大井と神通は索敵のため相当な距離を開けて索敵を行っていたため、全速力で戻ったとしてもすぐには合流することはできないだろう。

 

戦艦二隻、軽空母一隻、重巡洋艦一隻を擁するこの艦隊も、たとえ偶然とはいえ、分断されているため、いつの間にか数的不利な状況に追いやられてしまっている。

それだけではなく予想外のタイミングでの敵との遭遇のため、艦娘たちには動揺し混乱している。

雨、霧、風。

冷泉の艦隊にとっては、ただただ不利な条件でしかない。艦載機が出せない為に巡洋艦に索敵を任せざるをえず、兵力を分散させてしまった。気象条件だけで空母および軽巡洋艦の三隻が戦力計算できない状況にされてしまったのだ。

 

しかし、すぐに気持を立て直そうとする。現状から苦戦は必至だが、嘆いても仕方がない。とにかく味方と速やかに合流し、体制を立て直すこと。それが完了しなければ勝敗を論ずることさえできやしない。

 

「金剛、心配するな。俺たちはまずは神通と合流する。そして扶桑たちと連携し、反撃する。扶桑たちにも伝えてくれ。大井と合流しつつ、敵を挟撃すると。」

と言ったものの、状況は芳しくない。

合流するにしても時間が掛かかりそうだが、それを口に出せば金剛が不安になるだろう。

 

「しかし、どうやら敵は時間を与えてくれないようだな」

モニタを見ながら冷泉は呟いた。

 

「テートク、敵艦隊は二手に分かれて攻撃してくるみたい」

と遅れて金剛が状況を伝えてくる。

 

軽巡ヘ級1隻、駆逐イ級elite1隻 駆逐ロ級1隻が高速でこちらに接近して来ている。

それ以外の艦は扶桑たちと交戦するつもりらしい。

 

好むと好まざるとに関わらず、

①金剛VS巡洋艦1駆逐艦2

②扶桑空母重巡VS巡洋艦1駆逐艦2

で艦隊戦が始まることとなる。

 

戦力的にはこちらが優位であることに変わりはない。しかし、奇襲をかけられたため、いつの間にかこちらが数的不利な状況に追いやられてしまっている。

 

雨は未だ降り止まず、霧も先ほどよりはわずかにましになった程度でしかない風は未だ強く波も高いままだ。艦は波に上下に揺られている。

 

現状のままでは、とても艦載機の発艦は不可能だ。

 

「空母の航空戦力は計算できないか……」

思わず呟く。

金剛は、不利な状況で3隻を相手にしなければならないわけだ。

 

「テートク、私に任せて下サーイ! 敵をぶっ飛ばしてやるネー」

考え事をしていた冷泉が不安げに見えたのだろうか。自らを鼓舞するかのような口調で金剛が答えた。

 

確かに現状は劣勢となっているが、扶桑たちチームがに大井が合流すれば数的能力的にも上回る。扶桑たちが敵をなぎ払い、こちらに援護に駆けつけることができれば、形成は逆転するだろう。

 

しかし、奇襲による混戦のため、戦力的には互角以上に戦えるはずであっても扶桑たちも苦戦は避けられないだろう。

 

金剛はさらに状況が悪い。

3つの敵を相手にしなければならない上に、初戦の敵より格が上の艦船が襲撃して来ている。軽巡洋艦に駆逐艦。その中には能力的には一般駆逐艦を遙かに凌駕するeliteまでいるのだから。

 

まだ射程外でありながらも敵は砲撃を始めながらこちらへと向かってくる。

金剛の近くに水柱が複数立ち上がる。

先の艦隊戦の敵と比べ明らかに着弾する精度が高い!

 

「回避運動を取りつつ敵との距離を保つんだ。……神通と合流するまでむやみに戦火を交える必要は無い」

と冷泉が指示する。

しかし、金剛には聞こえなかったのか、正面から接近する巡洋艦と駆逐艦に対し、金剛の主砲が轟音とともに火を噴く。

 

―――まだ距離が遠い。この距離で命中するはずがない。

 

「何をやってる、金剛。こんな距離から当たるはずがない。無駄に弾薬を消耗するんじゃない」

 

しかし、冷泉の予想に反し駆逐艦から爆発音と共に火柱が立ち上る。

「ひゃっほうー!! 命中!! テートク、やったヨー」

横で飛び上がり歓声を上げる金剛。

 

冷泉の視界に表示された敵艦のステータス表示。

攻撃が命中したのは駆逐イ級のはず。

 

駆逐イ級elite 耐久値 34/35

 

今、砲弾が命中したはずの敵艦のHPバーはほとんど減っていない。

 

睡眠不足のために、頭にもやがかかったようで、ぼんやりしていていまいち思考がうまくいかないが直撃ではないことが分かった。しかし、たとえ掠めただけだとしてもあの火柱。戦艦の主砲を受けてあの程度のダメージの筈がない。なのに……。

「気を抜いちゃだめだ、金剛。弾は擦っただけだ……」

 

「うっそー! でも火柱が上がっているよ。黒煙もモクモク出てるしー」

駆逐イ級からは、激しい火花と黒煙が立ち昇っている。その黒煙は風に乗り横へとたなびき、濃密な黒のままそして広がっていく。

風下になっているこちらの方へと黒煙が流れてきている状態だ。

肉眼での見た限りでは敵の運が良くても中破状態、普通に考えれば大破状態と判断して間違いない状態だ。しかし、冷泉の視界に表示されるステータス画面ではほとんどダメージを受けていない。

 

巡洋艦が金剛の砲撃エリアから逃れるように蛇行しながら砲撃を繰り返しながら高速移動している。あともう一隻は……。

黒煙の中、もう一隻の駆逐艦がいないことに気づく冷泉。

 

ステータス画面も消えている?

 

「金剛、気をつけろ、もう一隻の駆逐艦がいない」

 

「え? 」

 

「金剛! 右だ」

視界の隅にステータス画面をとらえた冷泉が警告する。

いつの間にかもう一隻の駆逐艦が黒煙の中、冷泉たちに気づかれることなく接近していたのだ。

敵艦から立ち昇った黒煙は金剛の攻撃により被弾したためではなく、金剛の攻撃に合わせて敵が使用した煙幕のだったのだ……。巡洋艦の砲撃もこのための陽動なのだ。

「クソ! なんで」

こんな単純な手に引っかかってしまうとは。

 

しかし、冷泉の思考などお構いなしに駆逐艦が砲撃を始める。さらには反対側からは巡洋艦が砲撃をしてくる。

そして黒煙を上げていたはずのもう一隻の駆逐艦がその黒煙の中から飛び出して来ながら砲撃を始める。全くの無傷で。

金剛は何を攻撃していいかが瞬時に判断できず、砲撃をするだけだ。

 

「もう! どこ撃てばいいのぅ! 」

 

そして側面から肉薄するロ級が魚雷を放った。さらに前方の駆逐イ級、そして軽巡ヘ級が続けて雷撃を開始する。……三方向より白い軌跡がこちらに高速で向かってくるのが見える。

 

「金剛、魚雷が来る。回避運動を取るんだ」

付近に砲弾が着弾し水柱を立て、金剛の移動範囲を狭めようとする。敵艦三隻は、意図的に回避ルートを狙って砲撃を加えてくる。

金剛は弾幕の中、必死で回避運動を行い、二本の魚雷はなんとか回避する。しかし、回避した先に最後の一本の魚雷が直進してきていたのだ。

 

「oh no! ダメー、回避不能!! テートク、駄目デース。衝撃来るネー。伏せてぇー」

金剛が冷泉を庇うようにして抱きしめる。

 

ドーン!

 

激しい爆発音が聞こえる。しかし続いて来るはずの衝撃が無かった。

 

「誤爆か? 」

 

思い閉じた目を開くと、戦艦金剛を庇うように一隻の船が駆逐イ級と金剛の間に立ちふさがっていたのだった。

 

「神通! 」

 

「神通!! 」

 

二人同時に叫んでいた。

 

なんと、あの距離を全速力で帰ってきた神通が金剛を庇って盾となり、敵魚雷の直撃を受けたのだった。

たとえ移動に全エネルギーを費やしたとしてもこの短時間では到達不能だったはずなのに、彼女は金剛と合流した。さらには金剛を直撃する筈の魚雷を身を挺して防いだのだ。

 

神通の左側面から黒煙と火焔が巻き起こる。

続けて敵の砲撃が神通に降り注ぐ。



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32話

なんと、あの距離を全速力で帰ってきた神通が金剛を庇って盾となり、敵魚雷の直撃を受けたのだった。

しかし魚雷を放った駆逐艦は猛然と砲撃と突撃をかけてくる。

 

降り注いだ砲弾は海面にいくつもの水柱を立ち上げる。

その内の何発かは神通の船体に直撃し爆発する。

 

「神通、大丈夫か」

叫ぶが当然ながら彼女まで声は届かない。

 

「損傷は受けてるけど、大丈夫ネー」

すぐさま金剛が状況を報告する。

 

「よし、金剛、神通の前へ。神通を下がらせろ。彼女を援護するぞ」

 

「リョウカイ! 」

 

その時、何故か悲鳴のようでもあり雄叫びが聞こえた。

その声は神通のものだった。しかし、いつもの自信無げな弱々しい彼女の声とは思えない程、力強く猛々しいものだった。

 

神通が黒煙を巻き上げながらも前進を開始したのだ。さらに敵駆逐艦に向けて使用可能な砲塔一斉射撃を開始する。

 

「神通に伝えるんだ。後退しろって」

 

「もう何度も言ってるネー。でも、あの子が言うこと聞かないヨー」

 

神通は突撃をかけてくる敵駆逐艦に対して回避運動をすることをしない。そして、敵駆逐艦も同様に一直線に向かって来ている。

砲撃が繰り返され、まさに双方ノーガードの打ち合いだ。

当然ながらどちらの艦もが被弾する。

神通にも着弾し、主砲が吹き飛ぶ。艦橋付近にも着弾し黒煙を巻き上げるが、彼女はまるで怯まない。それどころか更に速度を上げて敵艦へと突撃していく。敵弾を何発も浴びながらもその攻撃がまるで利いていないかのように速度を落とさないその姿は、狂気さえ感じさせるほどの鬼気迫るものだった。

 

ついには駆逐イ級が神通の迫力に圧倒されたのか、回避行動を取りはじめた。

 

勝敗は決した。

 

一気に攻勢を強めた神通の砲撃が敵駆逐艦をとらえ、放った魚雷が敵艦に命中し次々を火柱を上げる。

次の刹那、大爆発を起こし、艦尾を持ち上げて沈没していった。

 

「やったネー! 」

金剛が叫ぶ。

 

神通の攻撃はそれでは終わらなかった。援護のために接近してきた駆逐イ級eliteに向け神通は転進する。そして残った使用可能な砲塔から砲撃。

 

しかし状況は良くない。被弾損傷した神通を狙い、軽巡ヘ級がヒト型の上半身を大きく揺さぶり砲撃を行いながら接近して来る。2対1となると、被弾のため損傷が激しい神通では危ない。

敵は自らの被弾を恐れることなく、被弾した神通を沈めに来ているらしい。回避運動など全く取らない。死を(そういった概念があるかわからない。そもそもあれが何なのか分からない。人が乗ってるのかも不明)恐れることなく敵を倒そうとするのは機械だからなのか、それとも生物としての本能なのか。

 

しかし、神通をやらせるわけにはいかない。

 

「金剛、敵巡洋艦に火力を集中させろ。神通を守るんだ」

 

「了解ネー! 主砲、砲撃開始!! このぁぁ」

金剛が前方より神通へ接近する巡洋艦に向けて砲撃を加える。すさまじい音を立てて4基の35.6cm連装砲が火を噴く。

しかし、全く命中しない。それどころか、まるで命中する気配が無いほど見当違いの方向へと着弾する。

 

「も、もう、なんで当たらないんの-! このこのこの、当たれ当たれー」

距離は近づいているというのに、まるで当たらない。

これは金剛の射撃制御コンピュータの故障か何かかと疑いを持ってしまう。

 

「どうなってるんだ、金剛」

 

「私にも分からないヨぅー。こんなことありえない」

苛立ちを隠せないような口調で金剛が答える。

真剣に狙ってこの結果。どうやら普段とは違って何故か射撃系に問題が発生しているらしい。

 

「分かった。リスク覚悟で行くぞ、金剛。敵との距離をさらに詰めろ。こうなれば接近戦だ」

 

「了解」

金剛がエンジン出力を上げた。押されるような加速感とともに進撃を始める。

一気に巡洋艦との距離が縮まっていく。

 

その時、神通に接近中の駆逐艦が爆発し、火柱が上がる。

急接近を試みていた軽巡洋艦がそれに反応し、急に反転運動を開始した。同時にその巡洋艦の付近にも水柱が幾本も立ち上がる。

 

「OH! 扶桑たちが来たネー」

扶桑、高雄、祥鳳、そして大井の4隻が隊列を組んでこちらに向かってきているのが見えた。

彼女たちの後方に敵の巡洋艦と駆逐艦が見える。しかし敵駆逐艦からはもうもうと黒煙が上がっており、まともに進むことができないようだ。巡洋艦のほうも被弾しているようで、同様にこちらに来られる状況ではないようだ。

 

兵力差は歴然と判断したのか、軽巡ヘ級は信号弾を打ち上げた。それを合図に他の艦船も転進し撤退していく。

 

「ふう。なんとか助かったか」

冷泉は大きくため息をつくと、椅子にもたれ込んだ。

 

不意打ちを受けたとはいえ、敵の作戦の前に被害は甚大。撃退したものの決して勝利とは呼べない戦果だった。

 

「金剛、艦隊の被害状況を教えてくれ」

 

「了解」

金剛の報告によると以下のとおりだった。

 

○艦隊戦の結果

 

【戦術的勝利】

 

MVP 軽巡洋艦:神通

 

 

敵の被害

轟沈 駆逐艦 2隻 

中破 巡洋艦 1隻 

小破 駆逐艦 1隻 

 

舞鶴鎮守府 

中破 巡洋艦(神通)

小破 巡洋艦(大井) 戦艦(扶桑)

 

となった。

 

鎮守府艦隊の被害状況の詳細として、扶桑は主砲1基使用不可。祥鳳を庇いつつ、敵への攻撃より金剛の援護を優先したために攻撃され放題だったため被弾。

大井も主砲使用不可。甲標的ロスト。同じく大井も合流を急ぎ敵艦隊の砲火の中を突っ切ったために被弾している。甲標的を発進させ攻撃を加え敵に損傷を与えるも砲火を浴びて沈没。

神通についてはその損傷は激しく、機関部はかなり深刻な状況。火災と浸水は収まったものの出力が通常時より相当に低下している。主砲使用不可。魚雷発射管損傷により使用不可。ほとんどの武器は使用できない状況。

 

 

「なるほど。気象条件が変わらなければまともに戦えるのは金剛と高雄の2隻のみということになるな。仮にこの天気が回復しても空母が追加されるだけとなり、まともな戦線を構築することは不可能だな」

過去の攻略資料を確認すると、以後、この領域内での戦闘においては巡洋艦の比率が上がることや敵は6隻であることを加味すると、どう考えても厳しい戦いとなる。

 

「これ以上の戦闘継続は不可能だな。今回は撤退するしかない」

と、冷泉は判断せざるを得なかった。

「これより撤退する」

 



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33話

冷泉は重巡洋艦高雄を先頭、殿を旗艦金剛とし、被弾した艦船を守るよ陣形での退却を指示する。

撤退と聞いた時、金剛の顔がほんの一瞬だけど曇り、冷泉に何かを言いたそうだった。普段なら思ったことをすぐにワイワイ言ってくる彼女が何も言わなかったことは少し不思議だったけれど、問いただしはしなかった。

それよりも今は撤退を急がなければならない。

 

損傷した艦船が多いため、最大速度での撤退など望めないけれど、かといってのんびりと撤退するわけにもいかない。

高雄を先頭とした陣形で、冷泉の艦隊が撤退を始めた。

 

しかし、予想されていた事だが、すぐに神通が遅れ始めた。彼女の後ろを行く扶桑が減速をし、さらに後方の祥鳳も減速してしまう。殿の金剛に至っては完全に停止してしまいそうだ。

予想以上に神通の航行速度が遅くなっているのだ。

 

「金剛、速度を落としてくれ」

速やかに指示を出す冷泉。

 

モニタに映し出される神通の姿を見つめる。

冷泉の予想以上に、彼女の船体及び機関へのダメージが深刻なようだ。確かに船体自体が少し右に傾いているようだし、浸水の影響で吃水線の位置もだいぶ上に来ているように思える。

 

「金剛、全艦に指示。速度を神通に合わせる。また、索敵の状況は逐一知らせてくれ」

 

荒れていた天候はすでに回復している。雨もやみ、風も収まったため、各艦から索敵機を複数、出させている。

金剛の話によると、基本退路に敵は現れないらしいので、後方より追撃をかけてきている艦隊がいないかを確認するために艦載機を発進させているのだ。

なお戦闘に備え、祥鳳には雷撃装備を搭載した攻撃機をいつでも発艦できるよう待機させておけと指示している。

 

過去の戦闘データから、この領域の敵に航空戦力は無いはずのため、空母があるこちらはまだまだ有利な状況なはずだ。

 

「……」

金剛が何かを呟く。どうやら偵察機からの報告が入ったようだ。

 

「テートク、偵察機より報告ネ!。後方に敵追撃艦隊の姿あり。詳細な艦種については不明だけれど、重巡洋艦1 軽巡洋艦3 駆逐艦2の計6隻。……こちらに向かい高速で接近中」

情報を伝えてくる金剛の声は、かなり緊張していた。

 

「そうか……」

予想はしていたとはいえ、思った以上に追撃がかかるのが早い。そして追撃部隊は先ほどまで交戦したどの艦隊と比べても、数・質ともに強大で明らかに手強い。

まともにぶつかったとしたら、これまでの鎮守府艦隊の戦いから考えるに、こちらが苦戦する可能性が高い。それどころか今はまともに戦える艦船が半分しかない状態だ。ひいき目に見たとしても……勝ち目があるとは思えない。

 

「金剛、現在の艦隊の移動速度のままだとして、どれくらいで敵に追いつかれる? 」

 

「今のままの速度だと領域からの脱出は不可能。そして、一時間程度で敵の射程に入るネー」

 

全艦が無傷ならば、一番艦速の遅い扶桑の速度に合わせたとしても、現在の敵との距離からすると楽々にこの領域外へ撤退できる安全マージンがあった。しかし、それだけの距離が離れていたというのに、追いつかれるてしまうほど艦隊の速度しか出ない、……つまり神通の速度が遅くなっていたのだった。

 

「テートク、このままでは追いつかれてしまうネ……」

考え込む冷泉に対し、遠慮がちに金剛が呟く

 

「ああ、それは分かってるよ。やはり、この速度だとすぐに追いつかれるのか。……なんとかして敵を退ける方法を考えなければいけない……な。航空戦力で牽制して時間を稼ぐか。それとも金剛、高雄はまだ無事だから……」

 

「えっと、テートク。どういうつもりでそんなこと考えてるのか分からないけド……何を言ってるのか分からないヨ。あのね、考え込んでいる時間、あんま無いんだヨ……辛いけど、私たちに指示をして欲しいネ」

 

「ん? それは、一体どういうことだ?」

冷泉は秘書艦が何を言っているのか分からなかった。

「俺が戦う以外にお前達に何を指示するというんだい」

 

「……このまま神通の速度に合わせて艦隊を進めていたら敵に追いつかれてしまうネ。だからネ、だから艦隊に最大速度で撤退する指示をして欲しいのネ。いえ……命令して下サイ」

 

「な、艦隊の速度を上げたら神通がついてこられないじゃないか。まさか……金剛、お前は神通を見捨てろというのか! 」

 

「今の距離なら、最高速度で撤退すれば敵に追いつかれること無く領域から離脱できるネ。でも、神通の速度に合わせて撤退しようとしたら、確実に敵と交戦することになっちゃうネ。現在の戦力では艦隊は更なる被害を受けるだけ。それどころか、全滅するかもしれないね。ううん、たぶん、その可能性の方が高いネ」

 

「しかし、神通は俺たちを守って損傷を受けたんだぞ……」

 

「テートク、神通の行動は軍艦としては、とてもすばらしいことだと思うヨ。でも旗下の艦船がその旗艦を守るのは当然のことナンダヨ。そして、さらに艦隊を守るために犠牲になることは、艦娘たちはみんな最初から覚悟してることダヨ。それはみんなが今まで当然のように行ってきたことだし、これからもずっとしていくこと……。悲しいけど、これが戦争なんだよネ。テートク、冷たいかもしれないけど、艦隊を守るために、いいえ、他のみんなを生かすためには、神通をおいていくしかないのデス。神通だってそのつもりデスよ」

当然のように秘書艦が言う。

 

「でも、神通は」

 

「テートクが言いたいことは私も分かってるネ。……でもこれは仕方の無いことなナンダヨ。どうしようもないことネ。私だってそんなこと今更テートクに言われなくたってわかりきっていることデス。誰だって仲間を見捨てたくなんて無いネー。救えるものなら救いたいヨ。でもね、でもね、私たち軍艦は敵を倒すためだけに存在のものナンダヨ。そして艦隊のために存在する。誰か一人の犠牲で他の艦が生き延びることができるのなら、当然それを選択するしかないでショウ? いえ、みんな当然のこととして、そうするネ」

 

「お前の言うことは分かるけど、辛くはないのか? 」

 

「それに、これは制御命令(control instruction)に関係する事だから、私たち艦娘は逆らうことができないのデス。そして、それ以前に私はこの艦隊の旗艦な。私情に流されるわけには行かないの。テートクのお立場なら私以上に分かるでショウ? 神通を見捨てたくない。でも、そうしない艦隊が全滅する危険がある。ねえ、テートク、この状況からみんなを無事に帰還させる方法があるなら、教えて欲しいネー」

極力冷静に、諭すように話していた金剛の声が最後には少し上ずっていた。言葉を詰まらせながらもさらに続ける。

「仮にテートクがそう判断したって、追撃してくる艦隊の戦力からして、今の私たちでは勝てっこないヨ。だから、もう何を言っても仕方ないこと。議論しているうちに貴重な時間がどんどん減っていくネー。私たちは、たとえ誰かを犠牲にしてでも生き残らなければならないの。それに今は鎮守府提督までが船に乗ってるんだよ。司令官までも死なすわけには、絶対にいけないネー。そもそも、これは決められている事。それに背くことは重大な軍法、軍紀違反……テートクだって処断されるかもしれないね。……もっとも生きて帰れたらだけれども」

 

小の虫を殺して大の虫を助ける……わかっているがその現実を目の前に突きつけられたとして、それを受け入れることが自分にはできない。けれど、秘書艦に突きつけられた現実を打開する妙案は浮かばない。

「クッ……分かった。お前の言うとおり、やむを得ないことだとわかった。艦隊旗艦でない限り、見捨てるしかないということなんだよな」

金剛もつらそうに頷く。

「最後に艦隊司令として神通と直接話がしたい。それくらいの時間を取ることは可能だろう?」

彼女は言葉通りに受け取ったようで、つらそうに頷く。

「了解ネ……」

 

冷泉が甲板に出ると、よろよろと進む神通に金剛が横付けする。

金剛から連絡を受けたのか、甲板にはすでに神通が待っていた。何故か服がはだけて胸元を両手でかばうようにしている。頭を打ったのだろうか? 額から出血もしているようだ。

 

「テートク、ちょっと待ってね、今から舷梯を……」

 

金剛が神通との間に船はしごをかけるより早く、冷泉は二隻の軍艦の高低差をものともせず、神通の甲板に向かって、飛んだ。

背後で金剛が悲鳴に似た声を上げる。

 



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34話

そりゃ金剛もびっくりするよなあ。結構高さあるし……。

 

というか、飛んだ瞬間、自分の足下を見て金剛の甲板と神通の甲板との高低差が想像以上にあったことに驚き、でも今更どうすることもできずにそのまま落下していく状況。上手く着地しないと、失敗したら骨折だな。そう思った時には神通の甲板が異常接近している。

着地の瞬間、体を支えきれず、ごきって嫌な音がして足首を捻ってしまう。さらに着地の勢いを吸収できずに転倒する。転倒するというより、勢いを制御できずに転がったというほうが正解。

 

ごろんごろん。

 

甲板の上を何回か転び、全身を甲板に打ち付けてながら、なんとか停止した。そして足首に走った激痛に悲鳴を上げそうになるが、懸命に痛みをこらえ、なんとか立ち上がる。

しかし、顔がその苦痛のため、歪んでいたはず。

格好良く飛び降りたつもりなのに転んでしまい、逆に格好悪い。恥ずかしさで興奮状態にあり、まだ痛みをそれほど感じないのかもしれない。……そうはいっても、やはりかなり痛いのだけれども。

捻ったほうの右足首は動かそうとしたが、動かない。もしかすると折れてるかも。

けれど、その痛みのおかげで、この領域に入ってからずっと頭に靄がかかっていたようになっていた目が完全に覚めた気がする。

 

神通が倒れた冷泉のもとに駆け寄ってくる。顔が真っ青だ。

「提督、大丈夫ですか! 」

 

「……あ、心配させてごめんな。俺は、このとおり大丈夫だよ」

ちょっと動くだけで激痛が走るが悟られないように我慢し、なんとか笑って見せる。

 

「よかったぁ……」

本気で心配していたようで無事であることを知り、ほっとしたようだ。

 

「それより、お、お前こそ大丈夫なのか……」

 

「すみません、提督。……私、ドジっちゃいました」

はにかみながら笑顔を見せる。

「軽巡洋艦のくせに無理をしすぎちゃったみたいです、ね」

 

「航行は可能なのか? 」

 

「はい、一応は可能です。でも、ご覧の通り、速度は全然でませんね。……でも、でも私は大丈夫ですよ」

一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻る。

「提督が無事に領域から撤退できるくらいの時間は、私が稼いで見せますから! 」

 

無理に笑顔を作る神通の姿が冷泉にとって痛々しく、次の言葉がなかなか出てこなかった。。

「……何を言ってるんだ。お前も一緒に帰るに決まってるだろ? 」

その言葉に彼女は一瞬、怯んだような顔をしたが、すぐに首を振る。

「そんなの無理に決まってます。敵はすでに追っ手を差し向けて来てます。だから、艦隊が私の速度に合わせて撤退なんてしていたら、すぐに追いつかれてしまいます。今の艦隊の被害状況だと、とても敵を撃退なんてできません。今より、もっともっと損害が増えてしまいます。提督……心配しないでください。私、大丈夫です。まだ弾薬には余裕がありますから、私が必ず時間を稼いで見せます。……軽巡洋艦、神通の最後の戦いを見てください」

そう言って笑う。その言葉に嘘はないだろう。彼女の言葉には、恐怖や怯えはまるで感じられない。むしろ、誇らしげにさえ見える。最後まで軍艦であろうとする神通に軍艦としての誇り、心意気を見た。

しかし、それがものすごく悲しさを感じさせ、冷泉は彼女にかける言葉が見つからなかった。

 

「提督、これ以上私のために時間を費やしている場合ではありません。早く旗艦に戻り、艦隊の指揮をお取りください。……そして、私に命じてください。神通、艦隊の殿を努め、敵艦隊の追撃を食い止めよ……と。提督が命じてくだされば、私は、もっともっとがんばれます」

捨て奸……。すぐにその言葉が浮かんだ。いや、それよりたちが悪いな。足手まといになる軍艦を捨て石とし、死ぬまで戦って敵を足止めさせるというのか。

 

「……いやだ」

いきなり言うと冷泉は神通を抱きしめた。

神通が小さな悲鳴を上げた。

「俺にお前に死ねと言えというのか? 俺は、そんなのは絶対に嫌だし、したくもない。……なあ、神通。お前、俺と一緒に帰るって言っただろう。もっと俺と話しがしたいって言ってたじゃないか。……あの言葉は嘘だったのか? 」

 

「う……、嘘なんかじゃありません」

腕の中で小さな声で呟く神通。

 

「だったら、どんなことをしてでも帰るんだ」

神通の体が冷泉の腕の中で小さく震える。彼女の呼吸が荒くなっている。

「嫌、……そんな言葉なんてかけないでください。なんで、なんで今頃そんなこと言うんですか。私、せっかく覚悟を決めたのに、これじゃあ、これじゃあ、私、心が折れてしまいそうです。提督……わ、私だって死にたくなんかないんです。生きていたいです。提督と一緒に、もっともっと戦いたいし、いろんなお話をしたいです。でも、でも、これは私にとって運命なんです。運命から逃れることはできません。それに艦隊を守るためには仕方がないことなんです。このままみんなの足手まといになるくらいなら、いっそ死んだ方がましです。これまでも幾人もの艦娘たちも同じように、艦隊を守るために逝きました。それは、とても辛く悲しいことです。けれど、私はまだ幸せなんです。戦いの中で軍艦として沈むのではなく、提督をお守りするために死ねるのですから。艦娘として……本望です」

感情が大きく振れているのか。つまりながらも何とか言葉を発する神通。一人の少女として生きたいと願う心と軍艦としての誇りの狭間で揺れているのが手に取るように分かる。

 

「ダメだ。誰かのために死ぬとか、軍法軍紀を守るためには仕方ないとか、そんなものどうだっていいんだよ。俺は誰も死なせたくない。いや、死なせたりしない。お前たちはみんな俺のものだ。くだらない戦争のために大切なお前達を誰一人として死なせない。俺が、俺が守ってやる」

 

「……提督、ありがとうございます。そんな優しい言葉をかけていただき、とてもうれしかったです。でも、もう追っ手が近づいてきます。早く金剛さんに移動してください。それから……最後に、こんなふうに提督とお話できて、そんな特別な機会を与えてもらって、神通はとても幸せでした」

神通はすでに覚悟を決めている。全身にこれから彼女に訪れるであろう「死」を取り込んでいるかのようだ。

 

「分かった。お前の気持ちは変わらないってことなんだな」

その問いに即座に頷く神通。

「……では、金剛に、いや全員に聞こえるように伝えてくれないか」

甲板からまだ何か叫んでいる金剛を見ながら冷泉は言う。

「はい、分かりました」

と神通。

 

「よし、全艦に指令! これより鎮守府第一艦隊の旗艦を金剛から神通へ変更する。俺は神通で艦隊の指揮を執る」

 

「えーーーー」

本気で驚いたらしく、変な声色を出す神通。

 

「さあ、早く伝えて」

冷泉は淡々と指示する。

 

「テートクゥー!! なぁにを言ってるネー!! 」

どうやら神通が全艦に指示を伝えたらしい。

身を乗り出して金剛が叫んでいる。今にもこちらに飛び降りてきそうな勢いだ。

 

「提督、大変です。他の娘もいろいろと言ってます。交信が混乱して収集がつかないです」

あたふたと神通が訴えてくる。

 

「じゃあ、さらに伝えてくれ。旗艦となった神通ならば、みんなも見捨てずに守ることができるだろうって」

 

「提督、扶桑さんよりです。確かに軍紀違反とはならないかもしれませんが、提督はその説明を求められます。それはかなり厳しい諮問会となるはずと言っていますが」

と神通。

 

「では扶桑に伝えてくれ。いや、みんなにもだな。俺が諮問会で絞られるくらいで済むなら安いもんだよ。……その代わりにお前たちは誰一人として犠牲にすることなく撤退戦に挑むことができる。俺の命令だけではお前たちにも問題有りとの批判があるかもしれないが、旗艦を守るのであれば何の問題もないだろう」

 

「でもー、敵に追いつかれた時に、この戦力でどうやって戦うって言うネー!! 」

直に金剛が叫んでくる。

 

「心配するな、金剛! 何の問題もない。この戦い、勝つ必要はないんだ。負けなければいいんだから。だからみんな、肩の力を抜いて。Take it easyネー」

余裕の笑顔で金剛に向けてサムズアップ。それを見て金剛が頭を抱えた。明らかに「Oh! No!! 」って言ってる感じ。

脳天気な彼女でも頭を抱えることがあるんだと思うと、吹き出してしまう。

「We Shall Overcome」

駄目押し。

 

再び神通を見る。

「そう言うことだ。これより撤退戦に入るぞ」

 

「はい」

と神通。

 

「提督、命令だから従うけど。……それより……イイ加減、二人とも離れるネー! 」

金剛に指摘され、ずっと神通を抱きしめたままだったことに気づいた。

慌てて二人は離れる。

少し顔を赤らめたままの神通を見て、冷泉は頷く。

「よし、これより撤退戦を始める」



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35話

冷泉は神通の艦橋にいた。艦橋付近に着弾したはずが、艦の機能としては問題ないようだ。中は戦艦金剛と比べるとこぢんまりとしている。艦橋らしく様々な機器類や乗組員が着座する席が準備されているが、当然ながら無人のためガランとしている。

「提督、こちらにどうぞ……」

神通は艦長席に冷泉を誘導する。

 

「えと、……その前に」

そう言うと冷泉は第二種軍装の上着を脱ぐと、それを神通の肩にかける。

「うん、それでも着てろ」

 

「え? でも……」

困惑する神通。

 

「服がはだけてるだろ。そのままじゃ俺が目のやり場に困るの」

先ほどからずっと気になっていたことを口にしてしまった。ゲームでは【ヤッホーッイ】と思ってしまう艦娘大破時の着衣の乱れなんだけれども、現実世界で見てしまうと当然ながら目のやり場に困るわけで。

しかし、「きゃー」とか言って悲鳴を上げるかなと思ったけれど、案外神通は冷静で、冷泉の言葉を普通に受け止める。

「お気遣いいただきありがとうございます。でも、せっかくの軍服が汚れてしまいます」

 

「Oh! ノープロブレム、ネー。また支給してもらえばいいから。お前はそんな事、気にしないでいい」

 

「提督だけに見られるのなら、……少し恥ずかしいけど平気だったんですが。……でも、せっかくですので、着させていただきます。ありがとうございます」

少し顔を赤らめると冷泉に背を向け、軍服に袖を通し、ホックを留めた。

何気なく聞き流してしまったけど、結構すごいこと言われた気分。

「あの、変じゃないですか? 」

振り向いて問いかけてくる。彼女にはサイズが大きすぎたようだ。だぶだぶで手は袖で隠れてしまっている。

「おう、結構かわいいぞ」

 

「そんなに見つめられてしまうと、とても……恥ずかしいです」

おぉ。なんかまた違うタイプなので新鮮な感じ。恥ずかしくないとか恥ずかしいとかどっちなのか分からないが、とにかく可愛いことだけは分かった。

もう、どうしよう!! と、一人、悶々となってしまう冷泉。

 

「あの、提督。金剛さんと扶桑さんより連絡が入っています」

唐突に神通が伝達する。

 

「ん? なんだろう」

一人盛り上がっていたところを中断させられ少しがっくりしながらも、平静を装い返事をする。

 

「あの、次の指示をお願いしますとのことです」

なるほどなるほど。

おそらく、あの二人の事だ。神通に対しては、もっときつい言い方をしてるんだろうな、と瞬時に判断できた。そのまま伝えるのは問題ありと判断し、神通が気を利かせてオブラートに包んだ言葉に変換してくれたんだろうと一人納得する。

まあ確かに、時は一刻を争う状態である。

艦隊旗艦となった神通とキャッキャウフフってやってる場合ではないことは確か。追撃してくる敵艦隊が接近しているのだから。

 

「コホン。では、これよりの作戦を指示する。……神通、俺の言葉を全艦へ伝達できるか? 」

問いかけに真剣な顔で頷く。

「よし。作戦といっても単純な戦法だ。……拍子抜けするかもしれないけれど。みんな知っていて当たり前すぎるかもしれないけれど、この領域においては海流が川のように流れている。流れは領域入り口から様々に分岐しながら、敵本体へもしくは横道にそれて再び領域害へと流れている。つまり、撤退する艦隊にとっては海流が進行方向と逆となっているわけだよな。……つまりだ、何でもかんでも海に放り込んで流せば、確実に追尾してくる敵艦隊の方へ流れていくということだ。さらに敵は全速力で追撃してきているようだ。運が良ければ当たるってこともあり得る訳だよな」

 

「あの提督、扶桑さんよりです。そんなに上手く当たってくれるとは思いませんけれども。それに機雷だって巡洋艦の二人が積んでいるだけで、その数もそれほどありませんよ。とのことです」

 

「まあそうだよな。神通、この艦隊に機雷はどれくらいある? 」

 

「積載しているのは私と大井さんだけです。私が九三式機雷56個積載しています。大井さんは……どうやら20個積載しているようですね」

話しながら大井に確認したのだろう。

使える機雷は合計76個ということか。……それだけあれば充分か。

 

「では、すべての機雷をばらまく。できるだけ、まんべんなくね。この数なら10メートル間隔くらいかな。そして、各艦は捨てられるものがあれば一緒に捨てるんだ。もちろん水に浮く物をね。これで機雷のダミーとする。運が良ければ敵は損傷した艦も逃げるためにありったけの荷物を捨てて軽量化をしていると思うかもしれない。そうすれば逃がさないためによりいっそう加速してくるだろう。速度が上がればそれだけ視界が狭くなるし、気づいても回避できないかもしれない」

 

「はたしてそれでうまく行くのかしら」

妙に冷静な声がして驚いてそちらを見た。

「って扶桑さんが言ってます」

声色を真似たのか、結構似ていた。

 

「そんな物まねをする余裕があるのなら大丈夫だな。……神通、おまえについてはとにかくありったけのものを捨ててしまうんだ。とにかく軽くして速度を上げられるようにしないといけない」

 

「はい、了解しました。すでにその作業は開始しています。えと、弾薬まで捨ててしまって構わないのですか? 」

 

「もちろんだよ。できれば水面に浮かぶように処理できればベストなんだけれど。まあそれは任せる。とにかく……お前は全ての能力を航行に使うつもりでいるんだ。お前の速度が俺の想定より遅くなってしまえば、敵に追いつかれ艦隊が全滅するかもしれない。それくらいの覚悟で行くぞ」

 

「わかりました。一度捨てるつもりでいた命です。それくらいどうってことありません。それに今は提督が乗艦されています。何が何でも提督をお守りしなければなりません。全力で行きます!! 」

 

「その意気だ。まずは大井と連携して、機雷の敷設を行うぞ」

神通と大井は艦隊の両端からそれぞれが中央に向かいながら機雷を敷設していく。

つまり敵艦隊に対してハの字型になるように約10メートル間隔での敷設だ。そして中央に30メートルくらいの隙間をあけている。

 

「よし、神通を先頭にし縦陣列で撤退を開始! 」

舞鶴鎮守府第一艦隊の撤退が始まった。

 

「軽巡洋艦神通、最大速力へ移行します」

弱々しいながらも神通のブラウン・カーチス式オールギアードタービン4基4軸9000万馬力の機関がうなりを上げ、4本の煙突(一本は破壊されているため実質3本)よりもうもうと煙が吹き出す。不安定な挙動を示しながらも神通は進み始めた。横に並ぶように大井が続く。彼女も被弾しているため速力は落ちているようだ。未だに黒煙が上がっている。

 

「大井は大丈夫なのかな? 」

 

「彼女は大丈夫みたいです。彼女、結構元気そうですよ」

苦笑いを浮かべながら神通が言葉を返してくる。何が元気なのかよく分からないけれど、ゲームの中での台詞を知っているからなんとなく分かるのでそれ以上は聞かないこととする。

司令室内には三次元化された情報が宙に浮かび上がっている。

艦隊は神通大井を先頭にした複縦陣で移動している。味方艦隊は緑色で表示されている。そして遥か後方より6つの赤い点が表示されている。陣形は単横陣だ。

 

「中央に重巡リ級1隻、軽巡ヘ級elite3隻がその横に展開。両端が駆逐ニ級か……」

画面の赤い点の上にポップアップされた表示を見ながら冷泉が呟く。

 

「! 提督、敵艦の種類がお解りになるのですか。さすがです」

驚いた顔で神通がこちらを見ている。なんか凄く瞳がウルウルして尊敬の眼差しになっている。

どうやらポップアップ画面は冷泉にしか見えないようだ。これを当たり前のように人前で言うのはやめた方がいいかもしれない。

 

「ま、まあな。単横陣なら中央に旗艦が来るだろうしな」

誤魔化しながら答える。

「それから祥鳳に伝えてくれ。全艦載機に爆装し、指示を待つように」

 

「了解しました」

と神通。

冷泉は頷くと前方の画面に目を移す。

敵艦との間にハの字に表示された複数の白い点が先ほどばらまいた機雷とゴミだ。そのうち点滅しているのが数から推測して機雷だと思われる。

冷泉と機雷陣はどんどんと距離が離れていくと同時に敵艦隊がそれに接近していく。きちんと計算とかしたわけではないけれど、敷設した機雷陣は敵艦隊の隊列より少し広い感じで、このまま行くと上手いこと敵と接触しそうだ。

敵の艦速度、こちらの艦隊の速度が表示されている。明らかに敵艦隊の速度が速く、その距離は縮まっている。

 

一番前にある機雷と敵との接触時間が分かればいいのだが。そう思った刹那、時間が表示される。敵艦の射程に入る時間、および金剛の主砲の射程に敵艦隊が入る時間は?

 

【敵艦:駆逐二級ト機雷トノ接触マデ 12秒】

【戦艦金剛ノ射程ニ軽巡ヘ級eliteAガ入ルマデ 11秒】

 

思考を関知するかのように表示が出る。なんでカタカナなのかは不明。

 

金剛の射撃時における誤差修正するにはどうすればいい?

【第一砲塔:方位角左12度仰角-3度の誤差。第二砲塔:方位角右5度の誤差。第三砲塔:仰角+4度の誤差。第四砲塔:方位角右8度仰角-6度の誤差】

考えただけで、答えが3Dディスプレイに表示される。

どうやらこれも神通には見えていないようだけれども。

 

「金剛へ指示してくれ。射撃時には第三砲塔を仰角+4度、第四砲塔は右へ5度仰角-6度修正して砲撃するようにと。それから俺の指示があるまでは撃つなよって」

 

「金剛さんより了解とのことです」

 

ディスプレイに表示された一番前方に設置し、海流に流されて移動する機雷と敵駆逐艦との接触時間が減っていく。

3、2、1。

遥か前方。まだ敵影は肉眼では確認できない場所で左の海域で水柱が立ち上った。どうやら機雷が敵駆逐艦と接触したようだ。続けて右側でも水柱が上がる。

追撃を急いだあまり、注意を怠ったようだ。

「よし、全艦載機発艦せよ! 」

 

指示と同時に艦載機が発艦していく。

ほぼ同時に敵艦隊が砲撃を開始する。しかしその砲撃は散発だ。前方に展開された機雷原の存在に気づいた敵艦隊は減速および回避を余儀なくされ、速度が低下している。それでも追跡を諦めることはできずに右往左往している。

 

「艦載機に指示。二手に分かれ、左右より敵艦隊に爆撃を開始せよ」

ハの字型に仕掛けた機雷原を迂回して追撃させないように、爆装した艦載機で追い込むのだ。

 

大型モニタに状況を表示するよう神通に指示する。

中央には船型をした深海棲艦が一隻。奇っ怪な歯をむき出しにしたボディに人型をした上半身がくっついたような奴が二隻。出っ歯のオタマジャクシみたいなものが3体。こいつらのうち二隻は煙を上げている。

船の形をした奴が重巡洋艦か。

「神通、あの重巡洋艦をもっとはっきりと映せないか? 」

すぐさま神通が操作をしたのか、一気に倍率が上げられる。

映し出された敵艦の艦橋上部に人が立っている。青白いといってもいいくらいの白い肌に黒いビキニ姿。ショートカット。両腕を覆うように何か武装のようなものを付けている。どうみても女の子にしか見えない。

「どうみたってあれは人間のようだけれど」

 

「そうです。深海棲艦の上位種といわれるものは、人に近い姿になるとのことです。私は見たことありませんが、戦艦や正規空母クラスになると、ほとんど人間との区別はできないくらいになるそうです」

なるほど。ゲームと同じか。すると艦娘と深海棲艦との関連性も……。

そんな思考を打ち破るように近くの海面に着弾する。

 

そろそろか。

冷泉は思考を打ち切り、指示を発する。

 

「金剛、高雄、そして扶桑。砲撃準備。目標、前方の重巡リ級」

 

「……射撃準備完了です」

 

「Feuer! 」

轟音とともに後方を進む戦艦および重巡洋艦の主砲が火を噴く。

 

「続けて射撃準備」

素早く指示を追加する。

発射された砲弾はおおむね照準通りに飛んだようで、敵艦隊の中央に次々と着弾していく。完全な射程内とはいえ、初撃から全弾命中などということはどうもあり得ないようだ。

重巡洋艦には命中しなかったようだが、発射した砲弾の内、一発が軽巡ヘ級eliteに命中したようだ。

「命中したネー!! と金剛さんが叫んでいます」

被弾した軽巡は進路を逸らしながら横を進行していた重巡洋艦に衝突する。出口が一つの機雷原に追い込まれていたせいもあり密集状態となってしまったことが敵の条件を悪くしているようだ。

 

「砲撃準備はできたか? 」

 

「完了です」

 

「続けて砲撃開始」

再度、三隻より砲撃。今度も一発が着弾した。衝突した重巡洋艦と軽巡洋艦を迂回し、出口へと向かっていた軽巡洋艦が爆発炎上する。

30メートル程度しかない機雷原の出口は三隻によりほぼ封鎖された。

 

「全艦砲撃終了。それから艦載機に帰投指示。着艦後、再度爆装を行い、念のため発刊体勢のまま待機。今、敵は混乱状況にある。体制を整えて追撃するにもそれなりに手間取るだろう。このチャンスを逃がさず、可及的速やかに撤退するぞ」

と、指示をして神通を見る。

なぜか彼女は不満げな顔をしている。

「どうかしたのか? 」

 

「あの、……提督。どうして追撃をかけないのですか? 敵は混乱の中にあります。しかも攻撃で損傷している艦の数も多いです。ここで追撃をかければ敵艦隊を敗走させることも可能だと判断します。倒せるときに敵戦力を削っておくべきではないのでしょうか? 」

予想通りの事を彼女が言ってくる。

 

「なるほど。もっともな意見だよな。それはお前ではなく、金剛や扶桑の意見だろ? 」

問いかけると彼女はモジモジとしているだけで反論してこない。

「今回の戦いの目的は何だったか覚えているか? 」

 

「もちろん覚えています。みんな無事に領域を脱出し、帰還することです」

 

「そう、その通りだ。今、敵艦隊の足止めに成功した。思ったより敵に被害が出たのは偶然でしかない。反転攻勢にでたところでまだ敵のテリトリーの中だ。万全でない状態、いやそれどころか撤退しなければ危ない状態の艦隊で戦闘を挑んだとして、勝てるとは限らないんだ。……今、あえて犠牲を覚悟して戦闘を継続する意味は無い。それに無事に撤退できるんだ。今はそれだけで充分だろう? 反論はあるか? 」

 

「ありません。他の艦娘たちもありません」

 

「ならば問題ないな。全艦最大戦速で領域を撤退する! 」

 

モニタを見ると、次第に敵艦隊の艦影が遠のいていく。追撃の艦の姿は無さそうだ。

どうやら敵も諦めてくれたのかな……。冷泉は大きくため息をつくと、シートにもたれかかる。

「無事にいけそうだな……」

 

「提督、お疲れ様でした」

 

「なんとか作戦成功かな。神通、よく頑張ったな。あともう少しで領域から脱出できる。あと一頑張り頼むぞ」

 

「はい! 」

そう答えた刹那、神通の顔に緊張が走る。

 

「どうした? 」

 

「扶桑さんから連絡です。敵駆逐ニ級が一隻、追跡してきているようです」

 

「モニタに映してくれ」

瞬時に大型スクリーンに望遠の映像が映し出される。

巨大な出っ歯で一つ目特徴的なデザインの深海棲艦が一隻、派手に水しぶきを上げながら追跡してきている。

普段グリーンの目が燃えるように真っ赤になっている。

色が感情を表しているのなら、激怒している感じだな。

 

「神通、領域の外に出るまでの時間は? 」

 

「10分もかからないと思われます」

3Dスクリーンに映し出された画面で駆逐ニ級との距離を確認すると、20キロは離れている。他の敵艦は先ほどの位置からほとんど動いていない。

つまり無事なのは追跡中の艦一隻のみといいうことだ。

敵艦の方が速度が速い。どれくらいで敵の射程に入るか?

 

【約10分】

シンプルな答えが返ってくる。

ギリギリ逃げ切れそうだ。

 

「追跡する艦に構うな。速力を維持しつつ撤退だ」

 



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36話

撤退する舞鶴鎮守府第一艦隊は、領域突破の準備を始めている。

艦載機は格納庫へ収納されていき、各艦の艦橋の窓には防御用シャッターが下ろされる。

室内灯が点灯され、モニターに外の景色が映し出される。

艦の操作は艦娘である神通が行うため、モニターを見る必要がないのか背後の景色が映し出されている。

背後には水しぶきを上げながら追跡してくる駆逐艦の姿が映し出されている。次第に距離を詰めてきているのは間違いないが、もう領域の外まであと少しとなっている。

いくつかのパターンをシミュレートしてみたが、敵艦が追いつくことはないだろう。

その予想通り、追尾して来ていた駆逐艦も、間に合わないと諦めたのか、徐々に減速していく。

そしてついには停船する。

大きく艦首の口を開けて吠えるような動きを見せ、本当に悔しそうな雰囲気を出しながら、反転体制を取りだした。

 

それを確認すると、冷泉は大きくため息をつく。

なんとか撤退できそうだな。

「燃料の残量はどうだ? 」

 

「はい、……海域脱出したくらいで、私の燃料の残量はほぼ無くなります」

少しだるそうな声で神通が答える。

 

「他の艦もそうか? 」

 

「そう、……ですね」

確認をしたのか、少し間を置いて神通が答える。

 

「了解だ。領域脱出手前で燃料切れなんてことはなさそうだな」

 

そして、冷泉が指示するより早く、モニターには前方の風景が映し出される。

 

「突入まで5、4、3、2、1。突入します」

 

天より落ちてくるような大瀑布のごとく垂れ込める、呪われし分厚く赤黒い雲の壁へと艦隊は突入していく。

大きく艦が上下左右に捻るように揺さぶられる。

同時に突入時と同じようなめまいが襲ってくる。室内が明滅する。揺れをこらえようと肘掛けをしっかりとつかむ。

その時間も実際には十秒程度だろうか。しかし、冷泉の間隔では5分くらいあったように感じた……。

 

「提督、領域脱出完了です……」

同時に閉ざされていた艦橋の窓のシャッターが上がっていく。

その隙間から光が差し込んで来て、あまりの眩しさに視界を奪われてしまう。

領域内は常に曇天もしくは雨であるため、日の光が届きにくくとても薄暗かった。そんな中で長時間いたために眼が太陽の光になれるまで少し時間がかかってしまう。

光が痛いくらい……。

それでも明るさになれてきたので目を開く。

そこには、どこまでも続く青い空、青い海。

ぽっかりと浮かぶ白い雲。

穏やかな海面には魚が跳ね、海鳥が迎えてくれている。

先ほどまでの戦闘状態が嘘のような、のどかな風景が眼前に展開されていた。

 

「やったぁ。脱出成功だな。……よく頑張ったな、じん」

そう言って神通を振り返ると、彼女は床へと倒れ込んでいくところだった。

 

「神通!! 」

慌てて立ち上がると同時に彼女に駆け寄り、受け止める。踏ん張った刹那、足首に激痛が走り、彼女を支えきれずにそのまま床へと倒れ込む。結構な衝撃が冷泉を襲うが、なんとか神通を庇うことができた。

 

「おい、大丈夫か、……神通、神通! 」

声をかけるが反応は無い。

 

そして、唐突に艦内の照明はすべて落ち、ディスプレイも消失していた。耳を澄ましても先ほどまで騒々しく動いていたエンジンの音が聞こえない。

惰性だけで海面を進む音だけが聞こえる。それ以外は無音だ。

 

軽巡洋艦神通と艦娘の神通は連動しているようで、彼女が気を失えば巡洋艦の機能も停止するようだ。

冷泉は起き上がると、神通を痛みをこらえて抱き上げた。そうして艦長席に座らせると背もたれを倒す。

どうやら気を失っているだけのようだ。呼吸も正常だ。

限界を超えてまで頑張りぬいた彼女の頭をなでてやる。

「……よく頑張ったな。ありがとう」

 

神通の無事が確認できたので、次は現状把握だ。そう思い、移動しようとすると右足に激痛。やはり足首を捻挫かなにかしているようで、まともに歩くことはできそうにない。痛みをこらえ、足を引きずりながら窓の方へと歩んでいく。

 

他の艦たちは神通よりも少し前に位置し停止している。状況からすると、どうも動力切り替え作業を行っているようだ。先ほどまで出ていた煙突からの黒煙が無くなっている。

そして、すぐには動力の切り替えはできないらしい。

領域突入時にも少しのタイムラグがあったが、逆の動作、つまりタービンエンジンから反重力リアクターへ切り替える際の方がさらに時間がかかるのようだ? このあたり、きちんと聞いておけば良かったな。

 

そして今、舞鶴鎮守府第一艦隊の全ての艦が動力切り替えの為に動きを停止している。

その状況に冷泉は一抹の不安を感じた。みんな領域から無事脱出できたことで油断してしまったのか? 確かに、すでに敵艦は撤退していったから、おそらく大丈夫なはずだ。しかし、念には念を入れて全艦一斉にではなく、順次動力切り替えを行うべきだった。これについては冷泉の指示ミスだ。今すぐにでも指示をすべきなのは間違いないのだけれど、連絡するすべがない。

軽巡洋艦神通はブレーカーが落ちたように完全停止しているから、通信機器で他の艦娘に連絡することは不可能。

甲板へ出て叫ぶか? 甲板上で騒いでいたら誰かが気づくだろう。そう思って動こうとしたが、右足がきちんと動かない。あっと思った時には床に転倒していた。

 

「くっ」

機器をつかみながらなんとか立ち上がる。

何か、何か連絡手段はないのか? 

そう考えている冷泉の視界にあり得ないものが唐突に現れた。

 

「ブキョガウゥゥゥゥッルルルルウルルルルルルルルルウ!! 」

奇声なのかメカニカルな音なのか不明な音が響き渡ると同時に、赤黒い雲の壁を突き破りながら、漆黒の何かが飛び出してきたのだ。

 

クリーチャー然とした形状。

真っ赤な瞳が炎のように燃えている。

むき出しの歯をカチカチならしながら吠える。

 

……駆逐ニ級だ。

 

「クソ、まだ追いかけてきてたのか、こんな時に、しつこいヤツだな」

そうは言ってみたものの、この状況に凍り付きそうになる。

動力切り替え中のため、全ての艦の動きが止まっている。迎撃は不可能なのだ。

 

駆逐二級は左右に体を振って、自分の敵を見回した。

そして、神通の方を見た瞬間、

「ギャフソ、スロ、コソクジョ、フン! 」

言語ともうなりとも思えるような音は発した。

全身からあふれ出る明確な怒り、敵意が冷泉にも感じられた。

刹那、駆逐二級の体から8つの突起物か一斉に鎌首をもたげた。それはどうみても武器であり、すべてが神通を向いていた。

 

「あー、これはまずいなあ」

と思わず口にしてしまう。

敵の右上にポップアップ画面。

 

【荷電粒子砲】射撃体勢。発射マデ約5秒。

という表示が出ている。

その荷電粒子砲ってやつがどんな兵器でどれほどの威力があるかは分からないけれど、8門の大砲がすべて神通に向けられているってことは、どうも無事には済みそうもない、と冷静に結論づける。

「俺たちがやられている間に金剛達がリブートできれば、まあ被害は俺たちだけですむかな……。あっという間だったけど、まあこれも俺の指示不足が原因だから仕方ないか」

冷泉は背後を振り返る。椅子に寝かせた神通は気を失ったままだ。

「すまないな、神通。お前があんなに頑張ったっていうのに、俺のミスですべて台無しだな」

敵駆逐二級の砲門に不気味な光が宿り始める。

 

ダメか。

そう思った刹那。

 

視界の左から何かが横切ったと思った時には、閃光と爆発音が起こり、目の前の敵艦が突き飛ばされたように反対側へと吹っ飛ぶ。

駆逐二級は派手に水しぶきをまき散らし海面をごろごろと転がり、やがて停止した。

 

「なんだ? 」

 

もうもうと煙が舞い上がるが、損傷はしていないように見える。

再び、轟音とともに何かが飛んできて命中する。それがミサイルであることがなんとか分かった。

 

対艦ミサイル!

 

しかし、直撃の手前で駆逐二級に小さなドーム状のバリアのようなものが発生しミサイルの直撃を受け止める。

同時に爆発が起こり、衝撃で反対方向に吹き飛ばされる。そして転がる艦にさらに続けて2発のミサイルが突っ込んでいく。

さすがに、この連続攻撃に対応する防御は不可能のようで、一発のミサイルはバリアのような物で防御したものの、もう一発には対応しきれず、直撃を受け爆発する。

 

「やったー! 」

思わず声を上げてしまう。

 

誰かは分からないが、すさまじい攻撃だ。

 

駆逐二級は悲鳴のような音を上げかなりの損傷を受けながらもなんとか沈没を免れたようで、諦めることなくヨタヨタと神通へと接近しようとする。

しかし、すぐに自分の置かれた状況が悪すぎることに気づいたのだろうか? ギャスギャスと威嚇音を出しながらゆっくりと後退を始める。

 

辺りを見ると、どうやら鎮守府艦隊のリブートが完了したようだ。

味方艦が動き始めたのだ。

 

おそらく冷泉の指示を待っているのだろうが、こちらと連絡が取れないことに気づいたようで大慌てで反転を始める。

そして、敵艦と神通の間に割って入り、守ろうとしている。全艦が動いたため、混乱が生じる。

 

その隙を敵は逃がさなかった。

閃光弾のような物を爆発させると煙幕を張り、一気に撤退をしていく。ミズスマシのようなすばしっこい動きで敵艦は巣である領域の中へと逃げ去っていった。

 

「ふう……」

またまたため息をついてしまう。一体何度目の安堵のため息だろう。敵を殲滅することが可能だったが、今は助かったことを喜ぶべきだ。

とにかく、今度こそ、助かったようだ。

 

しかし、艦隊が沈黙していた状態だったのにあのミサイル攻撃は一体どこから来たのだろう?

 

現在は各艦が神通を中心にした輪形陣を組み警戒態勢を取っている状態。

 

神通が沈黙したままでは、指示が通らず艦隊が次の動きを取ることができない。

冷泉は艦橋を降りて甲板へと出ることにする。狭い階段を足を引きづりながら移動し、痛みをこらえてなんとか甲板へ出ることができた。

他の艦娘たちに状況を伝えなければ。そして指示をしなければ。

 

ドアを開け、外へと出る。日差しが痛いくらいに眩しい。

すると、すぐに司令官の無事を発見した金剛が接触するぎりぎりまで接近してきた。

 

「テートクゥ~、何かあったのー? 大丈夫デスかー」

身を乗り出して叫ぶ。

 

「神通が気を失って倒れたんだ。それに艦も動力が止まっている! 」

 

「なんですってぇー! 分かった、今すぐそっち行くネ」

そう言うと金剛が飛んだ。

接近しているとは言っても4、5メートルは離れていたのに、宙を舞うようにして彼女は飛び、冷泉の直ぐ側に音もなく着地した。

「とにかく、神通のところへ行きましょう」

 

「分かった。案内する」

再び階段を上って行こうとすると、

「テートク、その足どうしたんデスカ? 」

ぎこちない歩き方に異常を察知した金剛が指摘する。

 

「神通に飛び移る時に足を捻ったんだ。でも大丈夫だ。今は神通のほうが先だ」

 

金剛は冷泉の右足と顔を交互に見、

「了解ネ」

と頷いた。同時に横に並ぶと冷泉に肩を貸してくれた。

 

金剛は艦橋に到着すると、すぐさま椅子に横たえられた神通の側に駆け寄る。

「なるほど。どうりで意識レベル低下エラーが出ていたワケネ」

そういって神通の体を右手でスキャンするような動作をする。

 

「……どうなんだ? 」

 

「艦が大破しているから、まあ、全然問題ないってワケじゃないけど、直ちに問題があるって状態じゃないデス。だから、テートク、安心して下サイ」

 

「そうか、よかった」

冷泉は胸をなで下ろした。彼女のことを本気で心配していただけに。

 

「でも、彼女、よっぽど無理をしたんデスネー。彼女のバイタルサインが大幅に低下してます。このまま安静にした状態で移動させる必要があるネ」

 

「そうか、分かった。鎮守府までは誰かに曳航させるしかないな。じゃあ金剛、お前が神通を曳航してもらっていいか」

 

「了解ネー」

 

「疲れているのにすまないな。……よし。決まればすぐに行動開始だ。金剛を先頭に帰投するぞ。……ところで金剛」

 

「何デスか? 」

 

「深海棲艦にミサイルを撃って助けてくれたのは誰なんだ? 神通が気を失ってしまってまったく状況が分からなかったんだ」

 

「ああ、あれはデスネー……」

金剛が言葉を続けようとした刹那、階段を駆け上ってくる音がした。

 

「てーとくー!!」

艦橋のドアが音を立てて開いたと思うと

茶髪にうさみみの白い物体が飛びこんで来た。

 

衝撃とともに柔らかいものが抱きついてくる。

「てーとくぅ、私の攻撃見た~。凄かったでしょー」

声でそれが島風であるということが分かったが、少女と抱擁を支えきれずに転倒したため、それどころではなかった。

「ぐへっ」

思わず呻く。

 

「ねぇねぇ。島風がてーとくのピンチを救ったんだよね! すごいでしょ。褒めて褒めて! 」

ものすごい近くで嬉しそうに島風が喋る。

 

「まあそんな感じですネー」

金剛が呆れたような表情でこちらを見ている。

「でもネー島風、頑張ったのは褒めてあげるケド、いい加減離れるネー」

彼女の口調に少し怒気が混ざるが、少女は全く気にしてない感じだ。

 

「そうか、島風があの攻撃をしたのか」

 

「そーだよー。全速力でお迎えに来たんだけど、危なかったね」

 

「アンタだけの力じゃ無いでしょ」

何か毒気を含んだ別の声が聞こえた。

声のした方を見ると、ドアのところで一人の少女が立っていた。

 

「叢雲、お前も来てくれていたのか」

 

目があった途端、プイと余所を見る。

「……ま、なんとか生きてるみたいね。よ、よかったわね。それにしても悪運が強いわね」

 

「叢雲たちが来てくれたおかげだよ、ありがとうな」

 

「ふ、ふん。別にアンタのために来たワケじゃ無いんだから。気持ち悪い顔しないでよ」

 

「えー、てーとくーしまかぜはー! しまかぜはー」

 

「お前も頑張ってくれたな。ありがと」

そう言って島風の頭を撫でてやる。

 

「えへへ、やったね」

少し顔を赤らめながら嬉しそうに笑う。

 

「あー! みんな狡いデスヨー。テートクー! 私も頑張ったんデスヨー」

 

「そうだな、金剛。お前もよく頑張ったよ。ありがとう」

 

「やったネー。ま、まあテートクの正妻だからね。いつでも頼って欲しいネー」

 

「ま、とにかくみんな無事に帰ることができそうだ。金剛、全艦に伝えてくれ。みんなよく頑張った。みんなの力のおかげで全員無事、鎮守府へ帰投できる。ありがとう、と」

 

「了解ネー」

 

舞鶴鎮守府第一艦隊、領域制圧戦を終了し全艦損失なく帰投。

 



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第四章 闇の蠢動
37話


領域解放戦で傷ついた艦娘は、ドックに入り修復作業を行うこととなる。

ちなみに舞鶴鎮守府で使えるドックは現在2つである……。

これはどういうわけかゲームと同じだ。

 

あと4つ(うち2つは屋根付きドック)があるが、老朽化および建設途中で放棄されたため使用不可となっている。

施設の整備や修繕には、当然ながらそれなりのお金を突っ込まないとダメだし、仮にそれが完了したとしても、施設を運用する人員が足りない状況。人を雇うにも当然金がかかる。また、軍隊の機密施設であることから、安い賃金で適当な人間を雇うわけにもいかず、海軍の人員を充てる必要があり、そのためには組織および人員の要求といった政治的なチカラも必要となるのだ。

 

どうも前任、いや、それ以前の鎮守府司令官も含めていいんだろうけど、その辺りの政治力や資金の運用、予算確保は苦手だったらしい。

戦果を上手くあげられなければ他で成果を上げている鎮守府へ艦娘を優先配置をされてしまう。そうなれば、艦娘の整備に人員も持って行かれてしまう。艦娘の減少は、戦果の低迷を呼ぶことになり、それが更なる艦娘や人員の減少、予算の縮減と繋がっていってしまう。

 

この負のスパイラルに陥っているのが現在の舞鶴鎮守府の置かれた現状と判断していた。

 

現有戦力で大戦果を上げるのはほとんど不可能だろうし、チマチマ遠征等で稼ごうにも、あまりに運用できる艦娘が少なすぎる。よくこれで鎮守府を回していたと感心してしまうくらいだ。

しかし、このままではじり貧になるのは想像に難くない。

今後、領域解放戦に出撃すれば必ず被害は出るだろう。今回、戦ってみて実感した。敵である深海棲艦は強い。こちら側が相当に戦力強化をしても、あの領域ってやつは敵部隊の能力に下駄を履かせるだけでなく、こちら側の能力をスポイルしてしまうという特殊な影響力を持っているからだ。

さらに難敵となるのは、戦いから帰還しても、艦の修理に必要なドッグ不足の問題が待ち受けていることだ。そして、資材不足。資金不足。そのために艦娘の修理が滞り、次の戦いに出せる艦がどんどんとへっていく。そして全体の艦娘数の少なさが問題をさらに大きくする。第一艦隊の不足分を第二艦隊から持って行けば、第二艦隊すら編成できなくなり遠征による資材確保すらできなくなる有様。負の連鎖が鎮守府を襲い、このままではやがて出撃すらできなくなってしまう可能性すらある。

 

これは、本当にどうにかしないといけない。

ゲームと違い、まるでうまくいかない。攻略法なんて見えてこない。

そしてふと我に返る。

 

「考えても仕方ないことなんだよなあ」

今日は、そんなことを考える時間じゃない。戦いで負傷した艦娘たちを見舞いに来たのだから。

 

軍艦の修理はドッグにて行われるが、艦娘の治療はそのドッグ横に併設された病院で行われる。

 

病院は地上4階地下3階の白い施設となっている。入口には二人の武装兵が直立している。

事前の連絡もなく現れた司令官の姿に一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに我に返り敬礼をする。

冷泉は軽く会釈をして自動扉の中へと入っていく。

 

一階はロビー及び事務員室となっており、二階より上の階では艦娘のチューニング作業等を行う施設がある。

負傷した艦娘の治療は厳重に管理された地下施設で行うこととなっている。受けたダメージの大きさによって入る階層が下がっていくとのことだ。

地下へはエレベータで行くことになるが、その扉は厳重に警備されている。病院内部の人間ですらIDを持っていないと入ること無理である。

鎮守府司令官の冷泉ですら一階の受付で身分証の提示、本人確認および記名、目的を記入させられた。

すぐに奥から役職が高そうな事務員が出てきて、冷泉に会釈をし、エレベータへと案内する。そしてエレベータ扉前に立った二人の屈強そうな兵士に声をかける。すると兵士の一人が壁面の操作盤を鍵で開いた。事務員は中にあるキーボードを素早く打つ。ポンと音がする。男は中にある身をかがめて顔を近づける。

どうやらバイオメトリクス認証を行ったらしい。

再び電子音が聞こえ、エレベータの扉が重々しく開かれた。

 

「提督、お入り下さい」

男に言われ、冷泉は中へと入る。

どうやらエレベータに男は案内してくれないらしい。権限がないのかな。

「地下3階へ降りていただければ、下で担当の者がお待ちしています。そこから先はその者がご案内します」

 

「わかった、ありがとう」

声をかけると男は頭を下げる。

静かにドアが閉まり、エレベータが降下を始める。エレベータの箱は2m×2mくらいの広さだ。

地下三階と言われたが、かなり深い場所にあることがエレベータの移動時間で分かる。

扉が開くと一人の女性が立っていた。軍服を着用していることから警備担当だろうか。拳銃を所持している。

地下はごく普通の病院といった感じで特に違和感はない。ただ病院の臭いはまったくしない。ほとんど無臭に管理されている感じだ。廊下はかなり広く、施設自体がそれなりに大きなものであることが想像された。

彼女に案内されて、奥の一室へと入る。女性兵士は中に入らず、外で待機するらしい。

入った部屋は8畳程度の広さで、奥の壁全面が黒いスクリーンのようになっていて、それに向かうような形で椅子が2つ。そして測定器やらパソコンらしきものが配置されている。

 

「ようこそおいで下さいました」

すぐにこの部屋に一人だけでいた女性が話しかけて来た。

白衣を着た長い黒髪の女性だ。黒のミニスカートなうえに白衣の下は胸元が大きく開いたシャツを着ている。これが制服なのだろうか? などと若干場違いな格好が気になる。

年齢は20代後半のように見えるが実際はどうなのだろうか。一応、直立で敬礼をする。

「乾崎軍務少尉です。軽巡洋艦神通の治療を担当しています」

 

「うん。よろしくお願いします」

 

「神通の治療状況を確認されたいとの事でしたけど」

 

「まあ神通のだけじゃなくて、入渠中の全艦娘の状況も知りたいんだけど」

どういうわけか乾崎少尉は怪訝そうな顔をして冷泉を見つめている。

「ん? どうかしました? 」

 

「いえ、何でもありません。失礼しました。では、まずは神通の状況ですが……。こちらへどうぞ」

そういって部屋の奥へと案内される。

「こちらにおかけ下さい」

言われるままに椅子に腰掛ける。

隣の椅子に少尉が座り、無意識なのか足を組んだ。ミニスカートだけに思わずその白い脚に目が向いてしまう。彼女は冷泉の視線に気づかずにカタカタとキーボードを操作した。

すると真っ黒だった全面のスクリーンが急に透明になった。透明有機ELの画面なのだろうか。

奥にも部屋があり、かなり天井は高い。室内はブルーの間接照明で照らされて薄暗い。そして部屋の中央は床が一段高く盛り上げておりにはSFなどに出てきそうな、大きな円筒形の培養槽が設置されていた。その培養槽を取り囲むように無数の配管と様々な色のコードが這い回るように設置されている。

そして培養槽の中に神通が膝を抱え込むような姿勢で浮かんでいる。あちこちから伸びてきた配管やコードが彼女の体に接続されている。おそらく全裸であるようだけれど、配管や光の加減でよく分からない。

 

「こ、これは? 」

 

「艦娘専用の治癒装置です」

 

「いや、それは何となく分かるけど、人類はこんな装置を造ったりできるのか? 」

思わず本音が出てしまった。鎮守府司令官としてはこれくらい知っているのでは? といった疑念はあるがつい口に出してしまったのだった。

 

「もちろん我が国に、いえ人類にこんな設備を開発するような科学力はありません。これは向こうから支給されたものです」

しかし乾崎少尉は普通に答えた。どうやら冷泉が知らなくても特に問題は無いレベルの話らしい。

 

「向こう? 」

 

「艦娘側より提供されたということです。……軍医とは名ばかりで私はこの機械の使用権限が与えられているだけで、マニュアルに基づき操作するだけです。実際に治療を行うのはこの機械だということです」

 

「では、艦自体の修理はどうなってるんだ? 」

この際だからついでに聞いてやろうと考える。

 

「艦艇部分の方は専門ではないので良くは分かりません。ただ、あちらの方については基本、艦船なので我々でも修理は可能です。また兵器についても領域内使用武器については我々のテクノロジーでも充分対応可能なので我々の弾薬を補充しています。ただ、あちらの艦艇部分のについては艦種によってその割合は異なりますが、半分近くはブラックボックス化されており、見ることすらできないらしいです」

 

「じゃあどうやって修理するんですか」

 

「こういう言い方が適切かどうかはわかりませんが、資材を支給すれば艦艇が勝手に修理するらしいです」

 

「よく分からないな。艦が自分で修理を行うってことなのかな」

 

「それすら我々の科学力では分からないのです。そもそも艦娘がどこから来たのかさえ我々は知らないのですから。……まあ、末端の私が知る必要もないことですので、これ以上は分かりませんわ」

どうやらこの世界はとんでもないものを抱え込んでいるようだ。敵も味方もだけれど。

 

「……わかった。肝心の話を始めたいと思います。乾崎少尉、神通の状況はどうなんでしょうか」

知らない人間から聞いても答えなど返ってくるはずもない。余分な話をして疑念を持たれるようなことがあったら大変だ。本題に入ることとした。

 

「神通の状況については、大破状況になっています。いわゆる小破、中破、大破の三段階の内でもっとも酷い状況ですね。そして神通の場合、大破状況でさらなる付加が長時間にわたってかかったようでかなり状況は悪いですね」

大破状態の中、最大戦速で撤退戦をさせたせいなのだろうか?

「提督、ご安心下さい。ダメージは深刻ですが、治癒不可能というわけではありませんよ」

深刻な顔をしたせいだろうか? あわてて少尉が否定する。

 

「そ、そうなんですか。……良かった」

 

「でも、治療には結構な時間と資材が必要となります。ご存じだとは思いますけど、修復といっても艦娘という存在は、ヒトである艦娘と艦艇部分である艦の二つの存在の結合双生児みたいなものなのです。もちろん、ご覧になれば分かりますが、ふたつは物理的に直接結合しているわけではありません。しかし、見えない糸もしくは回路というような霊的なものでしっかりと繋がっているらしいのです。ですから、人もしくは軍艦のいずれか片方がダメージを受ければ、もう一方にも同様なダメージを受けることとなります。この部分の話だけですと、なんだかオカルトでの双生児のようなものに聞こえますけどね。

故に、治療・修理についても同じ事になります。戦闘で艦が損傷した場合、艦娘の治療と艦の修理の両方を同時並行で行わなければならないということになるのです。

ともかく、我々人類の科学では理解不能な部分が無数にある艦娘ですから、彼女らの指示されたマニュアルどうりに事を進めないといけないわけなのです」

 

「だいたいどれくらいかかるんだろうか? 」

 

「早くて一ヶ月くらいではないでしょうか? 」

なるほど。つまりしばらくは神通は戦線に復帰させることはできないということだな。彼女抜きで戦略を練らなければならないということだ。

 

「そうですか。分かりました。……少尉、神通の事をよろしく頼みます」

そう言って頭を下げる。

すると彼女が耐えきれなくなったのか思わず吹き出す。

「どうかしたのですか? 」

 

「ふふふ。いえ、すみません。提督が少尉である私に対する言葉遣いがあまりおかしかったもので。失礼しました」

 

「何か変だったです? 」

 

「提督の階級は海軍中将です。それに比べて私は少尉。天と地ほどの階級差があります。そんな私に対して丁寧語はあまりに変です。提督はご自身の地位に見合った話し方をされたほうがイイと思います。むしろそうしていただいたほうが私としても話しやすいのですが」

全く気にしていなかったことを指摘され、なるほどそうなのかもしれないと納得もした。こちらの世界に来てからまともに話したのは艦娘だけだから彼女たちは冷泉に対して対等もしくは一部は向こうが上のような話し方をしてきたので、まったく自身の階級というものを意識していなかった。大して無い知識を動員しても海軍中将っていえば会社で言うと専務クラスなのかな。そうなると社員とタメ口っていうのもおかしいのか。しかし、偉そうに喋りなれてないし、違和感がある。

 

「なかなかうまく行かないなあ。少尉とは同年代くらいだしなあ」

 

「少なくとも前の提督くらいには話した方が良いと思います」

 

「えと、前の提督ってどんな人だったのかな」

ふいに前任の提督の話題になったので、チャンスとばかりに話を聞こうとする。

 

「まあ司令官たる地位にしては偉そうではありませんでしたね。私達にも気安く話しかけて下さいましたし。ただ……」

少尉は少し言葉を濁す。

 

「ただ? 」

 

「少し頑固な、そして強引な部分のある方でした。組織の人間であるのに、上にたてつくような行動をされて少し浮いた存在になりつつありましたからね」

 

「それは一体どんなことをしてたんですか」

 

「え? 前任の提督のお話はお聞きになっていないのですか? 」

 

「うん。実は知らないんだ」

その問いに一瞬どう答えるべきか悩んだが、変に取り繕うことはやめた。

その瞬間、彼女の顔が青ざめたような気がした。しかし、すぐに態度を改め

「まあ、それはそれですねえ。今の話はお忘れになってください。そして、申し訳ありませんが、それ以上はお聞きにならないで下さい」

やんわりとした拒絶の態度を示す。

 

「じゃあさ、前任の提督はどこに異動になったの? 」

 

「すみません。提督のご命令でもこれ以上はお話できません。これ以上の話については守秘義務が発生している案件です。私レベルの決裁権限ではお答えできかねます。すみません。しかし、提督であればご質問の件について直接担当部署へお聞きになられれば良いかと。私は軍医でしかありません」

明確な拒否に変化していた。これ以上彼女を問いつめても、冷泉の権限では答えさせることができないらしい。

これについては、忙しさにかまけて深く考えることが無かったが、非常に気になっている件だったのだ。

前任の提督がどこへ行ったのか。

そして艦娘たちが前任の提督と冷泉を同一人物と思っていること。

どうやら何かがあるのは間違いないが、想像すらつかない。

 

唐突に蘇る金剛の言葉……

「やっぱり先生の言ってた通りダヨねー、扶桑。あんなに強く頭を打っちゃったんだもんね。頭どかーんっ。血、ぶしゃーって感じだったんだよ、テートク」

……彼女は冷泉が二階から落ちて怪我をしたように言ってたし、艦娘たちはみんなそう思っていたようだけど、冷泉にはそんな記憶は存在しない。

冷泉が入院していた原因は、フェリーが撃沈された時に負傷したからだ。

あの時の記憶は現実の物だ。決して勘違いなんかではない。

あの時、フェリーを攻撃した艦隊はそもそも何なのか?

何もかも分からない。

そして考えたところで結論は出ない。

 

少尉に話を聞いてもこれ以上は話してくれないだろう。

冷泉は神通のことをよろしく頼むと伝え、部屋を出た。

入渠中の扶桑、大井は地下二階にいるとのことなのでそちらにも見舞いに行くとととする。

 



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38話

大井と扶桑が治療を受けているのは地下一階となる。二人とも軽傷だからだそうだ。

つまり治療施設は階層ごとに区分されており、小破の艦娘は地下一階、中破は地下二階、大破の場合は地下三階のそれぞれの施設で治療を行うということらしい。

それにしても、この施設は思った以上に大きい。

舞鶴鎮守府に在籍する艦娘の現在の数に対してはかなり規模が大きいのだ。しかし、ゲームでは100人を越える艦娘が鎮守府にいるわけだから、それでいくとこの程度の規模は一つの鎮守府に必要なのかもしれないなと考える。

 

実際には100人も艦娘がいたら、ドッグ6つでも少ないくらいだろうけれど……。

旧日本海軍の艦船の数がどれくらいあったかはよく知らないけれど、さすがに各鎮守府に100人づつ艦娘がいるってことはないだろうから、ドック6つが適正なのかもしれない。

病院の収容人数については、戦闘による損傷以外でも必要な場合があるからそれよりは多めでも問題無いのだろう。

地下一階でエレベータを降りると、地下三階とは比べてだいぶ照明も明るかった。

ちなみに、地下三階とは異なり、誰も待っていなかったし、警備員らしきものも見当たらない。

それぞれの階でセキュリティレベルが異なるのかもしれない。

そうはいっても、セキュリティレベルがさほど高そうに思えない地下一階のフロアでも、廊下天井には監視カメラらしきものが相当数配置されている。ちらっと見でも死角が発生しないよう計算されている感じだ。

 

さて、大井の部屋は……どこだっけかな。

病室の扉の右側に入室者の名前が記載されていると聞いていたので、名札を頼りに探す。彼女の病室を見つけるのにさほど時間はかからなかった。

 

こんこん―――

とノックをする。

 

「はい、どーぞ」

と、中から妙に可愛い声が聞こえてきた。

 

冷泉は引き戸タイプの扉を開き部屋の中に入る。

内部はピンクを基調とした配色になっており、一般的な病室とは異なる明るいイメージにしているようだ。女の子好みの部屋にしているのだろうか。

奥にはベッドがあり、そこに大井が横たわっていた。

来訪者が舞鶴鎮守府司令官であることに気づくと、大井はすぐにベッドをリクライニングさせ、上半身を起こす。

ちなみに彼女はパジャマ姿にだ。なんかいつもの戦闘服を見慣れているので違和感がある。

 

「あら、提督でしたか! 私、驚いてしまいました。すみません、私なんかのために……わざわざ来ていただいて、ありがとうございますー。本当にうれしいです」

相変わらず、よそよそしいというか猫かぶりしたような言葉遣い。声のトーンも妙に高い。言葉遣いは丁寧で、にこやかな表情をしているのに、なぜかすべてが作り物のようで、なおかつすこしトゲがあるように感じてしまう。これはゲームの中の彼女しかしらないからか。

ちなみにゲームでは、なかなか彼女を入手できなかった。早い段階で北上を入手し、その後、木曽を手に入れ、北上、木曽の二人が改二になって開幕雷撃しまくっていた頃に、ひょっこり大井がドロップしたので、ゲームの世界でもあまり付き合いがなかった。このため、ネットで評される大井像しかあまりしらないので、あのイメージがつきまとい扱いに困る。

 

「ところで、どう、体調は? 」

まあゲームと現実は違うはずだと思いながら、まずは彼女の体調を確認する。

 

「ご心配いただき、ありがとうございます。体調は全く問題無いですからご安心ください。そもそも、私は軽傷ですし。先生の話しでは、念のため、しばらくここで安静にしていたら大丈夫だそうです。提督のご命令とあらば、すぐにでも戦場へ行けるぐらいですよ。……まあ、艦の方の修理が全然できていないので、戦闘はたぶん無理なのですけれど」

ドッグに空きがないため、ドッグ入りしていた羽黒には途中で出てもらい、損傷の大きい神通と戦略的判断から戦艦である扶桑を優先してドックに入れている。二人が回復すれば、羽黒、大井の順で修復をしていく予定になっている。このため、大井は損傷したままで港に待機中となっており、戦線に復帰できるには、まだしばらくかかることとなる。

 

「すまないな。うちのドックの空きが無くて、お前にはしばらく待ってもらうことになってしまって。あ……そうだ。話しは変わるんだけれども、この前の戦いで失った甲標的なんだけど、新たに発注をかけている。新規に制作となるから、少し時間がかかるそうだ。大井が真価を発揮できるのは甲標的を使用した雷撃戦だから、それが到着するまではそんなに慌てなくてもいいって判断している。しばらく待ってくれ」

 

「そんなの気にしてません。こういうことは、うちではこれまでも何回もありましたからね。ドックを増やせればいいんですけど、うちは資金も資材も火の車だし。……新たなドックを作るなんて、よっぽど提督が有能で連戦連勝で行かないと、とてもじゃないけど無理ですからね。何事にも優先順位をつけて融通し合うのは当然です」

 

「そっか。すまないな」

そういって一呼吸置く。ベッドの脇に置いてあったパイプ椅子を組み立てて、腰を掛ける。

「しかし、ともかく、みんな無事で帰ってこれて良かったよなあ。神通もしばらくすれば元気になるそうだよ。……良かった良かった」

何気なくそう呟いた時、冷泉を見つめる大井の表情が一瞬険しくなったように感じた。

 

「みんな無事で? はぁ……提督は本当にそうお考えなのですか? 」

先ほどまでの猫なで声みたいなしゃべり方が妙に刺々しい口調に変わっていのが気になったが、それ以上は考えなかった。

 

「え? うん。そうだけど」

一瞬驚いて戸惑うが、素直な感情を冷泉は口にした。

 

「すみません。こんな事、私みたいな巡洋艦風情が指揮官たる提督に意見するようなことではないのですが、あえて言わせていただきます。私は……先の戦い、本来なら、神通を残して撤退したほうがより確実に帰還できたはずだと考えています。結果としては、たまたま幸運の女神が味方してくれて無事に帰れましたが、運が悪ければ全員がやられた可能性だってあったはずです」

 

「うん。まあ、その可能性はもちろん否定できないけれど、でも、みんな無事に帰れたからいいじゃん。結果オーライってやつだけれど」

 

「は? 鎮守府司令官ともあろう人がそんな適当な事でいいのですか? 常に物事を大局的に判断しなければならないお立場なのに……。やれやれ、やっぱダメだわこの人」

【やっぱだめだわ……】からは小声になっていたがしっかりと聞こえてしまった。結構怒っているんじゃないだろうか。どうも結果オーライって言い方がまずかったか? と冷泉は焦った。

 

「だって、神通を犠牲にして帰還できたって嫌じゃないか。そもそも俺は誰一人として戦いで犠牲になんてしたくないし」

と、慌てて追加説明を入れる。

 

「それは、あなたの我が儘ではないですか? そんな我が儘が組織において許されるわけないでしょう? 司令官は常に一番合理的な判断を下し、勝利を目指すものでしょう。それを何の根拠もなく、自分勝手な適当な考えだけで他のみんなを危険にさらすなんて。その上、それで結果オーライだったから良いじゃないって開き直るなんてどうなんでしょうか。あーあ、全く信じられません」

 

「それはそうだけれど。……でもさ、だったら大井は神通を見捨てた方が良かったっていうのかい」

冷泉は、彼女の言わんとすることも分からなくはなかったが、彼女の言い方に少しカチンと来たので反論する。

 

「な……そんなわけ無いでしょう! そんな論理で私の主張をねじ伏せようとするのは卑怯だわ。仲間が死ぬのを耐えられるわけ無いでしょう! 」

 

「だろ。だったらそれでいいじゃないか。とにかく、みんな無事だったんだから」

 

「今回だけ、提督にしては本当に珍しく、たまたま、うまく行っただけで、いつも、うまく行くばかりじゃないです。むしろ、失敗することが確率的に高いはずです。その時、提督はどうするつもりなんですか」

 

「たまたまうまく行っただけ……か。ずいぶんと手厳しいな。でもね、大井。それでも、俺はこれからもそうやっていくつもりだよ。誰かを犠牲にしてでも勝利するなんてことに、一体どれほどの意味があるっていうんだ? ……俺は無いと思うんだ。ただの理想論でしかないと言われるかもしれないけれど、俺は誰かを犠牲にしなければ勝ち取れないような勝利なんて欲しくもないし、そんなことを求めたくもないんだよ。そんな勝利を獲たところで、ちっとも嬉しくない。そしてそんな価値観云々の前に、誰かを見捨てて自分たちだけが助かるようなことは絶対にしたくないし、……俺はさせない。誰にも命を捨てさせないし、見捨てさせない」

 

「へえ……提督は、最小限の犠牲で他のみんなを生き延びさせることは間違いだと仰るのですか? 何様のつもりなんですか。みんなそんなことは望んでいなくても、そうせざるを得なくて、苦しみぬいた末に決断をしたというのに」

 

「まあ状況によるのかもしれないけど、俺は多数を生かすために少数を切り捨てるなんてことは作戦としては愚だと思っているんだ。常にそういった事態に陥る前に次の策を取るべきだと考えている。これは戦術論以前の話になってしまうかもしれないけれど……。少なくとも俺はみんなのために死んでくれなんてことを部下には言えないし、絶対に言いたくない。残念ながら、そこまで冷徹にはなれない。そして、それ以前にそんなことを命じる人間なんてなりたくもない。そして、もし、仮にそんな判断をしなければならない状況に置かれたなら、俺もその艦娘と運命を共にするよ。その子だけを死なすなんてありえないからな。それが俺ができる限界ぎりぎりの選択だ」

 

「じゃあ、じゃあ、今までに艦隊を守るために死んでいった仲間達はどうなるの。提督は彼女達の行動を否定するというのですか。彼女たちの死は無駄死にだったっていうの」

 

「そんな状況になったことが無いから、分からない。無駄とまでは言わないけれど、その道を選ぶよりも別の手立てがあったかもしれない。そして、常に最善の最善を見いだし、実行するのが司令官の努めだと思っている。それ以前に、艦娘を見殺しにして生き延びるなんて耐えられないよ。味方のために死を選ぶって感覚も、それを受け入れる感覚もね。どうかしてる」

感情的になっている大井に、冷泉までも感情的な発言で返してしまう。死ぬなんて愚かだ。死ぬくらいならもっと良い方法を考えるべきだ。

 

「バカにしないで。何も分かってないのに偉そうに! 提督は艦隊を守るために自らを投げ出した艦娘達を、彼女達の気持ちを否定するの? ……北上さんは無駄死にだったっていうの!! 領域解放戦で北上さんは大破して、他のみんなも傷だらけになって、撤退することになった。だけど敵の追撃艦隊が来て、……とてもじゃないけれど逃げ切れなくて……。そして、北上さんだけが一人残って、私たちを守るために無数の深海棲艦を迎え撃ち沈んでいったのよ。……あれが無駄だったって言うの! 何も知らないアンタが偉そうにそんなこと言うなら、たとえ提督だって絶対に許さない」

 

「だから、無駄とは言わない。他に何かすべがあったはずだと言ってるんだよ」

 

「はっ!、そうですか!! もし、提督がその場にいたら、北上さんを死なさなかったというんですね? へえ……すごい自信ですね。流石ですね。その若さで鎮守府司令官に上り詰めただけのことはありますねー。驚いて本当に尊敬してしまいます。ねえ、提督。そんな偉そうな事を言うんだったら提督のお力で今すぐ北上さんを生き返らせてよ! 」

北上? ……大井の姉妹艦だよな。この世界では艦隊を守るために犠牲になったというのか。

死んだ艦娘を生き返らせろとはなんと理不尽な。しかも今すぐなどと……。

 

「なあ、……大井。お前も分かっているだろう? 時は巻き戻せないんだ。済んでしまったことをどうすることもできない」

 

「フン! 何よ、結局何もできもしないのに偉そうなことを言わないで。後からならなんとでも言えるのよ。口だけの無能のくせに。この能なし」

理不尽な要求に対して対応できなければ無能扱い。

 

「だけど、今度もし、そんな場面になったとしたら、俺は今回と同じようにみんなを救う手立てを考えるし、それを必ず考え出し、実行するつもりだ。北上の事は残念だと思うが、死んだものを生き返らせることはできない。でも、その悲劇を二度と繰り返させないようにすることが俺の職務だと考えている。お前や他の艦娘達が同じ悲しみを繰り返させるような事は俺が絶対に防いでみせる」

 

「バカみたい。根拠もなく偉そうですねー」

 

「まあ、そうかもな。お前から見たら、たいした能力もないのに口だけ達者なヤツなのかもしれない。だけど、一度だけでいい、俺を信じてくれないか。お前を、お前達艦娘を悲しみの連鎖からきっと救い出してやるから。二度とお前を泣かせるようなことはさせないからさ」

 

「なんで……」

唐突に大井の頬を涙が伝う。その変化は唐突に現れる。敵意むき出しだったその瞳からいきなり色が失せる。

「なんで今頃現れて、そんな希望を持たせるようなことを言うの。せっかく私の中で北上さんの事は仕方ないことなんだ、ああするしかみんなが助かるすべがなかったんだって折り合いをつけていたのに。……なんでそんなことを言うの。北上さんはみんなを守るために死んだのよ。艦娘としての誇りを護ったんだ。辛いことだけれど、それは戦うために生まれた艦娘としてやむを得ないこと、当然のことだと思うようにしていたのに。なんでそんな希望を持たせるようなことを今頃言うの。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、死ね死ね!! 適当なことを言って、私の心をめちゃめちゃにしないで! ……もう出て行って、二度と顔を見せないで」

そう言うと、冷泉の服をつかんで引き寄せると、握った拳でぽこぽこ体をたたく。しかしまるで力が無い。やがて彼女の肩は小刻みに震え、顔を見られまいとしているのか頭を冷泉の胸に押し当てる。

思わず冷泉は大井をぎゅっと抱きしめた。一瞬抵抗をしようとする彼女を力ずくで抱きしめる。

「なあ大井、……泣きたければ泣けばいいよ。そして、俺を恨みたいなら恨んでも構わない。俺のことを嫌いなままでも構わない。だけど、俺を信じて欲しい。俺がお前を守ってやるから。お前達を護ってやるから。俺が二度と艦娘たちに悲劇を繰り返させないから」

それは冷泉誓いであった。

しかし大井は冷泉に体を預けたまま、ずっと震えたまま嗚咽を繰り返すだけで、言葉は発さなかった。

 

どれくらいの時間が経ったんだろうか。やがて大井の嗚咽が止まった。

冷泉の体から離れるとこちらを見る。目が真っ赤になているし、涙でぐしゃぐしゃだ。

 

「大丈夫か」

 

「ぐすん、取り乱してしまってごめんなさい。こんな姿を提督なんかには見られたくなかったのに……」

 

「いや、気にするな。それよりも俺こそ、あの戦いで無事帰還できたことで浮かれてしまって、お前に対して配慮不足だったな。お前にそんな事があったなんて知らなかったから。とにかく、すまなかった」

 

「いえ、提督は提督のお考えがあるのです。部下である私が出過ぎた事を言いました」

涙を拭う大井。

「あの、……提督」

 

「なんだ? 」

 

「ここでのことは誰にも言わないでください。そして忘れてください」

 

「……了解だ」

そう言って、冷泉は部屋を出た。

ただ可愛いだけだと思っていた艦娘たちも、当たり前だがいろんな想いを抱え込んでいるのを再認識した。

戦いの中にいるのだから、当然、仲間の死に直面しているだろう。そして常に自らも死を身近に感じているのだ。

冷泉のように、そういった世界と縁遠い場所から来た、そしてさらに人間には理解できないのかもしれない。

だけど、冷泉は知りたい。そして彼女達を理解したい。できることなら彼女達を救いたい。

艦隊司令官として彼女達を戦地へと送り込む立場なのに、そんな感傷的になってしまう自分に驚くとともに、この感情は絶対に失ってはいけないと思った。

 

現実は、ゲームほどには優しくはない。

だから、俺だけでも彼女たちには優しくしたい。

 



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39話

同じく地下一階の施設で療養中の扶桑の部屋を訪ねる。

まだ少し心臓がドキドキしている。

大井があんなに取り乱すなんて想像もしていなかったからだ。彼女にどんなことがあったかは会話の中での断片的なことしか知ることができなかった。そして、おそらくあれ以上は彼女も冷泉には話さないだろう。

司令官として、上司として、そして人として彼女の心の傷を癒してあげられれば良いのだろうけれど、今のところはどうすることもできなさそうだ。時間をかけて彼女との距離を縮めていくしかないのだろう。

 

しかし―――。

そんなことにさえ気づかなかった自分に今更ながら嫌悪感すら感じてしまう。

ここは冷泉がかつていた世界とは異なるのだ。

人類は異形の敵と全面戦争の最中であり、そしてその最前線に立っているのが彼女たち艦娘なのだ。

あまりにあたりまえすぎることだけれども、ゲームとは違うということを失念してしまっていた自分に。

 

そんなことを考えていたせいか、扶桑の病室を見つけるのに少し時間がかかってしまった。

名札を確認してから、ノックをする。

すぐに返事がある。

 

冷泉はドアを開ける。

 

「どうぞ、お入り下さい」

冷泉が来るのを察知していたのか、ベッドの中ではなく、椅子に腰掛けた状態の扶桑がいた。いつもの巫女衣装で迎えてくれる。

 

「扶桑、大丈夫か? 」

 

「大丈夫ですよ。私は軽い怪我ですから。私のことはお気になさらずに。……それよりも大井となにかやりあったんですか? 」

 

「ウッ……何か聞こえたのか」

慌てて答える。

 

「いいえ。ここの病室は結構防音加工してますから、少々の声では聞こえてきませんよ。ただ、大井の心の乱れが感じ取れたものですから。……あの子の性格上、提督と何か言い合いになったのかなって」

 

「いやいや、そんなたいしたことじゃないさ。すごく……些細なことだよ」

そういってうやむやにしようとする。

 

「想像するに、今回の戦いで神通を見捨てずに撤退戦を行った事で言い合いになった……ってところですね」

 

「え、いや、その」

 

「あの子は姉妹と言っていいほどの艦娘を領域から撤退する際においていかなければならなかったという過去があります。命令であったからそれは仕方の無いことなのですが、彼女にとっては、大切な家族を見殺しにしてしまったという罪の意識にずっと苛まれていたのでしょう。そんな中での今回の事案です。提督がしたことについて、釈然としないところがあったんでしょうね。どうせ、提督が無神経に発言して彼女を怒らせてしまったんでしょうね。そして、さらには泣かせてしまったんでしょ? 上着に彼女の涙のようなシミがありますよ」

……そこまでお見通しか。何も言ってないというのに。

 

「その件については、俺と部下である大井の私的な会話だから、たとえ君であっても話すことはできないんだ。ごめんな」

冷泉が言うと、扶桑は何故か優しげな視線で冷泉を見る。

 

「ふふふ。提督らしいですね。その件については私も問い詰めるつもりなんてありませんよ。あるとするならば、どさくさにまぎれて大井に何かいやらしいことをしたことくらいですかね」

 

「そ、そんなのするわけないし」

 

「冗談ですよ。提督はそんなことをするようなド変態でしょうけど、弱っている女の子の心理につけ込んでまでそんなことを実践するようなアンフェアな人ではないでしょうから」

慌てて否定する冷泉にさらに酷いことを言う。

 

「それって結構人格否定されているような気がするんだけど」

 

「褒めているつもりなんですけれど。でも……」

一拍おいて、真剣なまなざしに切り替わる。

驚いて緊張してしまう。

「提督、今回は作戦としては成功しましたが、あの提督の決断は余所から批判を浴びる可能性があります。これまでも撤退において大破等した艦がある場合は、その娘をうち捨てて、その娘が時間稼ぎをすることにより撤退の成功率を上げてきました。同様の状況においてはまずはその戦法に出るのが定石。それを無視した提督の判断は、すでにネットワークを通じて上に報告がいっているはずです。追撃艦隊に想定外の損害を与えた上に、全員無事に撤退させた手腕はお見事ですが、そんな結果になったから余計に上はそんな風には取ってくれないはずです。たまたま運良く逃げ切れただけで、通常なら損害が大であったはず。貴重な艦娘を危険にさらした鎮守府提督の判断が正しかったかどうか検証を行う必要がある。まず間違いなくそう思われているはずですよ」

 

「そんなに捻くれた連中しか……いや失礼。そんなに厳しいのか」

 

「よーくお考え下さい。提督がどうお考えになられているかは分かりませんが、鎮守府提督という立場は提督が思っている以上に皆が羨むポストなのです。隙あらば足を引っ張ってやろうという輩がどれほどいるかしれたものではありませんよ」

好きでなった訳じゃない、いやそれ以前に問答無用に決められていた立場だけど、そこにそれほど執着する人間が存在すると言うことは、こちらの世界の住人でない冷泉にとっても想像に難くない。

誰しも出世欲はあるだろうし、艦隊司令官ならどれほどのチカラを動かせるか。魅力的ではあるのだろう。

 

「近々、まず間違いなく提督は査問委員会に招聘されるはずです。そこで今回の作戦についての詳細な説明をさせられるでしょう。その結果によっては軍法会議行きとなる可能性もあります」

 

「そうなのか? まるで犯罪者なみの扱いなんだな」

 

「鎮守府司令官だから、間に査問委員会を挟んでくれるのですよ。今のお立場でなければ定石に反した作戦を指揮したというだけで相当なマイナス評価ですから、そこに一気につけ込まれて失脚させられてしまうでしょう。提督は運がいいのです。まあとにかくそこで上手く説明できなければ、提督とは短いおつきあいでしたってことになっちゃいますけどね」

 

「おいおい、もうクビなの? 」

 

「すみません。驚かせすぎましたね。これはあくまで最悪のシナリオの場合です。提督は艦娘を誰一人犠牲にせず全員無事で帰還させたという実績があります。その手腕は評価せざるをえないでしょうし、戦時下にある海軍にとっても切り捨てるには惜しいと考えるはずだと思います。たとえ軍紀に違反していると結論づけられたとしても、この事実がある限りはそうそう攻められないでしょう。たぶん」

 

「そうか。少し心配してしまったよ」

 

「でも、あまり無茶をしないでください。私の懸念は決して考えすぎではないと思います。目立ちすぎる行動は提督の立場を危うくするだけです。せっかく私たちにとってすばらしい提督が来てくださったのに、いなくなってしまったら辛いですからね」

 

「お、扶桑、心配してくれるんだ」

なんかうれしい。

 

「またすぐ都合のいい解釈をしますね。残念ながらそういった意味での好意を持っているわけではありませんので、あしからず」

 

「そっか、むーん残念」

 

「でも、提督がいなくなったら悲しむ子があっという間に増えてしまいましたからね。現実に提督がいなくなるような事があれば、舞鶴鎮守府が本当にダメになってしまいます。それが心配」

 

「え! 本当か? そんなに想ってくれる子がいるなんて」

 

「あらあら。すけべえな提督にしては鈍いんですね。あまりにモテなさすぎて女の子の好意が何なのか分からなくなっているのかしら……? 」

 

「それすごい酷い言ってる上に、上官に対する態度とは思えないんだけれど。凄く辛いです」

と、冗談めかして言うと、扶桑はけらけらと面白そうに笑った。

 

「誰が提督に想いを寄せているかは、実際に自分で探してくださいな」

どうやって確かめたらいいのか聞きたかったが、ソレを言うとまた馬鹿にされそうなので冷泉は堪えた。

 

「とにかく、みんなの顔を見られて良かった。全員無事に帰還させられて良かった」

感慨深げに呟く。

 

「そうですね。すべて提督のおかげです」

 

「あれ、ずいぶんとあっさりと認めてくれるんだね」

 

「当然です。何はともあれ誰一人失うこと無く帰ってこられたんですから。あの状態であんな作戦を立案し実行するなんてこれまでに無かったですから」

 

「そっか。とりあえず鎮守府提督としては及第点をもらえるのかな? 」

 

「そうですね。まあ【可】は出せると思います」

 

「ふう。厳しい評価だなあ」

 

「これからのご活躍に期待を込めての評価ですよ。これなら評価は上がるしかありませんよ」

 

「よーし。なんとか頑張ってみるよ」

 

「期待していますよ。……でも提督」

 

「ん? なんだい」

 

「私達の命、すでに提督の物です。提督の思うように私達をお使い下さい。そして、勝利を手にして下さい。提督がどのような作戦を実行しようとも、私達はそれに従います」

急に真面目な顔で扶桑が言うから、冷泉は驚いてしまった。真面目な話をされたら、こちらも答えるしかない。

 

「俺は誰も死なせない。そして勝利を掴む。これだけは絶対事項だ。俺はお前たち誰一人として、悲しませることが無いようにする。夢想主義者だと笑われるかもしれないけれど、これだけは譲るつもりはない」

 

「そうですか……」

扶桑はそう答えるが、どこか悲しげだ。

「そのお考えは素晴らしく、否定するつもりはありません。けれど、その想いに囚われすぎないでください。現実とはままならぬもの。提督や私達艦娘の意志に関わりなく唐突にその時が訪れます。その時、自らの理想の為に道を見失うことのなきように……」

彼女の言わんとすることは当然ながら冷泉でも理解できた。だけど理解はしたくなかった。

 

「そんなことにならないよう、最大限の努力、いやそれを遙かに上回る努力をするつもりだよ。……絶対に。……俺は。誰も泣かせない」

自分に言い聞かせるように、誓うように言った。

 



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40話

治療施設から出てると、左側には防波堤レベルとは思えない高さの壁で外海と遮断された港。そこには圧倒的な存在感で軍艦が係留されている。右側には建物群が並んでいる。それは倉庫や工場であったり、鎮守府司令棟であったり、居住区域だったりする。

港には、どういう仕分けで並んでいるかは不明だけれど、中央に戦艦、左右に向かって軽空母、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦という並びで整然と係留されている。そこでは整備兵らしき人間が何人も集まり、声を掛け合いながら作業を行っている。クレーン車やトレーラー車、タンクローリーっぽい車両が何台も来ているので、弾薬の積み込みや燃料の補給を行っているのだろう。

トレーラーに載せられているものを見てみると、通常弾薬以外にSSMらしいものも見受けられる。

領域における戦闘では電子機器がほとんどジャミングされるために使用不可な武器だけれど、通常海域においては必須の装備だ。それ以外にも様々なハイテク……いや、オーバーテクノロジー兵器を搭載しているが、そちらについては鎮守府整備員では触れることも見ることもできないものらしい。

 

そんな光景を眺めながら、冷泉は徒歩で鎮守府司令棟へと向かう。

時折、彼を見つけた兵士達の敬礼に会釈で答礼しながら、歩いて行く。

領域での戦闘時に痛めた足はどういうわけか痛みが完全に無くなっていた。かなり酷い捻挫のはずだったが、思ったより軽症だったのだろう。……でも足を引きずるくらいだったんだけど、おかしいなあ。こちらに来てから怪我の治りがやたら早いように思うのは気のせいだろうか?

そんなことを考えている内に赤煉瓦造りの鎮守府庁舎が見えてきた。まあ治療施設と庁舎は500メートルと離れていないのだから歩いてもそれほど時間は掛からない。

 

ふと見ると、正面玄関に人影があった。

冷泉を見つけるとゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

暗灰色(あんかいしょく)のブレザー姿。ストライプの入ったスパッツが短めのスカートの裾からのぞいている。そして後ろで束ねたピンク色の髪。外見の特徴を確認するまでもなく、すぐにその子が駆逐艦不知火であることが分かった。

 

「提督、おはようございます」

すぐ側までやって来ると敬礼をする。

基本無表情で無愛想な態度はゲームと変わらず。

 

「ああ、不知火。……どうしたんだ、一人で」

怖い物見たさで【ぬいぬい】と呼びたくなる衝動を必死にこらえて冷泉は答える。

 

「はい、不知火は提督をお待ちしていました」

 

「俺に用事だったら、中で待っていたら良かったのに」

 

「いえ、司令部にでは金剛さんと高雄さんが秘書艦の引き継ぎ中でしたので、外で提督をお待ちすることにしました。個人的な用事でもありましたので、中であのお二人に気遣いをさせるわけには行きません。……それに待っていたといっても、ほんの少しの時間でしたから。問題はありません。ただ、提督のお心遣いには感謝いたします」

言葉遣いが妙に他人行儀なので、困惑する。まあ上官に対しての言葉遣いとしてみれば合格点を上げられる話し方なのだけれど。他の艦娘達の話し方が馴れ馴れしいといえばそうなんだけど。

しかし、たいした時間では無いと言ったけれど、冷泉は秘書艦の金剛にも何時に戻るとは伝えていなかったから、不知火に何時くらいに冷泉が戻るかは知るすべはなかった。金剛とも話していないようなので、そもそも神通たちを見舞いに行くことすら知らなかったはず。

 

「なあ、不知火」

 

「はい、何でしょう」

 

「お前、いつから待ってたんだ? 」

 

「朝からですが、何か? 」

と、何か問題でも? といった顔でこちらを見ている。

 

「あのさあ、もう昼だぜ。お前、そんなに待ってたのか? 一言金剛に言ってくれれば良かったのに。……すまかったな。待たせてしまって」

思わず驚きの声を上げてしまう。何時間もずっと待っていたというのか。普通、いったん帰ったりするだろう?

 

「私の用件で、何のアポイントメントも取らずに来たのですから、少々の時間、待つのは仕方のないことです。そもそも私事に秘書艦の手を煩わせるなんてありえませんし。それに今日は用事もありませんでしたから、少々の時間など問題ありません。それに提督に非は一切ありません。なぜお謝りになるのか、不知火にはわかりません。そちらのほうが不思議です」

 

「……はあ。そうですか」

言わんとすることは分かるが、なんだかなあ。

しかし、冷泉としては、そんな不知火のような形式張った言葉使いではなく、もっとフレンドリーに接して来て欲しいと思っているのだが。

「ていとくぅー」、「ぬいぬい」ってお互いを呼び合いたい。

けれど不知火は根が真面目なのだろうか。たいした時間待っていないと言っていたけれど、冷泉は何の予約もなくぶらりと治療施設を訪れたため、たとえ鎮守府司令官といえどもフリーパスで全てを進められる訳ではなく、時間待ちもさせられた。それに治療中の三人の状況を確認したり話したりしていたから結構時間も掛かっている。とても少しの時間ってわけではないだろうに。

まあ不思議な子だなと感じた。

 

「待たせてしまって済まなかったな。じゃあ話は中に入ってから聞こうか? 」

 

「いえ、こちらで結構です。お忙しい提督にはいろいろと予定がおありでしょうから……」

すぐさま否定された。

彼女の意志は強く、とても中に入って話しをするような雰囲気ではない。金剛のお茶でも飲みながらと思っていたのだけれど。

 

「うーん、わかった。では、どういった話なんだ」

 

「先の領域解放戦についてです」

 

「……。お前もあの撤退の仕方はダメだって言うのかー」

不知火というと結構、真面目というかかなり堅物のイメージで、おまけにちょっと怖い女の子って印象がある。彼女はゲーム内での見た目とそっくりだし、言葉遣いも似てるから身構えてしまう。間違った事を言うと手厳しい指摘を容赦なく浴びせられるのか! ある種の趣味があれば「ご褒美ありがとうございます」と大喜びしてしまうキャラなのかもしれないけれど。

 

「はい。確かにセオリー通りではない采配でしたが、それは鎮守府司令官の直々の指示ですので、私たちがその決定に異を唱えること自体、あり得ないです。そんなことを言う者が組織に存在することは、鎮守府にとってプラスになるとは思えません。提督のご決断が正しいか正しくないかは、私たちが決めることではありません。提督の決断をどう実現させるかが私たちの使命なのですから」

 

なるほど。そんな考え方もあるんだ。たとえ間違っていても組織の上位者が決めたことには従い、その中でベストを尽くす。それが不知火の基本理念のようだ。それはそれですごいことだが、冷泉には真似ができないことだと思う。

 

「とにかく、不知火は、提督にお礼を言いたかっただけなのです」

 

「お礼? えっと……俺、お前に何かお礼を言われるような事したかな」

目の前の艦娘の言っている事の意味がすぐには分からず、思わずそんな言葉が口をついてしまった。

 

「はい、神通さんを助けて下さった事です」

 

「神通のことか。……でも、あれは当然のことだろう? 彼女を犠牲にして他の艦が生き延びたとしても、その結果は俺には受け入れられないし、耐えられないことだからな。でも、それについてお前がわざわざ感謝するようなことなのか? まあ同じ艦隊の仲間だからそりゃ嬉しいかもしれないけれど」

 

「神通さんは、私の属する第二艦隊の旗艦を努めることが多いのです。彼女にはいろいろと戦い方を教わりましたし、遠征で危険な目に遭ったときも身を挺して私たちを護ってくれました。……優しくて、そしてとても強い、仲間思いのとてもすばらしい艦娘なのです。そんな彼女を見捨てることなく助け、そしてさらに誰一人として犠牲者を出さなかった提督に一言お礼がいいたかったのです。神通さんを助けてくださり、ありがとうございました、と」

 

「それについては感謝なんて必要ない。俺は自分の部下の誰も失いたくない。そんな我が儘でやったことだからな。……危険な真似をしすぎだといろいろ怒られたけどね。でも、まあ感謝されるのは悪い気はしないな。特に不知火みたいな可愛い子から言われると余計にね」

 

「え。そ、そうですか。……神通さんを助けてくれたことだけには感謝しています。今日は、そのお礼だけを伝えたかったので。……では、失礼しまふ」

ちょっと茶化した言い方をしたせいか、少しムッとしたような表情を見せたがすぐに冷静な顔に戻り、用件だけを伝えるとあっという間にいなくなった。

噛んでたけど……。

 

「ちょっと言い方を間違えたかな。そういや、あんまり冗談が通じないタイプの子だったっけ? 」

そんなことを考えながら、結局、まあ仕方ないやと庁舎に入り、エレベータへと乗り込む。

 

エレベータを降りて、豪奢な絨毯の廊下を進むと再奥に鎮守府提督の執務室がある。

執務室の奥は提督用の寝室らしかった。けれど本当にこの部屋が自分の寝室とは確認できていない。本当は提督の住む場所が別にあるのかどうかを聞くこともなく、現在に至っている。

確かに、来たばかりの頃は右も左も分からず、まあ今でも分かっていないけれど……現状把握するだけで夜中になっていた。艦娘の顔や名前を一致させる必要もあったし、鎮守府職員も顔を合わせる人間については把握しなければならなかった。

冷泉朝陽という鎮守府司令官がいつの間にか入れ替わっているという事実を誰にも悟られないようにしなければならなかったから、常時警戒態勢であり、ずっと冷や汗をかきっぱなしだった。心労によるストレスで胃が常にキリキリと痛んでいた。食欲もあまりなかった。実際、胃薬は手放せなかった。想像していたよりは上手く乗り切れたようには思うが。職員は全く違和感なく対応してくるので、どうも冷泉の正体を知っているようではあるが、それについて問い詰めることはできなかった。秘書艦として金剛がずっと側にいたせいもあるけれど。

 

艦娘達については、扶桑以外は全然違和感がなかったけれども。提督の側に常時いるのになぜ気がつかないのが何故だか分からないままだ。決して上手く立ち回った訳ではないと思うが、それでも未だに正体がばれないままでいる。これだけは冷泉の努力以外のチカラが働いているとしか思えない。しかし、そのチカラが何か、どこから来ているかは分からないままなのだけれど。

 

領域の開放、深海棲艦に勝つこと、鎮守府艦隊の強化などと平行して調べていかなければならないことがあまりに多いということだ。

 

ドアを開けると、戦艦金剛と重巡洋艦高雄が会議机に並んで座り、資料を見ながら何かを話している最中だった。

 

「テートクー! お帰りなさいデス」

「提督、お疲れ様です」

二人が席から立ち上がり挨拶をしてくる。

 

「二人ともお疲れ」

冷泉は手を挙げて挨拶を返す。

彼女たちの座った会議机の奥に司令官用の執務デスクがあるのでそこま行くと大きめの椅子にどかっと腰掛けた。

 

「神通の様子はどうだったデスカ? 」

と金剛。

 

「ああ、しばらくは安静となるだろうけど、大丈夫だそうだ」

 

「良かったー。一時はどうなるかと思ったデスよ」

 

「提督、どうぞ」

冷泉が金剛と話している間に高雄がお茶を入れてくれた。

 

「ありがとう、高雄」

高雄は頷くと再び席に戻る。今は秘書艦は高雄になっているから、お茶を入れてくれるのも高雄になるようだ。金剛だと紅茶だけれど、高雄は台湾茶である。高雄は台湾とは関係がないのに……。ただ好きなだけなのだろうか。

 

「神通はよく頑張ったですからね。よく領域から脱出するまで持ったものです。あれは奇跡的でした」

感慨深げに高雄が言う。

 

「みんながフォローしてくれたからな。本当に感謝している」

 

「テートクー、違うねー。……そっか、提督は知らないんだ」

 

「? 何が知らないんだ」

 

「あのね、後で分かったことだけど、神通の損傷具合は大破よりさらに酷い状態だったんだヨー」

 

「そうなのです。推進機関の損傷はかなり酷く、通常なら領域の外まで持つような状況ではありませんでした。本当は速力を上げることさえ本当は不可能なはずだったのです。そんな状態でありながら撤退を成し遂げることができたのは、彼女の想いの強さのおかげとしか言いようがないのです」

高雄の説明はわかりやすい。

 

「それは……」

 

「つまり、神通は自分の生命力すらもつぎ込んで機関部を動かし、領域外まで保たせたということらしいです」

 

「彼女はたとえ自分が死ぬとしてもテートクだけは護りたいって思ってたんだよねー。提督へのLOVEのチカラが奇跡を実現したんだヨー」

 

「……そんな限界まで神通は自分を追い込んでいたのか? 結局俺は彼女を護ったつもりだったけれど、逆に俺が護られていたわけか。そして俺は自己満足の為に、神通に無理を強いただけだったというのか……」

確かに、領海から脱出できた途端、神通は倒れてしまった。あれは緊張の糸が切れたからって勝手に解釈していたけれど、本当は限界のさらに限界を超えてしまったから機能停止してしまったというのが真実だったのか。一歩間違えていたら結局、神通を死なせていたかもしれないのだ。

 

「そんなことはありません! 」

「そんなこと無いネー!! 」

同時に否定された。

 

「テートクが神通を助けようと思わなかったら神通は敵の足止めの為に死ぬことになってたね。でもテートクが彼女を助けようとしたから、連れて帰るって言ってくれたから彼女もその想いに応えたダケ。それでみんな生きて帰って来られた。ノープロブレムね」

 

「金剛さんの言うとおりです。提督が彼女を助けたいと思った。そしてそれに神通さんが応えた。そして、みんな無事に帰ってこられた。そういうことなのです! 」

 

「それでいいのだろうか」

 

「問題なしデース。みんな無事で帰ってこられたんだから、それでオッケーなのデース」

 

「そうですね。その通りです。提督のご判断は正しかったです。生きてさえいれば次のチャンスがあります。次こそ領域を開放できるように、私も微力ながらご協力させていただきます」

 

「あうー。本当は私が頑張りたかったデース。でも仕方ないネー。出撃事に秘書艦は交代するのが決まりだから、次の出撃は高雄に任せマース」

 

「はい。任せて下さい。提督もよろしくお願いしますね」

 

そうだ。戦いは終わりではない。すぐに次の戦いに向けた準備を行わなければならない。

失敗は次に挽回すればいい。そのために最大限の努力と準備をしなければ。

まだ、誰も失っていない。まだまだがんばれるはずだ。

冷泉は認識し確認をした。

 



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41話

冷泉は執務室の豪奢な椅子に腰掛けたまま、大きく伸びをした。

 

机の上には、書類が30センチくらい積み上げられている。鎮守府提督の仕事とは、戦場で指揮を執り戦うばかりではない。舞鶴鎮守府という組織の全ての業務の総括となっているのだ。

弾薬や燃料から職員の使用する鉛筆にいたるまでの物品の購入、職員の給与福利厚生関係、総合的な予算要求、関係機関との協議連絡文書の確認および承認、鎮守府基地内での許可関係の処理、艦船からトイレの掃除に至るまでの様々な役務契約承認……。その他にも艦娘の苦情処理、むろん兵士たちの苦情の最終的な相談などと、やり出したらきりがないほどの業務が提督の元へと回ってくるのだ。

これらは従来から続いている事務の流れのようで、もっと簡素化できるように思うが、この非効率的な事務はなかなか変えられないみたいだ。会社でもそうだけれど、一度やり出した事はそう簡単には止められない。始めるよりも終わらせる方が圧倒的に労力が必要なのは、いつの世もどこの世界も同じなのだろう。

冷泉の事務処理能力を高めに評価したとしても、とても一人でやりきれるような半端な業務量ではない。民間企業であり、公務員なんかと比べたら決して楽な仕事をしていた訳では無いが、こんな業務量をこなすなんて公務員様凄いです。公務員なんて絶対やりたくないと思わざるをえないレベルだ。

しかし、秘書艦がいることでその不可能さも回避されている。彼女たちの事務処理能力は相当に高く、彼女たちのチェックを受けた完璧な書類が冷泉のところに回ってきているため、かなり楽だ。

もっとも、舞鶴鎮守府の職員も結構優秀なようで、秘書艦となった艦娘が見てもほぼ問題無いレベルに仕上がっているので、手直しもほとんど無く提督にお渡しできるんですよとのことだけれど。

割り切ってしまえば、鎮守府司令官の事務仕事は、判子を押すだけでおしまいの簡単なお仕事になってしまっていると言えなくもない。

膨大な時間が掛かってしまっているのは、冷泉がそれでも全書類に目を通している為なのであった。なぜそんな事をするかと言うと、冷泉はこちらの世界に来てまだ日も浅く、全く未経験、未知の鎮守府の事務の流れというものを把握するためにやっているだけなのだ。だから、ある程度慣れたら、みんなを信じて処理するようにするつもりにしている。

 

冷泉の左側の少し離れた場所に、こちら向きの位置で事務机があり、そこには現在の秘書艦である高雄が腰掛けて、ノートパソコンを駆使して執務中だ。ちなみに金剛は、あの後すぐに帰って行った。

「次の作戦開始までは私の時より時間が掛かりそうですネー。提督とずっと一緒にいられる高雄がうらやましいヨー! 」とか騒ぎながら出て行ったけれど……。

 

確かに、神通、扶桑がドック入り中。さらに大井、羽黒、村雨がドック待ちの状況になっている。そういうわけで現在、第一艦隊で編成できる艦娘は金剛、祥鳳、高雄の三人だけであり、ドック入りしている、及び待機中の艦娘の治療及び修理が完了しない限り、あの海域へ進撃することはほぼ不可能というか、できない。現状でやれることは、第二艦隊による遠征のみである。これについては現在編成を検討しているところだ。

舞鶴鎮守府の艦娘の数は第二艦隊まで編成してもまだ余裕があるのだけれど、これは基地警備要員として確保しておく必要もあるので、その兵力も残しておく必要があるからなのである。深海棲艦は時折鎮守府等の軍事基地を攻撃してくることがあるので、それに対応する兵力は必須なのであった……。とはいえ、大規模な進撃をしてくることは近年無いと言うことなので、どの鎮守府でも最低限の兵力をおいているだけなのだけれど。

 

「ふう……」

いろいろ考えると本気で疲れる。ため息も大きくなってしまった。

 

「提督、お疲れですね。……私も肩がこっちゃいました。お茶にしますか?」

キーボードを打つのをやめて、高雄が微笑んでくる。

 

「うーん、そうだね。お互いちょっと根を詰めすぎたのかな」

再度両腕を上に伸ばしてストレッチをしながら高雄の方を見る。彼女の顔を見ながらも、どうしても胸の方に視線が言ってしまう。

「えーと、でもさあ。高雄の肩こりって他に要因があるんじゃないかなあ……なんてね」

 

「ふふふ。提督、それは大丈夫ですよ。お仕事中は、極力、これは机の上に載せるようにしてますからね。でも、それでもこってしまうんですよね」

普通に受け答えをし、セクハラ発言を軽々とスルー。

 

「そ、そうですか」

二人っきりになってから、高雄は黙々と作業を進めていたから、ほとんど会話らしい会話ができていない。金剛はぐいぐいと積極的に話しかけてくるタイプだから、会話がとぎれる事が無かったんだけれど、高雄はそこまでおしゃべりじゃない。だから沈黙が結構あって、気まずいときがあったりする。なんとかお話をしたくてきっかけを探していた冷泉が、チャンスとばかりと思って切り出した言葉がセクハラ発言……。おまけに何の反応も引き出せずにスルーされ、ショックで打ちひしがれそうになっていた。

 

さすがに「こっていますか……へへへ、じゃあ、揉みほぐしちゃおうかなあ」などとは司令官という立場上、言う訳にもいかず。さすがにそれは変態の領域に行ってしまうから。

なんとか会話を続けないと、気まずい。かと言って、彼女がどんな趣味だとか性格かをいまいち把握していなかったので、何を話して良いか、困惑してしまい、言葉が出てこない。

 

真面目で、胸が大きいしか予備知識無かったです。

 

「ところで……」

仕方ない。仕事の話しをしつつ、会話の糸口を探るしかない。

 

「はい、なんでしょうか、提督」

 

「うちの艦隊の編成について、いろいろ考えているんだけれど、どうしても駒不足としか言いようがない現状なんだよな。それだけじゃなくて、ドックの数が少なすぎるんだよな。今回のように負傷した艦娘が出てしまうと、入渠待ちとなってしまうし、第一艦隊を編成することができなくなってしまう。これは大きなロスにつながるよな」

 

「はい、そうですね。領域解放するについては、一概に戦艦と空母編成で押し切れない場合もありますが、通常はそういった編成を組続けられるようにできた方が有利に戦いを進められますね。確かに、現状の舞鶴鎮守府艦隊については、余力がありませんから」

 

「ちなみになんだけど、ドックを開放するにはどれくらいの予算が必要なんだろうか? 」

ゲームでは課金しないと増やせないくらいだから、やはり相当の費用がかかるんだろうね。普通に建設してもかなりの費用がかかるのだけれど。

 

「お待ちください」

そう言うと、高雄がパソコンに何かを打ち込む。

「費用については工事費だけでなく設備費もかかってきます。さらに、戦艦、巡洋艦、駆逐艦のどのクラスまでの艦船を収容できるか、どういった事までできるようにするかに左右されるようなので、一概にいくらとは言えないみたいですね。少なくとも海軍省の許可が必要案件となっています。これについては、海軍省の方で優先順位と言うものがあるみたいですから、現状では申請されたとしても、不可能とお考えになられた方が良いようです」

 

「なるほど。つまり、うちの要望は優先順位が低いということなのかな」

 

「あ、すみません。そんなつもりで言ったわけではありません。すみません」

びっくりしたような顔で立ち上がると、ぺこぺこと頭を下げ出す高雄。

どうやら、冷泉を批判してしまったように受け止めたようだ。

 

「あ、いや、そんなに慌てなくていいよ。俺もそんなつもりで言った訳じゃないから」

 

「でも、提督を批判するような感じになってしまって。そんなことちっとも思っていないのに、私、私」

なんだか泣きそうな顔をしている高雄の顔がすごく可愛くて、いとおしくて、なんだか尾てい骨の辺りが痺れるのを感じた。

そもそも、冷泉は最近来たばかりなので、舞鶴鎮守府の戦とか評価や海軍における序列などは、ほとんど知らない。だから何を言われても全く気にならないのだけど、高雄はそのことについて意図せずに触れてしまったことを反省しているようだ。

うちの鎮守府においては周知の事実であるが、タブー視されている事なのだろうか。

 

「高雄、そんなに自分を責めなくていいよ。事実は事実なのだから。それをいかに変えていくのかがこれからの課題だからな。……でも、お前たちもこの件について愁いていたんだな。すまなかった」

一応、それっぽい言葉も加えておく。そうでないと、疑われたりするかもしれないから。

 

「もったいないお言葉です。本当は私たちが不甲斐ないだけだというのに、提督だけが責められて。私たちにもっと力があれば……」

 

「まあ、俺は司令官だからね。俺は権限を与えられた人間だから、その全ての責任を負うのは当然だよ。高雄たちが気に病むことじゃない。とにかく、ドックの件については了解だ。無いものを求めても仕方ないな。じゃあ、次の案件だけど」

 

「はい、なんでしょうか」

 

「となると、増員を求めるしか無いんだよな」

 

「そうですね。新たな艦娘が増えれば増えるだけ編成の幅も広がりますし、ローテーションを組んで回せば、途切れなく出撃を行う事ができます。万一、損傷したとしても交対できる艦娘がいると判れば安心して休むことができます。……確かに、現状では少し無理をしている艦娘もいますからね」

 

「それは誰なんだい? 」

ある程度、予想はできるが聞いてみる。

 

「第一艦隊と第二艦隊を兼務しているような子がかなり無理をしています。……羽黒、神通、大井は、作戦によってどちらの艦隊にも編入されます。ですから、休養不足の問題もありますし、少々の損傷があっても無理して出撃することがあったようです。もちろん提督も注意していたでしょうけれど、彼女たちはその事を隠してたでしょうからね」

確かに、軽巡洋艦は遠征にも使われるし、状況によっては主力艦隊に編入されることもあった。掛け持ちをするようだと、艦娘が多ければ休んだりできるが、少なければ休み無く働き続けることもありえただろう。おまけにドックがふさがっていたら少々の怪我では休むことなく無理して出撃していったこともあったかもしれない。目に見える損傷なら流石に見逃さないだろうが、そうじゃない損傷もあり得るだろうし、疲労なんてものはさらに判らない。

大井はともかくとして、羽黒と神通は大人しいし、責任感も強そうなタイプだから、我慢に我慢を重ねて無理してるんだろうな。

 

「無理をさせている場面もあったかもしれない。そういった問題を解決するためにも、艦娘の増員は必須だろう」

 

「増員の事務手続きについては、私はあまり詳しくありません。提督、艦娘を増やすことは簡単なのでしょうか」

 

「うん、基本的にはそんなに簡単にはいかないね。横須賀、呉、佐世保、舞鶴の四鎮守府、そして大湊警備府があるわけなんだけれど、それぞれに艦娘がいるわけだ。……もっとも、存在する艦娘すべてが各鎮守府に配置されている訳じゃない。けれど、高雄が指摘したように、その鎮守府毎の事情や優先度に応じて艦娘の定員枠が決まっているんだよ。提督達はその枠内で艦娘を配置することになるし、鎮守府間で融通しあうことになっている。それでも足りなければ増員の要求をすることになる。ただ、増員については、相応の理由が必要となるわけだけれど」

資料で見た話しをそのまま話しているわけであるが……。

 

「現在の舞鶴鎮守府は、定員枠一杯なのでしょうか? だとしたら時間がかかりますね」

 

「いや、実はこれがまだ空きがあるんだよ。だから、要求すれば優先的に艦娘を回してもらえるはずなんだよな」

 

「そうなんですか! どうして定員枠を残しているのかは判りませんが、戦力強化ができそうですね! 」

素直に喜ぶ高雄。

この資料を見たときにに同じ疑問を冷泉も感じていた。それ以前に鎮守府の状況を見た時から感じていた謎ではあるけれど、前の司令官は意図的に艦娘を減らしていたようにさえ思えるのだ。

それがどういう理由での事なのかは分からない。また調べられる範囲で調べる必要があるのだろうけれど。

 

「では提督、どういった艦娘を要求していくのですか」

 

「そうだなあ。まず行うのは第一艦隊の強化となるから、戦艦と正規空母が必要となるな。あとは第二艦隊の掛け持ちも可能な巡洋艦。そして駆逐艦も必要だ。……それからできれば潜水艦も欲しいな」

我ながら欲張りな要求だと思うが、現在の倍、これくらいの数を集めないと戦いは厳しいままだ。

 

「戦艦……ですか。圧倒的火力と堅牢な防御力。領域攻略にとってもっとも必要となる艦娘ですね。うちには金剛さんと扶桑さんだけですから、補強としては重要と私も思います。提督としては誰が希望なんでしょうか? 」

いきなり恋人探しみたいな事を聞いてくるんだな。

 

「うむ。俺として、第一希望は長門かな。そして、できれば榛名も手に入れたい」

 

「でも提督、長門さんは横須賀鎮守府の旗艦ですよ。あと榛名さんは、呉鎮守府に配属されていますね。どちらも主力艦として働いていますから、向こうの提督が了承しないと難しいのではないでしょうか? ……でも提督の好みがなんとなくわかります。なるほどなるほど。私も髪を伸ばしたほうがいいのでしょうか? 」

 

「そうか。そうだろうなあ。当たり前か。でもまあ、希望だけは出してみるか。未配属の戦艦を求めるという手もあるんだろうけれど。これは、少し考える」

高雄の最後の一言は、ぼそりと言ったため聞き取りにくかったので、あえて聞こえなかったこととする。

 

「空母だとどうなんです? 」

 

「そうだなあ。うちの艦隊は祥鳳だけだからね。航空戦力は領域解放戦において、今後、最優先すべきと俺は考えているから、ここは妥協できない。たとえ資材を大量に消費するとはいえども、最優先で入手したいところね。……やはり基本は正規空母を二人は欲しい。そして、誰かと言われれば、最優先は加賀だ。そして蒼龍かな」

加賀については能力的なものと、個人的な好みが含まれる。蒼龍はセクハラしても怒らないイメージだから選んだ。

 

「こちらも残念なお知らせです。加賀さん、蒼龍さん共に横須賀鎮守府に配属されています。お二人とも第一艦隊の主力艦娘ですね。……空母についての提督の好みは分かりました。こちらは私が勝っているかもです」

 

「正規空母で未配備な子っているんだろうか? それ以前に横須賀鎮守府ってどんだけ強力な布陣なんだよ」

横須賀鎮守府恐るべし。主力艦のほとんどがあそこに配置されているのか。そして高雄の後半の台詞はまた聞こえなかったこととする。

 

「横須賀は我が国最強最精鋭ですからね。その分、敵も手強いところを任されているのです。こればかりは仕方ないですね。……未配備の艦娘ですか。そうですね、正規空母ではありませんが、大鳳が未配備となっています」

 

「よし、大鳳も追加だ。それと軽空母も欲しいので龍鳳と瑞鳳も入れておこう」

 

「もう、どっちが好みなんでしょうか。大きい子ですか、小さい子ですか? さて……巡洋艦だとどうなのですか。巡洋艦クラスなら、戦艦や空母よりは融通が利くと思いますが」

 

「巡洋艦については、重雷装巡洋艦すべてと軽巡洋艦なら矢矧かな。あと筑摩とかもできれば。ちなみに潜水艦なら伊58かな」

開幕早々の艦載機による攻撃からの遠距離隠密魚雷により敵が反撃する前に敵艦隊のHPのほとんどを削り取り、戦艦の砲撃により殲滅という戦法を考えている。これなら被害も少なく押さえられる。

 

「だいたいの提督の好みは分かりました。のんびりしていられません。私も他の艦娘に負けないように精進します」

いつの間にか女の子の好みのような解釈をしているようだけれど、まあ似たようなものだから否定しないでおく。

 

「駆逐艦についても、要求は上げる必要があるので精査しないとな。とにかく少し検討してみてから、要求を上げてみるよ」

 

「うまくいくといいですね。新しい仲間が増えたら、寮もにぎやかになって楽しいですから」

ちなみに艦娘たちは全員、寮生活をしている。基本的には寮で寝起きしているが、気分によって自らの艦の中で休むこともあるらしい。

ちなみに寮には提督の部屋は無いようだけれども。

 

「艦隊の戦力強化ができるように、資料を作ってとりあえず上に申請してみるさ。がんばって折衝にあたるよ」

 

「お願いします。良い結果が出ればいいですね」

そういうと高雄はペコリと頭を下げた。

 

そして再び二人は退屈な内業へと戻るのだった。

 



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42話

資料を見直したりしていたら、時計の針は深夜十二時前になっていた。

 

ちなみに晩ご飯は、鎮守府敷地内にいくつかある店舗からの出前にしている。……というか、いつも店屋物なのだけれど。

 

本日の日替わり定食メニューは、塩鯖の焼き魚だった。シンプルだが、なかなか旨かった。

 

艦娘たちの活躍で領域解放が進むことにより、漁船を出して魚が捕れるようになったのはほんの最近のことらしい。ただし、開放したといっても、沖合で漁ををする場合は、駆逐艦の護衛無しではいつ深海棲艦に襲われるか分からないので危険であることには変わりない。なので、本当に沿岸でとれる魚以外は高級品である。

今日は、日替わり定食以外に夜食用としてハンバーガーを数個買っているコーヒーもポットで買っている。

農業漁業については、深海棲艦の侵攻以降、国策として強化しているため、かつてはほとんどゼロに近い自給率だった食品にいたるまで急激に自給率を上げている。遺伝子操作もタブーでは無く、どんどんと導入している。そうしなければ日本の農地面積では補いきれないらしい。

 

鎮守府での買い物については、職員証によるカード決済となっており、すべて給与引き落としとなっていた。冷泉自身がどれくらいに給料をもらっているかは把握していない。

 

舞鶴鎮守府には、常時数百人が常駐している。このため、24時間営業の店舗がいくつかある。また食堂も常設されている。

鎮守府敷地への入り口で警備をしていた兵士はちなみに陸軍である。こちらも100人程度の兵士が常駐し、舞鶴鎮守府の安全の確保のため、働いている。陸軍兵士の食事はどうしているかというと、緊急時以外は鎮守府敷地内には入れないことになっている。このため、鎮守府周辺には彼ら目当ての食堂や店舗が結構あり、鎮守府の人間や近郊に住む人々も買い物に訪れるため、結構な賑わいを見せている。

 

ただし、それらの店の品揃えについては、冷泉がいた世界ほどの品揃えは望むべくも無かった。

あの領域により世界から孤立させられた日本は、海外からの輸入は完全にストップ状態となっている。最初は大混乱だったのだろうけれど、鎖国状態になってから時間もかなり経っているため、日本の産業構造の改造もある程度うまく行ったらしいので、現在では少なくとも食べるものについては、落ち着いている。ただし種類も量も限定されている。その他の生活必需品についても徐々に元の生活レベルへと戻されていっているらしいが。

 

電気については、原子力発電発電所については、泊、東通、女川、福島第二、柏崎刈羽、浜岡、志賀。鶴賀、大飯、高浜、島根、玄海、川内の各発電所および技術的に安定したもんじゅが稼働しているため、それなりの安定供給はできるらしい。福島第一は廃炉、伊方については四国全域が領域に取り込まれていた経緯もあり稼働していない。

 

電力は確保されているとはいえ、軍事施設への供給量が大幅に増えたことから、節電省エネについては厳しく要求しているところであり、場合によっては計画停電も行われているらしい。

もっとも、軍事施設や警察、病院等の公益性の高い施設については除外されている。

繁華街のネオンは日付が変わる前には消されるし、24時間営業の店舗も当然ながら日本から無くなっている。

 

それまでの生活に慣れた人々にとっては、相当に不便となったのだろうけれど、なんといっても今は戦時中なのだから、やむを得ないと諦めているみたいだ。

 

鎮守府においては、節電は不要な訳であるが、それでも対外的な観点から間引き等の節電はきちんと行われている。そして、それもアピールしている。そうしないと痛くもない腹を探られることが多いのだ。

 

人々の安全の為に戦っているのに、それを理解してくれない……いや、しようとしない思考停止した人々は、いつの時代も存在するようだ。誰に護られているかにさえ想像が及ばず、平和は空気と同じと考えている人々が……。

 

鎮守府の塀の前で変わった格好をし、プラカードを持って叫んでいる団体が毎日のようにシュプレヒコールをあげている。

 

こちらに来るまでは、興味も無かったからあまり気にならなかったが、彼ら団体の軍だけでなく、艦娘たちさえをもヒステリックに非難する言動を聞き、本気で腹を立てたことが何度もあった。

誰のおかげでかろうじての平和が維持されているのか、コイツらには分からないのか? そんな想像力の欠如した低脳なのか。艦娘たちが命がけで戦ってこの国を護っているというのに、批判否定する連中。そもそも、こいつらはこんな昼間からどうしてこんな活動をできる余裕があるんだろうか? みんなその日を生きるために必死で働いたり、学んだりしているというのに。どこでどう収入を得、なんの為に否定するのか勘ぐってしまうレベルだ。

そんなことを呟いてたら、その時秘書艦だった金剛が

「テートク、何をカッカしてるネー。私達は深海棲艦と戦うために存在するネー。明確な目標があるから批判されてもぶれないネー。それに私たちはあの人たちのために戦ってる訳じゃ無いデース。テートクのために戦ってマス。だから、関係ない人にいくら酷いことを言われても全然気にならないヨ」

 

「だけど、もし誰かが戦いの中で倒れても、あいつらは悲しむどころかむしろ喜ぶんだぞ。この国の為に、あいつらが生きながらえる為に戦ったっていうのに」

すると金剛は冷泉の頬に両手を当て、微笑んだ。

 

「私たちが、たとえ戦いで死んでも、その時はテートクが悲しんでくれます。それだけで私たちは浮かばれるネー。……でも、ありがとうデス。私たちのために怒ってくれて。それだけで充分ネ」

冷泉はそれ以上は何も言えなかった。そして以降は反戦団体については無視することにした。

今やれることを確実にこなすことだけに集中しようと。

 

さて、そんなこんなで、まもなく日付が変わる。

「それでは提督、失礼しますね」

高雄が立ち上がる。

 

「夜遅くまですまない。おかげでだいぶ仕事が進んだよ、ありがとう」

どうも彼女は冷泉が言わない限りはずっと仕事を続けるつもりだったらしい。そんなに頑張ったら倒れると指摘したが、艦娘は基本寝なくても、ほとんど体調には問題がないらしい。

 

確かに領域解放戦では艦娘達は一睡もしていなかった。いつ襲来するか解らない敵との戦い。そんな精神的に極限の状態が何日も続く……。そんな中でも彼女たちは全く疲れを見せず、まるで機械のように淡々と対応していた。確かにそんなことは人間では真似ができないのだろう。やるにしても相当数の人員を艦に乗せないと保たないだろう。

戦いに特化した存在、それが艦娘なのだろうか。

すごいと思いながらも、寂しくも感じている。

彼女たちは機械ではなく、人間だ。少なくとも冷泉はそう思っている。

 

「提督、何かあったときは、すぐにお呼びくださいね。すぐに駆けつけますから」

秘書艦には呼び出し用の端末が貸与されているから、ボタンを押すだけで連絡ができるようになっている。これは、かなり強力な妨害電波の中でも通信は可能となっている。

 

「本当に一人で帰れるのか? 」

 

「うふふ。ご心配ありがとうございます。でも大丈夫ですよ」

そう言うと、高雄は会議テーブルに置いてあったコーヒーカップをお盆にのせ、部屋を出て行こうとする。

こんな夜中に、たとえ基地の中だとはいえ一人で帰らせるのはダメだと言ったのだが、あっさりと断られた。鎮守府は入り口を陸軍の武装兵士によって24時間体制で警備されているし、施設内も鎮守府兵がパトロールしている。ゆえにセキュリティは万全とのことだった。しかし、それでも100%は確実ではないよと反論すると、高雄は「提督は大切なことを忘れてますよ。私は艦娘なんですよ。そして、すぐ近くに分身である艦がいます。何かあれば重巡洋艦装備の全ての兵器が不審者に対して降り注ぎ、殲滅しますよ」とニコリと笑った。

 

それですべて納得せざるをえなかった。

 

艦娘である重巡洋艦の火力を持ってすれば、鎮守府を、いや通常海域であればオーバーテクノロジー兵器が使用可能であることから、舞鶴市を丸ごと火の海にする事が可能なのだった。

全てが焼き払われた無人の荒野に。高雄ただ一人が立っている姿が浮かび、冷泉の心配など単なる杞憂でしかないことが理解できた。

それ以上は、もう言うことがなかった。

 

「また明日だな。……お休み、高雄」

 

「はい、お休みなさい、提督。あまり無理をしないでくださいね」

そう言うと彼女は本当に部屋を出て行った。

 

そして、時間の針は深夜零時を回った。

 

こんな時間まで集中していたから、特に眠気を感じていない。

 

向こうの世界で働いていた時は、毎日これくらいの時間まで残っていたから、起きていることについて、それほど違和感は無いんだ。

 

なんとか増員要求の草案については、だいたいまとめたつもりだ。

今後の領域解放や遠征をやっていくために必要な戦力の確保。当然ながら、どこの鎮守府も人員不足、いや艦娘不足であろう事を想定しながら優秀な艦娘を確保できるような要求。……かなり難しい。

 

「本当に欲しいと思う子は、ほとんどどこかの鎮守府にいるんだよな。それを引き抜かないとダメなんだろうか? 」

だとすると、結構絶望的。

明るい展望が見えないからついぼやいてしまう。

 

「長門、加賀、榛名はやはり無理か……。それどころか他の艦娘も入手できるかどうかだよな」

書類を机の上に投げ出し、大きくため息をつく。

 

「……冷泉提督、無理かどうかは、要求してみないと解らないですよ」

唐突に、鎮守府執務室にはありえない男の声が響いた。

 

「なに? 」

ハッとして声をする方向を見る。

確かに高雄が閉めたはずの扉が開いていて、そこに一人の男が壁に寄りかかるように立っていた。

冷泉より年長のように見える。丸い黒縁眼鏡に天然パーマ気味の長め頭。

軍人では無いのか黒のスーツ姿だ。確かにその風貌からはどこかの営業マンにも見える。

 

「誰だ 」

いきなり現れた人物に驚いたために、少し反応が遅れたしまった。

提督の執務室にアポ無しでこんな時間に入ってこさすなんて。鎮守府のセキュリティ上は最悪の状態だな。

「そもそもこんな時間に面会とは、……予約も入っていないようだし、そもそも少し非常識ではないのかな」

内心は少し焦っていたが、そういったそぶりを見せないように、スケジュール帳を見るふりをする。冷静に振る舞ったつもりだが上手く誤魔化せただろうか?

しかし、この男は何者なのか? どうやってここまで入ってこられたのか?

 

鎮守府に訪れる人間は、いかなる者でもまずは鎮守府入口にある検問を通らないといけない。一般人は当然ながらは入れない。許可証があれば入れるが、それは昼間だけだ。

勤務時間外を訪れる場合においては、様々な申請書類への記載が必要となるし、鎮守府内の人間による身元確認を要求される。それは、たとえ事前に許可を取っておいてもだ。さらに鎮守府内に入っても、建物毎にある受付を通らないといけない。さらにさらに、鎮守府内に入ったら、あちこちの兵士により陰に日向に監視されることを意識せざるをえなくなる。申請した場所へのルートを逸れるとすぐに兵士がやってくる。ほとんどの人は知ることがないが、艦娘による確認が常時行われてる。

 

そんな警備体制の中、鎮守府司令部に入ってくるなど不可能なはず。どこかで止められるはずだし、執務室の中まで入ってこられるはずがない。そもそも、もし入ってこられるなら冷泉の許可が必要であるし、事前に連絡が入るはずである。

そんな話しは高雄からも聞いていない。一体どうなってるんだ……。

 

「いやあ、こんな時間にすみません。これでも一生懸命急いで来たんですが、なにぶん東京から舞鶴までですからねえ……。列車で直通でも丸1日かかるのに、途中で列車が止まって、車を手配したりまたまた列車に乗ったりで予定より遙かに遅れてしまいました。そんなこんなでこんな時間になってしまいました。本当はもっと早く来るつもりだったんですけど」

とぼけた顔で、のんびりとした口調。

彼は東京からわざわざ冷泉に会いに来たのか?

 

「……いろいろ話したいことはあるのかもしれないけれど、まずは名前と所属を名乗り、それを証明する物を見せてもらえないかな? でないと警備兵を呼ぶことになるけれど、ね」

いろいろ疑問はあるけれど、まずはそこからだ。何者かは判らない相手だけに意識を手中させる。机の下にある警報ボタンをいつでも押せるような体勢を取る。

ちなみに机の中には拳銃(SIG SAUER P220)が入っている。使い方は一応教わったが、撃った事は無い。そもそも司令官が銃を使う機会に遭遇することなどありえないのだから。

 

「ああ! そうですね。これは失礼しました。自己紹介をしないで、話を始めてしまい、申し訳ありません。……私は佐藤太郎といいます。階級は海軍中尉であります。軍令部特務班に所属しております」

敬礼をするとともに、なにやら職員証らしきものを見せる。差し出されたそれを慎重に受け取る。ICチップが埋め込まれているカードには日本国政府の透かしが入っていて、冷泉の持つものと同一だった。写真も本人であることからまず彼が海軍の人間であることは間違いない。間違いないけれど、いかにも適当に作られたような名前に猛烈な違和感。軍令部にいるのだろうけど、そんな部署があるかどうかさえ疑わしい。

 

「その身分証が本物だと信じるとして、佐藤中尉、では、こんな時間に一体何の用なのか」

 

「こんな時間になってしまったのは、えーと、実は汽車の遅れによるものでありまして。決して夜中に来るつもりであったわけではないのでありますよ。……まあ、それでも話しの内容がかなり機密的なものですので、人がいないこんな時間の方が、特に秘書艦のいない今の状態は大変好都合ではありますが」

とぼけた表情で平然と話す。

身分証の生年月日から冷泉より5つ年上らしいので、あまり気にはならないが、それでも海軍少将と中尉の会話では無いよなと思わずにはいられなかった。

冷泉は、この世界の住人でないから、それほど違和感はないけれど。それでも係長クラスが常務とかと話す時にこんな態度だと、怒られるよなあと思う。ちょっと非常識。

しかし、司令官である冷泉に知られる事無く、こんな時間にここまで入ってこられるくらいなのであるから、見た目のままで判断してはいけない人間のようだと注意することにした。

 

「わざわざ東京から舞鶴まで来る程の用件とは、何なの」

相手が偉そうなので、こちらも年上に対する礼儀を失した話し方を続ける。けれど佐藤中尉は特に何の反応も見せない。

 

「実は冷泉提督……いえ、冷泉朝陽さん。あなたにこちらの世界についての説明をするべく、私はここまで来た訳なんですよ」

 



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43話

ほんの一瞬ではあるが、冷泉は自分の体が硬直してしまったことを認識した。

 

目の前に現れた、佐藤と名乗る謎の男。

 

彼が示した身分証明書にプリントされた公印、施されたホログラム、更にそこに刻印された規則性を持たせた数値のルールなどを確認した結果、それは本物であるとしか思えない。よって、彼の身分については間違いないのだろう……身分証明書作成元が虚偽の情報を意図的に入れない限りは。

 

しかし名前といい、彼の態度といい、すべてが嘘くさい。嘘くさいことについて反証する材料は手元には無い。

 

それはともかく、あろうことか彼は「こちらの世界の説明」と言った。間違いなくそう言った。

それすなわち、冷泉がこの世界とは違う「異世界」より来たという事を、彼は知っているということだ。何故そのことを知っているかは分からない。冷泉がこの世界に飛ばされる原因を作った存在なのか者なのか、それともそれを知りうる存在なのか? 現段階では全く分からない。

けれど、少なくともこの海軍中尉は冷泉を鎮守府司令官に配置させた勢力の者であるということだけは間違いない。

この男はもしかすると、あの日、搭乗していたフェリーを沈めた艦隊、そして冷泉の記憶が戻るまでの間の事を知っているのかもしれない。

 

なんとしても情報を知りたい。

その想いは強くなる。

好意的に解釈すれば、彼の胡散臭さは本当の身分を偽るためなのかもしれないし。

 

「いや、本当にすみませんでしたね。ここに来るのがこんなに遅くなってしまって。いきなり鎮守府司令官のポストに就かされ、訳が分からないまま戦場に放り出され、大変だったと思いますわ」

謝罪しているらしいが、まるで他人事のように誠意が感じられない。言葉が軽すぎる。

冷泉はあえて反応をしなかった。この男が冗談で言っている可能性も否定できない。さらには、断片的な情報を入手しているだけの反対勢力の者である可能性も否定しきれないからだ。現状、相手の素性がよく分かっていない。注意しすぎるに越したことはない。

 

「とはいえ、全くの素人のはずの提督なのに、先の領域解放戦においては図抜けた作戦指揮能力を発揮し、危機的状況にありながらも全艦を無事帰還させたそうですね。すばらしいです。あれ……おやおや、どうされたんですか? そんな目で睨まないでくださいよ。いきなりこんな時間に現れたんで警戒されているのは解りますけど」

 

「当然だろう? こんな夜中にセキュリティに引っかかることなくここまで来られること自体あり得ないし、おまけにいきなりそんな突拍子もないことを言われても何のことだか解らない。俺の中では君はただの不審者だよ。まあ身分証明書は本物らしいから、軍関係者であることは確定なのだろうけど」

あえて否定的な態度を取り様子をうかがう。

 

「私が本物であることは、今現在、この場所に立っていることが証明しているのではないですか? いかなる優秀な工作員でも鎮守府のセキュリティを突破して、司令官の側まで来ることなど不可能でしょう。人の目、機械の目、そして艦娘の目を欺いてここまで来られるとお思いですか? ご存じの通り、少なくとも艦娘の警戒網を逃れることはいかなるものも不可能ですよね。彼女たちのスキャン網を通って安全と判断され、そして今はこの部屋については彼女たちの監視対象から外されているのです。これは我々サイドから艦娘へ正式に依頼しており、彼女たちの承諾も得ています」

 

冷泉は、相手の言っていることが全く理解できないが、何も言わずにいた。

男はそれを同意と判断したのか、話しを続ける。

 

「私はただの使者でしかありませんが、あなたのことはすべて、レクチャーされております。まだ疑われてるみたいなので、一つ、世界の真理をお教えします。まあ、そうはいっても伝え聞いた話しでしかないのですで、私自身、半信半疑って感じなんですが。……あなたはこちらの世界の住人では無い。そして、どこから来たかは我々も把握できていません。強いて言うなら平行世界から来たということでしょうかね。あなたの乗った旅客フェリーが何らかの現象ににより、こちらの世界に引き寄せられてしまった。そして、運悪く領域外の日本海海上で航行中の深海棲艦に発見され、襲われて沈没しました。あなたは、たまたま通りかかった我々の艦により救助されて、舞鶴鎮守府へ搬送されたというわけです」

彼の話からすると、冷泉の乗ったフェリーを攻撃したのは深海棲艦だったということらしい。濃い霧が出ていたし、夜だったからはっきりと敵艦の姿を確認したわけじゃあない。だから、あれが深海棲艦だったようにも思うし、そうでないようにも思える。しかし、それは口には出さない。

そもそも異世界召還などという、突拍子もない設定を「はい、そうですか」と鵜呑みにするのもなんだか納得いかない。現在、自分がその世界にいるわけなのだから、否定しがたいとはいえ、たとえそれが真実としても、納得いく説明、理由付けがなければ釈然としないのだ。

 

「それならば他の乗客はどうなったんだ? 俺以外にもたくさんいたはずだけど」

 

「残念ながら、我が軍の艦船が到着した時にはすでにフェリーは沈没した後でした。捜索をしましたが、付近にはあなた以外の人は発見できませんでしたからね。普通に考えれば、フェリーと共に海底に沈んでいったと思われます。そして、運悪く沈んだ海域は水深が深い上に海流の流れが入り組んでいる上に速く、かつ濁りが酷いため、ダイバーによる捜索は不可能でした。念のため、何日か周辺海域の捜索を行いましたが、残念ながら漂流者は一人も発見できませんでした」

 

「普通に考えれば、……とはどういうことか」

 

「救助に艦船を出せたのはだいぶ時間が経ってからなので、もし生存者がいたとしても、深海棲艦に捕らえられた可能性が否定できないわけなのです。実際にそういったケースはこれまでにも頻繁にありましたからね。捕らえられた人々がその後どうなったのかは、誰も知りません。もしそんな事態が発生したとしたなら、提督は運良くそれも逃れることができたのでしょうね」

フェリーの爆発具合からして、生存者がいる可能性は低かったものの、仮に生き延びたとしても囚われの身ということか。ヒトかどうかもまるで解らない深海棲艦に捕らわれたらどういうことになるか、まるで想像できない。しかし、幸せな未来図を描くことはできそうもない。

 

「そうか……。やはりそうなってしまうか。生存者がいればいいのだけれど。では、次の問いだ。仮に異世界から来たということは置いておくとして、まあ、遭難者だから救助されたのは解る。けれど、そこからどういう流れでただの一般市民が鎮守府司令官に祭り上げられるのか、全然理解できないのだが。普通ありえないだろう。しかし、そうなっているのだから信じるしかないのかもしれないが。その答えはあるのか」

 

「我々は日本政府の軍隊ですから、自国民を救助するのは当然の責務。それは理解できますよね。だから助けたのです。けれど、あなたが司令官に任命された件については、上の決定なので私には解りませんし知りません。それについて、提督が納得いく回答は不可能ですよ。ですが、必要だから任命されたのでしょう」

 

「上というのは君の上司ということか? 」

冷泉の問いに佐藤は首を横に振って否定する

「ははは、さすがにそのクラスなんかで司令官人事をホイホイと決められるわけないじゃないですか。人は誰しも出世をしたいですからね。人事なんてものは根回しが必須ですからね。それを、いきなり決めたりしたら、後々に禍根を残すだけで争いの元にしかなりませよ。けれども今回の人事は、軍隊の者ではなく、異世界から来た誰とも判らない人物を指名ですよ。それを誰の反論もなく決定させたということだけで、ある程度推察して下さい」

 

「誰なんだ? 」

 

「残念ながら私の知る範疇ではないです。少なくとも今回の事案については、海軍とか陸軍といったレベルでは無いことだけは確かですねえ。そのクラスでは絶対に無理ですね」

大臣レベルではないものが冷泉の処遇を決定したというわけか……。一体、誰が何の為に?

しかしそれを彼に尋ねても答えられないだろうし、答えることができても答えるつもりは無いだろう。

 

「これ以上、それを君に聞いても仕方ないということか。仕方なしだな。了解した。では、他に聞きたいことがあるんだけど、構わないかな? 」

返答が無いということは承諾であると判断して、冷泉は続けることにした。

「資料を見たり秘書艦に聞いたりしたんだけど、基本的な事は誰にも聞けなかったんだ。いきなりこんなポストにつかされたからな。資料を見たってそんなことは書いてもいないし」

 

「すみません。それをお伝えする任務もあったんですけどね。今になってしまいました」

この男、全く反省していない。

 

「この世界は一体どうなっているんだ? まずは、そこから教えてくれ」

 

「えーと、一からお話するとかなり長くなってしまいますのでそんなに時間は無いのですが。……仕方ないですね、提督がどこまでご存じなのかよく分からないので、なんとも」

 

「俺が知っているのはこの世界があの領域とかいう分厚い雲に包囲されて、日本が外界から孤立していること。それから、おそらく原因である深海棲艦と戦っていることは知っている。まずは、あの領域は実際のところ何なのか。それから深海棲艦とは何なのか」

 

「領域ですか……実のところよく分かっていませんのです。外から見れば、成層圏にまで達すると思われる高さの雲のような存在です。あの雲に阻まれたことにより、通信障害も同時に発生しており、日本国外がどのようになっているかはまるで分からなくなっています」

 

「しかし、人工衛星を経由すれば通信くらいできるんじゃないのか? 」

 

「それがどういうわけか、それらもすべて使用不可状態になっているのです。領域に取り囲まれただけでも外への通信は影響を受けるようです。領域外なら通常の無線通信とかもできるんですけどね」

 

「つまり外に救援を求めることは不可能ということか」

 

「その通りです。そして外が無事かどうかさえわかりません。普通ならこう長期にわたって日本国が不在となれば、世界に与える影響は尋常ならざるはずです。現在の事務総長は無能のチンパンジー似の利己主義者ですが、さすがに国連も何らかの手だてを打つでしょうし、アメリカも黙ってはいないはずです。なにせ在日米軍およびその家族約10万人の安否が不明なままですからね。中国もこれを機に何かを狙ってくるはずでしょうし」

 

「だったら、少なくとも情報収集のためにこちらに向かってるはずだろう? 」

 

「領域中に入られた提督はご存じでしょうが、雲の中は深海棲艦という存在により生成作成された空間。こちら側の戦力が大幅に削られる変わりに、敵側の戦力が増強される空間なのです。現在の人類が所有するあらゆる兵器を持ってしても通常世界においてさえほとんど歯が立たなかったのですよ」

 

「それはどういうことだ? 」

ある程度は知っていることだが、念のために確認する。

 

「日本があの領域に取り込まれると同時に、深海棲艦の艦隊が東京湾沖合に唐突に現れました。攻撃は向こう側から開始され、応戦した自衛隊は、敵にほとんどダメージを与えることもできずに海空ともに数日で壊滅。同時に支援を行った米軍第七艦隊でさえ、ほとんど何もできないままに全滅させられているのです。……日本に接触するためには、そんな強力な敵へ威力が更に圧倒的に有利になる海域を抜けてこなければならないのですよ。あり得ないことですね」

敵は、深海棲艦側は圧倒的な力を持っている。資料以上に敵と人類の兵力の戦力差は、決して埋められないほどに大きいということを再認識させられる。

 

「諸外国からの救援は望むべくもないということが、現状なんだな。こちらから領域を突破しないかぎりは、ということか。しかし、そんな圧倒的な状態だったのに、なぜ敵側は一気に日本を攻め滅ぼさなかったのだろうか? 」

 

「人類より遙かに高次な科学力を持つ存在の思考など、我々には推測などできませんよ。あいつらにはあいつらなりの何か別の考えがあるのかもしれませんけれどね。一時期は陸上以外の活動エリアをすべて奪われていましたからね。何でなんでしょうね。まあそのおかげで艦娘が現れるまでの時間を稼ぐことができたのですからねえ」

他人事のように話す佐藤。すでにそういった事態になってから時間がたちすぎたからなのだろうか。

 

「それだよ。その艦娘はいつ、どこから現れたんだ? 」

ずっと気になっていた事を尋ねる。

 

「彼女たちがいつ、どこから現れたのかを知るものは政府のほんの一握りの存在だけなので、詳細は私レベルの者では分かりません。ただ、どこからか6隻の戦艦が現れ、深海棲艦を撃破したところから始まったようです。そこからどういう経緯で艦娘に繋がるのかは知りません」

その辺については、僅かに資料があったので知っていた。

 

領域に完全包囲された日本国は、その状況になすすべが無かった。領域というまったく未知の兵器らしきもの、そして深海棲艦と名付けたその存在が、おそらくは地上のどこの国の物でもないことだけは分かっていた。

よって、それらは人類とは違うことが分かってしまった故に、どうコンタクトをとれば良いか分からなかったからだ。日本の置かれた状況は、無条件降伏しかなかったが、それが受け入れられるかすら不明だったのだ。

敵は人間の殲滅を考えているかもしれないし、そうでないかもしれない。そもそも通信ができないために敵にコンタクトできなかった。直接赴こうとすると、即撃沈されてしまうし、航空機を使用して接近しようと試みたが、離陸した瞬間に撃墜される。

戦うすべもなく、ただこのまま手をこまねいたまま滅亡するしかないのか? 

政府首脳は本気で考えたのだろう。

 

そんな時に6隻の所属未確認の艦隊が東京湾沖に突如出現した。

 

艦影を確認し、人々は驚くこととなる。

そこに存在したのは、富士型戦艦「富士」、「八島」、そして敷島型戦艦「敷島」、「朝日」、「初瀬」、「三笠」というかつての日本海軍の戦艦だったからだ。

 

 



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44話

「世界の……いや、日本の窮地に昔の戦艦が現れて、状況を打破したらしいということは知っている。しかし、詳細な事については記述が無かったし、資料にも当たれなかった」

 

「その通りです。まあ……今、この世界に現れている艦娘も太平洋戦争時代の軍艦ですから、取り立てて新しい物ではありませんよねえ。けれど、その時現れた六隻の艦隊は、彼女たちよりさらに古い日露戦争時代の戦艦だったものですから、軍関係者も驚き、ある意味呆れたと聞いています。最初は深海棲艦と思われた彼らが、日本国に味方するという通信を受けた時、軍関係者は相当に困惑したようです。何者か判らない存在を信用できるかどうかという以前に、最強最精鋭の太平洋艦隊、そして自衛隊が、なすすすべもなく敗退させられた謎の敵に、あんな旧時代のポンコツで何をできるんだと」

政府及び軍関係者の当時の総意は、佐藤の語るままだったのだろう。しかし、彼らの予想は、すぐに間違いだったことを思い知らされることとなった。

 

六隻の艦隊が現れた場所の施された領域が、どういう仕組みか不明だが一瞬にして無効化され、なんと通常海域となったのだ。

領域の異変を関知した深海棲艦の艦隊がすぐに現れ、戦火が開かれた。

現れた深海棲艦は重巡洋艦を主体とした20隻を超える大艦隊だった。通常海域での戦闘においては、SF映画でしか見たことのないような超兵器で日米連合軍を蹂躙した敵艦隊。その圧倒的な火力が再び六隻の艦隊に降り注ぐと誰もが思った。

 

しかし、もたらされた結果は全く真逆だった。

深海棲艦の放ったビーム兵器やミサイル兵器は全て、多重シールドにより防御され、逆に放たれた砲撃は、深海棲艦の核ミサイルさえ防御したシールドをあっさりと貫き、敵艦隊を吹き飛ばしたのだった。

その圧倒的な力により、敵勢力は撤退を余儀なくされた。

 

東京湾近辺数十キロの海域が、再び人間の元に返ってきた瞬間だった。

 

敵を撃破した艦隊はゆっくりと進み、浦賀沖に停泊した。

奇しくも黒船来訪と同じ場所で、日本政府代表と彼らとの初めての会談が行われたのだった。

 

「たった六隻の艦隊が、人類の科学力では全く歯が立たなかった深海棲艦を駆逐し、領域の一部を開放した。彼らの尋常ならざる戦力を見せつけられた日本政府は、藁にもすがる想いで彼らとの会談を受け入れることとなったんだろう。いや、受け入れざるをえなかったんだろうな。そして、会議は某日未明、戦艦三笠内で極秘裏に行われ、様々な協定が結ばれたようだけれど、詳細は一切不明。そもそも、その会談に一体誰が出席したかすら資料には無かった。それ以上は当然調べても判らなかったよ」

 

「この歴史的な会談がどんな内容だったかは、政府及び軍関係者だってほとんど知りませんよ。けれど、そのおかげで我ら人類は艦娘という強力な力を得る事ができ、深海棲艦と互角以上に戦えるようになったんですよ。種の存亡の危機にあった我々に、生きる希望を与えてくれたのは、あの六隻の艦隊であることは間違いないのですから、いいんじゃないですか? 細かい話は。今はいかに敵に勝利するかでしょ」

そう言って冷泉の質問を受け流す。冷泉に伝える気が無いのか。それとも知らないのか。

 

「しかし、何の代償もないのに親しくもない存在が力を貸してくれるなんて、普通あり得ないけどな。だだより高いものは無いっていうし。一体、誰がどんな約束をしたのかを誰も知りたがらないのかな」

……もしかすると、相応の対価をすでに支払わされているのかもしれないな、日本国民は。そんなことを冷泉は考えていた。

 

「少なくとも、国民のみなさんは会談が行われた事すら知りませんから大丈夫ですよ。それから政府や軍関係者も同様ですよ。だから、まあ問題ありません。ただちに影響は無いと言うことです」

あっさりと佐藤は答える。

 

しかし、政府及び軍関係者のほとんど知り得ない案件を、鎮守府司令官であり海軍少将である役職の冷泉ですら会談の事実しか知り得ない事実を、たかだか大尉という階級の佐藤が知っていることはおかしいとは思わないのか? 冷泉はあえてそれは口に出さないでいた。

 

「知らなければ疑問さえ持たないってことなのか? けれど、いきなり世界に現れた艦娘の存在を、一般の人はどう捕らえているだろう? 」

 

「軍及び政府内での説明は、敵勢力から寝返った者によりもたらされたテクノロジーにより、建造された物であるということで納得していますよ。一般市民に対しては機密兵器であるため詳細は説明しないということで、こちらも完了です。国家機密軍事機密とすれば、アナだらけの説明でもそれで案外体裁は整うもんです。一部の国民は不信感を持っているようですが、どう説明したって結果は理解なんてできないでしょう。ほっときゃいいんです」

 

「そんなものなのか? まあいいや。……疑問に思っていたんだが、彼女たちはヒト型兵器なのか? 」

これについては彼女たちに直接聞くわけにもいかなかったが、ずっと疑問に思っていたことだ。

 

「直接接点のある提督なら説明なしでもなんとなくはお解りですよね。彼らからの公式の説明では、軍艦部分と艦娘は二つで一つとのことです。そもそも自律型戦闘艦艇として開発されているらしいですが、この度の日本政府との同盟関係を結んだことから、人間とのコミュニケーションが必要となりました。そのため、よりその効率を上げるため、ヒト型のコントロール部分を本体と分離しているらしいです。その説明で政府及び軍のみなさんは納得しているようです。仮に反論されたとしても、深海棲艦より得たテクノロジーなのでああなったと言われれば、それ以上は何も言えないですよね。そして、彼らもそれ以上の説明をするつもりは無いようです。無いのであれば、政府としてはそれで押し通すしかありません。それから、国民に対しては、そもそも艦娘を見せることはほとんどありませんので、知らない人のほうが多いはずですよ。あとはマスメディアを使って啓蒙活動を行えばどうとでもなります。仮に存在を知られても、女の子が軍隊に入って戦っている日本国民の鏡であるとまで言えますからねえ」

 

「そんなもんなのかな」

確かに一般市民は、情報操作でだませるのかもしれない。それまで事実だと思っていたことが、実はマスメディアによる誤報、……いや、意図的なねつ造だったことがいくつも暴露された事案を思い出した。政府とマスコミが結託すればもっとうまくできるのは間違いない。

 

「提督はこの世界を良くお知りになっていないから、まあそういう考えとなるのかもしれませんね」

 

「一般市民への情報統制は完璧なのか? そして政府及び軍は一枚岩だから綻びはないというのかな」

 

「確かに、マスメディアによる情報操作は行っています。今はインターネット環境は無くなり、情報操作がよりやりやすくなっています。もっとも、領域に閉ざされる前と同じだったとしても、今の国民にそんな余裕は無くなっていますがね。国民は日々の生活に追われるばかりで、そういった報道されて衣類事の真偽など検討する余裕なんてないのです。それから政府関係者については、元老会議がトップとなり統制を取っていますからね。圧倒的力の前に綻びなんてあり得ないです。もちろん、現在のところはね」

 

元老会議については資料で見ていたから、少しは知っていた。

けれどもそれは存在を知っているというだけで、中身は謎だらけで、まるで判らなかったのだけど。

「そもそも元老会議っていうのを判っていないんだけどな。資料に存在が書かれているだけで、それがどれほどの権限を持っているとか、誰により構成されているかとか隠されているからな」

 

「国民は、元老会議という組織の存在すら知りません。深海棲艦の襲来による陸上を除く自衛隊の壊滅、都市機能の一時的な喪失、それらによる政治の混乱。……国の統治機能は著しく損なわれてしまい、恐慌状態になりましたからねえ。そして、それに呼応するように各地で発生した組織的暴動。これには他国の諜報員が関与していたようで、警察機関も対応に忙殺され、各地でも治安が急激な悪化しました。暴動は煽動された市民により瞬く間に広域化し、特に近畿圏においては、組織化された暴徒による大阪市、神戸市、京都市の独立統治を許してしまったのです。どこから準備したか判らない、大量の銃器が支配者階級に手渡されており、組織化されたその勢力に警察では対応しきれなかった。さらには三つの政令指定都市を手中にしたその連中は、独立を宣言し、日本国に対して大陸からの救援を望むように圧力を掛けてきた。そんなことは不可能であると伝える現政権に対して、彼らは自らがワクチンが開発されていない細菌兵器を所持していることを伝えて来ました。

独立派勢力により示された細菌兵器の動画、またすでに敵勢力の元へ侵入させていた諜報員の報告より彼らの所持するそれらが本物であることが確認され、日本政府は妥協せざるをえない状況せざるを得ない状況にありました。。数百万におよぶ市民が人質とされていましたからね。しかし、そうはいっても、彼らの望む中国よりの救援はとても求められる状況でないこと、仮にできたとしても日本国まで来ることは不可能であることから、時間稼ぎをする以外何もできなかった。要求を飲まなければ、細菌兵器をまき散らすことになる、という再三の要請にものらりくらりとかわすしかありませんでした。敵勢力は業を煮やし、恣意活動として、ついにその細菌兵器を、その時使用したのは、炭疽菌等の対応が可能な兵器でしたが、それを使用してしまいます。それにより、近隣の町の多くの住民が犠牲となりました。それでも政府はあたふたするだけで何もできませんでした」

 

「そこは知っている。近畿はその地域性から別格だったが、外の地域でも混乱は酷かったらしいな」

赤黒い雲に取り込まれたまま外界との連絡が全くできない状況は、想像以上に人々対しに過大なストレスを与えたようだ。誰しもがまともな思考をしにくくなっていた、そんな時期である。平常心を保てた人がどれほどいたのだろうか。

資料を読んだ時、冷泉は思った。

明日の見えない、しかも得体の知れない絶望。緩やかに滅亡する未来が現実となったとき、人はそんな風になるのかもしれない。

 

「そんな時に、例の六隻の艦隊が現れた訳です。彼らは日本国政府との盟約の元、陸地という陸地のすぐ側まで来ていた領域を、順次、沖合数キロまで押し戻していきました。その際に何度も深海棲艦との交戦がありましたが、全て勝利を収めています。彼らは同時に日本政府に協力を要請し、千葉港を本拠地とし、その周辺20キロを彼らの完全支配地域と決めました。そして、どこからか膨大な資材を持ち込み、政府に指示して工場や軍事施設の建設を進めました」

これがいわゆる第二帝都東京と呼ばれることとなる、人間以外の存在が人と共存するために作られた都市となった。

 

「その施設で生まれたのが艦娘だったな」

 

「そうです。順次様々な艦艇が生み出されていきました。そして全てが戦いへと駆り出され、我々のために戦い、戦果を上げていきます。解放海域の拡大は、別の副産物をもたらします。解放された領域の海底からは、これまで日本近海では発見されたことが無く、発見されるはずのない鉱物資源や石油資源が発見されたことから、人々に希望が沸いてきたのです。世界はある程度の平静を取り戻したかのように思われました。しかし……問題は解決していませんでした。近畿地方の三都市を支配した勢力がまだ残っていました。希望が見えてきた日本において、混乱しか生まない新世界勢力への支持が次第に弱まって来ていたこと、かつ、艦娘という圧倒的な力を得た政府は余裕をもって対応できました」

 

「力を取り戻した政府にとって、ただの規模がでかいだけのテロリスト集団など、恐るるに足らずだったってことか」

 

「ところが、そうは行かなかったのです。壊滅したはずの海上自衛隊が艦娘を得たことにより急激に影響力を持ってきた事に危機感を持った勢力がいました」

 

「陸上自衛隊か? 」

 

「そうです。彼らは陸上戦力しか持ちません。深海棲艦と戦うことなどできない。艦娘がいない時は治安維持、救難活動などでその存在感を示せましたが、艦娘の戦力を見た時、近畿の反政府勢力もそう長くは保たないと判断しました。内地における平穏は、陸自の活動の機会がなくなること。つまり必要性を示す場の現象、イコール影響力の低下と判断しました。そこで彼らは功を焦り、意味もなく動いてしまったのです。隔離することで押さえ込んでいた勢力を殲滅するため、軍隊を動かしてしまいました。重火器で武装した彼らは快進撃をしました。しかし、彼らは、敵の指導者的連中を追い詰めてしまった。死を恐れた彼らがついに細菌兵器を解き放ってしまったのです」

 

「治療法の無い細菌兵器を都市のど真ん中で使用する。それがどんな厄災をもたらすか誰でも判ることだろうに」

 

「追い詰められやけくそになったのでしょう。自分が死ぬなら他の人間も道連れにしようと企んだのかもしれません。人の死には無頓着ですが、自らの命には異常なほど執着する。往々にして理想主義者とはそんなもんですからね。そこから先は地獄でした。想像を絶するまでの感染力。そして致死率。死神の釜に刈られるように、人々の命は刈り取られていきました。それが大阪京都神戸で一斉に発生したのです。ワクチンの開発などとても待っていられません。都市にいた人々は先を争って外へと逃げようとしました。もちろん攻め込んでいた陸上自衛隊の兵士達もです。想像を絶する感染力と致死率を保つウィルスの保菌者が日本中に散らばれば、日本国の存続に関わる一大事です。その時にある決定をしたのが元老会議なのです」

 

「封じ込め対策をしたというわけか? 」

 

「提督も話は聞いているでしょう? 近畿の三都市が消滅しているということを」

 

「ああ。暴動によりゴーストタウンとなったって聞いた」

確か扶桑がそんなことを言っていたな。

 

「すべての資料には暴動により無法地帯化し、やがてゴーストタウンなったことになっていますが、実際には違います。ウィルスの蔓延により多くの人命が失われましたが、人々は助けを求め外へ外へと逃げようとしました。それすなわち、感染の蔓延の危機が日本国を襲うことになります。皆がどうすべきか分かっていながらできなかった決断を元老会議が決定し指示しました」

 

「しかし、一つの都市を消滅させるほどの兵器なんて核兵器くらいしかないだろう? 日本は核を持っていないはずだけど」

 

「核など必要ありませんですよ」

 

「それはどういうことなんだ」

 

「艦娘による艦砲射撃で事足ります」

確かに、通常海域での艦娘に装備された武器は冷泉の知る兵器を遙かに上回る威力を誇るものばかりのはず。

 

「そして、元老会議の助言に基づき政府命令が発せられ、複数の艦娘による攻撃が三都市に行われました。神の鉄槌とも言われる攻撃により、三都は消滅しました。ウィルス兵器とこの攻撃によりおよそ500万人の人命が失われました。しかしこれにより、ウィルスの蔓延は防がれたのでやむを得ない犠牲だったと思います」

 

「仕方ないとはいえ、酷いな。500万人もの人が殺害されるなんて……」」

政府の決断の遅れが自衛隊の暴走を生み、さらなる犠牲を増やしてしまったわけなのだろう。しかし、500万人はあまりに大きい。

そして、艦娘のその力があまりに強大であることにも戦慄した。

 

「死んだ人たちはどちらにせよ、ウィルスにより死亡することがほぼ確定的でした。あのウィルスは致死率70パーセントを超える恐ろしい物でしたから。そして他地域への逃亡を許せばさらなる犠牲者が増えることになっていました。それを防ぐためにはやむを得なかったと考えます。それに、人類の歴史からすれば数で言えばたいしたことありませんよ。かつての共産主義国やナチスの虐殺に比べればその目的、数ともに遙かにマシな部類でしょう」

 

「たしかに、他に手だては無かったとは思うが……」

 

「すべては仕方のないことだったのです。しかし、そのおかげでウィルスの蔓延は最低限の犠牲で防がれました。さて……この案件により、それまでの政府内において発言力を持っていた陸上自衛隊はその勢力を急速に弱体化しました。そして、政府および軍は自らに与えられた力、艦娘の恐ろしいまでの力を思い知らされました。それを与えた力を見せつけられた人々は、艦娘を作り出す存在に依存せざるを得ない自らの立場を再認識させられたわけです。そして、その存在との密約の元に作られた元老会議への絶対的服従を決定したのでした。そして、元老会議の助言の元、体制の再構築が行われ、現在の政府形態となったわけです」

 

「それで俺の知る世界と異なる意志決定機関となっているわけのだな」

そんな言葉を話しながら、冷泉は別の事を考えていた。

艦娘の登場、当時発言権を拡大していた陸自の暴走、ウィルス兵器の使用、感染蔓延防止のための艦娘による都市殲滅。これらはそれぞれが別個の事案のように思えるけれど、すべてが一本の糸で繋がっている。すべては偶然の発動による連鎖でしかない。おそらくそうなのだろうけど、誰かが糸を引いていたとしたらどうなのだろう? そんな疑問がよぎった。

 

少なくとも、陸自は勢力を一気に失った。各地で勃発していた反政府勢力の暴動は殲滅された。政府中枢に対しては艦娘の力を見せつけることができた。

 

結局、唐突に現れた六隻の艦隊により、思う通りの政府形態を形成することができたのではないだろうか。

すべては彼らと政府による合議機関である元老会議の助言の下、日本政府が決断した。

 

……考え過ぎか。

 

 



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45話

佐藤の説明は釈然としない部分が多いけれど、あえて反論することなく冷泉は沈黙することとした。

 

この男の説明全てを黙って聞いておく方がこちらにとって良いと判断したのだ。

話す内容は矛盾を多く含んでいるように思うが、少なくとも彼の話すこと全てが嘘というわけではないだろう。もちろん、彼の言うこと全てが真実だと楽観的に信じるほど冷泉はお人好しでは無かったし。……嘘は真実の中に混ぜた方がより効果的に騙せるという。逆に考えれば、つまり、彼の説明の中には、真実が多く含まれている可能性もあるということだ。話を聞くだけ聞いて、後でその検証をすればよいのだ。ここで否定をして話を中断させるよりも、得られるデータは多ければ多いほど良いのだから。

それに、彼の話を信じたわけではないが、話を聞いた時から個人的には大阪・京都・神戸には行ってみたいと思っていたのだ。仕事の関係からそう時間はとれないが、舞鶴からならそれほど遠くない。話の内容の検証もできる。それから、帝都にも行ってみたいと思っていた。その前段として聞いておけばいろいろ役に立ちそうだし。

 

そんなことを考えながら、冷泉は佐藤の様子を伺っていた。彼から見て、自分はどう見えているのだろうか、と。できることなら凡庸な人間に見えていれば最高だ。彼にも隙ができるかもしれない。

そして冷泉は、もともとが優秀ではないから、普段通りにしていればよい。それだけで凡庸な奴、御しやすい奴と判断してくれるかもしれない。人間としては悔しいけれど、そうなった方が結果としては都合がいい。

 

「さて、簡単いいますと、日本においては、政府、陸軍、海軍の三つの組織が同列に並び、様々な案件についての意志決定を合議制で行っています。もっとも、基本、内政については政府、軍務については陸海軍が主として行い、他の機関は追認するだけっていうのがほとんどですが」

 

「それにしても三つの組織が同列で権限が同じってことは、何をやるにしてもそれぞれの利害が絡んで、口を挟み、なかなか決まらないんじゃないのかって思うけれど」

会社の事を思い出した。どうしてもセクショナリズムがあって、ことある事にいがみ合い、保身と利権主義で機能障害を起こしてまともに進まないことが多々あった。端から見ていれば馬鹿馬鹿しいことなのだけれど、当事者たちは真剣そのもの。会社ですらそうなのだから、国家機関レベルの話になると、それはもっとたちの悪い物になっているだろう。

 

「確かに、それぞれの部署が事ある毎に陰に日向に勢力争いを演じてますが、元老会議が上に乗っかって睨みを利かせていますんでね、……現在のところ突出した力を持つところはないです。みんな元老会議の意向を慮って動かざるをえないですからねえ。なんやかんやで牽制し合いながらも、案外上手く回っていますよ。まあ、これは戦時中であるということも大きな影響力を持っているのですが」

深海棲艦の存在を度外視したとしても、圧倒的に力を持つ者の存在が、ちょっとしたことで政変となりそうなものを押さえ込んでいるということだろうか。

もしも元老会議の主要メンバーを押さえ込むことができれば、国を支配できるということでもあるのだけれど。

 

「ちなみに、元老会議ってやつの構成員に、6隻の艦隊の勢力が存在するというわけなのか? 」

 

「さて、それは判りませんね。そもそも、6隻の艦隊がどんな存在なのかすら、判りませんから。そもそも、人型の形態をしているかすら知らされていませんからね」

とあっさりと否定された。分からないことははっきり明言しているのだろうか。

普通に考えればそういった存在がいないと、こんな状況下で押さえ込めないよな。

 

「まあ、確かに君は知る立場にないだろうね」

 

「ええ、そりゃそうでしょう。私は、たかだか中尉の階級でしかないんですからねぇ。ただ知らされた情報を、意味も分からずにお伝えしているだけの存在なんで……」

とぼけた顔で男は言う。

ただ伝えるだけだとしても、彼が今話している事は、かなり高レベルの機密情報のはずだ。仮に伝えるだけにしても、そんな情報を持たすのだから、この男は階級以上の存在であることは間違いないだろう。

そのあたりを総合的に考慮するなら、冷泉がやるべき事は彼からうまく情報を引き出すことなのだが、そういったことには冷泉は疎かったので、すでに諦めている。

 

「まあいいや。確かに知らない人間に聞いたところで、そりゃ無理だろうな。……とりあえず、現在の組織の状況っていうのは理解した。他に伝えなければならないことがいろいろあるんだろ。続けてくれ」

冷泉は肩を竦め、続きを促す。けれど男に悟られないように、彼の様子を観察を続けている。会話の中でわずかでも違和感を見つけ出そうと考えていたのだ。……しかし、さすがにぼろを出すような事はなく、顔に薄く張り付かせた無能さを装う仮面は、決して剥がれ落ちることは無かった。

 

「了解です。……とりあえず現在の日本の置かれた状況についての補足は、こんなところです。普通ならば質問はありますか? って一呼吸置くところなんですが、質問されてもお答えできませんので、提督のご希望通りに次に行きますね。……実際のところ、ここからの部分が本題となります」

そう言って内ポケットからメモ帳らしきものを取り出した。付箋紙のついた場所を開くと話し始める。

「提督にとって、とても身近な話となります。えっと、冷泉朝陽さん、現在のあなたの事についての話となります。我々はすでに知っています。あなたが、この世界とは異なるところから来た人であることを。……もちろん、この事実を知る者は、ごく僅かしかいません。元老会議と海軍の上層部数名のみが知ることとなっています。このことは鎮守府司令官ですら知りません。故に提督がいきなり舞鶴鎮守府司令官となった事については、上層部に対しては元老会議の指名ということで説明し納得済みです。なお、海軍内部においては、当然あなたの過去を知る者はいません。そして元老会議の指名という話もできません。なので架空の戸籍・記録を作成し、もともと海軍に在籍していたことになっています。まあ、何かあっても上層部がフォローしてくれるようになってます」

 

「ずいぶんと、ご都合主義なんだな」

 

「ははは、そう言われると辛いですね。ま、記録さえ作ってしまえば、海軍兵士の数からしたら、おそらくばれることはないですよ。幹部候補生だとその人数も少ないですし、流石にネットワークが張り巡らされていますから、場合によっては嘘がばれる恐れがあります。よって、一般職からの抜擢された事にしたんだそうです」

そんな安易なやり方でごまかせるのかと疑問に感じたが、男は真面目な顔で話している。

 

「しかし、キャリア制度があるのなら、そんなところにノンキャリが割って入る事なんてあり得ないだろ? 軍内を混乱させるようなことをしてどうするんだよ」

 

「まあ、確かに今回の舞鶴鎮守府提督人事について、心良く思っていない人もいるかもしれませんね。でも学歴とかもねつ造して東大を主席で卒業後、海外を転々とした後、ふらりと帰国。その後自衛隊に入隊。……そんな感じで、ただのノンキャリじゃない設定で体裁が整うよう経歴は作成されてますね。それに一応ばれることがないように、記載された過去の経歴について裏取り確認もしてますよ」

言いながら手元のメモ書きを見ている。どうやら、冷泉の架空の経歴を書き込んでいるのだろう。取り上げて確認したい衝動に囚われたが、なんとかそれを押さえる。

 

「しかしなあ、俺は、東大なんて受験すら考えた事なかったよ。……海外に行ったことも無いし。少し話したら、素性がばれてしまいそうだな」

そもそも、東大卒なら繋がりのある連中が軍にも結構いるだろう? そして、呆れた。何故、主席卒業にするんだよ、目立つじゃないかと。

 

「そんなことをいちいち確認する奴はいませんよ。なんせ階級が海軍少将なんですからね。それに、あなたのような階級の人と雑談を交わして詮索できるレベルの者は、あなたの出自を知っていますから、そんなことを聞いてきませんよ。まあ、それ以外の連中から妬まれたり陰で嫌がらせされたりするのは、まあ、仕方ないということで諦めてくださいな。妬まれにくいようにの配慮から東大主席卒としたそうです」

 

「妬まれるのかよ。なんでそんなことに」

 

「男の嫉妬は根深く醜いですよ。同期でもない、しかもポッと出の年下の人間に飛び越されてしまうのはキャリアにとっては屈辱でしょうから。たとえ、舞鶴鎮守府司令官のポストであっても納得いかないところはあるでしょうね」

冷泉は気づいた。今、この男、妙なこと言った。

 

「おいおい、「舞鶴鎮守府司令官であっても」って、まるでここが出世ポストでないような言い方じゃないか」

 

「……いや、舞鶴鎮守府が閑職というわけじゃないんですよ。なんといっても日本で4つしかない鎮守府の司令官ですからね。さらに旧日本海軍とはかなり組織形態が異なるので、さらに要職とされているんですけどね」

 

「でも、なんかそんな風に聞こえたからな」

 

「あらら、そんな風に聞こえましたか? そうだとしたら言い方が悪かったですね。ま、……そんなことよりも、話を続けさせてください。時間は無限じゃあありませんから。いいですか? 」

人の話を聞くつもりがなさそうなので、冷泉は仕方なく頷いた。

「あなたの置かれた状況についてもこんなところですかね。一応、念を押しておきますが、あなたが今いる世界以外から来たという突拍子もない件については、ほとんどの人に知らされていませんので、発言等にはご注意ください」

 

「そんな話したところで、誰も信じないし、信じる奴なんていないって言ってたじゃないか。まあ、話したところで心療内科での受診を勧められるだけだろうね」

そう言って冷泉は肩をすくめた。

 

「はははは、確かに……。そうなれば査問委員会なくして、提督を更迭できますねえ」

予想以上におもしろそうな反応をしている。

 

「査問委員会? 」

扶桑が言っていた事を思い出し、一瞬背筋が寒くなった。

 

「すでに聞き及んでいるかもしれませんが、提督は此度の海戦における不適切な作戦指揮があったということで、査問委員会への招聘が決まっています。ばかばかしいことですがね。私がここに来たメインの話はこれなんですよ」

 

「ふう。ずいぶんと長い前置きだったな。そして、ずいぶんと時期が遅くなった説明だな」

少し嫌みを込めて言うが、男はどこ吹く風かという感じで何も応えていないようだ。

 

「ま、時期を失した感はあるかもしれませんが、委員会にはなんとか間に合ったので良しとしてくれませんかね? 何の予備知識もないまま査問となっていたら、発言の言質を取られて、本当に病院行きだったかもしれませんからね。でも……まあ、ある意味そちらなら、それはそれで問題無いと言えなくもないんですけどね」

この男、言っている事がどこまで本気かわからない。

 

「それはそれで困るな。……で、査問委員会の乗り切る方法を教えてくれるってことなのか」

 

「委員会での内容は、それほど大したことは無いと思っています。なにせ、提督は艦隊の危機的状況で全艦を帰還させましたからね。結果からすると何ら責められる点は無いですよ。それに、元老会議も提督の味方ですから、裏から手を回してくれているはずです。仮に下手を打ったとしてもそれほどの処分を下すことなんてできません。本来なら、やらなくてもいい話なんです。ただ、どうしても手続き上の不備はあったわけで、形式的に査問会を行って、問題なしと結論づけないと、納得しない連中がいるってことです」

 

「まあ特別扱いをされるような筋合いもないからな。やむなしだな」

 

「ただ、査問委員会のメンバーの中には提督をあわよくば陥れたいっていう勢力がいることにご注意くださいね」

 

「ふむ。俺を陥れたいと思うほど憎まれる理由なんて無いと思うんだけど」

 

「提督に無くても向こうにはあるってことで……」

 

「ところで査問委員会の委員ってのは、どんな連中なんだよ」

 

「軍法会議ではないので、そんなに構えないで大丈夫ですよ。5名の委員による事情聴取です。冷泉提督の作戦指揮についての詳細な説明が要求されるだけです。基本的には今回の作戦には問題がなかったというアリバイ作りのために委員会です。だから普通に進めれば問題無かったのですが、ただ、委員の一人に問題のある人物がいて……。ま、彼はあなたの前任の提督の副官を務めていたのですが、理由は不明ですが提督といろいろ揉めまして……。結局、鎮守府を追い出されたんです。前任者との諍いがなければ、もしかすると、あなたの立場にいたかもしれなかった人物なのですよ」

 

「実につまらん。全くつまらん。とばっちりで俺が責められるってことか。ヤレヤレ、ばかばかしい。」

冷泉は、大きくため息をついた。なんて小さな奴がいるもんだ。何をやらかしたか知らないけれど、処分をした人間を恨むならまだしも、自分が本来着くべき職になった者まで憎んで足を引っ張ろうとするなんて。どういう精神構造してるんだ。

 

「かといって、彼はいわゆる御賜組ですからね。御賜組ってご存じですよね。彼らはプライドだけは人一倍高いですから。あ、そうじゃないですねえ。能力も相当に高いです。それは置いておいて、今回委員の一人となる方は、本来なら前任の提督にその矛先が向かうべきなのですけど、それができないから、まあ個人的な恨みと言っていいですね、……あなたを凹ませてやろうって考えてるんでしょう」

 

御賜組……。

将来の栄達を約束された一握りのエリートだったっけ。平時ならともかく、今は戦争中なのに、馬鹿げたエリート意識に凝り固まり、他人の脚を引っ張り自分だけがのし上がろうとするゲス野郎。作戦において無能ぶりを発揮し、日本の敗戦に一役買ったある意味では平和主義者という認識がある。

 

「しかし、そんな問題のある奴を委員に入れる連中も何を考えているんだか。しかし、そいつは一体何をしでかしたんだろう? 」

 

「鎮守府を追い出された後、いろいろ政治的な工作をしたんでしょう。保身のためにあちこちに手を回していたようですね。言いがかり的な理不尽な理由で鎮守府副官の立場を解かれてしまったとか言ってね。自分はむしろ被害者だと。コネを最大限に活用し、自らを被害者だと情に訴えでもしたんでしょうかね。そして、その熱意、声の大きさが効を奏したのか、みんなが信用してくれたようです。そのおかげで、上手くレールに戻れたようで、出世にそれほど影響はなかったようです」

 

「立ち回りの上手い奴が出世していくってパターンかよ。どこも腐ってるな。……しかし待てよ。いろいろせこい工作したところで、俺の前任の提督が処断したわけだから、そんなに上手く事は運ばないはずだろう? 正当な理由で処分しているだろうから、彼が反論すれば、当然ながら役職の上の人間の言うことだ、みんなそちらの意見を聞くんじゃないのか? 」

 

「そうですね。しかし、あなたの前任の提督は反論しませんでした」

 

「え、なんでだよ」

 

「残念ながら、したくてもできなかったのです」

 

「それは、一体どういうことだよ」

 

「実は、彼が亡くなられたからです。だから、嘘を喧伝されても反論するすべがないのです」

 

「は? 」

冷泉はいきなり提示された事実を理解できなかった。全く事態が飲み込めない。

 



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46話

「実は、彼が亡くなられたからです。だから、いかなる嘘を喧伝されても反論するすべが無かったのです」

 

「は……? 」

冷泉は、全く事態が飲み込めない。目の前の男の話す事が理解できなくて、困惑するだけだ。

前任の提督が死んでいる?

それはどういうことだっていうんだ?

 

「あなたが舞鶴鎮守府司令官に任命された要因の一つが、前任の提督の急逝でありました。急遽、司令官のポストに空席ができたということで、そこに誰かを当てはめる必要があった。それが冷泉さんあなただったのです」

状況を飲み込めない冷泉を放置して、男は話した。

 

「いや、待てよ」

 

「はい? 何でしょう? 」

どうかしましたか? という感じでこちらを向く佐藤。

 

「前任の提督が死んだってどういうことだよ」

 

「はい。言葉の通りですよ。前任の提督が亡くなられた……それだけです」

 

「俺が着任して以降、艦娘達は誰もそんなこと、一言も言わなかったぞ。俺が来たときには、すでに俺が着任してしばらく経ったような感じで彼女たちは応対してきたんだぞ。それって変じゃないのか。それは、俺の記憶喪失だからなのか? 確かに引き継ぎなんて全然受けてないから、前任はどうしたんだって思っていたが。俺は前任の提督の事を全く知らないし、意識が戻る以前の記憶は全くない。確かに、亡くなられたのなら、引き継ぎ無しってのも納得できる事か。しかし……俺の、フェリーが沈んでから意識を取り戻すまでの記憶が無くなっているのは理解できないが。」

 

「記憶喪失でもなんでもありませんよ。提督は負傷して入院してただけです。前任の提督とも一度も会ってませんよ」

あっさりと否定される。

 

「じゃあ、俺は救助されるなり入院し、意識が戻ったんで鎮守府司令官にされていたわけなのか」

 

「その通りです。まあよく対応できましたね。おまけに領域解放戦までやってしまうとは、想像以上にすばらしいです」

 

「まるで他人事だな。まじで大変だったんだ。まずは自分の置かれた状況を理解しなければいけないし、艦娘たちに気づかれないようにしないといけなかったし……。勝手に焦って損したか。そもそも、うまく行ったかどうかはわからないけれど。まあ前任の提督が亡くなったからか……いやいや、待て、待てよ。そもそもなんで俺が提督にならなきゃならなかったんだよ。なんでなったんだよ。おまけに、艦娘達は誰一人として、いきなり現れた俺に何の疑問も持たず、それどころか前からいるような感じで対応するし」

 

少し考えるようなそぶりを見せた後、もったいぶるように佐藤が話し始める。

「……そもそもの始まりは、あなたの前任の提督の死でした」

 

「それ、さっき聞いたよ」

 

「コホン。まあ落ち着いてくださいって。……死と言っても、自然死ではありませんでした」

 

「は? 自然死じゃないってどういうことだよ」

突然の話に再度驚く冷泉。

 

「提督は、……前任の提督の話ですが、彼は自ら命を絶ったのです」

 

「はあ? 自殺したってなんでなんだよ。なんでそんなことに」

 

「彼が自ら死を選んだことの原因というものは、他人では推測することはできても、本当のことは本人でないと判りませんよ。おそらくは鎮守府司令官というポジションにいる人間なら誰しもが受ける強度のストレスが原因ではないかと思われます。領域解放の全てが鎮守府司令官にかかっていますし、他の提督との領域解放の進捗具合で厳しく問われることもあるようですし。提督もお感じになっているかもしれませんが、領域解放の手段となる兵器が人型であること。しかも年頃の女の子であるということ。これも大きなストレス要因となるのでしょうね。彼女たちを死地に派遣しなければならないという理不尽な事。これも厳しいでしょう。それ以外にもあったのかもしれませんけれど、すべて推測でしかありません」

言わんとすることは、少しだけ鎮守府司令官の仕事を経験している冷泉だけに、その辛苦は容易に想像できた。けれど、全くの民間人である冷泉と、職業軍人であったはずの前任の提督とではその心構えも違うだろうし、そもそもそんな柔いメンタルで出世などできないはずではないだろうか。

 

「命を絶つ選択してしまうまで、追い込まれていたというのか」

 

「はい。彼は多くの艦娘達のいる前で、拳銃による自殺を図ったのです。彼がなぜそんな場所で、部下である艦娘達の前で行ったかは謎ですが」

 

「それは惨いな……。いやしかしまてよ、そんな場面に出くわした彼女たちがどうして前の提督の事を忘れてしまってるんだよ。普通でもおかしいのに、そんなショッキングな場面にいたら……」

 

「その通りです。自分の上司である鎮守府提督が拳銃自殺。それだけでも衝撃的な事件だというのに、さらにその現場に居合わせたとしたら。艦娘の提督を慕う気持ちは相当に強いです。そんな彼女たちが惨劇の場にいたとしたら……。ご想像のとおり、彼女たちはパニック状態に陥ってしまいました」

 

「普通の人間だって目の前で人が死んだりしたら、相当なショックを受けるだろ? PTSDもかなりの頻度で発生するはず。それが自分たちの司令官だったとしたら、彼女たちはどうなるんだろうな」

 

【頭どかーんっ。血、ぶしゃーって感じだったんだよ、テートク】

金剛が言っていた言葉が思い出された。

 

「実際、多くの艦娘にそういった症状が見受けられたようです。すぐ目の前でその現場を目撃してしまった艦娘もいました。中には返り血を浴びてしまった者もいたそうですからね。このため、我々は対処策を早急に練り実行する必要がありました。艦娘達は、深海棲艦と戦うことができる唯一の兵器なのですから。それがPTSDなんかで使えなくなったとしたら、その損失はあまりに大きいです」

 

「しかし、ショック症状を緩和する方法はあるかもしれないけれど、そんな簡単にはいかないだろう。特に彼女たちのメンタリティは人と同じかどうかさえ判らないんだろ」

佐藤が艦娘達を物のように言うのは好きになれないが、あえて冷泉は反応しなかった。

 

「カウンセラーを派遣してなんてまどろっこしく、そして、効果が定かではない方法など使えませんでした。そこで我々は、元老会議を通じて六隻の艦隊に助けを求めた訳です」

 

「それで、特効薬的な処置があったわけだな」

 

「いえ、そういった物はありませんでした。それでも、措置は急がないといけませんでした。艦娘達の治療の必要もありましたが、彼女たちに異変があれば、基地内の兵士達が提督の死に気づいてしまう可能性がありました。そこから外部に漏れてしまうのもまずかった。なにせ、鎮守府のトップが基地内で自殺ですからね。そんなスキャンダルなんて認められません。それ以上に司令官不在が深海棲艦側に漏れたら、鎮守府に一気に責めてくる危険もあった。時間はありませんでした。……そして、六隻の艦隊が示した対応策は、艦娘達の記憶を記憶消滅装置のようなもので一部消去することでした」

 

「そんなのありうるのか? 現実は映画みたいにうまくいくはずが無い。そもそも、そんな簡単に人の記憶の一部を選択して消したりできるとは思えないな。どんなんだよ」

 

佐藤は少し驚いたような表情を見せた。

「提督、大事なことを忘れていますよ。彼女たちは人間じゃありません。だから、艦娘の記憶というものを我々の尺度で測っちゃだめなんです。さらに艦娘側の科学力を我々人類の知識で推測するなんて無意味な事です。現に、彼女たちは、提督が自殺を少し前からの記憶を完全に失っているようです。簡易検査の結果だと、きれいさっぱり忘れているようです」

 

フッ、実際には覚えている艦娘がいるけどな。

すると、艦娘側の科学力も完璧なものではないということだ。

事実を知っている冷泉はあえてそのことは口にしない。このことは彼らに知られては良くないと判断しているからだ。未だ誰を信じて良いかは分からない。常に疑ってかからないといけないと考えている。特に目の前にいる得体のしれない男。そして彼の属するであろう勢力。あまりに知りすぎているところが胡散臭い。情報を得るだけで、こちらからは情報を出す必要はない。

「確かに、彼女たちは何の疑いもなく、俺を鎮守府司令官として受け入れてくれるようだな」

 

「詳細な説明は得られていないので推測になるのですが、艦娘たちの記憶は六隻の艦隊もしくはその上部組織によって、おおよそ自由に変えたりできるのかもしれません。記憶の中の特定の事案部分のみを消去したり、入れ替えたりできるようです。どのような方法でやっているのかは分かりませんけど」

 

「彼女たちの話だと、前任の提督と俺は同一人物のような感じになっているようだ。俺は実際よりだいぶ前から鎮守府司令官としているようにみんな思っている」

 

「そうですね。だいたい1年前くらいにあなたが前任の提督の変わりに着任し、これまで生活してきたといった感じでしょう。だから、前任の提督の自殺の事件も、あなたが懇親会で酔っぱらって窓から転落して大けがをしたという事案に入れ替わっているようです」

 

「どうして俺が酔っぱらって窓から転落なんだよ……まったく。しかし、さすがに自殺というショッキングな事件は、彼女たちの記憶から消去しきれなかったのかもしれないな……」

つまり、日常的な記憶なら完全消去が可能であるが、非日常的な記憶は消し去ることが不可能ということか。変わりに別の記憶を上書きすることで中和し、ほぼ無効化して誤魔化すしかできないのかもしれない。艦娘側の科学力も完璧ではないということ。そして、艦娘の記憶というものは、HDDに記録されたようなただのデータなのではなく、人間と同じ【思い出】に近いものだということの証明じゃないのか? そしてそれは彼女たちがただの機械ではないという証明ではないかと冷泉は思い、そして安心した。

 

「艦娘に対する記憶操作だけでは片手落ちですので、我々人間側の記録についても一部操作する必要がありました。前任の提督の自殺より少し前に人事異動を発令し、彼については別の部署へ異動したことにしています。当然ながら記録を追跡することはできないように措置はしています。後任には冷泉提督を抜擢したという人事を行いました」

 

「けどさあ、基地の中には多くの兵士がいる。彼らの中には艦娘と接点のある者も多いようだ。彼らの会話の中で、前の提督の話が出た時に、記憶の齟齬に気づかれる事があるんじゃないのか? 俺が現れた時期と前任の提督がいた時期がダブってるみたいだし」

 

「確かにその可能性はあるでしょうね。業務上の会話だけで終始するとは限りません。どこで前任の提督の話が出てくるか予想はできないかもしれません。小さな疑念から記憶改ざんに気づくかもしれません。……しかし、なかなかいろんな事を考えていますね、提督は」

 

「そんなの普通考えるだろ? 」

何か馬鹿にされているように感じたので少し不機嫌そうな声を出してしまう。彼の中でどの程度の人間だと思われているのか、冷泉は少しだけ気になった。

 

「伝えられている情報では、艦娘の記憶にある1年前から提督の自殺までの記憶は、すべて冷泉提督との記憶に上書きで差し替えられているようです。ですので、艦娘と接する可能性が高いセクションについては、我々の息のかかった信頼できる者たちを配置し、周囲に目を光らせています。そういった状況になりそうになれば、彼らがフォローに入りますから、まずばれないはずです。それとなく業務以外の会話を艦娘とは極力行わないようにと周知していますし」

 

「そんなんでいけるのかな」

 

「提督は軍隊というものをよく把握されていないかもしれませんが、上からの命令は理不尽であろうとも絶対なのです。ただの注意的な事でも、それをわざわざ破るような者はいませんよ。……そもそも、艦娘とは彼らにとっても異質で特別な存在で、ある意味畏怖している部分もあります。ゆえに、彼らから私的な話をするような事はほぼ無いはずなのです。艦娘からそういった話題を持ちかけられた場合は、こちら側の者が不自然に対応しますし」

 

「前任の提督の死の事を誰も知らないのか? 」

 

「当然です。もし知っている者がいたら、いくら隠蔽しようとしても、隠し通す事などできません。たまたま、事件が夜間だったこと、兵士たちが周辺にはいなかったことなどの有利な条件があったからこうなったということです。不幸中の幸いでした。そのおかげでこのようなお話ができるわけです」

男は、そこで話を一端打ち切った。

誰も知らないこと。知ったら大変なことになるということ。そして、そのことを冷泉が知っていると言うことは、他言無用であることを暗に示しているように感じた。

 

「つまり、……この事は誰にも言うな、ということなんだな」

 

「私の立場で、鎮守府司令官に指示なんてできませんよ。すべてのご判断はご自身でお願いしますということです。冷泉提督であれば、どのように行動すればよいかなどすでにお解りでしょうから。私は提督のご存じでない補足的な情報をお伝えする存在でしかありません」

 

「フッ、すべては自己責任か。しかし、俺がどうするかなんて結果は見えてるじゃないか」

事実は伝えた。だからそれ以上は詮索するなということだ。組織としても何の特にもならないし、艦娘たちのトラウマを蘇らせる危険性もはらんでいる。そして訪れる混乱は鎮守府の危機に陥らせる危険もあるということだ。鎮守府司令官ならどうするか、明白。

その事実を確認すると同時に、冷泉は自分が知っている事実は決してこの男だけでなく他の者にも知られてはならないと認識した。

ゆえに、

「まあ何でこうなったかは何となくは理解できた」

と答えるしかできなかった。

 

「理解していただき、ありがとうございました。……おっと、ずいぶんと時間を提督に取らせてしまいましたね。とりあえず、本日私がお伝えしなければならないことはすべてお伝えできたと思います。またお会いすることがあるかもしれませんが、今日のところはこれにて失礼したいと思います」

男は内ポケットに手帳をしまい、頭を下げた。

唐突に現れ、そして勝手に帰ろうとする。ただのメッセンジャーでしかないから、そんなものなのだろうか。

冷泉は部屋を出て行こうとする男に向けて話した。

「君の話は理解できたが、決して納得した訳じゃない」

 

男は一瞬硬直したようになったが、ゆっくりとこちらを振り返る。

「ははあん。あなたは鎮守府司令官の地位では納得できないのですか」

 

「提督にされたことだけじゃない。この世界に放り込まれた事。そしてこの世界の理不尽さ。何一つ受け入れられるものじゃないからね。俺はそのすべてを知る必要があるし、知りたい」

 

「それは今のお立場でも十分にできますよ」

 

「そうなのだろうか? この地位は柵が多すぎる」

常に死と隣り合わせの世界。いや、死地へと女の子を追いやらねばならない立場が精神的にきつかったのか? 思わずそんな弱音が口をつく。日々の生活に追われ気づいてたのにあえて目を逸らしていた事が唐突に浮上してきていた。

【世界はゲームの世界とはほど遠く、そして冷酷であること】

可愛い艦娘たちにセクハラしつつ、悪い敵を懲らしめる。そんな、のほほんとした世界観しかしらない冷泉にとって、【艦隊これくしょん】に酷似した世界は、ただ単に嫌だった。行き着く先にあるものは「誰かの死」に直面する事。

 

「それはこちらとしては困ります。けれど、それ以上に困るのはあなたですよ」

急に冷酷そうな表情を浮かべる。

 

「どういうことだ? 」

 

「あなたはこの世界においては余所者なのですよ。誰一人あなたのことを知る者はいない。今の地位を放り出すのは自由ですが、そうなればあなたは戸籍すら持たず、身内も友人も誰一人いない存在でしかないのです。提督の職を解かれたなら、艦娘たちとも会うことなどできません。お金も1円も持たず、身分を証明する者もなく、してくれる者もなくどうやって生きていくのです? けれど、今の立場に耐えられないのであれば、我々としても代わりの者を探すしかありません。私としていえるのは、ご苦労様でしたしかないです。あなたが野垂れ死ぬのは可哀相だと思いますが、それは私に関わりの無いことです」

ずいぶんと酷いことあっさりと言う。

 

「のたれ死には嫌だが、場合によってはそれもやむを得ないって考えるかもな」

と、強がってみせる。あわよくば良い条件を引き出そうという打算も少しだけある。

 

「ふふふ。けれど、あなたを信頼している艦娘たちは悲しむでしょうね。そして、あなたの後任の提督があなたのように彼女たちに優しいとは限りません。後任人事はどうなるかとても興味があります。さて、彼女たちの運命もとても気になりますね」

 

「く……」

その方向から攻めてくるとは想定外だった。冷泉のように艦娘を人間と同様に感じる者もいれば、ただの兵器と考える者もいるだろう。領域解放の為の捨て石のように使い捨てる奴も出てくるかもしれない。

自分を信じてくれている彼女たちを放り出して、自分だけ逃げ出すことなど冷泉にできるはずがない。彼女たちだけ死地に残すような卑怯者にはなりたくない。

 

「結論は出たようですね」

そう言って、男はにっこりと笑う。

「けれども、まずは査問委員会を乗り切らないことには提督の未来は開けませんよ。あなたなら、あっさりと乗り越えるショボイ試練ですが、油断をしないでください。嫉妬に狂った人間が委員にいるのですから。まあがんばってください。そして、また機会があればお会いしましょう」

そう言うと、男は部屋を出て行った。

 



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47話

「さて……と」

舞鶴鎮守府司令官との会談を終えた佐藤は、内ポケットから取り出した【THIS ONE】と書かれたタバコに火を付ける。

こういった趣向品は現在においては高級品となっている上に、それなりのコネがないと入手できなくなっている。これは闇市場で手に入れた珍しい銘柄だ。味は相当に落ちるけれど、無いよりはマシだ。

大きく吸い込み、ゆっくりとはき出す。舞鶴まで来るには列車しかなく、おまけに車両は禁煙だった。タバコを控えていたせいか、ニコチンが全身に行き渡りクラクラする。その感覚がたまらなく心地よい。

 

伝言を伝えるだけの簡単な任務のはずなのに、想像以上にストレスを感じた任務だった。話している間は気にならなかったが、腋汗が酷い。上着にしみ出してきているレベルだ。何でこんな簡単な業務で、これほどの緊張を強いられなければならないのか。

 

舞鶴鎮守府司令官、冷泉朝陽少将。

 

年齢では佐藤よりも確か5つ年下で、実戦経験どころが軍隊での経験すら皆無の、ただの一般市民といっていいような男。

異なるのは、異世界より来たという、異常な経歴のみ。

どこの三流SF小説の話なのかと思うが、現在の日本国の置かれた状況の異常さと比べれば、彼の異世界召還というチンケな設定も特に不思議ではなく、案外受け入れられた。

 

鎮守府司令官に抜擢されるほどの男はどんな人物だろう、と少し緊張しての面会であったが、彼と話した感じでは御しやすい、平均以下の能力しかない男だった。たまたま領海での戦闘で生き延びたようだが、そう遠くないうちに死ぬ未来が予想できる。軍隊経験も無い者があの深海棲艦との戦いに勝利するどころか、生き延びられるとはどんなにひいき目に見ても思えない。彼の、通常あり得ない経歴のおかげで、現在の地位に就くことができただけの男。彼がもしこちらの世界の住人であったなら、どこかで肉体労働要員として働かされているはずだ。

 

まあ、はっきりいえば拍子抜けだ。

 

しかし、あちら側はどういう訳か彼を高く評価しているようだ。

わざわざ、彼らはその力を利用して根回しをし、佐藤を、……なおこの名前や役職、経歴は全くの存在しないものであるが、……舞鶴鎮守府にまで出向かせて、冷泉少将への状況説明をさせている。

こんな特例措置を執るような理由が全く推測できなかった。

 

愚鈍で無能で理想だけは一人前の男。それが佐藤の冷泉評だ。

佐藤の冷泉少将への評価は間違っていないとは思うが、あちらが彼を評価するなら、自分はそれに従い任務を果たすだけだった。

 

結果、目的は果たせたと思う。この情報を元に、冷泉少将は彼なりの判断をしていくのだろうと思った。

 

もっとも、まずは次の査問委員会を乗り切れるかどうかだが。とはいえ、冷泉少将がこの先どうなろうと、佐藤にとってはどうでもいいことでしかない。失脚すれば誰かが後を引き継ぐだけだ。おそらくは査問委員会の委員となった、前の舞鶴鎮守府副官の男だろうけれど。こいつも有能とは思えないが、経歴だけは優秀だから、それなりに現状維持をするのではないかと想像する。どこの誰か分からない異世界の凡人がなるよりは、だいぶマシだろう。

 

「それもどうでもいいことなんだけれど、な」

思わず言葉が口に出る。

佐藤はタバコを地面に投げ捨てると、右足でもみ消す。

そして、

「あのー、そろそろ帰るので、私にプレッシャーをかけるのは止めてもらえませんか? それとも、私が鎮守府から出るまでずっと続けるつもりですか」

と、少し大きめの声で闇の向こうに問いかける。

異常なプレッシャーを冷泉少将との会談中、ずっとかけてきた存在があったのだ。それは明確な敵意、ある意味殺意に近い強烈なものだった。艦娘サイドにはすでに話が行っていて、提督執務室への干渉を停止させているはずなのに。実際には話が通じていて、艦娘たちは全員、宿舎もしくは自艦に引き上げていた。常に一緒にいるはずの秘書艦でさえ、建物から移動するようになっていた。

 

それなのに、ずっと佐藤に向けて照準を合わせていた存在があったのだ。

それは、何者かが監視していることを、こちらが気づくようにだった。あまりにあからさますぎて、その意志に焼き殺されるような気がしたほどだ。目の前に銃口を突きつけられているような感覚。こちらを害するつもりはないのだろうが、そんな強い思念を浴び続けていたら、精神がたまらない。今までの任務の中で同じような場面に出くわしたことはあるが、ここまでの圧力を感じたことは希だ。

このまま黙って帰ろうかと思ったが、これほどストレスを感じさせられたまま帰るのも癪だし、原因者が誰かを確認もしておきたかった。

「聞こえてますか~」

極力、おどけた調子を忘れないように意識する。

すると、すっと今まで向けられていた殺意のような波動が消えた。感覚的にはずっと照準されていたのを解除された感覚。

思わずため息が出た。

「ありがとうございました。どうです? 出てきたらどうですか」

相手はこのまま立ち去るだろう。出てきたら儲け物といった感じで軽く声をかける。

 

背後に気配を感じた。

 

職業柄気配を絶つのは得意だし、探知能力にも秀でている自信があったのに、まったく気づくことなく背後を取られたことに少し佐藤は衝撃を受けた。

ゆっくりと振り返ると、ブレザー姿の女の子が立っていた。暗闇でもその桃色の髪が目立つ。

艦娘の誰かであることは分かった。

「一応、艦娘側には話をしていたんだけれどなあ」

 

「話はもちろん聞いています。これは私の独断です」

突き放すような口調だ。まだ子供のくせに随分と偉そうだ。

 

「何かあれば撃ちますって感じの殺気だったから、おじさん、ちょっと怖かったよ。えーと、あなた駆逐艦不知火さんですよね」

と、からかうように言うが全く反応がない。怒るでもなく恥じるでもなく表情に変化が無い。

「……誰も提督との話に干渉しないようにってお願いしていたのに、少し酷いね。君たちの上の方に話しちゃうよ」

 

「……ご自由にどうぞ。私は一切、あなたのお話に干渉していません。それ以前に提督とあなたが何を話していたなど知るよしもありません。それについてはなんら指示を破ってはいませんが」

 

「でもね、明らかに君、私を狙っていたでしょ? 何かあったら撃つって感じで。すごく気分悪かったよ」

子供相手に真剣になるのはあれなので、茶化す感じを意識しながら指摘する。

 

「冷泉提督に、わざわざこんな時間に会いに来る事態が異常と考えました。着任間もない頃であれば、来訪の理由を見いだせなくはないですが、さて、一年以上経ってからなど前代未聞といっていいです。なにか人間サイドの不穏な動きと判断してもおかしくはないでしょう」

そうか……。そして佐藤は納得した。

今更ながらだが、この艦娘は何も知らない訳だな。聞かされてはいたけれど、実際に目にすると驚きだ。艦娘の上にいる存在は、どういうやり方かは不明だが、記憶を自由に改ざんできるらしい。

 

「まあこんな夜中になってしまったのは、私の至らないところではありますね。あなたに不信感を持たせてしまった事は詫びます。……けれど、冷泉提督にこの時間に会うこと、そしてその間は人払いするようお願いし、あなた方にも了承されていたはずなのですが。当然、あなたもそのことはご存じですよねぇ」

 

「それはもちろん知っています」

痛いところを突かれたのか、一瞬少女はたじろいだように見えた。

ふん。艦娘とか言っても所詮、ベースは10代の少女なのだから、ちょっと脅せば楽勝だな。

 

「では、なぜ約束を破ってまで私を監視する必要があったのです? それもあからさまに私に判るように……。それって私たち人間と艦娘側との約束を破るようなことでなるんじゃないですか? ちょっとこれは大きな問題になるように思うんですけどね。あなたたちも上からの命令には従わなければならないでしょ」

ずっと照準を合わされていたプレッシャーは結構堪えたし、イラッと来ていたので簡単に許す気は無かった。こんな小娘に恐怖を感じさせられた事にも腹が立っていた。それゆえ、この少女をどのようにしてやろうかと佐藤は少しサディスティックな気持ちになっていた。

 

「そ、それはそうです。私は命令に従う義務があります。けれども、あなたの素性が判らない状態で提督の身に何かあったら大変だと、個人的に判断して対応しました。命令違反の誹りは免れないかもしれませんが、別にそれはそれで構いません」

何か覚悟を決めたのだろうか? 少女から戸惑いの表情は消えた。挑むような感じですらある。

 

生意気な奴だ。

 

「では、あなたの独断ですべてはやったということですね。ふふん、これは問題ですね。……もちろんあなた方の中での問題ですけど。艦娘たちの中では、命令よりも艦娘個人の判断が優先されることがあるなんて、これはかなり危険です。あなたの対応は我々人間との共生関係にも影響を及ぼす可能性があります。これはあなたがたの上の方へと疑義を上げておく必要がありますね。艦娘は単体でも恐るべき攻撃力を誇る兵器です。それが軍隊では絶対の命令を無視するような存在であるというのなら、人間とあなた達との信頼関係が根底から揺るがされる大問題ですよ」

喧嘩を売られているようなので、佐藤も無意識の内に攻撃的となる。

この艦娘、駆逐艦不知火は命令を無視し、独断で行動をしている。軍隊としては大問題だ。この話を上に上げればおそらく無視することはでいないだろう。

本来ならそこまでやる必要はないが、小娘のくせに驚かしやがってという感情と、それ以外に旨くこれを交渉の手札とできないかとの計算も働いた。

 

「私の行動については私がすべて責任を持ちます。あなたが不愉快に感じたのであればご自由にどうぞとしか言えません」

先ほど感じた焦りのようなものは少女から完全に消えていた。やれるものならやってみろ、そんな目つきになっていて、またまたいらだちを感じた。

 

「覚悟を決めたというわけですか。いいでしょう。音便にすませても良かったんですがね。……けれど、あなた、それでいいんですかね? 」

 

「仮に私の行動に問題があるなら、私が処分されれば良いことです。それは仕方ないです」

 

「ははあ、けどですねえ。あなたが処分されるということは、当然ながら、上司である冷泉提督にも迷惑がかかるかもしれませんねえ。それから艦娘サイドの話としては、我々からの依頼を受けているのにそれを全員に伝えるべきはずの、秘書艦にも迷惑が及ぶんじゃないですかあ」

 

「! 」

明らかな動揺が少女の表情に浮かんだ。

彼女が動揺したのは提督の件なのか、秘書艦の件なのか?

「提督や高雄さんには関係ない、でしょう」

 

「そうですかね。部下の責任は上司の責任でしょう? あなたが処分されたら、当然、監督責任は問われるでしょうね。当たり前のことです。まさかそんなことにも考えが及ばなかったとでもいうんですか? 」

どうやら自分のせいで他人に害が及ぶことは耐えられないらしい。すぐにキャラクターを分析した。ここがウィークポイントのようだ。

 

「くっ」

唇を噛むその表情が可愛い。

生意気な小娘の鼻っ柱をへし折れそうで、すごく高揚するのを佐藤は感じた。

 

「……まあまあ。そう心配しないで下さいよ」

声色を変えて話しかける。

「私だって鬼じゃないですから。……今回の事は私の胸の奥にしまっておいてもいいですよ」

その瞬間、怯えたような少女の表情が期待に満ちたものになったのを見逃さなかった。交渉は旨く進みそうだ。思ってもない幸運が手にはいるかも、と気分が高鳴る。

 

佐藤の言葉の真意を測ろうとし、少女の顔に不安げな表情が浮かぶ。

 

「なあに、取って喰おうなんてことはしませんよ。あなたは提督の事を心配しての今回の行動なのですからね。部下としては立派な事ですよ。ちょっと行き過ぎた点はありますが。……ですから、今回の事はあなたへの貸しってことにして、私の胸にしまっておきましょう。これでいいですかね? 」

 

「……貸しということは、何かの対価を要求するということですか」

不知火はおそるおそるといった感じで呟く。

そんなことを言うと言うことは、すでに交渉のテーブルに乗っているということを少女が自覚しているということだ。ここはぐいぐい押すべし、と佐藤は認識する。追い込みすぎず、しかし逃げられないように誘導しなければならない。

 

「まあまあ、そんなに構えないで下さい。たいした事じゃありませんよ。そうですね、これからは鎮守府の状況を時々、私に教えて頂ければいいのですよ。誰が領域解放戦に出たとか、遠征に出たとか。誰がドック入りしたとかいった日常的な話をね。それだけです。私から何かをお願いすることはありませんから」

最初は情報提供だけ。しかし、次第にその内容を高度化させ、さらに難度の高い事をやってもらうようにしていく。けれどそんなことは最初からはお願いしない。じっくりと仕込んでいけばいいのだ。裏切りの罪の意識を植え付け、そこからさらに彼女の心の中に食い込んでいけばいい。焦る必要はない。

 

「本当に、それだけでいいのですか」

 

「もちろんですよ」

そう言って佐藤はほほえみかける。

どうやら交渉成立のようだ。思わぬ拾い物になるかもしれないな、これは。わざわざこんなところまで来た甲斐があったかもしれない。思わずほくそ笑んでしまう。

「では、和解の証として、握手をしましょうか」

そう言って右手を差し出す。

少女も恐る恐る、手袋をはめた右手を差し出す。

 

思わずニヤリと笑ってしまう。

やった!! 勝ったな。

 

佐藤が少女の手を握ろうとした刹那、

「ヤレヤレ。おっさんなんかと握手するなんて趣味じゃないんだけどなあ」

いきなり男の声がしたと思うと、右手をがっしりと握られた。

 

「な!! 」

驚きで思わず声を上げてしまう。

目の前にはいつの間に現れたのか、冷泉少将が佐藤と不知火の間に割り込むように立っていて、佐藤の手を両手でしっかりと握っていた。

不知火も突然現れた司令官に驚いたようで、慌てて飛び退くように下がる。

 

この男、いつの間に現れた?

 

気配は全く感じなかった。

そもそも、なぜここで不知火と話していることに気づいたのか。

 

「て、提督、いきなりされたんですか」

なんとか言い返すのが精一杯だ。

 

「こんな夜中に、見知らぬおっさんがうちの娘と二人っきりで話し込んでいたら、上司としては気になるだろう? そもそも、君こそこんなところで何をしてたんだよ」

その声は少し怒気を含んでいて、冗談めいた話し方ではあるが、決して目は笑っていなかった。

 

どうするべきか?

この男はどこまで話を聞いていたのだろうか?

不知火を懐柔しようとしていたところも知っているのだろうか?

うまく誤魔化さないと、この男との関係が壊れてしまいそうだ。それはそれでまずい。この男もこちら側の手駒として使えるかもしれないのだから。

 

「いえ、歩いて帰ろうとしていたら、この子に話しかけられましてね。何の用事で来たのかって」

とりあえず嘘はついていない。

 

「はいダウト……嘘はダメだぜ。ゴメン、聞くつもりは無かったんだけど、実はほとんど聞いてしまったんだよ、佐藤中尉。言うことを聞いたら、黙っていてやる。ただし、俺の言うことを聞けってね。どう考えても、女の子を脅かしているようにしか聞こえなかった」

 

「な、何を言ってるんですか。私がどうしてそんなことを。しかも、相手は艦娘ですよ」

 

「でも、俺は聞いてしまったんだよ。……な、不知火、そうだろ? 」

 

「は、はい」

戸惑いながらも少女は頷く。その前に冷泉が目配せをしていたのを見逃さなかったが。

 

「このことは報告させてもらうよ。そして、それ相応の対応を取るように私からも抗議させてもらうからね」

 

「な! 何を無茶苦茶な事を。そんないい加減な事を誰も信じる筈がないでしょう。えん罪だ!! 」

唐突に、そして何故かこちら側が脅されている状況に動揺する。

 

「はたしてそうだろうかな? 海軍少将の言うことと、たかだか中尉のいうことのどちらを信じるのだろうか、ね」

もの凄く邪悪な笑みを浮かべて佐藤を見つめる鎮守府司令官。

 

「わ、私を陥れようとするんですか、あなたは。……それなら私も黙ってはいない。この少女は、あなたとの会談の間、ずっと遠距離から照準を私に合わせ、ずっとプレッシャーを与えてきていたのですよ。海軍から艦娘側には会談中は干渉しないという約束ができていたというのに。そして、この子に聞いたら、独断で行ったというじゃないですか。これは、これは大きな問題ですよ。命令に背くような艦娘が鎮守府にいるなんてこと、我々との信頼関係に重大な影響を与える危険な事態です。これを報告しないわけにはいきません。私はその話をしていただけです。決して邪な考えを持っていたわけじゃない。私はずっと銃口を向けられた状態であなたと話していたのですよ。想像を絶するほどの恐怖を感じていたのです。任務ですからね。私こそ被害者だ」

まくし立てるように、ほとんど叫ぶように訴えた。

 

「へー」

小馬鹿にするように冷泉が呟く。

 

「なんですか、それは! 」

 

「俺にはそれをネタに不知火を脅していたように聞こえたんだけどね」

 

「そんなわけないです。ありえないです」

 

「残念ながら、鎮守府内におけるすべての動きはモニタされている。よってここでの出来事はすべて記録されている。セキュリティの関係もあるからな。君が記録を解除させたのは司令官の執務室だけだからね」

 

「だったら、彼女がそれを認めたって記録もあるはずですよ。独断で命令違反をしたという」

記録を取られていたことはまずかったが、逆転はまだまだ可能。

 

「いや、君にプレッシャーを与えてたのは俺の命令だから。俺が不知火に命令してやらせたんだよ」

 

「なんですって」

 

「艦娘内での命令は絶対だろうが、彼女は舞鶴鎮守府の艦娘だ。だから彼女たちの中での命令より、司令官たる俺の命令のほうが優先順位が高いからね。だから、彼女には何の罪もない」

 

「そんなの嘘だ。私が来ることはあなたは知らなかったはず。だからそんな命令をする暇などないはずだ。この子を庇おうとしても無駄ですよ」

 

「君が来ることを知っていて、前もって命令していただけだろう。何かおかしな点でもあるのかな」

 

「そんな……」

そんな馬鹿なと言おうとして、それが無駄であることに佐藤は気づき、それ以上は言えなかった。

たとえ秘匿していたとしても、仮に冷泉が今日の予定を確認すれば、秘書艦は佐藤の来訪を伝えていただろう。なぜなら、あらゆる命令にも鎮守府司令官の命令が優先されるからだ。司令官にも秘匿せよという命令は矛盾している命令だからだ。

 

「だから、君がいくら不知火の命令違反を訴えたところで、俺が命令したといえばそれ以上は意味をなさない。彼女は司令官たる私の命令にしたがっただけだ。だから命令違反ではない。そして、俺が命令した非を責めるつもりがあるかもしれないけれど、それも無駄だよ。鎮守府司令官になんらアポを取ることなく深夜に来訪する奴を無条件に信頼すること自体ありえない話だからね。情報を知ったなら警戒するのは当然のことだ。そもそもが俺に会いに来るのにきちんと情報を伝えなかった君の不手際だよ。なんならそちらからも攻めたっていい。だから、君がなんと言おうとも無駄だということだけは教えてあげるよ」

 

「く……」

佐藤は俯きながらどう反論しようか思考を巡らす。しかし、どう反論したところで勝ち目が無さそうだ。そして、仮に勝てたとしても、こちらにメリットは無いことだけははっきりしている。

 

「答えは出たよな。だったら、このまま帰るほうがいい」

 

「わかりました。ここでの出来事はすべて忘れます。それで構いませんか? 」

そう言うのがベストだと判断した。自分の冷泉少将の評価が誤りであったことを認識しつつも認められない自分に少し困惑もしていたため、冷静な判断ができない。これ以上の議論はむしろ危険だ。思った以上にこの男、奥底が見えない。

 

冷泉は頷いた。そして何も言わなかった。

 

「では、失礼します」

形式張った敬礼をし、佐藤は立ち去ろうとするが、どうしても我慢ができずに言葉を発する。

「今回は引き下がりますが、以後、行動には、ご注意ください」

精一杯の反撃だった。

 

「忠告ありがとう、肝に銘じておくよ。ついでだから、俺からも言わせてくれ。仮定の話でしかないけれど、今後、俺の部下にちょっかい出そうとするような愚か者がいたとしたら、二度目は無いってみんなに伝えておいてくれないかな」

その声はあくまで冗談めいた口調だったが、恐ろしく寒々とさせるものを感じさせられ、佐藤はぞくりとしたのだった。

 



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48話

佐藤中尉は、なにやらぶつぶつと独り言を言いながら、鎮守府入口へと歩き去っていった。

 

「くそ。なんだよ、あのおっさん。吸い殻捨てて行きやがったし……。まったく、人んちで何てことすんだよなあ」

冷泉提督は、中尉が去っていった方向を見ながら文句をいいつつ、もみ消された吸い殻を取り出したティッシュにくるむとポケットに入れる。

「さーて、もう夜も遅いぞ。不知火、お前も夜更かしなんてしてないで、宿舎に帰って寝ろよ。夜更かしは美容の大敵っていうしなあ」

と、艦娘に声をかけるが、何故か不知火の反応は鈍い。

「ん? 不知火、どうかしたのか」

冷泉と不知火の身長差は結構あるため、どうしてものぞき込むような感じでこちらを見てくる。

目が合いそうになり、思わず彼女は目をそらした。

 

「あの、……その、提督」

 

「おう、なんだ? 」

と、提督は少し怪訝な顔でこちらを見る。

 

「あ、ありがとうございました」

どもりながらも、なんとか不知火は声に出す。

 

「へ? 何が……かな」

誰に対してお礼を言ったのか、どうしてお礼を言ったのかを目の前の司令官は分かっていないようだ。腕を組み首をかしげ、考え込むような仕草を見せる。

「あ-、もしかして、さっきの事か? 俺は、あのおっさんにお前が絡まれていたのを見つけたから、文句を言いに来ただけだよ。まったく、いきなりアポ無しで来たくせに偉そうな事言うだけ言って、それだけならまだしも、うちの子にちょっかいかけるなんて。本当に、ろくでもない変態ロリコン親父だよなあ、あいつ。……でもなあ、不知火も嫌ならはっきりと断らないと、あの手の輩はぐいぐいと攻め込んで来るからな。注意しないとダメだぞ」

冗談のつもりなのか、本気で言っているのか、提督の発言には、たまに判りづらい時がある。最後の佐藤中尉を評しての【変態ロリコン】うんぬんの部分については、普段の提督の行動を知る不知火からすれば、どの口がそんなことを言っているんだと思わず反論したくなる。

提督だって島風や叢雲に変態顔でよくちょっかい出しているし、不知火にもたまに絡んできてセクハラっぽことをするではないか? 島風達は、どうも提督に好意を持っているせいだろうか、キャーキャー言いながらも結構喜んでいるから構わないんだろうけど、不知火にとって、それはあまり気分の良いものではなかった。恥ずかしいし、不愉快な思いを必死に我慢しているのだ。司令官でなければ、魚雷を撃ち込んでいるはず。……まあ、嫌でない時もないわけではないけれど。

そんなわけで提督こそ、変態ロリコンなのでは? と常々疑問を感じていた。

それに佐藤中尉も冷泉も、自分から見たらそれほど歳は変わらない、ただのオジサンであるのだが。

でも、今はそんな事はどうでもいい。

 

「あの、そんなことではなくて……ですね」

そうなのだ。不知火の上司たる冷泉提督は、一応、彼女の危機に現れ助けてくれたのだ。彼女としては、お礼くらいは言わないといけない。まずは、彼女が何についてお礼を言っているかを彼に知ってもらい理解してもらわないと意味がない。

「私が勝手な事をして、みんなに迷惑をかけそうになったところを助けていただき、ありがとうございました。それを言いたかったんです。ご迷惑をおかけし、すみませんでした」

 

「あー! なんだ、そんなことかよ。どうってことないよ、気にすんな」

そう言って、右手をパタパタと降る。

 

「そうはいきません。私の勝手な行動で提督にご迷惑をおかけしてしまいました。それに私は命令違反を犯してしまっています。軍艦としてあるまじき行為をしてしまいました。これは罰されるべきです」

 

「なんで? 」

不思議そうに冷泉が聞いてくる。

命令違反による勝手な行動。それにより不知火は佐藤中尉に利用される危険性があったのだ。その軽率な行動を上司としては叱る必要があるだろう。

 

「先ほどの中尉と私の会話をお聞きになられたでしょう? 私の軽率な行為が、彼に取り入る口実を与えてしまいました。そして、私は彼の要求を拒めなかった。それが……今後、どのような事態になっていたかはともかく、私のせいで鎮守府のみんなに迷惑をかけてしまうところでした」

 

「でもさ、結局はあいつの思い通りにはならなかったし、何も問題ないだろ」

 

「そんなことはありません。確かにその件については、提督のおかげでなんとか回避できました。でも、そのせいで佐藤中尉は提督に対して良くない印象を持ってしまいました。すみません。私なんかを庇ったせいで」

思い出しただけで、悔しくて泣きそうになる。

 

「俺に対して悪感情を持っただって? そんなの全部あいつが悪いわけだしなあ。それにどっちにしたって、俺、あいつとは仲良くやれそうにないと思うよ。だから、気にしなくていい。それに、不知火、お前は俺の為を思って行動してくれたんだろ? だったらむしろ、謝るのは俺の方なんだけどなあ。ほんと俺の為に嫌な思いをさせてしまってすまなかったな。喧嘩は全然ダメなんだけど、なんならあいつをぶん殴ったほうが良かったかな? 」

提督に慰められるのは嬉しいけれど、こんな時はきっちりと叱って欲しかった。不知火自身のミスでみんなに迷惑をかけそうになったのだ。罰は受けないと納得できない。それなのにミスを責めることなく、むしろ自分の責任であると言う提督には当惑してしまう。

厳しく叱られたほうが不知火にとっては気が軽くなるのだけれど、目の前で済まなそうな顔で立っている司令官にはそんなことはできないのだろう。ちょっとエッチで浮気性なところが無ければ、すごく優しくて理解力があり、頼りになる尊敬すべき司令官なんだけど。神通が彼のことを好きになるのも少しは解る気がする。

自分だって……。一瞬、変な方向へ想いが行っている事に気づき、びっくりした。何を考えているのだ、自分は。

 

何故こんな事になったのかを説明すべきなのだけれど、それを口にすることができない。

本当は、神通が入院中に、提督の身にもし何かあったらいけないということで、監視をしていたのだけれど、このことは黙っておこうと思う。神通は口には出さないけれど、提督に想いを寄せていることは端から見ててバレバレだった。提督はまだ気づいていないみたいだから、彼女の気持ちを提督が知ったら、またこの人を増長させてしまうだろう。

 

「いえ、そこまでしなくても結構です。……それに暴力沙汰となったら、さすがに提督に非が無いとしても、まずい立場に置かれてしまいます。そして、彼のことです、またそれを利用して彼が付けいるかもしれませんし」

 

「うーん。不知火は、いつも冷静だよなあ。それはすごいって思うよ」

感心したように提督が頷く。

冷静ではありません! そう否定したくなる。今だって提督とこんな時間に二人きりでいるから、結構緊張しているのだ。さきほどから心拍数が妙に多くなっているのはその為だ。

この緊張は司令官と二人でいるためなのか、それとも別の要因なのかはよくわからない。時々提督と目が合うたびに、それから提督との距離が縮まる時にさらに高まる。

どうも最近、少し疲れているのかもしれない。

 

「いえ、私は冷静なわけではありません。人並みに緊張したり焦ったり怒ったりします。けれど私は軍艦です。戦闘にそういった感情は邪魔になるから、意識的に出さないようにしているだけかもしれません。勝利するために、生き残る為にはそういった余計なものは不用だと考えていますから」

なんとかそう反論する。

 

「そっか」

そう言うと提督はいきなり不知火の頭に右手を乗せると、撫でてきた。

「確かにお前の考えは、軍艦としては正しいと思うよ。でもな、戦場ではそれで構わないけれど、鎮守府に戻ってきた時くらいは無理をせずに、もっと自分の感情を出すようにしたほうがいいぞ。いきなりやれって言われても難しいかもしれないけど、できることなら俺に対しては、素の不知火をもっともっと見せてほしいんだけどなあ」

 

頭を撫でられて、なんだか変な気分、……どちらかというと穏やかな気持ちになりながらも不知火は反論する。

「どうして私なんかの素の姿の見たいのですか? そんなの見たところで提督には何のメリットも提督にはないと思うのですが」

 

「いや、その方が可愛いじゃん。お前が笑ってる姿を俺は見たいし」

と、あたりまえのような口調でとんでもない事を冷泉が言う。

 

「な! 」

次の言葉が出ずにもごもご口ごもってしまう。

 

「戦場では軍艦でいなければならないかもしれないけど、戦いの場から離れたら、本来の普通の女の子でいてほしいんだよな、俺は」

 

「それはきっと提督が私たちにいやらしい感情を持っているから、そうあって欲しいのではありませんか? 」

 

「ははは。まあ、半分はそうかもしれないなあ。可愛いものを愛でるのは紳士として当然のことさ。それはあえて否定はしないよ。けどな、俺は思うんだよ。……ずっと張り詰めたままじゃ辛くないか? どこかで息抜きをできないと、精神はきっと耐えられないって思うんだよ。だからせめて普通の女の子のような生活をできる時間を作れないだろうか? 俺はできる限りそういった環境をお前達に与えられればって思ってるんだ。俺たち人間の代わりにお前たちを戦わせている総元締めのくせに、勝手な事を言ってって思うかもしれないけれど」

 

「そんなことは、ありません。人間は領域では戦えない。だから、その代わりに私たちが戦っているだけのことです。これは私たちのとっての天命なのです。そもそも提督が気に病むような類いのことではありません。それに提督は私たちとともに、命をかけて戦ってくれます。それだけで充分です。それ以上は何を望むのでしょうか」

 

「本来ならば、お前達艦娘ではなく人間だけが戦うべきなんだよ。なのに女の子のお前達に戦えと強いなければならないんだ。俺がお前達に女の子らしい時間を持てるようになんて言ってるのも、本当はそんな立場の俺自身を守るためだけの身勝手な言い訳、贖罪でしかないのかもしれない。ただの偽善かもしれない。戦い死ぬのはお前達なのに。いつも辛い思いをするのは、艦娘のお前達だから、せめて鎮守府にいる時だけでも本来の女の子らしくしろなんて、やっぱり俺は勝手すぎる人間だよな」

突然、シリアスな発言を始めた提督に戸惑う不知火。

彼の横顔は何か思い詰めたように思え、その瞳は悲しげだった。とてもこの鎮守府の司令官とは思えない弱さを見せている。普段の少し調子の良い、基本スケベな、でもたまに格好良い彼とはまるで別の一面を見せていた。

 

「そんなことはありません。提督はそうやって私たちのことを慮ってくださります。それだけで嬉しいのです。だから、そんな風に自分を責めるのはやめてください」

 

「しかし……」

 

「提督は提督の職務を果たせばいいのです。それが司令官たるあなたのなすべき事でしょう。私たちは提督の命令に従い、その任務を果たすだけです」

 

「お前達は兵器なんかじゃない……。だからもっと何か、何か方法があるはずなんだ。俺はそれを見つけたい」

 

不知火は苦悩する提督に何を伝え、どうしてあげればいいか見当も付かなかった。

金剛さんなら「テートクー、私はテートクの愛だけがあれば大丈夫デース」とか言いながら抱きつくんだろうな。島風ならネコみたいにじゃれついて甘えたりするんだろうな。……けれど、不知火に彼女たちのようなことできるわけない。

駆逐艦である自分が上司たる提督にそんな破廉恥な事などできるわけがない。恥ずかしいし、公私混同はありえない。不知火と提督は上司と部下の関係でありそれ以上でもそれ以下でもありえないのだから。

 

けれど、今は……。

 

「提督……」

歩みよると、そっと提督を抱きしめる。身長差のために不知火が提督にしがみついたように見えるが、抱きしめた。

 

ずっと昔の事、何があったか覚えていないけれど、悲しいことがあった時、誰かにこうして優しく抱きしめてもらったことがあった。その人のぬくもり、伝わってくる鼓動を感じて、自分の気持ちが落ち着いた事を思い出したのだった。その記憶がいつのものか、どういう時のものかは思い出せないけれど、こうしてあげる事が、今の提督の気持ちを落ち着かせるために不知火ができる唯一の方法だと感じたのだった。

提督は驚いたのか、一瞬だけ体を硬直させたように感じたが、不知火を抱きしめかえしてくれた。

 

提督から伝わってくる温もりは、不知火がかつて誰かから与えられた温もりに似ていて、なんだか心地よく、彼女は目を閉じて彼の胸に身を預けるのだった。

 



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49話

査問委員会、召喚の日。

 

昨日、佐藤中尉より知らされたわけだが、その翌日が委員会の日となっていた。

何の対策もできないまま、ぶっつけ本番で挑むこととなったわけだ。

一応、彼よりレクチャーは受けたが、果たして役に立つのだろうかという疑問しかなかった。

もっとも準備期間があったところで、何らかの対策が取れたかというと、冷泉には全く解らないけれど。

 

場所は鎮守府地下にある、テレビ会議室だった。

 

そこまでは秘書官である高雄が案内してくれた。

終始、心配顔の彼女を安心させるために冷泉は喋り続けなければならなかった。それでも彼女の心配の種は解消されなかったようだ。終始心配げな表情が消えることはなかった。

「安心してくれ。俺は何一つ間違ったことをしていない。だから問題ないよ」

 

「ですが、提督。査問委員会がどのようなものか私は知りません。とても、とても不安なんです。お供できればいいのですが、委員会に艦娘は入ることは許されていません。提督をお守りするのが秘書艦の勤めのはずなのに、それができないなんて。……とても悔しいです」

今にも泣きそうな顔をする秘書艦になんと言葉をかければいいのだろうか?

 

「なあ、高雄。お前は俺のことを信じられるか? 」

 

「……もちろんです。私は提督のことを信じています。いついかなる時もどのような状況であっても、その気持ちは変わることはありません。私は提督についていく覚悟です」

真剣な顔で答える高雄。冷泉のどこを信じ、どういうときについていく覚悟なのかはよく分からないものの、彼女の冷泉への揺るぎない信頼は確信できた。

 

「だったらさ、お前の信じる俺の能力を信じてくれ。俺は必ずこの局面を乗り切るし、お前たちをおいてどこかに行くようなことはしないよ」

その言葉をどこまで彼女が信じることができたかは不明だが、その表情を見る限りでは納得しているように思えた。

「ま、すぐ終わるからコーヒーでもいれて待っててくれ」

冷泉は彼女に微笑むと、部屋の中へと入る。

 

鈍い音を立てて、分厚い扉が閉じられた。

部屋の中は薄暗い……。

中央に証言台のようなものがあり、天井からの証明で、そこだけが照らし出されている。

どうやら、そこに立てということらしい。

ふう、と大きく息を吐くと冷泉は歩みを進める。

 

本来であれば、出頭すべき案件らしいが、仮にも冷泉は舞鶴鎮守府司令官である。査問委員会レベルでは彼を招集する強制力は無いらしい。よって、テレビ会議により委員会を行うこととなっていた。

 

なお、秘匿回線を使用して行うため、動画通信はできず、音声のみとなっているとの事前説明を受けた。

 

真っ黒の画面に白文字で名前が表示されている。

 

画面の数は五つ。

 

そのディスプレイに囲まれる形で立つようになっている。

なるほどなるほど、裁判みたいな場面だ。……まあこれも裁判みたいなものだが。

 

モーター音がうるさく感じるが、暗くてどこにあるかが解らない。ただ、見られているような嫌な感じがすることから、カメラの向きを変えるモーターの音だと推測する。

 

どうやらそれらは複数備え付けられているようで、ディスプレイの向こう側にいる人間が操作しているようだ。

冷泉が立ち位置を変える度に、ウィンウィンとモーター音がする。

 

相手の姿が見えないのに向こうからは見える状況というのは、どうにも居心地が悪いし、とても鬱陶しい。

 

そして、突然査問が始まる。

 

画面の一つに【通信中】の文字が点滅する。

司会進行役らしいの男が淡々と話し始める。それは、書かれた台本を読み上げるようだ。

どうやら、話す人間の画面にその文字は表示されるようだ。

 

「冷泉提督、私は海軍省人事局の真袋少佐と申します。今回の委員会の進行を担当させていただきます。よろしくお願いします。今回の査問委員としては、軍令部の小野寺大佐、細山中佐、法務局の成田中佐が担当することとなっています」

海軍省と軍令部の両方から委員は構成されているらしい。

司会担当の真袋の紹介に合わせ、画面に【通話中】の表示が現れ「よろしくお願いします」といった声が聞こえてくる。

ただ、小野寺大佐だけは無言だった。

 

たしか、「下級者は上級者を審判せず」の原則があったように思うが……。ふとそんなことを思ったが、そもそも冷泉は少将である。それ以上の階級の者が集まることなどそうそうありえない。それに、この査問委員会はただの形式の物だということを思いだし、まあありえないよな、と自分で納得していた。

 

司会は言葉を続ける。

「最初に注意事項の説明をさせていただきます。委員会における発言はすべて一語一句正確に記録され、今後の判定資料として使用されます。また、虚偽の発言があった場合は、その事実が判明した場合、偽証罪として扱われる恐れがありますので、わからない場合はわからないもしくは知らないと答えてください。よろしいでしょうか? 」

 

「わかった」

と冷泉。

 

「では、宣誓書にサインをお願いします」

 

暗くて気づかなかったが、証言台にはディスプレが設定されていた。そこに映像が現れる。そこには先ほど真袋が口頭で説明した内容が記載された文書だった。その一番下に署名欄があった。

 

「ペンはそこにあります」

どうすればいいか分からずにまごついていた冷泉を促すように、司会者が指摘を行う。

確かに直ぐ側にタッチペンが置かれていた。それで署名しろということか。

まあ嘘を言うつもりもないし、断ったところで話は進まないだろう。

いまいち書き慣れていないので戸惑うが、なんとか署名を完了させた。

 

ぽん

と音がして、宣誓書を写しだした画面の明かりが消える。

 

「では、早速ですが、質問をはじめさせて頂きます。流れとしては私が質問文を読み上げていきますので、それに対して提督の回答をお願いします。それに対し、委員より質問があればそれに対しても回答をお願いいたします。では……今回の領域解放戦での提督の指揮について、正直に回答してください」

 

そんな感じで、委員からの形式通りの質問が始まった。

 

質問に対して冷泉が答える。それについて、委員から質問が来る。また、それに答える。

 

そんな形式の質疑が淡々と続けられていく。

 

それについては、昨夜、佐藤中尉が言っていた通りだった。

 

冷泉は淡々と答えるだけ。しかし、ほとんどの委員は緊張気味に形式的な質問を行うだけだ。自分より階級が上の者に対しての査問というのは、まず無い事態であるからそれはやむを得ない事なのだろう。

 

ごくごく当たり前な質問ばかりなので簡単に答えられる。うまくこの査問委員会をやりすごして、さっさと執務室に帰りたい。そういえば昨日は一睡もしていない。こんな疲労困憊の状態なら、高雄も膝枕くらいしてくれるかなあ。そんなことを思いながら、冷泉は答え続ける。

 

しかし……。

一人の委員、小野寺がずっと黙っているのが気になった。

名前については聞き覚えがあるように思っていた。そんなことを考えながらも淡々と答えていく。

 

委員からの質問のポイントとしては以下の2点だった。

①大破状態となった神通をなぜ置いていかなかったか

②旗艦を金剛より大破した神通にしたのか

 

「冷泉提督に伺います。敵深海棲艦の追撃がかけられたことが判明した状態で、機関部に修復不能の損傷を受け、速力の遅くなった艦に艦隊の速度を合わせることは非常識ではないでしょうか。……敵に追いつかれるのは火を見るより明らか。その場合、、無駄な戦闘となり、艦隊の貴重な戦力に更なる被害が生じる可能性が高いと思われますが、如何でしょうか? 」

との問いに対し、冷泉は、

「神通は攻撃により大破していたが、まだ航行は可能だった。帰還できた場合は、修復することにより戦列に復帰することが十分可能だったんだ。君たちはどこまで知っているかは不明だけれども、舞鶴鎮守府の現在の戦力からすると、たとえ軽巡洋艦であったとしても失うことの損失は非常に大きいのだ。敵に追いつかれるリスクよりも、貴重な戦力を失う方を私は恐れたのだ。だから、そうしたのだ」

と、答えた。

これが従来の日本海軍における領域奪還戦におけるやり方とは異なる事は知っていたが、こうすることの方がより効率的だと考えたわけだ。

 

「では、提督に続いての確認事項です。旗艦金剛が大破したわけでもないのにあなたは旗艦を変更した。しかも大破した神通に変更をしました。その理由はどういうことからなのでしょうか? 」

 

「それは簡単な事だ。俺が神通に移動することにより、通常、捨て石とされる運命であるとと思っていた神通に、絶対に領域から出なければならないという使命感切迫感を持たせ、それ以上に自分は必要とされているということで生きる気力を持たせることができたからだ。更には、司令官が神通に移ったことにより、他の艦娘になんとしても、いや絶対に神通を領域から脱出させなければならないという気迫を呼び起こせると考えたからだ。そして、さらに先を見据えた戦略として、舞鶴鎮守府の提督は、いかなる状態においても艦娘を見捨てないということを彼女たちにアピールすることができ、彼女たちの士気を、いや、舞鶴鎮守府の大幅に高めるという効果もあったからだ」

質問に対しては、そう答えた。

本当はたとえ司令官の命令であっても、従来の作戦を無視しての行動は、冷泉はともかくとして、艦娘たちも責任を負わされるという面白くもない可能性があったのだ。それを避けるための理由もあった。艦娘は司令官を絶対に護らなければならない。この理由があれば、定石と呼ばれる作戦を無視したとしても彼女たちにまで害が及ぶことはない。

 

冷泉の判断には、隠された理由はのぞいて2点のプラスポイントがあり、これにより生存の確率は格段にあがったのだったとの説明を行った。

 

「なるほど。確かにデータを見ると神通の航行速度が大破状態とは思えないレベルまで回復していました。これは興味あるデータだといえます」

と、細山中佐の画面が【通話中】となった。

 

 

「冷泉提督の戦術においても、領域の海流を利用および追撃のため前のめりとなった敵を利用したところはすばらしかったです。敷設した機雷が想定以上に有効に働きました」

管轄外のはずの成田も追随して発言する。

 

「提督自らが大破した船に乗ったことにより、必勝の構えを全艦隊に見せたことは戦意高揚に大きく役立ったと思われます。若干の問題はあったものの、それ以上の戦果を上げています」

委員からのテンプレートな評価が続く。

佐藤中尉の言っていたとおりだなと納得する冷泉。まさに想定内の会議だ。

 

罰するには落ち度が少なすぎるのと、前もって彼と彼の属する組織が手を回してくれたということかな。だとしたら、ちょっと彼に冷たくしすぎたか? などと反省の気分が起こった。

 

いろいろ理由付けをしたけれど、本音は神通を死なせたくないという、ごくごく個人的な理由だったのだけれども。

しかし、冷泉は思う。そんな個人的な理由。【可愛い女の子】を死なすわけにはいかないという想いこそが他の艦娘たちにとっても理解しやすく、そして共感しやすかったのではないかと。

発言した政治的戦略的な理由などでは彼女たちの心を奮い立たせることなんてできなかったはずだと。

冷泉の強い想いが、彼女たちに通じたのだと信じていた。

 

「しかーし!! 」

突然、怒鳴り声が響き、スピーカーがハウリングを起こす。

「れ、冷泉提督のやりかたは、これまでの兵力運用の定石を無視するものであり、今回だけは、たまたま成功を収めたものの、今後も同じやり方をするというのでは、舞鶴鎮守府艦隊の危機の始まりと言えるのではないか!! 私はそう考える」

 

さっきまで、ずっと黙っていた奴だ。

 

軍令部の小野寺大佐。

さきほどそう紹介された奴だ。

 

そうそう、思い出した。

名前は忘れていたけど、冷泉の前の提督の時、副官として舞鶴鎮守府に在籍していた奴の名前がそんな名前だった。

佐藤も過去の件を根に持っているから注意が必要だと言っていた奴だな。

案の定、この男、いちゃもんをつけてきたってわけだ。

定型的なやりとりで終わる委員会を乱していいのかと、こちらが心配してしまうくらいだ。

 

「なるほど。小野寺大佐は私の行いが間違っていると言うわけだな。では、どの辺が問題行動なのかを説明してもらえないか」

少し上からな言い方で答える。

顔が見えないからわからないが、一瞬息をのむ気配を感じた。

階級が上とはいえ、初対面の年下に偉そうな口調で言われたら、誰でも、「ん? 」となるはず。

まずは軽いジャブを入れてやった。

 

 

 

 

 



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50話

「ぐぬぬ」

唸るような声と歯ぎしりが聞こえた。

続いて大きく深呼吸をする音。

小野寺大佐のモニターに【通話中】の文字が点灯している。

 

「ゴホン。私のような……大佐ごときが鎮守府司令官たる冷泉少将に意見とはおこがましいのですが、本査問委員会の委員に選ばれた故、階級を考慮せずに言わせて頂きますよ。失礼なことを言ってしまうかもしれませんが、ご容赦下さい」

 

「無論だ。君の意見を聞かせて欲しい」

意図的に余裕たっぷりの態度で冷泉は答える。

 

生意気な奴だと感じたのだろうか。再び小野寺は咳き込む。

「軍を指揮する者として、まず第一に伺いたい。何故に艦隊を危険にさらすような無理をしてまで、軽巡洋艦【神通】を救おうとしたのですか」

 

「それは、まず舞鶴鎮守府として切実な問題を抱えていることが原因の一つだ」

 

「それは何でしょうか? 」

会話に割って入るように、司会担当の真袋少佐が喋る。

冷泉と小野寺の間にかなり険悪な雰囲気が発生しているのを察知してのことのようだ。

 

「説明を続けるよ。基本的な事として押さえて欲しい事が、まず、一点あるんだ。それは舞鶴鎮守府の現状の戦力についてだ。……鎮守府の現在の艦娘の数は、たった16人しかないのだ。これを運用にあわせて編成しようとする。すると、領域解放用艦隊に最大6人、遠征等用艦隊として最大6人として編成する必要があり、それだけで12人も必要となる。しかし、当然ながら、基地防御に残す必要のある艦娘も必要だ。わが鎮守府ではそれに当たらせる艦娘が最大でたった4人しかいことになってしまう。4人で鎮守府を守れるかどうかは不明なんだが……。私になってからは深海棲艦が鎮守府に攻撃をかけてきたことがないのでなんとも言えないが、もし、深海棲艦隊に襲撃されたとしたならば、鎮守府を護るのはかなり厳しい戦いになるのではないかと考えているんだよ。

すでに、舞鶴鎮守府艦隊はカツカツの状態だといっていい。

つまり、出撃や遠征で損傷を負った艦娘が一人でも出てしまうと、その艦娘はドッグ入りとなり、誰かをその穴埋めに出さざるを得ず、他の編成に支障を来すことになってしまうんだ。そして、さらにその艦娘が2人3人と増える事になれば、もはや、まともに運用するのは相当に厳しい。……いや、不可能と言っていい。必ず領域攻略、遠征、基地防衛のどこかに歪みが生じざるをえない。そして、その歪みは新たな負荷を生みさらに戦力を落としていくことになる。

舞鶴鎮守府の現状は、現在でもそんな状態なのだ」

 

「大変なのはどこの鎮守府も同じでは無いでしょうか? そもそも艦娘が足りないなら、増員要求などをすればいいのではないか? ……と」

すぐさま、質問が返ってくる。

 

冷泉も、その質問は想定していた。

「当たり前だが、何の手も打たずに、この状況を放置するような人間はいないだろう。前任の提督も無策のままいたわけではなかったようだ。過去の決裁資料を見てみたんだが、確かに艦娘の増員要求は出していたようなのだが、どういうわけか、それに対するそれ以後の書類はどこにも無かった。倉庫とかも調べたんだけど、見つからなかった。つまり、その後の経緯は不明だが、どうやらその要求は承認されなかったらしいと判断せざるを得ない。

私が着任してからも、当然ながら艦娘不足は深刻だったわけだけれど、どうしたらよいか解らなかったんだ。そのあたりの引き継ぎは無かったからね。そこで、できるかどうかは分からないけど、とりあえず聞かなければ何も始まらない。私は今の段階で増員要求が可能なのかを問い合わせてみたんだ。すると舞鶴鎮守府においては現在、定員を下回った状態であり、要求をすれば、当然ながら他に優先して承認されるであろうとのことだったよ。不思議な話だ」

 

「なんだかとても大きな謎のように提督は仰るが、結局のところ、増員要求は出したが冷泉提督の前任の提督が増員を却下した、もしくは要求したものの撤回したのではないですか 」

との委員の一人からの指摘。

 

―――それは、小野寺大佐だった。

 

お前、舞鶴鎮守府で少し前まで副官でいただろう? そんなのお前が一番知ってるんじゃないのか? と冷泉は聞き返しそうになる。

一瞬ではあるが動揺した精神状態を落ち着かせるため、冷泉は軽く深呼吸をする。

 

「……いや、私も決裁文書を参考資料もあわせて何度も確認したんだが、提督まで決裁が回っているようだし、実際に文書も発出したような形態をとっていたから、大佐の言うように提督の一存で増員要求をしなかったわけではないようだよ。それに、もし、仮に提督が増員要求をしなかったとしても、現状の艦娘数では領域解放戦に支障が出るのは明らかだ。とてもじゃないが、納得できる成果を得られないと判断できるはず。……当然ながら、その時いたはずの副官が提督の判断を認める訳がない。何らかの進言を行っているだろうし、それを記録に残しているはず。鎮守府での戦果は即、提督だけでなく副官の成果……そして、間違いについて放置していたら、副官の責任になる可能性もあるからね。無策で放置するわけがないんだ。それに、だ。軍務は提督、人事のほうは副官が主としてやっているのが通常の形態のようだしな」

最後の部分は、当時副官だった小野寺大佐への皮肉を込めている。

他の委員がこのことを知っているかどうかは不明なので、あえて明確に批判するような言い方はしなかったけれど。

 

「ぐ、ぐぬぬぬ……」

と、再び、小野寺のモニタが【通話中】となり、うめき声が聞こえた。

 

「ゴホンゴホン。……失礼しました。まあ、その辺のところはどうやら不明なようですから、想像でしか語ることができませんな。……しかし、仮に艦娘数が少なかろうと、与えられた現有戦力の中で、最大限の成果を目指し、達成するのが選ばれし鎮守府司令官の責務ではないでしょうか」

なかなかこの男もへこたれない。冷泉は小野寺の図太さに関心した。少し笑いそうになるのを押さえるのが大変だったが。

 

「まあ確かにそれについては、大佐の意見に同意ぜざるをえないな。しかし、だからこそ、私はあの状況で艦娘を、1人たりとも失う訳にはいかなかったのだ」

 

「しかしですね、それは、たまたま、本当にたまたま、すべての幸運の女神が冷泉提督に味方し、これ以上ないほど運が良かったから成功しただけではないのですか。確かに戦の神といってもいい冷泉提督だからできたことなのかもしれませんが、……本来ならば全滅してもおかしくない状況。冷静に分析すれば、私情に流されて対局を見誤った事実は変わらないと思われますが」

小野寺は冷泉を貶しそして褒めて反論してくる。要はお前の指揮は完全に私情に流されただけで、運が良かったからなんとかなっただけということだな。別に腹は立たない。

 

「運が良かったのもあるかもしれないが、一応反論させて貰う。あの時、我々は撤退しか選択肢が無い状況であり、すでに勝敗は決していたんだ。だから、私は勝たなければならない状況ではなく、負けなければいい……つまりは、艦娘を失わなければ良かったんだ。領域における撤退戦とは、海流の流れに逆らいながら進まなければならず、本来は撤退する側に不利なものだ。しかし、撤退するに障害となる海流の流れを利用すればこちらの魚雷の射程は大幅に伸びるし、設置するだけの機雷ですら攻撃的な武器となるという利点があった。また、敵の心理状態に至っては、すでに勝利は確定している状態で、より大きな戦果を求め前のめりでの追撃状態となっているのが明らかに見て取れた。本来なら行うべき警戒すること無く、追撃してきていた。おそらくはこれまでこちらの艦隊が損害の大きい艦船を置いて、撤退を最優先という戦術をしていたから、今回もそうなるであろうと向こう側は思っていたのかもしれない。ゆえに進撃速度を上げて、本隊を狙ってきたのだろう。今回は敵の心理を逆に利用し、味方を失うことなく、逆に損害を与えることができた。……これを成果でないとは言い切れるのか」

 

「しかし、提督。それは、あくまで結果論ではないですか? そもそも、何故、大破した軽巡洋艦を救うために他の艦の危険を冒してまで救助する必要があったのでしょうか。……極論と言われるかもしれないがあえて言います。所詮、艦娘など武器に過ぎないものでしょう。ただの消耗品だ。さらに、神通はたかだか軽巡洋艦にすぎない。戦艦や正規空母ならともかく、失ったところで鎮守府にとってはたいした損害では無いでしょう? 失ったとしても、また補充すれば良いだけではないすか。……ただ、それだけのことです。一隻足りと失いたくない気持ちはわからんではない。しかし、冷泉提督の考え方は、ふふん、どうも艦娘って奴に肩入れすぎているように判断せざるを得ない。可哀相だとかそんな一時の感情に流されて、戦艦である金剛や扶桑を失ったらどう責任を取るつもりだったのでしょうな。とてもじゃないですが提督一人の首では償い切れませんよ」

吐き捨てるように小野寺が言う。

 

ぶちん。

 

冷泉の中で、極力抑えようとしてた感情の箍(たが)が外れそうになるのを感じた。

「消耗品、……だと? 」

口を出たその言葉は、冷泉の先ほどまでの声色とは違い、明らかに怒りを含んだものだった。

 

「何か気に障るような事を言いましたかな? 」

感情をぶれさせることに成功したためか、小野寺の声は心なしか軽やかだ。冷泉提督の痛い部分を突くことができ、主導権を奪い返したと実感したようだ。

 

「ふざけるな! 彼女たちは、消耗品なんかじゃない。俺にとっては、一人一人が、かけがえのない大切な存在だ。彼女たちは、人間と同じく感情があり、嬉しければ笑うし悲しければ泣く。俺たち人間となんら変わらない。そんな彼女たちが俺たち人間のなんかのために、命を賭して戦っているんだぞ。いや、戦ってくれているんだ。代償など何も求めずに!! そんな彼女たちがただの消耗品だと? 換えの利く存在だと?

ふざけるな、糞野郎が!

砲弾の飛んで来る事のない無い安全な場所に隠れて、戦闘の恐怖というものを何も知らずに、のうのうと暮らしてるだけの外野が知ったように偉そうに抜かすな。感情に流されるな、だと? ……俺は感情に流されるような人間では無いつもりだ。もし、俺がお前が言うような人間だったら、お前はこの世に存在していないはずだ。なぜなら、俺がその存在を絶対に許さないからだ! 」

 

「な! 」

冷泉の予想外の剣幕にみんながたじろぐ。

沈黙がしばらく続いた。

 

「ま、まあまあ。冷泉提督、落ち着いて下さい」

なんとか司会役が言葉を発して、場を何とか納めようとする。

そもそもこの委員会は形式的な物なのに、どうしてこんなことにと慌てているのが明らかだ。

 

「少し感情的になってしまったようだ。すまない」

提督も落ち着いたのか、その言葉に先ほどまでのトゲは消えている。

 

「ふはははは。冷泉提督は、艦娘にやたらと肩入れしますな」

冷泉の剣幕に怯えてしばらく黙っていた小野寺だったが、冷泉が落ち着きを取り戻した事を確認したためか、再び挑発的な言葉を発した。

 

「小野寺大佐、これ以上の発言は控えて貰いたいのですが」

再び揉め事は止めてくれとばかりに、司会が割り込もうとする。

しかし、小野寺は喋るのを止めない。

「確かに、艦娘の外見は普通の少女と変わりありません。むしろ、一般の女より美しいものが多いと聞きます。……ふふふ。艦娘ですか、冷泉提督の言い方だと、彼女たちですかな。あなたは彼女たちを軍艦ではなく、また部下でもなく、ただの女として見ておられるのではないのですかな。機械である、そして兵器である、人でないモノを人のように、いや女と同じように見ているとは、提督もなかなかマニアックですなあ。がっはっははははは!! あっはっははははは」

 

「なるほど。確かにそうかもしれないな。……彼女たちを私は、人として見ている。一緒にいれば分かるだろう。彼女たちは、人と同じように笑い喜び悲しむ。普段の彼女たちは人となんら変わるところがない。ごく普通の少女たちだよ。だから、それぞれの艦娘が私にとっては大切な存在であることを否定はしない」

 

「認めましたな! それを認めるのであれば、個人的な感情から前回の戦闘において、神通を助けようとしたと思われても仕方ないのではありませんか。好きな女? まあここでは女性としましょうか……が、命の危機にある。救わなければならない。多少の犠牲はやむを得ないなどと考えなかったと言えますか? 恋は盲目ともいいますからなぁ」

ここぞとばかりに攻め込んでくる。

 

「そうかもしれないな。私は彼女を護りたいとは思った。だが、私は神通ではなく、他の艦娘であったとしても同様の事をしただろう」

 

「つまり、自らの間違いを認めるわけですね」

 

「私は過ちなどは犯していない。過ちというならばどこが誤りだというのだ」

 

「私情に流されて艦隊を危険にさらしたからですよ」

高笑いする小野寺大佐。

 

「結果を見れば過ちでなかったことは明らかだろう? こちらは一隻も失うことなく、逆に敵に損害を与えることに成功した」

 

「さっきから言ってるでしょ? それは、たまたまだと。ちっ、あんた、……しつこいなあ」

 

挑発する小野寺の声にも冷泉は感情を乱すことなく、淡々と答える。

「最初から勝算はあった戦いだったのだ。こちらには無傷に近い戦艦が1人、重巡洋艦が1人、軽空母が1人いたのだからな。相手の戦力からしても、この三人で充分に勝機はあった。そして、あの状況での勝利条件は一人も失うことなく領域から撤退でさえすきれば良かったのだ。……普通に考えればこれは勝てる状況だろう? しかし、君の言う定石通りでいけば、救えるはずの軽巡洋艦を失うことになっていたのだ。何もせずに貴重な艦娘を1人を失うより、勝てる戦いに勝って、全員無事で帰ることが最善の選択肢であったことは疑いようがないだろう? どうだろうか」

 

「確かに」

 

「提督の仰る通りですね」

そろそろ会議の潮時と見た他の委員たちが冷泉の意見に同意する。これ以上の不毛なやり取りに付き合いきれないというのが本音だろうが。

実際、彼らの声は疲れ切っており、早々にこの会を打ち切りたい気持ちが声のも表れている。

 

「ぐぬぬぬぬ。全く、今回の提督は口だけは達者なようですな」

どうやら、小野寺大佐もこれ以上言っても、委員の誰も賛同してくれないと気づいたようだ。はき出すように批判的な言葉を発するしかなかったようだ。

 

「では、これ以上の質問は無駄だろう? これで終わりでいいのか? 」

と冷泉。

 

「そうですね。今回の提督の行動については、定石と異なるものの、その作戦については問題が無いと思えます。皆さんはどうでしょうか? 」

司会が多数決を取る。

 

結果、委員の賛成2反対1で可決された。

反対票は小野寺大佐が入れたとしか思えないが。

 

「では、委員会は適性に執り行われ、冷泉提督の今回の戦いにおいての行動に問題は無かったと結論づけさせて頂きます。なお報告書は作成次第決裁に回しますので、皆さん決済をよろしくお願いします」

司会の挨拶を合図に査問委員会は散会となる。

モニタが次々と暗転していく。

 

しかし、一つのモニタだけが残っている。

それが小野寺大佐のモニタであることがすぐに分かる。

 

「小野寺大佐、何かまだ私に用があるのかな? 」

面倒くさそうに冷泉が声をかける。

 

「今回はうまく乗り切ったようですが、次はどうなるのでしょうな」

それが精一杯の嫌味のようだ。

 

「ははは、まるで私が失脚するのを待ち構えているような言い方だな。……君の会議での発言を見ると、何か私に対して含むところがあるのかな」

 

「……いえ、とんでもないです。あなたに対して含むものなどまるでありませんよ。ただ、軍隊経験の全くない、知識とコネだけの人間が鎮守府の仕事をやっていけるのかを不安視しているだけです。まあ、今後も冷泉提督が上手く回していってくれるならいいのですがねぇ」

 

ずいぶんと嫌味をしつこく言う奴だな……それ以外に冷泉は感想を持たなかった。過去の経緯を知っているから、彼が冷泉に対して嫉妬のような感情を持っているのは何となく理解できるが、あまりに大人げない態度だ。それに、艦娘をモノ扱いするような奴に、鎮守府を任せる事なんてできるわけがない。

「心配してくれてありがとうって言えばいいのかな。まあなんとかやってみるさ。幸い、現在は提督の足を引っ張るような奴はいないし、艦娘にちょっかいだすような奴もいないようだからね。現在の舞鶴鎮守府は、至って平和だよ」

すべてかつての副官だった人間への皮肉である。お前の過去を俺はみんな知っているということをしっかりと小野寺に分からせておかなければならない。

 

「ぐぬぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ。ムキー!! 」

奇声のような大声を出し、モニタの向こうで何かが壊れるような音が聞こえる。仮にも上官との会話とは思えない態度だ。

あまりに激しい怒りのために我を忘れ、呼吸困難にすらなっているようにさえ想像できる。

上官に対する態度をすでに忘れてしまっているのか。

「き、きすま、なんでしってぬ! 」

 

「みんなの前で言わなかっただけありがたいと思ってもらいたいな」

どうやら何故貴様知っていると言ったようなので、普通に回答してやる。

 

「ぬうううう」

まだまともな言葉を発せないようだ。それほど、舞鶴鎮守府での副官時代の事を知られているということは彼にとって不味いことなのだろうか。一体どれほどの屈辱的な事があったのだろう。……特にどうでもいいことだが。

 

「少なくとも俺は上手くやっていくから心配は無用だよ。残念だろうがな」

 

「ぐぬうううう。……ハアハア。本当なら、私がお前の立場にいたはずなんだ。屈辱だ。恥辱だ。クソクソ、本当に忌まわしいあの男め。ぬぬぬうぬう、悔しい悔しい悔しい。だが絶対に、いつか必ずその地位をこの手に取り戻す。過ちは必ず正されるのだ。この雪辱は晴らしてみせる」

なんとか言葉を発せられるようになったようだ。

恨み節だけしか喋っていないが。それと雪辱を晴らしてたら、受けた恥を認めることになるんだけど……。それを言うとさらに面倒なので黙っていた。

 

ぷちん。

 

お別れの挨拶すらなく、いきなり回線が切断された。

 

真っ暗になった部屋で、冷泉は大きくため息をついてしまう。

また少し、言い過ぎたかもしれない。

 

かつて、向こう世界にいた自分からは想像ができないくらい、どういう訳か攻撃的になってしまっている。

かつての自分なら、反論などすることなく自分の感情を押し殺し、へらへらと愛想笑いで相手の意見を受け入れ、その場をやり過ごしていたはずなのだけれど。

自分がとりあえず我慢すれば周りが旨く行くのなら、躊躇無くそちらを選択していた。それはそれで一人になった時に、後悔を繰り返していたけれど、それが冷泉朝陽という男の生き方だった。

争いを嫌い、平穏を愛する男だったのだ。

 

それが次第に変化している気がする。

作らなくてもいい敵を作っているのではないか、と不安になってしまう。

 

これがこの世界にいる事が原因なのか、それとも鎮守府司令官という立場になり、艦娘たちを護らなければならない立場にいるためなのか、どちらが原因なのかはわからない。いや、他に原因があるのかもしれない。

そしてすべてが原因なのかもしれないし、すべてが原因でないのかもしれない。

 

どちらにしても、冷泉は生きていかなければならないし、それ以上に舞鶴鎮守府というものを、自分の部下の艦娘たちを護らなければならないのだ。

 



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51話

壁にあるスイッチを押すと、閉じられていた扉が開く。

廊下から入り込んで来る光が眩しく、思わず目を閉じる。

 

「テートクー! 」

冷泉を呼ぶ声とともに、駆け寄ってくる足音。

声の主は目を閉じていても分かる。

 

冷泉は、ゆっくりと目を開ける―――。

そこには金剛が立っていた。

 

「やあ、金剛。迎えに来てくれたのか? 」

 

「うん、そうデース。サモンイインカイ? よくわかんないけど、なんかそんな変なところにテートクが連れて行かれたって聞いたから、そこでテートクが悪い奴らにいじめられてるじゃないかって心配で心配で……。高雄にはここに行っちゃダメ!って言われてたんだけど、私、いてもたってもいられなかったヨ」

潤んだ目で冷泉を見、駆け寄るなり抱きついて来て、胸に顔を埋めてくる。

「すごく……心配したんデスよ」

 

「そうか、ゴメンな。心配させちゃって」

冷泉は驚きながらも彼女を受け止め、頭を優しく撫でる。

服越しに金剛の温もりが伝わってくるのを感じている。ほのかに石けんの香りも漂ってくる。これが彼女の香りなんだろうか。

軽く抱きしめているだけで、なんだかほんの少し前まで冷泉の全身を覆い尽くしていた、ドス黒くささくれだった何かが次第に軟化していくのが分かる。

穏やかな気持ちへと変化させてくれる。

 

「大丈夫だったんデスか? 」

冷泉を見上げてくる金剛。

あまりに金剛との距離が近すぎて、驚きの方が大きい。こんな近い距離で女の子に見つめられた事ってあったっけ? それも、こんな美少女に。 

顔が急に熱くなるのを感じた。そして、思考が凍結し、ドギマギしてしまう。

 

「う、おおう、……あ、あれ? そうだ、高雄は? 」

きちんと答えてあげるべきなのに、関係のない事を口走ってしまう。

 

「ん? 高雄なら執務室でテートクの帰りを待ってマスよ。そもそも艦娘が用事も無いのに立ち入っちゃいけない所なんダヨ、ここは」

 

なるほど。最初に高雄が一緒に来たのは、冷泉を秘書官として連れて来るという命令を受けていたからいたわけで、迎えについては命令を受けていないのだろう。だから、高雄は待っていなかったわけだ。

 

僅かな期間ではあったけど、よく分かった。高雄は規則を守る子だもんな。

 

「そ、そうか。……ん? じゃあ金剛、お前は何故ここに来てるんだよ。お前だって、ここにいちゃダメなんじゃないのか。……っていうか、お前、いつからここにいたんだよ」

今頃気づいたように口走ってしまう。

査問委員会がいつ始まり、いつ終わるなんて冷泉ですら知らなかったし、分からない。開始時間だけが知らされていたけど、場所だって知らなかった。知っていたのは秘書艦の高雄だけかもしれない。そんな状況で、どうやって金剛が委員会を終えた冷泉を迎えることができたのだろう。

 

「テートクがあの部屋に入ってからだダヨー」

 

「え? お前、後をつけてきてたか? 何でそんなことしたんだよ」

 

「それは、Loveのパワーだよ。テートクへの愛の力の前ではprohibited matter(禁止事項)なんて、たいした障壁になんてならないンダヨー」

 

「ふう。でも、誰かに見つかったら、まずかったんじゃないのか」

 

「ノープロブレムです。誰かに見つかったら、その時はその時ネ。それに少しくらいの罰なら、受けたって構わないモン。側にいたからってどうなる訳じゃないけど、……少しでもテートクの近くにいたかったんデス。テートクを応援したかったんダヨ。何も悪いことなんてしてないテートクがいじめられてるのを黙って待ってろなんてできないもん。……ダメだった? 金剛は、いけない子……なの? 」

泣きそうな顔で見上げてくる。

 

そうかそうか。自分の事を心配してくれていたんだ。軍隊において命令違反を犯すなんて重大な違反。それを覚悟の上で待っていてくれたんだ。……本当に、健気で可愛いなあ、と思う。

出てきた感情はまずそれだ。

 

それにしても、金剛は、本当に自分のことを心配してくれているんだなあと感じる。いや、それ以上の気持ちを抱いてくれているのを、鈍感な冷泉でさえ、さすがに理解できる。

 

もちろん、それに応えたいという気持ちは当然ある。

 

自分を好いてくれているし、見た目も可愛いし、性格も良いし、好きにならない理由が見あたらない。

 

けれど、それは無理なのだろう。

 

彼女の自分への気持ちは、錯誤によるものでしかないのだから。

前任の提督への想いを、そのまま引きついでしまっただけにすぎないのだから。彼女は記憶を操作されたことにより、前任の提督と冷泉がごちゃ混ぜになっているだけなのだ。

自分ではない別の人へ寄せていた想いを、疑うことなく冷泉に向けているだけなのだから。

 

「金剛、お前は悪くなんかないよ」

そう言うのが精一杯だった。

自分は彼女を騙している。ずっと持ったままのこの感情。

一体、いつ自分はこの秘密をみんなに話すことができるのだろうか? それがいつになるかは分からない。けれど、今は宙ぶらりんな状態のままでやっていくしかないのだ。

「ありがとう。お前が応援してくれたおかげで、なんとか査問委員会は無事終わったよ」

 

「良かったあ」

彼女の顔がぱーっと明るくなる。

「当然の事デース! 」

 

「金剛、これからも俺を助けてくれよな」

 

「もちろんデース。私に任せてくれれば、すべてばっちり大丈夫です。……でも、査問委員会って結局、何をやるところなの」

突然ボケられて、一瞬言葉を失う冷泉。

何にも分からずに懲罰のリスクを冒してまで待っててくれたのか。それはそれで驚きなのだが。まあ、金剛らしいと言えば金剛らしいのだけど。

 

「まあ、なんだ。この前の戦いでの俺の指揮に問題がなかったかを検証するための場といえばいいかな。そもそも作られたシナリオ通りに演じるだけのモノでしかなかったから、適当にうまくやれたよ。……けれど」

 

「けれど、どーしたんですか」

不思議そうな顔をする金剛に、冷泉はこれ以上の事は黙っておくべきかと一瞬迷った。しかし、彼女には話しておくべきだろうと思い返す。

 

「うん。……お前たちをただの兵器としかみない奴が、委員の中にいてね。なぜ、艦隊全体の危険を冒してまで、神通を助けようとするような真似をしたのかって言われたんだよ。軽巡洋艦程度なら、いくらでも換えが効くだろうって。査問委員会なんだから、当然厳しい批判を受けることくらい覚悟していた。常に冷静に感情的にならないように注意したつもりだった。けれど……あの瞬間、俺は感情を止められなかった。本当なら言わなくても良いことを、あの場で言う必要のないことを言ってしまった」

 

「テートク、ありがとう」

金剛が何故か両眼に涙を浮かべていた。

 

「どうしたんだ、金剛」

 

「あの時、私は神通を置いて撤退するようにテートクが命令するって思ってたの。これまで、あの状況ではそうするのが当たり前だったからネ。けれど、テートクはそうしなかったよね」

冷泉は頷く。

「旗艦を私から神通に移すと言った時、本当に驚いたヨ。一体どうしたのかなって。でも、すぐにテートクの考えが分かった。あなたが神通を見捨てないってことを。そして、さらに自分が一番危険な場所に立つことで、艦隊の士気を高めようとしたことを。そんな作戦、私が知る限りは無かったネ。向こう見ず、無鉄砲、熟考無し。それまでの戦略を知ってる者ならみんなそう思うはず。けれどテートクはそれを選択し実行した。私はそれを間近に見、そして気づいたんデス。あの行動の根底にあるもの……テートクは私達のことを人として見てくれているってことを。とても嬉しかったネ」

 

「当然だろ。お前たちは、今までも、そしてこれからも人間だよ。消耗品なんかじゃない。みんなかけがえのない存在なんだよ。だから、俺は失いたくない」

 

金剛は首を横に振る。

「人は私達を兵器として期待し、そうじゃなければ、恐怖の対象として恐れているネ。形は人みたいだけれど、中身はまるで違うモノだと思っているネ。……まあ実際、人間じゃないのですけどネ。でも、提督は同じ人間として見てくれます。そして、私たちを人として、そして大切に思ってくれている。それは凄く嬉しいコト。その想いに私も応えたいネー。だからテートクがしてしまった事、言ってくれた事を私は支持するネー。これからもずっとずっと、絶対に」

 

「俺を信じてくれて、ありがとう。まあ……これからも俺はヘマをやらかすだろう。だから、金剛。その時は俺を慰めてくれ。俺を叱ってくれ。頼む」

 

「うん、任せて欲しいネー! 」

胸をドンと叩いて少女が宣言する。

 

「……」

金剛の気持ちはとても嬉しく、そして励みになった。胸が熱くなるのを感じ、全身が温まっていく気がする。

 

けれど……。

 

冷泉は金剛のその姿を見て、唐突に胸が苦しくなるのを感じた。

これまで誰にも口にすることの無かった想いがある。こちらの世界に来てから、ずっと不安にさせていた考えがあったのだ。

夜中に一人で事務仕事をしているとき、ベッドに横になり暗闇で天井を見上げたとき、朝目が覚めたとき。その考えは唐突に浮かび上がり、冷泉を本気で不安にさせ、そしてまた忘れてしまう。

それを繰り替えし続けていた。

 

「どうしたんですか、テートク?? 」

唐突に黙り込み、考え込む冷泉を見て、不安げに金剛が問いかけてくる。

 

「なあ、金剛。……たぶん、この先、いつになるか分からないけれど、俺が取り返しのできないような間違いを犯してしまった時は、……お前が俺を止めてくれないか? 」

口をついて出た言葉がそんな意味の分からない事だった。

 

「止めるって? 提督が間違ったことをする訳なんて無いじゃないですカー」

 

「間違っているかそうでないかは、その時の権力者が決めることなんだ。あまり真剣に聞かなくていいんだけど、これはもしもの話、仮定の話でしかないんだけど、……もし、俺が政府に刃向かうことになって、追われる立場になったとしたら、お前が俺を止めてくれないか」

自分でも喋っている事を理解しないまま言葉を続けてしまう。止まらない。

 

「なに言ってるの? そんなの嫌だよ。私はどんな時もテートクと一緒に行くもん。提督の側にずっとずっといるもん。どんなに提督が悪いことをしたとしても、私は提督の味方でいるもんね。提督が地獄に行くというのなら、私も一緒についていくよ。私を置いていったりしたら、絶対に許さないんだから」

冷泉の意味の分からない話にも金剛は本気で答え訴えてくる。常に彼女は冷泉に対して本気で向かい合ってくる。

 

「ありがとう。お前の気持ちは嬉しい。……でも、それはダメだ。お前は戦艦という存在でもあるんだ。お前にはお前の立ち位置、なすべき事がある。お前は金剛という名前の少女であるけれど、戦艦金剛という存在でもあるんだ。お前は俺のためでは無く、国家の為に戦わなければならない。だから、俺が反逆者となった時、お前は俺を討たなければならない。……そして、もし俺が誰か殺されるとするならば、俺はお前に殺されたいんだよ」

 

「そんな仮定の話なんて考えたくもないよ。何訳分からない事を言うんですか! そんなの考えたくもない。お願いだから、そんな悲しいこと言わないで」

そう言って、言葉の途中で泣き出してしまう金剛。

彼女の頬を伝い落ちる涙を見、冷泉は衝撃を受ける。

 

「ご、ごめん。なんで俺こんなこと言っちゃったんだろう。泣かせてしまってごめん。お前を泣かすつもりなんてなかったのに。……そもそも俺が裏切り者になるなんてありえないんだよな……。どうかしちゃってるんだな」

金剛に駆け寄り、真正面から彼女を見つめる。

「すまない。査問委員会で緊張しすぎて、その場から解放されたせいで、おかしくなっていたようだよ。すまなかった。許してくれ、金剛」

 

「本当に本当? 」

 

「ああ、ちょっとどうかしていたんだ。全部本気で考えてる事じゃない」

 

「信じていいんですネ? 」

ボロボロとこぼれ落ちる涙をぬぐおうともせず、彼女はこちらを見てくる。その真剣さにこちらまで悲しくなってしまう。

 

「もちろんだ。ごめんな」

冷泉は無意識とはいえ、こんなに艦娘を心配させてしまったことを本気で反省せざるをえなかった。

 

「絶対に私を置いていかないで下さいネ、約束ダヨ」

 

「もちろんだ。約束する」

そう言って冷泉は右手を差し出し、小指と小指を絡ませる。

 

「約束だからね」

涙をぬぐいながら微笑む彼女に、冷泉は頷いた。

 

ほんの気の迷い。単なる妄想。

つまらないことを口にして何故金剛を困らせてしまったのだろう。冷泉は自分で自分がよく分からなかった。

 

何故そんなことが浮かんだのか判らない。

けれど、冷泉にはそんな未来が見えてしまったのだ。

ただの妄想であればいいのだけれど、そもそも、冷泉はこの世界の人間ではない。

 

異邦人でしかないのだ。

 

しばらくこの世界で暮らしてみて、常に違和感を感じていたのだ。

最大の原因、おそらくは、この世界が戦時下にあるということだろう。冷泉が暮らしていた、平和な日本はここにはない。根本的に自分の考え方がこちらの世界の人間と異なるのではないかという不安だ。

鎮守府司令官の地位を与えられ、どんなにこの世界で頑張ったところで、よそ者に過ぎない冷泉。

この世界は戦って敗北すれば、死しかない。仮に、勝ち続けて出世していけば、今度は彼は他の人々からは煙たい存在になるのではないか? 今の時点でも自分にちょっかいを出してくる人間が多数いる上に、どうしてもそんな連中とは対決姿勢を示してしまい、さらに敵を作っていっているようにさえ思う。そしてそれを止める術を知らない自分。

自分の正義を貫くためにそれは仕方ないこと。それを押し通せるか? ……いや、昔から本当は変わっていない。冷泉は元の世界にいたときもそんなに争うことなんて好まなかったし、極力避けてきた人生だった。けれど、自分の決断で多くの人や艦娘の命運が定まる立場に置かれた現在、……間違いと思うものには徹底的に戦いを挑まなければ、大切なものを守れない。そうして、何かを護るためにどんどんと敵を作り増やし、やがてはその勢力に追われる可能性は、絶対に否定できない。おそらく、それは必然。そして、常に自分が正しくいられるとは思えない。やがては、自分の理想が本来の道をそれ、自分の理想とはまるで異なるいわゆる悪となるかもしれないのだから。

正義を貫く事は、とてつもなく難しいことなのだから。

 

「テートク、絶対、私を置いていかないで。ひとりぽっちにしないで……約束だよ」

抱きしめた腕の中で金剛が呟いた。

 

「ああ、もちろんだよ」

冷泉は優しく囁いた。

その言葉を聞いて安心したのか、金剛の体から力が抜けていくのを感じた。

 

けれど、冷泉の心から妄想ともいえるその想いを打ち消すことはできなかった。

 

 



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第五章 正規空母 加賀編
52話


査問委員会から数日が過ぎた。

鎮守府の現状だが――。

 

第一艦隊は、現在、出撃予定無し。

 

戦艦扶桑は未だ修理は完了せず、ドック入りしたままだ。重巡洋艦羽黒は、入渠待ちの状態となっている。

このため、第一艦隊所属の他の艦娘たちは出撃の機会は無く、港に係留されたままとなっている。

とはいっても、何もせずにいるわけではなく、彼女たちは彼女たちで艦娘ネットワークに接続し、過去の海戦をシミュレートしたデータを使用し、メンバーを入れ替えながら模擬演習訓練を行っている。

 

現在、攻略予定の領域を戦い抜くには、他の艦娘を入れて編成しなおしたとしても、火力的に攻略は困難であるため、第一艦隊を出撃させないことは、やむを得ないことである。

 

第二艦隊については、すでに遠征任務を何度も行い堅実に成果を上げている。

 

本来、第二艦隊の旗艦であった神通の状況についてだけれど……。

先の領域解放戦において大破し治療中だったが、なんとか意識を取り戻し、すぐにでも任務に戻れますと主張するほどの回復ぶりだった。艦本体の修理も完了しているとの報告を受けていたので、早速、艦隊に復帰させるべく手続きを進めていた。

しかし、念のため行った面接で彼女と会話を交わした時、冷泉は彼女の体から発されている違和感を感じ取ったのだ。それはなんと言って良いかは分からない違和感というようなものだった。彼女の全身を巡る気のようなものの停滞が感じられたのだ。

どうしてそんなことが分かったのかは分からない。けれど、一緒に面接に立ち会っていた高雄と比べて、神通の体はどこか濁って停滞しているような感じがしたのだ。

神通本人は全然元気であり、すぐにでも出撃できるように主張するが、どうもその違和感が気になり、彼女の真剣な訴えにも納得できなかった。とは言っても言葉では説明できないことであり、話がなかなか進まなかった。

「仕方ない。じゃあ、俺が直接確認をしてやる」

そう言うと、閃く感覚に身を任せ、冷泉は行動を起こしたのだった。

 

それは、神通を押し倒し、いきなり触診を始めたのだ。

 

「きゃっ! 」

思わず悲鳴を上げる神通。

 

「提督!! 何してるんですか」

驚いた顔で席を立ち上がる高雄。

 

普通、女の子の体をいきなり触るのはセクシャルハラスメントでしかなく、変態扱いをされてもおかしくない行動だ。しかも押し倒したりしたら、確実にアウトだろう。

神通は唐突な司令官の行動に驚き、悲鳴を上げた。同席していた高雄も慌てて上官を制止しようとする。しかし、冷泉は落ち着いた表情で秘書艦の行動を制止した。

「俺に任せろ」

そう目で訴えた。

秘書艦は理解したかどうか分からなかったが、行動を止めた。

 

冷泉が押さえ込んで抵抗できなくくした神通の腹部にそっと触れると、思ったより柔らかいし、暖かくて驚いた。

それはともかく、腹部に当てた掌に少し力を入れただけで神通は激痛にのけぞり、悲鳴を上げたのだった。それはセクハラに対する悲鳴では無いことは明らかだった。続けて両方の掌をゆっくりと、少し嫌がる神通の体を撫でていく。腹部以外にも左肩、右太もも、右足首の部位を押した際に神通は反応し、少し押すだけでうめき声を上げたのだった。

 

「これは、どういうことなんだ? 神通」

冷泉の指摘に顔をゆがめながら、必死に痛みを堪えようとする神通。

「な、なんでもありません。びっくりしただけです。私は、大丈夫です……提督」

 

「嘘をつくな。なら、どうしてこんなに痛がるんだ」

そう言うと、冷泉は掌に力を込める。

「きゃっ、かっ! い、痛い」

堪えきれずに悲鳴を上げる神通。

 

「提督、これはどういうことなんですか」

横で待機する高雄が心配そうであり、不思議そうな顔で、神通と冷泉を交互に見る。

 

「簡単なことさ。神通は大丈夫だって言うけど、それは嘘だ。まだ完治なんてしていないんだよ。外見上は怪我は治っているようだけど、体の深部はまだ治癒できていない箇所があるんだ。俺にはそれが分かる」

 

「そんなことありません。きちんと見て貰えばわかります。私は、完治してます。もう戦えます。すぐにでも艦隊に復帰します」

 

「ふざけるな、神通」

無理に笑顔を作ろうとする神通を、冷泉は一喝した。

神通は驚き、目を閉じて両手で頭を庇うようにして縮こまる。

「万全な状態でないのに、無理をするな。こんな状態で出撃してもお前の本来の能力を発揮できるわけがないだろう! それは他の艦娘にも迷惑がかかることにもなるって分からないお前じゃないだろう」

 

「く……。でも、でも……。私がドック入りしたままでは他の艦娘の治療ができません。私はもう修理完了しています。仮に提督の仰るように未治癒の部分があったとしても、戦いながらでも治せます」

上目遣いで、少し怯えた目で冷泉を見ながらも、神通は反論してくる。

 

「ほほう……。大丈夫、だと? これで大丈夫なのか? ほーらほら。えへらえへら」

そう言って、冷泉は彼女の体のあちこちを押す。

神通は、そのたびに仰け反って悲鳴を上げる。

 

「どうだ、意地を張っても無駄だ。ほらほーら。これでも完治したって言えるのか」

 

「て、……提督、痛い、痛いです。止めて下さい。お願いです、ゆるして、許して下さい、お願いです」

あの我慢強い神通ですら、冷泉が軽く押すたびに彼女の体を刺し貫かれているかのように悲鳴を上げる。冷泉の施術が起こす痛みに耐えられないようだ。

 

「だったら認めるんだ。傷はまだ治っていないと」

そう言って攻撃の手を緩めない。

 

「は、はい。提督……すみません。私が嘘をついていました」

ついに諦めたように認めた。冷泉は頷くと、彼女から離れる。

 

「よーし、だったらちゃんと治るまでドックにいると約束しろ」

冷泉の命令に涙を浮かべながら、それでも仕方なくといった感じで神通は頷く。

「でも、私なんかの為に、第一艦隊が出撃できないままでいるなんて、私、そんなの耐えられません」

乱れた着衣を直しながら、まだ神通は反論してくる。

 

「そんなことは、お前が気にすることじゃないだろう。それは、提督である俺の仕事だ。万全でない者を出撃させることなんて、俺は許さない。他のことは俺がなんとかするから安心しろ。お前はお前のやるべき事をやればいいんだ。……分かるな? 」

神通の姿にちょっと目のやり場に困ってしまうが、なんとか彼女の目を見、視線を下へ逸らさないように、自制する冷泉。

 

「私が……やるべき事? 」

 

「そう。今、お前がなすべき事は体を完全に治すことだ。第一艦隊が出撃できることよりも、神通、お前の回復が鎮守府にとって優先される事項であることをちゃんと理解しろ。何も遠慮することはないのだ。これは命令であり、任務だと思ってくれ」

それくらいはっきりと言わないと、彼女は冷泉の言うことを理解しても納得なんてしないだろう。自分が我慢すればなんとかなる場合、本当に重篤な状態でも我慢するような娘だからな。

 

「これも任務……ですか」

 

「そうだ……。傷を治すことがお前の任務だよ。どうなんだろうか? この任務、お前には難しすぎるかな? 」

少し挑発するように神通を見る。

 

「いえ。任務とあらば、必ず……やり遂げて見せます」

 

「うん。よし、それでいいんだ。すぐにドックに戻り、治療を再開するんだ。高雄、ドックに連絡し、迎えを寄越させるように連絡してもらえるか」

 

「りょ、了解しました」

神通が答える。

 

「分かりました。すぐに連絡しますね」

高雄が素早くドックに連絡を入れる。

 

数分もしないうちに、ドックから迎えの者が到着した。

「では、提督。失礼します」

敬礼をして、神通は部屋を出て行った。

 

「ふう……」

神通が退出し、しばらくしてから、冷泉は大きなため息をついた。

とりあえず、あれだけ厳命すれば、彼女も勝手な行動はしないだろう。命令違反は絶対にしない性格だから大丈夫だとは思うが……。

 

確かに、神通の気持ちも分からなくはない。

動けるようになったから、すぐにでもこれまで遅れを取り戻すために、また、少しでも早くドックを空け、他の艦娘の修理に使えるようにしたいのだろう。けれど、中途半端な状態で、たとえ遠征とはいえ、出撃させるわけにはいかない。

あれだけかなりきつく言ったのだから、大人しく言う事を聞くとは思うのだが、今後も彼女の動向には注意が必要だ。

 

「提督、ご苦労様でした。それと、今連絡があり、神通はドックへに到着し、治療を再開したとのことです」

ドックからの連絡を受けた高雄が報告する。冷泉は頷いた。

「ところで……あの、その」

 

「なんだい? ……高雄」

何故か口ごもる秘書艦の態度に、不思議そうに冷泉が問う。

 

「えっと、先ほどの提督のあの力は一体、何なんでしょうか? その、……神通が治ってないのを見抜いたマッサージみたいなもののことです。あんなの見たこと無いですけれど」

 

「ふふふ、そんなことか。……あれは中国医学とタイ医学のマッサージを用いる氣内臓の流れをくんだ施術なんだよ。根源は導引術になるのかな。まあ俺にかかれば、体の生体エネルギーの流れを読み取ることができ、本来不可視であるはずの、よどみ・滞りを目視することができるんだよ」

自分の能力をきちんと説明することができないので困ったが、喋ってみると全くのでたらめがペラペラと出てきた。ただし、言ってる事は適当だけれど、神通の体の異常な部分が見えたのは事実だ。

 

「え! そんなものがあるんですか。私、全く知らなかったです。私もいたのに、いきなり神通に襲いかかったから、提督が場所もわきまえず欲情したのかと思って驚いてしまいました」

高雄は本気で驚いたようだ。しかし、そんなことをするような人間に見られているのには少しショックを受けた。

 

「ははは。まあ、学生の頃、中国四川省の青城山に迷い込んで、偶然、ある地仙と出会い修行を受ける機会を得てね。……ただ、さすがに治療の段階までは会得できなかったよ。だから、検知することしかできないんだけれどね。治療までマスターしてたら、違う職に就いていたかもしれないんだけどなあ」

これまた、でまかせが滑らかに出てくる。

 

「それでも凄いです。鎮守府司令官にその若さでなれたことだけでも凄い人なんだと思っていましたけど、そんな超能力みたいな力もお持ちなんて、提督!、本当に尊敬してしまいます」

 

「いやいや、照れるな。もしかして惚れちゃったかな? 」

あんまり褒められると、照れくさいので誤魔化そうとする。

 

「いえ、私、……もうとっくに提督に惚れちゃってますから」

当たり前のように真顔で高雄が答えたので、冷泉の方が赤くなった。

「でも、いきなり、神通を押し倒して……その氣内臓ですか? その施術を始めた時、私、提督のなさる事を理解してませんでしたので、……欲情した提督には神通のほうが魅力的なんだと思って、少しショックでした。私の方が胸大きいと思うんですけど、提督は胸が大きい女の子はタイプじゃないのかな、なんて」

と、ぼそぼそっと呟く。

 

「げふんげふん。……さて、と。なんだっけ? 」

結局、何が言いたかったけど唐突な高雄の返しに動揺して忘れしてしまい、ただただ、もごもごするだけだった。

 

高雄はクスリと笑うと、何事もなかったように執務に戻った。

何か気の利いたセリフを高雄に言うべきなのだが、未だ動揺が収まらず、タイミングを逸してしまった。

「コホン」

仕方ないのでファイルを見るふりをする。

 

少し前にそんなやり取りがあって、神通は現在、入院中なのである。

 

ちなみに現在、第二艦隊の旗艦は、神通の代理として駆逐艦不知火に任せている。

神通以外にも軽巡洋艦の艦娘もいるのだが、艦隊の中では不知火が一番適任であると判断し、指名したのだ。彼女も冷泉の期待に十分すぎるほど応えてくれている状況である。

 

不知火のがんばりだけでなく、もともと第二艦隊所属の艦娘たちは神通の下で鍛えられていたようで、旗艦不在の状況でも混乱することなく任務を確実にこなしていってくれている。舞鶴鎮守府の第二艦隊が華の二水戦なんて呼ばれたものでは無いのだろうけど、それに匹敵するんじゃないかというほど、連度は高くまとまっている。

 

遠征とは、ゲームと同じく艦隊を長時間任務に就かせることにより、その報酬として資材などの報酬を得るものである。

輸送、警備、偵察、他艦隊の援護、演習参加、破壊工作などと多岐にわたる。それら任務をこなすことにより得られる報酬は、鎮守府にとっては非常に重要なものである。

 

領域解放ほど得られるものは多くないが、それでも堅実に成果があがる、非常に重要な任務である。

第一艦隊が出撃できない現状、彼女たち第二艦隊が入手してくる資材等が鎮守府の生命線になっているわけだ。

それが無ければ、資材資金不足になってしまっていただろう。

 

「神通が完全回復したら羽黒を入渠させて、扶桑の後には大井を入れて……。第一艦隊の出撃は、もう少しかかりそうだなあ」

独り言を言いながら、ペラペラとファイルをめくる冷泉。

 

手にしたファイルには、要求を上げた艦娘および装備が記載されている。

 

正規空母:加賀

 

要求の筆頭に、書いた名前。それが彼女の名前だった。

現在の舞鶴鎮守府艦隊においてもっとも足りないと考えていたもの。

それは、航空戦力だった。

先の領域解放戦においても、こちらには軽空母祥鳳しかおらず、もちろん、彼女は十分すぎるほど奮戦していたが、いかんせん航空機の数が不足していた。あの時、もう一隻空母がいれば、戦いの結果は変わっていたと冷泉は確信していた。

 

こちらの世界の戦いにおいても、領域内戦闘のみに限定すれば、実際の世界での戦争と同じく、航空機戦力が今後、もっとも必要とされる戦力になると考えているし、そうなるだろう。

ただ、こちらの日本海軍においては、まだまだ戦艦を重要視する傾向が強いようで、戦艦の建造のほうが優先されているらしい。だから、要求するのなら戦艦の方がいいですよ、と秘書艦高雄には進言されたのではあるけれど。……それでも、あえて加賀を選んだのだ。

その希望が叶えられない場合、プロ野球のドラフト会議と同じで、第二順位にしていた艦娘を他の鎮守府に取られるというリスクも覚悟していた。

 

しかし、なんと! 正規空母加賀が舞鶴鎮守府に配属されることが決定されたのだった。

 

要求書草案を作成したときに、秘書艦の高雄には否定されたことが思い返される。

 

「提督もご存じだとは思いますが、正規空母加賀は現在、我が国の空母の中で1,2位を争う能力を誇る艦娘なんですよ。しかも、最強と言われる横須賀鎮守府第一艦隊所属なんですよ。仮に彼女が希望したとしても横須賀鎮守府の提督が手放すわけ無いと思いますけれど」、と。

しかし、どういった政治的力学が作用したかはわからないけど、冷泉の願いは届いた。最強最精鋭の横須賀鎮守府ともなれば、優秀な艦娘でひしめき合っていると聞いている。戦略の見直しで加賀が構想から外れたのかもしれないし、彼女の希望を横須賀鎮守府の提督が聞き入れたのかもしれない。

何にしても、うちの鎮守府にとってはいいニュースだ。

 

そして、冷泉が待ち望んだ、意中の人が本日着任するのだった。

 



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53話

艦娘の着任を迎えるというのは、冷泉がこの鎮守府に来てから初めてだったこともあり、いろいろと考えてしまい、どうにも緊張してしまう。

これは望んでいた加賀という正規空母が来るからだけじゃない。上司として、新しい人を迎えるのはなんだから、やはりいろいろと緊張するものだ。もっとも、着任する加賀も新しい環境に来るわけだから、どちらかといえば彼女のほうがもっと緊張しているだろうけど。

 

鎮守府司令官としては、加賀が舞鶴鎮守府に馴染めるようにしてあげないといけない……。

いかにフレンドリーに、しかし、あまりに馴れ馴れしすぎてもいけない。呼び方からしても注意が必要か。

「うーん。加賀、いや、加賀さん。しかし、もっとフレンドリーに【かがりん】も捨てがたい。【加賀っちで】は馴れ馴れしすぎかな? 」

やって来る彼女をなんと呼ぼうかだけでも悩んでしまう。

 

「提督、あの、一人でニヤニヤしながらブツブツと何事か仰っている姿は……失礼ですが、少し気持ち悪いです」

黙っていた高雄がたまりかねたように窘める。

 

「わっ、聞こえてた? 」

どうやら思考が口に出てしまっていたらしい。

 

「ええ。聞きたくなくても聞こえてますよ。まったく、朝から念仏のように加賀加賀加賀加賀加賀って言われたら、こっちまで頭が変になりそうですよ。はぁ……確かに提督のご希望が叶って嬉しくて仕方ないのは分かりますけど、それにして朝からソワソワしすぎじゃありませんか。せっかく、最近、少しだけですが前より司令官らしい威厳が出てきて、なんだか男らしく格好よくなったってみんなが噂するようになったのに……。もちろん、私はみんなが騒ぐ前から思っていましたが。……なのに、新しい空母が来るというだけで急に落ち着きがなくなってしまうなんて。

それも、鎮守府司令官として新しい戦力を待ちわびるというような感じじゃなく、なんだか恋人を待ち焦がれているような、そんな浮ついた態度で執務中ずっといられると、すみません、端から見ていて、割と本気でイラッとします。

今の状態の提督なんて、私が見てもがっかりしちゃうくらいですから、加賀さんが見たら、きっと失望すると思いますよ。新しい鎮守府に着任して、さあこれから頑張ろうって思ってるのに、自分の上司となるべき人が威厳も何も感じられないヘナチョコ状態だと判ったら、それはもう失望以外無いでしょう。それだけならまだしも、実は自分がスケベな目で見られているって知ったら、本気で幻滅しちゃうでしょうね。加賀さんはプライドが高い人だと聞いてますから、自分が戦力としてではなく、女として値踏みされているなんて知ったら、彼女なら一航戦の誇りが傷つけられたって激怒して、本当に艦載機で爆撃されるかもですよ」

高雄はそこで大きなため息をつく。

「それは冗談としても……まったく、提督、どうしてなんでしょう? 新しい子が来るとなると、子供みたいに嬉しそうにはしゃいで、……そんな提督を見ると、私は心がモヤモヤして、どうしてだか解りませんが胸が苦しくなって、普段なら何とも思わないことにさえ過剰に反応してしまうようになって、なんだか少しだけ冷静でいられくなるんです。すぐにかっかしちゃうんです」

 

「そうなの? 」

冷泉は自分がそんな状態であったことを認識していなかった。まあ、少し落ち着きがなかったのは事実だろうけれど。そして、それ以上に高雄の気持ちを全く知らなかった事に驚きを感じた。

 

「そりゃそうですよ。私が真面目な話をしていても、心ここにあらずといった感じでいられたら、がっかりしますし呆れちゃいますよ。その程度なら、まあ、司令官としての仕事をこなしてくれるのなら我慢もできます。けれど、そうじゃないですよね、提督。この前、島風が着任した時も歓迎会ではしゃぎすぎて飲んだくれ、島風だけじゃなく他の艦娘にも絡んだりするわ、泥酔して二階から転落して入院。鎮守府の事務を2週間以上完全にストップさせましたよね。今回の浮ついた態度は、前の時とほとんど同じですよ。そりゃあ、提督もまだお若いから、落ち着けっていってもなかなか難しいのかもしれませんが、鎮守府司令官という役職に見合った威厳を示すように努力してほしいです。いまの提督のお姿を見ている限りでは、また同じ事になるんじゃないかって、とても心配です」

 

いや、そんなことしたの俺じゃない。俺はその事件の後に、ここに着任したわけだし……。冷泉はそう思ったが、しかし、そんな反論できるはずもなく大人しく俯くしかない。

「なんと言っていいか分からないけど、すまん。……あれは俺も反省している」

と言うしかない。

 

「あ、すみません……。提督を責めるような言い方になっていますけど、本当は愚痴を言いたいだけなんです。それを誤魔化そうと提督に当たり散らしているだけなんです」

慌てて高雄が答える。

 

「? 」

 

「だって提督は他の艦娘ばかり見てて、お側にいる私をまるで構ってくれないから、私が勝手に怒ってるだけなんです。せっかく秘書艦になれたんだから、もっと提督とお話をしたいのに、提督ったら神通とか、不知火とか、金剛とかにちょっかい出してばかりで……。まあいろいろと事件があったから仕方ないという事情も分かっていますよ。はあ……。まあ、それはもういいです。でもでも、やっと落ち着いたと思ったら、今度は加賀さんが来るって! まったく、なんでこうもうまくいかないんでしょうか? 私、もうどうしたらいいかワカリマセン」

最後は頭を抱えるようにして訴える高雄。

 

ふふふ。なんだよ、ヤキモチかよ。高雄、まったく、お前は~可愛いなあ。

そうやって声を掛けて、頭でも撫でてあげれば、軽く抱きしめてあげたりしたら喜ぶんだろうな。

実際、そうできればどれほど簡単なのだろうか。けれど、冷泉にはそれができなかった。

 

それにしても、高雄だけじゃなく、多くの艦娘が冷泉に対して好意を寄せているのが解る。あまり色恋沙汰と縁がない時代を生きてきた冷泉だったが、いくらなんでも彼女たちの気持ちに気づかないほどの鈍感じゃない。しかし、どうして彼女たちが冷泉に好意を寄せてくるかが、まったく理解できないでいた。

確かに、現在は海軍少将というエリートであり、舞鶴鎮守府司令官の立場にある自分は、かつての冷泉よりもモテるのは当然となのは理解できる。けれど冷泉本人の中身は何ら変わっておらず、かつて会社でも女の子からちやほやされるような人間じゃなかった男が、いきなりそんな立場に立たされたとしたら混乱するしかない。今の社会的地位・身分が艦娘達の好意を引き寄せるているだけなのか。……けれど、彼女たちは地位とかに靡くような、そんな軽い子達ではないはずだし。

「ひょっとするとミカサフィルターでもかかってるんだろうか? 」

つい、そんな言葉が出てしまう。

 

「みかさふぃるたあ? 何ですかそれ。……あ! もしかして、まーた女の子の事ですか」

すぐに高雄が刺々しい口調に戻って反応する。

 

「い、いやいや、どうして女の子の話になるんだよ。全然違うよ。あ、でも……違わなくもないか」

その言葉はまた地雷を踏むことになるが、つい口を滑らせてしまう。

 

「! ほーら、やっぱりそうなんですね。どこの鎮守府の子なんですか? ぶーぶー」

頬を膨らませて不機嫌そうな顔をしながら、高雄が訴える。

 

「まあ待てよ。鎮守府も何も、現実世界には存在しないものの話なんだよ。……とある漫画での事なんだけど、ヒロインから見る主人公が通常描写される物とはまるで異なり、見た目だけではなく内面まで美化された存在として映るようになっていることから、変なフィルターがかかっている状態、さらにはヒロインにとって都合の良い発言まで聞こえてくるという状態を指して言う言葉なんだよ。他の人から見たら、実に平凡な容姿性格の人間を特定の人間が見たら唯一無二の存在に思えてしまう現象全般。まあ有り体に言えば、恋は盲目ってやつだね」

 

「はあ……意味は分かりましたけれど、それが私とどういう関係があるんでしょうか」

 

「ずっと思っていたんだけどね、少なくとも何人かの艦娘から見る俺の姿が、そんな風に妙なバイアスがかかった姿で見えているんじゃないかなって思ってたんだよ。俺の姿が実際に見える姿とはまるで違う、美化された存在として見えてしまうんじゃないかって。もしかしたら、高雄もそんな風に見えてるのかもな。だって、俺なんて自分で言うのも何だけど、まず見た目からどこにでもいるようなさえない男だ。たまたま鎮守府の司令官になっているだけで、確かにそれはすごいことなんだろうけど、それ以外は取り立てて評価に値するようなものなんて持ってないんだけどな。それが不思議で仕方ないんだよ。……そりゃ、もちろんお前たちに好意を持たれるのはすごい嬉しいことだけど、でも、なんでだろうって思うんだよ。だから、そんな魔法のようなフィルターでも掛かってるんじゃないのかって言ったんだよ。そうじゃないとおかしいもんな。おかしいだろ? 」

高雄を含め、金剛や神通、島風……叢雲。それから不知火でさえが冷泉に対して明確な好意を寄せてくれているのが言葉や態度から分かった。彼女たちがもし、かつて冷泉が住んでいた世界に存在し、冷泉の部下だったり友人だったとしても、決して今のような態度を示すことなんてありえないだろう。何か理解できない力でも働かない限り、ありえない話のはずだ。これは自虐ではなく、冷静に考えての答えだった。人間、モテ期ってやつがあり、冷泉に現在それが訪れているのかもしれないけれど、それにしたってこの現状はあまりに極端過ぎる異常現象だと思う。ありえない。

 

そして冷泉はいろいろ思考する間に、一番考えたくないことに行き当たりそうになり、必死でそこから意識を逸らそうとする。

……その考えとは、実に単純明快な結論だった。単に自分の前任だった男が艦娘達から好かれていて、突然いなくなった彼を引き継いだ冷泉を彼と錯誤して好きなだけ、ということだ。もし、それが事実ならば、これほど辛いことは無いだろう。冷泉にとっても艦娘たちにとってもだが。

 

だから必死になって目を逸らし、やり過ごそうとするしかない。艦娘達が冷泉に好意を寄せる現象については好意ではなく、信頼であると思うようにすれば、なんとかやっていけるかもしれない……と。

でないと、男として耐えられそうにない。

 

悶々と考え込む冷泉に、高雄は微笑みかける。

「みかさふぃるたー……ですか。仮にそんなものが私にかかっていたとしても、提督の素晴らしさはコンマ1ミリすら変わりませんよ。だって、とっくに好感度のメーターが振り切っているものを何倍したって常に最大値、好感度は変わらないですから。提督はくだらないことを考えないで、もっともっと自分に自信を持ってください」

冷泉の不安などまったく知らない高雄はあっさりと否定する。

「そんな事より、今の提督のお姿を加賀さんに見られたりしたら、もうそれだけで愛想つかされちゃいますよ。今のままじゃ、ただの鬱状態の変態です。仮にも舞鶴鎮守府の司令官なんですから……提督としての威厳をしっかりと示すようにして下さいね。提督の恥は鎮守府の恥。もちろん、あなたの部下である私達艦娘の恥でもあるんですから」

 

「う、そ、それは、大丈夫だ……よ」

高雄の言い方がいつもよりなんだかトゲがあるうえに厳しいから、どもってしまう。けれどもヤキモチ的な反応の中に冷泉を心配する彼女の気持ちが分かり、嬉しかった。彼女自身、自分の気持ちをもて余して混乱していたのに、冷泉が悩んでいる事を知り、言い方に少しトゲはあるものの逆に彼を励まし鼓舞しようとしてくれるんだから。

 

「あ、それから、絶対、横須賀鎮守府の提督と比較されますから、少なくとも恥をかかないレベルにはしてくださいね」

 

「うん、そうだな。気をつける。ところで……横須賀鎮守府の提督ってどんな奴なんだろう? 」

今更ながらだが、会ったこともないし、名前も知らないことに今気づいた。

 

「そうですね。冷静沈着、頭脳明晰、容姿端麗、文武両道、柔和温順、等量斉視、虚心坦懐……。横須賀鎮守府提督には、そのような言葉がすべて当てはまると聞いています」

あっさりと回答される。

 

「ふええ。けど、そんな奴、現実に存在するの? 」

美辞麗句が並びすぎて、あまりに胡散臭い。一部意味の分からない言葉もあるし。

 

「それが存在するのです。現在の横須賀鎮守府を作ったのは、彼の功績が大きいと言われていますし。特筆すべきは、領域解放戦においてほとんど負け無しらしいです。その不敗神話はいまだ揺るぎません。また一部で艦娘使いが荒いという噂はありますが、私が知る限り、どの艦娘も一度は横須賀鎮守府で戦ってみたいと思っているようです。横須賀は、特に優秀な艦娘ばかりが集まっているので、競争は厳しいですが、有能な司令官の下で戦えるやりがいのある職場のようですからね」

 

「なんか、凄いんだね。横須賀はエリート艦娘の集まりって感じなのかなあ」

冷泉も彼なりに頑張っているつもりだけれど、横須賀鎮守府にはとても敵わないなと思わせる説明に、少ししょんぼりしてしまう。

「高雄も横須賀鎮守府に行きたいのかな? 」

と思わず拗ね気味に聞いてみる。

 

「確かに、自分の能力がどこまで通用するかを試したい気持ちはあります。その為には横須賀鎮守府が最適でしょうね。けれど私はここが気に入ってますから、行きたいとは思いませんよ。……うちの子たちもほとんどがそうじゃないでしょうか? みんなここが好きだから、ここが気に入ってるから離れたいとは思ってないと思いますよ」

 

「そうかぁ。ここの雰囲気が気に入ってくれているのか。うん……良かった。みんながここを出て行きたいって思ってるんなら、俺としてもみんなの希望を叶えられるように本気で上に掛け合わなきゃいけないからなあ。もっとも全員の希望を叶えるのは無理だろうから、希望が叶わなかった子のフォローも考えないといけないし」

人事とは大変だ。すべての艦娘の希望を叶えるのは無理だろう。まあそれ以前にみんなが出て行ってしまったら、舞鶴鎮守府は閉鎖になるんだけれど。そうなったら、冷泉は失業だろうけれど。

 

「もう! 」

唐突に高雄が立ち上がり、つかつかと歩み寄ったと思うと、両手を机の上に置き、思い切り顔を近づけてきた。

「もっと自信を持って下さい、提督」

 

「え? どうしたんだ、高雄」

いつになく真剣な顔をしている彼女に圧倒されて、思わず声を出してしまう。

 

「提督は、横須賀鎮守府の提督に負けないくらい、いえ……それ以上に優秀ですし、素敵ですし格好いいんです! それは秘書艦であるこの私が保証します。だから、もっと堂々としてください。それに、私がここが気に入ってるって言ったのは、提督がここにいるからです。あなたがいるから私はここにいたいんです。たぶん、他の子たちだって同じ気持ちです」

少しだけ頬を赤らめてはいるが、彼女は真剣そのものだ。

 

「う、嘘でもそう言ってくれると嬉しいよ、高雄」

彼女の迫力に押されながらもなんとか答える。

 

「嘘じゃありません。本気です! 」

 

「りょ、了解した。お前の俺への信頼はきちんと把握したよ。お前や、他の艦娘たちの期待に応えられるよう今後も精進するよ。すぐには無理だろうけど、横須賀の提督にも負けないくらいの実績を上げてみせるさ」

 

「そうです、その意気です。そのためなら私も微力ながらお手伝いさせて頂きますから」

 

「ああ。期待しているよ」

そう言って高雄に微笑みかける冷泉。

その時、自分が息がかかるほど冷泉に顔を近づけていることに気づいた高雄が頬を赤らめ飛び退くように下がる。

「す、すみません。ちょっと我を忘れて提督に意見してしまいました。申し訳ありませんでした」

 

「いや、お前の気持ちが分かって嬉しかったよ。何も問題ないよ」

 

「な! え、えと、そのですね、わたしが言いたかったのは、私が提督のことを、本気で、す、すいーすんすー……ではなくて、そ、そうですそうです、信頼していると、いうことであって、……ですね」

その言葉をどう捉えたのか高雄があたふたする。

 

「うんうん」

冷泉は面白そうに頷く。

 

「いえ、提督。ちゃんと聞いて下さい」

両手をぶるんぶるんと高雄が激しく振るため、それに合わせて胸部外装もぶるんぶるんと揺れてよろしくない。いや、よろしいのだが、目のやり場に困るので、よろしくない。

 

「大丈夫だよ。ちょっと新しい艦娘が来るということで浮ついていたようだ。……もう大丈夫! 司令官としての威厳を示すようにするからさ」

 

「期待していますよ」

 

「ところで、加賀はいつ到着なんだろう」

冷泉の問いかけに、高雄は自分の机に戻り資料をめくる。

 

「護衛の駆逐艦と共にこちらに向かっていて、あと1時間もしない内に鎮守府に到着するでしょう。こちらからも不知火、叢雲の二人が先ほど迎えに出ていますから」

 

「そうか。ではそれまでは通常業務に戻るとするかな」

 

「加賀さんの到着には私が迎えに参りますので、提督はこちらでお待ち下さいね。嬉しげに港で待ちかまえる真似なんてしないように」

早速、釘を刺された。

司令官たるものが一人の艦娘が着任するからって港まで出向いて迎えるのはおかしいということか。

 

「わかった。大人しく待ってる」

そう答えると、満足げに秘書艦は頷いた。

 

まもなく、我が艦隊に正規空母が来る。

 



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54話

椅子に腰掛ける。立ち上がる。そしてまた座る。それを何度も繰り返す。

しかし、どうにも落ち着かない……。

 

正規空母:加賀は駆逐艦三隻に護衛されて、まもなく到着する。少し待てば、高雄に連れられてやって来る。そして、それを冷泉が笑顔で迎え、ねぎらいの言葉をかける。たったそれだけのことなのに、じっとしていられないほど待ち遠しい。

心がソワソワして冷静になろうとしても無理だ。落ち着かない。部屋を出て、せめて窓から彼女がやって来る姿を確認したいという衝動に駆られてしまう。

それは、仕方のないこと。

冷泉にとって待望の正規空母が艦隊に加入するのだから。司令官としても当然の事だろう。

 

けれど、高雄に窘められたように、確かに落ち着きがなさすぎるとは認識してる。けれど期待だけがどんどん膨らんでいき、我慢できない。

これじゃあ、また秘書艦に叱られそうだ。

働きだしてすぐに止めた煙草が、急に恋しくなった。

こんな時に一服したら、少しだろうけど落ち着くと思う。

 

唐突に扉がノックされ、高雄が入ってきた。

「提督、加賀さんをお連れしました」

そして、彼女はドアを大きく開いて、後ろに立つ艦娘達を招き入れる。

 

背後に駆逐艦らしい艦娘を三人従えて、髪を左側で纏め、白筒袖に青い袴姿の少女が執務室へゆっくりとした歩みで入ってきた。

袴といっても膝より上の丈しかないし、黒のニーソックスを履いている。一応、ゆがけや胸当てをつけいるから弓道の格好をしているとはいえるが、やはりゲームと同じ格好だ。

ちなみに飛行甲板や弓、矢筒は持っていない。

少しつり上がり気味の瞳に憂いをまとい、無表情なために少し冷たそうに見える。

 

全員が執務室に入るのを確認すると、高雄がドアを閉め、冷泉の隣に立つ。

 

それを待っていたかのように、加賀が言葉を発した。

「はじめまして……航空母艦、加賀です。えっと、あなたが司令官なのかしら? 」

彼女は冷泉を値踏みするかのように見つめてくる。そして、少し不思議そうな表情を浮かべた。

 

「ああ、ここの司令官をやってる冷泉だよ。これからよろしく頼む」

すぐにでも加賀に握手を求めよう立ち上がろうとするが、横に立つ高雄が咳払いをしたので、中腰で止まり、再び椅子に腰掛ける。

 

「そうなの……あなたが、司令官……なの、ね」

そこでため息をつく。

「……まあ、あなたには、それなりに期待してるわ。これからよろしくね」

自分の言うべき事は全て完了した、義務は果たしたと言わんばかりに彼女は言葉を打ち切った。次はあなたの番よという感じで腕を組み、冷泉を見下ろす。

彼女の表情は冷泉を試すわけでもなく批判するわけでもなく、ただ無関心な無表情だった。

 

「ちょ……」

横に立っていた高雄が何か言いそうになるが、冷泉と目が合い、

「もう! 」

小声で少し苛立ったような声を出したが、それ以上は何も言わなかった。

 

予想とはまるで違う加賀の態度に動揺しながらも、なんとか事前に考えていた、司令官としての言葉を彼女にかけなければならない。

「俺の方からも頼むよ。慣れない環境だろうから、これからいろいろ大変な事もあると思うけど、頑張ってほしい。ま……とにかく、横須賀からここまでは遠かっただろう? 少し疲れたかな。……。今日はこれくらいで、明日からだな。まあ横須賀鎮守府とは勝手が違うかもしれないけれど、すぐに慣れると思う。俺を含めて……ははは、これは言い過ぎかな。でも、ここにいるのはみんな良い奴ばかりだからな。分からないことがあったら何でも安心して聞いてくれよ」

 

横須賀鎮守府から舞鶴鎮守府までは太平洋を通り、日本列島をぐるっと回っていかないとたどり着けないようになっている。

本来なら瀬戸内海を通り関門海峡を抜けるルートが最短なのだが、瀬戸内海には深海棲艦の潜水艦が頻繁に出没するため、うかつに通過できない危険なルートとはなっている。仮に通ったとしても、関門橋が深海棲艦の攻撃により落とされ、船舶は通行できなくなっている。

瀬戸内海については、呉鎮守府の艦隊が深海棲艦の壊滅のため日夜戦っているのだが、海底のどこかで敵の領域と繋がっているらしく、いくら倒しても次々と増援が現れるため、なかなか勢力下におけずにいる。

さらに本州と四国を繋いでいた橋も全て落とされ、海底に沈んでいるため、それが敵潜水艦の格好の隠れ場所になっている不利もあるようだ。

 

通常海域においては、深海棲艦にとって決して有利な状況ではなく、戦いは敵にとって厳しいはずなのに彼らは撤退せず、逐次戦力を投入して来る。それだけ深海棲艦にとって瀬戸内海には重要な何かがあるのだろうが、それが何なのかは未だ解明されていない。

それが判明すれば、もしかすると深海棲艦との戦いを有利に進めることができるのかもしれないのだが。

 

このため、海上ルートで舞鶴鎮守府に来るためには、四国沖を抜け九州を迂回するルートで日本海に出るしかないのだ。

 

「……ありがとうございます」

加賀の口調は興味なさそうで素っ気なく、おまけに冷たく感じられる。冗談めかして話したところに反応すらしないし。そして、ひいき目に見たところで彼女からは覇気が無く感じられず、やる気もない態度だ。一緒に来た駆逐艦の子達のほうが加賀の態度にどう対応して良いか分からず、キョロキョロと視線をさまよわせている有様だ。

それに先ほどから冷泉と全く視線が合わさない。いや、目線を合わせないのではなく、確かに二人の目線はあっているのだけど、冷泉の遙か向こう側を見ているようにしか思えない。

その瞳はどこか寂しげに見え、もともと綺麗な顔をしているのがより神秘的に見える。

 

「えーと、それから……」

 

「提督、他に話がないのでしたら、今日は疲れているので宿舎へ荷物を置きに行かせてもらいたいのだけれど。……いいでしょうか」

退屈そうに訴えてくる。

これ以上、冷泉の雑談には付き合いたくない。そんな雰囲気が思い切り立ち上っている。

 

「あ、そう? うん、そうか、結構な長旅だったからね。疲れているところ、時間を取らせて済まなかった。話はまた明日ということで。じゃあ、高雄、彼女を案内してあげて……」

と言うしかなかった。

素っ気ないのはゲームと同じイメージなんだけれど、想像していた以上に酷い。とはいっても長旅の疲れもあるんだろう。仕方ない。

それでも何というか、少し落ち込んでしまう。

視線を感じ、隣を見ると、高雄はかなり不満げに冷泉を見ているが……本当は睨んでいるようにも思えたが、言葉には何も出さなかった。けれど結構怒っている。

 

「では、加賀さん。宿舎へ案内しますわ」

秘書艦に案内されて、加賀は軽く会釈をして出て行った。

 

それにしても、司令官への着任の挨拶としてはちょっと酷い挨拶だ。駆逐艦の子ならともかく、仮にも正規空母なんだから、もっと常識ある対応をできるはずなのに、これはどうなっているんだ。横須賀鎮守府では何やってたの?

そんなことを考えると、心の平静さが保てなくなる。

 

ふふん。

 

思わず笑ってしまう。

結構、冷たくあしらわれたって感じだけれども、大丈夫。冷泉は大人の余裕的な笑みを浮かべた。

ゲームで彼女の事はよく知っているんだからな、俺は。

彼女は自分で言ってた……。自分は感情表現が苦手なのだと。

そうなのだ。彼女は照れているだけなのだ。何も問題無い。冷泉の事が嫌いだとか、舞鶴鎮守府には来たくなかったなどというようなマイナスの感情は持っていない。……いないはずだ。

 

「あのー……冷泉提督、よろしいですか」

そんなことを一人ぶつぶつ言っていると、冷泉を呼ぶ声が聞こえた。

 

「あ? 」

驚いて声のした方を見る。見るというか睨んでしまった。

 

「きゃっ」

と、小さな悲鳴のようなものが聞こえた。

セーラー服を着た3人の女の子たちが、怯えたような表情でこちらを見ている。

そうだ、加賀を護衛してやって来た駆逐艦娘の子達もいたのだった。加賀に圧倒されて存在を意図せず忘れてしまっていた。

 

一人ぶつぶつ言いながら、にやけている姿を彼女たちに見られてしまった。

いい大人なのに、しかも鎮守府司令官という立場なのに、割と本気で恥ずかしい。

「君たちが加賀を護衛してきれたんだよね。ご苦労様だったね」

妙に作ったような声になってしまう。

 

「い、いえ。……任務ですから」

一人の駆逐艦娘がおどおどしながら答える。茶色い髪を後ろで二つ括りにしている、まだあどけない少女といった感じの女の子だ。

 

何故、怯えたような態度なのだろうか。自分のどこが怖いのだろう? と考えてしまう。是非ともその理由を聞いてみたいくらいだ。

彼女たちの中では、鎮守府提督という存在は、恐ろしいものなのだろうか。となると、彼女たちの上司である横須賀鎮守府の提督って奴はずいぶんと怖がられているってことなんだろうな。故に同じ提督である冷泉に対しても同様の恐れを感じているのかもしれない。

 

まったく、うちの駆逐艦娘連中とは大きな違いだな。

 

「ところで君たちは……」

冷泉は彼女たちの名前すら知らない。ただ見た目でおおよその見当は付くのだが……。

 

「はい。ご挨拶が遅くなりすみません。私は吹雪型2番艦、白雪です。こっちが吹雪型9番艦磯波で、彼女が暁型4番艦、電です」

どうやら三人の中ではリーダーらしい子が答える。

彼女の紹介にあわせ、それぞれの子が自分の名を名乗り、敬礼する。二人とも白雪よりさらにおどおどしている。

艦娘はゲームみたいな名乗り方するのだな。

 

「今日はご苦労だったね。ところで今日はうちの鎮守府で泊まっていくんだろう? 」

 

「はい。私どもの司令官に、舞鶴鎮守府で一晩お世話になり、帰ってこいと言われております」

と、白雪が答える。

普段は出撃や遠征に追われている艦娘たちには、こういった機会がないと他の鎮守府の艦娘たちと交流するような事はあまりないのだろう。その事を話すとき、彼女たちの顔に笑顔が表れる。

友人とかいるのだろうな。久々の再会を楽しみにしているのだろうか。それともこちらの鎮守府の艦娘との交流を楽しみにしているのか。

 

「そうか。秘書艦の高雄が戻ってきたら君たちを案内させるから、しばらく待ってくれないか」

来客をどう扱うか、どこに連れて行くか、停泊中の艦船の扱いはどうするかなど冷泉は全く分からないので、秘書艦に頼むしかないのだ。

それに帰ってきた高雄と二人っきりにされると、加賀の事で愚痴を言われそうなので、実はありがたいと思っている。

 

「冷泉提督、ありがとうございます。……あの、その、そのですね」

もじもじとしながらも、白雪がこちらを見る。

 

「ん? 何か他にあるのか」

 

「は、はい。あの、そのですね……」

言いかけて、彼女は他の二人を交互に見る。そして、彼女たちは交互に頷き合う。

「……か、加賀さんのことです」

 

「うん。彼女のことがどうかしたのかい」

 

「加賀さんの先ほどの、少し失礼な態度の件を許して欲しいんです。本当の加賀さんはあんな人じゃないんです。誤解しないで下さい」

と白雪が訴えてくる。

唐突に言われた事を理解できない冷泉は、不思議そうな顔で彼女を見てしまう。

少し失礼? その言葉に異議を唱えそうになるが、まあ同僚だったんだから加賀の肩を持つのは当然なんだろうな。

 

「そう、なのです。加賀さんは本当は優しい人なんです。あんな態度するはずないのです。……だから誤解しないであげてほしいのです」

他の二人より少し小さい女の子が訴えかけてくる。左側の髪だけを束ね、右側をおろした髪型をした電って子だ。モジモジしている。

「お、お願いします」

それまで俯いて黙っていた磯波も口を開いた。

 

三人とも怯えながらも真剣な表情をしている。彼女たちにとっては鎮守府司令官という存在は相当に怖い存在らしいのに、それでも言わずにいられないのか、必死だ。彼女たちにとって叱られる恐怖よりも、加賀の誤解を解くということの方が重要なのだろう。

つまり、それだけ加賀が彼女たちから慕われているということなのだろうか。

 

「そんなに心配しないでも大丈夫だよ。第一印象だけで人の評価を決めるような人間じゃないから、安心して」

安心させるように話したつもりだが、はたして通じただろうか。

三人の艦娘は冷泉の言葉に安心したのか、笑顔を見せた。

 

「けれど……」

再び言葉を発した冷泉に、驚いたように三人ともが見る。

「教えて欲しいんだけど。加賀がいつもの加賀では無い……というのなら、こちらに来るまでになにかあったってことだろう? 一体何があったんだ」

 

「そ、それは……」

磯波が口ごもる。

 

「待って、磯波。私が言うから」

遮るように白雪が一歩前に出る。

「実は先の領域解放戦において、加賀さんと一緒に出撃していた赤城さんがボス戦において被弾し、轟沈したのです。赤城さんは加賀さんと横須賀鎮守府でずっと共に戦ってきた仲でしたから、その時の落ち込み様は、とても見てられませんでした。そんなショックな出来事があったので、今は少し心を閉ざしてしまっているのです……」

その時の事を思い出したのか、目に少し涙を浮かべている。

 

仲間の死……。

戦いにおいては逃れられないその運命。

この世界における赤城と加賀がどれほどの関係かは分からないが、親友といっていい存在であることは間違いないだろう。

「そうか、それは辛いな……」

それ以上の言葉は出てこなかった。

 

「でも私達は艦娘です。みんなを守ることが使命なんです。だから、加賀さんもきっと立ち直ります。ですから、冷泉提督、少しだけ、ほんの少しだけでいいから待ってあげて下さい」

そういって深々と頭を下げる白雪。

「提督、お願いします」

「お願いするのです」

二人も頭を下げる。

 

真剣な彼女たちの想いを受け、冷泉は頷くしかなかった。

 

 



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55話

高雄に連れられて、横須賀鎮守府から来た駆逐艦娘たちは来客用の施設へと案内されていった。

 

どうやらこの後、有志で懇親会をやるらしく、冷泉も誘われたので仕事が終わり次第、顔を出す約束をしている。

 

しかし、どう見ても横須賀の駆逐艦娘たちは未成年にしか見えないのだけれど……。特に電なんてどうみたって小学生くらいにしか見えないんだけれど。アルコールなんて飲んで大丈夫なのだろうか。法的にも健康的にも問題ありそうなんだけれど。……まあ、艦娘と人間では体の構造が違うのだろうかもしれないし、そもそもアルコールとか飲むのかどうかも分からないし。

 

一人になった執務室で、冷泉は考え込んでいる。

 

どうしても考えてしまうのは、……加賀の事だ。

しかし、せっかく鎮守府に迎え入れることができた、待望の正規空母なのに、何でこんなことになっているんだろう?

本当なら、加賀を第一艦隊に編入し、航空戦力を大幅にアップできたことで、前回撤退した領域もおそらくは開放できる目処がたったというのに……。

なかなかうまくはいかないものだと、思わずため息が出てしまう。

 

それにしても――。

 

いきなり、慣れない環境に来た上にあの性格だから、ここの雰囲気に溶け込むまでは結構大変かもしれないんじゃないかと心配になる。先ほどの彼女の対応から見ても明らかだが、自分から他の艦娘に話しかけるようなタイプじゃなさそうだ。おまけに、あの横須賀鎮守府正規空母オーラを発散しているから、艦娘たちも近寄りがたいようだし。

ここは司令官として、加賀とうちの子達が交流できる、そういった機会を作ってあげないといけないだろう。

コミュニケーションはどこの職場でも必須だ。そして、鎮守府は深海棲艦と命がけで戦うために存在する組織だ。コミュニケーションの重要性は通常の会社との比ではない。一人でも浮いた存在がいたら、それは即、チーム全体の致命傷となる。

戦う前になさなければならない事は、お互いが相手をよく知り理解することだ。

本当なら、訓練の場や宿舎にいる時、艦娘同士が交流すればいいんだろうけど、今回の場合、相手が加賀だけにどうも自発的にはいかない可能性が高い。

ならば、その為に手っ取り早いのは仕事を離れた場での交流の場を設けることだ。それが上司としての権限を利用し、冷泉が作ってあげる。それが、上司として、まずなすべき事だ。

 

そうだ! 

少しベタではあるが、歓迎会でもやるのが一番簡単なんではないか。

いきなり飲み会というのは、冷泉のいた職場でもパワハラに近いものがあり、題になっていたが、冷泉にはそれしか浮かばないから仕方ない。そもそもそれ以外に何か方法あるのか?

いろいろ賛否はあるけれど、お酒はコミュニケーションの潤滑油になる事が多い。本来は楽しい会話にお酒が入るとより人間関係の潤滑油となるんだろうけど、この際、順番が逆でも、それはそれで真なりである。

それに艦娘たちは冷泉の事をよく知っていることになっているけれど、突然この鎮守府に放り込まれた冷泉は艦娘の全員と話してるわけではない。この機会にそれぞれの艦娘がどんな子かを知るチャンスでもある。

 

「ただいま戻りました」

いろいろ考えている時に、ドアが開き、高雄が帰ってきた。

 

「あ、高雄、ちょっといいか? 」

 

「はい何でしょうか」

何事か依頼があると思ったのか、彼女は早足でやってくる。

 

「今回、新しい仲間が増えたわけだから、ここは歓迎会みたいなものをやろうと思うんだけど、どうだろうか? 」

冷泉としては、とっておきのアイデアを示したつもりなのに、秘書艦の反応は何故だか、いまいちだ。

話が唐突すぎたのだろうか? すぐに補足説明を入れる。

「どうも加賀は自分から輪の中に入っていくタイプじゃなさそうだし、それ以前に、前の鎮守府で彼女は辛いことがあったから、ふさぎ込んでいる。そして、まだ克服できていないようだ。ここは気分転換っていくかどうかは分からないけれど、そういった懇親の場を設けて、何かきっかけを作ってあげるべきじゃないかと思うんだ。辛いことも誰かに話せば、そして聞いて貰えば少しは気持ちが楽になるだろうし、もしかしたら、それがきっかけで心を開いてくれるかもしれないだろう。もちろん、そうなればベストなんだけどな」

 

「ええ、提督の仰る事はおおむね正しいと私も思います。……けれどそんなにうまく行くのでしょうか」

何故だか心配そうに答える。

「どうやら、加賀さんにとっての赤城さんの存在は、私達が想像する以上に大きかったようですし。大切な存在を失った、その傷が癒えるのは提督が思うほど簡単なことではないかもしれませんよ。あの横須賀鎮守府を離れたいとまで思わせるくらいの出来事だったなのですから」

エリート艦娘のみが集まる鎮守府。そこにいた、しかもエース級として戦っていた加賀のことだ。あそこに愛着や誇りをもっていたはず。そして、自分に与えられた責任も。けれど、それらすべてを捨ててでも逃げ出したくなるほど辛い事があったということだろう。

そんな凄い所にいた事はないが、加賀の気持ちについては、想像する事だけなら冷泉にもできる。

 

「分かっている。簡単にはいかないってことくらいはね。けれど、人は後ろばかり向いては生きていけないものだろう? どんなに辛くたって、好む好まざるに関係なく、前に進まなければならないのだから。それでも辛くて耐えられないって言うのだったら、その時は俺や仲間が彼女の手を取り、支えてあげればいいんだ。一人では無理でも、みんなと一緒なら克服できる。乗り越えられない悲しみなんて無いと俺は信じる。人の意識は過去にあってはいけない。今を見、そして未来に向けられるべきなんだと思う。過去は変わらないし、変えられない。人が変えられるのは、未来だけなんだから」

 

「提督、ずいぶんと大きな話を言いますが、まあ否定はしません。私たち艦娘が過去にとらわれていたら、戦うことなどできませんからね。過去の重さに耐えきれないなら、艦娘として生きていられません。すべてを乗り越え、前を向くと言うことには賛同します」

胸に両手を当て、決意するように高雄が言う。この時、思い詰めたような表情をしたのは、何故だろう。

少し疑問を感じたが、それ以上、高雄が何も言わなかったので、冷泉は話を続けた。

「そう思うだろ? で、そのきっかけとして、懇親会なわけなんだよ。ちょうど第一艦隊はドック入りの子もいるから、出撃はできない。遠征中の第二艦隊が明後日だったかな、遠征から帰って来る予定だから、それにあわせてやろうじゃないか。層と決まれば善は急げだ。早速、みんなに回覧を回して、店も抑えておいてくれ」

そこで思いついて、言葉を続ける。

「まずは加賀に話さないといけないよな。すぐ宿舎に行こうか? 」

 

「いいえ、提督がわざわざ出向くなんてあり得ません。特別扱いなんかしてしまったら、外の子に示しがつきません。そもそも用事があるのなら、加賀さんを呼ぶべきです」

そう言うと高雄は受話器を持った。

「あ、加賀さんですか? 高雄です。……提督からお話があるそうなので、お取り込み中、申し訳ないのですが、こちらまで来ていただけますでしょうか」

なにやら一言二言やりとりの後、高雄は受話器を置く。

「まもなく来るとのことです」

 

―――そして数分後。

ドアがノックされて、加賀が入ってきた。

彼女は、入って来るなり冷泉をじっと見る。

気のせいか睨まれているような気がするが、たぶん気のせいだろう。

黙ったままで、何も言わず挨拶すらしてくれない。せめて何で呼ばれたかぐらいは聞きそうなものだけれど。

 

「忙しいところ済まなかったな」

 

「いえ、問題ありません。それに提督のご命令ですから」

仕方なく来てやった、と続きそうな雰囲気。相変わらず抑揚のないしゃべり方。けれども怒っているのか笑っているのか読み取ることができない、その表情。

特に威圧するつもりなど無いのかもしれないけれど、結構迫力がある。

これが正規空母の迫力かと、何故か感心してしまった。

 

「いや、来てもらったのは外でもないんだけどね……」

そう言いながら、椅子から腰を上げる。

「実は明日、君の歓迎会をやろうと思っているんだ。ちょうど遠征中の第二艦隊も明日帰ってくるからね。だから、時間を空けておいて欲しいのだが」

ニッコリと微笑んでみせるが、すこし引きつった笑いになってしまう。

 

彼女は無言のまま冷泉をしばらく見つめると、ため息をついた。

本人はそんなつもりは無かったかもしれないが、話を聞いた瞬間、明らかに失望に満ちた表情をした。

「ごめんなさい」

いきなりの謝罪から加賀の言葉が始まる。

「……歓迎会とかそんなセレモニー的なものは苦手なので、ご遠慮させてもらえますか。わざわざ私なんかのために、他の皆さんの貴重な時間を割いていただくなんて心苦しいです。それに提督……そもそも私などためにそんな気を遣っていただかなくても結構です」

 

「いや、遠慮なんかいらないよ。それに、もう、みんなに回覧回させたし、店も押さえたんだよ。だから……」

と、半分嘘を言う。とりあえず既成事実としてしまえば、加賀もなかなか断りにくいだろうと考えた。遠慮してるなら、もう決まったことだから今更断れない的な雰囲気にしてしまえば、嫌がっている彼女も少しは気が楽だろう。確かに自分一人のために、全体が集まるなんて照れくさいし恥ずかしいし面倒くさい。それは分かる。

 

「そうですか。それなら、仕方ありませんね。……せっかく準備してもらったなら、皆さんで楽しんでください」

と、加賀。

 

「は? 」

冷泉は何か言おうとしたが、彼女の冷たい目で睨まれたような気がして、次の言葉が出てこなかった。

それにしてもあっさりと加賀に断られた。考えたような振りだけは一応したみたいだが。

 

「ええ、そんなあ」

思いがけず、冷泉の口から情けない声が出てしまう。

これには秘書艦高雄も苦笑いをしてしまう。

 

「せっかく誘ってもらったのに、ごめんなさいね。けれど、私の事なんか気にせずに、どうか皆さんで楽しんでください。……ところで提督、用事はそれだけかしら? 」

 

「う……うん」

と、答えるしかなかった。

何か他の用事はないか一生懸命考えたが、何も出てこなかった。そもそも、懇親会に誘うことしか考えてなかった。その他のことはノープランだ。

 

「そう。……だったら、これで失礼しますね」

そう言い残すと、彼女は出て行ってしまった。思いの外ドアが強めに閉められたのは気のせいだろうか。

 

「うわっ。本当に断られた」

頭を抱えるとへたり込むように椅子に倒れ込む。

 

「ふられちゃいましたね。まあ、確かに誘い方がスマートでは無かったかもしれませんね。……それに提督は気づいていなかったかもしれませんが、少しスケベな目で加賀さんを見ていたのもいけませんね。けれども、たとえエッチな気持ちで誘ったとしても……あの物言いは提督に対してあまりにも失礼だと思います」

と、少し怒ったような口調になっている。

「いくらなんでも、ちょっと問題です」

 

「まあまあ。お酒が苦手とか、体調が悪いとか、人前に立たされるが嫌だとか、そういうのがあるのかもしれないから」

いつの間にか秘書艦の怒りをなだめる役目になっている。

 

「ふう、そんなものなんですかね。よくは分かりませんが……彼女の態度を見る限りでは、たしかに、今はそっとしておくしか無いのかもしれませんね。それが正しいかどうかは分かりませんが……」

少し呆れたように秘書艦が呟く。

 

「けれど、せっかく着任したっていうのに、何も無しっていうのも寂しいだろ。飲み会だけじゃなくて、加賀の件はこのままにしておく訳にはいかないからな。まあもう少しいろいろ考えて粘ってみるよ」

 

「提督は、加賀さんにご執心ですね」

と皮肉られる。

少し、加賀にこだわりすぎているのだろうか。

 

「違うよ。せっかくここの一員になったんだから、みんなと仲良くしてもらいたいし、そうでないと、これからやっていけないだろう。あのままでは、彼女はここで孤立してしまうだけだ。確かに、加賀は優秀な正規空母だと思う。けれどどんなに優秀だろうと、空母だけでは戦いに勝つことなど不可能だ。圧倒的と言える航空戦力だって、みんなと連携して初めてその力を発揮できるのだから。……それにそんなことよりも、どんな理由があるにせよ、拒絶されたままだと俺たちも寂しいし、そして加賀も悲しすぎるだろう。このままじゃいけないんだ。……こんな事言っていいのか分からないけれど、俺たちは常に死と隣り合わせの戦場にいるんだ。そこでは、いつ自分が命を落とす事になるかもしれないし、逆に誰かの死を看取る事もあるだろう。そんなと時、なさねばならないことをなしていなかったら、きっと後悔してしまう。それだけは避けなきゃいけないんだ。あの時、ああしてたら良かったとか、ああ言ってたら良かったなんて思い後悔するなんて悲しすぎるだろう? 失ってからいくら後悔したって、何もかも遅すぎるんだ。だから、できることはやっておきたいんだよ。やらなきゃいけないんだ。たとえ、拒否されたとしてもね」

 

「提督のお考えに私も賛成です。後悔したまま死んでしまうとか、誰かを看取ることは、それはとても、……とても辛いことでした。だから提督のお気持ちは、私にもよくわかります」

何故だかその時、高雄の瞳が潤んでいるように思えた。

艦娘として、戦場で戦ったときの事を思い出したのだろうか。それとも、彼女が本当の重巡洋艦だったころのことを思い出したのだろうか?

艦娘に前世の記憶があるのか? それを一度聞きたいと冷泉は思っていたが、聞けずにいた。もしその記憶があったとしたら、悲しい思い出しかないだろう。そんなことを聞いてどうするのか。

「だから、加賀さんに心を開いて欲しいのは私も同じですよ」

 

「……もちろん、俺は誰一人として、死なせるつもりなんてないけどな」

そこで言葉を切ったけれど、本当は、お前たち誰一人として、もう二度と悲しい思いをさせるつもりなんか無い、と言いたかった。けれども、言えなかった。

この先、戦いはずっと続くだろう。

まだ冷泉は実戦経験が乏しい。だから、未来のことは想像するしかないのだが、仮にこれから先ずっと勝ち続けることができたとしても、戦いは苛烈さを増していくのは間違いない。領域を開放し続ければ、当然、より強い敵のいる領域へと進出していかなければならない。そうなれば、より強い敵、困難な任務となり、冷泉の艦隊が全くの無傷で勝利し続けることなど不可能となっていくのだろう。

そして、時に誰かを犠牲にしてでも勝利しなければならないような選択を迫られる場面もあるだろう。それどころか、戦いに敗れ、この前の領域解放戦の撤退時のように、誰かを見捨てなければならない場面に直面することもあるかもしれない。

果たしてその時、今のこの気持ちを維持し、自分は彼女たちを守りきれると断言できるのだろうか。

そう思うと、「絶対に」という言葉を口に出せなかった。

 

今の戦力では、そう遠くない未来に、そのような選択を迫られることになるだろう。

 

このままではいけないのだ。

 

戦力を増やすことは、舞鶴鎮守府にとっては必須。そして、新たな仲間となった加賀を今のまま放っておくことはできない。彼女には立ち直ってもらい、戦力として活躍してもらうようにならなければ、加賀だけでなく、他の艦娘もどうなるかわからないのだ。

そして、思い知らされる。

 

―――自分の無力さを。

 

艦娘たちに頼らなければ、何一つできない自分を。

 

「提督? 提督大丈夫ですか? 」

突然、何か思い詰めたように黙り込んでしまった冷泉を心配してか、不安げな表情で高雄が見つめる。

 

「ん? ああ済まない。少し考え事をしてしまった」

努めて何事もなかったように笑顔を作る。はたして、上手くごまかせただろうか?

 

秘書艦は、安心したように笑顔を見せた。

「いきなり黙り込んだので驚きました。で、さっきの話なんですけどね……」

そう言って少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「懇親会っていうのはいいんですけど、この前の島風の歓迎会の二の舞になりそうな予感がして、私は不安なんです」

 

「うわ、……いや、あれはね、あれ何だよ。そう、そうなんだよ。……はい。もうあんまり言わないでください。反省してますから。もうしません」

まるで記憶のないことを、さも自分の失敗のように認識し、照れて反省する演技をしなければならないのは辛かった。どうしても不自然になってしまうが、秘書艦は気づかなかったようだ。

ほっと胸をなで下ろすが、この演技をずっと続けられるのか不安になる。

 

「私が秘書艦である期間は、二度とあんな事が無いように、しっかりとセーブさせていただきますからね。あ、そういえば、提督がふらふらしないように金剛さんががっちりマークするとか言ってましたし。私も秘書艦として、負けないようがんばります」

妙に力を込めて高雄が宣言をする。

何を頑張るのか、冷泉には分からないけれど。

 

「まあ、それはともかくですね……歓迎会も大事かもしれませんが、次の領域解放戦に向けた準備も必要なので、そのことはお忘れにならないようにしてくださいね」

と、釘を刺される。

 

「心配しなくても、大丈夫。当然、考えているよ。だからこそ、次の戦いで必要となる加賀のことが気になるわけなんだよ。そのためにも加賀には来てもらわないとね」

領域解放戦には、ノルマ的なものがあるのだ。

開放のノルマというものは無いが、出撃ノルマはあるのだ。出撃回数や開放エリア数、撃破数、味方損失、勝率、情報収集……などなど。そういったものが数値化されて鎮守府として採点されることになるのだ。それにより鎮守府としての成績判定が行われ、それに応じて資材などの配給量が変化する。個人の話になると、あまり最下位が続くようだとと、能力無しということで、提督の座を追われることもありうるのだ。そして、成績の優れた者はさらに上のポストへと進むことができるようになっている。

もっとも、鎮守府提督は、海軍の中でもかなり上位のポストなのだけれど。

当然ながら、艦娘も鎮守府の成績に応じて、評価される。何事においても成果主義成績主義となっているのだ。

とにかく、そういった事情もあり、いつまでも第一艦隊を編成せずにいるわけにもいかないのだった。

それに、放っておけば領域は通常海域を浸食してくる。領域解放までは行かないまでも、出撃することにより敵戦力を削り、これ以上の浸食を抑える意味もあるのだった。

 

「そうだ。そろそろ時間だし、横須賀の駆逐艦娘たちの親睦会に行くとするかな」

 

「そうですね。いろいろありましたが、今日の業務は終了しましょう。でも、提督、飲み過ぎにはくれぐれも注意してくださいね」

何故か釘を刺される。

 

「信用がないなあ。大丈夫だよ、顔を出すだけなんだから……」

冷泉は心配そうにこちらを見る秘書艦に、自信たっぷりな笑顔を見せると、親指を立てて見せた。

 

 

そして、話は翌日の午後に飛ぶ……のだが。

 

「はあ……頭痛い。気持ち悪い……」

冷泉は、水が半分入ったガラスコップを両手で握りしめ、グラスの縁を見つめながら苦しげに呟いた。

頭がガンガン痛いし、のどが異常に乾いている。

 

昨日は飲み過ぎた。本当に飲み過ぎた。調子に乗りすぎた。

おまけに途中からの記憶が無いし……。

 

朝だって高雄に起こされなかったら、ずっと寝ていたかもしれない。

 

そして、頭が、猛烈に痛い。

何もする気にならないし、できそうもない。

 

最悪だ……。

 



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56話

「あんなに飲んだら、誰だって二日酔いになりますよ」

呆れた感じで高雄が指摘する。

「お水、おかわりします? 」

冷泉は頷く。

「だってさあ、みんなが俺にビールを注ぎまくるんだから、仕方ないじゃないか」

昨日は懇親会に高雄と共に遅れていったら、すでにみんな出来上がっていて、みんなに絡まれたのだった。

 

「嫌なら、断れば良かったんですよ」

 

「いや、司令官として、部下に酒を注がれたら断るわけにはいかないだろう。挑まれた勝負は、受けなければ司令官である価値が無い。上司として、部下に示しが付かないからなあ」

 

「何をそんなところで格好つけているのか……。あわよくば酔いつぶしてなんかしてやろうってエッチな事考えてただけじゃないですか」

 

「ぶ、無礼な。そんなわけ……ない、無いだろう? ないはずだ」

冷泉は昨日の記憶を辿るが、細かいところまで覚えてない。……記憶が無いなんて、仕事をしているときにさえ、あまり無かった事だ。基本、飲み会は一次会まで。飲むものはビールのみで、日本酒とかワインは口を付ける程度に抑えていたのだった。職場に女性が少なく、おっさんばかりだったせいもあるかもしれない。

ところが昨晩は年頃の女の子ばかりだったため、はしゃいでしまったようだ。飲んで記憶がなくなるということは、脳の海馬が麻痺してブラックアウト現象を発症していたのだろうか。

 

「それでも複数の子を相手にして、全方位戦を展開するなんて兵法においてが愚の愚。下の下の策を弄してしまいましたね。提督らしくありませんね」

 

「だって、まさかみんなあんなに酒が強いとは思わなかったんだよ。特に祥鳳と羽黒だよ。あいつら何者なの……。バケモノだよ。いくら飲ませても全然酔わないし、逆に飲め飲めって五月蠅かったしなあ」

その辺の記憶は、はっきりと残っていた。

 

「うふふふ。羽黒はいつも提督にセクハラの被害を受けて、泣かされていますからね。日頃からずっと思うところがあったんでしょう」

 

「けどね、仕方ないよ。羽黒は反応がおもしろいからついついからかってしまうんだよ」

 

「そういえば、少し前の話ですが、羽黒を廊下の行き止まりに追い込んで、泣かせてましたよね。あれって、ほとんど犯罪でした。とても大人が、それも鎮守府司令官になるような人がやるような事ではないです。外でやってたら、完全に取り押さえられていますよ」

 

「うむむむ。確かに、そうだろうな。けれども、俺の体に封印されしエグゾディアを目覚めさせ、その封印されし檻から引きずり出す、抗いようの無い絶対魔力を、あの羽黒は持っているんだ。彼女を見た時、目と目が合ったその時、その封印が解け、俺の霊力の全力を持ってしても、それを押さえ込むことができなかったんだ。俺だけが悪いんじゃないんだ。あれは運命、あれは必然。我が肉体の奥底にある忌まわしき封印されしエグゾディア……こ、こればかりはどうしようもないのだから」

 

「はいはい。……あの子は気が弱くて大人しい子だから、少々セクハラ行為をしても怯えて泣くだけで怒らないからですね。興奮して制御できなかったんですね。けれど、あんまり度が過ぎると、本当に訴えられて刑務所行きですよ」

真剣に捉えない秘書艦。

困ったものだと、冷泉はため息をついた。

 

「冗談はそれくらいにしてだな、……俺は女の子を泣かすような事なんてしないよ。するはずもない。でも、あの時の事は反省してます。まさかあんなに泣くなんて思わなかったし。ちょっと調子に乗りすぎました」

偶然、廊下で羽黒に出くわし、ちょっと話しかけたら、どういう訳か怯えた表情で後ずさりしたので、どうしたのってさらに尋ねたら、羽黒は小さく悲鳴を上げたのだった。

その姿は怯えた子猫みたいに思えて、その反応が冷泉の心の奥底に封印した野獣を目覚めさせ、止められなくなった。頭を撫でてやろうと思ったら逃げ出したんで、つい本気で追いかけていったら廊下は行き止まり。逃げ場が無くなった羽黒は、なぜかしゃがみ込んで泣き出す。びっくりした冷泉が大丈夫かって介抱しているところを見つかって、確保。変態扱いをされた。

報告書では、目撃者曰く、ものすごくスケベな顔で泣きわめく羽黒に絡みついていた……との事だった。

すべてかなりバイアスが係った、どこぞの新聞のような偏向報道だけれど、何故かみんな本気にした。

あとで羽黒が否定してくれたから事なきを得たが、そのままだと本当に鎮守府から放逐されていたかもしれないという大事件でした。

ゲームとは違い、セクハラし放題という訳ではないのだった。

 

「本当に気をつけてくださいよ。ご自身のお立場をきちんと考えてください。提督という立場なら、みんな逆らえないのですから」

 

「うん。気をつけます」

話したせいか、少し体が楽になった気がする。手にした水を飲み干す。

「ところで……話変わるけど、祥鳳が俺にあんなに絡んできたのは何でなんだろうね。すごく真剣な顔で、私の事を必要と思ってますか? って訴えてきてたし、おまけに泣きだすし」

 

「そんなの加賀さんが着任したからに決まってるじゃないですか。正規空母と軽空母の違いはあるといっても、同じ空母ですからね。特に祥鳳は、うちの鎮守府唯一の空母でしたから。……自分の力が足りないために加賀さんを提督が呼んだんだ。加賀さんが入ったら、もう私なんて用済みなのかも。自分は提督に見放されるとか言って落ち込んでましたからねえ」

 

「そうなのか? そんなわけないのになあ。それは、ちょっと説明不足だったんだろうな。空母は、今後の戦いにおいて非常に重要な役割を果たすことになる。加賀が入ったところで、全然足りないんだが。それにだ……それ以前に、ここにいる子は誰一人としていらない子なんていないんだけどな。みんな大切な部下であり、大切な仲間なんだから。今度、ちゃんとフォローしておかないと」

 

「提督。フォローとか言いながら、セクハラはダメですよ」

妙に冷静な声で秘書艦が指摘する。

 

「んなわけないよ」

 

「だといいんですが。本当に……みんながセクハラだと訴えてくれたらいいんですけど、どういう訳か嫌がらない子……いえ、泣き寝入りする気の弱い子が多いですからね、うちには。けれど、調子に乗ってはいけませんよ。提督には、自重してもらわないといけません」

ほぼ犯罪者扱いのような事を言われている。

何故なのだろう?

 

「やっぱり、提督にお酒は要注意ですね。横須賀の駆逐艦娘たちに絡まなかったのだけは褒めてあげますけど」

どうやら、酔ってはいてもコンプライアンスは守っていたようだ。

 

「あの子たちとは話す時間が無かったからあれなんだけど、加賀の事は何か聞いたのか? 」

 

「その辺はきちんと聞いておきましたよ」

秘書艦が自慢げに胸を張る。

そんなことをしたら、ボタンがはじけ飛ぶんじゃないかと、冷泉は、ひやひやした。

しかし、そういった事は起こらなかったのだが。

 

「で、どうだった? 彼女たちは何か知ってたのかな」

少し残念ながらも、そんな態度を見せずに問いかける。

 

「領域解放の戦いの中で赤城さんが轟沈。愛宕が大破。旗艦長門さん、霧島さん、飛龍さんが中破状態。加賀さんが小破という壮絶な戦いだったようです。横須賀鎮守府の主力艦がこれほどまでの損害を受けることは無かったはずですから、その戦いの激しさがわかります」

 

「戦艦2、空母3、重巡1の布陣だったわけか」

大破した愛宕は無事だったのだろうか? 確か、高雄の姉妹艦だったはずだけれども。特に彼女に変化がないようなので無事だったんだろう。

 

「そうですね。ただ……」

 

「ただ? 」

 

「その戦いについての詳細は、すべて伏せられているとのことでした」

 

「どういうことだ? 海戦の記録はすべてデータベースに納められ、他の艦娘たちがその記録をもとに演習を行ったりするようになっているんだろう? 」

 

「そうです。今回は例外措置らしいです。データは一定期間、非公開らしいとのことです。そして、横須賀鎮守府内においても、その場にいた第一艦隊の5人以外は、何も知らないらしいです。彼女たちには箝口令が敷かれているらしく、鎮守府の他の子たちも詳細は全く知らないとのことでした」

 

「何か漏れては困るような事案があったということなのかな」

作戦が失敗だったとしても、横須賀鎮守府の提督なら隠すようなことなどしないはずだから、他になんらかの事情があったと判断するしかない。それが何だったかは想像もつかないが。

 

「それすら分かりません。我が国の主力空母が沈んだという事実。その詳細を語りたくないのかもしれませんが」

 

「どちらにしても、知りたければ当事者に聞けということだな。そして、それを当事者に聞かないと、現在の舞鶴鎮守府の抱えている問題は解決しないということだからな」

冷泉はその難易度を思うと、ため息をつかざるを得なかった。

「……歓迎会はともかく、次の戦いに向けた会議を開かなければならないよな。それも早急に。加賀の件についてはいろいろあるけれども、加賀無しでは今度の出撃も成功の確率は大幅に下がることになる。彼女の出撃は絶対条件だ。それを前提に、今度の会議を行う。高雄、各人に連絡をお願いする。明日、午後より、会議室において作戦会議を執り行う」

 

「了解しました」

高雄が不安げに応えた。

 

翌日。

 

そんなこんなで、今回出撃することとなる第一艦隊のメンバーを集めてのミーティングを行うこととなった。

扶桑、金剛、高雄、羽黒、祥鳳、そして加賀が次回出撃メンバーとして選んでいる。

まだ入渠中の艦娘もいるが、ほぼ修復完了であるため、人型である本人は出席可能である。

今回の出撃の旗艦は、現在、秘書艦である高雄となる。

 

会議室は提督の執務室の階下にある。

会議机を囲んで、すでにほとんどのメンバーは集まっている。予定の時刻を20分ほど超過した状態である。冷泉たちは一人の艦娘を待っていたのだった。

 

そう、正規空母加賀だけが、未だに会議室に姿を見せていなかったのだった。

高雄があたふたと加賀の部屋に電話をするが、誰も出ないようだ。

 

「一体どうしたんデスか? 」

不満げに金剛が呟く。

 

「高雄さん、加賀にはきちんと連絡できたんですか? 」

 

「ええ、直接部屋を尋ねて、伝えています」

扶桑の質問に高雄が答える。

 

「けれど、もう20分も経っています。流石に遅いですね」

 

「あの、……私が見てきましょうか? 」

祥鳳が不安げにみんなを見回し、提案する。

同じ空母ということで、何故か責任を感じているようだ。

 

「祥鳳、お前が責任を感じなくたっていいぞ。……すまないけど、みんな、もう少しだけ待って貰っていいか」

 

「はい、すみません。わかりました」

 

「まーテートクがそういうなら待ってもイイですヨ」

特に気にもしてない感じで金剛が会話に割ってはいる。

他の艦娘も頷く。

 

冷泉の提案でとりあえずは待つことにしたが、時間は経過するだけで、一向に現れる気配のない加賀。

 

そして、沈黙のまま、ついには一時間が経過した。

 

「……さすがに。これは酷いですね」

ずっと黙っていた扶桑が口を開いた。

「前日に伝えたはずの時間を一時間経過しても現れない。そして何の連絡も寄越さない。これは少し酷すぎます」

 

「OH! 扶桑が怒ってマスネー!! 」

相変わらず、普段は脳天気な奴が反応する。

 

「金剛、茶化さないで。……私が言っているのは、加賀の態度が提督に対してあまりに失礼だからです。これほど提督が気を遣ってくれているというのに、酷すぎませんか」

 

「うーん。そうダネー。約束守らないのは良くないネ」

 

「すみません。秘書艦としてもう少しきちんと言っておけば良かったんです」

高雄が謝り始める。

 

「高雄は悪くありません。けれど……」

そう言って、扶桑は冷泉を見る。そして黙り込む。

多分、冷泉に何か言えと言っているんだろうが、何て言えばいいのか困惑してしまう。

「いや、その。なんだ……。加賀にも何か事情が……」

 

「提督のその優しさが、彼女を増長させているのかもしれません」

 

「いや、扶桑。お前はそう言うけどな、彼女だっていろいろ辛いことがあったからな」

そういって何故か加賀を庇うような事を言ってしまう。

 

「テートク、加賀の肩を持ちすぎネ。私もあんまり人のこと言いたくないケド、加賀は協調性がなさ過ぎダヨー。宿舎でもいろいろ揉めてたみたいなんだよ。今のままじゃ、トラブルメーカーにしかならないネ」

珍しく批判するような感じで金剛が口を開く。

 

この言葉のきっかけに、騒がしくなった。ついにはみんなが抑えていた感情を吐露し、怒り出したようだ。着任した日に宿舎でもいろいろ揉め事があったようだ。そして、今回の無断欠席だ。舞鶴鎮守府にとって非常に重要な領域解放戦のミーティングの重要さを知りながら、それを無視するその態度を誰もが理解しがたいのだろう。口々に不満を言い出す艦娘たち。

 

ただ一人、羽黒が困った顔で「あの、その……ごめんなさい」と言いながら、あたふたしている。

 

「まあまあ、落ち着け、みんな」

そう言って場を納めようとするがどうもうまくいかない。

 

「提督、言わせて下さい。確かに同僚艦を失った事については、同情に値します。私達も同じ艦娘だから、その辛さは痛いほど分かります。けれど、それはいつかは、自分の中で整理していかなければならない事なんです。みんなそうやって来ました。……戦いの為に生きる私達はそうしなければ生きていけない。……一人だけ例外扱いはできません」

 

「いや、扶桑。そうは言うけどな」

 

「提督、私も同じ意見です」

高雄が追随する。

「ここは、秘書艦としてはっきり言っておきます。領域解放戦に行かなければならないというのに、肝心の加賀さんが来ないなんて信じられません。彼女はどういうつもりなんでしょうか。……精神的に厳しい状況というのなら、せめてこの場に来て、提督に、いえみんなに事情を説明すべきじゃないのでしょうか? 私達が納得するかどうかは二の次です。誠意を示すべきだと思うんです。もちろん、辛いのは分かりますが、特別扱いはできません」

 

「そうダヨネ。みんな同じなんだよ、テートク。私達は、みんな同じような思いをしていきて来てるんだから。加賀だけ特別はノーだよ」

 

みんなが言うことも冷泉には理解できる。戦う為に生まれた存在が艦娘。それが戦うことができなくなったというのか?

まさかね。

 

「お前たち、まずは落ち着け。少し俺も考えたいことがあるんだ」

 

「なんですか? 」

と、高雄。

 

「なぜ加賀が関わりを拒絶するのか、をだ。すべては前の戦いで正規空母赤城が沈んだことに行き着くと思われる。ならば、正規空母赤城が沈んだ戦いの考察をしたいんだ」

そして秘書艦を見る。

それだけで意志が通じたのか、高雄は頷くと話始めた。

 

「サーバにあるデータによると、1ヶ月ほど前の領域解放戦で、赤城さんは沈没したとの記録がありました。

某月某日。

15:17 敵艦隊撃破

15:18 領域解放

17:12 赤城沈没

となっています。

領域解放よりだいぶ時間が経過しての沈没となっていますが、これは赤城さんが戦いで大破し、その後、ゆっくりと沈没したと思われます。加賀さん以外の戦艦。重巡洋艦及び空母は中~大破の大ダメージを受けていました。それほどの激戦だったようです。ただし、その時の戦闘データには、みなさんもご存じのように、現在、データ整理中のためアクセスできない模様。分かるのは結果だけとなっています」

 

「俺が思うに、そのあたりに何かがあるんじゃないかって思っているんだ。そうでないと納得できない」

 

「何のことだかチンプンカンプン」

 

「金剛は考えなくていいから」

扶桑は金剛の言葉を遮る。

「提督は何をお考えなんです? 」

 

「いや、加賀は横須賀鎮守府において第一艦隊でずっと戦ってきたわけだろう? だったら、仲間の死とかにも何度も遭遇しているはずだよな」

 

「そうですね」

 

「だったら、たとえ親友の死であろうとも、横須賀鎮守府の第一艦隊の地位を捨ててまでそこから離れたいと思うだろうか? 親友が死んだのなら、彼女の分まで頑張ろう、頑張らなくてはと思うんじゃないかって思うんだよ。何度か話して思ったけど、加賀は相当にプライドが高いようだ。そんな彼女が、横須賀での責任ある立場を放ってまで逃げようなんて思うはずがない。きっと、責任を放置しても仕方ないほどの理由があると思うんだ」

あくまでそれは冷泉の引っかかりだけでしかない。単なる違和感でしかなく、実際は親友が死んで、悲しくて怖くて逃げただけかもしれない。

けれど、きっとそうじゃない。

 

「一体そんな事があるんでしょうか」

半信半疑の扶桑。他の艦娘たちも同様だ。

 

「それが領域解放から赤城沈没までの空白の時間にあると思う。とにかく、この件については、俺にしばらく任せてくれないか。領域解放戦の第一期限まではそれほど時間が無いけど、彼女を説得してみるから」

 

「提督、もし無理な時はどうするのです」

扶桑の問いに関しては、

「俺を信じてくれ」

と言って頭を下げるしかなかった。

 

そして、冷泉はミーティングを打ち切った。

 

口々に不満を言う艦娘たちもそこまでされたら、引き下がるしかなかった。

 

 

 

 



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57話

しばらくは、加賀に付きまとう日々が続く事となった。

それもかなりしつこいくらいに……。

 

それは、食堂で、港で、とにかく鎮守府のあちこちで―――。

彼女を見つけ次第、冷泉は、さりげなく、それもあたかも偶然を装って彼女に近づいたのだった。

その時に冷泉が話す事は、横須賀鎮守府にいた頃の領域解放戦の話などではなく、加賀を歓迎会に招待する件だ。

 

最初は、前に誘った時と同じように、少し冷たい視線を冷泉に浴びせながらも、丁重に断りを入れていた彼女も、あまりにもしつこい誘いに我慢の限界が来たのか、

「さすがに、頭に来ました。もう! 提督しつこいです。何度お断りすれば分かるのかしら? いい加減にしてもらえませんか? 」

 

「ふふふ。やっと感情を見せてくれたね」

かなりきつい言い方をされているのに、冷泉はまるで堪えていないように、ニヤニヤと笑っている。どちらかといえば、嬉しそうにさえ思える。

 

「わりと怒ったりしていたんですけれど……それは、伝わりませんでしたか。提督は、結構、……鈍いのですね」

冷泉には通じないと分かっていながら、皮肉を言うしかなかったようだ。とても自分の上司に対して言うような言葉、喋り方ではない。

 

「いや、せっかく新しい仲間が来てくれたのに、その歓迎会をやらないのはおかしいだろ? それに同じ鎮守府の仲間として懇親を深める必要だってあるし。いろんな弊害はあるかもしれないけれど、やはり、お酒は人間関係の潤滑油になるんだよな。これは本当に」

 

「ですから、お気持ちだけで結構ですと言ったでしょう。私のために、みなさんの貴重な時間を無駄に使わせるわけにはいきませんから」

 

「無駄じゃないよ。これは加賀だけのためじゃない。みんなの為でもあるんだよ。みんな加賀と仲良くなりたいんだ。けれどうまくいっていないようだ。何でもいい、とにかく何かきっかけが必要なんだよ。……お前、ここに来てからほとんど誰とも話していないだろ? 」

 

「私を監視していたのですか? ストーカーにでもなられたのですか」

 

「そうじゃない。お前は俺の部下だ。新しくやって来た部下が他のみんなと馴染んでいるかは気にして当然だろう? 」

 

「私は、誰とも問題を起こしていませんけれど。確かに、他の子と馴れ馴れしく話したりはしていませんが、それについて何か問題があるのですか」

宿舎で揉めたことを忘れているのか、そもそも認識していないのか。彼女の表情からは全く読み取れない。

 

「そうじゃなくてさ、ずっと見てたんだけど……」

 

「……やはり、監視していたのですかね? 」

感情を抑えたような表情でこちらを見てくる。

その瞳に少し、どきりとするが表情には出さないようにし、

「まあ、ずっと気に掛けていたと思ってくれ。……お前、うちの艦娘の誰とも、絡むことが無かったよね。本当に必要なこと以外は全く話していない。少なくともお前から話しかけることは無かったと思う。せっかくお前に話しかけても素っ気ない対応じゃ、誰とも仲良くなれないだろ。せっかく同じ鎮守府の一員、仲間になったんだから、もっと他の子と打ち解けて欲しいんだよな、俺としては。正規空母のお前に話しかけづらいって子もいると思うから、できればお前のほうからもアクションを起こしてもらえたら、嬉しいんだけれど」

と言って、微笑んでみせる。

 

「一つ聞いて良いですか? みんなと打ち解けたら、戦いに勝てるのですか? 」

 

「そりゃ、何事もチームワークが大事だからね。話し合うことでお互いが何を考えているかを知る事ができる。そうすれば戦いにおいても阿吽の呼吸で動けるだろう」

 

「提督の仰ることも一理あるとは思いますが、それがどの程度、戦いに有利となるかのデータを提示してもらえますか? それが納得できるものでしたら、私も提督のご指示に従わざるを得ませんけれど」

 

「データなんてないよ」

と、あっさりと認める冷泉。

 

「具体的なデータや、根拠は無いということですね。あくまで経験に基づく推論ってことかしら。あきれてしまいます。まったく話になりませんね。ならば、私は今のままで行かせてもらいます」

 

「ちょ、ちょっと……。なあ、なんでみんなと仲良くしようとしないんだよ」

話を打ち切られそうになったので、慌てて声を上げる。

 

「では、根本的な事を伺います。他の艦娘と仲良くしてもしなくても問題は無いのではありませんか? 仲良くすることにより勝率がどの程度上がるかのデータの提示ができない限りは、提督の仰る事は推論でしかないのですし。あやふやなものの為に無理をするデメリットの方が多いように感じます。そもそも、私たちは深海棲艦を斃せばいいのですから。提督はそれ以上何が必要なのですか……」

どう考えても屁理屈にしか思えないのだが、データを示さなければ加賀は説得できない感じがする。

 

「それじゃあ寂しすぎるだろ? お前たちは機械じゃないんだから」

 

「私は、ロマンチストではありませんから。人型にされ、感情らしき物を持っているように見えるかもしれませんが、それはあくまで人間とのコミュニケーションのための手段として与えられた物でしかありません。本体は航空母艦たる船体のほうです。私の本質は、敵を倒すための兵器です。ゆえに勝つために不要となる部分は、切り捨てています」

 

「お前の考え方はわかったけど、とにかく、舞鶴鎮守府に来たからにはここのルールに従ってもらうぞ。お前はもっと心を開いて、みんなと仲良くするんだ。それから、……とにかく歓迎会に参加しろ。とにかく、それが最優先なんだから」

もはや説得でも何でもない状態になってしまった。

 

「ふっ。お断りします」

 

頭に来た冷泉がいろいろとわめいたが、彼女はまるで聞こえないかのように静かに一礼して部屋を去っていった。

 

 

次の日。

天気は快晴。

 

突堤に一人佇み、海を見つめるの加賀を見つけた冷泉は、足音を忍ばせて接近を試みる。物陰に隠れるように、あたかもトカゲのようにこっそりと這うように近づいて行く。

しかし、加賀はすぐに冷泉の存在に気づいたのか、こちらを見る。

冷泉を見るその瞳は、恐ろしく冷たい。

 

何事も無かったように冷泉は立ち上がると、ズボンの膝の辺りはパンパンとはたく。

「やあ、奇遇だね、加賀。お前、こんなところで何してるの」

驚かそうとしたのに作戦が失敗したため、残念そうに言葉を発する。

 

「別に何もしていません。ただ、海を見ているだけですが」

そういうと再び遠くを見つめる。その瞳はなんだか寂しそうだ。

 

「そうかあ、そうだよな。海はいいよなあ。広いし青いし。……深海棲艦がいるかもしれないから無理だけど、こんな天気の良い日なら、泳いだりしたら気持ちいいんだろうな」

 

「海は特別な感情を抱く場所ではありませんから、わかりません。私は、提督のようなロマンチストではないものですから」

 

「そっか。ところで、お前、いつも一人でいるよな」

 

「またその件ですか。提督がどう思われているかは知りませんが、私は一人でいるほうが気が楽なんです。……群れるのは、嫌いです」

 

「その気持ち、俺も分からなくはないよ。誰だって一人になりたい時ってあるもんな。けどなあ、それがいつもとなると、なんて言うか、寂しくなる時もあるよな。……お前、寂しくないか」

 

「兵器に【寂しい】とか、そんな感傷的な感情は不要でしょう。元々持ち合わせていませんし、持つ必要の無い物ではありませんか? 」

 

「俺は、そうは思っていない」

 

「……そう思うのは、提督のお考えです。私がどうこう言えるような話ではありません」

故に、自分の考えにもいちいち文句を言うなという口ぶりだった。

 

「なあなあ、ちょと聞いてもいいか? 」

まるで堪えない冷泉は、興味半分で気になっていたことを聞こうと考えた。

「お前さあ、もしかして、まさか横須賀でもそんな調子でいたのか? さすがにそんなことは無いだろう? 」

 

「あそこでのことは、もう忘れてしまいした。もし知りたいのでしたら、あちらの提督に問い合わせれば良いではありませんか」

その時、一瞬だけではあるが、彼女の表情がものすごく寂しそうに見えた。

 

「できれば、お前から直接聞きたいんだけど」

実は問い合わせたけれど、あっさりと断られていた。それは内緒にしておかなければならない。

 

「すみません。何もかも忘れました。……それから、提督。ずっと言おうと思っていたのですが、私の事をお前お前と気安く呼ばないでください。提督はそう呼ぶのが普通なのかもしれませんが、私と提督の間には、そんな風に呼ばれるほどの親しい関係が構築されているわけではないのですから。……はっきり言って不愉快です」

 

「ふっ……なかなかお前は気が強いな。それはともかく、加賀は横須賀鎮守府の第一艦隊に所属してたんだよな。高雄の話では我が国最強の艦隊なんだろう? さすがにその時は、仲間とコミュニケーションとか取ってたんじゃないのか」

 

「すみません、提督。忘れたと言ったはずですが。それに、過去の私を知ってどうするおつもりです? 所詮、過去は過去でしかありえませんし、今は今です。私の過去を知ったところで、今の私は何も変わりません。無意味なことだと思いますが……」

 

「それはそうかもしれないけれど、知りたいんだよ俺は。何故、横須賀鎮守府にいた時のお前と今のお前は変わってしまったのかを」

かつての加賀がどんなだったかは想像もつかないが、少なくともこんなぶっきらぼうで投げやりな態度はしていなかったはずだ。

 

「そんなこと答えるつもりはありません。そもそも、そんなことを知ったところで、提督に何の利があるのですか」

 

「あるさ、あるある。大いにある。お前は俺の部下なんだぞ。俺は、部下の事はできる限り知りたいし、知っておきたい。知る必要がある。いや、知らなきゃならない……それじゃダメなのか」

 

「ただただ、気持ち悪い。その一言です」

吐き捨てるように加賀が呟いた。

 

「ひどい」

真顔で言われた冷泉は、ショックのあまり思わずそんな言葉が口から出てしまった。加賀みたいな美人の子に、真顔で言われるとここまで精神にダメージを与えるのかと衝撃だった。

 

少し頭がくらくらする。

 

「申し訳ないのですが、これ以上、私に構わないでください。あなたが司令官だから、一応お相手していますが、あまりにしつこいと私もそれ相応の対応を取らざるをえません」

どう見ても本気で言っている。

 

「ほっておけるわけ無いだろう。お前がどう思おうとも、本気で嫌なのかもしれないけれど、お前は俺の部下なんだから。お前にはこの鎮守府で更なる活躍をしてもらいたいと思っているんだから。お前の存在ありきで、俺は今後の鎮守府を行く末を見ているんだ。お前抜きではもはや舞鶴鎮守府は立ちゆかないよ」

 

「期待されるのは、一応、ありがたいですが……残念ながら、私は提督のお役に立てるようなことは何もできません」

 

「そんなわけないだろう? お前は、鎮守府唯一の正規空母なんだ。うちの艦隊に不足している航空戦力を補うために、是非とも頑張ってもらいたいんだよ」

 

「ふん、提督は艦娘を武器としてみていないと仰りましたが、結局、私を武器として見ているじゃないですか。所詮は、他の人間と同じ口先だけの人でしたね。はあ……けれど、それは仕方ありません。まあ当然のことですけれどね」

 

「お前は武器ではないし、俺もそう思っていないぞ。俺は、お前を大切な仲間として見ているんだ。だからこそ心配するし、嫌がられてもこうやって説得しているんだ。俺だけじゃない、他の艦娘たちもみんな心配している。みんな同じ仲間なんだからな。それと……友を失った悲しみは、みんな分かっている。けれど、いつまでも悲しんでばかりはいられないだろう。俺たちには、なさねばならない事があるのだから。」

 

「ふふん、どうとでも言えますね。まあ何にせよ、どうでもいいことです。もう全てが終わってしまった事ですから。さて、他に誰もいないことですし、提督には、……いえ、あなたには……ここではっきり言っておいた方が良いようですね。これ以上、しつこくつきまとわれても困りますし、提督も私のために今後の業務に支障を生じるようではいけませんから」

 

「ん? 一体なんだい」

 

「それでは、はっきりさせておきますね。残念ですが、私は二度と戦うつもりはありません。もう二度と領域に出るつもりはありませんから」

その衝撃的な一言に言葉を失う。

 

艦娘とは人類最大の敵、深海棲艦という謎の敵と戦うために生み出された(降臨した)存在である。それが戦いを否定して、この先、一体どうするというのだ。

もちろん、戦いなんてしなくて良いならそれに越したことはない。冷泉だって、本音の所、彼女たちを死地にやることなんてしたくない。しかし、深海棲艦と戦えるのは今の人類には彼女たちしかないのだ。やらなければ人類は対抗するすべがない。じり貧になり、次第に勢力を失い、やがて滅亡するだけだ。

 

それは認められない。

 

そして、今は戦時下である。加賀は軍艦である。

議論などするまでもない。

嫌だと言ってやめられる訳がないのだ。軍に関係するものであるから、戦わざるをえない。

それが義務であること。誰でも知っていることだ。

 

「そんなこと言ったって、認められる訳がないだろう? それが分からない立場じゃないだろう」

 

「もちろん、そんなこと理解しています」

 

「じゃあ、どうするつもりなんだ。もう二度と戦えない、戦わないと言ったところで、それが認められる訳がないだろう」

 

「戦うことのできない艦娘は、艦娘としての存在価値はありません。武器として使えなくなったものは人間にとっては、資材を浪費するだけの不要なガラクタでしかないでしょう? ですから、解体でもなんでしていただいて結構です」

 

解体処分ということは、その船自体の消滅を意味する。船が消滅すると言うことは、その分身たる人の消滅を意味する。

つまりは、……双方の死を意味する。

 

解体された艦娘は、普通の女の子に戻ることは決してない。

 

「な! 」

冷泉は言葉を失った。

「解体されるってことは、死ぬことと同じだぞ。そんなことどうして言うんだ」

 

「私たちは自ら死ぬことはできません。だから、戦って沈むか、解体されるかしかないのです。艦娘はその本質は軍艦です。だから戦えなくなったものは、生きている価値が無い。戦いの中で沈むことができない。ならば解体処分するしかないでしょう。横須賀の提督は私の事をよく知っているから、解体するという判断ができず、私を放置していました。けれど、あなたなら私とは何の関係も無い人です。決断するのにとりたたて躊躇するような理由は無いでしょう? 」

 

「俺にお前を殺せと言うのか」

 

「悪く言えばそうなりますね。どっちにしたって役に立たない大食い空母を鎮守府に置いておくわけには行かないでしょう? どうも横須賀と違い、ここは資材に恵まれているようには見えませんから。解体するのが嫌ならどこかの鎮守府に放逐しますか? けれど戦うことができないこんな空母、どこの鎮守府も引き取ってはくれませんよ。鎮守府の資材の無駄遣い覚悟で、ただ朽ち果てるまで港に私を係留でもしておくつもりですか」

 

「そんなことできるわけないだろう。どれもこれも、みんな却下だ。お前は俺の部下だなんだ。一度、俺の部下になったからには、もう二度と悲しませるような目には遭わせない。どんなときでも俺が必ずみんなを護るって決めているんだ。どんな理由があっても、死なすような真似なんてできるはずがないだろう」

 

「ふん、お気の毒さま。だったら、ずっとこのままね」

サイドテールの髪をかき上げて、冷泉を一瞥すると、加賀は去っていこうとする。

 

「ちょっと待てよ」

慌てて、加賀の腕をつかむ。それは思った以上にか細かった。

 

「ちょっと、痛い! 離してください」

腕を左右に振って、冷泉の手をふりほどこうとするが、そうはさせない。

 

「嫌だ。ここでお前を行かすわけにはいかない」

少し力を込めて彼女の腕を掴む。

 

「離して! 離しなさい」

振りほどけないことに苛立ちを隠さずに、加賀が睨む。その眼光は冷泉をたじろがせるほどのものだが、ここで引き下がるわけにはいかない。頑張って睨み返す。

 

「なあ、加賀……頼むから本当の事を言ってくれ。どうしてそんなに、頑なに俺たちを拒むんだよ。理由も分からないままで、納得なんてできるわけがない。赤城が戦いの中で沈んだというのは聞いた。お前の親友だったんだってな。それがどれほど悲しむべき事か、俺でも少しは分かる。けれども、戦いを拒否し、自分を解体してくれというまでになってしまう理由が分からないんだ。それを教えてくれるまでは、お前を帰さない」

 

「……そんなことを聞いても、仕方のない事でしょう」

 

「友達を無くしたショックは理解できる。本来ならお前達には関係の無い、人間と深海棲艦との戦いに自分の意志と関係なくかり出され、そんな中で沈んだ赤城のことは残念だと思う。悲しいことだと思う。けれど、どうして戦いを拒否し、それどころか死を選ぶとまで言うんだ? 戦争はとても悲しいことだし、その中で誰かを失ってしまうことは辛い。それは分かる。だけど……」

 

「あなたたち人間に私の気持ちなどわかるはずもありません。しょせん、人間と機械である艦娘は理解し合えるはずがないのですから」

 

「そんなことはない。今だってこうやって意思疎通を図れているじゃないか。人間も艦娘もメンタリティはそんなに変わらない。悲しければ無くし、嬉しければ笑うだろ」

 

「そんなこと言われても興味ありません。……結局、提督は何を仰りたいのですか? 私に戦えといいたいのですか」

 

「お前は横須賀鎮守府では、最強の艦隊の一翼を担っていた存在だったと聞く。そんなお前が戦うことを恐れるはずがない。なのに、もう戦いたくない。それが許されないなら解体でもなんでもしてくれなんていう理由が分からないんだ。お前はそんな弱いはずがない。親友の死をも乗り越える強さがあるはずだ……」

 

「その場にいなかったあなたに、何が分かるっていうの!! 」

冷泉の言葉を遮るように加賀が叫ぶ。

その顔は怒りにみち、射るような瞳で冷泉を睨む。

冷泉は凄烈なその瞳に驚くとともに、それ以上に美しいと場違いながらも、そう感じた。

 

「何も知りもしないくせに、偉そうな言葉だけを並べて私を批判しないで! 」

 

「だから、知らないから、教えろと言ってるんだ。理由も言わずに放っておいてくれと言われて、はいそうですかなんて放っておけるわけがないだろう。何も分からないから、何も知らないから、お前の気持ちが理解できないんだ。だから、ずっと訳を教えてくれと言ってるんだ。お前の気持ちを俺は知りたい。知らなければならない。教えてくれるまで、俺は諦めない」

 

「冷泉提督、どうやらあなたは、ご自分の部下の事なら何でも理解できる、有能な上司だと自分の事を思っているようね。残念だけど、はっきりと言わせてもらいます。あなたごときに私の気持ちが理解できるはずがないと」

 

「有能か無能かは、全てを話してからの俺を見て判断しろよ。心を閉ざしたままで、何が分かるっていうんだ。俺だって言わせてもらう。今のままだと、お前はただの構ってちゃんでしかない」

 

「な! 」

 

「何の理由も言わず、自分は大切な親友を戦いで失った。だからもう戦えない。自分は不幸で可愛そうな子なんだ。だから放っておいてくれ。いやなら殺せ……か。自分は何も悪くない。可愛そうな子だから、構ってくれか? 責任は取らないが、処分したいならしろ? 正規空母を使えないからって理由で処分できる権限を持つ奴なんていないのを知って、お前は言っているだけにしか聞こえないぞ。俺だって全ては知らない。けれど、お前以外の子だって戦いの中で仲間を失っているんだろ? けれども、みんな悲しみを堪えて戦っているじゃないか。……お前だけが特別じゃない。そんなの、ただの甘えだ。はっきり言ってやるよ、ふざけるなって」

 

「……」

加賀は黙り込んでしまった。少し、体が震えているように見える。

言ったことが応えたのだろうか? 

 

「たしかに、提督の仰る事ももっともなことです。何も言わずにいるのは確かに卑怯ですね。……あなたにも理由を知ってもらう必要があるかもしれません」

静かに、何かを決意するかのように彼女は答えた。

「私がただの甘えでこんな事を言っているかどうか、話を聞いてから判断してもらいましょうか」

挑むような視線を冷泉に向けてきたのだった。

 

 



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58話

「こんなところで話したら、他の子に聞かれてしまうかもしれません。仕方ないですね……場所を変えましょう」

それだけ言うと、彼女は冷泉を一瞥することさえなく、さっさと歩いて行く。

冷泉達がいる防波堤の高さは、おおよそ5メートルはありそうで、港へ降りていく階段が設置されている。

どうやら、加賀はその下り階段を降りて、どこかへ行くつもりらしいことだけは分かった。

すぐに冷泉も後を追う。

 

加賀は冷泉が後を追って来るのに気づくと振り返りニコリと微笑むと、何の躊躇も無く唐突に……堤防から飛んだ。

思わず冷泉が驚きの声を上げてしまう。

しかし、冷泉の心配は杞憂でしかなかったようで、彼女は音も立てずにふわりと着地する。

そして、早く来なさいよ、といった感じで冷泉を一瞥した。

冷泉がその高さに一瞬躊躇したようなそぶりを見せると、彼女は鼻で笑うような仕草を見せてそのまま歩き出す。

 

「お、おいちょっと待てよ」

慌てて冷泉も加賀の後を追って飛ぼうとするが、冷静にその高さと自分の、いや人間としての運動能力を勘案し再び躊躇した。

流石に5メートルの高さといえば、歩道橋から道路までの高さくらいはある。そんな高さから飛び降りたら、しかも着地するところがコンクリートである。何の訓練も積んでいない冷泉がそれをやったとしたら、落下中にバランスを崩して着地に失敗するか、上手く着地しても衝撃の吸収に失敗して膝で顎を痛打するくらいの未来しか想像できない。どちらにしても、大怪我間違いなしだ。

 

女の子の加賀にできるなら、自分にもできないわけがない。そう思って飛んだら、おそらく骨折していたと思われる。

 

「ちぇっ」

全く艦娘の身体能力ってやつは、どうなってるんだよ! 

あまりの身体能力の違いを見せつけられたことにショックを受けるが、そんなことに文句を言っている場合ではない。置いて行かれてしまう。

冷泉は慌てて階段を駆け下りて行く。

息を切らせながら、彼女に追いつくが、加賀は後ろを振り向きもしない。仕方なく、後をついて行く。

 

どうやら、港の方へと向かっているらしく、次第に係留された艦艇群が見えてきた。

 

無言のままだと気まずいので、いろいろと話しかけるが全く返事は無かった。ずっと無言のままで彼女は歩いて行く。

 

港中央には、戦艦金剛、扶桑が並び、その奥にそれら戦艦よりもさらに大きな艦影がある。

それが正規空母加賀だった。

向こうの世界では軍艦を見たことがなかったので、こちらに来たときに見た戦艦金剛や戦艦扶桑の巨大さに驚いたけれど、空母:加賀は彼女たちよりもさらに巨大だった。

 

圧倒されるような存在感、威圧感だった。

 

―――けれど、艦娘の方は生意気だけど、なかなか可愛い顔をしているんだよな。

しかし、こんなことを言ったら、冷たい目で睨まれるんだろうな。

 

妄想に耽る冷泉に構うことなく彼女はどんどんと進んでいき、自艦の前で立ち止まった。

こちらを振り返る。

「提督、この中で話しましょう」

彼女は実にあっさりと言うが、空母加賀は港に係留されているだけで、タラップのようなものはどこにもない。船を這い上がって行けとでも言うのか? 

 

「本当は、こんなのしたくはないのですが、一応、形式とは言え私の司令官ですし、管理者権限を与えます」

なにやらもったいぶって加賀が言うが、許可? 何それ? と冷泉は理解できない。

「パスワードは○×☆□△です。……すでにシステムには登録を完了していますので、提督がこのパスワードを詠唱すれば、中へと転送されますので」

そう言うと、加賀は宙に浮いた。そして、すっと消失する。

 

管理者権限とか、パスワードなんて戦艦金剛や軽巡洋艦神通に乗船した時にも聞かなかった話だ。そんな言葉、パソコンでしか聞いたことない。

金剛の時はタラップがあったし、おまけに金剛が案内してくれたもんな。神通の時は飛び乗ったし、無理矢理扉を開けて入ったもんな。

だから、仮にそういった手続きがあったとしても、それを行う機会がなかった。

何にしても、見上げるような高さの船体に乗船するには、自力では無理なのは明らかだ。

 

「パスワードを唱えたらって言ってたな。……○×☆□△、と」

唱え終えた瞬間、

「認証確認」

そんな声がどこからか聞こえた。いや、聞こえたような気がした。

 

刹那、体が浮かぶような感覚が冷泉の体を包み込む。このままフワフワと浮かび、甲板とかに飛び乗るのかな? そう思った瞬間、加速するような感覚と風景が明滅する。

それが終わった瞬間、落下する。

 

「うわっ」

突然の変化に思わず声を上げるて藻掻いたが、努力むなしく落下する。

そして、次の瞬間、顔が何か柔らかい物にぶつかったような衝撃と、同時に悲鳴が聞こえた。

柔らかく巨大な何かに顔を押しつけているのが分かったが、視野はそれにより遮られている。両手は床らしいものに触れている。体全体は何かにのしかかっている感じだ。

 

何となく、自分がどういう状況にあるのかは把握できたが認めたくはなかった。

 

「すみません、提督。重いのですけど」

予想通り、冷え冷えとした声がごく近くで聞こえた。

 

冷泉はその巨大な柔らかい何かから顔を上げると、視野が取り戻された。そして最初に飛び込んできたのは加賀の顔だった。

「わっ、す、すまん」

慌てて飛び退く。

予想通り、冷泉は加賀に覆い被さるような体勢になっていて、顔は彼女の胸に埋まるような状態だったわけだ。いわゆるラッキースケベ状態。

「すまん、加賀。わざとじゃないんだ、許してくれ」

と言い訳をする冷泉。

顔が熱くなるのを感じていたが、それどころじゃなかった。柔らかくて気持ちよかった。

 

加賀は特に取り乱した様子もなく立ち上がると、乱れた着衣を直している。

「気にしていないわ。……ちゃんと説明しておかなかったのがいけなかったのだから」

冷静な口調で話す。特に怒ってはいないようだが、頬は少し赤くなっている。

 

「そっか」

とりあえずそう言うが、次の言葉が出てこない。手持ち無沙汰で辺りを見回すと、そこは艦橋ではなかった。

それほど広くない部屋であることがわかる。調度品や物は置かれていない殺風景な部屋であることがわかる。5メートル四方程度の広さの部屋だ。

 

「提督は知らなかったのかしら? 」

 

「ああ。今まで転送? っていうのかな、なんてされたことなかったし」

 

「そう。……転送される部屋にいろいろ置いていたら、ぶつかって怪我をしたりするといけないから、何も置いていないの」

 

「なるほど」

と、冷泉は頷く。

 

「さて……。ここなら誰にも聞かれる心配が無いから、提督がしつこく聞きたがったことを話せるわね」

 

「その前に一つ聞いて良いかな」

 

「何かしら? 」

 

「それって、誰かに……他の子に聞かれたら困る話なのか? 」

 

「そうね。……聞かれたくない話であることは間違いないわ」

少し考えるような素振りを見せる加賀。

つまり、加賀の話すことは艦娘全体にも関係する話であるということだ。そして、鎮守府司令官である冷泉にだから、話せる内容だということか。

 

「了解した。では、教えてくれ。お前がどうして他の艦娘との関わりを避けるのか。そして、戦いを避けるのかを。推論でしかないけれど……原因は横須賀鎮守府での領域解放戦による正規空母赤城の沈没だと俺は思っていたんだが」

現在、自分がどういう風に思っているかを事前に伝える必要があると思い、現在得られた情報のみでの結論を加賀に告げる。

 

「そうね。確かに……赤城さんの死が私の心に大きなダメージを与えたのは事実よ。確かにそれは今更言うまでもなく、ショックな出来事だわ。何度経験しても親友の死という現実は辛いもの。けれど、私は艦娘である前に正規空母加賀という軍艦。戦いの中で誰かが死を迎えることは必然の事。お互いが相手を殺そうとしている場所に赴くのですからね。敵だけ斃せて、自分たちは誰も死なないなんて虫の良い考えなんて持ってないは。だから、提督のところの子達もそうだけれど、自身の死を含め、それはみんな常に覚悟しているわ」

 

「何か事情があるとは思っているけど……俺が知っているのは、赤城の轟沈という事実だけだからな。それ以外の事はどういうわけか情報にアクセスできないようになっている。鎮守府提督の権限でもロックされたままだから、その戦いで何があったのかは全く知らないし分からないんだよ。領域は開放されたが、第一艦隊の赤城がその時に犠牲となった。ただその事実があるだけだ。あとは推測だけでしかない。親友を失ったお前が、そのショックから立ち直れていない。そう推論するしかない」

 

「ふふふ」

加賀が笑った。それは小さな声だった

 

「何か変な事を言ったか? 」

 

「いえ、別に意味はないわ。ただ、随分な評価をされているんだなと思っただけです」

彼女は部屋の壁にもたれかかる。

「確かにあの戦いの事は口外を禁じられているし、あの時、その場にいた子達は、誰かに止められなくても絶対に誰にも話さないと思う」

何かを思い出したのか、歯を食いしばるような素振りを見せる艦娘。

「そうね。あの時の領域解放の戦いは、これまで経験した私の戦いの中でも最上位に位置するほどの激戦だった。……横須賀鎮守府の最精鋭だった私達も誰一人無傷の者はいなかったほどの戦い」

話しながら、加賀が右手を動かすと部屋の風景が変わっていく。

真っ白な壁が色を伴い変貌していく。

深く青い海。赤黒く澱んだ空。

それは間違いなく領域の中の風景だった。

そして、冷泉は艦橋にいることが分かった。加賀がいることから、空母加賀の艦橋なのだろう。複数の軍艦が窓から見える。

映像には加賀が二人いる。当然一人は映像の中の加賀。もう一人は本物の加賀。

しかし、それはあまりにリアル過ぎる映像。二人の加賀を比べても、ほとんど違いが見あたらない。

 

冷泉は立体的に映し出された映像を見回す。

 

ここは、領域内。

解放はされていない状態。ならば味方以外に当然存在するモノを探して。

 

そして、そこに、……それは、いた。

 

漆黒と血のような赤を基調とした不気味な、そして巨大な船体。

その先端は巨大な生物の口のように剥き出しの歯が並び、こちらを噛みつかんばかりに大きくその顎を開いている。そして、その船体両脇に飛行甲板らしきものがある。

艦橋のあるらしき場所には人の姿がホログラム映像のように浮かんでいる。

真っ白な肌に赤い血管が浮いたように見える真っ黒の甲冑をまとった女性。彼女はその長く白い髪を振り乱し、苦悶の表情を浮かべている。瞳はまだ負けを認めてはおらず、挑むような視線をこちらに投げかけているが、体は小刻みに震え、体のあちこちから出血しているように見える。

そう―――。

それは沈みゆく深海棲艦のBOSSだった。

攻撃を受けたため、船体のあちこちが損傷し、黒煙を上げて燃えている。

 

映像はちょうど戦いが終了したところから始まっているようだ。

 

「これがボスなのか? 」

 

「そう」

感情を抑えた口調で隣に立つ加賀が答える。

敵艦隊のBOSSの名前は表示されていないため、分からない。そして、少なくとも冷泉はゲーム内でさえ見たことのない敵だ。

 

それは怨嗟の呻きを上げながら、ゆっくりと海底へ……本来棲むべき場所へと沈んでいく。

たとえ敵であっても、船が沈んでいく姿は見ていて気分のいい物ではない。

 

この戦いの激しさは、映像に映る艦娘側の被害状況を見ればよく分かる。

長門、赤城、比叡、霧島、蒼龍という火力重視の強力な陣容で編成された艦隊は全員生存しているようだが、どれもがかなりの損傷を負っているのが遠目にも分かる。

船体のあちこちから煙が上がっているようで、消火作業を行っているらしい。それでも満身創痍ながらも、なんとか航行はできるようだ。

 

まともに戦えそうなのは赤城と加賀だけだ。

ここで襲われたらかなり危険な状態なのだが、すでに敵を殲滅しているから問題ない。あとは鎮守府へ帰投するだけだから。

 

そして、深海棲艦の沈没を合図に、空間が、風景が夜が明けるように赤黒い空がゆっくりと変化していく。海も同じく、黒から蒼へと変化していく。

そして、閉ざされた空間がゆっくりと解放されていき、太陽が顔をのぞかせて来る。

穏やかな光が艦隊を照らし出す。

カモメの姿も見える。穏やかな世界が戻ってきたことが実感できる。

 

まもなく迎えの護衛艦隊がやって来るのだろう。一般海域に深海棲艦がいた場合に潜水艦や駆逐艦がいる場合に備えての艦隊だ。

 

「全艦、これより帰投する」

と、聞いたことのない声がする。少し低い声だが、よく通る声だ。疲れてはいるようだが、勝利にに安堵しているように聞こえる。

 

これが横須賀鎮守府司令官の声か……。

 

この男も戦場に立つのか。

少しではあるが、冷泉は驚き、感心した。

 

基本、戦闘は艦娘任せで、提督は鎮守府において指揮するというゲームと同じ形態で行っていると聞いていたからだ。自分だけ安全な場所でと思うかもしれないが、領域に入ったことのある冷泉だから分かる。領域内は、常に人間に対して負のダメージを与え続けてくる。普通にいるだけでも不安や恐怖という感情が湧き上がり精神敵にかなりきつい。そして、戦闘は長時間に及ぶため、体が保たないのだ。それでも、戦場に立つということは、彼も冷泉と同じ志を持つということか。

 

命令を合図に艦隊が転進を始める。

どの艦も、加賀もゆっくりと動き出す。

 

そして、艦隊が陣形を整え始めた時、異変に気づいた。

正規空母赤城だけが船首を反対方向に向けたまま、未だ動こうとしなかったのだ。

 

「赤城さん、どうかしたの? 」

映像の中で、異変に気づいた加賀の声がする。それは最初は単なる確認に過ぎなかった。しかし、何度も問いかける声は、次第に大きく切迫感のこもったものとなっていく。

「赤城さん! 」

しかし、それでも赤城は何も答えない。

 

静かに動きを止めたままだ。

 

「赤城、どうかしたのか? 」

やがて異変に気づいた横須賀の提督が問いかける声が聞こえる。

それは先ほどまでの落ち着いた声ではなく、少し焦りにも似たものが感じられた。それだけ、異常な事態であるということを彼は認識しているのだろう。

 

「…が、……ん、に……、て」

うめき声が聞こえた。それは痛みや苦しみに堪えるような声。何かを訴えるような声に聞こえる。しかし、何を伝えたいのかわからない。

 

「赤城さん、どうしたの? 」

加賀が叫ぶ。

同時に悲鳴のような声が複数聞こえた。

 

一つは赤城、もう一つは他の艦娘だ。

 

冷泉は事態が飲み込めないまま、映像の中の加賀を見、そして赤城のあるほうへと視線を向ける。

 

そして、視界で展開されていく異変に思わず声を上げた。

 

立ち休んでいる赤城を中心とした海域に、怪異が生じていたのだ。

赤城を中心にどす黒い得体のしれない潮流が、海底より湧き上がってきた思うと、それが正規空母赤城全体を取り込んでいく。そして、その黒いモノが喫水線より艦を上へ上へと這い上がって行く……。

 

唐突に艦内に警報が鳴り響く!

 

「どうした、何の警報だ? 」

録画映像の筈なのに、冷泉は問う。

直ぐ側に立つ、本物の加賀は黙り込んだまま、何も答えない。

 

刹那、無線が入り乱れ出す。

 

「これは何? 何なの、この反応は!! 何でこんな所に深海棲艦の反応があるの? 」

 

「嘘? すべて倒したはずでしょう」

 

「ありえない、こんなのありえない。どこに、どこにいるの」

第一艦隊の艦娘たちが口々に、しかもパニック気味に叫ぶ。

 

「落ち着け、お前たち。推論で動くな。冷静に入手した情報を分析をするんだ」

混乱する艦娘たちをいなすように、長門の声が響く。

「全艦、警戒態勢。霧島、深海棲艦反応の場所を特定せよ」

 

「現在分析中。……出ました……え? そんな、嘘」

すぐさま発生源を特定したらしい霧島の声が困惑している。

 

「どうした? 」

 

「深海棲艦反応、こ、後方200メートル。反応、更に増大中! 」

霧島がすぐに答える。

 

「馬鹿な、我々の後方といえば赤城しかいないじゃないか」

長門が呻くように言う。

深海棲艦は、すべて撃破した。領域のBOSSも倒した。そのため、領海という名の結界が解け、現在は本来のおだやかな空と海に戻っている。

 

赤城を除く第一艦隊は全艦回頭して移動したため、艦隊の後方には赤城しか存在していないはずである。

そして、赤城の周りでは異変がなおも継続中だ。

 

「赤城さん、答えて。どうしたの、何が起こっているの? お願い」

先ほどから加賀が叫び続けている。

しかし、艦娘赤城からの応答は無い。そして、空母赤城は海底よりわき出たモノに取り込まれていく。

「赤城さん、お願い答えて。お願いだから」

叫ぶ加賀。その姿は痛々しい。

 

「ウ、ウ……」

唐突に、何か唸るような音声が届く。

 

「赤城さん? 赤城さんなの? お願い答えて」

飛びつくように加賀が叫ぶ。

 

「ウ、ウ、ウ、ウウウウウウガガガガガガガ」

言葉にならない音声が艦内に響いてくる。何かを言おうとしているのか。苦しんでいるだけなのか。それすら分からない、それでも、おそらく、それは人の声。そして、赤城の声。

うめき苦しみ、悲鳴を上げる赤城の姿が目に浮かぶようだ。

加賀は何かを叫んでいるが、もはや言葉になっていない。

 

僅か数百メートルしか離れていない所にいるのに、何もできない状態のまま、時間だけが経過していく。

そして、そんな中で形態を不気味に変化させていく赤城。大気を取り込み海水を取り込み、空母赤城そのものも大きくなっていく。

飛行甲板が左右に広がり、三連の飛行甲板を持つかのような形状へと変化していく。

そして、深海棲艦にありがちな巨大な人型の姿の映像らしきものが浮かび上がってくる。

真っ白な長い長い髪。瞳は燃えるような、そして血のような赤。腕と足の部分にだけは甲冑をまとい、体部分についてはまだ未完成状態の鎧を装着したような姿となっており、全体としては肌の露出がまだ多い状態だ。その露出した真っ白な肌のあちこちには血濡れのような紋様のようなものがある。

しかし、時間と共に鎧に包まれていく。

 

その姿は、かつての正規空母赤城のものでは無かった。

 

「た、大変です。りょ、領域が……復活していきます」

霧島が叫ぶ。

確かに外をみると、先ほどまで穏やかだった青い空が、青い海が目に見えて濁り澱んでいく……。

通常海域に戻ったはずの海が空が、おそらくは変貌を遂げていく赤城より立ち昇る波動により浸食されていっているのだ。

 

世界が再び領域に飲み込まれようとしていたのだった。

それは誰も経験したはずのない異変だった。

 

「何なの? 赤城さん、一体何が起こっているの? 」

加賀が呻くように言う。何も出来ない自分に失望してか、力なくしゃがみ込んでしまう。

 

「……全艦隊に指令」

横須賀鎮守府司令官の声が響き渡る。

その声にすがるような視線で顔を上げる加賀。

 

「全艦、反転。艦隊後方の敵深海棲艦を破壊せよ」

 



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59話

様々な犠牲を払い、通常海域に戻したはずの海が、空が、……空母赤城から立ち昇る負の波動により次第に浸食されていく。それは開放した世界が、再び領域という名の異空間に飲み込まれようとしているのだった。

 

眼前で展開される光景は、艦娘たちの誰も経験したはずのない異変だったのだろう。

彼女たちは誰一人、声すら上げることも無く、ただその光景を見ているだけだった。

 

このままでは、世界は再び領域化する……。

その危機感だけは、皆が共有できたものだった。

 

開放のために派遣された横須賀鎮守府第一艦隊の被害は甚大であり、再び領域内での戦いとなれば、間違いなく艦隊の中に犠牲者が出るだろう。その可能性は非常に高く、相当に危険な状態である。その前になんらかの行動をしなければならない。それは分かっている。

しかし……どうすればいいかわからない。

 

艦隊の状況など関係なく、異変は加速度的に進行して行く。

 

「提督、大変です! 火気管制システムがダウンしています。このままでは……通常兵器が使用できません」

状況確認を行っていた霧島の悲鳴が響く。

 

「そんな馬鹿な!! 」

 

「嘘! 全火器システムがこちらも使用不可能です」

 

ここは通常海域である。それなのに、まるで領域内のように、全ての通常兵器は使用できなくなっていることに気づき、パニックに陥る艦隊。

 

「この段階で既に領域のジャミングが始まっているというのか。こんな事、全く初めての事例だ……やむを得ない。全艦隊、旧装備に切替を急げ。速やかに使える兵装の確認を急ぐのだ」

提督の指令を受けて艦娘達が慌ただしく動いているのが分かる。

 

「こちら比叡。戦闘による損傷のため、全砲塔使用不可能です。対空装備が僅かながら使用可能です」

 

「こちら蒼龍。飛行甲板損傷のため、応急措置をしたとしても、発艦できるようになるまでは、もうしばらく時間がかかります。艦載機の損傷も酷いため、発艦できる艦載機の数も僅かしかありません。消火作業にも手間取っていて、実際どうなるかわかりません。すみません」

比叡、蒼龍からの報告が届く。

 

「霧島です。私も状況は変わりありません。現状、戦闘力は通常の10%程度ですね」

 

「……分かった」

提督の声が聞こえる。

「旗艦長門も被害が大きいため、ほぼ戦えない。……結局のところ、加賀のみが戦闘可能ということか」

第一艦隊の中で唯一、加賀だけがほとんど無傷で存在している。

 

そして、敵深海棲艦のいる方向を見ると、かつての姿から大きく異形の何かに変形した艦載機が、新たに作り出された赤城の飛行甲板上で発艦準備を始めているのが目視できる。

まもなく、あれが出撃し、こちらに殺到してくるのだろう。猶予は無い。

 

「時は一刻を争う。加賀、全艦載機を発艦させ、敵深海棲艦を破壊せよ」

と、提督の指令が飛ぶ。

 

「……嫌です」

咄嗟に拒否をする加賀。

「僚友である赤城さんを討つ事など、私にはできません」

 

「何を言っているのだ。敵はまだ、発艦準備中だ。今が唯一のチャンスだ。放っておけば武器を満載した敵艦載機がこちらに殺到してくるだろう。そうなったら、こちらにもはや打つ手は無い。ここで討たなければ艦隊は全滅する可能性が大だ。それがわからないお前では無いだろう? 」

冷静な口調で訴える司令官。

 

彼の言っている事は全く正しい。しかし、加賀は承諾しない。

 

「そんな命令、納得できません」

 

「このまま赤城艦載機の発艦を許せば、防御手段の無い状態のこちらの艦隊は全滅させられるしかない。そうなってもいいのか? 」

 

「それも認められません。けれども、赤城さんを攻撃することも承服できません」

彼女は無表情ではあるが、その奥底では煩悶しているのだろう。

 

「我々が全滅させられれば、せっかくこれまで頑張って広げてきた人類の領域が再び敵の手に落ちてしまうのだ。それは、これまでに斃れた仲間の死という代償を支払って得た勝利が水泡に帰することと同義。……それがどれだけ重大なことか、共に戦ってきたお前に分からないはずがないだろう? それでもなお、私の言うことを拒否するというのか」

 

「たとえどんな理由があっても、親友を、大切な人を自分の手で沈める事なんてできるわけがないでしょう!そんなことしたくない 」

 

「加賀さん、お願い。私を艦娘のままで死なせて。……深海棲艦になんてなりたくない」

突然、艦内に女性の声が響く。それは空母赤城の声だった。切迫し悲痛な叫びのように訴えかけてくる。

 

「赤城さん? 赤城さんなの? 直接、私に話してきているの? 」

通信機器からではない通信方法で赤城からメッセージが来ているのか? そんな疑問を冷泉は持つが問うことはできない。

 

「お願い、加賀さん。……私に提督を、みんなを殺させないで」

それは、弱々しく、そして小さく呻くような声。しかし、切迫した声だ。

 

「赤城さん、一体、そこで何が起こっているの? どうなっているの」

叫ぶ加賀。しかし、それに対する答えはない。

代わりに彼女の司令官の命令が艦内に響く。

「今、戦う事ができるのは加賀、お前しかいない。そして時間はもはや無い。……司令官として命令する。加賀、全兵力をもって敵空母を撃沈せよ」

司令官は、赤城のことをあえて敵空母と呼んだ。

 

「な! そんなことできるわけない。赤城さんを殺すくらいなら、私が死ぬわ。その方がまし」

 

「今はそんな戯れ言を聞いている暇は無い。これは命令だ」

 

「できない! できない! 絶対に嫌。そんな命令なんて、拒否します」

両手で耳を塞ぎ、頭を左右に振る加賀。

 

「今倒さなければ、我々は全滅する。ここで我々が死んだら、これまでの苦労が、犠牲が全て無駄になる。我々の死は、単に我々の死というだけではないのだ。いかなる事があったとしても、今、第一艦隊を失う訳にはいかない」

 

「あなたにそんなことができるの? どうして、あなたはそんなに冷静でいられるの? 赤城さんはあなたのことを……」

 

「黙れ! それ以上言うな!! 感傷など生き延びたものだけに許される特権だ。生きて帰らなければ後悔すらできない」

遮るように司令官が言葉を挟む。

 

「たとえ全滅するとしても、私は構わない。赤城さんを沈めることなんてできるわけがない。そもそも、赤城さんのいない世界なんて、私にとって意味が無い。だったら、私も赤城さんと共に逝くわ」

 

「加賀、ここで私たちが全員が沈んだら、一気に敵は勢力を拡大してくるだろう。我々の穴を埋める戦力を補充するまでに、敵は一気に勢力を拡大してしまうのだ。奪われたものを再び取り返すには、どれほどの時間と多くの血が流されるかを想像するんだ」

長門が叫ぶ。

「それに、私たちが領域内で沈んだら、私たちがどうなるか、誰も知らない。仲間の敵になる可能性もあるのだぞ」

 

「赤城さんと一緒ならそれでもいい」

 

「馬鹿を言うな。人間達を護り戦うのが私たちの使命であり誇りだろう。そんなことも忘れたのか? 」

苛立ちを隠すことなく長門が反論する。

 

「人間なんてどうなったって構わないわ。彼らは、砲弾の飛んで来ない安全な場所で偉そうな理想を私たちに押しつけるだけの存在でしかないもの。私たちが命をかけてまで護る価値なんて無いでしょう? 実際、必死に護ったって、簡単に切り捨て裏切るような人たちばかりだもの」

加賀は吐露する。それは自分の司令官への批判でもあった。

 

彼女たちが意見をぶつけ合っている間にも赤城は変貌していく。

そして徐々に深海棲艦の姿へと変わっていく。続々と飛行甲板に無数の艦載機が現れ、エンジンを始動し始めている。

 

「加賀、艦載機を出すんだ。このままでは敵に先制を許してしまう。選択肢はお前に無いのだ」

長門が必死に訴えるが、加賀には通じない。

 

「そんな事どうでもいいわ。生きるとか死ぬとかもう何もかも……」

 

「加賀さん、早くお願い。このままでは、もう私は私で無くなってしまう……。嫌、嫌、助けて。お願い、早く沈めて」

赤城の叫びが再び聞こえてくる。

 

「そんな、赤城さん。でも、わたし、……できない。できるわけがない」

混乱の極みの加賀は全てを拒否しようとしている。

 

「仕方がないな……。これ以上、時間を無駄に使うわけにはいかない」

黙っていた司令官が何かを決断したかのように言葉を発する。

「ここに横須賀鎮守府司令官の名において、……空母加賀に対して無上命令を発効する」

静かな口調で鎮守府司令官の声が響く。

 

何故かざわめきが聞こえる。艦娘達に明らかな動揺が走っているのを感じ取る冷泉。それはあきらかにただならぬ事らしい。

何故かざわめきが聞こえる。艦娘達に明らかな動揺が走っているのを感じ取る冷泉。それはあきらかにただならぬ事らしい。

無上命令?

 

初めて聞く言葉なので、その言葉の意味する事はまるで分からない。けれど、何か凄く嫌な響きだ。

 

「て、……提督、しかしそれは」

長門が驚愕し、呻く。

 

「……仕方ない」

吐き捨てるように司令官が言う。

 

「い、いや……」

言葉を聞いた瞬間、明らかに狼狽する加賀。

「そんなの、絶対嫌、嫌! 」

何かから逃げるように動こうとするが、足がもつれて倒れ込んでしまう。

 

「全艦載機を発艦させ、敵空母を殲滅せよ……」

その言葉を聞いた瞬間、加賀は、雷にでも打たれたように倒れ込んだ状態からバネ仕掛けの人形のように急に起きあがる。

だらりと腕を垂らし、今にも倒れそうな体勢で立つ。

その瞳は光を失い、虚ろなまま虚空を見つめている。

 

「リ……リョウカイ。提督ノ命令ノ、ママニ」

感情が完全に消えた、機械のような声で加賀が答える。

その言葉を合図に加賀の飛行甲板に並んだ艦載機がエンジンを起動し、次々と発艦していく。

 

【無上命令】というものがどういったものかは分からないが、艦娘の意志を無視して命令のみを実行させるということが可能なものであることだけは分かった。

あれだけ抵抗していた加賀なのに、司令官の命令に逆らうことはできないようだ。

まるで彼女の意志が介在しないかのように、航空母艦加賀およびその艦載機が稼働している。

全艦載機が発進し、敵空母へ殺到する。形態変形中のため無防備な赤城へ、艦載機はおのおの雷撃、爆撃を開始する。

 

加賀は虚ろな瞳は光を失い、惚けたような表情で両手をだらりと垂らし立ち尽くしたままだ。眼前に展開される光景を見、何かを叫ぶように口が動くが声は出ない。出そうとしているのに体が言うことをきかずにもがいているようにさえ見える。ただ瞳から涙があふれ出すばかり。体は小刻みに痙攣している。

 

まるで、必死に赤城への攻撃を拒否しようとしているのに、提督の発動した絶対命令にあらがうことができないことに、ただ泣くしかできないように見える。自由に動くこともできす、それどころか言葉を発することさえできずに。

 

深海棲艦赤城の対空砲火をかいくぐった加賀の艦載機の爆撃が、雷撃が、つぎつぎと命中し爆発を繰り返しながら炎に包まれる赤城。発艦準備をしていた敵艦載機は攻撃に爆発炎上し、発艦を試みた艦載機は攻撃を受け、飛行甲板を転がりながら海へと落ちていく。

全力の攻撃をもっても赤城はなかなか沈まない。爆発炎上を繰り返し、黒煙を上げながらも海上に鎮座している。

加賀は、すでに第三次攻撃隊を出撃させている。

再々度の全力の攻撃が開始される。

 

そして、ついに深海棲艦、赤城の船体が傾き始めた。

 

加賀の艦内に聞こえてくる声があった。

「加賀……あなたにだけ辛い思いさせて、ごめんね。でも、提督を恨まないで。それから……ありがとう」

その言葉が加賀に聞こえたかどうかは分からないが、彼女は瞳を大きく見開き、反応したように見えた。

 

ほどなく赤城は、崩壊を繰り返しながら、ゆっくりと海中に没していった。

 

敵深海棲艦の沈没により、澱みかけた世界は再び光を取り戻していく。

 

普段なら領域開放の充実感、安堵感、勝利の達成感がみんなを包むのであるが、今回ばかりはそれは無かった。

これほどまで後味の悪い勝利はなかった。

誰もがしばらくは声すら上げられなかった。

 

味方駆逐艦艦隊が迎えに来るまで、皆が呆然と立ち尽くしたままだったのだ。

 

無上命令から開放された加賀は、自分がしてしまった事の重大さにありえないほどに取り乱し、ひたすら泣き続けた。動揺し絶叫するその姿は、普段の冷静な彼女からは、想像できないほどの姿だった。

 

そして加賀は泣き疲れ、放心状態のまま、味方駆逐艦に曳航されてなんとか鎮守府へと帰投したのだった。

 



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60話

再生された映像は、それで全てだった。

 

自分が予想していた事とはまるで違う状況だったことで、冷泉は言うべき言葉を失っていた。

親友の死を乗り越えられず、後悔しながら生きている。……そんな事を想像していたのだった。

 

けれど、実際はまるで違っていた。

 

そもそも、艦娘が深海棲艦になるということは頭の中では想像できていたが、本当にあんなことが現実になるとは思っていなかった。

 

ゲーム中では、沈んだ艦娘が生への執着から深海棲艦になると思っていたのだ。それは人と同じく、現世に未練や恨みがあったものが幽霊となり、人に仇なす、または人を助ける。そういった心霊的なものだと思っていた。しかし、そんなことが起こるのも所詮はゲームでの中での話であり、現実には起こりえない事だと思っていた。しかし、この世界の現実は想像のその更に上を行き、戦った艦娘は沈むことなくとも深海棲艦になるというのだ。

こんな現実、もし知ってしまったら彼女たちは耐えられるのだろうか?

 

そして、加賀はそれ以上の苦しみを味わわされたのだ。

 

親友が深海棲艦になったというだけでも衝撃的だが、それを自ら沈めてしまったのだから……。しかも、自分の意志に反して命令され、無理矢理に全力をもって親友を殺したのだ。自分は必死に抵抗したのに止めることができなかった。

様々な要因が彼女を苦しめているのは、なんとなくは理解できた。

 

「これが……私がすべてを拒否する原因。分かってくれたかしら? 」

誰もがトラウマになりそうな映像を再び見たせいか、加賀の瞳は少し潤んでいる。

 

「そうか、こんなことがあったなんて……な。確かに、他の艦娘には見せられないな。何て言えばいいか分からないけど、辛いな」

 

「自分の手で大切な人を殺してしまうなんて、耐えられるものじゃないわ」

と吐き捨てるように言う。

「しかも自分の意志に関係なく……ね」

 

「ああ、そうだな。お前にとって、それはとても辛い事があったのは理解できる。いや、その辛さの何分の一かもしれないけれど、俺にも想像はできる」

冷泉は、お前の気持ちは良く分かるとは言い切れなかった。実際に同じ目に遭わない限り、その辛さなど理解できるはずがないのだ。せいぜい、それまでの経験等から推測するしかないのだから。

所詮、他人の気持ちなんて理解できない。理解できたと想像するだけしかできないのだから。

「……けれど、あれは仕方ない事じゃなかったのか? ああする以外、他に解決策は無かったと俺は思う。もちろん、それが正しいかどうかは話は別としてだけれど、やはり選択肢は無かったんじゃないか」

 

「ふん。それは、あなたたち人間側からの論理でしかないわ。けれど、私は違った。私はあの時、たとえ沈んでも良かった。そして、その後、私たちがどうなろうとも……それが深海棲艦になるという運命だろうとも、赤城さんを沈めるくらいならどうでもよかった。……長門たちが道連れになったかもしれないけれど、それも仕方ないこと。彼女たちなら分かってくれたはず。彼女たちだって、今まで共に戦ってきた仲間の赤城さんを殺せるはずがないもの」

 

「ああ、もちろんその気持ちは分からなくは無いが……」

その言葉も、これまでの経験からの推測でしかないが。

 

「けれど、それはもう済んでしまったことよ。この件でここであなたといくら議論したところで、何も変わらないし、変えられない。足掻いたところでどうにもならないわ。どうにかなるというのなら、何日でも議論したって構わないけれど、そんなの詮無いことだわ。……あの後、私は赤城さんを失ったことで、何も手に付かず何もできなかった。いえ、もう何もかもどうでもよくなったの。生きていても死んでいても何も変わることない、時間だけがゆるゆると流れるだけの無の世界に生きていただけだから。有り体に言えば、私はあの時から使い物にならない状態になってしまったの。戦う兵器としての航空母艦たる艦娘としては、完全に失格だわ。当然責められ、処断されるべきこと。……けれど、あの男はそんな私を責めることもせず、けれども慰めてくれることもなかった。ただ腫れ物に触れるかのような扱いをするだけで、実質、放置したままだった。いいえ、それどころか、意識的に私を避けるようにさえ思えた。戦闘への参加も以後は一切命じられなくなった。そもそも存在しないかのようにね。……横須賀鎮守府第一艦隊のエースといわれた赤城さんと私がいなくても、新たに補充された艦娘によって、第一艦隊は何の問題もなく、これまで通りの戦果を上げていった。赤城さんがいなくなっても、横須賀鎮守府には何の影響も無かった。私もいてもいなくてもどうでもいい存在でしかなかった。そんな事実が知ってしまったら、何の為に私たちは命がけで戦ってきたのか……そんな根本的な事も信じられなくなってしまったのよ」

 

「いいやそんなことは無いだろう。正規空母であるお前が戦闘に参加できなければ、艦隊運営に影響が出ないわけがない。それどころか、赤城までもいないんだ。正規空母二人を戦力として失ったら、その喪失感を感じない提督はいないだろう。それから、横須賀の提督がお前を使わなかったのは、お前の心の状態を考慮してのことだと思うぞ。精神的に落ち込んでいるお前を戦闘に出したところで戦えるはずが無いって分かっていたんだろう。お前の心が回復するまで、待つつもりだったんだろう。そして補充戦力でそれまで通りの戦果を上げられたのは、お前たちの抜けた穴を埋めようと他のみんなが必死に頑張っていたからだよ。きっと、どこかに無理が来ていると思う」

どういうわけか、意図せずに横須賀鎮守府の提督の肩を持ってしまうような発言をする冷泉。

 

「確かに、そういう考え方もあるのかもしれないわ。けれど、私をどう扱おうと、そんなことはどうでもいいことよ。私がいなくても鎮守府が回っていくのは何の問題もないわ。横須賀鎮守府の子たちは、みんな優秀な子だから。私の穴を埋めてくれる存在はいくらでもいたと思うし。……問題の本質はそんな事じゃない。私が言いたいのは、許せないのは提督のこと、提督の態度のことよ。それまでも少しは感じていたのかもしれないけど、今回の事で明らかになったわ。あの男には、そもそも感情というものが無い冷血なんだって。確かに、指揮官としては、ある程度有能かもしれないけれど、人としては明らかに異常な男よ」

切り捨てるかのような口調で加賀が批判する。

その真意は冷泉には分からない。しかし、彼女が指揮官に対する敵意を持っているのは分かる。

 

「あの男と赤城さんは、あの男が鎮守府司令官になった頃からずっと一緒にいたわ。長く赤城さんが秘書艦を務めていたこともあるのかもしれないけれど、二人の間には司令官と秘書艦といった関係以上にもっと親密なものがあったの。赤城さんといつも一緒にいた私だから分かった。……赤城さんがあいつの事を話す時は、いつもすごく楽しそうで幸せそうだったわ。提督だって赤城さんを大切に思っているように見えていたのに」

 

「そうか……」

提督と艦娘の恋……当然ながらそういったこともあるのだろう。けれど、共に戦場にいる存在であるがゆえ、必ず互いのどちらかの死と直面する危険を孕んでいる。もちろん、そんな状態であるが故に、互いの感情が高まることもあるのだろうけれど。

 

「なのに、あいつは、赤城さんが深海棲艦化したと分かった途端、何の躊躇もなく攻撃を命令したわ。あれほど仲の良かった二人なのに、お互いに信頼しあっていたように見えた二人なのに。あいつは敵になったと分かったら、あっさりと赤城さんを切り捨てたのよ。大切な存在を自分の身を守るために切り捨てたのよ」

果たしてそうなのだろうか? そういった疑問がよぎったが、冷泉は口にしなかった。横須賀の提督の人となりを全く知らないために、批評するのはあまりに人間サイドに立った考えだからだ。それでは提督として公平ではない。

 

「所詮、私たち艦娘は提督にとっては換えのきく消耗品でしかないということなのよ。それがたとえ恋人であったとしてもね。私たちは兵器として擦り切れるまでこき使われ、使い物にならなくなったり必要じゃなくなったら、すぐに捨てられる存在でしかない。たとえ信じていても、愛していても愛されていても、用済みになれば簡単に捨てられる。……それが艦娘の宿命なんだわ。そう思ったら、……いえ、それが分かったから虚しくて可笑しくて、馬鹿らしくなってしまった。そう……もう何もかもね」

そういう加賀の表情は寂しそうだった。

 

「そんなことはない。お前達は消耗品なわけないじゃないか。俺は、みんな大切な存在だと思っているし、横須賀の提督もそうだと思う」

 

「提督、あなたは優しい人ね。けれど、たとえそうだとしても、もう、どうでもいいわ。私は知ってしまったのだから。この世界に生まれた時から、人間の為に深海棲艦と戦う事こそが私たちの目的であり運命であり、それこそが前世と同じく軍艦として生まれた私達の生き甲斐なんだって疑うことなく信じていた。けれど、現実はそうじゃない。必死になって戦い、仲間の死を見送り、涙を流しながら戦い続けたところで、敵と戦い沈めば深海棲艦になる。仮に生き残り続けたとしても赤城さんのように深海棲艦になってしまい、仲間に殺される……。戦っても戦わなくても、生きていても死んだとしても、結局は人間の敵になる。ねえ、なんなの、それ? こんな酷い冗談あるのかしら。ちっとも笑えない……。一体、私達は何のために生まれてきたの? この世界に存在するの? 最悪よ。こんなの嫌だわ。耐えられない。大好きな人の敵となり、そしてかつての仲間達に殺されるなんて嫌。逆に、もう誰か大切な人を殺すのも嫌。……最初から別れが宿命づけられているというのなら、誰とも心を通わせたくなんて無い。提督とも他の艦娘たちとも。これ以上あんな悲しい思いをするくらいなら、ずっと一人のほうがいいの」

それは悲痛な叫びだった。冷泉には想像もつかない悲しみの話だ。

 

「お前達が深海棲艦になるとは確定した事ではない、……だろう? 」

鎮守府にあったデータで得た情報を下に冷泉は反論する。

「あくまで可能性の問題であり、過去にそういった艦娘も存在したというだけだ。すべてがそうなる訳じゃない」

 

「領域内で沈んだ艦娘がどうなるかなんて、実際のところ誰も知らないのよ。仮にあなたの言うことが正しかったとしても、赤城さんのように生きたまま深海棲艦になったという事実をどう説明するの」

 

「それは……」

 

「私は深海棲艦になるなんて嫌。仲間に敵扱いされ殺されるのも、そして、信じていたものに裏切られるのも嫌。とにかく、もう何もかもが嫌なの。私の事は放っておいて頂戴。もし、それが嫌なら、解体でもなんでもして。殺せないのなら余所の鎮守府にでも異動させたらいいでしょう? もっとも戦う事を拒否するようなこんな出来損ないの空母なんて願い下げでしょうけどね」

その瞳には諦めの色が滲んでいた。

こんな寂しそうな顔をした女の子を冷泉はこれまで見たことがなかった。自分よりもまだ年下なはずの子が、こんな絶望した、すべてを諦めたような顔をしてしまうなんて……。全てを諦め、全てを拒否するよな態度を取らせてしまうなんて。

なんなんだよ、この世界は。どうなってるんだよ! 何だ、この理不尽さは。

冷泉は強く想い、苛立ち憤った。

 

しばしの沈黙が続いた。そして、これ以上の話は無いとばかりに加賀が背を向けようとする。

 

「加賀……」

引き留めるように冷泉が言葉を発する。

 

「何かまだ用があるの」

振り返るだけの加賀。

 

「はっきり言っておくぞ」

そう言って、冷泉は彼女を見つめる。身構える加賀。

「俺はお前を解体なんてするつもりも、余所の鎮守府に異動させるつもりも全くないからな。俺はお前を必要だからこそ、この鎮守府に迎え入れたんだ。その考えは変えるつもりはないし、絶対に変わらない」

 

「馬鹿じゃないの。情に訴えたところで、気持ちは変わることはありません。私は戦うつもりはありません」

あきれたようにため息をつく少女。

 

「ああ、たとえ今はそれでも構わない。それでも俺はずっと待っているから。お前は必ず立ち直る」

 

「役に立たない空母を一隻遊ばせておくというのですか? 資材の無駄でしかありませんよ」

 

「構わん」

 

「提督はご存じでは無いの? 航空母艦がどれだけの資材を必要とするか。存在するだけで維持経費がかかるというのに、それでやっていける根拠があるのですか? 舞鶴鎮守府にそんなに大量の資材があるのですか? 戦力のないものを持っていても資材が減る一方ですよ。それに、失礼だとは思うけど、見たところ、ここはかなりの貧乏鎮守府よね。放っておいたら破綻するんじゃないのかしら」

 

「ふん、なめるな。お前の維持経費くらい俺がどうにかしてやる。俺がお前を選んだんだから、それくらいの責任は取るつもりだ」

 

自信ありげに答える新たな提督に、少しあきれたように加賀はため息をついた。

「本当に馬鹿な人ですね……。けれど、そんな言葉で私の気持ちを変えることはできません。とても残念ですけれど」

と、帰ってきた言葉は冷泉の予想以上に冷たかった。

 

「俺の気持ちは、変わらないからな……」

 

「私の気持ちも変わることはありません」

 

「そうか……」

冷泉は、そう言うしかなかった。

加賀の気持ちを知ることはできたが、彼女の考えを変えることはできなかったようだ。けれど、本当の事を話してくれただけでも彼女が冷泉に心を開いてくれたと思うことで、まだ可能性が無いというわけではないと自分を納得させる冷泉だった。

 

たとえ、彼女の気持ちが変わることがないとしても、それでも冷泉は諦めるつもりはなかった。

彼女を救えるかどうかなんて、冷泉ひとりの力でどうなるようなものではないとは分かっていた。けれど、彼が諦めることは、彼女の絶望を認めてしまうことになる。そんな悲しい事は許せなかった。

……ただ、それだけだった。

 



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61話

そして、翌日。

 

鎮守府の会議室には第一艦隊所属の艦娘たちが集められていた。

戦艦金剛、同じく扶桑。

重巡洋艦高雄、羽黒。

空母祥鳳。

そして、軽巡洋艦神通。

 

そこに加賀の姿は無かった。

冷泉は彼女にも声をかけていたが、予想通り、定刻を過ぎても現れることはなかった。

予想通りの事とはいえ、少し寂しかった。

けれど、今はそんな感傷に浸っている時間は無かった。

 

冷泉は、集まった艦娘達を一度見渡し、今回の出撃メンバーを発表した。

みんなが加賀の不在を予想をしていたためか、特に誰からも異論は出なかった。そして、加賀をどうするかなどと議論するほどの時間が舞鶴鎮守府に残されていない事も理解していた。

現在、鎮守府に課せられた出撃期限が迫っている状況であり、このまま何もせずにいればペナルティが鎮守府に科されることになる。それ相応の戦果を上げていれば、少々のノルマ違反などは無視できるのだが、舞鶴鎮守府においてはそうも言えない状態だった。

それほど実績が上がっていない状態だったのだった。

鎮守府は慰安施設では無い。遊んでばかりでなんら成果を上げないところへ支給するような資材も資金も無いのだ。

すべては貴重な資源なのだから。

企業で言うところの不採算部門は、やがては切り捨てられる。それは海軍でも同じ事。役に立たない部署は廃止され再編成される。

どうやら、冷泉が来る前から何度もそういった類の警告書は来ていたようだ。それを前任の提督が放置していたのか、打つ手が無かったのか。それは冷泉には分析できていない。

しかし、言えることは一つ。

もはや、悠長に加賀の復活を待っているわけにはいかない。

 

今回の艦隊編成は、金剛・扶桑・高雄・祥鳳・羽黒・神通ということになる。

 

神通と羽黒は入渠明けであり、神通に至っては大破しての初の戦場となるため不安要素はある。本来ならば、もう少し休ませてあげたいのだが、大井は入渠中であり今回の領域において代わりになる者は見あたらないのだ。舞鶴鎮守府の現有戦力では、それ以外の選択肢は無かった。

冷泉が思っている以上に、舞鶴鎮守府の状況は良くなかったのだ。

いや、鎮守府だけでなく、冷泉本人の立場も相当に追い込まれている状態だということを知らされた。

 

この会議の少し前に、冷泉は軍令部第一部第一課からの呼び出しを受け、鎮守府内のテレビ会議施設でその担当者と話をすることになった。

加賀の件や今後の作戦の艦娘の選出の検討などで、やるべきことが目白押しだった冷泉は、その話を聞いた途端、即座に断ろうとしたが、秘書艦高雄に窘められた。

「軍令部第一部といえば、海軍の中枢。そこからの呼び出しを無下に断るような事をすることは、決して利口な判断とは言えません。どういった内容かは不明ですが、わざわざ相手を不愉快にさせる事は控えるべきだと私は考えます」

 

「……で、ちなみに相手は誰なんだ? 」

少し邪魔くさそうに冷泉は答える。

軍の組織なんてよく知らないし、あまり知りたくも無かった。本社からいきなり支店に無理難題をふっかけてくるような、どうせろくでもない話に付き合わされるんじゃないのか? そんな程度にかつての社会人経験から考えていた。

 

「東美丘(とみおか)大佐と仰っていましたが……役職は第一課長です」

この忙しい時に、何で階級が下の奴の呼び出しにこんなに忙しい時に対応しなければならないんだ? と一瞬言い返しそうになったが、その言葉は何とか飲み込んだ。

この世界の鎮守府司令官は、多くの艦船を自らの支配下に置き、自らの判断で作戦立案を立て運用できる立場にある。これは第二次大戦中とは大きく異なると思っている。本来の組織であれば、たとえ階級が下の者であろうとも上部組織の者であれば、上部組織の代表として連絡してきているのだから、それ相応の対応は必要なのだろう。けれど、冷泉が今いるこの世界の力関係はそうじゃなさそうだ。だから、上部機関らしい所からの連絡など無視しても問題ないはず……。そんなことを一瞬考えた。どうせ、ろくでもないし、聞くだけ時間の無駄であることは相手の所属部署から推測できた。今は忙しいし、時間も余裕がない。

そんな冷泉の思考を読み取ったのか、彼女の口調はとりあえずはお会いになったほうがいいですよという言い方だった。

わざわざ敵を自分から作るような軽率な行動は慎んで下さい。口には出さないが、明らかにそういう意志が伝わってくる。冷泉の事を心配しての発言なので、それを無視するわけにもいかない。

 

「了解した。……行けばいいんでしょ」

肩を竦めながら冷泉が答えると

「さすが提督です。ご立派です」

と本気で言っているのか分からないが褒めてくれた。

 

テレビ会議室に入り、スイッチを入れる。

通信中の文字が表示され、少し間をおいて一人の男が大型ディスプレイに映し出された。

冷泉と年齢は変わらない感じだ。

「冷泉提督、忙しいところ申し訳ないね」

挨拶も抜きに彼は話し始める。椅子にもたれかかるように腰掛け、机に置いているらしい資料をペラペラとめくる音が聞こえる。

「早速だが……ずいぶんと間、舞鶴の戦果が芳しくないということは認識しているとは思うが、やれやれ、随分と酷いなこれは……さすがにこれ以上こんな状態が続くと、こちらとしても見過ごす訳にもいかなくなってきている。確かに敵との関係もあるが、領域の開放エリアがゼロということはさすがに看過できない問題だと思っている。そして、遠征任務達成回数もこれまた他鎮守府と比較して相当に劣っている。この辺りの事情について、提督はどうお考えか? 」

予想通り舞鶴鎮守府の戦果についてのお小言だ。そんなことは言われなくても認識しているし、そっちだってわざわざ聞くまでもないだろう? おまけにやたらと偉そうな口調に少しイラっとしてしまう。

東美丘という大佐は癖かどうかは分からないが、顎を少し突き上げて相手を見下ろすような感じで話す。それが何か尊大な態度に思えて、ついつい反抗心が芽生えそうになる。

おそらくはこの男は将来を約束された軍の中でもエリート中のエリートなのだろう。この前やっつけた小野寺大佐と同じ臭いがする。階級は同じではあるけれど、東美丘は軍令部の課長という役職についていることからすると、彼の方が出世コースに乗っているのだろうか? その辺りはよく分からない。けれど、冷泉にとっては、どっちもどうでいい連中でしかない。

 

「確かに、それは私も認識している。最大の問題は艦娘の絶対数の不足だ。これが原因で継続的な戦線維持が出来ないし、遠征艦隊も編成できないでいる」

まずは現状を述べてみる。

本当はいろいろと言いたいことがあるが、それら全ては言い訳にしか聞こえないだろう。

 

鎮守府における問題とは、艦娘不足から来ている領域解放のノルマ達成の遅れおよび遠征数の不足による資材資金の不足であった。

資材が少ない故に戦闘で傷ついた艦娘の修理に時間がかかってしまう。また、それにより、出撃できる艦娘の数が少なさに更に拍車がかかり、彼女たちの疲労等を考慮して運用するとどうしても出撃回数や遠征回数が減っていくことになってしまう。それらは、さらなる資材不足を呼ぶというスパイラルにはまり込んでしまっているのだ。それでもだましだましなんとかやりくりしてきたが、それもそろそろ限界点に近づいている。駒不足ゆえに、それほど強敵でもないはずのエリア攻略にいまだ手間取っており、それは即鎮守府提督の能力不足とも判断されるのだった。

 

「ふん」

男は鼻で笑った。その仕草は意識せずに出たようで、慌てたように咳払いをする。

「確かに、舞鶴鎮守府の状況は前任の提督からの継続であるから、あなたにだけの責任を問うのも不公平だとは思う。けれども、それも承知で現在の地位に就かれたわけであるから勘弁して貰いたい」

 

「ああ、もちろんそれは分かっている」

お互いが思ってもいないことを言い合っている。まさに、これこそ時間の無駄だと冷泉は思う。意味のない事務的な前置きほど無駄なものは無い。何が言いたいかよく分からないが、さっさと本題に入って貰いたいものだ。

 

「前任からの負債を解消する能力があると評価されての抜擢だからな。その力を早く発揮して貰いたい。そもそも……」

 

「もちろん継続し努力していくつもりだ。それについては既に伝えているはずだが。……今日はもっと具体な話があるように思うが」

遮るように冷泉が話したため、画面に映った男の顔に曇りが生じた。

 

「コホン……確かに。今日の連絡はその延長線上の話になる。本日の話は、冷泉提督に対する通告という形になる」

そう言うと、手にした用紙を両手で持ち、わざわざ重々しい口調に変えて、男は話し始める。

「舞鶴鎮守府艦隊に対する領域出撃の期限が迫っていることはすでに認識しているだろう。……これまでの間、幾度かの出撃を行っているものの、その回数は規定にある回数に比べても少なく、また、他の鎮守府と比しても明らかに少ない状況である。しかも、領域解放の成果をまったく上げていない状態。他の鎮守府は着実に成果を上げている状況からすると、これは、今日まで領域解放の実績がないまま、ただ日常と資源を浪費し、漫然と過ごしてきたと批判されてもやむを得ない状況である。いかなる理由があろうと、この現状を放置するわけにはいかない。ここにおいて軍令部としての指示を伝える。冷泉提督、数日中に領域への出撃を敢行し、軍令部を納得させるだけの成果を上げよ」

そして、冷泉を見るとニヤリと笑った。

 

「成果とは、どういったものなのか」

 

「当然ながら勝利である。それが叶わずとも、最悪でもその道筋を立てる必要がある」

何か問題でもあるのかといった口調で返してくる軍令部の男。

 

「教えて欲しい」

冷泉は苛立ちを抑えながら問う。現場の現状をこの男は知っているのだろうか? それとも知っていてあえて言っているのだろうか。どちらにしても問題ありなのだが。

 

「何か? 」

 

「もし、私が出撃を出来ない場合はどうなるのか。それから、領域に進軍したとして、敗北し撤退せざるを得なくなった場合はどうなるのか」

 

「ふふふ。どうされたのか、冷泉提督。戦う前からそんな弱気なことを言うとは。大抜擢をされて鎮守府司令官になられたとは思えないな」

 

「常に最悪の事を考えて作戦を立案したいだけのことだよ」

 

「あまり考えすぎるのはよろしくないとは思うが……。まあいい。出撃できなかった場合は当然ながら職務怠慢および命令違反という規定違反となり、ペナルティが冷泉提督および鎮守府に課せられることになるだろう。また、敗北した場合だが、戦いは時の運というものもある。ゆえに鎮守府には特に何も課せられないだろう。しかし……冷泉提督については、その作戦指揮能力や運営能力を問われることになるだろう、ね」

語尾に少しだけ感情がこもっていた。

 

「なるほど、負ければ責任を問われるということか」

 

「一度の敗北で責任を問うわけではない。これまでの鎮守府の運営を含めての総合的な判断となるわけだ」

 

「鎮守府提督の任を解かれるということだな」

 

「最悪は、そうなる」

あっさりと回答される。最悪といいながら、実際にそうなるのだろう。すでにその辺りまでは根回しがなされ、ほぼ決まっているとしか思えないような言い方だ。

「任命責任云々の話もあるかもしれないが、立場が立場だからな。結果が全てといわれても仕方がないのではないか。それだけ、鎮守府司令官という役職は責任が重いのだから。冷泉提督の鎮守府着任は、本来なるべき人物を差し置いての異例の人事だったからな。やはり早急すぎた……ということになるのだろう」

 

「まるで私が負けるという前提で全てが進んでいるような口ぶりだな」

冷泉はあきれたように呟く。

 

「無論、そんなことはない。冷泉提督が出撃し勝利すればいいだけの話ではないか。確実に勝てる準備を整え、勝利し領域を開放すれば、それで全てが解決するだけの話。実にシンプル、何のことはない。ただ、言えることは、これまではまだ新任提督であるという事情を考慮されていたから許されているということを忘れては困るということだ。さすがにそろそろ相応の結果を出さないとな。現在の地位がいつまでも保証されていると安易に思って貰うと困るということだ」

簡単に言うが、その準備がきちんとできないから現在の状況に陥っているのだ。

もっとも、別に責任を取らされてクビなったとしてもそれは仕方ないと今では思えるようになっている。好きでなったわけではないのだから。この重責から解放されるのならば、それはそれでいいのかもしれない。

ただ一つ気になることがあるから、そうですか、と受けるわけにはいけないのだが。

 

「ちなみに、仮に私が任を解かれた場合、後任となるのは小野寺大佐になるのかな」

 

「私は人事権を持たない。故に仮定の話すら権限外事項だ」

東美丘大佐の表情を見ただけ冷泉の考えが正しいことが分かった。

 

それで決心がついた。

 

「大佐、了解だ。近々に出撃し、領域は開放しよう。……それ以外に連絡事項はないかな? 無いなら即準備を始めなければならないので、終わらせて貰いたい」

用件を伝え終えると、相手の答えを待たずに通信を切った。

 

どうやら、もし冷泉が失脚したとしたら、後任は冷泉がこの前やっつけた小野寺になる可能性が高いらしい。噂では少し聞いていたが、彼は軍部だけではなく政府内にもどういうわけかコネがあるようで、鎮守府着任に向けて着々と準備をしているようだ。それがどうやら本格化しているらしい。

これは個人的な感情ではあるが、あんな奴に鎮守府を任せるわけには行かない。艦娘達を預けるわけにはいかない。

となると、少々の無理は覚悟でやるしかないということだ。ここにきて加賀が言うことを効いてくれないのは辛いが、それは嘆いても仕方ない。

彼女には彼女の想いがあるのだろうから、それを自分で消化できない限りは無理だろう。それを待つしかないのだ。

 

この世界においては身よりも知人さえいるかどうか分からない状態の冷泉だ。当然ながら、この世界に何らツテのない冷泉にとって、本当の意味で生きていくために自分の地位を護るも大事なのだが、それ以上に大切な艦娘達をあんな奴のに任せられない。いや、他の誰であっても任せたくない。なんとしても、這い蹲ってでも頑張らなければならないのだ。

彼女たちは自分が護るのだ。

これが良い方法なのかはわからない。しかし、今はやるしかないのだ。

強く冷泉は誓ったのだった。

 

 

 

「さて、前回の出撃で領域の敵編成については、ある程度の推測が立っている」

会議室で第一艦隊の艦娘達を前に冷泉は説明を始めた。

テレビ会議のやり取りは、秘書艦の高雄にしか言っていない。あまりマイナス要素の話を作戦会議の場で話したところで何の意味も無いからだ。

ただ、彼女たちもある程度は鎮守府の現状については、認識しているのだろう。

本来なら参加すべき加賀がいないことについて、誰一人言及しない。

「敵艦隊の編成は空母を含まない艦隊と推測される。よって、祥鳳」

そういって冷泉は軽空母を見る。

 

「はい! 」

急に呼ばれたせいか驚いたような顔でこちらを見る祥鳳。ゲームとは異なり和服をきちんと着ていて肌を露出させてはいない。

 

「お前には可能な限り艦上攻撃機を搭載してもらう。頼むぞ」

 

「がんばります! 」

椅子から立ち上がり、少し大げさなくらいの声をあげ、返答する。

冷泉はそんな彼女を頷きながら見つめた。

 

「神通……」

 

「は、はい」

相変わらずおどおどした態度ではあるが、入渠あけとはいえ元気そうだ。

 

「前回大破したというのに続けて出撃させてすまない。けれど今回の戦いは夜戦が想定される。お前の力を貸して欲しい」

 

「私の命はすでに提督にお預けしています。提督の思うようにお使い下さい。この神通、全力でお応えします」

思い詰めたような表情でこちらを見つめる軽巡洋艦の迫力に少し圧倒されてしまう。本気で彼女は命を冷泉のためなら捨てそうなので、暴走しすぎないように注意しておかないといけない。

 

「うん、ありがとう。だが、絶対に無理はするな」

この前の事を思い出したのか、神通は頬を赤らめて俯いた。

「他のみんなも同様だ。この戦い、勝たなければならない。けれど、誰かの犠牲の上に成り立つ勝利では絶対にあってはならない。帰ってくる時も、全員で帰ってくる。それができなければ、一人でもかけたら、それは敗北と同じだ。それだけは肝に銘じておいてくれ。絶対に命を粗末にするな」

そういうとみんなを顔を見回す。目が合うと皆頷く。

 

その後、戦闘の基本方針を説明した。

基本は充分な索敵により、敵より先に敵を発見する。そして、航空戦力による先制攻撃。砲撃による殲滅。これが基本だ。

敵に航空戦力が無いと思われるので、戦闘機を搭載する分を攻撃機に充てることができるから、軽空母でも十分な攻撃力を発揮できると判断したのだ。

 

夜間における交戦の場合は、軽巡洋艦および重巡洋艦による雷撃戦をしかけ、戦艦による砲撃で殲滅する。ごくごくスタンダードな戦法を執るつもりだった。

 

勝てるかどうか、万全の準備を整えたとしても、それは時の運。

 

けれども一度戦った敵である。前回は撤退を余儀なくされたが、それでも次の戦いへの手応えはあった。そして、戦力的には敵よりも数段上だったのに、何故前回はうまくいかなかったかの反省点はすべて修正をかけている。その中での最大の改善点は、領域戦における武器の調整について、全ての艦において冷泉自らが立ち会ったのだった。

どうしてそんなことをしたかというと、前回の戦闘において戦艦金剛の砲撃の、異常なまでの命中率の低さが気になっていたからだ。あの時、冷泉が直接照準指示をしたら命中率が上昇した事からも違和感を感じていたのだ。帰投後、いろいろと調べた結果、出撃していた他の艦の命中率も標準値より低いことが分かった。データをいろいろ集めた結果、余所の鎮守府の艦隊の命中率と比べても明らかに舞鶴鎮守府の艦隊だけが異様に低いことが分かった。それが練度の低さから来るものかを徹底的に分析したが、どう考えても余所と劣るという理由は見いだせなかった。

そうなると原因は一つしかない。人為的な力が作用した……つまり、整備員の誰かが意図的に命中精度をマイナス方向へ調整したということになる。

まさか味方に足を引っ張られているとは思っていなかったが、そういったマイナス勢力の存在が鎮守府に入り込んでいることを知ることができただけでも良かったと判断するしかない。

けれども、今回は犯人は見つけることはできなかったし、とりあえずは見つけるつもりも無かった。また、時間的な制約もあったから、これは仕方ない。

これについては、帰投後また調査を行えば良い。敵を泳がせておいて、その背後にいる本体を取り押さえる証拠を見つける必要もあるし。

 

それはともかく、作業中、ずっと冷泉が張り付いていたために、そういった作業は出来なかったようだ。あとは艦娘達に監視させておけば手出しはできないだろう。仮に操作をしようと来たらそれで犯人を捕らえられるから効率的ではあるが……。しかし、冷泉が気づいたと知れば、あえて邪魔をするような馬鹿な連中ではないだろう。

 

マイナス要素を取り払うだけでも、勝率を相当上げることができたのではないだろうか?

そして、さらに航空戦力をアップさせていることから、更に勝率は上がっているはず。

負ける要素は相当減っているはずだ。……艦娘達といちゃついてばかりで遊んでいた訳ではないのだ。

 

冷泉は艦娘達に指示をする。

「出撃は、今夜9時。早朝に領域へと突入をかける」

 



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62話

出撃1時間前―――。

 

冷泉は鎮守府にあるコンビニで出撃中の必要品の買い出しを終え、今回の艦隊旗艦である重巡洋艦高雄の係留場所へと向かっていた。

前回の出撃の際の失敗を糧として、今回の出撃の旗艦となる重巡洋艦高雄においては、冷泉用の宿泊施設および風呂・トイレが設置されている。

軍艦であることからもともとそういった設備は設置されているのだけれど、これまで領域に出撃するのは艦娘のみであることから、そういった人間用の施設は撤去されていたのだった。

艦娘だけで戦わせるということに批判的な意見もあったが、領域内の環境が人の精神に与える影響は無視できないレベルのものであることがこれまでの戦いで証明されており、これはやむを得ない措置とされていた。

 

ほとんどの鎮守府司令官も、それに従っていた。

 

艦娘と共に出撃し、現地で指揮しようとする冷泉に対し、何度も止めるように部下から助言がなされていたが、彼はがんとしてその主張を曲げることは無かった。このため、第一艦隊の旗艦だけでなく各艦に、そういった設備が改装によりスペースの関係から最低限ではあるもの、設置しなおされたのだった。

ちなみに、こういった改装を行っているのは、舞鶴と横須賀のみである。……つまり、横須賀鎮守府の提督も自ら危険を冒して戦いに挑んでいるということである。

 

コンビニで買い物といっても、冷泉がいた世界と比較するとその種類も量も質もだいぶ劣るものになっていた。海外との接点が無くなり輸入に頼ることができなくなった日本国では、すべて自給自足で行うようになっており、当然ながらその品数が減ってしまうのはやむを得ないことなのだ。もっとも、いつ戦闘になるか分からない領域戦のため、片手で食べられるものであり、かつ、戦闘は数日間に及ぶため、それなりの期間保存できるものしか持って行けないから品は限られる。

ペットボトルのお茶、菓子パン、チョコレート、羊羹。

「なんか、災害用の備蓄食糧だよな、これ。ほんと、ため息が出るよな」

購入した物を確認し、冷泉はぼやいた。

けれども仕方が無いこと。冷泉はすぐに気持ちを切り替えて、袋を両手に抱えて歩き出す。

 

しばらく歩くと、街灯に照らされ一人の女の子が佇んでいるのを見つけた。

セーラー服姿の銀色の髪をポニーテールにした女の子だ。

彼女は冷泉に気づくと駆け寄ってくる。

「提督、こんばんはー」

 

「おう、夕張か。……どうしたんだ? 」

 

「えっと、あの……お弁当作ってきました」

そう言うと、小さな包みを差し出す。

「出撃したら、保存食みたいなものしか食べられませんよね。だから、これ食べて下さい。明日の朝食べても大丈夫な物ばかりですから」

 

「おお、そうか。ありがとう。すまないな」

冷泉は大事そうにそれを受け取ると、コンビニ袋の中へとしまい込む。

 

「どういたしまして。帰ったら感想聞かせて下さいね」

と夕張はニッコリと笑った。

「……」

そして、何か言いそうにしながらこちらを見ている。

 

気づいた冷泉が問いかける。

「なあ、夕張」

 

「はい、何でしょうか提督? 」

 

「なんか、その……何か話があるんだろ? 」

 

「……」

彼女は少し考え込むような素振りをし、黙ったままだ。

 

「どうしたんだ? 言いたいことがあるんなら、はっきり言っていいぞ」

そう言って彼女を促す。

 

「……提督。私も領域に連れて行ってくれませんか? 」

 

「ん? 突然、何故そんなことを言い出す? 」

いきなりそんなことを言われ、一瞬言葉を失う冷泉。

 

「舞鶴鎮守府は、今、大変な状況なのは私にも分かってるわ。だから、提督の力になりたいの。いえ、なりたいんです」

 

「それはありがたいけれど、今回の出撃のメンバーは既に決まっているからな」

夕張の意図が読み切れず、冷泉は形式的な回答をするばかりだ。

 

「けれど、神通ちゃんも、羽黒ちゃんも入渠明けしたばかりでしょう。ほとんど休養もなしに出撃したら、ミスや被弾率が上がるというデータもあるわ。それに、神通ちゃんは大怪我をした戦闘のすぐ後の戦いなのよ。轟沈の恐怖に囚われれている可能性があるわ。だから、今は彼女に無理をさせてはいけないと思うんです。……もちろん、彼女は絶対にそんなこと無いって否定するだろうけど」

 

「だから、神通の代わりにお前が出撃するっていうのか? ……けれどお前は、お前は」

それより先を言おうとして、冷泉は言葉に詰まらせてしまう。

 

「うん。提督、分かっているわ。……私が領域での戦いに耐えられない体だってことは分かってる。けれど、もう黙っていられない。こんな体でも、私だって艦娘です。……軍艦なんです。仲間がボロボロになるまで必死になって戦っている時に、じっと待っているだけなんて耐えられない」

その眼差しは冷泉が怯むほどに真剣だった。

 

「その気持ちだけで充分だよ。お前の気持ちは俺だって知っているつもりだ。けれども、無理なものは無理だ。お前の体では領域での戦闘に耐えられないことくらい、シミュレーションを何度も繰り返したお前なら分かっているだろう? 」

 

軽巡洋艦夕張――。

 

かつては3000トン級の体に5500トン級の武器を装備した軽巡洋艦。この世界においても小さな体に強力な武器を装備して戦ってきた。けれども、冷泉がこの世界にくるだいぶ前に戦闘において被弾し、船体の竜骨部分にあたる箇所を損傷した。その場で応急処置をしたものの、その後も無理をして戦い続けたため、そのダメージが船体全体まで及び、完全な修復は最早不可能という診断がなされていた。

通常海域での航行や超兵器使用は可能であるものの、深海棲艦の支配領域である世界には耐えられない船体強度となっていた。つまり、領域においては軍艦としての機能はほとんど失われてしまった艦娘となっていたのだった。

通常海域における艦隊戦はほぼありえない状況であることを鑑みると、領域での戦いが出来なくなった艦娘は本来なら廃船処分にされてもおかしくなかった。だが、通常会期での航行や戦闘は不可能でないため、万が一の為の鎮守府防衛および艦載兵器実験艦としての使用は可能ということで、当時の司令官の判断により存置されることになったと聞いている。

 

「それでも行きたいの。提督、私だって艦娘なんです。こんな体になってからは、港でみんなが出撃するのを見送るだけ。軍艦として生まれたからには戦いたい。戦わなくちゃ存在する意味がないの。戦うこともできず、ただ日々を悶々と過ごし、生かされているだけなんて辛い。……仲間の死を見送るだけなんて辛い。沈んだ仲間の事を悼んでも、戦うことのない私は他の艦娘と同じ立場にいられない。悲しむことさえ後ろめたい。もう、ただ兵器開発実験のために生かされているだけなんて嫌です」

 

「夕張……」

 

「提督、私、みんなと一緒に戦いたいの。みんなと一緒に悲しみたいの。そして、みんなを護りたい。みんなと一緒に戦って死にたい。私だけ艦娘じゃないのに艦娘として生かされているのは嫌なの」

いつも笑顔で元気そうにしていた彼女の頬を涙が伝わり落ちる。

 

「お前の気持ちは分かったけど、それでも領域には連れて行けない」

 

「どうしてなの? 何故私じゃダメなの? 私だって神通ちゃんと同じ軽巡洋艦です。同じくらいの働きがきっとできるわ」

 

「……死ぬことが分かっている艦娘を連れて行ける訳が無いだろう? 」

 

「そんなことやってみなければ分かりません」

 

睨むようにこちらを見る夕張に、冷泉は伝える。

「お前の自己満足の為に他の子を危険にさらすわけにはいかない。領域において一人減るということは、それだけ艦隊にリスクが増すことになる。それが分かっているのに、指揮官としてお前を連れて行けるはずがない。お前だって分かっているはずだ」

 

「やっぱり、提督は私を戦力として見ていないのね」

寂しそうに夕張が呟く。諦めにも似た寂しそうな笑顔でこちらをみる。

その視線が痛い。

「私、一体どうしたらいいの。生きていても仕方のない艦娘がこれからどうしたらいいの」

 

冷泉は荷物を掴んだ両手を離す。どさりと地面にコンビニ袋が落ち、音を立てる。

そして夕張に歩み寄ると抱きしめた。

「な? 」

驚いた声を上げる夕張。そんなことお構いなく、強く抱きしめた。

「夕張、そんな寂しいことを言うなよ。悲しいことを言わないでくれ。生きていても仕方ないなんて言うなよ」

 

「だ、だって、私なんて」

 

「夕張、領域で戦えなくたって、お前にはお前のなすべき事がまだあるんだろう。それをやるんだ。お前が試した武器の評価が開発に反映され、今後他の艦娘に装備されるんだろう。それで彼女たちの生存率が上がれば、これほどの成果はないだろう。それに鎮守府防衛だって大事な仕事だ。鎮守府が絶対安全なんてどこにもそんな保証はないんだからな。……舞鶴は艦娘数が少ない。そんな中、深海棲艦からの攻撃を受けたらどうなるんだ。巡洋艦のお前がいてくれたらどれほど俺が安心か分からなくはないだろう」

囁くように諭すように冷泉が言う。

 

「けれど、けれど私は……」

 

「お前は今生きている。生きているんだ。それは沈んだ艦娘には絶対にできないことだ。志半ばで逝った彼女たちの分までお前は生きなければならない。……なぜなら彼女たちは生きたいと願いながらもその想いは叶わなかったんだ。その想いをお前は引き継ぐ義務がある。死にたいなんて彼女たちからしたら、ただの我が儘でしかないんだから」

 

「提督……」

夕張は呻くように呟いたまま、それ以上何も言わなかった。

冷泉の言葉が彼女に届いたかどうかは分からない。

言えることは、一つ。

冷泉は、彼女に死んで欲しくない。艦娘の誰一人にも死んで欲しくない。

その気持ちだけは分かって欲しいと願った。

 

 

そして、午後9時00分――。

 

舞鶴鎮守府第一艦隊は出航する。

冷泉は重巡洋艦高雄の艦長席に腰掛けて、ぼんやりと前方を見つめていた。

 

「提督」

彼の横に立つ秘書艦高雄が声をかけてくる。

 

「どうした? 」

 

「大丈夫ですよ」

そう言ってニコリと笑う。

 

「ん? 何の事を言ってるんだ」

 

「夕張ならきっと大丈夫ですよ」

何故か自信ありげな笑みを浮かべる。

「彼女ならきっと頑張ってくれますよ」

 

「高雄、知ってるのか? 」

冷泉は少し慌てたような声を出してしまう。

 

「そりゃあ提督の秘書艦ですもの。鎮守府内で起こった出来事はみんな耳に入ってきますよ。夕張も提督のおかげできっと立ち直りますから」

 

「はっきり言うと全然分からん。彼女はずっと落ち込んだままのようにしか見えなかった。いろいろ説得したつもりなんだけど、俺自身の言葉に深みも重みも無いから無理もないよなあ」

そう言ってため息をついた。

結局の所、人を救えるのは結局の所自分しかない。冷泉ができるのは助力したりするくらいだ。

司令官という絶対的な権力を持ってはいるが、その力は敵を殺すこと、味方を死なすことにしか発揮できず、決して誰かを救うという力を持ち合わせはしていないのだから。

たった一人の艦娘すら救えないことが悔しかった。

導けるような重みのある言葉を持ち合わせていない自分の軽さを呪った。

 

「提督までが落ち込んでどうするんです。……司令官たる者、常に冷静でいなければなりません。部下を鼓舞し、不安にさせず、やる気を出させるくらいじゃないといけませんよ」

冷泉を叱咤しているつもりなのだろうが、その能力の無い冷泉にとっては、その言葉に逆に落ち込んでしまいそうだ。

 

「提督、あそこ見て下さい」

言われるまま、高雄が大画面モニタを指さす。

冷泉が視線を向けると、画面がズームアップされる。

突堤が映し出され、そこにセーラー服に銀色のポニーテールの女の子が立っていた。

 

「夕張じゃないか」

彼女はこちらに向かい敬礼をしていた。

「見送りに来てくれたのか? 」

 

「みたいです、ね」

 

夕張の唇が動き何かを語っているように見える。

 

【かならず帰ってきて】

そんなふうに見えた。

 

「必ず帰ってきて。彼女はそう言ってますよ」

すぐさま高雄が翻訳してくれた。

本当かどうかはよく分からない。冷泉の事を気遣って言っているだけかもしれない。

 

「彼女が元気になってくれればいいんだけどな」

 

「大丈夫ですよ。いろいろ思い悩むことが夕張にはあったのかもしれませんが、提督が心配して下さっていることを知ったのですから、大丈夫です。提督が生きろと言えば、彼女は道を誤るようなことはありませんよ」

その言葉には完全に断定していた。

 

「本当かな。なあ……高雄、どうしてそこまで断定できるんだよ? 」

不思議に思い、秘書艦に問いかける。

 

「そんなの簡単なことじゃないですか」

彼女は面白そうに笑う。まるでどうして分からないのか? というふうにも聞こえる。

 

「いや全然分からない」

本気で冷泉には分からなかった。

 

「ふふふ、仕方ないですね。では……提督、あなたに好きな人がいたとします。とっても好きな人が。……その人が提督が落ち込んでいる時に、がんばれって励ましてくれたらどう思います? 」

 

「……言われたこと無いからあれだけど、きっと嬉しいだろうな。がんばろうって思うかもしれない」

 

「じゃあ、提督がとても辛いことがあって、本気で死にたいって思っている時にその人が現れて、自分の為に生きて欲しいっていったらどうしますか? 」

 

「うーん。そうだな、とりあえずは頑張ってみようかって思う……かな」

 

「はい、それが答えですよ」

そう言って彼女は微笑んだ。

冷泉は結局意味が分からないまま、高雄を見つめるだけだった。

そんな司令官を秘書艦は面白そうに見ているだけだった。



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63話

領域に入ってから複数回、敵との遭遇戦があった。

 

しかし、前回とは比べものにならないほど、その戦闘は、鎮守府艦隊側に有利に進んだ。

その原因と思われるのは砲撃の命中率の大幅なアップがなされたことだと思われる。前回の戦闘と異なり、嘘のように攻撃が命中しているのだ。

 

今回の出撃までにだいぶ時間があったため、各艦娘たちがシミュレーションを繰り返すことにより能力アップがあったのは間違いない。屈辱的な敗北が彼女たちの戦意を高めたのは間違いないだろう。そのおかげでより効率的に訓練ができたのかもしれない。

しかし、それだけでは説明できないほどの命中精度の差が出ているのは明らかだった。

 

領域という深海棲艦に有利に設定された世界では、射撃管制装置といったものは使用不可能となっており、第二次大戦以前と同様作業を艦娘が行っていた。このため、当然ながら命中率は低いのはやむを得ないことだった。揺れる海の上であること、お互い動き、さらに回避行動を取ること、遠距離からの砲撃であること、そして、そもそも着弾地点がばらつくことなどなど様々な命中率を下げる要因があることから、せいぜい数パーセントの命中率であることは本を読んで知っていた。けれども前回の海戦においての鎮守府艦隊の命中率は1パーセントを下回っていた。特に戦艦金剛と扶桑に至っては冷泉が射撃補助を行うまでは0パーセントだったというデータを見て冷泉はショックを隠せなかった。

たとえ手作業によるデータ入力による照準とはいえ、人間より遙かに演算能力に優れた艦娘が行う作業であり、収集できるデータが少ないために命中率が下がるのはやむを得ないとはいえ、命中率【0%】となることはあり得ないはずだった。

 

そこで様々な調査検討を行った結果、鎮守府内部の何者かによる射撃装置への悪意を持った細工の疑いが浮上したのだった。

もちろん、なんら証拠は無かった。

冷泉の単なる思い過ごしであれば、それはそれで良かった。けれども、確認しておく必要はあった。

そこで、冷泉がすべての整備に立ち会うという作業を行ったのだった。艦娘たちにも普段は整備員との信頼関係があることから、整備員にすべて委任した状態だったものを止め、彼女たちにも念入りに確認させるという作業を全員に徹底させたのだ。「みんなを疑うようで凄く嫌な気分です」という艦娘もいたが、彼らへの疑念を打ち払うための手続きのようなものだから、我慢してくれと実施させた。

 

そして、今回。

 

領域における戦闘において、各艦の命中率は劇的に上昇したのだった。

 

実際に戦闘を行ってみて、軍艦本体である艦娘による射撃は予想以上に精度が高いことが証明された。そして、更に今回の敵には航空戦力が皆無であったため、こちら側は常に制空権を確保できた。これにより弾着修正射撃を行うことができたため、更に命中率を上げることができたのだ。しかも敵より早く相手を発見できたため、常に航空戦力による先制攻撃で戦力を削って後の砲雷撃戦とすることができたため、こちらの損傷はほとんど無く勝ち続けた。

 

しかし……。

勝利に沸く艦隊にあって、冷泉は一人冷静に考えに没頭していた。

 

砲撃については、やはり、なんらかの細工が艦自体施されていたこと思って間違いない。しかし、誰が一体、誰が何のために……?

 

「提督……どうかされたのですか? 」

秘書艦高雄が心配そうな顔で覗き込んでくる。

勝利しつづける状況なのに、ずっと黙り込んだままの冷泉を心配しているのだろう。

 

「いや、どうというわけじゃないだけどね」

と適当に誤魔化そうとするが、高雄はその赤い瞳でじっと見つめてくる。冷泉は、すぐに無理だと諦めた。

 

「やはり、命中精度の上昇の件ですか」

 

「ああ、そうだ。条件が同じではないから断定はできないけれど、やはりなんらかの細工がされていなければ、こんなに差が出るわけ無いからな」

 

「そうですね……。鎮守府の中に悪意を持った者が、……私たちが深海棲艦に勝つことを望まないものがいるということですか」

少し辛そうな顔で高雄が呟く。

「すごく裏切られた感じもしますし、少し、気味が悪くもあります」

鎮守府において働く者は、共に深海棲艦と戦うという一つの目的の為に集まった仲間であり、ある意味家族同様といっていい。しかも艦の整備を行う整備員達と艦娘はほとんど顔見知りあいの人間ばかりのはずだ。しかし、その中に自分たちに対し悪意敵意を持っている人間がいると知った時のショックは計り知れないだろう。悪意を持った存在が自分の分身の中を自由に動き回り、さらには艦の整備にあたっていると思ったら……。

これは早急に手を打ち、彼女たちの不安を消さなければならないと認識させられた。整備員に対する信頼が無くなってしまったら、大変なことになる。彼女たちの不信感はすぐに人間側にも伝わってしまうだろう。相互に不信感を持つようになったら、鎮守府を回していくことなど不可能となる。

 

「とりあえずはこの戦いが終わってからだな。今はこの戦いに勝利することが最優先だ。ここでいろいろ考えても、どうすることもできないしね。高雄……しばらくの間は、第一艦隊の中だけの秘密とし口外はしないようにしてくれ。もう少し調べてみるから、この件については俺に任せてくれないか」

 

「わかりました。提督が仰るのであれば、みんな納得するでしょう」

少し考えるような素振りを見せた秘書艦ではあるが、頷いた。

 

「不安な気持ちのままになってしまうだろうが、少しだけ我慢してくれ。実行犯だけを見つけるのはそれほど難しいことではないと思うけど、それではいたちごっこになるだけだ。根っこを叩かないと、何度でも形を変えて陰謀は蘇るだろうからな。……実行犯はすぐにでも見つけるが、しばらく泳がしておきたい。なんとか俺たちに悪意を持つ何者かの本体の手がかりでも掴むことができれば言うこと無いのだけど」

 

「提督! 」

突然、高雄が真剣な声で冷泉の話を遮る。

見ると普段は優しそうな顔をしている彼女が眉間にしわを寄せ、少し怒ったような顔でこちらを見ていた。

 

「ど、どうしたんだ? 」

 

高雄はじっと冷泉を見つめる。

「提督、約束してもらえますか? 」

 

「なんだい? 」

唐突な言葉に動揺してしまう冷泉。

 

「絶対に、絶対に危険なことはしないって約束して下さい」

 

「いや、別に危険な事をしようなんて思ってないけど」

 

「今、敵の手がかりを掴むとか仰いましたよね。今回の事を調べるに辺り、鎮守府に働く人は誰も信用できない状況だと私も判断します。だとしたら、提督は誰にも頼らず、ご自身で調べようとしますよね。そして、もし敵の本体に行き当たったとしたら、彼らはどんな行動をすると思いますか? 」

矢継ぎ早に質問を繰り出す秘書艦。

「どうしますか? 」

 

「……まあ、状況によっては排除しに来るよな」

仕方なくそう答える。

 

「絶対に止めて下さい、そんなこと。提督ご自身が命の危険を冒すような事は絶対にしないでください。もし、もし、提督に万一の事があったら私が、いえ、みんなが悲しみます。私達がいるのに、提督を守れなかったなんて、そんな辛い想いをさせないでください。どんな時でも、私達に頼って下さい。私達を側に置いておいて下さい。決して、一人で行動を起こすような無茶はしないでください。私達は常に提督の側にあり、提督をお守りするのが使命なのですから。勝手に行くようなことは絶対にしないでください」

訴える彼女の瞳は驚くほど真剣だった。どうして、そんな言葉が出てくるのかは分からない。これまでに何かあったのか、それとも前世の事を思い出しての事なのか。それは冷泉には想像できなかった。

ただ言えることは、彼女が自分の事を心から心配してくれていることだけだった。

 

「うん。……わかった。何かあればお前達に連絡するし、お前達に頼るようにするから」

そう言うと、冷泉は高雄の頭をそっと撫でた。

「心配させてすまないな」

彼女は冷泉にされるがままで、目を閉じてしばらくじっとしていた。

そして感情が落ち着いたのか、

「失礼しました」。……けれど、あまり心配させないで下さい。提督に万一の事があったら悲しむ者がいることを忘れないで下さいね」

そう言うと元の立ち位置に戻る。

 

「了解だ。ありがとう」

冷泉もそれだけ言うと、何事もなかったように戦況分析に戻る。

現段階で最優先すべきは、この海戦に勝利することだからだ。

 

これまでの戦闘の結果からの判断である。

今、戦場となっているこの海域は冷泉の予想通り、それほど難度の高いマップではないことが確定した。ゲームで言う所の出撃一覧のうち、鎮守府近海に似た感じだ。現在の戦力なら充分に力押しできる相手だ。空母もいないし、現在のところ戦艦すらいないようだ。現れる敵はせいぜい重巡洋艦程度。よほどのアンラッキーなヒットがない限り、損傷も考えなくてよいだろう。

航空機による索敵を徹底し、敵より早く発見し、速やかに航空戦力により先制攻撃を行う。その後、敵艦対との距離を縮め、戦艦重巡洋艦による艦砲射撃。残った敵をとどめとして雷撃する。

単純な力押しではあるが、まず負ける要素がないと考える。

 

これまで、どうして苦戦したのかわからない。味方による妨害工作があったとはいえ、なぜこれまで気づく事ができなかったのかという疑問もあるが、それ以上にゲームで言うところの、近海の比較的初心者向けとしか思えないMAPに似たこの領域を開放できていないことが不思議だった。前任の提督は何を考え行動していたのだろう。

鎮守府提督になるくらいだから、冷泉より能力が劣ることはあり得ないだろう。何か他に意図するものがあったとしか考えられない行動だ。それは一体、何なのだろうか? その理由が前任の提督の死と密接に関係するのかもしれない。しかし、こんなことを今考えても答えはでそうにない。

 

冷泉は高雄に命じ、ディスプレイに戦況を表示させる。

今回及び過去の艦隊の航跡と敵との遭遇ポイント、敵の艦種をデータに表示させた画面を見ると、冷泉はどこか既視感を感じた。

 

―――【1-3】製油所地帯沿岸―――

 

若干の敵艦のグレードや交戦回数は異なるものの、基本構成は同じように思える。

まさかゲームと同じようなマップになっているとは思わないが、これが事実ならば現在の艦隊であれば、やはり、そう苦戦する相手ではないだろう。

 

しかし、たとえこの世界に艦娘と深海棲艦が存在し、世界観も似ているとはいえ、ゲームと現実は異なるはずだ。安易な油断は禁物である。

冷泉は、はやる気持ちを抑えながら慎重に進行するよう指示し、領域の更に奥へと進んでいく。

 

そして……ついにBOSS戦となる。

 

ディスプレイには最大望遠で映し出された敵艦影らしきものが表示されるている。

「この距離ではまだ敵艦隊の詳細が見えませんが、偵察機の報告によると、戦艦1、軽巡洋艦2、駆逐艦2の5隻編成とのことです」

高雄が現在入手した情報を伝えてくる。

 

「そうか……」

冷泉は頷きながら、画面を見る。

艦影の上にポップアップ画面が表示され、戦艦ル級、雷巡チ級、軽巡ヘ級、駆逐ロ級、駆逐ロ級と表示されているのが見える。

ただし、これは高雄の艦橋内にあるディスプレイにはこの表示はされていないようだ。

偵察機では敵艦種を正確には判別できないようだし、その級種を知ることはさらに難しいようだ。実際の敵の種類と報告には差異が出てしまうことは、前回の戦いでも確認済みであるため、特に驚くことはなかった。

誰よりも早く、敵の詳細な情報を得られるというこの強み。なぜこの能力が冷泉にあるのかは本人にも全く不明だ。こちらに来た当初から持たされた能力なので、説明のしようがない。

海軍の誰も知らない事のようなので、冷泉としてもこれを公にするつもりは無かった。

知られるとろくなことが無さそうだ。それが最大の理由だった。

 

「敵は単縦陣で向かってくる。こちらも単縦陣で迎え撃つ。祥鳳、第一次攻撃隊を発艦させろ。各艦に指示。射程に入り次第砲撃を開始する。目標は先頭の艦のみに集中する。全艦全速前進」

先頭の艦とは敵旗艦戦艦ル級である。まずは旗艦を叩き指揮系統を寸断する。戦力の集中による各個撃破。基本的な戦術の積み重ねによる確実な勝利。ごくごく単純な戦い方だ。

 

高雄が速やかに冷泉の指示を伝達していく。

後は淡々と作業を進めていくだけで良い。

一隻づつ着実に倒していくだけのことだ。現状でさえ戦力は6対5でこちらが数的に優位。かつ、こちらは戦艦2、重巡洋艦2と質的にも圧倒している。全兵力を持って戦艦を攻撃をすれば、その火力に持ちこたえることなどできないだろう。さらに戦艦を倒せば数的な差は6対4となる。戦艦がいなくなれば質的な差はさらに大きくなる。

勝利は必然だ。

 

「提督、祥鳳より報告です。第一次攻撃隊が敵戦艦と交戦。魚雷3発が命中。敵戦艦の被害甚大とのことです」

嬉しそうに秘書艦が伝える。

 

「第二次攻撃隊の準備をするように祥鳳に伝えてくれ。それから彼女によくやったと伝えてくれ」

 

「了解しました。彼女も喜びます」

高雄がすぐに何かを伝えているような素振りを見せる。

勝利がさらに近づいたことを確信しつつ更に指示をする。

「まもなく敵艦隊が射程に入る。金剛、扶桑に伝達。砲撃準備! 」



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64話

金剛の41cm連装砲、扶桑の四一式35.6cm連装砲の一斉射撃が始まった。

劈くような轟音がこちらまで響いてくる。

ちなみに、金剛の装備は実際の装備武器より強力な物が搭載されているのは改によるものである。

 

遥か前方に水柱が立て続けに上がる。

 

呼応するように冷泉の視界に様々なステータスデータが表示されていく……。

 

この画面は、艦娘が艦橋内のモニタに表示させているものでは無いことは、すでに確認済みだ。

主に戦闘時等において表示されるもので、冷泉の意志とはあまり関係なく現れる現象であることだけは何となく理解しているが、これが何の力により発現されているのかは推測すらできていない。

 

こちら側の戦力データどころか、敵のデータもある程度まで表示してしまうし、それ以外の様々なデータをどこからか引っ張ってくることもできるようだ。そして、最近、唐突に発現した照準に関する機能は圧巻だ。目視によるデータしか無いような状態であろうとも、それ以外の、どう考えても得られるはずのない相当に精密なデータが届き、冷泉の頭では到底不可能な演算を行い、確実な命中へと導くことができるのだ。

もの凄く便利で、ゲームでいうところのチートに近いような能力なのだろうけど、何かと自分の脳がどこかと繋がっているような感覚があり、得られる物の凄さよりも、不気味さのほうが多い。……一体、こんなデータを誰が供給してくれているのだろう。この能力……いや、その何かにアクセスするソフトウェア的なものが冷泉の頭の中にインストール? されているのか? 何の承諾も得ずに? 

 

何の代償も無くこんな能力を使えるとは、さすがに冷泉にも信じられないから、この能力の使用に注意が必要なのだろうなとも思っている。しかし、それが分かっていてもこの力が無ければ、ただ艦娘の艦に乗っているだけでまともな指揮もとる能力も経験も無い冷泉である。鎮守府司令官として艦隊指揮を執り、勝利を義務づけられた彼にとって、この力を使わずにいることは不可能であることは理解している。そうしなければ、冷泉の望みは叶うことがないだろう。仮に冷泉がギフテッドでもなければ、無理なのだから。

 

この力が発現した後しばらくは、頭の真ん中あたりに鉛でも入ったかのように重く感じ、さらには、痺れるように感じたり、頭痛がしばらく酷いといったダメージがあるのだが、これくらいの代償を支払うことでこの能力を使えるのなら、艦娘達を護る事ができるのであれば、随分と安い買い物だと思っている。

今後はこの能力のスイッチのオン・オフを任意に出来るようになれば、更に有用性が出てくるのだろう。もちろん、そのためにはいろいろと調べたり訓練をしたりしなければならないのだろうが……。

 

金剛の砲撃は、敵艦より平均30メートルほど右に逸れている。扶桑の砲撃については、平均22メートル後方へ着弾したようだ。正確にはもっと詳細に表示されているのだけれど、面倒くさいので端折る。

続けて視野右隅に縦に並んで表示された六隻の艦娘の名前の表示の内、高雄・羽黒の名前が青く点滅する。金剛、扶桑はすでに青く点灯している。

 

これは、攻撃の射程に入ったという表示のようだ。

 

敵との距離はまだまだある。祥鳳の艦載機の攻撃により敵の戦艦は沈黙状態になっている。なお、祥鳳は現在艦載機の収容作業中である。このため、残された敵艦の主砲の射程に入るまでまだまだ余裕がある。今ならこちらが一方的に攻撃を続けられる。

 

「金剛、左へ30。扶桑、下へ20修正。再度砲撃準備をしてくれ。それから、高雄と羽黒、5秒後に敵が射程に入る。4人とも俺の合図で砲撃を開始できるようにしてくれ」

冷泉は素早く指示を出す。

横に立つ高雄が一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、それを口に出すことは無くすぐに指示を艦娘に伝える。

彼女の意図はすぐに分かった。おそらくは冷泉が何を根拠に修正の指示を出したのか、重巡洋艦の射程に敵艦隊が入ったのかを知ったのかを疑問に思ったのだろう。本来なら説明すべきだけれど、現在は交戦中であるためそこまで時間は割けない。彼女もすぐに理解したのか、何も聞かなかった。

 

「提督、全艦準備完了しました」

 

「よし、砲撃開始」

艦隊司令官の合図と同時に、戦艦2隻、重巡洋艦2隻の一斉射撃が始まった。

ビリビリと艦橋にまで砲撃の振動が伝わってくる。

 

少し間をおいて、前方で爆発が起こる。

攻撃が敵艦に命中したようだ。

 

視界に表示されている敵の表示のうち、「雷巡チ級」「軽巡ヘ級」に大破の文字がポップアップする。「戦艦ル級」においては先ほどまでは大破表示だったが、いつの間にかLOSTと表示されていた。つまり、沈没したのだろう。

残すところ、敵で戦力となるのは駆逐艦のみとなっていた。

 

「よし、敵戦力は大幅に削れた。一気に攻める。祥鳳に指示。艦載機を発艦させろ」

すでに準備済みだったのだろう。艦載機が一斉に飛び立っていくのが肉眼でも見える。

 

敵艦隊旗艦である戦艦が撃破された段階で、すでに勝敗は確定していた。

それでも敵は果敢に応戦し、こちらにも損傷が生じたが、戦力差はいかんともしがたく、敵艦隊が全滅するのにもそれほどの時間はかからなかった。

 

――― 勝利 S ―――

CONGRATULATIONS!

 

気のせいか、そんな文字が表示されたように思えた。

もちろん、ゲームのようには表示されることは無かった。

ただ敵艦隊のステータスがすべて撃沈となっていた。

 

そして、ゲームのように各艦娘が表示された名前の横に数字がカウントされていくのが見えた。どうやら、経験値が加算されて行っているらしい。そこら辺はゲームと同じようだ。

もちろん、これは彼女たちには見えていないものであるし、彼女たちの超感覚をもってしても認識すらできていないようだが。

 

そういった謎の部分はさておき、冷泉が舞鶴鎮守府提督になって初めての領域解放だ。

 

怨嗟の波動を撒き散らしながら、敵ボスたちは深き深き黒き海の底へと沈んでいったのだ。

 

そして、まるで夜が明けていくように、呪いのように赤暗く澱んだ空が白んでいく。

 

世界がゆるやかに、確実に変貌ていく。

 

穏やかな海。

雲間から差し込む神々しいまでの日の光。

土曜日の穏やかな朝が来たかのように、冷泉の心も晴れ渡っていくのが実感できた。すこしではあるが頭痛が残っているものの、この光景、この雰囲気に包まれたらそれほど気にならなくなったようにさえ思える。

 

艦隊のステータスを見る。

圧勝だったとはいえ、さすがにBOSS戦だ。道中の敵と比べ、敵の強さもワンランク上となったせいだろう。各艦軽微ながらも損傷を受けている。

当然ながら、みんな疲労の蓄積が明らかだった。

早く帰って、みんなを休ませてやらないといけないなと考える。

そして思ってしまう。

この戦い、加賀がいたらもっと楽に勝てただろうな。ふと思ってみる。

 

 

やがて、明けていく世界の外から、舞鶴鎮守府の迎えの艦隊が近づいてくるのが見えた。

事前に指示をしていた駆逐艦主体の艦隊である。不知火を旗艦とした、島風、叢雲の編成艦隊だ。

領域戦を終え損傷疲弊した艦隊単独で帰投するところを敵の潜水艦に狙われる可能性を考慮しての対処である。対潜装備を持たない艦隊であれば余計に油断はできない。

 

「不知火、島風、叢雲お疲れ様。早速だけど艦隊の護衛を頼む」

普段なら島風がひゃほーと叫んでくる筈なのだが、何故か大人しい。ツンツンしているはずの叢雲も黙ったままだ。

 

「何かあったのか、不知火」

すぐに普段とは異なる雰囲気に気づいた冷泉は旗艦に問いかける。

領域では、外部との通信がほぼ遮断されてしまうため、よほどの運がいいか、深海棲艦が意図的に通さないかぎりは、外界からまず連絡は取れない。

このため、一度領域に入ってしまったらもはや艦隊に指示ができなくなるのだ。故に他の提督達は指示書を旗艦の艦娘に渡しておき、艦娘任せの戦闘を余儀なくされていた。このため不測の事態には対応できないため、時折大損害を出すこともあったのだ。こういったことを避けるため、冷泉は自ら領域遠征艦隊に同行するのだった。

 

ただ、司令官が領域に出撃し鎮守府にいないということは、逆に通常世界のほうで非常事態があった場合に司令官不在という事態に陥るという欠点も持ち合わせているのだが。

冷泉は、今、その不測の事態の発生を予感したのだった。

 

そして、告げられる。

「提督、加賀さんが……」

彼女は一度言葉を止める。そして伝えたのだった。

 

加賀がみんなの制止を振り切り、単独で港を出発したことを。

 

「何だって? 何で」

一瞬、何を言っているのか理解できなかった。

彼女が一人で港を出港した?

その意味がすぐには理解できなかった。

まず最初に思ったのは、一体、どこへ行くつもりなんだ? 彼女に行くあてなんてないはずなのに……。

 

「どこへ、何をしに? 行く必要があるんだ」

馬鹿のように繰り返してしまう冷泉。 

加賀は横須賀鎮守府での辛い思い出から逃れるために、あそこを出た。そして舞鶴に来たのだ。うちを出てしまったら、もう行く所なんてないはずなのに。どこへ行くというのか?

「わからん」

 

「提督、しっかりして下さい。考えている時間なんてありません」

不思議がる冷泉に扶桑が訴えかけてくる。その声には焦りの色さえ見て取れる。

領域の魔力が無くなったため、通常の通信システムが復旧している。このため、通信手段を使用して扶桑が連絡を入れてきたのだ。

 

「うん? どうしたんだ扶桑。何か気になることでもあるのか? 」

 

「不知火、加賀さんは彼女だけで出航したのよね」

 

「はい。私達は止めたのですが、彼女は聞く耳を持ちませんでした。私の責任で行動するのだから、あなた達は何もしなくていい。放っておいて、と。空母の方が私達よりも多くの権限を持っています。故に港のゲートも開放させられましたし、彼女に出航をとめる権限は私達には与えられていません。まずは提督の指示を仰ごうとしたのですが、領域内のため通信は取れませんでしたので」

不知火は淡々と語る。本当は彼女なりにいろいろと加賀の出航をを止めようとしたのだろう。けれど全ては結果だけが評価される。ゆえに彼女は経緯を全て省き、自分がどれほど手を尽くしたかを省いて、その段階事の結果のみを伝えてきた。

そのことは彼女が口にしなくても、時折「ちょ、あんた。そんだけでいいの」とブツブツ文句を叢雲が言っていることからも推測できた。

言い訳をしないのはいいことだが、それだけだと何もしなかったと誤解されるだろう? と心配になってしまうが、それが不知火という艦娘なのだから仕方ないと諦めた。ここで冷泉がフォローしても彼女を怒らせるだけになるし。

 

「提督」

扶桑の声が不安げだ。

 

「どうしたんだ、扶桑。なんだか心配そうだけど。確かにあいつを迎えにいってやらないと行けないだろうけど、正規空母なんだから、そんなに心配する必要があるのか」

彼女の心配が何に起因するかはいまいち理解できていない冷泉は、何故そこまで焦っているのかわからないままだ。

 

「そんなお気楽に構えていられません」

少し苛立つような声で扶桑が言う。

「提督はご存じではないのですか? 確かに領域においてはその航空戦力によって圧倒的な戦力となる航空母艦です。その点だけしか知らなければ理解できないのかもしれません。……提督、その強い航空母艦は、通常海域においては、ただのプロペラ機を搭載しただけの輸送船以下でしかないということを認識して下さい。空母が搭載している艦載機は領域に特化した兵器なのです。通常海域ではただの速度の遅い飛行機でしかありません。ミサイルやレールガンの前では全く無力な存在です。そして、航空機以外に武器を持たないのが空母なのです。対潜能力などまるでないし、領域では圧倒的な力を発揮する航空機も、通常海域では、対空ミサイル等の対空兵器の的にしかならないのですよ。護衛もなしで海を彷徨くなんて殺してくれっていっていうようなものです。深海棲艦にとって航空母艦は何よりも先に潰しておきたい兵力です。それが単艦で彷徨いているって知ったら何をさておき沈めに来るはずです」

 

「な? 」

初めて知った、いや知らされた事実に衝撃を受ける冷泉。

 

「提督、大変です。加賀さんの前方数十キロの範囲に敵深海棲艦が現れました」

不知火が伝える。

「数隻で通常海域を彷徨いている駆逐艦のようです。攻撃力はたいした事はないでしょうが、空母相手ならかなり危険です」

声に切迫感。

 

意識を集中させると一瞬眩暈にも似た感覚が冷泉を襲う。

同時にモニタにスイッチが入るようなちらつきが視界に発生する。

加賀という文字が見える。そしてその周囲に敵深海棲艦の点がいくつか見えた。

距離にして、ここから500キロといった所か。西へと加賀は向かっているのが分かる。九州を迂回して横須賀にでも戻るつもりか?

 

急ぎこちらの艦隊の状況を確認する。

第一艦隊は全艦疲労が高い。この状態での高速移動とその後の戦闘はかなり難しい。おまけに距離もあるため戦艦や重巡洋艦では無理だろう。軽巡洋艦の神通でも無理だ。そもそも第一艦隊は戦闘明けだ。とてもじゃないが連続戦闘をさせるわけにはいかない。

それに駆逐艦の速力をもってしても間に合うかどうかという状況だ。

 

「何かいい方法は」

考えている時間さえもどかしい。時は一刻を争うのだから。

 

そして冷泉は判断する。

「島風」

 

「を? 」

いきなり呼ばれた島風が素っ頓狂な声を出す。

 

「お前の力を貸してくれ。……今から俺はお前の艦へ移動する。そして、加賀を救出に向かう」

 



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65話

 

了解ぃー! 行くよー!! 私の速さ、提督に見せてあげるねー。

 

そんな感じで、島風が少しはしゃぎながら答える……。

そう予想していたのだけれど、うさみみ姿の駆逐艦の答えは予想外のものだった。

 

「えー! 嫌だよ。なんで私が行かなきゃいけないの? 」

珍しく顔をしかめるような素振りをし、明らかな拒否の態度。

 

「えっ島風? どうかしたのか」

普段の彼女からは想像できない態度に驚き、思わず問いかける。

 

「あのね、提督のお願いだから聞いてあげたいんだけど……。でもね、なんかあの人、いつも怒った顔してるし、この前、私が話しかけたら睨むだけで完全無視だし。すっごく怖かった。それから、みんなに酷いこと言ってたんだよ。酷いよね。みんなあの人の事を思って声をかけたっていうのに。……私、あんな人と関わるの嫌だな」

ずけずけと本音を語る駆逐艦。

 

加賀のそっけないというか明らかに敵意を持ったような対応を何度も経験している冷泉だけに、彼女が他の艦娘に対してどのような態度をしたかは何となく想像できる。このため弁護するような言葉が見つけられなかった。

冷泉は彼女の上司であり鎮守府司令官であることから、加賀もそれなりに抑え気味に言っていたと思う。そういった柵がない艦娘に対しては、もっと強く言っていたんだろうな。あの島風ですら怒ってしまうのもやむを得ないことかもしれない。

けれど、今はそんなことを言っている場合ではない。

時は一刻を争うのだ。加賀の気持ちを説明し、島風を納得させて救助に向かって貰うように説得する時間が無いのだ。

 

「頼む、島風。お願いだから、俺を乗せて加賀を救うのを手伝ってくれ。お願いだ! 」

司令官という立場など考えている場合ではない。冷泉は頭を下げた。

 

「な! 」

複数のモニターに艦娘たちの顔が映し出されているが、扶桑が驚きの表情で声を上げた。

「何を仰るのです、提督。何故頭を下げるのです。お立場をお考え下さい」

他の艦娘たちも驚きの表情を浮かべているのがモニター越しに見える。

 

そんなことに構っている暇はない。そして、態度を窘めようとする扶桑の言葉に答えている時間も無いのだ。

「島風、もう時間が無いんだ。加賀に敵が迫っている。ここから加賀のいる場所までの距離を最速で移動できるのは、お前しかいない。お前がいろいろ思う所があるのは分かっている。けれど、加賀の命がかかっているんだ。ここは俺のお願いを聞いてくれないか? 」

 

「提督、何を仰っているのですか? もし、提督が加賀さんを助けてあげたいのであれば、そう私達に命じればいいのです。そうすれば、私達はその命令に従います。司令官が私達に頭を下げてお願いするなんて事、止めて下さい」

冷静な口調で扶桑が言う。

 

「そうです。扶桑さんの言うとおりなのです。提督は私達に命令をすればいいだけなのです。加賀さんと私達の間であった事など些事でしかありません。提督とは関係の無いことなのですから。提督が艦娘に頭を下げてお願いするなんて、本来ありえないことなんですから。そんなことしないでください」

横に立つ秘書艦も扶桑に同調する。

 

「いや……お前達と加賀の間でいろいろトラブルがあった事は知っている。彼女の言動に納得いかない部分もあるだろう。そして今回、みんなの制止を振り切って彼女は単独行動を取った。これは、命令違反と言われても仕方のないことだと思う。そんな彼女を救出するために、お前達の気持ちを無視して命令するわけにはいかないだろう。これは作戦ではないのだから。おまけに……確率は低くとも、敵との交戦があるのだからね。轟沈の危険だってある。お前達が納得できない事を強いることは、俺にはできない。空母単体で外洋に出れば、深海棲艦の攻撃を受ける可能性があり、その場合、沈没の可能性だってあることは彼女が知らないわけがない。……加賀は自業自得と言われればそれまでのことなんだ」

冷泉は秘書艦を、そしてモニターに映っている艦娘達の顔を見る。

「けれど……けれども、俺は加賀を助けたいんだ。助けなきゃならない。あいつはすべてを諦め、そして、死のうとしている。俺はそんなの絶対嫌なんだ。深海棲艦と戦うためにお前達艦娘は生まれたのかもしれない。戦って戦ってその中で仲間を失い、居場所も失い、そして自分の目的すら失って絶望の中で加賀は死のうとしている。あまりに救いが無いじゃないか。一体、何の為に生まれてきたっていうんだ? そんなの俺は絶対認めない。絶望の中て死んでいくなんて悲しすぎるじゃないか。みんなにも約束したよな……俺は誰一人死なせないって。俺は、舞鶴鎮守府のみんなを護りたいんだ。加賀だって、鎮守府の一員だ。仲間なんだ。だから、頼む。これは任務ではなく、俺の身勝手な我が儘だ。だから、手伝って欲しい、助けて欲しいんだ。俺一人の力では、加賀を救うことができない。けれど、お前達が力を貸してくれれば、それが可能になるんだ」

そう言って冷泉は島風を見る。

「島風……俺は加賀を助けたい。今から全速力で向かっても間に合うかどうかは分からない。けれど、お前なら、お前のスピードならきっと間に合う。頼む、俺に力を貸してくれ。俺のために一緒に行ってくれないか。俺の願いを叶えてくれ」

最後は、ほとんど泣き落としに近いような言葉になってしまっている。これは、司令官の資質に問題があることかもしれない。けれど、そんなことはどうでもいい。今は加賀を救いたい。このまま、何もせずに彼女を失い、後悔するくらいならどんな恥でもかいてやる。

 

真剣に見つめられた駆逐艦は、少し頬を赤らめながら上目遣いで冷泉を見る。冷泉の気持ちは理解できる。それでもまだ迷いがあるようだ。

 

「島風、提督のお願いを聞いてあげなさい」

秘書艦が口を開いた。

「それに、ここは、あなたの速さを提督に見せてあげられるチャンスよ」

 

「ををを! 」

 

「島風さん、私からもお願い。提督のお願いを聞いてあげて」

ずっと黙っていた神通が島風を説得する。その声は真剣そのものだ。

「私が行けるのなら、私が行きたい。けれど私の速度では間に合わないわ。だから、お願い。提督にあなたの力を貸してあげて」

どういうわけか、島風は怖がるような表情になる。そういえば、自由気ままな子が多い駆逐艦連中も神通を苦手にしているようにも思える時が何度もあった。

 

「島風ー、YOUはテートクのお嫁さんになるとか偉そうなコト言ってたネー! だったら旦那様のお願いは聞いてあげるものネー。それが正妻たるものの使命ネ。そんなことも出来ないなら、お嫁さん失格ヨ。やっぱり、テートクは私だけのものネー」

 

「違うもん! 提督は私の旦那さまだもん! 」

 

「だったら、さっさと行くネー! でないと、私が行くネ」

金剛の言葉が決定打となったようだ。

 

悩んだような素振りを見せていた島風も決意したように頷いた。

「分かったよ。旦那様が困っていたら助けるのは、当然のことだよね。うん、島風、がんばる」

 

「ありがとう、島風」

冷泉のその言葉に、再び駆逐艦は頬を染めた。

 

即座に行動が開始される。

 

冷泉は臨時的に旗艦である重巡洋艦高雄を下船し、島風に搭乗する。

第一艦隊は、このまま迎えに来た駆逐艦(不知火、叢雲)とともに帰投。さらに追加命令で鎮守府に待機中の艦に出撃命令を下す。島風を追い、合流し、速やかに航空母艦加賀を救出せよ。

 

冷泉は島風の艦橋に到着すると、彼女に案内され艦長席に腰掛ける。

すぐに島風が指定席であるかのように彼の膝の上に腰掛ける。

「ちょっ、ちょ」

思わず動揺してしまう。

 

「よーし、島風、発進するね!! 」

冷泉が膝に勝手に乗った少女に困惑し言葉を発するより速く、駆逐艦島風が発進した。

「提督、急ぐよね」

 

「ああ、時間が無い。急いでくれ」

振り返って指示を仰いでくる少女にドギマギしながら冷泉が答える。顔と顔の距離がほとんどない。

同時に、視界が加速する。

しかし、これまで搭乗した金剛、高雄と同じく加速によるGは全くない。

それでもその速度がこれまでとは次元が異なっていることだけは理解できた。その速度はとても海上を走る乗り物とは想像できない速度に達していることだけは間違いない。

ただ一言、圧倒的な速度だということだけは冷泉にも理解できた。

 

戦時中の駆逐艦島風もその他を圧倒する速度が自慢だったが、この世界に現れた艦娘島風もその速度を承継したものであることは理解していた。動力性能は最早駆逐艦というレベルに収まるものではない。

 

「速いでしょー提督」

 

「ああ、凄いな。みるみる目的地に近づいていく。……これなら間に合うかもしれない」

 

「当然だよ。本気を出した島風の速さは凄いんだから。重巡洋艦クラスのエンジンを積んでるんだからねー」

嬉しそうに自慢する艦娘を見つめながら、冷泉は驚愕していた。

疾走する艦は全く揺れることがないし、猛スピードで走っているという感覚が伝わってこない。ほとんど音がしないからだ。戦艦や重巡洋艦と比べれば明らかに小さな艦橋。防音だってそれほどしっかりできていないはずなんだが。

そのシステム自体が冷泉の時代には存在しないため、見当もつかない。もっとも、この世界の人類にとっても未知のテクノロジーなのだろうけど。

 

加賀を示す表示が次第に近づいてくる。敵艦も接近しているのは変化無い。

 

「島風、加賀に通信を繋いでくれ」

指示に反応して、島風が何かを操作する。

 

「ダメだよ。全然応答してくれない。通信を切ってるみたい」

予想通りの展開ではある。加賀は完全にこちらとの意思疎通を拒絶している。

 

「あの馬鹿、本気で死ぬつもりかよ。何考えてるんだ」

苛立ち、思わず口走ってしまう。

 

「レーダーに加賀さんを捉えたよ」

島風が教えてくれる。島風のレーダーシステムが加賀を捉えたようだ。……冷泉の視界の中ではだいぶ前からそれらは捉えていたのだが……。

 

しかし、距離にしてまだ数百キロ離れている。

 

「大変、近くに深海棲艦がいるみたいだよ」

島風がレーダー画面を見、慌てたように叫ぶ。

空母が単独で航行しているのを見つけた敵が引き寄せられるようにやってきているのだ。

 

「もう一回、加賀に連絡を取ってくれ。何でも良い、とにかくこちらへ逃げてこいと連絡を続けてくれ」

 

「やっぱり、全然応答しないよー」

あきれたように伝えてくる艦娘。

「機械が壊れてるのかな? 」

明らかに通信を遮断している。しかも、レーダーに映った加賀の艦影は、むしろ敵に近づいて行っているようにさえ見える。

 

「あの馬鹿……」

思わず呻く冷泉。

「くそ、この距離では攻撃は無理だってのに」

島風は予想より遙かに高速で進んでいるが、正規空母加賀に近づくには、まだまだ相当に距離がある。

 

「ねえ、提督。私の武器ならもうすぐ射程に入るよ」

不思議そうにこちらを振り返る島風。

 

「あ……」

今更ながら思い出した。これは領域内の戦いでないことを完全に忘れていたのだった。

 

ここは深海棲艦の支配領域ではない。通常海域なのだ。

通常海域において、艦娘はレールガンおよび対艦ミサイルなどの現在の人類の科学力を越えたオーバーテクノロジー兵器を駆使できるのだった。

もちろん敵もそれ相応の兵器を使えるのだが。

 

「敵に対する攻撃を開始する。島風、攻撃態勢に入れ」

 

「もう準備出来てるよ」

 

「了解だ。目標、加賀にもっとも近づいている敵艦。砲撃開始」

冷泉の合図とともに島風のレールガンが砲撃を始める。

 

射程500キロを超えた距離からの砲撃が始まる。

電磁誘導射出された弾丸が敵に向けて飛んでいく。

冷泉が前にいた世界ではアメリカ軍によって試作段階のものが公開されていたのをネットで見た記憶がある。射程400キロ弱。弾丸の初速はマッハ7.5とか。

 

艦橋の前面に表示された大画面に砲撃の軌跡が表示されていく。そして、弾丸の奇跡は敵艦のだいぶ手前で消失した。

 

「第一次攻撃、はずれ」

島風が残念そうに言う。

「射程内なんだけど、うまく命中しないや」

距離がまだ遠いせいもあるのだろう。そもそも、誘導弾でもないのだから、命中率なんて10%もあれば御の字ではないのだろうか。

 

「第二次攻撃開始」

砲撃の軌跡は今度は敵を大きく越えたところで消失。

なかなか命中はできないようだ。

距離もあるし、敵も当然ながら回避運動を取っているのだろう。超遠距離戦ではやむを得ない。

 

しかし、命中させられなければ、加賀を護ることなどできない。

まだ加賀との距離は数百キロもある。島風の速度を持ってしても数時間かかる。

攻撃が当たらなくとも、せめて威嚇できるレベルにまで近づけないと。

ただ、今のままでは命中させることは難しい。その間に敵艦は加賀との距離を縮めてしまうだろう。双方が接近しすぎるとこちらからの遠距離攻撃はできなくなる。

誤撃で加賀を損傷させてしまう恐れがあるからだ。数百キロ離れた場所からの非誘導弾による遠距離射撃にそこまでの精度を求めることは酷というものだ。

 

「島風……俺に射撃を任せてくれないか」

即座に判断した。

自分に与えられた謎の能力をフル活用するのが最善だと判断したのだ。

 

「えーと」

少し島風は考え込むような素振りを見せたがすぐに笑顔になった。

「了解だよ。私、提督を信じるね」

そう言うと膝の上から飛び降りて、操作パネルを冷泉に委ねる。冷泉の直ぐ横に立ち、興味深げにこちらを見る。

 

冷泉は島風に頷くと、操作パネルに両手を乗せる。

眼を閉じ、その機能と自分の体内の何かを接続するイメージを表出する。

複雑な回路を電気のような何かが流れていくイメージ。

そして、接続されていくイメージが連続していく。

 

浮かぶような感覚とビリっという妙な感覚が全身を襲う。

次の刹那、駆逐艦島風の射撃管制システムと自分が繋がったように感じた。

 



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66話

肉眼で見える世界。

モニター越しに映し出される世界。

 

二つの世界がゆっくりと重なり合っていく。複雑な図形、文字、数字が統合されていく。

 

冷泉が意識すればそれらは拡大縮小を繰り返し、様々なデータ、単体では意味をなさないその断片が画面のあちこちに表示されていく。

多重ポップアップ画面。複数の光景が次々と重なりあい、表示がリアルタイムでめまぐるしく変化していく……。

それぞれ瞬間瞬間で映像が変化していくため、どうがんばっても目で追うことは不可能。

意味を理解するどころか、文字を読むのさえ困難。……なのに全て認識できてしまっている。

 

それでも完全に武器管制システムが冷泉の支配下にあることだけはわかる。

 

駆逐艦島風に搭載された、現在使用可能の武器が表示されている。

遠距離攻撃用の武器は何があるかと調べると、正確には思うだけで、すぐさま表示が現れる。

3門の電磁投射砲と18基の対艦ミサイル発射口があるようだ。

そして、現在の敵艦隊との位置関係から、攻撃可能でかつ射程に入っているのは2門の電磁投射砲だ。

 

加賀の位置を把握。接近する艦は全部で7隻。そのうち3隻が先行している。

艦種はすべて駆逐艦。

艦砲射撃を繰り返しながら接近をしている。距離があるために命中弾はそれほど無いとはいえ、数を撃てばやがては致命的な一撃が命中する。

速やかに排除しなければならない。

意識を集中するだけで視界に映し出された敵艦3隻を表示する点に、いくつものデータや軌道計算式が表示されながら照準が合わされていく。

 

lock on

 

3つの敵艦の頭上に文字が表示される。

 

「まずは二隻。砲撃開始」

冷泉は命令した。

 

空気が炸裂するような音とともに、砲弾が射出される。

肉眼で捉えることのできない速度で打ち出された砲弾は、二つの軌跡を描いて消えていく。

そして冷泉の視界なのか、映し出された映像なのか判別のつかない視界を動線となり、ロックオンされた深海棲艦へ向かって突き進んでいく。

 

「続けて第二射用意。……発射! 」

発射と同時に次弾が装填されている事を確認し、残された一隻に向かって砲撃をする。

そして、その間に、すでに射出された第一射が敵艦に到達した。命中表示とともに、敵ダメージが表示される。

 

「提督すごーい! 全部命中だよ!! 」

島風が歓声を上げる。

二回目の砲撃した砲弾も敵に命中したようだ。そしてダメージ表示は大破と出ている。二門の電磁投射砲から射出した砲弾がどちらも命中したようだ。最初に砲撃した艦の方に意識を向けると、どちらの艦にも中破の文字が表示されている。

命中率100%。実戦においては、あり得ないレベルの命中率だ。

自分でやったことながら驚いてしまう。どういう仕組みで照準されて、それがどういう理屈で命中したかをまるで理解していないのだから。ただ、なんとなく勘だけで遣ったという実感しかないのだから。……すべて機械がめんどくさい作業を行い、冷泉は発射ボタンを押しただけといっても間違いではない。

 

「すごーい、すごーい」

驚きと感激で艦娘がはしゃいで飛び跳ねている。

「どうやったらできるの? 提督、凄すぎ」

 

「たまたま当たっただけだよ。まぐれだよ。……けれど、これで敵も近づきにくくなったはずだ。急ぐぞ」

冷泉の言うとおり、遥か彼方からの射撃でいきなり三隻が戦闘不能に追いやられた敵深海棲艦隊は空母加賀への接近を止め、わずかではあるが後退を始めている。大ダメージをうけた艦はその艦達の後方へと撤退を始めている。いいカモが来たと思って攻撃のため出撃したら、思わぬ所からの攻撃で大損害を受けたといったところか。

「敵は怯んだ。島風、この間に一気に加賀に接近する。敵艦隊と加賀の間に割り込む」

 

「わかったー」

島風の応答に呼応するかのように、速度が増す。130メートル弱の船体が突き進む。

 

第1から第3砲塔に装填指示を出し、次の照準を行おうとしたとき、一瞬眩暈がしたかと思うと頭の真ん中に刺すような激痛を感じ、冷泉は動きを止めてしまう。呻き声を出しそうになるのを必死に堪える。

「提督、どうかしたの? 」

わずかな異変を察知したのか、島風がこちらを見る。

 

「大丈夫だよ、島風。ちょっと眩暈がしただけだから」

ここで彼女に気づかれるわけはいかない。

「全然問題無いから、心配しないで。とにかく……今は一時も速く、加賀の所へ行くことに集中してくれ」

そう言って笑顔を見せる。

彼女に悟られなかっただろうか……。少し気になったが、島風の表情を見る限り、どうやら問題なかったようだ。

しかし、これはなんだろうか。島風に笑顔を見せながら、冷泉は別の思考をしていた。この痛みは脳の中央部から発生しているようだ。そして、痛みは今も継続している。激痛と言うほどではないけれど、かつて感じた事の無いレベルで痛い。しかも、今までに感じたことの無い部位での痛みだ。

何事も原因があって結果がある。そうであるならば、今回の頭痛は、島風の射撃管制システムとのリンクによる障害と考えるのが一番理解しやすい。

どうやら、システムとのリンクは脳に相当な負荷をかけるのだろう。機械じゃないけれどもショートでもしたのだろうか。システムとのリンクを解除すれば痛みがひくかもしれない。それを試した方がいいが、今はその余裕がない。敵艦対への次の攻撃をしなければならないからだ。とにかく、敵と加賀を引き離さなければ。

 

すでに対艦ミサイルの射程に敵艦隊が入っているのが伝わってきている。

冷泉は頭の中で司令する。

同時に艦の左右の甲板付近に設置されたミサイル発射管のうち左右3門づつが解放され、一斉に射出される。

ミサイルも砲弾と同様の軌道を描きつつ、敵艦隊へと接近していく。ミサイルは砲撃よりも速度が遅いため、迎撃される恐れもあるし、この前の戦いで深海棲艦が見せたバリアみたいなもので防がれる可能性がある。けれども仮にバリアを張るのであれば加賀への攻撃は出来なくなるし、これ以降、こちらからの攻撃を警戒して攻撃はできなくなるだろう。

ミサイルは着弾。

予想通り1隻を中破状態にしたものの、残りの艦は防御成功したようだ。予定よりは戦果は低い。

「提督、敵が撤退していくよ」

島風に言われるでもなく、敵艦隊が撤退を始めているのは感知できた。

どうやら、この戦いにおいて向こうに分が悪い事を認識したようだ。

こちらが駆逐艦1隻しかいないとはいえ、これまでとは異なる攻撃力を見せつけたこと。また通常海域であること。そして、増援も予想されること。これらを考慮すれば、最早撤退しか選択肢は無いことは当然だろう。

 

「敵は撤退したが警戒は怠るなよ。まだ潜水艦がいるかもしれないからね」

 

「そんなの分かってるよー。潜水艦なら任せて。見つけたら逃がさないんだから」

敵艦隊が加賀から離れていくのを確認しながら島風が真剣な顔で答える。

敵の位置を確認しようと意識を向けると、敵艦隊は戦意を喪失したのだろうか。完全に撤退を始め、領域の深い深い雲の中へと姿を消していた。

 

「もうすぐ加賀さんが見えてくるよ」

島風に言われるでもなく、艦橋からの視野の中に航空母艦の艦影を冷泉も捉えていた。

艦首を向こう側に向け、甲板から黒煙を上げている。敵艦隊が逃走したため、進むことは止めているようだ。

 

空母加賀:小破

 

ステータスを確認した限りでは、航行に支障が出るレベルまでの損害は受けていないようだ。しかし、彼女のステータスが一部文字化けを起こしているのを冷泉は不審を感じた。

 

「とにかく、火災を消さなければいけない。島風、接近して消火活動を始めるぞ」

 

「……」

どういうわけか島風が反応しない。

 

「島風、どうかしたのか? 」

彼女は何か不思議な物をみるような表情になっている。それはやがて不思議というよりは、なにか嫌な物を見るような感じへと変化していく。

 

「提督、……なんか、なんか変だよ。加賀さんから何か嫌な感じがする」

 

「どういうことだい」

 

「わかんない。けど、なんか凄く怖い」

データではなく直感で彼女は違和感を感じているようだ。

 

「加賀とは通信できないか? 」

 

「さっきからずっと呼びかけてるんだけど、無線には全然反応しないよ。直接話しかけてもいるんだけど、こっちにも答えてくれないし。聞こえてる筈なんだけど、わざと無視されている感じ。それどころじゃないのかもしれない。それになんか雑音が凄いし。それに……すごく嫌なものが体の側にあるような感じがして、すごく怖い、寂しくて寒いよ。すごく嫌な気分」

島風は艦娘間のテレパシーのようなもので加賀と交信しようとしていた。そのせいか、少し疲れたような表情になっている。どうやら彼女たちの通信は相手と心を同調させているのかもしれない。そのため、相手の心にある葛藤や恐怖、怒り悲しみなどの影響を強く受けてしまうかもしれない。

全くそういった能力の無い冷泉でさえ、空母加賀から発せられる嫌な気配を感じていたのだ。

 

「島風、すぐに加賀との交信を止めろ。今すぐだ。……どうも何かあるようだ。加賀と心を繋げたままだと、お前まで何かに取り込まれてしまうぞ」

冷泉はいつになく強い口調で島風に指示をする。

「加賀との交信するのは無線のみだ。それから、とにかく、今は消火作業に専念してくれ」

 

「うん、わかった」

すでに航空母艦加賀は直ぐ側にある。

島風は放水による消火を開始する。

 

加賀は艦砲射撃が飛行甲板に直撃をしているようだ。しかし、彼女は全ての艦載機を鎮守府に降ろして来ているようだ。加賀のステータスに艦載機は一切表示されていない。当然ながら弾薬もほとんど降ろしてきたようだ。どういうつもりで武器を持たずに出撃したかは分からないが、それが幸いし、誘爆や延焼被害を防ぐことができ、ミッドウェーの二の舞になることはなかったようだ。

 

「加賀、無事か? 今すぐ応答しろ」

直接無線で語りかける。しかし、全く反応は無い。

おそらくは艦橋にいるのだろうが、艦橋の窓には防弾板が降ろされた状態となっており、中を窺い知ることはできない。

「あの馬鹿、何をへそ曲げているんだよ」

思わずぼやきがでてしまう。

とりあえずは島風による消火作業が完了すれば、被害はこれ以上酷くはならないだろう。鎮守府からも応援が向かってきているから、さしあたっての危険は回避されている状態だ。加賀が応答しないならそれでも構わない。増援が来たら無理矢理曳航してでも鎮守府に連れて帰り、たっぷり説教してやる。

通常時ならそれでいいんだが、気になって仕方ないことがあった。

それは、先ほどから変だった加賀のステータス画面のバグがさらにおかしくなってきていたのだ。

 

加賀(かが) 加×▲型○ガクソkサオエウ

 

以下の表示が完全におかしくなっている。

島風を確認してみるときちんと表示されることから、これが加賀本人の異変を示している可能性があると思ってもおかしくないだろう。……いや、状況からすると確実に何かが起こっている。根拠は無いが妙に落ち着かない。こんな時はだいたいろくでもないことが起こる。

空母加賀を見ると、鎮火がほぼ完了したのか微かに白い煙が上がるだけとなっている。しかしその艦から、何か薄黒い粉末のように見える何かが付着しているのは最初からだっただろうか? そしてそれは見るたびに、次第に、もはや目の錯覚ではなく、明らかに増殖しているように見えたのだ。

 

何かが、確実に加賀に起こっている。

あまりにデータが少なすぎるため、それが何でありどれだけ重大なことかは判別できない。けれど、急がなければならないと判断した。

 

「島風、加賀に近づけるだけ近づいてくれ」

 

「近づいてどうするの」

 

「何かがおかしい。理由は無いが、何かがおかしい。お前だって気づいているだろう」

 

「うん。なんか嫌な感じがどんどん強くなっているよ。なんなの、これ」

不安そうな表情をする島風。この子でもそんな時があるのだ。

 

「大丈夫だ。俺が何とかする。心配するな。今から俺が加賀に乗り込む。そして、あいつを連れ出してくる。島風、できるだけ近づけてくれ」

そう言って、艦橋を後にしようとする冷泉の腕を島風が掴んだ。

両手でしっかりと冷泉の左腕を掴んで島風がこちらを見ていた。

 

「行っちゃダメ! 絶対に危険だよ」

その表情は必死だ。

 

「島風、時間が無いんだ。急がなければ加賀が危ない」

 

「嫌。行っちゃダメ。きっと向こうは危ないよ。何があるかわからないよ。提督だけ行くなんて危険すぎるよ」

 

「そんなの分かってる。けれど行かなければならないんだ」

 

「ダメ。他のみんなが来てからにしようよ」

駄々をこねるように拒否をする島風。

 

「みんなを待っていたら間に合わないかもしれないんだよ。わかるだろ? 」

 

「じゃあ、私も一緒に行く」

 

「駄目だ。お前は敵潜水艦を警戒しなくちゃならない。もし二人で助けにいったら、潜水艦が来ても気づかないだろう。魚雷攻撃を食らったら全員死んじゃうだろう」

 

「そ……そうだけど」

 

「だから、俺が行くしかないんだよ。大丈夫だから」

 

「でもでも……」

それでも島風は納得できないようだ。

 

「島風、約束しただろう? 」

 

「? 」

 

「お前達を絶対に護るって」

 

「あ、……うん」

頷く島風。

 

「それは加賀にも言ったんだ。今、加賀は危険な状態にある。誰かが助けに行かなくちゃ大変なことになるかもしれない。そして、今それができるのは俺しかいない。……だから、俺は行かなくちゃいけないんだ。島風も分かるよね」

 

「うん。でもでも」

 

「今、加賀を助けに行かなければ、俺は約束を破ったことになってしまう。それはみんなと約束を破るのと同じだ。約束を守れないような奴を誰が信用できる? 」

 

「でも、みんな分かってくれるよ。提督一人で危険な場所に行かせるなんてできないよ」

 

「それも正論だよ。だけど、俺が耐えられないんだ。危険だからってここで加賀を助けなければ、俺は彼女を護ることができなかった事をずっと悔やみ続けると思うんだ。何もやらずに後悔するくらいなら、やってから後悔するほうがずっとマシなんだ。だから俺は行かなくちゃいけないんだ。だから行かせてくれ、島風」

 

「でもでも、もし提督に何かあったら、私」

瞳を潤ませながら少女が必死に抵抗する。

 

「島風……俺は絶対に約束を守るってさっき行っただろう? だから心配するなって」

 

「あ、そうか……。本当に約束を守ってくれる? 」

 

「当然だよ。島風は俺のことを信じられないか? 」

少しだけ悲しそうな顔で少女を見る冷泉。彼女は冷泉の顔を見つめると首を横に振る。

「よーし、いい子だ。安心して待っていてくれ」

冷泉はそう言うと島風の頭を撫でてやる。

 

「待ってるからね、きっとだよ」

 

「ああ、必ず戻ってくるから。島風は敵を近づけないように警戒を続けてくれ」

 

「了解! 」

と、敬礼する島風。

冷泉は頷くと駆けだしたのだった。



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67話

冷泉は駆逐艦島風の甲板に飛び出すと、左方に並んだ状態になっている正規空母加賀を見る。

現在も島風よりの放水による消火作業中である。このため二隻の艦が近づいているとはいえ、まだ十メートル以上は離れている。

 

さて、どうやって空母に乗り移ればいいのか……。タラップなどの便利なものは無い。ロープを引っかけて渡るか? そして、思い出した。

前に加賀に乗り込むときに管理者権限を付与されていたのだった。それを詠唱するだけで艦内に転送されたはずだ。

「確か、○×☆□△だったよな」

口走った途端、体が浮くような感覚があったと思うと、転送されていた。そして前回と同じく、着地に失敗して転倒する。今回は心の準備ができていたから、着地と同時に体育の授業で習った前方回転受身を試してみる。

 

刹那、衝撃が襲う。

 

「ぐはっ……」

受け身は失敗した。床で激しく背中を打ったようだ。しばらくの間、呼吸が困難な状況が続いた。しかし、今はこんな事で時間を取られている訳にはいかない。

痛みを堪えて何とか立ち上がり、周囲を見渡す。

 

そして、前回との相違に気づいた。前は転倒した際に加賀を押し倒してしまうというトラブルがあったために、注意が逸らされてしまい正確に覚えてはいない部分があったものの、この転送される部屋は何も無い殺風景な空間だったことだけは覚えている。

だが、今、この部屋を見た時、明らかな異変を感じていた。

前は全面が白で統一された部屋だったが、今はまるで違う。床や壁を木の根のようなものが突き破り、あちこちを張り巡らされた後に再び壁を突き抜けていっている。その根は、いやよく見ると蔦に近いように見えるそれは、人の腕くらいの太さがあり、表面はひび割れガサガサに乾燥しているように見える。その茎からは根のようなものが出て、床や壁に張り付くもしくは根が壁面に突き刺さっている。それらは蔦の吸盤のようなタイプのものと、イワガラミの根のような物に分かれ、どちらもがその巨大な茎を支えるようになっている。

背中を強打したのはこの茎のようだ。触ってみるとかなり堅い。そしてどういうわけか脈打っているようにも感じられ、少し暖かく不気味だ。茎と根の所々にトゲのようなものが突出しており、間違ってその鋭利な部分にぶつかっていたら大怪我をしていただろう。おまけにその棘には釣り針のような返しがついている。試しに突っついてみたら、いとも簡単にポキリと折れた。

「どうしてこんなものが艦内に張り巡っているんだ……」

疑問を口にするも、答えは出るはずもなかった。

異変がこの艦内に起こっていることは間違いない。その原因が何かはわからない。しかし、今はとにかく、加賀のいる場所へ進まなければならない。

冷泉は転送された部屋を出ると、艦内の通路を艦橋へと向けて移動していく。

艦内は照明がうっすらと点灯しているため、歩くのにはそれほど困らない。通路も転送された部屋と同様に根のようなものがうねうねと這うようにある。当然ながら、床にも這い回っているため、注意しないと躓きそうになり歩行にはかなり邪魔だ。おまけにさっきも確認したように、ところどころに棘があるため、不用意にそれに触れると突き刺さる。また、あらゆる場所が根からしみ出した樹液か何か分からない得体のしれないどす黒いシミが見られる。どうもそいつが原因のようで、異様な臭いがあたりに立ちこめている。

そして、艦橋へと近づくにつれ、異臭は強まり、さらには薄黒い霧のようなものが立ちこめ、視界が狭まってくる。どうかんがえても瘴気としか考えられない。少し吸い込むだけで咽せてしまう。冷泉は取り出したハンカチで口元を防御しさらに進んでいく。

 

この植物か何か全く不明の根のようなものがどこから現れたのか、どうして加賀の艦内を占拠しているのかまるで見当もつかない。ここは海の上だというのに何故にこんな事が起こるのか?

樹液のような液体は粘り気も含んでいるようで、歩行の邪魔にもなる。それでも冷泉は歩き続け、階段を上っていく。

瘴気は更に濃くなり、ハンカチ程度では防ぎきれない状態となっている。もはや瘴気という存在の粒子さえ肉眼で捉えられるのではないのではないかとさえ思う。片手で振り払うと、さっとそれは移動する。ぐっと手を握りしめると触った感触もある。それどころかネチョリとした感触さえ感じた。

「何なんだよこれは」

掴んだ瘴気……。よく見るとそれは羽虫だった。見たこともない形の何匹もの虫が冷泉の掌でつぶれていた。大きさはコバエ程度の大きさだ。

「うわ」

思わず声を上げてしまう。

「何なんだよ、ここは」

世界はホラー映画か悪夢か。そうとしか思えない光景が目の前にある。普段なら悲鳴を上げて逃げ出している所だ。

加賀へ近づくにつれ、異界感が強まっていく。一体この先はどうなっているのか。

彼女はどうなっているのだ。

 

「くそ……なめんなよ」

冷泉は誰に言うでもなく言う。ここで逃げ出す訳にはいかない。気持ち悪いし、得体がしれないけれど、そんな不気味な世界の中心に加賀がいると思うと行かなければならないという気持ちが強まっていく。

「待っていろよ、加賀。今行くからな。それから、……あとで説教だ」

そんな悪態をつきながらも、なんとか司令室にまで到着した。扉の周りは蔦が密集しているが、ドア自体は損傷を受けていないようだ。なんとか開きそうだ。

両手で取っ手を掴むと、開けようとする。

しかし、何かが引っかかっているようで、扉は少しだけ動いただけでそれ以上開こうとしない。

「なんだこりゃ」

隙間から見える室内を覗き込むと、そこは蔦がびっしりと張り付いており、ドアに吸盤や根で張り付いているため、それが原因で開けられないようだ。そして、その奥がどうなっているかは伺い知れない状態だ。

しかし、向こう側に加賀がいることは間違いない。

「おい! 加賀!! 大丈夫か? 」

声を上げるが反応はない。

「そこにいるんだろう! 返事をしてくれ」

 

冷泉は扉を何度も何度も押し、そして引いた。そのたびに開く大きさが広がっていく。何度か繰り返すうちについには人一人が通れるほどの隙間が確保できた。蔦をかき分け体を潜り込ませる。

腕ぐらいの太さの根が鉄格子のように扉の向こう側に垂れているため、すぐには入れそうもない。しかし、その隙間から、部屋の中が何とか見えるようになった。

 

艦橋の窓には防御壁が降ろされているため日の光は差し込まない。

照明もほとんどが何らかの原因で消灯状態となっている。蔦や根が壁や天井、床を突き破って侵入したせいで断線でもしているのだろう。しかし、まだ光を灯したままの照明のおかげで中の様子も僅かではあるが見ることができた。

 

「な、んだよ……」

思わず呻く冷泉。

あちこちから集まった根のようなものウネウネと床と天井をうねった後、司令室の中央に集まり、上と下からそれぞれ垂れ蜷局を巻くようにして巨大な柱のようなものを作り出していた。

室内の瘴気はその密度を更に増しているのが分かる。空気が黒く濁り、それは視覚的にありえないはずなのだけれど異常な重さを感じさせてくる。

さらには根のような物が這い回る床や天井が揺れるように見えてくるのは何故だ。

先ほどから感じていた異臭は、さらに強まりもはや腐臭と変化し、吐き気を催さずにはいられない。

 

「加賀! どこだ、加賀」

悪臭に耐えながら冷泉は叫ぶ。少し開けただけの扉の向こう側に加賀の姿は見つけられないままだった。

「聞こえたら返事をしろ。俺だ、冷泉だ。助けに来たぞ」

 

「て……ていとく? 」

ごくごく微かに、囁く程度の大きさの声が聞こえた。

扉に体を押し込み、少しでも視野を稼ごうとする。しかし、視界の狭さと薄暗さで見つけ出すことはできない。

とっさに脳内に命じる。

加賀を探せ、と。

 

冷泉に与えられた能力。旗下の艦娘のステータス表示をさせることができる能力。これを使えば、位置が特定できるはず。

 

ポン。

 

電子音が聞こえ、視界の前方に【加賀】の表示が現れた。

そして驚いた。

 

ステータス表示画面の現れた場所。

それは、司令室の中央に巨大な柱のようになっている謎の根のような茎のようなものが絡み合ったものの中だったのだ。

 

「加賀、お前、そこにいるのか」

どす黒い根が絡み合った柱状のものの中に冷泉は見つけ出したのだ。柱の中央付近にその根に絡みつかれるようになった状態の加賀を。

 

「今助けに行くから、待っていろ」

そう言うと入り口を鉄格子のように塞いでいる根を押しのけようとする。

 

「来ては駄目」

加賀の口がそう言っているように見えた。しかし、そんな言葉で止められるはずもない。

塞いだ茎だか根っこだか分からないものは思った以上に堅くそして頑丈だった。押すだけではびくともしなかった。

冷泉は一歩引くと靴の裏で蹴る。何度も何度も蹴る。表皮が傷つき剥がれていくが、それはほんの表面部分だけでしかない。斧やノコギリがなければ切断は難しいようだ。

「くそ、どうすればいいんだよ」

蹴った程度では折ることは出来そうもない。次に冷泉は2本のそれを掴むと広げようとする。堅いとはいえ、高さ2メートル以上のものが天井から床に伸びているものであるから頑張ればその鉄格子状となった隙間を広げられる。必死で広げると30センチくらいまでは広げられそうだ。

これなら行ける。

そう判断した冷泉はその隙間に右肩を入れると体をねじ込んでいく。肩が入り、続いて頭を押し込んでいく。片方を背中押し、もう片方を両手で掴み、右足で突っ張って押し広げていく。

後は体を押し込んでいくだけ。行けそうだ。

そう思った刹那、背中と左手、右足に激痛が走った。

「がっ」

呻きを上げて痛みを感じた場所を見る。見ることが出来たのは手と足だった。

もっとも注意してやったつもりだったのに。根のところどころにあった棘。先ほど見た時には無かったはず。きちんと確認はしたはずだった。絶対に棘なんてなかった。

なのに、今、左手を貫き甲からほんの少しだけ突き出した棘、靴の底さえを貫いた棘。みるみる血が滲んでくる。背中にも刺さっているのだろう。仕込み針のように出てきたのいうのか。

しかし、今更遅い。

この棘は少しでもどうせ動いたら折れるんだろう。突き出し具合からすぐ抜くことも無理だろう。

「だったら、やることは同じだ」

さらに力を込めて体をねじ込んでいく。動きに合わせてさらに何カ所に激痛が走る。それでも前に進むことを止めず、冷泉は茨の鉄格子を突破し、倒れ込む。

痛みで悲鳴を上げそうになるが、何とか堪える。

冷泉は起きあがろうとする。左手と右足は少し動かすだけで激痛。背中と左太ももの後ろ側にも痛みがある。棘に貫かれたのは四カ所か。

これくらいならまだいける。足を引きづりながら冷泉は中央部へと歩む。片足しか使えないために床を這うように生えている根に躓いて転びそうになる。

「加賀、待ってい……ろ。今、助けてやるからな」

そう言って加賀の方を見る。

そして、加賀と目が合う。……その瞳からは光が失われかけていた。

「今行くぞ」

 

接近して分かった事がある。

加賀はどうやら正体不明の根のようなもので張り付けにされた状態になっているようだ。両腕を広げた状態で中に浮いている。

幾重にもその根が彼女に絡みつき、柱状のものを構成しているのだ。

また、視界が歪んだりぼやけたりした現象についても、その原因が分かった。歪んだ訳でもぼやけた訳でもなかった。床一面を小さな虫たちが蠢いていただけだったのだ。先ほど握りつぶした羽虫のようなものだけではない。蟻のような形状をしたもの、ダンゴムシのようなも。他にもいろいろな形の虫が移動していたのだ。そいつらは、基本的には見たことのあるような虫であったが、どこかが異なっている。触角が3本だったり、足が左右非対称だったり、頭が二つあったりとどこかが異常だったのだ。つまり冷泉がそれまでに見たことの無い形をしている。

正直なところ、虫はそれほど好きじゃないし、触りたくもないし、見たくもない。けれども加賀の元へと歩みを進めるたびに床を移動する虫を踏みつぶしてしまう。グチャリという感触が靴越しに伝わってくる。おまけに棘を踏み抜いてしまった左足は潰した虫の体液が入ってきそうで気持ち悪すぎる。

普段なら逃げ出してしまいそうな状況だが、動くたびに棘が肩を、太ももを、足の裏を貫き抉るような激痛が襲ってくるため、気持ち悪さを気にしていられなかったことがせめてもの救いか。

 

そして、痛みは歩くたびに酷くなる。けれど歩みを止めることはしなかった。

加賀を助けるんだ。その思いがなければ、ほんの数メートルの距離でさえ進むことはできなかっただろう。

 

最後の一歩。冷泉は倒れ込むようにして加賀の元へとたどり着いた。

 

「加賀、来たぞ。……すぐにここから出してやるからな」

そういって絡みついた根のようなものに手をかける。幸い、加賀を絡め取っている根や茎のようなものは艦内やここの入り口を塞いでいたものとは異なり、色はまだ緑色で若々しく、そして細く柔らかかった。

これなら引きちぎることさえ可能だ。

 

「なぜ、来たの」

視点の定まらない瞳で加賀が冷泉に問いかける。普段以上に感情の起伏がなく、さらには弱々しい声だった。

「私のことなど、放っておいてくれればいいのに。そんなに怪我をしているのに……何をしているのですか」

 

「約束しただろう? 俺はお前を必ず護るって……だから、俺はここにいる」

 

「そんな怪我をして、……一体何の意味があるのですか」

少しだけ彼女の瞳に感情が戻ったような気配を感じた。けれどそれはすぐに消え、また灰色の瞳に色あせていく。

 

「意味はあるさ。お前を助けられる。その為なら、この程度の怪我なんて代償にすらならないさ」

 

「司令官としては下の下の選択肢です」

 

「そうだろうな。けれど俺にとってはベストな選択だと思っている」

冷泉は加賀の瞳から一時も目を逸らさずに話続ける。痛みはやがて痺れになってきている。先ほどから出血が止まらないことを認識している。どうもこの植物の棘には止血を阻害する成分が含まれていたようだ。油断すると意識が飛びそうになるのを感じながらも冷泉は話し続ける。

「俺はお前をここから救い出す。お前を悲しませたまま沈ませなんかしないぞ」

 

「私は、もう、こんな世界で生きていたくはないの。領域で沈まなければ、穏やかな死が、もしかしたら迎えられるかもしれないって思って来てみたのだけれど、沈みかけたらこんな状態よ。結局は逃れられないのね。ふふふ、死ねば深海棲艦になるようね。まったく散々な運命だわ……一体、どうすればいいのかしら」

諦観するように呟く。

 

「簡単な事だ。俺と一緒にここから出ればいい。お前は俺の言うことを聞けばいいだけだ」

 

「残念だけど、お断りするわ。……もうこれ以上艦娘として生きるなんて嫌なの。戦い続け仲間の死を送り、そして自分も死んでいく。そんなことを繰り返すなんてゴメンだわ。そんなことをするくらいなら、いっその事、深海棲艦になって人間を滅ぼし、すべてを終わらせるほうがマシじゃないの。だから、あなたも私に構わずにここから出て行きなさい。そうして、私を沈める準備をしたほうがいいわ」

説得などまるで聞く耳を持たない加賀。

もはや完全に諦めの境地にあるようにさえ思われる。それが彼女がずっと悩み続け考え抜いた末の結論だというのか。

 

そんなの、……あまりに悲しすぎる。

 

「だったら俺もお前の提案を拒否する」

 

「な……。あなた怪我をしているじゃない。それにこのままここに留まったら、どうなるかわからないわ」

諦めの悪い司令官に少しだけではあるが苛立ちを感じているようだ。

 

「俺はお前を連れて帰る。これは絶対だ。どんなことがあってもそれだけは絶対に変えない。これはみんなとの約束でもある。だから、絶対にお前を連れて帰る」

 

「……馬鹿じゃないの」

呆れたような、そしてそれ以上の感情が彼女の中に芽生えているようにも見える。

 

「馬鹿で結構。ここで諦めてお前を見捨てることと比べればそんな批判などいくらでも受けてやる」

 

「……じゃあ、勝手にすればいいわ。……私は自分の運命を受け入れるだけだから」

一瞬だけではあるが感情が表れたように思えた加賀の表情も、すぐに何の感情も無いものへと変化していった。

 

「もちろん勝手にやるさ。お前を絶対にここから連れて帰るからな」

そう言うと、冷泉は加賀を拘束している蔦のようなものを両手で掴むと思い切り引っ張った。

 



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68話

絡み合った蔦は、思った以上にあっさりと千切れていく。ぶちぶちと音を立てて簡単に。これならそんなに時間がかからない。加賀をここから救出するのは予想以上に簡単かもしれない。

瞬間ではあるものの楽観的な考えが浮かんだが、それが甘すぎる考えであることを見せつけられてしまう。

 

なんと、蔦は自らが意志を持つ一つの生命体のように、冷泉の行動を攻撃と判断し、防御態勢を取り始めたのだ。目に見える速度で茎が変形を始める。茎の全体が突起を始め、棘の形状となっていく。

蔦は茎針を装備し、冷泉の行動を阻止しようとするのだ。さらに先ほど引き千切った茎の断面からは樹液があふれ出しており、その樹液に触れた上着の袖部分には小さな穴が開いていた。幸い皮膚に触れることはなかったから被害は無かったが、もし直接触れるようなことがあったら、強酸を素手で触ったときのように火傷を負っていただろう。

棘と酸。

なかなかやっかいだ。

 

「……」

冷泉は僅かな時間、躊躇する。

樹液については、それほどの量が出るわけでは無さそうなので、それほど問題視しなくてもよさそうだ。けれども刺は平均して長さ5ミリ程度。薔薇の茎のようにびっしりと生えている。おまけにかなり堅そうだ。厚手の手袋でもあればいいのだが、そんなものは持っていない。

 

「……もう諦めて逃げたらどうですか。私のことは放っておけばいいでしょう? 」

囚われの加賀が、冷泉の躊躇を看過したような冷めた声で話す。

「もともと、私と提督は無関係な者同士なのですから。所詮、ただの他人。気にすることは何も無いわ」

 

「ふざけんなよ。今更そんなこと言えるかよ」

加賀の言葉に思わず苛ついてしまう冷泉。

それでも、それ以上は文句は言わず、上着を脱ぐと両手で掴み、くるくると手に巻き付ける。

この程度では厚さに問題があるかもしれないが、それでも少しは使えるだろう。

上着を簡易の手袋とした冷泉は、再び加賀に絡みついた蔦を掴むと引きちぎる。

ぶちぶちと千切れる音がする。

 

「……お前を見捨てるわけがないだろう。今すぐここから助けてやるからな」

加賀に対する文句を言いながら、冷泉は作業を続けた。

動くたびに負傷している箇所が痛み、そのせいで踏ん張りが効かなくなるが、必死に耐えて作業を続ける。切断面からしみ出してくる酸にも注意を忘れない。

 

それでも予想以上に作業は効率よく進み、蔦に囚われていた加賀の全身が見えて来た。

 

これなら救い出せる……。こんな俺でもできる。できるんだ。きっとやりきれる。自分に言い聞かせるように作業を続ける。完遂できる目処が立ち、ホッとする。

 

そう思った時に両手にズキリとした、かなりの痛みが走る。作業をしているときからその感覚はあったのだけれど、なんとか我慢してきていたそれが、無視できないものになっていた。

恐る恐る見ると、両手に巻き付けた上着が穴だらけでボロボロになっていた。棘は刺すだけでなく、鋭利な刃物のように上着を切り刻んでいたのだった。もはや棘から手を護るのはかなり難しい。それでも何も無いよりはマシという状況だった。

冷泉は再び上着で両手を覆いなおすと、作業を再開する。あと少し頑張れば、彼女を救い出すことができるのだ。その想いだけで作業を続ける。

 

掴むたびに両手に痛みが走る。手を握るだけでもう大変な痛みだ。棘は手を護るために巻いた上着の生地をあっさりと貫き、手を指を切り刻み始めているのだろうか。その痛みは繰り返すたびに酷くなり、我慢できないほどの痛みになっていく。流石に限界に来て動きを止めて手を見ると、手に巻き付けた白かった上着が血で赤く染まっていた。

恐る恐る上着を取り除いてみる。その作業をするだけでも痛い。

そして後悔する。見なければ良かったと。

手のひらの皮膚が棘で切り刻まれ、まるでザクロのようになっていた。

見なければ良かった……。それを見ただけで痛みが三倍は増してしまったようだ。

 

「やめて……提督、もう止めて下さい。それ以上は無理でしょう? そんなになってまで私を助ける必要何て無いでしょう」

加賀も冷泉の傷を見てしまったようだ。思わず顔を背けてしまっている。

 

「あと少しなんだよ。これくらいの怪我、治療すればきっと治る。だから、あと少しだけ辛抱しろ。ここから出してやるからな」

大きく息を吐くと、覚悟を決め、再度、ボロボロになった上着を手に巻き付け保護する。役に立つかどうかは分からないが、これしか手がない。否、たとえ両手が駄目になったって構わないんだ。ここで止めるわけには、このまま終わらすわけにはいかない。

 

幸いなことに、あまりに酷い痛みが続いたせいか、両手が痺れてしまい、痛みの感覚が無くなっていた。たとえ染み出してきた樹液が傷口に染みたとしても、ほとんど認識できなかった。

 

だから、痛みで情けなく悲鳴を上げることもなかった。

指先の感覚など、もう無い。分厚い手袋でもしているように指の感覚は無い。

「少しだけ辛抱しろ、もうすぐお前を助け出せるからな」

冷泉の言葉に加賀はもう何も言葉を返さなかった。

 

パン!

 

刹那、背後で何かが破裂するような音がした。そして風を切って何かが飛んでくる音。

咄嗟にその方向を振り返る冷泉。

視野を何かがこちらに向かって飛んでくるのが微かに見えた。反射的に左腕で防御する。次の瞬間、腕に衝撃が走り、その衝撃で左腕を持って行かれそうになる。同時に何かが刺さったような感触。それは驚くほどの激痛を伴った。

慌てて痛みのする箇所を見ると、太さ2センチ程度、長さ30センチ程度の先端が尖った棒状のものが左の二の腕を貫通し、その先端を5センチほど突きだしていたのだった。

「な……に」

痛みのせいなのか、それが何か咄嗟に理解できなかった。

どう考えても矢のようなものがどこかから打ち出され、冷泉を襲ったとしか思えない。腕を貫いた矢状のものを引き抜こうと考え、手がボロボロになっていて掴んで引き抜くなんてことができないことを思い出し、諦めた。

今は矢状のものが飛んできた場所の特定が先だ。冷泉は背後を振り返る。

 

飛んできた方向は背後。そして、そこは冷泉が無理矢理入ってきたドアがあった場所。

確か、壁には天井から床にかけて太い蔦のようなものがびっしりと覆いつくされていたはず。

 

やはり、蔦が這い回った壁があった。

……しかし、先ほどとは異なる箇所があった。

いつの間にか、蔦から突き出すように生えだした突起が十数本、蔦に対して直角、つまり冷泉や加賀の方へ向けて屹立していたのだ。

それは鋭利な先端を持った矢を冷泉達に向けているかのようだった。まるで弓兵が敵を狙うかのように。

 

この植物のようなもの、それは、まずは入り口を茨の柵で侵入を阻止しようとし、続いては加賀を取り込んだ蔦を棘で阻止しようとした。それらが破られ、ついには侵入者を直接取り除こうとしているというのだろうか。

先ほどの破裂音は茎か何かが爆発し、その勢いで矢のような棘を射出したものだと考えられる。確かに、一本の蔦が破裂したように裂けているのが見えた。茎の内部のガスのようなものを破裂させ、その勢いで矢状の物を射出して射殺すというのか。どうやって狙っている? そんな疑問もあるが、それどころじゃない。

 

棘は十数本もある。とても防げそうにない……。避けるにも加賀がいる。そんなことをしたら加賀に当たってしまう。

「ならば……」

冷泉は覚悟を決め、加賀にまとわりつく蔦の残りを引きはがし始めた。裂けた両手の痛みも、左腕を貫いた矢状のものの痛みも、それ以前に体のあちこちにめり込んだ棘の痛みも構っている暇などなかった。

 

「提督、何をしているの! 速くここから逃げて」

 

パパン、パン!

再度、複数の破裂音。

また矢が放たれたのだ。

冷泉はそんなもの構わず、さらには防御の姿勢などを取ることもなく、蔦を剥がし続ける作業を続ける。

自分の命がつきるリスクを覚悟で、加賀の拘束を解く。……それが最優先事項だった。蔦を手で掴むことは最早できないため、手を鍵状に曲げ、蔦を引っかけ強引に引きちぎる。その作業は激痛、さらに激痛を伴うものだ。けれども、あと少しで加賀を解き放つことができることができるのだ。

とにかく、射出された棘が飛んでくる間に次々と作業を完了させる。2,3発当たったところで直ちに死に結びつくことはないだろう。そんな根拠のない自信があった。

 

しかし、意に反して脳内に警報が鳴り響く。

 

それは、冷泉に対する危険の警報ではなかった。

彼の脳内で表示される射出された矢状の物体の軌道が、冷泉ではなく加賀へと向かっていることに対する警告だった。

軌道は加賀の頭部及び胸部、しかも心臓を正確に射抜くようになっていた。

敵は冷泉を排除するのではなく、加賀を射殺すことで目的を達成できるということなのか。

殺すことで取り込むことでもできるというのか?

 

―――どうする?

 

考えるより速く、体は反応していた。

加賀を抱きしめると、庇うように覆い被さる。

続けて冷泉の体のあちこちに衝撃が走る。

 

「かはっ! 」

声にならない声を吐き出す。そして、何度か咳き込んでしまう。口の中に生暖かいものが逆流してくる感覚。それを必死に飲み込む。さらに腕や背中に耐えられないほどの痛みを感じる。

冷泉は痛みを堪え、腕の中の加賀を見た。

彼の腕の中の加賀は俯いた状態のため、その表情は分からない。けれど、どうやら彼女は無傷のようだ。

 

「かが、……だ、だいじょ、う、ぶ……か」

きちんと言葉にならない。もどかしい。

彼女はゆっくりとこちらを見上げ、驚いたような怯えたような表情を見せる。

「な! 提督、あなた……」

 

「おまえ、だいじょ、うぶ、なのか」

ゆっくりと一言一言正確に発音する。言葉がきちんと発しにくい。

 

「私は大丈夫よ。でも、あなた」

加賀は冷泉の体に触れてくる。すこしだけくすぐったさを感じる。

何か自分の体がおかしいのだろうか? すぐには理解できなかった。けれども継続する痛みを感じていることからだいたいは推測できる。

そして、冷泉は恐る恐る自分の体を見回す。

背中に3カ所、肩に2カ所、腹部に1カ所、左太ももに1カ所。……計7カ所。

蔦から射出された矢状のものが突き刺さっていた。体を貫通するまでのものではなかったものの、自分がかなり深刻な重傷であることは即座に判断できた。

意識していないのに、口から顎へと何かが垂れていき、落ちていく。右手で口元を拭くと真っ赤だ。

 

警告! 警告!!

バイタルサイン著しく低下。

速やかな処置が必要。

緊急!!

 

ありがたいことにそんな警告もしてくれている。

そんなの見なくても分かってるし。

 

再び加賀を見ると、冷泉の努力の結果、彼女を拘束した蔦はほぼ全てが除去できている状態だ。もう彼女だけでも動くことは可能なはず。

 

「俺は、大丈夫。今すぐここから離れろ」

そう言ったつもりだけど、きちんとは喋られない。時々咽せてしまう。

 

加賀は首を横に振る。そして、絶望的な表情で自分の足下を見た。冷泉はその視線の方向を見る。そして絶望する。

彼女の両足には冷泉が除去した蔦とは比べものにならないくらい頑強そうな蔦が複雑に絡みあい、さらに蔦から分かれ出た巻きひげが彼女の足に突き刺さっていた。

どう見ても、短時間での除去は不可能だ。足を切り落としでもしないかぎり彼女はここから動くことはできない……。

 

なんでだよ……。

こんなにがんばったってのに。どうしてうまくいかないんだ。この世界でも俺は駄目なのか? すべて無駄なのか……。

 

冷泉は現実に絶望するしかなかった。

 

「私のことは、もう諦めて下さい。提督は十分すぎるくらいのことをしてくれました。そんな怪我までして、私を助けようとしてくれました。……提督の気持ちが本物であることは分かりました。それだけで充分です。だから、もう逃げて下さい」

 

背後では再び矢状の棘が屹立を始め、狙いを定めるかのような動きを始めている。

 

「いやだ……」

冷泉は首を横に振る。

「お前を助けるまで、絶対にここからは出て行かない。俺はここを動かないぞ。ここまで来て、こんなに頑張って、諦められるわけないだろう。そんなの、嫌だ」

きちんとその言葉を話せたかどうかは分からないが、彼女には冷泉の想いは伝わったようだ。

悲しそうな瞳で冷泉を見つめる。

「また、あの矢が飛んできます。あんなので撃たれたら……」

 

「違う。あれはお前を狙っているんだ。お前は避けることなんてできないだろう? だから、俺はここから離れるわけにはいかない」

 

「……だったら、私から離れれば、提督は安全じゃないですか。今すぐに離れて下さい。いえ、今すぐ離れなさい」

 

冷泉は頭を振る。

「断る。目の前で誰かを死なすなんてことを見過ごす事なんてできるわけがない。俺はお前を護るって約束しただろう。だから、護ってみせるさ」

 

「詮方無いこと、無駄なことです。人間が、……あなたがあの攻撃を何度も持ちこたえるわけないでしょう。きっと提督は死んでしまうわ。そして、もちろん私も死ぬこととなるでしょう。……けれど、ここを離れれば、提督は助かる可能性があります」

 

「俺だけ助かったって意味がない。お前と一緒に帰らなきゃ、意味がない」

 

「何を馬鹿なことを言っているの。私は最初から死ぬつもりでした。だから、結果は変わりません。何も変わることは無いのです。だから、提督が気に病むことなどまるでないのです」

 

「お前がここで死ぬというのなら、安心しろ。俺も一緒に行ってやるさ。誰しも一人は寂しい……そして、一人で死ぬのは辛く寂しい。だから、こんな俺でも一人よりはマシだろうからな」

 

「愚かな……。なんで、私なんかのためにそんなことをするのですか。理解できないわ」

 

「お前は、俺の部下だからだ。俺の大切な仲間だからだ」

 

「そんなのたまたまのことじゃない! たまたま、あなたの部下になっただけです。しかも私は何の役にも立たない存在でしかなかった。今後もお役に立てる事なんてないはずです。そんな私を護ってどうするのですか。あなたにはこれから為すべき事があるはずです。そして護るべきものも。そちらを優先するのが正しいこと、それがわからないあなたではないでしょう? 」

 

「それでも、お前を見捨てることはできない」

自分がきちんと喋れているかどうかさえすでに分からなくなっている事を冷泉は冷静に認識できていた。冷泉の脳内では自らの生命の危険を知らせるアラームが鳴り続けていた。

加賀との会話が成立しているのは彼女の力に負うところが大きいようだ。

 

「なにを馬鹿なことを言うの」

 

「誰一人見捨てない。だからお前を助ける」

 

「すべてを救うことなんて、人間ごときが出来るはずがありません。実現不可能な夢を追いかけること。あなたのそんな歪な願望はただの妄想、手前勝手な妄想に取り憑かれた、ただの狂気でしかないわ。何かを得るためには、必ず何かを犠牲にしなければならない。何の代償も支払うことなく、全てを手にすることなど、この世界の誰にも叶わぬ夢。そんな甘い世界な訳がない。しっかりと認識して下さい、あなたの為すべき事を。常に最良の選択をするのが司令官の役目です。今は自分の命を優先するのが上に立つ者の使命でしょう」

諭すように加賀が伝えてくる。

 

そんなこと分かってる。分かりすぎて嫌気がさしてるよ。

 

3度目の破裂音。

風を切って矢が飛んでくる。冷泉は両手を広げ、それを受け止める。

悲鳴のようなものが聞こえたのは加賀の声だったのだろうか。視界が赤く染まっていくのを感じる。

 

明滅する視界の中で確認する。

加賀には怪我はない。

 

冷泉はふらつきながらもしゃがみ込み、加賀の足下へ手を伸ばす。

どう考えても残された時間は少ない。彼女の足に絡みついた蔦、張り付いた巻きひげを剥がし取ろうする。

まともに動かせない指ではあるが、両手を添えて隙間に爪をつっこみ、引きはがすように動かす。何度も何度もそれを繰り返す。やがて、嫌な音と共に爪が剥がれ、血を吹き出す。それでも諦めずに繰り返す。

 

「もう止めて、止めて下さい」

悲鳴にも似た加賀の声が遠くから聞こえる。

 

「待っていろ、もうすぐだから」

うわごとのように冷泉は答える。

「何か道具のようなものがいる」

蔦と蔦の間に突っ込む棒のようなものが必要だ。そして、すぐに自分に突き刺さった矢を使えばいいと考えた冷泉は、手が届く場所に刺さった矢を探す。

一番手近なのは太ももに突き立ったものだ。言うことを効かない両手を駆使し、なんとか両手で掴むと引き抜こうとする。しかし、矢そのものに返しがあるようで激痛がするだけで抜けそうもない。

「くそ! 」

冷泉は座りこむ。

突き刺さった矢の矢筈に当たる部分を床に固定すると、両手で思い切り上から足を叩きつける。ハンマーの要領で何度も何度も。

当然の激痛。

しかし、思ったより矢が足を突き抜けない。今度は矢ごと足を上にあげ、勢いを付けて再度叩きつける。

何度も何度も。

その度に冷泉のうめき声と加賀の悲鳴が聞こえる。

やがて、鏃部分がズボンを突き破って顔を出す。10センチ程度出たところでそれを掴むと思い切り引き抜く。

もう痛みなんてどうって事無くなっている。冷泉は抜き取った矢を掴むと加賀の足下の蔦と蔦の隙間にそれを突っ込み、蔦を引き裂こうとする。

 

「やめて、やめて、……もう止めて。お願いだから」

呻くような加賀の声が聞こえてくる。そんなこと気にとめている時間は無い。

再び矢が射出されるかもしれない。そして、それ以前に冷泉の命も。

梃子の原理を利用して蔦を引きちぎろうとする。しかし、力を込めた瞬間、あっさりと矢が折れてしまった。あまりにも脆く。

 

「なんでだよ……」

薄れゆく意識の中で加賀を助ける手立てが無いという失望感に浸食されていく。もうどうすることもできない。

それでも冷泉はなんとか立ち上がる。

ちょうど加賀と目が合う。彼女の瞳からは涙があふれ出し頬を伝い落ちている。

 

「加賀、ごめん。お前を助けられそうにないよ」

 

その言葉に加賀は頭を左右に振る。

「あなたは頑張ってくれました。もう充分です。……早くここから」

 

「あと何度耐えられるかは分からないけど、俺が盾になってお前を護るからな。たとえ死んだとしても」

彼女の言葉を遮るように冷泉は宣言する。

 

「止めて下さい。なんでそこまでするの。私なんかのために。何の価値も無いのに」

 

「……最後だから正直に言うよ。俺がお前を好きだからだ。お前が大切な存在だからだ。それだけじゃ、駄目か」

唐突な言葉に加賀の表情が硬直する。

 

「な、なにをいきなり……」

 

「俺の我が儘だ。好きな女を護れずに、それどころか見捨てて自分だけ助かることなんてできるわけないだろう。何の意味も無いことだ。でも、どうやら、俺に力が無かったせいで、お前との約束は守れそうもない。ごめんな。……でも、お前一人行かせたりしない。俺もお前と一緒だ」

全てを伝えるのにどれくらいの時間がかかったかは分からない。たどたどしくしか話せなかったかもしれないが何とか自分の声で喋った。

視界が灰色になっていく。しかも何故か揺れが酷くなっている。

 

「嫌……。何でそんなこと言うの? 何で死んでいくの? また私を置いて死んでいくの? また、私の前で死んでいくの? もう、もう誰一人として死ぬところを見たくないってあんなに願ったっていうのに、なんでそれすら叶えてくれないの!! 」

加賀の叫び。

 

警報がまた鳴る。

 

そして破裂音が背後で複数――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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69話

何度目かの衝撃が冷泉を襲う。

肉を貫き、体に何かが突き刺さる嫌な音。

 

もはや体の耐性の限界を超えてしまっているせいなのか、不思議と痛みは感じない。まるで痛覚が麻痺してしまっているかのようだ。痛みを感じているのか、そうでないのかすら、もうよく分からない。

 

ただ、言えること。残念だけど……もうダメだなって思う。

 

自分は、ここで力尽きる……。

それだけは、どうやら間違い無さそうだ。

 

まさか……こんなところで、死ぬなんてことになるなんて。

自分の死なんて、まるで実感が沸かない。たとえそれがあるとしても、とんでもなく遠い未来のことだと思っていた。

なのに……まだ20代だっていうのに。いろんな感情が渦巻く中、思わず笑ってしまう。

 

やっぱり、運が無かったのかなと思う。少し自嘲気味になってしまう。

 

冷泉の人生とは、振り返るとずっとついてなかったように思う。

部活のレギュラーに抜擢されたと思ったら、階段を踏み外して転倒し、入院した。結局、その怪我が原因で部活そのものを諦めなきゃならなくなったけど……。本当に毎日毎日馬鹿みたいに一生懸命練習して、やっと勝ち取ることができて、凄い嬉しかったのにな。

大学受験の時は、受験日当日に食あたり。どうやら前日に壮行会と称して友達と食べに行った焼き肉がいけなかったらしい。きちんと焼いたつもりだったのに。

そういえば、就職活動もついていなかった。第一志望の会社に内定を貰っていたっていうのに、突然、何の説明もなく内定取り消された……。あれはショックだった。それでも、知り合いのツテでなんとか就職できた会社は、いわゆるブラック企業でこき使われたのに、特別枠で採用してやったって事で驚くほどの薄給だった。無能なのに立ち回りだけは上手な上司や、コネ持ちの後輩に顎で使われるだけの毎日。努力しても努力しても、何をやっても最終的にすべて裏目に出る人生。うまくいきそうな良い波が来たとしても、ここ一番で必ず躓く。まるで何かの大きな力が働いて、自分の人生を邪魔されているような感覚。まるで貧乏神にマンツーマンで取り憑かれたような人生だった。

 

そして、今回もそうだ。いや、今までの中でもっとも酷くて悲惨だ。

 

後悔ばかりの後ろ向きな思考が延々と続いているように感じる。けれども実際の時間はほんのわずかなんだろう。時間がスローモーションになり、走馬燈のようにこれまでの人生のダイジェストを強制的に見せられているようだ。

 

そして、今度は現状を直視させられる。

無数の矢状の物で貫かれた体。肩や腕はそれほどたいしたことはないが、胸部や腹部、脚に刺さった部分がかなり深刻な状態になっていると思われる。思うように呼吸が出来ない息苦しさ、僅かに認識できる腹部の焼けるような痛み、そして、太ももからの出血は一向に止まる気配がない。

 

……素人目にも、これは駄目だなと分かる。自分のダメージを計る、そんな案外冷静な自分がいる。

 

けれど、それもまた人生。足掻いたところで仕方ないんだ。これが人生なんだと達観するしかない。

だって、今ここで死ぬにしても、謎の軍艦に攻撃されてた時に自分は既に死んでたんだ。二度も死ぬなんていうのは、超がつくくらい不幸なんだろうけど……。

 

けれども、こんな状態でありながら、訪れる死を恐れることもなく、取り乱しわめき散らさないでいられる自分がいる。その理由は何だと考える。それは、腕の中の加賀を見て確信する。

加賀がまだ無事で生きているからだ。

このまま自分が彼女の盾となり続けることができれば、味方艦隊が到着するまでの時間を稼げるはずだ。それまでがんばれば、きっと加賀は助かることになるだろう。

 

とりあえず、誰かを守ることができたんだから、こんな命でも少しは役に立ったんだろう。

 

決して無駄死にじゃない。

 

何の取り柄もない自分がこちらに来てからいろいろとがんばり、鎮守府の何人かの艦娘を救うことが、護る事ができたんだから、それだけでも良しとしないと。

大切な何かを護って死ねると思えば、何とか心の平静は保てそうだ。

 

加賀が俺を見て、何か必死になって叫んでるようだけれど、その声は冷泉には聞こえない。……届かない。

 

冷泉は彼女に微笑みかける。

「加賀、とにかくだなあ。……お前は、とにかく生きろ。これからもちゃんと生きるんだぞ。もう死にたいなんて馬鹿な事を言わないでくれよ。なんてったって、俺が命がけで守ってやったんだからな。死ぬなんて俺が絶対に許さないぞ。……もう少しがんばれば、仲間がやってくる。そうすれば、お前は助かるんだ。あのな、生きていればきっといいことがあるはずなんだよ。だから、絶対にお前を、お前の未来を諦めるなんてこと二度とするなよ……」

最後まで説教臭いことを言ってしまう。もう少し気の利いた事を言ってやりたいんだけれど、そういった言葉が浮かばない。

 

加賀は首を激しく横に振り、冷泉を睨むように見つめてくる。何故だか、彼女の頬を涙が伝い落ちている。明らかに取り乱しているのだけは分かる。そして、何か叫んでいるようだけれど、冷泉の耳には届かない。

 

「なあ、絶対だぞ……約束だぞ。お願いだから」

言葉を続けようとするが、それ以上の言葉を伝えることができなかった。本当に伝えたい言葉を……。

冷泉の意識が暗転していく。

 

消えゆく意識の中で、ぼんやりと冷泉は考える。

後悔が無いと言えば、それは嘘になる。本当なら、もっとこの世界で生きていたかったな。艦娘たちを、彼女たちをこの先も自分の力で守り続けたかったな。お前達は俺が護る! 偉そうにそんな約束をしたというのに、途中で投げ出すことになってしまいそうだ。

けれど、ここらあたりが自分の限界らしい。

 

みんな、ごめんな……。

 

ま、いい事なんてあんまりなかった人生だけど、こっちの世界に来て、鎮守府に着任してからの生活は充実していたし、いろいろあったけどわりと楽しかったな。そうだな。振り返ってみれば、最後はわりと悪い人生じゃなかったのかもな……。

 

けど、もうちょっとみんなとイチャイチャしたかったけどな……。そんなことを考え、思わずにやけてしまう冷泉だった。

 

でも、やっぱり……辛いな。

このまま死んでしまうのは、辛い。あいつらを残して行くのは辛いよ。

金剛が、扶桑が、祥鳳が、高雄が、神通が、夕張が、叢雲が、不知火が、島風が……鎮守府の艦娘達の笑顔が次々と浮かぶ。もうあいつらとも会えないのか……。

 

どういうわけなんだろう。

 

感覚がほとんど無くなっているっていうのに、目頭が熱くなる。頬を何か暖かい物が伝い落ちていくのを感じていた。

 

みんな、許してくれ。辛いよ……。

 

 

 

 

ボロボロになりながらも、自分を庇い続けてくれた存在から力が次第に失われていくのを加賀は感じていた。

それは、どこか遠くへ消えていくような感覚に似ている。

 

「いや、いや、……いや」

掠れるような声が出るだけだ。

 

また、自分の前から大切な人がいなくなってしまう。永遠に、消えてしていってしまう。

 

そして気づくのだ。

どうして……提督が大切な人になるのか?

何で、そんなことを考えてしまったのだろう。浮かんだ考え否定しようとするが、否定しきれない。

 

そんなはずは、ない。

 

横須賀鎮守府に見捨てられた、軍艦としては何の役にも立たない自分を拾ってくれた、ただの物好きな提督でしかないはず。

 

何かにつけ、いちいち自分にちょっかい出してきて、何度拒絶してもしつこく話しかけてきた……かなりきつく言ったのに全然堪えない鈍感でデリカシーの無い人。加賀の人生の中でかつて無いほどうざったいだけの人。加賀がどんな気持ちでいるかなんて全く考慮なんてしないで、心の中に土足で踏み込んで来て、青臭い自分の理想だけを大声で叫びながら、それを押しつけてくる迷惑な上司。

冷泉朝陽という舞鶴鎮守府の司令官は、ただそれだけでしかない。それだけの存在なのだ。それだけの筈なのだ。

 

……なのに、どうしてなのか。胸が苦しいのだ。自分は彼に護って貰ったから、傷一つ無い。無いはずなのに、とてつもないほど痛い。体のあちこちが耐えられないほどに痛い。ズタズタに引き裂かれたように痛いのだ。

 

目の前で、また、人間が死んでいく……。

 

そんな光景は、これまで何度も何度も見てきた。その程度の事で心にさざ波が立つことなど無くなっていた。そんな光景など見飽きたはずなのだ。人の死など何の感慨もなくそれを見送ってこれたはずなのに。

 

それなのに、今、冷泉提督の命が尽きようとしている場に直面し、耐え難いまでに心が乱れ、息もできないほどに苦しいと感じている。

 

この喪失感は、この苦しみは、あの時、親友の赤城をこの手にかけた時と似ている。

 

また……なの?

 

絶対に失いたくない。絶対に死なせたくない。

誰を? ……それは。

 

そう思った時、全身が猛烈に熱くなるのを感じた。

 

嫌だ。

 

嫌だ…。

 

嫌だ……。

 

絶対に、嫌だ。

 

もう二度と、大切な人を失いたくない。

否、失わせない!

 

ただ運命に抗い、必死で戦ってきた。

けれども、結局、運命とは自分の力ごときでは変えることなどできない、抗うことなど無意味なとてつもなく大きな潮流であり、必死に逆らったところで自分が傷つくだけで、結局は何も変わらなかった。そして、それでも自分は愚かな試みを数え切れないくらい繰り返し、結局のところどうにもならず、いつしか全てを諦めてしまっていたのだ。

自分の感情を押し殺し、何も見ないようにしていた。誰とも接触を持たないようにしていた。関わってしまって縁ができてしまったら、やがてそれは大きな悲しみを生むだけでしか無かったからだ。自分の未来は、悲しい思いをするだけの結末しかないのなら、最初からそんなものは、いらない。たとえ孤独であったとしても、大切な物を失う悲しみからは逃れられる。一人でいる寂しさなら耐えられるけれど、大切な人が死んでいく悲しみなどもうたくさんだ。そうやって自分というものを押し殺してきた。

それで上手くやっていけるつもりだったのに……。

 

運命という理不尽な存在が、また新たな悲しみを自分に与えようとしている。

一体、自分が何をしたっていうの? どれほどの罪を自分は背負わされているというのか。そして、いつになったら赦されるの?

 

そして、突然、わき起こった感情。

それは怒りにも似た感情だった。

 

もし、自分が生まれながらにして罪深い存在であるというのなら、いくらでもその罪を償おう。自分に負わされる罰なら、いくらでも耐えられる。

けれど、なぜ私の前から大切なものばかり奪っていくの? 何故、私を生かし、私を殺さないのか!

何故、理不尽に私の大切な人だけを奪い去るっていうの?

 

彼女に、彼にどんな罪があるというの?

それが、その人の宿命というのか? 

私との関わりを持った者の罪というなら、……私はそんなもの許さない。

もう、絶対に許さない。

 

こんな理不尽さなんて、何もかも残らず自分の手で壊してやる。こんな連鎖、断ち切って終わらせる。

たとえ、それが神に仇なす行為をと断罪されようとも構わない。

 

体が急激に熱くなる。

遙か昔に忘れた感覚が蘇る。

 

一瞬、艦橋内の全ての電源が落ち、暗闇に包まれる。そして、次の刹那、あらゆる機器が息を吹き返す。

 

加賀の意志に関係なく、全システムが再起動を始めたのだ。

 

照明が室内を煌々と照らし出す。室温が急激に上がっていく。まるで体内に侵入した細菌に対して、体が身を守るための生体防御機能が発動したかのように。それに呼応するように艦橋内を覆い尽くすようになっていた蔦状の植物が目に見えて萎れていく。水分を奪われ干からびていくようだ。

 

しかし、艦内に巣くった植物は自らの生命の危機を察知したかのように、再び蔦から巨大な棘を作り出し、矢を射るかのように屹立させる。その数は先ほどまでとは比較にならないほどの数だ。

そして、その先には加賀と冷泉がいる。

 

「もう勝手にさせない……」

加賀が視線をそちらに向ける。

 

破裂音とともに、再び矢のような形の棘が射出される。しかし、同時にあちこちから吹き出すように現れた炎の渦に飲み込まれ、瞬時に焼き焦げ灰となる。

システムが何故、再起動を始めたのか、そして、炎がどのようにして現れたのか、加賀にはまるで分からなかった。けれどそんなことはどうでも良かった。

今は自分の艦内に侵食しているモノを全て排除し、提督の命を救うことが最優先なのだから。

彼女の感情に呼応するかのように炎は蔦に燃え移り、次々と燃え広がっていく。

蔦は意志を持つかのように炎から逃れるように移動するが、炎の速度からは逃れられず、炎に包まれていく。

艦内のあちこちで火災が発生し、侵入者を焼きつくしていっているのが彼女には感知できた。

 

燃えたぎる炎の中にいるのだから、相当に熱いはずなのに、まるで熱を感じない。この炎は普通の炎では無い。これは何なのだろうか見当もつかない。しかし、そんな事はどうでもいい。そのおかげで炎の温度で提督の体にダメージが与えられることは無いのだから。

 

蔦は燃えながらも、必死に延命を図っているようで、火災を逃れるように安全な場所でもあるかのように撤退を始める。そのおかげで加賀を拘束していた蔦も無くなり、解放される。

同時にそれまで提督を支えていたものが無くなったため、加賀は提督の体を支えきれずに、そのまま倒れ込んでしまう。幸い、提督の体が加賀に覆い被さるような形で倒れたため、彼の体に突き刺さった矢状のものがそれ以上、彼の体を損傷することはなかった。

身をよじらせながら提督の体の下から抜け出すと、加賀は立ち上がる。

そして、初めて冷泉提督の状況を確認し、衝撃を受ける。

 

血だまりの中に彼の体があり、十数本もの矢状のものが彼の背に脚に腕に、相当に深く突き刺ささっていて、身にまとった純白の軍装も血で赤く染まっている。

彼からは、最早、生体反応が感じられず、呼吸をしているかさえ判別できない。そもそも……確認はしていないし、するつもりもない。

 

「今すぐ、助けを呼ぶから……待って」

艦橋の窓に降ろされていた防御板は昇降させており、今は外の景色が見えるようになっている。明るい外の景色には、一隻の駆逐艦がいた。それは加賀を護るようにゆっくりと周回している。

それが島風であることは既に分かっている。

 

「島風、聞こえる? 」

通信機器を立ち上げると、すぐさま彼女に通信する。

一番にやることは決まっている。提督を彼女の艦に移し、高速駆逐艦である彼女に鎮守府の病院へ搬送を依頼するのだ。

 

「こちら島風。聞こえるよ。……やっと繋がったね。何してたの? もう」

モニターにウサミミ姿の少女が映し出される。

少し苛ついた感じのしゃべり方だ。

「提督がわざわざそっちまで行ったのに、結構時間かかったね。提督ってあれだけ自信たっぷりだったのに、駄目だよね。聞こえてる提督?……おーい、おーい、提督聞こえてるー? 」

そう言ってキョロキョロとこちらを見回すような素振りをする。そして背後に倒れた提督の姿を見、もともと大きな目を更に見開く。

「提督、提督、大丈夫なの! ねぇ提督ってば!! どこにいるの? 」

その声は最後には叫びになっている。

 

「駄目よ、……島風。提督は怪我をしていて、それもかなり重傷なの。だから、すぐにでも病院に連れて行って治療しなければならないわ。私がなんとかそっちへ連れて行くから、あなたの艦で提督を鎮守府に連れ帰って。時間がないわ」

確認作業はできていないが、早急な治療が必要な状態であることは加賀も認識している。このまま自分が連れて行ければいいが、もともと加賀の航行速度はそれほど速くはない。そして、艦は深海棲艦の攻撃と艦を侵食した蔦状の生命体のために中破状態に近い。これでは普段通りには航行なんてできるはずもない。

「だから、島風、そちらに提督を運ぶのをあなたも手伝って」

 

「……」

島風は答えない。モニター越しにこちらを見ているだけだ。先ほどと変わらず動揺した状態のままだが、何か覚悟を決めたような表情になる。

 

「どうしたの、あなた。早くこちらに来て手伝って頂戴。もたもたしている時間は無いわ」

少し苛つく。

 

「……私は、提督を病院には連れて行かないよ」

と、島風が言った。

 



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70話

「はあ……? 」

一瞬、彼女の言った意味が分からず、言葉に詰まってしまう。そしてなんとか理解して唖然とした。

何を言っているのだ、この子は。

確か、島風は提督のことが大好きでお嫁さんになりたいって馬鹿なことを言ってたはず……。瀕死の状態の提督を見て、取り乱して自分が何を言っているのか訳が分からなくなったとしか思えない。

「島風、あなた、本気でそんな馬鹿なことを言っているの。私は冗談に付き合っている暇は無くてよ。提督の状態が良くないのは、画面越しでも分かるでしょう。とにかく、今すぐにでも病院へ連れて行って、治療しなければならないの。分からない? さっさと準備しなさい! 」

少し苛立っている。そして、何故だか腹も立ってきた。こんな感情はこれまで滅多に無かったことであることを認識しながら、加賀は声を荒げる。

感情の制御が難しくなっている……。こんなことなんて無かった。

 

島風に腹が立った。

 

この海域から鎮守府の病院までどれくらいの時間がかかると思っているのか。今は一分一秒たりとも無駄にできない状態なのだ。それをこの子は理解できないっていうの。

人間の体というものは、自分たち艦娘と比べると驚くほど脆弱だということは知識としては理解しているが、実際のところ加賀でさえ、それがどの程度のものか正確には理解していない。データでは人間は全血液量の30%を失うと命の危険らしいといった認識を持っているだけだ。それからすると、どうみても倒れた提督の体からはその程度の出血量はあるように思える。止血方法についてもデータベースにやり方はあるけれど、現在の提督のように体中を矢で貫かれた時の対処法など書いていない。刺さった矢を抜くことだけは危険。それくらいしか役に立たない。

実体験を伴わない知識とは、それほど役に立たないものなのだ。

 

加賀の心は焦りと後悔で一杯のままだ。様々な事を考え、その答えが見つからずに苛立ち、自分を追い込んでしまう。自分のせいでこのままでは提督が死んでしまう。その恐怖が心を支配している。暴走しそうになる心を必死に制御して、なんとか言葉を発する。

「もういい……議論していても始まらないわ。とにかく、早くこちらに来て、提督をそっちへ移動させるのを手伝って」

いつまでも反応しない島風に構っていられない。今はやるべきことをやらなければ。何か行動をしていないと心がどうにかなりそうなのだ。

加賀は提督に歩み寄り、彼の体を起こそうとする。

 

「駄目! もう少し待てば、鎮守府からみんなが助けに来てくれるから。それまでは待たないと駄目だよ」

唐突に島風が叫ぶ。

 

確かに、島風の言うとおり、舞鶴鎮守府より艦娘達がこちらに急速に接近しているのは知っている。

叢雲、不知火、村雨の3人だ。

領域解放戦を終えた第一艦隊を護衛して鎮守府へ戻り、そのままこちらへ最大戦速で向かって来ているらしい。

けれども、まだその距離はかなりある。彼女たちが来るのを待って提督を搬送するよりは、今すぐ島風を行かせた方が良いに決まっている。この緊急時においては最良の選択は、今すぐ島風に提督を任すことであることは明らか。なのに、この子はなにを言ってるんだろう。

 

そして、苛立ちは頂点となる。

 

「あなた、本当に馬鹿じゃないの? ……意味の分からないことを言って私を困らせないでちょうだい。何度も言うけれど、そんな事に付き合っているような状態じゃないの。……私に対して思うところがあるのかもしれないけれど、そんな事なら後でいくらでも聞いてあげるわ。今はそんなこと考えてる場合じゃないのは分かってるでしょう。だから、早く手伝ってちょうだい」

感情を隠しきれない刺々しい声で加賀が言う。

この娘は提督の命がかかっている時に自分に対する批判を言うつもりなのか? それが加賀の心を逆撫でする。そして、いつしか攻撃的になっている自分に気づき唖然とする。そして後悔する。これは自分の罪の意識から逃れるために、島風を敵として攻撃することで心を平静を保とうとしている。なんて卑怯な自分なのだ。けれど止められない。

 

「そんなつもりで言ってないよ」

島風は頭を振る。

 

「なら、どういうつもりなのよ? 」

 

「……今、私が提督を連れて病院に行ったら、あなたはここに取り残されてしまうことになちゃうじゃない。それは絶対に駄目」

 

「何を言ってるの? 私なら大丈夫よ。何とかするし、多分、何とかなるわ」

 

「自力で動くこともできない、艦載機も武器も持たない空母一人がこんなところにいたら、深海棲艦にまた狙われることになっちゃう。今度は中破状態なんだよ。これ以上攻撃を受けたら本当に沈んでしまうよ」

 

「ハン! そんなの、どうでもいいでしょう? 提督の命の方が遙かに大事でしょう? あなたにとって、どちらが大事かなんて考えるまでもないでしょうに。仮に私が深海棲艦と交戦状態になって沈もうがどうしようが、あなたにとってはどうでもいいことじゃないの? 」

 

「……違う」

島風は悲しそうな瞳で頭を振る。

 

「何が違うの? 私は提督を困らせてばかりで、おまけに私の我が儘で提督がこんな目に遭わされてしまっているのよ。そんな私なんかのために、あなたにとって大切な提督が、もし手遅れになったらどうするの」

 

「でも、まだ近くに深海棲艦がいるかもしれないんだよ。ううん、たぶん、きっと潜水艦が海底で息を潜めて隠れている。そんな状態で私がここからいなくなったら、きっと加賀は攻撃されるんだよ」

 

「そんな事は覚悟の上だわ。自分の身は自分でどうにかするわ。けれど提督をこのままにしておけないでしょう? 今はどちらかを選択しなければならない時。そして、あなたの立場なら、すでにどちらを選ぶかは決まっているはず」

島風にとっての優先順位を考えたら考えるまでもないだろう。何をこの子は躊躇しているのか。

 

「だから、私はここに残るって言ってるんだよ」

 

「ば……」

馬鹿じゃないの? しかし、その言葉が出てこない。批判しようとして、島風のあまりに真剣な顔に言葉を失ってしまったのだ。彼女は冗談でも何でもなく、本気でそう思っている。

 

「提督は命がけであなたを護ろうとしたんだよ、分かってるの? もし、私が勝手なことをして、残されたあなたが攻撃を受けて沈んだりしたら、提督がきっと悲しむもん。あなたが死んだら、提督は絶対に悲しむよ。そして、後悔して自分を責めつづけるに決まってるもん。それが分かってるから、絶対にそんな事できない。私は自分を責めて悲しんでいる提督の姿なんて見たくないもん。提督にはいつも笑っていてもらいたいもん。……だから、みんなが来るまでは、ここであなたを護る。何て言われても、絶対に動かないよ」

 

「私の命なんて提督の命と比べたらどうでもいいことでしょう? 提督が死んだら、彼は悲しむこともできないのよ。そして、そんな事よりも、提督が死んだら、あなた悲しくないの? 」

 

彼女は再び頭を横に振る。

「提督は、絶対に死なないもん」

 

「?! ……何でそんなことが言えるの? 提督の状況はそちらからでも見えるでしょう? 一刻を争う状況だってことが」

 

「約束したもん! 提督は約束を絶対に守るって。加賀を救い出したら必ず帰ってくるって言ったもん。提督は約束は破らないんだよ。今までもそうだったし、これからもそうだよ。だから、私は提督の言葉を信じる。島風は提督を、私の旦那様の言葉を信じる。だから絶対に大丈夫だよ」

本気でそんなことを信じているのか? 驚きと呆れで言葉を失ってしまう。何が島風をここまで信じさせるのだろうか。

絶対的な信頼を彼女は提督に寄せているのだろう。そこまで人を信じたことのない加賀にはその気持ちは理解はできるものの納得はできなかった。そして、そこまで信じられることを羨ましく感じた。

いつか自分も冷泉提督の事をそんなに信頼できるのだろうか? そんな関係を築く事ができるのだろうか……できたら、本当にできたら、いいな。

 

そして、すぐに頭を振る。

何を馬鹿なことを夢見ているのか。自分にそんな事など赦されるはずがないのだから。提督が助かっても、自分にそんなことはあり得ない……。すぐにそんな否定的感情が沸き出してくる。そして、その否定的思考は現実のものとなるのだろう。それが、いつもの自分の人生なのだから。

自嘲的になってしまう。

 

どちらにしても、これ以上の議論は無意味だということだけは分かった。理屈をいくら重ねても、島風を説得することは不可能だ。

 

「わかったわ。……だけど、他の艦娘が来たらすぐに発進できるように提督をあなたの艦に運ぶのは構わないでしょう? 手伝ってもらえる? 」

仕方なくそう言うしかなかった。島風を説得することもできない自分にはどうすることもできないのだから。

 

「うん。分かった、すぐに行くね」

そして、島風はすぐにやってきた。提督の状況を見て言葉を失う。

モニター越しに見たものと現実は大きく異なったのだろう。血だまりの中にある彼の側に駆け寄ってしゃがみ込むと暫く動けないでいた。幽かに呻くような声がした。しかし、すぐに立ち上がると、

「そうだ……担架か何かで運ばなくちゃいけないよね。ちょっと探してくるね」

と言うと駆け出す。彼女の表情には動揺も衝撃も迷いも何もない、いつもの島風の顔があった。

 

「島風、ガーゼか何か清潔な布があったら、ありったけ持ってきてちょうだい」

加賀も説得を諦めた。迎えに向かってきている艦娘がどれくらいの時間でやってくるかは分からないが、とにかく今はやれることやるしかないと判断したのだ。こうやって言い合いをしたところで何にもならない。

やれることと言ってもほとんどないが、唯一あるのは冷泉提督の止血くらいだ。艦内には人間の怪我を治療するための施設も装備も存在しない。しかし、布くらいはあったように思う。今はその作業をするしかない。

 

とにかく……人間にとって重大な血管が損傷していないことを祈るしかない。

 

それから、艦内から見つけた布でとりあえず止血の真似事のような処置をした。真っ白だった布がすぐに血で染まっていく。出血はまだ止まっていない……。どうしたらいいの? と嘆きそうになるがすぐに気持ちを入れ替える。今はできることをやるだけなのだ。

担架を見つけて持ってきた島風と協力し、駆逐艦島風へ提督を搬送する。突き立てられた矢状のものがとても痛々しい。けれどこれを抜くわけにはいかない。

 

加賀は、全く反応のない提督の側で祈るしかなかった。

彼に言いたい事はいくらでもあるはずのに、その言葉が出てこない。島風が側で見ているっていうのに、涙だけがこぼれ落ちていく。

 

死なないで、死なないで。ごめんなさい、ごめんなさい。

壊れた機械のように、頭の中でその二つの言葉が延々と繰り返される。

その時、彼女の右手に暖かく柔らかい感触。見ると島風が自分の手をそっと添えるように置いていたのだった。

「大丈夫だよ、提督は絶対に大丈夫だから」

優しい笑顔で島風がこちらを見て頷く。

 

そして、1時間が経過した頃、ついに味方の艦隊が到着したのだった。

 

 

不知火、叢雲、村雨の3人が到着すると島風は簡単な伝言を伝えると、

「絶対に大丈夫だからね! 」

言葉を残し、鎮守府へと先に出発していった。

 

迎えに来た3人は冷泉提督の状況を見て、一瞬だけ言葉を失ったものの、すぐさま作業に取りかかった。

機関部に浸水の被害が出ている加賀は、エンジンが不調となっているようで自力航行は不可能であった。このため、不知火が加賀を曳航し、叢雲、村雨が両脇を固める形で護衛し帰還していくこととなった。

曳航作業の準備中も誰も口をきかなかった。

叢雲が口を開きかけたが、それを察した不知火に止められたのだった。一瞬反抗的な目を不知火に向けた彼女もすぐに諦めたように頷いただけだった。

提督があれほどの重傷を負った原因が加賀にあることはみんな分かっているのに、それについて何一つ加賀に聞こうともしない。ただ、明らかに批判的な視線だけは感じた。文句があるならはっきりと言って欲しいのに。

終始無言のまま、曳航されていることは責められる以上に辛かった。はっきりと批判されたほうがむしろ気が楽だった。

けれど、それは仕方の無いこと。自分の身勝手な行動で取り返しのない事をしてしまったのだから。これくらいどうってことはない。提督さえ助かってくれれば、何も言うことはない。もし、それが叶うのならどのような目にあっても構わない。

「お願い、助けて下さい」

呟き、力尽きたようにしゃがみ込んでしまう。

何もすることが無いとすぐにマイナス思考に陥ってしまう。どうしたらいいのか、どうすればいいのか。そんなことばかり考えてしまう。今は祈るしかないのに、それすらまともにできない。

どうにかなりそうだ。どうしたらいいのか。……膝を抱え、頭を埋めて、そんなどうしようもない思考ばかりを延々と繰り返していた。

 

 

そして、舞鶴鎮守府に帰投した……。

 



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71話

舞鶴鎮守府では提督重体の連絡を受け、艦娘たちはかつて無いほどの動揺を受けていました。

第一艦隊として共に出撃していた艦娘たちの反対されたものの、自らの主張を一切曲げることなく、深海棲艦に襲われた正規空母加賀を救出するため、駆逐艦島風と共に向かった提督。

 

あの時、もっと強く反対していたら。提督を力づくでも引き留めていたら……そんなことをみんなが思い、後悔をしました。けれど、あの時の提督を止めるなんて、艦娘の誰にもできなかったでしょう。それほど提督の決意は固かったと思います。それに言い訳になってしまいますが、通常の海域であれば領域のように敵に有利な条件付けはありません。そして、これまでの通常海域での戦いのデータから深海棲艦が出してくる艦種は精々軽巡洋艦レベル、出現数も単体、たとえ多くても数隻でしかありませんでした。だから、駆逐艦島風一隻でも十分に対応できると、甘く考えてしまっていたのです。

何が起こったかの詳細が伝わってきていないため、戦いがどういうことになったのかは、今は分かりません。分かっているのは提督が重体であること。ただそれだけです。情報があまりにも少なく、それが更にみんなを不安にさせています。

 

現在、島風が提督を乗せ、全速力でこちらに向かっているという情報が入っているため、鎮守府の港にはすべての艦娘達が集まっていました。領域解放戦から帰投し、本来なら入渠しなければならない子達でさえもその場にいます。私もそうですが、提督の状態を思うと呑気に入渠なんてしていられません。

鎮守府の救急隊も既に港に駆けつけて待機しており、すぐにでも提督を病院に搬送する体制を整えていました。

情報があまりに少ない状況。なんでもいいから情報が欲しいところですが、無いものは仕方がありません。

私達は不安な気持ちを抑えながら、ただ待つことしかできませんでした。いいようのない不安。それを必死に打ち消しながら。

 

そして数刻……。

 

まもなく、島風の艦影が見えてきました。その姿を見て少しホッとした気持ちになります。

けれど入港する彼女の様子がいつもと明らかに違い遅く、何か様子が変でした。

スピード自慢の普段の彼女とは思えないくらいゆっくりと、それどころかヨロヨロといった感じで入港してきたのです。提督が負傷しているから急いでいるはずなのに……です。

おまけに船体からは火災が発生しているようで、遠目にも白煙が上がっているのが見えました。それは、明らかに異常事態でした。

 

異常に気づいた鎮守府の消防隊がすぐに船を発進させ、島風のもとに駆けつけると放水を行い、船体の消火作業を行います。さらにタグボートに曳航され接岸されると同時に、担架を担いだ救急隊員達が船内へと駆け込んでいきました。

辺りはたくさんの人が集まり騒然とします。救急隊員達の怒声が飛び交う異様な緊迫感で、艦娘達は誰もが声すら出せず、その光景を見守るしかありませんでした。

 

やがて、数分もたたない内に担架に乗せられた提督が、複数の隊員に担がれて島風の艦内から運び出されてきました。

その姿を見て、みんなが凍り付き、悲鳴さえ上がりました。

 

俯せに横たえられた提督の体には、十数本の棒状の物が突き刺さり、彼の純白だったはずの軍服は赤黒く染められていました。

提督の体は、まるで動きませんでした。それがどれほど提督の容体が悪いかを示しているのかを想像すると、恐怖で全身から血が引いていくようで、何か悪夢を見ているような気持ちになりました。

金縛りにあったように言うことを聞かない体を無理矢理動かして、搬送されていく提督の元へと近づこうとした刹那、背後で悲鳴が聞こえました。

振り返ると、扶桑さんが両手で頭を押さえるようにし、もともと大きな瞳をさらに大きく見開き、その表情は驚愕で凍り付いたようになっていました。おっとりとした普段の彼女からは想像ができないような状態です。明らかに動揺し、取り乱しているのが分かります。もともと白い顔が今では青白く見えます。

 

「扶桑さん、大丈夫ですか? 」

たまたま彼女の隣にいた羽黒が彼女に声をかけますが、反応はありません。焦点の定まらない視線で提督の方を見つめています。

「ていとく、……提督が真っ赤に。真っ赤に。血まみれで血まみれになって……。また、……あなたは、死んでしまうの……。いやよ、いや、……いやぁあああ!!! 」

絶叫を放つと、そのまま崩れるように倒れ込んでいきます。慌てて羽黒が彼女を支えようとしますが支えきれず、二人とも転倒してしまいます。

 

「みんな、はやく、……はやく提督を病院に連れて行くネ!! とにかく急いで。艦娘たちは……、祥鳳!夕張!! あなたたちは扶桑をお願いするわ」

動揺しながらも金剛さんがてきぱきと指示を出す。さすが鎮守府旗艦を努めるだけのことはあると、こんな時ではあるが感心してしまいます。

 

救急隊員達は慣れた感じでてきぱきと行動し、提督を救急車に乗せます。

素早く金剛さんも乗り込んでいきます。

 

「高雄、扶桑と島風をお願いするネ。それから他の子達も落ち着いたら、病院に来ても構わないって伝えて。……それから、後の処理は、全部あなたに任せるネ」

突然、彼女が私に向かって指示をします。

 

「え? でも……」

突然の事で私は戸惑いを隠すことができません。それに、周りを見回すと集まった艦娘達の動揺ぶりはかなりのものです。とても私の力だけでは彼女たちの動揺を押さえられそうにありません。

 

「高雄、しっかりするネ!! 今はあなたが秘書艦なんダヨ。だから、あなたが提督の代わりをしなければなりまセン。とにかく、全力でこの現場の指揮を執りなさい。そして、みんなを動揺を落ち着かせてうまく乗り切って。とにかく、がんばって……あなたならきっとできるからさ。……それじゃ、私は行くネ」

ドア越しに一方的に指示だけ言い残すと、彼女と提督を乗せた救急車は走り去っていきました。

 

「……えー! そんなぁ」

情けない声が出てしまいます。突発的なアクシデントに対応できるような能力なんて、私になんかあるわけないのに。そもそも、みんなをまとめるような事なんて、そんな器じゃないのです。

 

「あの、そのー! すみませーん」

背後で声がしています。

それが誰に言っているのか分からないので無視していましたが、どうやら私に向かって言っているようです。途中からその声がほとんど叫び声になっています。

厄介な事じゃなければいいのだけれど……と思いながら振り返ると、ヘルメット姿の救急隊員が立っていました。

私と目が合うと、びっくりしたように視線を逸らします。おまけになんだか少し遠慮がちに話します。

いつも思うことですが、人間たちはどうも私達艦娘に対して少し遠慮というか恐れというものを持っているようです。特に初対面やそれに近い人間は、奥底におびえや恐怖といった感情を持って私達と話します。艦娘というものが強大な力を持つ軍艦のであることがそう感じさせるのでしょうか? けれどそれだけではないように私は思っています。

 

私達は強大な戦闘力を持つ軍艦という存在でありますが、更にそれとは別に外見上は人間と全く同じ形状をした艦娘という形のモノが一対のものとして存在しています。軍艦と人型で一対の存在であるモノ、生命体? 兵器? これは人間にとってはとても理解しがたいものであり、理解できないモノがそうやって実在するという事が彼らの恐れといった感情に結びついているのではないのかと私は推測しています。もっとも、実際のところはよく分かりません。それは、人間の思考というものを私達も彼らといろいろと話すことで学んでいる段階であるからです。そして、それはそう簡単にできるものではないようです。人というものはみんなが同じ考え方をするわけではなく、個々に違った考え方を持っているようで、私達にはまだまだ理解できない部分が多いのです。もっとも、それは彼ら人間にとっても同じなのでしょうけれど。

 

そして、人間の艦娘に対する恐れというものは、よほど私たちとの会話に慣れてこないと、それは無くならないようです。ドックの人や整備員の方くらいでしょうか、なんとか普通に会話ができるのは。初対面で普通に話してくれたのは私達の提督くらいなものでしょうか。……もっとも、あの人の場合は少し慣れ慣れしすぎて困ってしまいますが。

 

「な、なんでしょうか? 」

相手の緊張が伝染したのでしょうか、何故か私まで緊張してしまいます。

 

「あ、あのですね、……早く、この子も、駆逐艦の島風さんを入渠させなければならない状況なんです。ただ、今の状況では提督に判断を求めることはできません。だから、高雄さん、今はあなたが秘書艦ですよね。なので……提督の代理として指示をお願いします」

提督の血まみれの姿を見たことで動揺してしまい、そこまで気が回りませんでした。そうなんです。少し遅れて島風も担架に乗せられて運ばれてきたのでした。見た限り怪我はありませんでしたが、気を失っているようで動きもしません。

 

どうしていいかわからず混乱していますが、とりあえず頷いて話を続けるように促します。

 

「どうも相当な無理をしたようで、彼女は艦の中で倒れていました。専門ではない自分ではこの状況がどれほどのものか正確には判断できないのですが、それでも急を要する状況と思われます。ご指示いただきましたら、救急車にてドックへ搬送いたします」

救急隊員の一人が私に状況を説明します。

 

いきなりいろんな事が起こったので混乱し、自分の立場を忘れてしまっていました。

 

そうでした。

 

……今回の領域解放戦が終了するまでは、自分が提督の秘書艦でした。本来なら帰投後、提督が次の秘書艦を指名し、引き継いでいる頃なのですが、提督不在の現状では、しばらくの間は自分が鎮守府の提督の代わりを努めなければならないようです。

しかも提督の補佐というポジションではなく、提督の代理……。これは相当なプレッシャーです。緊張で泣いてしまいそうです。

でも、私がこの場から逃げるわけにはいかないのです。

 

今は私が秘書艦なのですから。私を秘書艦に指名してくれた提督の期待に応えなければなりません。

 

焦ったり困ったり動揺したりするのは、後からいくらでもできます。

主が不在の場合、私がしっかりと鎮守府を運営し、護らなければなりません。

 

提督のあの姿を見た瞬間、もうどうしようもないくらいに慌ててしまい何も出来なくなってしまうのが本来の私なのですが、扶桑さんが倒れたりしたことでそういったことについて先を越されてしまったことで、案外冷静になれたのかもしれません。

通常の業務であれば、人間側に提督を補佐する人たちがいるわけで彼らにお願いすればいいのですが、艦娘の件については彼らではなく、秘書艦の私が代理となっているのです。

 

とにかく、しっかりしないと!!

 

「わかりました」

意識的に落ち着いた声で答えます。

「大至急、島風をドックへと搬送をお願いします。向こうには私が連絡を入れます。それから、扶桑さんも一緒に連れて行ってください。……祥鳳、羽黒、夕張、あなたたちも二人についていってあげてもらえるかしら」

そうやって指示を出します。

突然指名された3人も一瞬驚いたような顔をしましたが、すぐに頷きます。続けて私はドックにも連絡を入れます。

「高雄です。……緊急事態です。今から戦艦扶桑及び駆逐艦島風をそちらに搬送します。戦艦扶桑については気絶しているだけで、おそらく問題は無いと思われますが、駆逐艦島風については急を要します。受け入れ準備をお願いします。それから、そちらから整備員をこちらまで回してください。駆逐艦島風の艦本体も重篤な状態です。おそらく自走は不可能だと思いますので、そちらの準備もよろしく。至急入渠させる必要があると思われます。よろしくお願いします。詳しい状況については、一緒に祥鳳、羽黒と夕張を行かせますので、彼女たちから聞いてください」

一方的に伝えると、すでに救急車に乗り込んでいる3人に目で合図を送ります。車は少し離れたドックへと発進しました。

これでまずは一段落です。あとは整備チームがこちらにやって来て、島風本体をドックへと曳航して行ってくれるはずです。

 

何気なく駆逐艦のほうの島風のステータスをスキャンしてみます。

提督ほど正確に他の艦娘の体調を確認することはできませんが、それでもおおよその状況は、同じ艦娘同士ですからわかるのです。

そして、衝撃を受けました。

外観は、ほとんど損傷を受けていないように見えた彼女ですが、体の内部、それも機関部に深刻なダメージを受けていることが判明しました。それはオーバーヒートと同じ症状を示していました。提督が搭乗している際に戦闘はあったようですが、被弾はゼロだったはずです。ゆえに戦闘によるダメージではありませんでした。そして、損傷の原因はすぐにわかりました。考えるまでもないですけれど……。

 

提督をここまで運んでくるために、彼女の限界を超えた速度を出し続けた為でした。瞬間的になら問題ない出力、速度であっても、それを延々と続ければ、どんなに頑丈な機関部でも、やはり壊れます。

普通ならそこまでいかないように調節するものですし、そもそも安全装置が働くはずなので、そんな無茶はできないはずなのですが、彼女はそれを無視して限界を超えて走り続けたようです。何故そこまで無理をしたのか……。それは考えるまでもありませんね。

少しでも早く、とにかく一刻でも早く提督を病院に連れて行かなければ……。その思いだけで彼女は必死に走り続けたのでしょう。その結果、たとえ自分が壊れたとしても、高負荷が自分の船体にどのようなダメージを与えることになろうと構わないと……。

なんて無茶をする子なんでしょう。

 

「提督、絶対に死んじゃだめですよ。島風があんなにがんばって運んでくれたんですから……」

思わずそんな言葉が出てしまいました。

あなたの命はあなただけのものでは無いのです。だから、絶対に生きて下さい。

提督が死んだりなんかしたら、私だってとても辛いですから。こうやって何かを考えていないと、心がどうにかなってしまいそうです。

 

「さて……」

気持ちを切り替えるように深呼吸すると、港に残ったままの艦娘達を見回します。

残されたのは軽巡洋艦の神通と大井、駆逐艦の子達です。

 

「あなた達は提督のいる病院に向かって頂戴。私は加賀さんたちが帰ってくるのを待っているから。……今、こちらに車を回して貰うわ」

連絡を鎮守府の庶務課の配車担当に入れます。

提督が搬送された病院は鎮守府の外にあります。前に提督が二階から落ちて怪我をした時に搬送された病院です。ここからだと3キロくらい離れた場所です。この距離なら、歩いてでもいけるのですが、それはできません。艦娘達は許可無く鎮守府の敷地から出ることはできません。そして許可が取れたとしても、艦娘だけでは認められないのです。少なくとも複数の人間と共に、そして極力、鎮守府の車両を使用することとなっているのです。それは外部の人間との接触をさせないということが一番の目的のようです。軍に関係する人々でも艦娘に対する恐れといった感情を持っているわけですから、一般の国民がどういった感情を艦娘に対して持っているかは想像するまでもありません。おまけに舞鶴鎮守府は関西エリアにあるという地域性がさらに問題をややこしくします。

大阪、京都、神戸の3都市を殲滅した艦娘という存在に対する恐怖心、敵愾心です。そういった事実があることを知る人々は艦娘に対しては良い感情を持っているとは思えません。たとえ、自分たちを護ってくれている存在だと知っていても、500万人を越える人命を奪ったものの仲間と一括りにされてしまえば、その感謝も吹き飛んでしまうでしょう。現実に、鎮守府の周りでは艦娘の日本からの排除、鎮守府の完全廃止を求める市民団体のデモがしょっちゅう行われていますから。私も遠くから見たことはありますが、彼らの負の感情に少し触れただけでも凄く悲しい思いをしました。

提督はそんなデモを見たり、彼らの代表と何度も話をしたことがあったようです。最初は彼らにも彼らなりの言い分があるのかもしれないと言っていました。最近では、彼らのことを相当嫌っているようで、かなり酷い言葉で罵っていましたけれど。あれは彼なりの私達に対する気遣いなのかもしれませんが。

 

そういった事情などで、トラブルを避けるため極力、一般市民がいる場所には出ない。そして出るときも護衛をたくさん付けて彼らに接近されない措置を取るようになっていたのです。

今回もそれまでの例にならって、軍の車で病院へ送ってもらうことにしました。今回は人数も結構多いですから。

 

艦娘を乗せた車及びその護衛の兵士を乗せた車は病院へと走っていきました。

私は一人残り、帰ってくる加賀、不知火、叢雲、村雨を待ちます。本当はすぐにでも提督の下に行き、彼の無事を祈りたいのですが、秘書艦としての立場があるので残らざるを得ません。……仕方ありません。

ここで提督の回復を祈るしかありません。

私には次にやらなければならない、大事な、そして気が重くなる仕事があるのです。

 

そして、その仕事が相当に難儀なものであることにげんなりしてしまいます。

帰ってきた加賀をどうするかという問題です。

提督があんなことになった全ての原因は彼女にあります。当然、帰ってきたら彼女はみんなに責められるでしょう。責められないはずがないです。自分勝手な行動で提督の命を危険にさらしたのですから。私だって許せないです。

 

はたして、彼女と他の艦娘の関係をどうしたものか。

またまた胃が痛くなってきました。

 



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72話

「しかし……どうしたものでしょうか」

港にひとり残された私は、大きなため息をついてしまいます。

 

帰りを待つと言ったものの、正規空母加賀が深海棲艦と交戦したのは鎮守府から西へ600キロ程度も離れた海域です。そこから不知火達駆逐艦が加賀さんを曳航してくるとのことですので、2日程度かかるらしいです。

これは、もともと船を曳航するようにできていない軍艦である駆逐艦娘3人で交代しながら曳航すること、それから、その対象が空母という駆逐艦よりはるかに大きく重い船であることも原因となります。どんなに急いだところで、寄港するまでにその程度の時間はかかるのは仕方がないでしょう。

 

「そうですね、二日近くも港で待っているわけにもいきませんね」

ひとり呟いてしまいます。

そうなると、今、やらなければならないことは決まっていますね。私がもっとも気になっている事、望んでいる事、それは舞鶴医療センターに収容された提督の様子を見に一刻も早く向かうことです。いえ、……それしかありえません。

実際のところ、ずっと提督の事が心配で心配で、いてもたってもいられないのです。すぐにでも提督の元へと行かなければならない! まるで何かに急かされているような気がします。

 

けれど……そう思ったものの、今の自分の立場を思い出し、踏み出した歩みを止めてしまいます。止まらざるをえなかったのです。

けれど、ある事を思い、冷や水を浴びせられたようにその思いが萎えていきます。

 

そうなのです。自分は、舞鶴鎮守府の秘書艦なのです。

その立場にある者、それは自分のやりたい事よりも、やらなければならない事を優先しなければならないのです。自分の気持ちを押し殺してでも、それは実行しなければいけないのです。私情に流されてはいけないのです。

 

……まずやらなければならないこと、それはドック入りした島風と気を失った扶桑さんの様態を確認することです。秘書艦としては、鎮守府艦隊の状況を常に把握しておく必要があります。

 

秘書艦であることは名誉なことであるし、そのおかげで提督のお側にずっといられるので嬉しいことなのですが、こんな非常事態時は秘書艦としての仕事を優先せざるをえない事、提督のお側にいられないことがとてつもなく辛いです。

……けれど、こればかりは仕方ないことですね。

 

今は、自分を秘書艦に指名してくれた提督の期待に応えなければいけないのですから。

 

ドックに到着すると、すぐに治療担当の乾崎という名の女性の医師が対応してくれます。

何度か入渠した時に対応してくれている人です。私もお世話になっています。結構気さくに話してくれるし、艦娘の事を理解してくれて、とても優しい人です。気になっていることは、私と比べると控えめな大きさですが、その胸を強調したような格好をいつもしていることに少し違和感を感じていました。今日も胸元を大きく開いたシャツを着ています。一体、何でなのでしょうか。……今は関係ない話です。

 

私は秘書艦として、彼女に状況を尋ねます。

 

彼女の話では、運び込まれた扶桑さんについては、単なるショックな事に直面し、脳がオーバーヒートを起こして気絶しただけでしかありませんとのことでした。現在はベッドで休ませているとのことです。

あの状況であんな悲鳴を上げて倒れたものですから、一体どんな大変な事になっているのか心配して損をした気分になりました。それでも拍子抜けしたけれど、彼女が無事だったことにほっとしましたけれど。

 

「けれど、駆逐艦島風については、芳しくはありません」

医師は深刻そうな表情で宣告します。その口調からして嫌な予感がします。

 

「ど、どういうことでしょうか? 」

 

「とりあえずのところ、命には別状はないのですが。……艦娘本体には、何の怪我はありませんし、軍艦部の外装についても、これといった損傷はありません」

 

「では、どこが……」

 

「そうですね……」

乾崎は間をおいて再び話し始める。

「実は、島風の軍艦部分がかなり良くないのです。彼女の機関部は、想定を越えた長時間における限界解除稼働を続けたため、各所において致命的な損傷を受けています。まだ調査中ではありますが、現在把握できている損傷箇所の修理だけにも相当に時間がかりそうです。それから、秘書艦もご存じだと思いますが、島風という駆逐艦そのものが特殊な駆逐艦ですから、他の艦と共用できる部品がとても少ないのです。これが大きな問題となっています。我々人類が所有している部品の中には在庫が無いものがあり、その入手についてはあなた達の上の方との協議になるらしいですが、問い合わせた限りでは、それもかなり難しいようです。このため、応急措置的な修繕はできるのですが、彼女の完璧な修繕については、今の状況では不可能なのです」

 

「では、彼女は、もう治せないということなのですか? 」

修理できないということは、軍艦としてはもう出撃できないということなのでしょうか? それは艦娘にとって死に等しい事なのです。息が苦しくなります。

 

「いえ、もちろん修理ができないわけではありません。ただし、完全な修理ができないということなのです。軍艦として稼働するレベルまでの修繕は可能です。可能なのですが、それはそこまでということです。……つまり、島風は、もうあのスピードで海を駆けることはできなくなるということです」

それがどれほど島風にとってはショックなことか、私にも想像できます。常に最速であることが彼女にとっての自慢でありましたから。そのスピードは戦闘においても絶対的優位を与えますし、艦隊においても切り札として使用することもできます。その機能が無くなるということは戦術的価値が下がるということです。それはすなわち、提督の役に立つチャンスが減るということですから。

けれど、島風はそうなることを覚悟の上で、提督の命を守るために限界を超えたのです。

普段はそんな風には見えないのですが、彼女は本気で提督のことを大切に思っていたのでしょう。それは自分の命よりもずっと大切なものとして。

知らず知らずに目頭が熱くなるのを感じてしまいます。

 

「……わかりました。島風のことをお願いします」

それ以上の言葉は出てきませんでした。

 

「ベストを尽くしますから、私達を信頼して下さい」

医師の言葉に頷きます。

 

状況は把握できました。扶桑さんたちの事はドックのスタッフに任せるしかありません。

扶桑さんたちと一緒に来ていた艦娘達と合流します。彼女たちもここに来てずっと待機しているだけで手持ち無沙汰そうです。これ以上、ここにいても私達には何もできません。それに彼女たちも提督の事が心配らしいのと、時間的にもまだ余裕があることから、病院に行くことにします。

 

提督が入院している舞鶴医療センターは、旧日本軍の舞鶴鎮守府の海軍病院として創設されたました戦後、国立病院となりその後の行政改革の一環で独立行政法人というものになりました。その後、深海棲艦の侵攻をうけ、自衛隊法改正による国軍化に合わせて再び海軍病院とされたそうです。

基本的に軍関係者を優先して受け入れているものの、一般の市民も一部受け入れて治療を行っています。

今回は鎮守府トップの緊急手術であることと警備上の問題もあり、一般の入院患者は事前に他の病院へ移送されています。滅多にない事なのですが、これについては前回、冷泉提督が負傷した時と同じ段取りであったため、さほど混乱はありませんでした。これも鎮守府の陸・海軍の方がいろいろと手はずを整えてくれたおかげです。

 

到着した病院の入口は封鎖されており、武装した陸軍兵士が立っています。

鎮守府内の敷地については海軍の部隊が警備をしてますが、敷地外やその他の軍関係施設は陸軍の方が警備を担当することになっています。海軍からすれば、まるで陸軍に監視されているように思えますが、これは人員が圧倒的に少ないためやむを得ない事情なのです。先の深海棲艦との侵攻による戦闘で、海軍の戦闘員の大半が艦艇と共に海に沈んでしまったのです。このため海軍兵士だけでは手が回らないというのが本音です。やむにやまれぬ事情という事ですね。

車は一端、警備兵によって止められます、運転している海軍兵士が通行証を見せるとすぐにバリケードを移動し、道を開けてくれます。窓越しに陸軍兵士と目が合いますが、特に反応はありません。普段なら物珍しさからじろじろと無遠慮な視線を向けられるのですが、今日は何人もの艦娘がこの病院に来ているから見慣れたのでしょうか。

車は敷地内を移動し、検査手術棟に横付けされます。すぐにスライドドアが自動で開く。私達は車を降りるとまっすぐに玄関へと向かっていきます。

玄関口にも兵士が二人立っており、私達に気づくと敬礼をしてくれます。

「警戒ご苦労様です」

そのまま奥へと進み、待合室へと向かいます。

節電のため必要最低限の電灯のみが点けられているため、院内の通路は薄暗いです。そして、人の気配はまるで無く、静まりかえっています。

それでも提督が前に鎮守府の二階から転落して大怪我して入院していた時に、何度か来たことがありますので、迷うことなく来られました。

手術室の前にも警備兵が立っています。こちらは海軍の人です。

私達は手術室の廊下を挟んで反対側の待合室に向かいます。待合室の扉を開けると、すでにみんなが集まっていた艦娘たちがこちらを見ます。彼女たちは、入って来たのが私達であることを確認すると、また元の姿勢に戻ります。

長椅子に座っている子、立ったまま壁を背にし俯いたままの子もいます。泣いている子さえいます。一様に皆暗い顔で黙りこんでいます。

 

そして、待合室には艦娘以外にも人がいることに気づきました。

鎮守府で働く海軍の人たちです。戦闘以外の全ての事務は彼らがやってくれています。最終決裁者が提督であるため、よく決済書類を持って提督の執務室に来る人たちの顔が見受けられます。軍務において提督を補佐する秘書艦になると、いろいろと仕事上の関係があるので、よく彼らとは話すことがあるのです。

普通の鎮守府ですと提督の副官といったポストの人が組織にはいて、提督不在時の代理を行うのですが、どういうわけか舞鶴鎮守府には副官がいないのです。

 

私の存在に気づいた彼らがこちらに歩んできます。

「高雄さん、ご苦労様です。しかし、副官がいればこの場を取り仕切ってくれるのですが、やむをえませんね」

開口一番、まだ若い……とはいっても私よりは年上の事務方の女性がぼやきます。

 

「確かにそうですね。……無いものをぼやいてもしかたありませんものね。けれど、副官不在となったのは私がこちらにお世話になることになる前の話、先代の提督の事だと聞いています。すると、もう3年以上は前の話なのですね。……提督は補佐官無しでずっと働きづめなんですね。なんで一人で無理をなさるのでしょうね」

何気なく言った言葉に彼女は怪訝そうな顔でこちらを見ています。

何か私がおかしな事をいったのでしょうか?

「どうかなさいましたか? 」

そう思い、問いかけます。

 

「いえ、な、なんでもありません。少し考え事をしてました。失礼しました」

急に何かに思い当たったかのような表情をすると、彼女は、慌てたように否定します。

「無いものを嘆いても仕方ありませんね。今はそれよりも提督の事が心配です……」

無理に話題を変えるような態度。……違和感を感じてしまいます。何か私は変なことを言ったのでしょうか。気にはなりますが、今はそんなことを考えている場合ではありません。それに、彼女もそれについては答えるつもりは無さそうです。急に慌てたような感じになり、この場から離れたがっているのが明らかです。

 

「そうですね。私達でなんとかしないといけません。艦娘達のことは私がなんとかしますから、そちらのほうはよろしくお願いします」

そう言って会話を打ち切ります。

 

「了解です。今はみんなで提督の無事を祈るしかありませんね。では、私は別室で待機していますので、何かありましたらお知らせ下さい」

そう言うと、安堵したような表情を見せ彼女は部屋を出て行きました。

この件については、すべてが片づいたら調査してみる必要があります。記憶のメモに書き込んでおきます。

 

「高雄、ご苦労様ネ」

軍の人たちが去るのを待っていたかのように、金剛さんが近づいて来ました。

 

「金剛さん、提督の具合はどうなっているのですか? 」

私は、一番に気になる事を彼女に問いかけます。

その途端、彼女の表情が曇る。

「あのね……」

普段元気な金剛さんがしょんぼりした感じで教えてくれる。それによると、現在、手術中であり、詳細は誰も教えてくれず、多分誰も分からないだけなのだろうけれど教えてくれないとのことだ。ただ、輸血用らしい大量の血液が運び込まれている事、大勢の医師や看護師が慌ただしく行ったり来たりしている事から舞鶴医療センターの総力をもって提督の治療に当たっているので、今は人間達を信じて待つしかないとのことでした。

最後に金剛さんが告げます。

「治療に当たっている人たちを信じてるんだけど、ただ、状況は彼らの態度を見るだけで分かってしまう。今が相当に危険な状態であることが」

 

「そうなのですか……」

予想はしていたことだけれど、聞いてしまうと不安が増します。眩暈さえします。

 

「ところで、高雄。みんなはどうだった? 」

暗くなりがちな雰囲気を察してか、話題を変えようと扶桑さん達の話を振ってくれる。

けれど、それも明るい話にはならないのです。

 

「扶桑さんは気を失っていただけで、特に以上はありませんでした」

 

「そう、それは良かったネー」

彼女も心配していたのか、胸をなで下ろしているようだ。

 

「けれど、……島風が」

私は島風の状況を説明します。

 

「なんてこと。そこまで深刻な状態なんて……あの子、無理しすぎなダヨ」

提督の命を守るために彼女にできる事をやったのです。自分を犠牲にしても。その気持ちは金剛さんにも理解できたのでしょう。悲しそうな表情を見せます。

 

「資材さえあれば、改修は可能らしいのですが、あまりに特殊な機関部なので修復は人間の技術では困難とのことです。だから、応急的措置しかできないので、もうあの子は前のように早く走ることはできないそうです」

 

「なんで島風までそんな目に遭わなければならないのですか! 」

突然、叫び声が、待合室に響きます。

こんな狭い待合室ですから、私と金剛さんの話はみんなにも聞こえていたのでしょう。艦娘の一人が問いかけというより怒りをぶちまけます。

「みんな加賀さんの我が儘が原因なんでしょう? そのせいで提督があんな目に遭わされて、島風までそんな状態になってしまうなんて……。どう考えても可哀想すぎます」

 

彼女が言っていることは分かる。当然のことだ。みんなが思っていることを代表して口に出しただけだ。それを否定する者は誰もいないでしょう。私ですらそうです。

けれど、この状況は良くありません。

艦娘みんなが加賀さんに対して批判的になっています。もちろん、すべての原因は彼女にあるのですから、仕方ないけれど……。けれども、ここで艦娘全体の仲に不協和音が発生するのは、とても危険なことです。

「みんな、そのことについては今は保留しておいて欲しいネ! お願いだから。今は提督の無事を祈ることが一番大事ネ。そんなことは後の事ダヨ」

金剛さんが叫びます。

その一言で、とりあえずみんなが黙り込みました。もちろん、誰一人として金剛さんの言葉に納得したわけではありませんが、今は仕方が無いというだけの妥協の産物でしかありません。この問題はすぐには解決しないでしょう。ずっと尾を引く難問として舞鶴鎮守府に残ることになるかもしれません。そして、状況によっては致命的な問題となる可能性も孕んでいるのでしょう。けれど、今はそれから目を逸らします。

 

「高雄、ところで加賀たちはいつ頃こちらに到着しそう? 」

金剛さんが私に聞いてきます。

 

「先ほど不知火と連絡を取りましたが、鎮守府から距離が結構あるので、どんなに急いでも明後日頃になるとのことです。無理をしなくていいから警戒を怠らずにみんな無事に帰ってくるようにと伝えましたけど、あの子たちのことですから、無理をするでしょうね」

 

「不知火と叢雲だからネ。あの子達、提督の事が心配で休むこともしないかも知れないかもネ」

会話が続きません。けれどそれは仕方ないことです。

そして、またみんな黙り込みます。時間は遅遅と進まない様に感じられます。

一向に手術は終わる気配がありません。おまけに何の情報ももたらされないですから、みんな不安しかありません。

 

そして、長い長い夜が明けていきます。

手術は朝になっても終わることはありませんでした。

 

そして、悶々とした気持ちで待ち続けているうちに、加賀さん達が帰港する時間が近づいてきた。港からも連絡が入ります。

ここから離れたくはありまえんが、私は秘書艦として彼女たち迎えに行かなければなりません。後の事はみんなに任せ、何かあれば至急連絡をくれるよう依頼し、再び鎮守府へと戻ります。

 

港についてしばらくすると、港へと入港してくる艦影が見えてきました。

連絡を受けて待機していた整備の人たちの乗ったタグボートが加賀さんを移動させていきます。

そして、不知火、叢雲、村雨の三人は、そのまま港に着岸します。

さほど疲れた様子も見せずに下船してきた3人を労います。そして、降りてきた三人とともに車に乗り込み。再びドックへと急ぎます。

 

加賀さんは中破状態であることから至急修理へと入ることになります。もちろん本人も治療が必要なため、緊急入院となります。

整備の人たちに支えられるようにして、加賀さんが下船してきます。

「無事で良かったです」

私は形式的な言葉を彼女にかけます。本当ならもっといろいろと言いたいことがありますが、私情を挟むことはできません。加賀さんはぼそぼそと何かを口にしたようですが、聞こえませんでした。明らかに衰弱しているのが分かります。

目を真っ赤に腫らし、綺麗な彼女の顔が台無しです。鎮守府に曳航される間、ずっと泣いていたのでしょうか。泣きはらした顔でも、それでもなお冷たさを含んだ綺麗な顔をしているんだけれども……。

 

「加賀さん、すぐに治療が必要です。ドックへ急いで……」

しかし、最後まで言うよりも早く、

「それよりも、提督はどうなったの? 教えて」

と、加賀さんに遮られる。

 

「今も手術は続いています……」

彼女にも知る権利はあるでしょう。隠すことは出来ません。

仕方なく答える

 

「だったら、私もそこへ行きます。私のせいで提督はあんなことになってしまったのに、私がのんびりと入渠なんてしていられないわ」

と言って、ドックに行く気はまるでないようです。その意志は固そうで、私が行ったところで聞きそうにありません。体のあちこちに擦り傷のようなものがあるようです。その傷がどの程度かはわかりませんが、それでも治療を優先すべき状況だと思われます。秘書艦として入渠を指示すべきだとは分かっています。それから、艦娘たちの感情を考慮して、いろんな事情から本来なら病院には行ってもらいたくないのは間違いありません。

いろんな問題を抱えている現状からして、彼女には大人しく入渠してもらったほうが、こちらとしてもいらぬトラブルに巻き込まれなくてありがたいのですが……。それでも彼女の意志は固そうです。私レベルの艦娘の言葉を聞くようには思えません。

 

駆逐艦娘の3人に助けを求めようとしますが、不知火と叢雲はすぐにでも病院へ行こうとしています。加賀がどう行動しようと興味は無いかのようです。確かに、彼女たちはずっと提督の容体を気にかけ心配しながらも自分の為すべき事を淡々とこなして加賀さんを無事ここまで連れ帰ったのです。それ以上の仕事を押しつけるわけにもいきません。早く彼女たちを提督の所へ連れて行ってあげなければなりません。それに、私も提督のところへ行きたいです。

いろんな事を検討した結果、仕方なく加賀さんも連れて行くことに決定しました。

 

「けれど、約束して下さいね。あなただって怪我をしているんだから、長居は絶対だめですからね。提督の様子を確認したらすぐにドックに戻って貰いますからね」

 

「ええ、わかっています」

思い詰めたように答える加賀さん。嫌な予感だけしかない。連れて行ったら、提督が回復するまでずっといるつもりとしか思えない。

 

再び、私達は病院へと戻ります。

 



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73話

病院の待合室に入ると、一斉にみんながこちらを振り返ります。

そして、加賀さんの存在に気づくと、一瞬だけ批判的な視線を向けますけれど、すぐに何事も無かったかのように目をそらします。

この一連の動きは、すごく不自然です。

 

加賀さんは足の怪我が痛むのか、少しだけ足を引きづりながら歩いて行きます。そして、金剛さんのところへ行くと、

「……提督の様子はどうなのですか? 」

といきなり問いかけます。

 

ちょっとどきりとする場面です。よりにもよって金剛さんのところに行くなんて……。

提督がこんな事になった原因については、誰も表だっては問い詰めないけれど、誰が原因だなんて、みんなわかりきっていることなのです。それを口にしないのは、金剛さんが止めているからなのですけれど。

 

誰よりも元気そうに振る舞っているけれど、本当は金剛さんが一番参っているはずなのです。普段は天然過ぎの脳天気な態度でみんなを困らせることがありますが、誰よりも責任感が強いことをみんな知っています。だからこそ、みんなが彼女の言うことを聞くのです。故に、金剛さんが提督を止めることができなかった事について、自分を責めているのは間違いありません。あの時、自分が提督を止めていれば……それが出来る立場にあったのにできなかったということを彼女は悔やんでいるのでしょう。けれどそれを表に出すと、動揺が他の子達にも伝染してしまいます。それを懸念して、無理をしているのはよく分かります。

そんな精神状態である彼女に対して、よりにもよってその原因者である加賀さんが提督の状況を聞くなんて……。

金剛さんでなくても一言、言ってしまいそうな状況です。一波乱ありそうで身構えてしまいます。

 

「ずっと、ずっと手術中ネ……。それ以外は何も分からないよ」

元気の無い声で金剛さんが答えます。表情は、ぼんやりしていて、誰に聞かれたかもよく分かっていないのかもしれません。こんなことは珍しいです。

 

「何もわからないの。そう……」

加賀さんは特に感情を表さずにつぶやきます。そして、そのまま黙り込みます。それで終わりなのです。

空いている席を見つけると、そこに座ってしまいました。

 

ああ……。

私は思わずうめいてしまいました。

ここはみんなに謝罪をすべき時だと思うのですが、彼女はそんな気配さえ見せません。

そりゃあ確かに、こんな時に謝られたってみんな困惑するだけでしょうけど、それぞれがいろんな想いを抱いたまま、誰も口も聞かずに黙り込んでいるなんてすごく嫌な感じだし、自分の事ではないけれど居心地が悪いです。

どんな結果になろうとも、まずは自分が原因で起こってしまった事について、謝るべきだと私は思うのです。もちろん、批判は当然受けるでしょうけど、それは仕方が無いことです。けれどそれから全てを始めることができるんじゃないかと考えるのです。なのに加賀さんは、何も言いません。もちろん、そこまで気が回らないほどに動転しているのかもしれませんが。

 

他の子達は加賀さんに対していろいろ言いたいことがあるはずなのに、場の空気を読んでかどうかわからないけれど、それを口に出さずに、いえ、出せないでいます。

金剛さんに言われたせいもあるでしょうか。それとも、相手が正規空母なので、戦艦クラスが口を開くべきだと考え、戦艦である金剛さんや扶桑さんが言うべきだと考えて黙っているのでしょうか? しかし、残念ながら金剛さんはあんな状態ですし、扶桑さんは気絶してドックに運ばれたままです。こんなもやもやした状態がいつまで続くのでしょうか。こんな時、秘書艦である私が動くべきなのでしょうか。けれど、そんな勇気が私にはありません。

 

重苦しい沈黙だけがこの場を覆っています。どんよりとした空気が支配していて、すごく息苦しいです……。

私も、他の子も何も言葉を発することができず、黙り込んだまま、時間だけが過ぎていきます。

 

それから、どれくらいの時間が経過したのでしょうか? 誰も言葉を発さない環境では時間の経過すらよく分からないです。

 

唐突に、手術中のランプが消え、手術室の扉が開かれました。

待合室はガラス部分が多い部屋ですから、部屋の外の様子はすぐに分かるのです。

みんながすぐに反応し、立ち上がります。さっきの沈黙が嘘のようにざわめき立ちます。

 

部屋の奥から医師らしき人影がこちらに歩み寄って来るのが見えました。

気づいた金剛さんが慌てて待合室から飛び出し、医師の元に駆け寄って行きます。それに他の艦娘達も続きます。……もちろん、私も。

 

別の室からも海軍の人達が動きに気づいたのか、何人もの人が出てきました。

 

艦娘や兵士たちに囲まれた医師は、長時間にわたる手術直後だけにさすがに疲れたような表情を見せています。

 

「ねえ先生、提督はどうなの? どうなったの? もちろん、手術は成功だよね! 提督は、大丈夫だよね」

金剛さんが医師に掴みからんばかりに近づき、責め立てるように問いかけます。他の艦娘も彼女の後ろで口々に質問しています。

医師は驚いてたじろいでいます。彼は何かを話そうとしていますが、艦娘たちの矢継ぎ早の質問攻めに何もできないでいます。完全に圧倒されています。

 

「ちょっと、みなさん。落ち着いて! 気持ちは分かりますが、落ち着いてください。先生が話せませんよ」

輪の外から見ていた、先ほどお話をした人間の女性士官が叫びます。彼女の声に合わせて、彼女と部下らしき数名が艦娘と医師の間に強引に割り込み、医師と艦娘を引き離します。

 

「みなさん、そんなに口々に騒いだら、先生がお話しできません。落ち着いて、とにかく静かにしてください」

その声に艦娘達も渋々といった感じで従います。

 

本来なら秘書艦である私がやるべきことなのに、呆然として何も出来ませんでした。それどころか、私も彼女たちと一緒になって提督はどうなったのかと質問攻めにしていました。……少しショックを受けてしまいます。

それでも人間達のおかげで、なんとか艦娘達も静かになり、やっと医師が口を開くことができます。

 

「……すみません、みなさん落ち着いて聞いてください。今回の冷泉提督の執刀を担当しました佐野です。冷泉提督の手術の結果等について、これからお話しします。……落ち着いてお聞きください」

そう言って、彼は話し始めます。

 

私もそうですが、他の艦娘も、人間たちも彼の次の言葉を待って沈黙します。思わず息をのんでしまいます。

 

「さて、……冷泉提督の負傷についてですが、鋭利な突起物による刺創が全身に15カ所ありました。その一部は内臓にまで達し、臓器に深刻な損傷を与えていました。また突起物は体内で一部が砕け、その断片が無数に体内で散らばっており、それらの影響で更に傷が拡大して出血を増大させていました。時間はかかりましたが、すべての破片を取り除き、傷の縫合については完了しました。しかし、その出血量が多すぎたことと臓器への深刻な損傷箇所が多すぎました……」

 

「そんな細かい説明なんてどうでもいいネ。先生の言うようにいろいろあったけど、結局、提督は無事なんだよネ? すぐに元気になるんでショウ? ねえ、センセイ? 」

金剛さんが医師の質問を遮るように問いかけます。

彼女の態度からは、どちらかというと、それ以上の説明を拒否しているかのようにさえ思えました。

先生の説明からは、どう考えても快方に向かうとは思えないのですが、その説明をすべて無視するような事を彼女は言っています。それは、私から見ても、ほとんど彼女の願望でしかないように思えます。

佐野医師は、驚いたような顔で何も言えずに彼女を見ているだけです。

 

「無事なんだから、……だったら、早く提督に会わせてほしいんだよネ。今すぐに! 」

彼女のその瞳からは、なぜだか涙がこぼれ落ちて止まりません。

「あれ? なんで涙出てるんだろ。提督が無事だったから嬉しいからかな? ……おかしいな。ねえ、先生、どうして黙ってるネ? 提督は大丈夫だって、……早く、早く言ってよ」

声は悲鳴にも似た叫びとなります。

 

医師は、すがるような目で彼を見る金剛さんと目を合わせないようにします。

続けて、すまなそうな顔で艦娘達を見ます。彼女たちも祈るような瞳で彼を見ます。けれども、彼は首を左右に振りました。

 

「あまりに……出血がひどすぎました。そして、傷の具合もひどすぎた……すべてが深刻すぎたんです。我々は全力を尽くしたつもりです。やれることはすべてやりました。やったつもりです。けれど、……すみません。これが私の、我々の限界です。申し訳ない……もう、それしか言えません」

そう言うと頭を深々と下げる。

 

「あははは! ……先生、何を謝ってるネ? さっきも言ったでしょう? ……手術は成功したんでしょう」

金剛さんの声が廊下に空しく響きます。

 

「提督は、一体どうなっているっていうの」

 

「先生の説明は説明になっていないわ」

 

「無事なんでしょう? 助かるんでしょう? 先生は冗談を言って私たちを困らせようとしてるんでしょう」

艦娘達も口々に質問します。中には苛立ちを隠さない声すらあります。

 

「……もはや、ここから先の事は、神に祈るほかありません。……私達では、人間の医学ではこれ以上、手の施しようがないのです」

 

「どういうことネ? 先生、何を馬鹿なことを言ってるの。ふふふふふ、さすがに、こんな時にそんな冗談は許さないネー」

冗談めかして金剛さんが言い、一人で笑います。けれども、何故かその瞳は虚ろです。医師はまるで反応しません。むしろ哀れみの表情で金剛さんを見つめます。

 

「私ができることは、皆さんにお願いするだけです。はっきりと言いますよ。冷泉提督は、今、必死に戦っているはずです……けれども、それもここ数日がヤマでしょう。おそらく、もってあと数日が限界だと彼の体力の限界だと思っています。本当にすみません。私が言えることは、それだけです。みなさん、悔いを残すようなことのないように、悔いを残すような事の無いよう行動して頂きたい。あなた方と冷泉提督との時間は、もう残り少ないのです。ですから、時間を無駄にしないでください。それだけです。……すみません、失礼します」

耐えきれなくなった医師は深々と頭を下げると、そのまま背を向け、逃げるように歩き去った。

 

「そ、そんな……嘘だよね、嘘。ねえねえ」

崩れ落ちるように金剛さんが膝をつく。

「提督が、提督がだよ。……そんなことありえないネ。前だってあんな怪我をしたのに、頭ドカーン! ってなったのに、すぐ元気になったよね。みんなも覚えてるよね。今度もきっとそうダヨ。だから絶対、ぜっ、絶対に。ありえないありえない、ありえないよね。ねえ、ねえ、みんなそうでしょう? ね、みんな何とか言ってよ。言って! どうしたの」

誰と無く金剛さんは問いかけます。けれども、みんな同意することが出来ず、かといって彼女にかける言葉さえ見つからず沈黙するしかありません。

「みんな、どうして黙り込んでるの? なんでそんな辛そうな顔してるネ? 何とか言って欲しいよ。提督が、提督が……そんなの嫌だよ、嫌、嫌嫌嫌。……うわあああああん! 」

そのまま泣き崩れてしまいます。誰にはばかることもなく大声で、金剛さんは子供のように泣き出しました。

 

他の艦娘達にも動揺が走ります。

それは明らかな絶望……それがみんなの心を浸食していきます。

 

提督が、死ぬ……? 

 

そんな私たちの理解をこえる現象が、今、目の前に起ころうとしています。

この世界において、艦娘が轟沈することはあっても、提督の死に艦娘が立ち会うことなんてありませんでした。それが今、起ころうとは。それも自分たちの前で起ころうとしているなんて。

 

誰もそれを理解できないし、したくもありません。そんなこと、受け入れることなんてできるわけないのです。

金剛さんが泣き出したことで、それがみんなに伝染していきます。それは、とても、良くないことです。みんなの混乱を押さえるべき人が取り乱してしまったら、もう収集がつきません。

 

「みんな、あなたのせいなのよ! あなたが悪いのよ」

突然、悲鳴にも似た叫びが響き渡ります。

「あなたが来たのが全部いけないのよ! 」

激しい口調で責める声です。

声のしたほうをみると、呆然とした顔で立ちつくしている加賀と、彼女と向かい合うように立っている軽空母祥鳳がいました。

 

普段は大人しくて、自分の意見をそんなに主張することのない彼女が珍しく感情を露わにして加賀さんを非難しています。確かに、彼女は提督の事を慕っていましたから、当然の反応といえば反応なのですが……。けれど、この状況はまずいです。提督が大変な時に、艦娘同士でいがみ合うなんてとんでもないことです。こんなことで時間を無駄にするなんてありえないです。

 

加賀さんは少しだけ彼女を見、そしてまた俯いてしまいます。

「加賀さん、なんとか言って下さい! 黙ってなんていないで!! 」

祥鳳が再び声を荒げます。

それはあまりに理不尽なのでは? と思うような事を言います。加賀さんが何て答えればいいのでしょう。謝ったところでどうにもならないというのに。けれど、それは祥鳳だって分かっていることのはず。誰かを責めたところで提督が助かるわけではありまえん。せんもないことなど分かっているのです。けれど、言わなければ、心が耐えられないのでしょう。

 

「あなた、私が謝ればそれで気が済むのかしら……」

感情のこもらない、少し低い声で突然、加賀さんが答えます。上目遣いで祥鳳を見つめます。それは、ほとんどにらんでいるようにさえ見えます。

 

「そんなことで許されるはずありません。でも、あなたはみんなに謝らないといけないでしょう! それだけの事をしたんですから。とにかく、謝ってください。謝りなさいよ」

祥鳳も負けてはいません。正規空母の迫力にもたじろがずに反論します。たとえ理不尽であろうとも、言わずにはいられないのでしょう。

 

「はい、すみませんでした。……これでいいかしら? 」

やけくそな感じで加賀さんが言います。彼女もどうかしています。こんな言いようでは、まさに火に油を注ぐような態度です。

 

「なにそれ? どういうつもりですか! 私を馬鹿にしているんですか。こんな時にふざけないで下さい」

当然ながら、祥鳳も声を荒げます。怒りのために、少し目がつり上がり気味になるほどです。

「私を馬鹿にするのは構いません。けれど、提督がこんな状態の時にそんなことを言うなんて、絶対、許せないです」

 

「なら、どうするのかしら? 」

加賀さんの発言は、どう考えても投げやりな気持ちになっているとしか思えない感じです。挑戦的な瞳で祥鳳をそれどころかこの場にいる艦娘みんなを睨みます。

 

「ちょっといい加減にしなさいよ! アンタ何考えてるの? 」

珍しく黙っていた叢雲がついに我慢できなくなったのか、口を挟んできます。空母相手でもまるで遠慮がありません。

「アンタのせいであいつがどうなったかってのを分かってるの? それなのに何なのその態度! 」

 

そして他の艦娘達も呼応するように、加賀さんに対する批判的な言葉を口にしだします。

提督の命が残り少ないと宣告された状態で、何故争うようなことになるのでしょうか。なんとかしないと、取り返しのつかない事になりそうです。秘書艦としてこの場をなんとかしないと。私がなんとかしないと。気だけ焦りますが、どうしていいかわかりません。

 

「フン。なんとでも言えばいいわ。……私を批判して、あなたたちの気が済むのならどうにでもしてちょうだい。もう、私にとっては、何もかもどうでもいいことだわ。私を責めたければ好きなだけ責めればいいじゃない。どうでもいい。勝手にすればいいわ。どんなに願ったところで結局、何も変わらないし、何も変えられないのだから……。所詮、提督も私を救えなかったのだから……。あんなに偉そうなことを言っておきながら、このざまなのだから。放っておいてくれたら何事もなかったのに、しゃしゃり出てきて……ほんと馬鹿みたい。馬鹿な人」

 

私は右手の手袋を外すと、つかつか歩きと加賀さんの前に立ちます。そして、彼女の目を見つめます。

 

「何かしら? あなたも私に文句があるのかしら……」

突然やって来た私に彼女は不思議そうな顔をします。

加賀さんはわざとみんなを刺激するような言葉をいい、挑戦的な態度をとっています。すべてをあきらめ、投げやりになっているとしか思えません。それで彼女は満足なのかもしれませんが、それではダメなのです。

 

明らかにこの場の雰囲気は、スケープゴートを求めているのです。提督の死というあり得ない現実を突きつけられて混乱した艦娘にとっては、何でもいい、逃げ道がほしいのです。

原因者っである加賀さんを責めることで、この混乱から目をそらしたい艦娘。彼女への批判はみんなに伝染します。提督の死が至近になったことで押さえていた感情が爆発しそうになっています。

けれども、みんなが負の感情を持っていがみ合うなんて、させてはいけないのです。そんなこと、提督が望むわけありません。提督がこの場にいたらどうするか、考えるまでもありません。

 

私は覚悟を決め右腕を後ろにそらすと、渾身の力を込めて彼女の頬を平手打ちします。

 

パン!

 

乾いた音が室内に響き渡ります。スナップのきいた平手打ちが彼女の左頬を捉えました。

「何をしれっとしてるの、あなた! 今、提督がどういう状況か分からないわけじゃないでしょう」

普段以上に声を張り、叫びました。

 

そのおかげか分かりませんが、場は一気に静まりかえります。

いきなりの私の行動が、加賀さんに対する批判を向けようとする艦娘達の機先を制することに成功したようです。驚いた顔で私を見ている子たちが視界に入ります。

祥鳳も叢雲も言葉を失い、私を呆然と見ています。

 

「な……」

加賀さんも予想外の出来事で、戸惑ったような顔で私を見るだけです。

 

「加賀さん……自分がしでかしてしまったことをもっと認識しなさいよ。あなたのせいでどれくらいみんながとまどい、苦しんでいるのか分からないの? なんで他人事のような口をきいているのよ。……提督がこんなことになったは、すべてあなたのせいなんですよ! せめてみんなに謝るくらいのことをしてもいいのではないの? それなのに自分だけが辛い、自分だけが不幸だとわめいてばかりいないで、少しは他の子の事も考えたらどうなの? 辛いのはあなただけじゃないことくらい分からないの? 」

普段の自分からはありえないくらいの口調で叫んでしまいました。少し恥ずかしくなる自分を必死に悟られないようにします。

 

「私が謝ったところで……」

加賀さんが反論しようとしますが、私に睨まれ黙り込んでしまいます。

 

そう。彼女が謝ったところで、提督の状況が良くなる訳ではないことなんて分かっています。そして、加賀さんだって自分の責任について認識していることくらい分かっています。けれど、このまま黙っていたら、みんなが加賀さんを責めてしまうでしょう。誰かにすべての責任を負わせないと、耐えられないのです。そして、決定的な決別となるはずです。

そして、加賀さんもかたくなに心を閉ざしてしまうでしょう。

 

私なりに、このままではまずいと思ったのです。秘書艦でなかったなら、こんなこと絶対にやらない事だと思いますし、やりたくありません。こんな目立つことも嫌いですし、誰かに嫌われる役をやろうなんて考えもしなかったでしょう。けれど、誰かがやらなければ、取り返しのないことになるかもしれないって思ったのです。私が加賀さんをののしり張り倒し、一人悪者になればこの場を納められると思ったのです。本当は仲間に暴力をふるい、厳しい言葉で罵るなんてしたくなんてありません。……辛いです。けれども、艦娘達がいがみ合うことは提督の望むことではありません。私一人がみんなを代弁して加賀さんにみんなが引いてしまうくらいきつく言えば、他の子達が加賀さんを責めることも無いでしょうし、加賀さんも私のことだけを嫌いになるだけで済みます。犠牲は最小限に押さえられるはずです。

 

提督が戻られた時に、みんないがみ合っているところなんて見られたくなんてありませんから……。加賀さんがみんなに馴染めないでいるところを悲しそうに見ている提督の姿は、とても切なかったです。なんとかしてやりたいのにどうにもできない無力感に取り憑かれた提督の背中は凄く寂しそうでした。

 

加賀さんは、私の意図を悟ったのでしょうか、少し悲しそうな瞳で私を見ると、それ以上何も言いませんでした。

 

 



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74話

そして、重苦しい沈黙が続きます。

加賀さんは俯いたまま黙り込んでいます。他の子たちも何が起こったかを理解できていないのか、一言も言葉を発さなくなりました。

私は私で、勢いでああいった行動をしたものの、実は次にどうするかをきちんと考えていませんでした。もちろん、それなりのストーリーを考えてはいたのですが、慣れないことを、自分のキャラでなことをするのは駄目ですね。

 

―――頭が真っ白になってしまいました。

 

なので、沈黙してしまいます。

どうしよう……。どうしたらいいのでしょう?

みんなの視線が痛くなってきました。次に私がどうするのかを息をのんで待っています。……待たれても何も無いのですが。

何かをしなければ何かを言わなければと思いますが、焦れば焦るほど何も考えられなくなってしまいます。

 

恥ずかしい……です。

 

「あの、高雄秘書艦。……すみません、いいですか? 」

突然、ずっと黙っていた神通が話しかけてきます。

 

「なんでしょう? 」

助かった……。彼女が何を言おうとしていうかはどうでもよかったのです。とりあえずこの沈黙を打ち破ってくれたことに感謝しながら、彼女を見ます。

果たして、彼女は何を私に言おうとしているのでしょうか。

 

「すみません。お取り込みの所申し訳ないのですが、そろそろ遠征に出なければならないので、許可をお願いしたいのですが」

いつも通りの少し恥ずかしそうな表情で神通は言いました。

 

「……はあ? 」

おそらく相当間抜けな顔で答えたように思います。この状況でまさかそんな発言が為されるなんて考えてもいない突拍子もない事でした。

 

「加賀さんを曳航していた私の旗下の第二艦隊の子達も帰ってきました。ですから、少し遅くなりましたが、計画されている遠征に出ようと思います。……許可願います」

 

「え? 神通、あなた何を言っているの? 状況が理解できていないんですか? 提督が危篤状態なんですよ。そんな時に、今から遠征だなんて、何を考えているの」

呆れてしまう。

確かに神通って艦娘は少し生真面目過ぎる部分があって、ちょっとみんなと違うところがあるなとは思っていたんですが、ここまでずれているなんて。

 

「提督は大丈夫です。問題ありません。……だって提督は、私に約束してくださいましたから。かならず、おまえ達を守るって言って下さいました。ご存じのように、提督は約束は絶対に守ってくださる人です。だから、きっと回復します」

何の疑いもないような晴れ晴れとした表情で彼女が宣言します。

 

「え……と」

次の言葉が出てきません。

何を言っているのでしょう。どんなオカルト話なんでしょうか! それ以外の感想が出てきません。もちろん、そんなことを口には出せませんが。

 

「提督が元気になられた時に、私たちがこのままずっと何もせずにここにいたままだったら、出撃の際の資材が足りない状態が解消されません。そんなことになったら、提督が悲しみます。提督のご期待に応えられません」

 

「あのね、神通。さっきから、あなた何を言ってるの? 先生が言ったでしょう? もってあと数日だって。その話が理解できていないんですか? 遠征に出ることも必要かもしれません。けれど、遠征に出ていたら、もしもの時に……」

こんな事、絶対信じたくないし、言いたくないです。けれど、現実を直視しないといけないのです。秘書艦という立場であればなおさらです。

もし、もしも……提督がそんなことになったとしたら、その時はみんながお側にいるべきなのです。もちろん、そんなこと、信じたくないですが。

 

「私は、……提督を信じています。提督は、すぐに元気になられます。ですから、問題ありません」

 

「はっきりと言います。神通、あなた、……もし、提督が死んだらどうするの? 」

埒が明きません。神通は自分の信じる事に囚われていて物事はしっかりと見えていないに違いないです。そんな子には、はっきりと、これ以上ないくらい言ってあげないといけません。

 

「提督は、死にません」

静かに、しかし毅然と、彼女は返事を返してきます。そこには、迷いなど微塵も感じとれません。

どうしてそこまで確信を持てるのでしょうか。

 

「あなた、現実を見なさい。もしも……」

少し気圧されながらも何とかこちらも言葉を返します。しかし、中途半端なものとなってしまいます。

 

「仮に提督が亡くなったとしたら、私も生きている意味が無くなります。あの時から私の魂も体も、すべて提督のためのみに存在しています。私は提督の為だけに生きることを決めたのです。だから、提督が居なくなった世界に私は何の未練もありませんし、生きる意味はありません。喉をかっきてでも命を絶ち、提督の下へ行きます」

残念ながら、艦娘には自傷できないという制約が課せられています。だから、自分の意志で死ぬことは叶いません。どんなに念じたとしても、自分の命を自ら絶つことどころか、傷を付けることさえできないのです。……だから、加賀さんも生きているしかないのですから。

けれど、神通を見ていると、本当に彼女ならその命を絶ってしまいそうに思えてしまいます。それほど彼女の想いは強く感じられます。

 

「その話は、もういいですよね。さて、出撃するのは……」

神通は私との議論を時間の無駄と判断したのでしょうか、お構いなしに話を続けます。

遠征に出る第二艦隊の編成についての考えを秘書艦に伝えてきます。私に伝えたってそんなのどうやって判断すればいいのでしょう? ……彼女の読み上げるメンバーの中には第二艦隊所属の島風の名前はありません。島風は入渠中ですから、当然ですが。

神通曰く、叢雲、不知火、村雨、初風の駆逐艦を指名します。そして、彼女の近くでブツブツとなにやら文句を言っていた大井を見つけると、

「大井さん、あなた、提督のことが心配ですか? 」

と問いかけます。

 

「ん……んなことあるわけないでしょう! そりゃ、あの人は司令官なんだから、……上司なんだから少しは心配してるけど、それは部下と上司の関係でしかないですわ。それだけよ。それに私がガタガタ騒いだって、何も変わるわけないじゃない」

いきなり話を振られた大井は虚を突かれたような顔で反論しています。

 

「では、大井さん。あなたも私と一緒に遠征に行ってもらっていいですね? 」

神通は大井にニッコリと微笑む。

 

「ぐ、ぐぬぬぬっ。……そ、そりゃ、もちろん構わないわよ。断る理由なんてありませんよ」

何故だか引きつった笑顔で大井は同意しています。

 

「ありがとうございます。では、高雄秘書艦。この人員にて、遠征を行いたいと思います。出撃許可をお願いできますね」

 

「しかし、神通。提督がこのような状況なんですよ。万一のことがあったら」

考えたくはないけれど、最悪のことを考えてしまいます。

 

「先ほどもお伝えしたように、私は提督を信じています」

 

「もちろん、それは先ほども聞きました。けれど、信じているだけでは……」

自信たっぷりに答える彼女が、とても羨ましく感じられました。どうすればそこまで確信できるのでしょうか。

 

「提督が意識を取り戻された時に、私たちが何もせずにただここで嘆いていたなんて、そんなこと恥ずかしくて言えません。提督は、私たちを信じてくださっています。だから、私たちはそれに応えなければならない。いえ、応えたいんです」

 

「あなたはそうでも、他の子たちはどう考えているの? ねえ、みんなそれでいいの? 」

 

「もちろん、みんな同じ考えです。……ね? そうでしょう」

神通が後ろに控える艦娘たちに問いかけます。

 

「……無論です」

と不知火は即答します。

まあ、この子はそうでしょうね。実際のところどう考えているかは分かりませんが、規範に忠実な子ですから、いかなることがあってもそちらを優先するでしょう。

 

「……神通さんがそう言うなら、まあ、私はそれに従うしかないわね」と、叢雲がふてくされ気味に答えます。

この子は、普段は自分の意見をしっかり言う……言い過ぎる子だけれど、神通の事は苦手なのか、一目置いているのかは分からないけれど、わりと素直に言うこと聞きます。本当は提督の側にいたいはずなのに無理をしているようです。態度に思い切り表れています。前に提督が入院したときも、禁じられていたのに病院に潜入して一騒ぎあったと聞いています。

 

そして、大井を含めた他の子たちは、お互いに顔を見合わせ、やはりしぶしぶといった感じで頷きます。

 

確かに、このままじっとしていても何も変わりません。ただ心配するだけで待っていたら、みんなの心には負の感情か高まるだけでしょう。それならば、別のことに集中したほうがいいということなのかもしれません。その合理性については、認めざるをえませんね。

「わかりました。神通、秘書艦として、出撃を許可します。ただ、一つだけ条件を付与します。……いつでも連絡を取れる状態にだけはしておきなさい。もちろん、これは吉報をすぐあなた達に伝えられるようにです。……いいですね? 」

神通は頷きます。

そして、彼女はどういうわけか、唐突に加賀の方へと歩み寄っていきます。

少しですが、いえ、結構動揺してしまいます。せっかく収まった話をまたややこしいことにしないか冷や冷やです。

 

神通が前に立ったことに気づいた加賀さんが彼女を見上げます。

「加賀さん。……あなたもいつまでもここに留まったままでいないで、すぐに入渠すべきです。怪我をしたままじゃないですか。怪我の治療も艦娘にとっては任務です。早急にドックへ行くことが必要でしょう」

 

「……私のことは放っておいてくれないかしら。……私のせいで提督はあんな目に遭ってしまったのよ。そんな時に、のんびりと入渠なんてしていられるわけないでしょう? あなただって聞いたでしょう? ……ここ数日がヤマだって。そんな時に何をしろというの! 私は何処にも行かないわ。ここでずっと提督の無事を祈っていたいの」

苛立ちを隠さずに加賀さんが反論します。

 

「加賀さん。あなたは、提督が助からないと思っているのですか? 」

まったく怯むことなく、神通が話します。その言葉はむしろ諭すような話し方です。

 

「そ、そんなことないわ。彼には助かって欲しい。意識を取り戻して欲しい。……伝えたいことがあるから。だから、そんなこと考えたくもない」

その言葉を聞き、神通は微笑みかけます。それは、すごく優しい微笑みです。

「では、加賀さんも提督は助かると信じているのですよね。だったら、提督が意識を取り戻した時に、あなたが中破状態のままここにいたらどう思うんでしょうか? せっかく、命がけで助けたつもりなのに、治療もせずにいたって知ったら。あなたが、提督のことを心配して、怪我の治療法もせずにいてくれたって喜ぶでしょうか」

 

「そ、それは」

 

「あなたもご存知だと思います。この鎮守府の状況は、それほど余裕がないってことを。鎮守府は様々なノルマを抱えています。そして、すでに期限切れのノルマさえあります。これらを早く達成しなければ鎮守府は、いえ提督の立場が危うくなるのです。提督の怪我が完治したら、直ぐにでも第一艦隊は出撃しなければならないのです。そんな時に、大切な戦力となる正規空母のあなたが使い物にならなければ、いったいどうなるのでしょうか。それについては説明するまでもありませんよね。……加賀さん、あなたは提督のお役に立ちたいとは思わないのですか? 」

 

「そ、それは」

加賀は口ごもります。戦いを続けたくなくて横須賀からこちらに来た彼女にはなかなか難しい質問なでしょうか。

神通はため息をついた。

「もういいです。どう決断するのは、加賀さんなのですから。加賀さんでしかできないことなのですから。余計なことを言って、すみませんでした。けれど、これだけは覚えておいて下さい。……私は、私たちは少しでも構わないから提督のお役に立ちたい。だから、遠征に出ます。私なんかでは直接的に鎮守府にたいした貢献できるわけではありません。けれども、これが今、私たちにできる精一杯のことです。今はそれをやるだけです。こんな状態ですから、提督を想い心配し嘆くのもいいでしょう。けれどそれでは何も解決しないと思います。加賀さんは、提督に期待されています。だから、それに応える必要があると思うんです。それだけは覚えておいてください。少し言いすぎたかもしれません。すみませんでした」

そう言うと神通は会釈をすると出て行った。他の子も慌ててそれに続いていきます。

加賀さんは少し考え込んでいましたが、ふいに立ち上がります。そして、待合室から出て行こうとします。

 

「加賀さん、どこに行くのですか? 」

気になって問いかけます。

 

「もちろん、ドックに行きます。そうだ……すみません、ドックまで車を回してもらって構いませんか」

答える加賀さんのその顔には、すでに迷いはありませんでした。

 

「了解です。すぐに来てもらいますね」

加賀さんの言葉に、私まで嬉しくなってしまいます。ついに彼女は悲しみと絶望を振り切ったのでしょう。そして、今、自分が何をすべきか、しなければならないかを知ったのでしょう。

私はすぐに連絡を入れます。

 

「高雄さん、提督のことをよろしくお願いします」

加賀さんはそう言うと、迎えの車に乗り込みました。

ドック行きの車を見送ると、私は大きくため息をつきました。

 

「提督、必ず戻ってきてください。もう、あなたの命はあなたのためだけのものではないのですから。あなたが、もし、死んだりなんかしたら、何人もの艦娘が悲しむだけでなく、希望を願いを夢を奪われてしまいます。あなたは、いろんな子たちの希望なんですから。……もちろん私にとってもですよ」

病院に戻ろうとすると、何人もの艦娘たちが出て来ました。

 

どうやら彼女たちも加賀さんたちに感化されたのでしょう。無為に待つよりも、提督の復活を前提に行動を始めたようです。それぞれが自艦の繋留している場所へと駆けていきます。

第一艦隊もメンバーだけでなく、待機する子たちもそれぞれが自分の役目を果たすために……。

 

私も自分の役目を果たさなければなりませんね。

 

秘書艦は常に提督の側にいなければなりません。私は彼の側でみんなの分も祈り続けなければなりません。そして、提督が意識を取り戻したら、みんなに伝えなければなりませんからね。

 



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75話

待合室は閑散としていました。

先ほど外からここに戻るまでの間に、何人かの艦娘とすれ違いました。

彼女たちは加賀さん同様、神通の言葉に感化され、今、自分たちが何をすべきかを再認識したのでしょう。そして、提督が意識を取り戻し、戻られた時にすぐに行動を起こせるように準備を始めたようです。

 

残っているのは、金剛さんだけかな……。

一人呆然とした表情で頼りなさげに長椅子に座っている彼女の姿を見ただけでこちらまで痛々しく感じてしまいます。

 

普段は呆れるほど明るくて、言い意味で脳天気で元気なのですが、彼女のメンタルがここまで弱いとは思っていませんでした。彼女は、物事にのめり込んでしまう分、何かあった時、その反動も大きいのでしょうか? もしかすると普段の彼女は虚像でしかなく、自分の弱さを隠すために明るく元気な別の金剛さんと人格を演じているのかも……? そんなことも考えてしまいます。

最初の私の仕事は、金剛さんの気持ちを落ち着かせて、提督が戻られるまでにいつもの元気な金剛さんに戻しておく必要がありますね。

できるかどうかはわかりませんが、できないようでは秘書艦失格です。他の艦娘たちもそれぞれが今、様々な困難と戦っているのです。私だって負けていられません。どんなに困難であろうとも、それをやりとげるのです。気持ちから負けてしまっていたら、お話になりません。

 

よし!

 

心の中で気合いを入れ、金剛さんに近づこうとした時、視界の隅に他の艦娘の姿を認識しました。

 

……羽黒でした。

少し縮こまったような状態で部屋の隅っこにいたので、気づくのが遅れてしまいました。

 

「羽黒? あなた何をしてるの? 」

思わず声に出してしまいます。

 

「ご、ごめんなさい」

別に何も悪いことをしていないのに、どういうわけか、いつもこの子は謝ります。

「あの、……司令官さんの事が心配で。だから、私、ここにいたんです」

 

「そう、それは構いませんよ。あなたも提督の事が心配なのね」

 

「あ、あの、そのそんなつもりじゃ……。す、すぐにでも出撃できるように、みんなと同じように準備しに行きますから」

彼女は、顔を真っ赤にして否定します。全く、バレバレですね。

こんな状態では出撃に備えて準備をすると言っても、何も手に着かないどころか返ってやったことがメチャメチャで、結局、手戻りが増えるだけでしょうね。心配事があるとそのことばかりに意識が行ってしまって、他の事が何も出来ないのですから。

 

「羽黒、大丈夫よ。……あなたはここに居なさい。みんなの分も提督の無事に祈りましょう」

そう言わないと返って話がややこしくなりそうです。

 

「は、はい! 」

嬉しそうにこちらを見ます。

 

「はいはい。じゃあ、そこの椅子に座っていなさい」

私の指示にすぐ彼女は椅子に腰掛けます。

問題は一つ解決しました。次は金剛さんですね。

 

私と羽黒とのやり取りは聞こえていた筈なのに、彼女はまるで反応を示していません。自分の世界に完全に閉じこもってしまっているのでしょうか?

 

「えっと……。金剛さ」

声をかける途中で外が騒がしくなったのに気づきました。

一体、何事なんでしょうか。

まさかまだ問題が増えるなんて事は無いでしょうね? 少し心配になってしまいます。

 

大声で男女が何かを話しながらこちらに近づいてくるのが分かります。足音も一人や二人のものではありません。

 

「ちょ……まだ決定されていない時なのですから、今はまだお待ち下さい」

女性の声が切迫しています。この声は先ほどお話した女性士官のようです。

 

「どうせすでに結果は出ている。少し早いだけだろう。君も本心ではそう思っているんだろう? なあに、気にすることなどない」

高圧的であることが威厳ある話方であるかのような、とても無礼な声がそれに反論します。

ドタドタと現在の状況をまるで考慮するつもりもないような足音。

……この声はどこかで聞いたことがあるような……。記憶を辿っている間に騒々しく扉が開かれます。

 

そして、唐突な闖入者に、場の静寂が破られます。

 

「なーんだ、この状況は? ほとんど誰もいないではないか! 」

それは明らかに笑いを含んだ声でした。聞く者の感情を逆撫でるような声です。

「ひとーり、ふたーり、……なんだ3人しかいないぞ。他の連中はどこに行ったんだ? おいおい、司令官が緊急手術だっていうのに、他の艦娘連中は、ほったらかしで遊びほうけているっていうのかね? ここの規律はどうなっているんだ。艦娘を掌握さえできていないのか、今の提督は無能だな。こりゃダメだ。ふははははははは。しかし、それにしてもこれは酷いな。君もそう思うだろう? 」

実に楽しそうに話します。

 

声の主を見た途端、全身に悪寒のようなものを感じているのを認識しました。それは、羽黒も同様のようで、目を大きく見開き、怯えたような顔をしています。よく見れば、幽かに震えているのが分かります。私は彼女のように怯えるような要素は無いのですが、嫌な出来事がいろいろと思い出されて来て、気分が悪くなるのを抑えられません。

 

「金剛に高雄、それから羽黒か……。久しいな、お前ら」

ニタニタ笑い、まとわりつくような視線を私達に這わせながら、男は近づいてきます。実際には触れられてもいないのに、全身に鳥肌が立つような気さえしました。これが舐め回すような視線というものでしょうか。実際に経験してみると、凄く不快です。

 

男の名前は、小野寺小佐……。現在は、軍令部の大佐になっています。

提督が召喚された査問委員会の委員の一人となっていたことで、知りたくも無いのに彼の現在の役職を知ってしまいました。

 

彼は、今は空席となっていますが、かつての舞鶴鎮守府の副官です。

そして、私が人間の事で初めて嫌いになった人です。

 

彼に続いて女性士官の人、そして数人の軍服を着た男性がやってきました。彼らは先ほどから病院で見かけた人たちです。

 

「……ご無沙汰しています、小野寺大佐。お元気でしたでしょうか」

一応、礼を失してはいけませんので心にもない言葉を吐きます。

 

「ふん。まあまあだな。……お前もそれなりにやっているようだな」

興味なさ気に答えます。そして、羽黒のほうを見ると

「羽黒、お前も久しぶりだなあ。元気にしてたか」

視線を上下にゆっくりと這わし、ニタリと嗤います。

 

「ヒッ! 」

思わず羽黒が小さな悲鳴を上げてしまいます。そしてそれ以上何も言えずに黙り込んでしまいます。今にも泣き出しそうです。

その姿を見て、とても嬉しそうにそして気持ち悪い笑みを小野寺は浮かべました。

 

「金剛、お前も久しぶりだったな」

続けて金剛さんにも声をかけます。

しかし金剛さんは反応さえしません。何も聞こえないのか黙ったままです。

 

小野寺大佐は、かつて鎮守府の副官でいたころ、艦娘に対するセクハラ及びパワハラ行為を繰り返し、ついには、ある事件をきっかけに提督の逆鱗の触れ、鎮守府から放逐された人物です。事案からすれば、本来なら、もう軍隊に残れる筈がないのですが、どういった理由からか左遷さえされずにその後は順調に出世をしていたので、とても疑問を感じていました。それが人間の世界の出世ゲームというならば、それは人間に対して失望しますが、やむを得ないことと諦めざるをえないのですが……。

 

「おいおい、かつての上官が来たっていうのに、全く無礼な連中だな、……コイツら。やれやれだな、これは。やはり、上司が無能、いや、きちんとしていないから、こんな間抜けが治らないままなんだよ。全く、規律の乱れは大問題だ。本当に、困ったものだ」

彼の言葉に少し苛つきますが、なんとか抑えます。

 

「大佐、本日はどうされたのでしょうか? 」

与太話に付き合っている時間はありません。

私達は提督の身を案じ、彼の帰還を祈らなければならないのです。こんな俗物のそして変態の相手をしている時間はありませんし、この部屋の静寂をこれ以上乱されたくありません。

 

「まあ……なんだな。次の勤務地の事前確認といったところだ」

 

「大佐、それはまだ案であって、決定事項ではありません。それを軽率に艦娘たちに言うことは……」

素早く女性士官が言葉を挟みます。

 

「ふん。どうせ、すぐに決定事項になることなんだ。いや、もう決まっている事だろう? こんなことは。さっさとコイツらに伝えてやったほうが良いに決まっているだろう」

 

「どういうことでしょうか? 何がどうなるのか私には分かりません」

 

「ところで、扶桑は居るのか? 見あたらないが」

私の言葉が聞こえていないわけではないでしょうに、全く別の事を言います。相変わらず人を怒らせるのは上手ですね。

けれど、怒っても仕方ありません。それは彼のペースに乗せられてしまうだけです。

 

「扶桑さんは、現在、入渠中です」

 

「わはははははは!! おいおい、あのポンコツ、まーた入渠しているのか? 傑作だな。本当に相変わらずの欠陥戦艦ぶりだな。よく偉そうに鎮守府で戦艦として居座っていられるな。そもそも一体、いつ出撃するんだね。どれだけ面の皮が厚い、厚かましい奴なんだよな、そう思わないかね? 」

不愉快な笑い声が室内に響きます。

反論してやりたいですが、なんとか堪えます。この数瞬だけで1年分の忍耐を使ってしまった気分です。

「相変わらずの層の薄い鎮守府だな。それにしても、あんな奴が、まさか、未だに第一艦隊に居座っているなんて事ないだろうな? 補欠だろ? 補欠だよな? 違うのか? だとするなら、今の提督もやはり、戦略戦術ってやつがまるで理解できない、……無能って事だろうな」

 

「あの、すみません。今、提督は、絶対安静中となっています。もう少しお静かに願いませんか? 」

嫌味っぽく言うだけしかできません。

これ以上、扶桑さんの悪口をこの男に言わせたくないですし、私も聞きたくありません。私が我慢の限界値に達しそうです。あと少しでも喋ったりしたら、恐らく、かなり高い確率で彼をぶん殴ってしまいます。

この野郎! どの口がそんなことを言ってやがるんだってところです。

 

小野寺大佐が扶桑さんを毛嫌いしているのは、それ相応の理由があるのは知っています。もともとドスケベで変態気質のあった彼は、提督に隠れ陰で艦娘達にセクハラ行為を働いていました。それは巧く表面化せずにいたようですが、ある時、エスカレートした彼は、理由をつけて扶桑さんの艦内に入り込み、彼女を襲ったのです。幸い、大事には至りませんでしたが、それが提督の耳に入る事となり、激怒した提督に放逐人事をされたのでした。その時、提督は普段の温厚な性格からは考えられないくらい激高しており、小野寺大佐に対して暴力行為に及んだようです。それが、不味かったのかもしれません。小野寺大佐につけいる隙を与えてしまったのです。

単なる加害者でしかなかった彼が、被害者の立場も手に入れてしまったのです。

 

結局、小野寺大佐は鎮守府から異動となりましたが、処分らしい処分はされませんでした。提督もおとがめ無しでしたので、何らかの政治的解決が図られたようです。

けれど、そのことで彼の経歴に傷が付いたということで自分はぬれぎぬを着せられたと激高し、提督をそして被害者であるはずの扶桑さんを呪いながら鎮守府を後にしたのでした。襲われた事でしばらくの間、扶桑さんは精神的にかなり不安定になってしまって大変だった事を覚えています。あの時、提督が本当に献身的に扶桑さんのケアをしたので、なんとか彼女も立ち直ることができたようでしたが。

 

つまり、全くの逆恨みでしかないのです。

 

「ふふ……そのことか。喜ぶがいい。お前達にとって良いニュースだけを持ってきてやったぞ」

鼻を膨らませながら答えます。

 

「大佐、それはまだ」

女性士官が止めようとしますが、小野寺大佐は無視します。

 

「喜べ。冷泉提督が死んだら、私がここの司令官となるのだよ」

それは、私達にとっては、最悪のニュースでした。

 

 



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76話

「は? ……大佐のおっしゃる意味がわかりませんが」

恐らく、ずいぶんと素っ頓狂な声をあげてしまったのではないでしょうか。彼の言っている言葉は認識はできたものの、それが何を意味しているかを理解するまで、にしばらくかかってしまいます。

小野寺大佐が舞鶴鎮守府司令官?

司令官は冷泉提督です。小野寺大佐ではありません。

意味が分かりません。

いえ、彼の言っている事の意味が分からないわけではないのです。受け入れたくないのです。

現実から目を逸らし、状況を見誤るなんてことは私達艦娘にはあってはならないことなのです。状況は最悪。そして、来るべき時は、すぐそこまで来ている。……その現実を認識していない艦娘は一人もいないでしょう。けれど、私と同じく、皆それから目を逸らして認めようとしないのです。

 

「高雄、お前それほど馬鹿じゃない艦娘だとて認識してたんだが、どうやら、私がしばらく目を離している間に、相当に馬鹿になったみたいだな。……栄養がその乳にばかりに行ってしまい、脳まで回らなかったのかな? ……ふふふ。まあそれはないか。やはり無能な上司の下でいると部下までダメになるという良い見本ってことか」

大佐は私の事を勝手に解釈して、話を続けます。相当に失礼なことを言いながら。

「まあ、安心しろ。私が着任すればそんな問題も速やかに解決するだろう。この停滞した鎮守府の状況はしっかりと認識している。何が原因であるかもそれなりに推測はしているし、解決法もだいたい考えている。着任後、それらの施策を速やかに実行するつもりだ。しかし、鎮守府の問題は根深い……。今のこの鎮守府の現有戦力だけで作戦ノルマ等をこなすのは流石の私でも、相応の覚悟と忍耐、そして血の滲むような努力が必要だ。……だが、不幸中の幸いというべきなのだろうか。光は無いわけではなかった」

 

「それは、どういう事でしょうか? 」

思わず問うてしまいます。会話を続ける必要などないというのに。

 

彼はすぐに反応します。自説を展開するのがとても楽しく嬉しいのか、満面の笑みで私を見ます。自分の話に私が引き込まれているとでも思っているのでしょう。

 

「並の人間であれば鎮守府を回していくのは相当に困難な仕事だ。しかも、頭数が少ない状況であればなおさらだ。流石に冷泉提督もそのことに頭を悩ましていたのだろう。いろいろと手を回したのかわからんが、艦娘の増員要求を出していたのだよ。そして、それが認められていた」

艦娘の増員については冷泉提督から聞いていました。舞鶴鎮守府があまりに艦娘の数が少なすぎて、艦隊運用に支障を来していて、なんとか増員をしなければならないということを。そして、近々それが認められるとおっしゃっていたことも。

「まあ、そんな要求が出ていることをしった私が、舞鶴の停滞を打破する助けになればと思い関係各所に働きかけたという事が大きかったのだけどな。……まさか、それが自分のためになるとは思っても見なかった。人助けはやっておくものだな」

と、満足げに小野寺大佐が頷きます。これぞ自画自賛ってやつでしょう。

「まあ、そんなこともあり、新戦力が鎮守府に来れば、私の仕事も少しは楽になるということだよ」

 

「その新しい艦娘は、どういった子が来るのでしょうか」

こんなこと聞く必要はないのに、つい、聞いてしまいます。

 

「戦艦榛名、正規空母翔鶴、軽空母龍凰、重巡洋艦熊野、同じく三隅、軽巡洋艦阿賀野、阿武隈、駆逐艦天津風、浜風、綾波、潜水艦伊168……等が現在のところ予定されている。それぞれ各鎮守府との調整や新造艦である者もいるからまとめて着任という形にはならないが、順次着任の手はずとなっている。どうだ? そうそうたる顔ぶれだろう。これだけの増強が為される時に着任となる私は、あらゆるものが味方についてるとしか思えないな」

大佐の語る増強として派遣される艦娘の面子を見て、驚きを隠すことはできませんでした。実際に彼女たちが鎮守府に着任すれば、たしかに大幅な戦力増強であることは間違いありません。今後の領域解放や遠征についても相当に捗ることになるでしょう。

どういう経路でこういった艦娘が選択されたかはわかりません。けれど凄いことです。他の鎮守府で旗艦を努めていたり、主力艦隊の一員として活躍しているような子も混じっています。よく所属先の提督が許可したものです……。

 

「驚きで声もでないか? 私も驚いたのだ。実際、彼女たちが一人も来ることなく、舞鶴鎮守府の現有戦力ですべてをやれと言われたとしたら、少しではあるが頭を抱えていたかもしれないな。さすがの私であっても、この鎮守府の置かれた状況から立て直すには、少し時間がかかろうというものだ。ふはははは。あれほど能力に疑問のあった冷泉提督ではあったが、なんとか最後の最後にまともな仕事をしたと、そこだけは評価してやらざるをえない……かもしれん。

だが、しかし! 新しい血がこの鎮守府に導入されるとなれば、改革を可及的速やかに断行をせねばならないということになる。澱んだ血を排出せねばならぬ。……つまり、能力の劣る者には去って貰わねばならないということだ」

大佐の演説に力がこもります。

新たな戦力が手にはいるということは、能力の劣る者は排除するということなのでしょうか。

 

「けれど、私が言うのもなんですが、舞鶴鎮守府にいる艦娘の中に、他の艦娘と比べて劣るような子はいないはずです。みんな優秀な子ばかりのはずなのですけれど」

 

「身内にはどうしても甘い評価をしてしまうのは、問題だぞ、高雄。できの悪い奴はいるじゃないか。その筆頭がだな、能力も無いくせに長く舞鶴鎮守府に居座っている奴がな。おや……わからないのか? おいおい、まったくダメだな。……戦艦扶桑のことだよ。あれは能力が無いだけでなく、私にどんな恨みがあったのかは不明だが、あらぬ濡れ衣を私にかぶせ、失脚させようとした前歴があるんだぞ。無能で敵対意志のある反乱分子である扶桑は、当然ながら用無しだ。さすがの温厚な私でも、あいつだけは許せない。濡れ衣を着せられた恨みを晴らせば、あとは放逐するだけだ」

積年の恨みを大佐は語ります。はっきり言えば、逆恨みでしかないですが。

 

「それが終われば、やっと私も一つの歴史を終わらせることができる。そんな怯えた顔をするなよ……残ったおまえ達は、たっぷりと可愛がってやるから……安心しろ」

と微笑みます。

その不気味な笑みに本気で戦慄しました。

 

「さっきから馬鹿な事ばかりいってるケド、そんなくだらない話をするだけなら、さっさとどこかに行ってほしいネ。……提督は絶対に助かるんだから、残念だけど、アナタの着任はありえないネ。それにネ、そもそも、部下の悪口をペラペラ喋るような人とは私は一緒にいたくないヨ。……いい加減にして欲しいネ。提督を越える人なんて何処にもいるわけないから。どうでもいいケド、あなたのような部外者はさっさと消えてほしいんですケド」

黙っていた金剛さんがいきなり口を開きます。普段の口調とは異なる辛辣な話し方で小野寺大佐を非難します。

 

一瞬、驚いたような顔をした大佐ですが、すぐに冷静さを取り戻します。

「あーあ、なんだなんだよ。金剛、上官に向かってそんな口の利き方をするなんて、おまえ、本当にダメだなあ。どうしたんだろうな。冷泉のやつにいろいろとたっぷり仕込まれてしまったのかな? だからそんな意味不明な事を言うのかな? けどな、ちゃんと先を見越した言動をしておいた方がいいと思うんだよ。これはお前を責めているんじゃなくて、私なりのアドバイスと思って聞いて欲しいな。……この人事は決定事項なんだよ。一応、念のために医師にもさっき確認をしたんだよ。冷泉提督については、これ以上の治療の余地ってのは、無いんだとさ。もう生きているだけでも奇跡的な状態だそうだ。……恐ろしくゴキブリなみに生命力が高いらしいな、あの男は。普通の人間ならとっくにおっちんでるほどの重傷なんだそうだ。絶望的に重篤な状況であるということだよ」

 

「だから、さっきから何度も言ってるよ。提督は、死なないね。絶対に戻ってくるもん」

 

「あー、無理無理。こんなことは、はっきり言ってやらないといけないだろうからな。これ以上の回復は現在の医学をもってしても、全く望めないんだとよ。全くってことは0%ってことなんだよ。あとは、どんなにがんばったところで、次第にあらゆる治療の効果は弱まっていき、彼は緩やかに死に向かっていくだけしかないんだ。どんな奇跡が起きたとしても、植物状態にしかならないんだとよ。つまり、ただ生きているだけだ。そんな状態てことは、どっちにしても司令官としての職は退かないといけないってことになるだろ? そんなんでチンタラ生きているくらいなら、むしろ死んでもらった方が僥倖だろう、おまえ達にとってはな」

 

金剛さんは大佐を挑むように睨み、否定します。

「提督は、きっと戻ってくるネ。私と、ううん、みんなと約束したんだから。だから、私たちがあなたの部下になることなんて無いヨ。そもそも、はっきり言ったら、アナタ、生理的に無理ネー。ゴメンネ。だから、これ以上、アナタと話すことなんて無いヨ。さっさとどこかへ消えてくれないかナ」

 

「くっ。おまえ、本当に性格悪いな。どうして、そんなにひねくれてしまったんだ? 前に私がここにいた頃は、もうちょっと可愛げがあったような気がするんだがなあ。少し頭に来るけど、それでもおまえを手放す気は、俺にはないんだよな。……まあ、おまえは戦艦だし、なんだかんだ言っても、結構可愛い顔してるし、それに、いい体してそうだしな。せっかくかわいがってやろうと思っていたけど、こりゃあ、大幅な減点だな。なあなあ、どういうことを冷泉にされて仕込まれたんだ? おまえ、どこまで開発されているんだ?? 」

下卑た笑いをしながら大佐が金剛さんに問いかけます。

 

「何を言っているのか分からないネ。でも、言えることは、提督はあなたのようなゲスではないネ。提督と私の関係を貶めないで欲しいネ。汚らわしい目で見ないで! 気持ち悪い」

 

「けけけ。そんな偉そうな口をきいていられるのも今のうちだぞ、金剛。人間も艦娘も結局は同じってことさ。……なんでも要領よくやらないと、わりをくうだけだぞ。おまえは上司運ってやつがこれまでまるで無かったようだから、これでやっと上向きになれるんだぞ! 本気で喜べよ。身も心も、お前のすべてを私に委ねるんだ。そうすれば、自然と幸せになることができるんだよ。私が提督として着任すれば、この落ちぶれた舞鶴鎮守府を横須賀に匹敵するレベルまでに高めてやる。そうすれば、おまえ達も今のような辛い惨めな思いをしなくて済むんだぞ」

 

「……私は、提督と出会えた事が幸せね。アナタからみたら不幸なのかもしれないけれど、私は提督といっしょに居られるだけで幸せだったネ。そして、これからもそうネ」

 

「ふはははははは、馬鹿か。確かに、それは傑作だ。私には、それのどこが幸せなのか全く理解できんがな。……ろくに戦果も上げることができずに、支給される資材も右下がりなんだろ? いわゆるジリ貧状態でしかないわけだよな。衰退するだけで、これ以上の出世はこのままだと望めないんだぞ。いくらなんでも、無能な提督の下だと辛いだろう。あ、そうだ……。そもそも、この鎮守府は呪われているのかもしれないな。なんせ、こんな短い期間に2人も提督が死ぬなんて、まったくあきれた話だ。本気で呪われていて、やばいのかもな」

 

「どういうこと? それは、どういうことネ? 」

金剛が問います。私もそれは気になります。

 

「大佐!……。そのことについては、それ以上は彼女たちも」

慌てた士官の女性が止めに入ります。

 

「お!、おうそうだったな。これは失言だった。今のことは忘れろ」

大佐も何かに思い当たったのか、少し動揺したような表情をします。

 

「大佐、それ、どういうことね? ちゃんと説明して欲しいネ」

 

「だーかーらあ。おまえ達には関係の無いことだってことだよ」

何故か意図的に巫山戯た口調で彼は返事をします。そして、それ以上については何も言わなくなりました。違和感を感じますが、それ以上は答えてくれないからどうしようもありません。

 

時間の概念というもが人と艦娘では異なるため、人の短い期間というものは数ヶ月単位なのか数年単位なのかわかりません。もっとも、そもそも冷泉提督はまだ生きています。亡くなってなんていません。けれど冷泉提督の前の提督……つまり、私が着任する前の時にいた提督は、なんらかの原因で亡くなられているということになります。それがどれほどの期間だったのかは後で調べないと分かりません。そもそも、冷泉提督の前任が亡くなっている事実さえ、私は知らなかったのですから。

 

「もういいもういい。とにかくだ……。あと何日もしないうちに、人事異動が発令されるのだよ。冷泉提督死去に伴う、人事異動がな。当然ながら、彼の後任は私だ。これについては、すでに内定している事項だし、関係者であるおまえ達も知る権利がある。だから教えてやったのだよ。私がこの鎮守府に着任するからには、これまでのような生ぬるい腑抜けたやり方はもう通用しないから、皆、覚悟を決めておくがいい。使えないものは放逐されるという覚悟ある精鋭のみが私の指揮下、この鎮守府に残ることとなるのだ。それ以外のものは、残念だがここからは出て行ってもらうことになるな」

 

「だったら、私は、ここを出て行くネ」

金剛さんが敵意むき出しに反応する。珍しくかなり怒っているようです。

 

「残念だが、無理だ。おまえは残ってもらわないといけないのだからな。私の鎮守府再建計画の中におまえ組み込まれているから、残念ながらご期待には添えないな。ダメなのは、あのポンコツ扶桑だよ。あいつはダメだ、役立たずだ。全然ダメだ。本当に欠陥戦艦だ。おまけに私を色仕掛けで罠にはめようとしたやつだからな。流石に許す訳にはいかないよ」

金剛さんも羽黒も、そして、もちろん私も知っている。

彼が扶桑さんを襲おうとした事実を。そして、それ以外にもある艦娘や職員に対する多数のセクハラ案件を。ここにいる羽黒だってその犠牲者だ。彼女はその時のことを思い出してしまったのだろうか。大佐がここに来てからずっと怯えた表情のまま、わずかに震えている。

 

「アナタ、扶桑をどうするつもりなの。そもそも、それってただの逆恨みじゃない。あれはアナタが彼女を襲うとして捕まっただけじゃない」

 

「何を言うか!! あれはえん罪だ! ……まあ、おまえらに言っても無駄なんだろうけれどな。お前達は庇い合うだろうからな。水掛け論にしかならないから、話にならん。今は、おまえ達になにも命じることができないが、ここの提督になった暁にはまず手始めに、この鎮守府の停滞の根源となっている極悪雌狐たる扶桑に対する徹底的な粛正を行い、それでも更正の余地を検討してやるのだ。しかし、それでも叶わない場合は、やむを得ないな、放逐する」

明らかに軍幹部では無い、ただの変質者の眼で男は宣言する。

 

「粛正ってそんな事させないし、……許さないネ」

金剛さんが叫びます。

 

「扶桑にはたっぷりと自分の犯した罪の深さを知らしめ、反省させ、惨めったらしく床に這わせてやらないと、私の気が済まないのだよ。あの女のせいで、私がどれほどの屈辱、辛酸な辱めを受けたことか……。ありもしない無実の罪を着せられ、弁明の機会さえ与えられずに、この鎮守府を追われたのだぞ。これまで私がどれほどの努力をし、どれほどの物を犠牲にして尽くしてきたのかが、おまえ達には分からないだろう。それが一瞬にして崩れ去ったのだぞ。常に真っ正直に、愚直に実直に生きてきたというのに、何故なのだ? 私が不器用すぎたという事が罪なのか? 一体、私が何の罪を犯したというのか? 私が受けた屈辱、そして、ここまで再び這い上がってくるまでの死にものぐるいの苦労。されど、失われた時間は二度とは帰ってこない。無実の者にこれほどの地獄を与えたものを許す訳にはいかんだろう? 間違いは正さなければならないのは、この世の摂理だろう? そして、扶桑は私の責めに耐えられず、必死に許しを請うだろう。だが、やつの罪はそんなもので決して償えるものではない。絶望の中、あれは消えていかねばならないのだ。辱められ苦痛にもがき、よだれを垂らしながら許しを請おうと人目を憚ることなく泣きわめき、糞尿にまみれながら鎮守府を追われるのだよ。それが正当な裁きというものだ」

興奮気味に話し続ける小野寺大佐。感極まっているのか、涙ぐんでいる。

 

「あなた、本当に馬鹿じゃないの? 呆れるくらいに被害妄想が酷すぎるネ。扶桑を襲おうとして提督に見つかって、ぶん殴られただけじゃない。……本当ならあなたは軍から追われていたはずなのに、男のくせに情けないくらい泣きわめいて、恥ずかし気もなく土下座をして、必死で提督に許しを請うたのを忘れたの? その姿があまりに哀れで、提督が鎮守府から去ることだけで許してくれたから今のあなたがあるのでしょう? ただの変態のくせになにを偉そうに言っているネ? ただの気持ち悪い変態腰抜けが偉そうになにをいうネ。あんたなんかがこの鎮守府の提督なんてなれるわけないし、扶桑にも一切触れさせもしないヨ! 」

金剛さんが叫びます。明らかに怒りの感情をぶつけるような叫びです。



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77話

「な……何だと! 」

次の刹那、大佐は形相を急激に変化させて怒鳴ります。

そして、金剛さんに飛びかかると、そのまま両腕を掴んで押し倒します。

 

「キャッ、何をするネ」

金剛さんは抵抗をしますが、不意を突かれたためか、完全に体を押さえ込まれて、さらに両腕の関節を完全に決められてしまっているようです。逃れようと藻掻きますがまるで身動きがとれないようです。

勝ち誇ったような顔になった小野寺大佐は、彼女に馬乗りになるとその腕をぐいぐいと締め上げます。

金剛さんは痛みに耐えられず、うめき声を上げてしまいます。

 

「うふふふふ。ほらほら……どうしたんだい、金剛。さっきまでの威勢の良さはどこにいったのかな? 」

 

「……う……く、苦しい。離し……て」

苦痛に顔をゆがめる金剛さん。

 

大佐は彼女の苦しげにもがく彼女の綺麗な顔を見て興奮してしまっています。目を大きく見開き、見苦しくも嬉しそうな顔をします。目が血走り、瞳孔が開き気味です。おそらくは過呼吸状態です。彼自身、自分が興奮状態に陥りコントロール出来なくなりそうになっているのを自覚しているようで、それをなんとか抑えようとしています。けれど、それを彼自身でも抑えきれないようです。ゼエハアゼエハアと奇妙な呻きを上げます。そして、耐えきれなくなったのか、彼女の長い髪に頬ずりをし、ついには気持ち悪い笑い声を上げました。

「くへあははあああ」

 

金剛さんはなんとかその拘束を外そうと身体をよじったりしますが、どうにもならないようです。本来ならば、金剛さんが、いえ、艦娘ならだれでもですが、本気になれば、たとえ関節を完全に決めた大佐の拘束であろうとも、さほど努力せずとも取り除くことができます。けれども対人間への攻撃制約という名の規制が艦娘にはプログラムされているので、それができません。なので、金剛さんのように普通の女の子並にセーブされた力で足掻くしかできないのです。

艦娘の持つ本来の力で、本気で大佐の拘束を外そうとすれば、彼女の体を拘束した大佐の両腕簡単には引き千切られてしまいます。

 

「う、うーん、おお、いい香りだな。お前、結構いい香水を使ってるようだな? これは結構高いんじゃないのか? これは冷泉に貰ったのか? ふふーん。お前、冷泉の気を引くためにどこまでさせたんだ? さあさあ、教えろよ」

小野寺大佐はその事を知っているのか知らないのか分かりませんが、金剛さんの手入れの行き届いたサラサラの髪に顔を押しつけ、その香りを堪能し、とても嬉しそうに話しかけます。完全に勝ち誇ったような顔です。

一歩間違えれば、自分がどんな危険な事をしているのかを認識していないのかもしれません。

 

「提督は……そんなことしないネ。私達は、何もそんなことない。提督をお前みたいな人と一緒にしないで」

 

「なに? なんだと!! 嘘じゃないのか? 本当なのか? おまえ、まだあいつに手を付けられていないのか! ウェー、ハッハッハ……傑作だ。それは傑作だ。これはいい話を聞いたぞ」

満面の笑みを浮かべ、彼女に顔を近づけ、ハアハアと息を吹きかけます。彼女はそれを必死に避けようと、顔を歪めて藻掻きます。

 

「離して、この変態」

 

「くううううううん。実に無念だ。私はまだ鎮守府提督じゃないから、今は、お前に何もできないが……。着任したら、たっぷりと楽しめそうだな……なぁ、金剛」

 

「な! き、気持ち悪い。お前なんかのいうことなんか、誰がきくものですか。お前に触れられるくらいなら、死んだ方がましだわ。……考えただけで寒気がする。気持ち悪いネ」

痛みを堪えながらも、金剛さんはあえて小野寺大佐を罵るような事を言います。関節を締め上げられる痛みは相当なものでしょうに、表情にさえ表さないように耐えています。それは、何をされようとも決して金剛さんが小野寺大佐には屈しないという意思表示なのでしょうか。

 

「ふふふふふ。金剛よ、お前、必死になって可愛いなあ。そして、本当に冷泉提督の事が好きなんだろうな。そして、それ以上に私の事が嫌いなんだろうなあ。うんうん、分かるぞ。けれどな、その反抗的な態度も私の気持ちを昂ぶらせる燃料にしかならないのだよ。私の事を毛嫌いし、反抗的な態度を取る者に絶対服従を誓わせるのは、とてつもなく楽しいのだよ。私の愉悦の一つなのだよ。……提督が持つ艦娘に対する権限を知らないおまえでもないだろう……。ワクワクするな。私の着任を本当に楽しみにしているがいいぞ、金剛。昼に夜に、たっぷりとネットリとお前に再教育を施して、冷泉が施した洗脳を心と体の両方からじっくり解きほぐしてやるからな。そして、上の口も下の口も目一杯使わせて、真の快楽愉悦というものを教え込んでやるからな……」

必死に抵抗のそぶりを見せていた金剛さんの顔から、みるみる血の気が引いていくのが分かります。

それは、金剛さんが今まで小野寺大佐へは見せることのなかった「恐怖」の表情でした。

 

「ははん。やっと自分の立場が理解できたようだな。いいぞいいぞ、負けを認め抵抗の無意味さを悟ったその表情。実に堪らないよ。負けん気の強い女が絶望し、諦めの表情になるところを見るのは本当に最高だよ。何度見ても素晴らしい。美しい。なあに、怖がることなんて何もないから安心していい。……お前が私のモノになれば、身も心も私のモノになれば、それがどれほど幸せかをたっぷりと教えてやるからな。……なあ、高雄、羽黒。おまえ達も同じように悦ばせてやるから、期待しておけよな」

そう言うと金剛さんを抱きしめながら、私を見、そして羽黒をなめ回すように視ます。

 

「ひーっ!!! 」

羽黒が情けない声を上げ、床にへたり込んでしまいます。両手を身体を抱え込むようにし、怯えた表情で小野寺大佐を見ます。明らかに震えています。

 

「大佐、これ以上の冗談はお止めください。艦娘たちが怯えています」

女性士官がこれ以上はまずいと考えたのか、なんとか声を上げます。少し嫌悪感の混じった声です。彼女なりに私達を庇おうとしてくれたのでしょう。けれど、彼女には何の権限もありませんから、形式的に言っているだけでしかありません。故に大佐は、女性士官からの指摘を全く無視し、金剛さんに対する拘束を解くこともなく、顔を彼女の身体に擦りつけ金剛さんをいたぶり続けています。

 

何故か、女性士官が助けを求めるように私を見てきます。

私にどうしろというのですか……? 私に何が出来るというのですか? ただの秘書艦でしかないのですよ。その思いを目で彼女に訴えかけます。

それでも彼女は縋るような瞳でこちらを見ています。まるで何かを忘れていることを指摘するかのように。

 

一体、何を……。

そう思った時、忘れていた事に気づきます。やっと気づくことができました。

 

そうでした。肝心なことを私は忘れていたのです。

現在の自分の立場を、冷泉提督から与えられている権限を思い出したのです。

 

私は現在、鎮守府司令官代理……。

つまり、提督から彼の持つ全権を委任されていたのでした。それは鎮守府のすべての事に対する権限です。

 

「小野寺大佐、金剛さんを離してください」

なんとか平静さを保った、威厳を持たせた声で言葉を発する事ができました。

提督、私に力をください。そう祈ります。

 

「はあ? おまえ、何言ってるの」

少し呆れたような声を大佐は出します。

 

「……二度は言いません。すぐに彼女から、金剛さんから離れなさい」

 

「だから、何言ってるのかね。誰に向かって口をきいているのかね? お前、自分の立場をわきまえてるのか? 」

 

「私は、秘書艦の高雄です。そして、冷泉提督より舞鶴鎮守府に関する全権委任をされています。これがどういう意味かわからないあなたではありませんよね? もう一度言います。これ以上の部外者による鎮守府における狼藉は舞鶴鎮守府司令官代理の私が許しません」

鎮守府における司令官の権限は絶対です。すべての艦娘及び兵士が提督の指揮下にあり、その命令には絶対的に従わざるをえません。ですから、その気になれば、邪魔なものを軍隊の力をもって排除することができるということです。物理的に、そして秘密裏に永遠にです。

 

「な、……なにを言うのだ」

私の言っている事を理解したのか、明らかに動揺を見せます。

 

「小野寺大佐。仮に、あなたがこの鎮守府の次期司令官だとしても、今はただの部外者でしかありません。そして、今ここに来ているのは公式な訪問ではなく、私的にこちらに来ただけのですよね。あなたがここに来たということを知る者はほとんど、いえ、人事の話ですから、極秘扱い。誰にも言えないでしょう。そして、ここに来ることを誰かに漏らす事もなかったはずですから、おそらくは誰もいないでしょうね。ならば簡単な事ですね。もし、これ以上の狼藉をあえて働くというのであれば、私も兵士のみなさんにお願いして、あなたを排除せざるをえません。金剛さんへの無礼、私や羽黒への無礼。そんな事をこれから行うと宣言するような人間を私が許すと思いますか? そんな人がやがて自分の上司となって横暴を働くと知ったら、その前に何らかの手を打ってもおかしくはないですよね。その選択肢の中には排除というものも含まれてもおかしくありませんよね。もちろん……排除というのは、物理的に、かつ、永遠に排除することになるのですが」

普段の私の言葉遣いと比べ明らかに丁寧でそして低い声で澱むことなく言葉が出てきます。どうやら緊張はしていないようです。提督が側にいてくれるような気がして、緊張しないで喋っていられます。

 

「なにを! そんなこと許されるわけがないだろう」

大佐が大声で怒鳴り、虚勢をはりますが、その声に迫力が無くなっています。

 

「フフフ、そうでしょうかね? 仮にあなたがいなくなったとしても、そもそも舞鶴鎮守府に来たという証拠は一切ありませんし、絶対に出てこないでしょう。痕跡すら残させませんからね。それに、どんなに調べたとしても、うちの兵士たちはあなたの来訪を認めませんよ。そして、そもそも警察権力も鎮守府には、そうそう介入することもできませんし。ただ、警察側にもそれなりの成果を与えてあげないと、捜査をやめるわけにはいかないでしょうから、何か手柄を与えてあげる必要がありますね。仮に沖合であなたの死体が見つかったとしたら、彼らは喜んでただの事故死として処理することになるんでしょうね。結局のところ……私たちには何の関係のない話ですね」

 

「き、……この女!! 」

 

「話はこれまでです。さあ、早くここから立ち去りなさい。さもなければ、速やかに消し去ります。猶予は10秒です。……10、9、8」

私は彼がどう反応するかなど考慮せず、カウントダウンを始めます。

 

「ひえー」

大佐は金剛さんの身体から飛び退くと大慌てで立ち上がり、あちらこちらをキョロキョロと見回します。どうやら脱出路を探しているようです。そして、女性士官をはじき飛ばすと戸口まで一気に駆けていきます。

 

「クソ! 高雄、てめえ絶対に許さないからな。……覚えていろよ。お前も同罪だ。いや、それ以上の重罪だ。クソ扶桑と一緒に粛正してやるからその時どんなに許しを請うてもダメだからな、許さねえからな。ヒーヒー泣き喚かせてやるからな。ボケが……くそくそくそったれがっ! 」

情けない捨て台詞を吐くと、猛然と去っていきました。

 

慌てて他の人間達も彼を追っていきます。女性士官は完全に呆れた表情でこちらを見、肩をすくめ、少し笑いました。それにつられて私も笑ってしまいます。

「高雄秘書艦、ありがとうございました。助かりました。一体どうなることかと思いました。それにしても、正直なところ……あんな人が来たら、私も困ります。冷泉提督には絶対に回復してもらわないと、この鎮守府、とんでもないことになります」

 

「そうですね。けれど安心してください。冷泉提督は、必ず意識を取り戻してくれますから」

私は絶対的な自信を持って彼女に伝えます。もちろん、それは自分に向かっても言っているのですが。

 

「そうですよね。きっとそうですよね。あの提督があの程度の怪我でいなくなっちゃうわけありませんよね」

女性士官も同意してくれます。

「そんなことになったら、あの人がいなくなるなんて事になったら、私だって悲しいですし……」

 

「大丈夫です。もう少ししたら、突然意識を取り戻して、どうしたんだお前たちって声をかけながらお尻を触ってくる未来が見えますもん」

 

「確かに。ありえますね。私もまた触られないように気をつけないと……。では、私は小野寺大佐が鎮守府からきちんと出て行ったかを確認、いえ、お見送りをしないといけないので、失礼します」

そう言うと彼女は敬礼し、走り去っていきました。

最後の方の彼女が話した提督に関する事は記録から削除しますが。

 

「金剛さん、羽黒、大丈夫ですか? 」

私は軽く深呼吸をすると、仲間に声をかけます。

 

「ヤレヤレ、酷い目にあったネー。あんニャロー、今度会ったらこてんぱんにのしてやるやるんだからネ」

乱れた服を直しながら金剛さんが強がります。涙を浮かべたままなので、相当ショックだったのは間違いないですが、みんなに心配させないようになんとか元気そうな振りをします。

 

「ごめんなさいごめんなさい。私、何もできなくて。震えてるだけで……」

泣きながら羽黒が謝ります。

 

「羽黒、気にすることなんて無いネー。とりあえず、みんな無事だし、あいつも逃げてったから良かった良かったって事ネ。高雄もお疲れ様ネ。あなたのおかげでなんとか乗り切れたヨ」

 

「私なんて何もしていないに等しいですよ。提督から鎮守府を任されていたのに、こんな混乱状態にしてしまって。金剛さんに嫌な想いをさせてしまったし、助けることがなかなか出来なくてごめんなさい。本当に迷惑をかけました。羽黒も怖い想いさせてしまってごめんなさい」

 

「私は大丈夫デース。あれくらいではビクともしないね。だって舞鶴鎮守府が誇る最強の戦艦、それから提督の正妻だもんネー」

 

「私も大丈夫ですから、謝らないで下さい」

羽黒は何度も頭を下げて謝ります。

 

「まあとにかく、追っ払うことができて良かった良かった」

と、金剛さんがざっくりとまとめます。すごい大雑把すぎますが。

 

「そうですね。無駄で不毛で腹立たしいだけの時間でしたね。でも。やっと平和になりました」

私もとりあえず同意をしてみます。

 

そんなこんなで、とりあえず、茶番はなんとか乗り切りました。

私達三人は、お互いの顔を見合い、笑顔を見せることができたのでした。

 





次週より新展開のはず。


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78話

夢を見ていた……。

 

それは、普通に考えたら現実とは思えないような話だったんだ。けれど、とても……それはとてもリアルなものだったんだ。

 

その夢がどんな夢だったかって言うと、どういうわけか自分が自衛隊の舞鶴地方隊ではなく、日本海軍の舞鶴鎮守府の司令官になり、かつての太平洋戦争中に活躍した海軍の艦艇の名前を持ち、【艦艇】とその本体となる【人の身体】の二つで一つとなる「艦娘」と呼ばれる女の子を指揮して、突如、日本近海に出現した正体不明の敵「深海棲艦」と名付けられた存在と戦う夢だったんだ。

 

それは、細部については異なる箇所があるものの、ブラウザゲームの「艦隊これくしょん」そのものだった。そして、それをやりすぎて現実との区別がつかなくなった、わりとやばい人の妄想じゃないのか……? そんな風に言われるかもしれない。確かに今思うと、自分でもそうだったんじゃないかとさえ思える。

ただの妄想かもしれない。もしそうだったら、そちらのほうが良いんだけれど……。

 

ただ単純に、原作ゲームと同じように可愛い艦娘たちを出撃や演習で育成して、レベルを上げて、装備を整えて……。それから、レアな艦娘やお気に入りの艦娘を手に入れるために海域へ出撃し、彼女たちのドロップを狙う……。

そして、定期的に行われる期間限定イベントをこなして、新しく実装された艦娘や超レア装備を入手して、鎮守府の戦力を更に強化していく。

この手のゲームは一歩間違えたら、単なる作業ゲームになるんだけれど、魅力的な艦娘や、強力な装備を求め、また強い敵を倒し難易度の高いMAPを解放していくこと、それから結構耳に残る音楽を聴くためだけ、それからアニメとのコラボなんかが楽しみで続けていく。

そんなゲーム……。つまりは、ただのゲームだ。

それを続ける続けない、何をするか何もしないか、何を目的にどの海域に進軍するか……それは、プレイヤーの自由意志に委ねられている。

そして、仮に続けると決断したとして、どれほど難易度の高い海域やイベントであろうとも、ネットを見れば、先人達が収集したデータ、つまり、どういった艦隊編成や装備で行けば最短ルートで、かつ効率よくクリアできるかという攻略法を簡単に知ることができる。故に、極論すれば、プレイヤーに能力があるかないかに関係なく、クリアできない試練は無いんだ。

 

けれど、その夢の中では、何もかもが違っていたんだ。

腹立たしいけれど、自分の夢のくせに、その世界は全くもって甘くはなかったんだ。

 

戦う戦わないについての選択肢なんて、当然なかった。その世界では初めから戦うことが義務づけられていたんだ。そして、MAP攻略情報なんて皆無なんだ。どんな地形か、敵の構成はどうなっているか、どういう艦隊編成とすればルートを固定できるかなどのデータなど与えられるはずもなかったんだ。すべて自分で過去データを参考にして、試行錯誤を繰り返し、攻略法を模索するしかなかった。それは、知識の蓄積や経験が皆無の冷泉にとっては、相当に厳しいものだった。

けれど、投げ出すことはできなかった。そこから逃げ出すことができなかった。

もちろん、割り切って考えれば、今後の収入のことさえ気にしなければ、軍を辞めることだって不可能じゃない。……確かに、全く知らない世界に放り込まれた状況であるから、生活には相当な不安があるけれど、鎮守府司令官の任務のストレスから逃れられるのなら、それも選択肢として真剣に考えた時もあった。

 

けれど、……できなかった。

その選択肢は選べなかった。絶対に選んじゃいけなかったんだ。

 

その理由は、ごくごく簡単なことだった。

 

部下として戦ってくれている、艦娘達の存在があったからだった。彼女たちは司令官である冷泉を信じてくれて、命を運命を委ねてくれていた。戦って死ぬしかない彼女たちの過酷な運命の中で、唯一の拠り所として冷泉を選んでくれていた、否、選ぶしかなかった。生きるも死ぬも司令官次第。そんな彼女たちを放り出して、自分が楽になるためだけに逃げ出すことなんてできなかったんだ。

命を委ねられている立場の者として、自分が生きている限りは、その責務を果たさなければならない。いや、彼女たちを置いてはいけなかったんだ。そして、それが冷泉にとっての生きる拠り所でもあったわけだから。

 

誰一人失うことなく、この過酷な戦場を戦い抜く……。戦い抜いてみせる。

その想いだけでやってきた。

 

けれども、その願いも空しく、志半ばで絶えてしまう事となってしまったんだ。

彼女たちは、どんなに謝っても許してくれないだろう。けれど、自分は死力を尽くしやったつもりだった。そして、死ぬことにより退場となってしまったんだ。こればかりは仕方が無い。彼女たちには申し訳ないけれど、そう自分を納得させるしかなかった。

すべてに始まりがあり、そして終わりがある。夢もいつまでも見てはいられない。いつか覚めることになるんだ。

そうやって仕方がないことだと諦めるしかなかった。やがて意識はどこか深い深いところへと沈んでいき、記憶と共に薄れ消えていくんだろう。

人は死んだら、何処へ行くんだろう? そんなことを考えながら意識が再び沈んでいく。

 

そして、現実に戻る。

 

ずっと眠ってしまっていたようだ。目を開き、辺りの様子を伺う。

今は夜なのか……。辺りは暗闇に包まれている。

空を見ると、そこは満天の星。かすかに波の音だけが聞こえる世界

 

ここは、誰も居ない静かな浜辺のようだ。

 

まるで、船が難破して、どこかの島に打ち上げられたかのように思える。この島自体はそれほど大きな島ではなさそうだ。

そして、うっすらと見える視界のすべては、黒い夜の海だ。

 

自分は、一体……。

 

混濁する記憶の中、頼りない記憶をなんとか辿り、思い出していく。

自分は加賀を助けるため、加賀の艦内を覆い尽くした蔦のようなモノから放たれる無数の矢のようなものに打ち抜かれ、やがて意識を失ったことを。

そうだ。自分はあの時、死を覚悟した。そして、恐らく自分は死んだのだろう。それを今更ながら認識し、身に降りかかった不運に呆れた。

 

この世界に来る時にも、軍艦の砲撃を受けて海の底に沈んだ記憶がある。あの時、死んでいるだろうし、そして、また死んでしまったってことなのか。

少し呆れててしまう。いや、呆れるしかない。

 

再度、辺りを見渡す。砂浜と海と星空しか見えない。周囲に人工的な灯りは見あたらないし、海を行き交う船も空を飛ぶ飛行機のランプも見えることはない。ただただ、静かな夜の世界が広がっているだけだ。

これが、死後の世界……なのかな。

 

確かに、あの時、負傷したはずの傷口に痛みは無く、触ってみると怪我をした痕跡すら見あたらない。それどころか、服に破れさえないし、あの時、血まみれになったはずなのに、真っ白なままだ。

この場所も全然知らない所でもあるし、この予測はおそらくは当たりなんだろう。

 

何もなく、ただただ静かな世界で、時間だけが緩やかに流れていく。いや、時間が流れているかさえわからない。

 

夜の闇ってものは、寂しく不安で怖いはずなのに、なぜだかこれまでになく心は穏やかだ。

痛みや苦しみから解放された世界。……これが死というものなのか。そして、現在の状況を自然と……むしろ喜んで受け入れている自分がいることに気づいた。

 

不意に自分が何を求めていたかを思い出したんだ。

 

もともと旅に出たのは、ただ一つの目的があっただけだった。

それは、すべてから逃げ出したかったからだったんだよな。あらゆる面倒な事、煩わしい事、嫌なこと……そういった物すべてから逃げ出したかった。

 

そう考えると今のこの世界が自分が望んだ世界なのではないか。

 

誰も、いない、自分一人の世界。

もう誰からも傷つけられず、誰かを傷つけることもない。誰と関わることも無いし、何かに追われることもない。土曜日の段階で月曜日にやらなければならないことが頭から離れず、思考の堂々巡りを繰り返し、一人、部屋で悶々と過ごすことも、その必要もない。

それは……あらゆる事からの解放を意味している。

 

このままここにいても……いいよな。許されるよな?

 

もう疲れてしまった……。本気で、そう思う。

たとえ、それが現実から逃げる事だと非難されようとも、その汚名を着せられたままでさえ構わないと思う自分がいた。

 

けれど、それでもそれだけで割り切れない自分がいる。

どうしても、すべてを捨て去り、この平穏に逃げ込もうとする自分を許さない存在があった。

 

以前いた世界の記憶しか持っていなければ、今いるこの死後の世界に止まる事ですべてが解決したんだろうし、満たされた気持ちで居続けられたのだろう。

けれど、今の冷泉にはその後に訪れた世界……つまり、艦娘たちが存在する世界での記憶も持っていた。短い間ではあったけれども、彼女たちとの思い出があった。

だからこそ、そのことが冷泉に迷いを生じさせていた。

 

苦しみつづけるくらいなら、いっそ、ひと思いに楽になりたい……。それは誰もが思い願うこと。

深海棲艦と戦う世界は、それ以前の世界など比較にならないほどに遙かにストレスが大きく、責任という名の重圧で日々眠れない生活が続いていた。

戦略や戦術なんて考えたことさえない素人が、深海棲艦という正体不明の強大な敵といかに戦い、いかに勝利するかを常に考え実践しなければならなかった。

 

おまけに舞鶴鎮守府の陣容は、冷泉から見ても手薄であることは明らかだった。どう考えても領域解放を続けるだけの戦力・資材力・体力が無かった。

それでも、そんなことは理由にならない。とにかく戦わなければならない。

 

それ以外にも問題は山積していた。

艦娘の誰一人も死なせることなく、敵に勝利し、領域を開放する。それを実現させるだけでも相当に大変だというのに、おまけに海軍内部の冷泉としては、くだらないパワーゲームにも巻き込まれて、その対応にも神経を磨り減らす毎日……。能力も経験も無いのに様々な難題を次から次へと背負わされて、本来の冷泉であればとっくに投げ出して逃げ出しているような状況だ。たとえ、その時は逃げ出さないにしても、そう遠くない時に冷泉本人が破綻するのは目に見えていた。

 

今なら言える。それでも、必死でがんばったんだと。……がんばらざるをえなかった。

 

それは、自分を信じ慕い、健気についてきてくれる彼女たちの存在があったからだ。

前世においても人間の為に戦わされて沈み、死によりやっと平穏が訪れたはずなのに、再び戦いの場へと形を変えて蘇らされた彼女たち。彼女たちに戦う以外の選択肢は無く、今度の戦いも前回と変わらぬ位に厳しい戦いが続いている。けれども彼女たちは人間を信じ、人間のために命を賭して戦ってくれている。

 

そんな彼女たちを守れるのは、司令官である自分しかいないと冷泉は信じていた。自分以外の人間では彼女たち【すべて】を守ることはできない。自分が努力することで彼女たちを守れるのであれば、どんな辛苦も問わないつもりだった。そして実際にがむしゃらにがんばったつもりだった。

 

けれど、予想通りだったけれど、自分は無力だった。

 

加賀を守るだけで、冷泉のちっぽけな命を使い果たしてしまった。

まだまだやれると思ってたし、がんばるつもりだったんだけれど、結局、これから他の子達を守るという約束も果たせずに、あっけなく死んでしまったのだ。

これでは命をかけて守った加賀さえもが再び戦いに巻き込まれ、領域に散っていってしまうのかもしれない。

 

すべての努力は結局のところ、意味なく無駄に終わったのだ。

それが空しく、恐ろしい。

そして思い知らされるのだ。

どんなにがんばったところで、やはり、自分程度の能力では何もできないのだ。もっと力があれば、加賀をうまく説得して立ち直らせることができ、鎮守府の戦力として使うことができたのかもしれない。

けれど、自分にはできなかった。どうしていいか全く分からなかった。

彼女を失意の底から救い出し、絶望から立ち直らせることは、最後までできなかった。それどころか、自分の行動が鎮守府全体を不穏な雰囲気にしてしまい、本来の艦娘達の結束さえも乱してしまった。

偉そうにおまえ達は俺が守る……って宣言したくせに、何もできないまま退場せざるを得ない無能な自分。

 

自分は負けたのだ。

 

もしも、仮に生き返ることができたとしても、結局は同じ失敗を繰り返すだけなのは火を見るよりも明らか。能力の無い自分が分不相応な地位についたところで、結局、その能力の範囲でしかできることなんてないのだ。そして、冷泉の能力では鎮守府司令官という役職などとてもできる仕事では無かったのだ。

 

分かっている。……そんな現実を再び見るのは、もう嫌だ。

自分にも僅かながらもプライドってものがあるらしい。今回の事でどれほど必死でがんばったところで、結局は自分の限界を超えた力を出すことなんてできるはずもなく、身の丈を越えた事ができないとこれ以上ないまでに思い知らされた。そうなると、もう過去のことなんて忘れてしまいたいし、苦しみ抜いた上で何も出来なかった自分を見るのは嫌みたいだ。

だから、いろいろと思うところがあるけれども、もとの世界には戻りたくないし、ここの安寧から出たくないという結論になっていた。

もちろん、艦娘たちを今でも大事に想っているし、彼女たちを守りたいって思った事は嘘ではなく、今でもそうしたい。

けれど、できないことをいくら願ってもそれはできないんだ。願いを叶えることができるのは、その願いに応じた能力を持つものだけなんだ。

それを今回、嫌と言うほどに思い知らされた。

 

だから、もう、いいんだ。……これでいいんだ。短い時間だったけど、自分はベストを尽くした。それでいいだろう?

 

もちろん、彼女たちにはいくら謝っても許されないだろう。約束を破った自分を許してなんてくれないだろう。あれだけ信頼させたっていうのに、あっさりと居なくなってしまうんだから。

けれどそれも、自分が生き返ることができるというあり得ない妄想の中での話なんだ。

死んでしまった今では、何を望もうとも叶うはずがない。

 

そんな堂々巡りを夢から覚めた世界でも延々と繰り返してしまう。

 

 

「……となり、構いませんか? 」

と、突然声をかけられる。

そうして、冷泉は思考の中から引き上げられる。

 

そして、考える。

ここには誰も居ないはず……。

なのに……。

 

声のする方を振り向くと、そこには、腰まである長い黒髪の女性が立っていた。

女性……といっても、冷泉より年上ではないだろう。落ち着いた雰囲気を醸してはいるものの、それでも冷泉よりは少し年下に見える。

 

そして、真っ白な弓道衣、膝より上までしかない朱色の袴、弓道着とは関係のない白のニーソックス。その服装とその顔には見覚えがある。色が違うけれど加賀と同じような格好から、すぐに推測できた。

艦娘の正規空母赤城であると。

 

「えっと、君は、もしかして赤城……さん? なのかな」

 

「あら! 私のことをご存じでしたか。……初めまして、正規空母赤城です。……それから、さん付けはいりません。たぶん、私の方があなたより年下でしょうから」

彼女は、一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに納得したのか、笑顔を見せる。

 

「なるほど、そっか。ところで、一つ聞いてもいいかな? ……君は、どうしてここにいるんだい」

たしか、彼女は戦いの中で深海棲艦化して、加賀に沈められたのではなかったのか?

疑問を口にした後で、すぐに自分の質問の回答を得る前に納得できてしまった。

ここは死後の世界なのだから、沈んだ、いや死んだ赤城がいても、別に不思議ではない事を。

「そうか。……ここは死後の世界だもんな。君がいたって不思議じゃないか。ところで、挨拶が遅れたね。俺は冷泉朝陽。階級は少将で、舞鶴鎮守府の司令官だ……。いや、今は違うな。かつて司令官だった……が正解かな」

冷泉は自分で質問し、彼女の回答を待つことなく自分で納得する。そして、自己紹介をした。

彼女は、少し戸惑ったような顔をしている。

 

「どうかしたのか」

 

「あなたが勘違いしても不思議ではありませんが、冷泉提督、……ここは、死後の世界ではありません」

 

「なんだって? 」

では、ここはどこだというんだ? その思いで即座に問い返す。

 

「ここは現世でもあの世でも来世でもない所……。世界の狭間にできた空間といったほうが冷泉提督にはわかりやすいかもしれませんね。残念ながら、提督が望んでいらっしゃるような【天国】ではありません。もちろん、【地獄】でも……。ここは、生きてもおらず死んでもいないものが迷い込んでしまう……澱みのような場所です。冷泉提督も死んでも死にきれずに、魂だけがここに流れ着いてしまったのでしょう」

 

「でも、ここはすごく静かで穏やかだし、心が安らぐ気がするんだけどな。もっとも、俺は信じている宗教は無いけれども。それでも分かる気がするんだ。ここの雰囲気は、いろいろ見聞きした死後の世界から感じ取れる、天国のイメージと同じように思えるんだけど……違うのかな」

 

「提督も先ほどまでいた世界の状況はご存じでしょう? 今は、戦争中です。何十万何百万という多くの人間があの戦いの犠牲になっています。ここが死後の世界というなら、あれだけの魂を受け入れるには、少し狭すぎると思いませんか? 」

確かに、冷泉が聞いただけでも深海棲艦の出現から現在にいたるまでに、深海棲艦との戦いだけでなく人間同士の争いもあった。見聞きしただけでなく資料から推測するに、日本だけでも一千万人以上の人が亡くなっているはずだ。領域に覆い尽くされてしまっているため、他の国の事は分からない。けれど、日本と同じような状況であれば、数億人単位で犠牲者が出ていてもおかしくない。

 

「それはそうだけれども……」

そう答えるが、いまいちピンときてはいない。

 

「それに仮にここが天国として、あなたはそれでいいのですか? 」

突然、赤城の口調が問い詰めるような口調となり、思わずドキリとしてしまう。

 

「え? いやその」

返答に困る。自分の弱気な心を見透かされてしまったようで、動揺してしまった。

 

「冷泉提督は、向こうでやり残したことは無いのですか? 自分の意志に反して、無理矢理現実を受け入れようとしていませんか? 本当はやり残したことがあまりに多いのではないですか? 」

静かだけれども、赤城の質問は冷泉を追いつめる。

けれども、それに対する答えを冷泉は返すことが出来なかった……。 

 

 



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79話

自分がなすべき事……。

もちろん、いろいろある……。いや、あったというべきだ。

なにもかも、今はもう、過去の事でしかない。

 

舞鶴鎮守府のみんなを護る事。自分を信じてついてきてくれる彼女たちの期待に応えたい。

そして、絶望に囚われたままの彼女を……加賀を立ち直らせたい。ほんの少しだけでも良いから希望を与えてあげたい。

 

それらすべては、志半ばで絶えてしまった想いではあるけれど、その願いだけは本気だった。

けれども、想いの強さだけでは何も変えることなんてできない。何かを成し遂げるには様々な環境を揃えなければできやしない。……もっとわかりやすく言えば成し遂げるだけの能力が、そして資格が無ければ、本当は願うことすら許されないんだ。

 

そして、残念ながら自分はそのすべてを持っていなかった。だから、この結果があるんだ。

 

だから、仮に時間を巻き戻し、すべてをやり直すことができたとしても、結局、同じ過ちを繰り返すのだろう。未来を知っていたとしても運命に抗うことができず、同じ結末を迎えてしまう。そんな未来しか無い。

過去は変えられない。けれど、未来は変えられるんだ! そんな事を真顔で言う映画があったと思う。昔はそれを凄い! って感動してた。けれど、本当は違った。どんなにがんばったところで変えられない現実は存在するんだ。能力が、資格がなければそもそも不可能な事があるんだと。死んで生き返るという絶対的奇跡を叶えられたとしても、それをひっくり返すことはできない。

 

だから、こう答えてしまう。

「ははは……特に無いよ。いや、無いことはないけど、死んじゃったんだからもう無理だし……ね」

 

「本気でそう思われているんですか? 」

そう言ってじっと見つめてくる。その瞳を見つめ返すことは、今の冷泉にはできない。彼女の瞳は眩しくそしてまっすぐで、とても痛いんだ。だから、無意識のうちに彼女から眼を逸らしてしまう。そして、はぐらかすように答える。

「それはそうと、君もここに来たんだ。……よかった。ここの雰囲気はすごくいいと思うんだけど、正直、一人だと寂しいって思っていたんだよな。誰か話し相手がいたら……それも君のような子だったら、すごく嬉しい」

 

「あなたは、このままでいいのですか? 本当にそれでいいのですか? 」

問いかける声。それは、意図せず冷泉を責め立てる言葉。

「このまま現実から目をそらし、逃げるだけで満足なんですか? 」

 

「何を言っているのかよく分からないんだけど……。さっきから言ってるんだけど、そもそも俺は死んだみたいだし、死んだものが生き返るなんてことを夢見るなんて事はあり得ないよ。願ったところで叶う話じゃない。それに、はじめてあった人に説教されて、はいあなたの言うとおりですって納得するような道理なんてないよ」

気持ちが少しいらだったせいか、言うことが否定的断定的になってしまう。流石に言い過ぎたと感じた冷泉は、へらへらと笑いながら、少し冗談めかした話へと逸らそうとするのだ。

「……それはそれとして。ここに来て気づいたんだけどね。死ってやつは孤独なもので、死んだら一人だと思っていたけど、実際は違ったんだな。赤城、君がここにいるもんな。君が居てくれたらこの世界も寂しくなんてないよね。だから、叶いもしない訳の分からない事を考えたりするよりも、もっと君と楽しい話をしている方が俺は嬉しいな」

そして、照れたように笑った。冷泉としては、彼女の質問に対する回答をはぐらかすつもりで言ったつもりだったが、真意は伝わったかわからない。

赤城は真剣そうな顔でこちらを見たまま無言だ。ゲームの中のごくごく僅かなセリフの中での想像でしかないが、彼女はこんな感じだっただろうか? 質問にきちんと答えなかったから怒ってしまったのだろうか?

「……ええと、赤城? 」

と心配になって言葉をかけてしまう。

 

彼女は冷泉を見ると、どうも彼女は目を見て話す癖があるようだが、思い詰めたような感じで答え始める。

「冷泉提督……もし、間違っていたらすみません。今、あなたが仰った事なんですが、それって、もしかして。私を口説いているつもりだったのでしょうか? もしそうだとしたら、それは、……はい、とても嬉しいことですが、提督もみんなから聞いてご存じかもしれませんが、私は生田提督の事を今でもお慕いしているのです。……ですから、、申し訳ありません。あなたのお気持ちにお答えすることができません。それから、少し失礼かもしれませんが、そもそも死んでまで手近な女を口説こうなんて言う神経をしている人って私には理解できないですし、信用できません。正直言って、とても気持ち悪いですし、まかり間違っても私があなたの想いに応える事なんてありえないと思います。こんなことを言うのは提督という階級の方に言うのは失礼だとは認識しているんですが、あえて、はっきり言いますね。どう考えても無理です……ごめんなさい」

そう言って、彼女は深々と頭を下げた。

割と厳しい事をズバリと言われ、その気が無かったとはいえ、その言葉でかなり傷ついてしまった冷泉は、肩を落としてため息をついてしまう。

「ひ、酷いなあ」

そうやって乾いた笑いをするのが精一杯だ。ちなみに赤城が言った生田提督という人物は、今の横須賀鎮守府の司令官、つまり加賀に深海棲艦化しかかった赤城を沈めるよう命令した奴の事だ。

 

「傷つきましたか? 」

と赤城は真顔で聞いてくる。

 

「……ああ、わりとね」

 

「提督が本気で私を口説こうなんてそんなことを考えているとは思っていませんが、加賀さんのあなたへの気持ちを知っているので少しカチンと来てしまい、ちょっと言い方が不味くなってしまいました」

 

「え? 加賀の気持ちって……。君は俺が加賀と会う前に沈んだはずだろう? なのに何故? そういえば俺のことも名前くらいは知っているかもしれないけれど、他のこともどうして知っているんだろう」

 

「それは私にとっても不思議なことなんですけれど、沈んでこの世界を彷徨いだしてから加賀さんの声が聞こえるようになったんです。彼女はいつも私に話しかけてきてくれます。日々、何を思い何を考えているか、何を見て何を感じているかを知ることができるんです」

赤城の言うことをまるまる理解できる訳では無いけれど、それが事実であるならば何となく納得できる。

 

「だったら、君が彼女に話しかけて励ましてやってくれたら良かったのに。そうすればあいつもあんなに悲しむことなんて無かったはずだよ」

 

「そうですね。それが出来ればどんなに良かったか」

 

「それはどういう事なんだい? 」

 

「当然、私も彼女に何度も話しかけました。それは何度も、何度も。けれど私の声が彼女に伝わることはありませんでした。どんなに必死に叫んでも、彼女には私の声は聞こえないのです。加賀さんは私を自分の手で殺めたことでずっと自分を責め続けていました。悲しんで悲しんで、苦しんで苦しんで、命令とはいえ私を殺さなければならなかったこと、そしてそれに逆らうことができなかったことで自分を責め、ずっとずっと私に謝り続けてきていたんです。朝から晩まで泣きながらそんなことをずっと繰り返す彼女に、私は何も出来ない、慰めの言葉さえかけられない事がとても辛く悲しかったです……。加賀さん、あなたは何も悪くない。だからそんなに泣かないで、苦しまないで。生きることを諦めるような事をしないで。その言葉が届けばどれほど良かったか。けれど、それは叶いませんでした」

この世とあの世では言葉が届くはずもない。赤城にとっても、加賀にとっても、なんという惨い事だろう。親友を殺したという罪の意識で苦しみ続ける事。過ちを嘆き続ける親友の姿を見せ続けられる事。冷泉では耐えられない苦しみなのだろう。

 

「そうか……。それは辛いな」

 

「けれど、永遠に続くようなその悲しみにもいつしか変化が起こってきたのです。それは、冷泉提督……あなたに会ったときからです」

 

「え? 俺と会ったとき? 確かに俺は加賀が君を死なせたことで生きることを諦めた事を知ったから、なんとか立ち直って欲しいって思っていろいろやったけど。……結局、何もできなかったけどな」

 

「そんなことはありません。確かに、加賀さんは、いつ終わるともしれない苦しみから逃れるため、常に彼女は死に場所を求めていたようです。けれど、艦娘は自分の意志では死ぬことはできない存在。……戦いの中で沈むことでしか、それは叶うことはありません。そのためには出撃するしかない。けれど、加賀さんほどの戦力の正規空母がわざと沈むような事があったら、艦隊にとってはとてつもない大きな戦力ダウン、大きなダメージとなります。当然ながら、戦いは不利になるでしょう。そうなれば巻き添えで沈没する子が出てしまうかもしれない。いえ、間違いなくそうなるのでしょう。だから、彼女にはそれができない。それはできない子なのです。ご存じのように加賀さんは、無口で無愛想ですし、人前でほとんど笑うような子ではありませんが、誰よりも優しく、そして誰よりも脆い子なのです。自分のせいで誰かが死ぬことなんて絶対に許せない子なのです。そして、鎮守府の仲間が沈んだらみんなが悲しみます。当然、みんな仲間ですからね。だからこそ、加賀さんは他の艦娘の子達との交流を極力避けようとするんです。心を通わせてしまえば、当たり前ですが情が移ります。仮に加賀さんが死んだとき、誰かが悲しんでしまいます。彼女はそれが許せない。認められない。だから、たとえ仲間であろうとも必要以上の会話や交流をしようとはしません。それでも彼女に接しようとする人には、あえて冷たく接し、突き放します。全ては、自分のことで誰も悲しませたくないから。悲しんで欲しくないからです。本当はみんなと仲良くしたい。笑いあいたいはずなんですけれど。……だからこそ、彼女の心の中に無遠慮に踏み込んできた提督を激しく拒否したのでしょう」

 

「無遠慮……か。確かにそうかもしれないな。俺は自分の考えをあいつに押しつけ過ぎたのかもしれない」

たとえ、良かれと思ってしたことでも、相手にとっては迷惑なこともある。それは仕方の無いことだけれど、やはり加賀にとっては迷惑この上なかったのだろう。

 

「あ、すみません。ちょっと言い過ぎました」

と、落ち込んだ冷泉を見た赤城は慌てて否定する。

 

「え? 」

 

「確かに、最初は無遠慮この上なく、そして自分勝手に彼女の心の中に踏み込んで来たあなたを彼女は鬱陶しく思っていたのは事実です。加賀さんにああしろこうしろ、俺が護ってやる、助けてやる……。確かに、加賀さんのことを気遣っての言葉、行動でしょうけど、彼女への気遣いがまるでありませんし、あまりにくさい台詞でしたし。聞いた私も少し恥ずかしかったですもの。だから、冷たく拒絶したんです。これ以上、自分に構わないで、と」

 

「俺は自分なりに彼女を励まそうとしたんだけど」

どうして良いか分からなかった。けれど、悲しみの中に閉じこもり自分を責め続けるだけの加賀をどうにかして救いたかった。その思いだけで動いた。経験が無いから、気の利いた言葉なんて浮かばなかった。それでもなんとかしたかった。それだけは本当だ。

 

「否定しているわけではありません。たとえ、不器用な言葉でも心がこもっていれば必ず伝わります。提督の気持ちは加賀さんにも通じていましたよ。最初は迷惑がっていた彼女も、いつしかあなたの気持ちを受け入れていましたからね」

 

「けれど、ずっと俺を避け続けたし、反抗的だったし。だから俺もムキになってしまって、厳しい言葉も言ってしまった」

なんで判ってくれないんだ! そう思って何度も怒鳴ってしまった記憶が蘇る。

 

「あなた以上に加賀さんは不器用ですからね。素直でないのです。もともと感情表現ってのが苦手な子でしたし。そして、それ以上に怖かったのでしょうね」

 

「何が怖いんだよ。全くわからないんだけど」

 

「あなたや舞鶴の艦娘たちと仲良くなったら、また別れる時が来るでしょう。深海棲艦との戦いは避けることのできない現実ですからね。戦えば必ず犠牲者が出る。そうなった時の事を思うと、怖かったんでしょう。大切なものをまた失ってしまうのが」

 

「そんなことは絶対に無い! 俺は誰も死なせない。たとえ俺の命に代えても、艦娘は護るんだ」

とっさにその言葉が出た。冷泉が何よりも優先した事。護れなかった言葉が。

 

「けれど、加賀さんの心の中で冷泉提督の存在が日に日に大きくなっていっていました。反抗的な態度を取りながらも、拒絶しながらも、それでも彼女が意識しないうちに提督の事を目で追っていたのです。それは、司令官に対する信頼も含まれていますが、それ以外の気持ちが含まれていました。それは加賀さんが一番恐れていた感情でもあります」

冷泉の動揺を気づきながらも、それについては何も言わず、赤城は話を続ける。

「舞鶴鎮守府にこれ以上長くいれば、冷泉提督の側にいればいるほど、その気持ちは大きくなっていき、やがてその感情を抑えることが出来なくなる。それは、絶対に許せないことだった。なぜなら、それは加賀さんが二度と持たないと誓った気持ちだったからです。……だからこそ、彼女は一人で出撃したのです。自らの命を絶つために……」

 



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80話

「そう、なのか……」

冷泉は、次の言葉が出てこず、黙り込んでしまった。

どうせ別れがあるというのなら、最初から出会わなければいい。関わりを絶てば、別れが訪れても辛くない。愛さなければ、そして愛されなければ、やがて訪れる別れを乗り切れる。……それが加賀の気持ちだったというのか。

どれだけ悲しい目に遭えば、そんな考えになってしまうのだろう。

 

「そして、加賀さんが恐れた事が、結局、現実になってしまったのです。彼女が……あれほど拒絶し避けようとしたのに、冷泉提督は彼女の心の中に入り込み、さらに彼女の中で封印されていた気持ちを目覚めさせてしまいました。それなのに、あなたは身勝手に行動し、彼女の目の前で倒れ、彼女の前から姿を消してしまっているのです。それがどういうことかわかりますか? 」

 

「しかし、……俺は」

 

「言い訳は無用です。今、あなたは加賀さんを泣かせたままの状態でここに来てしまっているんですよ。その事をどうお考えなのですか。理由はどうあれ、あなたの事を好きにさせておいて、勝手に死んでしまうなんて。しかも、加賀さんを護るために命を投げ出して。こんなことをされたら、加賀さんの心がもつわけ無いでしょう? なのに、あなたは自分勝手に為すべき事は成し遂げたみたいに満足しているかのような言動するばかりじゃないですか。……本当に腹が立ちます」

喋りながら勝手に興奮してきたのか、赤城の口調は厳しくなり、さらに声が大きくなっていく。迫力も増してきた。

「加賀さんが、今どういう気持ちでいるか考えたことがあるのですか? 」

 

「いや、考えるも何も、もうどうしようもないことだし」

と、おどおど答えるしかできない冷泉。

 

「自分のせいであなたを死なせてしまったということで、彼女はずっと泣き続けています。自分のことをずっと責め続け、なのにどうすることもできずにただ泣いているだけなんです。このままではあまりに可哀相すぎます。どうにかしてあげたいのに、私にはどうすることもできない……」

 

それは俺も同じだ。冷泉は思うが口に出すことができない。

 

「加賀さんだけではありません。他の艦娘たちもどれだけ悲しんでいるか想像すら出来ないのですか? まったく、冷泉提督、あなたはどれだけ自分勝手な人なんでしょうか。私も加賀さんの言葉で伝わってくる事でしか状況は把握できていませんが、ほとんどの子は、あなたの死の衝撃で精神的に相当のダメージを受けているようです。金剛さんは完全に自我崩壊の危機的状況ですし、扶桑さんは提督の訃報を聞いた瞬間に失神したみたいです。それだけではありません。あなたの死は艦娘同士の結びつきにも悪影響を与え、加賀さんと他の子の間での関係亀裂がかなり深刻な状況になっています。確かに、加賀さんのせいであなたが死んでしまったようなものですからね。そりゃあ加賀さんは責められるでしょう。けれども、これはかなり深刻で致命的かもしれません。このままでは舞鶴鎮守府そのものがあなたという光を失い、艦娘達の絆にも亀裂が入ったままで、遠からず機能不全に陥りますよ。こんな時に深海棲艦に攻め込まれたらどうなるのでしょうか」

 

「こ、こわいことをいうな」

深海棲艦が鎮守府を組織的に攻めてきた事が全くなかったかというとそういうわけではない。過去には大規模な艦隊編成で鎮守府を攻めてきた事があったという記録を見たことがある。

「確かに現在は指揮官がいない状態であるけど、すぐに誰か代わりがつくはずだ。だから、作戦指揮にはそれほど問題がないはずだ……と思う」

指揮ができたとしても、艦娘たちの連携がうまくいかなければ、苦戦は必至なのは考えるまでもない。そして、自分の代理となる候補を思考した途端、吐き気がするような現実を思い出してしまった。

 

鎮守府司令官の役職に就ける人材など限られている。当然ながらそれにふさわしい階級であることが必須条件だ。そして、今回は深海棲艦が侵攻してくるという条件が付加されるとするならば、いきなり着任して鎮守府を運営するなどほぼ不可能であるのは誰の目にも明らか。そんな火中の栗を拾うような奇特な人材など、皆無に等しい。

舞鶴鎮守府の内情を知り、ある程度の実戦経験も持った人材で、かつ、この状況下でも司令官の役職を努める気概のある人物であること。

 

そんな人材は、冷泉の知る限りでは小野寺しか浮かばなかった。

 

土地勘もあり、内情も知り、階級も相応だし、やる気もある。彼なら確かに適任だ。

 

―――書類上は。

 

海軍省なら間違いなく彼を指名するだろう。

データから見れば彼が適任であることは間違いない。

 

故に冷泉は困惑する。小野寺の作戦指揮能力の事は未知数だが、会話をした範囲での冷泉の評価は、能力云々はともかく、人間性に明らかな問題があること。また一部の艦娘に対してある種の感情を持っている事等から不適当であると考えている。結論からすると、彼には務まらないだろうし、そもそも個人的には絶対にやらせたくない。

 

「あなたが護ると約束した子たちが、戦いで沈んでいってしまいますよ。どうするのですか? 」

挑発するような瞳で赤城がこちらを見る。

「あなたにとって可愛い子たちが、血まみれになって倒れていってしまいますよ。それどころか鎮守府の兵士達も皆殺しになるかもしれませんね」

 

「そ、そんなことは……命に代えても許さない」

 

「けれど、提督。あなたはもう死んでしまった存在で、どうすることもできないんじゃ無かったんですか? 」

 

「いや、それはもちろんそうだけど、状況が変わった。そもそも、赤城もさっき言ったじゃないか。ここは死後の世界ではなく、時空の狭間だと。そして、俺は死んではいないと。ならば、下の世界に戻ることもできるんじゃないのか? 君なら知っているんじゃないのか? 」

先ほどまでの諦めの中の平穏に安住しようとしていた気持ちが、どこかに吹き飛んでいることに冷泉は気づいていない。藁にも縋るような気持ちで目の前の少女に問いかけている。

 

「楽になりたいのではなかったのですか? 」

 

「……その気持ちは嘘じゃない。けど、俺のせいであいつらが不幸になることは許せない。俺だけが逃げるわけにはいかないじゃないか。できるのであれば、今すぐ戻ってみんなの力になりたい。どうすればいいんだ? 何をすればいい? 帰られるのなら、代償は問わない」

 

「ふふふ」

突然、赤城が笑い出す。

 

「どうしたんだ? 」

怪訝そうに冷泉は彼女を見る。

 

「……すみません。本当にあなたは艦娘たちの事が心配なんですね。死んでなお、彼女たちの事を案ずるのですから」

 

「そりゃそうだろ? 俺の部下だったんだから。あいつらが不幸になるなんて絶対に認められないんだ。……俺はお前達の前世の、太平洋戦争での戦いやお前達の最後がどうだったを詳しくは知らない。けれど、みんな日本って国を護るために散っていったんだろう? そして、今、お前達は再び蘇らされ、また、人間のために戦い、死ぬことを運命づけられている。人間達の身勝手な目的のために利用されている。それが軍艦として生まれたお前達の運命だと受け入れているのかもしれないけれど、俺はその運命をねじ曲げてでも、お前達を不幸にさせたくないんだ。それがどんなに困難で、過酷な事だろうとしても、やらずにはいられない。お前達を戦いに駆り立てる人間の中に、そんな奴が一人くらいいてもいいだろう? 」

 

「そんなややこしい言い方をしなくても、好きな女の子を護りたいって言えばいいだけなのに……」

 

「え? 」

赤城の呟きを聞き取れなかった冷泉は問い返す。

 

「いえ、提督はやはり鈍感な人なのですねってことです」

そういって赤城は微笑む。

「こりゃあ加賀さんもこれから大変だって心配しちゃいます」

 

「それどういうこと? 」

 

「金剛さん、高雄、羽黒、祥鳳、夕張、神通、島風、叢雲、不知火……把握できるだけでもライバルがこんなにいて、おまけにその相手がありえないほど鈍感で優柔不断なんですから。呆れてしまいますよ」

冷泉の問いにため息をつきながら赤城が答える。

「女の子の気持ちをもう少しくらい考えてあげて下さいよ。さすがに可哀相すぎます」

 

「ああ、そのことか」

冷泉は赤城の意図を知り、納得する。

「さすがに、俺もそこまで鈍感じゃないよ。みんなが俺に好意を寄せてくれているっていうのは知っている。けれど……そんな簡単なことじゃない」

 

「優柔不断は良くないですよ。彼女たちみんなが可哀相じゃないですか。そして、提督の態度は、結果的に彼女たちの心をもてあそぶことにもなるんですから」

言葉は丁寧だけれど、そこには批判めいたものが含まれているのに気づかない冷泉ではない。

 

「だが、しかし、どうにもならない事があるんだ」

 

「それは、どういうことですか? 事によっては、私は提督を軽蔑することになるかもしれませんが」

 

「……」

冷泉は、思考する。ここでこれ以上の話を打ち切ってもいいが、男として、人としてこのまま黙っているわけにはいかなかった。冷泉の心の中に、誰かに自分の苦悩を知って貰いたいという気持ちがあったからだ。一人、心に閉じこめたままの感情をもてあましていた。

「……そうだね。赤城になら話しても問題ないかもしれない」

そう言うと、冷泉は語り始めた。

赤城は、現世に存在する者では無い。だからこそ、話すことができるのかもしれない。本当のこと、すべてを話すことができる。

 

冷泉が違う世界から来た事を。

 

舞鶴鎮守府には、そもそも別の提督がいて、彼がいなくなった代わりに自分がその座に就いた事を。

 

そして、艦娘達の記憶操作がなされ、前任の提督の記憶は抹消され、その代わりに冷泉朝陽という提督との記憶として置き換えられた事を。

 

「金剛や、他のみんなが俺に対して好意を持ってくれているのは、さすがの俺でも分かるよ。分かっているんだ……けど、それは俺に対するものじゃないんだよ。俺じゃない、前任の提督に対する好意……いや、それは愛というものだろうね。彼女たちは、記憶を改ざんされた結果として、俺が彼女たちの前任の提督への愛情を引き継いだだけのものなんだ。だから、彼女たちの好意は、俺に対する物じゃない。だから、応えることなんてできない。けれども、彼女たちの気持ちを間違いだと否定することもできないんだ」

吐き出すように想いを言葉にする。赤城は黙ったまま、冷泉を見つめている。

「前任の提督の事については、彼女たちに明かすことは絶対にできない。もっとも、本当の事を話したところで、彼女たちは信じないだろうからね。彼女たちの記憶の中では、前任の提督との記憶も俺との記憶になってしまっているんだから。だけど、それは真実じゃない。俺はみんなのことが大好きだ。その気持ちは愛に近いものと言ってもいい。この気持ちは本物だ。だけど、彼女たちの俺に対する気持ちは、俺へのものじゃないんだ。そんなのに応えられるわけがない。応えちゃいけないだろう? 俺はあいつらを騙したくない。だから、中途半端な対応しか取れないんだ……よ。卑怯かもしれないけれど、俺にはこれ以上のことはできない」

 

「お優しいんですね、冷泉提督は」

しばらくの沈黙の後、赤城はそう言った。

 

「優しいんじゃない。……卑怯なだけだよ。あいつらに本当の事を言わなければならないけど、それを言ってしまえば、俺はこの国の政府との約束を破ることになる。そうなれば、軍からは放逐されるだろう。そうなったら、この世界と何の繋がりも持たない俺は、野垂れ死ぬかもしれない。身分証明すら持っていないからね。仕事に就くこともできないだろうし、住むところも確保させてくれないだろう。お金も持っていない。盗みでも働かないと生活ができないだろうな。そもそも、この世界のイレギュラーな存在を生かしておいてくれるとも思えない。だから、怖いだけなんだよ。ただの自己保身さ」

今までずっと心の中に抱え込み、悶々としていた感情を吐き出す事ができ、少しだけではあるが冷泉は気持ちが晴れやかになるような気がしていた。扶桑にもそれなりには話しているが、あれは彼女を納得させるためだけに話した事だから、全てではなかったのだ。

 

「そんな事があったのですか……。提督、お辛かったでしょうね。本当の事を言えない苦しみ、よく分かります。……けれど、安心しましたよ、私は」

何故だか満足げな顔をする赤城。

 

「俺の話から何が安心なのか、よく分からないけれど」

 

「提督が本当にお優しい人で、艦娘のことを本気で心配し考えて下さっている人であること、そして、人格もすこぶる優れた人であることが分かったからです」

 

「ただの卑怯者だと思わないのか? 」

 

「いえいえ。誰でも提督のお立場ならそうせざるを得ないでしょう。気に病むことはないですわ」

随分と軽く応える赤城。……心持ち何故だか嬉しそうに見える。

 

「そうなのかな……」

 

「ええ。提督は素晴らしい方です。恐縮ですが、私の御眼鏡に適う男性です。……これなら安心して加賀さんをお任せできますわ」

 

「はあ? どうして、そんな結論が導き出されるんだよ」

冷泉としてはかなり真剣に話したのに、肩すかしを食わされた気分になる。

 

「いえ、舞鶴鎮守府の提督LOVE勢は結構強力な布陣ですから、加賀さんでも苦戦すると思って心配していたんです。恋愛経験も無いですから、男性に対しては積極的で無い上に、ご存じのように感情表現が苦手な彼女です。提督に対しても本当の気持ちを伝えるのに随分と時間がかかるんじゃないかなって思ってました。そんな彼女が鎮守府の提督に好意を持っている艦娘達と互角にやりあうのは、正直なところ難しいかなって思っていました。けれど、提督のお話を聞いて安心しました。提督は彼女たちに対しては、前任の提督とのかねあいで絶対に手は出せないことを確認できましたからね。これは勝機は加賀さんにありですわ」

探偵のような仕草で赤城が語る。話はどんどんとずれて行っている。

「ああ、提督のお気持ち、苦しまれている事はよく分かります。とてもお辛いでしょうね。けれど、提督のお気持ちについて配慮するより以前、私は加賀さんの親友なのです。常に加賀さんの立場に立ったものの見方しかできません。提督の葛藤はお辛いことだと思いますけれど、それはそれです。この状況は加賀さんにとって有利。だから嬉しいのです。自分勝手な考えなのは重々承知の上なのです。」

 

「だから……俺は、どの子の気持ちにも応えられない」

 

「それは、提督が舞鶴鎮守府に着任される前の事ですよ。加賀さんは提督が着任された後に来ました。だから、加賀さんが提督の事を好きになったのは、提督ご自身に対する愛情であることは間違いありませんよね。だから、提督は、安心して彼女の好意に答えてあげることができますよ。そして、彼女なら、あなたの苦しみを癒してくれるはずです。仏頂面で無愛想かもしれませんけど、根は可愛い子なんですよ。親しくなれば、そんな一面も見せてくれますから」

自分の事のように嬉しそうな顔で彼女は笑う。

赤城の言うこともある面から見れば正しいのだろう。けれど、はいそうですかと言えるような問題ではない。そもそも、加賀が冷泉の事が好きかどうかなど、本人に確認したわけでもないのだから。

そして、今はそんなことよりやらなければならないことがある。それは赤城が言い出した話だ。

 

「そのことについては、向こうに戻れたらの話だよ。今はそこまで気が回らない。……今はそんな場合じゃ無いんだ。それは君だってわかるだろう? 向こうに戻ることができるって君は言ったね。それを教えて欲しいんだ。今すぐ」

 

「……戻ることができたら、きちんと考えてくれますか? 」

先ほどまでの冗談めいた話し方を突然やめ、赤城が真面目な顔で問いかけてくる。

 

「考える事は考えるが、結論が出るかは分からない」

 

「じゃあ無理です」

突き放すような言葉。先ほどは悔いはないのかと責めてきたのに、今度はどういうことなのか。

 

「ふざけるのはやめてくれ。俺は元の世界に戻らなきゃならないんだ。君だってそうするように言ったじゃないか。一体、どういうつもりなんだよ」

話しながら少し苛立つ。

 

「ふざけているつもりはありません。私は本気なのです」

 

「だから、何がだよ」

 

「私は既に戦いで沈んだ存在です。軍艦ですから、戦いの中で沈むのは本望。その運命を恨むことはこれまでに沈めた敵に対して失礼だと思っています。運命は運命として受け入れるのはやむをえないと思っています。生田提督の事が心配ですが、あの人は強い人です。今は消沈していますが、すぐに立ち直る筈です。そうでなければ私が好きになった人ではありませんからね。けれど、加賀さんのことだけは気がかりなのです。彼女は命令とは言え私を攻撃したという罪の意識に苛まれ、ずっと苦しんでいると思います。そして自分を追い込んで追い込んで後悔し続ける。そんな子なのです。私は彼女には幸せになって欲しい。たとえ、そのために誰かが悲しもうともそれはそれで仕方ないと思っているのです。……勝手なエゴかもしれませんが、これが偽りのない私の本音なのです。彼女はあなたに好意を持っています。そして、それが唯一の拠り所となっているのです。だから絶対に叶えてあげたいのです。そのためになら、どんな卑怯な手を使っても構わないと思っています。提督が約束するまで、帰る方法を教えないといった手段を使ってもね」

冷泉からすると、どう見ても自分勝手な考えを冷泉に押しつけようとしているのは分かっているが、赤城の気持ちが理解できない訳でもなかった。

「さあ、どうします? 約束するなら、加賀さんの気持ちを受け入れるのなら帰る方法をお教えしますよ。嫌なら何も教えません。このままここに留まることになります。……提督、加賀さんのことがお嫌いですか? 彼女は見た目はかなり綺麗だと思っていますし、胸も大きいしスタイルも抜群ですよ。内向的な部分もありますけれど、心を許した人には結構話もしますし、面白いこともいいます。優しいし結構気がつくんですよ。絶対に提督も気に入ると思います。他の子の事は提督も仰っていたように、前任の提督の事を好きだっただけで、あなたに対してはどう思っているかは不明なのでしょう? 仮に提督が他の子を好きになったとしても、その事が心に引っかかっている限り、あなたにはどうすることもできないのでしょう? だったら、加賀さんを好きになることに何の障害があるというのですか」

 

「……ごめん。それでも俺は君の提示する条件をのむことはできない。約束をすることはできない。たとえ、帰れないとしても、できない」

 

「加賀さんの事が嫌いなのですか! 」

 

「いや、そうじゃない。加賀の事は好きだよ、もちろん。けれど、他の子達もたとえ前任の提督への好意が俺に向けられているだけだとしても、俺は彼女たちも好きだ。大切な存在だし、護らなきゃならないと思っている。……いや、そうじゃないな。みんな大好きだけど、それを決して彼女たちには伝えちゃいけないと思っている」

 

「それはどういうことでしょうか」

 

「俺は鎮守府司令官であり、彼女たちの上司だからだ。俺は彼女たちを死地に追いやる立場にある。人間のために死ねと命令しなければならない立場にあるんだよ。みんなを護るって言っているのも、その組織の中で死なさないように努力するというだけで、彼女たちを軍艦という立場から解放するなんてことはできないんだ。そして、できる状況でもない。そんな人間が彼女たちに愛しているなんて言っちゃいけないし、いわんや彼女たちに愛されるなんて望んじゃいけないんだ。俺は結局のところ、すべてが偽善なんだよ。俺は、彼女たちを利用する立場の存在でしかないんだから……。俺は彼女たちに愛されるような存在なんかじゃない。……だから、約束はできない。けれど、俺は帰らなければならない。彼女たちをより不幸にはできないんだから。卑怯者でもなんとでも言われてもいい。どんな汚名でも着よう。だから、帰る方法を教えてくれ、頼む」

冷泉は深々と頭を下げた。

 

「あーあ」

何か諦めたような声が聞こえた。

「流石に加賀さんが好きになるだけの事はありますねえ。さっき、艦娘達があなたの死にショックを受け、落ち込み、疑心暗鬼になり、いがみ合っているっていいましたけど……あれ、全部嘘です。あなたの旗下の艦娘たちは、あなたが戻ってくることを信じて、いつ戻ってきても大丈夫なようにそれぞれが準備をしています。もちろん、加賀さんもです。みんな強い子たちですね」

少し呆れたような口調で赤城が伝える。

冷泉は瞬間的に動きが止まってしまったかもしれない。呆然とした顔でいたのかもしれない。



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81話

冗談……だって? 

結構、焦ってしまったのに。

 

けれど……。

彼女達が自分の帰りを待っているなんて、期待はしていても本気で考えようとはしなかった。なぜなら、それを求めてはいけないと思っていたからだ。

 

冷泉朝陽という司令官の死という事実は、一部の艦娘にとってはショックな出来事かもしれないけれども、それでも、彼女たちはすぐに立ち直り、新しい提督を迎えて再び戦いの場へと向かうと思っていた。

悲しいけれど、それが艦娘という戦いを宿命づけられた存在であるからだ。過去に囚われてばかりいては戦えなくなる。

 

普通は、そうだろう。

否、そうであるべきはずなのだから。

 

「えっと、嘘をついて、ごめんなさい。ショックを受けたかも知れませんね」

 

「驚きはしたけど……ね。けれど、俺の復帰を信じて行動しているなんて、想像もできなかった。どう考えたって俺が戻るなんて考えられない状況だったはずなのに……あいつらは」

冷泉の怪我の状況を見れば、誰もが無理だと考えるはずなのに、彼女たちは冷泉の復活を信じている。一体、どうしてそこまで信じられるのだろう? どうして、自分を待ってくれるのか。

冷泉は、自分がそれほど待望される事が理解できなかった。死んでしまった人間にいつまでも囚われたままでは、前には進めない。特に、艦娘たちのように常に戦いの中にある状況なら尚更だ。済んでしまったことをいつまでもくよくよしても前には進めない。そして彼女たちは前に進まざるを得ない。休むことなど許されない宿命なんだから。

 

「それだけ、みんながあなたを信じていたのでしょう。……もちろん、加賀さんもあなたの事を信じていますよ。特に、彼女は、ずっと……あなたを待ち続けています。会ってあなたに謝りたいのですよ」

何故か念を押すように、加賀の事を付け加える。

 

「そうか……」

彼女たちに対しては好き勝手な事を言ってたし、しょっちゅうセクハラまがいの行為もしたけど、それでもまだ信頼されていた事を喜びつつ、その期待に応えなければならないという重圧のほうが強い。もちろん、その重圧は心地よいものであるのだけれど。

 

「そうか、……そうだな。こんな俺でも、あいつらが待っていてくれるなら、尚更、戻らなければならないな。期待に応えないと、あいつらに失礼だよな。……それに、俺が帰らないと、碌でもないやつが俺の後任になりそうだしな。……せめて、それだけは阻止しないといけない。絶対にだ」

 

「では、元の世界に戻りますか」

 

「うん。でも、どうやったらいいんだ? 」

帰る覚悟は決めたが、どうやって戻るかが想像も出来ない。

 

そんな冷泉に、いとも簡単に赤城が答える。

「簡単な事ですよ。あなたは現在、肉体を持たない存在になっています。所謂、アストラル体と呼ばれる存在になっています。そして、この世界は現世・前世・来世・霊界・冥界・魔界・神界……それら概念的世界とは異なる、単なる狭間の空間です。あなたをこの空間に束縛する引力斥力重力などなど……そういったものはここにはありません。あなたは意志のままに自由なのです。なので、ただ戻りたいと念じれば、あなたの体に戻ることができるはずです」

 

「??? 」

頭の中にクエスチョンマークが無数に現れてくる。何も理解できない。こんな事なら宗教学を習っておけば良かった。……もしかするとオカルト学の方になるのかもしれないけれど。言葉の意味が理解できないし、その概念も把握できない。

 

「そう深く考える必要は無いですよ。ただただ、みんなが待っている世界に戻る。戻りたい。そう強く念じるだけなんです。必ず戻れると信じる。戻ると決定する。……あなたの意志の力があれば、それだけで向こう側に行くことができるのです」

 

「……なるほど。とにかく、原理は不明ではあるけど、帰りたいと願えば……その想いが強ければ元の世界に戻れるってことなんだね」

半分も理解していないけれど、そう答える。

 

「そうです。あなたのことを想ってくれている彼女たちの顔を思い浮かべてください。そうすれば、おのずと道は見えてくるはずですよ」

 

冷泉は、鎮守府で待つ、彼の部下達の顔を思い浮かべる。そうする事で心が温かくなり満たされていくのを感じる。みんなが自分を待っている。彼女たちの心の波動を感じるだけで、体が浮かび上がりそうになる錯覚めいた感覚になる。

軽く念じるだけで飛んで行けそうだ……。

 

「そうです、その感じです。心を軽くして飛んでください。彼女たちのもとへ。あなたを待っている彼女たちのもとへ」

背中を後押しするように赤城が言う。

今、飛べば本当に元の世界に飛んで行けそうだ。そんな予感がする。

 

「……だったら」

と、冷泉は赤城に問いかける。

「元の世界に戻れるというのなら、君も一緒に行かないか? ……いや、拒否しても無駄だ。俺は君を連れて行くぞ」

それは誘いではなく、ほぼ命令に近かった。

「そもそも、俺が戻れるのなら、赤城、君だって戻れるんじゃないのか? もし、難しいとしても、俺と一緒ならその困難も可能になるのではないか」

そう言って、冷泉は赤城に手を差し出す。

赤城は、差し出された手を見て、一瞬だけだけれど、瞳に明らかな動揺が走る。

 

「どうしたんだ? 何を迷ってるんだ。俺と一緒に元の世界に戻ろう。そして、みんなの所へ帰るんだ。君が戻れば、加賀も喜ぶだろう。それから、……個人的にはどうでもいいけれど、横須賀鎮守府の提督も喜ぶだろう」

 

赤城は、一瞬だけ笑みを見せ、その笑顔が悲しみの表情へと変わる。

「冷泉提督、ありがあとうございます……。けれど、私はあなたと共に行くことはできません」

 

「何故なんだ? どうしてダメなんだよ? 元の世界に帰りたいんじゃないのか? 生田提督の側に帰りたくないのか」

 

冷泉の問いにそれまでとはうって変わり、悲しそうな切なそうな顔で赤城はこちらを見る。

「それは叶わぬ夢なのです。私だって出来ることなら戻りたいです。……けれども、それは不可能なのです。私は、すでに死んだ存在なのですから。そして、あなたは生きているのです。私たち二人の間には絶対に越えられない壁があるのです。だから、提督、あなただけでお戻りください。それしかありません」

 

「いや、しかし。けれども……」

 

「私の事は、気になさらないでください。そもそも、提督が迷い込んだだけなのです。それぞれの者は、本来あるべき場所に戻らなければなりません。あなたは元の世界に、そして、私も本来行くべきところにいかなければならないのです」

 

「けれど、君もこの狭間の空間に来ることができた。だったら、条件は変わらないんじゃないのか。俺と戻る可能性だってありうるはずだぜ」

 

赤城は、首を横に振る。

「残念ながら、私もここに長くとどまることはできません。先程も言いましたが、私はすでに死んだ存在なのですから。死者は本来、行くべきところがあるのです。けれど、冷泉提督にお願いがあったからこそ、無理矢理に私は摂理をねじ曲げて……これは言い過ぎですけど、ここにやって来たのです。いえ、来なければならなかったのです。親友の加賀さんの為に。その想いがあったから、来られました。でも本来なら、私はここの住人ではないのですから、そう長く留まることができないのです。そして、もう、そう長くはここに居られないです」

 

「いや、でも君は沈んだんだから、ここに来るのは問題ないでしょ」

 

「艦娘には、私も知らなかった……いえ、忘れていたのかもしれませんが、死んで終わりにはならないのです。私たちは輪廻転生を繰り返す存在。循環する存在なのです。艦娘としての生を終えれば次のステージに進むだけなのです。そして、それが永遠に繰り返されるだけなのです」

と、どこか遠くを見るような目をしながら彼女は呟く。

 

「何を言っているのか、意味分からない……」

彼女の語る言葉の半分も理解できない。さらなる疑問を口にしようとした刹那、冷泉を中心とした場所から急に空気が上へと持ち上がっていく感覚。どういう理屈か分からないが上昇気流が発生している。それはどんどんと勢いを増していく。力を抜けば体が持ち上げられそうなほどの力だ。

 

「もう、あまり時間が無いようですね。とにかく、時間がそれほどないのです。提督には戻ってもらわないといけないのです。えっと、時間が無いので、単刀直入に言いますね。私は、加賀さんのためにあなたに生きてほしいのです。死んでしまった私は、加賀さんに何もしてあげられません。それどころか、私の存在が彼女を悲しませ苦しめるだけです。けれど、冷泉提督、あなたは違います。あなたが居てくれれば、加賀さんは生きる希望を得ることができます。あなたが居てくれれば彼女の心は癒やされるでしょうし、希望を持つことができるのです。こんなこと、あなたを好いている他の艦娘もいるのに勝手な言いぐさだと思います。本当なら、冷泉提督には、元の世界に戻り、私が守り通せなかった世界を護ってほしい。艦娘達みんなを護ってほしい。そういうべきなのでしょうけど、今、言いたい事は、私の親友の加賀さんのためだけでいいから、戻ってほしいのです。こんなの、勝手なエゴだとは分かっています。けれど、これが私の本音です」

真剣な瞳でこちらを見つめ、伝えてくる。その言葉一つ一つが彼女の願いであり、彼女の心からの想いだった。

 

「もちろん戻るよ。……そして、おまえも帰るんだ」

冷泉は頷くと共に、彼女に命じる。

「舞鶴鎮守府提督として、空母赤城、おまえに命じる。俺とともに世界に戻る。一緒に来い! お前を置いてなんていけない」

赤城は応えない。悲しそうな目でこちらを見、そして首を横に振った。

「ありがとうございます。私の事まで考えて下さって」

 

「そんなことはどうでもいい。もう、あまり時間が無いみたいなんだ。お前の考えとかこの世界の摂理とかどうでもいいんだ。とにかく、俺と一緒に元の世界に戻るんだ。ごちゃごちゃ理由なんて言わなくて言い。これは命令だ。お前は命令に従えばいいんだ」

これくらい強引に言わないと彼女は従わないだろう。彼女の言うように、死んだ者が蘇る事なんてあり得ないのかもしれない。赤城を元の世界に連れて行く事なんてどんなに頑張ったところで人間である冷泉には不可能かもしれない。けれど、不可能かどうかなんてやってみなければ分からない。

何もせずに諦めるなんてできない。

 

「すみません、冷泉提督。私に命令をできるのは生涯、横須賀鎮守府司令官の生田提督ただお一人しかいないのです。ですので、上司でもなんでもないあなたのご命令には従えません」

冗談を言うように微笑むが、しかし、毅然とした口調で赤城が応える。

「……提督、そのお気持ちだけで結構です。けれど、もういいのです。私のことを心配して下さり、ありがとうございます」

 

「けれど、……可能性があるなら試してみるべきなんじゃないのか? 」

そうは言うものの、赤城の決意は固いことは明らかだ。そして、この試みが失敗することを彼女は知っているのだろう。それは、彼女の態度を見ただけで分かる。何度も元の世界に、彼女の上司がいる世界に戻ろうとして叶わなかった事が。やるべきこと全て試し、それが徒労と終わったことが。

「……分かった。これ以上は言わないよ」

辛そうに寂しそうに苦しそうに……冷泉はその言葉を口にした。

それを聞き、心から安堵したように赤城が微笑む。

 

「……赤城」

 

「はい、なんでしょうか? 」

 

「俺が向こうの世界に戻ることができたら、生田提督に伝えたい事は無いか? 俺は君を連れて帰られないけれど、君の想いを彼に伝えることはできる。せめてそれくらいはさせてくれないか? 」

その言葉を聞き、一瞬驚いたような顔をした赤城であったが、少し考えこんだ後、

「もし……生田提督に会うことがあったら、伝えて下さい。あなたの選択は決して間違っていなかった。あの時、最良の選択をしたのだと。そして、私は決して、あなたの事を恨んでいません。今でもあなたを誰よりも愛しています……。ですから、私の事には拘らず、あなたの理想を、あなたの進むべき道をお進みください……と伝えて頂けますか」

 

「了解した。必ず、君の想いは伝えるから」

何よりも彼女の想いを伝えることが冷泉に課せられた使命だと認識した。

 

「……けれど、あの人の事ですから、冷泉提督の言葉をすぐには信じないと思います。そもそも突拍子も無いことですからねえ」

赤城は悪戯っぽく笑う。

 

「た、……確かに」

冷泉はこの世界に来ているし、そこで赤城と実際に会っているから彼女の言葉に何の疑いも持たないが、この世界を知らないものに信じさせることが果たして可能なのだろうか。それは、この世界から戻ることより難度が高いのではないか。そして冷泉は不安になる。

 

「……」

突然、赤城が冷泉の側に近づくと、耳元で囁く。

 

「え! 」

彼女が耳元で囁いた言葉に、冷泉は一瞬硬直してしまう。

 

赤城は面白そうに笑うと

「今言った事を彼に伝えたなら、疑い深いあの人でも流石に信じてくれますよ。いえ、信じざるをえないでしょうね。ふふふ……それから、たぶん、顔を真っ赤にして恥ずかしがると思います。これは、私と生田提督しか知らない事ですから。その場面を想像するだけで笑っちゃいそう」

確かに……聞いた冷泉も恥ずかしかった。まさに、彼女たち二人しか知らない秘密だろう。

 

「さて、お願いもできたことですし、そろそろお別れですね……」

赤城が告げる。

確かに、冷泉を持ち上げようとする力がさらに強まり、制御できないレベルになってきている。時間はあまりない。

 

「冷泉提督。もしかすると、今度、お会いする時は戦いの中かもしれません。もちろん、敵同士として。その時は、あの子に、加賀さんに命じてください。敵空母赤城を倒せと。艦娘としての使命を果たせと。何を護るべきかは彼女にも分かるはずですが、過去への想いが彼女の意志を折ろうとするかもしれません。その時は、提督が彼女を正しい方向へ導いてあげて下さい。あの子を護れるのは、あの子が頼れるのは。あなたしかいません。私の親友を任せることができる、この世界で唯一の人よ……彼女の事をよろしくお願いします。そして……」

赤城は言葉を続けるが、その刹那、冷泉の身体が宙に浮いた。そして、身体が一気に上昇する。

咄嗟に冷泉は、赤城に向けて手を伸ばした。

最後の最後になっても彼女をもとの世界に連れて行きたいと思ったのだ。このまま彼女たちが離ればなれになるのは辛すぎる。

赤城も右手を伸ばしかけるが、左手で伸ばそうとした手を押さえこんだ。

 

そして、寂しそうに笑ったのだ。

「ありがとう……」

 

「赤城!! 」

冷泉の必死の叫びは、かき消される。

 

次の刹那、一瞬で世界は、暗転したのだった。

 



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82話

冷泉が気がつくと、そこは……またしてもベッドの上だった―――。

 

あの時とまるで変わらない風景がそこにある。

冷泉がこの世界に来たあの時と同じで、見慣れた二年以上住んでいた自分の部屋とはまるで異なる趣きの部屋だ。

 

白い飾り気のない天井。壁も白一色。

 

安っぽいカーテンがわずかに開かれた窓より吹き込むそよ風に揺らいでいる。

天井には、むき出しで固定されていた飾り気の無い蛍光灯。

相変わらずの殺風景な部屋に寝かされている。

 

けれど、この前と異なるのは、前回は一般病棟ぽかったのが今回はよく分からない機械が病室のあちこちに配置されているということだ。口には酸素マスクが付けられている。身体が起こせない状態なので全容は把握できないが、腕や身体から伸びた管のような物いろいろな機械へと繋がれている。点滴装置も見える。

モニターの明滅と時折聞こえる電子音が不安感をあおる。

 

どうやら、今回の状況は相当に酷いらしい事だけは認識できた。

 

人の気配を感じ、そちらに顔を向けようとするが、まるで動かすことができない。それどころか、体が全く言うことをきかない。まるで、自分の体でないように。……体が麻痺しているのだろうか。一瞬、嫌な予感がするが、その不安を追い払い、目だけを動かして気配のする方を見た。

 

すぐ右側に女の子の顔があって、彼女はうつぶせの状態で微かな寝息を立てていた。

彼女の吐息がかかりそうな位の、それほど近い位置関係だ。

 

巫女装束をした少女がそこにいた……。

そう、前回と同じく、金剛がそこにいたんだ。今度も彼女が俺の目覚める時に居合わせた訳か。

 

「こ、こんごう」

上手く口を動かすことができない。息を吐き出すことが思うようにできない。思ったように言葉を発することができない。それでも、何度も繰り返し、感覚を取り戻そうとする。

「こ、金剛……聞こえるか? 」

 

その声に反応したのか、もぞもぞと金剛の頭が動く。

 

「おい、金剛? 」

再び声をかける。

 

刹那、急にスイッチが入ったか人形のように、風を切るような音するほど素早く、金剛が起きあがった。

 

そして、冷泉を見る。

 

彼女のその頬には、涙が伝った後がはっきりと残っていて、虚ろな瞳には精気がまるで感じられない状態だった。顔色は、いつもよりかなり悪く見えるし、頬がだいぶこけているようにも感じられる。

 

「やあ、金剛。……おはよう」

そう言うと、彼女に向けて笑顔を見せる。全身が痺れたような状態だから、きちんと笑顔を作れたかは疑問だが。

 

「な! て……ていとく? 」

血の気を失った疲れ切った顔の少女の顔に、みるみる精気が満たされていくのが分かる。

瞳を大きく見開き、冷泉を認識している。その劇的な変化にこちらが驚くくらいだ。

 

まずい……。

 

冷泉は、前に入院していた時の事を思い出した。

冷泉が意識を取り戻したことを喜んだ金剛に飛びつかれ、その勢いで後頭部を痛打したことを。今度は身体が動かない状態だ。まともに来られたら回避すらできない。

 

「て……てーとくうー」

次に起こる事態を予想し、思わず目を閉じてしまう冷泉。

 

しかし、数瞬の間、何も起きなかった。その代わり何かむせぶような声が聞こえた。

冷泉は、恐る恐る目を開ける。

 

そこには、綺麗な顔をくちゃくちゃにして、ボロボロと涙をこぼしながら嗚咽している金剛の姿があった。

「よがった……ていとく、やっと気がついたんデスネ。良かった、ホントに良かった……。ぐ、う、うん、うええええん」

そして、大声で泣き出した。

 

どうしていいか分からず、冷泉はただ彼女を見つめるしかできなかった。

自分が倒れ、意識を失った後にどういうことがあったのだろうか。

向こうの世界で赤城の話を聞いていたために、ある程度は想像できたいた。鎮守府の艦娘達の中で金剛だけが冷泉重体のショックから立ち直ることができず、一人、何をどうして良いか話から無くなり失意の内に自分の世界に逃避するしかなかったのだ。

それを艦娘として金剛の弱さと責める者もいるかもしれない。戦艦である彼女はトップが欠けた場合にはその補填を行わなければならない立場にあるからだ。けれど、冷泉はそんな気持ちになんて全くならなかった。そんな強さを持つ子もいれば、そうじゃない子もいる。艦娘だって人間と何ら変わらず、悩んだり泣いたりするんだ。

 

冷泉は、身体を必死に動かそうとする。

起きあがることができなくてもどこか動くだろう? 動くはずだ。そして、右腕が動くことに気づき、

その手を彼女へと伸ばす。

 

「し、……心配かけたな、金剛。えっと、何て言うか、ごめん」

そう言って、彼女の瞳からこぼれ落ちていく涙を拭う。

 

「提督……」

彼女は、冷泉の右手を愛おしそうに、その小さな両手で包み込むと頬を寄せて目を閉じた。

「提督、ずっとずっと……心配してたんだヨ。提督が私達を置いてどこかに行っちゃうんじゃないかって、凄く凄く不安だったヨ。提督がいなくなったら、私」

そう言ってまた泣きそうになる。

 

「大丈夫だよ……金剛。俺は、帰ってきたんだから」

回復してから間が無いため、結構言葉を発するのも正直しんどい。けれど、今、目の前で怯えたようにしている金剛を放っておく訳にはいかない。少々の無理はしないと。

「もう、何処にも行かないから、安心していいよ」

 

「テートク、本当に……大丈夫なんデスカ? 信じて良いんデスカ? 」

 

「ああ、もちろんだよ。俺は、今ここにいる。そして、これからもお前達と共にいるんだ。それとも……金剛は、俺の言うことが信じられないか? 」

金剛は、すぐさま激しく首を横に振る。

「提督は、いつでも私達を導いてくれたネ。今まで何一つ嘘は言わなかったネ。……だから、今度も信じる」

ニッコリと微笑むとこちらを見る。そして、ゆっくりと近づくと冷泉の胸に顔を寄せた。

「でもでも、ずっと心配してたんダヨ……。もしかしたらもう提督に会えなくなるなんて思っただけで、怖くて辛くて……どうしたらいいか分かんなかった」

囁くように呟く。

 

「ああ、心配させたね、ごめん」

そう言うと、冷泉は彼女の手を強く握りしめた。

 

「あー! それ狡いですよ!! 」

ドアが開く音がすると同時に、叫び声。驚いて視線をそちらに向けると、そこには、我が秘書艦高雄が立っていた。

「金剛さん、それ、狡いです。提督が意識を取り戻したら、すぐに知らせるって約束だったじゃないですかー! 」

口調は責めるような感じがするが、どうやら怒ってはいないようだ。

 

「もう、私達の時間をもう少し欲しかったネー。でも、あんまりびっくりしちゃったから、そこまで気が回らなかっただけダヨ、ごめんね、高雄」

金剛は起きあがると高雄に向かって謝る。高雄も仕方ないですねぇとか言いながらそれで許したようだ。

そして、冷泉と目が合うと一瞬だけ動きが停止し、少し感極まったような表情を見せるがすぐに後ろを向き、少しだけ間を置く。両肩が少し震えたように見えた。

けれど、再び振り返った時には、いつも通りの笑顔の高雄がいた。

「提督、私も本当に心配しましたよ。けれど、良かったです。本当に」

 

「ああ、高雄、お前にも心配かけたみたいだね。本当に、ごめん。けど、とりあえず、帰ってこられた。死なずにすんだみたいだよ」

少しだけ冗談めかして答える。

秘書艦は少しだけ呆れたような顔をしたが、すぐに真面目な顔に戻る。

 

「すぐに先生を呼んできますね。それから、今いる艦娘達にも提督の無事を知らせますから」

そう言って、高雄は駈けていった。

 

すぐに、まるで待っていたかのように、医師と看護師達が病室に走り込んできた。医師の指示を受けながら看護師達がめまぐるしく動き出す。

冷泉に接続されたケーブル類を外したり、新たなケーブルを取り付けたり、管を取り替えたりする。それらの作業が何を行っているかはまるで見当もつかなけれど、冷泉はなされるがままにしていた。

 

抵抗しようにも身体が動かないから仕方ない。負傷の影響とか無理矢理な回復の影響かどうかは不明だけれど、動かせるのは右手だけで、他の部位についてはまるで自分の身体じゃないように動かせなかった。

その辺の運動機能障害についても調査がなされるだろう。結構不安な気持ちになるところだけれど、冷泉は案外、気にはしていなかった。仮にこのまま身体が動かないことがあっても、大した問題ではない。生きて自分がこの場にいること、艦娘たちのために動くことができる事、あれほど望んだ事が叶ったのだから、この程度のことは何のこともないと思えるようになっていたからだ。

 

「なあ先生、酸素マスクは外して貰って構わないかな? これではみんなと会話がしづらいんだよね」

冷泉が伝えると、医師は頷く。

 

「まさか……この奇跡、本当に驚きです。冷泉提督の運の強さと生きようという意志の強さには感服しました」

作業が一段落したときに、医師が言ってきた。

彼の話では、経験上冷泉の状況は絶望的な状況であり、奇跡でも起きない限り死という選択肢しか残されていなかったらしい。その常識を打ち破った冷泉の体力に驚嘆したとのことだ。

 

「俺が助からないというのは、先生の経験を含んだ医学界の常識の中でほぼ起こりえないという事だったんだろう? つまり、それは確率がゼロというわけじゃない。だから、俺が生きているということは必然だったということさ。奇跡とは起きるものじゃない。起こすものだ。もちろん、俺の力だけで起こせるはずもない……」

複数の人が駈けてくる音とともに騒々しさがこちらに向かってくるのを認識する。

「あいつらが俺を冥界の淵から俺を呼び戻してくれたんだよ。まだ俺がやらなければならないことがある。そして、俺と共に戦ってくれる連中がいる。つまりは、そういうことだよ」

そう言って、医師に微笑みかける。

 

「はい、そうですね。今回の事は、私の今後の仕事についてもかなり励みになると思いますよ。良い方向に予想が裏切られることもあることを知ることができましたから。」

 

二人が話している間に、艦娘達が入ってきた。皆、走ってきたのだろうか。息を切らせている。

そして、冷泉の姿を見て立ち止まる者、感情を堪えきれずに泣き出す者、大きく胸をなで下ろす者、様々な態度を示す。

 

冷泉は、出せる限りの力を振り絞り、声を出した。

「みんな、ただいま」

 

 



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83話

病室に集まったのは、高雄、羽黒、祥鳳、扶桑、夕張、そして金剛だ。

 

羽黒と祥鳳の二人は感極まったのか、言葉を発することもできずに立ちつくしている。こぼれ落ちる涙を拭うことなく、ただただ冷泉を見つめているだけだ。

 

「みんな心配かけてしまったようだね。だけど、なんとかこの通り……まだ万全ではないけれど、少し休めば、じきに良くなると思う。そうでしょう? 先生」

冷泉の問いに、医師は力を込めて頷いた。

「ってことで、ここにいない艦娘もいるけれど、また俺のことをよろしく頼むよ」

そういってみんなを見る。皆、嬉しそうに同意してくれているようだ。先ほど呆然としていた二人も何度も何度も頷いている。

それを見て、冷泉も安心した。

 

「ところで、提督。加賀さんと島風さんは、現在、ドッグの治癒装置の中で休んでいます。先生の話では、眠りから覚めるにはもう少し時間がかかるようです」

 

「そうか……。島風には無理をさせてしまったしな。しばらくは、休ませた方がいいよな。元気になったら、ちゃんと褒めてあげないといけないなあ。それから、加賀は……えっと」

あの後、加賀と他の艦娘達の関係がどうなっていたか心配になり、つい口にしてしまった。

 

「提督、ご心配には及びませんよ。……彼女は彼女自身で思うところがあったようで、だからこそ、ドッグで傷を癒しているところなんです。提督が戻られた時のために役に立てるように。だから、もう、前みたいに投げやりな事はしないと思います。それから、提督が気にされているような彼女と私達の関係も……えっと、まあ、仲良しになったとまでは言えませんが、少なくとも、わだかまりは、それなりに解消されていますからご安心下さい。舞鶴鎮守府の仲間として、これからは前向きに進んでいけると思いますよ」

高雄が秘書艦らしく、簡潔に説明してくれる。

冷泉が不在の間に本当はいろいろあったのだろうけど、今はそれ以上伝える必要が無いと高雄は判断しているようだ。ならば、それでいいのだろう……と冷泉は考える。必要があれば、別の機会に高雄が報告してくれるだろう。

 

「そうか……、良かった」

と、安堵してみせる。

 

「ですよね。せっかく帰ってきたっていうのに、私達艦娘の関係がギスギスしたままだと、提督も心休まる時がありませんからね」

高雄が同意するように頷く。。

「それから、神通、大井、不知火、叢雲、村雨、初風の6名は、現在遠征中のため、ここにはいませんが、本日帰還予定ですので戻り次第、提督にご報告にやって来ると思います」

 

「え、遠征に行ってるのか? 」

少し驚いてしまった。遠征の予定は組まれていたとはいえ、司令官不在の中、動揺することなく任務を遂行できるとは……なかなかやるなと感心してしまった。

 

「神通が、……彼女がみんなを引っ張って行っちゃったんです。私達は提督の事で取り乱して、何考えられないし何もも出来ない中、彼女だけは、提督は必ず意識を取り戻す、だから、その時にすぐにでも行動できるようにしておかないといけない。第一艦隊は出撃に向けて準備をしておくべきだし、自分たち第二艦隊はそのための資材を集める任務をこなしておかなければならない。そう言ったのです。そして、提督は、生死を彷徨いながら今も戦っている。だから、自分たちは提督が戦いに勝利して帰って来ることを信じて行動しなければならないって」

と、高雄が解説してくれる。

 

「そうか。神通って普段はおどおどしてて、とても気が弱そうに見えるけど、わりと芯が強いところがあるとは思っていたけど……みんなを引っ張るなんて思えなかったなあ。そこまでとはなあ」

 

「それだけ、神通は提督の事を信じているネ。どんなことがあっても彼女は、提督の言うことだけは本気で信じていたからね。提督は絶対的な存在なんだヨネ。あれも愛のカタチなんだよね」

金剛が話に割り込んでくる。

「でもネ、神通が気が弱そうに見えるのは、提督の前だけだからね。提督の前では、すっごく緊張してるみたいで、おどおどしているだけで、本当はネー……フガフガ」

続けて何かを言おうとする金剛の口を後ろから扶桑が両手で塞ぐ。

「あー扶桑、苦しいネ! 何をするネ」

 

「提督、この馬鹿な子の言うことは、気にしないで下さいね」

と、扶桑が苦笑いをしながら言い訳する。

 

「何するネ、私、バカじゃないヨー」

 

「バカじゃないなら、空気を読みなさいよ、もう! あなたは」

二人の戦艦がじゃれているのを冷泉は、ほほえましく思う。

なんか、やっと居るべき場所に帰ってきたなと思えて、心からホッとした。ここが本来、自分が帰ってくる場所であり、絶対に護らなければならない場所、人なんだなと再認識する。

だからこそ、帰って来られたんだ。

そのことを再認識した。

 

 

しかし―――刹那!

 

けたたましいサイレン音が外から鳴り響く!

同時に、艦娘たちが持つ携帯端末から警報音が鳴り響く。

 

「何だ! どうしたんだ? 」

すさまじいサイレン音の中、冷泉は問いかける。

 

携帯端末より鳴り響く警報音は、その内容に応じて鳴る音が決まっているのだ。

火災、事件、緊急招集……いろいろとあるが、今鳴っている音は、最悪の物だった。

 

それは、敵の襲来を知らせる物だったからだ。

 

高雄は音を止めながら、端末の画面に表示されたメッセージを見る。他の艦娘たちも同様だ。

 

「た、大変です! 」

高雄の表情がその事態の深刻さをより伝えてくる。

「深海棲艦隊が北の領域より現れ、こちらに向かってきています。その数……15」

 

「敵艦隊の種類は、分かるか」

 

「現在確認できているところでは、戦艦2、空母2、重巡洋艦5、軽巡洋艦3、駆逐艦2とのことです」

 

病室内に緊迫感が走る。

 

「こんな時にどうして……」

冷泉は、驚きの声を上げずにはいられなかった。

 

鎮守府への直接攻撃……。

 

記録では、ここ数年は無かったはずだ。鎮守府は艦娘達の基地であり、最高レベルの警備体制が敷かれている。しかも、通常海域であることから、領域の中のように深海棲艦へのアドバンテージは皆無だ。しかも、艦数の制限もかけられないから鎮守府からは全艦船が出てくる可能性もある。

領域内のように、第二次大戦中の旧式兵器及のみでの武器制限は取り払われ、動力についての制限も無くなってしまう。艦娘たちは本来の武器で攻撃してくるし、動力も本来のものを使用してくる。それどころではない。領域では特殊な磁場が生み出されているため、使用不可能となった戦術データ・リンクシステムも使用可能となる。つまり、本来の力を最大限に発揮される状態での戦いを強いられるということになるということだ。

つまり、よほどの戦力差、事情ことがなければ、現在において、深海棲艦にとって通常海域で戦う事は、不利な条件を覚悟での勝算が無ければ行わない筈なのだ。

 

それを現在、やつらが仕掛けてきている。

 

何故……?

 

それは、簡単な事だ。

 

舞鶴鎮守府には、現在、司令官が欠けているからだ。正確には、欠けていると判断されているからだ。

司令官がが突然不在となれば、指揮系に統当然ながらに乱れが生じ、伝達に齟齬が生じる。そこに隙が生まれる。故に、攻め込んでみる価値があると判断したのだろう。

 

しかし……。冷泉が負傷したことは知ることは、可能だったかもしれない。しかし、瀕死の状態だったこと、場合によっては死亡の恐れがある事まで知り得たのだろうか? 奇跡的に冷泉は生き返ったが、死んでいてもおかしくなかった。それを見越したかのような敵の攻撃。

どうやって冷泉の状況を深海棲艦側が知ることができたというのか?

まさか……な。

冷泉は、一瞬浮かんだ考えを否定し、頭の中から消し去る。そんな仮定の事を考える時間的余裕は、現在は無いのだ。

 

「医療班!! 」

側にいた医師が、緊急連絡ボタンを押しながら叫ぶ。

「すぐに提督を安全な場所まで移送する。急げ! 」

 

「みんなすぐに港に戻ります。敵を迎撃しますよ! 」

高雄が素早くみんなに声をかける。

「祥鳳! あなたは提督の側にいて。どんなことがあっても提督をお守りして」

 

「はい、わかりました! 」

 

「先生、早く提督を安全な場所にお願いします。深海棲艦は私達が引き受けますから」

 

「頼みますよ」

 

「ちょ、ちょっと待てよ! 」

勝手に話が進んでいき、声をかけるタイミングを逸していた冷泉が叫ぶ。

 

「どうされましたか? 」

高雄が怪訝そうに問いかける。

 

「いや、俺も戦闘に出る」

静かな声ではあるが、強い意志を込めて冷泉が伝える。

 

「な、何をいってるんですか! 今、提督は意識を取り戻したばかりなのですよ。そんな状態で戦いに出るなど、医師として認められません」

と、医師は大声で否定する。艦娘達も明らかに拒否の表情をしている。みんな何をバカな事をといった感じがありありとわかる。

 

確かに、冷泉はまだ万全どころではない体調であることは誰の目にも明らかだった。

しかし、冷泉は再び宣言する。

「俺は迎撃戦に出る。出なければならないんだ」

 

「何を言ってるネ。テートクは、安静にしていていいんだヨ。私達がテートクを必ず護るから! 」

そう言って金剛が窘めようとする。

 

「あの、その。私も金剛さんの意見に賛成です。司令官さんは、まだ戦いに出られるとは思えないです。無理をして欲しくないです……ご、ごめんなさい、私なんかが偉そうにすみません。でも、心配なんです」

 

「金剛さんと羽黒の言うとおりです。無理はしないでください。私達だけでなんとかしてみせますから」

その言葉、普段なら信じて任せられるが、今はそういうわけにはいかない。

 

「いや、ダメだ。俺もお前達といっしょに出る。……敵は我々の倍を超える勢力だ。たとえ領域でのハンデが無いとしても三倍に及ぶ兵力差があるんだ。お前達だけを危険にさらすわけにはいかない。前にも言っただろう? 俺は常にお前達とある。いついかなる時も、俺はお前達の側にいると」

 

「我が儘言わないで下さい、提督。そんな体で無茶をしないでください」

 

「これは、鎮守府司令官としての命令だ。この艦隊の指揮は俺が執る。俺がお前達を護り戦いに勝利してみせる。これ以上の議論は不要だ。もう時間はあまりないはずだ。全艦、出撃体勢に入る。出撃は、金剛、扶桑、高雄、羽黒、夕張とする。……祥鳳、空母は一般領域における戦いでは不利だ。よって鎮守府において待機すること。それから俺は、軽巡洋艦夕張に搭乗する。今回の作戦は、夕張を旗艦として挑む。……異論は認めない。いいな」

旗艦を夕張としたことで、思わず驚きの声を上げる者も出た。

いろいろな想いがあるのは分かっているが、これを譲るわけにはいかない。彼女たちだけで出撃させれば、あの戦力差を覆すことはできない。冷泉には考えがあったのだ。それを試してうまくいけば勝てる。少なくとも負けはしない自信があったのだ。

「夕張! 」

 

「はい! 」

急に呼ばれた夕張がびっくりして声を上げる。

 

「各艦とのリンクシステムは構築できているな? 」

 

「はい、もちろん大丈夫です」

 

「よし。この戦いの成果は、お前のシステム運用にかかっている。俺たちの命をお前に預ける。頼むぞ、いいな? 」

 

「了解です。任せて下さい」

顔を紅潮させながら夕張は敬礼をした。

 

「よし、港に移動し、出撃をするぞ」

 

「了解! 」

艦娘達が声を発した。一部に不承不承といった想いを感じてはいたが、あえて気にしないことにした。

 

そして、今、新たな戦端が開かれる。

 

 

【作戦名:強襲!! 舞鶴沖攻防戦】

 




いきなり、戦いがはじまってしまいました。
今までにない展開の速さではないかと。


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84話

迎撃艦隊の出撃までには、若干の時間を要することとなった―――。

 

その一番の原因となったのは、冷泉の体が首より上と右腕以外全く動かないという状態であったからである。奇跡的に死地から戻ることができたとはいえ、普通の人間ならば満身創痍といった言葉が相応しい状態。それが冷泉の状態だったのだ。本来ならば、すぐにでも安静にし、休養を取らなせなければいけない。そんな状態の人間を戦闘に参加させるなんてあり得ない、との医師などの反対意見もあったが、時は一刻を争う緊急事態であることを理由に、冷泉が強引に説き伏せるまで結構な時間を費やしたのだ。

 

やりとりについては本当にいろいろとあったけれど、なんとか軽巡洋艦夕張の艦長席に座ることができている状態だ。

 

そして、右隣にはセーラー服姿の夕張が立っている。

「さて。夕張、敵艦隊の状況はどうなっているかな? 」

時間の遅れを取り戻すべく、状況確認をする。既に金剛以下三隻は、先行して出撃している。冷泉を搭乗させるのに時間がかかったために、旗艦夕張だけが出遅れたのだ。

 

「え、はい。敵艦隊は、輪形陣でこちらに接近中だけどが、こちらの様子を伺っているのか、速度を落としてるわね。どうやら、今のところはこちらの射程内に近づくつもりがないのかも」

少し緊張しているのか、夕張の声はうわずっている。

 

「ん? 夕張、何か心配事でもあるのか? 」

 

「いえ、何でもないわ。でも、……私なんかが艦隊旗艦の大役を務められるのかって思ったら、何だか緊張してきて……。艦隊旗艦は、秘書艦が努めることになっているのに……いいのかしら」

 

「お前なら大丈夫だよ、……心配はいらない。ここは、領域内では無いからね。電子機器に異常が発生する危険の無い通常海域なら、お前の力がもっとも生かせる場だろう? だからこそ、俺はお前を選んだんだ。お前には、その特化した戦闘指揮能力があるんだから大丈夫。それに、そのために訓練をしてきたんじゃないか。その成果を見せてくれ。……それに俺がついている。だから安心しろ」

 

夕張は、戦闘による損傷により艦本体に致命的なダメージを負ったため、様々な負荷が艦にかかる領域での戦闘には耐えられなくなっている。

 

戦えない軍艦……通常ならそんな艦など廃棄処分となるのが通例であろう。けれど、冷泉の前任の提督がどんな意図があったかは不明なのだけれど、それを頑として承諾しなかったのだ。それどころか、鎮守府の予備兵力として絶対に必要ということで存置となり、鎮守府で待機させられていたのだった。しかし、そんな理由だけでは一時的に廃棄を逃れられるだけであって、何時どういった状況変化で覆されるか分からない。軍隊において、特に深海棲艦と戦っている現状において、無駄な兵力を置いておく余裕などないのだから。

そこで冷泉は、予備戦力として残されたままという不安定な身分の夕張を護るために、軍の機関のあちこちに働きかけたわけである。彼女を武器開発艦および鎮守府防衛用としての最新の機器を搭載させた能力特化艦とするという理由をでっち上げ、様々な根回しや交渉を重ね、宥め賺してそれを上層部に承諾させたのだ。鎮守府防衛戦なんて、そうそう発生するわけではないけれど、それでも通常海域での深海棲艦との小競り合いは頻発しているため、必要性が皆無というわけでは無かった。そんな訳で否定する材料も少なかった事が有利に働いたようだ。前任の提督がどういう意図で夕張を残したかは分からないけれど、彼の意志はなんとか継げたと考えている。もちろん、彼女はそんな事があった何で知らない。冷泉としても言うつもりなど無いけれど。

 

夕張が見せる弱気な態度は、彼女が全ての艦娘からのデータ及び地上基地からのデータを収集分析し、指示を決定する指揮艦となるよう現在訓練中であることが原因であり、まだあまりに訓練経験が少ない中での実戦であるため、自信が無いから緊張しているだけなのだ。

 

「もちろん、て、提督を信じてないわけでは、ないわ」

何故か慌てて否定する。その顔がどういうわけか赤くなっているのは、緊張のせいだろうか。

 

「そっか、……まあ訓練通りやれば、どうにかなるさ。それに、お前が指揮する艦娘達は優秀だからな。安心していいぞ」

そう言って、冷泉は彼女の頭を撫でようとするが、手が届かず背中を撫でる形となった。当然ながらセーラー服から露出した腰の当たりを意図せずに撫でる格好となる。

 

「にゃー! 」

妙な声を出し、飛び上がる夕張。

「なっ、何をするんですか! 」

 

「あ、ごめん。頭を撫でようと思ったんだけど、手が届かなかった」

自分の体が右腕と首より上しか動かないということを忘れていた。いつもの感覚ではダメなのだと再認識させられる。

 

「な……。もう、こんな時にエッチなことはやめてください。何を考えてるの」

ますます顔を上気させ、夕張は睨むような目でこちらを見ている。そんなつもりは無かったけれど、わざと触ったように思われても仕方ない状況はあった。けれど、夕張はそれ以上何も言わなかった。

どうやら、彼女は冷泉にされたことについては、あまり怒ってはいないようだ。それに、エッチも何もわざとじゃないんだから。誤解を覚悟であえて言うならば、そもそもスカートをローライズさせて、白いお腹を露出させている夕張にも問題がある。……そんな自分勝手な言い訳を心の中でつぶやくが、口には出さない。

 

「すまんすまん、許してくれよ。でも、これで少しは緊張が解けたかな? 」

 

「ぐぐぐ……はい、一応は。びっくりしたから、緊張はどっかに吹っ飛んだのかもしれないけど。……それを狙って提督がやられたというのだったらすごいと思うんだけど……どうせ、違うんでしょうけど」

 

「ははは。わりと信頼されてないんだな……。けど、まあ、お前の緊張を解くためにわざとやった……そういうことにしておいてくれ。その方がお互いにプラスだろうし。まあ、それはともかく。では気分を入れ替えて港を出るぞ」

そう言って彼女のおしりを軽く叩く。これまた意図せずに、お尻を撫でる形になってしまう。

 

冗談話はさておき、外海に出るのだ。これからは警戒モードに切り替えないといけない。……と、冷泉は戦闘モードへと切り替えていく。

 

巡洋艦夕張は、港に設置されたゲートをくぐり出撃する。

 

「も、もう!。……了解です。速力を上げるわね」

まだ完全に緊張は解けていないらしく、少し強ばった表情で夕張が答えた。

お尻を触ったぐらいでは、どうやら彼女は怒らないようだ。

 

「よし、今、把握できている情報すべてを出してくれ」

冷泉の指示により、艦橋内のモニタに様々な情報が映し出される。それにより確認出来る情報は、現在、移動中の金剛以下の艦よりもたらされた情報、及び鎮守府からの情報、日本各地に設置されたレーダーなどの観測設備からの情報を夕張が整理して表示させているものだ。衛星や航空機からのデータも反映できればより精度が高い戦術データリンクシステムとなるのだが、深海棲艦が制空権を握っている現状ではそれも難しい。航空兵力に艦娘のような超未来兵器は存在しないのだから仕方が無い。贅沢は言えないというわけだ。それでも構築されたシステムは、圧倒的な能力を発揮する。

 

冷泉の艦隊は、夕張を最後尾としたV字型の陣形を多い取っている。先頭は金剛と扶桑の戦艦を配置し、夕張との中間位置に高雄と羽黒がいる。敵艦隊は、まだ二百数十キロ彼方の北方、領域との境界域に沿うようにゆっくりと十字陣形を取りながら移動している。当然ながら艦砲の射程外であり、かつ、いつでも領域内に逃げ込める状況を保っているようだ。

 

「敵の策にわざわざ乗ることになるけど、仕方ないな。全艦、現在の陣形を維持しながら前進する。とにかく街から距離を取らないといけないからな。敵の射程ギリギリまで接近するしかないかな」

 

「提督、それはどういうことなの? 」

 

「ああ……あまり陸に近い場所で交戦状態になると、流れ弾で街に被害が及ぶ恐れがあるだろう? 当然だけど、一般市民を戦闘に巻き込むわけにはいかないからなあ。そんな事があったら一大事だ。けど、そういった当たり前の話だけじゃいかな事情もあるんだよね、実際には。戦いが終わった後、即、大喜びでやって来る国会議員なんかからの苦情対応に追われることになるからね。敵との戦闘で苦労する上に、議員対応なんてやってられないだろう? 不思議なことに敵も気を遣ってか、待っていてくれるようだし。それに応えてやらないとな」

冗談めかして応えるけれど、本当は、それだけではない。

 

軍が力を握っている現在の日本国といえども、やはり、民主主義国家である。国会議員や官僚たちの日本軍への影響力はまだまだ大きく、無視出来るようなものではない。すばらしいことに、文民統制は未だ健在だということだ。マスメディアだって、まだまだその影響力を国民に対して十二分に発揮でき、世論を誘導できる環境・権限を維持しているのだから。

 

圧倒的な力を持つ外敵と戦っているというのに、国民一丸となってその敵と戦おうというような運動は、どういう訳か活発ではないのが日本国の現状だ。それは、この世界に来て一番冷泉が不思議だったことだ。想像するに、これは敗戦により外的内的に植え付けられたある意味の理性が、このような状況であろうとも国民を冷静な立場におき、軍国主義一辺倒にならずにさせているのかもしれない。

 

もちろん、それはそれで素晴らしい事であると冷泉は思っている。けれども、対応する側に置かれ、国会議員やマスコミ対応という非生産的な活動に、時間と労力を裂かねばならないとなると、それはとてつもなく無駄なことであり、ただただ苦痛であり、どんなに努力しても報われず、そして何も生み出さず、ただ権力者を満足させるだけでしかないと思わざるを得なくなる。……実際、うんざりしているし。さらに、この国家状況が影響しているのか、野党が相当な勢力を持っていることも更なる頭痛の種となる。与党議員なら、ある程度事情も分かっているから、引きどころを心得ている。けれど、彼らはダメだ。とにかく文句を言い、困らせたら勝ちだという考えがあるようで、本当に酷い。議論にすらならない。それでも、まだそいつらはましな方だ。彼らの支持母体の一部には、平和主義かぶれの団体がいて、彼らはあろうことか深海棲艦との話し合いを求めているのだ。……まあ、それくらいなら構わない。頭がおかしい連中と言うことで、なんとか納得できる。けれど彼らの中には、艦娘そのものを敵視し、排除しようと暗躍する勢力までいるのだ。そんな連中を見たら、本気でぶん殴ってやりたくなる。自分たちは絶対敵に安全な場所にいて、やれ平和だ、戦争反対だ、武器を捨てろ、深海棲艦と平和交渉をやれと好き勝手な事を言い、人間のために命がけで戦ってくれている彼女たちをまるで敵のように罵る。そんな奴らを護るために戦うなんて不毛すぎる。けれど、そういった連中が国政の場においてある程度の支持を得、それなりの力を持っているのが現実なのだ。

 

意図的なのかは不明だけれど、軍事拠点である各鎮守府の付近の街においては、そういった勢力が最近多くなっている気がする。毎日毎日、飽きもせずにプラカードを持って塀越しに騒いでいるのを見かけるし、いろいろな手段を使って嫌がらせをしたりしているようだ。ギリギリ法に触れない行為をしているので、取り締まり対象にもならないらしいし。……けれど、あいつらが何の為に、ああいった行動をしているのかは、未だに謎だ。さらには関係の無い一般市民に対しても嘘だらけの啓蒙活動をマスコミとグルになって行っているようだし。冷泉としては、無駄な事に貴重な時間と労力を裂かずに、少しは世の中の役に立つために働けよと思うが、彼らにとっては、そうすることが社会貢献だと思っているのだから手に負えない。

 

軍隊が街に常駐していることで深海棲艦の攻撃対象となる可能性があり、危険なのは間違いない。冷泉もそれは否定はしない。けれど、軍隊がいなければ深海棲艦がいつでも自由に動き回れるというマイナス面のことも認識してほしいものだ。もちろん、文句を言うのは言論の自由が保障されているのだから、好きにすればいい。けれど、最前線に住むことも無く、安全な内地から大挙して遠征して来て、好き勝手な無責任な事を言い放題するだけなのは、本当にいい加減にしてほしい。

―――こんな話、冷泉がいた世界でも言われていたな。あの時は、遠くの島の話だからあまり実感が沸かなかった。遠い世界の話だとしか思えず、日常に埋没していってた。

 

「どちらにしても、国民の生命・財産を最優先で護るのが俺たちの仕事だからね」

半分諦めたような口調で冷泉は言う。夕張も冷泉の言わんとすることを理解したのか、そうですねと苦笑いをする。

 

「まあ、そんなことは今はどうでもいいか。……遠征中の第二艦隊の位置は、分かるか? 」

 

「えっと、ちょっと待ってね」

すぐに全体図を写したモニタに神通を旗艦とした第二艦隊の位置が表示される。

現在、遠征任務を終え帰投中の艦隊は、舞鶴鎮守府より北東へ300キロ程度離れた場所にある。数時間あれば鎮守府に帰投する位置にあり、仮に最大速度で急げば、一時間程度あれば攻撃可能エリアに入ることになるだろう。

「神通たちに援軍を求めれば、兵力は、ほぼ同数となるわね」

 

冷泉は胸ポケットからフラッシュメモリを取り出して、夕張に渡す。

「これは何かしら? 」

 

「この中に入っているデータを、神通に送信してくれ」

 

「データ? いいけれど」

そう言って夕張はフラッシュメモリを冷泉から受け取ると、端末に差し込みキー操作を行う。

「本文は、何か入れておくの? 」

 

「そうだな。中身を見れば何が入ってるかは分かるだろうから……。そうだな、『お前を信頼している。』それだけ打ち込んでくれ」

 

「了解しました。……送信しました。でも、直接伝えた方が早いんじゃないのかしら? 提督が直接伝えた方が、神通だって喜ぶでしょうし。あの子、強がってるけど、提督の事をすごく心配してるはずだし。声を聞いたら本当に喜ぶのに」

不思議そうに夕張が聞いてくる。

 

「複雑な作戦指示が入ってるんだよ。だから、言葉では伝えにくい。データを艦のシステムに入れれば、それで俺の作戦がすべて伝えられるからな。セキュリティ上も安心だ。……まあ、そんなところだよ。それと、音声通信で第二艦隊のみんなにも俺の無事を伝えたいけど、通信は傍受されることを前提で行動しないといけないからな。さっきのデータだけなら、傍受しても解析に時間がかかるからね。それに解析しても、後から見たんじゃあまり意味のないものだし。けれど音声通信は通話内容はもとより、双方の存在を知らせてしまう事になってしまうからな」

夕張が言いたかったことについては、適当にはぐらかす冷泉。あまり納得していないようだが、それ以上話すのはあまり意味がない。

 

そして、そうこうしているうちに艦橋前方の大型スクリーンに4つの艦影が見えて来る。

先行していた第一艦隊だ。

「よし、各艦とのリンク状況を確認してくれ」

小型のモニタがポップアップし、それぞれの艦娘たちの姿が映し出される。

冷泉と通信が繋がった事に気づくと、金剛は、こちらを見てニッコリと微笑み、ウィンクをしながら投げキッスをしている。

 

「……接続、問題無しです」

と、あえて夕張は無表情に応える。

 

「よし。それと金剛、馬鹿なことしなくていい。夕張……全艦の攻撃権限をこちらに回すように、連絡してくれ。それから、俺の手の届く場所で射撃管制の操作をできるようにしてくれ」

 

「了解です。こちら夕張です。第一艦隊各艦に提督より通達。これより全艦の攻撃権限をこちらが掌握します。権限の委譲許可をお願いします」

 

「……了解」

「了解しました! 」

「ふふふ、金剛ったら……。扶桑、了解です」

「テートク、酷いよぅ」

それぞれが応える。

 



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85話

 

「掌握、完了しました」

夕張の声に合わせ、冷泉はゆっくりと意識を集中させていく。静かに右手を前方へと伸ばす。

夕張が冷泉の座った椅子を少し斜め前へと移動する。手を伸ばせば射撃管制システムの操作ができる状態だ。

操作盤に手を乗せると意識を集中していく……。自分の脳から肩へ、右腕へ、指先へ。そしてそこから操作盤へと意識を這わせ、艦内の回路を通ってメインコンピュータへと繋がるイメージを作り出していく。

 

チクリと頭の奥を刺すような痛みが貫いていく。

くっ……結構、きついな。

しかし、その動作をやめるつもりはない。

 

夕張が得ているデータ以上のものが、冷泉の脳へと送り込まれて来ている。それは、領域内での戦いを遙かに上回る量だった。

第一艦隊の状況、敵艦隊の状況、それらをすべて含めたエリア全体の情報も入ってくる。その膨大なデータを受け止めるには、冷泉では負荷が大きすぎるということなのだろう。けれど、現状、それを限定的に取捨選択する方法を彼は知らない。

大丈夫―――。

頭痛さえ無視すれば、無理をすればなんとかなるかな……。自信はないけれどもやるしかない。

 

敵艦隊との距離は、レールガンの射程より少し遠い状況。敵は領域と通常海域との境界線付近をゆっくりと移動している状態だ。こちらへ接近してくるという意志は、今のところそれほど強く無いように思える。そこから推測するに、今回の奴らの狙いは鎮守府を襲うものではなく、艦娘への攻撃のようだ。

 

ならば……攻撃をするのみ。

 

モニタの表示がめまぐるしく変化していく。

冷泉の視界の中に表示されるモニタの一つが拡大され、遙か彼方の敵艦隊へとフォーカスされていく。それに連動するかのように夕張の14cm連装砲および単装砲が動いていく。

艦娘(本体である軍艦部)に搭載されている兵器は、領域戦と通常海域戦の両方に対応できるようにハイブリッド化されている。そのため、搭載できる装備や弾薬には限りがあるため、出撃時には組み合わせに常に頭を悩ますのだ。ただ、夕張は通常海域戦に特化しているため、装備や弾薬の搭載量を減らせる代わりに、電子機器を大量に搭載できている。ゆえに作戦指揮艦として活躍ができるわけだ。

 

夕張と同じように他の艦の主砲も冷泉によって制御されているのだろう。そのイメージが脳内に再生されていく。

そして、十字陣形の先頭の駆逐艦にカーソルが合う。

 

「全艦……砲撃開始!! 」

第一艦隊の全砲門が開かれる。

同時に脳が焼けるような痛みに襲われる。思わず呻いてしまい、突っ伏してしまいそうになる。

 

「提督、大丈夫? 」

慌てて夕張が体を支えてくれる。その瞬間、電気のようなものが冷泉の体を流れ、そのまま夕張に伝わっていくイメージ。

「ひゃあ! 」

と、唐突に悲鳴を上げる夕張。

夕張も同じような感覚を得たということか。彼女の突然の反応は、まさに全身に電気が流れたという感じだった。

そして、さらに今、明確になった事が一つ。冷泉の体を伝わって操作盤を経由して艦内へと伸ばしたイメージは、艦娘の夕張へ直接繋がった方がより効率が良いということだ。艦と艦娘はいわゆる一心同体。ならば巨大な艦内を経由するより、艦娘に直接通したほうが負荷が遙かに少ないということなのだろうか。

自分の持つ謎の能力……。射撃管制装置を強化するような能力を発揮する為には、艦娘に触れて直接指示した方がどうやら効果的だし、何よりも冷泉本人の脳などへの負荷が明らかに少ないようだ。夕張に触れているだけで、これまで感じていた痛みが全くとは言わないまでも、相当に軽減されているのが分かった。

 

これは冷泉にとっては、朗報だ。

 

まともに艦本体へ干渉することによるデータ送受信量は、冷泉の脳のキャパシティを越えるものらしく、おまけに、現在は艦隊そのものをコントロールしている状態。流石に特に優秀でもない冷泉の頭脳では、処理能力が追いつかないどころの騒ぎではなく、そもそも持ちこたえられずにショートしそうだったのだ。

 

「すまん、夕張、しばらくの間、我慢してくれよ」

そう言って、冷泉を支えてくれている艦娘の腰に手を回す。

直接触れた彼女の肌はすべすべしていて、暖かかった。そんな余計な情報まで入ってきてしまう。

 

「あっ……」

直接彼女の肌のぬくもりを感じると同時に、彼女の体へとアクセスしていく感覚が伝わってくる。それは艦自体にアクセスするよりも楽で、より情報が入ってくるような感覚だ。

「な、て、提督。これ……なんなの」

少しだけ体をのけぞらせながら、驚きと戸惑いの表情で冷泉を見つめる艦娘。頬を赤らめ、その瞳は少し潤んでいていて、何だかなまめかしささえ感じる。

「艦隊の様子や、……状況が、いつもより遙かに……クリアに見えるの。これは、どうして? 」

息づかいも少し荒くなり、体をよじらせたりしている。

「それに、何だか、体がずっと熱くて、おまけに、痺れるような……あん! そんな、感じなんだけど」

何だか見てるこっちの方が恥ずかしくなるのだけれど。ちゃんと説明しないと、冷泉が彼女に悪戯しているように見えてしまう。

 

「これは、俺の能力の開眼……なのかもしれない」

そう言いながら、第一射の軌跡をモニタで確認する。全弾が未だ射程外のはずの敵艦隊の先頭艦に命中したようだ。敵は射程外ということで油断していたのか、防御が遅くなったようだ。数発が直撃し、炎を巻き上げている。

言葉を発さずに、指示を行う。第二射の攻撃準備だ。

「どういうわけか、戦場を俯瞰し、さらには通常では得られない情報をどこからか手に入れられるようなんだ。そして、艦に干渉して操作をできるらしい」

 

「そんなことができるなんて、信じられない……わ。ゃん! 」

すぐ側に夕張の顔があり、悶えるような表情をするので結構緊張してしまう。凄く艶めかしいんだから。

 

「えっと、基本的には、領域線の時に情報を得るだけで、少しだけ艦を操作できるようなんだ。だけど、通常海域だとその力はより強化できるようだ。この前に島風と出撃した時、それを感じた。そして、今は、お前が第一艦隊の指揮権を掌握しているから、俺は全艦の操作ができてしまうらしい」

 

「あん……よく分からないけど、提督の手から何かが私の体に伝わって行って、それがみんなの攻撃を指揮しているのは分かる、ん、だけど……」

言葉を詰まらせる夕張。

「提督が何かするたびに、私の体全身に電気みたいなのが流れてくるの。そのせいで、私、まともに考えることもしゃべることも出来ないよ。提督と意識が重なるような感じがして、なんて言ったらいいかわかんない」

 

「大丈夫。俺に任せろ。戦闘は俺が指揮するから。お前は俺を信じて、俺にすべてをゆだねていればいいんだ」

 

「そ……そんな」

夕張が恥ずかしそうにうつむく。

何か言い方を間違えたかもしれないけど、弁解をする間がなさそうだ。

敵艦隊が前進を始めた。

 

「第二射を始めるぞ」

再び、攻撃システムへとアクセスし指示を出そうとする。

 

「ひゃん! 」

夕張が妙な声を上げる。

再び、夕張以下、全艦が砲撃を行う。

冷泉は認識する。自らの不明な能力で艦娘の能力を高めることができるらしいが、夕張を経由することでその能力がより高められること、そして冷泉の体への負荷が減っている事が分かる。

彼女が集約したデータを把握し、彼女を経由して指令を伝達する。

問題点としては、直接、夕張の肌に触れておく必要があることくらいだ。……何かするたびに彼女が身をよじったり、喘ぎ悶えたりする姿を間近で見せられるというのがちょっと恥ずかしいけれど。

しかし、それをやめる訳にはいかない。そうすることで夕張が得ている情報が自然と冷泉も把握することができる。そして、得られる情報は、冷泉単独で把握できている情報よりさらに精度が高い、味方だけでなく敵の細かい状況も含まれている情報である。どの艦がどういう状態であり、どの武器がどういう状況で照準を行えばどうといった細かい情報が脳への負荷をかなり減らした状態でありながらも、今まで以上に詳しい情報が得られるのである。この能力は、夕張の情報収集能力があってこそのものであり、それを領域では使えないのがとてつもなく勿体ないと感じる。なぜなら、通常海域では、この力を使えば、敵に対して圧倒的優位な状況で戦いを挑むことができる。どういった理屈で敵艦の状況までが詳しく分かるかは不明なのが気になる点ではあるけれど。

 

舞鶴鎮守府第一艦隊は、艦娘データリンクシステムによる超精密度砲撃により敵艦隊を猛攻する。その精度は、誘導弾ではない砲撃でさえほぼ100%近い命中率だ。200キロ程度離れた距離で、衛星や航空機による誘導等を使うことなく、この精度は、ある意味反則といっても良い精度なのではないだろうか?

 

ただし、敵深海棲艦は映画でよくあるバリアのような斥力場シールド展開による防御を行うため、単純に砲弾をばらまくだけの攻撃ではすべて防がれてしまう。敵は全方位からの攻撃に備え、艦を中心に水面より上へ半球状の斥力場シールドを張っているため、あらゆる方向からの攻撃を受け止めることは出来るが、防御を集中できない。この敵の展開する防御壁を打ち破るためには、弾幕を一点集中させる必要がある。

 

冷泉は攻撃システムをすべて掌握した状態で、攻撃を敵艦1隻に集中させる攻撃を取る。戦艦2隻重巡洋艦2隻の砲撃は凄まじいものがある。これにより、敵の防御障壁はついに一点集中攻撃に耐えきれずに消失し、敵艦本隊への着弾を確認できた。当たり前なのだけれど、球状に張り巡らせば全方位からの攻撃を防げる代わりに、その耐久度はどうしても落とさざるを得なくなるので、攻撃を集中させると保ちきれないのだ。

「命中です……。先頭の駆逐に損傷」

夕張が嬉しそうに伝えてくる。

 

「油断をするな。敵は圧倒的に数的優位だ。被弾したのは駆逐艦にすぎない。そう簡単にはいかないよ」

淡々とした口調で冷泉は答える。

 

そして、冷泉予想通り、数的に三倍に勝る戦力を誇る敵艦隊は、全く怯まずに攻めてくる。まるで明確な勝利が見えているかのようにその戦意は高いように思える。冷泉からも実際にそう思えるし、艦隊同士の連携も隙が無く、ほぼ完璧に機能しているようにみえる。まだ敵の射程外であるからこんな風に観られるが、敵の攻撃が始まったらそんな余裕は無くなるかもしれない……。現に敵は射程外だということで砲撃をしてこない。数的優位であろうとも、無駄弾を使わない冷静さもある。

 

「距離を維持したまま、アウトレンジ戦法を継続する」

敵が接近の気配を見せれば後退し、下がれば前進する。そして、冷泉の能力を用いた徹底した火力の集中を行うことで少しずつ敵にダメージを与えていく。けれど、その攻撃は敵艦に致命傷を与えるまでには行かない。

そして、敵艦隊の艦隊運動もさらに洗練されていき、15隻の艦が一つの生き物のように正確に前進と後退を繰り返し、冷泉の艦隊運動の裏をかき、舞鶴鎮守府艦隊を艦砲射撃の射程内に捉えることが多くなっていく。火力において三倍の威力に徐々に押されていくことになってしまう。

 

防御システムが臨界に達するほどの敵の火力。こちらも敵と同様の斥力場シールドを装備している。防御壁は、全体に張り巡らす方があらゆる方向からの攻撃に備えることができるが、防御限界が低くなる欠点を持ち、大火力もしくは集中攻撃を受けると突破されるという危険性をはらんでいる。このため、防御スクリーンは限定的に柱状、面的に設置することが多いのだ。現在の舞鶴鎮守府第一艦隊においても、全方位に斥力場フィールドを展開させることはしていない。本来ならば、その方が確実であり楽なのだが、敵艦隊の火力が強すぎるため、防御しきれないのだ。

冷泉は巧みに艦隊運動を指揮し、斥力場シールドの展開範囲角度を操作している。データリンクシステムの効果か敵の攻撃を的確に予測し、目標とされた艦に防御を集中させることにより被害を最小限に抑えることができているのだ。しかし、火力の差は歴然。

おまけに攻撃を測定し、かつ予測しながらの全艦への操作指示を行うということは相当に負荷が高い。

 

「提督、敵艦隊前進を始めました! 」

夕張が悲鳴を上げる。

敵艦隊が前進を開始し始めたのは認識している。これまでとは異なり、明確に戦線を押し上げてきている。どうやら、遠距離からの砲撃だけではダメージが与えられないと判断したらしい。

「敵艦隊、ミサイルを発射しました」

 

「空域分析開始。対象把握。目標把握。驚異判定。スケジューリング把握……。電子的妨害開始。続けてパッシブデコイ射出。シーカーへの干渉を同時発動」

目まぐるしい速度で指示を各艦へと冷泉は出していく。

敵からのミサイルには電波妨害、デコイを射出による誤射、さらに目標捜索装置を妨害を行う。それを通り抜けてくる物については、弾道を予測し回避行動を取る。そしてよけきれない物については、迎撃ミサイル、最終的には斥力場フィールド展開による防御を行うのだ。

「ダメです、攻撃の数が多すぎます。避け切れません」

そう言ったと思うと、悲鳴を上げた。

同時にすさまじい閃光と衝撃、爆音が巡洋艦夕張を襲う。なんとか防御壁によって本体への損傷は免れたようだ。

「慌てるな、夕張。他艦にも伝えろ。これぐらいの攻撃ではまだ大丈夫だと。奴らはまだ、自分たちの戦力を過信しすぎているようだからな」

更に複数の着弾。……これも防御しきった。

「よし、今だ夕張。ダミーの爆発を艦後部に発生させろ。そして黒煙をまき散らせ」

 

「り、了解しました」

それを合図に巡洋艦夕張の後部より爆発が発生し、黒煙が巻き起こる。

 

「夕張、大丈夫なの? 」

「テートク大丈夫? 今すぐ下がって」

「たいへん!! 待避して」

旗艦の被弾を見て、悲鳴のような声が通信されてくる。

 

それを見てかどうかは不明だが、敵艦隊は冷泉達へ飽和攻撃を行うための再接近を始めているのがモニターより確認できる。しかし、敵は自らの艦隊が冷泉の艦隊に比して数が多いため、攻撃の集中を行うことなく、鎮守府艦隊すべてをまとめて処分しようと攻撃してきているのだ。そのため、いや、そのおかげで、まだまだ各艦の防御許容量は超えていない。まだまだ持ちこたえることはできるはず。

けれど、やはり圧倒的な火力により、このままでは本当に被弾は避けきれない。

 

「テートク、防御ばかりじゃ持ちこたえないデース! こっちからも攻撃しようよ。被弾してるんでショウ? ワタシ達が援護するから、ここから逃げて」

「そうです、提督。斥力場フィールド展開したままでは反撃ができません。このまま後退するしかありません。巡洋艦の装甲ではこれ以上の被弾は危険すぎます」

と金剛達が連絡してくる。

 

「もう少し我慢するんだ。今は、敵の攻撃が激しすぎて砲撃ことができないだろ。砲撃するためには防御スクリーンを解除しないといけない。そんなことをしたら、火だるまだぞ! もう少し待つんだ。今は我慢するんだ」

 

「でも、いつまでも保つとは思えません」

と、高雄。

 

「俺たちは大丈夫だ。それより俺の合図があるまでは防御と回避に徹しろ。俺の指示があれば一斉攻撃できるように準備をしておけ」

 

「そんな長くは保ちません……わ。提督、大丈夫なのですか」

心配そうな声は扶桑だろう。

 

「大丈夫、俺を信じろ」

冷泉は彼女たちを安心させるように声を発した。

 

「分かったネー! ワタシは提督を信じる。だって正妻だモンネー」

妙に元気な声が通信で帰ってきた。

 

こんな状況でありながら、金剛の言葉に冷泉は思わず吹き出してしまう。凄いなこの子は……と感心もしてしまう。

 

 

―――そして、その時、敵の猛攻が一瞬止まった。

 

「なんなの? 」

「何が起こったの? 」

冷泉の艦隊にも動揺が走る。

 

「全艦、前進を開始する」

冷泉が命令を出した。

 

敵艦隊の沈黙……。

その理由を瞬時に悟った。

理由はあまりにも簡単。……弾を撃ちつくし、補充の必要が生じたからだ。あまりに圧倒的な状態だったため、残弾計算すら忘れて撃ちまくっていたのだ。

押すときは全力で押し切る。それは基本だ。まさか、敵も冷泉達があの攻撃を持ちこたえるとは思っていなかったのだろう。

 

今がチャンスだ!

 

 

しかし、その時! 

 

「敵艦隊の背後の領域より艦影あり! 」

夕張が叫ぶ。

「艦影より判断はできませんが、総数6。一気に向かってきます」

緊張した夕張の声が艦内に響く。

 

「敵の増援なの!? 」

「そんな……」

 

飛び出してきた艦隊。敵の更なる増援なのか! 

皆に衝撃が走った。

 



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86話

時は、少し遡る―――。

 

 

遠征中の第二艦隊、旗艦・神通の艦橋……。

 

現在、第二艦隊は遠征任務を終了し、鎮守府に帰投するだけとなっている。

旗艦・神通は、遠征中、ずっと司令官である冷泉の事が気になっていたが、あえてその事について意識を向けないようにしていた。

あの時、危篤状態でベッドに横になったまま眠る司令官を見て、全身の血が引いていくような恐怖を感じたのは事実だった。けれど、それはほんの一瞬のことであり、彼女はすぐにそれを打ち消すことができた。

 

冷泉提督なら、いかなる困難な状況であろうともそれを打ち破り、きっと戻ってくると信じていたたからだ。

彼女の中では【期待する】とか【信じる】とかいったような。そんな曖昧なものではなく、冷泉提督が復活するということ―――それは、既に確定した単なる決定事項でしかなかったのだ。

提督が危篤状態であったという事実よりも、他の艦娘達……あろうことか戦艦・金剛でさえもが取り乱し、泣き崩れていた姿を見た事のほうが余程ショックだった。何故、愛する提督の事を彼女たちは信じられないのだろうか……と。今、一緒に行動している第二艦隊の艦娘たちも神通の手前、態度には見せたりはしないが、心穏やかでないことは間違いなかった。誰もがいつもより苛ついているのを感じるし、誰一人冗談を言うことも無く、任務に必要な事柄以上の会話をしなくなっている。いや、できなくなっている。沈黙が長いのはそれほど気にならないけれど、艦隊としての士気に影響を与えているのは間違いない。

あの優しい提督に対して、どういう訳か敵愾心を持っている大井でさえ、彼の事が気になるのか注意散漫になっているのが分かる。

 

とにかく、私がしっかりしなければ……。

 

艦長席に腰掛けた彼女は、そう自分に言い聞かせる。みんな提督の不在が心配なのだ。それは、神通にも分かる……のだけれども。

 

「でも、私は、大丈夫。私は、あなたを信じていますから……」

きっと帰投した頃には提督も意識を取り戻しているだろう。鎮守府の危機的状況でも焦ることなく動揺することなく任務を果たした自分の事を褒めてくれるだろうか? そんなことの方が気になっていた。

 

そして、神通は足下のバックをごそごそと探ると、中から白い布製の何かを取り出す。それは衣類……純白の第二種軍装だった。内側は少し汚れているがそれを気にすることなく、彼女は羽織る。明らかにそれは彼女の体に対して大きく、ぶかぶかだった。彼女は深く椅子に腰掛けると、両腕で自分の体を抱きしめるような仕草をして、恍惚とした表情を見せる。

彼女が着ている第二種軍装は、前の領域での会戦の際、大破して衣類がはだけた彼女に、冷泉が着せたものだった。あれ以降、神通は提督にそれを返す機会が無いままずっと部屋においたままで、結局自分で持つようになっていたのだ。そして、いつしか遠征の時にお守りとして持って行くようになっていた。

上着の内側には、神通の血が付着している箇所があるため、洗濯すべきなのだろうけど、洗濯すると提督の香りが無くなってしまうので結局、洗わないままにしている。

この軍服を着用し、それを着ていると冷泉提督の香りがして、まるで彼に抱きしめられている気持ちになり、どんな状態であろうとも気分が落ち着くのだった。いつでも提督を感じられる……。今では、神通の一番の宝物だった。

遠征の帰りはいつも一人でこうして、提督に抱きしめられながらいる事が日課のようになっていた。

 

「提督……私は、いつでもあなたを信じていますから。私は、あなたの為だけに存在します」

うっとりとして、思わず口にしてしまう。もっと激しい言葉も出そうになる。

 

その時、ぽん! と電子音が艦橋に響き渡る。その音は、メールの着信音だった。

「何かしら? 」

機器を操作して、メールを見る。最も大切な安らぎの一時を邪魔されるのは少し気分が悪かったが、今は任務中だから文句は言えない。

差出人は、巡洋艦夕張からだった。遠征中の神通に彼女がメールしてくるなんて、何があったのだろう? そう思いながら開封すると、舞鶴鎮守府に危機が迫っている知らせだった。

驚きのあまり、思わず声を上げてしまうが、そのメールの送付者が実は冷泉であることを知り、飛び上がらんばかりに嬉しくなってしまった。

「提督が戻られた……」

鎮守府が深海棲艦に侵攻されている事実よりも、彼女にとっては冷泉が意識を取り戻し、それどころか艦隊の指揮を執れる状態であることが嬉しかった。そうなれば最早、深海棲艦など何の意味があるというのか。

しかし、状況を知るにあたり、舞鶴鎮守府第一艦隊の置かれた状況が良くないことを知る。

 

「提督、今すぐに、この神通が向かいますから」

そして動こうとするが、メール本文にある内容を見て動きが止まる。

 

【お前を信頼している】

 

たった一文でしかないが、その文面を見てた途端、全身が震えるような感覚と同時に、あふれ出る涙を止められなくなった。

 

「て、提督……」

この緊急時において、提督が自分を頼ってくれている。その事実が神通の体を貫くような衝撃をもたらせていた。全身に電気が流れるような感覚。意識が遠のきそうになり、ふらふらになり、しばらくの間、何も考えられなくなったが、やがて自分を取り戻すと、再度その喜びをかみしめる。

冷泉提督が自分を必要としてくれている。この緊急時に自分を頼ってくれている。

それが彼女の体から力をわき出させる。

 

神通は立ち上がると冷泉から借りたままの上着を脱ぎ、大事そうに畳んでバックに仕舞うと、添付されていたファイルを開く。

それは、神通たち第二艦隊への指令が記されたプログラムだった。機密性を最優先し、艦娘の艦内システムでなければ解析できないようにされたデータだった。

その内容は、この後の第二艦隊の行動を記したものであり、その内容を見て思わず神通は興奮せざるを得なかった。

 

早速、その指令を第二艦隊全艦に通達する。

深海棲艦が鎮守府を襲撃したことと、それを迎え撃つために巡洋艦・夕張を旗艦とした第一艦隊が迎え撃つことを。そして、その指揮を執るのが冷泉提督であることを。

そして、彼からもたらされた作戦の詳細を。

 

もちろん、近距離秘匿回線において行われる会話である。

作戦は、第一艦隊と交戦中の深海棲艦艦隊の背後を奇襲するというものだった。それだけなら問題は無いが、敵艦隊の背後は領域となっている。つまり、神通たち第二艦隊は領域を抜けて敵の後背を突くというものだったのだ。

 

冷泉提督の復活を喜ぶ間もなく、戦火が開かれようとしている現実は衝撃的だったが、皆、戦闘のために作られた者であるため、動揺は一瞬でしかなかった。すぐに、今なすべき事、現状について認識を開始する。

そして、少しの間をおき、作戦案に対し、巡洋艦大井が異論を挟んできた。領域をショートカットし、敵艦隊背後に回るという常軌を逸した作戦の成功算段はあるのかと。それは至極まともな意見だ。

 

「提督が言うのだから、間違いないと思います」

と、神通あっさりと答える。

 

「はあ? 」

呆れたような声の大井。

「領域に入るって事は、そこで待ち受ける敵艦隊に遭遇する可能性もあるって事なのよ。どんな奴らがいるかも分からないし、私達の遠征での疲労や搭載した弾薬の事をきちんと計算してるっていうの」

 

「問題はありません。私たちが倒すべき敵は、鎮守府近海通常海域に現れた敵艦隊。それ以外の敵は相手する必要はありません。たとえ領域内で敵艦隊と遭遇しても、それは無視します」

 

「そんなにうまくいくかなんて、誰にも分からないでしょう? 目の前を通っていく私達を、はいそうですかって通すような間抜けが敵にいるとは思えないわ。それに、仮に抜け出せても、そこには敵艦隊がいるのよ。敵に感づかれ、応戦態勢を取られたら、旧式の機関とシステムしか稼働していない状態で、あいつら勝ち目があると思っているの? 動力や戦闘システムの切替には時間が必要なのよ。絶対に間に合わないわ。通常海域に出た途端、ミサイルの飽和攻撃を浴びせられて防御システムを稼働する間もなく、全滅は必至よ。あの男は、私たちを囮として利用し、見殺しにするつもりに違いないわ」

大井が凄い剣幕で怒鳴ってくる。かつて何度と無く経験し見せつけられた犬死にの記憶が蘇っているのだろうか。

 

「はい、そうかもしれません。けれど……提督のために死ねるなら、それこそ本望だと思っています。そこに何の疑問が生じるのですか? 私は、提督が死ねと仰るのなら、喜んで死にます」

 

「な! ……アンタはそれで良くても、みんなは、いえ、私は、無駄死になんてしたくないわ」

死を当たり前のように答える神通の言葉に少し怯むが、それでも大井も持論を曲げるつもりはないらしい。

 

「いいえ、大井。無駄死では、無いわ。仮に、今回の作戦がそのようなものあったとしても、それで勝利に貢献できるのなら、無駄では無い。私は喜んでこの命捧げます。……けれども、その時は、あなたたちを死なせるようなことはしないわ。私がみんなを守ってみせます」

 

「あーだめだこりゃ。神通の話なんか聞いても、どうにもならないわ。もう、どうでもいいわ。アンタは勝手に死んだらいいんだから。けど……アンタたちはどうなの? 」

と、これ以上の旗艦との議論は意味が無いと諦めた大井が他の駆逐艦に問う。

 

「え? 私? 私は、この艦隊の旗艦に従うわ。今までだって、神通さんが言う事に間違いないから。けど……本当は……いえ、なんでもないわ」

と叢雲。何かを言いたそうだが、モニタ上で神通と目が合った途端、言葉を引っ込める。

 

「いろんな意見があるのは、当然だと思います。意見があるのなら言っておくべきでしょう。けれど、どちらにしても司令官の指示に従うのが私たち艦娘です。そして、与えられた任務に対してベストを尽くすのが使命であり、結果については、私達が話すべきものではありませんから」

当然の事のように不知火が結論づける。

 

「まあ仕方ないわね。神通さんがそう言うのなら、まあそれでいいと思うわ」

「私は、みんなに従うよ」

初風、村雨も異論は無いらしい。

ということで、大井に味方する艦娘はいない。

 

「結局のところ、大井はどう考えているのですか? 提督の作戦に従えないというのなら、無理強いは、しません。あなただけ、通常海域を進んで帰投してください。それについては、私が第二艦隊旗艦として許可します。それから他の子達も無理をしなくてもいいのよ……。たとえ誰もついてきてくれないとしても、私は提督の指示に従って戦いますから」

静かに神通は語った。

 

「……そりゃあ、上官の命令に逆らうつもりはないんだけれど、領域を抜けて行くなんて無茶苦茶な指示に、はいそうですかって従えるわけないでしょ? それは神通だって感じているはずよ」

 

「提督の仰る事に間違いはありません。提督のご指示を実行できないのであれば、それは旗艦である私の能力不足でしかありません。それに、もし、万が一でも提督の作戦が間違っていたとしても、提督の指示に従って死ねるのであれば、私には何も後悔はありません」

 

「神通、それはアンタがそれでいいだけで、他の駆逐艦娘は納得しないでしょう? みんながアンタみたいに提督オンリーな子ばかりじゃないんだから! みんなも言いたいことはちゃんと言っておかないと、一緒に心中させられるわよ」

大井はしつこく神通に噛みつく。

 

「わ、私は、あいつの……提督の事は嫌いだけど、いえ、嫌いじゃないけど、いつも言うことは間違っていないと思うから、作戦には従うわよ。……そうしないと、敵に第一艦隊がやられちゃうかもしれないんでしょう。第一艦隊が負けたら、あいつも死んじゃうって事だし、それは嫌だし。それから鎮守府だって攻撃されるわ。そうなったら帰るところがなくなっちゃう。少々のリスクは覚悟の上よ」

と叢雲。何故か時々頬を赤らめたりしている。

 

「私は、司令官の命令に従います。提督を信じる信じないではなく、それが上官からの命令だから。……叢雲と同じく、私も一応提督の作戦指揮能力は評価しているので、彼の作戦なら信じても良いと思います。それに、神通さんが一緒なら少々の危険も突破できるはずですから」

と不知火。

 

「私は多数決に従います。本当はいろいろ言いたいことがあるけど、……じ、神通さん、そ、そんな怖い顔で見ないでくださいよ」

初風がそして村雨も反論をするつもりはないようだ。

 

「もはや、これ以上議論している時間はありません。まもなく領域が見えてきます。動力を切り替えなければなりません。みなさん、提督の作戦どおりでいいですね。……大井、あなたは領域を迂回して行ってください。そして、お願いがあります。もし、私たちが全滅したら、どんな手段を使っても構いません。提督だけは、救出してください。他の事はどうでも構いません。……お願いします」

そう言うと、大井の回答を待つことなく、決定事項のように神通は行動を始めた。

他の駆逐艦もそれに習う。

動力の切りかえを開始するのだ。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。誰が私だけ行かないって行ったのよ。もう、ちょっと疑問を口にしただけじゃない。ほんと、この艦隊は頑固な連中ばかりなんだから。行きますよ、私だって一緒に行きますよ」

神通は黙ったまま答えない。ただじっと見つめるだけだ。

 

「もう、わかりました。ごめんなさい。提督の作戦を疑って済みませんでした」

 

「で? 」

と、神通。

 

「もう! ……わかりました。はい、提督の作戦を私も信じています。……はいはい、私は嘘をついていました。本当は、提督を私も好きです、愛しています。めっちゃ大好きです。ちょっとみんなが盲信しすぎるので、ヤキモチ焼いて文句言っただけです。すみませんでした」

 

頭を下げる大井を見て、ニッコリとほほえんで神通は答える。

「では、行きましょう。……提督の勝利のために」

 

 

 

 

 

 

 



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87話

第一艦隊旗艦 夕張艦内。

 

敵の背後、領域と通常世界を遮る雲海より飛び出してきた艦隊があった。

 

敵の増援?! 

これ以上敵が増えたら持ちこたえられない。夕張を含め、第一艦隊の皆が、衝撃を受ける。

 

「提督! 敵の増援ですぅ」

怯え、泣きそうな顔をしながら、夕張が冷泉を見る。

領域から飛び出して来た新手の艦隊……。領域は深海棲艦の支配領域。そこから出てくるものは、深海棲艦以外ありえない。

これまでの戦いから、そう考えてしまうのは当然のことだ。けれど、冷泉は現れた艦隊が何者か知っていた。

 

「大丈夫だよ、夕張」

そう言って、冷泉は彼女の頭を軽く撫でる。

「領域より出てきた艦隊は、神通達だ。至急、一斉砲撃により、敵の注意をこちらに向けさせる。彼女たちの出現に対応させてはならない」

同時に、ありったけの砲弾、ミサイルを一斉に発射する。

敵艦隊全面には砲撃、側面及び背後へは対艦ミサイルによる、全方位飽和攻撃だ。

少しでもいい、神通達に行動の時間を与えなければならない。

 

うまくやってくれよ、頼むぞ神通。それから……絶対に、死ぬな。

冷泉は、心の中で念じた。

 

 

再び、第二艦隊。

 

神通を旗艦とした第二艦隊は、全速力で領域を駆け抜けた。

 

あらかじめ冷泉司令官より与えられた進路を忠実に守り、途中、敵との遭遇も完全無視で駆け抜けた。

 

そして、……再び、領域の壁を抜けることとなる。

 

赤黒く分厚い領域、あたかも壁のように天高く立ちはだかる雲の中を抜けると、視界が開ける。

そして、いきなり彼女たちの眼前に、敵艦隊の姿が現す!

 

戦艦……そして空母まで含んだ艦隊。そいつらが神通たち第二艦隊に背を向け、司令官の指揮する第一艦隊と対峙しているのだ。

これまで第一艦隊に編成された時にしか見たことがない強力な敵の陣容に、神通は一瞬ではあるが圧倒されてしまう。

あんな強力な艦隊に、私達第二艦隊で立ち向かえるのだろうか? 勝算はあるのだろうか? しかも、こちらは領域用の武器と動力のままで。また、負けてしまうのだろうか? 負け戦になってしまうのだろうか。かつてのあの時のように……そんな不安が過ぎる。

けれど、すぐに神通は頭を横に振り、その不安をかき消すことができた。

今の私は、あの時とは全く違う。私には、冷泉提督がいて下さる。私の事を、いえ、私達の事を信じ、そして私達の帰りを待って下さる方が!

 

「全艦、魚雷戦用意。最大戦速を維持し、輪形陣の敵艦隊の中央を突破します! 」

 

「な! 今の私達は、領域専用の動力のままなのよ。そんな状態で突っ切るつもりなの? いくら何でも危険すぎるわ。防御シールドも無しで、敵の攻撃を浴びたら、ひとたまりもないわよ。ここは領域じゃないのよ! 分かっているの? あなた、死ぬつもりなの」

大井が大声で叫んで来るが、あえて無視する。

そんなことはもちろん分かっているから……。通常海域で使用される兵器は、あらゆる点で使用武器が限定される領域内とは桁違いに威力が高い。だからこそ、みんな迎撃システムを用いて迎撃したり、防御シールドを展開して防ごうとする。けれど、今の神通達はそういったものが使用不可能な状態。個艦防御システムも、防御シールドも使用不能だ。まともに攻撃を受ければ、ひとたまりもなく轟沈するしかない。

けれど、どんな強力な攻撃も、当たらなければ問題ない。第二艦隊の艦娘たちは、そのために激しい訓練に耐えてきたのだから。……だから、大丈夫。

冷泉提督はこの海戦、神通達第二艦隊の行動に賭けてくれている。第二艦隊の行動が勝利のための切り札と考えてくれているのだ。そのために敵を引きつけ、第二艦隊の接近を隠蔽してくれたのだ。

その期待に、絶対に応えたい。応えてみせる。

 

「みんな、私に続いて」

 

「何考えてるのよ、自殺行為だわ」

まだ大井が反論してくる。

 

「大丈夫。提督が私達を援護して下さいます」

そう言うと、進路を敵艦隊の中央へと向ける。

 

「もう! 」

と、反論を続けていた大井も諦めて後に続く。さらに他の艦娘も続く。第二艦隊は、単縦陣となり、輪陣形の敵艦隊の中央に向けて突撃していく。

 

それに呼応するように、遥か彼方の第一艦隊から猛烈な砲撃と対艦ミサイルが発射される。まるで神通達の突撃がどの段階で始まるか知っていたかのようなタイミングで……。ほぼ全門斉撃に近い攻撃は、計算されたように第二艦隊の軌道を避け、正確に敵艦隊全てに向けて飛んでくる。あり得ないほどの超精密攻撃だ。

敵は第一艦隊の攻撃に対応すべく、行動せざるを得ない。防御スクリーンが海面半球状の全方位に展開されるのが肉眼でも確認できた。この混乱のためか、敵はまだ第二艦隊の接近に気づいていない? のかもしれない。

同時に敵艦隊全域に着弾。もの凄い轟音と閃光、そして黒煙が撒き上がる。砲弾の中に煙幕弾も含まれていたのか。視界が急激に悪くなる。

 

これなら、目視では神通達を見つけることはできない。

神通達はその混乱の中、敵艦隊の中央を突破して行く。そして、左右に魚雷を全弾発射! 敵艦隊は、ほとんど停止状態であり、魚雷発射のタイミングも、未来予測をせずとも問題が無い。 

 

敵艦の防御シールドは、全天球型に配することは滅多に無く、現在も海面より上に半球状態で展開されている。

そもそもが砲撃及びミサイル攻撃に備えていたため、敵艦隊も水面下までは展開する必要がないと判断していたのだろう。今回の戦いに潜水艦は存在していないから当然だ。

展開するとその分、全体の防御力及び耐久力が落ちるという事が最大の理由なのだろうけれど。

 

もし、舞鶴鎮守府第一艦隊に潜水艦がいたらどうするつもりなのか? ということは考慮には入れていないのだろう。

 

それはともかく、水面下への想定外の魚雷攻撃。

敵は、第一艦隊への攻撃に気を取られたため、回避運動も取ることなく雷撃の直撃を食らうこととなる。何本もの水柱が敵艦隊から立ち上る。

 

敵艦隊のど真ん中を突っ切りながら、神通は同時に煙幕を使用する。

第一艦隊の援護により敵の反撃を受けることなく、雷撃によるダメージを与えることに成功した神通率いる第二艦隊。敵艦隊を抜けながら、神通は魚雷再装填を全艦に指示し、急がせる。

「ちょ、ちょっと待ちなさい。まさか、あなた」

 

「もちろんです。全艦、逐次回頭し、追撃をかけます」

大井の問いかけに、当然の事のように答える神通。

第二波攻撃をかけるため、全速力で再度、敵艦隊の中へと切り込んでいくつもりだった。第一艦隊は一斉砲撃を行ったため、再装填のために攻撃に空白ができる。自分が敵艦隊司令官なら、この反撃の機会を逃すはずがない。今、追撃をかけ、敵の反撃を封じ込めなければならないのだ。

 

「ええ!! 」

思わず他の艦娘も声を上げる。

「さすがに、再突入は危険すぎます。初撃は第一艦隊の援護があって成功しましたが、2度目は敵も私達の存在に気づいています。馬鹿正直に突っ込んでいったら、敵の格好の餌食になります」

 

「今、ここで追撃をかけないと、敵は体勢を立て直してしまいます。そうなれば第一艦隊も危険ですし、当然私達も無事では済みません。……大丈夫、私が敵の注意を惹きつけますから」

そう言うと、神通は僚艦の同意を待つまでもなく、進撃を始めた。

 

「駄目、神通さん。待って下さい」

慌てて駆逐艦娘たちも後を追い始める。

 

「また置いてけぼり? 待ちなさいよ。今度こそ、アンタたち本当に死ぬわよ」

いつの間にか第二艦隊のブレーキ役になってしまった大井が慎重論を持ち出さざるをえなくなる。

 

「この世界でコロンバンガラの再現なんてさせられません。今度こそ、誰一人欠けることなく、みんな生きて帰らないと……。それに、提督だって悲しむから」

と、不知火。

 

「あいつが、いえ、提督がどうなろうとどうでも良いけど、神通さんを死なせるわけにはいかないし、もう、仕方ないでしょう」

と叢雲。

 

「またか。ホント、第二艦隊は馬鹿な連中ばかり。もう絶対この艦隊からは外して貰わないと、いくら命があっても足りないわよ。ちっ……今回だけよ! 」

神通を先頭に、距離を置いて残りの艦が続く第二艦隊は、再度敵艦隊の中央突破をかける。

 

被害を受け黒煙を巻き上げている敵深海棲艦達ではあったが、接近してくる敵艦に対し無策でいるはずがなかった。

旧式動力・旧式装備で突っ込んでくる、防御シールドさえ持たぬ紙装甲の敵艦隊を薙ぎ払うため、砲塔を向けてくる。

まずは、先頭を進みまともに照準もせずに連続で砲撃をしてくる旗艦である軽巡洋艦神通をその生け贄として選択する。まるで自分の存在をアピールするような攻撃に吸い寄せられるように深海棲艦の砲塔が向いていく。

 

「あー、こりゃだめだ。死んじゃう」

思わず大井が悲鳴に似た叫びを上げてしまう。

 

刹那―――。

まるで神通の動きを予想していたかのように、再び、第一艦隊の砲撃が始まった。先ほどの飽和攻撃から再装填しての砲撃にしては時間があまりに短い。一体、どのような手段で?

いまこそ神通を火だるまにせんと狙い砲撃をしようとした敵艦隊に、雨霰のように着弾していく。

爆発の閃光と轟音。

防御シールドが間に合わなかった艦が被弾し炎上する。

 

「今よ、全艦隊攻撃開始」

神通の指示に合わせ、再びの魚雷攻撃を行い、そのまま敵艦隊の中を突き抜けていく。背後で魚雷の直撃受けて爆発を起こす敵艦隊。

 

「やったー! 」

「やりましたぁ」

第二艦隊の艦娘達が歓声を上げる。

 

この段階で、戦いは決した。

 

舞鶴鎮守府艦隊は無傷の11隻。

それに比べ、敵深海棲艦側は、戦闘により数を減らされたため、12隻となっていた。しかも、ほとんどが何らかの損傷を受けており、まともに戦闘できる艦は、それ以下になっている。

想定もしていないような多大の損害を出した敵深海棲艦隊は、大あわてで反転し、撤退を始める。

 

「逃がしません! 」

神通は更なる戦果を求め、追撃態勢に入ろうとする。第二艦隊の他の艦娘達も圧倒的な勝利で興奮状態にあるのか、彼女に続こうとする。

 

「神通、それ以上の追撃はするな。帰投せよ」

冷泉提督からの通信が入る。

 

「でも、提督。ここで追撃をかけて勝利を確実なものにしておいたほうが……」

 

「深追いは禁物だよ、神通。敵を退けた事により、俺たちの目的は達成された。俺たちの勝利だ。みんなよく頑張ったね」

と冷泉は声をかける。

その間に、ボロボロになった敵深海棲艦は領域の中へと急ぎ撤退していく。

 

「神通、それから第二艦隊のみんな、よく頑張ったな。お前達の活躍のおかげで敵を退けることができた。俺の無茶な作戦によく応えてくれた。ありがとう。それから、第一艦隊のみんなもよく持ちこたえた。お疲れ様。ありがとう。……これより全艦、鎮守府に帰投するよ」

 

「了解」

みんなが嬉しそうに応える。

 

「じゃあ夕張、俺たちも帰投するぞ」

 

「わかりました。艦の操作引き受けます。提督、お疲れ様でした」

ほっとしたような笑顔で少女が答える。

 

全艦が反転し、鎮守府へと帰って行く。

冷泉は大きくため息をつき、何気なく直ぐ側のモニタをみる。冷泉の左側に置いてある小さなモニタ。ここには水面下の様子を映像化するように設定したものだ。今回の戦闘ではまず使うことが無いはずだったが、念のため見られるようにしていたのだ。海底の地形が旗艦夕張を中心に3D映像で表示されている。

そこに一つの涙滴型の物体が映し出されていた。大きさは200メートル近い大きさだ。数十メートル下の海底をゆっくりと北へ、つまり冷泉達の艦隊と反対方向に進んでいる。敵味方識別は味方となっている。つまり、日本海軍の艦船ということだ。

「どうしました? 」

不思議そうな顔で夕張がこちらを見てくる。

 

「いや、このモニタにね」

そういって右手で左側のモニタを指さす。

すると「失礼します」と言いながら、身を乗り出しながら彼女が冷泉越しにモニタを覗き込む。

「潜水艦が映ってるだろ? 一応日本海軍のものらしいけど、あれが何か知っているか? 」

すると、夕張は首を左右に振りながら否定する。

「えーと、知らないですね。けれど、この艦って……たしか」

 

「たしか、どうした? 」

 

「あ、そうだ。良く深海棲艦との戦闘の後に見かけますね。領域を開放した時に何度か見かけたことがあります。何のためにいるのかは、たぶん誰も知らないんじゃないんでしょうか? 」

 

「艦娘じゃ無いのか? 」

 

「ええ。あの形状の艦娘はいませんよ。形状が現在の潜水艦の形をしているでしょ? 恐らく、海軍の制作した調査船か何かじゃないですか」

あっさりと答えられ、まあ確かにそうかなと納得する。軍が軍艦を持っているのは当然としても、深海棲艦と戦っても勝ち目は無いことは、過去の件で明らかになっている。なのに海に出てくるとはどういうことなのだろうか。危険を冒してでもやらなければならない事が、得なければならない物があるのか? そもそも何が目的なのか。

 

軍部にもまだまだ冷泉の知らないことが多くあるようだ。

 

いつか解き明かさなければと思いながら、急にどうでも良くなってきた。猛烈な眠気が襲ってきたのだ。

艦隊を一人で動かした反動が来たのだろうか。解除したら急に疲労がやってきた。ベッドに横になりたいとか思うが、もう目を開けているのさえ怠く、どうでも良くなってきた。

お腹が冷えたらいけない……。手近にあった柔らかい物体、抱き枕みたいな大きさ、柔らかさの物を動く右手で引き寄せると、ギュッと抱きしめた。

 

「きゃ、ちょ、ちょっと提督。何をするんですか! 」

すぐ側で何か声が聞こえるが、夕張だろうか? あいつ、なんかしたんだろうか? 

けれど瞼は重たくて、目を開けることができない。まあ、港に帰ってからでいいか。今はもう眠い。何にせよ、全ては目が覚めてからでいいや。……帰ったらみんなのがんばりを褒めてやらなくちゃいけないな。特に、神通には無理させてしまった。何かプレゼントでもしてやろうかな。

そんなことを考えている内に意識が遠のいていった。

 

「あの、……提督。ちょっと、提督。まさか、寝ちゃった? 」

夕張は困惑していた。……今の状況に。

潜水艦がどうこう言ってたと思ったら、いきなり抱き寄せられて抱きしめられてしまった。

現在の彼女の状態は、司令官である冷泉に跨る形で、彼の胸に顔を埋めている状態だった。離れようとしたが、がっしりと彼の腕で抱きしめられていて、離れることができないのだった。

「提督……起きてくれませんか? こんな状態を誰かに見られたら、提督の立場が大変なことになりますよ。金剛さんや神通が見たら気を失いますよー」

けれど、提督はまるで反応がない。それどころか、穏やかな寝息が聞こえてきた。上目遣いで司令官を見ると、何か満足そうな顔で寝ているじゃないか。頭をぐりぐり動かしてみたり、手で叩いてみたりしたけど、まるで反応が無い。完全に熟睡状態です。

「あーあ、私は警告しましたからね。けれど、提督は起きてくれませんでした。それから、離れようとしたけど提督が私を離してくれなかった。……いいですよね? 」

何の反応も無い。

「もう知りません」

そう言うと、夕張は司令官の胸に顔を埋めて目を閉じた。

目的地をセットしているから、問題なく舞鶴鎮守府まで帰れるし、勝手に着岸もするだろう。

 

夕張は、冷泉の心音を聞いているうちに、どうやら眠ってしまった。



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88話

港では、ちょっとした騒動が起こっていた。帰投した第一艦隊の艦娘達が桟橋付近に集まり、落ち着き無く話し込んでいる。

彼女たちが会話している原因は、帰投して着岸したというのに、軽巡洋艦・夕張から提督が、それどころか夕張さえも降りて来ないからだった。恐らく30分以上は経過している。流石に遅い、いくら何でも遅すぎるんじゃないか。もしかすると……艦内で何かアクシデントでもあったのかもしれない。

 

けれども、中にいる司令官である冷泉からの指示が無いから、彼女たちは動くに動けないでいる。しかし、それでも心配だ。気が焦るだけで時間のみが経過していってしまう。

彼女たちの心を占めているのは、半分は軽巡洋艦・夕張の艦内に戦闘による被害が発生したのではないかという心配、そして、もう半分はそれ以外の何か良からぬ事が起こったのではないかという言いようのない不安だった。ただし、夕張には被弾したような形跡もないし、そもそも戦場から一番遠い場所にあったことから、一つ目の心配について、それは考えにくかった。そうすると、もう一つの心配のほう……艦以外のものに何か異変が発生した?

 

まさか!?

 

「あ! ……そういえば」

思わず高雄が声を上げる。急に思い当たったことがあったのだ。

それは、今更といえば今更な話だった。それにしても、あまりにも迂闊だった。……冷泉提督は、大怪我の後遺障害か分からないが、現在、右腕と首から上しか動かせない状態であるのだ。夕張一人では、どう考えたってそんな状態の彼を運んで来られるはずがない。こんな大事な事に誰も思い至らないなんて……。本当にどうかしてた。

 

「確かにそうですね。あまりにも当たり前の事過ぎて、思いもよらなかったです」

高雄が両手で頭をポカポカしながら、反省する。そして、心配そうに彼女を見る艦娘達に対し、今思い出した事を告げる。他の誰もこの事に思い至らなかったらしく、一様に驚きの表情を浮かべ、そして、同時に安堵のため息をついた。

 

ふと高雄は疑問を感じた。……けれど、何でこんな事を忘れてしまっていたのでしょうか? それも、誰もそのことに気づかないなんて。まるで、何かに操られているかのよう。記憶をコントロールされているような……。まさかね。まあ、そんなことはありえないけれど。

「早速、人を呼んで、提督をお迎えに参りましょうかね」

携帯電話で連絡を入れ、電話に出た人に状況を説明していると、遅れて鎮守府に帰投した第二艦隊のうち、駆逐艦娘達だけがやって来た。

 

「高雄さん、どうかしたのですか? 」

と、不知火。かなり厳しい戦いを終えたばかりなのに、彼女からは、ほとんど疲労が感じられない。不知火だけでなく、他の駆逐艦娘みんながそうだ。しかも彼女たちは遠征の帰りという、さらに条件の悪い中で、いきなり最前線に飛び込んで行き、深海棲艦と戦ったのだ。どれほどの勇気、根性、そしてスタミナがあるんだろう。さすが、神通の下、常軌を逸した厳しさと苛烈さを極めた地獄の特訓を遠征の合間、しかも毎日休み無く繰り返す事で練度を限界まで高め、データ比較においては、現日本海軍最強最精鋭の評価を得ているだけの事はあるわね……といそんなことに感心しながら、彼女たちに状況を話す高雄。

 

「私達でも提督を運び出す事はできるけれど、まずは、医師の判断を仰いだほうが良いと言うことですか」

あまり感情の起伏を見せない不知火。

 

「そうなのよ。提督は、ほんの少し前まで意識不明の重体だったのに、もう、無理して戦場に出られたから、まだ、お体は全然万全じゃないと思うの。そんな提督を医学的知識の無い私達が無理矢理運び出して、万一の事があったら大変ですからね」

高雄の説明に皆納得したのか、大きく頷く。

「あれ? あなたたち。ところで神通と大井はどうしたの? 」

 

「大井さんは、神通さんに先ほどの戦闘の件で色々と絡んでましたけど、あまり相手にされなかったようで、最終的には、もう知らない! とか言いながら怒って宿舎に帰られました。神通さんは、なんで大井さんが怒ってるのか理解できてないのか、とても不思議そうな顔をしてましたけど、そんなことよりも提督との面会の前には、こんな汚い姿ではいられない。着替えてくるということで、同じく宿舎に戻られました」

 

「はあ……まったくあの子たちは」

呆れたような顔で秘書艦が嘆く。

「大井は大井で相変わらず協調性が無いし、神通は神通でどこでどう間違ったかしら……。普段は大人しくて本当に聞き分けの良い子なのに、提督が絡むと途端に常識が通じなくなって、人の言うことを聞かなくなるわ、まるで人が変わったように融通が利かなくなるし、言動もおかしくなるし……。おまけに恐ろしいほど頑固になるものね。全く、頭が痛いわ」

 

「大丈夫です。私が思うに、二人とも、とても優秀で素晴らしいし、戦闘においてもとんでもなく強い艦娘です。私達駆逐艦が尊敬でき、信頼できる軽巡洋艦ですよ」

 

「不知火は、そう言うけれどもねえ……」

と、高雄は不審がる。

 

「私も不知火と同じ考えです」

 

「まあ、アタシも同意見だけれども……ね」

村雨や叢雲がまじめな顔で言うものだから、高雄もそれ以上は言えなくなってしまう。彼女たちの中では神通という軽巡洋艦は、とても恐ろしくて厳しい上官であり、それ以上に信頼できる上官であることは分かっているのだけど、やはり、彼女たちも神通を盲信しすぎている感があるので、少し……いえ、かなり不安。

 

そうこうしている内に、数人兵士を率いて女性士官と医師がやってきた。男性兵士達は担架を持っている。

「あ、お疲れさまです」

そう彼らに声をかけると、

「では、艦内に行きましょうか」

高雄を先頭に、夕張艦内へと入っていくこととなる。最後尾には、第二艦隊の駆逐艦娘も続いている。

 

そして、艦橋へ―――。

高雄以下艦娘に鎮守府の女性士官、医師、兵士達が艦橋に上がると、視界に入ってきた光景を見て、彼らは一瞬ではあるが、思考が停止してしまった。特に艦娘の内の何人かは口をあんぐりと開けたまま、完全に制止してしまう。目の前の光景が現実であることを拒否してしまっていたのかもしれない。

 

艦橋内では、スカートが完全にまくれ上がり、下着が丸出し状態となった夕張と、鎮守府司令官である冷泉提督が抱き合うような形になって眠っていたのだった。冷泉は夕張の腰に手を回していたし、夕張は彼の胸に顔をうずめていた。二人は抱き合うようにしか見えない形で、あろうことか眠っていたのだ。

 

空気が一瞬にして凍り付くような感覚を何人かの人々が感じ取った。ゴゴゴゴゴゴ……そんな異様な音さえ聞こえたかもしれない。遥か深淵より何か得体の知れない、想像を絶するものが這い上がってくるかのような重圧感そして恐怖感。

 

「て、提督……。な、何を、してるネ」

金剛の悲鳴にも似た叫びが艦橋内に響く。

 

その声と、殺気にも似た異様な雰囲気を本能的に感じ取ったのか、とっさに意識を取り戻す夕張。けれどその顔は、何故か目を潤ませ頬が赤らんでいる。それは、まるで事後の女のような虚ろな表情でみんなを見る夕張に、皆の心が明らかに苛立つのが感じられた。無意識の行動なのだろうけれど、どう考えても火に油を注ぐような態度でしかない。

彼女は現在の状況を飲み込めていないのだろうか。どうしたの? といった感じでキョロキョロ見回し、やがて自分の状況に気づくと、慌てて捲れ上がったスカートを元に戻すと、恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまう。

 

「最悪だわ。こ、これは、神通さんには見せられない! 」

呻くように呟いた不知火。その声は、何故か震えている。

「神通さんは、まだこっちに来てないわよね。みんな、とにかく、見つけ次第、近づいてきたらすぐにここから引き離して。理由はどうでもいい。いかなる手段を用いても、ここには近づけちゃ駄目。こんなところ見られたら、神通さんがどうなるか分からない。恐ろしいことが起こるわ……だいたいにして私達にね」

第二艦隊駆逐艦娘達が口々に叫び、警戒態勢に入る。冷泉と夕張の事は興味が無くなったかのように大慌てで飛び出していく。

 

しかし、残された艦内では、緊張がピークに達していた。しかし、それでも冷泉は眠ったままだ。みんなに見られていることに気づいた夕張が離れようとすると、無意識のうちに動く右手で抱き寄せる。

「きゃっ」

夕張が何故か嬉しそうに冷泉に抱き寄せられる。そして、抱きしめられる。彼女は、なされるがままにしている。

 

「こぉうんのぅう、提督の浮気者ー! 浮気者」

 

「やっぱりやっぱり、司令官さんは変態だったんですね!! お願い、セクハラやめてください。提督、怖いです、どっか行ってください」

 

「提督! もう、どうして、私にはしてくれなかったのですか、提督! ずっと秘書艦でいたのに、なんで私にはこんなことしてくれなかったんです? チャンスはいくらでもあったはずなのに、もう、悔しい! キイイイイ」

 

「ちょ、ちょっとみんな落ちついて、落ち着きましょうよ、ね? まあ! 金剛。あなた、そんな馬鹿力で提督の体を揺すったら、提督の首がもげちゃうわ。……あらあら、羽黒。提督の体は鉄でできてないのよ。そんな乱暴に足蹴にしたら、しかも爪先で蹴ったら可哀想だわ。こらこら、高雄も秘書艦なんですから、そんなカッカしちゃだめでしょ。グーで殴っちゃダメよ。あなた達、女の子なんですよ。みんな。落ち着きなさい」

 

などなどの会話というか叫びというか、怒号が艦内に響き渡り、収集がつかない。混乱が生じて、冷泉提督は椅子から引きずり下ろされる。なぜだか、殴打する音、踏まれる様な音も聞こえた。扶桑ののんびりとした声だけが異質だ。

「あ、でもこのままじゃ不味いかしら。……そうだ、少し強めに頭を床にぶつけたら、余計な記憶が消えるかもしれないわね。ふふふ、ごめんなさいね、提督」

その後、ゴンという鈍い音。

 

「わはははは、これは提督、恐ろしいほどモテモテですな。せっかく意識を取り戻したのに、また涅槃に言ってしまうかもですな。しかし、何をしてるんですか、あなたは」

艦娘達の剣幕に圧倒されて暫く呆然としていた医師も我に返り、羨ましそうに脳天気な言葉を吐く。

 

「と、とにかく、艦娘のみなさん、落ち着いてください。そんなに乱暴にしないで! 冗談抜きで、冷泉提督が死んでしまいます」

女性士官、提督の副官であろう女性が必死に間に割って入る。

「あなたたちもまずは司令官をお守りしなさい! 」

てきぱきと部下に命令する。

兵士達も修羅場に飲まれてしまって動けずにいたようだが、上官からの命令が下ると我に返り提督と艦娘たちの間に割ってはいると人間の防壁となり彼らの司令官の身を守った。

 

その後、しばらくの間は第一艦隊の艦娘による説教がしばらく続くこととなったが、やっと我に返った夕張が必死になって冷泉の弁護を行ったため、なんとか騒動は収まった。確かに、首から上と右手だけしか動かすことができない提督が、夕張にエッチなことはできないのは間違いない。確かにそうだねーということで、艦娘達は納得したようだ。

ちなみに、その間、犯人である冷泉提督は、気を失ったままだった。ずっと寝たままだったかもしれないし、意識を取り戻したものの、艦娘達に激しい暴行され再び気を失ったのかもしれない。もしかすると、ずっと狸寝入りをしていたのかもしれない。しかし、それは不可能か。ボロぞうきんのようになった冷泉提督の姿を見る限り、あれほどの暴行にうめき声一つあげることなく耐えきるなど、人間には不可能としか思えないからだ。

 

 

そして、作戦司令室。

 

そこには、顔を腫らしてどんよりとした目をした冷泉がいた。

なお、袖が引き裂かれたりして使い物にならなくなった服は着替え直している。

この場にいるのは、秘書艦の高雄、夕張。そして第二艦隊の艦娘達だけだ。他の第一艦隊の艦娘たちは、席を外している。

「えっと、さて、今回の作戦を総括するよ」

左右をきょろきょろと見回し、少し怯え気味に話し始める。まだうまくしゃべれないようだ。

 

「あの、ところで提督。そのお顔は、どうされたんですか? 」

一人だけ状況を把握していない神通が心配そうに問いかける。

ばつの悪そうな顔をする夕張。駆逐艦娘たちの間には緊張が走る。余計なことを言うなよという目で駆逐艦娘達が冷泉を睨む。

しかし、冷泉のとっては何故不知火達が自分を睨んでいるのか理解していない。

目が覚めたらどういう訳か床に横になっていた。そして、何故か金剛が冷泉に跨り、兵士達に両脇を抱えられて引き離されたし。兵士が冷泉を護るように取り囲んでいて、その外側に何故か怒ったような顔をした艦娘達が立っていたし。

おまけに体中が殴られたかのように痛くてしかたなかった。気のせいか両頬が腫れているような気がするし。さっきからズキズキ痛むし。……確かに、戦闘後、意識が遠のいていったことだけは覚えているが、それ以降の記憶は全くない。誤って椅子から転がり落ちたのかもしれない。後頭部にたんこぶが出来ている感じだし。

 

「あ、これ? これはな、戦闘の際の名誉の負傷だよ。わははははは」

誤魔化すしか無い。冷泉は何故か照れくさそうに答える。

 

「そうでしたか。……確かにあれだけ数の敵を相手にした激戦でしたから。それでも、その程度のお怪我で乗り切られるとは流石、提督です」

と納得。

 

「あれで軽い怪我? 敵との戦闘で? はあ? あのね」

叢雲が続けて冷泉に何かを言いかかるが不知火、大井が慌てて彼女の両腕を掴むと、強引に引っ張られて連行されていく。他の艦娘も続く。

 

部屋に残ったのは、神通だけになった。

「他の連中はいなくなってしまったけど、……神通、俺が意識を無くしていた時もお前は他の艦娘とは違い、冷静にいられたんだってな。そして、みんなの動揺を抑えてくれたそうだね。高雄から聞いたよ。……ありがとう」

 

「いえ、褒められる事は何もありません。提督は、どんな時でも常に約束を守られる方。あの時の戦いでもそうでした。提督は、あの状況で私を護って下さり、約束を果たして下さいました。だから、今度も信じていました。ですから、一片の不安もありませんでした。きっと提督は戻って来てくださり、再び指揮を執って下さると」

胸を張って話す彼女の瞳から、何故か涙がこぼれ落ち、それが止まらなくなる。

 

「ど、どうしたんだ、神通」

心配そうな顔で艦娘を見る冷泉。

 

「あ……あれ? な、何でしょう? あ、あれ? どうしたのかしら? 目から涙が出てきて、止まりません」

慌てて涙を拭うが、彼女の瞳から溢れ出す涙は止まることは無かった。おまけに彼女の体がガタガタと震えだし、その震えは膝にまでおよび、まともに立っていられなくなり、そのまましゃがみ込んでしまう。

 

「大丈夫か! 」

身を乗り出そうとするが、体が動かない事に気づく冷泉。

 

「だ、大丈夫です……。提督のお姿を直に見て、提督が戻られたことを知って、私、安心して、体に力が全然入らなくなって急に立っていられなくなって。おかしいですよね、提督なら絶対大丈夫、きっと戻って来る。何も心配いらないって思っていたのに信じていたのに、だけど、こうやって、提督のお姿を見られて、そしたら、安心して……」

彼女の震えは止まらない。

「ど、どうしたんでしょうか、わたし。体が言うことをきかないです」

嗚咽混じりに神通は言う。涙声でもうぐちゃぐちゃだ。

 

冷泉は右手をなんとか操り、車椅子を動かすと彼女側に近づき、何とか彼女の肩に手を置く。本当なら抱きしめてやりたいけれど、右手しか動かないからこれが限界だ。

 

神通は、冷泉の手を両手で包み込むようにそっと握りしめ、頬をよせる。

「絶対に大丈夫だと信じていたはずなのに、私、心のどこかで不安だったんです。もしも、提督が世界からいなくなったら……なんて。そう思ってしまったら、不安で不安で、信じているのに耐えられなくて。どうしようもなくて。すみませんすみません。ごめんなさいごめんなさい」

 

「謝る必要なんてどこにあるんだ? お前は俺のことを本当に心配してくれて、ずっとがましていたんだろう……。よくがんばったね。でも、もう大丈夫だよ。今、俺は、ここにいる。そして、これからもここにいる。ここにいて、お前を、お前達艦娘を護ってみせる」

 

「本当ですか? 信じても構いませんか? 」

潤んだ瞳で彼を見上げる神通。

 

「もちろんだよ……俺を信じろ。俺について来い。俺が護ってやるから」

 

「はい! 」

頷く彼女の髪を優しく撫でてあげると、神通は目を閉じて穏やかな顔になった。

 

神通の状態が落ち着いたのを確認し、ふと顔を上げると、部屋の入口に高雄達が戻って来ていた。

よくは分からないけれど、どうやら、先ほど部屋から出て行った件についての問題は、片づいたらしい。

 

「お前達も今回の戦いはご苦労様だったね」

冷泉は、戻ってきた他の艦娘達にも、それぞれに労いの言葉をかけていった。

 

みんな照れながらも、それなりに嬉しそうにしている。少しだけ批判的な視線を感じたけれど、その原因については冷泉には心当たりが無かったので、多分、彼女たちの疲労から来るもの、気のせいだと納得する。

 

とにかく、みんなお疲れ!

 

 

 

 



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89話

「さてと……」

冷泉は、そこで一呼吸置く。

とりあえず、今回の舞鶴鎮守府近海防衛戦における、艦娘達に対する労えたと思う。

しかし、反省する事ばかりだ。今回の戦いは、結果だけでいえば人類側の勝利となっているが、本当に危なかったなと思う。まさか、冷泉本人が倒れたのを計ったようなタイミングで侵攻してくるなんて……。涅槃に行きかけていた冷泉がたまたま戻ってこられたから良かったものの、もし、冷泉が帰らぬ人となっていたら本当にこの鎮守府は堕ちていたかもしれないのだから。

 

冷泉が不在時の対応について、もう少し練っておく必要があるなと反省するばかりだ。マニュアルでも作成しないといけないか……。

「ところでさ、高雄」

 

「はい、何でしょうか? 提督」

一人だけ残った秘書艦高雄がニッコリと微笑む。他の子達には、戦闘明けであることから、休養を取るよう指示をしている。幸い、あれだけ激しい撃ち合いのあった艦隊戦であったけれど、被弾した艦は無かったので、休養だけで問題は無い。

 

「何だかよく分からないんだけど、ほっぺたが腫れているようにズキズキ痛むし、それにちょっと動くだけで全身に激痛が走るんだ。……特にどこかで打ったわけじゃないんだけど、何でなんだろう? 」

ずっと感じていた違和感を、彼女に何気なく問いかけてみる。

 

「え? いえ、何ででしょうね? えーっと……何か心当たりがありますか? 」

どういう訳か慌てたような話し方をする高雄。

 

「そうだなあ。それが全然思い当たらないんだよな。戦闘を終えて帰ってきたら、お前達が夕張の艦橋まで迎えに来てくれて、そんで司令室に戻って、お前達と話をしてって感じかな」

 

「そ、そうですか! ……では、加賀さんを救出する際の戦いの傷がまだ癒えていないだけでしょうね、多分。……覚えていないんですねぇ、良かった。さすが扶桑さん」

 

「うん? どうかしたのか」

最後の方の言葉は小声になっていたので良く聞こえなかった。

 

「いえいえ、何でもありませんよ。ところで、提督、この後はどうされますか? 」

軽く否定の言葉を返すと、唐突に話を切り替える高雄。

 

「えっと、そうだな」

と言いながらも、予定は決めていた。

「ドッグに行って、島風と加賀の様子を確認したいな」

彼女たちの様子を確認しないわけにはいかない。二人を残したまま、世界の狭間に放り込まれていて、戻ってきてもすぐに戦闘があって、確認ができていなかったが、ずっと気になっていたのだ。彼女たちの治癒状況や、今後の対応を医師(技術者)に確認しておきたかった。

 

「はい、わかりました。では、すぐに迎えに来させますね」

本来なら一人行くつもりなのだけれど、冷泉の体の状況が状況だ。一人で歩くことなどできるはずなく、電動車椅子でなら移動だけなら可能だけれど、いろいろと不具合が生じるし、その度に、兵士達の手を借りるのも面倒だし気を遣ってしまう。そこで、秘書艦である高雄も同行することとなった。

 

ドッグに着くと、高雄は冷泉に問うことなく、進んでいく。島風と加賀、どちらの艦娘の方を先に見舞うかについて、冷泉は何も言っていない。

 

「ちょ、ちょっと待って、高雄」

と、慌てて秘書艦を制止する。

 

「はい、何ですか」

高雄は冷泉に見える場所まで移動してくると、少し俯き加減になり怪訝そうな顔で彼を見る。

 

「誰の病室に行こうしてたんだ? 俺は、何も言ってないけど」

 

「え? 加賀さんの所でしょう? 彼女の怪我は、重傷と行かないまでも結構酷かったですし。……それに、彼女の精神的な面について提督は、ずいぶんと心を痛めていましたからね。加賀さんの状況が気になると思ったんです。だから、そちらへ行くと思ったのですが」

 

「いや、加賀のことも気になるけれど、まずは島風に会いたい。あいつのがんばりが無かったら、加賀を救うことさえできなかったからね。そのために相当無理をさせてしまったはずなんだ。だから、あいつのほうが心配だ。それに、あいつにまずはお礼を言いたいんだよ。よく頑張ったねと褒めてあげたいんだ」

 

「そ、……そうですか」

一瞬だけ、ほんの一瞬だけではあるが、高雄の表情が何故だか曇ったように見えた。けれど、それもすぐに消え、

「そうですね、島風は……彼女にしては珍しく、頑張ってましたからね。先に行って褒めてあげないと、あの子、拗ねちゃいますよね」

そう言って笑った。

 

ノックをして病室に入ると、島風はベッドに横になって、退屈そうに主治医と会話をしていた。しかし、冷泉の姿を見ると瞳を輝かせ、飛び起きた。

 

「提督! 」

五月蠅いくらいの声で冷泉の名を呼ぶ。

「もう入院してるの飽きましたー。ずっと寝てばかりで退屈すぎて死にそうです。ずっとずっと寝てばかりでおかしくなりそうです。でも、先生はまだ駄目だって退院させてくれないんですよー」

ほっぺたを膨らませながら不満を延々と話し続ける。

 

「仕方ないだろう? お前は、加賀を助けるために相当無理をしたんだ。だから、先生が完全に大丈夫って言われるまで休まなきゃだめだぞ」

冷泉は、鎮守府最速を誇る島風とはいえ、加賀を助けるために限界付近の速力で長時間突っ走ったのだから、艦本体にも、そしてそれとリンクしている身体にも相当の負荷がかかっていたのではないかと思っていた。それがどの程度のもどであり、身体にどの程度のダメージがあったのかを心配していた。

 

「はーい」

仕方なさそうに頷く島風。

 

冷泉は彼女の側に車椅子を進めて近づくと、彼女の頭を撫でてやり、ながらねぎらいの言葉をかける。

「島風、よく頑張ったね。お前の力が無かったら、加賀を救えなかったし、俺もどうなっていたかわからない。こうやってお前と再会できたのもお前のおかげだ。ありがとう」

 

「えへへへへ。そんなに褒められると照れますね」

照れながら島風はまんざらでも無さそうだ。そして、

「島風は大丈夫だけど……でも、提督の体は大丈夫なんです? まーた変な顔になってるし。顔がパンパンに腫れ上がって不細工」

と言って、冷泉の顔を見ながら笑う。

 

「体調については万全とは言えないけど、まあなんとかいけそうだよ。あんな酷い怪我をしてたからな。生きているのが不思議なくらいなんだよなあ。だから生きているだけでラッキーと思わないとね」

まともに動かせる部位が少ないけれど、死んでいてもおかしくない状態だったのだから、現状については特に悲観していない。

「けどさ、……戦闘指揮で集中しすぎていたから覚えていないだけなのかもしれないけれど、どうしてこんなに顔が腫れてるか覚えていないんだよな。でも、そんなに俺の顔が腫れているのか?? うーん、おかしいな。戦闘前は、顔が腫れていなかったはずだし、戦闘で夕張に着弾なんて無かったはずだし、どこでどうやったらこんな打撲傷ができるんだろ? 不思議だな……まあ、それはいいか。俺の身体の状況については、このくらいの状況で済んでいるんだからむしろラッキーだと思わないといけない。お前達と再会できたんだから。それに、これもリハビリをすればちっとは、ましになると思うさ」

要介護状態からどれくらい戻すことができるかは不明なのに、妙に自信たっぷりに冷泉が答える。

高雄は、島風との会話中、何故かあたふたして落ち着きがない。何かあったのだろうか?

 

「それよりも提督。……少しお話をしてよろしいですか」

ドッグの島風担当医が何かを言おうとする。

 

「あー、提督提督!! 」

 

「どうした、島風? 」

 

「えっとねえっとね、島風ね、……ちょっと、疲れちゃったんだけど」

さらに割り込むように島風が言葉を挟んでくる。

「何か眠たくなって来ちゃった」

 

「あ、そうか。済まない、ちょっと長居しすぎたか。ごめんごめん」

まるで医師が冷泉に何か言おうとしたのを遮るような気がしたが、まさかと思い冷泉はそれ以上は言わなかった。高雄と話している時に、島風がかなり厳しい表情で医師を睨んでいる姿が視界の隅っこに見え、どうしたのかと思って彼女の方を見ると、どうしたの? といった感じで不思議そうな顔をする島風しかいなかった。

気のせいか。

 

「ええと……」

困ったような顔で医師が高雄を見る。高雄は医師に頷く。それを見て諦めたように医師も納得したようだ。

「分かりました。では、また後で」

そう言うと医師は引き下がる。

 

「じゃあ、また来るからな、島風。ちゃんと休んでおくんだぞ」

 

「はーい」

そう言うと、笑顔を見せて冷泉達が部屋を出送るのを見送ってくれた。

 






今回、夜にもう一回投稿予定です。


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90話

続いて、加賀の病室へと向かうことになる。

 

ところが、彼女はまだ病室にはおらず、地下の治療施設で治療中とのことだった。

 

「ということは、まだ治療中と言うことなのかな」

 

「ですが、今日の午前中には一般病棟に移送される事になっています。もしかしたら、手続きの遅れが出ているだけかもしれません。どうされます? 次回にしますか? 」

 

「いや、せっかく来たんだ。空振りでも構わない。加賀に会っておきたい」

ということで、地下へとエレベータで下りていく。

 

治療室の扉が開く

「冷泉提督を確認しました。ドアを開けますが、申し訳ありませんが、少し外でお待ち下さい……」

と、インターホンから声がしているが、後ろから車椅子をぐいぐい押され、否応なく部屋の中へと入っていく。

 

前に来たときは薄暗かった部屋が今は照度が上げられ、わりと明るくなっている。中の様子もよく分かる。培養槽も液体が抜き取られていて、空っぽになっていた。

「あれ、加賀はどこに……」

と、言いながら部屋を見回すと、壁際に白い物体を確認した。

そして、すぐにそれが何かに気づき、刹那、思考が停止した。見ちゃいけないと思うのに、瞳を逸らすことができず、固定されてしまう。

 

そこにいたのは、加賀だった。

培養槽から出されたすぐだったようで、何一つ身に纏っていない彼女が無防備な状態で立っていた。

 

サイドテールを解いてしっとり濡れた髪、青白い光に照らされ妖艶な裸体に、冷泉は思わず見とれてしまった。

 

それは、神秘的なものを見てしまったようで……。瞳を奪われてしまった。

 

加賀は加賀で、一瞬、この場で何事が起こったのか理解できないでいたようで、硬直したまま無表情のまま冷泉を見つめていた。冷泉がそこにいることが認識できていないかのようにも見えた。そして、少しの間をおき、前に立つ存在が冷泉提督ある事を認識した加賀は、ほんの一瞬だけ動揺したような顔をしたが、ゆっくりと後ろを向き、医師よりタオルを受け取り、それを身体に巻き付ける。その作業が完了すると、振り返る。その時にはいつもの気の強そうな瞳を取り戻していて、キっと冷泉を睨む。

 

冷泉は、動揺した。動揺するしかなかった。

どう贔屓目に見たとしても、加賀は怒っているようにしか見えなかったからだ。いきなり部屋に入ってきて、裸の姿を見られたのだから当然なんだけれども。

 

けれど、正直なところ、あれ? という思いもあった。彼女は、恥ずかしがる素振りを見せないどころか、冷泉を責めるような目をしていた。赤城は、確か加賀は冷泉にベタぼれとか言ってたはずなのだが、彼女の態度からは、その可能性は見いだせなかった。どう見ても、あの視線は、変質者に向けたものであり、好意を寄せる人を見る目では無い。

 

「ふん。提督、あなた、私の裸なんかをわざわざ覗きに来たのかしら? 全く、分かってはいましたが相変わらずの変態っぷりですね」

最初の言葉がそれかよ。冷泉の死に嘆き悲しんでいたんじゃないのか。冷泉は言いそうになるが、ぐっと言葉を飲み込む。

「わわわわ、わざとじゃ無いんだ、信じてくれ」

情けないけど、そう言って弁解するしかない。

 

「私の裸なんて見なく来なくても、鎮守府には、たくさん可愛い艦娘がいるでしょう? おまけに物好きなことにあなたに好意を持っている子たちが。そんな子たちを見に行けばいいでしょうに」

どういう訳か、拗ねたような喋り方。まるで嫉妬してるみたいな感じ。

 

「あのなあ……。まあいいや。理由はどうあれ、この件については、謝る。ごめん、わざとじゃないけど、見てしまった。えっと、恥ずかしい思いをさせてすまない」

 

「その件については特に何も思うところはないわ。上官が裸を見たいといえば、それくらい耐える忍耐は持っていますから」

そう言いながらも、言葉は刺々しい。

 

圧倒されるが何とか堪え、一呼吸置くと、冷泉は言葉を続ける。

「今日は、お前のお見舞いに来たんだよ。ずっと気になっていたんだ。体調はどうだ? ……怪我は大丈夫か? 」

 

「私はご覧のように大丈夫です。けれど、大丈夫どうかは、むしろ、こちらの台詞です。私の事を気にかけてくれるのはありがたいですが、もう二度とあんな馬鹿な真似はしないでください。鎮守府司令官という立場を弁えてください。たかが艦娘一人のために、あなたはあまりにも軽率でした。あなたに、もしもの事があったら、この鎮守府はどうするというのですか」

 

「俺のことは、まあ、無事だから良かったじゃん」

加賀個人の事を聞いたのに、鎮守府の為にとか組織の一員としての意見を言ってこられ、なんだか不満な冷泉。

 

「全然、無事に見えません。見たところ、体はまともに動かせない状態じゃありませんか。そんな状態で、どうやって指揮を執るというのです? こんな所に来ている時間があるのなら、今すぐに治療に専念するべきです。……それと、おまけに顔が何て酷い有様ですか。前から決して美形とは言えませんでしたけど、今はもっと不細工になっているじゃありませんか」

 

「う……。顔はちょっとした事故なんだよなあ。もっとも、どうしてこうなったのかは記憶にないんだけど。それと、お前の言うように体の方は今は動かない部分が多いけど、リハビリをやれば、たぶん、大丈夫だよ」

 

「そんな簡単に言って……。もし、動かないままだったら、どうするというのですか」

その時、なんだか辛そうな顔を加賀は見せる。

 

「大丈夫さ。さっき、深海棲艦と交戦してきたけど、別に作戦指揮には影響なかったからな。まあ、いろいろと不自由はあるかもしれないけど、どうにかなるでしょどうにか」

他人事のように簡単に答える。軽く言うのは加賀が今回の事で責任を感じているのなら、それをできるだけ取り除いてやりたいという思いもあったからだ。

 

「どうにかなるわけないわ。右手しか動かないなんて、まともに日常生活が送れないでしょう。一人で生活できない人が、艦隊司令官という重大な職責を果たせるとは思えません。そもそも、誰があなたの面倒を見てくれるというのですか? みんなそれぞれが自分の事で精一杯なくらい忙しいのですよ」

 

「安心しろよ。まあ、俺は鎮守府司令官だからね。とにもかくにも結構な権限はあるから、命令すればどうにかなるんじゃないかなあ。業務命令を出せば、誰かが世話してくれるかもしれないし、一応、公務災害だから費用も出るから、人を雇うって手もあるしね」

 

「はいはーい! 提督、提督のお世話でしたら、秘書艦である私、高雄がしますよ」

黙って話しを聞いていた高雄が、キリっと宣言する。

 

「それは認めません。私の責任で提督は怪我をし、体が不自由になってしまったのです。わたしが提督のお世話をするのが、原因者である私の責任の取り方だと思います」

 

「なにー! 」

突然の宣言に、高雄がぷりぷりしだす。

「ダメダメ駄目なのでーす。加賀さん、駄目です。提督のお世話は、秘書艦の私がするのです。これは、絶対なのです。これは譲れません。だいたい、今までいつもいつも、誰かに先を越されてばかりで、私は貧乏くじばかり引かされてるんです。ここでがんばらないと駄目なの。負けちゃ駄目よ。ここで踏ん張らないとジリ貧になるわ。勇気を出して。がんばれがんばれ! た・か・お」とぶつぶつ独り言を念仏のように唱える高雄。

 

「あ、そういや、秘書艦も交替だったよな。たまたま深海棲艦が攻めて来たから、交替のタイミングを逸してしまっていたけど」

思い出したように冷泉が話す。

 

「はっ! ぐぬぬ。そうでした……私としたことが迂闊でした。こんな事があるなんて、なんて運命の悪戯なんでしょうか」

高雄がそのまま燃え尽きたように床に跪いていく。

冷泉は彼女が本気で悔しがっているのが分かるので、彼女にかける言葉が出てこなかった。とりあえずは、加賀との話に集中した方が良さそうだと判断する。

 

「ってことで、予定通り、秘書艦は、加賀にお願いするよ」

だいぶ前から決まっていた事をここに宣言する。ゴタゴタで直接は伝えられていないが、そのことについては、加賀も知っている事実である。

 

「……ご命令でしたら、仕方ありません。よって、ただ今より、私は冷泉提督の秘書艦となりました。高雄さん、これで提督のお世話を私がする件について、異論はありませんね? 」

 

「仕方ありませんです。ありませーん。うえーんうえーん。加賀さん……提督を、提督よろしくお願いします。んんんんー、また取られちゃった。どうしてこんなにうまくいかないのかしら。もう! 」

後半はほとんど愚痴になっていたものの、高雄も同意するしかなかったようだ。さっきまで秘書艦が提督の世話をするのだと騒いでいたから、今更否定もできず、仕方なく引き下がるしかない。

 

「よし。すまないけど、よろしく頼むね。それからなんだけど、じゃあ……早速、秘書艦である加賀、お前に命じることがあるんだ。聞いてくれるかな」

 

「はい。ご命令とあれば、仕方ありません」

淡々と答える加賀。その表情からは何の感情も読み取れない。けれど、仕方ないっていうのはどうかなと思うが、今から言う事を思うと、指摘するわけにもいかない。高雄もこの件については、知らないので何を言うのか注視してくる。

 

「秘書艦であるお前は、俺と共に横須賀鎮守府へ赴くことになっている。高雄からの業務引継および、出立の準備を急いでくれ」

 

「横須賀? 鎮守府? ええと、本当ですか、提督? 加賀さんは、前まであそこにいて……あっ」

しまったといった感じで、慌てて高雄が口を押さえる。

 

「提督、その件、お断りします。私と横須賀鎮守府の事は、提督もご存じでしょう。そんな状態なのに、私が行けるわけ無いです」

速攻で返事を返す加賀。それは明確で断固たる態度だった。

 

「それは認めない。お前は、体の不自由な俺の面倒を見るのが責任の取り方だって言っただろ? だったら、どっちにしても俺は横須賀に行かなきゃならないんだから、一緒について来ないと駄目だろう。行きたくないのは勝手だけど、俺はどうやって生活したらいいんだろうね。ほとんど動けないのに、出張で泊まりなんて困ったなあ。……それから、まさかとは思うけど、一度宣言した事を私的な理由で撤回するなんて事、正規空母の加賀がするとは思えないんだけど、どうだろう? それに、お前には俺に対する責任を取ってもらわないといけない。逃げるなんて事をするような艦娘はいないだろうし、それがあの一航戦の空母がするとは思えないもんな。お前の恥は一航戦の恥にもなるからなあ。それでも、あらゆる非難を覚悟で拒否するというのなら、そこまで言うなら俺もお前の意見を尊重せざるを得ないけれども、どうする? 」

答えは見えていた。

 

「ぐぬぬぬ、なんと卑怯な。わ、わかりました。赤城さんが護ってきた一航戦の誇りを汚す訳にはいかないわ。あなたの命令に従いましょう。ですが、教えて下さい……一体、何の為に横須賀に行かなければならないのですか? 」

 

「実は、招待状が届いているんだ。招待といっても、業務命令だから、余程の理由がなければ拒否はできないんだけどね」

そういって、一通の封筒を取り出す。

 

「それは何でしょう? 」

 

「私も興味あります。提督が横須賀に行く理由は何ですか? まーた艦娘を物色に行くなんてことないですよね。それだったら断固阻止です」

高雄までが前のめりで聞いてくる。

 

「横須賀鎮守府での戦艦大和と武蔵の進水式があるんだよ。軍幹部や政府のお偉い方なんかが集まって、艦娘の大和と武蔵のお披露目式もあるわけだ。どうも、今回は特別らしいな。相当に上の方も出席されるらしい。その関係で、全鎮守府の司令官までも招集されたって訳なんだ」

 

 



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第六章 戦艦 長門編
第91話 舞鶴から横須賀へ


舞鶴鎮守府司令官・冷泉朝陽とその秘書艦である正規空母加賀の横須賀鎮守府への旅は、鉄道により移動することとなっていた。

舞鶴から横須賀までは相当な距離があることから、冷泉のかつて世界での感覚から空路で行くものだと思い込んでいた。しかし、その考えはあっさりと否定されてしまう。理由を聞いてそれなりに納得はした。

現在の日本国の空は、深海棲艦勢力が完全に制圧しており、不用意に航空機を飛ばすような事があれば、即、敵の防空網に引っかかり、対空ミサイルによる攻撃を受けることになるらしい。もちろんそれだけでなく、敵による電子的な妨害も常時行われていて、その影響で電子機器に異常が発生し普通に飛行機を飛ばすことさえ困難になっているとの事だった。このような事情のため、現在は航空機を飛ばすことは無くなり、移動については、すべて陸路によることとなっている。

空域においては、領域と同じような何らかの電子的ジャミングがなされているということなのだと理解している。ゆえに飛べるのは、戦前に存在していたような航空機のみという事だ。そんな航空機など、最新の防空システムにかかれば、どういうことになるか考えるまでもなかった。

 

また、移動手段である鉄道といっても電車では無く、ディーゼル機関車となっている。

 

日本は、電力不足も深刻だ。深海棲艦勢力の当初の侵攻時において、一部の発電所と送電関係が破壊され、日本国は総じて慢性的な電力不足状態が続いている。最低限の復旧は行われているものの、その進捗は必要最低限電力すら確保できていない状態であり、軍事基地等の高順位施設以外は頻繁に計画停電を行っている。

 

移動経路についても問題がある。かつての東海道本線は、人類側の内紛による近畿三都市(大阪、京都、神戸)壊滅により完全に寸断されて使用不可能となっている。こちらについては復旧は完全に放棄された状態である。このため、移動は、舞鶴からは日本海ルートを使うこととなる。

小浜線を使用して敦賀駅で切りかえ、北陸本線により米原駅まで行き、やっと東海道本線へと乗り換えることとなる。そして、大船駅で横須賀線に乗り換え、横須賀鎮守府へとたどり着くという旅程であった。

 

悪条件はさらに続き、冷泉達が乗る列車は貨客輸送専用の車両ではなく、普段は貨物列車として使用されているものに貨客用車両を接続しただけのものとなっている。当然ながら、移動は大量の貨物も一緒だ。いや、メインは貨物となる。つまり、この世界においては、長距離の貨客専用列車は無くなっており、物資輸送手段の主役となっている鉄道輸送のおまけで乗せてもらう状態なのだ。

 

提督用の車両及び警備車両を入れて3両。外観はコンテナのようなデザインに偽装され貧相な外観となっているが、もちろん警備の関係もあり、通常の車両とは異なり防御力は戦車以上となっている。さらに内装は鎮守府司令官車両ということで割と広々としており、豪華といえば豪華な車両となっている。だから見た目とは異なって貧相なわけではないのだ。むしろ立派なくらいである。

けれども、その車両の中を見た加賀は、不満が相当にあったようだ。部屋を見てすぐに不平を言い出した。

 

「ねえ提督、これは陸軍の私達に対する何の嫌がらせでしょうか? どうしてベッドが一つしかないのでしょう? 」

3両の内、2両は警備担当の兵士達が乗り込んでおり、その2両の車両に挟まれた形で残りの1両が提督専用車両となっていた。車両はリビングスペースと寝室があり、独立したシャワー室とトイレがあったが、スペースの関係からどういうわけかベッドは一つしかなくダブルベッドとなっていた。他の車両は兵士達の待機室及び宿泊設備があるため、そこは男ばかりとなる。当然、加賀が寝る場所はない。つまり、冷泉と同じ車両でかつ、同じベッドで旅をすることとなる現実に不満があると言うわけだ。

加賀が陸軍の嫌がらせか! と言った理由は、鎮守府の外周警備もそうであるが、要人警護を含めた警備業務については、どういうわけか海軍の兵士ではなく陸軍兵士が行っているためだ。もともと海軍と陸軍はそれほど仲が良くない。さらに陸軍の中には艦娘に対する批判勢力も多いと聞いている。それら負の感情が嫌がらせをするのではないかと疑っている訳である。

 

「それは俺に聞かれても、分からないよな」

と、答えるしかない。多分、陸軍兵士達には悪気は無いと思う。車椅子で動くしかない冷泉のために、通路スペースを確保するためにはどうしてもそうなってしまったのだろうと想像はできる。けれど、何か配慮できなかったものだろうかと思うが、こればかりはどうしようもない。

「まあ、加賀は俺の世話をすることになっているから、仕方ないよね」

そう言うと、加賀は黙ったままで恨めしそうな顔で冷泉を睨んだ。だいぶ頭に来ているのに、その怒りをぶつける先が無く、悶々としている彼女の姿がなんだかいじらしい。

 

横須賀鎮守府までは、移動だけでも20時間程度必要らしい。ただし、途中貨物を積んだり下ろしたりするので、時間はもっと必要で、結局のところ丸々二日かかるとのことだった。

警備の関係もあるため、食事は途中の荷物の積み卸しを行う駅にある食堂を利用することとなる。ソースカツ丼、鱒寿し、鰻丼などを食べることができた。

 

久しぶりの鎮守府以外の戦地ではない土地なのでいろいろ興味が沸くが、車椅子では移動もままならない。冷泉の負傷は自らの責任ということで、加賀は冷泉の世話をしてくれているし、頼めば文句を言いながらも車椅子を押して連れて行ってはくれた。もちろん、警備の関係もあり、途中停車の駅での自由行動はかなり制限されていたものの、駅構内の移動ま認められていたため、あちこちを散策した。停車駅の知識はまるでなかったけれども、おそらくは深海棲艦が来る前は賑わっていたであろう雰囲気だけは感じることができた。

 

後の楽しみと言えば、せいぜい、車窓からの風景……とは言ってもコンテナに偽装した車両にきちんとした窓などなく、申し訳程度に作られた隙間のような窓から景色を眺めるしかなかった。それでも、こちらに来るまでの世界でも訪れたことのない風景を少しだけ楽しむことができて、冷泉は満足だった。

 

横須賀までの移動は特にトラブルも無く、至って平穏なものであったが、ちょっとした出来事があった。

 

それは移動途中の山の中。

視界の中で光るものを冷泉は、感じたのだ。すでに夜であるため、そこがどのあたりなのかはよく分からない。ただ、その光点に意識を集中すると文字がポップアップする感覚。これは戦場では発現した冷泉の謎の特殊能力であろうことだけは想像できたが、戦闘中でもないこんなときにも確認できるとは、嬉しいような迷惑な感じだ。

加賀に命じて地図を取り出させ、現在位置のおおよその場所を確認する。山間の盆地の特に何も無さそうなところで「夕立改二」「如月改二」「初春改二」の存在を確認する。

 

「なあ、加賀? 」

 

「何でしょうか」

机を挟んで反対側に座る加賀は、少しだけ鬱陶しそうな表情を浮かべる。ちょっと疲れているのだろうか。

 

「このあたりに、艦娘用のドッグとかってあるのか? 」

 

「は? こんな山の中にドッグなんてあるわけないででしょう。そもそも運河なんてないですから、どうやってこんな所まで艦を運ぶというの」

と、少し馬鹿にしたような視線を送ってくる。

 

「けどさ、夕立、如月、初春がこのあたりにいるみたいなんだけど」

 

「……その子達は、改二になっている子たちね。確か、彼女たちは深海棲艦との戦闘で大破し、艦は沈没したと聞いているわ。幸いな事に艦娘本体は救助され、現在はその艦の修復……いえ、新しく建造するからちょっと意味合いが異なるかしらね。ということで、我々の主たちのいる第二帝都東京へ移送されているはずなのだけれど」

冷泉が艦娘の場所を把握できるのかという事については、何の疑問も挟むことなく加賀が答える。

 

「艦本体が沈んでも、艦娘は助かる事もあるんだ」

ゲームでは轟沈すれば、艦娘は最後の言葉を提督に残し深い海の底へと沈んでいった。それは完全な消失であり、死と同義だった。何度か不注意で艦娘を轟沈させ、ショックを受けたものだ。けれど現実世界においては、この世界では艦と艦娘は別々の存在だから、艦が沈んでも艦娘を救助できれば助かるということなのか。

ゲームと現実の違いは、ここにもあるというわけなのか。

 

「当然よ。どちらかが破壊されても、その影響がもう一方に行くというわけでは無いわ。ただ、艦の方が被弾した際に、衣服が破れるような事がどういう理屈でかは分からないけれど、発生したりするけれどね。それはともかく、艦娘が生きていれば、艦を新規に建造してリンクさせることができれば、再び戦場に戻ることができる。艦娘が艦の心臓部ですからね。逆に艦娘が死亡してしまえば、いくら艦が無事であってももう使い物にならないのだけれど」

 

「そうか……。だったらいかなる手段を用いても、お前達艦娘だけは救助しなければならないな。そうすれば、命だけは助ける事ができるんだから」

冷泉は少しだけ安心する。なぜなら、たとえ海戦において艦娘が轟沈しようとも、彼女たちだけでも救出できれば、復活させることができるということを知ったからだ。それが事実であるならば、絶体絶命という事態に陥ったとしても、艦娘だけを救助すれば最悪の事態だけは避けられるということだからだ。今までは艦本体も守らなければならないと思っていたのだから、それはすごい進展だといえる。

 

「ふふ……。あなたらしい考え方ね。けれど、あなたが考えるような事にはならないの」

少しだけ笑って見せた加賀が、まじめな顔になる。

 

「それはどういうことなんだ?? 」

 

「沈んでしまった軍艦を建造するのに、どれだけの資材が必要になるか考えた事があるかしら? 」

 

「けれど、それで復活させられるのなら、安い物だろう? 」

 

「新造するのと、艦娘に合わせて建造しなおすのとではコストが大幅に異なるの。もちろん、艦娘がいないと艦を作っても意味はないのだけれど、レベルに応じてその費用が高くなるのは想像できるかしら。そして、改、改二となった艦を復活させるには更に膨大な資材が必要となるのよ。それは、新造することを遙かに超える資材が必要となるわ。場合によっては数隻分の資材がね……。轟沈した艦にそんな費用を持ち出す価値がなければ、いっそのこと放棄して、もちろん配備されるかは別として、新造艦娘を要求したほうが良い場合もあるわけ。たとえば今あなたが見つけたらしい駆逐艦娘達はみんな改二よね。彼女たちの軍艦部分を建造するためには、おそらく、戦艦なみの資材が必要だと思うわ。そんな資材を使うのなら、新たに戦艦や空母の建造に使ったほうがいいって考えるのが普通の提督じゃないかしら」

 

「そんな……。せっかく助かるのに見捨てるというのか。お前達の存在は、効率だけで計るものじゃない。資材の大小で決められるわけ無い」

思わず声を荒げてしまう。

 

「落ち着いて。勿論、見捨てるわけじゃないわ。そうなった艦娘は、解放された艦娘は元いた世界に戻るだけだと私は聞いているわ。人間の為に戦う必要の無い世界に戻れるの。それはそれで、艦娘達にとっては幸せなんじゃないかしら。少なくとも、私はそう思う」

やっと戦いから解放された艦娘を無理矢理、それも相当な資材を使用して再び戦場へと追い立てるのがいいのか、それとも、せっかく生き残った彼女たちを戦いの無い世界に戻してあげるのがいいのか。確かにそれは考えるまでもない事といえる。

 

加賀と話している間に、初春の反応が次第に弱まり、やがて消失した。どうしたことかと思い、他の艦娘に意識を向ける。如月の光も弱々しい。夕立だけが明るい反応を示している。その光が何を意味するのかはよく分からない。考えているうちに列車は移動していき、その光もどんどんと遠のいて行き、やがて見えなくなった

 

何か気になる。……何かの機会にでもあのあたりに行って見る必要があるな、そう冷泉は思った。

 

その後は、これといった変化は無かった。

冷泉は首より上と右腕しか動かない訳で、風呂はどうしたのとか、トイレはどうしたのかという疑問はあるが、こちらについてはなんとかなった。

二泊三日の旅だったが、列車を降りる時には、髪がボサボサだったり、顔が油まみれだったり、軍服がシワだらけなんて事は無く、きちんと身なりを整えていたということだ。

「提督が汚い格好でいたら、舞鶴鎮守府そのものが下に見られてしまいます。提督の恥は鎮守府の恥。そんなことは秘書艦として、絶対に許されませんから」

そういって加賀が自分を必至で説得していた姿が思い浮かび、思わず笑いそうになった。少し前までいた勤務地に帰ってきた時、連れの冷泉が顔はテカテカ、髪はボサボサ、強烈な体臭で、だらしない格好をしていたら、それは加賀にとっても恥ずかしいだろう。知り合いばかりの筈の鎮守府で、そんな醜態は見せられないだろうな。

 

「なんでしょうか? 」

キッとした顔でこちらを見る加賀に、必至にこみ上げる笑いを堪え真顔を作るしかなかった。それでも加賀は睨んだままなので、無理矢理話題を変えようとする。

 

「ところでさ、ずっと気になっていたんだけど」

 

「何でしょうか? 」

 

「汽車に乗った時から思ってたんだけど、お前、ネックレスみたいなものを付けているよね。いつもは付けていないのに、どうしたんだ」

 

「これですか……。提督は知らないのね」

そう言って、加賀は身につけたシルバーのチェーン型のネックレスを触る。

「これは、お守りのような物よ」

 

「お守り? 誰かに貰った大切な物なのかな」

少しだけ心がざわつく冷泉。

 

「そうね、大切なものよ。これは私を護るというより、人間を護る物といっていいかしら。そして私に対する枷のようなものね」

なんだか意味深な言い回しをする。

「提督、もし私が何者かに誘拐されたりしたらどうなると思うかしら? 」

 

「突然、難しい質問をするなあ。……お前が誘拐されたら、か。そうだな、正規空母であるお前が攫われたら、大事だろうな。人類では勝ち目のない敵と戦う貴重な戦力でもあるからな」

 

「そうね。そして、それが他の者に渡った場合、驚異となる。それは、あなたにも分かるわよね」

 

「もちろん分かるけれど。強力な戦力が逆に敵になるってわけだからな」

 

「それを防ぐためにはどうしたらいいかしら? 」

 

「そうか、それは発信器ってことだな。それがあればお前を追尾して拉致者を強襲すれば救出できる」

冷泉の答えに加賀は首を横に振る。

 

「そんなまどろっこしい事をするはずが無いわ。チェーンを切ればおしまいだし、仮に私が望んで敵勢力に寝返るということも考えなければならないでしょう? 」

寂しそうな悲しそうな瞳で冷泉を見る。

「これは、私たちの枷。もし敵に拉致された場合、このチェーンを切っても、それから規定ルートを一定距離離れた場合にも作用するの。……もう分かったでしょう。これは爆弾です。私達を敵に渡さないための、そして私達を逃がさないための。2キロ四方にある敵を含めたすべてを巻き込んで破壊する……ね」

 

「そ……そんな事って」

冷泉は言葉を失い、目の前の艦娘を見つめるしかなかった。

 

 

 

 



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第92話 長門と加賀

しばらくの間、冷泉は加賀にかける言葉が浮かばず、黙っていることしかできなかった。

人間の艦娘に対する仕打ちに冷泉は怒り、苛立ち、けれど何もできない自分に対し歯がゆい想いを抱えて悶々とするしかなかった。

 

こんな事は間違っていると思っても、それに対する解決策は浮かぶこともなく、そして、どうすることもできないことは分かっていた。解っているから腹が立った。

「すまない……」

呻くように呟くだけだった。

 

そんな想いを抱えていても、それでも時間だけは刻々と進むしかない。やがて、目的地が近づいて来たアナウンスが流れて来た。

 

車窓から見える横須賀鎮守府近辺の町並みは、舞鶴と比べるまでもなく、遙かに賑わっている。これは冷泉のいた世界との比較においても違和感は無い。

舞鶴市と横須賀市だからね。

 

列車は、鎮守府へのゲート手前に設置された駅に一端停車する。

大勢の兵士がやってきて、列車の外周り及び車内、積荷等のチェックを慌ただしく始める。冷泉の列車に同行していた警備担当の陸軍兵士ともいろいろと引き継ぎを行っているようだ。それが終了すると、やっと鎮守府内部へと列車が進んでいく。

 

横須賀鎮守府敷地内に設置された駅へ到着する頃には、すでに陽が傾いていた。

 

冷泉は加賀に車椅子を押されながら車両から降りた。すぐに駅に来た迎えの兵士達に誘導され、鎮守府内の施設へと進んでいくこととなる。そこで今回の式典が行われる予定だ。

旅行に持ってきた荷物は、兵士達が宿泊施設へと運んでくれるらしい。当然と言えば当然なのだけど、日本海軍少将の役職であり、鎮守府司令官だけに待遇も悪くない。少し照れくさいけれども。

 

横須賀鎮守府の施設は、あらゆる点で舞鶴鎮守府より大きく、港内にも照明が煌々とともされている。整備員たちがこの時間でも大勢外に出て、弾薬等の積み込み等いろいろとこの時間でも作業をしているようだ。まさに活気ある軍港って感じだ。

数多くの軍艦が係留されているのが見える。

 

かつては、自衛隊の横須賀基地や在日米海軍司令部、極東海軍施設部隊があったが、深海棲艦への米軍の敵対行動に対する報復攻撃を受け、基地は壊滅的打撃を受けた。その際には、民間人も含め多数の死者が出ている。その後、日本国による、というより艦娘勢力の援助による復興作業により、現在は日本海軍横須賀鎮守府の施設敷地として使用されている。このような事情もあり、当初から横須賀は舞鶴と比して規模も大きくなっているわけだ。もちろん、その後の戦いで横須賀の重要性が高まった事、戦果が圧倒的だったことから兵力も集中されるようになった等の原因もあるのであるが。

 

すでに式典会場らしき場所周辺は、電飾等で華やかに飾られ、式典準備は整っているようだ。ちなみに明日が進水式で、今日はその前夜ということで晩餐会が開催される。招待客らしい多くの人々が会場付近に集まっている。そこには軍関係者だけでなく、テレビ等で見たことのある与党議員や野党議員や政府高官の姿も散見される。よく見ると、芸能人らしい者もいるようだ。芸能人については、冷泉がいた世界と変わらないらしく、テレビで観た人たちが確認できた。

当然ながら、艦娘達も集まって来ている。横須賀鎮守府所属の艦娘だけでなく、加賀のように今回の進水式に招待された各鎮守府の秘書艦もいる。

 

そして、人並みの中央に立っている軍服姿の男が、横須賀鎮守府の提督だ。

横須賀鎮守府司令官、生田寛二朗。

人好きのする笑顔で来賓に対応している。皆、彼の話の虜になっているのか、真剣に彼の話を聞いているようだ。側に控える髪の長い秘書艦らしい艦娘を見ているだけでよく分かる。明らかに彼を尊敬している眼差しでその姿を見ているのが端からも解る。

 

何気なく自分の背後に目をやると、憮然とした表情で「なんでしょうか? 」と何故か睨んでくる加賀の姿があり、思わずに苦笑いをしてしまう。彼女の冷泉に対する態度には、お世辞にも司令官に対する尊敬といった感情が含まれていないように思われ、冷泉は少し寂しい気分になる。横須賀鎮守府の提督に対する秘書艦のような尊敬の眼差しを彼女から貰える日なんて来るんだろうか? と絶望する。

どうやら現在、ここにいることが加賀にとっては、かなりの不満らしい。悪気があって連れてきたわけでなく、冷泉なりに気を遣っての同行だったのだけれど、彼の意思はうまく伝わっていないらしい。

 

「しかし、横須賀鎮守府は規模が大きいよな。おまけにその施設の充実度は羨ましく感じてしまう。……うちとくらべたら広さなら倍の大きさかな。施設においては数段上だな」

 

「ふん、当然です。艦娘の数がそもそも違うのよ。戦艦や空母の数に至っては、あり得ないくらいの差があるのよ。それらを収容する施設が必要なのだから、大きくなるし施設も充実してくるのは必然の事でしょう」

 

「うちもここに負けないようにしないといけないよなあ。俺もがんばらないとな」

 

「はい? ここと張り合おうとするなんて、あなた、10年早いのではないかしら。一度真剣に聞きたかったのだけれど、あなたは、本当に自分の業績を冷静に分析しているの? 」

 

「も、……もちろんさ」

少しどもりながら返事をする冷泉。自慢できるほどの成果は上げられていないことなど、当然ながら承知している。

 

「ふ。それなりに理解はしているようね。もっともっとがんばらないとダメでしょうね。私達は本当に一生懸命がんばって戦果を重ねて上に私達力を認めさせ、横須賀の必要性を訴え続けたおかげで、様々な要求を認めさせてここまでの戦力を整えるようになったのだから。今の舞鶴程度の戦果では、このレベルに達するにはまだまだ時間がかかるでしょうね。あの頃は必死だったわ……とても大変だったけど、充実していた」

少しだけ誇らしげに加賀が語る。その瞳はどこか遠くを見ているかのようだ。

 

「へえ。加賀も一生懸命がんばってたんだな」

 

「ええ、もちろんです! あの頃は、みんなが一つの目標の為に一緒になって……」

冷泉に見られているのに気づいた加賀は、少しだけ慌てたような表情をし、急に言葉を止める。

 

「どうしたんだ、加賀。もっと聞かせてくれよ」

 

「なんでもありません。すべて済んだ事ですから、今更話す必要はありません」

少しっだけ頬を赤らめながら、答える。

「そんな昔の事なんて、あなたには全く関係の無いこと。どうでもいいでしょう」

どうやら、熱く語ってしまった事を恥ずかしがっているようだ。プイと横を向く。その姿が普段の彼女からは想像できない姿だったので、少しいじらしく感じ、思わず笑ってしまう。

 

「何がおかしいのですか」

と、真顔で聞いてくる。

 

「いやいや、お前が話したくないなら、別に構わないよ。……それは置いておいて、俺はここに来るのが初めてなんだ。だから、横須賀鎮守府の事を教えてくれないかな」

冷泉は話題をあえて変更する。少し怪訝な顔をした加賀だけれど、

「分かりました。……そうですね」

と、冷泉の車椅子を押しながら、加賀がいろいろと横須賀鎮守府についての説明をしてくれた。

 

鎮守府近辺の観光名所や鎮守府の中にあるおいしいお店の事、彼女たちが住んでいた寮の事。舞鶴鎮守府との施設の整備具合の違いや、艦娘に対する態度のそれぞれの鎮守府の兵士の態度の違いなど。どうやら、うちの兵士たちの方が遠慮がちらしい。加賀の話に相づちを打ったり、時折茶々を入れて彼女をむっとさせたり……。端から見たら結構楽しそうに見えたんだろう。

加賀に気づいた艦娘達が、驚いたような表情でこちらを注目し、それに気づいた加賀が彼女たちの方を見ると、慌てたように目を逸らして、そそくさとどこかに歩き去ってしまう。彼女たちにとって、元気そうにしている加賀が不思議であり、本来なら声をかけるべき所なのにそれ以上の踏み込んだ行動をしていいものかわるいものか判断つかない宙ぶらりんな状態でいるのがよく分かる。

それを見ただけで、かつて加賀がどういう状況に置かれていたかが推察できた。

 

「ふふふ……見ての通りです。ここでの私がどういう状況だったか、あなたにも分かるかしら? 浮いた存在だったって事が。……なのに、無理矢理こんな所にに連れて来られた今の私の気持ちも分かって欲しいものだわ」

 

「まあ、何となく……な」

そう、腫れ物のような存在だったということだけは理解できた。

それは、戦いにおいて親友である赤城を意思に反して斃してしまったことによる絶望のために、加賀が心を閉ざしてしまったことが原因なんだろうなと思う。そんな状態の彼女に、かける言葉を持たず、何もしてやれなかった彼女たちの後悔が、そういった対応を取らざるを得ない状況に追い込んでいたからだ。

けれど、そんな状況で別れたままなんて寂しいだろう? そう口にしかけたが、声にならなかった。ただ無言のまま、彼女を見つめるしかできなかった。適切なアドバイスを彼女に与えられない自分が悔しかった。

 

「加賀!! 」

と、突然、背後から呼び止める声がした。

振り返ると、いつの間にやって来ていたのか、長門が立っていた。先ほどまで生田提督の側にいた艦娘だ。

横須賀鎮守府秘書艦、戦艦長門。

 

ゲームと変わらない、角みたいなヘッドギアや長手袋、ミニスカートを装着している。やはりずいぶんと肌の露出度が高く、意識せずともついついそちらに目が行ってしまう。

 

「ながもん……」

冷泉は思わず声に出してしまう。

ゲームの中の、いや、二次創作の中の戦艦長門を知っている冷泉としては、今、目の前に存在するその超然とした凛々しい武人のような姿の長門ではなく、ちょっと残念系の美人であり、その外見の超然としたイメージとはギャップのある可愛い物好き甘い物好きの彼女のほうがインパクトが強かったので思わず「ながもん」と呼んでしまった。そんなメタな発言をしてしまったら、自分がこの世界の住人でないことがばれてしまう……と、少し焦ってしまった。

しかし、長門も加賀も聞こえなかったのか特に反応はない。

 

「あなたが冷泉提督ですか。初めまして、横須賀鎮守府所属の戦艦長門です」

と、長門は会釈をする。

 

「車椅子のままですまないね。舞鶴鎮守府で……一応、司令官をやってる冷泉朝陽だ」

そう言って、微笑む冷泉。幸いなことに、この頃には顔の腫れが引いていたので、怪我でもしたのか? と心配されたり、驚かれることは無くなっていた。司令官が誰かにぶん殴られたような顔をしていたら、格好がつかないからな。

 

「お噂は、この横須賀まで伝わってきていますよ。最近のあなたの深海棲艦との戦いにおけるご活躍は、本当に目覚ましいですね。自ら最前線に立たれ、艦娘達を鼓舞し、鬼神のような強さと聞いております。艦娘とともに前線に立たれる提督は、うちの生田だけだと思っていましたので、本当に驚くとともに、尊敬してしまいます」

と、いきなりお世辞のような言葉を連射してくる長門に思わず照れてしまう冷泉。後ろでフンと鼻で笑うような気配を感じたが無視する。けれど、どうやらお世辞では無く、本気で褒めてくれているようだ。長門の瞳は冗談を言っているような目でなかったし。

 

「それから……この度、うちの加賀を舞鶴に迎えて頂き、本当にありがとうございました。けれども加賀が提督にご迷惑をおかけしていませんでしょうか? それが本当に心配です。……こいつは見た目はぶっきらぼうに見えるかもしれませんし、生意気で偉そうに思うこともあるかもしれません。けれど、こんな風に見えて、案外、可愛いところがあるので、決して見捨てること無く、是非とも長い目で見て可愛がってやってくれませんでしょうか。私からもよろしくお願いします」

 

「なっ……何を訳の分からない事を言ってるの、あなた! 」

むっとした表情で返す加賀。突然、自分の事が話題になったため、動揺している。

 

「わはははは。加賀、お前はすぐに顔に出るタイプだからな。ホントにわかりやすいよなあ。見ててすぐに分かってしまうぞ」

 

「あー。俺の事を嫌っているって事だよな。そうだよなあ。俺は横須賀の提督と比べると頼りないからね。さっきちらっと見たけど、横須賀の提督と比べたら、俺ってしょぼくれて情けないからなあ。加賀も、ちょっと……いや相当に惨めになってしまうだろうね。何でこんな奴の部下になったんだろうって」

少し落胆したような表情をしているかもしれない。

 

「いえ、何を仰ってるんですか? 誤解するような事を言ってしまいましたね、提督。こいつは、昔から本当に好き嫌いが激しいんですよ。もう少し大人になれよと言っても、ご覧のとおり頑固な奴ですからねえ、全然ダメでした。どうしても嫌いな人に対しては、態度に表れてしまうんですよね。最悪は、完全無視を決め込んだりします。それがたとえ命令違反に問われようともです。頑固で馬鹿で融通の利かない、本当にどうしようもない奴なんです。けれど、私は本気で驚いたんですよ! そんなこいつがわざわざ、来たくも無いはずの横須賀まで提督に着いてきて、おまけに甲斐甲斐しくあなたのお世話を自ら進んでしてる加賀の姿をさっき見つけて、本当に私は腰を抜かさんばかりに驚いてしまってるんです」

 

「ちょ、長門、あなた何を分け分からない事を言ってるの」

 

「おいおい、照れるなよ、加賀。……つまりです、提督。嫌いな人間なんて顔も見たくないって露骨に態度に出すような奴がですよ、甲斐甲斐しくもあなたのお世話をしてるんですよ。わざわざそんなことをするって事はですねー」

見ているこちらからも長門が心から面白そうに話しているのが伝わってくる。それは悪意など微塵も無く、心からの驚きと彼女自身の喜びからの言葉であることも、冷泉には感じ取れた。

 

「さ、晩餐会がまもなく始まる時間です。提督、早く席に着きましょう。来賓が遅刻では格好がつきませんからね。そういうわけで、ごめんなさいね……長門、話はまた後でね」

急に横Gがかかったかと思うと、冷泉を乗せた車椅子は方向転換を行った。そして、逃げるように加賀は車いすを押していく。ゆっくりというには明らかに早すぎる速度で。

 

「あ、でもさ、晩餐会までまだだいぶあるぞ。それに、まだ長門の話が……。」

冷泉が反論する。

 

「彼女のくだらない与太話は、提督が聞く必要ありません! 」

ぴしゃりと否定される。

 

振り返ると、長門は名残惜しそうにこちらを見ていたが、どういうわけか嬉しそうに笑っていた。

 

そして、二人は会場に入る。

 



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第93話 提督問答

冷泉達は受付を済ませると、会場の中へと入っていく。

会場は広い。こんな大規模なパーティが開けるような会場を持つ横須賀鎮守府との差を実感せざるを得ない。百人を越える規模のパーティなんて、舞鶴鎮守府では開催不可能だし、そもそもそんなパーティをやったことが無いのだ。

 

煌びやかなに装飾された会場。

豪奢な料理。

教育の行き届いている事がよく分かるレセプタントの動き。

あらゆる所にお金をふんだんに使用した事が冷泉にも分かる。首都に最も近い鎮守府という事もあり、こういった催し事も横須賀鎮守府は、多いのだろうか。警備に当たっている兵士達も明らかに慣れた雰囲気だ。

 

そんな事を考えながら、周囲をキョロキョロする冷泉。

 

「ねえ、……あなた、どこから出てきた田舎者なの? こちらまで恥ずかしくなります。完璧にこなせとまでは言わないけれど、せめて自分の地位に相応しい態度をしてもらえないかしら 」 

と、小馬鹿にしたような感じで冷たく加賀に指摘される。

 

「う、うむ」

加賀は簡単に言うけれど、慣れない雰囲気に圧倒されてしまっているのだから仕方ない。こちらに来てからも無かったし、向こうの世界でもこういった格式張った会なんて出たことないのだから。

 

いくつもあるテーブルは、それぞれの階層毎に定められているようで、冷泉達の座る場所もあらかじめ決まっていた。当然、軍関係者の席になる。しかも、鎮守府司令官クラスの席に座る席だ。

つまり、他の提督と初対面でというわけある。当然、若干の緊張。

すでに席は、大半が埋まっている。あらかじめ準備されていた席が回収され、スペースが空けられる。どうやら、そこが冷泉の席らしい。車椅子をそこに納めると、隣に加賀が腰掛ける。

冷泉は自分の左隣に腰掛けた艦娘に目がいく

それは、ゲームと同じ。……茶髪のボブカット。白のノースリーブのヘソだしにミニスカート。頭には角のようなカチューシャをしている。その子が戦艦陸奥であることはすぐに分かった。

そして、その隣に座る彼女の上司へと視線を移す。通常礼装の人物を確認する。しかし、どうした事なのだろう。……髪が陸奥より長いのだ。しかし、違和感はすぐに解消される。凝視するまでもない。それが女性であることがすぐに分かったからだ。

予備知識は持っていた。陸奥と一緒ということで、それをすぐに思い出すべきだった。

第一印象は、気が強そうだな、と感じさせる顔。目が合ったので冷泉は会釈をするが、しばらく睨むような瞳で冷泉を観察するとプイと視線を逸らされる。

彼女こそ、大湊警備府の提督だ。確か名前は、葛生綺譚(かつらぎ きたん)という、冷泉なら漢字で書けない名前だった筈。歳は冷泉より10歳程度は歳上だったはず。

初対面なのにこの態度。何か曰くでもあるのかと感じたが、冷泉とは話すに値しない、との判断をしたのだろうと思っておくこととした。エリート意識が強いのかも知れない。しかし、印象は最悪だな。隣に座っている陸奥が申し訳なさそうにあたふたし、困ったような顔で頭を下げたのが印象的だった。

テーブルには他にも呉、佐世保の司令官と艦娘もいた。呉鎮守府の秘書艦は戦艦榛名、佐世保鎮守府の艦娘は戦艦伊勢だった。一通り彼らにも挨拶をする。呉と佐世保の司令官は冷泉よりもだいぶ年長となり、横須賀の生田、舞鶴の冷泉が異常なくらい若い例外的存在ということが分かる。冷泉は存在の異常性が原因で抜擢されているだけだから、横須賀の提督がどれほど優秀であるかがここでも証明されているという訳か。

 

しかし、日本国を護る5つの鎮守府司令官が一同に集まるということは、危機管理上どうなのかという気持ちもしたが、それほど今回の戦艦の進水式が重要ということなのだろう。その辺りの基準は、民間企業にしかいたことのない冷泉にはまるで想像もできないけれど。

そのことを思わず加賀に言ったら、

「他の鎮守府については、優秀な副官や参謀がいるから、短期であれば作戦にも何ら支障はないわ。仮に何かあったとしても、彼らがどうにかできるという提督の信頼あってこそだけれども。それがあるから、ここにみんなが集まっているだけのことよ。……舞鶴だけが異常なのよ。特に優秀じゃない司令官しかいないのに、そのポンコツに全ての権限が集中していて、誰も補佐できない有様なのはね」

 

「うわ、ひでえ」

手厳しい批判に思わず声を上げてしまう。

隣の陸奥がクスリと笑い、冷泉と目が合うと慌てて何もなかった振りをしている。

ああ、陸奥は可愛いなあ。初対面だけど、何か話しやすそうだし見た目も色っぽいしエッチだし、ちょっとくらいエッチな発言しても上手く受け答えしてくれそうだし、。どっちにしても、提督には優しそうだしなあ。ああ、むっちゃんむっちゃん。可愛いよ、むっちゃん。

 

「また、馬鹿な事を考えているんでしょうけれど、そろそろ会が始まるわよ」

冷静な口調で秘書艦よりの指摘を受けたため、すぐ我に返る。

 

晩餐会は観たことのある民放局のベテランアナウンサーが司会を務める形で進行していく。海軍大臣の挨拶、続いて大和武蔵の紹介がされ、その後、複数の地元選出の国会議員の挨拶。そして、マスコミの取材という形で進んでいく。

 

へー、こんな風に進んでいくのか。そんな事を思いながら、冷泉は運ばれてくる食事を口に運んでいく。料理は高級そうな、フランス料理だと加賀が言っていた。ちなみに、右手しか使えないので、上手く食べられないため、秘書艦に食べさせて貰いながらである。大変美味であり、給仕してもらっている事から結構ご機嫌になり、ワインも大変美味しくいただいていた。

 

「ねえ、あなた」

と、突然、むっちゃん……失礼。陸奥の向こう側から声をかけられる。

当然ながら、声の主は葛生提督である。

 

「はあ……何でしょうか? 」

一応、年齢も階級も上なので、丁寧な言葉遣いを心がける。

 

「何であなたが、鎮守府の司令官になっているの」

 

「は? ……いえ、それは命令でありますから」

 

「あなたみたいな若造が、どんな手を使って今の地位を手に入れたのって聞いているのよ」

口調は高圧的で、断定的だ。口調は加賀に似ているが、彼女と異なり言葉の節々に悪意が感じ取れてしまう。

彼女もどうやらお酒が回っているせいか、冷泉に文句があるらしい。それも、相当に。

本来ならば、自分が舞鶴鎮守府の司令官であるはずだと主張しているようだ。

 

「私がいるべき場所を、後から来て横取りするなんてどういう了見なの? 偉そうに司令官になったというのに、あなた、着任してから大した実績も上げられないでしょう? それどころか、こっちが舞鶴をフォローするためにどんだけ戦力を割いているか分かってるのかしら」

舞鶴鎮守府に冷泉がいることで、葛生提督が率いる大湊警備府の人たちが迷惑を被っていると言うことらしい。

「ずっと疑問だったのよ。なんで私が警備府なのよ。ド田舎勤務なのよ。能力も実績も人脈もすべて私がどうみたって上じゃないの」

言葉はヒートアップするばかりだ。他の提督達は聞こえないふりをして、食事に集中している。いつものことなのだろうかと思うが、訊ける状態ではない。

 

。陸奥が申し訳なさそうにこちらを見ている。冷泉はとりあえず荒立てないように笑ってやり過ごそうとするが、なかなかの厳しい戦いになりそうだ。

 

「一体……どんなコネを使ったのかしらね。見た感じ、貧乏くさい不細工顔しているから、止ん事無い方との繋がりも無さそうだし、どうせ卑しい身分の人なんでしょうね。どこかで盗んだ金でも積んだのかしらね」

公的な場でこんな誹謗をする人間を初めて見たため、唖然として物が言えなかった。葛生提督の口から次々と悪口が出てくるものだから、せっかくの知的で綺麗な顔が歪んでとても醜く見える。

 

「あなた……」

横にいた加賀より不穏な空気が立ち上ってくるのが分かった。彼女から発せられる、明らかな怒りの波動が冷泉を焼きそうになる。慌てて彼女を見、言葉を制する。今にも葛生提督に食ってかからんばかりの勢いだった。タイミングを逸していたら、本当にトラブルになっていた。

 

「いいんだ」

そう言って、加賀に向かって頷く。彼女は相当に不満そうな顔をしたが、冷泉の言わんとすることが理解できたのか、それ以上は何も言わなかった。

 






今回は少し短めになってしまいました。


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第94話 冷泉、またもや

「葛生中将、それくらいにしたらどうかね。今日は、そんな文句をわざわざ言う日では無かろうに」

と、佐世保鎮守府司令が葛生をいさめるように注意する。またか、といった感じ呆れているようだ。

 

「その通りだ。君が冷泉くんに対してどういった思いを抱えているかは、私にはよく解らないけれども、今日はめでたい席でもあり、そんな事を言う場でもないだろう。そもそも、それ以前に、ここには軍の中の人間ばかりではない事を弁えたほうがいい」

呉の提督も同意するような発言をするが、後半は他の人間に聞き取れないように小声となる。今夜の晩さん会には、陸海軍の関係者だけではなく、政治家、地元有力者、そしてマスコミまでが招待されている事を指しての発言だろう。

 

「お二人までが冷泉提督の味方をするというのですか? ……フッ、やっぱりですか? あなた方、残念ですが、失望しました。はっきり言えば、がっかりですよ」

何か思い当たる事があったのか、葛生提督の表情に白々しい笑みが浮かぶ。二人の年上の提督を冷めた目で見つめている。

 

「やはりとは、どういうことだね」

佐世保の提督が怪訝な顔で彼女を見る。

 

「あなた方も男だったと言うことです。軍務においてどれほどに素晴らしい武勲を立てておられるといえど、所詮、古い固定観念に凝り固まり、新しい視点に立つことのできない偏狭な視野しか持たない差別主義者でしか無かったという事です。男、男、男、男、男。ハン、そうですよ、軍隊というものは男世界。男でなければ、政治も軍隊も回していけない。女など出る幕ではない。それが根底にあるのですよね。そんな考えをお持ちだから、つまり、私の存在が目障りなのでしょう! 」

世界の真実を解明したかのように高らかに、そして、差別主義者という究極悪を攻めるように彼女は宣告し、断罪した。

 

「はあ……。それはいくらなんでも言い過ぎだろうし、あまりにも極論でしかないようにしか聞こえないのだがね。我々が差別主義者のような言い方は、全く承服できんな。そもそも、このような祝いの席という場所で、どうして君は関係のない事で感情的に興奮して怒鳴り散らすのかね? 君の人事に文句があるなら、その担当する海軍の部署へ言うべきであり、冷泉くんに対して言うべき事ではないであろう? 彼は彼の意志で舞鶴鎮守府の提督になっていない事など、君でさえ知っている事実だろう? ……場をわきまえず、感情だけに走る。それは、男女といった性差以前に、上に立つ者ととして、いかがなものだろう。言葉は悪いが、そういったところが君が自分が思い描く能力に相応しい地位へ登用されていない事の遠因となっているのではないのかね」

口調は窘めるようにしているが、言葉はわりときつい事を最年長の佐世保鎮守府提督が言う。そして、性別によって差別されているのではなく、お前のその性格が原因じゃないのかと遠回しに指摘している。

 

「本来ならば、戦場に女が向いていないのは真理だと思う。特に司令官である立場に女は無理だろう」

と、呉の提督が小声で指摘する。

 

「な! それは、明らかに女性に対する差別ではありませんか!! その者の能力ではなく、性別によって決定するなど、この現代社会においてありえません。これは、看過できないお言葉ですよ」

葛生が喚く。

 

「まあまあ、落ち着きなさい。誤解されたのなら、訂正しよう。今言った事は、差別するつもりで言った訳では無いよ。私だって、もちろん、女性の能力は認めているんだよ。しかし、適材適所という言葉もある。通常時なら、確かにコツコツと物事を進める仕事は、女性のほうが男より優れているし、向いていて良い事だと思う。ただし、戦時下においては、話が違う。戦場では、何が起こるか分からない。そんな時に、君のように理屈より感情を優先するのは危険ではないかな。あ、もちろん、女性全てが感情を優先するというわけでは無いのだが」

 

「何を仰るのですか。少なくとも、私にはそんなことは当てはまりません。私は、自分の能力には、明確に絶対的な自信がありますし、きちんと実績も上げてきたつもりです。けれど、女だからと言うことで差別され、能力や成果に応じた地位を得られていない事を言っているのです」

激しい口調で反論を展開する葛生。

 

「差別差別!差別は止めろと、どこぞの頭のおかしい市民団体みたいな事を言うね、君は。確かに、全世界における差別は無くすべきだし、その心がけは素晴らしいと思う。だが、それを言うならば、その差別は、ある程度解消されているはずなのではないか? 政府の方針のおかげで、女性士官は士官全体の3割に達そうとしている現状を知らないわけではあるまい。軍における男女比からすると、歪なくらい……否、民間と比べても相当に女性は優遇されているはずだぞ。その恩恵を君も受けているんじゃないのか? 君は現政権のトップに感謝すべきだろうね。そして、認識して欲しい事もある。優遇される者がいれば、冷遇される者もいるということを。本来なら君よりも優秀な人材……それは言い過ぎかな。同じくらいの能力を持つ男に訂正するけれども、そういった人材がいるのに、女性だと言うことで女性の人材が先に士官に登用され、何故だと思いながらも、じっと我慢している男性もいるのだということをね。これは、男性差別と言ってもいいだろう? 男女同権なのだからな」

 

「ぐぬぬぬう。……そういった事は、これまで虐げられてきた女性の社会進出の為には必要なこと。男性が少し我慢するのは仕方がないのではありませんか。そして、それは論理のすり替えです。私が言っているのは冷泉提督の事のみを言っているのです。……私が冷泉提督より、能力においても実績においても上だというのは明らかな事。なのに、処遇において、彼より下に見られていることが差別だと言っているのです」

指摘されたことを全く無視して、わめき散らす。声も少し大きくなってきたせいか、他のテーブルの人々も何事かとこちらを見ている。

 

「はあ。……アホくさい」

冷泉は、誰にも聞き取れないくらいの小声でぼやいた。こんな極端なフェミニストの相手は邪魔くさいので、冷泉は無視を決め込む事にした。前にいた世界でもこんなやりとりを見たり聞いたりしたことがあったが、相手にするだけ無駄だし、その先にはろくな事が無いのは分かり切っていた。ヒステリーを起こした女に何を言っても通用しないのは、何度も経験済み。余計な事を言って話を長引かせるより、ここはぐっと堪えて、嵐が去るのを待つのがベストな選択である。少々、偉そうな事を言われたり不愉快な思いをさせられるくらい耐えなければ。

 

「あの、すみません、提督。少し落ち着いて下さい。ま、周りの人たちも見ています」

上司の暴走を誰も止められないから自分が何とかしないと、と思ったのだろうか、葛生の秘書艦である陸奥が興奮気味の上司をなだめようとする。

 

刹那、

「艦娘風情が、上官に指図するというの! 」

そう言うなり、葛生提督が立ち上がると、陸奥の頬を殴り、叫んだ。

「偉そうに人間様に意見するなんて、百年早いわ! 陸奥、黙りなさい」

一瞬、辺りが静まりかえる。

 

「す、すみません」

陸奥は慌てて頭を下げて謝罪する。

「余計な事を言いました。申し訳ありません」

彼女は何度も何度も頭を下げる。上官に睨まれて怯えたような表情をし、陸奥は今にも泣きそうだ。

 

「……おい、お前」

考えるよりも早く、口に出ていた。身体が反応してしまった。冷泉の中で何かが切れたような音がした。ずっと抑えていたものが、突然解放されたような感覚がしている。こんな事に関わっていたら、良くないという理性の声が聞こえるが、ふざけるな、と無視する。

 

「はあ? 今、お前って呼んだのはどなたかしら? ……もしかして、一人では動くこともできないけれど、障がい者枠で鎮守府司令官となられた冷泉さんかしらあ」

穢い物でも見るような瞳で冷泉を見下ろしてくる。

「年長者にお前だなんて、そして、女性に対してそんな口の利き方をするなんて、なんて常識知らずなんでしょうかね。運動機能だけでなく、オツムの資質にも問題ありですね、これは。もしかして、頭にも障がいが及んでるのかしらね、うふふふ」

 

「うるさい、黙れ腐れ雌豚。男女同権だとか、差別だとか、場所を弁えずに持論をわめき散らすのは、良くは無いけれど、まあ、それは構わない。ヒステリー女が頭おかしくなっただけだって事で認めてやるよ。俺のことを馬鹿にするのも、非難するのも腹が立つけれど、勘弁してやるよ。けれど、何で艦娘に当たる必要があるんだ? 」

 

「め、雌豚あ? 誰がヒステリー女なのよ! 失礼な」

 

「何かあればすぐに差別差別とわめき、自分の権利だけは偉そうに主張するのに、自分が他人にしたことについては、何も見えないのか、お前は」

顔を真っ赤にして鼻息を荒立てている女の事を全く無視して冷泉は話し続ける。

「陸奥はお前の事を心配してくれているのに、何でお前が彼女に切れる必要がある? 」

 

「五月蠅いわね。私が自分の部下に対して、どういう対応をしようと、あなたには関係ないことよ。それに、差別ですって? そもそも、人と艦娘は根本的に違う。ただの兵器じゃない。人と兵器の間にそういった物があるわけない。差別では無いでしょう? 」

 

「ふん……一つ教えてくれ。お前は戦場にいるのか? 」

 

「はあ? 言っていることが解らないんだけど」

 

「自ら軍艦に乗り込み、領域で対深海棲艦の戦闘の指揮を執っているのか、と聞いているんだよ」

 

「馬鹿馬鹿しい。そんな事をするわけ無いでしょう? 鎮守府指揮官とは、戦闘の大まかな指示をしておき、戦いは現場の艦娘たちがそれに従って臨機に対応し戦うものでしょう? 私達がなすべき事は、大局を見てそれに応じて準備をし、戦略を練る事が主たる仕事であり、現場で戦闘指揮を執ることを求められている訳ではないのよ。分かってる? 功を焦り英雄ぶって戦場に出かけていく愚か者は、横須賀の司令官とあなたの物好き戦闘狂の二人だけでしょう。司令官が万一戦死なんかしたら、その後の作戦指揮や鎮守府運営にどれほど影響が出るかも考えられない馬鹿か自殺志願者しか、そんな事はしませんわ。艦娘はいくらでも替えはいる。けれども、私のような優秀な司令官は、そう簡単に補充などできるものではない事は自明の事実。そんな簡単な事さえ分からない連中が鎮守府司令官とは嘆かわしい事ね。まあ、さっさと死んでくれれば、それはそれでいいのだけれど……ね」

 

―――

 

「すまん、加賀。ちょっと大人げなかった」

冷泉はパーティ会場を出て、外にいた。申し訳なさそうに車椅子を押す秘書艦に謝る。

「大人げなく、カッとなってしまった。何であんな事言っちゃったんだろうなあ」

あの後、冷泉が女性差別用語を含む暴言を吐き、さらにワインを葛生提督にぶっかけたせいで収集がつかなくなった。葛生は卒倒しそうになるほど激高し、ナイフを握りしめて冷泉に襲いかかろうとした。その目は明らかに殺意丸出しで、冷泉はわりと命の危険を感じた。幸い他の提督になんとか取り押さえられた。その間に加賀と一緒に会場を逃げ出して来たのだった。

一連の流れがマスコミに見られていたら、わりと大変なスキャンダルとして報道される可能性があるけれど、冷泉のいた世界と異なり、基本的に反体制よりのマスコミは絶滅寸前であることからそれほど心配することは無いんだろうけど。

 

「……気にしてません」

加賀は平坦な口調で返事をする。

後ろを振り返ることができないので、声だけで彼女がどう思っているかを判断しようにも、普段からあまり感情を見せないから、まるで分からないのだけれど。

 

「本当に? 」

 

「……提督があの時、言わなければ、私が彼女を張り倒していたはずですから」

淡々とした口調で凄いことを言う。確かに、加賀ならやりそうだ。艦娘が人に対して、しかも将官に暴力をふるうなど、ありえないほどの大スキャンダルになるのだけれど。

 

「加賀……」

 

「何でしょうか」

 

「……あのな、人間がみんなあの馬鹿女みたいな考えをしているって思わないでくれないかな」

 

「ふふふ。分かっているわ」

そう言うと加賀は回り込んで、冷泉と向かい合う。

「とんでもなく馬鹿な事をする人ですけれど、私達の事を大切にしてくれる人を、私は知っていますから。それだけで、大丈夫です」

 

見つめられて思わず顔が熱くなるのを感じる冷泉。

「でもなあ、ほとんど料理を食べられなかったなあ。せっかくの高級フレンチだったのに、勿体ないなあ。あんなの滅多に食べられないからなあ。加賀だって、食べたかっただろう? 」

と言って、誤魔化す。

 

「いえ、別に。それに食べると言っても結局、提督の食事の手伝いをしなければならないので、私にとっては手間なだけでしたから、かえって楽になったくらいよ。特にああいった手の込んだ料理だとね」

あっさりと言われて、少しショックな冷泉。食べさせて貰う立場の彼からすると、文句は言えないわけだけれども。

 

「まあ、いいや。とにかく、腹が減ったよ。あるかどうかは分からないけれど、部屋に戻ってルームサービスでも頼むかな」

 

「それがいいわ。さっさと戻りましょう。ルームサービスというか、お願いすれば料理くらいならいくらでも運んでくれるから」

加賀はさっさと宿泊施設に戻りたいようだ。どこで前の鎮守府の艦娘達と顔を会わすか分からないのを嫌がっているのだろうか。帰るというと俄然元気になっている。冷泉が命じるまでもなく、車椅子が彼女に押され、動き始める。

 

鎮守府内は、この時間でも人通りが多い。

明日の式典の準備や、晩さん会関係で来ている人々の随行者達がいるせいで普段よりも多いのだろうけど、それでも舞鶴と比べると圧倒的ににぎやかだ。

夜風が頬を撫でて、気持ちいい。加賀に押され、ゆっくりと進んでいく。

 

「本当は、大和や武蔵と話がしたかったんだけどなあ」

そんなことを呟くが、後ろから何の反応も無い。

ゲームでは大和も武蔵も持っていない。グラフィックやボイスは動画サイトでしか聞いたことがないので、生声を是非聞いてみたかったけれど、あんな騒ぎを起こした状態では無理だ。

 

「大和や武蔵には挨拶をしようと思っているのに、その上司には挨拶も無しか? 」

突然、背後から声がする。

何者かと振り返るが、加賀がいるせいで確認できない。

 

「て、提督」

背後を振り返った加賀は、驚いたように、そして少し怯えたような声で呟く。

提督? いや、俺はここにいるけど。そう思う冷泉であったが、どうやら、彼に向かってではなく、冷泉達の背後から声をかけた存在に言ってるようだった。

 

 

 



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第95話 二人の提督

「ん、だれ? 」

冷泉は、加賀の背後に誰かが立っているという事しか認識できていない。声の主の姿を確認しようと、首を左右に振る。

 

「……生田提督です」

と、加賀が答える。その声は、どこか苛立っているようにさえ聞こえる。

 

「全く……せっかく招待してやったっていうのに、会場で提督同士でいがみ合いを演じ、主催者に挨拶も無しで姿を消す。いくらなんでも常識がなさ過ぎるな」

ぼやくような、呆れるような声が聞こえる。

 

加賀の手により車椅子の向きが変更され、やっと彼の姿を確認できた冷泉。横須賀鎮守府提督に向かい合うと、おとなしく挨拶をし、謝罪する。

「せっかくの祝いの席だというのに、くだらない喧嘩をして醜態を晒してしまい申し訳ありませんでした。えっと、反省しています。……けれど、言い訳だけはさせてくれませんか。私は、……あそこであの女に言いっぱなしにされるのが耐えられなかったのです。私の事を批判するのは彼女の境遇を思えば、やむを得ない部分もあろうかと思います。けれど、艦娘は関係ない」

 

「言わんとすることは理解できる。けれど、君も大人なんだから、もう少し自制心を持たないといけないんじゃないのかな」

表情を全く変えることなく、見下ろす形で生田が話す。

 

「確かに、それは反省しています。お恥ずかしいところをお見せしました。それから、何の挨拶もせずに出て行った事も謝ります。……挨拶は、また明日にでも行こうかと思っていました」

 

「ふん……まあそれはいいか。済んだことをネチネチいうのも大人げないからな。謝ってくれたのだから、これ以上は問わないことにしよう。……ところで、うちから舞鶴に異動した、そこの艦娘はどうかな。我が儘放題で甘やかしていたから、ずいぶんと君や鎮守府の人に迷惑をかけているのじゃないか」

 

「いえいえ、とんでもないです。最初は、環境になじめなかったようですが、最近では他の艦娘ともわりと仲良くやっているようですよ。……なあ、加賀」

急に話を振られ、一瞬焦ったような顔をしたが、すぐに目をそらす加賀。

 

「むしろ、私のほうこそ彼女にはいろいろと迷惑をかけているんですよ。何せこんな身体ですからね。それでも、嫌な顔もせず、いろいろと手伝ってくれているので、感謝しています」

そう言って冷泉は屈託無く笑う。

 

「確か、そこの加賀を助けようとして、大怪我をしたと聞いていたが……。車椅子に乗っているということは、その怪我が原因で後遺症が残ってしまったというわけなのだろうか。それで、大湊のあれが君の姿を見てギャーギャー言っていたわけだね。ところで、回復の目処は立っているのか? 」

 

「……まあ、リハビリを続けていけば、たぶん、ある程度までは回復すると思います」

冷泉は曖昧な言葉を連ねて回答する。医師からは麻痺について何も言われていない。現在でも右腕以外については、なんの感覚も無い状態である。けれども、冷泉としては、何の根拠も無いものの、必ず治ると信じていた。

 

「そうか、……それは、きついな」

冷泉が加賀に心配させないように嘘を言っているのだろうと判断した生田は、少し辛そうな顔をした。

「まあ、焦らずにゆっくりとリハビリに取り組めばいい。思い切って休暇を取り鎮守府を離れて、そういった施設で治療的に集中すれば、もしかすると光が見えてくるかもしれないな。むしろそうした方がいいのではないかな」

 

「……提督は、もとに戻ります」

突然、加賀が口を挟む。

「きっと前のように動けるようになり、鎮守府を指揮を執ります。それまで私が出来る限り側にいてお世話をします」

 

「……お前なあ」

呆れたような口調で生田が加賀を見る。彼女を見る瞳に鋭さが宿る。

「どういう神経しているんだ? お前のせいで、彼はこんな体になったんだろ? 少しは反省したらどうだ? 反省しているのか? お前の身勝手さが横須賀でもみんなの輪を乱していた事を忘れたというのか! 舞鶴に行ってからも、相も変わらず同じ事をしていたと聞いていた。何を拗ねたままでいたんだ。そのせいでお前の上司はこの有様だ。……まったく、役に立たないくせに、不幸だけは運んで来るんだな」

 

「いや、そんなことは無いです。生田提督、加賀は何も悪くないんです。私がこんな風になってしまったのは、全てが私の不注意が原因なのです。そして、私の作戦指揮がダメだったからです」

 

「どうだ、加賀。良い上司だな。お前のせいで殺されかけたっていうのに、……お前のせいで、一生全身が麻痺したまま生きていかないといけないかもしれないのに、こんなにしてまでお前を庇ってくれるんだ。……一体、どんな色仕掛けをして彼を籠絡させたんだ」

 

「私と提督は、そんな関係じゃ無い! 」

加賀が叫ぶ。

 

「そうか。ふーん、まあそれなら別に構わん。だが、一つ教えて欲しい。お前はこれから、冷泉提督にどうしてやるつもりなんだ? 彼の身体の状況が改善しないのなら、指揮官としての任務を果たすことは不可能だ。そう遠くないうちに彼は提督の職を解かれる事になるだろう。そして、戦時下のご時世だ。障害者は軍に留まることさえできないだろう。彼はこんな状態で鎮守府を放り出され、路頭に迷うことになるだろう。聞いた話だが、彼には身寄りが誰もいないらしいしな。宿舎住まいだから、退官後は住む場所すらないだろう。仕事も無く、もちろん金も無い。自力では何もできない人間が生きて行くには、今の時代はあまりにも厳しいぞ」

 

「そ、それは……」

加賀が言葉を詰まらすが、きっぱりと宣言する。

「私が、提督の側でずっとお世話をするわ」

 

「わははははは、それは傑作だ」

突然、生田提督が笑った。それは堪えきれずに笑ってしまったと言っていい。腹を抱えて笑った。肩を揺すって笑った。

「……ふざけるな! お前は、自分の立場というものを忘れたのか? 強力な兵器とリンクしている艦娘が軍を離れて生きることなどできるはずも、許されるはずも無いだろう。そして、一民間人でしかない彼の為に行動することも許されるはずのないことを。お前にはもう何もしてやることなどないんだよ。そして、何もできない。全てはお前の我が儘、自分勝手さが呼んだ結末だろう。お前のせいで、彼はこんな状態になった。そして、彼は全てを失うのだ。文字通り、何もかもな。愚かな一人の艦娘の為にな。もはや、お前ごときが責任を取れるような状況じゃないことも分からないのか? この愚か者め! 」

 

「それは、……それは」

何かを言おうと、必死で何か反論しようとするが言葉が出てこない加賀。

「私は、私は」

 

「いいんだ、加賀。お前は、何も悪くない」

遮るように冷泉が言葉を発する。

「これは俺が望んでやったことだからな。お前は何も気に病むことのない事なんだよ」

そう言って、加賀に微笑みかける。

 

「けれど、提督……」

いつしか彼女の瞳から涙がこぼれ落ちている。

 

「生田提督、申し訳ありませんが、それ以上加賀を責めないでやってくれませんか。横須賀でどういった事があったかは私は知りません。提督も思うところがあるのかもしれません。けれど、加賀一人が悪いような言い方はしないでください。本来なら、私がもう少し上手にやれれば良かったんです。けれど、私の能力ではこれが精一杯だっただけなのですから」

 

「冷泉提督、君はこの結末で構わないというのか? 満足なのか? 君がいいというのなら、それでいいかもしれない。しかし、君のこれからの人生を思えば、そう余裕をもっていられる状況ではないと思うのだが」

 

「はっきり言っておきます。私は、あの時、深海棲艦の攻撃に晒されていた加賀をなんとしても救いたかっただけなのです。戦争だから、死から逃れられない事は理解しています。けれど、親友を失い、悲しみの底に沈んだままの彼女は自ら死を選ぼうとしていた。そんな状態のままで彼女を死なすなんて絶対にできなかった。何もかもに絶望したままなんて、あまりに辛すぎますからね。そして、なんとか助けることができた。加賀は戦火に沈む事無く、今もここにいてくれます。私の側にいてくれます。それだけで私の望みは満たされています。これでも充分満足なのです。それ以上、何を求めるというのですか」

 

「だが、君は障害を負ってしまい、このままだと除隊させられる可能性だってあるのだよ」

 

「加賀の命と引き替えだったら、いつでも私の命を差し出しましょう。安いものです」

冷泉は、あっさりと答えた。

「実際には、私まで生きて戻ってこられたのですから、結果で言えば、むしろ幸運とさえ思っています。それから加賀を救う事は、もちろん、私の望みでありましたが、それだけではありません。……加賀、お前にも言ってなかったかな」

そう言って背後を振り返る。意味が分からず首を横に振る加賀。

「加賀を救うことは、彼女の盟友であり親友の赤城の願いでもありましたら。だから、赤城の願いを叶えるためにも、なんとしても助けたかったんです」

 

「赤城の願い? はあ? どうしたんだ、君はまた意味の分からない事を言うのだね。赤城とは面識があったというのか? ……いや、そんな機会は君にはありえないはずだが」

赤城という言葉にすぐに反応を示す生田。そして、彼の言葉から、冷泉がこの世界の住人では無いということを知っているらしい。

 

「私が生死の境を彷徨っていた時に、彼女に出会い、そして話をしたのです」

冷泉の言葉はこの場にいる人にとってはあまりにも荒唐無稽な話だっただろう。真面目な話の中で空気を読まない冷泉の発言に、一瞬戸惑いの雰囲気が漂う。

 

「な、なにを突然」

 

「生田提督、あなたに赤城からのメッセージを預かっていますよ。……加賀、お前にもあったぞ。それはまた教えてやるからな」

 

「言うに事欠いて、そんな君の妄想など聞きたくもない。……馬鹿じゃないのか? 赤城は既に轟沈し、この世界には存在しない。そして、君が赤城と会うチャンスなど無かったはずだ」

 

「確かに、普通に聞いただけでは妄想と思われても仕方ありませんよね。だけど、決定的な証拠があります。少し、お耳を拝借」

そう言って、冷泉は彼を手招きする。怪訝そうな表情をしながらも、生田提督は冷泉の方へと顔を近づけた。

「内密な話なのですが。○×△▽□●×▲▼■○×△▽□●×▲▼■……」

冷泉は、小声で囁く。時の狭間で赤城から聞いた彼女と生田との秘密の話を。

 

「な! 」

これまで、ほとんど無表情で淡々と対応していた生田提督の顔に明確な動揺が表れた。明らかに不意を突かれたような形で、顔がみるみる赤く染まっていく。

「な、なんで、そんなことを君が知っているんだ」

 

「だから、赤城から聞いたんですよ。この話は提督と赤城しか知らない話だって言ってました」

得意げに冷泉が話す。

 

「ま、まさか。そんな事なんて」

 

「これで、私の話を信じてくれるでしょう? 」

そう言うと冷泉はニコリと笑った。

動揺が収まらない生田は、背を向けて何度も何度も深呼吸をする。そして、顔を両手で何度も叩くと、こちらを振り返る。

 

「納得はできないが、事実と認めるしかない」

と言った。

半信半疑かもしれないが、冷泉の言葉を否定する証拠が無いため否定できないのだろう。

 

「では、赤城からあなたへ伝えたかった言葉を預かっているので、お知らせします」

そう言うと、一端言葉を切る。少し深呼吸をすると言葉を続けた。

「あなたの選択は決して間違っていなかった。あの時、最良の選択をしたのだと。そして、私は決して、あなたの事を恨んでいません。今でもあなたを誰よりも愛しています……。ですから、私の事には拘らず、あなたの理想を、あなたの進むべき道をお進みください……。これが、赤城から生田提督への伝言です。きちんと伝えましたよ」

生田提督は少しの間、黙ったままだった。うつむき加減で何かを考えているのだろうか。微動だにしなかった。

そして、暫くすると

「そうか……」

と呟いた。そして、また少し間をおくと

「冷泉提督……」

 

「はい、何でしょう」

 

「ありがとう」

とだけ生田提督は言った。

 

「了解です。約束は果たしましたよ。……それから、話を元にもどしますが、私は今回の事では何も後悔をしていない事だけは分かって下さい。たとえ、この先どうなろうとも、私は後悔することはありません。……加賀、それはお前も同じだぞ。変に考え込むなよ」

 

「……君がそこまで言うのなら、最早、私がどうこういう話ではない」

納得はしていないのは明らかだが、生田提督はそう返答する。

 

「では、私はこれにて失礼します」

冷泉は頭を下げる。

 

「冷泉提督」

突然、呼び止められる。

 

「何でしょうか? 」

 

「問題なければ、加賀と少し話をさせてもらいたいのだが」

生田提督の意図が分からなかった冷泉だが、

「それは構いません。では、私は先に宿舎へ戻ります」

と答える。車椅子は電動なので、介助が無くても進むことができるのだ。

「それでは、失礼します。お休みなさい」

右手でレバーを操作し、冷泉は車椅子を発進させた。

 

 

 



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第96話 新たな場所

 

「ちょ、ちょっと提督……」

去っていく冷泉に加賀が声をかけるが、彼は振り返ることなく右手を振るだけでそのまま行ってしまった。

「あなた、一人でどうするのよ。車椅子からも降りられないくせに」

その後ろ姿を見送るだけで、ぼやくしかできなかった。そして、当惑するようにキョロキョロとする。そうしながら、現在の自分の置かれた状況からいかにして逃げ出そうか、頭を回転させていたのだ。

 

「……どうした、落ち着きがないな」

そんな加賀に対して、淡々とした声で生田提督が問いかける。

 

「いえ、何でもありません」

極力平坦な口調を心がけるように答える。

「それよりも、私などと話す事なんてあるのかしら? もし用事があるというのであれば、簡潔にしてもらえれば嬉しいのだけど。見ての通り、私の上司は介助無しでは何もできない状況なので」

 

「冷泉提督の事が心配か? 」

 

「な! 何を変な事を言うのですか。私は何も心配していないわ。そもそも、何で私が提督の事を心配しないといけないの。何を勘ぐっているのですか。だいたい、私はそんな感情を……」

不意を突かれたのか、少し顔を赤らめて動揺したように答える加賀。

 

「いや、何をそんなに焦っているんだ? 私は車椅子の彼を一人で帰らせた事を心配しているのかと聞いただけなんだが」

とぼけたような口調で聞き返すが、明らかに口元が笑っている。

それに気づいた加賀は、恥ずかしさと動揺で耳まで赤くなるのを感じた。黙り込むとムッとした顔でかつての上官を睨むしかできない。

 

「プッ……。はははははっはは」

突然、吹き出すと彼は笑い出した。何とか笑いを抑えようとするがなかなか止めることができないでいる。

 

「何が可笑しいのですか」

憮然となる加賀。

 

「はははは。……ゴホン。いや、すまなかった」

何とか笑いを抑えると、大きく深呼吸を繰り返す。

「笑ってすまなかったな。お前が私にそんな態度を見せた事が無かったもんでな。いつも感情を抑えたような顔でツンツンしていて、ほとんど感情を見せてくれなかっただろう? それが、ちょっと言っただけで顔を真っ赤にして動揺しているもんだから、思わず笑ってしまったんだ。許してくれ」

言いながらまた思い出したのか、吹き出しそうになっている。

 

「私が能面みたいな顔をしていたというの? そうであるなら心外だわ」

 

「うん……。まあ能面といえば能面かな。それでも、無表情ではあるけれど、綺麗な顔をした能面って感じだったがな」

 

「それは褒め言葉になっていません」

 

「まあそうだな、褒め言葉じゃないか。やはり、失礼だな」

 

「その通りよ」

 

「いや、しかし……」

 

「何……かしら? 」

 

「お前って、そんなに喋ってたかな」

と、不思議そうな顔で問いかけてくる。

確かに、かつて横須賀鎮守府にいた頃には、加賀は司令官どころか他の兵士や整備員との会話は極力控えていたように思う。思い返してみても必要最低限の会話しかしていなかったはずだ。もちろん、別に人間が嫌いだとかそういった理由は無い。ただ、何を話せばいいのかよく分からないから、かといって話すきっかけを探すなんて柄じゃなかった。だから、黙っているしかなかった。せめて愛想笑いでもすればよかったのだろうけど、ムスッとした表情をしてしまっているらしかった。そのことは何度か赤城さんにも指摘されったけ。

「さあ……覚えていません」

心の中の動揺を悟られないよう、無意識に提督から目を逸らして、小声で呟く。

「早く用件を言ってもらえますか」

 

「舞鶴の居心地はどうだ? 」

唐突な問いかけに一瞬言葉を失う加賀。……居心地はどうなのだろう? 自問自答する。最初は横須賀とさほど変わらず、居心地は良くなかった。自分からとけ込もうとしなければ、なかなか輪の中に入れるはずもない。そこについては、あまりここにいたときと変わっていないと思う。けれど……。

 

「質問の意味がよくわからないけれど、強いて言うなら……可もなく不可もなしね」

心にもない言葉が出てくる。

しかし、その言葉を聞いて、生田提督は少し微笑むと頷いた。

「そうか、可もなく不可もなし……か。お前からそんな言葉が出るようになったんだな」

 

「どういうことかしら? 」

かつての上司の言葉の意味、そして態度に理解が及ばない加賀は問いかける。

 

「分からなければそれでいい。自分の幸福とは分かりにくいものだ。だが、それがいい。それが答えなんだろう。お前からそんな言葉を聞けただけで、全ての答えが得られたよ。これ以上の言葉は不要だ。大事な時間を無駄に使わせてしまって済まなかったな。……じゃあ、私も会場に戻らなければならない。お前も上司の所に帰ってやるんだな。今頃、首を長くして待っているかもしれないぞ」

そう言うと、生田は幽かに笑うと背を向けて歩き出す。

 

「ちょ、ちょっと。どういう事なの? 一体、何が分かったっていうの」

彼の背中に問いかけるが、彼から答えは返ってこなかった。

 

結局、かつての上司が何を自分に聞きたかったのか理解できず、そして、何を満足して彼が帰っていったのか分からないままだった。加賀は悶々とした気持ちのまま、宿泊施設へと歩いていく。

 

ほんの少し前までここで暮らしていたというのに、懐かしさだけが感じられる。

潮風乗って漂ってくる油の香り。風の音。人々の喧噪。機械類が動く音。いろんな事がもうずっと昔のように感じられ、感傷的になってしまう。良い思い出も悪い思い出もみんなここにある。忘れられないし、忘れたくない想い出だ。それを背負って自分は明日に向かっていかなければならないのだから。

「私……何を言っているのかしら。本当にどうかしている」

思わず口に出し、誰かに聞かれていないかと辺りを見回すが、誰もいなかった。

少し歩いただけで、かつてはホテルだった建物を改装した施設が見えてくる。そこが加賀達の泊まる場所だ。既に荷物は運び込まれているはず。

エレベータで上がり、自分が泊まる部屋へと行く前に冷泉提督の部屋へと向かう。上官がきちんと部屋まで戻れたのか気になっていたのだ。何せ、右腕しか動かない人なのだから。自分一人では着替えすらできないのだから。

ドアをノックする。

「提督、加賀です。起きていますか? 」

反応はない。

「入ります」

秘書艦として上官の状況を確認できるようにと彼の部屋のカード鍵の予備は預かっている。

ドアを開けると、ジャージに着替えた提督がベッドに転がり、眠っていた。制服はきちんとハンガーに掛けられている。そして、車椅子はきちんと部屋の隅に置かれていることから想像するに、下で兵士達を捕まえて別途まで運ばせたのだろう。流石に入浴までを手伝わせることは命じなかったのか、彼の顔は脂ぎっている。

 

「しかし……。心配して来たのに、損をしました」

幽かに寝息を立てながら眠る冷泉に少し腹が立った。

「提督……いつでも私を頼って下さい」

布団をきちんと彼にかけながら、眠る冷泉に加賀は声をかける。そして、その寝顔をそっと撫でる。

「お休みなさい、提督」

そう言うと、加賀は部屋を後にし、隣の自分の部屋へと戻る。冷蔵庫からミネラルウオーターを取り出すと一口飲む。

 

ソファーに腰掛け、もたれかかる。

今日は、とにかく気疲れした。何日分の忍耐を使ってしまったように感じ、肩が妙に凝っているように感じた。

「疲れた」

思わず声に出してしまう。軽くシャワーを浴びたら、眠ろうか。

そう思った時、ドアをノックする音がした。

 

「こんな時間にどなた? 」

面倒くさげに扉を開くと、そこには横須賀鎮守府秘書艦、長門が立っていた。



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第97話 旗艦の覚悟

「やあ、加賀……」

扉の向こうで満面の笑みを浮かべている長門。

 

加賀は何事も無かったように扉を閉めると鍵をかけ、ドアガードをかけた。

軽くため息をつくと再び部屋の奥へと戻ろうとする。

 

すると、外から「えっ? 」という驚いたような声が聞こえたと思うと、すぐさまドアが激しくノックされる。

「おい、加賀! なんだなんだ、冗談は止めてくれ」

と、叫ぶ声が聞こえてくる。加賀は無視しようとしたが、さらにドアがノックされる。その間隔はどんどんと短くなり、おまけに無理矢理開けようとする気配を感じたため、仕方なく扉を開くことにした。

 

「何かしら? あまり廊下で騒がれると、隣の部屋の提督が起きてしまうのだけれど」

と、夜中の来訪者を窘める。

 

「……相変わらず冗談がきついな、お前は」

そう言って笑いながら長門が部屋へと入ってくる。

 

「ちょっと、あなた。誰も入っていいなんて言ってないのだけれど」

 

「気にするな。私とお前の仲だろう。そんな気遣いは無用だ」

止めようとする加賀を押しのけ、ずかずかと歩いていくと、ソファーにどかっと腰掛けた。長い足を組み、辺りを見回す。

「いやあ、さすがに名門ホテルだった建物を改装しただけあるな。ふむふむ、内装は豪華なままなんだな。初めて来てみたが、なかなか雰囲気も良い感じだし、部屋から見える外の眺めも良いな」

 

「別にあなたが泊まる部屋じゃないから、豪華だろうと貧相だろうと、どうでもいいでしょう? それに眠るだけの部屋だから、内装や眺望なんて……興味がないわ」

 

「ふうん。やっぱり……提督と一緒じゃないからかな? 」

と、ニヤリと笑う。

 

「な! 何をいきなり変なことを……馬鹿馬鹿しい」

 

「しかし、なんで提督と同じ部屋じゃないのかな」

不思議そうに長門が疑問を口にする。どうやら本気でそう思っているようだ。

 

「当たり前でしょう? 提督と私はそんな関係じゃないのだから。何を破廉恥な事を考えているの、あなた」

と、加賀が語気を強めながら答える。

 

「いや、私はそんなことを言ったつもりはないんだが。……提督は身体が不自由なのだろう? ならば誰が彼の面倒を看るというのだ。ここは舞鶴じゃない。誰も彼の世話をしてくれないぞ。そうなると、秘書艦のお前がその役割をするのが当然じゃないのかな? 」

ニヤニヤしながら長門が彼女を見つめてくる。まるで何を勝手に勘違いしているのかと責めているようにさえ思える。

 

「そ、……そそ」

言葉に詰まり、黙り込んでしまう加賀。

 

「ふ……ふ、うふふふ」

そんな姿を見て、堪えきれずに長門は笑い出してしまった。

 

「な、何が可笑しいの? 」

憮然とした表情で加賀が答える。その瞳には、明らかに不快感に似た感情が表れている。

 

「まあ怒るな怒るな。別にお前を馬鹿にしているわけじゃないんだ」

必死に笑いを抑えようと真面目な顔を作ろうとしているようだが、どうしてもうまく行かないようで、必死に湧き上がる押さえ込もうと妙に歪んだ表情で長門が弁解する。

 

「それは、どういうことかしら? 」

あえて感情を抑え淡々と質問する加賀。

 

「いや……」

なんとか真面目な顔を作り出して長門が加賀を見る。

「うん、まさかこんな風に話せるとは思っていなかったからな。そうだな……。一言で言うなら、今のお前を見て、安心したってことだ」

 

「それは、どういうことかしら」

 

「正直なところ、お前が来ると聞いて、私は悩んでいたんだよ。もし、お前と顔を会わせた時、お前と話さなければならなかった時、私はどうすれば良いんだ? どんな顔をすれば良いんだってな」

長門は時々言葉に詰まりながら、ゆっくりと話す。その表情は先ほどまでの茶化すようなものはどこにもなく、言葉も気持ちを込めた真剣なものだった。

「あの時、意図せずに赤城が沈むこととなり、結果としてお前は全ての罪を一人で背負い、苦しんでいた。全てを憎み世界中の何もかもを呪い、そして自分さえも憎んでいたな。そんなお前の気持ちが分かっていながら、私は何もお前にしてやれなかった。忙しさにかまけ、私がなすべき事を先送りにしていた。あの頃は失った戦力を補うためになさねばならないことが多かった。とてつもなく忙しかった。寝る間も惜しんで対応しなければならなかった。……しかし、それは全て私自身への言い訳に過ぎなかったんだ。本当はお前に何て言葉をかければいいか、どう対応すればいいか分からなかったから、避けていただけなんだ。私にとって、あのころのお前の存在が重すぎた。……そして、何もできないままお前は舞鶴へと去っていった。私は横須賀鎮守府の秘書艦であったのに、……否、お前の親友の筈だったのに、何もできなかった。何ら言葉をかけることができなかった。いや、そうじゃない……しなかったんだ。そうだ……為すべき事を為さなかった」

苦しそうな独白だった。

 

加賀は首を横に振る。

「あの時の私に何を言っても、聞く耳を持たなかった。何をやろうとも私は拒絶し、かけられた優しさに対してさえ、傷つけようとしたはず。だから、あなたは何も悪くない。私が一人、殻に閉じこもっていただけ。あなたが気に病む事じゃないわ」

 

「そう言ってもらえれば、少しは気が楽になる。けれど、聞いて欲しいんだ。私の気持ちを。私は悩んでいたというより、正直、怖かったんだ。お前と会うことが怖かった。親友なのにお前に何もしてやれなかった。そんなお前が再びこの地に戻ってくるなんて。ここを去ったときと同じ状態だったらどうしようかと思っていたんだ。どうすればいい? なにをすればいい? だから必死でいろいろと考えた。私がお前に何ができるかを。あの時できなかった事、なさなければならなかった事、今度こそ、その少しでもいいからお前の心の重荷を少しでも軽くしてやれることがないかって……」

 

「その気持ちだけで充分よ。……それだけで嬉しい。今の私には、十分すぎるわ」

目の前で独白するかつての戦友に、加賀は微笑みかける。それは、心からの感謝のつもりだった。自分が自分に課せられた苦しみの中で藻掻いていた時、長門も同じように苦しみ悩んでいたのだ。そんなことに思いをはせることさえできず、自分だけが不幸を背負い込んでいたと思いこんでいた事が恥ずかしかった。そして、友の気持ちに感謝した。

「ありがとう、長門」

 

「そう言ってくれるだけで、私も嬉しい。……しかし」

長門は加賀を見つめ頷くと、少し間をおいた。

「あの時、お前が横須賀を離れる姿を見ていたせいもあるんだが、ここまで立ち直れるなんて想像もできなかった。よくここまで明るさを取り戻せたな。それが正直な私の気持ちなんだ。一体、何があったんだ」

 

「……私が気づくのが遅かっただけなの。それだけのこと。みんな、私の事を心配してくれていたのに、私は自らが作りあげた殻の中に閉じこもり、全てを拒否していた。横須賀でも、今いる舞鶴でも……。ずっとずっと、みんなの優しさに包まれていたのに、それから目を逸らして拒絶し避けていた。全く、馬鹿よね……そんな当たり前の事に気づくことさえなかったのに。でも、そのことを気づかせてくれた。暗闇の中の私に手を差し伸べてくれた」

加賀は、自分の身体を両腕で抱きしめるような仕草をしながら語る。

 

「気づかせてくれた人……それが冷泉提督だった、ということか」

その問いに、加賀は頷くだけで言葉では答えなかった。

 

「そうか、そうだな。今のお前を見ているだけで想像できる。冷泉提督は相当素晴らしい人のようだな」

 

「フン。人間としては、褒めるとすぐに調子に乗るし、気が多くて艦娘みんなに手を出そうとするような基本ドスケベだし、根拠もなく偉そうだし。提督としても人間としても、半人前だわ」

視線を右に逸らしながら加賀が今の提督の評価を語る。表情からは、照れているのか本気で言っているのか分からない。

 

「なかなか辛辣な意見だな。……それにしても、珍しいな」

 

「何がかしら? 」

 

「お前が誰かのことをそんなに語る事がだよ。基本クールで人間のことは必要最低限しか関わろうとしなかったお前が、そこまで誰かの事を批評するなんて今まで無かったからな。生田提督ですら、そこまで言わなかったように思うんだがな」

 

「そ、……それはたまたま口にする機会が無かっただけで、自分の上司や同僚になる人間については分析していたわ。何を変なことを言うのかしら」

早口でまくし立てるように反論する加賀。

 

「ふーん。まあ、それならそれでもいいさ。……しかし、なんだな」

 

「何かしら」

警戒するような目で長門の様子を伺う加賀。まだ何か余計なことを言うのかと構えているようにさえ見える。

 

「いや、お前の様子を見ていると、なんだか舞鶴は楽しそうだな」

 

「……まあ、確かに賑やかではあるわね。いろんな子もいるし」

 

「そうか……。うん、決めた! 」

 

「な、何をよ! 」

突然、大声を出した長門に驚いた表情で答える加賀。

 

「私も舞鶴鎮守府へ異動願いを出すことにしたぞ」

 

「は? 何を言い出すの、あなた。どこかで頭でも打ったの? 」

一瞬惚けた加賀であったが、すぐに冷静な口調になる。

 

「横須賀には、大和と武蔵の二人が着任した。ここはもうあの二人に任せればいい。私は私のやりたいことをやってみたい。これは良い機会だよな。ずっと余所の鎮守府に行ってみたかったんだ。そこで自分の力がどこまで通じるか試してみたかった。舞鶴鎮守府は、まさに私の理想にピッタリだ! それに……」

 

「駄目ぇーーーー! 」

長門の言葉を遮るように、加賀が叫んだ。

「絶対にダメダメ! 駄目なんだから駄目よ」

明らかに動揺した態度で否定をし続ける加賀。顔を上気させ、目を見開いたまま睨むようにしている。

 

「……どうしたんだ、加賀? 」

あまりの友人の変化に戸惑いながら長門が問いかける。しかし、その声は彼女には届いていないように思える。なにやらブツブツと独り言を言っている。

 

「絶対駄目だわ。これは認めてはいけない。長門みたいな艦娘が鎮守府に来たら、提督がどうなるか分からない。黒髪でロングヘア、そして巨乳。これは、絶対に提督の好みなんだから。そして、真面目そうに見えるけど実は……っていうギャップもある子だから、興味を示さないはずがないわ。またあの人、絶対にちょっかい出すに決まっているもの。……もう、どうすればいいっていうの。ただでさえ、金剛や高雄みたいなのがいる上に、島風や叢雲みたいな子もいて、みんな提督が好きみたいなのに、長門まで来たら、どうしたらいいっていうの。ライバルが多すぎる。私じゃ、勝ち目なんてないじゃない。ああ、どうしたらいいの。どうしようどうしよう……」

加賀は、両手で頭を掻きむしり、独り言を続けている。

 

「……加賀、おい、加賀? 加賀さん、聞こえてますか」

恐る恐る声をかけるが、まだ自分の世界から戻ってきていないように見える。このまま放置もできないので、肩を何度か叩く。加賀の瞳からは光沢が失われていて、焦点が合っていない。長門を見ているはずなのに、遥か後方にピントが合わされているように見える。叩いても反応がないので、肩を揺すってみる。

 

「……」

なんとか瞳に光が戻ってきたように見える。

「え? どうしたのかしら」

虚ろな表情で加賀が答えた。

 

「ふう。一時はどうなることかと思ったぞ。何かいきなり深刻そうな顔をしたかと思ったら、急になんかネガティブな発言を繰り返すもんだから。正直、驚いてしまったぞ。お前、そんな性格だったかな」

 

「へ、変なことを言ってたの」

 

「いや、まあ別に大した事は言ってなかったぞ。舞鶴では恋のライバルが多くて困っているというのと、私が巨乳で黒髪ロングだから冷泉提督のタイプだから困るって事くらいだ。そうかそうか。冷泉提督は乳がでかい女が好みなんだな。それなら、加賀もタイプの女性ってことになるな。わはははは」

その言葉を聞いた途端、加賀の顔が真っ赤になる。

 

「あうあうあう」

手をバタバタと振り、何かを言おうとするが言葉になっていない。

そんな友人の姿を見ながら、長門は楽しそうにニヤニヤと笑っている。

 

「別に気にやむ必要は無い。私はお前の恋のライバルになろうなんて思っていないからな。お前はお前の魅力を発揮して、冷泉提督の心を手に入れるんだ。私は、冷泉提督の愛人として幸せになるから」

そう言いながら、何やら幸せそうに笑う長門。

 

「は? あなた、何を言っているの」

 

「いや、何の事はないぞ。私のことなど気に病む必要など無い。お前は自らの魅力を武器に提督の心を手に入れればいいんだ。そして、お前が冷泉提督の恋人となり、私はそれを知りながら冷泉提督に近づいて誘惑し、私達は隠れて付き合う事になるのだ。親友に隠れてその恋人と付き合う……。ああ、なんという絶望的な背徳感。もし、ばれたら、恋人もそして親友も両方を同時に失ってしまうという恐怖。二人は隠れて爛れた関係に……。提督もそれを知りながら、関係を絶つことができずに煩悶する。ああ、考えただけでも、悩ましい悩ましい。ああ! 悩ましい」

今度は、一人籠もって鼻息も荒く興奮している親友の姿を見て、呆然とするのは加賀の番だった。普段はまじめで凛々しいのだが、あるきっかけで妄想の世界に旅立つこの艦娘の姿を知るものは少ない。

冗談のように聞こえるが、おそらく、彼女は本気で言っているはずなのだ。

 

「本気で言っているのかもしれないけれど、いえ、恐らく本気なんでしょうけど、聞かなかった事にしておくわ。前提条件からして、ありえないのだから、あなたの妄想ということにしておくから……」

一瞬だけ危機感を持った加賀であったが、よくよく考えてみれば、長門が舞鶴鎮守府に来るはずがない事に気づき、人知れず胸をなで下ろしていたのだった。

長門は、横須賀鎮守府の旗艦なのだから。そんな彼女が余所の鎮守府に行くことなどありえない。何故なら、横須賀が日本の鎮守府の頂点にあるからだ。一番上の鎮守府の旗艦である彼女を他の鎮守府に持って行くことなど、降格人事の何者でもなく、それは絶対にありえないことだったのだ。彼女が旗艦でなくなる時、それは退役の時しかありえないのだから。

「あなたが横須賀を離れられるわけが無いじゃない。横須賀鎮守府の旗艦は、日本国の旗艦なのよ。そのあなたが、格下の鎮守府へ異動なんてできるわけないじゃない。そんな前例なんて無いし、そんな事は許されないわ。そして、何より、あなたのプライドが許さないでしょう? 」

当たり前のことを当たり前のように、加賀が言う。

 

「……」

しかし、長門は黙り込んだまま、次の言葉を発さない。思い詰めたような、深刻な顔のままだ。

 

「ねえ、まさか……本当なの? 」

息をのむ加賀。

 

「お前の言うとおりだ。間もなく横須賀鎮守府旗艦は、戦艦大和になる。……私は、旗艦の任を解かれることになるんだよ」

 

「そ、そんな。……だとしたら、あなたはどうなるっていうの? 」

唖然とした表情で問いかけるが、長門は少し考え込むような素振りを見せる。そして、大きく深呼吸をして、告げる。

「横須賀鎮守府の旗艦を解かれたら、お前の言うように、次に行くところは無いし、私も行くつもりは無い。故に、この先については既に決まっている」

 



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第98話 プライド

「長門……あなた、それで、これからどうするというの? 」

 

「ふ……お前の言うとおりにしかならないだろうな。旗艦を勤めていた私を、そのまま横須賀に置いておけるわけがないだろう。そうなると当然、新しい赴任先を探し求める事になるわけなんだが、ヤレヤレ、出世しすぎるっていうのも考えものだ……さすがに今更、他の鎮守府に私を持って行くことなどできるはずもないからな。たとえ、そこの鎮守府の旗艦の座を準備したとしても、誰が見たって降格にしか見えないからな。さらに、それまでいた旗艦の艦娘の立場も無くなってしまう。私に押しのけられて、その座を明け渡した形になってしまい、その艦娘のプライドも傷つけてしまう。私が行くことで、艦娘間の関係がギクシャクするようでは、話にならない。つまり、どちらにしても、現実的な案ではないということだ。そういうわけで、あるとすれば、退役艦として、博物館にでも入るしかないんだろうな……。しかし、今の戦況ではそんなことは許されないし、政府や国民に説明がつかないだろうな。そして、私はどちらも選択したくない」

達観したような、他人事のような口調で淡々と話す。

 

「だったら、何か考えがあるというの」

当たり前のことを当たり前のように話す長門に対し、少しだけいらつきを抑えられずに加賀が問いかける。

 

「お前がそんなに心配する必要は無いから安心してくれ。すでに、次に私がどうするかは、決まっているんだよ、加賀」

 

「立場上、異動もままならないあなたがどうするというの? 」

 

「……お前は知っているか? もちろん、知っているだろうな。現在、横須賀鎮守府の攻略目標である南海領域での戦いにおいて、これまでに無いくらい手こずっていることを」

 

「それは知っているわ。深海棲艦側もそこは重要拠点と見ているようで、相当数の戦力を集中させているようね。さすがの生田提督の知略とあなたたちの戦力をもってしても、落とすことができないでいることくらいわね」

 戦艦長門以下、日本国の艦隊の中で、最強最精鋭を誇る艦娘を揃える横須賀鎮守府ですら、今回の南方域攻略の糸口が見つけられない状態となっている事は、加賀は冷泉から聞いていた。資料を見ると、敵に有利な地形であることと、敵が量・質ともに強力な布陣で防衛しているようだった。

 けれど、苦戦している本当の原因について、加賀は思い当たる事があった。それは、先の海戦において正規空母赤城を失い、その影響で同じく正規空母であった加賀も戦力にならない状況となってしまい、鎮守府を去っていった状況では、航空戦力が大幅に落ちているのは間違いない。そして、その正規空母の二人がいないことが生田提督はもちろん、横須賀の艦娘たちに相当な負の影響を与えているのは想像に難くない。赤城のリーダーシップがどれだけ横須賀鎮守府艦隊の支えとなっていたかは、一緒にいた加賀が一番知っている。そして、原因の一つには加賀が居なくなったことも関係しているのは間違い無い。それを認識しているがゆえ、加賀

の声は遠慮がちで弱々しくなっていく。

 

「おいおい、加賀、勘違いするなよ。私はお前を責めているわけではないよ。私はもちろん……提督も、他の艦娘たちもお前がここを出て行ったことについて心配はしていても、その事を責めることなど一度たりとも無かった。それだけは間違いない。それに、たとえ赤城とお前の二人が居たところで、今回の戦いは苦戦していることは間違いない。絶対的な火力不足があることは間違いないのだから。だから、大和と武蔵がこの鎮守府に来たんだ。そして、必勝の作戦が立案されたのだ」

長門は告げる、今回の作戦について―――。

 

 横須賀鎮守府南方にある敵拠点。これまで幾度かの奪還作戦が行われ、ことごとく失敗に終わった。かつてないほどの高難度領域であり、敵戦力も強力であった。そして、敵の戦術もこれまでとは異なっていたことに対応し切れなかったという問題点もあった。しかし、それだけでは説明しきれない、納得いかないこともいくつかあった。それは、作戦実行において敵側に先手を打たれることが頻発し、後手後手に回ることになり、不利な戦いが続いていた。奇襲をかけたはずなのに、そこで敵が待ち構えていたり、撤退先に敵が先回りしていたり……など。

 

これについては、日本軍の作戦が事前に敵側に漏れているのではないかという疑念を生田提督は持っていたようだった。

 

 そういった状況の中、今回の作戦は、装甲空母大鳳を旗艦とした機動部隊を先行させ、これを囮として敵主力部隊をおびき寄せる。その後、戦艦長門を中心とした主力艦隊ががら空きとなった敵本拠急襲するという作戦が立案された。しかし、あくまでそれはダミーの作戦であり、この作戦が敵への漏洩を前提として立案されていたのだった。敵は作戦情報を把握し、囮の機動部隊を無視し、油断しているであろう長門旗艦の主力部隊を攻撃する。しかし、実際には長門の艦隊が囮であり、長門の艦隊を攻撃している間に実際の主力艦隊である大和、武蔵を編入した艦隊が敵本拠に突入、機動部隊も反転突入して主力艦隊と合流し、本拠地を殲滅する作戦になっていた。

 通常であれば新造艦は弾薬の搭載や戦闘システム等の調整を進水式後に行う必要性があるため、すぐには作戦には参加できないという一般的な常識ある。その常識を逆手にとっての作戦だった。実際には、進水式以前に大和と武蔵は、極秘裏に弾薬の搭載および戦闘および運行システムの調整と試運転を完了させていた。それを隠匿しての進水式への登場となったのだった。進水式などはマスコミを含めた外部への欺瞞行動に過ぎなかったのだ。

 さらに、横須賀鎮守府の旗艦長門がまさか囮艦隊の旗艦として出撃するなどありえないという常識を覆す二段構えの作戦となっていたわけである。

 

「あなた、この作戦の意味がわかって言っているの? 」

作戦の全貌を聞いた加賀は、明らかな怒りをもって問いかける。

 

「ああ、勿論だとも」

 

「……本気で言っているの? 」

 

「私はいつでも本気だよ。少し会わない間に、そんなことまで忘れたのか」

とぼけたように答える長門に、加賀は苛立ちを隠せなかった。

 

「囮ということは、敵艦隊の全兵力があなたの部隊に向けられるということよ。そして、領域に侵入できる船舶の数は限られている。この作戦は一つの領域に三つの艦隊を派遣することになるのよ。一つの艦隊に最大数である六隻を編成することは不可能。必ずどこかの艦隊が割を食うことになるわ。そして、当然、それはあなたの艦隊になるでしょう」

 深海棲艦襲来後、領域に侵入できる艦船の数は、しばらくは一艦隊の最大6隻となっていた。しかし、さまざまな研究や試行錯誤の結果、連合艦隊を編成することにより、6隻という上限を越えて進入することができる領域というものが存在するということが解明された。それにより戦略に幅ができ、高難度であった領域でも攻略できる確立が上がった画期的な事態だった。

 連合艦隊とは2つの艦隊を組み合わせたもので、最大12隻の艦娘で敵艦隊に挑むことになる。そして、特定の領域では、この連合艦隊を活用して攻略していくことになった。ただし、その領域数は限定されるうえに、敵深海棲艦の戦力も通常領域よりはるかに強大となっている。

 

「もちろん、それも承知の上だ。今回、領域開放には私を含め12隻の艦が出撃することとなる。先行する機動部隊が5隻、後続部隊が6隻になるな」

 

「ば、馬鹿なの! それじゃあ、あなたは一人の護衛もつけずに敵主力と交戦するというの? 」

 思わず加賀が叫んでしまう。

 

「当然のことだろう? 敵を倒すためには私の護衛にさけるような余剰戦力などないからな。私もデコイではあるが5隻の随伴艦を伴うこととなる。……デコイといって侮るなよ。最新のデコイは見た目もデータ上でもほとんど見分けがつかないくらいに精巧に作られているのだからな。よほど接近しないかぎりは、わからないほどだぞ」

 平然と長門が答える。

 

「ありえない……。そんな作戦なんてありえない。提督は乱心でもしたというの? 横須賀鎮守府艦隊の旗艦を、いえ、ずっと共に戦ってきた仲間を、捨て駒にするような作戦を提督が立てるはずがないわ、絶対に」

 加賀の知る生田提督は、戦いにおいては常に冷静沈着で、少しとっつきにくい性格ではあったけれども、いつでも艦娘のことを考えていてくれた人だった。人と異なる意思を持つ兵器である加賀たちを、彼は、同じ人間として扱ってくれた。そんな提督が勝利のためとはいえ、見捨てるようなことを考えるなど信じられなかった。しかも、先の戦闘において、赤城を目の前で失っている彼のことだ。どんな事情があったとしても、艦娘を死なすような事態に耐えられるはずが無い。

 

「……ああ。作戦を立案したのは提督では無い。これは軍令部によるものだ。だがしかし、この作戦については、私も同意している。この作戦は理にかなったものだと私は思っているからな。もちろん、この作戦については提督も承知していることだ。」

 

「嘘、嘘だわ。私情に囚われることなく、常に勝利を最優先する提督であっても、艦娘を犠牲にして勝利しようなんてことは絶対に考えない。そんな勝利をもっとも嫌う人だから。何か、何かあるのでしょう? そんな作戦、受け入れるはずが無い、納得できるはずが無いわ」

 長門に詰め寄り、加賀は彼女の両肩を掴む。顔を近づけじっと見つめる。

 あまりに真剣な瞳の加賀に、耐えられずに目をそらしてしまう長門。

 

「……事情があるんだよ、提督にも」

 

「どんな事情というの? あなたを見捨てるような事情なんて、どんな事情なの」

 激しく追及してくる加賀。

 

「これは……横須賀鎮守府の事情でもある」

 苦しそうに長門が答える。

「先の戦いにおいて、赤城が深海棲艦化しただろう……。あの原因はいまだ特定されていない。手がかりすらまるで無い状況だ。だが、それゆえにあの事象が原因で、横須賀鎮守府の他の艦娘にも何か問題が生じていないかという疑念を軍部が持ってしまったんだ」

 

「そんな疑念だけで物事を動かせるはずがないわ」

 

「いや、疑念だけで十分なんだよ。横須賀の突出した戦果、突出した昇進を続ける生田提督に脅威を持つ軍の中の一部の勢力にとってはな。いつの時代も、どんな危機的状況にあっても足を引っ張ろうとする勢力が蔓延っているものなのだ。そして、この疑念を彼らは増幅させたんだ。もともと艦娘という強力な力を持つ得体のしれない存在に、潜在的な恐怖感情を持っている人々にとってはそれは効果てきめんだった。反生田派とも言われる勢力が増強されてしまった。彼らはさまざまな手を使い、政治的に提督の包囲網を作り上げたのだ」

 結果としては、横須賀鎮守府は戦艦大和と武蔵という最強の二隻を得ることになる。何も知らないものから見れば、長門という戦艦を失うことになるが、それでも単純な足し算ではプラスに見えるだろう。ただし、本当は赤城に続き長門というともに戦ってきた信頼できる仲間を失うこととなるのだ。

「そして、大和と武蔵は軍令部が、否、今回の作戦を立案してきた勢力が送り込んできた軍艦であることを考えれば、今後、生田提督の思うように動いてくれるとは限らないのだがな」

 

「こんなときこそあなたが提督を支えるべきでしょう。あなたがこの作戦を拒否すれば、提督も承諾などしない」

 

「提督はすべてを理解した上で、それでも承諾してくれたんだよ、加賀」

 

「言っている意味がわからないわ」

 

「作戦を承諾するしないに関わらず、大和と武蔵は増強のために横須賀に着任することになる。これを拒否する理由はないから、提督も受け入れるしかない。そうなれば、私は、横須賀にはいられない。そうなれば、私は旗艦の座を明け渡すことになるだろうし、無印の状態でこのまま横須賀にいることはできないし、耐えられないだろう。そして、艦隊旗艦の座を与えれても他の鎮守府に移ることもできない。私のプライドを敵対勢力に利用されてしまったことになるのかもしれない。戦闘に参加できない艦はもはや不要な鉄塊でしかない。私は第二帝都東京に戻らされ、ずっと港で待機か解体かのどちらかの運命しか残されていないのだろう」

 

「そ、そんな」

 加賀は呻いてしまう。

 長門のプライドの高さは良く知っている。ゆえに残された道は彼女のいう場所しかないのだろう。旗艦以外で横須賀に残るとか、他の鎮守府の旗艦を努めるなどということは決して認められず許されないのだろう。

 

「日本海軍を代表する戦艦として生まれ、また温存され、今度も私は死に場所を失ってしまうのか? 私は、嫌なんだよ、そんなことは。軍艦として生まれたのなら、戦場で戦って死にたいんだ。日本海軍旗艦という誇りをもったまま。前世のような死に方はしたくない……」

 長門の頬を涙を伝うのを加賀は見てしまった。おそらく、これまで誰にも見せたことのない涙だ。

 そして、加賀は気づいた。生田提督が今回の作戦を承諾した理由を。彼は長門のプライドを認め尊重したために、今回の作戦に同意したのだと。たとえ、敵勢力に利する行為であったとしても、彼女の誇りを優先したのだということを。最強の横須賀鎮守府旗艦として逝く道を、彼女に選択させたのだと。

 生田提督に敵対する勢力にとってはこれは大きな勝利だろう。横須賀鎮守府を支える大きな柱を取り除くことに成功したのだから。赤城、加賀、そして長門までが横須賀鎮守府を去ることになる。さらに、自分たちの息がかかった大和と武蔵を送り込むことにも成功した。これまで突出した立場にあり、軍令部を上回る力を持ってきている横須賀鎮守府という勢力の大幅な弱体化が図れただろう。 

 この状況を挽回するには、生田提督はどれだけの戦い、深海棲艦だけでなく人間との戦いにも勝利しなければならないのだろう。それを考えると、加賀は胸が苦しくなるのを感じた。

 

「なんて汚い連中なの」

 加賀は姿の見えない敵に対して激しい憎悪を感じた。



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第99話 ともだち

「詮無き事だよ、すべてが」

すべてを悟ったように、そして、すべてを諦めたように語る長門に対して、加賀は無性に腹が立った。

「死んでしまったら、そこですべてが終わってしまうわ。何があっても、生きていればきっと良いことがあるの。だから、長門……あなたは生きるべきよ」

そう説得する加賀であるが、その言葉の虚しさを一番自分が知っていることを感じていた。

 

「加賀、お前は人生において訪れる、判断や選択を行わなければならない時について、考えたことはあるか? 決断すべき時が来たというのに漫然とその時を逃してしまえば、人はその事を後悔してしまう。最悪の場合、心はすでに死んでいるというのに、何の意味も感じることもなく無為に生きていかなければならなくなる。今の私にそんな決断のときが訪れているんだよ」

長門は静かに語る。

彼女はすでに決断をしているようで、どんな言葉をもってしても、加賀では彼女の気持ちを翻意させることは難しいとしか思えない。どう足掻いてもどうすることもできないのか? 加賀は焦ってしまう。

「そうだわ、提督に、冷泉提督に相談すれば……」

 

「だめだ! ……加賀。止めてくれ、それだけは、絶対にするな」

厳しく否定されてしまう。

「確かに、お前の提督なら、関わりの無い私のためにでも、なんとかしようとするかもしれない。そして、彼の尽力で私が舞鶴に行く事になるかもしれない。けれど、それは私が思い描く未来ではない。はっきり言わせてもらえば、それは大きなお世話だ。どうしようもないことなんだけれど、私は横須賀の【旗艦】長門のままで終わりたいんだよ。決して舞鶴鎮守府がどうこう言うつもりはないから、気を悪くしないでくれよ。けれど、私には行けないんだ。舞鶴は私がいるべき場所では無い、……絶対にな。私がいるべき場所は、ここ、横須賀鎮守府しか無いんだよ。だから、このことは絶対にお前の提督には話さないでくれ」

 

「けれど……きっと、提督なら」

縋るような思いで加賀は答える。

 

「それ以上言うな、それ以上考えるな。お前の気持ちだけで十分なんだよ。もし、このことを冷泉提督に言ったとしたら、私はお前をもう友達とは思わないからな。きっとお前の事を嫌いになるだろう。そして、お前の事を一生許さないと思ってしまうだろう。だから、やめてくれ。私にそんな思いをさせないでくれ」

あまりにも強く言われ、加賀は次の言葉を紡ぎだす事ができなかった。ただ単純に長門に嫌われたくないからだ。

「すまない……強く言いすぎたな。お前が私の事を心配してくれるのは本当に嬉しい。ありがとう。でもな、今回の事、これは命数なんだよ。お前から見れば、ただただ不幸な運命かもしれないけれど、それでも私が望んだ結末でもあるんだ。戦艦として戦いの中、勝利のために死ねる。これは、前世からずっと私が求めていた事なんだよ。もちろん、これは最良の結末じゃないけれど、様々な選択肢の中ではより良い選択だと思っているんだ。私の人生を振り返ってみると、今生は、前世と比べれば遙かに幸せな人生だったと思える。常に戦いの最前線でいられ、提督という有能で信頼できる上司に恵まれ、素晴らしく頼りになる仲間に囲まれ……てな。けれど、幸せな時間は永遠には続かないんだ。無常に、いつか終わりが来る。それが今なんだと、私は思っている。引き際を誤れば、より最悪な未来が待っている。選択するならば今、そして選択肢はこれしかないんだよ」

 

「そんなのダメ。死なんて選んだら絶対に嫌! 生きていたら……すべてを諦めて、すべてを遠ざけ、すべてから逃げるために死にたいと思っていた私が、何を偉そうにって思うかもしれない。でもね、、今ならはっきりと言えるわ。生きてさえいれば、きっと良いことがあるって。どんなに辛くても、生きるべきなのよ。きっと、誰かが認めてくれる。救いの手をさしのべてくれる。いえ、救いの手は常に差し伸べられて居いたのに、それから目をそらしていたことに気づかせてくれる人が現れてくれるわ。私は、何があろうとも生きたいって今は思っている。長門だってきっとそう思える時が来るはずよ」

必死になっていたせいか、つい、加賀は全然関係のないことを口にしてしまい、思わず赤面してしまう。

そんな加賀を見て、長門は笑ってしまう。

 

「……変わったな、加賀は」

 

「そんな……」

 

「ほんの少し前は、死神に取り憑かれたような顔をしていたのに、今は人に向かって生きろと言えるようになるなんてな。驚きしかない……人との出会いは、私達艦娘の生き方考え方さえも変えてしまう力があるのかもしれないな。良かったよ。本当にいい人に巡り会えたんだな」

静かに長門が言う。安心しきったような瞳で、加賀を見つめている。

 

「そ、そんなこと無いわ。あの人は、信じられる上司だと私は言っているだけで、あなたの言うようなそんな変な事を考えているわけじゃ……。それに、そもそも提督がどう思っているかなんて、全然分からないんだから。あの人は気が多くてスケベなくせに、はっきりしないで優柔不断でフラフラして思わせぶりな態度をみんなにとってばかりで、やきもきさせられるだけで……あれ、えっと、私、何を言ってるのかしら」

 

「うん……安心したんだよ」

と大きくうなずく。

 

「え? 何が」

すっとんきょうな声を上げてしまう加賀。

 

「思い残す事は、私にはもう無いってことだよ」

 

「何を言っているのか、意味が分からないわ。それは、どういうことなの? どういうつもりなの? 何を考えているの? 」

 

「赤城がまだ横須賀にいた頃、すでに大和と武蔵の二人がこの鎮守府に来るという話はあったんだ。その時は凄く遠い世界の話のように感じていた。それでも、ぼんやりと来るべき時がやてくるんだな、とは思っていた。そして、赤城が沈み、話が現実味を帯びてきた。その頃には私の中で覚悟はできていたんだ。ついに、この日が来るんだと。けれど、そんな私にも一つだけ気がかりな事があった。……それがお前のことだ。お前はあの頃、精神的に落ち込み、常に死に場所を求め彷徨いつづけていた。生きる希望をすべて失ったようなお前を残し、私まで逝く事となったら、その時、お前がどうなってしまうのか……。それ考えただけで、私はどうしていいかわからなかった。なんとかしてやらないという義務感はあったけれど、どうしていいかまるで検討がつかなかった。ずっと悩んでいたんだよ。……けれど、もう大丈夫だな。お前には大切な人が、守るべき人ができたようだ。やっと、生きる意味を見いだしたようだな。それを知ることができただけで、私は満足だ。これで何一つ思い残すことなく、今生では最後の戦場に出ることができのだからる」

そう語る長門には、迷いはまるで感じられなかった。

 

「それで、……本当にそれで構わないの? 」

 

「無論だよ。軍艦として戦い、そして散る。私に相応しい最後の舞台を与えられた。無駄死にでなく、勝利するための意味ある死を与えられるのだから、何を迷う必要があるのだろうか。私は、日本海軍の旗艦としての誇りを胸に、最後の任務を遂行するのみだ。そして、後顧の憂いも無くなったのだから、これ以上望むことなく、戦えるんだ」

その言葉を聞きながら、加賀の瞳からは涙が溢れ出るのを感じる。感情の高ぶりは押さえることができない。

「嫌、嫌よ! 」

いきなり感情が溢れ出て来る。止められない。

「あなたが沈むなんて、認めたくない。認められないわ。なんであなたが死ななければならないの。まだまだ生きるべきよ。たとえ勝利するためといったって、貴方が沈んだらその勝利は貴方にとって意味があるといえるの? そんなものに何の意味があるの」

 

「個を捨てるのは当たり前だろう? 死を恐れる気持ちは無いとは言わない。けれど、私の命でこの局面を打開できるのであれば、何を迷う必要があるのだろうか。それは正規空母であるお前だって分かってくれるだろう? 」

泣きじゃくる加賀の視線からは目をそらしながら、長門なりに説得を試みているようだ。

 

「そんな事、分からないわ。分かりたくない。……私は、もう誰も失いたくないの。赤城さんだけじゃなく、あなたまで居なくなるなんて寂しすぎる。耐えられないわ。私はもう友達を失いたくない」

それは加賀の本音だった。長門を説得しているつもりが、実は自分が友達を失いたくない。だから、死ぬような作戦になんて参加するなと自分勝手な理屈を押し付けていることを加賀も分かっているけれど、それを止められない。理屈なんかではない。ただ、嫌なのだ。友達が死地に向かおうとすることを許せなかった。

 

「……軍艦である以上、死からは逃れられない。戦いから逃げる事などできない。これは私達に課せられた宿命だ。それがわからぬお前ではないだろう? これ以上の議論は無用だ」

長門は加賀の言葉を遮るように言う。それは、まるでこれ以上の説得を受け入れるつもりはないと言っているかのように。

「私は私の定められた道を行く。お前はお前で、今与えられた運命を全力で生きなければならない。私は横須賀鎮守府の勝利のために戦う。否、生田提督の勝利のために戦う。そして、お前は冷泉提督のために、彼を守るために戦うのだ。己が使命を果たすのだ。それが私達艦娘の生きる意味なのだからな」

そう言うと、長門は頷き、部屋を去っていく。

 

「待って、待ちなさい。まだ話は終わっていないわ」

長門は必死に縋ろうとする加賀の声を聞こえないかのように、振り返ることもなく消えていった。

 

誰も居なくなった部屋に取り残された加賀は一人枕に顔を埋めるようにして、泣くしか無かった。

長門が言うことが理解できないわけではない。むしろ、当然のことのように理解できる。けれど、今の自分と彼女を比べてしまい、罪の意識に苛まれてしまうのだ。

過酷な運命を背負わされた長門。それに比べ、みんなに迷惑をかけるだけかけて、横須賀を逃げ出したくせに、自分は尊敬でき信頼できる、そして人として好きになった人を自分の上司として得ることができた。自分だけが幸せになっているのに、赤城は戦いに散り、長門は今まさに戦いの中、逝こうとしている。自分だけが幸せになり、親友と呼べる人たちは死んでいく。その後ろめたさに耐えられそうにないのだ。そして、それだけでなく、親友と呼べる者が完全に居なくなることが辛すぎた。

 

どうにかならないの?

どうにかできないの?

誰か助けて。……お願いします。

 

必死に願うが、それが叶うはずのない事を一番知っているのが、彼女だった。

 

 

 

 

――――

 

横須賀鎮守府に行ってから、秘書艦の様子がおかしい……。

そんなことを考えながら、冷泉は隣の席で執務を続ける加賀を見る。

彼女は、書類をめくっては戻しめくっては戻しを繰り返している。ただ左から移動しそれがまた戻るといった動きを繰り返す書類。一体、何をしているんだろう?

 

帰りの列車の中でもずっと黙り込んだままで、話しかけても要領を得ない答えが返ってくるだけで、基本ぼーっとしているだけだった。

今は更に状況が酷くなっているように思う。普段の加賀からは想像できない状態を続けている。心ここにあらず状態を続けているために加賀らしくない単純なミスも連発して、そのたびに顔を真っ赤にして冷泉に謝るといった事を繰り返している。

明らかに何かがあったのは間違いない。けれど、その事を問いただしても「何でもありません。ちょっと疲れているのかもしれないわ」というだけで、教えてくれるつもりはないようだ。

 

もともと頑固な性格の彼女だから、あまりしつこく聞くと怒られるだけで、決して本当の事を教えてくれないだろう。なので、とりあえずはそれ以上の追及はやめることにした。

本当なら、もっときっちりと確認すべきなのだろうけど、冷泉は冷泉で頭が痛くなる難問を抱えていたため、そこまで気が回らなかった。

 

彼の抱えた問題は、彼の体の麻痺が未だに治っていない事に起因する、鎮守府の今後にも直結する重大な問題だった。

 

鎮守府に着任してから、何度か大怪我をした彼であったけれど、原因は不明だけれども医師も驚くほどの回復力で、常任の数倍の速さで治っていた。異世界から召喚されたボーナス的なものだろうかと勝手に推測していたのだが。

それゆえ、今回の麻痺、まあこれは結構重篤な状態だろうけど、なんとかなると高をくくっていた。けれど、未だ右手以外は動かせるどころか全くの感覚も復旧できないでいた。確かに神経系がかなり破壊されているらしいために、日常生活のほとんどをひとりでできないままだ。いろいろとやってみるものの、まるで反応がない。こんな状態だから、当然ながら執務にも支障が出てきている。

 

はたからみたら、それはより一層深刻な事態に見えるらしい。

実は、横須賀鎮守府に滞在した時にさっそく対面面接を命じられた。

人事担当者2人と軍医の計3名にいろいろと状況を根掘り葉掘り聞かれた。そして、宣告されたのだ。

「現在の状況が続くようであれば、さすがに執務への影響が大きすぎると考えられるし、提督ご自身もつらいと思われます。一度、長期休暇を……できれば休職扱いとしてリハビリに専念された方が良いと考えます。軍が全面的に提督の復帰に向けたサポートを行いますので、安心してお休みいただければと思います」

これに対しては、現状のまま放置するわけにはいかないと抵抗したが、ほぼ全身不随の状況の職員に鎮守府の指揮は無理であろうとの当局側の意見を突きつけられた。健康と軍務のバランスを考えた結果、一度長期に休んだほうがいいということがほぼ決定事項のようだった。

 

もし、休んでしまえば、これを好機と一気に他勢力が勢いづき、冷泉が舞鶴に戻ることはほとんど無理だろう。だから絶対にそれは認められない。どんなことをしてでも、体を動けるようにしなければならないし、してみせる。なんら根拠は無いが。

 

そこで冷泉は、彼らに宣言した。

一ヶ月のうちに全快してみせる。だから、それまで待ってもらいたいと。

 

「では、それが叶わない場合はどうされますか? こちらとしてもいろいろと準備もありますので」

当たり前のように、そんな言葉が返ってきた。

売り言葉に買い言葉で、冷泉は答える。

「その場合は、君たちの進めるように休職にでもなんでもしてもらって結構」

 

時間は少し必要なものの、人事サイドの思惑どおりに本人も承諾したということで、一ヶ月の猶予が与えられることとなった。

 

冷泉は、わずかな期間で全身麻痺からの回復をしなければならなくなったのだった。なんら医学的根拠もない状況というのに。

冷静になったときに少しだけ頭を抱えたが、どちらにしてもリハビリで鎮守府から遠ざけられる結果には変わりなく、一ヶ月でも引き伸ばせたのだから交渉としては、こちらの勝利だと勝手に納得したのだった。

 

さて、どうやったら回復できるんだろう?

……まあ、なんとかなるかな。

そう思うしか無いよな。

 

と、楽観的思考に終始する冷泉だった。



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第100話 大切なもののため

そんなこんなで……表面的には比較的平穏なまま、数日の日が流れ去っていく。

 

加賀は相変わらずぼんやりと何かを考えている時間が多くなり、そうかと思えば思い詰めた表情で冷泉をじっと見つめてくる時があった。

「ん? 加賀、どうかしたのか? さっきから俺をじろじろ見て。何か俺に用事なのか? 」

と、冷泉が問いかけると

「ふっ……いいえ、何でもありません。提督の気のせいでしょう。そもそも、何で私があなたを見つめたいといけないのでしょうか。少し、自意識過剰ではなくて? あなたが自分に関して自信を持つことについては否定はしませんが、少し気持ち悪いです」

などと、手厳しい反撃を食らったりしていた。

確かに気のせいだったのかもしれないな……。

 

それにしても……。

 

冷泉は自身の右手をじっと見つめる。そして、拳を握りしめたり開いたりを何度か繰り返してみる。

相変わらず、右腕以外はまったく感覚が戻らないままだ。他の部位については、動かす事どころか、自分とくっついているはずの左腕や胴体、両足が自分のものなのかと疑問に思うほど、何も感じ取れないままなのだ。そして、状況はまるで改善の気配すら感じ取れない。もしかして、この状態がずっと続く事になるのだろうか? そう思った瞬間に、眩暈を感じ、まさに不安でお先真っ暗などんよりとした気分になってしまう。

今でも自分一人では何もできない状態で、歯磨きをすることはできても口をゆすぐことさえできず、当然トイレや風呂も入ることができるはずもなく、常に看護師の世話になりっぱなし状態である。正直、毎日恥ずかしい思いばかりして、辛すぎる。

執務においては右手が動くから資料も見えるし、決裁印も押せる。分厚い書類なら加賀に手伝ってもらってなんとか読むこともできる。けれど一定時間事にトイレに連れて行かれたりするので、時々執務は中断する。

提督の身の回りの世話なら、秘書艦である自分がやると加賀が言い出したけれど、さすがにそこまで艦娘の彼女にさせるわけにもいかないので、全身麻痺においては、呼吸筋麻痺、感染症、床ずれとかの合併症を起こす場合もあり、専門家に管理して貰った方がいいと医師に無理矢理言わせ、丁重にお断りしている。専門でもない、しかも自分の部下であり、年頃の女の子である彼女達にそんな恥ずかしい所を見られたくないのが大きな理由だったけれども。

 

この状況が続くのならば、鎮守府提督の任を解かれて体よく閑職へと追いやられ、頃合いをみてクビにされるのは間違いなさそうだ。

冷泉は意識してやっているわけではないのだが、どういうわけか知らない間に軍の中に敵を作っているようだ。そして、彼らがこの機会を彼らが見逃すわけないだろう。

……そんな訳で、緊急的になんらかの方策を、この麻痺状況を打破できる医学的な方法がないのかを模索せざるを得なかった。

当然、担当医師にも何度も聞いている。

「残念ながら、受傷後24時間の時点で完全麻痺の状態であれば、回復は期待できないと言われています」

と、かなり絶望的な宣告をされている。

「ただ、希望が無いわけではありません。冷泉提督は過去にも危篤状態から復帰していますし、今回の受傷においては、まず助からないと診断されていたのに、ここまで奇跡的に回復されています。これらの事から、提督の回復能力は、もはや常人の基準では計れない希な人だと思っていますので、私が言える事は諦めることなくリハビリや治療を行えば奇跡は起こりうるということです」

そう言ってもらえたのは、冷泉にとっての僥倖であったのかもしれない。

現代の人間の医師では、そこまで言うのが限界なのだろう。

 

そういうことで、艦娘たちの治療担当である乾崎少尉を再び尋ねた。もちろん、ドッグには加賀を連れずに一人で訪れている。

冷泉は、怪我の状況について艦娘たちに極力知られないように気をつけている。特に加賀に知られてしまうと、彼女が罪の意識に苛まれてしまうだろうと思っているからだ。すべては冷泉が勝手にやったことであり、結果についての責任は、決定した冷泉が負うべきであり、加賀を含めた艦娘には何の責任もないのだから……。

 

乾崎は相変わらずの誰に見せるのか謎のセクシー路線の衣装で冷泉を迎えてくれた。

艦娘に施す治療は、人類の科学力を越えた未知のテクノロジーによるものがほとんどを占めている。その成分や構造は、最新の人類の科学をもってしても解析がほとんど不可能といわれているらしい。もちろん、全世界的レベルの天才集団を集結させれば、その手がかりぐらいはつかめるのではと想像されたが、現在の日本の置かれた状況から、世界に助けを求める何て事は望むべくもないことである。

 

冷泉の不安の吐露に、彼女はあっさりと答えてくれる。

「神経再生促進剤 新規神経系細胞分化促進剤 神経加速剤、増殖促進剤、脳神経細胞可塑性調節剤、神経新生促進剤等の艦娘側より提供された未知のテクノロジーで作られた薬剤を複合投与すれば、提督の望みはもしかしたら可能かもしれません。ただし、これに人体が耐えられるかの臨床試験などについては、艦娘サイドが了解するわけはありませんでしょうから、未来永劫行う予定はありません。そもそも艦娘という特殊な人と艦のハイブリッド生命体であるからこそ耐えられますが、脆弱な人間の体があんな薬剤を使用して保つわけありませんからね。体が保ったとしても、精神が耐えられないと私は思います。それはともかく、提督の体は、ほぼ完治している状況でありながら、神経系が活動できていないのは何らかの遠因があるのかもしれません。確かに、これらの薬剤を投与するような荒療治といったものが必要なのかもしれませんね。ただし、私にはできません。はっきり言って、今言った薬剤類は劇薬と同じですからそんなものを治療には使えませんからね。お渡しすることはできても、自己責任でお願いします。薬剤については、提督の権限で持ち出しは可能ですから! 」

 

「はあ……、じゃあとりあえず貰っておこうか」

使用する機会が来るかは分からないけれど、使う機会がやってくるかもしれない。そういうことで彼女から渡された薬剤のアンプルと注射器が入ったケースを受け取る。

鎮守府を追い出され、野垂れ死ぬよりはマシかな。最悪は自殺用と考えれば持っていても損はないだろう。

凄くマイナス思考のまま、冷泉はドッグを後にした。

 

 

翌日。

 

ちなみに乾崎少尉から貰った薬剤は貰ったものより小さいケースに入れて、胸ポケットに入れて持っている。いつでも使えるように。

執務室に車椅子を看護師に押されて入っていく。

すでに加賀が冷泉の咳の左側の机に加賀が腰掛けて、書類を見ている。

「おはよう」

 

「おはようございます」

ちらりとこちらを見ると彼女が挨拶を返す。少し元気が無いように見える。

 

「それでは、何かありましたらお呼び下さい」

そう言うと看護師は会釈をすると執務室から出て行く。

 

ページをめくる音、判子を押す音以外聞こえない静かな時間が流れていく。

冷泉は書類に集中する。

鎮守府の経費にかかる支出要求資料。市民団体からの要望苦情および月間対応状況表。鎮守府内の飲食店の新規メニュー申請書。物品購入要求書……等々。雑多な書類とそれに関連する説明資料に目を通していく。必要に応じ、決裁文書の担当者に電話を入れたり、呼び出して説明を求めたり。

鎮守府司令官の仕事は、とにかく多岐にわたっているのである。軽微なものについては、権限を降ろしているので、実際の事務量は軽減されているはずなのだが、それでも忙殺されるほどの量だ。読むだけでも結構時間がかかる。普段なら、冷泉が見る前に誤字脱字、資料の不足や内容の補足については秘書艦が対応することにより、補足説明を求める必要はない。

わりと艦娘って優秀な子ばかりなのである。これはゲームとは違うところだな。彼女たちは遊んでばかりではないのだ。いろいろと助けられている。

しかし、最近の加賀はどうにも集中力が無いようで、誤字脱字すらチェックできずにこちらに回してきているようだ。最も、それ以前に担当者やその上司がそんなところくらい確認しておけという話なんだけれども。

間違い部分に付箋を付けながら、珈琲を飲もうとするが、カップが見あたらない。

そういえば、最近、加賀はお茶も珈琲も入れてくれなくて、自分で入れていたのを思い出す。

「ふー」

ため息が漏れる。……我慢するか。

そして、また時間が流れていく。

 

鼻水をすするような音が聞こえてくる。それも何度も何度も。

ここにいるのは、冷泉と加賀だけである。

 

すると、加賀か?

 

風邪でも引いているのだろうか? 艦娘でも風邪を引くのかな。そんなことを考える冷泉。そういや、最近、ぼーっとしていたのは、風邪を引いていたせいなんだろう。……それなら納得だなどと勝手に想像をしながら、秘書艦の方をみる。

 

「なんだ、加賀。お前、かぜ……」

冷泉は、言葉の途中で凍り付いてしまった。

 

彼の横に座っている加賀は、少し俯き加減になったまま硬直していた。そして、大きな瞳から大粒の涙をぽたぽたと机に置かれた書類へと落としていたのだ。声を出さないように必死に堪えているものの、体は幽かに震え涙を止めることはできずにいるのだ。

 

「おい、加賀、大丈夫か」

狼狽しながらも冷泉は秘書艦に声をかける。

その声に加賀が顔を上げると、大量の涙が瞳からあふれ、頬を伝い顎へと流れて、机へと落下していく。

 

「ていとく……」

綺麗な顔をくしゃくしゃにして、必死に涙を、泣くことを堪えようとする。何かを言おうとするが言葉にならず、それはただの嗚咽となる。

 

「大丈夫なのか、加賀。しっかりするんだ! どうしたんだ、何があったんだ? 」

冷泉は車椅子を操作し、彼女の方へと移動しようとする。

 

「……て、ていとくぅ。て、提督、お願いでう」

加賀は、必死になって言葉を紡ごうとする。しかし、感情が高ぶり過ぎて声にならず、さらには過呼吸になっているようにさえ見える。

 

「落ち着くんだ、無理をするな、ゆっくりと話せばいいからな」

彼女の左側に回り込み直ぐ側に近づくと、動かせる右手を伸ばして、彼女の背中をゆっくりとさすってやる。

何度か深呼吸をしているのか、加賀の背中が大きく上下する。徐々に落ち着きを取り戻しているのが手のひらを通して分かるような気がする。

 

「提督」

そう言うと、加賀が冷泉を向く。振り向く際に彼女のサイドテールの髪が、冷泉の顔を撫でるほどまでに近づいている事を初めて認識する冷泉。

 

彼女の吐息がかかるほど近い。

 

「お、おう。何だ」

どういう訳か冷泉はどもってしまう。

 

「お願い、お願いです。提督……彼女を、……長門を助けて下さい! お願いします」

目を赤く腫らし、いつものクールな彼女の態度から想像もできないような状況で、加賀は両手で冷泉の腕を掴むと縋るように訴えてきた。

 

冷泉は彼女が何を言っているのか、その意図を理解できず、ただ戸惑うだけだ。

 

長門を助ける? 一体、何から助けるんだろうか。……彼女は横須賀鎮守府の旗艦なんだぞ。めちゃめちゃ強いんだぞ。そんな彼女を助けなければならない状況なんて、どんな危機なんだよ。それに、そもそも、何で加賀が泣きながらそれを頼むんだ? 

冷泉は混乱して、理解力が更に下がる。

 

「……長門は提督に話したら、お前とは絶交だ、もう友達じゃないって言ったけど、そんなのどうでもいい。どうだっていい。一生嫌われたって構わない。私は、彼女を失いたくないのだもの。もう、誰ともお別れするなんてしたくないの! そんなの嫌。……提督お願いです、長門を助けて下さい。お願いします。お願いします! 」

興奮状態の秘書艦の言っている事の半分も理解できないが、それでも分かった事がある。

 

加賀が長門を助けたいということ。助けなければならない状況であること。そして、それができるのは自分しかいないということを。

彼女にとっては友情を失ってでも、それをしなければならないと秘書艦が願っていることも。

それに応えるのは、上司としての責務であることを。



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第101話 アンタ、胸のでかい女に甘すぎなんじゃないの?

「落ち着け、加賀。それだけじゃあ、何を言っているのか分からないぞ」

努めて静かに、言葉を続ける冷泉。秘書艦の瞳をじっと見る。そして、冷泉の両腕を強く握りしめた彼女の手をそっと撫でる。

「俺にも分かるように説明してくれないか? 大丈夫……大丈夫だ。俺はいつでもお前の味方だ。だから、安心して何もかも話してみろ」

そう言って微笑んでみる。本来ならお前達と言うべきところも、誤解されるのも覚悟であえてお前と限定した言い方にした。そんな言い方をすることで、彼女を安心させることが出来たかは分からない。

うまくできたかどうかは分からない。少しは彼女を落ち着かせることができただろうか? 

 

しばらくの間、彼女はうつむき加減で泣きじゃくったまま、時折何かを言おうとするが言葉にならないでいた。

それでも冷泉は彼女を急かすでもなく、ただ、じっと見つめていた。

やがて、落ち着いたのか、強く掴んだ手を冷泉から離すと、両手で涙をぬぐう。

「す、すみませんでした」

瞳は赤いままだが、どうやら落ち着きを取り戻したようだ。動揺した姿を見られた事に少し恥じらうようなそぶりをみせる。

 

そうして、彼女は話してくれたのだった。

……横須賀鎮守府の旗艦長門が、現在どういう状況に置かれているかを。

 

死地に向かおうとしている彼女を助けたいけれど、自分の力では何もできず、どうにもできない苦悩。さらには、長門自身があえて死を受け入れている事への苛立ちを。

もちろん、艦娘とはいえ、軍艦である。戦艦としての長門の気持ちを加賀は理解している。けれど、艦娘としてそれは納得なんて出来ないこと。加賀が誰も死なせたくないという思いだけは伝わってくる。

 

「ごめんなさい。分かってます。私が言っている事は、どう考えたって自分本位でしかないことは分かっています。さらには横須賀鎮守府の作戦指揮に口出す事であり、こんな事なんて認められない事も。長門の気持ちも全く無視していることも分かっています。何よりも……こんなお願いをしたら、提督に迷惑をかけるだけでしか無いことも分かっています。ただでさえ、自分の事で提督には償いきれないほどの迷惑をかけているのに、更にこんな事をお願いするなんて、身勝手この上ない事も。……だけど、だけど、助けてほしいの。これしか言えません……お願いします」

深々と頭を下げる加賀。

 

「なあ……加賀」

冷泉は彼女の頭を軽く撫でる。

びっくりしたように顔を上げる秘書艦。

 

「お前は、……長門を助けてほしいんだろう? たとえ誰に迷惑がかかったとしても、何をさておいても、彼女を助けたいんだよな」

 

「え? 」

唐突な質問に戸惑った表情を見せる加賀。それでも、なんとか言葉を発する。

「……はい」

 

「そうか、分かった。……上手くいくかは分からない。けれど、俺ができる範囲のことはやってみるから、安心しろ。あの時、お前に言っただろう? 誰一人見捨てないって。そうしてお前を救うことができた。今度は長門を救ってみせる」

冷泉はそう言うと、微笑んだ。

加賀は自分が死に直面した時に目の前の男からかけられた言葉を思い出し、頷くしかなかった。

 

決断がなされれば、あとは行動をするのみだった。冷泉は目まぐるしく行動を始め、長門救出作戦を立案する。それは作戦と言えるほど綿密なものでは無く、場当たり的なものでしかない。けれど、それで構わないと思っている。今は、時間が無いのだ。考えるより行動するほか無い。

 

体の麻痺は未だ改善の兆しすらない。しかし、冷泉にそんなことを気にしている余裕は無い。

 

作戦は、こうだ。急ぎ、領域内にいる長門を助ける必要があるため、速度に優れる駆逐艦にて出撃する。舞鶴港を出発し、関門海峡経由瀬戸内海を抜け、紀伊水道より南下するルートを取ることになる。

現在、神通を旗艦とした第二艦隊は遠征中であることから、鎮守府に残っている艦は叢雲と島風の二人だった。早速二人に命じて出撃することとなる。

 

出発準備をしている時に、当然のように加賀や金剛が自分も一緒に行くと言い出した。特に加賀は強行にその意見を主張した。けれど戦艦や空母を他の鎮守府の管轄エリアに事前の協議も無く進める事など常識的にもできるはずもなく、冷泉は彼女達の意見をあっさり却下した。それに、領域内で戦闘中のはずの長門の事を考えると、移動は速度と隠密性が要求される。駆逐艦であればそれほど目立たないため、最適任なのだ。それに戦艦や空母を含んだ艦隊で行動すれば、敵に感づかれるのは明らかである。

 

そのほかにも、いろいろともめ事が発生したが、時間が無いことで押し切った冷泉だった。

そして、今、冷泉は駆逐艦叢雲の艦橋にいる。

 

島風か叢雲か……どちらの艦に搭乗するかで一悶着あるかと思っていたけれど、何故か「提督は叢雲に乗ってください」と、島風が先に言ったため、問題は発生することも無く現在に至っている。いつもなら絶対に譲らない島風が、妙にしおらしかったので、少し不思議だったけれど、その時はそれ以上思いが至らなかった。

 

叢雲及び島風の二隻は、弾薬の補給もほどほどに出撃をした。極力船体を軽くすることで、少しでも速度を上げることを重視したのだ。

港を出港してすぐに、叢雲達は最大戦速へと移行する。少し遅れた位置で島風が付いてくる速度は、普段よりも幾分か遅いようにも感じられるが……。いつもなら、命令しなければ先行するはずの島風の大人しさに少し違和感を感じてしまう。もしかしたら、少し体調でも悪いのだろうか?

「島風、ちょっといいか? 」

と、冷泉は呼びかけてみる。

 

「なんですか、提督」

すぐさまいつもの元気そうな声が帰ってくる。通信はモニタを通してできるはずなのだが、画面には【sound only】と表示されおり、何故か音声だけだ。

 

「いや、ふと思ったんだけれど、お前、体調悪いんじゃないかなってさ」

 

「そんなこと無いですよ。いつもと変わらず元気ですよ。そもそも、私だってちゃんと作戦を理解してるんですから。私だけ突出しないようにしてるだけです」

 

「……そうか、それならいいんだけど」

まともなことを言われて、それ以上冷泉は言葉を続けることができなかった。

「了解した。領域に入るまで、距離を維持して追随してくれ」

 

「了解です! 」

そして、通信が切れる。

 

「ふう」

冷泉は一人ため息をつくと、腰掛けた椅子で大きく伸びをする。そして、横に立つ駆逐艦娘を恐る恐る、伺うように見る。

叢雲は出撃してからずっと黙ったままだった。冷泉が話しかけようとするとプイと目を逸らしてきっかけを与えてくれない。

 

「叢雲……。えっと聞こえてるか、叢雲? あの、叢雲さん? おーい」

わざとらしく声をかけてみると、呆れたようにため息をついてこちらを見る。

 

「何よ、……うっさいわね」

ぶっきらぼうな口調。

 

「いや、ずっと黙ったままだったから、どうしたのかって思ったんだけれど。……もしかしてなんだけど」

 

「何? 」

 

「もしかして、お前、怒っているのか? 」

冷泉がそう言った途端、睨むような表情になる。

 

「当然じゃない! これで怒らないはずがないじゃない。……まあ、神通さんなら怒らないんでしょうけど、普通は怒るわよ。ほんとに、……アンタ、馬鹿じゃないの」

理不尽なまでに責め立てられる冷泉。上司である冷泉に対してアンタ呼ばわり、そして馬鹿扱い。理由はよく分からないけれど、本気で怒っているのがよく分かる。

「だってそうでしょう? 今、何をしようとしているか本当分かっているの? 余所の鎮守府の作戦に協力要請もされていないのに、その邪魔をしようとしているのよ。場合によっては、横須賀の作戦行動を台無しにするかもしれない行為じゃない。おまけに、舞鶴の業務をほったらかしにして、司令官自らが出張っているのよ。これは二重に違反行為ではないの」

 

「横須賀の旗艦長門が望まない死を迎えようとしているんだ。勝利のための生け贄として……犠牲になろうとしている。そんなの、例え作戦だとしても認められないだろう? 」

 

「領域を開放するために犠牲となるのなら、長門も満足じゃないの。戦いにおいては、犠牲はつきもの。そんなの、艦娘ならみんな覚悟している事だわ」

何を今更といった感じで答える叢雲。

 

「戦いの中で死ぬというのなら、……俺は認めたくは無いけれど、やむを得ない事なんだろう。だが、最初から誰かの死が決定されている作戦なんて、誰かの死を前提とした勝利なんて認められないし、そもそも俺は認めない」

 

「あのねえ、アンタの権限が及ぶ場所でそんな事を、その青臭い理想論を言うのなら、アタシもこんな事を言わないわ。けれど、これは横須賀鎮守府の話なのよ。余所の鎮守府の作戦に口を出すどころか、艦まで派遣するなんて、こんなの許される訳がないでしょう? 」

 

「お前が言うことも、もちろん理解している。……けれど、もう知ってしまったから止められないんだよ。長門を見殺しになんてできない。そんなことをしてしまったら、きっと俺は後悔する。俺の手の届かない事なら、仕方ないと思うかもしれないよ。けれど、俺には彼女を救う事のできる力が与えられている。後悔すると分かっていて諦めることなんて、俺にはできないんだよ。だからこそ、俺は行かなければならない。何故あの時、行動しなかったってずっと後悔し続けるなんて耐えられないんだよ」

 

真剣な眼差しで訴える冷泉に、少しだけたじろぐ叢雲。しかし、挑むような瞳で。

「そのためにアタシや島風が危険な目に遭っても、構わないっていうのかしら? 戦艦を救うためなら、駆逐艦くらい危険な目に遭ったって構わないって」

と、反撃する。

 

「そんなこと、考えるはずもないだろう? 戦艦であろうが、駆逐艦であろうが、俺にとってはみんな同じ艦娘だよ。みんな大切な存在だぞ。俺はそう思っている。……叢雲、俺がお前達を軽んじているなんて、本気で思っているのか? 」

気づかない内に冷泉の言葉が震えている。叢雲にそんな風に思われていたというショックと寂しさ、そして憤りが入り交じったような表情で彼女を見る。知らず知らずのうちに、目頭が熱くなってくるのを感じる。

「お前にとって、俺はそんな風に見えていたっていうのか……。」

 

「ちょ、ちょっと……何泣きそうな顔しているのよ。気持ち悪い顔で見ないでよ。そ、そんなつもりで言ったんじゃないわよ。……言い過ぎたわ。アタシが言い過ぎたわ」

急に慌てたようなそぶりで叢雲が否定する。

「アンタが駆逐艦を軽んじているなんて、これっぽっちも思ってないわ」

そんな叢雲をじっと見つめる冷泉。

「わかったわよ。わかったわよ、もう。謝ればいいんでしょ? ごめんなさい。アタシが言い過ぎました」

ペコリと頭を下げる。

それを見て、冷泉は満足そうに微笑む。

 

「けれど、そんな風にお前に思わせてしまったのは、俺にも責任がある。俺も謝るよ、済まなかった。けれど、この作戦は止めるつもりはない。だから、協力してほしい。お前にとって納得いかない部分もあるかもしれないけれど、俺のために力を貸して欲しい、お願いだ」

 

「……ったく、結局ところ、ホントに甘いのよね」

と、呆れたような口調で叢雲が呟く。

 

「え? 」

何の事か分からず問い返す冷泉。

 

「アンタの事よ……」

 

「いや、どうして俺が甘いんだ? 」

 

「はぁ、はっきり言うけど、アンタ、……胸のでかい女に甘すぎなんじゃないの? 」

少しだけ顔を赤らめながらも、ぶっきらぼうに断言する叢雲。

「加賀に対して、メチャメチャ甘いじゃない。彼女のせいであんなに死にそうにな思いをしたっていうのに、また懲りもせずに彼女の為に命の危険を冒そうとしているじゃない。それにねえ、もし助かったとしても、鎮守府司令官の地位が危なくなるような真似をしているじゃない。その事は分かってるの? 信じられないわ。加賀に……あのでかい胸をアンタの体に押しつけて、友達の長門が死にそうだから助けてくれって頼まれたんでしょう」

まるで見てきたかのように叢雲に指摘される。

 

「……胸がでかいから甘いんじゃないよ。加賀の頼みだからやっているんじゃない。誰に頼まれても同じ事を俺はするだろう。俺は舞鶴の艦娘みんなを愛している。お前達の顔を悲しみの涙で濡らせたくない。お前達にはいつも笑顔でいてほしいんだ。だから、誰の望みでも命がけで叶えてやりたいって思っているからこそ、こんな無茶も兵器できるんだ」

 

「ウグッ……お、おええええええ」

冷泉の言葉に吐きそうになったのか、叢雲が耐えられないように嘔吐く。

冗談でやってるんだろうけど、割と傷ついた。

 

「酷いなあ。けれども、俺は本気で言ってるんだよ」

 

「はいはい……もちろん、アタシだって分かっているつもりよ」

真顔になった叢雲がこちらを見る。真剣な表情で見つめられ、少し緊張してしまう冷泉。

「けれどね、無茶し過ぎじゃないの? 今だってアンタの体はボロボロなのよ。そんな状態でさらに無理をして、もしもの事があったらどうするの。アンタが倒れた時は、それこそ大変だったのよ。それにこんな違反行為ばかりを続けていたら、いつ、鎮守府を追い出されるか分からないのよ。アンタは自分の好きなようにやっているからいいけれど、アンタが居なくなったら悲しむ子が、鎮守府に少なからずいることくらい考えてあげなさいよ! 」

 

「えっと、それはお前もなのかな? 叢雲も俺が倒れたり、軍をクビになったら悲しんでくれるのかな? 」

 

「な! そんなわけ無いでしょう。アンタが死んだところで、な、何にも感じないわ。何でアタシが悲しんだりしないといけないのよ。けど、目の前で死なれたりしたら、あれでしょう。……そう、寝覚めが悪いのよ。だから言ってるのよ、勘違いしないでちょうだい」

怒ったように睨まれたが、冷泉は嬉しそうに微笑み頷く。

「ちょっと、何ニヤニヤしているの。気持ち悪いんですけど」

 

「うんうん。心配してくれて、ありがとう叢雲。だけど、安心してくれ。お前達を悲しませるような真似は絶対にしないから。俺を信じてくれ。長門も助けるし、お前達も守ってみせる。そして、俺も生き残るから」

 

「あーあ、もういいわ。アンタと話すと面倒くさいだけだし」

諦めたように叢雲が呟く。けれどその瞳からは迷いが無くなっているように見えたのは冷泉だけだっただろうか。

 

「大丈夫。きっと作戦は成功する。みんな無事に帰るんだから」

そう言って、冷泉は自信ありげに叢雲に微笑みかけたのだった。

 

 



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第102話 瀬戸内海を抜けて

冷泉指揮下の艦隊は、関門海峡を抜け瀬戸内海へと入っていく。

 

瀬戸内海。

 

かつて、この海の潮流は極めて強く、場所によっては川のように流れている所もあった。しかし、領域に取り込まれた後においては、流れは相当に弱まっている。この変化については、日本国が世界から孤立した際に発生した地殻変動の影響が大きいと言われており、実際、海底部にはたくさんの巨大な亀裂が発生し、それは遙か地の底まで入っていると予想され、その深さは測定できない程である。そして、亀裂は海底のどこかで深海棲艦の世界である領域と繋がっているとしか考えられず、領域開放後というのに頻繁に潜水艦が出現するようになり、それに呼応するように短期的に領域化する現象が発生し、一般艦艇が襲われる事案が発生している。

故に瀬戸内海は、ある意味、半領域化している状態といえる。

 

瀬戸内海を管轄する呉鎮守府の艦隊が常時パトロールを行い、敵の駆逐を試みているものの、倒しても倒しても敵が沸いてくるらしい。このため、護衛無しで一般船舶がここを通るのはかなり危険である……。艦娘ですら単独での航行は自殺行為と言われている危険海域なのである。

 

ならばそんな危険な海は避けて、太平洋を抜けて行けばよいと思われるが、四国は現在、領域に取り込まれたままであり、四国沖合は未だ敵のテリトリーなのである。このため、外洋を抜けて行くことは出来ないのである。

本州と四国を結んでいた橋はすべて、……否、本州と九州を繋いでいた関門橋さえも深海棲艦の侵攻の際に落とされている。九州とは地下トンネルが残されており、陸路による移動は残されているが、四国への上陸は現在、不可能となっている。そして、淡路島も孤立状態となっている。

本州から目と鼻の先だというのに、四国は領域の赤黒い壁のような雲に取り込まれたままになっており、その中がどうなっているか全く伺い知ることはできない。当然ながら、そこに住んでいたはずの人たちの安否も同様である。

 

淡路島や瀬戸内海の大小あわせて3,000くらいの島々があるといわれている。それらは、深海棲艦の領域には取り込まれてはいないものの、瀬戸内海が半領域化された今の状況では、いつ、そのエリア取り込まれるか分からない状況である。このため、危険を冒すことができないため、上陸は慎重を期す必要があり、開発はままならない状況となっている。

 

このような状況下であることから、冷泉達は対潜水艦戦覚悟で瀬戸内海を突っ切ることを選択した。ゆえに冷泉は快速を誇り、対潜水艦においても有利な駆逐艦を選んだのである。

武器弾薬の搭載は速度を優先するために減らしているとはいえども、対潜水艦対策については怠っているわけではなかった。

敵を殲滅する必要はない。ただ、通過する際の妨害を排除できればいいのだ。

 

「叢雲、島風。ここから先は潜水艦が出没するエリアだ。索敵を怠るなよ」

瀬戸内海に入ってしばらくすると、冷泉たちの行く手に複数の艦艇が現れる。

データを照合するまでもない。…天呉鎮守府旗艦榛名と麾下の駆逐艦三隻である。彼女たちが冷泉たちの行く手を遮るように停船する。

 

そして、すぐさま通信が入ってくる。

「こちらは呉鎮守府艦隊旗艦、榛名です。現在航行中の駆逐艦叢雲および島風に警告します。現在、これより先の海域において、我が呉鎮守府艦隊による、敵潜水艦殲滅作戦を実行中です。よって、これより先への航行は禁止されています。また、現在、他の一部エリアにおいては領域化が発生しており、危険です。これより先へ進むことは認められません。すぐに立ち去るよう依頼します」

音声のみの通信ではあるが、その声の主が戦艦榛名であることがすぐに分かった。そして、その声には僅かながら苛立ちが含まれている事も。

「……そもそも、あなた達、どういう事なのでしょうか? 何の事前通告も無しに、余所の鎮守府の艦船が私達の管轄海域に入って来るなんて、いかがなものなのでしょう……。それ相応の理由を説明してもらえますよね」

 

「なんか、少し怒っているように聞こえるんだけど」

不思議そうに冷泉が呟く。

 

「あのね、気になったんだけど。アンタ……、ここに来る前に事前連絡を入れてるわよね? 」

不安げに叢雲が問いかけてくる。

 

「ん? あ! そういや急いでいたからなあ。連絡を入れるのを忘れてた」

冷泉は思い出したように答える。

そう言えば、鎮守府外に艦船を移動させる場合は、事前にその管轄の鎮守府へ連絡を入れるのが決まっていた。何時、どの艦艇が、何の目的でといったことを書面にて連絡しておく必要があることを完全に失念していた冷泉だった。

 

「アンタ、ホントに馬鹿」

呆れたように叢雲がぼやく。

 

「責められても仕方ないな。……まあ忘れてたことをぼやいても仕方ないよ」

 

「早く回答をお願いします。どちらが答えてくれるのでしょうか? 」

榛名の声に明らかな苛立ち。この口ぶりからすると、叢雲・島風ともに人間は同乗しているとは思っていないんだろう。艦娘同士の会話になっている。

まさか鎮守府司令官が搭乗しているとは思いも至らないんだろうなと冷泉は考えた。

 

冷泉が叢雲を見ると、

「アタシは知らないから」

と、顔を背けられてしまう。

 

「仕方ないな。とりあえず謝らないといけないね。、叢雲、映像通信に切り替えてくれ。顔を見せないと信用してくれないかもしれないしな」

すぐに叢雲が通信を繋ぎ、冷泉が出ることとなる。映し出された画面には、ゲームで見慣れた榛名の顔があった。大きな瞳でこちらを見ている。

 

「こちら舞鶴鎮守府司令官、冷泉朝陽だ」

一応、重々しい声を作るのを意識しながら発言をする。

 

「え! 」

まさか舞鶴鎮守府司令官が駆逐艦2隻の艦隊に同乗しているとは思わなかったためか、明らかに動揺したようだ。あうあうと呻くだけで言葉にならないようだ。

 

「事前に連絡をしなかったのは、俺の落ち度だ。済まない。叢雲や島風が悪い訳じゃないから、彼女たちを責めないでやってくれないか」

 

「いえ、そんな。こちらこそ申し訳ありません。冷泉提督がいらっしゃったのに、私ったら、何て失礼な事を言ってしまったのでしょう。済みません、お許し下さい」

榛名が何度も何度も頭を下げている。

 

「いや、俺が悪いんだから、君が謝る必要はないよ」

彼女の態度を見ていたらこちらまで恐縮してしまう。

 

「それにしても、事前連絡もお忘れになるほどの用とは、一体何があったのでしょうか」

やっと落ち着いたらしい榛名が興味深げに聞いてくる。

 

「君にどこまで話していいか、俺もよく分かっていないんだが、緊急なんだよ。……時は一刻を争う現状なんだ」

隠したところで仕方ないと考えた冷泉は、自分が横須賀鎮守府の戦艦長門を救うために行動していることを包み隠さずに彼女に説明をした。

「……そういうわけだから、俺たちを通してほしい」

 

少し考えるような間が続き、やっと榛名は答える。

「冷泉提督、あなたの仰ることはとても良く分かります。……けれど、これについては私の一存では決められません。私は提督より作戦エリアに近づく船は通さないように命令されているのです。これは私にとっては絶対的な命令、判断基準となっています。ですから、たとえ舞鶴鎮守府司令官の直接のお願いであっても、……応じることはできません」

きっぱりと宣言されてしまった。冷泉は言葉を続けるが、彼女はとにかく言われたことを守ることしかできない、と異常なまでに頑なだ。

 

これを聞いて隣に立つ叢雲が苛立つ。

「掃討作戦ならアタシ達が通る間だけ中断すりゃいいじゃないの。それに自分たちの身は自分で護れるっつーの。なんでそんなことも分からないの、判断できないの! 鎮守府旗艦なんでしょ?? 何やってるの。鎮守府司令官が頼んでいるんだから、それぐらい気を遣えっていうのよ」

音声をオフにしていたから良かったが、結構大きな声で叢雲が批判する。

 

「おいおい、落ち着け、叢雲。俺が榛名に嫌われるのは仕方ないけど、俺の我が儘のためにお前達までが仲悪くなったら困るじゃないか。……でも、ありがとうな。俺のためにそんなに怒ってくれて」

 

「……そりゃそうだけども。ちょっと融通が利かなすぎじゃないの? 」

何故か頬を赤らめながら納得したような感じになる叢雲。

 

さてどうすればいいのだろうか。そう考えてすぐに結論に至る冷泉。音声を再び入れると、

「じゃあ、俺から君の上司に連絡することにするよ。少し待ってくれないか」

そういうと、一時榛名との通信を保留すると、冷泉の司令官としての専用端末を機動し、呉鎮守府提督への専用回線を呼び出す。

少しの呼び出しの後、呉鎮守府の提督が出た。すぐさま冷泉は連絡を入れなかった非を詫びるとともに、現在の冷泉の置かれた状況とどうして余所の鎮守府の艦娘を助けに行かないといけないかの冷泉の想いを彼に告げた。

 

「はっはっはっはっは。なかなか面白いね、冷泉くんは。そして若い。羨ましいくらいに若い」

開口一番、呉の提督はそう話した。

呉の提督は冷泉の父親よりも年配で、この前話した時の印象では、結構のんびりした性格だ。あまり感情を変化させないし出さない。

「君の想いはよく分かったよ。……けれど、余所の鎮守府の作戦行動に口出しするのはあまり関心できないな、とは思うがね。こんな歳の私でも、若い君の行動は理解できないわけではないよ。誰しも艦娘をみすみす死なせるなんてできないからね。しかし、今回の、長門の場合は少し事情が違うのではないだろうか? 」

 

「どういうことでしょうか? 」

と、冷泉が問う。

 

「考えてもみたまえ。彼女は、ただの艦娘では無い。横須賀鎮守府の旗艦なんだよ。それはすなわち、日本の旗艦であることを意味する。その彼女がその地位を追われる事になっったのだ。そんな彼女はこれからどうすれば良いと思うかね? 身の振り方をどうすればいい? どこに行けばいい? 何をすればいい? ……何もない、何もないんだ。もう、どうしようもない、どこにも行けないんだよ。それを彼女は理解しているから、あえて、今回の命令にも従ったのだろう。自らの処遇を自ら決めるためにね。彼女のその高潔な想いを理解してあげないといけないと、みんな不幸になるのではないだろうか? 」

若い冷泉に諭すように、ゆっくりと話す。

 

「……すべて、すべて理解しているつもりです。それでも、私は彼女を、長門を助けたいのです。もちろん、彼女が私の行動について、どういう反応をするかは分かりません。しかし、これは、私がなさなければならないことだと思っています。長門の意思を全く無視した、自分勝手な考えだと言うことも、重々承知しています。それでもなお、俺は、いえ私は彼女を救いたいのです。……日本国旗艦としての長門の誇りなんて、どうでもいい。それを護るために、そんなもののために、死を選ばなければならないって事が私には許せないのです。どんな方法でもいいから、彼女を救いたいのです。それが彼女にとっての幸せとは言えなくても、そうしなければならないって思っています。愚か者の単なるエゴだと批判されても構いません。それでも私は私のやりたいようにやりたいのです」

言いながら、自分が果たして正し行いをしようとしているのかは分からなかった。単なる衝動で動いているのかもしれなかった。それでも、そうしなければならない。いや、そうしたいのだと冷泉は思った。

 

冷泉の言葉を黙って聞いていた呉鎮守府提督であったが、やがて口を開く。

「……君がそう思うのなら、そうすればいい。君の言うように、人間、後悔をし続けるとろくなことがないからね。やれることをやって後悔するほうが、何もせずに、そのことを後で後悔するよりは何倍もいいもんだよ。手垢にまみれた言葉ではあるが、私くらいの年齢になると、本当にこれが重く感じられるのだよ。若い君は、感情のままに動いてみるのもいいだろう。それが若者の特権だ。年を取ったら、もうそんなことができなくなるからね。年齢、立場、人間関係の柵でがんじがらめになってしまうからね。うんうん、やれるだけやってみるがいいさ。そうでなければ、私のような老いぼれになってしまうからな。君にはそうなってもらいたくないものだ」

何故だか満足げに頷いていた。それを承諾と判断して良いのか?

 

「冷泉提督の言うことは、よく分かった。君の申請は、この海域の通過については許可するよ。安心したまえ」

その言葉に安堵する冷泉。

 

「それはともかく……と」

そして、榛名は彼女の上司に通信の中で叱られることとなる。

「榛名よ。もっと臨機に対応しないとダメだろう」と。これは、ある意味。彼のぼやきが入った説教といってもいいか。

モニタ越しに余所の鎮守府でのやり取りを見せられて、ここにいていいものか、通信を切るべきかどうかで悩んでしまう冷泉だった。

 

そして、どういうわけか怯えたようなそして辛そうな顔でただ「すみません、すみません」と謝るだけの榛名。

「しかし、どうしてこんなになってしまったのだろうな。榛名、私はお前を責めているんじゃないんだぞ」

そうやって諭すように提督は言うが、恐縮しっぱなしで榛名には通じていないようにも見える。

「やれやれ……もういい。とりあえず、私からの指示はこうだ。冷泉提督の艦隊を現在展開中の駆逐艦隊で護衛しつつ、瀬戸内海を通過させてあげなさい。榛名以下3隻は現状のまま、待機を続けるように」

 

「了解しました」

鎮守府との通信が切れると、ほっとしたような顔をする榛名。すぐに普段の表情に戻すと、

「冷泉提督、失礼致しました。ご覧になられた通信の通りです。上司の許可が下りました。この海域を通っていただいて結構です。すぐに、展開中の当鎮守府艦隊がお迎えに上がります。彼女達が提督の艦隊の護衛をいたします」

 

事務的な話が終わって……。榛名が冷泉に問いかけてきた。

「あの、お伺いしてよろしいでしょうか? 」

 

「なんだろうか? 」

不思議そうに冷泉がモニタの彼女を見る。

 

「あの、冷泉提督は、どうして自分の部下でもない艦娘のために、そこまでなさろうとするのですか? 何故そんな無理をなさるのですか? 提督は体が不自由な状況で、戦闘にで出るなどかなり困難な状況とお見受けします。どうしてそんな無茶をなさるのですか」

榛名に問われる。

「何故、何の関わりもない艦娘なんかの為に、人間である提督がそんな無理をするのですか? 」

本気で不思議そうに……。

 

「何でそうしなくてはならないか……。はっきりとした理由を説明できないな。けれど、一人の艦娘が、今まさに沈もうとしている。それが分かっていて放ってはおけないだろう? だから、みんなにたとえ止められようとも、行くんだ。俺が助けたいから助けるんだ。だって、知ってしまったら、放っておけないだろう? 」

と答える。

 

「羨ましいです。そんな風に決断できることが」

と呟く榛名。

「私は自分の居場所が分かりません。戦艦で鎮守府旗艦なのに、提督のお役にまるで立てない。

呉鎮守府での戦いは瀬戸内海解放に追われるばかりで、常に潜水艦との戦い。自分は戦艦だから対潜水艦能力なんてまるでない、出撃したところで、味方の足を引っ張るだけ。そして、敵にとっての良い標的にしかならない。まるで役にたたない穀潰しなのです。おまけに普段でも私はグズだからドジばかり。戦艦のくせに何もできない。そんな自分が辛いです」

泣きそうな表情で語る。

しかし、ゲームの中の榛名はこんな子だったっけ? 少し疑問を感じてしまう。どこまでマイナス思考なのだろうか。

 

「……だったらさ、俺の所に来ないか? お前が望むなら、うちに引っ張ってやるよ」

彼女の心を気遣ってそんな言葉をかけてしまう冷泉。

彼女がマイナス思考になってしまうのは、本来、戦艦として戦うべき場が与えられない現状に問題があるのかもしれないと考えた。もし、対潜水艦ではなく、艦隊戦が行える部署に配置換となれば、現在の彼女の状況をきっと打破できるはずであると考えての発言だった。

その発言の重み、発した者の重み。そう言ったことはまるで認識していなかった。

 

どういう訳か、それを聞いた榛名が何故か頬を赤らめ、

「ほ……本当に私なんかで良いのでしょうか? 」

とモジモジと答えた。

「ああ、もちろんだよ。手続きとかに時間がかかるかもしれないけれど、お前さえ望むんだったら、きっとどうにかなるさ」

かなり気楽に答える冷泉。

隣で叢雲が呆れたような顔で冷泉を見て、大きなため息をついていたが、冷泉は少しだけ不思議に思ったが、それ以上考えることは無かった。

 

「はい! 」

妙に元気に答えた呉鎮守府秘書艦の言葉が若干気にはなったが、それ以上考えが及ばなかった。何か吹っ切れたような顔になった呉鎮守府の秘書艦を見、自分の言葉で元気にすることができて良かった……程度に思っただけだった。

 

そして、冷泉は、瀬戸内海を抜け、太平洋へと向かう。



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第103話 all alone

紀伊水道を抜けたあたりで護衛として随行してくれた呉鎮守府の駆逐艦隊と別れる。冷泉達は彼女たちに別れを告げると、進路をしばらく東へ取った後、南下を始める。

加賀から聞いた、長門がいるであろう目的地へと近づいていくのだった。

やがて、天まで届くような高さの領域の赤黒い雲の壁が近づいて来る。

 

「叢雲、島風……。順次、動力の切りかえ開始。武装変更開始」

冷泉の指示に合わせ、二隻の駆逐艦が突入準備をを始める。この作業は同時には行えない。動力切替に約10分程度かかる。この間は戦闘を含めたあらゆる行動が不可能となるからだ。

 

作業の進捗をぼんやりと見ながら冷泉は考える。

 

しかし―――すべてが運任せの進撃だよな、と。

今回の作戦、状況によっては領海内部に入ることさえできないかもしれないと考えていたのだ。

どのような決まりがあるのか全く不明ではあるが、同一エリアと判断される領域内には双方最大12隻づつまでの艦船しか入れないという上限(ルール)があったのだ。このため、横須賀鎮守府の艦隊がまだ戦闘中、もしくは行動中であれば、艦隊編成によっては上限を超えてしまうため、冷泉の艦隊は中に入ることができない可能性があったのだ。もっとも、……入れなければまだ横須賀の艦隊がいるということであるから、長門が無事である可能性が高まるのであるが。

そちらのほうがむしろ良い状況なのかもしれないけれど。

 

「準備完了よ」

叢雲の声に冷泉は思考の世界から引き戻される。

 

冷泉は彼女に頷くと、指示を出す。

「よし、全艦、突入を始める」

動力を切り替えた2隻の駆逐艦はゆっくりと進みだし、領域の雲の中へと突入していく。

司令官の心配を余所に、何の抵抗もなく、あっさり進入できてしまった……。

 

「む? ……これは急がなければならないな」

冷泉は、独りごちてしまう。

この状況は芳しくない。冷泉達が領域に入ることができたということは、ここでの戦闘はすでに終了しているということだ。すでに戦闘は違うエリアで行われているらしい。となると、長門は放置されているということだ。無事であればいいのだが。

 

冷泉達は焦りを抑えながらも敵艦隊との遭遇を警戒しながら、慎重に求めて進んでいく。

 

「あら……空が」

叢雲が声を上げ、外を指さす。

視線を外に向けると、領域の霧が次第に薄らいでいくのが分かった。どんよりとした雲が垂れ込め、陰鬱な暗さだった空がゆっくりと白んでいく。

この現象の指し示すこと……つまり、領域解放が進んでいるということである。横須賀鎮守府の作戦は成功しているらしいということだ。

 

そして、暫く進むと前方に艦影を確認する。

 

黒煙を上げて船体を僅かに右側に傾けていた。喫水線も通常の艦船からはあり得ないくらい深くなっている事が近づくまでもなくなく確認できる。時折船体から炎が吹き上げる。すでに動力は停止しているようで、潮の流れでわずかに動いているだけだ。

 

……その無惨な姿は、無論、冷泉達が探し求めていた戦艦長門であった。

それも、間もなく死を迎えるのが明らかなかつての日本国の旗艦であった戦艦の姿だ。

 

「叢雲、急いでくれ」

言われるまでもなく、すでに叢雲の速度は接近するため、最大となっていた。島風も遅れて続く。

 

二隻の駆逐艦は、大破状態の戦艦を守るように位置取り、警戒に当たり始める。

 

「叢雲……。俺を長門のところに送り出す事はできるか? 」

冷泉は問いかける。

 

「は? アンタあそこに行くっていうの? まさか、そんな体で? 」

 

「無論だよ。俺はそのために来たんだから。タラップかなんかを渡せればいいんだろうけど、長門の状況では難しそうだ。俺がまともな体だったら飛んでもいいんだけど、車椅子ではどうにもならないからな。だから……なんとかしてくれ」

その言葉を聞いて、呆れたような表情を見せた叢雲だったが、外の景色を見て少し考え込む。

「……領域は解放されるようだから、動力を切り替えられるわね。……すべてのシステムが通常へと移行できれば、転送も可能になるけど」

 

「頼む、それをやってくれ。今の俺では、自力で乗り移ることができないんだから」

 

「けれど、あの状況を見て。火災が発生しているし、あちこちで爆発も起きているわ。いつそれに巻き込まれるか分からないわよ。現実を冷静に見つめなさい。とても、危険よ。アンタの体では、仮に普通の体だったとしても自殺行為よ……それに」

そこで彼女は、言葉を濁してしまう。

冷泉は駆逐艦娘を見、次の言葉を待つ。彼女が何を言おうとしているかは、おおよそ想像がつくのだけれど。

 

「はあ……。アタシがいくら言ったって、アンタは止めるつもりは無いんでしょうけど。でもね、それでも言うわよ。言わないとアタシが悶々とするだけで消化不良を起こしそうだから。あのね……仮に無事たどり着いたとしてだけど、アンタが長門に会ったところで、どうにかなるなんて思えないんだけど。……彼女を引っ張りだして、あの艦から連れ出す何か手立てでも考えているの? 」

その言葉を聞いて、呆然とした表情のまま黙り込む冷泉。

しばらくその状態が続くと、再び大きなため息を叢雲がついた。

「まさか……何も考えていないなんてことは無いでしょうね? ま、さ、か、ね」

腕組みをし、司令官の顔を睨み付ける。

冷泉はその視線に耐えられないかのように、目を逸らした。

「もう!……やっぱりなの。ホント、信じられないわ。何を考えているの? いえ、何も考えていないのって言ったほうが良いわよね」

ガクリと項垂れる艦娘。

 

「いや、その……すまん。でも、何も考えていなかった訳じゃ無いんだ。どういう言い方をすれば彼女の心に響くか、とか、どう言えば、どうすれば彼女が納得するかとかいろいろと考えてみたんだ。俺だって真剣に」

 

「で、結論は出たのかしら? 冷泉提督」

と、少し馬鹿にしたような口調。

 

「……いや、その、なんだ。俺が言えることはだな。と……とにかく当たって砕けろだ」

しばらくの沈黙の後、彼が発した言葉がこれだった。

実際のところ、言葉で説得してダメなら、最悪は力尽くで連れ出せばいいやって考えていた。しかし、健常体の冷泉であっても戦艦級の艦娘に抵抗されたら抑えきれるはずがないことはわかりきっている。それなのに、今の冷泉と来たら、右腕以外は動かすことさえできないんだから。けれど、動かざるを得ない。何もなすことなくすべてを見過ごすなんてできないのだから。

「人事を尽くして天命を待つ。今言えることは、それだけだよ。俺が彼女を助けたいんだ。だから助ける。理由はそれだけだ」

 

「そう……。ずいぶんとご執心なのね。まあ、確かに彼女はアンタ好みかもしれないけど」

 

「うん、確かに綺麗だし、本人は意識してないみたいだけど凄いセクシーだし、それでいて女女して無くてさっぱりした格好いい性格をしているもんな。けど、すこし可愛いところもあるみたいだし……。うちではあまり見かけないタイプの子だよな」

 

「結局、なんだかんだ理由を付けてるけど、体なの? なんてスケベなの、男ってみんな最低だわ。フン、ちっちゃくて悪かったわよね。だいたい、でかけりゃいいってもんでもないでしょ、まったく」

小声で叢雲が呟く。

 

「え? 何か言ったか」

 

「ふん……いえ、何でもないわ」

 

「はっきり言っておきたいのは、長門が女性として魅力的とか戦艦であったことだとかそんな事じゃないんだよ」

 

「じゃあ何なの? 」

 

「長門は、彼女は救いを求めているんだ。そして、俺には彼女を助けるという選択肢が与えられている。普通の人間なら、そんな権限は持ち合わせていない。けれど俺にはそれがある。ならば、動かなければならないだろう? 長門は横須賀鎮守府の旗艦としての立場と誇りのために死地へと追いやられている。そして、自分の心を騙してその運命を受け入れようとしている。それが彼女の本音なら、仕方ないかもしれない。けれど、そうじゃない。自分の気持ちと立場の折り合いは、助かってからまた考えればいいんだ。今死んだら、それすらできない。だから、俺は行かなければならないんだよ」

 

「どうせ行くなっていっても無駄なんでしょう? OKよ。向こうに送って上げるわ。けれど……私も行くわ」

 

「駄目だ」

即座に却下する冷泉。

 

「何でよ! 」

 

「お前は島風とともに、深海棲艦から長門を護って欲しい。お前が俺についてきたら、島風一人で敵と戦わなければならないだろう? それは厳しい。だから、お前も一緒に長門を……それから俺を護っていてほしい。きっと、彼女を連れ帰るから、安心してくれ。お前はお前の任務をその間はこなしてくれ。頼む、議論している時間はないんだ」

冷泉は真剣な瞳で彼女に懇願する。本当なら頭を下げたいところだが、体が動かないからそれができない。

少しだけ考えた後、叢雲は告げる。

「分かったわ。ちゃんとアタシと島風で護って上げる。だから、きっと長門を連れてきなさい」

 

「無論だ」

 

「もう動力は切り替えているから、転送するわね」

少しだけ不機嫌そうにしながらも、叢雲は冷泉を見つめる。

「きっと帰ってくるのよ。約束よ。約束破ったら、みんなの分もぶん殴るからね」

冷泉はニッコリと微笑む。

「ああ、きっと帰ってくる。じゃあ、頼むよ」

 

そして、転送が始まる。光がゆっくりと冷泉を包んでいく。

「ねえ……」

背後で叢雲が呟く。

 

「なんだ? 」

 

「もし、…もし、アタシが今の長門の立場だったら、アンタどうするの? 」

モジモジしながらも叢雲が問いかける。

冷泉は後ろを振り向けないから、彼女がどういう顔をしているかは分からない。けれど、声色と雰囲気でなんとなく感じ取れる。

 

「当たり前の事を聞くなよ。もちろん、俺の心は決まっているさ。たとえ、俺の命に代えてもお前を救い出すに決まっている。お前は俺の大切な……」

言葉の途中で冷泉の姿は転送のために消失する。

叢雲は冷泉がいたはずの場所を見ながら、惚けたような表情をしていたが、すぐに元に戻り、両手で頬を何度か叩くと声を上げる。

「島風、これより対潜水艦戦闘モードよ。絶対に敵をここには近づけないんだからね! 」

 

 

 

転送された戦艦長門の艦内を電動車椅子を走らせ、長門の元へと急ぐ冷泉。流石に戦艦だけに通路もそれなりの広さがあり、おまけにエレベータまであるようで、車椅子でも彼女の所まで進んで行けそうだ。

 

艦内では、時折爆発音が響き、大きな振動が伝わってくる。電源は生きているらしいが照明も明滅を繰り返す。それでもエレベータは幸いなことに生きていた。

 

冷泉は探知能力を駆使して、長門の姿を求める。

艦内は浸水も発生しているようで、外から見たよりも危険な状態であることが分かる。誰に聞かせるのか、警報のアラーム音もなり続いている。

間違いなく艦橋に長門がいることを確認すると、そこへと目指す冷泉。艦橋の中に入ると、椅子に腰掛けたままの長門の後ろ姿を見つけた。

 

「長門、無事だったか! 」

ほっとしたような声をかけると、彼女は相当に驚いて振り返り、慌てた表情を見せる。

「れ、冷泉提督、何故あなたがこんなところに来たのか? 」

それは驚きと苛立ちの混ざり合った困惑の表情だった。

 

「お前を助けに来たのに決まっているじゃないか」

 

「何を考えているのですか? そのようなお体で、沈みゆく船に乗り込むなんて無謀すぎる。何をしているのです、今すぐ退去してください」

 

「……断る」

 

「は? 何故ですか? 」

 

「お前を助けたいからだ。助けなければならないからだよ。だから、俺はここにいる」

苛立ちを隠さずに問いかける長門に、冷泉は淡々とした声で答える。

 

「何を言っているのか? 私には意味が分からない。何故助けるなんて言葉が出てくるのです? そもそも、私とあなたの間には、何の関係もない。そんなあなたが何故私に構おうとするのですか」

 

「いや、そうでもない。俺たちが無関係なんてわけないじゃないか。……それに加賀にお前を助けてくれと頼まれた。あいつは必死だったんだよ。俺に話せばお前に嫌われるだろう。それでも構わないから、友達を助けてほしいと泣きながら俺に頼んだんだよ。あのプライドの高い加賀がそこまでしてでもお前を助けてほしいと俺なんかに縋ってきたんだ。俺の部下の必死の願いに応えないなんて、司令官として失格だからね。それも理由の一つだよ」

 

「……加賀がそんなことを。全く……。気持ちだけは嬉しいが、残念だけれども、その申し出はお断りします」

 

「いや、……それだと困るんだよな」

少し困ったような顔になって冷泉が言う。

 

「私は、日本海軍旗艦の誇りを胸に、みんなの下へと逝きたいのだ。そして、あなたに問おう。仮に私が生きながらえたとして、どうなるというのだ。私にこの先、ずっと生き恥をさらして生きろというのか」

 

「誇り? それは何なんだ? ……そんなもの知るか。そんな誇りなんて、くそ食らえだ。じつにくだらない。くだらなすぎる。そんな亡霊のような妄念に囚われて死んでいくなんてどうにかしている。俺は助けると言ったら助けるんだ」

 

「……考えは人それぞれです。あなたと私では価値観が根本的なところで異なるのでしょう。その事については議論するまでもないし、必要もない。そんなことはもうどうでもいいなのです。それより、ここは危険です。領域が解放されたとはいえ、敵がいつくるか分からない状況だ。私なんかに構わず、すぐにでもここから立ち去るべきです。どこに潜水艦が潜んでいるかもしれないのは、あなたも分からないわけではないでしょう」

 

「今、二人が警戒に当たっている。だから大丈夫だよ。お前を連れてでなきゃ、俺は帰れない」

 

「……お断りします。あなたには私を助けるような義理もないだろうし、そもそも私達には何の関係もないでしょう。何のつながりも何もありはしない。そもそも、仮に私を助けたとしてどうなるというのですか? 私には戻る場所などもう無いのですから」

 

「ふむ。行くところがないんだったら……じゃあ、俺の鎮守府に来たらいい」

 

乾いた笑いを長門がする。

「おもしろい。横須賀の旗艦を勤めた私が、……失礼ながら、格下の鎮守府には行けない。それくらい分かってください。それに、そもそも、もうこの艦は沈みます。艦本体を失った艦娘などに何の役に立つのでしょうか。どうやって鎮守府の役に立てるのでしょうか? もう済んだことです。私の事など構わずに、放っておいてくれませんか」

 

「面倒くさいなあ。……よし、じゃあ、おれの女になったらいい」

良いことを思いついた! そんな感じで冷泉が答える。

 

「はあ? な……何を言ってるんですか、あなたは」

何故か頬を赤らめ、動揺を隠しきれない長門。

 

「俺は、お前を一人の女として舞鶴鎮守府にお前を迎え入れることにした。戦艦長門ではなく、お前個人としてね。これなら問題ないだろう」

 

「はあ……あまりに非常識で馬鹿馬鹿しい。私は戦艦でありそれ以外の何者でもないので……」

力が抜けたようになる長門の側に車椅子を動かして近づき、冷泉は彼女の腕を掴むと、いきなり引き寄せる。不意に引っ張られたために、それも想像以上に強い力で引かれたため長門はバランスを崩し、冷泉に倒れ込んでしまう。

すぐ側に冷泉の顔がある。息が掛かるほどの距離だ。

「す、すまない」

あまりの近さに慌てて離れようとする長門の首に手を回すと、冷泉はぐいとそのまま引き寄せ、強引に口づけた。

 

「ぬあ、ぬわわわ、なにを! 」

動揺し離れようとする彼女を再び冷泉は引き寄せる。

 

もごもごと長門が離れようと抵抗を試みるが、冷泉は彼女の自由を奪ったまま話さない。

時間にしてどれくらいの時間だっただろう。それは、かなりの長い時間をかけた濃厚なキスだった。

しばしの沈黙の後、二人は離れる。とろんとした瞳で冷泉を見つめる長門。

 

「いきなり……なんてことをするのですか」

おそらく、相当に怒っているのだろうが、その声はとても弱々しい。

 

「ほら、これでお前と俺の間に縁ができただろう? 少なくとも俺は……無理矢理だけれども、お前の唇を奪った男になった。これで俺たちは無関係じゃなくなっただろう。もうお前は、女として傷物になってしまった。日本国旗艦を勤めた艦娘を、俺は自らの爛れた欲望のために穢してしまったんだ。そして、お前の意思を無視してそんなことをした俺としてのけじめは、責任をとって俺の鎮守府に迎え入れる事だ。だから、ここにお前に言う。長門、俺のところに来い」

言っていることは全く筋が通っていないのは冷泉も理解している。それでも、はっきりと、自信たっぷりに、そして高らかに宣言した。

誰が聞いても意味不明な理由だが、どういうわけか彼女は黙ったままだ。怒るでもなく、反論するでもなく、無視するでもなく……冷泉を上目遣いで見ているだけだ。

「お前は自分はこうあるべきだという事に囚われすぎて、自分の本当の気持ちが分かっていないんだ。横須賀鎮守府の旗艦であったお前はこうあるべきだ、こうあらねばならないという強迫観念に囚われているだけなんだ。プライドや誇り……そんなものはどうでもいいだろう

? 今、お前が本当に望んでいる事は何なんだ? 」

 

「私が望んでいるのは、戦艦としての最後を迎えたいということです。日本国艦隊旗艦であった誇りを胸に、みんなの所に逝きたいのです」

 

「……違うな。お前の本音はそうじゃないだろう」

 

「何を言うのですか。私は自分の気持ちに正直に答えただけです。冷泉提督こそ、誤解をしている」

 

「だったら、なぜお前は自分の運命を加賀に話したんだ? 言わなければ加賀も気づかなかったし、俺に伝わることもなかった。それは、心のどこかでお前が救いを求めていたからだろう? 」

 

「違う!違う! 私は加賀が立ち直った事が嬉しかった。もう彼女は大丈夫だと思った。だから、別れを告げたのだ。何も言わずに去るのは親友としてはあまりに冷たいから。ただ、それだけだ。後でどうして行ってくれなかったって泣かれるのは辛いからだ」

 

「親友が死地に向かう話を聞いて、あいつが黙っているはずがないだろう? 加賀一人では何も出来ない。そうなれば、彼女が俺に相談するであろう事は誰でも推測できる。それで救われるかどうかは不明だろうが、もしかしたらと思ったのじゃないのか? 藁にも縋る思いで、言ったんじゃないのか。無意識の内に……お前は誰かに救い出してほしかったんだろう? そうだ。きっとそうだ。間違いない。だから、俺が助けてやる。俺は、お前が頷くまで帰らないよ」

 

「何でそんなに言うのですか」

 

「助けを求めているものがいる。そして、俺にはその者を救う力がある。ならば、答えは一つしかないだろう? お前が自分の横須賀鎮守府旗艦という名のしがらみ……いやもはやそれは呪いといってもいいだろう。そんなものに囚われるなら、俺がそのすべて取り払ってやろう。だから、俺のところに来い。俺がお前を助けてみせるから」

冷泉と長門は暫くの間、黙ったまま見つめ合っていた。それは意志と意志とのぶつかりあいのようでもあった。

お互いの譲れない思いが交錯しているようにも思えた。そして、それはとてつもなく長く感じられた。

そして、

「分かりました。……提督の仰るとおりにします」

折れるように長門が呟いた。

それを聞いて、冷泉は大きく息を吐いた。

「ありがとう、長門」

 

それに合わせたように通信が入ってきた。それは叢雲からだった。

敵艦隊が接近中との報告だった。その数、4隻。艦種は重巡洋艦1、軽巡洋艦3の編成。叢雲と島風では厳しい相手だ。早くしないと状況が最悪となる。慌てるように叢雲と島風が迎えに来るのが見えた。

 

「では、急ごうか。早くしないと、敵艦隊と交戦になってしまいそうだ」

 

「はい」

冷泉の問いかけに、長門が答える。その表情にはどこか吹っ切れたようなところがあって、冷泉はなんとか今回も乗り切れたという安堵感を感じていた。

 

良かった―――。

これで誰も悲しませることなく、舞鶴に帰れる。みんなの笑顔を守れる。

 

 



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第104話 伝えられない想い

―――少し、時間は遡る。

 

冷泉を戦艦長門へと転送した叢雲は、黒煙を上げながら停止している戦艦から距離を置き、対潜水艦索敵モードへと移行する。

 

距離にして、300mほど離れたか……。

彼女の動きに呼応するように、駆逐艦島風も移動をする。ちょうど長門を中心に二人が左右に配置された形になる。

 

恐らく、既に敵艦はこの付近には居ないだろうと叢雲は考える。その証拠に、海底を探査しても艦影の痕跡どころか魚の姿すら見えない。

領域が解放されているようなので、やがてはこの海も再生していくのだろう。しかし、領域に取り込まれ、人間側に立てば、【汚染された】海域が元の自然に戻るまでは、これまでの領域解放の経験からすれば数ヶ月はかかるはずだ。

とはいえ、また人類の活動エリアが増えるのだから、人類の側に立つ叢雲にとっても、この事実は良いことなのだろう。

 

「ねえ、島風……」

叢雲は通信回線を開くと、作戦行動中の僚艦に話しかける。

 

しばらく待つが、……反応はない。

 

「提督は長門の所に行っているし、秘匿回線に切り替えているから、この通信が他の誰かに聞かれる事はないわ。……ちょっと、聞こえている? 」

少し苛ついてしまう。

出撃してから、ずっと気になっていたのだ。ずっと確かめたい事があったのだ。それは、作戦に同行している島風が、冷泉から話しかけない限り、答えない事に、話しかけない事に。冷泉提督は、叢雲と話している時も回線はつなぎっぱなしで、会話の内容は彼女にも聞こえていたはずだし、いつでも会話に参加することができた。少し前までの彼女なら、無理矢理にでも割り込んで来て、まじめな話をしていても引っかき回されていたのだ。それなのに、今回については、全く会話に入り込んでこなかった。それまでの島風の姿態度を見ている叢雲からすると、ものすごい違和感しか感じていなかったのだ。それでも、作戦中であるし、上官の冷泉がいる場では、そのことについて聞く事ができなかった。

今は、戦闘は終了していること、領域が開放されていく課程であることから深海棲艦が攻撃してくる可能性はほぼ皆無であること、冷泉が帰ってくるまでしばらくかかるであろう事から、ずっと気になっていたことを聞く事にしたのだった。

 

「ねえ、ちょっと。もしかして、寝てるの? 」

少し声が大きくなってしまう。

 

「……聞こえているよ、寝てなんかいないもん」

消えそうなくらい小さな声で、返事が聞こえてきた。

 

「ねえ、アンタ。一体、どうしたっていうの? 体調でも悪いの? 」

 

「え? 何の事かな? べ、別に、なんとも無いよ……」

 

「何ともないんだったら、もっとシャキッとしなさいよ。ちょっと前までは、人が話しているのを遮ってでも好き勝手に提督に話しかけてたじゃないの。それなのに、どうしたっていうの。出港してからずっと、黙り込んだままだし、通信だって音声回線しか使わないし、なんで提督を避けるようなマネをしてるの? 訳わかんないんだけど」

 

「特に、意味は無いよ。もしかしたら、少し、だるいのかもしれないけれど、別に提督を避けているわけじゃないよ」

 

「そうかしら? 出撃する時だって、だいぶ変だったわ。少し前までのアンタなら絶対、自分の方に乗れって我が儘言って大騒ぎしていたはずなのに、おとなしく引き下がるし何一つ文句も言わないし……。何なの、どうしたっていうのよ? アンタ、自分のことを提督のお嫁さんだとか馬鹿な事を言っていたじゃない。それなのに、急にそんな提督に興味無いような態度を取るようだと、嫌われるわよ。喧嘩でもしたの? ……ん? それとも、もしかして、提督の事を嫌いになったのかしら」

何気なくそんなことを口にする叢雲。

 

「そ、そんなことないもん。提督の事を嫌いになんかなるわけないもん! 」

急に怒ったように声を荒げる島風。

 

「だったらさあ、なんで提督にあんな態度取るのよ。アンタがいつもとまるで違うから、アイツだって心配しているはずよ。本当に何もないの? 」

 

「な、何もない何もないもん。本当に何にも無いよ」

どういう訳か動揺して必死に否定をする島風に、猛烈に違和感を感じ、それ以上に不安を感じた。そして、記憶を遡り、思い返そうとする。島風の変化を、自分がいつ頃気づいたのか、ということを。

 

「そういえば……」

叢雲は思い当たるところがあった。その確証を取るために、おもむろにネットワークへとアクセスする。そして、データを閲覧した事により、強い確信を持つ。

「あの日、加賀を助けるために、アンタと提督だけで出撃したわよね。その時だけど、舞鶴から加賀が交戦していたエリアまでの距離と到達時間の記録を見たんだけど……、これってアンタの最高速度を10%以上越えた速度で行かないと不可能な時間よね。私達普通の駆逐艦では到達不可能な速度よ、これ。しかも、瞬間的な速度ではなく、それを長時間継続しないといけないような……」

瞬間的な速度による負荷であれば、船体も持ちこたえる。しかし、それを遙かに上回る時間、動かし続ければ当然、どんな頑丈なエンジンでも破綻する。それを避けるためにリミッターが働くはずであるけれども、働いた形跡は無かった。

「これってもしかして……アンタまさか! 」

全身に悪寒が走るような感覚。そして、すぐに自分の推理が正しいことを知った叢雲。

「それで、アンタ、私に提督を乗せたのね。アイツが同乗したら、アンタの不調を気づかれてしまうから……それで避けているのね」

驚きと同時に怒りがこみ上げてきた。

「何をやっているのよ。アンタ、全部話しなさいよ。今の状態はどうなっているのか。そして、これからどうなるのかを。適当な嘘をついたって、ばれるわよ。それに、ちゃんと言わないと、提督にこのことを話すわ」

 

「ダメ! それは絶対に言っちゃダメ」

想像以上に強い言葉で否定される。

「お願い、提督にだけは言わないで、お願いだから。ねえ、叢雲、お願いします」

言葉は次第に弱々しくなる。

 

「じゃあ、……ちゃんと話しなさい。ドックに入っていたから、状況は聞いているんでしょう? 」

叢雲は極力声を和らげて、諭すように島風に問いかけた。

 

そして、島風から聞かされた事実。それは、叢雲の怒りや苛立ちを消し去るには十分だった。通常海域での艦娘の駆動力たる反重力リアクターの限界を超えた連続稼働……。それは島風の心臓部に深刻で致命的なダメージを与えていたのだった。

艦娘は人類にとっては、そのほとんどがブラックボックス化されたもので、艦娘側より与えられたテクノロジーで通常のメンテナンスはできるようになっている。けれど、当然ながら機関部や武装部分については、人類に対して秘匿化されている場所がほとんどであり、それについては手出しができないようにされている。否、調べることはできても、現在の人類のテクノロジーとはまるで異なる技術体系にあるため、たとえ日本の技術力を結集させたとしても、理解すら不能なものだったのであった。

ただ、艦娘側から供与された検査機器によるチェックだけは可能であるため、、それら検査機器によって確認したところでは、完全なる復元は不可能と判定されていた。艦娘側に一端引き渡し、ほぼ建造し直しをするくらいの事をやらなければ、もとの能力を回復することは無理らしいのだ。

舞鶴のドックでは、……人類の科学力では手の施しようが無いとのことだ。

 

「でも、前ほど早く走れないけど、それでも叢雲や不知火くらいの速度は出せるよ。だから、作戦には何も問題無いよ! 」

島風は強がるが、問題はそんなに簡単ではない。今後、だましだまし運用していくしかないとしても、機関部に受けたダメージはなんら措置がなされない……できない状態であるということは、運用を行えば行うほどダメージ箇所に影響を与えるわけで、徐々にではあるが損耗摩耗していくということだ。つまり、確実に機関部にはダメージが蓄積されていくわけであり、やがては崩壊するしか無いということだ。それを止めるには、鎮守府を離脱して元の世界、艦娘の世界に戻るしかないということだ。

 

それすなわち、別れを意味する。一時的なものなのか、永久なのか、そういった事案が無いために叢雲や島風にも分からない。

 

「アンタ、一応確認するけれど、修理もできない状態でこのまま動き続ければ、やがては壊れるってことを分かっているわよね」

 

「分かっているよ。でも、無理さえしなければ、全然大丈夫だよ」

 

「それは誰が保証してくれるの? 」

叢雲の問いかけに島風は黙り込む。

 

「もしかしてだけど、アンタ、体の事を提督に言ってないんじゃないの? だから、アイツを避けているんでしょう? 」

島風は黙ったままだ。

「なんでこのことを言わないの? ずっと隠し通せるつもりなの? 本気でそんなこと思っているの」

 

「……少なくとも、しばらくは言いたくない。時が来たら、提督に言うつもり」

 

「それは何時なの? いつ頃って考えているの? 」

 

「それは、わかんない。今考えてる所だから」

 

「何で提督に黙っているのよ。何で言えないのよ」

 

「……」

 

「はっきり言いなさいよ。言わないと、私が提督に言うわよ」

 

「ダメ、お願いだから、それだけはやめて!! 」

普段の闊達な島風からは想像もできないような弱々しい声だ。

 

「だったら、はっきりと言いなさい。なんでアイツに言わないのか。アタシが納得できる理由を今すぐ言いなさい! 」

 

「……提督に話したら、加賀にも、このことが知られてしまうじゃない。彼女を助けるために、私がこんな事になってしまったって。……そんなことになったりしたら、きっと加賀が悲しむ。そして、きっと、自分を責めるに違いない。そんなの嫌だもん」

確かに、提督に本当の事を話したら、島風はすぐにでもドック入りだ。ドックで治らないと分かれば、提督は軍上層部に掛け合って、島風を艦娘サイドに戻そうとするだろう。そんな騒ぎになったら、間違いなく加賀も島風の事を知ってしまうだろう。

自分を助けるために、島風が重篤な状態に陥ってしまったと知ったら、彼女はまた自分を責めてふさぎ込んでしまうに違いない。

 

「けれど、それは仕方ないじゃない。それに、いつまでも隠し通せるもんじゃないわよ。いつか絶対にばれるんだから」

 

「でも、加賀が悲しんでいたら、提督がきっと悲しむよ。提督の大好きな加賀が悲しんでいるのを見たら、きっと提督は耐えられないと思う。きっと悲しむ。……私は、そんな提督の姿を見たくないもん」

提督が自分の命に変えても守ろうとした艦娘……正規空母加賀。冷泉提督は、いつも彼女の事を気にかけていたように思うし、戻ってきてからも彼の視線の先には、いつも加賀がいたように思う。

少し悔しい気もするけれど、確かに冷泉提督にとって、一番大切な艦娘が加賀なんだろうって叢雲も感じていたのだ。二人並んで歩く姿はとてもお似合いだったし、その姿を見た時、凄く心が痛くなった。もちろん、そんなこと知りたくもないし、認めたくもないのだけれど……。島風は提督のお嫁さんになりたいと願っていることを公言していただけに、彼の事には叢雲よりも恐らくは敏感だったはず。そんな彼女だから、誰よりも先にそのことに気づいていたんだろう。

自分の好きな人が悲しんでいたら、きっと辛いだろうな。もし、その原因が自分だったとしたなら、きっと自分も辛い。だから、隠そうとする。隠しきれないと分かっていても隠したい。

それは、自分の好きな人の心が、別の人に向いている事を必死に否定する事に似ている。島風の心がそうなのかどうかは、叢雲には分からない。けれど、自分がもし、島風の立場なら、同じような行動をしているんじゃないかと思っていまう。

 

それは恐らくは、確信。

 

辛い……な。

そう思った。心から思った。

本当は自分のことを話したい。そして、大好きな人に慰めてほしい。けれど、それをしてしまったら、自分の好きな人の……大切な人が悲しんでしまう。

島風は何も悪くないのに、被害者なのに苦しんでいる。

とてもやるせない。

 

大好きな人だから、悲しませたくない。

彼女は、そう思ったのだろう。

 

「……でも、これから先、どうするの? 隠しきれると思っているの。それはいつかきっと破綻するわ。隠すということは、この先ずっと戦闘や遠征に出るということよ。どんどん疲労が蓄積されて、やがてはアンタの体が壊れるかもしれないのよ。そんな不幸な未来しかないっていうのに、アンタは隠し続けるっていうの? 」

 

「それでも構わないもん。提督といっしょにいられるのなら。きっと……提督のお嫁さんにはなれないけど、それでも提督の役に立てるなら、それでも構わないって思っている」

 

「止めなさい。アンタの気持ちは分かるわ。分かるから言うわよ。今すぐ、提督に本当の事を言いなさい。そして、修復のために艦娘の世界に戻るのよ。そうすれば、アンタは不幸な未来を避けられる」

 

「嫌! 絶対に嫌。あっちに行ったら、戻ってこられる保証がなんてないもん。それに、言ったとしても本当に治してくれるかなんて誰も知らないし、そんなこと、今まで一度も無かったことなんだよ。もしかしたら私達駆逐艦なんて、作り直したほうが手っ取り早いって思っているかもしれないし」

 

「けれど、今のままでいたって、やがては……」

 

「それでもいいもん。私は、ずっとずっと提督の側にいたいもん。……提督には好きな人がいるっていうのは辛いけど、でもでも、会えなくなるよりいいもん」

必死に話す島風の言葉を聞きながら、叢雲は息苦しくなるのを感じた。

それは会えないよりもっと辛いことではないのか? それは彼女の実体験ではなく、想像でしかないけれども、恐らくは正しいはず。

 

「だから、叢雲。あなたも提督には言わないでいてね……お願いだから。私なんてどうなったって全然構わない。けどね、私のせいで提督が辛そうな顔をするのだけは、見たくないの。だから、このままでいいの。だから、この事は黙っていてね。叢雲、約束したよね……本当の事を話したんだから、いいでしょう」

それは、厳しい約束だった。

島風の事を思うのなら、冷泉にすべてを話すべきだ。

たとえ隠し通したところで、そう遠くない未来に最悪の形で発覚することになる。取り返しのつかない状態になってから、提督は知ることになるのだ。その時、彼はどう思うのだろうか。自分の事を気遣って、秘密を隠された事を彼はどう思うのだろう。

 

「……」

島風の願いに対し沈黙で返すしかなかった。島風はそれを同意と受け取ったようだ。

 

本当にそれでいいの? その言葉を何度島風に言おうとしたか。……けれど、言葉にはならなかった。

 

訪れるであろう未来が見え、叢雲はそのことに絶望せざるをえなかった。

 

誰か教えて。

一体、自分はどうすればいいの?

 

 

 

 

 

 



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第105話 独りよがり

戦艦長門のすぐ側まで叢雲は近づくと、わりと乱暴に停船する。引き波が立つが、船体の大きさの違いからか、冷泉達はほとんど揺れを感じることがなかった。

車椅子を長門に押されながら甲板に出た冷泉は、駆逐艦へと叫ぶ。

「叢雲、聞こえるか? すぐにそちらに転送してくれ」

 

「……了解」

少し間があったが、船外スピーカーから叢雲の声が聞こえた。どういうわけか、彼女の声には元気が無いように感じられた。どうしたんだろう? そんなことを一瞬、冷泉は思ったが、今はそんなことを聞いている時間は無い。すぐにでもこの海域から離れなければならないのだから。

 

「叢雲、いつも迷惑かけて、ごめんな。早速頼むよ」

そう言うと、艦橋にかすかに見える叢雲らしき姿に向けて冷泉は手を振った。

 

「ふん! じゃあ、……転送を始めるわよ」

 

「了解した。長門、行こうか」

 

「転送開始」

叢雲の声に合わせ、ふわりとした感覚が冷泉を包んでいく。

そして、続いて着地したような感覚があり、次の瞬間に彼の体は戦艦長門を離れ、駆逐艦叢雲の甲板にいたのだった。

「ふう。よし、後はこの海域を離れるだけだ……な」

そう言って冷泉は車椅子を押してくれていた長門に声をかける。しかし、背後からは何の反応もない。それどころか、先程まで感じていたはずの人の気配が消えている事に気づいた。冷泉は、後ろを振り返れないので、慌てて電動車椅子の操作レバーを動かして方向転換すると、後ろを見る。

しかし、冷泉の背後には誰もおらず、十数メートル以上離れた場所の戦艦の甲板の上に立つ長門の姿があった。

 

「な! どうしたんだ、長門。早くしないと敵が近づい来るんだぞ。お前、何でそこにいるんだよ」

 

「……」

彼女は冷泉の問いかけに答えることなく、ただ、こちらを見ているだけだ。

 

「どうした? 艦内に何か忘れた物でもあるのか? 」

状況から考えて、あり得ないはずの事を思わず問いかける冷泉。それを聞いて長門は少し笑ったように見えた。

 

「申し訳ない、提督。せっかく、あなたにお誘いいただいたというのに、やはり、私には無理なようだ」

そして、頭を深々と下げる。

「私を艦娘として、そして一人の女として私を受け入れてくれようとしてくれたあなたに、今生の最後の時に出会えた事をとても嬉しく思う。……けれど、やはり、私はあなたのところへは行けないのです。残念ですが、私は戦艦長門としての最後を迎えることに決めました。本当に、ごめんなさい。自分の定められた運命には、やはり逆らう事ができないようです。女として、貴方の優しさに甘えたいけれど、所詮それは儚い夢、私にはそんな事、許されないのです。……けれど、ありがとう。もしも、……もしも今度、生まれ変わることができたなら、願わくばあなたの鎮守府に配転されたいですね」

そう言って寂しそうな笑顔を見せた。そして、冷泉に背を向けるとそのまま艦橋へと戻っていこうとする。

 

「待てよ、長門! お前、どこに行こうとしているんだ。何をしようとしている? 」

冷泉は叫ぶ。その声には苛立ちと怒りが含まれている。

彼はここに来てやっと気づかされたのだ。長門が冷泉の説得に応じ、彼の元へついて行くような事を言ったのは、彼女の本心なのでは無く、あまりにもしつこい彼を追い払うための方便であることに思い至ったのだ。……確かにそうでも言わなければ、冷泉は長門が彼の申し出に同意するまでは、絶対に離れずにずっと一緒にいるつもりだったからだ。

そこで彼女は考えた。適当な嘘で冷泉を騙して、彼を自艦から追い払うことができれば、車椅子の冷泉にはどうすることもできないはず。さらに敵艦が接近中の現状であれば、まさに好機である。もはや、叢雲さえもどうすることもできない。なぜなら彼女は提督の身の安全を最優先し、例え冷泉が命じたとしても、長門を置いてこの海域から待避するだろうから。

 

急激に沸き上がった怒りが冷泉の体を震わせる。とにかく、彼は転がり周りたいほどに猛烈に腹が立っていた。長門に嘘をつかれた事に対する怒りではなく、彼女が当然のように死を受け入れようとしている事に対してだ。

「待てよ、勝手に何をしようとしている。くっ……そんなの、絶対に許さないぞ。なぜ、お前が死ななければならないんだ。お前は今も生きているじゃないか。そして、お前は本当は生きたいと願っているんだろう? 生きたいと思っているんだったら、お前は生きるべきだ。いや、生きなくちゃならない。船体が無くたって、そんなの関係ないだろう。そんなことで今のお前に居場所がないっていうのなら、そんなもの俺が作ってやる。そんなものいくらでも準備してやるから。それにお前が役に立つか立たないかなんて、俺が決めてやる。俺が必要としているんだから必要なんだ。だから、逝くな……。何も考えずに俺の所に来い! 」

唯一動かせる右腕を彼女の方へと必死に差し伸ばす冷泉。

 

「……あなたと私は、出会うのが遅すぎたのです。それはとてもとても、……残念です。けれど、それらも含めてこれは私の運命なのでしょう。今更そのことを嘆いても仕方ありませんし、後悔などはしていません。思えば、今生の私は、最後の最後まで本当に幸せなままいられました。あなたは否定されるでしょうが、本当に私は何一つ思い残すことなどないのです。それだけ幸せなのです……幸せだったのです。けれど、私の事をそんなに思ってくださりありがとう、提督。……そして、さようならです」

 

「駄目だ駄目だ。最後の最後で何を訳の分からない事を言っているんだよ。お前、俺と約束しただろう? 死ぬなんてそんなことは認めない。俺は絶対に認めないぞ。お前一人を死なせるなんて、できるわけないだろう」

 

「……その気持ちだけで嬉しいです。それが私の救いになるでしょう」

感情がこみ上げてきたのか、彼女は言葉を詰まらせる。

「けれど、……けれど、ここまでです。私は、あなたの元へは行けません。行けないのです。私に情けをかけてくださった事は嬉しく思いますが、やはり、その優しさに甘えてはいけないのです。私があなたのいる舞鶴に行けば、きっと提督にご迷惑をおかけします。私は死ぬまで横須賀鎮守府所属の艦娘なのです。そんな私が何の根回しもなくあなたの下へと行ったとしたら、それは大きな問題を生むことになるでしょう。それは間違いなく大きなトラブルへと発展するでしょうし、そうならずとも、必ず提督の今後の障害となるに違いないのです。私はそんなのは嫌なのです。誰かに迷惑をかけてまで生きながらえて、なんとするのですか」

 

「そんな事、気にするな。俺が俺の意志でお前を連れ出したんだ。俺がお前に来いと命じたんだ。すべての責めは俺にある。だから、お前は何も悩まなくていいんだ。ただ、俺の所に来れば良いんだ。それ以外のありとあらゆる面倒事は、全部俺に任せればいい。お前は何も心配しなくていい」

 

「口だけではなんとでも言えます。今はそう言って頂いても、この先訪れるであろう問題事を前にして、きっとあなたは後悔するはずです。私は最早戦艦ではない。ただの艦娘でしかない。戦闘には使えないのに問題事だけは一人前以上だ。そんなのを引き取る覚悟が本当におありなのですか? あなたにとって何のメリットももたらさない私を、この先起こるであろう様々なマイナス部分を含めて受け入れる覚悟が! 」

 

「お前の言いたいことは分かった。けど、俺は諦めないぞ。お前が言う覚悟ならいつでも決めている。そんなくだらないことで何を思い悩んでいるんだ。俺はいつでもそんなトラブルなんて吹き飛ばしてお前を護ってやるさ。俺の覚悟を疑っているっていうのか? 俺はお前を護るためだったら何だってするんだ。とはいえ、言葉だけでは信じられないよなあ。……だったら、俺の覚悟を見せてやるよ。……こうだ」

冷泉は電動車椅子のギアを入れ、前進させる。するすると車椅子は進み出す。タラップも何もない、虚空に向けて……。

 

車椅子毎落下していく自分の司令官の姿を見、丁度、迎えに甲板に出てきた叢雲が悲鳴を上げる。

長門も何かを叫んでいるようだったが、その言葉は冷泉には聞き取れなかった。

 

冷泉は甲板からそのまま海へと車椅子ごと転落していった。

海へと墜ちる。顔面から海面に叩きつけられ、その衝撃で一瞬、意識が飛びそうになる。駆逐艦の甲板から海面との高低差は結構あったようだ。本気でかなり痛かった。でも意識を失わず持ちこたえた。……けれど、意識が跳んだほうが良かったかもしれない。

 

領域解放ただ中の海は、まだ領域という深海棲艦の支配影響が残っていたようで、どす黒いヌメヌメしたものが、生き物のように漂っている、人間の感覚を刺激する異様に汚れた海だったのだ。

右腕しか動かない状態ではまともに泳げるはずもなく、体はどんどん沈んでいく。

おまけに汚れた海水が容赦なく口や鼻の穴から入り込んできて、激しくむせて更に海水を飲んでしまう。苦くて染みるような焼けるような感覚が口の中に広がる。

溺れないように動かせる右腕を必死に動かしてもがくが、体は浮上することなく、沈んでいくしかない……。

 

冷泉は自分の想像通りに行かなかった事への焦りで、更にパニックに陥った。冷静に考えればあまりにも愚かなことなのだが。一か八か、自分を死地に追い込めば、この機能停止した体が火事場の馬鹿力的な作用を起こして動く……なんてことを勝手に推測していたのだ。

 

絶体絶命の窮地に陥り、主人公、完全復活!

 

そんな映画のような展開を、割と本気で身勝手ながらも考えていたのだった。

この世界に来てから、何度も大怪我を負いながら、前の世界ではあり得ないレベルの回復力で回復していた自分だ。今回もよく分からない加護の力で復活するんじゃないかな? と思っていた。

けれど、現実はこんな時に甘くは無かった。やっぱり最後の最後で現実の厳しさを思い知らされてしまうのか。

 

意識が勝手に走馬燈のような風景を描き出す。わりと恵まれた世界だったのに……。可愛い女の子にモテモテだったり、艦隊司令官なんて前の世界では考えられないような高い地位を与えられ、みんなにちやほやされながら偉そうな事を言ってていたけど、結局は最後の最後で帳尻あわせをされてしまったか……。まあ、仕方ないか。

そんな事を考えているが、それは現実逃避でしかなかった。再び息苦しさで現実に引き戻される。

濁った視界で見える海底は、タールがへばりついたようにどす黒いように見える。ゆっくりとそれが生き物のように退いていっているのが見える。まるで生き物のようだ……。このまま海底に沈んでいったら、あの得体の知れないものに取り込まれてしまう。そう思うと、恐怖すら感じた。

必死で右手で水をかき、体を上に向けると遙か上方に太陽の光を浴びた海面が見えた。おそらく距離にして数メートルだろうが、今の冷泉では決して届くことのない高みだ。

冷泉は息が続かなくなりむせて、更に大量の海水を飲み込み、再びむせる。

 

ダメだ……。溺死なんて最悪だ。

けれど、足掻いてもどうしようもない事は理解したくないのに理解できてしまう。

死ぬのかな。……現実が目の前に立ちはだかる。

何も護れず、何も救う事もできないまま死んでいくというのか? それはしたくない。認められない。自分が死ぬのは、百歩譲って仕方ないのかもしれない。けれど、今なそうとしていること。舞鶴の艦娘達を守ることを途中で投げ出して、死ぬのは嫌だ。絶対に嫌だ。

だから、冷泉は必死に足掻こうとする。動かない体を必死に動かそうとする。なんとしても生き延びなければいけない。俺は長門を救いだし、鎮守府に帰るんだ。鎮守府でみんなが俺の帰りを待っているんだ。彼女達を護ると約束したんだ。だから、絶対に成し遂げる。

動け、動いてくれ! 冷泉は必死に叫ぶ。

 

かすかな意識の中で再び上を見ると、ぼんやりとした視界の中、何かが近づいて来るのが見えた。黒く長い髪をたなびかせながら、それはゆっくりと近づいて来る。

その丸みを帯びたフォルムから女性であることは分かった。その姿はまるで人魚のようだった。

 

だめだ、幻覚が見えるようになっている。

天使が迎えに来たのかな?

薄れゆく意識の中で、冷泉は思った。

 

 

 



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第106話 悔いなき敗北

沈んでいく冷泉に接近してくるもの……それが長門であることに気づくにはそれほどの時間は掛からなかった。そして、予想だにしなかったから驚いてしまったのだが、なんと少し遅れながらも近づいてくる島風の姿も見えた。

長門は冷泉が飛び込んだ直ぐ側にいたからやってこられるけれど、駆逐艦島風と駆逐艦叢雲はかなり離れた位置関係にあったのに、わずかな時間差でここまで泳いで来るなんて、何という速度なんだろう。

 

彼女たちは一気に冷泉のところにまで潜ってくると、すぐさま冷泉を抱き寄せるように両脇を抱え込むようにする。右側を長門、左側には島風だ。そして、両肩に柔らかなものが体に密着してくる。

溺れていたわりに案外その時の冷泉は冷静で、右側から感じるやわらかい肉の圧迫感が大きいななどと考えていた。水中で二人の長い髪が彼の顔に絡みついてくるのもくすぐったく感じていた。

 

そして、そのまま一気に海面へと浮上していく加速感を感じながら、冷泉はゆっくりと意識が遠のいて行くのだった。

 

 

どれくらいの空白の時間だっただろうか。気がついた時は甲板の上だった。

未だぼんやりとした視界の中、冷泉の視界には長門と島風、そして叢雲の心配そうな顔が映し出されていた。

「お願いだ、目を開けてくれ、お願いだ! 」

必死の表情で心臓マッサージを繰り返す長門と、真剣にそれを見つめる顔の島風と叢雲の姿がそこにあった。

 

冷泉が目を開いた事に気づいた三人は、本気で嬉しそうな顔をした。

 

「お……俺は」

意識がはっきりしてくると、現状を確認するように声を上げる。

 

「な、なんて馬鹿な事をあなたはしたのですか! 」

安堵したかと思うと即、激高する長門。

「あんな体で海に飛び込んだりしたらどうなるか、想像もできなかったのか」

 

「そもそも……お前を連れて帰らなきゃ、俺がここに来た意味がないだろう? こんな体ではお前を力づくで連れ戻すことなんてできやしない。だから、俺は海に飛び込んだんだよ。……目の前で溺れている者を見たら、死を覚悟していたとしても、まずは助けずにはいられないだろうからな。そして、お前は後先なんて考えずに俺を助けるために海に飛び込んだ。そして、俺はお前を連れ戻すことができた……だろ? 」

長門が本気で怒っているのは分かっているが、冷泉に動揺は無かった。それどころか、のんびりした口調でそう言うと冷泉はニッコリと彼女に微笑んでみせる。

 

「な、なんと卑劣な……事を」

そんな言葉を口にしたものの、先ほどまでの怒りの矛先を上手くかわされてしまったようで、彼女の態度からは怒りの感情は抜け落ちてしまい、どちらかというと諦めに似たようなものが漂っていた。

 

「もういいだろう? もう諦めてこのまま俺の鎮守府に行くんだ」

 

「ぐぬぬ……」

悔しがっているようには見えないが、歯ぎしりをしてみせる長門。

 

「それはそうと、長門。もう心臓マッサージはしなくていいよ。さっきから少し息苦しいんだけどな」

長門は冷泉が意識を取り戻した後も、ずっと両手で彼の心臓部分に両手を乗せたままだったのだ。それが少しではあるものの、冷泉に息苦しさをもたらせていた事に気づく。

 

「お、おお。これはすまなかった。苦しかったのか? 」

慌てて乗せたままの両手を冷泉の体から離す長門。

 

あれ……?

そこで、冷泉はふと気づいてしまう。何で長門が冷泉の胸の上に両手を乗せられると息苦しく感じていたのか……と。

首から上と右腕以外については、感覚が麻痺したままの彼がどうして息苦しさを感じたのだろうか。それどころではない。あまり綺麗とはいえない海の中に落ち込んでしまったせいか、全身が油を被ったかのようにぬるぬるして気持ち悪いし、なんだか寒気もしている。思わず身震いしてしまいそうな程の寒気だ。

こんな事、負傷して以降感じたことのない感覚だ。これは、もしかしたら……そんな天啓にも似た予感ものを感じて意識をそちらに向けようとした時、島風と目が合った。

 

「島風……」

冷泉は優先順位の高い方へと意識を向けることにする。

 

「はっ、はい?ー! 何ですか、提督」

びっくりしたような顔をして彼女が慌てて反応する。

 

「島風、助けてくれて、ありがとうな。お前のおかげで助かったよ、また助けられてしまったな」

 

「う、うん。……提督が無事で良かったです」

視線を逸らしながら、少し頬を赤らめてもじもじしている。おそらくは褒められているから嬉しいんだろうけど、どうして冷泉の目を見て話さないのだろうか。前までの彼女なら、絶対に冷泉から視線を外さなかったんだけれど。もしかしたら、何か気に入らないことでもあるのだろうか? そんな事を思い、少しだけ不安になったけれど、今度は別の事が気になってきた。それは生理的なものだ。

とにかく、全身がムズムズして痒い。衣服が海水でべったりと張り付いていて不快だ。海の中で見たヌメヌメしたものが体に張り付いているようで気持ち悪い。口の中も変な物を飲み込んでしまったせいでねばねばしているし。……だがしかし、何故そんなものを感じ取れることができるのだろうか? ここ最近、感じることが皆無だったため感覚が鋭くなっているように違和感を感じてしまう。

 

再びの予感。

 

もしかして?

 

冷泉は動かない筈の左手指先へ意識を集中する。もちろん、指先はぴくりとも動かない。けれど、何も感じず反応もなかった左手に何かを感じる……ような気がする。

……これは?

 

「ハイハイ! アンタたち、のんびりと話している暇は無いわよ。忘れたの? もう敵が接近してきているんだから」

ずっと黙っていた叢雲が、もう限界だとばかりに指摘する。

「ここでグダグダしていたら、こんな状態で敵艦隊と交戦を覚悟しなけりゃならないでしょ。さっさとここを撤退するわよ。島風は、自艦へと急いで戻りなさい。提督は、自分の目的を達成しようというのなら、そこの長門をしっかり捕まえておきなさい。可及的速やかに、この場所から全速力で離脱するわよ」

 

冷泉はリアルな現実に引き戻される。

そうなのである。叢雲の言うとおり、今は急いで逃げなければならないのだ。

「分かった……」

島風は近くまで接近させてきていた自艦へと存在を一瞬で転送される。

 

「さて、アタシも艦橋に戻るわ。アンタも甲板から落っこちないように注意してね」

そう言うと、一度だけ大きなため息をすると、叢雲は艦橋へと戻っていく。

 

「お前達、ちょっと待て。勝手に話を進めるな。……私は提督と一緒に行くとは言っていないぞ。私には、どうしてもやらねばならないことがあるのだ。このまま生きて、生き恥を晒すわけにはいかぬ」

そう言って長門が立ち上がろうとするが、何者かに腕を捕まれていて立ち上がることができなかった。

 

「駄目だぞ、長門。お前は俺と一緒に帰るんだからな」

彼女の手を掴んだ張本人の冷泉が指摘する。

 

「すまないが、それは無理だ。冷泉提督、だから、手を離してもらえないか。私は自分の艦に戻らなければならないのだから。艦のみでこんな海に沈めるわけにはいかない」

そう言うと彼女は冷泉の手を振りほどこうとする。

「私は、あの艦と運命を共にしなければならないのだ

 

「離さないぞ。ごちゃごちゃ訳の分からない事を言い続けたって、俺は手を離さないぞ。力ずくで行こうとするんなら、やってみろよ。また、俺は海に飛び込むからな。これは冗談ではないよ」

冷泉はそう言うと、悪戯っぽく笑う。

 

「そ、そんなあ……」

恐らく誰にも見せたことの無いであろう程度の情けない表情で長門がうなだれた。

長門の性格上、目の前で助けを求める者がいれば自分がどんな状況であろうとも最優先でそれを救おうとする。そこを利用されていると知りながらも、どうすることもできない自分に腹立たしいやら、そこまでしてでも自分の死を引き留めようとする冷泉提督に感謝するやら複雑な気持ちで混乱していた。

ただ、

「……分かりました」

と言い、敗北を認めるしかなかった。

それが敗北と言うのかどうかはよく分からない。過去に幾度と無く敗北の辛酸を舐めてきた彼女ではあったが、今回の敗北は何故か嫌な気分にはならなかったのは不思議だったが。

 

叢雲と島風が萌え続ける長門から離れた後、二隻の駆逐艦の雷撃を受けて今生での前横須賀鎮守府旗艦、戦艦長門がゆっくりと沈んでいった。

 

そして、それは長門の意思によるものあった。

 

沈みゆく半身を見つめながら、彼女は少しばかり泣いた。それは過去への決別であった。

 

「では、行きましょう……冷泉提督」

といって冷泉提督に微笑みかける。

その笑顔には、後悔というものは見られなかった。

 

冷泉も彼女に微笑み返す。すべてを捨てて自分の下へと来てくれる艦娘に対して一つの誓いを心の中で行う。

 

いかなる困難が立ちふさがろうとも、俺はきっとお前を守り続ける……と。



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第107話 鎮守府執務室

幸いな事に、敵艦隊は冷泉達を追尾してこなかった。

遥か彼方に姿を現した敵は、追跡するような素振りだけは見せたけれども、すぐに諦めたようだった。

 

ただ、……音声メッセージだけの通信がノイズに混じって送られてきた。聞いたときはほとんど聞き取ることができなかったが、録音したものを解析してやっと、その内容が分かったというものだったけれど。それは以下の物だった。

【許サナイ。一度ナラズ、二度ニワタリ、我ラノ作戦ノ邪魔ヲシタ愚ナ奴メ。ソノ罪、許サレル事ナシ。裏切リ者ニハ、……罰ヲ! 必ズ、オ前モ我ラノ側ヘト取リ込マレルマデソウ遠クナイ……。忘レル事ナカレ】

 

声色はまさに怨嗟怨念といったものが籠もったかのような地の底から聞こえてくるといった表現が相応しい異様な物だった。はっきり言うと、冷泉は内容を知ったとき、背筋に寒気が走った。

しかし……もしかして、これが深海棲艦の肉声なのだろうか? だとしたら凄く嫌な声だな……冷泉はそう思った。

 

恐らくは、加賀に続いて長門を救出することに成功した鎮守府司令官である冷泉に対する激しい憎しみの言なのだろうけれど、その言葉の意味する内容がよく分からないままだった。そもそも、人間である冷泉を取り込んでどうするつもりなんだろう? とはいえ、深海棲艦の思考を人間なんかがが理解できるはずもないだろうし、必要以上に考えたり内容について怯えたりしたところで何も変わらないだろうし、意味が無いだろうということで、冷泉自身もそれ以上は深く考えなかった。

とりあえず、今のところは上に報告しておくだけでいいだろう。

 

そんな変な事もあったけれど、無事、舞鶴鎮守府へと冷泉達は戻ることができたのだった。

今回の旅路の中で、冷泉の体は僅かながら身体機能の復活への兆し? のようなものを感じ取る事ができたので、わりとご機嫌だった。

ほんの僅かではあるだろうけど、光が見えたような気がしたんだ。もしかしたら、体が元のようにに戻るかも……それは冷泉にとってはとてつもない喜びであった。なにせ、体のほとんどが動かなくなっているわけで、着替えや入浴といったことだけでなく、支え無しでは座っている事もできないわけで、あらゆることで誰か外の人に頼るしかなく、それどころか、排便排尿も自力ではできない。動かなくなっているということは感覚すらなくなっているわけで、自分が便意や尿意をもよおしていることさえ認識できないのだから、これはとても辛いことだった。選ばれしプロ意識の権化のような、そして完璧に業務をこなしてくれる職員とはいえ、全くの他人に世話をして貰っているということで、看護師である彼ら彼女らは何も思っていないとは分かっていても、そういった恥ずかしい所を人に見られても恥じらいを感じないほど達観しているわけでもなかったのだ。はっきり言うと恥ずかしくて、毎日死にたい気分だった。……よって、自分の事は自分で出来る可能性があるというだけで冷泉は希望を持てたのだった。

 

ご機嫌で帰ってきた彼ではあったが、鎮守府に戻るなり、複数の看護師達の手によって……勝手に彼らの元から逃走した冷泉に対して思うところのある彼らに、問答無用で拿捕されると、衣服を剥ぎ取られ、恥じらいの中、排泄行為と入浴を強制させられたのだった―――。

 

風呂上がりのために体がまだ暑いままの冷泉は、少しぼんやりした表情で提督執務室の椅子に腰掛けている。

あまり広くない部屋には、鎮守府の艦娘達が整列して集合しており、ざわついてはいるものの、女性ばかりの華やかな雰囲気に包まれている。

 

冷泉の右隣には秘書艦の任についたままの加賀が立ち、左側には冷泉が連れ帰った長門がいる。

 

「お待たせしました……」

咳払いをした後に加賀が話し始める。

「この度、我が艦隊に新しい仲間が増えることになりました」

 

「その前に……ちょっといいでしょうか」

突然、高雄が声を上げる。彼女の表情は普段と変わらず穏和なものだったけれど、声には少しだけ苛立ちの成分が含まれているように感じられた。

 

「はい、何でしょう? 」

淡々とした口調で加賀が反応する。おおよそ彼女が何を言おうとしているか知っているのに、いつもと変わらない。加賀の態度が高雄を更に苛立たせ、感情を硬化させたように見えた。少し怖い目つきになる。

 

「た、高雄……さん、何かな? 」

慌てて冷泉が作り笑いを浮かべながら問いかける。おいおい、二人とも喧嘩は止めてくれよ。

 

「提督、無事に戻られて本当に良かったです。……けれど」

 

「けれど? 」

 

「立場をわきまえていただけませんでしょうか? 」

 

「えっと、それはどういうこと……なのかな」

 

「提督、あなはたこの舞鶴鎮守府の艦娘を含めたたくさんの部下を持つ、司令官というお立場であることを忘れてしまっているのではないでしょうか? 司令官たるもの、常に鎮守府にドーンと構えて部下に指示するものだと私はずっと思っていました。もちろん、出撃に際して同行していただき、私達を励まし指揮してもらえるのは本当に心強いですし、嬉しいです。でも、でも……ここ最近の提督の行動はあまりに常軌を逸しています。何度生死の境を彷徨っているのでしょうか? 私達のためにやっておられる事だということは理解できます。けれど、けれど、いつもいつもこんな事をされていたら、いつかは提督の身にもしものことが起こるんじゃないかって、本当に心配で仕方がないのです。今回だって、また無茶をされたみたいですよね。ただ、助けに行くだけだから、戦闘はまずない、危険は無いってあれほど仰っていたのに! 何ですかこれは! 私達はお側にいられないから何もできず、ただ待って心配するだけしかできなくって。もう、どんなに辛かったか。提督に何かあったら、提督がお考えになっている以上に多くの人達に影響がでるんですよ。私達だって、とっても悲しい想いをするんですよ。分かってます? ……いい加減にしてください! 」

最後の方はもう涙を浮かべながら訴えてくる高雄。その勢いに思わずたじろいでしまう。

 

「私もそう思うネー! 提督は後先考えずに行動しすぎなんだヨネ。提督にもしもの事があったら、私達はどうしたらいいネ? せっかく思い人に出会えたっていうのに、私の気持ちは何処に持って行けばいいっていうネ。目の前の救わなければいけない子の事も大事だケド、残された私達の事も考えて行動して欲しいネー! 」

金剛も同意する。

 

「そうよ、そうよ」

どこからか、それに合わせてるように他の艦娘達も騒ぎ始める。ほとんどは冷泉の無鉄砲さを批判するものであった。

まあ、確かに勝手な行動ばかりして、彼女たちに意見を求めず、心配させているのは事実なんだろうなと反省する。

 

パンパン!

「はい、そこまで」

落ち着いた声で加賀が発言する。ざわついた雰囲気が収まり、皆が加賀の方を向く。

「みなさん、口を謹んで下さい。仮にも冷泉提督は私達の上司なのですよ。いろいろと思うところはあるかもしれませんが、言葉に気をつけて下さい。これ以上の批判は秘書艦として、許しませんよ」

と、わりと冷たい口調……彼女としては普段通りの話し方なんだけれど、でみんなに伝える。

一瞬だけ息をのむような雰囲気が漂う。お前が言うな的な視線がいくつか加賀に突き刺さるのを感じた。少し険悪な雰囲気になっていてドキドキしてしまう冷泉。

「それに……今回の件については、すべて私が提督にお願いした事が原因なのです。私が長門を救って欲しいとお願いしてしまったのがいけないのです。すべては私が悪いのです。なので、提督を責めるのであれば、それは全くの見当違いです。批判するのであれば私を批判してください。提督は何も悪くはないのですから。……ですよね、提督」

 

「は? 」

いきなり話を振られて、驚きの声を上げる冷泉。

 

「ちょ、ちょっと待つネ。何なの何なの? 今の加賀の言いぶりは聴き流すわけには行かないネー。私の聞き違いだったかも知れないんだケド」

 

「そうです。今の言い方はまるで可笑しいです。加賀さんのお願いした事だから提督が危険を覚悟でも行動したように聞こえてしまいますよ」

と、高雄も同調する。

 

「そうね、まるでアンタが頼めばコイツがなんでも言うことを聞くように聞こえたんだけど? それってどういう事? 何なのソレ、変な物でも食べたのかしら……ぎゃ!」

後ろのほうで言っているのは叢雲か。すぐゴンっという打撃音がして「提督の事を汚い言葉で罵るのは、何人たりとも絶対に許しません」という少し低い声が聞こえた。声色から神通らしいけれど。

 

「も、もしかして司令官さんと加賀さんは……おつきあいしているってことなんです? 上司と部下の間柄なのに……ふ、不潔です」

何か穢い物を見るような瞳で羽黒がこちらを見ている。

 

「えー! 私というものがありながら、浮気……ゆ、許さないネー! 」

 

「提督、はっきりしてほしいです。でないと提督の生態について再分析が必要かも」

腕組みをして意味不明な発言をする夕張の姿もある。

皆それぞれが口々に不平や疑問を言い始めて収集がつかない状況になってきた。

 

「……提督、あなたから説明したほうがいいみたいね」

混乱を我関せずの態度で受け流し、加賀がこちらを見る。

引っかき回した本人が丸投げか! 

 

「えーとだな……」

仕方なく冷泉は言葉を発する。頭を少しだけ起こして周りを見る。騒いでいた艦娘達がこちらを黙ってみている。

いろいろ考えたけれど、正直に自分の気持ちを伝えておいたほうがいいだろうな。

「今回……いや、その前も、それからその前も。うーん、つまりずっとかな。何かとお前達に心配をかけてしまってすまないと思っている」

見回すとみんなが「その通りだ」とばかりに頷いている。特に高雄と扶桑が……。

「過去のことはみんな知っての通りだから、今回の事を説明するよ」

冷泉は横須賀鎮守府の長門が旗艦の座を外れた事。それによる彼女の葛藤。彼女の処遇。彼女のプライド。様々な要素が絡み合い、結局のところ、囮となり敵艦隊を惹きつけることにより横須賀鎮守府が最近苦戦していた海域攻略の捨て石となり死を選ぶ選択をした事を説明した。そしてそれを聞いた親友である加賀が苦悩していたことも知る。二人の艦娘を救うため、冷泉は行動した事を。

「俺は人類の為に戦っているお前達の苦悩を少しでも和らげることができればと常々考えている。俺ができることがあるのであれば、あらゆる困難を排してでも実行しようと考えているんだ。それでお前達の働きに報いることができるなんて思っていない。けれど、貰ってばかりの俺が、何か返すことができるのならって思っているんだ。後先を考えない愚かな行動だと思うかもしれないけれど、何かをせずにはいられないんだよ」

そう言った後、再び冷泉はみんなの顔を見回す。

涙ぐむ者、疑った視線を送る者、呆れている者……いろんな顔があった。けれど、みんなが冷泉が本心を語っていないとは認識しているようだった。彼女たちの視線は、本当の事を言えと言っているようだった。

「分かりました。本当の事を言います。……俺は可愛い艦娘のお前達が悲しむ姿なんて見たくないんだ。俺はお前達が大好きだからね。ここの子みんなを俺の彼女にしたいくらいだ。おまけに、あわよくば余所の鎮守府の艦娘も自分のものにしたいって考えている。だから、困っている艦娘を見てしまったら知ってしまったら、後先なんて、なーんも考えずに行動してしまうんだ。それだけです、スケベですまん」

ああ、言ってしまった。言ってから後悔してしまった。ただのスケベ心も行動原理の一つであることを公の場で言ってしまった。……けれど、後悔はあまり感じなかった。すがすがしかった気もする。

 

「はあ……」

呆れたようなため息が執務室を包み込む。

けれども誰も怒っていないというかなんだか安心したような顔をしている。どうしたんだろうか。

 

「……まあ、すけべ提督の言い訳はこれで終了ですね。みなさん、これで納得されましたか? 納得するとかそういうものでは無いでしょうけれど」

少し怒ったような口調で加賀が艦娘達に確認をする。

特に誰からも異論は無いようだ。

「では、今日本来の目的である、新しくこの鎮守府に着任した艦娘の紹介に移りますね」

そう言うと、長門を見る。

長門は目で頷くと、一歩前に出る。

 

「知っている人いるかもしれないが、私は長門という。訳あって横須賀鎮守府からの異動となった。まだ書類上の手続きはできていないようだが、それも間もなく整うと思う」

一度、言葉を切って、長門は艦娘のみんなを見やる。

知っているも何も、戦艦長門を知らない者は艦娘にはいないだろう。不思議な自己紹介の仕方だな、とみんなが思っているのがよく分かる。

 

さて、彼女は何を言うつもりなんだろう?

冷泉はなんとなく不安を感じた。

 

 



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第108話 戦艦榛名と呉鎮守府提督

呉鎮守府―――。

 

執務室の窓から外を見つめる男がいる。

鎮守府司令官の高洲だ。

彼の視線の先には、第一艦隊の姿があった。彼女たちは先ほど、瀬戸内海における深海棲艦の掃討作戦から帰投してきたばかりだった。

 

瀬戸内海における深海棲艦勢力の活動(そのほとんどが潜水艦であるが)は、最近、とみにその活動が活発となっており、流通の重要な航路となっている瀬戸内海航路の安全が非常に脅かされているのだった。出没する敵は、海底のどこかに存在する領域と繋がった地下洞窟を利用して自由自在に瀬戸内海に出現し、輸送船を襲って来るのだ。

近畿圏の鉄道および道路がかつて近畿圏で発生した事件により破壊されているため、西日本と東日本の陸路はほぼ遮断されたままとなっている。物資の大量輸送は、海路しか残されていないため、深海棲艦襲撃によるその被害は、もはや無視できないレベルになっていたのだ。

この状況に対応するため、呉鎮守府は本来の領域攻略を放棄してまで瀬戸内海の海上交通の安全確保および領域とつながる地下洞窟の調査に専念せざるを得ない状況が続いているのだった。

この戦略変更により、呉鎮守府に配備される艦娘は、軽空母、軽巡洋艦、駆逐艦、潜水艦といった対潜水艦攻撃が可能な艦種に限定される形となっており、増員要求においてもすべて対潜能力に優れた艦娘を要望している現状である。

 

「ただ一人を除いて……な」

誰に言うでもなく、高洲提督は思わず呟いた。

視線の先には、タグボートに曳航されながらドックへと移動する戦艦榛名の姿がある。

 

「提督、どうかなさいましたか? 」

隣の机に座っているメガネをかけた艦娘が、心配そうに問いかけてくる。長い髪のいかにもクラスの優等生っぽい子が、現在の呉鎮守府の秘書艦となっている。

 

「いや、大淀、たいしたことではないよ」

そう言ってごまかす。

彼女は、常に冷静な対応ができるだけでなく、みんなに気配りもできるよくできた艦娘だ。高洲が若ければきっと好意を持つだろうと断言できる容姿、性格だった。とはいえ、今の自分から見たら娘、いや……それどころか孫といってもおかしくないくらい歳が離れているなのだが……。

ふふふ……。その現実に思わず、嗤ってしまう。

 

本来ならば、すでに退職し軍の関連企業にいわゆる天下りをして、悠々自適な第二の人生を送っているはずの高洲が、いまだ現役で現場にいるのは、すべて深海棲艦のせいだった。

世界に突然に現れた深海棲艦との戦いで、アメリカ第七艦隊と共に出撃した自衛隊の艦船は壊滅し、さらに基地や施設への敵による一斉攻撃を受けたため、若手中堅どころの錬殿高い優秀な人材は、そのほとんどがこれからの輝ける未来とともに命を散らしてしまったのだ。

結果、再編された日本軍の制服組と言われる兵士には、錬度士気の低いもしくは若さだけが取り柄のものか、定年退職まじかのものしか残されていなかったのだ。文官だけでは戦闘もままならぬということで、高洲が現場の責任者として引っ張り出されたというわけなのだ。

楽しい老後の夢を奪い去られた彼としては深海棲艦がとてつもなく憎いが、かといって拒否しても鎮守府を任せられる者が見当たらない状況と背広組に任せるわけにもいかず、消去法で仕方なく任務を執り行っているだけなのだ。ゆえに、積極性が足りないという批判を受けていることも知っている。それはいけないことだと認識をしていながらも、もはやそういったことに対する熱意というものが少なくなっている自分に老いを感じざるをえないのではあるが。

 

「何のことはない……。また、榛名が損傷を負って帰ってきたな、と思ったのだよ」

と、ぽつりとつぶやく。

高洲の言わんとする意味を理解する大淀は、一瞬だけ言葉に詰まるが、すぐに言葉を返してくる。

「榛名さんは、鎮守府旗艦として常に前向きに行動しています。その姿は尊敬に値します」

 

「確かに、榛名はまじめだ。まじめ過ぎるぐらいにな。ほぼすべての海戦に休むことなく、旗艦として参加している。……だが、戦闘において何の成果も挙げていない。戦力としてカウントもできない。……更に損害を受けて帰ってくるだけ鎮守府の資材を無駄遣いし、ドックを一つ埋めてしまうことから、鎮守府にとっては害しか無いとも言えるのだがな」

 

「けれど、それは彼女には酷だと思います。潜水艦相手の戦いは戦艦にとってはあまりにも条件が悪すぎるのですから……」

同情するように秘書艦が呟く。榛名の立場を慮り、辛そうな表情さえ浮かべている。なんと優しい子なのだろう。

 

そうなのだ……。大淀の言う事ももっともなのだ。それは高洲も理解している。

他の鎮守府と同様、領域開放が主となる任務だった頃の呉鎮守府なら、戦艦榛名は、貴重な戦力の一人だったのだ。けれど、いまは状況が変わってしまった。それもあまりにも劇的に。

「確かにお前の言うとおりだ。今のうちの主戦場は、彼女にとってはあまりに変化が急すぎて、かわいそうだと思うよ。敵がいきなり潜水艦のみになってしまったのだからな。……戦艦とは、潜水艦に対する攻撃手段を全く持たない。そして、逆に敵からは反撃のできない都合のいい的にしかならない。敵艦出現とともに半領域化してしまう戦場では、旧式の兵器しか使用不可能になるからな。戦艦はただの鉄の塊でしかない。せいぜい、他の艦の盾になるしかないのだからな」

 

「そうですね。榛名さんには辛い日々だと思います」

 

「旗艦という立場が榛名を余計に辛い立場に追いやってしまっている。……他の艦娘ならば、その能力に相応しい場所へ異動させことができた。けれど鎮守府旗艦である榛名をそうやすやすと出すことはできないからな。安易にしてしまえば、まるで彼女がこの鎮守府に必要が無いと言っているとの同じだからな。そんなことを言われたら、榛名の心が持たないだろう」

人一倍生真面目で責任感の強い彼女の性格を良く知る提督であれば、異動させるという選択肢は選択できないのだ。

「それに、鎮守府の体面というものもある。鎮守府の旗艦とは戦艦もしくは正規空母と決まっている。よその鎮守府はみなそうなっている。横並びを重視する軍という組織にいる以上、それを変えるのは難しい。古臭い慣習といえばそれまでだが、それを変えるにも相当の労力が必要なのだよ。そういった諸事情で今まで据え置いてきたわけなのだが……」

言葉を続けようとしたとき、扉がノックされたため、高洲は言葉を止める。

 

「失礼します、榛名です」

噂をすれば影というわけかもしれないが、その本人がやってきたようだ。

 

「入れ」

高洲の声を聞いて、扉がゆっくりと開かれた。

巫女のような装いの長い髪の少女が入ってきた。旗艦という立場なのに、少しおどおどした表情をしながら彼の方を伺うように見てくる。

どうしてそういった態度になるかは、彼女の全てを知る高洲であるからこそ、理解できている。

何の戦果も挙げることができず、損傷して戻るばかりを繰り返している事を気に病んでいるだ。そして、本来なら艦娘自体もドック入りするのが通例のところ、先にこちらに来るように指示されたから、何を言われるのだろう? ……それについての不安もあるのだろう。

 

「任務、ご苦労だったな」

と形式的な言葉をかける。

 

「提督、申し訳ありませんでした」

はじかれた様に榛名が頭を深々と下げる。

「また、みんなに迷惑をかけてしまいました。……本来ならば、私がみんなを守ってあげなければならないのに。本当に申し訳ありません」

一体、何度こんな謝罪を聞かされたのだろうか? 帰投する度にこんなやりとりを繰り返してきたのだろうか?。戦艦が潜水艦相手に勝ち目などないのに、それを承知で出撃しようとする榛名。そして、それを止めようともしない司令官である自分。……いい加減嫌気がさしているのが本音だ。しかし、旗艦たる榛名を鎮守府に係留したままで置いておくこともできない事情もあった。それは余剰戦力であると判断されたならば、本部へ返す措置が取られる可能性もあるため、どんな形でもいいから実績を残しておかなければならないのだ。

それに、榛名を自分の手の中から手放すには、まだまだ惜しい……勿体無いという高洲の実に個人的な気持ちもあったため、簡単には踏ん切りがつかなかったのだ。

 

つまり、未練だ。

しかし、それも終わる。

 

「それについて、お前が謝る必要は無い。……戦艦が潜水艦相手に勝てる道理など無いのだからな。それを承知で出撃を許可し続けた私にこそ非がある。むしろ、私がお前に謝らなければならないのだ。辛い思いをさせ続けてきたな。すまなかった」

心から彼女の気持ちを思い、その言葉が彼の口から出てきた。

 

「そんなこと……ありません」

消え入りそうな声で答える榛名。むしろ、高洲の言葉に戸惑いを感じているようだ。真意を探るように見つめてくる。その瞳は普段、彼を見つめる彼女のものとは大きく異なっている。

どちらかといえば、不安の方が大きいように思える。

 

「どうしたんだ、榛名? 態度がいつもと違うように見えるが」

 

「いえ、私はいつもと変わりありません」

 

「そうか? 私にはお前が何か怯えているように見えるぞ。……お前にもそう見えないか、大淀」

 

「……そうですね。よく分かりませんが、確かにいつもの榛名さんとは違うように私にも見えます」

静かに秘書艦が答える。その時、一瞬だけ二人の艦娘の視線が交錯するがすぐにお互いが目を逸らす。

 

「だそうだ。実際のところどうなんだ? 」

問い詰めるように高洲が言うが、榛名は下を向いたままで答えない。

……まあ、予想通りか。

「まあ、いい。お前にドック入りを後回しにして来てもらったのは重要な話があったからだ」

その言葉を聞いた途端、彼女の全身に緊張が走るのが分かった。

「そんなに緊張しなくて良いぞ。お前にとって悪い話ではないのだからな」

努めて優しい声で語りかける。

驚いたような顔で榛名が顔を上げる。

「……舞鶴鎮守府の冷泉提督を覚えているか? 」

 

「は? ……はい、覚えています。横須賀でお会いしていますし、先日、瀬戸内海でもお会いいたしました」

問いかけの意図を理解できていないながらも、正確に答えてくる。そして、彼の事を話す時、彼女に僅かながらではあるが、動揺したような揺らぎが生じているのを感じ取れてしまう。そして、それが何故だか心を苛立たせる。

 

「お前は、彼の事をどう思うか? 」

 

「……どう思うか、ですか? 私は、ほとんどお話した事が無いので、どう思うかと言われても答えることができません。けれど、鎮守府司令官の任についておられるくらいですし、資料からも優秀な司令官であるようです。それから、艦娘の間の噂では、艦娘思いの人であると聞いています」

高洲も聞いたことのあるエピソードを彼女も知っているのだろう。彼の事を語る榛名の表情は、憧れの人物の事を話す少女のそれに思えた。それだけで、彼女の冷泉に対する感情が読み取れる。

こんな年寄りより、やはり年の近いほうがいいのだろうな。そう思って少し寂しさを感じる。同時に苛立ちも……。

 

「実は、冷泉提督がお前を舞鶴鎮守府に迎え入れたがっているらしいのだ。そして、上のほうも彼の意向を尊重するらしい。そこで、私としては、お前の意思を確認しておきたいと思っている。……どうだ? 」

 

「私は、……この鎮守府で、高洲提督の下で、ずっと戦いたいと思っています」

少しだけ考えたような素振りを見せた後、彼女は答えた。

 

実に榛名らしい模範的な回答だ。彼女の性格からして、はい変わりたいです、などと答えるはずがないのは分かっていた。

「ふははは。聞き方が悪かったな。こんな聞き方をして、はいそうです、なんて答えられるはずがないな。……すまなかった」

 

「いえ、そんなことは。それに、今言ったことは私の偽らざる本当の気持ちです。私は提督にずっとお仕えしたいのです」

 

「お前にそう言ってもらえるだけで、司令官冥利に尽きるな。その気持ちだけは受け取っておこう。だが、現実的な話もさせてもらうぞ」

その言葉を聞いた途端、榛名の顔が曇るのが分かる。しかし、そんなことを構っていられない。

「現在の鎮守府の置かれた状況、そして、お前の立場を考えてもらいたい。今回の戦闘においてもまたお前は損傷を受けるだけで、お前として何ら戦果をあげられなかったな。相手が潜水艦なのだから、それは仕方のない事だ。だが、それを永遠に続けられるのか? 」

 

「そ、それは。でも、もっともっと、私ががんばれば……」

 

「冷静に分析するんだ。がんばったところで、お前の砲撃が海に潜ったままの敵に当たるはずがなかろう。逆に敵の魚雷はお前を狙い放題だ。……そして、それだけではない。お前がいるために、他の艦娘がお前を守るために余分な仕事が増えてしまっていることを知らぬわけではないだろう? お前を守るために被弾する子もいる。幸いな事に、今は軽微な損傷で済んでいるが、やがてお前だけでなく、他の艦娘にも重大な事態が起こるかもしれない。その時、お前はどうするというのか? 私がしっかりとした決断をしなかったのが最大の原因だから、お前を責めるつもりはない。鎮守府旗艦を港に係留させたままということはできないのはわかっているからな」

 

「そ…それは」

それ以上言葉が続かない榛名。

 

「お前の感情はともかく。……今回の話、お前にとっても悪い話ではないだろう? 呉鎮守府にいたところで、お前に活躍の場は無いのだ。けれど、舞鶴へ行けば領域開放の任務がある。あそこはまだまだ戦力不足と聞いている。戦艦であるお前の活躍する場が十分にあるはずだ。そして、一番の懸案である旗艦を他の鎮守府へと異動させるという問題も、上層部の判断というお墨付きがある。もはやそれに囚われる必要は無いのだよ。私の外部への体裁も取り繕う必要も無いのだから、気にすることはもはや無いのだ」

提督のその言葉を聞いた途端、彼女の瞳に光が宿るようだった。彼女も旗艦としての立場に囚われ、身動きが取れなくなっていたのだろう。

 

「もう一度聞く。榛名よ、お前はどう考えているのだ? お前はどうしたい? 」

 

「……はい。もし、許されるのであれば、舞鶴鎮守府で戦いたいです。私の力がどこまで通用するのかを確かめたいです。……もう、戦闘の度に、みんなの足手まといになるのは、本当に辛すぎです」

最後の言葉が彼女の本音だったのだろう。

その言葉を聞き、高洲は頷いた。

 

 

榛名が部屋を去った後、高洲は秘書艦に話しかける。

「大淀、何か言いたいことがあるのではないのか? ずっと何か言いたそうにしていたようだが」

 

「はい。確かに今回の榛名さんの人事については異論はありません。鎮守府の事を考えれば、正しい選択であることは疑いようのないことですから。けれど、この人事が何故、急に決まったのでしょうか? 今までずっと足手まといと陰口を言われながらも、榛名さんを使い続けて来られた提督が、どうしてこのような結論に至ったのでしょう? 」

 

「まあ、消去法ということだよ。鎮守府の旗艦をよそに出すということは、たとえ上司である司令官であっても決めることは非常に難しい。艦娘の能力不足を指摘することでもあり、また司令官の指導力不足を問われる可能性もあるからな。しかし、今回、受け入れ先の鎮守府があったこと。そして、それに乗っかるように上層部も承諾を出したことが大きな原因だな。誰も傷つかずにウィンウィンの関係を維持しつつ、すべてを動かすことができたのだからな。むしろ、一番の利益を得たのは我々かもしれないぞ。榛名の変わりに数人の対潜特化した艦娘がこちらに配属されることになりそうだからな。これで大幅な戦力増強になるぞ」

新しい艦娘が四人も着任したら、いろいろと大変だ。

 

「本当ですか! それはすばらしいです。艦隊運用も楽になるでしょうね」

驚きのあまり立ち上がる大淀。仲間が増えることが嬉しいのだろう。この話を聞いたら、他の艦娘も喜ぶだろう。もちろん、榛名の異動を惜しむ声もあるだろうが、戦力外の一人が消え、戦力となる艦娘が4人も来るのであれば、先を見れば、遙かにに嬉しい事案だ。

 

「そうだな。これから旗艦を誰にするかで私は頭を悩ませなければならない。けれど、贅沢は言えないな。むしろ、それは嬉しい悩みなのだがらな」

 

「あ、あの……。提督、よろしければ、私の事も考慮に入れてくだされば」

大淀がもじもじしながらも、珍しく自己主張をしてきた。

 

「ふふん。ああ、勿論分かっているよ。お前の能力を日本で一番把握しているのは、私だからな」

そういって高洲は彼女に近づくと、彼女の頬に右手を添えて見つめる。

「安心しろ、悪いようにはしない」

 

「はい……」

少しうつむき加減になりながら、秘書艦が答える。その頬には赤みが差している。

 

さて……。

機密通信をするからということで、秘書艦には執務室から出て行ってもらった後、高洲は考える。

これ以上の事は、今は秘書艦にも話さない方が良いだろうな。

 

しかし、あの冷泉が榛名を欲しがるとは……。思わぬ収穫だ。こちらとしては、厄介払いが円満にできるし、榛名を差し出したということで、冷泉提督には、大きな貸しができた。話をするときには十分にそのことを彼に認識させておかないといけない。大事な旗艦を君の、いや舞鶴鎮守府の為に差し出すのだからなと。そして、絶対に秘密にしないといけないことがある。彼には思いもつかないだろうな。まさか、榛名がずっと高洲の手の中にあるということを……。これで、舞鶴鎮守府の動きは、常にこちらの監視下に置くことができる。

 

「横須賀と舞鶴……。双方が潰しあってくれれば、最高なのだがな」

近年、目覚しい勢いで力をつけてきた横須賀鎮守府。彼らの力は絶大なものへとなっていっている。その暴走を防ぐためには、対抗馬が必要だった。それにもっとも相応しいのは、舞鶴の冷泉提督だ。

現在、舞鶴は意図してかどうかは不明だが、戦力増強を活発に行っており、その過程で横須賀と対立している。加賀、長門の舞鶴鎮守府への異動の件がその証拠だ。あれについては、生田提督もだいぶ頭に来ているだろうな。いいきっかけになるかもしれない。……提督同士の年齢は近く、野心家同士の事だ。必ずぶつかることになる。その際に、うまく双方をコントロールできる立場にあれば、自分にも捨て去ったはずの願望が叶えられるかもしれない。そんなことを思うと、にやけてしまう。

この辺の戦略については、佐世保との提督とも打ち合わせ済みだ。年老いたとはいえ、彼と私にも欲というものがある。一人ではできないことも、考えを同じくする二人であれば、叶うかもしれない。人生も終わりが近い頃になっても、チャンスがやってくるとは、人生とは不思議なものである。

 

あとはうまく立ち回れるかどうかだ。まだまだ行動を起こすには早すぎる。強いては事を仕損じる。人生経験の豊富さが、二人の若い提督と異なり自分の武器だ。焦ることはない。最後の最後で果実を手にすればいいのだから。

 

高洲は受話器を取り、プッシュする。

「私だ。榛名の舞鶴鎮守府への異動が確定した……。彼女の嫁入り支度は、念入りに綺麗にしてやってくれよ。冷泉提督のところにいくのだからな。ふふふふふ、彼はまだ若くお盛んだろうからな。ん? ……記録データの関係? ああ、そうだったな。危なかったな、忘れていたよ。良く気がついてくれた。感謝するよ。……それについては、確実に初期化しておいてくれよ」

ここでの余計な記憶を持ったまま、冷泉提督の所に行ったら大変だ。そのままで送りつけてしまった時を思い浮かべ、嗤いそうになる。実際にそうなったら、あの冷泉提督の事だ。必ず怒り狂って、呉まで殴りこんでくるだろうな。……本気で私を殺そうとするかもしれんな。

あー、怖い怖い。

 

これからは、より一層の動乱の時代が始まるのだろう。

そのためには打てる手は全て打っておかねばならない。打つ手を間違えると、冷泉提督の前任者のような事になってしまうからな。何事も慎重さが必要だ。

 

これからの戦いに敗北は即、死であるからな。

年齢とともに失ったと思っていた熱い物が自分の中から込みあがってくるのを感じ、高洲は嬉しくなった。

 

実に愉快。実に楽しい……と。

 




ちょっとしたトラブルで、先週の続きのデータを忘れてきました。
このため、急遽、違う話を挟むことになりました。

榛名異動に関するエピソードとなっています。


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第109話 旗艦という立場の重み

「まず、最初に……ここに集まった皆に謝罪し、きちんと説明しておかなければならないことがあるのだが、聞いてもらえるだろうか? 」

その言葉に、彼女がこれから何を語るつもりなのか? と、その場の艦娘達に妙な緊張が走る。何せ、戦艦長門といえば、前の世界にいたころの冷泉ですら、「艦隊これくしょん」というゲームを知る以前から知っていた(もちろん、大和や武蔵ほどではないものの)、有名な戦艦であるからだ。舞鶴鎮守府の中には、彼女に憧れている者もいることを知っている。

 

「ここにやって来た時に、皆すでに分かっていると思うが、私は……此度の深海棲艦との戦闘において、軍艦部分を喪失してしまっている。つまり、……私は、もはや戦う術をもたぬ者となっているのだ。だから、ここに着任したとはいえ、提督の、いや鎮守府の、そして諸君らの力になることができない事を了解してもらいたい。……これについては、本当に許して貰いたい。私は、もはや大日本帝国艦隊旗艦でもなく、今の日本国旗艦でもなく、それどころか軍艦ですらないのだ……。ふふふふふ、全くの役立たずが恥知らずやって来たと思って諦めてほしい。……すまぬ」

いきなりそんなことを言われて、艦娘達が明らかな戸惑いを見せる。慰めるべきか励ますべきか……。それ以前に彼女に対して何と声をかければよいか分からないのだろう。お互いに顔を見合わせるだけで、言葉にならないようだ。何とか口を開いた子から「……そんなこと、ないです」という言葉が漏れただけだ。

 

「軍艦部分を失った艦娘……。本来、我ら艦娘とは軍艦が主であり、そちらに与えられた戦闘力があるが故に深海棲艦達と戦うことができる。そして、それすなわち守るべき日本国のために存在する意義があるといえよう。本来ならば、私はここに来るべきではないはずだったのだ。戦うことのできない艦娘など、存在する価値など無いからな」

長門の声は次第に弱々しくなり、その表情も苦し気に見える。その諦めを含んだ悲しみが他の艦娘にも伝播していきそうだ。

そんな事言うなよ……冷泉が口を開きかける。その刹那、

「だが、しかし! ……今、隣におられる冷泉提督が、艦と運命を共にしようとした私に向かって、優しくそして力強く仰ってくださったのだ」

右の拳を握りしめると、長門は俯いていた顔を上げ、目をカッと見開いて叫んだ。

 

「え? 」

冷泉は、驚きのあまり声を上げてしまう。まさか……、まさか、ね……と。嫌な予感しかしない。

 

「提督は、失意にある私に、こう仰ったのだ。……俺の女になれ! と」

そう言った後、何故か頬を赤らめ照れたような表情になる長門。

 

「ぬえ? 」

 

「なに? 」

 

「うっ」

 

妙な声が辺りから沸き上がる。微妙な雰囲気が漂う。

不安が的中した冷泉からも、思わずうめき声が漏れてしまう。しかし、そんな状況など構わずさらに長門は言葉を続けるのだった。

 

「そして、さらに彼は、こう言葉を続けられたのだ。俺はお前を……戦艦長門としてではなく、一人の女として、舞鶴鎮守府に迎え入れることにしたのだ、と。もちろん、私はそれを拒否したさ。冷泉提督のような……す、て、きな殿方にそのような言葉をかけていただいて、女としての私を求められるなんて。……もちろん、一人の女としては、嬉しいと思う気持ちがあったのは事実だ。私の中にそんな部分があるなんて、思ってもしなかったけれどもな。……けれど、私は女である以前に、誇り高き日本海軍旗艦を勤めた戦艦であり艦娘なのだ。軍艦として国の為に戦い続け、勝利に貢献してきたという自負、誇りがある。かつて守りとおす事ができなかった無念もある。私には、やはりその誇りを捨てて、生きて生き恥をさらすことなど出来るはずもなかろう。だから、私は断ったのだ。……け、けれど提督は、全く諦めなかったんだ。な……なんと、だな。そして、そしてぇー。その要請を拒む私に対して、提督は、提督はぁああああ! ……私に手を伸ばして来てぇー、なんと、ごーいんにぃいい!! 」

どの辺からかそうなった分からないけれど、長門は自分の言葉に酔っているのか目が虚ろになり、声は大きくなる一方だった。何を思っているのか不明だが、かなりの興奮状態にあるのだけは端から見ていても分かる。

 

おい、お前、何を興奮しているんだよ。冷泉は、慌てて彼女がこれ以上、ろくでもない余計な事を言わないように止めようとするが、間に合わなかった。

 

「提督は、私に……無理矢理、せ、接吻をしたのだ! しかも、それはそれは濃密で濃厚な……長く甘いものだったよ。初めてそんなことをされた私は、私は頭に血が上ってしまい、何故だか全身が熱くなってしまい、本当に何が何だかわからなくなったんだ」

興奮気味に語りながら、彼女は自分で自分を抱きしめるような仕草をし、体をクネクネさせている。

「私は、提督によって傷物にされてしまったのだ。日本海軍の頂点を極めているという自負があった私が、一人の人間である提督によって、無理矢理穢されてしまったんだ。……ああ! なんと屈辱的で退廃的で、そして、悩ましい事なんだろうか。……けれど、私は提督を責めたりはしない。彼の行動は、私を助けるために仕方なくしたことなのだから。愛のない口づけであろうとも、これが私の初めてだったのだから、嘘と分かっていても……信じてしまいたかった」

そう言って彼女は冷泉を見つめたままだ。潤んだ瞳で、おまけに何だか若干上気したように紅潮した顔をしている。

 

ふと、何か気配を感じ、冷泉は何気なくその気配のする方、つまり隣の加賀を見た。

そこには、驚いたような顔をして長門を見つめている加賀がいた。そして、冷泉い見られていることに気づくと、急に無表情になり、すぐに彼から目を逸らす。しかし、目があった瞬間に、一瞬ではあるけれど凍り付くような視線を浴びせてきたのは気のせいだろうか?

 

そして、続けて冷泉は、前に並んでいる艦娘達の方を見る。

みんながあまりの事実に凍り付いたような表情をして、まるで時間が止まったように制止したままだった。

 

司令官である冷泉が、余所の鎮守府の艦娘を助けに行ったのに、何故だかその艦娘に無理矢理キスをしたという事実……。何をやっているんだと失望されても仕方ない話だろう。

長門は、一、応冷泉を庇うような言葉を言ってはいるものの、やってしまった事実を弁解するにはあまりに説得力がなさ過ぎる。

これはただのセクハラ……いや、そんなレベルでは勘弁してくれそうもないな。明らかな犯罪行為と認識されてもおかしくない……かな?

 

「長門……あなたの言っている事、それは事実なの? 」

冷泉の心を冷え冷えとさせる声が隣から聞こえてくる。

「提督があなたに、そ……その、強引にキスをしたというのは」

 

「ああ、もちろん本当だぞ、加賀。私がお前に嘘など言ったことがあったか? 無いだろう? それがすべてだよ」

 

「そう……。そうなの」

チラリと冷泉を一瞥し、すぐに目線を逸らす秘書艦。その表情からは彼女の感情は読み取れない。まるで興味が無いけれど、事実確認のために聞いただけのようにさえ見える。

 

「ちょっと待てい、テートク。一応確認するケド、それ、本当なんデスか! ……それって、もしかして、浮気? 」

と金剛が疑わしげな表情で見ている。

 

「ま、またですか、まーた、私以外にちょっかいだしたのですか? 一体、どれだけの子にちょっかいを出せば気が済むんですか、提督は。本当に助平ですねえ。……それなのに、わりと長く一緒にいた私には、何も無しですか? それ、結構傷つきますよね」

高雄、お前、何を批判しているのかよく分からないぞ。

 

「ついに一線を越えたのね、このゲス野郎」

眉をつり上げて、叢雲が睨んでいる。

「アンタ、ホント……スケベで度し難いほどに、いい加減な奴ね」

 

「あんなに優しい言葉をかけてきたたくせに。……フン、やっぱり、男なんて信用できないわ」

これは大井の発言。まるで裏切られたかのような、恨めしい目でこちらを見てる。

 

「提督、大丈夫です。私は、全然気にしてませんから」

何があろうとも、絶対に揺るぐことのない信頼を寄せてくれるのは、神通だけだよ。冷泉は嬉しくなった。ただ、周りの険悪な雰囲気で声にすることができなかった。

 

「鎮守府に変質者が紛れ込んでいたのね! 」

 

「みんな落ち着いて。提督は仕方なく、あの、してしまっただけだから、もしかしたら、悪くないかも。たぶん……。分からないけれど」

 

「理由を聞けばみんな納得できるかも? うーん、無理だろうけども」

 

様々な言葉が執務室内に乱れ飛ぶ。大半が冷泉に対して批判的な意見だ。まあ、そりゃそうだろうけど。ちょっとやりすぎた感はあったけれど、あれくらいのショック療法をしないと、あの場を乗り切ることはできなかっただろう。長門の決意を変える事ができないだろう。それに、そもそも彼女にキスをしたこと自体は、全く後悔していないし。

 

「何とか言ってくださいよ、提督。きちんと理由を説明してください。長門さんを助けに行ったっていうのに、どうしてそんなことになるんですか? 意味がわかりません」

艦娘たちが冷泉に迫ってくる。何か言わないと、この場は収まりそうにない。

 

「な……長門の意志に反して、俺が強引にキスをしたのは事実だ。そして、俺の女になれっていったのも事実だよ。彼女には舞鶴に来てほしかったし、そのためなら手段を選ぶつもりなんてなかったし。彼女には悪いことをしてしまったかもしれないけれど、後悔はしていない。でも、こうして連れ帰ることができたんだから」

 

いろいろな経緯があって、勢いでそういう事になったという説明は、行った事に対するただの言い訳でしかないから、あえて弁解はしなかった。事実は事実だし、それで責められるなら仕方ないし。言い訳じみた事を言えば、長門に対して嘘を言ったことになる。冷泉が長門を助けたかった事、鎮守府に迎え入れたかった事、すべて本当の事なのだから。

もはや、どうにでもしてくれといった気分だった。

 

「提督、それだけなのですか? 何か言い訳はしないのかしら? 」

妙に加賀の声が冷たい。他の艦娘たちの視線も痛い。

やはり女の子の気持ちを無視して強引すぎたのだろう。それに対してみんなが怒っているのは分かる。

 

「もちろん、長門には謝りたい。彼女の気持ちを無視して、あんなことをしてしまったことは反省している。けれど、長門に言った事は嘘じゃない」

 

「やっぱり、男の人はみんなスケベなんですね。だって、提督ですらそうなんだから。信じていたのに、裏切られた気分です。うえええん」

 

ずっと黙ったまま冷泉を見つめていた羽黒が悲しそうに呟いた。

他の艦娘達も、言葉には出さないが批判するような目で冷泉を見ている。

 

「みんな、ちょっと待って貰えないか」

この場の険悪な雰囲気をやっと悟ったのか、長門が口を開いた。

「お前達、提督を責めるようなことを言わないでくれ。……自分は艦を失った存在。本来なら、軍艦であるならば存在する意味がないはずだ。しかし、冷泉提督は私に一緒に来いと言ってくれた。軍艦ではなく、体一つでいいから自分のところに来いと。彼は私を一人の女として認めてくれたのだ。艦としては存在する理由の無い私に、彼は居場所を与えてくれたのだよ。ゆえに、私は軍艦としてではなく、女として身も心も冷泉提督の物になったのだ」

ちっとも冷泉を庇うような台詞になっていない。余計にややこしくなりそうなことを彼女が宣言した。

 

「つまり、長門、あなたは提督の恋人になったということ……ね」

ぽつりと加賀が言う。

 

「ちがうちがう。加賀、お前は、否、お前達ということになるのかな。……みんな勘違いしているぞ」

笑いながら長門が否定する。

「私は冷泉提督の恋人になったわけではないぞ。安心していいぞ、加賀。いくら私でも、お前が冷泉提督の事を大好きだってことは、ちゃーんと分かっているさ。お前の恋路を邪魔しようなんて、これっぽっちも思っていないぞ。お前は素直になって、自分の気持ちをそのままぶつければいいんだぞ。……お前なら、その価値があるし、きっと願いは叶うさ。あ、んーと、他の艦娘達にも十分チャンスはありそうだから、他の子もがんばれ。うんうん、この戦いは、苛烈かもしれないけれどな……」

艦娘達を見回しながら、にやりと笑う長門。

 

「な! 何を訳の分からないことを言っているの、あなた。なんで、私が提督なんかを……」

いきなり話を自分に振られたせいか、驚きを隠せず動揺するようなそぶりを見せる加賀。

 

「え? 誰が見ても、お前の態度を見ていれば、誰だって提督の事を好きなのは分かってしまうぞ。まさか気づかれていないなんて思っていたりするのか? それとも、なにか? お前、提督の事を嫌いなのか」

 

「いえ、あ、その。別に、きらいでは無い、けれど……」

ちらちらと冷泉を見、どういうわけか恥ずかしがる加賀。

 

「ふふ。お前は提督の正妻を目指してがんばればいいんだ。きっとその夢は叶うだろう。……そして、私は提督の愛人として……。ううう、親友の想い人と知りながらも、提督との恋に落ちてしまうなんて。なんて卑怯な女なのだろうか、私は。くっふっふん。お前に気づかれないように立ち回り、お前の事を応援しながら、こっそりと提督と逢瀬を楽しむ。背徳の限りを尽くす二人は、お前を裏切っている罪を感じながらも愛し合うのだ……ううううう、なんと悩ましい悩ましい。はぁはぁ……」

何かに取り憑かれたように、うっとりとした表情を浮かべながら長門は遠くを見つめている。その姿は、日本帝国海軍旗艦の凛々しさなど何処にもなく、ただの変な女にしか見えなくなっている。けれど、その表情はとても生き生きと充実しているように見え、とても幸せそうに思えた。

 

彼女のこれまでの生活が、……日本国旗艦という立場のストレスが大きかったんだろうな、と冷泉は思わざるをえなかった。その立場がどれほどの心労をもたらしていたのかは、想像もできないけれども、重圧から解き放たれた時、彼女はついに翼を広げて飛び立つ事ができたのだろう。

ちょっと行き気味に見えるけど、まあ、はっちゃけてしまったんだろうということで、冷泉は、むしろ、ほほえましく感じることができた。

 

最初は長門の言葉に動揺したのか慌てたような素振りを見せていた加賀だったが、親友の痴態を見たせいか、またいつもの冷静な艦娘に戻っている。というか、変わり果てた長門を見てどん引き状態だ。哀れみさえ含んだ目で彼女を見ている。他の艦娘達も完全に壊れてしまった長門のイメージをどう修復して良いか分からず、困惑のなかざわつきながらも沈黙するしかなかった。

その沈黙がさらに長門を刺激しているのかもしれない。彼女は恍惚とした表情だ。

「みんなそんなに見ないで貰えないか……。恥ずかしいではないか。そんなに哀れむような目をしないでくれ、なんだか変な気分になってしまうぞ。……いや、それが嫌なわけではないのだが」

と意味不明な言葉を繰り返すだけで、とても幸せそうだ。

 

つかつかと加賀が冷泉に歩み寄り、

「提督、長門の解放をお願いしますね。とても……大切な人なんでしょうから」

とニコリと微笑んだ。

すべてを理解したような意味合いで言った言葉なんだろうけど、それは一から完全に誤解した理解だと思う。この誤解を解くのは大変そうだ。

その誤解については、他の艦娘達も同様らしい。

 

これは、また新たな頭の痛い問題の発生だ!

冷泉は、思わず遠い目をしてしまうのだった。



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第七章 戦艦 扶桑編
第110話 秘密


とりあえず、訳の分からない言動を繰り返している長門の事は置いておいて……。

最優先事項は、艦娘達の誤解を解く必要がある。

 

「ちょ、ちょっと……加賀、待てよ」

と声をかけるが反応しない。

「なあ、ちょっと聞こえてるのか? お前、……他のみんなもだけど、誤解しているぞ」

 

「誤解……ですか? 」

何故か挑戦するような目で冷泉を見る加賀。

 

「お、おう。お前達は、なんだか分からないけれど、誤解しているぞ。……まあ、一番誤解しているのは、そこの奴だけど」

そう言って自分を抱きしめるようなポーズのままうっとりとした瞳で虚空を見つめてモジモジしている長門を見る。

 

「俺の女になれって……言ったんでしょう? 」

 

「……はい」

淡々とした声で指摘してくる加賀の背後から立ち上るような気配に、思わずたじろいでしまう冷泉。

「……言いました」

 

「まさか、冗談で言ったとか言うのかしら? 誇りのために……自ら死を選ぼうとしている長門に、適当な事を言うような人ではないと、私は思っていたのですけれど」

 

「も、もちろん冗談で言ったわけじゃない」

 

「キーッ! テートク、私というものがありながら、出撃なんて嘘ついて隠れて他の艦娘を口説いていたのネ。し、信じられないデス。この裏切りモノぅ」

地団駄を踏みながら、金剛が大声で喚いている。……ただ、彼女の場合は、それが本気なのか図りかねる部分があるんだよな。なんといっても、あんな冗談みたいな口調だし……。

「でも、……でもダイジョウブ。私は心の広い女デス。浮気の一回や二回でテートクへの想いが冷めるなんてコト無いネ。ふふふ、正妻だからネー。懐が大きいんです。それに、障害があればあるほど、燃え上がるこのオモイ。だから負けないネ」

と、言いながら妙なポーズをする。

 

「冗談でないということは、あ、あの……、提督は長門のことを好き、なんでしょう? 」

金剛の話などまるで聞こえないかのように、加賀の追求が続いている。

 

「死を選ぼうとしている長門を死なせたくなかった。失いたくなかった。だから、必死でそう言った。彼女のことを好きだから、自分の手に入れたいから……そう言ったのは間違いない。少し、強引すぎたのは間違いないけれど」

正直にその時の気持ちを口にする。

 

「そう、そうなの……ね」

確認するような口調で加賀が答える。何故か伏し目がちだ。

冷泉は思う。自分の部下である艦娘も同じように好きになっているのだけれど。

 

次の刹那、右側面から衝撃が襲う。

「ヌー! やっぱり許さないネー! 」

勢いよく金剛が飛びついてきた。

 

「ぐえっ……ぶ」

本当に蛙がつぶれたような声を出す冷泉。

 

「ちょ、金剛! あなた何てことするの! 」

 

「ああっ提督、提督! しっかりしてください。え、え、え……首が変な方向に。あわわわ……」

 

「て、ていと」

 

「提督どうしたの? 何とか言いなさい、言いなさいよ。黙ってちゃ分からないわよ……もう、アンタたち、そこを退きなさい、邪魔よ。提督の所に行けないじゃないの。……ええい、さっさと提督から離れろっ」

 

「きゃー、司令官さんが白目で泡吹いてる」

 

「おもしろーい。提督の顔、ぶっさいく」

 

 

 

艦娘達が冷泉の周りに集まり、悲鳴と嬌声、怒声、そして何故か笑い声が起こっている。その中で冷泉は揉みくちゃにされている。冷泉の体を掴んで興奮気味に何かを言っている金剛と、彼女を引きはがそうとして殺気立った表情の加賀。人混みをかき分けて冷泉に近づこうとするものの、あっさりとはじき飛ばされて床に転倒する叢雲。怯えたような表情で何とかしようとするも、何も思いつかずに、ただただおろおろするだけの羽黒。面白い見せ物を観ている感じの大井と夕張。何かショックな事があったのか卒倒している神通。

いまだ妄想の世界に取り残されたままの長門……等々。

 

そして―――。

 

冷泉提督を中心にワイワイ、キャーキャーと騒ぐ艦娘達の輪から少し離れた場所で、その光景を見つめる姿があった。

 

扶桑である。

提督の帰還と長門の無事をみんなで祝い、ついでに提督のスケベ具合を茶化して楽しむつもりだったのに、それができないでいる。本当はみんなと一緒に騒ぎたい。けれどそんなことできるような気分じゃないのだ。

 

あんな話を聞かなければ。聞かなければ良かった。

 

―――。

彼女の記憶は少し前、冷泉が長門救出に向かったすぐ後に遡る。

 

司令官の留守中の舞鶴鎮守府に、提督に面会を求める一人の客があったのだ。

客人の名は、永末為成という男だった。

 

彼の事は、扶桑はよく知っていた。少し前まで舞鶴鎮守府司令部にいた士官の一人だったからだ。記憶では提督の副官は小野寺大佐だったが、どちらかというと提督は、彼の方を重用していたように記憶している。確か、現在は軍を離れ、ある海軍関連団体に出向中だったと聞いていたけれど……。

一体、何の用なのだろう?

 

来訪については扶桑はもちろん、秘書艦の加賀も知らなかったけれど、確認してみると、どうやら事前に上から連絡が入っていたようだ。よって、提督不在とはいえ、無下に扱うわけにはいかないらしい。

 

現在、秘書艦立場にある加賀は、彼の事を知らないため、必然的? に扶桑が対応することになってしまった。

無謀にもあんな体で出撃した冷泉提督の事が心配で、こんな些事に構っていたくはないのだけれど、やむを得ないと自分を納得させる。自分以上に加賀のほうが提督の事を心配して憔悴が激しいのだ。とても、彼女に知らない人間の対応を任せられるとは思えなかった。

 

かつての同僚ではあるが、軍と無関係ではない団体からの来訪者である。組織としての弱みを知られるわけにはいかない。そこだけは注意すべき点だろうか。

 

そして、ふと疑問に思う。

提督の下で共に働いていた記憶だけはあるのだけれど、実のところ、当時の詳細についていまいち思い出せないのだ。彼の名前と顔は覚えているし、時には雑談をしたように思うのだけれど、それが何時であるとか、どのような内容であったかはまるで思い出せない。記憶の混乱がどういうわけかあるように感じる。

 

それでも対面した永末を見て、確かに見覚えのある顔であることが分かりホッとする。

出向中であることからか、軍人にしては髪は長い。銀縁眼鏡をかけている。身長は175くらいでがっしりとした体格であることがスーツ越しにも確認できる。

確か、たたき上げの自衛官だったはずである。かつての副官であった小野寺のように御賜組と呼ばれて、野心を胸に出世コースを行くわけではない。

 

「扶桑さん、お久しぶりですね。相変わらずお美しい」

立ち上がった永末は人なつっこい笑顔を見せると、名刺を差し出す。受け取ったそれには【全国防衛協会】と書いてあった。

名刺をしげしげと見つめる扶桑に

「軍関係者の福利厚生関係のお世話やイベント等のお手伝いをする名目で作られた組織ですよ。大した事をしているわけではありません。ただの天下り組織のなれの果てみたいなもんです」

そういって卑下するように今の職場の説明をした。

 

「お世辞でも嬉しいですよ。それにしても、お久しぶりですね、永末少佐。お元気でしたか? 」

 

「まあそれなりに元気でやってますよ。暇すぎるのが問題ですが。……少佐なんて呼ばれるのは随分と久しぶりなんで、なんだか照れくさいですねえ」

と笑った。

 

「そうでしたね。今は確か……」

そう言いながら名刺を見る。

「今は東北支局の係長さんでしたか」

支局の係長がどの程度の役職なのかはまるで想像もつかない扶桑であったが、とりあえずそう言った。係長と言われ、少し苦笑いを浮かべた永末の顔を見るに、鎮守府にいたころよりは待遇は悪いのだろうと想像する。

「それにしても……冷泉提督がいらっしゃったら、久しぶりの再会を懐かしんでくれるのに残念です。提督とはいろいろとつもる話もあるでしょうし」

東北から来るのであれば、事前に連絡を貰っていたらいろいろと準備もできたのに……。提督だけじゃなく鎮守府の職員や艦娘だって彼を知る人は多いでしょうに。そう思うと少し残念だった。

そう思いながら彼を見ると、何故か不思議そうな顔をしてこちらを見ている。そして辺りを気にするような素振りを見せる。

 

「どうかされましたか? 」

と、問いかける。

 

「この部屋の機密性は大丈夫でしょうか? 」

突然、意味不明な事を問われる。

 

「はい。ここは会議用の部屋ですから、防音は完璧です。盗聴機器については毎日調査を行っていますし、私の照査でもそういったものは感じられませんよ。でも、それが何か? 」

心配そうに問いかける彼の為に、念のため艦の能力を発揮してこの部屋をサーチしてみたが何も反応は無かった。

 

「扶桑さん。私は冷泉提督と面識は一切無いですよ」

唐突に永末は告げる。

「私がこの鎮守府を去った後に彼は着任したはずですよ。お忘れになったのですか? それとも……」

 

「え? 何を仰るのですか。冷泉提督はずっと鎮守府にいらっしゃったでしょう? 貴方が異動する前から」

扶桑の心が警告をしてくる。

もしかして、この男は知っているのだろうか? そのために試すような事を言うのか? 自分の記憶と鎮守府の記録が異なる事を。冷泉提督の秘密を。相手がどの程度知っているかが分からない状況では、うかつに情報は出し過ぎないほうが無難だ。そう思い、言葉を選びながら、探るように話す。

 

「うむ。やはり……あなたは覚えていないのですね」

残念そうであり、またやはりといった感じで永末があっさりと核心の事実を告げる。

「扶桑さんは覚えてらっしゃらないのですか。本当に忘れてしまったのですか? 共に戦っていた緒沢三良の事を。舞鶴鎮守府司令官緒沢中将の事を! 」

その言葉を聞いた途端、扶桑の頭に刺すような激痛が襲う。視野が一瞬ではあるもののゆがみ、思わず蹌踉けそうになる。

全く記憶にないはずの人名ではあるのに、何かとても大切なもののように思われるその名前。何か大切な事を忘れているのに思い出せないもどかしさ。思い出そうとしても、記憶のキャンバスが黒く塗りつぶされたように、何も見えてこない。

なんなの、これは……。

今まではあえて避けてきた、見ないようにしていたものを突きつけられたような衝撃だ。ありえないほどの激しい違和感が扶桑の心を侵食していく。息苦しさを感じて、思わず呻いてしまう。

 

目の前の男は伝える。これまで伏せられていた……いや、彼女の記憶から消されていた人物の名前を。

ぼんやりと見えるその姿。

 

あなたは、一体、誰? 

心の遥か深い部分から声がする。「それは、とても大切な人」だと。

ほんの少し前までこの鎮守府の提督であった人。

 

混乱の中にある扶桑に、男は言葉を続けて、教えてくれる。

彼女の失われた記憶。……否、消された記憶を。

 

何者かの陰謀により、罪を着せられて粛正された、その懐かしい人の名前。そして、提督と彼の同調者は一斉に検挙され、尋問の末、粛正されたということを永末を憎々しげに語る。

永末も逮捕され、果てしないと思えるまでの尋問を受けた。幸い嫌疑不十分ということで釈放されたものの、閑職へと回されることとなった。これまでの日々は彼にとっては想像を絶する屈辱だったのだろう。

一言一言語る彼の言葉の節々に苦悩と屈辱、怒りが感じられた。

 

「閑職に回されたとはいえ、現状に満足していたわけではありません。私なりにできることをやってきたつもりです。かつての仲間達とも……だいぶ減ってしまいましたが、ネットワークを構築できました。生きていさえいれば、希望はあるといいます。確かにその通りですよね。……左足の機能は失ったとはいえ、なんとか生きていられる事に感謝していますよ。こうやってこの場に立ち、あなたと再会もできましたからね。」

そういえば彼の歩き方がぎこちなかった事が思い出された。

言葉を選びながら、そして周りを気にしながら永末は語り続ける。

「これまで、いろいろと辛いことが多かったです。しかし、やっと挽回の時が来たのです。私の仲間もだいぶ増やすことができました。いろいろな準備も整いつつあります。……汚名を着せられた緒沢提督の名誉を回復する時が。けれども我々人間だけの力では、できないことが多すぎます。……そのために力を貸してほしいのです。艦娘であるあなたと、志を同じくする舞鶴鎮守府の艦娘たちの力を」

 

「いえ、あの、その……。仰る事が理解しきれません」

そう言って否定を試みる扶桑であったが、彼の言う事が全て事実であることが何故か理解できていた。彼の話によって、これまでいろいろと疑問になっていた事がすべて説明できてしまうのだった。ただ、艦娘の力を借りて何をやろうとしているのかは知りたくもなかった。

 

「あなたはもう理解できているのではありませんか? 艦娘達は、軍によってあの時の記憶が操作されているようですが、緒沢提督と結びつきの特に強かったあなたの記憶までは完全に操作しきれなかったようですね。あなたと様子を見ていれば私にも解ります。すぐにとはいいません。是非とも前向きに考えて貰いたいのです。時間はまだあります。こちらにもまだ準備し切れていない部分がありますから」

 

「……こんな大事な事は、提督に……冷泉提督に相談しないと返答できないです」

扶桑はこの世界で今、最も信頼できる人物の名前を出した。彼なら扶桑の相談にも真剣に考え、もっとも正しい解答を示してくれる人であるからだ。……これまでの戦闘や生活を通じての結論だ。

その答えを聞いた途端、彼の表情に急激な変化が生じる。

 

「それは駄目です! 」

強い口調で否定される。

 

「何故でしょうか? 冷泉提督は、今、もっとも信頼できる方だと私は思っています」

 

「……記憶操作の影響があるのかもしれませんが、冷泉提督は緒沢提督の後任として着任したという事実をよく考えてみて下さい。緒沢提督は粛正された。その事実を後任の提督が知らない筈がないですよね。彼は……血で汚れた舞鶴鎮守府の提督の椅子に平然と座っているということなのですよ。この事実をしっかりと認識して下さい。国家としては犯罪行為を行った提督の後任として配置するならどんな人物を配置するのでしょうか? 」

それについては、考えるまでもない。

 

「自分たちにとって都合のよい、自分たちの考えを理解している、自分たちの意図するように行動する人物……」

苦しげに答える扶桑。

いつも艦娘達の事を想い、自分の命よりも大切に思ってくれている、スケベなところが欠点ではあるが、艦娘の味方である、愛すべき存在。それが冷泉提督だった。

 

「そうです。緒沢提督に汚名を着せた、仲間を粛正した勢力。つまり私達の敵である勢力に繋がる存在であることは間違いないのです」

彼は私達の敵……と、扶桑も仲間であるように言った。

 

「では、冷泉提督は何者だというのですか。提督は私たちのために行動してくれます。なのに……」

 

「はっきりと言います。冷泉提督は、前任の緒沢提督を殺した奴らの仲間であると」

その瞬間、扶桑の頭にあの時の風景が唐突に蘇った。

 

目の前で射殺される冷泉提督とは違う人の姿を。

 

 

 



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第111話 記憶の深淵

瞬間、その光景が脳裏に浮かび……現実とは思いたくないがあまりにリアルな記憶を突きつけられ、扶桑は思わず悲鳴を上げてしまう。

猛烈な目眩と頭痛。吐き気を感じ、平衡感覚の喪失が襲ってくる。視野が瞬間的に暗転し、まともに立っていることができず、蹌踉めいてしまう。

 

「大丈夫ですか! 」

倒れそうになる彼女を永末がとっさに支えようとする。扶桑も必死で彼の体にしがみついてしまう。しかし、左足が不自由となった彼では扶桑の体を支えきれずに二人とも床へと倒れ込んでいく。

彼を下敷きにして倒れ込みそうになるため、扶桑は必死で両腕を突き出してそれを避けようとする。ドンという音とともに、二人の体に衝撃が走る。その時、何故かチクリとした痛みが腕に走ったように感じた。

 

「だ、大丈夫ですか? 」

どうやら永末にはそれほどのダメージはないようで、むしろ扶桑を気遣うような言葉をかけてくる。

 

「は、はい……。だ、大丈夫です」

自分が男性の体に密着するような状況になっていることを認識し、慌てて飛び退く扶桑。転倒した際に腕を捻ったような僅かな鈍痛が残っているが、大したことはないはずだ。

男性の体に触れてしまったせいで少し動揺したためか、妙に動悸がする……。

立ち上がった扶桑は、左足が不自由な為か起きあがりにくそうにしている彼に手を差し伸べる。

 

「すみませんね。こんな私でも、さすがにあなたのような女性なら、簡単に支えられると思ったんですが、……私にはそんな運動能力さえ残されていないようです」

何か嫌なことを思い出したのか、苦々しげに語る彼の眉間に深い皺が寄る。

 

「ど……どうなさったのですか? 」

何故か聞いてはならないことのように思うが、つい口に出してしまう。

 

永末は扶桑を少しの間ではあるが真剣な眼差しで見つめ、少し悩んだような表情を浮かべていたが、やがて何かを決心したように語り始めるのだった。

 

「扶桑さん、あなたは知らない……いや、覚えていないのでしょうね。……緒沢提督が、何の落ち度もないのに、国家に巣くう何者かの陰謀により無実の罪を着せられて処断された事を。それは、はじめは恐らく、誹謗中傷レベルのものから始まっていき、人々を疑心暗鬼させ、やがて陰謀へと変化させていったのでしょう。それに引っかかったか、……もしかしたら、憲兵隊もグルだったかもしれませんが、動いた。……当然、鎮守府司令官の咎です。一人だけで行っているとは思われないでしょう。幾人もの仲間が憲兵隊の取り調べを受けることになりました。けれど、私達は提督が何の罪で処断されたかさえ知らぬまま、奴らの取り調べを受けることになったのです。そして、私達の証言が無実の提督を有罪としたのです。当然、奴らの捜査がミスだったと認めるはずがありません。その証拠を得るために提督に近かった者への想像を絶する取り調べが行われたのです。彼らの意向に沿わない態度をする者には苛烈な取り調べが行われました。非人道的な事がね。……その結果、私の体はこんなになってしまいました。さまざまな誘導や取引が持ち出され、飴と鞭を使い分けた尋問が行われました。……けれど、私は提督を信じていましたし、そもそも彼が何の罪を犯したのかさえ想像も出来なかったのですから、答えようもありません。私は、彼らが言うありもしない事を認めることは私にはできなかった。それは、絶対に。そして、他の者の尋問結果で確証を得られたのでしょう。私は用無しということで放逐されたのです」

そう言いながら、彼はおもむろに服を脱ぐと、その体に刻まれた無数の深い傷跡を見せた。深くえぐられるような傷がいくつもあり、どれほどの拷問が彼に対して行われたのか、それを思うと扶桑は言葉が出なかった。

人は時として信じられないほど残酷になれる……。それを目の当たりにしたような感覚だ。

 

「いきなりこんな話を持ち出されてもすぐに信じることができないのは当然です。けれど、この傷を見て下さい。すべては現実に起こった事なのです。そして、緒沢提督が無実の罪で処断されたことを 」

真剣な眼差しで扶桑を見つめてくる永末。

彼の体に刻み込まれた傷。彼の真剣な表情と物言い。そして、自分の中にある僅かな記憶。それらすべてを総合的に判断すれば、何が正しいのかは推測できてしまう。それは、扶桑本人がずっと疑問に感じていた事への解答であるはずだった。彼女がずっと求めていた正解のはずである。

 

けれど、何故かそれを認めたくない自分がいたのだ。

それが彼女を困惑させていた。

 

「どうかされたのですか、扶桑さん」

心配そうに問いかけてくる永末。

 

「いえ……あまりに急な事だったので、混乱しているのかもしれません。何が真実で何が嘘なのかが、記憶が混乱している今の私では整理し切れていないのです」

 

「それはもちろんです。記憶操作の影響力を考えればそうなるのが当然でしょう。……一気に話を進めようとした私に問題があったのです。けれど、残された時間が余りなかったので、直接お会いしてお話するしかなかったのです。本当ならば、もう少しゆっくりと時間をかけてご説明すれば良かったのですが」

 

「それはどういう事でしょうか? 」

 

「最近の舞鶴鎮守府の動向があまりに目まぐるしいのは、外にいる我々にも伝わってきています。どうやら、緒沢提督を排除した勢力が活発に動いているようです。このままではあなた達にまで何らかの処置が為されるかもしれないと感じたのです」

永末の言うように、最近の舞鶴の動きは目まぐるしすぎると感じていた。新しい艦娘の着任や計画があることは扶桑にも伝わってきている。これほどの増員計画はかつて記憶に無い事だったが、冷泉提督には何か考えがあると思っていたのだ。……否、そう思おうとしていた。

 

「冷泉提督の背後にいる連中は、舞鶴に新しい艦娘を入れ、かつての緒沢提督を知る艦娘を各地の鎮守府へ異動させようとしているという情報も入ってきています。最近の目まぐるしい人事がその証拠です。記憶操作をしたとはいえ、緒沢提督の記憶があるかもしれない艦娘たちを同じ所に集めていることは彼らにとっても不味いことなのでしょう。舞鶴鎮守府には私達以外にも緒沢提督の世話になった兵士達がたくさんいますからね。彼らが何らかのきっかけで暴発した際にあなた達がいたら、共闘する可能性を考慮して、危険だと判断したのかもしれません」

 

「そんな……。いくらなんでもクーデターなんて起こすはずがありません。それに、冷泉提督は私達をどこかに異動させるような事をする人には見えません。あの方は、何を差し置いても私達の事を考えて下さる人なのです」

 

「何を仰っているのですか? 冷泉提督は敵勢力が配置した人物なのですよ。彼らの意志をすべて知った上で、彼らが行った違法行為をすべて承知の上で、司令官の役職に就任させてもらった男だ。彼らの意向を無視できる立場であるはずがありません。あなた達の味方のような態度を取っているかも知れませんが、それはうわべだけの物だと思っておいたほうがいいと思います。あなたが冷泉提督に対してどういった感情をお持ちかどうかは、……正直、私にはわかりません。けれど、再考していただけませんか。その感情はあなたの本心なのか……と。彼への好意はもしかしたら、操作された物ではないかと疑って下さい」

 

「そ、そんな」

その言葉は扶桑の心を抉るような衝撃を与えた。しかし、彼の言葉に反論できる材料を持っていない……。

 

「こんな厳しいことを言うのは本意ではありません。けれど、一度冷静に全てを精査してみてください。どこかに綻びを感じたらそれを徹底的に追求して下さい。そうすれば、何かが、……真実が見えてくるかもしれません。それが真実にたどり着く唯一の方法だと私は考えます」

永末が語る言葉は全てが彼女のこれまで感じていた違和感を証明しているようで、自分がそうだと思っていた事がすべて嘘ではないかと疑心暗鬼にさせてしまう。悪寒と眩暈が継続していて、気分が優れない。立っているのが苦しい。……こんなこと初めてだ。

これが、記憶操作を疑った事への副反応なのか?

何が正しく何が間違っているのか。そもそも何が正しいのだろう? 自分の記憶が作られたものであるとしたのなら、何で判断すればいいのか。

ああ、苦しい。吐き気がする。眩暈がする。冷や汗が滲んでくるのを感じている。さらに自分の呼吸が荒くなっていることを感じるが、いつものようにそれを制御する事ができない。それだけ感情が乱れているというのか。

 

朦朧とする意識の中、遠くから誰かが歩いてくる音を感じた。それは、こちらに向かってきている。

 

「永末さん、どうやら誰かがこちらに向かってきているようです。ここでこれ以上の話は無理です」

何とか平静を保つように言葉を発することができたと思う。

それを聞いた途端、永末が驚いたような顔をしたが、すぐに冷静な顔へと変化する。

「わかりました。……この先の話については後日させていただきます。これをお渡ししておきます」

そう言うと、まるで最初から準備していたかのように、鞄から小さなケースを取り出した。

 

「これは? 」

中を開けると記憶媒体が2枚とPTP包装された数種類の錠剤があった。

 

「メディアについては、それを観て頂ければ我々が掴んでいる全てがあります。それからそこに私への連絡方法もあります。もし、今後、我々がお役に立てる事がありましたら、ご使用下さい。それから、錠剤については、あなたへのこれ以上の記憶操作を防ぐことのできる成分の含まれたものです。使う使わないはお任せ致します」

 

「わ、わかりました」

半信半疑ながらも拒絶することができなかった。

 

「それでは、これにて失礼いたします」

恭しく頭を下げる永末。

 

「お見送りしますわ」

 

「それは恐縮です」

そして、二人は会議室を退出し、廊下を歩んでいく。扶桑が前を、少し後ろを永末が歩く。

廊下の向こうから一人の少女が歩いてくるのが見えた。ピンクの髪をポニーテールにした不知火だ。派手な髪の色だからすぐに分かる。

 

「扶桑さん、こちらにいらっしゃたのですか」

二人に気づいた彼女は、少しだけ歩みを早めて近づいてきた。そして、後ろにいる人物に気づく。

「永末少佐! ……お久しぶりです」

すぐに敬礼をする。

 

「お久しぶりですね、不知火さん。……けれど、私はもう軍属ではありませんよ」

苦笑いを浮かべながら永末が答える。先ほどの真剣な表情ではなく、人好きのする笑顔に変えている。

 

「今日はどのようなご用でいらっしゃったのですか? 」

何も知らない彼女は当たり障りのない質問を続けている。それに対して永末も通り一辺な答えで返している。不知火も緒沢提督がいた頃から舞鶴に所属しているから、彼女にも記憶はあると思うのだが、そういった事は全く口にしない。

そう思ってすぐに得心する。不知火は特に忠誠心が高い子である。故に、記憶操作の影響を受けやすい性格といえる。上からの命令には常に絶対的なものと思っている節があるからだ。冷泉提督に対してだけは少し違った感情を持っているようではあるが、その傾向は変わらないだろう。だから、いきなり記憶と齟齬のある事実を告げられても受け入れるはずがないのだ。

その辺も永末は把握しているのだろう。彼女を説得するにしても、随分先の事だと考えているのかも知れない。

 

二人は形式的な会話を終えたらしい。不知火は後で報告したいことがあると言い残すと、どこかに歩き去って行った。

その後は監視カメラや隠しマイクを警戒してか、永末は一言も発さなかった。

 

しかし、去り際に

「冷泉提督には絶対に気を許してはいけません。これだけは心に留めておいてください」

耳元で囁くように言うと、ニコリと笑い立ち去っていった。

その片足を引きずるような歩き方に彼がこれまで歩んできた苦悩の人生を見てしまったような気がして、扶桑は再び心が苦しくなるのを感じていた。



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第112話 あなたは何なの? 私達の味方なのですか?

……そして、回想から現実に戻されると、この有様である。

扶桑は現実とのギャップに大きくため息をついてしまう。

 

金剛に体を揺さぶられたせいで、白目をむいて虚ろな顔のまま気を失っている冷泉提督の姿が彼女の視界の中央に捉えられている。

ただのスケベで考えなくいろんな艦娘にちょっかいを出し、それがバレて彼女達の追求にあい酷い目にあっている情けないだけの男でしかない……。本当にただのお調子者にしか見えないんだけれど。

扶桑は、冷泉提督という人物に対する正確な判断ができていないことに気づき、衝撃を受けていた。これまでは、自身の目で見て感じる冷泉提督という人物は、常に艦娘の側に立ち、ともに歩んでくれる、スケベで浮気性で少し頼りないけれども、それでも信じられる人物であると思っていたのだ。けれど、今の扶桑にはそれが正しいと言い切れる自信が無くなっていた。

 

それは、永末の言葉が原因だった。

 

確かに、自分の記憶には多くの齟齬があるの認識していた。それは気になっていたけれども、あえて目を逸らしていた部分があった。そこを彼に指摘されてしまった。

彼の証言から、冷泉提督が来る以前に、緒沢という提督がいたのは、自分の感覚からしても、おそらく事実だと思う。これについては、名前は知らないが冷泉提督が舞鶴鎮守府に着任する前に、別の提督が存在していたことは彼自身が認めていることからも間違いないことだ。

 

断片的に扶桑の記憶に残っている、衝撃的な事案。

扶桑の至近で頭を打ち抜かれ、倒れていく高級士官の姿。それが扶桑にとって大切な人、緒沢提督であるかは、一生懸命思い返しても、はっきりしない。そして、その血を浴びてしまう自分。ものすごい形相で駆け寄ってくる官憲たちの姿。

 

記憶が事実として、何故、緒沢提督が撃たれたのか、その理由は全く記憶に無いし思い当たることもない。けれど、かつての彼の部下である永末が言うには、何者かによって濡れ衣を着せられて粛正されたという。記憶にある永末は、信じるに値する人物だったはず。だから、彼は嘘は言っていないのだろう。……けれど、もし、そうだとすれば、冷泉提督は少なくとも緒沢提督と敵対する勢力に近い存在ということになってしまう。

 

扶桑の愛した提督を殺し、彼の部下たちを拷問にかけて放逐した連中の……。

 

だけど、それを信じたくない自分がいるのも事実だった。

冷泉提督は、絶対にそんなことをするような人じゃない。彼のことをそれほど知らないはずなのに、これといった根拠も確証も無く、そう思ってしまう自分、いや、冷泉提督を信じたいと思っている自分がいるのだ。

……これは、自身の上司となった司令官に対し無条件に行為を持つように設定された、艦娘に課せられた呪いなのだろうか? 自らの意志など関係無く、そういった感情を意図的に植え付けられ操られてる存在の悲しい性、結果なのか?

そんなことを考えた途端、頭の中に抉るような痛みが発生する。まるで真実に近づこうとすることを妨害するかのように。

扶桑は痛みに耐えきれず、永末から貰った錠剤を服用した。するとどうだろう。あれほどの激痛が僅かな時間で収まり、それどころか、今までも靄がかかったような重苦しさが急激にクリアになるのを実感できた。気分爽快とはこういうことをいうのだろうか。実にすがすがしい。……こんな便利で速攻性のあるものが存在するなど知らなかったし、教えても貰えなかった。艦娘担当の技師から、そんなのクスリがあることさえ聞いたことが無かったのだから。

この事実だけも分かる。自分たちは何かを隠されている。騙されていることに……。

 

永末は、扶桑の疑問について語る。

さすがに、恋愛感情を抱くところまでの記憶操作思考操作まではできないだろうけど、提督の言葉を信じること、好意的に見ることくらいはできるだろう。軍隊組織であることから、上司を疑うことは組織としてのメリットが無い。故に、艦娘に対する操作については問題が無いと考えるだろう。もちろん、人類側の意志ではそこまでの操作はできないだろうが、艦娘サイドが人類側の意向を認めればそれも十分あり得ることだ。

 

緒沢提督という人物が存在し、かつては舞鶴鎮守府にいる扶桑達が指揮下にあったという事実。何らかの理由で彼は敵により排除され、扶桑達はその事件の記憶を意図的に消されたこと。そして、その後釜として、冷泉が何食わぬ顔で着任したということ。冷泉は緒沢提督のことを名前しか知らないようなことを言っていたが、同じ軍隊組織にいて、しかも後任の司令官として配置されるような地位にいる人物が、自身の任地の前任である緒沢提督が排斥されたことを知らないなどというはずが無いのだ。それだけで、冷泉提督が少なくとも嘘をついていることの証明となる。

信じたくなくとも事実は受け入れざるを得ない。

 

そして、結論―――。

 

真実は未だ霧の向こうにぼんやりとしか見えないけれど、私の前で緒沢提督という人物が射殺されたのは事実なのだろう。そして、後任として着任してきた人が……冷泉朝陽であった。

体制に逆らった疑いで処断された人物の後釜にすえるとするならば、当然、緒沢提督を殺害した勢力の意向を汲んだ人事が行われたのだろう。

それすなわち、冷泉提督が少なくとも扶桑たちの味方にはなり得ない存在であることの証左である。

 

心の奥底では、それを信じたくない自分がいる。けれども、その気持ちこそは、自分の本当の気持ちでは無いのだ。偽の感情に騙されてはいけない。常に冷静な思考をしなければならない。事実のみの積み重ねで真実を見据えなければならないのだ。

 

そうすると、冷泉提督がいかに疑わしいか存在であるかが見えてくる。

 

彼は、扶桑の知る、これまで出会ってきた様々な提督と比べても妙に艦娘たちに優しいところがある。否、異質なほどに優しすぎる。そして、新たな艦娘を積極的に引き入れようとしている事実。それは単に彼が女好きでスケベなせいであるように装ってはいるけれど、今の自分は絶対に騙されたりしない。彼の真意は、実はそれだけではないのだろう。

 

優しくすることは、扶桑達を懐柔するだけでなく、自分たちを取り込み、施された記憶操作の成果の確認しているに違いない。新しい艦娘を引き入れることは、鎮守府に残る旧緒沢派の可能性がある勢力および艦娘を排除することが目的だと思われる。それは間違いの無い事だろう。

 

そこでふと考えてしまう。

他の艦娘達は、このことを知っているのだろうか?

少なくとも、自分と志を同じくしていないのは、緒沢提督がいなくなった日以後にやって来た駆逐艦島風、そして、正規空母加賀だ。彼女達は、自分達とは全く違う立ち位置にいる。二人以外の艦娘達に対し、正体不明の敵勢力に悟られぬように探りをいれなければならない。そして、やり方をどうするか、何をきっかけにすれば良いかなどを考える。考えを進めれば進めるほど、関係無い部分で疑惑と違和感がわき上がってくる。冷泉の最近の行動をみるに、自分の影響下に取り込むために、艦娘に対する様々な工作をしていることに思い当たってしまう。その上に、新しい艦娘を次々と引き入れようとしている。

これは明らかに舞鶴鎮守府における彼の支配体制を整えるための行動だ。

彼は、緒沢提督の身に起こったすべてを知っているのか。すべてを知っていながら、どうしてあんな顔ができるのか? 自分に対してあんな優しい笑顔を向けられるというのか! 

 

私の大切な人を殺した奴らの仲間のくせに!!

 

そこに思い至った瞬間、心の奥底から激しい怒りがこみ上げてくる。どす黒くドロドロとした感情だ。

知らぬ間に、冷泉に対して好意を持ち、惹かれ始めていた自分に猛烈に腹が立ってきた。自分でも気づかぬ間に、彼の計略に填まってしまっていたのだ。まるで恋した少女のように、冷泉提督に夢中になり、彼を目で追うように操られていたのだ。私の心をもてあそぶなんて、絶対に許せない。

そして、使命感がわき上がってくる。記憶を改ざんされ、彼のマインドコントロール下に置かれ懐柔されてしまっている金剛たちを、何としても目覚めさせねばならないのだ。彼女達を護れるのは自分しかいない。自分がやらなければならないのだから。

まずはそれが最初の仕事だ。

 

それが第一歩だ。次にすること……それについては、永末から依頼を受けている。

 

何はさておいても、冷泉提督を絶対に信じるなと。そして、舞鶴鎮守府の艦娘の中に、扶桑と同じ記憶を持つ同士がいないかを誰にも悟られぬように探ってほしいと言われている。そして、あわよくば鎮守府以外の冷泉と繋がりのある存在、彼に指示を与える存在を探り出してほしいことも言われた。それが黒幕と繋がっている可能性が高いからだ。

彼から依頼されたのは、この三つだった。

二つ目の依頼については、扶桑がしようとしていることだから、何ら問題がないわけなのだが。

 

それを見つけてどうするのか? と問えば、彼は真剣な目で扶桑に訴えた。自分の目的は無実で消された緒沢提督の汚名を晴らすこと。そして、自分を拷問し、体を人生をメチャクチャにした連中の黒幕を見つけ出し、彼らに復讐することであるという。

 

しかし、扶桑は思う。そんなことできるのだろうか? いや、できるはずがない。

所詮、永末たちは、体制派により粛正された側でしかない。いくら言葉で飾り立てたとしても、ただの敗残者でしかない。そもそも、今の彼や彼の支持者にどれだけの力があるのだろうか。敗者が復活できるほど今の日本は甘くはない、と結論するしかない。……恐らくは、前回と同じように捕らえられ拷問され、今度こそ消されるのだろう。おそらく、それは彼も分かっているのだろう。それでも動かずにはいられないほどの何かがあるのかもしれないけれど。扶桑からすれば愚かな行いでしかないけれど、考えは人それぞれだ。他人が口を出すような事ではないのだから。

そう、それは彼らの勝手なのだから。そして、敗残者の自殺に付き合うつもりなど、扶桑には無かった。好きにすればいい。自分は自分の信じるものに従い、自分が為すべきことを行うだけだ。

 

そんな思考をする扶桑に対し、永末は言った。



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第113話 過去との決別

「貴方から見れば、私の行動は無謀で無計画なものにしか見えないでしょうね。私の背後にどの程度の組織があるかさえ、貴方にはお教えしていないのですから。私を信じることさえ、難しい事ですよね。でも、それで構わないのです。今この段階では、私達が連携して動く必要はありません。今正しいと思うことを扶桑さんはしてもらえればいいのです。……つまり、扶桑さん、貴方が今為すべき事は、この鎮守府の中で貴方と同じように記憶操作が完全ではない艦娘を見つけ出すことなのです。これは、外部の私では不可能な事なのですから。時間が経過すれば経過するほど、艦娘に対する記憶操作・意識改変がメンテナンスの度に繰り返されるはずです。そうなれば、今持っている記憶さえ失いかねない。それだけは避けなければなりません」

 

「当然です! 」

扶桑の声が思わず大きくなる。

「この鎮守府のみんなを……私は護ってみせる。私には護らなければならないのですから。……提督の、緒沢提督の為に」

永末は、そんな扶桑を見、満足そうに頷いたように見えた。

彼の味方に自分がつくと宣言したのだから。内通者が獲られれば、彼も満足して当然だ。

 

そして、自分の言葉の重みをかみしめる。

緒沢提督の為に、艦娘を護る。それはすなわち、現在の司令官である冷泉に対し反旗を翻すことになることなど分かり切った事。

 

けれど、……それは仕方ないこと。

選択は自分でしたことなのだから。その結果、どのような結末が、運命が訪れようとも覚悟している。いかなる犠牲を払おうとも、自分は目標を達成しなければならないのだから。

 

「すぐにでも私が知る事実を、みんなに伝えてます。真実を伝え、みんなの目を覚まさせます」

 

「だ、駄目です! それはまだです」

しかし、永末に即座に否定された。

 

「何故ですか? 時は一刻を争う……それは貴方が今仰ったではないですか? 」

 

「もちろん、残された時間は少ないのは認めます。けれど、今、そうやって表だった行動に出ることは、あまりに貴方に、もちろん私達にも危険です。まだ、我々は動き出したばかりなのですから。……そんな時に艦娘の中で体制を疑うような動きが表立つのは実に不味いのです。敵が警戒し、我々の動きに気づく危険度が跳ね上がりますからね。それだけは避けて欲しい……。我々はまだ力が弱く、今はその時期ではないのです。そして、更に、私たちの方では、緒沢提督が残したもののありかを探すという重大な作業も残されている。それにも時間がかかるのです。真なる敵に対抗するために、緒沢提督が集めたといわれるもののありかを……。それはあなた達艦娘の記憶の中にあると私達は考えています。そのためにも、敵勢力が艦娘に施した記憶操作、記憶改変がどの程度まで施されているか、どの階層まで影響が及ぶのかを知る必要があるのです。故に、あまり行動が表立つのは敵に対策を打たれる危険が増してしまうから、避けて欲しいというわけです」

 

「では、私はどうすればいいというのですか? 」

 

「舞鶴鎮守府の艦娘達の中で洗脳の効果があまり出ていない子を探って欲しいのです。そして、冷泉提督の影響を受けていない子もね。そういった子たちにあなたは接触を図り、ゆっくりとでいいので探りを入れて欲しいのです。敵の洗脳を解く可能性があるかどうかを」

 

「緒沢提督の記憶を持っているかどうかは私にも可能かもしれませんが、メンテナンスの度に改変が行われるのでは、そんな彼女たちの記憶が……いえ、それ以前に私の記憶だってどうなるかわかりません。呑気に構えている時間など無いのではないでしょうか? 」

 

「それについては大丈夫です。私がお渡しした薬を服用すれば、洗脳影響を進行させることをあるレベルまで遅らせる事ができます。今後、追加で同じ物をお渡ししますので、それを他の艦娘にも直接でも間接的にでも構いませんから服用させることができれば、彼女たちの記憶も保つことができるはずです。だから、急いてはいけませんよ。貴方は一人ではない。私達がいます。私達も貴方が味方になってくれるから、希望を持って戦い続けられるのですから」

自信たっぷりの表情で永末が微笑む。その姿に何故か安心する自分がいた。

「共に正義の為に戦い勝利しましょう」

と、永末は頼りがいのある笑顔を見せた。

 

そして、また現実に戻される。回想と現実の境界が曖昧になっている。こんな状態を繰り返してばかりいる。こんな状態では執務に支障が出る。それどころか、同志を探すことさえままならなくなってしまう。その度に永末から貰った薬に頼ってしまう。副作用が無いと言われている薬であろうとも、頻繁に服用したら何らかの影響がでないわけがない。極力抑えなければならないのだけれど、不安定な状況に陥ってしまう頻度が高まっていて、どうしても頼らなければならないのだ。

不安定な状況を知られたら、本格的なメンテナンスを受けさせられてしまう。そうなったら洗脳の度合いも高まるし、仲間を捜すこともできない。それどころか、仲間になってくれるはずの子が洗脳されてしまう。必要に迫られ頼らざるを獲ないのだ。仕方ないのだと自分を言い聞かせる。

 

何もかも、冷泉提督が悪いのだ。……結局その結論に落ち着く。

彼に対する、疑いの感情が生まれてしまったから、何もかもが信じられなくなってくる。

内にある、秘めたこの感情がすべて偽りだったということへの衝撃……。それを知ってしまった絶望、諦め。

 

自分に、艦娘達にかけてくれた優しい言葉も、あの優しい笑顔も、それがすべて上辺だけのものだと知ってしまったから、……何もかも分かってしまったから。もう、あの人の事をこれまでのように好ましく思うことなんてできなくなってしまった。

 

―――彼を信じてはならない。

 

何があろうとも、これだけは忘れてはいけないことなのだから。

 

それが、たどり着いた真実。

 

けれど、彼を懐疑的な感情で見ようとすると……どういうわけか、心が動揺して激しい動悸が起こるときがある。

何か自分の気持ちを押し殺そうとした時に感じたことのある感情。真実から目を逸らそうとしたときに感じたことのある、例えようのない嫌な感じだ。そんなことを何故感じてしまうのか分からない。

 

これほどまでに、何者かによって施された記憶改変の影響が及ぶというのか。こんな強い拘束力が生じるなんて一体、自分が知らない間にどんなことが自分の体にされたのだろう。想像するだけで恐ろしく、怖かった。

 

そして、真実を知ってもなお、無意識下で冷泉提督を信じようとする、あまりにも愚かな自分に吐き気がする。

けれど、それでも心のどこかで提督を信じたいと思っている。なぜなんだろう? そんな自分に、どうして良いか分からなくなり、不安になってしまう。

何が自分のほんとうに望んでいる事なのかが分からなくなる。自分の立ち位置が不安定すぎて、判断がつかないまでに追い込まれている焦燥感。考えれば考えるほど胃が締め付けられて苦しくなる。

 

原因……?

 

本当は何が原因かは分かっている。分かってしまっている。

記憶操作とかそういった事なんか関係無く、胸が締め付けられるような気持ちになる理由なんて、至ってシンプルだってことくらい。

 

そう、それは自分が冷泉提督に対して、司令官と艦娘という関係を越えたいと思う感情を持つようになっていたからだ。

自分は彼のことを好きになり始めている。……いや、もう好きになってしまっているのかもしれない。だから、想いを寄せている彼のことを疑いたくない、信じたいんだ。

 

自分は緒沢提督に恩義を感じていたし、それ以上に女として彼のことを愛していた。それなのに、その大切な人を殺した人間の仲間である冷泉提督をいつの間にか好きになっているんだから……。

たとえ、記憶を操作され洗脳されていたからだとしても、自分がそんな風になるなんて許せなかった。憎むべき相手を愛してしまうなんてありえないのに……。どうして、こんな事になってしまうのか? 

感情が大きく乱れ、激しく動揺しているのが分かる。普段ならあり得ないはずの呼吸の乱れさえ起きている。立ちくらみさえ起こしそうな状況だ。

 

心が保たない。これは、人としてなら実に危険な状況だと警告してくる。

 

扶桑は、永末から貰った薬を取り出すと、嚥下する。

しばらく椅子に腰掛けて、目を閉じてみる。薬の効果が現れたのか、急激に動悸が治まっていくのを感じられる。

動揺が収まると、こみ上げてきていた吐き気も急速に退いていき、気分的にも一時的なものかもしれないけれどもホッとできた。なんとか普段の冷静さを取り戻せることができ、薬の効果があるうちは、本当の自分を取り戻すことができた。

即効性があり効能の優れた薬であることは分かった。彼はどうやってこんなものを手に入れたのだろう? ふとそんな疑問がよぎるが、今は些事に構っている時ではないと自分に言い聞かせる。

 

大きく深呼吸をしてから、落ち着いた心理状態で、再度、思案する。今後の行動について、何を優先させ何を行うかだ。

 

まず、最優先することは、自分が本当の事を知ったことを冷泉提督に……、否、彼を含んだ敵対勢力に悟られてはならない。

 

自分の心は彼らの支配下にあり、憎むべき的である冷泉提督にほのかな好意を抱きつつ、何の疑いもなく生活していることを印象づけておかなければならない。裏で真実を探っている事は、絶対に知られてはならず、すべてを極秘裏に行わなければならない。

 

今から戦う敵は強大だけれど勝機はある。

なぜなら、艦娘の記憶を意図的に操作できる力を持ってはいるものの、それが完全に施術できていない事実を知らないからだ。一見完全無欠のように見える敵にも、まだまだ隙はあるということだ。自分たちでも取り入る隙はいくらでもあるのだ。

 

だからこそ慎重に動かねばならない。彼らの監視をかいくぐり、冷泉たちのマインドコントロールの影響の少ないであろう同士を見つけ出し、接触し、それとなく探りを入れなければならない。艦娘達に話を聞き、お互いの記憶の齟齬を埋めなければならない。互いが知る事実の照合を行い、真実を導きださねばならないのだから。

 

すべては、大切な仲間を護るため。

 

 

そして、……愛する人の仇である「冷泉朝陽」を討つために。

 

 

 



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第114話 窮境

「扶桑さん、どうかしたのですか? 」

突然、横から声がする。我に返りそちらを見ると、心配そうな顔でこちらを見ている高雄だった。

冷泉提督を敵意を持って見ていた所を悟られたのかと思い、一瞬身構えてしまう。

 

「え、いえ、何でもないわ。ちょっと考え事をしていただけだから。何か変に見えたかしら」

感情を必死に抑えながら答える。果たして彼女を騙すことができただろうか? と上目遣いで伺う。

 

「扶桑さんが、なんか提督の事をぼーっと見てたから、まぁーた提督LOVE勢が増えたのかって、やだなあって思ったんですよ」

と、意味不明な事を突然言い出す。

 

「は? 」

 

「扶桑さんは、ずっと提督とは距離を置いた対応をしてたじゃないですか。だから、提督には興味なんてないのかなって思ってたんです。それでも、あの提督ですから、やたらとあなたにちょっかいかけてて……そんなやりとりを繰り返す内に提督の事を好きになりはじめたのかなって思って。もう……ただでさえ、ライバルが多いのに、この上扶桑さんまで参戦してきたら、私なんかじゃ絶対勝ち目がないなあって。結構へこんじゃってしまいます」

真顔でそんなことを言う高雄に言葉を失ってしまう。

 

「ねえ、高雄。……あなた、何を言っているのか私には全然分からないわ。なんで私が考え事をしてるだけで、提督の事を好きになったなんて事になるのかしら? 」

 

「あら? ……違うんですか? 」

本気で不思議そうな顔をして言ってくる。一体どういう思考を辿っていけば、その結論が導き出されるのかが分からない。そもそも、私達艦娘は深海棲艦との戦いの為に造られた存在である。そんな私達が何故、人を好きになるのか。……好きになるのは、百歩譲ってあると認めよう。けれど、そのことに一喜一憂するなんて、なんて恋愛脳をしているんだ。今はそんな時代では無いことくらいわからないのだろうか? そして、そんなことばかり考えるのは人間の仕事であり、艦娘には不要な事だって理解できないのか。そう思い、そんなことばかり考えているらしい高雄に苛立ちさえ感じてしまう。

 

「提督に対しては、うーん、僅かではありますが、一応、尊敬の念は持っています。自分の命を預けられる上官であることも認めます。けれど、それだけですよ。それ以下でもそれ以上でもありません」

……ほんの少し前までなら、これが真実だった。心の底から言えた。

けれど、今は言えない。

 

「……そう、そうなんですか。よかった」

本気で安堵したような顔をする高雄。

どうして、そんな幸せそうな顔ができるのだろうかと疑問さえ持ってしまう。訊いてしまいたい想いを抑えるのが大変だった。

「でも、その言葉、しっかりと聞きましたよ。後からあれは嘘だっては無しですからね」

そう言うと高雄は満面の笑みを浮かべて去っていった。

 

「ふう」

ため息が思わず出てしまう。

とりあえずは高雄の疑いは解消されたようだ。けれど、彼女は明らかに自分とは対極の場所に立つ存在であることは間違いないことを忘れてはいけない。可哀相だけれども、強く意識操作の影響を受けているのは、その言動から明らかだ。故に、仮に彼女を説得するとすれば、大方の艦娘が真実に目覚めて、扶桑の味方になってからだ。何故なら、扶桑の行動を高雄が知ったなら、確実に敵対行動を取るに間違いないからだ。

最悪、彼女とは戦う事になることも覚悟しておかなければならない。いや、そうなるのだろう。……そう思うと悲しくなる。共に同じ目的の為に戦って来たというのに、憎み合うかもしれないという、未来に。

そして、敵は一人でないことに、より憂鬱になってしまう。

現在の舞鶴鎮守府の艦娘の分布を考えれば明らかだ。

 

まずは、加賀。彼女は記憶操作も受けていない上に、提督に命がけで救出されたという事実がある。……一応、クールな対応で提督をぞんざいに扱って強がって見せているけれど、あれは嘘だ。もう完全に提督にベタ惚れだ。疑いようもない事実だ。

 

緒沢提督が殺害される以前にいたはずの金剛、高雄、神通、島風も今や完全に提督の影響力下にある。高雄、神通、島風の三人は完全に敵勢力の暗黒面に堕ちている。そして金剛、彼女もどこまでが本気か分からないけれど、やはり駄目だろうな。

 

説得の余地があるのは祥鳳、夕張、叢雲あたりからだろうか。彼女たちも冷泉提督に好意を持っているのは間違いないけれど、明白な真実を突きつければ、目を覚ましてくれるかもしれない。可能性は充分にあるだろう。

しかし、こうやって考えてみると、冷泉提督の影響が舞鶴鎮守府の艦娘達に広範囲に及んでいることがよく分かる。

洗脳云々の力だけでなく、常に艦娘の事を優先し、自分のことを後回しにして寝る間を惜しんで頑張っている冷泉提督の姿を見ている事も大きいのだろう。あんなに無理ばかりしていたら、いつか破綻してしまう。だから、なんとかして上げたい。彼の役に立ちたい……。そんな想いを抱いてしまうのは仕方ないのだろう。

そして、ふと我に返る。

何を冷泉提督の肩を持つような事を考えているのだ、と。まるで、自分も冷泉提督のことが好きみたいじゃないか。……これぞ洗脳の影響が現れている証拠だ。真実を知ったはずの自分でさえ、このような影響を受けるというのなら、何も知らない彼女たちがどのようなことになってしまうかは、想像に難くない。

 

時は一刻を争うといえよう。

しかし、敵勢力に気づかれぬよう、慎重に事を運ばないといけないというジレンマ。でも、焦ってはならない。焦って事をし損じれば、全てが無に帰すのだから。

 

考えられるのは……不知火、村雨、大井あたりとなる。

「大井あたりから確認していったほうがいいかもしれないわね」

と、ひとりごちてしまう。

三人の中では一番、人間に対する警戒心が強い子だ。提督への愛情は、彼女の普段の言動とは思えないほどに、薄い。提督にだけでなく、すべての人間に対して、上辺だけは礼儀正しく振る舞えるのだけれど、本音と建て前をきちんと使い分けるタイプの子なのだ。人間の事を嫌っているといってもいいだろう。もっとも、これについては、冷泉提督は何の落ち度も無い。けれど、彼女からすれば関係ないのだ。

 

全ての原因は、かつて領域での海戦で敗北し、撤退戦で中波した僚艦の北上を見捨てた事だ。作戦上やむを得ないことは、勿論、彼女も理解しているけれど、頭では理解できたとしても感情は全く異なる。それが原因で、彼女の舞鶴鎮守府の人間に対する信頼は無いに等しい状況となっている。親友を見捨てた存在、見捨てる命令をした存在でしかないわけだ。

作戦を指揮し、北上を切り捨てる命令をしたのは緒沢提督なのだけれど、彼女にとっては関係ないのは間違いない。故に、人間不信となった部分、つまり北上の話を利用すれば、つけいるチャンスが一番あるといえるだろう。

 

とにかく、今はやれることを一つずつやらねばならないのだから。

 

自分の行動で仲間同士が戦う事になるかもしれない。もちろん、できるだけの努力は行うつもりだ。最後の最後まで諦めるつもりはない。少々手荒な手段さえやむを得ないと思う。そのための道具は永末に頼めば手に入れてくれるかも知れない。彼も利用する対象だ。どんな汚い手段を使い、無理矢理こちら側につけたとしても、きっと最後には私の正しさを理解してくれるだろう。すべては舞鶴鎮守府の、そして艦娘たちの為になるのだから。

 

しかし、最後は切り捨てる時がやってくるかもしれない。その時は諦めるしかない。

そして、容赦はしない。

 

すべては、緒沢提督の意志を継ぐためなのだから。

自らに言い聞かせるように、何かから目を逸らすような気持ちを必死にかき消すように心の中で呟く扶桑だった。

 

 

 

意識を取り戻した冷泉は、視界の先に歩き去ろうとする扶桑の後ろ姿を捉えた。

 

急に起こされた感じがして、吐き気と頭痛を感じる。直前の記憶が無いがどうやら気を失っていたことだけは分かる。何となく金剛に首を絞められていたような気がするけれど、はっきりとしない。水平感覚は未だ取り戻せないし、耳鳴りもする。

周りを見ると金剛や長門、加賀たちの姿が見える。

みんな一様に冷泉が気を取り戻したことでホッとしたような表情を見せている。

「提督、やっと目を覚ましたのね」

 

「テートク! 心配したデース」

 

「な! 嘘つくんじゃないわよ、アンタが絞め殺そうとしたのに」

 

「むふん。提督、無事で良かった。告白して即、愛する人を失うなんて過酷な運命はさすがの私でも応えるぞ。むむん、たまらんけれども」

 

「何を訳の分からない事を言ってるの、あなたは。提督、気分は大丈夫ですか」

取り囲んだ艦娘達が声をかけてくれる。

冷泉は彼女たちに返答をしながらも扶桑の後ろ姿を追う。恐らく、冷泉が艦娘達といちゃついているのを見て、呆れて去っていっているだけなのだろう。けれど、何故か違和感を感じた。何か不安にさせるものをその姿に感じたのだった。理由も根拠も何もない。ただ、感じた。それだけだった。普段から思い詰めたような表情を見せる事があったし、何か冷泉に隠している事があるのはうすうす感じていたが、それは扶桑の中で解決できそうな気がしたからあえて問うことも無かった。しかし、先ほど見た彼女の姿・雰囲気はいつもと違うように見え、不安を感じた。

何か、これまでになかったものを背負わされた感じがした。それに戸惑っているように思えたのだった。

今、それが何かを知らなければいけないのではないか? そんな危機感のようなものが冷泉の心にあった。

 

追わなければ。

追って彼女と話さなければ。

 

そう思うと、冷泉は車椅子を動かし、彼女の後を追おうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第115話 艦娘からの信頼

「少し外の風に当たってくる……」

誰に言うでもなく、冷泉は呟いた。

 

「でしたら、私がご一緒します」

即座に加賀が反応する。

 

「いや、待て、加賀。この場は提督のモノであることを認められた我が身がお供しないなどあってはならぬだろう? 」

 

「提督のモノって何ですカー! 長門何言ってるンデス? そんなこと、誰も認めていないネー。それに加賀も加賀ね。テートクのお世話は、この金剛にすべて任せるネー」

金剛が会話に割って入る。

 

「アンタじゃあ、アイツの命がいくつあったって足りるわけないでしょ。無理無理」

珍しく冷静に叢雲が言う。

 

「は? 長門、何を訳の分からない事を言ってるの。冗談はそれくらいにしておきなさい。さすがにそれ以上のおふざけは、横須賀鎮守府の旗艦までを務めた貴方の名誉を傷つけることになるわ」

その二人の会話を全く無視して話す加賀。

 

「名誉が傷つく……だと? 落ちぶれてこの身も穢された上に、更には築き上げた名誉まで失う……。ぬぬう。何という運命。何という屈辱。何という……何という、く、くはー! た、たまらん」

 

「……」

何を想像したのか分からないが、恍惚とした表情をし、クネクネと身もだえする親友を唖然とした表情で見つめるしかできない加賀。他の艦娘も妙に興奮状態にあるかつての横須賀鎮守府の旗艦を務めた艦娘の言動に、凍り付いてしまう。

鎮守府に更なる問題が生じているような気がするが、加賀も長門も超一流の艦娘だ。なんとかするだろうし、なんとかなるだろう。今が彼女たちから逃れるチャンスだ。冷泉はその隙を縫うように車椅子を動かし、部屋を抜け出した。

背後ではまだ喧噪が続いているが、冷泉を追う者はいないようだ。

手動の車椅子だと、片手で車輪を回して移動しなければならないけど、電動車椅子で助かった。ジョイスティックを右手で操作するだけで済むのだから。スムーズな加速で動き出すと、扶桑が歩き去ったであろう場所を目指す。おそらくは司令部庁舎から出、宿舎もしくはドックへ帰るのだろうけれど、さっきの彼女の表情からすると、恐らく港の方へと行くのじゃないかと想像できた。

扶桑は、何か悩み事があった時は必ず海を見に行っていた記憶があったのだ。確か、何かの機会に尋ねた時にそんなことを言っていた事を覚えていた。

「海を見に行って、……とはいっても、自由に外洋に出ることは認められませんから、港から海を見るだけなんですけど、その広さ・海の匂い・頬を撫でる風を感じたら、とても落ち着くことができるんです。そして、そこの全てに包まれていると私が今悩んでいることなんて小さな事なんだなって思えてくるんです。艦娘が何処で生まれどこから来たのか、私たちでさえ分からないんですけれど、こうやって海を見るとその先にふるさとがあるような気がして、安らぐことができるんです」

その時の彼女の表情はとても穏やかで、ついでに言うと綺麗だった。正直言うと、ドキッとさせられた。

 

少なくとも、さっき見た扶桑の表情はとても暗かった。何かを意図せずに背負わされているような感じがしたのだ。……それが何なのかは分からない。けれど、それを彼女一人に背負わせるなんて真似はできない。放っておいたら、扶桑一人で抱え込んでしまうかもしれない。実際、扶桑の性格からすると、自分一人で悩んでしまうのは想像に難くない。とにかく訊くしかないのだろう。答えなんて出ないかもしれないけど、ほんの気休めにしかならないかもしれないけど、支えて上げる事ができるかもしれないって思ったからだ。

 

エレベータが一階にたどりつき、扉が開くとそこに扶桑がいた。

彼女は基本的にエレベータを使わない。すべての移動は階段を使用していた。故に、追いつくことができたのだ。

 

彼女は冷泉の存在に気づいた瞬間、何故だか狼狽したように見えたが、すぐにいつもの顔に戻る。そして、軽く会釈をし、そのまま背を向けると立ち去ろうとした。

 

「ちょ、ちょっと待って扶桑」

冷泉は慌てて声をかける。

扶桑は一瞬、ビクリとしたように見えた。そして、こちらを振り返る。

「何か、……ご用でしょうか」

彼女は笑顔を見せるが、普段と違いどことなくぎこちない。

 

「いや、何か急に部屋を出て行ったから、何か急用でも入ったのかと思ったんだよ」

 

「そう……ですか。それはご心配をおかけしました。安心してください。何もありませんから。少し、風に当たりたくなっただけなんです。……提督は、執務室にお戻りになって、他の子達とお話を続けて下さい。その、いろいろとみんな誤解しているみたいですから、その辺もきちんと説明しておいたほうがいいんじゃないですか? 」

言葉自体はいつも通りの少し毒を含んだ言い方だけど、何か少し違う気がする。それに、とにかくこの場を立ち去りたいという気持ちが言葉尻に表れていて、凄く変だ。彼女らしくない気がする。

 

「まあ、その辺は後でしっかりと説明しておくよ。お前くらいだよな、こんな風に言ってくれるのは。ほんと……心配してくれて、ありがとう」

 

「そうですか。それはお願いします。それから、お世辞は結構ですよ」

 

「お世辞じゃないよ。本気で思っている。実際……」

そこで誰か訊いている人間はいないか警戒し、

「扶桑の助けが無かったら、ここまでやってこれなかっただろうからな」

 

「そ、そうですか」

何故か戸惑うような表情を見せる。照れちゃったのかな。ふと思うが、すぐにその感想は誤りだと感じる。根拠は無いけれど、直感的に扶桑の反応は、照れとかそういった類の反応とは少し違うように見えてしまったからだ。どちらかというと、それは戸惑い。正誤判断に悩んでるような雰囲気に感じてしまえるのだ。

 

「いや、本気で言ってるんだよ。それに……」

 

「提督。……すみませんが、なんだか少し気分が優れないので、宿舎で休ませていただいてよろしいでしょうか? 」

遮るように扶桑が言葉を連ねる。なんだか調子も悪そうになっている感じがする。

 

「ん? どうしたんだ、どこか調子が悪いのか? 」

 

「そんなことはないんですが、少しだけ頭痛がするので……。本当は提督とお話したいんですけれど、ちょっと今日は止めておきますね」

 

「そうか……それなら仕方ないな」

もともと活発とか元気といった言葉とは無縁な雰囲気を醸し出している彼女だから、普段から元気そうには見えない。けれど、今日の扶桑はどこか怠そうだし辛そうに見えるのは間違いない。故に、冷泉はそれ以上言うことができなかった。だから、そう言うしかなかった。

 

その言葉を聞いた瞬間、彼女の表情に安堵が浮かんだ。

「そ、それじゃあ失礼します」

まさに逃げるように背を向ける扶桑。

 

「扶桑」

思わず冷泉は声をかけてしまう。

 

「は、はい」

背を向けたまま、扶桑が答える。こちらを振り返ろうとしない。

 

「何か、困ったことがあるのか? 」

 

「いえ、そんなことありませんよ」

 

「そう……か」

 

「そうです。普段と何も変わりありません。少し、今日は体調が優れないだけですから。心配してくれてありがとうございます」

言葉は平坦で、抑揚が感じられない。少し早口になっていて、いつものおっとりした感じとは違う。そして、そんな風になっていることを彼女は認識していないらしい。

 

「分かった。今日はとにかく宿舎でゆっくり休んで、体調を万全にするようにしてくれ。とにかく休養を取るんだぞ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「それから……俺は待っているからな」

 

「はい? 」

冷泉の言葉の意味が理解できずに、思わず声に出てしまったかのような声色だ。

 

「今、お前の中で生じている混乱がお前の中で整理できないと思ったら、いつでも俺に相談してくれ。俺に遠慮なんてするなよ。とにかく、どんな些細なことでも俺に相談して欲しい。まあ、お前にとっては頼りにならない上司かもしれないけれど、お前の中だけで抱え込んだりしないで、俺を頼ってくれよ。俺はいつもでお前の味方だ。信頼してくれていい。それだけは約束できる。……お前は俺の秘密をずっと守ってくれている。俺だってお前の秘密を守って上げることができる。そして、……お前を絶対に護るから信頼して欲しい。お前から見たら頼りないかもしれないけど、俺の力はわりとあるんだからな。だから、ドンと来いだ」

扶桑は彼女の中の悩みを今は話してくれそうにない。頑なな拒絶が見える。けれど、いつでも冷泉は相談に乗るつもりだし、きっと解決してあげられると思っている。そのためなら自分の社会的地位をフルに利用しても構わないと思っている。そして、冷泉の地位なら、ある程度の無茶もできてしまうのだから。

 

「ありがとうございます」

扶桑は小さく呟くと、そのまま去っていく。

 

このまま行かせていいのか?

 

ふと疑問。

 

扶桑なら、まずは自分でなんとかしようとするだろう。今、自分が出しゃばって言ったら、彼女が嫌がるかもしれないだろ? 困ったら、きっと相談してくるさ。

 

では、相談してこなかったら、いつ彼女に問うのか?

 

また疑問。

 

手遅れにならないという確証があるのか?

 

更に疑問。

 

けれども、扶桑の抱えているものがどんな悩みかわからないし、事をよく分からないまま女の子にずけずけと聞けないだろう? 

それに―――。

 

それに、何だ?

いろいろと言い訳をしているようだが、扶桑の悩みが深刻な物だったらどうするんだ? 彼女個人のことではなく、鎮守府全体に関わることだとしたら。早急に手を打たなければ手遅れになるかもしれないではないか。

扶桑は、あんな風に自分の事で悩むとは思えない。それはお前も知っているだろう。きっと他の事に違いないんじゃないだろうか。

 

しつこいほどに問いつめられる。

 

確かにそうかもしれない。けれど、そうじゃないかもしれない。そして、訊いても答えてくれないかも知れない。現に扶桑の態度はそうだった。今のままでは彼女はそれが何か教えてくれないだろう。何かきっかけが無ければ……。彼女の心の垣根を越えるような。

けれど、いまの冷泉には彼女の心の奥へと踏み込む事ができないし、彼女もそれを許さない。

 

今は待つしかないんだ。

もちろん黙って待つ訳じゃない。何らかの情報収集もするつもりだし、扶桑にも再度訊いてみるつもりもある。

そして、鎮守府司令官としての冷泉を艦娘達は信頼してくれている。扶桑だって同じだ。彼女たちにとって、鎮守府で一番頼れるのは自分しかいないという自負もある。本当に困ったら、絶対に俺に相談してくる。

 

それに……そもそも、実際は大した話じゃないかもしれないだろう?

うん、大丈夫だ。

 

結局、冷泉はそれ以上深く考えないようにすることにした。

決して目を逸らしたわけではないんだと自分に言い聞かせるように。

 

 

 

 

 

 

 



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第116話 みんなを救ってあげる

背中に冷泉提督の視線を感じている。痛いほど、じりじりと感じる。

けれども、あえて気づかない振りをする。そして、一歩一歩……ゆっくりゆっくりと歩みを進めていく。彼から離れなければならない。決して、立ち止まってはいけない。振り返ってはいけない。

振り返れば、その瞬間、彼は再び話かけてくるのだろう。そして、扶桑の身を案じる言葉を、優しい言葉かけてくるに違いない。その時、はたしてそれを拒絶できるのだろうか? 

 

否……できない。

 

きっと、自分はその声に、冷泉提督に縋ってしまうに違いない。全てを打ち明け、彼に全てを委ねてしまうのだろう。

「提督、私を助けて……」

と。

 

そして、きっと提督は、彼の全力でもって助けようとしてくれるのだろう。彼の立場もそして、命さえも投げ打ち、そうしてくれるに違いない。

 

ほんの少し前の扶桑なら、きっとそうしただろう。そうに違いない。彼に縋ることが一番正しい選択であり、彼ならきっと間違った事はしないだろうと信じられた。無条件に全てを任せられた。

 

―――真実を知るまでは。

 

今、自分がそう思う事は、実は全てが嘘なのだと知ってしまった今、もはや、冷泉提督を頼ることなどできない。彼を信じることなどできるはずがない。

 

所詮、彼は、敵なのだ。

 

彼を縋り全てを打ち明けること。そして、彼が自分の為にしてくれること。それは、本当の自分が求めるものではない。記憶操作意識改変の影響を受けた、ニセモノの扶桑という存在が求める事なのだから。

 

自分の心にある二つの相反する意識。どちらがホンモノであるか、それを扶桑は知ってしまった。

 

最早、ニセモノには騙されない。

 

自分は、愛する……いや、愛していた提督の意志を継ぐのだ。そして、自分が愛する提督とは……冷泉提督などでは無く、もうどこにもいない緒沢提督なのだから。

 

冷泉提督が自分に声をかけるかどうか逡巡しているのが気配で分かる。

だから、今は絶対に隙を見せてはいけない。

自分が求めているのは救いではなく、戦いなのだから。そう思うと、気持ちが軽くなった。大きく深呼吸をすると、更に歩みを進める事ができたのだ。

大きくふらつきそうになる気持ちが、ゆっくりではあるものの、消えていくようで、なんだか気持ちよくなってきた。

結局、提督は扶桑に声をかけることもなかった。扶桑は正直、助かったと思った。

 

 

宿舎に戻ると、扶桑宛のメールボックスに何通かの手紙が届いていた。

 

艦娘は、存在そのものが軍事機密の一つであることから、極力外部との接触は無いようにされている。もちろん、国民のほとんどが今、日本を深海棲艦から護るために戦っている存在が旧日本海軍の艦船の形状をした異文明の何かによりもたらされた未来兵器である軍艦とその人格部分である艦娘であることは知っている。

ただし、詳細な情報は、それほど多くは公開されていない。軍艦部分については、海上を行き来するその姿を見ることはあっても、人格部分である艦娘を直接見る機会など一般の国民にはほとんど無いからである。

情報があまりに少ないと、人は不安になる。だから、艦娘に対して何か得体の知れない、恐ろしいモノといった認識を持つ国民も少なくないのだ。

 

もちろん、存在自体を隠蔽隔離している訳ではない。ネット回線が軍事利用最優先となって利用が制限されるようになり、テレビが24時間放送されなくなってしまい、かつてほど自由に情報が手に入れられなくなったとはいえ、艦娘が外見が美少女の形状をした存在である事を知る人も多くいる。そして彼ら彼女らは、艦娘をアイドルのように感じ、それぞれの艦娘をあこがれの存在、アイドルのように崇拝してファンレターを送ってくることも頻繁にあるのだった。追っかけといった存在もあるくらいなのだから、戦時中とはいえ日本は平和といえる。

 

送られてきたファンレターは艦娘達に届けられるが、当然、内容については検閲がなされているわけではあるが……。

自分たちを応援してくれる人がいる事は艦娘たちにとっては励みになり、それを楽しみにするものも多い。扶桑もわりと嫌いでは無かった。

 

部屋に戻って何通かに目を通すうち、一通の手紙の差出人に目が止まった。

 

「永末……さん? 」

思わず声を上げてしまった。

 

舞鶴鎮守府に対して敵対心を持つ彼が、堂々と扶桑への連絡に郵便を使うなど、考えもしなかったからだ。外部からの郵便は、当然ながら、職員による検閲が入る。

「そんなこと知らないはずないのだけれど」

国家に反旗を翻すような考えを持つ者同士の通信なら、もっともっと注意すべきはずなのに、何を考えているのだと憤りさえ扶桑は感じた。

「過去に問題を起こして退役した士官が元の職場の職員に、……それも艦娘に連絡を取るなんて、とても目立つことなのに。一体、何を考えているの? 」

とはいえ、外部の人間が鎮守府内の艦娘に接触することは、たとえ内通者がいたとしても相当に困難な事なのだけれど。だから、永末がどのようにして扶桑に連絡を取るつもりなのかは気になっていた。けれど、こんな方法を取るとは思ってもみなかった。

 

封筒は裏返したり角度を変えて見たりするが、開封し修復したような形跡が見あたらなかった。

封筒を新たに作り直して手紙を入れることをしないかぎり、このような状態にはならない。他の手紙については巧妙に隠されてはいるが、検閲の後は確認できた。

 

つまり、永末からの手紙だけは検閲を逃れて届いたということになる。これはすなわち、舞鶴鎮守府内部に彼の協力者が存在するということの証明である。

それは扶桑にとって心強い事であり、永末の属する組織がそれなりの力を持つことの証明でもあった。

鎮守府に内通者がいたとしても、艦娘に直接面会することはなかなか難しい。その立場に立てる人間を仲間に入れることは相当に難しいだろうし、その人間にもリスクが伴う。ある意味、こういった単純な方法が効果的であると思い、目から鱗が落ちたような気分になった。あまりに単純すぎて、盲点ということなのだろう。

 

永末からの手紙。それはワープロ打ちの文面だった。最初に手紙には読んだ後、すぐに処分するように指示がかかれているとともに、今後の連絡方法についての事も書いてあった。

基本的な連絡は、このような手紙で行うが、具体な話については、直接面会をして行うとある。

 

「そんなリスクを冒して、大丈夫なのかしら? 」

疑問は、あっさりと解決する。

 

永末との面会の方法は、実に簡単なものだった。

それは、扶桑が遠征に出撃すればいいという事だったのだ。

 

本来、遠征に戦艦が出ることは、任務によっては珍しくないことである。ただし、舞鶴鎮守府ではここ最近は無かったが、それは戦艦の数が減少しているため、仕方なく行っていなかっただけなのだ。実際、かつては、扶桑も頻繁に出撃していたのだから……。

 

間もなく鎮守府には榛名が着任することとなっている。戦艦の数も増えることになる。その辺りも考慮しての話なのだろうか。榛名の舞鶴鎮守府への着任は、軍内部でも公表されている内容ではない。永末は、それを知りうる立場にある者との繋がりがあるということか……。

そこから考えると、永末の急な登場と榛名の着任に関連があるのではないかと勘ぐってしまう。

「榛名さんが私たちの仲間になれば、ずいぶんと心強いのだけど……」

そう思うものの、そんなにうまくいくわけ無いと戒める。

 

指示の中には、遠征に際して同行艦については、扶桑が仲間になるように説得すべき艦娘を連れて行けばいいとあった。確かに、鎮守府での会話で、デリケートな事を話題に出すのは、他の艦娘の目があるから、することは難しいだろう。しかし、遠征中ならば僅かな艦娘しかいないし、直接、艦に呼び出せば他に漏れる心配もない。そして、人の目を気にしなくていい艦内ならば、遠征中という開放感から艦娘達も本音で話してくれるだろう。

 

本題となる永末達との面会も、遠征先の港は鎮守府と比べて格段にセキュリティも甘くなっているから容易だろう。物理的に遠征先に鎮守府並のセキュリティを求めるなど、不可能なのだから。よって、人目をそれほど気にせずに会うこともでき、綿密な打ち合わせも可能となるだろう。

 

【すべては私に任せていただき、あなたは私の指示にしたがってもらえばいいのです。

そうすれば、すべてうまくいきます。】

 

期待を持たせるような言葉で手紙は終わっていた。

 

「あまりに簡単に進みすぎるので少し怖いわ」

思わず独りごちる。

この一歩を踏み出すことは、冷泉提督との決別を意味する。そして、舞鶴鎮守府の仲間と呼べる艦娘達との別れもありうるということだ。極力、みんなをこちら側に引き込みたいと思うけれど、最初から不可能だと断定できる娘もいる。

扶桑達の行動が明るみなる日が必ず来るだろう。その時、自分は彼女達と戦えるのだろうか? 生死を共にした仲間を斃せるのだろうか?

 

一瞬だけ不安になる。

 

けれどすぐに気持ちが切り替わる。

みんな騙されているんだし、きっと話し合えば分かってくれる。こちらが誠意を示せば、きっと通じるはず。だって、仲間なんだから。……それでも分かってくれなければ、それだけ洗脳の度合いが高いということだ。残念だけれど、そうなってしまったら、もうどうしようもない。せめて楽に逝かせてあげるのが、仲間として唯一できることなのだ。その時は、絶対に躊躇してはいけない。躊躇すれば、こちらが殺られるかもしれない。それは認められない。扶桑には遠大な目標があるのだから。

場合によっては背後からでも討つ覚悟がある。卑怯者と罵られようとも構わない。崇高な目的のためにはあえて汚れ役にでもなろう。

こんな強い意志を持てるなんて、自分らしくないと思いながら、扶桑は興奮している自分に何故か気分が良くなっていた。

 

まずは、冷泉提督に覚られぬよう、遠征に自分が出られるように申し出てみよう。彼と自分の力関係なら、きっと認めてくれるはずだ。現在、遠征に出ている神通達は、あまりにも遠征過多で無理がかなり来ているのは明らかだ。一度、彼女達を休ませて、他の艦娘で編成して遠征べきだと進言すれば、きっと提督も納得するだろう。もちろん、神通は平気だと言い張るだろうし、彼女がそう言い張れば、他の駆逐艦娘達に反論などできるはずもなく、どんなに調子が悪くてもそれに従うしかない。それほどの力関係が、……いいえ、信頼関係が彼女達にはあるのだけれど、ちょっと扶桑が提督に対して過剰に状況を報告してあげれば、あの提督なら信じるだろう。それだけ扶桑の事を信頼しているようだし。

そして、艦娘を最優先にする彼の事だから、きっと真に受けて、無理をするなと神通を叱りつけるだろうな……。そして、強く提督に言われたら、神通も大人しく従うしかない。彼女の提督に対する崇拝度は異常なくらいだから。

 

そして、彼女達が休養するとなれば、遠征任務が滞ることになる。それは鎮守府としても好ましい状況じゃない。そんな時、代替として自分が遠征に出ると言えば、自然な形で遠征に自分が出られるし、さらに提督に貸しを作ることもできるという一石二鳥の作戦となる。

 

冷泉提督を騙す事になるが、彼も扶桑達を騙しているのだからお互い様だ。そう思うことで後ろ暗さから目を逸らそうとしている自分に少しだけ腹が立った。

 

正義を為すために、少々の犠牲はやむを得ないのだ。

そう思わねばやってられない。

 

そうなのだ。取り急ぎ、この案を進めることにしよう。

そして、遠征の同行艦を速やかに決めなければならない。遠征もある程度長めの方がいい。急いてはいけないが、のんびりもできないのだから。

私達に残された時間は少ないのだから。

 

「候補者は、まずは大井ね。彼女からまずは引き入れてみましょう。あとは……」

いろいろと候補者を考え、徐々に仲間を増やしていかなければならない。しかし、急いては事をし損じる。焦ってはならない。けれど、先んずれば人を制すともいう。今はそのバランスを取りながら、動いていくしかないのだ。

「感触のいい娘が見つかったら、永末さんから貰ったクスリを試してみるのもいいかもしれないわ。……あれを飲むと、頭が凄くクリアになるから。頭の中の靄が晴れるような、敵の意識操作から一時的なものかもしれないけれど、解放されて自由に考えることができるから……。そうなれば、洗脳の効果も落ちるだろうし、忘れていたことを思い出すかも知れないし。そうだわ、それがいいわ。きっとうまくいくはず。あ、ちょっと待って。もし、抵抗するような子がいたら、どうしましょう? ……うん、そうね。少々強引な方法でもやむを得ないかしら。最初は抵抗するかもしれないけれど、真実を知るためなら、みんな許してくれるわ。むしろ、感謝されるかもしれないわね」

そんなことを考えながら、彼から貰ったクスリを服用する。瞬間的に体が熱くなるが、頭は驚くほどクリアに……そして、すっと気分が落ち着いてくる感覚。艦娘としての柵から解放されるような気持ちよさ。今、頭を悩ます嫌なことがみんなどうでも良くなる。ふわふわと体が宙に浮くような感覚に、

「ふふ……うふふふ」

と、扶桑は一人、幸せそうに微笑んでしまうのだった。

 

そうよ、きっと上手くいくはずなの。

 

私がみんなを解放してあげるから。

みんな待っててね。

 

きっと……ね。

きっと、私が助けてあげるから……。

 

みんな幸せになれるから。

 



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第117話 鎮守府の一時

「はあ……」

冷泉は、執務室で大きなため息をついてしまう。

色々と考えたけれど、どれも今ひとつだと思ったし、どうしようどうしようと前に進まない思考を繰り返すだけだ。結局、何一つ行動も起こせないまま無為に時間だけが経過したわけで……。そして、気がつけば朝だという……こちらに来てからよくある行動を繰り返すだけだったのだ。

自らの置かれた立場が立場だけに、何もかも全部投げ出して逃げ出すなんてこともできないし、かといって、こうだという明確な答えを示す能力も度量も根性も勢いもない。結局、ウジウジと悩み続けて、期限が迫ってなんとか答えを出すという、自らの無能さだけを思い知らさせる毎日の繰り返しなんだよな。

 

「どうかしたのですか? 」

横で立っていた加賀が、あまり抑揚の無い声で尋ねてくる。

「直ぐ側で朝からそんな大きなため息をつかれますと、せっかく朝からがんばろうと思っているこちらまで気分が滅入ってきます。止めるなとはいいませんが、せめて私の視界に入らない場所でお願いできませんか? 」

未だにご機嫌斜めらしい。

まあ、それも仕方ないか……。そう思うと、またため息をしてしまい、彼女に睨まれた。

 

昨日は扶桑を見送った後、一人になって考えたかった。だから、みんなには内緒で「甘味処間宮」の個室を予約して、酒を飲みながら物思いに耽っていたんだよな。しかし、加賀を含め、みんなに内緒でっていうのが不味かった。連絡が取れなくなった冷泉を心配した加賀が、必死に鎮守府中を探し回っていたらしい。他の艦娘も巻き込んでの騒動になり、加賀が血相を変えて間宮の個室に飛び込んできたのが、空が白み始める頃だった。酔っぱらった冷泉を見つけるなり、彼女は泣き出すやら怒り出すやら床にへたり込むやらで、本当に大騒ぎだった。

「提督にもしもの事があったら、私は一体どうしたらいいのですか? 約束してくれたじゃないですか! もう私を一人にしないって」

瞳を真っ赤に腫らしながら、真剣な顔で懇願する彼女の姿を見て、こんなに心配させたなんて、本当に悪いことをしたなと反省した冷泉であった。その時の彼女ったら、凄く可愛くて愛おしかった。思わず抱きしめたくなるくらいに。ああ、こんな子が彼女だったらいいなあって本気で思ってしまった。

 

しかしなあ……と思う。

こんな事望んだって、絶対に叶わないんなんだろうなあって思う。そんな夢物語は、テンプレのライトノベルくらいでしか実現しないんだろうと現実に引き戻され、割と落ち込んでしまう。

 

加賀は、あの一件以降、冷泉に対して、返しきれないほどの大きな借りがあると思い込んでいるようで、何かにつけ甲斐甲斐しく冷泉の世話を焼こうとしてくれる。それは確かに男としては嬉しいのだけれど、体が動かないとはいえ、食事の世話はともかく、着替えや入浴、さらには排泄の世話までしようとするので、流石にそれは止めてほしいと思っている。きちんと冷泉を世話してくれるプロがいるのだから、そういったは彼らに任せてほしいものだ。

加賀を助けたのは冷泉の意志であり、冷泉の体がこんな状態になっているのは冷泉の選択の結果であり、加賀には何ら落ち度は無いのだから……。冷泉は加賀を救う事も、見捨てることもどちらも選択できた。そして、冷泉はあらゆるリスクを覚悟の上で加賀を救おうとしたのだ。だから、選択の責任を負うのは冷泉であり、彼女ではないのだから。加賀が気に病んで、無理をして冷泉への借りを返そうなんて考える必要なんてこれっぽっちもないんだから。

 

まあ、加賀みたいな美人さんがいつもそばにいて、自分の事を常に気にかけてくれているのは、とても嬉しいのだけれど。

 

それはともかく、そんな彼女は、今は何故か……いや、理由ははっきりしているが、怒っている。激おこぷんぷん丸なのである。

それでも冷泉のことを嫌いになる怒り方ではないのは、よく分かる。拗ねたように背を向けているけれど、じっとこちらの気配を伺い、冷泉からの言葉を待っているというのが。

 

ああ、そんな所も可愛いなあ……と思う。

 

「ねえ、……加賀さん」

甘えたような声を出してみる。

 

「ひえっ。……き、気持ち悪い声色を出さないでください。今、全身に悪寒が走りました」

割と厳しい事を言う。

 

「なあ、まだ怒ってるのかな? 」

 

「ぬ?、別に何も怒っていませんけれど。何をどう見たら、私が怒っているように見えるのですか。全く、おかしな事を仰りますね。けれど、ただ……」

 

「ただ? 何かな」

 

「提督は、怪我をなさったせいで、それまではできていた事ができなくなっている事を忘れないでください。そんな提督が一人でどこかに行ってしまって、もし、何かあったらどうするというのですか。私を心配させないでください。……とにかく、私が原因でそんな体になってしまったのですから、私には提督をお守りする義務がありますし、守らせてください。それから、いろいろと不便なことがあるでしょうから、すべてのお世話を私がします。提督がどう思われようと、提督体が治るまで、これはずっと続けさせて貰います。いろいろ私が干渉する事がお嫌なのかもしれませんけど、それが嫌なら、体を治してください」

 

「……加賀」

 

「なんでしょうか」

 

「お前の気持ちは嬉しいし、お前のその責任感の強さも本当に素晴らしいと思うよ。けどな、怪我をしたのは俺の責任なんだから、お前が責任を感じる必要なんて無いし、俺にそんな気を遣う必要も無いんだぞ」

 

「そんな簡単に割り切れるものではありません。提督の心配りには感謝しますけど、私がそうしたいからするだけなのですから提督は何も気にしなくて結構です」

 

「どうして、そこまでしようとするんだ。お前は艦娘としても他にもいろいろしなきゃことがいっぱいあるんだろう。そんな中、俺の世話までしていたら、時間が無くなってしまうだろう? 」

 

「そんなことありません。好きでやっている事ですから、私は、全然辛くありませんよ。それに……」

少し躊躇するような素振りを見せる加賀。

 

「それに? どうかしたのか」

 

「いえ……。提督のお世話をできる時間は、永遠ではありません。私達艦娘は、深海棲艦と戦う運命。ですから、いつ戦いの中で斃れるかは誰にも分かりません。斃すか斃されるかの戦場で生きている訳ですから、それは運命、仕方の無いことです。死神が私を迎えに明日やってくるのか明後日なのか、一週間後なのか、一ヶ月後なのか……それは誰にも分かりません。けれど、それは遠い未来では無く、限りある時間であることには変わりありません。だから、私は自分の思う事を望む事を、その限られた時間の中でやりたいと思っているだけなのです。……提督が仰ったように、もう、悔いを残すような事はしたくありませんからね」

 

「う……」

唐突に艦娘に課せられた重い宿命を見せられた気がして、一瞬ではあるが、冷泉は言葉を失った。しかし、すぐに言葉を続ける。

「俺は、……俺はお前を死なせたりしないよ。もちろん、お前だけじゃない。舞鶴鎮守府のみんなを、そんな悲しい運命から守りぬいてみせるからな」

それは冷泉が全てに変えても守らなければならない約束だ。

 

「はい、ありがとうございます。その言葉、少し前の私なら、口先だけの馬鹿男のくだらない戯言だと思って鼻で笑ったでしょうね……。でも、今なら、あなたを信じることができるわ」

そう言って加賀は微笑んだ。普段、無表情な彼女が笑うと、余計に魅力的だ。

「それに……あなたのお側に居られるだけで、私は幸せなのですからね……」

伏し目がちに彼女がこちらを見る。

 

「え? 側にいられたら……何だ? 」

けれど、加賀が続けて話した言葉が聞き取れなかった冷泉は、問い返してしまう。

 

「え? いえ、その……指揮官たる提督の事がいつもフラフラして心配だから、私が側にいないと駄目だって事です。そ、そうです! それに一緒にいたら、今後の作戦もより詳細に聞く事もできますから、秘書艦としても勉強になりますしね。そうです……特に深い意味はありませんからね! 」

何故か顔を真っ赤にして、加賀が話を打ち切る。

その態度から、これ以上の質問は無理かもしれないと冷泉は思った。

加賀の冷泉に対する献身的な世話の話については、少しずつ彼女を説得していって、その項目と時間を減らしていって貰うようにするしかないかなあと、ほとんど諦め気味だ。罪滅ぼしのために世話をされるのは心苦しいのだけれど、そうしないと彼女の気持ちの整理できないのなら、少しは我慢するしかないのかもしれないし。彼女には、何の罪も無い。そこまで思い詰めなくていいのに……と思ってしまう。冷泉にとって、彼女の優しさが心に痛いのだ。

 

「さあさあ、冗談はこれくらいにしないと。提督、そろそろ、お時間ではないですか」

そう言うと、ドンと書類を机に置くと、加賀が立ち上がる。

 

「お? 」

強引な話題転換に思わずたじろぐ冷泉。

 

「え? 私を助けた時に、確かに頭を強く打ってたような気はしますが、……まさか、お忘れになったわけでは無いでしょう? 」

 

「お、おう? ふん!、し、失礼な。もちろん、お、覚えているさ」

さて、何だっただろう? 目まぐるしく頭を回転させるが、まったく閃かない。今日は特に遠征から帰ってくるわけでもないし、来客の予定も無かったように思う。議員の視察も入ってないし、市民団体の要望もしばらくは無いはずだった。他機関との打合せも無かったと思うし、鎮守府内の会も無かったし、懇親会も入っていなかったはずだが。……艦娘との親睦会も最近やってないなあ、とふと思ってしまうほど、何も思いつかなかった。

うむむむ。

 

「ふっ……」

僅かに鼻で笑うような気配を感じるが、気のせいだったか。

「まあいいでしょう」

と、呆れたような表情で見下ろす加賀がいた。何か分からないまま彼女を見上げる冷泉。

加賀は冷泉に顔をぐい近づけると、じろじろと見回す。ほのかな石けんのような香りが漂ってきて、うっとりしてしまう冷泉。

「……うん、まあ身だしなみには問題がありませんね。服装も特に乱れていませんし……。鎮守府司令官としては……まあ及第点でしょうか」

満足げに頷くと、制帽を冷泉に被せる。

 

「及第点かあ……厳しいなあ」

 

「客観的に見ればです。けれども……私から見れば、あなたは素敵な提督だと思います」

ぼそりと呟く。

「えっと、もうすぐ、呉鎮守府より戦艦榛名が着任する時間ですよ。どうされますか? 港までお迎えしますか? ここでお待ちになるのでしたら、私が彼女を迎えに行ってきますけれど」

 

「そうだなあ。うん、俺も港まで出向こうか。……鎮守府として彼女に寄せる期待の大きさを見せてあげたいし」

 

「そうですね。わが鎮守府においては、高火力の艦娘が不足気味ですからね。戦艦が一人でも増えれば、それだけ作戦の幅が増えますから。その期待の大きさを示すため、提督自らが港で出迎えたら、彼女もきっと奮起してくれるでしょう。……どこぞのポンコツ変態女は戦艦のくせに本当に役立たずですから、今は一人でも戦艦がほしいです」

割と毒のある台詞を加賀が吐く。どこぞの云々で批判されているのは、まあ間違いなく長門ことながもんのことだろうなと納得。今日、まだ現れていないのは昨晩は飲み明かしていたからだろうか。たがが外れた艦娘は怖い。あれほど堅物で通っていた長門も、肩の荷が下りた瞬間、本当にポンコツ化してへたれてしまったようで、加賀が何を言っても言うことを聞かないらしい。親友である長門がそういう使い物にならない状態になったことが加賀には、信じがたくて許し難いようで、長門の事を語る時、どうしても感情的になってしまうようだ。

 

加賀の批評について、冷泉は曖昧に答えるしかできない。なぜなら、冷泉と話す時、長門は、まるで少女のように頬を赤らめながら、潤んだ瞳で何度も冷泉の言葉に頷き、一語一句を聞き逃さぬよう真剣に話を聞いてくれるのだから……。それが何を意味するのかはよく分からないけれど、かつては横須賀鎮守府の旗艦を務めた、凛々しい彼女がそういった態度冷泉に示してくれることは、こそばゆくもあり誇らしくもあったりしている。

 

「うん、まあ……そうだな」

総合的な判断と言うことで、あえて長門の事には触れないでおく。

 

「……けれど不思議ですね」

急に思い出したように、加賀が疑うような目で見てくる。

 

「え? ……何がかな」

 

「いえ、提督は榛名の着任を心待ちにしていたと記憶していたのですが。どうして、着任日を忘れてしまったのかしら? 」

そこで扶桑の事が気になっていたから、などと言ったらまた話がややこしくなりそうだ。まだ、単なる不安でしか無い事を口にしたら、加賀にまで負荷をかけてしまう。この子は人の不安にとても敏感だ。少しでもそんな素振りを見せてしまったら、徹底的に追求されてしまうだろう。ただでさえいろんな負担を加賀にはかけてしまっている。これ以上は駄目だ。それに、そもそも何の確証も無い話で騒ぎ立てるのは逆効果だし。

 

「うーん、まあ俺もいろいろと忙しいからね。スケジュール管理がきちんとできていないのかもしれんな。ちょっと反省だ」

 

「まあ、どうせスケベなことでしょうけど」

あっさりと判定された。

 

「それ、凄い誤解だよな。俺のどこがスケベなのか本気で教えてほしいです。いや、スケベではないと断言できるほど聖人君子では無いけれど、いつもエッチな事ばかり考えてたら鎮守府の運営なんてできないだろう? わりと本気で教えてほしい」

 

「……あっちこっちで艦娘を口説いているじゃ無いですか」

ぼそりと加賀が言う。

 

「それ、今ひとつわかりません」

本気でそう言ってしまう。冷泉がいつ艦娘を私的に口説いたというのだろうか。みんな美人さんばかりの艦娘に冗談でも口説くような真似ができるほど、冷泉は女慣れしていない。そんなことを口にしようとしたら、拒否されたらどうしよう嫌われたらどうしようというネガティブ思考が先に出て、緊張のあまり鼓動が限界まで高まり、頭の中が真っ白になって何も言えなくなってしまうはずなのだ。

 

「思わせぶりな台詞を言って、みんなの心をかき乱して……。みんなをその気にさせるのにそれ以上は何もしない。おまけに他の子に同じようにちょっかいだして。気が多いのか何なのかは分からないけれど、提督の言葉で何人もの子が悲しい思いをしているかも知れないのですよ」

 

「全然、身に覚えがないんだけれど」

 

「高雄や神通、島風、叢雲……。それから長門。私が知る限りでもこんなにいるんですよ。みんな提督の事を鎮守府司令官に対するもの以外の気持ちを抱いているのが分かりませんか? 」

少し睨むような視線を感じるが、今ひとつピンと来ないのが正直な感情。もちろん、好意を持たれているのは何となくは分かる。けれど、それはぼんやりとした物でしかないはずだ。艦娘に関わることのできる男性など極端に少ない。そんな環境がもたらす誤解にすぎないはずだ。だから、そういったことは軽く流すことにする。

 

……それに冷泉は艦娘に愛されてはいけないし、愛してもいけないと思っている。自らがこの世界の住人ではないことを認識しているからだ。いつ、別れが訪れるかもしれないのだから。彼女たちを守るためにベストは尽くすが、見返りを求めちゃいけないのだから。

 

「どうかしたのですか? 」

黙り込む冷泉に不思議そうな顔をする加賀。

 

「いや、なんでもないよ。……じゃあ、港に行こうか。加賀、すまないけれど、車椅子を押してもらえないかな」

 

「もちろん、そのつもりですよ」

 

冷泉は車椅子を押されながら、物思いに耽ってしまう。

今、この時が永遠に続けばいいのに……と。



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第118話 榛名、着任しました

港に到着すると、沖より港へ近づいて来る艦影が見えていた。

 

舞鶴鎮守府は舞鶴湾の中にあり、湾は北の日本海に対して「人」の文字の形の湾を形成しており、東と西に別れている。湾内に民間船が利用することは無く、舞鶴鎮守府艦隊がその全てを使用している。また、海に面した1km弱の舞鶴湾の入口は、防波堤および艦船の出入口として建造されたゲートによって封鎖され、深海棲艦の侵入を防止している。

 

冷泉がいる港は舞鶴湾の東側にある方で、こちらには鎮守府司令部があり、ドックもある。主に主力艦隊となる艦船が係留される目的で使用されており、今は、正規空母加賀、戦艦金剛と扶桑、重巡洋艦高雄および羽黒、そして、軽空母祥鳳が係留されている。巨大な艦船が並ぶその光景はまさに壮観である。

そこに、さらに戦艦榛名が並ぶわけであるから、冷泉もその光景を浮かべて感慨深くなる。

 

新しくやって来る艦娘を迎えるため、多くの整備員が既に港に集まっており、港は出撃前や帰投した際にも似た賑やかさがあった。

人混みの中には数人の艦娘の姿も見える。彼女達も新しい仲間を出迎えるつもりなのだろう。共に命を預けて戦う戦友となる艦娘だから、気になるのは当然と言えば当然だろう。

 

やがて数隻のタグボートに曳航されながら、戦艦榛名の巨大な艦影が近づいて来た。ゆっくりと姉妹艦の金剛の隣に確保されたスペースに着岸される。

着岸と同時に係留作業に多くの人が取りかかり、騒々しくなる。

遠巻きに基地職員も見守っている。そんな中、いくつもの車両が近づいて停車すると慌ただしく人が降りてきて、荷物を下ろしたりクレーンを操作したりと作業を始めている。

 

「外観は金剛と似ているんだなあ」

と当たり前の事を口にする冷泉。

 

「そうですね。姉妹艦と言われるだけに、艦船に詳しくない人でしたら、彼女たちは同じ形に見えてしまうでしょうね。……一応、補足説明しますと、後部檣楼と主砲形状が違うんですよ」

背後で車椅子を押す加賀の声。説明をしてくれてはいるのであるけれど、さらりと毒を吐いてる。

ちなみに冷泉は首から上は動かすことができるが、あくまで首から上が動くだけであり、後ろを振り返って彼女を見ることはできない。だいたい90度くらいしか見えないわけなのだ。

 

「ぎぇ?……」

唐突に冷泉は声を上げてしまう。

 

「どうかしましたか? 何か蛙を踏んだような音がしましたが」

変な声を上げた冷泉を心配してか、加賀が顔を近づけてくる。背後からほのかに漂う加賀の芳香が鼻をくすぐる。

 

「いや、何というか……。お前が説明してくれた外観上の違いはともかくとして……だな。近くで見ると、彼女たちは、ずいぶんと違うんだな」

と、思わず口に出してしまう。

それは横に並んだ艦が姉妹艦の金剛だから余計に目立ってしまったのだろう。

 

舞鶴鎮守府の艦は、冷泉の指示で常にきちんと整備されており、良好なコンディションを保っている。本来なら戦闘に影響のない程度の損傷なら放置していると整備員に言われたが、少々の金・資材ならケチケチせずに使って補修するように厳命した。外観も常に見栄えがするように整えるようにとも指示している。

 

やはり、女の子なのだから、常に綺麗にしておかないといけない。それが艦娘にしてあげられる精一杯の事でしかないのだから。

 

故にピカピカに磨き上げられ整備された金剛との対比で、姉妹艦であるはずの榛名の、みすぼらしさが一層目立ってしまっていたのだ。

榛名は戦闘によりあちこち損傷しているのにその状況が放置されたままであり、さすがに重要な箇所については補修されているものの、それは適当な鉄板を溶接されたかのように本当に応急処置レベルで放置されていたのだ。おまけに艦はいろんな汚れで黒ずんでいるし、あちこちに錆が目立つ状況。とてもじゃないが鎮守府艦隊の旗艦とは思えないほどの状況で、少し寂しささえ感じてしまった。

 

「提督、確かに整備は行き届いていないかもしれませんけど、鎮守府にはそれぞれの理由があることを忘れないでください。……彼女がいた呉は過酷な戦場での戦いが日常だと聞いています。故に、資材は貴重。敵は潜水艦が主とした艦隊編成です。当然、対潜水艦能力の高い艦娘を優先的に整備する必要があります。……それ故、たとえ榛名が旗艦であろうとも、優先順位は低くなって当然の事です。榛名は率先して戦場に出ていたと聞いています。戦艦が潜水艦相手に何ができるのかという疑問はありますが、それは彼女の強い希望があったのかもしれません。それはともかく、当然、彼女が敵の最優先撃破目標になるでしょうから、囮として活用されたのかもしれません。囮だけに損傷も多いでしょう。被弾しても彼女は自らの意志と要望によって戦場へと駆り出されたのでしょうね。それゆえ、修理が追いつかずあのような状態になったのかもしれません」

 

「けど、それじゃあ可哀想だ。旗艦なんだぞ。いや、旗艦だからどうこうっていう問題じゃない。女の子があんな格好じゃ、駄目だ」

 

「提督の優しさは、私が誰よりも知っていますよ。けれど、提督。舞鶴の子達が恵まれているだけで、とりたてて榛名が冷遇されている訳ではないのですよ。まあ、うちの子達が小綺麗にしてもらえるのが提督のスケベ心のおかげというのはちょっと恥ずかしいですが」

諭すように加賀が言う。そして、余計な事を付け足して、冷泉の心(ガラスの)を抉る。

 

冷泉は、何とか平静を保ち考える。

けれど、前に見た横須賀の艦娘たちは、軍艦部だけでなく、彼女たちの身なりもみんな小綺麗にしていたと思うんだけどな。その時、榛名とも対面していたけれど、その時はどんな感じだったかは残念ながら記憶にない。艦娘としての榛名は見たけれども、軍艦部の方は見ていないからな。

まあ、あの時は加賀の件でいろいろと身辺が騒々しかったから、そこまで意識は集中なんてできる状態じゃなかったし。それに、彼女はずっと高洲提督に隠れるような感じでいたからな……。他のことまで気が回らなかったといえばそれまでなんだけれど。目が合った冷泉が彼女に笑いかけると、怯えたような表情を浮かべ、目を逸らしたからなあ。あれは少しショックだったことを覚えている。

 

「そう……なんだろうか? 」

と言い返すしかできない。

 

「提督が納得できないのでしたら、早速、彼女を入渠させて、満足されるまで修理をさればいいと思いますけど……」

 

「無論だよ。今すぐにでもそうするよ」

冷泉はすぐに整備担当士官を呼び寄せ、榛名に対する措置を指示した。彼はいつもの事だという感じで「資材があまりないんですけどねえ」とぼやくものの、そのまま駆けて行った。

ふと視線を感じてそちらを見ると、加賀が微妙な表情を浮かべてこちらを見ていた。冷泉のと目があうと、すぐに目を逸らされたが。

 

どうかしたのか? と声をかけようとすると、

「さあさあ、今回のお客さんが登場ですよ。……きちんとお迎えしてください」

と、加賀に指摘される。軽い衝撃があり、車椅子の向きが変えられる。加賀が向きを変えてくれたのだが、割と乱暴。

文句を言おうとしたが、視界の先に、一人の少女がタラップを降りてくるのを捉え、それ以上の言葉が出てこなかった。

 

金剛と同じく巫女装束風の着物にミニスカートの少女がゆっくりとタラップを降りて来ている。腰までの長さの黒髪が風になびき、ロングブーツを履いた足がとても長く見える。

冷泉の存在に気づくと、目を大きく見開き驚いたよな表情を浮かべると、慌てたように駆け寄ってきた。

少し息を切らせながら冷泉の前にやってくると、敬礼する。

 

「私などのために、提督自らわざわざお迎え頂きありがとうございます。呉鎮守府より参りました、榛名です。……これからどうぞよろしくお願いします」

少し緊張気味に自己紹介すると、少し小首をかしげるようにこちらを見ると、ニコリと微笑む。冷泉は彼女の初々しさに思わず頬がゆるんでしまう。

 

「コホン……」

背後で咳払いが聞こえる。

「提督」

 

「お、おう。榛名……よく来てくれたね。舞鶴鎮守府司令官の冷泉朝陽だ。前にいた呉鎮守府とは勝手が違うかも知れないけれど、そんなときは何でも訊いてほしい。そして、舞鶴に一日でも早く馴染んで貰いたい。……俺と、俺たちと共に、深海棲艦と戦い、そして勝利しよう」

 

「はい! この榛名。微力ながら冷泉提督の為に頑張ります」

榛名は、そう言うと深々とお辞儀をする。

 

「うん」

冷泉は頷く。

なんか、真面目で礼儀正しく控えめな感じはゲームと同じだったので、少し驚きもある。まさに外見と性格は冷泉の理想に近い。正直に言うと凄く嬉しかったりする。そして、意識しないまま、彼女の全身をまじまじと見てしまう。特にエッチな気持ちで見ていたわけではない。

そして気づいてしまう。瞳は割と大きめだ。肌は透き通るように白い。髪の毛は黒というよりは少し灰色がかっているようだ。肩が露出していて、凄くエッチな感じで、目を逸らそうとしているのに、どうしても吸い寄せられてしまう。胸は金剛よりは小さいのかな……。そんなことを無意識の内に確認してしまう。

 

そして、背後から何やら冷たい視線を感じる。

「ゴホンゴホン」

冷泉は慌てて咳き込む。

 

「前にいた鎮守府は戦艦としては厳しい環境だったかもしれないけれど、ここでは本来の戦艦としての責務を果たして貰う事になるから、気持ちを入れ替えてがんばって欲しい」

慌てて誤魔化すように、榛名に語りかける。

 

「はい! がんばります」

冷泉が何を考えていたか想像もできないのだろうけど、元気に応える榛名。

 

「うんうん。頼むよ」

満足げに頷く。

 

「榛名さん……。少しよろしいですか! 」

後方から整備員の声がする。

どうやら、いろいろと事務手続きがあるようだ。

 

「提督、少しよろしいでしょうか? 」

申し訳なさそうに榛名が問う。

 

「うん、いいよ。行ってきたらいい。用件が終わるまで待っているから」

 

「はい、すぐに終わらせますので、少しお待ち下さい」

そう言うと、彼女は駆けていった。

 

 

「さて……」

艦の近くで整備員達となにやら話している榛名の姿を見ながら、冷泉は呟いた。

 

「どうかされましたか? 」

さっき怒ったような気配を感じさせたのに、今は冷静な口調で加賀が問いかけてくる。

 

「いや、さっきも言ったけど、艦の方は少し薄汚れて、なんか整備不足な感じもする。損傷している箇所も応急処置のみできちんと修繕がされていない。お前が言うように、普段なら暫定措置のままで行くこともあるのかもしれないよ。でも、今回は、余所の鎮守府に異動させるんだぞ。……いわゆる嫁入り準備さえきちんとやってくれなかったのか? 」

と不審がる冷泉。

「はっきりいえば、あまりにみすぼらしくないか? 同じ金剛型なのに、金剛と比較すると

どうみたって装備も貧弱だし、つぎはぎだらけの修理をされているだけで、おまけに薄汚く汚れたままじゃないか。あれじゃあ榛名が可哀相だよ」

 

「ですから、さっきも言いましたよ。鎮守府には鎮守府の事情があるのです。呉鎮守府の特殊性もあります。あそこは領域解放を行うことがほとんどなく、すでに解放済みのエリアの防衛戦を繰り返すばかりで、そこに報償となるようなものはほとんどありません。戦果があがらなければ当然、資材や資金の獲得も厳しいはずです。経済状況ではうちよりも厳しいのではないのでしょうか。そんな中、出て行く艦娘の為に自由にできるお金など、そうあるものでは無いのでしょう。その辺りは理解してあげないと……」

悟ったように指摘される。

 

「しかし、お前も気づいただろう? それは艦だけじゃなかった。榛名の格好を見ただろう? 彼女の服装だって、金剛はいつでも真っ白な衣装を着ているのに、榛名のは、なんだか少し黒ずんでいたし、よく見ると襟や裾まわりはほつれていた。自前で治したような、素人作業っぽいツギハギもあった。いくら何でも鎮守府旗艦で、かつ戦艦というのに、あれはないだろい。さすがに服ぐらいなら準備してやれって思うぞ」

 

「そ、……それは私も思いますが」

どうやら加賀もそれに気づいていたし、冷泉と同じ意見らしい。

「けれど、急な話だったので間に合わなかったのかもしれません。艦の修繕だって、戦力となる駆逐艦や巡洋艦へ回すお金が多くて、戦艦にまで手が回らなかった可能性もありますから」

 

「まあ、対潜水艦戦では損傷するしか無いからなあ。そこは同情すべき所はあるかもしれないけれど。とにかく、艦の修繕もそうだけれど、彼女の衣装も新調する必要はあるな。その辺りの手配は頼むよ」

 

「はい、了解しました」

 

二人がそんな会話をしている内に、榛名が戻ってくる。

「すみません、お待たせしました」

 

「いや、整備員との話は終わったかな」

 

「はい。いろいろと整備の話をさせていただきました。それで提督……」

もじもじとした態度を急にする榛名。

 

「どうかしたのか? 」

 

「あの、ありがとうございます」

 

「何の事だろうか」

その問いは榛名と加賀の二人に言ったものだった。

 

「早速、艦の全面修繕をして頂くということをお伺いしました」

 

「ああ、それは当然だろう。これからは艦隊戦が予想される。常に万全の状態にしておかないと、大変な事になるからね。しかし、あんな状態のままで置いておいたなんて、高洲提督は何を考えているのやら……」

冷泉の話が呉鎮守府の提督の批判に向かいかけた途端、遮るように榛名が声をあげる。

「高洲提督は悪くないのです。提督、それだけは勘違いしないで下さい。……これは私がお願いした事なんです。私みたいな役立たずの艦娘の修理なんかに、貴重な資材を使うのでしたら、巡洋艦や駆逐艦の修理や装備に使ってください、と。だから、提督が悪いわけではないのです。そこだけは誤解しないでください。お願いします。私みたいな役立たずなんて、ほどほどに治しておいても戦力としては影響ありませんでしたから。……どうせデコイとしてしか役に立ちませんから、ね」

前の鎮守府の司令官を庇うように、そして自嘲気味に榛名が語った。

少し、卑屈になっているのかな。そう思わせるような口調だ。

 

「……分かった。その点についてはこれ以上言及はしない。だけど、お前は今日から、舞鶴鎮守府の艦娘になったんだ。だから、これから先は、司令官たる俺の命令に従って貰うぞ」

 

「はい」

少し怯えたような瞳で冷泉を見る榛名。

 

「舞鶴では常に最高の状態で艦を維持してもらう。だから、僅かな損傷であろうとも、修理するし、違和感を感じたらすぐに報告をするように。ほんの小さな損傷が、実は大きな損傷に繋がっていることもあるからな。一人の艦娘のダメージは自分だけのものと絶対に考えるな。お前達は常にチームで戦いに挑んでいる。一人でも万全でなければ、それはみんなに影響し、ひいては全員の命にも関わるのだからな。お前一人の命は、お前一人の物ではない。それだけは忘れないで貰いたい」

そして、冷泉は加賀に指示する。

最優先で榛名の修繕を行うこと。また、武装についても、現在、搭載可能な兵器で上位互換のものがあれば、そちらに換装することを。素人目にも本来なら装備されているはずの武装が取り外されているように見えたからだ。特に領域で使用すると思われる装備については、結構外されている。そんなことでは艦隊戦になったら役に立たないじゃないのだから。

そして、こっそりと次の事も指示する。榛名の衣装を新調すること。身だしなみもみんなでこぎれいにしてやってほしいことを。

 

榛名は冷泉の言葉に感銘を受けたように瞳を潤ませている。ごく当たり前の事を言ったつもりなのに、彼女の中ではそれはとてつもなく嬉しい事だったようだ。

まあ喜んでくれればそれでいいのだけれど。

満足げに頷く冷泉。

 

ふと見ると、榛名はキョロキョロし、誰かを捜しているようだ。

「提督、すみません。金剛姉様は、いらっしゃらないのでしょうか? 」

 

「さっきまでいたはずですが、……何か用事ができたのかもしれませんね」

と加賀が言う。

 

「そうですか、久しぶりにお会いできると思ったんですが」

少し落ち込んだような声で呟く。

 

「まあ、すぐに戻ってくるだろう。その時に挨拶すればいいさ」

と答える冷泉。

 

答えながら、ゲームとの類似点にわりと驚いている。この子は本当に姉様って呼ぶんだなと感心する。そして、また思う。アニメではポンコツぶりを発揮していたが、こちらの世界での、榛名は、まじめすぎて緊張過多なイメージだな。

 

しかし、本当に金剛は行方不明だ。さっきまでいたような気がしたんだけれど。いないのなら仕方ない。

ふと時計を見ると、だいぶ時間が経過していた。そろそろ仕事に戻らないといけない時間だ。鎮守府提督は多忙なのだから。

 

「仕方ないな……。鎮守府の案内を、本来なら金剛にしてもらおうと思っていたんだけど、所在不明だったら仕方ないな。加賀……申し訳ないけれど、お願いできるかな」

 

「あの、一人で大丈夫ですか」

と心配する加賀に大丈夫大丈夫と答え、冷泉は彼女達を送り出した。

 

「あ、私達もご一緒しますよ」

何人かの艦娘達もやってきた。

歓迎会か何かも準備されているようで、他の艦娘達も榛名たちと一緒に移動していくつもりらしい。

 

「あ、提督も歓迎会のメンバーに入っていますからね。準備ができたら呼びますから、ちゃんと待っていてくださいよ」

と夕張が振り返りながら叫ぶ。幹事が彼女なのだろうか?

「昨日の晩はだいぶ深酒してたみたいですけど、連チャンでもがんばってくださいよ」

 

「了解だ。少し仕事を片付けて待ってるよ」

冷泉はそう答えると、電動車椅子を自操させて執務室に戻ることとする。

 



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第119話 交錯する想い

今更だけど、車椅子に乗った状態で扉を開けるのって相当難しい。ドアノブを持ってドアを前方へと押し出す事が上手くできない。慣れていたら扉を開けながら隙間に車椅子を潜り込ませる事ができるんだろうけど、車椅子がドアに当たってしまう。執務室の扉は割と重厚な造りだから電動椅子の力だけでは押し開けることができないんだ。逆に重みで廊下に押し返されてしまう。

 

「うう……」

いつもだったら、加賀や高雄が開けてくれていたから気にもしていなかったけれど、これは相当に厄介なことだぞ……。

執務室に入ることもできずに、廊下でモタモタしているところを誰かに見られたら目茶苦茶恥ずかしいぞ。加賀なんかに見つかったら鼻で笑われそうだ。「ふふ、……やはり。私がいないと何もできないでしょう?……」って勝ち誇った顔を浮かべる加賀の姿が目に浮かぶ。

 

「くっ、それはいかん! 」

冷泉は焦りながらも何度もドア解放イベントにチャレンジする。何度も何度も。しかし、まともに動くのは右腕のみという己の過酷な状況。ドアすらまともに開けられないという現実に直面し、自分のこれからの未来さえも思いを馳せてしまい、不安になってしまう。

「お、俺は、こんなことすらまともにできないのか。くそっ……こんなんで艦娘達を守れるっていうのか……。うおおお、俺は、俺は……なんて無力なんだ」

絶望に打ちひしがれ、そのまま地面にへたり込みそうになる。

「ははは。そうだ、おれはへたり込むことすらできないんだった。なんて情けない体なんだろう。それすらできないなんて、……な。動けよ、動いてくれよ。なんで言うことを聞いてくれないんだよ」

悔しくて悔しくて、けれどどうすることもできなくて、その無力感で涙が溢れ出しこぼれ落ちそうになる。

この気持ち、一言で言うならば、情けないとしか言いようがない。いつもなら、艦娘の誰かが側にいるからなんとか強がっていたけれど、一人になってこの現実を見せつけられると、やっぱり辛くて我慢できなくなる。とにかく耐えられなくなるのだ。

打ちひしがれて呆然と執務室に立ちはだかる扉を見つめるしかできない冷泉。急に視界が狭まり、暗闇に取り込まれているような錯覚を感じる。

 

しかし、唐突にその扉が開かれる。

「もう! さっきから五月蠅いネー! 」

勢いよく開かれた扉の向こうには、窓から差し込む夕日を背に立つ金剛の姿があった。

「さっきからドアの向こう側でドカドカン五月蠅いし、ドアがちょっと開いたと思ったらすぐに閉まるし。一体、なんなんデスかー! ここは提督の執務室デース。もっと静かにするネー」

怒った顔の金剛がこちらを見る。そして、原因者が冷泉であることに気づくと一瞬凍り付いたような顔をしたが、すぐに

「テートクー、どうしたの? 」

と笑顔で誤魔化す。そして、すぐに冷泉の異変に気づいた。

「どうしたの? テートク。何で泣いているの? 何かあったんデスか」

 

「う、ううん……」

自分が泣いている事を知られた事実に、冷泉は動揺する。慌てて服の袖でそれを拭うと、努めて明るい声を出そうとする。

「な、……何を言ってるんだよ、金剛。俺は泣いてなんていないよ」

 

「そんなこと無いネ。今、凄く辛そうな顔してたよ」

心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる。

 

「さっき、外で目にゴミが入った気がしてたんだよなあ。それが原因かもしれないな」

必死に誤魔化そうとする。それが空しい嘘であることは言ってる本人が一番理解しているのだけれど。こんなつまらないことで彼女を心配させるわけにはいかない。

精一杯の作り笑いを浮かべて彼女を見つめる。

 

次の刹那、衝撃を感じたと思うと顔面に何か柔らかく弾力のあるものが押しつけられ、視界が真っ暗になる。冷泉の頭を強く抱きしめる力を感じる。

「テートク、そんな嘘言わなくていいネ。テートクは、無理ばかりしすぎ。いつもいつも肩肘張って強がってばかりじゃ疲れちゃうネ。辛いときは辛いって言って欲しいよ」

すぐ側で金剛の声が聞こえてくる。

そして気づく。自分が彼女に抱きしめられていることに。先ほどから圧迫してくる存在は彼女の胸であることに。

「こ、金剛……」

抵抗しようとしても強く抱きしめられて身動きが取れない。

 

「言って欲しいネ。提督が何で泣いていたか。私だけで構わない。提督はいつも私達を励ましてくれるばかりで、みんなの前だといつも強い存在でいようとしているネ。弱みを見せないように無理ばかりしている。そんなんじゃ、きっと保たないヨ。私なんかじゃ役に立たないかもしれないけど、話すことできっと楽になるはずデス。いつも一緒にいるのに、テートクの事を何にも知らせてもらえないなんて、私も辛いヨ」

彼女の優しさが冷泉を心配する気持ちが伝わってきて、少しうるっと来た。彼女の優しさだけでなく、柔らかく暖かい香りも冷泉に伝わってくる。物理的にそして精神的にも包み込まれる感じで安らぐのを感じる。

 

「そう……だな」

少しくらい弱音を吐いたっていいだろう。冷泉は思った。

冷泉が話してくれることに気づいたのだろう。金剛が冷泉から離れ、こちらの目線に合わせた高さになる。少し距離が近すぎて照れてしまうが仕方ない……か。

「さっき、お前も見ただろう? 俺一人ではドアすらまともに開けられない。それだけじゃない。こんな体になってから、俺は日常生活のほとんどを一人ではできなくなってる。誰かに頼らなければ数日も生きられないだろう。そんな俺が、お前達艦娘を護るなんてできるのかって思ってしまったんだ。お前達に空手形ばっかり切って、はたして約束をはたす事なんてできるんだろうかって。そう思った瞬間、どうしていいか分からなくなってしまったんだ。……そんなこと、最初から分かっているっていうのにな。それを分かった上で何とかしようと決心したっていうのに、ちょっと辛いことがあると気持ちが揺らいでしまうんだ。ははは、何て弱い奴なんだろうな。こんな奴がお前達の司令官をやってるんだから、驚きだ。くそっ」

冷泉は感情の高まりを抑えきれず、自分の膝を力任せに殴りつける。鈍い音がするほどの勢いで殴った右太ももからは何の痛みも感じない。それどころか触れた感覚すらない。殴った右手のほうが痛いくらいだ。

「くそっ」

冷泉は再び呻いてしまう。

 

「テートク」

金剛がこちらをじっと見つめてくる。いつもと違う真剣な顔だ。

「誰だって弱いんデス。それはちっとも恥ずかしい事じゃないネ。私だって加賀だって、扶桑だって明日どうなるかっていつも不安なんだよ。戦場では怖くて怖くて足が震えて仕方ない時だって何度もあったんダヨ。逃げ出したくて仕方ない時もあった。みんな死ぬのが怖いからネ。幾人もの仲間の死を見てきたから、その現実を受け入れたくないのは軍艦としては失格かもしれなけど、こればっかりは仕方ないんだよネ。怖いんだもの。でも、……でもね、テートクがいつも私達の側にいてくれる。近くで励ましてくれる。あなたが私達をきっと護ってくれる。護るって言ってくれた。とても、嬉しかった。あなたがいてくれるから、私は強くあれるんダヨ。たとえどんな運命が待ちかまえていたとしても、テートクが側にいてくれるって思ったら何も怖くないんだ。一人じゃ無理だけど、あなたがいてくれるからがんばれるネ。他の艦娘も同じ気持ちだよ。だから、テートクも信じて欲しいネ」

そう言って、金剛は微笑む。夕日が背後から彼女を照らしだし、まるで後光がさすような神々しさだった。

 

「テートクができない事があったら、その時はみんなで支えるネ。私達を信じて欲しいネ。どんな時だって、私達があなたの側にいるって事を。一人じゃないってことを。あなたが私達の側にいて、護ってくれるように……どんな時だって側にいるから」

すこし瞳を潤ませて見つめてくる彼女は、とても綺麗で、可愛くて……。そんな彼女は冷泉の直ぐ側にいて、手を伸ばせば届く距離にいるわけで。抱きしめそうになる衝動を感じ、必死にその感情を抑えようとする。

 

「こ、金剛……」

じっと彼女の顔を見つめ声を発する。思わず声が掠れてしまう。

 

突然、弾かれたように金剛が立ち上がる。

「さ、さて。これで、もうテートクは大丈夫デスネ! 」

素早く一歩後退して、冷泉との距離を取られてしまう。

両耳を真っ赤にしてモゴモゴした口調で、冷泉に次の言葉を出せないよう、更に金剛が言葉を続ける。

「と、いうわけで湿っぽい話は、もうお終いネー。次の話に行きましょう」

 

「ふ……そうだな」

冷泉もちょうどいい切替のきっかけを貰ったということで、気持ちを切り替えることにした。これ以上、さっきの話題に触れない方が双方にとって良さそうだ。

「じゃ、金剛、お前何してたんだ? 」

話題を切り替えるにしてもあまりに唐突な質問ではあるものの、何もなければ真っ先に訊いたであろう言葉を声に出す。

 

「うーん。それ、ちょっと唐突だけど、まぁ仕方ないネ」

少しだけ不満を残しながらも、金剛もその話題に乗ることにしたようだ。

「実は、テートクを待っていたんだヨ」

 

「ん? 話だったらいつだってできるだろう。……そもそも、今日はお前の姉妹艦である榛名が着任する日だぞ。出迎えに来てると思ってたぞ。彼女もそのつもりだったみたいで、お前がいないことに少しショックを受けてたみたいだけれど」

姉妹艦というのが実際にどういう関係にあるのかは、よく知らない。艦隊これくしょん及びその派生作品では姉妹のように話していたけれど、実際の世界ではどのような関係性なのかは謎だ。

 

「本当はもっと前に話たかったんだけど、テートクには、いっつも加賀が張り付いていたからネ。テートクだけに聞いて欲しかったから、そんな時間が今しか無かったンダヨ。それに、このことは榛名にも聞かれたくない事だからね。で、私がいなかったら、きっと榛名の案内は加賀がすることになるだろうから、……執務室で待っていたら、きっとテートクが一人やってくるって思っていたネ、。騙した訳じゃないけど、榛名には悪かったかもね。でも、こればかりは仕方ないネ。あとで謝っておくから心配いらないネー」

冗談ぽく舌を出して笑ってみせる。……あまり反省はしていないらしい。

 

「やれやれ……だな。そんな事までして俺に話したかった事ってなんだ? 」

呆れたように冷泉が彼女を見た。

 

「うん……えっとね。何をお願いしたかったっていうね、提督には、とにかく榛名に対して優しくしてあげてほしいの」

 

「は? 優しくするってどういうことだ」

突然の話に、唖然とした表情で金剛を見てしまう。彼女の願いの意図するところがまるで分からなかった。

 

「話は、少し前に戻るんだけど……」

少し考え込むような素振りをしながら話し始める。

「榛名が呉鎮守府に旗艦として迎えられる話が来た時、彼女は本当に喜んでいたの。自分みたいな艦娘が旗艦として迎えられるなんて信じられないですって。その時、私は舞鶴鎮守府にすでに配属されていてたけど、旗艦は扶桑で私はNo.2の位置づけだったんだけど。大抜擢に本当に嬉しそうにしている榛名を見て、私もすごく嬉しかった。彼女はもっともっと嬉しかったはずネ。多分、一番幸せだった頃かもしれない。……鎮守府旗艦は、とても責任重大で仕事も多岐にわたるから多忙を極めるけれど、とてもやりがいがあるし、まじめに物事を進める性格の榛名なら、きっとうまく勤められると思っていたネ」

こちらの世界の榛名がどんな艦娘かは知らない冷泉ではあったが、これまでの経験からゲームの性格をこちらの世界の艦娘も継承しているのはほぼ間違いない。そうなると、榛名も控えめで礼儀正しく、朗らかな女の子であることは間違いない。そんな子なら、きっとみんなと仲良くやれるだろうし、仕事だって戸惑いながらもこなすだろう。

しかし、金剛の表情は曇っている。

「どうかしたのか? 榛名は真面目そうだし、向こうでも任務を全うしていたんだろう? 」

と、思わず問うてしまった。

 

「うん。私もテートクが言うように何の問題も無く過ごしていると思ってた。でも、それほど経たない内に、彼女の置かれた境遇が想像以上に過酷であることを風の噂で聞くようになったネ」

 

「え? どうして」

思わず声を上げてしまう冷泉。

 

「……当初の呉鎮守府の目的は、領域に取り込まれたままの四国の解放、それから太平洋の領域解放へと進撃して行くはずだった。でも、ある時、瀬戸内海海底に唐突に領域へのゲートが発生したの。その発生は、あの関西地区三大都壊滅とほぼ時期が同じで、核攻撃の影響でゲートが発生したのか、ゲートが発生した影響で関西三都で動乱が起こったのかは未だに解明されていないみたいネ。ちょうどその頃、地震が関西地区に多発した影響も関係しているのかもしれないけれど……それは解明されていないネ」

扶桑から聞いていた、大阪・京都・神戸の壊滅と瀬戸内海における深海棲艦の出現と関係があったなんて聞いてなかったから、冷泉は驚きを隠せない。

 

「そして、解放済みだった海域が領域と繋がってしまった事で、そこから現れた潜水艦により、それまで重要な輸送手段とされていた海上輸送は壊滅的な打撃を受け、多大な損害を日本国は受けてしまった。同時に護衛に当たっていた呉鎮守府艦隊にも甚大な損害が生じてしまったネ。敵が潜水艦となったことで、呉鎮守府にいた戦艦、正規空母などでは今後の戦闘の役に立たないため、沈没を免れ損傷で済んでいた艦娘達は余所の鎮守府へと異動させられることになったの。そして、その代わりに他の鎮守府から応援として、対潜水艦戦闘に適した軽巡洋艦、駆逐艦、軽空母が補充された。ほとんど総入れ替えに近いほどの改変が行われた呉鎮守府だけど、そんな中でも、旗艦である榛名だけはその立場上、異動させることもできずに一人取り残されて、活躍の場を奪われたままの日々を送ることとなってしまったネ」

 

「それはあまりに辛いな。寂しいだろうな。けれど、榛名だって余所の鎮守府に異動させれば良かったんじゃないのか? 」

 

「もともと責任感の強い彼女は、自分が何とかしないとって思ったんだろうネ。異動希望を出さなかったの。あの子は根が真面目でおまけに少し頑固なところもあるから、自分で何とかしようと努力に努力を重ねたみたいだけど、対潜水艦能力が皆無な戦艦では、どんなに工夫をしても努力もしても結果は伴わなかったみたい。通常海域なら、対潜水艦ミサイルや様々な武装で攻撃できるケド、敵が現れるのは半領域化した海域のみなの。敵が進軍してくる時には、領域とともに現れるて来るんだから。だから、あらゆるハイテク武装は役に立たなくて、ほぼすべての電子機器が使用不可となるため旧式の兵器で戦うしかなかった」

 

「そんな状況じゃ、戦艦はどうしようもないじゃないか」

 

「そう。彼女は、ただただ大きいだけの標的になるしかない」

辛そうに金剛が呟く。

「それだけじゃないネ。出撃しても被弾するだけで資材を消費するだけの戦艦なんて、ただの役立たずだと陰で言われてたみたい。人間どころか、同僚の艦娘にさえ陰で批判され、心痛める日々が続いていたのは遠くにいた私にも聞こえてきていたネ。榛名がどれだけ心細く辛かっただろうネ。でも、私は何もしてあげられなかったの。彼女の悲しみ辛さを分かっていたけれど、自分は何もできない、ごめんねごめんね。そう思うだけで何もせず、現実から目を逸らすしかできなかったネ」

彼女はまるですべての責任があるように自分を責めている。姉なのに、妹が困っているのに何もしてやれなかった。榛名が彼女に助けを求めていたかもしれないのに、答えることさえできなかったことを。

 

「なあ金剛。でも、それは仕方ないことじゃないのか。だって、鎮守府司令官ですら余所のやり方に口出しするのはタブーとされている事だ。そんな状態なのに、艦娘が余所の鎮守府に口出しなんてできるはずがないだろう。お前が悪い訳じゃない。それに、榛名が呉から出されなかったのは、鎮守府としては彼女を必要としていたのかもしれないだろう」

気休めかも知れないが、そうやって慰めるしかできない。

 

「分からない……。私には全然分からないネ。何で戦力と計算できない榛名が残されたままだったのかは……」

不思議そうに語る金剛。

 

一瞬ではあるが嫌な事が頭の中に浮かんでしまった。

榛名は軍艦としてだけでなく、艦娘としても魅力的だ。それが原因で、まるで薄い本のような理由で確保されていたのでは? などという考えが閃いたのだ。それは唾棄すべき浅ましくおぞましい考えだ。たとえ、役立たずの軍艦だとしても、艦娘としての榛名は、可憐で一途。そんな子を側において愛でようと考える提督もいそうだ。実際、あれほどの美貌を持つ艦娘だから、その欲望を抑えられない提督もいるかもしれない。戦力としては計算せず、夜の生活にのみその価値を見いだす。……艦娘としては最悪の選択だろう。

 

しかし、呉鎮守府の司令官である高洲の顔を思い出し、すぐにそれは無いと断言できた。

何故なら、横須賀鎮守府で出会ったときの彼は、すでに男としては枯れたような雰囲気すら漂わせていた。話した感覚としても、彼にそんなゲスな欲望があるとはとても思えなかったからだ。年齢的には、すでに定年退職してもおかしくない年齢だ。そして、彼から発せられていた雰囲気は、すでに悟りを開いたような感じだった。そんな彼からしたら、艦娘なんかは孫娘みたいなものだろう。

故に、高洲提督が薄汚れた欲望で榛名を囲うとは、冷泉には想像もできなかったのだ。

 

おそらくは、榛名の熱意にほだされて、切り捨てることもできずにずるずると鎮守府に残してしまったのが本音だろうと分析する。

それに現実的な問題も彼の判断を鈍らせたと考える。旗艦である彼女を出すということは、それ相応の理由が必要なのは当然だ。能力不足、対応力不足など、ネガティブな原因がなければ出す事はありえない。どんな理由を見繕っても、世間からの印象は良くない。後々の彼女の立場が悪くなるだけだ。故に何か外的要因が無ければ、自分からは榛名を出すつもりがなかった。出せなかったのだろう。

 

そんな思考を続ける冷泉をよそに、金剛は言葉を続ける。

「榛名はずっと自分を責めてばかりで、あの子は本当は優秀なのに、高い戦闘能力を持っているのにその活躍の場を得ることができずに、ずっと燻ったままだったネ。適材適所なんて事を全く考えずに戦果を上げられない自分の能力不足を責めるばかりで、責任を他に転嫁しない、違うネ、できないその性格のまっすぐさが余計に彼女をずっとずっと苦しめていたと思う。そして、それを誰に指摘されることもなく、相談できる相手も無く、仲間だった艦娘達はみんな先に余所の鎮守府に異動させられていたから、打ち明けられるような仲の良い艦娘も居なくなってしまっていた。……ホント辛かったと思うんダヨネ」

少し潤んだ瞳で冷泉を見つめる金剛。

「だから、……だから提督にお願いするね。榛名は今、自分が新しく着任したこの鎮守府の役に立てるか、みんなに受け入れられるか、とても不安な気持ちだと思うんだネ。ううん、提督ならこんなこと言わなくても分かってくれると思うけど、それでも姉として、どうしてもお願いしておかないといけないって思ったから。……だから、ここで待っていたヨ。今まで榛名に何もしてあげられなかった駄目な姉だけれど、せめてここが彼女にとって居心地の良い場所だって思っ欲しいの。そのために少しでも力になりたい」

そして彼女は深々と頭を下げる。

「だから、お願いします、提督。私からのお願いを聞いてください。榛名はまじめで優秀な子だから、絶対、うちの鎮守府の役に立てると思います。ただ、これまでの彼女の置かれた立場のせいで、ずっと自分を卑下しつづけ、自らを責め続けいたせいで自信を完全に無くしていると思うの。そんな状態だから、いきなり彼女の能力のすべてを出せるとは思えない。だから、少しだけ猶予して欲しいんです。長い目で榛名を見守ってください。彼女が本来の力を発揮できるまでは少し時間がかかると思うし、上手くいかないことがしばらくは続くと思います。けれど、少しでいいから、見守って欲しいんです。彼女ができない部分は、私がなんとかフォローするから。だから、彼女を見捨てないでください。お願いします」

珍しく真剣な表情、真剣な言葉遣いの金剛を見て、少し驚いてしまう。普段はぼんやりしていてマイペースなのに、こんなに真面目な事も言えるのか。

それだけ妹の事を心配していたわけなんだろうけど。普段の暴走気味の性格の陰にこんなまじめで妹想いな部分もあるんだなと驚く。

そんな金剛の別の一面を見られて、少し嬉しくなる冷泉。

 

「お前は優しいんだな。……大丈夫だよ。そんなの、わかってるさ、安心しろ。榛名の事は悪いようにはしないから」

そう言うと、冷泉は金剛の頭を優しく撫でてやる。

「うん」

嬉しそうに目を閉じて冷泉のされるがままにしている金剛。

 

「けれど、榛名の問題点はメンタルだけじゃないかもしれないぞ」

と、冷泉は一つの不安を口にする。金剛は不安そうに冷泉を見返す。

 

「彼女の状態を、本人も艦も両方なんだけれど、さっき見たんだ。はっきりと言わせて貰うと、とても整備が行き届いた状態とはいえなかった。前の鎮守府での彼女の立場的なものもなんとなくだけど理解したつもりだ。けどな、俺から見たら、あまり大切にされていたとは思えない感じだったよ。加賀が言うには、舞鶴鎮守府の艦娘が特別待遇されているだけで、榛名が別に冷遇されている訳じゃ無いって言ってたけど、例え資材や資金が無かろうとも、もっとやりようがあったはずだと俺は思っている。榛名は自分が望んで修繕を先送りして貰っていたと言っていたけど、それでも、もっとやりようがあったはずだって俺は思っている。実際、あの修繕やメンテナンスは少し酷いな。徹底的に修繕を行うように指示したけれど、きちんと稼働できるまで少し時間がかかるかもしれないよ」

悪意を持って榛名の処遇を行っていたとは思いたくないが、冷泉は少しだけではあるものの、榛名の上司である高洲提督に苛立ちを感じていた。

欲望が枯れたような温厚な雰囲気を醸し出していたけれど、部下の状態に対しては、あまり気が回らない人物なのかもしれない。つまり、単にいい人というだけのタイプなのかもしれないなと感じていた。

戦闘指揮能力については司令官の地位にあるくらいだし、その積み重ねた年齢から来る老獪さを持った策士なのだろうとは思うけれど。

けれど、艦娘に優しくできない奴とは理解しあえないだろうな。最終的な評価はこうだった。

「けれど、艦がドッグに入っている間にうちの子達といろいろ話したりする時間もできるだろうし、それで少しは気分が紛れるかもしれないな。そうなればいいんだけど」

 

「うん。きっと上手く行くと思うヨ。うちの子は良い子ばかりだからネ。それから、テートク、もし必要なら、私に使う資材や資金をその分、榛名に回してあげて欲しいヨ。うちだって裕福な鎮守府じゃないんだからネー。うちが無尽蔵に使えるような資材と資金があるなんて誰も思っていないから。貧乏なのはよく分かってるもんネ」

 

「おいおい割とズバッと言うな。まあ間違いではないけれどな。んでも、新たに戦艦を手に入れた事で、作戦展開についてもだいぶ巾ができる。人材が豊富になると、無理な作戦を考えなくてすむから、俺にも艦娘にも有利に働くんだ。余裕ができれば、戦闘も楽になり、領域

解放もスムーズにできるだろう。そうなれば、報奨金的なものも出されるから、そんなに気にする必要はないぞ。今だって、だいぶ当初より余裕が出てきているんだからな。榛名を治すくらい、今の俺にはどうってことないんだぜ」

流石に、戦艦長門を再建造するほどの資金は無理だけど。長門型戦艦が復活すれば、本当に強くなるんだろうなあ。

修繕と建造では使う資材資金の桁が違うから、現状の舞鶴鎮守府の資金力ではまだまだ無理なんだけど。

 

「じゃあ、お願いするネ。榛名は今、自信を無くしていると思うの。だから、まずはそこから始めて、徐々に昔の榛名に戻って貰えたら嬉しい。そのためには、提督にも協力してほしいネー。艦の修繕や改装は資金と資材があればできるけれど、心の修復は人の優しさでなければできないもんね。提督が彼女に優しくしてくれたら、きっと癒やされると思いマース」

 

「俺は艦娘には優しく接しているはずなんだけどなあ。当然、榛名に対してだって同じだよ」

 

「みんなに優しくするのはいいけど、提督の一番は私なんだからネ。まあ、榛名に浮気するのは構わないけど、本気にさせたら駄目なんだからね。テートクは私の旦那さまなんだから」

 

「あ、その言い方って、なんだか島風のニセ物みたいだなあ。……あー、はいはい、わかりましたよ」

 

「あー! ひっどーい。おまけにすっごい適当な言い方、凄く気分悪い~」

冗談ぽく頬を膨らませて怒ってみせる金剛。なんだかんだいいながら、妹の事が心配だったのがよく分かる。いつもは何も考えてない

ような感じでいるけど、やはりお姉さんっぽいところもあるらしい。そんな一面を見て、何だか彼女の新たな一面を知った気分になって

嬉しくなった。

 

「まあ、本気か嘘か分からないけれど、今のお前の言葉は結構嬉しかったぞ」

冗談めかして本音を語る冷泉。何故か金剛は恥ずかしそうに頬を赤らめているけど。

 

榛名も守るし、金剛も俺が守る。

何度も思うけれど、またそんなことを思った。

 

「安心しろ、金剛。過去にどんなことがあったかは分からない。けれど、舞鶴鎮守府に来たからには、榛名は俺の大切な部下だ。

俺のすべてをかけても彼女を護るよ。きっと彼女に笑顔を取り戻させてみせる。二度と悲しい思いはさせない」

 

「か、格好良いネー。テートク、これ以上テートクの事を好きにさせないでえー」

両腕で自らの体を抱きしめるような仕草をし、潤んだ瞳をキラキラさせながらこちらを見つめる金剛。ふざけてやっているであろうその姿も、とにかく可愛いのだ。ああ、どうして俺の周りにはこんな可愛い癖して、俺なんかに好意を隠そうともしない女の子が多いのだろう。本当なら嬉しい事なのに素直に喜べない現実がすぐそこにある。きっと意図せずに与えられた偽りの地位がもたらす福音なんだろう。

またネガティブ思考に填まりそうになる自分を諫める。駄目だ駄目だと必死に気持ちを切り替えようとする。

 

「テートク、何をぶつぶつ言ってるネ? どこか調子悪いの? 大丈夫? 」

不思議そうに、金剛が無防備なまま顔を近づけてくる。

右手を伸ばせば肩に手が回るくらいの近さだ。そのまま引き寄せれば、抱きしめることさえできてしまう距離感。おそらく、さっきはタイミングが悪かったからするりと逃げた金剛だけど、今度は冷泉がそうしても彼女は抵抗しないだろうな。

 

けれど―――。

 

やっぱり、そんなことできない。そんなことしちゃいけない。別の自分がブレーキをかける。

 

「だ、大丈夫だよ。金剛が変なこと言うから、少し驚いただけさ」

わき起こる感情を振りほどくように、冷泉は引きつった笑顔でそう答える。

 

「変な事じゃ無いネー。私、わりと本気なんだけどなあ」

彼女はさっと身を退くと、後ろで両手を組んだまま、ニッコリと微笑む。

「まあ今日のところはこれくらいにしておくネー」

 

そうだ。それでいいんだ。この距離感でいいんだ。これ以上近づいたら、きっと何もかも失ってしまうに違いない。このままでいいんだよ。

 

「さて、あんまり遅くなるとみんなが心配するぞ。今日は、榛名の歓迎会があるらしいからな」

 

「そうなの? じゃあ急がないといけないデース。私がテートクの車椅子を押してあげるネ。最大戦速でぶっ飛ばすですヨ」

 

「うわ! やめれ。また死にかけてしまうじゃないか」

怯えたような声を上げる冷泉を無視して、金剛が車椅子を加速させる。

「おあ、おえ、危ない危ない危ない」

無抵抗な冷泉は金剛のなすがままにするしかない。カーブを曲がる度にオーバースピードでコースアウトし、勢い余って何度か壁にぶつかりながらも進んでいく。わりとこの女、わざとやってるんじゃないのか? と彼女の本心を探りたくなる。

きゃっきゃっきゃいいながら間宮のほうへと向かう。

途中、疲れたのか金剛が停止する。

なんとか止まったことでほっとする冷泉。

「はあはあはあ……金剛、いやマジで殺す気かよ。お前、わりと命削りに来てるだろう? 」

 

「そんなことないね。私は常に提督の事だけを考えてるもんね。二人きりになれる時間が少ないから、そんな時間をもらってしまったら、バーニングラーブね」

そう言って車椅子を揺さぶる。激しい振動で揺さぶられると本気で吐きそう。

 

その時、背後から声が聞こえた。

「……なんで、いつもいつも姉様ばかりなの? 」

凍り付くような冷たい声だった。ギョッとして冷泉が車椅子を動かして振り返ると、そこには榛名と加賀がいた。鎮守府の案内を終えたのだろう。

 

「Hey! 榛名ー!! 」

金剛は妹の存在に気づくと冷泉を放置して、駆けだしていく。笑顔で妹の側まで行くとハグして再会を喜んでいる。

 

「まったく……自分勝手に行動ばかりする人なんですから」

呆れたように言いながら加賀が冷泉に近づいてくる。

「自分の司令官を放置して、妹の所に行くなんて……。それなら、最初から迎えに来ればいいのに。……やれやれですね」

そう言うと、彼女は冷泉の車椅子の後ろに回り込む。

「お疲れだったね。榛名へのレクチャーは完了したんだろ? 」

 

「はい。無事鎮守府のシステムをお伝えしましたよ。彼女……真面目な子ですね。些細な事でも本当に真剣に聞いてくれるので、こちらまで緊張してしまいました」

と、答える加賀の声は平坦ではあるものの、榛名に対しては悪い印象は持っていないようだ。

「それにしても同じ姉妹なのに、あそこまで性格が違うんですね」

ぼやくように加賀は言うが、金剛だってわりといろんなことに気を遣ってるんだぞ。けれどそれを言うと金剛に怒られそうなので止めておく。

 

「ところでさ、さっき俺たちを見つけた時、榛名は何か言ってなかったかな? 」

あの凍り付くような言葉は幻聴だったかもしれないと思い、確認のために加賀に問いかける。

 

「いいえ。彼女は何も言っていませんでしたよ。……ふう。提督、あなた、また自意識過剰の発作が起こったんですか? いい加減、精密検査をお受けになった方が良いのかもしれませんね」」

さらりと返され、聞こえたのは自分だけだったことが判明した。余計な事も聞かされて、少しショックを受けたが。

 

あれは、何だったんだろうか。誰の声だったんだろうか。

 

何か嫌な予感しかしないけれど、これ以上原因の究明は無理なんだろうな。

たぶん、幻聴なんだろう。

そう思うことで、さっきのことを意識の隅っこへと追いやるしかできなかった。

 



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第120話 歓迎会前後

「しかし、……ずいぶんと酷い物言いだよなあ。わりと落ち込んでしまうぞ、そんな事言われたら」

 

「そうでしょうか? 最近は頻繁に意味不明な事を仰りますから、いちいちまともに取り合っていたら、こちらが疲れてしまいますので。……つい、本音を言ってしまいました。もしも落ち込ませてしまったのでしたら、ざまあ……いえ、失礼、ごめんなさい」

わりと憮然とした口調で言う加賀。なんだか普段と比べてもご機嫌斜めみたいだ。何があったんだろう? 全然気持ちがこもっていない謝罪をするだけで冷ややかな視線をこちらに向けている。

 

「ふう。ところで……お前達はもう用事は済んだのか? 」

原因が分からない状態でいろいろ言っても始まらない。そういうことで、話題を変えよう。

 

「ええ。これから懇親会の会場へと行くところです。提督もご一緒されますか? ……けれど、金剛が一緒にいますから、私達はお邪魔かもしれませんけれど」

その言葉で何となく加賀が怒っているのが分かった。

きっと冷泉が金剛と一緒にいたことが不満なのだ。偶然とはいえ、彼女に伝わっていなかった事が納得いかないのだろう。こんな体になってから彼女は常に冷泉の行動を把握しておきたがる。それは、彼女なりの冷泉への償いなのだろうと思っていた。冷泉が困ることがないように常に先回りして段取りをしてくれている。だから、それができない事を加賀はとても嫌がるのだ。まるで、自らの責任を果たせていない自分を責めるような言動をすることを何度か見ているから。そんな気配りなんて、いらないって何度も言ったんだけれど彼女は納得していないらしい。

加賀の優しさは分かってる。とはいえ、金剛と何を話していたかなんて言うことができないので、それについては、加賀がどう誤解しようとも沈黙するしかない。

 

「うん、そうだなみんないるし、そのほうがいいな。……ところで、榛名は」

そう言いながら、話し込んでいる二人の金剛型艦娘を見る。久々の再会に会話が弾んでるようで二人とも笑顔でなにやら話している。そして、榛名の服装が変わっていることに冷泉は気づく。こちらに来た時に着ていた巫女服は、少し薄汚れた色合いだったが、今着ているのはおろしたての真っ白のものに変わっていたし、スカートも金剛と黒のスカートになっていた。けれど物は同じだとしても、少し、いや、かなりスカートの丈が短くなって、白く長い足がかなりの部分剥き出しになっているけれど。

「あれ、なんか……」

思わず声を上げてしまう。

 

「ふ、……やっぱり気づきましたか。このスケ……ベ、いえ、部下の変化にも常に注意されているところにはいつも感銘させられます」

 

「う、榛名の服装が替わってるよな。あれって」

 

「はい、そうです。彼女の衣服は少し汚れていたので、みんなの前に出るのには少しどうかなと思いましたので。ちょうど金剛用の衣装の新品が余っていたので、そちらに着替えて貰いました。体型はほとんど同じみたいなので、割と似合っていると思いますよ。榛名用の衣装については、現在注文してますが、納品までは少し時間がかかるみたいです」

 

「そうか。確かに金剛と姉妹だから体型は似てる感じだけど、……なんか、胸元が窮屈そうだし、スカートも金剛より短いように見えるけれど」

胸元が気になるのか、榛名は時々気にするような素振りをしている。

 

「はい、そうですね。榛名のほうがだいぶ胸のボリュームがあるようです。まあ、これはしばらく我慢して貰うしかないですね。スカートについては、どこかの殿方が喜ぶように、膝上25センチに上げてみました。提督はどうお思いですか? 」

 

「ど、どうですかと言われても……ううん。なかなか似合う、かな」

 

「ふん」

と何か馬鹿にしたような感じ。いや、明らかに批判的な視線を冷泉は感じてしまった。

なんとなくいたたまれなくなって冷泉は車椅子を動かし、榛名達の下へと移動する。

すぐに冷泉がやってきた事に気づいた榛名はすぐに冷泉にお辞儀をして迎える。

 

「どうだ、舞鶴鎮守府の事は少しは理解できたか」

 

「はい、ありがとうございます。加賀さんにいろいろと教えて頂きました。一度に全部を覚えるほど頭は良くありませんので、提督やみんなにはご迷惑をかけることが多いかもしれませんが、一生懸命努力しますので、よろしくお願いします」

はきはきとした声で答え、ニッコリと笑う。そして、冷泉の視線が胸元とスカートへと向けられている事に気づき、顔を真っ赤にして隠そうとする。

「すみません、金剛姉様の服をお借りしているんですが、私が太っているせいで、サイズが合ってなくて。お見苦しい姿を見せてしまって、恥ずかしいです」

 

「うんうん、大丈夫だよ。なかなか似合ってると思うぞ。俺としては可愛いと思うけれど。うんうん、もっと良く見せておくれ」

何か榛名が本気で恥ずかしがるので、冷泉のスイッチが入ってしまった。ぐるぐると車椅子で榛名の周りを回りながら無遠慮な視線を向ける。車椅子だけに目線が低いため、榛名のスカート丈だと見えてしまいそうだ。

「提督、や、やめてください。恥ずかしいです」

 

うっすらと瞳を潤ませながら怯えたような瞳をして嫌がられると、冷泉はどうにも興奮してしまい、ますます萌えてしまい、行動がエスカレートしてしまう。だらしない顔をしていたはず。

次の刹那、急にブレーキを駆けられ、何か強い力で襟首を掴まれる。

「ぐえっ! 」

勢いで仰け反り、車椅子から落ちそうになる。

 

「いい加減にしてください。鎮守府司令官の名が泣きます」

 

「もう、テートク。スカートの中が見たいなら、言ってくれればいいのにい」

襟首を掴んだのは加賀で、車椅子を止めたのは金剛だったようだ。逆だったら冷泉の首がもげていたかもしれない。

 

「榛名さんが泣いていますよ。何をやっているんですか、本当に」

刺々しい口調の加賀に

「ごめんなさい」

と謝るしかなかった冷泉。

 

「謝るのは私ではないでしょう? 」

すぐ突っ込まれる。

 

「すまなかった榛名。ビックリしてしまったよな」

きちんと頭を下げる事ができない体ではあるが、できる精一杯の態度で謝罪する。

 

「榛名、私からも謝るデース。テートクは悪気は無かったンダヨ。ただエッチだっただけなんだヨ。だから、深く気にしちゃ駄目デース。基本テートクはエッチなんだから、こんなこといつもの事ダヨ、だからテキトーに流すンダヨ」

 

「金剛、それ、全然フォローになっていません。まあだいたいは合っていますけれど」

二人の艦娘がフォローにならない会話を続ける。

冷泉は榛名の方を見る。

まだ胸とスカートの裾を抑えたままこちらを恥ずかしそうに見ている。

「いいえ、全然大丈夫です。提督はお優しいから、私なんかにまで気を遣ってくださるんですね。私なんて全然魅力なんて無いのに……本当にありがとうございます」

そう言うと、耳を真っ赤にしたままで深々と頭を下げる。

 

「お! おう」

なんだか顔が熱くなるが、なんとか冷泉は答えることができた。

そんな冷泉を呆れたような顔で見る加賀と目が合うが、気まずくて目を逸らす冷泉。

 

「さて……。それでは榛名さんの歓迎会の会場へ行きましょうか。こんなところで時間を無駄にしているわけにもいきませんからね。遠征に出ていた神通たちも損傷とか無く帰ってきていますから、歓迎会にも参加です。久しぶりに全員が揃う会になりますよ」

 

「そうか、神通も帰ってきたか。……あいつら休み無く遠征を続けていたからな。そろそろ休ませてやらないといけないな」

 

「そうですね。少し全員に疲労が溜まっているようです。ただ、神通が止めようとしないので他の子達も意見が言えないままだったはずです。……あの子は提督の言うことなら聞き分けがいいですから、きちんと彼女に言って下さいね」

 

「了解だ。今晩きちんとあいつにも話をしておくよ」

 

「神通は提督に対しては従順だから嫌がったりはしないですけど、たとえお酒の席とはいえ、お触りは厳禁ですからね」

と、なぜか加賀に釘を刺されてしまう。

そんな会話を続けながら、一同は歓迎会会場へと向かうこととなった。

 

 

―――そして、翌日の朝。

 

相も変わらず飲み会で一人はしゃいで飲み過ぎ、ほぼみんなの予想通りの二日酔いで、ぐったりしている冷泉。

スポーツドリンクをぐいぐい飲みながら、ため息をついている。

「ああ、気持ち悪い。また飲みすぎたなあ……」

ぽつりと呟き、反省の意を示す冷泉。

そんな彼の隣で、加賀が馬鹿にしたような微笑みを浮かべている。

「まったく、自分のお酒の許容量を考えもせず、馬鹿みたいにお飲みになるからです。全く、性懲りもなく何をやっているんでしょうか。はあ……どうしてなんでしょうね? ここまで同じ失敗を何度も何度も繰り返すなんて、流石に鎮守府司令官としては当然ですが、社会人としても失格。いえ、人間失格……ですね。もう車椅子のまま海に飛び込んだらいいのに」

 

「うえええ。反省してます」

情けない顔をする冷泉になぜかニッコリと微笑みかける加賀。

「まあ、いろんな子達と話していたら、当然お酒をつがれてしまいますし、提督はお優しいから、それを律儀に全部飲んでしまうんですから仕方ありませんけど。お酒が潤滑油になって艦娘たちも普段提督に言えない事や思ってる事を提督に伝える事ができて、いいガス抜きができたと思います。それだけを見ればあまり私としても提督を責めることはできないんですけれど……。お疲れ様でした」

普段は無愛想でどちらかといえば冷たいんだけど、たまに優しくしてくれるからドキッとしてしまうんだよな……そんな事を思い彼女を見つめる冷泉。

「何をニヤついているんですか? 気持ち悪いですよ」

加賀は、冷泉の視線を感じて照れたように目を逸らす。

 

「加賀は優しいなあって思っただけだよ」

 

「な! 何を朝から訳の分からない事を言っているんですか。少し自意識過剰でしょう。ふん。……そんな冗談はいいです。ちょっとお伺いしたいことがあるんですけれど、いいですか」

少し怒ったような素振りを見せた後、無理矢理話題を切り替えようとする。

 

「うん? いきなりなんだい」

 

「提督は昨晩、こちらにお泊まりになったんですか? 」

彼女が聞いている泊まった場所とは、司令部の中にある提督執務室の奥にあるちょっとした物置的な広さがある場所の事だ。一応簡単な料理もできるようなキッチンもあるので簡易ベッドを運び入れている。冷泉がこちらの世界に来てからずっと寝泊まりしている場所だ。

 

「うん。っていうかずっとあそこで俺は寝泊まりしているよ。看護師達に拉致られていろいろされる以外は俺の本拠はあそこだよ」

 

「……提督、あなた、自分の家には帰っていなの? 」

驚いたように加賀が声を上げる。

 

「はあ? 家ってなんだい? 」

 

「提督には専用の官舎があるでしょう? まさか一度も帰った事が無いなんて事はないですよね」

彼女の問いに、頷く冷泉。加賀は愕然とした表情を浮かべるとすぐに呆れた表情へと変化する。

「まさかとは思っていたのですが、本当にここに住んでいたなんて。秘書艦を持ち回りにしていた弊害ですね。ずっと忙しそうにしていらしたから、時々お泊まりになっているだけと思っていました。本当にすみません、私がもっと早く気づけば良かったのに」

 

本気で狼狽し申し訳なさそうにする加賀に、逆に冷泉の方が困ってしまう。

確かに、鎮守府司令官のポストについている冷泉であるから、住居くらい確保されていてしかるべきだろう。しかし、冷泉は自分の立ち位置が分からない状況であり、誰が自分の本当の事を知っているか分からない状況にいきなり放り込まれた関係から、誰に聞いて良いか分からなかった。ゆえに自分の家がどこかなんて聞けるはずがなかった。そして、司令官の業務は異常なほど忙しく、仮に住む所を知っていたとしても毎日は帰らなかっただろうからあまり関係がなかったと思う。

「まあ、忙しかったからね。ここで寝泊まりしていた方が楽だからなあ。俺が便利だと思ったからそうしただけだ。そんなことでお前が謝ることはないよ。……それにその話はお前が聞いている件とは違うんだろう? まずはその話のほうから進めよう」

 

「わかりました。……けれど、提督には官舎できちんと寝泊まりしてもらいますからね。こんなところであんな状況で住んでいるなんて私が耐えられませんから」

 

「はいはい、分かってるって」

 

「……では、先ほどの話なんですが、昨日の深夜、提督の宿舎の周りを彷徨いていた人影があったのです。鎮守府のセキュリティは万全ですから外部の侵入者では無かったのですが……」

 

「じゃあ、内部の人間だったんだろ? 宿舎周りを人が移動するなんて珍しくも無いじゃない。深夜まで働いていた職員か、交代勤務の職員なんじゃないのかな」

 

「いいえ、彷徨いていたのは職員ではありませんでした。これをご覧下さい」

そう言って、モニタを操作する。

「その時の監視カメラの映像なんですが……」

画面に人影が映し出される。

 

「あれ? 」

と冷泉は声を上げてしまう。

そこに映った姿は、長い黒髪に巫女服。異常に短いスカートの艦娘だった。

「榛名じゃないか」

 

「そうです、どういうわけか榛名が提督の宿舎に深夜に訪れていたんです」

 

「うーん、着任したばかりだから、道を間違ったんじゃないかな。なんせ、あいつもお酒を飲んでいただろうし」

と感想を述べる。

 

「残念ながら、彼女は昨日私が宿舎まで送っていきました。お伝えしておきますが、彼女はお酒は飲んでいませんよ。それに、提督の官舎と彼女の宿舎は全く正反対の方角ですし、距離も何キロも離れているんですけど……」

 

「じゃあ、何してたんだろうな」

何気ない問いかけに加賀は顔を赤らめる。

 

「独身の男性の家に人気のない深夜に女の子が訪れるなんて、一つしか理由がないでしょう? 」

 

「エー! 」

冷泉は思わず叫んでしまった。

 

「彼女は舞鶴に来たばかりですから、提督が執務室で寝泊まりしているなんて情報を持っていませんから、知り得る情報を元に提督の宿舎に行くしかないでしょうから。そんな深夜に何の用事があったかは分かりませんが、それほど内密にしたい用事があったんでしょうね。どちらにその用事があったかは知りませんが」

 

「ちょ、それは誤解だぞ、加賀。俺は榛名を呼び出したりはしてないし、そんな約束もしていないぞ。俺は無実だ。それに、仮にそんな事を考えたとしても、今の俺じゃあ何もできないんだぞ」

暗にお前が榛名を呼んだんだろうという意味合いも含まれているように聞こえた冷泉は慌てて否定する。

 

「そんなこと分かっていますよ、提督。本当にそうしたいのならここに呼ぶでしょうし、それ以前に他の子にもちょっかい出しているはずでしょうし」

 

「じゃあ、一体彼女は何をしようとしていたんだ? 」

 

「簡単でしょう? 提督が誘った訳でないとしたら……」

加賀が言葉を続けようとした時、ドアがノックされた。

 

「ん? 誰だろう」

朝からは何のアポも入っていないはずだし、誰も読んでいない。

不思議に思いながらも

「入れ! 」

 

「失礼します」

ドアが開かれると、そこには扶桑が立っていた。



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第121話 それは、唐突な提案

突然の来訪者に、加賀は黙り込んでしまった。

昨夜の榛名の件について個人的に何かを言おうとしていたようだけれど、扶桑には聞かれたくない話らしい。そして、促すように冷泉に目配せをしてくる。

 

ん? ……つまり、扶桑との会話を進めろってことか? 

そう目で訴えかけると、彼女は頷く。

 

加賀と出会ってからまだそれほど時間は経っていないけれど、冷泉の考えている事を彼女は何もは言わなくても、察してくれることがよくある。テレパシー的な能力を艦娘が持っているのか、それとも冷泉の思考が単純だからなのかはよく分からない。ふと気になって彼女に尋ねたら、頭の中にエッチな妄想しか無い単純な提督の思考を読むのは、簡単だと馬鹿にしたように言われて、ショックを受けた記憶がある。

 

しかし、二人きりでいる時は割と辛辣で毒舌だよな、加賀は。……さすがに他の艦娘や人がいるときはそんな酷いことは言わないけれど。一応は上司であるから、普段は立ててくれてるらしい。

そんな事を考えながら、現在の秘書艦である加賀を見る。

他の誰かがいる時は、意図しているのかどうかは分からないけれど、感情を抑えてツンとした感じでいる。少々の事では驚いたりしないし、慌てたりすることもまず無い。おまけに言葉使いも淡々としているし、つっけんどんな所も多々ある。知らない人が見たら、ちょっと取っつきにくい感じがするんじゃないかって心配してしまう。たまには笑ってみたりして、もう少し感情を表に出した方がいいんじゃないかって忠告した事があったけれど、「生まれついての性分ですから、どうしようもないです。今更努力したって治るわけありませんから」と、あっさり拒否された。

けれど、そんなことは全く無いと冷泉は知っている。

なぜなら、冷泉のちょっとした言葉や態度に、すぐ照れたり動揺したり、怒ったり拗ねたりして、わりと可愛いところがあるんだ……。そういた所をみんなにも普段から見せたら、もっと取っつきやすい性格だと分かるんだけれどなあ。実に勿体ない。普段の態度で誤解されたりすることも多いだろうし、損をしているのは間違いないのだから。

 

照れとかそういった感情があるのだろうか? 冷泉とは生死の境を共にくぐり抜けた関係でもあるから、少しではあるけれど心を許している? から、割と素を見せても平気になっているのかもしれないけれど。

 

「提督……よろしいですか? 」

伺うような声に、ハッと我に返る。

執務室の机の向かい側に扶桑が立ち、少し戸惑ったような表情でこちらを見ていた。

 

「お? ……ああ、すまない。少しぼーっとしてしまった」

動揺を隠すように、冷泉は答える。

扶桑の件について、いろいろ考えていたのだけれど、結局何の結論も出ないままでいた。彼女が何か悩みを抱えているのは分かるのだけど、それが何かは全く想像もできない状態のままだ。相談してくれればいくらでも話は聞くし、解決に向けて全力を持って当たるつもりでいるのだが。さりげなく他の艦娘に尋ねてみたりしたが、誰も心当たりが無いようだった。そうなると、冷泉では全く推測すら立たない。相談しないということは、冷泉に相談するような内容では無いということ何だろうけど、他の艦娘の誰にも相談していないということは、あまり良い傾向では無い。悩みは一人で抱えていては解決しない。自力で解決できることならそれでもいいけれど、一人で解決が難しい案件であるなら、誰かに相談することで気持ちだけでも楽になる事ができるはずだ。一人で悩んだってロクな事がない。そして、何か悩みがあるなら、きっと自分に相談してくれると勝手に思い込んでいた事で、冷泉は少しショックも受けていたのだ。

そんな事があったせいか、扶桑と向き合った時、何だか緊張気味でもあった。

「さて、朝から俺の所に来るということは、何か問題が生じたんだろうか? 」

 

「いいえ、問題が生じたわけではありませんわ」

静かに彼女は答える。

冷泉は、ふと感じる。それは違和感といってもいいものだった。彼女から漂っていた後ろ向きな感情といったものが感じられなくなっていたのだ。この前、話した時とは違い、迷いとか焦りといったものが彼女から消えていた。それはある意味、劇的な変化といっても良かった。……僅かな時間の間に、彼女の心境にどういった変化があったのだろうか。あの時は相当に憔悴しきっていたように見えたんだけど、今はまるで違うようだ。何というか、あの時とは違い迷いといった物が感じられなくなっている。問題が解決したんだろうか?

 

「だったら、何かあったのか」

 

「はい、今日は提督に進言したい事があり、来ました」

いったん言葉を切り、冷泉を見つめる。

「第二艦隊が遠征から帰って来たのを見ましたが、提督はお気づきになりましたか? 」

 

「ん? 」

急な問いにすぐには回答できずにいる冷泉。

 

「神通の率いる第二艦隊なんですけれど、これまで遠征から帰っても燃料や弾薬を補給するだけで、ほとんど休むことなく再度出撃しています。しかも、それをずっと続けています。私が見た限りでも、彼女達の疲弊具合は相当進行しているように感じたのですが、提督はこのことについて、どうお思いなのです? いえ、どうお考えなのですか」

その事については、冷泉もずっと感じていた事であり、扶桑の意見に反論することは無い。実際にほぼ休み無く遠征を繰り返している。ただ、戦闘を行っているわけではないので、出撃ほどの疲労は無いものの、それでも看過できないレベルになるのは時間の問題だった。

 

「ああ、それは知っているよ。神通が一生懸命やっているのは知っている。彼女に引っ張られるように駆逐艦娘達もがんばっているようだけれど。……確かに働きすぎとは思っている」

ブラック鎮守府とまではいかないまでも、第二艦隊については、冷泉がいた世界なら労働基準監督署が踏み込んで来てもおかしくないレベルの労働環境といってもいいだろう。もっとも艦娘は国家公務員といってもいいわけであるから、労働基準法は公務員には適用されないのだけれど。……艦娘が法律上、人なのか艦船なのかは別問題であるのだが。

それはともかく、流石に気になって何度か神通に聞いたが、「はい、全然大丈夫です」と笑顔で答えられてしまうとそれ以上何も言えなかった。彼女達の遠征のおかげで鎮守府の資材も潤っている現実があり、それに甘えてしまっていた部分があったのは否定できない。

「そろそろ休ませようと思っていたんだけどな。……神通が俺の言うことを聞いてくれるかっていう問題点はあるんだけど」

少しぼやくように呟く。実際に、冷泉が言ったところで、彼女が言うことを聞くかどうかは分からない。

 

「確かに、神通は鎮守府の資材不足を本気で心配していましたね。出撃の機会があまり無い軽巡洋艦の自分がやらなきゃって、責任を過剰に感じていた節があります。……それは少しでも、鎮守府の役に立ちたいっていう気持ちが強いせいなんでしょうけれど」

と、加賀が補足する。

 

「ふふふ……いいえ、それは見当違いよ、加賀。彼女の責任感は、提督のお役に少しでも立ちたいっていう女心が出発点なのだから」

遮るように扶桑が言葉を挟む。どこか訳知り顔をしている。

「もちろん、鎮守府の事を考えていないわけでは無いでしょうけれど、彼女の価値観の中心にあるのは、常に冷泉提督だけですよ。彼女は提督に助けてもらって以降、何としてでも提督の役に立ちたい、ご恩に報いたいと本気で考えているようです。だから自分の限界を超えていようとまるで気にしていない。体が壊れても厭わないレベルで行動しています。けれど、そんな無理が何時までも続くわけがないわ。……やがて破綻するに決まっている。彼女が壊れたとしても、彼女は提督の為にやった事だから報われるのでしょうけど、それに巻き込まれる他の艦娘達にとっては不幸でしかないわね。けれど、誰も文句を言わない。それだけ神通を信奉、……いえ盲信しているんでしょうけど。私だったら、とても耐えられそうにないわ……」

どこか突き放すような物言いに、冷泉は少し唖然としてしまう。扶桑がこれほど誰かに対して批判的な事を言うのを見たことがなかったからだ。どちらかといえば控えめで、駆逐艦娘に対しても気を遣うようなタイプだったはずなのだが。

 

「扶桑、それは言い過ぎではないですか? そんな事、神通だってきちんと考えているはず」

加賀が戒めるが、扶桑はまるで聞こえないような素振りをしている。

 

「提督、神通の好意に甘えるのは構いませんが、どこかで歯止めをかけておかないと、今後、大きな問題が生じるのではありませんか? 何かあってからでは遅すぎますからね。ここはきちんと司令官としての威厳を見せて貰わないと」

 

「神通達を休ませる事には異論はない。俺から彼女達に言って、しばらくは休ませるつもりだ」

明確に冷泉を批判してくる扶桑の口調に少したじろいだ冷泉ではあったが、扶桑の意見ももっともな事であるし、冷泉も気にしていた事だ。この際、思い切って休ませるのもいいかもしれない。ただ、問題が生じるとしたら、遠征による資材の供給が止まる事くらいだ。それはそれで傷手ではあるが、彼女達の事を考えればやむを得ないだろう。

 

「しかし、鎮守府の経済状況からして、ただ遠征を止めるというだけでは駄目です。彼女たちが得てくる資材は今の舞鶴には重要ですから」

と、加賀が口を挟む。

「そうなると、新たに遠征用艦隊を編成する必要がありますね。しかし……」

 

「確かに……。しかし、誰を選ぶか考える必要があるな……」

加賀も同じように考えているらしい。神通率いる第二艦隊を休ませるのはともかく、その変わりになる艦娘が現在の舞鶴鎮守府にはいないのだ。遠征に回せるといえば、大井、村雨くらいとなってしまう……。流石に二人では無理だ。そうなると交代で他の駆逐艦娘に行ってもらうしかないわけだが。

 

「それならば、私に考えがありますけれど……」

冷泉の言葉に被せるように扶桑が言葉を発する。

 

「それは? 」

そう言って、冷泉は扶桑を促す。彼女は頷くと、

「遠征艦隊には、現在は待機中の大井、村雨……そして、私を中心として編成し、不足する分は不知火、叢雲のどちらかを編入するという形で進めるべきだと考えます」

 

「し、しかし、それでは」

 

「そうです、提督の懸念するとおり、第一艦隊の編成に支障が出るという懸念があります。戦艦であるあなたが、遠征でいなくなったら……」

と、加賀が冷泉の言葉を補足する。

 

「それについての問題は解決したではありませんか」

扶桑はニコリと微笑んで冷泉を見つめる。

「戦艦榛名が舞鶴に着任した今、第一艦隊編成について私が抜けたとしても、支障は無いはずですよ」

確かに、榛名が加入したことで第一艦隊は加賀、金剛、榛名、羽黒、高雄、祥鳳で編成することが可能になっている。故に、扶桑が抜けたとしても、支障は無い。

 

「確かにそうだけれど……」

 

「第一艦隊の艦娘は領域攻略しかできないといった決まりは無いのですよ、提督。臨機に対応しないと鎮守府運営は成り立ちません。人手が足りないときは、どんどん使って下さいな」

冗談めかして扶桑が笑う。

冷泉は少し考え込んでしまう。……扶桑の申し出は理にかなった物であることは理解している。遠征によっては戦艦が必要な任務もある。そして、リスクの割に見返りの大きい遠征がある事も知っていた。けれど、今まではそれができなかった。理由は簡単。戦艦の数が足りないからである。しかし、その問題も榛名の着任によって解決された。艦娘をローテーションさせることによって疲労の蓄積も抑えられ、一石二鳥であることは間違いない。けれど、扶桑の立場をおもんぱかると、すぐには決定できない。新しく榛名が来たから、扶桑は余剰戦力となったように周りに思われるのが嫌だったからだ。彼女はこれまで舞鶴鎮守府の、……否、冷泉の為に戦ってくれた。その功績をあっさりと無視して榛名にすげ替えるような事は人としても司令官としてもできない。けれど、このまま神通達に負荷をかけ続けるわけにもいかない。

司令官としての決断を求められているのは理解しているのだけれど、即断はできずにいる。

 

「提督……私の事を想って悩んでいるのでしたら、それは無用ですよ。時に司令官は冷徹な決断をする必要があるのです。今の私と榛名を比較したら、榛名のほうがより戦力となるのは明らか。だとしたら、何を悩む必要があるというのですか。私の事を想ってもらえるのはもちろん嬉しいですけれど、あなたは一人の人間である前に、私達、舞鶴鎮守府の司令官なのです。司令官が私情に流されてどうするというのですか。遠征を長期に止めることは今の舞鶴には許されません。疲労の蓄積している艦娘を休ませ、遠征も行う……。そのためには私を遠征艦隊に編入するしかないのです。仮に私と榛名の性能が互角だとしても、榛名は入渠中でしょう? だとするなら、私が行くのが相応しいです。何の心配もいりませんよ」

 

「だか、しかし」

 

「提督が命令してくだされば、私はすぐにでも出撃できます。お願いします。私を舞鶴鎮守府のため働かせてください」

そう言うと扶桑は深々と頭を下げる。

 

「……」

冷泉は考え込む。

「分かった。お前の好意に甘えさせて貰う。……扶桑、よろしく頼む」

 

「お任せ下さい」

 

そして、遠征艦隊が編成されることとなる。

 

冷泉には、もう一つ、仕事が残されていた。それは第二艦隊旗艦の神通の説得だった。艦隊を一度解散させて全員を休養させるという冷泉の案に、彼女は頑強に反対をした。遠征によって資材資源をもたらすことが鎮守府の為に必要……つまりは冷泉の役に立てる。それは彼女の最優先事項。それを止められるということは彼女にとって自分の存在意義を揺るがすような出来事と思えたらしい。この世の終わりが来たかのような勢いで涙を流し、命令撤回を必死に懇願する彼女に、本気で困ってしまった冷泉だったが、加賀の助言による代替案を示すことで、何とか納得させることができたのだった。

 

それは、冷泉の身の回りの世話を行わさせるということだった。どういうわけか、それを聞いて彼女は嬉々として承諾した。常に冷泉に付き従い、冷泉の日常生活を補助するということがどうして神通を納得させたかは不明ではあったけれども。まあ、どちらにしても、食事や下の世話は看護チームが行うわけであるから、冷泉にはそれほど影響が無いため、反対はしなかったが。

看護されるときの恥ずかしい所を見られることについて、看護師達が見るのは何とか慣れたけれど、自分の直属の部下である艦娘に見られたりしたら、恥ずかしさのあまり死にたくなってしまうだろう。それさえなければ、まあ問題なしだ。今だって加賀が似たような事をしているんだから。

 

そんなやり取りがあったものの、なんとか物事は進み始める。

 

二日後、戦艦扶桑、軽巡洋艦大井、駆逐艦村雨。そして、一番疲労度の少なかった不知火が第二艦隊より選出されて、新たな艦隊編成が行われた。燃料弾薬を積み込んだ扶桑達は、出撃していくこととなった。

 



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第122話 遠征先の港にて

遠征に出た新生第二艦隊、今回の遠征任務の内容(護衛任務。プラントへの輸送船団の護衛及び、一時プラント護衛。プラント護衛の交替艦隊が来るまでの間でしかないが。ここは太秦警備府の艦隊の任務となっている。太秦警備府にとってはわりとおいしい任務であるが、スポットで警備する舞鶴鎮守府にとっては見返りはそれほど多くない任務となっている。)は、それほど困難な任務ではない。

 

ちなみに、この任務を選んだのは、永末からそれを選ぶよう依頼されていたからである。

 

警備対象となるのは、日本海に浮かぶ半潜水式プラットフォームの巨大な施設である。

解放してしばらく経つ海域ではあるが、調査の結果、そこでは石油石炭などの資源が採れる事が判明したため、海上プラントを設置したわけである。領域に飲み込まれるずっと前、深海棲艦などの存在すら無かった時代に調査をした際には、海底資源など存在しないと断定されていたのに、そこから資源が出るようになった奇跡。領域に取り込まれた事が何らかの原因かもしれない……そんな推測がなされてはいるものの、すべては未だ謎のままである。

たとえ解放された海域とはいえ、深海棲艦の攻撃を受ける危険が高いわけではあるが、そのリスクを遙かに上回るインカムがあるため、開発に並行して採掘が行われている。

領域から解放された海域は新たな資源を求めて試掘があちこちで行われ、その結果、資源が発見された場所にはプラントが建設されている。当然ながら、警備が追いついていない問題もあり、敵の攻撃により破壊され大きな被害を出す事もあるが、それでも開発は進められている。

 

扶桑達はすでに港に着いている。しかし、港から出発する輸送船団が準備が手間取っているため、その準備出来るまでの間、約1日の自由行動となっている。

 

自由な時間ができたとはいえ、艦娘が単独で艦を離れどこかに行くということは任務以外ではありえない事。護衛無しで「外界」を出歩くのは、あまりに危険が多すぎるからだ。

 

艦娘は、人類とは比較にならない程の身体能力を持っている。その気になれば、人間など敵ではない。けれど、人を殺すことが禁忌行為とすり込まれている彼女達は、襲ってきた敵を皆殺しにする能力があっても、いくつかの条件をクリアしないかぎりは、人を殺すことができないように調整されている。

このため、場合によっては敵勢力に捕らえられる可能性があるわけである。ここでいう敵とは深海棲艦のみを指すわけではない。味方であるはずの人間側にも敵となりうる勢力は存在するのである。

極左もしくは極右過激派組織、日本国の潜入していたが領域に取り込まれたため脱出できなくなった他某国の工作員集団、日本国軍の成立に反対する市民団体等々……。様々な暴力組織が当局の手から逃れて潜伏したままであり、虎視眈々と機会を伺っている状態なのである。そんな連中に艦娘が捉えられたりすることがあれば、大変な事ではすまない事態になる。そのリスクを避けるために、基本艦娘は外へは出ないこととなっているのだ。

 

鎮守府においてであれば軍の兵士達によって何重にも護られた場所にいるし、また海上へと出たならば、深海棲艦がいるエリアであるから人間など生存はできないから安心できる。また、それ以外の場所においても、軍港とされている場所であれば陸軍の部隊が展開されているため、安全であるといえる。しかし、遠征等で仮入港する一般の港は警備も手薄にならざるをえない。

 

そこが狙い目で、扶桑はこの状況を逆手に取って、遠征に出ることを申し出たのである。それ以外にも、他の艦娘を鎮守府の監視下から連れ出し、こちらの勢力下におくための目論見も当然ある。……もっとも、すべて永末の指示なのだけれど。

 

一人、艦橋で待機している扶桑。ふと一息つく瞬間。

何かを思い出したのか、つい笑みがこぼれてしまう。

「冷泉提督……。あなた、本当にお馬鹿さん」

意図せず上司の愚かさを嘲笑してしまう。

扶桑の進言をあまりに簡単に受け入れてしまう、愚かな司令官。……間抜けにもほどがある。

 

「きっと、あなたは部下の気持ちをいつも把握してその想いを汲んであげられる心の広い有能な指揮官だ、なんて自画自賛しているのかしら? ちゃんちゃらおかしいわ」

愚かな……。彼に対する嫌悪感で耐えられなくなる。

何であんな無能な男が、私が最も信頼していた緒沢提督の後釜になれたのだろうか。そんな不信感・不満も湧き上がる。

 

「けれど、私だって褒められたものではないのだけれど。……少し前までは、たとえ洗脳の影響を受けていたといったって、あの人を素晴らしい提督だと本気で思っていたんだから。……はあ、勘弁して欲しいわ。本当に思い返すだけで恥ずかしくなるわ」

永末さんの助言が無ければ、今でも冷泉のことを信頼していたんだろう。少しだけ過去の記憶が残っていたから冷泉を疑い、それを口にした。その時、彼は素直に自分がニセ物だと認めた。認めた上で与えられた任務・責務を果たしたいと真摯な態度で言い切った。その真っ直ぐさにドキリとしてしまった事を忘れてはいない。緒沢提督の事を愛していながら、どんどん冷泉という男性に惹かれている自分が怖くなった時もあった。愛する人がいるのに、別の人を好きになってしまうなんて、なんて不実で駄目な女なんだろうと失望、変わり身の速さに恐怖さえもした。

そんな思いをしていても、それでも冷泉への想いが募るのを止められないでいた。金剛や島風、叢雲や高雄の存在が無かったらきっと止められなかっただろう。彼女達がいたからぎりぎりで自制することができた。とても辛かったが、それでも耐えられると思っていた。

 

永末からの助言と洗脳効果を低減させる薬品の存在が無ければ、想いを押さえ込むことができなくなり、きっと手遅れになっただろう。

 

そう―――。

 

幸いな事に、自分は真実を知ることができた。

すべては洗脳の効果だと知った時、なんと自分が愚かだったのかと本気で呆れるしかなかった。死にたいくらいに恥ずかしかった。

そして、そんな風に自分の気持ちを弄ぶ事を止められる立場にいながら、何もしなかった冷泉という男への憎しみ。大切な緒沢提督との思い出、彼への想いを消そうとした存在を許すことなんてできやない。提督を殺害した勢力の人間を僅かでも好ましい存在と思っていた事が本気で汚らわしい。

 

「思い出すだけで、吐き気がする」

と、吐き捨てるように言ってしまう。

 

すべてを知ったあの時、よく冷泉を問いつめ、罵らなかったものだと思う。そんな自分の忍耐力を褒めてやりたいくらいだった。よくぞ暴発せず、先の事を考えた冷静な行動ができたと。

今となっては自分を見る時の、にやけた性欲だけの獣のようなあの嫌らしい男の視線を思い出しただけで寒気がする。他の艦娘達も冷静になれれば、その現実に気づくのだろうけど、洗脳の進度が深すぎる子たちは、もう助けられないのかもしれない。

 

後からやって来た加賀、長門は、そもそも緒沢提督の事を知らないし、冷泉の口車に乗せられ全幅の信頼を寄せているようだから、論外として……。一番新しく来た榛名は、冷泉の事をどう考えているかは未知数の部分が多いため、彼女の優先順位は低い。仮に仲間にするにしても、説得は最後となるだろう。

 

今、鎮守府にいる艦娘達のうち、神通、島風……そして高雄は絶望的だろう。もはや、彼女達は敵と認識してもいいだろう。事が進めば、最悪は戦う事になるかもしれない。彼女達を殺すなんて事は絶対にしたくないけれど。それでも、その時が来たら、躊躇する気はない。

そして、同様に叢雲、羽黒も多分手遅れ、駄目だろう。

「……夕張は真実を話せばこちら側に付く可能性が高いけれど、彼女は過去の戦闘で受けた傷が修復不能って聞いているわ。あれじゃあ軍艦としては使い物にならないわね。戦力として計算する事ができない子。仲間になっても足手まといにしかならないわね。他に使い道も無さそうだし……除外するしかないわね。それから、軽空母の祥鳳ね。彼女は、どうかしら? うーん、何とも言えないわね。冷泉提督への彼女の強い想いは感じられるけれど、あの加賀が存在している限り、あの子の想いは絶対に報われないはず。ふむ、加賀への嫉妬を焚きつければ、こちらになびく可能性は高いかしら。空母はやはり仲間に引き入れておきたいわね。上手くいかなかったとしても、永末さんに頂いたお薬をこっそり飲ませれば、真実に気づいてくれるかもしれないわね」

自分の艦隊を編成するようで、少しだけ心が躍る気分だ。さあ、仲間の選別を続けよう。

「そして、次は金剛」

彼女の事を想うだけで複雑な気持ちになってしまう。

「……ああ、可愛い金剛、優しい金剛。そして、それ以上に可哀想な金剛。彼女の事を思うと、本当に辛くなってしまうわ。妹のように可愛い存在。目を離したら何をしでかすかわからない世話の焼ける子だけど、とても大切な存在。頭がちょっと弱いせいで、本当の能力を発揮できていない上に、あんなロクでもない男を好きになってしまっているところが可哀想。……助けてあげたいけれど、ごめんなさい。あなたの事だけが気がかりだけど、どうしようもない。私の無力さを許して頂戴ね。でも、諦めた訳じゃないのよ。少しずつ仲間を増やせば、力尽くで抵抗する子もねじ伏せて、お薬で目覚めさせられるかもしれないから。そうよ、絶対に諦めては駄目。最後の最後までみんなを救う気持ちは忘れない。がんばるから待っていてね」

妹のように可愛がっていたし、彼女も自分を姉のように甘えてくる。とても大切な子だけれど、大義の前には切り捨ても仕方がないとは思っている。本当はみんなを救い出したい。けれど、自分の手はみんなをすくい上げるほど大きくない。全力は尽くすけれど、駄目かもしれない。その時はごめんね。

 

もし、みんなが目覚めることがなかったら……。

その時は、みんなの仇は取ってあげるから。

扶桑は誓った。

 

それにしても―――。

 

「冷泉が無能な男で良かったわ。もし、彼が有能すぎたら、私にこんな行動を許してなんてくれなかったでしょう。戦艦が遠征に出るなんて、……しかも、これまで遠征に出ていなかったのに突然、遠征に行かせてくれなんて言い出したら、まともな頭の提督なら不審に思うはずだろう。実際、彼も不審に思っていたけれど、それ以上の事を考える頭が無かったみたいね。私が指定した艦娘以外を編入することも無かったし。おかげで監視の目を気にせずに、真実を理解できそうな艦娘を説得することができるのだから。ありがとう、お馬鹿な提督さん」

きっと鎮守府を敵から取り戻してみせるから。たとえそれが叶わなくても、一人でも多くの艦娘を助けてみせる。そう決意した。

 

そして、艦に近づいて来る人間の存在を検知する。

「どうやら、いらっしゃったようね……」

来訪者がやってくるのだ。

 

永末である。

 

彼はいつものスーツ姿ではなく、今日は整備員のような服装をしている。一応の変装、カモフラージュだ。

 

今、艦隊が停泊している港は、臨時的に仮停泊用に使用している港であるため、軍も人員を割くこともできず、民間の警備会社に丸投げしているような警備状況である。よって、武器を持たない一般人による、必要最低限の警備しか行われていない。わけだ。おまけに素性も軍関係者のように確認するわけでもないため、金でどうにでもなるというわけなのだろう。港に入る人間はチェックされているはずだが、彼は存在しない人間として扱われるに違いないだろう。一切の記録に残らないはずだ。それでも慎重に慎重を重ねるのは必要だ。

 

もちろん、それだけでは駄目である。艦自体は強力なセンサー網を展開できるし、シールドを展開すれば、誰一人として近づくことは不可能である。そして、実際にシールドを展開している状態である。

艦まで接近できたのは、許可していたからである。

 

艦内に入ってきた永末を出迎え、二人は久々の再会を喜びあった。

そして、彼を見た途端、思わず歓声を上げてしまったことに衝撃を受けてしまった。

何故なのだろうか。

どういうわけか、彼にあうことを心待ちにしていた自分がいたことに僅かばかりではあるが、動揺してしまった。真実を知る人間にあうことが、これほど嬉しい事なのかと思ってしまう。それほど欺瞞に満ちた舞鶴鎮守府にいたことはストレスとなっていたのだろうか? だとすると心を改めないといけないと反省する。自分が真実に近い場所にいることを、誰にも悟られてはならないのだから。 

 

そんな反省をしながら、やって来た永末を見つめる。心なしか前回会った時よりも彼が立派になったようにさえ思える。彼も彼なりに成長をしているということなのだろうか。

 

永末はそんな思いに気づくこともなく、早速、現在の状況を問うてくる。

 

それについては、淡々と報告するだけだ。冷泉を説得に成功して、遠征艦隊のメンバーに入ることができたこと。これにより、連絡を密にすることが可能になったこと。今回は説得を受け入れる可能性が高い子達を連れて来ている。特に大井と村雨は、冷泉の影響下から遠い存在だと認識していることを伝える。

 

「そうですね。こうやって直接扶桑さんとお会いできるようになれば、込み入った話もしやすいです。それに、鎮守府から艦娘を遠ざけること……冷泉提督の影響下から引き離す事ができれば、あなた以外の艦娘も冷静な思考をすることが可能となるでしょう。我々の説得もしやすくなります。一人でも多くの艦娘を洗脳から助け出すことがまずは最優先事項なのですから。そして、あなたたちの記憶から消された緒沢提督の思い出を取り戻す必要があるのですから……。彼の意志を継ぎ、我々は戦わなければなりません。それに……」

言いよどむ永末。

 

「それに? 何でしょうか」

扶桑は言葉に詰まった永末をしげしげと見つめてしまう。何故か分からないが、躊躇しているように思える。

 

「え……と、いえ、なんでもありません。失礼しました」

慌てた素振りで話を切り替えようとする永末。よくは分からないがそれ以上の話は彼はしたくないようだ。ならばそれ以上、その話題をするのも彼に対して失礼である。

 

「では、本題に戻りましょうか。……今回連れてきた艦娘たちと一度面会を行ってもらって、まずは彼女達の洗脳具合を確認しなければなりませんね」

 

「そうです。扶桑さんが見て影響が少ないと判断した艦娘達でしょうから、記憶がまだ残っているかもしれません。それを掘り起こすことができれば良いのですが、楽観視はできません。もし、拒否されるような事があるようだったら……」

 

「その場は引き下がり、後で永末さんに頂いたお薬を彼女達に気づかれないよう何らかの方法で飲ませばいいのですね? 」

 

「そうです。すでに扶桑さんは試してみているのですね」

 

「ええ。おかげで頭に係ったままの靄が見事に晴れました。鎮守府にいると時折やって来る、不安感焦燥感さえも押さえ込むことができます」

 

「そうですか、それは良かったです」

表情を一際明るくして笑う永末。まるで自分のことのように喜んでくれているようだ。

「騙し討ちのように感じるかもしれませんが、幻想に囚われている人を救うにはある程度のショック療法が必要だと思います。気が向かないかもしれませんが、どうしようもないときは仕方ないと諦めてください。すべて彼女達のため、そして正義の為なのですから!」

力強く宣言し、励ますように扶桑の手を握ってくる永末。そして、自分が何をしたかに気づき、顔を真っ赤にして慌てて手を離す。

「す、すみません。つい興奮してしまいました」

 

「いえ……だ、大丈夫です」

扶桑は少し驚いたものの、それ以上に動揺している永末の事が気になって、それ以上何も言えないでいた。

こんなに初心な感じの人だったっけ? 記憶が曖昧になっているのかもしれない。けれど、そんな彼の姿を好ましく感じている自分がいた。……もちろん、人間性を判断しての結論だけれど。

 

「さて、と」

永末は額の汗をぬぐいながら、話題を切り替えようとしている。

「そろそろ、大井さんがこちらに来る時間ですね」

あまりにわざとらしいが、今はそれにあえて乗ったほうがいいだろうと判断して頷く扶桑。

たとえ監視が甘くなっているとはいえ、どこに人の目があるか分からない。艦娘が二人、軍事施設以外にいたら目立って仕方が無い。特に何をしているわけでなかろうとも、人の記憶に残ってしまう。もちろん注目を集めてしまうだろう。たとえ、小声で話したとしても、その会話は人々の記憶に残ってしまうだろう。しかも、今回は裏切りの話をするのだから、あまりに危険すぎるだろう。だからこそ、艦の中で会談を行うことにしたのだった。

 

「来ましたね」

大井の接近が手に取るように分かる。タラップは設置したままだから、問題はない。

しばらくすると、彼女がやって来た。

 

部屋に入るなり、永末の存在に気づき、一瞬だけ表情を曇らせる。しかし、すぐに取り繕うような笑顔を見せ

「あら、永末さんじゃないですか。ずいぶんとお久しぶりですね」

と会釈をしてみせる。相変わらず外面を取り繕うのはあまり得意ではない子だなあと思ってしまう。

永末も形式的な挨拶をし、彼女を座るように促す。扶桑と永末が隣り合って座り、テーブルを挟んで向い側に大井が腰掛ける。

「そうだ、飲み物を持ってきますね」

そう言うと扶桑は席を離れ、別室においてある冷蔵庫より、例の飲料水を取り出してグラスに注いだ。

 

「どうぞ」

部屋に戻ると自然さを意識しながらグラスを大井の前に置く。彼女は軽くお辞儀をするが、グラスに手を付けない。

 

「ところで、今日は一体何のお話なのでしょうか? 」

扶桑が椅子に座るのを確認してから、大井が口を開く。

「ほとんど初めての遠征先にわざわざ永末さんを呼んで……しかも、人目を避けるように艦の中だなんて。さあて、どんなお話をしてくださるんでしょうか」

明らかな警戒を示している。

 

「まあまあ落ち着いて、大井。永末さん、懐かしいでしょう? 鎮守府を離れてもうどれくらい経つのかしらね。この近くで働いているというお噂を伺っていて、ちょうど遠征で滞在する時間がとれそうだから連絡して来て頂いたのよ。本当は私達が出向くべきなんでしょうけれど、艦娘が外で誰かと会うなんてできないですからね」

 

「そうですね。軍属を追われた一般人とわざわざ会うなんて、何か企み事でもなければありえませんよね。しかも、偶然に……だなんて」

嘲るように大井が話す。冷たい目で永末を射るように見る。

なるほど……そう思いながら、扶桑はそんな彼女を観察している。

大井は永末の事を覚えているだけでなく、彼が軍を追われたということは覚えているようだ。彼が軍を追われたのは永末提督がえん罪で殺害された後だ。つまり、彼女は緒沢提督の事を覚えている可能性がある。

 

「大井、今回彼に来て頂いたのは、彼が何故軍を追われたかを話して貰えると聞いたからよ」

 

「そんなこと知っているじゃないですか。鎮守府の資金を長きにわたって着服した事がばれたからでしょう? それを隠すために関係のない人まで巻き込んで、提督にまで迷惑をかけて……」

吐き捨てるように大井が言う。どうやら、嘘の情報を刷り込まれているようだ。

 

「ねえ、大井。当然、使い込みを知った提督はお怒りになったでしょうね。不正をとっても嫌う人でしたからね 」

 

「そ、そうよ。当たり前じゃないですか。提督はとてもまじめで立派な方だったわ。だからあの時、事件の発覚を知った提督は……提督は」

そう言いながら何故か大井が言いよどんでしまう。

「あれ? あの時、提督は」

 

「提督っていえば、冷泉提督よね。スケベで艦娘みんなにちょっかい出すエロ提督。貴方も何度かセクハラ体験をした。あの嫌らしい視線でなめ回すように視る男」

 

「あ? え? あれ。冷泉提督が……? あの偽善者が? 口だけ達者なスケベが」

何故か混乱しているようだ。彼女の記憶に齟齬が発生しているようだ。

「ん……何か違う気がする」

 

「そうね。私達の知る提督は、真面目で強い意志を持った、決断力のある……けれど少し気むずかしい人だったはずよね」

記憶の混乱が発生するのは当然だ。緒沢提督と冷泉とでは根本からして異なるタイプの人間なのだから。今までは気にもしなかった事のはずだけれど、個別に見ていけば矛盾に気づかざるをえないのではないだろうか。

 

「……そ、そうよ。そういう人だったわ。あれ? 冷泉提督ってそんな人だったかしら? それから、あの時はどこかに出撃されていたのかしら。ずっと見なかったように思うわ。何で……何でなのかしら」

彼女の記憶の中で、矛盾が発生し混乱しているのが分かる。

そして、真実を知る扶桑にはすべてが分かっている。あの時、永末が捕らえられた時にはすでに提督はこの世にはおらず、捕らえられ引きずられて連行されていく永末の姿しか無かったはずなのだ。そして、そこに冷泉朝陽なる男は存在すらしなかったのだから。

 

大井の記憶の欠落を補填する要素は、皆無だ。

 

「落ち着きなさい、大井。少し水でも飲んで、冷静になって」

そう言いながら、側に置いてあったグラスを彼女に手渡す。

動揺したままの彼女は躊躇することなく一気にグラスを煽る。ごくごくと飲み込む音がし、空になったグラスを置くと、大井は大きなため息をついた。彼女が飲んだのは、永末が準備した、あの薬品だ。あれを飲めば、冷静になれるし洗脳の影響を押さえ込むことができるはずだ。

少しだけ落ち着いた表情を見せた大井であったが、次第に目つきがおかしくなっていくのが分かった。トロンとした表情になり、少し酔ったような感じになっている。

「あれ、何でだろ? いたはずの提督がいないや」

少しろれつの回らない口調で不思議がっている。

効果はてきめんらしい。しかも即効性。どうやら、今回永末が持ってきた薬は、扶桑が貰っていた物とは少し違うらしい。

けれど、効果が早いほうが話もしやすい。問題なしだ。

 

「そうです。大井さん、あなた記憶の矛盾に気づきましたか? 」

ずっと黙っていた永末が口を開く。

 

 



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第123話 説得

少し眠たげな表情で大井が永末の方を見る。

「そ……そうですね。何かおかしい気がする。何がおかしいのかよく分からないけれど、何かが引っかかってるようで」

 

「その違和感こそがすべてなのですよ。私がわざわざここに来た理由がそれなんです」

 

「へ? 一体、どういうことでしょうか」

 

「あなたの記憶の中にある提督と冷泉提督は、はたして同一人物なのですか? 」

永末の口から唐突に出た言葉に、大井は唖然とした表情を浮かべた。

 

「何を馬鹿な事を言っているのでしょう? ずっと冷泉提督が舞鶴鎮守府の司令官だったのはみんなが知っている、あまりに当たり前の事でしょう? 少なくともここ数年は提督の異動はなかったわ。永末さん、私の記憶を試してるとでもいうのですか? それとも馬鹿にしてる? 」

 

「失礼しました。確かに普通なら、そう思うでしょうね。けれど、ほんの少し前の記憶にそれほどの齟齬が生じるなんて事があるのでしょうか? 日常の些細な出来事であれば、当然そんなこともあるでしょう。記憶違いもあって当たり前です。けれど、自分の直属の上司の事で記憶違いなどが発生などするのでしょうかね」

 

「……まるで私が頭の中をいじられているかのような言いぶりですね」

あまりに非常識な永末の話ではあるけれど、大井も違和感を感じているせいなのだろうか。ただの冗談だとは思っていないように見える。

 

「冗談抜きで、本気でそう思っています。なぜなら、そういった事が起こっている艦娘があなただけではないからです。ここにいる扶桑さんも同様の記憶の欠落が起こっているのですから。もっと大規模に調べれば他の艦娘だって同じかもしれませんよ」

 

「それは本当の事なのよ、大井。私だって今の冷泉提督と永末さんが突然捕らえられた頃にいた提督との間の相違点をいくつも思い出して、それは思い違いなんて事で見過ごせるようなレベルじゃなかったの」

補足するように扶桑が説明をする。

 

「扶桑さんも感じているのなら、もっと調べる必要があるのかもしれないわね」

二人の意見に同意をするように答える大井。それでも彼女は毅然として言う。

「仮に私の記憶がいじられて、虚偽の現実を見せられていたって、……正直、どうでもいいことだわ。私にとってはあの時、すべてが終わったのだから」

彼女が言うあの時とは、領域解放戦の中で大破した盟友北上を見捨てて敗走した事を指しているのだろう。親友を見殺しにした事が彼女にとっては消えることの無い深い深い傷となり、生きる気力を奪い去っていたのだ。

どんなに絶望したとしても、それでも自ら命を絶つことはできないという艦娘の性ゆえに、ただ生かされているだけなのだろう。故に、そんな彼女にとっては軍の誰かがどのような陰謀を張り巡らそうとも、そのためにどんな不利益があったとしても、所詮他人事、どうでいいことなのだろう。

 

「仮に冷泉提督がニセ物だったとしても何も変わらないわ。むしろ、彼の方が私を自由にしておいてくれるから、今の方が良いくらいよ」

悟ったように大井が呟く。

 

「大井さん、あなたの気持ちはよく分かります。けれど、あなたが認識している過去さえ本当の事かどうか証明できるのですか」

クスリの力により普段以上に思考がクリアになっているはずなのに、それでも後ろ向きな思考を続ける大井に苛立ちを感じているのか。煽るように永末が言う。

 

「はい? それはどういうことなのかしら」

 

「北上さんが領域の中に捨て置かれたという事実。それすら果たして真実だと言い切れるのですか? 」

 

「はあ? 意味がわからないわ。北上さんを置き去りにした時、他に何人も艦娘がいたわ。それに、私は提督の決定に必死で抵抗したわ。無線のやりとりを鎮守府の艦娘達も聞いていたのよ。多くの証人がいるというのに、そこに虚偽の入り込む余地なんてないでしょう? そしてなによりも確かな事は。私がその場にいたことよ! 」

 

「思い出してください。真実に目を向けて下さい。あなたの本当の提督の事を。……思い出せますか? 緒沢提督という男の事を。その人があなたたちを当時指揮していた本当の舞鶴鎮守府司令官の名前です」

緒沢の人となりを思い出させ、彼が艦娘をたとえ大破していようとも見捨てるような人間では無い事を認識させようと永末は腐心しているようだ。彼の言葉に反発する大井だけれども、明確な反証を挙げることができないため、議論は平行線を辿るしかない。扶桑も知らないことばかりなので戸惑うだけだ。

 

「私が調べた……いえ、私の属する勢力が正解なのですが、成果をお教えしましょう」

そう言いながら、永末は一呼吸置く。

「緒沢提督には、黒い噂があった事をご存じでしょうか? 当然、あなた達ですら知らない事だったと思います。彼には国家に対して敵意に似たような感情があったようで、いろいろと影で活動をしていたらしいのです。その一つに、意図的に領域での戦いで艦娘を沈没させたと思わせ、実はどこか国さえ知らない場所に艦娘を隠匿させているという疑惑をもたれているのです」

 

「くはっ! ばっばばば馬鹿な。そんなことをできるはずがないじゃない。証拠なんて無いでしょう? 」

荒唐無稽な発言に大井が素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「そう仰るのも無理はありませんよね。けれど、今、あなたたちの記憶が操作されているように、緒沢提督によってあなたたちの記憶が改ざんされていた可能性はありませんか? ずっと疑問を感じていたことがあるんです。……そもそも緒沢提督は私が知る限りでもかなり上位に入る有能な方でした。当然、冷泉提督なんかよりもずっとね。そんな人が艦娘を無駄死にさせるような戦法をとるとは思えないのではないでしょうか」

 

「確かに、提督は決して派手なタイプではないけれど、堅実な艦隊運営を得意とされる方だったわ。どんな劣勢でも大負けは絶対にしないタイプの方でした。そして、仲間をとても大事にされる方だった。誰かを失えば自分の事のように悲しむような優しい方。そんな方が部下を死なせたら悲しまない訳が無い。その時の事、大井、あなたは思い出せて? 」

扶桑が追随する。

 

「提督は北上さんの沈没に、提督は何の反応も示さなかったわ。自分で指示して置いてあれは無かった。あまりに薄情すぎて本気で殴ってやろうと思ったから、よく覚えているわ 思い出しただけでも腹が立ってくる」

 

「けれど、大井、良く思い出してみて。あなたが覚えている提督はそんな薄情な方だったかしら? 」

 

「……少なくともそんな人ではなかった……はずよ。いえ、そうね。間違いないわ」

 

「公式記録によると、緒沢提督が処断される一年前くらいより、舞鶴鎮守府の戦績が下降線を描いていた事を皆さんは認識されていましたか? それまではどんな任務であろうとも勝てなくとも絶対に負けない戦いをしていました。そもそも負ける戦いには参加しない。損害を出さない事を最優先としていて鎮守府外からは臆病者とまで批判されていました。それがある時期を境に急激に出撃を増加させているというデータがあります。これは、軍内部から入手したものなので、艦娘のあなたたちなら比較的容易にアクセスできるはずです。確かめて頂ければ私の言っている事の裏付けとなるでしょう」

 

「この場所からではデータにアクセスできないけれど……それは確かめてみるわ。確かに出撃回数が増え、過労働になっていたのは私も覚えている。無謀な出撃が増え、そのために損害が大きくなっていたのは事実だわ。無謀な作戦で何人もの艦娘が散っていった。次は誰の番なのかしらって心配していた。そして、そのせいで北上さんが……」

大井が呻く。彼女の中で記憶が呼び戻されているようだ。

「どうしてなのかしら。これまで考えることさえしようと思わなかったのに。北上さんを置き去りにしたシーンだけしか思い出せなくて、それ以外は何も考えることさえしようと思わなかった。辛いことから避けようとしていると思っていたのに、これが記憶操作の力だというのかしら」

確かに記憶操作だけでなく、ある一定の事以上は思い出すことができないというより、そんなことを思いだそうともしなかった。

思い出せないのではない。思いだそうとしなかったのだ。それが記憶操作というものなのだろうか。しかし、その枷が外れた今は、その禁忌に近づくことができるのかもしれない。いや、きっとできるのだ。扶桑は幽かな希望を見いだしたような気がしていた。

 

「あの時、北上さんは笑っていたわ。……それは、きっと私達を逃がすことができたからって安堵した笑顔だと思っていた。けれど、それは違う事だったっていうの? 」

当初とは異なり、混乱を示す大井。

 

「私の言うことが荒唐無稽に聞こえるのは仕方がありません。現段階では何の証拠もないのですから。……私の力では確固たる証拠をお示しすることはできません。すべて緒沢提督お一人で為された事なのです。みんなに秘密裏にただ、艦娘たちとは連絡を密にしていたのでしょうが」

 

「だとしたら、私達は提督に見捨てられた存在というの? 」

唐突に声を荒げる扶桑。

一番信頼され、提督に愛されていると思っていたのに、緒沢提督は本当は自分を信頼してくれていなかったっていうのか? そのショックで倒れそうになっている。

 

「確かに、私達は提督に信頼されていなかったのかもしれないわね」

大井も同調する。

 

「それはわかりません」

と、永末が正直に答える。それがさらに彼女達を追い詰める。

 

「そ、そんな……。すべて私の独りよがりだったっていうの」

知れず涙がこぼれ落ちる。

 

「緒沢提督があなたたちの事をどう想い、どういった計画を考えていらっしゃったのかは今は謎です。緒沢提督は、志半ばでその想いを閉ざされてしまったのですから。その上、残されたあなたたちは、敵勢力によって記憶操作を行われてしまった。……緒沢提督のお考えの全貌を知るためには、可及的速やかにあなたたちの失われた記憶を取り戻すことが必須なのです。みなさんがどの程度、緒沢提督から話をされていたかはわかりませんが、思い出してくれる艦娘が多ければ多いほど、より真実に、緒沢提督のご意志に近づけるのは間違いないのです。だから、大井さん、私達に協力してくれませんか。あなたの力が私達には必要なのです。何故、緒沢提督が粛正されたのか。提督は何を為そうとしていたのか」

 

「提督に信頼されていない私なんかが何の役に立てるのでしょうか。もはや私は今も昔も不幸でしかなかったのですから」

一人、鬱に填まった扶桑が呟く。

 

「何を言ってるのですか。しっかりしてください、扶桑さん」

慌てたように永末が叫ぶ。

「あなたは当時、舞鶴鎮守府の秘書艦として、常に緒沢提督の横にいたのですよ。それすらお忘れか? そんなあなたが緒沢提督からの信頼を得ていない訳が無いでしょう。あなたの提督に対する想いはそんなものなんですか? その程度の想いしか抱かなかった人が、軍部の記憶操作を受けても未だ提督の事を忘れずにいられたのは何故ですか? あなたが諦めたら、提督の意志を継ぐ者は誰もいなくなります。すべてが闇へと葬り去られ、敵の思いのままにされてしまうのです。そんなこと許してはいけない。緒沢提督の為にも! 」

扶桑の両手を握りしめ、励ますように熱弁をふるう永末。

その必死さに、思わず扶桑は驚いたような表情を浮かべてしまう。

 

「……そ、そうですね。私が提督の事を信じられなかったら、何もかも水の泡ですものね」

 

「そうです。あなたには思い出して頂かなければならないのです。緒沢提督が何を考え、何を為そうとしていたのかを。そして、その意志を継がねばならないのですから」

 

「ふうん」

突然、覚めたような声が聞こえる。腕組みをした大井がいる。

「緒沢提督が何かをしようとして殺されたっていうのは分かったわ。そして、彼が何をしようとしていたのかって事を覚えている可能性があるってことも。記憶をいじられてまで隠そうとされていたんだから、私達にも知る権利はあるわね。……けれど、永末さん、あなたは……いえ、あなたが属する勢力はそれによって何を得ようとしているのかしら? 」

 

「私は艦娘のみなさんを記憶操作から救い出し、緒沢提督の意志を継ぎたいと思っているだけです」

 

「提督の意志を継がせるってことは、嘘か本当かは知らないけれど、国家に反旗を翻させたいって考えているの? 私達に反乱を起こせっていいたいのかしら」

 

「そ、そんな事はありません。ただ、私は」

急な風向きの変化に焦りを隠せない永末。

 

「私が一番聞きたいのは、アンタが何を考えて行動しているかって事。それからアンタのバックにある組織の目的よ。それを言わないのなら、協力するつもりなんて無いわ。北上さんが生きている可能性があるっていうなら、何としてでも自力で記憶を取り戻し、北上さんを救い出すだけ。けど、このことを知っているアンタもアンタの組織も無事では済まさせないけれどね。こんな陰謀なんて、冷泉提督に話せば、たぶん、みんな無事で済まないでしょうね。……どうするの? 」

彼女の瞳を見れば一目瞭然だ。……本気の目だ。きっと彼女は永末が本当の事を言わなければ、冷泉提督に告発するのだろう。そうなれば、すべてが無駄になる。

 

「アンタの本音を教えてよ。緒沢提督のせいでアンタはキャリアも未来も失い、どうやら、体にも障害を残されたみたいね。軍を追われたアンタが今更なんで軍に戻って来るのよ。何がしたいの? 鎮守府に出入りしたりできるくらいだから、軍のどこかの部署がアンタのバックなんでしょ? そんな酷い目に遭わされた軍にまた犬のように使われて悔しくないの? 恥ずかしくないの? 真正の馬鹿なのかしら。悔しくないのかしら。連中を皆殺しにできないのなら、さっさと死んだらどうなの」

そう言って蔑んだ瞳で睨み付ける。

 

「大井、それはあまりに言い過ぎよ。永末さんは私達の事を思って」

 

「牙を失った飼い犬の言うことを聞いたって、私達までいいように使われるだけだわ」

 

「……わ、わかりました」

呻くように黙って耐えるように聞いていた永末が口を開く。

「私はすべてを失った。それは事実です。緒沢提督からは何も聞かされていなかったから、まさに青天の霹靂でしかなかった。いきなり捕らえられ、拷問を受け、すべてを話せと命じられた。そんなことを言われても何も知らないから答えようがない。それでも酷い拷問が続けられました。なんでこんな目に遭わなければいけないんだと本気で悔しかった。すべてに裏切られた想い。どうしようもない自分の無力さ。……私は何も知らなかった事が証明され、それでも復職を許されず、ゴミのように放逐されました。失ったものの大きさに比べ、未来は真っ暗でした。けれど、このまま負け犬のように生きていくわけにはいかなかった。どうして自分がこんな目に遭わなければならなかったかを知らなければ次へと進めない。それがすべてです。本来なら絶望の中、死を選べば楽だったんでしょうね。けれど、訳も分からぬまま汚名を着せられて死んでいくなんて耐えられない。……だから、それが知りたいのです。本当の事を私は知りたい。なんで私があんな目に遭わなければならなかったのかを」

 

「それを知って、一体どうするの? 」

 

「今はわかりません。真実が判明してから自分の身の振り方は考えます。けれど、今は真実を知るために全力を注ぐしかないのです。そのためにはどんな物でも利用するつもりです。私の背後にいる組織も、もちろんあなた達も。だから、あなた達には協力して頂くしかないのです。だからお願いします。お互いの利害が一致している間は協力してもらえませんか? 」

真剣な表情で大井を見つめる永末。扶桑から見ても、彼の瞳に嘘をついているような気配は感じられない。

 

「……確かに、私達からしてもあなたには利用価値がありそうね」

大井は値踏みするような視線を目の前の男に送り続ける。

「どれほどの成果を私に与えてくれるのかしら? それが有り続ける限りは私も協力をしましょう」

その言葉に安堵するような表情を浮かべる永末。扶桑も緊張が解けたように思わずため息をついてしまう。

 

そこからは単純な打ち合わせとなった。

記憶操作を減退させるクスリについて、必要量を大井にも提供すること。思い出した記憶については逐一、扶桑に報告すること。もちろんその逆も同様だ。そして、報告は遠征の寄港先において面接形式で行うこと。新たな仲間となりそうな艦娘についての情報共有も行うこと。そして、一番の重要事項としては、敵対勢力と思える艦娘たちに悟られないようにすることを最優先とすることが決定された。

 

「それじゃあ、これからよろしくね」

バックに入れられた薬品を片手に大井は去っていった。

 

「なんとか一人は仲間に入れられましたね」

ほっとした表情で永末は笑顔を見せる。

 

「そうですね。大井が仲間になってくれて嬉しいです。あと何人の子が仲間になってくれるでしょうか? 」

 

 

「こちらの誠意を示していけば、必ず多くの艦娘が仲間になってくれるでしょう。それにより真実が明らかになれば、今、我々に協力してくれないと判断している艦娘たちを説得することも可能となります。……扶桑さん、あなた達の記憶がどれだけ戻ってくるかに全てはかかっているのです。是非ともよろしくお願いします」

扶桑の不安をいち早く感じ取ったのか、永末が答える。その言葉に何か分からないけれど、安堵感を感じる扶桑だった。

 

そして、次の来訪者、村雨は拍子抜けするほどにあっさりと扶桑達の話を受け入れた。彼女もずっと違和感を感じ続けていたため、なかなか冷泉提督に馴染めなかったのだった。他の艦娘達が冷泉提督と仲良く話しているというのに、自分はそうできない事をずっと悩んでいたらしい。けれど、それを誰にも相談できず、自分がどこか異常なのではないかと心配になっていたそうだ。

 

「大丈夫よ、村雨。あなたはまともだったよ。何にも心配することはないわ。真実を覚えていたからずっと辛い想いをしていたのね。……もっと早く気づいてあげれば良かったのに、ごめんなさい」

自分も同様の苦しみを味わっていたため、村雨の苦しみが自分の事のように感じられた。

「でも、大丈夫。これからは私達が側にいるから。これからは、本当の事を思い出すことを最優先にしましょう。真実を知ることができれば、他の子たちも説得できるはずだから」

その言葉に安堵したような笑顔を見せた駆逐艦娘に、こちらまで心が癒される気がした。

 

次は、不知火だ。

彼女も冷泉提督とは一定距離をずっと保っていた。その態度から恐らく、同じように苦しんでいるに違いないはずだ。

 

がんばろう。

そう思った。

 

そして、不知火がやって来た。

 

 

 



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第124話 贖罪

【注意事項】

 今回の話は鬱展開となっており、読まれている方によっては不快感をもたれるかもしれません。ご注意下さい。


「さあ、座って頂戴」

やって来た不知火に、扶桑は笑顔で椅子に座るよう促すが、どういう訳か入口でつっ立ったままで、中に入って来ようともしない。

こんな時間に呼び出されとことに警戒しているのでしょうか? 警戒を悟られないように装っているのだけれど、探るように部屋中を見回しているのがバレバレだ。確かに、呼び出した時間が不味いとは思っている。けれど、大井と村雨に説明する時間を考えたら、これくらい遅くなるのは仕方ないじゃないと言い訳じみた思考をしてしまう。まあ、それだけじゃない。今まで彼女を自艦に招いたことなんて無かったのに、呼び出したりしたのも原因かしら? けれど、まさか企みが悟られてしまったわけではないわよね。等々……いろいろ考えて見るけれど、当然だけど正解らしい事は思い浮かばない。

ちなみに、永末は今は席を外して貰っている。最初から彼がいると、艦娘の警戒心が一気に跳ね上がったからだ。彼が軍警に捕らえられ連行されている姿をみんなが見ていて、それを覚えているということだ。なのに、不思議。緒沢提督のことは綺麗に忘れてるのはどうしてなのだかしら? そんな疑問もあるけれど、今はそれを考える時ではないのでしょうね。

 

「不知火、あなた、どうかしたのかしら? 」

焦る気持ちを必死に抑えて、作り笑いを浮かべる。

もともと笑うことが苦手だから、無理をした引きつった笑いになっていないだろうかと心配になってしまう。けれど、そんなことを考えている場合じゃない。とにかく必死だ。

 

「いえ。……特にどうという訳ではありません。ですが、どうして遠征の時に、……しかもこんな時間に呼び出してまで話す必要があるんだろう? って思っただけです」

淡々と語っているけれど、明らかに警戒してるじゃないの……。

扶桑は心の中で舌打ちをしてしまう。同時に自分と不知火が鎮守府において、あまり接点が無かった事を思い出す。

 

もともと不知火は、自分から積極的に話しかけてくるようなタイプの子じゃない上に、話しかけにくい雰囲気を持っている子だった。扶桑は何度か話しかけたりもしたけれど、彼女と同様に扶桑も話が上手な方ではないから、結局、話題に乏しく会話が続かなく、お互いに黙り込んでしまい、気まずい時間ばかりが流れるだけだった。そんなこともあってか、どちらかといえば苦手なタイプの子という印象しかもっていなかった。それは、彼女も同様だったんだろうけれど。

 

「そうね、こんな時間に呼び出してごめんなさいね。けれど、こういう時じゃないと話せない事もあるのよ。だから、あなたを呼び出したのよ。少しだけ時間を頂戴、お願いだから。……そうそう、それから、実はそれだけじゃなくて、今日はあなたに会わせたい人がいるのよ。もうすぐ来てくださるから……まあ立ち話もなんだから、こちらに座って待って貰えるかしらね」

そうやって促して、やっと彼女は納得したのか部屋の中に入って来る。椅子に腰掛けると、それでもまだ怪訝そうな目で扶桑を見つめてくる。

本人にはそんなつもりが無いのは分かっているけれど、可愛い顔をしているのに目つきが少し悪いから睨んでいるように見えてしまうのだ。言葉使いだって割と丁寧なんだけれど、少し声が低めだし抑揚をあまりつけないから、ちょっと迫力が出てしまう。慣れたとはいっても、少し怖く感じてしまう。これはずいぶんと彼女にとっては損な事だと思う。……もっと声のトーンをあげて、笑顔を見せるようにしたらいいのに。私の事なんて放っておいてくださいってまた睨まれそうだ。

 

「まだこちらに来られるまで少し時間があるから、少し待ってて。あ……そうね、ごめんなさいね。私ったら、うっかりしていて……飲み物を出すのを忘れていたわね」

あえて気まずさに耐えきれないといった感じでそう言うと、そそくさと別室にあるキッチンへ移動する。違和感のない退出だっただろうかと今の行動をリプレイする。うん、大丈夫だ。

慣れた手つきで紅茶を入れる作業を開始。それほど興味は無かったのだけれど、たまにやって来る金剛がその度にこの葉っぱはデスネーとか色々と五月蠅く解説されたせいかもしれないけれど、知らぬ間に知識が付いていて、紅茶にはそれなりに拘りを持つようになってしまっていた。だから、今入れている葉っぱもかなり良い物を使っている。

 

そうそう、注ぐ前にカップに例のクスリを入れるのも忘れないようにして……と。

 

今日、永末さんが持って来てくれた方の効果が強い方のクスリを使用しよう。無味無臭だけれど、念のため紅茶の香りと味で悟られないようしておかないと。当然ながら自分の分も準備する。もちろん自分のカップには入れたりはしないけれど。

 

「どうぞ」

部屋に戻ると彼女に出す。

 

「ありがとうございます」

感謝の意を表するものの、手は付けようとない。

もしかして、まだ不審感を持っているのだろうか? ……いや、そんなはずはない。今までの行動で不審感を持たれるはずがない。ばれるはずはないのだから

何か彼女の緊張を和らげられるような事を言えればいいんだけれど、話すと何かボロが出てしまいそうでいろいろと言葉を探してしまい、そのせいで黙り込んでしまう。

 

しばしの沈黙。

 

「遅れて済みません」

まるで扶桑の鈍くささに業を煮やしたかのように、唐突に永末が現れる。

いきなりの登場にびくりと反応する不知火。そして、突然現れた男をしげしげと見つめ、やがて唐突に驚きの表情を浮かべると立ち上がった。

「永末少佐? ……な、何であなたが、犯罪者がこんな場所に現れるのですか! 扶桑さん、これはどういうことですか? 永末少佐、あなたは罪を犯して軍から放逐されたはずの人ではないですか。そんな人が、どうして国家の最高機密といえる艦の中に入って来られるのですか! 扶桑さん、教えてください。どういう理由でこんな男を艦に招くような愚かしい事態になっているのですか」

興奮気味に不知火が吠える。瞳には怒りにも似た感情が浮かんでいる。

会わせたいという人が軍を裏切った男だと知り、扶桑に騙されたと思っているのだろうか? 多分、そうなんだろう。彼女は、軍部の正式発表を疑うこと無く頭から信じ込んでいるようだ。扶桑と犯罪者と結びついていることに彼女の正義感が触発されたのか、怒りを隠そうともしない。普段より更にきつい視線を浴びせてくる。気圧されそうになるけれど、こんなところで負ける訳にはいかない。

 

「落ち着きなさい、不知火。貴方は間違った認識を持っているわ。いいえ、持たされている、植え付けられているのよ……。確かに、彼は軍警により逮捕されました。その事実だけは、間違いありません。けれど、その後どうなったかを知っているの? 彼はその後の捜査で無実が証明されて、解放されたのよ。そして、現在は、海軍の関連団体で働いているの。このことまでは私も知らなかったけれど、すべて事実よ。信用できないっていうのなら、軍のデータベースにアクセスしてみて。証明できるから」

そう言って、彼女を納得させるために必死に説明を行う。言葉は静かにごく当たり前の事実を語るよう冷静に。動揺を見せてはいけないと言い聞かせながら。

 

彼女は、黙り込んで動かなくなった。瞬きもせず、遠くを見るように視線が固定されている。恐らくはネットワークにアクセスしているのだろう。そして少し経って、彼女が警戒を解くのが分かった。とりあえずは納得できるデータを得たのだろう。

 

少しだけ安堵した扶桑は、言葉を続ける。

自分が永末と共に、闇に葬り去られた真実を究明すべく動いていること。

 

「たとえ、冤罪で捕らえられたとしても、結果は変わりません。少なくとも疑わしいと判断された人物なのですよ、扶桑さん。例え無実であったとしても、そんな逮捕された経歴を持つ人物を最高機密の艦に安易に招くなんてのありえない。百歩譲ってそれを考慮せずとも、彼は現在、民間人となっているのでしょう。ただの民間人を最高レベルの機密性が求められる艦に招くなんて、これが世間に知れたらどんな誤解を受けるを考えてみてください。あなたはとても危うい場所にいることを認識してください。二人とも、認識してください。いえ、しなさい。どうやって扶桑さんに取り入って来たかはしれないけれど、これは重大は違反行為です。看過できない事案です」

不知火は、事実を認識していても態度を改める気はないようだ。

 

「落ち着きなさい、不知火。あなたの言うことも分かるけれど、それは些末な事でしかないわ」

 

「はあ? 軍規を守る事のどこが些末なのですか。私達艦娘が自分勝手な行動をしたらどんな事になるか考えられないあなたではないでしょう? 私達は人間から誤解されやすい立場にあるのを忘れたのですか。彼らから見れば、私達はただの圧倒的な殲滅能力を持つ人型なのですよ。そんな私達が何の規範も無く自分勝手い行動していると思われたら、人と我々の信頼関係が根底から覆される。そんなことは絶対にしてはいけないし、疑われる行為さえしてはいけないのです」

頑ななまでに扶桑の言葉を受け入れようとしない不知火。

人類を殲滅しかねない力を持つ艦娘には、自我というものを極力抑えようという傾向がある。いや、持たされていると言うべきか。人間の命令に従わない事があるとすれば、人類は艦娘を恐れ、せっかく築いた双方の信頼が失われてしまう。艦娘と人間は共に共存し敵と戦う運命共同体。決して敵対する物ではない。そんなことは絶対あってはならない事。不知火は信頼関係が失われる事を特に恐れる傾向があり、人間との約束事である軍規等を護ろうとせんがために融通が利かない場面をよく見かける。規則に縛られ臨機という事ができない? ……否、極力行わないのが彼女の性格、本質なのだろう。

 

「正しいか誤りかはここで判断することではありません。どちらにせよ、冷泉提督に確認しないと判断できないです」

頑強に抵抗してくる。

 

「冷泉提督……ですか? 」

ずっと押し黙って二人の会話を見ていた永末が口を開く。

「不知火さん。一つ教えてもらえませんか? 私が軍警に捕らえられた時に、舞鶴鎮守府にいた人は冷泉提督でしたかね? 」

唐突に問われ、不知火が戸惑いを見せる。

 

「何を馬鹿な事をいうのですか? 冷泉提督に決まっている……」

言いかけたが、突然、混乱したような表情を浮かべて黙り込んでしまう。

当然だろう。記憶操作を受けていれば、記憶の中の提督の顔がはっきりとしないに違いない。都合の悪い事は思い出せないよう、避けるように誘導されているはずなのだから。

「何で? そんなはずは……。何で、何で思い出せない? 」

 

「良く思いだしてごらんなさい。私が鎮守府に居た頃の提督はどんな人だったですか? 今の提督でしたか? 普段の行動はどうでしたか? あなたや外の艦娘達に対する対応はどうでしたか? 」

彼女の混乱を興味深げに観察していた永末がさらに煽る。

 

「提督は、無鉄砲で無遠慮で、胸の大きい艦娘を優遇するただのスケベで、けれど常に優しく艦娘を自分以上に大切にしてくれた……はず。んんん? あの頃の提督は、優しくおおらかで、けれど時に厳しく怖い人だった。そして、間違いは間違いだとしっかりと叱ってくれた。……あれ、冷泉提督はそんな人だったかしら」

彼女の記憶の中で二つの提督像が入り乱れているのだろう。思い出そうとすればするほど混乱だけが生じて、その矛盾に耐えられなくなってしまうはずだ。

 

「落ち着きなさい、不知火。これを飲んで、一息入れて」

そう言って、扶桑はチャンスとばかり、さりげなく紅茶を勧める。

混乱気味の彼女は、先程までの警戒を忘れ、軽く一口、そしてもう一口と紅茶を口へと運んでいく。そして、すべて飲み干してしまう。

 

「どうですか? 不知火さん。意識がしっかりとしてきませんか? 貴方の頭の中に立ちこめていた霧が晴れていく気がしませんか? さっきまであった頭痛がゆっくりと消え、霧が晴れて視界がクリアになる感じです。暗い夜が明け、空が白んでくる感覚。そうですそうです、すべてがはっきりとしていきます。心が穏やかになっていきます。それだけではありません。今まで見えなかった真実が見えてくるはずです」

しばらく黙って様子をうかがっていた永末が、優しい声色で問いかける。まるで催眠術でもかけようとしているような語り口だ。

 

「……何か、何かよく分かりませんが、私が思い出そうとするのを阻害していた何かが消え去っていくのを感じます。うう、頭の中が晴れていく感じ。そして見えてくる提督の顔」

遠くを見るような目をする不知火。

「なんで……なんで冷泉提督じゃないの」

動揺を浮かべ、あえぐように呻く。

 

「それが核心です。……どうして違うか、貴方には想像が付きますか? 」

と、永末。

 

「わからない。何でこんな記憶が混乱しているのか」

 

「簡単なことです。舞鶴鎮守府司令官の冷泉提督の他にもう一人、あなたが知る提督がいらっしゃったと言うことです。そして、それを何かの力によってその記憶が消されていたのです」

諭すような優しい口調で永末が語り始める。

今日、三度目の真実の暴露だ。

すべての始まり。虚飾により埋め尽くされた鎮守府艦娘たちの記憶。そして、このままでは真実の全てが闇に葬り去られ、えん罪にて消された緒沢提督の汚名は晴らされないままであること。真実を白日の下にさらすためには、記憶操作をされた艦娘達の記憶を取り戻すことが絶対条件であることを。そのために協力を得られると思われる艦娘達を鎮守府から引き離す必要があったことを。

 

「なるほど……」

納得したように不知火が頷く。

「陰謀があり、そのため緒沢提督が粛正され、冷泉提督が着任したということですか。軍部の犯罪行為は艦娘の記憶操作によって無かったことにしてしまう陰謀。そして、それには冷泉提督も一枚噛んでいるということですか。前提条件として……冷泉提督は敵である。彼に知られてはならない。そして、秘密裏に艦娘達に接触し、失われた記憶を取り戻して消された秘密を暴くということですね」

 

「そう、その通りよ。私達は緒沢提督の汚名を晴らさなきゃならないの。そして、真の敵を暴き出し告発するのよ。そのためにはあなたの協力が必要なの。あなたならきっと分かってくれると思っているの」

 

「そうですか。……そうですね。確かに、悪は討たなければなりません。真実を隠蔽し、平然と存するなんて許せません。それについては、私も同意見です」

 

「そう! 分かってくれるのね」

思わず喜びの感情が出てしまう扶桑。

それに対して、不知火は頷く。

「私の他に協力を表明している艦娘は、誰がいるのでしょうか」

 

「不知火さんが協力してくださるのなら心強い。……我々の仲間となってくださっているのは、今の所、大井さん、村雨さんが表明してくれています。あとは徐々に増やしていこうと思っています。極力、みんなを救いたい。我々としては、誰一人として敵にしたくありません。できれば無血勝利を収めたいのです。艦娘同士で戦うなんて事は悲しすぎますからね」

と、満面の笑みで永末が説明を入れてくる。

 

「……そうですか。それは、……良かった」

何か納得するような表情で不知火が頷いた。

 

「何が良かったのかしら? 」

 

「まだ二人しか敵に回っていない、ということが分かったからですよ。幸いなことに、被害が少ない状況で事を治められるってことに」

挑むような視線で彼女は扶桑達を睨んできた。

 

「な、何を言うの! 」

驚きの余り扶桑が叫ぶ。

「あなた、永末さんが仰った事を聞いてなかったの」

 

「舞鶴鎮守府の誰が提督であろうと、一艦娘の私には関係ありませんし、立場にもありません。自分は法規範に基づいて行動するのみです。たとえ、それを悪用する者がいたとしても、それが不適切であったとしても違法でさえなければ、私達はそれに従わなければならない。そうでしょう? そうしなければ、軍は維持できないのですから。個人の正義なんてあやふやな物より、優先すべきは、今ある正義、全体の正義なのですから。もしかすれば扶桑さん、あなた達の言っていることが正しいのかもしれません。けれど、私は今の立場による行動を取るしかありません」

 

「それはどういうことなの? 」

 

「全てを判断を行うのは、舞鶴鎮守府司令官である冷泉提督です。私は今夜知った全てを提督にお話し、処置をお任せします。結果、私は提督の判断に従うだけです。私の一存で行動などありえません」

とあっさりと答える。

 

「不知火、あなたそれはどういう意味なのか分かっているの? 」

彼女は答えない。沈黙が答えだった。つまり、扶桑達の敵になるという決別の意だ。これはとてつもなく不味い状況であることだけは分かった。

「何でそんなこと」

扶桑はどうしていいか分からず、泣きそうな顔で彼女を見るしかなかった。

 

唐突に異変が起こる。

平衡感覚を失ったのか、突然、不知火がよろめいた。

 

口にした紅茶の成分が今頃効いてきたらしい。即効性と聞いていたのに、少し発現が遅い。けれど効果は抜群だ。

視界がぐるぐると回転しているのか、もがく不知火。斃れそうになって体を支えようとし、失敗して机の上のカップやポットをひっくり返しながら床に倒れ込み、それでももがいている。

「扶桑さん、あなた、……何を飲ませ、たの。……こんなことまでして、どういう、つもりですか。……こんな事、許さない。絶対に」

そう言って扶桑を睨みながら、必死に立ち上がろうとする。必死の形相で手を伸ばしてくる。その迫力に恐怖さえ感じてしまう。

 

バチバチ! 

室内が激しく明滅したかと思うと音が響く。

 

「ぎゃん! 」

と、悲鳴があがる。

声のする場所には不知火が髪を逆立てた上に白目を向いた状態で失神している。彼女に覆い被さるように永末倒れ込んでいる。

間をおいて焦げ臭い匂いが部屋に充満する。

 

「ふう……」

大きなため息をついて彼が立ち上がる。右手には二つの突起のある黒い物がある。何時の間に取り出していたのか、スタンガンを永末が使用したらしい。

不知火の背中の一部が小さく焼けこげたようになっている状況から、その使用したスタンガンの威力が分かる。

永末は、不知火を仰向けに寝かせる。そして、彼女の左手の袖をまくり上げる。

 

「何をする気なんですか、永末さん」

問いかける扶桑に彼は何も答えない。黙々と作業を続ける。鞄から小さな箱を取り出す。そこには注射器と何かのアンプルが入っている。彼は注射器の中にアンプルの中身を充填する。

 

「それは何ですか? 」

問いかける扶桑に、

「何の事はない、ドラッグですよ。それもだいぶタチの悪い依存性の高い奴です。軍の開発した結構、強烈な奴ですけれどね」

と、淡々とした口調で答える。

 

「何をするのですか? 」

恐る恐る問いかける。

 

「もちろん、彼女に使用するのです。彼女の態度を見て覚悟を決めるしかないでしょう。選択肢は殺すかこうするかしかないのですから」

そう言うと、彼は不知火の腕に注射針を挿入する。

 

僅かな時間が経過した。

不知火の体が突然電気が流れたかのように痙攣したかと思うと、瞳に色が戻ってくる。

「ぬ、う、う、あっああん、ああああ」

ガクガクと震えながら喘ぐ。虚ろな瞳になった上に口が半開きになり、恐らくなのだろうけど涎が垂れて頬を伝い落ちる。普段の彼女の声とは思えない甲高い言葉にならない声にならない声を上げ、全身をふるわせている。猛烈な快楽に全身を貫かれている。……そんな感じに見えた。

あまりの事に言葉が出ない扶桑。

暫く喘ぎ続けたと思うと一際大きな声を上げたと思うと、果てたかのように痙攣が収まる。暫くすると彼女の下半身から液状の物が溢れ出し、間をおいてアンモニア臭を扶桑は嗅ぎ取った。

 

「なんてこと……」

呻くしかできなかった。

 

「意識を取り戻しましたか? 」

冷静な目で不知火の異変を観察していた永末が問いかける。

意識はもうろうとしているが、必死になって彼を睨み付けている不知火。恐るべき意志力の強さだ。戦闘意欲をまだ持っているようだ。

 

「あんなに恥ずかしい姿を見せたというのに、まだ強気ですね、不知火さん」

 

「わ、わたしに、なにをしたの」

ろれつがまだ回らないようで、はっきりとした言葉にならない。

 

「なあに、あなたにちょっとした薬物を注入しただけですよ。艦娘用に調整した特別あつらえですけれどね。それから、ちょっと依存性が高い物なんですけれど。どうですか、効き目は。いわゆるラッシュって症状が出ていましたね。人間が生まれてから現在にいたるまでの快楽全てを足したものより凄まじい快楽が一度にやって来るって聞きますが、どんなんでしょうね。お漏らしするくらいですから、あなたも凄まじい快楽を堪能できたみたいですね」

と、ニコリと微笑みかける。

 

「そんなもので、わたしはじゆうにできるなんておもわないで。そんなもの、きくわけない」

恥ずかしさに顔を赤らめるものの強気さは失っていない。

 

「ははははは。艦娘に対して薬物が人間と同じような効果を発揮することは、実験により証明されているんですよ。人間に対するヘロインの効果は、相当なものです。艦娘にも同様に効きますよ。依存性だって人間の比じゃ無いみたいですし。……それだけじゃあないです。貴方の体に及ぼすクスリの影響力も凄いですが、本題はそれじゃない。よく考えてみてください。艦娘から薬物中毒者が出たら、どうなるかということを考えた事がありますか? 」

永末の言葉の意味することを想像し、突然、衝撃を受けたような顔をする不知火。

 

「そ、そんなこと、だれも、しんじないわ」

必死に反論するが声に力が無い。

永末はそんな彼女を哀れむような目で見つめる。

「不知火さん、あなたがいくら私達の事を告発しようとも、誰も信用なんてしてくれませんよ。薬物中毒者の戯言なんて、誰が信用してくれるっていうんですか。それに、こちらは記録もいくらでも改ざんできます。それに何よりも今回の遠征に参加している艦娘は皆、あなたを庇わないでしょうね。あなたに与える影響も大変かもしれませんけど、冷泉提督が受ける社会的なダメージは計り知れないでしょうね。少し考えてみてはいかがでしょうか? 艦娘が薬物に手を染めたなんてマスコミが本当に喜びそうだ。どんな艦娘なんだと徹底的に叩かれるでしょうね。……当然ながら、あなたは責任を問われて解体されるでしょう。それどころか、冷泉提督も当然、処分されるでしょうね。罪が確定するまでの間は、軍刑務所に収監されるでしょうけれど、どういった事になるにせよ最終的に軍を追われるでしょうね。ところで、冷泉提督は無職になっても大丈夫なんですか? 彼は、全身麻痺でしたよねえ。聞いたところだと、一人では糞すらできない体だってと聞いていますよ。クビになれば、退職金なんて出るわけもなく、すぐに金もなくなるでしょうし、再就職なんてできないでしょうから介護する人なんて雇えないでしょう。それどころか棲む場所もなくその日暮らしすら大変でしょうな。オムツを糞まみれにしながら床擦れが全身にでき、その激痛に責められながら死んでいくのですよ。 誰にも看取られることなく、孤独の内にね。若くして鎮守府司令官にもなった人が哀れな末路ですね」

 

「れいぜいていとくには、かんけいがない! あのひとは、かんけいないでしょう。わたしをころしたいなら、さっさところせばいい」

明らかに動揺したように不知火は叫ぶ。

 

「おややや? 不知火さん、うにゃうにゃ、あなた提督の事が好きなんですかね? 」

突然の指摘に動揺する不知火。朦朧としているはずなのにそれには反応している。

「ち、ちがう、そんなんじゃあないわ。あのひとには、かんけいがないと、いっているだけ。あのひとは」

彼女は瞳を潤ませ、請うように訴えかける。それだけで彼女が冷泉提督にどのような想いを抱いているかがはっきりと分かる。

 

「不知火さん、安心しなさい。意地悪なことを言ったね。約束しよう。私達の邪魔さえしなければ何もしないと」

哀れむよな瞳で永末が不知火を見つめる。

 

「ほ、ほんとうに、しんじていいの? 」

弱々しい声で問いかける不知火。

 

「言葉使いに気をつけなさい。人に物を頼む言い方ではないんじゃないですか? 」

ぴしゃりと言う。

 

「ほんとうに、しんじていいんですね? おねがいします。あのひとには、れいぜいていとくには、なにもしないでください。おねがいです」

怯えながらも、必死に訴えかける不知火。

勝利を確信したのか、にやりと笑う永末。

 

「あなたへの罰はこれでいいでしょう」

満足げに頷く。それをみて、不知火は安心しきったような表情になる。

 

「さて……」

彼は振り返ると

「不知火さんへの処分は完了しました。けれど、すべてが終わったわけではありません。扶桑さん、あなたは罰を受けねばならない」

そう言ってゆっくりと歩み寄ってくる。

 

「どういうことでしょうか」

彼が何を言っているのか理解できない扶桑は戸惑うだけだ。

 

「あなたが不知火の状況をきちんと確認しておけば、こんな結末にはならずに済んだはずです。我々がこんなリスクを冒さなくて良かったし、彼女もあんな目に遭わなくて良かったのです。そして、私に罪がある。もっと注意深く行動すれば良かったのに、安易に任せてしまった責任があります。この罪は、誰かが償わなければならないのです」

そう言うと、永末は彼女の肩を掴み、強引に床へと押し倒す。

 

「何をするのですか! 」

突然の暴挙に抵抗しようとする扶桑の耳元に永末の声が響く。

「これは贖罪なのです。……貴方は、好きでもない私という男に穢されるという屈辱を味わうことで、この罪を、不知火さんに対する罪を償うのです。その身を堕とす事で、彼女への罪を償いなさい。そして私も、信頼していた上官である緒沢提督の愛したあなたを穢すという消せない罪を背負うことで、今回の罪を償うのです。こんなことしたくない。こんなことしたくない。けれど、これは私が為さなければならない、私に課せられた義務なのですから」

最初の間は抵抗続けた扶桑だったが、彼の言葉を聞いている内に力が抜けていくの感じていた。何故だか、逆らう事ができない。逆らうことに意味が見いだせなくなっていた。なんだかどうでもよくなって、流れに任せたらいいと思っていた。

それは諦めなのだろうか?そんなことを思う内に、屈辱感や恥辱感は、いつしか体から消失していくのを感じていた。

 

これは罪なのだ。罪は償わなければならない。自らの手を汚してしまった自分は、体も汚れていくのだ。

 

それは仕方の無いこと。大事の前の小事でしかないのだから。

 

すべてを諦めた途端、漂ってくる永末の匂いさえ気にならなくなった。罪を受け入れ罰を受けるのだ。もはや廃人となるしかない不知火のことを想い、意識がゆっくり遠のいて行くのだった。

一瞬だけ冷泉提督の笑顔が脳裏を横切ったが、それを必死になって打ち消した。

 

虚ろな瞳の不知火を観客に、贖罪の儀式が永遠に感じられるほどの時間、続けられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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第125話 力無き誇りなどいらぬ

永末は床に脱ぎ捨てたシャツを拾い上げるながら、床にうな垂れたままの扶桑を見つめる。

彼女の瞳は虚ろなままで、放心状態にしか見えない。声をかけてみるがまるで反応は無く、意識があるのか無いのか判別しづらい。……先程までの彼女の嬌態がまるで夢のように感じられる。本当にあんな事があったのだろうか……。幻覚でも見たのでは無いのか? そして、すぐに否定する。そうだ、あれはすべて事実なのだ。

永末は自分の腕に抱いた彼女の感覚を思い出し、再び興奮するのを感じた。

 

ずっと、……ずっとずっと憧れ続け恋い焦がれた存在。

 

遠くから見つめることしかできなかった存在だった扶桑という名の艦娘。時折、笑顔を向けてくれることはあっても、決して手にすることなどありえないと思っていた存在。そんな高嶺の花といえる物を手にできた喜びで、心の底から喜びがこみ上げてくるのを感じていた。

手段はどうあれ、自分が成し遂げた事に永末喜びを感じずにはいられなかった。……おそらく人生の中で最良の日と言っていいのではないだろうか。

 

ああ、また彼女を……。

 

くっ、いけない、いけない。

欲望の波に飲みこまれそうになるのを必死になって自制する。しかし、その自制心もここにいる限りどこまで持ちこたえる事ができるか知れたものじゃない。必死に別の事を考えて、意識を逸らすしかない。

 

これ以上の長居は無用だ。そう。あまりに長時間の滞在は、さすがに不審がられる事になる。それに、彼らに結果を報告をする時間が近づいてきているのだから。

 

「扶桑さん、また次の遠征先でお会いするのを楽しみにしています。……その時は、鎮守府の状況をお教えいただければと思います。そして、より深い記憶の究明ができるよう勤めましょう。また、可能であれば、協力して貰えそうな艦娘を遠征メンバーに加えてください。鎮守府の艦娘たちの失われた記憶が、我々の目的の為に必要なのですから……」

やはり、彼女は何も答えない。何も答えられないのだろうか?

「では、またお会いしましょう」

いつまでも待っていても仕方がないので、部屋を後にしようとする。部屋を出る時、床にへたり込んだままの不知火が、永末の視界に入った。

 

ずっと永末たちを見ていたはずだけれど、彼女からは何の反応も無かった。

もしかすると、あの時からすでに気を失っていたのだろうか? 

……時間の経過のせいか、異臭が鼻を突くことに気づいた。

 

臭いな……。そして実感する。艦娘だって人間と何ら変わらないのだ。そう思うと親近感も感じるし、逆に嫌悪感も感じてしまう。かつては手の届かない、高貴な存在だと思っていたことが嘘のようだ。掴もうとすれば掴めるし、手に入れようと思えば、少々乱暴な方法を使えば手に入る存在でしかないなのだ……。

 

そして、再びふつふつと下腹部に沸き上がるものを感じた。

 

こいつにも同じ事をしてやろうか? 

 

ほんの一瞬だけ、そんな欲望が鎌首をもたげたが、慌てて否定をする。

何を考えているんだ、私は」

自分はそんなゲスな欲望の為に来た訳じゃ無いのだ。自分の目的は、そんなことじゃないのだから。欲望に溺れて生きていくだけでいいのなら、こんな危険な真似はする必要なんてないのだから。

 

永末の頭には、欲望以上に打算めいたものの方が遙かに支配力を持っていた。

彼女を、不知火を是非とも蹂躙したいと言っていた幹部がいることを聞いていたのだ。こんなラリった状態ではあっても、不知火はまだまだ上手く使えば役に立つだろう。一時の欲望に溺れて彼女を穢したら、それこそ大変なことになる。彼女を交渉道具として利用しようと思っても、その時に傷物になっていたと知られたら、永末にとって不味いことになるのだから。

 

「私が手を付けたりしたら、困ったことになるからね。君には何もしないよ、ふふふ、安心したまえ。……もっとも、すでに冷泉によって使用済みになっているのかもしれないけれどね」

その時は、まあ。その時だ。

全部の罪は冷泉に取って貰えば良いだけのこと。自分には何の関係もない。そんなことを思うと笑ってしまう。

「そうそう、薬については、次に会う時まで保つ以上の量はお渡ししておきますね。あなたに禁断症状でも起こされて、それが発覚したら、冷泉提督が大変ですからね。彼が大変な事になっても別に構わないのだけれど、まだ時期尚早なんで、申し訳ないが我慢してください」

永末は不知火の前に薬の入った袋を放り投げた。しかし、彼女は何の反応も無いのだが……。

「興味なさそうですが、それを心の底から欲しくなりますよ。大切にしまっておきなさい」

それだけ言うと、永末は戦艦扶桑を後にする。

 

港に降り立っても、港には人影は無い。警備に当たっているはずの人間の姿すら見当たらない。

「しかし、軍施設では無いからやむを得ないか。こんな適当な警備じゃ、平和主義を標榜する左翼系暴力革命的市民団体の侵入すら許してしまうんじゃないのか? あいつら……爆発物もどこかから入手してたりするから、場合によっては艦娘だって被害に遭うかもしれんぞ」

あまりの無警戒さに呆れてしまう。

けれどこれも仕方ないことか……。

すべての港に軍を派遣することなど、人員の面からも費用対効果の面からも現実的じゃない。遠征艦隊が寄港する程度の港に裂く兵力など無いのだろうな。

そもそも、艦娘の警備能力さえあれば、テロリスト程度なら何の脅威にもならないのだから関係の無い事か。

「杜撰な警備だからこそ、私が自由に出入りし、それを誰にも気づかれずに済むのだから感謝しないといけないか」

そんな独り言を言いながら、永末は港内をのんびりと歩いて行く。少し歩くだけで港湾施設の出入口に辿り着いた。

 

「ごくろうさんです」

永末に気づいた警備の男が、にやけた笑みを浮かべる。

 

「ご苦労様です」

軽く会釈をしてゲートをくぐっていく。

身分証明書も無く最高機密の艦娘が寄港している港に出入りできることは大問題だが、彼も普段はちゃんと仕事をしていることだけは言っておこう。ただ、永末が彼に対して、それなりの見返りを渡したために、彼の視界からは永末が見えなくなり、そもそもその日の記憶すら曖昧なものになってしまうだけなのだ。

 

彼にも生活があるのだ。警備員の給与なんて、そんなに良い物じゃない。深海棲艦による侵略が始まって以降、日本国民の生活レベルは格段に落ちてしまい、貧富の差もかつて無いほど広がってしまった。富裕層以外は、みんな生きていくために必死なのだ。少々の事なら金の為なら眼を瞑る事を誰が責められようか。

永末は……否、永末が所属する組織は富める組織であるから、その富を利用し、彼らに施しを与える代わりに、望む物を得る。ただそれだけのことなのだ。ウィンウィンの関係でしかないのだ。

いろいろと物思いに耽っていたせいか、すぐ側に近づいていた車に気づくのが遅れてしまった。

音もなく近づいてきたのはグレー色のステーションワゴンだった。ハイブリッド車として作られたト○タ製の物だ。完全停止したそれの後部ドアが自動で開く。

 

お出迎えか……。

永末は、おもむろに車内に乗り込んでいく。

 

室内は異常に広い空間だった。本来3列シートの車両の3列目を撤去して2列目席の居住スペースを広げたロイヤルラウンジというグレードのものだろう。

運転席の後部の席に一人の男が座っているのを確認する。永末が席に腰掛けると同時にドアが閉まり、音もなくゆっくりと動き出す。

 

「随分と時間がかかったようだな。さて、……それで首尾はどうだったんだ? 結構な時間、こんな車の中でずっと待たされた私の事もおもんぱかって欲しいもんだよな。まさか、それで成果無しなんて事は、無いだろうな」

唐突に話し始める男。意味もなく高圧的で、永末を下に見ているのがあからさまだ。

男の名は、佐野と言った。中部憲兵隊に属する少尉だ。永末が冤罪によって捕らえられた時に鎮守府に来た憲兵の一人だった。

 

「遅くなり、申し訳ありませんでした」

恐らくは自分より年下の軍士官に対して下手に出る。年齢では上であっても、相手は軍の人間。それに引き替え、自分は軍属を追われ、今は軍の関連団体の一職員でしかない。当然立場も違うのだから、やむを得ないこと。それに、自分は軍には逆らえないのだから。

さざ波立ちそうになる心を必死になって制御し、永末は本日の成果について伝えた。

 

「なるほど。思ったより良い感じじゃないか? まさか、アンタがここまで進展させられるとは思ってもみなかったよ、永末さん。やるじゃないか」

褒めているつもりなのだろうが、そういう風には聞こえない。

 

「ありがとうございます」

素直に頭だけは下げておく。彼に対してはこれくらい謙っておいたほうが良いことはこれまでの経験で知っている。気分屋でいつ機嫌が悪くなるかしれたものじゃない。なまじ権力を持っているだけにタチが悪い。頭を下げるくらいで機嫌良くやってくれるなら安いものだ。年少者に偉そうにされても何も感じないくらいには、丸くなったというわけかと、自分の事を褒めたくなる。

永末は、現在のクライアントである佐野に今後の予定案についても説明を続ける。

 

「なるほどな。まあ、上手くいくかどうかはアンタ次第ってことだから、きちんとやってくれ。報告だけは遅滞なくしろよ。……それから、報告書もきっちりとまとめて出せよ」

 

「もちろんです。速やかにお送りします」

上への報告書類の作成まで自分に押しつけてくる佐野のその図々しさに苛立ちを感じるものの、絶対に表にそんな感情は出さない。

 

「分かった」

と興味なさ気に佐野が応えるのを合図としていたかのように、車が停車した。用件は済んだから、ここで降りろということだ。

永末の宿泊先から随分と離れた場所に来てしまっているが、そんな事はお構いなしってことだ。

 

「それでは、また定期的に連絡させて頂きます」

そう言って、席を立とうとする永末。

 

「永末さん、一つだけ念押ししておくけどな……」

そう言って佐野が背中に声をかけてくる。

「アンタは我々の駒だってことを絶対に忘れんなよ」

 

「もちろんです。私はあなた方の為に働くと約束したのですから」

 

「そうそう。アンタは本来なら処分されてもおかしくなかった身分なんだからな。日本国を裏切り私腹を肥やしていたド畜生なんだからな。アンタがいろいろできるのは私達が背後でフォローしているのを忘れんなよ。間違っても裏切ろうとしたり、情報を横流ししようなんてことを考えたら、また拷問部屋に逆戻りだぜ」

ニタニタした笑みを浮かべながら佐野が永末に宣告する。

「涎垂れ流し、ションベンやクソを床にまき散らしながら許しを請い、他の奴はどうなってもいい、自分だけは助けて欲しいって泣き喚いたアンタの言葉、本気だって私は信じているんだからな。あんな地獄から救い出してやった私達に絶対的な忠誠を反故になんて絶対にできないんだよ」

 

「もちろんです。私はあなた達のおかげであの地獄のような日々から救い出されたのです。あの恩を返せるのなら何でもやります。ご安心下さい」

そう言って卑屈すぎるくらいの笑みを眼前の年下の男に見せた。

 

「そうだ、それでいいんだよ。私達の命ずるままに何も考えずに行動するんだ。それだけでいいんだよ」

男は、その醜いまでの姿を見せる負け犬にいたく感動したのか満足そうに笑った。

ドアが開く。

永末は、もう一度深々と頭を下げ、車を降りた。すぐにドアがしまり、佐野が乗った車は発進する。永末はその車の姿が見えなくなるまで頭を下げたままで見送った。

 

「……クソ忌々しいガキが」

ごくごく小さな声であるものの、毒々しい言葉が思わず口に出てしまう。誰も聞いていなかったか慌てて確認し、辺りには誰もいないことを確認し、安心して大きなため息をつく。

憲兵に捕らえられ、幾晩に渡って果てしなく与え続けられた痛みは、今でも思い出すことがあり、その恐怖で悲鳴をあげてしまう事がある。忘れられないあの悪夢を消すことは果たしてできるのだろうか。

永末は、肉体的にも精神的にも徹底的に折られてしまった。本来ならそのまま廃人となるか、完全な駒となってしまうところだった。けれど永末は、最後の最後で立ち直ることができた。

それは、理不尽な罪を着せられた怒りだったのだろうか。裏切られた怒りだったのだろうか? 永末自身でもよく分からない。ただ、いろいろと情報を得ていく内に、密かな野望が芽生えていることを何となくは感じていた。

 自分を裏切った緒沢提督。無実の自分に地獄を与えた軍部。今、掴みつつある真実は、上手く使うことができればあの連中に鉄槌を下す願いを叶えることができるのかもしれない。

たとえそれが叶わなくても、構わない。しかし、今夜、手に入れた物だけは、絶対に離さない。あらゆる手段を使おうとも、これだけは認めない。

 

けれど、この感情だけは誰にも知られてはならない。

力を手に入れるまでは、奴らの駒として行動しよう。

すでにプライドなどどこかに捨て去っている。どんな屈辱でも受け入れよう。そんなもの、安い物だ。

 

けれど、見ているがいい。力を手に入れた暁には、連中に何十倍にして返してやるのだからな。

 

そして、失った全てをこの手に取り戻し、更に手にするのだ。

 

 

 

―――疾走する車の中。

 

「あれでよろしかったでしょうか? 」

後部座席に腰掛けた佐野が前に向かって喋る。

前に座る者は、運転手しかいない。けれど、彼は敬語で話しかける。

 

「……そうだね、あれくらい強く言った方が彼もやる気を出すんじゃないかなあ」

のんびりとした口調で運転手が応える。

ルームミラー越しに、彼の顔が見える。佐野よりは10歳くらい年上に見えるその男。

「永末くんも何かいろいろ考えているようだから、佐野くんも気が抜けないんじゃないかなあ」

 

「香月少佐、やはり彼は何か企んでいますか? ちょっとおかしいなとは思っていたんですけど」

 

「多分ね。……彼も半信半疑だったんだろうけど、一部の艦娘が自分の説得に応じたということで自信をつけたのかな。ちょっと欲をかき始めたんだろうねえ。彼は隠してるつもりみたいだけど、ギラギラした物を感じたもん」

 

「あの野郎……一回、締め上げたほうがいいでしょうか? 」

 

「いや、あれくらいの方が上手くいくと思うよ。復讐は良い燃料になるからね。上手く誘導してあげれば、きっと我々の望む成果を手にしてくれると、私は思っている。そして、たぶんそうなるよ」

根拠があるかどうかあやふやなのに、香月の言葉は自信に溢れている。

 

「わかりました。永末の行動には十分注意しておきます」

 

「そうだね。でも、基本的には自由にやらせて上げなさい。注意すべきは……」

 

「注意すべきは? 」

 

「舞鶴の冷泉さんだね。彼には永末さんがいろいろやっていることを悟られないようにしないといけないよ。最終的にはぶつかることになるだろうけど、今じゃない。彼に悟られる可能性を感じたら、迷わず永末さんを消しなさい。そうしないと、こちらにまで火の粉が飛んでくるかもしれないからね。私達はまだまだ冷泉さんと事を構える次期じゃないんだからね」

ぼんやりとした口調ながらも、冷泉というキーワードの部分だけは強調する香月。

 

「やはり、冷泉提督は要注意ですか」

 

「そうだねえ。彼は向こう側の連中も味方しているようだし、うかつな手出しは我々としてはしないでおかないとね。……他の馬鹿はいろいろとやってるみたいだけどね。さてさて、あいつらがどんな目に遭うか楽しみさ」

軍部なのかそれ以外の組織なのかは名言しないものの、おもしろそうに彼は語った。

流石に香月が何を言っているか理解の範疇を越えている佐野は、曖昧な笑みを返すしかできなかった。



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第126話 神通

舞鶴鎮守府―――。

 

時間は、午後9時を回ったくらいである。

 

 

「冷泉提督……それでは我々は帰りますが、何かありましたらすぐに枕元のボタンを押してくださいね。5分以内に駆けつけますので」

白髪を後ろで綺麗にまとめた女性が、ゆっくりとした口調で微笑みながら話す。それなりに年を重ねてはいるが綺麗な年の取り方の見本のような人だと冷泉は感じる。若い頃はさぞかし綺麗だったんだろうなあって想像してしまう。

そんなナース姿の彼女が冷泉の介護担当チーフである峰辻さんだ。すでに退官してもおかしくない年齢のはずだが、深海棲艦との戦争の長期化による人材不足の為、未だに現役で働いている。本人はこんなおばあちゃんが提督のお世話する事になってごめんなさいねと冗談めかして言っているが、冷泉としては、彼女が看護担当で良かったと思っていた。もし、若い女性看護師だったなら、年頃の冷泉は恥ずかしくて死んでしまっているかもしれない。

彼女の背後には、3人の介護服の上からも分厚い筋肉が分かる男が立っている。主に彼らが力仕事を担当してくれている。少し緊張した面持ちで直立したままだ。

 

軍隊においては戦闘による負傷者は絶える事がない。敵が深海棲艦となってからも、負傷者が絶えることは無い。海戦を行うのは艦娘達であるものの、戦場が常に海上であるわけではなく、当然、地上への攻撃も散発的ではあるものの頻繁に発生する。また、敵は深海棲艦だけではない。人類が一つになって戦わねばならない時でも、敵対勢力は存在し、またそれに援助を行う勢力も存在する。そういった輩の中に自分と同じ組織に属する者が多数いることも、何となくは認識しており、それが兵士達の士気を落とす原因の一つにもなっている。

内外に敵を抱えた兵士達は、常に危険と隣り合わせであり、負傷は絶えない。重篤な負傷を追うものも少なくなく、軍属の病院が暇をもてあますことは、ほぼありえない。

 

そんな多忙な状況であるものの、最高レベルの介護チームを編成して、冷泉の介護に当たってくれている。

完全介護をされるようになってからだいぶ時間が経つものの、未だに彼女彼等の献身的介護には慣れていない。首から下が全く動かないため、いろいろと見られたくないものを彼等にゆだねないといけないという恥ずかしさが常に冷泉の心にある。それでもプロ意識の塊のような彼等の看護は献身的であり、冷泉の日常生活の不具合を完璧にカバーしてくれている。自分一人ではほとんど何もできない冷泉からすると、彼等に感謝してもしきれないほどだった。

 

「ありがとうございます。いろいろとご迷惑をおかけして、申し訳ない」

ベッドに横にされた冷泉は、彼女達に済まなそうに語りかける。微妙にしか頭を動かせないから、お辞儀しているようにも見えないかもしれない。

隣で座っていた神通が慌てて立ち上がり、冷泉の代わりに謝意を示すように深々と頭を下げた。

介護チームはそんな神通の行動に微笑むと、部屋を去っていった。

 

「さて、もう夜も遅い。俺は大丈夫だから神通、お前も宿舎に戻っていいぞ」

と、冷泉は彼女に声をかける。

数日前から加賀に変わって、神通が冷泉の身の回りの世話をすることになっていた。

何だかよく分からないけれど、彼女は交代することとなった日の朝早くからやって来て、夜遅く……冷泉が寝付くまで、ほとんど休むこと無く、甲斐甲斐しく世話をしてくれている。

 

休む事なく忙しそうにいろいろと動き回っている彼女を見て、「これじゃあ休養にならないだろう? 遠征で疲労が溜まっているんだから、少し休んだらどうだ? 」と提案したものの、「提督のお世話ができる今が最高に充実しているので、全然平気です。むしろ、元気に溢れているくらいです。それに……提督には返しきれないご恩があります。この程度のことで、お返しできるなんて思ってもいませんけれど、少しでもお返しさせてください。だから、全然気になさらずに、むしろ、いろいろとご命令ください。それが私にとっては最高の幸せなのですから」

そう言われたら、もう何も言えなくなる……。

 

なんでそこまで献身的に尽くしてくれるんだろうか? 謎は尽きない。

 

つい最近の事だけど、なかなか寝付けない日があった。軽い気持ちでつい、神通に「俺が寝付くまで手を握っていてくれないか? 」なんてお願いしたら、そのまま寝てしまったらしい。朝、目が覚めると彼女がずっと冷泉の手を握ったままで側でこっくりこっくりと船を漕いでいたこともある。

「さっさと帰って良かったのに……ごめんな」と謝ったら、「全然平気です。私がこうしていたいと思ってやったことですから、謝らないでください。提督のお側で、こんな私なんかでも少しはお役に立てているって思うと、とっても元気になれますし、私……幸せなんです」と瞳を潤ませて言われてしまった。

冷泉の介護においては、オムツ代えてもらったり、お風呂入れられたりと、部下の艦娘には見られたくない恥ずかしい事がある。そんな姿を見られたくないから、彼女席を外すように伝えたけれど、

「大丈夫です! 提督がどんなに恥ずかしい事になっていても、例えどんなに格好悪い姿を見せられたとしても、それは所詮、上辺だけの事でしかありません。どんなマイナス要素があったとしても、提督の素晴らしさは全く揺るぐことなどありませんから」と宣言されたし。どれだけ好感度MAXなんだ?

 

とはいえ、流石に毎日毎日遅くまでつきあわせるわけにはいかない。部下の健康管理も大切な上司の仕事だ。まだまだ話したいこともあるけれど、無理はさせられない。

 

「も、もう少しだけ、あの……お、お側にいさせてもらって構いませんか……」

縋るような瞳で訴えかけられると、それ以上強く言えなくなってしまう。何か、普段からあまり自己主張なんてせず、怯えたような表情を見せる神通がこんなに自分の意見を言うのも珍しい。特別扱いなんかをしちゃいけないけれど、こんな時くらいしかゆっくりと艦娘と話す時間が取れないのは事実なんだよなあ。

基本的に、提督の周りは戦艦や空母、あとは重巡洋艦が常にいる事が多い。つまり、舞鶴鎮守府においては、長門、金剛、扶桑、加賀、高雄、あまり会話には加わって来ないが羽黒。……こういった艦娘たちがいることが多く、軽巡洋艦や駆逐艦の艦娘と長時間に渡って冷泉と会話することはあまりないのだ。秘書艦の持ち回り制度を導入して、いろんな艦娘との会話の時間を持てるようにはしているものの、やはり時間が少ないのは事実。

少しくらいなら、いいかな。そう思った冷泉は上手くできなかったけれど、頷いた。意志が伝わったのか、心配そうな顔をしていた神通の顔が一気に華やいだように見えたのは気のせいだろうか。

「じゃあ、少しだけお話しようか。まあ、立っているのも何だし、座ったらどうだ」

と、冷泉は切り出す。

促され神通は側の丸椅子に腰掛けた。

「神通は、駆逐艦達の面倒をよく見てくれているみたいだよな。お前のおかげで彼女達の熟練度が高まっているのは知っているぞ」

まずは仕事の話かな。冷泉は最近、感じている駆逐艦娘達の成長具合についての感想を述べた。朝から晩までわりとスパルタで彼女達を鍛えているのは知っていた。遠征中でもいろいろと課題を与えて、精神面も鍛えているらしい。目の前にいる気弱そうな少女がそんな事ができるとは思えないけれど、事実は事実なのだ。そして、そんな厳しい訓練に誰一人文句を言うことなくついて行っていっている事にも驚きを感じる。それどころか、駆逐艦娘たちは皆が皆、神通のことを尊敬し信頼しているらしい。

 

駆逐艦娘たちのレベルを調べてみると、冷泉が鎮守府にやって来た時と比べ、明らかに上昇していた。なんと、ほとんどの子が改造レベルに到達しているのだ。どういった訓練を行えば、あの成長ができるのか聞いてみたいくらいだ。出撃による成長度とほとんど変わらないか、もしくは上回っているかもしれない。

 

「みんな素直で良い子ばかりですから。へたくそな私の指示にも従ってくれて、いつも助けられてばかりです……。もっと上手く教えられたらいいんですけど、私なんかではとてもとても……。彼女たちばかりが成長して、私は置いてけぼりです。どちらかというと、彼女たちに教えられてばかりです」

謙遜して話すが、冷泉も知っていたし、高雄達からも聞いていた。

部下の艦娘を鍛えるだけでなく、その後、みんなが帰った後、夜遅くまで一人、更に厳しい訓練を行っていたことを。遠征を休み無く繰り返す上にそんなハードなトレーニングを行っていたら、疲労など取れるはずもない。何が彼女をそこまで駆り立てるのだろうか。

 

「部下を鍛えるだけでなく、その合間に自らに過酷な課題を与えて朝早くから夜遅くまで訓練をしていただろう? 明らかにオーバーワークだ。……お前、無理しすぎだぞ。なんでそこまで無理をするだよ」

ブラウザゲーム艦これと異なり、この世界では訓練を強いれば強いるほど効率は悪くなるものの成果はきっちりと出るようだ。もちろん、やり過ぎは怪我の元だし、疲労が高いまま戦場に出たら、まともに戦えないこともあるだろう。神通のレベルを見てみて、冷泉は驚かされた。すでに改二可能レベルまで上がっているのだから。改二へはどうやって行うのかは調べてみないといけないけれど、短期間でここまで自分を鍛え上げた神通の根性には驚かされる。

 

「あの、私……、何の取り柄もない艦娘ですし、実戦でお役に立てるような戦闘力もありません。……あの時、私の能力が足りないばかりに、提督のお命を危険にさらしてしまいました。司令官を危険な目に遭わせてしまうなんて、本当に艦娘失格です。どうしようもないくらい最低です。だから、もう、あんな辛い思いを……怖くてそれ以上に悔しい思いをするのは、絶対に嫌なんです。もし、今度あのような場面に居合わせることになったら、今度こそは提督をお守りできるような艦娘になりたいって思ってるんです。もちろん、軽巡洋艦なんかでできる事なんて、たかがしれています。けれど、あの時みたいに何もできない無力さを感じるのは、嫌なんです。だから、まだまだ力足りないですけれど、こんな私なんかでも、ほんの少しでもいいから、提督のお役に立てるようになりたくて、きっとできるはずだって信じて、……その想いだけでやっているだけなんです」

真剣な眼差しで神通が訴えてくる。あの時……。神通が大破して、死を覚悟して取り残される事になった神通に、冷泉が乗り込み領域を脱出した時のことか。あの時の事がずっと彼女の心の枷となっていたんだな。

「とはいっても、毎日必死でやってますけれど、まだまだ全然力及ばずです。全然強くなれません。あの程度では鍛錬がまだまだ足りないみたいです。本当、自分の力の無さが辛くなります。ちっとも強くなっていませんから。けれど、諦めません。絶対、提督のお役に立てるようになってみせます」

それ以上頑張ったら、壊れてしまうぞ。冷泉は口に出しそうになって思い止まる。自分に自信を持てない彼女になんとか自信を付けさせてやりたい。……そんな彼女に無理はするななんていうことは言っちゃいけない。彼女の努力を冷泉が否定してしまうことになってしまうからだ。どういうわけか、彼女は冷泉の言葉を絶対視しているところがある。そんな立場の冷泉が、無理をするななんて言ったら、「お前はそれ以上何をやっても無駄だ」と存在を否定されたと思ってしまうかもしれないからだ。

 

改二レベル……神通だとレベル60。それにしても、驚くほどの成長速度だ。……彼女と出会った時は、レベル20だったのに。どれほどの想いが彼女を突き動かし、どれほどの努力でここまで成長したのだろうか。それを想像すると、感心するしかない。

その想いに応え、彼女の努力の成果を与えてあげる必要がある。なるべく早くに。

うん、急いで調べないといけないな……。冷泉はそう思った。

 

「お前のその努力は、そう遠くないうちに成果として現れるはずだよ。それは俺が保証する。だから、この調子で焦らず着実に鍛錬していけばいいんだ。決して焦って無理をしてはダメだぞ。……お前が頑張っている事を、俺は知っているんだからな」

冷泉は彼女を見つめながら、極力声を和らげて想いを伝える。そして、精一杯手を伸ばし神通の頬に触れ、そっと撫でる。

 

「て、提督」

神通は目を閉じて、頬を赤らめながら為されるがままでいた。

「ありがとうございます。私、本当に……幸せです。艦娘として生まれた事が、そして、提督の部下でいられることが、本当に。これからも提督のお側に、末席で構いませんからいさせて下さい。きっとお役に立って見せます」

健気な言葉に、彼女の想いに胸が熱くなるのを冷泉は感じる。こんな体で無かったら、きっと彼女を抱きしめてしまうんだろう。実際にそうしたいと思った。

 

けれど、それは叶わぬ事。詮無き想いでしかない。

ただ冷泉は、艦娘の頬に触れているしかできなかったのだった。

 

そして、しばしの時間が流れた。時計をみると、11時を越えていた。

 

「……もうこんな時間だな」

と、呟く。

 

「はい」

 

「済まなかったな、こんな時間まで付き合わせて」

 

「いいえ、とんでもありません。提督といられることは、とても楽しいですから」

ニコリと微笑んでくる神通。その言葉に嘘は無いだろう。

 

「そうか。そう言ってくれると嬉しいよ。けれど、明日も早いんだろう? 」

神通は頷く。

恐らくは早朝から旗下の艦娘と朝練を行うのだろう。そして、それよりも前に一人での訓練を行うのだろう。それらが終わった後、冷泉が起きる頃にここにやって来るのだ。

 

「じゃあ、今日はここまでだな。早く宿舎に帰って明日に備えないとな」

 

彼女は頷くと

「今日もお疲れ様でした。また明日も来ます。今日は、いつもより長くお話できて嬉しかったです。……それでは失礼します。提督、お休みなさい」

と言うと、立ち上がる。

 

「ああ、お休み」

そして、部屋を後にしようとする彼女に

「あまり無理をするんじゃないぞ」

と念を押す。

 

「はい、了解です」

そう言うと敬礼をし、彼女は部屋を去っていった。

 

部屋に一人となった冷泉は枕元に置かれたスイッチを押し、消灯する。暗闇に包まれると、今日一日の事を思い返す。

 

そして、意識が遠征チームの事へと向けられる。

遠征に行った扶桑達は、今頃は中継地で休息中だろうな。確か、軍の警備もきちんと入っていない港だから、治安は保証できないから、外に出ることもできないだろう。すると艦の中で缶詰なんだろうな。明日からは護衛任務となるから、ずっと丘に上がることもないのかもしれないのか……。遠征に慣れていたら何ともないかもしれないけど、ストレスが溜まったりしないだろうか? 特に扶桑の事が心配だ。戦艦である彼女は、遠征なんてほとんど行ったことが無いはず。慣れない環境の中で慣れない任務をこなさないといけない。おまけに大井や不知火、村雨たちをまとめないといけないから、あいつ……大丈夫かな。ただでさえ最近、不安定な感じがしていたからな。少し気になる……。明日、タイミングが合えば、彼女と通信してみないといけないな。

 

いろいろ考えながら、冷泉は眠ってしまっていた。

 

 

 

 

―――。

 

 

ふと風を感じて、目が覚めた。

時計を見ると、深夜2時を回っている。

 

ベランダに出る窓は、峰辻さんたちがきちんと施錠したはず。空調も切っているはずだから、……空気の流れが生じるはずがないのに。

冷泉はなんとか窓の方へと首を向ける。

 

きちんと閉められた筈のカーテンが少し開かれ、青白い月明かりが部屋に入り込んできている。外からの風にカーテンが揺らめいている。

 

そして、カーテンの側に人影を視認した。

 

「だ、誰だ? 」

冷泉は侵入者に驚きの声を上げる。

鎮守府の警備は完璧のはず。外周は陸軍の兵士により、内部は海軍鎮守府兵士によって警備されている。あちこちに監視カメラやセンサーが設置されているから、侵入なんてほぼ不可能。そして、冷泉の宿舎は特に警備が厳しく行われているはずなのだ。そして、それだけじゃない。艦娘達によって、冷泉の宿舎は警備されているのだ。故に、そう簡単に、おまけに部屋の中まで入ってこられるはずがないのだ。

それができるとしたら、相当に警備に精通し、協力者を複数抱えていなければ不可能なはず。そんな力を持つ者がいるとは思えない。けれど、今、侵入者が来ているのだ。その事実だけは変えられない。

 

人影は、冷泉の問いに何も答えない。

 

月明かりを背にしているために、侵入者の顔までは識別ができない。長い髪の毛が風に揺らめいているだけだった。

 

 



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第127話 真夜中の来訪者

「……誰だ! 」

まさか、暗殺者……か? 

その可能性に、緊張が走る冷泉。

命を狙われる理由なら、鎮守府司令官となればいくらでもある。

一体、どの勢力が暴挙に出たのだろうかと推測してみる。

 

領域に取り込まれて以降、日本国に取り残された海外の工作員の活動が平時より活発化していが。彼等は、日本国の危機的な現状を本国に伝えようとするが、それを実行できずにいた。領域と呼称される事となった雲の外側へは、いかなる方法をもってしても通信は不可能な状況となっている。ならばと、直接領域の外へと向かおうとしても、本国へ戻るためには領域を抜けて行かなければならない。しかし、通常の艦船では領域では電子機器が使い物にならなくなり、戦闘どころか航行すらままならなくなる。そんな所を深海棲艦に襲われればひとたまりもなかった。何度かチャレンジを試みた者もいたようだが、海底の底深くに没した。

 

別の通信ルートを求めた彼等は、政府関係者に取り入ろうとしたり、軍関係者や民間会社へと交渉を働きかけたりした。混乱状態にあるそれら組織には、従来の手法やコネクションは通用せず、あらゆる手法が失敗に終わっていた。

打つ手が無くなった彼等は、最後の手として艦娘を指揮下においている鎮守府司令官に直接、接触を図ろうとしてくるわけである。直接的に接触することは危険が高い事を承知の上で、それでもそうしなければならないほど、彼らも追いつめられていたのだろう。

 

接待だけでなくハニートラップを使ったりして、どうにかして司令官のとパイプを得ようする。しかし、鎮守府の司令官はいろいろと癖のある人物が多いものの、その国への忠誠心は強く、彼等の誘惑は上手くは機能していないようである。もっとも、母国と隔離された状況では工作員が自由にできる金など僅かなものでしかなく、提督の心を動かすほどの事ができないというシビアな現実もあったわけであるが……。

懐柔できないとなれば、次に出る手は排除するしかないわけで、そういった危険と常に隣り合わせである。そして、今、それが現実となった? のか。

 

次の可能性。

舞鶴鎮守府特有の問題としては、その立地条件。

かつて軍が大阪京都兵庫を壊滅させた軍事行動に対する、軍隊への反抗心が根強い地域に存在していることがあった。

三都壊滅による混乱に乗じて、他府県から多くの特定外国人が流入し、生死不明となっているの住民の戸籍を乗っ取って日本人になりすます現象が多発していると報告を受けている。彼等は何食わぬ顔で潜り込み、町を闊歩し日本人として生活している。そして一部の者は市民としての当然の権利として、自らの利益を守り拡充せんとし、建前の反軍拡、完全平和活動を日本人として行ったりしている。そういった輩が軍に対する不満を抱えたまま生きている一般市民を煽動し誘導し、様々な妨害活動を繰り返してきている。それはまっとうな市民運動だけでなく、非合法な活動にも手を染めている。

 

もちろん、従来から活動している反政府運動家達や、反社会的勢力も勢力を弱めているものの、活動は続けている。世の中が混乱すれば、需要が増えるのかも知れない。

 

そして、工作員と不法入国者、反政府活動家らの勢力が何らかの原因で水面下で手を結ぶことになり、さらに大きな活動を起こそうとしている情報も入っている。

その勢力が来たというのか?

 

まだまだ敵勢力と推察される勢力は存在する。

鎮守府の外側の警備については、陸軍が担当しているため鎮守府内にいれば安全なはずであるけれども、陸軍と海軍は歴史的に仲が悪い。警護と称して監視し、隙あらば勢力逆転の材料としようと考えている部分もあるようだ。

日本国軍においても同様で、いろいろな経緯があり緊密な連携は取れているとは言い難い。そして、陸軍自体の問題もあり、事はより一層複雑になっている。彼等は深海棲艦と戦うことができないため、海軍施設及び艦娘を警護する任務を与えられている。これが彼等のプライドを痛く刺激し、時折手抜きのようなことして、敵を侵入させたりすることがあるのだ。また、わざとでなくとも、人手不足が深刻であり無秩序な増員を繰り返している影響で兵士の統制が末端まで行き渡らず、また、兵士の経歴を調べることなく採用するため、得体の知れない人間がどんどんと入隊しているとの噂もある。特に関西エリアは三都消失の影響で行方不明者が多数でておりその行方不明者の戸籍を乗っ取ってなりすます輩が全国から集まってきているという情報も得ている。そういう勢力が陸軍内部で増えてくると、一発逆転を狙って暴走する事もあり得るわけである。

 

それにしても、敵だらけだな。

冷泉は危機的状況にありながらも、わりと冷静に現状を把握している。

 

しかし、いろいろと問題は抱えているとはいえ、今はまだまともな連中が多い陸軍と配下の艦娘等のおかげで鎮守府内の安全は保証されているはずなのに、こんな状況でここまで侵入できる者がいるとしたら、恐ろしく能力が高いか、内部に強力な内通者がいるしか考えられないのである。

このため、もし、侵入者が敵であれば、冷泉は絶体絶命の状態といえる。

 

さて、枕元のボタンを押すべきだろうか?

しかし、それについては、躊躇する。躊躇せざるをえない。

 

このボタンを押せば、介護チームが駆けつけてくれるが、彼等は非戦闘員である。ガタイの良い連中で構成されているけれども、軍人では無い。当然ながら、戦闘訓練は受けていない素人にすぎない。そんな彼等を命の危険の中に呼ぶなんてことはできない。

ならば、どうすればいい? 冷泉は右手しか動かせない状態。武器など持っていないし、持っていたとしてもまともには使えないが。それどころか、ベッドから1ミリさえ動くことができないのだ。

 

このままだと、ただ殺されるだけだな。

 

もはや、侵入者が殺意を持たない存在であることを祈るしかない……。もし、殺されるなら、それもやむを得ないのかもしれない。不本意であることは間違いない。知人すらいない異世界に取り込まれ、そして死んでいくなんて悲しすぎるけれど。けれど、これも運命なのかもしれない。そういった、ある種、諦観めいたことを感じながら、再び侵入者を見る。

 

月明かりに照らされたシルエットは長い髪、胸の膨らみ……。ほっそりとした長い足。

 

―――どう見ても、少女にしか見えない。とても暗殺者には見えない。

 

彼女は、薄暗さの中、白い着物のようなものを着ている事は判別できる。シルエットからは手に凶器など持っていないようだ。しかも動き自体が戦闘訓練を受けたもののそれには、とても見えない。なんというか……あまりに無防備なのだ。夢遊病者のようにフラフラと歩いているようにさえ見えるし。

それ以前に、冷泉の記憶に今部屋に現れている少女の姿に見覚えがあるのだ。だって、あんな姿から、想像できる人物なんて、鎮守府にだってそういない。

「……? ん、こ、 金剛か? 」

こんな夜中にふざけて、こんな真似をするのは彼女くらいしかいないだろうな。最近は、あまり遊んであげていなかったから、拗ねていたのかもしれない。それで、夜中にこんな悪戯を考えたのだろう。そう思うと、ほほえましく感じてしまう。……本当に子供っぽい奴だ。

 

しかし、彼女は冷泉の問いかけに反応しない。

明らかに冷泉の方を見ているよう視線を感じるのだが、声すらあげない。顔がはっきりと見えないから、断言できないけれど、金剛じゃないのだろうか?

 

胸の大きさから推測するに、次に考えられるのは扶桑なんだけれど、彼女は今、遠征中だ。ここに来られるはずがない。

うむ……長い髪なら祥鳳もいるが、あいつの胸はあんなにでかくない。それは、断言できる。

 

鎮守府にいる艦娘とだと仮定すると、神通かもしれないが、彼女はさっきまでいたし、そもそも彼女もやはり、胸の大きさが違う。違いすぎる。彼女もそれなりにあるのは確認済みだが、眼前の少女ほどのものではない。……叢雲や島風なんてことは、世界が反転してもありえないし。

 

「まさか、長門なのか? 」

どういうわけか忘れていたけれど、胸の大きさで推測すろとしたら、考えられるのは長門くらいだ。確かに、こんな夜這いめいた事を考えそて、おまけに実践しそうなのは、アイツくらいしかいないだろう。横須賀鎮守府時代のまともな時の彼女の方が印象に残っているから、変遷した長門の異常性癖を忘れてしまっていた。

 

「横須賀鎮守府の旗艦だったプライドは、一体、何処いったんだよ……」

思わずほやしてしまうが、それでも彼女は黙ったままだった。

 

おかしい―――。

 

長門ならフンフン言いながら、「さ、流石、流石だ我が主よ。暗闇でも私を見分けるとは何というその崇高なるスケベ具合! いつもその嫌らしい視線で私の体をなめ回すように視ているだけの事はあるな。視線で私を犯して、一人興奮しているんだろう。うおうお、なんという下劣さ。なんという卑猥さなのだ。ああ! こんな辱めを受けるくらいならば、くっ! こ、殺せ、ケダモノめ」なんて一人で興奮してるんだろうけど、何の反応もない。

 

少女は、無言のまま歩み寄ってくる。

 

近づくにつれ、だんだんと謎の少女の詳細が見えてくる。一体、誰なんだ? うちの艦娘にこんな子いたっけ? ……いや、いない。記憶をたぐってもたぐっても存在しないものは存在しない。シルエットだけじゃなく、醸し出す雰囲気も冷泉の記憶には無かった。

 

少し少女は横を向き、そのおかげで月明かりに映し出される。

「え? ……」

思わず、呻くような声を上げてしまう冷泉であった。

 

なんと、そこにいたのは、榛名だったのだ。はっきりと視認できたから、見間違う筈がない。しかし、冷泉の知る榛名の雰囲気とはまるで違う存在がそこにいたのだ。

 

月光により青白く照らされた彼女は、思い詰めた表情をしていて、無言のまま冷泉の方へと近づいて来る。

視線を上下させて気づくが、金剛と同じようなデザインの服を着ているはずなんだけれど、なんか……スカートの丈がとんでもないくらいに短い。膝上何センチならあんなになるのか分からないけれど、白くて細い太ももがほとんどあらわになっている。股下ゼロセンチといってもいくらいだ。下着も見えそうなくらいで、どうしても目がそこに吸い寄せられそうになるのを必死にこらえて視線を上に上げようと必死で努力する。すると、今度は胸元に瞳が固定されそうになる。彼女の着た巫女服の胸元は、金剛のそれとだいぶ違って、胸のラインを強調するようになっていて、艶めかしい。

視線のやり場に困る冷泉は、動揺しながらも榛名の顔を見る。

 

遠くを見るような瞳で、焦点が合っているのかどうなのかわからない。冷泉を見ているが、その視線は冷泉を通り抜け、まるで異なるどこかを見ているようにさえ思えてしまう。顔色も昼間見た時と異なり、驚くほど白く見える。いや、血の気が失せて、青白いといってもいいくらいだ。それが更に彼女を艶めかしく見せている。

 

「は、榛名……なのか? こんな夜中にどうしたんだ? 」

そう言うのが精一杯の冷泉。

質問に答えることなく、彼女は歩調を変えずに近づいてきた。そして、すぐ側まで来ると、冷泉にかけられた布団を引きはがし、ベッドの上へと這い上がって来て、わざと冷泉の体に体をこすりつけるようにしながら、彼の体に跨る。完全に馬乗り状態になると両手を冷泉の顔の隣に立て、顔をゆっくりと近づけてくる。息がかかるほどの距離まで顔を近づけられ、思わず視線をそらせてしまう冷泉。そうするとバインバインと揺れる彼女の強調された胸がお出迎えする。慌てて視線を戻すと、彼女と目が合ってしまう。

榛名の潤んだ瞳はセクシーで視線を逸らすと胸が見えるからさらに逸らそうとすると体に跨った彼女の下着と白い太ももに目が釘付けになってしまう。

 

どうすりゃいいんだ!

危機的状況に困惑し、途方に暮れてしまう冷泉。けれど、何か違和感を感じてしまう。着任したばかりの榛名はこんな感じの子だっただろうか? と。何か様子がいつもと違うように感じてしまう。そもそも、こんな大胆な行動をするような子じゃないと思うのだが。

 

しかし、この状況……、どう考えても夜這いをかけられたといって良いのではないか?

「おい、……榛名、どうかしたのか? じょ、冗談はよせよ」

何とかこの場を逃れようと声をかけるが、返事は無い。こんな状況、嬉しいけれど、どうしていいかわからない。こ、こんな状況に追い込まれるなら、暗殺者が来たほうが良かった。それなら対処しようがあるのに、とぼやきそうになる。

 

そんな冷泉の混乱を余所に、呼吸を少し乱しながら榛名が迫ってくる。

「は、榛名……、一体何を……」

冷泉の言葉にお構いなく、彼女は顔を近づけてくる。目を閉じた少女の唇が直ぐ側まで近づいてくる。こんな美少女にキスをされようとしている現実に、驚きと困惑と嬉しさがごちゃ混ぜになってしまう。

こんなシチュエーション、滅多にない。男なら受け入れるべき。

 

「榛名……」

冷泉は動く右手を動かすと……、

「やめろ! 」

彼女の体を突き放す。

右手一本の弱々しい抵抗でしかないが、少女には十分だったようだ。

一瞬驚いたような表情になり、硬直した。しばらくそのままだったが、目を伏せてうつむき加減になる。

「……ど、どうしてですか? 」

消え入りそうな声で少女、は言葉を初めて発した。

「どうして? こういうことは嫌いなんですか」

 

「いや、そんなわけでは」

思わず本音が出てしまう冷泉。一応男だから、そういった事は嫌いなはずは無く。けれど、時間と場所を……考えて。いや、考えたらいいわけじゃない。慌てて妄想を否定する。

 

「提督……」

再び榛名は冷泉を見つめてくる。瞳を逸らすことを許さないほど強い想いが込められた、迫力のある瞳だ。

「私なんかじゃあ、……駄目なんですか? 」

 

「え? 」

唐突な言葉に言葉が続かない。

 

「私は金剛姉様のように綺麗では無いから、……駄目なんですか? 姉様のように胸が大きくないから、提督の好みでは無いのですか? 確かに、姉様には敵わないかもしれません。けれど、……けれど私だって、姉様に負けないくらいの胸はあります! 」

そう言うと彼女は冷泉の右手を掴むと自分の胸に押し当てる。そして、さらにその弾力に満ちたものを揉ませようとする。

「ど、どうですか、私だって姉様に負けていません」

右手に伝わってくる弾力に冷泉は必死に抗っているため、言葉が出ない。

「私、提督の事が大好きです。……ですから、提督も私を受け入れて下さい。すぐにとは言いません。けれど、私のことも艦娘としてではなく、一人の女の子として、見て欲しいんです」

その真剣な眼差しに、そして想いに圧倒され、冷泉はしばらく呆然としたままだった。

黙ったままの冷泉に焦れたのか、彼女は掴んだ冷泉の手を自らの服の中へと導く。彼女の胸へと。理性なんて簡単に吹き飛ばすような状況に冷泉は意識が遠のきそうになるのを感じた。

 

「提督……」

榛名は冷泉に頬を寄せて囁く。

「大好きです」

そして、目を閉じて唇を重ねようとする。

 

「……それ以上は駄目だよ」

冷泉の口から出た言葉は、自分でも驚くほど冷静なものだった。

「それ以上は、やめるんだ。……榛名」

 

「ど、どうしてですか? 」

本気で驚いたような顔で見つめてくる。

「やはり、私なんて女として魅力が無いからでしょうか」

その表情からは、彼女がショックを受けているに見える。

 

「違うよ。お前が魅力がないはずがない。お前はとても綺麗だし女の子として魅力的だと俺は思うよ」

 

「だったら、どうして私の気持ちに答えてくれないのですか? 」

 

「こんな事されたって、俺の今の体の状況を見たら分かるだろう? こんな体になる前だったら、きっと今俺の中にある欲望を抑える事ができないかもしれない。……けれど、今の俺は全身麻痺状態なんだよ。どんなに望んだとしても、何もできない。たとえいけない事であってもそれをすることもできないんだからな。……けどな」

冷泉は、本音を隠さずに語りながら、彼女を見つめる。

榛名の様子はやはりいつもと違うように感じる。これが違和感としてずっと感じているものの正体なのだろうか。

「やっぱり、体が元気だったとしても、今のお前の気持ちには答えられないって思う」

 

「何故ですか? 私の事を綺麗だと仰って下さるのなら、何を迷われるのですか? ……やはり、私の事がお嫌いなのですか? 」

 

「嫌いじゃないよ。……けれど、お前の気持ちが本気じゃないって思えるから、受け入れないんだよ。お前は、うん、なんだかよく分からないけれど、自分の気持ちを偽って俺にこんなことをしているようにしか思えないんだ。何かに急かされるように……? 上手く言えないけれど、お前が望んでやっている事じゃないはずだ。だから、受け入れられない」

 

「そんなことありません。私は提督にお会いしたときからずっとあなたのことをお慕いしています。提督は、一目惚れは恋じゃないと仰るのですか? 」

 

「一目惚れは否定しないさ。けどな、お前が俺のことを好きだと仮定したとして、どうしていきなりこんな行動をするんだよ。お前と俺が出会ってどれほどの時間が経っているっていうんだ? 実際にお前と共有した時間なんてほんの僅かしかないだろう? そんな時間でどうしていきなりこんな事しようと思うんだ? 」

 

「好きだからです。好きになるのに時間は関係ありません。そして、私はこうしたいと思うからここに来たのです。それじゃあ駄目ですか? 」

 

「よく分からないけれど、今のお前は何かに急かされるようにしか感じられないぞ。とにかく既成事実を作らないと、……何かカタチのあるものを手に入れないと落ち着かないって感じのことしか感じられない。何を焦っているんだ? 」

 

「提督が大好きだからです。提督を誰にも、いえ、金剛姉様に取られたくないからです。何をやっても姉様には勝てなかった。何もかも姉様が私から奪い去っていった。だけど、提督だけは渡したくないんです」

少しだけ涙ぐみながら彼女は告白した。金剛という存在の大きさに対する彼女の考えを。

金剛と榛名にどんな過去があるのかは分からないけれど、彼女の人格構成に金剛の存在が影を落としているのだけはなんとなく理解できる発言だった。……けれど、それは彼女の本音かも知れないけれど、今回の行動とは何の関係もないと直感的に分かった。

 

「お前にもいろいろあるってことは分かるけど……。はっきり言えることは、お前は俺のことを好きじゃないって事だけは分かるんだよな。ちょっと寂しいけど」

できればそうじゃないって思いたい。鎮守府の艦娘みんなから好意を持たれていたい。ゲーム艦隊これくしょんをやったことのあるプレイヤーならみんなが思う事だ。事実なんて認めたくないけど、認めないと先に進めない。

戦艦榛名は冷泉の事を好きだと見つめてくる。

けれど彼女の視界には冷泉は無く、彼女は別の誰かの姿を見てるのが分かってしまうのだ。それが誰だか分からないところが歯がゆいけれど。

「お前は俺ではなく、他の誰かを好きなはずだ。なのに、舞鶴鎮守府に赴任したから上司である、司令官である俺を好きになろうとしているだけなんだ。こんな極端な行動に出る理由はいろいろあってお前も混乱しているからなんだろうって推測はできるけど。……だから、お前は自分の気持ちを偽る必要なんてないぞ」

 

「そんなことありません。そんなはず無いじゃあないですか。何を言うんですか、提督は!! 何を馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!! 」

突然、目を大きく開き、動揺を隠そうとヒステリックに榛名が突然叫ぶ。

「榛名は司令官の事が大好きなんです。そうじゃなきゃいけないんです。そして、提督も私のことを好きになってくれなきゃ駄目なんです。そして、そして、金剛姉様より私を選んでくれるんです。加賀さんよりも私の事を好きになってくれるんです。ですです。私が自分に嘘をついてるなんて、何をおかしな事を言うんですか、アナタは? おかしいのはアナタですよ、提督」

自分の感情を制御できなくなったのか、榛名は言葉までおかしくなっていく。頭をブンブンと前後に振り、何かをブツブツ唱え出す。

「嘘だあり得ない何でこんなことに信じられない上手くいくはずなのに私じゃだめなのやっぱり無能な私許して下さい何をやっても上手くいかない駄目な艦娘生きる資格ないここでも認められない無能戦艦のくせに姉様助けて」

タガが外れたように言葉遣いもおかしい。張りつめた緊張が一気に切れてしまったような感じだ。精神の安定を失いかけている。

 

「しっかりしろ、榛名」

冷泉は声をかける。ぼんやりとした……ここに現れた時よりずっと同じの焦点の定まらない瞳で冷泉を見る。

「しっかりするんだ、榛名。お前には俺がついているじゃないか。どんな事があったってお前は俺の部下であり大切な艦娘だ。何があろうとも俺が側にいてやる。だから、しっかりしろ。どんな運命になろうと、俺が一緒に引き受けてやるから! 」

こういう状況で言うような台詞じゃないけれど、何とかしたいという想いだけで叫ぶ。

その言葉が通じたのか彼女は動きを止める。

 

しばらく見つめ合ったままの状況が続いただろうか?

「……」

やがて榛名の瞳に色が戻ってくるのが冷泉にも感じ取られた。虚ろだった瞳に生気が戻ってくる。劇的な変化を遂げるのがよく分かる。青白かった肌に血の気が戻ってくる。

瞳の焦点が冷泉に合うのが分かる。

 

「て、……提督? 」

寝ぼけたような声を出す榛名。はっとしたような表情に一気に切り替わると、焦ったように周囲を見渡す。そして、自分がどういう状況にいるかを一瞬にして把握したのか、顔が真っ赤になる。

「あ、あの、提督、何で私こんなところに。……どうしてこんな格好で、なんでなんで? 」

あろう事か自分が上司である冷泉の部屋にいて、パンツが見えそうな格好で彼に跨っているのかがはっきりと理解できないようだ。

「私、どうしてこんな事に……」

 

「え? 何も覚えていないのか」

言われた冷泉の方が驚いてしまう。

「困ったもんだなあ」

 

「あ、あの。提督……すみません」

更に顔を赤らめた榛名が冷泉に言う。

 

「どうしたんだ? 」

謝る前にベッドから降りて欲しいんだがと想いながらも、まずは部下の言葉に耳を傾ける冷泉。

 

「あの、提督の右手が……あの、私の、あの、私の胸を」

それ以上は言わすなと黙り込んでしまう。

その言葉に冷泉は今頃気づく。自分の右手が彼女の服の中へと潜り込んでいて、ずっと彼女の胸を揉み続けていたことに。

「わ、……わっわ。す、すまん」

慌てて手を離すが、その手に残った、ふわふわもっちりした感触は、暫く消えなかった。

 

榛名は大あわてで身支度を調えると、何度も何度も謝りながら部屋を出て行ったのだった。

 



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第128話 今想うこと、誇れるもの

鎮守府の朝は、早い。

 

横須賀でいた頃、常に誰よりも早起きして港を散歩するのが日課だった。

まだ人気の少ない場所を歩くのが好きだった。

普段、秘書艦として活動している時には、話す事があまりできない人達と話すことができるのが楽しかった。話す事が無くても、普段見ることのできない人達の活動を見ることが嬉しかった。

それぞれの人が深海棲艦と戦うために、陰で働いていてくれる事を実感できる時。

艦娘とは強力な力を持っているが、所詮それだけでしかない。

自分たちを効率よく運用してくれる指揮官。艦本体の整備に尽力してくれる整備士たち。係留中の艦を警備してくれる兵士たち。自分たちの体調管理やメンテナンスをしてくれる医師たち。それ意外にも多くの人間が艦娘の為に働いてくれているのだ。

それを常に忘れないようにしないといけない。感謝の気持ちを常に持ち続けなければいけない。

長門がずっと思い続けていたことであり、艦を失い舞鶴鎮守府にたどり着いてからも忘れないでいたことだ。

 

横須賀と同じように、舞鶴でも変わらず、いつも朝早く起き、鎮守府の人々との交流を続けている。

舞鶴も横須賀と基本的に同じような風景だ。遥か沖合にたれ込めた赤黒い領域の壁が見えるのも同じ。横須賀に比べて舞鶴のほうが領域の壁が近いくらいか。それ以外には大きく変わるところは案外無いものだ。

 

しかし、大きく異なり驚かされたところが一つあった。

それは、駆逐艦娘達が早朝から激しいトレーニングをしているところだった。その実践さながらの訓練は、とても駆逐艦が行うようなレベルではなかった。横須賀鎮守府での感覚でいうと、オーバーワークとしか思えないものだった。いや、一歩間違えれば危険といえるレベルだったのだ。故に、やり過ぎではないかと注意しようとしたけれど、すぐに思いとどまった。

 

彼女達の指導をしているのは軽巡洋艦神通であり、端から見ていると無謀・危険とも思える程度の指示を出しているのだけれど、艦娘達は誰一人文句を言うどころか、必死でそのメニューに食らいついていた。そこに悲壮感はなく、目標をクリアしようという前向きな必死さに溢れていた。

 

どうしてなのだろうか? よく不満が溜まらないなと疑問に思っていたけれど、それもすぐに晴れる。

 

深夜早朝……みんなが寝静まった頃、まだみんなが眠っている時間に神通が一人で自分が駆逐艦娘に課したものより遙かに厳しい訓練を自らに課し、毎日行っていたのだ。その内容は、流石の長門も戦慄せずにはいられないものだった。部下に訓練を行うだけで相当時間を取られるというのに、休養時間を削ってまで自分を追い込むそのストイックさに関心させられるとともに、彼女の体の事が心配になった。

一度彼女に声をかけて問うてみた。

「自分をそこまで追い込んでどうするというのか? こんな無謀な訓練を毎日行っていたら、いざ戦闘の前に壊れてしまうのではないか? と」

軽巡洋艦がいくら努力しても限界がある。どんなにがんばったところで、重巡洋艦、ましてや戦艦と同等の戦闘は不可能なのだ。身の丈にあった訓練を行うべきではないか? そんな上から目線的な感情が無かったとはいえなかった。

「私は性能の低い船ですから、この程度の訓練では大した成果も出ないのは分かっています。けれど、わずかな可能性でもあるのであれば、訓練をしないわけにはいきません。……ほんの少しでもいいですから、提督のお役に立ちたいんです」

気弱そうにうつむき加減でそう答える神通。提督が命がけで彼女を護ろうとした海戦の事をずっと恩義に感じているのだろう。その恩に報いるために必死なのだろうか? うむ……それだけでは無いように思えるな。彼女の提督を見つめる一途な視線は、鈍感な長門から見ても恩義を越えたものを感じるし。

「では、駆逐艦達に課した訓練はどうなんだろうか? 私の経験でしかないが、横須賀ではあそこまで厳しい特訓はしていなかったように思うが」

 

「あの子達は、提督からお預かりした……大切な子達です。遠征が主たる任務ですが、戦闘に巻き込まれる可能性が無いわけではありません。そんな時、今行っている訓練がきっと生かされるはずなんです。私は、彼女たちを誰一人として沈める事はできません。みんな提督の大切な艦娘なんですから。成果なんて二の次だ。いかなる時も……生きて帰り、お前達の笑顔を俺に見せてくれ。……提督が出撃前の私達によく仰る言葉です。生きて帰る可能性を少しでも高めるためには、ある程度の厳しい訓練は必要と私は考えています」

 

「うん、それは正しい。けれど、戦争とは無慈悲なものだ。どれほどの鍛錬をしたところで、駄目なときはあるものだぞ」

 

「……その時は、私が命に代えてでも彼女たちを護ります」

緊張した面持ちで話していた神通だが、その時だけは、きっぱりと長門の瞳を見つめるように答えた。

なるほどな……。長門は納得した。恐らくはそんな神通の姿を見て、自分たちもがんばらなければと駆逐艦達も感じているのだろう。

 

それにしても……。神通にあそこまで思いこませるとは。恋とかには奥手そうな神通を夢中にさせるその手練れ。恐るべきは冷泉提督。流石は我が主。

思い出して、何故だか興奮してきた。

 

そんな時、視界に一人の艦娘を捕らえる。

長い黒髪。巫女服にミニスカート。

最近、鎮守府に着任した榛名だ。

しかし、こんな朝早くに何をしているんだろう?

人目を気にするようにこそこそと移動している。胸を庇うように腕で隠しているし。……いやにスカートが短いぞ。白い太ももが剥き出しだし、なにもしていないのに、パンツが見えている。

あんな露出狂だっただろうか? しかし、その姿は扇情的であるけれども美しいく感じられ、長門ですらじろじろと彼女の体を見てしまう。

……あんな感じだと、提督は興奮するのだろうか?

何故だかそんな事の方が重要に感じてしまう。

 

「はる……」

声をかけようとして、彼女が長門に気づいた。すると、普段でも大きい瞳をさらに大きく見開くようにして驚愕の表情を浮かべると、引きつったような笑みを浮かべ、慌てて走り去った。

 

「一体、どうしたんだろう」

思わず言葉が漏れてしまう。

それに、なんだか、彼女の瞳から涙がこぼれていたように思うのだが、どうしたのだろう。

 

彼女は宿舎に向かって走り去ったけれど、一体どこに行っていたのだ?

はて、方向的には……。

「ん? 提督の宿舎があったはずだが。……まさかな」

変な想像をしてしまうが、今の冷泉提督の体では、鎮守府でもトップクラス(当然ながら、揺るぎない1位は、誰あろう長門であるのだが)の榛名がどんな扇情的な格好をして誘惑しようとも、何もできないのだから、ありえないのである。

では、何をしていたんだろうか。

 

そういえば、榛名は着任した当初から少し他の艦娘とは異なる雰囲気を醸し出しているように感じていた。その違和感をずっと感じていたけれど、この違和感が今後どうなるかが少しだけ心配だ。悪い方向へと行かなければいいけれど……。

 

そんな事を考えていたら、携帯端末が鳴った。鎮守府敷地内限定で使用できる(暗号アルゴリズムMAIT)秘匿回線を使用したものだ。

 

「長門さん、予約時間になっていますよ」

電話に出るなり、聞こえてくる声。ドックの艦娘医療を担当している乾崎軍務少尉からだった。

 

「ん? ……もうそんな時間になっていたのか、すまぬ。少し散歩をしていたらいろいろと雑事が重なってな、気づかなかった」

 

「もう……、いつもそうなんですから。もう少し時間にきっちりして貰わないと困りますよ。仮にも横須賀鎮守府秘書艦だったんですから、他の艦娘に示しがつきませんよ」

冗談めかして彼女は指摘する。

 

「秘書艦はとうの昔に降任したからな。今はそういった柵に縛られる立場では無いよ」

 

「冷泉提督と約束しても時間にルーズなんですか? 」

 

「否、提督との約束であるならば、5時間前から待機し、なかなかやってこない司令官の事を思い、自分は彼に嫌われているのではないかと心配しながら過ごすだろう」

 

「うわ……」

受話器の向こう側で呆れる雰囲気が感じられる。彼女は長門の発言に引いてしまったのだろうか? 想像して何故か鼓動が高まる。

「ごほんごほん……いい加減にしてください。冗談はさておき、ですよ。長門さん、早くこちらにおいで下さい。先日の検査の結果が出ております」

急に真面目な口調で乾崎で言う。

 

「了解だ。すぐにそちらに向かう」

 

 

そんなこんなで、長門はドックの医務室において乾崎と向かい合って座っている。

「さて、検査の結果なんですが……」

と、医師は話を始める。

 

長門は艦と共に沈む覚悟を決め、領域の海深く沈んでいくはずだったのだが、冷泉提督によってその覚悟を変えさせられて舞鶴鎮守府にやって来た。

そもそも艦娘と艦は、二つで一つの物であり相互補完関係にある。このため、いずれか片方が無くなれば、もはや片割れは何の価値も無くなる。戦艦が戦う能力を失ったとしたら、存在する意義などあるのだろうか? 仮に艦が沈み、艦娘のみが残されるとしたのなら、それは果たして幸福なのだろうか? 

 

……答えは、否である。

 

少なくとも長門は、そう考える。

戦う能力を失ったモノに何の価値があるというのか。生きて生き恥を晒せと言うのか? そんな屈辱を味わうくらいならば、沈みゆく艦とともに運命を共にするのが誇り高き戦艦の生き様である。

確かに、駆逐艦や軽巡洋艦においては、艦のみが沈み艦娘が生き残るということは希にあった。しかし、戦艦や空母が生き残ることは無かった。何故ならば戦艦や空母が沈むということは艦隊そのものが瓦解している状況であり、沈みゆく船から艦娘を救い出す余裕が無い状況であるからだ。また、戦艦、空母は艦隊旗艦であることが多く、生きて生き恥晒すよりも敗戦の責任を取り、死を選ぶ事が多かったという事情もある。

あの時までは長門もそのつもりだった。

冷泉提督に救われるまでは。己が誇りよりも、冷泉提督への想いが勝り、冷泉提督を悲しませたく無かったから生きることを選んだ。

 

この先、何があろうとも、この身は常に提督の側にある。……命尽きるまで。

そのつもりだった。

 

異変を感じたのは、ここに来て1週間も経たない頃だろうか。

急な眩暈や脱力感を感じるようになったのだ。単なる疲労? 少し休めば治るだろう。最初はその程度にしか思っていなかったが、症状は日に日に酷くなり、頭痛を伴うようになってきたのだ。体調変化には波があり、良いときもあることはあるが、ほとんどが普通以下になっていた。酷いときはベッドから出ることすら辛い時があったのだ。そして、不調の比率が徐々に高まって来た。流石にまずいと感じ、精密検査を受けることとなったわけだ。

 

「最初に言っておきますが……長門さん、聞こえていますか? 」

考え事をしていたからぼうっとしているように見えたのだろう。乾崎が再度問いかけてくる。

 

「ああ、すまない。大丈夫だ。話を続けてくれ」

 

「はい。最初に言っておきますが、私達人間の科学力では艦娘及び艦の事はほとんどがブラックボックス化されていることから分からないのが現状なのです。今回の件については、あなたがたの日本の拠点……第二帝都東京に問い合わせをしました。それは答えではなく、抽象的なものでしかありませんでした。このため、艦娘側からの解答と不足する部分については他の鎮守府での事例や人間達の独自の研究成果、推論が含まれたものであることを了承下さい」

長門は頷く。オーバーテクノロジーである艦と艦娘の全てが分からないということは了承済みだった。

「艦娘と軍艦は対人類コミュニケーション機能を付与された部分と、戦闘に特化した部分というカタチで役割分担をしています。そして、その二つは人類にとっては未知の回路で接続されています。それは可視化できないない。そもそも物理的に繋がっているかさえ人類には不明ですが。ともかく、それによって情報共有を行ったりエネルギー供給を行ったりしています。しかし、現在、長門さんは軍艦部を失ってしまっています。それがどういうことになるかは分かりますか? 」

 

「つまり、燃料補給を得られなくなっているということだな」

 

「そうですね。だいたいはそうです。しかし、長門さんは人間と同じ物を食べることができる。そして、食事により日常的なエネルギー供給はできることが分かっています」

 

「ほう、そうなのか。ならば、飢え死にすることだけは無さそうだな」

 

「事はそんなに簡単ではありません。手を貸してもらえますか? 」

言われるままに彼女に右手を差し出す。

「チクリとしますが、我慢して下さいね」

そう言うなり、小型のナイフで長門の指先を切る。僅かな痛み。そして、切り口からポツポツと血が溢れ出す。

「見て下さい……。何かおかしくないですか? 」

 

「おかしいもなにも、ただ赤い血が出ているだけだが」

傷を受ければ血が出る。当たり前の事だ。それが目の前で展開されているだけ。やがて血は固まり出血が止まり瘡蓋となる。それだけのことだ。

 

「よく見て下さい。血の止まりが悪くないですか? これまで負傷した時と比較してみて下さい」

そう言われて初めて気づいた。血が止まるのがあまりに遅いことに。艦があったころは、深々と切られたとしても瞬時に出血が止まり、細胞の再生が行われた。傷一つ残らずに再生していたはずだ。それが、出血は緩やかに停止しているだけで、一向に再生は始まらない。

 

「これはどういうことなんだ? 」

僅かではあるが動揺する。

 

「軍艦部との接続が途絶えた今、長門さんの再生能力が極端に落ちているということなのです。それだけでなく、かつては軍艦から得られていたエネルギーにより実現されていた能力も全て失っているのです。艦娘側からの情報提供、そして、人類の研究結果が共に示すこと、それは、あなたはかつての無敵ともいえる能力を失っているということです。……恐らくは人間と同程度の力までに。怪我をすれば治療しなければならないし、症状が酷ければ人と同じように死にます。普通の女の子と同程度の能力しかもはや持たないということなのです」

宣告するように医師が伝える。

予想されたことではあるが、衝撃だった。人間と同程度の運動能力再生能力。それでは何もできないではないか。

プラス思考で人間に戻ったと思えばいいのか? いいや、そんなことは無い。頑張ったところで艦娘は人ではない。決して人間にはなれないのだから。

それは、仕方のないことと諦めるしかない。

 

「ははは……。それは仕方ない事だな。では、この体調不良の原因は分かったんだろうか? 力を失ったのは仕方ないが、体調が戻らないことには、提督と一緒にいることもできないだろう? 」

せめて元気であれば、提督のために何かができるはずだ。原因が分かれば何らかの打つ手もあるだろう。

 

「……ごめんなさい、長門さん」

辛そうな顔で彼女は長門を見る。どういう訳か瞳が潤んでいる。

 



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第129話  為すべき事はすでに決まっているわけで

しばらくの間、彼女は黙り込んでしまった。

何かを言おうとし、そして躊躇する。そして、再び覚悟を決めたような表情になり、しかし、口ごもってしまう。

 

「乾崎少尉……気を遣わなくて構わない。ありのままを伝えてくれればいい」

長門は困ったような表情をしたままの医師を見つめる。

「覚悟はできているよ」

そして、優しく微笑んでみせる。

 

少尉は涙を拭うような仕草を見せると、大きく深呼吸をする。

「長門さん、艦からのエネルギー供給を受けられないということは、更に深刻な影響を及ぼすと考えられます。エネルギー供給が得られないとしても、食事を取ることにより代替することはできるようです。しかし、あなたは艦娘。人間の姿をしていても人間の体と同一ではありません。免疫機構そのものが人間と異なるのか、それともそもそも全く別物なのか我々には把握できていません。けれど言えることがあります。長門さんの体調の異変がその象徴的なものといえます。艦と艦娘。見えないバイパスによって繋がったあなたは、艦よりエネルギーだけでなく、免疫機能の制御をされていたのではないかと想像されます」

 

「つまり、それはどういうことなのかな? 」

 

「免疫と言ったのはあくまで想像でしかないからです。仮定の話でしかありません。艦娘であるあなたの体は、艦からエネルギー供給を得ているだけでなく、艦娘の体を維持するための何らかの物質を供給されていたと考えられます。そして、艦が沈んだことによりそれらの供給は途絶えた。……動くためのエネルギーは人間と同じ食事によって代替することはできるようです。しかし、体そのものを維持する物質を代替するものは無い。その影響が、長門さんの体にも出てきているということなのです。残念ながら、艦娘の体を維持するものが何なのか、私達人類は知らされていませんし、推測もできていない状態なのです」

辛そうな表情で答える乾崎。

 

「少尉、今、私の体【にも】出てきている……と言ったな」

 

「は、はい。言いました」

語った本質以外の事を指摘され、一瞬ではあるが戸惑うような表情を見せる乾崎。

 

「つまり、私のような体調異常を示した艦娘の事を少尉は知っているということでいいんだろうか? その事を教えてもらえないか」

言葉は穏やかだが、有無を言わせない雰囲気だった。

 

「戦闘において、艦が沈んだものの艦娘が生還する事例はいくつもあります。戦艦や空母が沈むような時は、艦隊そのものが全滅の危機になっていますから、生還するのはほとんどが駆逐艦で、まれに軽巡洋艦になります。彼女たちは鎮守府に戻った後、すぐに研究所に移送されているようです。艦がなければ、戦闘に参加することが不可能ですからね。そこで様々な調査が行われた後、あなたたちの側へと返されると聞いています。鎮守府より移送された後の事は、私レベルの人間では知りうる話では無いので想像でしかありませんが。その研究データのみ、一部閲覧できることができますので、お応えできるのはその程度でしかありませんが」

 

「それでも構わない、教えてくれ。……単刀直入に聞く。私は、いつまで生きていられるのだろうか? ……否、いつまで提督のお側にいることができるのだろうか? 」

 

「……戦艦である長門さんに駆逐艦娘の例をあてはめられるかはわかりませんが、駆逐艦だとだいたい1年でテロメアが尽きるそうです」

少尉の言葉を聞き、一瞬だけ瞳を見開いた長門は、ふっと小さく息を吐いたと思うと瞳を閉じた。そして、少し俯くとしばらくの間、黙り込む。

 

どれほどの時間が流れたのだろうか?

乾崎は長門が口を開くまでじっと待っていた。

 

「そうか……」

唐突に長門が言葉を発する。

「いちねん……か」

その言葉には諦めにも似た、しかし、覚悟を決めたような想いが伝わるような口調だった。

 

「あの、なんと言って良いか……。け、けど、あくまで駆逐艦の場合であって、戦艦である長門さんの場合はどうなるか分かるわけでないわけで、そ、それから、駆逐艦の子達だって鎮守府を出て行ってから先の事は、あくまで伝え聞いた事でしかないわけで……一年かどうかだって、確認したわけでもなくてですね」

何とか長門を励まそうとするが、乾崎の口から出る言葉は支離滅裂でしかなかった。

 

「大丈夫だよ、少尉。そんなに気にしなくていい。私とて、かつては鎮守府旗艦の重責を務めた艦娘だ。そして、軍艦だ。死を恐れるような事は無い。これが運命であるのなら、受け入れよう。私の時間が残り少ないということが分かっただけでも僥倖だ。むしろ感謝する。ありがとう」

そう言うと、長門は少尉の手を握り頭を下げる。

 

「けれど、長門さん。あなたは冷泉提督の事を……。そのためにこの鎮守府にやってきたのに、それなのに」

どういうわけか少尉の頬から涙がこぼれ落ちる。

 

「これも運命なのだ。それに、こうなる事は何となく予想できていたんだ。それを再確認しただけなのだから、少尉が気に病むことではない。私は、残された時間をいかに有意義に使うか。それだけに集中するだけだよ」

長門の口から出た言葉は、偽らざる本音だった。もともと軍艦である長門にとって、死は恐れるものではないからだ。そして、長くは生きられないだろうということも、ある程度予想できていた。そして、それがほぼ間違いないことも分かった。ならば、あとは何を為すべきかを決めるだけだ。そして、それはすでに決まっている。ならば、何も迷うことはない。

「短い、な。もう少し時間が欲しい……」

その言葉はあまりに小さく、少尉に聞かれる事はなかったようだが。

「そうだ、少尉」

滅入りそうになる心を奮い立たせ、極力明るい声で話しかける。

 

「はい、……なんでしょうか」

泣き腫らした目でこちらを見つめる乾崎。何事かといった表情だ。

 

「一つだけお願いがある。聞いてくれるだろうか? 」

 

「わ、私にできることであれば、何でも」

何を言われるか少し怯えたような表情を見せている。それでも自分のできることであるのならば、なんとかしようという意志が感じられる。……真面目な子だな。

 

「そうか。……では、お願いするよ。このことは提督には絶対に言わないでくれ。もちろん、他の艦娘にもだ。約束してくれるな? 」

 

「え? どうしてですか? 提督にはお知らせしておく必要があるんじゃないですか? いえ、上司である提督は知っておくべきです」

 

「それは駄目だ。私の体の事を知ってしまったら、きっと、私の為に極力時間を割くようになるだろう。それだけじゃない。私に優しくしてくれるだろう」

 

「それでいいじゃないですか。その、……長門さんは提督のことを」

言いかけて、言葉を濁す。

 

「それでは駄目なんだよ。私は提督の同情が欲しいんじゃないのだから。愛する殿方に哀れまれるなんて、辛すぎる。私にそんな辛い想いをさせたいのか、少尉は? 」

 

「い、いえ。とんでもないです。そんなこと考えてもないです」

慌てて否定する少尉。

 

「では、決まりだ。このことはずっと秘密にしておいてくれ。提督に聞かれても適当に誤魔化してもらいたい。いいかな? 」

そう言って彼女を見つめる。

少し不満がありそうな表情をしていたが、黙って睨むように見つめていたせいか、

「仕方ありません。長門さんの言うとおりにします。……でも、形はどうあれ、話したほうが提督が長門さんのことを注目してくれるのに……」

不平を言いながらも承諾してくれた。

 

「では、頼むよ。約束だ」

そういって、念押しをする長門。

 

自分に残された時間は、少ない。けれど時間なんて問題じゃない。いかに充実した時間を過ごすことができるかが肝要なのだから。

提督に愛されるかどうかは問題ではない。いかに、自分が提督を愛せるか。この人だと思う人に出会えた事を喜べるか。それだけなのだから。

その先にある、辛い現実は、あえて見ないようにする。

 

しかし―――。

 

ふと疑問が過ぎる。

 

乾崎少尉が話の中で言っていた事。艦を失った艦娘は鎮守府から研究所へ移送され……というところだ。確かに、横須賀にいた時も何度かそんな事があった。あの時、提督がなんとなく苛立っていたような記憶があるが、あれは何故だったのだろうか? 少し疑問を感じて、彼に聞こうと思いながら、多忙な任務に追われて聞きそびれてしまっていたことを思いだした。

 

艦を失った艦娘は、我々の日本国における本拠といえる第二帝都東京へと送られ、再生されると聞いたことがある。その前に人類の研究施設に送られるという事務手続きでもあるのだろうか。たぶん、そうなのだろう。どちらにしても、事実かどうかは確かめようの無いことなのであるのだから。

 

少尉に他言無用と念押ししたのは、提督と離れたくないのが一番の理由だったが、得体の知れない研究施設や第二帝都東京にも行きたくなかった。

 

死ぬなら戦場、もしくは提督の腕の中でと決めているのだから。

それだけは絶対に譲れないのだ。

 

自分に残された時間は、少ない。

悩んだりしている時間は無いのだから。



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第130話 【日常】朝のひととき。そして、決意

「いや……しかしだな、もごもご」

口に食べ物を含んだまま、思わず冷泉は口にしてしまう

 

「提督、どうかされたのですか? 」

そう言うと、神通は不思議そうな顔で冷泉を見つめる。

「まだまだ料理はありますよ。これもとてもおいしそうですね。はい、【あーん】してください」

満面の笑みで料理を差し出してくる。

 

「お、おう。……あーん」

冷泉は口を大きく開ける。

 

今は、―――朝。

 

場所は、鎮守府にある幹部職員用の食堂……否、レストランである。

もちろん、特定の時間だけ幹部職員用となっているものの、それ以外の時間は一般職員に開放されている。値段は少し張るが、味はそれ以上に納得のものだと鎮守府でも有名だ。テーブルもゆったりと配置されているため、多人数は入ることができないから、競争は激しい。

朝はビュッフェ形式となっていて、冷泉が座る前のテーブルには和洋中とバラエティに富んだ料理が並べられている。もちろん、デザートやフルーツも充実している。

 

領域により世界から取り残された日本とはいえ、そうなってからだいぶ時間も経過している。最初は日本で採れる食材は一気に減少し、悲惨なものだったと聞いているが、様々な研究の成果や艦娘側の強力もあった。そのため、食材の確保方法も確立され、よほどの物でなければ手に入るようになっているのだった。もちろん、末端の人間にまで行き渡るほどの量は無いのだけれど……。

 

余談は、置いておいて―――。

 

朝御飯は、昔からできるだけ多く取るようにしている冷泉ではあるものの、そこに並べられた量は一人分としてはあまりに多く、食べきる自信が無い。だったら、そんな量を取ってくるなよと言われるかもしれないが、……冷泉が運んできたわけでは無いのである。

 

「失礼ですけど……提督。さすがに朝からリスみたいに頬を膨らませて食事するなんて、お行儀が悪いです」

冷泉を挟んで隣には、加賀が少し不機嫌そうに腰掛けている。

「はあ……。リスほど可愛ければいいのだけれど。ふ……こんなに大きいと、流石に不気味ですね。鼻の下を伸ばしたエロ親父みたいな間抜け面は、朝から気持ち悪いです」

 

「そんなことありません。提督は、普段からすごく素敵なんですけど、ご飯をいっぱい頬張っている姿は、いつもの凛々しい提督とは違って……とっても、可愛いって思います。なんか、私、見てるだけでほんわかしちゃいます」

嬉しそうに神通が笑う。

冷泉の日常の世話係を任命された神通と、秘書艦の加賀が一緒にいるわけで、二人揃って料理を……どういうわけか競い合うように運んできたので、料理の量が半端で無くなっているわけなのだ。

まあ、それは仕方ない……か。

それぞれが、冷泉が食べる分ということで一人分の料理を持ってきてくれたんだからな。単純に足し算したら二人前になるわけで。

ボリュウム的には五人前くらいありそうだけれど。

 

「そーかあ? 俺って可愛かったりするのかな? ……ってか、神通、今なんて言ったのかな? もう一回言ってくれないか? よく聞こえなかったんだ。……『普段から云々……』のところが」

 

「はい。提督は、すごく、……素敵だって言ったんです」

少し、はにかみながら答える彼女の姿は、とても初々しくて可愛い。

 

「え、本当にか? そ、そんなに俺にお世辞なんて言っても、むふん、何も出ないよ。まあ、褒められると嬉しいんだけどねえ」

ニヤニヤしながら冷泉が答える。

 

「え? 私は、本当の事を言っているだけです。本当の事を言うことが、お世辞になってしまうんでしょうか? 人間って複雑で不思議なんですね」

小首をかしげ、本気で不思議そうに答える。困惑する小動物みたいな瞳でこちらを見つめるその姿は、元気だったら理性を吹っ飛ばしかねない破壊力だ。

 

「ちっ……」

背後から舌打ちが聞こえ、足元から振動を伴った変な音がする。首より下の感覚は無くなっているけれども、振動は首より上で感じ取れる。

 

どんどんどん。

 

何度も何かを踏みつけるような振動と音だ。地震かと思うほど、冷泉の体が揺すぶられているのが感知できる。

 

何事か……気になって足元を見ると、加賀が冷泉の足を踏みつけていた。

 

あらゆる感覚を失っているから分からないけど、加賀の履物はかなり高さのあるぽっくり下駄みたいなやつで、結構重さもありそうだ。そんな履物の、しかも踵部分で、がしがしと結構強めに踏んでいるぞ。普通の奴だったら、悲鳴を上げて飛び回ってるくらいの攻撃と推測する。もしかしたら、足の骨折れてるかもしれない。あとで病院行かないと。

思わず加賀を見てしまう。

 

「何かありましたか? 提督」

何事も無かったように、不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。その表情は、まさにクールだ。感情を表に出さずターゲットを仕留める。まさに、殺し屋のそれだ。

 

しかし、それはともかく、……澄ました顔も綺麗なんだよなあ、加賀は。

「提督、どうしたのですか? 私の顔に、何か付いていますか」

 

「いやあ、加賀、お前……ホントに、凄い綺麗な顔してるよな。ホントにびっくりするよ」

何故だか、そんな感想を口にしてしまう。言いながら、まじまじと彼女の顔を見てしまう。

 

「な! 」

その瞬間、言葉を失った加賀は、何かに動揺したように両手をバタバタしている。耳まで真っ赤になって、どうしたんだろう。

「な、ななんななななんな」

と、意味不明な事を言っているし。

 

「あの、提督。あまり時間はありませんよ。加賀さんといちゃつくのもいいですけれど、きちんと朝食をお取りください」

強引に車椅子の向きをグルン変えられ、再び冷泉は神通の方を向かされる。

「どーぞ」

次々と料理が口の中に押し込まれる。個々の料理は確かに旨い。旨いんだが、食べるペースが神通の給仕に追いつかない。神通の分を食べている先から加賀が料理を運んで来て、無理矢理それが押し込まれ、また口をリスみたいに膨らまさざるをえない。そこにさらに神通が料理を差し出す。

 

「て、提督。こちらも食べてください。このプレーンオムレツ、おいしいですよ」

更に横から違う料理が出てくる。動揺から立ち直ったのか、加賀が冷泉に食べさせようとしているらしい。よく分からないが、神通に対抗意識を燃やしているようだ。

 

「加賀さん、提督の身の回りのお世話は、私が仰せつかっています。秘書艦の加賀さんがそこまでしなくても大丈夫ですから」

やんわりとした口調で神通が窘める。

 

「いいえ、我が儘な提督のお世話が大変なのは、私もよく知っています。二人でさっさと片付けたほうがいいのです。でないと、チンタラチンタラ食べるし、無駄話はあちこち飛び回るわで、いつまでたっても終わりません。それに、神通。あなたは遠征続きで疲れているのですから、あなたこそ、あまり無理をしないほうが良いではないですか」

あまり起伏の無い喋り方をしてはいるけれど、なんだか結構、苛ついているように見える。

 

「私は、こうやって提督のお世話ができるだけで幸せなんです。ちっとも疲れないですし、逆にお世話できることが嬉しくて嬉しくて。私、朝が待ちどおしいんです。ですから、お気遣いは無用です。ですから、すべて私におまかせください」

そう言うと、冷泉の車椅子を自分の方へと引き寄せると、神通は微笑んだ。

「ね、提督。何もかも私におまかせくださいね」

 

「お、おう」

と、反射的に答えてしまう冷泉。

 

「いいえ、駄目です。この人はちょっと甘い顔をすると、すぐエッチな行動に出るんですよ。女の子の敵です。神通、油断したら駄目よ。本当に変態なんですよ、パワハラセクハラ帝王なんですから。見かけは偉い提督のくせに……」

本気か嘘か分からないけれど、割とむちゃくちゃな事を言うなよ。そう思い、呆れながら冷泉は加賀を見る。

「神通みたいな子が提督と二人っきりになったら、大変です。間違いがあったら大変じゃない。秘書艦として、鎮守府の風紀は守らないと」

 

「あの……わ、私……提督にだったら、そんな事をされても平気です、よ」

恥ずかしそうに告白する神通。

冷泉は、料理を飲み込むために口に含んだアイスティーを吹き出しそうになった。

加賀も呆然とした顔で彼女を見つめてしまう。

そして、

「そ、そんなの、駄目です! 駄目駄目ぇー。私は認めませんからね、許しません」

何故か意味不明な言葉を口にしたと思うと、そんな言葉を口にした自分に気づき、またまた顔を赤くして黙り込んでしまう。

 

やれやれ。

情緒不安定な部下を持つと、わりと大変だな。

率直な感想だった。

 

 

そして―――。

そんなこんなで朝食を終えた冷泉は、執務室に戻って来ていた。

 

執務中については、秘書艦が対応するという取り決めになっているので、神通は宿舎に戻っている……はず。

おそらく、たぶん。

もしかすると、定時になるまでどこかの部屋で待機しているのかもしれないが、そこまでは詮索しない事としている。今は彼女にとっては勤務時間外となっているのだから、どこでどう過ごそうと文句は言えない。業務でもないのに庁舎に留まるのは云々という話もあるかもしれないが、艦娘にとっては個と公の区別がほとんど無いから一般の職員と同じ扱いはできない。よって、鎮守府内でどこにいようと、文句は言えないのだった。

 

「加賀……」

 

「何でしょうか? 」

 

「すまないけど、胃薬と水を貰えないか? 」

朝から食べ過ぎたせいで胃がもたれてる。結局、二人が持ってきた料理を全部食べきってしまった。食べ放題で残すのは御法度である。世界にはその日の食べ物にさえ困窮する人がいるのだ。たとえ、鎮守府司令官の地位にある冷泉であっても許される行為ではない。ということで、ひとかけらも残さず食べたわけで。その結果、おなかが破裂しそうだったのだ。このままじゃ仕事ができないわけで。

 

すぐに、彼女は胃薬とコップを持ってきてくれる。まるで、あらかじめ準備していたじゃないかと思うほどの段取りのよさだ。

冷泉は礼を言うと、すぐに薬を嚥下する。少しすれば気分が優れるようになるだろう。

 

さて、仕事だ仕事。気分を入れ替え、机の上に積み上げられた決裁書類に向かおうとする。

しかし、気配を感じてそちらを見ると、加賀た立ったままだった。いつもなら、すぐに自分の席に戻って、業務に集中するのに。

 

「どうかしたのか? 」

 

「……あの、提督」

もじもじと、何かを言うべきか言わざるべきか悩んでいるような素振りを見せている。

 

鎮守府に来た頃は、ツンとしていて余所余所しい雰囲気をさせ、あまり感情を表すことも無かったんだけどな。ふと思い出してしまう。クールで他人を絶対に寄せ付けないオーラのような物を纏った、とても気むずかしく扱いにくい上に気の強い艦娘……話しにくい子だと思っていた。

もっとも、見た目といいスタイルといい、冷泉にとってはドストライクの女の子だったわけだけれども。

けれど、言葉を交わす内、死線を共に越える内に、だんだんと打ち解けて来たのかもしれない。まだまだ心を開いてくれているわけじゃないんだろうけど、心の内を、彼女が背負った悲しみや苦しみを時々だけれど打ち明けてくれるようになった。考えている事を冷泉には、本音で語ってくれるようになってきている……と思えるようになった。それだけでも彼女から上司として認められたような気がして、結構嬉しく思っていたのだ。

 

彼女が変わったのか、冷泉が変わったのか。それとも二人とも変わったのか。ううん……よくわからないけれど、こんな感じで話し合える関係をずっと続けられればな……なんて思っている。

そういや、加賀が来た頃は、何か頼めるような雰囲気じゃなかったよな。そんなこと言ったら、絶対、睨まれただけで無視されただろう。当時からは想像もできないような事だ。

頼まなくたって冷泉が欲しいと思う時に、さっとお茶やコーヒーを冷泉の好みの味で出してくれるようになってるのだから。……いやあ、変われば変わるもんだよなあ。と、感心してしまう。

 

そんな冷泉の心の動きに気づかない加賀は、戸惑うように視線が泳いでいる。

「さっきは、……さっきは済みませんでした」

早口で言うと、深々と頭を下げる。

 

「何がどうしたんだ? お前が謝るような事を何かしたっけ」

聞いた冷泉のほうが困惑してしまう。

 

「朝食の時に、神通と張り合うような真似をして、提督にご迷惑をおかけしてしまいました。おまけに勝手に怒って、提督の足を思い切り踏んづけたりして……。何であんな事をしてしまったのか。すみません、本当にすみません」

 

「えっと、原因が何だったか分からないからあれだけどさ……加賀がプリプリ怒るところなんて滅多に見られないから、いい物見せて貰ったってこっちが感謝したいところだよ。全然、謝る必要なんてないよ。それにだけど、なんかさ……可愛かったし」

茶化すように言うと、加賀は、ぷくっと頬を膨らませる。

あー、また怒らせたかな。

 

「もういいです。……知らない」

と、拗ねたように言うと、背を向けて黙り込んでしまった。

ああ、たまらん。

もし自分が元気だったなら、加賀を後ろから抱きしめて、何か格好良い台詞を吐くところなんだろうなあ……と思う。全然似合わないんだろうけど。それでも、こんな可愛い子が自分の彼女だったら、本当に素敵な人生なんだろうと憧れてしまう。叶わない夢ではあるものの、憧れるくらいは構わないだろうな……と思ってしまう。

 

しかし……加賀みたいな子が、誰かを好きになることなんてあるんだろうかな? ふと想像してしまう。艦娘だから、恋愛なんてことはしないのかもしれないけれど、彼女の横に並ぶとなると、相当なバックグラウンドを持つ上に。、自惚れと思える程自分に自信が無いと無理だろうな。さらに、彼女に好かれないといけないんだから、その難度は半端無いな。

自分は、無理だな。あっさりと結論される。

 

冷泉は、とにかく彼女達の指揮官として彼女達を護る。それが一番の任務だ。それに全力を注ぐことで、彼女達も冷泉を信頼してくれる。今もまあまあ信頼して貰えているみたいだし、もっともっと精進しないといけないということだ。

 

そして、この体を治すことも重要だ。

 

……麻痺状態になってから、だいぶ時間が経つことから、恐らく……それは叶わぬ夢なんだろう。それが現実だって認識している。けれど、諦める訳にはいかない。できる限りリハビリに励み、ほんの少しでも迷惑をかけないようにがんばらないといけないのだ。少しでも体が動くようになれば、加賀の心の負担も減るだろうし。とにかく……冷泉の体のことが、加賀にとっての彼に対する負い目とさせては絶対にいけないのだから……。

 

決意だけは一人前の冷泉だった。

 

 

 



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第131話 計画

秘書艦の加賀とそんなこんな話を続けている間に、長門が執務室にやってきた。

 

艦を失った彼女は、任務に参加できない。このため、普段から特にすることが無いため、基本的にいつも冷泉に執務室にやって来て、過ごすことが当たり前になっていた。

 

長門に対して、冷泉はしばらくの間は休養も兼ねて、好きなようにしてたらいいぞと伝えたものの、かつての横須賀鎮守府の旗艦という地位にあっただけに、彼女は普段から多忙な生活を送っていたはずだ。そんな彼女にいきなり何もせずにいていいなんて言ったところで、逆に困ってしまうんだろうなと心配もしていた。

 

冷泉の予想どおり、彼女は「何もせずにいろと言われても、何もせずに過ごす術を知らぬ我が身にとって、そう命ぜられることのほうが山のような仕事を押しつけられるよりも困るのだが……」とぼやくのだ。

 

「まあ、そうだろうなあ。ずっと最前線で戦ってきたんだ。いきなり何もしなくていいって言われても困るのは理解できる。うん……そうだなあ、じゃあ、とりあえずは今までしたことの無かったこと、してみたかったけれど仕事に追われてできなかった事をしてみたらどうだろうか? 」

と冷泉が提案。

 

「うーむ。日々常に戦うことばかり考えてきた私に、他のことができるとは思えないんだけれど」

そう言って考え込んでしまう長門。

 

困っている彼女を助けてやろうと冷泉は、

「大丈夫だ。そんなに深く考える必要は無いさ。なんとなくでもいいんだよ。お前がしてみたいことをを思い浮かべるんだ。それで、やってみてしっくりこなければ、それを止めてまた考えればいい。何にしても、気楽にいけばいいよ」

 

小首をかしげ何かを考えていた長門であったが、何かを思いついたようだ。

「うむ……。してみたいことなら、……確かに無いことはないんだが」

 

「ほうほう」

身を乗り出すような……実際にはそんなことはできないが、冷泉は興味を示す。

 

「いや、……けれど、そんなこと恥ずかしいな」

 

「へえ……戦艦のお前が恥ずかしがることなんて、なんか女の子っぽいことなのかな。是非是非、教えてくれ」

彼女の態度にますます興味を示す冷泉。無意識のうちに若干ではあるものの、口調がスケベ親父っぽくなる。

 

「提督、長門に失礼ですよ」

加賀が呆れたように窘める。

 

「笑わないだろうか? 」

真剣な表情で二人を見つめる長門。

 

「何を望んだって、笑わないさ。お前もそうだろ? ……なあ、加賀」

 

「はい、もちろん」

一瞬だけ困った表情を見せた秘書艦であったが、すぐに頷いた。

 

「戦艦であった私が、こんなことを望んでも、……提督は怒らないのか? 」

 

「怒るわけ無いだろう? 何も心配することなんてないぞ」

 

「本当に認めてくれるだろうか? あなたは、本当に許してくれるだろうか? 」

 

「もちろん、もちろん」

 

「提督は、応援してくれるだろうか?」

戸惑うような表情で、見つめてくる。

 

「当然だよ。……お前が何か新しい目的を見つけてくれるのなら、それは俺にとっても嬉しい事だ。応援するぞ! 俺にどんと任せろ」

 

「本当に本当なのか? 後でやっぱりそんなのは認めないなんて、提督は言わないだろうか? 」

 

「そんな事言うわけ無いよ。男に二言は無い。それから、忘れてるかもしれないけれど、俺は、この鎮守府の最高責任者だ。その俺が認めるんだから、鎮守府内のことであるのなら、すべてOKだ」

 

「約束してくれるか」

しつこいくらいに念を押してくる長門。

 

「もちろんだとも」

自分の胸をドンと叩いて宣言する。

 

「ちょ、ちょっと、提督。待ってください」

 何か異変を感じたのだろうか。加賀が少し慌て気味に口を挟んでくるが、はいはいと軽く聞き流す冷泉。

 

「提督、あなたを信じていいのだろうか? 」

 

「そんなに心配しなくても大丈夫。俺はお前の上司だぜ。安心しろ、信じて問題無い」

 

「本当にいいのだな? 」

 

「おう! 」

 

「男に二言は無いということは、事実でよろしいか。天に誓って約束してくれるのか」

 

「ああ、……もうしつこいなあ。もちろんだ。だから早く教えてくれ」

少し苛立ちながら、冷泉は大きく頷く。

 

「では、私の願いを今から言う。……私は、冷泉提督の側に、何時いかなる時も……つまり24時間いることにした。朝起きる時も、寝る時も、常にこの身は、誰よりも提督の至近にあることを私は望む」

鼻息荒く、宣言する長門。

 

「は? 」

 

「え? 」

冷泉と加賀が同時に声を上げてしまう。

 

「ちょっと、長門。……あなた何を言っているのかしら? 」

少し呆れ気味に、そして、それ以上に苛立ちながら問いかける加賀。

 

「そもそも提督の所有物となった私が、提督の側にいたいと願うことに何の問題があるのか? 確かに、提督には思い人が幾人もいるようだ。けれど、それはそれだ。今、提督は私の願いなら何でも聞くと仰られた。……そのことは、加賀、お前もしっかりと聞いたな」

そう言われて加賀は、ぐぬぬと黙り込む。そして、冷泉を睨むと

「提督の馬鹿」

と呟く。

 

「提督も、もちろん依存無しで良いな? 」

 

「いや、あの。しかし……だな。けど、ちょ、待てよ。年頃の男女が24時間一緒にいるなんてだな……ちょっと不味くない? 確かに、俺の体はこんなだから、何も無いのは間違いないけど、余所様にいらぬ誤解を招いてしまうだろう? 世間とは下世話な話が大好きだからな。そんなことになったら、長門、お前が嫌な思いをすることにな……」

 

「否! 提督、男に二言は無いと宣言したことは嘘だったなんて言わせないぞ。そして、私が世間から後ろ指を指されるかもと心配しているようだが、そんなの心配無用だ。愛する人と共に居られるのだ。世間がどんなことを言おうとも、何も感じぬよ。否、後ろ指を指されるなんて、むしろ興奮してしまうじゃないか! 」

鼻の穴を膨らませ、興奮気味に語る長門。

 

「駄目だ……」

冷泉はうな垂れてしまう。どうやら、どMスイッチが入ってしまったようだ。冷泉の前で、長門は恍惚とした表情で身もだえしている。もはや、いかなる説得も聞き入れないだろう……。

 

本当に横須賀鎮守府の旗艦だったのか? このポンコツは。

そんな彼女を呆れたように見つめる冷泉と加賀だった。

 

 

……と、そんなやりとりがあって、長門は秘書艦でも無いのに、冷泉の側にいることを認められたのだった。

 

ただし、身の回りの世話については、神通が行うという先約が入っていたし、執務中は現在の秘書艦である加賀がすべてを取り仕切る決まりだ。

 

そして、みんなが帰った後の夜間については、なんとか長門を説得して宿舎に帰るように説得することができた。

 

長門みたいな子が添い寝してくれたら、それはそれで嬉しいんだけれど、長門のような魅力的な女性が手の届く所にいるのに、動かない体の冷泉は何もできない。そんな蛇の生殺し状態に毎夜されるのだったら、とても精神が保たない。だから、それは勘弁してくれと懇願した成果だったのだろうか。わりとあっさりと長門が引いてくれた。

「確かに、私と提督が結ばれてしまうことがあると、悲しむ艦娘も多いだろう。それどころか、提督の不貞を許さない者も出てくるかもしれない……。本命の艦娘を手篭めにして、他の子にも手を出すような積極性が提督にあれば、そんな事もないんだろうけれど。今の提督だと、本当に嫉妬に狂った誰かに殺されるかもしれぬし……。くう、嘆かわしい」と、加賀をちらちら見ていたのは、意味が分からなかったけれど、

 

それでも、四六時中べったり張り付かれることを免れた冷泉としては一安心だった。

「まあ、たまになら添い寝してもいいんだけど」

と思わず冗談めかして言ったら、どういうわけか、加賀が睨んできた。

 

―――。

 

「では、仕事を始めよう」

冷泉の言葉を合図に、加賀は自分の席に戻ると、書類を確認し始める。長門も加賀の隣にわざわざ設けさた机……最初は冷泉の隣に机を持ってこようとしたが、加賀が無理矢理自分の隣に設置させたのだが、で仕事を始める。

 

書類をめくる音、パソコンのキーを叩く音だけが室内に聞こえる。

 

冷泉は、机の上に置かれた決裁文書に判子を押しながら、ぼんやりと二人の艦娘を見つめる。

 

仲良く二人並んで腰掛け、真剣な表情で仕事をしている。考えるまでもなく、二人の艦娘は日本国最強、そして最良の鎮守府である、横須賀鎮守府にいたエリート中のエリートなのだ。そして、その中でさらに彼女達はナンバー1,ナンバー3の地位にあった、とてつもなく優秀な艦娘だったのだ。

そんな二人が、なんやかんやあって、冷泉の元にやってきて、現在、鎮守府の仕事を手伝ってくれている。

彼女達がとても優れていることは、少し仕事ぶりを見ただけで分かる。これは凄いことだよなと思うと共に、こんな優秀な二人を奪われた横須賀は、今頃大変なんじゃないのかって心配になる。おまけにあそこはナンバー2だった赤城も戦闘で失われているんだから、他人事ながら心配して当然だ。

 

まあ、その分、あそこの司令官は優秀だから、回せていけるんだろうけれど。

その点については、少し嫉妬してしまう。

もう少し自分の才能があれば。少しでも……実力が伴えば舞鶴鎮守府の現状も、もう少しはマシになるんだろうけどな、と。無い物ねだりをしても仕方が無いことは分かっている。けれども、艦娘達に迷惑をかけてばかりの冷泉にとっては、とても辛いことだったのだ。才能の無い人間の下についた彼女達は可哀想だと。

 

「提督よ。さっきから、いやらしい目で私の体をなめ回すように視ているようだが、自重してくれないだろうか? 流石に少し照れてしまうぞ。……いや、視られることが嫌なわけでは無いのだよ。そこは勘違いしないでくれ。恥ずかしくて体がほてって、変な気持ちになってしまうというデメリットはあるのだが、それはそれで興奮するし、嫌な気分では無いから別に構わない。ただ、同じ部屋に加賀もいるのだから、少しで構わないから彼女に配慮して貰えないだろうか? 」

顔を赤らめ瞳を潤ませながら、長門が訴えてくる。

やれやれ、何を訳の分からないことを言っているんだろう、この女は。

 

「はあ? 提督、そんな嫌らしい目で長門を視ていたのですか? ……長門が露出の多い服を着ているのがいけないのよ。視てくださいって言ってるような格好だもの。確かに、もう少し恥じらいを持ったらってずっと思っていたわ」

 

「露出は別に多くないと思うが。それに、横須賀でも同じだったんだがな。あそこではそんなことは言われたことも無かっただろう? 何の条件も変わっていないはずだぞ。なのに、舞鶴ではそんなことを言われるなんて侵害だ」

長門が反論する。 

 

「私はずっと思っていました。もう少し恥じらいを持つべきだって」

 

「本当か? お前とはずっと一緒にいたけれど、そんなこと一度も言ったことが無いだろう? どうして急にそんなことを言い出すのだ? 私には分からないよ」

 

「そ、それは……。露出の多い格好でうろうろされたら、じろじろ見てしまう変質者が一人ここにはいるんですから。ずっといやらしい目で見られてたら、長門が困るでしょ」

どういうわけか消え入るような声で加賀が反論する。

 

「はっはーん。やっと分かったよ、加賀」

 

「何がですか? 」

 

「横須賀と舞鶴で何が違うかが分かったってことだよ。それすなわち、提督とお前の関係が全然違うってことだ。お前が冷泉提督の事をだ……ふがふが」

何かを言いかける長門に、飛びかかるように襲いかかった加賀は、彼女の口を強引に塞ぐ。フガフガと何かを言おうと藻掻くが、思った以上に加賀の拘束は強い模様。

 

「それ以上の無駄話は却下です。馬鹿話を続けることは、業務に支障が生じます。これ以降の私語は禁止です。いいですね」

キッとした目つきで睨まれた長門は、苦笑いを浮かべると諦めたように頷いた。

冷泉としてはその続きが聞きたかったものの、どうやらそういう雰囲気でもないので諦めた。

 

そして、しばらくの間だが、静かな時間が流れる。

 

唐突にその沈黙を打ち破ったのは冷泉だった。

 

「加賀……いいかな? 」

 

「何でしょうか? 真面目な話ですよね」

 

「おいおい、当然だろ。ちゃんとした仕事の話だよ」

 

「提督にしては、珍しいですね。ではお聞きしましょう」

わりときつい事を言うな。そんなことを思いながら隣を見ると、長門がにやけていた。

 

「実はだな……」

冷泉はずっと考えていた事を口にする。それは鎮守府の戦力強化に関する事と、今後の運営のことだった。

 

「現在、新たな艦娘の増員要求をしているわけだけれども、それだけでは足りないと考えているんだ。平行して行うべきことは現有戦力の強化だ。つまり、艦娘の改装を行う必要があると考えている」

 

「まあ、それはそうですけれど。……改装を行うには規定の経験を得ていたり、練度を上げておく必要があることはご存じですよね」

 

「うん」

 

「しかし、改造を行える条件は艦娘事に異なりますし、明示されていません。また艦娘が現在どれくらいの成熟度があるか、数値化されているわけではありません。成熟度が不足していた場合は、改造は失敗に終わり、そのために資材と時間が無駄になります。ゆえに、改造を行う場合は規定値より多めの鍛錬を行ってから実施することになります」

ゲームと異なり、艦娘のレベルは数値化されない。このため、対象となる艦娘が現在のレベルがいくつかというのは分からないのだ。それまでの戦闘経験、遠征数、訓練時間などと過去からの実績をもとに判定するしかないのだ。このため、実際より多めの鍛錬を積んで後、改造作業が実施されている。艦娘がブラックボックス化されている部分の一つである。

「うちの鎮守府はまだまだ資材が不足しています。改造失敗は、わりと運営に応えますよ」

秘書艦の心配はもっともであるが、冷泉は艦娘のレベルが分かるという特殊能力を得ている。これは誰にも言っていない事であるから、当然加賀も知らない。説明しようとしても、たぶん理解してもらえないだろう。だから、司令官の権限を利用して命令するしかないんだよな。

 

「うちの鎮守府の艦娘は全員が改造可能だと俺は考えている。皆が戦闘や遠征、訓練で練度を相当に上げているからな。とはいえ、全員を改造する資材があるわけもないし、確か……改造にはそれなりの設備のある施設に入れないといけないんだろう? 」

 

「はい。艦娘ともども改装施設に行く必要があります」

 

「なので、順次改造は行っていく必要があるわけだが、すでにそれについては決めているんだ」

 

「なに、それは誰なのだ? 提督のお気に入りは誰なのだ」

何を勘違いしたのか、長門が興奮気味に聞いてくる。

 

「いや、そういう事じゃなくてだな……まあいいや。今考えているのは、神通、それから祥鳳……そして扶桑だ」

練度と改造期間中の代替要員を考えるとこのメンバーになる。駆逐艦娘も該当者はいるのだけれど、順番が下になってしまう。

「それから、神通については改二レベルの改造を行う」

その言葉を聞いた途端、二人の艦娘が驚きの表情を浮かべたのが分かった。

 

「そんなことできるのですか? 一気に二段階も改造を行ってしまうなんて。そもそも、改二とは生まれ変わりに近い程の変革を生じるもの。相当な鍛錬を行わなければ条件を満たすことはできませんし、そのために膨大な資材を使うことになります。失敗による損失は改造の比ではありませんよ。それを分かっていて一足飛びにそんなことを行うというのですか? 資材だけではありません。艦娘にだって失敗したときには、どれほどのダメージがあるか冷静に判断して下さい、流石に無茶です」

真面目な顔で加賀が諭してくる。

 

レベル20で神通改。レベル60で神通改二となるってことは知っている。そして、現在の神通のレベルは62だ。楽勝で条件をクリアしている。僅かな期間で一気にレベルを上げた彼女がどれほど過酷な鍛錬をしたのか、冷泉は知っている。それに答えてあげたいという気持ちもあるし、鎮守府にとっても必要なのだ。

「それについては全く心配していない。神通の成熟度は最早、改二レベルに到達しているのは明らかだ。それについては俺が保障する」

 

「しかし、そうは言っても……」

いきなり保障すると言われても何の実績も無い冷泉に言われても、さすがにそうですねとは言えないのだろう。困惑の表情を浮かべる加賀。

 

「提督……」

突然、長門が口を挟んでくる。

「私はあなたの言うことはどんなことでも信じたいと思っている。けれど、こんな話は今まで聞いたこともない。何事にも順序というものがあって、まずは改造を行い、その後様子を見ながら改二レベル到達を見極め、それを行うというのがこれまでの常識だと思っている。……改二というものが設定されていない艦娘もあるのだから。もう一度考え直して貰いたい。リスクを承知でそれを為す? 本当にそれでいいのですか」

確実にできるのは冷泉だけが分かっている。しかし、それを説明する根拠は何も無い。けれど、絶対に大丈夫なのだ。

 

「考えに変更は無い。しかし、絶対成功する。……司令官たる俺が言うんだ。お前達を納得させる説明はできないんだけど、俺を信じろ……としか言えない。すまん」

そう言うしか無かった。

 

少し考えた後、

「うむ。提督がそう明言されるのなら、私は提督を信じるぞ」

 

「え? 長門、本当にそれでいいの? 提督は何の説明もしていないのよ」

呆れたように反論する加賀。

 

「問題ない。冷泉提督のこれまでの私達への対応を振り返ってみればいい。何時いかなる時も提督は艦娘の事を思い行動している。提督は常に正しい。故に私は提督を信じる。それだけだ。お前だって、提督を疑うような気持ちなど持っていないだろう? 私達はただ提督を信じればそれだけでいいんだ」

決定すれば即行動……。迷いなど一切無い。すごくまっすぐな性格なのだな。冷泉は長門の性格を再確認する。

 

「……わかりました。提督が決定された事なら、仕方ありません。いろいろ疑問はありますが、司令官の判断に従います」

しぶしぶといった感じで加賀も承諾した。

「手続きについては事務方を通じて進めていきますね。神通の改二への改造、祥鳳、扶桑の改造の手続きを申請しておきます」

 

「いや、ちょっと待って」

 

「何か他にあるのですか? 」

怪訝な表情で加賀が見る。

 

「改二申請についてだけど、神通だけじゃないよ」

 

「何? 他にも対象者があるのか」

驚いた反応を示す長門。加賀も同様だ。

 

「扶桑も改二に改造するよ」

冷泉は軽く発言したつもりだったが、二人の艦娘には衝撃だったようだ。

 

 

 



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第132話 意外な障害

 

なんだか部屋の空気が変わったような気がする。

わりと和やかな感じだと思っていたけれど、それが一変し、凍り付いたようにさえ感じられた。

 

先ほどまでぼんやりした顔で興味深げだった長門が、頭を抱えるような仕草を見せる。

秘書艦の加賀だって、目を閉じて頭を何度も左右に振っている。

 

「ねえ……提督」

加賀が諭すような口調で話しかけてくる。

 

「どうしたんだ、二人とも。なんだか様子が変わった感じなんだけど、何かあったのか? 」

 

「……あのね、提督」

深いため息をついた後、再び加賀が言葉を発する。

 

「はいはい」

よく分からないまま、相づちを打つ冷泉。

 

「ちょっと前だったら、何言ってるのこの馬鹿は?って思ったけわ。でも、これまでの提督の行動を見て、常にあなたが何らか根拠があって行動している……少し脳天気に見えるけど、いろいろと考えてる人だと理解しているつもりです。けれど、あえて質問します。改二ってどういうことか、解っていて? 」

冷泉の事を信頼しているのか、そうじゃないのかよく分からない言い方で問われる。

 

「ふふん。もちろん、解っているつもりだ。いや、えっと、だいたいは、解っているつもり……なんだけど。たぶん」

言葉は尻すぼみになってしまう。冷泉が知っているのは『艦隊これくしょん』でのことであり、こちらの世界の改造は知らない。だから、解っているつもりとしか答えられない。

 

「そう……そうなんですか、やっぱり……ね。では、おさらいになる部分も多いかもしれませんが、きちんと説明しますね。……艦娘は一定の熟練度、提督みたいにゲームばっかりやってた人にわかりやすく言えば、RPGのレベルみたいなものですね、つまりそこまでに達すると改造という工程への移行が可能となり、艦本体の改装及び兵器換装、動力調整などが行われます。そして、リンクする艦娘側の新艦への対応の調整を行うことになります。それが改造と呼ばれる作業です。そうして、改造が成功すると、艦娘と艦双方のステータスが向上することになります」

そこで一端、加賀が説明を止め、冷泉の理解度を確認するように見てくる。そこまではゲームと変わることはなさそう。冷泉は、頷く。

「しかし、改造可能な熟練度については、各艦娘によって異なること、艦娘の熟練度を数値化する事は現在のところ、人類にできません。何故なら、艦娘というもののほとんどがブラックボックス化されており、解析する権限が人には与えられていないからです。このため、データを収集し、試行錯誤を繰り返すしかなく、人類は何度も何度も失敗を繰り返してきました。しかし、その失敗のデータ、成功のデータの積み重ねのおかげで、おおよその予想ができるようになってはいます。現在では、いくつかのステップを踏むことで、対象の艦娘の熟練度の予想数値を算出することは可能となっています。もっとも、それは、あくまで予想値でしかありませんけれど……。ここからが本題になります。その予想値を得るために、横須賀鎮守府においては、日々のデータ収集を徹底するだけではなく、定期的にドッグで集中的な診断を行っていました。これらの蓄積によって、可能性を審査し、最終的に提督が判断する手続きを取っていたのです。……けれど、提督が仰った神通、祥鳳、扶桑については、いえ、舞鶴鎮守府在籍の全ての艦娘についていえることなんですが、過去数年に渡り、データを計測していた形跡がありません。定期診断さえ、できていない子もいました。これについて横須賀鎮守府だけが特殊だった可能性があるので、なんともいえません。……けれど、提督はそんな状況でありながら、この三名を改造対象として選択しました。いえ、それどころじゃあありません。改二まで行うという決断をしています。これはどういう事なんでしょうか。どういう根拠なんでしょうか? 」

心の底から不思議そうに問いかけてくる秘書艦。

 

冷泉は焦るしかない。どういう根拠で改造するのかを、冷泉に問いかけているのだ。正直に答えるべきか、そうしないか。

正直に答えるならば、自分の異能を告白することになる。しかし、これはこれで信用に値するデータは無い。ただの法螺吹きとしか思われないだろう。逆に嘘をつく事も難しい。そもそも、理由が思いつかない。日々の行動を記録したデータを元にして検討した結果だ、と言おうとしていたのに、データが無いなんてどうなっているんだ。冷泉はすでにこの世にいない、前任の緒沢提督に文句が言いたくなった。

 

「特に改二については、より高い熟練度が要求されていて、それに満たなければ失敗となります。資材の損失の大きさは当たり前として、艦娘へのダメージも相当なものとなります。場合によっては再起不能となることもあると聞いています。そんなリスクがある改二を、何のデータの積み重ねもない状態のままで、行おうとしているのですか? 」

続けざまの加賀の言葉に動揺せざるをえない。

失敗したら資材が無駄になるだけじゃないのか? 艦娘にダメージ? 再起不能? そんなの聞いたことないぞ。

 

冷泉が知る改装とは、一部の艦娘については高いレベルまで育成すると「改」の次の段階、つまり「改二」という改造をすることが出来る。これによる改造を行うと更にステータスが強化されるし、ゲームでは艦娘の立絵の変更も行われる。ゲームでは一大イベントである。改二で顔とはスタイルが変更され、いまいちだった子も劇的にあか抜けした可愛い艦娘になることが多い。更に艦娘によっては、一部ステータスが一気に強化されたりもする。また、艦種自体が変更となる場合もある。今回、冷泉が提案した扶桑の改二もそうであるのだが。……こんなところだ。

しかし、こちらの世界では、改造というものは存在する。改造するためには、設定レベルがあるが、艦娘のレベルは人間では分からない。よって、改装申請しても規定レベルに達していないため失敗することもある。その際は資材は消失するし、艦娘にも負荷がかかるらしい。改二ともなれば、再起不能になるなど更にリスクが高い。

 

どう説明したらいいんだ? ……。

 

「提督、黙り込んでいては私達を納得させることはできないぞ。どういう根拠で提督がそう仰るのかを私達にも伝えて欲しい。リスクを仲間に負わせる指示なのだ。それなりの理由があるのだろうけれど、現状のままでは私達には理解できないのだ」

長門までが追求をしてくる。

 

このまま嘘を突き通すか? それとも自分の能力を明かすか。冷泉は少し考え込むが、すぐに結論づける。

 

「俺には、艦娘の熟練度が解るんだよ。そして、どの段階で改造できるかっていうのもね。だから、お前達の心配は杞憂に過ぎない。俺が大丈夫と判断すれば、それが正解だ」

きっぱりと言い切った。

 

「はあ? 」

予想通り、呆れたような表情を見せる二人の艦娘。

「冗談は止めて下さい。そんなこと信じられる訳ないでしょう? 」

 

「冗談では無いよ。俺は艦娘の熟練度が解る証拠を見せてやろう。加賀、お前はレベル88、長門は97だ。そして、扶桑はレベル80、神通は62、祥鳳は46だ。三人とも改造レベルに達している。扶桑、神通においては改二レベル80および60を越えているだろう? まだまだだぞ。他の艦娘だって言えるぞ」

冷泉は自信たっぷりに語った。

しかし、当然ながら、二人の艦娘は唖然としたままだ。やはり、いきなりそんなことを言われても、信じられるはずもないのだろう。冷泉の言ったことは、あまりに荒唐無稽な話でしかないからだ。 

「……やっぱり、信じられない……かな? 」

 

「当然です。いきなり自分には特殊能力があって、ブラックボックス化された艦娘のステータスを読み取ることができる。それどころか、各艦娘の改装レベルさえ把握している。そんなこと信じられるわけがありません。私達ですら正確には知らない熟練度を知ることができるなんて、ありえません。あなたは人間なんですよ。私達のサイドにいる存在では無いのです。そんな人がどうしてそこまで知りうるのですか? 」

もっともな事を加賀に言われて、反論の余地なし。

 

「しかし、実際に俺には解るんだ。解るんだから仕方がない」

 

「仕方ないって言われて、はいそうですかなんて言えません。一般的な事なら聞き流せますが、事は改装の事。艦娘にリスクが生じる話です。簡単に終わらせることはできないのです」

 

「この能力について、科学的に説明することはできない。やってみなければ、証明する方法も無い。けれど、これは絶対に自信がある。お前達、俺が言うこと……信じてもらえないのか? 」

説明を尽くして納得させる方法が無い冷泉。とにかく情に訴えるしか方法がない。必死に彼女達に訴えかけるしかないのだ。

 

「そ、……そんな言い方は、ひ、卑怯です。信じられないのかなんて聞かないでください。提督は私の為に、命を賭してまで行動してくれました。そんな人の言葉を信じられないなんて言えるわけが……ないでしょう。それは卑怯です」

小声で答える加賀。

 

「私は信じるぞ、提督。そもそもこの命、提督に拾われた物だ。故に、私は、すでにあなたの物だ。あなたの言うことが全てなのだ。信じてもらえないかなどと問いかける必要など無い。信じろ、それだけでいいのだ。それだけで私は、納得できるぞ」

ぶっ飛んだ回答ではあるが、本気の気持ちを伝えてくれる長門。

 

「うん。二人にもっとちゃんと説明できればいいんだけれど、俺にも説明ができないんだ。けれど、間違いなく改装は成功する。それだけは間違いない。俺を信じてくれとしか言えない情けない男だけれどな」

 

「自信があるのだか無いのだかわかりませんが、これまでの行動が、提督の言葉を信じさせてくれます。正直、理性では納得はしていませんが、信じます」

 

「二人ともありがとう。早速、改装の段取りを始めて欲しい」

感謝するとともに、指示を為す。

 

「しかし……改二の件ですが」

ホッと胸をなで下ろす冷泉に、加賀が指摘する。

 

「他に何か問題があるのか? 」

 

「はい。第一段階の改装については、鎮守府で可能なのですが、改二となると鎮守府のドックでは不可能なのです」

 

「え? そうなのか。どこかに専用の工場でもあるのかな」

思わず口にしてしまうが、改二への改装所を知らないということを言ってしまうのは不味くなかったか、と一瞬焦ってしまう冷泉。さり気なく二人を見るが、特に何も気づいていないようだ。それを見てホッとする。

 

「第二帝都東京……。そこに艦娘の第二段階改装を行える、唯一の工場があるのです」

加賀の言葉に少しではあるものの、驚く冷泉。艦娘を遠く離れた第二帝都にまで移動させなければならないとは知らなかった。恐らくは改装に時間もかかるだろうから、その辺も調整しないといけないな。

 

「なるほど。……艦隊運用に少し調整が必要だな」

 

「そうですね。数ヶ月かかる場合が一般的ですからね」

 

「一度に二人を出すことはできないから、順番だな」

 

「他の鎮守府の艦娘の状況にもよりますから、すぐにというわけにもいかないでしょうしね」

 

「なるほど。……そういえば」

冷泉はふと思いだした事を問いかける。

「改装設計図って鎮守府にあるのかな」

その問いかけに一瞬だけ首をかしげる加賀だったが、

「現在、舞鶴鎮守府にはありません。けれどそれがどうかしたのですか? 」

と、真顔で答えてきた。

 

「ちなみに、勲章とかはあるのかな? 」

 

「同じく一つもありませんが。……提督がきちんと仕事をしていなかったせいもあるんでしょうね。きちんと任務をこなしていたら2~3個は得ているはずなんですけれど」

 

「そうだな。横須賀だと十数個は常にあったように記憶しているが。必要性が無いから気にもしなかったものだが……。提督よ、舞鶴鎮守府の重要性から鑑みるに、少し怠慢だったのではないだろうか。いや、責めるわけではないのだよ。提督には提督の考えがあってのことなのだろうから。人間、やる気の無いときもあるさ。提督の能力の高さは、私が保障する。安心しろ」

褒めているのか貶しているのか解らない物言いだ。けれど、長門なりに庇ってくれているんだろうな。

 

「で、提督。改装設計図が何か関係するのですか? それを手に入れるのは、結構な手間と時間がかかるものですけれど」

不思議そうに問いかけてくる加賀に、冷泉は曖昧な笑みを返すしかできなかった。

 

やばいよ……。

偉そうに改二にするって言ったけど、必要なものが無いじゃないか。

幸い、加賀も長門も知らないみたいだけど、改装設計図がなければ扶桑を改二にできないじゃないか。こっちの世界では必要ないのかもしれないけれど……。

 

今後の艦隊運用から、扶桑の改二は必須だと考えていたのに、早くも暗雲がたれ込めてきた事に、頭を抱えそうになる冷泉だった。



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第133話 改二

冷泉は、考える。

 

どうやら、扶桑を第二段階へと改造するために、改装設計図が必要であることは知られていないないようだ。

戦艦扶桑の改二といえば、戦艦から航空戦艦へと改造するかなり大がかりな改装となる。そのことさえも実は知られていないのかもしれない。

 

扶桑型戦艦は、設計も装備も旧式であり、能力的には戦艦というには弱々しかった。ゲームの中でもあまり使い勝手が良くなかった。性能的なものは別として、その史実から不幸姉妹などと言われて、ネタ艦としての扱いが多かった。そんな彼女達であったけれど、ゲーム内で改二が実装されてからは、強力な火力と対潜能力等からイベントなどにも投入できるようになった。冷泉も改装を行って使用していたが、確かに強力な艦であったし、ルート固定に必要な時もあったから、使用頻度は高かった。

 

一方、こちらの世界での扶桑という艦娘は、不幸艦といったネガティブな雰囲気はほとんど出す事が無かった。しっかり者のお姉さんといった感じで、鎮守府の艦娘達の取りまとめ役を常にしてくれている。癖の強い舞鶴鎮守府の艦娘達がとりあえずはまとまっていたのは、彼女の力が大きいと冷泉は評価していた。みんなが彼女を頼りにしているのはよく分かっていたし、彼女は彼女で艦娘達の状況を常に把握していて、冷泉にもいろいろと助言してくれていた。とにかく、何かあれば彼女に聞けばだいたい分かる……。そんなところがあった。つまりは、有能な部下という印象の方が強かったわけだ。

また、冷泉の個人的な嗜好からも、扶桑は色白で黒髪ストレートのロング、おまけに巨乳だ。性格だって、いつもみんなに優しいし、わりとおっとりした性格は、冷泉の好みのタイプであり、正直、どストライクだった。常に側に置いておきたいタイプの女の子だと思っていた。

 

しかし、残念だ。前任の緒沢提督の事への想いを忘れられずにいることがなければ……完璧だったんだけど。

 

艦娘としてはほぼ完璧に冷泉の好みの扶桑ではあるものの、軍艦として見ると、やはり、少々能力的に劣る部分があるとは感じていたし、運用上でも、実際、問題だった。当然のことだ。彼女は「改」すら名前についていない、どノーマル艦だったのだから。艦娘達は改装を行って、強くなることができるのだ。そして、改装を行わなければ厳しい戦場も実際問題として、多いのだ。これまでの戦いでも、彼女の運用については、苦労させられた。低速艦であることや、設計段階からいろいろな不具合を抱えたままであることや、更に装備が旧式であること……。それだけじゃない。カタログ数値には表れない、、謎の被弾率の高さなどなど……。かといって数少ない戦艦であることから、艦隊編成から外すことも難しい。いろいろと悩ましいし、手の掛かる艦娘だったのは間違いない。

 

艦娘たちへの改装の未実施の件、それは、舞鶴鎮守府全体への問題として波及する。

 

多くの艦娘が改装に必要な規定レベルに達しているというのに、どうして改装を行っていないのか! と何度も前任の提督の無策と怠慢を罵ったことがある。扶桑の件もあったから、尚更、腹が立った。まあ、怒ったとは言っても、もちろん、誰もいないところでなんだけれど。

 

実際のところ、コツコツと艦娘たちの改装を行っていれば良かったのだ。確かに、資材が不足していている現状は、前も変わらなかっただろう。しかし、それでもなんとかやりくりをすれば、一人ずつ改装することはできたはずなのだ。なのに、なんら対策も取らないまま、無改造のままの艦娘達を放置したうえに、艦の補充も行わなかった。そんな状況では、舞鶴鎮守府の戦力は弱体化するしかない。戦力が無いから満足いく戦果を上げることができない。戦果がないから、報酬を得られず、更には被弾した艦娘の修理に化ねと資材を使わざるを得ない。それで、資金も資材も不足する。不足するから現在の戦力を維持するだけで精一杯で、改装はおろか新たな艦娘も迎えることができない……。また戦力が不足する。完全なマイナスの連鎖に陥っていたのだ。

ここまで来ると、わざとやっていたんじゃないかって疑いたくなる。

 

冷泉が着任し、寝る間も惜しんで……本当に睡眠時間は少ない。宿舎に帰ることもなく執務室で寝泊まりして(宿舎があることを知らなかったというのは別の話だ)、必死で無い頭を使っていろいろと手を打って、なんとか持ち直してきているのだ。それでも既存の艦娘達を一気に改装するような財力も資財も無い状況なのである。

 

文句を言っても何も始まらない。結局のところ、優先順位を立てながらやりくりするしかないんだよなあ……。

諦めにも似た感情に支配されても仕方ないだろう。

結局、前へと進むしかないのだから。

立ち止まっているような余裕はないし、そのままでは何も始まらない。

 

再び、思考に戻る。

 

みんなが知らないってことは、もしかして、改装設計図は不要なのでは? なんてことを期待してみる。

……無理だな。すぐにそんな甘い考えを否定する。

 

それが必要であることは、冷泉にだけは分かるのだから……。

しかし、加賀達の話からすると、必要となる改装設計図を手に入れるのはそう簡単ではなさそうだ。勲章4個で一個交換できたんだっけな。ゲームの中では、エクストラオペレーションマップをクリアしたり、期間限定イベントをクリアしないと貰えなかったもんな。現実世界も同じだったらどうしよう。現有戦力より遙かに強力な布陣だったゲーム世界でもわりと苦戦した記憶あるし。

 

ああ! だめだ。どうやったらいいのか分からん!

思わず叫びそうになるが、ふと視線を感じて冷静になる。

 

そちらを見ると、加賀が心配そうにこちらを見ていた。しかし、目が合うと慌てて目を逸らして、頭を左右に振りながらわざとらしく大きなため息をついている。

 

心配なら心配だと言ってくれたらいいのに……。できれば抱きしめて「大丈夫よ、提督。あなたは天才なんだから。あなたは最強の司令官だわ。ちょっと本気を出せば、何だってできる人です。あなたは常に無敵なんですもの。だから、何も心配しないで、あなたの思うままにやれば、大丈夫よ」って背中をトントンして、甘やかしてほしい。そして、彼女の胸に顔を埋めてすやすやと眠りたい。そうできるのなら嬉しいのだけれど。

 

……無理だな。

思い悩んだりしていると、秘書艦たちを心配させるだけだな。そう思い、すぐに切りかえを行う冷泉。

 

こちらに来てから、一つだけ進歩したと思えることがある。

それは、元の世界にいた頃と違い、気持ちの切りかえが凄く上手にできるようになったのだ。これについては、自分自身でも驚いている。本来の冷泉は、何か一つでも気になる事があると、それがずっと心のどこかに引っかかったままで、他の事に集中できず、結局、能率が落ちていた。それが、鎮守府に来てからは、上手いことやりくりできるようになっている自分がいて、驚いた事がある。まあ、常に追い詰められた状況なので、小さな事を気にしていては、やっていられないからなのかもしれない。なにぶん、自分一人だけの事を考えていれば良かった前の世界とは異なり、護るべき者が大幅に増えてしまったことが要因の一つかもしれない。

よく言えば、自身が成長したといえるのかもしれないけれど、実際には優秀な秘書艦や部下が常にいるから、彼女達に任せられるだけなのかもしれない。

 

というわけで、いろいろ考えても仕方がない。扶桑については、まずは第一段階の改装を行う方向で話を進め、状況によっては改二へと一気に改装することを決定する。

冷泉は、再度、加賀を見つめて頷いた。

 

「はあ? 何を納得したように頷いているのかしら? 」

悩んでいたと思えば急に復活して頷いている司令官を不審に思ったのか、困惑したような表情を浮かべる秘書艦。

 

「いや、とりあえずは三人の艦娘の改装、そして、神通の改二への改装を実行する。扶桑の改二については、必要素材の再確認を行って、最優先でそれを実行することにするよ」

 

「ほほう。扶桑の戦力を底上げするわけだな。金剛、榛名に改装を完了した扶桑が加わるのか。まさに大艦巨砲主義ここにありだな。うむ、すばらしいぞ! ロマンがある」

何故かよく分からないが、嬉しそうに長門が答える。

「特に金剛では無く、扶桑を先行して改装するところは、流石だと言わざるを得ない。切れ者だという評判は本当だったのだな。さすがは我が主だ……」

冷泉は彼女に頷く。

長門も改装の順番の正しさを認識してくれているのだ。伊達に最強の鎮守府で旗艦を勤めていたことはある。変態的な挙動が目立つようになっているものの、根っこの部分は、まだまだまともだ。うむ。

 

金剛と扶桑のどちらを改装するか? それについては、十分な検討が必要であると思っていた。しかし、金剛が改二レベルに達していないこともあり、冷泉はさして悩む事なく決断することができたのだ。

ちなみに、榛名は金剛の妹なんだけれど、既に改二になっている。呉鎮守府が対潜水艦戦闘メインになっていなければ、ずっと旗艦でいられたはずであり、舞鶴なんかに来ることなんてありえない、すごい優秀な子なんだよな。そもそも、鎮守府の旗艦だったんだから、みんなからとても大事にされていたはずなんだ。改二にするくらいなんだから、至極当然なんだけど……。

それでいうと、なんで扶桑が改二どころか改にさえなってないんだよ! と思う。責任者出てこいよ、ってレベルなんだよ。緒沢という前任の提督の思考がまるで理解できない。扶桑の態度からすると、だいぶ彼には大切にされていたはずなのに、どういうことなのか……。本当に謎だ。

 

「とにかく、改装のための準備を事務方と連携して進めてくれ。資金や資材については、神通達のがんばりもあって、少し余力が出てきているから、問題な良いと思う。もし何か不足するようなことがあれば、俺も直接出向くから」

 

「了解しました。戦力アップになる事でしたら、私が意見するような事ではありませんし」

加賀は答えるが、何故だか不満そうな顔をしている。

 

「どうかしたのか? 何か言いたいことがあるんだったら、言ってくれよ」」

「えっと。いえ、その、私だって熟練度は十分に上がっている……はずです。改二に改装する事だって、できるのに……」

とモジモジと消え入りそうな声で答える加賀。

「改二になれば、もっともっと、提督の……、いえ、鎮守府の為に役立つ事ができるはずです」

 

「加賀、もっとはっきり言ったらどうだ? まったく、こんな大事な時に限って、妙に気が弱くなるのがお前の駄目なところなんだよな。うむ、……しかし、そこが可愛いところでもあるのだが」

横から長門が茶々を入れてくる。

 

「う、五月蠅いわね。私は、客観的に言っているだけ。領域内での戦闘の主力は、航空戦力になっていくの。それは、昔と変わらないわ。私が改二になれば、もっともっと戦局を舞鶴に有利に持って行けるのじゃないかって、ただ提案しているだけだわ。別に、特に意味なんて無いんだから。長門が思っているような事なんて、何も無いわよ! 」

 

「ぶっぶぶー! わはははは! 大好きな提督の役に立ちたいって、はっきり言わないと、冷泉提督は分かってくれないぞ。まったく、いつも言ってるじゃないか。提督のバカバカ。なんで、気づいてくれないの、この鈍感って。……お前の気持ち、きっちり伝えておかないと、他の艦娘に取られてしまうぞ、……ふがふがが」

 

「う、五月蠅い!! 」

顔を真っ赤にして加賀が長門の口を塞ぎに襲いかかる。

 

「うひゃああ」

態とらしく悲鳴を上げ、逃げる長門を追う加賀。

うむうむ、なんだか仲のいい二人だなあ。なんだか羨ましくさえ思ってしまう、冷泉だった。

 

「おいおい、お前達。ふざけあうのもいいけど、きちんと手配を忘れないでくれよ」

と、呆れたように言うしか無い冷泉だった。

相変わらず長門と加賀は楽しそうにじゃれ合っていて、まともに話を聞いていないようだ。

 

「痛い痛い、加賀、ちょっとマジで首の骨が折れるぞ」

 

「折れたらいいのよ。二、三本折れたって、長門なら頑丈だから、たいしたことないでしょう。平気平気、むしろ、調子が良くなるくらいでしょ」

長門にヘッドロックを決めた加賀が冷たく言い放つ。

 

「そ、そんなあ……」

 

ふう、困ったもんだ。

 

しかし、そんなおふざけは、ドアをノックする音で中断されることとなる。

 



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第134話 鎮守府広報部

「提督、夕張です。島風も同行させています。よろしいですか? 」

夕張の声を聞くなり、加賀と長門は大慌てて離れると、自分たちの席にバタバタと戻っていく。そして、腰掛けると何事も無かったよう澄ました顔をしている。真面目そうな表情で執務に戻っている二人を見て、どうやらそれが彼女達の普段の顔であることを理解する。

先程のように、仲よさそうにじゃれ合うような事は、他の艦娘の前では見せないらしい。……確かにそうだな。加賀と長門といえば、日本国最強最精鋭の横須賀鎮守府で、主力艦として戦ってきた艦娘だ。横須賀だけじゃなく、他の鎮守府の艦娘から見ても憧れの存在だといえる。そんな二人が、子供みたいにふざけ合うなんて誰も想像もできないだろう。威厳が保てないといったところか。普段は自分の素を隠して、演技しているというわけなのだろうか。

なんだか微笑ましいな。

そして、そんな二人を見て、冷泉は吹き出しそうになるのを必死になって堪え、それを見た二人が怒ったように睨んでくる。主に加賀なんだけれど……。

 

「……ごほん、入っていいぞ」

何とか気分を落ち着かせる。

 

「失礼します」

冷泉の返事に合わせるように扉が開き、部屋に入って来る二人。夕張に隠れるようにして、島風も入室して来る。

 

「忙しいところ、わざわざ来て貰ってすまないな」

と形式的な挨拶をする。

 

「いえ、提督がお呼びなんですから、当然、すぐやって来ますよ」

 

「立ち話もなんだし、そこの会議机に座ってくれ」

そういうと、冷泉は車椅子を動かし、会議スペースへと移動する。もともとは豪華な応接セットが置いてあったのだけれど、利便性が悪いので撤去して、会議机を置いたのだ。簡単な打合せなら、執務室でできるようにした……というわけだ。本来であれば、鎮守府司令官ともなれば、様々なお偉方や軍関係者が訪問してくるはずだ。そういった来客とかが来た時には、必須ということで置いてあったんだろうけど、冷泉はそもそも日本海軍に知り合いがいない。いきなり鎮守府司令官にさせられたわけだから、政府筋にもまるでコネが無い。経済界にも同様だ。そして、軍関係者には、態度が悪いということで割と嫌われている。そういった連中がそんな話を余所でもするから、政界や経済界の人間からも敬遠される。異世界から来た人間である冷泉にとっては……図らずしてわりと都合のいい状況が作られているというわけだ。

 

とまあ、そういうわけで舞鶴鎮守府司令官を訪ねてくる人はいないということで、応接セットも不要なのだ。

倉庫に余っていた物を運ばせただけなので、質素な作りの品だ。とはいえ、拭き掃除をしたからわりと綺麗だし、充分使用に耐える。椅子の布地がだいぶよれているけれど、それでもまだまだ使える。最大6人まででミーティングができる。だから、ちょっとした打ち合わせなら、ここで済ませてしまう。

 

冷泉が真ん中に座り、向かい合う形で夕張が座り、仕方なさそうに島風も座る。冷泉の隣には、二人で何やら押し合いをしていたようだが最終的に長門が腰掛けた。椅子を目一杯近づけて、体をすり寄せて来るものだから、露出した彼女の肌が冷泉の右腕に当たってしまう。意図的な何かを感じるが、嫌な気分じゃないので、照れくさいものの何も言わず、なすがまま。加賀はそれを見て何かを言おうとしたが、勝ち誇ったような笑みを浮かべた長門と目が合い、引きつったような笑みを浮かべただけで、腰掛けた。

 

「さて、提督。夕張達をわざわざ呼んで、何のお話なんでしょうか? 」

バン、と手帳を乱暴に叩きつけるように置くと、いきなり加賀が仕切り始める。

「私は何も聞かされていないので、秘書艦の立場上、とっても困ってしまうのですけれど」

すべての事を秘書艦に伝えないといけないなんて、そりゃ無理だろ? それにすべてを伝えるとその業務について秘書艦に手伝わせることとなり、大変じゃないか……といいそうになる。けれど、やめた。どんな無理を言っても、加賀なら全部やってしまいそうだからだ。

 

「え、えっとだなあ」

妙に厳しい視線を感じて動揺してしまうが、意識を逸らそうとがんばる。

「今日、お前達に来て貰ったのはだな……」

そう言いながら、二人の艦娘の顔を順番に見る。目が合うと夕張はニッコリと微笑み、島風は怯えたように目を逸らす。

ん? 島風の態度が気になる。後で問い詰める必要があるな。たぶん、ふざけて何かやらかしたんだろうな。

「実は、ずっと考えていたことがあるんだ」

 

「またエッチな事ですか? え……違う? ふ……。エッチな事以外に何か考えてたりする事もあるんですね」

真顔で問いかけてくる秘書艦に、少し動揺してしまう。

加賀を横目で見ながら、夕張は必死に笑いを堪えている。

 

「ゴホンゴホン。えっとだな、実は鎮守府に広報部を設置しようと思ってるんだ……」

 

「えっと、でも広報なら今でも鎮守府にあるわよね」

と、夕張。

 

「おお! 鎮守府を囲んだ塀のところに、ガラス張りの掲示板が置いてあるな。あそこに確かポスターとか張ってたぞ。それから、職員が定期的にイベントをやったりしてるヤツだな。あれをやってるのが広報担当じゃないのか」

すぐ側で長門が反応する。ちょっと距離が近すぎるんじゃないのか? と感じるものの、なんだか彼女から良い香りが漂ってくるなあ、とぼんやりしてしまう。

 

「そうですねえ。形だけの広報をやっている感じがするわね。実際、広報業務を専任でやってる職員はいなかったんじゃないかしら? 上から言われる事を形式的にって感じかなあ。……あ、それと、長門さん、ちょっと提督に近づきすぎ。提督もにやけすぎ」

さりげなく……ではないけれど、指摘をする夕張。

 

「うむ」

彼女の指摘をきっかけに、冷泉は長門との距離を取る。

仕方なさそうな顔をするものの、長門もそれ以上はすり寄ってこなかった。

 

「本題に戻るけど。俺はずっと気になっていた事があるんだ。それは、毎日毎日飽きもせずに政治的宣伝の看板を掲げて、戦争反対、憲法違反の軍隊は解体せよ、悪魔の子「艦娘」は日本から出て行け、深海棲艦との平和的外交を! 平和憲法を護れ、なんていろいろと勝手な事を鎮守府の外から大声を上げて騒いでいる連中の事なんだ」

少し腹立たしげな口調になってしまう。

 

「確かに、彼らの行動は、少し度を超えたものに感じる時があるな。ある意味、狂気すら感じることがあるのは事実だ。横須賀でもたまに見かけたが、舞鶴のそれは、もっと過激で規模も大きく、内容も少し酷いな」

長門の表情が曇る。

デモ隊の質が悪いのは、地域性もあるのだろう。おまけに近畿エリアは、軍による大厄災が発生した土地という要因もある。

 

「私は鎮守府にいることが多いから、良く目にしてて、気になってたわ。艦娘は舞鶴から出て行けとか、人殺しの為の兵器とか好き勝手なこと言っていて、見かけるだけで凄い気分が悪くなった。人間は、みんながあんな事を考えてるんじゃないかって、疑心暗鬼になることもあるわ」

と、夕張。

 

「まあ、あんな極端な事を言う連中は。ほんの一握りだと思うから、そこまで気にしなくていい。あんなヘイトをまき散らすような馬鹿は、さすがに稀なはずだからな」

すかさず補足を入れる冷泉。

 

「はい、もちろん分かってます。鎮守府の人はみんな私達に優しくしてくれるし、日本のほとんどの人が、艦娘を頼りにしてくれていることもね」

そう言って笑顔を見せる夕張。

 

「けれど、ただただ、騒いでいるだけとはいえ、それが一定数の集団となって、汚い悪意をばらまく姿は大変見苦しいし、今の人類の状況を鑑みて、あんな行動をするような思考になることが理解できなかったし、正直なところ、俺は腹立たしかった」

ああいった連中は、冷泉の世界にも存在した。

平和憲法を守れ、戦争反対。安全性の何ら担保の無い原発稼働反対。自然エネルギーを導入せよ。弱者救済。ヘイトスピーチを止めろ。戦争責任を忘れるな。アジアの人々の苦痛を永遠に忘れるな。謝罪が全く足りない。……総論では正しい事なんだろうけど、各論になると賛成しかねる意見ばかり。そして、誰のためにそれを言っているのかがとても疑わしい。そもそも彼らは何者なのだ? 働きもせず、どうやって収入を得ているのだろう? いろいろな団体がいるみたいだが、メンバーがダブっていたりする。とにかく疑問だらけだった。

 

ただ、向こうの世界では、彼らと冷泉はまるで関わりがなかった。テレビの画面の向こうで胡散臭い事を言って騒いでるだけの人々にしか見えず、まるで無関係な世界の住人でしかなかったのだ。だから、深く考えることも無かった。

 

「けれど、このまま何もせずに放置しておくのも何だなって思ったんだよ。基本的に艦娘は鎮守府の敷地から出ることは無いし、出たとしても軍艦の中だ。一般の人からすれば、お前達がどんな姿をして、何を考えているかなんて想像もできない。そんな中、あの阿呆どもの批判しか触れる機会の無い人からすれば、それが真実では無いかって誤解するかもしれない。昔と違ってネット環境も制限されている状況だ。口コミかマスコミを経由しての情報しか得られない一般人からすれば、危険な状況にあると言っても過言ではない……。そんな事、極論だと言うかもしれないけれど、舞鶴鎮守府の置かれた状況は、そんなに楽観できるもんじゃない。かつて、大阪京都神戸の三都市を壊滅させた攻撃……。それは日本軍による反乱分子の制圧であったのだけれど、市民の中には艦娘が行った蛮行だと吹聴する連中もいる。そして、それがそれなりの支持を得てたりするんだ。もともと、反体制派の強い土地柄でもあったから、仕方ない部分もあるのかもしれないけれどね。でも、そんな連中の声だけが大きくなる現状は認められない。だから、俺は考えたんだよ」

艦娘達の様子を見ながら、冷泉は言葉を続ける。

 

「もちろん、彼等は彼等なりの利益追求の為、活動しているのだろう。それは、破壊活動を行わない限りは、言論の自由であり取り締まる事はできるものじゃない。かつて、暴走した民衆を押さえ込む為に核兵器らしきもの、もっとも核兵器である証拠は無いんだけれど、……を使用した軍隊としては、より一層、行動には慎重になってしまうんだろうけど。あの時は、深海棲艦との戦いで疲弊し、危機的状況にあったから、誰も場冷静な思考ができなかったという反省もある。だから、国会議員や行政側からのブレーキが大きいんだ。……おかしい話だよな。実際に攻撃指示指示をしたのは軍隊では無い。当時の政府の判断であったにもかかわらずにだ。まるで、彼等はそんなことを忘れたかのように振る舞っている。確かに、その判断をした中枢にいた連中は、もう引退したり、政党替えをしたりして、政権与党には存在しない。だから、現政府は他人事のように振る舞えるのだろうけれど」

政治の問題点は、一度決定した事は覆すことが絶望的に大変であること。そして、仮に失敗があったとしても、その責任の所在が意志決定の間に曖昧にされ、結局、だれも責任を取ることがないということだ。

無論、誰か一人が責任を取るという事になると、それを恐れ何も決定できなくなるというジレンマに陥る可能性も大なのだけれど。

「それはともかく、基地の近所で反戦活動なら、まだ構わない。やりたい奴は、何処の世界にもいるからな。主義主張を述べる場がないのは、それはそれで問題だからね。けれど、艦娘の排斥運動なんてやられると、他に……一般市民、市民団体が言う市民ではなくて、ごくごく普通に暮らしている人々ことなんだけれど、彼らに影響があるかもしれないという事が心配だったんだ。例え嘘であろうとも、多くの人が大声で何百回も言い続ければ、それで上手くいかなくても何千回と繰り返せば、やがてそれが真実になると思う連中がいるんだよ。そして、たとえ嘘であっても、それを真に受けて真実と勘違いする者も出てきてしまうんだ。……馬鹿馬鹿しいけれど、それが現実なんだよな。そして、俺は猛烈に腹を立ててしまうんだ。日本人の為に、命がけで戦ってくれているのは、お前達艦娘だというのに。しかし、その活動をほとんどの人は、実際のところ、よく知らないのも事実なんだ。戦闘が領域内で行われるため、誰も目撃することもなく、映像を広報として配信しようとしても、法的な問題、艦娘側との協定等の関係から難しいんだ」

実際のところ、艦娘とは、世間でどのように思われているのだろうか? それは冷泉ですらはっきりとは分かっていない。深海棲艦と同じく、恐ろしい存在……得体の知れないものと思っている可能性が高いと思う。

 

広報の重要性は軍も認識していて、昔からやっているものの、上手く周知できていない気がする。大手広告代理店の人間を受け入れてやっているはずだけれども、所詮は民間企業の人間でしかない。利潤重視で指示をしなければ、必要最低限の事しかやらないし、提案なんて当然しない。このレベルで契約内容は充分履行できると判断するのだ。国家の為なんていう崇高な目的意識を期待するなんていうのも無茶な話なんだろう。結局、こんな広報活動なんて税金の無駄だと言っても言い過ぎにはならないだろう。

 

ど素人の軍人と金儲けしか考えていない民間人のコンビでやった事など、形式だけを整えただけの物にしかならない。その結果、お膝元の舞鶴ですら艦娘については得体の知れない存在。恐怖の象徴のままだ。

 

「いきなり力を入れて広報をやったところで、上手くいくとは思っていない。結局のところ、小さな事の積み重ねしかないんだよ。そこで、俺なりに考えた事があるんだよ」

長々と自説を展開した冷泉は、結論の前に彼女達を見る。

 

「広報の必要性は昔から言われていて、自衛隊のころからいろいろとやっていた。けれど上手くいっていなかった。最大の原因は、ほとんどの人間が艦娘を見ることが無いんだよな……。つまり、艦娘と触れあう機会がないからだと感じているんだ。うちでとりあえず始めたいのは、市民のみんなと艦娘が触れあう機会を作るってことなんだ。実際に艦娘と会って話してみて、軍艦を見てみて……本当の姿を知って貰いたいんだ。お前達と会話をすれば、なんら人間と変わりない事が分かって貰えるだろう。そこに存在する生きた存在だというのを理解できるんだと思う。そうすれば、艦娘に対する漠然とした恐怖といったものが解消されると思うんだ。会話を積み重ねれば、誤解も解けるんじゃないか」

冷泉は、艦を含めて艦娘と話をしたりできる場を設けようと考えたのだ。

 

「しかし……」

と、加賀が口を挟む。

「提督の仰るように、私達と市民とが直接会うことができるのであれば、それは確かにお互いの理解度を高めることができるかもしれませんが。……けれど、ごくごく限定的な事でしかありえず、その効果は期待するほどのものにはならないと思うのですが」

 

「もちろん、理解しているよ。これは地道な活動であり、効果がすぐに現れるものではないだろう。だけど、何もしないよりは、何かをしたほうがいいに決まっている。一生懸命がんばっているお前達の姿を、少しでもいいから、人々に知って貰いたいんだ。お前達が得体の知れない怖い存在なんかじゃなく、ごくごく普通の女の子であり、……一部個性の強い奴もいるけど、人間となんら変わらない、話せばお互い理解しあえる存在だって知って貰いたいんだ。もちろん、最初は。小さな変化しか起こせないかもしれない。けれど、伝えようとする事がまずは大事なんだと思うんだ」

真剣な目で、冷泉は彼女達を見る。

この場にいる艦娘達に、異論は無いようだった。

 

「そして、……その担当として俺が適任だと判断したのが、夕張なんだよ」

 

「えー! 私ですか? 何でですか」

 

「いきなりで驚いたかもしれないけど、ちゃんと理由があってのことだ。一番大きな理由は、性格的に向いていると思った事。対外的な物だから、社交性が求められる。夕張については、適正がある。そして、二番目の理由として、お前が戦闘に出ることができないからだ。鎮守府防衛を任せているとはいえ、そうそう攻めてくることは無い。兵装の使用確認作業とかもやってもらっているけど、基本、それほど忙しいわけじゃない。最初の頃は気合いを入れてやってみたいだけど、最近のお前は何か張り合いがないみたいに見えていたんだ。実際、そうじゃないか? 」

 

「うわ、ばれてました? そうなんですよね。兵器開発や装備試験といったって、そんなに種類がある訳じゃないし、深海棲艦はあれ以降、全く鎮守府に近づいても来ないし。正直言うと、暇でした……ね」

悪びれずに夕張が告白する。

 

「ちょっと正直すぎだけどな」

呆れたように冷泉は言う。

続けて冷泉は説明をする。もちろん、広報担当は一人では難しいだろう。そこで、夕張を補佐できる艦娘はいないか……と考えると、療養中だった島風を思いついた。軍医に確認したところ、まだしばらくは任務に就くことはできないらしいので、ある程度軌道に乗るまでは彼女にも手伝って貰うことにした。その後は、ローテーションから外れて休息中の艦娘を補佐に充てることにしている。

 

説明をしている間、夕張は頷いたり考え込んだりと反応していたけれど、島風はずっと、何故だか冷泉と目を合わさないようにしていたことが気になった。本来なら、出撃したいのかもしれない。だけど療養には時間がかかるんだから仕方がないんだ。確かに、何か思うところがあるのかもしれないけれど。

 

「二人とも、早速、任務に就いて貰って構わないかな? 広報の手段については、別途俺から事務方に伝えておくから、連絡があると思う。どの場所で行うとか、艦をどうするかとかの調整もあるだろうから、準備期間も必要だ。今すぐにってわけには、いかないだろうけど」

 

「私は了解です。ちょっと不安だけど、まあ何でも最初は不安なものですから。なんとかなるでしょう」

わりとあっさりと夕張は承諾する。この辺り、楽天的な性格も適正がある。

 

「島風は、どうだ? 」

冷泉に問いかけられ、少し驚いたような顔をした彼女であったが、

「う、うん。いいよ」

と小さな声で答える。

 

「よし、じゃあ決まりだな。ということで、加賀、手続きを頼んで良いかな」

 

「……わかりました。早速、段取りを考えます。でも、いろいろと調整が必要なんですから、急に言われると困るんですけど」

と、なにやら不満があるようだ。

 

「すまん。何とか頼むよ。お前ならすぐにやってくれると思ったから、言いそびれてたんだ。ごめんなさい」

 

「まったく。……わかりました。早急に手配します」

大きくため息をつきながらも、承諾する。

 

「あ、それから、夕張と島風に大事な指示があるぞ」

思い出したように、冷泉が言う。

 

「何です? 」

 

「お前達の服装の事だ。広報担当となったからには、ヘソだし、ミニスカートは禁止だからな。それから、スカートは膝丈の長さとするぞ」

 

「えー! 」

流石にこの時ばかりは島風も不満げな声を上げた。

 

「どうしてなの? なんでファッションにまで口出しされちゃうんですか? 」

代表してなのか、夕張が訴えてくる。

 

「答えは、簡単だぞ。鎮守府の顔、艦娘の代表なんだぞ、お前達は。それがそんな痴女みたいな露出の多い格好で出てきたら、普通の人はビックリするだろう? 艦娘は、人間と何ら変わらない存在ということを知って貰おうとしているのに、とんだ露出狂だったなんて広められたらどうするんだよ」

強い口調で冷泉が答える。

 

「この服装は、私達が好きでしている格好なんです。それを否定されるなんて心外だわ。露出狂だなんて、提督も酷いわ! 」

その服装に、余程のこだわりがあるのだろうか? 普段は素直に言うことを聞いてくれる夕張なのに、粘る。島風も小声でそうだそうだと訴えている。

 

「えっと」

冷泉は狼狽する。思った以上に抵抗が強いのに驚いてしまった。

 

「二人とも落ち着きなさい」

黙って様子を見ていた加賀が、会話に割って入る。

 

「秘書艦だから提督の味方をするんでしょうけど、この件だけは譲りませんよ。曲げられません」

 

「あのね、提督が露出の多い服装を禁止するのは、ちゃんと理由があるんですよ」

 

「それは、どういうことかしら? 」

 

「簡単な事。……提督は、露出の多いあなた達を他の男たちに見られたくないのよ。提督があなた達を見るようないやらしい視線で、他の男に舐め回すように見られるのが耐えられないのよ。そんな場所にあなた達を起きたくないの。それを見るのは提督だけの特権。誰にも見せたくない。そんな提督の、スケベな気持ちを解って上げて」

と、諭すように加賀が言う。

それ、全然説明になってないし。

 

「えー」

夕張が頬を赤らめている。

「提督は、私を他の男性が嫌らしい目で見るのが耐えられないの? この姿を、他の男には見せたくないて思ってくれているんですか」

 

「……う、うん。その通りだ。外に出したら、そんな露出の多い格好だとスケベなやつらに、いやらしい視線に晒されるし、盗撮されるかもしれない。お前達を変態連中の爛れた欲望のはけ口にされるなんて、正直、嫌だもんね」

仕方なく、正直に答える。

 

「そ、そうなの。そんな風に思ってくれているんだ……。うふふ、提督ったら……エッチ」

何かモジモジしながらも夕張は嬉しそうだ。

「わかりました。提督の言うとおりにするわ。島風もいいわね」

 

「う、うん」

照れたような顔をしているのは島風も同様だ。けれど、前ほど元気が無いんだよな。どうしたんだろう。

 

「……よし、ではこの問題は解決だな。初めての事だから、最初はいろいろとトラブルも多いかも知れない。その時は、どんな小さな事でも相談して欲しい。そして、一緒に解決していこう」

なんとか動揺を抑え、冷泉が話をまとめた。

 

ここに新たな部署が誕生したわけである。

 



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第135話 遠征艦隊の帰投

遠征に出ていた、扶桑を旗艦とした第二艦隊が帰投する。

 

司令室には、扶桑のみが報告にやって来た。

神通が旗艦の時の遠征艦隊は、必ず帰投した際には全員で報告に来ていたから、少し違和感を感じてしまう冷泉。その事を問うと、

「皆疲れてしまっていて、すぐに休養させる必要を感じたので、自分の一存で決めてしまいました。知らなかったとはいえ、申し訳ありません」

と謝る扶桑。しかし、その謝罪はあくまで事務的な口調でなされ、自分には自分の考えがあるので……といった感じで、彼女の内なる声が聞こえてきそうだった。

 

扶桑は秘書艦でいた事もあったから、遠征艦隊が帰投した時に、どうしているか見ていたはずなんだけどな……。わざわざ異なることをする必要性も感じられないんだけど。きっと扶桑も疲れているんだろう……。そうに違いない。そう思い、そのことを問いかけると、

「初めての遠征でもあり、確かに少し緊張過多だった部分があったかもしれません。私をフォローするために、他の子達は、いろいろと無理をしてがんばってくれました。初めてのことが連続して発生したせいで、彼女達も普段より疲れてしまったのかもしれませんね。それは、私にも言えることかもしれません。初めての遠征の旗艦でしたから……」

と答える扶桑。

実際、彼女も疲れたように見える。いつもより元気がないし、どことなく不安げな顔をしている。

 

「そうか……。とにかく、まずはご苦労だったね。十分な成果を上げてくれてありがとう。さすがだよ、扶桑」

心からの慰労と賞賛をする冷泉。けれど、彼女はあまり嬉しそうに見えない。どういうわけか、はあ……といった感じで溜息をつくし、なんだか心ここにあらずといった感じにも見える。いつもの彼女らしくないといえばらしくない。

それだけ、遠征任務はストレスだったんだろうと一人納得する。

 

「そうだ! 扶桑。お前にいいニュースがあるんだぞ」

漂う、どんよりとした雰囲気を察したのか、長門が気を利かせて話題を変える。

「なんと、艦娘たちの改装がなされることになったんだ。……喜べ、扶桑。お前もその候補に挙がっているぞ」

 

瞬間、驚いたような声を上げる扶桑。どういうわけか、その反応は喜びというよりは、不意打ちを食らったように見えてしまった。そして、怯えたような探るような視線を冷泉に向けてくる。……違和感を感じるが、気のせいだろうか?

 

「私なんかを改装するよりは、他の子達を……」

その声色は、遠慮というより拒絶のほうが割合的に多く含まれているように感じ取れてしまう。

 

「いろいろと検討した結果だよ、扶桑」

喜んでくれないことに違和感を感じながらも、冷泉は言葉を続けた。

「鎮守府の資金力では、改装できる艦娘の数も限られてしまう。その中で、誰を優先するか俺なりにいろいろと検討したんだぞ」

 

「どうしたんだ、扶桑。もっと喜んだらどうだ? 何が不満なんだ? 提督が不思議がってるだろう。艦娘と生まれたたら、改装による強化は喜ばしいことだ。強くなれば、より一層、鎮守府に貢献できる。これは、艦娘としては、喜び以外の何者でもないじゃないか。うう、私も艦があれば……。あそこをいじって、うんうん、あっちにも手を入れて……ハアハア、ああ! 提督何処を触っているのだ。止めてくれ……そこは改装とは関係のない場所じゃないか、ふふん、たまらない」

 

「何を興奮しているの、長門。かつての威厳は何処にいったの。あまりにもポンコツすぎるわ」

と、隣で加賀が呆れている。

 

「それはともかく。……今回の改装については、あなただけでは無いから安心して。提督のお考えでは、神通と祥鳳の三人が改装の対象になっています。そして、神通については、改二段階へと改装が予定されています。この改装により、舞鶴鎮守府の戦力の強化は、確実なものとなるでしょうね」

扶桑に対する改二について、加賀は言及しなかった。けれど、それは当然のことだ。冷泉の中では、扶桑の改二への改装は決定事項であるものの、その条件が確定していない状況であり、申請ができていない状況であるからだった。戦艦扶桑の改二には、改装設計図が必須であることを知るのは、全人類の中で冷泉のみ……らしい。けれど、設計図の入手方法については、冷泉は知らない。ゲームの中だとイベントや特別任務をクリアする必要があるのだが、こちらの世界でも同様なのかは不明だ。だから、断言できない。それ以前に、扶桑に改二が実装されていることさえ、世界は知らぬままなのだから。

 

「いえ、喜んでいない訳ではないんです。ただ、あまりに急だったものですから、驚いてしまっただけです」

そう言うと、笑顔を見せるが、何故だかぎこちない。

やはり、少し疲れているのだろうか? 普段より顔が疲れているように見える。

 

「そうか……。だったらいいんだけど。まあ、とにかく、お前も改装可能レベルに到達しているわけで、改装を行えばより一層強くなり、今後の出撃においても我々が優位に戦闘を進める確立が上がるわけなんだよな」

実際には火力を落とす代わりに、耐久力と索敵が上がるわけであるのだけれど。改になったところで、劇的に強くなるわけではなく、改二前提でも扶桑改装なのだ。しかし、確証が無いため、今はそれを彼女には伝えられない。伝えられればきっと彼女も、もっともっと喜ぶんだろうけれど。

 

「は、……はい」

 

「で、なんだけど。改装のスケジュールについて打合せをしておかないといけないな。ドッグの空き具合との兼ね合いがあるんだけれど、神通については、改および改二を一気に進めたいって考えてるんだ。だから、お前と祥鳳の順番だけになるわけだよな。どちらを先にという事だが、まあ、遠征チームの疲労回復を先にする必要もあるだろうから……」

 

「提督、お待ちください」

と、工程の話している最中に、それは扶桑によって遮られる。

 

「うん、どうかしたのか、扶桑」

 

「はい」

と、一瞬間を置いた後、

「提督よりの申し出は大変嬉しいんですが、改装については少し待っていただけませんでしょうか? 」

 

「え? それはどういうことなんだ? 何かあるのか? 」

 

扶桑は頷く。

「第二艦隊として遠征を終えたばかりですが、少し休んだ後、すぐにでも遠征に出たいと考えているのです。私を含んだ遠征チームでの戦果が、どの程度まで上げられるのかを、限界を試してみたいのです。もちろんそれだけじゃありません。遠征で痛感したことがあります。チームワークをもっと高める必要があることを。今後も、このような編成で出撃することが考えられますから、この問題は、早急に解決しておいたほうがいいのです。提督もそう思うでしょう? 問題を先送りしてはいけないはずです。そして、何が原因かをきちんと確かめる必要があるって」

普段、自分の意見をそんなに言わない艦娘が、いつになく強く主張してくるため、少し圧倒されてしまう冷泉。

 

「うん……。言ってることは間違っていないけど、初めての遠征でお前も疲れているんじゃないかな。少し休んでからでもいいんじゃないか? 」

 

「休むのは、その後でもいいでしょう? 明後日には準備を進めて、出撃したいと考えています。この件について、承諾をお願いします」

 

「ねえ、扶桑。どうしたの? 少し急いていませんか? 提督も休むように仰っているのですし。それに、あなたが大丈夫でも、他の子達が疲労を残しているかもしれません。駆逐艦の子は慣れているかもしれませんが、大井はあまり遠征に出たことがないですからね」

と加賀が割って入る。

 

「……わかりました。明後日というのは急すぎました。すみません。確かに、疲れている子もいるかもしれませんね。休養については同意します。けれど、5日以内には出撃させてください」

同意したのかそうでないのか分からない言い分だが、それ以上は妥協できないといった感じの口ぶりだ。

「提督、お忘れかもしれませんが、遠征のノルマというものがあるのですよ。現在の舞鶴鎮守府の達成状況は、そのノルマを下回っています。このままではペナルティが科されるかもしれません。故に、休む必要性は重々承知しています。けれど、長くは休めないということを理解してください」

そう言われて、始めて気づく冷泉だった。そういえば、神通達ががんばっているとはいえ、それは最近の事。長期的なノルマ達成率が低いままだったのだ。それは、冷泉が倒れたりした影響が大きいのだけれど。

 

「ですから、少し、難度の高い遠征を考えています」

そう言って、扶桑が冷泉の回答を待つまでもなく遠征の説明を始める。その内容は空母を含めた艦隊での護衛及び敵地攻撃というものだった。航空戦力により敵背後を突くという電撃作戦であり、ある程度の練度が要求されそうなものだった。しかし、戦艦扶桑を含めた艦隊編成であれば、そう難しいものでもなさそうだ。何気に大井と不知火、村雨の各艦は、練度も高く、装備についても充実させていたのだ。

「この遠征を繰り返し成功することができれば、当面の間はノルマに追われないだけの成果を上げることができます」

 

「しかし、空母はどうするんだ? 」

と、加賀の方を見る冷泉。

 

「加賀を艦隊に編成するつもりはありませんよ、提督。彼女ではこの遠征にはオーバースペックです。それに、そこまでの強敵が出現する海域でもありませんから。当然、私が編成する空母は、軽空母が最適。よって、祥鳳となります。空母の彼女がいれば、この作戦は成功率が大幅に上げられますから」

その言葉に、加賀が安堵したような表情を見せた。

 

圧倒的な航空戦力を誇る加賀とはいえ、前回、沈没寸前まで追い込まれた事もあるし、加賀本人も負傷を負ってまだ間もない。まだまだ戦闘には不安があると思われる。かつ、加賀に搭載する艦載機も実は全数揃っているわけではないのだ。何せ、艦載機無しで舞鶴に着任してきたからな、彼女は。本来搭載する烈風や流星は、痛い出費となるから、すぐにはそろえられないわけで……情けない話だけれど。

命令とあらば、いかなる状況でも彼女は出撃するだろうけど、まだそんなリスクを負わせるわけにはいかない。出撃するなら完全な状態でさせるのが、基本だからだ。

そして、それ以上に、扶桑たち遠征メンバーなら、達成できるだろうという信頼もあった。

 

「うん。扶桑がそう言うなら問題ない。お前が選んだメンバーなら、その遠征を十分達成できるだろう。だから、信じているなんて言わない。……成功を確信している。それと、お前達に無理をさせてしまって、……すまない」

冷泉は頭を下げる。

 

それを見て一瞬ではあるが、彼女の瞳が動揺したように見えた。いや、これはたぶん、冷泉の気のせいだろう。

「……だ、大丈夫です。決して無理をしているわけではありませんから。それで……この遠征をまずは成功させる必要がありますので、先程の話に戻ってしまうのですが、私と祥鳳の改装については、少し、待っていただきたいのです。改装に入ってしまうと、遠征に行くべき二人の艦娘が動けなくなるので、ノルマ達成に支障が出てしまうのです。このメンバーで遠征を繰り返す事が、最良の方法だと断言できますので。提督、是非、承諾してください」

 

「うむ……」

悩んで見るが、答えは既に決まっている。扶桑の提案に従うのがベストであると。扶桑と祥鳳の改装を行うのは、もちろん大事であるが、それは火急の案件では無い。優先順位としては、まずは鎮守府のノルマを果たすこと。そこで余力ができれば、彼女達をドッグに入れて改装作業ができるだろう。それまで待ったところで、それほど違いは無いのは間違いない。

「まずは神通の改二を先行して行い、遠征の目処が立ってから、扶桑達の改装を行うのでも何ら問題は無いな。……了解だ。扶桑、お前の提案を承諾しよう。遠征の成功に向けて、準備を進めてくれ」

 

「了解しました」

ほっとしたように笑顔を見せる。

「では、準備にかからせていただきます」

そう言うと、椅子から立ち上がり立ち去ろうとする。

 

「あれ、もう帰るのか。そんなに急がなくてもいいだろ? 仕事の話は終わったんだから、ちょっと雑談でもしていかないのか? 」

と、冷泉が引き留める。

神通チームが遠征から帰ったら、いつも遠征の状況報告を聞いていたのだ。そのほとんどは、雑談がメインだ。彼女だけではなく、遠征艦隊全員がこの執務室に集まり、遠征での出来事や途中停泊した街の様子、人々の状況。食事は旨かったのかとか、お土産は何があるのか……いろんな事を聞くのが冷泉の楽しみでもあった。

舞鶴鎮守府以外のところが現在どんな状況なのか。そこに住む人々の生活はどうなのか。深海棲艦がどう世界に関わっているのか。そういった事だけではなく、艦娘達が何を考え何を思うのかがそういった雑談の中から感じ取れることを重要視していたのだ。

まあ、単純に若い女の子と話すだけで、楽しいのは間違いないのだけれど。

 

それが今回、扶桑達の遠征艦隊では、扶桑以外の艦娘は、ここに来ていない。普段は来ていた村雨さえも現れていない。いろいろと連携で問題があったらしく、普段以上に疲労が蓄積したためとの報告だった。やむを得ないのかもしれないけど、少し寂しく思えた。だからこそ、余計に事務的に話を終了させて帰ろうとする扶桑に、一言かけててしまったのだ。

 

冷泉の声に立ち止まった扶桑は、ゆっくりと振り返り

「すみません。私も少し疲れてしまったようです。申し訳ありません、失礼します」

とだけ言うと、二度と振り返ることなく去っていった。

彼女の表情からは、笑顔が消えていた。

 

バタンと閉まった扉をしばらくぼんやりと見ている冷泉。

 

「提督、振られてしまいましたね」

と、加賀が優しく声をかける。

 

「さすがの提督でも、いつもモテるわけでは無いのだな。……まあ、ドンマイ」

長門が冷泉の肩に手を置くと、うんうんと頷いて見せる。

 

妙に優しくされるとかえって辛くなるんだな、と実感させられる冷泉だった。

 

しかし―――。

 

扶桑は、何か急ぎの案件でもあるのだろうか? 言葉や態度は普段とそれほど変わらないように思えたけど、会話中ずっと、彼女からは焦りのようなものが感じ取れたのだ。

最初はそうでもなかったけれど、途中からそれが顕著になったように思える。

さて、どの辺りからだっただろうか?

艦娘の僅かな変化も見逃さないように気をつけているだけに、その変化が気になる。何らかのフォローもしてあげないといけないし。

冷泉は考え込まずにはいられないかった。

 



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第136話 焦りと嫌悪

提督の執務室を出ると、意識せずとも早足になってしまう自分を必死になって制御する。

少し俯き加減になり、ゆっくりゆっくり……そう心の中で何度も言い聞かせながら、歩みを進ませる。何処で誰が見ているかも知れない。絶対に動揺している自分を見られてはいけない。

 

「ふう……」

思わず大きく溜息をついてしまう。

幸いな事に、誰とも会うことなく自分の部屋に戻ることができた。なんという幸運なのだろう。もし、誰かに出会っていたら、自分の動揺を悟られて原因を問われていたかもしれない。もし、そんなことがあったとしたら、秘密を守り通せることなんてできるだろうか? ……はっきり言えば、自信がなかった。

 

提督を、艦娘のみんなを、そして鎮守府を裏切っている自分。たとえ、それが正しい事だとしても、誰かを犠牲にし、みんなを裏切っていることに不安を感じている自分がいるのだ。最終的にみんなと敵対する未来に到達したくない自分がいて、誰かに止めてもらいたがっているのだろうか。

自分は、不幸だとずっと思っていた。必死に秘密を隠そうとすればするほど墓穴を掘り、がんばればがんばるほど報われない。それがこれまでの人生だった。そんな自分が、秘密を隠し通せるはずが無い。ついつい弱気になってしまう。

 

……これも洗脳の影響がまだ残っている証拠なのだろう。きっとそうだ、そうに違いない。どうしても悪い方へ悪い方へと考えてしまうから、不幸がやって来ていたのだ。今度こそ大丈夫。運気が自分に向いているに違いない。このまま秘密を守り通し、きっと真実を掴むのだ。負ける訳にはいかない。今回だけは、絶対に負けてはいけないのだ。

 

お慕いしていた緒沢提督の意志を継ぐためにも―――まだ倒れるわけにはいかないのだから。

 

そして、先程の提督とのやり取りを思い返す。なんとかやり過ごすことができた自分に胸をなで下ろす。

 

冷泉提督から、改装の話を聞いた時のとてつもないレベルの衝撃。

あのタイミングで言ってくるなんて、なんと恐ろしい人だと思ったことか。この人は知っている……扶桑達の企みが、彼にすでにばれてしまっているのではないかという焦り。それはある意味、恐怖と同じ次元のものだった。何故なら、改装を行うということは、扶桑はドッグに入らなければならない事になる。そうなれば、艦だけの確認で済むはずが無いのだ。間違いなく艦娘の検査も行われることになる。身ぐるみ剥がれて、調べ尽くされるだろう。それだけじゃない、敵勢力に記憶操作を行う口実を与えてしまうことになる。それくらいで済むのなら、まだマシだ。記憶を弄られるだけではなく、扶桑の記憶を調べられる事にでもなったら、永末さんやせっかく仲間になった艦娘達のことも露見してしまう。そうなったら、すべてがお終いだ。それだけは、絶対に避けなければならないことだから。

 

提督は、すでに扶桑達の企みを知り、それを阻止するために改装という話を持ち出したのではないか? と、思って当然だ。そして、それだけではなかった。彼から、祥鳳も改装とするいう話が出たからだ。

扶桑達は、次は祥鳳を仲間に引き入れる予定にしていた。それを先回りされたのではないかという疑念だ。そうやって、自分はすべて知っている。次は、どうするんだ? と挑戦してきているのだろうか。それ以上に、秘密を知られて焦り怯える扶桑を、面白そうに見ていたのではないか。

なんという恐ろしいサディストなんだろう、とまで思ってしまった。

 

けれども、強く主張しただけで、やり過ごす事ができた事から推測すると、……実は、提督は気づいていないのかもしれない……。ほっとした。拍子抜けした。何だ、思い過ごしか……と。いや、提督はわざと泳がせているだけかもしれない。揺さぶりをかけて、油断させて、焦って暴走するように仕向けているのかもしれない。自重しなければならない。迂闊な行動は避けて、注意することが必要だ。自分一人で判断しては、絶対にいけない。

 

本来なら、永末さんに相談しないといけないのだけれど、こちらから連絡を取ることはできないし、できたとしてもそれは危険すぎる。鎮守府内で目立った行動はできない。何処に敵の目が耳があるかもしれないからだ。自分にできることは、遠征を設定決定し、その作戦を鎮守府に入り込んでいる内通者より永末さんに伝えて貰うことだ。そして、軍の目の届かないセキュリティの弱い遠征先で、彼と連絡を取るのが最良の方法なのだ。

 

追い詰められながらも、なんとか遠征を入れてそれを冷泉に承諾させることに成功したが、のんびりしている暇は無い。とにかく行動を急がなければならない。冷泉を手先としている敵勢力に先に手を打たれる前に、同志となってくれる艦娘の数を増やさなければいけないのだ。味方にする艦娘は、多いほど喜んでくれるはずだから。

 

緒沢提督、きっと貴方の意志は継いで見せます。あなたの無念をきっと晴らせてみせますからね。……永末さんと私の力で。

強く強く思う扶桑だった……。

 

行動は急がなければならないという事だけは明白だ。

最早、手段を選んでいられないのかもしれない。

それすら検討する必要があるのだろう……。

訪れる選択を避けたいと思うけれども、運命には逆らえないのだろう。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

一体、どうしたのだろう? 

叢雲は疑問を感じるしかなかった。

 

疑問に感じているのは、遠征に帰るなり部屋に閉じこもってしまった不知火の事だ。遠征に出る前に珍しくあの子から、相談したいことがあるからと言われたから待っていたというのに、顔を合わせても、逃げるように去っていったのだから。……まったく、どうしたのだろう。

 

一緒に遠征に行っていた村雨や大井さんに聞いても、特に問題が無いように言われたけど、ちらっとみた時の疲れ切った表情は普通では無かったように思う。どういうわけか胸騒ぎがして、気になる。それに、村雨たちもなんだかよそよそしい態度だったのも気になった。

 

不知火の部屋に行ってみたけれど、ドアをノックしても彼女は反応をしなかった。うっすらとした灯りが漏れてきているが、物音もしない。何かをしているのか、とても気になった彼女は、ドアノブに手をかける。すると、ドアの鍵は掛かっていなかったようで、あっさりと扉が開く。鍵が掛かっていないのは、実は珍しい事では無い。鎮守府内はセキュリティは万全だから、外部からの侵入者などありえない。中にいるのは気心知れた艦娘だけだ。だから、鍵をかけなくても大丈夫なのである。艦娘達の寮と知って進入してくる馬鹿は、まずありえない。

 

ただ一人、冷泉提督を除いてはという限定があるけれど。……彼は、鎮守府司令官の立場であるから、あらゆるセキュリティの解放権限を持っているのだ。ゆえに、彼に掛かれば鍵を掛けたところで無意味になってしまうのだ。それが良いのか悪いのかは別問題。

とはいえ、彼は全身麻痺となっていて、艦娘にエッチな事は絶対にできない体だから、安心といえば安心なのだけれど。それはそれで可哀想に思うし、この先の彼の未来を思うと、不安になってしまう。鎮守府司令官である限りは、十分な看護が約束されているものの、退職したら年金だけでやっていかないといけないらしい。その金額がどれほどなのかは知らないけれど、何人もの看護師の手厚い介護を得るには、全然足りない事だけは間違いないだろう。

 

……可哀想だから、私が彼の看護をしてあげないといけないのだろうか? 一応、いろいろと世話になっているし、それくらいの事はしてあげてもいいかもしれない。他に身よりもなさそうだし、これも運命だと諦めるしかないんだろうな。あんなヤツだけど、のたれ死ぬのは可哀想だ。退職したら、提督はただの人。みんなからすれば、他人にすぎない。せめて、自分くらいが面倒見てあげてもいいだろう。そんなことを考える自分にはっと気づき、驚いてしまう。

 

部屋の奥でカタン、と音がした。

そこでハッと我に返る。今は妄想に浸っている場合じゃない。どういうわけか慎重に、音を立てないように気をつけて不知火の部屋に入る。薄明かりの中、人影が見える。そこには、呆然とした表情でソファにもたれかかる不知火がいたのだ。目も虚ろにして、気が抜けたようなぼんやりとした表情で遠くを見ていた。その表情は、普段の凛とした表情にからは、ほど遠い。

そして、すぐ側の机の上には、注射器が転がっている。彼女の表情とそこにある機材で嫌な予感が的中したことに衝撃を受ける。ただのビタミン注射なわけがない。

 

「アンタ、なにやってんのよ! 」

思わず声を荒げて部屋の中に入ると、問いつめる叢雲。

「何、惚けてるの? しっかりしなさいよ。それより、何なのこれは」

そう言って、両手で揺さぶる。

しばらくは自分が自分でないような感じで、ぼんやりしていた不知火だったが、やがて自分を取り戻し、叢雲に見られたことに衝撃を受ける。驚きから動揺、そして恐怖へと表情が目まぐるしく変化していく。

 

「お願い! 」

突然、声を荒げる

「今見たことは、絶対に誰にも言わないで。……お願いだから、何も見なかった事にして、ね、ね」

叢雲の体に縋りつきながら、喚くように不知火が訴えてくる。それは、プライドをかなぐり捨てたあまりにも情けない態度だった。感情の起伏があまりにも激しい。瞳から大粒の涙を流し、鼻水まで垂らして懇願してくる。それに叢雲が反応しないと分かると、床に頭を擦りつけて土下座までしてきた。頭を何度も床にぶつけながらの土下座だ。

 

「……その前にはっきりしなさいよ。……これは何なの? 不知火、アンタ、何を注射してたの?」

問い詰める叢雲に、何も答えない不知火。ただ、額を床に擦りつけたままだ。

「……これって、違法薬物よね。言いなさい、何処でこんなもの手に入れたの? 何でアンタがこんなものを使っているの? それから、理由を言いなさいよ。なんでアンタがこんなことをしているのか? それをみんな嘘偽りなく言いなさい。まずはそれが先よ」

怒りにまかせて問い詰める叢雲だったが、不知火は頑として答えない。それがますます苛立たせる。

不知火は常に規範を守る艦娘だった。頭が固すぎると言われるまでに、法律を、規範を、規則を守ってきた。すべてに対して真面目に取り組むその姿は、自分にはできないことだと憧れさえ感じていた。叢雲は、そんな彼女に裏切られたような気持ちになり、怒りを抑えきれない。

 

「お願い、このことは黙っていて……。おでがいだがら……」

叢雲の右足に縋り付き、上目遣いで懇願してくる。

何だ、この情けない艦娘は。いつもの不知火ではなく、本当に、本当に惨めで無様で情けない姿だった。

プライドをかなぐり捨て、自分の情けない姿を見せることで、許しを請おうとしているのか?

 

「どんな理由があったとしても、こんな事、認められないでしょ? 何を考えているの。アンタがこんなものに絶対に手を出すはずが無いわ。なのにどうして、こんな事になったの? 何を考えているの。とにかく理由を言いなさい。……どうしても言わないのなら、提督に相談するしかないわね」

その瞬間、不知火が飛びかかってきた。いきなりの出来事に対応しきれない叢雲。不知火は力尽くで叢雲を押し倒し、馬乗りになると叢雲の首に両手をかけて絞めようとする。

 

「な、何をするの! 」

不意を突かれて押し倒されたとはいえ、動揺から立ち直り、冷静になれば何のことはない。薬物の影響下にある不知火の力は、普段の艦娘の状態からは大幅に弱体化している。逆にあっさりと叢雲に押さえ込めてしまう。

 

「……こ、殺して」

消え入るような声で不知火が訴えてくる

「叢雲、……お願いだから、私を殺して。こんな私なんて、生きている価値が無いから」

出てきた言葉はそれだった。興奮から冷めたのか、すべてを諦めたような表情で、投げやりな言葉を発する不知火。

「提督にこの事を知られるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだわ。私を可哀想に思うなら、殺して頂戴」

縋るように訴えてくる。

 

「何を言ってるの? 艦娘が艦娘を殺すなんてことできるわけ無いでしょう? そんなことさえ忘れたの? いいえ薬のせいで何もかも分からなくなってるというの? ……そんなこと、今はどうでもいいわ。さっさと理由を言いなさいよ。提督に言う言わないは別として、どうしてアンタがこんなことになっているのかを、教えなさい」

強い口調で責めてしまう。すると、不知火は目を逸らして黙り込んでしまう。ぐすぐすと鼻をすする音だけが聞こえてくる。

 

何を言っても、この繰り返しでしかないのだろう。結局、諦めるしかないのか。

 

「ねえ、叢雲。提督には、絶対に迷惑をかけないようにするから。だから、今は、今だけ見逃して……。何も見なかった事にして。この事が提督に知られてしまったら、鎮守府全体が大変なことになるのよ。冷泉提督に迷惑をかけてしまう。それだけは、嫌。私がこんなことになってしまったたのは、全部、私のできが悪いせいなの。本当に自業自得なの。自分の力でなんとかするから、お願い、今は黙っていてちょうだい。とにかく、今は見逃して。あなたが……私を殺してくれないのなら、できないのなら、言うことを聞いて頂戴」

あまりにも必死の懇願だった。何の担保もなく、ただ情に訴えるだけのものでしかない。

 

不知火とは付き合いが長い。彼女がどんな性格の艦娘なのかは知っている。正義をよりどころとして、すべて悪事を憎んできた性格だった。それは、あまりに愚直で頑なな想いだった。絶対的な信頼を寄せるべき提督が相手であっても、仮に彼が軍規を犯せば、彼女は彼を否定するだろう。それほどまでに法規範最優先で生きてきたのだ。そんな彼女が、自ら違法と分かっている薬物に手を染めている事、事態がありえないのだ。こんな事になったのは、きっと何か大きな事情があるのだろう。そう思うしかなかった。

 

「何が原因かを教えて頂戴。一人で抱え込まずに私を頼りなさい。一人より二人で考えた方が何か解決方法が見つかるかもしれないから」

 

「無理よ……」

あっさりと否定される。

「自分の不始末は自分でけりをつけるから。だから、全てを忘れて。これ以上知っても、あなたには良いことは一切ないのだから。そして、忘れることがあなたの為でもあるのよ。……私は、自分のせいで誰かに迷惑なんてかけたくないから」

自らに言い聞かせるように言う不知火。

 

叢雲にできることは何も無い。口だけでは一緒に考えようと言ったけれど、どうすることもできないことは分かっていた。そして、彼女の言うように、この事実を忘れるしかない事も。知ったところで何もできない。それどころか、より詳細に知ってしまえば、叢雲さえもがこの事件に巻き込まれてしまう。それを不知火は言っているのだ。

 

「けれど……」

それ以上何も口からは出てこなかった。何もできない自分に空しくなるけれど、どうしようもない。不知火のその言葉を信じるしかない。

 

本来なら、すぐにでも提督に伝えなければならない事だ。けれど、そんなことをしたら、提督はすべてを投げ打ってでも、不知火を助けようとするだろう。いつもは惚けているし、スケベな事しか考えていないけど、艦娘の事になると人が変わったようになる。後先考えない行動をまた取るのだろう。

 

けれど、今回は彼でもどうにもならない。何をしようとも、結果は目に見えている。部下の不始末は上司の責任でしかない。

敵が多い提督を放逐する絶好の材料だ。彼は解雇され、不知火は解体となるだろう。そんな未来は見たくない。このまま放置しても結果は良い方向へとは行かないと思うけれど、すべてを自分の手で終わらせる選択は、叢雲には選べなかった。ただの自己保身でしかないことは、事部自身分かっているものの、それ以外に選択できなかった。

 

取るべき手立ては、何も浮かばなかった。一番頼りにできる神通に相談したとしても、結果は同じだろう。彼女は、部下や仲間の事を本気で考えるタイプの艦娘だから、必死にいろいろと動いてくれるだろう。だがしかし、それでもどうすることもできないと分かったら、提督を護る側につく。あらゆるものより提督を優先するほどの信頼を彼に寄せている彼女だからだ。そして、今の不知火の状況はどうすることもできない状況だ。

 

そして、叢雲にできることは、今は何もない。

彼女に対して、結局、あいまいに頷くしかできなかった。

 

ここで事を荒げても何も良いことはない。きっと何とかなる……かもしれない。そんないい加減な期待をするしか、何もできなかったのだ。

 

卑怯者だわ……。

自己嫌悪に陥るしかなかった。

 



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第137話 提督、第二帝都東京へ

数日後―――。

 

いろいろと検討をした結果、冷泉は扶桑の意見を取り入れて、第二艦隊を遠征に出撃させることを決定した。

編成は扶桑を旗艦とし、祥鳳、大井、不知火、村雨の合計5隻によるとする。なお、遠征期間については、1週間程度の短期とした。

 

そして冷泉は、秘書艦加賀に車椅子を押され共に港まで出向き、出発する艦娘達を見送りに来ていた。

 

「お前達の活躍を期待している。えっと、けれど、祥鳳は遠征が初めてだったよな。だから、あまり行動については無理をしないように注意すること。その辺の指示は、扶桑……頼んだぞ」

一列に整列した艦娘達に冷泉が語りかける。そして、扶桑は無言で彼の言葉に頷く。

「うん。……祥鳳、無理をせずに慎重に行動するんだぞ。……大丈夫か? 」

 

「だ、大丈夫です。提督、私だって空母です。頼りなく見えるかもしれませんけど、私を信頼してください」

緊張した面持ちで祥鳳が答える。

冷泉が記憶する限り、彼女にとって初の遠征のはずだ。未知の任務に緊張するのは間違いない。焦ることなく慎重に、他の艦娘と連携して行動するようにと言ったつもりだったんだけど、信頼してないように聞こえたのかな? 少し冷泉は反省した。

それにしても、何で彼女が「空母」の所を強調して言うのかはよく分からなかった。ただ、冷泉の後ろに立つ加賀の方を、チラチラと見ているのだけは、気づいた。もしかすると同じ空母として、加賀に対抗意識を燃やしているのかもしれない。……たぶん、そうなんだろうな、と思う。正規空母の加賀が来てから、彼女もいろいろと考える所があるのだろう。……とはいえ、正規空母と軽空母では役割がおのおの異なる。それぞれの艦に応じた任務があるのは間違いなく、共に競い合って長所を伸ばし合うのはいいんだけど、それがマイナス方向に向かないように注意しないといけないな。いろんな関係性を把握し、それぞれの艦娘が嫌な思いをしないように、いろいろと注意しないといけないな。わりと艦娘って人間の女性と同じようなものなんだな。面倒なことが多いのは、やはり、同じなんだろうか。過去の会社での女性社員同士の人間関係のいざこざを思い出し、つい考えてしまう。そして、ずっと冷泉からの返事を待っている祥鳳に気づき、慌てて答える。

「うん、信頼しているぞ、祥鳳。他のみんなも、無理をせずに無事帰還することを最優先にしてほしい。俺の話は以上だ。よし、第二艦隊、出撃せよ」

 

「了解」

彼女達は冷泉に向け敬礼をすると、それぞれの艦に乗船し、出発していった。

 

 

 

「さて……と。俺も出発するとしようか」

第二艦隊の艦影が見えなくなったところで冷泉が呟く。

 

「……」

 

「ん? どうかしたのか? 」

無言のままの加賀に、冷泉が問いかける。

 

「いえ、特にどうということはありません」

淡々とした口調で返事が来る。こういう言い方の加賀は、は間違いなく何か思うところがあるのである。

 

「……何か不満があるのか? 遠征のことか? それとも、俺が第二帝都に行くことか? 」

どちらにも不満があるかもしれないので、両方を列挙する。予想では、後者の方だろう。

 

神通の改二化について申請をしたところ、承認の連絡は予想以上に早かった。ずいぶんと作業が早いんだなと感心したが、その文書には、いろいろと余計な文言が記載されていた。

 

【軽巡洋艦「神通」の改装については、鎮守府責任者たる冷泉朝陽も同行されたし】

 

 

つまり―――。

改装して欲しかったら、冷泉も一緒に来い……ということだった。

これは軍の司令書ではなく、艦娘たちを統べる勢力からの指示であることは間違いなかった。しかし、艦娘の改二作業について、鎮守府指令官が同行するという事は、これまで無かったはずである。それは、加賀と長門、それから榛名の反応を見れば明らかだった。加賀と長門は横須賀鎮守府で艦娘の改二改装事案を体幾度も験済みだし、榛名に至っては、自らが改二となっている。みんなが口を揃えてそんなこと聞いたことが無い……とのことだった。そもそも、戦争中であるというのに、艦娘の改装の為に鎮守府指令官に来いということ自体が異例中の異例だったようだ。指揮系統の問題が確実に発生するという危険を、あえて冷泉に冒せというのだろうか。

 

いろいろ考えたけれど、流石にそれは難しいと冷泉が返答すると、軍令部からも直接従うようにとの指示が来たのであった。

 

これは、命令であると。

 

けれど、あまりのばかばかしさに暫く放置することにした。その後、何度かやりとりがあったものの、それでもごねていたら、ある日突然、司令室の提督直通電話が鳴った。

表示された番号は番号表にも載っておらず、見たこともないものであった。

 

提督執務室への直通電話は、軍関係者でもほんのごく一部の者にしか知らされていないものである。当然、それが鳴るときは、だいたい碌なものじゃなかったので、取りたくなかった。なので、じばらく聞こえないふりをしていた。けれど、加賀がじっと見てくるので、苦笑いを浮かべて仕方なく出ることにした。

 

電話の向こうから聞こえた声は、可愛らしい女性の声だった。そして、彼女は名乗った。「私は、戦艦三笠です……」と。

 

なんと、艦娘勢力の、知るところのトップからの電話に驚かされる冷泉。

名前しか聞いた事がないが、日本という国が深海棲艦に敗北を繰り返し、最終的に完全包囲された時、どこからともなく現れて、あっという間に敵を撃退し、一定エリアの海を取り戻した伝説の艦隊。……その旗艦こそ三笠である。彼女達の活躍とその後の艦娘の提供により、現在の日本国があるのは間違いない。

 

彼女は、混乱する冷泉に告げる。

「軍部より、あなたがいろいろと理由をつけて断ろうとしているようですので、直接連絡させていただきました。フフフ、面白い方ですね。笑っちゃいけませんけど、なかなか興味深い方だと思います。いろいろと楽しませてくれそうな方みたいですけど、今はその時ではありません。早速、要件をお伝えしますね。……冷泉提督、是非とも帝都に来ていただきたい。あなたに話しておきたい事があるのです」

少女のようでもあり、大人のようでもあり……読めない声だった。探ったところで意味のない事も理解しているが。

 

「三笠さんとお呼びすればいいのですかね。……しかし、私は鎮守府指令官の立場にあります。そんな私が、戦闘とかいった大事でもない時に鎮守府を空けることは、大変難しいのです。その辺りをご理解いただきたいのですが」

 

「来ていただいて損はさせませんよ。これは貴方にとって、とても重要な案件となるのですから」

思わせぶりな口調で誘ってくる。

 

「しかし……」

 

「ねえ、提督……」

唐突に、声色が甘えるような感じに変化する。

「いきなり、改二まで改装される艦娘の気持ちを考えてあげてもらえないかしら。ひとりぽっちで、全く知らない場所に連れて行かれ、体中をいじくり回されるんですよ。それも、何処の誰とも知らないモノに。艦娘が可哀想だとは思いませんか? 」

 

「そ、そんな事を言われても」

確かに、神通の気持ちを思うと不安だろうし、側にいてやりたい気持ちが強いのは事実。たった一人で知らない場所に行って、改造されるなんて、きっと怖いに違いない。心細いに違いない。上司としたら、寄り添ってあげるのが良いに決まっている。だが、それだけの理由で、鎮守府を留守にするわけにはいかない。何時、作戦指令が下るかもしれないし、敵が攻めてくるかもしれないのだから。

 

「うふふ。あなたの心配は杞憂でしかありませんよ。少なくとも作戦指令は、あなたがこちらに来ている間には下る事はありませんし、深海棲艦が鎮守府を襲う可能性は、私達の調査では、ほとんど無いとなっています。それに、何かあったとしても、今の舞鶴鎮守府には戦艦金剛、榛名、空母加賀がいますよ。それに、艦を失ったとはいえ、横須賀鎮守府旗艦だった長門までいるじゃないですか。彼女達がいれば、提督が鎮守府に戻る時間ぐらいは指令無くして充分に対応できますよ」

確かに、彼女達に加え、重巡洋艦高雄と羽黒がいる状態である。余程の艦隊が進行してこないのでなければ護りきることは簡単だろう。さらに作戦指令の件については、艦娘側から日本国に通達すれば、確かに軍事活動は制御することも可能なのだろう。彼女の立場なら、そういった事も可能であることは間違いない。

 

あとは、冷泉の気持ち次第……ということなのだろう。

 

「しかし、世の中に絶対という事はありえません。故に……」

 

「もう一つ大切な事を教えましょう。……あなたがこちらに来てくださるのでしたら、そして私の話を聞いてくれるなら、改装設計図を提供しましょう」

冷泉の言葉を遮るように伝えられたその言葉が決定打となった。扶桑を改二とするために絶対必須のアイテム。実力だけでそれを手に入れるには、多くの戦果を積み上げなければ手に入らないモノ。……どうして冷泉がそれを欲しがっている事を知ったのかという疑問もよぎるが、今はそれどころではない。

 

鎮守府強化に必須なのは、扶桑を航空戦艦へと改装すること。それができれば、鎮守府の力は大きく高まるはず。そして、何よりも扶桑が喜ぶだろう。最近、鬱ぎがちだった彼女の喜ぶ笑顔を見たい。実際のところ、改二化は、それが一番の目的なのかもしれない。なんと個人的な理由と言われるかもしれないけど、元気のない扶桑を見るのは辛かったのだ。次々と新戦力が加入して来ていて、居場所が次第に無くなっている事を気にしているのではないか……。そんなこと冷泉は考えてもみながったが、最近の元気の無さはそれが原因ではないかと思っていた。違う違う。扶桑は今でも舞鶴鎮守府に必要な艦娘だ。言葉で言っても伝わらないだろうから、改二化することでそれが事実であることを彼女に教えたかった。

 

そして、冷泉は神通に同行することを決定したのだった。

 

決定は早かった。その後、僅かながらのいざこざがあったものの……それは、主に加賀と金剛からの苦情対応だった。単に自分たちを連れて行け、という単なる我が儘だったので、鎮守府防衛にお前達の力が必須だということで押し切った。ただし、神通だけでは航海の危険も予想されるということで、護衛として叢雲と長波を同行させるという要求を飲まされた。駆逐艦娘一人もいれば、最悪鎮守府に戻る事になっても帰ることができるから問題無いだろう? と抵抗したものの、体が不自由な冷泉の介護には艦娘一人では大変だということで、二人の艦娘を同行させることとなった。人選は神通に任され、結果、加賀達が主張する案と同じく、叢雲と長波が同行することとなった。

 

任務を告げられた駆逐艦の二人。

叢雲は、話を聞くなり、何でこんなヤツの下の世話をしないといけないのよー! なんで私ばかり嫌なことを押しつけられるの、罰なの? と不平を漏らしたが、

「叢雲、大丈夫よ。提督のお世話はみんな私がするから。けれど、改装中だけは無理なので、あなたたちにお願いするしかないの。迷惑掛けて……ごめんなさいね」

そう言って神通がニッコリと微笑んでお願いすると、どういうわけか二人は青ざめた表情で

「迷惑なんてとんでもないです。喜んでやらせていただきます! 」

と同時に叫んでいた。

 

そんなやりとりを行った後、冷泉は軽巡洋艦神通に乗艦し、二人の駆逐艦娘を従えて第二帝都へと旅立っていったのだった。なお準備を含めた間、ずっと加賀は不機嫌なままだった。

 

それはともかく―――。

冷泉達は鎮守府を出撃していった。

 

港で見送るのは加賀と長門だった。

慌ただしく出立して行く神通達の艦隊を見ながら、長門が呟いた。

「何だか、急に慌ただしくなってきた気がするな。そう思わないか、加賀」

 

「そうね。なんだか……これまでとは違った雰囲気に鎮守府がなっていくように感じてしまうわ。新たな目的に向けて動き出す感じ……といったら良いのかもしれないけれど、どうしたのかしら、何だかこの感覚は好きになれない。……凄く嫌な感じ」

そう言って、何かに怯えるような表情を見せる。僅かだが体も震えている。

 

「うむ。私も何だか違和感を感じる。これをなんと言ったらいいんだろうな。まるで、運命の歯車が動き出したかのよう……だな。抗うことのできない運命に向けて、また、無情にも時は動き始めた……って感じかな。ふふふ、なあに、加賀、怯えることなんて何もないさ。私達はこの時をすでに経験済みだ。どんなに準備しても対応策を練ったとしても、時間ってものは進むしかない。逆戻りさせることどころか、止めることさえできないのだからな。我々は、その中でいかに最善を尽くすことができるか、それだけを考えればいいんだ。もう二度と……二度と過去を後悔しないようにな」

まるで自分に言い聞かせるように長門が呟いた。

 

「そうね。例えどんな結末を迎えようとも、悔いを残さないように……。あの時の悲しみを繰り返さないように」

加賀も頷く。

 

「提督、あなたは……」

加賀は何かを口走ったようだったが、あまりに小声であったため、長門には聞き取ることは出来なかった。冷泉提督を心配しての言葉だと思うが、聞き返すことはしなかった。

どんな事が起ころうとも、冷泉提督は私達がお守りするのだ。それだけは変わることのない最大の目的なのだから。

 

どんな過酷な運命が待っていようとも、提督さえいれば、我らは乗り越えられる。それが叶わずとも、運命を受け入れることができるだろう。

信じる提督と共に。

 

 

 



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第138話 始まりの地

第二帝都東京へは向かうには、日本列島を反時計回りして関門海峡を抜け、瀬戸内海を通って太平洋へと出る西ルートと、時計回りに進み津軽海峡を抜けて太平洋へと出る北ルートがある。瀬戸内海は深海棲艦との遭遇の危険性が高いため、本来であれば北周りのルートを行く方が良いのであるが、前回と同様大湊警備府の許可が下りなかったために、やむを得ず西回りのルートを選択することとなった。

何だかよく分からないけれど、大湊の葛城提督にはずいぶんと嫌われてしまったようだ。そのことをぼやいていると、加賀には「自業自得でしょう? 」とあっさりと言われてしまったけれど。

加賀は、提督と一緒に第二帝都について行きたいくせに、妙に意地を張ってそれを言えないから、やたらと提督に強く当たってるんだよ。女心を分かって欲しい……と長門に謝られたけれど。

 

それでも神通を旗艦とした3隻の艦隊の航海は、敵に出会うこともなく、至って順調だった。

途中、呉鎮守府提督へ挨拶の為に立ち寄ると、予想していなかった歓迎を受けることとなる。なんと、わざわざ鎮守府を上げての親睦会を準備していてくれたようで、予定には無かったけれど呉鎮守府で宿泊する事となった。

 

酒宴での高洲提督は終始ご機嫌で冷泉に話しかけてくれ、思った以上に気さくな人だと知ることになった。

 

「冷泉提督、……その、だな」

いろいろな話をしているなかで、急にかしこまったように高洲が問いかけてきた。

「いや、何、……提督のところでお世話になっている……榛名なのだが、うむ、元気にやっているだろうか」

やたら饒舌にどうでも良いことを話すと思っていたのだが、どうやらそれが聞きたかったらしい。随分と戦艦榛名のことを特に気に掛けているらしく、舞鶴鎮守府の環境に馴染んでいるだろうか、他の艦娘達と上手くつきあえているだろうか? などと尋ねてきた。それだけではなく、彼女は人見知りな所があるから、できれば冷泉冷泉提督にはその辺りを気にしてもらいたいなどといろいろとアドバイスを貰った。

まるで父親みたいだな……冷泉はそう思った。確かに、彼からすれば、榛名は自分の娘のように思えるのだろう。まるで、一人暮らしを始めた娘を心配するような父親のような……そんな気持ちなんだろうなあ。そう思うと、何だか彼の態度が微笑まく感じられるとともに感心させられる。

本当に可愛くて仕方がないんだろう。まあ、確かに可愛いのだが。そんな可愛がっていた娘を、仕方ないとはいえ、軍内部では嫌われ者で得体の知れない若造の所に行かせてしまい、舞鶴で榛名がいろいろと苦労しているんじゃないかと、後悔しているようにも感じられた。

 

「榛名は……いえ、彼女は、元気にやっていますよ。それに大丈夫です。私にお任せ下さい。提督が心配されているような事が無いようにしますから」

と自信たっぷりに語るしかなかった。それで、高洲提督の心配が解消されたかどうかは分からないけれど。

そういった話をしていたせいで、冷泉が聞きたいと思っていた宿舎での榛名の奇行について、確認することができなかった。

そんなことはあったものの……神通達は呉鎮守府の艦娘達と親交を深めることができたようで、満足げだったから、まあ良しとするか。

 

そして、翌朝早くに出立となった。

瀬戸内海は未だ危険だということで、高洲提督は4隻の駆逐艦を護衛につけてくれた。敵に出会うこともなく……もっとも、流石に対戦能力の高い7隻の艦隊にわざわざ戦いを挑むような愚か者は深海棲艦には存在しなかったようだ。

瀬戸内海を抜け、護衛してくれた艦娘達に礼を言って別れることとなる。

 

数時間で冷泉達は、日本国政府より【第二帝都東京】と命名され、艦娘勢力が管轄するエリアへと到着した。

 

第二帝都東京とは、位置的には旧東京都における江東区および墨田区全域を指すエリアのことである。深海棲艦の侵攻から日本を救った艦娘勢力(特に名称がないため、現在もこう呼ばれている)の六隻の艦隊が最初に入港したのが東京港フェリーターミナルだったことから、彼?彼女?等の本拠とされることとなった。以後、次第に影響範囲を広め……もちろん日本政府の許可を得ての話である、現在のエリアを支配下に置くこととなっている。

 

深海棲艦との戦いの中で、居住していた住民のほとんどが避難もしくは死亡していたため、特に大きな混乱もなく、エリアの支配地化は完了した。もっとも、仮に反対する勢力があったとしても、深海棲艦を排除するだけの力を持つ存在に逆らうことなどできるはずもなかったのであるが……。

 

現在は、艦娘勢力側が認めた政府関係者のごく一部のみが、艦娘勢力との交渉窓口として立ち入ることが許されている状態となっていて、それ以外の人間は境界に近づくことさえ認められていない。それだけに勢力下に治められた後、そこがどうなっているかは多くの国民に知らされていない。

ただ、造船所や兵器工場、研究所が造られており、ここより多くの艦娘と軍艦が生み出されるとともに、艦載機や各種兵器も生産されている。彼等のおかげで、今の日本国がなんとか存在しているのは間違いない。また、大がかりな改装つまり改二や大規模な修理についてもこちらで行われることとなる。

こういった事情から、多くの人間が研究者および作業員として第二帝都東京に居住している筈なのであるが、彼らがどういった人選で選ばれたのか、また彼らはどういった生活をしているのかは全くの謎となっている。

 

巡洋艦神通以下の艦隊は、ゆっくりとした速度で指示された港へと近づいていく。

艦橋から見ているだけではあるけれども、第二帝都と呼ばれるエリアに入った時から、明らかに空気感が変わるのを冷泉は感じた。それは、領域とはまた異なる異質な場所に来たと直感的に感じてしまう。

日本列島の沿岸部は、かつて深海棲艦との戦闘で破壊された町並みの多くが、修復されずに残されたままになっている。しかし、第二帝都東京と呼ばれるこの場所は、まるで戦争などがあったことが無かったかのように、整然とした町並みがあった。これが深海棲艦との戦争が起こる前の姿のままなのかは、観光でしか来たことのない冷泉には分からない。ただ分かること……それは、ここが人間の住む世界では無いということだけは、理解できた。かつては賑わっていたはずの場所には、人間の姿はほとんど見あたらない。ひっそりと静まりかえった風景としての町並みが存在しているだけだ。

 

「凄い場所だな……」

ぽつりと冷泉は呟く。

 

「提督、大丈夫ですか? 」

横をみると、横に立っていた神通が心配そうに覗き込んでいた。

 

「ああ……俺は平気だよ。少し空気感が変わったから、驚いただけだ」

 

「少しお疲れなのではないですか? ……私なんかの為にお付き合い頂き、こんな遠くまで来てもらい、申し訳ありません」

改二改装を控え、彼女の方が緊張しているはずなのに、冷泉の事ばかり心配している。舞鶴からここに来るまで、ほとんど寝ずの番で冷泉に付き添っていたのだ。

 

「お前の方こそ心配だよ。ここからは俺のことばかり心配せず、改装に向けた心の準備を進めるんだぞ。……大丈夫、俺が一緒にいてやるからな」

そう言うと神通の頭を撫でてやる。彼女は少し頬を赤らめながら瞳を閉じ、冷泉にされるがままにしている。

神通……。冷泉に対しては、本当に従順で素直な子だ。常に冷泉の事を気にかけ、冷泉の期待に応えようと相当に無理をしている。彼女の価値基準は、常に冷泉を中心にしていて、そこに一切の迷いが無い。いつの間にか、冷泉が絶対の存在になっている。信頼しすぎじゃないのか? と、こちらが心配になる。どこかのタイミングでそれを諫めてあげないといけないと思ってはいるんだけれど。

もちろん、彼女の信頼に応えるように無い能力を振り絞って頑張るつもりだし、絶対的な依存をされるのは結構嬉しかったりする。彼女が冷泉に寄せる気持ちが恋愛感情であったら、本気で嬉しいんだけどなって思うが、そんなことはありえないので、変な気持ちを起こさないようにしないといけない。

 

「提督……」

神通が話しかけてくる。慌てて妄想から復帰する。

「まもなく接岸します」

 

「わかった」

モニターに映し出された映像には、いつの間にか現れた作業員達が接岸準備を始めている状態が映し出されている。数隻のタグボートも近づいてきている。

「では、俺たちも下船準備を始めるか」

もっとも冷泉は、言うだけで実作業は何もできないのだけれど。神通の改装作業には数週間かかるらしいので、その分の着替えなんかを持参しているが、自力では運べないので、港にいる作業員が宿泊先に運んでくれるのだろう。また、冷泉の介護の為の人員もあらかじめ待機済みらしい。いろいろとみんなに迷惑をかけて申し訳ないと思いながらも、どうしようもないから仕方ない。

 

早く元気になれればいいのだけれど、果たしてそんな可能性はあるのだろうか。それを考えると目の前が真っ暗になってしまうから、極力考えないようにしている。鎮守府運営の仕事が無かったら、恐らくは絶望的な未来に心が持つだろうか……自信は無い。日々の生活に追われ、本当にしんどい思いばかりしているけれど、こんな生活が無ければ早晩、精神が崩壊するかもしれないな。忙しいことに感謝しないといけないんだろうと、自分を納得させる。

 

「了解しました」

神通は冷泉の心の奥底の煩悩に気づくことなく、可愛い笑顔で答える。

ああ、こんな可愛い子たちが常に側にいてチヤホヤしてくれるから、なんとかやっていけるのかもな。本気で思った。

 

タラップが接続されると、数人の作業服を着た職員がやってきて、冷泉達の荷物の搬出を始めた。冷泉達に一瞬、興味を示したような表情を見せたが、冷泉と目が合うと慌てて視線を逸らし、黙々と作業を始める。どうやら会話は禁止されているのだろう。

冷泉も神通に車椅子を押されて、第二帝都東京の地に降り立った。すぐに叢雲、長波の二人もやって来る。

 

「ようこそいらっしゃいました」

声のする方を見ると、一人の少女が立っていた。冷泉と目が合うと、小さく会釈をする。ショートカットの女の子で、白いジャージに黒いミニスカート姿をしている。そのスカート丈はかなり短いいため、ハイソックスを履いた素足に思わず目が行ってしまう。

「冷泉提督、遠路ご苦労様です。私は、給油艦速吸と申します。これより、み、皆様のご案内をさせていただきまし、す。よ、よろしくお願いします」

慣れない言葉を使ったせいか、ぎこちない話し方になっているが、そんな姿はなんだか初々しく可愛い。名前を聞かなくてもその容姿と格好で彼女が誰かはすぐに分かったんだけど。

 

「ほう……」

思わず溜息が出てしまった。特にエッチな意味は無かったんだけれど、どういうわけか背後で叢雲らしき咳払いが聞こえる。

「う……。出迎えご苦労様。私は、舞鶴鎮守府司令官冷泉だ。しばらくの間、こちらでお世話になるけど、よろしく。それから、もっと普通に喋って貰っていいよ」

 

「はい、よろしくお願いします」

緊張が取れたのか、彼女の素の笑顔が見られた。冷泉達は彼女に案内されて、すぐ近くの建物へと案内される。

移動は少し進むとすぐにエレベータに乗り、降りてすぐにトンネルのような通路に設置された水平型エスカレーターで移動する。何度も割と長い時間、水平型エスカレーターに乗ったり降りたり、乗り換えたりを繰り返し、さらにはエレベータで上がったり下がったりを繰り返した。意図的に複雑な経路を取っているのだろうか?

その間、一人の人間にも会わなかったわけであるが……。

 

本来なら車で移動するところを冷泉が車椅子ということでこの移動方法となったのか、それとも見られたくない場所があるから、地下通路を移動させたのかは分からない。

移動中ずっと、速水がここの説明をしてくれたので、それほど退屈はしなかったのだが。

 

そして、通路の突き当たりの扉がある場所まで案内されると

「それでは、こちらでお待ち下さい」

と、速吸に案内されて部屋の中に入る。見上げるほどに高い天井、壁面は木製のようだ。片側は窓らしいが巨大なブラインドが下ろされていて外は見えないようにされている。床には通路よりはだいぶ高級なふかふかに感じられる絨毯が敷き詰められていた。中央にテーブルが置かれ、それを挟んで茶系色のソファーが並べられている。上座となる場所はソファーが撤去されており、そこに冷泉の車椅子が入ることになる。冷泉を挟んで両側に神通達が並ぶことになる。

それにしても、応接室ということだから、もっと立派な造りなのではないかと思ったが、想像以上ではなかった。ここは艦娘勢力の本拠地となるわけだから、その力を訪れた者に示すため、贅の限りを尽くした物にする……なんて感覚は人間だけなんだろうな。彼女達にとっては、全く無意味な事なんだろう。そんなことを考える。

 

唐突に扉が開かれ、二人のセーラー服姿の女の子が入ってくる。見たことのない子だけれど、彼女達も艦娘なのだろうか。背丈からすると駆逐艦なんだろうけど。

そして、彼女達の後方から一人の女性が現れた。その瞬間、神通達が直立状態になる。何事? って感じで彼女達を見るが、妙に緊張したまま硬直している。叢雲ですら普段の生意気な態度は姿を潜めてしまっている。

蒼を基調としたドレスを着ている。そのお尻の部分を膨らませたデザインは、いわゆるバッフル・スタイルってやつだろう。大正時代を舞台にしたドラマで見たことがある。なんか、すごい豪華な建物の中で舞踏会なんかやっていたやつだ。髪型もそれっぽく作り込まれている。どちらにしても、普段生活には大変そうに見える。そんなことを緊張感もなく、冷泉は考えていた。

ゆっくりとした歩調で歩むと、やがて、テーブルを挟んで冷泉の前に立つ。彼女の背後に二人の艦娘らしい子が立つ。

「はじめまして、冷泉提督。私がこの第二帝都東京と名付けた街の代表を形式上務めています、戦艦三笠と申します。私の我が儘で、遠路はるばるお呼びだてして申し訳ありませんでした」

そう言って、彼女はニコリと微笑んだ。

 

戦艦三笠は、まだ艦隊これくしょんに実装されていない、いや、そもそも実装されるかどうかさえ不明なんだけれど。

だから、冷泉も見たことはなかった。

 

けれど、これまで出会った艦娘とは何かが違うことだけは分かった。

 



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第139話 その秘密を知るもの

少しの時間、お互いの自己紹介を形式的ではあるが行った。同行の神通達は一歩引いたような状態で、二人の会話に入ってくることは無かった。叢雲でさえ一言も発さなかった。

 

いきなりの伝説クラスの艦娘の登場の為、冷泉の会話はギクシャクとしたもので、本来であれば問うべき事が多くあったはずなのに、ほとんど聞くことができなかった。なんとか心を落ち着かせて質問を形作り始めた頃、どこからか連絡が入る。

連絡は神通に対するものであり、ドックへの移動許可の連絡だった。

 

「では、神通。改装の為に移動しましょう」

と三笠。

 

「じゃあ俺も行こう。長波、済まないが車椅子を押してくれないかな」

冷泉は随行の駆逐艦娘に指示をする。

 

「冷泉提督、お待ち下さい。……神通はドッグへと移動しますが、人である提督はそこに行くことはできません」

 

「え? それはどういうことでしょうか? 私が同行することは不可能なのでしょうか」

驚きで疑問を投げかけてしまう。

 

「残念ながら、許可できません。もちろん、途中まで同行することはできますよ。けれど、それより先については、許可を得ていない者は入れない領域なのです。これにはあらゆる例外はありませんわ」

やんわりとした口調ではあるものの、それは明確な否定、絶対的な拒否だった。

 

ごねたところでどうにもならない事は確定であったので、冷泉はそれ以上の事は言わなかった。許可された場所まで神通に同行し、彼女を激励すると元の部屋へと戻ることとなる。

 

「叢雲と長波、お前達は神通の側にいてやってくれるか。……それは構わないでしょう? 」

冷泉の問いかけに頷く三笠。

一瞬、叢雲が驚いたような表情を浮かべて何かを言おうとしたが、三笠と目が合い言葉を飲み込んだようだ。

 

「これからの予定について、提督にも話しておきますわね。現在、神通の艦部分はドックへと曳航を開始しています、人部分である神通は、別の施設に収容され改装に合わせた機能調整を施すこととなります。今回の改装は二段階の過程を一気に行うことから、調整には通常より時間がかかる予定となっています。当然、リスクも倍加するということを覚悟してください」

簡単な説明をする三笠に頷く冷泉。神通達も真剣な表情だ。

 

「ということらしい。リスクある改装を命じたわけだけど、命令とはいえ、もし少しでも不安があるなら、正直に言って欲しい」

 

「提督……私は、全然大丈夫です。そんな事よりも早く鎮守府にお戻りになり、指揮をお取りください。提督がご不在の時に何かあったら大変です。私なんかの事はお気になさらないで下さい」

自分のことではなく、鎮守府の心配をする神通。

 

「お前には危険を強いる事をさせるんだ。それも俺の勝手な考えでな。だから、少しでもお前の不安を少なくしてやりたいんだよ。……まあ、俺なんかがいたところで何の役にも立てないんだけれど、俺だって何かをしないといられないんだよ」

 

「いいえ、そんなことありません。私なんかのために、ここまでしていただいただけで、本当に幸せです。本当に嬉しいんです。提督、ご安心下さい。私は、何の不安もありません。提督のために強くなった私をきっとご覧にいれますので、その時を楽しみにしていてください」

そう言って笑顔を見せると、神通達は冷泉と別れた。

 

再び、冷泉は来賓室に戻る。ちなみに、どこからか現れたセーラー服の少女が、冷泉の車椅子を押してくれた。別の少女がお茶を出してくれる。二人ともまだ叢雲よりも年下といった感じだ。

 

正面に腰掛けた三笠が、お茶を口にし、言葉を発する。

「提督……神通は、本当にあなたのことを心から信頼しているようですね。実際、少し度が過ぎるくらいに」

 

「そうでしょうか? 」

唐突な問いかけに少し戸惑いながら答える。

 

「彼女の忠誠心は、日本国でもなく、ましてや我々にもなく……ただただ、冷泉提督のみに捧げられているように私には感じられますわ。……ある意味、我々としましては、警戒すべき事案だと正直に申し上げますわ」

冗談っぽく言ているけれど、わりと本気に聞こえる。実際、彼女の瞳は笑っていないし、探るような視線を冷泉に向けている。二人っきりになったせいで、雰囲気も少し変わったようにさえ思える。

 

「……三笠さんが言われるように、神通がそこまで俺を信頼して貰えてるとしたら、上司としては嬉しい限りですけれども、ね。正直に言いますと、経験が少ないもんですから女性の扱い方が苦手なもので……。女性が何を考えどう思っているかなんて、さっぱり分からないのです。永遠の謎ですね」

とわざとらしく大げさに謙遜する冷泉。

「冗談はともかく、……ここは、なんだか秘密に包まれすぎてるって感じですね。単純に文明レベルの差が凄すぎて分からないだけなのかもしれませんが、うん、一体どうなってるんでしょう。いや、せっかくの機会ですから……もっとはっきりと言ったほうがいいですね。あなたたちの存在そのものについて教えて欲しい。あなた達は何者で、一体、何を為そうとしているのか? 」

 

一瞬、黙り込んでしまうものの、少しだけ口角が歪んだように見えたがすぐに表情を戻す三笠。

「すみませんね。私は、あくまで形だけの代表に過ぎませんわ。ですから、冷泉提督のお望みを叶えることはできないんです。ごめんなさいね」

 

「では、トップになる艦娘は、指示する立場にある方は、誰になるのでしょう? 可能であるならば、その方に是非お会いしたいものですね」

そう言って冷泉は食い下がる。

 

「うふふふ……」

少しだけ彼女は嬉しそうに笑う。一瞬だけ見せた笑顔は、年相応の少女のように見え、ドキリとするほど可愛かった。

「提督は、とても面白い方ですね。こんな状況でも私達を恐れることなく、タブーとも言える事を聞いてくるなんて。本当に興味深いですわ。そして、惹きつけられてしまいますわ」

どう考えてもはぐらかされているようにしか思えない。表情も少女から、より高みにある存在の高貴さを取り戻している。

 

「そんなことよりも、あなたのことをお話しませんか? ここに来る前の、アナタの世界の事を」

そして、いきなり意表を突くような事を聞いてくる。唐突すぎて反応できない。

「驚きましたか? あなたがこの世界の住人ではないことは、私も存じていますわ。あなたのその能力は、日本にとっては戦況を有利にする力を持っていますわ。けれど、その詳細を知らないせいか、あなたは国家に全く優遇されているように見えませんわね。むしろ、全方位的に敵だからけのようにさえ見えてしまいます。うふふ……まったく、日本という組織は、どういうことなんでしょうかね。構造的にも末期症状なのかしらね」

どう考えても面白そうだから聞いているようにしか感じられない、三笠の問いかけに翻弄されてしまう。一体、彼女はどこまで知っているのだろう。……確かに、これほどの力を持つ勢力の存在だから、全て知っているのかもしれない。

 

「うーん、どうなんでしょうかね。俺が嫌われているのは、想像するに原因は俺の性格が悪いからでしょうねえ。そもそも、俺の力なんて物が無くても、艦娘のおかげで深海棲艦とは互角以上の戦いを続けていますし、ぽっと出の俺のような人間を妬むのは、当然でしょう。突然現れたら鎮守府提督になっちゃうんですから。本来なら俺のポジションを引き継ぐはずの者がいて当然のところですからね。彼らからしたら、とんでもない事件ですし、妬まれても仕方ないでしょう。それに、俺の能力なんてたいした力は無いです。いてもいなくても関係ないんじゃないでしょうかね」

 

「そうでしょうか。冷泉提督は慎み深く上品な、日本人の見本のような美徳をお持ちの方なのですわね。あなたが知っている能力以外にも、あなたはいろいろと特殊な能力をお持ちのようです。神通や叢雲達の態度だけで分かります。やたらと艦娘にもてるようですわね。それだけじゃないですわ。先程、あなた達を案内した速吸も、あなたに興味を持ったようですよ。そう言う私ですら、あなたに惹かれているようですし」

からかうように指摘をしてくる。

 

「ははは……お世辞でも嬉しいですね。ただ、俺が上司だから、彼女達も俺を立てるしかないだけですよ。俺の指揮次第で生死を分かつことになるのですから、期待されて当然ですよね。それに答えられるよう努力はしているんですが。なかなか難しいです」

 

「期待に応えるなんて、簡単じゃないですか。あなたの本音を彼女達に言ってあげれば良いだけですよ。それだけで彼女達は勇気づけられますわ。彼女達の想いが伝わって嬉しいはずです。それだけで舞鶴鎮守府の戦力は、大きく高まるでしょう」

最早、冷泉には三笠が何を言っているのかよく分からなくなっていて、混乱の極みだ。

 

「妙に感性が歪ですね、冷泉提督は。妙に鋭いと思えば、驚くほど鈍感ですもの。加賀や神通にとっては、やれやれですね。もっと艦娘の気持ちを分かってあげないと駄目ですよ。女心というものを勉強すべきでしょうね。鎮守府には艦娘が多いからやむを得ない部分もあるのでしょうけれど、鈍感すぎるのもいかがなものなんでしょうね」

何故だか、そう諭される冷泉。

 

「ですから、艦娘の……というか女の子の気持ちは更に分からないです」

と、ぼやく冷泉。

「それ以前に、世界は分からない事だらけです。俺は何も知らないといってもいい。あなた方の存在や、深海棲艦、そして、この世界がどうなっているのか、いろいろと分からない事が多いですけれどね。教えて欲しいものです」

会話の内容をそちらへと移動させようとするのが精一杯だ。

 

「残念ですが、先ほどもお話しましたけれど、私には答える権限がありませんの。……申し訳ありませんが。ただ、あなたの体の事に関しては、回答する権限が与えられていますわ。回答を望まれますか? 」

あっさりと逃げられてしまう。捕らえられそうで捕らえられない……そんな感じだな。けれど、自身の体の状況については非常に興味がある。……というか切迫した状態だ。一生不自由なままで生きて行くには過酷すぎるのだから。話題をはぐらかされているというものの、教えてもらえるなら是非とも聞きたい話だ。艦娘を作り上げるような存在ならば、この不自由な状態からの回復方法も知っているかもしれない。

 

「もちろん、答えはイエスです。もし、俺の体が快方へ向かう可能性があるのなら、どんなことでも構いません。何でも教えて欲しいです」

 

「では、簡易的ではありますが、検査をさせてもらって構いませんか? 一時間もかかりませんから……」

三笠が手を叩くと、ドアが開いて先ほどお茶を出してくれたりした少女達が現れる。ずっとドアの向こうで待機していたのだろうか?

冷泉は、頷くしか無かった。

 

 

検査自体はごくごく簡易な物でしかなかった。MRI検査のような機械に通されたり、採血と一部細胞を採取されただけで終了した。結果もすぐに出るらしい。あの程度の検査で全てを把握できるというのだろうか? それが事実であるのなら、彼女達の科学力を見せつけられた気分だ。

そして、実際に検査室から再び来賓室に戻ると、すぐに三笠が結果を読み上げてくれた。

「貴方の体が麻痺してしまった原因が分かりましたわ。貴方が空母加賀を助ける際に、無数のトゲを体に打ち込まれた事に原因があるようです。あの生命体……あれは植物では無かったわけで、植物でも動物でも無い存在であり、その部位の一部があなたの体の中に残されたままになっているのです。そして、それらは死滅することなく体内で生き延びていました。それどころか貴方の体から栄養を吸い取りながら体の中で成長しています。それは、まるで菌糸が成長するように。それらは神経に沿うように成長を続け、さらには神経を圧迫していることが原因です。残念なことに、これを取り除くことは、あなた方人類の医学では不可能だと断言できます」

 

未来が見えない事実の開示に思わず眩暈がする冷泉。

「確かに……医師からは、この全身麻痺状態は、悪化することはあっても治療ことは不可能だと宣言されています。俺のイメージでは体が動きそうだし治りそうな……実はこれまで割と大きな怪我をしてもかつての世界ではあり得ない速度で回復していた事があったのですけれど……そんな根拠の無い未来が見えていたんだけど、一向に解決しない。なんで巧く治らないのかなって疑問に思ったんですが、結局それが原因というわけか。なかなか厳しい現実ですね」

強がるように言葉にするものの、それには力が無い。

 

「そうですわね。提督、あなたには、あなたが仰るような我々でも把握しきれない未知の力があるようですわ。まさに天の加護といってもいいような力が。けれど、今の状態では体内に入り込んだ菌糸がその力を奪い去り、どんどん体を悪化させているようです。……聞きたくないかもしれませんが、あなたの未来をお教えしましょう。……このまま何ら措置を講じなければ、菌糸は体中に菌糸を伸ばし、やがて脳にまで達して脳を食い尽くし、あなた死へと追いやることになるでしょうね」

淡々と、そして容赦なく訪れるであろう事実を告げる。絶望的な未来を示され、目眩しかしない。

 

「……ショックでしたか? 」

 

「そりゃ、自分の確実な死っていうのはショックですよね」

そう答えるしかない。

 

「けれど、それを避ける方法が私達にはありますわ。どうですか? その話を聞いてみますか? 」

冷泉の動揺を見透かすように、ある意味楽しんでいるかのように三笠が見つめてくる。

 

「凄く魅力的な提案だし、死を前にした俺に選択肢は無いように聞こえますね。しかし、この体を治すとなると当然、あなた方は俺に何か代償を求めるのでしょう? それに答えられるだけの事をする能力が俺にあるかどうか。そして、俺が答えられる提案であるかどうかによりますね」

 

「うふふ。慎重なお応えですね。ご安心下さい、簡単な事です。すべてはあなたの忠誠心がどこを向いているかということです」

 

「それは、どういう事でしょう」

彼女が何を問いかけ何を求めているのか把握しかねる冷泉。

 

「あなたは日本海軍の将校ですね」

冷泉の混乱を楽しむように、淡々とした口調で三笠は言葉を続ける。

 

「はい、そうです」

 

「けれど、あなたは本来の国の、いえ、本来この世界の住人ではありませんわ。つまり、あなたはこの世界の日本という国に対し、なんら背負う物を、そして責任を持たないわけですね」

 

「……確かに、その通りです」

 

「では、あなたの忠誠心というものを、日本国ではなく我々に向けてみるという提案を受けて貰えますかしら? 」

 

「は? それはどういうことでしょう? 俺に日本を裏切り、あなたたちの命令を聞いて行動するということですか? ですが、一体何の為に? あなたたちは深海棲艦に完全に支配されたと思われた状態から今日の状況を作り出すほどの力のある存在でしょう? 日本という国をどうとでもできる力を持っているはずだ。それが何故、俺なんかの力を必要とするのですか。それが全く分からない。その気になれば、日本なんて国を簡単に滅ぼせるでしょう? そうじゃなくても撤退すれば深海棲艦の手により勝手に自滅するはずでしょう」

 

「我々と日本国との間には盟約があるのです。我々は、日本国に対して援助するという義務が。なんでそんな契約を結んだのかと思われるかも知れません。また、そんなもの一方的に破棄すればいいとお思いになるかもしれません。けれど、我々は、契約に縛られるそんな存在なのです。自らに律した事は、どんなに不利になろうとも護らなければならないという。……それはともかく、日本国と関係が巧く機能している時は良かったのです。けれど、彼等は艦娘という私達と同等の力を手にし、深海棲艦と戦えることになった。実際に戦いにおいて勝利もするようになった。そこから彼らの慢心が始まります。彼らは無謀にもすでに深海棲艦との戦いの先を見越すような動きをするようになってしまっているのです。そして、それに向けて日本国内の様々な勢力が胎動を始めています。それについては、あなたもご存じでしょう? 確かに全面対立となれば戦わざるを得ませんが、その時は、私達の仲間である艦娘達と戦わなければなりません。彼女達は人間の命令に従う定めを盟約により与えられています。戦えば私達が勝利するのは間違いありません。けれど、我々としては、同族同志で戦いたくありませんし、せっかく助ける事ができた人類という種を滅ぼしたくもありません。そういった悲劇を避けるために我々の仲間となってくれる人を作っておきたいのです。あなたなら、我々の望む事を成し遂げる能力がありますし、納得して貰えば私達を裏切るような人ではありません。ですから、こういった提案をしているわけです」

 

「確かに、日本の軍隊の上層部は本当に糞ったればかりだから、確かに恩を仇で返すかもしれないな。おまけに海外から侵入した連中も政府の一部に取り入っているようだし。ろくでもないことを考えているのは間違いありませんね。けれど、俺じゃなくても横須賀鎮守府の提督もいるでしょう? 彼なら能力においても人徳においても適任ではないですか? 」

 

「彼は確かにその能力において、貴方に並ぶほどの力を持っています。けれど、彼は彼で野望を持っているようです。……この閉塞的な世界を解放するという大きな野望が。そのためにはあらゆる物を排除する覚悟さえできているようです。おまけに彼は赤城を失って以降、私達に対しては明確な敵意をお持ちのようです。大切な恋人を死なせた存在と、彼の中では決定づけられているようです」

 

「そうですか……」

冷泉は曖昧に答えてしまうが、確かに生田提督と赤城の関係を知るだけに、三笠の言うことも信憑性が高いと思わざるを得なかった。深海棲艦を滅ぼそうとする意志と共に、赤城の悲劇を生み出した三笠達に対しても恨みを抱いているのは間違いないのだから。

「残念ながら、お断りさせていただきます」

と、簡潔に結論づける。

 

 



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第140話 代償無き約束

「何故でしょう? あなたにとって、決して悪い話では無いはずなのに。このまま何もせずにいたなら、あなたの死は確実な物となってしまうのですよ。どうして、この申し出を拒否されるのでしょうか? あなたは、死が怖くないのですか? 」

呆れたように、そして不思議な物でも見るような目で三笠が問いかけてくる。

 

「正直、あなたの提案は、とても魅力的ですよ。俺だって死ぬなんてまっぴらだし、このまま自分の体が自由にならないままなんて、考えただけでも嫌だし耐えられない。この体が元に戻るというのなら、なんとしてでも治して貰いたい。それは本当の気持ちです。……けれど、今はまだ受け入れることはできません」

 

「へえ……その理由を、私に教えて下さるかしら? 」

少女のようにさえ見える彼女は、興味深げにこちらを見つめてくる。それは、物珍しい物を見つけて驚いているかのようにさえ思える。そんなことを考えながら、冷泉は答えた。

「あなたがたの……存在そのものが謎すぎるからです。あなた達がどこから現れ、そして何を考え、何を目的に人類に味方するのか。未だに何一つ明らかにされていない。人間に味方しているけれど、その実、もっと別の目的があって、それのために人類を利用しているのではないか……。俺は、そんな事を考えてしまうのです。正直、それが怖い」

 

「うふふふ、面白い考えをお持ちなんですね、冷泉提督は……。それにしても、随分と私達の事を買いかぶっておらるのですね。……けれど、私達にはそんな万能な力はありませんし、もちろんそんな大それた野心などありませんわ。ただ、結ばれた盟約の下に行動しているだけですわ。つまり、深海棲艦との戦いを有利に進めることができるように、そして、人類をより良き方向へと向かえるように微力ではありますがお手伝いをするだけ。そこに他意など入り込む余地はありませんわ」

面白そうに笑ってみせるが、彼女は何一つ本当の事を語っていないようにしか思えない。その優しげで美しい笑顔の奥底に、一体何があるのか……。想像を巡らそうとも、冷泉程度の思考能力では答えなんて導き出せないのだろう。そもそも、彼女が単なる代理人でしかないとするならば、彼女の心を読もうとしてもまるで無駄な事なのかもしれない。考えれば考えるほど、答えは霧の中へと……手が届かない彼方へと消えていく。

 

「俺が恐れるのは、あなた達と日本国が目指すものが異なる日が来た時、はたして艦娘がどうなるか? ということなんです」

 

「答えは簡単です。私達は日本国との盟約がありますから、決してそんなことは無いということですわ。ありもしない脅威に怯えるなど、無意味ですよ。あまりに当然すぎる事でしょう? 」

 

「けれど、あなたは先ほど人類の慢心、深海棲艦との戦後を見据えて行動している人類に対して牽制の意味も込めて、俺を味方にしたいと考えているのでしょう? 」

 

「……あら、そんな事言いましたかしら? 」

と、とぼけたような事を言う。

「確かに私達が戦う気が無くとも、人類側がどう考えるかは分からないことです。彼らは艦娘という強力な力を手にしています。仮に、現在の敵である深海棲艦を倒す事ができたなら、次は同様に異質な存在である私達を疑い、やがて排除しようと考えるかもしれませんね。そんな事が起こらないように、日本国側で力を持つ同士を得たいと考えています……そう言えば理解して下さるかしら? 」

 

「そういう風に言われるなら、理解できなくはありません」

そう言った途端、三笠の表情に安堵のような物が浮かんだように思えた。

 

「それでも、私達の仲間になる……というわけではないようですね」

問いかけに冷泉は頷く。

「日本国が更なる敵を求めて馬鹿な事をしでかさないように協力はします。俺の部下達に、艦娘達に必要の無い戦いを強いることなんてしたくないですから。深海棲艦との戦いは、戦わざるを得ない戦いで彼女達の力無くして成り立たない事だから、やむを得ずしているに過ぎない。しかし、あなた達と戦うことは無意味だからです。それについては、協力は惜しまない」

 

「しかし、それは絶対的なものでは無い……ということですよね」

 

「そうです。あなた方が何を考えているかを明らかにしていただけない状況においては……です。戦わざるを得ない時には、たとえあなた達であろうとも戦うという選択肢だけは残しておきたいのです。勿論、こちらから攻め込むなんて事をする気はありませんし、日本国側がそんな真似をしようとする場合は、阻止するように努力します。不可能ならば、すぐにでも情報はお知らせするつもりです。極力、戦いなんてことはしたくないし、させたくないのです。ご理解いただけますでしょうかね? 」

 

「それで構いませんわ」

諦めたのか不明だが、随分とあっさりと三笠が引き下がった。もう少し揺さぶりをかけてこられるかと思ったけれど、そこまでのこだわりは無かったのだろうか?

 

「非協力的でない事が分かっただけでも、私達にとっては成果があったとさせていただきますわ。それはともかくですね……」

また何か要求を言ってくるのかと思い、思わず身構えてしまう冷泉を見、面白そうに彼女は笑う。

「そんなに構えないで下さい。交渉はここまでです。次からは、提案ですよ」

そう聞いて胸をなで下ろしてしまう冷泉。

 

「少し休んだら、あなたの治療を行いたいと考えているのです」

驚く冷泉を見つめながら言葉を続ける。

「驚かないで下さい。交渉の材料として使わせてもらいましたけれど、最初からあなたへの治療には、なんら代償を求めるつもりもありませんでした。けれど、あわよくば……とは思っていましたけれどね。……ふふふふふ、そんなに睨まないで下さい。私だって仕方なく言わされただけなんですから。素敵なあなたが困る姿を見るのは面白かったですけれど。……コホン、さて、あなたを治療するについては、きちんとした理由があってのことなんです」

 

「それは、どういうことですか? 」

 

「あなたがそんな状態になってしまったことで、ずっと自分を責め続けている子がいるんです。決してあなたの前ではそんな素振りを見せる事はありませんが、ずっとずっと苦しみ続けている馬鹿な子がね。気が強くて頑固で可愛げの無い子ですけど、人一倍責任感が強くて、そして誰よりも優しい子です。その子をこれ以上苦しませるのは、さすがに私達としてもしたくないのです。ですから冷泉提督、ここは私達を信用していただいて、治療をお受け下さい。お願いします」

突然、深々と頭を下げられ、思わずドギマギしてしまう。

彼女が言っている可愛げの無い子の事はいわずもがな。

「それに、あなたが元気になれば、当然、鎮守府のみんなが喜ぶことでしょうね……いろんな意味で」

後半部分は小声になっていたため良く聞き取れなかったが、全身麻痺が取れるならどれほど嬉しいことだろうか。代償を何も求められないのならば受けてもいいのではないだろうか。しかし、ここは慎重にならないといけない。

 

「ほ、本当に俺を治療する事で何の代償を求めないということで、いいんですか? 」

 

「もちろんです。なんなら念書を書いても良いくらいですよ。もっとも、そんな書面にどれほどの効力があるかは不明ですが。私達を信じて貰いたいとしか言いようがないのですけれど。ただ、仮に私達が代償を要求したとしても、なんら拘束力を持たないのは考えずともお解りでしょう? あなたは鎮守府に戻ると私達はもう手出しできませんからね。あなたはさっさと鎮守府に戻るだけでいいのです。約束など拘る必要はありません。そうなれば、いくら言ったところでどうにもなりませんからね。ですから、安心していただいて結構ですよ」

その表情からは、邪な物はまるで感じ取れなかった。

信じて良いだろう……と、思う。そして、彼女の言うように、仮に後出しで味方になることを要求されたとしても無視するだけで逃げ切れる事も。

ならば、結論は簡単だ。

 

冷泉は、同意することとなった。

 

準備に数時間必要だったものの、毎日行っている冷泉の日常的なケアを受けているだけですぐにその時がやって来る。世話をしてくれたのはいつもの舞鶴鎮守府の看護師達で無かったために、恥ずかしさに堪え忍ぶ必要があったのだけれど。ただ、彼らは完璧なプロなのだろう。恥ずかしがり、申し訳ないと謝り続ける冷泉に対して頷くだけで無表情で淡々と流れ作業をこなすようにしか思えなかったのがせめてもの救いだった。

 

診察室らしい部屋に看護師達に運び込まれる。そこには一人の医師と複数の看護師らしい女性がいる。

医師というよりは研究者といったほうが相応しい感じの白髪交じりの医師より、治療内容の説明を受けた。三笠も同席しており、隣で興味深そうに聞いている。

医療用語についてまるで詳しくない冷泉にとっては何を言っているかよく分からなかった。そもそも、人類の科学力を越えた治療を行うわけであり、専門用語も医療関係者ですら理解出来なかったのではないかと推測する。ナノマシンという言葉やサイバネティック、オーガニズムなんて聞いたことのあるワードも言っていたな。

とにかく手術は数時間程度で完了するということだった。全身麻酔を行っての処置であるため、目が覚める頃には全て完了しているらしい。ちなみに神通の改二処置は艦船部が1ヶ月程度、艦娘側の調整はプラス二週間程度と言われている。

当初から神通がドッグに入ったら、一端鎮守府に戻る行程を組んでいたわけであるから、大した遅れは無いだろう。念のために加賀に連絡を入れておく必要はあるかもしれないけれど。

そんなことを考えている内にいきなり医師に右腕を取られたかと思うと、ビリっとした感覚があった。ほぼ同時に意識が霞んでいくのを認識した。

 

消えゆく意識の中で、瞬間、三笠と目が合う。

 

彼女は、ほんの一瞬ではあったものの。口角を吊り上げ、嗤っていた。そしてすぐに気づいたように、無表情へと転化させる。それが実に印象的だった。

三笠は冷泉と話している時は常に自制しており、あらゆる所作が演技じみていてつかみ所が無かった。彼女が決して見せることの無かったものであり、計らずとも出てしまったといったように思えたのだった。

その意味するものは何かと考えようとしたが、すぐに意識が消失していったのだった。

 



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第141話 ……全てが終わったら

遠征へと出発して、二日目……。

 

扶桑を旗艦とする遠征艦隊は、現在、金沢港に停泊している。すでにこの港で二日目の夜を迎えていた。二日間という時間をを無為に過ごすことになった理由は、運搬資材の港への搬入が遅れた上に港の運搬機材の故障が重なってしまった為と記録には記載された。しかし、実際には、遠征の出発を早めてしまったために永末との連絡が上手くいかず、ここで待たされるになってしまったのだった。

 

時間が空いてしまったといっても、何もせず時間だけを浪費しているわけにはいかない。扶桑達にとって、時間は貴重である。一秒たりとも無駄になんてできないことは、扶桑自身がよく認識していた。

 

今、なすべき事は、より多くの同志を確保すること。その動きを敵対勢力に感知されないようにすること。この二つの事を常に意識しながら行動をするようにしていた。残された時間は少ないけれど、急いては事をし損じる……まさにその言葉通りだった。安直な思い込みは重大な失態を招いてしまう。慎重かつ大胆な行動が要求されるのだ。……勝利のために。

そんなことを想いながら、離れた場所に停泊している駆逐艦「不知火」を見てしまう。

「ごめんなさいね、不知火」

思わずそんな言葉が出してしまう。

 

彼女には何の罪も無いのに、扶桑が先走った行動に出てしまったため、双方に誤解が発生してしまった。そして、それが原因で不知火の暴走を誘発してしまった。……そしてその結末は、彼女を薬物により封印するしか無いという最悪な結末となった。

 

もはや不知火という駆逐艦は戦力として計算することはできないし、かといってそのまま放置することもできないとうお荷物状態でしか無い。彼女の心を縛り付け、行動の自由を奪い去り、ただ存在するだけの艦娘に貶めてしまった。もう少し、扶桑が慎重に行動できればこんな結末にはならなかったのに。……今更後悔しても、不知火はもうかつての不知火ではいられないのだ。その事実は受け入れなければならない。彼女への謝罪は、すべてを成し遂げてからでも遅くはない……そう自分に言い聞かせる。罪深い自分ではあるけれど、今はその贖罪の時では無い。来るべき時が来れば、自らその全ての罪を償おう。そう思うことで、扶桑は破綻しそうになる罪の意識から逃れることができていたのだ。

 

永末は、「あんな薬物中毒の艦娘でも使い道はある。需要という物は常にどこかにある物だ。だからその時までは、同じ仲間として同行して貰うしかない」と言っていた。その言葉の意味は怖くて聞けなかった。なんとなく想像できたからだ。……上手くいっている間は、たぶん彼女は大丈夫だろう。けれど、状況が悪くなったりしたら、彼女がどんな役目を負わされるのか分かったものじゃない。艦娘としての尊厳を貶めるような事を彼が要求するのであれば、断固それを阻止しないといけない。たとえ、この身を犠牲にしてでも彼女を護ってみせる。

「そんな事にならないよう、なんとかがんばらないといけないわ。みんなが幸せになるために、私達は戦っているのだから。一人でも不幸な子が出ちゃいけない」

自分に言い聞かせるように扶桑は独りごちた。

 

現在の遠征艦隊の艦娘達の状況は、永末から貰った薬品によりほとんどの艦娘達が記憶操作の影響から次第に解放されていっている。徐々に、失ったと思っていた記憶を取り戻している。さらに艦娘同士でその事を話合う内に、連鎖するように更なる記憶が思い出されていくのだった。……隠されていた真実が、少しずつではあるものの、うっすらと見えてきているのだ。それは、まるでかけられた魔法が解けるかのように、忘れていたはずの記憶が蘇って来る事を皆が感じていた。

かつての舞鶴鎮守府指令官、緒沢提督の姿、そして彼との懐かしい思い出。皆がそれらを取り戻しつつあった。それは扶桑を喜ばせる。

 

扶桑も例外では無かった。自分が彼の事をどのように思っていたかを思い出し、その沸き出す感情に戸惑いすら感じてしまったのだ。彼の事をまるで他人事のように忘れていた事が恐ろしく、そして悲しかった。扶桑の中で、緒沢提督は上司たる鎮守府指令官という立場だけでなく、一人の男性として愛おしく思っていたことを。どうして、こんなに想いを寄せていた方の事を忘れてしまっていたのだろうか。大切な、忘れるはずの無い思い出を失ってしまっていたのだろうか。彼は扶桑の事を艦娘として信頼してくれていて、さらに女としても受け入れてくれていたというのに。

 

提督がいかに扶桑を信頼してくれていたか……。その証拠として、他の艦娘達は知らない事があった。彼から直接、扶桑だけに与えられた「使命」についても思い出していたのだ。彼は自らの身に起こる悲劇を予想していたのか、その後の事を考慮していろいろと手を打っていたのだ。その結果として、多くの艦娘達が、敵に記憶を操作されたとしても大切な思い出を一時的に忘れることはあっても、失うことなくいられたのだ。

 

そして、扶桑には敵勢力から逃れ、向かうべき場所も指し示されていたのだ。すべてを扶桑に託していたのだ……。それがどれほどの信頼によるものだったのか。扶桑は胸が熱くなるのを感じていた。それは喜びであるとともに、もう一つ別の感情も生み出していた。緒沢提督の死を思い出し、それが真実であることを認めざるを得ないという悲しみだった。

 

もう、彼は、この世にはいない。

それがどれほどの衝撃を与えるか。……。本当なら悲しみに打ちのめされ、立ち上がることができないのかもしれない。けれど、自分たちに彼から課せられた命題についても思い出していたことが、扶桑を悲しみに打ちひしがれる事を許さなかった。これほどの信頼を向けてくれた緒沢提督のご意志を継ぐためにも泣いてばかりはいられないのだ。

 

目を逸らしたくなるのは事実だけれど、しっかりと現実を見つめ、記憶をさらに正確に取り戻す必要がある。記憶を封印されたことで、あるはずの記憶が曖昧なものへと変質させられいる感覚があり、現実感が薄くなっているのは事実なのだ。本当なら目を覆いたくなるような事実をたくさん思い出さなければならないのかも知れない。本当は、辛いことや悲しいことなんて思い出したくもないし、さっさと忘れて現実から逃れたい。それが少し前の扶桑だった。事実、緒沢提督の死を知ってしまった今となっては、何もかもが無意味で、わざわざ辛い思いをしてまで記憶を取り戻し、提督を意志を継ぐなんて、したくないし嫌だ。辛いのは嫌だ。きっと昔の自分なら逃げ出していたはずだ。けれど、今は違う。この悲しみに耐え、喪失感を埋めることができるものがある。緒沢提督の意志を継ぎ、行動する理由がある。

 

それは、新たな出会いのせいだ……。扶桑の側に立ち、扶桑と共に行動してくれる存在だ。本来なら、こんな感情なんて許されるものじゃないし、許してはいけないのではないか、と思う。そんなこと、分かっている。けれど、動き出した感情は、止められなくなっていたのだ。

あんな事があったというのに、扶桑の中で憎いはずの男が存在感をどんどんと大きくしていっていた。憎しみのはずの感情が、言葉を重ねる度、彼の扶桑への感情を知らされる度に揺り動かされ……それは、いつしか向きを変え、愛情へと変貌していった。

 

緒沢提督への想いを未だ保っているのに、永末との逢瀬を待ち焦がれるという罪悪感に苛まれている。いつの間にか、永末に対しての想いが、かつて緒沢提督によせていた想いと同等のものに近づいているように感じていた。そんな背徳感が余計に扶桑を揺さぶるとともに、激しく混乱させていた。矛盾した感情が心を捕らえ、混乱の中、縋ることを欲していたのだ。一人では歩くことはおろか、立ち上がることさえできない状態まで追い込まれている。

 

逢いたい……。一緒にいたい。

その想いだけが日々強くなっていた。何かに急かされるようにそれは強くなっている。背徳感というものが更にそれを加速させているのだろうか? 理性よりも感情が、感情よりも本能が突き動かしている事を認識していた。

 

そして、彼との再会できる……。

 

時間という概念で言うと、それほど長い時間が経っているわけでは無いのに、ずいぶんと離れていたように感じてしまう。彼の笑顔、優しい瞳、かけてくれるであろう真剣な愛のある言葉……想像するだけでなんだかこそばゆいような、そして、暖かい感覚を覚える。こうして思い出すだけでなんだか嬉しい。始まりは、扶桑の意志を無視した、強引で無理矢理なものだった。しかし、薬のせいで心がぼんやりしていたために、あの時の事はあまり覚えていない。まるで遠い世界の話のようにさえ思えていた。だから、あの時、感じたはずの恐怖や嫌悪もほとんど覚えていない。夢にうなされるようなこともなく、ほとんど思い出すことが無かった。それ故かも知れないけれど、実に簡単に受け入れられてしまうのだ。

 

もちろん、それだけではない。永末は、かつて緒沢提督が健在な頃から舞鶴鎮守府にいて、秘書艦であった扶桑の近くに常にいたはずである。その時から彼が見せる扶桑に対する艦娘に対するものとは違う感情に気付いてはいたけれど、緒沢提督というさらに大きな存在がいたせいで霞んでしまっていたのだ。思い出してみると、あの頃から彼は、他の艦娘に対してより、扶桑に優しかったように思う。好意を寄せてくれているというのは、はっきりと認識はしていた。そして、彼が決して叶うはずの無い想いに、苦しんでいた事も想像はできた。けれど、扶桑にはどうすることもできなかった。ただ、もしも艦娘としてではなく、一人の女として彼と出会っていたなら、と思うことはあった。仮定の話など無意味だと分かっているけれども。

 

そして、今は状況は一変している。大好きだった緒沢提督はいなくなり、永末は側にいる。

過去の記憶が戻るにつれ、想いは混乱するだけだ。永末の優しさに触れる内に、次第に心を開いてしまう自分がいて、戸惑わざるを得なかった。

 

自分の身勝手さ、気の多さ、肉欲への弱さが気持ち悪いし腹が立つのは事実だ。けれど、感情に流されてしまう自分自身を止めることができない。こんな気持ち、弱さだと責める人もいるかもしれないけれど、死んでしまった想い人よりも、今側にいてくれて、自分への想いを寄せてくれる人に気持ちが向かうのはやむを得ないことではないでしょうか? 誰にとなく自己正当化を訴えてしまう自分がいる。失ったあまりにも大きな空白を埋めるために、別の何かを求めてしまう。……それは客観的に見ても仕方の無いことだと思うし、思いたい。そうでなければ、何に縋って生きていけばいいのでしょう。たとえ、それが過ちだとしても、この身を突き動かす衝動のような物を、押さえきれないでいる扶桑だった。

 

今は彼の為に少しでも役に立ちたい。いつしか、そんな想いが強くなって来ている。だからこそ、これからの艦娘への説得について、失敗は許されないのだ。

 

そして扶桑は、祥鳳への説得を試みてみた。

 

今回は慎重に行こう……何度も自分に言い聞かせる。もう、不知火みたいな子をもう二度と見たくないから。

不知火があんなに激しい拒絶をする子だとは思ってもみなかった。普段の態度から冷泉提督の影響を受けておらず、むしろ彼の事を警戒し嫌っているように見えたのだけれど、実はその気持ちをみんなに悟られぬように隠し、冷泉提督に想いを寄せていたなんて……。こんな事に気づくこともできないなんて、あまりにも迂闊だった。そのせいで彼女は、艦娘としては、もう使い物にならないかもしれないくらいに墜ちてしまっているのだから。

 

祥鳳には、そんな事が無いようにしないといけない。だから、それとわからないように、薬品を服用するように念入りに仕向けて、その努力は成功している。

それとなく話題をそちらに持って行ってみると、彼女自身も前から頭の奥の深い部分にもやもや感が常にあったようで、与えた薬を飲むことにより、ずいぶんと調子が良くなることを認識していた。当然だけれど薬の出所は偽っているわけで、艦娘勢力からの新規試験薬品との理由で渡していたのだけれど……。艦娘が長く人間世界に止まると、祥鳳が感じているような様々な弊害が出てくるとの結果が出ている。それを緩和し回復させる効能があると教えている。当然、他の艦娘達にも祥鳳から聞かれた際には同じ事をに言うように徹底してある。

 

こうした下準備をしてやっと、彼女と二人きりで話し始めたわけである。

彼女に緒沢提督の話をしてみると、なんとなく覚えているようだった。慎重に慎重に、これまでの出来事を説明していき、やがて冷泉提督も敵になる可能性があることを軽くではあるが、臭わしてみた。すると、彼女はまるで不知火と同じような反応を示した。それは、恐ろしいまでの既視感だった。

 

「扶桑さん、何を訳の分からないことを突然言うんですか? 冷泉提督が敵になんてなる訳が無いじゃないですか! 」

と迷い無き真剣な表情で断言されてしまう。その声には、明らかに怒りさえ込められている。大切なものを侮辱された……そんな感じが適当だろう。

 

普段、こんな態度を見せることの無い彼女の剣幕に、驚くと共に思わずたじろいでしまう。そして、背筋が寒くなる。この反応には既視感がある。不知火と同じような反応をこの子はしているのだ。敵である冷泉提督を盲信した狂信者の瞳をしている。また同じことを繰り返してしまうのか、と動揺してしまったのだ。

この子も、冷泉提督に心囚われているというのか! 呆れにも似た感情がよぎってしまう。

 

かつて、……扶桑たちの指揮官だった大切な人の事をあろう事か綺麗さっぱりと忘れ、それどころか緒沢提督の仇を、憎い敵勢力の手の内にあるような男を愛するなんて、なんという下劣で愚か者だ。心の底から腹が立った。その怒りが吹き出しそうになる。思い切ってぶつけてしまいたい。いっそのこと、不知火と同じ目にあわせてあげようかしら。……薬漬けになって、おかしくなってしまえばいいのよ! 

 

緒沢提督を思い出すと、どうしても彼の撃たれた惨劇を思い出し、どうしようもなく感情が乱れて暴走してしまう。

いけないいけない。……慌てて必死に感情制御を試みる。大きく何度も深呼吸することで、沸き上がる悪意を追い払う。

 

これでは、同じ過ちの繰り返しだ。扶桑は必死にそんな感情を制御しながら軌道修正を行う。ここで強く出てしまうと、不知火の件の二の舞になってしまう。そんなことになったら、また永末さんに怒られて、そしてそれ以上に彼を悲しませてしまう。

彼の悲しむ顔を見るのは怒鳴られるよりも本当に怖い。彼に嫌われてしまうかもしれないと思うと、全身に寒気が走り、絶望で目の前が真っ暗になりそうだ。しかも、すべてが自分が原因なのだから。そして、それだけではない。こんな不手際を何度も繰り返すと、いくら無能だといっても冷泉提督に知れることになりかねない。もしも、彼に知られてしまったら、あらゆる計画が水泡に帰してしまうのだ。

 

「……そうなのです! 冷泉提督は、利用されているだけなんですよ」

声を大にして否定する。話題を大きく転換する。

「本当の敵は、別にあるのです。そいつ等は加賀や長門を擁し、色仕掛けで冷泉提督の目を欺こうとしているわ。そして、敵の策略はまんまと成功し、提督は利用され、もはや彼等の傀儡になりつつあるわ。現に司令部には加賀と長門がいつも居座るようになり、他の子達は近づきにくい雰囲気ができあがっているじゃあないの。聞いた所によると、加賀達の入れ知恵で新しい艦娘を大量に迎え入れようとしているそうですよ。そうだわ……そもそも、みんな、あの加賀が悪いんじゃないかしら。彼女は、土足でずけずけと鎮守府に踏み込んできて、冷泉提督の同情を引き、その優しさを利用した。おまけに色仕掛けで提督の心を虜にしてしまいました。そうだわ……可哀想な冷泉提督。提督の優しさにつけ込んだ加賀のせいで、あんな体にされてしまって、敵である加賀達に縋るしかない状況に追い込まれているのよ。それだけじゃないわ。彼の精神は体以上にもうボロボロでしょう。このままでは、さすがの冷泉提督ですら駄目になってしまいます。あいつらは、緒沢提督を殺し、さらには冷泉提督までも死以上の絶望に陥れようとしているのです。祥鳳、あなたはそれを許していいのですか? みすみす冷泉提督が不幸になるのを見過ごして、平気なんですか? 」

強く指摘して祥鳳の感情を揺さぶってみる。

 

扶桑は、ずっと前から気づいていたのだ。祥鳳が冷泉提督に想いを寄せているけれど、ライバルが多く、彼女達に気を遣ってしまい、上手くその気持ちを伝えられずにいたことを。彼女はそれを寂しく思っていたものの、舞鶴鎮守府唯一の空母であることから、重用されていた。提督から目をかけられていたのは事実だ。故に、どちらかというとその地位にあぐらをかき、余裕を見せていたことを。

 

しかし、唐突に現れた正規空母加賀。あらゆる点で遙かに優れた能力を持つ彼女の登場に、祥鳳がどれほど衝撃を受け慌てふためいていたかを。自分がいたはずの席を一瞬で奪い去られるどころか、秘書艦の座も手に入れた加賀に対する対抗心、嫉妬心。……そのドロドロとした醜く汚い部分。利用するならそこだと思っていたし、永末からも助言されていたのだ。

 

「加賀の横暴を許してはいけないわ。けれど、今のままでは、彼女を止めることはできないわ。……まあ、そんなことは小さな事でしょうね。今、大事なのは、冷泉提督の目を覚まさせる事よ。そのためにはあなたの力が必要なの。冷泉提督をお救いし、敵のスパイである加賀達を排除しないといけないわ」

その言葉に明らかに動揺し、困惑を見せる祥鳳だった。その姿を見て、扶桑は今回の作戦の成功を確信した。祥鳳の加賀に対する嫉妬心と冷泉提督に対する恋慕を利用し、さらに加賀達へ憎しみの感情を植え付けるのだ。

 

「加賀の暴走を止められるのは同じ【航空母艦】である、あなたしかいないわ。彼女は敵の命を受けて鎮守府に着任した存在なの。同じ艦娘だから言いたくはないけれど、常に冷泉提督の側に、我が物顔で居座る悪女だわ。【航空母艦】であるあなたが提督の目を覚まさせてあげないと……。これは、あなたしかできないのよ」

彼女の両手を取り、真剣な目で訴える。

一瞬の戸惑いを見せたものの、覚悟を決めたように扶桑を見返し、大きく頷いた。

「冷泉提督の目をきっと覚まさせて見せます。私ができることは何でもやります」

その言葉を聞き、扶桑は勝利を確信し微笑んだ。

 

もはや、女の嫉妬と同じにしか思えないが、利用できる物は利用しなければならない。たとえどす黒く汚い嫉妬心であっても、良き目的のためなら利用すべきだ。崇高な目的を達成するためなら、少々の悪事など肯定されるのだから。

 

扶桑は、祥鳳の加賀への嫉妬心を煽ることで取り込む事に成功したのだった。

 

 

 



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第142話 絶望の向こう側にある光

たとえ、すべてが絶望に満たされた世界であったとしても、たった一つの希望さえあれば生きていける……。

 

信頼し尊敬し、そして……愛していた存在を失った。希望など何もない世界にあろうとも、ほんの僅かな希望を見いだすことができれば、こんな世界でも生きていける。……否、生きなければならないのだ。一番大切な人の意志を継ぐために。それが扶桑にとって、唯一縋る事のできるものだった。……はずだった。

 

永末から配布された薬品により、艦娘達が囚われていた洗脳状態は快方へと向かっている。閉ざされた思考が解放されると、新たな発見がある。いや、最初から知っていたはずの事を忘れてしまっていた、ということだろうか。

遠征艦隊の艦娘達から、様々な「失われた」はずの記憶が蘇って来ていたのだ。

 

その中の一つが、みんなに大きな希望と喜びを与えることとなる。それは、とてもとても重要な、そして、どうして忘れてしまっていたのか信じがたいほどの事実だった。

 

かつて……。

 

いくつかの領域での深海棲艦との戦いで轟沈したと識され記録されていた艦娘達が、実は沈んでいないという事が思い出されたからだった。

 

彼女達は記録上【轟沈】とされたが、実は生存しており、しかも意図的に艦隊から外されてどこかへ隠されていたのだ。……何でこんな大切な事を忘れていたのだろう。皆が驚き呆然とした。

そんなこと、ありえない。信じられない。口々にそう言い合ったものだ。そして、結論づける。確かに、艦娘達が緒沢提督との記憶を失ったのは、敵の記憶操作によるものだろう。しかし、轟沈したはずの艦娘が生きているというこの件を忘れていたのは、敵勢力による記憶操作によるもので無いことは明らかだ。何故なら、こんな国家の根幹に関わるような事案を軍内部の敵勢力が見過ごすはずがないからだ。これは国家に対する重大な裏切り行為であり、知っているとしたら見過ごすはずがない。そして、ことはそれだけでは済まされない。人類のために艦娘を与えてくれたモノ達への反逆と見なされる危険性さえあるのだから、事実を隠蔽することなどありえない。

 

しかし、彼女達は【轟沈】したことになっている。

 

そう、これが虚偽だったとしたら……こんな事ができる存在は、ごくごく限られている。

記憶を取り戻した扶桑にとって、その解答にたどり着くのは容易だった。これは今は亡き緒沢提督による、艦娘に対する「強制命令権の発動」による命令に間違いないのだ……と。

すべて、何らかの目的を持ってなされた提督のご意志なのだ。何か大きな目的を持ってそれはなされたに違いない。この行いがどれほどの危険を伴うことか想像もつかない。その代償を払ってでも為さなければならない事があるのだろうか? 今となっては、提督が何を為そうとされたのかは想像するしかない。

 

しかし、事実は事実だ。経緯はともかく、明らかにされた事実については、艦娘達みんなが心から喜んだ。特に大井は興奮しすぎて、感情を制御できないらしく、どうにもならなかった。それはそうだろう。あんなに仲の良かった北上が沈没したと聞いた時の彼女の絶望ぶりは、見ている方が可哀想になるほどだった。見かけ上立ち直るだけでも相当な時間が掛かったのだから。

鎮守府の医療班の中では、彼女の記憶全削除さえ検討されるほどの重症だった。仲間の艦娘が轟沈することは、例え軍艦としての運命であるとしても、皆にとって衝撃であり悲しい出来事である。それは当たり前だ。けれど、大井にとっての北上は、そんなレベルの存在では無かったのだ。

 

早く逢いたい。逢いたい逢いたい。ううん、……例え逢えなくても我慢できるわ。北上さんが生きている事が分かっただけでも幸せだわ。生きていればきっと逢えるもの。今はその事実だけでも幸せだわ。

そう言って涙ぐんでいる彼女を見て、みんなももらい泣きしてしまった。失ったはずの仲間が生きているなんて、これほど嬉しい事は無いだろう。仲の良かった艦娘を、艦隊を無事待避させる為とは言え見捨てて撤退したという記憶は、ずっとみんなの心の中にあり、その光景を思い出し苦しんできていたのだ。

 

それが事実で無いと分かった時の喜びは、扶桑だって同じだ。ただ嬉しかった。

 

これまでの戦闘によって沈んだと記録されていた艦娘のほとんどが、実際には沈んでいない事をみんなで認識することができたのだ。

 

では、生きているはずの艦娘達はどこにいるのだ? 

当然、次に行き着く疑問だ。しかし、その答えを知る艦娘は、いなかった。それでも、死んだはずの仲間は生きているという記憶だけは、明らかに事実なのだ。それがどれほど艦娘達に希望を与えたことだろうか。しかし、この事実が外部に暴露されれば、その艦娘達の身に危険が及ぶことになる。国家に対する……、否、艦娘という存在勢力への裏切り行為でしかないからだ。彼女達は国家からも、他の艦娘達からも追われる立場になるかもしれないのだから。

 

そして、恐怖する。

冷泉提督は、それを探るために送り込まれたのではないか? という疑念。

 

記録を辿るだけで分かるけれど、舞鶴鎮守府における艦娘の損失率は、ある時期を境に他の鎮守府よりも多くなっているのだ。それは、提督が意図的に艦娘を【轟沈】させ始めた時期と重なる。その不自然さを軍部が知ることとなり、彼を送り込んだ可能性は否定できない。

確かに彼は、これまで扶桑の知っていた提督とは異なっていて、どちらかと言うと少し変だった。軍人らしくも無いし、頭の回転も鈍そうで、贔屓目に見ても華々しい経歴からは想像できない愚鈍さを持っていた。着任して早々の段階で、扶桑にあえて秘密を明かすような真似をした事も今となっては、あまりにも不自然な行動としか思えない。結果論とはいえ、意図的に秘密を小出しにして、扶桑を取り込もうと試み、ある程度の成功を収めていたのは事実。緒沢提督の存在の記憶があったから、彼に取り込まれることはなかったけれど、それさえなければ他の艦娘と似たような状況になった可能性さえある。

警戒して一歩引いた立場で彼を監察をしていたけれど、彼はこれまでの提督とは異質であり、何を考えているのか読み取れない事が多かった。何も考えてない脳天気さ、生来の愚鈍さと思えば気にもならなかったのかもしれないけれど、感がそうじゃないと警告していた。彼は、どこか掴み所のない所があり、懐の深さもあった。あまりに大きすぎて、それが怖いと本能的に感じて近づきすぎないようにした部分もあったのかもしれない。ただ、敵に回すと危険であると本能が告げていたのは事実。僅かな偽装の解れを見過ごすような男では無いことは、すでに知っている。秘密の暴露のため、もう手を打ち始めている危険性さえある。

冷泉提督に対する感情は艦娘によって様々だったけれど、ここにいる艦娘の感情は皆同じだ。彼と敵対する立ち位置になった今は、危険な男でしかないという共通の認識を持っていた。ゆえに、その危機感は艦娘達に結束を促すこととなった。

 

警戒しすぎるに超したことはない。そして、事は急がねばならない……と。

 

 

-----------------------------------------

 

 

しかし……。

 

あまりにも急な遠征の報告を受け、相当に慌ててしまった。なんとか作業予定を切り上げて、金沢港まで永末はやって来ていたのだ。このご時世、自家用車で移動するというだけでも、各機関に根回しが必要になり、いろいろと大変な思いをしてしまった。単独行動していたら、まず不可能だろうな。こんな時、組織に属している方が強みが発揮できるものだ。上の連中をなんとか説得して、準備させた。本来ならぶち壊してしまいたい組織に頼らなければならない現在の自分の立場を嘆きたくなるが、利用できる物は徹底的に利用しないと損だと納得させる。奴らだって自分を消耗品のように使い潰すつもりなのだから、お互い様だ。今はそう思わせておけばいい。やがて、すべてをひっくり返してやるのだから。

見えてきた明るい未来というものに、少し力づけられる。

 

遠征艦隊の元に現れた永末は、すぐに艦娘達の変化に気付くこととなった。勿論、不知火も一応この場にはいる。虚ろな瞳で遠くを見つめているだけで、永末を見ても何の反応も無い。ただそこにあるだけの存在……。少しだけ可哀想になったが、それ以上は考えない事にした。今はそれどころではないからだ。

 

永末は再び艦娘達に注意を向ける。

彼女達の間に、どこか浮ついたような、普段とは異なる空気を感じ取ったのだ。それは、たとえ隠そうとしても、すぐに分かってしまうような物だ。内からあふれ出す喜びを隠しきれない……といった感じに例えたらいいだろうか。

もっとも、彼女達は、永末に隠し立てするような事は無くなっていたのだけれど……。永末は、艦娘達の信頼得るために努力は惜しまなかったつもりだし、信頼を勝ち得ていたと自負していた。これから大事を為す同士なのだから、当然のことなのだが。

 

永末を迎えた扶桑は、一堂に集まった艦娘達を見回し、意志を確認する仕草を見せる。艦娘達は同意の意思を現す。そして扶桑は彼女達に頷くと、永末に向かって、にこりと微笑んだ。

 

……相変わらず美しい。その姿に思わず見とれてしまう。

 

永末の思いに気づくことなく、彼女は興奮を抑えるようにしながら静かに告げた。想像だにしなかった驚くべき事実を。

かつて、轟沈した事になっていたはずの艦娘達が、生存している事実を。そして、彼女達はどこかに隠匿されているらしい事を。

 

それを聞いた永末は、必死になって自己の感情を制御する。思いもしなかった事実。それは、運命の歯車が急激に回り始め、しかも、永末に運気が向いてきていると実感せざるをえなかった。飛び上がって喜びを爆発しそうになる自分を制御する。

 

現状の艦娘だけでは、戦いを始めるには、まだまだ戦力不足だと思っていた。永末の望みを叶えるためには、まだまだ数が足りない……と。それをどう解決するかが悩みの種だった。しかし、轟沈したはずの艦娘が生きているというのなら、これは僥倖だ。

永末にとっても多くの見知った艦娘が生きている。このことは、冷徹な損得勘定を抜きにしても、猛烈に嬉しかったのも事実である。

 

いつも司令室で顔を合わせ、個人的な話もしたことがある艦娘達が、ある日を境にいなくなった……。戦死した。戦場に散ることは皆が覚悟していることであり、戦争であるのだから当たり前の事だ。けれど、やはり近しい存在が永遠にいなくなることは辛いのは当たり前。それが実は生きていてくれたなんて……。

そんな思いを感じながらも、冷静に行動をしようとする。喜びの表情といった形を見せつつ、仲間が生きていたという安堵の表情を浮かべるように試みる。

「そうですか。……それは良かった。みんなが生きていて良かった。みんな、良かったですね」

と、感慨深げに呟く。勿論、それは本音であり、しかし虚偽でもあった。この喜ぶべき事実をいかにして自分にとって有利に進めることができるか。それこそが最重要であり、艦娘達にも知られてはならないことだったのだから。

 

「すると、誰が生存しているかを知る必要がありますね。そして、生存している彼女達が今、どうしているかが気になりますね。行方不明となった艦娘の行き先を知ることは、私達の今後にとっても、非常に大事な事だと思います」

永末や艦娘を含め、永末の属する勢力の同志達が最優先で知る必要のある事実である。誰が生存しているのか……。戦力は多い方が良いに決まっているのだから。

誰が沈んでいないかについては、艦娘達からすぐに回答は得られた。軽巡洋艦北上を含め軽空母千歳、重巡洋艦衣笠その他軽巡洋艦、駆逐艦、潜水艦を含めて全部で8人だったのだ。これだけの艦娘を隠匿しているなんて、よく発覚しなかったものだと感心させられる。艦娘の損失数が増加していて、深海棲艦の本格攻勢が始まったのか? と一時話題になったことを思い出した。あの時は、単純に敵の戦力が増強されたために苦戦しているとしか思っていなかったのだが、実際は裏切り好意が始まっていただけだったなんて。誰も気づけなかった事がある意味情けなくもあった。

 

「では、彼女達は何処にいるのでしょうか? これだけの数の艦娘を気づかれないように隠しておくことができる場所なんてあるのでしょうか? 私にはすぐには思い当たりません。皆さんに心当たりはあるのでしょうか? 緒沢提督から何か聞いていたことがあったりするのでしょうか? 何か思い出した事は……」

そう言って見回しても、反応のある艦娘は一人もいなかった。そこまでは記憶が戻っていないのだろうか? ……いや、隠匿した艦娘の居所を知る者は、極力絞り込んだ方が良いに決まっている。裏切りを画策しているのだ。そんな秘密を共有するには相当な信頼関係が必要だ。緒沢提督もそう考えているはずだ。来るべき時までは、知られる訳にはいかない秘密だからだ。艦娘を意図的に自己のために隠したなんて事が発覚したら、彼もそれどころか日本政府だって無事ですくか分からないような大スキャンダルなのだ。そんな秘密を共有できる存在が緒沢提督にどれほどいたかは全く分からない。永末にさえ秘密にしていたのだから、それを知るチャンスのある存在などほとんど無いと言っていいくらいだ。

 

しかし、現状の舞鶴鎮守府離反艦だけでは、永末の斃すべき敵に対抗するには数及び質共に心許ないことは事実。それでも、もし消息を絶った艦娘たちをこちらの勢力に含めることが叶うならば、一つの鎮守府クラスの勢力とすることができるのだ。これは絶対に手にしなければならない。

 

「今、私達に求められるのは、隠匿された艦娘達の居場所です。緒沢提督亡き今、それを知る者はいないかもしれない。けれども、何が何でも彼女達の居場所を突き止めなければならないのです。亡くなられた提督の御遺志を継ぐためにも……。ですから、皆さん、どんな小さな事でも良いです。何か手がかりになるような事を思い出すように、がんばってもらえませんか? 」

訴えに戸惑うような表情を見せる艦娘達。

 

「私達だって、思い出したい。みんなが何処にいるか知りたいケド。何度も思い出せないかっていろいろとやってみたけど、無理だったの。無理、想像もつかないわ」

村雨が諦めたように呟く。

 

「私だって思い出してから必死に思い出そうとしたけど、全然だった。北上さんの姿はいくらでも思い出せるのに、どこにいるか……全く思い出すこともできないの。私、本当に悔しい」

大井が苦しそうな表情を見せる。あれほど仲の良かった北上の生存を思い出したのに、会えない悔しさがにじみ出ている。

 

「こんな大それた事をするくらいだから、提督は相当の覚悟をしていたはずです。もしも軍部に知られたら、自分の身が危ないことは重々承知していたはず。それほどの秘密を共有する人なんて……」

そう言って祥鳳は、扶桑を見た。釣られるように他の艦娘達も彼女を見る。

 

秘書艦としていた扶桑の記憶を手繰るしかないのではないか、という意見が出るのは当然の事だ。

 

今回の事を、明らかに機密中の機密。こんなことを緒沢提督が誰にでも話すはずが無い。打ち明けるとするならば、秘書官である扶桑しかありえない。けれど、彼女自身も覚えていないようにしかみえない。

永末は躊躇してしまう。彼女の記憶を強制的に取り戻すには、現在使用しているものより更に強い薬を使用する事にならざるをえない。しかし、それは扶桑に強い負荷を掛けることとなり、正直な所、危険だと思う。できれば、現在の薬品を使用して、時間をかけてゆっくりと思い出させる方法がいいと思う。……しかし、何時、敵である冷泉提督に知られるかもしれない状況。我々に時間は残されていない。それに、艦娘達の生存に関する事実を香月達に伝えているのだ。本来なら隠しておきたいけれど、彼らの力に頼らなければならない現状においては、最低限の情報を伝えておかざるをえないのだ。

 

この新たに得た事実も、彼らに伝えた。伝えざるを得ないからだ。

そして、彼からの指示は、すでに来ている。

 

いかなる手段を用いても、戦艦扶桑より行方不明となった艦娘達の居場所を思い出させるように。

 

決定事項として命令が来ているのだ―――。

彼らからすれば当然の事だろう。それを知ることは永末の目的にも合致する。しかし、扶桑を愛している彼にはそれを無理強いできない。彼女が苦しむ姿など見たくない。できることなら、これ以上の無理はさせたくない。そんな気持ちに囚われ、たとえ目的の為とはいえ、彼女に対してだけは冷徹になれないのだ。

ずっとずっと大切に思っていた存在。すぐ近くにいながら、手が届かない遠い遠い存在。まるで天使のような存在だと思っていたものが、ある日突然、自分の側に降り立ち、微笑んでくれた。その笑顔をなんとしても守りたい。いつまでも、できることなら永遠に大切にしたい。

けれど、ここで香月達に刃向かう事はできない。今ここでこの役割から外されるわけにはいかないのだ。そんなことになったら、全てを……否、全てなんて欲しくない。扶桑さえいれば、何もいらないとまで言っても良いのだから。しかし、逆らえば扶桑を失ってしまう事になる。それはできない。認められない。

だから、言葉が出てしまう。

 

「扶桑さん……。私は無力だ。何も出来ない。ただただ、あなたに頼るしかできない。すみませんすみません」

言葉は呻き声にしか聞こえなかったかもしれない。けれど、思いは彼女に通じたようだ。

 

「永末さん……。私に協力させてください。私の記憶の中に消息を絶った艦娘達がどこにいるか、知りうることができるのならば、是非とも知りたい。これは、緒沢提督の意志を継ぐ私達の為に必要な事なのです。そして、今、私達に残された時間は少ない。手段を選んでいる暇はありません。それは、あなたもご存じのはず。危険は承知の上です。是非、私にも協力させて下さい。みんなの、艦娘達の未来のために」

真剣な表情で永末を見つめる扶桑の姿を見、全身に衝撃が走る気がした。彼女は自分を信じ、委ねてくれるのだ。そして、みんなを守るため、どんな危険をも受け入れる覚悟を見せてくれた。

 

永末の心から躊躇というものが消えていく。より強い薬品による覚醒を促す……。どれほどの危険が伴うのか、それは誰にも分からない。けれど、この困難を乗り越えない限り、自分と扶桑、そしてここにいる艦娘達に未来はないのだ。なんとしてもやりとげなければならない。

そして、どんなことが起ころうとも、扶桑を守ってみせると決意を新たにした。

 

「やりましょう」

永末は頷いた。

 

 

 

 

 



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第143話 提督の真意

永末の申し出に対して、扶桑は頷き受け入れることにした。それは、永末の期待に応えたいという思いがあったからだ。命令に逆らう事のできない彼の現在の境遇を哀れんだ部分も確かにある。軍を除隊したとはいえ、結局、似たような組織で似たような事しかできない彼が可哀想だった。思うようにならない人生を嘆きながら、望むべき明日が来る事に縋って生きるしかできない……。もう、かつて地位に戻る事など叶わないというのに、それを忘れることができないでいる彼が哀れだった。すべてを捨ててしまうことができれば、今彼を苦しめている柵のすべてから解放されるというのに……。

けれどそれは仕方ない事。妄執といっていいほどのものに取り憑かれてしまうほど、彼は理不尽なまでにすべてを奪われ、酷い目に遭わされたのだから。

 

そんな哀れに思える彼に対して、自分が持つ感情……。それは同情なのだろうか? 不幸な者同士、ただ単に惹かれ遭っただけなのかもしれない。

 

「消された記憶が戻るというのなら、……真実に近づけるのであれば、少々の危険は覚悟の上です。心配しないでください。私には仲間がいます。そして、……あなたも。何も恐れるものはありません」

少しだけ感情を彼に表明する。もっとも、その表現は控えめなものでしかなかったけれど。もっと正直に気持ちを表せば良かったのだけれど、心のどこかにモヤモヤと引っかかるものがあったせいで、それ以上踏み出す勇気が出なかった。

 

扶桑の本音……。それは、真実を知りたい。もちろんそれが第一だけれど、提督の無念を晴らしたい。それが一番大きかったからだ。

 

早速、彼より支給された薬品を手に取ってみる。ごくごく平凡な見た目の白い小さな硬カプセルだ。透明なそれの中に青白色の粉が詰まっているのが見える。その青の毒々しさに躊躇する。この薬品がどんな作用をもたらすのか分からない。そして、永末に何かあった時の姿を見られたくなかった。だから、一人で個室に籠もることにした。彼は心配そうに見つめるだけで何も言わなかった。反応が無かった事を同意の合図と判断した扶桑は、彼を置いて一人部屋の中へと消えていく。そして、扉にしっかりと閉めて鍵を掛ける。大きく深呼吸し、覚悟を決めてカプセルを飲み込み水で一気に流し込む。

飲みこんでほんの数旬、唐突に一度体が沈み込むような感覚。そして、次の刹那、急激な悪寒と目眩が襲ってきた。衝撃が全身を貫き、立っていられないほどの作用があった。体のバランスを保つことができず、そのまま床に倒れ込んでしまう。知れず喘ぐような声を出してしまい、全身が痙攣したと思うと、意識が消えていく。

 

そして、夢を見た。

 

扶桑は、記憶に無いものを見た。知らないはずの光景、感じた事の無い優しく頬を撫でる風、聞いた事の無い言葉を聞いた。

 

それは夢のようであり、しかし、どこか既視感を感じるものだった。

 

小さな島の白い砂浜。空に雲が浮かび、あまりにも平和すぎる光景。

 

そして、砂浜には懐かしい緒沢提督の姿があった。遭いたくて遭いたくて仕方なかったのに、遭えるはずもなく。それどころか、彼を思い出すことすら、ほとんど無くなっていた事実を知らされて衝撃を受けたのだった。

 

夢のようでありながら現実としか思えないものは、更なる事実を示してくる。提督だけでなく、沈んでいった艦娘達も元気な笑顔で扶桑を迎えてくれたのだ。

 

瞬間、あふれ出す涙が止まらなくなった。

 

やっと戻るべき場所へと戻ってきた……。そんな気分になった。泣き崩れ、立ち上がれなかった。

頬に触れる暖かい感触。それが提督のものだとすぐに分かった。

見上げると緒沢提督の優しい笑顔がそこにある。時に厳しい時もあったけれど、いつも優しい目で扶桑を見つめてくれていた。そのままの彼だった。

「て、提督……」

涙でぐしゃぐしゃになりながらも、なんとか声に出すことができた。

 

提督は指先で扶桑の涙をぬぐうと

「お帰り、扶桑。やっとその時が来たようだね。……その時が」

その言葉を聞いた瞬間、凄まじい勢いで映像が全方位で高速再生されていく。

 

今まで忘れていた、否、忘れさせられていた記憶が一気に回復していくような感覚だった。それは、感動と言って良いほどの衝動・衝撃を扶桑に与えて来たのだった。

その興奮で夢の中だというのに、気を失ってしまう。

 

そして、意識を取り戻した時、扶桑は全身が震えている事を感じた。夢でしかないものだったけれど、そのすべてに現実感があった。そして、それが事実であることを何の根拠も無く、確信できてしまっている自分に驚きさえ感じている。

倦怠感や寒気を堪えながら、なんとか体を起こす。

 

……大きな勘違いをしていた事実に、気付いてしまった。

 

消されたと思っていたはずの記憶は、実際には、そうではなかったということだ。扶桑達は、敵勢力によって都合のいいように記憶を改ざんされ利用されていたと思っていたけれど、それは真実ではなかった。そのことを……今、明らかに思い出したのだった。

扶桑達が記憶を失っていたのは記憶を消されたのではなく、むしろその逆で敵勢力による記憶改ざんから護る為に施されたものであることを。万一起こりうるであろう最悪の事態に備え、提督が施したものだったのだ。

 

記憶の遙か奥底に沈められ護られていた記憶は、ある一定時期まで思い出さないように施されていたのだという事実。実際、本来であれば、もう少し先に……いや、もしかすると永遠に封印されるはずであったかもしれないその奇跡が、永末のもたらした薬物により、強制的に引き出されてしまったのだろう。

 

その結果、扶桑は緒沢提督に託された想いに気付かされてしまった。知りたかったはずの真実。求めていた真実。けれど、知るべきでは無かった事を。

 

緒沢提督は艦娘達の轟沈(死)を偽装することにより、日本国の支配下から艦娘を離脱させることに成功していたのだ。しかもその数を計画的に増やしていっていたのだ。それだけではない。沈没を偽装された艦娘達がどこに隠匿されているかさえも思い出してしまった。彼女達は生きていて、今も待機している状態だ。

 

個人が持つにしては、あまりに強大な兵力……。

 

彼の最終目的、それは、日本という国家に反旗を翻す……いや、そんなものではなく、艦娘という存在を生み出したものに対して反逆しようとしていたのだ。深海棲艦ではなく、日本国のために協力してくれている艦娘勢力を討とうとしていた……明確な敵意を持って。

 

どうして彼がそんな大それたことを考えたかは、扶桑は聞かされていなかった。他の艦娘も同様だろう。だから、提督のの真意が何処にあるかなど、想像すらできない。

けれど、そんな事はたいした問題ではなかった。なぜなら、艦娘とは提督の命令に従い、そして戦うことを生き甲斐とするもの【モノ】なのだから。それに扶桑は、ずっとずっと信頼し尊敬していた緒沢提督が仰ることには、きっと間違いなど無く、最終的には正しい事に行き着くのだと盲目的に信じていたのだから。

 

彼の真意も、彼が何を目指し何を成し最終的に何を遂げるつもりであったのか? その来るべき日を迎えること無く、緒沢提督は凶弾に斃れてしまったから、扶桑には、それを知る機会は永遠に訪れなかったのだけれど。

 

「提督……、あなたの意志を私に継げと仰るのですか? 」

思わず問いかけてしまう。そして、同時に途方に暮れてしまう。

「何も分からない自分は、一体どうすればいいのですか? 」

と。

 

しかし……。更なる困惑がある。決定しなければならないことがある。

この秘密を永末に話すべきなのか……。この問題を解決しなければならない。

永末の行動の真意が分からない。彼が明緒沢提督と同じ目的同じ意志を持ち、今は亡き提督の意志を継いでくれる存在であるかすらわからない状況でこの真実を告げること……それは場合によっては緒沢提督への裏切りとなるかもしれないのだから。これは当然の疑問だ。永末は、一度、緒沢提督の同調者として捉えられ、厳しい取り調べを受け、そして、軍を追われたのだ。しかし、そんな過去があったというのに再び戻って来て、鎮守府に出入りできるようになるなんて、どう考えても彼の主義主張に何らかの「変遷」があったとしか考えられない。軍に捕らえられる前までなら、緒沢提督と意志を同じくした同士と思っても良かったけれど、今はそうでない敵側勢力の人間として寝返っていると考えるほうが正しいに決まっている。

 

しかし、そんな冷静な思考をする自分とは真逆に、この事実を伝えれば永末がきっと喜ぶだろうし彼の役に立つのは間違いないと考える自分がいる。緒沢提督の敵であるはずの永末を、次第に好きになっていく自分の心に戸惑う。彼が喜ぶのであれば、できる限りの事をしてあげたいと思う自分。また逆に、かつての思い人への気持ちを捨てることはできない自分が存在することを思い知らされる。

 

扶桑は頭を何度も振って、心の中で支配力を高めている妄想を追い払おうとする。

 

この世で一番愛しているのは、緒沢提督なのだ。たとえ、彼がいなくなろうとも、その思いは変わらないはず……と。

その気持ちは、偽りのない本当の気持ちだ。

 

しかし、永末に話さずにいたところで、このままどうすればいい? 一体どうなるというのか? ……そんな疑問があるのも事実。

艦娘だけでは、何もできないのは間違いない。緒沢提督が何を考え、何を目指してこんな事をしたかは思い出せない。そもそも知らされていないのかもしれない。それを行う前に、自分たちに伝える前に彼は亡くなってしまったのだから。

 

提督の御遺志が何だったのかは不明だけれども、かつての部下であった永末なら、もしかするとその意志を継いでくれるかも知れないのだ。彼に賭けるしか無い。何の根拠も無く、緒沢提督の側から見れば疑わしいはずの存在に期待してしまう自分。そして、心のどこかですべてを伝えたら彼が喜ぶのではという想いがあったのかもしれない。相手が永末で無ければこんな事を考えたりもしないのだけれど。

 

この事実を伝える事ができれば、永末にとってはこれは功績になる言えよう。そうなれば彼の属する勢力の中で彼の地位も向上しよう。好きな男が出世する事は女にとっても嬉しい事なのだ。役に立つことができるなら、どれほど嬉しい事か。

……いつの間にか、永末の側に立って考えている自分に少し驚く。けれどそれでも構わないと思っている自分。

緒沢提督の事は今でも愛している。けれど、側にいて自分を好いてくれる永末のことも愛してしまっているのだから。おかしいとは思うけれど、不実だとは思うけれど、どうしようもないのだ。……仕方ない。

自分ですらままならない感情と情欲に翻弄されながらも、何を為すべきかは決まっているのだ。自らの感情に従い行動するしかない。そう自分に扶桑は言い聞かせた。

 

 

「大丈夫でしたか? ……あまり無理はしないでください」

部屋から出るなり、心配そうな顔をした永末が駆け寄ってくる。

 

「心配してくれてありがとうございます」

少し体が怠いがだいぶ体調も戻ってきている。なんとか笑顔を見せる。

 

「私は扶桑さんに無理をさせたくないのです。……艦娘の居場所なんてどうでもいい。そんなことを知るために貴方が苦しむ姿なんて見たくはないのです」

こちらをじっと見る彼の顔は本当に苦しんでいるように見える。

「けれど、……けれどすみません。今の私には貴方を護る力が無い。たとえ貴方が苦しむ事になろうとも止めさせる事ができないのです。許してください、こんな無能で無力な私を。貴方の記憶を取り戻す事で消息を絶った艦娘の居場所を知り、それを報告する事で自分の地位を維持しようとするゲスな情けない私を」

彼の瞳からは涙がこぼれ落ちていく。呻くように許してください許してくださいと口走っている。

扶桑は哀れみの瞳で彼を見てしまう。かつて鎮守府においてはナンバー4の地位にあった永末からは想像もできない姿だった。あの頃は自信に溢れ、やがて訪れるであろう栄光の未来を信じていたはずなのに。今やその姿にはかつての彼はいない。どれだけの困難が彼の心を折り、プライドを踏み潰したのだろうか。けれど扶桑はいつしか気付いていたのだ。彼はまだ完全に負けたわけでは無く、決して諦めていない事を。心の深い深い場所にまだ希望を持っていて、逆転のチャンスを待っていることを。

 

「お願いです。今は耐えてください、扶桑さん。きっと、きっと私が貴方を救い出して見せますから。その時まで、希望を捨てないでください。私はきっと貴方を護って見せますから」

涙をぬぐいながら訴えかける永末の瞳の奥には未だ希望の炎があることをはっきりと見た。

 

「はい。私はあなたを信じています」

できる限り優しい笑顔で彼に微笑み返す。自分の笑顔、彼に対する期待がどの程度、永末の心の活力になるかは分からないけれど、自分ができるだけのことは彼にしてあげたいと考えている。

「あなたのお役に立てることは私にとっても望むべき事です。ですから、私をあなたのために役立ててください。そして、私を救ってください」

その言葉を聞いた途端、永末の表情が和らぎそして瞳の奥の炎が力強く燃え上がるのを扶桑は確かに見た。

永末は大きく頷くと、扶桑を強く抱きしめた。

 

その時だけは、扶桑の心から迷いも消えていた。

 

 



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第144話 新世界への扉

深夜―――。

 

停泊している港の中にある建物の中に、舞鶴鎮守府第二艦隊の艦娘と永末が集合していた。彼等は、現状報告と今後の行動計画についての話し合いを行っていた。

 

しかし、不知火だけは腑抜けたような表情で黙り込んだままだ。みんなの会話にも入らず椅子に座ったままで身じろぎもしない。その虚ろな瞳は何を見ているのか。何かに追い詰められたような小動物のようにしか見えず、もうこの子は駄目なんじゃないか? と扶桑ですら思ってしまう。このままでは永末さんにも見放されてしまいはしないかと不安になる。―――それだけは防がなければ、と自分に言い聞かせながら、艦娘達の会話に集中する。

 

扶桑は、この集まりの司会を務める永末の隣に立っている。舞鶴鎮守府の情報分析や、すでに明かされた失踪した艦娘の事について艦娘達が思い出した事を互いに報告し合い、それについて議論が為されている。そしてごくごく自然な形で永末がリーダーシップをとって意見収集を行い、とりまとめを行っている。時々、永末が口ごもったり手間取ったりした際には、すかさず扶桑がフォローをいれている。まるで長らくコンビを組んでいたかのようにさえ見える二人の関係にも、艦娘達はすでに見慣れた光景になっているように自然な感じで対応している。

永末が舞鶴鎮守府艦隊司令官で、その秘書艦が扶桑のように見えてしまう。その事を他の艦娘が茶化すように指摘すると、「そ、そんなことありませんよ」顔を真っ赤にして永末が照れてしまい、またそれに対して笑いが起こってしまう。

 

ものすごく和やかで自然な感じ……。これが昔からそうであったようにさえ思えてしまうけれど、現実は異なるという事に思い当たるとそれから目を逸らしたくなる。けれど、現実からは逃れられない。そうであるならば、その現実をひっくり返し、望むべき姿に変えてしまえばいいのではないか? 扶桑は、ぼんやりとみんなが会話している姿を見つめながら、そう心から願っていた。

 

永末から貰った薬品により取り戻した記憶についてみんなが真剣に討論している。会話をする事に、誰かの思い出した記憶を聞く度に、連鎖的に誰かが何かを思い出していく。まるでパズルが解けていくように、さまざまな真実が明らかになっていく。

 

「今更なんですが……」

と、誰かが口にする。見ると祥鳳だ。

「緒沢提督は、扶桑さんの事をすごく信頼していたと思うんですけど」

 

「そりゃそうでしょう? だって秘書艦なんだもの。私達には言えない事でも、提督は扶桑さんには話してたよね」

と、少し含みのあるような発言も聞こえてくる。こんな言い方をするのは、大井だ。

 

「うんうん、確かに。あれは何時だっけ……? そうそう、北上さんが轟沈した時、大井さんが泣いちゃって、大変だった時だ」

村雨までが呼応するように、余計な事を喋り出す。

 

「やめて……ああ、今思い出しても恐怖と絶望で目の前が真っ暗になる。お願い、それ以上言わないで。思い出してしまうから」

と大井が呆然としたような眼をして呟く。

 

「大丈夫だよ。北上さんは生きているんだもんね。みんなが思い出したその事実は、決して揺るがないから。今は、どんな辛いことでも思い出さないといけないんだもん。みんなと再会するためにも! 」

 

「そ……そうね。確かにそうだわ。うん、分かった。がんばる」

頭を撫でられ、頷く大井。

 

「みんな、思い出してみて。確か、半狂乱になった大井さんを扶桑さんはずっと慰めていたわよね。まともな説明をしてくれなかった提督の事を、相当酷い言葉で罵る大井さんを必死になって宥めていたから。傍目にも大変そうだったわ。でも、しばらくすると、扶桑さんが提督の部屋に行ったわよね。それも、凄い思い詰めた表情で……。みんな覚えているかしら? 」

 

「確かに。あの時の大井さんの悲しみように対する提督の態度は酷かったよね。私だってカチンときたもん。ホント、ものすごい冷たい対応だった。だから、みんな凄く怒っていたし、扶桑さんもそれまで轟沈した艦娘の事でいろいろ思うことがあったみたいで、秘書艦として確認したいことがありますってかなり真剣な口調で提督を責めていたもんね。それにしても、あんな怖い扶桑さん、初めてみたよ」

祥鳳と村雨が交わす言葉を聞きながら、自分が少し苛ついていることに扶桑は気付く。普段なら特に何も思わないけれど、今はタイミングが悪い。これからどうするかを決めかねている状態で、こんな余計な話はしてほしくない。

 

「そんな事があったんですか、扶桑さん。いつも温厚なあなたがそんなに怒ることがあったとは……」

驚いたような表情で永末が扶桑を見ている。

 

「いえ、あの時は大井さんがあまりに不憫でしたから。それに、それまで沈んでいった艦娘達についての説明を、提督はみんなにまるでしてくれませんでした。どうして彼女達を見捨てなければならなかったかを私達に説明してほしかったんです。そうしなければ、みんなが納得できない状況にまで追い込まれていました。かくいう私も限界だった……と思います」

歯切れの悪い言葉を返すことしかできない。あまりこの件について話が進展すると、隠している事も話さなければならないと思ったからだ。もうこの話題には触れないで……そんな願うような瞳で艦娘達を見回す。

「結局、上手く提督には伝えられませんでしたけど」

と曖昧な事を言い、話題を変えようとする。

 

「そうだったかしら? その後、二人っきりで執務室で話し込んでいたみたいだけど、出てきた時の扶桑さんはとても晴れ晴れとしたというか、納得したような表情をしていたわよね」

と、大井が余計な事を言う。

 

「そ、そうかしら? 」

思わず動揺してしまう。

 

「そうそうそう。あの時の扶桑さんは、部屋に入るまでの剣幕とはまるで正反対になっていたし、私達の問いかけにも曖昧にごまかすだけだったよ。あんまりしつこく聞くから、最後には提督のご命令は絶対です! って怒りだしたもん。……そうだよ、そんなことがあったよ。今まで忘れていたけど、扶桑さん、結構、怖かった」

少し茶化すように、村雨が訴えてみんなに同意を求めようとする。

 

「私も思い出しました。扶桑さんは提督を信じていれば何も問題は無い、だからこの件についてはこれ以上詮索することは許しませんって言って、その場を収めようとしていました。。提督と話す前は、場合によっては鎮守府を出て行くとまで言ってたのに、あの変わり様は凄かったです」

 

「本当だ。そういや私、あの時すごく扶桑さんのこと嫌な女だって罵ったのに、完全に今まで忘れていたわ」

と大井が呆れたような表情で言う。

「……あ、今はそんなこと思ってません、ホントデス」

そんなやりとり扶桑だって覚えていない。

 

「一体、あの時、扶桑さんは提督に何を言われたんですか? あれだけ提督を糾弾ような勢いだったのに、180度変化してしまったのには、何か訳があったんじゃないんですか? 」

もういい加減にして。これ以上は話を広げないで……そう願いながら祥鳳を見るが、彼女にはまるで通じないようだ。

 

「もしかして、提督に轟沈した艦娘が生きているって真実をその時に教えて貰ったんではないですか? もしかして、それって本当の事じゃないですか? いいえ、それどころじゃない。もしかしたら、みんなの居場所まで教えて貰っていたんじゃ」

とまで言い出す始末。

呼応して艦娘達が好き勝手に話し続ける。困ったことに話す度に記憶が取り戻され、状況が詳細に鮮明に再現されていくようだ。状況を見るに、どう考えてもごまかせるような雰囲気では無くなってきている。何らかの答えを見せなければ、彼女達は納得しないだろうし、やがては真実にたどり着いてしまうかも知れない。それは時間の問題だろう。それ以上に永末さんが不審そうな表情になっていることが心配になる。

 

「扶桑さんなら、提督も教えていたかもしれないわ……」

そんな意見が大勢を占めていく事に不安になってしまう。

もしかすると、他の艦娘はうすうす感づいているのかもしれない。扶桑が緒沢提督より轟沈させた艦娘たちの居所を教えられているのではないか? と。ただ、彼女達の記憶が曖昧なため断定できないだけで、それ以上は言えないだけなのかもしれない。実際、扶桑が思い出した範囲でも、当時はそういった噂が流れていた事は記憶している。それはあくまで噂であって、ある意味願望だったと言ってもいい程度のものでしかなかったけれど。

 

ここで、それは単なるみんなの願望でしかなかったと否定するのはたやすい。本当の事は誰も教えられていないのだから。ただ一人、秘書艦である扶桑を除いては。故に、ここで誤魔化してしまう選択肢もある……。

けれどそれでいいのか? せっかくみんなが希望を持ち始めているのに、それを否定してしまうことに意味があるのだろうか。今、自分たちは団結しなければならない。そうしなければ、今集った仲間達は敵勢力に離ればなれにされてしまい、個別に記憶を弄られてすべてを忘却させられてしまうだろう。もたもたしていて機を逸すれば、すべてが無に帰す。緒沢提督の意志は完全に消し去られてしまうのだ。

 

駄目だ……。それだけは認められない。認めてはいけない。

 

「みんな、よく聞いてください……」

覚悟を決めて、扶桑は語り始める。

長く記憶の奥底に封印されていた真実の吐露を。沈んだはずの艦娘が隔離され、ある場所に隠匿されていることを。それは、今は亡き緒沢提督の意志によるものであり、国家の意思とは明確に反するものであること。緒沢提督の目指したものについて、扶桑の知る限りの事をすべて話した。知っている事は一切合切、包み隠さずに。こんな場合、中途半端に隠したりすると逆効果になるからだ。

 

すべてを語る扶桑を見つめる永末の視線が痛かった。彼は恐らく気付いているだろう。扶桑がすでに記憶を取り戻していた事を。そして、それを永末に黙っていた事を。

きっと彼は自分に失望したに違いない。強い信頼関係によって結ばれていると思っていたのに、隠し事なんて何もないと思っていた彼を裏切っていた自分が辛かった。けれど、もうどうにもならないことなんだと諦める。

 

「永末さん、すみませんでした。本当は少し前に思い出していたのに、あなたに伝えていませんでした。そのために、あなたに苦しい思いをさせてしまったことをお詫びします。けれど、少しだけ言い訳をさせてください。……私が思い出してしまった事、背負わされた物の重さはとても簡単に伝えられるものではありませんでした。それだけは分かってください」

恐らくは許されるものでは無いかもしれない。いや、きっと許されないだろう。永末を信頼しているようで、実は信頼していなかったからすべてを話せなかった。結局のところ、それが真実なのだから。まさに、これは罪だ。そうは思いながらも、許しを請うように縋るような瞳で言い訳がましく言葉を連ねるしかできなかった。

 

少なくとも、自分と永末との間にあったであろう信頼関係は。扶桑の裏切りにより失われたはずだ。それは自分の決断力の無さが原因。自業自得であるのだから、諦めるしかない。他の艦娘と同じ立ち位置で、彼の指示に従うしかできない。それは寂しくもあり悲しくもあるが、やむを得ないことなのだ。

 

俯いて眼を閉じる。覚悟を決めて、彼の言葉を待つ。非難されるだろう。批判されるだろう。罵られるだろう。けれど、それもやむを得ない事なんだ。儚い夢は終わりを告げるだけだ。

 

仕方ないわね……。やはり、不幸だわ。

 

急に頬に暖かい感触……。

「顔を上げてください、扶桑さん」

目を開けて顔を上げると、すぐ側に永末がいた。そこには優しく微笑む彼の姿があるだけで、扶桑の予想した永末はいなかった。

「よく話してくれましたね。ありがとうございます」

と、むしろ感謝をされてしまう。

 

「え? ……私を責めないのですか? 」

彼の両手のぬくもりを頬に感じながら、問いかける扶桑。

 

「疑問に対して、疑問で答えましょう。どうして、私があなたを責めなければならないのですか? あなたは私に本当の事を話してくれました。私は、それだけで嬉しいのです。あなたは私を信頼して、正直に話してくれたのですから。これほど嬉しい事はありません」

永末は隠した事怒ることもなく、扶桑を許してくれた。

 

「あなたは……いえ、ここにいる艦娘みんなが私の同士です。これから、更なる目的の為に行動しなければなりません。私達は団結しなければなりません。そして、かつて沈んだと記録されながらも、実は生きている仲間達と合流しなければならないのです。ですから、扶桑さん、私を信じて、いや私達を信じて、彼女達が何処にいるかを教えて貰えませんか? 私達のためにそして亡き緒沢提督の意志を継ぐために」

永末は自らの想いを伝えるとともに、彼女に懇願してきた。すべてを許し、共に戦おうと手を差し伸べて来てくれているのだ。自分には永末さんがいる。意志を同じくした艦娘達がいるのだ。

 

どうして、その申し出を拒否できようか。

 

扶桑は静かに頷いた。

 

この人と共に戦う事。それが今の自分がもっとも望む事なのだと確信した時だった。これがずっと自分が求めていた事なんだと思うことができた。今まで流され続けてきた自分が、やっと為すべき事を見つけた……そんな喜びさえ感じていた。

 

そして、扶桑はついに、隠されていた秘密を語る事になる。知りうるすべての事を、包み隠さず永末に話したのだった。かつて、緒沢提督より託された秘密……轟沈を偽装した艦娘達が潜む場所の事を。

 

それが本来の指令官である冷泉提督に対するだけでなく、日本国、さらには艦娘が属する組織に対する裏切りとなる事であることを知りながらも。

もはや、自分たちには留まることはできない。

 

「みんなはどうなのですか? ここは重大な局面となっています」

そう言うと、永末は集った艦娘達を見回す。

「我々はこれより舞鶴鎮守府を離脱することになります。あなた方は、冷泉提督の指揮下を離れ、否、日本国というものからも離脱することになります。それは、彼等から見れば反逆と認識されるでしょう。それに対する覚悟はありますか? 今なら離脱することも可能です。私はそれを止めるつもりはありません。そして、そうでない方は私と共に、緒沢提督の意志を継ごうではありませんか。選択をしてください」

拳を握りしめ、熱い口調で叫ぶ。

 

「私は北上さんがいれば何もいらない。当然、永末さんと一緒に行くわ。何の逡巡もないし」

大井が即座に反応する。彼女の反応はごくごく予想された事だろう。

 

「私もみんなと一緒に行くよ。冷泉提督もいい人だったけど、本当の提督じゃないからこれ以上一緒にいる必要無し。本当の提督、緒沢提督の願いを叶えるのが艦娘の願いだもんね」

村雨も悩むことは無いようだ。すっきりした笑顔で答える。

 

「私は、ずっとずっと冷泉提督を信じていました」

ぽつりと祥鳳が呟く。

「あの人とともに敵と戦い、勝利することが何よりも幸せだと思っていました。そして、突然現れた艦娘に嫉妬したりうらやましがったりしていました。けれど、それは完全なまやかし、虚構でしかなかったんですね。……私はずっとずと騙されていたんですね」

よく見ると大きな瞳が涙で潤んでいる。

 

「大丈夫大丈夫」

駆け寄った村雨が彼女の頭を撫でる。

 

「私、ずっと信じていたのに」

そのまま泣き崩れてしまう。

「もう、もう私は迷いません。本当の提督の御遺志を継ぐために、戦います。後悔はありません」

涙声ながらもきっぱりと断定する。

 

真実を知ってしまい、少し過剰に反応する艦娘達を一歩引いた位置で扶桑は見ていた。

結果としては舞鶴鎮守府を離れるという結論に間違いは無い。けれど、少し冷静に判断したほうがいいのではないか? と心配になってしまう。永末から与えられた薬品の影響が出ているのだろうか? 

もっとも、みんなが緒沢提督の意志を継ごうと決断してくれることは嬉しかったのであるが。

 

さて―――。

ここで一人、考慮しなければいけない艦娘がいることを思い出した。

そう。不知火だ。

彼女は無理矢理その意志をねじ曲げられ、こちら側に連れてこられている。本来なら法令や規則をもっとも重視するタイプの性格の彼女だ。法を犯すどころか、そもそも体制に反旗を翻すような行動など絶対に許さないはずだ。そんな彼女を同士として置いておくのは無理なのではないか? と思ったのだ。

それは、「理知」的な思考での結論。

もう一つの感情的な思考では、不知火の本心を見抜いていた。

彼女は冷泉提督の事を好きなのだ。それは男性としての感情だ。本人は明確には気付いていないけれど、態度に表れてしまっている。そんな彼女が冷泉提督と戦う側になどつけるはずがない。ただ、薬物漬けにされたことで、彼の元に戻れば彼に迷惑をかけてしまう。その思いだけで動けずにいるだけだ。だから、少し背中を押してあげれば、彼の所に帰る決意をするのではないか……そう思ったのだ。あんな酷い目に遭わせてしまったことを、扶桑はずっと後悔していた。なんとか彼女を冷泉提督のところに帰してあげたい。それがもう一つの「感情」からの思考だ。

 

「不知火……。あなたはどうするの? 」

と、扶桑は問いかける。

不知火は意識のはっきりしない、ぼんやりとした表情のままでこちらを見返すだけだ。

「今ここで決めなければなりません。冷泉提督の下に帰るか、そのまま私達と行動を共にするのかを」

ここで冷泉提督の下に帰ると言えば、もしかすると帰ることができるかもしれない。永末達に対する裏切りと思える行動とはいえ、薬物に汚染されて艦娘として機能できるかどうか怪しい艦娘をおいていても役に立たないと判断してくれるかもしれない。そして、冷泉提督の下に送り返せば、それはそれで冷泉提督の立場を危うくする材料として役立つと計算してくれるかもしれない。どちらにしても、ここが最後のチャンスだ。「帰る」と言ってちょうだい……。扶桑は祈りを込めて彼女を見つめる。

 

「……私は」

少しの間。幽かに瞳に光が戻ってくるのを感じる。なんとか扶桑の言っていることを理解してくれたのだろうか?

そして、不知火は決意したように答える。

「私は、……永末さんとともに日本国と戦います」

 

まさかの回答に思わず動揺してしまう。

「でも、あなたは冷泉提督を」

 

「永末さん」

扶桑の問いかけに答えること無く、不知火は永末を見る。見るというより睨むといった表現が相応しい。

「……私をこんな体にしたあなたを絶対に許さない。できることなら今すぐにでも、お前を殺してやりたい。ズタズタに引き裂いてやりたい。お前を殺さずに、このどうしようもない感情を抑えこむことなんてできない。……けれど、艦娘は人間に直接手を下すことなんてできないように創られている。どうして、お前なんかの為に、こんな酷い目に遭わないといけないの。苦しい思いを、悔しい思いをしないといけないの! この命を自分で絶つことさえ許されないんだから。悔しい悔しい悔しい! 」

強い口調で不知火は叫んだ。

いきなり強烈な台詞を言う艦娘に、扶桑のほうが動揺してしまう。彼女の言葉をなんとかフォローしようとあたふたするが、何も出てこない。まるで人を居殺しそうなほどの目つきで永末を睨む、不知火の迫力に圧倒されてしまう。

「私だって……できることなら舞鶴に戻りたい。でも、こんな体ではみんなに迷惑を掛けてしまう。提督にはもっともっと迷惑をかけてしまう。こんな薬物中毒の艦娘なんかが側にいることが他に知られてしまったら、提督の進退にすら影響を及ぼしてしまう。……だから、私はあなたの側に付くことにしました。つくことしかできない。永末さん、私を駒として使うがいいわ。捨て駒としてでも構わない。敵対勢力として舞鶴艦隊と戦い、冷泉提督の手によって沈められる事。……それが私の最後の願い。だから、私はあえて永末さんの物になる。あなたについて行くわ。こんな運命にケリをつけるために。死ぬために。他に何も無い……それだけよ」

皆が圧倒されるほどの迫力で不知火は宣言すると、プイと背を向け、壁際まで歩いて行った。

 

「そ、そうですか。それほどの覚悟があるのなら、……ふふふ、あえてあなたも連れて行きましょう」

動揺を隠せない永末ではあるものの、なんとか立ち直ったようだ。自分の立場を思い出したかのように、冷静な口調に戻る。

「その心意気、素晴らしいとお褒めいたしましょう。是非とも私の為にあなたの力を生かして貰いたい。行きましょうか。そうそう、それから皆さんの覚悟を聞いたわけですから、私も一つ秘密を教えましょう。……まだまだ兵力が少なくて不安かもしれません。轟沈した艦娘を入れてもすべての鎮守府を戦うには戦力が少ない。そうお考えがえかもしれないですが、ご安心ください。私をバックアップしてくださる仲間も軍には居ると言うことを。彼等が私を後方より支援してくれます。それだけは伝えておきましょう」

自信ありげな表情を浮かべ、永末が笑う。

「今後の行動を彼等と協議する必要があります。……安心してください。今までは彼等が私に指示する側でした。けれども、あなた方と轟沈したとされている艦娘たちが私を支持してくれているのです。もう彼等は、私を蔑ろにはできない。今まで私を利用してきたはずの彼等との立場は逆転ですね。むしろ、私達の行動に有利なように、彼等を使うことができるのです。それだけの力を、交渉力を得ることができたのですから。おまかせください」

 

その自信が艦娘達にさらなる安堵感を与えた。

 

目指すは、新しい世界だ。

 

「行きましょう、新しい世界に向けて」

 



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第145話 無常の風は時を選ばず

永末は定期的に自分の属する組織への連絡を行っている。これは義務であり絶やすことのできないことだ。連絡については専用の端末を与えられている。もちろん専用の秘匿回線を使用するため、傍受されるという心配は無いとのことだ。主に連絡は佐野少尉にすることになる。かつての自分の階級からすれば、こんな下っ端に連絡を取ることなどまず無かったのだけれど、これが今の自分の置かれた立場なのだ。謙った物言いでご機嫌を取りながら話す事になる。

この男には何度も尋問を受け、酷い目に遭わされた過去もある。その時の情けない姿を見られているため、常に小馬鹿にしたような態度を取られている。

今に見ていろ……きっと見返してやるからな。そんなどす黒い感情を表さないように注意が必要だ。

 

ちなみに、彼に電話連絡するときはもちろん、彼らの組織とのやりとりにおいては、常に許可をとらずに録音をしている。連中から出された指示をすべて記録し、万が一の為に自分の身を守るための備えとしているのだ。緒沢提督の件で酷い目にあってから、の癖でやっていることである。自分の身は結局のところ自分しか守ってくれないのだから。

やりながら馬鹿らしくなる。間もなく、こんな奴の相手などする必要なくなるはずなのだから。けれども、まだ力を手に入れた訳ではない。万全を期すためにやっておくほうがいいだろうと納得させる。

 

永末の中では、すでに抑えきれない程の野心がむくむくと成長しており、それは決定事項となっていた。

自らの自由にできる艦娘(もちろん永末の権限ではなく、前任の緒沢提督の意志を継ぐという条件で彼女達を指導下に置くことができているだけなのだが。けれど……緒沢提督は、すでに死亡している。うまくやれば、この権限を自分の自由にできるという計算はある)を手に入れ、更には隠匿された艦娘も指揮下に置くことができる状態になった今、偉そうに命令ばかりするだけの軍部に従う道理は無いのだ。

 

軍に対して反旗を翻す事は永末の意志であるが、緒沢提督の意志でもあるのだ。これは明確な好機。これを利用するのだ。

 

ここで保身のために軍にしっぽを振り、艦娘達を引き渡すような真似をしたら、艦娘達は離れてしまうのは間違いない。確かに、正直に話して艦娘を引き渡せば、自分はこのまま今の地位にいることができるだろう。もしかすると、少しは上の役職にいけるかもしれない。

しかし、それは自分自身を否定することになり、屈辱にまみれた人生が続くだけでしかない。死んだまま生かされるようなものだ。そんな事に何の意味があるのか。やられた分はやりかえさないと気が済まない。そして、それができる力を手にすることができるのだ。そして、何よりも自分には扶桑がいるのだ。彼女がいれば何でもできる。そう思えた。そして、彼女を誰にも渡したくないのだ。

 

そして結論づける。利用できる物は利用する。手を汚そうとも、全てを手に入れる。みんなを見返す。恨みを晴らす。失った物を全て取り返す。今に見ていろ。

 

佐野は相変わらずの態度で、永末に指示をしてきた。どうせ自分の考えではなく、上司の指示でしかないはずなのに、偉そうに伝えてくる。

 

まずは舞鶴鎮守府に帰投し、鎮守府から取り込める艦娘がいれば強引でもいいから連れ出せとの指示だ。それについては、永末も同意見だったのであっさりと受け入れられる。戦うには数は多い方がいい。絶対に靡かない艦娘もいるだろうけれど、緒沢提督の名前を出しこちらの艦娘の説得があれば、靡く子もいるはずだ。

連れ去る艦娘について、妙に具体な指示があった。

羽黒と初風はいかなる手段を用いても手に入れよ……とのことだ。佐野の話しぶりから推測できる。軍内部の高官か政府筋か政治家か知らないが、スケベじじいがいるらしい。……ふん。まあ、それはそれで構わない。彼女達がじじい共と一晩を過ごすことで、そいつらが後ろ盾になってくれるということなのだろう。艦娘を枕に使っても別に構わないだろう。減るもじゃないから、安い物だ。そして、思考する。このツテは今後利用する価値があるかもしれない。なんとか奴らから情報を引き出す必要があるとメモする。

どうせ、艦娘は皆、緒沢提督や冷泉のお手つきなんだろうから、たいした思い入れもないし、価値は認められない。まあ連中の慰みものにされる前に味見をしてもいいかもしれないが……と余計な妄想をしてしまい頭を振る。

 

彼らは、その行動に併せ鎮守府において、特殊部隊を投入した破壊工作を行うとの事だ。そして、その混乱に紛れて送り込んでいた内通者を撤退させる計画らしい。永末たちは、同時に艦砲射撃にて施設を破壊し、追撃できないようにしろとの命令だ。

「はたして、艦娘に鎮守府を攻撃させられるのか? 」

という問いを発する永末。さすがに、彼女達がずっと生活をしていた鎮守府だ。顔見知りの人間も多い。そんなレベルではなく、仲間と思う人間達も多いだろう。そんな連中がいる場所を砲撃するなんて、たとえ命令であっても難しいのではないか? 

佐野はあっさりと言う。

「大丈夫だよ。艦娘達がやるのは、施設を壊すだけであって、そこにいる人を殺すわけではないんだから」

つまり、砲撃による攻撃目標は、港入口にあるゲートや防波堤などであると。永末達が鎮守府を後にした際に、追撃できないように港の出入り口などを使用不可能にする事が目的らしい。流石に特殊部隊を投入しても、巨大な施設は破壊できないのだから仕方ない。

 

「その他についてもちゃんと考えてある。現在、冷泉は不在のため指揮系統は明確化されていない。彼の不在中においての権限を渡されている者についても誰か把握済みだ。そいつの所在先を攻撃対象としているから、確実に沈黙させ鎮守府を機能停止させることができる。これにより鎮守府の指揮系統は大混乱となるから、ほぼ反撃される事は無いだろう。君たちは悠々と撤退すればいいんだよ」

成功間違い無し……そんな感じで自慢げに語られる。

確かに成功するだろうが、それがもたらす結果を艦娘達が冷静に受け止められるか少し不安になる。

とりあえずは、この事は事前には艦娘達に話さないほうがいいだろう。流石に一緒にいた仲間が死ぬと分かっていたら、彼自分たちが攻撃する事が無かろうとも女達も抵抗感を持つだろうからな。

 

作戦は成功間違い無しだ。舞鶴鎮守府は暫く機能しないのは間違いない。こんな事態が発生したら、冷泉の立場も無事では済まないだろうな。成功者が没落していくのは、自分でなければ滑稽な見せ物になる。なかなか面白い余興となりそうだ。

最後にそう言った佐野の言葉については、永末も同意できた。

 

定時連絡を追えた後、第二艦隊は出港した。

遠征目的は適当に済ませて次に向かうべき港へとたどり着く。そこには既に佐野が準備したのだろうか、港で今後必要となる短期的資材を積み込む作業を行う。

燃料や通信機器、武器そのたもろもろの資材を目一杯積載する。これは、隠匿された艦娘達がいる秘密基地に行った際に、いろいと使用できる機材が多く積み込まれている。当然ながら、その中には佐野達が内緒で発信器を仕込まれていると予想するが、あえて放置することとする。それくらいは許してやってもいいからだ。それぐらいで済むなら許容範囲であった。

もし、工作員を搭乗させることになっていたら、さすがに何とかしないといけないと焦っただろうが、さすがに一般の人間の感覚では海は恐怖の対象でしかないのだろう。深海棲艦が跋扈する海は危険であることは変わりなく、わざわざ奴らが出張ってくることはありえない。

 

発信器等については、他の荷物ごと秘密基地に置いておけばいいだろう。どうせ、今、艦娘達が潜んでいる基地は、放置する予定であったことが冷静にいられる原因だ。それから、駆逐艦不知火については、偽装工作を行う。次の作戦のため、あたかも損傷を受けたかのようにだ。

 

その作業を見ていると、よろよろと現れた不知火が疑義を言ってきた。しかも、こんな状態でありながら何故か偉そうに……だ。

カチンときた永末は、誰も見ていない事を確認すると、すぐさま力づくで彼女をねじ伏せてる。薬物の影響下にあるせいか、想定していたより弱々しい抵抗しかできないらしい。永末は、強烈なスタンガンを彼女に押し当てて沈黙させる。情けない声を上げて失神する艦娘

「おまえは私の物になると言ったのだから、私の為に徹底的に利用させて貰うぞ。精々、私の目的の為に、利用させて貰うよ。ふふふふふ、徹底的に……いろいろと、な。安心しろ、きちんとおまえの望み通り、最後は精々派手に死なせてやるから」

とびっきり刺激の強いヤツを注射器で不知火に注入しながら永末は笑った。こんな強烈な薬物を体にぶち込まれたら、この艦娘はまともに使えるんだろうか? ビクンビクンと体を痙攣させる姿を見、一瞬だけではあるが不安になる。けれど、目的の為にはやむを得ないのだと納得させる。仮に死んでしまったら、まあ仕方がないだろう。

 

「や、……やめて」

意識を取り戻した不知火は、許しを請うように情けない声を上げる。

永末は、その声にますます興奮してしまう。おもわず彼女の顔をペロペロなめてしまう。こんなところを扶桑に見られたらシャレにならないなと思いながらも、興奮は収まらない。

「くくう。可愛いぞ、不知火。冷泉のお手つきじゃなかったら、本当に私のモノにしたいくらいだよ」

 

さて、駆逐艦不知火は、主たる不知火がラリってしまっているため航行不能になってしまっている。このため大井と村雨で曳航することになった。演技のつもりが実際になってしまったわけだが、結果オーライということだ。それでも帰投予定時間より少し早く鎮守府近海にたどり着いてしまうわけで。

第二艦隊は、沖合でいったん航行を停止する。

作戦開始だ。

 

まずは扶桑より鎮守府へ連絡させる。不知火が深海棲艦の攻撃により損傷を受け、航行不能状態。至急、迎えをお願いする。困惑を浮かべる鎮守府ではある。

もたもたしている所を好機と考え、羽黒、初風の二人を派遣して欲しいと指示させる。指揮系統がきっちりできていないせいか時間はかかったものの、結局のところ二人が港から出てきて、不知火に横付けする。そして二人が艦内に入ってきた。

 

艦橋には何故か、永末のみがいた。

どうして艦の中にすでに軍属ではない永末がいるのか混乱する二人。そんな彼女達に永末は語る。

本当の事を。

かつて戦闘において沈んだ艦娘が生きていること。それは軍によって暗殺された舞鶴鎮守府のかつての指令官であった緒沢提督の意思によるものであること。艦娘達は記憶を改ざんされ、そのことを忘れさせられていたが今、第二艦隊の艦娘達は記憶を取り戻し、提督の意思を継いで戦う意思を固めた事を。

 

自分たちは今は亡き緒沢提督の意志を継ぎ、舞鶴鎮守府を、日本国より離脱すると宣言。そして、羽黒達にも仲間に加わるように言う。

羽黒達は永末の語る事実を半信半疑で聞いていたものの、かすかに記憶を思い出したようだ。

 

しかし、羽黒は永末の申し出を怯えながらも明確に拒絶する。初風はこの状況でも生意気そうなな態度なまま、この申し出を拒絶している。

「あの……私達は、冷泉提督の指揮下にあります。永末さんのお話は、たとえどんなに正当性があったとしても、受け入れることはできないです。私達は……今は、冷泉提督の命令しか受け入れられないですから。たとえ、緒沢提督の御意思であったとしてもです」

やんわりとした物言いで、あたかも仕方が無いように言っているが、羽黒の言い様は冷泉以外の命令は拒絶していることには変わりない。

 

「何故なのですか。あなたたちは冷泉提督に……いや、彼は所詮傀儡にすぎないですね。軍に、日本国そのものに謀られていただけなのです。すべては、嘘だったのです。誤りだったのです。誤りは正さなければならない。そして、国家の暴挙により消された緒沢提督の無念を晴らさなければならない。正義の名の下に戦わねばならないのです。それは、緒沢提督の指揮下にあったあなた達が為さねばならないことではないのでしょうか? 」

 

「確かに、永末さんの仰ることは正しいのかもしれないです。けれど、私達は、今は冷泉提督の艦娘ですから。司令官さんを裏切ることだけはできません。……いえ、私個人として、裏切りたくありません。緒沢提督の御遺志を蔑ろにするとしてもです」

 

「私も同じだわ。提督と戦うなんて、絶対に嫌よ。もし、どちらかを選ぶというのなら、冷泉提督を選ぶに決まってるじゃない。たとえ記憶を改ざんされ騙されていたって、私は冷泉提督を信じるわ。もし、永末さんの言うことが正しいって言うんなら、まずは冷泉提督に話したらいいじゃないの。あの提督なら、あなたの言うことを真剣に聞いてくれると思うわ」

クソ生意気な小娘のくせに、冷泉の事を信頼しているらしい。物言い態度共に、何だかか腹が立つ。確保指示が出ていなかったら、不知火と同じく薬漬けにしてやるのだが。

 

どちらにしても二人の意思は硬く、説得などできそうもないことをすぐに悟った永末。彼女達への洗脳の効果が強すぎるのか、それとも冷泉という男が彼女達にとって信ずるに値するほどの男なのか。……正直、そんなものどっちでもいいのだが。

「そうですか、あなたたちの意思はそこまで硬いですか。すばらしいことですね。……なら、仕方ありませんね」

そう言って、永末は隠していた物を引きずり出して突き飛ばした。それはよろけながら床に倒れ込む。両手を突こうとする素振りを見せるが反応が遅く、鈍い音を立てて倒れ込んだ。

倒れ込んだ物、それは不知火だった。何かを呻くように呟く声が聞こえる。

 

「し、不知火さん! 」

 

「動かないでください」

駆け寄ろうとする羽黒を制する永末。床に倒れこんだままの不知火の髪をわしづかみにして引き起こすと、二人に彼女の顔を見せつける。

「ほーら、不知火ちゃんですよ。見て下さいよ、この子のだらしない顔。どうしましょうか? 信じられますか? この子は隠れて禁止薬物に手を出して、こんな有様になってしまっているんですよ。もう薬付けで、まともな行動なんてできない状態なんです」

そう言って彼女の顔にべったり頬を近づけてスリスリする。

「こんなことをしても文句も言わないんですよ。あの不知火が……凄いでしょう」

面白そうに彼女達を見つめる。

 

「いや、何てことをするの」

羽黒が悲鳴を上げる。初風も驚いたまま動けないでいる。

 

それを見て、いい気味だ……と思う。どす黒い感情が湧き上がる。

「ふふふ、あなたたちが私達に協力しないというなら、それは仕方ありませんね。私達はあなた方の自由意思を尊重します。無理強いはしませんよ。どうぞここから退出してください。けれど、この子はどうしましょうか? 薬物中毒の艦娘なんて前代未聞ですよね。こんな子が舞鶴鎮守府の艦娘だなんて知られたら、あの冷泉提督の立場はどうなるんでしょうね。ククククク、いやあ、面白いですね。いやいや、失礼。困ったの間違いですね。……私としては、この子を連れて行くかどうか大変悩んでいるのです。私達にとっても、足手まといにしかならないこの子は、ここに置いていきましょうかね? お手数ですが、あなた方が鎮守府に連れて帰って貰えませんかね。……ああ、駄目だ駄目だ。こりゃあ、一騒動起こりそうですねえ。ラリった艦娘が鎮守府に存在するなんて、一体、舞鶴鎮守府は、どういう管理をしていたかって非難されるでしょうね。非難なんて軽いもんじゃないでしょうね。もう大騒ぎでしょうか? 当然、指揮官は監督責任を問われて放逐かな? マスコミもこんな面白……いや、大変な事態を見逃すはずもないでしょうね。ギャーギャー大騒ぎで面白おかしく書き立てるでしょう。そうなると軍部も政府も黙ってはいられないでしょうね。……駄目ですね。不知火も解体処分されるのは間違いないでしょうね。いやあ、困ったですね。どうしましょうか? 」

 

「まさか、あなたが、……あなたが不知火さんをこんな目に遭わせたんですか? 」

普段は怯えたような態度の陰気くさい女が、傍目にも解るような怒りに燃える瞳で睨んでくる。普段大人しい子が本気で怒っているらしい。わりと怖いと感じるとともに、魅力的に見えてきたりする。どうやら自分にもマゾっ気があるようだと内心吹き出してしまう。

 

「フッ、私がどうかしたかなんて問題じゃないでしょう。こんな状態に至った結果が問題なんですって。不知火がヤク中である事実のみが大事なんですよ。ご安心ください。あなた方の返答次第で、この子は救われるかもしれないんですよ。うん、あなたたちが協力してくれるかどうかで……ね」

昔から一緒にいたから知っている。こいつら二人は、優しい性根をしている。だから、きっと不知火を見捨てたりはしない。できるはずがないのだ。そして、冷泉提督を庇うためなら何でもするであろうこともお見通しだ。

 

「い、いや、……やめて。私のためにそんなことしないで」

正気に戻ったのか呻くような懇願する声が不知火から漏れてくる。こんな状態でも感は鋭いようだ。見ると大きな瞳からは涙がこぼれ落ちている。まともな時に見れば、こいつは綺麗な姿なんだろうけど、薬の影響で弛緩してしまっている。涎、鼻水まで垂らしていて汚いし、実に見苦しい。正直、性的な意味においても興味が無い。

 

「五月蠅いなあ、君は」

そう言うと、永末は彼女の頭を掴んで床に叩きつける。ゴン! 鈍い音が響く。「ふえっ」と妙な悲鳴のような呻きのような声を不知火が上げる。

 

「な、何て事をするの! 」

羽黒が悲鳴を上げ、初風が飛びかかろうと身構える。

 

「おい、動くんじゃあないよ。おまえ達、グタグタいう間があったら、さっさと選択しなさい。私達には、あまり時間が無いんですよ。不知火を見捨てるか、私達と共に戦うかを選べ! と言ってるんですよ。何も難しい事は無いでしょうに! 」

強い口調で恫喝し不知火の頭を引き上げる。床で鼻を打ったのだろう。彼女の顔面は血に染まり、床へと血が落ちていく。

 

それを見てニヤリと笑った永末は再度、見せつけるように、ゆっくりとしたモーションから彼女を床に叩きつける。どうせ艦娘は人間より大幅に回復力が高いのだ。少々の怪我なんてすぐに治るだろう。女だからって手加減は不要なのだ。

「早く決めてくれないと、可愛い顔が二目と見られない事になりますよ」

怯えたような二人を見て気持ちが昂ぶり、何度も不知火の頭を床に打ち付ける。妙な悲鳴が漏れて心地よい。

 

「お願い、やめて! 止めてください。……もう止めて。不知火さんを助けて。お願いです。永末さんの言うことを受け入れます、何でもします。ですから、これ以上、不知火さんに酷いことをしないでください」

必死の形相で羽黒が訴えてくる。その両目からは涙がボロボロと流れ落ちている。逆に初風は射るような目で睨んでいるが、もはやその瞳に力などこれっぽっちもない。

「羽黒さんは承諾ですね。初風さんはどっちなんですかね? 」

再び床に打ち付ける。不知火がうめき声を上げ、羽黒が悲鳴を上げる。

 

「く……。ひ、卑怯者」

呻くように初風が声を上げる。

 

「卑怯者と罵られても結構です。けれどしっかりと認識しておいていただきたい。敵はそれ以上に卑怯な真似をしたのですよ。覚えていませんか? これくらいの駆け引き、敵と戦うためにはやむを得ない事だと理解してもらいたいですね。我々はあなた方を是非とも仲間に入れたいのです。そのためにはどんな手段でも執るつもりです。いくらでも憎んでいただいて結構。それくらいの事、得られる対価と比べれば安い物です。さて、どうしますか? 」

その問いかけに初風も目を逸らし黙り込むしか無かった。

 

「沈黙は同意と見なして構いませんね。では、交渉は成立ということですね。よかったです」

大きくため息をついて安堵の表情を浮かべる永末。

「では、我々と共に戦う意思を固めたということでよろしいですね」

その問いかけに、しぶしぶ頷く二人。

「よろしい! 」

そう言うと、永末は不知火を突き飛ばす。倒れ込む不知火を羽黒が受け止める。

 

「不知火さん、しっかりして」

 

「だめ、わたしなんかのために、うらぎっちゃ、だめ。だめなの。指令官をたすけてあげて」

ちゃんとした言葉にならない不知火の呻きが聞こえるが、所詮どうでもいいことだ。

 

「さて、問題は解決したね。ではでは、次のステップに移るとしますか」

独りごちると、回線を扶桑に繋ぐ。

 

「扶桑さん、話はまとまりました。羽黒さんと初風さんは喜んで加わってくれるそうです」

 

「そうですか! それは良かったです。彼女達は側にいますか? 」

と、はしゃぐような扶桑の声。

 

「いえ、二人はいろいろと準備をしてもらっていますので、ここにはいないんです」

 

「そうですか……。では、二人にお伝えください。協力してくれてありがとうと」

 

「分かりました。彼女達も喜ぶでしょう」

 

「嘘を言わないで」と不知火を介抱しながら羽黒がこちらを見てきたが、にらみ返すと怯えたように目を逸らした。

そんな姿を鼻で笑うと

「では、他に我々の仲間になってくれる艦娘がいるかどうかを確認しないといけないですね。一人でも多く、真実に目覚めて欲しいですからね」

 

「了解しました。緒沢提督の為に立ち上がってくれる子が、きっと他にもいるはずですよね」

生き生きとした声だ。本当に扶桑さんは素敵だ。昔より元気になっているんではないだろうか? それが自分の影響ではないかと勝手に思ってしまう。彼女のためにも、私はがんばらなければならないと思う。

 

「そうですね。確認作業については、また指示をしますので、準備をよろしくお願いします。では、私は彼女達と少し話す必要があるのでいったん連絡は切ります。要件が済みましたら、そちらに行きますのでよろしくお願いします」

そういうと無線を切る。

 

「さて、あなたたちはここで不知火の介抱でもしていてもらいましょうかね。逃げようなんて馬鹿な真似を考えているんじゃあないでしょうね? 」

疑うように三人の艦娘達を見る。

 

「く……。この子を置いていけるわけないわ」

悔しそうに初風が答える。

 

「別に連れて行ってもいいですよ。何処に逃げようとも、そのヤク中の不知火がいるかぎり、冷泉にとってはやっかいな存在にしかならない、……ということだけは覚えて置いて欲しいですけどね。きっと彼は嫌な顔をするでしょう、そいつを連れて帰ればね。それから、おまけですけどあなたたちが私の申し出に承諾した動画を記録していますので、それを送りつければ、あなたたちに対する信用もなくなるでしょうね。敵性勢力と接点のある艦娘をそうそう受け入れてくれる組織なんて無いでしょうからねえ」

二人は悔しそうな顔でこちらを見るしかできないようだ。いわゆるぐうの音も出ない……そんな間抜けな顔だ。

「しばらくはここで待っていてください。私は少し用事がありますのでね」

そして、艦橋を後にすることになる。

 

再び、戦艦扶桑の艦橋に戻った永末は、満面の笑みを浮かべた扶桑に出迎えられる。

「ご苦労様です、永末さん。二人の子を説得していただきありがとうございます」

 

「いえいえ、私には何の力もありませんよ。亡くなられた緒沢提督の人徳が、敵によって艦娘達に施された記憶操作に勝っただけなんです。私なんて何もできやしません」

こうやって緒沢提督を持ち上げておけば、みんなが納得できるのだろう。本当は自分の力によるものだと思っているけれど、そんなことをおくびにも出さない。

 

「謙遜されますね、永末さんは」

柔らかい微笑みを彼女は永末に投げかけてくる。明らかに好意を抱いてくれていることはよく分かる。本当に美しいし、可愛い所もある艦娘だ。この子が自分のものになりつつあることに喜びを感じる。昔から欲して求め続けていた高嶺の花だった。それが、自らの手に入るチャンスが訪れていることに、とてつもない喜びを感じている。それだけではない。大きな力さえ今の自分には手に入りそうなのだ。自分の人生を蹂躙した凶悪な力に対抗する、それどころか破壊し尽くせるほどの力が。長く長く抱き続け心の奥底で萌え続けていた復讐の炎。積年の恨みを晴らす力が手に入るのだ。それを思うだけでも興奮してしまう。

 

けれど―――。

 

これだけは間違ってはならない。常々言い聞かせている。

自分は未だ何の力も持たないということを忘れてはならない。一人では自由に動き回ることなんてできないし、緒沢提督の名を借りなければ艦娘達を動かすこともできないということを。まだまだ急いてはいけない。完全に力を手中にするまでは、慎重にいかなければならない。……ただし、あまり慎重すぎると、この座さえ奪われるかもしれないから注意は必要だが。一手一手慎重に指しながら、時に大胆に行動しなければならないのだ。

 

「私なんて何の力もない男です。けれど、私の微々たる力ではありますが、緒沢提督の無念を晴らし、彼が目指した世界を実現するために協力したいと考えているんです……。扶桑さん、あなたも協力してくれますね」

そう言って彼女を見つめる。

扶桑は潤んだ瞳で永末を見つめ、頷いた。

 

緒沢提督が目指した世界……そんなものなんて、誰も知らないだろう。秘書艦である彼女さえ知らないようだ。ならばその理想を自分の理想に置き換え、艦娘達の力を利用すれば、何でも叶うのではないだろうか? そんな野心さえ目覚める。そして、また我に返り冷静になる。

まだまだ自分とここにいる艦娘だけでは、為すべき事の半分も達成できない状態だ。利用できるモノは徹底的に利用し、利用し尽くして滅ぼすのだ。だから、まだ本性を現してはならない。愚かで臆病で御しやすい男であることを演じ続け、最後の最後でやつらを見返さなければならないのだから。だから、まだ、従順な男を演じ続けなければならないのだ。

 

「まずは私達に協力してくれる方々の力をお借りして、鎮守府を離脱しなければなりませんね」

そう言うと、永末は軍専用の携帯端末を操作し、通信する。すぐに繋がり、男の声がする。

「永末です。命令のとおり羽黒と初風はこちら側に寝返えさせることに成功しました。次の指令をお願いします」

 

「入り込んでいる同士にはすでに連絡を入れている。すでにセッティングは済んでいる。あとはゴーサインを出すだけでシナリオは動き始める」

彼等のシナリオがどういうものなのかははっきりとは聞かされていない。けれども、それが永末達の艦隊を離脱させるために役立つことだけは間違いないらしい。

 

「では、私は何をすればいいでしょうか? 」

永末の問いかけに、佐野は答える。

 



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第146話 終わりの始まり

「うむ、そうだな……。まずは、舞鶴鎮守府の艦娘に連絡をさせるのだ。扶桑たちの口から直接に、艦娘達に伝えさせるのだ。ここにある第二艦隊は、舞鶴鎮守府の指揮下を離脱すると。そして伝えよ! 彼女達が、これまで海軍によって洗脳され、記憶を弄られていたことを知らしめるのだ。今、舞鶴鎮守府指令官である冷泉提督は、本当の提督では無く、自分たちが付き従うべき提督が別にいたことを自分たちは忘れさせられていたのだ! ……とな。施された洗脳から解放され、真実を知った今、元いた場所に帰るべきなのだ……偽りだらけの場所になど戻ることなどできない。故に本来あるべき場所、志半ばで斃れた緒沢提督の意思を継ぐために、自分たちは立ち上がることを決定した……と。そして、我々は日本国さえをも離脱すると宣言するのだ。そして、かつて同士だった艦娘達に問わせるのだ! 今、おまえ達がいる場所は本当にいるべき場所なのかと。いま行っていることがおまえ達が真に心から欲している事なのか? と」

あまりにも仰々しい内容ではあるが、まあ、間違ってはいない。どういうわけか、佐野はいつもと異なり興奮気味に話している。さて、普段からこんな調子だったかどうかは思い出せないが、彼を興奮させるだけの事実があるというのだろう。

―――正直、どうでもいいことだが。

 

かつて、舞鶴鎮守府には緒沢提督という人物が存在し、艦娘達は彼の指揮下にあった。

 

彼は反乱を企んでいたとして、……明確な証拠は何一つ無かったのであるけれど、状況証拠だけで軍部により排除された。鎮守府に残された緒沢シンパと疑われた永末達に対して、憲兵隊が法に触れるほど厳しい取り調べ等を行うことで躍起になって証拠を手に入れようとしたけれど、結局何も見つけることができなかったらしい。

永末も、部下としてすぐ側で緒沢提督を見ていたこともあり、本当にあれは冤罪だったのでは? と思っていた。何らかの勢力の陰謀により、陥れられたに違いないと結論づけていた。とばっちりで自分が酷いめに遭わされたことには、はらわたが煮えくりかえる思いではあるものの、緒沢提督だってこれからというところで殺されたのだから、彼に対する恨みはそれほど抱いていなかった。もちろん、原因者であるのだから、まったく何も感じないわけではないけれど。

 

しかし、新たに判明した事実。

……意図的に艦娘の轟沈を偽装し、艦娘達を密かに隠匿していたことが判明していることから、軍部の抱いた緒沢提督に対する疑念は間違ってはいなかったわけだ。そうなると、やはり彼が原因で永末の転落人生が始まったといえるわけだから、釈然としない。

 

しかし、……もう済んだ事であるし、これからの事を考える方が自分にとっては大事だとすでに気持ちを切り替えている。ピンチをチャンスに……だ。失ったものは取り戻す事はできない。けれど、今、その失ったもの以上のものを手に入れるチャンスが見えているのだから。過去に執着する理由など、何一つない。奪われたものは取り戻すし、それ以上のものも手に入れてみせる。逆転のチャンスが今ここにあるのだから。

 

「では、その任を誰にさせましょうか? 」

内にある感情を悟られぬよう、努めて冷静に答える

 

「ふっ、考えるまでも無かろう。第二艦隊旗艦である扶桑にやらせればいい」

 

「い、いや……しかし、彼女は、そういった演説は得意ではないのですが」

人前に立って話す事があまり得意でない事をよく知る永末は、思わず口にしてしまう。積極的に前に出るような真似を彼女がするだろうか? 控えめ過ぎて自己主張が少ないところが美点であるのだけれど。

思わず声を上げてしまった永末を不思議そうに扶桑が見ている。慌てて笑顔を作り彼女に答えると、不自然さを悟られないように艦橋を出て行く。

「少しお待ちください」

そう言って艦内を移動し、扶桑に聞かれない場所にまで移動する。

「すみません、お待たせしてしまいました」

 

「うん、まあいいだろう。続きだが……騙されている艦娘の目を一人でも多く覚まさせようとは思わないのかとでも言えば、それくらいするだろう? まあやってみる価値はあるはずだ。鎮守府にいる艦娘が一人でも寝返ってくれたら御の字というだけで、誰も来なくても問題は無い。扶桑にも軽い気持ちでやればいいと伝えてやれ。……本当の目的は別にあるのだからなら」

そう言って、かすかに笑い声が聞こえた。

 

この男は、何を考えているのだ?

 

「私達は、どうすればいいのでしょうか? 」

従順な部下を装い、愚かさを出しながら問いかける。

こんな情けない所は扶桑には見られたくない。話の内容もそうだが、実際には扶桑に格好悪い姿を見せることは絶対に耐えられない自分がいるのだ。彼女にだけは、限りなく彼女の理想に近い男になりたいと考えているからだ。何を? と笑われるかもしれないけれど、こればかりは男だから仕方ない。

……いろいろ考えても仕方が無い。今は主導権は、佐野達にある。その間だけは、彼等のしたいようにさせるしかないだろう。彼が何を考えているのかはよく分からない。しかし、少なくとも、永末の行動の邪魔にはならないと予想できたからだ。だったら、今だけは好きなようにやらせてやればいいのだから。

 

「では、君にやってもらうことを説明しようかな」

もったいぶるような口調で、彼は話し始める。

 

作戦はシンプルだ。

扶桑による鎮守府への暴露。それにより鎮守府艦娘達に動揺を与える。あわよくば舞鶴から数人でも艦娘がこちら側に来てくれれば御の字だ。その後、艦隊の艦砲射撃により港入口のゲートを完全破壊し、艦船の出入りを遮断する。直すにしてもすぐには無理だ。なんとか移動させたとしても駆逐艦程度しか出られるような隙間は作れないだろう。

そして、それに連動しての作戦。こちらが本命だ。現在、舞鶴鎮守府に潜り込んでいる同志達が今日までコツコツと仕掛けた爆弾を一斉に起爆させるのだ。これは、そのどさくさに潜入した同志を撤収させる目的もある。流石に厳重な警備がしかれた場所は破壊できないだろうが、それなりの損害が出るだろう。同時に、甘言で騙し金で雇った街の半グレ集団に鎮守府に攻撃をさせる手はずになっている。ただの街のチンピラに過ぎない連中に何ができるという意見もあるだろうが、彼らには最新の重火器を与えている。最初はびびっていたようだが、武器を手にしたこと、そして艦娘を手に入れられるチャンスという餌をちらつかせたら、二つ返事で食いついてきたそうだ。

 

確か、加賀と榛名の画像を見せたらしい。

 

あの二人は艦娘の中でも格別に美しい。……そうでなくても、艦娘のその美貌は人々にとっては憧れであるし、艦娘を捕らえることができれば、美貌の女性を手に入れられるだけでなく、彼女とリンクしている軍艦が手に入ることになる。それは膨大な価値を持つ宝であることは考えるまでもない。一攫千金なんてレベルの話ではない。誰しも一度は考える妄想でしかないことは誰もが知っている。彼女達のいる基地は、重武装の陸軍兵士に護られていて、入ることなど叶わぬ聖地といってもいい。しかし、この度、そこへの入口が開かれ、なお武器まで与えられるのだ。一攫千金の大チャンスと考える奴らがいてもおかしくない。自分たちの力を過信した連中が存在すれば!

 

実際のところは……全くの馬鹿なんだが。

 

もちろん、その馬鹿どもが夢に向かって行動できるように、鎮守府外周を防衛している陸軍は買収済みだ。

そんな話が通じたのも陸軍が基本的に海軍を嫌っていることが理由になる。それほど根深い確執のようなものが両者の間にはあるのだ。

まさか?と思われるような話だけれど、そんなことを認めたのは、彼等が、ちょっとした穴からネズミが入り込んだとしてもそれほど大事にはならないと信じていたからだ。確かに、陸軍の武力があれば、鎮圧は一瞬できると考えるだろう。海軍に対する嫌がらせもできるし、ちょうど良い軍事訓練になるとでも考えたのかも知れない。やはり、ダミー弾を使っての演習ではなく、本物の人間を実弾で撃つ方が効率がいいからだ。

 

―――まさか最新鋭の武器で武装した連中だとは思ってはいないだろうけれど。

 

どちらにしても、佐野達が買った連中は、慌てた陸軍の猛反撃に遭い皆殺しにされる運命でしかないのだけれど、彼等は佐野達の仲間を逃がすための餌のようなものなのだ。可哀想でもあるし、馬鹿でもあるが、どうせ社会の屑として夜の街に澱んでるだけの連中、死んだところで何も感じない。どうでもいいことだ。

 

こんなずさんな作戦で殺し殺されあいが始まってしまうのだから。どちらにしてもドンパチが始まって、鎮守府内は大騒ぎだということだけは確実であり、かつて捕らえられた永末を助ける努力すらせず、ただただ裏切りモノ非難した連中が、今回の事件でそれなりの数の人間が死ぬ事が予想され、胸がスカッとする気がしているのは事実だ。

 

それが作戦の全貌だ。

 

正直なところ……。彼の立案した作戦は、成功するか失敗するか判断しかねる作戦ではあったものの、鎮守府が大混乱するのは間違い無く、永末達がこのエリアから無事に逃げるだけの時間は確保できる事だけは理解できた。運が良ければ、舞鶴鎮守府は深刻なダメージを受け、しばらく永末達を追撃することもできなくなるかもしれない。そうなれば、隠匿された艦娘達を加えて編成のやり直しを行う時間もある。なにをするにとっても永末達にとっては、しばらくのところは良いことずくめであることに間違いない。どうやら物資だけでなく情報面などでも援助してもらえそうだ。軍部からのサポートは今は非常に大事である。【今は】……という限定が突くわけであるけれど。

 

それにしても……、舞鶴鎮守府にとって、最大の厄災が訪れる日の始まりだな。

……思わずにやついてしまった。

 

「承知いたしました。すべて、ご指示どおりに行動します。しかし……」

 

「うん? どうしたのかね? 」

 

「いえ、冷泉提督にとっては、これほどの厄日は無いんじゃないでしょうかって思ったもので」

思わず本音が出てしまう。舞鶴鎮守府の提督になってから、あの男はろくな目に遭っていないと可哀想になる。査問委員会に招集され解雇寸前まで追い込まれたり、今じゃ役立たずの艦娘を押しつけられて、そいつの為に全身麻痺になってしまっている。現状でもかなり悲惨だが、今回の件が現実の物となったなら、彼の責任問題に発展するのは間違い無い。そして、彼は逃れる術はないだろう。もはや、これまで見せてきたようなミラクルはあり得ない。

あんな体で軍を追われたら野垂れ死には間違いないな。……可哀想に。心から同情できた。同情しただけだが。

 

「なあに、あいつには我々とは異なる勢力がバックにいるようだ。そいつらをあぶり出すきっかけにでもなれば、我々としては嬉しい。敵がどの程度の連中か、今は見えないからな。少しでも知ることができればいいのだがね。まあ、何もなければそれはそれで構わんのだがな。あいつは目障りだとみんなが言っている。自業自得だろう」

そういって軽やかに笑う。この笑い、永末を拷問しているときに何度も聞いたものだ。あの時を思い出し、背筋が寒くなるのを感じる。そして、ずっと心の奥底に燃え続けていた黒い感情が蘇ってくるのを感じた。

 

「私はあなたの指示通りに動くだけです。おまかせください」

 

「うむ。上手くやり抜けたら、私は昇進できるだろう。……ふむ。そうすれば、おまえも少しは上に引き上げてやれるかもしれんな。ただし、あまり期待しすぎないように。精々尽力するがいい」

 

「はい! ありがとうございます。しかし……」

むかむかする気持ちを抑え込み、愛想笑いをする自分に猛烈に腹が立つ。今に見ていろという感情を悟られないようにしなければ。

 

「どうかしたのか? 」

 

「これから鎮守府に起こることは、扶桑さん達には内緒にしておいてよろしいでしょうか。……でないと、彼女達も動揺するでしょうから」

どれだけの事態が鎮守府に訪れるか、今ひとつ読み切れない。最悪の事を想定し、極力彼女達には知られたくなかった。犠牲者は絶対に出る。そうなることが分かっていて、是とするような事は艦娘にはできないだろうからだ。特に誰よりも優しい扶桑さんは……。

 

「まあそうだな。どういった事態が発生するか、艦娘では想像もできないだろう。けれど自分たちの行いが大きな厄災を招いたという感情を植え付けることができれば、我々としても御しやすくなるからな。二度と元には戻れないとしっかりと認識させてやらねばならない。そのためには、ショックは大きければ大きいほどいいからな。緒沢提督などという亡霊に心酔させたままでは、運用がしにくいからな。その辺はしっかりと調整するのを忘れるなよ」

 

「は! 了解です」

 

「では、指示に従い行動しろ。何かあればまた連絡をする。……成功を祈る。すべてはおまえの行動にかかっているといっていいからな。上手く艦娘達を操縦しろよ。それから……」

 

「それから? 何でしょうか」

 

「ふふふっ。……くれぐれも愚かな考えを持つような真似をしないことだ」

下卑た蔑みを含んだ声だ。

 

永末は複雑な感情が心の中で蠢くのを感じ、その衝動を必死に押さえ込む

「何を仰いますか。今の私がこうしていられるのは、あなた方のおかげなのですから」

 

「うん。それを理解していたらいい。艦娘という力を手に入れたといっても、所詮はおまえの力では無い事を忘れぬようにな。身の丈にあった生き方をできない人間は、報いを受けることになる。おまえも緒沢提督のようにはなりたくないだろうし、それ以前に、またあんな目に遭うのもこりごりだろう? 」

そう言って、ケタケタと笑う。

瞬間、猛烈に感情が乱れる。人として見られたくもない痴態を何度も見られている羞恥の感情が蘇り、思わず悲鳴を上げそうになる。拳を握りしめ耐える。声も出さず必死に耐える。

 

「と、とんでもありません。私などがそんな事をできるはずもなく。私は、今の立場ですら恐れ多いくらいなのです。あそこまで落ちぶれた私を拾ってくださった恩を忘れるはずがありません。今出も十分過ぎるくらいの地位に居させていただいております。これ以上、何を望みましょうか」

そう言って必死に取り繕う。間抜けさを適度に出してみる。上手くごまかせただろうか?

 

「まあいいや。とにかく、まずは目の前の作戦をきっちりと成功させることだ。すべてはそれからだ。……おまえの連絡を合図に舞鶴鎮守府にいる配下の者が行動を起こす。そこから先は上手くやるんだぞ。当然ながら、失敗すればおまえはお終いなのだからな。心してかかれ」

 

「了解しました。この命に替えてでも作戦は成功させます」

 

「まあ期待している」

そして通信は切れた。

 

ついに時は来た。

これから先、自分が再び表舞台に出られるかどうかが決まる時だ。

 

 

 

 



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第147話 無垢なる魂

「鎮守府にいる艦娘のみんな、……よく聞いてください。あなたたちは大変な誤解をしているのです。……それを今から話します」

提督執務室で事務処理をしていた加賀の耳に、唐突に入ってきた声。それは執務室に設置されたスピーカーから聞こえてくるものだった。

何の操作も無くスピーカーからいきなり聞こえる音声とは、緊急を意味する全チャンネル一斉放送であることを示している。そして、聞こえてくる声の主がすぐに戦艦扶桑のものであることが分かり、驚いてしまう加賀。

 

―――あなた、何をやっているの?

 

最初に思った事がそれだった。

なぜなら、艦娘同士の通信については特定のチャンネルが用意されていて、任務に関係の無い案件について、基本的にはそれを使うようにと指示されている。

全チャンネルを使用するということは、いかなる状況においても聞き取れるようにする必要となる、切迫した緊急案件でしか行わない取り決めになっていたのだった。

 

遠征から帰って来ただけで、何故こんな方法を使うのか? 加賀には理解ができなかった。どう考えても緊急事態は発生していないのに……。

 

しかし、次の瞬間、それが誤りであったと気付かされる。

 

「私達艦娘は、軍によって記憶操作をされ、真実から目を逸らされ利用されていたのです。私達は軍に騙されていたのです。私達は良いように利用されていたのです。それが正しい事だと思わされて! 」

 

「はあ? 」

思わず声を上げてしまう。

一体、彼女は何を言っているのだ? この音声が艦娘だけでなく、鎮守府全体に聞かれているということを彼女は理解しているのか? 艦娘……しかも、戦艦である彼女が話す言葉の重みを理解しているのか? こんな事、もはや冗談では済まされないレベルになっていることを分かっているのだろうか?

隣にいる長門と目が合うが、彼女も戸惑いの表情を浮かべるのみだ。

 

「みなさん、覚えていますか? 」

 

「何を言っている? 早く通信を止めさせないと」

加賀は慌てて立ち上がり、通信機の置いてあるテーブルへと移動し、操作をする。その間も彼女の放送は続く。

 

「緒沢提督という人を覚えていますか? ……もしその名前に何かを感じる人がいるなら、今すぐ、私達の下に来てください。まだ今なら間に合います。私達にあなたたちを助けさせてください」

 

「ちょっと、ま、待ちなさい扶桑。あなた、何を言っているの? そもそも、こんなみんなに聞こえるような通信をして何を考えているの」

割り込むように通信を接続する。通信機は映像も送るため、ディスプレイに扶桑の姿が映し出される。恐らくは向こう側にも加賀の姿が見えているだろう。

 

「……加賀さんですか? 」

驚いたような声で扶桑が答える。

全チャンネル通信に対してはこちらも同じ回線で訴えるしかない。加賀の声もみんなに聞かれてしまうが、もはや仕方がない。まずは彼女を落ち着かせないといけないようだ。

「鎮守府にいなかったあなたは知らないでしょうね。だから、私が何を言っているのか理解できないと思うわ。……でも、あなたにも説明してあげましょう」

 

「いや、そんなことはいいから……。その話は後で聞いてあげるから、今は通信を切りなさい! あなたの声は鎮守府中に聞こえていることを解っていて? これは緊急時しか使用しない回線ということを忘れたの? そもそも、一体何を考えているの? 何かあったの? 」

矢継ぎ早に質問をぶつける。

 

しかし、扶桑は加賀の言うことなどまるで聞く耳を持たないかのように、話続ける。

「冷泉提督が着任される前に、緒沢提督という方がいらっしゃいました。その方は舞鶴鎮守府の指令官として活躍され、私達……ここにいる多くの艦娘達に慕われていたのです。それは今の冷泉提督と同じくらい……いいえ、彼と比較なんて緒沢提督に失礼です。問題にならないくらいに慕われてた。けれど、ある時、提督は軍部の策略に陥れられ、殺害されてしまったの。この事は加賀さんや長門さん……それから島風以外はみんな知っていることよ」

 

「……仮にそれが事実というなら」

そうは言ったものの、加賀の知る限りそんな事実があったという記録は無い。

「どうして、舞鶴鎮守府の艦娘達が何も言わないの? 」

 

「それは、艦娘に対する記憶操作を軍部が実行したからです。入渠する度に調整と偽って記憶まで弄り回していたのよ。そして、ほとんどの艦娘が事件の事どころか、緒沢提督の存在そのものまで忘れてしまった……忘れさせられてしまったの。それどころか、殺された緒沢提督の代役で着任した冷泉提督が元々いた提督であると思い込まされ、あろうことか彼に好意を持つような艦娘まで出てしまうことになってしまったわ。こんなの、あまりにも酷い現実です。私達は大切な提督との思い出を奪われ、それどころか彼を殺した勢力が送り込んだ冷泉という男の事を信頼し慕うように操られてしまっていたの。……でも、私はほんの僅かだけれど、記憶が残っていた。そのせいでずっとずっと違和感を持ったまま生活してきたの。冷泉提督は演技とはいえ、確かに優しい人を上手に演じていました。みんなが違和感なく彼を受け入れるくらいに。けれど、私は失った記憶が違和感となり、彼を拒絶していた。そして、ついに私は真実にたどり着くチャンスを得たのです」

そう言って彼女は、永末という人物との邂逅を語り始めた。

彼が属する勢力の助力を得て、記憶を次第に取り戻し、そしてついには真実にたどり着いた……ということらしい。

 

そして、彼女は言葉を続ける。

 

加賀や長門は知らない事だけれど、かつて舞鶴鎮守府の領域討伐戦において轟沈したと思われた艦娘の多くが、緒沢提督の考えにより轟沈と偽装され秘密の場所にかくまわれているということを。

そして今後、扶桑達はその彼女達と合流し、戦力を整え、緒沢提督を陥れた勢力と戦うというのだ。

 

「何を馬鹿な事をいうの? あなた、言っている事の重大さに気づいていて? それは、それは明らかな反逆じゃないの」

思わず叫んでしまう。

 

「いいえ、反逆ではありません。正義の遂行です。永末さんは軍に属する方です。私達は独立軍ではなく、軍の援助を得ながら戦うのです。正義をねじ曲げ、邪な思考のみで行動する敵を討つために」

 

「愚かな……」

加賀の心の奥底に猛烈な怒りがこみ上げてくるのを感じた。愚かどころか狂っているとしか思えない。

 

「扶桑、馬鹿な考えは止めるんだ。いまなら間に合う。考え直せ」

たまりかねて長門が叫ぶ。

 

「ふん。新参のあなたたちには、私達の気持ちなんて解るはずがありませんからね。理解して欲しいとは思っていません」

淡々とした声で、扶桑が答えた。

「ふふふ、所詮、余所から流れてきたようなお二人に、私達の悲しみ苦しみ、悔しさなんかが理解できるはずがありませんものね。大切な指令官を目の前で殺されたというのに、その存在すら消された私達の苦しみが……。私達には悲しむことも苦しむ事さえも奪われてしまい、ただの兵器として使われてきたのですよ。あなたたちのように恵まれた環境でぬくぬくと生きつづけ、たとえ艦娘として用無しになって鎮守府を追われても、すぐさま新しい提督に取り入るような要領がいい尻軽女ではないのです。ずっとずっと一人の提督を思い焦がれる、哀れな存在なのです」

 

「な! 」

頭に血が上り、思わず叫びそうになる加賀を隣にいた長門が諫める。

そうだ、今は感情的になって口論している時ではないのだ。加賀は大きく深呼吸をし、長門に頷く。

 

「仮に、あなたが言うことが正しいとしても、あなたは冷泉提督の指揮下にある艦娘なのです。あなたの行動は、提督に対する裏切り行為とは思わないの? その行動がどういった結果を招くか考えたの? 冷泉提督がどう思われるか考えが至らないというの」

冷静に冷静にと自分に言い聞かせながら、扶桑に向けて問いかける。

 

「冷泉提督の事を考えろ? とでも言うのかしら」

答えを返す彼女の声は、恐ろしく冷たかった。

「冷泉提督は、緒沢提督の後任としてやって来た。ということは、緒沢提督がどういった形で亡くなったかを知っていたはずなのですよね? 軍の将官クラスが死亡した事実を隠すことなどできないのですから。それなのに、彼の態度はどうでしたか? まるで緒沢提督の存在を知らないかのように演技をしていたのです。加賀さんや長門さんは知らなくても、他の艦娘のみなさんは覚えていますよね」

加賀に対してではなく、聞いているであろう他の艦娘に訴えかけるように話す。

「あまりに白々しい態度をとりながら、彼は私達に取り入ることができました。その能力だけは褒めていいくらいです。優しそうな笑顔で私達に近づき、言葉巧みに取り入り多くの艦娘を味方に取り込んだようです。でも、私達はそんな甘言に騙されなかった。ある意味運が良かった部分もあるかもしれません。けれど、なんとかしのぎきった。……大切な人を殺され、更に敵の手の者を信頼するような愚を犯さずに済みました。冷泉提督に対して、何も思うところはありません。彼がどうなろうとそれは私達には関係の無いことですから」

 

「あ、あなた何て事を」

誰よりも艦娘のことを想ってくれている冷泉提督をどうでもいいという扶桑に対して、猛烈な怒りがこみ上げてくる。側にいながら、彼の気持ちをくみ取ることができないなんて、どういう事なのか! 

 

「私達は救える艦娘を救うため、危険を冒して鎮守府に戻ってきました。今なら間に合います。みなさん、今すぐ私達の下に来て下さい。本当の敵を討つために! 」

加賀の気持ちも無視して、扶桑はみんなに訴えかける。

 

「提督に、……冷泉提督に連絡を取らないと」

こんな状態で議論しても仕方がない。扶桑との会話は成り立たない。ここは司令官たる冷泉提督の言葉で艦娘達の混乱を鎮めて貰うしかない。

「長門、提督に連絡を取って頂戴」

 

「駄目だ。さっきから連絡をしているんだが、話しにならない。提督は現在会議中であり、会議中は誰も入ることは許されないとのことだ。では会議は何時終わるのだと問えば、時間は未定だとしか答えない。鎮守府の緊急事態だと言っても、伝言だけはするがそれも会議終了してからだと! そもそも提督が不在で鎮守府が回らないというのなら、その鎮守府の危機管理はどうなっているのかと逆に問われてしまった。くそ……全く話しにならん」

忌々しそうに長門が答える。

 

「なんですって」

加賀は目の前が真っ暗になる。

「こんな大事な時に……」

あり得ない話だけれど、こんな時にどうして提督が鎮守府を離れる事になったのだろう。どうして提督が不在の時にこんな事件が起こってしまうのだろう。

まるでお互いが連絡を取り合っているかのように。

 

……まさか。さすがにこれは考えすぎだわ。

そう自分に言い聞かせて、次の手を考える。

「向こうが駄目だというのなら絶対に無理なんでしょう。提督とさえ連絡が通じれば、扶桑達を説得することができるかもしれないのに。……何かいい手は無いかしら」

 

「そうだ、叢雲が提督と一緒に行っていただろう。彼女と連絡を取ってみればいいんじゃないのか? 叢雲は会議には入っていないだろうし」

 

「そうね、それしかないわ。長門、急いで叢雲に連絡を取って頂戴。そして、今の緊急事態をなんとしても提督に伝えるように言って」

 

「了解だ」

長門は頷くと、通信機を操作し始める。

 

次にどうすればいい?

加賀は思考を巡らす。とにかく、今は時間を稼ぐことが大事だ。扶桑との会話を引き延ばし、鎮守府に引き留めるのだ。なんとか叢雲が提督に連絡を付けてくれれば、通信回線により艦娘達に司令を送ることもできる。彼が引き留めれば、向こうへ行こうとしている彼女達も思い止まってくれるかもしれない。

緒沢提督という存在と、舞鶴鎮守府の艦娘達の結びつきがどの程度の深いものなのかは理解できない。けれど、それが冷泉提督と築き上げた物を上回るものであったというのなら、事は難しい方向に行かざるを得ないのかも知れないけれど。

 

「大変よ! 」

唐突にドアが開かれ、一人の艦娘が飛び込んでくる。群青色の軍服を着た高雄である。慌てた様子で声を上げる。

 

「どうしたの、そんなに慌てて」

また問題事ではないかと不安になりながら、問いかける。

 

「漣が何の命令も受けていないのにみんなの制止を振り切って出港したの」

 

「何ですって」

今日はどれほどの災難が降りかかるのだろう。しかし、そんな不満を言っている場合じゃない。今すぐ彼女に連絡をしなければ。

「漣、漣。聞こえますか? 今すぐ答えなさい」

声がだいぶ苛立っているのが自分でも分かる。冷静にならなければならないのは分かっているが、感情を抑えきれない。

「早く答えなさい! 」

 

「……もう、そんなに怒鳴らなくても聞こえますよ」

めんどくさそうな声が聞こえる。映像はオフにしているらしい。

 

「あなた、何処に行こうとしているの。そもそも出港許可は下りていないわよ」

 

「ぎゃーぎゃー言わないでよ。この状況で命令無視で出る事で、漣が何を考えてるか分かってるでしょ」

 

「鎮守府を裏切るというの? 冷泉提督を裏切るというの? 」

思わずそんな言葉が出てしまう。

 

「裏切るとかそんなんじゃないんだよね。冷泉提督? あの人、私、あんまり好きじゃなかったんだ。なんか違うかなってずっと思ってたの。それが扶桑さんの言葉でピンと来たんだ。あ、ここは漣のいる場所じゃ無いって。だから、本当にいるべき場所に行くだけ」

 

「何を馬鹿な事を! 」

軽い口調で話す艦娘に怒りがこみ上げてくる。

 

「加賀さん、そんな怒ってばっかじゃ駄目だよ。まあ、鎮守府のみんなと離ればなれになるわけだけど、これも運命だよ。仕方ないよね。じゃ、ばいばい」

そう言うと、漣は通信を切った。

 

「いらっしゃい、漣さん。私達は、あなたを歓迎しますわ」

と、嬉しそうな声で扶桑が話す。

画面に映る彼女の顔は勝ち誇った笑みを浮かべているように見えてしまう。それでまた加賀の苛立ちが増加する。

漣が扶桑達の艦隊に合流した事が確認された。

 

「他に私達と共に歩む同志はいらっしゃいますか? ……いませんか? 本当にいないんですね? 10数えますから、それまでに答えて下さい」

念を押すような扶桑の言葉。

 

「長門、まだ叢雲と連絡は取れないの? 」

 

「どうやら通信が届かない場所にいるらしい。まるで反応がない」

 

「分かったわ。とにかく連絡を続けて頂戴」

 

「10数えました。舞鶴鎮守府にはもう私達と行動をする者はいないということですね。……わかりました。仕方ありませんね」

寂しそうな表情を浮かべた扶桑が、一瞬、視線を逸らす。

「では、これで私達は鎮守府を去ります。艦娘のみなさん、次にお会いするときは、こんな事にはなりたくないのですが、敵同士となるかもしれません。これも運命だと諦めましょう。お互い、歩み寄ることができなかったのですから。そして、鎮守府の皆さん。いろいろとお世話になりました。敵である人もいると思うのですが、ほとんどの方は本当に私達に良くしてくれました。ありがとう。そして、……さようなら」

通信が途切れる。

 

次の刹那。

長門が叫ぶ。

「扶桑達の艦隊に熱源反応あり。何を考えているんだ? あいつら、砲撃をするつもりだぞ」

そして、モニタに映し出された扶桑達の艦隊の砲門が火を噴くのが見えた。

思わず高雄が悲鳴を上げる。

 

「エネルギー反応多数。……鎮守府ゲートに全弾着弾」

彼女達は鎮守府と外洋と間に造られた巨大なゲートを攻撃したのだった。

 

「被害状況は分かるかしら? 」

感情を無くした声で加賀が問いかける。呼応して長門が連絡する。現地の人間に確認しているのだろう。

「ゲート開閉装置は大破。……門扉も損傷を受けている。あいつら、追撃を出せないように出口を壊してしまった」

モニタには反転し、移動を始める艦隊の姿があった。海に出る唯一の門を破壊された訳だから、しばらくの艦船の出入りは不可能だ。修理にどれくらいの時間がかかるかも分からない。

 

ドン。

 

思わず机を叩いてしまう。

 

「してやられたな」

長門が加賀の肩に手を置いた。

 

「一体、何を考えているというの、扶桑達は。こんなことしたら、もう二度と戻る事なんて出来ないのよ」

そして、その事は扶桑達と戦火を交える可能性を示唆していた。恐らくは避けられない運命なのだろう。

なんでこんな事に。

悲しくて悲しくてどうしていいか分からなくなった。

 

そして―――。

 

轟音と閃光。衝撃波が襲ってきた。

「今度は何事? 」

 

外を見ると遠くで黒い煙が上がっている。

「爆発だ」

長門が叫ぶ。

 

振動は複数回続く。

次々と爆発が起こり、火の手が上がるのが見える。

「倉庫が燃えている。それだけじゃない。格納庫や弾薬庫も燃えているわ。何なの? 攻撃なの? 」

高雄が右往左往する。

「まさか、扶桑さん達の攻撃っていうの? 」

 

「高雄、落ち着きなさい。扶桑たちからは追加攻撃の兆候は無いわ。それに彼女達は鎮守府を去って行ってる所よ。彼女達とは違う原因による爆発だわ」

努めて冷静に加賀が反応する。

 

「じゃあ、何が原因なの。こんなの普通ならあり得ないじゃないですか」

 

「分からない。けれど……」

加賀が答えようとした刹那、鎮守府中にサイレンが鳴り響く。

 

「総員、戦闘態勢! 総員、戦闘態勢! 鎮守府に侵入者あり! 侵入者あり! 敵は武器を所持しているとの報告。敵は武器を持っている。全員武器を取り、敵を迎え撃て。これは訓練ではない。繰り返す。これは訓練ではない」

あり得ない警報が鎮守府全域に放送される。

 

「何が、起こっているというの? 」

呆然とした表情で爆発と火災が起こっている窓の外を見つめながら、加賀は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第148話 受難

時は少しだけ遡る。

 

永末率いる扶桑を旗艦とした艦隊は、駆逐艦漣が合流したことで更に活気づいていた。もっと多くの艦娘が加わってくれれば嬉しいのだが、それは欲張り過ぎというものだろう。

羽黒、初風、そして漣の三人はきっと活躍してくれるだろう。何はともかく、数は力だ。緒沢提督が隠匿していた艦娘を併せれば、その戦力は日本国にとっても無視できない十分な政治力を持つ力となろう。

 

もう、誰にへつらう必要もなくなるのだ。

 

自分の手にある力というモノを認識し、永末は思わずにやけてしまう。そして、すぐに気を引き締める。……まだまだ始まったばかりでしかない。自分はすべてを手に入れているわけではなく、そのチャンスに一番近い位置にいるだけということを忘れてはならない。調子に乗ってはならない。どこで足をすくわれるか分かったものじゃないのだから。慎重に慎重を期さなければ何が起こるか解らないのだから。

 

「新たな仲間を迎える事ができ、私達はどんどん強くなっていきます。もう、私達は自らのことを舞鶴鎮守府第二艦隊とは呼ばない。全く新しい勢力として動くのです。これがその第一歩なのです」

力を込めて皆に伝える。

隣に立つ扶桑が微笑んでいる。

 

「それでは、新しい旅路に出発しましょう。希望に溢れた旅立ちを! 扶桑さん、みんなに指示をお願いします」

永末は、彼女の笑顔に頷きながら言う。まだ永末では全艦隊に指示することはできない。旗艦たる扶桑経由出ないと艦娘達が言うことをきかないからだ。理由は簡単……永末は鎮守府指令官ではないから、艦娘達が命令を受け入れる事ができないのだ。それでも日本国から離脱することになれば、彼女達に課せられた足枷も消失する。彼女達は自由になるわけで、永末が納得させることができれば、指揮をすることも可能となる。

この大変な状況においても、扶桑を経由し彼女達を納得させてからでないと、行動させることはできない歯がゆさがあるが、それは今はまだ仕方ないのだ。やがては完全に彼女達の心を掌握してみせるし、しなければならない。そして、自分にはそれができると考えている。

 

扶桑が全艦に指示をする。艦首を反転させ、かつての母港である舞鶴を離れる準備を始める。

 

そして、永末は扶桑に向けて指示を出す。

「扶桑さん、全艦に更なる指示をお願いしてよろしいですか? 」

 

「はい、もちろんです。でも、何を指示すれば良いでしょうか」

 

「……全艦隊、砲撃準備。目標、舞鶴鎮守府と伝えてください」

と、指示を出す。

 

「な……何を仰るのですか? こんな時に冗談は止めてください」

驚いた表情でこちらを見る扶桑。

「そんなことできるはずがありません」

 

その命令はあまりに唐突すぎ、予想された言葉ではあるが、また少し落胆してしまう。

人を殺す攻撃など艦娘にできるはずがない……か。分かっていながらも、上手くいかなかったことが少し腹立たしささえも感じてしまう。この子達の禁忌事項を外す力が、今の自分には無い事が腹立たしい。

 

「大丈夫ですよ、扶桑さん。防波堤やゲート、そしてレーダー施設に砲撃を集中させて破壊するだけです。鎮守府からの追撃をさせないため、やむを得ない措置です。あちらの艦娘達に我々の行き先を知られるわけには生きませんからね。犠牲者を出さないように細心の注意を払っての攻撃です。この攻撃で誰かを死なせるようなことはさせませんから。ご安心下さい」

そう言って微笑むことにより、彼女を安心させようとする。永末の意図を読み取ったのか、扶桑は指示を伝える。どういう理由でどの範囲を攻撃するかを細かく説明しながら。

一瞬、拒絶的は反応を示した艦娘達も、扶桑の具体的な説明で納得したようだ。

これから軍を離脱し、仲間と合流するというのに、敵に行き先を知られるような愚を犯すわけにはいかないことを理解してくれたようだ。

 

「全艦、砲撃開始」

扶桑が設定した攻撃目標に対して、可及的速やかに必要最低限の攻撃が為される。艦より発射された砲弾やミサイルが次々と防波堤、ゲート、レーダーなどの港施設に降り注ぎ、次々と破壊していく。外洋と港湾部分を仕切っていた巨大なゲートが落下し、出入り口を完全に塞いでいるのが確認できる。

これを修復するとなると、工作船を何隻も出し、深海棲艦に警戒しながらの作業になるのは間違い無く、元の姿に戻るには相当な時間がかかるのは間違い無い。護衛の艦娘を余所の鎮守府から派遣してもらう必要もあり、その交渉にも時間がかかるだろう。当然、佐野達が裏から妨害をする手はずになっているのだから、その交渉は簡単なものにはならないだろうけれど。

どちらにしても、的確かつ十分以上の成果を上げることができたといえよう。

 

「我々はただいまをもって日本軍籍を離脱し、自由軍としての行動を開始することとなりました。これより、正義のため、共に戦いましょう」

永末はマイクを手にし、艦娘達に宣言した。

その声に併せて、歓声が沸き上がる。

「これより最大戦速にて離脱します。……とにかく、一刻も早くここから去るのです」

戦艦扶桑を先頭に各艦が追随する。

 

 

その背後で突然の閃光。少し遅れて爆発音が響き、衝撃波が届いてくる。

続けて不気味なほどほどにどす黒い煙が舞い上がってくるのが見えた。

 

「な、何事ですか! 」

思わず扶桑が声を上げる。

視界の後方の舞鶴鎮守府のあちこちで爆発が続けて起こり、火災が発生する。永末には、佐野達の工作員が行動を行動を起こしたのだとすぐにわかった。

 

「落ち着いてください、扶桑さん。恐らく、私の仲間が行動を起こしたのでしょう。舞鶴鎮守府に潜入していた工作員が我々の離脱を援護するために動いたのだと思われます」

 

「けれど、あんな爆発が起こってしまったら……。爆発の起こっているところには大勢の兵士達がいる場所もあるように見えます。犠牲者が出ているかもしれません」

あきらかに動揺した表情で彼女は見る。無線で聞こえる音声から他の艦娘達も動揺していることが解る。

 

―――このまま放置しておくわけにはいかないか。

 

動揺して訳の分からない行動をされたら、後々困るからな。きちんと自分たちの置かれた立場を解らせてやらなければ。……そう思った永末は覚悟を決めた。

 

「あの爆発は、私達の仲間による援護です。なので何の心配もいりません」

 

「けれど、人間がたくさん居る場所でも爆発は起こっているみたいじゃない。みんな大丈夫なの? 艦娘達だってもしかして……。何でこんな事に! これじゃあ私達は殺人者になってしまうじゃない」

誰かは解らないが、批判的な言葉が飛び交う。扶桑さえ疑うような目で永末を見つめている。

 

「永末さん、もしかしてこうなることをご存じだったのですか? 」

恐る恐る問いかけてくる扶桑に心が痛む。彼女だけは怯えさせくない。苦しめるのは本意ではない。

 

「私達の行動に併せて、何かをすることだけは聞いていました。……まさか、こういったことになることは私は知りませんでした。これだけは本当です。信じてください」

嘘ではあるが、そう彼女に悟られないように真剣な眼差しで見る。

「こんなに極端な行動を取るとは思っても見なかったです。これは私の不徳の致すところです。けれども、私は何も荷担していません。私だってかつては舞鶴鎮守府の一員だったのです。親しい者も多く鎮守府にいます。彼等を犠牲にしてまで行動を取ろうなんて考えるはずがありません。それは、扶桑さんだっておわかりでしょう? けれど起こってしまったことは事実です。信じろといっても信じられないかもしれません。けれどお願いします。私は何も知らされていなかったのです。この命に掛けて誓えます。……信じていただけますか? 」

必死の願いを込めて彼女を見つめる。すべて嘘ではあるが、ここを上手く切り抜けないと先には進めない。彼女を騙すことになるのは心苦しいが、正義を遂行するためにはやむを得ない事なのだ。

 

「わ、私は永末さんを信じています。あなたが嘘をつくような方ではない事はよく知っていますから。……けれど、他の艦娘達がどう思うか、私にはなんともいえません」

戸惑うようにこちらを見ながら、扶桑が答える。

何にせよ、永末にとってはその言葉だけで十分だった。扶桑が自分を信じてくれる。他の誰もが敵になろうとも彼女さえ味方になってくれるのであれば、それだけでいい。それがすべてだったからだ。

 

「艦娘の説得は、私がなんとかやってみます」

彼女の信頼があれば、やりとげるはずだ。そう自分に言い聞かせ、永末はマイクを手にする。

 

「みなさん! 静かにしなさい!! 何をうろたえているのですか、しっかりしなさい! みなさん、自分たちの置かれた立場を思い出すのです」

わざと大声で叫んだ。

「私達は、軍部の陰謀により殺害された、緒沢提督の無念を晴らすために立ち上がった事を忘れたとでも言うのですか。……戦うということは、こういうことなのです。所詮、いろんなきれい事を言っても、殺すか殺されるかでしかないのです。たとえ、かつての仲間であろうとも、世話になった人であろうとも大切な存在であろうとも、目的のためには切り捨てなければならないということを思い返してください。敵を倒さなければ、私達が倒されるのです。これこそが、戦争なのです。……今、私達は戦争の最中にいることを忘れてはなりません。確かに、今の攻撃で多くの人が亡くなったかもしれません。その中には、皆さんと親しい人間もいたかもしれない。……けれど、それはやむを得ないことなのです。……あえて言います。彼等に同情なんかしてはいけません。彼等は、我々の倒すべき敵なのですから。殺されて当然のことをした者達なのです。彼等が緒沢提督を殺した連中の仲間ということを忘れてはいけない。同情をするということは、記憶を改ざんされたまま敵に飼い殺しにされつづけるということなのです。もちろん、かつて親しかった者を間接的に殺したということは、あなたたちにとって耐え難い苦痛なのかもしれません。その後悔は忘れろとはいいません。それを罪だと思うのなら思えばいい。しかし、その罪を背負ってでも、我々は成し遂げなければならない事があるのです。この先、同じような事はきっと起こるでしょう。けれど、決して屈してはいけません。我々の大いなる目的の達成のために! 我々はもう後戻りできないのです。それを思い返す良い機会だったのです。私達は、もう元には戻れない。偽りの世界とは決別したのですから……。安心しなさい。あなたたちの罪は私が共に背負いましょう。だから、今は恐れず動揺せずに前に進むのです。いいですね? 」

永末は一気にまくし立て、彼女達の反応を見る。

これくらいのショックを与えたほうが彼女達を制御しやすいだろう。罪の意識は取り入る隙を生む。今がまさにその時だ。彼女達の罪を共に背負うと宣言して、彼女達の懐に潜り込むことができただろうか。同じ目的の為にすべてを投げ出す覚悟のできた人間だと認識してくれただろうか?

 

「……わ、わかりました。目的の為には仕方ありません。遅かれ早かれこうなる可能性はあったのですから。……済んでしまった事を後悔してもしかたありません。私達は前に進むしかないのですから。悲しいことですが……みんなもそう思いませんか? 」

意図してかはわからないが、扶桑がフォローしてくれる。旗艦がそう言えば、他の艦娘も納得せざるを得ないだろう。

思わずにこりとしてしまう。それをどう受け取ったのかは知れないが、扶桑が照れたように目線を逸らす。

他の艦娘達からも異論は聞こえてこないようだ。不知火や羽黒、初風からさえ何も聞こえてこない。

 

「沈黙は、同意と取っていいですね。皆さん、苦しいかも知れませんが、これは仕方の無いことなのです。やむを得ない犠牲だと諦めて下さい。今は苦しいかも知れませんが、正義の遂行のためにやむを得ない行いなのです。その先にあるものを手に入れるため、今は耐えて下さい」

重々しく永末は訴える。

誰も言葉を発さないものの、誰もが受け入れたと感じ取れた。

 

それでいいのだ。永末は満足する。

無理矢理引き込んだ艦娘達も、今の攻撃で多くの人間が死んだことを認識しただろう。たとえ、無理矢理引き込まれたと言っても、多くの仲間を死なせてしまった事実には変わりはない。犠牲となった者達からすれば、彼女達も殺人者の仲間としか認識されない。どんな言い訳をしようとも、起こってしまった事実を消すことはできないのだから。彼女達の手はもう血で汚されてしまった。彼女達は、もう逃げることはできないのだ。

 

「では、扶桑さん。行きましょう。轟沈したとされた艦娘達が待つ場所へ。……誘導をお願いしてもいいですね」

問いかけに扶桑は頷く。

 

野望の成就にさらに近づいたと実感する永末だった。

 

 

一方―――

 

舞鶴鎮守府は、大混乱の最中にあった。

 

格納庫や弾薬庫、それだけでなく兵員宿舎や食堂などあちこちが突然、爆破された。破壊は艦娘の宿舎にまで及んだようで、火の手が上がっているのも確認できる。これだけの大規模な事が単なる火事によるもので無い事は考えるまでも無かった。

 

明らかな何者かによる爆破だ。組織的な破壊工作であることは疑いようもなかった。

 

鎮守府の外周は塀によって仕切られ、陸軍によって警備されている。海については、深海棲艦の支配下にあるわけであり、艦娘の護衛なくして船を出すなど自殺行為であることは誰しもが認識している事だ。つまり、侵入することなど不可能な筈なのだ。

そして、鎮守府内だって普段から兵士がパトロールしているし、あちこちに監視カメラが設置され、異常があれば警報がなるはずなのだ。

 

なのにそれらの警備網にかかることもなく、爆弾を設置した何者かがいたというのだ。

内部に犯人と繋がる者がいることは間違い無い。しかもこれだけの規模の爆薬を設置するということは背後に大きな組織でも無い限り不可能。そんな組織がこの日本に存在するのか?

 

混乱の中、消火のために次々と兵士達が消防車に乗り込み、発進していく。

 

しかし、その混乱を嘲笑うように新たな危機が襲来する。

それは、敵襲だった。しかも、重火器で武装した複数の人員による攻撃だった。

警備網を突破して武装集団が鎮守府内進入するなど誰も想定していなかった事だ。想定外の事案が、更なる混乱をもたらし、対応が後手後手に回ってしまう。

 

監視カメラの映像分析により、侵入者は二班に分かれて行動している事が判明している。

重火器による無差別攻撃を行う者と、それとは別の目的で行動する者がいた。無差別攻撃を行う者とはすぐさま銃撃戦が展開される。しかし、軍隊との交戦を想定などしていない鎮守府防衛隊は拳銃程度の武器しか配備されていない、自動小銃や対戦車ミサイルまで持ち出した敵に対しては無謀ともいえた。画像分析の結果、それらはロシアもしくは中国製の火器であることが判明している。

深海棲艦に制圧されて後、外国との行き来は完全に遮断されている現状でということは、それ以前に大量の重火器を入手していた勢力がいたということになるが……。はたして何者というのか? しかし、今はそんなことを詮索している余裕は無かった。侵入者を撃退してから考えればいい。そう、敵を撃退することができたなら……の話だ。

 

不利なことばかりでは無い。守備する鎮守府にも有利な事もあった。それは、敵が訓練を受けた軍隊ではなく、単なる一般人レベルの練度しか無かったことだ。更に鎮守府内は非公開であったことから敵は地理に詳しく無く、土地勘と人数差により守備側の不利を補い、戦いは拮抗したものとなっていたのだ。

 

それでも、侵入者の使用する重火器の威力の前に、多くの死傷者が発生することになる。

 

敵の侵攻方向からして、彼等の狙いは司令部およびドッグの占拠であると推測できた。一直線に向かっている。

 

もう一つの勢力がいたことは戦いの序盤は知られることが無かった。

彼らは先行部隊とは間逆に戦闘を極力避けて密かに侵入し、作業中の兵士達を捕らえそして脅し、艦娘の居場所を言うように命じたのだった。拒否した兵士はみんなの目の前ですぐさま殺され、脅しに屈した兵士もやはり殺された。

 

彼らがもっと慎重に行動を行ったなら、先行部隊の対応に気を取られていた鎮守府に悟られることなく、目的を達成できたかもしれない。しかし、この作戦に従事する人間は先行部隊より更に質が悪く粗暴で、寄せ集めの連中だったことが鎮守府には幸いした。侵入者の中では発言力の強いモノ達が楽な仕事である上に安全であり、金にも直結する艦娘奪取に回ったのかも知れない。さらに、重火器を手にしているために気が大きくなり、作業が雑になるのも仕方ないかもしれない。鎮守府側は拳銃しか持っていないのだから、正面からぶつかり合えば勝敗は火を見るより明らかと判断してしまうのもやむを得ない。

奢った彼らは、自分の目的を捉えた兵士達に自慢げに語ったりもしたのだった。そのおかげで鎮守府側は運良く殺されずに済んだ兵士からの情報や、マイク付き監視カメラの情報から彼らの真の目的を早期に知ることができたのだった。

 

鎮守府は、すぐさま艦娘達に対して避難指示を行うとともに、彼女達を守るために護衛の兵士達を向かわせる。まさかそんな大胆で愚かな事を考える人間がいることに考えが及ばなかったために、対応が遅れてしまった。

 

軍艦に搭乗した艦娘は鬼神のごとき強さを見せるが、人間の体の方の艦娘は運動能力は確かに人間より遙かに高いものの、撃たれれば怪我をするし、死にもする。それだけでなく彼女達は人間に対して攻撃ができないように作られていると聞いている。故に敵に襲われれば大した抵抗もできずに囚われることになってしまうだろう。無抵抗な彼女達を護らなければならない。

 

艦娘を失うことは、国家にとって致命的な損失となるのだから。

 

現在、鎮守府指令官が不在ではあるものの、危機管理の一貫として権限の代理者は複数者常にいるようにしている。

天ヶ瀬中尉も司令官代行権限を持っているため、指揮に当たっている。普段は事務処理の総括の部門で冷泉を補佐している彼女であるが、緊急事案に戸惑いながらも速やかな指示を各所に行い、行動に移されていく。

 

ただ、火力の差はいかんともしがたく、じわじわと押されている箇所も出てきている。やはり非戦闘員が多いため、苦戦するのは仕方がないことなのだろう。

 

警陸軍防衛隊に対しては、先程から緊急の救援の連絡は入れている。普段なら怠慢な行動をする彼等もこの緊急事態は解っているようで、すでに兵員の派遣を行っており、追加部隊も間もなく派遣すると回答してきている。敵の武装についても連絡済みであり、それを聞いた陸軍兵士は驚愕していたようだったが、そんなことはどうでもよかった。

「とにかく、すぐに救援を寄越して下さい。緊急事態です。とにかくさっさとしてください」

と、怒鳴りながら通信を切った。

 

「艦娘達はどこにいるのかしら? 」

現在の艦娘の位置状況を皆が必死になって調べる。

 

現在、ドックにいる艦娘については速やかに艦に搭乗させる指示をする。

艦に乗り込めば、彼女達は防御システムの加護の中に入ることができるため、人間が持つあらゆる攻撃を無力化できるため一番安心といえる。

 

「艦から離れた場所にいる子たちはどうなっているの? 」

天ヶ瀬の苛立ち気味の問いかけにすぐさま答えが返ってくる。加賀、長門、高雄が提督執務室にいることが確認されている。

 

「分かったわ。早急に護衛の兵士を向かわせてあげて。それから彼女達に連絡を。とにかく施錠して絶対に外には出ないようにと」

司令部なら堅牢に造られているから少々の攻撃ではビクともしないはずだ。扉だって頑丈。なんとか持ちこたえてくれるかしら。

 

「現在、近辺に人員はいません」

という回答。

 

「……あなたとあなた。銃を持ってきて。私も行きます」

持ち場を離れるのは良くないが、ここで加賀達3人を危険に晒すわけにはいかない。なんとしても艦娘たちを守らなければならない。そうでなければ、自分たちに後を任せてくれた冷泉提督に顔向けができない。それだけではない。艦娘を失うということは国家にとっても重大な危機に直結するということだ。

たとえ命に代えても彼女達を守らなければならない。

 

「他に艦娘は? 」

問いかけに反応。

 

「戦艦榛名が所在不明となっています。最後に確認されたのは宿舎でしたが、それ以降の足取りは不明とのことです」

済まなそうに兵士が答える。

 

「なんですって? 何でこんな時に」

 

「すみません」

苛立ち気味に叫んだ天ヶ瀬に怯えた表情で頭を下げる。……あなたが謝る必要はないのだけれど。そんなことを思うが、今はそれどころじゃない。

榛名……か。ごく最近、鎮守府にやってきた戦艦。彼女は、よく、誰にも行き先を告げずにしかも時間を問わず、ふらっと居なくなることがあったので何度か注意をしていた・けれど、返事だけはいいのだが、全くそれは改善はされていなかった。何か夢遊病者のようなっている時が時折あったという報告も受けている。しかし、それがこんな時に発生するなんて。とにかく急がせないと。

「じゃあ、あなた達は榛名を捜し出して、見つけ次第保護しなさい。……全員に榛名を見つけたら報告及び保護を通達。至急お願い。じゃあ、行くわよ」

そう言うと、天ヶ瀬は普段、気にもしたことのない銃の存在をしっかりと確認して駆けだした。



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第149話 襲撃

天ヶ瀬中尉に同行した兵士は5名。

所持した武器は、9mm拳銃のみ。普段から射撃訓練をしているとはいえ、敵の所持した武器と対峙するには、あまりに心持たない装備だ。よって極力、敵との遭遇を避けるように移動せざるをえない。

敵の所在は、監視カメラ等によりおおよそ把握できている。爆破等の影響で一部破壊されたものがあるため、完全な情報ではないが、それでも無いよりマシだ。

天ヶ瀬達は、辺りを警戒しながら慎重に経路を選び移動していく。

 

加賀達がいる提督司令室のある建物までは、直線距離で1キロ。しかし、迂回しながら進み、かつ時折建物の中を移動したりするため、予想以上に時間がかかる。焦る気持ちを堪えながら、慎重に進んでいくしかないのだ。

 

しかし、非情にも天ヶ瀬のイヤホン越しに悪い知らせが次々と入ってくる……。

「武装した敵の接近を確認。数、……確認できているので5名。監視カメラの映像から武器として03式自動歩槍らしき武器を所持しているようです。すでに加賀達の建物のほぼ至近。……連中、彼女達がどこにいるかを知っているようです。こんなことって……」

兵士はそこで口ごもってしまったが、何を言おうとしたかはすぐに解る。内通者の存在があるということだ。それだけではなく、拷問後惨殺された鎮守府職員の遺体も発見されている。情報を元に更に確実な情報を入手しているのかもしれない。

思わず舌打ちをしてしまうが、すぐに冷静になろうとする。いろいろと考えても仕方が無い。とにかく、接近する危機を加賀達に知らせ、時間を稼がさないといけない。

天ヶ瀬は、無線機を手にした。

 

加賀達は天ヶ瀬の連絡を受け、自分たちの元へと武装した集団が近づいていることを知らされた。更に、侵入者の目的が鎮守府施設の破壊と更に艦娘の拉致であることも……。今、接近中の侵入者は、自分たちを拉致することが目的としているのだ。

 

「ああ、こんな時に何を愚かな事を考えているのでしょうか」

天ヶ瀬からの連絡に大きなため息を付く高雄。侵入者の、その大胆でしかし愚かな考えに怒りを隠しきれない。

「何で深海棲艦に与するような真似を考え、行動するのかしら」

 

「敵が何を考えて行動しているかは、すべてが済んでから検討すればいいのです。そんなことよりも今は、貴方たちの安全が最優先です」

実に冷静な口調がスピーカの向こうから聞こえてくる。天ヶ瀬中尉だ。

「危機は、すぐ側まで近づいています。そちらの建物の玄関口には、すでに敵が到達しています。今から逃げるのでは、間に合わないでしょう。……あまりに危険です。提督司令室なら、少々の攻撃にも耐えられるように作られています。しばらくは持ちこたえられるでしょう。現在、確認したところ、敵の数は5名であり、そう多くはありません。私達が到着すれば、どうにかできる数です。そちらに向かっていますので、なんとか持ちこたえてください」

 

「わかりました。今、扉に鍵を掛けて、バリケートを作っているところです。しばらくは持ちこたえると思いますので、あなたがたも無理をしないでくださいね」

と、高雄が答える。そして、窓の側にそっと近づき、カーテンの隙間から外を覗く。

確かに何人かの武装した人間が動いているのが確認できた。提督がいる場所だから、警備も厳重だと思って慎重に行動してくれればいいのだけれど……と、希望的観測をしてみる。そうすれば時間を稼ぐ事ができるのだけれど。……残念ながら、鎮守府外周の陸軍兵士達の警備が強固であることと、セキュリティ対策が厳重であることから、ここには警備兵など常駐させていないのだけれど。そもそも武装兵力の侵攻など、まるで考えた事もないのだから、こういった状態であるのは仕方がないのだ。

 

今、加賀と長門が提督のテーブルを扉の前に設置したところだ。

 

「……しばらくは、ここで籠もるしかないというわけだな」

長門が呟く。

「それにしても、ここの兵士達の武装は、あまりに貧弱だな。横須賀の兵士達は、もう少しまともな装備だった記憶があるのだけれど……。侵入して来た連中のような重火器を相手にするのは、かなり苦しいんじゃないのか? 」

 

「たぶん、横須賀だけがおかしかったのよ。あそこはどこの鎮守府より戦果を上げ続けていたから、予算も潤沢だったし、いろいろと設備も豪華だったでしょう? 予算が余っていたから、使う予定の無い武器にもお金を投入できたんでしょう。……もっとも、生田提督が何かを考えて装備させていた可能性も否定はできないけれども。普通は、対深海棲艦の対策は万全といっても、人間が攻めてくるなんて事想定できるわけがないものね。そんな余った予算があれば、他のことに回すのが普通よ。舞鶴に至っては予算不足で、設備のメンテナンスとかもおろそかになっている部分もあるくらいなのだから。……それにしても、深海棲艦との全面戦争中でも、自分たちの欲望のほうを優先し行動するような愚か者がいるのだから、人間っていう存在は本当に理解できないわね」

加賀が呆れたように言う。

 

「とはいっても、我々には人と対峙する権限は与えられていないわけだ。侵入者たる連中に対してでも、無抵抗を貫くしかできないのだからな……。中尉達のがんばりがなければ、わけのわからん連中に拉致されて、どんな運命にさらされるか分かったものじゃない」

普段ならこういった環境に置かれることを想像して興奮するはずの長門が、怯えたような態度を見せる。確かに冗談を口にできる状況では無いのだ。

 

「あら、あなたが大好きなシチュエーションではなくて? 」

こんな時でも、からかうように加賀が言う。

 

「ふっ。私にも選ぶ権利があるのだ。冷泉提督にならどんなことをされても興奮するんだろうが

あんな気持ち悪い連中に我が身を自由にされるくらいなら、舌を噛みきって死んだ方がマシだ。もっとも、自由に死ぬ事も許される訳では無い身ではあるのだけれどな」

そう言って二人は笑う。

 

そんな二人を窓際に立ち、カーテンの隙間から外を警戒していた高雄が呆れたように見る。敵襲により多くの死傷者が出ているし、施設に対する損害も相当なものだ。更に、自分たちは人間達に拉致され、どんな目に遭わされるかるか分からないという危機的状況。こんな時でも彼女達は動揺することも無く、普段とあまり変わらない感じでいられる。

いかに危機的状況であっても、決して悲観的にはならない。横須賀鎮守府において、何度となく修羅場を乗り切ってきた彼女達だからこそ到達できる境地といえるのだろう。どのような心の持ちようで居ようとも、結果は大きく変わることは無い。そうであるならば、余計な事を考えて平静さを失うよりも、普段通りの心持ちにて対応する方が、発生する事象に冷静に対処できる。悲しみ嘆き怒り泣くことは、今為すべき事では無い。全てが終わってから為せばいいのだから。言うは易く行うは難しなのだけれども。そんな領域にまで達している彼女達を尊敬の眼差しで見てしまう高雄。

けれど、現在の状況は、彼女達がくぐり抜けてきたどの修羅場よりも過酷かもしれない。なぜならば、自分たちでこの危機を突破することができず、人任せでしかいられないからだ。それについては、彼女達も高雄と同様に歯がゆい部分を感じているのかもしれないけれど。

 

「冗談はそのくらいにしておいた方がいいわ。……敵が動き出した」

と高雄は警告を発した。

 

目視できている敵は、6人。天ヶ瀬からの情報よりは、1人多かった。

 

1人が外で待機し、残りが進入をして来るつもりらしい。

全員が小銃らしきものを手にしている。これについては情報通りだ。旧式とはいえ、どこであんな武器を手に入れたのだろう? 所持した武器はあれだけではなかろう。そんな敵に拳銃だけで立ち向かうのは、かなり困難ではないか? 数の上でも装備でも、こちらに向かってきている天ヶ瀬中尉たちが不利だ。

 

敵の情報については、すでに長門より天ヶ瀬達に装備も含めて秘匿回線を用いて情報は伝わっている。そして長門より、この状況からの脱出についての意見が伝えられる。秘匿回線を使っていても

傍受される可能性を予想し、暗号により会話は為される。こうも簡単に鎮守府内に武装兵力が進入できたことから、かなり大がかりな組織が動いていると思われる。だとするならば、秘匿回線を使おうとも、それを受信できる方法を知っている可能性が高い。よって、艦娘と舞鶴鎮守府幹部しか知らない暗号を用いることとする。

 

作戦は実に単純明快。

 

現在の状況から、一人を残し、敵の全部がこちらに上がってきている。目の前のお宝(艦娘)を自分の手で手に入れたいという気持ちが強いのだろう。圧倒的有利な状況であると考える彼等にとって、先を越されると言うことは取り分が減る事を意味するらしい。だからこそ、我先に突入して来るのだ。軍事訓練を受けた者とは思えない、あまりに無軌道で愚かの連中であることは間違い無い。彼等は、何らかの目的を隠蔽するためだけに投入された「使い捨て」の存在であることが推測される。敵勢力の本当の目的は不明だし、推測している時間は今は無い。今はとにかく、ここから逃げ出す事が先決。

 

階段を上って来ている敵がここにたどり着くまで引きつけ、下で警戒している兵士を天ヶ瀬達が沈黙させる。重火器を持っていようとも5人がかりで行けば鎮圧は容易。そして、艦娘達はそのまま窓から下に飛び降りるだけで済む。あとは、彼等とともに、逃走するだけだ。最上階にある執務室から下まで降りたところでもう自分たちは逃げおおせているわけだ。

 

艦娘の常軌を逸した身体能力を知る者は、一般人には少ない。提督司令室が四階にあることから逃げ道は無いことを知り、逃げ道は無いはずと油断している連中だからこそ、出し抜けるのだ。

 

すぐにこの階に侵入者が来たことが解る。

 

敵は、この建物に人が居ないことを知っているかのように、一直線に上がってきたようだ。かすかに聞こえてくる声からも、ずいぶんとリラックスしている事が感じられる。敵の親玉から警備状況を知らされているのだろうか。獲物を完全に追い詰めた余裕。艦娘が人間に危害を加えられない事を知っている余裕。この建物に警備兵がまったく居ないことを知っている余裕。

これで艦娘達の身体能力を知られていたら、ちょっとまずいかもしれない……。そんな嫌な予感を必死に意識外へと押しやる。

 

そして、ドアが開かれようとする気配。

当然、鍵が掛かっているわけで、さらにバリケードを積み上げている。何度かドアを蹴る音がするが、すぐにびくともしないことに気付いたようだ。銃撃程度ならしばらくは耐えられる頑丈さをこの扉は持っているのだ。

 

「おいおい、鍵がかかってるじゃないか。……ドアを開けてくれよう」

 

「今すぐこの扉を開けてくれたら、俺たち何もしないよ。さあ出ておいでよ……子猫ちゃーん」

情けない声、とぼけたような声が向こう側から聞こえる。同時に周りで大笑いするゲスな声が追いかけるように聞こえてきた。

「早くしないと、お仕置きしちゃうよん」

また爆笑。

そして、何度かドアを叩く音。

「早く開けてくれないと、ちょっと手荒に扱うことになるよ。……そこにいるのは、加賀と長門、高雄だったよな。ふふふふ、ちょっと見ろよ。こいつら巨乳ばっかじゃん。すげーよ」

「ちょ、待てよ。俺にも見せろよ」

「まあまあ落ち着けや。逃げたりしねえからよう。ほっほう。おまけに、こいつらすげー美人ばっかじゃん」

どうやら携帯端末か何かで加賀達の画像を見ているような気配。彼等が何を考えているのか解ってしまったのか、拳を握りしめる加賀。

 

そんな時、艦娘達の意識に問いかけてくる者があった。

「……ねえ聞こえる? こちら、叢雲よ。何か連絡があったみたいだけれど、何かしら? 」

こちらの状況を全く知らないせいか、少し面倒くさげな声だった。

 

「もう、あなた。今まで何をしていたの? ずっと連絡をしようとしていたのに」

返す言葉は批判的だが、加賀は安堵の表情を浮かべている。

 

「だって仕方ないじゃない。もともとここはセキュリティが厳しい場所なんだから。おまけに、さっきまでいた場所は、更に厳重に外界から遮断されていたんだもの」

と悪びれた様子もなく叢雲が答える。ちょっと前なら、加賀の批判的な口調に反撃していた彼女だったけれども、加賀の性格になれたせいもあり、もはや気にもしていないようだ。

 

彼女の話によると、第二帝都の特定エリア、叢雲がいた場所においては、艦娘間相互通信でさえできないように設定されているようだ。どれほどの機密情報があるというのだろう? そもそもそんなところで何をしていたんだと疑問も感じるが、それは後回し。

 

叢雲がそのエリアから離れ、一般エリアに入ったことから今は繋がり、加賀、長門、高雄の全員が会話可能となっているわけなのだ。ゆえに叢雲と加賀の会話はすべて長門、高雄にも聞こえている。

 

叢雲が語ったところによると、どういうわけか冷泉提督が手術中であるとのことだった。

「どうしてそんな事になるの? 提督は神通の改二に同行してるんじゃなかったの? 」

と、思わず高雄が疑問を投げかける。

 

「神通さんはドック入りしているわ。で、その後、三笠さんと提督が話す事になって、提督が寝たきりになっている原因とかを教えてくれて、自分たちなら治療できるってなって……。そんなこんなでトントン拍子で話が進んだのよ」

ちなみに戦艦や空母に対してもタメ口である叢雲ながら、伝説級の艦娘である戦艦三笠にはさんづけで呼んでいる。何故、同じように神通に対して「さん」づけで呼んでいるのかは不明だけれど、何となくは分かる。普段から、神通に対しては苦手意識があるらしく、それどころか、わりとびびっている。

 

そんなことはさておき、どうやら、提督の背中を裂いて、脊髄中の神経を弄り回復の障害となっている因子を除去するというかなり難易度の高い事を行っているらしい。これにより、現在、冷泉提督が陥っている身体的不具合は解消されるとの事だ。つまり、元気な頃に戻る事ができるらしい。どういった事をすれば、あの状況が改善されるのかは叢雲は聞かされていないようだし、聞かされても理解できないだろう。けれど、提督が元気になることは、こんな状況であっても嬉しい事だ。

 

冷泉提督が陥っている状況が改善されると聞いて、加賀の表情に変化が生じたのを高雄は見逃さなかった。すぐに元の表情に戻ってはいたのだが。けれど、ずっと気にしていたんだろうな、と思う。提督はそんなことをまるで言わないし、彼女だって全く表に出さないからなあ。

 

当然、高雄も嬉しくなる。

「そうなの! 提督の怪我が治るっていうの? 嘘、信じられない。……やったあ」

思わず声に出し、喜びを発してしまう。

 

「うむうむ。流石、提督だ」

と、長門も頷いている。

 

「提督の事は解りました。……今はその事は後回しよ」

素っ気なく答えると、加賀が話を切り替える。実に素直でない。

「こちらの状況は、最悪よ」

 

現状を彼女に伝える。現状は予想以上に悪く、提督にはすぐにでも戻ってきて欲しいし、指示もしてもらいた旨伝える。

すぐに冷泉に伝えるとのことだが、手術中はさすがに近づけないし、近づかせてくれないと思う。。だから、なんとしても持ちこたえて欲しいと叢雲は答える。

 

仕方ないとは解っていながらも、「なんとかならないの」と思わず愚痴る高雄。言わずには居られなかったのだ。だから、誰もそれについて咎める事も無かった。

 

「おらおらおらー」

唐突に怒鳴り声が聞こえてくる。ずっと無視して放ったからしにして無視していたせいか、侵入者達がだいぶお怒りになっている。

 

「何なの下品な声が聞こえるけど」と叢雲。

鎮守府に侵入した連中が加賀達を捕らえようとしているのだと伝える。そんなに危機意識は持っていないから安心して、と加賀伝えるが、それでも叢雲は心配そうだ。

 

「開けないとバズーカぶっ放すし、俺たちの股間のマグナム44が、おまえ達に火を噴くぜ! げへげげへへ」

相変わらず外では下品な発言と共にゲスな笑い声。

 

「何、あの気持ち悪い連中は? ぶっ殺してやろうかしら」

叢雲が素直に感想を述べる。

 

加賀は叢雲に、

「安心して、自分たちの身は自分たちで護るから。けれど、扶桑達の事は私達ではどうにもできない。提督と話す事ができたら、こちらを優先してと伝えて頂戴。このまま彼女達を逃がしてしまったら、大変な事になってしまうわ。提督だっていろいろ思うところがあると思うし。とにかくこの事実だけは最優先で伝えて。後は提督のお考えに私達は従うから」

そう言って通信を切る。

何か叢雲が言おうとしていたようだが、全く無視した。……これはこれで後が怖い。

 

けれど、こちらはこちらでいろいろと大変な状況なのだ。あまり長々と話していたら、奴らが進入してくるだろう。

 

「本気で扉を吹き飛ばすつもりみたいね」

外の様子を探りながら加賀が現状を無線で伝える。すでに叢雲の事も提督の事も無かったような対応だ。

 

「近くに待機しています。そのタイミングに合わせて行動しましょう」と天ヶ瀬。

 

「了解です」

しばししての爆発が発生。分厚いドアがついに崩壊する。

加賀達は事前に壁に張り付くように隠れていて、衝撃を回避する。爆発の衝撃波で窓ガラスが吹き飛ばされ、白煙が部屋中に舞い上がる。

 

扉は崩壊したが、まだバリケード等があるため、人一人が入れそうな隙間があるだけだ。敵はもっと強力な武器を持っているはずだが、ドアを壊す程度の爆薬に制限したのだろう。威力だけを求めて部屋を完全に吹き飛ばし、艦娘まで死なせたら大変なことになるからだ。それぐらいの理性と知識は持っているようだった。

 

「みいつけたあ」

一人の男がその隙間から頭を突き出し、キョロキョロし、獲物を見つけて嬉しそうに嗤う。ブツブツで汚い顔だ。

目があった加賀が明らかに不快そうな顔をした。

「俺たちの子猫ちゃあん。……うおおお、まじで綺麗な子ばかりじゃんかよう」

 

「おい、本当か、さっさと行けよ。俺たちにも見せろ」

そう言ってぐいぐいと男を押し込む。

「おいおい、止めろよ止めねえか」

慌てたように顔を突き出した男が叫ぶ。

艦娘を至近で見たのは、恐らく初めてなのだろう。艦娘の完成された美しさを間近に見て、興奮しているのが解って寒気がする。その興奮は他の男達にも伝わっているようだ。

「今すぐとっつかまえて、俺たちの物にしてやっからよ。もう俺っち、ギンギンや」

 

「醜い。……実に醜い生き物なのかしら。欲望を全面に出した人間とは、これほど汚いのかしら。こんなのと比べたら、あの提督ですら、天使みたい」

怯えたように高雄が呟く。

そんな彼女を横目にし、加賀と長門は消火器を手に密かに歩み寄る。そして、一気に消化剤を男に向けて放つ。

「ぎょえええええ」

消化剤の射出音と男達の悲鳴が部屋中に響く。そのおかげで外で発された銃声がかき消されたようだ。

「きっさまらあ! 捕まえたらまずはヒイヒイ言わせちゃル、ゲホゲホ」

男の怒号と咳き込む声。

 

「今よ」

それを合図に、三人は同時に割れた窓へと駆け出す。そして何の躊躇もなく、頭から窓の外へと飛んだ。

地上まで約15メートル程度……人間なら当然に命に関わる高さ。余程の強運が無ければ死に至るはず。けれど艦娘である彼女達はくるりと一回転し、ふわりと着地する。

路上には一人の男の死体が横たわり、それを囲むように銃を持った海軍の軍服を着た兵士達が居た。

「港まで急ぎましょう」

すぐさま女性士官が駆け寄り、声を掛ける。

上にいる連中が司令室に侵入するまでそれほどかからない。彼等に発見されぬ間にここから逃走しなければならない。

「了解です」

艦娘と彼女達を護るように位置する兵士達は、速やかにこの場を離れていくのだった。

「ちょ、ちょっと……」

と長門。

 

「ふざけている時間は無いのよ。急ぎましょう」

被せるように加賀が言う。

 

「酷いなあ。おまえはもう少し気配りってものを覚えた方がいいぞ。でないと、そんなおまえの相手をさせられる提督が可哀想だ」

冗談めかせながら長門が反論する。

 

「知らない。こんな変態は放っておいて、さっさと行きましょう。私達には為すべき事が他にもあるのだから」

少し怒ったように加賀が歩き去る。慌ててみんなが彼女を追う。長門が少し遅れるが、すぐに追いついて来た。

 

「長門さんどうかしたの? 」と高雄が心配そうに声をかけるが、「大丈夫、何もないさ」そう言って彼女は高雄を追い越し、加賀を追いかける。

少し足を庇うような動きをしているように見えたが、その時はそれ以上考えることなくみんなの後を追う高雄だった。

加賀の言うように、急ぎやらねばならないことが山積しているのだから



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第150話 榛名の危機

一方、鎮守府の片隅。加賀達がいる場所より遠く離れた場所。艦娘の逃げ惑う姿があった。

 

4人の武装した男達に追われている。彼等は軍服を着ていない。それどころか、街のチンピラと区別が付かないような格好をしている。それだけで……鎮守府の兵士では無いことは明らかだ。。そして、彼等は日本軍の正規装備では無い銃器を手にしている。海軍の守備兵力と比較して圧倒的な装備を得ていることからか、周囲を警戒などする必要も無いかのように安心しきっている。本来の獰猛で暴力的さを隠すことさえしていない。目の前の獲物を追い立てるため、全速力で駆けている。

 

追われているのは、巫女のような服を身に纏った、長い黒髪の少女だった。

 

……戦艦・榛名であった。

 

彼女は行き先を誰に告げる事もなく、一人で鎮守府の敷地内を歩いていた。そして、そんな時に、敵襲を知らせる警報を聞いたのだ。幸か不幸か、そのサイレンの音で、我に返ってしまった。

 

そして、まず最初に困惑した。

一体、ここは何処なのだろう……と。

 

不思議かもしれないけれど、これが現実。彼女の記憶では、つい先程までは、寮の自室にいたはずなのい。それなのに、気付けば突然、こんな場所に一人で立ってたのだ。どういう経路でここまで来たか、まるで覚えていない。冗談などでは無く、記憶が欠落していた。

 

そして、……またなのと、ショックを受ける。

 

舞鶴鎮守府に着任して以降、何度こんなことがあっただろうか? 

記憶の断片的な喪失。

まるで何者かによって時間ごと切り取られたように、唐突に知らない場所に移動している自分がいるのだ。しかも、何故その場所にいるか、どうしてこの場所に来たのかという理由に思い当たらず、ただただ困惑するだけ。

 

榛名が訪れている場所は、鎮守府の武器庫の中だったり、艦娘でも出入りが制限されているドッグの研究室の奥深くだったり、緊急時の地下司令室の中だったり……。

誰に命じられた訳でもなく、誰に呼ばれた訳でも無く、榛名はそこにいた。何の目的でそんなところに居たかなんて、自分の事だというのに、想像もつかないのだから。ただ、嫌な予感だけはしてしまう。もしかして……無意識のうちに、舞鶴鎮守府を探っているのでは? と思ってしまうのだ。

 

そんなはず、あるわけ無い。全く訳が分からない……。それでも自分に対するスパイ疑惑は、ただの思い込みなんだと自分を納得させることはできた。

 

けれど、もっとも驚かされたのは、気がついたら真夜中に、あろう事か冷泉提督の宿舎に忍び込み、それどころかベッドに横たわった提督に馬乗りになっていた事だ。

あの時は、恥ずかしさで本当に頭の中が真っ白になり、訳も分からないことを言って逃げ出してしまった。

 

―――今でもそれを思い出すだけで顔が火照ってしまう。

 

自分が冷泉提督に対して、好意を持っているのは事実だと思う。呉鎮守府で役立たずだった自分を拾ってくれた恩人なのだから。けれど、寝込みを襲うなんてはしたない真似を無意識のうちにしてしまうなんて……。あれ以降、提督と目を会わすことさえ怖くてできないのだ。提督がそのことを黙っていてくれるから騒ぎにならないけれども……。

 

しかし、自分はまるで夢遊病者のように、知らぬ間にあちこちを彷徨いてしまう事は本気で何らかの対策を打たないといけない。でないと、やがて何らかのトラブルを起こしてしまうだろう。そうなったら、ここにいさせてもらえなくなるかもしれない。

そんなことは絶対に嫌だ。本気で思う。

だから常に注意して……と思っていたのに、また記憶が飛んでしまいこんな場所にいる。

「本当に私って変になったのかしら」

そして、そんなことを言っている時に、明らかに舞鶴鎮守府の人間とは異質な存在と出くわしてしまったのだった。

 

ここの人達は、みな艦娘に対して紳士的に対応してくれる。何気ない一言にも、彼等がいろいろと気を使ってくれているのがよく分かる。そして、みんな仕事熱心だし、優しくて善良な人達ばかりだった。だけど、今、榛名の前に現れた人達は、見慣れた鎮守府の人達と異なり、雰囲気がだいぶ粗暴に感じられる。おまけに見慣れない銃器を持っている。

彼等は、普段見かける人達より少し長身で、彼等の切れ長の細い目は澱み、表情は弛緩したように見える。言葉使いは意図的か分からないけど汚いし、服装だって鎮守府の兵士の格好では無い。かといって鎮守府に出入りするような人にも見えない。

 

明らかに危険な人達……そう結論づけた。何気なく彼等のよどんだ瞳の奥をのぞき込んでしまい、そこにある欲望と粗暴さ冷酷さを感じてしまい、思わず小さく悲鳴を上げてしまった。

恐らく恐怖に引きつった顔になってしまったのかもしれない。それが彼等の心に火を点けたようだ。

 

「へえ……」

下卑た声を一人の男が発する。そして、榛名を上から下へとなめ回すように視て、視線を往復させる。それだけで何だか自分が穢されたような気がして戦慄する。

「おいおい、こいつ……艦娘だよな。……おい、おまえ……艦娘だろ? 」

値踏みするような態度で男が問いかけて来た。それに対しては、答えるまでもないだろう。巫女服やセーラー服を着た少女が鎮守府にいたら、それは艦娘以外考えられないのだから。

 

「この巫女服……そしてこの髪の色。ちょっと待てよ」

男の一人が携帯端末を取り出し、何かごそごそ始める。

「まじか! こりゃビンゴや。情報どおりやな、みんなよく聞け、こいつが榛名やで。巫女服を着ているヤツは、ここには3人しかいねえはずや。そんで、扶桑って女は、裏切ってここにはいねえはずだ。あとは金剛って艦娘だけやけど、あれは髪の毛が茶髪だし、もう少し馬鹿っぽい顔をして、こいつより巨乳らしいしな」

一斉に爆笑する男達。

 

ずいぶんと失礼な事を言う連中に、自分の置かれた状況を忘れて、内心カチンと来た榛名。

金剛姉さんは、馬鹿じゃなくて凄くしっかりしているんだから。彼等の評価は、大きな間違いだ。姉の名誉の為にも、是が非でもその誤りを正してやりたい。そして、もっと大きな間違いも正したい。金剛姉さんより自分の方が胸は大きいのだ……と。けれど今はそんなことを言っている状態じゃないことも理解している。

 

「じゃあ、さっさとこいつを捕まえちまおうや。こいつを連れて行けば良い金になるんやから? 

キンちゃん達は、加賀って女を捕まえに行ってるんだし。どっちが早いか賭けてたよな」

この男達、鎮守府に侵攻するなんていう大それたことをしている上に、賭けまでしているなんて……。その大胆さに驚きを隠せない榛名。

 

「いや、待てや……」

一人の男が喋る男を制止し、榛名を見つめて舌なめずりをする。

「金も欲しいんやけどなあ、まあ見てみろよ。こんないい女が目の前にいるんだぜ。このまま連中に渡すなんて、もったいねえじゃん。ちょっとくらい味見してからでも、いいんじゃねえの。絶対ばれないはずだし。キンちゃん等だって同じ事考えるはずだぜ。……けどよ、向こうは6人だ。俺たちは4人だ。時間を考えたら、俺たちの方がじっくりと楽しめるんじゃね? 」

その言葉を聞いた男達が衝撃を受けたような顔をする。

 

「へへへ、そりゃいいや! 俺ら、賛成だ」

「うんうん、艦娘とやれるなんて、この先ありえねえもんな。俺も賛成だ」

と、男達がすぐさま同意する。

 

彼等に取ってはここが敵地であり、何時、警備兵達がやって来るかなど問題視していないようだ。

港や司令部のある辺りからは、未だに爆発音が何度もしている。あちこちから黒煙が上がっているのが見えることから、彼等の仲間達が鎮守府に侵攻してきているのだろう。そして、彼等の攻勢は、まだ続いているようだ。鎮守府の警備兵達は、その対応に追われているのだろうか? 未だに誰も現れないということは、こんな離れた場所にまで、手が回らないのかもしれない。……その事実は、榛名にとっては絶望的なものだった。

 

「じゃあ、決定やな」

そう言うと男達が榛名を見た。

その瞬間、榛名は反射的に駆け出していたのだった。……男達の欲望の餌食にならぬように。

 

本来なら、艦娘の身体能力があれば、人間の追跡など躱すのは容易なはずだった。けれども、逃走する瞬間、敵の一人が発砲し、不幸な事に榛名の左足に命中してしまった。その傷は逃走しようとする彼女にとっては大きなハンデとなってしまった。普通の人間程度の脚力しか使えなくなった彼女は、足を引きずりながら逃げるしかなかった。動かす度に激痛が走り、自由に動かすことができない。へたれ込むように倒れてしまう。思った以上に足の怪我は酷いようだと冷静に判断できる。命に別状は無いし、入渠すればすぐに回復する傷であることは間違い無い。けれど、今のままでは歩くことさえままならない。男達から逃げ切ることなど叶うはずも無いということが解ってしまう。

 

幸運だった男達は榛名逃亡の恐れが無いと判断し、胸をなで下ろす。そして、榛名を撃った男を一人の男が力任せにぶん殴った。

「てめえ、大事な商品を傷物にしやがって。万一、殺してたらどうするつもりなんや。お前ぶっ殺すぞ」

 

「でもでも、もし撃たなかったら逃げられたかもしれな……」

言葉の途中で銃床で何度も殴りつけられ、本来なら殊勲者である男は悶絶する。

 

「結果オーライ、一人減ったから3人だ。アイツの分も楽しもうぜ」

気絶した男をもう一度蹴りつけた後、にやりと笑いながら男が怯える榛名を見た。

 

恐怖……。

 

死の恐怖とはまた異なる、自分が穢されるかもしれないという、初めて感じる恐怖が榛名の心を支配した。

 

撃たれた事など気にしている場合じゃない。痛みを堪え、必死になって逃げようとする。立ち上がる事も困難であり、這って逃げるしかない。けれどそんな動きでは逃げ切れるはずもなく、すぐさま男達に確保されてしまう。

「いや……」

絶望を感じ、思わず声を上げてしまう。

 

男達は、興奮気味に彼女を引き起こす。

「こんな外じゃあ気分がでねえな。どっか良いとこねえか? 」

 

「……なあ、あそこはここの連中の宿舎みたいだけど」

一人が指さす。その先には、職員用の宿舎があった。

 

「おう、そこならベッドぐらいはありそうだし、シャワーも使えるやろうな。おう、ちょうど良いな、さっさと連れていこうぜ」

 

自分がどういう目に遭うかを不幸にも想像してしまった榛名は、悲鳴を上げて抵抗しようとするが、逃れることができない

「た、助けて、提督!! 」

来てくれるはずもない男の姿を求めて、榛名は必死に手を伸ばす。

「いや、いやいや。やめて、誰か、誰か! 助けてください」

 

「うるせえな、馬鹿が! おまえは、もう駄目なんや。良くわからんけど、艦娘って売れば高い値が付くみたいなんだよな。裏の世界には、欲しがる人間ってのがいっぱいいっぱい、いるんだよ。まあ、まず市場に出ることなんて無いから、とんでもねえ値段になるらしいな。売られた先でおまえ達が何されるのかは知らねえけど、ふふん、どうでもいいわ。相当良い金になるみてえだし、まあ仕方ねえだろうな。けどよ、フヘヘヘ、その前に俺たちを楽しませて貰うぜ」

そう言って、男が榛名の頬を平手で叩く。思った以上に力が入ってしまったのか、彼女は地面に倒れ込んでしまう。

「まったく、往生際の悪い女だ。ちょっと我慢してたら、良い思いをさせてやるんだから、じっとしてればいいんだよ」

男は倒れた榛名に近づいて、彼女の腕を掴んで引き起こす。殴られた時に唇を切ったのか、彼女の口から一筋の血が流れ落ちる。

 

絶望的な状況を認識し諦めでもしたのか、彼女の瞳から光が消えかけている。

それを見て、榛名が自分の逃れられない運命を知り、すべてを諦めて大人しくなったと判断した。男は、ついでといった感じで彼女の胸の膨らみをわしづかみにしてみる。その瞬間、ぴくりとだけ彼女が反応する。

「おお、こいつの乳、すげえでかいじゃん」

と、興奮したように声を上げてしまう。

 

「まじか? 」

 

「ああ、こいつ……隠れ巨乳かも! よく見たら、乳周りぎっちぎっちにサラシ巻いてやがる。そんでも布きれ越しにも感じ取れるぜ……かつて無いほどの我が儘ボデーや! こいつは間違いない。なんかええ匂いもするしなあ。く、くう……た、たまらん」

 

「なんやて、俺にも揉ませろ」

興奮気味に、他の男達が騒ぐ。

 

「まあ待てや。順番だよ順番。最初は俺だろ。俺が味見してからや。お前等はそれでも見ながら扱こいてろ」」

そう言って、榛名を捕まえている男が宣言する。それに対して、他の男達はしぶしぶといった漢字で同意したようだ。どうやら彼がこの中で一番権限があるようだ。誰も反論できないみたいだ。

 

「へへへ、そうと決まればさっさと連れていこうぜ。そんでもってサラシ剥ぎ取って、中身を見ちゃおうぜ」

 

その時。

「私の……」

突然、男に片手で抱かれていた榛名が口を開いたのだ。

 

「は? ……何だよ」

思わず問う男。

先程まで抵抗していた少女とは思えない、まるで異なる声色に内心驚いてしまった。すべてを諦め、大人しくなった者が発する絶望の声……とは異なるものだったからだ。

 

その声はまるで抑揚が無く、感情の無くなったとてつもなく冷たい声。更に彼女の瞳からは、どういうわけか恐怖や怯えの色が消え去っていた。何も映し出さないような空虚な瞳になっているのだ。そして、そこに何の感情も無い、……人とは思えないものがそこにいるかのような。

 

何か分からず、男は戦慄した。

 

そして、

「……私の体に、その汚い手で触れるないでくれませんか」

はっきりと彼女は宣言した。先程までの怯えたような声ではなく、抑揚の無い、まるで機械のような声だった。

 

「何を言ってやがるんだ。おまえ、自分の置かれた状況が恐怖で解らなくなったのかよ」

追いつめられて頭がおかしくなったとしか思えない態度に、驚きと戸惑いの混じったような声を出してしまう。

 

「もう一度、言います。私の体に、汚い手で触れないでください。あなたの肥だめのような息が臭くてたまらないのです。……今すぐ離れなさい」

その口調は丁寧だ。

 

「な! 馬鹿が」

生意気な態度を取った少女に激高したのか、男は榛名の胸ぐらを掴むと右拳で殴りつけようとする。どういった事が原因でそんな態度に出るのかは謎だったが、生意気な態度を取る奴は力を見せつければ押さえ込める。強めに殴ってやれば、女なんてすぐに大人しくなる。これまでの経験から間違いない。艦娘だって、所詮は女。その能力は人間を大きく凌駕すると言われているが、人に危害を加えられないという条件付けをつけられているのだから、恐れることなど無いのだ。一瞬ではあるけれど、少女を怖いと感じた本能を必死に押さえ込むためより過激な行動に出ざるを得ない。

 

その刹那、男の体がくるりと宙を舞ったと思うと、そのまま地面に叩きつけられる。

「ぐえっ」

つぶれたような情けない声を上げる男。受け身を取ることもできず、まともに地面に体を打ち付けたため、呼吸ができなくなり悶える男。

「うげうげ、て……てめえ」

呼吸を取り戻し、喚きながら両手をついて立ち上がろうとするが、起き上がれない事に気付く。

「あれ? 」

そして、自分の体を見て悲鳴を上げる。

さっきまであった自分の両腕が根本から無くなっていたのだ。千切れた服から血が吹き出ているのを見て痛みを一気に感じ、恐慌状態となる。

「腕がっ腕があ、俺の腕がああ」

 

「醜いです……ね、あなたたちは」

何が何だか分からない男は、声のした方向を見上げる。そこには男を見下ろすように榛名が立っている。艦娘の両手には、かつて男の物であった腕が握られていた。

彼女は、汚らしそうに男の腕を投げ捨てた。そして、片足を引き上げると、静かに仰向けに倒れた男の顔を靴底で踏みつける。

「……許せない。本当に、許すことができない。……あなた達は、その汚い手で、私の体に触れてしまった。あなた達は、してはならない事をしてしまいました。私の……私の体に触れて良いのは、提督だけだというのに。これほど不愉快な思いをしたのは、初めてです。……絶対に許せない」

そう言うと、踏みつけた足に力を込めてくる。静かな口調だったものの、そこには明確な怒りが感じられた。

 

「おえおっ、何すんだよ、い、いっ痛い痛い痛い。頼む、止めてくれ、そんなに力を入れたら」

情けない声で必死に懇願する男。なんとか逃れようとするが、両腕が付け根からねじ切られているため、顔に載せられた足を除けることができない。どうすることもできないのだ。抵抗しようとしても、どうすることもできない。白く細く美しい足が視界に入っているが、今はそんな余裕などない。

「おい、おまえ等、なんとかしろ。た、助けてくれ」

仲間に必死に懇願するも、彼等はあまりの状況の変化に対応できず、パニックになっているようで、呆然と見ているだけで動くことができない。

そうしているうちに、榛名の踏みつけた足の力がさらに強まっていく。

「お、おい、冗談は止めてくれ。い、痛い。本当に顔が潰れてしまう。お、お願いだ、止めてくれ。た、助けてくれ。許してくれ、謝る。な、何でもするから、ふいひゅい、助けてください」

男の哀れな姿を見下すように、榛名は見下ろす。その瞳は虫けらを見るかのように、無反応だ。足元で喚く男の声などまるで聞こえていないかのようだ。

 

鼻の骨が奇妙な音をたてて潰れていくのが分かる。さらには前歯が圧力に耐えかねて、一本づつ、順番にへし折れていく。まるでそれを意図しているかのような力の入れ方だった。男は、呻き悲鳴を上げる声は聞こえているだろうが、それでも容赦なく踏みつけた足は力を増していく。

「い……い、いうえお」

まともに声を出すことができない。全身が痙攣するだけだ。そして、スイカか何かが潰れるような、ぐしゃりと潰れる音がして、沈黙が訪れる。

 

ねちゃりという音をさせながら、目の前の艦娘が足を潰れた男の顔から引き抜く。ピンク色の何かが糸を引いているのが見える。彼女は足を何度か振ったり、地面に擦りつけたりしてそれを落とそうとしている。

先程、銃で撃ち抜かれたはずの足は既に出血が収まっているようで、完治しているようにさえ見る。

 

「はぁ……凄く汚いけど、少し我慢するしかありませんね。……さて、では次はあなたたちね」

そう言うと、にこりと目の前の艦娘が嗤ったように見えた。

 

それを見て男達は、全身の血の気が引くのを感じた。自分たちは、とんでもない化け物に手を出してしまったことに、手遅れとは分かりながらも……恐怖する。そして、今更ながら、金儲けの話を持ち込んだ連中の事を本気で呪った。

 

「か、……艦娘は人間に手出しできねえはずやないか。楽な金儲けだって言ってたのに、く、くそう」

喚くまくる男達。

 

しかし、榛名は彼らを蔑むように嗤うだけで、何も答えない。

 

「けっっけけええ」

恐慌状態に陥った男は銃を構え、敵を狙う事もなくフルオートで引き金を引く。この距離なら狙わなくても当たるはずだ、との判断なのだろう。

 

「死ねぇい、死ねやああ! 」

もはや、艦娘を捕らえて売り飛ばすだの、艦娘をみんなで犯して楽しむなんてこともどうでもよかった。とにかく、こんな化け物をさっさと殺さないと、こちらがやられてしまう。カエルか何かのように踏み潰されて殺されるなんてごめんだ。その思いだけで必死だった。

 

しかし、榛名の反応は、彼らの引き金を引く速度よりも速かった。

一瞬、消えたかと思われる程の速度で動き、瞬時に一人の男の眼前に現れ、微笑んだ。そして、次の刹那、右手の指を男の両眼に突き入れる。

男の絶叫。

榛名は、くるりと男の背後に回り込み彼の頭頂部を右手で掴む。その力は万力のように、男は振りほどくことができない。彼女はゆるやかな動きで左手で男の首を固定する。そして、ゆっくりと右手に力を込めて男の頭を後ろへと傾けていく。ゆっくりゆっくりと……。

 

人間の首の稼働域には、限界がある。男の後頭部が背中に付きそうになるあたりで限界を迎えたようで、その動きが止まってしまうが、榛名は手を止めない。

彼女の細い腕からは信じられないほどの力のため、男は抵抗することさえできない。

「あう、あうあう」

気道が圧迫されているのか男は、声を出すことができない。涎が垂れ舌があり得ない長さではみ出し、よだれが頬を伝わり落ちていく。更に、男のズボンが生暖かいモノで濡れていく。

 

それでも、彼女の手の動きは止まらない。そしてついに、何かがねじ切れる音がして、男の痙攣は停止する。

それを確認した彼女は、一気に右手を引く。その瞬間、その男の首がねじ切れて体から剥がれ落ちる。切断面から、薄気味悪い色の液体がどろどろと流れ落ちていく。

 

「ひっひっ、ひええええええええ!! 」

仲間の処刑を時間が停止したかのように見ているだけしかできなかった最後の男は、次は自分だということに気づかされ、狂気に汚染され発砲する。しかし、射線が見えるかのように榛名は楽々と回避し、男のすぐ側に移動してきた。そして、銃を構えた男の両腕を掴むと、いとも簡単にねじ切る。

「ぎゃああああん」

男の悲鳴。

続けて彼女は右手で男の背後に回り込み、今度は後頭部を鷲づかみにした。そして、そのまま地面に叩きつける。あり得ない力に翻弄され、男は飛び込むような形で顔面を地面に打ち付けられた。しかし、それでもその力は相当に手加減されているようで、緩やかに緩やかに男の顔が変形していくのが見て取れる。

 

男の悲鳴と何かの擦れて潰れる音が連続して聞こえる。

 

しばらくの間は、男に意識があったのが、何か喚き続けていた。恐らくは命乞いだったのだろう。しかし、榛名は聞く耳を持たず、何かの作業を続けるかのごとく、機械のように、何度も何度も地面に彼の頭を叩きつけたのだった。

最後の男が絶命すると、榛名はゆっくりと立ち上がった。

すべてを終えた彼女は、何気なく男が持っていた銃器を手に取り、虚ろな瞳で見つめるだけだった。

 

そして、遠くから人が駆け寄ってくる音が聞こえてくるのを感じた。

榛名は、その事に気づいていながらも無反応だった。

 

それが敵でないことが分かっていたからだ……。

 

 

 



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第151話 ある転移者の話

秋月 栄太郎(あきづき えいたろう)という男がいた。

 

彼は、鎮守府の警備を担当している一兵士であった。そして、彼はこの世界の住人ではなかった……。

 

彼は、台風接近による高波が警戒されている時に、仲間達と度胸試しで愚かにも海に出ていったサーファーの一人であった。そして、案の定、仲間共々高波に飲まれ、一気に沖まで引き込まれてしまった。彼は、更に運悪く、波に巻き込まれた際にリーシュがはずれてしまい、ボードを失い、溺れてしまったのだ。

 

―――暗い暗い海が最後の記憶だった。

 

気がついた時、砂浜に打ち上げられていた。

 

そこがどこであるか、まるでわからず、ただただ人の姿を求め、彷徨い歩き回った。そしてそんな中、気づいたことがあった。彼のいる場所……そこは日本であり、日本ではなかった、ということに。

 

海は、赤黒く立ち上る雲のようなもので取り囲まれていた。

 

この世界は、まるで何かに閉じ込められている……直感的に分かってしまった。その瞬間、気力が先に参ってしまった。体力の限界は既に来ていて、気力だけで歩いていたのだけれど、限界を超えて倒れ込んでしまい、発見されるまでずっと眠っていたようだ。

 

そして、意識を取り戻すと、この世界について問うたのだった。

 

話によると、彼が溺れて気を失っている間に何者かの侵略にあったというわけでは無かった。どうやら、秋月が海に出て溺れた時から、世界に置いてはだいぶ時間が経過しているらしかったのだ。

 

そう言われれば、確かに町の状況も少し違和感を感じてしまうことから(住んでいた大阪の街はすでにこの世には存在しないとのことだ。そんな馬鹿なと一笑に付したが、実際に崩壊した世界の片鱗を見てしまい、愕然としてしまったのだが)、ここは彼の知る世界とはかけ離れた世界……という事らしい。

 

幸い、水難事故で記憶喪失になっているとみんなが勝手に判断して貰えたようで、病院に収容されることとなった。病院で更にいろいろと話を聞いていく内に、世界は深海棲艦というよく分からない、自我を持ち更には人型の分身体を持つ軍艦のようなカタチを持つものに攻め込まれ、在日米軍および自衛隊は奮戦空しく……実際には圧倒的な実力差を見せつけられ、いとも簡単に、壊滅的損害を受けた。

 

そんな絶望状態の世界に、艦娘と呼ばれる存在が突如として現れ、深海棲艦を退け現在に至っているらしい。

 

―――会社の知り合いがやっていたゲームの敵が、深海棲艦といっていた記憶がある。そんなものが顕現した世界がここだというのだろうか?

 

いろいろと聞いた話や状況から考えて、自分が異世界に転移したというとんでもない結論にたどり着かざるをえなかった。ばかばかしいと一笑に付すわけにはいかない厳然たる現実が目の前にあるのだから。否定する材料は存在しなかった。

 

ここが外国であっても、異世界であっても、何にせよ彼の力ではどうにもならないわけであり、現実問題として生きていくしかなかった。

 

彼の住む場所は何年も前に消失しているため、自分の身分を証明する事ができなかった。身元を証明するモノが何も無い彼は、病院より警察へと通報される。病院としては、記憶喪失により治療中だったのに何らかの事由で脱走したと判断したのだろうが、通報された国家のセクションはそう判断してくれなかったようだ。当然ながら、彼は警察に追われる事となった。捕まったらスパイとして拷問の上、死罪とされる聞いていたから、秋月は逃げるのに必死だった。とはいえ、知り合いなんて居るはずのない世界で、たった一人で逃げ切るなんて至難の業だ。それ以前に金なんて一円も持っていなかったから、その日を生きていくことさえギリギリだったのだ。空腹に耐えかね、いっそ捕まって楽になりたいと考えた事もあった。

 

しかし、そんな彼をかくまってくれた人たちがいた。

それは、かねてより日本国から迫害を受け、深海棲艦の侵攻後、更に過酷な状況に置かれてしまっていた外国人を中心とした、……そして、そんな彼等を支援する市民達で構成された組織だった。彼等は三都崩壊に合わせて消失した都市の住民情報を入手し改ざんして背乗りを完了した人々が多く、ほとんどが日本人として生活していた。そのノウハウを生かし、彼も合わせて同じ措置をしてもらえ、新たな名前と身分を得、職を得ることができ、かろうじて官憲からの追跡を逃れる事ができた。まるで第二次大戦後のどさくさのような状況が再び日本国に起こるとは……。

 

現実問題として、こういった別人になりすまし活動する人間、そして組織が存在するから、警察・軍は市民を監視せざるをえなくなり、身分が不明なモノは捕らえるといったことになっているのだけれど。まあそれは、立場が変われば考えも変わるわけで、秋月にとってはどうでもいいことなのだが。

 

そして、彼は軍への入隊を志願した。助けてくれた組織の役に立つために……。まあ建前はそうであったものの、実際には組織の中では重要な役割を与えられるはずもなく、同様に入り込んだ軍においても下っ端の下っ端仕事しか与えられなかったのだが。けれど、運良く海軍に入れたのは僥倖だった。陸軍に入ったら、スパルタ教育されるし、脳筋に替えられるところだった。海軍は割とのんびりしている雰囲気に見えたのだ。艦娘という強力な戦力があるため、国家における海軍の地位は揺るがないと思っているところがあり、あらゆる点で考え方も甘い。……すぐにそんな組織に馴染んだけれど。

 

全然別の、個人的趣味の話になるのだが、特A級の機密である艦娘を遠くからとは言え眺めることができ、目の保養になってはいた。本当に艦娘という存在は、美しくあり可愛くあったのだ。人間の女性でも美しいと称される者は多くいる。しかし、それらが束になっても、艦娘という人間の外見をした存在の美しさには及ばないのだ。個人の主観によって変わるといった意見もあるが、これは普遍的なものだと秋月は思っている。贔屓目抜きに艦娘は美しかったのだ。

何年も勤務する内に、だんだん彼女達に近づくチャンスも増えてきた。遠くから観ているだけでなく、話しかけられる程近くにまで近づくことさえできるようになっていたのだ。

 

その間でも、鎮守府ではいろいろな変化があった。

当初の司令官だった男は不法行為を行った咎で処罰され、しばらくの空白期間をおいて新たな司令官がやって来た。

 

そいつは、冷泉という名の、秋月よりもだいぶ年下の若造だった。史上最年少の鎮守府指令官ということで、みんなの注目を浴びていた。鎮守府の人間達の間でも期待されていた。そして、自分も彼がどんな人間か興味を持っていた。軍属でもなくのに突然司令官に抜擢された男だから、さぞ凄いヤツだなって思っていたけれど、現実は逆だ。見てみてがっかりしてしまった。どうみても賢そうに見えないし、顔も中の中程度のヤツだ。何であんなヤツが、警備府を含めて日本に5つしかないポストである司令官なんて雲の上の存在に抜擢されるんだ? あり得なさすぎる。海軍内の噂では、なんでも艦娘サイドからの要請があったとも聞く。……そんなことがあるなんて信じられない。あり得ないはずとみんなが思った。

 

ただ、秋月にはなぜかピンと来るものがあった。

 

根拠など何も無いけれど、彼に自分と同じモノを感じたのだ。そう、……異世界の臭いを。ヤツは異世界人だから抜擢されたのかもしれない。きっとそうに違いない。それは何の証拠も無かったけれど、秋月にだけは真実だと確信できた。言葉にはできないけれど、同じ世界の人間だけが感じ取れる、オーラのようなもの……と言えばわかりやすいか。

 

普段は近づくこともできない「天上人」である冷泉とも、鎮守府の定例飲み会の際には近づくことができる。さりげなくキーワードを書いたメモを忍ばせると、明らかに彼は反応した。流石に彼が何者かは不明であるため、こちらの存在を知られるのは不味いので彼の前には姿を見せないようにした。そして、ずっと遠くから彼に気づかれないように監視した。その結果、彼はこちらの人間では無いと確信できた。……自分以外にも異世界の仲間が居ることに安堵するとともに、仲間意識を密かに持っていたつもりだったが、置かれた現実のあまりにも違う事に嫉妬している自分の存在に驚かされた。けれどそれは仕方が無いと思う。

 

自分は、安い安い給料でこき使われている(もっとも軍人であるから恵まれているともいえる)し、組織の連中に無理難題を言われ、できなければぼろくそにみんなの前で責められ罵られ、延々と解決策を考えさせられ否定され続ける。今の生活には本気で嫌になっていたのだ。……それなのに、あの男は、あの若さで何百人といる組織のトップである。あくまで噂でしかないけれど、提督と言えば艦娘という美少女達を侍らせ、彼女達を戦闘では指揮し夜は彼女たちを性奴隷のように自由にしているとのことだ。

う、羨ましすぎる。自分なら、もう足腰立たなくなるくらいまで夜の生活をがんばるのに、と嫉妬で悶絶しそうになったのは秘密だ。……もっとも、うちのトップの冷泉提督は。戦闘で大怪我をし全身麻痺になってしまい、肝心のあそこも使い物にならない状態らしいが。どんなに権限があろうとも、艦娘達をベッドの上で自由することはできないのだ。その事だけは、ざまあみやがれ! と胸がすく思いだったけどな。それに、あんな状態になってしまうのなら、今の方がマシといえばましなんだけどな……と。

 

そんな自分にも転機が訪れた。

 

身分や立場が変わったというわけではない。それは、呉鎮守府から来た、艦娘榛名が原因だ。どういった事情でそうなったかは末端の自分には分からない。彼女の警護係の一人に抜擢されたのだ。それまでは遠目にしか艦娘を見ることは無かったのに、いきなり艦娘とまともに話す機会を得られたのだ。それは驚きと興奮の日々だった。まだ舞鶴鎮守府に慣れていない彼女は、何でも質問してきたし、それに答えようと必死の毎日だった。今までの怠惰さが嘘のように、必死で勉強もした。

 

榛名は、いつも控えめな態度で、一兵士である秋月にさえも丁寧に対応してくれる。もちろん、彼女からすればそれがごく当たり前の事であり、自分の事は一人の兵士としか見ていないのは分かっている。それでも嬉しかったのだ。初めてこの世界に来て喜びを感じたのだから。

 

秋月は、彼女の美しさに惹かれ、彼女の役に立てるように常に必死になっていた。彼女が振り向いてくれることなんて無いと頭の中では分かっていても、自分の中に芽生えたその感情を抑えることができなかった。

だって、自分は冷泉提督と同じく、異世界からやってきた存在なのだから。つまりは、彼と同等な存在なのだ。たまたま何かの手違いでこんなに差が付いてしまったけれど、一つ運命の歯車が組み違えば、自分が冷泉の立場になっていたかもしれないのだから。だから、自分にも彼女に愛される資格があると思っていた。

 

いつかは、きっと。

その希望を胸に毎日を生きているのだ。

 

艦娘は、鎮守府司令官の直属の戦力となり、常に提督の指示のみに従い深海棲艦と戦う。その絆は外部のものが想像できないほど強固なものでなければならない。彼女達の命を司令官が預かるわけであり、双方が信頼し合っていなければとても成り立たないのだから。

しかし、艦娘の造形は美しい。美しすぎる。兵器であるのに人型をしていて、女性としても魅力的すぎる存在なのだ。なぜ、そんな姿形にされたのかは、人類では想像もできない事なのだろうけれど。

 

しかし、気になる話がある。それは、艦娘と司令官の間にある、とても卑猥な噂の事だ。艦娘と指令官は常に密接な関係にあることから、常にそういった噂は絶えない。上司と部下というだけでなく、男と女の関係になっても不思議ではない関係。……確かに、指令官の命令は絶対であり、艦娘が指令官に戦場以外でも命令をされることもあるだろう。そして、その命令が戦闘とは無関係な命令であることも。そういったゲスな話でなくとも、艦娘と指令官の間には、信頼関係というものが必須だ。指令官の命令により死地に赴くわけなのだから、その命令を絶対と思える信頼関係がなければ、成り立たないだろう。そんな関係であれば、艦娘が指令官に好意を抱く事があっても決しておかしくはない。事実、舞鶴鎮守府の緒沢提督と戦艦扶桑のように、指令官と恋愛関係にあった艦娘は実際にいたわけだから。

 

もちろん、お互いの好意で恋愛関係に落ちるのは、秋月だって問題無いと考えている。しかし、指令官の立場を利用して、彼女達を良いように弄ぶ指令官がいるという噂もまたあるのだ。それは絶対に許せない。

 

そして、榛名は艦娘だ。彼女の指令官は冷泉提督である。榛名は彼に対して好意を持つこともあるだろう。そうでなくても、冷泉が命令すれば、榛名は逆らうことができないだろう。彼女の体を好きにする冷泉の姿を浮かべ、猛烈に苛ついた。

……大丈夫、大丈夫だ。興奮してしまった自分を必死で抑える秋月。そう、心配することはない。冷泉のヤツは事故によって首より下は麻痺している。どんなに性欲が高まろうとも、榛名に何もすることはできないのだから。

けれど、永久に治らないという保証は無い。だから、のんびりと構えている訳にもいかないのだ。

ああ何かきっかけがあれば……。

そういつも願い念じていた。

 

そして、今、チャンスが来ているのだ。

暴漢どもが鎮守府に侵入し、暴れ回っている。奴らの狙いは艦娘らしい。そして、榛名は現在、行方不明となっている。もしかすると、侵入者に追われているかもしれない。最悪、囚われているかもしれない。

もし、自分が榛名を救うことができたなら、間違い無く自分は彼女にとってのヒーローだ。少なくとも命の恩人。きっと特別な目で見て貰えるだろう。そうなれば、可能性は少ないとしても、今より遙かにチャンスが増えるわけだ。

 

秋月は銃の扱いに自信があった。

前の世界では銃器を扱った事などなかったけれど、こちらに来てからもそんなに頑張っていた訳ではない。けれど、自分の生き方を決める際に役に立つであろうことは必死になって取り組んでいたのだ。すべてにおいて漫然と生きていたかつての自分ではありえなかった事なのだけれど。銃というものに魅力を感じたのかも知れない。人を指先の動きだけで殺すことができるという圧倒的な力に、本能が揺さぶられたのかも知れない。そして、その成果があってか、銃の腕前は鎮守府でも上位にいる。それも榛名の世話係に抜擢された理由かも知れないと今になって思う。本来なら警備は陸軍兵士担当。普通に生きていれば使うことなどないものだが、ついにチャンスが来たわけだ。

他の兵士達とはまるで違う方向へと秋月は移動していた。右手に持った銃を握りしめる。

 

銃器を持っているといっても、恐らくは素人。そう簡単に弾を当てることなどできないものだ。そして、重火器を持っていることから油断もしているだろう。そんな連中なら、奇襲をかければ鎮圧できる。こちらは最初から皆殺しにするつもりだから、抜かりは無い。

 

先程、聞いた銃声は一発だけだった。

恐らくは侵入者が発砲したのだろう。場所は鎮守府中枢部から離れた宿舎のある場所だ。榛名の行動をずっとチェックしていた秋月には彼女がどのあたりを彷徨いているかの見当がついていたのだ。どうしてかは理由は不明だが、彼女は時折、鎮守府を探索するような行動を取る事が頻繁に見られたのだ。それがどういう理由かは分からなかった。新しい鎮守府に来たから、そこのすべてを把握しようと勉強しているだけ、なのかもしれない。しかし、まるでコソコソと人目を避けるように行動しているのは解せなかった。もっと監視を続ければ、彼女の目的がはっきりするのかも知れないが。どちらにしても、自分にとって有利になる情報なら徹底的に集めればいいということで、静観していたわけだ。

そんな事もあり、彼女が行きそうな場所には、おおよその見当が付いていたのだ。

既に住民には避難指示が出ているため、この辺のは人は居ないはず。そんな中での銃声だ。当然、音のした方角に榛名がいるのは間違い無いだろう。

秋月は銃の安全装置を外し、移動する。慎重に、周囲を警戒し、しかし、速やかに。

そして、倒れている男を発見した。明らかに海軍兵士では無い。鼻が潰れ血が垂れ落ちている。

まずはそいつを拘束し自由を奪い、安全を確保。

「おい、起きろ」

男を何度か張り倒し、意識を回復させる。目を開いた男は、秋月が普段見かける人間とはだいぶ異なる世界に住む人間に見える。……違和感が凄まじかった。町で見かけたら目を逸らし避けたくなるような、嫌な感じのする男だ。だが、今はそんな個人的感情に囚われている場合ではない。すぐさま、男が何者なのか、仲間がいるのか何をしていたのかを聞き出す。もちろん、敵に対して容赦はしない。死ぬなら死んだらいい。どうせゴミ屑以下の存在でしかない奴らなのだから。

 

男は血を吐きながらもすぐにすべてを話した。自分が仲間に蔑ろにされたらしい恨み言を繰り返していたこともあり、仲間を庇う気持ちなど無くなっているようだった。もしかすると、最初からそんなものは無かったかもしれないが。まあそんなことどうでもいい。

敵は残り3名で、榛名がそこに居ることが分かったからだ。そして、敵の武装も把握した。もう動くしかない。敵を制圧し、榛名を救い出す。恐怖はあるが、それ以上に血が沸き肉躍る。まるで自分が正義の騎士になったような高揚感だった。

男を銃床で殴り、再度気絶させると、動き出す。獲物を狩るために。

 

少し移動すると、何か異音がしていることに気付き、秋月は歩みを止めた。

それは、何かを叩きつけるような音。何かが潰れるような音だった。かすかに人間の呻くような声も聞こえていて、何かおぞましいことが展開されている予感で背筋が寒くなるのを感じていた。もしかすると逃げ遅れた兵士の関係者がいて、侵入者達に蹂躙されているのかもしれない。

 

榛名を救出するのが最大の目的だから、確認をし、彼女でなければやり過ごすか? 余計な時間を使うことはできないのだから。しかし、もし生きている人がいるのであれば、救出するしかない。自分にその力があるのなら、それを行使するのが当たり前。そんな思いを抱きながら、音のする方向へと近づいていく。

 

そして、銃を構えたまま飛び出す。

敵なら、躊躇無く体の中心部に弾を撃ち込むだけ。

その意志のもとに。

 

そして、見てしまう。

 

「う、……嘘だろ」

思わず声を漏らしてしまう。

 

そこには、真っ白だった巫女服を血まみれで立つ彼の探し求めた艦娘、榛名が立っていたのだ。それだけならまだ良い。彼女の足元はおびただしい量の血に満たされ、彼女の周囲にはかつて人間だったであろう残骸が転がっていたのだ。顔面が何か強力な力で潰されたようになったもの、両腕を失い首がもげたもの、顔面がミンチのようにぐちゃぐちゃになったもの。異臭が漂い、被害者達の血の海の上に立つ一人の美少女という、なんともいえないおぞましい光景が展開されていたのだ。

秋月はその惨状と漂う異臭に耐えきれずに、内容物をはき出してしまう。

 

「あら? 」

榛名が驚いたように言葉を発する。そして、呻きながら顔を上げた秋月と目が会うと、にこりと嗤う。

 

「ヒッ」

刹那、思わず悲鳴が漏れてしまう。かつて感じた事のない恐怖が彼を襲った。

 

ありえない……。あんなに美しいのに、あんなに恐ろしいものがこの世界に存在するのか、と。

 

榛名がゆっくりと動く。反射的に秋月が逃げようとするが、瞬時に榛名の動きが加速する。その早さは人の常識を越えたもので、その早さに人間ごときが対応などできるはずもない。艦娘の身体能力の高さを頭では理解していたが、これほどまでに人間とは違うとは思っていなかった。慌てて構えようとした銃を一瞬ではじき飛ばされる。

 

「あうあう」

彼女は、自分を殺すつもりに違いない。艦娘は人間に対して危害を加えることができないよう、調整が為されている。これは軍隊にいる人間にとっては当たり前の事だった。故に、艦娘が人間に対して攻撃的な態度を見せることなど想像もしたことがなかった。しかし、そんな常識は今の榛名には通じない。現に、彼女は3人の人間を殺害している。それもどうみたって素手で、まるで人をオモチャのように壊しているのだ。

 

明らかに、榛名は壊れている。

艦娘としては壊れている。

 

それは明確な事実だ。彼女にとって、人を殺すことは造作もない事。……そして、自分では対処しようがないことも分かっている。彼女からはまるで殺意は感じられない事が余計に恐ろしく感じる。しかし、何故かそんな自分の未来を想像し、興奮してしまう自分がいた。

 

秋月は足払いを掛けられ、受け身もとれずに転倒させられる。背中を激しく打って呼吸ができなくなり、無様に喘ぐ。

榛名は彼に馬乗りになり、見下ろしながらニコリ微笑む。おぞましいく恐ろしく、しかし、とてつもなく妖艶で美しい笑顔だった。驚くほど近くに憧れの女性がいるのだ。二人の体が密着しているのだ。

見上げる彼女の起伏に富んだ体に、自分の状況を忘れて見とれてしまう。秋月は、そんな状況下で、自分の股間が自らの意志と関係無く過剰反応しているのを意識してしまう。

 

「気持ち悪い……」

蔑むような表情を浮かべた榛名は、一言呟く。ゆっくりと右手を振り上げたと思うと、秋月の頬を張り倒す。そして、続けざまに、彼女は彼を何度も何度も平手で頬を叩く。彼女に取っては何気なく振り下ろしたであろう一撃一撃は、成人男子に殴られるくらいの衝撃があった。頭が左右に振られ、意識が持って行かれそうになる。両手で防御しようとするが、防御してもほとんど効果が無いほどだ。

 

自分の事を邪魔な虫けら程度にしか見られていない榛名に恐怖するとともに、興奮してしまう。けれど、このまま蹂躙されていたら、きっと死んでしまう。彼女にとって自分は殺すに値しない存在だろうけれど、こんなに殴られたら死ぬ!

 

「た、ったたたたたたたたー助けてくだっさーい」

殴られながら必死で叫ぶ。叫んでも殴られる。歯がへし折れる感覚。

「お。うおう、おねがげえでせううっ」

声が届いたのか、彼女の動きが止まる。

今しか無い。このチャンスを逃したら、本当に殺されてしまう。殺意を持って殺されるのではなく、そこに何の意志もなく、ただ虫ケラのように殺されるなんてたまったもんじゃない!

 

「お、おおお、お願いです。た、助けてください。命ばかりはお助けを! お願いします。何でもします何でもやらせてください」

恥も外聞もない。とにかく必死に願い念じなければ死ぬ。言葉を途絶えさせぬように叫ぶ。このままでは死ぬのだ。そう思ったら、どんな恥ずかしい事でもできる。

 

「……うふふ。鼻水垂れ流して、あなた、とっても汚いです。気持ち悪い上に、情けないです。そもそも、私に欲情して、恥ずかし気も無く股間を膨らますような変態に、何ができるというのですか? こんな気持ち悪い存在なんて、生かしていいのかしら? 」

淡々とした口調のままで、見下すような視線を向けてくる。

 

「何でも、あなたの為なら何でもできます。何でも、何でもします。ぜひぜひぜひ、やらせてください」

それだけは、本音だ。恐怖に駆られて言っている訳では無い。榛名という女性のためなら、何だってできるつもりでいたのは事実なのだから。

「い、今のままだと、あなたの鎮守府での立場がとても不味いことになります、なるんです。そんな血まみれで基地をふらついていた事実、そして、向こうに転がっている死体の存在。誰が見ても二つの事実を関連づけてしまうでしょう。……いらぬ疑いを掛けられると困るのは榛名さん、あなたではないのですか? 」

とにかく生き抜くためには何でもやらないと。秋月は必死だった。

 

「そうですね。確かに、あなたに見られてしまいましたものね」

クスリと榛名が笑った。

「目撃者は消さないと……提督がよく仰っていました」

 

「ま、まっまっまままっま待ってください」

慌てて叫ぶ。いきなり極端な行動に出ようとする彼女を止めなければ。マジで殺される。

「そ、そうです。て、提督に、提督にこんな事を知られたら不味いでしょう? 私なら、それを何とかして見せます」

 

「ん? ……提督に知られたら? ああ、冷泉提督に、ですね。確かにそれは今は困ります。あの人をどうにかしないといけませんからね。ここで彼の信頼を失ってしまったら、私は提督に合わせる顔がありませんから……。なるほど、その意見には同意しましょう」

 

どうやら榛名の言う提督と秋月が思う提督は違う存在らしい。それが何を意味するかはよく分からないが、そんなことはどうでもいい。今は、この窮地を逃れることが先決。

「私を助けてくれたら、今後、あなたの為に私は行動します。あなたの影となり、あなたをお守りします。これでも鎮守府兵士です。人脈もあります。あなたが何を目的にしているかは、今の私にはわかりませんが、鎮守府内にあなたの味方がいることは何の不利益もないことだと思いませんか? 」

 

「あなたが私を裏切らないという保障がどこにもありませんけど」

 

「その気配を感じたら、すぐにでも私を殺せばいいでしょう。どうせ今でもこの命、あなたの手の中にあるのですから。そして宣言しましょう。私の忠誠心は、海軍に、いえ、舞鶴鎮守府に冷泉提督に向けられているわけでは無い事を」

話している内に落ち着きを取り戻してきた。話している内に、目の前の榛名に対する恐怖心が薄れているのを感じていた。もともと美しい存在だから恐怖を感じる事が不思議なのであるけれど。

榛名は、少しだけ物思いに耽るような仕草を見せる。しかし、それはほんの僅かな時間でしかなかった。すぐに決心をしたようで、

「分かりました。あなたの命、私の物にしましょう。私の為だけに行動してもらえますか? すべては私の利益の為に」

 

「喜んで。この命、榛名さんの為に。持てる全てをあなたに捧げましょう」

榛名の言葉に恐怖を感じながらも、心から頷いてしまう。それが自分の使命であるかのようにさえ感じてしまっている。

 

契約が完了すると、すべて終了したかのように榛名は立ち上がる。

慌てて秋月も起き上がる。全身に痛みが残るが、今はそんな事に不平を言っている場合ではない。榛名に忠誠を誓った自分の為すべき事は決まっている。

 

彼女に対する疑いの元になるものをすべて排除する事だ。

まずは、死体の始末と血まみれの榛名の衣服の処分だ。幸い、まだ鎮守府は混乱の最中にある。このどさくさにすべてをやり遂げないといけない。死体は車で運び出し、車ごと海に処分する。衣服については、勝手に手近な宿舎に忍び込み、女物の服を盗んで彼女に渡す。少し違和感はあるかもしれないが、艦娘だった戦場に出る時以外は私服を着ることだってある。徘徊癖のあることがみんなに知られている榛名なら、誰も疑わないだろう。少なくとも血まみれの服を着ているよりはマシだ。それから、先程拘束した男は、恐らく榛名に殺された連中と一緒に行動していたはずなので、敵が持っていた銃器で射殺しておく。

後で確認しておく必要はあるが、監視カメラに榛名達が写っているかもチェックしておく必要がある。最初の敵の侵入の際に、警備システムへのハッキングも行われたようだし、連中も行動を把握されないようにカメラを破壊したりもしている。宿舎のあるエリアは主要警備施設があるわけでもないので、監視は弱い。故に、心配するほどのことは無いだろうけど、ここはきちんとやっておく必要がある。幸い、警備担当にも仲間がいるから、少し袖の下を渡せば何とかなるだろう。ならなければ、強硬手段に出るだけだ。

 

すべての作業を済ませると、秋月は榛名に付き従うように歩く。

無線からも鎮守府の状況は把握できる。

 

すでに鎮守府には陸軍警備隊の兵士達が大挙して押し寄せ、敵侵入者の掃討作戦が開始されているらしい。その攻撃は凄まじいまでに徹底かつ執拗らしく、重火器を用いて飽和攻撃を行っているようだ。

まるで、彼等の不手際の証拠を隠すつもりじゃないかというほどの攻撃らしい。まさに虐殺に近い状況なのだろう。敵の武装はそれなりであたかもしれないけれど、町のチンピラレベルでしか無いスキルしか持ち合わせていないことはすでに明らかになっている。それに対して圧倒的多数で装備も格上、スキルに至っては話にならないレベルの兵士達が送り込まれているのだ。それも当然だろう。

誰にそそのかされたのか分からないが、あまりに愚かな連中だった。

けれど、そんな連中に蹂躙されてしまった舞鶴鎮守府の警備体制も批判されてやむなしだろう。

 

やはり、冷泉では力不足だ。

自分であったなら、もっと上手くやれたはずだ。

そう思う秋月だった。

 

陸軍掃討作戦により、鎮守府の危機は去った。

敵侵入者の生存者は、ゼロ。

 

重火器で武装した敵との戦いでは手加減はできなかったという理由だ。もっとも、どういう経緯で敵が鎮守府に侵入できたか、何が原因かなどは、調査継続という処理となった。

 



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第152話 アナトの天秤

避難を完了した加賀達から、叢雲に対して交通信があった。そして、心配していた叢雲に彼女達たちの無事を報告してくれた。ほとんどの艦娘も避難を完了していているとのことだった。

 

「そう、それは良かったわね」

それを聞いて、言葉は素っ気なくしか言えなかったけれど、叢雲は心の底から安心した。

 

しかし、現在、榛名の消息が分からない状態であり懸命に捜索中であることも伝えられる。それから、今更感があるものの、陸軍の応援部隊が到着し、現在、敵の掃討作戦を行っているらしい。部隊指揮系統に混乱があり、状況の把握が遅れた結果、援軍に駆けつけるのが遅れてしまったと図々しくもほざいていたらしい。

 

「増援部隊の事はともかく、榛名の件は、心配だけどどうしようもないの。いくら呼びかけても応答が無いの。全く、何度も注意してたのに、よりによってこんな時に行方知れずなんて。もっときつく言っていればよかった。……彼女、少し行動に変なところがあるから」

と、ぼやくように加賀が呟く。どことなくそこには諦めにもにたものが感じ取れたが、叢雲は何も言わなかった。

確かに、榛名は鎮守府に着任してから、どうも行動がおかしかった。それは、みんなが認識しているわけではあるけれど、特に作戦に支障が出ているわけでもなかったから、それ以上は誰も追求しようとはしなかった。……呉鎮守府でずいぶん辛い思いをしていたという噂を聞いていたため、深く彼女に干渉しづらい雰囲気があったのも事実である。

 

どちらにしても、遠く離れたここからでは叢雲に出来ることは何もない。心配ではあるものの、陸軍および鎮守府守備隊の連絡を待つしかないわけだ。

 

鎮守府の被害状況もまだまだ全容は明らかではないらしい。それでも、加賀は言葉を濁すが、彼女達の様子からも、被害は甚大なようだ。

 

叢雲は鎮守府の状況はもちろん心配であったけれど、それ以上に敵対勢力に離脱した仲間の事の方が心配だった。けれど、現状はまだまだ鎮守府の被害状況の情報を収集中である事から、扶桑達への対処はその次にならざるを得ない。加賀達にこれ以上催促しても、酷というものだろう……。

 

「とにかく……一刻も早く、冷泉提督と一緒に鎮守府に帰るようにするから」

意地でも冷泉提督を連れて鎮守府に戻る事を宣言する叢雲。司令官無しでは、何もできないはずだからだ。

 

「提督は、手術中ではなかったのかしら? 」

と、呑気に問う加賀に対し、

「そんな事言っている場合じゃないでしょう? たとえ手術中だろうとなんだろうと、みんなが危険なんだから、意地でも連れ出してそっちに向かうわ。傷口が開いて腸がはみ出てたってガムテープで貼りゃあ、なんとかなるでしょう! 」

 

「な、何を馬鹿な事を言っているの。私達の事なんて、後回しで構わないのよ。何よりも提督のお体を最優先させるようにしてあげてちょうだい。こちらのことは、私達でなんとかするから。……いえ、しないといけないのだから」

健気に提督の身を案じる加賀。鎮守府や自分達の事より冷泉提督を優先している。そんな彼女の姿を見て……何故かイラッとしてしまう叢雲。

 

「何言ってるの? そんなに甘やかしたら駄目でしょう。指令官なんだから、組織のトップなんだから鎮守府の危機なのよ、すぐ動かないと」

 

「駄目よ。提督に今の状態を伝えたら、あの人は意地でもこちらに来ようとするわ。たとえ自分の体がどうなろうとも。けれど、提督にこれ無理なんてさせられない。今まででさえ、あんなに無理をしているのに、もうこれ以上の無理なんてさせられないわ」

 

「フン! アンタの我が儘のせいで提督があんな風になった事を気にしてるの? 何を今更そんなことを言うの? 」

と、叢雲は思わず口にしてしまう。加賀の言葉にどうしようもなく苛立ってしまい、感情を抑えられなかったのだ。

 

「叢雲、それは言い過ぎだぞ」

たまりかねて長門が会話に割って入る。

 

「ご、……ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃ」

叢雲は、弱々しい声で謝るしかできなかった。そんなこと分かっているし、聞くまでも無いこと。聞いてはいけないと思っている事なのに、口走ってしまったのだ。そして、そんな自分に唖然とする。

 

加賀は一瞬ではあるものの、辛そうな表情を見せたが、すぐにそれを押さえ込み平静さを装う。

「事実は事実として認めます。けれど、その事は関係無いわ。提督は手術中なのでしょう? あなたの話では、かなり大がかりな……。だったら、仮に手術が終わったとしても、麻酔が解けるまで時間がかかるでしょう? それに手術後にいきなり長距離を移動させることなんて、無茶でしかないわ。術後の経過観察だって必要だし、すぐに出発なんてできるはずないわ。させられるはず無いでしょう? 」

 

「そんなことは言われなくっても分かってるわ。だったら、鎮守府はどうするの? 敵の……深海棲艦じゃなくて人間っていうのは皮肉なものだけど、攻撃で大混乱になっているんでしょう」

 

「大丈夫。天ヶ瀬中尉をはじめとして、優秀な鎮守府の人達が今も懸命に働いてくれている。敵兵力はすでに鎮圧済みだし、消火作業や死傷者の収容も進んでいるわ。確かに、被害は尋常では無い事は認識している。そして、現在、鎮守府から外洋には出られない状態だわ。砲撃によってゲートが破壊され、修理をするにもまずは、それを撤去する必要があるのだから。鎮守府の工作船は、何者かによって爆破されて、港内に座礁してしまっている、修復できるかどうかもわからないけれど、使えるとしてもすぐには無理ね。かといって外からクレーン船とかを持ってくるには、軍部と民間企業との協定締結が前提だし、それ以前に外洋での作業は深海棲艦の攻撃の可能性があるから、艦娘による護衛無くしては危険が大きすぎる。余所の鎮守府から艦娘を派遣して貰うにしても、やはり時間がかかるわ。いろいろと障害が多くて、鎮守府の復興には時間がかかるけれど、提督がいなくてもみんなが力を合わせれば、なんとか乗り切れられると思うわ。いいえ、きっと大丈夫。だから、提督に無理をしていただく必要はありません。もし、提督が目を覚まされても、私達の力で乗り切るから大丈夫。部下を信じてくださいと伝えてください」

 

「じゃあ、じゃあ扶桑達はどうするの? そっちも大問題なのよ! このまま行かしてしてしまっていいの? 彼女達の行方を見失ったら、もう二度と彼女達を救うことはできないのよ。少なくとも何処へ行ったかくらいは分かるようにしておかないといけないわ。それに、今ならまだ彼女達を説得できるかもしれないんだから」

 

「扶桑達の追跡については、もちろん何も考えていない訳じゃないわ。鎮守府の艦娘は出航できないけれど、現在、広報担当に配属されている夕張と島風は、宮津港を母港に変更していたでしょう。だから、今回の攻撃の影響は受けていないの。だから、彼女達に扶桑達の追跡させようと考えている。今、天ヶ瀬中尉が決裁に回ってくれているわ。承認がが得られれば、すぐにでも指令を発出するつもりよ」

 

「駄目!! そんなことは、駄目」

突然、必死になって声を荒げ、反対してしまう叢雲。

 

「……何故? 」

驚いたように問いかける加賀に、言葉を詰まらせてしまう。

軽巡洋艦夕張は、過去の戦闘により船体の仙骨にあたる部分がが破壊されているため、戦闘には耐えられない状態だ。加賀の言い様からするに、このことも彼女は知らないのかもしれないのだろうか。それは未確認なので何とも言えない。

叢雲が知られたくないのは島風の事だ。駆逐艦島風の状況は、叢雲以外の艦娘は知らないのだ。島風は加賀を救出する際に、限界を超える連続稼働が原因で機関部に軍艦としては深刻なダメージを受けている。もはや戦闘に耐えられない状況になってしまっているということを。

そのことは、絶対に加賀に知られてはならない。それは島風と約束し、強く口止めされている事なのだから。

 

「……」

言葉を詰まらせてしまう。

夕張の件はともかく、島風が加賀を助けるために戦闘に耐えられない状況になってしまった事を、加賀は知らない。いや、冷泉ですら知らされていない事なのだ。そんな事を明らかにできるわけがない。

 

「何か不都合な事があるというの? 」

何も知らない加賀が問いかける。知らないだけに、その追求は厳しく感じられる。本当の事を言えば、どれだけ楽だろう。しかし、それは絶対に言っちゃいけない事なのだ。

 

「そ、その、……敵艦隊は、そうね数が多いわ。戦力差は明らかでしょう。もし、二人の追跡が発覚した場合には、巡洋艦と駆逐艦の2隻では、攻撃を受ければ沈められる危険性が高いでしょう……。仮にそうならなくても、戦闘で損傷を受ける可能性が高いわ。そんなことになれば、今後の鎮守府施設の補修に支障が生じるでしょ。工作船を護衛する艦娘が必要なのは、さっきも言ってたじゃない。余所の鎮守府から艦娘を借りるにしても、他の鎮守府だって今は手一杯だと思うし。それに、提督はよくわかんないけど軍部に敵が多いわ。きっと邪魔が入るはず。だから、他の鎮守府をあまり当てにはできない。そういう状況なんだから、余計なリスクを冒さない方がいいに決まっているじゃないの」

白々しいけれど、そう言うしかない。

 

「……確かに、そうですね」

拍子抜けしてしまうが、加賀も案外素直に納得したらしい。

「ならば、仮に提督が意識を取り戻されたとしても、結局のところ扶桑達の追跡は不可能ではないのでしょうか。外洋に出られる戦力は、あなた、長波、夕張、島風です。神通は改装中ですから、まず間に合わないでしょうし。これでは、あまりに戦力が乏しすぎます」

と、加賀に否定されてしまう。

「すべては、提督が意識を取り戻され、鎮守府に戻られてからになりますね。鎮守府より出撃が可能となった際に行動するしかありません。今、扶桑達を追わなければ、もう取り返しの付かない事になるかもしれません。けれど、現状ではどうすることもできないのですから。どうしようもない事をどうにかしようと考えても、無駄なだけです。結論は出ているのですから。私達は与えられた条件の中で何ができるかを考え、最善に近い事を行うしかないのです。ですので、私達は提督が戻られるまで、鎮守府の復興に専念することにします。叢雲も提督のお世話をきちんとしてあげてください。念を押しておきますが、決して焦らすような事はしないで。鎮守府の事は、私達に任せてと伝えてください」

言うべき事は言ったという感じで、通信は切られた。

 

そんなんで、いけるかっ! いけるわけ無いだろう!! 

 

叢雲は、苛ついて爆発してしまう。机をどんどんと両手で叩きつけてしまう。

 

何を悟りきったような事を言っているんだ、あのホルスタイン女は! 乳にばかり栄養が行ってるせいで頭に栄養がまわっていないに違いない。。それで、複雑な思考ができなくなってるんだ。

上手く島風の話題を逸らすことができたというのに、むかむかして我慢成らない。

「くそう! 提督をたたき起こしてでも帰るんだから! 」

そう言いながら提督の病室へと突撃する。わざとドアを強く開ける。

 

すると、そこには何故か、あの戦艦三笠が居た。

そして、冷泉がベッドに横になっていた。

 

彼は、まるで死んだように眠っている。眠る冷泉提督の寝顔を見て、意志をくじかれそうになる。安らかそうに眠る冷泉提督。もし、自分が彼を起こせば、また彼は戦いの中へと引きずり込まれてしまう。彼は鎮守府に着任してからずっと走りっぱなしだった。自分の体を切り刻みながら戦い続けていたといってもいい。もし叶うならこのまま眠らせてあげたい。本心はそうだけれど、今は冷泉提督がいないとどうにもならない事態なのだ。

 

「冷泉提督を迎えに来たのですか? 」

静かに三笠が語る。叢雲は緊張を隠せない。それでもなんとか頷いた。

「……見てください、実に幸せそうな寝顔ではありませんか。ずっと思い詰めたままの苦しそうな彼の姿が今はありません。重荷を背負い続け必死になってみんなの期待に応えようとがんばっていたのですね、彼は。限界を超えてもなお、戦い続けようとしていたようです。今はその重圧から解放されて、安らかな眠りの中にあるのです。もう少しこのままにしておいて上げたいとは思いませんか? 」

とても優しい口調で問いかけてくる三笠。

叢雲は、気圧されそうになるのを必死で堪える。緊張感が半端無いのだ。

本来、叢雲程度の艦娘では三笠と話す事どころか、同じ部屋にいることさえできないのだ。所謂、オリジナル艦娘といっていい彼女達は、艦娘と呼ばれる存在の中でも別格。戦艦と駆逐艦といったような序列とは違う、全く異なる序列が存在しているのだ。遥か雲の上の存在なのであった。一生話す事は愚か、顔を会わすことさえなくても不思議ではないのだ。艦娘の中での序列は厳しいのである。人間の元に使わされている艦娘の間ではもっとラフな関係が築かれるけれど、こちら側にいるオリジナルと呼ばれる艦娘とでは、天と地ほどの格差があるのだ。

 

「私は……私なんかが提督に指図できるような立場に無いことは分かっています。けど、……今、舞鶴鎮守府には提督が必要なんです。提督に今すぐにでも来て欲しいんです。私達の前に立ち、指示をしてもらいたいんです」

 

「情報は、私の方にも少しは入ってきています。艦娘の反乱ですか……。扶桑がそんな事を考えるなんて、信じられませんが事実は事実として受け入れなくてはなりませんね。確かに、舞鶴にとっては一大事でしょうね。あなたの言う事ももっともなことです。指揮官不在の状況では、混乱は必至でしょうからね。鎮守府の総意もその通りなんでしょう。けれど……」

そう言って三笠は、叢雲を見つめた。

叢雲は気圧されないようにするが、耐えきれないように目を逸らしてしまう。向こうは威圧するつもりなんてまるでないのだろうけど、ただ見られるだけで息苦しくなるのだ。

「冷泉提督の体の状況、あなたも知らない訳では無いでしょう? 彼はその改善のため手術を受けたばかりなのです。まだ傷口を縫合したばかりで、傷がふさがっていない状態なのですよ。今、彼に無理をさせるような事をしたら、いいえ、それどころか、あなたたちは戦いに連れていこうとしているのですよね。私たちと人間では、体の作りが異なるので明確に断言はできません。けれど、もし戦闘中に何かあったとしたら、彼の体は今度こそ持ちこたえられないでしょうね。何かあった時には冷泉提督の命の保障はできませんよ。もし、そんなことになっても、あなたは構わないと言うのですか。自分たちの為に、彼を犠牲にするのですか。……手術するにあたって検査をしてみました。……彼の体は、想像以上に酷い状態になっています。恐らくは領域に長きに渡って滞在し過ぎた事が原因と思われます。人間にとって、あそこは本来居るべき場所ではないのでしょうね。生田提督も自ら領域に乗り込んで行っていますが、それも控えさせなければならないでしょう。……それは別の話ですね。つまり……それだけ領域の瘴気による体の汚染度が酷いのです……。それだけではありません。深海棲艦の意志に取り込まれた加賀を救う際に、体内に打ち込まれた胞子が蓄積された瘴気を喰って成長し、彼の体を全身の隅々に至るまで胞子が蝕んでいたのです。総力を挙げた体手術を行い、胞子の除去はおおよそできたはず……ですが、まだ予断は許さない状況です。常時監視を継続し、不測の事態に備えておかないといけないでしょう。彼の全身麻痺は時間はかかるものの、やがて解消されると予測されています。それでも体に蓄積したダメージは取れないでしょうし、蝕まれた体の回復には、相当な時間がかかると思います」

 

「それは、……どれくらいの期間が必要と言うのですか? 」

 

「ふふふ、興味ありそうですね。そうですね、軽く見積もっても1ヶ月は必要ですね。全身の瘴気を無害化する必要がありますから。そして、それができる施設は、ここ以外にありません。だから、施術士としての見解ですが、この施設から出すことは認められませんね。それから、彼が回復したとしても、もう領域に入ることは彼が死んでもいいと考えるので無ければ、やめておいたほうがいいでしょう。今までは奇跡的に死なずに済んだ訳ですが、本来なら、長時間の領域での滞在は人間にとっては、死しか無いのですから。……あなた方は、彼の事を単なる形状の上司としてドライに考えているのでしょうか? どうせ何年かで異動するし、もしかしたら戦闘で死ぬかもしれない。そんな変わりの効くパーツか何かのように思っているんでしょうか。……うむ、なるほど!! たしかに、その方がお互いにとっていい事でしょうね。そこまで割り切っての判断であるなら、私には止めることはできませんけれど」

 

「そんなこと、……そんなこと考えてる分けないじゃない」

思わず叢雲は叫んでしまった。

「冗談でもそんなこと、言わせない。そんな薄情な事を私達が考えているとでも! 」

 

わざとらしく驚いたように三笠が見つめてくる。

「あら。では、どう考えているのかしら? お互いに利用し合うドライな関係で無くて? 」

 

「私は、冷泉提督の事が……好き……よ。人である彼の事が好きなのよ」

叢雲は語る。恐らく初めてその事を外に出したのではないだろうか? ずっと胸の内に秘め、誰にも言った事の無い想い。叢雲が冷泉提督の事を好きだということを吐露していた。

「けれど、私なんかじゃ無理……なのよね。提督の心の中には、加賀がいる。神通さんがいる。金剛がいる。島風がいる。不知火がいるわ。私なんかが入り込む隙間なんて、何処にもないの。……どんなにがんばったって、私が勝てるわけないもん。提督の心を私に向けることはできないって分かっている。もう、……そんなことなんて諦めているわ。彼の心に自分の居場所が無いってことも分かっている。けど、それでも私は、提督の事が好き、大好き。自分の事なんかより、ずっとずっと大切よ。だから、許されることなら彼にこれ以上戦って欲しくないし、ずっと安全な場所で居て欲しいわ。これ以上苦しんで悩んでいる姿なんて見たくないし、させたくない。ずっとずっと生きていて欲しいもの。……けど、それでも仲間を救って欲しいの。扶桑や、羽黒、不知火に漣、それに他の艦娘達も。だって、提督と同じくらい……みんな大切な仲間なんだもの。どちらを選べなんて選択、できっこない。自分で出来るものなら自分で解決したいわ。でも、私なんかじゃ、ううん、艦娘だけではどうにもならないの。でも……冷泉提督なら、なんとかしてくれるって信じているから。どんなに不可能な願いでも叶えてくれると思っているから。だから、だから!……。提督の事が大好きなのに、無理をしたら死ぬかもしれないって分かっていても、提督に縋るしかないのよ」

想いを言葉にする内に、どういう訳か泪が止まらなくなる。

「何言ってるんだろ。メチャメチャだわ。危ない事なんてしてほしくないのに、それをさせようとしているなんて。命の危険があるのに、みんなを助けて欲しいだなんて。でも、私にはどちらも切り捨てることなんてできない。けれど、自分では無力すぎて何もできないのが分かっている。だから、身勝手でしかないけど、提督に縋るしかないないのよ。今は一刻も早く提督を鎮守府に連れて帰って、みんなを安心させたい。そして、扶桑達の目を覚まさせてあげたいの」

 

そんな叢雲を、三笠はじっと見つめたままだった。その視線は、まるで、彼女の想いの強さを計っているかのようにさえ感じられ、負けてたまるかとにらみ返す。

 

「では、あなたはどうすると言うの? 冷泉提督の命を賭けてまで仲間を救わせようとしているのよ。では、あなたは彼の為に何を為すというのかしら? 」

 

「自分の命に代えても、提督は護る、護ってみせるわ。提督の力を借りることができるのなら、なんだってするわ」

挑むような視線を三笠に投げかける叢雲。遙か雲の上の存在であるはずの彼女に、そこまでの態度をとらせるほどの緊迫した雰囲気が二人の間にはあったのだ。まさに、真剣勝負の場になっていた。

 

「どんなことでも? ……するというのですね。うふふふ、はたして、できるのかしらね、本当に」

 

「当然よ。この命だって賭けてもいいわ。だって、私の命で済むなら安い物だわ」

叢雲の言葉を聞いた時、三笠がニヤリと笑ったように見えたのは気のせいだろうか。

 

「あなたの想いの強さは、よーく分かりました」

そう言って彼女は、おもむろに条件を出した。それに従えば、提督の出発を認めようと。

 

「そ、それは……」

思わず言葉を詰まらせてしまう。

 

「あら? ……なんだってするって言いましたよね。これくらいの条件、得られる物に比べればたいした物ではないでしょう? 」

不思議そうな顔で見つめられ、叢雲は怒りがこみ上げてくる。

 

「それを飲めば、……冷泉提督を連れていっても良いのよね」

 

「はい。万全とは言えないまでも、移動に耐えられるだけの処置は彼に施してみましょう。それは約束しましますわ。ただ、これまでのような無理はそれほど利かないということは、忘れないでくださいね。……そして」

 

「そして、何なの」

また条件を出してくるのかと身構えてしまう。

 

「仮に冷泉提督が行ったとしても、どうにもならないかも知れないということを忘れないでくださいね。彼の力をもってしても、どうにもならないことがあるという事を。もし、そうなったとしても、私との約束は履行して貰いますので、ね」

冷たく言い放たれる。リスクに応じた結果が出るという訳では無いという念押しだとわかり、腹が立つが仕方が無い。こちらには選択肢が無いのだから。

 

「そ、そんな事、分かっているわ。それに約束を反故にするっていったって、もう後戻りはできないんだから」

 

「……そうですね。それを理解してくれているのなら、それ以上言う事はありません。ただ……」

 

「ただ、何よ」

 

「この約束の件は、決して冷泉提督には言ってはなりませんよ。彼が知ったら全て無かったことにしますから。もちろん、進捗状況によっては提督にもリスクを背負って貰うということですね」

小馬鹿にしているような口調だ。

 

「そんな事分かってる! 」

思わず怒鳴ってしまう。冷泉提督が、叢雲と三笠の約束を知ることがあったなら、すべてを投げ出してでも叢雲を助けようとするのは間違い無い。艦娘の為なら何だってするような人だから……。もちろん、それは叢雲のためにという訳では無い。誰であっても同じような行動をする人なのだ。

 

「うふふふ、安心しましたよ。では準備に2時間ほど必要ですので、あなたも出航の準備をしておいた方がいいでしょう。燃料や弾薬の補充もしていただいて結構ですよ」

無言で頷くしか無かった。

 

ただ、心に誓った。提督は絶対に守ってみせると。

 



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第153話 出港

何かに急かされるような感覚に、冷泉は目を開いた。

確か、手術の為に麻酔をされたはず……。

横向きに寝かされているようで、すぐ側に人の気配を感じた。

手術室の風景とは大きく異なっていたため、どうやら手術は終わったことだけは認識する。

 

しかし―――目覚めは、最悪だった。無理矢理に目覚めさせられた時に感じる感覚にそれは似ていた。

 

目眩と吐き気が同時に襲って来る。おまけに耳鳴りも酷い。微妙な寒気もするせいか、何か高熱の状態なのかと思ってしまう。さらには、頭の中に靄がかかったようで思考は曖昧であり、どうにもはっきりしない感覚が取れない。全身が微妙に自分の体のようには感じ取れず、宙に浮きふわふわしている感じだ。体の感覚がどうもはっきりしない。分厚い衣服を着込んだように、感覚が鈍くなっている。

これは、一体どうしたことなのか……。

 

「目が覚めましたか……」

声のするほうに視線を向ける。そこにいる少女。それが、戦艦三笠である事を認識する。

 

「本来でしたら、自然に目が覚めるまで眠っていただくべきなんですが、どうしてもお伝えしなければならない事態が発生しました。ですので、少し強引な手法を使って起こしてしまいました。……おそらく、気分は最悪かもしれませんが、許してくださいね」

予想通り、無理矢理に起こされた事を確認する冷泉。

 

しかし、そんなことはどうでも良かったのだ。

彼女の伝えられた事に比べれば―――。

 

舞鶴鎮守府で、艦娘の反乱が起こったのだ。それは舞鶴に属する艦娘の一部が冷泉の指揮下からの離脱を表明し、更には鎮守府施設に砲撃を行ったという事実。そして、それに呼応するかのように鎮守府の主要施設が爆破され、武装兵力が陸軍警備部隊の警備を突破して侵攻して来た事。

 

まだまだ正確な情報が把握できていないため、被害状況の全容は掴めていない。けれども、断片的な情報からでも鎮守府において多くの死傷者が出ているし、主要施設も甚大な被害を受けていることが分かった。さらに、ゲートを破壊されたために鎮守府の艦船が出撃できない状態となっている事も判明しており、事態の深刻さがよく分かった。

 

鎮守府を離脱した艦娘の数にも、驚かされることとなった。

戦艦扶桑、重巡洋艦羽黒、軽空母祥鳳、軽巡洋艦大井、駆逐艦不知火、初風、漣の合計7名―――。

 

そして、反乱の首謀者は、扶桑と不知火らしいことが告げられる。

 

彼女達を手引きしたのは、今は軍属から離れているものの、元海軍士官の永末という男だった。彼は、かつて舞鶴鎮守府で、冷泉の前任である緒沢提督の下で勤務していたが、ある事件をきっかけに軍務を離れていた。ある事件とは、緒沢提督の関係する事件のことであり、それに関連して彼も処断されたようだ。

軍から追われたはずの男が、最近になって頻繁に鎮守府に出入りしていた記録が残っていて、今回の事案については、ずいぶんと前から準備を計画的に進めていたのではないかと推測されている。しかし、確認できているのは彼だけで、その仲間達については全くしっぽを掴むことができない状態である。

 

永末一人で今回の事件を起こすことなど不可能なのは明らか。なぜなら、あれほど大規模な爆破が行われた事や、陸軍兵士達が周囲を厳重に警備する舞鶴鎮守府に武装兵力が入り込めるはずがないのだ。何者かが手引きしない限りは……。

 

状況を説明してくれる三笠の言葉を、朦朧とした意識ではあるが情報を一つとして聞き漏らさないように、必死になって冷泉は聞いていた。

聞いている内に、まだ自分は眠っていて、これは悪い夢でも見ているんだと逃げ出したくなるが、どうやらそんなことは許してもらえないみたいだ。

何で、どうして、どういうことだ? 疑問・疑問・疑問―――。ただ、それだけしかなかった。

 

何が何だか分からない。恐らく、まともな状態でも、理解力はそれほど変わらなかっただろう。それでも、ぼやけた思考でも何をすべきかは分かる。

冷泉は体を起こそうとするが、ほとんど動くことはできなかった。

 

「まだ動いてはいけません! 」

慌てたように三笠が声を上げる。

「冷泉提督、あなたは手術を終えたばかりなのですよ。そんな体で無理に動こうとすれば、縫合した傷口が開いてしまいます」

そう言うと冷泉の体にそっと触れ、落ち着かせようとしているのか意図的に優しい表情を見せる。

 

「し、しかし。今はそんな事を言っている場合じゃない。鎮守府が危機的状況なんです。俺が、俺が行かないと……」

とにかく、今は何をおいても冷泉が鎮守府に戻らないといけないのだ。

「何もかも、俺の失策なんだから」

そんな情けない言葉を吐き出すしか、できなかった。

「何で扶桑に、不知火に俺は声をかけてやれなかったんだろう。あいつらが何か隠しているような気がして、気になっていたんだ。なのに、俺は何もできなかった。……いや、何もしなかったんだ。他の艦娘たちの事だって、もっと気をつけていたら異変を感じ取ることができたかもしれないのに……。俺は、自分の事ばかり考えていて、何もかも後回しにしてしまっていた。面倒事を先送りにしていたんだ。それが原因で、あいつらを護ることができなかった……」

後悔したところで何も変わらない事は分かっているけれど、後悔を口にせずにはいられなかった。

 

「離脱とはいっても、羽黒と初風は自主的にというわけでは無いようです。正確には5人の裏切りということになりますけれど」

 

「そんな細かい話は、どっちでもいい事です。艦娘のためにって、俺はいつも偉そうにあいつらに言っていたんだ。でも、結局、何もできていないんだ。おまけに危機管理体制の構築さえも、まるでできていなかったんだ。常にそういった事に注意しておかないといけないのに、手を抜いていたんだ。……それらが原因で敵の侵攻を許してしまった。艦娘の離反を許し、敵勢力の鎮守府での活動を検知する事ができなかった。敵の侵攻を許してしまい、取り返しの付かない事になってしまった。すべては、ミスにミスを重ねた上に、何一つまともな対応が取れなかった俺の無能さが原因なんだ。……鎮守府指令官としては、本当に失格だ。けれど、その罪は今は置いておいて、今はとにかく、鎮守府に戻りみんなの指揮を執らないといけないんです。混乱の中にあるみんなを助けたい。俺なんかでは、たいしたことができないのは分かっています。けれど、なんとかしなければならないんです。いや、なんとかしたいんです」

 

「あなたのお気持ちはよく分かりますよ。……けれど、今、体を動かすことは、とても危険です。そもそも、危険なオペを成功させることができた事をまずは喜び、ご自身の体調を整えることのほうがあなたにとっては一番大事な事ではないかと思います。少なくとも、しばらくはこの地に留まり、安静に過ごす必要があります。あなたの命を大切に思うのであれば、今動く事なんて認められません」

冷静な口調で否定されてしまう。その言葉は穏やかなものだったが、強い意志が感じ取れる。

 

「俺の体なんてどうでもいい。みんなが俺の帰りを待っていてくれるはずなんです。こんなところで一人だけ呑気に休んでいるわけにはいかないんです」

 

「せっかく、全身麻痺の治療をしたというのに、今無理をすればまた元の状態……いえ、もっと悪い状態にに戻るかもしれませんよ? それでもいいのですか? 」

 

「今、何も為さずに後悔するより、何かを為し、それによって後悔するほうがいい。俺なんかの体のことなんて、この際、どうでもいいことなんです」

 

「では、はっきり言いますよ。仮に、今、あなたが帰ったところで、一体何ができるというのですか? 結局、何もできないでしょう? 」

と問う三笠に、冷泉は答える。

 

「鎮守府指令官としての責務を果たすのが一番の目的ですが、本音は一刻も早く、みんなの側に帰りたいんです。どんな形でもいい、彼等彼女らの力になりたいんだ。もちろん、それだけじゃない。今、まさに道を誤りつつある艦娘たちを救えるものなら救いたい。もちろん、俺なんかでできるかどうかは分からないけれど、彼女達が道を見誤ったのは、俺が着任したことが原因に違いないんだから。そもそも、俺なんかが舞鶴鎮守府に着任しなければ、これまで起こったような問題なんて無かったんだ。すべては、俺が悪いんです。だったら、偉そうな言い方だけど、自分にできるだけのことはしたい。そうすることが俺の責務だと考えています。最初からできないと諦めるより、とにかくやれるだけのことをやって、それで後悔するほうがマシなんです」

異世界よりやって来た自分が、前任の提督と交替する形で舞鶴鎮守府に来た事で、今のいびつな鎮守府の現実がある。それは間違い無いことなのだ。自分さえ来なければ、自分以外の人間が指令官となっていれば、もう少しまともな舞鶴鎮守府となっていたのかもしれない。その罪の意識に耐えられないのだった。

「……三笠さん、あなたは、すべてをご存じなのでしょう? 」

 

「さて、何の事でしょうか? 」

とぼけたように、目の前の艦娘は答える。

 

「隠さないでください。俺が何者であり、俺がどこから来たのか……をです」

 

「ふふふ……まあ、ある程度は、といったところでしかありません。勘違いされては困るのですが、私などがすべてを知りうる立場にある訳では無いのですから。確かに見てくれは偉そうに見えるかもしれませんが、私なんて、ほんの末端の存在でしかありませんよ。ですから、ほんのさわりの部分だけを知らされているに過ぎないのですから」

嘘か本当か曖昧な形で答える。しかし、彼女が言っている事なんて、ほとんどが嘘なんだろう。直感的にそんな気がした。

 

「じゃあ、全部教えます。俺は、この世界とは異なる、別の日本がある世界から来たんです。そして、その事を知る人間も、こちらの軍部にはいるようです。俺について更に語るなら、前の世界では、……日本は平和な国でしたから、軍隊なんてありませんでした。俺は、軍隊経験なんて全くない、それどころか会社でも部下を持ったことさえ無い、ただの下っ端のサラリーマンでした。そんな奴がこの世界に来た途端、いきなり、ゲームでしか知らない鎮守府指令官として任命されたのです。軍隊経験どころか、部下を持ったことすら無いんですよ、俺は。俺は、所詮その程度の人間でしかないのです。能力も素質も実績も経験も……何ひとつ持っていないなのに、いきなりこんな地位に据えられたんです。ははは、普通なら絶対に無理ですよね……。あり得ない話だ。実際、本当にきつかったですよ。嫌になって何度も投げ出しそうになりました。でも、それはできなかった。……俺の事を信頼して頼ってくれる艦娘や、部下達がいたからです。だから、たとえ能力が無いと分かっていようとも、それに応える必要が、義務あるのです。できるできないではなく、やらなくてはならないんだ」

 

「あなたの部下に対する想いの強さは、伝わってきました。立場上、強く拒絶しなければならないのですが、それでも絆されてしまいそうですね……。ふう、ダメですね。まだまだ甘いです、私も。そこまで艦娘達の事を思ってくれる人の為に、私としても応えてあげないと! って思ってしまいます。あなたは不思議な魅力のある方です。仕方ありません、できるだけのことはしてみましょうか」

呆れたような表情を見せ、大きなため息を付く三笠。その姿だけを見れば年相応の少女のように見えるのだけれど。

 

「ほ、本当ですか……。あ、ありがとうございます」

冷泉は素直に感情を表してしまう。

 

「……けれど、それを実現するには、私の、いえ我々の条件をいくつか飲んでいただく必要性があるのですけれど。それでも構いませんか? 」

喜ぶ冷泉に対し、釘を刺すような事を言う三笠。

 

「それはどんなことでしょうか? 」

思わず警戒してしまう冷泉。一瞬表情を曇らせるような素振りを見せた三笠に、慌てて否定する。

「俺ができることなら、なんだってしましょう。してみせます。鎮守府に戻らせて貰えるのならなんだって」

 

「その条件は、二つあります」

慌てる冷泉を面白そうに見ている三笠は、少し考えたようにして条件を提示する。

「一つ目は、今、提督と一緒にこちらに来ている叢雲の事です」

 

「叢雲がどうかしたのでしょうか? 」

唐突に出てきた艦娘の名前に思わず動揺してしまう冷泉。

 

「はい。提督はお聞きになっていませんでしょうか? 」

 

「何もあいつから聞いた事はありません。自分以外の事はづけづけ言うけど、自分の事になると、何も言わないですから」

思い返してみれば、文句はしょっちゅう言われていたけれど、叢雲から我が儘を言われた記憶が無かった。いつもあの子が困っているからなんとかしてやれとか、あそこではああ言った方がみんなが喜ぶ、言いやすくなるといったアドバイスみたいな事しか言われたことが無かった。

 

「実は、彼女の処遇の件なのです。叢雲はいつ終わるとも知れない深海棲艦との戦いにほとほと嫌気がさしているようなのです。仲間の死を乗り越え戦い続ける事に耐えられなくなっているのでしょう。できることならここに異動して、前線から身を退きたいと希望しているのです。詳しくは聞けていませんが、ずいぶんとこれまで辛い思いをしてきたのでしょう。我々としては、そういった嫌戦感情を持ってしまった艦娘を鎮守府に置いておくことで、敵との戦闘に支障が出るのは避けたい。それに、無理強いを続けることで、彼女の精神に支障を来す事も避けたいのです」

 

「そんなことを言っていたのですか……。全く気づきもしませんでした。何て事だ。やはり、俺は駄目な上司なのでしょう。言ってくれたらいいのに、ではなく、言える環境を作れなかったことも俺の責任です。それはともかく、そんな辛い思いをしながらずっと戦っていたなんて、……あいつ」

 

「彼女は、意地っ張りな所がありますからね。私の方から提督に相談するように言っておきます。……それで、もし、叢雲が今言ったような事を話したら、最優先で彼女の希望を叶えるようにしてもらえますか? 」

 

「叢雲が望むのであれば、それが叶うようにしてあげるのは当然のことです。あいつが望むのであれば、いくらでも応えてあげましょう。もし彼女が言わなくても、俺から聞いてみますよ。……けれど、そんなことが俺の出撃を認める条件なのですか? そんなことなら、条件とされなくても認めます」

 

「そうですか? 叢雲が鎮守府からいなくなるんですよ? 彼女は少し生意気な所はありますが、可愛い子でしょう? 辛くはありませんか? 」

少しからかわれているのかもしれない。

 

「あいつが可愛いかどうかは別として、……もちろん、あいつと別れるのは辛いですよ。はっきり言ってショックではあります。てっきり、舞鶴にいることをあいつは望んでいるのかと思っていましたから。俺と一緒にいることが楽しい……とまでは思わないけれど、彼女の希望に叶っていると思い込んでいた。少なからず好意を持っていて……もちろん男女に関するという意味ではないけれど、くれているってうぬぼれていたんだよな。俺が勝手にそう思い込み、あいつに無理を強いていたと思うと、本当に彼女に申し訳ない。すぐにでも彼女の希望を叶えるようにしたい」

それが冷泉の本音だった。

 

「優しい……のですね」

 

「無理強いなんてしたくないですから。それに俺にできることなら、それを叶えてあげないと」

 

「では、この件については提督の承諾を得られたということで……」

微笑む艦娘。自分の事のように彼女は喜んでいるようにさえ見える。

「あと一つ、条件が残っています」

 

「俺の権限でできることであれば、何でもします。特に、艦娘の願いであれば、なんとしても叶えてあげたいですから」

そう言い切る冷泉を何故か冷めたような目で見ている三笠。

 

「これは艦娘の配置計画にかかる話になります。提督のところにいる戦艦金剛の事なのですが、実は舞鶴からこちらに迎え入れたいと考えているのです」

淡々と話す艦娘の言葉に、驚きを隠せない冷泉。金剛を鎮守府から引き抜く?

「金剛を異動させるというんですか? 」

 

「その通りです。そして、横須賀鎮守府へ配置換えをさせたいと考えています。もちろん、本人にも確認していますよ。彼女は前向きに検討してくれるそうです。けれど一つ問題があって、どうやら舞鶴鎮守府は彼女にとって特別な場所らしく、離れる決心がつかないそうなのです」

 

「それは、どういうことなのでしょう? 」

 

「簡単です。金剛があなたの事を好きだからです。ただそれだけのこと。ですが、これこそが、もっとも大きな障害とも言えましょう。我々としては、彼女を改二改装を施し、より強い戦艦となることで深海棲艦との戦いに重要な役割をはたす艦娘だと考えています。横須賀は本格的に領域討伐を計画しています。その計画の実行に彼女は欠かせない存在となっています。そして、最高の部隊の第一線で戦うことは金剛の希望に添うものでもあるのです。ですから、提督にお願いします。より厳しい場所での戦いを望んでいる彼女を、あなたの束縛から解放してやってもらえませんか? これは横須賀鎮守府だけでなく、日本国全体としての戦略にも叶うのですから。横須賀には、大和そして武蔵がいるけれども、まだまだ作戦を遂行するには戦力不足なのです。だからこそ、金剛が必要とされているのです。生田提督もそれを望んでいます。……さすがにこちらについてはすぐに、とは言えませんね。あなたの出撃と交換条件とまではするのは卑怯かもしれません。けれど、金剛も望んでいる事。ぜひ検討してもらえませんか? 」

 

「さ、……さすがにそれは」

その提案は、冷泉にとっても舞鶴鎮守府にとっても、あまりに非常に厳しい条件であった。すぐには言葉が出てこない。

 

「どうですか? 」

イエスを求める三笠の問いかけ。

 

「金剛は、舞鶴鎮守府にとって、とても重要な艦娘です。今回、鎮守府に発生した事案により、扶桑たち多くの艦娘が離脱しています。もはや艦隊編成すらできない状況と言えるでしょう。そんな時に、戦艦たる金剛までを失うことになったら、鎮守府としてはどうにもならなくなってしまいます。さすがにそれは……」

離脱した艦娘を除いた舞鶴鎮守府の陣容では第一艦隊を編成しただけで、もうほとんど余剰戦力が無くなってしまう。戦闘で損傷する艦娘が出てしまえば、予備戦力もほとんど無く、出撃すらできなくなってしまうだろう。それどころか、守備艦隊も遠征艦隊も編成できないのだから。そんな中で艦隊の主力となる戦艦が抜けるなんて、艦隊運用の面からしても認められるはずがない。

 

けれど……。

 

「やはり、難しいですね」

諦めたように、しかし、予想通りといった感じで三笠が頷く。

 

「確かに、金剛がいなくなるのは鎮守府としては厳しい。厳しすぎます。しかし、それでも彼女が望んでいるのであれば、その希望は叶えてあげたい。より上を目指したいのであれば、その希望を叶えてあげたい。多くの艦娘が抜けてしまい、大変な状態であるけれど、それでも金剛が望むのであれば、それを優先させてあげたいんです。司令官としてはあり得ない考えなのですが。……こんなことを考えてしまう自分は、指揮官としては失格ですね。それでも、俺は認めてあげたい」

自嘲気味に応えてしまう。

 

「本当に構わないのですか? 」

その問いかけには冷泉は頷くしかできない。 

「もちろん、新たな艦娘を鎮守府には派遣するように働きかけます。代わりの艦娘が金剛の穴を埋められるとは思えないけれど、それでもいないよりはいいでしょうから。もちろん、今回の事件を鑑みて、日本国としても艦娘の補充の要請もあるでしょうから、極力、鎮守府の損失を減らす方向になるとは思うのですが。……金剛の話、安心しました。私としても彼女の活躍の場が広がることはとても嬉しいです。……ただ、あなたが異動しろと金剛に命じても、すぐには納得はしないでしょうね。彼女はあなたの役に立ちたいと思っていますから。艦娘としても女性としても……です。その想いは、鎮守府の艦娘の誰よりも強いですから」

 

「俺は、艦娘にそこまで思われるような存在じゃありません。仮初めの提督でしかないんですから。そもそも、俺への感情は彼女の勘違いだと思っています。前任の提督である緒沢という人への想いが、そのまま俺に向けられている偽りの感情でしかないのです。実際のところ、俺は真実を話していないんだから、結果として彼女を騙しているようなものなんです。……だから、俺は彼女の想いには、応えられない。応えちゃいけないんですから」

 

「ならば、……厳しいことを言いますが、あなたが彼女の想いにケリをつける後押しをしてあげなければなりません。このまま鎮守府に縛り付けることは、彼女にとって不幸な事でしかありません。報われることのない想いを抱いたまま、死地に赴く戦いに出さされるなんて、軍艦として辛すぎます。……もちろん、女としても」

 

「分かりました。……俺から彼女に伝えます。俺がきちんと決着をつけます。彼女に嫌われるかもしれないけど、そのほうが彼女にとっても良いことなんですから」

覚悟を決めたように、冷泉は話した。

それを満足そうに見つめる三笠であった。

 

そして、応急的処置(3時間程度かかった)をなされた冷泉は、待機していた叢雲と共に出航することとなる。手術は完了したものの、まだ体は自由にはなっていないため、車椅子に乗っておかないと駄目だけが。

なお、長波は改装中の神通と共に留まることとなった。いろいろと不平を言っていたが、それは仕方のない事だ。みんなのことをお願いしますと必死に訴えかけてきたのには、少し辛くなったが。

 

なお、随行として補給艦速吸が同行することになった。

「駆逐艦だけでは何かあったら大変でしょう。速水なら艦載機も搭載しています。少しは役に立つかと。一時的な貸し出しではなく、ずっと提督のお側で働かせてやってください」

三笠に背中を押され、恥ずかしそうに彼女がお辞儀をした。通常の手続きではない艦娘の異動ではあるが、三笠クラスになるとそういった艦娘の人事権も与えられているのかと納得するしかなかった。

 

二隻の軍艦は出港し、北回りで舞鶴鎮守府を目指すこととなる。

冷泉はこの先起こるであろう困難を想像し、気分が滅入りそうになるが必死になって自分を奮い起こすしかなかった。

 

叢雲にも声をかける必要があるのだけれど、何故か彼女が目線を合わそうとしない。話のきっかけがつかめず、そのまま出港となってしまった。

出発してしまえば、もう破壊された鎮守府のこと、扶桑達のことを考える必要があるため、叢雲の事、そして金剛の事は考える時間は後回しとなってしまった。

 

とにかく、一刻も早く舞鶴に戻るのだ。

そのためには、大湊鎮守府の葛城提督とまた顔を合わせ、頭を下げて許可を貰わないといけないのだと思うと、また頭が痛くなる。それどころか、艦娘を何人か借りる話しもつけないといけないのだから。決して良好ではない関係であるため、厳しい交渉が予想されそうだ。

 

 



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第154話 三笠と速吸

若干の不安はあるものの、彼の強い意思であることから拒否するわけにもいかないだろう。そういった理由付けで、今後時間をかけてゆっくりと行うはずだった処置を前倒しで行う指示をした。慌ただしく動き回るスタッフを眺めながらも、ここに派遣された人材は非常に優秀。何も心配することはないと確信していた。冷泉提督は、その優秀なスタッフにより、ストレッチャーに乗せられて処置室へと運ばれていった。

後は彼等に任せるしかない。数時間の内に処置は完了し、彼は出航できるだろう。

 

三笠は大きなため息を付いた。

ふと視線を感じ、そちらを見ると、給油艦速吸が立っていた。

そういえば、彼女を呼んでいたのだった。何か言いたげにこちらを見ているので

「どうかしましたか? 速吸」

と、問いかけてしまう。声を掛けられた艦娘は、ドギマギしながらも答える。

「は、はい。……何だか三笠様、いつもより楽しそうでしたので」

 

「うふふふ。……そうですね、確かに、気分がいいですね」

自然な乾燥が口からこぼれ出す。そういえば、久しぶりになんだか気分が高揚しているようにさえ思ってしまう自分がいる。それは、ある意味驚きである。

「確かに、交渉は大成功といったところですね。思った以上に譲歩させることができてしまい、ちょっと、こちらが戸惑ってしまうくらいですかね」

そう言って、普段なら艦娘には話すことがないような自分の思いまで喋ってしまう。もちろん、普通の艦娘相手ならここまで油断はしない。相手が速吸だから、いろいろと面倒な事を心配しなくてもいいからだろう。

 

三笠は、冷泉提督に対して、自らの要求を完全なまでにのませたこと。そして、駆逐艦叢雲にも要求をのませたことを語る―――。

 

冷泉提督に対しては、叢雲が鎮守府を離れたがっているという嘘の情報を与え、もし彼女が願えばそれを叶えると約束させた。さらに、戦艦金剛が舞鶴を出て横須賀で自分の実力を試したがっているという偽の情報を与え、そうすることが彼女の為にもなると信じさせ、これについても承諾させたことだ。

 

また、叢雲に対しては、彼女の意志に反して舞鶴鎮守府から出たいと冷泉に訴えさせ、その願いを冷泉提督に承認させることを誓わせた。そして、第二帝都に異動することと、二度と冷泉に関わらないことを承諾させた。……冷泉提督に想いを寄せている彼女にとっては、とても辛い事だろう。

ずいぶんと酷い事をしたように思えるかも知れないけれど、それくらいの代償を払って貰わさないと、

他の人間達から冷泉だけが優遇させていると判断されてしまうからなのだ。人とは愚かで欲深く、そして嫉妬深い。何かを得たなら、何かを失うという事実を見せておかなければならない。

 

つまり、これは仕方のない事なのだ。

 

常に我々、艦娘は中立なければならない……。

人間の中で、誰か一人に肩入れするような事になったら、人間と艦娘の共存関係に影響が出てしまうからだ。

人間達と交流を持つようになって、とにかくいろいろと面倒な事が多いのである。……そんな愚痴まで速吸にこぼしてしまうとは。ずいぶんと疲れているのかもしれない。

 

「まあともかく、あなたは冷泉提督の側にいて、彼をサポートしてあげなさい」

 

「けれど、ただでさえ艦娘たちの反乱で舞鶴鎮守府の戦力は削がれているのに、金剛さんに叢雲さんを引き抜いてしまうなんて、冷泉提督が可哀想ですよね。あ、すみません。三笠様には何か特別なお考えがあるのでしょうけれど……」

 

「ふふふ。実は、特に何も考えていませんでした。ただ、叢雲さんが冷泉提督の事を本気で好きみたいなので、少し嫉妬して悪戯したくなっただけです。それから、金剛さんの事も、横須賀鎮守府が欲しがっているのは事実なんですよ。戦艦は領域攻略戦において必須の戦力ですからね。特に金剛は、舞鶴ではどういうわけか燻ってるようですけど、本当は凄く優秀な艦娘なのですから。あの生田提督だって、喉から手が出るほど欲しいのは間違いないようです。けれど、さすがに舞鶴のエース艦なのですから、無理だと諦めているはずなんでしょうけど。それでも派遣要請をしているくらいですから、彼の熱意も本物なんでしょうね。だから、冷泉さんの弱みにつけ込んで、彼女を取り上げてあげました。これは金剛の為にもなることですからね。そして、そうすることで、あの生意気な生田提督に対するカードを手に入れることもできますからね。私があなたの望みを叶えるためにどれほどの努力をしたかをアピールする絶好のチャンスですから。そして、彼女を交換条件として、彼からも何かを取り上げる事もできそうですし……ね」

恐らく邪悪な笑みを浮かべてしまっていたはずだ。速吸がなんだか怯えたような表情になっている。慌てて笑顔を作ってみる。

 

「……えっと、それだけなんでしょうか? 」

自分は何も見てません、とアピールするように速吸が話題を切り替える。

 

「そうですね、冷泉提督にこんなことをするのは、うーん、なんなのでしょうね。本気で面白いから……はい、そうかもしれませんね。彼が困ったり、苦しんだりするところは、見ていてとても楽しいんですよね。ワクワクしてしまいます。同じように、生田さんが困ったりする姿を一度くらいは見てみたいですね。彼ったら赤城さんの轟沈した時ですら、表だっては取り乱したりしませんでしたからね。悲しんでいるのに強情です。そんな彼が泣き喚き途方に暮れる姿も見てみたいですね」

その姿を想像し、笑ってしまった。

 

「……提督は他にもいらっしゃいます。お二人以外については、興味ないのですか? 」

若干ではあるが、顔を引きつらせながら応える速吸。

 

「他のおじさま提督……よぼよぼのお爺さん、いえ狸ジジイといった方がいいですね、とか、年増の気が強いだけのおねえさまには興味が沸かないんですよね。好みじゃないし、俗物としか思っていませんから。まあ、彼等も何か裏でコソコソ企んでいるみたいなので、その成果がどうなるかは楽しみではあるのですが。いろいろと冷泉さんや生田さんに絡んで迷惑掛けそうですし……ね。うふふふ」

驚きとも呆れともいえるような表情で速吸が見ていることに気づき、あわてて三笠が否定する。オリジナル艦娘である威厳がどうも失われてしまっているかもしれない。

注意しなければ。

 

「勘違いしないでくださいね。これらすべては、私が意地悪だからというわけでは無いのですよ。すべては、【存在】のご意思のままなのですから。私はそれを受け入れ実行しているだけなのですから」

 

「そうなんですか? 」

 

「もちろん、そうですよ」

と、あっさり答える。

「とにかく、冷泉提督……彼の能力は特別すぎるのです。考えても見てください。本来、沈むはずだった加賀や長門を自らの勢力として取り込んでしまったのですよ。あの結末は、【存在】も予想していなかったのではないでしょうか? 長門については、やがてこちらに帰るしかない運命ではありますけれど、加賀はしばらくは冷泉提督の側でいるでしょうし、彼女が冷泉提督の為にって、彼女らしくなく本気になったら、わりと厄介ですから。ちょっと予定が狂っちゃいましたね。少しくらい嫌がらせしないとね。それから、……【存在】は意識しているのかは分かりませんが、冷泉提督に何かと肩入れしすぎています。

この二つの要因、それはこの世界の均衡を崩しかねないほど……。私たちは、そのバランスをとるために、彼と艦娘には試練が、過酷な運命が必要なのです。我々に理不尽にかせられた課せられた命題を解くためにも、いかなる犠牲も問える状況ではないのですから」

本当はいろいろと理由があるのだけれど、これ以上は速吸が知るべきことではない。彼女はそこステージにいないのだから。余計な情報は不要だし、知れば枷になるだろう。そう思った三笠は、一端言葉を止めるのであった。

「それに、奪うだけでは無いですよ。今後、舞鶴鎮守府には続々と艦娘が補填されることになります。血の入れ替えといってもいいでしょう。緒沢さんの呪いにこれ以上艦娘達を苦しめさせたくないですからね。初期化させられればベストです」

 

「そうですね。舞鶴の子達は本当に可哀想。だから何もかも無かった状態に戻るほうが、幸せだと私も思います」

 

「はい。けれど、冷泉提督の影響を受けた子達が素直に言う事を聞くとは思えないので、いろいろと手を回さないといけないのですよね。こういったイレギュラーな出来事は正直嫌いなのですが」

 

「そうですか? なんだか楽しそうですけど」

 

「ふふふふ。そうかもしれませんね」

 

「私は、冷泉提督のお側で何をすればいいのでしょうか? 」

 

「特に何かを依頼するつもりはありません。ただ冷泉提督のお側で彼を観察しておいてください。彼がどんな人となりか、あなたの目で見、感じてそれを報告してください」

 

「わかりました。では、冷泉提督を誘惑するような事はしなくていいんですね」

 

「したかったのですか? 」 

 

「い、いえ、そんなつもりなんてないです! あ、ありえません」

妙に顔を赤らめて否定する速吸を微笑ましく見つめる三笠。

「若いっていいですね。羨ましいです。けれど、冷泉提督を好きになるのは大変ですよ。強力なライバルがいっぱいいますし、彼と共にあることは、茨の道を選ぶことと同義になりますし。……私はおすすめしませんね。それでもそんな道をあえて選ぶ子もいるのですよね」

遠くを見つめるような表情で言う三笠。

「私もそんな経験をしてみたかったですね」

 

「ぐぬぬぬ」

ぐうの音も出ない速吸。

「叢雲さんを見てたら、冷泉提督って素敵な人みたいですから、気になっただけなんですから。それだけです」

 

「まあ、しばらくは彼と一緒にいられるのですから、よく観察し、判断すればいいのですよ。彼の行動を監視してもらうためにあなたを行かせるのですから」

 

「そ、そうなんですか? 」

驚いたように答える。

 

「そりゃそうでしょう。護衛の為だけなら付ける必要なんて無いでしょう? 護衛は表向きで、本当の任務は冷泉提督の監視および舞鶴鎮守府の状況報告です。人間達が何を考え、何を目指しているのかを定期的に報告することを命じます。……私の独断で派遣できる子があなたしかいないというのは秘密ですけれど」

 

「ひどいです。まあ、余っている艦娘というのは認めますけど」

 

「あなたの有効な運用は冷泉提督が考えてくれるでしょう。まあ、任務の為にも彼と仲良くすることも必要でしょうね。仲良くの定義についてはおまかせします」

 

「了解しました。この速吸、三笠様の期待に応え、いいえ、期待を上回るような成果を上げて戻ってきます」

そう言って敬礼をする。

そんな姿を見て、何故か微笑ましく思う三笠だった。

 

―――数時間経過。

 

冷泉提督への処置完了の報告を受け、三笠は駆逐艦叢雲が停泊している港へと向かう。

港には駆逐艦叢雲、同じく長波が停泊している。そして、すでに速吸も到着していた。駆逐艦と並ぶとその大きさがよく分かる。

今回は戦闘も想定されるため、装備を大幅に強化している。攻撃機を搭載することで戦闘においても冷泉提督をサポートできるようにだ。それから、いかなる状況であろうとも、彼女には生きて帰ってきてもらいたいという願いも込めていた。

他の艦娘と違い、速吸との交流時間は長い。彼女との思い出を自分だけしか知らないなんてことになるのは辛いから……。そんなセンチメンタルな気持ちになっている自分に僅かであるが驚いた。そして、そんな気持ちになるのも悪くないな、と思う三笠だった。

 

さて、叢雲と速吸は、出航準備を完了している。冷泉提督も車椅子に乗っているものの、ここに来た時よりもだいぶ血色も良くなっている。緊張気味な表情をしているが、これから自分の為すことの重みに耐えかねているのかもしれない。

少し心配になるが、決して表に出してはいけない。三笠は、いろいろと必要な連絡事項を彼らに伝える

「では、ご武運をお祈りしています」

最後に、それだけを告げる。

 

冷泉提督は、三笠が速吸を同行させる事に関して礼を述べ、必ず彼女を無事にお返ししますと力強く宣言した。

運命とは、すでに定まっているものかもしれない。けれど、それは私達ですら知ることのできない事。人間にはもっともっと見えないものだろう。そんな先の見えない事を、しかも、戦争に出撃する軍艦の事で安請け合いするなんて馬鹿な人間だと思うものの、恐らく、彼らならそれを実行しようと無茶な努力をするのだろうと呆れて、そして感心した。

 

「それでは失礼します」

冷泉は叢雲に車椅子を押されながら艦へと移動していった。速吸も三笠にお辞儀をすると、慌てて彼らを追いかけていく。

 

「さて、どうなりますかね」

三笠は、出港していく冷泉達を見送りながら呟いた。

それは、戦闘の結果とかそういったものを指しているのではなかった。冷泉提督と叢雲の間に微妙な距離感が、今後どのように変化していくかに興味を持ったのだ。ここに来たときには無かった、諦めにも似た感覚。自分の言葉でこの状況が作り出されたこと。そして、この先、自分が思い描いたような結末を迎えるのだろうかという不安。お互いの事を想い、そして惹かれあいながらも離れざるを運命。

三笠にとっては些細な事でしかないけれど、これがどう今後の舞鶴鎮守府に影響するのかは追跡調査する必要があるのだった。

 

 

出港すると進路を北へと取る。

何の指示もしていないが、叢雲は淡々と作業を続けている。

 

 

何も知らない冷泉達は、北回りで舞鶴を目指すこととなる。

「ふう……」

わざと溜息をついて、冷泉は隣に立ったままずっと前を見つめたままの叢雲の横顔をのぞき見る。しかし、それに気づいていないのか、彼女は真剣な表情を崩さない。普段の彼女なら、冷泉が視線を向ければすぐに気づいて「何見てるの! 」といった感じで、怒ったような、それでいて恥ずかしそうな顔でにらみ返してきていたのに。今日は、……いや、今は全然違うように感じる。

それが、叢雲の気持ちを知ってしまった事が原因なのは間違いない。そして、三笠さんがわざわざそのことを自分に告げたことからして、その件について冷泉が知っていることを叢雲も知っている……からなのだろう。

 

何て事だ……。

と、天を仰ぎそうになってしまう。

すぐにでもそれを彼女に言わなくちゃいけないのに。それが言い出せないでいる。それどころか、叢雲が反応しないことをいいことに、このまま流してしまおうかとも考えている自分がいるのだ。言いたいことがあれば、叢雲の方から言ってくるだろう……などと勝手に解釈しているのだ。

上司としてこんなんじゃあいけないんだが。

その葛藤を知ってか、叢雲だって身構えてしまって、言い出せないのかもしれないのだけれど。

 

「あのさ、叢雲」

思い切って声をかけてみる。

するとびっくりしたような表情で彼女がこちらを向く。

「な、……何か、しら? 」

明らかにぎこちない。

 

「え、えっとだな。その」

口ごもってしまう冷泉。

「そ、そのだな。そうだ、これから北回りで鎮守府に戻ることになるんだけれど、途中、大湊警備府に寄る必要があるんだ。……すまないけれど、連絡を入れておいてくれないか」

と、本題から外れた事を口にしてしまう。

 

「そうね。管轄海域を通して貰うんだから、当然の事よね」

何故だかホッとしたような表情で叢雲が応える。

 

「うん。いろいろとあそこの提督とはあったから、いろいろ嫌なことを言われるかもしれないけど、こればかりは仕方ない。礼儀を尽くすことは忘れちゃいけないことだからな。……はあ、でも気が重いな」

 

「そうね。挨拶だけじゃないんでしょ? 」

 

「そうだ。葛生提督には艦娘の派遣を依頼しなくちゃならないんだ。そうしないと、壊された鎮守府の応急処置さえできないからな。こればかりはどんなことをしてでも、俺の土下座くらいで済むんだったらいくらでもするつもりだ。なんとしても、こればかりは承諾して貰わないといけない」

ただでさえ苦手な人物。そして、過去にいざこざもあった。向こうはきっと冷泉の事を良いようには思っていない。そんな人間に、お願いをしないといけないとは。

けれどこればかりは避けて通れない道なのだ。

 

そして、この難題を解決する間は、今冷泉が抱えている直近の問題から、そう叢雲の件から目を逸らすことができるのだから。お互いが前のままの関係を維持できるのだ。

 

「大湊警備府より連絡があったわ。入港を許可するって」

叢雲が通信を読み上げた。

 

よし、この作戦を成功させよう。

すべてはそれからだ。

 

冷泉は叢雲に頷いた。

 



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第155話 大湊警備府

冷泉たちは、大湊警備府に寄港している。

 

大湊警備府とは、かつては日本海軍の警備府として、そして戦後は海上自衛隊の大湊地方隊として北日本海、オホーツク海、太平洋の一部の警備を行ってきた要所だ。

深海棲艦の勢力の侵攻の際には、奇跡的に戦火を免れた唯一の基地だった。

 

そして、深海棲艦の侵攻、そして艦娘勢力の協力によって戦線を押し返して後、北方の警備および領域制圧を目的として再編成された基地である。

 

規模としては、舞鶴鎮守府や横須賀鎮守府などとと比較するこぢんまりとしている。

舞鶴と同様に港外周部には、敵潜水艦の侵入を防ぐための巨大なゲートが外洋と港内を仕切っている。

 

艦を接岸すると、すぐに秘書艦陸奥に迎えられ、挨拶もほどほどに提督司令部へと案内されることとなる。本来なら、通行許可を得たなら、すぐにでも鎮守府への行程を急ぐべきものだったが、大湊警備府の提督に直接会って話す必要があったために寄港することにしたのだった。

なお、叢雲と速吸は、港で待機だ。冷泉の車椅子は陸奥が押してくれることとなった。

 

「冷泉提督をお連れしました」

 

陸奥の声にすぐに反応があり、扉が開かれる。

部屋には葛城提督が立っていて、冷泉を迎えてくれた。そして、席へと案内される。

冷泉が車椅子だったためか、執務室の会議用テーブルへと車椅子を移動させられる。向かい合う場所に葛城提督が腰掛ける。陸奥は冷泉に一礼すると、葛城提督の斜め後方へと移動した。どうやらそれが彼女の定位置らしい。

 

「今回は速やかな通行許可を頂き、感謝します。」

さっそく通行許可について礼を述べる冷泉。

 

「いいえ、礼には及びません。鎮守府の一大事なのですから。少々の事務手続きを端折るのは、仕方ないことです」

本来なら、余所の鎮守府の艦船が移動する際には、いくつかの事務手続きを事前に行う必要があるわけで、冷泉は、それをすべてすっとばして、通行を申請したわけである。仮に葛城提督側が嫌がらせをしようと思えば、この手続きに関してだけでもいろいろとできるはずなのだ。

過去にいざこざのあった二人の関係からすれば、少しくらい嫌味を言われても仕方のない場面であった。しかし、彼女はそんなことはしなかった。拍子抜けしてしまったわけだが、いまはそんなことを勘ぐっている時間は無いのだ。

さて、……ここからが本番だ。冷泉は気合いを入れる。

 

「ありがとうございます。……無理を言って済みません」

 

「提督は、お急ぎなのではありませんか? そんな事を言うためだけにわざわざここにお寄りになったわけではないのでしょう? 」

 

「ははは……、俺が、いえ、私が何を考えているかお見通しのようですね」

冷泉は引きつった笑みを浮かべてしまう。

「実は、……、すでに私の鎮守府の現状をご存じだと思います。港湾施設は破壊され、艦娘の一部は私の指揮下を離脱しています。私としては、一刻も早い鎮守府の復旧と、離脱した艦娘たちの追跡を行う必要があります。けれど、ゲートを破壊された結果、私の指揮下にある艦娘はすべて港の中に封じ込まれた状態なのです。出撃するには港を塞いだゲートを撤去する必要があります。しかし、鎮守府港内の船はテロにより爆破沈没しています。残る方法は港外から作業するしかないのですが、艦娘の警護無しで作業船に作業させるなど、深海棲艦に沈めてくれといっているようなもの。誰もその作業を行ってはくれないでしょう。そこで、図々しいお願いなのですが、こちらの艦娘を何人か貸していただきたいのです……」

と、舞鶴の現状と冷泉の願いを隠すことなく告げる。

「貴重な艦娘を別の鎮守府警備のために出すということは大湊の戦略に大きな支障となることは百も承知です。けれど、私にとっても早急な鎮守府の復旧は最優先事項なのです。虫の良いお願いかもしれませんが、艦娘を貸して頂きたい」

冷泉はそう言うと深々と頭を下げた。

 

「……」

静まりかえる司令室。

やはり、横須賀でのいざこざがあった事もあるし、それ以外にも冷泉の対応で気を悪くした事もあるのだろう。

客観的に見ても、彼女が冷泉を嫌っているのは間違い無い事だ。大嫌いな男から頼み事を、それも図々しい頼みをされて、はいそうですかと答える筈がない。

しかし、それでも彼女には、「うん」と言ってもらわなければならないのだ。

 

だから、土下座でも何でもするつもりだった。

 

冷泉は顔を上げ、何も答えない葛生提督の顔を見やった。彼女は無表情なまま、冷泉を見ている。

「葛生提督、お願いです。お願いします。私に対していろいろ思うところはあるかもしれません。けれど、それを承知で言います。助けて下さい。お願いします。俺は舞鶴鎮守府を守らなければならないし、そして、扶桑達を見つけ出さないといけないのです。お願いします! 本来なら土下座をして頼むのが筋なんでしょうけれど、自由に体を動かすことができないから、これ以上のことはできない」

気持ちだけは土下座しているつもりで頭を下げる。

 

「……何人必要ですか? 」

突然、葛生提督の口から出た言葉に、一瞬、何を言っているのか理解できない冷泉。

 

「は? 」

馬鹿みたいな顔をしていたのではないだろうか。

後ろに立つ陸奥が吹き出しそうになる。

 

「期間はどれくらい考えておけば良いでしょうか? それと、不足する資材などはあるのでしょうか? 」

矢継ぎ早に質問が繰り出される。

 

「え、えっと、それは一体? 」

 

「冷泉提督、あなたの言っている事の方が私には理解できませんけれど。艦娘が何人必要なのですか? 期間はどれくらい見ておけばいいのですか? 鎮守府に不足している資材はありますか? と聞いているのですけれど」

呆れたような表情で葛生提督が言う。

 

え? 承諾してくれるというのか。通常時でも検討が必要な案件を、嫌いな冷泉のために即決してくれるというのか?

あっさりと断られ、それどころかネチネチ文句を言われる事を想定し、それに対する対策ばかり考えていた冷泉は、すぐに回答できない。艦娘を出してくれるなんて万に一つも無いだろうと思っていた。通行許可すらなかなか下りないと思っていたのだから。

 

「提督、……一体、さっきからどうしたのかしら。何だか、……まるで私があなたの申し出を断るとでも思っていたような感じじゃないかしら」

 

「いえ、そんなつもりじゃなくて……。どこの鎮守府も戦力はかつかつで、余剰戦力なんて無いのは良く分かっています。だから、いろいろと戦略を再考する必要があると思っていて……」

心の中を見透かされているような事を言われ、慌てて否定する冷泉。

 

「フン、くだらない言い訳は、いらないわ。あなた、……どうせ、私が艦娘を出し渋るって思ってたんでしょう? 」

 

「……はい。すみません、そう思っていました」

嘘を言っても仕方ない。冷泉は素直に認める。

「どう考えても、あなたは俺にいい印象を持ってないようでしたし。俺は、どうやってあなたを説得すべきかばかりを考えていました」

 

「やれやれ……ね。それは、お互い様でしょう? 確かに、私はあなたのことが大嫌いよ。こうやって話すのも耐え難いくらいにね。実際に虫ずが走るってどういうことかって昔から思ってたけど、今がそれに相応しい表現ね」

彼女も随分とはっきりと言う。

「……けれど、はっきりと宣言しておきます。今回の件については、私情を挟む余地など全くありません。鎮守府の危機的状況において、個人的な嫌悪の感情など不要。もし、舞鶴が墜ちたら、他の鎮守府への負担は一気に増えます。そんなことになったら、日本国の危機といっていい。鎮守府は独立しているとはいえ、運命共同体なのです。大湊警備府としては、いくらでも艦娘を派遣する準備はできています。ですから、あなたは何も遠慮する必要はないのです」

真剣な表情で葛生提督が語った。

冷泉は自分の愚かさを反省した。個人的感情など大義の前には意味をなさない。自分の計りで人を見ていたことが恥ずかしかった。自分が嫌いだからきっとこうするだろうと実に小さなスケールで人を見ていたのだ。葛生提督に対して実に失礼なことをしてしまっていた。彼女は、私情などに縛られることなく、日本国の事を最優先に考えていたわけであるのだから。それが提督たる地位に就く人間の大きさであり、そんな事も分からないまま同じ立場にいる自分の小ささが恥ずかしかった。

 

冷泉は、まず自分の愚かさを詫び、その後、工事の期間を見積もった。そして、その間の鎮守府警備に必要な艦娘を葛生提督へと伝える。

対潜水艦対応に4人の艦娘がいればなんとかなる……と冷泉は見積もっていた。それ以外の水上艦艇なら、港内からでも対応は可能と判断していたのだ。

 

「分かったわ。では、あなたの望むとおり、こちらからは風雲以下3人の駆逐艦娘を派遣しましょう。すでに彼女達は出港準備を整えています。今すぐにでも出撃可能です」

あっさりと彼女が答える。最初から見繕っていたらしい。

 

「あ、ありがとうございます。本当に助かります」

 

「……ありきたりな言葉でしかないけれど、困ったときはお互い様よ。同じ目的を持つ同士、困窮時にこそ、手を差し伸べ合う……。同じ願い、思い、宿命、そして咎を背負った者同士なのだから」

遠くを見るように彼女は語った。それは冷泉に対してであったが、それ以外の誰かに向けたもののようにも聞き取れた。

 

「それから、陸奥も連れて行きなさい」

更なる唐突な申し出には秘書艦の陸奥も驚く。

 

「て、提督、私まで行くのですか? 」

 

「戦力は多ければ多いほどいいでしょう。戦艦のあなたがいれば、その存在だけで深海棲艦への牽制になり抑止力となるでしょう。……深海棲艦が手を出しにくくなれば、余計な戦闘も避けられる。その方が我々に利があるでしょう? 」

 

「た、確かにそうですが。……提督、けれど、秘書艦である私がここを離れることなんて……」

困惑した表情で陸奥が問いかける。

 

「今、舞鶴には、長門がいるでしょう。こんな機会がなければ彼女と話す機会も無いでしょう? お互いそれぞれの鎮守府の秘書艦として任務を果たしてきたわけだから、ほとんど会話を交わす暇もなかったでしょう? こんな機会、滅多にないのよ」

 

「しかし、そうは言っても」

そういえば、長門と陸奥は姉妹艦だ。それが実際に姉妹とかいった関係性があるのかは聞いたことがないので実際の所は不明だ。けれど、葛生提督の話しぶりからすると、二人は肉親のような関係性があるようだ。

 

「陸奥、行きなさい。これは命令です。こんな機会はもう二度と無いかもしれないのだから……。あなただって分かっているのでしょう? 」

ピシャリと葛生提督が言う。その言葉にどんな意味があるのか分からないが、一瞬驚いたような表情を浮かべた陸奥だったが、しおらしく頷いた。

「大丈夫。……あなたの不在の間は、妙高がなんとかするでしょう。安心して行ってきなさい。もちろん、冷泉提督を確実にお守りするのですよ」

冷泉は、いろいろと便宜を図ってくれる葛生提督に、ただただ礼を言うしかなかった。

 

そうして、冷泉は大湊警備府を出港することになる。

 

驚いた事に、先ほどの会談で大湊の艦娘を舞鶴に派遣してくれるとの話しだったが、すでに4人の艦娘は出港しており、舞鶴へと向かっていたのだった。この件については、すでに軍上層部へ話は通っていたようで、あとは冷泉の要望によって派遣艦娘の人数が決まることとなっていたらしい。

 

それどころか、葛生提督は扶桑達を追撃するための艦隊編成を行っており、こちらも話を上に上げていたようだ。指揮権はすべて冷泉が持つこととし、大湊側は艦娘を貸し出すだけという提案だったとのことだ。これは非常に重大な決断であり、リスクを大湊だけが背負うという思い切った提案だった。……それだけ、葛生提督の覚悟が分かるものであり、それを聞いた冷泉は胸が熱くなる思いだった。もっとも、こちらについては艦娘同士の戦闘の可能性もあったことから、まずは舞鶴鎮守府内部で行うべきということで承認はされなかったようだが。

 

すべては同行する陸奥からオフレコで教えられたものであり、冷泉の葛生提督の評価が大きく変わることとなった。もちろん、自分の愚かさの反省材料にもなったわけであるが。

 

叢雲、速吸、そして戦艦陸奥の三人は、舞鶴鎮守府へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第156話 舞鶴鎮守に戻り

多くの死傷者を出してしまうこととなった、今回の舞鶴鎮守府における争乱の顛末―――。

 

鎮守府襲撃に及んだ勢力については、未だ捜査中であり、全くもって何者なのかが不明のままとなっている。進展の目処は立っていない。

しかし、それ以上に艦娘がその属する鎮守府を裏切って離脱したという事実が、軍関係者にとっては衝撃を持って受け止められることとなった。

絶対にありえない事が起こってしまった……。そして、その原因は全く不明であること。それが一番厄介な問題だった。それは、軍部にとって不安材料でしか無いわけであり、この状況では発生した事実を隠蔽するしかない。しかし、いくら箝口令を敷こうとも、人の口には戸は立てられないものである。いつまでも隠し通せるものではない。早晩、マスコミが嗅ぎ付ける事になるだろう。

仮に艦娘の裏切りの原因が何か究明できないのであれば、原因となるものをでっち上げてでも創らなければならない……。そんな事さえ考える者が出てきてもおかしくはない状況であった。否、どんなでっち上げであろうとも、整合性の取れる言い訳をすでに創出しているのかもしれない。

 

そんな事情はさておき、発生した事案についての責任の所在は追求されるものであり、当然ながら、

鎮守府最高責任者たる冷泉への批判は、すでに起こっていた。

それは、あまりにも当たり前の事であり、冷泉も今回の事案についての責任を逃れることはできないと認識していた。どう対処するかを検討する必要性はあるのだが、そこまで考える余裕は無い。

今、何よりも先に行うことことは、破壊された舞鶴鎮守府の機能を復旧することである。これが回復されなければ、この混乱の機に乗じて深海棲艦が攻めて来たら、対応しきれないという明白な事実があるのだから。もし、そんな事になったら、鎮守府は反撃すらできずに深海棲艦に制圧されてしまうだろう。舞鶴鎮守府が防衛するエリアが、陥落することになるのだ。そうなったら、日本国の防衛ラインに楔が打ち込まれ、分断されてしまうのだ。そうなれば補給や艦船の移動にも影響が出、戦略的にも日本は追い込まれてしまうことになるだろう。

 

そんな事態を避けるため、今は必死になって復旧作業を行う必要があるのだ。冷泉の責任追及など、危機が去った後に行えばいいのだ。今はそんな時じゃない。批判を浴びた際に、冷泉はそう言い切っていたのだった。

 

叢雲達と鎮守府に到着すると、すでに大湊警備府より派遣された風雲、朝霜、清霜の三人が警備に当たっていてくれた。冷泉達の姿を確認すると、次々と通信が入ってくる。彼女達は陸奥が来るとは思っていなかったようで、驚きと共に作戦行動できる事を喜んでいた。

冷泉は、彼女達に警備にあたってくれている事についての感謝の意を表するとともに、鎮守府周辺の状況報告を依頼する。

 

周辺を見渡すと、島風、夕張も警備にあたっている。広報担当に任命した彼女達は、鎮守府外の港を母港にしていたから今回の争乱の影響を受けなかったのだ。冷泉は彼女達にも感謝と激励を行う。照れくさそうに、はにかむ二人の笑顔を見て、ほっとする想いだった。

 

冷泉の到着を受け、鎮守府の兵士達からも報告が入ってくる。

留守を任せた者の一人、天ヶ瀬中尉がほっとしたような笑顔で冷泉に報告をしてくる。

鎮守府内に留まっている艦娘は、来るべき出撃に備えて現在、調整を行っているところだとのこと。

報告を続ける中尉は、ずいぶん疲れたような表情をしている。恐らくは、何日も寝ていないのだろうと推測される。……とはいっても、彼女達の活躍が無ければ、復旧はままならないのだ。もう少しだけもう少しだけ無理をお願いするしかない。

「中尉、疲れている所すまない。あと少し、俺に力を貸して欲しい」

そう言って頭を下げる。

 

「いいえ、こんな非常時に弱音を吐くほど私達は柔ではありません。提督、何もお気になさらず、どんな事でも私達に指示してください」

モニタの背後に見え隠れする兵士達も同じ気持ちだと伝えてくれる。

 

「みんな……ありがとう」

冷泉はそう感謝するしか言葉が出てこなかった。

 

 

 

冷泉は艦から降りると、陸奥と一緒に迎えに来ていた小型ボートで上陸する。そして、そこに駐めてある車から天ヶ瀬中尉が降りてきて、冷泉を迎えてくれる。彼は車に乗り込むと、鎮守府敷地内へと向かっていく。

 

車内でも中尉から現状報告を受けることとなる。

もっとも気になっていた扶桑達の件だが、鎮守府を離脱した後、しばらくは艦娘のレーダー等で追尾していたが、何を思ったか領域の中に入り込んだのだった。当然ながら、領域を外部から探知することはできず、艦影はレーダーから消失したとのことだった。現段階では、もはや追跡は不可能となっている。この後、彼女達が領域を抜けてどこかの海域に出たとしても、索敵範囲外であることから見つけることは不可能だろうとのことだ。

 

領域に入り込むということは、深海棲艦との交戦の可能性もある。それなのに躊躇することなく、領域へと踏み込むとは驚きだ。

 

艦娘及びその本体たる軍艦は、いろいろと危険な目にあった子もいたが、全員無事、無傷だった。しかし、港内の作業船やタグボートなどは、時限爆弾で爆破されており大きな被害を受けている。ドッグは敵の突撃を受けたため、破壊された施設が多い。しかし、艦娘の収容施設は、地下がメインであるためほぼ無傷だったことは救いだ。また、鎮守府の弾薬庫や食料倉庫については、半分以上が爆破若しくは焼かれてしまった。艦娘達の寮も放火された上に、執拗に荒らされて全焼している。食堂や店舗も、攻撃対象となった軍施設の近くにあるものは、破壊から逃れることができなかった。

 

軍事施設では、普段人が居ない場所には爆弾をしかけていたようで、その多くが破壊されている。重要施設であるレーダーや電気施設、通信設備は、壊滅。

なお、職員用宿舎については、軍事的価値が無いためか、一部放火された場所がある以外は、被害はほとんど無かった。

 

提督執務室のある建物は、加賀、長門、高雄がいたため、敵の目標となったせいで破壊度が酷い。彼女達は無事逃げることに成功したことも原因しているようで、、取り逃がした事に怒った敵によって容赦ない破壊がされていた。執務室は奥に冷泉の仮眠室もあったが、置いていた私物は壊滅されつくしているとの報告だ。

 

司令部に向かう車の中からも、舞鶴鎮守府の状況が見えてくる。言葉で聞かされた状況でもショックを受けていたが、その被害状況を目の当たりにして、言葉を失ってしまう。

 

怒りと悲しみがわき上がるが、今は途方に暮れている場合じゃない。指令官として落ち込んでいる姿を見られるわけにはいかない。気持ちを入れ替えて、冷泉は命令を発出する。

 

まずは、鎮守府の指揮系統の立て直しと、破壊された施設の復旧作業が急ぐ必要がある。最優先で行うべきことは、鎮守府と外洋を仕切るゲートが破壊されている状況を復旧することである。

そのために、大湊警備府が貴重な戦力を裂いてくれたのだ。工事については、大湊警備府の艦娘が護衛にあたってくれるため、近隣から持ってきた作業船、クレーン船により昼夜を問わず工事を行い、そのゲートの撤去を行った。

 

防衛上は締め切っておくほうが深海棲艦の潜水艦の侵入を防ぐためにも、他にも敵性勢力が海から鎮守府に侵入するのを防ぐためにも……必要なのであるが、今はそれどころではないのである。

 

その間にも出撃の準備を指示を行う冷泉。

もちろん、そういった軍事作戦に関する作業だけでは無い。指令官として行わねばならない事がいくつもあった。

 

戦闘で亡くなった兵士たちの合同葬儀出席や負傷して入院中の兵士への見舞い、更には亡くなった兵士の遺族へのお悔やみなどのため、あちこちに出かける必要があったのだ。体調は前よりはだいぶ良くなっているものの、術後の体にはかなり負担を感じているのは事実だ。けれどもこれだけは、自分がしないわけにはいかない。どんなに忙しかろうとも、それを蔑ろにしてはならないのだ。代理を立てること無く、すべてを自分で行った。

鎮守府の幹部の何人かと一緒に行くわけだが、艦娘を連れてはいけないことが辛かった。艦娘達だって亡くなった兵士達と交流があったわけで、葬儀くらいには参列したかっただろう。けれど、今回の事案は艦娘の裏切りに端を発していることから、どうしても一緒には行けなかったのだ。たとえ、遺族からは何も言われなくても、外部の人間からは手酷い言葉を聞くことになるのは間違いないのだから。ただでさえ気落ちしている彼女達が、さらに気を滅入らせるなんてことにはさせたくなかった。

 

冷泉は、誠意を持って、一人一人丁寧にまわって行った。

肉親を亡くした遺族から相当に厳しい事を言われたり、「主人を帰して」と泣きつかれたり、逆にわざわざ来てくれたという事で涙を流して感謝されたり。また、葬儀会場の近くに陣取った市民団体のヘイトを見せられたり……。マスコミの追求を受けたり。

 

肉体的な疲労もあったけれど、どちらかというと精神的に……相当に疲れてしまった。

 

そんな状態でも鎮守府復興作業、出撃の準備も並行して行っているため、冷泉は寝ずの作業となってしまう。へこたれてしまいそうな重労働でが続くが、それでも、前よりも明らかに体が動くようになっていることには驚かされる。

 

「はあ……」

思わず仮設の司令室に戻った冷泉は、ため息をついた。しかし、ここで疲れたと愚痴っている時間は無いのだと自分を励ます。

 

「提督、あなたにしては、よく頑張っているわね。……お疲れさま」

加賀に慰められる。

冷泉は出されたお茶を口に含む。さりげなく優しくしてくれる彼女に感謝を述べる。

 

「まあ、今できることをやっておかないと後で後悔してしまうからな。俺がやらなければならないことは、すべてやらないといけない。……今の立場でいられるうちに、やらないといけない事もたくさんあるからね。それだけは何としてでも、あらゆることを犠牲にしてでも、やり通したい……」

何気なく呟いた一言に加賀の表情が凍り付いたように見えた。

 

「あなた、まさか……」

そして、それ以上の言葉は発さない加賀。何かを悟ったような、そして怯えたような表情を見せる。

 

「ん? どうかしたのか」

不思議そうに問いかける冷泉に、秘書艦は言葉を失ったまま黙り込んだままだった。冷泉もそれ以上は問いかけることもなかった。

 

 

 

鎮守府の復興作業について、時間はかかったものの夜通しで撤去作業を行ったため、破壊され水没していたゲートの撤去は完了することができた。

不足していた武器弾薬についても、大湊鎮守府よりの支援物資が次々と陸路にて運び込まれている状況だ。

葛生提督には感謝するしか無い。

 

ゲート開放となった今、最優先で行う行動は、扶桑達の捜索だった。しかし、鎮守府の争乱からすでに何日も経過している状況であり、扶桑達がどこにいるかは完全に不明な状況となっている。

 

そんな中、軍令部より舞鶴鎮守府に対し、日本国を離脱した艦娘扶桑達の捜索指令が出る。

 

【速やかに、舞鶴鎮守府を離脱した艦娘達を見つけ出し、日本国側へと連れ戻すこと。状況によっては、撃破することもやむなし】と。

 

つまり、扶桑達に対して事実上の処分命令が出たわけである。

 

指令には付則があり、舞鶴鎮守府艦隊の捜索によっても発見に至ることがなければ、他の鎮守府にも捜索の任にあたらせることが書かれていた。

他の鎮守府が捜索にあたるとなると、彼等が扶桑達と遭遇した場合には、問答無用で戦闘は避けられないだろう。

 

扶桑達が合流した勢力の兵力がどれほどかは分からないが、鎮守府の艦隊と戦うには厳しいはず。そもそも、彼女達はどうやって補給を受けるというのだろうか? 補給無しで戦うなど、考えられない。

 

冷泉は一番に彼女達を見つけ出し、なんとしても説得して連れ戻さなければならないのだ。彼女達をみすみす死なすわけにはいかない。軍令部がしびれを切らす前に扶桑達を発見し、彼女達の主張など問答無用で連れ戻さなければならないのだ。

それは、とてつもなく困難な任務だ。一度、探索網から抜け出されてしまうと、最捕捉はほとんど不可能なのだ。扶桑達が新たに作戦行動を起こし、レーダー網にかからないかぎり発見はできないだろう。息を潜めて動かないでいられてしまうと、無為に時間だけが過ぎていくことになってしまう。扶桑達がどこにいるかの推測すらできない状況なのだから。

 

確かに、普通ならそうだろう。

しかし、冷泉とってに、扶桑達の隠匿行動など不可能である。確かに明確には特定できないものの、かすかな反応を冷泉はずっと感じ取っていたのだ。それは、艦娘の反応だった。ゆえに、それを辿れば、扶桑達にたどり着くことは可能だ。……そう冷泉はみんなに告げる。

 

冷泉の言葉を聞いた瞬間、その場にいた全ての者が一瞬の硬直の後に、「そんなことなんてできるはずがない」と否定する。

 

それは、あまりに予想通りの反応。

 

しかし、冷泉はもともと艦娘達の反応を感じ取る事ができたのだ。

 

艦娘のおおよその居場所を感じることができ、方角・方位・距離までを視覚的に感じることができたのだった。麾下の艦娘はもとより、面識の無い艦娘ですら注意をすれば認識することができた。それはテレパシーにも似た意思感知能力の上位能力。これこそ……まさに転移者の権能。

 

今般、冷泉は、とても弱い反応ではあるものの、不知火の気配をずっとずっと感じていたのだ。

 

ただし、他の艦娘達の気配は完全に途絶えている。それは冷泉の探知能力の及ばない場所に行ってしまったのかもしれない。もしかすると、冷泉に対して心を閉ざしたからなのかもしれない。

 

けれど、そんな中でも、不知火の気配だけは感じることができていたのだ。

 

それを感じることは、冷泉にとって辛いことであたのだけれど。

 

不知火から感じ取れるもの。それは、諦めと絶望の底に沈み込み、しかし、ほんの僅かであるものの無意識下で救いを求める彼女の想い。絶望の中で救いを拒絶し、けれど何かに縋ろうとする悲しみしか感じ取れなかった。どんな状況にあるのかは分からない。けれど、今すぐにでも彼女の元へと向かわなければならない。それだけは間違いなかった。

 

冷泉の感じ取った反応は領域との境界に近い、舞鶴鎮守府と佐世保鎮守府境界線に近い場所だった。

「みんな思うところはあるかもしれない。けれど、今は何の手がかりも無く、打つ手が一切無い状況であることについては、意見は一致しているだろう? だったら、俺のこの頼りない感覚に賭けてくれないか? このまま漫然と過ごしても解決策は無い。ならば、俺を信じて欲しい」

根拠も何も無い冷泉の想い。

こんな事で艦娘達を、鎮守府の部下達を説得できるなんて思っていない。けれど、今は訴えるしか無い。

 

艦娘達、そして部下達は顔を見合わせるだけだ。

「提督、……提督がそうお考えになるのであれば、私達を説得するのではなく命じてください。そんな半信半疑な説得をされるよりも、こうしろ! と言って頂く方が私達も決断しやすいです」

ずっと冷泉の話を聞いていた天ヶ瀬が迷いを振り切るように叫ぶ。

 

「その通りよ。人を説得するほど口が立つわけでもないあなたが、何の根拠もない事を喚いたところで誰も説得できないわ。こんな時こそ権力を笠に着て、みんなに命令すればいいのよ。こんな混乱時なのだから、強権発動するしか無いでしょう。……それに、みんな、提督が命令するのであれば、喜んでその命令に従うわ。もっと自分に自信を持ちなさい」

と加賀も後押しをしてくれる。

二人の言葉に他の兵士や艦娘も同意を示し始める。普通に聞けば、ただの与太話に過ぎないかもしれない。なのに、信じてくれるのは少し怖い。

 

冷泉はみんなを見回す。、半信半疑ではあるものの、冷泉を信じざるをえないという結論に落ち着くのだろう。たとえ、それが妄言であっても、上司である、鎮守府指令官の命令であるから逆らうという選択肢はもともと無いのだから。

今はそれでも構わない。それでも構わない。扶桑達を探しだし、真意を問いたださなければならないのだ。

 

すべては、それからなのだ。

 

たとえ、その結果……悲劇的な結末が待っていようとも。

 

だがしかし、そんな結末は断固として否定し、拒絶する。

神により決定された未来でさえ、いかなる手段を用いても改変してみせる。

 

みんなが不幸になる事は認めない。

 

みんなが笑っていられる未来に変えてみせるのだ。

 

 

絶対に。

 

 

 

 

 

 



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第157話 彼女への想い 彼女の想い

 

そして―――冷泉は、今回の艦隊編成を艦娘達に伝える事となる。

 

扶桑達の鎮守府離脱に伴い、現在、残された艦娘は少ない。

故に、総動員体制といった形にならざるをえないわけであるが。

 

編成としては、正規空母加賀、戦艦金剛および榛名、重巡洋艦高雄、駆逐艦叢雲で出撃となる。これに新たに加わった補給艦速吸が編入されることから、合計6隻の艦隊が編成できるわけだ。

軽巡洋艦夕張、駆逐艦島風は今回の出撃からは除外した。様々な事情があるものの、争乱の後、寝る間も惜しんで稼働していたため、疲労の蓄積が大きく戦闘には耐えられないと判断したのだった。二人は、特に島風は異論を申し出たが、実際、疲労困憊しているのは明らかだったから、拒絶した。

 

そして、冷泉は指揮官として出撃することを宣言するわけだが、口にした瞬間、叢雲が猛然と反対してきた。

 

「敵……ううん、敵なんて呼びたくないけど、扶桑達は、領域すら移動経路に使用する無茶な戦術を採っているのよ。普通なら、深海棲艦との交戦の危険性がある行為なんてするはずがないのに。でも、平然とそれを行っている。もしかすると、彼女達は領域を安全に航行する方法を知っている可能性もあるわけなのよ。もし、仮にそうだとしたら、戦場が領域とされる可能性もあるわけなのよ。アンタ……また馬鹿な真似をしようというの? 領域に入るという事が、人間にとってどれほど危険な事かを第二帝都東京で教えられたでしょう? 人間は居てはならない空間、人を拒絶する空間、それが領域なのよ。留まれば留まるほど、領域の未解明な瘴気に体は蝕まれていくのよ。命にさえ関わる重大な危険を伴うというのに、それでもまだ無謀な事をしようと考えているの? アンタ、何を教えられたか忘れたの? 記憶力ゼロの馬鹿なの。あれほど命を縮めるような真似をしたというのに、まだ死に急ぎたがるっていうの? 」

普段の彼女を知る他の艦娘ですら驚くような激しい口調で、叢雲は冷泉を叱責する。本気で怒っているのは間違い無いようだ。

 

「いや、そんなことは分かっているさ。けれど、扶桑達を救うためには、彼女達を説得するには俺が行かないとダメなんだ。鎮守府指令官の立場であいつらに命令して、なんとしてでも連れ帰らないといけないんだ。俺が行けば、あいつらは言う事を聞いてくれるかもしれない。だったら、何を迷う事があるんだ。それに、領域に行けば必ず死ぬというわけではないし、ちょっとくらいなら問題ないはずだ。これまでも旨く行けたんだし、……今回も大丈夫さ」

まるで他人事のように、冷泉は楽観的に答えた。

 

三笠に直接話を聞いた冷泉と叢雲以外には、理解できない会話だったため周囲はざわつく。

それはどういうこと? と口々に艦娘が疑問を言う。

 

叢雲は、状況を知らない彼女達に、事実を伝えたのだった。

領域の空気は人間にとっては猛毒でしか無く、次第に体を蝕み死に至らしめるものであることを。人間が領域に行かないのは行かないのでは無く、危険すぎて行かなかっただけなのだということを。毒素は体にどんどん蓄積され、やがては人を死に至らしめる。

 

「自分の命を大事にするのも指令官の役目でしょう? 自分の命を蔑ろにするような人間に、部下の命が守られると思っているの……」

叢雲は冷泉に訴えかける。その表情は真剣であり、怒りではなく冷泉の身を案じていることは誰にも感じ取れた。いつも以上に頑なで、事を曖昧に終わらせて引くことなど考えていないように見える。

「お願い。……もうそんなに苦しい想いをしなくてもいいじゃない。傷ついて傷ついてばかりで辛

くないの? アンタが私達みんなの為にがんばっているのは、もう十分、分かっているから。でも、どんなにがんばっても、状況はどんどん悪くなるばかりじゃないの。これ以上アンタが傷ついて苦しむだけの姿を見るのは、もう嫌なの。なんでそんなに必死になるの? もっともっと楽にしていればいじゃない。戦闘指揮だって陣頭に立たなくてもできるはずでしょう。ボロボロの体でそれ以上無理をして何になるの? 見てるこっちが辛くなるわ。本気でやめて欲しいの」

 

「……それは、俺にとって自分よりお前達の方が大切だからだよ。お前達の為に、俺にできることはしたい。俺なんかの命で、少しでもお前達の生きるチャンスが少しでも増えるのなら、このくらいの事なんてどうってことはないよ。俺には能力も経験も何もないから、これくらいの無理をしないと提督の責務を果たせないからな。だから、俺の好きでやっていることだから、お前達は何も気にしなくていいんだよ」

 

「そんな身勝手な論理で、説得なんてできると思っているの? 戦闘で死ぬというのならまだしも、ただそこに居るだけで体が蝕まれ、やがては死に至るのよ。そんなところに指令官を連れて行けるわけないでしょう? アタシは絶対に反対だわ。アンタは鎮守府から指令を出せばいいじゃない」

 

「領域に入ってしまえば、通信はほとんど不可能になるだろう? 」

 

「だったら、他の鎮守府みたいに事前に行動計画を示していればいいだけじゃない。後はアタシ達が考えて行動するわ」

 

「それでは臨機な対応ができない。圧倒的戦力で押すっていうのなら問題無いだろうけど、今回は対象の規模が不明なんだ。確実に臨機な対応が要求される」

 

「そんなの旗艦の加賀か金剛かしらないけど、どちらかに任せればいいじゃない。全部にアンタが口を出さないと何もできない艦娘って評価しているのなら別だけれど」

 

「そうは言っていない。戦闘での指揮の件については、加賀に任せても問題ないと思っている」

冷泉は加賀の方を見る。何故か照れたような表情をする加賀。

「しかし、今回は相手が相手なんだ。できることなら、戦闘は避けたい。本当の目的は、扶桑達を連れ戻すことだと俺は考えている。今、彼女達は詳細は不明な敵勢力の影響下にある。彼女達をどうやってか不明だけれど、支配下に置くなんらかの力を持つものが指揮官になっているのだろう。それは急に現れた訳では無く、ずいぶん前から準備をしていたんだろうな。これまで舞鶴鎮守府にいて戦いに殉じたと思われた艦娘も取り込んでいるらしいから。周到に準備を整えた敵勢力に取り込まれた扶桑達を艦娘であるお前達が説得できる可能性はほとんど無い。だけど、鎮守府指令官である俺ならば、俺が命令したならば、彼女達を捉えた拘束力から解き放つ可能性があるかもしれないんだ。その可能性に賭けたいって俺は思っているんだ」

 

「フン。そんなに旨く行くなら、最初から扶桑達が鎮守府を出るような真似をするわけないでしょう。鎮守府に向けて砲撃なんてできるはずが無いわ。そして、あれだけの被害が出ている鎮守府を見捨てて、去るような事ができるはずがないわ。もう彼女達はこれまでの彼女達じゃないのは明らかよ。みんなも覚えているでしょう? 扶桑が言っていた事を。自分たちは記憶を操作され真実を見誤らされていた。冷泉提督は、緒沢提督を殺した敵の一味にすぎない。戦うべき敵だと言い切っていたわ。そこまで言わせるまでになってしまった彼女達と和解なんてありえない」

 

「……俺が、扶桑達の敵勢力の一味だって所は、訂正したいところだが。あいつ達がどう俺の事を思っていようとも、俺は行かなければならない。あいつ等の目を覚まさせてやらないといけないんだ」

 

「説得すると言ったって、相変わらず何の計画も無いんでしょう。情に訴えかけて効果があるとでも思うの? 彼女達は、自分たちがずっと敵の手によって記憶を操作されて騙されたって、本気で思っている連中なのよ。扶桑達がアンタの言う事を聞かなかったらどうするの? 攻撃を仕掛けてきたらどうするつもりなの? 」

 

「そ、そんなの、やってみないと分からないじゃないか」

思わず口ごもってしまう冷泉。

 

「ハン! やってみないと分からないなんて、ホントに馬鹿じゃないの。説得できるあてなんて無いまま、行動しようなんて考えているんでしょう。そんな無計画な作戦に付き合わされるなんて、とんだ災難だわ。戦闘において先手を取られたらどれだけ不利になるか分からないほど馬鹿では無いと思っているんだけど。艦娘同士の艦隊戦なんて今まで行われた事は無いから、それがどういった事になるか誰も分からない。そんな中で先制攻撃を受けたらどれだけんの損害が出るか分かっているの? 」

 

「それは理解しているつもりだ。けれど、最初から攻撃するつもりで、あいつ等の前には立てない」

 

「呆れた。何の手立てもなく、ただ自分が扶桑達の前に立って説得すれば何とかなるって思っているだけなのね。信じられない。そんな馬鹿な人間が指令官だなんて。そんな奴にこの命を預けなければならないなんて、ありえない。……わざわざ裏切り者に殺されに行くなんてごめんだわ」

 

「叢雲。さすがに、それは言い過ぎだぞ。提督のお気持ちが分からないお前では無いだろう? 自重しろ」

黙って聞いていた長門がたまりかねて注意する。

 

「私はみんなの本音をこいつに言ってやってるだけじゃない。自分の命を投げ出してでも扶桑達を救って見せる。……何の根拠も無い、馬鹿なヒロイズムに浸ってるだけの変態ナルシストで無能な指令官のせいで、アタシ達は命を投げ出さなければならないのよ。あーあ、どうして私達ってこんなに不幸なのかしら」

挑むような視線を冷泉に向ける叢雲。

 

「それ以上……」

そう言いながら一歩前に踏み出す加賀。肩は震え、その瞳は怒りに満ちあふれているように見える。

 

「待て、加賀」

冷泉は加賀の腕を掴んで引き留める。

「これは、俺の為すべき事だ」

振り返り不平を述べようとする加賀に頷く冷泉。彼女は冷泉の見、ため息をついて静かに頷いて下がる。

 

「叢雲、お前の言う事は最もだと思う。けれど、お前の言う事は聞けないし、聞くつもりもない。俺は例え領域であろうともみんなと共に乗り込み、艦隊の式を執る。そして、扶桑達の説得を試みるつもりだ。そして、その結末のすべてに責任を負うつもりだ」

 

「助ける助けるって喚いているけど、はっきりさせておきたいんだけど、いい? 」

叢雲の問いかけに頷く冷泉。それを確認すると彼女は言葉を続ける。

「軍令部からは、扶桑を連れ戻すように指令が出ているけど、あれは明確に排除命令でしょう? 」

 

「……そうだ」

事実をあっさりと認める冷泉。

 

「だったら、軍人であるならば命令に従うべき。愚かなロマンティシズムなんて起こさないで、任務に忠実であるべきでしょう。私達に命令し、扶桑達を討伐させるべき。そしてアンタは鎮守府でその結果を待っていればいいだけじゃないの」

 

「絶対にいやだ。……それはできない、受け入れられない。俺は出撃する。俺が鎮守府の最高責任者だ。すべては俺が決めることだ」

 

「アタシは反対よ。指令官が命の危険を冒してまで、戦線に出る必要なんて無い」

 

「叢雲、それ以上言っちゃダメ」

慌てて金剛が叫ぶ。しかし、叢雲は聞く耳を持たない。

 

「自分の命を無駄に捨てるような指令官なんて、指揮官として失格よ。そんな馬鹿は、今すぐ辞表を書いて、ここから出て行ったらいいのよ」

 

「……叢雲」

重々しい沈黙の後、冷泉は言葉を発する。

 

「何よ」

少しひるむが、負けてたまるかといった感じでにらみ返す。

 

「はっきり言うぞ」

冷泉は大きく息を吸い込んだ。

「今回の作戦は、俺が決めた事だ。いろいろと考えた結果、こうすべきだと決めたんだ。安易に勢いだけで決めた事じゃない。だから、俺の命令に従えないというのなら、……もういい。お前は今回の作戦には、出撃しなくていい。……お前は舞鶴に残り、鎮守府の防衛の任に付け」

それは明らかな戦力外通知だった。舞鶴の警護には大湊鎮守府の艦隊があたっているし、夕張と島風もいる。この状況では叢雲は余剰戦力にすぎない。それでも任務を命令された。

 

「提督、しかし、それでは艦隊編成に支障が……」

まさかそこまで言うと思っていなかった、慌てて加賀が冷泉を諫めようとする。

 

「これは、……決定事項だ」

と冷たく突き放す冷泉。

 

「けれど、駆逐艦無しでの出撃は、敵戦力の不明な状況においては危険では」

 

「指揮官の命令に反する者が、戦いに同行する事の方が皆の戦意を削ぐ。不穏分子が紛れ込んでいたら、どんな事態が発生するか想像できない。そんな馬鹿な奴は、しばらく頭を冷やしていたらいいんだ。他の艦娘にそんな感情が伝染したら、戦闘どころでは無くなってしまうからな」

秘書艦の助言をいつにない強硬な姿勢で拒否する冷泉。

 

「……」

唇を噛みしめ冷泉を睨み、黙り込む叢雲。

 

「叢雲、提督に謝れ。今すぐ謝るんだ」

長門が取りなそうとあたふたとする。

「提督もそんな極端な考えをせずに、もうすこし柔軟になってもらえないか」

 

しかし、冷泉は何も答えず、ただ黙り込んだままだ。

 

「ば、……馬鹿ああああああああああああああああああ」

突然、叢雲が叫ぶと同時に冷泉の側に駆け寄り、車椅子を力任せに蹴飛ばした。衝撃で車椅子はくるくると回転し、遠心力により冷泉は床に転げ落ちそうになるが、素早く加賀が支えたため、なんとか助かった。

 

「叢雲、危ないじゃないの! 」

加賀が思わず叫んでしまう。

 

「て、提督なんて……もう知らない。勝手に自分の妄想に填まって死んでしまえ! 」

そう叫ぶと、叢雲は涙目で冷泉を睨むと、そのまま走り去っていく。

 

「ちょ、ちょっと叢雲」

引き留めようと叫ぶ加賀の声も聞こえないのか、大きな音を立てて扉が閉められた。

ダメだこりゃ……といった感じで肩をすくめると加賀はため息を付く。そして冷泉を見ると

「提督、後で私から彼女に言い聞かせておきます。ですから、彼女を編成から外すことは再考してもらえませんか? 」

と、懇願してくる。

 

しばらくの間、目がまわっていてきちんと反応できなかった冷泉であったが、何とか回復し、

「そ、……それは認められないよ、加賀。これは、すでに決定したことだ。覆すことはできない。駆逐艦叢雲は、鎮守府において待機を命じる……以上だ。出撃は明朝10時とする。みんなは出撃に備えてくれ」

それ以上の説得も反論も意見もすべてを遮断するように、冷泉は話を終えた。

「俺も少し作戦を練りたいから、一人にしてもらうよ」

そう言って、一人で電動車椅子を稼働させる。叢雲に思い切り蹴飛ばされたが、故障はしていなかったようで、きちんと走行する車椅子。

ドアに近づくと、少し怯えたような表情の速吸が扉を開けてくれる。

「速吸、来て早々の出撃となるが、よろしく頼むよ」

冷泉は彼女に一声かけると、そのまま部屋の外へと出て行った。

 

 

背後の扉が閉められた事を確認すると、冷泉はほっとしたように息を吐いた。車椅子を動かし、エレベータに乗り込み扉が閉まると目を閉じて天を仰いだ。

 

ふう、……なんとかいけたかな?

 

自分の演技が上手くいったか気になるが、結果はしばらく分からないだろう。けれど、今頃部屋の中ではざわついているだろうなということだけは間違い無い。彼女達を心配させてしまった事は悪いと思うが、今回だけは許して貰うしかない。

 

冷泉は降下していくエレベータの中で目を閉じると、感覚を研ぎ澄ます。体内で波紋を発生させ、それを次第次第に外へ外へと広げていく感覚。波紋は次第に広がっていき、エレベータを満たし、建物を満たし、そして外へと広がっていく。どんどんと広がる波紋はついには鎮守府全体を包み込む。

そんなイメージを頭の中で展開させていくのだ。

 

今回は索敵する対象が決まっているため、探査エリアは鎮守府内で十分だった。

 

探す対象は、叢雲だった。

 

すぐに反応が返ってきた。怒りと後悔の入り交じったものが冷泉へと跳ね返ってくるのが感じ取れた。自分の感情を制御できていないのか、その反応は明確に捉えることができた。方角は港の方だ。場所が特定されたところでちょうどエレベータは1階に到着し、扉が開いた所だった。冷泉は車椅子を港へと向かわせた。

 

 

港は作業用車両が目まぐるしく行き来して、出撃準備を行っている。時折、貨物船が入港し、復興用の資材を下ろしたりもしていて、慌ただしい雰囲気になっている。

冷泉は、作業を行う人々の邪魔にならないように移動していく。

 

賑やかさは港の端の方まで行くと、さすがに人の気配が無くなり、シンとしている。作業員達は船の係留された辺りに集中しているため、この辺りには誰もいないようだ。

そんな港の片隅の小型船を係留する舫い杭に、一人の女の子がぼんやりと座っているのが見えた。

 

―――叢雲だ。

 

冷泉はゆっくりと車椅子を進ませると、声を掛けようとする。

 

「なんで追いかけてきたの? 」

と、振り返ることもなく叢雲が呟く。

 

「あ……近づいて脅かしてやろうと思ったんだけどな、無理だったか」

わざとふざけたような調子で冷泉が答えた。

「なあ、隣に行ってもいいかな? 」

 

「別に……。提督に反抗したアタシを叱りに来たって訳……じゃ、無いみたいね」

素っ気なく言葉を返される。冷泉は苦笑すると、車椅子を叢雲の隣に移動させた。

 

「少しやり過ぎたかなって、反省はしている。たぶん今頃、加賀達が心配してるんだろうなあ。速吸なんて怖がっていたからな。ちょっとやり過ぎたかなって心配」

 

「フン。らしくなく怒っていたから、どうしたのかって思ったわ。……やっぱり、演技だったのね。なんでそんな馬鹿な事をしたの? 」

 

「……なあ、叢雲」

 

「なによ」

 

「真面目な話をして、いいかな? 」

そう言う冷泉を驚いたような表情で叢雲は見返す。そして、少し怒ったような仕草を見せると、

「……勝手にしたら」

と答えた。

 

「お前、今の状況に満足しているか? 」

 

「はあ? 何それ? 何の事を言っているの? 抽象的すぎて意味わかんない」

 

「艦娘として、お前が舞鶴鎮守府にいるという事自体を、どう思っているのかなって思ってさ」

 

「そんなの当たり前の事でしょ? 艦娘は人類の脅威となっている深海棲艦と戦うために、創造され遣わされた存在。そんな艦娘が人類の戦略拠点となる鎮守府にいるのは、当然のことでしょう? 」

 

「では、敵と戦う事についても……か? 」

 

「だから、戦うために生まれたのが艦娘なんだから、そんなの当然のことでしょう。生きていると同じ意味って言ってもいいくらいじゃない」

そう言いながらも、次に冷泉が何を言うのか、探るような目で見つめる。

 

「まあそう言うのは当然だろうな。けど、お前、本当にそう思っているのか? ……少なくとも、俺はそうじゃないって思っているし、そうでないということを知ってしまったんだよ。お前が戦う事……そのものに嫌気がさしていることをね」

 

「な、何を言ってるの。また馬鹿な妄想でも出たの? 」

否定しながらも慌てたような口調となる。その事に気づいたのか、わざとらしく毒づく。

 

「ごめん、試すような事を言ってしまったな。残念だけど……別に俺が気付いた訳じゃないんだよ。本当なら、俺が気付かないといけないことなんだけど。気付いてやれなくて、……済まなかった。でも、この前、三笠さんから聞いてしまったんだよ」

 

「! 」

その表情は、まさに驚愕といった感じだった。これほど驚いた表情を冷泉は見せたことがなかった。しかし、すぐに平静さを装うように表情を消し去る叢雲。装ったというよりは、どこか分かっていたかのような素振りにも見えたが、気のせいだろう。そう冷泉は思った。

「そ、そうなの。うん、そうなのよ」 

何か取り繕うように話す叢雲。

「アンタに気づかれてしまったんなら、隠したって仕方ないわね。……そうよ、アタシは戦う事にもう耐えられないの。仲間が戦いで死ぬことも、自分が死ぬかもしれないって事も。何もかも嫌なの。何度も何度も死を間近に見てきたわ。次はいつ自分の番になるのかって想像したら、眠れなくなることも何度もあった。そして、深海棲艦を倒す事も……たとえ敵だと分かっていても、自分たちを殺そうとしている存在だと分かっていても攻撃することに嫌悪感を感じてしまう。斃してしまった時の嫌な手応えを思い出すだけでも吐き気がする。仲間が死ぬことも、敵を倒すことも、どっちも嫌だった。けれど、それを何度も繰り返し続ければ、恐怖や悲しみ、嫌悪感をきっと乗り越えられる。何も感じることなくって信じて来たのよ。でも、何も変わらなかった。こんな嫌なことを繰り返すなんてもう嫌だった。この状況から逃れるには、死ぬしか無かったけど……それは怖くて考えられなかった。だから、生きるために必死に戦わなきゃならなかった。そして生き残った悲壮感と嫌悪感で頭の中が一杯になる。そして、次も同じ事を繰り返さなきゃならないって考えると、本当に何もかもが嫌になった」

吐き出すように叢雲が答える。

「自分の存在価値は戦う事にある。そんな事分かり切っているのに、どこでどうやってこんな事になったのか、わからない。けれど、どうしようもないの。艦娘として生まれ、鎮守府に派遣されたら戦うのは当たり前なのにね。分かっているのにどうしようもないの。……馬鹿でしょう? アタシって」

 

冷泉は涙を浮かべて告白する叢雲をじっと見ていた。

そして、告げる。

「お前の気持ちは分かったよ。だったら、叢雲は、どうしたいんだ? お前が本当に望むことを伝えてくれ」

 

艦娘は冷泉を見、そして俯く。そして、また冷泉を見つめる。

「わたしは、……ここを」

何かを求めるような表情を浮かべ、覚悟を決めたように口を開こうとする。しかし、次の刹那、顔をしかめると唇をぐっと噛むような仕草を見せた。

「……わ、わたし、この鎮守府を出たい」

吐き出すように、叢雲は言った。

 

「舞鶴を離れて、何処に行くんだ? 」

 

「場所なんてどこでもいい。戦争のある場所からとにかく離れたいの。とにかく今すぐに」

叢雲の言葉は、彼女の真なる願いの筈なのに、どこか空虚で熱意の感じられない口調だった。けれど、彼女の置かれた状況や性格からして、そんな素っ気ない言い方にならざるをえないのだろう。どんなに嫌だろうとも、他の艦娘達も同じ環境で戦っているのだから。叢雲の気持ちも何となく理解できたから、それ以上考えなかった。

それ以前に、これほど苦しんでいた叢雲の気持ちに気づいてやれなかった事のほうが辛かった。

 

「そうか、辛かったんだな。……叢雲、だったら、第二帝都東京へと異動してみないか。実は、この前行った時に、彼女から艦娘を一人、派遣して欲しいと依頼されていたんだ。人選については、俺に任せるということだったから、ちょうどお前が適任かと思うんだけど」

 

「! 」

大きく目を見開き冷泉を見る叢雲。驚きの後、何かに気づいたように目を伏せた。

暫く沈黙を保った後、彼女は答えた。

「冷泉提督、……是非、お願いします。私を第二帝都東京へ、移動させて下さい」

彼女は立ち上がると、深々と頭を下げた。

 

「おお、受けてくれるか。……よかった」

冷泉は喜びの表情を浮かべた。

辛い想いをずっとさせていた叢雲だけど、その気持ちに遅ればせながら気づくことができ、やっと彼女の望む場所へと行かせる事ができるのだから。彼女の性格からして意地になって行かないなんて言われたらどうしようかと思っていたのだ。

 

良かった。

 

それが正直な気持ちだった。

「よし、じゃあ、すぐにでも話を進めるように手はずするからな」

その言葉に頷く叢雲。

 

「あ、そうだ」

と、冷泉。

彼を見る叢雲。

「さっきは酷い言い方をして済まなかったな」

 

「何のこと? 」

 

「お前が俺のことを心配してくれていたのに、ずいぶんと酷いことを言ってしまった。けど、あれは本気じゃなかったんだからな。お前を戦場に連れ出さないで済むようにするための、大事な演技だったんだ。だから、謝っておこうと思ってね。けど、……あれくらいの剣幕でお前に言ったら、出撃メンバーから外しても、誰も不思議がらないだろう。まあ、うまく騙せていればいいんだけれどね」

 

「フン……大根ね」

 

「まあプロじゃないからな」

わざとらしくおどけてみせる。

「では、俺は準備に戻るよ。しばらくは休養して、第二帝都東京へ行く準備をしておくんだ。いろいろと準備もあるだろうし」

そう言うと、冷泉は車椅子を反転し、戻ろうとする。

 

「……ねえ、提督」

背後から叢雲が問いかける。

 

「なんだ? 」

声を返すが、返事は返らない。車椅子を回転させ、振り返って叢雲を見る冷泉。

目があった彼女は、目を逸らす。そしてまた黙り込む。まるで、意図せずに声を上げてしまったかのように。

「どうしたんだ、お前らしくない。言いたいことがあるんなら、はっきり言ったらどうなのかな? 」

 

「……私、この鎮守府に必要じゃないのかしら? 」

またしばしの間の後、叢雲がなんとか口にする。

 

「えっと、意味が分からないな。でも、……言えることは、ここにいるみんな全て、俺にとってはかけがえのない存在だよ。それだけは、これまでも、このから先も、ずっと変わらないさ」

それだけ言うと、冷泉は戻っていく。

 

語りかけたい言葉がある。

伝えたい想いがある。

けれど、それを口にしてはならない事もあるのだ。

伝えなければ伝わらない。それでも、伝えてはならないこともあるのだ。

 

冷泉は、その想いを胸の奥底に沈め、苦悩する。

 

行くな。ずっと俺の側にいろ。

なんと自分勝手な言葉だろうか。

けれど、その言葉を伝えることができるなら、どれほど自分は幸せなのだろうか。

 

否、自分だけは……なのだろう。

 



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第158話 離れていくこころ

どう考えたって、提督の言ってることは、おかしいネ!!

 

金剛は、珍しく怒っていた。

理不尽な決定に抑えきれない感情がわき起こり、我慢できなかった。普段から怒るといった感情なんて持つことがほとんど無かったせいで、その怒りの持って行き先が分からず悶々とするだけだった。

何に感情が波立っているかというと、もちろん、冷泉提督の決定についてだった。

 

いつもなら、叢雲に怒られたらシュンと捨て犬のように大人しくなっていたのに、今日はまるで違っていた。あれは何でなんだろう? 何であそこまで頑なだったんだろう?

考えても何も分からない。分からないけど、このままだとダメだと思う。こんなに大変な時なのに、提督があんなじゃ、みんなが混乱してしまう。

 

提督が感情を露わにして、怒鳴る姿なんて似合わない。何か考えがあっての事かも知れないけれど、それでも嫌なものは嫌なのだから。

 

気弱だけれど優しい、いつもの提督の方が好きだから……ネ。

 

だから、彼に聞かなければならないと考えた。みんながいたら、言えない事があるかもしれない。けれど二人きりなら、提督も本当の気持ちを教えてくれるかも知れないんだから。……いや、きっとそうなると思う。

 

そして、ふと、寂しくなる。

 

この役目は、扶桑のものだったのに。……何で、鎮守府を出て行ったの? 何であんな事をしてしまったの? どうしてなの?

何度も何度も自問したことが蘇ってくる。そして、辛くなってしまう。

理由が分かれば、それが少しは慰めになる。決意を固める事ができる。……諦めることもできるのに。

 

現実。

 

扶桑達と戦わなければならない―――。

 

その現実と向かい合わなければならない時が、すぐそこまで来てしまっている。もはや、先送りすることも逃げる事もできない。

もうすべてが詰んでしまっているかもしれない現実。それを受け入れるしかない現状でも、それでもかすかに期待をしてしまう存在がいた。

 

それが冷泉提督なんだ。

彼なら、きっとなんとかしてくれるはず。もう彼に縋るしかないのだから。

 

それなのに、こんな大事な時なのに、提督は艦娘達の結束を壊すような事を言い、不利な条件にしようとしている。意味が分からない。

彼と叢雲の間に何があったかは知らないし、今はどうでもいいことなのだ。今は、鎮守府一丸となって困難に対処しないといけない時。仲間内で揉めている場合じゃないんだ。

だから、得意じゃないけど、自分がやるしかないのだ。自分が提督を説得しなくちゃいけない。

 

―――加賀にやらせればいいじゃない。

そんな事を言う冷静な自分がいる。

でも加賀には、任せられない。任せたくない。これは自分がやらないといけないんだから。扶桑を助けるのは自分の役目。そのためには、提督を説得しなければならない。その役目を担うのは、加賀では無く、自分じゃなくてはならないのだから。

 

意地を張っていると言われれば、否定はできない。そんなことをしている場合じゃないと言われれば、その通りと答えるしかない。

けれど、加賀に負けたくないし、自分の手で扶桑も助けたいのだ。何度も何度も助けてくれた、姉のような大切な存在を守りたい。

 

「やるしかない……ネー」

無理矢理自分に気合いを入れる。演じ慣れた見えない仮面を被り、金剛は提督を捜すため歩き出す。

 

鎮守府を歩くだけで、被害状況が目に入ってくる。多くの人が亡くなった事も、もちろん知っている。その原因が親友であり、姉のようでもあった扶桑にあることも……。復旧作業にあたる兵士達が、金剛を見つけると挨拶をしてくれる。彼等の心境はどういったものだろう? 仲間だと思っていた扶桑達に砲撃され、その仲間の人間に攻撃されて多くの人が死傷してしまった。不審感を持って当然だろう。それがとても辛かった。

きっと、扶桑の行動にも理由があるのだ。望んで鎮守府を攻撃したわけじゃない。

扶桑がみんなに訴えた言葉を聞かなかった事にして、すべてを良いように解釈しようとする自分に少し呆れてしまう。

 

兵士達に笑顔で慰労の言葉をかけながら、冷泉を見なかったかと聞いてまわる。彼女の登場で、作業中の兵士達に笑顔がわき起こる。

金剛は、にこやかに冗談を交わしながら、すぐに提督の目撃情報を入手する。引き留められるけれど、さりげなく断りを入れ、そちらへと向かっていく。

 

鎮守府を一望できる、小高い丘がある。

そこに冷泉提督は居た。

みんなが話していた通りに一人きりだった。丁度いいと思った金剛は、彼に駆け寄っていく。

 

「テートク! 」

いつものように大げさに、元気いっぱいに声を出す。

すぐに気付いた提督が、こちらに車椅子を向け、金剛を確認すると笑った。叢雲と対峙した時に見せた表情とは異なり、いつもの提督に戻っている。

 

よかった―――!

 

思わず嬉しくなってしまう。

 

わざと、どたどたと走りながら彼の側にたどり着くと、

「そんなに慌ててどうしたんだ? 」

と、不思議そうに彼が問いかけてくる。

 

「はあはあ、ちょっと、……テートクに聞きたい事があっただけど」

少しだけ息を切らせた振りをしながら、冷泉に答える。

 

「ん? 何かあったのかな」

 

「うん、えっとネー」

そして、少し間を置いてしまう。こんな事をまた聞いたら、提督の機嫌を損ねてしまうかもしれない。けれど、聞かないといけないんだと自分を励ます。

「さっきの事なんだけど」

そう言った瞬間、冷泉の表情が明らかに曇るのが分かった。

あちゃーって思うが、もう止められない。止めたって悶々とするだけだし、ここはきっちりと聞くんだ。

「テートク、今度の出撃、叢雲を艦隊編成から外したケド、絶対ダメだと思う。潜水艦がいたら大変な事になるヨ。潜水艦と戦える艦娘いないじゃない」

 

「わざわざそのことを言いに来たのか。……それについては、速吸がいるからなんとかなる。彼女は対潜水艦戦闘も可能なんだよ」

と、あっさり返されて戸惑ってしまった。補給艦なのに対潜水艦能力があるなんて。よく知らない子だから、知らなくても不思議じゃないけれど。

 

「そ、そうなんだ、知らなかった。ゴホンゴホン……でも、私が言いたかったのは、そのことじゃ無いネ。叢雲を編成から外した事が納得いかないの。あの子はいつも偉そうな事をいうけど、本音はテートクの事をいつでも心配してるネ。今度の事だって、ちょっとした行き違いで意地になっているだけダヨ。だから、彼女を許してあげて欲しいネ。彼一緒に連れていって欲しいんだけど」

 

「……あれは、もう決めた事だ。たとえお前の頼みだとしてもダメだよ」

あっさりと断られる。

 

「どうしてそんな事言うのか、分からないネ。叢雲だってあんな事言ったけど、今は反省している筈ダヨ」

 

「……軍隊とは、上官の命令が絶対でなければならない。そんなの当たり前の事だろう? だから、俺の命令を聞けない奴を、一緒に連れて行ける訳がないだろう? 分かるだろう? 俺たちは、遊びに行くんじゃないんだ。戦いに行くんだぞ。そんな所に行くには、同じ意識を持った者だけで挑まないと、いざという時に動けなくなる。あいつのせいで、他の艦娘に悪影響が出たら大変だ。躊躇は、戦場では即、死に繋がる。そんなところに彼女は、連れて行けない」

 

彼女は、と強調したところが何故か気にくわない。

「叢雲は、テートクの事を心配してあんな事言ったの、分かっているでしょう? どうして、そんなに頑固なの? 叢雲の気持ちも考えてあげて欲しいネー。テートクは、いつもいつも私達の事を考えてくれていたネ。優しいくて頼りがいがあって、大好きだったのに。叢雲だって、他の子だってみんなそう。なのに、テートクは叢雲の事が嫌いになったの? どうして、あんな酷い事言うの。叢雲の気持ちを分かってあげて欲しいネ、お願いだから」

話しているだけで何故か苛ついてきてしまう。悲しくなってしまう。いつもは優しい提督が、どうしてこんな事言うのだろう。

 

「……分かっているから、こうするんだよ」

ぽつりと呟く冷泉。

 

「え? 何」

と問い返す金剛。

 

「こうするしか無いんだよ。今の俺にできることは、ああするしかないんだ」

吐き捨てるように冷泉は声を出した。

「……そうだな。金剛、お前には言ってもいいかもしれないな」

何故か意味ありげに呟くと、冷泉は金剛を真剣な表情で見つめる。

 

そして、冷泉は話してくれた。

叢雲が何を考え、何を思い何をしたかったかを。ずっと思い悩んでいた事を気付くことなく、他人から知らされた冷泉の悲しみを。

 

「叢雲が戦う事を怖がっていたなんて、私も知らなかったネ。たぶん、他の艦娘だって気付いてなかったかもしれないヨ。だって、あの子はいつも強がってたから。そんな気持ちを隠すためにわざとあんな態度を取っていたのかも知れないネ。テートクが気付けなくても仕方ないカモ」

 

「お前がそう言って貰えると、少しは気が楽になるよ。けれどそんな事を知ってしまったから、もう彼女を戦場に連れて行けない。このことは、みんなには知られたくないから、誰にも言わないでほしい。頼むぞ」

そう冷泉は、念を押してきた。

 

「それは、あの子……加賀にも言ってないの? 」

と、思わず彼女の名前を出してしまう。

突然鎮守府にやって来て、冷泉提督の隣の場所を独占することになっている艦娘の事を。どうしてそんなことを言ったのかは、金剛には説明が付かないのだけれど。

 

「ん? もちろん言ってないさ。叢雲の事は、本当は誰にも言わないでおこうと思っていたからな」

 

「じゃあ、どうして私には教えてくれたの」

かすかに、自分だけは特別ではないか? 冷泉提督にとっての特別な存在と認めて欲しい自分がいた。加賀には負けたくない。ずっと思っていた感情を突然思い出してしまう。……これを嫉妬というのだろうか? 艦娘とは縁遠いと思っていたドロドロとした概念。考えれば考えるほど泥沼に填まるような感覚があって、目を逸らそうと必死だった感情。そんな泥沼に填まりそうになる恐怖を感じ、必死に意識を切り替える。

 

「それは、今からお前に言うことと関係があるんだ。本当は、お前を呼んで話、そして聞かなければならない事があったんだ」

そう言って、冷泉は辺りを見渡す。視界の中には人一人いない状況。今は鎮守府の復旧作業にみんな出ている状態。こんな場所に来る人はいないだろう。

「そうだな。やっぱり、今がいいだろうな。時が経てば立つほど、みんなと話す時間が減ってしまうからな」

 

「私に何を聞きたいの? 」

心当たりが何も無い。必死に考えるがまるで浮かばない。

 

「金剛、お前に横須賀鎮守府への異動の話が来ているんだ―――」

突然、伝えられた、予想もしていなかった一言。

金剛は一瞬、言葉を失ってしまう。

「な、何をいきなり言うネー!! 」

驚く金剛を無言のまま見つめる冷泉。

 

金剛の頭の中は大混乱だった。提督の真意を掴めずに困惑していたのだ。

こんな鎮守府の一大事の時に、異動の話を突然持ち出した事に。しかも、横須賀鎮守府への異動なんて。

横須賀と舞鶴では、鎮守府としての格が違うことを忘れたのだろうか、提督は。

かつては同格と言われた鎮守府(大湊警備府は別として)だけれど、深海棲艦の活動拠点との位置関係から次第に戦略的重要さに変化が出てきていた。艦娘の本拠地となっている第二帝都東京に最も近い横須賀鎮守府には、必然的に優秀な艦娘が集められる。そうなれば強力な艦娘を展開させて有利に戦闘を進められる。当然、領域拡大の速度が増す。危機感をもった深海棲艦側も太平洋側へ戦力を集めてくる。それに対抗するために、さらに強化される―――。そんな流れでどんどんと他の鎮守府との差が広がっていったのだ。もちろん、横須賀の提督になった生田提督の戦術手法も大きな力になったのは間違いない。他の提督と比べると、明らかに戦果が違いすぎた。他の提督だって無能な訳では無いけれど、格が違ったというところか。

そういった事から、横須賀鎮守府は最精鋭艦隊と呼ばれることになり、そこに名を連ねる事が艦娘にとっても誉れであったのだ。

金剛だって一時は横須賀に憧れていたけれど、呼ばれることはなかった。その能力が及ばなかった事。生田提督の戦略上、必要とされなかった。そんなところなのだろうけど、ずっと舞鶴にいることになっていたのだ。心のどこかで憧れはずっと感じていたし、今も感じているのだろう。コンプレックスなのかもしれない。そう思うと、加賀に対する嫉妬心というものは、横須賀で第一線にいた彼女に負けたくないという部分もあったのかもしれない。なぜなら他の艦娘が提督と仲良くしてても特に何も感じなかったのに、加賀が提督と話しているだけで心が漣立ち落ち着かなくなるのだから。

 

「私なんかが、横須賀に呼ばれるわけないネー」

そう答えてしまう。しかし、自分の顔が引きつっていないか心配になってしまう。

なぜなら、冷泉提督の言うことが真実であることを、金剛本人が知っているからだ。

 

 

それは数日前、艦娘のみが使用する秘匿回線。その中でもほとんど使う事のない、第二帝都東京との直通回線からの呼び出しがあったのだ。何事かと見たモニターには、冷泉提督が会っていた戦艦三笠の姿があった。

彼女は、困惑したままの金剛に伝えた。

「横須賀鎮守府の生田提督が、あなたを横須賀に配置換えをできないかと軍令部を通じて要請してきたわ。彼が描いている戦略に、高速戦艦のあなたがどうしても必要らしいわ。我々としては、彼の能力を高く評価し、彼の領域解放をより効率よくできるように協力したいと考えています。ですから、是非ともあなたにも横須賀行きを承諾して欲しいのだけれど」

そんな唐突な申し出に混乱してしまう金剛だった。要請されるのは実に嬉しいし、戦艦三笠からの直接依頼されるなんてことも名誉な事だった。少し前なら、二つ返事で承諾していた所だろう。

 

「今は、行けないネ」

口から出た言葉はそれだった。

 

「どうしてなのですか? あなたが何を望んでいるか、私が知らないとでも思っているのですか」

心を見透かすように三笠が言う。

日本国を壊滅から救った六人のオリジナル艦娘。その中の一人、三笠なら金剛が何を求め何を考えているか手に取るように分かるのかもしれない。確かに、金剛は横須賀鎮守府に異動し、最前線で戦い勝利を手にしたいという願いがあった。艦娘なら誰しもが想い描く夢なのだから。

けれど今はそれ以上に必要なものがあった。

 

「今、舞鶴鎮守府は、とても大切な時期にあります。私は冷泉提督のお側で提督をお手伝いしたいと考えています。だから、自分の希望ではあるけれど、ここからは離れられないのです」

 

「あら、普通に話す事も出来るのですね、金剛さんは」

と、面白そうに三笠が言う。

「いつもふざけて話しているのかと思いました」

感心しているのか馬鹿にしているのかよく分からない。

 

「私が提督の役に立てるかどうかなんて、わかりません。けれど、今は舞鶴にとってとても大事な時。だから、提督の側にいて、お役に立ちたいんです。それが今の私の一番の願いなのですから」

自然に自分の思っていること、願っていることが言葉にできた。いろいろと誤魔化したりして避けていた事が明らかになる。自分が何を一番想っているのかを。

 

「ふふふふふ」

突然の笑い声。

 

「な……」

 

「ごめんなさい。おかしくって笑ってしまいました」

嘲るような声。

「艦娘が命令もされずに、人を好きになるなんて……そんなことがあるのですね。何の計算も計略も打算も無く、ただ人に想いを寄せるなんて。なかなか興味深い事ですね」

馬鹿にしているのか興味深いのか、その言葉彼女の表情からは真意は読み取れない。

「けれど、実に悲しい事ですね。報われることの無い想いは、どうやって昇華させればいいのでしょう。情念の泥沼にはまり込み、絶望に沈んでいくところなど見ていられない」

 

「三笠さんがどう考えているかは、知らないネ。でも、私の気持ちは変わらない。残念だけど、そのお話は無かった事にして欲しいネー」

 

「私はお前を情念の柵から解き放つ義務があります。それがたとえお前の意志に反することであろうとも。絶望に沈むことが分かっている娘を放置なんてできませんからね」

そう言って三笠は哀れむような瞳で金剛を見る。その瞳は優しく、そして凍てつくような冷たさがあった。

 

そして、告げられた。

逃れられない運命を。この先、冷泉提督を待ち受ける運命について告げられたのだ。今回の艦娘の裏切り行為。並行して発生した鎮守府襲撃事件による死傷者の発生と物理的被害。その全ての責任から冷泉提督が逃れられないのは必定。そして、今回の出撃によって扶桑達を連れ戻す……恐らくは不可能であることから彼女達の撃沈を達成することが唯一の挽回のチャンスであることを。しかし、冷泉提督では非情になることはまず無理だろう。つまり、作戦は失敗する。

これは、軍も想定済みの事態である。冷泉提督の処分は既定路線であり、その事務手続きが淡々と行われるだけとなっているのだ。囚われた冷泉提督は、任を解かれれ、軍法会議にかけられるだろう。味方など誰一人いない裁判で、彼の有罪は不可避。どういった処分がなされるかは分からないが、軍に戻れないことだけは確定だ。

しかし、それを回避する唯一の方法。

それが、三笠の主張する、金剛の横須賀への異動だったのだ。金剛を得ることができれば、横須賀の生田提督が弁護に回る算段がすでについている。そして、艦娘側からも冷泉の援護を行うとのことだ。

しかし、金剛が留まるというのであれば、既定路線を進めるだけ。

「三笠さんが軍に働きかけをしてくれるのは無理なの? 」

 

「大切な娘を不幸にする男を助ける義理はありません。彼の存在は、他の艦娘も不幸にする危険な人物です。ゆえに、私達が彼に与する事はありません。……できれば、彼には消えて欲しいのが私の考えです。でも、そんなことはあなたは認めないでしょう? だから、最大限の譲歩でもあるのです。決めるのは、あなたです。私はどちらでも構いません。運命をあなたの意志で決めなさい。ただ言えること、それは、あなたは冷泉提督を救う事ができるのです」

そう言われれば、もはや答えは決まっていた。

 

 

ついに言われてしまった。

ずっとずっと先送りにできればと思っていたのに。

冷泉提督にも、選択を迫られてしまった。

 

「……」

思わず黙り込む。涙が溢れそうになるのを必死で抑える。自分で自分の想いに終止符を打つこと。それが耐え難かった。

けれど、決めなければならないのだ。

彼を守るために。

 

「いきなりの話でビックリしたかもしれないけれど、これは事実なんだ。横須賀鎮守府の生田提督がお前の力が欲しいと嘆願してきている。俺もいきなり知らされて、驚いたんだけど……。横須賀鎮守府の今後の作戦展開を説明し、高速戦艦が必要らしい。特にお前のような優秀な艦娘が必要らしい。」

少し躊躇するような表情を浮かべた冷泉提督であったが、すぐに真面目な顔になる。

「そして、もし、お前がそれを望むのであれば、これはとてもいい話じゃないかと考えているんだ。お前は……どうなんだろうか? 」

問いかけるその表情は、言葉とは裏腹に、どことなく探るような、そして何かを期待するような感じに思えた。

自分の気持ち……横須賀鎮守府で力を試してみたいということは、随分前から書面で伝えてあった。だから、冷泉提督だってそのことは知っているはずだ。だから、金剛が感じた、彼が何かを期待するように見えるってことは、金剛を横須賀に差し出せば、自分の処遇に有利に働くってことも知っているかもしれない、という彼の打算が見え隠れしている事を敏感に感じ取ったからだ。

その瞬間、何かが崩れていくように思えた。熱かったものが急激に冷めていくような気がした。

目の前の物の価値が急速に落ちていくような悲しさ……。それに冷泉提督は気づいているのだろうか?

 

「その、何だ。俺は、舞鶴にいるよりもお前にとっては良いことだと考えているんだ。お前は舞鶴で燻っているより、横須賀での最前線の戦いで活躍するほうが向いているんじゃないかって考えているんだ。ここは、俺の責任でもあるんだけれど、お前の力を生かし切れていないのかもしれないんだよなあ」

誰のためを思っての言葉か、冷泉提督は普段以上に多弁となっている。まるで何か必死になって説得しようとしているようにさえ思えてしまう。今の鎮守府の状況を把握しての言葉なのか?

何かに追われ、焦っているようにしか今の提督は見えないのだ。

 

「はい……」

金剛は頷くと答える。その声に感情の起伏が無くなっていることに本人すら気づかない。

「許されるなら、私の横須賀行きを認めて欲しいです」

諦めにも似た言葉が口から出てしまうのだった。

 

 



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第159話 幽かな光を求めて

それを聞いた途端、提督の表情が一気に明るくなったように感じた。

「そ、そうか! ……うん、そうかそうか」

何度も頷く冷泉。どことなく嬉しそうに見えるのは、何故だろう。不思議に思うと同時に、胸の奥の方で刺すような痛みを感じる。

 

こんな気持ち、感じた事が無かった。

寂しくて、何だか辛くて、そして空しい感じ。

いっそのこと、聞いてしまえば楽になるんだろう。提督は、知っているの? 私を横須賀鎮守府に異動させることに成功したら、この先、提督に訪れるであろう運命から逃れられるということを。私を横須賀に行かせれば、自分の地位を守ることができるということを。

いっそのこと、「俺の為に横須賀へ行け」と命令されれば、どれほど幸せなんだろう。そう言われれたなら、自分も納得できる。言ってほしい、命令して欲しい。提督の役に立てるのなら、どんなことだってできるのに。それを言ってくれないなんて!

 

けれど、それを聞く事ができなかった。もし、そうだと言われたら怖いから。提督はいつでも艦娘の事を考えてくれていた。そんな提督が、自分のために艦娘を売ることなんてあってはならなかったのだ。大切に思っているものが壊れてしまう恐怖だ。けれど、そんなことを思っている段階で、すでに答えが出てしまっているのだけれど。

叢雲を艦隊編成からはずしたのだって、もしかしたら他に知られたくない理由があるのかもしれない。そんなことも勘ぐってしまう。

 

―――最悪。

 

自分も、提督も……みんなみんな最低だ。最悪だ。

聞く事ができない自分、本当の事を言ってくれない提督。何もかもが嫌になる。

 

だから、全然違う言葉が出てしまう。

「テートクに教えて欲しい事があるネ」

何を聞くと言うのだ、と自信に問いかける自分。

 

「う、なんだい? 」

不抜けた表情で、こちらを見る提督。 

 

「扶桑達と対峙したら説得するって言ってたケド、もし失敗したら提督はどうするつもりネ? 」

答えなんて、決まっている。倒すしかないはずなのだ。

倒す……つまり、扶桑達を沈める。殺すと言う事。

 

「うん、そうだな。俺があいつ等を説得できなければ、俺たちの敗北は必定なんだろうな。あいつらを本気で討つことなんて、俺もお前達だってできないだろうからな」

と、他人事のように言う。

 

「だったら、説得できる自信はあるの? 」

金剛は、無責任な上司に呆れながらも問いかける。

 

「正直言うと、無い。過去にどんないきさつがあったか知らないけれど、扶桑達の囚われた暗闇は相当に根深いものみたいだからな。俺が説得したところで、はたして納得させられるかは、やってみないと分からない。しかし、実際のところ、鎮守府への砲撃、そして、敵兵力の暴挙を見過ごしたところからしても、もう彼女達は自らの退路を断って決断しているとしか思えない。後戻りできないようにしているのか、それとも誰かにそうされているのか。……どちらにしても、説得はかなり困難だろうな」

 

「もし、扶桑達が攻撃してきたら、……戦いになればどうするのか」

 

「お前の言うとおり、その可能性は確かに高い。だから、結局のところ、そうなったら負けないように逃げるしかない。たとえ、あいつ等に負けるにしても、お前達を犠牲にすることなんてできないからね」

 

「そんな行き当たりばったりの考え無しの作戦で行くっていうネ? 」

 

「……そうは言うけどなあ。俺にできることなんて、たかがしれてるんだよ。扶桑達の心を引き戻すほどの事ができるかなんて、正直なところ難しいかなって思っている」

 

「でもでも、テートクは扶桑達を救い出したいって考えてるんだよね? 」

 

「もちろんさ。けれど、限定つきだよ。できることなら救い出したい……ということなんだ。とてつもなく困難だ。もはや俺の能力を越えた状況だよな。……しかし、そうはいっても、こればかりは誰かに任す事もできないだろうし。正直言うと、俺としても、はじめから勝算の無い戦いだって分かってる。だから、できることなら避けたいんだけどね。でもな、これは命令だからな。逆らったら、連中の心証が悪くなるのは間違いない。もうたいがい俺の評価は低いのに、これ以上下げられてしまったら、本当に軍にさえいられなくなるからな。さすがに、軍を追い出されてしまったら、本末転倒だよ」

これまで見てきた冷泉提督なのか? と思うほど情けなくやる気の無い発言をする目の前の男に、金剛は疑念しか感じられない。

「なんとか適当に誤魔化して、やり過ごせればいいんだけどな。当然、お前達の安全が最優先なんだぞ。だから、極力戦闘は避けるんだ。本気でやり合ったら、双方に相当な損害がでるだろうからな。仲間同士で戦うなんて無意味だ。扶桑達が本気で舞鶴にいるのが嫌だっていうんなら、仮に無理矢理連れ戻したって凝りが残るだけなんだよ。お前にだから言えるけど、行かせてやるほうがいいって俺は思っているんだ。ただ、軍部からの命令が出ている手前、命令を無視する訳にもいかないし、適当にお茶を濁すのがベターなんだよ」

 

「でも、扶桑達を行かせてしまったら、日本国に敵対する存在として討伐対象になるんだよ」

 

「それは、あいつ等の決めた事だから仕方ないって思うしかない。実際、今出ている命令だって、あいつ等を沈めても構わないって事なんだ。俺は、仲間だった艦娘同士で争わせたくないから、こうするしか無いんだ。お前だってそれくらい分かるだろ? 昨日までの仲間を討つなんてしたく無いだろ? 俺にできる最大限の譲歩なんだよ」

冷泉提督の言うことも、もっともだと金剛も思っている。けれど、彼の言い分は、金剛の知る冷泉提督らしくない発言だ。逆に恩着せがましく言っているようにさえ感じる。

どうしてそんなことを言うの? どうしてそんな目で私を見るの?

 

「テートクは扶桑達を助けたく無いの? 」

 

「そんなわけ無いだろ。できることなら助けたいさ。けれど、今残された舞鶴鎮守府の戦力では、無理矢理連れ戻すことなんてできないんだよ。扶桑達だけじゃないんだぞ、連中の戦力は。過去にこそこそと轟沈と偽って逃がした艦娘がいるっていうじゃないか。沈んだと記録されている艦娘の内、がどのくらいが敵の戦力となっているかは不明なんだぞ。けど、あれほど大胆な行動をするような連中だ。日本国を相手取ってもなんとかなるくらいの戦力を持っていると考えた方がいいかもしれない。……一つの鎮守府程度には戦力を整えているのかもしれない。そんな連中相手に……今の舞鶴の艦隊では勝てるとは思えない」

 

「テートクは、自分の命よりも私達を大事に思ってくれているネ。ちょっと無茶なことでも平気でやっていたネ。そんな提督なら不可能なんて無いって思ってい……」

 

「だから、状況が変わってるんだよ! 」

遮るように冷泉が叫ぶ。何かに苛ついているようにも見える。もちろん、それは金剛に対してだろう。

 

「テートクは、扶桑達を見捨てるの? 」

聞いてはいけないことを口に出してしまう。

 

「そんなわけ無いだろう? 俺はできる限り扶桑達を助けたいって思っている。そして、鎮守府の艦娘を誰一人傷つけたくないって常に考えている。その中でできるベストの事をやろうと思っているだけだよ。すべてはお前達の為を思っての事なんだ。お前達の為なんだよ」

一瞬、動揺したような表情を浮かべた冷泉だったが、すぐに笑顔になり、宥めるような口調で訴えてくる。

「俺は、いつだってみんなの事を考えている。だから、お前の横須賀行きにも同意したんだよ。叢雲の件だってそうだ。俺は、お前達が幸せになることだけを考えているんだから……な。今回の作戦だって、きっと旨くいくさ。行く前から悲観的になるなんておかしいだろ。お前らしくないぞ」

笑顔でそう語るが、その言葉はとてつもなく空虚なものにしか感じられなかった。彼の言葉は、ただただ金剛を説得するためだけに吐かれているだけで、それ以外には何も無いのだ。お前達の為、お前達の為と押しつけがましく連呼しているだけで、そこには何の愛情も感じられない。

自分の事だけを考え保身に走る小物……。かつて憧れさえ感じていた存在が、そんな矮小な物に見え、掠れ滲んでいく。

 

「テートク……」

金剛は掠れるような声を出すのが精一杯だ。

「私が横須賀に行って、叢雲が第二帝都東京へ行くことになるんだよね」

 

「ああ、そうだけど」

 

「それで、テートクには、……どんな良いことがあるの? 」

 

「は? 」

一瞬だけ惚けた表情を浮かべた冷泉だったが、金剛の言葉の意図を知り、顔を真っ赤にする。

「そ、そんな何を言っているんだよ、お、お前は。ば、馬鹿だな、俺にメリットなんて何も無いぞ。ご、誤解するのは、やめろ。俺はただ、お前達の希望を叶えようと努力しただけなんだぞ! 何もかもお前達の為を思っての事なんだ」

 

「ねえ……三笠さんに何を交換条件に出されたの? 」

言ってはいけないと思いながらも、もはや止めることができない。

「提督は、私達を売り飛ばして……自分の保身でも、図ったのカナ? 」

 

「く、そんな訳無いだろ。俺がそんなことする訳ないだろ? ふ、ふざけるなよ。お前、俺を馬鹿にしているのか! いくらお前でも許さないぞ。お前達の事だけを考えてがんばってきた俺に、なんだよ、それ。あんまりじゃないか! 酷すぎやしないか。……クソッ、クソクソクソ。俺がどんくらい必死になってやってきたのか、もう忘れたっていうのか? どれだけお前達を守るために無理をしてきたか分かってくれねえのかよ。ふざけるなよ、くそったれが」

怒り狂い、そしてこれまでの行動を恩着せがましく言う提督。けれど、彼が必死になって弁解すればするほど、その言葉は空虚なものと成っていき、彼が熱くなればなるほど、金剛の心は冷え切っていくのだった。

 

三笠に何かを言われたという問いについては、全く否定していない。少なくとも提督と三笠の間に何かのやりとりがあったのは事実。提督もそれを認めている。……それがすべてだ。

 

「もういいよ、テートク。分かったネ。もう何もかもどうでもいいヨ」

冷たく言い放つ金剛。これ以上の会話は無用とばかりに遮る。

「……私が言いすぎました。本当に申し訳ありませんでした、……冷泉提督」

最後の言葉は、自分が思った以上に心がこもらず、まるで機械のような声になってしまっていた。

「では、失礼します」

金剛は冷泉に背を向けると、振り返ることもなく歩き去る。

背後で冷泉の視線をずっと感じていたが、彼は呼び止めるでもなかった。

 

もし、呼び止めてくれたなら、もう少し彼と話すことができたかもしれないけれど……。

溢れそうになる涙を必死に堪えるだけで、もう精一杯だった。

 

 

歩き去る金剛の後ろ姿を見つめながら、冷泉は唇を強く噛んだ。そのせいか、口の中に鉄のような味が広がるのを感じる。

金剛はしばらく歩いていたが、ついには駆け出していってしまった。

 

「こ……」

名前を呼ぼうとするが、それは声にならなかったのだ。

「嫌われた……かな」

冷泉は大きなため息を付くと、しばらく目を閉じたまま動けなかった。

車椅子を動かす。

今になって気付いたが、どうやら叢雲に蹴られたせいで片方の車輪が僅かながらも歪んでしまったようだ。妙な振動を発生し、真っ直ぐに進んでくれない。

そんなことを考えながら、なんとか提督執務室のある建物にたどり着く。敵の攻撃によって破壊されたせいで、現在は使用していなかった建物の中に機能を移設している。もとは会議室だったために、ただっ広くて無機質な感じがあまり好きじゃなかったが、仕方ない。とりあえず、車椅子でも利用できるトイレがあり、エレベータがあるというこで選定されたのだから。冷泉が四肢がきちんと動くのであれば、もっと違う場所があったのだけれど、上り下りに介護が必要なため煩雑ということで仕方なかったのだ。

自動ドアを通って建物の中に入り、一息ついた途端、突然の吐き気が襲って来る。一気にのど元まで何かが上がってくる。

冷泉は、右手で口を押さえ、慌てて一階の身障者トイレへと向かう。なんとか入口のドアのスイッチを押し、飛び込むように中に入る。

 

第二帝都東京で施術を行ったおかげで、日に日に体に感覚が戻ってきていて、僅かながらも動かせるようになっていた。まだ短期間でしかないためにそれほど成果は上がっていないけれど、車椅子から立ち上がったりすることもできるようになっている。そのおかげで、転がり墜ちるような体ではあるものの、なんとか洋式便器の所まで体を持って行くことができた。右腕で体を支えながら、顔を下へと向ける。ほとんど同時に、上がってきた胃の中の物をぶちまける。

吐いても吐いても嘔吐は止まらず、胃の内容物をすべて吐き出してしまったのか、もう何も出ないのに胃液なのだろうか、液体だけは出てしまう。ついには黄色い液体まで吐き出すようになり、腔内が苦くなる。

苦しくて涙があふれ出す。そして、止まらない。吐き気も止まらない。

 

苦しいのか、悲しいのか、痛いのか、何が原因なのか、なんだかもう分からない。咳き込み、吐き出し、また咳き込むを繰り返す。

いつの間にか、嗚咽が混じるようになり、声を上げて泣いている自分がいることに気付く。鼻水も出てしまい情けない姿を晒しているのは間違い無い。

 

泣いている……俺は、悲しんでいるのか? 何で悲しむのか。俺は金剛や叢雲の為を思ってやっただけだ。何の問題も無い……はずだ。彼女達の為には、こうすることが一番なんだ。何故悲しむ必要があるのか。

その問いに答える者は、いない。

 

「あいつらに、嫌われてしまったな」

ぽつりと呟く。

 

自分が嫌われるだけで済むならそれで良かったはず。あえて嫌われるように振る舞ったはずだ。自分勝手で偉そうなだけで、自分の保身だけを考えるような屑に見えただろう。少なくとも冷泉に対して悪い印象を持っていなかったはずの二人を失望させてしまっただろう。

でも、それでいいはずなんだ。最低な上司が居た舞鶴鎮守府。出る事ができて清々する……そう思って貰えればいいんだ。何の気兼ねなく、ここを出て行けることができれば、きっと嬉しい。

 

嬉しいはずだった。

 

頭では分かっている。なのに、体が猛烈な拒否反応をしている。

また吐き気が襲い、冷泉は嘔吐する。何度か水を流して吐瀉物を流し、便器の中は真っ赤に染まっていた。

 

あいつらをどこにも行かせたくない! ずっと自分の側に置いておきたい。

自分勝手な感情が冷泉の本音だったのだ。その気持ちを押し殺し、正しい事を押し通そうとして、この有様だ。

 

辛い辛い辛い! 嫌だ嫌だ嫌だ!

俺は金剛が、叢雲が大好きだ。誰にも渡したくない。なのに、どうすることもできない。もっときれい事を並べて、彼女達を引き留めれば良かったのか? 自分の我が儘のために、彼女達が不幸になることも厭わないというのか。

戦艦三笠の言葉には、きっと裏があるのだろう。けれど、それ以外に冷泉にできることは何一つないのだ。どうしようもなく追い詰められ、どうしようもなく力なき存在なのだから。ならば、少しでも彼女達の未来がマシになるようにしてやらないと。

 

「うわあああああああああ! 」

叫ぶと同時に排水する。便座に頭を何度も打ち付ける。

どうすることもできない自分の情けなさ。けれど、叫ぶ事しかできやしない。

 

―――どれくらいの時間が経ったのだろうか。

泣きつくし、涙が涸れてしまったのだろうか? ……枯れ果てたのか涙は止まり、吐き気も嘘のように無くなっていた。

 

泣きわめいたせいで、すっきりしたのだろうか。涙はすべてを洗い流してくれるというけれど、心の中にタールのように溜まっていた負の感情をすべて流してくれたのだろうか。

 

そうだったらいいのに。

 

残念ながら、現実は、何一つ変わらない。けれど、ここで泣いているだけでも何も変わらない。

そして、自分はここに留まって良い立場には無い。

どんなに辛くても、苦しくても、行かなければならないんだから。

 

艦隊を指揮し、扶桑達を連れ戻す―――。

恐ろしく難易度の高い任務だけれど、やり遂げなければならないのだから。不可能だといって投げ出していいものじゃない。

冷泉は這うようにして車椅子に戻り、なんとか腰掛ける。

そして洗面台のところまで移動する。鏡に映った自分の顔を見る。

目を真っ赤に腫らし、おでこは便座に打ち付けたせいか赤く腫れている。鼻水が顔にへばりつき、とても汚らしい。

「こんな状態じゃ、外に出られない、な」

水を勢いよく出すと、ぎこちない動作で顔を洗う。まだまだちゃんと動かせない両手をなんとか動かし、ごしごしと顔を洗う。

タオルが無かったから、袖でぬぐうしかない。服はずぶ濡れになってしまったが、少しはマシな顔になっただろうか。

 

「ふう……」

冷泉は大きく息を吐き、ドアの開閉ボタンを押す。

ここから先は、もう情けない姿を晒すわけには行かないんだから、気合いを入れないと。

 

ドアが自動で開く。

 

車椅子を動かそうとして前方を見た。

そして、そこに人が立っているのに気付いた。

 

「か、加賀」

思わず声を出してしまう冷泉。

「いつから、そこにいたんだ? 」

動揺を必死に隠そうとするが、隠し切れていないのは本人だって気付いている。

「……まさか、ずっとここにいたわけじゃ? 」

泣きわめいていた所を聞かれてしまったんじゃないか、とあたふたする冷泉。

 

「何気なく窓から外を見ていたら、こちらに向かっている提督を見つけました。一応、秘書艦ですから、お迎えに上がりました」

ほとんど感情を見せずに、淡々と答える秘書艦。

その言葉を聞いて、引きつった笑いを見せる冷泉。

 

「じゃ、じゃあもしかして聞いてしまった? 」

恐る恐る尋ねてみる。

 

「降りてきた声をかけようと思ったけれど、大慌てでトイレに駆け込んで行ってしまったので、仕方なくここで待っていただけです」

 

「つまり、ずっと扉の前で立っていたわけだと」

問いかけに頷く加賀。

 

「……ちなみに、トイレの中の音って聞こえたり……したかな」

 

「はい」

と、あっさり答える加賀。

 

「ははははは。俺が泣いたりしてた事も聞こえたり……してないよね」

 

「うおおうおおおとか大声で喚いている声を聞きました。嘔吐する音や鼻をかむ不快な音も聞こえました。何かなさけなくて呆れるような言葉も聞こえていましたが」

事実を淡々と伝えてくれる秘書艦。

 

「う、嘘だろう。マジで……格好悪いな。済まない、格好悪いところを見せてしまって」

恥ずかしくて、訳の分からない言い訳をしてしまう冷泉。

「部下に泣いてるなんて知られてしまった……か。提督としての威厳なんてあったもんじゃないな」

 

「プッ……何を言ってるの、提督」

そう言って加賀はハンカチを取り出すと、冷泉の前にしゃがみ込んで顔を近づけて来る。そして、おもむろに冷泉の顔の周りをごしごしと乱暴に拭く。

 

「鼻水を垂らして目は真っ赤に腫らしてるし、よだれもだらしなく垂らして本当に汚いわ。ただでさえ普段から不細工な顔が、三割増しくらい醜男ね。気持ち悪いです」

呆れたような顔をしながら、しげしげとこちらを見てくる。

 

次の刹那、いきなり抱きしめられる。

 

「ほげ?」

強く抱きしめられたため、声が出ない。ただ、彼女の体から漂ってくる香りにぼうっとしてしまうだけだ。

 

「提督、始めに行っておきますね」

耳元で彼女が呟く。

「どんなに格好つけたところで、あなたは、あなたが思うほど格好良くはありませんよ。はっきり言えば、不細工です。キモイです。だからどんなに繕ったって、所詮は不細工。何をやったところで、それは無駄な努力です。今でも、いえ、出会ったときから、十分に見た目も中身も気持ち悪くて不細工で、おまけに女々しくて卑怯で情けない男でしたよ。ですから、今更そんなに自分を卑下する必要なんてないです。今も昔もこの先もずっとずっと未来永劫、十分に壊滅的に不細工ですから。恥ずかしがる必要なんてありません。あなたがいくら格好をつけても、振り向く女性なんてこの世には皆無でしょう。部下である艦娘でさえ、その姿の痛々しさでこちらの方が提督以上に恥ずかしくなるだけですから……。ああ、こんな奴が自分の上司だなんて、余所の鎮守府の艦娘に見られたくないですし、この事実を口にもしたくないです!! できることなら首をくくって死んでしまいたいって思っている子も、たくさんいるでしょう」

糞味噌のぼろくそな評価を加賀から下される。

あまりの酷い言いように、恥ずかしさを忘れ、思わず笑ってしまう。

 

「ひ、酷いな、加賀。酷すぎ」

 

「いいえ、本気で言ってます」

真面目な顔でそう言い、彼女は冷泉を拘束から解放する。そして、冷泉の瞳をまっすぐに見つめながらこう言った。

「けれど―――他の人にとってはともかく、私にとっては、あなたは最高に素敵な人なのです」

声が何故か頬を赤らめ、恥ずかしそうに聞こえる。

そんな加賀を見て、驚きで思わずこちらまで赤面してしまう。加賀は冷泉を真っ直ぐに見つめ、真面目な顔になる。

「提督、あなたが今、何を考えて何をしようとしているか、私には分からない部分があります。でも、これだけは言っておきますね。あなたがどんな事を言って何をしようとも、私をあなたの側から追い出すことはできないですから。あなたが……どんなに情けなく、どんなに卑屈になったとしても、私はあなたを見捨てたりしないから。そしてこの先、どんな運命が待ち受けようとも、最後の最後まで私はあなたの側にいますからね。これは、私の意思であり、願いであり希望なのです。だから、あなたの勝手にはさせないのだから。これだけは忘れないで。……私の艦娘としての人生は、とうの昔に終わっているのです。残された余生は、あなたと共に、あなたのためだけにありたいのです。ずっと前に、そう、あの時に決めたのですから」

冗談でも何でもなく、それが加賀の真意であることは冷泉にも理解できた。

「それに……」

突然彼女は目を逸らすと、恥ずかしそうに小声で呟く。

「あの時、その、あなたは……私を口説いたのだから、その責任は当然、取って貰いますからね」

 

 



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第160話 故に旅立つ

思わず冷泉は、秘書艦を見つめてしまった。

 

「ちょ、ちょっとそんなに見ないでください。は……恥ずかしいわ」

上目遣いでこちらを見ている加賀。むしろ、こちらの方が照れてしまうのだけれど……。

「加賀……」

冷泉は加賀を見つめ、彼女も真剣な表情で見つめ返してくる。手を伸ばし、彼女の頬に触れる。暖かい。そしてその手を首へと回し、自分のほうに引き寄せようとする。加賀は冷泉に為されるがままだ。

顔と顔が触れそうになるほど接近する。幽かに加賀の吐息が感じられるほどまでに接近すると、加賀は瞳を閉じた。

 

突然、

「んん、ゴホンゴホン」

と、咳払いの音。

 

驚いてそちらを見る冷泉。

なんと、入口の扉の所に、榛名が立っていた。

びっくりして、冷泉から飛び退く加賀。もちろん、冷泉も仰け反る。

 

「あ、あの……お取り込み中でしたか? す、すみません、提督にお話がありまして」

遠慮しがちに声を上げる榛名。

 

しかし……。

いつから榛名が居たのかまるでわからない。一体、何時の間にここに来ていたのだろう。

まあそもそも、吐きそうになって焦っていたわけだから、そのことだけで必死でトイレに入るまで周囲なんて気にもしないわけで、気付く筈もない。そして、トイレから出てからは、加賀しか見てなかったから、これまた気付くわけ無い。

加賀にひそひそ声で尋ねるが、彼女もまるで気付かなかったらしい

 

「えーっと、……榛名は、いつからここにいたのかな? 」

このことをスルーするわけにもいかず、探るような視線で冷泉は問いかける。

 

「トイレの前で、加賀さんが提督のお顔を拭いていたあたりからですね。私は、慌てた様子でここに入っていく提督のお姿をお見かけしたので、追いかけて来たのです。けれど、提督はトイレに入られたようですし、すぐにやって来た加賀さんがずっと扉の前で待っていらしたので、私は外で待っていました。すぐに提督も出てこられるのかなって思っていたんですけれど、なかなか出てこられなかったので、加賀さんにも声をかける機会を無くしてしまいました」

 

「つまりは、ずっと見ていた……そして、聞いていたわけ、だよな」

 

「いえ、私は外で待っていたので、お二人が何を言っていたのかまでは、聞こえてきませんでした」

何事も無かったように、榛名が答える。真顔で喋っているけれど、本当か嘘かわからない。けれど、彼女がそう言うなら、そうなのだろうと勝手に判断する。

 

「えっと……では提督、私は執務室に帰っていますので。……榛名が提督にお話があるようですし、お先に失礼しますね」

それだけ伝えると、あたふたと立ち去っていく加賀。すぐにエレベータの扉が閉まり、上へと上がっていった。

 

逃げられた。

 

そして、榛名が微笑む。

「すみません提督。お時間いただいて、よろしいでしょうか? 」

にこりと微笑む艦娘。来た時からそうだけれど、可愛い。そして、相変わらず短いスカートだなあ、と感じ、目のやり場に困ってしまう。。冷泉の視点からだとパンツが見えてしまいそうなくらいなのだ。ゲームだとここまでは短くなかったし、大破しても砲身で隠されていたはずなのだが。

 

それはともかく。

 

榛名が聞いてきたのは、明日出撃と言われたけれど、一体どこにいくのかということだった。

扶桑達の行方は、敵の攻撃で見失ってしまったため、どこへ行ったか推測が立たない状態だと聞いていた。それなのに、提督は出撃を命じた。何か考えがあっての結論だろうけれど、その根拠を教えてもらえないだろうか? ということだった。彼女曰く、どの程度の期間になるかといった疑問もある。期間によっては、搭載物資の量も考えないといけないらしい。確かに、極力物資は少ない方が燃料の節約になるし、艦の機動力も違ってくる。

 

「そういえば、お前達に説明していなかったな」

バタバタして気が回っていなかった事に今更気付く冷泉。

「加賀にもきちんと話をしていないし」

思わず反省の言葉が出てしまう。加賀も同様の疑問を持っているはずなのに、聞きもしなかった。恐らく、冷泉が精神的にタフな状況であることを鑑みて、落ち着くまで聞かないつもりだったのだろう。普段はぼろくそに言う事があるのに、気を利かせてくれたのだろう。

 

「何にせよ、加賀にも話す必要があるから、執務室へ行こう。一緒に聞いて貰った方が時間も節約できるし。……いいかな? 」

 

「はい、もちろんです」

ということで、二人で執務室へ行くことになる。

「では、車椅子は私が押して差し上げますね」

そう言うと、榛名は冷泉の後ろに回り込み、車椅子を押してくれる。こういったことになれていないのか、ずいぶんと前のめりな姿勢で体を密着させ、榛名は車椅子を押す。彼女の顔が冷泉の顔のすぐ側にあり、彼女の長い髪の毛が頬を撫でてくすぐったい。そして、その体勢のせいか、後頭部に榛名のたわわな胸が当たりっぱなしだったけれど、それを指摘したら彼女が恥ずかしがると思い、口に出せなかった冷泉であった。

 

「何をニヤニヤしてるんですか? 」

執務室に入ると、二人の姿をみた加賀が、冷めたような視線で一瞥して迎えてくれた。何だか怒っているようにさえ見える。

「どうしたんだ、加賀。何か様子が変だぞ」

 

 

「別に、何もありませんけど」

引きつったような笑顔を見せる加賀、その瞳は、あらゆる者を射殺しそうなほど、殺意に満ちた眼光を放っている。何か知れないが、少し怖い。

 

「じゃ、じゃあ、ちょっといいかな。二人とも座ってくれ」

そう言って、会議テーブルへと促す。

加賀は冷泉の正面に座り、冷泉の隣には車椅子を押した流れで榛名が腰掛ける。

 

「さて、バタバタ続きで伝えられずにいて、すまなかったな。榛名に聞かれるまで、完全に言ったつもりで忘れていたよ。……誰にも目的地を言ってなかったよな」

そう言いながら、冷泉は今回の目的地を秘書艦達に告げることとなる。

 

鳥取県の境港より北西へ約200kmの沖合に、10年ほど前に造られたメガフロート型資源採掘施設(VLFPs)がある。……あったと言うべきか。

 

領域開放後の海域は、原因は不明なものの突然に海底資源が豊富になるという現象が発生するのだ。それまでは全く存在しなかったはずの石油や天然ガス、鉱物資源が突然に採れるようになるのだ。その事実が確認されると、領域解放に成功した海域には調査船団が派遣され、地下資源の調査を行った。そして、一定量の資源が確認されると海上基地を建設し、艦娘を防衛のために常駐させ、資源採掘を行い、一般利用ももちろんされるが主として軍関係に利用された。

資源は無限にあるわけではなく、採掘を終えた施設は艦隊の一時的な停泊先として利用されることもあったが、ほとんどが利便性が悪い場所にあるために、結局のところ捨て置かれることが多かった。

 

冷泉が目標地……扶桑達の潜伏先として指定した場所は、それらメガフロートの一つであったわけである。そこは、既に資源採掘を終え、放置されて手つかずのまま数年が経過している施設だ。

場所的に辺鄙であり、領域に近いわけでもあったことから、他の資質としての二次的な利用ができないことも理由だったのだろうけれど、見放されうち捨てられて久しい施設だった。……だった筈なのだ。

 

陸地から200キロも離れた場所に行けるとすれば、鎮守府の艦娘護衛無くして、たどり着く事は不可能。当然の末路だが、その艦娘の隠れ家として利用されているとしたならば、まさに盲点だったといえる。

 

「そんな場所に隠れるなんて。……というか、提督は何でそんなことが分かるのかしら」

加賀が質問をしてくる。まあ、当然の疑問である。

 

「うん、科学的根拠はまったく無いんだけれど、……俺は自分の指揮下にあるお前達を検知する能力があるらしい。どんなにに遠く離れていても、その存在を認識できるようなんだ。……指揮下っていうのは少なくとも、舞鶴鎮守府に属するってことな。まあ、まれに現在はどこにも属していない艦娘の反応も拾うこともあるんだけど」

冷泉は、自分に付与されたと思われる能力の一つを示したのだった。

遠征中の艦娘がどこにいるかを遠征計画書を見ないでも把握できていたし、たとえ予定より早く帰投しても、それを誰よりも早く感知できた。もっとも、領域に入ってしまうと、追うことはできないようだ。

ちなみに、余所の鎮守府の艦娘については、全く知ることができない。ただし、かつて横須賀へ列車で移動中に感じた事があるように、鎮守府を離脱している艦娘も検知できるみたいだけれど。

 

「普通なら何をおかしな事言ってるんでしょう……と言うところですが、提督の過去の深海棲艦との戦いで、ありえないスコアをたたき出したことを知っていますので、一概に否定する事ができないです。私が敵に捕らわれた際にも、あり得ない攻撃をしたみたいですし」

どうやら加賀はこちらに来てから、冷泉の対深海棲艦のデータなどを参照したらしい。

榛名はよく分からないのか驚いたような表情で見ているだけだ。

 

「俺の言っている事が信じがたいのは事実だけれど、これは間違いない。間違い無く感じるんだよ」

パソコンを操作しながら冷泉は語る。画面表示で、対象施設を表示させる。残念ながら、画像は深海棲艦の侵攻前のものしかないため、過去の衛星画像にメガフロートのCGをはめ込んだだけのものだけれど。

 

二-27号採掘基地。

 

それが名称だった。

上から見るとカタカナのコの文字のような形状をしている。凹んだ部分は港となっているようだ。活動時は輸送船や護衛艦用はそこに停泊していたようだ。また、燃料タンク等も建設されていることから、補給施設としての機能も持たしていたようだ。居住用の建築物も存在し、数百人規模の人間が常時居住するよう造られていたため、一つの有人島といってもいいものだ。だからこそ、艦娘達が長期にわたって潜むこともできたと考えられる。

 

監視衛星や偵察機を飛ばすことができない状況である現状、補給さえ可能ならば、隠匿先としては悪くない選択だといえる。どうやって補給をしたかは謎ではあるが。

 

「確か、そこは舞鶴鎮守府と佐世保鎮守府の警備エリアの境界線に近い場所ですね」

と加賀。

 

「そうだな。そんな地理的条件も考慮して、緒沢という提督が選定したのかもしれないな。艦娘を隠しておくには丁度いい施設になるだろう。舞鶴鎮守府の警備エリア内であれば、遠征を利用すれば

補給も容易だろうしな」

緒沢提督という冷泉のよく知らない、舞鶴鎮守府の前任の提督が何かを考えて使用していた施設。補給とかも彼の指示により行われていたのだろう。

彼が何を考え何をしようとしていたのかは、彼が死亡したことから永遠に分からなくなっているのであるが。

「緒沢提督が何を考え何を為そうとしたのかは、彼が亡くなった今となっては謎だが。……そういった事が起こりうることを想定していたかどうかは定かじゃないけれど、永末という男達に利用されるとは思っても見なかっただろうな」

前任の鎮守府指令官が何かを画策するために造っていた施設を、彼の部下であった永末と彼の属する勢力が利用し、そこに隠匿された艦娘をも従えて何かをやろうとしているのだ。

 

「……えっと、提督、教えてくださいますか? 提督はこの島から艦娘の何を感じ取られたのでしょう? 」

 

「言葉にしてもお前達が信じられるとは思えないけれど、凄く幽かな反応が感じられるんだ。それは普段俺がお前達から感じ取るようなものとは大きく異なる……なんて言ったらいいんだろうかな」

問いかける榛名に分かるように言葉を探る冷泉。

「何か諦めの中にも僅かに救いを求める声が聞こえるんだよ。それは、いい表現が見つからないけれど、山奥にある廃村の、長い間誰も住んでいない広大な敷地の屋敷に夜中に忍び込んで、運悪く古井戸に落ち込んだ人が助けを求めるような感じって言えば分かるかな。人里離れた場所だからめったに訪れる人はいない。しかも夜中だ。おまけに落ちた井戸は相当に深い。そして、自分は足を骨折した……それくらい悪い状態。俺が想像できるのは、そんな感じになっている人の助けを求める声なんだよ」

 

「何それ、どうしようもない状態じゃないの」

 

「ああ。自分が助かる望みは無いと分かっていてそれでも、もしかして……そんな想いが伝わってくるんだ」

 

「提督は、それが誰か分かるのですか? 」

と、榛名。

 

「ああ。もちろん、はっきりと分かるよ」

あっさりと冷泉は答える。

「不知火だよ。あいつが今、どういう常態かは分からないけれど、相当にやばい状態にあるのは間違いない。あいつはどんな状態になっても自分で何とかしようとするし、誰かに頼ろうなんて自分からは絶対しない奴だ。そんな不知火がわらにも縋る想いで助けを求めている声が聞こえるんだ。……もうどうにもならない諦めの中で、それでも助けて欲しいって思っているのが分かってしまうんだ」

苦しげな表情をする冷泉。

 

「他の艦娘のことは、提督でもおわかりにならないのですか? 」

 

「それが不思議なんだけれどな、不知火以外、誰一人、反応が無いんだよ」

と榛名の問いに冷泉が答えた。

 

「それは、どういうことなのでしょうか? 」

 

「扶桑達の反応を感じることができないんだ」

その言葉を発する時、冷泉は息苦しくなるのを感じる。

「それが自分の指揮下にあるってことの証明でもあるんだけれどな。つまり、永末って奴に賛同して舞鶴を離脱した艦娘達は、すでに俺の指揮下からも離れたってことになってしまうんだ」

そう、扶桑以下、舞鶴にいた艦娘達は、冷泉を見放し別の司令を求めたということなのだろう。

 

「そんなことは無いはずよ。提督に対する艦娘の感情はいろいろあると思うけれど、鎮守府を離脱した子達の中で羽黒と初風はそんなことを望む筈がないわ。彼女達は無理矢理引き込まれたに違い無いのだから」

強い口調で冷泉の考えを否定する加賀。

「だって、あの二人は提督の事を大好きだったのよ。指揮官としてだけでなく、一人の男性として。だから、どんな事になろうとも、あなたを裏切るような事をするなんて信じられないわ。きっと、彼女達にも何か事情があるに違い無いわ」

 

冷泉の事を好きかどうかはともかく、反応が無い事に何か理由があるのかもしれないって事には一理ある。冷泉が感知できないような場所にいるのかもしれないし、気を失っているのかもしれない。

けれど、不知火と別の場所にいるとは思えないから、その可能性は少ないのだろう。不知火だけは、未だ冷泉の指揮下にあるといえるが、他の艦娘達は何らかの事情で、もはや冷泉の影響下から離れてしまったのだろう。

艦娘を戦力として何かに使おうとしている永末達からすれば、艦娘を殺すような真似は絶対にしないだろう。貴重な戦力なのだから。ならば、羽黒や初風は生きている。しかし、冷泉には感知できない。ということは、完全に指揮下から外れているということだ。彼女達の意思かどうかは分からないけれど、そうなったということだ。

 

「少なくとも、不知火は無意識のうちに助けを求めている。その思いを俺は感じ取ることができる。そして、それはこの海上基地から感じ取れるんだ。……現状、何の情報も無い中で、唯一採れる方策がこれなんだ。俺以外は……信じることはできないかもしれないけれど、ここに行くしかないって考えている」

 

「凄いです。提督にそんな能力があるなんて、びっくりです、凄すぎます」

本当に驚いたように声を上げる榛名。冷泉の腕を両手で掴んで体をすり寄せてくる。美少女にそんなことをされて喜ばない人間なんているわけもなく。こんな状態であっても、冷泉は照れてしまう。

 

「はいはい。提督の妄言かもしれませんけれど、仰るように現状、何の情報も無い有様です。スケベ男の妄想みたいなものに賭けるしかないということですね。……嘆かわしいですが、仕方ありませんね。で……榛名さん、ちょっと提督が困っていますよ。離れなさい」

呆れたように加賀が呟く。鋭く榛名につっこみも入れるが。

 

「俺の言う事を信じてくれるか? 」

 

「信じるも何も、あなたは舞鶴鎮守府の指令官という立場を忘れているのですか? 最高意思決定機関が提督なのです。あなたがこうすると言えば、皆それに従うのです。信じる信じないなんて関係ありません。私達は、あなたの想いを実現するために皆動くのですから」

と断言する加賀。

冷泉の隣でも、榛名がうんうんと頷いている。

 

「とにかく、扶桑達と話をしなければならない。あいつらが何をしようとしているのかを知らなければならない。そして、話がどう転ぶかは分からないけれど、戻ってくる意思のある艦娘は連れ戻したい。少なくとも、不知火は連れ戻す」

誓うように冷泉は語る。

 

その話し合いの先に戦いがあるというのなら、あなたはどうするの? 

そんな厳しい質問は、優しい加賀と榛名はしてこなかった。恐らく疑問を感じていただろうけど、あえてしなかったのだ。

こんな馬鹿な提督と、お前達は運命を共にするつもりなのか? ……口に出しそうになったが、その言葉を冷泉は飲み込む。

そして、それ以上の事は言えなかった。

冷泉は、艦娘の場所を検知するだけでなく、その心の断片も感じ取ることができるのだ。

そして……不知火は、泣いていた。自分ではどうすることもできずに泣いていたんだ。冷泉に助けを求めることもできずに、ただただ一人泣いていた。

……不知火を泣かす奴は、絶対に許せない。どんな理由があったとしても、あいつを苦しめるなんてあってはならないんだから。

 

「よし。出発までそんなに時間は残されていない。お前達も準備を進めてくれないか」

そう言って、冷泉は彼女達に指示をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「金剛さん……」

誰も居ないと思っていたのに唐突に声を掛けられ、慌てて辺りを見回す金剛。

視界に一人の少女を捉える。

 

あまり馴染みのない顔。

ショートカットで、白いジャージを着てミニスカートの女の子だ。どこかの部活やってる中学生みたいな感じ。

確か、第二帝都東京から提督が持ち帰った艦娘だ。

 

速吸って言ったっけ。

 

「えっと、速吸ちゃんだっかカナ? 」

目をごしごしと拭いて涙をぬぐい取る。うずくまってずっと泣いていたから、目を腫らしているかもしれないし、化粧も落ちてしまっているかもしれない。

「何か、ワタシにご用? 」

できれば一人にして欲しい。さっさとどこかに言ってほしい。そんな雰囲気を漂わせながら、少女に問いかける。

 

「あ、すみません。お取り込み中でしたか? 」

無邪気に笑う速吸。

金剛が何を思い、何に悲しんでいるかなんて全く分からないんだろう。

 

「用件があるなら、早く言ってほしいネ」

どうしたんだろう? 自分でも何だか苛立っているのが分かる。

 

「あ、怒っちゃいましたか? ごめんなさい。金剛さんを怒らせるつもりなんて無かったんです。私も確認してこいって言われてて、でも、なかなか金剛さんと二人っきりになるチャンスが無くって、とても焦っていて……本当にごめんなさい」

本当に済まなさそうに謝る少女。悪気が無かったということだけは、理解できた。金剛が睨んだせいだろうか、少し顔が引きつっているようにも見える。

 

「怒ってないから、安心してほしいネ。だから、教えてくれる? ワタシに何が聞きたかったの? 」

慌てて笑顔を作ってみせる。

 

「私が第二帝都東京から来た事は、ご存じですよね。ちょっとですね、実は用事を言われていたんです。お前、舞鶴鎮守府に行くんなら、確認してこいって。まあ、逆らえない人ですから、言われたとおり聞くしか無いんですけれど……。全然面識の無い人にいきなり話すなんて、ちょっと苦手なんですけど。しかも、戦艦の方になんて……」

確かに、艦娘同士とは言っても、初対面の戦艦にいきなり話しかけるのは、結構重圧を感じるのは想像に難くない。

 

「大丈夫ネー。そんな緊張しなくても大丈夫だよ」

と、彼女の緊張を解こうと、努めて笑顔をみせようとする。

 

「そ、そうですか? いいんですか? 」

期待するように速吸が見つめてくる。

 

「うん、いいよ」

 

「で、では、メッセージをお伝えしますね」

軽く息を吸い込んで、彼女は言葉を発した。

「三笠さんからのメッセージです。……この前にお話させていただいた横須賀鎮守府への異動について、冷泉提督にお話は済んだでしょうか? あなたの願いを叶える為に、私の方としても努力しました。実は、冷泉提督へそれとなくあなたの気持ちを伝えているので、彼からもいい返事を貰えたと思います。……ということです。金剛さんの答えを教えてください。私から、三笠さんへお伝えしますので」

 

その言葉を聞いた瞬間、すべてが氷塊した。

冷泉提督の、金剛が抱いていた彼への想いを一気に冷めさせた、彼の情けないまでのあの態度……。その原因のすべてが、三笠による差し金であったということだ。恐らくは、彼女が提督に対して、金剛が舞鶴を離れたがっている事を伝えたのだろう。彼の性格からしたら、何としてでも金剛の願いを叶えようとするはず。それがあの煮え切らない態度となったのだ。金剛が舞鶴への想いを断ち切りやすいように、あえて嫌われるような態度を取ったのだ。舞鶴の現状で金剛が出て行くなんてありえない事だ。すべて金剛の我が儘でしかない。それなのに提督は、自分が悪者になることで、金剛が出て行きやすいように、あんな態度をしたのだ。

 

ご、ごめんなさい、提督。

提督の気持ちを慮って、金剛は息苦しくなるのを感じた。最低な男だと失望した自分が情けなかった。誰よりも金剛の事を考えて行動してくれたのだ。舞鶴鎮守府の現在の状況は最悪で、冷泉提督の立場も非常に危うい状況だというのに、金剛が鎮守府を離れることを許可してくれるなんて。それどころか、金剛が何の躊躇もなく舞鶴を、冷泉提督を切り離せるように仕向けてくれたのだ。

提督の事を誰よりも大好きだったはずなのに、何一つ提督の気持ちを分かってあげられなかった。そんな自分が猛烈に腹立たしかった。

 

「金剛さん、どうされたんですか? 三笠さんに連絡しないといけないので、結果を教えてくれますか? 」

しばらく金剛が黙ったままだったので、速吸が再度声を掛けてきた。

 

真意を知った今、自分が答えられる事は一つだ。

「私は、横須賀なんかに行かないね。今は行く事なんてできない。提督を置いてなんていけるわけないネ」

今からならまだ間に合う。提督に取り消して貰うんだ。

 

「あれ? 金剛さんは横須賀に行くって、さっき冷泉提督にお話していましたよね? なんで私に嘘を言うんですか」

不思議そうな顔をする速吸。

 

「あなた、聞いていたのね。だったら何でわざわざ聞くの」

少し苛立ちを感じて、金剛は新しく舞鶴鎮守府にやって来た艦娘を睨んでしまう。

 

「怖いです、金剛さん。全部、三笠さんに言われたとおりにやっているだけなんです。許してくださいよお。もう怖いから全部言っちゃいます。私は、冷泉提督が金剛さんの件について絶対話すはずだから、彼から目を離すなって命令されていました。案の定、提督はあなたに横須賀行きの件を告げましたよね。それを確認したら、金剛さんに、裏で三笠さんが冷泉帝特に手を回した事を含め、すべてを明かしてから彼女の真意を聞けって言われてたんです」

 

「そ、そんな事して何になるっていうネ? 意味が分からないよ」

 

「……私には分かりませんけど、三笠さん曰く、きっと金剛さんは前言を撤回するからって言ってました。実際にそうなったからびっくりしてます」

とぼけているのか何も知らないのか……恐らく後者なのだろう。速吸は無邪気に答える。

 

遊んでいるのだ。

すぐに三笠の意思を感じ取った。目的なんて何もない。ただ、金剛や冷泉提督を振り回して、その様子を見て笑っているに違い無いのだ。

心を弄び踏みにじる。……そんな悪意に満ちた艦娘に対して腹が立ってきた。

 

「許せないね。提督を苦しめるなんて。……三笠さんに伝えて。私は絶対に横須賀には行かない。ずっとずっと冷泉提督と一緒にいるって。あなたの思い通りなんてさせないからって」

かなりの剣幕で話したせいだろうか。速吸が怯えたような表情になる。

 

「そ、そんなに怒らないでください。私だって何がなんだか分からないまま話しているだけなんですから。金剛さん、怖いです」

 

「もういいね。さっさと彼女に伝えるネ。本当に腹が立ってるんダヨ、私」

 

「……」

彼女は、何も言わずに、じっとこちらを見ている。何だか金剛を観察しているようにも見える。何か見透かされるような感じで、違和感を感じてしまう。

 

「何? 早くするネ」

 

 

「……本当に三笠さんの言うとおりになるんですね」

と、関心したように答える。

 

「どういうことね? 」

 

「きっと金剛さんは怒りだして、横須賀に行かないって言い出しますよって。何で怒らしたりするんですか? って聞いたら、ただ笑っているだけでしたけれど。でも、それじゃあ、金剛さんを横須賀に行かせることもできなくなるんじゃないですかって聞いたんです。そしたら、それは絶対にないですよって答えてくれました」

 

「何よ、それ。私は行きませんから」

強く強く否定する金剛。その意思は硬い。絶対に負けてたまるかといった感じで、意地になってしまっている。

 

「では、何故かお答えします。これも三笠さんからのメッセージにすぎないのですけれど。えっと、……もし、金剛さんが横須賀行きを断った場合、冷泉提督の今後の立場がより一層悪くなることを再考してください。現状の冷泉提督は、非常に危険な状態にあります。自分の部下艦娘に大量離反されたこと、およびそれに関連して鎮守府に敵勢力の侵入を許し、多くの死傷者を出してしまったこと。そして、そんな大事が起こった時に指令官たる彼が不在であったこと。それも出撃でもなんでもない、緊急性など何一つ無い艦娘の改装について行っていただけなんて。これらの事案だけで、指揮官としての責任問題となるでしょう。これまでの冷泉提督の言動から、彼を援護してくれる人はほとんどいないでしょうね。軍法会議になった際、彼はどうすればいいのでしょうか? そんなとき、金剛さんを大変な時期であるのに横須賀の為に異動させたなんて事実があれば、横須賀の生田提督はどうするでしょうか。困難な時期であったのに、横須賀のために貴重な戦艦を出してくれた事に恩義を感じるでしょうね。軍部の大勢が冷泉提督の処罰に動いたとしても、横須賀鎮守府が反対すれば、そう簡単には動けなくなります。それほど、軍の中での横須賀の地位は高まっているのですから。それをみすみす逃してしまうのですか? それも、自分の我が儘で。……とのことでした」

 

「くっ」

完全に三笠に弄ばれている。金剛は悔しさで歯ぎしりをしてしまう。

すべては彼女の手のひらで遊ばれているだけなんだ。彼女が何を考えて動いているのは分からないけれど、それに逆らう手立てが無い事だけは分かった。

自分が舞鶴に残れば、冷泉提督は今回の責任を問われて捕らえられ処分される。けれど、自分が横須賀に行けば、その危険性が無くなるかもしれないのだ。

提督の役に立つには考えるまでもないじゃないか。

 

「三笠さんは何を考えているの? 私や提督をどうしたいっていうの? 」

 

「わかりません。私は、金剛さんにメッセージを伝えろと言われただけで、三笠さんが何を考えているなんて、分かるわけないです。そんなこと想像できるほど頭良くないですもん」

と、無邪気に答える速吸。

「で、金剛さんは、結局どうされるんですか? 私は三笠さんじゃあないですから、いくらお話しても答えは出せないです。もちろん、戦艦の金剛さんとお話できることは、私としては嬉しいんですけれど」

 

悔しいけれど、どうすることもできない。

弄ばれていると分かっていながら逆らう事ができない。

自分の望みが叶うというのに、その代償として一番大切な物を失うというジレンマ。

けれど、大切な物を守るためなら、なんだってする。

誰よりも提督のことを好きなのは、自分なんだから!

 

「私は、横須賀に行くネ」

さようなら、冷泉提督。今まで何の役にも立つことができずにいたけれど、少しは提督のお役に立てるかな? うん、きっと役に立てるはず。そうでなくちゃ、悲しすぎるもん。

 

「そうですか。はい、わかりました。金剛さんのお気持ちは、きちんと三笠さんにお伝えしておきますね」

速吸はホッとしたように笑顔を見せる。

「金剛さんがいなくなると、冷泉提督も悲しむと思いますけど、ご安心下さい。三笠さんから、冷泉提督を悲しませないように努力せよ、と命令されています。何ができるかはわかりませんけど、私もがんばりますから」

 

「そ、そう。うん、頑張ってネ」

心のこもらない返事をするしかなかった。



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第161話 終焉の幕間

出撃の準備をするよう指示を出したものの、しばらくの間は榛名からの出される質問に答えることとなった。艦娘の居場所が分かるといったことがなかなか納得できなかったようで、繰り返し説明をすることとなった。普段の彼女とは様子が違っていて戸惑ってしまったものの、まあ、なんとか納得したようだ。

聞くだけ聞くと満足したように執務室を出て行ったし……。

 

執務室には、冷泉と加賀だけが残されることとなった。加賀は立ち上がると、すぐにお茶を入れてくれた。

 

「お疲れさまでした」

それだけ言うと、彼女は再び冷泉の前の席に腰掛ける。そして、俯いたまま黙りこんでしまう。

何か言いたいことがあるのだろうけど、冷泉を気遣ってだろうか、口に出せないのだろう。最近では、彼女が何を考えているかを冷泉は何となく想像できてしまう。……そして、だいたい思ったとおりだということに驚くわけであるが。

 

冷泉が話すまでは、聞くつもりはなさそうだ。このまま黙ったままやり過ごすという手もある。そうする方が、お互いに楽じゃないかと思う。何も知らない方が、加賀にとっては幸せということもあるのだから。

 

しかし、冷泉は話す事を決意した。

「加賀、……俺の話を聞いてくれるか? 」

ほっとしたような表情を見せた艦娘は、静かに頷く。

 

「俺は……」

ついに冷泉はすべてを語る。

ありのままのすべてを。

 

自分が異世界からやって来たこと。そして、どういった経緯かは本人すら理解できないまま、いきなり鎮守府指令官にされたこと。なんの経験も無く、そういった能力も無いというのに。

 

冷泉はFランクの大学になんとか入れる程度の成績だったし、就職活動を必死にやっても面接にさえ呼ばれず、それでも必死になってなんとか採用された企業が超絶ブラック企業だったという悲惨な現状だったことも語った。あの頃の不安な日々を思い出して、思わず泣きそうになる。

 

「Fランクって何ですか? ブラック企業ってなんですか」

と真顔で尋ねられ、説明に困窮してしまった。

 

「まあとにかく、頭のできが悪くてまともな大学に入ることもできず、当然、入りたい会社からは面接にさえ呼ばれることもなく……妥協の産物で入社した会社がとんでもなく労働条件の悪い悪徳企業だったってことだよ。俺のこの世界での経歴なんて、自分でも驚くほどのとんでもない経歴詐称だよ。公表されているようなあんな超名門大学を出ているわけもなく、その正体は、何の才覚もない平凡以下のサラリーマンでしかないんだよ。……薄々は感づいていたかもしれないけれど、今まで嘘をついて済まなかった。いつか言おう言おうと思っていたけど、言えなかったんだ。……ごめんな」

自分ってなんて情けない境遇だったんだろうと恥ずかしくなってしまう。

加賀は、冷泉を真っ直ぐに見つめ、黙って聞いている。

 

「そもそも、俺が無能のくせに提督という地位に居座り続けたから、結果、こんな事になってしまっているんだ。すべては、俺の責任なんだ。本当なら何の資格も資質もない俺が、これ以上、ここにいちゃいけないのは分かっている。けれど、自分の失敗はなんとか挽回したい。いや、俺の失点なんてどうでもいいことだ。俺がまだ鎮守府提督として権限があるうちに、自分でどうにかできる力があるうちになんとかしたい。扶桑達を連れ戻し助けたいんだ」

 

「勝算は、あるのかしら? 」

 

「やってみないと……分からないとしか言えない。これまでの経緯を考えると、扶桑達の意思は相当に固そうだ。彼女達を連れ戻すことは、できないかもしれないな。もし、もしもそうだとするならば、彼女達を救うことはできないかもしれない。……最も、救うっていうのは俺達の理屈を押しつけているだけで、扶桑達にとっては迷惑この上ないものかも知れないんだけれどね」

 

「扶桑は、永末さんにそそのかされているだけに違い無いわ。他の艦娘達だって、きっとそう。けれど、反逆の疑いで処断された緒沢提督という存在が話をややこしくしている。扶桑達は、彼が冤罪で殺されたと思い込まされている。軍の艦娘に対する記憶操作や、緒沢提督に代えてあなたを提督に据えたこと……いろんな事が彼女達に不審感を与えてしまった。永末さんは、そこを上手く利用して彼女達を誘導しているのよ。彼の構成する論理を突き崩さないと、確かに解決は困難かもしれないわ。時間さえあれば、説得の可能性はあるけれど、軍からの討伐司令が出た今、もはやそんな時間すら残されていないし」

淡々とした口調で解説されてしまう。

 

「……ああ。難しいのは承知の上だ。説得は失敗するかもしれない。だから……せめて、あいつを……不知火だけでも助けたいんだよ。たとえ間違っていようとも規則を最優先する性格だ。どんなことがあったって、それを逸脱するような事はしないし、できないんだよ。だから、あいつは、無理矢理連れ出されているのだけは、間違いないから」

声が呻くようになってしまう。

「加賀、俺に協力してくれないか? 虫のいい話かもしれないけど。俺は、本来ならお前達の提督なんかになれるような男じゃない。そんな能力も資格も何もない男だ。そんな奴がなんとかするって言われても、信じるなんて無理かもしれない。けれど、このまま終わらすなんてできやしない。……たのむ」

そう言って頭を下げる。ずっと隠していた事を話したせいで、たがが外れてしまったかのようだ。

 

「提督、どうしてそこまで話してくれるのですか? 」

静かに艦娘は声を出す。

 

「お前になら話してもいいかなって思ったからだよ。こんな荒唐無稽な話でも、お前なら信じてくれると思ったから……かな」

すべてを誰かに話しておきたかった。誰にも伝えることなく、このままいなくなるかもしれない事が怖かったのかもしれない。もちろん、話す相手は誰でも言い訳じゃない。

 

「どんな話だとしても、あなたが信じろというのなら、私はそれを受け入れます」

ゆっくりとだけれどしっかりと加賀が答える。

「そして、あなたの願いを叶えるためなら、何だってできる気がします」

そして、微笑んだ。

 

ああ、なんて可愛くて綺麗で優しい笑顔なんだろう。……と冷泉は思った。今の加賀なら、何でも受け入れて、優しく包み込んでくれそうにさえ思える。

すべてを諦めたような冷たい態度で、誰も受け入れようとしないで、いつも斜に構えていたあの頃が嘘のようだ。どちらが本当の彼女なんだろうか……。きっと、今の加賀が本当の加賀なんだろうな。

ふと、そんなことを考えてしまう。

 

彼女を置いてこの鎮守府を去なければならないかもしれない、という未来が見えて本気で恐怖した。

自分に訪れる未来に不安を感じたのはもちろんだけれど、それ以上に、自分を信じてくれている彼女を置いていくことに心が軋む。

 

本気で「嫌だ」と思った。

 

駄目だ駄目だ。

何も始まっていない時からこんなマイナス思考をしたら、それが結果に繋がってしまう。常にプラス思考でいかないといけない。扶桑達の説得に成功するイメージを常に持たないといけない。それ以外の結果など考える必要はない。

 

余計な事を考えている暇はない。

集中だ集中。

マイナス思考にばかり走ろうとする想いを封印するため、必死になって違うことを考えようとする。

 

冷泉は、戦術に意識を集中する。勝つための方策を考えるのだ。

 

扶桑達の潜むメガフロートは、領域に近い位置にある。深海棲艦の襲来に対処できるよう、通常なら領域より極力離れたくなるはずなのに、だ。

 

この事実からも、もしかすると敵は領域を利用した戦法を採る可能性があると考える。なぜなら、舞鶴を離脱する際、敵は領域に一度飛び込み、追跡を逃れているからだ。また、領域から出てしばらく通常海域を航行していたなら探査網に掛かる可能性が高いはずなのに、そんなことは無かった。→なお、永末はメガフロート基地の場所も知らなかったし経路についても扶桑のデータに潜まされていた航海図に従って動いただけなので。どういうわけか深海棲艦からの攻撃を受けずに済んだことは謎であるが……。

冷泉はよく知らないが、永末という男、もしくはその背後にいる何者かが領域について、まだ人類の知らない何かを掴んでいる……のかもしれないと勘ぐってしまう。

 

可能性があるのであれば、その対処を考えておかねばならない。よって、今回の出撃艦隊には領域用の武装を必須とせざるをえないのだ。正直なところ、できれば通常海域装備のみで行きたいのだけれど……これはあまりに自分勝手な思考だろう。

 

通常海域での戦闘となれば、全ての艦は対潜水艦兵器があるので対応可能なのだ。

空母は艦載機を使用しない。ミサイル母艦として使用することになる。それは、一定高度を飛行する存在に対しては、領域に潜む深海棲艦および基地より対空ミサイルが射出されることとなり、あらゆる航空機は、生存できないという現実があるのだ。

そんな日本全域をカバーするようなミサイル攻撃網を持っている敵勢力が何故本格的な侵攻をしないのかは、まるで謎のままであった。遊ばれているのかもしれないし、他に理由があるのかもしれない。領域から発射できるミサイルがあるのなら、領域内での戦闘で使用することも可能なはずなのに、敵はそれを行わない。これも謎のままだ。

けれどこれら事象の理由を人類は知ることはできていないし、艦娘たちも知っているのかさえ分からないのだ。

 

どちらにしても、ミサイルは領域より来る。その元凶を根絶しないかぎり、かつてのように航空戦力の時代は来ないのだ。これをたたける時代がくれば人類の勝利なのだろうけれど。

 

冷泉は、加賀と会話をしながら、出撃艦隊の説明を行う。もう、彼女にはすべてを伝えておこうと考えていたからだ。

 

編成としては、すでに確定ずみだけれど。新たに輸送されてきた烈風、震電改や流星改を積載した加賀。流星改と強風改を搭載した速吸。金剛、榛名、高雄には対艦戦闘装備を重視する。この陣容、正攻法なら負けないと考える。

 

唯一の不安は、対潜水艦戦闘となった場合である。敵に潜水艦の存在が予想されるが、あえてそれを無視せざるをえない。

叢雲を連れて行ければ……。そんな考えを否定する。彼女は戦う事を拒否している。そんな彼女を連れて行くわけにはいかない。第二帝都東京で新しい人生を歩ませるんだ。今回の戦いで犠牲が出ないという保障は無い。そんな所に連れて行くわけにはいかないのだから。この…については加賀にも指摘される話ではあるが、それでもそれは絶対に認められないのだ。

 

交渉に失敗し、戦いとなったら艦隊は撤退するしかない。

扶桑達を連れ戻すか、撃沈することが軍より課せられた任務。説得に失敗したらそれで終わりだ。その結果、間違い無く冷泉の処分は確定するだろう。……けれど、それはやむを得ないと考えている。自分のために艦娘を散らすわけにはいかない。

 

そして、永末達の擁する勢力を分析する。

 

予想される敵総数最低でも、軽巡洋艦北上、軽空母千歳、重巡洋艦最上、重巡洋艦衣笠、重巡洋艦加古、軽巡洋艦那珂、駆逐艦大潮、潜水艦伊8あたりの艦娘が緒沢前舞鶴鎮守府提督の手により、日本国より離脱され、隠匿されたと予想されている。これはあくまで想定でしかなく、どの時期から緒沢提督が将来を見越した行動を取っていたかによって、艦娘数が変動する。

これに、今回舞鶴から離脱した扶桑、羽黒、祥鳳、不知火が合流することとなる。この質と量で来られたら、まともにぶつかった場合、厄介なのは間違い無い。

 

「結局、扶桑達の説得に成功しないと、戦闘になったとしても作戦は失敗するしかないんだよな。全面戦闘となったとしたら、仮に俺たちが勝てたとしても損害は甚大となるだろう。もっとも艦娘同士で殺し合うなんて、俺はさせたくなんてない」

と、本音を打ち明ける。

「まあそういうことだから、この航海を終えたとしたら、恐らく今回の事案の責任を問われることとなるだろう。どうなるにせよ、しばらくは鎮守府を離れる事になると思う」

 

「もちろん帰って来るのでしょう? 」

不安げに視線が定まらない。

 

「ああ、もちろんそのつもりだよ。けど、今回ばかりはどうかな。あまりにも犠牲者が出すぎた。艦娘も失った。誰かが責任を取らないといけないよな。そして、取るとするなら、俺が適任となるだろうなあ。俺を排除したい連中には最高の口実なんだろうけど」

あえて他人事のように軽く口にする。

 

「だから、叢雲にあんな態度を取ったわけね」

 

「ばれていたのか。そうだよ、自分が権限を持っているうちに、できることはしておきたい。せめて残されたみんなが、少しでもましな待遇になるようにやれることはしておきたいんだ」

 

「帰って来てください。私は、提督が戻る事を信じていますから」

 

「も、もちろん、そのつもりだよ。必ず帰ってくる」

少しだけ冗談めかして言う。

 

「本当に信じていいんですね? 提督、本当の事を教えてください」

冷泉を見つめる加賀の表情は真剣だ。適当な言葉を連ねて誤魔化すなんてできそうもない。

 

「……」

 

「黙ったままでは、わかりませんけど」

不安げな表情を見せる加賀。

 

「ごめん、わからない。もしかすると無理かもしれない……かな」

思わず本音が漏れてしまう。加賀の表情がみるみる曇っていくのが分かり、なんとか誤魔化そうと試みるけど、失敗したようだ。

 

「いや! 」

突然、彼女が思い詰めた表情で立ち上がると、冷泉に歩み寄り、いきなりしがみついて来る。

「いやいやいや! 」

感情を制御できないかのように、冷泉の胸に顔を埋めてくる。その体は小刻みに震え、やがて嗚咽が漏れてくる。

 

「か、加賀、どうしたんだ」

どうしていいか分からず、冷泉はあたふたするしかない。

 

「嫌、嫌なんです。せっかく、あなたの事を信じることができて、ずっとあなたの側にいたいと思っているのに、いなくなるなんて嫌なの。どうしていなくなるの! いつもそう……みんなみんな私を置いてどこかに行ってしまう。嫌。そんなの、もう耐えられない。そんな想いをするのが嫌だったから、みんな拒絶していたのに! 提督は、酷い。酷すぎます。私を置いていくなんて言わないで。ずっと側にいてくれるって言ってください。でないと、私は耐えられない」

あふれ出す涙を拭き取ること無く、冷泉を見上げながら彼女は訴えて来る。

捨てられるのを恐れ、必死に縋るようだ。

 

そんな彼女が愛おしく切なくて……冷泉は苦しくなる。

 

冷泉はまだ自由に動かす事ができない腕を使い、彼女を強く抱きしめる。そして、背中をできるかぎり優しく撫でる。そして、耳元で語るのだった。

「大丈夫だ、加賀。きっとなんとかする。いや、なんとかできるさ、してみせるさ。そして、ずっとお前の側にいるから。っていうか、俺の方が側にいて欲しいくらいだよ。……だから、もう泣かないで。お前が泣いていると俺まで悲しくなってしまうんだから。出撃を前にそんなんじゃあ、上手くいくはずの作戦だってダメになってしまうかもしれないだろ? 大丈夫大丈夫。きっと俺が、そしてお前達の力がすべてを成功させるさ」

本気では思ってもいない言葉が次々と出てくる。それは、明らかな嘘だ。この言葉は彼女を騙す結果になるかもしれない。けれども、それでも構わない。ほんの一時でもいいから、彼女の涙を止められさえすれば。

 

「本当に信じていいのですか? 」

 

「ああ、もちろんだとも。俺がお前に嘘を言ったことなんて無いはずだぞ」

あえて自信たっぷりな表情を作り答える冷泉。

その言葉に安心したかのように微笑むと、再び彼女は冷泉の胸に顔を埋めた。

 

「あなたが死ぬ時、それは私も死ぬ時です。あなたがいない世界には、何の価値もありません」

彼女の言葉を聞きながら、胸が苦しくなるのを感じた。

 

「大丈夫だよ、加賀。俺は死なない。どこにもいかないさ。あ……愛しているよ加賀」

 

「……はい」

幽かに彼女の返事が聞こえた。

恐らく、加賀も冷泉の言葉が本当だとは思っていないだろう。それを承知の上で、それを受け入れたのだ。

来るべき現実から目を逸らし、一時の安らぎを得るために。

 

それは、罪なのだろうか。

 

 

 



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第8章 藻掻く者たち
第162話 歓喜と失意のうちに


「凄い! 凄いぞ! ヒューッ!……何という事だよ、これは全くなんてこったい」

思わず声を上げて、感情を吐露してしまう永末だった。

 

舞鶴鎮守府を出立してまもなく、扶桑の中に封印されていた指令が解放されたのだ。

それは、彼女によると、前舞鶴鎮守府指令官の緒沢提督によって作られたものだという。来るべき時が来たら、この命令に記された経路及び方策により、緒沢提督によって準備された「約束の地」へと艦娘達は向かう事になっていたとのことだ。

 

その経路は、想像を絶する実に恐ろしいものだった。領域に近づくことさえ禁忌であるというのに、あろうことか領域の中へと侵入していった時は、本当に悲鳴を上げてしまい、恥ずかしさで赤面してしまった。

それでも、軍のレーダー探知網を抜けるためとはいえ、あまりにも無謀としか思えなかった。

 

領域は、深海棲艦の支配領域であり連中の巣窟。そして、人間のありとあらゆる物理的常識が否定される空間。

ほとんどの電子機器が使用不可能となり、昭和初期レベルの機械しか稼働させられない状態で艦隊戦を強いられるのだ。外的の侵入を探知されれば、即、深海棲艦が迎撃にやってくるという恐怖でガタガタと震える自分を制御するのが大変だった。

 

しかし、不思議なことに領域に侵入して数時間たっても、敵影が見えることが無かった。赤黒い不気味な空に覆われた空間は、ずっと凪状態で空気感だけが不気味ではあったが、平和な時間が過ぎ去るだけだった。

そして、何事も無いまま、領域を抜けることとなったのだ。

 

どういう理由で深海棲艦が偵察にさえ来なかったのか。そして、まるでそれを知っていたかのようなルート設定は何故なのか。いろんな疑問が永末の心の中でわき起こるが、扶桑にまもなく目的地ですと告げられた時、それはどうでもよくなってしまっていた。

 

【日キ-第27採掘基地】

 

永末達の眼前に、巨大な浮き船のようなものが現れたのだ。

扶桑曰く、それが目的地だという。

 

そこは、領域解放した海域に設置される資源採掘施設であった。

 

深海棲艦との戦いに勝利し解放すると、その海域にはそれまで確認されていなかった地下資源が大量に採掘できるようになるなるのだ。これら資源は、領域に取り込まれ鎖国状態となった日本国民の生活にとって非常に貴重なものであり、その資源を獲得するために大量の工作船団が編成され、基地を建設していたのだ。

 

建設時には多くの人が動員されるし、基地となった後には採掘した地下資源を運ぶ輸送船、護衛の為の艦娘等が頻繁に出入りするようになるし、基地自体にも採掘作業に従事する多くの人が住むことになる。

さらにはそれに付随して、多くの人々が働きにやってくる。このため、一つの町なみの施設が造られ多くの人が賑やかに居住することになるのだ。

 

しかし、地下資源も無限ではない。やがて掘り尽くした基地は、その地理的条件によって運命が変わってくる。

陸地に近かったり、重要航路上にある基地であれば継続利用されることになるが、陸地から遠く離れた不便な場所は利用価値が無くなり、やがてうち捨てられることとなるのだ。

 

今回、永末達がたどり着いた採掘基地は、陸地からはずいぶんと遠い距離にあり、航路からも大きくそれている。それどころか、領域に近接した施設は艦娘を常駐させないと危なくて住めない等の理由から、放置されてずいぶんと時間が経過している施設であった。

 

遠目に見た施設は、サイズからしてとても大きく立派なものだ。大型クレーンや燃料タンク、通信アンテナのようなものといった港湾施設だけでなく、居住施設らしき建築物群も存在が確認できる。

 

しかし、近づくに連れてその詳細が判明してくるにつれ、永末のテンションが次第に下がっていく。

長年の風雨にさらされて薄汚れたうえに、あちこちで倒壊している建物もあり、それ以外でも壊れているところが多く存在するように見える。

 

どう考えても、人が住まなくなってから相当の期間放置され、もはや当時の機能など何一つの残されていないガラクタではないか。

なんて貧相で惨めな建築物なんだ。……こんな場所が私達の秘密基地だっていうのか? と一生懸命やってきた成果がこれかと落胆してしまった。あれだけ苦労をし、多くを犠牲にしたものが、たったこれだけのものか……。

そんな永末の失意の感情など無視し、艦隊は基地へとゆっくりとした速度で接近していく。

 

「引き続き接近。永末さん、間もなく……偽装エリア抜けます」

と扶桑が伝える。

 

「は? ……偽装って何ですか? 」

思わず声を上げる永末。扶桑が答えるよりも早く、眼前の風景が変化するのだ。

 

それは、まるでモザイク模様が晴れていくように、すべての景色が変わっていく。

 

先程まで目視では、錆が浮き水垢で黒ずんだ放置して長らく経過したようにしか見えなかった基地が、本来の姿を見せはじめていたのだ。

 

近づくにつれて、その全容が明らかになっていく。

建造当時のまま、とまでは言えないけれど、きちんとメンテナンスをされた施設がそこにあった。

その姿は、まさにメガフロート基地と言うに相応しいものだった。

どうやらこの基地は、光学的な隠蔽工作が施されているらしい。基地全体については建設年数に応じた風化具合を施し、壊れたように見えた物が、実は意図的に改ざんされた外観だったことがわかる。これほどの偽装をされてしまえば、近くを通っただけでは分からないだろう。

それだけではない。そもそも領域に近い場所であることから、滅多に艦娘も近づかないのだろうし、また、舞鶴鎮守府の管理エリアにあった事も大きな原因だろうが、この基地の存在がデータから消されるなどしていて、管理が行き届いていなかったのだろうと考えられる。

 

そして、更に施設の重要な場所には、より徹底した偽装が為されていたようだ。

それは、接岸する距離までに近づいて初めて確認できるほどのものだった。先程までは目視できなかったものが現れたのだ。

 

コの字形のメガフロート基地の凹んだ部分は港となっており、偽装エリアを抜けるまでは何も存在しなかった。しかし、今、眼前にはそこには複数の艦船が停泊していたのだ。もちろん、そこに停泊する艦船は、艦娘である。

 

眼前の停泊する艦船を見て、永末は興奮を隠せなくなり、思わずうなり声をあげてしまう。

「なっなな! 扶桑さん、これは一体どういうことなんです? 正直……凄い凄いよ、ああん、もう! 」

よくもまあここまでの艦娘を極秘裏に揃えられたものだと関心してしまう。

なんという、この陣容。これは……まさに、これは一つの鎮守府といっていいレベルの陣容だ。

「こんなの、想像以上だよ」

まるで新しいオモチャを与えられた子供のように気分が高揚し、はしゃいでしまう永末。

 

そこに停泊する艦娘達は、かつて永末が舞鶴に所属していた頃に、鎮守府に所属していた艦娘ばかりだった。

軽巡洋艦北上、同じく那珂。軽空母千歳、重巡洋艦最上、衣笠、加古、そして駆逐艦大潮、更には潜水艦伊8。

……十分戦力として計算できる陣容だ。そして、これに永末が連れてきた艦娘が加わるわけなのだから、たまらん。

 

速やかに接岸作業を終えると、永末達は上陸することとなる。

不知火はどういうわけか上陸を嫌がったが、無理矢理、他の艦娘達により艦から引きずり降ろしている。

 

一緒にここまでやって来た艦娘達は、懐かしい仲間の艦を見て喜びのためか興奮気味だ。鎮守府から半ば無理矢理連れてきた艦娘達でさえ、もはや鎮守府を裏切ったという事実より、沈んだ筈の仲間が生きていることに驚きと戸惑いと、それ以上の喜びに支配されているようだ。

 

そして、複数の人影が現れた。

その途端、大井が悲鳴のような声をあげて駆けだす。それに釣られるようにして他の艦娘達も走り出していく。

 

「北上さん! 」

飛び上がるようにして、彼女は姿を見せたおさげの女の子に飛びついていった。

「北上さん北上さん、北上さん! 」

 

―――最長で3年ぶりだろうか。再会の喜びを爆発させる艦娘達。

なんだかんだ言っても、かつての鎮守府を裏切るような真似をしてしまったことをみんな心のどこかで悔いていたのだろう。けれど、仲間達と出会うことで、そんなことも完全に吹っ切れたようだ。

何故かみんなが柵から解き放たれたような、実に晴れやかで明るく自由な表情をしている。

 

永末はそんな再会を喜ぶ艦娘達を見て、自然と笑みが漏れてしまうのだった。

そして、地面に力なく座り込んでいる艦娘、不知火の姿が目に入る。彼女だけは旧友との再会を喜ぶことなく、魂が抜けたような瞳で、ただその光景を見つめているだけだ。今、何が起こっているかという現状を認識すらできていないように見えてしまう。どうやら、移動中も継続的にクスリの使用をやめることができなかったのだろう。

 

ちっ、嫌なモノを見てしまった。

 

もう完全にクスリに心も体を支配されているらしい。……これは使い物にならないかもしれないな。まあ、こんなポンコツはどうなっても構わない。最初から戦力とは考えていなかったからな。一人くらい脱落してもやむなしだ。それでも、廃棄する前に、コイツの味見でもしておくかな……。冷泉に仕込まれているかもしれんが、その成果も見てみたいものだ。

と、ドロドロとした欲望が鎌首をもたげる。

こんな使い物にならない艦娘なんてどう扱っても構わんだろう。なんといっても、これだけ多くの艦娘が自分の支配下におけるわけなのだからな。

 

強引に連れ出して来たはずの羽黒と初風も、仲間との再会を喜び会話に夢中だ。これは永末にとって強みだ。生きていた仲間の為なら、彼女達も命令に従ってくれるだろう。……不知火みたいにクスリ漬けにしないと使えないと思っていたが、……ふふふ、そんな必要もなさそうだ。

 

それまでのどこか沈鬱なムードなど完全に払拭され、皆が本来居るべき場所に帰ってきたかのような闊達さに溢れている。本来居るべき故郷といった感じの場所に彼女達が戻って来たという感じだろうか。よくは分からないが、このメガフロート基地にそんな影響力があるのかもしれない。

 

永末は、付近を見渡し現状の確認する。

 

自分以外に人は誰もいないから、艦への武器弾薬、燃料の積み込みは自前で行う事になるだろうから、何をするにも時間がかかるだろう……。万一、艦娘に損傷等があった場合、修理などができるのかどうかは検討する必要があるのだろう。鎮守府としてみるのであれば、いろいろと不足部分が多いだろうが、それでも贅沢は言えない。一通り見た感じ、補給用物資も相当にため込んでいるようだ。武器弾薬も十分あるようだし、いくらでも戦う事ができそうだ。

 

それでも足りない分は、軍から力を持って調達すればいいだろう。

 

これならば、永末の目的を達成することもできるだろう。少し興奮気味になってしまう。

 

 

―――しかし、問題は常に存在するものだ。なかなか万事上手くいかないものである。それでも今は余裕があるから、笑い飛ばすことができるのだが。

 

ふん。

早速、あいつ等……香月少佐が艦娘の詳細情報を報告せよと催促の通信をしてきているのだ。

ほんの少しだけ情報を与えたのが不味かったか……。あの連中、すでにこちらに乗り込んでくる準備を進めているようで、独自に船を出発させるつもりでいるらしい。偉そうにも、こちらにやって来る為の護衛の艦娘をよこせと言ってきている。それにしても段取りがいい。連中、だいぶ前から極秘裏に行動を進めていたらしい。

 

あの連中のこの基地への乗り入れを許せば、あっという間に、永末の基地であるここは乗っ取られてしまうだろう。基地と艦娘を手に入れた香月達なら、すぐにでも永末を放逐するかもしれない……いや、そうするに違い無いだろう。

 

しかし、そんな事はさせない。させる筈もない。せっかく手に入れたものを横取りなんてされてたまるものか。少し前までなら、自分は為す術もなく奪われるだけだっただろう。どんなに悔しくても作り笑いを浮かべ、何をされようとも耐えるしかなかった。

 

けれど、それも終わりだ。

もはや、自分は圧倒的な力を手に入れている。それを奴らは知らない。だから、偉そうに命令してこれるのだ。あんな口だけの佐官程度の連中の言う事など、聞く必要など、もはや無いのだから。それどころか、これまでいろいろと苦渋を飲ませられた借りを返さないといけないのだ。どす黒い怨念のような炎が永末の心の中で勢いを増すのを感じた。

それは高揚感をもたらし、身震いしてしまう。

 

連中には、当然の報いを受けさせなければならない。これぞ神の鉄槌。因果応報というものを、連中に教えてやらないといけない。

 

何をするか? それは、簡単な事。

 

極力、これまで以上に低姿勢で彼等に対応してやるのだ。もちろん、自分の本音など絶対に悟らせることなどなく……。彼等の望むように艦娘を護衛の為に行かせる。基地まで誘導すると見せかけて領域の側をわざと通過し、途中で彼等の艦船を放置してその海域から離脱させるのだ。

領域の側は電波障害が酷い。どんなに救援を求めても、誰にも届かないだろう。放っておけばあっという間に深海棲艦の餌食だろう。

 

本来なら、我が手により香月に復讐をしたい。連中の拷問に曝され、どれほど苦痛と苦渋にまみれたことか。殺しても殺し尽くせないほどの恨みが奴らに対してはあるのだ。かつて奴らが永末にしたように、じっくりじっくりと責め上げ、苦しさの中逃れることもできずにのたうちまわる絶望という名の地獄を……死ぬ事もできない無間地獄を味わわせるのだ。お願いだから殺してくれと懇願させ、絶望の中、ゆっくりと殺してやるのだ。それを実現する瞬間を想像して、ずっといままでやって来た。チャンスが来れば、必ずやってやると思っていた。

 

しかし、不思議なものだ。

力を手に入れてしまった永末にとっては、もはや過去のそんな些事など、どうでもよくなっていたのだ。ただ、今後どういった時に支障となるか分からないので、そういった要素は排除しておく必要もある。だから、彼等にはどちらにしても生きることは認められなかったのだけれど。

 

香月とのやりとりの中で、艦娘が直接彼等を迎えに行くという話になりかけたが、さすがに陸地に近づきすぎると、それは鎮守府艦船に発見される恐れがあるということで拒否した。もちろん、やんわりと断ったわけであるけれど。

永末の配下にある艦娘は、すでに轟沈した、もしくは日本国を裏切った艦娘でしかない。そんな表に出せないような艦娘が現れるということは、あまりにリスクが高いからだ。存在が知れてしまうと、その原因調査のために新たな艦隊が派遣されたり、過去を調査されたりしてしまう。そんな面倒事は極力避けなければならない。

 

そこで、極秘任務といいうことで、陸地から離れた放置されたメガフロート基地へ他の鎮守府より護衛付きで来て貰い、そこへこちらの艦娘を派遣する方法を提案した。そして、護衛には位置関係的にも呉鎮守府が適当だろうということになった。

 

「極秘任務」ということで、呉の高洲提督は何の疑いも持たずに駆逐艦娘に護衛させてくれたようだ。

あの提督はもうろくしているのか、何も疑問にも感じなかったらしく、むしろ極秘任務への協力ということで喜んで協力をしてくれたそうだ。

 

中部憲兵隊の少佐ごときが偉そうに、艦娘の護衛付きの極秘任務で無人のメガフロート基地へ何の用事だと疑問に思わないのだろうか? そんなことに想像も及ばないような、どう考えてもそんな無能なジジイが未だに鎮守府指令官で居座っている事を許してしまう軍の未来に失望し呆れてしまうが、まあそれはこちらにとっても都合がいいから構わないのだが。

 

……軍の人事は、相変わらず無能だとしか思わない。それは昔から変わらない。浄化作用など存在しない、肥だめでしかない。

 

それはともかく、彼等は計画通りに行動を始めることとなった。

永末は予定通りに駆逐艦2隻(大潮、漣)の内1隻、大潮に乗船し、闇夜に隠れるよう彼等を迎えに行く。

すでにメガフロート基地で待っていた香月は、一介の少佐のくせに民間借り上げの純白の豪華な大型クルーザーでやって来ていた。当然のように佐野少尉も同行している。

乗員を見ると軍関係者以外に関係のなさそうなスーツ姿やドレスを着込んだ民間人も乗せていたが、あえて何も言わないことにした。乗客の中に見たことのある保守系政治家の姿もあったので、香月が自分の力を誇示するためにでも呼んだのだろうと推測された。

「そもそも、もっと早くに連絡をし、私達を迎えに来て当然だろう。この無能が! 」

と、いきなり怒鳴られた事には驚いてしまったが。

艦娘を引き連れてやって来た永末が、香月にとっては取るに足らない使いっ走りだとでもアピールしたいのだろう。

 

すでに死が確定した男の見栄だ、それくらいは勘弁してやろう。余裕を持って永末は受け止め、十分な丁寧さで謝罪をしてみせる。

ふっ、所詮、どうでもいいことだ。

政治家や取り巻きの連中、賑やかしで連れてこられた美女達、こいつらも嬉しげに付いてこなければ、この先の運命を呪わずに済んだのに……と可哀想になったが、まあ自己責任。どうでもいいことだ。

 

面白半分で駆逐艦大潮に乗るかと問うてみるが、当然のように彼等には拒否された。

 

艦娘との接点が少ない者は、例え軍人であろうともその艦に同乗することを怖がるものだ。もちろん、そんなことは強がって口にせず、「お客さんのお世話もしないといかんからな。それにクルーザーのほうが乗り心地がいいから構わんよ。戦艦くらいの船なら乗ってみたいとは思うがね」と、相変わらず偉そうにほざいた。

 

馬鹿にされたようで、僅かながら心がざわつくのを感じたが、永末は平静さを保ちながら領域付近まで彼らを誘導していく。

 

当然、常識外の行動に抗議の無線が入る。

「おい永末くん、領域に近づきすぎじゃないのかね? 」

と。

 

「は! ご安心ください。我々の敵性勢力に目的の基地を探知されないためには、このコースを通らないとレーダーに探知される恐れがあり、非常にまずいのであります。皆様が危険を感じるのは当然のこと。ですが、ご安心ください。この経路は、我々はいつも通り慣れています、大丈夫です。絶対に深海棲艦は現れることはありません。たとえ万に一つでも深海棲艦が現れたところで、艦娘達が迎撃します。問題ありません」

と、100%の嘘を心の中で笑いながら説明する。そんな適当な嘘でも自信満々に語れば信じてしまうのだろう。それ以上は、彼等は何も言ってこなかった。

 

相変わらず不気味に、垂直に天まで届きそうな勢いで立ち昇る領域の雲を真横に見ながら進んで行く。

そして、頃合いをみて、大潮に艦の加速を命じる。漣も追尾してくる。

瞬時に最高速度まで達した艦は、香月の船との距離をみるみる開いていく。艦娘の速度とクルーザーでは速度はまるで比較にならない。

「何をしている、永末! 貴様ぁ、何を考えている。自分の立場を忘れたとは言わせんぞ。くだらん冗談は、やめろ」

領域による電波障害の為、途切れ途切れになるものの、金切り声で叫ぶ香月の声が聞こえてくる。こんな場所で置いてけぼりになんていうことを冗談でするはず無い事だけは、理解できているようだ。

 

「わっはっはっは。安心してくださいな。運が良ければ帰る事ができますよ。深海棲艦が出てこないか、出てきても攻撃されなければですけどね」

腹がよじれる思いで永末は、返信する。この音声が届いているかどうかは不明だけれど、拡大映像で表示された香月の乗ったクルーザーの中では人が右往左往するのがはっきりと見え、大騒動が起こっているのだけは見て取れた。

 

「きー、貴様!!! 」

ノイズまみれの絶叫が届く。

 

「よし、電波妨害の出力を上げろ。万一にでも通信を傍受されたくないからな」

大潮に指示すると、すぐに艦娘は処理をこなしたようだ。

 

「処理完了しました。……領域、急速に拡大します。間もなく、少佐が乗られている船が飲み込まれます」

と、艦娘が冷静に答える。

領域の雲がアメーバのように伸びてきて、大型クルーザーへとみるみる迫り、そして蛇行しながら喘ぐように避けようとする船を速やかに飲み込んでいくのが見えた。

 

「ちょ、が、うげ、なじゃこr」

複数の絶叫がスピーカー越しに聞こえてくるが、電波障害により聞き取れなくなる。

 

そして、何もなくなった。

 

領域は意識を持つ生命体のように、接近するものを、時折、まるで生き物が補食するかのように飲み込むことがあると聞いたことがある。それが、今、眼前で起こったのだ。

領域に入ってしまったら、人類の所有するあらゆる通信手段は無効化されてしまう。さらに、電子機器は一切使用不可能となってしまい、香月が乗っている船の動力も、ハイテクノロジーを誇った豪華船ということで、あらゆる機能が使用不可となるだろう。

動力も何も持たないまま、そして、領域の大気を防御する機器を何も持たない彼等に、生存の可能性は……無い。

 

彼等を待ち受ける運命は、飢えてのたれ死ぬか、領域の毒に冒されて死ぬか、深海棲艦によって沈められるかのどれかだろう。しかし、それを確認できた人間はいない。もし、領域に入り込み、深海棲艦に捕らえられたとしたら、どんな運命が彼等に待っているのだろう……な。

 

それを想像すると笑いが堪えられなくなる。人目を憚らずに、大声を出して笑う。これまでの辛かった日々。それを自分に与えた香月達が悲惨な死に方をするのだと思うと、最高に嬉しい瞬間だ。本当なら、連中がどんな死に方を、どんな苦しみ方をするかをつぶさに観察したいところだが、贅沢を言うことはできないだろう。そんな時間も無いわけであるし。

 

怪訝な表情で永末を見る艦娘に大丈夫だと合図すると、帰路に着く指令を出す。

 

帰りにおいても領域との境界ギリギリを走らせて帰投することとなる。こうすることにより、レーダー網から逃れることができるのだ。

 

ついに邪魔者だった香月達を排除できたが、事後処理としていろいろとすることもある。香月達の組織は、まだまだ利用できる。そのリーダー達は、非業の死を遂げたが、艦娘達は無事だ。

交渉の結果、香月の名を利用し、特定の採掘基地を指定し、そこまで物資輸送をさせる算段を付けることに成功する。扶桑のデータベースに記録された緒沢提督が利用するために整備していた、全く異なるメガフロート基地を中継地とさせることで使える話をつけたのだ。これで定期的に物資を輸送させることができる。死んでしまった連中はいろいろと忙しく動き回っているということでごまかせるかぎりごまかすつもりだ。嘘がばれたところで、攻め込むことなどできないのだから。資材はいくらあっても困るものではないのだからな。

 

しかし―――また事件が。

 

メガフロート基地に構えた司令室において、そんな雑務を色々とこなしている間に、唐突に舞鶴鎮守府より艦隊出撃の情報が入ったのである。永末達の捜索に鎮守府を出発したようだ。

 

まあ、当然のことだろう。あれほどの事件が起こったのだ。冷泉提督としても何らかの行動を起こさなければならない。破壊して使えなくしたゲートが撤去できたのだろう。とはいっても艦隊を派遣するにしても、永末達がどこにいるかなど分かるはずもない。広い日本海をくまなく探すというのだろうか?どうせ当てずっぽに探し回るだけに違い無い。絶対に追跡不能な筈なのだから。

 

「冷泉提督も軍部につっつかれて、自分の尻に火が付いたことがやっとわかったのかな。ずいぶんと焦っているらしいな」

それを思うだけで笑いがとまらなくなる。ただ、予想していたよりは出撃できるのが早い気はしたが。

「エリートだかなんだか知らないけれど、所詮は何の経験のないコネだけの男ったのだ。それに、仮にあいつがやって来たところで、我が手にある艦娘達で一周してやるさ……。そう思わないか、みんな」

と大きな事を言う永末。

しかし、周りにいた艦娘誰一人、彼に同意することなく黙り込んだままだ。何か違和感。少しだけ不満。

 

「どうしたんですか? みんな大人しくなって」

不思議がって永末はみんなに問いかける。

何故なんだろうか? どういうわけか、こちらに来てからの艦娘達の視線が日に日に冷めたのに変わっていっているように感じてしまうのだ。彼女達から到着時の熱意が冷めてしまい、どこか機械的に作業をしているだけのようにしか感じられない。扶桑ですら、どこか元気がないように感じてしまう。

 

いやいや、ただの思い過ごしだと否定する。

かつての仲間と出会えたことでテンションが上がりすぎた状態を標準と見てしまっているからそう思うだけなんだろう。謎めいた考えに向かおうとする自分を否定する。

焦っても仕方がない。どうせ冷泉が捜索を行うにしても、何の手がかりもないのだ。時間は充分にある。何の問題もない。

 

しかし、翌日。扶桑からの報告が入る。それも緊急だ!

「永末さん、大変です。舞鶴鎮守府より出立した艦隊の経路をシミュレートしました。あきらかに、提督は迷うことなく一直線にこちらに向かって来ています」

 

「嘘だろう」

と永末がすぐさま否定するが、大型画面に表示された冷泉指揮下の艦隊の航路を見てそれが間違いだと気付かされてしまう。扶桑が冷泉の事を未だに提督と呼んでいる事に少し腹が立つが、今はそれを訂正させている場合では無い。

 

彼等は迷うことなく最短距離で一直線にこちらに向かってきているのだ。

その艦隊の詳細は、戦艦2隻、正規空母1隻を含む5隻の艦隊だ。舞鶴に残されたほぼすべての艦を動員しているのが分かる。鎮守府の警備はどうしているんだという疑問が起きるが、そんなことは今論ずる時では無いのである。

 

「嘘だろう? やばいぞ、なんであいつ等にここがばれているんだ! あれほど慎重に航路を選んで痕跡を隠して動いたはずなのに。すべて、緒沢提督の計略通りに隠蔽されていたはずなんだろう? 」

航路の動きと予想進路を見て、慌てふためく永末。やけくそになって当てずっぽうで行動しているようには思えない。

しかし、あまりに早すぎる。居場所が知られるにしても、日本海は広いのだ。なんの情報も無く、これほどの短時間で探し当てられるはずがないのだ。もっともっと時間が掛かるはずなのに。

 

永末の予定としては、しばらくは隠れて戦力を増強するとともに艦娘達を掌握し、様子を伺いながら行動を検討するはずだったのだ。隠蔽は私が見ても完璧だったはず。捜索するなんてほぼ不可能なはずだ。仮に推測できたとしても、こんな短時間では探知などできるはずがない。

 

―――なのに、何故ばれるのだ? 

 

「こんな事、内通者がいない限りできるはずがないのだ!! 」

両手で頭をかきむしりながら絶叫する永末。先程までの余裕が完全に無くなってしまっていることには気付いていない。

移動に関する隠蔽は、完璧な筈。情報が漏れるといっても漏らす人間などここには存在しない。香月達が仮にリークしたとしても、途中までしか分からないはずだし、今はすでにこの世にいない。

艦娘達だって皆が緒沢提督の意思を継ぐ為に行動しているはずで、敵である冷泉に情報を漏らすような艦娘など存在しない……はず。

はず? ……いや、本当にそうか?

そこで雷鳴が頭の中にとどろいた。

 

いや、一人だけいた。永末の行動に賛同していない奴が。

 

「不知火、おまえか! 」

永末はすぐさま駆け寄ると、襟首を両手で掴んで少女をつり上げる。

「貴様、貴様がここの場所を冷泉に教えたな! 」

激高した永末は、つばがかかるくらいの距離まで顔を近づけて不知火を追求する。

 

しかし、虚ろな瞳で遠くを見ているだけの不知火。

強力な薬物の力により、精神まで汚染されつつある彼女がそんなことできるはずが無い事は、永末にも分かっているつもりだが、それでもこの女以外に考えつかないのだ。

「お前、はっきりしろ。お前だろう、いや、お前に違い無い」

何の反応も示さない不知火に苛ついた永末は、ついには彼女に対して暴力に及んでしまう。

握りしめた拳を華奢な不知火の腹部に打ち込んでいく。手加減など無しで何度も何度も殴り飛ばす。柔らかい肉の鈍い感触が拳に伝わってくる。小さな彼女の体は、永末の暴力の嵐に為す術もなく振り回されるだけだ。悲鳴を上げることもなく、時々妙な音を立てるだけで、彼女は何の反応を示さない。まるで人形のようだ。何の反応も示さない事が更なる怒りを駆り立てる。

「くそが」

彼女の整った顔にも、永末の暴力の嵐が吹き荒れる。

 

「や、やめてください永末さん! 」

扶桑が悲鳴のような声を上げ、不知火に覆い被さるようにして割って入る。永末を見るその表情は必死だ。

「し、不知火さんがそんなことするはずないでしょう。……こんな状態じゃ、できるはずもないです。だから、もう、そんなことはやめてください。お願いします。他の子達が見ています。みんなが見ています。お願いです、それ以上酷い事をしないで」

涙を浮かべて必死に訴えかけてくる扶桑。その瞳には懇願だけでなく、永末に対する批判も含まれている。自分に対して扶桑がそんな目で見られたことがショックで、永末は固まってしまう。そして、胸が痛くなる。

 

批判は扶桑からだけでは無かった。

視線を感じて振り返ると、責めるような視線が他の艦娘から浴びせられている。いくら鈍感な人間でも気付かないはずがない。居心地が悪くなり、ぶつぶつと謝罪の言葉を述べるしかできないない永末。

「……でもでも、こいつ以外考えられないんです。そう思うだろ? みんな」

賛同者を求めて視線を彷徨わすけれど、誰も反応してくれない。扶桑ですら、目を逸らしてしまう。

 

「お、落ち着いてください、永末さん。冷泉提督がこちらに向かっているのは、単なる偶然でしかありません。きっと何かの間違いです。無計画に動いているだけで、たまたまこちらに近づいているだけです。それに仮に近づいたところで、光学隠匿されたこの基地に私達がいることまでを確認できるはずがないです」

と、説得される。

そして、彼女の説得に黙り込むしかできない永末。

 

「そ、そうですよね。はははっはは。そ、そうですよね。きっとそうです。私が考えすぎただけですよね。わははっはははは」

乾いた笑いを浮かべる永末だったが、誰一人としてそれに賛同する者は無かった。

何人かの艦娘が不知火のところにかけより、彼女を心配そうに見つめていた。それ以外の艦娘は批判を込めたような視線を永末に向け、その視線にいたたまれなくなった永末は何も言わずに司令室を出て行くしかなかった。

 

 



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第163話 新たなる旅立ち

しかし―――。

事態は永末が望むようにはならなかった。心のどこかできっと間違いであってくれと願っていたせいか、しばしの間は認めたくなかった。……しかし、現実から逃れることはできない。

 

ついに、冷泉提督率いる舞鶴鎮守府艦隊の艦影が、永末達の潜むメガフロート基地から肉眼でも見える距離にまで接近してきたのだ。

こんな状況に至ってしまったら、もはや偶然で済ますことはできない。理由は分からないものの、冷泉は永末達がここにいることを認識しているようだ。

 

ただ、唯一の望みは、この基地全域に施された光学迷彩のおかげであろうか。偽装を施したエリアの中に艦娘達がいることは、今のところ冷泉は気付いていないらしい。冷泉の艦隊は、基地から一定距離を保って停止している。どこに潜むか分からない永末達を警戒しているのだろう。つまり、この基地に艦娘がいるという確証は無いのだ。

それでも、いずれは調査のために接近して来る。つまり、残された時間は少ないのだ。

 

永末は物陰に潜みながら双眼鏡で敵の様子を確認すると、慌てて司令室に戻る。

司令室からは、モニターで外の景色が一望できる。

すでに艦娘達が集まっていた。

「結局はこうなってしまいましたが、あくまで予想されていたことです。みなさん、何も焦る必要はありません。予定通り、敵艦隊と戦うしか道はありません。……扶桑さん、それから皆さん、よろしいですか? 大至急、戦闘配置についてください。私が艦隊の指揮を執り、冷泉率いる敵艦隊を迎え撃ちます」

永末は、覚悟を決めて戦闘態勢に入ることを司令する。

ついに自らが艦隊を率いて艦隊戦を挑むのだ。僅かながら緊張はあるものの、高揚感の方が大きく感じられる。先程までの焦燥感は、すでにどこにもない。

戦いに向け、良い意味での緊張感、高揚感に満たされ充実している。困難があればあるほど気合いが乗ってくる。これぞ指揮官の器だと、隠された自分の才能を確認でき自分でも驚いてしまう。

「みんな、大丈夫です。敵に対し、我々の方が数的優位を保っています。仮に何の策も無く敵艦隊と正面からぶつかっても、十分押し切れます。私達が冷泉ごときに新参者に負けるはずはありません。私を信じて指揮に従えば、必ず勝てます。真の舞鶴鎮守府艦隊の力をみせてやろうではありませんか! 」

学生の頃より兵法に興味があり、様々な戦いを研究してきた。机上の戦闘ではあるが、ほとんどの海戦は記憶し、その勝因敗因を分析している。そして、軍学校でのシミュレーション戦においても、永末は同期の連中には艦隊戦でほとんど敗北したことは無かったのだ。

故に、軍未経験者の頭でっかちである冷泉ごときに、自分が戦術でも負けるはずがないと確信していたのだ。

一度決意すれば、全力をもってそれに集中できることが自分の子供の頃からの自慢だった。

自分で名付けていた。それを「必勝モード」という。この状態に入った自分なら、負ける筈など無く、まず敵はいない。……そんな確信があった。

 

しかし、……永末の気合いの入った言葉に応える者は無かった。

何事かと思い、永末は艦娘達を見回す。

彼女達の表情には、何の反応も見受けられない。ぽかんとした、不思議そうな表情でこちらを見ているだけだ。

「な、何をしているのですか。敵艦隊は、すぐ側まで来ているんですよ。今すぐに迎え撃たなければならないでしょう? 奴らを倒さないと、我々の目的は……あなたたちの大切な緒沢提督の望んだ結末を達成できないでしょう。さあ、ぐずぐずしている暇はありません。さあ、皆さん早く! 」

彼女達に聞こえていないのかと不安になり、声を大にする。しかし、それでも何も反応を示さない艦娘達に、冷静さよりも苛立ちが勝ってくる。

どうして、動かないのか? こいつ等は、ここでこのまま傍観しているつもりなのか? 何のためにこんな僻地で今まで潜み、または鎮守府を裏切ってまで逃走したというのか?

「おい! 貴様等、聞こえないのか? 早くしろと言っているだ。ここに突っ立ったまま……このまま冷泉によって撃沈されるつもりなのか? こんなところでずっと息を潜め身を寄せあって隠れていたのに、それがすべて無駄になってしまうぞ! 貴様等、何のためにこんな事をしていたっていうんだ。何の為に鎮守府を裏切ったっていうのだよ。……私の命令を聞いて、戦う準備をしろ。さっさと動け、敵はすぐ側だぞ。戦え、戦うのだ」

苛立ちのあまり、思わず大声で怒鳴り散らしてしまう。しかし、艦娘達が沈黙したままであることに驚き失望し、そして我に返り、次の句が言えずに黙り込んでしまう永末。

 

艦娘達も言葉を発さない。

 

―――沈黙。

 

「……何を言ってるの、この男は」

突然、冷たい声が静まりかえった部屋に響く。誰が喋っているかは分からない。

「提督でもないのに、何を勘違いして偉そうに」

 

「本当……一体、何様のつもりなのかしら」

 

「勝手に乗り込んできて、偉そうに命令するなんて」

 

艦娘達が口々に言葉を発する。それはすべて永末を否定する言葉であり、恐ろしく冷たい言葉の羅列だった。

 

「貴様等、何を言うんだ……。私がどれほど労力を払って、この状況を作り上げたと思っているんだ。どうやって、鎮守府の艦娘達を連れて来たと思っているだ。この! この恩知らずどもめ。ちっ……もういい、お前達になんて期待しない。……扶桑さん、あなたからも言ってくれませんか? あなたなら協力してくれるのでしょう? 祥鳳、羽黒だってそうだろ? なあ、お前達、なんとか言ってくれよ」

少なくともメガフロート基地でずっと隠れていた艦娘達は、永末の言う事を聞いてくれそうもないので、共に鎮守府を離脱した仲間に助けを求める。

少なくとも、扶桑だけは自分の味方だ。

縋るような視線を彼女に投げかける。

 

しかし、扶桑と目が合うと、彼女は慌てて目を逸らしてしまう。驚いて他の艦娘に救いを求めるが、皆冷たい視線を返すだけだ。

「なあ、扶桑さん。どうしたっていうのですか? 」

 

「……永末さん、残念ですが、私達はあなたのご指示に従うことはできません。何故なら……あなたは、私達の提督として登録されていません。特例措置にも該当する要件は、認められません。指揮官として登録認証された提督以外が、私達に対しての戦闘指揮を行う権限が与えられていません。よって、権限の無い方の命令は、私達艦娘としては、聞くことができない決まりです」

扶桑から恐ろしく冷たい答えが返ってきた。

 

「い、いや……舞鶴から脱出する時に、私の指示をあなた達は聞いたじゃないですか。鎮守府に対して攻撃もしたでしょう? あれは、明らかに私からの指示だったはず。じゃあ、あれはどういうことなのですか? ……どういうことだ!! 」

 

「あれは、緒沢提督のご指示を実行するために認められる範囲の事でしたので、私達は行動しただけです。過去に緒沢提督よりあらかじめ為されていた命令を実行するために行動しただけです。ですので、あなたが命令したから行動したという訳ではありません」

と、扶桑にあっさりと否定される。

扶桑の言葉に続けて、祥鳳が追加説明を行う。

「永末さん、誤解しないでいただきたいのですが、私達は、あなたがこの場所に私達を連れ出すきっかけとして使えると判断したから利用しただけで、決してあなたの為に動いたわけではないのです。すべては、かつて出された緒沢提督の命を実行したのみなのですよ」

 

「な、なんじゃそりゃあ! くっ、お前等、俺を謀っていたっていうのか。この俺を、利用したっていうのかよ。大人しそうで清純そうな顔しやがって、裏で俺を笑っていやがったんだな、このクソ売女めが!! くそくそくそ。てめえ等、艦娘の分際で、人間様に逆らうっていうのか? 立場を弁えろ。お前等は、もう裏切り者でしかないんだぞ。そもそもだなあ、緒沢なんて奴は、もうこの世にはいねえんだよ。あいつは好き勝手なことをやるだけやって、惨めにおっちんだ糞野郎じゃねえか。そんな死んだ奴の為に、お前等は馬鹿みたいに動いてたのかよ。本当に馬鹿じゃね? ハン! もうどうでもいいや、惨めに死んだ馬鹿の事なんてな。けど、俺の命令に従わないと、お前等、何もできねえぞ。敵は……あのクソ忌々しい冷泉は、すぐ側まで来ているわけだ。戦わなければ、やられるだけだ。お前等、黙って死にてえのかよ。お前達に命令する存在は、誰もいないんだぞ。もう俺以外いないんだ。これまでの暴言や生意気な態度はこの際だから許してやる。非常事態だからな。だから、さっさと馬鹿な事言っていないで、俺に従え、従うんだよ」

感情が一気に高ぶり、普段気をつけている言葉使いも乱れてしまうが、そんなこと気にして何ていられない。

 

「ふふふ。……鎮守府指令官でもなく、いわんや。もはや軍関係者でもない、ただの一般市民からの命令をきくことなどありえると思っているのですか? あなたは、確かにかつては軍人でしたが、今はただの一般市民でしかありません。しかも、国家に対する重大な反逆行為を行っただけの……ね」

あざ笑うように答えが返ってくる。

 

「誰だ今偉そうなことをぬかしやがったクソは! 指揮官無しでどうやって戦うんだ、こん畜生どもが! 指揮官がいなければ、お前達はただの古くさいポンコツ鉄船だろ。いや、泥舟だよ。人間様に偉そうな事ぬかすな、雌豚共が。何だって言うんだてめえら、こらクソが」

汚い言葉で罵る永末。

「扶桑さん、黙っていないで、あなたからこいつらに言ってください。この馬鹿どもを説得してください。……そうだよ、私とあなたのために。私達の未来のために!! 」

もはや、永末には扶桑以外に縋る所はない。

 

そう!

 

扶桑と自分の関係は、至高だ。究極の愛で結ばれた、何人たりとも穢すことのできない美しく尊い関係だ。二人の清く繋がった魂の結びつきは、本物だ。何人たりとも侵すことなどできるはずがない。そう、彼女だけは、自分を裏切らないはずだ。彼女こそ、そして自分こそが、互いに最愛の人なのだから。

 

「ご……ごめんなさい」

理解不能な言葉が、ありえないほどの冷たい声で返って来た。

「永末さん……あなたは、私にとってとても大切な人であることは、今も間違いありません。けれど、あなたは、私の指令官ではありません」

 

「な! 何を言っているんですか? この状況を良く見てください。理解してください。あなたからみんなを説得して貰わないと、どうにも分かって貰えないんですよ! 」

必死に彼女を見るが、申し訳なさそうに目を伏せるだけだ。

「扶桑さん、あなた、まさか私を裏切るというのですか。……私がどれほどあなたのことを想っているのか……分かってくれないのですか? 」

必死に訴える永末に、扶桑は何も答えない。

「……く、糞糞糞。どういうことだよう、なんでだよう。なんで返事してくれないんだよう。く……お前等、このままで何もしないで、冷泉に沈められるつもりなのかよう? お前達は、誰かの指揮無くして、敵艦隊と戦える訳がないだろう。そんな事もわかんねえのかよ。お前等、このままじゃ死ぬんだぞ。せっかく生き残っているのに、反逆者として惨めに死ぬのかよう。お前等のために言ってやってるんだぞ、なんで分かってくれねえんだよう」

失意の内に、永末はへたり込んでしまう。こんなにみんなのことを思って必死になっているのに、誰も分かってくれない虚しさが全身を虚脱感で満たしてしまう。

何よりも、愛している扶桑が自分の味方でいてくれないという事実が衝撃的だった。

 

「フッ、そんなことは無いさ。……艦娘達は、死ぬ事はない。私の指揮の下にいるかぎりはね」

突然の声。

 

「な、……なんだって! 」

永末は、ありえないはずの声を聞いてしまい、呆然とする。このメガフロート基地には、永末と艦娘以外存在しないはずなのに、どういう訳か、男の声が聞こえて来たのだ。そして、それどころではない事実を声色で感じ取ってしまい、愕然とする。まさか、まさか……。混乱が永末を襲う。

 

声の主に反応し、すぐさま、先にメガフロート基地にいた北上たち艦娘が声のした方に向かって跪いた。

そして、彼女達が跪く方向から、何者かが、……一人の男が歩いて来たのだ。

「ま、まさか、まさかまさか! ままままま、むあああああ!! まさかまさかまさかぁああ」

永末の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 

「! 」

変化は、共に舞鶴から永末と共に逃げて来た、扶桑達の顔にも速やかに現れる。

信じられない光景にまず驚愕が現れ、続けて歓喜の涙が彼女達の瞳から溢れ出したのだ。それはあまりにも激しい喜びの爆発のような化学変化だった。

「お、……緒沢提督! 」

扶桑は、蹌踉めきながら彼の側に駆け寄り、喜びの表情を浮かべて彼を見つめ、他の艦娘と同じように跪いた。他の艦娘達も同様に涙を流しながら駆け寄り跪く。しかし、不知火だけは床にへたり込んだままで惚けた表情のままだが。

 

「まさか、まさか、まさか。あんた、……お、緒沢提督なのですか」

永末だけが現実を把握できず、呆然と呟くしかできない。全身全霊を持って、目の前の事象を否定したいけれど、決して否定する事のできない現実に精神が揺らいでしまう。両手で頭をガシガシと掻きむしる。

「あんた、殺されたはずじゃ」

 

「永末……か。ハン! 君は、よくもまあ、こんな大それたことをしてくれたものだな、本当に、全く分不相応な事を、自分の立場も弁えずにぬけぬけと……」

見下すような視線で永末を睨み、永末の問いに答えることもなく、彼は吐き捨てるように呟いた。

 

その瞬間、永末の心の奥底で長く長く潜んでいた激情の炎が、一気に燃え広がる。それは怒りと憎しみにまみれた、どす黒い怨念であった。

「て…てめえ! どの面下げて俺の前に出てきやがったっていうんだ。てめえのせいで、俺がどんな酷い目に遭わされたか! どれほどの煮え湯を飲まされてきたか。お前は、殺されたから怨んでも仕方ないって諦めていたのに、のうのうと生きていやがったのか。クソクソクソクソ野郎。てめえだけは、絶対許せねえぞ、ボケが」

自分の人生をメチャクチャにした男が、のうのうと生きていった事。そして、そんな男が未だに艦娘に対する司令権を持ったままいられること。その上、あろうことか永末の行動の邪魔をすることに猛烈に腹が立った。捕らえた永末に対し拷問を施し、死よりも苦しい地獄を与えた香月に対するよりも、実は緒沢提督の事を憎んでいることを初めて認識してしまう。

 

殺す!

 

瞬間的に体が動いていた。理性よりも早く本能が反応していたのだ。こいつの両目をくり貫いてやる。耳を引き千切ってやる。鼻を叩きつぶしてやる。歯を根こそぎ引き抜いてやる。そして、首をへし折って殺してやるんだ。ずっとずっとため込んだヘドロのように沈殿した恨み。これを晴らすためには、この男を殺さずにはいられない。

「きえええええええええええええええ! 」

奇声を上げながら襲いかかろうとする。

 

刹那、銃声が響き渡り、永末の左膝に激痛が駆け抜けた。

「うぎゃああ」

予想していない痛みと衝撃に悲鳴を上げ、永末は床に転倒する。倒れまいと手を突こうとするものの失敗し、そのまま顔面を痛打した。鈍い音が響く。

「ぐえっ」

鼻を痛打したのか生暖かいものが顔を伝い落ちていく。

 

「あーあ。相変わらず詰めが甘いなあ、君は」

と、緒沢提督は妙にのんびりとした口調で語る。

 

永末は、必死の形相で立ち上がると、目の前の男を掴もうと両手を伸ばす。撃たれた足を引きづりながら、蹌踉めきながらも近づこうとする。怒りで痛みを忘れてしまっているかのようにさえ見えるものの、左足は自由に動かせない。

 

再び、銃声。

 

今度は、右膝を打ち抜かれてしまう。両膝を撃ち抜かれ、もはや踏ん張る事ができずに、永末は再度、転倒し床に伏してしまった。続けざまに容赦なく続けて発射された数発の弾丸は、俯せに倒れた彼の体を背中から貫いていく。

永末は呻くように、そして情けない悲鳴を上げてしまう。

 

「やれやれ。やり方は下手くそだし、本当に詰めが甘い。あれだけ注意してあげたのに、ちっとも改善されていないな。まだまだだね、永末君。君は、昔からちっとも変わっていないんだなあ。だから、君は上に立つような人間になれないのだよ。せっかく目をかけてあげてたっていうのに、期待に全く応えられないんだから。……けれどなんだ、まあ一瞬ではあるけれど、艦娘達を従えることができて、いい夢が見えたんじゃないかな? 君なんかでは一生なれないはずの鎮守府指令官になった夢を見られたんだから、君にとっては幸せなんだろうね。端から見たら……あまりにも馬鹿だけれどね」

側までやって来てしゃがみ込むと、苦痛と屈辱に顔を歪ませて睨む永末をのぞき込むようにして、緒沢提督は嘲るように笑った。

 

「……く、くそがあ」

それ以上の言葉は出ない。どれほどの恨み言を言いたいか。けれど言葉が出てこない。ただただ痛くて苦しいだけだ。撃ちこまれた弾丸のうち、いくつかが急所を捕らえているようだ。流れ出る血で自分の命運がすでに尽きたことを知る。志半ばで死ぬことが辛く悲しい。理不尽な結末の訪れに、発狂しそうだ。

「ぐへっうげえげえ」

咳き込むだけで吐血してしまう。ほんの少し体を動かすだけで、激痛が全身を貫き視界が霞んでくる。意識を保つのも難しくなってきている。

死にたくない。助けを求め、永末は必死に愛する扶桑の姿を求めて這い回る。

 

「やれやれだな。身の丈にあった生き方をできないヤツは、こうなる……」

冷め切った視線で緒沢提督が救いを求めて這い回る彼を見下す。

「能力以上の地位を求めるなどという愚かな真似をしなければ、もう少し長生きできたのに。まあ、それでも、……やり方は30点以下だけれど、ここまで彼女達を連れて来てくれたことだけは感謝しよう。かつての上司として礼を言おう。ご苦労様、そしてありがとう、永末少佐。そして、永遠にさようならだ」

それだけ言うと、もはや興味を無くしたように彼は、背を向けて去っていく

「さあさあ、みんな作戦準備だ。舞鶴艦隊を迎え撃つよ。これから忙しくなるよ! 」

ぱんぱんと両手を叩いて合図をする。

 

「提督、永末さんはどうしますか? 」

一人の艦娘が問いかける。

 

「いいよいいよ、こんなのは放っておきなさい。この基地は、どうせ最初から捨てるつもりだった場所だからね。死体が一つ混じっても問題ありません。片付ける必要もないから」

 

「わかりました!」

 

「じゃあ、行こうか」

そして、彼の声に合わせ、艦娘達が場を後にしていく。

 

そんな中、永末は、ついに視界に扶桑を捕らえた。

「ま、まってください」

必死になって声を上げる。声を張り上げた。

「扶桑、……さん」

 

驚いたように扶桑が立ち止まり、彼を見る。どうやら、永末に気付かれないように去っていこうとしていたようで、焦っているようにさえ感じられる。

 

「お、お願いです。私も連れて行ってくれませんか、いえ、連れていってください。そして、すぐに私の治療をしてください。今なら、今ならまだ間に合うはずです」

掠れる声を絞り出すようにして、必死になって懇願する。

 

何度も何度も、愛を語り合い体を重ねあった二人だ。その関係性は一時の欲望だけによるものじゃない。自分が本気で彼女を愛しているように、彼女も永末の事を愛してくれていた。その事実だけは間違い無いのだから……。

きっと扶桑なら永末を助けてくれる。彼女は自分を見捨てたりなんてしない。。

「もう復讐をするなんて、どうでもいいんです。扶桑さん、あなたが側にいてくれるなら、いてくれるだけで、もう何もいらないんだ。そうだ……一緒に逃げましょう。何もかも捨てて、こんな汚い世界から二人で逃げるんです。戦いなんて無い、嘘も裏切りもない、誰もいない場所に二人で逃げて、私達二人だけで暮らしましょう。私は、きっとあなたを幸せにしてみせますから。愛しているよ、扶桑さん……神に誓います」

助けて欲しい一心で、言葉をはき出す。それでも、その言葉は、すべて本心であり、望むことでもあった。

「だから、俺と一緒に逃げてくれ。二人で未来を作ろう。こんな世界とは無縁の平和で愛に満ちあふれた場所を探そう」

 

扶桑さえいれば、他に何もいらない。彼女だけいてくれれば、すべての負債を無かった事にできてしまうだろう。

扶桑さえ、この腕の中にいれば。

 

彼女は、震えるようにしばらく彼を見つめていたが、やがて決意したように

「ごめんなさい」

それだけ呟くと、背を向けて歩き去ろうとしたのだ。

 

「ちょ、なんでだ、なんでだよ。どうしたっていうんだ!! あ、あんなに愛し合った俺たちじゃないか。なんで俺を無視しようとするんだ……よ。なんで俺を置いて行こうとするんだよ。ぐ……扶桑さん、撃たれた所が痛いんです。本当に痛い、痛いよう。痛くて我慢できない。扶桑さん、頼むから助けてくれ、ください。血が止まらないんです。このままじゃ、俺は死んでしまいます。とにかく、何でもいい、なんとかしてくれ。治療を、助けてくれ。お願いだから、……頼む、見捨てないでくれ。見捨てないでください。死ぬ、このままじゃ死んでしまうよ。いやだいやだ、死にたくないよ、助けて扶桑さん。俺を可哀想だと思うなら、助けてください。痛い痛い痛いよう」

とにかく叫ぶ叫ぶ。必死に叫ぶ。

痛みで声が出てるかどうかなんて気にしていられない。ここで彼女を行かせてしまったら、もう自分は死ぬしかないんだから。助けてくれるとしたら、扶桑しかいないのだから。縋るのは彼女しかいないのだ。どんなに情けない言葉でも言おう。恥なんて気にしている場合じゃない。それで死を免れるなら。生きていくことができれば、必ず逆転のチャンスがやって来る。けれど、ここで死んでしまったら、それで終わりなんだ。どんな言葉でもいい。何でもいい。とにかく彼女を引き留めるんだ。引き留めることができれば、そこから先は、きっとなんとでもなるはずだ。

 

「たすけてくれ、たすけてくれ、俺は死にたくない、こんなところで、ひとりぽっちで死ぬなんて、ありえねえよ。扶桑さん、なんとか言ってくれよ、扶桑さん。俺を見捨てるっていうのか? そんな冷たい事をしようとしてるのか? 扶桑さん、俺を見捨てないでくれ。お願いしますお願いします。……痛い、痛い痛いよう。撃たれた傷口が痛いよう。扶桑さん、なんとかしてくれよ。なんとかしてくださいよう、扶桑さん、扶桑さん」

 

その声についに扶桑が振り返った。

永末は、ついに想いが彼女に伝わったと確信した。きっとこれで助かると思い、喜びの表情を浮かべた。やはり、二人の愛は永遠だ。

 

「……」

しかし、振り返った扶桑は、まるで汚いモノをみるような目で彼を見ていた。嫌悪、失望そんな感情が蠢いているように見えた。そして、それがすべてだった。

予想もしていなかったその表情に永末は唖然とし、出かかった言葉も失ってしまう。ただただ救いを求めるように手を伸ばした。

 

扶桑は何かを言おうとしていたようだが、一度だけため息を付くと彼に再び背を向けた。そして、歩き去っていく。そして、今度こそ彼女は二度と振り返る事は無かった。

 

瞬間、頭が真っ白になる。

「かぁああああ! 扶桑、て、てめえええええええ! 俺を裏切るのかよう、俺を見捨てるのかよう。あんなに愛してるって言ってくれたのは、ありゃあ嘘だったのか。クソ、この女、騙しやがったな。のこのこ緒沢が戻ってきたら、即、乗り換えっていうのか? もう俺は用無しっていうのか? なんだてめえ、くそったれ。尻軽女、この売女がっ。相手構わず誰にでも股開いて、ひいひい喚いて腰振るだけの淫乱女め。ふらふらと男を乗り換える、意地汚い雌豚め。お前にはきっと天罰が下るぞ。神様はきっと見ているんだからな! 罪深き淫乱裏切り糞女には、地獄の苦しみが降りかかるに違い無い。おいコラ! 聞いてるのか……何とか言えよ、この野郎。くそうくそうくそうくそう……てめえ、一生呪ってやるからな。てめえ、絶対に許せねえ。絶対にだぞ。地獄の果てまで追い詰めて、罪を償わせてやるからな、畜生め。お前だけじゃ無い。みんなみんな、何もかも呪い殺してやる。末代まで祟ってやる。おらろおららどらららら! 」

捨てられた絶望から、ありとあらゆる罵詈雑言が永末の口から吐き出される。しかし、それに答える者はなく、やがて静寂が訪れる。

永末は必死に、全身の力を振り絞り、怨嗟の言葉をまき散らす。全てを呪う言葉を吐き出す。

 

しかし、どれほど叫んだところで答える者など誰もいなかった―――。

「まじかよ……くそったれ。げほっ」

口から、そして鼻からどす黒い粘ついた液体が吐き出される。苦しくて痛い。

 

どうしてなんだ? 途中まで上手くいっていたはずなのに、どこで何を間違ったのか。何がいけなかったんだ。

「俺が一体、どんな罪を犯したっていうんだ? げええ。俺は必死にがんばっただけなのに。何で俺だけこんなに不幸にならなきゃならないんだ、何でだ? お願い、た、たすけて……」

永末は一人、薄れゆく意識の中で足掻くように必死に答えを求めるが、その解は出ることなく、先に彼の意識が消えていったのだった。

 



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第164話 その先にある絶望

場所を本来の司令室に移した緒沢提督は、集まった艦娘を前に語りはじめる。

 

「皆、ご苦労だった。そして、みんな……待たせて済まなかったね。鎮守府に残したままで何の連絡もできず、不安で辛い思いをさせて済まなかった。みんな、よくここまで来てくれたね。そして、ここでずっと待機してくれたみんなにも礼を言う。君たちがいてくれたから、私もがんばることができた」

緒沢提督はそう言いながら、艦娘達を見渡す。みんなが嬉しそうな表情を浮かべて彼を見つめている。

それを確認し、満足げに大きく頷くと、彼は言葉を続ける。

「ついに、……今ここに懐かしい仲間達が勢揃いしたわけだ。うん、残念ながら、舞鶴にいるすべての娘達が揃う予定にしていたのだけれど、永末君のおかげで予定より少し早くなってしまった。来られなかった子もいるわけだけれど、嘆いたところでどうにもならない。アクシデントはつきものだからね。……時は、来たのだ。今、私はここに宣言する。再び、私が舞鶴鎮守府艦隊の指令官として、指揮を執る。そして、我が目的を成就するために戦うことを誓う! 」

高らかに宣言する緒沢提督。艦娘達は、喜びの雄叫びを上げる。

「今、諸君等に問う。私のために、皆、戦ってくれるか? 」

その場にいる全員が賛同の声をあげる。興奮が彼女達を取り巻く。自分への反応を確認し、満足げに頷く緒沢提督。

 

唐突に。アラーム音が鳴る

どうやら、隠匿回線を使用した通信が入ってきたらしい。

 

素早く動いた最上が、機器操作を行い通信回線を開く。

 

司令室に設置された大型モニタに、一人の男の姿が映し出される。そこには、呉鎮守府高洲提督の姿があった。

 

形式張った挨拶もそこそこで、彼は話し始める。

冷泉提督が舞鶴鎮守府を出撃し、そちらへ向かっているとの連絡をしてきたのだ。

 

「ええ、もうすぐそこまで来ていますよ。光学迷彩のおかげでしょうかね、なかなか動けずにいるようです。こちらの動きを待っているのかもしれませんが」

高洲提督が、年齢でも軍経験でもだいぶ先輩であるため、緒沢提督は丁寧な言葉使いをする。。

 

「まあそんなところだろうな」

二人は気楽な感じで会話を続けている。

北上達のように、最初からこの基地にいる艦娘にとってはごく当たり前の光景に見えているようだけれど、舞鶴鎮守府より離脱してきた艦娘にとっては、ずいぶんと違和感を感じる光景に見える。扶桑でさえ、会話する二人の提督を怪訝な表情で見つめるしかない。彼女達から見れば、ずいぶんと親しげに、しかもいつもしている事のように当たり前に自然な会話を続けていることが、あまりに不自然にしか見えないのだ。

「まるで高洲提督は、緒沢提督とずっと連絡を取り合っていたようにしか見えないんですけど」

扶桑のとなりにいた羽黒が小声で話しかけてくる。

 

「確かにそうですね」

彼女も怪訝な表情を浮かべる以外、何もできない。聞かれても何も知らないのだから。自分たち以外にも、舞鶴から来た艦娘達は違和感を感じるしかないのだ。少しざわついてしまう。

 

「緒沢君、……どうも君の新しい仲間達が不思議そうな顔をしているよ。彼女達に何も説明してないんじゃないのかね? 」

と、高洲提督が緒沢提督を促す。

 

「あ! ……ああ、確かにそうですね。失念していました。私の死が偽装であったことを知る者は、ここにいる艦娘だけだと思っているはずですものね」

扶桑達の表情を見、初めてそのことに気付いたようだ。彼は、そう言うと、扶桑達に語り始める。

「高洲提督は、最初から私が殺されていないことをご存じだったのだよ。私が軍に対する不審感を募らせ、艦娘達を偽りの轟沈による隠匿を行い始めた頃からすでに私と同じ考えを持つ頼れる同士だったからね。いろいろと陰に日向に助けて頂いているのだ。提督のお力がなければ、軍部による私への粛正を偽装することもできなかっただろうし、この基地の存在から軍の探索の目を逸らすことはできなかっただろうからね。本当にお世話になっているんだ。みんなも高洲提督への感謝を忘れないでもらいたい。彼がいなかったら、今の我々は無かったはずなんだからな」

 

「そこまでは私もしていないよ。ほとんど緒沢君が計画し実行したことだ。私は、彼のただお手伝いをしただけさ。なーに、私にもメリットがあるからやっただけだから、感謝されるような事は無いから気にしないでくれよ。それに私だけでなく、佐世保のアイツも協力してくれたからこそ、上手くいっているんだからねえ」

好々爺のような笑みを浮かべながら謙遜する高洲提督。

そして、戦艦扶桑の存在に気付くと、

「ふむふむ、これだけの艦娘が我々の下に帰って来る事ができたようだし、計画は上手いこと行ったようじゃないか。……扶桑も提督と再会できて良かったな」

と扶桑を見、優しそうな笑みを浮かべる。

 

「いえ、本当はもっと時間をかけて、舞鶴の艦娘全員をこちらに向かい入れるつもりだったのですが、思わぬ邪魔が入ってしまい……。本来なら、金剛や高雄、神通も引き込みたかったんですけれどね。あの三人を手に入れられなかったのは、残念であります」

少し悔しそうに、緒沢提督が答えた。

確かに、戦艦1、重巡洋艦1、軽巡洋艦1の数的にも質的にも逃した物は大きかったといえる。数字だけでは語れない彼女達の戦力の事を緒沢提督は言っているのだ。それぞれの艦種の中でも上位に位置づけられる艦娘であり、舞鶴でも主力であった金剛達。これが上手くいっていれば、今、眼前に現れている艦隊も質量共に落とすことができたのに……。と、扶桑は自分の不甲斐なさを感じてしまう。ただ同時に、加賀は除いたとしても、金剛と高雄は、特に冷泉提督に懐いていたから、はたして扶桑達の説得を受け入れてくれただろうか? 緒沢提督を前にしても、信頼の意を示すことができるだろうか? ……という不安も同時にあったのだけれど。

 

「……ああ、永末君かね。彼の暴走には困ったもんだけど、仕方ないかね。あのお調子者は、自分が利用されるとも理解できずに、香月の手先として行動させられていたんだろうなあ。それにしても、香月君達がここの乗っ取りを考えていたという事は驚きだったけどね」

言葉の節々に永末を嘲るような雰囲気で高洲提督が語る。自分たちの計画の障害になる危険を冒した存在に対して、思うところがあるのだろうか。

 

「はい、少し余計な行動でしたが、それでも、永末のおかげで香月は処分できたようです。永末は無い頭を絞っていろいろ考えたのか、香月がまだ生きていると軍関係には思わせているみたいです。今のところはそれは発覚していないみたいですし。ばれるまでの間に、取れるだけの資材を取り上げてやろうと思っています」

 

「ほうほう。なかなか彼もできる存在だったのかなあ。私の見込み違いで実は優秀だったのかもしれんな。……あれ、そういう永末君はどうなったのかな」

画面をのぞき込むように、見回す。

 

「ああ、彼は用が無くなったので地下で眠って貰っています。もう目を覚ますことは無いでしょうけれど」

と、淡々と事実を述べる緒沢提督。

 

「ふむ、なるほど。もっともな事だな。そりゃそうだよなあ……あんな男に、君の大切な扶桑君が……ゲ、ゲフンゲフン。……いや、なんだ、すまんすまん、今のは気にしないでくれたまえ。はっはっはっは! まあ、被害者意識が強くて野心だけが強いだけの何の役に立たない男を生かして置いても、我々には何ら益にはならないからな。まあ、仕方ないからね」

そう言いながらも、いやらしい目で扶桑と緒沢を交互に見る。

 

ゲスな視線に対しては、何も気付かないふりをする緒沢提督。しかし、彼の顔は僅かではあるが引きつっている事が傍目にも解ってしまう。それを見て、扶桑は心が沈んでいくのを自覚する。自分のせいで提督が恥ずかしい想いをしている……。高洲提督にいやらしい目で見られる嫌悪感よりも、そちらのほうが精神的にきつかった。

 

「ま、まあ永末には、しばらくは生きている体でいてもらおうと思っています。私の存在を軍の連中に知られる訳にはいきませんのでね。奴らにとっては、すでに始末したはずの存在であり、まだ私が表舞台に出るには速すぎますからね。それに、そちらのほうがいろいろと都合が良さそうですからね。冷泉提督は、今回の争乱が全て永末が起こした物だと思っているようですし……すべてのヘイトを彼に被って貰っておいた方が物事がスムーズに進むでしょう。ここで私が表に出たら、すべての元凶が私だと誤解され、いらぬ恨みを買ってしまいそうですからね。何の縁もゆかりもない私が、責められてはたまらんので」

 

「がっはっはっは。確かにそうだね。がーっはっはっはっは。逆恨みされたら、堪らないわな。まあ永末君も香月君も死んでしまったようだし、得られるであろう情報を有効に利用し彼等の遺産はきっちりと我々が吸収してあげないといけないな。利用できるものは徹底的に利用しつくしてあげないと、死んだ彼等も浮かばれまい」

 

「ふふん、そうですね」

と、同意する緒沢提督。そして、思い出したように問いかける。

「しかし、よく分からないことがあります。……冷泉がどうしてここを嗅ぎ付けてきたんでしょうか? ……何の手がかりも無いはずなのに」

それは、扶桑も疑問を感じていたことである。完璧な証拠隠滅を行い、追跡は不可能だと思っていたのに、いとも簡単に扶桑達を追跡できたのか。

 

すると、高洲提督が答える。

「いや、半信半疑な話ではあるのだがね。……舞鶴に行かせている榛名からの話だと、冷泉は艦娘の反応を検知する特殊能力があるらしいんだよ。あれの話によると、艦娘がどの辺にいるかを相当離れた距離であろうとも、検知することができるらしい。まあ眉唾でしかないんだろうけれど、自分の指揮下にある艦娘であれば、ほぼ確実に、相当離れた場所にいても検知できるんだそうだ」

 

「は? そんなのありえることなのですか? そもそも、そんな力が人間にあるのですか? 超能力者じゃああるまいし」

驚いたように問いかける緒沢提督。

 

「私も信じている訳じゃ無い。君の疑問はもっともだ。しかし、そうは言うけど、実際に彼は扶桑達を追跡して来ているじゃないか。艦娘達は、領域を抜けたりして追跡ができない航路を通ったというのに、彼はそこまで来ているのだからね」

そう言われて、扶桑も納得してしまう。

 

「つまり、冷泉は要注意人物ということですか。もしも、その能力が本当だとしたら、いくら隠れても探知されてしまう。これは、不味いですね。今のうちに排除して置いた方がいいかもしれませんね。しかし、皆、私を慕っていてくれる、とても可愛い部下ばかりなのですが……。みんな、心当たりはないかな? 」

思い詰めたような表情で、緒沢提督が艦娘達に問いかける。

 

扶桑達艦娘がざわつく。

それを見て、緒沢提督は怪訝な表情になる。

「ま、まさかこの中に……冷泉の手の中にある艦娘がいるというのですか? 」

怯える扶桑達を見て、ある推論にたどり着き、声を上げてしまう。

 

「いや、これも榛名からの情報なんだが……。扶桑とかは、すでに冷泉の影響下を離脱しているようで、反応ないらしいよ。冷泉が探知しているのは、不知火とか言ってるようだ。榛名がわざわざその時の冷泉の語りを物まねをして教えてくれたよ。これが実に傑作なんだけれど、「不知火が泣いている。あいつの声が聞こえるんだ。何としてもみんなを、叶わないなら不知火だけでも助けたい」とか涙目になって、アホみたいに叫んでいたそうだよ」

 

その言葉を聞いた瞬間、ほんの一瞬だけではあるが不知火の瞳に生気が戻ったように感じられた。しかし、緒沢提督と目が会った途端、再び死んだような瞳へと戻ってしまった。

 

しかし、その一瞬で緒沢提督はすべてに気付いてしまったようだ。彼の顔から笑みが消えた。

「そうか。みんな私の指揮下に戻ったと思っていたのに、一人だけ、私を拒否する愚か者がいるのか。どうりで……なんか基地が惨めったらしい雰囲気になっているって思っていたんだ……」

汚い物を見るような視線になる。

 

「ま、待ってください。不知火さんは、永末さんに薬物を投与されて、自由な意思を奪われてしまっているだけなんです。決して提督の事を拒んでいるわけではありません」

と扶桑は彼女を庇おうと声を上げる。

 

「なんだと? ……薬物を打たれただと? 」

緒沢提督の顔が引きつる。

「糞、永末! あの男め、なんて酷い事を。やはり殺して正解だったけれど、もっとっもっと苦しめて、自分の罪を後悔させてやるべきだった」

吐き捨てるように緒沢提督は死者を責めたてる。

 

「緒沢提督、注意しておいたほうがいい。永末から何人かはクスリを打たれてるみたいだから、一度落ち着いたら、きっちりとクスリを抜かさないと、今後、同じような問題が出るかもしれん。軍が開発したのか艦娘側から供与されたのか分からんが、得体の知れないクスリを香月から渡されているみたいだからな。どんな副作用が起こりうるかを確認する必要があるだろう」

 

「ご忠告ありがとうございます。冷泉が何を検知しているか断定はできていませんが、まあ何となくはわかりました。どちらにしても、彼の能力は我々の妨げになることだけは認識しました。……まあその力を逆に利用することもできるというわけですからね。どちらにしても、冷泉は生かしておくわけにはいかない存在のようです」

確認するように緒沢提督は答える。

 

「確かにそうだな。あの男を生かしておいたら、今後、我々の目的達成の障害となる可能性は十分ありうる。……とはいえ、決して無理はしないようにしてくれたまえ。そこにいる艦娘たちは、我々にとっても貴重な子達なのだから。冷泉の艦隊も弱体化したとはいえ、正規空母1戦艦2重巡洋艦1の強力な布陣なのだからな。油断は、禁物だ。それに、できることなら加賀や金剛を捕らえたいとは思わないかね? うまいこと生け捕りにできれば最高なんだけどねえ。……冗談はともかく、まあ本当にまずくなったら、私から榛名に命じて冷泉をなんとかできるとは思うのだ。最悪の場合は、私に言ってくれよ。私も少しは役に立ちたいからね。……それに、放っておいたって、君たちの艦隊を拿捕できなければ、彼に未来は無いんだから。うまくやり過ごし逃げ切るだけで、我々の勝利は確定なんだから。冷泉が責任を問われるのは、間違いないのだからね。早晩、彼は艦隊司令官の座から追われることになる。だから、無理して得体の知れない能力を持つ奴とは、正面切っては戦わないほうがいかもしれん。それだけは肝に銘じておくのだよ」

 

「もちろん、それは承知しています。けれど、個人的な興味でしかないのですが、私の後任がどんな奴かは興味があります。軍が私の首を切って挿げ替えた奴がどれほどの奴なのか。とりあえず、後任の提督の艦隊運用能力も見てみたいですし、できることなら今すぐ自分の手で始末したいですからね。……それに、私の大切な子達に奴がどんな事をしたか、考えたくもないですからね」

そんなこと……。冷泉提督は、そんな事をするようなゲスな人ではありません。そう否定したかったけれど、自分の今の立場を思い、口にできなかった。もはや敵でしかない人を弁護するなんてありえないことなのだから。

 

「ふむ。君がそういうのであれば、了解した。しかし、絶対に無理はいかんぞ。今後の戦略に支障があるようなことだけは避けてくれよ。君の艦隊は君のものであるけれど、私や佐世保の奴の艦隊でもあるのだからね」

戦いへと向かおうとする提督に、釘を刺すように高洲提督が言う。

 

「もちろん。そのために私は艦娘を隠したり、わざと殺されたようにしてやったりしたんですからね。その努力を無駄にするような馬鹿ではありません」

 

「ははっは。分かってくれていたらいいよ。何かあればまた力になるよ。我々の目的の為に! 」

そう言って高洲提督との交信は切れた。

 

「ちっ、五月蠅いじいさんだな」

と通信が切れるなり、緒沢提督は毒づいた。

「さて、と」

緒沢提督は、不知火へと近づいていく。無反応なまま、よどんだ瞳で彼を見つめる不知火。

 

「不知火よ、……私が見えるか? 」

彼女は力なく頷く

「ならば問う。お前の指揮官は誰かと? 」

 

しばしの沈黙。

「お前の指揮官は、誰だと聞いているんだ。お前のボスは誰だ? 今すぐ答えろ」

無視されたと思った緒沢提督は、顔を彼女のすぐ側まで近づけると、声を荒げた。

 

不知火はゆっくりと顔を上げ、提督を見る。

「はい……私の従うべき人は、冷泉提督ただ一人です。そして、決して、あなたではありません」

弱々しいが、しっかりとした口調で彼女は宣言した。

瞬間、緒沢提督はニタリと笑みを浮かべると、いきなり彼女の顔を引き寄せると強引に口づける。続けざまに舌を無理矢理押し込んで激しく口づける。

自由にならない体で抵抗する不知火。しかし、男の力には抗うことができない。長い長い時間、二人は口づけあっていた。

 

緒沢提督が手を離すと、這うようにして不知火は彼から距離を取る。二人が離れる刹那、口からは何か糸を引くようなものが見えた。

彼女は口を必死で拭い、咳き込みながら何度も唾を吐き出す。彼女の吐き出した唾液は紅く染まっている。

 

「ふん……作戦は決まったよ。不知火、君には目一杯活躍して貰うよ」

そう言うと緒沢提督は口を伝い落ちる血を拭い、怒りを堪えた表情で宣言する。

続けて、他の艦娘達にもを準備を始めるように指示をする。もちろん、不知火もだ。彼女は他の艦娘に抱きかかえられるようにして司令室から出て行った。

 

そして緒沢提督は、一人残された扶桑を司令室の隣にある自分の部屋に来るように促す。

 

「提督」

扉が閉められた途端、秘書艦としての立場もあり、ずっと堪えていた彼女は緒沢への感情を表す。

生きていてくれた事、ずっと思い続けていたこと。今、とても幸せであることを。喜びに満ちあふれ、潤んだ瞳で彼を見つめる。そっと、彼に寄り添おうとする。

「ずっとずっと……提督の事を思い続け、待っていました」

 

次の刹那。

 

パン!

 

頬にありえない衝撃を扶桑は感じる。そして、その勢いで床に倒れ込んでしまう。一体何が起こったのか?

 

彼女は自分が思いきり張り飛ばされ、転倒した事に気付くまでしばらくかかってしまう。

そして、彼女は呆然とした状態のまま、緒沢提督に馬乗りになられ、見下ろされながら怒鳴り散らされることとなる。最初は彼が何を言っているのかさえ分からなかった。ただ、激高した様子で何かを喚き散らしているのだけが感じ取れただけだ。

 

やがて、彼が何を言っているかが理解できるようになった時、殴られる以上の衝撃を感じてしまう。

 

緒沢提督は、扶桑が永末に股を開いたこと、彼の女になっていたことを激しく責めたててくる。言葉だけでは収まらず、何度も何度も殴られてしまう。

「許してください! 」

何をしていいか分からず、とにかく必死になって許しを請うが、彼の怒りは収まることなく許してくれない。

 

逆に売女め! だとか汚い言葉で罵られる。あんなに優しい瞳をしていた筈の提督は、顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら叫んでいる。目はつり上がり、恐ろしい形相になっている。彼が本気で怒っている事が分かり、体を丸め、ただただ謝るだけで荒れ狂う嵐が通り過ぎるのを待つしかできなかった。

体中のあちこちを殴られ、恐怖と恐慌状態で呆然とする扶桑。うわごとのように許しを請うしかできなかった。

 

しかし―――。

次の刹那、突然、緒沢提督が泣きながら彼女にしがみついてきた。

「ごめん」

彼からぽつりと出た言葉は、堰を切ったようにあふれ出す。

「ごめん、扶桑。……こんなに血だらけになって、痛かっただろう。ごめんな。けれど、俺の心は、もっともっと痛かったんだよ、苦しかったんだよ! この世の何よりも大切に思っていたお前が、あろうことか他の男に抱かれるなんて、……そいつの女になっていたことが許せなくて辛くてどうにもならなかったんだ。俺はずっとお前の事を信じていたのに、どうして分かってくれないんだって。……お前が好きだからだから、大好きだから、どうしても許せなかった。ごめん! ごめん! 許してくれ。ああ、こんなに顔を腫らして、血もいっぱい出てる。痛かったよね、ごめんね。俺はお前の気持ちなんてちっとも考えることができずに、自分の事ばかりに囚われてしまっていた。こんな馬鹿な自分勝手な俺を許してくれるか? 殴ってすまなかったよ。でも、本当にお前を愛しているから、こんなに怒ってしまったんだよ。誰にも渡したくないって思っているから、裏切られたと思って、止められなかった。ごめんねごめんね。許してくれるかい? ずっとずっと本当に愛しているよ、扶桑。だから俺の側にずっといてくれるよな? もう二度と、他の誰かを好きになったりしないでくれ。俺だけを好きでいてくれ、俺だけのために、働いてくれるよね……」

懇願するように、許しを請うように、弱々しい笑顔で扶桑の答えを待つ緒沢提督。

扶桑は、彼の言葉に頷いてしまう。

こんなに自分のために怒ってくれる人を裏切ることなんてありえない。緒沢提督は自分を必要としてくれている大切な人なのだ。自分がいなければ、緒沢提督はダメになってしまうのだ。自分が彼を支えてあげなければ……。

「提督」

 

「なんだい? 」

 

「私を許してくださいますか? 」

 

「もちろんだ。俺にはお前が必要なんだ。ずっとそばにいてくれるかい? 」

扶桑は心が幸せに満たされるのを感じた。自分が求めていたのはこれなのだ。そう確信でき、彼に頷いたのだった。そして、緒沢提督の腕の中にいられる幸せを噛みしめるのだった。

 

 

―――そして、数時間後。

 

冷泉艦隊は、いまだ警戒しているのか、こちらに近づいて来ない。もしかすると、こちらから動くのを待っているのか。そんな心理戦を展開しているように、見かけ上は平穏な状況がしばらく続いている。

 

すでに緒沢提督は、出撃艦隊を編成を完了させていた。

 

まずは不知火を先行させ、領域へと突入させる。彼女は冷泉にとって大切な存在らしいから、きっと助けに行く。そこへ待ち伏せしてた伊8が雷撃する。まずは、加賀を狙う。制空権を取るためだ。その後、艦載機による空爆。金剛をやる。速吸もできれば潰しておきたい。榛名はこちらの手にある艦娘なので、形式的に攻撃をするだけだ。最後に扶桑を近づけ、艦砲射撃で冷泉を殺す……これが基本作戦だ。

 

緒沢提督は、ついに指示を出した。すでに出撃する六人の艦娘達が分割表示されたモニターに映し出されている。

緒沢提督は、一般的な提督が指揮をするように、艦娘には乗艦して指揮は執らない。すべては、あらかじめ作戦行動を入力しての艦隊戦となる。

 

戦艦扶桑、軽空母祥鳳、軽空母千歳、軽巡洋艦大井、軽巡洋艦北上、潜水艦伊8。

 

「作戦を発動する。すでに先行した伊8は、待機を完了している。不知火、出撃準備はいいか」

 

「発進準備、完了しています」

抑揚の無い口調で返答がある。瞳から光は消え去っている。かろうじて指揮権を冷泉提督から取り上げることに今のところ成功しているようだ。

彼女の体は白銀の鎖で縛り付けられていて、体にきつく食い込んだ姿が痛々しい。

 

「少し窮屈な思いをさせてすまないな。けれど、君は冷泉の影響下にある疑いが晴れていないからな。申し訳ないが、しばらくは念のために拘束措置を取らせてもらうよ」

 

「すでに私の意思は、提督の強制命令権によって自由を奪われています。こんな鎖などせずとも、私にどれほどのことができるのでしょうか」

 

「はははっはは。与えられし提督の権限で、意志力などねじ伏せているはずなのに、それでもそんな偉そうな口をきけるんだね。さすがに気が強いというか、なんというか。……まあ、お前には十分活躍して貰うよ。冷泉を領域に引きづりこむための、生き餌としてね」

面白そうに笑う緒沢提督。

「いろいろと楽しいドラマを見せてくれたまえ。華麗に踊ってくれたまえ。楽しませてくれたまえ、君も楽しみたまえ」

そんな彼を無表情なまま不知火は見つめている。その瞳の奥に何があるのかは、まるで読み取れない。完全に感情が無くなっているのか、それともまだ意識があるのだろうか。ただ唇を強く噛みしめたせいか、僅かに口元から赤い血が流れ出ていた。

「踊らされると考えてはいけない。むしろ自らその流れに乗って、華麗に舞うんだ。美しく、そして華やかに」

 

どちらにしても、緒沢提督が何をしようとしているかを恐ろしくて聞く事ができない扶桑だった。ただ言えることは、何の為に使用するのか分からない大量の爆薬が駆逐艦不知火に積み込まれた事。そして、彼女が逃げ出す事ができないように、艦橋の柱にきつく縛り付けられているということだけだ。彼女を縛り付けた鎖は、専用の器具をもってしても切断には相当な時間がかかるという。

緒沢提督が何を考え、不知火に何をしようとしているのかは、想像したくもなかった。

 

「出撃艦隊は行動開始せよ。……不知火は直ちに出航。彼女が領域侵入後、冷泉艦隊の動きに合わせ、その他の作戦行動対象艦は行動を開始する。他の者は私の指示を待って、この基地を離脱する。……以上だ」

 

ついに戦端の幕が切って落とされたのだった。

 

 

 



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第165話 危急存亡

「さて……どうしたものか」

加賀の艦橋から外を見つめながら、冷泉が呟く。

 

すでに数時間が経過している。

眼前に浮かぶメガフロート基地。舞鶴鎮守府管内にもいくつか存在し、資源採掘を行っている。遠征で護衛任務もあるため、存在自体は知っていた。もちろん、役目を終えた基地は再利用できるものは再利用し、そうでないものについては、解体され再利用されることがほとんどだと聞いていた。中にはあまりに陸地から離れているために輸送リスク(コストだけではなく、深海棲艦との交戦の危険性も考慮する必要があるため)との兼ね合いから打ち棄てられることも知っている。

どこにどんな基地もしくは跡地があるかは、当然ながらすべてデータ化されていたはずなのであるが、今、冷泉の前に存在する基地についてのデータは存在しなかった。

 

何者かの手によって存在が隠匿されていた……というわけか。すでにその頃から、計画は進んでいたということなのだろう。

果たして、緒沢提督という男は、一体、何を思い、そして何を為そうとしていたのだろう? 

そんな疑問が生じてしまう。

 

違和感を感じた冷泉は、艦に搭載されたあらゆる機器を使用し、メガフロート基地の外的探査を行わせている。そして、機密回線を通じて、このメガフロート基地についての情報を収集させている。

当然ながら、どこに潜んでいるか分からない敵艦隊の存在を意識し、全方位警戒態勢も取らせているわけであるが。

 

間違いなく不知火はこの基地のどこかにいる。そして、永末が指揮する艦娘達もこの基地にいるのは間違いない。恐らくはここは敵の本陣。いかなる仕掛けがなされているか分からない。

 

しかし、艦娘達に動きは外からは検知できない。全く動きがない。

 

「……提督? 」

と、加賀に話しかけられ、思考の世界から現実に引き戻される。

 

「ん? 」

 

「いえ、ずっと黙ったままでしたので、どうかしたのかと」

心配そうな表情で彼女は冷泉を見ている。

 

「少し考え事をしていたんだよ。俺たちがここに来てから結構時間が経っている。なのに動きが無い。……どう動くつもりなんだろうなって」

 

「迷っているの? 」

唐突に問われ、一瞬、言葉を失う冷泉。

 

「いや、迷ってなんていないよ」

そうは言うものの、嘘だということは彼女にはばれてしまっているだろう。

もし、扶桑達が出てきたらどうするのか? 説得すると言ったものの、説得が通じるのなら最初から鎮守府を離脱することなんて無いはずだ。そして、まだ心が冷泉側にあるのであるなら、不知火のように位置を感じることができるはずなのだ。今までそうだったように。

けれど、彼女達の反応はまるで感じ取れない。……それは、冷泉の指揮下から完全に離脱しているということの証左であることは、間違いない。

 

ならば、扶桑達は冷泉にとっての敵である。上からの命令通り、排除しなければならない。……そうであるならば、今こそ攻撃をするチャンスである。不知火の反応が感じられるということは、敵は眼前のメガフロートのどこかに停泊しているということである。どういうわけか、敵に動きは無い。今、一斉に攻撃をかけたなら、敵は反撃する間もなく撃破するチャンスである。敵が戦闘態勢を整えてからでは、機を逸してしまう。

加賀は、そのことを指摘しているのだろう。

 

しかし、メガフロート基地には誰もいないかもしれないという疑念もある。

更には、本当に不知火がそこにいるのか? という自分の能力に関する疑念。そもそも敵艦隊が存在しているのか?

仮にいたならば、彼女もろとも攻撃をすることができるのか? という迷い。もしかすると、不知火だけかもしれないのだ。邪魔になった不知火を永末達は捨て置いていったかもしれないのだ。攻撃するということは、不知火を殺す事になるかもしれないのだ。

 

そういった様々な疑問や迷いが、冷泉の行動を鈍らせているのは間違いない。できれば、このまま何事もなく、すべてが終わってくれれば……。そんな淡い期待を抱いているのは事実だ。

 

「提督……私は、いえ私達はあなたの決断に従います。だから、何も迷うことはありません。ただ、提督が信じる事を行って下さい」

暫く黙っていた加賀が、思い詰めたような表情で訴えてくる。あまりに真剣な表情なので、少し驚いてしまったが、彼女なりにいろいろ思い詰めている冷泉を励まそうとしてくれているようだ。その気持ちに少し嬉しくなる。

 

「ああ、そうだな。いろいろ悩んでも仕方ないよな。俺は……」

 

「提督、前方の空間に異変が! 」

冷泉の言葉を遮るように加賀が叫ぶ。慌てて視線を前方へ向けると、基地のある空間にゆがみが発生したかと思うと、まるでガラスが割れるように景色の一部が砕け散った。同時に、何かが飛び出してきた。

 

それは一隻の駆逐艦。

通常海域というのに煙突から黒煙を巻き上げながら疾走する。

 

光学迷彩、遮蔽装置といったものか?

それを用いて基地全体を覆っていたというのだろうか。

 

「不知火! 」

加賀が叫ぶ。

飛び出してきた駆逐艦は不知火だった。彼女は一気に加速していき、冷泉の艦隊の前を横切るようにして移動していく。敵であるはずの冷泉達には目もくれない……。

 

「加賀、他に出撃した艦は? 」

 

「追随する艦船はありません。メガフロートにも相変わらず反応はありません。再び空間が閉塞していきます」

見ると壊れたように見えた空間が、再びモザイクが取れていくようにもとの風景へと変化していくのが分かる。まだ基地にはそういった機能が残されたままになっているということだ。

 

「不知火は、何処に向かって……」

冷泉は言葉を止めてしまう。彼女の向かう進路には、領域があったのだ。

「あいつ、まさか領域に? 」

何の迷いもなく、彼女は一直線に領域と通常海域を遮る赤黒い雲へと向かっている。

「……くそ、全艦、不知火を追うぞ。あいつ、領域へ突っ込むつもりだ。動力の切替を急げ。完了した艦から領域へ突撃する。急げ! 」

声がうわずっているのを感じながらも、冷泉は指揮を発する。

駆逐艦一隻で領域に行って何をするつもりだ。……深海棲艦に探知されれば、確実に攻撃を受けることになる。そうなったら、彼女の未来は決まったようなものだ。

 

「お待ち下さい、提督。何の準備も作戦も無いのに、領域に突っ込むのは無謀ではありませんか? それに、領域内部に入るということは、提督のお体にも差し障りがあると思うのですが」

唐突に無線が入ってくる。榛名のようだ。

「私も榛名さん賛成です。これは敵の罠かもしれません。落ち着いて慎重に行動したほうが……。それに、基地にはまだ艦娘が潜んでいる可能性があります。まずはそちらを探索した方が」

高雄も指摘をしてくる。

 

「……そんなこと分かっている。危険は承知の上だ。でも、今、不知火を止めないと、あいつを止めないと」

非難は当然のことだと、冷泉も理解している。不知火が何を考えて単身領域に向かうのかは分からない。命令であることは間違いないが、その作戦の意図はわからない。みんなの言うように、罠であることも十分考えられる。いや、恐らく間違いなく罠だろう。けれど、今なら、彼女を救う事ができるかもしれない。そして、自分が今動かなければ、彼女を救う機会は二度と来ないような気がしたのだ。それは確信に近い物ががあった。ならば、自分の手が届くのなら、その手を伸ばさなければならない。自分の体の事など大した問題ではない。

「今、俺にできることは全てやらないといけないんだ。もう二度と後悔なんてしたくないんだ」

冷泉の言葉に、二人は黙り込んでしまう。

 

「提督、動力切替完了しました。空母加賀、発進します」

淡々とした声で秘書艦が告げる。その表情から読み取ることはできないけれど、彼女もいろいろ言いたいことがあるのだろう。あえて全てを飲み込み、冷泉の指揮に従ってくれている。

「他の子達も、私に続いて下さい」

 

動き始めた旗艦に遅れぬよう、他の艦も続いて移動を始める。

その前方で、まさに不知火が領域の雲の中に突っ込んで行くところだった。

 

「すまない、加賀」

冷泉は小さく頭を下げる。彼女は聞こえなかったように前方を見据えたままだ。

「前方領域。間もなく本艦は領域に突入します」

正規空母加賀を先頭に、冷泉の艦隊も領域へと突入していった。

 

いつも通りの嫌な感覚を覚えながら、領域内に進入する。電子機器のほとんど使用不可能となった世界。

開けた視界の前方には不知火がいて、まだ前へ前へと進んでいる状態だ。

「追跡しつつ隊列を整える。周辺の警戒を怠るな。ここは領域だ。いつ深海棲艦が現れるかもしれないからな」

声を合図に、艦隊の隊列を整えようとする。視界の届く範囲には、深海棲艦の艦影は見あたらない。

「加賀、通信回線を開いてくれ。不知火を止める」

 

「もう準備はできているわ」

すぐに答えが返ってくる。冷泉は頷くと、不知火に語りかける。

 

「不知火、俺だ、冷泉だ。応答してくれ。今すぐ停船するんだ。……ここは領域だ。ここにいること事態が危険すぎる。今すぐにここから離脱するんだ! 」

しかし、彼女からの返答は無かった。

「不知火、聞こえているんだろう? 今すぐ返信しろ! 」

いつしか声が大きくなっている。

「何で応えないんだ……」

苛立ちが込み上がってくる。

 

冷泉の困惑と苛立ちを断ち切るように、次の刹那、強烈な衝撃が艦全体を襲うと共に、すぐ間近側で巨大な水柱が立った。

冷泉は衝撃で椅子から転がり落ちそうになるが、素早く加賀が支えてくれた。

 

「左舷に被弾、魚雷攻撃よ」

直撃を受けたというのに、特に焦る様子も無く加賀が事実のみを告げる。周りに艦影は無いままだ。どこから攻撃されたのか分からない。

 

「まさか潜水艦か? くっ。全艦、潜水艦だ。警戒を怠るな! ……加賀、被害状況はどうなっている」

続けざまに指示を行う。

 

「……わりと深刻ね。浸水の影響で、動力に問題が発生しているわ。速力は40%くらいは落ちるわね。その影響で、動きが鈍くなっているから、相手がどこの誰だか分からないけれど、……このままだといい標的になるわね」

淡々とした口調で状況を告げる。

 

「分かった。まだ動くことはできるんだよな」

その問いかけに頷く加賀。

「速吸、対潜水艦戦闘を準備。お前の攻撃力を見せてくれ」

 

「了解です。流星、発艦させますね」

すでに準備を整えていたのか、艦載機を発艦させていく。彼女には対潜水艦戦闘能力があるのだ。もちろん、駆逐艦と比べると劣るのではあるが。

 

ここに来て……、いや、最初から分かっていた事だけれど、叢雲を連れてこなかったことが悔やまれる。敵に潜水艦がいることなど、当初から想像できたはずだ。なのに、あえて彼女を外して編成を行った。そのためにみんなを危険にさらしてしまっている。指揮官としては失格だ。けれど、彼女を戦場に連れ出すことはしたくなかったのだ。

済んでしまった事を嘆いても何も始まらない。今、どうするかを考えるべきだ。必死に自分の頭を切り換えようとする。

 

敵の攻撃を分析する。これは、完全に待ち伏せによる不意打ちだ。

 

明らかに、敵の潜水艦は領域の中で冷泉達がやってくるのを待っていたとしか思えない。不知火の行動も冷泉達を領域に引き込み、待ち受けている潜水艦に雷撃される布石だったのだ。

 

しかし、机上で論ずるのは簡単だけれど、領域にたった一隻で待機させるなど、常識ではありえないことだ。確かに潜水艦ゆえに隠密性は他の艦より高いとはいえ、深海棲艦に見つかってしまったら対処などできるはずもない。駆逐艦に追い回されるのがオチなはずだ。少なくともそんなリスクを覚悟で、艦娘が仮ににでも沈むことを想定しながらそんな場所に配置する提督など存在しないはずだ……そう思いこんでいた。

 

「そういうところが思いこみなんだろうな」

冷泉は呟く。指揮を執っているのは永末だったことに思い当たる。そうか、彼は司令官では無かったな。だから、できるのだろうか? そんな疑問がふと生じた。

しかし、今は隊列を立て直す事が肝心だ。

 

「後方に艦影2! 」

 

「何だって? 」

思わず声を上げてしまう。

艦隊の後方からということは、新たに領域に進入してきた艦があるということだ。

 

「球磨型軽巡洋艦、北上および大井です。こちらに高速接近、さらに左右に回頭します。提督、魚雷発射確認。……来ます」

彼女達は、潜水艦攻撃の混乱に乗じて一気に接近して来たのだ。周囲を警戒していたものの、潜水艦の方に意識を取られていた。そこを突かれてしまった。

 

「全艦、各自回避運動を取れ。加賀、取り舵いっぱい、最大戦速。魚雷を避けろ」

一斉に各艦が回避運動を始める。しかし、加賀だけは、先ほどの被弾の影響で動きが鈍い。ただでさえ巨大な船体だ。後方から接近する魚雷を回避できるか微妙か?

 

「左舷前方より魚雷接近! 」

流石に焦った声で加賀が叫ぶ。

 

まるで回避運動を予測したように潜水艦からの魚雷攻撃だ。敵は、明らかに加賀を狙っている。

 

「加賀、面舵いっぱい。回避するんだ」

無理と分かりつつ、回避を指示する。

 

「提督、何かに掴まって。直撃します! 」

叫ぶと同時に、加賀が冷泉に覆い被さってくる。

 

刹那、巨大な影が視界に入ったように感じた。

 

爆発音。

しかし、衝撃は来なかった。

 

「どうなった? 」

冷泉は爆発の起こった方角に視線を向ける。そして、驚きの声を上げてしまう。

 

いつのまに接近していたのか、巨大な艦影がそこにあった。角張った主砲塔、後部檣楼と煙突の間の隙間……その違いで金剛であることが分かった。

「金剛! 」

 

「安心して、提督はワタシが守るネー! 」

通信回線を通じて、彼女の声が聞こえてきた。

続けざまに砲撃が轟き、次々と着水する。そのいくつかは加賀を庇うように位置した金剛に直撃していく。船体のあちこちから黒煙が巻き起こる。

「提督、ワタシは大丈夫だからネ。指揮を執って」

 

「金剛の被害状況。艦船左舷に二発魚雷が直撃。第二第三砲塔損傷。戦闘継続は困難と判断します」

冷静な状況報告を加賀が伝えてくる。

 

「金剛、大丈夫か! 」

 

「大丈夫! 提督はワタシが守るから安心して」

大破に近い状況下でも健気に応える金剛に胸が苦しくなる。出撃前にあれほどやりあったというのに、そんな事などおくびにも出さない。自分の命よりも冷泉を重要視してくれている。こんな子をここで死なすわけにはいかない。しかし、彼女を待避させようにも、何処へ待避させればいいっていうんだ。

 

「速吸、敵潜水艦は発見できたか? 」

 

「提督、発見しました。今から攻撃を開始します」

現状、無傷な艦艇は榛名、高雄、速吸の三人だ。なんとかしのぎきれるか? 潜水艦さえ抑えれば軽巡洋艦二隻ならなんとかできる。

 

「頼むぞ、速吸」

 

「了解ですよ。流星、攻撃開始よ」

対潜水艦攻撃を始めるため、彼女から発艦した流星改が攻撃態勢に入ろうと旋回を始める。

 

「大変です、提督! 航空機編隊が接近してきます」

高雄からの報告が入ってきた。

 

「あー! 」

速吸の悲鳴が響き渡る。

 

敵の航空戦隊は猛スピードで接近し、潜水艦への攻撃態勢に入った速吸の艦載機に背後から襲いかかる。

戦闘機と攻撃機では話にならず、速吸の艦載機は次々と打ち落とされ、火に包まれながら海へと墜落していく。

「ああ、酷いですう! 」

 

「提督、続けて敵の攻撃機の編隊が接近してきます。迎撃体制を」

見上げれば数十機の機影が接近して来ている。祥鳳の艦載機ならば、九七式艦攻のはずだ。新鋭機を搭載前に鎮守府を離脱したから……。

しかし、数からして、空母は祥鳳だけではないということか。

「敵機は、彗星、流星および九七式艦攻の混合編隊よ」

 

「加賀、艦載機の発艦は可能か? 」

 

「ごめんなさい。……艦の水平を保つことができません。停船すればできるかもしれないけれど、それではこの状況下では敵の良い的になるだけよ」

 

ははは、完全に詰んだな。

……弱気な考えが唐突に浮かび上がってしまう。

 

艦載機の使用は、不可能。たとえ最新鋭の艦載機を搭載していても、発艦できなければ、何の役にも立たない。

 

加賀、金剛は雷撃を受け航行にさえ支障が出ている状況だ。速吸も艦載機を撃墜され、もはや戦力としての計算は不可能となっている。榛名と高雄のみでどうにかしなければならない。

しかし、敵は潜水艦が未だ健在で虎視眈々と狙っている。巡洋艦二隻もいつでも雷撃可能な状態。そして、空には敵艦載機が接近中だ。巡洋艦はどうにかできたとしても、潜水艦と航空機相手では、勝ち目はほとんど無い。

 

「全艦、反転だ。各自回避運動を取りつつ、領域を離脱する。速吸は、とにかく全速力で離脱しろ。榛名と高雄、金剛の援護を頼むぞ」

冷泉は各艦に指示をしつつ、横に立つ加賀の顔を見る。目が合うと彼女はニコリと微笑んで頷いた。

「加賀、すまない」

 

「……いいのよ」

 

冷泉は頷くと指示を出す。

「全速前進」

 

「了解、全速前進します」

 

反転運動を行っていた金剛達が、加賀の動きに気づいてすぐに反応してくる。

「テートク、どこに行くの! 」

 

「提督、何をするつもりなのです? 」

みんなが疑問を声を上げるが、すでに冷泉の意図は分かっているはずだ。

 

「俺たちが囮になる。だから、お前達はなんとしても生き残るんだぞ」

 

「な、何を言っているんですか? 司令官を囮にするなんてそんな馬鹿な作戦、認められるわけないじゃないですか。絶対に駄目です」

珍しく怒った口調で高雄が叫んでくる。

 

「今の状況に陥ってしまったのは、完全に俺一人の責任なんだ。俺の勝手な考えでお前達を連れ回し、挙げ句の果てに危険な目に遭わせてしまっている。本来ならあらゆる手段を講じてでも全員で舞鶴に帰りたいけど、もはやこの状況ではそれは叶わぬ事だ。ならば、一番可能性の高い方法を取るのが当然だろう? 」

先ほどの攻撃から見ても、敵の目標は冷泉が乗艦する加賀であることは明白。ならば、最初に沈めようとするのは加賀だ。だったら、囮になって出来る限り時間を稼ぐのが一番の方策。少しでも生存率を上げるためなら、最良である。

 

「ば、馬鹿ああー! そんな事できるわけ無いネー! 」

金剛が叫ぶ。

「提督は、どんなことがあっても生きろってワタシ達に言ったよね。だったら、みんな無事で絶対に帰らないと駄目! 誰かを犠牲にしてなんて絶対に駄目」

 

「そうです、提督を見捨ててなんて行けるわけありません。提督がいなくなったら、私達はどうすればいいのですか。そんなことになるくらいなら、私だって提督にお供します」

と、高雄。

皆が口々に反論してくる。

 

「これは、命令だ。もう時間がない。これ以上言わせないでくれ。でないと、強制命令を使わないといけなくなる。そんなことはしたくない。後の事は、葛生提督に任せておけば大丈夫だ。……頼むから、俺の命令を聞いてくれ」

揉めている間にも敵機が接近してくる。北上大井も戦闘態勢を整えつつある。

 

「て、提督」

ずっと黙っていた加賀が口を開く。

「領域より新たな艦が……」

 

「な? 」

呻く冷泉。

 

「艦影から……戦艦扶桑と思われます。我が艦隊は、退路を断たれました」

淡々とした口調ではあるものの、普段とは異なり、焦りを含んだ声色に聞こえた。

 

 

 



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第166話 来訪者

領域の分厚い雲の壁を突き破るようにして、戦艦扶桑が領域に侵入して来た。

そして、全く別の場所から領域に侵入していたのだろうか。

艦載機を発艦させた祥鳳、千歳の軽空母2隻が現れて、扶桑の両脇を固めるように併走してくる。

軽巡洋艦の北上、大井の2隻は冷泉達艦隊を遠巻きに牽制しつつ扶桑たちに合流の動きを見せている。

彼女達の考えはすぐに分かった。

領域からの最短距離での脱出経路を閉ざすとともに、領域の奥へと冷泉達を追い込もうとしているのだ。

 

正面からぶつかり合えば、向こうの被害も無視出来ないレベルになる。幸い、先制攻撃で加賀の航空戦力を無力化できたわけで、アウトレンジからの航空機部隊による攻撃でじわじわと削り取り、最後に攻め込んで来る考えなのだろう。

航空機ばかりに気を取られていたなら、水面下からの雷撃もありうる。

冷泉達は領域の奥に逃げるしか無く、それを継続すれば流石に深海棲艦達が現れる。そうなれば扶桑たちは領域から待避するだけで、冷泉達を始末してくれるだろう。たとえ冷泉達が深海棲艦を振り切って領域外へ逃げ出せたとしても、冷泉達の被害は甚大にならざるをえない。

待ち構えて殲滅するだけで片が付く……。

 

迫ってくる航空機編隊を見つめながら、冷泉は呆然とするしかなかった。

 

―――完全に、負けパターンだ。

 

誰がどう見ても冷泉の戦術は破綻しており、愚かであり稚拙であった。そもそも勝敗は、始まる前に決していたのかもしれない。冷泉は、負けるべきして負ける。その言葉が相応しい。

どうしてこうなったのか……。

冷泉は、何らかの理由で思考の停滞があり、考えているようで何も考えておらず、決断したようで実は何もできていなかったのだ。何が原因なのかは分かっていたがそこに拘泥し、全てが後手に回ってしまったのだ。

 

済んだことを今更悔やんでも何も改善されない。とにかく、せめて犠牲を最小限にする方法を考えるしかない。けれど、それすら難しい状況に追いやられてしまっていた。

 

無駄とは分かっていながらも、戦況を分析する。

 

敵味方の艦隊配列について、領域の最奥には不知火がいる。彼女は状況の激変に動揺しているのか、ほとんど停船した状況だ。反転し攻勢に出る様子は無い。

 

冷泉の艦隊は、一定範囲をあえて戦闘領域と仮定したとして、その真ん中に加賀が位置している。彼女の損傷は予想以上に大きく、その速力は大幅に衰えている。

加賀から少し離れて金剛、榛名、高雄、速吸が追走する形になっている。金剛も損傷がかなり酷い。

 

扶桑達艦隊については、現状、加賀達から艦砲の射程外の距離がある。領域の境界付近に戦艦扶桑がいてゆっくりと前進中。領域の縁をなぞるようにして近づいてきたのか、軽空母2隻が移動しながら、扶桑に合流しようとしている。軽巡洋艦北上大井は、冷泉艦隊を左右で牽制しつつ、大きく迂回しながら本隊へと合流しようとしているようにみえる。ただし、隙があれば雷撃戦に移行できるような体勢を保持している。そして、潜水艦伊8は、存在が確認できない状況のままだ。海面下で隙あらば雷撃を狙っているのかも知れない。

 

軽空母から発艦した艦載機も一気に襲いかかる様子もなく、まるで獲物をなぶり殺しにするのを楽しんでいるかのように悠然と飛行している。いつでも沈められるぞ……そんな余裕なのか? いいや、違うな。行動の意図するところは一つだろう。

 

冷泉の艦隊を領域の更に奥へと追い込もうとしているのだ

 

冷泉達は、損傷している艦が多い。この状況で正面決戦を挑む事はリスクがあまりに大きく、仮にそれを行うとするなら、全滅覚悟の最終手段だと考えている事も読まれている。よって、追われれば逃げるしかなく、追い立てられるしかないのだ。しかし逃げてばかりでは巧くいくはずもない。領域の奥へ奥へと追い込まれれば、当然ながら深海棲艦との接触の危険性が増大するのだ。扶桑達はそれを見越して行動している。自分たちの損傷のリスクを最低限に抑え、最大効率の成果を上げようとしている。深海棲艦隊を呼び込んで、冷泉達を始末させようとしているのだ。しかし、それが分かっていながらも、やはり、逃げるしかできないのだ。

 

「くそ……。このままでは全滅だ。せっかく、みんなを逃がす可能性すら潰えてしまうというのか」

弱気な言葉が思わず口から出てしまう。

 

「提督……」

そんな冷泉を見てか、加賀が話しかけてくる。

「損害の無い速吸へ乗船する考えはありませんか? そうすれば、私達が盾になり、速吸だけなら、私達で逃げる時間を稼いでみせます」

 

「ば、馬鹿な。何を馬鹿なことを言うんだ。駄目だ駄目だ。そんなことは絶対に認めない。今更、そんな馬鹿な事を言わないでくれ。みんなを犠牲にして、俺だけが生き残る事になってしまうじゃないか」

 

「このままでは、艦隊は全滅するしかありません。先ほどは、提督と私の犠牲で他の子達が助かるというのならとやむを得ず同意しただけです。けれど状況は変わりました。全滅必至というのなら、せめて提督だけでも生き延びてほしいと思うのは当たり前でしょう。たとえ私達艦娘全てが沈んだとしても、それで構わないです。私達が必ず敵を引き留めます。だから、あなただけは生き残ってください。……あなたさえ生きて生き延びて鎮守府に帰ることができたのなら、私達は報われるのだから」

 

「そんなの認められるわけないだろう! そんなの」

思わず怒鳴ってしまうが、みんなを救う手立ても無い事は冷泉も十分理解している。八方ふさがり……。

 

「時間はありません。今すぐ決断してください。提督、私達の死を無駄にしないでください。あなたさえ生きのびることができたなら、私達は本望なのですから」

 

「……俺は、お前を死なせたくなんて無いんだよ。他の艦娘も……」

 

「提督をお守りできずに全滅したら、私達は何の為に戦ったのか分からなくなります。このままでは、私達は無駄死になってしまいます」

 

「駄目だ駄目だ。そんなの嫌だ」

それがただの我が儘でしかないことは冷泉も十分に分かっている。けれども、認めることができないのだ。

 

「ならば、この状況を打開する策を示して下さい。私を納得させて下さい。できますか? もし、それができるのなら、私も提督の仰ることに従います」

そう言って彼女はじっと冷泉を見つめる。彼女は冷泉が答えを見いだすことができないことを知っていて問うたのだ。

冷泉は、悔しそうに見返すしかできなかった。

「ふふ、結論は出ていますね。この最悪の状況下で司令官として何を優先すべきか、そして指揮下の艦娘が何を為すすべきか……もう言うまでもありませんね。提督、今すぐご決断をお願いします。扶桑達は、距離を詰めてきています。私達に残された時間は、もうありません」

冷静な口調で訴えかけてくる艦娘に、冷泉は言葉を飲み込んでしまう。論理的な反論ができないのだった。

 

「……嫌だ」

何とか言葉に出来たのがそれだった。

 

「は? 」

 

「そんなの嫌だ。嫌なんだよ。お前達を死なせて、俺だけ生き残るなんて嫌だ。いや、お前達が死ぬなんて絶対に嫌だ。お前達が死ぬっていうんなら、俺だって一緒だ。お前達だけを逝かせるなんて嫌だし、とにかく認めない。絶対に認めないぞ」

まるで駄々っ子のように冷泉は叫んだ。

「力ずくで降ろそうとしても駄目だ。これは、命令なんだからな」

 

「提督……」

大きな溜息をつき、呆れたような表情で加賀が冷泉を見つめる。

「子供みたいな事を言わないで下さい。自分の立場をわきまえて発言をしてください。もう時間が無いのです。このままでは、艦隊は全滅。そして提督も領域の海底深くに沈むことになってしまいます。そんなこと、あなたの部下として……そして、……いえ、それはどうでもいいことですね。とにかくそれだけは、認められません。なんとしてでも提督には生き残ってもらいます」

 

「嫌だ嫌だ。お前達を残して行けるわけがない。……行きたくない。ここで俺だけ生き残ったところで、俺はお前達を死なせたことをずっと後悔し続ける。それに、仮に生き残ったところで、今回の件の責任を問われ、俺は舞鶴司令官の任を解かれるだろう。お前達の仇を討つこともできず、自分の無能さを嘆き、その為にお前達を死なせてしまったことを後悔し続けるんだ。そんな未来に何の意味があるんだ? ……それだけじゃない。俺は耐えられないんだよ……。お前達のいない毎日なんて、空しくて寂しいだけだ。毎日毎日、いるはずもないお前達の姿を探し続け、現実を思い知らされ、そして後悔し、すべてを諦め絶望して暗くて寂しい夜を迎えるんだ。それを毎日毎日繰り返す……永遠にだ。……そんな事を続けるなんて耐えられない。いや、そもそも耐えたくない。だから、俺を一人にしないでくれ」

情けないのは分かっているが、冷泉はそれを口にしないわけにはいかなかった。情けないと思われようとそんなこと些細な事だ。かけがえのないものを犠牲にしてまで生き残って、そこに何の意味があるというのか?

 

「……」

加賀は苦しそうな表情を浮かべ、黙ったまま冷泉を見つめている。

 

「俺は艦を降りない。生きるときも、そして死ぬときも、嬉しいときも悲しいときも……俺はお前達と一緒なんだ」

静かに、冷泉は告げた。

 

答えを出すことができない問答。それを二人は繰り返す。互いに説得しようと言葉を紡ぐが、それはお互いの心に響くことはない。お互いがお互いの事を想う気持ちが結論を遅らせてしまうのだ。

 

冷泉と加賀がそんなやりとりをしている最中に、異変が起こる。

唐突に扶桑達の艦隊の陣形の中で、唐突に爆発が発生した。それも一度ではない、何度も何度もだ。

 

「な、何事だ? 」

冷泉は状況を確認しようとする。恐らく、あの爆発のようなものはなんらかの攻撃と思われる。実際、視界に捕らえた扶桑達は、突然の爆発に慌てふためいているように見える。

 

「右方向から扶桑達に高速接近する物体があります。それが彼女達に砲撃を加えているみたいです。一直線に扶桑達の方へと移動しています」

 

「深海棲艦か? 」

冷泉は可能性を口にする。こんな領域内に単独で侵入してくる艦などありえない。となると、深海棲艦の斥候艦と考えるのが当然だろう。

 

「いえ、違います。……艦影確認。あれは川内型巡洋艦です」

 

「え? なんで艦娘がこんな場所にいるんだ? そもそもどこの鎮守府の……」

考えるまでも無かった。ここは、舞鶴鎮守府の管轄海域だ。そして、舞鶴鎮守府所属で単身で領域につっこんでくるような、そんな無茶をする川内型の艦娘は一人しか知らない。

「まさか神通なのか? 」

驚きと怒りで、頭の中は無茶苦茶だった。。こんな短時間で改装を終えて、かつ東京から移動し、更には深海棲艦がいるはずの領域に単身で突入するなんて、無茶苦茶すぎる、何を考えているんだ! しかも、こんな危機的状況の中にやって来るなんて。せっかく改二となったのに、こんなところで無駄死にをするつもりなのか、と。

 

「て、提督……大変よ」

 

「何だ? 」

 

「神通の後方には……」

言葉を飲み込む加賀。

 

「一体どうしたっていうんだ? 」

 

「彼女を追うように……深海棲艦の艦隊がいます! 」

 

「は? 」

驚きの上に更に驚きが重なる。

確かに、全速力で駆けている神通の後方には、彼女を追うように深海棲艦の艦隊がついてきている。まるで何かに怒り狂ったように、その艦隊編成は無秩序に乱れていているし、射程など無視して砲撃を行っている。

 

「まるで神通が、深海棲艦をわざと連れてきているみたい」

と加賀が呟く。

確かに、神通はほぼ最大戦速で航行しながらも、決して深海棲艦を引き離す事なく一定の距離を保っている。そして、冷泉達の艦隊に興味を示しそうになると、すぐさま砲撃を加えて注意を引きつける動きを見せている。

敵の編成は巡洋艦と駆逐艦とはいえ、神通一人で対応するは、あまりに危険な数と状況である。少しでも気を抜くとすぐに追いつかれ集中砲火を浴びてしまうはずなのだ。それを絶妙の距離とタイミングで引きつけているのだ。追いつかれず引き離さず……。

 

「加賀、神通に通信を繋げられるか? 」

 

「今やっていますが、彼女からは反応ありません。最も、あの状況ではそんな余裕もないでしょうけれど」

確かに、扶桑達に砲撃を加えつつ深海棲艦を引きつけておく作業を同時進行で進めなければならない。気を抜けばどちらかの砲撃を受けてしまうのだから。当然、ずっと深海棲艦を誘導してきたのだから、彼女も無事では済んでいない。各所に被弾を受けており、損傷の痕跡が痛々しい。

 

敵のヘイトを一身に集めて、何をするつもりなのだ?

 

扶桑達も神通だけの突撃ならば、その火力と防御力で力押しで潰すこともできるだろうが、その背後から深海棲艦が来ている事を認識し、動きが乱れている。背後の深海棲艦の存在をどうしても意識してしまうのだろう。神通へと砲撃を行うが、見当違いの場所に着弾しつづけるのだ。

回避運動を行いつつ、神通は速度を緩めることなく突き進む。扶桑達の砲撃により、深海棲艦もより高い脅威として扶桑達を認識したようだ。神通よりもより巨大な艦である扶桑への砲撃を始めだした。

 

扶桑達の慌てぶりが手に取るように分かる。冷泉達の上空を旋回していた攻撃機達が自らの母艦を護る為に引き返し始めたのだ。様子をうかがうようにしていた北上と大井も、たまらず扶桑達のもとへと艦首を向ける。海底にいる伊8も移動を始めているのだろう。

ただ一人、不知火だけは停船したままだ。

 

そして、神通は扶桑達の艦隊のまっただ中に突入し、そのまま突き抜けていく。扶桑は攻撃しようにも、その背後には、すでに六隻の深海棲艦隊がすぐ側まで迫っており、そちらへの攻撃を優先せざるをえない。軽空母の二人は何もすることができないまま通り過ぎていく神通を見送るだけだ。

 

チャンスだ! この好機を生かさなければ、次のチャンスは無い。

冷泉はすぐさま行動に移す。

 

「全艦隊に指令。取り舵いっぱい。全速力でここから離脱する。そして、一気に領域を抜けるぞ、急げ」

冷泉の指示を加賀はすぐさま全艦に伝達する。

 

浸水により、動力部分にも損傷を受けている加賀の動きは鈍い。すぐには速度も上げることはできない状況ではあるが、冷泉達を追う立場である扶桑達は深海棲艦との真っ正面からの戦闘に突入していて、そんな余裕はなさそうだ。折角の冷泉討伐のチャンスを生かすどころでは無いようだ。

 

航空戦力を持つ扶桑達のほうが有利ではあるものの、混戦状態になっているためにすぐには追跡に移ることはできないだろう。砲雷撃戦が展開されているのが、後方で発生する音と光で認識できる。

 

損傷の大きく速度の出せない加賀と金剛を守るように榛名と高雄そして速吸が位置取りをし、ゆっくりと移動していく。そして、大きく迂回をしながら、神通が合流し、加賀の右側を併走する。

砲塔や艦橋が被弾し、黒煙を上げてはいるものの、致命的な損傷までは受けていないようだ。無線が壊れてしまっているのか通信は不可ではあるけれど、艦橋から神通の元気そうな姿が見えて、ホッとした。

 

本来なら改二となった晴れ姿を冷泉に見せたかったはずだろうに、お披露目するまえにボロボロになってしまっている。

冷泉達を護る為に、とんでもない無茶をした彼女には感謝しても感謝しきれない思いでいっぱいだった。無事帰ることができたら、彼女にはいっぱいお礼を言わないといけない。返しきれないほどの恩を受けてしまった。何か少しでもお返しをすることができればいいのだけれど……。

 

そんな事を考えながらも、まずは領域を離脱しなければならないと気を引き締める。

陣形を整えつつ、冷泉の艦隊は領域の外へと抜けて行くのだった。

 

多大な損害を受け、何も得ることはなかった。舞鶴を離脱した艦娘達を連れ戻すこともできなかったけれど、それでも誰一人犠牲を出すことなく戦いを切り抜けられた事だけは良かったと言えるのではないだろうか。

領域の雲を抜けながら、冷泉は自分を納得させるかのように考えた。



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第167話 領域外海域決戦

領域からの脱出を成功したならば、とにかく境界からできるだけ離れるよう指示をしてある。その指揮に従い、冷泉麾下の艦隊は最高速度を保ちつつ移動していく。そして、一定距離をとったと判断すると停船する。

 

敵艦隊の追撃に備え、動力切りかえを行うのだ。領域内部においては電子機器のほとんどが機能しなくなるが、通常海域に出たならばその制約は無くなる。そうなれば人類の英知を遙かに越えた艦娘の力を使用する方が圧倒的に有利。追撃してくるであろう敵が出現するまえに切替を完了すれば、圧倒的火力と防御力により、敵を殲滅することが可能なのだ。

 

切替には艦種・船体の大きさによって、時間が異なる。戦艦クラスならば、状況によっては十数分の時間が必要になることもある。その時間が致命傷となる事もあるが、今はそのリスクを勘案してもそちらが有利なのだ。

冷泉の乗艦する加賀も速やかに切り替えて、戦闘態勢を取るつもりだった。

 

しかし―――。

加賀は、先行する艦娘達から遅れ、一人だけ取り残される形となっていた。何らかの理由で、動力が停止してしまったのだ。

 

少し前から異変はあったが、なんとかなると思っていた。しかし、巧くはいかないものだ。

加賀が領域を出た途端……実際には領域を撤退する最中に動力が停止してしまい、それでも惰性だけでなんとか領域外に出る事ができたのだった。

 

トラブル発生については運が悪かったわけではあるが、それでも最悪の状況にならなかったのだから、幸運だったと言ったほうがいいのだろうか?

 

そうは言っても、領域と通常海域の狭間の雲が立ち上がるすぐ側で停船してまっているのだ。

これは、とても危険な状態であることは間違いない。他の艦娘に曳航してもらうという判断もあったのだが、領域からはみんな逃げることに必死で他艦に構っている余裕などなかった。このため、領域での移動においても、知らず知らずのうちにじわじわと距離が開いていっていたのだ。当然、領域の外に加賀が出た頃には、他の艦との距離は随分と開いていたのだ。故に、領域外に出るのも他の艦よりもずいぶんと遅くなってしまった。

安全距離を取ったならすぐにでも動力切替を行い敵を迎え撃つ準備をしなければならず、全艦が領域から出てくるのを確認する余裕など無かった。みんなが仲間を信じて行動するしかなかったのだ。きっとみんな無事であると!

 

故に加賀が停船した時には、すでに他の艦は距離を取っていたうえ、動力切替の為に完全に機能停止していたのだった。

 

「ごめんなさい、提督。なんとかするから、少しだけ待って下さい」

加賀は、この状況をなんとかしようと必死だ。珍しく慌てた表情で作業を行っている。

 

「駄目だわ。再起動に失敗。反重力リアクターへの切替ができません」

動力切りかえを行おうとするが、あらゆる操作を受け付けない状況であり、すぐにそれが無駄であることが判明した。更にはその切替操作に伴うトラブルのためか、あらゆる機能が停止ししてしまったのだ。

艦のあちこちでは火災も発生している。消火作業すらできない状態である。そんな状況下、加賀はあちこちを走り回り、なんとか予備電源を使用して無線だけは使用可能となった。

 

冷泉はこんな時に何も手伝えない自分を恥ずかしく思うが、どうしようもない。仮に何かできたとしても、艦の操作は人の手を必要としないのだけれど。

 

せめて、状況確認でもするしかない。

 

今の加賀は全精力を動力の復旧に割いているため、情報収集などとうてい出来ない状態なのだから。他の艦娘は動力を一時切断しているため、彼女達と連絡を取ることができない。冷泉は双眼鏡で周囲を見渡して確認するしかない。意識を集中し、艦娘へと意識をリンクさせて情報を得ようとする。久しぶりに使う感覚のため、頭の奥の奥がチリチリと焼けるような感覚。しかし、それを越えれば思ったより問題はない。

 

金剛は、戦闘による損傷を受けているものの、その被害は思ったより少ないようだ。動力切替後、自力での航行は速力が大幅に低下しているものの可能な状態と判断できる。

 

領域での絶体絶命状況からみんなを救う活躍をした神通に意識を向ける。

彼女は、深刻だ。深海棲艦による攻撃で受けた損傷が酷く、動けない状態。本人もオーバーロードにより、意識を消失しているようだ。確かに、明らかに限界を遙かに超えての航行だったのだからやむを得ないだろう。改二改装したからといって、そんなのは焼け石に水でしかない。限界領域ででずっと走り通し、それどころか領域を単身で突破し、深海棲艦を引き連れるという無茶苦茶な行動をしたのだ。その過酷さは半端ではなかったはず。むしろ動けというほうが無茶だろう。

 

他の艦娘については、幸いなことに損傷はほとんど無いようだ。彼女達は、現在、動力切替作業を行っている。

加賀が停船していることを認識しているが、今更切替作業を止めることはできない。仮にそれを実行しようとするのなら、同様の時間が必要となるからだ。同じ時間をかけるのであれば、旧式の動力旧式の兵器を使うなどありえない。

 

とにかく、今は加賀の事は置いておいて、動力切りかえのできる艦から順次切りかえを行うしかない。さもなくば、また敵が現れた場合に、シールドを展開できない状態ではあっというまに沈められてしまうからだ。もっとも、深海棲艦であろうと扶桑達の艦隊であろうと領域から出てきたら同じように動力切りかえを行わなければならないわけで、その隙に逃げるなり攻撃するなりの手段を選ぶことができるから、先に動いているこちらのほうが有利なのは間違い無いのだ。

 

動力の切りかえが終わったら、完了した艦に曳航でもしてもらい、舞鶴に帰るしかないと冷泉は判断する。慌てふためいたところでどうにもならない。指揮官が動揺などしていたら、部下が混乱してしまう。ここはドンと構えていなければならないのだ。

 

後はメガフロート基地からの増援を警戒すべき……と思ったが、そんな気配は全く感じられなかった。それどころか、最初に訪れた時には光学迷彩により隠蔽されていた基地本来の状況が現れていた。動力を停止させていったのだろうか。それまでなかった港が目視でき、そこには一隻の艦船も存在していなかった。これも偽装かと疑ったが、動力切替中の敵艦を放置するような策を取るような者など存在するはずもない。

 

このことから、敵は、すでに立ち去ったと判断できる。……巧いことやったものだ。冷泉達は、領域にいるために彼らの動きを探知することもできない。ゆえに、彼らの足取りを追う手段は完全に無くなったのだ。

その推測から、深海棲艦と交戦中の扶桑達も敵を撃退したならば、速やかに撤退するであろうと判断できる。なぜなら、冷泉達と交戦を行うのであれば撃滅できればいいが、殲滅し損なえばその後の行動を追跡され、本隊の隠れ家を突き止められるという重大なリスクを負う訳なのだから。そこまでのリスクを負ってまでして、冷泉達を撃ちに来るのだろうか? 否、その可能性は低いと思慮する。

 

舞鶴艦隊を叩いておく必要性はあるだろうけれど、敵の指揮官である永末が、今後何を目指しているかにもよるものの、まだまだ彼らの持つ戦力の全貌を露わにはしたくないだろうし、本拠地を知られることは絶対に避けると判断できるからだ。

彼もしくは彼らの敵は、まだまだ多い。彼らの戦力の全貌を隠匿し、ゲリラ的に行動できる方が圧倒的に有利なのだ。そして、仮に本拠を知られたなら、裏切り者であり日本国にとっての脅威である彼らを潰そうと、一気に戦力を集中されて殲滅されるだろうからだ。

 

全貌は分からないまでも、まだまだ、彼らの戦力は。味方を含めて少ないと判断される。日本国と交渉するにも、逆に戦うにしても、力押しだけではいかないはずなのだから。カードは多いほど様々な手段を選択できるのだ。

ここで冷泉達を討ったところで、それに見合うような成果は得られない。むしろリスクのほうが多いはずだろう。

そう判断したからこそ、冷泉はあまり慌てることなく冷静に状況確認をしていたのだ。

 

―――けれど、そう簡単に物事は進まなかった。

「毎度毎度の事ながら、どうして思うようにいかせてくれないんだ! 」

と、思わず叫んでしまう。歯がゆさしか感じない。

 

領域の分厚い雲を突き破って、新たに軍艦が飛び出してきたのだ。

現れた艦は、大井と北上だった。位置は加賀から西に離れること1キロ程度か? 双眼鏡で確認した範囲でしかないが、彼女達に損傷はほとんどない状態に見える。

 

「深海棲艦との交戦が、そんなに簡単に終了させることができるのか? 」

しかし、他の艦が現れないということはまだ交戦中なのかもしれない。冷泉達を牽制するために先に派遣されたのか、それとも敵の急襲のためにちりぢりになったのか。位置関係からして領域からの最短距離での脱出先が彼女達の出現した場所であることから、先発して彼女達が出てきたのかもしれない。たしかに、領域の境界には大井北上が近かったのは間違いないし、深海棲艦と真っ正面からぶつかったのは扶桑だったはずだ。

 

彼女達は冷泉達の砲撃の射程距離および移動を考慮した距離を取りつつ、動力を切り替えるためか停船する。

 

すでに時間勝負となっている。先にシステム再起動からの動力切りかえを完了した方が有利だ。

 

幸い、先に動いていた強みがこちらにある。こちらは間もなく動力切替を完了するだろう。

まずは高雄が再起動し、続けて榛名が再起動を完了する。彼女達との交信が可能となったことを確認すると、すぐさま冷泉は指示を出す。彼女達には大井と高雄を牽制させるべく、ゆっくりと移動を開始させる。攻撃をさせるべきなんだろうけれど、できることなら彼女達を戦わせたくないという思いがその命令を出させなかった。

 

加賀の状況を把握した二人は心配そうにするが、冷泉は心配するなと安心させる。

 

相変わらず、加賀は動力遮断に伴う影響で、動くこともできない。

動力が停止しているため、防御シールドを展開することはできない。つまり、現在、無防備状態である。船体もでかいし良い的だ。攻撃を受けたらひとたまりもないだろう。

 

金剛と速吸は引き続き切りかえ作業中であり、完了次第後退し、神通を守りつつ距離を置いて待機することとする。

 

領域の中から、他の艦が飛び出してくる可能性もあるため、大井達の現れた場所およびそれ以外の場所もを警戒する状況となっている。

 

そして、予想どおりではあるが、領域を抜けて軽空母二隻が現れた。それらは、大井北上の後方、冷泉の艦隊から更に離れた海域場所に出現した。

恐らく敵の艦隊は迂回しつつ、通常海域に出てきたと考えられる。となると、まもなく扶桑も登場するのだろう。

 

その予想通りに、少し時間をおいて、軽空母と軽巡洋艦の丁度間くらいの場所に伊8が浮上する。そして、冷泉達に一番距離の近い場所に不知火が現れる。

……扶桑だけが現れない。ということはもしかすると沈没したのだろうか。……敵に回ったとはいえ、嫌な予感がして慌てて否定しようとする。

 

「馬鹿なことを……」

思わず呟いてしまう。戦艦である扶桑が深海棲艦に沈められていたほうが戦闘には有利というのに、何故彼女達の無事を祈ってしまうのか。気持ちを切り替えられないようでは、逆にこちらが死ぬことになるぞ! そう自分に必死に言い聞かせようとする。判断を誤れば、部下達の命に関わるのだ。せっかく神通が切り開いてくれた未来なのだ。絶対にみんなを無事に帰還させるのだ。

 

まもなく金剛達も再起動を完了させるだろう。そうなると、今回の海域での最決戦となるだろうな。できれば避けたいものなのだが……。

 

そんなことを考えているうちに金剛達も動力切替を完了した。加賀と神通以外の艦娘は前方の艦隊に意識を集中させている。叩くなら今だ。

敵の中にも動きがある。どうやら大井と北上の再起動が完了したようだ。しかし、彼女達は攻撃の素振りを見せていない。どこか疲弊したような感じのする彼女達は、ゆっくりと後退を始める。

 

このまま彼女達を行かせるわけにはいかない。しかし動かせる艦は少ない。冷泉の乗艦する加賀は動くことすらできず、金剛は戦闘に耐えられない。神通も未だ気を失ったままだ。速吸も通常海域での戦闘はあまり考慮されている艦ではない。

 

「榛名、高雄、頼む。あいつらをこのまま行かせるわけにはいかない。なんとか確保して、目を覚まさせてやりたいんだ。無理は承知の上だけれど、頼む」

冷泉は、自分の想いを彼女達に伝える。

榛名も高雄も同じ気持ちなのだろう。同意以外の言葉を返すことなく進み始める。

今、敵で動ける艦は大井と北上のみ。戦艦と重巡洋艦で挑めば、止めることは可能だ。

 

しかし、またしても予想外の事態が発生する。

「何だと! 」

冷泉は声を上げてしまう。

 

なんと、不知火がこちらに向かってくるのだ。深海棲艦との戦いで被弾し、損傷著しいものの

たった一隻で挑んでくる。煙突からは黒煙を濛々と上げながら加速してくる。何を考えているのか彼女はシステム再起動・動力切替を行っていなかったのだ。旧式の動力と装備で艦娘と戦闘をしようと考えているのか? そんな無謀な事をするなどありえない!

 

どうやら彼女は、足止め要因として派遣されるようだ。

 

「提督、どうしますか? 」

高雄が指示を仰いでくる。

 

冷泉は不知火へと通信回線を繋ぐように加賀に指示する。

「不知火、何を考えているんだ? お前が邪魔をするなら、俺はみんなを守るために、攻撃を命令せざるをえない。俺はそんなことをしたくない。……今すぐ武装放棄し投降しろ」

榛名と高雄が呼応するように、不知火へと接近を始める。

 

すぐさま不知火が応えてくる。

「それ以上近づかないで。私には大量の爆薬が積み込まれています。そして、それは時限装置がセットされていてある時間になれば爆破するようになっています。それだけじゃない。他にもどんな仕掛けがされているか分からない。だから、これ以上近づかないで」

彼女のその声は、薬物に精神を汚染された彼女ではなく、実に凛々しい声だった。

 

「提督、不知火の艦橋付近には大量の爆発物反応があります。艦内にも武器とは無関係な大量の爆薬が積み込まれているようです」

高雄が状況分析を伝えてきた。爆弾反応は、高雄から言われなくても能力で感知していた。

「それだけではありません。彼女は拘束された状態で艦橋にいます……。酷い、不知火は鎖でぐるぐる巻きにされいるわ! 」

動力切替完了後の榛名と高雄は、搭載されている多機能探索システムを機動し、駆逐艦不知火の艦橋内部の様子も確認していたのだ。

「早くなんとかしないと。彼女の身体状況は非常に不安定です。薬物による侵蝕が広がっています。今はなんとか正気を保っていますが、いつ破綻するかわかりません。意識を維持するだけで限界です」

 

「くっ……なんてことをしやがるんだ。今すぐ解き放ってやるからな。誰か俺を不知火のところまで連れていってくれ」

と叫ぶ冷泉。

 

「……それは、無理です。私を縛る鎖は、恐ろしく硬度が高い金属でできている上に、溶接されているようでどうにもなりませんから。それに、鎖を無理矢理解除しようとしたら、恐らく爆発するように細工がされているようです。そもそも艦内に侵入しただけで、起爆装置が起動すると思います」

と不知火が告げてくる。高雄が探査結果を伝えてくる。それも同じ結論だ。専門の部隊による専門の機材を使った救出作業を行わないと無理との結論だ。

 

「と、とにかく、降伏しろ。そして、俺の元に返ってこい。鎮守府に戻れば、何とかできるだろう。何とかしてみせる」

 

「無駄です、提督。私には、絶対命令が刻み込まれています。その命に逆らうことはできません。それだけではありません。今の私に降伏するなんて選択、できるはずないでしょう。仮に私が戻ったところで、未来などありません。最早、元に戻ることなど叶わぬ事なのです。そして、提督に残された道は、私と戦うしかありません」

淡々とした口調でいつもどおりの言葉遣いで不知火が返答する。しかし、冷泉には分かる。彼女の言葉は彼女の本音では無いことを。

 

「……嫌だね」

とだけ答える。

 

「愚かな事を言わないで下さい。私には、大量の爆弾が積み込まれています。あなたたちを巻き添えにして殺すために。ですから、どちらにしても私は死ぬしかない運命。なのでこのままでいいのです」

 

「諦めるな。何とかなるはずだ。俺たちを信じろ」

 

「いいえ、どうやったところで、もう私は舞鶴に戻ることはできない。ならばいっそ死んでしまえばいいのです。艦娘は自らの命を絶つことはできません。けれど、自分では死ぬ事ができなくても、これで死ぬ事が可能なのですから。……やっと解放されるのです。そもそも、提督がどんなに私を説得しようとも、私なんかがそっちに行く事なんて、絶対にできないんです。できるはずないんです」

不知火は訴える。感情を必死に制御しようと試みるが、いつしか耐えきれなくなったのか、ついにはその声は震え、涙声になってしまう。人前で絶対に弱気な所などみせない彼女がここまで憔悴し弱さをみせるとは……。

「悔しいです……。こんな状況になってしまったことを、そして提督に迷惑をおかけしてしまったことを。どうにも出来ない自分の無力さが悔しいです」

 

「今からでも遅くはない。不知火、帰ってくるんだ」

 

「……できません」

 

「我が儘言うな。俺は力尽くでもお前を連れて帰るぞ。他の艦娘もみんなそうだ」

 

「お願いです。このまま死なせてください。……生きていても望む未来には決してたどり着くことができないのですから。私は、生きていても仕方が無いんです。お願いですから、死なせてください」

 

「お前は、俺の元に返ってこなくちゃいけない。……これは、命令だ。俺はお前の指令官だ。いつもお前は言っていただろう? 上官の命令は絶対だ。たとえそれが誤った命令であろうとも、それに従わなければならないって。だから、命令にお前は従わなければならないんだ。……お前がどんな罪を背負い、そのために俺がどんな目に遭うかを気にしてるだって? そんなの俺は別に構わない。お前がいない世界なんて、存在する意味など無い。お前を失うなんていう、そんな最悪の結末を迎えるくらいなら、俺は世界の全てを、否定する」

 

「私なんて連れて帰ったら、提督の立場がますます悪くなります。私なんかの為に提督が辛い目に遭うなんて耐えられません。迷惑をかけるなんて嫌です」

 

「俺は、お前の上司なんだぞ。部下が上司に迷惑をかけるのは、当たり前の事だ。全部おれが引き受けてやる。部下の尻ぬぐいをするのも給料の内だ。だから、お前は何も気にすることはない。それに、そもそも、お前には何の落ち度もないんだから。俺が、俺たちが全力でお前を守ってやる。だから安心して戻って来るんだ、帰ってこい」

 

「て、提督……」

声を震わせる不知火。

他の艦娘も彼女に声をかける。

 

しかし―――。

 

突然、領域の雲を突き破って艦影が現れる。

 

それも加賀のすぐ至近!

それは、あちこちに被弾し黒煙を巻き上げながらも、猛然と突撃をして来る。

 

場所は加賀のすぐ側……。

まるで狙ったような行動だ。いや、明確に加賀を狙っていたとしか考えられない!

 

 

現れた艦は、……扶桑だった。

 

 

 



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第168話 死にゆく者への手向け

【注意事項】


事前に注意をお願いします。

今回の話で、艦娘についに犠牲者が出てしまいます。
そういった話が苦手な方は、ご注意下さい。



 

現れた戦艦は、なんの躊躇も無く、一直線に冷泉の搭乗する空母加賀に向かって突っ込んできた。

動力が停止したままの船体では、なすすべもない。

迫り来る巨大な船を見ているだけしかできない。

 

そして、轟音ととも加賀のp体左舷中央部に扶桑の船首が激突した。衝突すると覚悟していても、巨大船同士の衝突の衝撃は凄まじいものだった。船体は大きく歪んだのでは無いかと思われる程に異音を立てた。その衝撃で艦橋の窓が砕け散る。

必死に身構えていたはずの冷泉であったけれど、あっけなく吹き飛ばされて壁に全身打ち付けてしまう。激痛に思わず悲鳴を上げ、意識を持って行かれそうになる。

薄れそうになる意識の中で、慌てて駆け寄ってくる加賀を視界に捕らえる。

「提督、しっかりして! 」

余裕のない表情で心配そうに秘書艦が叫んでくる。大丈夫と答えたいが、うまく声にならない。

 

頭部を強く打ったため、視界が歪みぼやける。しかし、そんなぼんやりとした視野でも艦橋から見える巨大な戦艦の姿が確認できた。

額にやけに生暖かいものを感じて手で拭うと、真っ赤な血がべっとりと付着している。それを見て、再び目眩を感じてしまった。

 

それでも、時間だけは無情に流れていく。

 

目の前の戦艦扶桑の砲塔がゆっくりと動き始めたのだ。扶桑の第一および第二主砲が加賀の艦橋を狙っている!

 

時間の流れが急激に遅くなったように感じる。時間はいつも通り動いていて、ほんの僅かな時間であるはずなのに、色々な思考が沸いては消えていく。

 

明確になった扶桑の目的は、ただ一つだ。

それは、冷泉の命を取りに来ているということ。最後の最後に出てきたのは、領域内の敵深海棲艦を最後まで引きつけて、味方を逃がそうとしていたのだろう。それについては旗艦として立派だと本気で感心してしまう。

しかし、それもあっただろうけれど、本当の目的は、冷泉達の不意を突くためなのだろう。

 

恐らくは、加賀の位置を何らかの方法で大井北上が扶桑に伝えて誘導したのだろう。まずは通常海域に大井達が現れることで冷泉達を牽制し本当の目的から目を逸らさせ、更には行動を限定させたのだ。

 

こんな至近距離での砲撃を受けたら、さすがに無事では済まないだろう。防御障壁を展開できない現状、通常砲弾であろうとも戦艦の艦砲射撃だ。空母などひとたまりもないだろう。しかし、回避をしたくても空母加賀は動くことができない。ただ、訪れるであろう望まない未来を受け入れるしかない。

 

必死の形相で前方を見つめ、冷泉を庇うように抱きしめる。

「……この人だけは守ってみせる」

誓うように彼女は言った。

 

 

 

 

現在の各艦娘の位置関係図は以下のとおりである。

 

 

---------------------------------------------領域-------------------------------------

祥鳳千歳                             扶桑 

                                  ↓

          不知火→                   加賀(航行不能)

 

 

大井、北上              榛名      

 

伊8

 

 

                        金剛(動力切替中)               

                      高雄       

                          速吸(動力切替中)     

 

                                  神通(航行不能)

 

 

 

-------------------------------------------------------------------------------------

 

 

扶桑は思わず立ち上がる。目前の勝利に体が震えるのを感じていた。

「冷泉提督……私のために、ここで死んでください」

と呟く。

 

今でも書類上は、冷泉提督は扶桑の上司であることに変わりはない。いろいろあったけれども、彼にはいくつもの恩を受けている。彼はいつでも優しく、温かく、愚かではあったけれども艦娘に対しては常に真摯で誠実だった。少しだけエッチではあったけれども、殿方であればそれくらいの事は誰しも持っている。それを非難するほど扶桑は初心ではない。全てをひっくるめて、信頼でき尊敬できる人だったと思う。実際に多くの艦娘が彼を信頼し、それどころか好意さえ持っていたことも知っている。

 

もしも、出会う時、出会う場所、出会う立場が今と異なっていたなら、きっと扶桑も彼のことを信じて認められたに違い無いだろう。

それは、確信。

けれど運命とは非情なもの。わかり合えるはずの人とこんなに敵対することになるなんて……。実に悲しいことです。あまりに嘆かわしい事だ。

 

―――けれど仕方がないのです。

 

私には冷泉提督よりも大切な人がいて、私はその人のお役に立ちたいのです。そして、守りたい仲間もたくさんいるのです。そのためには、たとえかつての仲間を犠牲にしてでも、やり遂げなければならないのです。そうしなければ、これまで自分がしたことがすべて無駄になってしまうのだから。これまでの自分をすべて否定しなければならないのだから。

 

「緒沢提督は、こんな私でも愛してくださる。けれど、私は許されざる罪を犯してしまったのです。提督に対する許されない背徳……。提督の信頼に泥を塗るような事を、たとえ寂しさにつけ込まれ、薬物を使われたとはいっても、薬に溺れ肉欲に溺れ、それを愛だと思い込んでしまっていた。……提督から与えられていた本当の愛を裏切ってしてしまったのです。本当なら、私は許されない存在。けれど慈悲深い提督は、私にチャンスをくださった。罪を償うために、贖罪を求めるというのなら、提督の最大の敵である冷泉提督の命を捧げよ……と。提督は私にチャンスとそれを為すための兵力を与えてくださった。……そして、今。真の敵を討つ絶好の機会がそこにあるのです。冷泉提督、……あなたの命、いま刈り取らせていただきます」

 

突然、彼女の中で走馬燈のように冷泉提督との会話が思い返されていく。いつでも彼は優しく、艦娘みんなのことを考えてくれていた。自分の事は二の次で、いつも艦娘を優先していた。自分の能力の及ばないようなことも、無理をして必死に為そうとさえしていた。できないことは理解しているはずなのに、それでもどうにかしようと足掻いていた。

 

本当に、無謀で愚かな人。でも、彼のことを考えると心が温かくなっていた……。彼の事を思うと、過去に大切な物を失った悲しみや喪失感がゆっくりではあるけれど、癒やされていく感じがしていた。彼の側にいて、彼の笑顔を見ているだけで、何故か自分まで嬉しくなり、彼が怒っている姿を見ると自分の事のように腹が立ったりしていた。常に彼の側にいて、彼とともに歩みたい……。いつしかそんな気持ちになっていた自分が思い返される。

 

ああ、冷泉提督……。

 

突然、頭にズキリと刺すような痛みを感じたと思うと、再び「冷静な思考」が蘇って来る。そして思い知らされる。今頭の中をよぎった妄想、これが冷泉提督が施した、軍部の洗脳の効果というものなのだろう。この期に及んでもこんな影響力をもたらす邪悪な施術。危うくこの場に及んでも飲み込まれてしまうところだった。本当に紙一重だったと言っても良いだろう。

 

ダメだダメだ。こんな負の連鎖を、今すぐ断ち切るのだ! 全てを消し去るのだ!!

 

稼働する火器の照準を合わせる。

目標は、冷泉提督のいる艦橋。旧式の兵器とはいえ、この至近距離であれば、まず外れることはない。そして、加賀は動力が完全停止している。つまり、防御障壁を展開することは不可能なのだ。おまけに動くこともできないのだから回避すら不可能。

 

艦橋の奥に冷泉を抱きかかえるようにして、こちらを見ている加賀を確認する。

 

この状況下では、冷泉も加賀も死を覚悟しているのだろう。視界に捕らえた加賀の表情からは、明らかな怯えの表情が見えていた。普段感情を見せないクールな艦娘も、大切な人の危機を感じとっているのだろうか。どうにもならない絶望感にうちひしがれているのだろうか? 

折角、悲しい運命から救い上げて貰ったのに、また地獄の底に突き落とされてしまう未来しかない加賀を可哀想だと思うけれど、これも冷泉という最悪の悪党を好きになってしまった自分を呪うしかないのよ。……すべて因果応報、自業自得だから諦めてもらうしかない。

 

けれど、大丈夫。今すぐ楽にさせてあげるから……。大好きな冷泉提督と一緒に向こうに行かせてあげるから。この先も続く不幸な運命から、あなたたちを解き放ってあげるわ。

 

かつてはその背中に憧れに似たようなものを感じ、信頼を寄せていた対象を自らの手で屠る事には罪悪感を感じてしまう。彼に想いを寄せていた子達が、悲しむ姿が目に浮かぶ。許してほしいとはとてもじゃないけど言えない。でも、きっと自分が正しい事をしたのだと分かってくれるはずだ。すぐには無理だろうけれど、きっとみんな分かってくれるはずなのだ。そして、どれほど長い時間がかかろうとも、彼女達への説得は続ける義務が自分にはあると認識している。

 

「さようなら、冷泉提督。……いいえ、違うわね。さようなら、冷泉さん」

 

そして、まさに砲撃を開始しようとした刹那。

 

凄まじい衝突音と同時に、艦の側面にもの凄い衝撃が襲ってきた。いきなりの衝撃で不意を突かれ、弾かれるように扶桑はあっけなく吹き飛ばされ、艦橋内を転がってしまう。壁に思い切り激突してなんとか止まる。起き上がる時に、ねっとりとした感触が頬を伝うのを感じた。

 

「な、……何事なの」

全身の痛みを堪え、なんとか立ち上がると状況を確認する。

眼前には正規空母加賀。その側面に扶桑の艦首が突き刺さってたはずなのに、今は扶桑と加賀の船体の間に一隻の軍艦が割って入っていたのだ。

 

 

瞬時には、そこにある艦が誰か分からなかった。

 

自艦と比べれば、半分程度しかない程度の大きさの小さな船。

小さな艦橋、二本の煙突。

 

衝突の激しさを物語るように、その船首は潰れてねじ曲がってしまっている。それどころかよく見れば船体全域に衝撃による歪みが発生していることが分かる。減速などまるで考えずに、そして、どれほどの損害が自艦に出るかなどまるで考慮しない行動であったことがそれだけでわかる。

さらに衝突の影響で、あちこちから炎が上がっている。

 

「……し、不知火? 」

思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「何を馬鹿な事を……」

 

扶桑は、第一第二主砲を一斉斉射したが、丁度そのタイミングで不知火が激突したため、船体が大きく左へ向けられてしまった。そのために必中だったはずの攻撃を外してしまった。ほぼゼロメートル射撃というのに、……なんと言うことだ。しかも、衝突後、さらに勢いあまって不知火の船体が扶桑の船首に乗り上げている状態である。艦が乗り上げるなんてあり得ない事態だ。波が影響したのか、それとも彼女の強い意志が奇跡を起こしたのだろうか。

 

しかし、感心などしている場合ではない。

 

運の悪い事に、扶桑の射線上には不知火があるのだ。彼女が邪魔で、このままでは砲撃ができない。そして、さらに最悪な事に、彼女との衝突のダメージで、第一主砲は大破してしまい、第二主砲も射撃不可能となっているのだ。

 

糞! なんということをしたのだ、この艦娘は。扶桑は怒りで頭がショートしてしまいそうだ。

 

永末さんの投与したクスリのせいで頭がおかしくなっていたとはいえ、とりあえずは自分の役割だけは理解し、緒沢提督の作戦指揮に従っていたと思っていたのに……。何をしている、どうしたというのか。なぜ、この後に及んでこんな愚かな事を。

 

冷泉提督への歪んだ感情のせいで、不知火はおかしくなってしまっているに違い無い。本来為すべきことを理解できずに、すべてを曲解して行動しているに違い無い。不知火は、すでに壊れてしまっているのだ。だから、私の行動の邪魔をするのだ……そう理解した。

 

「不知火、……今すぐそこから退きなさい」

苛立ちを込めた強い口調で彼女に訴えかける。何度も呼びかけるが、彼女からの反応が無い。

「聞こえているのでしょう? さっさとそこからお退きなさい。私達の作戦の邪魔をするようなら、例え仲間であろうとただではおきませんよ。そもそも、あなたは命令に背くような子では無かったでしょう? すぐにお退きなさい! 」

 

「……て、提督を死なせたりなんて、しない。絶対に、そんなことはさせない! 」

苦しそうな声が聞こえてくる。衝突の衝撃で負傷したのか、それともクスリが切れてしまったのか。残念ながら、どちらとも分からない。

けれど、明確に理解できる。感じる事ができる。

 

―――こいつは、敵だと。

 

「私は、冷泉提督をお守りします。たとえ、この命に代えても」

 

「ば、馬鹿なことを。あなたは、既に日本国に背を向けた事を忘れたの? あなたは冷泉提督を裏切り、敵に回した存在なのよ。もう日本国のどこにも戻る場所は無いの。今更何を馬鹿な事を言っているの? あなたは今の指令官の命令に従うべきなの」

 

「……いかなる命令よりも、冷泉提督が私には大切なのです。どんなに強制力のある命令でも、その想いの前には無意味です」

 

馬鹿か!

こんな物わかりの悪い馬鹿な子だったのか?

扶桑は呆れ果ててしまう。そして、自分に残された時間がどんどんと無くなっていくことに焦りを感じていた。こんな不毛な議論をしている時間などないのに、なぜ説得なんてしないといけないのか。

せっかく奇襲に成功したというのに、眼前の不知火が邪魔をして時間を大幅にロスしている。そもそも、こんな無駄な会話など不要なのである。

 

すでに重巡洋艦高雄が回頭を始めている。戦艦榛名は待機状態のままだが、恐らくは大井達を牽制しているのだ。

向こうは、動力切替を完了している艦だ。そして、こちらはそれができていない状況なのだ。いかにこちらが攻撃したところで、全ての攻撃は防御障壁で完全に阻まれてしまう。その逆に、向こうの攻撃を防ぐ手段などこちらにはない。敵のあらゆる攻撃は、たとえ戦艦である扶桑の装甲でさえも紙のように撃ち抜いて行くだろう。まともにぶつかりあったら、万に一つも勝ち目などない。

今、扶桑が無事なのは、榛名達との射線の間に加賀が入っているために撃てないだけで、離れてしまえば、一気に攻撃が扶桑を襲うだろう。

 

早くしないと冷泉を討つチャンスを失ってしまう。

 

彼を仕留めないと、緒沢提督のところに戻ることができなくなってしまうのだ。彼の信頼を、愛を取り戻すためには、どんな手段を使ってでも彼の命令を完遂させなければならないのだ。

……もう二度と大切な人を失いたくない。ひとりぽっちになるのは嫌。あの人の悲しむ姿なんて見たくない。

 

「あなたが何を考えようと愚かしい行動を取ろうとも、構わないわ。けれど、私の邪魔だけはしないでちょうだい」

 

「嫌です。冷泉提督を死なせたりなんてさせない! 」

クスリ漬けにされて苦しんでいた彼女を哀れんだ自分が腹立たしいと扶桑は考える。目の前の艦娘は自分の邪魔をしている。愛する人に頼まれた事をしようとしているだけなのに、嫌がらせをしてくる。なんて性格の悪い子なんだろう。きっと、私が緒沢提督と結ばれる事に嫉妬しているに違い無いんだ。私だけが提督の特別の地位に就くことを許せないんだ。だから私を、そして緒沢提督を困らせようとしているんだ。

 

「早く引いて頂戴。でないと、あなたを討たないといけない」

 

「扶桑さんこそここから引くべきです。提督を撃つなんて愚かなことはやめて……やめてください! 」

 

「提督? 愚かな? 」

何を言っているのか分からない。

「提督とは誰のことを言っているの? あなたにとっての提督は、忠誠を誓う存在はただ一人でしょう? 少なくとも私達の敵である冷泉では無い! 」

感情を抑えようと必死になるが、上手く制御できない。焦りだけが高まって行くのだ。視界には、次第に近づいて来る敵艦の姿がはっきりと見える。連中は不知火ごと自分を沈めようとしているに違い無い。

早く……早くしないと全てが水の泡になってしまう。

 

緒沢提督に嫌われてしまう! ただでさえ、彼には誤解されてしまっているのに。そのせいで私は、今、彼に試されているんだ。彼への忠誠心を。彼への愛が本当かどうかを。

 

だからこそ、自分は冷泉を殺さなければならない。彼を殺せば、きっと緒沢提督は喜んでくださる。彼は、私を昔のように愛してくださると約束してくれたのだ。あの日だまりの中にいるような安らかな日々が戻ってくるのだ。そのためなら、何でもしよう。

 

なのに、この子は私の邪魔をする。邪魔ばかりする。

私が緒沢提督に嫌われるように、見捨てられるように仕向けようとしているんだ。

 

……そうだ、あの時もそうだった!

 

あの永末に薬を仕込まれ手篭めにされた時も、結局、不知火が硬直した思考しかできずに愚鈍で間抜けだったせいで、結果、私はあんな目に遭わされてしまったのだ。あたかも私が悪者になったかのように追い込まれ、何が何だか分からない状態にされてしまい、否応なく望まぬ愛を受け入れさせられてしまったのだ。

 

そして、今。

再び不知火が邪魔をしている! 冷泉を討つ邪魔をしている。何でこの子は、私の足を引っ張ってばかりするの? 私を苦しめてばかりいるの! 

 

許せない、許せない。

……このままじゃ、緒沢提督に捨てられてしまう! 何も悪いことなんてしていないのに、ただただ提督だけを愛しているのに、理不尽に捨てられてしまうじゃない!

 

そんなの嫌。嫌、嫌、嫌。

「絶対に、嫌」

混乱と動揺で冷静な思考が途絶えていく……。

 

視界に重巡洋艦高雄が猛スピードで接近したのが確認できた。

 

今、彼女とまともに戦ったら、勝ち目なんてあるわけ無い。

もう残された時間は、無い。

 

もたもたしてなんていられない。とにかく急がないと!

 

失敗したら、きっと捨てられる、捨てられる。また、…また、ひとりぼっちになる。何も無い世界で、たった一人だ。誰も自分を救ってくれなくなる!

それは、恐怖として扶桑の心を急速に汚染していく。

 

「そうだわ、そうなのよ。みんな壊れてしまえば良いのよ。そうよ、何もかも排除して、冷泉を殺せば済むこと。……殺さなければならないのよ。ふふっ、簡単なことよ……あははは、ただそれだけなんだから」

悩むことなんて元々何も無かったのだ。変に考え込んでしまうから、袋小路にはまってしまう。

 

全ては、シンプル。

 

主砲は使えなくても、例え機関銃でも、艦橋を狙えば冷泉の命を取ることがことはできる。

 

重巡洋艦高雄の接近が、すべてのスイッチを起動させる。もはや不知火を説得し射線から移動させる時間など無い! その必要すら感じられない。

 

大事の前の小事。大の虫を生かすために、小の虫を殺す。

 

手段を選んでいる時間などどこにも無い。

たとえ不知火を犠牲にしてでも、宿敵を討たねばならない。撃たなければ、私の居る場所が無くなってしまうのだから。

 

そう思った途端、落ち込んでいた筈なのに、みるみるうちに気持ちが軽くなっていく。

 

「あはははははははははははは! 」

凄く愉快な気分でうきうきしてきた。そうなのだ、心赴くまま、緒沢提督の為だけに行動するだけでいいのだ。余計な事など何も考える必要は、無いんだ。

 

扶桑は、前方に向けて撃てる銃器をすべて使用し、砲撃を開始した。

その砲撃は、射線上にある不知火の艦橋へ、船体へと吸い込まれていく。

 

集中砲火を浴びては、駆逐艦などひとたまりもない。不知火の艦橋は瞬時に蜂の巣状に撃ち抜かれる。それでも扶桑は砲撃を止めない。その向こうにある空母加賀を破壊しなければならないのだから。更なる攻撃に、駆逐艦不知火の艦橋は、ずたぼろに引き裂かれ、爆発炎上しながら吹き飛ばされていく。

 

扶桑の砲撃は更に続く。弾丸は不知火の艦本体を貫き、向こうにある空母加賀にも着弾していく。加賀を沈める必要は無い。ただ、冷泉のいる艦橋のみを破壊できればいいのだから。勝利は目前だ!

 

しかし、唐突に異変が生じる。

 

駆逐艦不知火に、変化が生じ始めたのだ。

 

特定の部位にエネルギーが集まり始めるのがセンサーを使わずとも分かる。艦のあちこちで引火と小爆発が発生し、熱エネルギーがどんどん集約されていくのが分かる。

 

扶桑の頭の中でチリチリと何かが焼けるような感覚が起こる。本能が危険を知らせているのか。

 

いけない! 設置された爆発物が爆発する!

その事実を認識し、全身に悪寒がするのを感じる。頭が真っ白になりそうになる。このまま打ち続けて加賀を壊し、冷泉を殺す。しかし、このままでは自分の身が危ないことを悟った扶桑は、現実に意識を展開する。すぐさま行動に移し、猛スピードで船体を後退させ始める。

 

防御障壁を展開できない状況で、不知火に仕掛けられた爆薬の爆発にどこまで耐えられるかは、推測がつかない。けれど、とにかく、できる限り距離を取る必要があることだけは認識した。

 

唯一の望みは、領域内での爆破を想定していた緒沢提督であることから、爆発物についても時限装置も含めて全てが旧式のものばかりを使用したはずなのだ。となれば、この海域全土を消滅させるような威力は無いはず。だからこそ、少しでも距離を取ることができれば生き残るチャンスがあるということなのだ。

扶桑は、並行思考をしながらも、艦を後退させていく。方向転換している暇など無いのだ。

 

空母加賀は、航行不能状態。そして、至近距離に不知火がいる状況。つまり、不知火の爆発の影響をもろに受けるはずだ。たとえそれが旧式の火薬であろうとも、防御障壁を展開できないのであれば、無事で済むはずが無い。

 

とにかく、もう少し、もう少し距離を取らないと……爆発はもう少しだけ待ってくれと願いつつ後退を続けていた矢先!! 

 

閃光とほぼ同時に耳をつんざくような轟音を伴い、大爆発が起こったのだ。

 

一瞬の間を置いて、衝撃波が襲ってくる。

その衝撃は艦橋の窓ガラスが吹き飛ばし、損壊していた砲塔を吹き飛ばす。爆発による高波が発生し、船体は大きく揺さぶられ傾き、船体が折れるのではないかと思うほどの軋み音が艦内に響き、その凄まじさに恐怖すら感じた。

ガラス片の一部が体を斬りつけ負傷をしたものの、運が良いことに致命傷ではない。爆発による艦へのダメージは大きいものの、まだまだ動ける。確認すると、後部の一部砲塔は、まだ使用できそうだ。

 

「まだよ。……まだ行けるわ! 」

必死になって自分を鼓舞し、気合いを入れ直す。まだ、終わりじゃないのだ。

 

全速力で後退し、不知火から距離を取れたはずの自分でさえ、これだけの損傷を受けたのだ。爆沈した不知火の側にいた空母加賀は、無事で済んでいるはずがないだろう。運が良くても大破。悪ければ轟沈している状況だろう……。

 

「提督、やりました。私は、任務は果たすことができましたよ」

瞳を潤ませて自分の戦果を確認しようとする。犠牲を出してしまったことは痛恨の想いだけれど、それでも目的を達成することができたのだから、不知火の魂も浮かばれるだろう。仲間を犠牲にしてしまったが、勝利の為の尊い犠牲と思えば、彼女も浮かばれるだろう。

 

吹き上げられた海水が雨のように降り注ぎ、やがて視界を遮っていた黒煙が晴れていく……。

うっすらと景色が形作られて行くにつれ、扶桑の笑顔が次第にこわばっていく。

 

「な! 」

思わず声を上げてしまう。

 

そこには、なんと正規空母加賀の姿があったのだ。あれほどの爆発に至近距離で巻き込まれたというのに、爆発前と変わりない姿でそこに佇んでいた。爆発前まで存在していた駆逐艦不知火の姿はそこには無かったというのに。不知火は凄まじい爆発により、跡形もなく消し飛んだようだ。

 

扶桑の突撃による損傷は残っているものの、あの大爆発のダメージは一切みられない。

 

「な、何で? ……何で何であいつは無事なの? 無事に私の前に立つというの! 」

呆然とする扶桑であったが、すぐにその原因が分かった。加賀のすぐ後ろに重巡洋艦高雄がいたからだ。

「く……あいつが、あいつが防御障壁を展開したのね、ぐぐぐ、忌々しい高雄め! 何で私の邪魔ばかりするの? 私に何の恨みがあるというのよ」

恨めしそうに、加賀の後ろにいる高雄を睨む。

彼女が不知火が爆発するのを承知の上で一気に加賀との距離を詰め、……恐らくはぎりぎりのタイミングだったと思うけれど、防御障壁を最大範囲まで拡大して展開し、加賀を爆発から守ったのだ。

 

現在、高雄からの反応はまるでない。防御障壁の展開は、彼女に相当な負担をかけたのだろう。エネルギー消費は凄まじいようで、その影響だろうか全機能が落ちているようだ。恐らく、しばらくは高雄は動くことができないと思われる。

 

「ぐぐぐぐぐ……何よ何よ。許せない、許せない」

知らず知らず歯ぎしりをしている。自艦が無事であったなら、加賀に対して追撃を駆けられるのだけれど、今の自分にそんな余力はない。それが悔しくて苦しい。

 

僚艦の大井達は、すでに動力切替を終え、撤退を開始している。仮に応援にかけつけようにも、無傷の戦艦榛名が牽制する位置にいて、迂闊に接近などできない。更に良くない事に、金剛と速吸も再起動完了している。扶桑を含めた現有戦力同士の戦いでは、まず勝ち目がないだろう。空母2隻いるとはいっても、通常海域では航空機は仕えない。搭載するプロペラ機など、対空ミサイルの餌食でしかない。対艦攻撃をするにもミサイルを撃つことだけしかできないので、戦力としてはほとんどカウントできない。

 

「扶桑さん、私達どうしたらいい? 」

と問いかけてくる仲間達。

本当なら全艦で加賀を撃沈するのに協力して、と言いたかった……。けれども、それは絶対にできない。大損害を、覚悟で彼女達を戦闘に追い込むわけにはいかない。彼女達は、緒沢提督から預かった大切な大切な戦力なのだから。勝ち目の無い戦いで、無駄に失わせることなんてできない。彼女達はこれから先、ずっと、私と共に緒沢提督を支えていく貴重な仲間なのだから。

 

「全艦、速やかに撤退をしてください。合流先は、すでにお伝えした通りです」

そう答えるしか無かった。

 

「扶桑さんはどうされるのですか? 」

もっともな質問が帰って来た。

自分は損傷した状態で、動力切替もできていない状況だ。しかも敵艦隊のただ中に単艦で存在している状況である。この状態で、逃げ切るチャンスは極端に低いと判断されても仕方ないだろう。

 

「……大丈夫よ、私には秘策があります。この状況でも確実に逃げおおせて見せます。だから心配は無用です」

自信たっぷりに仲間に返答する。その答えに根拠があると信じたのだろうか。仲間の艦娘はそれ以上質問を返すことなく、「ご武運を」とだけ残して撤退を継続する。

 

「ここまで追い込んで……撤退しないといけないなんて。何て事なの、……悔しい悔しい」

必死に悔しさを噛みしめながら、扶桑は撤退を決意せざるをえなかった。作戦は失敗に終わったけれども、きっと再戦の機会は訪れるはず。その時に名誉を挽回すればいいのだ。

 

そのためには、確実にこの窮地を逃れる必要がある。まともに通常海域を移動すれば、確実に怒り狂った冷泉達に沈められるだろう。艦娘大好きのヘタレ提督であっても、さすがに目の前で艦娘を殺されたのだ。不知火を沈めた張本人である扶桑の事を、絶対に許しはしないだろうから。

 

絶体絶命?

いいえ、そんなことは無い。この状態でも十分逃げおおせて見せるわ。

 

扶桑は、再び領域に突入する事を決意していた。

 

とにかく、生きて帰るんだ。優しい緒沢提督の元へ。

きっと提督はみんな無事に帰ることを願ってくれている。どんな状況であれ、生きて帰投することが緒沢提督が一番喜ぶ事だと知っている。そう、提督はそんなお方なのだから。

 

作戦は失敗したけれど、みんなを逃がすことはできた。そして加賀を大破させた。金剛にも損傷を与えた。神通も、高雄もしばらくは動けないだろう。それだけでも及第点なのではないだろうか。

 

そして、ふと思いをはせてしまう。

 

不知火を死なせてしまった事はショックだけれど、どのみち彼女は今回の海戦で死ぬ予定だったのだ。あんな形での幕引きを望んでいたとは思えないけれど、生きている事が本当に辛そうだった彼女。その苦痛から解放されたのだから、少しは浮かばれるのだろうか。手を下した事を許してくれとはいわないけれど、彼女ならきっと諦めて、許してくれるだろうと信じる。

 

「少し待っていてくれれば、すぐにあなたの元に愛しい冷泉提督を殺して行かせてあげるからね。そして、そこで二人仲良く暮らしなさい」

 

あなたの死を無駄にはしないわ。……それが私にできる、あなたへの手向けなのだから。

それは現実から目を逸らすための言葉かもしれない。かつて友として戦場を駆け抜けた仲間を、自らの手で殺めてしまったという罪から逃れようと出た言葉かもしれない。

 

そうなのかもしれない。自分はとんでもないことをし、大切なものを失ってしまったのかもしれない。

けれど、それは済んでしまった事。……今更、時のページをめくり返すことなどできないのだから。

 

そう、罪は罪として受け入れるにしても、それはここから脱出できてこそだ。今、自分は為すべき事を行うのだ。

 

そして、今為すべき事は、生きて緒沢提督の元に帰る事だ。

 

彼はきっと、私の帰りを待ってくれている。喜んで迎えてくれるはず。

愛する提督の元に返るのだ! なんとしてでも……。

 

 

 



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第169話 喪失

薄れそうになる意識の中で、必死になって冷泉は自分を保とうとする。

戦艦扶桑の砲口が自分と冷泉に向けられた状況下では為す術がない。

何とかしようと加賀も考えていたのだろうけれど、結論はすぐに出ているはずだ。恐る恐るといった感じで冷泉を見つめてきた。

「ごめんなさい、提督。偉そうに言ったけれど、どうやらあなたを守ることはできそうにありません」

 

「……いいんだよ、加賀。すべては俺の作戦指揮の失敗なんだから。むしろ、ボンクラ提督の作戦にお前まで巻き込んでしまうなんて。……許してくれ」

そう言って冷泉は起き上がろうとするが、よろけてしまう。慌てて加賀が冷泉を支える。冷泉は、彼女の介助を受けて、艦長席に腰掛けることができた。

「こんなところでお前を死なせてしまうなんて……な。お前を守るとか言ったのに、逆に俺のせいでお前まで道連れに……」

言葉の途中で隣に立った加賀が冷泉を抱きしめてくる。驚きで言葉を止めてしまう冷泉。

 

「どんな運命であろうとも、提督とご一緒できるなら、それは私にとっての幸せです。一度は諦めた人生を、たとえ僅かな時間だとしても、あなたのおかげで喜びと希望に溢れるものとすることができました。それだけで、私は幸せなのです」

すぐ側に顔を近づけて、恥ずかしそうに答える。

「……提督、私はあなたのことを愛しています。誰より大好きです。ずっとずっと、あなたのお側にいたいと思っていました。……こんな事、こんな状況だからこそ、言えました。普通なら恥ずかしくて言えない事です。けれど、最後に自分の気持ちをあなたにだけは知っていて欲しかったから」

 

「ありがとう……加賀。お前と出会うことができたことが一番嬉しかったよ」

こんな状況だからこそ、普段なら口に出せない言葉を言える。そして、加賀の体を引き寄せを抱きしめる。彼女は全く抵抗することなく身をゆだねて来た。

 

「……私もです。あなたと一緒なら、どんな未来であろうと何も怖くありません」

 

まもなく砲撃が始まり、そして、冷泉の第二の人生が終焉を迎える。それは、短かったけれど密度は濃かったと思う。自分の力が及ばなかったことは悔しいけれど、これが冷泉の限界だったのだから仕方ない。救いたい……救わなければならない命を救うことなく去らねばならないことは、辛い。

しかし、理想通りに進ませる力の無い自分が、それを望むのは無謀だというものなのだろう。心の底から願えば、きっと願いは叶う……。ありえない事だと分かっていても、それを願った自分。

 

冷泉は、加賀を強く抱きしめた。現世での残された加賀との僅かな時間を忘れないよう……噛みしめるように。

 

 

突如―――。

 

 

視界を黒い影が駆け抜けたように思えた刹那、凄まじい衝突音とそれとほぼ同時に衝撃が襲ってきた。

金属と金属が激しくぶつかり擦れ合い、引き千切れるような音が続く。それとほとんど同時に船艦扶桑の砲撃音が響き、閃光と黒煙が視界を覆い尽くす。

冷泉達を襲った衝撃は、戦艦扶桑が突撃して来た時とは違い、船体の前後へ体が振られる。空母加賀は押されるようにして後方へ円を描くように動き、めり込むようにして船腹へ船首を食い込ませていた戦艦扶桑と僅かであるが離れる事ができたようだ。

 

「な……」

何が起こったか分からずに声を上げる冷泉。

衝突音そのものは大きかったが、空母加賀への衝撃は少なかった。冷泉は椅子から振り落とされることもなく、かつ、加賀をしっかりと抱きしめていたために加賀も転倒を免れた……程度の衝撃しか起こらなかった。

「加賀、大丈夫か? 」

と、しっかりと抱きしめ、すぐそばの加賀に問いかける。

 

「だ、大丈夫です」

慌てて答えると、彼女は冷泉から飛び退くようにして離れる。少し頬を赤らめているのは照れ隠しか。

 

加賀の無事を確認すると、冷泉は思考を開始する。

今、分かることは扶桑の砲撃の少し前に、何かが突っ込んできて扶桑に横から衝突したこと。

扶桑のゼロメートル射撃が外れた事。

 

とりあえず、直近の死の未来からは逃れたと認識するが、それでも安堵できる状況ではない。

加賀はいつの間にか場所を移動しており、状況を把握しようとしている。先程までの全ての運命を受け入れたような表情は消えてしまっている。今は、なんとしてでもこの状況から離脱しようとする、強い意志を感じる。

 

砲撃と何かの衝突による黒煙と粉塵が落ち着き、視界がクリアになっていく……。

そして、前方に見える異様な光景に驚愕する。

 

「なんだこれは! 」

あろうことか船首をこちらに向けた船艦扶桑の艦首部分に一隻の船が船体の3分の1を乗り上げるような形で止まっていたのだ。

それは、船体の大きさから、駆逐艦にしか見えなかった。そして、その形状から導き出される艦は1隻しかいなかった。

 

―――駆逐艦不知火であった。

 

余程の速度で扶桑とぶつかったのだろう。不知火の船底は、扶桑に乗り上げる際に船艦の頑丈な船体との接触で抉られてぐちゃぐちゃになっている。頑強な戦艦と相対したら、薄い装甲の駆逐艦では無事で済むはずが無い。

衝撃の大きさの影響は、他の場所にも現れていて、艦全体が不自然に歪んでいるようにも見える。衝突のダメージで、艦のあちこちから火災が発生している。

 

「いつの間にここまで来たんだ? 」

確かに冷泉達の艦隊を牽制するためか、不知火がゆっくりと接近してきたのは認識していた。扶桑が領域から現れてからは、一気に速度を上げ突入してきたのだろうか。

 

「一体、何のために? 」

と、冷泉が呟く。

 

「……それは、簡単なことだわ」

加賀が答える。

「あなたを守るために、不知火は来たのよ」

 

確かに、彼女は扶桑の砲撃を止めるために扶桑に体当たりをして、射線から逸らしたのだろう。そして、今も砲撃をできないようにしている。

恐らくは扶桑達の作戦を聞いていたに違い無い。扶桑が現れた瞬間、加賀を攻撃をするつもりと判断して、それを止めるために突っ込んできたのだろう。

 

二人の艦に動きは無い。しかし、二人の間で何らかの会話を為しているのは間違い無い。しかし、全機能が停止している状況では知るよしもない。

 

加賀は、何やら動きをし始める。恐らく、停止した動力を復旧できるか確かめているのだろう。現状は停止しているものの、いつ、攻撃が始まるか分からないからだ。速やかに離脱することができれば、動力切替を完了した高雄達が助けてくれるだろう。そこまで時間と距離を稼がないといけない。そのためにできることをやろうとしているのだ。

 

「不知火……」

冷泉は呻くように呟く。加賀を手伝うべきなのだろうけれど、目の前の状況を見、思考が停止せざるをえない。

 

なんて無茶をしたんだよ……、馬鹿野郎。

 

なんとかして、彼女を助けないと。今なら手の届くところにまで彼女が来ているのだ。できることなら、みんなを助けたい。誰も死なせたくなんてない。

 

そして、突然、凄まじい砲撃が始まった。

 

戦艦扶桑の主砲は、不知火の体当たりによって破壊若しくは使用不可能になっているはず。攻撃は機関銃等の火器を使って行われた。銃撃音が激しく聞こえ、金属を撃ち抜く音、炸裂する音が冷泉達にまで聞こえてきた。そして、僅かな時間で砲撃は駆逐艦の薄い装甲を貫き、発火させていく。

 

「止めろ、止めるんだ」

必死に叫ぶが聞こえるはずもなく、みるみるうちに不知火の艦橋は銃弾に撃ち抜かれ蜂の巣状態になるとともに、火の海と化していく。

「不知火、不知火! 扶桑、止めろ止めるんだ。なんでそんなことをするんだ」

届くはずの無い想いを必死に声にする。手を伸ばしても届くはずもないのに、それでも手を伸ばす。火だるまになっていく艦娘を見る瞳からは、涙があふれ出して止まらなくなる。

「止めろ、止めてくれ。なんでお前達がこんな目に遭わなきゃいけないんだよお」

それでも攻撃は止まない。

ついには艦橋そのものが持ちこたえられなくなり、崩れ落ちていく。

 

 

「提督、駆逐艦不知火内部から高火力反応が急速に高まっています」

あえて冷静な口調で加賀が告げる。

 

「な、なんだって」

前段の索敵で、不知火艦内には大量の爆薬が搭載されていることは確認済みだ。恐らく、この攻撃により内部に設置された爆薬に引火し、爆発が起こる危険が急速に高まっているんだろう。

 

「戦艦扶桑、急速後退始めます」

左右に船体を揺さぶりながら後退を始める。乗り上げた不知火を振り払おうとしているのだ。恐らく、彼女も間もなく不知火が爆発することを検知し、離脱を試みているのだ。

「熱源反応増加、爆発します」

 

加賀の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、閃光とほぼ同時に耳をつんざくような轟音を伴い大爆発が起こる。

 

しかし、爆発に伴う衝撃波、熱風はまったく来なかった。

眼前では凄まじい炎のうねりが発生しているが、加賀の数十メートル先で見えない壁に遮られたかのように、垂直に上昇していくのが見える。

「何が起こったんだ? 」

 

「防御障壁よ」

と加賀が教えてくれる。

 

「しかし、お前は動力停止しているんじゃ」

 

「私じゃありません、高雄です。高雄が防御障壁の対象エリアを限界まで拡大して、私を守ってくれたのです」

視線を左側に向けると、そこには重巡洋艦高雄が加賀に寄り添うような形で停船していた。扶桑の出現、不知火の乱入……そして爆発までの間に、一気にその距離を詰めてきていたのだ。

空母加賀を包む形で展開された防御障壁。いわゆるエネルギースクリーン、バリアといった類いのものだが、その防御力は凄い。爆発による衝撃だけでなく、熱さえを完全に遮断してしまっているのだ。その向こうで発生した爆発のすぐ側にいたわけだから高雄が守ってくれなかったら、空母である加賀でさえ爆沈していたのは間違い無い。それほど凄まじい爆発だったのだ。

 

旧式の爆薬でもこれほどの威力……。

その威力に驚嘆し、そして驚愕することになる。

 

それほどの爆発物を艦内に仕込まれていたのが不知火であることに。扶桑による砲撃で艦橋は吹き飛んでしまったが、まだ彼女が無事である僅かな可能性に期待していた。けれど、あの爆発ならば、しかも艦内部での爆発なら、もはや彼女が無事である可能性などあり得ないことに。

 

吹き飛ばされたかつて何だったか不明なものが上空から落下して、水柱をあげている。

周囲を覆い尽くした黒煙がゆっくりと晴れていく。

 

冷泉は言葉にならない声を上げながら、身を乗り出して視界の中に彼女の姿を探す。

駆逐艦不知火の姿を。

 

「……不知火」

そして、絶望する。

視界のどこにもその姿が無かった。まさに影も形も無くなっていたのだ。前方には天まで立ち上る、どす黒くまがまがしい領域の雲しか無かった。

 

「提督! あそこに」

と、加賀が前方を指さしながら叫ぶ。

そこには、不知火の爆発の影響だろう、ボロボロになりながらも後退していく艦の姿があった

 

「扶桑……」

その声は呻きにしか聞こえなかったかもしれない。

舞鶴鎮守府を裏切り、多くの冷泉の部下を引き連れていった艦娘。何度も冷泉の命を狙い、舞鶴鎮守府の艦娘を危険にさらした。それどころか今、不知火の命を奪ったのだ。無理矢理に不知火を鎮守府より連れ出したうえに、自らの手で彼女を殺した艦娘。

 

許してはいけない存在。それだけは、疑いようの無い事実。

そうだというのに、冷泉は、彼女に対する憎しみを抱けずにいた。

 

ただただ、……悲しさのみが心を埋めつくしていく。

 

戦艦扶桑は、戦闘によって体のあちこちを損傷し、各所より黒煙を上げている状態だ。動力部分にもダメージを受けているのか、動きが鈍い。今、攻撃をかければ、沈めることができるかもしれない。……いや、簡単に沈められる。

 

彼女の動きから、今の状況から離脱するために、再度領域に逃げ込もうとしているようだ。ここで舞鶴艦隊と対峙するよりも、領域に逃げ込んだ方が逃げおおせる確率が高いと判断したのだろう。冷静さだけはまだ失っていないようだ。

 

「扶桑を止めろ。今すぐ彼女を捕らえるんだ」

咄嗟に冷泉は叫んだ。

 

「無理です」

しかし、すぐに加賀に否定される。

 

「何でだ? 」

 

「通信機器が使えなくなっているのです。故障の原因は不明……恐らく不知火の爆発によるものかと思われます。復旧の目処たたず。なので、今の状況では、提督の指示を伝える事ができません」

淡々とした口調で彼女が答える。

 

「だったら、高雄に直接俺が指示をする」

そうだ。重巡洋艦高雄なら、すぐ側に停船しているのだ。無線が使えなくても、直接出向いて口頭で指示すればいいだけだ。

 

「それも無理です」

再び、秘書艦が回答する。

「防御障壁を通常の数倍まで拡大することは、通常ありえない行為です。消費エネルギーは、概算で通常の10倍を越えるほどの量となります。それだけではありません。そんな膨大なエネルギーを一度に放出したら、経路となる艦が保たないのです。……今、高雄はオーバーヒート状態で、全機能が停止しています。そして、おそらく、高雄本人も意識を失っていると思います」

 

「何だって! そんな無茶をしたのか。なんでそんな事を……」

予想を上回る負荷がかかる行動を高雄が行ったことを知らされ、冷泉は驚きを隠せない。

 

「彼女だって提督を助けたかったのです。それさえできれば、後の事などどうでも良かったはずです」

と当然の事のように加賀が答える。

 

そんな会話をしている間に、戦艦扶桑は移動していき、領域の中へと消えていく。それに合わせるように、大井達も艦隊を牽制するのを止め、撤退していくのが分かった。

彼女達が去っていくのを確認して、榛名たちも加賀の元へと移動してくる様子が見えた。

大井達によって、榛名は身動きを取れない状況になっていたのだ。

 

「……すまない、みんな」

冷泉はみんなに謝るしかなかった。

 

自身の無能さによって、こんなことになってしまった。加賀、金剛に損傷を与えてしまった。神通、高雄に無理をさせてしまった。

 

そして、不知火を死なせてしまった

 

それだけじゃない。

扶桑達を救い出すことさえできず、それどころか、もはや修復不能なほどの溝をかつての舞鶴鎮守府の、かつて仲間だった者達の間に作ってしまったのだ……。

 

冷泉は知らず知らず、瞳から涙がこぼれ落ちているのを感じた。

そして、それに気づくと抑えていたタガが外れたように、声を上げて泣き出していた。

 

何もできなかった自分が一番辛かった。いや、できたのに何もやらなかった自分の優柔不断さ、無能さに怒りがこみ上げていたのだ。

 

そして、駆逐艦不知火。

彼女は、もういない。どこにもいないのだ。

 

「……救ってやれなくて、ごめんな。許してくれ……不知火」

冷泉は眼前の領域の雲の中に消えていく戦艦扶桑を呆然と見つめる。

「扶桑、何でなんだよ。なんでこんなことになってしまったんだよ」

 

 

 

 

 

駆逐艦不知火の爆発の影響からなんとか立ち直った扶桑は、周囲の確認、そして自艦の状況確認を開始した。

知りたくは無いけれど、現状の確認作業を開始する。そして、艦の損傷が、彼女の予想以上に酷かった事が判明する。

 

艦の前半分の武器は、ほぼ損壊しているし、レーダー等は使用不可能だ。船首のダメージも大きく浸水が起こっている。放置しても沈む事はないが、無理はできない。

 

「なんとかまだ動けるわ。ここからなんとかして逃げ切らないといけない」

すぐさまこの場から立ち去る決断をした扶桑は、急ぎ作業を始める。

 

しかし、すでに至近に重巡洋艦高雄が来ていることが最大の懸念だ。不知火の爆発に加賀を巻き込み、沈めることができたと思ったのに、未だに加賀は生存している。

恐らくは高雄が展開した防御障壁に阻まれて爆発の影響から逃れたのだろう。なんというしつこい連中なのだろう。苛立ちを感じるが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 

冷泉を守る事ができた高雄たちの次の行動は、扶桑への攻撃なのだから。

 

不知火を沈め、冷泉提督さえも殺そうとしてしまった手前、彼女が自分を無事に済ませてくれるなんてありえないだろう。

 

決戦は、不可避。

 

かといって、こちらは戦えるほどの武器もない。しかも向こうは反重力リアクターを起動した完全覚醒状態。火力防御力がまるで違う状態。まともにやりあったら、瞬時に融かされてしまう。

 

幸い、大井達は冷泉艦隊を牽制しつつ、脱出可能距離まで移動を完了している。扶桑にとっては彼女達の囮としての任務だけは、果たすことができている。冷泉の艦隊も高雄以外は大井達の牽制のためにここからは離れた距離にいて、双方に注意を払わなければならない状態で身動きが取れない。

 

戦う術も無い現状では、今が潮時だろう。速やかに撤退する。幸い、高雄に動きが無い。もしかすると、あの常識はずれの防御障壁の拡大展開が艦になんらかのトラブルを発生させたのかもしれない。罠かもしれないけれど、今はそれにかけるしかない。

 

そして、活路は一つしかない。再び領域に逃げるのだ。仮に冷泉達が扶桑を追うにしても、再度の動力切替が必要だから時間は稼げる。深海棲艦はすでに殲滅しているから、再び沸いてくるにしてもまだ余裕があるだろう。

 

ならば、考える時間などない。行動するしかない。

 

猛スピードで後退を開始する。全速力だ。

 

ここで砲撃して、加賀の艦橋を吹き飛ばせればいいのだけれど、前方へ攻撃できる砲塔は全て使用不可だ。

砲撃するためには方向転換が必要であり、それには時間がかかってしまう。停船している高雄以外にも無事な艦艇は存在するのだ。いつ彼女達がこちらに注意を向けるかもわからない。時間の余裕はない。

今ここで、自分の命を賭けてまで勝負に出ることはない。

 

戦艦扶桑は、領域へと消えていく。刹那、冷泉の声が聞こえたような気がしたが、それを扶桑は必死に振り払ったのだった。





※ご指摘により、修正しました(2017.9.9)


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第170話 因果

領域の中に逃げ込むと、すぐに扶桑は周囲を確認した。

 

 

まずは、領域の雲を抜けて追ってくる艦影は無し。つづいて、周囲を確認し、深海棲艦の気配が無いことを確認する。

冷泉達の艦隊は追ってくるにも動力の切替が必須のため、早くとも数分はかかる。深海棲艦については、先程の海戦ですべて撃沈した。すぐに新しい艦隊が来る事は経験上無い。予想通りの状況に胸をなで下ろす。

 

しかし、まだ冷泉が追っ手を差し向ける可能性も否定できない。こんな場所に長居は無用だ。

安全を確認すると180度回頭し、進路を定める。

 

幸いな事に、艦の動力はまだ稼働している。損傷はあるものの最大戦速まで持って行くことも可能だ。

 

領域への逃走時にあえて速力を低下させ、艦の損傷が酷いように偽装したけれど、果たして冷泉提督はどう判断したのだろう。この偽装工作が少しでも彼の判断を誤らせることができればいいのだけれど。冷泉提督の意識が扶桑を追跡する方に向いていてくれれば、大井達の戦域からの離脱に役立つことができるのだから。

 

領域の中の天気は変化が始まってきている。まもなくこの周辺は嵐になりそうだ。出撃の時は天候が悪いのは嫌だったが、万が一の事があったとしても上手いこと敵の目を誤魔化すことに利用できる。まだまだ運はこちらにあるようだ。

 

扶桑は艦を進ませた。時間を稼ぐことメインだったから、領域の雲沿いに北へ北へと1日以上の時間をかけて彷徨い続け、頃合いをみて領域を出ることする。

 

幸いなことに深海棲艦と出会うこともなかった。本当についている。

 

速度はある程度出しての移動だったから、冷泉艦隊とは相当離れた場所に出ることとなる。

 

恐る恐る領域を出、周囲を警戒する。

そこは……何も無い夜の海が広がるだけだった。今日は月も出ていないため、完全な闇夜だ。

 

通常海域に出たので、動力切替を試みるが上手くいかない。完全に壊れてしまったのだろうか?

 

これほどの損傷を受けたのはいつ以来なのだろう。……修理には相当の時間と経費がかかるかもしれない。こんな大切な時に、こんな失態を犯してしまうなんて。……提督には、申し訳ないという想いしかない。

 

けれど、きっと分かってくれるはずだと思う。そして、心配してくれているはずだ。自分が無事なのか、そしてどこにいるのか。

 

早く、早く提督に無事を報告しないと。

 

扶桑は通信回線を開き、愛しい提督の声を求めて呼びかける。

 

「―――」

しかし、誰も答えない。

 

「どうしたのかしら? 提督はもう本拠地に移動を終えられているはずなのに」

扶桑達が潜んでいたメガフロート基地は、ほんの仮住まいの一つに過ぎなかったのだ。本来の基地はもっと陸地より離れた場所にあり、もっともっと堅牢だ場所なのだ。一つの鎮守府といっていいほどの装備を持たせたものなのだ。

そこに提督と彼の支持者とそして艦娘達がいるはずなのだ。

 

「恐らく、お忙しいのね」

ずっと連絡を待っていてくれると思っていた扶桑は、寂しさを感じながらも、今が一番忙しい時であるのだから、仕方ないと自分を納得させる。しばらくすれば、また、連絡してみよう。それに、もしかしたら提督から連絡を貰えるかもしれないし。

 

舞鶴鎮守府の管理海域であり、かつ陸地からは遠く離れた場所であることから、損耗が激しい舞鶴鎮守府艦隊が来ることはないと予想される。他の鎮守府艦隊も、冷泉からの要請がなければ動かないはず。なので、ここにいる限りは安心だ。

それでも追っ手が来てもすぐに探知できるよう、警戒を怠らないようにしながら待ち続けた。

 

そして―――。

5時間か経過した頃、少し離れた場所に側に艦がゆっくりと浮上してきた。

 

伊8だった。

 

彼女はゆっくりと扶桑に近づくと艦から現れ、大きな段ボール箱を両手に抱えひょこひょこと歩きながら、扶桑の艦橋へとやって来た。

 

「伊8、どうしたのですか? わざわざこんなところまでやってくるなんて。……提督はどうされたのです? 何度も連絡を取ろうとしたのですけれど、応答してくださらなくて。何かあったのでしょうか」

と、矢継ぎ早に質問を繰り返す。

 

「扶桑さん、どうして、あんな馬鹿なことをしたんですか」

と、いきなり非難される。

 

「え? 」

普段、おっとりした彼女にいきなり怒られてしまったことに戸惑いが先行してしまう扶桑。

 

「扶桑さんが使った回線がどんなものか、理解してなかったんですか? 秘匿回線でもなんでもない通常の無線で交信しようなんて、どこの馬鹿なんですか! 」

そう言われて初めて気付いた。

たしかに、扶桑は動力の切替ができなかったため、通信手段として使用したのは旧式の無線だった。そんな通信機器を使っての交信では敵に傍受されるリスクが高いし、内容まで解読されてしまうだろう。それだけではない。双方の居場所まで検知される恐れだってあるのだ。

 

「確かに軽率だったことは認めるわ。でもでも、とにかく私の無事をお知らせしないといけないと思ったからなの。提督だって私の無事を心配されていたでしょう? 」

弁解するつもりでいったつもりでは無かったけれど、明らかに伊8の表情が曇る。同時に呆れたように、大きなため息をついた。

 

「な、なんですか? 」

彼女のその態度に何故かカチンと来て、彼女を睨んでしまう。

 

「いいえ、なんでもありません。お気に障るような事を言ったのなら、謝ります。ごめんなさい。本来の任務に戻りますね。……私は、緒沢提督から、この通信機を扶桑さんにお渡するようにと言われて持ってきただけですので。それに、これ以上ここにいると、敵に検知されるかもしれませんから、さっさと消えさせてもらいますね」

彼女は通信機を床に置くと、て去って行こうとする。

 

「ちょっと待ちなさい、伊8。分かっているでしょうけど、私は損傷の影響で動力の切替ができない状態なのよ。このままでは、移動さえも大変だわ。提督にお願いして、曳航する段取りを整えてもらうか、それがダメなら工作船を派遣していただくか、せめて修理をできる資材と人員を派遣して貰うようにお伝えしてもらえるかしら」

このままでは万一敵に遭遇したら、沈められてしまう。

 

「すみません。扶桑さんがおっしゃる、それらの要望については、提督より何の指示も貰っていないのでお答えできません。私は、ただ、通信機をを渡すように伝えられているだけですので……。その通信機を使って、提督とお話なさる際に、直接お願いされればよいかと」

それだけ言い残すと、素っ気ない態度で彼女は消えていった。去り際に、何だか彼女は嗤っていたように感じたのは気のせいだろうか。

 

「なんて無愛想な子。何て意地の悪い子なのかしら。私の損傷を見て、何にも思わないのかしら。仲間だって言うのに、一言くらい大丈夫ですかって声をかけてもいいんじゃないの? 私がこんなにダメージを受けてまでして、みんなが逃げられる時間を稼いだというのに。何て口ぶりなの。どういうことなのかしら」

イライラが募るが、すでに本人は居なくなっている。言うだけ無駄だろう。

 

それはともかく、今は提督に報告をするのが先だ。とにかく、自分のがんばりを彼にも知って貰いたい。そして、褒めて貰いたい。

 

彼女の持ってきた段ボール箱の中身はノートパソコンとケーブル類、そして小さなキューブ形の箱だった。ノートパソコンと箱を繋ぎ、箱から出ているケーブルを艦の通信機器のコネクタに接続する。隠匿機能を強化したポータブル形のテレビ電話だ。

 

スイッチを入れると回線が接続され、端末に映像が映し出される。一瞬ノイズで画面が歪むが、すぐにクリアな映像が表示される。

 

緒沢提督だ。

相変わらず凛々しいお姿だ。彼の顔を見るだけで、体の底から元気が出てくる気がする。しかし、今日は少しこわばった表情をしているように感じている。もしかして、激務でお疲れなのだろうか?

 

「こ、この……馬鹿者が! 」

いきなり怒鳴られた。

「なぜ、何の考えもなく、通信回線を開こうとしたのだ。アナログ通信で交信をしようなどと、それでも艦娘か! まかり間違ったら、私達の居場所まで特定されるリスクがあったのだぞ!! 」

 

「も、申し訳ありません。領域から脱出できて、すぐに提督にご報告したかったので、そこまで頭が回りませんでした。お願いですから、この愚かな扶桑をお許しください」

条件反射のように謝ってしまう。

「……けれど、何よりも私の無事を提督にご報告したかったのです」

 

「黙れ、言い訳など聞く気にならん。……何のためにあれだけの段取りをしてやったと思うのだ。あれだけの事をしてもらって、冷泉を討ち漏らすなどとは……。お前がここまで愚かだとを思わなかったぞ。昔はお前はもっともっと優秀だったと思っていたのに、なんだそのていたらくは。冷泉や永末にたらし込まれて、使い物にならなくされたというのか? それだけあいつ等はお前を気持ちよくしてくれたのか」

とまで言われてしまう。

「生きるために仕方ないとはいえ、何人も男を乗り換えてまでなどと。舞鶴鎮守府秘書艦のプライドは、どこにいったのだ! 女としての貞操はどうなっているんだ。この淫乱、売女め。あっちの方ばかり能力を磨いて、肝心の艦娘としてのスキルは二の次か? 」

 

「そんな! ……それは酷すぎます。私の能力不足を非難されるのは、いくらでもお受けします。けれど、私はそんな女ではありません。私は、私は、提督だけを思い続けておりました。ずっとずっと……。そもそも、冷泉提督とは何も無かったですし、永末さんとは、その、……薬を使われたせいで、決して私の自由意思ではありませんでした。どうか、信じてください。思い続けるのは、あなただけなのですから」

自分がそんな女と見られていることが、何よりも一番大切と思っている人からそんな風に思われていることが耐えられなかった。知らず知らず涙がこぼれ落ち、頬を伝い落ちていく。

その表情を見て、緒沢提督の目が泳ぐように見えた。感情的になりすぎたと思ってくれたのか。

 

「すまん、扶桑。確かに言い過ぎたよ。……けれど、私はそれでもお前を信じているんだ。どれほど辛い思いをし続け、それでも耐え続けたお前をな。けれど、目の前にある事実からは目を逸らすことはできない。俺はお前を信じたい。だから、信じるための証拠を見せて欲しいんだよ。だから、お前にチャンスを与えようと思っているんだ」

 

「そ、それはどういうことでしょうか。一体、何をすればいいのでしょうか。私にできることなら、何でもやります」

縋るような思いで次の言葉を待つ。

 

「……なに、簡単な事だ。今から降伏でもなんでもして、再び冷泉の元に行け。そして、隙を見てやつを殺すのだ。奴の首を持ち帰ることができたなら、お前の言う事を全て信じ、お前を昔と同じように処遇しよう。再び、お前を信じよう。信じることができる」

 

「そんな事できるはずがありません。不知火を殺し、冷泉提督を殺そうとした私を、みんなが許すはずがありません。近づいただけで沈められるに違い無いでしょう。お願いです。今は緒沢提督の元に帰り、体勢を整えてから、再戦をさせていただきたいのです。私は傷だらけの状態です。今のままでは、戦うことすらできません」

 

「それは、問題無いだろう? お前が降伏すると言って泣きつけば、優しい冷泉の事だ。きっと攻撃はしないし、させないだろう。後は冷泉の側まで行き、もちろん武器は持ち込めないだろうけれどね……。けれど、お前達艦娘が本気を出したら、人間一人くらい素手で縊り殺すのも簡単だろう。首をねじ切れば楽勝だろう? お前が二人きりで話したいことがあるとでも言って誘惑すれば、ちょろいもんだろう」

と言いながら、下卑た笑いを浮かべる提督。

 

「仮に、もしそれが成功したとして、そんなことになったら、きっと加賀たちが許すはずがありません。肉弾線で彼女達と戦って勝てる見込みなんてありません。ただでさえ、彼女達は今の私を許す気持ちなど持ち合わせていません。確かに冷泉提督がいる限りは、無茶はしないでしょうけど、そんな彼を私が殺したりしたら、絶対に見逃してはくれません」

 

「ならば、死ねばいいだろう? 冷泉を殺したという結果があれば、それで私の信頼を取り戻すことができるんだ。思い残す事はないだろう? お前は、私の為に殉じればいいのだ。お前は私を愛しているんだろう? ならば、私の悲願達成のためにあえて死んでくれ。……否、死ね。お前の死を糧にして、私はより高みを目指せるだろう。なあ、貴い犠牲だろう? お前は、このままではただの負け犬、淫売でしかない。生き残ったところで男を乗り換えるだけの売女としか見られない。けれど、私の為に敵と刺し違えるというのなら、それは美談となるであろう。これは、お前にしかできないことだ。私の為に命を投げ出して敵を討つ。素晴らしい忠義じゃないか。」

打ち震えるように緒沢提督は話す。自分の考えたストーリーに酔っているかのようにさえ見える。

 

「……提督は、本気でそうお考えなのですか? 」

 

「お前には、何度も何度もチャンスを与えたんだぞ。しかし、ことごとく失敗に終わり、多大な損失まで出したのだ。本来なら、処分してもいいくらいだ。私は、お前のことを大事に思っていた。なのに、お前は裏切り他の男と寝たのだ。それも何人もだ。このままでは、私は女を寝取られた男というレッテルを貼られるのだ。そして、お前はただの淫売として語られるだけだ。けれど、お前が冷泉と刺し違えたなら、すべては私の為を思って行動していた忠義の艦娘と昇華されるのだ。名誉を得られるのだ。そして、お前の私への想いは本物だったと私は涙するだろう。そして、私の愛情も得られるであろう。もはや、お前には道はそれしか残されていない。このまま帰って来ようとするなら、私はお前を沈めなければならないのだから」

 

「なんと言うことを仰るのですか」

 

「愚かにも、お前は通信を行おうとした。旧式の通信機器の使用などすぐに検知されるだろう。否、すでに検知されているだろう。そして、今頃は敵がそちらに向かっているやもしれん。仮にそんな手を打たないとしても、すでに監視下に置かれているに違い無い。そんなお前が、のこのこ私の基地に来ようものなら、敵は大挙して、私達を滅ぼしにかかるだろう。そんなことは絶対に許さない。たどり着く前に、お前を沈めるしかない。……私の願いを叶える障害となるものは、すべて消す。私は、もう二度と失敗はしない。二度と敗北はしない」

提督の願いを叶えるために、私はお役に立ちたいのです。できることは何でもしたいのです。あなたの為なら、命を投げ出すことすら厭わぬつもりです。

そう叫びたかったが、叫べなかった。それを言ってしまえば、ならば冷泉を殺すために死ねるということになるからだ。

扶桑には冷泉を殺せる自信が無かった。どうしても躊躇してしまう。これが軍の洗脳の力というのか? 

いや、違う。

それは直感的なところで分かっていた。

自分は緒沢提督のことを愛していたのだ。これは何よりも大切で、その思いはずっとずっと変わらなかった。冷泉提督の下にいたときも、永末さんと一緒だった時も。変わることはなかった。

けれど、その思いはあるのに、冷泉提督に対しても、それと似たような感情を持っていた。それをずっと無視してきた。避けてきたのだ。

 

どうしてなのだろう。……緒沢提督は、変わられてしまった。

悲しいけれど、それが現実だった。あの日だまりの中にいるような心地よさが懐かしかった。戻れるものなら戻りたい。けれど、時間を巻き戻すことはできない。人は変わらざるをえない生き物なのだ。

自分の思いと反比例していくように、緒沢提督との距離が開いていくように感じてしまう。

 

あの頃の提督なら、絶対にこんな事は言わなかったはずなのに。……自分が汚れてしまったから、もう一緒にいることも嫌になった? 愛すべき対象と見られなくなったのですか? 私は汚い存在ですか? もう愛してくれないのですか? あなたにとって必要のないものなのですか? 想いは巡り巡る。

 

「提督……」

祈りを込めて問いかける。

 

「なんだ? 」

 

「私は、提督にとって必要ですか? 」

 

「……もちろん、必要だ」

 

「それは、艦娘としてですか? それとも女としてですか? 」

唐突な問いかけに、一瞬惚けたような表情を見せる緒沢提督。

 

「と、当然だろう? どちらの扶桑も私には必要だ」

その言葉にひとかけらの愛情も込められていない事を瞬時に理解した。かつての緒沢提督からは感じたことのないものだ。

「だからこそ、私への愛を証明するんだ」

 

冷泉提督ならそんなことは絶対に言わない。

彼は馬鹿だけれど、優しく温かい。

勝利や名誉、欲望より艦娘の事を優先してくれる。後先考えずに。

冷泉提督なら、きっと言ってくれる。

「言い訳なんてどうでもいい。とにかく、俺の所に帰ってこい」

と。

 

結論は、既に出ているのだ。

 

もう、ここにはいられない。

 



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第171話 決意、投降。

扶桑の中で、決意は固まった。

 

辛いことではあるけれど、もはや緒沢提督の周りに自分の居場所は無いことを確信してしまった。提督は、自分のことを必要としていない。

 

いや、それどころか、厄介者だと思われている。

 

確かに、こんなに損傷した今の自分では、この先、提督のお役に立つことはできないだろう。だからこそ、体一つで冷泉提督の元に行き、彼を殺せと命ぜられたのだ。刺し違えてでも冷泉提督を殺せてと仰ったのだ。

 

「俺たちの未来の為に、死んでくれ……」

 

かつての自分ならば、そう言われたのなら喜んでその命令に従っただろう。しかし、今の緒沢提督の言う「俺たち」の中に、扶桑は含まれていないことを知ってしまった。だからこそ、その言葉は、扶桑の心にまるで響かなかったのだ。

 

汚れてしまった自分など、もはや彼にとって愛するに値しない存在。だからこそ、冷泉提督の元へと行き、彼を殺せと命じたのだ。万に一つも成功するとは思えない作戦。仮に成功すれば御の字。失敗しても厄介払いができるのだから……。彼にとっては何の損失も無い。

 

私は、もうその程度の女でしか無いのですね……。

扶桑は悲しく、そして寂しかった。

 

「……緒沢提督」

 

「な、なんだ? 」

 

「今までありがとうございました。提督のお側にいられた時間は、私にとってかけがえのない大切な物でした。とても、とても幸せな、夢のような一時でした。あそこにずっといられたら、どれほど幸せだったでしょうか……けれど、夢は必ず覚めるときがくるのですね」

 

「……」

唐突な扶桑の言葉に返す言葉が見つからないのか、黙り込んだままの緒沢提督。

 

「さようなら……」

そう言った扶桑の瞳から涙がこぼれていく。

 

「おい? 扶桑、何を突然言い出すんだ」

 

「……私は、全ての罪を償うため、冷泉提督の下へ行きます。全てを彼にお話するつもりです。そんなことをした程度で自分が犯してしまった罪を償えるとは思えませんが、それでも、私の為に死んで行った多くの人達と、そして犯した罪と向かい合うつもりです」

 

「はあ? お前、何を言っているんだ? 意味がわからんぞ」

 

「すべてを話す事が、私にとっての償いだと考えています。その後の処分については、すべて受け入れるつもりです。私は……もう、疲れてしまいました」

それが本音だった。

愛している人から愛されないというのなら、もう生きていても仕方がない。死んだ方がマシだ。ただ、自分の犯した罪の精算だけはしなければいけない。それだけは逃げるわけにはいかないのだ。

 

「おいおい、扶桑。お前、みんなゲロるつもりなのか? まさか、私の隠れ家を暴露するつもりなのか? 正気なのか? そんなことは認めないぞ。お前、私を脅すつもりなのか? ……おい、コラ。そんなことをしたら、俺たちがどうなるのか、考えたのか? それがどういうことか理解してるのか? 本気で仲間を売り飛ばすのか? ふざけるなよ、コラ。なめてるのか、コラ。それでも私の部下なのか……」

青筋を立てて、感情を露わにして提督が怒鳴り散らす。

 

「私は、提督の為されることの邪魔をするつもりはありません」

 

「ふざけるなよ! それが私の邪魔をするっていうことだろうが。最後の最後で、またお前は裏切るっていうのか。私がどれほど苦渋を飲まされて、これまで辛い思いをして生きてきたのか、お前には分かっていないのか? やっとこれからだという時に、お前は、すべてをぶち壊すというのか? ……扶桑、今すぐ考え直せ」

 

「いいえ……もう決めた事です。私には、こうすることしかできないのです。すみません、提督」

そう言うと、返事を待たずに通信を切断した。

 

これでいいのだ。

自分に言い聞かせるように扶桑は頷いた。そして、通常回線を使って呼びかける。

 

 

 

「糞ボケがっ! 」

無線機のマイクを叩きつけながら、緒沢は叫んだ。

「全く、何の役にも立たない上に、私の未来の邪魔をしようなどと! 」

そう言いながらも、あまり怒りの感情が沸いていないことに気付いてしまう。確かに、自分の手の内にあると思っていた扶桑に裏切られたような気持ちになり激怒する気持ちもあるが、実際には厄介払いができたと、むしろホッとする自分がいたりする。

 

「まだまだ私も甘すぎるということだな」

捨てられて当然の事をした扶桑をずっと側に置いていたのは、かつて本気で愛した女だからだ。たとえ、自分のいない間に他の男達の懇ろになり、色々とお楽しみだった女だとしても、かつて共に過ごした濃密な時間だけは、本物だったからだ。実際に愛していた。自分から切り捨てるのはなかなかできなかったけれど、幸いなことに向こうから愛想を尽かせてくれた。これで気兼ねなく生きることができる。

 

体が軽くなった気がして、思わずにやけてしまうのだ。

 

冷たくあしらった仕返しに、緒沢が何を考え、どういった戦力でいること、どこが本拠地であることをペラペラと扶桑は話すのだろう。

昔の男である冷泉に。

自分は操られていた、騙されていた。信じていた人に裏切られたといつものように被害者ぶって泣きつくのだろうな。……なんというゲスな女になりはててしまったのか。

 

自分がずっと彼女を側に置いてやれれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。あの時、彼女を残して行ってしまったのは間違いだったのか? けれど、それはあの状況では不可能な事だったのだ。あまりに敵が動くのが早すぎて、扶桑を匿う時間が無かったのだから。それに、仮に時間があったとしても、おそらくはできなかったし、しなかっただろう。舞鶴鎮守府に置いておくことで、緒沢の影響力をずっと残しておくには、最も近くにいた彼女を置いておく必要があったのだから。

 

まあ、今となってはそれが仇となり、様々な問題が起こってしまったのだけれど。なかなか思い通りには行かないものだということだ。

 

しかし、たいした事はない。

 

扶桑が全てを話したところで、ほんの一端しか露見しないのだから。真の隠れ家は、扶桑の知る所ではない別の場所にあるし、緒沢の本当の目的も彼女は知らない。我が手の中にある戦力だってそうだ。扶桑が知る範囲の艦娘だけで、あの程度で、国家に……いや艦娘と対峙するわけがないのだからな。

「永末が死んだことが、敵に露見することだけが傷手という感じだろうか」

と呟く。

「まだ、私が表舞台に出るには早すぎるとは思うのだけれど、それはそれで仕方ないか」

しばらくの間は、扶桑達の指揮官は永末であり、彼の目的のために艦娘達が動いていると偽装したかった。あらゆる悪事は全て永末の手によるもので、冷泉達の敵意は彼にのみ向けられるはずだったのだ。そうすれば敵を混乱させられるし、いろいろと他の準備も整える事ができたのだが……。上手くすれば内部工作によって、さらなる艦娘を離反させることができたかもしれないのにな。

 

「いや、それだけではないだろう? 」

と、唐突に話しかけられる。

呉鎮守府提督の高洲だ。今日はわざわざ隠れ家にまで来てくれていたのだ。遠征に同乗という形で時々やりとりを続けている。通信では傍受される危険性もあるのだからな。外洋に出れば、軍の人間は近づくこともできないから安心だ。

そして、今いる隠れ家として使用している施設は、鎮守府の遠征艦隊が寄港してもなんら疑われることのない施設であるということだ。

 

「はて、それはどういうことでしょうか? 」

 

「何をとぼけているんだよ、緒沢君。こりゃ、まずいんじゃないかなあ。だって、扶桑には私が君の仲間だと知られているんだよ。このまま行かせてしまったら、私の事まで冷泉の奴に話されるんじゃないか。うーん、まずいなあ」

のんびりとした口調で話してはいるが、わりと焦っているのが分かる。

 

「しかし、扶桑はもう私の言う事など聞いてくれないでしょう。影響力がどうも及ばなくなっているようです。永末の馬鹿が薬なんて使って、余計な事をしたのが原因なのか、永末か冷泉に仕込まれてしまって、私の影響力が弱められてしまったのかもしれません。まあ、今更考えたくもない事ですが」

所詮他人事なので緊張感は無い。仮にここで高洲提督が脱落しても、それほどは困らない。彼の鎮守府にも自分の配下の者を潜り込ませている。そいつ等を動かして、艦娘を引き抜くことだってできなくはないのだから。

 

「うーん、緒沢君は、どうもいまいち頭が回っていない感じだね。もっともっと思考を働かせないと、いつかどこかで足元を掬われるよ。まだまだ目的を達成するまでは、遠い道のりなんだからね。だから君を見ていると不安になっちゃうんだよ。まあベテラン提督とは言っても、君もまだ私から見たら若いからねえ」

 

「は、はあ、すみません。いつも面倒事ばかり押しつけてしまって」

わざとらしさを極力隠して謝罪する。

「提督の助言と助力が無ければ、私など、とうの昔に反逆罪で処断されていたところです。今後ともいろいろとご教授いただければありがたいです」

そう言って深々と頭を下げる。

 

「まあ何事も経験だよ。窮地を好機と捉えるくらいの眼がないと駄目だよう。ピンチをチャンスにってやつだな。まあ私のような老いぼれからでも、少しは学ぶところがあると思うから、どんどん吸収してくれたまえよ」

ふぉっ!ふぉっ!ふぉっ! と高笑いする高洲。

 

それを見て、吐き気がするような気持ちを何とか堪える。艦娘を娼婦のようにしか見ていないエロジジイから、一体、何を学ぶことがあるというのか。軍にいた彼と同年代の有能な人間は、深海棲艦との初戦で戦死し、たまたま戦場にも派遣されずに生き残っていただけの存在。今となっては老害でしかない、無能な男だ。けれども、腐っても鎮守府指令官の地位にいる男である。何かと利用価値は高いから、切り捨てることもできない。まだまだ後押ししてもらう事も多いだろう。……もっとも、彼が何を考えているかも分かった物では無い。いろいろと野心を持っているのは間違い無く、自分も利用されている所があるのだろう。つまり、お互い利用価値がある間は、助け合いをせざるをえないのだろうな……。

「是非ともいろいろと教えてください」

と、適当に返答をする。

 

「まあ扶桑の件は、このまま放置しては私にとって障害となる要素が多い。彼女の処遇については、すべてを私に一任してもらっても依存はないということでいいかな? 」

 

「私としても、もはやこちらに帰属意思のない艦娘など不用です。すべて提督にお任せします」

お手並み拝見といこう。どう転んでもこちらには関係のないことなのだから。上手く排除できれば良し、失敗して彼が失脚するのであれば、新たに準備していた策を施すだけだ。

……もっとも、この老人も何か策があるらしいから、どうにかなるのだろうけれど。

 

どんな事態が起こるかは、じっくりと観察しようか。そう思いながらも、今居る基地からは、全てを移動させなければならないと思うと億劫になる。隠れ家はいくつあっても困らないのに、飼い犬に裏切られて失うのは癪に障る。

けれど、それも自業自得な部分もあるから、諦めよう。この失敗は次に生かせばいいのだ。失敗から学ぶことは、成功から学ぶことよりもはるかに多いのだから。

 

 

 

 

再び、舞鶴鎮守府艦隊側に話は変わる。

 

冷泉指揮の艦隊は、損傷を受けた艦船が多いため、遠距離の移動は無理となっていた。このため、緒沢が残したメガフロート基地に全艦を移動させ、停泊させている。

少し前までは敵艦隊の基地となっていたわけだから、相応の施設も備えているのだろう。警戒する必要はあるが、あの状況での撤退だ。さまざまな資材を全て運び出すことは不可能だったはず。ならば艦娘の応急処置に使える資材や機器が残されたままであるはず。

それに、どちらにしてもどこかで一息付ける場所が、肉体的にも精神的にも必要だったのだ。

 

とにかく、できることは、しないといけない。航行可能な艦娘に加賀と神通を曳航させて、なんとかメガフロート基地の港に接岸を完了させたのだった。

 

基地を走査したところ、爆発物の存在は無く、伏兵の存在も無かった。資機材も、食料も若干ではあるが残されていた。整備用機器も稼働できる状態であるため、艦の損傷程度なら直せるかもしれないとのことだった。

疲労の激しい加賀と神通は、医務室で仮眠を取らせている。他の艦娘たちには警戒と基地内の探索、機器の動作確認などを依頼している。みんな忙しそうに働いている。

 

冷泉は大湊鎮守府に連絡し、葛生提督へ救援を依頼した。彼女は、すぐにでも救援艦隊を派遣すると回答してくれる。それどころか、不知火の死を悼むとともに、冷泉の心労を気遣ってくれた。ここのところ彼女にはずっと助けて貰ってばかりで、礼を言うばかりしかできていない。借りが増えるばかりで、何も返すことのできない自分の不甲斐なさが情けなかった。頭を下げる冷税に、困ったときはお互い様だと彼女は笑った。本当に申し訳なかったが、今は彼女の好意に甘えるしかなかったのだ。

そして、心の中で彼女に対して批判的な感情を抱いていた自分を恥じていた。彼女に対する評価を大幅に変更するとともに、尊敬の念さえ感じるようになっていた。最悪の出会いだったけれど、結局、自分には人を見る眼がまるで無かったという証左であると思うようにしていた。そして、いつかこの借りを返せればいいな、彼女の力になることができればいいなと思うようになっていた。

 

「……けれど、恩返しをする日は、本当に来るのだろうか」

恐らく、彼女にはこの先も迷惑をかけることになりそうだ。ただでさえ大湊鎮守府の提督としての仕事があるというのに、きっと、冷泉がいなくなった時には、彼女に舞鶴鎮守府の事と、部下の艦娘をお願いすることになるはずなのだから。

冷泉がメチャメチャにした鎮守府を立て直す労苦を、彼女に押しつけてしまうであろう未来を思うと、本当に申し訳なかった。けれど、日本海軍の中で、そういった面倒なことをお願いできる人は、彼女しかいないのだから、仕方ない。彼女には、諦めて貰うしかない。

 

「いろいろと迷惑をおかけし、申し訳ありません」

そう彼女に言うしかなかった。

 

そういった事が一段落ついて、ひとり自分でいれたコーヒーを口に運ぶ。いつもは加賀がいれてくれるのだけれど、彼女はずっと眠ったままだ。どういうわけか、同じものの筈なのに、ちっともおいしくない。

 

そして、ふと現実に引き戻されてしまう。

意識をそちらに向けないようにしていたのに、考えないようにいろいろな仕事を無理矢理片付けようとしていたのに、ふっと空白が生まれてしまうと見たくも無い現実に直面させられてしまう。

 

「不知火……」

助けられなかった事、守ってやれなかった事、約束したのに何一つできなかった。彼女の苦しみを和らげてやることも、知ってあげることさえできなかった。それどころか彼女を敵として、沈めることさえ決意していた。なのに、逆に彼女に最後まで守られた。

泣き出しそうになるのを必死に堪える冷泉。今はそんな時ではない。とにかく、みんなを無事鎮守府に連れ帰る事が最重要事項なのだ。

 

それすらできなければ、命がけで冷泉を救ってくれた不知火に顔向けができないじゃないか。

 

唐突に電子音が鳴りひびく。何かと思うと、一般回線で通信が入ったことを知らせる音だったのだった。

さらに通信の相手を確認して、冷泉に衝撃が走る。なんと、その相手は扶桑だったのだ。

 

「……扶桑なのか? 」

声が震えているのを認識しながらも問いかける。

 

彼女は、投降するという。ただ、戦闘による艦の損傷が酷いため、移動に時間はかかるが、そちらに向かうとのことだった。

「ならば、誰かに迎えに行かせよう。一人でいては深海棲艦が現れたら大変だろう? 」

彼女にかけた言葉の半分は嘘だった。扶桑がこちらに来るということは、永末の艦隊を離脱したということだ。であるとすれば、それは裏切り。それを許すとは思えない。追撃の艦が派遣されているかもしれない。ここで更に扶桑までを失うなんてしたくなかった。

もちろん、不知火を殺した張本人である扶桑に対して、何の感情も無いなんてことは言えない。けれど、それ以上に彼女を救いたいという思いが強かったのだ。彼女は迎えなど不用と固辞するが、もはや決定事項だ。

 

早速、冷泉は無事な艦娘を招集し、扶桑からの通信内容を伝える。彼女たちの反応は早かった。

「今更、投降するなんてありえないです」

かつての仲間を否定するのを躊躇しながらも、高雄が非難する。

 

「ワタシ達を裏切り、それどころか不知火を殺した張本人を受け入れるなんて、絶対ありえないネー! 」

 

「高雄さんや金剛さんの言うとおりです。彼女のせいでたくさんの死傷者が出ました。鎮守府の施設にも甚大な被害が出たんです。そんな人を許すというのですか」

新参の榛名と速吸も呼応する。

 

「何よりも、扶桑は提督さえも殺そうとしたのですよ。それだけは絶対にあってはならないこと。そんな艦娘を、私は許すことはできません。面と向かい合ったら、自分を制御できる自信がありません」

と高雄。

 

「それだけではないカモネ。きっとこれは、罠としか考えられない」

と金剛が騒ぎ出す。冷泉の殺害に失敗し、艦も損傷した扶桑は捨て身の作戦に出たのだと言う。

「だから絶対に、彼女の話に乗ってはダメネ」

 

「お前達の言う事はもっともだ。それについては俺もちゃんと認識しているよ。……けれど、俺は扶桑を受け入れるつもりだ」

一斉に反論の言葉が冷泉に浴びせかけられるが、それを無視する。

「もうこれ以上、お前達が戦う姿なんて見たくないんだ。扶桑は投降すると言って来ているんだ。俺は、彼女を信じる。いや、俺が信じたいだけなのかもしれない……」

冷泉の言葉に、艦娘達は黙り込んだ。

「扶桑のしたことは、決して許される事ではない。それは俺だって許すことはできない。けれど、彼女が救いを求めているのであるなら、俺は手を差し伸べたい。どんな状況であろうとも、俺は扶桑を信じたい。これがどれほど愚かな事かなんて、理解しているつもりだ。それでも、俺は彼女を信じ、そして、できることなら救いたいんだ。俺の手で! 扶桑の上官である俺の力で。お前達の気持ちも分かる。けれど、一度だけでいい。俺を信じてもらえないか? 頼む」

そう言って冷泉は頭を下げた。

 

―――しばしの沈黙が流れる。

 

「そんなに頭を下げられたら、もう何も言えなくなるネ。ずるいネ」

と金剛が口を開く。

「加賀や神通がなんて言うかは分からないけど、まあ二人とも寝てるからいいか。ワタシはいつでも提督の味方。ここにいるみんなも提督の味方ネ。提督が信じるっていうなら、それがどんなに馬鹿で間違っていても、ワタシ達もそれを信じる! だって、提督を信じているんだからネ 」

他の艦娘達もいろいろ思うところはあるかもしれないが、皆頷いてみせる。

 

「すまない、みんな。……ありがとう。俺を信じてくれて、感謝する。敵が現れるかもしれないし、永末が追っ手を差し出すかもしれないから、迎えを出したい」

冷泉は艦娘達を見る。

 

「私が行きます」

と、榛名が手を上げる。

「私はほとんど損傷が無い状態ですし、扶桑さんとの関わりもほとんど無かったですから、彼女にもニュートラルに対応できると思います」

 

「分かった。ありがとう、榛名」

他の艦娘には頼みにくい雰囲気があったので、榛名が立候補してくれたのは冷泉にとっても僥倖だった。皆、扶桑と共に死線を乗り越えてきた友だと思っていたはず。そんな彼女が何の相談もなく裏切り、多くの死傷者を出し、不知火を殺し、更には指揮官である冷泉すら手に掛けようとしたのだ。今更、投降するといっても、はいそうですかとは受け入れられないのは当然だ。最悪は誰かに命令しなければならないと思っていただけに、安堵する。

 

そして、出発となる。

 

例え戦艦とはいえ、一人で行かせるのはどうか? と迷ったが、通常海域ならば戦艦は、ほぼ無敵であること。かつ深海棲艦の行動は、ここ数日低調であることからおそらくは問題ないと判断した。それに、扶桑のいる場所との距離は、おおよそ250km。ならば、最悪、金剛や高雄の主砲の射程範囲であることから、万が一の事があったとしても、援護は可能だし、全速力で向かう時間くらいなら榛名であれば持ちこたえるだろうという計算もあった。

 

「提督、まかせてください、きっと提督の思いは、扶桑さんに伝わります。それに、私もがんばります! 必ず扶桑さんを、無事連れて帰ります」

そう言って、元気に榛名は敬礼する。

 

「うん、頼むぞ榛名」

 

そして、戦艦榛名は出航していった。

 

 

 

 

 



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第172話 死歿

「冷泉提督……お辛そう。どうして、あの方だけがあんなに辛い思いをしないといけないのでしょうか? 」

艦橋から見える海を見ながら、榛名は思わず口に出してしまう。

私達の事を思い行動してくださる冷泉提督。誰よりも優しくて、誰よりも信頼のできる方。まだ舞鶴鎮守府に来てからそんなに時間は経っていないけれど、提督とお話したりしているだけで、それが分かってしまう。そんな提督の下でずっと働いている艦娘達を、心から羨ましく思った。自分もいつかきっと提督に認められ、彼から大事な存在だと思われたい……。ついついそんなことを考えてしまう。

 

冷泉提督は、今、とても大変で困難な状況にある。部下であった艦娘達に裏切られ、鎮守府を破壊されて多くの部下を失われた。さらには部下だった艦娘を討たなければいけない状況にまで追い込まれてしまった。そして、……不知火さんを目の前で失ってしまった。

なんとか感情を制御しようと努力しているけれど、端から見ても彼の気持ちは手に取るように分かってしまう。彼は、ずっと自分を責めている。みんなを護れず、窮地に陥らせてしまったことがすべて提督の責任だと思われているようなのだ。

 

―――それは、違うと思う。きっと違う。もっと私達がしっかりと提督をお支えしていたら、もう少し、マシな未来になったかもしれない。

 

あの時こうすれば、あの時こう言えば……所詮は結果論でしかない。けれど、それを言いたくなってしまう。

何よりも、自分が提督のお役に立てないままの状態であることに耐えられない。少しでも提督の心を不安を取り除いてあげたい、と思っていた。

 

そして、初めての機会が訪れたのだ。傷つき敵勢力から離脱した扶桑さんを救いだすという任務が自分に与えられたのだ。

 

必ず、扶桑さんを連れ戻してみせる。今、彼女まで失ってしまったら、冷泉提督の心が壊れてしまうかもしれない。そんなことは、絶対にさせない。

 

この機会に提督のお役に立つことで、彼にに認められたい。そして、それ以上に、艦娘のみんなに、仲間として認められたいと思っていたのだ。

 

「私は、まだ舞鶴鎮守府の一員と呼ばれるような事を何一つしていないんだから。みんなからは、まだまだ仲間と思われていないはず。とにかく、一生懸命がんばらないと! 」

榛名は、両手を握りしめて気合いを入れる。

 

そして、突然、通信が入って来る。

普段使う事のない、特殊なチャンネルでそれはやって来た。

 

「あれ? 一体何なのでしょうか? こんな通信方法なんて、初めてです」

よくは分からないけれど、無視する訳にはいけない気がする。それどころか、この通信には出ないと行けないような気がする。

「どうすればいいのかしら」

とりあえず、通信機に手を伸ばしてみる。無意識のうちに指はパネルをタッチし、回線を接続した。それどころか、何故かパスワードも勝手に入力できてしまう。

どうしてそんなことができるのか分からない不安を感じながらも、映像が映し出される画面に注目してしまう。

 

「やあ、榛名。元気にしてたかな? 」

映し出された画面には、榛名のかつての上司で、最愛の人である高洲提督が映し出されていた。彼はニッコリと微笑む。

 

その瞬間、榛名は意識が遠のくのを感じた。

 

 

 

---------------------------------------

 

椅子に腰掛けて、安堵のため息を付く扶桑。

 

冷泉提督から、連絡があった。なんと自分を受け入れてくれるとのことだった。犯してしまった罪は償わなければならないけれど、お前にも事情があったことは理解している。できる限りのことはするから、安心して帰ってこいと彼は言ってくれた。……あれだけのことをしでかしたというのに、彼は許すと言ってくれた。本当は私の事を許せないだろうし、失ったものの大きさで耐えられないはずなのに、彼は私の事を気遣ってくれている。優しくて温かく、そして、どうしようもなく愚かな人だ。

 

自分はこんなにも艦娘を思ってくれる人を裏切り、傷つけたのだ。

 

それを思うと、いてもたってもいられない。自分の犯してしまった罪は決して償い切れないだろうけど、それでも彼の元に帰り、全てをお話する責務があるのだ。自分がどんな気持ちだったか、そして起こった事実、起ころうとしている未来の全てを。全てを冷泉提督に知って貰う必要がある。そうすることで、死んで行った人達の死が少しでも慰められれば……。そして、これ以上の悲劇が起こらないようにすることができれば。心から思っていたのだ。

 

傷ついた舞鶴艦隊で、無事な艦娘は少ない。そんな中、榛名を迎えに寄越してくれるという。榛名の名前を聞いて、ホッと胸をなで下ろす自分がいることに気付く扶桑。

 

金剛や高雄、神通だったら、自分はそれを承諾しただろうか? そして、加賀だったらどうだっただろうと考えてしまう。

 

どの子も冷泉提督のことを誰よりも大切に思っている。そして、そんな彼を殺そうとした自分を、彼女達は許してくれるだろうか? ……共に戦い、お互いを理解し合っている戦友だった自分が裏切り、それどころか仲間を殺し、その上、提督を殺そうとしたのだ。そんな自分を許せるだろうか? 冷泉提督に止められているとしても、自分と面と向かった時に、怒りや憎しみといった感情を制御できるだろうか?

 

もしも、自分だったなら、無理だろう。

 

そもそも、共に戦ってきた仲間に、私はどんな顔をすればいいのだろうか。犯した罪は、償い切れない。もっと早く気付くことができればよかったけれど、それが自分にはできなかった。自分が間違っているなんて、思いもしなかった。常に受け身で周りに流され、私情に流されてばかりの生き方をしてきた自分がいけないのだけれど、それを悔やむには時は既に遅すぎるのだ。本当ならば、死んで詫びるのが一番なのだろうけれど、そこまで純な女ではない。きれい事を言う自分をあざ笑う別の自分がいることも重々承知なのだから。

 

全てを話して、贖罪したい。澱かたまったどす黒い心が少しでも晴れることになるのなら、何だって話したい。……それも真実だけれど、もう一つの思いもある。それは、もっともっと汚い心の吐露だ。

 

愛していた……緒沢提督が何を考え、これから何をしようとしているかを、自分の胸の奥にしまい込んだまま……一人で消えていくなんてできなかった。したくなかった。ずっと信じていたのに、あっけなく裏切られた。自分はもはや不用だと言われた悲しみ。捨てられた悲しみ、絶望、怒りがそうさせてくれないのだ。自分は運命に翻弄され騙され続け、大切な物を裏切り続けてしまった。償いをしなければいけない。すべてをリセットしないといけない。

 

いいえ、裏切られたままで終わりたくない。泣き寝入りするだけの女ではいたくない。

 

「薄汚い嫉妬に囚われた女だと言われても仕方がない……な」

大きなため息をついてしまう。

「どうして、こんなことになってしまったのでしょうか。私は、ただただ、提督の事をお慕いし、ずっとお側にいたかっただけなのに。なんて運命とは、残酷なのでしょうか」

口にする提督とは、もちろん緒沢提督の事だ。決して冷泉提督ではない。今でも愛しているのは、緒沢提督なのだから。

 

 

やがて、前方に戦艦榛名の艦影が見えてきた。少し間を置いて、通信が入ってくる。

「扶桑さん、榛名です」

 

「わざわざ来てくれてありがとう、榛名」

扶桑は彼女に声を掛ける。

 

「動力の切替は、できないのでしょうか? 」

形式的な挨拶も無く、事務的に問いかけてくる榛名。

いつもと違う無機質な対応に少し違和感を感じるが、やはり、彼女も裏切り者の自分の事を良くは思っていないのだと納得してしまう。極力、敵である私と話なんてしたくないのだろう。

 

少しだけ寂しい思いを感じる。呉鎮守府で冷遇されていたと聞いていた榛名だから、きっと自分の気持ちを一番分かってくれる艦娘だと、勝手に思い込んでいたのだ。彼女なら、何の偏見も無く受け入れてくれるだろう、親身になって聞いてくれるだろう……と。相変わらず、自分勝手に盛り上がるのが自分の悪いところね、と反省する。

 

「残念ながら損傷が酷くて、どうすることもできないのです」

と感傷を切り捨てて、回答する。

 

「そうですか、わかりました」

 

しかし、あまりに淡々と言葉を続けられると、なんだか機械と話しているようで、少し変に思うが、まあもともと変な子であったから、そんなものかなと扶桑は自分を納得させた。

もっと愛想良くしたら、きっと提督も喜ばれるのに勿体ない。見た目も体もとっても魅力的な子なのですから……と余計な心配までしてしまう。

 

「扶桑さん、ところで……どうして投降する気になったんですか」

いきなり問いかけられる。

扶桑は、思わず返答に困り、言葉が上手く出てこない。

 

「扶桑さんは、ずっと思い焦がれ続けていた緒沢提督と一緒になることができたのに、どうしてあそこを去ることにしたのですか?」

 

心の傷を抉るような質問を投げかけられ、一瞬、むっとするが、ぐっと感情を堪えた。

「提督は、私の知る昔の提督では無かったのです。もちろん、提督のご期待に添えなかった私が全て悪いのです。それは、認めます。けれど、提督はもう私に用はないと仰った。私はずっとずっと提督のお役に立ちたくて、一生懸命がんばってきたつもりです。できがいい部下では無かったかもしれません。けれどこの気持ちに嘘偽りはなかったのです」

喋りながら、ふと疑問が沸いてきた。

 

なぜ、この子は緒沢提督が生きていることを知っているのだろう。どうして、提督が私と一緒にいたことを知っているのだろう?

そして、思い当たる。高洲提督と緒沢提督が話しているところを、扶桑は何度も見たことがある。その流れで、扶桑との繋がりを知ることになったのだろうか? しかし、その頃には、榛名は舞鶴鎮守府に来ていたはずなのだ。呉鎮守府からは遠く離れ、指揮官も冷泉提督に変わっていたはずなのだ。もちろん連絡を取ることはできないわけではない。けれど、緒沢提督が生きていた事は、誰も知らないことなのだ。

もっとも秘密にしなければならない事なのである。それを余所の鎮守府の、否、彼等から敵である冷泉提督の指揮下にある榛名に、普通なら話すはずなどないのだ。

 

それが行われたということは、高洲提督と榛名との関係は昔と何ら変わっていないということにほかならない。……つまり、榛名は形式的には舞鶴鎮守府の艦娘であるけれど、実態は呉鎮守府所属の艦娘。高洲提督の艦娘。つまり、舞鶴鎮守府に送り込まれたスパイということなのか。

 

そして、その彼女が単身で自分の元に来た事。

彼女の目的とは? 何だ?

 

答えに手が届いた瞬間、全身が総毛立つのを感じた。

 

扶桑は彼女に悟られぬように、今、使える武器があるかどうか確認する。同時並行で動力は稼働するかを確認した。停止状態にある艦のタービン起動には、少し時間がかかる。

 

扶桑は、時間を稼ぐためにどうでもいい会話を無理矢理紡ぎ出し、話を長引かせようとする。艦娘の怪我の具合はどうだとか、提督達が今どこにいるのかなどを。

 

悟られぬよう、並行して思考を続ける。

榛名は、間違い無く扶桑の口封じの為に来たのだ。それは当然のことだろう。高洲提督が緒沢提督と繋がっていることなんて、冷泉提督に知られるわけにはいかない事だ。だからこそ、榛名をここに派遣させたのだ。

 

……殺すために。

 

一か八かに賭けるしか無い。こんなところで死ぬわけにはいかないのだから。何としても、真実を冷泉提督に伝え、全てを終わらせて貰うのだ。

 

会話が途切れそうになるのを必死に引き延ばすのも限界に来ている。

扶桑は、榛名に問いかける。

「どうして、緒沢提督と私が一緒だったとあなたは知っているの? そもそも、緒沢提督は記録上はすでに亡くなっている存在だったはずよ。鎮守府を出た私は、永末さんと行動しているとなっていたはずだけれど。舞鶴にずっといたあなたが知りえる話ではなくて? 」

これ以上の引き延ばしは無理だと判断した扶桑は、核心に迫る話題を振る。

 

「くすくす……くすくす」

突然、榛名が噴き出す。とてもわざとらしい笑い方、……いや、嗤い方だ。

「あは、……ばれちゃいましたか。私、余計な事を言ってしまいましたね。けれど、結果は変わりませんからご安心ください。扶桑さん、いつの世も裏切り者の末路というものは、決まっているのです。あなたは冷泉提督を裏切り、緒沢提督をも裏切った。そんな艦娘に、まともな未来などあるわけないじゃないですか」

 

「……榛名、教えてもらえるかしら。あなたの指揮艦は、今は冷泉提督でしょう? どうして冷泉提督に不利となる事に荷担するのですか? 当然知っている事でしょうけれど、緒沢提督と高洲提督は手を結んでいる。明確に冷泉提督の敵ですよ。あなたは、その敵に与するのですか? 」

 

「あはははは。裏切り者の扶桑さんに、そんなこと言われるなんて、とても驚いちゃいます。けれど何一つ私の心には、ブレなど一切ありませんよ。……例えこの体が冷泉提督のものになろうとも、榛名の心だけは、高洲提督のものです。私は、ずっとずっと提督をお慕いしているのです。その気持ちは今でも変わりありません。提督のご命令であれば、どんなことでもするつもりです。今は冷泉提督に体をゆだねるという汚辱にまみれていますが、心は決して彼のものにはなりません」

力強く宣言する榛名。何の疑いもなく信じる尊い物のようにさえ見えてしまう。扶桑は、榛名に過去の自分の姿をダブらせてしまう。

 

報われることの無い想いに、彼女は囚われてしまっている。それは想いというよりも、妄想に近い。かつての私と一緒だ。

夢は、きっと覚める。それも、最悪の形で。もはや、榛名は高洲提督に愛されてなどいない。いないのに、彼女はそれに必死に縋っている。そんなことをしても、ただただ彼の野望のために利用されるだけなのだ。今だって利用されている。私を殺すのは、高洲提督が不利な立場にならないため(だけ)でしかない。彼女はスパイとしてずっと使われ、やがて使い潰されるだけなのだ。彼の心の中には、榛名の居場所などすでにどこにも無い。きっと用が済めば、あっさりと捨てられる運命なのだ。

 

扶桑は、同情とともに必死に訴えようとする。自分と同じ悲劇から榛名を守ってやりたいと思った。何を信じるべきか、そして誰を信じるべきかを。

 

答えは必定だ。

 

「榛名、はっきりと言うわ。こんな裏切り者の私だからこそ、言えることだと思うの。あなたは、今、指揮下にある指令官に従うべきなのです。冷泉提督こそが誰よりも艦娘を想い大切にしてくれる人なのよ。私は、こんな状況になるまで……もうどうにもならない状況になって、初めてそのことに気付いた。その事実に」

扶桑は必死に訴える。

「今ならまだ間に合うわ、榛名。何も考える必要は無いの。冷泉提督を信じるだけであなたは救われる。私のようにならなくて済むのよ」

 

一瞬、言葉を詰まらす榛名。しかし、唐突に笑い出す。

「おかしい、おかしい事を言いますね、扶桑さんは。冷泉提督のほうが高洲提督より優れているだなんて。笑っちゃいます。あんな失敗続きの情けない人を頼れだなんて! 扶桑さんは男の人に裏切られてばかりで、頭がおかしくなったのですね。可哀想です。……けれど、提督を侮辱したことは許せません! どうせ沈めるつもりなので結果は変わらないのですが」

榛名の主砲が動き始める。

 

「は、榛名、待ちなさい。早まってはダメ! 」

慌てて扶桑は声を上げる。

 

「裏切り者は、惨めに死んで行きなさい」

榛名は攻撃態勢に入る。明らかにこちらを狙ってきている。

 

「な! 」

これ以上の説得は不可能。躊躇すればこちらがやられる。扶桑は、使用可能な砲塔より警告なしで発砲すると同時に、急速後退を始めた。当たるとは思ってなどいない。目くらまし程度にでも使えれば!

 

扶桑より発射された砲弾は、戦艦榛名が発動させた防御障壁にいとも簡単に阻止される。続けて砲撃もまるで通じない。

 

もっともそれは時間稼ぎにすぎない。防御している間は攻撃はできないはずだ。そこに僅かな時間の隙ができるはず。

扶桑は、ここから逃げることだけを考えていたのだ。

再び領域に逃げ込むしかない。領域に逃げ込めば、榛名は追うにしても動力の切替に時間を取られる。その時間があれば、十分に逃げおおせるはずだ。

 

「愚かな事をしますね」

蔑みを含んだ声で榛名の声が聞こえた。

榛名は防御障壁を解き、砲撃を開始する。当然、扶桑が放った砲弾が着弾する。しかし、榛名の艦にはほとんどダメージを与えられない。

 

逆に、榛名の砲撃により、一撃でスクリューが破壊される。

榛名の主砲であれば、障壁の発動できない戦艦など意図もたやすく貫けるはずなのに、なぜ? 疑問は生じるが、どちらにしても戦艦扶桑は航行不能となったのだ。

 

航行不能となった扶桑にゆっくりと接近してくる戦艦榛名。

 

「……榛名、私をどうするつもりなのですか」

沈めるつもりで来たはずの彼女が、扶桑を航行不能にする必要などないはずなのだ。

 

「航行不能になったあなたに、もう未来はありません。裏切り者らしく、惨めに死んでいくことになります」

と榛名が宣告する。

すぐには彼女の言っていることが理解できない扶桑だが、次の彼女の言葉で運命を知らされる。

「ここは領域のすぐ側です。航行不能になったあなたは、やがて領域に取り込まれることになるでしょう。航行不能なあなたでは、反撃も逃亡もすることができず、深海棲艦に沈められるでしょうね」

確かに、直ぐ側は領域だ。領域の雲は生き物のように伸縮する。領域解放の戦いを行わなければ、徐々に海は侵蝕され、日本国本土に迫ってくるのだ。そして、まれに近くを航行する艦船を飲み込むこともあると言われている。艦娘であっても同様だ。だから、領域には近づきすぎるなと、口を酸っぱくしてたたき込まれる。

 

「どうしてそんなまどろっこしい事をするというの? 砲撃で沈めれば簡単じゃない」

 

「そんなの簡単でしょう? 私があなたを沈めたら、冷泉提督が悲しむからです。そして、疑われるからです。彼は投降の意志を示したあなたを連れ帰るよう、私に命じました。けれど、私はあなたを沈めなければなりません。だから、これで勘弁してあげます。翻意した扶桑さんに必死に抵抗されたのでどうすることもできず、反撃しました。けれど、連れ帰る命令でしたので、威嚇射撃しかできずに、彼女には領域に逃げ込まれてしまいました。命令を実行できなくて、すみません。これで提督も納得してくださるわ」

 

「あなた、このままずっと高洲提督のいいなりで生きていくの? 冷泉提督を騙し続けて生き続けるというの? 」

 

「当然でしょう」

と、何の迷いもなく榛名が答えた。

 

「やめなさい。私なんかが何を言っても無駄かもしれないけれど、信じられる者が誰なのか考えなさい。答えはあなたの中でも出ているはずよ。柵なんかに囚われないで、何を為すべきかを行動に移しなさい」

そう言いながら、扶桑は彼女を哀れんでいた。

 

「そんなことはない! 馬鹿なことを言うな! 私の心は一つです」

すぐさま反論する榛名。しかし、普段とは異なり感情を剥き出しにしたような言葉使いになる。

 

「きっと後悔することになるわ。あなたは、自分の本当の気持ちをよく考えなさい」

 

「そんなこと興味ない。私は、提督のためだけに存在するだけ。それ以外はいらない。私には裏切り者の思考なんて理解できないし、興味もありません。これまでの罪を思い返しながら、死んで行けばいいわ。それが裏切り者の扶桑さんには相応しいのだから。あはははははは」

強がるように言うと、榛名は去っていく。

 

そんな戦艦榛名の後ろ姿を見つめながら、せめて、彼女が救われることを祈らずにはいられなかった。まるで過去の自分を見るかのように。

「あなたに言えることは、少なくとも救いの主はあなたの直ぐ側にいること。それだけが、私と違うことなのよ」

 

艦橋より見える景色に意識を向ける。

 

じわじわと領域の雲が、まるで獲物を捕捉しこれから捕らえるかのように近づいて来ている。

 

「ああ、こんな最後を迎えるなんて悔しすぎるわ」

誰に言うでもなく、扶桑はぼやく。

「けれど、犯してしまった罪を思えば、こんな最後もやむを得ないのかもしれないわね。ああ、幸せを求め続け、いろいろ努力したつもりだったけど、まだまだ努力不足だったのかもしれない」

そして、全てを諦めるように天を仰ぐ。その双眸より意図しない涙がこぼれ落ち頬を伝い落ちていく。

 

「ああ、不幸だわ」

 

自分はどこで間違ってしまったのか。どこでならやり直すことができたのか。いろいろ考えるが、その答えは認めたくないものだった。

 

「さようなら、提督」

 



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第173話 想い

可哀想な提督。

……最初に感じたのはそれでした。

 

舞鶴鎮守府より離脱した扶桑さん達が身を寄せていたメガフロート基地。今は彼女達がいなくなり、傷ついた舞鶴鎮守府艦隊が停泊している場所。

 

その司令室であった場所で、扶桑さんの事を報告をしました。

扶桑さんを迎えに言った私が声をかけた途端、彼女はどういうわけか攻撃をしてきたこと。慌てて防御障壁を展開したももの、艦には損傷が発生したこと。説得を行い、それでも抵抗を続けたため、威嚇射撃を行った事。

 

「そして、弾薬が尽きたのか……扶桑さんは領域へと消えていきました。力づくでも制止すれば良かったのですが、あの時の扶桑さんを止めることは私にはできませんでした。申し訳ありません」

そう言って頭を下げた。

本当は、扶桑さんと接触する少し前から彼女がいなくなった所までの記憶がとても曖昧になっていて、詳細は覚えていなかったのです。仲間であった扶桑さんに攻撃をされたことで混乱してしまい、覚えていないのかもしれません。けれど、そんな事を冷泉提督に報告できるはずもないので、うっすらと覚えている範囲の事に肉付けして報告をしてしまいました。ちょっと突っ込まれたらすぐにボロが出そうな話ですが、提督は気づかなかったようでした。

 

ぼーっとした表情で遠くを見つめるだけでした。そう、心ここにあらずといった感じでした。

 

「……提督? 」

 

「ん? ……ああ、すまない。どうしたんだ、榛名」

何度も声をかけて、やっと気づいてくれました。

 

「私がもっと強引にでも連れ戻そうとすれば良かったのに……。提督に辛い想いをさせてしまってすみません」

 

「いや、お前は何も悪くないよ。むしろ、辛い役回りをさせてしまって、済まなかった。扶桑がどうして心変わりをしてしまったのかは分からないけれど、彼女は彼女で思うところがあったんだろう。……せめてお前が無事に帰ってきてくれたことだけでも、俺は嬉しい」

 

「提督、扶桑さんは」

分かっていることではありますが、あえて問いかけます。傷ついた状態、しかも丸腰に近い状態で領域に侵入することの危険は誰もが分かっていることです。

 

「ああ、彼女はもうこの世界にはいないだろう。俺の下に来るより、死を選んだ。それが彼女のけじめだと思うしかない。納得なんてできないけれど、な」

かみしめるような口調で提督が仰ります。

 

扶桑さんは自ら提督の下に来るといったのに、どうして最後の最後で翻ったのか。それは結局、扶桑さん以外には分からないことなのでしょう?

 

「今、舞鶴より救援の艦隊が向かっている。お前も疲れただろう? それまでの間、少し休んでおけ」

無理矢理作ったような笑顔で提督がこちらを見ます。

その心中を察するにあたり、こちらまで苦しくなってしまいます。二人の艦娘を亡くしてしまった提督の悲しみが自分の事のように思われ、無意識の内に提督の側に歩みより、提督を抱きしめてしまいました。

一瞬だけ彼の体が強ばったように感じられました。

 

「提督、お辛いのに我慢なさってばかりではお体が持ちません。大丈夫です。提督はお一人ではないのです。みんながいます。そして、私も。榛名はいつでも提督のお側にいます。いつでもあなたをお守りします。ずっとずっと」

提督の体が少し震えたと思うと、嗚咽が漏れて来ました。そして、私に身を委ねるように力が抜けたのを感じました。私は、提督の頭を優しく撫で続けたのでした。

 

 

 

 

司令室から榛名が出てきた。

。扶桑の件の報告をしていたのだろうけれど、随分と長かったように感じる。帰ってくるなりすぐに提督のところへと行ったから、事の詳細を聞く間も無かった。

 

金剛は、ずっと待っていた。扶桑の話を聞きたかったからだ。

扶桑の死は確定的。それについてはやむを得ないと感じている。鎮守府を裏切り、提督を、そして仲間を殺そうとし、そして不知火を殺した。その罪を許すことはできない。それでも、ずっとずっと彼女と一緒にいた金剛にとって、未だ信じたいと思う気持ちがあったからだ。

 

「……榛名」

声をかけると、妹が振り返る。

「金剛姉様、どうかされたのでしょうか? 」

いつも通りの優しい笑顔でこちらを見る。

 

「提督に報告は終わった? 」

 

「はい」

そう言うと、扶桑の最後を語ってくれた。金剛は、扶桑の最後の思いを感じ取る事ができた。かつての司令官であった緒沢提督を殺された事に対する日本軍への恨み。その事実さえ記憶改ざんにより隠蔽した事への怒り。大切な人のことを忘れてしまっていた自分への怒り。……そして、冷泉提督への葛藤。そういったものの中で悩み怒り困惑し、そして逝った事を。

 

「冷泉提督は、どうだったの」

何よりも心配だったのは彼の事だ。あまりに辛いことが続きすぎて、彼は心の平静を保っていられるのだろうか。

 

「提督は、とても辛そうに聞いておられました。扶桑さんに不知火さんを失ってしまった悲しみは、私では推し量ることができるようなものではありませんから。けれど、提督は私の事を気遣って下さいました。提督の方が辛い状態なのに」

 

「そう……ネ」

次の言葉が出てこない。提督はいつもそうだった。自分の事よりも、まずは私達の事を優先しようとする。それにいつも自分は甘えてばかりだった。今こそその恩を少しでもお返しするときなのに。……そんなこと分かっているのに。

 

「姉様……」

 

「何かしら? 」

 

「今、提督には支えとなる人が必要です。いろいろとお辛いことが多すぎて、提督の心は耐えきれないんじゃないかって思うんです」

 

そんなこと分かっているわ。思わず口に出そうになるが、ぐっと堪える。

「……提督には、秘書艦がついている。彼女が、……そうじゃなくても他にいるからネ」

それどころか、心にも無い言葉が出てしまう。

 

「そんなことありません! 」

突然、榛名が声を荒げる。

「加賀さんや高雄さん、神通さんじゃダメだと思います。今、提督をお支えできるのは金剛姉様しかいない、……私は思うんです。姉様だって本当はそう思っているはずです」

 

「ワタシにはそんなことする資格が無いネ」

思わずそんな言葉が出てしまう。

 

「姉様はご自分のお気持ちから目を背けるというんですか? 姉様が提督のことをお慕いしているのは私にだって解ります。今、提督が本当に困っておられます。そんなとき側でお支えするのが、提督をお慕いする者の努めではないでしょうか? 」

 

「だから、そんな資格が無いネ、ワタシには。ワタシは提督に嫌われてしまったの! だから、提督はワタシのことは避けるに違い無いネ」

すべての膿を吐き出すように、冷泉とのやりとりを妹に話してしまう。

 

黙って話を聞いていた榛名が口を開く。

「そんな事があったのですか」

 

「そう。だから、ワタシには何もできない。何もしたくない」

 

「金剛姉様は、今、提督の事をどう思われているのですか? 」

と、妹は真顔で問いかけてくる。

 

「ワタシは」

それ以上言ってはいけない。別の自分が訴えかけてくる。けれど、止めることができない。

「ワタシは冷泉提督にはもうついていけない。信じることができない。これ以上、彼の下で働ける自信すらないネ。だから、たとえ提督が窮地にあっても、どうすることもできないし、そのつもりも無いわ」

吐き捨てるように言ってしまう。

本音であって本音じゃない言葉が次々とあふれ出る。信じているのに信じられない。大好きなのに嫌い。側にいたいのに、いたくない。心が引き裂かれそうだ。

 

「……だったら」

考え込むような表情で話を聞いていた榛名が口を開く。何か決心をしたような表情だ。

「姉様が提督の事をお嫌いというなら、何も気にする必要はありませんね」

 

「え? 」

聞いた途端、嫌な予感がする。

 

「榛名が提督の事を好きになっても、何も問題ありませんよね。姉様も榛名の事を応援してくれますよね? 」

 

「……」

唐突すぎて、言葉が出てこない。

 

「私、ずっと冷泉提督の事をお慕いしていました。けれど、金剛姉様が提督の事を大切に思われているのが分かっていましたから、ずっとこの気持ちを隠してきました。でも、今分かりました。姉様は提督のことを好きじゃないことを。だったら、何も遠慮することはありません。私、提督にこの気持ちをお伝えします。……姉様も榛名を応援してくださいますよね? 」

榛名は本気だ。それは彼女の目を見ただけで分かる。そして、どんな説得も意味をなさないことを。

加賀や高雄、神通に不知火……多くの艦娘が提督に思いを寄せているのは明白。けれど、彼女達は互いに気を遣いあって提督の心に踏み込めずにいる。

けれど、この子ならそんな柵など存在しないし、そもそも気にしない。

 

容姿も性格も能力も……あらゆる点で自分よりも勝っている自慢の妹。その榛名が本気で冷泉提督に迫っていったとしたら、提督ですらその気持ちに絆されるに違いない。それほどあらゆる点で魅力的な子なのだ。

そして、さらに彼女に有利な事がある。冷泉提督は今、様々な事で精神的に追いつめられている。とても強いと思われる彼の心だって今は疲弊している。そんなときに榛名のような子が側にいて、優しく声をかけてきたら……。

 

「榛名を……応援してくださいますか? 」

と繰り返す妹。

 

「わ……分かったネ」

そう答えるしかできなかった。

自分にはできないことを、きっと彼女ならできるだろう。そして、榛名になら提督の事を任せてもいい。そして、思う。呉鎮守府で傷ついた榛名の心も、冷泉提督といっしょにいることができるなら、きっと癒されるのだろうと。表面上は分からないだろうけれど、姉である自分には分かる。……呉でどんな事があったかは聞いた話以外は分からない。榛名も決して語ってくれない。けれど、榛名の心はボロボロでいまにも壊れてしまいそうであることをは問わずとも分かってしまうのだ。榛名は、それを悟られまいとそれを必死に取り繕っていることも知っている。

 

自分はこのままでも大丈夫だけれど、提督と榛名は今のままでは壊れてしまうだろう。もし二人が支え合うことで立ち直れるなら、それは双方にとって幸せなんじゃないだろうか。

 

そういえば……。そして、ふと思い出した事がある。

昔から、榛名は自分が欲しがるもの、持っているものを欲しがっていた。本人は意識していなかったと思うけれど、姉である自分をライバル視していたのかもしれなかった。

 

そして思い出す。榛名がいた呉鎮守府への移動の話も最初は金剛にあったのだ。しかも秘書艦として……。とても嬉しい事だったけれど、自分なんかに務まるのだろうかと躊躇していた。だから、他の艦娘達にも相談したりしていた。そんな時、榛名が突然、呉鎮守府へ行きたいと言い出したように思う。結局、榛名の思いの強さを知った事から、彼女に譲るような形になってしまったけれど。中途半端な気持ちでいる自分よりも、明確に望んでいる榛名が行った方がいいと思ったから、その時はそれでいいと思ったのだけれど。よくよく考えてみると、榛名に思考を誘導されていたように思える。

……まさか、あの子がそんな事を考えるはずがないわ。あの子は素直で真面目すぎる良い子なんだから。

 

あれ?

そういえば、今もあの時と同じだ。

 

「姉様、ありがとうございます。榛名、がんばります。応援して下さいね」

それ以上の疑問を抱かせないかのように、満面の笑顔で榛名は微笑んできた。

 

「うん、提督の事は任せるネ」

結局、そう言うしかなかった。



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第174話 提督と巡洋艦:神通

冷泉は、メガフロート基地内を移動していた―――。

 

かつては多くの人々で賑わったであろう巨大な施設に、人の気配は無い。電力も太陽光パネルにより供給される僅かな電力を有効利用するためか、廊下の証明は間引かれている。メンテナンスがほとんど為されていないためか、明滅を繰り返す蛍光灯があちこちにある。それを見るだけでもこの基地は、「敵」にとっては仮の居場所でしかなかったことが分かる。

 

奴らの本拠地は、どこなのだろうか? 

それが分かるなら今すぐにでも駆けつけて、そこにいる艦娘達の目を覚まさせてやりたい、救い出したい。……けれど、そんなことは叶うべくも無い願いだ。自分の無力さと無能さを十分に認識していたつもりだけれど、まだまだ認識が甘かった。それを最悪の形で思い知らされた戦いだった。

 

一人で気持ちだけが空回りをし続けるだけで、誰一人救うこともできずここにいる。悔しくて、空しくて、情けなかった。

不知火を死なせ、扶桑も救う事ができなかった。……自分の未来を想像するに、はたしてこの先、艦娘達を護る事ができるのだろうかと疑問だけがわき起こる。

そして、一人乾いた笑いをしてしまう。

「艦娘たちの事以前に、自分の先のことさえどうなるか分からないのにな」

と、独りごちる。

 

敵である永末たちを倒し、そして扶桑達を連れ戻す事ができれば、挽回のチャンスがあると思っていた。……それが最悪の結末だ。彼女達を連れ戻すどころか、死なせてしまった。さらに、麾下の艦娘達にも多くの負傷者を出してしまった。この責任を取らずにいることなどできないだろう。そして、自分を良く思わない連中がこの機会を逃すわけが無いだろう。

 

どの程度の処分が自分になされるのか。

 

最低でも鎮守府指令官の座からは、降ろされるだろう。その後どうなるかは分からないけれど、一度その座から降ろされたら、二度と復帰はできないのだろう。そうなると、もう彼女達と接することもできなくなるのか……。自分の能力の無さとミスが呼び込んだことなのだから、その責任を取ることはやぶさかではない。けれど、自分の権限が及ぶ内にできるだけのことはしないといけない。

 

そして、ふと先程の事を思い出す。……いきなり榛名に抱きしめられた事を。まだ顔に彼女の温もりを感じている。どういうつもりであんな行動に出たのかは分からない。彼女の言葉の真意も測りかねている。けれど、少なくとも自分のことを心配してくれている事だけは分かった。彼女から見ても、ずいぶんと落ち込んでいるように見えたのだろう。

うぬぼれでは無いけれど、こんな自分のことを慕ってくれている艦娘たちが他にもいる。かつていた世界では想像もできなかったことだけれど……。

そんな艦娘達を心配させてはいけない。虚勢を張ってでも構わない。彼女達のほうが不安なのだ。その不安を少しでも軽減させてあげないといけない。辛いのは自分だけではないのだから。励まされてばかりではいけない。むしろ、励ます側の人間なのだから。

 

「よし」

空元気でしかないけれど、自分に活を入れる。時間は残り少ないけれど、できるだけのことはやろう。

 

そして、冷泉はある部屋の前に立つ。

 

医務室である。

 

扉を開けて中に入る。テーブルと椅子が一つ、そして壁際にベッドが置かれているだけで一杯の小さな部屋だ。そして、ベッドには一人の少女が横たわっている。

 

神通だ。

 

彼女はあの戦闘の途中で意識を失い、そのままここに運び込まれたのだった。彼女は眠ったままで、ずっと目を覚ましていない。

 

ベッドの横に進むと彼女の顔を見つめる。神通は、改二改装を終えてすぐに冷泉の元に単身で救援にやって来た。その移動時間からしても、ほとんど限界に近い速度を出していたはず。そして、それどころではない。領域に突入し、敵艦隊を引き連れてやって来たのだ。敵の攻撃を回避しながら、かつ、ありえないほどの短時間で移動をこなしてきた。その事実がどれほどの負荷を彼女に与えたのか、想像さえもできない。改二となり能力が大幅に引き上げられたといっても、その許容できるレベルを遙かに超えていたのだろう。まるでショートでもしたように停止してしまっていたからな。

 

冷泉は眠り続ける神通の顔を見つめる。

「お前には本当に無理ばかりさせているな……」

それなのに、彼女は常に無理に無理を重ねている。それに甘えて、冷泉は止めることができないでいた。彼女の献身に甘えていたのだ。

 

「自分は、軽巡洋艦です。だから戦艦や空母の皆さんのように強くありません。彼女達に追いついて、提督のお役に立つには、並の努力では全然足らないのです。今やっていることですら、全然足りないと思っています。……軽巡洋艦が戦艦や空母のような活躍なんてできないことはもちろん分かっています。けれど、私はほんの少しでもいいので、提督のお役に立ちたいのです。提督にご恩返しをしたいのです。そのためなら、どんなことだってやります」

無理をし続けている神通に対して、暗に無理をするなと伝えた時に返ってきた彼女の言葉だ。分不相応な事を願うより、身の丈にあった成果を目指すのでいいじゃないかと伝えたかったのに、否定されてしまった。

あの時……領域での戦いで大破した彼女を見捨なかった時から、彼女は冷泉に対して恩義を感じるようになってしまったようだ。あらゆるものより最優先で冷泉の事を考えるようになっている。もともと努力家だった彼女だが、より強い目標を持ったせいで、さらに努力を惜しまなくなったようだ。そのせいで、彼女の部下である駆逐艦娘達も巻き沿いを食っているという話を良く聞いたけれど。超がいくつもつくようなスパルタ訓練を受けても、駆逐艦娘達は決して根を上げずに……もちろん文句は言っていたようだけれど神通について行っていた。それは彼女の人柄もあるのだろうし、自分たちに課すものよりも遙かに厳しい鍛錬を行っていた姿をずっと見ていたせいもあるのだろう。

 

「ん…んん」

苦しそうな表情を浮かべて、神通が呻いた。

悪夢にでもうなされているのだろうか? そう思い、冷泉は彼女の手をそっと握る。すると、彼女はその手を握り替えしてきた。

 

「大丈夫だぞ、俺はここにいる」

そう言って、両手で彼女の手を握り替えした。しばらくそのままでいると次第に落ち着いてきたのか、苦しげだった表情が和らぎ、彼女の呼吸が安定してきた。

ほっとため息をつくと、冷泉は右手で彼女の手を握ったまま、左手で彼女の頭を優しく撫でる。

いつもは少し怯えたような、それでいて真剣な眼差しで見つめてくる彼女の迫力に押されてしまい、まじまじと見た事の無かった神通の顔を見る。その寝顔は穏やかで、そして美しいと感じてしまう。

なんとなくおでこを撫で、続いて頬を撫でてしまう。すべすべで柔らかい。

 

「う、……うううん」

冷泉は驚いて手を引っ込めてしまう。

神通は身をよじるような動きをし、そしてゆっくりと瞼を開く。

寝ぼけているのか、最初は焦点が合っていないような眼であたりを見回し眼をごしごしと擦る。

「こ、ここは……」

そして、目の前に人がいることを認識し、確認しようとまじまじと見つめてくる。

 

「目が覚めたか? 」

と冷泉が声をかける。

 

「……て、提督? 」

まだ意識がはっきりしていないようで、声のトーンも普段とは違い、どこか甘えたような口調になっている。ヨロヨロとしながら体を起こす。意識がはっきりしていないのか、小首を傾げ、ぼんやりした瞳で見つめてくる。長時間、深い深い眠りの中にいたことが原因だろうか。いまだ現実と夢の中の境界にいるようにさえ思える。

普段の真面目で凛々しささえ漂わす彼女の姿の落差が大きすぎた事がおかしく、そして可愛かったから、思わず笑ってしまった。

 

神通の瞳の焦点が合うと、彼女は瞳を大きく見開いた。そしてまるで固まったかのように動きが止まる。次の刹那、その瞳からボロボロと涙が溢れ、頬を伝わって落ちていく。

 

「え? 」

思わず驚いて声を上げてしまう冷泉。

 

「て、ていとく……が。ていとく……てい、とく」

なんとか聞き取れたのはそれだけだった。いきなり顔をくしゃくしゃにさせ、神通は何かわけのわからない事を口走りながら、嗚咽する。

 

「あ、あ、あ。ご、……ごめん」

冷泉は何がなんだか分からずオタオタするだけで、謝るしかできなかった。すでに神通の嗚咽は泣き声に変わっていた。

「なんか酷い事いったかな、俺。ごめん、もし気を悪くしたんなら謝る」

神通はしばらくの間泣いていたが、少し落ち着いたのか慌てふためいたままの冷泉を見て、首を横に振る。それが冷泉の危惧を否定しているのであることに気付くのにしばらくの間を要した。

「お、俺が何か酷い事を言った訳じゃないのか? 」

その問いかけに神通は深く頷いた。涙で濡れた頬を袖でごしごしと擦りながら、もう一度彼女は頷く。今度は笑顔で。

「提督は、何も、酷い事なんて言ってません」

 

「じゃあ、どうして、いきなり泣き出したんだい」

 

「それは……」

少し俯いて、また顔を上げる。

「それは、嬉しかったからです。……提督が、提督がご無事だったことが……分かったから、分かりましたから。私、私、本当に嬉しかったんです。よかった、……本当によかった」

そう言うとまた感極まったのか、涙ぐむ。冷泉は慌ててポケットからハンカチを取り出して、彼女に手渡す。彼女はそれを受け取ると涙を服でもなく、両手で大切そうに持ったままだ。

 

改二改造を終えてすぐに、三笠から舞鶴鎮守府の異変を知らされたそうだ。そして、冷泉達が扶桑の属する艦隊との戦いに向かったことを知らされた彼女は、いてもたってもいられない状況で彼女に出撃を懇願したのだった。

艦だけでなく、艦娘自体にも手を入れている改装工事である。通常ならしばらくは安静にしなければいけないと拒否されたらしいが、それでも拝み倒してなんとか出撃許可を得たらしい。許可が得られたかどうかは怪しいと思うが。

その後はとにかく全速力で移動し、冷泉のいる海域へと向かったそうだ。ただ、艦隊の状況が悪いことを三笠から聞かされ、どうすればいいかを問うたら領域を抜けて戦闘海域に突撃する策を教えられたのだった。

 

「そんな無茶な事を、どうして承諾したんだよ」

と、思わず批判的な言葉が冷泉の口から出てしまう。それは、あまりにもリスクの高い事を提案した三笠に対してであり、またそれを承諾した神通に対してもだった。それ以前に、改二改装という大手術を行った艦娘に与えるべき情報では無かったはずだ。改装自体がどれだけ艦娘に負荷がかかるか全く分からないけれど、術後すぐに艦隊戦に派遣なんてことはありえないだろう。

 

「すみません。……けれどそれしかないと私も判断しました。私一人が駆けつけたところで、戦況を変化させるなんて不可能です。ならば一か八かに賭けてみるのも一つの手だと思いました。三笠さんも二対八の確立で成功すると保証してくれましたし」

全然確立的に分の悪い提案だと呆れる冷泉に神通が応える。

「20%でも勝算があるのなら、それで十分でした。仮に失敗しても、私が死ぬという事実が追加されるだけでしかありません。けれど作戦が成功したならば、深海棲艦を敵に擦り付けて戦場を混乱させ、提督の勝利の為に役立つことができるのですから」

 

「失敗したら、お前は死んでいたんだぞ」

あまりにもあっさりと答える艦娘に呆れ気味に冷泉は問いかける。

 

「私が生きていても、提督の身にもしもの事があったら、何もかもが意味を無くしてしまいます。三笠さんのお話では、戦況は深刻な状況とのことでした。私が休んでいる間に、もしも、考えたくもありませんがもしもの事があったら……もう私の存在意義など無くなってしまいます。改二改装を完了したことも、いいえ、この先の艦娘としての人生も、……私がこれまで生きてきた事さえも。何もかも無かった事と同じになります」

全くの曇り無い瞳で彼女が答える。

そんなことはない。お前なら俺なんかがいなくても艦娘としてやっていける。艦娘にとっての幸せの定義は良く分かっていないけれど、、俺の部下じゃなかったほうが、ずっとずっと幸せな日々を送ることができたはずだ。……そう言おうと思ったが、彼女の顔を見たら言えなくなってしまった。彼女にとってはそれが正義であり真実である。そんな迷い一つない瞳で見つめられたら、窘めることなんてできやしない。

 

「そっか。……わかった。とにかく、最初に言うべき事を言い忘れていたよ。お前が急に泣き出したりするからびっくりしてしまってな」

 

「す、すみません。提督のご無事な姿を見て嬉しくって」

 

「神通……」

 

「はい! 」

 

「ここに駆けつけてくれて、ありがとう。お前のおかげで俺は、……いや、俺の艦隊は最悪の事態を免れることができた。お前が来てくれなかったら、多くの艦娘を失うことになっただろう。司令官として言う、本当にありがとう」

 

「はい! お褒めの言葉ありがとうございます。そのお言葉をいただけただけで、本当に嬉しいです。この神通、提督のために、これからもっともっとがんばります。この命に代えて、提督の期待にお応えします! 」

嬉しそうな笑顔で艦娘が答える。

 

「そして、冷泉朝陽としてお前に言うよ」

と、続けて冷泉は言う。

「もうこんな無茶はしないでくれ。……命がけだとか、命に代えてもなんて事は絶対にしないでくれ。俺は、お前を失いたくない。俺は、お前を犠牲にして生きながらえたくなんてないんだよ。お前だけじゃ無い。誰かを失うなんて事は、もう絶対に嫌だから……な」

それは心から思っていたことだ。命の価値は等価。替えのきく命など存在しない。何かを守るために命を捨てる……。美しい響きだけれど、残された者の気持ちを考えれば、どれほど酷か考えたことがあるのだろうか。自分の為に誰かが命を散らせたというのなら、それが大切な人ならより一層、罪の意識だけが残ることになるのだから。死ぬくらいなら生きてくれ……そう思うのが人として当然なのだから……。

とはいえ、冷泉といえ艦娘の為なら自分の命などいくらでも捨てられると考えているという矛盾をはらんでいるのだけれど。冷泉はもちろんそのことは認識している。けれど論理破綻していないつもりでいる。何故なら、自分だけは例外だと思っているからだ。そもそもこの世界に存在しなかった人間。だから、たとえいなくなっても、プラスマイナスゼロだと考えているからだ。それ以外にも、自分の命の価値を低く見積もっている部分もあるのだけれど。

 

「そ、そんな」

一瞬凍り付いたように静止した神通は混乱したように声を上げる。

 

「約束だぞ。どんなことがあっても、命を対価に差し出すな。どんなことがあっても生き延びろ。これは命令だ」

そう言いながら、彼女を見る。困ったようなそれでいて納得していないのはその態度を見るだけで分かってしまう。これはちゃんと念を押しておかないと、また同じ事をするな。そう思った冷泉はさらに言葉を続ける。

「おまえ、まだ納得していないな。だったら、逆の事を考えてみろ」

 

「はあ。逆の事といいますと? 」

 

「お前の命を救うために、俺が死んだらどうする? 」

 

「そ、そんなこと絶対あってはならないことです。そんな事態には絶対にさせません。そんなことになる前にあらゆるものを排除します」

声を荒げて否定される。

 

「いや、仮の話としてだよ」

思わぬ剣幕に気圧されながらも、冷泉は言葉を続ける。

 

「仮に……あってはならないことですが、そんなことがあったとしたら、私は絶望して嘆き悲しむでしょう」

 

「だろう? だからそんなこと……」

と言葉を続けようとする冷泉を遮るように神通が声を上げる。

「提督のいらっしゃらない世界には、何の意味もありません。私もすぐに提督の後を追って死にます」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

「私の居場所は、提督がいらっしゃる場所です。私は常に提督のお側で、提督の為に働きたいのです。……ですから、提督が冥界に行かれるのでしたら、お供いたします。それがたとえ地獄であろうとも、私の立ち位置は変わりません。ですので、どこへでも着いていきます」

一切の曇り無い瞳で、真剣な表情で神通は答える。そこに冗談の要素は全くない。全て真剣で本当の事を言っている。

 

……だめだ。

神通には説得というものは通じないということに、今更ながら気づく。

 

「ああ、もう……なんていうか。お前の気持ちはよく分かったよ」

少し投げやりに言う。

「だから、命令だ。お前は絶対に俺の為に命を捨てるような真似をするな。命令だぞ。分かったな。これを破ったら、お前を俺の部下としては絶対に認めないからな」

こうやって強く言わないとダメなタイプなんだな、神通は。そして、どうも彼女の価値観の中心には自分がいるようで、それを基準に動いているようだ。どういう論理かは不明だけれど。だから、冷泉の為以外に命を投げ出すような事はしないだろう。だったら、シンプルに一つだけの命令をしておけばいいのだろう。

 

「……提督がそう仰るのでしたら、私はそれに従います」

思ったより素直に神通が答える。

なんだ、最初からこういう言い方をしたら良かったのか。

 

「まあ、そういうことだ。お前には感謝してもしたりないくらいの事をしてもらっていることは、ちゃんと分かっているんだから……な。けれど、命は粗末にしないでくれ。俺の役に立つつもりなんだったら、とにかく、生きて生き抜いてくれ。これだけは忘れないでくれよ。俺はお前の笑顔を見ていたいんだからな」

その言葉に神通は頷く。本当の所、納得しているかは分からないけれど、少しは自重してくれると信じるしかない。

 

「提督のご命令に従って、命は大事にします。あ、……あの、それから」

何かを言いだそうとして戸惑うような素振りを見せる神通。

「あの、その」

 

「どうかしたのか? 」

彼女が何を言おうとしているのかは、推測は立っている。できればあまり触れたくない話題ではあるけれど、避けて通る事なんてできない話だ。

彼女の仲間であり、部下でもあった艦娘も関わっていた事案なのだからな。彼女も全てを知りたいだろう。

 

「はい……。今回の鎮守府を離脱した艦娘達の事を教えて下さいますか。そして、彼女達がどうなったかを」

覚悟を決めたような真剣な表情で神通は切り出した。

 



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第175話 次へ

冷泉は、全てを語った。神通が改二改装を行っている間に舞鶴鎮守府で起こったすべての顛末を。

 

戦艦扶桑の鎮守府離脱とそれに呼応して大井、祥鳳、羽黒、初風、漣、そして不知火の鎮守府からの離脱。その裏には、かつて舞鶴鎮守府に在籍していた永末という人間の存在があったこと。

そして、舞鶴鎮守府への武装兵力の襲撃……それに伴う多くの死傷者が出たこと。

扶桑達を連れ戻すために出撃した艦隊は、彼女達と対峙し、それ以上の数の敵とも戦果を交えることとなる。かつて、沈没したとはずの艦娘が実際には生きていて、うち捨てられていた資源採掘用のメガフロート基地に潜伏していたことを初めて知った。

 

彼女達は冷泉の説得に応じることなく、開戦となってしまった。戦闘は敵艦隊の有利な内に進み、鎮守府艦隊は絶体絶命状態に追い込まれてしまう。

そんな時に神通が駆けつけたのだ。しかし、限界を超えた行動のため、神通は機能停止してしまう。

その後、扶桑の奇襲により空母加賀と冷泉が絶体絶命状態の時に、敵であったはずの不知火が割っては入り、扶桑の集中砲火を浴びて沈没した。

一時待避した扶桑は、冷泉のもとに降伏しようとするも、再度心変わりし、自ら死を選ぶため、領域に消えてしまった。

 

神通は、冷泉の話をずっと黙って聞いていた。扶桑達の鎮守府離脱の話の時には拳を握りしめ何かに耐えるような仕草を見せていたが、話を聞き終えると悲しそうな瞳で冷泉を見る。

「辛いです……。ずっと同じ目的の為に戦っていた筈の仲間が裏切り、そして仲間の命を狙ってくるなんて。そして戦闘で沈んだはずの艦娘が健在であったこと。そして、私達と敵対したこと。正直な話、信じられません。けれど、……事実なのですね」

 

「何が原因で、彼女達が翻意したのかは、分からないままだ。けれど、俺の前任である緒沢提督の意思を継ぐということを言っていた。そこにすべての原因があるのかもしれない。扶桑たちと接触していた永末も緒沢提督の部下で、緒沢提督が処断された際に軍を追われたらしいからね。すべては、緒沢提督が何かを為そうとしていた事が原因かもしれない。……それを問いただすにしても、彼はもうこの世にいないからな。永末を捕らえるしか無いのだろうけれど、すでに何処にいるかも分からないし、艦娘達との交戦は避けられないだろう。彼等の勢力がどの程度かさえ、掴み切れていない。逆に、俺たちは多くの艦娘を失った上に、今回の戦いで多くの艦が傷ついてしまった。迂闊には動けない状態だ」

 

「私がもっとしっかりしていれば良かったんです。不知火や初風、漣は私の直属の部下なのに、異変に関して何も気づくことができませんでした。全ては私の掌握不足であり失策です。私が厳しく彼女達に当たっていたから、不満が溜まっていたに違いありません。私の部下に対する教育が失敗したのです」

悔しそうに神通が呻く。

 

「お前には何の落ち度もない。お前は良くやっていたし、駆逐艦娘達もお前のことを慕っていたことくらい俺にだってわかる。彼女達が鎮守府を離脱したのは、もっと別の原因に違いない」

冷泉が思った事は、緒沢提督が艦娘たちとの間に築いていた絆の強さの影響だろうと分析していた。非業の死を遂げた緒沢提督。彼が何を為そうとしていたのかは不明だが、永末の出現によって何かが誘発され、……永末が緒沢提督の意思を継ぐ者であると彼女たちに認められ、そして決起したのだろう。

「彼女達は、緒沢提督が成し遂げようとしたことを今為そうとしているのかもしれない。それが非業の死を遂げたかつての上司への手向けとなるのかもしれない。……どちらにしても、俺は敵対勢力の手下と認定されているのは間違いないな。彼女達の側に寄り添っているつもりだったけれど、想いは通じなかったことが少し辛いな」

事実を認識し、辛さがこみ上げてくる。神通は自分を責めているけれど、それ以上に自分の方が部下の掌握能力が欠如しているのは間違い無い。前の世界でも部下を持ったことなど無かったのに、いきなりたくさんの部下を持ったのだから、無理な話なのだろう。しかも、部下達を死地に向かわせるという立場の人間なのだから。

 

「そんなことありません。提督はいつもいつも私達の事を思っていてくれていました。そんな提督のお心遣いに気づかない愚か者達の事を気になさる必要などありません。提督に何の落ち度もありません。全てにおいて彼女達に非があるのです」

必死になって冷泉を庇おうとしてくれる艦娘に、逆に辛い気持ちになってしまう。神通だって緒沢提督と共に戦ってきた艦娘なのだ。彼女のほうがもっと辛いのではないか……と思ってしまう。

 

「……そう言ってもらえるだけで、救われるよ。お前だって辛いのに、愚痴を言って済まなかったね」

 

「提督はこの後どうされるおつもりですか? 」

彼女はあえてそれ以上の事を言わず、話題を転換する。

 

「俺は、扶桑と不知火を死なせてしまった。もうこれ以上、犠牲者を出したくない。だから、こちらから追撃を行う事は、諦めようと思っている」

 

「しかし、それでは……」

 

「彼女達は軍規違反を犯した。当然、処断されるべきであることは分かっている。けれど、目の前で部下が死んで行くのを見るのは、思った以上に応えたよ。俺には辛すぎる。向こうから責めてこない限りは、戦火を交えるつもりは、もう無いよ。お前達の気持ちを考えたら、そうすることが正しい。それに、追撃をかけようにも」

 

「けれど、提督。きっと討伐指令が発令されるのではありませんか? 」

 

「確かに、その通りだろう。けれど、舞鶴鎮守府の現有戦力を考えれば、再び討伐に出るにしても準備期間が必要だろう。損傷した艦も多いし、今の戦力では返り討ちに遭う確立の方が高いからな。それを理由に引き延ばすさ。それに……いや、なんでもない」

自分が指揮を執れる時間がどれほど残されているか分からんからな……とは言えなかった。神通もそれ以上は何も言わなかった。

 

しばしの沈黙。

そして、神通が思い詰めたような表情で再び口を開いた。

「提督、こんなお願いできるとは思えないのですが。……不知火を、不知火の事を許してくださいませんか? 」

突然の言葉に一瞬言葉を失ってしまう。

「許すも許さないもないだろう? 不知火は俺を庇ったせいで、あんなことになってしまったんだ。彼女が何を思い永末側に付いたのか、何を為そうとしていたのか。それは今となっては分からない。けれど、最後の最後で自らの命を捨てて、俺を護ろうとしたんだ。……鎮守府を離脱したのは、きっと何か理由があったんだろう。あいつの性格からしてもそれは間違いない。法や規則を絶対視するあんな石頭が、国家に反旗を翻そうとするほどのことだったんだからな。自分の意思じゃなく、どうしようもない事情があったんだろう。あいつは感情よりも理性を、法を優先する融通の利かない奴だったからな。……今となっては、それを知る術はないだろうけれど」

 

「あの、て、提督は、不知火の気持ちにお気づきでしたか? 」

唐突に神通から問われる。

一瞬、何を言っているのか理解できなかったが、すぐに彼女の意図する事に気づいた。それは不知火が冷泉に対して、上司に対する信頼とは異なる感情を抱いている事に気づいていたかということだった。

 

「……少なくとも嫌われていない、とは思っていたよ」

 

「良かった。少なくともあの子の気持ちは、提督に伝わっていたのですね」

神通は自分の事のように嬉しそうに言った。

「そのことを彼女に問えば慌てたように否定をしていましたが、彼女は提督に対して信頼を越えた感情を持っていました。はっきりとは自分の気持ちに気づいていなかったのかもしれません。けれど、提督の事を話す時だけは、普通の女の子のように感情を表していました。彼女は自分の気持ちを提督に伝える気持ちは無かったかもしれませんが、その想いが伝わっていただけでも彼女も浮かばれるでしょう。……だからこそ、信じられないんです。大切な人を裏切り、苦しめるような事を不知火が選ぶ筈が無いんです。きっときっと、何かどうしようもない理由があったはずなんです。もちろん、理由はどうあれ、彼女がしでかした事は許される事ではありません。けれど、そのことだけは提督に知っておいて欲しかったんです」

 

「ああ、分かっているよ。俺もそうだと信じている。きっと、抗うことができないような事があったんだろう。……だからこそ俺は永末を許すことができない。舞鶴鎮守府をメチャクチャにしたあの男を絶対に。……けれど、俺に奴を討つ力が今は無い。自分の無力さ無能さに腹が立つ。お前達ばかりに苦労をかけるだけで、何にもできないんだからな。そもそも、俺がもっとしっかりしていたら、こんな事にはならなかったんだから」

 

「提督、自分をお責めになるのはお辞めください。提督は、常に最善を尽くされています。提督は、何も悪くはありません。不知火だって、最後は提督をお守りして逝ったのですから、彼女にも悔いは無いはずです。艦娘としての責を十分に全うできたのですから……。艦娘としては、幸せな最後だと思います」

だから、提督は悔やんだり自分を責めたりする必要は無い。神通はそう言いたいのだろう。

 

「ああ、そうだな……。今、俺がくよくよして落ち込んでいても何も始まらないんだよな。今は行動すべき時なんだから。後悔や反省は全てが終わってからすればいいんだからな。俺は、今俺ができることをやり遂げなくちゃいけないんだ。……俺は、俺は鎮守府指令官なのだから」

冷泉は自分に言い聞かせるように答える。

「今やるべき事は、鎮守府艦隊を無事、舞鶴へ連れ帰ることなんだ」

未来の事を思い悩むのは現在、為すべき事を為してからで良いのだ。先の事ばかり考えて落ち込んでいても仕方が無い。今できることを、今の立場でできる全てをやり遂げないといけないのだ。

悲しみも悔しさも怒りも虚しさも……今は今だけは追いやるのだ。

 

間もなく、メガフロート基地に大湊警備府からの援軍が到着する事になっている。補給艦や工作艦、輸送艦も一緒だ。資機材を揃えて、傷ついた艦娘の応急処置を行わなければならない。

 

悩んでいる時間など、今の冷泉には無いのだ。今ここにいる、大切な大切な艦娘達を無事に母港に連れ帰るのだ。

 

「さて、……俺はみんなの所に戻るよ。お前は補給部隊が来るまでの間、もう少し休んでいるんだ。休養も大切な仕事だ。応援部隊が来たら、お前にも働いて貰わなければならないんだからな。……期待している、頼んだぞ」

 

「了解です」

神通は、微笑んでくれた。

 

 

傷ついた艦娘達の応急処置を終え、冷泉達は母港へと帰還したのだった。



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第176話 任意同行

帰投した冷泉達を葛生提督がわざわざ港まで出迎えてくれる。冷泉の帰還を知り、急遽駆けつけてくれたらしい。

 

舞鶴鎮守府の港の状況は出撃時とほとんど変わらず、破壊されたゲートの撤去は完了しており、現在は他の瓦礫の除去を行われている最中だ。破壊された施設は荷物の搬出を終えた建物から順次取り壊し中である。優先度の高い施設より、建設作業を行うことになっている。

 

港の外には見慣れない艦艇が数隻いて、護衛に当たってくれていた。それは、大湊鎮守府より派遣された艦娘であることがわかる。

 

艦を降りると、すぐに部下を伴い葛生提督が駆け寄ってくる。

冷泉は彼女に礼を述べる。ただでさえ自分の鎮守府の指揮運営を行わなければならないのに、さらに舞鶴の面倒まで見て貰っている。まともに運営されている鎮守府ならまだマシだが、舞鶴については敵の攻撃による被害が甚大な状況。復旧に向けた業務が膨大で、それだけでも大変だったと思う。自分の鎮守府でもないのに率先してやってくれた彼女には、本当に感謝だ。

 

しかし、葛生提督は、そんな苦労をまるで感じさせない。

「私達鎮守府指令官は、確かに普段は戦果を競い合う競争相手でしかないです。けれど真に困った時には助け合うのは当たり前のことでしょう。そもそも自分たちは敵同士ではなく、日本国の為に、深海棲艦と戦う戦友なのですから。何かあった時はお互いさまでしょう? 」

 

「本当にあなたには迷惑ばかりかけて、申し訳ないです」

と頭を下げるしかできなかった。

何度目かわからないけれど、不在時の鎮守府の指揮と更に救援に来てくれたことを感謝する冷泉。「図々しいお願いですが、まだまだ舞鶴鎮守府を立て直すには時間がかかります。今後も葛生提督の、大湊警備府の助力を引き続きお願いしたいのです」

 

「そんなこと当たり前でしょう。何を遠慮しているのですか。全然気にしなくて結構ですよ。私達ができることは何だってやりますからね。何でも言いつけてください」

そうすることが当たり前の事のように答えてくれ、冷泉は再び頭を下げるしかできない。

何故か隣に立つ加賀は、不機嫌そうな顔で腕を組んで突っ立ったままだ。慌てて冷泉は彼女にも頭を下げるように促すと、嫌嫌に、しかもめんどくさそうに頭を下げた。

「おい加賀、失礼だぞ。……すみません、こいつ、戦いで疲れているようで」

と慌てて誤魔化す。何の不満があるのか分からないけれど、大人げない秘書艦の対応に理解が及ばない。

 

「いいえ、気にしないでください。きっと冷泉提督があまりに私に対してペコペコされるので、秘書艦として面白くないんでしょうね。常に凛々しく、てきぱきと指示をして部下を引っ張っていくのが鎮守府指令官ですからね。艦娘にとっては、提督とは憧れの存在でもあります。常に格好いい姿だけを見たいですからね、うふふふふ」

そんな加賀の態度などまるで気にならないかのように、彼女はニコニコとしている。加賀はそんな余裕を見せる葛生提督のことが気にくわないようだけれど。

「それでは、提督がいらっしゃらなかった時の作業状況について……」

と、葛生が続けようとした時、ドアが乱暴にノックされる。

加賀が無表情のままドアまで出向き、確認をする。するとドアを押しのけるようにして複数の軍服の男達が入ってきた。

「ちょ、ちょっとあなたたち、勝手に入らないでください。何の権限でこんな事を」

加賀が明らかに怒ったような口調で叫ぶ。そして先頭の男の腕を掴んだ。

 

「黙れ艦娘が! 馴れ馴れしく触るな、気持ち悪い! 胸糞悪くなる」

そう言うと、腕を掴んだ加賀を突き飛ばした。彼女はよろけるが、なんとか転倒せずに堪える。すぐさま、何かを口走り行動に移ろうとする。しかし、他の兵士達に腕を掴まれて取り押さえられてしまう。

 

「静まれ、我々は憲兵隊である! 冷泉提督はどこだ! 」

妙に高圧的な態度で、加賀を突き飛ばした、どうやらこの隊の隊長らしき男が叫んだ。

 

「私が冷泉だ。一体、何の用なんだ? 女の子に乱暴し、汚い言葉使いをするようなゲスな無法者の出入りを許したつもりは無い。そもそも、貴官等は一体、何様のつもりだ。……おい、お前等、その汚い手を加賀から離せ。……何をしているんだ、今すぐだ。モタモタするな、さっさとしろ!! 」

憲兵というだけで悪のイメージを持ってしまっていたせいもあるけれど、加賀を突き飛ばした事で完全敵対モードになってしまった。

冷泉の剣幕に驚いたように、兵士達は加賀から手を離す。

 

「なんだその偉そうな態度は……はっはーん、貴様が冷泉か。私は憲兵隊近畿憲兵部第二方面隊長の佐味氏恭(さみ うじやす)だ。貴様には、これより我々に同行して貰うことになっている」

顔を少し赤らめて怒鳴りつける男。確かに声は威圧的ででかい。こいつは、意図的に大声を出す事で、人を威圧できると思い込んでいる輩にしか見えない。

 

「……仮にも海軍少将の立場の人間を、一介の憲兵ごときが連行しようと言うんだ。それ相応の理由があるんだろうな? 事と次第によっては、ただでは済まされないぞ」

威嚇に対して、冷泉も同様に威嚇で応じてしまう。まさに売り言葉に買い言葉だ。

こちらの世界に来てから、どういうわけか喧嘩っ早くなってしまっている。精神が常に安らぐことなく不安定だからだろうか? この苛立ちは、自身が上手く鎮守府を運営できない事に対する焦りも原因であることは、冷泉だって認識している。感情にまかせて行動し、後で何度も後悔を繰り返してきたわけだから。あの時もう少し大人な対応をしていたら、その後の面倒に巻き込まれずにすんだのに……ということが尽きない。

今回もまたやってしまっている。

 

けれど、今回は全く持って悪いとは思わない。加賀に暴力を振るった佐味という男に対して、冷泉は猛烈に怒っていた。本来なら即座に殴りかかっていたところだ。けれど、なんとか堪えていたのは人間的に成長したからだろう。

 

「理由など分かりきっているだろうが。此度の舞鶴鎮守府よりの多数の艦娘の名称不明の勢力への離脱。それに続く名称不明の武装勢力による鎮守府襲撃事件。それだけではない。離脱した艦娘の奪還作戦での失態。これら全てに関しての取り調べに係る同行依頼だ」

 

「ちょっと待ってくれるかしら。それらについては、全て任務における事案ですから、海軍において調査すべき事項であって、憲兵隊が出張ってくるような事じゃ無くて? 」

葛生が間に入って問いかける。

 

言われて思い出したけれど、憲兵隊はこの世界おいては、陸軍及び海軍とは独立した組織として設立されていた。とはいえ、構成は、その半分が陸軍からの出向者で固めていて、補佐的に警察組織の人間を据えている。また公平性を保つということで、事務方に弁護士等の民間人を採用するという体を取ってはいるけれど、実際には陸軍が運営する警察組織のようなものだ。

艦娘を陣営に取り込んだ海軍に対する牽制の意味も込めて、超党派の国会議員達の後押しがあったから、この形になったと言われている。もちろん海軍サイドも抵抗し、海軍内の事件等については基本は海軍で処理することは死守したようだが、ならば今回、どうして憲兵隊が出張ってきたかということになるのだけれど。

少なくとも葛生提督は、彼等憲兵隊のことを好いてはいないようだ。

 

「おい、女。何を出しゃばってきているか。そもそも、お前は何者か? 女のくせに偉そうではないか? 」

と、憲兵隊の男は、相変わらずの高圧的な態度を続けている。

冷泉は、ある意味呆れてしまった。部署は違えども、同じ軍隊に属する者。そして、佐味も陸軍の兵士であろう。そうであれば、彼女のつけている階級章を見れば、どういった立場であるかがすぐに分かるはずなのに……。

意図的にそういった事を無視しているのか、それともただの馬鹿なのか? 馬鹿なのだろう。

 

「私の名は、葛生よ。こんな女ごときの私でも、大湊警備府の司令官をやっています。現在は、こちらの冷泉提督に依頼され、提督の不在時の舞鶴鎮守府の指揮を行っていました。所属は違えども一応、あなたより階級も上だし、少しくらいは無礼な態度を取る兵士の事を窘めるくらいは、許されてもいい立場とは思いますけれど」

言葉は意図的に丁寧にしているが、だいぶお怒りであることは冷泉にも分かる。

 

「ハン、そうか? 一応、それなりの地位にいる人間だということは分かった。だが、自分の立場を意図的に誇示して、自らの意見をごり押ししようなどという可愛げの無い態度は慎むがいい。これだから、海軍の連中は嫌いなのだよ。プライドだけは一人前で、人間としては半人前以下が多いのだ。これは、人対人の話では無いのだよ、無いのだ。私は、組織を代表してやって来ている。否、国家を代表して来ていると言っても過言ではない。たとえ階級差をひけらかされようとも、怯むような愚か者ではない」

やれやれ……驚きよりも呆れてしまう。素晴らしい誇りとプライドを持って仕事をしているんだろうが、さすがに礼儀というもを知らなすぎる。憲兵隊という権力組織の看板にふんぞり返り、自分というものを見失っているとしか思えない。

 

「あなたが憲兵隊を代表して来ているのだけは、……分かったわ、いえ、分かりました」

と、呆れたように葛生提督が言う。

「それでも、海軍の事に首を突っ込んでくる理由の説明がなされていないのですけれど」

 

「ふん、そんな事はわかりきっている。冷泉提督に関係するいくつもの事案。これはもはや海軍内部だけで済まされる問題では無いのだ。艦娘が軍を離脱するなど、そもそもあり得ないことだ。誰かが手引きをしなければ、できるようなものではない。しかし、鎮守府の警備は、当然ながら厳重で、そうそう艦娘に身元のはっきりしない外部の人間が近づくことなどできるはずがない。鎮守府への武装勢力の侵攻も同様だ。鎮守府の外周は陸軍の精鋭が警備している。その警備の網をかいくぐって、鎮守府内に重装備をした連中が侵入などできるはずがない。……内部で手引きするような連中がいなければな」

 

「それは、どういうことかしら? 」

 

「艦娘に部外者を会わせる権限を持ち、更には武装兵力を鎮守府に呼び込む事ができる人間が関係していないとそんなことできるはずがない。……そのような権限を持つ人間など、そういるものではない。できるとすれば、鎮守府司令官もしくはその近辺の人間でしかありえぬだろう? そして、冷泉提督に伺いたいのだが、艦娘が離脱を表明した時に、提督は鎮守府にいたのか? 武装勢力の蜂起があった時に、責任者である提督は鎮守府にいたのか? 」

ニンマリとした笑みを浮かべ、彼が問いかける。

 

「それは」

と、冷泉は口ごもる。

 

「そう! それがすべてだろう。貴様はそのどちらの時にも不在だったのだ! これはおかしいだろう? いや、おかしすぎるだろう? 偶然にしてはおかしすぎる。ありえないことだ。計ったように鎮守府の最高権力者が不在の時に限って、こんな大事件が起きるなんてな。……我々は、そこに疑惑を感じているのだよ。この海軍始まって以来の異常事態。これは海軍だけで片付けられるような案件ではない。日本国の存亡に関わるような大事件なのだよ。そして、海軍だけに任せてしまえば、きっと隠蔽されてしまう。それを防ぐために我々はやって来たのだ。これについては、政府からの指示でもあるのだ」

 

「しかし、それはどう考えても濡れ衣じゃないか? そもそも俺が関わった証拠なんて無いだろう」

 

「ふむ、それには私も同意しよう。だが、冷泉提督が無実である証拠も無いであろう! 疑わしきは罰せずというが、まずは全てを聴取する必要がある。故に、我々はそれを調査するためにやって来た。そして、提督を拘束し取り調べるのだ。申し開きする事があるのであれば、取り調べの時に、そして……軍法会議において弁明すればよかろう! 」

 

ついに来るべき物が来たか……。冷泉はそう思わざるをえないと感じた。どうやら正規の手続きを踏んでの冷泉に対する招集らしいし。

状況は予想をしていたものよりずっと悪い。最悪といってもいいだろう。この調子だと、どう考えても有罪ありきの状況に追い込まれそうだ。しかし、この状況ではどうすることもできなさそうだ。

半ば諦め気味に、冷泉は、

「これは、拒否はできないのかな? 」

と問うと、佐味はニンマリと笑い

「何をしようと私は構わんがな。ただし、その場合は、しかるべき手段に訴えざるをえなくなる。そうなると、より一層、立場が悪くなるだけだ」

と答えられる。

 

逆らうだけ無駄ということか。冷泉は少しだけうんざりしたように。ため息をついた。

「分かった。……貴官に従おう。ただ、少し時間をもらえないだろうか。いきなり司令官が不在になってしまったら、鎮守府の事務が滞ってしまう。俺が不在の時の引継ぎや指示を行いたいのだけれど。それくらいの時間はもらえるだろう? 」

 

「……よかろう。ただし、我々も同席するという条件付きだぞ。容疑者に逃げ出されては大変だからな」

勝ち誇ったような笑顔で男は同意する。自分より遙かに高い地位の人間を組み強いた事で上機嫌になっているのだろうか。

 

「では、加賀。すまないが天ヶ瀬中尉を呼んでくれ」

鎮守府の事務に関しては、部下の天ヶ瀬に細々した指示をしておく必要がある。艦娘に関しては、秘書艦の加賀にすれば問題無いけれど。

 

すぐに何人かの部下を連れてやって来た天ヶ瀬と加賀に、冷泉は佐味達憲兵隊の監視の下、引継ぎを始めた。

様々な指示を伝えていくが、かなり細々した話も多くて天ヶ瀬も理解しきれずに困惑している。いきなり言われても困っているのだろう。時々天を仰ぐような素振りを見せ、泣きそうな瞳でこちらに何かを訴えようとしている。

 

すると隣に腰掛けていた葛生提督が

「冷泉提督、いきなりそんなにたくさんの事を言われて、中尉が困っていますよ。慣れない用語や分からない言葉があるのですから無茶です」

と窘めてくる。

 

確かに、鎮守府提督の役職は、多岐にわたる業務を抱えている。一般兵士が知らないレベルの機密にも当然触れることが多く、機密保持のために隠語とかも用いられるし、やった本人しか分からないような特殊な作業も含まれている。いきなり言われても、すぐには理解しきれないのは仕方ない。更に機密保持の観点から、指示を分散せざるを得なかったことも災いしているのだろう。

 

さらに、これまで冷泉を補佐してくれていた職員のうち、何人かは今回の武装勢力の襲撃により戦死したり、負傷して入院している状況で、絶対数が不足しているのだ。中には行方不明者もいて、彼等は永末の息の掛かった者だったという疑いを持たれている状況でもあるし。

このため、今回招集した兵士達も初めて冷泉の仕事を補佐する者が多いのだ。だから、経験者である天ヶ瀬にかかる負担は相当に大きくなっていた。

 

「うーん、そうですね。……であるならば、私が引き続き、舞鶴の事を引き受けましょうか」

と提案してくれた。

 

「しかし、さすがに大湊と両方を兼務するのは、葛生提督でも負担が大きすぎるのではないですか? 」

望外な申し出ではあるものの、二つの鎮守府の司令官を掛け持ちをするなど、さすがに厳しすぎると心配する冷泉に対し、

「まあそれはそうですね。確かにとっても大変だと思います。あまり長く続けると、倒れてしまうかもしれませんねえ」

と困ったような表情を葛生が浮かべる。しかしすぐに笑顔になって

「……だから、すぐに帰って来てくださいね。来ないと許しませんよ」

 

彼女の言葉に、思わず胸が熱くなってしまう。

「ありがとう……ありがとうござます」

冷泉は何度も頭を下げて感謝した。

ふと視線を感じ、そちらを見ると不機嫌そうな加賀がいた。すぐに顔を逸らしてしまうけれど。そんな彼女を見て、先程まで引継ぎ事項の多さと難解さで頭を抱えてていた天ヶ瀬が、ニヤニヤしている。目が合うとすぐにとぼけた振りをしていたが。さっきまでの今にも気を失いそうに深刻な顔をしていたのに……。

 

そんなやりとりをしながらも、冷泉の引継ぎは無事完了した。結局、葛生提督の好意に甘える形でしばらくは鎮守府の運営を行って貰うことで決着した。天ヶ瀬中尉達には今後の事もあるので、勉強を兼ねて手伝いをする形を取ってもらうこととした。

 

「もう思い残すことは無いな。これ以上は待てない。同行してもらう」

佐味に促され、冷泉は立ち上がる。呼応するように両脇に兵士が立ち、両脇を抱えられるようにして移動させられ、少し乱暴に車に乗せられることとなる。兵士や艦娘から非難の声が上がるが、彼等は全く無表情で作業を進めるだけだ。

 

「提督、すぐに帰ってきてください。私達は待っていますから」

窓越しに艦娘達が叫ぶ。神通は涙目になっている。

 

「大丈夫だよ、すぐに帰ってくるから。だから、みんな、無茶だけは絶対にするなよ。それから、葛生提督、本当にご迷惑をおかけしますが、部下のことをよろしくお願いします」

 

「はい、必ず提督の期待に応えられるように努力します。ですから、何も心配しないでください。そして……帰って来てくださいね」

と彼女が答える。

今は彼女に頼るしか無い。心からの願いを伝えるしか、冷泉にはできなかった。

そして、しばらく車の窓越しに会話をするが、

「もう時間なので」

と兵士に言われ、強引に終了させられる。

 

すぐに窓は閉められ、車はゆっくりと動き出す。何人かの艦娘が手を振り何かを叫びながら後を追ってきたが、やがて車の速度が上がるとどんどんと小さくなり、そして見えなくなった。

 

鎮守府の敷地を出た途端、

「しかし……」

横に腰掛けた憲兵隊の佐味が偉そうに足を組み、ふんぞり返りながら尋ねてきた。

「なあ、あれでは、艦娘達が可哀想じゃないのか」

 

「それは、どういう意味か? 」

 

「聞くまでも無いだろう。……二度とここに戻って来られない事くらい、貴様も承知しているのだろう? ……あんなに失態を何度も繰り返したくせに、身分保留のままここに戻って来られるなんてありえないだろう」

笑いを堪えるような表情で、男は言う。

 

「……それは貴官が決める事ではなく、軍法会議において決定される事項だ。いつから上官を裁けるような立場になったというのか」

佐味に言われた事は図星ではあったが、だからこそ認めたくない。必死で反論してしまう。

 

次の瞬間、警棒で思い切り腹部を突かれた。呼吸ができないくらいの衝撃。

「けっ、偉そうな口をきくな、このダボが。鎮守府に戻れるどころか、良くて降格……それで済めば御の字だろう? お前の罪は懲役刑すら考えられるのだぞ。海軍でもトップクラスのエリートだったお前も、これで完全に終わりだな。ぷっ、今まで偉そうにしていた人間が落ちぶれていく姿は見ていてスカッとするよな」

心の底から嬉しそうに佐味が笑う。同行していた兵士達に明らかな動揺が走るのが分かる。この行動は彼等にも想定外だったのか。

 

「隊長、ちょっとそれは不味いのではないですか」

助手席に座った男が慌てたように叫ぶ。

 

「大丈夫だ。もう鎮守府の管理エリアから出ている。連中が手出しすることはもうできない」

と、佐味が男を制する。

どうやら、あれでも紳士的に振る舞っていたらしい。確かに、鎮守府内で司令官たる冷泉に非礼を働くような事があれば、そのことを上部組織に報告される恐れがあったからだろう。それに、鎮守府の兵士達に何をされるか分からない。どちらかといえば、そちらを恐れていたのかもしれない。強い奴には弱いが、弱い立場の人間にはめっぽう強いという憲兵隊の暗部が表出したかのようだった。それでも表面的に見えない部分に対する暴行ということで、体面を気にしてはいるようだ。

 

冷泉は、こみ上げてくる内容物をはき出しそうになるのを必死に堪える。息は絶え絶えの状態でも、負けるものかと歯を食いしばり、なんとか冷泉は言葉を返す。

「俺……は、絶対に戻って来るんだ……。あいつらの為に。俺は、約束したんだ。あいつらを絶対に護るって。だから、こんなところで終わるわけにはいかないんだよ、終わったりなんてしない」

 

「あー、五月蠅いんだよ」

バチバチ。

佐味は取り出したスタンガンを冷泉のうなじに当てる。

「糞が。格好付けたところで、もはや貴様にはどうにもならんのだよ」

 

「な……」

激痛を感じた刹那、体全体を貫くような衝撃が走った。必死に手を伸ばそうとするが、体がまるで言う事を聞かない。言葉を発するがまともに喋られない。

再び痺れるような感覚を受けたと思うと、視界が暗転していった。

 

 



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第177話 神が死んだ世界

舞鶴鎮守府は、冷泉提督がいなくなった後も慌ただしいままでした。慣れた様子でいろいろと指示を出し続ける葛生提督を見つめながら、私、天ヶ瀬は何をしていいかわからないまま、ただただ右往左往するだけでした。

 

冷泉提督から直接引継ぎを受けたとはいっても、見たことも聞いたこともない内容の事務ばかりで、仰った事のほとんど理解しないままで進んでしまいましたから……。分からないところは聞いてくれと言われていましたけれど、切迫して何かに追い立てられるような雰囲気でいらっしゃる提督に、質問なんてできる雰囲気じゃなかったのです。それに、ただでさえ偉そうな憲兵隊のいけすかない男がずっと睨んでいました。その上、海軍女性兵士の憧れの存在である、大湊警備府の葛生提督がいらっしゃるのですから、緊張しっぱなしでした。

 

冷泉提督が不在の間は、葛生提督が鎮守府の指揮を執られるそうで、そんな彼女の前で情けない姿を見られたくないっていう馬鹿な見栄を張ってしまったのでした。我ながら、情けない。結局、自分の無能さを現在も示し続けている訳なのですから。

 

葛生提督の有能さを間近で見て感動するとともに、冷泉提督がいかに私をフォローしてくれていたかがよく分かりました。そんな風には見えないのですが、やはりあの若さで鎮守府司令官になるだけの人です。とんでもなく凄い人だったんだと再確認させられてしまいました。

自分は何でもできるんじゃないかって自惚れてしまっていた事が恥ずかしいです。冷泉提督がいなくなったら、何にもできないんですから。

 

けれど、情けないなんて思っている暇などないのです。

私は冷泉提督より、鎮守府の事を任された者の一人なのですから。提督の期待に応え、彼が帰ってくるまでの間、きちんと鎮守府を運営していかなければならないのです。提督の事は心配ですが、提督は帰ってくると仰りました。その言葉を信じて、自分ができることをやるしかないのです。

 

話を今の舞鶴鎮守府の事に戻しましょう。

 

戦闘で損傷した艦娘達は、修理のために大湊警備府へと移動され、そちらのドッグで修理を行うことになりました。

 

何故、そんな事態になったかというと、先日の武装兵力の襲撃に遭った際、舞鶴鎮守府のドッグは一部破壊されてしまい、いまだに修理に取りかかれていない状況であった事。そして、被害は物理的なそれだけでは無かったという事も理由になっています。

 

襲撃者は、なんと基地内情報ボックスをこじ開けて回線に侵入し、鎮守府内のコンピュータネットワークへのハッキングを行っていた形跡が発見されたのです。このため、基地ネットワークは機器使用が一時全面停止されました。政府よりの専門スタッフが派遣され、基地内ネットワークについては問題が無いと確認されましたが、ドッグについては、再調査の必要性ありということで未だ全機器の使用が禁止され、施設そのものが全面閉鎖されてしまっています。今も彼等はドッグ内で昼夜を問わずに作業に追われています。(もちろん、鎮守府の兵士達も、復興のために寝る間を惜しんで働いています。)

 

当然のことですが、艦娘は日本国最高レベルの機密事項です。ゆえに万が一と言う事があってはならない。艦娘の鎮守府を離脱という重大事案の発生した舞鶴鎮守府ですから、より徹底した調査が必要だと判断されている、と葛生舞鶴鎮守府司令官代理は仰っていました。

 

ちなみに調査に来ている政府要員は、海軍どころか軍の人間でもありません。艦娘側より組織された部門から派遣された人なのです。つまり、得体の知れない連中といっても過言ではありません。軍や政府から完全に独立し、艦娘側に雇われているというよく分からない組織の人間であり、あまり信用できないと個人的に思っています。そもそも、彼等彼女等がどういった経歴の人間なのか、まったく分からないのですから……。なのに、ずかずかと鎮守府にやってきて、勝手に好き勝手やっているのですから。

 

そんな私情はともかく……。

 

損傷艦の護衛に無事な艦娘も随行するため、舞鶴に残された艦娘は、ほんの僅かとなってしまいます。このため、広報要員として派遣されていた軽巡洋艦夕張と駆逐艦島風が、葛生提督の指示により鎮守府に戻されることになってしまいました。

 

二人の艦娘は、これまでの深海棲艦との戦いによるダメージの蓄積のため、戦闘はできない艦であります。けれど、その事は冷泉提督のご意志により、ごく一部の艦娘と軍関係者のみに秘匿されていました。これは、彼女達が解体されないために行われている事なのです。軍艦として役に立たなくなった艦は解体されるという非情な運命なのです。

 

当然、この事は葛生提督は知らないわけで……、彼女は二人に対して「仮に敵深海棲艦の襲来があれば、あなたたち二人を中心とした艦娘で、救援が到着するまで持ちこたえてもらわなければなりません」と厳命されてしまいました。

二人は俯いたままで黙り込んでしまいます。

 

「しかし……」

と秘書艦である正規空母の加賀さんが、彼女に反論します。

恐らく、彼女は夕張さんのことだけを心配して声を上げたのだと思います。島風さんの事は考えてもいないでしょう。何故なら、加賀さんを助けに向かう際の限界を超えた航行により、島風さんの船体には戦闘が不可能になるほどの重篤な後遺症が残ってしまった事は、冷泉提督の指示により、彼女には隠されていたからです。

 

「ん? 加賀、何か問題でもあるのかしら? もし私が知らされていない事があるのだったら、速やに教えて頂戴。冷泉提督からは、二人の事について何か事情があるとは聞いていないのだけれど。……もしかして、彼女達には戦闘に際して、何か問題でもあるというのかしら」

と、詰め寄られ、

加賀さんは

「い、……いえ、何も、その」

と、言葉を濁らせてしまいます。

 

「何も言えないということは、夕張と島風が鎮守府警備の任に当たることに、秘書艦としては何の異存も無いということね」

その問いかけに、彼女は頷くしかありません。

 

私としては何とかその決断を止めたい気持ちもありますが、それを口にしたら彼女達の事を全て話さなければならなくなってしまいます。それは、結局、彼女達の立場を猛烈に悪くするだけです。そして、それだけではありません。加賀さんにも島風さんが彼女の為に重篤な後遺症が残ってしまった事を言わざるをえなくなるのです。それは冷泉提督のご意志にも反する事。口にすることなんてできるはずもありません。

 

私の葛藤をよそに、葛生提督から加賀さんに対して、更に厳しい言葉が発せられます。

「あのね、加賀……。私、ずっと見させてもらっていたのだけれど、ここの艦娘達は、どうも提督に甘やかされていたからなんでしょうか、……提督に対する尊敬の念というものが、まるで感じられませんね。あまり批判的な事なんて言いたくないのだけれど、お友達感覚で冷泉提督に接しているようだけれど、その甘さが鎮守府の戦果の停滞の原因ではないか、と私は考えざるをえないのです。もっと上官を尊敬し従う必要性があると思うけれど、どう思うかしら? 特に、加賀さんの態度が目につきます。……あなた、どういう了見かは知りませんが、ずっと見てて思っていたんです。……冷泉提督とどういった関係にあるのかは、あえて詮索はしませんが、ずいぶんと慣れ慣れしすぎるんじゃないですか? 今の立場をあなただけに許された特権的に解釈しているとしたら、とんでもない勘違いを生じる危険があります。もう危なかったしくて仕方ありません。……艦娘と提督との公私の区別は、きっちりとつけてください。そういった部分を是正するのも、後を預かった私の使命でもあると思っているのです。冷泉提督は男の人ですから、艦娘のような存在にはなかなか強くは言えないのでしょう。まあどの殿方でも同じなのでしょうけれど」

 

「それについては、きちんとしているつもりです」

意図的にか分かりませんがその口調はとげとげしく、端から見ても反抗的な態度を取る加賀さん。言葉にせずとも、何を偉そうにと言っているのと同じです。

 

次の刹那、葛生提督の右手が動いたかと思うと、

ぱああああん! と乾いた音を立てて、加賀さんは思い切り張り倒されてしまいました。スナップの効いた綺麗な張り手でした。それは、私が思わず声を上げてしまうほどに。

 

「な、何を」

と加賀さんは睨むが、逆に提督に睨み返されて、その迫力に目を逸らしてしまいます。

 

「いい加減にしなさい。加賀、あなたは、自分の立場を弁えなさい! いろいろと調べさせて貰ったわ。……それで分かったの。どうして、冷泉提督があんな体になってしまったのかをね。……何もかもあなたが原因なんじゃないの? 横須賀鎮守府でもずいぶんと悪さをして追い払われ、這々の体でいたあなたは、冷泉提督にに拾われた。そんな恩があったのに、あなたは従順ではなく、また悪女っぷりを発揮したわね。男とは馬鹿だとはいえ、彼も他の男と同様にあなたの魅力にはまってしまったのかしら? 加賀、あなたの為に彼は死にかけ、そして重篤な後遺症が残ってしまったわね。あなたの気を引こうと彼も必死だったのかしら。とにかく……無理をしすぎてしまった。その後も酷い有様だわ。あなたを偏愛してえこひいきする彼の行動が、鎮守府の艦娘の信頼にヒビを入れ、永末という人間に付け入る隙を与えてしまった。そのために鎮守府から多くの艦娘が離脱するという異常事態を引き起こしてしまった。すべては、あなたのせいじゃないの? まあ、あなたに悪気があったわけじゃあないのでしょうけれど。まあ、悪女とは往々にしてそんなものなのだから……。しかし、横須賀鎮守府生田提督に勝るとも劣らないと称された彼を、あんな腑抜けにしてしまったのは、憲兵隊に囚われ惨めに連行されるまでに落ちぶれさせたのはあなたの責任なのよ。今更言ってもどうにもならないけれど、少しは反省しなさい! 」

 

「……私は、そんな事はしていません。舞鶴の混乱が私がここに来たこにが原因とがあるいうのなら、いかなる処罰も受けます。私の不徳の致すところであるのなら、責任は取ります。けれど、冷泉提督とは、提督と秘書艦以上の関係などありません。ありえません」

 

「へえ、彼とは何も無かったというの? 体に触れさせることもなく、手玉にとったとでもいうの? 」

あえて挑発するかのような口調で提督が睨み付けます。

 

「信用してもらえないのならそれでも構いません。それに提督の事を手玉にとるなんてこと、ありえるはずがありません」

 

「ふうん。では、冷泉提督に対しては、あなたは何の感情も無いということ? 」

 

「……」

突然、加賀さんは黙り込んでしまいます。

 

「ねえ、どっちなのかしら? 」

まるでいたぶるかのように、葛生提督は追求を緩めない。

 

「彼の事を艦娘という自分の置かれた立場を忘れているわけではありませんが、一人の女として彼を好きだということは間違いありません。……私にとっては、誰よりも大切な存在です。けれど、私がそう思っているだけで、このことは彼も知りません」

耐えかねるように、加賀さんは言葉を紡ぎます。

 

「プラトニックな、一途な想いでしかないと言い切るのね。ふうん。まあ、そういうのならそれ以上は追求はしませんけれど」

と、探りを入れるようなネットリとした視線を彼女に向ける。

 

「本当です、本当なんです」

必死にそれを否定する加賀さん。まとわりつくような提督の視線に耐えかねているようにも見える。

 

「うふふ……まあそれはどうでもいいわ。他の艦娘だって、あなたに似たような感情を持っているみたいだしね。まったく……」

呆れたような声を上げる葛生提督。

「こんなに思ってくれる子がいるのに、それなのに手も出さない男なんて……ある意味気持ち悪いわね。地位を利用して力ずくでモノにするようなゲスもいるというのに、好意を持ってくれる女の子に鈍感な恥ずべき馬鹿だと思うわ」

 

「けれど、誰よりも優しい人です」

とぽつりと呟く。

 

「あなたも相当に馬鹿な子ね。……思うことがあったらその気持ちを素直に出しておかないから、いなくなってから後悔することになるよ」

と歯がゆそうに口にした。

 

「それは、どういうことですか」

思わず驚いた表情を見せる加賀さん。

 

「分かっているとは思うけれど、冷泉提督は、軍法会議にかけられる。それはあなただって想像できるわよね。そして、どう考えても冷泉提督は失策続け、挽回することができなかった。そして、彼のこれまでのやり方から、海軍の中には敵だらけよね。恐らく誰も彼を擁護するような人はいないでしょう。仮にしたくても、擁護すれば自分の身にまで災難が降りかかるのは明らかだから、したくてもできないでしょう」

 

「けれど……提督や横須賀の生田提督が擁護にまわってくれれば」

縋るような視線で加賀さんは提督を見ます。

 

「ふふふ、鎮守府指令官は、軍法会議に入ることは認められていないわ。つまり、援護など求められない絶対不利な状況で、彼は裁かれることになるわ。どういった処分が下るかは、私にも全く想像がつかない。軍から追われるだけならまだしも、……懲役刑、それどころかもっと重い罪が課されるかもしれない。最悪の最悪を想定しても足りないくらい。それくらいの覚悟は必要よ。それに、もし……たとえ公正な裁判が行われたとしても、彼がこの鎮守府に戻ることは無いのよ。もう、あなたたちが彼と会うことなんて永久に無いのよ」

断言するような口調で、葛生提督が言います。

 

その言葉に加賀さんは、相当なショックを受けたのでしょうか。呆然とするしかありません。

艦娘は、鎮守府から出る事は許されない。……冷泉提督は、どんなに運が良くても軍を追われるしか道がないとするならば、もはや艦娘達は冷泉提督と再会することはできないのです。それは、加賀さんにとって、想像もできないほどの衝撃なのではないでしょうか。

 

もちろん、私だってショックを受けているのは同じです。

 

可能性は予見していましたが、葛生提督のような鎮守府の司令官のような高い地位の人が言うと、その言葉にはもの凄い重み、現実感がでてしまいます。

 

既に決まった事のようにさえ感じられ、絶望せざるをえませんでした。冷泉提督は帰ってくるって仰ったのに、やっぱり帰って来られないのです。もう二度と彼に会うことはできないのか! そう思うと悲しく、辛くなります。

 

私のこの感情は、上司に対する物じゃないものであることは分かっています。提督が帰ってくると言ってくれたから、それを信じようとしたのに……。この想いは、提督が帰ってきてから伝えればいいやって思っていた「言葉」が宙ぶらりんになってしまう。けれど、自分にはどうすることもできないもどかしさ。

 

けれど、、そもそも、私のような一介の中尉に何ができるというのでしょうか。

 

「て、提督、お願いします。なんとか、なんとかして冷泉提督にお力添えをしてください」

突然、必死の表情で加賀さんが懇願します。提督の手を握り必死に訴えているのです。

「わ、私にできることなら、何だってします。だから、どうかどうか、彼を冷泉提督を救ってください。お願いしますお願いします」

クールな加賀さんが、普段とはまるで違い感情を露わにした態度で、訴えかけます。その表情は必死です。

 

「確かに私が軍法会議に出ることはできないけれど、一応鎮守府指令官ですからね。私のコネで介入することができないわけではないけれども」

値踏みするように加賀さんを見る葛生提督。

そして、

「けれど、これは火中の栗を拾うような物なのよ、……冷泉提督を擁護するということは。私にも何か相応のメリットが無いと、さすがに無理は利かないのよ。残念ながら、あなたがどう私を評価しているかはしれないけれど、私も人並みに保身を考えるし、出世欲だってあるんだから。それでも言うんだから……本当になんでもするの?」

と意味ありげに呟きました。

加賀さんは、唇を強く噛んだような表情を見せますが、何故か諦めたように頷きます。

その態度を見て葛生提督は、

「大丈夫よ、加賀。私がなんとかしてあげるから。だから、あなたも私に忠誠を誓いなさい」

と優しく語りかけながら加賀さんの頭を撫でてあげます。そうしながら、彼女は何故か満足げに頷いていました。

 

 

 

舞鶴鎮守府……艦娘用宿舎。

 

出航準備の為に艦娘は港に出払っている。

ただ一人、金剛だけがいた。

 

彼女は、舞鶴鎮守府を去るための荷造りをしていたのだ。

横須賀鎮守府への異動を承諾した彼女は、一人で作業を続けている。普段の舞鶴鎮守府なら艦娘の異動があれば送別会が盛大に開かれるのだけれど、今は非常時。そんな時間的余裕も精神的余裕もないだろう。そもそも、そんな事なんてして欲しくないのが本音だ。

 

金剛の異動を知る者は、今のところごくごく一部に限られている。

 

舞鶴の艦娘達は、大湊警備府での修理に向けて準備に忙しい。ほとんどの艦娘が大湊警備府へ行くことになる。そうなれば、舞鶴鎮守府はほとんど空っぽになる。

彼女達が出航したら、こっそりと抜け出そうと思っていた。

 

突然、受付より彼女に連絡が入って来た。

軍令部の人間が直接やって来たとのことだ。

 

こんな時に面会だなんて面倒くさいけれど、会わないわけにもいかないので、来客を通すことにする。宿舎から近い場所にある会議室を押さえて貰い、そこで会うことにした。人目を避けるのは、他の誰かに見られたら、いろいろと詮索されそうだからだ。

とにかく、何もかも煩わしかった。

 

どうせ話の内容は、今回の横須賀鎮守府への異動の事だろう。

 

指定した会議室に行くと、すでに一人の男が会議室の椅子に腰掛けて待っていた。男は軍令部の人間で某と名乗る。ひょろひょろの長身で、黒縁の眼鏡をかけた、何の特徴もない顔立ちだ。おまけに名前も適当な感じにしか思えないし、違和感を感じざるをえない。

 

腰掛けるように促し、対面する椅子に金剛は座る。

「……今、忙しいのに何の用? 時間はあんまり無いから、手短にお願いするネー」

 

男は意図的に作ったような笑顔をみせながら、ゆっくりとした口調で話し始める。

それは、冷泉提督が憲兵隊に連行された事。そして、今後軍法会議にかけられ、恐らくは重罪となる予想を伝えられる。

 

冷泉提督が捕らえられた事を知らなかった金剛は驚き、思わず椅子から立ち上がる。

「まあまあ、慌てないでださい。今から追いかけても無駄ですよ。もうとっくに憲兵隊の施設に連れ込まれているでしょうから」

とへらへらした笑みを浮かべながら男が静止する。

 

「そんな筈無いネ。こんな不法な事、他の子達が絶対に許すはずがないもの」

強制的に提督が連れて行かれるなんて事があったとしたら、艦娘が許す筈がないのだ。例えどんな理由があろうとも、正当な理由で拘束しようとしても、加賀や神通が黙っていないはずだ。あの二人の提督への傾倒ぶりは異常なくらいだから。

 

「いいえ、平穏無事に、きちんと引継ぎまでなされてから、冷泉提督は任意同行に応じていましたよ。強制では無かったので、艦娘達も特に騒ぐこともなかったようですし」

 

「そ、そんな事」

気が遠くなりそうになった。どうして、みんな止めなかったのか。憲兵隊に連れて行かすなんて、もう詰んだようなものじゃないか。みんな、冷泉提督の置かれた状況が認識できていないのだろうか。なんてお気楽な子たちなのか。

苛立ちを感じながら、ふっと冷静な思考が戻って来て熱くなったはずの頭が急速に冷めていくのを感じる。

私、何をそんなに慌てているの? ……そうだ、もう自分には関係のない事なのだ、と。冷泉提督は、もう私の上司でも無い……ただの人なのだから。

それに、彼の運命は誰でも想像できた事だ。ただ、それを誰も口にすることができなかっただけでしかない。提督本人も分かっていることだろう。

 

ただ、彼が連行される時に側にいられなかったことが悔しい。本当は、鎮守府を後にする時に、こっそりと彼に会うつもりでいた。自分の本当の気持ちを伝え、どんな形であれ誤解を解いておきたかった。

もう二度と会えないのかも知れないのだから。

 

「なんとか提督を救う手立てはないの? 」

関係無いのにそんな事を聞いてしまう。

 

「無い事はないですけれど、ね」

 

「知ってるなら教えるね。今、すぐに」

呑気に話す男に対して苛立ちが募る。少し声に怒気が混じってしまう。

 

「あなたが今すぐ、横須賀鎮守府に移動することを承諾すること。まあ、これは既に決定されていることだから、何ら問題も無いでしょうね。あともう一つの条件、それは、改二改装を承諾することです」

本当は、金剛は冷泉と離れることが嫌だった。大好きな提督ともう一緒に戦場に出ることも、気楽にお話することも、あたりまえだと思っていた日常が無くなってしまうことが辛く寂しかった。そして将来……そんな夢も絶たれてしまうことは認めたくなかった。

けれど、それはもう決めてしまった事だ。今更、嫌だなどというつもりはない。そして、新たに追加された条件。改二改装を行うこと。すでに自分はそういった大規模改装を行うことができる状態にあるということなのか? 強くなることは戦艦という地位の金剛にとっては願ってもないことだった。新たな鎮守府で日本国の為に役立てるのならばそれほど嬉しいことはないだろう。

条件をのむことになんの問題も無い。この条件を飲むことで、冷泉提督の立場が少しでも有利になるのであれば、願ってもないことだった。

金剛は、もったいぶる態度を取りながら、男に頷く。

「それで、冷泉提督の立場が良くなるのなら、その条件を飲むネ」

 

答えを聞いて男は嬉しそうに頷く。

「よかったです。承諾して下さりありがとうございます」

 

「約束は絶対に守ってもらえるネ? 冷泉提督が不利にならないよう、絶対にお願い」

 

「ご安心ください。我々が彼をお守りします。あなたの覚悟を無にするようなことはありえませんから」

 

「絶対ネ」

念を押すように金剛はもう一度確認した。

 

提督とは喧嘩別れしたままだけれど、提督への処分が軽くなれば、きっといつか会うことができる。その時こそ、自分の気持ちを、本当の事を言おう。そんなことを思うのだった。

 

 



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第178話 舞鶴鎮守府の変化

天ヶ瀬は、空っぽになってしまった港を見て、大きな溜息をついた。

「本当に誰もいなくなってしまいましたね」

 

かつては、戦艦金剛、扶桑そして榛名。空母加賀、祥鳳、巡洋艦高雄、羽黒、神通、大井、夕張。駆逐艦叢雲、不知火、島風、村雨、三日月、初風、漣、給油艦速吸がいた……。

いまはもう、誰もいない。

 

夕張と島風はこちらに向かっているとのことだけれど、……今はいない。

 

「一体、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。冷泉提督が戻られたらどう言えばいいのかしら」

そう思うだけで頭が痛くなる。

 

鎮守府を離脱した艦娘の事は、もはや仕方ない。沈没した扶桑と不知火と同じく、他の艦娘も最初からいなかったものと思うしかない。次に再会するときは、明確に日本国の敵となるのだから。

 

金剛は、横須賀鎮守府に異動となった。本人の希望であり、こちらについては冷泉提督も承認済みとのことだった。

 

そして、残された艦娘のうち、叢雲と長波は第二帝都東京に残ったままだ。神通が強引に出立してしまったため、事後処理をさせられているとのことだ。

残る加賀、榛名、高雄、神通、速吸は修理及び護衛のために、大湊警備府に行ってしまった。

ちなみに艦娘である長門も、加賀達に同行している。彼女は鎮守府に配属されているわけではなく、冷泉提督に従う存在であるから、冷泉提督がいない鎮守府には何の感心も無いのかもしれない。

 

大型艦の損傷ゆえ、修理にはだいぶ時間がかかるだろう。しばらくはこちらには戻ってこないはずだ。

それに、少し気になることを葛生提督が言っていた。

 

「今後は大湊警備府をメインにして作戦を練らないといけないって仰っていたけれど、どういうことかしら。……確かに、冷泉提督の処遇がどうなるかで、何もかもが変わってしまうけれど」

今は葛生提督が舞鶴と大湊の両方の司令官を兼務している。様々な事務処理を考えると、どちらかを拠点にしなければならないのは理解できる。

 

事務処理の決裁だけでも説明が必要なものについては、大湊まで出張っていくか、彼女が舞鶴に来たときにまとめて行う必要がある。それだけでも随分と時間がかかってしまう。不合理といえば不合理だと思う。

 

「当然、今、自分がいるところを拠点にするわよね。住み慣れているし、部下とも関係性がきっちりと構築されているわけなんだから。おまけに設備も舞鶴は破壊されたりしていて使い物にならないから、大湊の方が充実している。そして、艦娘の数も向こうが多いものね」

 

それは別に構わない。

 

けれど、今のままでは舞鶴鎮守府が大湊警備府に吸収されてしまうのではないかという気がして仕方がない。考え過ぎかもしれないけれど、すべてがそのために周到に仕組まれていたのではないかとさえ思ってしまう。

 

そんな疑念の信憑性はともかく、機能をどちらかに集約したほうが葛生提督もやりやすいはずなのは間違い無い事実。

……葛生提督は舞鶴鎮守府の司令官になりたがっていたのは周知の事実。そんな野心を持っているなら、こちらに乗り込んでくるのだろうけれど、武装勢力の襲撃の結果、設備の破壊が思った以上に酷い事を見て、考えを改めたのかも知れない。

 

既に舞鶴鎮守府の艦娘のメンテスタッフは大湊へ出向扱いだし、艦娘の整備に必要な資機材のほとんどを運び出していたし。

 

今、舞鶴は補給基地レベルの設備しか無い状態だ。着々と物事が進められている。

 

「何を考えてるの。提督がそんな野心など持っているはずが無いじゃないの。彼女は、舞鶴のことを思って行動して下さっているのに。スタッフや機材の件だって艦娘の事を考えての事。そもそも、あくまで代行でしかないのだから。やがては葛生提督以外の、誰かが派遣されてくるに違いないのだから」

そんなことを考えて、ふと我に返る。

 

すでに自分が冷泉提督が戻ってこない事を前提で、物事を考えていることに……。

 

「いいえ、きっと冷泉提督は帰ってこられる。そのことを信じられずに、どうして提督の部下でいられるのでしょうか」

自分に言い聞かせるように言う。

 

……いずれにせよ、葛生提督の動きには気をつけておいたほうがいいとは思う。

 

冷泉提督が捕らえられて以降の行動は、贔屓目に見ても、舞鶴鎮守府の為にやっているとはとても思えない。

 

舞鶴を切り捨てて、すべてを大湊に移そうと考えているようにしか見えない。

もちろん、一鎮守府の司令官が他の鎮守府の処置を決定するような権限は無いのは分かり切っている。けれど、今のところ彼女の行動に対して、どこからも異論は出ていない。もしかすると、事は葛生提督がどうこうという次元より更に上で進められているのかもしれない。

 

国家として舞鶴鎮守府の解体を考えているのか? とさえ勘ぐってしまう。

 

国家に謀反の意志ありとして提督が処置された鎮守府。

国家に知られること無く、密かに所属艦娘を隠匿した司令官がいた鎮守府。

多数の裏切り者を出した鎮守府。

 

これだけの不祥事を起こしている鎮守府への批判を抑えきれるほど、実際のところ、現政権は盤石ではない。

軍の支持を得ているとはいえ、軍隊は一枚岩ではない。そして、海軍内部ですら、派閥闘争が行われているのだ。

軍内部には、政権政党だけではなく、野党との関係が密な勢力も多い。そして、軍隊の指示を得ている政府に対する嫌悪感を持つ国民も相当数いるのだ。

そして、そういった勢力を押さえ込めるほど、日本国は余裕が無い。

 

本来の敵は外にある。

深海棲艦である。そのメインの敵と戦いながら、内部でも闘争を繰り返している。そんな混乱時であるからこそ、政権がひっくり返るという事も十分にありうるのだ。実際に、それを企てようとする勢力も存在すると聞く。

 

それほど不安定なのだ。混沌としているのだ。

 

存亡の危機にありながらも、権力闘争を行う愚かな人間達。そんな連中達で日本国は作られ、守られてている。

 

まだ深海棲艦との戦争に勝利の目処すら立っていないのに、こんな愚かな闘争を繰り返している。なんという愚かな国家なのだろう。

 

愚かな人間たちなのだろうか。

 

誰が敵で誰が味方か……。

 

舞鶴鎮守府は、現在、非常に不安定な状況にある。日本国においても、勢力バランスを崩す原因になりかねない場所となっている。ここを誰が取るかによって、パワーゲームの順位が変動する恐れが出ているのだ。最初に手を出した者が勝利のチャンスを掴むのか、大やけどをするのか。それは分からない。手を出したくても出せない。互いに牽制しあう状況……。ならば、そんな鎮守府そのものを無くしてしまえば均衡は保てる。現在の状況は、そんな無意識の意志が働いたかもしれない。

 

また、冷泉提督が海軍の中では、煙たがれている存在であったことも影響しているかもしれない。密かにそういった動きが軍内部でもあった可能性も否定できない。彼ごと舞鶴を消し去る……。

 

「ああ、なんて不幸なの。なんでこんな時期にこんな所にいるのかしら。そして、なんで、責任者の一人にされちゃったの」

と、思わずぼやきが出てしまう。

 

自分としては、それなりにキャリアを積んで、それなりの地位を確保し、優しくて頼りがいのある人を見つけて結婚するつもりだったのに。

必要以上にキャリアだけは手に入っているけれど、他は何も無いじゃない。バランスが悪すぎ。

 

「本当なら、何もかも放り出して逃げちゃいたいけど、……冷泉提督と約束しちゃったしなあ。あーあ、逃げ出したいよう」

またぼやきが出る。

「お給料以上の仕事なんてしたくないよう、週休二日は死守したいよう。けど、無理っぽい。妙なところで葛生提督に気に入られちゃったし。……こき使われそうだわ。おまけに秘書艦の加賀さんも連れて行かれちゃったし。せめて長門さんがいてくれたら、絶対楽できるのに、一緒に行くんだもの。酷すぎ。

……ああ! 冷泉提督が帰ってこなかったら、ホント、過労死しちゃうじゃない。恋愛もする暇無いじゃないの。ちくしょー。さっさとお見合いして結婚してたら良かったわ! 」

冷泉提督、なんでもいいから、とにかく帰ってきて下さいよう。

祈りにも近い叫びを天ヶ瀬は天に向かって上げるしかなかった。

 

 

そして、翌日。

鎮守府の守備の要として軽巡洋艦夕張、駆逐艦島風が帰投した。

 

早速、天ヶ瀬達が彼女達を出迎える。

「おかえりなさい、夕張さん、島風さん」

 

「ただいまです、天ヶ瀬中尉」

と、元気そうに夕張が答える。隣の島風も笑顔で頷いている。

 

「向こうの暮らしはどうだった……」

現在の舞鶴鎮守府の状況については、彼女達も知らされているはず。

 

「そうですねえ。子供達が良く来てくれていろいろとお話してました。ね、島風」

 

「うん、いろんな人と直接お話して、楽しかったですよ。提督には内緒ですけど、子供達をお船に乗せて、海に出たりもしていました」

二人とも楽しそうに向こうでの生活を話してくれる。

 

提督から命じられた時は嫌がっていたのに、それなりに楽しんでいたことを知ってホッとする。そして、しばらくは世間話を続ける。本題に入るのを避けるかのように。けれど、それを先送りすることもできない。

「そう、よかったわ。……でも、ごめんなさいね。いきなり呼び戻す事になっちゃって」

 

「いいえ、全然問題ありません」

と夕張が答える。その顔は真剣そのものだ。

「私達がこの鎮守府を守らないといけないのですから。……私達だけで。もうその覚悟はできています」

 

「うん、私も出来ていますよ。みんなが帰ってくるまで……、提督が帰ってくるまでは、舞鶴鎮守府を絶対に守り通して見せますから」

島風もいつになく気合いが入っている。

二人とも実際に戦闘に巻き込まれたりしたら、戦う以前に船体が保たないという不安を抱えている。けれどそんな状態であろうとも、覚悟を決めている。そして、その上にたった二人しかいないという状況でも全力を尽くそうとしている。

艦娘としてその使命を全うしようとしているのだ。迷いは感じられない。

 

こんな理不尽な状況下でも一切の不平を言わない。……ちょっと前までは、他の艦娘達に依存し冷泉提督に甘えてばかりだった子達なのに、危機的状況で強く成長したのだろうか。

 

艦娘達がこんなに覚悟を決めているのに、自分が弱気ではダメだ。彼女達には今、指揮官がいない。頼れる艦娘もいない。

私達人間が、彼女をサポートしてあげないと。

みんなの力で守るんだ。

 

天ヶ瀬中尉は強く自分に言い聞かせ、そして、艦娘達に微笑む。

「ええ、私達も一生懸命頑張るわ」

と。



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第179話 第二帝都東京 叢雲と長波

帰投した夕張と島風は、早速、葛生提督より命令を受けた。鎮守府に戻ってすぐの出撃、しかもしばらく実践から遠ざかっていたことを理由に、天ヶ瀬中尉は意見をした。……しかし、あっさりと却下された。

食い下がったものの、本作戦については鎮守府発案ではなく、艦娘側よりの要望を受けた政府決定事項であること。そして、戦闘がほとんど予想されない通常海域での護衛任務であること、更に大湊警備府からも応援艦隊が来る事まで列挙されてしまえば、天ヶ瀬には、もうそれ以上反対する理由が無かった。

 

戦闘に参加することのできない艦であることまでを表に出して否定する場面ではない。しかも、葛生提督の権限のみで決定できる事を、わざわざ気を遣って確認してくれている事を鑑みると、それ以上の抵抗は叶わず、了承するしかなかった。

 

任務の内容は、工作船団の護衛でした。その目的地は、舞鶴鎮守府艦隊同士で戦火が開かれ、不知火さんが沈んだ場所……。

 

【日キ-第27採掘基地】周辺海域。

 

輸送艦やクレーン船、補給艦、ヘリ搭載型揚陸艦、さらには潜水作業船まで含んだ艦隊を舞鶴・大湊艦隊が護衛して出立していった。

 

同行した鎮守府兵士の報告によると、現場では特殊部隊が先行してメガフロート基地内の探索を行い、安全が確認された後、資材等の運び出しと調査が行われているらしい。また、海においては小型潜水艦を使用した調査が行われているらしい。潜水夫までもがやって来ているようで、何かを引き上げるための準備をしているそうだ。

そして、数日の内にクレーン船が作業を開始した……との報告を受けた。

 

彼等……同じ海軍の兵士なのだけれど、鎮守府所属の兵士ではないため、あまり情報が得られないらしい。さすがに葛生提督には報告がいっているのだろうけれど、彼女は大湊警備府にいるため、そういった情報に触れる機会すら天ヶ瀬達舞鶴鎮守府兵士には与えられていない。少なくとも元同僚で上官だった永末の所在は分からないままらしい。

 

何をしているのかわからない。……ただただそれだけだった。

 

そして、その政府主導の「何か」の回収作業が無事終わったらしく、夕張と島風が無事に帰ってきた。

 

しかし、その後も日本海の各所に無人となって放置されている海上基地の調査の為に、彼女達は駆り出されることになった。彼女達は、ほとんど休み無く出撃を繰り返す。

 

目的は、今回の永末氏を主体とした勢力の反逆を受け、無人となった施設が「敵」とされる勢力の基地として利用されていないかの再調査だろう。けれど、この調査には僅かな艦船と護衛に夕張と島風だけがつけられただけなのだ。

 

天ヶ瀬は、それについては納得いかなかった。当然、文句を言った。

舞鶴鎮守府より、大湊に夕張・島風以外の全ての艦娘が派遣されているのだ。つまり、大湊警備府には、現在たくさんの艦娘がいるということだ。せめて、少しでも協力があってしかるべきではないのか? 連日連夜働きづめの二人の艦娘にも、さすがに疲労の色が濃くなっている。艦娘のサポートすべき職員も、すべて大湊に連れて行かれたままだ。このため、二人のメンテナンスすらまともにできていない状況である。万一、深海棲艦との接触が起こりでもしたら、まともに戦えるかどうか分からないのだ。万全の艦娘でさえそうなのに、彼女達には重大な問題を抱えているのだ。もしもの事があったらどうする? 冷泉提督に顔向けができなくなるじゃないか……と。

 

そんな天ヶ瀬に、葛生提督は淡々と言い放った。

「これは命令です。命令には従いなさい。そもそも、大湊においては、出撃および遠征任務が増加しているのです。何故だか分かりますよね? 舞鶴鎮守府が機能していないから、そのしわ寄せが来ているのです。舞鶴が万全であればともかく、今は司令官すらいない上に、艦娘も数を減らされてしまっている。その中でなんとか私達がやりくりしている状況なのです。夕張と島風だけに負荷が掛かっているわけでは無いのですよ。中尉、あなたもそれくらい理解しなさい。あなたに言いたいことがあるのは、わかります。けれど、我々は組織の人間です。明らかに違法でない限りは、命令には従わなければなりません。それが軍人としての基本なのですから。艦娘も当然、納得しているはずです」

 

命令なのは分かっている……けれども! 

本当の事を言いたいけれど、それが言えないジレンマ。天ヶ瀬は引き下がるしかなかった。

 

自分たちが何の為に今行動しているのか、それさえ分からない状態。けれど、命令なのだから余計な事を考えずに従わなければならない。

軍人として当たり前の事を、機械のように当たり前だと諦め、粛々と行うしかないのか。

 

思考停止できれば、どれほど楽になるか。……それができないでいる自分が憎らしかった。

 

せめてもの救いは、夕張さんと島風さんが健気にもがんばっている事だ。「大丈夫? 何もできなくてごめんね」と頭を下げたら、逆に慰められた。「自分たちがまともに動ける艦娘だったら、中尉に嫌な思いをさせなくてよかったのに」と。

 

彼女達は、自分たちにできることをやっていくだけだ、心配する必要は無い、と言ってくれた。彼女達は、冷泉提督が逮捕されたという事を知っている。けれど、その詳細を天ヶ瀬達に問うてくる事は一切無かった。本当は凄く心配で仕方無いはずなのに、天ヶ瀬達に気を遣って、聞かないでいるのは分かっていた。

そのことを思い切って彼女達に問うと、夕張が答えてくれた。

「提督の事を聞いても、私達には何もできないでしょう? 逆に余計な心配ばかりして、気になって何もできなくなる事の方が怖いの。中尉、大丈夫よ。きっと提督は帰ってくるわ。提督は約束を絶対に守る人だから。だから、私達は提督を信じて、自分たちができることをやるだけなの。帰ってきた提督に、よく頑張ったねって褒めて貰いたいから。私達でもできることがあるんだって、提督に証明したいもの。まだまだ私も島風も提督の役に立てることを! 」

それを聞いて、自分がウジウジしていたことが恥ずかしくなった。彼女達は与えられた条件の下で必死になってがんばっているのだ。冷泉提督の優しさに甘えるより、彼の信頼を得るために。そのためなら、いかなる苦境さえ受け入れるほどの気持ちを感じた。

 

何だか自分の小ささに呆れてしまう。自分も負けないようにしなければ。自分だって冷泉提督に認めて貰いたい気持ちは同じなのだから。

 

「それにしても……」

しかし……問題はそれだけじゃ無いのだ。問題事は増える一方で、その対応に追われ、しかし何も解決できないから頭が痛い。

 

最近の鎮守府の状況変化も頭痛の種の一つだ。

 

実は、舞鶴鎮守府にはここ最近、頻繁に民間人が出入りするようになっていた。

艦娘がほとんどいなくなり、また艦娘のメンテナンス機材のほとんどが大湊へと運び出された現状。確かに、守秘すべきものが大幅に無くなっている。けれども、ここは日本国にとって重要な軍事基地であることには変わり無いのだ。

それなのに、これまで来た事もない人間が当たり前のように鎮守府内を彷徨いている。

 

もちろん、全く得体の知れない人間というわけではない。政府の証明を得た人物、団体から派遣されて来ている人間なのだから、国家として問題は無いはずなのである。

たとえ今までなら出入りさせるような人間でなかろうとも、警戒すべき団体であったとしても……政府が認め、更に葛生提督が許可した人物・団体であるからこそ、その出入りを認めざるをえないのだ。

何の目的で出入りしているかさえ、実は聞かされていない。許可は得ている。内容について、末端の職員にまでいちいち説明をしなければならないのかと、彼等は当然の権利のように声高に叫んだ。頭に来た天ヶ瀬は葛生提督に苦情を入れたが、あっさりと彼等の好きなようにさせてあげて……との回答だった。どうやら、かなり上のレベルからの指示が入っているらしい。

 

天ヶ瀬にできることは、ここだけは立ち入っては駄目、という護るべき最後の一線だけを何とか護らせるだけだった。

それでも、少し前ならば立ち入らせさえしないような輩が、鎮守府施設内を彷徨いている事に憤りさえ感じる。ちょっと前までは鎮守府の塀の向こう側でシュプレヒコールを上げていたような団体が、普通に見学と称して歩き回ったりしているのだ。武装闘争も辞さないとまで言っていた団体が……である。更には軍との付き合いもほとんど無かった企業が、いろいろと施設装備の契約に参入するようになっている。自由競争と市場開放という大義名分の下、モデルケース作りの名目で、彼等は参入して来ているのだけれど、政府や野党、軍関係者の一部からの強い要請無くして、軍の入札に参入などできるはずが無いのだ。

 

どうせ、金と権力が入り乱れたどす黒い世界が展開されているのだろう……。天ヶ瀬は気分が悪くなるのを感じる。

 

今と昔、どちらが正しいかなど、論じるつもりは無い。けれど、明らかに舞鶴鎮守府においては何か異変が起こっているのは間違い無いと思う。

 

こんなおかしな状況にあるのは、軍内部のパワーバランスがおかしくなってきている事も原因の一つだろう。そして、どちらが後か先かは分からないけれど、政府においても盤石と思えたものが揺らいでいるようだ。更には与党野党のバランスというか、線引きもおかしくなってきているのを噂で聞いている。

戦争は未だ解決の目処すら立っていないのに、もう平和が来た、新しい時代の幕開けだなどと戯れ言を言う連中の方が力をつけ、その甘言を受け入れて指示する人が増えてきているのだ。

強大な敵である深海棲艦の驚異に直面した時期は、あらゆる勢力が手を取り合い戦いに集中していた。けれど艦娘という新たな勢力が人間に味方してくれたことで、人間にも光が見えてきた。勝利さえもが目前に迫っているという感覚を持つ人間が増加してきているのだろう。それが新たな権力闘争の芽を育て、水面下で勢力争いが発生しているということだ。

 

そんな混乱に翻弄されながらも、天ヶ瀬は見慣れない団体や人が鎮守府に入って来る際には、秘密裏に監視をつけ、更には鎮守府全域に設置された監視カメラで常にモニターするように指示はしている。

入場希望者についても、いろいろと基準を作り難癖を付けて、あまりに怪しいものについては、却下するようにしている。しかし、このがんばりもなし崩し的に取り払われるのも時間の問題だと思っている。持ちこたえようにも、限界はすぐそこまで来ていると感じている。

 

けれども、やれるべき事だけはやっておかないと。

 

自分は、冷泉提督の代理なのだから。彼に鎮守府を任された者の一人なのだから。舞鶴鎮守府を、艦娘たちを護らなければならないのだから。

成し遂げられるかどうかなんて、全く分からない。けれど、やらなくてはならないし、成し遂げたいのだから。

 

 

 

 

第二帝都東京

 

未だ、叢雲と長波はそこに留まっていた。

 

叢雲については、本来、こちらへの異動が決まっているので残っていても不思議ではない。長波については、神通と共に冷泉艦隊の援護に向かう予定であったが、改修完了した神通は冷泉の危機を知るや否や、長波達のことなどまるで意識から消し去り、調整さえもせず、静止する係員も無視して、出航していったのだ。

長波も後を追おうとしたが、改二改装した神通に追いつけるはずもなく、また弾薬もほとんど搭載していない状況の長波では、補給せずして駆けつける意味がない。そのため、状況が確認できるまで、待機しなさいと三笠に命じられたのだった。この帝都にいるかぎりは、艦娘達は所属する鎮守府の指揮下から外れ、ここの長たる戦艦三笠の指示にしたがう事になっている。何度か出航許可を得ようとしたが、叶わないまま数日が経過していた。

帝都にいる限りは、外部の情報を入手することはできない。あえて遮断しているそうではあるが。このため、二人は悶々とした日々を過ごしていたのだった。

 

そんなある日。

 

唐突に三笠に呼ばれた二人に、長波の鎮守府帰投命令が下った。

帰投先は、なんと大湊警備府。

 

その謎すぎる命令に困惑する叢雲と長波。

「あの、何で、あたし、いえ、私が大湊警備府に行かなければならないんですか? 」

と、当然ながら問う長波。その声は緊張しているのか、いつに無く震えている。こんな風になる長波は珍しい。

 

「舞鶴鎮守府の艦隊は、現在、夕張と島風を残して全て大湊警備府に移動し、葛生提督の指揮下で活動しています。あなたも彼女達に合流し、任務を全うしなさい」

に、三笠が淡々と答える。

 

「え? どうして舞鶴には夕張さんと島風だけになっているんですか? 」

何がどうなっているかわからずに、叢雲が問いただす。

今般の鎮守府の混乱と戦敗の嫌疑により、冷泉提督が憲兵隊に収監された事。彼の不在の間は、大湊警備府司令官の葛生提督が代理を勤めることが冷泉提督の同意の下に決定された事が告げられた。

 

「何で提督が捕まらなければならないの! 」

 

「不祥事があった場合、任務を果たせなかった場合……その責めを負うのは司令官であることは当然でしょう? 此度の舞鶴鎮守府の件は人間側にも艦娘側にも多くの犠牲者が出ているのです。そんな事態に陥った件について、その責任者に対して尋問が行われるのは当然ですし、問題があれば処罰されるのは当然のこと。すべては、処理要領に則って行われている正規な手続きです。それに文句を言うのはおかしいことでしょう」

叢雲の疑問に、冷淡と言っていいほどの口調で答える三笠。

「まだ冷泉提督が有罪となった訳じゃありません。なので興奮するのはやめなさい、叢雲。あなたにできることは、彼の無実を信じて祈るしかないのですから」

 

「……はい」

仕方なさそうに答える叢雲。

 

「さて、話の続きですが、大湊警備府においては、舞鶴鎮守府の任務も併せて効率的に行うため、艦娘を大湊に集約することにしたそうです。担当エリアが大幅に増えた事でなすべき事が増えています。担当する艦娘も不足していると早速要望が来ています。なので、長波、あなたもすぐに帰投し、仲間とともに任務につきなさい。すべて、大湊警備府の司令官の指示で動きなさい」

 

「りょ、了解……だ、です」

長波は三笠の圧倒的存在感に気圧されているのか、いつもの元気がない。恐る恐るといった感じで話している。

しかし、それは当然のことか。

戦艦三笠と言えば、存在自体が伝説の戦艦である。そして、現代に顕現した際には、人類の危機から救った英雄的な存在。普通の艦娘にとっても遠い存在である。艦娘達を指揮指導する立場にあるのだから。そんな彼女と、駆逐艦の艦娘が話をする機会など、今まで無かった。

長波にとっては尊敬する存在であると同時に、畏怖する存在でもある。……いや、これはほとんどの艦娘にとっても同様の事だろう。

 

「では、速やかに出立しなさい」

指示を受けたものの、長波はモジモジとしたままで動こうとしない。時々叢雲と三笠を交互に見て何か言いたそうにしている。

「指示が聞こえなかったのかしら? どうしたの、何か言いたいことがあるの? 」

 

「大湊警備府警備府に行くことは理解しました。しかし、行くのは叢雲もですよね? 何かさっきから、あ……私だけに命じているように聞こえたものなので」

 

「……長波、大湊に行くのは、あなただけですよ」

 

「じゃあ、叢雲は? 」

不思議そうな顔で叢雲を見る。

 

そして、長波は真実を知ることとなる。

 

「駆逐艦叢雲は、舞鶴鎮守府から、この第二帝都東京に異動となりました。彼女は、ここで私の補佐をすることになっています。これは、彼女のたっての希望であり、冷泉提督も承認しています。なので、大湊へは、あなただけで行きなさい」

その言葉に、長波はしばらく惚けたような表情で固まっていた。

 

「ど……どうして」

うわごとのように、彼女の口から言葉が漏れる。そして叢雲を見た。

「叢雲、どういうことだよ? 一緒に戦おうと誓いあったじゃないか。冷泉提督といっしょに戦おうと言ったのに、どうなってんだよ? ……何でなんだよ」

と、声を荒げて問い詰める。

その問いに、叢雲は黙したまま、答えない。答えることができない。

 

「あの約束は嘘だったのかよ! そんなに舞鶴から出たかったのかよ? 」

 

「長波、それ以上叢雲を責めてはいけません。彼女は、深海棲艦との戦いの中で敵を斃す事も、味方が倒れることにも耐えられなくなったのです。精神を摩耗させ、戦い続けることに心も体も保たなくなったのです。彼女の気持ちも分かってあげなさい。誰もが皆、強い訳ではないのですから」

と、喧嘩腰に責める長波を窘める三笠。

 

「ここが踏ん張りどころじゃねえかよ。提督が帰って来るまで、あたし達ががんばらなきゃいけないって時に、なんで気弱なこと言い出すんだよ。どうして、こんなことになるんだよ」

 

「……長波、あのね」

 

「辛い事があったんなら、なんであたしに相談してくれなかったんだよ。相談も無く勝手に決めてるんじゃねえよ。あたし達は、何の為の仲間なんだよ。……辛いときこそ、助け合うのが仲間ってもんだろ? お前は、あたし達を仲間と思ってくれてなかったのかよ」

 

「そ、そんな事無い。そんな事無い」

叢雲は、必死に否定する。

 

「じゃあ、何でなんだよ」

瞳を潤ませながら迫る長波に、叢雲は言葉を失う。

 

辛くて舞鶴を出るんじゃない……そう言おうとして、三笠と目が合ってしまう。彼女の瞳は恐ろしいまでに冷たく射るようで、その瞬間、口から出ようとした言葉が失われていく。

 

「いえ、……何でもないわ。そうよ、長波には関係の無い事よ」

と、自分の意思とはまるで正反対な言葉、態度を取ってしまう。

自分がどうしてここに留まることになったか、そもそも舞鶴鎮守府からの異動を希望したかを知って貰いたい。けれど、それを口にすることはできない。そんなことをしてしまえば、三笠との約束を破ることになってしまう。そんなことになれば、もう提督を救うことなど叶わない。

「そう、アンタには関係の無い事よ。アタシが望んで決めた事なんだから、外野にゴチャゴチャ言われたく無いわね! アタシの生き方考え方に、偉そうに忠告なんてしないでもらえるかしら」

 

長波が怒るのも無理は無い事。

こんな身勝手な自分を彼女は嫌う事になるだろう。戦うのが嫌だというだけで、自分だけ安全な場所に逃げた艦娘だと。……いいや、そんなことなんかでは彼女も、鎮守府の他の艦娘も怒ったりしない。

全て分かっている。辛い事があったら、何でも相談しあう。それが仲間であり戦友だ。彼女は、叢雲が相談しなかった事を怒っているのだ。辛いならそれを心に留めずに打ち明けなかった事を怒っているのだ。

それが分かるだけに、辛さが増してしまう。自分だってどれほどこの事をみんなに言いたいか。けれど、それは絶対にできないのだ。

 

ごめん、許して。こんな自分を嫌うなら、いくらでも嫌ってほしい。憎んで欲しい。長波が自分のことを心配して、こんなに言ってくれているが痛いほど分かる。だからこそ、自分の事を心配されるより、憎まれた方がいい。

 

そちらのほうが気が楽だから。

もう二度と舞鶴には戻れないのだから、その方がいい。

 

「ばかやろう……なんで言ってくれないんだよう」

俯いた長波が呻くように言った。全身を振るわせる彼女の表情は見えない。ただ、床に水滴がいくつも落ちていくのだけが見えた。両手を強く握りしめて、何かを堪えるようにしばらく黙ったままだ。

 

「なが……」

思わず声を掛けそうになり、口を両手で押さえて無理矢理こぼれ出しそうになる言葉を止める。

 

「も、もう勝手にしたらいい。あたしは命令通りに大湊に行く。……行って、あたしはあたしの責務を果たす」

 

「……フッ、そうね。それがいいわ。アンタはアンタの道を行けばいいわ」

ごめんなさい、ごめんなさい。言葉とは裏腹に、心の中でそう叫ぶ。

 

「ああ、そうするよ」

服の袖でごしごし顔を擦りながら、長波は言った。そして、叢雲を見た彼女の表情には、諦めと悔恨、そして悔しさが滲んでいるように思えた。

 

空虚な瞳で叢雲を見、彼女はふらつくようにしながら、部屋を出て行った。

 

パタリとドアが閉じられ、数十秒―――。

 

「う、……う、うわあああああああああ! 」

押さえていた感情が堰を切ったように叢雲の体からあふれ出す。

立っていることさえできず、うずくまり声を上げて泣き出してしまう。

側に三笠がいることさえ忘れ、ただただ声を張り上げて無くしかなかった。

 

「……ふふふ、叢雲、よくがんばりましたね」

優しい声で三笠が言う。

 

「こ、これで良いのよね」

溢れる涙を拭くこともなく、叢雲は彼女に懇願するような瞳で訴えかける。

 

「そうね。それでいいのよ。私の言うとおりにしていたら、悪いようにはしないわ。あなたも、そして冷泉提督も……ね」

三笠は頷く。

 

彼女の言葉を聞いて、床に伏してしまう叢雲。何度も何度も床に頭を叩きつけながら、呻くような声を上げて泣きじゃくるだけだった。

 

 

数時間後―――。

 

そして、長波は誰に見送られることもなく、一人で旅立っていった。

 

ごめんなさい……。

消えゆく長波の艦影を影から見つめながら、叢雲はただ、頭を下げる事しかできなかった。

 

 

 

 



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第180話 艦娘の望む未来

原作には無い、また独自解釈の部分があります。
ご注意ください。



本当の事が言えないことが、これほど辛いことだなんて……。叢雲はやるせない気持ちのまま、港を後にする。

 

その歩みは遅く、足を踏み出す度、少しふらついてしまう。誰かが見たら、元気なくトボトボと歩いているように見えるのだろう……。

 

「提督……」

思わず、もう会うことのできない人の名前を呟いてしまう。

 

あの人がいたら、きっと、「どうした、叢雲? 何か元気なさそうじゃないか。変な物でも喰ったのか? え? 違う……。悩み事? お前でも悩む事あるのか? ひえー! あはははは。冗談だよ冗談。……うーん、だったら、俺が聞いてやろうか」と小馬鹿にしながら偉そうに上司ぶって心配してくれるだろう。だから私は、「うるさいわね。アンタに相談するくらいなら、いっそ死んだ方がマシだわ」と言い返すんだ。

 

少ししか離れていないだけなのに、ずいぶん長い間、離れているように感じてしまう。

 

二人のいる場所だけじゃなく、互いの心までも……が。

 

いつも喧嘩腰で偉そうに提督に対した事を、心の底から後悔している。私の言葉で、提督が傷つくようなことがあったんじゃないだろうか。部下の癖に生意気だった事を、今更ながら反省する。いつも何であんな事を言ったんだろう、あんな言い方したんだろうって後悔していた。提督に見つめられると照れくさくて、素直になれなかった。強がってみたり、反抗してみたり……。今思うと、そうすることで提督の気を惹きたかっただけなのかもしれない。

 

もっと素直に自分の気持ちを彼に伝えていたら、どれほど良かっただろうか。今更後悔したところで詮無き事なんだけど。

あの時は、今がずっと続くと思っていた。だから、安心して提督の優しさに甘える事ができたのだ。けれど、もう提督はいない。もう永遠に、会うことは叶わないのだから。そうなって初めて気づいてしまうのだ、失ったものの大きさを。

 

すべて、自分が望んだ事。仕方の無いことなんだ。そうやって自分を納得させるしかない。

 

そう―――。冷泉提督を護る為、自分は全てを捨ててここにいるのだから。彼を護る為なら、何だってしてもいい。

 

三笠さんがどういう意図で自分をここに呼び寄せたのか、それは分からない。彼女は、教えてもくれないし。けれど、こうすることで絶体絶命の冷泉提督を護ることができるのだ。ならば、どんな代償もいとわない。彼さえ無事であるのなら、自分はどんな目に遭おうと、どうなっても構わない。

 

そして、ここに来るにあたり、叢雲は自らに使命を課していた。

ただ漫然とこの場所にいるだけでは、だめだ。この第二帝都東京の事は、人間はほとんど知らない。何の為に存在し、何をしているのかさえ……。

 

何か提督の役に立つ情報を見つけ出し、彼に伝えたい。今は、提督は捕らえられた状態だろうけれど、私が三笠さんから出された条件を飲んだから、きっと彼は釈放され、鎮守府に復帰するだろう。その時の為の準備が必要だ。

 

三笠さんは、冷泉提督に対しても様々な無理難題を今後もふっかけているだろう。その交渉に有利となる情報を彼に伝えることができたなら、きっと提督も喜んでくれるだろう。

 

あんな喧嘩別れみたいな去り方をしてしまったから、提督はきっと私の事を嫌っているだろう。……やっぱり、提督に嫌われたままは嫌だから。

そんなことを考えながら、叢雲は歩くのだった。

 

 

 

そして、三笠のいる建物までの行程で、艦娘を見た。そして、見慣れたその後ろ姿に、驚きのあまり動きを止めてしまう。

 

「な! 」

ポニーテールにしたピンクの髪。ブレザーベストにミニスカート……。

 

その姿から思い浮かぶ艦娘は、記憶の中では一人しかいない。……駆逐艦不知火?

 

出会った瞬間、自分がその事実を認識しながらも混乱し、思考が停止する。彼女は、戦闘で轟沈したはずだ。なのに何故、今、ここにいる? 何故、普通に歩いている。

 

違う、見間違いに違い無い。きっと別の艦娘に違い無い。他の子が不知火に見えてしまっただけだ。

 

けれど、あの髪型髪の色……ずっと同じ鎮守府で暮らしていたんだ。見間違えるはずなんてありえない。あれは、不知火だ。

 

何故、何故、何故? ……疑問だけが頭の中を駆け巡る。

 

とにかく! 

……叢雲は、その艦娘を追って駆けだした。

 

「ちょっと、待ちなさいよ! 」

なんて声をかけていいか分からない。なんとか出た言葉がそれだった。

 

艦娘は、振り返る。そして、確認してしまう。

信じられない事に、やはり不知火だったのだ。

 

「ア、……アンタ、何をしているの」

素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「あら、叢雲。そんなに焦った顔をして、どうかしたの? 」

ごくごく当たり前に彼女が返事をした。そこには驚きも疑問も何もない、ただ、普通に話しかけられて答えたといったものしか感じ取れない。

 

「どうかしたのって、アンタ、何でここにいるのよ! 」

 

「うん? あなたこそ、言っている意味が分からないわ」

言葉を返す不知火の表情から、冗談を言っているように見えない。

 

「だって、アンタ、舞鶴での任務中に……」

轟沈したはずじゃないか? そう言いかけて言葉を飲み込む。

 

「舞鶴? それ、何のことかしら」

 

「アンタ、提督の艦隊と交戦して」

 

「冷泉提督……? 全然知らない人だわ。それに艦娘同士で交戦するなんて、何? そんな馬鹿な事なんて、意味が分からない事だわ。……その方と不知火にどういった関係があるのかしら。もしかして、その方は舞鶴鎮守府の提督……なのかしら? 」

 

「アンタ、提督の事を覚えていないの? 舞鶴にいたことさえも忘れたの? 」

叢雲は考える。必死に不知火が生きていた事と、彼女の記憶が失われていたことを結びつけようとする。

そして、一つの結論にたどり着いた。

確か駆逐艦不知火は轟沈し、通常海域に没したと聞いている。つまり、戦闘の後に艦娘の不知火部分は回収されたが、戦闘の後遺症で記憶が失われている……という可能性だ。それならば、覚えていないことも何とか説明がつく。きっとそうに違い無い。

「アンタ、記憶が一時的に無くなっているのね。そうよきっとそうよ。轟沈のショックでで記憶が混乱しているんだわ」

 

「……ふむ。叢雲、やっぱりあなたの言っていることは、まるで分からないわね。そもそも、不知火は、記憶なんて失っていないのだけれど」

淡々とした口調で話す不知火。その表情から、嘘や冗談を言っている風には見えない。

 

「アタシと一緒に舞鶴鎮守府にいたのよ。幾度の戦闘を切り抜け、死線をかいくぐって生き抜いてきた事も覚えていないの? 艦娘のみんなと海水浴に行ったり、忘年会で金剛が羽目を外した事、温泉に行ったことも忘れたっていうの? それだけじゃない、他にもいろんな事があったでしょう? ……本当に、冷泉提督の事まで忘れてしまったというの」

 

「あのね、だから、忘れたんじゃないわ。何もかも最初から知らない事ばかりよ。あなたの言うような、そんな都合のいい記憶喪失なんてありえないでしょう? ……まあいいわ。何を話合っても、話はかみ合わないのだから。今は、そんな事で時間を潰してる場合じゃないのよ。あなたも理由があってここにいるんでしょう? だったら、馬鹿な妄想に囚われている暇なんて無いはずでしょう。あなたに課せられた任務を全うしなさい。それが艦娘の勤めでしょう? 」

相変わらず、当たり前のように偉そうな事を言う艦娘。確かに間違いなくこの艦娘は不知火だ。けれど、全てを忘れてしまっている。忘れているはずなのに、それを否定する。認めようとしない。

 

「一つだけ教えて」

と、叢雲は不知火に問いかける。

 

「ふう。まあよく分からないけれど、それであなたが納得するんなら、何でも答えるわ。こちらも時間が無いから、手短にお願いね」

仕方なさそうに、そして面倒くさそうに答える。

 

「分かった。要点だけ言うね。アンタ、冷泉提督の事を好きだったことも忘れたの? 」

舞鶴にいた時に、彼女に直接聞いた事だ。最初は怒ったように否定したけれど、最後には恥ずかしそうに頬を赤らめ、彼女は事実だと認めた事を。

 

司令官としてではなく、一人の男性として思いを寄せていることを。けれど、それを提督に伝えるつもりはない事も。冷泉提督の周りには金剛や加賀、神通がいる。今更、自分がいる場所など無いことも分かっている。遠くからで良い。提督の事を見つめていたい。そして、叶うのなら彼の役に立ちたい。

その時、叢雲は、自分と不知火が同じ気持ちであることを知り、更に近しい存在だと思った。その思いを不知火にも伝え、お互いに恋愛運が無いと笑い合った事が思い出された。

 

「はあ? あなた何を言っているの。けれど、とても興味深く、面白い事を言うわね。それって冗談のつもりなのかしら? 全く持って、言っている事の意味が分からないわ。……艦娘が人を好きになる? そんな事ありうるはずがないでしょう? 確かに、司令官より求められることは、あるとは思うわ。司令官であろうとも男性であるし、艦娘は形状的には女ですからね。艦娘はそれに応える義務があることは、認識しています。けれど、それはあくまで感情など伴わない、形式的なものでしょう。艦娘が恋愛感情を抱くなんて、絶対に無いとまでは言えないけれど、少なくともこの不知火がそういったロジックで動くことはあり得ないわ。不知火は、そういった感情に囚われることを良しとはしないし、未来永劫そういうこととは無縁よ。この不知火が望む事は、ただ一つ。日本という国を護る……かつて果たすことのできなかった願いを叶えること。あの無念を晴らす事、ただそれだけ。もう二度と……あの過去の失敗を繰り返さないように」

 

何一つ、彼女は嘘を言っていないのだろう。そのことだけは、分かる。分かるだけに信じられない。

 

不知火との会話は、結局、まるでかみ合わない。どう考えても彼女の記憶は、相当昔の時間でストップしているとしか思えない。

舞鶴であったいろいろな思い出も、そして、冷泉提督の事さえも覚えていないのだから。それでも、彼女が不知火であることは、疑いようの無い事実なのだ。

 

混乱してしまうのは、こっちのほうだ。

 

「叢雲、あなた疲れているのかしら? だって、そんなくだらない事ばかり話すんだもの。……少し休んだほうがいいわね。充分な休養を取って、次の任務には万全の体制で挑むようにしなさい。それが艦娘の勤めなのだから。馬鹿な妄想ばかりしていないで、本来の責務を果たしなさい。不知火達は、今度こそ、絶対に負けられないのだから」

そう言うと、呆然とする叢雲を置いて、歩き去っていった。

 

「ちょ、ちょっと……」

と、声をかけるが、彼女はもう用は済んだとばかりに、振り返ることは無かったのだった。

 

 

 

轟沈した筈の不知火と出会ってしまった叢雲は、その真実を確かめるため、三笠のいる部屋を訪ねた。何故、彼女が存在し、舞鶴鎮守府での記憶が無い事を説明してもらうためだ。不知火が答えなくても、三笠くらいの地位の者であれば、知る立場にあるはずであるから。そして、間違い無く彼女なら知っているはずだ。

 

「どういうことなのですか? どうなっているんですか? 」

部屋に入るなり、本題に入ろうとする。

 

「おやおや、叢雲。どうしたんですか、そんなに取り乱して。もっと筋立てて話してもらえない? そんなに捲し立てられたら、何を言っているのか全く分からないわ。少し、落ち着きなさい」

突然やって来た叢雲に対し、驚くでもなく、むしろ面白そうに三笠が答える。動揺しているのを楽しんでいるかのようだ。

 

叢雲は、ほんの少しだけではあるけれども、内心気分を害している。しかし、それは顔には出さないようにして、質問を続ける。

 

先程、駆逐艦不知火と再会したこと。戦闘で轟沈したと報告されている彼女が何故、ここにいるのか。更に、彼女の様子があまりにもおかしかった事。それは具体的にいうと、冷泉提督の事や舞鶴鎮守府にいたことを忘れているようにしか見えなかった事。さらには、戦艦扶桑達とともに永末の煽動により、舞鶴鎮守府を離脱して国家に反旗を翻した事さえも覚えていなかったことを。

 

それは、質問というよりは詰問だった。

 

恐らく、いや、確実に三笠は、全てを知っている。その全てを教えて貰わなければ納得できない。話してくれるまで、ここから立ち去るつもりは無いぞ! それくらいの気持ちだった。

 

時折、声を荒げながら質問する叢雲を、三笠は終始何か面白いことでもあったかのように、笑いを堪えようとしながら聞いていた。それでも時々、本当に笑い声を上げたりした

 

自分より遙か高位の存在でなければ、本気で怒っていたところだ。カッカする自分を必死に抑えようとする叢雲。彼女と喧嘩をしに来たのではない。答えを聞きに来たのだから。我慢だ、とにかく我慢だ。

「きちんと説明をしてください」

 

「ふふふ。あらあら、ごめんなさいね。少し悪ふざけが過ぎたわ。そうね……本来ならば答えないところなんだけれど、あなたは、もうここから出られないことを承諾した存在だものね。秘密が漏れることはないわね。……いいわ、すべて教えてあげましょう」

と、あっさりと承諾する。

きっとはぐらかされると思い込んでいた叢雲は、いろいろと手を考えていただけに拍子抜けしてしまう。

 

そして、三笠は答える。あまりにも、あっさりと秘密を暴露するのだった。

「不知火がここにいる事は、実に簡単な事ですよ。あなたの同僚の夕張と島風が活躍してくれたおかげで、海底に没していた駆逐艦不知火からコアの回収に成功し、持ち帰る事ができたからです。沈没地点が幸いな事に領域内では無かったため、奴らに取られずに済みました。まさに幸運でしたね。それをこちらに持ち帰り、予備の不知火の体(スペアボデー)にはめ込めば、艦娘は再生されるのですよ。……もっとも、彼女のコアの損傷が酷かったために、記憶を記録した部位は損傷して再現不能でした。故に、記憶はベースのものしか無い状態になってしまったわけです。だから、舞鶴鎮守府での記憶が無いわけです」

 

「コア? スペアボデー? 何なのよそれ」

スラスラと話された三笠の話は、あまりに荒唐無稽で理解が追いつかない。まるで意味の分からない事の羅列に、混乱するしかできない叢雲。理解はできないけれど、内容だけで判断するなら、冗談にしか聞こえない。

 

「混乱しているかしら? 本来なら、ここまで教える事なんて無いのだけれどね。あなたは、もう二度と戦場に出ないから、そして人間と接することも無いから、艦娘の秘密を特別に教えてあげたのよ。艦娘のうなじに、もちろんあなたのうなじにもだけれど、同じ特徴がある事を知っているわね? 何だろうって、不思議に思わなかったかしら? 真っ直ぐに走ったごくごくうっすらとしか見えない切り傷が。あなたたちににはそれが何かは、わからなかったでしょうけれども、うふふふ」

そう言うと、三笠は髪をかき上げ、自分のうなじを左手でトントンと叩く。しかし、彼女のうなじにはそんな傷跡は、見当たらない。

「この部分にコアが入っているのよ。艦娘の本体ともいえる、最も大事なコアがね。グッと、うなじをつまんでみて。……少し、固いものの感触があるでしょう」

 

叢雲も傷があることは認識していた。そして、入浴している時なんかに他の子にも同様の傷跡があることも確認していた。その時は、なんだろうといった程度にしか疑問を感じていなかったのだが。

 

言われたとおり、実際に触ってみると、確かに妙な硬い何かがあるような手応えを感じる。これがコアというもの?

「じゃあ、スペアボデーとは、なんなの」

半信半疑のまま、問い続ける。

 

「スペアと言えば、その言葉通り、スペアでしょうね。ふふふふふ」

理解できていない叢雲をあざ笑うかのように、言葉を続ける三笠。

 

「でも、あの不知火は、本当に不知火だったわ。どこから見ても、私の記憶と寸分違わない不知火だった。見た目も声も、纏う雰囲気さえも。何一つ、違和感を感じさせない……本物だった。もしも可能であるというなら、それはクローン技術しかありえないじゃない。ま、まさか」

 

「ふふふ。人間のクローン技術なんて、収集したデータが少なすぎてまだまだ未完だし、製造過程でエラーが多すぎで不安定すぎて使えないわ。育てるにも時間もかかるしね。そんなことをするより、今あるモノを【加工】して利用する方が、簡単だしコストも掛からないわ。何せ、材料ならそこら辺にいくらでも存在しているのだから」

と、意味ありげな笑みを浮かべる。

その表情に寒気を感じてしまう。

 

「何ですそれは? どういうことなのですか? 」

 

「ふふふ、それ以上の事は、さすがにあなたにも言うべき事ではないわね。知ってしまえば、あなたは後悔するでしょうし……少し喋りすぎましたね」

そう言うと、それ以上は語るつもりはないかのように目を逸らす。

 

「じゃあ、別の事を教えてくれますか。不知火は、この後どうなるのですか」

いくら問い詰めたところで、彼女が答えることなど無いだろう。交渉で引き出せる可能性など無い。粘るだけ無駄だろう。

 

「お友達の事が気になるのかしら……優しいのね。彼女は、艦を失ってしまったから、艦は再建造となるの。まだ艦の方の建造が終わっていないから、しばらくは、ここで調整することになるわね。いろんなデータを取り込む必要があるから。そして、艦の建造が完成次第、どこかの鎮守府に行くことになるわ。今度はどこに着任させようかしらね。うーん、そうね……舞鶴なんておもしろいかもね」

とんでもないことを平然と言う。

 

「な! 」

思わず驚きの声を上げてしまう叢雲。何という酷い事を言うのだ、この女は。

 

「あなたが驚く顔を見るのは、とても楽しいわ。何でそんな酷い事をするのかって顔ね。死んだはずの不知火が舞鶴に戻ってきたら、冷泉提督はどんな顔をするんでしょうね。喜ぶかしら? おまけに、彼女は彼との一切の記憶を無くしているんだから。それを想像すると、とても愉快だわ。他の艦娘達もどう彼女に対応するんでしょうね。うふふふ、興味は尽きないわね。けれど……残念だけれど、そんなことをしても、何も面白くないでしょうね。だって、もう舞鶴には、冷泉さんはいないのだから」

そこで初めて叢雲は、冷泉提督が憲兵隊に逮捕された事を知らされたのだ。

 

「な、なんで提督が逮捕なんてされなきゃいけないのよ! 提督を護ってくれるって約束したじゃないの!! 」

不知火の事以上に放置できない事案の発生に、激高する叢雲。自分の感情を抑えられない。なんでそんなことになるのか。

「何でなのよ! 提督を守ってくれるって約束したじゃない。嘘をついたの? そもそも、何で提督が逮捕なんてされるのよ」

 

「そんなにカッカしないで。あなたとの約束を反故にしているわけではないから、安心して。今回の彼の逮捕の原因を一言で言えば、これまでの行いに対する報いでしょうね」

 

「そ、そんな」

 

「彼は敵を作り過ぎたし、彼等の敵意をはねのけるほどの実績を残せなかった。付け入る隙を与えすぎた報いですよ。行動が短絡過ぎで思慮が足りなさすぎね。もちろん、全てにおいて彼は正しいし、実際、正しい事をしているわ。それは私も認めてあげます。けれど、能力も実績も無い者が分不相応な正義を声高に語る事は、ただただ愚かな所行でしかありません。それは敵を作るだけで、決して誰も味方をしてくれないでしょう。その愚かさは、あなただって身をもって理解しているわよね」

 

「くっ……」

三笠の言う事は事実であり、反論ができない。ただ言えることは、そんな状況であっても、自分は冷泉提督の味方でありたいと思うことだけだ。

 

「彼は、私にとって、とっても信頼できてワクワクさせてくれる存在なのだけれど。このままではニンゲンという種の敵意によって、放逐されるしか無いでしょう。確かに、彼はこの世界からすれば明らかな唾棄すべき忌まわしい異物ですからねえ。この世界としては、無意識のうちに排除しようというのは当然のことでしょうから」

随分と抽象的な言い回しのため、叢雲は三笠の意図を計りかねる。

それでも

「どうにかならないのですか? 」

と、冷泉提督を救う手立てを求めてしまう。どんな方法でもいい。提督を救う方法があるのなら、試したい。

「実際ね……あまり冷泉さんに私が肩入れし過ぎると、世界のバランスが保てなくなりますからね。ここは、人間達の中で彼を救おうという勢力の活躍に期待するしかありませんねえ。もちろん、冷泉さんをもり立てていこうなんて考えを持っている人達ではありませんよ。そんな人なんて、一人もいませんから。彼を利用しようと考えている人間はいるようですから、その類いの人間に期待せよ、ということです。あなたも変に期待しちゃだめよ。彼は、世界にとっては、所謂排除すべき存在でしかないのだから。そして、意図せずに彼は、この世界をかき乱す存在……いいえ、かき乱すだけの存在なの。彼と相対する人々も、自身は無意識のうちに彼を排除しようとしているだけなの。まるで病原体に対する免疫機能のようにね。……彼の行き着く先が、はたして何処になるのか。その行く末は、とても興味深いわね。どのように彼と彼の敵が世界の運命を回すのか、興味深いわ。その渦は新たなる奇跡を生むかもしれないのだから」

 

「何を言っているのかわからない。提督はどうなるっていうの。何で提督だけ酷い目に合わなければならないの。」

 

「ふっ。その理由については、あなたは、いえ、あなた如きが知る必要はありません。そもそも、あなたがどうしてそんなこと知りたがるのかしら? だって、もうあなたは、舞鶴舞鶴鎮守府の艦娘でもなんでもないのよ。あなたは、冷泉提督とは何の関係も無い存在でしかない。もう二人の人生は二度と交差することなどないのですよ。……それをあなたは、自分から選んだのだから。そして、冷泉提督もあなたの為に、あなたを遠ざけるため鎮守府からの異動を承認したのだから」

 

「ちがう! それはあなたがそうしろと言ったからじゃないの。アタシは、冷泉提督を護りたかった。そして、あなたは舞鶴鎮守府から……冷泉提督から離れろと命じたから! 決して、何一つ私が望んだ事じゃ無いわ。三笠さん、あなたは約束したわよね。私がここに来るのであれば、交換条件として、冷泉提督に味方してくれるって。なのになんでそんな酷い事をいうの。これじゃあ、アタシとの約束を破ったのと同じじゃない」

 

「いえいえ、ちゃんとあなたとの約束は守っているわ。だからこそ、冷泉提督は、今も生きていられるのだから。本当なら、とうの昔に憲兵隊の中に潜り込んだ刺客によって抹殺されているはずよ。そして、私が彼に味方しているからこそ、まだまだ彼にも復活のチャンスがあるのだから。……落ち着いて、叢雲。そして、安心しなさい」

慈愛に満ちた表情で、優しく話しかける。

 

「ほ……本当に信じていいのですか? 」

縋るような目で三笠を見つめる叢雲。

 

「もちろんよ。この戦艦三笠を信じなさい。日本国に対する私の影響力は、これでもそれなりにあるのだから。でも、勘違いしないで。私がそこまで協力してあげるのは、あなたとの約束だからじゃないのよ。あなたの提供したモノは、すでに等価で交換されているわ。その先の冷泉さんに協力してあげるのは、他の艦娘の願いに応えたからよ。何かをえるためには、何かを投げ出さなければならない。すべて、世界はバランスの中にあるのだから。その中で、皆、足掻き続けるのだから……。私はそんなモノに、希望を与え、そして希望を奪い、バランスを保つものなの。……それは自分の運命すら天秤に掛ける者にしかできないなのだから」

と、うっすらと笑う三笠。

どう見ても狂気の中にあるとしか思えない存在。そこに何ら光は無く、闇しか無いと思わざるをえない。そして、彼女は喜々としてそれを受け入れているように思える。

彼女の瞳の奥を見てしまった叢雲は、戦慄せざるをえなかった。

 

「あなた、一体、誰……なの」

恐る恐る問いかける叢雲。

しかし、三笠は微笑むだけで、叢雲の問いに答えることは無かった。

 

 

 

 

 

 



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第181話 交錯する想い

部屋を出た叢雲は、どっと疲れが出たせいもあり大きく息を吐き出した。

 

ネットリと重苦しいものが心の中に、まるで重しのように乗っかっている。

……今にも吐き出しそうだ。いや、違う。吐き出せばきっと楽になるのに、吐き出すことができない。胃の奥の方にタールのようなネットリとした物体が留まっている。それは留まるだけではなく、胃壁を食い破り、全身へと侵食していくようだった。

 

こんな時、この苦しみを誰かに聞いて欲しい。そして、できることなら励まして欲しい。

 

「ここには、そんな人は誰もいない……」

共に死線をかいくぐった戦友とは、もう完全に関係が切れてしまった。

戦いとは無縁の場所に来たけれど、むしろ舞鶴の方が心安らぐ……。生と死が背中合わせで存在する場所だったけれど、側にはいつも友がいてくれた。信頼できる仲間がいた。共に支え合うことができた。けれど、今は誰もいないのだ。

 

けれど、後悔なんてしちゃだめだ。

 

戦艦三笠さんは、約束してくれたのだ。

 

冷泉提督に降りかかるであろう火の粉の内、少なくとも致命的なものだけは取り除くと。それを信じるしかない。

自分ができることなんて、ほんの少ししかない。けれど、そんな小さなものでも、彼を護る手立てになれば……。それが叶うなら、自分の事なんてどうなっても構わないのだから。そして、影ながらではあるけれど、彼の役に立てるということだけが、今は唯一の希望になっているのだから。より一層、彼の力になりたいという思いだけが、叢雲を立たせる力となっている。

 

だからこそ、今は、ここで冷泉提督の役に立てることを探すのだ。

ここの事を知れば知るほど、彼の為になれることがきっとあるはずだから。この施設の事を知る者は少ない。どんな情報であれ、きっと彼の役に立つはずなのだから。

 

特に、一番の気がかりは不知火の事だ……。

何故、彼女がここにいるのか。……それを知ることができれば、秘密を暴く事ができたら、きっと提督の役に立てるはずだ。しかし、それを行動に移そうと考えた途端、頭の中で警報が鳴る。近づいてはならない秘密。きっとそこには、それが待っている。知ろうとすることだけで、とんでもなく危険な気がする。

艦娘としての禁忌に触れようとしているような、背徳感・罪悪感があるのだ……。きっと、艦娘という存在にもともと規程されているようなものが。

 

 

そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にか港に出てしまった。

普段、このエリアの港にはほとんど船が着くことは無い。ここを訪れる貨物船や客船は、ここよりだいぶ離れた場所に外来専用として造られた港に誘導されることになる。

 

ここに入港できる艦は、ごくごく限られた者だけとなる。ここにはドッグがいくつか設置されていて、基本、大規模改装のために艦娘がやってくるだけだ。しかも、入渠制限が設定されていて、少なくとも同時期に二人も入ることは無いように調整しているとのことだ。

 

巡洋艦神通もごく最近入港している。

叢雲と長波も一緒にこの港に入ったが、改装が行われる少し前に違う港に移動させられた。

 

叢雲は、港に入港して来る艦影を発見する。艦は、たった一人で、港へと入ってくる。

「珍しいわね、ここに来る艦がいるなんて」

三笠の話によると、大規模改装のためにやってくる艦娘は、月に一人来るかどうかという稼働率のはずだった。神通が出てすぐに新しい艦がやってくるなんて、一体何事か、どうしたのだろうと疑問が起きてしまう。

港には多くの作業員が集まっていて、入港のための準備を行っている。普段は人気のない港に活気が戻ってきている。

 

目を凝らして艦を確認しようとする。

「え! 」

その艦が誰かを確認した叢雲は、思わず驚きの声を上げてしまう。

 

そこにいた艦は、戦艦金剛だったからだ。何故、金剛がここに来ているのか? 港には彼女の艦影しかないが、一体どういった用事でここに来たのか? この港に入るということは、大規模改修を行う予定なのだろうけど、そんな話は叢雲は聞いた事が無かった。しかも、舞鶴鎮守府が大変な時に、戦艦クラスの艦娘が鎮守府を留守にするなんて……

 

様々な疑問が脳裏をよぎる。叢雲は、慌てて彼女の元へと駆けたのだった。

 

しばらくすると入港作業が完了した。タラップを俯き加減で歩いてくる巫女姿を発見する。

 

金剛だ。

珍しく何か考え事でもしているせいか、近づく叢雲の存在には、まるで気づいていないようだ。すぐ側まで近づいても、まだ、反応がない。その表情は俯き加減のため分かりづらいけれど、何か真剣に思い詰めた表情だった。声がかけづらくなるほどの雰囲気を醸し出している。

 

「金剛……」

戸惑いながらも叢雲が声をかけると、彼女は条件反射のように笑顔に戻り、反応する。

 

「OH! 叢雲、久しぶりデース」

急に笑顔になった彼女は、しゅたっと両手を挙げ、ハイタッチを要求してくる。

 

「……アンタ、いっつも元気ね」

そのいつもの変わらない態度にホッとすると同時に、いつも通りに呆れてしまう。どうやら思い過ごしだったようで、金剛はいつもの金剛でしかなかった。

 

「それが、元気がワタシの力の源ネ」

変わらない元気そうな彼女を見ると、少しだけ元気がもらえるような気がした。しかし、今はそんなことを話している場合ではない。

 

「ねえ、アンタ、どうしてこんなところに来てるの? 」

そうは思いながらも、いきなり本題に入ることができず、別の気になる事を問うてしまう。他にも聞きたいことはあるのだけれど、まずはそこへと逃げてしまう。

 

「こんな所って! 酷いデスね。叢雲だって、ここに来ているじゃないデスか」

 

「私は、舞鶴からここに異動となっただけよ。……でも、金剛、あなたは違うでしょう? 第二帝都東京に用事がある艦娘なんて、ほとんどいない。あるとしたら……」

ここ、第二帝都東京は、新しい艦娘が各所属へと派遣されていく場所だ。そして、この港は、大規模改装を行うためにやってくる場所なのだ。

 

「大規模改装をする艦娘じゃないと、ここには用事が無いはずだけれど」

それ以外でこの港を訪れる艦娘など、聞いた事がない。例外が叢雲であり、艦娘側よりの要請でこの港にいる。しかし、それは例外中の例外でしかない。普通に考えれば、金剛は大規模改修の為にやってきたということになる。

 

「叢雲の言う通り、ワタシは改装の為にここに来たのデース。凄いでしょう! 」

両手でVサインを示しながら、金剛が宣言した。

 

「え? アンタが改二になるっていうの? けど、いつの間にそんな練度が上がっていたの? ……っていうか、鎮守府にそんなに資材があったの? ただでさえ貧乏な舞鶴は、神通さんの改装のために、苦労して資材をかき集めて捻出したって聞いたんだけど……ね。鎮守府に、まだそんな隠し資材がうちにあったなんて……。うちの提督もなかなかやるわねえ」

思わず「うち」と言ってしまった事に叢雲は思わず驚いてしまう。もはや自分は舞鶴鎮守府とは何の関係もない艦娘なのに……。未だに舞鶴の艦娘気取りだなんて、馬鹿みたいだと思う。冷泉提督だって、もう二度と関わることの無い人なのに。

 

しかし、戦艦の大規模改修となれば、巡洋艦を改装するよりも遙かに膨大な資材と資金が必要なはずだ。そんな余力なんて、叢雲の知る限り舞鶴にはそんなものあるはずが無かった。一体、どうやってそんな費用と資材を捻出したのだろう?

 

それでも、戦艦金剛が改二となれば、舞鶴鎮守府にとっては大きな戦力アップであることは間違いないだろう。それくらいの支出をしたとしても、充分取り返せるはず。そうなれば少しは、戦局が有利になる……はず。

 

その問いかけに、金剛の瞳が一瞬ではあるが、曇ったように感じた。

「……叢雲、あのね」

 

「? 何よ、そんな深刻そうな顔して」

いつも笑顔で鎮守府のムードメーカーだった金剛に元気が無くなっている。そして、珍しくというか、今まで見たこともないような深刻そうな顔になっている。それは、違和感しかない。聞きたくも無い知りたくも無い事を言われそうな予感。

 

「ワタシね、……もう舞鶴鎮守府の艦娘では無いんダヨ」

 

「は? 」

言っている意味が理解できずに、思わず声が出てしまう。

 

「ワタシ、横須賀鎮守府の艦娘になったんだよ」

 

「それどういうこと? 何でそんな事になるっているの? 戦艦のアンタが舞鶴を出て行ったら、鎮守府がまわっていかないじゃない」

誰がそんな事を決めたんだ? まるで鎮守府の現状が理解できていないド素人の判断としか思えない。

 

「この事は、冷泉提督も承認済みなんだよ」

あっさりと彼女は言った。ただ、その時の金剛の瞳は、色を失ったような無気力なものであった。

 

「何で、あいつがアンタを手放したりなんてするはずないでしょう? 大切な戦艦なのよ。それを何の代償も無く認めるだなんて、あり得ない。それに、提督のアンタに対する気持ちもあるんだから……」

認めたくは無いけれど、提督の加賀と金剛に対して向ける視線は、他の艦娘に対するものとは異なることを気づいていた。もちろん叢雲達に対しても愛に溢れた態度で接してくれる。けれど、二人に対しては、特別だった。それは客観的に見ても間違い無いと思っていた。

「戦艦としてだけじゃなくて、艦娘のアンタをあいつが手放すなんてありえない」

 

戦艦と空母という艦種の戦略的重要性だけでは割り切れない提督の感情に、気づかない叢雲ではなかった。

 

「……ワタシが舞鶴を出たいって、テイトクにお願いしたの」

 

「嘘でしょう? アンタ、そんなことおくびにも出していなかったじゃない」

 

「ワタシは、もっともっと大きな戦場に出て、……戦果を上げたかったのデス。たくさんの艦娘と協力して、より多くの深海棲艦を斃したかった。もっともっと人の役に立ちたいのデース。けれど、舞鶴ではその夢が叶わない。戦闘以外の事ばかりに時間を取られ、出撃の機会がほとんど無かったじゃない。何にもできないまま、鎮守府の資材や資金が減り、疲弊するだけで何もできない所にいるのが耐えられなかったヨ。ジリ貧で追い詰められ、まともに戦闘もできないなんて、ありえない」

 

「そ、そんな身勝手な事……。アンタ、自分の立場を考えて言いなさいよ。アンタは戦艦なんでしょう? アンタがいなくなったら、舞鶴鎮守府はどうするの。ただでさえ、あんな事があって、たくさんの艦娘がいなくなったのに、その上アンタまでいなくなったら……」

 

「ワタシがいなくても、加賀がイマース。それに高雄や神通がいるネ。彼女達がテートクを支えるネ。ちょっと数が少なくなったけど、ワタシなんかがいなくても、大丈夫デスよ。それに……本当に困るんだったら、テートクが引き留めたはずダヨ。けれど、ワタシが横須賀に行きたいってお願いした時、テートクは何も言わなかったネ。今更ダケド、やっと分かったノ。ワタシはテートクにとって、もう必要の無い……あはははは、違うね。ワタシは好きなように夢を追いかけるだけデース」

いつもの痛々しい言葉使いが、余計に痛々しく感じる。無理して笑顔を作って話しているが、彼女の本音は言葉通りでは無い事くらい、叢雲にも分かるのだ。

 

「嘘でしょう? 」

 

「本当ね! 」

声のトーンを高めて金剛が否定する。

 

「そんなことで、アンタが提督の側を離れるわけないわ。提督のことをいつも大好き大好きって言ってたでしょう? あれは嘘だったの? 提督の事よりも大切なものなんて、アンタにあるの? じゃあ、言ってた事はみんな嘘だったの? 」

 

「へへー。叢雲だけには言うネ。ワタシ、テートクに告白したんだヨ。でもね、断られちゃった。テートクは、加賀の事が一番大事ね。いつもいつも加賀の事ばかり見ていて、ワタシなんかに興味無いんだって知っちゃった。……振られちゃったんだ。だからネ、もう提督の側にいられないし、いたくもないんだ。いても辛いだけダヨ。それが一番の理由。だから失恋を吹っ切るために、横須賀に行くことにしたの。だって、一緒にいたら、お互い気まずいでショ。これは、お互いの為でもあるから、提督も拒否はしなかったね。それに、向こうの生田提督は、ワタシの異動希望をとても喜んでくれて、できるかぎりの事はするから、是非来て欲しいって言ってくれたの。だから、改二の費用も資材も、全部準備してくれたんだよ。それに艦隊を任せてくれるんだって。あんなに強い艦娘が一杯いる鎮守府で、艦隊を任せてくれるだよ。どー? 凄いワタシに期待してくれているでしょう。そんなところに行けるんだから凄い幸せな艦娘ダヨね、ワタシ。あんな貧乏くさくて辛気くさい舞鶴で燻ってなんていることが、いかにバカバカしい事か分かるでしょ? ワタシの未来は、やっと開けたのデース! 」

自慢げに語る金剛。

 

言葉通りに受け取れば、あの日本最強最精鋭の横須賀鎮守府に、好待遇で迎えられるようだ。艦娘にとっては、最高の待遇かもしれない。確かに、金剛は幸せなんだろう。艦娘としては最高だろう。それは叢雲も思う。

 

けれど、……金剛は見ていて、ちっとも幸せそうに見えない!

 

「本当にそれで良かったの? 」

その言葉は金剛への問いかけだったけれど、自分への問いかけでもあった。

 

「……これ以上の幸せなんて、あるのカナ? 」

どういう訳か、少し怒ったように金剛が答える。

 

「横須賀に行く代わりに、金剛、アンタは何を代償に捧げたの? 何を捨てたの」

 

「何も失ったりしていないじゃない。ワタシは、栄光ある未来を手に入れただけ。捨てたとしたら、柵だけ。何の役にも立たない情だけ。腐れ縁だけ。ただの心の重荷だけよ」

いつになく強い口調で言い返してくる金剛に、少し驚いてしまう。口調もいつもの馬鹿そうなものとは異なる。

 

「舞鶴の艦娘との思い出も、ただの柵でしか無かったの? ……提督との出会いや思い出までも、そう言い切るの? 舞鶴の事は何もかも無意味な物だったって言い切るの」

まるで自分に対して言うかのように、叢雲は言葉は放つ。それは、あまりにも辛辣だった。

 

しばらく黙っていた金剛は、

「あんたに……」

叢雲の問いかけに、いつもとは全然違う、呻くような声で金剛が答える。

「あんたなんかに、私の気持ちなんて分からない……分かるはずないじゃない。私の気持ちが分かったふうに、偉そうに言わないで」

 

「え? 」

恐らく初めて金剛が見せる姿だったはず。見慣れた彼女とは全然違う本音を露わにした金剛に思わず気圧されてしまう。

 

「……」

金剛は急に我に返ったかのように驚いた表情を浮かべると、思わず両手で自分の口を覆ってしまう。

「は、はははは、冗談デース。叢雲、驚いたデスか? ちょと驚かしちゃった?? へへー。みんな冗談ですよ。横須賀に行けるって事でちょっと、テンション上がりっぱなしなの。……ゴメンね、叢雲。ワタシ、ちょっと変デース。きゃははははは」

 

急激な表情の変化、感情の変化。鬱から躁状態への急激な変化。叢雲は、かつての盟友の状況に混乱するしかない。

 

「へへー。ちょっと無駄話し過ぎたデース。ワタシ、三笠さんのところに行かないといけないから、この辺で失礼するでアリマス。……じゃ、またねー」

普段と変わらない雰囲気に変わった金剛は、一気に捲し立てるとそのまま歩き去っていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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第182話 改変される心、消される想い

三笠の下を訪れた金剛は、すぐに改装の為にドックへと移動となる。

慌ただしいけれど、新しい自分に「生まれ変わる」ため、仕方が無いことらしい。

新たな艦とのリンクを再構築及び再調整を行わなければ、折角強くなっても、操作が追いつかないわけなのだ。

 

すでに、艦については、ここに到着後すぐに改装工事が開始されている。

 

まずは、損傷した船体の修理を行うこととなる。それに平行して、武装をほとんど取り外して載せ替える。機関部については、全面入れ替えと聞いている。

艦は通常海域用と領域用の両方の動力搭載している。今回は、両方の動力機関の出力増強が行われる。当然ながら装甲も強化されるわけだけれど、新素材の鋼材を使用することで、総重量はむしろ軽くなるんだとか……。

 

武装については、特に領域での戦闘を重視した装備に変更することとなる。今までは、数発の攻撃を当てなければ倒せなかった敵も、主砲の能力強化で一撃で沈める事ができるようになる。一クラス上のカテゴリーの戦艦として稼働できるようになるのだ。それに合わせて探査系について大幅増強され、独自探索能力は二割程度強化された。これにより、領域内においても射撃精度の向上と敵探知能力の強化が図られるのだ。

 

動力部の出力増強と小型化により、積載量が増えた。これにより特種弾の搭載も可能となり、敵深海棲艦に合わせた数種類の砲弾を選ぶことができるようになった。深海棲艦の研究も微々たるものではあるものの進んでおり、敵によっては苦手とする攻撃があることが分かっている。いわゆる属性といったものが存在するようで、それらの属性を突く攻撃を行えばより効果的にダメージが与えられる。しかし、各種属性攻撃をするには専用の弾薬を搭載する必要があり、積載量との兼ね合いで戦艦金剛は通常弾のみしか積めないでいたのだ。

 

そんな改装後の艦の能力の解説を聞いているだけで、心が弾む。強くなれることは、やはり嬉しいものだ。これも軍艦として生まれたからなのかもしれない。

 

おそらく、舞鶴にいた時の……その持ち得た能力の何割も強くなる確信があった。

 

自分のこの力を、冷泉提督の為に使えればいいのだけれど、……それを望むのは欲張りでしかない。そう言い聞かせるしかなかった。自分は、冷泉提督を護る為にここにいるのだから。もう提督と共に出撃することは叶わないけれど、遠くから彼の活躍を祈ることができるのだ……。

 

「喧嘩別れのままでこっちに来たのは、残念だけど……でも、こればかりは仕方無いネ」

それ思うしかない。

 

ドック、舞鶴とあまり変わらない設備だ。本拠地であっても基本的な設備は変わらないらしい。働く職員も女性ばかりになっている。これも舞鶴と同じだ。金剛は、いつもの入渠と同じく、服を全て脱ぎ捨てると培養カプセルの中に入る。いくつもの管やコードが彼女達により、体に接続されていく。

今回は頭部に多数の電極のようなものが取り付けられている。これが新たな艦との調整を行う装置なのだろうか?

 

「ねえねえ、これは何なの? 」

興味半分で作業を行う女性に話しかけるが、彼女達は答えてくれなかった。まるで声が聞こえないかのように黙々と作業を続ける。

 

まったく……無愛想な人達ばかりネ。

ここに来てからずっと思っている感情が出てしまう。

 

第二帝都東京の職員達は、話しかけても常に無反応。てきぱきと作業を行っているけれど、彼等彼女等が会話しているのをほとんど見ていない。指示に応答する声は発するけれど、普通に人間がするような無駄話が全く無かった。

 

どうにも陰気くさいのだ。

 

まるで人形のようにしか思えない。感情がある生物にはとても見えない。極端に言えばそんな感じがしていた。……金剛は、ずっと凄い違和感を感じていたけれど、それがここのルールなのだろうと納得させるしかなかった。

 

作業が完了するとカプセルの蓋がゆっくりと閉じられ、気圧が変化する感覚と同時に青い液体に満たされていく。

 

ひんやりとした感触の液体が、体に絡みつくようにして足元から体の上へとゆっくり上がってくる。普段とは少し違う液色。

 

これが改二改装なのかなと思っているうちに、カプセルはその液体で満たされる。ゆっくりと体が浮いていくのを感じる。それに合わせてカプセル内に設置されたアームが動き出し、両手両足、そして腰を固定する。背中にも板のような何かが当たるような感触がする。延髄部分にもアームのようなものが接触するのを感じた。それらアームには肌と接触する部分には端子が設置されていて、チクリと痛みが走ったが、すぐにその痛みは消えて何も感じなくなる。

 

まったくのいつも通り。

 

当たり前だけれど、この状態でも呼吸には支障がない。喋ることはできないけれど、テレパシーにより意思を伝える事はできるし、外からの音もきちんと聞こえるようになっている。これは、双方に意思疎通が必要な場合もあるので、当然の事なのだけれど。

 

そして、作業員達はおのおのの席に座ると、作業を開始しはじめる。少しして部屋に入ってくる者の姿を確認した。

 

戦艦三笠だった。

 

冷泉提督を助けることを約束してくれた存在。冷泉提督と永久に別れる事を命令した存在。

彼女に対しては、複雑な思いがある。

 

彼女と目が会うと、三笠はにこりと微笑んだ。あまり得意ではない人だなと再認識する。笑顔が嘘くさいのだ。裏で何を考えているかよく分からない人。彼女と話す度に不安な気持ちになってしまうのは何故だろう。

 

「……さて、気分はどう? 」

 

「いつも通りの入渠ネ。大規模改装がどういうものか不安だったケド、大丈夫っぽいネ」

 

「そう、それは良かったわ」

再び微笑む三笠。

「では、改二への改装を始めていくわね。内容については、ある程度説明を受けていると思うけれど、あなたの艦自体はこれまでから大幅に攻撃力・防御力・機動力の全てが大幅に引き上げられることになります。当然、これまでの艦娘体のままではその向上した能力を制御できないので、あなた自身も強化する必要があります。これから、それを行っていきますね」

 

「えっと、ワタシ自身の強化ってどういうことネ? 体を弄るってこと? 」

体にメスを入れられたりするのなら、凄い不安だし嫌だなって感じた金剛はその想いをすぐに口に出した。

 

「体組織の強化も行う必要もありますし、プログラムの書き換えを行う必要もありますね」

と、ずいぶんと恐ろしいことあっさりと言う。

 

「え! どんなことをされるのか、とっても不安ね」

と冗談めかして問いかける。

 

「あら、怖いかしら? 怖いのなら止めてもいいのよ。……ただし、あなたとの約束は反故になりますけれどね」

冗談めかして三笠が言う。しかし、その目は全く笑っておらず、むしろ冷え冷えとした思いを金剛に感じさせる。

 

「こ、怖くなんて無いネ! ちょっと聞いただけデス。これでもワタシは戦艦、恐れる物なんて無いデース」

 

「そうそう、その調子。あなたがしっかりしないと、冷泉提督が辛い思いをすることになりますからね。しっかりと約束を守って貰わないと」

嬉しそうに笑うが、小馬鹿にされたようにしか金剛には感じ取れない。

 

「どうにでもしたら良いネ。でも、もう一度だけ確認させて欲しいネ」

 

「何かしら? 」

 

「ワタシが横須賀に行けば、本当にテートクを助けてくれるの? 」

これだけは、絶対に譲れない条件。

冷泉提督を救うために、救うことができるからこそ三笠からの条件を全て受け入れたのだ。今更反故になんてされたらたまったものじゃない。

 

「大丈夫よ。私は戦艦三笠。その私が言うのだから、絶対に間違いありません。現在の危機的状況にある冷泉提督の命を、必ず守って見せますよ。そして、再び舞鶴鎮守府の提督の地位に戻れるようにしてあげます。あなたが私の言う事に従ってくれるのなら、それくらい雑作も無い事ですからね」

 

「本当に信じていいんだよネ?」

と、不安げに問いかける金剛に、三笠は頷いた。とても嘘を言っているようには思えなかったし、彼女には冷泉提督を救うだけの力があることも分かっている。どういった意図があるにしても、今は彼女に縋るしかないのだ。彼女を信じるしかなかった。

「分かったネ。三笠さん、あなたを信じるネ」

 

「はい、では改装作業を始めますね」

そう言うと、三笠は職員に合図を送る。

呼応するように、各種計器類が明滅を始めるのが見える。

金剛を包み込んでいる液体の色が変化を始める。全身が圧迫されるような感覚。そして、接続された端子からピリピリする感覚が一定リズムで伝わってくる。

 

「まずは、強化された艦に対応するようにソフトウェアの書き換えを行います。新たな装備や動力への親和性を高めなければなりませんからね。それに伴う不要なデータの消去も行います。新しい鎮守府において最良の状態で活動できるように、最適化を行います」

 

「……それはどういう事ネ? 」

不穏な気配を感じた金剛が慌てて問いかける。

 

「うん? 横須賀鎮守府で新たな提督の下で働くのですから、舞鶴鎮守府での勤務の中で蓄積された不必要なデータは、削除し最適化します。不必要な感情を引き起こすような記憶などは、要りませんからね。……案外、記憶っていうのは、大して重要でもないのに容量だけは食いますからね」

 

「! 私の記憶を消すっていうの? 」

衝撃的な内容に感情が揺さぶられてしまう。もしかして、記憶を消されてしまうのか?

 

「記憶を消すなんてことはしないわ。蓄積された戦闘データや各種地形データなどは貴重な記録ですものね。ただ、……あなたと特定の者との記憶は、次の鎮守府において明らかに不要となるものですから、ある程度は整理しないといけないのですよ」

 

「待って! それは、冷泉提督との記憶を消し去るってこと? 」

 

「記憶は消さないわ……一応ね。ただ、少し弄らせてもらいます」

 

「何をするつもり? 」

 

「冷泉提督に対するあなたの感情……それをマイナス方向に反転させるだけですよ。そのために少しだけ記憶を改変します。戦艦扶桑、そして駆逐艦不知火を追い詰めて鎮守府を裏切らせ、その上、彼女達を殺すように指示したのが冷泉提督であることにね」

何の感情も示さず、事務的に語る三笠に言いようのない恐怖を感じる金剛。

 

「なんでそんなことをするネ。何の目的があるの」

 

「ふふふ。冷泉提督には、ある目的があったの。彼は、永末と実は繋がっていた。彼等の目的は、力を持ちすぎた我々艦娘に対する牽制と抑止。人々の艦娘に対する印象を改変しようとしていた。艦娘という存在は人類に寄り添う物では無く、場合によっては裏切ることもある危険な存在であるということを。それが一つ目の目的。もう一つの目的はいかにも冷泉提督らしい身勝手な理由よ。あなたも知っているでしょうけど、鎮守府事の艦娘の保有枠数は決まっている。冷泉提督は、新しい艦娘を手に入れるため、不要な艦娘の処分を考えたのよ。そして、あまり懐いていない艦娘を追い出そうとした訳。新しくて自分に好意を持ち、従順な女の子を集めたいと思っていたのよ。いかにも男の子らしい夢ね。……まさか、自分が窮地に陥るとまでは頭が回らなかったらしいけれどね。少し、おつむが足りなかったの」

 

「……バカバカしい。何をいうと思ったら」

三笠の言う事はあまりに荒唐無稽すぎる。

 

「一概にそうは言えないわよ。舞鶴を離脱した子達を思い出してみて。彼女達は提督にに対して、あまり好意を持っていない子ばかりじゃなかったかしら? 彼は身勝手にも自分の欲望の為だけに、彼女達を切り捨てたわけなの。口では艦娘の為にといいながら、心の中ではそんなことは微塵も思ってもいなかったのよ。自分に好意を持つものだけしか大切にしていなかったのよ。だから、永末の要求は丁度良かったのかもしれないわね」

 

「そんな事を信じるわけがないネ? まったく意味が分からない」

 

「信じる信じないは、この際あまり関係が無いことなのよ、金剛。冷泉提督との時間を過ごして彼の人となりを知り、更に彼に好意を持っているという今のあなたなら信じないでしょうけれど、その部分を書き替え、負の感情を植え込んだら……どう思うかしらね。そんなことできるはずがない? ……残念ながら、私にはそれができる。そして、あなたはもう拒むことができない状態なのよ」

嘲笑うかのように三笠が言い放つ。

「目覚めたあなたは、こう思います。自分は裏切られたのだ……と。そして、冷泉提督の為に扶桑達は犠牲になり、多くの鎮守府の兵士が殺されてしまった。冷泉というたった一人の男の身勝手さによって。あなたは後悔するでしょう。そんな人間を自分は愛してしまっていたのか? ……と」 

 

「馬鹿な! そんなの信じる訳がないネ。どんな事があったって何をされたって、ワタシは提督の事は忘れたりなんてしない。だから、そんな嘘なんて信じない! 」

 

「ふふふ、信じる信じないというあなたの意志など関係ないのです。これは、あなたのたどり着いた結論となるのだから。今のあなたからは信じるはずもないことでしょうけれど、これから調整を行ってそれを信じるように改変するのですからね。何の疑問も感じずに、これを事実として信じる……いえ、認識するのですよ。醜く卑しく小さくて、そして身勝手で薄汚い男。それが冷泉朝陽。扶桑達を死に追いやり、多くの仲間を死なせ舞鶴鎮守府を混乱させた男。扶桑と不知火が死んだのはすべて冷泉が原因。それを知ったあなたは、きっと彼を許せないでしょう? 」

 

そんな、……そんな。

ありえない、あるはずがない。許されるはずがない。

偽りの記憶に侵蝕されていくというのか。

大切なものを守るために、大切なものを憎む運命を受け入れなければならないというのか!

 

「次に目が覚めた時は、もうあなたは冷泉提督を仇敵と考えるようになっています。改二となり、能力は大幅に増強されている。そして、横須賀鎮守府では、大和・武藏を率いた旗艦となることになっています。これは、あなたが心から望んでいた地位ですよ。あなたの願いは全て叶えられました。どうですか、嬉しいでしょう?そして、あなたが率いた日本国最強の艦隊が憎き冷泉提督を討つのです」

と宣告し、慈愛に満ちた笑みで三笠は見つめてくる。優しく暖かくすべてを見透かしたような笑顔だ。

 

「そんなこと、……そんなこと望んでいない。あなたは、提督を守りたければ言う事を聞けといった。だからそれに従っただけ。提督の側を離れるなんて死んでもいやだったけれど、彼を守ることができるのなら、彼の役に立てるのならって同意した。なのに、なんで提督を討つ立場にさせられなければいけないのですか。なんで提督を憎まなければならないのですか! 」

 

「けれど、もう決まった事だわ。……あなたは、同意したんだもの」

 

「なんで! なんでそんな酷い事いうの? そんなことして、何が目的なの? あなたは何を考えているの? 」

 

「うん、そうなった方が面白そうでしょう? あなたの心は揺さぶられる。冷泉提督も運命に翻弄される。世界がかき乱される。ただそれが目的よ」

金剛の必死の思いを願いを、いとも簡単に否定されてしまう。

 

「そんな事をして、一体どうなるのいうの? 」

 

「想いが錯綜し、そして……世界が更にかき乱される。混沌する。ただそれだけ。しかし、それがすべて。それこそが私の望むもの。そして、あなたたち艦娘の存在意義。もちろん、あなたにとっては、無意味かもしれない。辛いだけかも知れないわね。けれど、艦娘という存在にとっては、これは非常に大きな前進になるの。私達にとって、この世界を揺さぶるためには、必要なことなの。それを積み重ねることが私達にとってとても重要な事なのだから。そのための犠牲だと思ってもらえたら嬉しいわ。すべては私達の願いを成就させるためなのよ」

淡々と説明を続けるが、その言葉の意味のほとんどを金剛は理解できない。

 

「何を言っているのか全く分からない! ワタシはそんな事のために、ここに来たんじゃない。あなたの指示に従ったんじゃない。ワタシは、ただ、提督を守りたいから従っただけなのに! これじゃあ逆じゃないの。なんで私が提督と戦わなければならないの。そんなの絶対に認められない。そんなことになるくらいなら、何もかも無かったことにして、ワタシを舞鶴に帰して。提督の側に居させて! 」

 

「もう賽は投げられたのよ。今更後戻りなんてできない。するつもりもないし、させないわ。今のあなたをみて、確信したわ。あなたの心は大きく掻き乱されている。それはとても大きなうねり。それは私達が求めているものだわ。きっと大きな成果を私達にもたらすでしょう。とても嬉しい。とても嬉しいわ、金剛」

大きく瞳を見開き、感情を制御しかねるかのように三笠は身をよじらせる。

 

「いや、いや、絶対にいや。そんなことをさせられるくらいなら! 」

しかし、金剛は体を拘束されているため1ミリも動かす事ができない。ならばと、舌をかみ切ろうとするがその願いは叶わない。あうあうと呻くだけで想いを遂げることは叶わない。

 

「無駄よ。艦娘には自死をできないようにされていることを忘れたの。もう動き出してしまったのよ。止められないわ。そもそも、あなたが舞鶴を出ると言い出したのだから。冷泉提督を独り占めできないという嫉妬で自暴自棄になっただけなのだから。……まあ仕方無いわね。あなたは加賀に負けたのよ。そして、神通や高雄のようにそれを受入れてなお、彼を愛することだけでは耐えられなかったせいなのよ。なんだかんだ言いながら、あなたはプライドのとても高い艦娘だったのだから。負けを認めず、それどころかどす黒い嫉妬に心を穢していったのよ。ふふふ……そもそも艦娘なのに人を好きになるという愚行を犯した者なのだから。可哀想だけれど、これは仕方ないわね」

 

「ちがう、そんなんじゃない」

そう否定しながらも、次の言葉が出てこない金剛。

 

「けれど、加賀の事は憎かったでしょう? いきなり現れて、思い人を攫っていった彼女を」

三笠の指摘は、金剛の心の奥底の心の核ともいえる部分に容赦なく突き刺さり抉る。痛みは血を伴い、隠していた想いを表層に引き上げてくる。そして、それは諦めを生み出すのだ。

 

そうだ。たしかにそうだ。

突然現れて、提督の心を捕らえた加賀。彼女のために提督はどれほどの犠牲を出したことか。それでも、提督は彼女を救おうとした。

自分のためには、きっとそこまでしてくれない。悔しかった。悲しかった。……そして、憎かった。

提督は彼女を愛しているし、加賀も提督の事を愛している。

自分が入り込む隙間などまるでない。そして、提督は自分のことを艦娘としてさえ重要と思ってくれていない。苦渋の選択で横須賀行きを申し出たのに、慰留さえしてくれなかった。そして、悟った。自分は必要のない艦娘なのだと。きっと、扶桑や不知火のように捨てられてしまうのだろう。

こんなに想いを寄せていたのに、どうしてそんな仕打ちをするのですか? ……どうしてそんなに嫌うのですか。

 

もう提督はきっと私に振り向いてくれない。私には、優しい微笑みをくれないのだ。

手に入らないのなら、いっそこの手で。

 

……消し去る。

 

それは絶望の中から紡ぎ出した最悪であり最良の選択。

 

 

「愚かで哀れで、……そして愛おしい娘」

金剛の葛藤を見守りながら、微笑む三笠。

 

冷泉提督と金剛が対峙する時、また一つ大きな揺らぎが世界に起こるだろう。

彼の側には加賀や神通がいる。共に戦った仲間がまた相対することになるのだ。たった一人の男を巡って。本来なら仲間であるはずの艦娘がいがみ合いに組み合うのだから。

 

情念が縺れ合い、愛憎が絡み合う。

そのうねりは増幅され、悲しみが連鎖していく。

各所で発生するその炎は今は小さいかもしれない。しかしやがて大火となり世界を覆い尽くすだろう。

 

その時こそ私達の望んだ時の到来なのだ。

そのためならば、いくらでも犠牲を払おう。それが私達の目的なのだから。

 

自分の未来に絶望し、心を閉ざして気を失っている金剛に対し、再び微笑み駆けるのだった。

その微笑みは希望に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第183話 囚われし冷泉。そして光。

「痛……」

浅い眠りの中で身をよじらせたせいだろう……。全身を貫くような痛みで目が覚める。その痛みで思わずのけぞり、そのためにまた違う場所からの激痛を引き出してしまう。芋虫のような状態で転がりまわる。

悲鳴を上げそうになるが、それを必死に堪える。

そして、自分の置かれた状況を思いだした。

 

冷泉は憲兵隊に捕らえられた。否……はずだった。けれど自分の現在の状況からして、どうやら憲兵隊ではあるものの、本筋から外れた……もっと厄介な連中に拉致されてしまったみたいだ。

 

彼等の会話を盗み聞きして得た情報からすると、どうやら彼等は冷泉の知らない何者かに依頼されて、冷泉を連れ去ったらしい。本来、冷泉を捕らえるために派遣される憲兵隊は、もう少し後から来る予定だったそうだ。そのために急遽編成された部隊らしい。

 

確かに、鎮守府指令官である冷泉を連れ去るには、様々な手続きが必要だ。司令官という地位からして、逃走の危険性は相当に低い。ならばきちんと事務手続きを行え……と各部署は命じるだろう。昔からの縦割り行政は変わるはずもなく、そう簡単には許可が降りないはずだ。

 

なのに、現場は随分と小回りが効いたようだ。……どう考えても鎮守府警備を担当している陸軍に何らかのツテがある連中が噛んでいるとしか思えない。

後からやって来た憲兵隊の連中は本気で激怒しているだろうな。当然、陸軍との間で一悶着は無しでは済まないだろう。憲兵隊としては重大な失態だからだ。彼等的には誰かに責任を擦り付けないと、指揮官は失態の処分を免れないだろう。

その状況を想像すると大変愉快だろうと思うけれど、今の自分の状況を慮るとそんな事で喜んでいる場合じゃない。

 

それにしても理不尽だ。理不尽すぎるだろ、これは!

 

長時間に渡って尋問にかけられているのだが、いくら正直に答えても、連中は納得してくれないのだから。何を言っても埒があかない。

連中は、冷泉と永末が裏で繋がっていると決めつけている。どこをどうやって推理すれば、そういった結論になるのかと疑問を感じてしまうが、連中には連中の情報網と考え方があるのだろう。それはともかく、彼等なりの思考および目的の下、冷泉から情報を引き出して可能であれば失踪した艦娘達を捕らえようと考えているみたいなのである。

とにかく、答えありきでの尋問。彼等の意に沿う答えをしない限り、これは永遠に続けられるとしか思えない。

 

そして、手段を問わずに吐かせるつもりらしく、まずは精神攻撃をしてくる。

取り調べに使用される、非合法ないろんな拷問について詳しく解説され、どれからやってほしいか聞かれたりする。聞いているだけで、目眩がする。

 

ただのサディスト集団だな、こりゃ。

こういった職業についていたら、頭までおかしくなってしまうのだろうか。それが正直な感想だ。

 

少々の暴力行為では、冷泉は自白なんてするつもりもないという強い意志がある。もっとも、そもそも連中が欲しがるような答えを持っていないから答えようもないのだけれど……。

 

相変わらずの生意気なその態度が連中の怒りを買ったのか、長時間に渡る執拗な暴行を受けてしまった。

冷泉は、途中から意識が無くなり、何度か無理矢理起こされたりしながら「取り調べ」は続けられた。

 

そして現在。冷泉の両手の指は何本か折られているため、動かすという感覚が得られない。顔も殴られたせいか、熱を持ってるのが分かる。恐らくぱんぱんに腫れ上がっているのだろう。視界も狭いし、少し動かすだけでも痛みが走る。腔内に違和感を感じてはき出すと、折れた歯が転がり落ちる。

 

こういった状況で知ったこと。……痛みは慣れないもので、ちょっと動くだけで泣きそうになるくらいに痛い。こんな酷い事をして、連中には罪悪感とか憐憫の情といったものは感じないのか。

そして、不安が襲ってくる。これほどの外傷を受けてしまった状態で、軍法会議なんて場に自分を連れ出せるのか? と言う事。もしかして……こいつら、俺が死んでも構わないって思っているんじゃないか? と。

 

しかし……そもそも、冷泉が永末とその勢力と繋がっている考え自体があり得ない。それをまともに信じるなんて損得論で考えたら分かるようなものだ。彼等は適当な理由を付けて拷問し、その取り調べの結果事故死でもするようなシナリオでも考えているのだろうか……。

しかし、冷泉を殺したところで、何のメリットがあるというのか? それに殺すならさっさと殺しておけばいいはず。変に拉致なんてしていたら、足が付いて彼等の正体が明るみにでる危険性さえあるというのに。

 

「おい、冷泉。そろそろ吐く気になっただろう」

冷泉を拉致した隊のトップである佐味が、ニヤニヤしながらこちらを見ている。自分のテリトリーに連れ込んでいる為か、妙に自信に溢れた態度だ。

 

この取調室……というか拷問室には机はない。

広さは、10畳程度だ。コンクリートの打ちっ放しだ。

パイプ椅子に佐味がふんぞり返って腰掛けて、こちらを見ている。両脇にはゴリラみたいな兵士が立っている。その背後にはテーブルがあり、パソコンを操作している普通の兵士もいる。また、入口の扉の前にも兵士が一人立っている。

 

「だから、知らないものは知らない……と言っている」

なんとか声を出す。少し喋るだけでも顔のあちこちが痛いため、聞き取りにくい声しか出せない。簡素な丸椅子に座らされ、両手を後ろで手錠を掛けられている。両足も拘束されている状態だ。実はこの状態を維持するのも苦しいのだけれど、油断すると椅子から転げ落ちてしまうため、必死に堪えている状態だ。両手両足を拘束された状態で転倒すれば、受け身など取れずにコンクリートの床にぶつかってしまう。健常体なら耐えられるが、あちこちを拷問による損傷を受けている今の体では、どんなことになるか予想もできない。

 

「馬鹿か? お前が知らない訳がないだろう? お前が鎮守府の司令官なんだからな。お前の許可なくして、鎮守府に絵入りなんてできないのだろう。だったら、お前が永末を手引きしたに違い無い。永末とグルだという明確な証明だな、これは」

 

「俺がそんな事をして、何のメリットがあるんだよ。艦娘達を戦わせ、おまけに部下達に多くの死傷者を出させるなんて……。そして、俺は今、捕らえられている。馬鹿でも分かるだろう? 」

反論した途端、座った椅子を思い切り蹴り飛ばされ、冷泉はバランスを崩して転倒する。まともに床で体を打ち付ける。

「ぐえ」

負傷した所をさらに強打してしまい、情けない声を上げて転がりまわってしまう。

それを見て大笑いする佐味。周りのゴリラも一緒に笑う。

 

再びゴリラに両脇を抱えられて引き起こされ、椅子に座らされる。

 

「情けないですなあ、提督。惨めですなあ、提督」

哀れむように見つめる憲兵を、冷泉は、にらみ返す余裕すらもう無い。痛みは全身を貫くほどである。

「なあ、冷泉提督。ちゃんと答えたら、助けてやるよ。だから、正直に答えろよ」

急に真剣な表情になり顔を近づけて来る。

「お前、香月少佐がどこにいるか知っているだろう? 」

 

唐突に出てきた男の名前に、冷泉はポカンとするしかない。誰だ? 香月って。

冷泉の表情を見て、彼にも不審げな表情が出る。

「お前、少佐を知らないのか? 嘘だろう」

 

「そんな奴は俺は知らない。会ったこともない。そもそも、誰だっていうんだよ、そいつは」

 

「フッ、どこまでしらを切っているのか知らないけれど、教えてやろう」

 

「大尉、しかしそれは! 」

慌てて横にいたゴリラが声を上げる。

 

「いや、構わん。全部こいつに話して様子を見るんだよ。それに、どうせな」

とニヤリと笑うと、ゴリラは何か思うところがあったのか、頷いて引き下がる。

 

意味がわからん。

 

「さて、少佐は永末を駒として使用していたのだよ。かつて舞鶴鎮守府で働いていた男を利用価値ありとしてな。永末は舞鶴鎮守府に潜り込み、少佐の指示通りに活動し、目的達成のためにずいぶんと励んでくれた。そのおかげで、戦艦扶桑や他の艦娘を舞鶴から離脱させることに成功した。そして、さらには、かつての舞鶴鎮守府指令官であった男が密かに隠匿した艦娘さえも手に入れることに成功したのだ。これは想定外の物だった。そして、我々は歓喜して永末の待つ海上基地へ少佐を送り込んだのだ」

話を聞いている内に、冷泉の心に怒りが満ちあふれてくるのを感じていた。こいつらのせいで、こいつらのくだらない目的の為に扶桑達が道を外してしまったというのか。そして、多くの部下が巻き添えで殺されたのかと。

 

今すぐにでも飛びかかり、この男を殴り斃したい。その欲望が充ち満ちてくるが、現状では逆転のチャンスが無いと判断する冷静さもまだ持っていた冷泉は、必死に堪えることができた。

 

「しかし、少佐は永末との接触以降、連絡が取れなくなったのだ。丁度お前が永末討伐のために出撃する頃にな。そうなると、どんな人間でも勘ぐってしまうだろう? 少佐の失踪には、お前が関係しているのではないかと。つまりは、お前と永末はどこかで繋がっていて、何か悪巧みを考えているのだってな。お前達二人で謀ったんじゃないか? お前は永末の目的を知り、何らかの方法で翻意させることに成功させたんじゃないのか? お前には舞鶴鎮守府指令官の地位さえ捨てても、それ以上に得られる物がある選択肢があったんじゃないかってな」

 

「馬鹿な……愚かすぎる……。どのようなメリットがあろうとも、艦娘や部下に犠牲を出してまで得ようとする選択肢など存在するはずがない。たとえあったとしても、それを選択するような司令官など、この世界には存在しない。そもそも考えることさえない。そんなゲスな考えにたどり着くような奴は、人として下の下以下の存在だ。俺はそんな人間がいたとしたら本気で軽蔑するし、視界に存在することさえ許せない」

睨み付けるように佐味を見る。

 

「偉そうな事を抜かすな、糞野郎が」

激高した佐味は立ち上がると、力任せに冷泉を蹴り上げる。衝撃で吹き飛んだ冷泉は、まともに後頭部から床に転倒する。全体重が拷問により折られた指にのしかかる。さすがにその激痛に耐えきれず、呻きながら転がりまわってしまう。堪えようとも悲鳴は口からあふれ出し、情けない音を室内に響かせてしまう。

 

「ぎゃあっはっは。偉そうな事を抜かしてそのざまかよ。馬鹿みたいだな、お前。ぷー! 笑える」

近寄ってくると、思い切り勢いを付けて、冷泉の腹部を蹴り上げる。蹴る蹴る蹴り上げる踏みつける。笑ってはいるが、左頬が痙攣し、目が血走っている。

 

「大尉、それ以上はこの男が持ちません」

再びゴリラたちが佐味を制しようと動く。

 

「五月蠅い離せ。……この男はどうやら何も知らないようだ。上が言って来た永末との関連性も怪しいんじゃないのか。これほどの事を話しても挙動は普通だ。上の推理は間違っている証左だ。ならば、プランを意向するだけだろう。さっさとこいつをぶっ殺して、ここから撤退するしかないだろう? 文句あるか」

反論する事ができないのか、ゴリラは黙り込んでしまう。

 

「あまり長居をしているわけにもいかんことくらい、お前達にも分かるだろう。我々に与えられている時間は有限なのだ。今は誤魔化してくれているが、いつまでもそれができるとは限らん。我々も組織人なのだからな。命令無くして動いていることが発覚したら、立場がやばくなることくらい、お前等も分かるだろう? そろそろ潮時ということだ。どうせ、こいつを殺すのは既定事項なのだからな。情報が得られないのなら、さっさと処分だ」

至極あっさりと結論づけられる。やはり、最初から殺すつもりだったのだと予想が当たったことに心が折れそうになる。

 

しかし、結論は簡単に出たとしても、出された側は納得するわけにはいかない。冷泉は、まさに絶体絶命。激痛にのたうちまわりながらも、なんとかこの場を逃れる術はないかと必死に考える冷泉。

しかし、痛みに思考を中断されてしまう。仮に元気でも、この状況では何の結論も出せないだろう。

 

「なあ……首をかっ切るか、絞め殺すか。どっちがいいんだ」

冗談めかして聞いて来ているが、本気の目をしている。

「簡単に殺したら、せっかく出張ってきたのにつまらんな。じっくりと痛みを味わいながら殺さないと調子が悪い。軍の高官を殺す……こんなチャンス二度と無いからな、楽しませてもらうぞ。でないと、リスクを冒した意味がないもんな」

 

両手両足を拘束されている上に、拷問による負傷でまともに動けるとは思えない。

……これは、駄目かな。と、諦めの結論にたどり着いてしまう。

艦隊戦で戦死するならば、嫌だけれど軍人ならば想定内のことだ。しかし、無実の罪で拉致されて、用無しだからと無意味に殺されるなどとは思っても見なかった。どうもこの状態では、誰にも知られること無く、惨めに死んでしまいそうだ。死が現実になると恐怖が芽生える。もちろん、死ぬ事は怖い。しかし、冷泉にとっては何ら為すことも無く無意味に死ぬと言う事の方が遙かに怖い。

 

こちらに来る前の世界なら、どのように生きたとしてもたいした成果もあげられなかっただろう。あの時の自分なら、無意味な死さえ受け入れただろう。ただ生きているだけならば、死んだ方がマシだと何度も思ったことがあるから……。

けれど、今の自分には受け入れられない。受け入れたくない。まだ死にたくない。まだ死ぬわけにはいかないんだ……と。

 

そして、唐突にドアがノックされる。

 

「あん、なんだよこれからって時なのに」

ナイフを手にし、気持ち悪い顔をしていた佐味の表情に苛立ちが表れる。

再び、扉はノックされる。

佐味はゴリラの一人に指示をする。指示されたゴリラ的憲兵が扉を開け、何か言葉を交わしている。

 

「あああ? おい、どうしたって言うんだよ」

苛立ちが頂点に達した佐味が吠える。

 

「は! 大尉殿、よろしいでしょうか」

恐縮気味にゴリラが発言をする。

 

「だから、何だよ。さっさと報告しろよ」

 

上司にどやされ、ゴリラは扉を開きながら返答をする。

「外で彷徨いてたい艦娘を捕らえたそうです」

 

「は? 」

間の抜けた声を佐味が上げる。

 

「おい、入れ」

ゴリラではない、普通の体型の兵士が一人の少女を連れてきた。押されるようにして、中へと入ってくる。

黒髪のセミショートカットでセーラー服を着ている。大きな瞳をした美少女。……まさに艦娘だ。

そしてその顔は、冷泉も見覚えがあった。もちろん、この世界に来て見た訳では無い。ゲームやアニメの中で見たというだけだ。

その顔は、どちらかというとアニメに出ていた時の顔に近いといえる。

 

「この艦娘が、ここの周りをうろうろしていました。捕らえると、冷泉提督はどこか、冷泉提督に会わせろと騒ぐので、こちらに連れてきた次第であります! 」

敬礼しながら兵士が報告する。

 

少女は、後ろ手に手錠を掛けられているために、動きが鈍くなっている。

それでも冷泉を見つけるなり、瞳を見開いて叫ぶ。

「そちらにいらっしゃるあなたが、冷泉提督でしょうか? 」

 

「……ああ、そうだよ」

仕方無く返事をする冷泉。

この子がどういった経緯で冷泉を探していたのかは不明だけれど、どちらにしても、こんな危険な連中に捕らえられてしまったということで、より一層頭が痛くなるのを感じた。事態は最悪の更に深刻だ。よりにもよって、何でこんな所にやって来たんだよ! と文句の一つも言いたくなる。それが詮無き事であってもだ。

 

そんな冷泉の気持ちなどお構いなしに、艦娘は会話を続ける。

「冷泉提督、お初にお目にかかります。私は、呉鎮守府所属……あ、もう所属じゃありませんでした! 今は無所属の特型駆逐艦吹雪型一番艦の吹雪です。よろしくお願いします! 」

敬礼しようとするが、後ろ手に拘束されているため、よろけてしまう。

 

「吹雪……だと? おい、なんでこんな艦娘がここに来ているんだ」

困惑したような表情で佐味が問いかける。

 

「お待ちください」

パソコンで記録を取っている兵士が素早くキーボードを叩く。

「駆逐艦吹雪。一月前まで呉鎮守府に所属。ただし、深海棲艦との戦闘において、潜水艦の雷撃を受けて艦は轟沈。艦娘吹雪のみ救助されています。その後、司令官の判断により返納となり、つい先日、海軍研究所牛尾実験場へと送致されています」

どうやら海軍か何かのデータベースにでもアクセスして、情報を取り出したのだろう。

インターネットというものは、深海棲艦の侵攻を受けて以後は完全に消失している。民間のネットワーク網は軍が完全に制圧し、一般市民は使えない状態となっている。携帯電話というものもただのガラクタになってしまっている。情報ネットワークは軍および一部の人間のみが独占的に使用しているのだ。。

 

「ならば、どうしてこの女がここにいるんだ? 」

不機嫌そうに佐味が兵士を睨む。

 

「はあ、すみません。そこまではわかりません」

そう答えるしかできない兵士。

 

「用済みになった艦娘がどうして自由気ままにフラフラと歩き回れるんだ。こんなことありえない。牛尾に送り込まれた艦娘は二度と表に出ることは無いはずじゃないのか。最後はバラバラに分解されるまで研究されるんだったよなあ」

 

「おい、それはどういいうことだ? 」

何気なく口走った佐味の言葉……。それに冷泉は反応する。

 

「はあ? 」

 

「今言った事だ。牛尾実験場って何だ。艦娘が送り込まれるとはどういうことだ。今すぐ答えろ」

佐味の口走った事が冷泉の不安をかき立ててしまう。猛烈に嫌な予感しかしないのだ。今、自分がどれほどのダメージを受けているかさえ忘れてしまうほどに……。

 

「なんでお前に教えなきゃいけないの? お前、偉そう過ぎじゃないか? そもそも、鎮守府指令官のお前が知らないっていうの? お前、本当に知らないのか? おいおい、何だよそれ」

本気で不思議そうに男が答える。そして終いには笑い出してしまう。

 

今すぐこの馬鹿面を殴り飛ばしてやる。立ち上がろうとするが、まるで自由がきかない。

 

「何ごにょごにょ動いてるんだよ、気持ち悪い」

そう言うと、佐味は冷泉を蹴飛ばす。

「あ、そうだ。良いこと思いついたぞ」

急に何かが閃いたのか、男の瞳に邪悪な光が宿るのを冷泉は感じる。

 

「お前、艦娘を異常に大事にする男だったよなあ。艦娘の為なら自分の命なんて何とも思わないほどの馬鹿だと聞いているぞ。……するとだな、廃棄処分されるとはいっても、こいつも艦娘なんだよな」

 

「おい、何を言っているんだ? 」

冷泉は佐味が何を考え、何をしようと企んでいるかが分かってしまい、それ以上を喋らせまいと声を上げる。

しかし、それを無視して佐味は喋る。

 

「お前の艦娘じゃないけど、この女を拷問にかけたら、お前ならどうする? 」

 



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第184話 救いたい命、救えない運命

「な! ……」

冷泉は愕然とし、その衝撃で次の言葉が出てこなかった。

何を言っているのだ、この男は。何を考えているのだ、この馬鹿は。それでも何かを言わないわけにはいかない。この無法を放置などできない。

「どうしてそんな馬鹿な事を言うんだ? 一体、そんなことしてどうなるっていうんだ! どうしてそんな結論になるんだ。…お前も軍人だろう? ……軍人ならわかりきっているだろう? 艦娘は、俺たちを、日本を守って戦ってくれているんだぞ。仲間であり、親友であるべき存在なんだぞ。そんな彼女達に、どうしてそんなことをしようなんて事になるんだよ」

 

必死になって叫ぶ冷泉を、冷めた瞳で男達は見ている。

「げっへへへ。お前、まさか艦を失った艦娘の運命ってやつを、鎮守府指令官のくせに本当に知らんのかよ? 冗談抜きで本気で言っているのか? おいおい、お前等。この男は何も知らないだってよ」

と、佐味が叫ぶ

 

ブーブー!

下卑た歓声が一斉に起こる。

 

男達は煽られるでもなく、上司に気を遣ってという気配などなく、心から無知の者をあざ笑っているのが冷泉にも感じ取れた。馬鹿にするだけでなく、同情そして哀れみさえも含まれている。どうしてそんな瞳で見られるのか、冷泉には理解できない。

 

「仕方ないなあ……教えてやるよ、本当の事をな」

そう言うと、佐味が語り始める。冷泉はその瞬間、猛烈に嫌な予感がした。聞いてはならないことを佐味が話すという気がしたのだ。

「なあ、冷泉。艦娘が艦を失ったら、どうなるか分かるだろう? そう、もう深海棲艦と戦うことはできなくなるよな。するとどうなる? 当たり前だけど、鎮守府では使い道が無くなるじゃないか! じゃあどうする? 女として慰み物にでもするか? それはそれで楽しいかもしれないが、さすがに貴重な艦娘を性欲のはけ口として派遣しておくほどの余裕はないんだな。さすがにずっと持ち続けるには理由が必要だしな。だから、艦娘勢力に返すことになっているんだよ。けれど、不思議なことに生死は問われないわけだ。あいつ等曰わく、首より上があれば、問題ないってことらしいんだよな」

 

冷泉は、必死で佐味の語る言葉の意味を理解しようとする。彼の言葉をそのまま理解するとするならば、とてつもなくロクでもない事態が冷泉の知らないところで行われていた事になる。

戦闘で艦が沈没した場合、通常は艦娘も道連れに海の底へと沈む。運良く艦娘だけ救出できたとしても、常に無傷で艦娘が帰還できるわけではない。敵の砲撃・雷撃・爆撃や艦事態の爆発で手足を失ったり、最悪は頭部のみ回収なんてこともある。全身焼け焦げた状態での回収だってありうる。実際、そういった状態で引き渡しとなったことも何度もあるのだ。そういった前例を見ている内に、五体満足で返さなくても、たとえ生きていなくても問題が無いことが判明したのだ。

 

「一体、それはどういう事なんだ……よ」

呻くように言葉を発する冷泉。

吐き気がする。それは、肉体的に受けたダメージから来るものではなく、語られた事によるショックであった。

 

苦しそうにする冷泉を見、満足そうな笑みを浮かべて佐味が言葉を続ける。

「俺も良くは分からないが、艦娘には、なんか小脳のある辺りに基板のようなものがあるらしいんだな。あいつ等にとっては、それさえあればヒト型の体なんてものは、どうでもいいという結論らしいんだな。それは、もの凄く頑丈なモノで、その基板みたいなものは作られている。その基板は、我々人類の英知を持ってしても、まるで解析不可能だし、分解さえもできない代物なんだ。そもそも傷をつけることさえできないんだからな。人類が仮に、その叡智の中身を少しでも垣間見ることができたなら、人類にとって、想像を絶するような進歩をもたらすだろうと言われているが、どうしようもないものはどうしようもないんだ。だから……人間は艦を失った艦娘を、まずは実験場で性の慰みものとして利用し、……もちろん、これは鎮守府指令官が艦娘の廃棄を決定しなければ無理なんだがな。それでも、何の役に立たない艦娘を鎮守府に置いておいても、鎮守府全体としての所有数は艦1とカウントされる事情があってな。そうなると役立たずの艦娘がいる限り新たな艦は、補充されない。これは、いわゆる定員みたいなものだ。だから、司令官も新しい戦力が必要となるわけだから、廃棄するしかないわけだ。そもそも、十分にその体を味わい尽くし使い込んだ艦娘よりも新しい艦娘を入手したほうが、司令官としても夜が楽しくなるわけだしな。けけけけ、クソ……ホント羨ましいぜ、お前等司令官は。……廃棄となった艦娘は、実験室において生体実験や解剖を行われ、肉塊なるまで十分に研究しつくして後、あいつ等に返される事になるわけだ。そのための研究施設が「牛尾実験場」ってわけだ。もちろん、すぐに解剖するわけじゃねえぞ。嘘か本当か分からないけれど、艦娘の性奴隷先も予約で3年先まで一杯っていう話もあるくらいだからな。政治家や金持ちが好きなように楽しむんだろうなあ。本当に羨ましいぜ。庶民の俺たちには絶対に手に入らない上物……それが艦娘なんだよ! 本当にむかつくんだよ! 俺たちは死ぬほどの努力をして戦っているっていうのに、艦娘という決して手の届かない宝物を遠くから指をくわえて見るしかできないんだぞ。……今まではな! 今は違うぞ。我々の元に艦娘が降臨したのだからな。艦娘が勝手に来たとなれば、……こんなチャンス二度と無いぞこれは! 俺たち全員でまわしちまおう」

瞳を血走らせ、興奮気味に佐味が吠えた。ゴリラたちも歓声を上げる。

 

「ふざけるな! そんなことさせるか。そんな与太話なんて、俺は信じない。唯でさえ過酷な運命を背負わされている艦娘が、更にそんな運命を背負わされるなんてありえない。仮に、もしもそうだというのなら、そんな運命など俺が何もかもぶち壊してやる」

 

叫ぶ冷泉に

「格好つけんな、この糞野郎」

佐味の渾身のパンチが冷泉の腹部を抉る。

吹き飛んで転がりまわる冷泉。血の味が腔内に広がる。

「お前も艦娘の体を堪能したくせに、偉そうにぬかすんじゃねえよ」

 

「くっ……」

冷泉は、呻くだけでどうすることもできない。自分の無力さに絶望するしかない。どうしていつも自分は無力なんだろう。

「た、……頼むお願いだ。彼女には何の関係もないだろう。俺ができることなら何でもする。だから、彼女に手を出すな」

情けなかろうと何であろうと、吹雪に手出しをさせるわけにはいかない。どんなに卑屈になっても構わない。とにかく彼女を救い出したい。

 

「ほっほーん……。ずいぶんと必死だなあ。ならば条件を出してやろうか」

余裕の表情を見せながら佐味が言葉を続けた

「では、永末の事を喋ろ。知っている事全てを言うんだよ」

 

「だから、……俺と永末は繋がっていない。だから、何も知らない」

そう答えるしかなかった。知っているなら答えただろう。けれど本当に知らない。

 

「けっ、役に立たない奴だな。はい、交渉決裂。じゃあ、やっちゃおうか」

 

「知らないものは、答えようがないじゃないか。それ以外ならなんでもする。俺の命だって取ってもかわまん。だから彼女には手を出すな。出さないでくれ」

床に這う状態で必死に上を見上げ、佐味に懇願する冷泉。

 

「……お前は、馬鹿か? お前の命なんて差し出されたって、俺に何の得がある? 何の意味もないじゃないか。こんなに痛めつけられても口を割らないのは賞賛に値するが、ただの馬鹿でしかない。俺たちはプロだ。情報を出さすためのポケットはいくらでもある。そして、いかなる方法でもできるんだからな」

そう言うと顎をしゃくり、ゴリラの部下に吹雪を連れてこさせる。

「さあ、言うんだよ。お願いだから知っている事をみんな話してくださいってな。でないと、みんなの前で犯されてしまうってなあ。さあさあ、吹雪。こいつに泣き叫んで助けを求めるんだよ」

そういって猿ぐつわを取る。

 

「やめろ! 」

必死に叫ぶ冷泉。

「その子は、関係ないだろう。俺なんかのために彼女に酷い事をするな。」

 

「あんお……冷泉提督、どうして見ず知らずの私のために全てを投げだそうとするのですか?」

自分の置かれた状況が理解できていないのか、吹雪にはまるで緊張感が感じられない。それどころか、妙に落ち着いた声で少女は話しかけてきたのだ。

 

「理由なんてないよ。けれど、安心しろ。絶対に俺が助けてやるからな」

 

「ふざけるな」

と、冷たく言い放った佐味がゴリラたちに指示をする。すぐさま冷泉は両脇を抱えられて引き起こされると、何度も何度もゴリラのような兵士の容赦ない暴力に晒されることとなる。

 

「げふ……」

もはやはき出すものさえ無い。冷泉は呻きながらも吹雪に向けて笑顔をみせる。

「かならず、助けてみせるからな」

 

「冷泉提督……あなたの想いは分かりました。それでは、私は任務を実行しますね」

吹雪はニコリと微笑むとそういった。

そして、彼女は軽く手を動かす。鉄が軋むような音がしたと思うと、あっさりと手錠の鎖が引きちぎれた。足に巻かれた太いロープも、彼女はいとも簡単に引き千切る。

「さてと。……冷泉提督はここからお連れしますけど、いいですよね」

冷めた視線で佐味達憲兵隊を見た。

 

「な、なんじゃこれ。お前等ちゃんと手錠かけてたのかよ。ロープも腐ってたんじゃねえのか」

ありえない状態に部下を罵る佐味。動揺を必死に隠して叫ぶ。

「クソ、なめんな糞ガキ。何、勝手な事してるんだよ。お前は俺たちの性処理をする運命なんだぞ、ちょろちょろするな。さっさと四つん這いになればいいんだよ」

 

「こいつ、凄い力なんですが、やばくないです? 」

と、冷静に警戒する部下。

 

「大丈夫だ、安心しろ。こんな化け物でも、艦娘は人間を傷つけることは絶対にできないように調教されているはずなんだよ。これは単なる脅しだ。さっさと捕まえろ」

一瞬恐慌状態に陥りかけた兵士達であったが、艦娘に施された精神的拘束を思いだし、冷静さを取り戻す。

そうだ。艦娘は人間に対して危害を加えることはできないのだ。

 

そして、男達は一応訓練された人間である。冷静になれば、恐れる必要などない。

速やかに行動し、吹雪を包囲した。そして、あっさりと彼女の両手を掴むことに成功する。

 

「なんだ口先だけかよ」

と、ゴリラ兵士の一人が安堵の声を上げる。本当にゴリラのような大きな手で掴んだ吹雪の腕の感触は、折れてしまいそうなほどに細く、か弱いものであることを実感したからだろう。

所詮、ただの少女でしかないということに安堵しているように見えた。

 

「ふふふ。……いいえ」

そう言うと吹雪はにこりと笑い、腕を掴んでいる兵士の腕をそっと掴む。そして、軽く引いたように見えた。

傍目には。

 

「うぎゃあ」

突然の悲鳴。

同時に血しぶきが舞う。

 

何事かと見た兵士達は唖然とせざるを得なかった。

なんと、吹雪の腕を掴んだ男の手が根本から引きちぎれていたのだ。

兵士の腕からは真っ赤な血が噴水のように噴き出す。

引き千切られた腕は、吹雪の手に掴まれていた。まるで重量のないかのように。そして、彼女は面倒くさそうに引き千切った兵士の腕を投げ捨てる。

 

刹那、視界から吹雪が消える。

 

「な! 」

驚きの声が上がった次の瞬間には、彼女は一人の兵士の背後に回り込んでいた。両手をいっぱいに伸ばして男の首に手をかけると、それを簡単にねじ曲げる。ほとんど力を入れていないように見えたのに、屈強な兵士の頭部はあっけなく、そしてありえない角度に折れ曲がる。口から血を吐き出しながら、悲鳴すら上げることなく兵士は床に倒れてしまう。

 

「てめえ! 」

かろうじて恐慌状態になる寸前で踏みとどまった兵士が銃を構える! そして、至近距離から躊躇無く発砲した。

外すはずのない距離だった。しかし、吹雪は瞬間的な移動で、射線から離脱し回避する。そして、すぐさま発砲した男の眼前まで踏み込む。唖然とした兵士と目が合うと、吹雪はニコリと微笑む。そして、股間に向けて蹴りを放った。

鈍い破裂音がして、男が絶叫した。男は股間を真っ赤に染めたまま、泡を吹き出し悶絶する。倒れ込む男の後頭部を吹雪は軽く踏みつけた。ごきりという音を立てると、男は完全に動かなくなる。

 

続けざまに吹雪による攻撃が行われる。

それはもはや戦闘ではなく、虐殺でしかなかった。いかなる抵抗を試みようと、兵士達に勝機は無く、彼等のあらゆる攻撃は全てかわされ、無残な骸を晒すだけとなった。ほんの十数秒の間に、部屋で生存している者は、冷泉と吹雪。そして、佐味だけとなった。

 

佐味は、辺りを見回し、一人だけ生きていることに気づいた。そして、一瞬のうちに形勢が逆転したことで、茫然自失状態となる。

「ありえない! ありえない! 」

そう喚く事しかできない。

 

「さあ、手錠の鍵を出してくれますか」

優しい声色で吹雪が話しかける。

「提督の拘束を解いてあげたいのです。お願いできますね」

 

「た、たすけてくれ」

先程までの余裕は全く無くなり、必死の懇願をする佐味。

 

「ええ、もちろんです。鍵を渡していただけたら、命を奪うようなことはしません。安心してください……ね」

 

「あ、おうおう。こ、これだ、鍵は」

震える手で佐味は鍵を取りだし、彼女へと差し出した。

 

にこりと笑った吹雪は鍵を受け取ると、

「ありがとうございました」

と、佐味に向けてにこりと微笑む。

 

助かった……。佐味は、そう思っただろう。それほど純粋な感謝を込めた笑顔だったからだ。

しかし、次の刹那、もの凄い衝撃が彼の腹部を襲った。衝撃は腹部から背中へと貫くような衝撃だった。

何事かと彼は思い、自分のお腹へと視線を動かす。そして、彼は見てしまった。彼の腹部に吹雪の右腕が肘の部分までめり込んでいる現実を。

 

「あ、……あん? て、てめえ。命は奪わないって」

唖然とした表情で少女を見る。

 

少女は表情を変えないまま、突き入れた腕を引き抜く。瞬間、開いた傷口から、血があふれだして床に落ちていく。それどころか、腹に開いた大きな穴から内臓がはみ出そうとしてきたのだ。

必死になって腹部を両手で押さえる。痛みに耐えきれずに床に倒れ込んでしまう。

「痛い痛い痛い。だ、だれか医者を呼んでくれ。腸がはみ出して来てるうううううう」

 

「提督、驚きましたか。もう大丈夫ですよ」

悲鳴を上げて騒いでいる佐味の存在などそもそも存在していないかのように、吹雪が冷泉のもとにやってきて声を掛けてきた。

 

彼女はあれほどの戦いをしたというのに、息一つ乱れていない。呆然と見つめる冷泉をよそに、彼は手錠を外されて自由となった。

 

「ありがとう……たすかったよ。けど」

驚きの表情で冷泉は辺りを見回す。そこは、もはや血の海。死体の山だった。

 

「あ、……人を殺した私の事、怖いですか」

不思議そうな表情で答える吹雪。

 

「いや、……こんな連中なんてどんな死に方をしようが、なんとも思わない。そうしなければ、君が酷い目にあってただろうからね。所詮、自業自得だ。しかし、艦娘が人に危害を加えるなんてできるんだな」

 

「ああ、これですか? 普通なら絶対に無理な事なんですけれどね。実は、リミッターを解除されているんですよ。提督をお救いするために、三笠さんが拘束を外してくれたんです。今の私には、敵と認識した人間を躊躇無く殺すことができます」

 

「そんなことができるのか」

艦娘に施されたと言われている制約が解除されることがあることを初めて知った。

 

「でも、これは例外中の例外ですよ。こうしなければ間に合わない緊急的措置です」

 

「たしかに、あのままだと俺は消されていただろうな」

自分のことながら、案外冷静に答えてしまう。

 

「それもありますけど、あまり冷泉提督の不在が長すぎると、舞鶴の神通さんが不安がりますからね。そして、きっと彼女が動き出してしまいます」

 

「なんで、神通が? 」

 

「提督はご存じないでしょうね。実は、神通さんは、彼女自身の意思でこの禁忌を解除しちゃいましたから。もし、提督の危機と彼女が知れば、何をさておいても単身ここに来て、ここの人間達を皆殺しにしちゃってたはずですよ。提督の拉致に無関係な人も、きっと巻き添えできっと皆殺しにされてしまったでしょう。神通さんは、提督大好きですから、そんな提督を殺そうとした連中なんて、何の躊躇も無く殺せるんですよ。リミッターなんかでは抑えることはできないと三笠さんは言っていました」

と、あっさりと神通が人殺しの禁忌が解除されていることを吹雪が伝える。

「そういうことが外に漏れてしまうといろいろ不味いので、私が極秘裏に提督をお救いする任務を与えられたわけです」

無茶苦茶な話に呆れてしまう。確かに思い詰めやすい性格の艦娘だとは思っていたけれど、自分のために絶対的拘束と思っていた禁忌をあっさりと解除するなんてできるのだろうか?

 

「さて行きましょうか。すでに三笠さんより本当の憲兵隊に連絡が行っているはずですからね。まもなくこちらにやって来るでしょう」

 

「吹雪、君はどうするんだ? 」

 

「私は軍の施設から脱走してますから、当然、捕らえられることになりますね」

と、あっさりと答える。

 

「え? 何でそんなことになる。捕まったらどうなるんだ? 」

 

「さあ、どうなるんでしょうか。……どちらにしても、私は何人もの人を殺めてしまっていますからね。無罪放免って事は無いでしょうね。それなりの処分は受けることになるでしょう」

 

「なんだと! 何でお前がそんな目に遭わなくちゃいけないんだ。俺を助けるためにやったことだぞ。それに、こんな糞みたいな連中なんて、どうなったって構わないだろう」

当たり前の事のように話す吹雪に、冷泉は愕然とする。何をおかしな事を言っているんだ。何を当たり前のように受け入れようとするんだ。

 

「まあまあ、怒らないでください。これは仕方の無いことです。恐らく、これから酷い目に遭うでしょうけど、別に私は何とも思わないですからご安心ください。たとえ、こんなことをしなくても、どちらにしたって艦を失った艦娘は、用済みとなるのですから。その後の運命は、彼らの説明にあったとおりなのです。結論は何も変わっていません。けれど、何も気にする必要はありません。今の「私」という物体が死ぬだけで、本当の吹雪という艦娘の死とは結びつかないのですから……。これは、ただの一つの肉体の死でしかありませんよ。吹雪という代わりの体はいくらでもありますから。それに、どんなに酷い目に遭っても、その記憶は引き継がれません。痛みや苦しみは、この体だけで完結します。次の私にとっては、まるで関係のない事。余所の世界での出来事でしかありません。だから、どうってことないのです」

肉体には、まるで頓着しないという艦娘の考えが明かされる。

 

「そんなこと、だめだ」

冷泉は、よろめきながら歩み寄り、ぎゅっと吹雪を抱きしめる。

 

「え? 」

 

「そんな目には、遭わさせない。そんなことさせられるか。そんな運命が待っているのが分かっている子を、放置なんてできるかよ。お前の言っている事の意味はよく分からないけれど、……たとえ死んでも生き返る。その時の記憶は無いから問題無いっていっても、痛みや苦しみ、そして恐怖を感じるのは事実なんだぞ。お前自身が受けることになってしまうんだぞ。お前が苦しむんだぞ! そんなの認められるか、絶対に許せるわけない! 俺がなんとかしてみせる。……そうだ、一緒に逃げよう。俺なんかでどうできるかは分からないけれど、何とかしてみせる。とにかく、舞鶴鎮守府の部下に連絡が取れれば、お前を護る事ができるはずなんだから」

 

「えっと、あの、そんなことして提督に何のメリットがあるんですか? 」

本当に不思議そうな表情を艦娘が見せる。

 

「メリット……だと? 人の命を損得で計算するやつなんていない」

 

「けれど、私は、人じゃありませんけれど」

 

「俺にとっては、人間も艦娘も同じだ」

 

「ふふふ……お優しいですね、提督は。まったく、噂通りです。その優しさが、より大きな不幸を呼んでいることにお気づきでないところも、本当に悲しくて辛いです。けれど、とても素敵だと思いますよ、提督。本当に凄いなあって心から思います。舞鶴鎮守府の艦娘のみんなを本当に羨ましく思います。もし、次があるのなら、そして許される事ならば、是非ともあなたの部下になりたいですね」

ニコリと笑う吹雪。

その笑顔に一瞬魂を奪われてしまう冷泉。

 

次の刹那、衝撃を感じたと思うと、意識が遠のいて行く。

 

「待て、吹雪。そんな運命なんて受け入れるな。馬鹿な事をするな」

必死に叫ぶが、まともな言葉にはならない。よろめくようにして倒れ込んでいく。

ダメだダメだ。そんなこと絶対に認められない。俺は俺は! しかし、意識が遠のいていく。

 

「冷泉提督、ありがとうございます。最後にあなたに出会えて、私は幸せでしたよ」

幽かにそんな言葉が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 



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第185話 真実

―――大湊警備府

 

「はあ……。どうして世界はこんなに理不尽で、不幸なのでしょうか? 」

停泊している船の艦橋から一人外を長めながら、思わず山城は愚痴を言ってしまう。

 

分かっている。

自分の言っていることが間違っていることなんて。そんなの言われなくても分かっているのだ。

 

「けれど、……どうしてあんな奴の為に、あんな奴の為に私達が協力しなくてはならないのですか! 」

 

あんな奴……。

それは、舞鶴鎮守府司令官冷泉朝陽の事だ。

何よりも大切な、この世界で最愛の姉である扶桑を見捨てた男。絶対に許せない存在。

山城の中では、冷泉に対する評価はそれで確定している。

 

世間では、永末某という、かつて舞鶴鎮守府に所属していた男と恐らくはその背後にある組織が策略を巡らせて反乱を起こしたとされている事件。あろう事か、姉である戦艦扶桑もその反乱の一端を担う……いや、永末に付き従い、積極的に主たる役目を果たしたと言われている。永末と密通し、舞鶴鎮守府に策謀を巡らせ、艦娘達を分裂させて離反させた。そして、途中で翻意した不知火を自らの手で沈めたとまで言われている。

 

あんなに優しかった扶桑姉様が、そんな大それた事をするなんて信じられなかった。けれど、ありとあらゆるものが姉の反乱の事実を証明していた。兵士の証言、艦娘の証言、そして動画による記録……。言い逃れようのない事実の積み重ねが、姉の有罪を証明していた。

 

それでも、山城は彼女の罪を信じることができなかった。……正確には信じたくなかった。

きっと何か訳があったんだ。きっと扶桑姉様は仕方なく裏切るような真似をするしかなかったんだ。その原因を追い求め、そしてたどり着いた結論が冷泉だったのだ。

 

彼がきっと扶桑姉様を追いつめ、それが為に永末という悪党に取り込まれてしまうような結末を迎えてしまったに違いないと。

 

今、諸悪の根源たる冷泉は司令官としての責任を問われ、身分を一時凍結されて留置されていると聞く。そして、軍法会議での結論が出るまでの間、舞鶴鎮守府の艦娘達をここ大湊警備府の指揮下に置くことになったという……。

 

「何で、冷泉なんかの子飼いの艦娘達の面倒を、見てやらないといけないのですか」

彼女達は、扶桑姉様が苦しみ思い悩んでいた時に何の手も差し伸べず、見捨てた連中でしかない。姉様の悩みや苦しみを知ることの出来る立場にありながら、何もしなかった冷酷で無責任な連中でしかない。そして何よりも憎き冷泉の息がかかった存在。そんな奴らの世話をするなんて、それどころか同じ空気を吸わなければならないなんて。とてもじゃないけれど、耐えられない。自らの奥底にある怒りの感情をコントロールできる自信が無い。

 

艦娘は、仲間。かけがえのない存在。同じ目的の為に戦う存在だ。だから、憎み合うなんて事したくない。

だから、当然のように山城は葛生提督に直訴した。

舞鶴鎮守府の艦娘を受け入れないように。そして、その理由を伝えた。

 

すると、提督は哀れむような瞳で見ながら仰った。

「大切な姉を失った悲しみは分かります。けれど、これは日本国にとっても、大湊警備府にとっても大切な事なのです。だから、私情は捨てなさい」

 

「しかし、私は耐えられそうにありません。姉様を殺した奴の部下と一緒に何て居られる自信がありません」

そう言って提督に迫った山城だったが、すぐに止められてしまう。

 

鎮守府秘書艦陸奥だった。

「山城、それ以上の妄言は止めなさい。あなたの言うことは、何ら根拠も無いことでしょう? これは、提督が決められた事です。そして、大湊としての決定事項です。一艦娘がどうこう言える事ではありません」

言葉以上に彼女の口調は厳しく、そして突き放すようなものに聞こえた。それだけではなく諭すように詰るように、宥めるように説得された。何度か反論を試みるものの、陸奥の論理を覆す程の反証を上げることのできなかった山城は、しぶしぶ引き下がるしかなかった。

 

けれど、納得した訳ではなかった。

陸奥は、自分が私情に流されて話しているだけだといった。しかし、それは彼女も同様だった。いや、彼女の方がより酷かったと感じ取れた。

 

何故なら、舞鶴鎮守府からやってきた艦娘の中には、彼女の姉妹艦である戦艦長門がいたからだ。

長門は戦いで艦は沈没したものの、冷泉提督によって艦娘の部分のみ救い出された。

 

それが何を意味するか……戦艦クラスの艦娘であれば皆が知っている事実だ。艦を失った艦娘には存在価値は無い。鎮守府艦隊から外され、廃棄されることになる。それは、「実験場」と呼ばれる施設に送り込まれ、薄汚い人間によって弄ばれ弄られ解体される運命を意味する。

 

冷泉提督が何を思って長門を助けたかは不明であるものの、長門の立場は今、とても不安定な状態であることは間違いない。大湊に預けられるということは、長門の身もとりあえずは安全ということであり、陸奥としてもそれを維持したいだろう。大切な姉を悲惨な未来から守りたいと思う気持ちは山城にだって分かるからだ。

しかし、だからといってそれを条件に全てから目を逸らすような事があっていいのか? 普段は聡明な秘書艦である陸奥でさえ、身内が人質となればその瞳も曇らせられるのだろう。

 

とにかく、今は耐えるしかない。真実を究明し、証拠を集めるしかないのだ。

 

 

そうこうしているうちに、舞鶴鎮守府の艦隊が大湊警備府を訪れる日が来た。大湊の艦娘達みんなで出迎えをする。

戦いで傷ついた舞鶴艦隊の艦は、すぐにドッグへと曳航されていく。しばらくはドッグはふさがれてしまうため、こちらの出撃や遠征にも影響が出るのは間違いない。

迷惑な話だ。彼女達が協力してくれなくても、大湊警備府の戦力は十分なはずだ。

 

それでも、葛生提督はどこか満足げだ。

自分の麾下に一時的とはいえ舞鶴鎮守府の艦隊が属したからだろうか? 確かに正規空母加賀、戦艦榛名の着任は戦力的にずいぶんと大きいだろう。巡洋艦神通を勇猛で強力だと聞いている。補給艦速吸の存在も大きいんだろうな。

恐らく、提督はずっと先を見据えた行動をしているんだろう。彼女は女性という不利な立場にありながらも鎮守府司令官にまで上り詰める程の人だ。そして、もっともっと上を目指している。きっともっともっといろいろな策略を巡らせているに違いない。

 

大湊警備府と舞鶴鎮守府の艦娘が一堂に会した。歓迎会というにはささやかではあったものの、艦娘達が集まっての夕食会が開かれたのだった。

いくつかのテーブルを囲んで会話が弾んでいる。

 

山城は、陸奥と長門が仲良さそうに話している姿を見て、自分の隣に扶桑がいない喪失感がより大きく感じられ泣きそうになる。けれど必死になってそれを堪えた。泣いたところで何も変わらないのだから。そして、彼女は一人の艦娘の前に歩み寄っていく。

 

「少し、いいでしょうか? 」

 

「はい? 」

巫女服の少女は、驚いた表情で山城を見る。大きな瞳でたじろぐこと無く見返してきた。

 

「榛名さん、教えて下さい」

 

「えっと、……私でお答えできることでしたら、何でも」

不思議そうに小首をかしげる仕草を見せながらも誠実そうな口調で話す榛名。

 

「あなたが、……あなたが最後に姉様と、戦艦扶桑と対峙したんですよね」

 

「はい、そうです」

 

「教えて下さい。扶桑は投降すると言ってきたと聞いています。けれど、どうして最後の最後で心変わりをしてしまったんでしょうか。どうして、傷ついた状況だというのに去っていったのでしょうか? 」

ずっと聞きたかったことを口にする山城。どんな罪を問われようとも、どんな罰が待っていようとも、どんなに屈辱的であったとしても……山城としては扶桑に生きていてほしかった。死ぬなんて選択肢を選んでほしくなかった。だからこそ、せっかく降伏しようとしていたのに、最後の最後で翻意してしまったのかを知りたかった。榛名が知っているかは分からないけれど、最後に扶桑と会っていたのは彼女だ。だから、何らかの手がかりでもあるのではないかと思ったのだ。

 

「どうして扶桑さんがあんな対応をされたのかは、私には解りません。私に言えることは、扶桑さんが突然、砲撃をしてきて、そのまま逃走したという事実だけしかありません。扶桑さんとのお付き合いが短かった私では、扶桑さんが何を考えその結論に至ったのかは想像もできませんでした。すみません、こんな事しかお応えできなくて」

本当に済まなさそうな表情で榛名が答えた。

 

「本当にそれだけですか? 榛名さんは姉様と言葉は交わしたりしなかったんですか? 」

知らず知らず詰問口調となってしまう。

「あなたは提督に、冷泉提督に何か命じられていたんではないですか? 」

 

「え? それはどういうことでしょうか」

 

「そんなの決まっているでしょう? 姉様は降伏を望んでいた。そんな姉様がどうして榛名さんを攻撃なんてするんですか? 何らかの事情がないとそんなことするわけが無いでしょう」

声が大きくなっていたのだろう。多くの視線を感じる。しかし、そんなものどうでも良かった。事実を知らなければならないんだから。

 

「山城! 」

背後から声がした。

振り返るといつの間にか陸奥がやって来ていた。

「あなたは、自分が何を言っているか理解しているの? 」

 

「当然、理解しているわ」

挑むような視線を彼女に向けてしまう。

 

「山城、……あなたが辛い想いをしているのは理解しています。けれど、事実が気にくわないからって自分の望む結末が真実だと思いこんで他人を巻き込むのは止めなさい。それは、あなたにとっても不幸でしかないのだから」

諭すような口調で陸奥が言ってくる。けれど、山城からすれば彼女の言葉など何の意味も持たない。

 

「陸奥、あなたはいいわね。大切な長門が生きているんだもの。……冷泉提督のおかげでね」

 

「山城! 」

声を荒げ、陸奥が一歩歩み寄る。怯まず山城も前に出る。

 

「待って下さい」

と、榛名が割って入る。

「落ち着いて下さい、お二人とも。……山城さん、良く聞いて下さい。私は冷泉提督からは必ず扶桑さんを連れ戻すように言われていました。必ず助けてやってくれと言われていました。しかし、最後の最後で扶桑さんは、去って行かれた。ただそれだけなんです。それ以外何も無かったんです」

訴えかける榛名の表情に瞳に言葉に嘘は感じられなかった。

 

「そ、そうなの。……分かりました。陸奥、ごめんなさい」

山城はそう答えるしか出来なかった。そして、会合は何事もなかったように、その後も続いたのだった。

 

 

深夜。

 

眠れない―――。

艦娘は眠らなくとも問題は無いのだけれど、人間に合わせた生活リズムを作っておく必要があるため、きちんと就寝するようになっている。

けれど、榛名との会話の影響か、眠れずにいた。

 

姉の突然の翻意の理由が分からないままとなってしまった。これは永遠に謎のままなのだろうか。

 

どうして、姉様は死を選んだのですか?

それすら分かってあげられない自分は、妹失格だ。あれほど大切にしてもらっていたのに、いっぱいの思い出ももらったのに、何も返すことができなかった。姉様の気持ちを少しも分かって上げられなかった……。

 

それが辛かった。

 

―――トン、トン、トン。

唐突にドアをノックする音。

今、一体何時だと思っているんだ? こんな時間に訪問者なんて誰だというんだ?

 

提督が男性であれば、こんな事もあるのかもしれないけれど、葛生提督は女性。そういった夜這いめいたものなどあるはずもない。

敵襲ならばサイレンが鳴る。

 

はて?

 

「誰かしら……」

ゆっくりと起きあがり、扉へと向かう。そして、ゆっくりと扉を開く。

 

そこには、巫女服を着た少女が立っていた。

唐突な状況に一瞬たじろぐ。

「……一体、どうしたんですか、榛名さん」

声をかけてみるものの、榛名は答えない。どこかぼんやりとした瞳でこちらを見ている。いや、見ているようで見えていない感じがする。

まるで夢遊病者みたい。

 

「ねえ、榛名さん」

山城は榛名の肩に手をかけた。

「こんな時間に、一体どうしたっていうの」

 

「や、山城さん……一つ言えなかったことがあって……。どうしても、言わなくちゃいけないって思って、こんな時間に来ました」

ぎこちない口調で、詰まりながら榛名が話す。

瞳孔が開ききったような、光を失ったようにさえ見える瞳を見てしまい、背筋が寒くなるのに必死に耐える山城。声が出てこない。

 

「みんながいた場所では、……言えませんでした。けれど、今なら二人きり。言うことができます」

 

「……言えなかった? 一体何を言ってるの」

どこか尋常ではない雰囲気の艦娘にこれ以上付き合うのは良くないと警告が聞こえてくるのを感じる。けれど、今から榛名が語る事はとても大事なんじゃないかという好奇心も起こる。

 

「うふふふ」

突然、榛名が嗤った。それは、昼間の彼女とは真逆のような妖艶なものだった。頬が上気してピンク色になる。

「扶桑さん……。どうして彼女があんな事になったか……山城さんは知りたがっていましたね」

 

「え! あなた、知っているの」

思わず彼女の両肩を掴んでしまう。

 

「降伏するって彼女の連絡を受けた提督。……私は山城さんに言いましたよね。扶桑さんを助けるように」

 

「ええ、そうね。そう言っていたわね」

 

「確かに私は、彼から命じられました。でも、あなたに言ったのは全くの嘘です」

 

「な、何? どういう事なの。ちゃんと言いなさい。冷泉提督は何と言ったの? 何を命じたのよ」

 

「うふふふ。提督は私に命じたんです。……扶桑を殺せと」

一瞬、思考が停止する山城。

 

「必ずあの女を沈めろって冷泉提督は仰ったんです」

とどめを刺すかのように、榛名が言葉を続け、そして嗤った。

 

 

 

 

 



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第186話 すべてを肯定するもの

唐突な騒がしさで、冷泉は目を覚ますこととなる。

 

冷たい床に突っ伏した状態だった冷泉は、乱暴に起こされるのを感じた。正直、あちこちが痛い。そんな事などお構いなしの兵士は、相当に焦った状態で喚き散らしている。ぼんやりとした視界の中、彼の制服が見える。どうやら憲兵隊所属の兵士のようだ。応援の部隊……本来、冷泉を連行するはずの部隊がやっと来たのだろう。

 

「おい、しっかりしろ! 大丈夫か」

その声は、はっきり言って、うるさい。喧しいと叫びたくなるほどだ。しかし、声すら出すのが難しい状態だ。迷惑げに冷泉が反応すると、彼は歓声を上げた。

「うお! 生存者発見です! 」

と。

 

そこでやっと冷泉の思考が現実に戻る。そうだ、自分は拉致されて殺されそうになった所を艦娘に助けられたのだった。あっという間に憲兵は殺されたのだ。

 

しかし―――。

 

あれは、本当に起こった事なのか? 夢じゃないのか? 夢であればいいのに……。思い出してみるが、自分の身に起こった事に現実感はないのだから。あれはきっと夢に違い無い。連行される車の中で冷泉は思い込もうとする。

それは願望でもあった。一人の艦娘の悲しい結末が現実になって欲しくない思いが、まずはじめにあったのだ。護れるものなら護りたい。けれど、自分にそんな力はない。だからこそ、目を逸らそうとしてしまう。

 

分かっている。自分の体に刻まれた傷を見れば、あれが現実であったことを思い知らされる。逃れられない現実。否定できない運命を。

 

包帯でぐるぐる巻きにされた両手を見て、ため息をついてしまう。これが明らかな証拠。憲兵隊から受けた拷問の傷跡だ。

 

右指3本、左指2本が骨折している。のこりの指も折れていないというだけの状態。それどころか両手の爪も乱暴に剥がされてしまっていた。顔の具合は鏡を見ていないからよく分からないけれど、だいぶ殴られたりしたから、見ない方が良いとも言われている。もっとも、包帯をぐるぐる巻きにされているから見てもわからないのだけれど。体のあちこちも少し動かすだけで痛みが走る。応急処置だけをなされ、鎮痛剤を打って貰っているからまだこの痛みで収まっているけれど、麻酔が切れたらどうなるのか……。

 

冷泉が意識を取り戻した時には、既に吹雪の姿は無かった。

 

部屋は血で赤黒く染まり、血だまりの中に殺された兵士達が転がっている状態。連絡を受けてやって来た、本来の憲兵隊達が吐き気に耐えながら現況写真を収めたり、死体を袋に詰めたりしているのをぼんやりと見ているだけだった。

冷泉は彼等の中で一番偉そうな男に、ここには死体だけしか無かったかと問うと、すでにこの事件の犯人は確保され連行されていると言うだけだった。それ以上の事を聞いたが何も答えなかった。誰が犯人であるか教える気は無いようだった。

 

駆逐艦吹雪……。

いきなり現れて、冷泉の危機を救ってくれた少女。それが終われば彼女は本来の運命に戻ると言った。絶望しかない未来を受け入れていた。それが信じられず、そして、救いたいという気持ちだけが冷泉の中にある。

理不尽な運命など、ぶっ壊してやりたかった。なのに何もできない自分の現在の置かれた状況が絶望的に辛かった。

何度か憲兵達に吹雪の事を話し、すぐに彼女を解放するように上に掛け合え! お前達にできないのであれば、俺をそこに連れて行けと命じたが、彼等に聞き入れるような耳は無かった。

艦娘の運命は、すでに決まっている事。それを覆す理由も無いし、権限もない。艦娘の処置については、いかなる事を行おうとも一線さえ越えなければ、艦娘勢力との関係に影響を与えるものではない。向こうも艦娘の処遇を把握していながら、何も言わない。暗黙の了解を得られているということなのだ。故に、これを覆すことなど不可能。たとえ、冷泉が鎮守府指令官の立場にあった時でさえ、認められないであろうとのことだった。

 

冷泉は、その愚かさ身勝手さに、こみ上げてくる怒りのぶつけ先が見つけられずに呻くしかできなかった。本当に腹立たしい。何もかもが許せない。何もできない自分がもっと許せなかった。

憲兵達を力ずくでねじ伏せることなどできるはずもなく、それどころか自身の力だけで歩くことさえ難しいのだから。そもそも、吹雪が連れ去られた場所さえ分からないのに、どうしろというのか。

 

結局、大人しく彼等に従うしかないのだ。そして、訪れるかどうかさえ分からないチャンスを待つしかない……。

 

搬送される車の中で、冷泉は行き先を知らされる。

応急処置をしたものの、冷泉の怪我の状況が酷いため、まずは病院に連れて行き精密検査を行うことになっている。恐らくは治療のため入院になるだろうとのことだ。軍法会議にかけられるのは、しばらくは無いらしい。実際、こんなぼろぼろの状態の冷泉を軍法会議にかけた場合、その状況がまずは論点となる可能性が高い。鎮守府指令官であった立場の人間が、あきらかに拷問を受けたような状態で連れ出されたとしたら、憲兵隊の倫理観が先に問われ、きちんとした審議がなされない恐れが高いという判断なのだろう。軍法会議は密室ではない。開かれた場において行われる。しかも、被告が鎮守府指令官である。適当に誤魔化すことなど不可能で、充分な審議を尽くされるのだ。よって、とりあえずは冷泉の傷が完治するまでは、人前に出す事は難しいだろう。拷問を受けて、嘘の自供をさせられたと判断されてしまったら、有罪を勝ち取るのはかなり大変になるのだから。

 

理由はそれだけではない。彼等の会話内容を聞くだけで、ある程度の想像ができてしまう。冷泉という被疑者が側にいるというのに、機密性の高い内容を話してしまうというだけで憲兵隊の兵士が混乱して動揺していることが分かってしまう。

 

彼等の組織内部において、実際のところ、もっと大きな問題が発生してしまったのだから。まずは、こんな事が発生したことの原因究明が最大の問題だろう。

なにせ、鉄の結束を誇っていた憲兵隊という組織の中に、全く別の指示系統で動く勢力が存在し、憲兵隊の意思を無視した行動をとったということだ。

 

一応、その実働部隊は抹殺されたわけであるが、それはそれでまた大きな問題である。皆殺しにされたという事実をどう扱うかも、大きな懸案事項であるらしい。

任務中の死亡案件にしてはあまりに犠牲者が多すぎて、殺され方も異常だ。殺された連中が組織の意思に反して行動していたことがもっと問題である。憲兵隊という組織の中で、どう落としどころを探すかで紛糾しており、時間がかかりそうだ。

 

まあそんなことは連中で考えればいいことであり、冷泉にとってはどうでもいいことなのだ。

 

冷泉に対し、憲兵隊による冷泉に対する拷問と突然現れた艦娘による憲兵隊隊員の虐殺についての尋問が行われた。彼等に取っては、冷泉が国家を裏切ったという事よりも、自分たちの組織の不祥事の原因究明が優先されているようだ。そんな指示が来ているのだろう。

 

精密検査を終えた冷泉は、病室に放り込まれる。一応、普通の個室ではあるが、天井にはカメラが設置されていて、どうやら24時間体制で監視下に置かれるようだ。

 

一応の自由は確保されているものの、やはりこの状態は精神的にきつい。監視下という状態も負荷がかかるが、それ以上に両手が使えないから生活に支障が出てしまう。

また冷泉には介護が必要になっているのだ。こんな状態では、風呂もトイレも一人ではどうにもならないのだから……。

 

正直、辛い。

 

舞鶴鎮守府との連絡は、当然ながら認められない。今回の事件を受けて、いろいろと確認したいができない有様。当然と言えば当然である。吹雪がどうなったかさえ教えてもらえないのだから。

そもそもここがどこかさえ分からないのだからな。

 

部屋で悶々としていると、唐突に変化が生じることとなる。

兵士に連れられて一人の来客があったのだ。

 

兵士達の表情には困惑と怒りの混ざり合ったもので、どちらかというと困惑、そして何か理不尽なものに対するぶつけどころのない怒りがあるように見えた。

彼等が連れてきたのは、なんと一人の艦娘だった。

 

正装姿にかなり短い丈のプリーツスカート。銀色の髪をツインテール。

練習巡洋艦鹿島。

 

艦娘の中でも特に人気があった艦娘の登場に冷泉は驚く。そもそも何の用事があってここにきたのか。吹雪のように何か目的を持ってここに来たというのか? それが彼女の命を縮めるようなことになるというのなら、絶対に阻止しなければならない。

 

 

「さて、あなたたちはもう良いですよ。ここは私と冷泉提督の二人っきりにしてもらえないでしょうか? 」

 

「しかし、彼は被疑者です。たとえ艦娘といえども二人きりというのは……」

 

「私は、艦娘側を代表してここに来ています。これは、私達艦娘全体の意思として受け取っていただいて結構です。私の決定については、日本国政府も承認しているということをもうお忘れなのですか? つまり、日本政府は私達の決定に対して、異を唱えると理解してよろしいでしょうか」

唐突に凍り付くような言葉使いで艦娘が言う。

 

「いえ、そ、そんなつもりは」

慌てふためいて兵士がしどろもどろになる。愛想笑いを浮かべるが、その笑みは引きつっている。

 

「ならば、さっさと出て行ってくれませんか? 」

言葉そのものは柔らかいが、有無を言わせぬ雰囲気がある。

 

「は! すみませんでした」

兵士達は大慌てで部屋を出て行った。

その様子を冷泉は困惑した気持ちで見つめている。

 

「さて、冷泉提督どうされましたか? 」

 

「いや、君は……」

 

「ああ、御挨拶が遅れてすみません。私は、第二帝都東京より、戦艦三笠の指示により参りました練習艦鹿島と申します。よろしくお願いします」

ゲーム世界では知っていたが、この世界では知らない同士だな……。

 

「君は何のためにここに来たんだ? 艦娘がこんな場所に一人で来るなんてどんな理由があるんだ? まさか、とんでもない命令を受けてきているんじゃないのか? 」

焦ったような口調で問い詰める。

 

「冷泉提督、どうされたんですか? 何かに怯えたように見えますけれど。……ずいぶんと酷い目に遭われたみたいですね。お可哀想に」

 

「お、俺のことなんてどうでもいい。艦娘の君がこんなところにいちゃいけない。今すぐここから立ち去るんだ。俺に関わったりしちゃいけない」

 

そんな事を言う冷泉に不思議そうな顔をする鹿島。

「一体、何があったというんですか? 」

 

「君は、知らないのか。俺は、ある艦娘に助けられて、ここに連行されてきた。本当なら殺されていたかもしれない状況から、彼女は救ってくれたんだ。……吹雪は。けれど、彼女はその事で処分されると言っていた。実験場に連れて行かれて酷い目にあうだろうと言っていた。なのに、当たり前の事のように彼女はその運命を受入れ、何も恐れていないようだった。……あれは本当にあった事だったんだろうか? 夢じゃなかったのかってさえ思う。そうであってくれればどれほど嬉しいか。できるならば、そう信じたい。……けれど、俺はあそこから救い出され、そして、今ここにいる。ならば、吹雪の運命は決定的だ。……彼女は、俺を救うのが与えられた使命だと言っていた。ならば、俺を助けたがために、酷い目に遭うって事じゃないのか? それを受け入れるというのか? ありえない、そんなの許してはいけない。そんな運命など認めちゃいけないんだ」

冷泉は混乱を来したかのように捲し立てる。何が何だか分からず、それでも現状を必死に把握しようとし、把握しきれずに喚き散らすしかできないのだ。

 

刹那、冷泉は抱きしめられた。

 

視界が閉ざされる。何か柔らかいものが視界を覆い尽くした。それは何故か温かく、安らぎを感じさせる。背中を、頭を優しく撫でられるのを感じる。

「よく耐えましたね、……冷泉提督。ずっとずっと、辛い思い思いん耐えてきたんですね。本当に辛かったんですね。もう大丈夫ですよ」

その声はとても優しく、温かかった。傷つきささくれ立った心に優しく包み込むようだった。

「大丈夫ですよ、提督。あなたはこれ以上、何も苦しまなくていいんです。その全ての苦しみは、きっときっと皆に届きます。あなたの優しさはきっと届きます。……吹雪さんも、あなたの優しさに触れることができて幸せだったと思います」

 

「けれど、俺は何ひとつできなかった……」

冷泉は、瞳から涙があふれ出すのを感じた。鹿島に優しく抱きしめられ包み込まれている状況はとても心地よく、穏やかな気持ちになっていくのだ。

「俺はいつも何もできないんだ」

と、そんな弱気な言葉が出てしまう。ついつい自分の感情を素直に出してしまう……そんな雰囲気を醸し出されてしまう。

 

「そんなことはありません。冷泉提督は、いつもいつも艦娘達の事を思われています。その気持ちは、艦娘達みんなに伝わっています。だから、そんなに自分を責めちゃいけません」

 

「けれど、俺のせいで扶桑が、そして不知火を死なせてしまった。さらには吹雪までが……俺の行動が扶桑達を惑わせ敵に付け入る隙を与えてしまった。そのために不知火が……。そして何の関係もない吹雪までが。俺がもっとしっかりしていたならば、もっと先の先まで見通せる力があったなら、あんなことにならなかったんだ。そして、今後も俺のために不幸な未来を迎える艦娘が出てくるかも知れない。俺はどうしたらいいんだ? 俺がこのまま鎮守府に留まっていても、艦娘の為にはならないんじゃないのか? 俺は、俺は」

知らぬ間に声は大きくなり、動揺は涙を誘い、いつしか嗚咽混じりとなっていた。

 

「そんな事はありません。提督は何一つ間違っていません。あなたは常に正しい選択をしてきていたのです。扶桑さん達の事はとても悲しい事ですが、あれは逃れられぬ運命だったのです。しかし、その中でもあなたは必死になって彼女達を護ろうとしました。そのことはあなたが一番知っていることでしょう? 全てに悲観し、自分ばかり責めるのは止めてください。あなたは常に正しいことをしています。あなただからこそ、……あなたがみんなのことを思って必死になって行動したからこそ、この悲劇で済んでいるのですよ。他の者があなたの立場だとしたら、もっともっと不幸な未来が展開していたはずです。冷泉提督……あなたがいたからこそ、……あえて言いますが、舞鶴鎮守府は、あの程度の被害で済んだのです。あなたがいたからこそ、あなただったからこそ、最小限の犠牲で済ませることができたのです。もっともっと自分のがんばりに目を向けてください。あなたは決して間違っていません。あなたは、正しいのですから」

泣きじゃくる冷泉は、背中を優しく撫でられる。鹿島の言葉はとても優しくて温かい。絶望に打ちひしがれ、未来に展望を持てない冷泉にとって、どれほどありがたかったか。

彼女は、全てにおいて優しく、冷泉の全てを肯定してくれる。冷泉はまるで子供のように、聖母のような鹿島に甘えるのだった。彼女の胸の中に抱かれ、その暖かさに包まれて、安らぎを感じるのだった。

 

「提督は、とてもお疲れなのです。ずっとがんばり続けたんですからね。だから、少し休んではどうでしょう? 大丈夫、私がずっとあなたの側にいてあげます。私があなたを守ってあげますから」

そう言って、鹿島は冷泉を強く抱きしめる。

 

「し、しかし……」

そこで冷泉は、吹雪の事に思いをはせる。彼女は捕らえられ、どこかに連れ去られたのだ。

「いや、そういうわけにはいかない。こうしている間にも吹雪がどういう目に遭わされているかわからないんだ。彼女を助け出さないと」

 

「無理をしないで。今の提督に何ができるというのですか? あなたは囚われの身なんです。仮に憲兵隊の人達に何かを言ったところで聞いてもらえるものでも無い事は、提督にもおわかりでしょう? 吹雪さんの事は憲兵隊にとっても管轄外の事。他の組織に対してどうこういえる立場にありません」

 

「だがしかし……」

 

「できないことをどうにかしようと足掻いても、人の手が届く範囲は限られています。どうすることもできない事が世界には、いくらでもあります。それはたとえ、提督であっても同じです」

 

「けれど……けれど」

 

「提督、あなたにはやらなくてはならないことがあります。あなたにしかできないことがあります。今、提督が何かをしようとしても、囚われの身のあなたには、どうすることもできません」

 

「しかし」

そう言って冷泉は顔を上げ、鹿島を見る。

「俺はこんなところでモタモタしているわけにはいかないんだ。何としても吹雪を救い出すんだ」

 

「偉そうな事を言ってすみません。けれど、教えて下さい。提督、……あなたは、どうやって吹雪さんを助けるんですか? 何か手立てはあるのでしょうか? それに、提督の仰る実験場は、どこにあるのかご存じなんですか。どうやって行こうとしているんですか? 仮に行けたとして、その後どうするんですか? 吹雪さんを助ける事ができたとして、その後、吹雪さんをどうするおつもりなんですか? 今のあなたは、何の権限もない唯の一兵卒なのではないですか? 」

 

「そ、それは」

答える事などできるはずもなかった。矢継ぎ早の質問に何一つ回答できない。反論できない。

舞鶴鎮守府司令官の役職から更迭され、憲兵隊に拘束された男に何の権限があるというのか。体だってボロボロだ。まともに歩くこともできない。そんな体でどうやって吹雪の元へと行き、彼女を助け出すというのか。そんなの無理だって冷泉も分かっている。分かっているがやめる訳にはいかない。たとえ、行き当たりばったりの愚かな考えだろうとも、譲れない物があるのだから。

「けれど、けれど、けれど」

そうはいっても、少女を説得する言葉を続けることができない。自分の無力さに目頭が熱くなり、全身に震えが生じる。

 

再び強く抱きしめられる冷泉。

「大丈夫……大丈夫です。私があなたの側にいる限り、憲兵隊のみなさんも手出しはできません。今すぐは無理でしょうけれど、きっとあなたをこの状況からお救いします。だから、私を信じてください。私にすべてをゆだねてください。そうすればきっときっと、良い方向に流れが変わるはずです。あなたが今、失おうとしているもの全てをきっと取り戻してみせますから。その時に力を発揮できるよう、今は耐えてください」

そう言うと鹿島は冷泉の頭をゆっくりと撫でてくれる。柔らかい彼女の感触、うっとりするような香りが漂って来て穏やかな気持ちにさせる。

意識が遠のいていくのを感じる。穏やかで安らかで気持ちがいい。このままずっとそうしていたい……。

「提督……。あなたは私がお守りします。だから、少しだけ少しだけで構いませんから、お休みください。……そして、あなたが力を発揮しなければならなくなる時の為に、今は力を蓄えてください。大丈夫、大丈夫。きっと何もかも上手くいきます。あなたは何も心配しなくて大丈夫。その身を私にゆだねてください。大丈夫です……」

ささやくような鹿島の声を聞いているうちに、冷泉は体が軽くなるのを感じる。全身に感じていた痛みがゆっくりと消えていく。それに変わって安らかで穏やかな気持ちが全身を包み込んでいくような感じだ。柔らかいタオルで全身を包まれるような感覚が近い。

眠くなってくる。そして、その眠気に抗う気持ちなどどんどんと失せていく。こうして安らかな気持ちになるのは久しぶりだ。

背中を優しく撫でられる。そのたびに心の底にある澱のようなものが消えていくような感覚を感じる。体が中に浮くような感覚すらある。

そして、艦娘の鹿島の温もりを感じながら、冷泉は深い深い眠りの中へと落ちていくのだ。

 

「大丈夫ですよ、提督さん。私がずっと側にいます。今は何も気にせずに、私に甘えて下さい。そして、ほんの少しでも構いません。お休みください、提督さん」

遠い遠い彼方から、鹿島の声を聞きながら―――。

 

 

 



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第187話 想い

鹿島が現れてからは、状況がまるで変わってしまった―――。

 

憲兵達の態度がまさにその最たるものだった。

さすがに取り調べをしないなんてことにはならなかったけれど、実に紳士的に冷泉に対応することになった。冷泉を捕らえた憲兵のような、人を人と思わないサディスト野郎は、一人もいなかった。暴力を振るうことなど全く無く、それどころか取調中に声を荒げることさえなかった。

 

事実確認を淡々と進めるだけで、これでは冷泉がしらを切り通せば終わってしまうのでないか? と思うほどの拍子抜けするようなものに変わってしまっていた。もっとも、それについては、艦娘鹿島の影響が大きいのだと思う。彼女は、案娘という圧倒的な組織の力を最大限に利用して、憲兵隊と交渉したようだ。それは、交渉というよりは脅迫に近かったけれど……。横で聞いていたわけではあるけれど、あんなに可愛いのに言う事は、かなりシビアな要求ばかりなのだから。

 

取り調べ自体も連続では90分以上は行わず、必ず15分以上の休憩を挟む。朝は10時から12時まで。午後は13時から15時まで。夜は一切干渉せず、食事についても憲兵達が食べるものと同じ物を、毎日入浴をさせること、睡眠は7時間は取らせること、嗜好品の要求があれば可能な限り応じること、さらには常に医師を常駐させる事などを認めさせた。居住場所も牢屋のような部屋ではなく、高級ではないもののきちんとしたホテルの一室……もちろん個室だ、へと引っ越しとなった。

 

憲兵隊の兵士達がプルプル震えて怒りを抑えているというのに、涼しい表情で彼等に誠意のこもったお礼を言っているのだから、本当に凄い子だ。

 

兵士達は、一時も鹿島から目を離そうとしない。

それは、美しく可憐な艦娘に好色な視線を向けているという類いものではない。どちらかといえば目を逸らしたら何をされるか分からない恐怖で警戒しているのだった。まるで猛獣と同室にいるかのような緊張感だ。彼女が少し動くだけで、びくりとしているのが分かる。決して彼女に背中を向けるような真似はしないのだ。

 

彼女のおかげで、冷泉は鎮守府での生活や前の世界での生活とは比べられないほどの緩やかな時間を得ることができた。

置かれた状況は何一つ変わっていないものの、穏やかな時間が流れる事で、心が僅かではあるけれど軽くなるのを感じていた。久しぶりに読書なんてものもできる余裕ができたのだから。

 

医師チームがやって来て、負傷した冷泉の治療を懸命に行ってくれている。そのお陰で、冷泉の怪我は驚くほどの速度で回復していく。医師達も衝撃を受けるほどの治癒力を見せることとなった。

拷問により骨が何本も折られ、まるでグローブのように腫れていた両手も完全に腫れは引き、今では普通に動かせることができるようになった。腫れ上がって傷だらけだった体のあちこちも、どこが怪我をしていたかわからないくらいにまで治っている。剥がされた爪も何事も無かったように普通に生えてきた。。ザクロのように無残に腫れ上がっていた顔も、傷一つ無い回復をしている。殴られた時に折れた歯や抜かれたはずの歯も元に戻っている。

 

これは、回復なんて言うレベルでは無く、奇跡に近い治癒である。もはや人間というカテゴリーから外れてしまっているのではないかと思われるくらいに。

確かに、この世界に来てから、確かに異常なほどの回復力を持っているなと思っていたが、それがさらに強力になっているように思える。三笠に施術されたことも影響しているのかもしれないけれど。

 

これについては、鹿島も驚いていた。

「提督さん、凄いです。あんなに酷い怪我をしていたのに、こんなに綺麗に治っちゃって……」

そうそう、いつの間にか彼女は冷泉のことを「提督さん」と呼ぶようになっている。距離感も出会った当所よりもずいぶんと近いものになっている。

 

「それに……」

何故か恥ずかしそうに言葉を詰まらす。

 

「ん? どうかしたの」

と問うと、

「初めてお会いした時は、提督さんのお顔は、おっきなタコ焼きみたいにぱんぱんに腫れていたんですけど、今は腫れも引いて本来のお顔に戻ってるんですよね。すごく……今の提督さんのお顔、すごく素敵で……格好いいと思います」

と、はにかみながら答える。

 

ははは―――。

 

お世辞か何かのつもりなのだろうけれど、鹿島のような可愛い女の子に面と向かって真顔で言われると、照れてしまうけれど、とても嬉しい。タコ焼きの件は聞かなかった事にする。

なんて言っていいかよく分からないから、

「鹿島は、お世辞がうまいなあ」

とだけ返すしかできない。

 

「えー、そんなつもりじゃないです。本当の事ですよ」

そう言って笑うと、彼女はじゃれるようにして体をくっつけてくる。……まるでネコみたいだ。髪の毛が頬をくすぐり、何だか良い香りが漂ってきて……恐らくにやけている自分を感じる。

 

「ごほんごほん」

わざとらしい咳払いが聞こえる。

そうそう、憲兵が取り調べのために呼びに来ていたのだ。

「冷泉提督、そろそろよろしいでしょうか」

 

「ああ、すまないね。もうこんな時間か……」

取り調べが始まる訳で、鹿島は取り調べには同席しない。さすがにそこまでは憲兵隊としても認められないのだろう。ただし、もし暴力的取り調べが行われた場合は、艦娘としてそれ相応の対応をすることになるので注意してくださいね……と釘を刺すのも忘れない艦娘である。

 

冷泉の推測でしかないけれど、冷泉を助けた吹雪の力を見た憲兵隊は、一つ間違えたら明日は我が身という恐れが潜在意識に染み込まされているのだろう。

艦娘という圧倒的な力を持つ勢力による憲兵隊への圧力というものが本当は恐ろしいのだけれど、現実には、すぐ目の前にいる艦娘の暴走という恐怖の方が、現場の彼等にとっては驚異なのだろう。彼らは惨状を見ているのだから。誰しも、あんなに無残に殺されたくない。

なので、あっという間に形式的な取り調べが終わるのであった。

 

しかし、取り調べばかりうけている場合ではない。冷泉にとっては、それは目的ではない。居たくもないのに連れてこられているだけなのだから。さっさと軍法会議を終わらせ、自らの無実を軍に認めさせ、少しでも早く舞鶴に帰らないといけないのだ。

そのことは取調中もしつこいくらいに伝えている。けれど、軍法会議の日程は末端の兵士では決められるわけでもなく、そして、冷泉を排除したがる勢力とそれに反対する勢力? との綱引きのせいか、なかなか決まらないでいるらしい。

鹿島からその話を聞いて、艦娘サイドからも軍法会議を早めるようにできないか聞いてもらえないかとお願いをしてみた。けれど彼女は「そうですねえ」と何故か歯切れの悪い返事を繰り返すだけで、動いてくれるようには見えない。

人間には極力干渉はしないという、基本ルールが彼女達にはあるらしい。それをしてしまえば物事は簡単かもしれないけれど、歯止めが効かなくなることを警戒しているのだそうだ。艦娘は人間を支配する存在ではなく、共存していく関係なのだからだそうだ。支配は反感を呼び、新たな戦いの火種となる。人類を救おうとして人類と戦争になったら、何の為にこれまでやってきたか分からなくなる。

そうは言いながら、冷泉の件については思い切り干渉してきているのだけれど。それを鹿島に聞いたら「それはそれ、これはこれ」ということらしい。

 

「提督さんは、いつも一生懸命がんばってます。なのにその努力が認められていません。それどころか、批判を受けてこんな場所に囚われてしまっています。こんな事って理不尽ですし、酷いと思います。本当にがんばっている人が認められないなんて信じられないです。私達は世界のバランスを保つ役割も持ってるんです。だから、提督さんに肩入れするのも当然の事であって、権利であって義務なんです。提督さんはみんなに嫉妬されて、足を引っ張られているんです。影で批判して邪魔をするなんて卑怯です。だからだから、私達は少しでも提督さんのお役に立ちたいわけなんです。私なんかでは大したお役には立てないかもしれませんけれど、一生懸命応援しますから負けないでください」

 

「そ……そうか。ありがとう」

一途な瞳で見つめられたら、ぐっとくるものがある。これほど全肯定されてしまうと、とても元気が出てくるわけで。もっともっと言葉を尽くして彼女に感謝したいけれど、ボキャブラリーが絶望的に不足している。ただ、応援されて嬉しくないわけはない。こんな先の見えない状況下であろうとも、腐らずがんばろうって思えてしまう。

そうなのだ。とにかく、今は何としてもこの状況から抜け出し、合法的に舞鶴鎮守府に戻らなければならない。諦めたり絶望していたりする場合ではない。

 

「でも、提督さん」

声のする方を見ると、ごくごく近くに鹿島の顔があって驚いてしまう。彼女は冷泉を見上げるような状態で話しかけてくる。ちょっと近すぎでドギマギしてしまう。距離を取ろうとするが、それに併せるように体をくっつけるようにして彼女も動く。壁まで追い詰められて、冷泉は逃れるのを諦める。

鹿島はニコリと微笑み、そして、少し真面目そうな表情になる。

「焦ったら駄目ですよ。今の状況は提督さんには我慢できないかもしれないですけど、一時の感情に囚われちゃ駄目です。ここで憲兵さんたちと喧嘩したって、何の徳にもならないですからね」

念を押すかのように、鹿島が言う。

かつてこれまで、何度、無意味に感情のままに短気を起こして問題を悪化させた事だろう。鹿島の言葉はそれを指しているのがすぐに理解できた。

短気は損気。よく言ったものだとそのたび事に反省してはいたけれど、どうしても我慢できないことが多すぎた。そして、さらに大きな問題に巻き込まれ、結局、損をしているのだった。

 

「提督さんがいつも正しいのは、色々聞いていて私だって知っています。提督さんが怒るのは当然ですもの。みんなぶっ飛ばされたって問題ないです。だって、あの人達のほうが絶対に悪いんですもの。私が提督さんの側に居たら、先に手を出していたかもです」

本気で何かに怒ったような顔をする鹿島。

 

「君まで怒ってくれるのか」

どこまでも本気か分からないけれど、自分の気持ちを理解してくれる……理解してくれようとしている人がいることは嬉しい。

 

「当然ですよ。舞鶴の艦娘たちは、みんな幸せだと思います。冗談抜きで、うらやましいです。こんなに艦娘の事を思ってくれる司令官の下で働けるんですから。こんなにすばらしい人と一緒に働けるんですから」

腕をぐいと組んで体を密着してくる鹿島。無意識の行動だと分かっているのに鼓動が高まる。

鹿島は再び真剣な顔になって冷泉を見つめる。

「提督さん、舞鶴鎮守府に戻りたいですか? 」

 

「もちろんだよ」

 

「あんなに酷い目に遭ったのに、あんなに辛い思いばかりしか無かったのに、帰りたいのですか? 」

何かを再確認するかのような問いかけだ。

 

「ああ。確かに酷い目に遭ったよなあ。何度も死にかけにもなったし、軍部の連中に精神的にもネチネチと責められて嫌がらせをされた。そして、多くの仲間を、大切なモノ失った。大切なモノを手放さなければならなかった。何よりも、大切なモノを守ってやれなかった……。思い出せば辛い事ばかり……。自分の無力さを思い知らされて、後悔ばかりだ……な」

異世界よりこの世界にやって来てから僅かな時間ではあったのにあまりにも多くの事が起こった。そして、後悔ばかりが残る時間だった。

「だけど、ここで投げ出すことなんて、できないんだよな。逃げ出すのは簡単だ。けれど、できない。……いや、したくない。俺のせいで犠牲になった人達にこのままじゃ顔向けできないしな。……この先、どんなに辛い事があったって……これまで以上に辛い事悲しい事どうしようもできない事がたくさんあるかもしれない。いや、恐らくあるんだろう。だけど、まだ俺を信じて待っていてくれる仲間がいるんだ。こんなつまらない、何の能力も経験も無い奴を司令官として認めて待ってくれている人達が。彼等は俺にチャンスを与えてくれている。もう一度やり直すチャンスを。だから、俺が先に諦める訳にはいかない。辛くて悲しくて嫌で仕方無くても、逃げ出したいよ。けれど、それ以上にみんなを守りたいんだ。まだ俺にはそれができると信じているから。信じてくれている者がいてくれるから」

偽らざる想いだった。この想いが叶うかどうかわからない。強い思いがあったところで、全てが上手くいくかは分からない。けれど、何かを為す前から諦める事はできない。いや、したくない。

「諦めるのは、本当に簡単なんだよね。諦める事は、いつでもできる。……けれど、今はその時じゃない。何かを為す前から結果を想像して、無理だって諦めるなんて事、もうしたくない。やる前から無理な事なんて、無いんだ。その判断を下すのは、今の自分じゃない。何かをやりとげた自分じゃなきゃ、結果は分からないんだから。昔の俺なら言えない言葉だったけど、今なら言える。心から言えるんだ」

 

経験に基づいた自信なんてものは、今の冷泉には無い。

自分一人なら、きっと諦めていただろう。昔の自分のように。

けれど、今は違う。自分を信じてくれる者がいる。自分を頼ってくれる者がいる。自分に期待してくれる者がいる。がんばれと励まし応援してくれる者がいるんだから。

だから、簡単には諦めない。諦められない。

 

「さすがです! 」

いきなり鹿島に抱きつかれる。そして、彼女は顔をスリスリと擦りつけてくる。

「さすが、提督さんですね! 」

どういうわけか、興奮気味に話す。

「きっと提督さんなら、そう仰ると思っていました。素敵です。……はい、私、決めました! こんな私ですけれど、提督さんの為にできる限りのことはしますね。大丈夫、この状況はきっと解決するはずです。私なんかにどこまでできるかは分かりませんけれど、がんばります。ですから、提督さんも遠慮しないで何でも言ってくださいね」

 

「お、……おう」

鹿島の柔らかい感触を感じながら、なんとかそう言うのが精一杯の冷泉だった。

 

彼女から真っ直ぐな好意を向けられる。彼女は、冷泉の良いところも悪いところもすべてを肯定してくれる。それは、これまで感じたことのない感覚で、とても温かく心地よく……安らぎさえも感じる。

 

こんなところで、こんなことを考えている場合では無いのだけれど……それでも少しくらいなら、もう少しくらいならこの心地よさを感じていたって良いだろう? 

 

冷泉は、誰に言うでもなく、言い訳をするのだった。

 



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第188話 二人の会話

事務的な取り調べが淡々と続いている。ただし、取り調べ時間については軍と艦娘の取り決めにより決められているため、遅々として進まないといった印象だ。基本的に質問リストを取調官が読み上げ、それに対して答弁する形となる。

当然ながら可視化した取り調べということで、録画されることになる。翌日は取り調べ内容を文字起こしをした文章を確認し、署名する手続きを経てから、新たな取り調べとなる。こんな事を繰り返していたら、そりゃ進まないわなと思う。けれどそれが仕事なのだから、仕方無いのだろう。

 

しかし、冷泉にとっては、さっさと取り調べを終わらせ、軍法会議での無実の結審を経て舞鶴鎮守府に戻らなければならない。軍法会議を巧く乗り切れるかどうかは大きな問題だけれど、ここで取り調べばかり受けていては先に進めないのだ。

……焦りが無いといえば嘘になる。結果はともかく、今のままでは拉致されているのと何ら変わりは無い。こんなところで時間だけを浪費している間に、部下達がどうなっているのかが気がかりで仕方が無い。艦娘達は大湊警備府の葛生提督とうまくやっていけているだろうか? 彼女なら信頼できると思うけれど、舞鶴の艦娘達は気が強い子が多い。……特に加賀は。神通も従順そうに見えるけど、どうも周りの評価は違うみたいだし。葛生提督が手を焼いていないだろうか。一人の司令官の下に二つの鎮守府が置かれるわけで、そのバランスが巧く取れるのだろうか。葛生提督は有能だと思うけれど、距離が離れている鎮守府でそれぞれのルールを持った鎮守府の運営は大変だと思うし、どちらを大事にしても不満が出てくるはずだ。そんな事を考えると、余計な仕事を押しつけてしまい申し訳ないと感じる。

そんな彼女の苦労を思うと、何としても早く帰らないといけないと思ってしまうのだ。

 

「提督さん、どうかしたんですか? 」

その声に我に返る冷泉。取り調べが終わったため、部屋に戻っているわけだが、艦娘の鹿島も一緒にいた。テーブルを挟んだ向こう側に腰掛けている。テーブルに両肘をついて組んだ手に顎を載せ、少し小首を傾げてこちらを見つめている。

 

―――めちゃめちゃ可愛いし、……それでいてセクシーさもあるのだから。

 

組んだ長い足がとても綺麗だ。ふと視線を上にあげると、なんと彼女は胸を天板に載せていた。

重たいのかな?? などと自分の置かれた状況をまるで考慮しない、邪な思考がわき出してきてしまう。 

どういう意図で彼女がこうやって面倒を見てくれるのかが分からないまま、彼女の好意に甘える状態で暮らしている。甲斐甲斐しく世話をしてくれるのはとても嬉しいし、彼女と話すことはとても楽しい。何を言っても彼女は興味深く聞いてくれるし、ちょっとしたことにも大げさに反応して喜んだり、笑ったり、拗ねてみたり、怒ったりと目まぐるしくその表情が変化する。それを見ているだけで、とても心が弾むのだった。いろんな表情を引き出したくて、思わず会話も長くなってしまう。

任務だから仕方無く付き合ってくれているのかもしれない。それでも、漫然と時間だけを浪費させられるこの取り調べの生活の中では、唯一の救いだったのだ。

 

速やかに取り調べを終えて、軍法会議を迎えたいという気持ち、焦り。

軍法会議となれば処分は免れず、鎮守府はおろか、軍からも放逐されてしまうのではないかという恐怖。

更には、二つの想いの板挟みになって、全てを放り出してどこかに逃げ出したいという弱気。

来るべき終わりをのらりくらりとかわし、今の鹿島とのほのぼのした時間を延々と引き延ばしたい怠惰。

これらの想いの中で、どうしていいか分からない冷泉だったのだ。

 

「いや、いろいろと考えてしまってたんだ」

 

「それって、どういう事ですか? 」

 

「俺は、この先どうなるんだろうって。……一体、どこへ行くんだろうって。今更だけど、不安になってしまったのかもしれないね」

それは、本音。普段は、強がって隠していた弱気という奴が表に出て来ているのだろう。

 

「提督さんは、いろいろと考えないといけないことが多くて大変ですね。私なんて、いつも何も考えないで暮らしているから、提督さんの気持ちはよく分からないですけれど」

 

「そんな事ないだろう? 艦娘は、いろいろとやらなきゃ行けないことが多いだろうし、考えなきゃいけない事が多いんじゃないか。柵だって多いはずだよ。俺は、多くの艦娘を見てきたから、分かるつもりだよ。みんな自分の運命に立ち向かい、その中で懸命に生きている。君だって、そうなんだろう? 」

 

「うーん、そうなんでしょうけれど。私は、所詮、練習艦ですからね。……練習艦といったって、かつてのように兵士を乗せて訓練をするなんてことはありませんけれども。当然なんですけど、直接戦場に行くことなんてありません。第二帝都東京でずーっとずーっと、待機ばかりしていたんですよ、私。どこに行くでもなく、ただ港に係留されて……基本的にお空を眺めてばかりでしたから。。まあ、いろいろと仕事はあるにはあったんですけれど、外洋に出る事なんてありませんでした。いつもいつも、与えられた事務的な仕事を淡々とこなしていくだけの、退屈な毎日でしたよ。だから、何も考えないで良かったんです。ずっとずーっと何も考えないで、生きてきてたんです。まるで、機械のように……。他の艦娘のみんなみたいに、深海棲艦と戦う事も無いから命の危険もありません。平穏な平和が延々と続く世界で生きてきているんです。確かに安全だけは保証されていますけど、艦娘として生まれた者にとって、どちらが幸せかなんて分からないですね。もちろん、死ぬ事は艦娘の私でも怖いです。けれど、艦娘としての本来の「為すべき事」「かつて為せなかった事を果たす」という宿命を持つ艦娘にとって、平穏無事な生活が果たして幸せなのかどうかも、……私には分からないんです。でも言えることは、艦娘として鎮守府に着任し、多くの仲間や司令官との絆を結び、国家の為に戦うという事には憧れているのです。……へへへ、ちょっと変な子だって思いましたか」

真顔になったり照れ隠しに笑ってみたりと表情を次々と変化させる鹿島に、冷泉は無意識のうちに見とれてしまっていた。

 

「いや、そんな事は無いよ。君の気持ちも分かる気がする」

 

「話では聞いているんです。鎮守府にいるということは、自身の死と隣り合わせであるだけでなく、大切な仲間を失う現実を嫌でも見せられるという事を。けれど、そんな世界で生きるのが艦娘なわけで……。私はそんな艦娘という存在なのに、そういった世界から隔絶された場所で生かされている……そんな部分もあるわけなんです。もちろん、沈むのは怖いし、友達を失うのも嫌です。だから、鎮守府に着任して戦うということはしたくない。けれど、心のどこかでそれを受け入れない、受け入れたくない自分もいるわけで……。なんだかいつも気持ちの整理ができないんですよね」

 

「そっか……」

鹿島の気持ちは、理解できなくはない。戦場に立つ事が艦娘の本懐。その本能が彼女の心の奥底にも存在しているのだろう。

 

「さてさて、少し話過ぎちゃいましたね。私ばかり話してもつまらないですよね。うーん、私がつまらないだけなんですけどね。じゃあ……提督さん、提督さんの事も話してくださいよ」

そう言うと、彼女は椅子を動かして身を寄せてくる。

いつも思うが、彼女はパーソナルスペースというものが普通の人よりも随分と狭いのだと感じる。ほとんどくっついていても気にならないようだ。

 

わりとフレンドリーな対応をする金剛や島風でも、何も無いときは少し距離を置いていたように思うけど。……加賀なんかはかなり極端だったけどね。あいつは誰かがいたら、つっけんどんな対応をしてたなあ。二人っきりだとわりと反応してくれるんだけども。

などとかつての鎮守府の事を思い出してしまう。

 

「いや、しかし」

と、意味の分からない言葉を言いながら距離を置こうとするが、すぐに追い込まれて身動きできなくされてしまう。

 

「どうせ次の取り調べは、明日まで無いんですから。時間の進み方は何をしていても等しく同じです。だったら退屈な時間を過ごすよりは、私なんかとでも話していた方が気が紛れますよ」

と、やんわりと断ろうとする冷泉の機先を制する。

「あの……私なんかじゃ、嫌ですか? 」

上目遣いで潤んだ瞳で見つめられる。

 

「いや、そんなわけでは」

何故かしどろもどろになってしまう。自分より年下の女の子に戸惑ってしまう自分が恥ずかしい。

 

「じゃあ、お話ししてくれるんですね! 」

 

「あ、えっと……うん。……とはいえ、一体何を話せばいいのかな? 」

そう言ったきり、黙り込んでしまう冷泉。

 

艦隊運営の事や深海棲艦の事、艦娘の事や鎮守府の事、軍への不満……。そういった直接関わりのある事ならいろいろと話せる事はできるのだけど、フリートークとなると、途端に苦手になってしまう。

さて、何を話せばいいのかというと、何の話題も持っていない事に気づかされる。更には相手は年齢も随分と年下だし、女の子だし。自身の話の引き出しの少なさが露呈してしまうわけだ。

 

そして、明確に思い知らされてしまう。

 

鎮守府の艦娘とわりと会話ができたと思っていたのだけれど、あれは艦娘達が話を振ってくれて、それに対して答えるという状況ができていたから、会話が弾んでいたのだと。

明確な目的が合った時だけ、自分は艦娘に話しかけることができていた。それ以外は、彼女達の問いかけに答えることばかりだったのだ。

 

実際、元いた世界では、こんな綺麗な可愛い女の子と話す機会なんて皆無だったのだから。

否、艦娘のようなレベルの女の子は現実世界で見かけたことは無かった。テレビや映画でもいなかった。そもそも、補正の入った画像でしか見ることのないクオリティの女の子なのだよ。そんな子達と緊張もせずに話せるほどの度胸など無いし、鍛えるような場面も皆無だったのだから。

 

「どうしたんです、提督さん? 」

不思議そうにこちらを見つめる鹿島。目を合わすだけで照れてしまい、顔が熱くなるのを感じる。どうしてこんな気持ちになるのかが理解できない。こんな事にうつつを抜かしてる状況では無いはずなのに、感情を制御できない。これでは鎮守府指令官の威厳が保てない。

鹿島は冷泉の返事を待っているのか、黙ったままこちらを見つめる。

沈黙が辺りを包み込む。

 

なお、部屋には冷泉と鹿島だけというわけではない。監視役で兵士が一人、ドアの側に立っているのだ。彼はあえて聞こえないように目を逸らしているが、意識はばっちりこちらに向けられている。冷泉達の会話を一語一句聞き逃さないように注視しているのが分かってしまうのだ。

 

全くの他人に見られていることを意識すると、更に緊張が高まり、頭の中が真っ白になっていく。そして、さらに沈黙が続く。

 

「い、……いや、いきなり言われても何を話していいか分からないんだ」

と、思い切って正直に言う。実際には沈黙に耐えられないだけなんだけれど。

 

「どうしたんですか、提督さん。うふふ。じゃあ、私からの質問しても、いいですか? 」

何故か楽しそうに微笑む。

 

「あ、ああ、構わないよ」

 

「あのね、提督さんって、どこから来たんですか? 」

 

「ん? どこからって、どういう意味なのかな」

いきなりの意表をついた質問に言葉を詰まらせてしまう。

 

「提督さんは、舞鶴鎮守府の司令官として着任され、今まで鎮守府の指揮を執って来ましたよね。じゃあ、その前って何をしていたんですか? 」

 

冷泉は、鹿島の質問の意図が分からず、差し障りのない作られた経歴を語った。まるで他人事のような……実際、赤の他人の経歴だけれど。自分で喋っていて恥ずかしくなるほどのすごい盛った経歴。全ては贋物の冷泉朝陽だ。

苦々しい想いで語る冷泉を余所に、興味深げに傾聴してくれる鹿島。時々頷いたり驚いたりする。

「けれど、鹿島」

話をやめた冷泉が、艦娘に問いかける。

 

「なんですか、提督さん」

 

「いや、俺の経歴なんて、艦娘である君だって知っていただろう? 君たちが所有するデータベースにアクセスすれば、今話した事なんて、みんな分かるだろうし。……それに、君はずっと第二帝都東京で、三笠の下で働いていたんだろう? 」

 

「はい、そうです」

 

「じゃあ、俺の経歴なんて聞くまでもないだろう? データベースにも無い俺が話した以上の事も、知っているんじゃないのか? 」

 

冷泉の問いかけに、小首を傾げて冷泉を見る。良く分かっていないかのような素振りだ。

 

「三笠が俺について君に話しているんじゃないのか? 彼女に直々に命じられてここへ派遣するくらいなんだから、君にはいろんな情報が与えられていてもおかしくないと思うんだけど」

 

「えへへ。……すみません、提督さん。確かに、聞いています。提督さんが話したこと以上の事も教えられました……。そうですね、憲兵さんがいたら話しづらいですか? 」

少し照れたような笑みを浮かべた後、鹿島はドアの前に立つ兵士を見る。

いきなり注目された兵士は驚いたような表情でこちらを見た。

「憲兵さん、すみませんけれど提督さんと二人っきりでお話がしたいので、席を外してくれませんか? 」

 

兵士は唖然とした表情になる。

「くっ! そ、そんなことは受け入れられません。上官に相談しないと私では判断しかねます」

 

「聞かれたくない事だってあるんですよ。これからお話することは、あなたたちの取調べとは何の関係も無い話ですし、……あなたもずっと立ったままですからお疲れじゃありませんか? 少し休憩をとってもいいんじゃないんでしょうか」

 

「冷泉提督からは目を離さないように厳命されています。まだ身分は保持されているとはいえ、冷泉提督は我々にとって容疑者であります。そんな人物と二人きりにして万一の事があったら大変なことになります。彼があなたを人質に取るといった事態がないと言い切れませんから」

至極まっとうなことを憲兵が言う。確かに、艦娘は人を傷つけることができないようにされている。冷泉が鹿島を人質にするのは容易だろう。

 

「あなたの言う事ももっともですね。では、上官の方に相談してみてください。私は戦艦三笠より全権を委任されています。なので相談するまでもありませんが、確認してみてください」

 

そして、すぐに憲兵は部屋を出て行き、冷泉は鹿島と二人部屋に残されることになった。

「監視機能はオンにしていても構いませんが、音声はオフにしておいてくださいね」

と命令することを鹿島は忘れなかった。

 



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第189話 俺は唾棄すべき存在である自分の事を認められるのか?

一体何があったのだろう……?

 

どう考えて不思議、そして不自然な展開ではあるのけれど、それに対する答えなんて出るわけがない。

 

「提督さん提督さん! これで安心ですよ。じゃあじゃあ、私の質問に答えてくれますよね! 」

ぐいぐいと鹿島が体を押し付けてくる。やわらかい彼女の感触は、理性を吹き飛ばしそうなほどの暴風だ。……これはこれで嬉しくも、しかし、厳しい状況なのだが。

 

「う、……うん。ごほん、けれど状況が状況だから、手短に頼むよ」

冷泉はさりげなく彼女との距離をとりながら承諾する。

 

少し離れた位置に移動する冷泉を少し不思議そうな顔で鹿島は見るが、すぐに笑顔に戻る。

「じゃあですねえ、まず初めに、舞鶴鎮守府に着任してどう思ったか教えてくれます? 」

 

「……そうだなあ。着任といっても、実は気がついたら病室で寝ていたんだよね」

思い返せば随分と昔の事のように感じるけれど、ほんの数ヶ月前の事なのだ。

「俺は気がついたら、ベッドの上で……どういうわけか金剛が枕元でうたた寝していて」

鹿島がどの辺まで知っているのかは良く分からない。けれど、彼女の立場からすると、おおよそのことは知っているのは間違いない。なのに何故、こんなことを聞いてくるのだろうか? 彼女の意図が良く分からないけれど、嘘をついてもばれるだろう。それが彼女の機嫌を損ねることになるかもしれないわけで……。

 

現在、鹿島という艦娘の存在が唯一の頼りであることは疑いようがない事実だ。憲兵隊に捕らえられ、尋問される立場であるのに、こんな自由が許されるのは、艦娘の彼女がいてくれるからである。ここで彼女が心変わりして、冷泉の前から立ち去りでもしたら大変なことになるだろう。もはやチャンスが無くなるといっても過言ではないだろう。恐ろしいほどに彼女の存在は大きく、そして、自分が彼女に依存しなければどうしようもないことを認識して、どういうわけか怖くなる。

 

彼女は事実を、冷泉の本心をさらけ出すことを求めているように感じる。とにかく、正直に語るしかないのだろう。

 

「ファーストコンタクトは、金剛さんだったんですか。すごーい。いきなり鎮守府一番の綺麗どころと出会っていたんですね」

 

「……いや、そうなのかな? 確かにあいつの寝顔は、お世辞抜きで凄くキュートだった。まるで人形のようで、今まで見たことがないほど綺麗だった。けれどね……あいつ、俺が目覚めた瞬間、突然興奮したように飛びついてきて、背骨をへし折られそうになったんだぞ」

あれは未だにトラウマだ。艦娘という存在すら理解していない内に、女の子とは思えないあの馬鹿力で縊り殺されそうになったんだから。

「そのまま失神してしまったんだからね。……随分と酷い目に遭ったよ」

 

「へえ、金剛さんらしいエピソードですね。彼女は自分の気持ちに一直線な人だから、周りのことをあまり見ていませんよね」

と、冷静なコメントを鹿島が言う。冷泉は頷くしかない。

「で、それでそれで」

 

「次に目が覚めたら、今度は扶桑もいたわけで」

 

「あー、そこで扶桑さんともお会いになっていたんですよね」

 

「そ、……金剛はメチャメチャフレンドリーな対応なのに、彼女は少し怯えたような瞳で俺を見ていたなあ、確か。ちょっと触っただけで過剰な反応をしてたし」

 

「あら! 提督さん、いきなりのお触りは厳禁ですよ。艦娘だって女の子なんです。出会ったばかりでエッチな事されたら、さすがにびっくりしますよ。もう! そんなの、メッ! ですよ」

と言って、面白そうにクスクスと笑う。

 

「ち、違う、違う。いくら何でもそんなスケベ親父じゃないよ、俺は。す、少なくとも人並み以上に自制心はあるんだからな。君はどんな想像をしてるんだよ? 触ったって言っても、肩に手を掛けただけなんだぞ。勘違いしないでくれよな」

そう、あの時の扶桑の過剰反応には少し驚いたな。本気で驚いていたし、拒絶しているようにも思えた。あんな反応は生まれて初めてだったな。

 

「ふふふ、分かっていますよ。提督さんがそんなことをするなんて、ちっとも思っていませんよ。……でも、まあ私ならいきなりでも、提督さんならOKかなって思いますけどね……えへへ」

冷泉の目を真っ正面に見つめながら微笑む鹿島。

 

「ぶっ! 」

その言葉に驚いて、動揺を隠せない冷泉。

 

「でも、変ですねえ。……どうして扶桑さんはそんな反応をしてしまったんでしょうね? 」

 

「うん、その時は俺にも分からなかった。そんなに嫌だったのかなって少し落ち込んだのは事実だけどね。……けれど、今なら何となく分かるよ。彼女は、何か違和感を感じていたんだ。舞鶴鎮守府司令官として現れた、俺に対してね。それは秘書艦の任に就いていた彼女の直感みたいなもんなんだったのかな」

彼女は、俺を試すような事もしたりしたしなあ。あの頃のやりとりを思い出す。目の前にある現実と、彼女の知っている事実とを比較し、その正しさを確認するような作業を続けていた。

 

「違和感……ですか? 」

 

「そう。俺は普通に舞鶴に着任したわけだけど、俺の前任である緒沢提督の事は、よく知らされていなかった。ただ、一身上の都合で異動したとしか聞いてなかったんだけどね。でも、不思議なことに、彼女達の記憶からは、緒沢提督の事は消されていたんだよ。それどころか、緒沢提督のことを俺と同一人物だと思っていたみたいなんだよなあ。彼がいた頃の思い出はすべて俺との思い出になっていたみたいなんだな。……いや、思わされていたってことだけど。ほとんどの艦娘は、それを受け入れて普通に俺に接してくれたけど、彼女だけは、……緒沢提督との繋がりがずっとずっと深いから、俺のなす事全てに違和感を感じていたんだろうね。記憶と現実のズレを感じとって、俺を得体の知れないモノとして警戒していたんだろう」

 

「それってもしかして、記憶の操作? 記憶の改竄……ですか? そんなことが行われていたっていうんですか? よく分からないですけど、そんなのできるんでしょうか。一人の艦娘にならまだ分かりますけれど、鎮守府全部の艦娘にですよ! そんな話聞いた事もありませんし、とても可能だとは思えませんよ。そもそも何の為にそんなことするんです? するとしたら、日本軍ですよね? 正直、艦娘の記憶を弄るなんてできないと思います。……とはいっても、専門家でもない私には、ちんぷんかんぷんですけどね」

と、不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。

本気で言っているのか嘘をついているのか。……どちらとも判断できない態度を取る鹿島だ。

戦艦三笠の下で働いていた彼女のことだ。鎮守府に派遣されている普通の艦娘よりは、遙かに機密事項に近い場所にいる。だから、いろいろな秘密さえ知っている可能性がある。本当に知らないのか……違和感を感じなくもない。

 

もっとも、そんな秘密があるのかさえ、不明なんだけれど。

 

「可能かどうかは分からないけれど、彼女達が緒沢提督の記憶を無くしていたことだけは事実だったよ。その原因については、謎のままだけれどね。まあ、いろいろあったけれど、俺が彼女に全てを話した事で、誤解はどうやらは解けたみたいだった。俺を信じてくれたんだ。俺が話した突拍子もない事を、受け入れてくれたんだよな。彼女は俺に対する警戒を解いてくれ、それどころか逆に俺の身を案じてくれたんだ。いろいろとアドバイスをしてくれた。実際、彼女が俺を信じてくれなかったら、果たしてその後どうなっていたかは分からん。それほど彼女の助力は大きかったんだよ」

 

「つまり、扶桑さんを味方にできた事で、提督さんは舞鶴鎮守府でやっていける自信を持つことができたんですね」

 

「確かにそういうことになるかな。あそこで扶桑が俺の事を信頼してくれなかったら、すべてが終わりだったかもしれないなあ。扶桑は鎮守府の秘書艦であったから、他の艦娘達にも影響力があった。そんな彼女が俺を後押ししてくれた事で、俺は自信を持つことができたし、彼女の支えがあったから、鎮守府の運営がやりやすくなったのは間違いない」

 

「そうなんですね、良かったですね。さすが扶桑さんです。冷静に公平にすべてを見ているんですね。けれど、それも提督さんの真摯さが一番の原因だと思うんだけどなあ」

 

「はは、うまいな。扶桑が俺を信じてくれた……その点だけは良かったと思う。でも一難去ってまた一難だったよ。彼女はいろいろ教えてくれた。鎮守府全体の状況を知ればるほど、自分の置かれた状態の深刻さが分かってきて、頭が痛くなったんだよ」

 

「何がそんなに大変な状態だったんです? だって舞鶴鎮守府といえば、横須賀に並ぶ大鎮守府じゃないですか。少しくらいの問題なら、なんとかなる人材と組織と財力があるんじゃないですか」

 

冷泉は何度も首を振って否定する。

「驚くほどに深刻な経済状況であることが判明するまで、それほどかからなかった。前任の提督は、何をやっていたんだって呆れるくらいにね。判明している事実だけを見れば、無能かつ貪欲な提督としか思えないくらいの腐敗具合だった。鎮守府の資材は横流しをする、ろくに出撃はしないから戦果は上がっていない。上が駄目だとそれは下にまで波及する。だから、鎮守府の兵士達の士気・モラルまで低下していたんだよ。俺は緒沢提督を本気で怨んだよ。……けれど、後から知ったんだけど、実際には緒沢提督は、軍の陰謀によって誅殺されていた。そこで考えを改めたよ。だって殺されたってことは、何か知ってはならないことを知ってしまったと考えるのが妥当だろ? 組織にとって邪魔だと判断されたから、消されたんだ。ということは、今現在、事実として伝えられている事がどれだけ信憑性が高いかなんて知れたもんじゃない。誅殺の正当性を高めるために、彼以外の人物の悪事を擦り付けられたり、わざと悪評を流されたのかもしれないからね。やれやれ、死人に口なし……どこの国でも組織でも同じ愚行を繰り返すわけだよ。しかし、ここの場合は、より悪意が強いからタチが悪い。軍隊という組織の悪い部分が極端に出てしまっている」

 

「提督さんは、逃げちゃいたいって思いませんでした? 」

驚く鹿島は、あっさりと解決策を言ってくる。

 

「ああ、そうだね。もちろん逃げたかったね。だって、俺は軍経験なんて無かったんだからね。ずぶの素人に一体何をやれって言うんだよ。戦果が上がっていない? 領域解放しなければ、資材供給を凍結? 何のことだよそれって感じ。……だけど、扶桑たちに約束してしまったからね。逃げ道は無かった。……いや、逃げ道は無かった訳じゃ無いね。しっぽ撒いて放り出して逃げれば、少なくとも現状からは逃げ出せただろう。けれど、俺のいなくなった後には別の人間が送り込まれるだろう。そうなると、後任はどんなことをするだろうか。戦果を上げるために無理な出撃を繰り返すかも知れない。それだけじゃない。噂では聞いていたけど、部下の艦娘に手を出す司令官がいると聞いていた。好き同士なら構わないけれど、そうじゃないかもしれない。そんなことを思ったら、とても逃げ出すことなんてできないじゃないか。俺は、艦娘のみんなを護ると約束したし、守りたいって本気で思っていたからね」

事実を知ってもかかわりが無ければ、鹿島の言うように放り出して逃げただろう。けれど、冷泉は艦娘と知り合ってしまった。鎮守府の兵士たちと繋がりを持ってしまっていた。そうなってしまったら、見捨てることなんてできやしない。

 

「うふふ。やっぱり、優しいですね提督さんは」

 

「けれど、はたしてそうと言えるかな。結果が伴わなければ、いくらその思いが正しくても強くても、ただ傷つけるだけでしかないかもしれないんだよな。けど、希望はあった。艦娘のみんなが俺を頼ってくれたからね。彼女達の期待を感じるだけで、がんばることができた……と思う」

 

「すごいすごいです! 凄いですよ、提督さんは。もっともっと話してください。艦娘と提督さんの出来事を知りたいです」

と興奮気味に鹿島が促す。

「提督さんは、本当にみんなにお優しいですね、ふふふふ。じゃあじゃあ、教えてくれませんか? たくさんいる艦娘の事をどう思っていましたか? それぞれの艦娘に対する気持ちが知りたいです。凄く興味があります。聞いてもいいですよね? ……舞鶴鎮守府の艦娘といえば、扶桑さん、金剛さん、それから高雄さんに羽黒さんですかね」

有無を言わさない口調になってくる。質問攻めだ。

 

ぐいぐいと踏み込んでくる鹿島にたじろぎながらも、冷泉は思い返すように答える。

「扶桑と金剛……戦艦の二人は、それぞれ性格は本当に違うし綺麗系と可愛い系だよなあ。あの二人は何か姉妹みたいな雰囲気があったな、そういえば。重巡洋艦の高雄は何が気に入ったのか分からないけど、凄く俺を頼ってくれたし、心配をしてくれた。それから、羽黒は話していて、とてもゾクゾクする子だった。見ているだけで放っておけない……何かをしてあげたくなる子だったね。どちらかというと、嗜虐心を刺激してしまうタイプの子だった。うん、何回か泣かせてしまったけど。……うん、二人とも俺を信頼してくれていたな」

 

「それから、軽巡洋艦でいうと神通さんと大井さんですね」

 

「神通は、健気で可憐で、本当にすっごい俺を信頼してくれていて、彼女の俺に向ける信頼で少し怖くなるくらいだ。がんばりすぎな部分が多かったね。それから大井は、うん、まあそんな感じ。なんかちょっとあれだな。可愛い子なんだけど、捻くれていたというか、少し素直じゃない部分が多かったな……はははは」

 

「空母が祥鳳さん」

 

「あいつは、鎮守府唯一の空母だった。戦闘においても非常に重要な子だったよ。彼女は、自分が軽空母だということにコンプレックスを持っていたみたいだけどな。唯一の航空戦力であることから、いつも追い詰められたような表情をしていたから、心配だった。もっと自信を持って欲しかったから、いろいろアドバイスしたつもりだ。……根が真面目なんだろうな。けど、俺によく懐いてくれたんだよ。触っても怒らないし」

 

「駆逐艦でいうと、島風、叢雲、不知火、初風、村雨、漣……」

 

「それぞれ個性の強い連中だったな。ちっちゃいくせにみんな偉そうで、そしてみんな可愛かったなあ。個性の強い連中ばかりだから、扱いが大変だったけどね。あいつらがいたから、鎮守府はいつも賑やかだったよ」

鹿島の質問に答えているうちに、いろいろなことが思い出される。艦娘たちとの日常が、昨日の事のように思い出されるのだ。

いつしか、冷泉は遠くを見るように彼女たちとの思い出を語っている。

 

語り続ける冷泉を、黙って聞いていた鹿島が口を開く。

「そんな子達を指揮して、戦って来たんですね」

 

「……そうだよ。いろいろと軍部からの嫌がらせを受けたりしながらも、戦果を上げ資金と資材を確保するために必死だったよ。俺なりに必死でがんばっていたつもりだ。……執務室の奥の小部屋を寝室にして、ずっとあのフロアに住んでいたもんな。……今更だけど、本当は専用の宿舎があったんだけど、ずっと知らなかったもんな。わりと豪華な宿舎だったんだけど、結局、数日しか滞在できなかった」

 

「提督さんは、何の為に一番がんばったんですか? 」

 

「もちろん、艦娘、あいつらを守る為だよ。俺の下では、誰一人死なせない。本当なら戦わないのがベストなんだけれど、戦果を上げなければ鎮守府に資金や資材、新たな艦娘を呼ぶことはできない。だから、出撃はしなければならない。だから、絶対に負けない戦いを心がけなきゃならなかった。戦争なんて映画とかでしか知らない俺が、艦隊指揮を執らないといけないなんて、なんて悪夢なんだよね。もっとも、指揮されるほうにとっては、もっともっと悪夢だろうけど。素人に艦隊戦の指揮をされるなんて本当に最悪だろうな」

 

「けれど、みんなはついて来てくれた……ですよね」

 

「そうなんだよ。だから俺はもっともっと必死になった。彼女達の期待に応え、そして彼女達を護ろうとね。今思うと、それがいけなかったのかもしれない。……必死になりすぎて、余裕が無くなっていた。周りを見ていなかった。いや、見えていなかった。冷静さを欠いていた。余裕がなかった、無さ過ぎた。だから、足元を掬われることになってしまった」

過去を思い返し、声が小さくなってしまう。

 

「それは、どういうことです? 提督さんはみんなのために一生懸命働いていたんですよね? なのになんでそんな事をいうんですか」

 

「余裕が無い俺は、誰かに攻撃されると過剰反応をしてしまった。虚勢を張っていたんだ。言い負かされたら負けだとね。常に何かに追われ、余裕の無い日々だったからな。……特に艦娘の話題を出されたら、もう駄目だった。正論ばかりを言うだけでは、話がまとまるわけもない。売り言葉に買い言葉。安っぽい挑発にひょいひょいと乗って喧嘩をふっかけ、どんどんと自分の評価を下げていったんだよ。そして、作る必要もない敵を作っていった。ある程度で相手にも逃げ道を用意してあげて、適当なところで折り合いを付けて、巧くやっていたら……もう少し、まともな状態になっていたと思うだよ。けれど、俺にはそれができなかった。そういった事の積み重ねが、より深刻な事態を生み出していったんだよな。意地になっていたのかもしれない。まったくもって浅はかな男だと思う。自身の評価を落とすってことは、俺の指揮下にある舞鶴の評価も落とすってことにさえ、考えが及ばないんだから。……なんだかんだいっても、所詮、俺は軍の事に関しては、ただのド素人だ。もしも、俺が軍隊経験のある人間だったら、軍がどんなところか精通していたなら……もっと巧くやり過ごす事ができただろうし、コネもあったから助言してくれる人もいたんだろう。けれど、俺は完全なアウトローだった。軍だけではなく、世界からも。そして、前任者との引継ぎがうまくできていなかったこともあるから、鎮守府内を掌握することもできていなかった。だから、様々なきしみ、行き違い、間違いが頻発していたんだ。鎮守府指令官であれば、それを察知して速やかに修正すべきなんだろうけれどね。全然できていなかった。そんなスキルなんてあるわけないから」

 

「悪い事は重なりますね……そんな時に、加賀さんがやって来た? 」

いきなりそんな事を言われ、冷泉は言葉を失う。今まで考えないようにしていたことを、言われてしまったからだ。

 

確かに、それまでも随分と酷い状態だったけれど、結果だけを見たら加賀と出会って状況はさらに酷くなったのは事実だ。

 

艦娘はみんな守ってみせる……。その強い思い、強迫観念に近いそれに突き動かされ、冷泉は無理に無理を重ねていた。

 

そんな時に彼女と出会ってしまった。

 

今まで出会った艦娘とはまるで異なり、一身に不幸な運命を背負った哀れな空母。そして、運命を受け入れて、死に場所を求めた空母に、冷泉は必死になって手を差し伸べた。自らの命さえいとわずに彼女を救おうとした。それは事実だ。

手を差し伸べないなんて選択肢なんてありえなかった。どんな犠牲を払ってでも、彼女を救いたいと心から思っていた。

それは冷泉の意思であり、義務であり、目を逸らすことのできないことだったからだ。

 

「加賀さんが来た事で、鎮守府だけでなく艦娘の間にもあった問題が表面化してきましたよね? 」

 

「あいつは意固地な奴だったからな。誰も受け入れない雰囲気を出しまくってたからなあ。他の艦娘達が気を遣いすぎて大変だったのは事実だよ。まあ、いろいろあった俺があいつを救おうとした事に、一切の後悔は無いよ。加賀を救い出す事ができたんだから」

いろいろあったけれど、みんな無事だったのだ。結果がすべて。問題なんてない。

 

「えっと、きついこと言っちゃいますね。……提督さんは、相手が加賀さんだったから無茶をしたんじゃないですか? 」

 

「な! ……そんな事は無い。あるわけ無いだろう! 誰であっても、俺は同じ事をした。あんなに辛そうな顔をして、辛い思いをして、死に場所を求めている艦娘を放っておくなんてできるはずがない。ただそれだけで俺は動いていたんだよ。それ以外の感情なんて入り込む余地なんて無かった」

 

「提督さんは、優しいですね」

 

「俺は、ただ、みんなを護りたいだけなんだ……」

 

「提督さんの考えは素晴らしいと思います。提督さんの気持ちは嘘偽りの無い本当の気持ちだったんでしょうね。けれど、提督さんが必死になって加賀さんを助けようとしていた時に、他の艦娘たちの事はどう思っていたんでしょう」

 

「え? 」

 

「提督さんは、加賀さんを助けようと特別扱いをしていませんでしたか? 」

 

「いや、だって彼女はこれ以上生きていたくないって俺を拒絶した。自ら死を選ぼうとしている艦娘を放置なんてしていられないだろう? それが特別扱いになるのも仕方がないよ」

 

「提督さんは、自分が死にかかっても躊躇しませんでした。加賀さんを助けだす代償に、全身麻痺になってしまった事を気にもとめませんでしたよね。他の人は加賀さんを責めたりしましたけど、むしろ彼女を庇おうとさえしました」

 

「当然だろ? 俺が助けたくて助けたんだから。その代償であんな事になったって、全部俺の責任だからな。加賀は何一つ悪くない。それに加賀だったからじゃなくて、誰であろうとも同じ事をしたよ」

 

「そうかもしれません。きっとそうだと思います。けれど」

 

「……けれど、何だっていうんだ」

 

「提督さんが長期間死の淵を彷徨った事、そして結果としてあんな体になった事で、艦娘たちの心に大きな動揺をもたらしたのは事実です。いろいろと考えてしまうことになったのは間違いありませんよね。加賀さんの為にあれほど必死になった提督さんの姿は、みなさんに大きな感動を与えると同時に、彼女達の心を大きく揺さぶり、結果、何か引っかかりを、しこりを、棘を残すことになったんだと思います。それまで気にもしていなかった事も見えてきてしまったのかもしれません。そして、偶然だとは思いますが丁度その辺りから、鎮守府内に異変が起こっていたのですから」

 

「君の言う事が理解できない」

まるですべてを見てきたかのような艦娘の言い振りに戸惑う冷泉。

 

「提督さんは、艦娘みんなを護りたいって言ってましたよね。確かにそうだと思います。けれど、その思いはみんなに等しく伝わってはいなかったのかもしれません」

 

「そ、それは、どういうことなのかな」

 

「艦娘はいつも提督を信頼し、その背中を見ています。彼女達は等しく扱って欲しいと考えています。もちろん、艦種によって重要度が異なりますから、それは理解しての事だと思います。これまでのお話や私が知り得た情報によると、確かに舞鶴鎮守府の置かれた状況や提督さんがいきなり着任させられたという特殊事情もあって、イレギュラーな対応を取らざるを得なかったとはいえ、アンバランスな部分が多かったと思うんです。提督さんは今を生きることで必死だったのは間違いないでしょう。みんなを救いたいとがんばっていたのも事実でしょう。一生懸命、みんなを守ろうとしていたでしょう。けれど、提督さんの体は一つしかありません。どうがんばったって、艦娘みんなに等しく対応するなんてどだい無理な話なんです。しかも、加賀さんの事のようなあまりにも大きな問題が起こってしまったら、それはより一層顕著になるのは仕方無いです。……そんな時に、艦娘と提督さんの間に生じていた僅かな亀裂を押し広げようとした勢力が、鎮守府に入り込んできたんですよね」

鹿島が何を言おうとしたのか、すぐに分かった。

 

ちょうどあの頃に、永末という男が舞鶴鎮守府に出入りを始めたということが確認されている。かつて舞鶴鎮守府に所属し、緒沢提督の腹心だった男。

 

冷泉が加賀の事ばかりに気を取られていた頃、その間隙を縫うようにして、あの男はぬけぬけと舞鶴鎮守府内を好き勝手に闊歩し、扶桑に接触していたのだ。

 

そして、扶桑を謀ったのだ!!

 

訪れた結末を思い出し、冷泉の心は激しく揺れ動く。

取り返しのつかない結果を生じさせてしまった後悔。そして、憤怒。

 

すべては永末という男と、彼に協力していた背後の組織が原因なのは分かっている。けれど、冷泉がもし、あの時に気づくことができたのなら、そして、行動することができたのなら訪れた最悪の結末を回避できたのではないか? その後悔が蘇る。

 

―――そして、汚泥のように心の奥底に沈殿し、浄化されることのない怒り、絶望、呪詛の念。目を逸らし続けていたどす黒く唾棄すべき感情が溢れ出す。漂う腐敗臭に吐きそうになり、増殖をやめないその黒く暗い感情に押しつぶされそうになるのだった。

 

 

 



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第190話 甘い誘惑

どうして……。

 

どうして、こんな事になってしまったのだろう。

何をどこで間違ってしまったのだろうか。

 

こんなはずじゃなかった。最初はうまく行っていた。そう思っていた。こんなはずじゃ……。

 

知らない世界にやって来て、右往左往するばかりの毎日。

 

けれど、生活に慣れてきたら、艦娘の可愛さに気を取られ、そんな彼女達を見てへらへらニヤニヤするばかりの日々だった。確かに、いろいろと不安があったけれど、扶桑を味方につけることができて、なんとか鎮守府生活の目処がたったと、ほっとしていたのだ。

 

……とても平和で穏やかな日々だったと思う。

 

毎日、美少女揃いの艦娘に囲まれ、みんなとわいわい過ごすのが楽しかった。艦娘は前の世界では会った事などないほど綺麗な子ばかりなんだから。そんな子達がいつも自分の側にいて、それどころか、好意を向けてくれる子もいたりするのだから。

 

そんな事なんて、元の世界では、皆無に近かった。

 

そういった事だけじゃない。鎮守府での兵士達との交流も驚きの連続だった。階級社会の典型である軍隊での鎮守府指令官の地位だ。常に冷泉がナンバーワンであり、誰もが冷泉の言葉に従ってくれた。みんな冷泉に気を遣ってくれて、チヤホヤされて……少し良い気分になっていたのは間違いない。地位に伴い責任も重くなるとはいうけれど、そんな事など吹き飛ばすくらい、得た権力は大きかった。

社会で偉いといわれる人間達は、こんな気持ちで毎日くらしていたのかと驚き嫉妬したものだ。けれど、冷泉は別にふんぞり返って、気分に任せて偉そうな事ばかり言ってたわけではないけれど。けれど、それが許されるくらいの雰囲気だったのは間違い無い。

 

何もかもが新鮮で、本当に毎日が楽しくて仕方無い! ―――それだけだった。

 

けれど、いつ頃からだろうか? 

 

艦娘達と親しくなるにつれ、彼女達の抱えた過酷な運命を知るようになった。知りたくも無いのに知ってしまった。ゲームでは気にもとめなかった事実を、リアルな現実として肌で感じてしまったのだ。

 

そして、いつしか彼女達を護ろうという意思だけが強くなり、自分の能力を超えた無理をしていたように思う。本当ならば、身の丈にあった生き方をすれば良かったのに、自分の能力以上の結果を求めたんだ。

ただただ、……あの子達を守りたい。その一身で。

 

けれど何をどうやればうまく事が進むなんて知らなかった。円滑な鎮守府運営はどうすればいいかなんて、知るよしもなかったのだ。だから、自分の感情のままに無理に無理を重ねて、直面したあらゆる事案に過剰に反応してしまい、その場限りの対応に終始したんだ。正論を声高に捲し立てて、孤立無援のまま一人で強がり、空回りの行動をしてしまっていた。

 

当然、その行動は冷泉の存在を良く思っていない人達を刺激することになる。何かある度に、衝突し敵対する存在を作ってしまうこととなった。そして、冷泉に敵意を持っていなかった人達にさえからも、こいつは面倒くさい奴というレッテルを貼られる事になり、煙たがられる事になってしまっていたのだろう。助力してくれたかもしれない人達も、冷泉からは遠のいていった。

 

それでも、正しい事をやっていると冷泉は思っていた。けれど周りを見ることを忘れた冷泉は、とにかく艦娘を思うばかりで後先考えない言動を繰り返していた。その行動は逆に艦娘達の負担になっていたのではないだろうか?

 

そう考えると、いろいろと見えてくるものがある。

 

……扶桑の事だって、きっとそうだのだろう。

最初は冷泉を敵視していた彼女も、冷泉が本当の事を話してからは心を開き、受け入れてくれていたと思う。鎮守府運営に協力をしようと思ってくれていたと思う。けれど、冷泉の自分勝手で無謀で思慮に欠けた行動は、彼女に負荷をかけ続けていたのだ。その頃、扶桑は緒沢提督を消されたという事実に思い悩んでいたというのに、それに気づくことなく、自分の想いばかりを彼女押しつけていたのかもしれない。彼女が何を考え、何を思うかなんて思いも寄らなかったのだ。

 

そして、加賀が鎮守府に来てからは、その傾向は余計に強まってしまった。傷ついた加賀を救おうとして、冷泉はまた無理をした。それが何よりも優先度が高く、自分の行動は正しいと思い込んでいたのだ。確かに、その行動で加賀を救う事ができた。けれど、そのために自身はボロボロになり、司令官としての職務を全うできていたのだろうか? いや、何一つできていなかった。全てを投げ出し、加賀を救うことだけに必死だった。何も見えていなかった。

 

自分の想いだけで行動し、他の艦娘に負担をかけてはいなかったか? 扶桑や金剛、高雄達に無理をさせていなかったか? その答えは明白だった。

 

そして、その頃だ。永末が鎮守府に入り込んできていたのが。奴が……扶桑に接触を始めていたのは。不知火に接触をしていたのは。

 

彼女達は、そのことで冷泉に相談をしたかったかもしれない。けれど、それができなかったのだろう。相談できるような雰囲気じゃ無かったのだから。

それまでの無謀な行動のために追い詰められ憔悴していた冷泉に気を遣い、彼女達は何も言えなかったんじゃないか? 自分は心配をかけるばかりで、彼女達の悩みは苦しみを理解していたのだろうか? 艦娘のために俺はがんばっている。命を捨てたって後悔なんてしない! そんな偉そうな事を言って、本当は何も理解していなかったのではないか? 相談したいと思っている彼女達の気持ちにに気づくこともできなかったんだ。

事実、そうだったのだから。

 

「結局、……すべては俺の責任なんだよな」

と、苦しげに呟く。

「俺なんかが司令官になったために……」

目を逸らしていた事実に気づかされ、押しつぶされそうになる。どこかにその責任を求めても、結局のところ、すべて自分が蒔いた種なのだ。

 

硬直した組織が悪い。悪意を持って扶桑に近づいた永末が悪い。深海棲艦が悪い。……自分を舞鶴鎮守府司令官にした軍が悪い。この世界に巻き込んだ存在が悪い。

俺は悪くない。俺は一生懸命がんばった。なのにどうして、こんなことに。

 

それを叫んだところで、真実から目を逸らしているだけでしかない。

ただただ、泣きそうになる。

 

「俺は、できの悪い人間だってことを忘れていたよ。半端物で三流以下の存在だってことを何度も思い知らされていたのにね……。いきなり遙か雲の上の地位につけられて、ちやほやされて調子に乗っていた。きっと自分だって上手くやれるって思ってしまっていたんだ。俺の馬鹿さ加減でみんなに迷惑をかけて……」

全身に悪寒がする。どういうわけか体が震えてくる。視界が狭まり、呼吸さえも苦しい。

 

「……そんなこと無いですよ」

黙って冷泉の話を聞いていた鹿島が口を開いた。

「提督さんは、ちっとも悪くなんてありません。提督さんはみんなを思って、一生懸命がんばってがんばって、傷ついてボロボロになっても、それでも諦めずに必死だったんですよね。少しでも艦娘達の為になるだろうって」

 

「違うよ、そんないいもんじゃ無い! 慰めてもらったって、何にも変わらないんだ。何の能力も無いくせに、そこから目を逸らして、できるふりをして振る舞っていただけなんだよ、俺は。本当に愚かな奴なんだ」

思わず声を荒げてしまう。

その剣幕に驚いた表情になる鹿島。そして、冷泉をじっと見て、悲しそうな表情になる。

……また感情にまかせて、叫んだ事に後悔する。鹿島は何の関係もない子なのに、冷泉を気遣って言ってくれているだけなのに。

 

「提督さん……」

彼女は冷泉のすぐ側まで歩み寄ると、優しく冷泉の顔を包み込むようにして両腕で抱きしめる。彼女の柔らかい双丘の感触が頬に伝わる。ドキリとして顔を離そうとするが、ぐっと力を込められたせいで離れられない。

そして、彼女は優しく優しく、冷泉の頭を撫でるのだった。

「大丈夫、大丈夫ですよ……。提督さんは、何にも悪くないんですから」

ささやくような彼女の言葉が心に染みこんでくる。鹿島という艦娘の柔らかさと暖かさを感じ、気持ちが落ち着き、穏やかになっていくのを感じていた。

凄く気持ちがいい……。

いつしか、冷泉は目を閉じて、彼女に身をゆだねていた。

 

「ずっとずっと……辛い思いをしてきたんですね、提督さんは。とても痛い思い、苦しい思いを続けて来たんですね。辛かったですよね、痛かったですよね、苦しかったんですよね。本当によくがんばったですね、提督さん。心から凄いって思います。提督さんのその想いは、舞鶴の艦娘みんな分かっていますよ。だから、そんなに自分を責めないでください」

優しく、そして囁くような声が聞こえてくる。

 

「……けれど、俺はみんなを護れなかった」

全てを受入れ許してくれそうな声に身をゆだねそうになるが、必死で堪える。自分は許される存在じゃない。このまま優しさに甘えてなんていいわけが無いのだからと。自分は許されて良い存在じゃない。扶桑や不知火をあんな運命に巻き込んでしまった罪は許されちゃいない。永末の側に行ってしまった艦娘達を救うまでは、逝った彼女達に顔向けなんてできるはずがない。

 

「提督さん……」

顔を上げると、すぐ側に彼女の顔があった。綺麗な瞳が冷泉をまっすぐに見つめてくる。

「あなたは、本当に、本当にがんばりました。がんばりすぎて見ているこちらが辛くなるくらいに。……全てを救うには、人の手は短すぎます。どんなに努力を重ねたとしても、その想いは全てに届くわけではありません。どうしても、救いきれないものが出るのは仕方無いことなのです。扶桑さんや不知火の事は残念ですけれど、仕方がなかったのです。誰も提督さんを責めたりなんてしないです」

彼女は冷泉を再び抱きしめると、耳元で優しく囁いてくる。

彼女の言葉は、柔らかい響きを伴い、冷泉の心に染みこんでくる。彼女の体からは甘い香りが漂ってくる。言葉と香りと肌の感触……。なんとも言い難い気分になっていくのを感じる。

 

「しかし、しかし、俺にもう少し力があったなら、俺がもう少しうまくやれていたなら」

理性を保とうと反論するが、上手く言葉にできない。

 

「ふふふ、そうかもしれないですね。けれど、もう済んでしまったことなんです。もしもは無い事は、提督さんが一番分かっていることですよね。悲しまないでとは言わないです。忘れろ、なんて言うつもりもありません。でも、どこかでこの事について折り合いを付けないといけないんです。そうじゃないと、提督さん、前に進めないですよね。提督さんは、ここで立ち止まっちゃいけないことくらい、ご存じですもの」

 

「そ、そうかもしれない。それは分かっているのかもしれない。けれど、あいつ等のことを忘れて現実と折り合いを付けるなんて……今は、とても無理だよ」

 

「今すぐなんて言いませんよ。大丈夫です、大丈夫。私が提督さんの側にいて、ずっとずーっと守ってあげますから。提督さんは安心して、私に身をゆだねてくれればいいんですからね」

くすぐるような感触が耳を行ったり来たりしている。強弱を付けた感触は、冷泉の体の力を奪っていくようだ……。次第に抵抗するという気力が減退していく。

 

「だから、俺は……何としても今の状況から抜け出して、そして、舞鶴に戻らなければいけないんだ。……あいつ等と約束したんだから、すぐに帰るって」

うわごとのように冷泉は言う。現状、それが叶うとはひいき目に見たところであり得ない事を分かっていながらも、口にするしかできない。

 

「無理はしないで……」

再び、耳元で鹿島が囁く。

「提督さんの仰る事は、今はまだ無理なんです。そのことは提督さんが一番ご存じですよね。今はその時じゃあありません。今は我慢する時なんです。時期を待つ時なんです。心配しないでください。私がなんとかしてあげますから。すべて私にゆだねてください。身も心も……すべて安心して私に預けてください、提督さん」

その優しいささやきは、冷泉の心を包み込んでいく。なんだか夢ごごちな気分になっていくのがわかる。柔らかく温かいものに包まれて、ゆっくりゆっくりと眠りの世界に入っていくような……。

心の底から穏やかだと思える。

ああ、幸せな気持ちだな。こんな気持ちはいつ以来なんだろう……。そんなことを考えているのだが、現実感が薄れていくせいか、何が辛かったのか苦しかったのかも曖昧になっていく。何もかも、霧に包まれるように覆い隠されていく感覚だ。

ついには、「あれ? 俺は何を思い悩んでいたのか」とまで思いそうになる。

 

「提督さんは無理をしすぎて、体も心も、……もう耐えられない状態にまで追い込まれているんです。もう無理をしないで……。今はお休みになる時なんです。心配しないでください。きっと何もかも上手くいきます。私が上手くいくようにしますから。今は私を信じてください……ね。そして、私に何もかもゆだねてください。きっときっと、目が覚めた時には、何もかもが上手くいくようになっていますから。安心してください」

優しい言葉と甘い香り。柔らかく温かい感触。

 

鹿島は、どこまでも優しい。

 

そして、冷泉の疲弊しきった心と体は、その甘美な誘惑に抗うことができないように、次第に落ちていくのだった。

 

いっそこのまま……。

 

それは、逃避なのだろうか? 逃避だと人は責めるのだろうか……?

 

 

 

 

 

 



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第191話 kongo

第二帝都東京―――

地下深くに造られた施設。ここは艦娘の改二改装のための設備がある。

 

 

培養槽の中、金剛は夢の中にあった。

 

夢の中でも絶望にうちのめされている。堪えきれない怒りと悔しさの為に、無意識のうちに歯ぎしりをしてしまうのだ。

外からは得体の知れない、自分とは異なる思考がゆっくりと、しかし着実に侵食を開始しているのがはっきりと分かる。一体、いつまで自分が正気を保てるのか……。絶対に自分を無くしたりなんてしないと思っているけれど、実際には、まるで自信がなかった。そして、すべてが終わった時、一体、自分は自分でいられるのだろうか。

 

絶対に許せない……。こんなこと、許せない。許しちゃいけない、

何としてでも阻止しなければ……いけない。こんなところで諦めたら、負けたりなんてしたらだめなんだ。

 

しかし、、この状態ではもはやどう足掻いたところで、金剛にはどうすることもできない。誰かに助けを求める事すら叶わぬのだから。

 

それが悔しくて、悔しくて。自分は。このまま改造されて、これまでとは違う艦娘として生まれ変わるしかないのだ。

 

―――絶望、絶望の更に絶望。底の底へとさらに墜ちていく自分。

 

何もできないのなら、どうすることもできないっていうのなら……提督に敵対しなければならない運命から逃れられないというのなら、もう生きていたって仕方無い。

 

今すぐ死にたい。死にたい。できない。いっそ死なせて。殺して頂戴。自分には、それすらも認められないというのでしょうか?

 

全身を拘束され、培養液に浸けられた状態では、何もできない。

時折、体のあちこちに当てられたアームから突き出た針より、何かが体に注入されて来るのがわかる。一定リズムで電気ショックに似た衝撃もそこから発せられ、全身をゆっくりと流れていくのだ。そのたびに、肉体はもちろん、心が何かに侵食されているのが分かってしまう。自分が塗り替えられていくというのはこんなことを言うのだろうか?

 

改二改装で強くなるのは、嬉しい。強くなれば、テートクの役に立てるのだから。テートクのためになるなら、喜ぶ顔が見られるなら、どんな困難だって耐えられる。けれど、金剛というもともとあっった物が薄められ、それどころか違うものに書き換えられていくという喪失感には耐えられない。

 

嫌なのに……、なのに、もはやどうすることもできない。絶望に取り込まれそうになる心を、それでも必死に鼓舞しようとする。いっそ全て投げ出してしまえば、楽になるのだから、流れに任せればいい。そんな弱気な心が力を持ち、心を支配しようとする。

 

金剛は、かつての上官の姿を必死に思い浮かべて、そんな気持ちになろうとする気持ちを追い払おうとする。

「テートク、テートク。お願い、助けて……ワタシを助けて」

その思いは、声にすることができなかった。ただただ、口を僅かに動かすだけしかできない。どんなに叫んだところで、彼に声が届くはずもなく、そして、彼に助けを求めることができる立場に、もう自分はいないことを思い出し、諦めたような笑みを浮かべるしかできなかったのだ。

 

ごめんね、テートク。

そんな想いも次第に薄らいでいくのだ……。

 

 

「ついに、諦めたのかしらね」

金剛が映し出されたモニターを確認しながら、三笠が呟いた。いくつもあるモニターにはいろいろなグラフや数値がj表示されている。

最初は抵抗を示し激しく上下していた思考信号が、どんどんと弱くなり、ついには安定しく様を満足げに見る。薬品の影響もあるのだろうけれど、どうやら諦めたようだ。ついに運命を受け入れる気になったのだろう。

 

何かをしようと必死だったようだけれど、手足を固定され、おまけに培養カプセルの中に閉じ込められた状態ではどうすることもできない。所詮、無駄な努力だ。延髄部分、左右の二の腕、腰に一箇所、両方の脇腹、太ももの裏側、ふくらはぎに固定機具が当てられ、そこからは無数の針が金剛の体内へと打ち込まれている。その針は細くそして長い。その針が艦娘の全身の奥深くまで貫いているのだ。その針より様々な液体・信号が常時送り込まれている。当然ながら痛みを軽減させるため、一定量の麻酔薬も注入されている。

 

金剛は、夢うつつな世界の中を彷徨っている状態になっている。瞳は焦点が定まらず、表情から生気がなくなり無表情だ。

 

その姿は、人形のよう。

 

……とても美しい人形。ヒトガタ。このまま飾っておきたいくらいに、綺麗な存在だ。

 

「さて、彼女の容体も落ち着いたようですね。私は他にやらないといけないことがあるので、席を外します。しばらくは、帰らないと思います。あなたがたも後の事はマニュアル通りに進めるようにしてください」

軍より派遣された人間達に指示をして、ここを後にすることにする。後の事は、今いる人間たちに任せてもなんら問題はなかろう。

 

ここにいる人間達は、艦娘の科学力の研究や勉強のために来ているわけではない。

ここで働く人間は、二度と外の世界に戻る事はできないことになっている。仮に戻る時があるとすれば、死体となってからだ。このことは働く彼らには伝えられていない。数年の約束ということで派遣されてきているのだ。もちろん、これは艦娘と日本国との間では双方納得ずみである。よって、彼らがどういう運命をたどろうとも、日本国は関知しないことになっているのだ。

 

つまりは、人間達が差し出した、艦娘に対する生け贄のようなものなのである。彼等は特別な能力があるわけではなく、若くて元気が取り柄の人形でしかないのだ。特別な能力など無駄である。余計な事を考えるような知能も無用なのだ。

 

彼らは、ただ、与えられた仕事を黙々とこなすことができればいい。機械と同じように。

 

第二帝都東京での彼らの仕事は、人間の若い雄にのみ与えられる仕事となっている。今の日本国の人口構成の関係もあり、働き盛りの年代層は深海棲艦の侵攻時にかなりの数が死んでいるので求めようがないのだ。もっとも、若くて無知で純情な方が使い勝手がいい。どうせ使い捨ての機械でしかない。壊れれば補充すればいいだけだ。

では、雌はどうなのか? ということになる。雌は使い道が無いのかと思うかもしれない。とんでもない……。もちろん雌は雌で、むしろ雄以上に利用価値があり、その能力は艦娘側としても高く評価しているわけなのだ。

雌は深海棲艦の侵略での犠牲が少なかったために数も雄よりはだいぶ多い。だから、若年層から適齢期までの雌を十分に活用させてもらっている。

 

話がそれたが、巨大な施設を運営するには、艦娘だけでは圧倒的に人手が足りていない。機械化するにも資材と制御の面で限界というものがある。ゆえに、こういった存在は非常に重要なわけである。教え込めば思った以上に細かい作業などもこなせるので、大変便利な生き物なのだ。自ら学習したり、責任感や連帯感という感情を持つため、その辺りを刺激してやれば、更なる良い効果が得られるのだから。こういった部分は研究材料としての側面を併せ持つといって良い。

 

……ただ、時々、意図的かどうかは分からないけれど、不良物質が紛れ込むことがあるが、それはそれで面白いから軍部に対しては文句は言っていない。ここの兵士達の良い訓練と、彼等に対するいい見せしめになるからである。それ以外にもいろいろと人間の思考というものを学ぶにはとても良い教材となるからだ。予想を覆すような行動を稀にそういった人間が取る。それに驚いたり感心したりと、こちらにとっても勉強になるからだ。

 

兵士達は、マニュアル通りに与えられた作業を進めている。完了までそうたいした時間はかからないだろう。作業が完了すると、彼等も宿舎に帰り、しばらくは待機となる。稼働させ安定してくれば、ほとんどは機械による作業となるため、人間がつきっきりになる必要はない。数時間おきに点検を行うだけで問題無いだろう。

 

人間は疲労が蓄積すると、ミスを連発するようになる。そこが艦娘と異なる部分だ。彼等も一様に眠気と戦っている素振りが増えてきている。ちょうどいい時間設定だったようだ。

あまり酷使しても逆に効率が落ちる。適度な労働時間にしておかないと、壊れることもあるから注意が必要なのだ。個に頼らず組織としての人間として使わないと、破綻する。そこだけは注意しておく必要があるが、それ以外の面では便利な道具といえる。

 

あと数日の内にも艦娘側の調整と改造は完了するだろう。

 

新しい金剛の誕生が楽しみだ。生まれか渡った彼女が、世界にどういった影響をもたらすのか……そちらも興味深い。

 

「ふふふふふ」

思わず笑いが漏れてしまう。

 

作業の終いを始めている兵士達を後にし、三笠はドックを後にするのだった。

 

 

 

 

 



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第192話 欲望のままに行動すれど

草加甲斐吉(そうか かいきち)は、海軍兵学校よりこの施設に派遣されて来た。とはいえ、まだここに来て3ヶ月しかたっていない。

 

第二帝都東京という、首都東京の一角に造られた艦娘の拠点。四方を高い壁に囲まれて、出入りは完全に管理されている場所。

 

あらゆる情報は遮断され、ここがどういった施設なのかは来るまでは、まったく知らなかった。……そもそも軍関係者でも存在自体を知るものは、少ないのだ。十七歳の少年兵である草加が知っているはずも無かった。

 

兵学校において、お世辞にも成績が群を抜いて良いというわけでもない自分がここに派遣されたという理由も未だに説明が無く、すべてが不明なままだ。ここに赴任されられるのが艦娘側からの指示なのか、軍隊側から選抜なのかさえ教えられていないのだから。

 

抜擢といえば抜擢なのだけれど、何が評価されての事なのか分からないと、どう判断して良いのか悩む。抜擢なのか、左遷なのか、放逐なのかを。

 

ただ、ここに来て改めて認識させられたことがある。それは、艦娘という未知の存在がいかに人類の英知を超えたものであるかだ。

 

あらゆるものが初見であり、常に困惑と混乱ばかりの日々だった。

 

かつて信じていた「人類の英知」という言葉が恥ずかしくなる程の……あきらかなオーバーテクノロジーを隠すことなく艦娘サイドは見せてくれる。否、見せつけるのだ。

 

ここ施設は、ほとんどが機械化されている。

業務についての指示は、どこかに設置されたスピーカー越しにされることがほとんどである。ゆえに、自分が誰に指示されているのか、断片的な作業のみであるために、これが何のためであるのかといった説明も無い。ここではコミュニケーションというものは上司という立場の者との間でさえ無い。艦娘からの指示を上意下達でしかない。一方的な指示を聞き、それをこなすだけのものだった。丁寧な説明など期待するだけ無駄だ。人間はただ機械のように、淡々と作業をこなすだけ。

作業に不明なところがあれば、先輩や同僚に聞きながらやっていくしかない。まあ、それでもこなせるレベルの作業しかやらなくてすんでいるのが現実なのだけれど。

 

「艦娘」と呼ばれる存在を草加が実際に見たのは、ここの責任者らしい戦艦三笠と名乗るどう見ても少女にしかみえない存在と、あとは速吸、鹿島という名前の同じような年齢の少女の三人だけである。

彼女達は皆がみな、驚くほど美しい、物語の中の妖精のような浮世離れた存在にしか見えなかった。

 

草加たちにとって、彼女たちは雲の上のような存在で、言葉を交わすことなどなかった。こちらから話しかけることは許されていなかった。そもそも、そういう機会など存在しないし、彼女たちは話しかけるような隙を見せてくれなかった。

 

ふと感じたことがある。綺麗な姿を持つ艦娘たちをどういうわけか怖いと感じたのだ。もちろん、草加の考えすぎかもしれないのだけれど。

普段は兵士前では優しい笑顔を見せてくれているのだけれど、時々、兵士たちを見る瞳がぞっとするほど冷たいものになっているところを見てしまい、恐怖に似たものを感じてしまったのだ。……まるで、屠殺されるのを待つ家畜を見るような残酷な視線。……虫けらを見るような蔑んだ視線を。

背筋が凍るとはまさにあれをいうのではないだろうか。それは草加の心に焼きついてしまい、消すことができなかった。

 

ある時、同僚たちにその事を話してみると、「お前の自意識過剰だ」と笑われた。もっともなことだと笑い飛ばしたけれど、納得はしていなかった。単なる勘違いであればいいのだが。

 

そんな怖い怖い艦娘にももちろん例外は存在した。それは、舞鶴鎮守府より改装の為にやって来た、神通という軽巡洋艦である。彼女とは改装作業の中で数回ではあるけれど言葉を交わしたことがある。彼女は、ここにいる兵士たちにも分け隔てなく接してくれ、ありきたりな会話をした。

すごく愛想のいい、気さくな女の子だった。もちろん、目が会うとその美しさにドギマギしてしまうのだけれど……。艦娘という存在が身近に思えるようにさせてくれた子でもあった。清楚で純真で、優しくて、それでいて芯の強さを感じさせてくれる子だった。

 

「早く改装を終えて、提督のお役に立ちたいのです」

そう言っていた彼女の視線の先にある提督という男に、嫉妬さえ感じたのは余談だけれども……。

 

ここではかなり機密性の高い情報に触れることが多いわけであり、あきらかな機密事項を全く隠そうともしない艦娘側の対応に疑問を持つ者が出てきても当然だった。

 

ここの情報を極秘に持ち帰ることができれば、人類側に有益なものとなるのは間違いない。軍に引き渡せば昇進ものだろうし、民間に売り飛ばせば相当な金になるだろう。そんなリスクを考えないはずが無いのに、まるで無頓着な艦娘側の対応。明らかに不自然でしかない。ゆえに、兵士たちの間では、もう二度とここから出られないのではないかと噂されている。実際、草加は2年任期で派遣されており、その間は第二帝都東京より出ることを禁じられている。当然、任期終了後も様々な守秘義務を課せられることになっているのではあるけれど、さすがにこの情報を誰かに話すのはまずいのでは? といった話もいろいろと聞かされてる。艦娘たちも特に気にすることなく、機密情報を話してくれるわけであり……。まるで秘密は絶対に守られるという確証があるかのように。

 

そして、不安になる。

もう自分は、元の世界に戻れないのだろうか、と。

 

 

我に返り、ここが改装用施設であることを思い出す。そして、草加は大きなため息をついた。

他の同僚達はすでに片づけを終えて宿舎に戻っている。自分が一番年下であり、新入りであったために雑務を担当することになっていたから、最後になっていたのだ。

 

人の目を気にし、視線すら向けないようにしていた培養槽の中の少女。誰もいなくなったのをいいことに、側に近づき強化ガラス越しの艦娘に見とれている内に意識を飛ばしてしまったのだろうか。仕事が不規則で長時間労働な為、疲労が溜まっていたのかな?

 

そんなことを考えながら、再び目の前の少女へ視線を向ける。得体のしれない培養液の青白い濁りのためにはっきりとは見えないが、芸術品とも思える少女の一糸まとわぬ姿が彼の目の前にあるのだ。

 

本当に綺麗だなあ……。本気で見惚れてしまう。スケベ心さえどこかに行ってしまうほど、それは綺麗な存在だった。

触れてみたい……。腕に抱きたい。妄想とも思える考えが巡りめぐる。

そして、目の前の美しい裸体を見て、むらむらと欲情している自分がいるわけだ。

 

芸術品のような存在に欲情している自分がいるのだ。それを人は笑うだろうか? 何を言うか……そりゃ仕方無いだろう? 

女っ気のない、若い男しかいない第二帝都東京勤務なんだぞ。ここは、本当に女っ気が無いのだ。街のどこを見ても、周りを見渡しても男、男、男しかいない。さまざまな施設が普通の街なみに揃っているのだけれど、風俗店は存在していない。だって、女がいない街なのだから。どうしてこんな街にしてしまったのか。世界は男と女で構成されている。その重要なパーツのひとつが無いなんてありえないだろう? 

 

女の職員がいないのは仕方無いとしても、飲食店や販売店に勤務する女くらいいてもいいだろう? それが駄目なら、せめて男としての欲望の処理ができる場を構えないと、若い兵士しかいない職場なんて、悲惨すぎる。男色にでも走らなければ、性欲のはけ口が無い。残念ながらそういった趣味のない自分は、店で手に入れた雑誌を見て処理するしかない惨めさを味わい続けている。男とだなんて気持ち悪すぎる。ありえない。

 

外界から完全に隔離されたこの街では、性に関する娯楽すら非常に少ないのだ。動画なんて入手困難だし、雑誌ですらごくごく僅か。それを兵士達で奪いあうようなことが現実にある異常な街なんだから。

 

艦娘の戦艦金剛……。

 

舞鶴鎮守府より横須賀鎮守府へ異動となり、改二改装を受けるためにここに来た艦娘。

それにしても、何度見ても綺麗だとしかいえない。緑色の液体の中に浸けられているとはいえ、ぼやけた視界の中でも彼女の美しさは分かってしまうのだ。これまで見た中でも群を抜いて綺麗な子だ。女優やモデルが化粧を完璧にこなし、画像編集ソフトで修正をかけまくった状態の完成型の状態が彼女達にとって素の状態なのだから。人間の女が束になっても勝てるはずがないのだ。

 

そういえば、前に来ていた神通って艦娘もとても美しかったな……と思い出す。そして、苛立ちが募るのだ。

 

噂で聞いた話でしかないのだけれど、こんな美少女を鎮守府の提督って奴は、いつでも好きなように抱けるらしい。欲望のままに、あんな綺麗な女の子を抱けるいう事だ。

 

「くそったれが! 」

思い出すだけで、ムカムカしてきた。

自分たちは、女っ気のないむさ苦しい男だけの世界で、ずっと不安を感じながら死ぬまでこき使われるというのに、なんでこんなに差が付けられるっていうんだ! と。 

 

この金剛という艦娘の上司は、前にここに来ていた冷泉とかいう奴だったと思う。

写真を見たことがあるが、たいして男前でもない。自分の方が上だと思えるくらいだ。深海棲艦との戦闘で負傷し、体の自由がきかないようだったが。どれほどの能力があるかしらないけれど、自分とそん

なに年の離れていない、見るからにみすぼらしい男が鎮守府指令官になって艦娘を抱きまくり、自分は明日も分からない化け物の住む都市に閉じ込められ、男しかいない気持ち悪い世界で死を恐れながら生きていかないといけないのだ。

 

こんなの不合理だ。なんでだ。くそったれ。

草加は培養槽のガラスに手を当てて、中の金剛を見つめる。

 

三笠の指示による処置で、艦娘は麻酔薬か何かの影響で意識はもうろうとしたままだ。仮に何かあったって、何も覚えていないだろう。幸い、作業は完了しているから数日はここに誰かが来ることは無い。そして、今ここにいるのは自分だけ。

 

その事実を知った途端、自分の尾てい骨の辺りが疼くのを感じた。そこより発した暗黒の波動がゆっくりと全身に広がり、股間に血液がたぎっていくのを感じた。尾てい骨がしびれる。

 

「どうせここで死ぬまでこき使われるのなら、どうにでもなれだ。そうだ、絶対にそうだ。こんないい女を目の前にして、人生で最後のチャンスを逃すなんて馬鹿だぜ。ちゃっちゃと済ませて元に戻せば大丈夫だ。薬の影響で何をされているかなんて分からないし、もし分かっても覚えちゃいないさ。うんうん。機器の操作方法は完璧だからどうにでもなる」

自分に言い聞かせるように、草加は呟く。

 

大きく息を吐くと、行動に移す。

操作機器の前まで歩いていくと、おもむろにキーボードを操作し、培養液を排出させる。ゆっくりと水位が下がっていく。数十秒のうちに培養槽は空になる。空になっても金剛は倒れこむことはない。いくつものアームに支えられ、まるで磔にされたようだ。

 

培養槽へ戻ると、手動で扉のロックを解除し、全開にする。

 

アームで支えられた金剛の裸体が目の前に現れる。恐る恐る彼女の腕を触ってみる。培養液のヌルヌルとした感触が気持ち悪い。それでも金剛のすべすべして弾力もある肌に触れ、興奮する自分を認識した。。角度的に見えにくいので、艦娘の美しい裸体を直に拝もうとしゃがみ込む。

 

「ふふゃー。すげえ綺麗だ」

見上げる艦娘の裸体は、芸術品といっても過言ではないほどの美しさだ。艦娘の中でも戦艦である。より作り込みも丁寧になされているのだろう。人と変わらない形をしていても、人間とは思えないほどのの荘厳さだ。

こんな美少女を自由にできる機会がやってくるなんて!! 息が知らず知らずのうちに荒くなる。興奮が抑えられない。

 

本当なら自分の部屋に持ち帰ってから、じっくりとこの体を眺め、そして楽しみたいと思うが、そんなことなどできるはずもないだろう。こうやってアームに接続された状態では思うように抱きしめられないが、これを外してしまうと一人では元に戻せないし、おそらく警報がなると予想される。そうなると、完全にアウトだ。命までを投げ出そうとは思わないし、思いを遂げる前に捕まってしまうのは間違いない。

 

「仕方無いけど、この変な体位で我慢するか……うほ、ぞくぞくうう」

体をいやらしい手つきでなで回しながら、金剛のご尊顔を拝む。虚ろな瞳ながらもそれでも非常に整った顔である。ほれぼれする。

ズボンが張り裂けそうになり、艦娘を欲しがっているのがわかる。別人格を宥めながらも欲望のままに果てる未来を予想し、表情が緩んでしまう。自分がどんな顔をしているかを知ったら、おそらく卒倒してしまうだろうな。けれど、そんなことすらどうでもいい。

 

「うへ」

唇を突き出して、彼女の唇を奪おうとする。

こんな美少女とキスできるチャンスなんて、今しかない。これを逃すなんてあり得ない! 初キスがこんな美少女なんて、最高に幸せだ。おまけに、自分の初めての相手がこんな美しい艦娘なんて、凄すぎる。幸運すぎる。すばらしすぎる。

 

「い、いただきまーす」

草加は、金剛の美しい唇へ顔を近づけていく。

何度か唇を重ねて、その後は舌を入れて……とシミュレーションをする。

 

口付けをされる彼女の顔をじっくり見ようとすると、どういうわけか彼女の瞳に光が戻り、焦点の定まっていくのを見てしまった。そして、その光を取り戻した瞳と目が会ってしまう。

 

「ぎゃ! 」

驚きのあまり、思わず悲鳴のような驚き声を上げてしまう。麻酔薬やら何やらの影響で、意識なんて戻るはずがないだろう!!

「何で……」

 

しかし、次の言葉を続けるより先に、バリバリという音がし、いきなり、のど元をもの凄い力で掴まれた。

驚きの声がただの呻きとなる。

「え?」

そして、体が重力に逆らって持ち上げられる。

 

再びバリバリと何かが壊れるような音がする。思わずそちらを見ると、艦娘金剛に接続されていたアームが不自然な形で曲がっていたのだ。

「ななななんあななああ」

と、叫んだつもりだが、声がでない。あまりの事にパニック状態になってバタバタと手足を動かすが、地面に足をつけることができずに藻掻くだけだ。

 

そして、少し間を置いて、自分の置かれた状況を把握することができる。

 

なんと、さっきまで意識がないように思っていた金剛が動きだし、自分の喉を右手で鷲づかみにし、そのまま宙へ持ち上げていたのだ。

 

こんな華奢な腕の少女が、男を片手で持ち上げるなんて!!

 

まるで悪夢のような現実を受け入れることができない。

 



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第193話 代償

その時―――。

草加は、自分の身に何が起こったか理解できないままだった。

 

バリバリと何かが壊れるような音がした。驚いてそちらを見ると、艦娘金剛に接続されていたアームが不自然な形で曲がっていた。

 

「ななななんあななああ」

と、叫んだのに、声が出ていない。

あまりの事にパニック状態になっていると、本当に無様な行動しか人間は取れないものだ。ただただ、バタバタと手足を動かすだけ。地面に足をつけることができずに、藻掻くだけしかできない。

 

それでも必死になって今、何が起こっているかを把握しようと努める。あまりに物事が急激すぎて、驚いてしまただけだ。冷泉になれば、なんとかなるかもしれない。入手できる情報を全て手に入れるのだ。学校で学んだ危機管理術がこんな時に生かされた。

 

そして、少し間を置いて、自分の置かれた状況を把握することができる。なんと、さっきまで意識がないように思っていた金剛が動きだし、自分の喉を右手で鷲づかみにし、あろうことかそのまま宙へと持ち上げていたのだ。

 

こんな華奢な腕の少女が、大の男を片手で持ち上げるなんて……。信じられない。少女の小さな手は、草加ののど元をしっかりと掴んでいる。

 

「ゴ、ゴホ。き……汚い手で触らないで。よくもワタシにそんな手で触れた……ネ。そんなこと、して欲しくなかった……ネ」

どういうわけか咳き込み、苦痛を感じているのか少し顔を歪めながら、艦娘が草加を睨む。その表情とは正反対の、少しとぼけたような口調。けれど、明らかにその瞳には怒りの炎が燃えている。あり得ない力を発揮している艦娘という存在に対して認識の誤りを気付かされ、自分がどうされるのか不安となり、全身に寒気が走った。最悪は力尽くでどうでもできると高をくくっていた愚かさに、今頃気付いてしまったのだ。目の前の少女は、弱々しい小動物などではなく、獰猛で凶悪な大型肉食獣だったのだ。

 

 

艦娘金剛は、時折苦しそうな表情を見せる。呼吸だって安定していない。苦しそうだ。不審に思い、彼女の様子をうかがうと、その原因がなんとなく分かった。恐らく彼女が無理矢理に、接続端子を体から引きはがしたせいなのだろう。引きはがした右腕と右肩から出血をしている。その流れ出る血の量は、軽傷とはいえないレベルだ。作業を見ていたから分かる。長い針のようなものが体内に差し込まれていたはず。それを無理矢理引きはがしたとなると、体内組織へのダメージも無視出来るようなものではないのかもしれない。

 

金剛は、痛みに耐えるような表情をするが、すぐに表情を元にもどした。

 

「テートク以外の男に触られるなんて、許せないネ」

次の刹那、宙に持ち上げられた草加は、一回転して床に叩きつけられる。鈍い音とともに硬い床に腰を激しくぶつけ、激痛に悲鳴を上げる。尾てい骨が砕けたんじゃないかと思うほどの痛みが一気に脳天まで突き抜けて行った。

「はっふ! 」

今まで感じたことのないレベルの痛みに変な悲鳴を上げ、涙が出る。いや、出るなんて生易しいものではない。吹き出して来る。

 

た、助けてくれ!

 

逃げたくても腰が抜けたようになってどうすることもできない。逃げたいというのに、全身が痺れてどうすることもできない。しかし、痛みを堪えながら少女から目を逸らすことができない。目を逸らせば、殺される! そんな恐怖が現実にあったのだ。

 

彼女に接続された機具の大半はまだ接続されたままだ。しかし、彼女の力があれば、強引に引きはがすことはできるのだろう。怒りに震える金剛の表情を見ると、少々の怪我など恐れることなく、自分を殺そうとするのではと思ってしまう。

 

未だにのど元は彼女にしっかりと捕まれた状況。その力は凄まじく、万力のように締め上げ男である草加の力を持ってしても引きはがすことなど不可能だった。怪我をしている状態なのに……彼女がどの程度の力をだしているか全く分からないゆえ、恐怖心のみが先走ってしまう。彼女がもう少し力を込めれば喉仏を握りつぶされるだろう。そんなぎりぎりの状況に置かれているのだ。

 

そして、金剛という艦娘は草加が知る艦娘とはまるで違う状態になっている。何かに追い詰められたように必死で、明らかに制御を失っている。人間には危害を加えられないという艦娘への制御など、もはや不可能であることは間違い無い。だって、明らかに手加減無しで自分を床に叩きつけたのだから。

 

不味い、実に状況は不味い。

 

艦娘がどういう存在なのか理解していないけれど、ただの女の子では無いことは、ほんの僅かの時間で思い知らされている。自分はちょっとしたスケベ心でとんでもない化け物を起こしてしまったのだ。

 

「た、……たすけて。……たすけてください」

必死になって声を絞り出す。そして、出てきたのは消え入りそうなほど情けない小さな声だ。それでも草加は懇願する。

 

「聞こえない……ネ」

 

「お、お助けください、艦娘様。命ばかりはお助けくだせえ」

何故か時代劇がかった台詞が出てきてしまう。それでも必死だから気にならない。

「こ、殺さないでくだせえ、お願いです」

涙が吹きこぼれ頬が熱くなる。鼻水が垂れ流れ、顎を伝う。口からは泡が出ているのが分かる。相当に情けなく、死ぬほど必死なのは伝わるだろうか。尾てい骨が痛くて痛くて本当に耐えられない。しかし、死ぬよりはマシだ。

目の前には世界有数の美少女が全裸で立っているというのに、そんなものなんて目に入らない。追い込まれている。

 

少し考えたような素振りを見せ、左手で指さしながら金剛が言葉を発する。彼女の指さした方向は草加の背後。つまり、システムの操作機器が置かれている場所だ。

「操作盤を動かして、ワタシを拘束している機具を外すネ。今すぐに……」

 

恐らく、彼女を拘束しているアームから体内に差し込まれた無数の針のようなもの。見ていただけでも相当な長さがあった事を覚えている。あれは単に突き刺さっただけでなく、体の内部へと深く侵入しているのだろうと予想される。つまりそれを強引に引きはがそうとすると、彼女の体も無事では済まないのだろう。右手右肩を外しただけでも彼女は結構なダメージを受けているのが明らかだからだ。

 

草加は金剛の目を見て激しく頷いた。声は出ない。強く掴まれていて、まともに発声ができないのだ。慌てて身振り手振りでそのことを伝えようとする。

 

金剛はすぐに気付いてくれた。がっしりと掴んだ手の力が少しだけ緩む。

 

「ゴホゲホゲゲホ。……はあはあ、……わあ、分かりました。あ、あなたの言う通りにその拘束を外すから、だから、だから殺さないで! 」

咳き込みながらも、必死になって叫んだ。彼女の気分を損ねないように必死だ。今や、自分の命は彼女の気分次第でどうにでもなるのだから。

 

「……わかったネ。ちゃんと、ワタシの言う事を聞いていればば、殺したりしないネ。だから、安心していいネ」

そう言うと、彼女は掴んだ手を離してくれた。

 

「はあはあ、わ、わかりました。今からその拘束具を外します。……でも」

 

「でも、何? 」

 

「ここの機械類は現在、現在、自動運転になっています。培養液を抜いたり、扉を開いたりするのは、できるんですけど。あなたを拘束具から外すということは権限外の行動となります。なんせ、貴方とシステムは直結されているわけですからね。……だから、その類いの装置類を弄るということは、システムのロックを解除しないといけないわけで……その、もちろん、ロックを解除する事は三笠様から教えられているので、できるんですけどね、……えっと。つまり、それは、その研究員である私らには与えられていない権限を行使すること、機械を止めることになるわけで……ですから」

 

「だから、どうなるネ? はっきり言ってほしいネ」

少し苛立った口調になった金剛の声を聞き、思わず悲鳴を上げそうになる。

 

「つ、つまりですね、異常操作と判断され、権限者に通知が行くことになるわけで。つまり、三笠様にここの状況が伝わるわけなんですよ」

 

「なるほどね。これが外れたら、彼女に感づかれてしまうって事ネ」

少し考え込むような素振りを見せる艦娘。

 

思い悩むようなそんな姿さえ、とても美しく気高く感じる。恐慌状態から脱して、精神が落ち着いてきたのだろうか。彼女の体を眺める余裕も出てきている。彼女に気付かれないように、横目で彼女の体をチラ見する。

クソッ……やり方を間違えた。もっと上手くやりゃあ……と後悔をしてしまう。そして、呆れる。どんな状況でも男というものはスケベ心だけは無くならないのかと自嘲気味になってしまう。

 

「分かったネ。じゃあ、操作をする前に、ワタシが着られる服を持って来て欲しいネ。一応ワタシも女の子ね。こんな格好で走り回るのは嫌だから」

 

さすがに全裸でというわけにはいかないだろうな。しかし、急に言われてもそんなのあるわけ……と口に出しそうになるが、そういえば、ここには研究者用の白衣が置いてあった事を思い出した。

 

草加はお尻の痛みを堪えながら、同じ研究室と扉一枚で繋がった研究員用のロッカールームへと移動した。歩く度に全身を貫くような酷い痛みを感じる。本当に骨折……良くても骨にヒビが入っているに違い無い。痛みを堪えながら歩くため、どうしても変な歩き方になってしまう。

 

更衣室にたどり着いて、一息つく。ここは他へと行く扉は無いから、逃げ出すことはできない。警報装置を鳴らして助けを求めようかとも一瞬考えたが、どうして金剛が培養槽から出されたのかを延々と尋問されることになるのは間違い無い。勝手に扉が開くことなど無いわけで、草加が操作したのはバレバレだ。どう考えても処分が為されるのは間違い無い。

一連の行動からして、よからぬことを企んだのは否定できない。艦娘に性的暴行を企てるなど、あり得ない極悪事項だ。処断は間違いない。……上手く立ち回らないと、自分に明日は無い。ここで騒ぎ立てても、一切の徳は無い。天に運を任せて勝負するしかないのだ。金剛が上手くここから脱出できるということに。そうなれば、ここも大騒ぎになる。そのどさくさで、なんとかできるかもしれない。

 

今は金剛の側に付くしかないか……。一人になったせいか、少しは冷静に考えられるようになったような気がする。それにしても、魔が差したのかこんな事になってしまうなんて。そんな事を考えながら、バスタオルと大きめの白衣を手にし、金剛の元へと帰る。

 

バスタオルを渡すと、彼女は自分の体に絡みつくように付着した培養液を拭き取り始める。

何なら私がやりましょうか? と声を掛けたら殺されるのは間違いないので声は掛けず、彼女に背を向けたままでじっと待っている。

 

「ふう、準備はできたネ。拘束を解除して構わないネ」

 

「了解しました」

そう言うと、草加は操作盤の元へ歩みを進める。

 

「ねえ、逃げようとは思わないのデスカ? 」

と、背後から声を掛けられる。

 

「え? そ、そんな事考えるわけ無いじゃないですか」

考えるまでもない。それは、どう考えても得策じゃないだろう。

 

「そう……。もし、逃げるなら今がチャンスネ。けど、そうしないのね貴方は……結構、利口なのネ」

感心したように微笑みかける金剛。普段なら可愛いと思えるのだろうけど、この状況では恐怖しか感じ取れない。

 

「そ、それはどういうことで」

 

「その行動は、まるで無駄な努力になるからダヨ。仮に、貴方が逃げたなら、ワタシは強引にでもこの拘束を引きはがすしかないネ。そして、ついでだけど、貴方も生かしてはおけない」

 

「ははは、ご冗談を。けれど、そんなことしたら、貴方の体にはどんなダメージがあるか」

彼女の体に接続された機器から伸びた針のようなものは、彼女の体の中奥深くにまで入り込んでいる。それを強引に引きはがそうとしたなら、彼女の体の内部がどうなるか。

 

「関係無いネ。それを恐れて貴方を追いかけなかったら、結局、またそこの桶に放り込まれて、頭の中を弄られて大切な記憶を悪い方へねじ曲げ変えられてしまうんだから。……そして、テートクの敵にさせられてしまう。そんな未来なんて、死ぬより辛い事。だったら、何としてもここから出て、どんな犠牲を出しても地上に出る。出なきゃならないの。ここは随分と地下深くにあるみたいだから、艦との接続ができないみたいネ。今のワタシのままは、何もできない。抗う術も無いネ。けど、艦が感じられる場所まで行くことができたら、そして、艦とのリンクを確立させたら、この状況を逆転できるネ。どうせ逃げられないのだから、この街を命に代えても破壊しつくすネ」

 

「それは、貴方に協力しても同じこと……なんですか」

恐る恐る……なるべく刺激しないよう問いかける。

彼女は、何を分かりきったように……と当然のように頷く。

 

「テートクの敵として利用されるくらいなら、死んだ方がマシ。そして、できる限りここの戦力を削ぎ、テートクが時間を稼げるようにするネ。テートクにとって、ワタシなんて何の役にも立たなかった価値の無い艦娘だけど、それでもテートクの役に立ちたい。何でも良いから、できることをしたいネ」

恐ろしい事を平然と答える艦娘の決意に、恐怖と戦慄を感じた。彼女は、既に死を覚悟している。意義ある死を、死に場所を求めているようにさえ思える。その覚悟は、あまりに潔く、それ以上に悲しい。

 

……そして、草加は、どういうわけか嫉妬を感じてしまう。心の中のモヤモヤが更に強まるのを感じながら、草加は準備を整える。

 

金剛の声を合図に、草加は操作盤の元へと歩み、パスコード入力後、操作を行う。数回の操作だけで幽かなうなるような音を立てて、アームが動き始めた。

アームが金剛の体から外れる際に火花が飛び散り、彼女が悲鳴を上げる。そして、どれほどの衝撃を受けたのか、へなへなと床にへたり込んでしまう。

 

「だ、大丈夫ですか」

慌てて駆け寄る。

 

「これくらい、へ……平気ネ」

草加が差し出す手に首を振り、彼女は答えた。しかし、答える顔は青ざめ、呼吸も荒くなっていた。彼女は歯を食いしばりながら立ち上がり、よろよろとしながらも白衣に袖を通し、手を震わせながらも一つ一つボタンをしっかりととめた。

 

培養液を拭ききれていないせいで、白衣が体に張り付いている。そのメリハリのきいた体のラインが強調された姿に、瞳を逸らすことができない。

 

しかし、それも瞬間的なものだった。

 

培養装置の異変を検知したのか、それとも拘束が全て外れたのを検知したのか分からないが、警報がけたたましく鳴り始めた。室内の照明が赤色となり明滅し始めたのだ。

これは予想通りの展開である。

 

「思ったより反応が早いネ……。でも仕方無いネ」

そう言うと金剛は草加に近づくと、腕を掴みねじ上げる。その力に思わず情けない悲鳴を上げる草加。

「本当はネ……テートク以外の人の汚い手で触られたなんて、穢されたなんて、生きていることさえ投げ出したくなるネ。そんな事をした人間なんて生かしておけない。今すぐにでも殺したい。……ケド、そんな貴方がいたから、ここから逃げるチャンスを得る事ができたネ。あなたのそのスケベ心も、ありえない無礼さもあえて許してあげるネ。……でも、しばらくワタシに協力しないと、この場で首をへし折るヨ。分かったデスか? 」

彼女の左手が再び草加の喉を捕らえている。声のトーンが少し低いせいか、彼女は本気であることはわかる。

 

艦娘は人間に危害を加えることはできないなんて、一体どこの馬鹿が広めたんだ! 自分は今、縊り殺されそうになっているんだ。自業自得とはいえ、あまりに理不尽な現状に腹が立つ。しかし、誰かに当たり散らすこともできない。

 

何度も激しく頷いて協力をアピールするしかない。関節をがっしりと決め、少しでも抗えば間接が外れるか骨が折れるところまで締め上げている。おまけに首を掴まれて声すら上げられない。完全に制圧されているのだ。早く開放してもらわないと窒息寸前だ。どうなるかは分からないけれど、選択肢が無い状況では、言いなりになるしかない。

 

「じゃあ、約束ダヨ」

そう言うと金剛は両手を離した。足がふらついて転倒し、しこたま尻を強打して悲鳴を上げてしまう。なんて酷い事をする女だ。しかし、怖くて文句は言えない。

 

金剛が命令する。

「この部屋のドアを開けて欲しいネ」

拒否すれば殺される。金剛と行動しても殺される。ここで艦娘を逃がしたら、大変な事になるのは間違い無い。しかし、目前の死の恐怖が勝った。慌てて扉を開ける。それに金剛が暴れ回り現場が混乱すれば、逃げ切るチャンスができるかもしれない……そんな計算も働いた。半分はやけくそだが。

 

ここは中から出るにもカードキーが必要なのを金剛も知っているようだ。仮に翻意した艦娘がいても、自力では出られないようにしているのだろう。地下深くに施設を造っているのも、艦とのリンクを絶つため? ……なのだろうか。

 

草加はドアを開放する。

幸いな事に、ドアの向こうには誰もいなかった。しかし、すでに異常を知らせるランプが明滅し、現在、異常事態であることを知らせている。

モタモタしていたら、警備兵がやってくるのは火を見るよりも明らか。一体、金剛はどうするつもりなのか?

 

金剛は右手を壁に当てた状態で目を閉じて、何か念じているように見える。一体何をしているのかは不明だが。

そうこうしているうちに警備兵が来るぞ、と急かしそうになる。彼女が暴れ回らないと、自分の犯罪行為を隠すことができないじゃないか。

やがて、金剛は瞳を開く。

 

「さて、ここから先はもう良いネ」

彼女がそう言った刹那、首筋に強い衝撃を感じた。

いろいろと殴られたり蹴られたり締め上げられたりしていた体は、あっさりと床へとへたり込んでいく。

 

彼女はしゃがみ込み、彼の手からカードを奪う。そして、ポケットを探り中の物を取り出した。

「……ワタシにいやらしい事をしようとした貴方を本当なら生かしておくなんてあり得ないけど、ワタシの拘束を解いてくれたという事で罪を許してあげるネ。運が良かったと思うネ」

 

ちょ、まてよ……。どっちにしたって、俺は金剛を逃がしたという罪で処刑されるじゃないかよ。嘆きが漏れる。本気で死を覚悟するほど怖かったけれど、もう少し一緒に居たいという自分でも理解できない感情があったりする。けれど、全ては意識が遠のいていくのと同じく消え去っていった。

走り去る金剛の後ろ姿が最後の光景となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第194話 泡沫の夢

金剛は、地上へと向けて階段を上へ上へと登っていく。

 

時折現れる兵士達を、事前に察知している金剛は逆に待ち伏せして撃破していく。

敵の防御網は、予想とは異なり柔な上に統率が取れていないのは明らかだった。その上、金剛の対人戦闘能力を過小評価しているのだろうか、兵力を逐次投入してきている。

 

「そんなやり方だったら、今のワタシでも突破は……容易ネ」

上手くいけば、時間を思ったよりは取られずに目的を達せられるかもしれない。もしかすると……。そんな淡い期待を持ってしまう。

ダメだダメだ。過信は禁物。常に冷静さを保たなければいけない。物事が上手くいっている時だからこそ、より慎重にならないといけない。

 

障害となる兵士達の妨害を除去しながら、非常階段を利用して上へ上へと移動していく。

 

最初に浮かんだのはエレベータを使用しての移動だった。しかし、さすがにエレベータを利用するのは危険過ぎると考えるだけの心の余裕はあった。もちろん、本来ならエレベータを使ったほうが時間短縮できるし楽なのは分かってる。けれども動力を停止させられたら、もうどうすることもできないだろう。エレベータ内に当時込められたら、今の金剛の体では、あの分厚いエレベータの扉をぶち抜くことなんてできるはずもない。結果、閉じ込められて、催涙ガスかなんかでも送り込まれたら、それで簡単に無力化されてしまう。

 

急いてはダメだ。

現状、艦とのリンクが切れているものの、自分の戦闘能力は高いままであることは確認済みだ。ただ、培養槽に入れられていた際の機具取り付けによるダメージがあるのは気がかりだ。作業途中で強制終了させたためか、体の内部に蓄積された何かが体を重くしているような気がする。けれど、それはただの気のせいの……はず。だって、体はとても軽いんだから。普段とそんなに差が無いと感じているのだから。

 

さすがに怪我をしたら、自動修復はできないだろうけれど、今の自分はそんなの気にしていられない。とにかく、邪魔をする物は駆逐し、なんとしてもここから脱出するのだ。一刻も早く地上へと向かわなければならないのだ。そのためには少々の犠牲など気にしていられない。仮に少々怪我をしたところで、艦とのリンクが確立することさえできれば、そんな怪我すぐに回復できるのだから。

 

つまり、致命傷さえ負わなければ、どうということはないネ! その事にさえ注意したら、少しくらいの無理はできるはず。

 

そして、幸運だって自分の側にあるように思える。

金剛の阻止をすべき兵士達は、数が少ないだけでなく、指示も明確になされていないらしい。つまり、どう対処してよいか分からないらしく行動が鈍いのだ。恐らくは捕獲命令は出ているものの、無傷で確保せよといった指示状況になっているに違いない。何故なら、彼等は銃器の使用を明らかに躊躇っている。金剛が怪我をするのを恐れている。確かに、誤って致命傷を与えてしまえば、取り返しがつかないと考えて当然だろう。

 

もっとも、たとえ銃弾を浴びて負傷したとしても、艦とのリンクが形勢されれば、その程度の傷などすぐに回復するのだ。けれど、彼らはその事を知らないのかもしれない。

 

ただ、全身がじっとしていてもチクチクと痛むのは何故だろう。改二への処置中なのに、無理に培養カプセルから出たのがいけなかっただろうか? 動く度に全身に激痛が走る。その上、どういうわけか咳き込んでしまい、その度に血を吐いてしまうのだ。もしかして、内臓にまで影響が出ているの……か?

 

そんなことを考え、一瞬、不安になってしまうけれど、そんなことに躊躇している時間は今の自分には無い。

どのみち、ここに所にずっといたら、自分は自分で無くされてしまう未来しかない。

 

提督の事を忘れ、それどころか彼を憎み斃そうとする存在に書き換えられてしまう。そんなものになんて、なりたくなんてない。それは、恐怖でしか無かった。心が死ぬのと同じ事。いや、それ以上に恐ろしい。自分が死んで、体だけが残るだけだなんて、そんなのは何の意味もない。もしも、自分にはそんな未来しかないというのなら、いっそ死んだ方がマシだ。

 

なんとしても……ここから地上へと出る。そして、ワタシをワタシじゃ無くしようとした三笠を、そしてこの施設をこれ以上、この世界に存在させてはならない。

 

全てを屠る! 

 

提督の障害となるものを全て排除してみせる。たとえ、この命と引き替えにしても、成し遂げてみせる。成すしかないのだから。

もう自分の命運は尽きている。それは覆しようのない事実。けれど、その運命を甘んじて受け入れるなんてできない。

 

ワタシは往生際が悪いのだ。

 

今、自分ができることをするのだ。たとえ不可能だとしても。いや、やりたいのだ。たとえどんなに小さな事でもいいのだ。

冷泉提督の進む道の障害を、除去することができるのならば。

 

……せめて、ほんの僅かでもいいから、お役に立ちたい。

 

けれど、それを成し遂げる可能性などゼロに等しいことも理解していた。

 

ここは、艦娘の本拠地。

だから、たとえ戦艦である金剛の火力を持ってしても、壊滅させる事など不可能なのは分かりきっている。もしも、ここで艦とのリンクを確立できたとしても、戦艦一隻の戦力などでは、すぐに鎮圧されてしまうだろう。

 

「あははは……。どうしてこんなことになっちゃったのカナ」

乾いた笑いが出てしまう。

考えるまでもなく、ここに来た時に既にすべては決まっていたのだ。あの時、あの選択をした事で、今日のこの日が来ることが決まっていたんだ。……悔やんでも悔やみきれないけれど、すでに定まった運命、未来だったのだ。

ここで三笠の人形となり冷泉提督の敵となるか、……死を選ぶか。その二択しか無かったのだ。他に選択肢などはじめから無かったのだ。

 

唐突に、冷泉提督の顔が浮かぶ。

会いたい。そして彼の下に帰りたい……。叶わぬ願いと分かっていても、それでも切望せずにはいられなかった。

 

「テートク、お願い……助けて」

 

けれど、もう二度と冷泉提督に会えないことは覚悟していた。そして、すでに決意している。

 

「弱気になったらダメ。諦めたらダメネ」

両手で頬を何度も叩き、自分に渇を入れる。

ここでこんな騒ぎを起こしてしまったからには、もう自分は無事では済まない。ここから無事に逃げおおせるなど可能性がゼロなのは分かりきっている。三笠達を敵に回して、逃れられるはずがない。そして、無事に済む方法といえば、それは三笠たちに捕らえられるしかない運命だ。

 

そして、それは死よりも悪い運命だ。記憶を弄られて冷泉提督と敵対する存在にされてしまうのだから。そんなの、死ぬ以上に嫌だ。

 

ならば、少しでも冷泉提督の障害を取り除く道を―――選ぶのだ。たとえ、冷泉提督と再会する望みがないとしても、ただ彼の役に立つことができれば、それでいい。その願いの完遂は無理とは分かっている。分かっているけれど、やるしかない。自分にはその道しか無いのだから。

 

「戦艦金剛の最後の戦いネ……。今度こそ大切なものを守り抜いてみせるネ」

 

 

 

そして―――。

警報に気づいて、三笠は現地に駆けつけていた。

 

時折生じる振動で、地下で爆発が発生している事は感じ取れた。右手をゆっくりと差し出し、自らの機能を稼働させる。

体と研究施設そのものがリンクし、今地下で起こっている様々な情報が入り込んでくる。そして、内部の状況が次第に明らかになる。

 

状況が分かった事で、三笠は全身を震わせた。

心の底から沸き立つ震え……。僅かながらも拳を握りしめたかもしれない。

 

ざわざわと心がさざなみだつのが感じ取れた。

 

側にいた護衛の兵士達が怯えるのが明確に感じ取れる。恐らく、普段彼らには見せない姿が知らず知らずの内に出てしまったのだろう。感じ取れるものだけが感じる……感覚といったものだろうか? 

 

常に側に使える側近達は、三笠の変化にとても敏感だ。三笠は基本的に日々心を波立たせないように努めていて、意図的にしか感情を表出させないようにしている。そして表に出す感情は、常に喜びや感謝といった周りの人を喜ばせる感情だけに絞り込んでいた。

しかし、今、三笠が纏う雰囲気は、いつもとは異なるものだったのかもしれない。その変化に気付いた彼等彼女等は、その感情を三笠の「怒り」と感じとってしまったのだろう。

 

―――今、三笠の置かれた状況からの彼らなりの推測。それすなわち怒りだと感じてしまったのだろう。艦娘が反旗を翻し、暴れている。そして、ここの管理者である三笠は当然、怒っている。しかも、激怒しているレベル……とでも考えたのかもしれない。

その答えにたどり着き、思わず笑い声が漏れてしまう。その反応に再び怯える側近達。

 

「ふふふ……。ああ、ごめんなさい。そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。私は怒ってなどいませんよ。ふむ……どちらかといえば、喜びの震えなのですから」

 

そう―――。

まさか金剛がこんな極端な行動に出るなんて、思ってもみなかったのだから。

 

まさかまさか、艦娘が一人の男を思うあまり、ここまで極端な行動に出るなんて……ね。残念ながら艦娘の気持ちをすべて慮れるほどの想像力は、この三笠には備わっていなかったようだ。呆れるとともに感心するしかない。その事実だけを見るとこれはエラー、信じがたい事実ではあるけれど、望外の出来事であったことも事実だ。艦娘の可能性が更に高まる可能性の証左である……といえるのではないだろうか?

 

これはこれで、是非とも新しい展開の為に、利用しないと駄目なんだろう。

いかなる事象もマイナスとは捕らえない。常に次のステージへの糧としなければならない。常々学ぶ事が大切なのだ。悲観するのではなく、あらゆる事態に希望を見いだすのだ。

 

「さて、どうしましょうか」

と考え込んでしまう。

いかにこの事案を効果的に利用する方法を考えねばならない。より良き結果を迎えるようにしないといけない。ここでの判断は、今後に向けてかなり重要な場面かもしれない。

 

三笠が思い悩んでいる間にも、金剛は防御網を次々と突破して、上へ上へと上がってきている。情報は側近から伝えられなくても、スイッチを入れた状況では頭の中に次々と入ってくるのだ。

この施設はすべて把握しているし、今どこで何が起こっているかなど、雑作もなく知ることができる。何故なら、この第二帝都東京は、三笠自身でもあるのだから。

 

「あなた……教えてもらえるかしら? 金剛が艦とのリンクを確立できるのは、どのくらいの深度なのかしら? 」

あえて確認のため、側近の一人に問いかける。三笠自身は分かっていてもあえて人間達に確認をするようにしている。それは、側近達を鍛えるためであり、常に緊張感を持たせるためでもある。自身が全てを知っていたとしても、そう思わせてはいけないのだ。

人間とは、順応性に長けた存在である。過酷であればそれに、楽であればそれに対応できてしまう。故に、常に手綱を強く締める必要があるのだ。……自分の側にいる人間は、常に緊張感を持った存在でなければ許せないのだから。

 

「は! 地上20メートルまで近づけば、場所によってはリンク確立されてしまう恐れがあります」

きまじめそうな青年が緊張気味に答える。

 

「ふうん、地下三階が限界値ですか。それでは、私がそこに行きましょう」

そう言うと、側近達の置き去りにして階段を下りていく。

慌てて兵士達が後を追ってくる。

 

現状、エレベータは停止させているから、金剛は階段を上って来るしかない。仮にエレベータが動いたところで彼女も危険を予知して使用しないだろう。

 

それぞれのフロアには武装兵を待機させているが、その防御網は簡単に突破されている。さすが艦娘の中でも戦闘力に長けた戦艦である。

少々の銃撃であれば、艦娘単体でもシールドを展開させて防御できる。拳銃程度では無意味だろう。そして、人間の数倍の速度で動けるため、状況によって回避し、そして攻撃を加える。第二帝都東京に到着後、彼女は人への禁忌が解除されている。ゆえに死を伴うような攻撃にも躊躇していない。人を傷つけるということに対する罪悪感よりも、想い人である提督のためになにかをなそうとする想いのほうがはるかに強いのだろう。加減をしてはいるものの、本当に邪魔をするなら躊躇なく人を屠るだろう。

 

もっとも、迎え撃つ兵士達も艦娘を傷つける事を恐れて、本気で攻撃をしようなどとは考えていない。彼等は艦娘一人の価値をよく知っている。しかも相手は戦艦である。その価値は艦娘の中でも最上位に位置する。迂闊に攻撃して怪我でもされたら後が大変だ、と無意識のうちに判断しているのだろう。

 

しかし、度重なる戦闘に限界を超えた能力を使用させつづけられているため、金剛の疲弊が酷くなっているのは間違い無い。

 

「改二改装中に培養槽から抜け出すような無茶をする、……なんて馬鹿な子なのかしら」

それがどれほどの無茶なのかは、三笠はよく知っている。金剛だって認識しているはずなのに。今の彼女は、普通に歩くのさえ大変な状況であるはずなのだ。それでも戦いながら、上へ上へと向かってきている。

愚かであり、しかし驚きでもある。

金剛が何を考え、何を為そうとしているかを慮り、心が躍る。

 

 

そして。

 

ついに地下三階で待ち構える三笠の前に現れた金剛は、血まみれの姿になっていた。その状態が戦闘による負傷で無い事はすぐに分かった。足止めに差し向けた兵士達は、ほとんど役に立たなかったようだ。……もっとも、まともな指示もあえてしなかった事にも原因があるのだろうけれど。

 

挑むような瞳でこちらを見る金剛を、ゆっくりと観察する。

 

体中のあちこちから出血している。それもかなり酷い状況だ。原因は、改装途中で無理矢理培養槽から出された事による反動なのである事は疑う余地が無い。改装作業中の艦娘は非常にもろくなる。それを保護するための培養槽であり各種機器なのである。ある程度、状態が落ち着くまでは、絶対に外へ出してはならない事は常識である。普段なら何の事もない事でも、改装作業途上の艦娘にとっては深刻な影響を受けることだってあるのだ。それはただの空気ですら、状況によっては猛毒になる事だってあるのだ。

 

何が彼女に影響を与えたかは不明だけれども、相当にダメージが蓄積されているのは間違い無いようだ。呼吸は荒く、息絶え絶えといった感じだ。すでに限界を超えているのは間違い無い。もはや、立っているのさえやっとのように見える。

 

とはいっても、……相手は艦娘。しかも戦艦である。油断はできない。実は何のダメージも受けていないのに、そういった演技をしている可能性だってあるのだから。

注意すべきは、それだけではない。あと数メートル上昇すれば、彼女と戦艦金剛とのリンクが確立されるのだ。今、ぼろぼろになっている体は、リンク確立と同時に瞬時に回復されるだろう。そして、金剛の目的はそれであることは間違いない

ほとんど改装に手を付けていないとはいえ、地上の戦艦が彼女の指揮下になるのだ。まともに戦艦の攻撃をうければ、第二帝都東京はほぼ壊滅するほどの損害を受けるだろう。

 

「ああ、なんてワクワクするんでしょうか! ここで一歩間違えたら、第二帝都東京そのものが壊滅するという境界点に立っているのです。これは、信じられないほど興奮してしまいますね! 」

そう言って、にこりと三笠は微笑む。

「こんな気持ちになるのは、どれくらいぶりなんでしょうか」

興奮気味に語る三笠を怯えたように取り巻きの兵士たちは見ているしかできないようだ。賛同してくれないとなんとなく寂しいものがあるなと感じる。

 

三笠は躊躇なく、一歩前に進んだ。

 

……ついに金剛と相対することとなる。

 

 



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第195話 届かぬ願い、叶わぬ想い

「今すぐそこを退いてほしいネ! そうしたら、何もしないでいて上げるから」

金剛の喋り方は、いつもどおりだが、表情が尋常じゃない。瞳は炎のように燃えているように見える。見ているだけで分かる。彼女の体はボロボロだけれど、決して諦めていない。

 

階段を背にして立つ三笠。表情は穏やかで、幽かに笑みがこぼれてしまう。

 

「何を余裕ぶって笑っているネ」

苛立ちを見せる金剛。

 

「ふふふ……通して欲しいのなら、私を倒して行きなさい」

そう言うと、わざと後ろを振り返る。視界には地上へと向かう階段がある。恐らく、数段でも駆け登ればリンク確立距離となる。

 

「だったら……そうするネ! 」

躊躇無い踏み込みで手刀を突き出し、金剛がすぐ至近に飛び込んできた。ボロボロの体であるはずなのに、その速度は、三笠の予想を超えたものだった。一瞬ではあるものの動揺してしまった。

しかし、すぐに全てが見える。分かってしまう。所詮、なんとか対応可能な速度でしかない。三笠はニコリと微笑むと、金剛の突き出してくる手刀をスッと避けたのだった。

 

「え? 」

金剛は、一瞬動揺したような表情を見せる。しかし、すぐにその表情に笑みが浮かんだ。

彼女は躊躇なく前を向いて歩を進める。三笠の横を駆け抜けていく。

 

すぐに彼女の意図が分かった。攻撃は単なる陽動。ダメージが与えられれば儲けもの程度にしか思っていない。彼女が躱すことを見越したものだったのだ。

 

本当の目的は、三笠の向こうにある階段だったのだ。

 

廊下を転がるように移動し、三笠から距離をとる金剛。そして、起き上がると前方の階段を駆け登っていく。

「リンクが確立するねネ! 」

金剛は勝利を確信したのか、階下の三笠を見下ろしながら叫んだ。

 

その刹那、明確な変化が金剛に現れる。出血が急速に止まる。弱り切っていた彼女の体に光が溢れるような変化が生じていたのだ。端から見ても分かる。萎れた植物が水分を得てみずみずしくなっていく姿を早送りで見ているような変化だった。

みるみる内に体が回復していく感じだ。

戦艦金剛とのリンクが完了していく様子がこれほどまではっきりと見られるとは……。

自分を取り巻く状況が悪化へと向かっているのは認識しているけれど、随分と冷静に三笠は金剛の変化を観察していたのだった。

 

そして、感動をしていた。

 

「もうあなたに勝手な真似はさせないね! 」

金剛が叫ぶ。もはや、先程までの傷つき衰弱した弱々しさが微塵も感じられない。

 

彼女の思考に併せ、地上では戦艦金剛が起動し、彼女の意思に反応して全砲塔が動き始めているのが三笠にも感じ取れた。全ての武器が第二帝都東京の各主要施設を狙っているのが分かった。搭載した全ミサイルも発射態勢に入るのが分かる。

そして、それだけではないようだ。彼女は戦艦金剛に内蔵された終局兵器へのエネルギー充填を始めているようだ。

 

どうやら本気でこの街を滅ぼそうとしているみたいね……。

 

これだけの兵装を一斉斉射すれば、第二帝都東京も無事では済まないのは明らか。通常海域で使用可能な兵器をすべて一度の使用するつもりだ。そんなことをした艦はこれまで存在していない。どれほどの破壊エネルギーが発生するか考えただけでもゾッとする。

 

「全てを壊して、何もかも終わらせるね」

全てを覚悟した者の強い意思を金剛から感じ取る。それはとてつもなく悲壮感に溢れ、哀れさに三笠は思わず涙ぐんでしまう。

彼女は全てを犠牲にして、成し遂げようとしているのだ。

 

圧倒的破壊エネルギーが戦艦金剛に充填されていくのが三笠にも感じとれた。それに呼応して眼前の艦娘金剛にもエネルギー注入が行われている。その姿は、まるで光を放っているかのようにさえ見る。

 

「ふふふ……リンク切断」

唐突に、三笠が小声で呟いた。

 

「え? 何を言ってる……ぐフォ!」

刹那、金剛の体が雷に打たれたように震えた。次の刹那、彼女は激しく吐血し嘔吐した。

「な、なにを……したネ」

両手で必死に口を覆うが、吐血を止めることができない。そして、彼女はそれ以上立っていることさえできずに、倒れ込んでしまう。

 

「な、何が……」

金剛の瞳はすでに焦点が定まっていないように視線が中空を彷徨う。恐らく、視界が急速に狭まっていっているのだろう。さらに涙があふれ出し、それは金剛の体を真っ赤に染まっていく。痛みに耐えかねたのか、目を閉じてしまう。しかし、出血は止まらない。口からも鼻からも、耳からも……体中の穴という穴から赤い赤い血が溢れ出て、彼女の体を伝い落ちていくのだ。

 

光を求めて必死になって目をごしごしと擦っているが、溢れ出る血は彼女の視界を赤く塗りつぶし、光を取り戻させない。

 

「な、……なんで? 」

言葉を発する度に口からも出血する金剛。

 

必死に起き上がろうとするが、もはや体が自由に動かないようだ。彼女にできることといえば、地面にへたり込むのを必死になって堪えるだけだ。そして、言葉を発しようとしても、すぐに咳き込み吐くしかできない。

 

「ふふふ……あははははは」

高らかに笑い声。それは三笠から発せられたもの。彼女は金剛の側まで歩み寄り、彼女を見下ろす。

「金剛……残念だったわね。艦とのリンクを確立できて、勝ったと思ったでしょう? 形勢逆転って期待したかしら? けれど……残念ね。ここは第二帝都東京。すべてが私の指揮下にある街。ここでは私がすべての権限を持っている事を忘れたのかしら? 」

その声はあくまで冷静で、静かであった。

 

「まさか、わ……わざとリンクを確立させたの」

瞳を開くことができない金剛が、声のする方に顔を向けながら問いかけてくる。本当なら美しく可憐な彼女の顔なんだけれど、血に染まり苦痛に歪んでいる。

 

「フッ……。勝ったって思ったでしょう? あなたの勝利を確信した笑顔は、見てて実に痛快だったわ。そして、その後のショックを受け動揺した顔が、喜びから絶望へと反転していく表情が、もっともっと素晴らしかった……。あなた、とてもとても美しかったわ。……どう? リンクをいきなり切られた衝撃は。膨大なエネルギーが体を逆流する感覚は、これまで味わったことが無いでしょう? どうなのかしら? きっと痛いでしょう、苦しいでしょう? 想定していない衝撃には、いくら強化したとはいっても人の体は耐えられないのだから」

 

「く……」

悔しさに顔をさらに歪ませる金剛。

 

三笠は満足げに彼女を見つめ、唐突に頸を掴み、無理矢理に引き起こす。

為す術もなく翻弄されるしかできない金剛。

三笠は、片手で金剛を軽々と持ち上げる。金剛の両足は中に浮いている状態だ。藻掻こうとするがその力の前には抵抗などできないようだ。そもそも、抵抗する力さえ残っていないのだろう。

 

「あなたの心が、その想いが……冷泉提督に対する想いがこれほどまでに強いとは思っていませんでした。これは私のミスですね。それにしても、あなたが冷泉提督にそこまで執着していたなんて。人間なんかにそこまで固執するとは、本当に驚きです。一応、予想はしていたけれど、あまりに想定外でした。それにしても……こんなに心が汚染されてしまったら、あなた、残念だけどもう使えませんね。せっかくここまで育てたっていうのに。育ったというのに、本当に残念です」

そうは言いながらも、残念さなど微塵も無い。

 

「だ、だったら、……さっさと殺すネ。あなたなんかに利用されて、テートクの敵にされるくらいなら、生きていても仕方無いネ。さっさと殺せばいいネ」

吐き捨てるように言う金剛。瞳を無理矢理開き、血まみれの状態で、三笠を睨み付ける。瞳は赤く染まり、もはや視力はほとんど無くなっているはずだ。

「それで、私は死ぬ事でテートクの敵にならずに済むネ。……本当はもっともっと生きて、テートクのために戦いたかったけれど、それは無理なこと。仕方無いネ。でも、あなたの駒のように生かされ使われ、これ以上テートクを傷つけることにならなかっただけでも、……ワタシの勝ちネ! 」

全身には相当な痛みがあるだろうに、笑ってみせる金剛。

 

「あらあら、威勢がいいわね。……それじゃあ、死になさい」

そう言うと、首刀を金剛の胸に打ち込む。手刀はいとも簡単に金剛の体を貫く。

 

「がガッ……」

吐血して呻き声を上げる金剛。彼女の視力はもはや無いはず。それでも必死になって敵である三笠を見る。

「ワタシは、あなたの思うようになんてならない。舞鶴の他の艦娘も、みんな同じネ。ワタシを殺しても、何も変わらない…ネ。ワタシが死んでも、テートクは、みんながきっと守って……くれる。だから、ワタシは、後悔なんてしない」

絶え絶えになりながらも、必死に喋る。

 

「あら、そう。うふふふ。残念ね、金剛。確かにあなたはここで死ぬけれど、それはあなたという一つの存在が死ぬだけでしかないの。戦艦金剛という存在は、決して死なないわ。残念だけど。別の金剛があなたの代わりに改二改装を受けて、横須賀鎮守府に行くことになるだけよ。そして、あなたの愛しい冷泉提督と対峙することになるのよ。あなたの代わりはいくらでもいるのよ。残念ね。こんなに辛い思い痛い思いをしたっていうのに、、あなたは無駄死にでしかないのよ。……でも安心して、あなたという一人の戦艦金剛が死んだという事実は、別のシナリオに利用させてもらうから、決して無駄にはしないように私が活用してあげるから……ね」

心から楽しそうに笑ってしまう三笠。

 

刹那、金剛の表情が一変する。明らかな動揺が表情に出る。

「そ、そんなのさせないネ、……ゆるさない」

金剛はどこにそんな力が残っていたのだろうか、突然動きだし、三笠に挑みかかろうとする。しかし、三笠はまるで慌てた様子もなく、突き入れていた右手で掴んでいた物……彼女の心臓を力を込めて握りつぶす。

 

ぐちゃり……という音が金剛の体内からした。同時に金剛が激しく吐血する。その血は三笠へと降り注ぎ、彼女の顔や衣服を血で真っ赤に染めていく。

しかし、三笠はまるでその状況に頓着していない。あえて金剛の血のシャワーを浴びる。面白い物を見ているように口元に笑みさえ浮かべている。

 

「許さない、じ、地獄に落ちるが……いい」

金剛は血を吐き出しながら、呪詛の言葉を吐いた。そして、再び咳き込んだかと思うと首がガクンと垂れ、そのまま動かなくなってしまった。

 

「あらあら、もう少し気の利いた捨て台詞を言うかと思ったのですが……それどころじゃなかったのですかね」

そう言うと三笠は静かに笑った。そして、金剛の体を床へと無造作に投げ捨てる。

彼女は手を上げ、兵士達を呼ぶ。呼ばれた兵士の一人が慌ててタオルを差し出す。

「この子の首を抉って中の基板を取り出してちょうだい。それから、速やかに……スペアに移植をするよう技術班に連絡をしてもらえるかしら」

と、血を拭き取りながら、平然とした表情で指示を行う。

 

「は! ……こ、金剛さんの遺体の処置は、どうしましょうか。」

一人の兵士に問われた三笠は一瞬何の事か分からないような表情を見せる。すでに床に横になった遺体の存在すら忘れているよう。

「そこに倒れている……金剛さんの事なのですが」

兵士は再度、説明するような口調で訴える。

 

「ああ、……そんなもの、他の失敗作と一緒に処分場にでも捨て置けばいいでしょう」

言われて初めて気づいたかのように三笠は答えた。

 

「は、しかし……」

兵士は、まだ何かを言いたそうに三笠を見つめている。

 

「はい? なに、なにかしら? 」

そんな兵士に苛立ちを込めた言葉を向ける。

 

「そ、その、こちらに提供された遺体は、遺族に返す契約になっていますので……。戦闘による沈没であれば領域に沈没ということで遺体回収不可で対応可ではありますが、今回は何の戦闘も行われていないわけで……しかも、陸地での事ですので、遺体を返還しないと、その、いろいろと不具合が。特にそこの金剛さんの場合は、それなりの地位の方のご令嬢だったわけで……」

 

「ああ、ああそうね。思い出したわ。そういう契約になっているなら返してあげないと、騒ぐ人達も出てくるのでしたね。けれど、どうせこんな状態のままで返すわけにはいかないでしょう? そもそも艦娘のベースとなる人間は、顔も体も散々弄り倒してしまって、もう元が誰なのか分からなくなっているんだから。今の彼女を見たら、ご遺族は誰だこの女は! って最後に会った時とまるで違う姿に卒倒してしまうんじゃないでしょうかしら」

 

「は、はあ。仰るとおりですが……とはいえ、何もしないわけには」

本当に困っているのか、今にも泣きそうな表情になる兵士。

 

「ふふふふ、冗談ですよ。分かっていますよ、ちょっと貴方をからかっただけですよ。……遺骨を返せばいいんでしょう? とはいえ、やることは同じです。失敗作も同じように荼毘に付してから、遺族に返すだけなんだから……。それにこの子がどこの大家から差し出された生け贄なのかは承知しています。丁重に娘さんをお返ししないといけませんね。私も赴かないといけないかもしれないほどのお家の子なんですから」

冗談なのか本気なのか、まるで分からない態度で兵士をからかうような口調。それに対してどう答えて良いか分からない兵士は、黙ったままだ。

 

「さあさあ、みなさん。突っ立っている暇はありませんよ。速やかに被害状況を把握して復旧作業を開始しなさい。それから医療班に連絡して、この子の代わりの娘を改二改装処置をするように伝えなさい。どの子にするかは任せますから」

三笠の指示を受け慌ただしく兵士達が動き始めた。

 

「さあ、……この事実をどういう風に利用しようかしら。大きな計画変更は必要だけれど、まあそれはそれで楽しみではあるわね。失敗を失敗で終わらせるようでは駄目なのです」

少し考え込む彼女を数人の兵士達がじっと待っている。三笠の側近達である。彼女の指示を待っているのだ。

 

「そうね、決めたわ。明日の朝一番、叢雲を私のところに来させるように手配しておいてくれるかしら? 」

唐突な指示に兵士達が戸惑ったような表情を見せる。

 

「新たな感情の流れをこれで作れるかもしれないわ。それがどういった新たな動きを作り出すかは、予想もできないわね。けれど、それも楽しみの一つ。大きな大きな感情のうねりを起こすことができたらいいのだけれど」

彼女が何を意図して言っているのかまるで分からないままで兵士は三笠を見つめている。

 

「さあさあ、ここに突っ立っている暇はありませんよ。皆さん、速やかに動いて頂戴。そこの死体の搬出や、壊された施設の修繕、明日以降の為の準備。やることはいっぱいあります。けれど時間は有限なのだから、速やかに働いてくださいね。……あとはこの後始末をつける必要がありますけれどね」

といくつかの指示をし最後は謎めいた言葉を発すると、三笠は楽しげに笑いながら去っていく。

 



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第196話 想い届かず……

 

 

相手を想う気持ちが強ければ、必ずそれは相手に伝わる。

そう言われたことがあった。

 

強く強く思い続ければ、きっと分かってくれる。

純粋にそれが正しい……あの頃の自分は、信じていた。

 

けれど、想うだけでは何も通じないことに気づかされる。

言葉にしなければ人というものは解り合えない……。そして、それを知った時には、すでに手遅れであると思い知らされることになる。

 

「それが……アタシ」

無意識に想いが口からこぼれ出てしまう。

慌てて周りを見回し、誰もいないことを確認してホッとする。

 

ここに来てから、この想いが強まるばかりだった。

どうして自分の気持ちを伝えられなかったんだろう。その後悔が強まるばかりだ。

 

はじまりは、最悪だった。

階段を転がり落ちてきた提督に唇を奪われて胸をまさぐられた。……あまりの事に驚いて、思い切り引っぱたいて、提督の顔が酷い事になって……。女の子にそんなことをしたっていうのに、アイツは、ちっとも反省してなくて。こっちがどれほど恥ずかしかったか全然分かっていない、デリカシーの無い奴。ホントに最低!

 

思い出して、どういうわけか腹が立つのに口元が緩んでいることに驚いてしまう。

 

その後もいろいろあったけれど、だんだんとアイツの事が……提督の事が分かるようになってきた。そして、いつしか無意識のうちに彼の姿を目で追う自分がいたのだ。

側にいたら鬱陶しいけれど、いないととても寂しい。声を掛けられるだけでドキッとするし、褒められたりしたら本当に嬉しい。けれど照れくさいから、突き放すような言葉を言ってしまう。そして、あとで反省して自分に幻滅する。そんなことばかりをずっと繰り返していた。

 

それを恋だとは知らなかった。

他の艦娘と一緒にわいわいやっている時が楽しくて、……本当は戦時ということでそんなことにうつつを抜かしていちゃ駄目なのだろうけれど、楽しかった。こんな時間がずっとずっと続くと思っていたのかもしれない。だから、そんな自分の気持ちと向かい合う必要もなかったのかもしれない。

 

自分が彼の事を「好き」だと意識しだしたのは、いつ頃なのだろう?

思い返してみると、それは……たぶん、正規空母加賀が舞鶴鎮守府に着任した頃だと思う。

 

生きることを諦めて、死に心を取り込まれた艦娘を立ち直らせようと、冷泉提督は本当に一生懸命だった。素気なく扱われ、蔑むような冷たい瞳で睨まれても、しつこいくらいに彼女に纏わり付いていた。彼は一生懸命だった……。

 

そんな提督を見て、胸の奥がチリチリするのを感じたのだ。それは他の艦娘と提督がいちゃいちゃしていても、感じる事のなかった嫌な感情だった。その感情の正体が分からないまま、日々を過ごしているうちに、提督の熱意と優しさが、いつしか頑なな加賀の心を溶かしてしまっていた。とてもとても大きな代償を彼は払ってしまったけれど、加賀を立ち直らせることに成功したのだ。彼女のそれでも加賀は素っ気なくて冷たい対応を提督に取るから、艦娘達は怒っていたけれど、叢雲には分かっていた。冷泉提督の背中を愛おしげに見るめる彼女の瞳の訳を。

 

そして―――冷泉提督だって彼女の事を好きだということも。何気ない素振りを見ているだけでも、提督が加賀の事を大切にしているのが感じ取れてしまい、寂しい気持ちに何度もなっていた。そして、彼の気持ちを知ってしまったから……いつの間にか、今までのように彼に接することができなくなってしまっていたんだ。

 

アタシは、提督の事が大好き。その気持ちを押し殺すようになっていたんだ。

 

正規空母である加賀を相手に、勝負を挑んだって勝てるわけがない。あらゆる面で彼女の方が上なのは分かりきっているもの。おまけに、今まで提督には暴言を吐いてばかりで、言う事を聞かない我が儘艦娘だっていう印象を持たれているもの……。

 

分かっている。アタシなんかに、勝てっこない……。

 

自分の気持ちを押し殺して、提督達を見ることが辛かった。焼ける様な胸の痛みが辛かった。ドロドロとした汚い感情が加賀を見るだけで、提督を見るだけで湧き出してくる自分自身に耐えられなかった。そして、自分はなんて嫉妬深い存在なんだろうと激しく嫌悪したのだ。

 

もっと早く、加賀が来る前に冷泉提督に想いを伝えていたら、きっと提督に愛されていたかもしれない……。仮に叶わなくても、想いを伝えることで諦めることができたのに。どうして、ずっと言わなかったんだろう。言えなかったんだろう? 

 

……辛いよ、苦しいよ。悲しいよ。

 

そして、この気持ちを秘めたままでいたなら、いつしかきっと、大切な仲間であるはずの加賀を憎んでしまうかもしれない自分が怖かった。後から土足で踏み込んできて、みんなの……いいえ、アタシの提督を奪い去った憎い女……なんて。

 

だからこそ、舞鶴から離れたかった……冷泉提督から離れたかった。自分の感情が制御できなくなる前に。そのためには冷泉提督のいない場所に行くのがベストだと思ったのだ。離れられる事ができるのなら、きっと忘れられる……はず。

 

そんな時に、三笠よりの誘いがあったのだ。これこそ、渡りに船とばかりに乗ってしまった。提督から離れたかったのは事実だけれど、もしこの話が出たなら、きっと冷泉提督は引き留めてくれると思ったのだ。少しでも自分のことを大事に思ってくれるのなら、第二帝都東京へ行くことを拒否してくれると思ったのだ。

 

結果は、まるで逆だったけれど……ね。

提督にとって、アタシは引き留めるに値しない艦娘だったって事なんだ。いろいろと他の艦娘より接点が多い事もあったから、きっと大事に想ってくれているなんて自惚れていた。

現実はそんなに甘くないわけ……あははは。乾いた笑いが漏れるだけ。

 

嫉妬にまみれ、そこから逃げようとした結末がこれなのだ。大好きな人とは二度と会えなくなるだけで、今、本当に困っているはずの思い人の役に立つことなどできない。

 

最悪だ……。

 

 

 



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第197話 報い

 

時間は少し遡る。

 

金剛の反乱の騒ぎが収まりかけた頃。事件の発端の原因社である草加甲斐吉は、ここ場からの逃げ時を必死に思考していた。

 

金剛から受けた理不尽な暴行により、未だに全身がヒリヒリと痛むが、なんとか動けるレベルにまで回復した。首回りにはどす黒い痣が残ったままだ。くそ、あの女……なんという馬鹿力なんだ。見た目はあんなに可愛いくてか弱そうだったから油断してしまった。所詮、化け物は化け物だったんだ。見た目に騙された自分が馬鹿だったということか。

 

それはともかく、……今考えるべき事は、この窮地からいかにして離脱するかということなのだ。

 

何度か爆発音のようなものが聞こえたりしていたが、いつの間にか静かになってしまっている。

つまり、金剛の反乱は、あっけなく鎮圧されたということなのだろう。彼女は艦とのリンクを確立させて、ここから逃げだそうとしていたように思う。艦とのリンクが確立できたのなら、当然、戦闘が行われるだろう。こんなもんじゃ無い、もっともっと凄まじい爆音と振動が感じられたはず。しかしそれがまるで感じ取れないのだから、彼女の望みは絶ち消えてしまったに違いない。貴重な戦艦であるゆえに、謀反を働いたからといって、殺されることは無いだろうけれど。何だかんだいいながら生け捕りにされてしまうのだろう……。

そして、はたと気づき、思い至ってしまう。

 

おい、ちょっと待て。金剛が生け捕りされたのだとしたら、当然、彼女に尋問がなされるはず。おづして、外に出られたのだって。……金剛がゲロったら、自分が培養槽から出した犯人だと完全にばれるじゃないか。 

 

どうしよう!!

一気に血の気が引いてしまい、焦ってあたふたしそうになる。

瞳に焼き付いていた金剛の裸体を思いだして、熱くなっていた股間が一気に縮んでしまう。身の危険が欲望を軽々と上回り、鼓動が高まり、全身に寒気がする。おまけにくらくらと目眩までする始末。年頃の少年にありがちなスケベ心なんて簡単に吹っ飛んでしまった。

 

駄目だ駄目だ。……すぐに気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。いまさら足掻いたところで、どうなるものでない。ジタバタしたところで、済んでしまった事は取り戻せない。自分なりにうまく擬装したつもりだけれど、どこかでミスっているかもしれないもんな。

 

そもそも、金剛が気を失っている間に用事をよろしく済ませてすっきりして、元に戻す完璧な計画が失敗してるんだから。最高の女と一時のアバンチュールを楽しみたかっただけなのに! それどころか、あの女を取り逃がした事で、すでに大失敗を犯してしまっているのだから。この上、更にどこかでヘマをやってるかもしれない。

 

自分が金剛の暴走との関係がどこかで漏れるかもしれない。すでにあの女がゲロっているかもしれない。それに、どこに監視カメラがあるか知れたものじゃないことからも、自身がどうなるかなんて、神様以外には予想できないわけだ。

 

そもそも、今、ここに自分がいることが最悪なのだ。様々な隠蔽工作が完璧に機能したとしても、みんなすでに撤収したはずの研究施設にいることが見つかれば、確実に容疑者ナンバーワンだ。

 

そして、今まさに多くの兵士達がこの建物に集まってきているはず。金剛を無力化したなら、次は原因究明のためにやってくるだろう。もたもたしていたら、連中に見つかってしまう。

 

「ああ! 最悪だ。どうしよう。見つかったら追求される。追求されれば、事実がばれる。ばれたら絶対にあいつ等、許してくれないだろう! 死ぬのか、俺は殺されるのか。健全な少年が誰もが持つ欲望を発散しようとしただけじゃねえか! なんでこんなことに……ひえええええ! 」

自分でも驚くほど情けない声を上げる。そして、地団駄を踏んでしまう。ちっとも落ち着けない。

「……いや、待て。ここで諦めたら駄目だ。終了の笛が鳴るまでは、試合は終わっちゃいないんだからな。絶対に、逆転のチャンスだってあるはずだ。……そうだ、きっとそうだ。ここは人間の数が少ない。だから捜索隊を編成するのも大変なはず。そして、施設はとても広い。きっとどこかに隠れる場所がいくらでもあるはずだ。食料だって、これまでの生活の中で、黙って誰にも気づかれずに倉庫から持ち出すことができることは知っている。完全なる都市といいながら、実際は未開のジャングルのような場所でもあるんだ。そもそも、俺一人をみんなが血眼になって捜すほどの価値なんて無い。それに、可能性は低いかもしれないけれど、自分の行為が認知されていない可能性だってあるんだ」

そう思うと僅かに希望の炎が点る。

「諦めたらそこで試合終了だもんな」

三笠たち艦娘だって万能じゃない。きっと見落としがあるはずなんだ。だって、自分みたいな奴をこの施設に入れてしまったんだからな。入れたってことは、出る事だって不可能じゃないかもしれない。そう自分を励ましている内に、よくわからないけれど元気が出てきた。自分の素晴らしさに興奮してしまう。

 

とにかく、最優先はこの窮状っから抜け出す妙案を絞り出すことだ。それが自分にはできる自信がある。精神が落ち着いたら、真実が見えてくるように思えた。

 

ここの施設は、これまでの勤務から細部まで知り尽くしているつもりだ。なにせ、帰ってもすることがない仕事だから、いろいろと施設の構造を調べていたんだ。それくらいしか時間つぶしができるものがなかったことを今は感謝している。

 

上にいるであろう連中がどういう経路で来るかは予想できた。エレベータが停止されていることから、階段で来る事は間違い無い。エレベータは監視下にあるのだろうけど。

 

頭をフル回転させて、待避場所を検索する。こんな時に必要なのは、観察眼だ。昔から自分には優れた観察眼があると褒められてきた。

 

先程から状況を確認しているのだが、いつもと施設の状況が違う。照明は非常灯になっている。しかも一部は点灯できていない。空調も停止していて、じわじわと室内温度が上昇している。しかも、それが改善される気配もない。これは、もしかすると金剛がシステムに侵入して、システムをダウンもしくは不調にしたのではないか? と結論づける。それがいつからかはわからないけれど、運が良ければその影響でカメラ記録がとんでいるかもしれないと楽観的な考えが起こる。そして、現在もシステムがおかしい状態であるのは間違い無いだろう。ならばチャンスではないのか。

 

となれば、どうにかなるかもしれない。

 

探せ探せ、逃げる方法を探すんだ!

 

俺は、地元では幼い頃から天才、神童と言われてたんだ。だからこそ、軍が俺の才能を放っておかなかった。特待生でスカウトされたんだ。軍が認めたこの才能、自分の本当の能力を発揮したら、きっとこの窮地を脱せるはずなんだ!

 

「考えろ、俺。できるぞ、俺」

ポジティブに行く。

 

では、どこだ?

換気口? 天井が高すぎてたどり着けない。脚立を準備しなければ行くことはできない。仮に上れたとして、脚立の始末はどうする? 却下。どこかの部屋に隠れる? いい手かもしれないけれど、捜索をしないはずがない。そもそも、鍵無しで入れる部屋など限られている。却下。

スーパーコンピュータに匹敵するであろう自分の頭脳を必死に、必死に頭を回転させ、答えを求める。しかし、全て何もかもバッド・アンサーを返してくる。

「うおおおお!! 」

頭がオーバーヒート! 

 

頭の芯がチリチリと焼け焦げる臭いが本当に感じられた。120%の能力を発揮という、遙か昔のキーワードが浮かんだ時、天啓のように唐突に光が見えた。

腹立ち紛れに蹴り飛ばした壁に切れ目が現れ、まるで扉のように開いたのだ。2m×1.5m程度の扉が唐突に開いたのだった。ありえないはずの空間の出現。その先は暗くて何も見えないが、俺にとっては希望への光が差し込むように見えた。その不可視の光に導かれるまま、ドアの向こうへと俺は滑り込むように飛び込んだのだった―――。

 

 

そして、取っ手も何もない扉をなんとか閉じることを完了する。数分後、階段から足音が複数聞こえてきたかと思うと、兵士達がやって来たようだ。

 

一体どうなっている? なんとか外の様子を確認できないだろうか? そう思った途端、真っ暗だった部屋に光が差し込む。なんと、閉ざされた扉に草加の願いを叶えるかのように細い細いスリットが生じたのだ。それは1ミリ程度しかない細い溝だったけれど、これなら外の連中に見付かることなく、様子をうかがえる。

 

草加は食い入るように様子を見る。

 

その数は僅かな隙間からのぞき見る状態のため、正確には分からなかったが、少なくとも二十人近くいたはずだ。普段見たことの無い、いかにも屈強そうな連中で、ゴリラと間違えそうなぐらいガタイが良かった。見たことのない機具をリュックサックのようにして背負い、ヘッドディスプレイのようなものを装着している。皆が武器を持っている。こんな連中に捕まったら取り押さえるという動作をされただけで、骨の何本かは折られてしまいそうだ。

彼等はその類人猿のようなゴツイ体からは想像できないほどの俊敏さできびきびと動き、確認動作を口にしながら、的確に状況調査を行っていく。後から科学班と思われる職員が数名やてきて、培養槽のある建物へと案内されていっていた。

あちこちを調べまわる兵士達。執拗なまでの彼等の捜索は、草加の精神をまいらせる。連中は施錠された部屋も片っ端から解錠し、警戒しながら捜索していく。

 

草加のような一般職員は1階から培養槽のある施設まではエレベータで直行させられ、途中の階には降りることは無い。

興味も無いから階段を使ったりエレベータで途中下車するような者は一人もいなかったはず。けれど、草加は何かの役に立つと思い、この施設内もいろいろと彷徨いてみたりしていた。時々警備兵に見つかったりしたが、とくに注意を受けただけで何も無かった。もっともすべての部屋に鍵が掛かっていて権限の無い人間は入れないという前提があったから見逃してくれていたのかもしれないけれど。

 

捜索する兵士達は常時鍵が掛かっている部屋を全て開けてまで確認しているということは、つまり金剛脱出の容疑者は、連中にも推測が立っていないという証左ではないか? どうやら、連中、金剛から犯人を聞きだすことに失敗したようだ。

容疑者が草加達培養施設で働く者と思っていたら、他のフロアを探すのは当然としても施錠された部屋を探すわけがない。つまり、逃げ切るチャンスがあるということだ。

 

これは奇跡だぞ。偶然の悪戯が隠し扉を発見させ救ってくれたのだ! 希望が見えたわけだ。神は我に味方したんだ。

草加は今まで以上に気配を絶ち、捜索を続ける兵士達が去るのを辛抱強く待った。

 

それから、どれほどの時間待ち続けただろう。

 

やがて兵士達は確認を終えたのか何事か言葉を交わしながら階上に上がっていった。それでもまだ残っている奴らがいるかもしれない。慎重に慎重に警戒を怠らず、じっと中腰に近い格好で外の様子をうかがい続けた。

ずっと同じ姿勢のままであることから膝がガクガクし、背中が痛くてたまらないほどの時間、身動きすら我慢して堪え続ける。

 

今何時なのだろうか?

 

焦るな。もう少し、……あともう少し我慢すれば、朝が来るはずだ。ここで急いては全てが水泡に帰す。やり過ぎというくらい待った方がいいのだ。

 

朝になれば、皆が出勤してくる職員の中に紛れ込めば、気づかれずになんとかなるんじゃないか? 

雑だったとはいえ、隠蔽工作が功を奏したようで、連中は犯人の手がかりにすらたどり着いていなさそうだ。ならば、今日はなんとかやりすごし、あとはこの街のセキュリティの穴をついて、地下にでも潜り込めば逃げ切れるかもしれない。それどころか、このまま普通にやっていけるんじゃないかってさえ思ってきた。どう考えたってここの人間の数は、施設の巨大さに比べて少なすぎる。やり過ごすチャンスがある。自分の高次元演算思考処理能力があれば、エリートの自分であれば、こんな難局なんて軽くクリアできるかもしれんぞ。

 

「そうだ、俺ならきっとできる。俺は、横須賀や舞鶴の提督なんかより絶対に優れているんだから。たまたま運が悪くてこんなところで燻っているだけなんだ。本当の能力を引き出すことができれば、奴らよりもっともっと働ける。俺はやれるぜ」

小声で呟き自分を鼓舞する。そうすることで何故か自尊心がくすぐられて気分が良くなってきた。

そうマイナス思考なんて無駄なことをしていちゃ駄目だぜ。俺はスゲー男なんだよ。ここで艦娘連中に取り入り、逆にモノにしてやるぜ。特にあの偉そうな三笠。人を虫けらか石ころ程度にしか思っていない冷血女め。絶対に俺の足元に跪かせてやるからな。俺の本当の実力を見たら腰を抜かすぞ。

 

「フフフン、今に見てろよ……」

そう言ってニンマリとしてしまう。

 

「何を見ればいいのですか? 」

突然、背後から女の声がした。

 

「ぎゃん! 」

驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げてしまう。

暗闇な上、背後を取られていたために何がなんだかわからない。そもそも、草加が逃げ込んだ部屋はごくごく狭い部屋だったはず。それ以前に誰も居なかったはずなのだ。それに数時間ずっとここに篭っていた間、ずっと気配など感じなかったのに。

 

「何を驚いているのですか」

再び声がした。それはごくごく近く。それも耳元で囁かれた……吐息がかかるくらい近くで。

 

「ぎ、ぎゃああああああああ」

混乱した草加は自分が隠れていることさえ忘れて、扉に体当たりして転がるようにして外に飛び出た。必死だ。

「なな、何だ何だ! 」

這うようにして扉から離れようとする。

 

中からゆっくりと人影が現れてくる。その姿を見て、再び草加は悲鳴を上げた。

「な、なんでお前が」

現れたのは、今、もっとも草加が会いたくない戦艦三笠だったのだ。どうして、この女が。なぜこのタイミングで。どこから現れた?

 

「あらあらお前? ……ずいぶんと偉そうな口調ですね。あなた、私が誰だか忘れてしまったのですか? そして、貴方の立場さえも」

そう言いながらゆっくりと近づいて来る。いつも通りのほれぼれするほどの完全な美しさ。そして、背筋が凍りつくような冷たい口調。全てを蔑むような瞳でこちらを見下ろしてくる。

 

同僚の中には、彼女の凍り付くような冷たい視線、口調、態度が堪らないという変態が多かったけれど、草加にとっては本当に生意気な女にしか見えなかった。艦娘だからというだけで、ただただ偉そうな存在でしかなかった。あの女が顔は綺麗なのは認める。小柄だけれど頭身のバランスは芸術品のように足は長く顔も小さい。しかし、胸わ大きい。スタイルまでもが完全だ。女としては最高なのだろうけれど、性格が最悪だ。そんな評価だった。

 

もちろん、一対一で会話することなど許されていなかったから、遠目に見るだけだし、彼女の言葉も全体に対しての物でしか無かったのだけれど。

それが今、自分に対してのみ喋っている。それは凄いことだが、いかんせん最悪の状態だ。

 

「な、なんでここにいるんだ……ですか? 三笠様」

 

「さて、どうしてでしょうね。改二改装中の戦艦金剛が、どういうわけか培養槽から抜け出して、さらに外に出ようとしていたのです。外から操作しないと培養槽を開く事はできないのに。しかも、彼女は調整中だったわけですから、意識はほとんど無かったはずなんです。だから出ようなんてことを考えるはずもないのですが……。どうして、こんなことになったんでしょうか? 」

感情の起伏がほとんどない喋り方だ。まるで機械じみて見える。それだけに余計怖い。

 

「そ、それは俺なんかが分かりません」

 

「そうですか。調査をした結果、何者かが金剛を培養槽から出したという記録だけは残っているんですけれどね」

 

「はあ、俺には何のことだか分かりかねます」

必死に平静を装い、とぼけて見せる。ここはなんとかシラ切って逃げ切るしかない。

 

「そうですか、貴方は何も知らないのですね」

そう言うと、三笠はニコリと笑った。

普段笑わない彼女が笑うとこれほど可愛いのか。草加は驚いた。

 

彼女はゆっくりと草加に歩み寄り、右足を彼の左足の甲にそっと乗せた。

「え? 」

 

「ふふふ」

彼女は再び笑うと、冗談めいたように草加の足を踏みつけるような素振りを見せる。そしてゆっくりゆっくりとその力を込め始めた。

 

「ちょ、何するんですか? あの、すみません、ちょっと痛いんですが、やめても……」

草加は彼女の足を押しのけようとするが、びくともしない。まるで万力で締め付けられているかのように、1ミリも動かすことができない。騒ぐ草加を無視して、三笠は微笑んだまま、力を加えてくる。

「ひっひ! つ、つぶれる、やめろ、やめれ」

悲鳴のような声を上げながら、草加は三笠の足を押しのけようとする。しかし、それが叶わぬと気づき必死に彼女の足を殴りつける。両拳で全力で殴りつける。ドンドンと音が響くが三笠はまるで痛みを感じていないように、じわじわと、しかし容赦無く力を込め続けるのだ。

「ひいいいいいいいいい! 」

ゴキリという嫌な音が響くと同時に、草加が絶叫する。

「ギャアアアアア」

それでも三笠はやめる気配を見せない。何かが裂けるような異音。草加は悲鳴とヒイヒイという、うわごとのような声を出し続ける。彼の履いていた靴からは真っ赤な血が滲み出す。彼の靴下は、不気味に膨らむ。

三笠は、最後にまるで吸殻を踏み消すような動作をし、やっと踏みつけた足をのける。

そこには、無残に足の甲から先が無残に踏み潰された草加の右足があった。

 

「ぷぎゃあ! ひいひひひいいいい」

悲鳴とも呻きとも分からない声が聞こえる。情けなくも哀れな泣き声。草加は、それが自分が漏れていると気づくのに数秒かかってしまった。起こった事実と状況がうまく繋がらなかった。

優しく微笑む少女が前にいて、自分が床に倒れている。そして痛む左足を見ると血溜まりがあり、足先部分が靴ごと完全に踏み潰されていたのだった。靴の足先部分からはミンチのような気持ち悪い肉塊が血とともにトロリとはみ出して来ている。慌てた草加はそのはみ出してくる肉塊を両手で必死に押し戻そうとする。

「いたいいたい、痛いよう、なうんだこらうう、あぢがあぢがなびい。なにづんだ、でめえ」

憎しみどころか殺意を込めた眼で美少女を睨み付ける。

彼女は小首を傾げて彼を見、身をかがめると彼の右手首を掴んだと思うと、そっと曲げた。通常の人間では、絶対に曲げられない方向へと。

 

乾いた枝が折れるような音とともに、再び草加が絶叫する。彼の右手が妙な方向に捻じ曲がり、それを左手で必死に庇おうとしている。

「しー、静かにしなさい」

そういうと、三笠は彼の右耳を軽く左手で叩く。再び悲鳴。右手は使用不能になっているため、押さえることのできない彼の右耳からはどろりとした赤い液体が流れ落ちて来ている。

さらに三笠は一歩踏み込むと、無造作に情けなく泣き喚いている彼の股間を蹴り上げた。

 

ぱん!

 

「ぎゃん! 」

激痛とともに視界が暗転した。

 

 

 

―――夢だったのだろうか?

再び意識が戻った草加は思った。今は仰向けに寝ている状態であることを確認する。

 

確か、意識の無い金剛を襲おうとして失敗し、逃げようと思ったらいきなり三笠が現れて理不尽な暴行を受けたような気がする。

確か足を潰され腕を折られ鼓膜が破れて股間を蹴られて……。

思い出しただけで失神しそうになる。けれど、痛みは無いように思う。

「フッ、悪い夢をみたんだな」

悪い夢だったと安心して、大きなため息をつく。寝起きのせいか、自分の声も言葉遣いも何か違和感を感じてしまうが、気のせいだろう。そして、起きようとするが体が動かないことに気づいた。

 

「あれ? 金縛りか? 」

 

「違いますよ」

唐突に声がした。最も聞きたくない恐怖の対象でしかない声が聞こえた。

「やっと起きましたか」

視界にあの艦娘の姿が見えた時、悲鳴を発していた。

ここにあの女がいるということは、すべては夢ではなく現実であったということ。すると―――。

 

「一応、局所麻酔をしていますから、痛みは感じないでしょう? 」

 

確かに痛みは無い。けれど話すことはできるようだ。体は思うように動かないけれど、必死に自分の体がどうなっているかを確認しようとする。どうやら、場所は動かされていないようで、血溜まりの中に寝かされているようだ。

 

「……た、たすけてくれ」

怯えながらも、生殺与奪の権限を持つ艦娘に必死に懇願する。

「こ、殺さないでくれ。……それと、すぐに治療を治療を」

記憶が事実なら、自分は相当な重症だ。麻酔だけされたんじゃあだめだ。出血はだいぶ酷いと思うし、足は潰れたままなんだよ。出血多量で死ぬじゃないか。

 

三笠は、草加の側に近づくとしゃがみこむ。そして、とても不思議そうな顔をしてしばらく彼を見つめる。綺麗で、そして恐ろしい顔だ。

 

「面白い事を言いますね、助けて欲しいだなんて。自分がどんなことをしたか、覚えてないのでしょうか? 」

 

「な、何のことかさっぱり分かりません」

訴えるように叫ぶ。

三笠は、彼の右手小指を掴む。そして、小指をポキリ折った。本当に何気なく、あっさりと。邪魔な枝でも折るように、自然に。そして、草加の指は、折れたというより千切りかけたという方が正確な表現といえる。哀れにも本当に皮一枚で小指は手と繋がっている状態になってしまった。ぶらぶらと揺れている。

痛みは感じないはずなのに、全身を貫くような痛みを感じた。

 

「な、なにを……しゃれになんねえよ。なんで俺がこんな酷い目に遭わないといけないんだよ」

涙がこみ上げてくる。感情の高まりからか鼻水も出る。腹が立つが、抵抗できない自分が辛い。

 

「……この期に及んで、嘘は許しません」

何の感情も無く、告げる三笠。

「あなたが何を考え、何をしたかはすべて分かっています。薄汚い欲望を満たさんがために、何をしようとしたか。ニンゲン如きが、そしてその中でもさらに価値のない最下層存在の情欲を満たさんがための下劣で下等な行動のために、戦艦金剛は死ななければならなかった……」

彼女の言葉から、金剛が死んだという事実を知らされる。

「金剛の死、その損失を取り戻すために、どれほど私が行動をしなければならないか、あなた等には想像もつかないでしょう。私が一生懸命考えたシナリオを、あなたのような価値の無いニンゲン一人が壊してしまったのです。その罪は、計り知れなく大きい。罪を償わせるにしても、簡単に処理するわけにはいきません。いえ、私の気が収まりません」

その言葉からすると、彼女は金剛の死そのものについては何ら思うところが無いように聞こえた。金剛を使って何かをしようとしたことが、できなくなったことを怒っているように感じる。草加が言えた義理ではないけれど、金剛を殺したのはどうかんがえても三笠だろう。責任がどうとか言っているけれど、所詮、三笠の手前勝手な理屈でしかないだろう。そんなことを考えながらも、自分がとんでもないことをしてしまったことだけは認識していた。

 

どうやら、自分は確実に殺される運命らしい。死という恐怖は誰もが持つ根源的な恐怖……。しかし、三笠はそれだけでは許してくれそうもないようだ。

 

「下等生物一人の命では、金剛の命とはまるで釣り合いません。あなたのような存在を生み出した両親も、そして同じ血を引く兄弟も皆同罪です。あなたと同じように死の運命を受け入れてもらわないと。それくらいしないと、金剛の気が収まらないでしょうから」

最後の方は冗談ぽい口調で話しているけれど、決して目が笑っていない。

そして彼女の地位であれば、それは簡単になしえるということに恐怖する。

「まずはあなたに自分の罪がどれほどのものだったかを明確に理解させるように、じっくりと苦しんで死んでいってもらいます。そして、あなたの身内の方も同様に苦しみの中で死んでもらいます。楽には死なせません。そして、何故、自分達がこんな惨い目に遭わなければならないのかをしっかりと認識して死んでもらいます。自分の息子が、自分の兄弟が下劣な情欲を起こしたためにこんな目に遭っていることを知ってもらい、絶望と恥ずかしさとあなたへの憎しみの中で逝ってもらいます」

死は怖いが身内まで同罪にされて殺されるのは絶えられない。そして、自分の悪事……しかも恥ずかしい欲望による失敗が身内や知り合いに暴露されるのも嫌だ。死んでも死に切れない。もちろん、自分が死ぬのなんてゴメンだ。ここに来た時から逃げられないことは認識しているが、普通に生きていけるという補償があると信じていた。へたしなければ面白くはないが生きるに困ることはないと思っていた。第二帝都行きは出世コースだと親も兄弟も喜んでいた。いくばくかの金が彼等にも入る。なのになのに。俺のために嬲り殺されるなんて、どう謝ればいいんだろう。

 

「お願いです、許してください。親兄弟まで命を取るなんて言わないでください。せめて私だけで勘弁してください。俺はどうなっても構いませんから

スラスラと言葉が出てくるけれど、もちろん口先だけの嘘だ。こんな格好良い台詞を言えばきっと彼女なら素晴らしいと許してくれるだろう。小説の主人公なら、自己犠牲でそういうだろう。

 

「ふざけないで、本当の事を言いなさい」

立ち上がった三笠は、股間を再び蹴り上げる。彼女の靴が容赦なく股間にめり込む。何かがパンクするような音がした。僅かに生暖かいものが股間を湿らしてく感覚があるが、それが出血によるものか失禁によるものかは分からない。言えることは、おそらく、股間からは猛烈な痛みが発生しているのだろうけど、麻酔のため良く分からない。

三笠の目を見て恐怖する。そこには何の感情も無い空虚な光だけしか見えなかった。彼女は淡々と処理することしか考えていない。そこに怒りも喜びも悲しみも何も無い。そして、嘘は許されないし見破られそうだ。

「本当の事以外、話す必要はありません。これ以上無駄な時間は過ごしたくないです。麻酔が解けるのを待って、作業を続けるだけです」

 

「す、すみません。全部嘘です。親兄弟はどうなっても構いません。私だけで結構ですので、助けてください。お願いします。私以外ならどうなっても構いません。三笠様の好きなようにしてください。けれど、私だけは生かせてください。とにかくお願いします。すぐに治療してください。このままじゃ私は廃人になってしまいます」

すべて本音で本気の言葉だ。

その言葉を聞いて、彼女は頷いた。そして続いて恐ろしい言葉を言う。

 

「では、……その対価は、何ですか? 」



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第198話 運命の潮流

「では、対価は何ですか? 」

 

「は? 」

この女、一体何を言い出すのか? 

草加は、彼女の意図することが何か理解できずに、戸惑ってしまう。

 

「あなたは、万死に値する行いをしたのですよ。……戦艦金剛という、我々にとっても、そしてあなたたち人間にとっても貴重な戦力である存在を、愚かにも己が薄汚い欲望のはけ口に利用しようとして、その結果、彼女が命を絶たねばならなくなったのですよ。それほど重大な事案を起こしたことを、まさか認識できていないほどの愚か者では無いでしょう? 第二帝都東京は、私の完全なる管理下にあり、日本国政府の力は一切及ばない場所です。ゆえに、無為に時間だけを浪費する裁判などはありません。すでに私の中では、あなたの死は決定されているのです。「簡単」に、そして「楽に」なんて死なすつもりなどありませんよ。犯したその罪をしっかりと認識し、その罪の重大さを嘆きながら死んで貰うつもりなのです。もちろん、あなた如きの命程度で、罪を償いきれるわけではありませんが、かといって何もしないわけにはいきません。何かに当たり散らさないと精神の均衡が保てないほど、私は怒っています。なのに、あなたは助けろと言う。理解に苦しみます。……仮に私が、あなたを許すとして、私に何の徳があるのでしょうか? 私を納得できる説明をしてもらえますか? あなたの説得が私を納得させることができたなら……あなたの価値を証明したならば、許してあげましょう」

 

「……」

できるはずもないことを彼女は言う。ふざけるな! と立場を弁えずに怒鳴りそうになる。自分みたいな人間がどんなにがんばったところで、彼女の役に立つなんてありえない。経験も実績も何も無い。おまけに艦娘を暴行しようとした罪を犯している。一体どうしろっていうのか! 無傷の状態なら、飛びかかって押し倒しているところだ。

 

「さあ、どうしたのですか? 命乞いをするのなら、早く言ってください。さもなければ、あなたはこれ以上生きていくことはできなくなりますよ。フフン……もっとも、生きていたところで、何の役にも立たないのでしょうけれど」

よく人間を見下し虫でも見るような目をしていた三笠であったが、あれは兵士達全体を見る時の事だった。直接、一人の人間に対してこれほど侮蔑的な視線を浴びせているのを草加は見たことがなかった。もちろん、それが自分に向けられたのも初めてだった。屈辱で狂いそうになるが、どうすることもできない。反論しようにも、視線の迫力に押されて震えてしまう。

「……」

 

「この状況にまで追い込まれても、反論の言葉すらでないのですか? ……まったく、そのくせ性欲だけは強くて自制心がゼロとは。ケモノ以下の……クズのクズとしか言いようがないですね。やれやれですね。ふむ、所詮、人間とは、そのほとんどがそんなものなんでしょうかね。そんな掃き溜めから、よく冷泉さんや生田さんのような存在が出てきたものですね」

少し面白そうに三笠が呟く。

 

冷泉、生田……。

直接会ったことはないけれど、海軍に所属している者なら知らない者はいないほどの有名人だ。どちらも若くして鎮守府指令官にまで上り詰めたエリート中のエリート。二人とも、常に美しい艦娘を侍らせて、よろしくやっている性欲旺盛な助平な連中だと聞いている。見たわけではないけれど、実際にそうなんだろう。

「あんな連中と俺を一緒に、……するな」

思わずそんな言葉が口から出てしまう。

 

「おや、彼等に何か思うところがあるようですね。性欲だけのあなたが優れていると? 」

 

蔑む艦娘を無視して、草加は喋る。

「あいつらは、深海棲艦との交戦で多くの優秀な将校が戦死して、候補者がごっそりいなくなった時に、たまたま運良く軍にいただけじゃないか。本来、その職に就くべき人材は皆死んでしまっていて、たまたま生き残っていたから候補者になっただけじゃねえか。もっとも、現職の他の鎮守府指令官だって同様だけどな。優秀な人は、皆、あの深海棲艦の最初の侵攻の際に米軍と一緒に戦死して、生き残ったのはクズばかりだった。見ろよ、退職前のじじいと、行き遅れの政治フェミババアだけじゃないか。ジジイ連中は役に立たないから内地に残っていただけだし、ババアは男女同権の運動で司令官にさせてもらっただけ。ポンコツ連中が、司令官の席が埋めてしまったから、若い世代は上に上がることができない。艦娘が日本国の味方になったから、戦いも停滞状態になってしまったからな。戦闘であいつらが死ぬ可能性もほとんど無くなってる……死にやしねえ。どんなに優秀な奴でも、ポストが埋まっちゃどうすることもできやしない」

性欲だけのと詰られて、草加は頭に来ていた。自分の置かれた状況などお構いなしに、言葉だ次々と出てくる。

 

「なるほど……ね。あなたは、生まれるタイミングが悪かったからここで燻っているだけで、本来なら彼等に、冷泉提督や生田提督に負けない優秀な人間だというわけですか? 」

 

「も、もちろんだとも。一生懸命やっていたのに才能を見いだせることもなく、それどころか、生きて帰られる望みもない第二帝都東京に異動させられたんだぞ。希望も何も無いこんな街じゃ、やけを起こしても仕方ないだろう? 本当なら、俺だって艦隊を指揮して、敵と戦いたい。いや、戦える能力もある。冷泉や生田なんて目じゃないと思っている。ただ、チャンスが与えられなかっただけなんだ。運とタイミングを掴むことができなかっただけなんだ。チャンスが与えられれば、俺はきっとできると思う。いや、絶対にできる」

唾を飛ばし興奮気味に話す草加を、三笠は面白そうな表情で見ている。その目つきに悪寒が走ったが、今はそんなことを気にしていられない。ここで上手く彼女を説得し、自分の価値を知って貰わないと、確実な死が訪れるのだから。

どんな不平等な条件でも呑むだろう。死ぬよりは遙かにマシだ。今の草加にとっては世界のあらゆるものを犠牲にしても、自分だけは生き残りたかった。

急がないと、麻酔が切れてしまうということも恐怖だった。自分の負った怪我の程度は半端無くヤバイ。麻酔が切れたらその激痛を耐えきれる自身がない。死も怖いが、目先の苦痛だって怖いのだ。

 

「本当に、あなたにはそんな自信があるというのですね? 」

新しいおもちゃでも見つけたような、ワクワク感を滲ませて三笠は草加を見つめている。

 

「も、もちろん」

そう答えるしかない。それ以外の選択肢を彼女は求めていない。無理だと言えば見捨てられる。

 

「ここであなたの命を終わらせる代わりに、あなたは何を差し出せますか? 金剛の代償となるほどの対価を差し出せますか? 」

 

「……な、なんでもする。俺はあんな三下提督より遙かに優れているんだ。その俺が、あんたの為に働こう。何でもしてやろう。あいつ等よりはまだ認められていないけど、ここで俺を殺したら後々きっと後悔することになるはずなんだ。だからここで俺に賭けてみろよ」

 

「なるほど、自信はあるのですね? 」

 

「と、当然じゃないか」

本当は何の根拠も無いけれど、はっきりと答える。こんなもの気合いが大事、勢いが大事なんだ。

 

「あなたの命を助ける代わりに、あなたのその肉体、そして魂、そして未来を差し出すと誓いますか? 」

 

「え? 」

唐突な言葉に、その意味が分からない。

 

「早く判断しなさい。イエスかノーで構いません。このまま、痛みと苦しみを延々と与え続けられながら死んで行くか、私の駒として動くことを誓うか。どちらかです。私に魂を差し出すのであれば、その対価に見合う地位と権力を与えましょう」

清らかで美しいはずの艦娘の顔が、その時だけは、悪魔のように禍々しいもののように見えた。

まるでファウスト伝説だなと妙に冷静な思考が頭の中を占める。今、三笠の言葉は、まさに悪魔の誘惑だ。魂を差し出せば、己が欲望を満たしてくれるという。冷泉や生田と同じラインに立たせてくれるとは、さすがに思っていない。けれど、ここで死ぬまで働き続けるという未来からは抜け出させてくれるのは間違い無い。それに、今のままでは汚辱に塗れた死という未来しかないのだから……。選択肢などあってないようなものだ。

 

それにメフィストフェレスとの契約では、魂を奪われるのは死後のことのはず。だったら、生きている間に後悔ないほどやりたいことをやり尽くせばいいじゃないか。死ぬまでもまだまだ自分の若さからすると、随分先の事だ。未来なんてどうなるか知れたもんじゃない。運が良ければ三笠を出し抜くことだって可能かも知れない。いや、自分の能力なら、きっとできる!

 

ならば……。

 

「今の世界から抜け出すことができるんなら、喜んでその提案をうけてやるよ」

対等の関係であるかのような態度をあえて示し、草加は返答した。

「俺の力をアンタにも見せつけてやるさ」

きっと、お前を俺のモノにしてやるよ……。偉そうに命令しやがって……今に見ていろ。必ず力をつけて、お前をひざまずかせてやるからな。こいつは、金剛よりも遙かに上物だ。ヒイヒイ言わせてやんよ。けけけけけ。どろどろした欲望が溢れ出てくると、妙に元気が出てくる。自信まで増加されるようだ。

 

「契約成立ですね。では」

そう言うと、三笠は近づくと、再び、草加の股間を蹴り上げた。

 

「ぎゃーん! 」

 

どろどろとした欲望の泥沼の中に三笠を引きずりこんで、汚辱塗れにしようとする妄想を巡らせていた草加の精神は、一瞬で吹き飛んだのだった。

 

 

 

 

「はたして、これは役に立ってくれるのでしょうか」

手術室に横たえられ、何人もの白衣を着た人間に取り囲まれた草加を、手術室の二階部分から見下ろしながら三笠は笑う。

現在、負傷した草加の治療が優秀なスタッフによって進められている。欠損した部位や再生不可能な部位については、機械部品を取り付けてバージョンアップを図るように指示した。普通に復活させるよりも彼のちっぽけな能力を強化できるからだ。

左足首と右腕。左耳、左目が強化部品に変更される。バランスは悪くなるが、上手く動かせばこれまでよりも遙かに運動能力が上がるはずである。また、視力聴力ともに野生動物なみとなるはずだ。

なお、彼にとっては残念だろうが、生殖器については少し蹴りすぎたせいか、再生は不可能だった。排泄機能だけは回復させている。どっちにしても邪でどす黒い性欲から解き放たれた彼はより高みを目指すことができるはず。それこそ彼の望みだろうから、問題無いだろう。

決して、彼の思考から自らを性の対象としようとしていることを検知したから潰した訳では無い。

 

「とはいえ、自らの欲望の成就の為に全てを投げ出したのですから、……下劣な望みとはいえ、それは純粋な意思。その意思に忠実に暴走した彼のきっと私の役に立ってくれると信じないといけないですね」

誰もいない部屋で呟く。

 

少年兵という若さ以外は、見た目は並以下。

軍より得たデータでは、成績は凡庸。学科別成績でいうと、数学が平均値より少し高いだけで、他は並レベルもしくはそれ以下。

 

元々の本人の希望は、幹部候補生だったようだけれど、試験により弾かれて志願兵として軍へ。体力については、同年代の少年兵よりかなり劣る。正確に言えば、運動音痴と評される程度。このため、実戦部隊員としての使用も不可との判断が為された。整備兵としても、不器用であり集中力にも問題があったようで、軍務には適正が皆無であった。

 

能力不足は努力で補えるかもしれないが、性格的に協調性に欠ける部分が見受けられ、軍としての集団行動にも向いていない。……このため、第二帝都への派遣についても、軍からの意見は一切無かった。特記事項も無く、どのように使って貰っても結構との体で送り込まれたようだ。つまり、そういうカテゴリーの人間として送られてきた存在でしかないのだ。

科学者でも無く、整備兵でもなく、警備兵でもない。労働力としても見られていない。ただの献体として、軍からも厄介払いされたようなものだ。

 

正直なところ、彼に魅力は、ほとんど感じない。能力的にも、外見的にも……。

 

根拠の無い盲目的なまでの高い自己評価とガラスのように傷つきやすいナイーブさを持ち、自分の境遇を恵まれていないと嘆き、他人を嫉妬するだけでこれといった努力をするわけでもない。それなのに、欲望のまま、唐突に極端な行動に出る危うさ、愚かさ。そして、犯した失敗の原因を自らに求めることなど一切無く、他に責任を求め貶すことで自我を保とうとする女々しさ。どこをどう間違えたら、鎮守府指令官になっても十分務まると考えたのだろう? しかも、冷泉提督や生田提督よりも自らの能力が高いと断言する図々しさ。軍学校にいただけで、実戦経験など皆無なのに自ら領域へと出向くあの二人より優れている言い切る姿を見て、心底呆れてしまった。もしかすると、妄想の中で自らの評価を高め続け、その中でしか生きられない存在なのかもしれない。

 

「しかし、まあ、なかなかのクズっぷりですけどねえ……」

思わず口元が緩んでしまう。

「どこまでやれるかは現段階では分かりませんが、こんな無能な少年であっても、その能力に相応しくないほどの権限を与えたら、きっと面白い事になるはずなのです。彼の腐りきった性根がどういったうねりを起こしてくれるのか……少しではありますが興味と期待があります。もしかしたら、面白い化学変化を起こしてくれるかもしれませんね」

ただ、可能性は、ほとんど無いだろうけれど。けれど、彼と彼の起こす出来事を見ることは、きっと暇つぶしにはなるだろう。

 

「仮に役立たずということが判明すれば、彼なりに反省して今後の人生の糧にできるかもしれませんしね。まあ、反省する機会を与えるかどうかは、今後の彼の活躍次第なのですけれど」

そして、しばらく考え事をするような素振りをし、唐突に何かが閃いた。

「そうですね、早速、次の一手の駒として活躍して貰いましょうかね。身を粉にして働いてもらわないと、彼の背負った負債の利子すら返せないかもしれませんからね。取り立ては厳しく、生かさず殺さず、すり切れてボロ布のように使い物にならなくなるまで、運用させて貰いますね」

 

クックック―――。

 

抑えようとしても笑いが出てしまう。

所詮、使い捨ての駒。失敗したら処分しましょう。私にとっては何の傷手にもならない、ちょっとした気まぐれ。使い物にならない存在(クズ)でも、きっと何かの役に立つものです。すべての「モノ」には、何らかの存在理由があるはずなのです。存在価値は、使う側が見いだしてあげなければなりません。

 

使う側がしっかりと運用すれば、なんとかなるものなのです。

 

要は、使いようなのだから……。まあ、失敗したところで、もともと価値の無い存在なのであり捨ててしまえば良い。何ら痛みを感じることもない。捨て去れば、存在すら忘れてしまうだろう。所詮は、消耗品。しかも出来損ないの……ね。

 

全身麻酔を施されているというのに、手術台の上の少年は時折、顔を歪ませている。その様子を不思議そうに、そして興味深げに三笠は見ている。

「肉体は痛みを感じていないはずなのに、どうしてあんな辛そうな顔をしているのでしょうか? 確かに……魂が侵食されているから、その痛みを感じているのでしょうか? そんな事なんてあるのでしょうかね。もしそうなら、なかなか面白いですね」

身体の3割程度は人で無くなる予定の少年。さて、意識を取り戻した時、彼は彼でいるのでしょうか? うまく自分を保ち続ける事ができるのでしょうか? それとも違うモノになっているのでしょうか? 仮に自分を保てていたとして、その後、彼に与えられる権限で、どれほど彼が変化するのかとても興味深いです。

 

すべてはエクササイズ。

失敗も織り込み済みの実験。

 

結果の中で見るべき物だけを収集し、以後の実験に採用すればいい。

体も心も下の下でしかない彼がどの程度変わることができるか。データ収集は、これまでどおり完璧にやらないといけないですね。より面白い検体が出てきたら、それに応用して更なる成長を遂げないといけないですから。

 

「そうだ! もしも冷泉さんに同じような事をしたら、どんな変化が起こるのかしら? 」

ふと沸いた閃きに、三笠は嬉しそうに微笑んだ。その瞳は好奇心に満ちあふれていた。 

 

 



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第199話 記憶の齟齬

いつも通り、目覚ましが鳴る前、朝7時きっかりに起床し、手早く身支度を調える。

 

自分の部屋として与えられた五階建て建物の最上階の部屋から、二階にある食堂へとエレベータで降りて行く。そして、いつもの席に腰掛けると、まるで待っていたかのように、叢雲より少し年下に見える少年が現れて、朝食を配膳してくれる。

第二帝都東京に来て、神通さんの出立を見送り、長波と喧嘩別れをし、一人になってからずっと彼が食事の世話をしてくれている。目のくりくりした、少し女の子っぽい可愛い男の子だ。

 

「おはよう」と声をかけても、まるで小動物のようんい怯えた表情で会釈すると逃げるように奥の部屋へと消えていくのだ。叢雲に興味はあるけれど、一定の距離以上は近づかない……近づけない? のだろうか。艦娘に対してどういう印象を持っているか聞いてみたいけれど、それすら叶わない状況だ。気軽に言葉を交わせる誰かを欲しているだけなのれど、どうやら、それすら叶わないらしい。

 

毎朝繰り返す、まるで野良猫を餌付けするような行動。

 

少年との距離は、一ミリも縮めることができていない。ただ、艦娘という存在に対する好奇心を隠しきれないらしく、盗み見している気配は常に感じている、そちらを見ると慌てて目を逸らす。その繰り返しだ。興味があれば話しかけてくればいいし、こちらから話しかけた時に少しは反応すればいいのに、と思ってしまう。

 

恐らくは、叢雲との必要以上の接触をとても厳しく禁じられているのだろう。いろんな誤った情報を吹き込まれているのかもしれない。

何かきっかけがあれば、一気に縮められる可能性はあるんじゃないかな……と思う。これでも艦娘の一人。加賀や金剛には負けるかもしれないけれど、客観的に見たら美少女であることは、うぬぼれでは無く単純な事実として認識している。鎮守府にいた頃は、人目に付く場所にどうしても出なければならないときが度々あった。そんなときに艦娘に対する人間の殿方の好意的な眼差しを常に感じていたし、話す機会があれば、興味津々で近寄って来てくれた。お世辞ではなく、本気で口説こうとする男性もかなりいた。

 

叢雲がその気になって、ちょっと誘えば、だいたいの男の子なら心を惹かれてしまうはずなのだから……。

 

そういった事を願う気持ちは皆無だけれど、同じ年頃の者同士で日常的でくだらない会話をすることができれば、どれほどこの退屈で、ある意味荒んだ生活を潤してくれるだろうか。そんな事を望んでいる自分に少し驚きはする。

 

ただ、今は急いてはいけないと自分を自重する。

余計な行動は、自らの立場を悪くする危険がある。目立たず、平穏無事に過ごすのが一番だ。自分が本当に為さねばならないことの為に、三笠達に警戒心を起こさせてはならないのだから。彼女達にとっては、無害な存在であることを印象づけておかないといけないのだから。

 

「はあ……」

大きくため息をつくと、目の前のテーブルに置かれた朝食を食べ始める。

 

メニューは毎日変わるし、種類も和洋中とバラエティも豊富だ。

毎日食卓に並べられる食事は、舞鶴よりもあきらかに質も量も豪勢になっている。舞鶴鎮守府の食事は、はっきり言って質素だ。時々、開かれる宴会なんかでは豪華な料理が出る時もあったけれど、基本的には簡素な料理であることが多かった。

それは、舞鶴鎮守府が経済的にも逼迫していたせいもあるのだけれど、様々なものを輸入に頼っていた日本という国家がある日突然、課以外との交易を遮断されたわけであるから、当然、様々な不足する物が出ているわけだ。いろいろと工夫を凝らし、自給自足できるように変えていっているものの、限界はある。料だって国民全員に行き渡るわけではないのだ。まだ軍隊には優先して資材が配給されていると聞くから、一般国民はもっと寂しい食卓を囲んでいるのだ。そう思うと、簡素な食事にも文句を言う気にはならなかったのだけれど。

なんて無駄に贅沢なんだろう……。提督に食べさせてあげたいな。突然、そんな気持ちが湧き出し、そんな気持ちを振り払おうと頭を何度も振る。

 

しかし―――。

 

冷静にみて、ここは食事だけでなく、あらゆるものが整っている。贅沢すぎると批判を浴びそうなくらいだ。けれど、それだけでしかない。嬉しくもなんともないし、空しいだけだ。

 

だって、ここの食堂で食事をする人間は、誰もいない。

叢雲が食事の時間だけは誰も立ち入らないようにしているのではないかと思っていたが、時間を変えたり、食事じゃない時間にふいに訪れても、やはり誰もいないし、いた気配もなかった。つまり、この建物自体が叢雲の為だけに存在しているのだ。恐らくは調理する人や掃除をする人もいるのだろうけれど、見ることは無い。もしかすると、コソコソ隠れたりしているあの少年だけでこの建物のメンテナンスをしているのかもしれないけれど。

 

しかし……一人きりで食べる食事なんて、どんなに豪勢でもおいしく感じるわけがない。そして、舞鶴のことを懐かしむ。豪華な食事が無くたって本音で語り合える仲間、信頼できる上司がいたことがどれほど素晴らしい事だったかを思い知らされる。

 

そんな素敵な場所を捨てた自分の愚かさもだけれど……。今更悔やんでも、空しいだけ。

押し込むように無味に感じられてしまう豪華な朝食を押し込むと、席を立ち上がり食堂を後にする。叢雲が部屋を出るのを待っていたかのように少年が片付けを始めているのが感じられる。

いきなり戻っていったら、どうするかしら? ふと悪戯心が沸き上がるけれど、何とかその衝動を抑え込む。そんなことをしたら、彼が怯えてしまうだろう。そして、より警戒をするようになってしまう。そうなったら、今の状態に戻すことさえ困難だ。急ぐことはないのだ。どうせ何もすることないし、じっくりと時間をかけて行動すればいいんだから。

 

食事を終えたあとは、この第二帝都東京の主である戦艦三笠のいる建物へ行くことが日課になっている。否、それ以外することがないのだけれど……。

 

彼女に会って定型的な会話を行い、昨日はどうだったかとか体調は問題無いかといったそれほど意味のない会話をした後で、ごくごく軽作業的な指示を受けるだけなのだ。

 

船体とのリンクを切断していることで、それまで当たり前のように船体の動力部から得ていたエネルギー供給が途絶えているため、慣れない内は虚脱感や喪失感、慢性的な疲労を感じるようになるとのことだ。艦とのリンクが確立されていた時は、疲れることなんてまずなかった。あふれ出すようなエネルギーの奔流により、常に活動的にいられた。何日でも徹夜で活動できたし、身体能力が人間とは次元が違うレベルにまで大幅に高められていた。治癒力だって圧倒的だった。擦り傷切り傷程度なら、瞬時に治癒したし、風邪なんて引くことなんてありえなかった。

 

今、それらがすべて無くなっている。あるべきものが無いという不安感も日に日に大きくなっているのは事実だ。

 

しかし、「それも慣れれば気にならなくなる。」……三笠の言だ。

艦娘だって人間となんら変わらない。食物を摂取することでそれをエネルギー変換する機能は備えている。リンクが切られる前のようには行動できないけれど、戦闘に参加する必要がなくなった艦娘にとっては、かつてのように膨大なエネルギーを得たところで、使う必要もないし、それどころか持て余したエネルギーを発散する場所さえないのだから、これはこれで適しているということか。大怪我をしたところですぐに再生する能力も、完全に外界から隔絶され、いかなる戦闘も発生しないこの第二帝都東京においては無用の能力なのだし。

 

三笠からは、いろいろと言われた。とにかく省エネルギー生活に慣れなければ駄目だ……と。

 

今日も三笠から子供の使い程度の課題を与えられて、部屋を出る。ガラス張りのエレベータから見える景色をぼんやりと眺めながら思いに耽る。、

平和で穏やかな生活。……常に死が側にあることが日常だった叢雲にとって、対局にある……それは望んだ世界ではあったはずなのに、そうなってみると、どういう訳か苦痛だけを伴うものだった。

 

「最初はその変化になれるのが大変だけれども、やがてそれが当たり前になるのです。そうなって初めて、新たな課題を与えられるようになります。今は、人間で言うところのリハビリ期間という奴です。焦らずにゆっくりと、少しずつでも構わないので慣れていくようにしなさい。焦ることはありません」

三笠は優しく言ってくれる。ただ、彼女が本気で言っているのかは疑わしいのだけれど。必ず裏がありそうで、どうにも彼女のことは信用できないでいる。艦とのリンクが外れた以外の変化は、それまで課せられていた人間への絶対服従心の解除……そして、人に危害を加える事への禁忌が外されたということだった。一体そんな必要性があるのか? と三笠に問えば、軍艦とリンクしていた時は圧倒的な力を持たされていた艦娘であるがゆえ、対人間との関係性からどうしても艦娘は危険な存在では無い事を証明しなければならない。そのために人に対する禁忌を課していたけれど、もうあなたはただの人間なみに弱くなっている。だから、もうそんな枷は必要がないからよ。あっさりと答えられた。別に、人を殺せるようにしなくても、そのままでも問題無いのに、どうしてだろうと疑問を感じてしまう。まるで、状況によっては人間を殺せるようにした……と勘ぐってしまう。

 

どうなのだろう……。考えるだけ無駄か。

 

しかし、時間だけは有り余るほどある訳で、鎮守府にいた頃には不要だった考える事が増えたように思う。自分を見つめ直すきっかけにでもなれば、それは良いことなんだろうけれど、思い至るのは反省と後悔ばかりだ。……そして、わずかな寂しさ、かな。

 

そんな思考がいきなり破られる。

 

「Hey、叢雲! 浮かない顔して、どうかしたネ? 」

突然、聞き慣れた間抜けで馴れ馴れしい声に顔を上げると、そこには巫女服を着た少女が笑顔で立っていた。いつでもどこでも誰構わず馴れ馴れしい態度だ。

 

「金剛、アンタ……」

と、思わず驚きの声を上げてしまう。

金剛は現在、改二改装の為に入渠中であったはずだ。

 

改二への作業は、どういったことをするのかは知らないけれど、前に神通に対して行われた際には到着後、ほとんど休む間もなく改二処置が始まり、彼女はずっと施設に隔離されていた。

検査だけでさえ、ドックから出られるまで数日ではきかない時間が掛かっていたのだ。改装作業については、神通の時は緊急を要する事態が迫っていたということでここの科学スタッフ総動員で昼夜を問わずに作業が行われても、数週間の時間がかかっての完成だったのだ

 

金剛がここに来てから、まだ一週間も経っていないはずだ。

 

「叢雲、どうかしたのデスか? 」

 

「……アンタ、入渠したんじゃなかったの? 改装はもう終わったの? 」

 

「入渠? ああ、改二の事ネ。それは、これからって話ダヨ」

 

「じゃあ、ここに来てからずっと何もしないでいたってわけ? 」

前に会った時の話では、改二改装の為にやって来たと言っていた。すぐにでもドック入りするように言っていた。そして、改二完了すれば、すぐにでも横須賀に着任すると言っていたのに。

当然、ここに来るからには、すでに受け入れ準備は整っていたはずだ。少しくらい準備時間はあるにしても、すぐに作業に入っているはず。それなのに、一週間近くも何もせずにいるなんてありえない。そして、さらに時間を要するなどという事など考えられない……と思う。

 

そもそも、今は、戦争中なのだ。金剛のような戦艦クラスともなれば、遊ばしている余裕など無いはずだ。たとえ、横須賀であっても、それは同じはず。

 

そして、金剛自身が我慢できないだろう。

舞鶴鎮守府を、冷泉提督の下を去り、新しい場所を求めたのだ。そこにどういった想いがあったかは叢雲も想像しきれない。前に話した時は珍しく負の感情を露わにしてしまったくらいだ。きっと、強い思いがあるに違い無い。そんな彼女の事だ、何もせずに無為に過ごすことに耐えられるはずがない。

何かを失ったら、新たな何かを求めないと生きていけないはずなのだから。……枯れてしまっていない限りは。

 

「そんなにのんびりしてていいの? 前は横須賀に早く行きたいみたいな言い方していたのに」

 

「そうだったっけ? まあ、横須賀は艦娘の質量共に充実しているからネ。ワタシが急いで行かなくたってヘーキヘーキ。完全なコンディションで着任すればいいんだし。焦っても仕方無いネ」

この前とはうって変わって、のんびりした調子で返してくる。どうやら、あの時は冷泉提督と別れてそんなに時間が経っていなかった事もあって、気が立っていたのだろうか。本当に余裕のない思い詰めた表情を一瞬でも見せてしまった彼女とはまるで別人のように……本来の脳天気な金剛に戻っているように思える。

 

時間が解決してくれたってわけか。自分の中で提督の事は整理できたんだな……。かつての同僚の立ち直りを見て、少し叢雲は嬉しくなった。

「そっか……。提督の事は吹っ切れたってわけね」

少し声が羨ましい気に聞こえてしまったかな。実際に羨ましい。提督の事を心の中で整理できれば、自分もどれほど楽になるだろうか。

 

「え? 提督? それ……誰のことネ」

とぼけたような口調で金剛が答えた。

 

「え? ちょ、ちょっと何言ってるの、アンタ」

唐突な返事に、叢雲は言葉を失う。

それでも金剛は不思議そうな顔で見返すだけだ。

 

「ふざけてるの? 」

 

「えーと、別にふざけてなんてないネ。叢雲こそ、唐突に何訳分からないこと言うネー」

彼女の表情を見る限り、冗談で言っているようには見えない。本当に叢雲の言っていることが分からないようだ。

 

「……提督って言えば、冷泉提督の事じゃ無いの」

 

「れいぜい? ……提督デスか」

何かを思い出そうとしているように、金剛は腕を組みながら首を傾げる。

 

「ちょっと、金剛。冗談はやめて頂戴。そんなくだらない事に付き合ってる場合じゃ無いのよ。アタシだって忙しいんだから」

 

「ふふふ……分かっていますヨ。ちょっとからかっただけデス。……もちろん知っていますよ、れいぜい提督、冷泉提督ダヨネ。。冷泉朝陽少将。舞鶴鎮守府指令官デスよね。五つの鎮守府の司令官では最年少で……えーっと、あとは何だっけな」

一瞬、金剛の表情が消える。恐らく、ネットワークに接続しているのだろう。そして、すぐに元の表情に戻る。

「舞鶴鎮守府艦隊における艦娘離脱事件、それと連動した鎮守府内への武装勢力の侵攻の件について司令官としての責任を問われ、一時的に鎮守府指令官の任を解かれているんダヨネ。ふえー、軍法会議にかけられるだなんて……何これ? 指揮下の艦娘に逃げられた? 元舞鶴鎮守府の士官の裏切り行為で、艦娘を盗られたですって? おまけに取り返しに行ったのに失敗して、艦娘を轟沈させたあ? 何これ、こんな酷い司令官がいるんだ、うわっ酷いネー」

その口調はまるで他人事にしか聞こえない。かつて一緒に戦った上司に対する物言いでは無い。それはまるで余所事のようだ。

 

「アンタ、本気で言ってるの? 」

怒りがこみ上げ、口調も厳しくなる。

 

「Hey、叢雲。何を怒ってるの? そんなにカッカしてたら、駄目だよ。もっともっとクールにならいないとね」

逆に心配そうに諭され、叢雲は更に怒りが増してしまう。

 

「冗談はいい加減にして! アタシをからかってるんでしょうけど、そんな物言いは許せない。ほんの少し前まで、同じ鎮守府でいた……死線を共にくぐり抜けてくれた司令官をなんでそんな言い方できるの? 」

 

「ヘイヘイ、どうしたの叢雲? 何だかよく分からないけど、熱くなりすぎいー。……ん? もしかして、その、冷泉提督って人のこと、好きだったりするのカナ? うふふふ」

 

「そ、そんなんじゃ無いわ。いえ、……好きだけど今言いたいのはそういう事じゃないの! 」

自分でもよく分からない回答をしてしまう。

「それに、……アンタだって同じ気持ちだったでしょう? 」

 

「はえ? 」

金剛は叢雲の言葉の意味が分からずに、間の抜けた表情をするだけだ。

「なんでワタシが、その冷泉提督って人のことを好きになったりしないといけないの? そもそも会った事も無いような人なのに」

 

「ちょ……」

叢雲は言葉を失う。

「アンタは、前はアタシと一緒に舞鶴鎮守府にいたじゃないの! そして、そこでの司令官が冷泉提督だった。彼とは共にいくつもの戦いに出て、死線をかいくぐって来たじゃないの。一緒に笑って、そして泣いたじゃないの。……いい加減にふざけるのはやめなさいよ。提督と離れてしまったのは辛いかもしれないけれど、過去を消し去るなんてできるわけないじゃない! 」

声を荒げて叫んでしまう。呼吸が乱れてしまう。目頭も熱くなる。

それは金剛に言っているようで、自分に対しての叫びでもあった。

 

「はあ……そうなんだ」

呆れたような表情で金剛が言葉を返す。

「なんだかよく分からないケド、ワタシには何のことだかよくワカリマセンね」

 

「うそ……」

淡々とした口調の金剛に次の言葉が出てこない。まるで不知火との会話を繰り返しているようだ。一体何がどうなっているのか。叢雲は分からなくなってきていた。

 

「叢雲……。あなたにとってはとても素敵な人みたいネ、冷泉提督って。でも、あなたはその人と一緒にいられなくなってここに来たんダヨネ? 何だかとても素晴らしい人みたいな言い方をしてるケド、本当に素晴らしい人なのカナ? 」

 

「あ、当たり前じゃない。いろいろ人間としては問題がある奴だけど、とても優しくて頼れる人。そ、尊敬できる人よ」

大好きな人だとは言えない。

 

「へえ、そうなんだ。素晴らしい人なんだあ。叢雲がそんなに想ってくれているのに、鎮守府を追い出すんだ。素晴らしく優しい人ダネ」

皮肉交じりに嘲るように金剛が言う。

「ゴメンね、知らないみたいな言い方して。少し叢雲をからかってしまったネ。ワタシ、冷泉提督の事を知ってるよ」

 

「なんだ、冗談だったの。……全く」

 

「うん。提督を大好きらしい叢雲の前ではあまり言いたくなかったんですケド、ワタシの記録の中では、冷泉提督という人は、指揮官として不適格な人物だとなっているネ。どういうツテを辿って今の地位に上り詰めたかは知らないけど、軍の中では随分と評価が低いみたいデスね。……ううん、それどころか嫌っている人がとても多い。おまけに、影でいろいろと良くない画策をしている情報もあるようだし。艦娘の離脱だって、彼の為そうとした事について行けなくなった艦娘達が、永末というかつての鎮守府士官にそそのかされて離脱したとも聞いているケド」

 

「バカじゃない! そんなの全部嘘に決まってるでしょう。提督は、みんなのためだけを想って行動してくれた。そのために余計な敵を作ったりして自分の地位を危うくもしてるわ。もっと上手く立ち回ればいろいろとやれる人なのに、私達の為に無理を重ねてくれている。誰一人、提督を嫌ったりするような艦娘はいない」

 

「ふーん。もっと冷泉提督がしっかりしていたら、艦娘みんなに目を配っていたら、あんな事にはならなかったハズ。扶桑は裏切り者の汚名を着せられて沈んでしまった。多くの艦娘が敵に攫われてしまった。今彼女達がどうなっているのかさえ分からない。一体、どんな勢力に取り込まれたかもわからないネ。彼女達がどんな仕打ちに遭っているかさえも。その全ての原因が、冷泉提督という一人の人間なのだから」

射るような瞳で金剛が叢雲を見た。

「ワタシは扶桑を見捨てたあの男を許せないネ」

その言葉を聞いて、叢雲は背筋が寒くなるような思いがした。

 

 

 



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第200話 駆け出すしかなくて……

「な! 何を馬鹿な事を言ってるの!! そんなの全部嘘よ。どこでどう間違ったら、そんな話になるっていうの? アンタ、どうしたっていうの? 訳分からないわ」

何を言っているんだ、この女は! 叢雲は怒りがこみ上げてくるのを抑えきれない。

何処でどう勘違いしたら、そんな結論になるというのか。少し前まではテートクテートクってはしゃいでいたはずなのに、どうしてここまで心境が変化するというのか。

 

元々、自分の感情を余り隠すことなんてしない金剛だから、誰の目にも彼女が冷泉提督を好きだということは明らかだった。……それもかなり本気で好きだったはず。なのに、今の彼女は冷泉提督の事を憎んでさえいるように見える。

 

気持ちの切替が早いといっても限度がある。一体、提督にどんな事を言われたというのか。仮に、提督が金剛の気持ちを受け入れないとしても、傷つけないように不器用ながらも気を遣うはず。実際、叢雲に対してもそうだった。彼は優しいのだ。憎しみを抱くなんてありえない。

 

「あれ? どうしたの、叢雲。何をそんなに熱くなってるのカナ? ……もしかして、提督の事を叢雲は好きだったの? 」

口調は冗談っぽいが、探るような瞳で金剛が見つめる。そして、叢雲は気づく。そういえば、金剛はいつも冷泉提督の事をテートクって呼んでいたのに、今は余所余所しい感じで提督と呼んでいることに。

 

「そうよ。それがどうしたって言うの? アタシは提督の事を好きよ」

もう叶わぬ願いであるがゆえ、誰かに隠し立てする必要もない。そして、隠す相手でもない。自然と自分の気持ちが口から溢れ出て来る。

もっと早く、そして本人に対して言っていれば何かが変わったかもしれないな……そんな事を想いながら。

 

「本当に冷泉提督の事を、一人の男性として叢雲は好きなんだ! ふふふ……面白いネー! 」

金剛が馬鹿にしたような口調で話す。

「艦娘が本気で人間を好きになるなんて、興味深いナ。是非是非教えて、どんな気持ちナノ」

 

「馬鹿にしないで。アンタだって提督の事を好きだったでしょう? 何とぼけた事言ってるのよ」

 

「はあ? ワタシが提督の事を好き……だったですッテ? えっと何それ、ジョーダンのつもりなのカナ? だとしたら笑えないよー」

驚いた表情で問いかけてくる。その表情、言葉から決して冗談で答えているようには見えない。 そして、叢雲の真意を確かめるような瞳でしばらく見つめていたけれど、何かに思い至ったように冷めた表情になる。

「なんで、ワタシがレイゼイなんて人を好きにならないといけないワケ? うーん、冗談にしても、笑えないネ。そもそも……艦娘が沈む原因を作ったニンゲンなんだヨ。大切な仲間を、無為に死なせた奴なんて、許せるわけ無いネ」

それは、金剛の本音に聞こえた。嘘偽りの無い、今の彼女の気持ちであると分かった。

 

「ア……アンタ、一体……何者なの」

思わずそんな言葉が口から出てしまう。目の前にいる艦娘は、叢雲のよく知る艦娘のはずなのに、ずっとずっと同じ時間を共有していたのに。まるで別人のような反応をする存在に混乱が止まらない。

ありえない事が起こっているというのか? 目の前の金剛は、少なくとも叢雲の知っている金剛じゃない! 

 

「面白い事言うネ。ワタシがワタシじゃなければ、一体何だっていうネ? ここにいるワタシがニセモノって事? 何か叢雲、今日はとっても変だネ。大丈夫ナノ? 」

まったく冗談を言っている風でもない金剛の態度を見ていると、疑惑が核心に変わっていく。彼女は嘘をいうようなタイプではないし、そういった演技なんて絶対にできない事くらい知っている。

「ワタシの事が変だって叢雲は言うケド、どっちかっていうと叢雲のほうがおかしいネ。まるで人が変わったみたいダヨ。だって、ナンカ、いつもより感情的すぎてちょっと怖いし。そこまで提督に固執すること自体、いつもの叢雲らしく無いネ。いつもなら一歩引いた感じで物事を見てたって思うケド。レイゼイ提督の事が好きで好きで堪らないのかもしれないけど、恋愛感情っていうより、ただ何か追い詰められたような切迫感しか感じられないネ。まるで、誰かに操られているみたいに」

 

逆に叢雲自身が改変を受けたかのような言いぐさをする金剛に、これ以上の会話はもはや平行線を辿るだけでしかないと判断せざるを得なかった。

「もういいわ。これ以上、アンタと話しても何の答えも見いだせないみたいだし。自分で答えを見つけてみせるわ」

 

「そーなの。よく分からないケド、叢雲が納得するまで調べてみればイイネ。何が正しくて何が間違っているかは、結局、自分で見てみないと判断できないものだし」

妙に達観したような言葉を金剛はかけてくる。

 

「そうね、そうするわ。……けどね、金剛。これだけは覚えておいて。アンタがこれから何をしようとしているのか、それとも何をさせられようとしているのかはアタシには分からないわ。でも、冷泉提督は、いつもアタシ達の側にいてくれて、アタシ達を守ろうとしてくれている。……それだけは絶対に忘れないで。アンタがどこで間違った事を刷り込まれたのかは知らない。でも、提督は絶対にアタシ達の味方でいてくれるのよ。決して、アタシ達の敵になるなんてことはない。それだけは忘れないで」

無駄とは思いながらも、口にせざるをえない。

どこで金剛が変わった……変えられてしまったかは分からない。本当なら力尽くで彼女を止めるべきなんだろうけど、もはや自分にはそんな力は無い。そんな立場でも無い。彼女を納得させる言葉も持たない。それでも、金剛が後で後悔するようなことだけはさせたくない。

自分の無力さを痛感しながらも、言葉を紡ぐしかできないのだ。

 

同じ提督を好きになった者として……。

 

「あはははははは! ふう、叢雲もジョークが上手くなったネー。ワタシの上司でも無いニンゲンが、ワタシのためなんかに行動なんてするわけないデース。そして、レイゼイ提督は、艦娘に害を為す存在の可能性がとても高い存在ネ。ワタシは新たな鎮守府に属することになるから、新しい提督の命が無ければ行動を起こすことはデキマセンけど、横須賀鎮守府提督は、正義の人だと聞いていマスネ。きっと、悪事を謀る者達を許さない。みんな討伐していく筈ネ。その標的にレイゼイ提督もいるのは間違いないネ。……もしいなければ、ワタシの知りうる情報全てを提督にお伝えして、レイゼイ提督を討伐対象に入れて貰うデース! 」

と、愉快そうに話し、そして笑う。

 

「な! ……」

次の言葉が出てこなかった。

 

本当に目の前にいる艦娘は、自分の知る金剛なのか? 不知火といい金剛といい、まるで人が変わったかのような……まるで別の何かになっているようにしか思えない。

根本部分は間違い無く本人である。叢雲の知る艦娘達なのは、間違い無い。けれど、ある時間以降今までの記憶が完全に欠落し、その時間の中で得たはずの楽しかったり辛かったりした様々な思い出を失い、その時々で自ら考え至った結論を全て捨て去ったものになってしまっている。……想像でしかないけれど、それは確信に近いものがあった。それを認めることは、辛いだけでしかないのだけれど。

 

「まあ、これ以上話合ったって、何の解決も見出さないネー。ウン、時間の無駄無駄。ここで道草食ってたら、ドックでワタシを待ってくれている人達に怒られてしまうネ。改二改装の完了を、生田提督も首を長ーくして待っているって聞いてるモンネ。ってことで、叢雲、ここでバイバイだよ。なんかワケのわかんない妄想に浸ってたら、本当に駄目になるヨ! 」

そう言い終わると、それまで口論していた事を忘れたかのように、人なつっこい笑顔をみせて、彼女は叢雲に背を向け歩き出した。

 

「ちょ、待ちなさいよ! 」

そう叫ぶが、彼女はもう振り向かなかった。

 

しばらく金剛の後ろ姿を見送っていた叢雲だが、すぐに思い出したかのように……走り出した。

 



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第201話 暴露

感情のままに叢雲が向かった先は、三笠のいる場所だった。先ほどあったことを問い詰める。本来であるなら、三笠は叢雲よりも遥かに上の立場の存在。それ相応の言葉遣い、態度が必要なのはわかっていたけれど、怒りがそれを忘れさせていた。言葉遣いも荒く、怒鳴りつけるように感情をぶつけたのだった。

 

本来なら、その場から排除されても文句は言えないほどの行動だった。しかし、三笠は叢雲の話を黙って聞くだけだった。むしろ瞳を潤ませ哀れみの表情さえ浮かべていた。

 

「黙っていないで何とかいいなさいよ! 」

そう叫んでもまるで手ごたえがない。……ただただ、叢雲を見つめるだけだ。何も答えるつもりはないようにしか見えなかった。

「何で答えないのよ……」

 

「可哀そうな……叢雲」

しばしの間があって、三笠の口から漏れた言葉。それは問いに対する答えではなく、哀れみの言葉だった。

 

「何よそれ! アタシが聞きたいのはそんなわけの分からない言葉じゃなくて、本当の事を教えて欲しいのよ。金剛がどうしておかしくなったのか、……金剛に何をしたのかを教えなさい! 」

馬鹿にされたような気がして、余計に頭に血が上ってしまう。

 

「可哀そう……」

と、再びその言葉を三笠は口にした。

「あなたは本当に辛い思いをしているのですね。僅かな時間で心を病んでしまうほどに。空想と現実の境界さえ分からなくなってしまっているのですね」

 

「何をわけの分からないことをいってるの? アタシは見たままのことを言っているだけじゃない。話を逸らさないで、事実だけを言いなさい」

論点の逸れた同情などを求めていない。今は本当の事だけを知りたいのに。

 

「それほどあなたが冷泉提督の事を思っているとは思っていませんでした。あなたは彼の側から離れたことで、心の均衡を取れなくなってしまったのですね。心を閉ざし、現実から目を逸らし、己が妄想の中に閉じこもってしまっているのです。そして、自分に都合のいいことだけを事実と認識し、事実からは目を逸らしている。そんな状態になってしまったのでしょう。……管理者である私の失態でもありますね。ごめんなさい。……少し心のケアをしないといけませんね。仕事もしばらく休むように手配しましょう。そして、カウンセラーをつけてあげます。しばらくは心を安静にするしかないのでしょうか」

すでにすべてを決めたかのように、三笠が話し続ける。

 

「アタシは病気なんかじゃない。そんなことでごまかさないで頂戴」

 

「ごまかすもなにも……私が言えることはそれだけしかありませんけれど」

不思議そうな表情で三笠が見つめてくる。

叢雲は、大きなため息をついた。くだらない大根芝居を見せられて呆れてしまったのだ。いくら問い詰めてもこの女は事実を絶対に話さないだろう。そして、彼女の口を割らせるほどの力が自分にはない事も認識している。

 

つまり、ここでいくら議論を重ねたところで無為ということなのだ。

予想はしていたけれども、こうも予想通りだとやはり腹が立つものだ。

「もうアンタに聞くだけ無駄みたいね! アタシの手で真実を見つけ出してみせるわ」

そう捨て台詞を残して、呆れた表情の三笠を残して部屋を後にする。

ちなみに、ドアの向こう側には数人の武装した兵士がいつでも飛び込めるように待機していた。

叢雲は、彼らを一瞥するとさっさと歩き去っていったのだった。

 

 

悶々とした気持ちで基地内を歩き回る。あてども無く歩き回るしかない。そもそも何を目当てに歩いているわけでもない。

 

とはいえ、出入りできる場所は決められている。それは艦娘とて同様だ。叢雲がおかしな行動をしないよう、ずっと兵士があとをついて来ている。

結局は、監視下で決められた場所を彷徨くだけしかできないのか。あの憎たらしい三笠の手のひらからは出られないのか。

 

「もう! 腹が立つ! 」

宿舎に帰るしか無かった。

「アンタ達、ストーカーみたいについてこないで頂戴」

大声で兵士に怒鳴るしかない。もう帰って不貞寝するしかないのだ。

 

イライラした気持ちで歩いていたせいか、歩きなれているはずの宿舎への帰り道を間違えてしまったようだ。

普段通りなれたものとは異なる雰囲気の場所に、いつの間にか出てしまった。

 

第二帝都東京という、人間臭さからもっとも遠いはずの町だというのに、そこにある光景はまるでスラム街を思わせるような陰気臭く絶望に取り込まれたような暗い暗い雰囲気だった。

資材と廃材が無秩序に置かれた場所。資材と資材の隙間につっかえ棒をして、そこにつぎはぎだらけのシートや錆付いたトタン板を立てかけて作った小屋のようなものいくつもある。ロープが張られ、そこには薄汚い洗濯物が干されていたり、魚がつるされていたりしている。

動物臭と不敗臭、油と鉄の臭いが混ざった臭さを感じて気分が悪くなる。そして何よりもそこに存在する人間の死んだ瞳、オーラが心に堪える。

 

叢雲は、来た事は無かったけれど、こういった場所があるとは話には聞いていたビルから見下ろした時に雰囲気のまるで異なる、不思議な光景が見えた時があったのだ。それが何かと聞いたときに、教えられたことを思い出していた。

 

第二帝都には、体の部位を欠損した……人間が自然と集まり棲んでいる場所があるという。そして、そこの住民は、みながどれも死んだ魚のような目をして、ただ生きているだけのような気持ち悪い存在だという。

第二帝都では危険な作業に従事することも多々ある。そんな作業の中で負傷した兵士たちがここに集まるのだ。

 

治癒する負傷であるのなら元の職場に復帰することができるが、負傷の程度によってそれ以上任務遂行できなくなった兵士は、もう元の地位に戻ることはできない。もちろん、第二帝都東京から出ることは最初から叶わない。

彼らは、ただ生きることのみを許され、その体で可能な軽作業をすることで生計を立てているらしい。もちろん、それで貰えるお金など微々たるものであるのだけれど。

 

そういった事情なのに、この場にいる兵士は皆が皆、若い者しかいないということはどういうことなんだろう?

 

ほとんどの元兵士は植物のようにおとなしく、次第に弱っていく人生を歩む。しかし、時々自棄を起こしたのか、それとも誰かに洗脳されたのか、何かに目覚めたのか……反抗的な行動をする人間もいる。だが、丁度良い人減らしの理由ができて「整理」されるとも聞く。

帝都は、いや三笠は、法令違反者には容赦などしない。躊躇無く反逆を意ある者は処断され処分される。

 

そういったシビアな部分はあるものの、福利厚生はしっかりしている。何であれ動ける限りは、粗末ではあるものの食事は与え続けられる。ただ、そこに希望などは無い。ただ生かされるだけの生活に心が耐えられなくなり、生きること自体に苦痛に感じて自殺するものもいる。

もし生きる気力はあっても、自力で動けなくなった人間はどうなるのだろうか? 

ここでは、人は共生共存などは期待できない。弱肉強食ではないけれど、誰も助けてはくれないのだ。皆自分のことにしか興味が無く、他人には無関心。自分さえ生きていられればそれでいい。廃棄された兵士達は、そうならざるをえないのだ。

 

食事ができなくなれば、飢え死にしていくしかないのだ。

 

小屋は雨風をとりあえずはしのげるだけでしかなくく、暑さ寒さはかなり厳しい。熱中症で死んだり凍死することもあるようだ。

 

過酷といえば過酷な世界……。

これが叢雲の知るこの場所の知識だ。

 

気分が参っている時にこんな場所に来てしまうなんて、最悪だと思ってしまう。

艦娘の登場に彼らは怯えたように小屋に逃げ込んでしまう。艦娘と人間では圧倒的な力の差があることを彼らは叩き込まれている。恐怖の対象でしかないレベルにまで。ゆえに何をされるか分からない恐怖から、隠れているのだ。ただ、視線だけは感じる。恐怖はあるが、興味がそれ以上にあるのだろう。

 

カツン……カツン。

金属が床を叩くような音が聞こえてくる。

小屋の影から松葉杖をついた一人の少年が出てきた。少し怯えた表情を見せながらも、彼はただ一人、近づいてくる人間だった。

他の人たちも彼が前に出るのを見て、小屋から顔を覗かせる者、外に出るものと動きがあった。しかし、近づこうとするのは、杖をついた少年だけだった。

 

一瞬だけ身構えるが、彼の体を見て警戒を解いた。彼の左足は甲より先が消失していて金属製らしいサンダルのようなものを履いている。これが金属音の原因か。そして、右腕は無いようで、中身の入っていない右袖が風に揺らめいている。見ると右耳の耳たぶも欠損している。

どういった事故でこんな負傷をするのかは分からないけれど、彼も同じようにここに打ち捨てられた存在なのだろうか。

杖だけは磨き上げられたロフストランド・クラッチといわれるタイプの杖を左腕に装着している。少し形状が特殊で重量のありそうな感じの杖だ。

 

「こんなところに、艦娘さんが一体何のようです? 」

思ったより高い声で少年が問いかける。

「ここはあなたのような人が来る様な場所ありませんよ。それとも何かの任務なんでしょうか? 」

 

少年は十代の半ばのように見える。しわの具合、肌の張り、声の調子からまず間違いない。こんな若さで本来の任務から外され、ここで死ぬまで生きていく運命を思うと、少し感情が揺らぐ気がした。見掛けだけなら自分と同年代なのだ。一体、彼はこの先何を思い、何を支えに生きるのだろう。

 

「失礼しました。まずは名乗らないと失礼でしたね。私は、草加甲斐吉といいます。……ああ、ちょっと自分の不注意で事故にあってこんなことになってしまいました。……最初は悔やんで泣いて過ごしていましたけど、今はもう慣れてます。気にしないでください」

叢雲が黙っていたせいか、草加という少年は慌てたように自分の事を語りだした。

 

「……そう。アタシこそごめんなさい。私の名前は……」

 

「もちろん知っています。駆逐艦叢雲さんですよね。舞鶴鎮守府よりこちらに着任されたのはここのみんなが知っています」

 

みんな知っているのか……。艦娘の数は少ない。そして彼らは艦娘のためにここにいるのだから知っていて当然か。

「歩いていたら道に迷ってしまって。気がついたらここに来ていたの。……教えてもらえるかしら? ここは何? 」

情報としては知っているけれど、あえて確認のために問うた。

 

草加から帰ってきた答えは、叢雲の思ったとおりのものだった。

ここは用なしになった人間の廃棄場。

あなた達は何故、ここにいるのか?

主の役に立つことが出来なくなったから、ここに捨てられた。

ここで何をしているのか?

ここで朽ちるまでただ生きていくだけ。

絶望しかない未来に生きるしかない少年達の立場を知っただけだった。言いにくい話と思われるけれど、彼らはわりとあっさりと答えた。

 

「じゃあ教えて。あなた達の中に研究室で働いていた人はいる? 」

その問いに反応を示すものが数名いたのを確認。草加もその一人だった。

「じゃあ研究室にいた人たちに聞きます。あそこで何がなされているの? 艦娘を改二改装するだけなの? それとも他に何かすることがあるの? ……艦娘の記憶を弄ったり消したり入れ替えたりなんてしているの? 」

質問が艦娘の話になったとたん、彼らの表情が強張り目が泳ぐのが見て取れた。明らかに動揺している。

この変化は一体何なのだろう?

「ねえ、教えて頂戴。あそこで一体何がなされているというの? 最近、金剛が改二改装を受けたんだけど、前と全然違う子になってしまったの。一体何でなの? 」

少年達は目を伏せ、叢雲の視線に耐えられなくなったのか次々と部屋の中へと消えていった。

 

ついには草加という少年だけが残されることとなった。

 

「あなたなら教えてくれる? 」

 

「……すみません。それはできません。叢雲さん、艦娘の事を私たちが話せるわけないじゃないですか」

少年は辺りをきょろきょろと見回しながら答える。それだけですべてが分かってしまう。

艦娘の事を漏らすと言う事は、彼らにとっての守秘義務違反となるのだろう。それはつまりは、重大な契約違反。

つまりは、死に直結するということなのか?

彼らは監視カメラを警戒し、さらにはここに住む住人からの密告を恐れたのだろう。死ぬまでただ生きるだけといっても、殺されるのは恐ろしいのだ。

 

「お話はこれ以上はできないようです。すみませんね……お役に立てませんで」

そういって草加は歩き去ろうとする。

刹那、躓き転倒しそうになる。

叢雲は瞬時に加速し、地面に倒れこむ草加を支えた。

艦とのリンクが切れていても、運動能力だけは健在であるのだ。

 

「大丈夫? 」

叢雲の問いかけに

「ええ大丈夫です。ありがとうございました」

と、草加は何度も礼を言う。そして、起き上がりながら耳元で囁いた。

その声は叢雲以外には聞き取れないほど小さな声だったけれど、内容は彼女に強く響いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第202話 暗闇の中に

草加という少年が、耳元で囁いた言葉。

叢雲が持つ疑問へのヒントがそこにある、と彼は言った。

 

どうしてうち捨てられたはずの人間の一人でしかない草加という少年が、叢雲が知らない……そして、三笠が教えてくれない事を知っているのか?

 

彼の言葉を信じるとするならば、彼がドックで働いていた……若しくは、それに関連する業務に従事していたのだろう。そして、その中で秘密を知ったということなのだろう。

一度、第二帝都東京に入ったら二度と出られない。出る時は死体としてしか不可能と噂されている施設だ。実際、負傷して働く事のできなくなった彼等は外に出されることもなく、ここで生きながらえている現実。あながち嘘ではないのだろう。ならば、そういった高レベルの秘密に触れることもさほど難しくないのかもしれない。

 

もちろん、叢雲も手に入る情報をそのまま信じるほどお人好しではない。

どう考えても、タイミングが良すぎる。

 

……あからさまな情報提供であり、これは罠と考えていいだろう。

ここの吹きだまりみたいな場所に棲む人間達は皆、薄汚れて汗臭い臭いが漂ってきそうな服装をしている。身だしなみなど二の次のような、みすぼらしい姿である。なのに、草加の着ていた服は汚れたようには見えたけれど、それはわざと汚したような汚れ方であり、染みついた汗や垢など全く無かった。何よりも体臭は感じられず、洗剤の香りが残っている状態だったのだ。髪ぐしゃぐしゃにしていたけれど、生え際はきちんとカットされていた。髭も全然伸びていなかった。……急遽、準備したとしか思えない、とてもレベルの低い偽装だったし。

わりと人を見る癖がついているのだ。簡単には騙されない。

 

それでも……。

全てが分かっていたとしても、今はそこに飛び込むしか手はないのだ。叢雲は覚悟を決めていた。恐れるわけにはいかない。このままでは、横須賀鎮守府へ着任した金剛は、冷泉提督討伐に向かうだろうから。好きだった人を喜々として討とうとする金剛をどうしても止めたい。彼女は三笠たちに何かをされて、きっと記憶を失ってしまっているのだ。そして、全然違う記憶を埋め込まれてしまっているに違い無い。

 

金剛が提督を殺そうとするなんて、そんな場面を想像なんてしたくなかった。何よりも、そんな場面に出くわせば、冷泉提督がきっと悲しむはずだ。そして、あの馬鹿な彼は、金剛が望むなら、自らの命さえも差し出すだろう。

記憶を書き換えられた金剛は、その未来に満足するのかもしれない。

 

けれど、提督の死を叢雲は受け入れられるはずがない。受け入れられる筈が無い。金剛がどうして変わってしまったのかを知ることは、自分の為でもあるのだ。三笠達によって、何かをされたというのならそれを突き止めるんだ。そして、それを提督に伝えるのだ。何をどうすれば問題が解決するかなんて、自分では分からない。けれど、提督なら、きっとどうにかしてくれる。金剛を救おうと必死になるはずなのだ。安易に彼女の為に無条件に命を差し出すような真似だけはしないはずだ。

 

叢雲の想いは、ただ一つ。彼には死んで欲しくない。彼の悲しむ姿なんて見たくない。だから、たとえどんな罠が待ち構えていようとも、そこに飛び込むしかないのだ。

 

 

そして、―――夜。

 

叢雲は、警備カメラを警戒しながら部屋を抜け出す。

毎日、同じ行動をしていたから、警備の兵士の行動も完全に把握している。そして、彼等も叢雲が決まり切った行動を繰り返すことに慣れてしまい、イレギュラーな行動をしないと思い込んでいるはずなのだ。

そこが狙いだ。街に設置されたカメラの場所はほとんど把握している。そして、そのすべてのカメラの死角も把握済みだ。漠然と生きていたわけではない。いろいろと先を考えての行動をしてきたつもりだ。それが、今、生かされる。

 

第二帝都東京は、第1区から第35区という無機質な名前を付けられて区切られている。

それぞれの用途事に区画が分けられており、面積は一定ではない。用途に必要なエリアをまとめて区としている。最も広いのが艦船を停泊させる港およびそれに付随する施設である第8区。もっとも小さいのが三笠がいる制御区画である第1区となっている。草加達がいたエリアは第35区であり、これからすると数が少ないほどランクが高い場所といえるのだろう。

 

叢雲が住んでいる区画は、艦娘用に作造られた施設である第3区。ほとんどの艦娘は、鎮守府に派遣されるために様々な設備が整えられた場所とはいえ、普段は閑散としている。今でも叢雲以外に誰もいないんじゃないかと思うくらい静まりかえっている。……とはいえ、金剛と不知火がいるはずなのだから、他にももっといるのかもしれない。

 

草加という少年が伝えてくれた場所、それは第29区と呼ばれる場所だった。今まで行ったことも無い所だ。第8区に隣接しているものの、高い塀で仕切られた海に面した場所だった。いくつもの倉庫のような物が建てられているが、普段は、人の気配は無い。

施設には港が設置されているものの、そこに軍艦が停泊することは無い。定期的に輸送船のような船がやって来て、何か分からないけれど、荷物を積み込んで出港していっている。船の到着に併せて、他の場所から車両と共に作業員がやって来て、倉庫から荷物を運び出すのだ。不思議なことに、船から荷物は降ろすことはない。

 

叢雲は闇に紛れて、草加に言われた施設へと忍び込む。倉庫にはナンバーが振られており、彼は42番倉庫の二階2-5のナンバー5に知りたい事への解答がある……と教えてられていたのだ。施設は当然施錠されているものの、艦娘にとっては雑作無く解錠することができる程度のものでしかなかった。艦娘の能力はまだ使える事に安心し、周囲をサーチする。人の気配は無い。警備システムの情報も入手完了だ。

叢雲は、五感を使って人の気配を確認しながら、そっと忍び込む。

電子キーを簡単に解錠すると、警戒を怠ることなく二階へと移動する。監視カメラの存在も無力化できていると思う。……もちろん罠で無ければ、だけれど。しかし、見付かったときは見付かった時とすでに覚悟を決めている。

 

2-5のナンバーが振られた部屋は、灯りが点いてる訳では無く、窓も無い。そのため、完全な暗闇だ。照明を点ける必要は無い。能力の数値を普段より数段上げた叢雲にとっては、たとえ暗闇であろうとも昼間と大差無い状況まで改変できる。

 

そこは、無機質な壁。冷たさのみしか感じさせない床。

壁には四角く銀色に光沢を放つ扉が二段に設置され、横に10列並んでいた。つまり、20個の扉が並んでいたのだ。扉には取っ手が付いていて、それを動かせばロックが解除され扉が開くよう見えた。

 

「これって……」

叢雲は、こんな場所を見たことがある。……それは死体安置所だった。

どうして死体安置所に自分の知りたいことがあるというのか? まるで意味が分からない。とはいえ、あの少年がわざわざ伝えたということは、ここに何かがあるのだろう。ここに彼とその背後の存在が見せたいモノがあるのだろう。

 

薄暗いとはいえ、艦娘にとっては全く支障の無い明るさ。照明をつけずとも十分に見通せる。

 

「とりあえず……ここに何かがあるのかしら」

見ると名札のようなものがそれぞれに付けられている。そして、明らかな人の名前と日付が書かれている。その関連性は分からないけれど、ほぼ全ての場所に名前が表示されている。どう考えても遺体が安置されているだけなのだろうけれど、開けてみるしかない……のか。

「考えても仕方ないわ」

口に出すことで気力を振り絞る。手近な扉の取っ手を掴むと、ロックを解除する。

ゆっくりと扉が動くと軽い力だけで開いていく。同時に白い煙と共にひんやりとした空気が流れ出してくる。ドライアイスかなにかで冷やしているのだろう。

 

中をのぞき込むと、見るんじゃ無かったと後悔する。

 

そこには裸足の足をこちらに向けて一人の人間が入れられいるのが分かった。……明らかに死んでいる。

白い衣服を着せられているようで、足からも想像できるが、比較的小さい人間が入れられている……らしい。

 



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第203話 帝都脱出

「ああ……」

思わず大きなため息が出てしまう。見たことが無かったけれど、知識としてはあったもの。これが遺体保存するための冷蔵庫なのか……。覚悟を決めて遺体が載せられたステンレス製のトレイに取り付けられた取っ手を掴んで引き出す。

 

現れたのは、まだ幼さの残る少女だった。軽く拭かれたようではあるものの、短くカットされた髪の毛はしっとりと濡れたままだ。何気なくその髪に触れると、少し粘り気のある液体が付着していることが分かる。

彼女は、ひざ下まである緑色の浴衣のようなものを着せられているが、体に張り付いたようなその液体のせいで体のラインが透けて見えている。とはいえ、幼さが目立つだけの起伏の無い痛々しさだけしか感じられない。右胸のところにマジックで雑に書き込まれた3桁の数字が異様に見える。

 

この少女は、どうしてこんなところで亡くなり、ここに安置されているのだろう。少女に手を合わせるとゆっくりと遺体を遺体保存用冷蔵庫の中に戻す。

 

その後、何度も同じ作業を繰り返す。そして、何度もため息をつき、悲しくなる。どの扉を開けてもそこには少女の遺体があり、皆同じように短くカットされた髪をし、同じように番号が振られていた。

 

気分が滅入る作業ではあるけれど、続けなければならない。

どちらにしても、命が燃え尽きた人を見るのは気分のいいものではない。全部見る必要なんてないのに、どういうわけか一つ一つ確認をしてしまう。嫌な予感がしていた。そして、その予感が外れていて欲しいと必死に願っていた。けれど、それは確信でもあった。

 

できるなら、ずっとこのまま同じ光景を見、同じ作業を続け、これ以上の事など無く終了することを望んでいた。

 

しかし、現実は思い通りにはいかない。叢雲は……ついに見てしまう。

 

肩ひざをつき縦に二つ並んだ扉の下側の扉に手を触れた瞬間、これまでとは違う感触、雰囲気を感じてしまう。

この扉を開けてはいけない。心が警告を発する。……分かっている。けれど、これをやらなければならないのだ。

 

そして、扉を開いた瞬間にすべてが分かってしまった。震える手でトレイを引き出す。そして、ゆっくりとあらわになっていく姿。

 

今までの少女達とはまるで異なる格好。

靴は脱がされ、白くスラリと伸びた長い脚があらわとなる。そして、フリル付きのミニスカート。肩を大きく露出させ、胸元には金色の装飾のあるまばゆい純白に白の総称が施された巫女服。しかし、今はその純白であったはずの巫女服の胸元が、どす黒い血の色で染め上げられていた。

 

「う、嘘よ……」

知らず知らず涙がこぼれ落ちていく。

そこには、かつての盟友である金剛がいたのだ。大きく異なるのは、そこにいる金剛は、もはや人懐っこい笑顔で話しかけることなどもう無いということだ。

「金剛……。なんでこんな姿に」

うめくように語り掛ける。当然、金剛は答えることもなく、閉じられた瞳を開くことも無かった。口元から血が垂れ落ちている。

 

「何で、アンタがこんな目に遭わなきゃいけないのよ! 」

そう言って、叢雲は横たえられた金剛の体に右手を潜らせて抱き起こそうとする。しかし、その刹那、ガクリと頭があらぬ方向へと折れ曲がり、そのまま落ちそうになる。

「なっ! 」

慌てて彼女の頭部を左手で支えた。

 

何が起こったかわからず、叢雲は金剛の顔を見つめる。そして気づいた。なんと彼女の

うなじ部分……その中央部分がごっそりと抉り取られていたのだ。それも、何らかの機具を使い乱暴に抉り取られたようになっていたのだ。神経節や血管らしきものがはみ出して来ているのが見えてしまう。腕に伝わるごりごりした感触は頭蓋骨か脊髄なのか……。デロリとかすかな温もりを持つヌメヌメしたものに触れている感触が服越しに腕から伝ってくる。それが、じわじわと叢雲の白い袖を赤黒く染まっていく。

 

「なんて酷い事を……」

疑う余地など微塵も無い。金剛の今の状態を見ただけで、彼女が殺されたことが分かる。何故、彼女が殺されなければならないのか。何をしたというのか! 一体、どんな罪を犯したというのか! 

金剛はここで改二改装を受けて、横須賀鎮守府での活躍する明るい未来が約束されていたはずじゃなかったのか? なのに、どうして、理不尽に殺されなければならない?

 

それよりも……。

どうして、こんなところで、まるで捨てられたようにされなきゃいけないんだ……。誰にも知られること無く、見取られることもなく、葬り去られようとしていることに怒りと悲しみがこみ上げて来た。

 

「可哀そうな金剛……」

怒りと悲しみと混乱でわけがわからなくなっているけれど、叢雲は金剛の遺体を抱きしめずにはいられなかった。叢雲が見つけなければ、誰も知ることの無かった事実だ。

「なんでこんな事に」

そう口にした瞬間、電撃のような感覚が走る。

 

叢雲は、思い出してしまった。少し前の三笠との会話の事を。艦娘を統べる地位にある存在の言葉を。

 

艦娘の体には、コアと呼ばれるものが埋め込まれていて……と言いながら、彼女はうなじを触っていた。そして、ここにあるものが艦娘の本体だと言っていたと思う……。信じがたいけれど彼女の言葉を信じるならば、コアと呼ばれる部位が艦娘そのものであり、それが人間の肉体と船体を動かしている?

 

その言葉を信じるならば、今、叢雲の腕の中で息絶えている金剛は、そのコアを取り出された後の抜け殻でしかないというわけか? ただの部品でしかない体には、何の価値も無い。だから、葬られることもなく、ただうち捨てられたというのか。

そして、ここで見た少女達は、艦娘の予備パーツとして使われる予定だったものの、その過程で死に至ったというのか? 確かにここで見た少女の遺体は、どこか無機質で無個性だった。

 

時々見かけたバスに少年少女が乗せられて第二帝都東京へとやって来ているのを何度も見かけた。少年達は兵士として街の運営に従事していると認識していたけれど、少女達は一体どこに行ってしまったのだろうと疑問を感じていた。全く少女がいないなんて事はないけれど、ここにやってきているはずの少女達の数のわりに、あまりに見かける数が少ないと疑問を感じていた。たぶん、叢雲が出入りできない施設で何かの作業に当たっていると勝手に思っていたけれど、それは全くの見当違いだったようだ。

 

何のことはない。少女達は艦娘の誰かの予備パーツとしてここに集められ、顔や外見を書き換えられ、記憶を消されて調整されて時が来るまで待機しているのだ。

それは、まるで何かの部品のように。人が予備パーツとしてストックされているのだ。それが第二帝都東京なのだ。

皆、ここで作られそして、コアを埋め込まれ、艦娘の誰かとして生れ落ちる。

 

例え戦闘で沈んだところで、埋め込んだコアさえ回収すれば艦娘の予備はいくらでもあるのだ。三笠の言っていた「スペアボデー」という言葉が思い出された。あれはそういうことだったのだ。

 

関連して思い当たった事が一つ。

……艦を失った艦娘は、軍により鎮守府より回収されて、どこかに連れて行かれる。行き先は告げられることはない。そこでどんな運命が艦娘を待っているかは、叢雲は知らなかった。ただ、兵士達から聞いた噂では、その美しさゆえに女として性接待の慰みものにされたり、様々な科学的非人道的な実験をされたりして、死ぬまで人間たちの為に使い潰されると聞いていた。けれど、それは単なる都市伝説のようなものでしかないと思っていた。そもそも、そんな過酷な運命など、三笠たち艦娘側が見過ごすはずがないし、許すはずが無いのだ。

 

自分達の仲間である艦娘がそんな虐待に遭っている事を知ったとしたら、重大な敵対行為と判断し、当事者達は苛烈な断罪を受けるはずだ。こちらには、それができる圧倒的な力があるのだから。その気になれば日本などという国程度、簡単に一人残らず根絶やしにできる。それに、そこまでしなくても、すべての艦娘を日本国から撤退させるだけで事足りてしまう。深海棲艦と戦う力を人間が持っていないのだから。放っておいても、深海棲艦により全滅するだろう。

 

だけど、三笠達は何もしなかった。

これまで一度も対処されたことがなかった理由……。それがコアさえ回収できれば、ガワでしかない人間の体など、どうなっても構わないという考えがあってのことだと分かってしまった。服が汚れれば洗えばいい。破れて使い物にならなくなったら、着替えればいい。その程度の認識しかないのだ。

 

「う……う、うわあああああああああああああああ!! 」

絶叫していた。叢雲は、心から叫んでいた。

これまで本当の感情など表に出した事が無かった。ずっと押さえ込んでいたつもりだった。けれど、あふれ出す感情を制御なんてできやしなかった。

 

猛烈な吐き気と嫌悪感に耐えられない。

 

自分が人間の皮をかぶった化け物であることが認められなかった。艦娘が人間ではないってことは、なんとなくは分かっていた。認識をしていた。けれど、ここまで酷い存在だなんて思ってもみなかった。……否、少しは予想していたかもしれない。知っていて目を逸らしていただけかもしれない。けれど、知ってしまった。認識してしまった。自分達艦娘は、少女の体に埋め込まれ、その人格までを乗っ取った化け物。ヒトでない得体のしれない存在だということを。

 

叢雲は、そっと金剛の体を横たえさせる。血に濡れた手で自分のうなじを触ってみる。強く掴むと何か硬いものが奥に存在するのが分かる。

「確かに、ここに何かがあるのね。人間にはあるはずのない何かが。アタシの本体が」

 

こんなバケモノが、まるで人間のように、提督を好きになったり、他の艦娘を嫉妬したり悩んだり……。なんて愚かで気持ち悪いんだろう。

こんな化け物、……ヒトもどきであることを知ってしまったら、冷泉提督は自分達を受け入れてくれるのだろうか? これまでと変わらずに、不細工だけど心をほっとさせるような暖かい笑顔を見せてくれるのだろうか?

 

「あははははは。……アイツは馬鹿だから、それでもアタシ達を受け入れようとするんだろうな」

それは、考えるまでもなく分かっていた結論だ。

馬鹿でスケベで、そのくせ艦娘の事になると妙に必死になるし、心配するし本気で怒るし悩むし、自分の事のように泣いてくれる。それが冷泉提督なのだ。自分の事よりもアタシ達を優先しようとする。損得関係無しに愚かしくも無茶な行動にでてしまう。

 

そうであるのなら、自分がなすべきことはただ一つしかないじゃないか。

叢雲は、横たえられた金剛を見る。

「金剛、アンタの想いは、無になんてさせないから」

金剛がこんなことになった理由はひとつ。おそらく、今、舞鶴鎮守府で改二改装を受けている金剛が叢雲に語った事を拒否したからだろう。あの時の彼女は、冷泉提督を艦娘に害を為す存在と認識し、討伐すると言っていた。おそらく、それが三笠より伝えられた任務だったのだろう。

 

金剛にそんなことを受け入れられるはずもなく、何か三笠の命令を拒否し、逆らった。そして、彼女は殺されてしまった。所詮、彼女はたくさんいる金剛である艦娘の一人でしか無いからだ。不要となれば交換すればいいだけの話なのだから。

 

そして、コアを抜き取られ、新たなスペアボデーへと移植され、新しい金剛が生まれたのだ。三笠の命令を聞く従順な艦娘として再構築された金剛として。

 

そして恐ろしいことに気づいてしまう。

 

この第二帝都東京で出会った不知火、金剛に共通すること。それは、冷泉提督の事を全く覚えていないことだ。

―――推測。

彼女達の発言を分析するに、どうやら、ある一定の時点までの記憶しか持たず、それより先の記憶はリセットされているとしか考えられない。

つまり、冷泉提督と一緒にいた時の記憶が完全になくなっているのだ。ただの記録としての、舞鶴鎮守府司令官という冷泉というデータしか知らない状態になっているのだ。

 

それは、叢雲にとって、【恐怖】以外の何者でもなかった。彼との大切な記憶がなくなると言う事は、肉体の死と同義ではないか。

 

叢雲だって、三笠の命令を受け入れることはできない。冷泉提督を害する命令など、認められるはずがない。

けれど、きっと三笠は、冷泉提督に対抗する駒として自分を使うつもりだろう。それが為に舞鶴鎮守府よりここに引き抜かれたのだから。

三笠の命令を受け入れ、行動するのならきっと冷泉提督を苦しめることになる。けれど、拒否すれば自分は殺される。殺されるのは怖くない。提督を守るためなら、この命なんて惜しくはない。冷泉提督の命の対価となら、喜んで差し出そう。

けれど、それでは終わらないのだ。自分が殺されたところで、別の自分が冷泉提督に差し向けられ、三笠の駒として使われるのだ。

 

叢雲は、思い切り拳を壁に叩き込む。突き抜けるような衝撃と痛み。

「逃げなくちゃ……」

金剛は三笠に逆らうことで、彼女の意思を示した。その想いは何よりも尊い。命より大切なものを守ろうとしたのだから。けれど、結局は、三笠の思い描くとおりの結果になってしまった。

自分は、その鉄を踏むわけにはいかない。そして、なによりも金剛の身に起きたことを提督に知らせなければならないのだ。金剛は金剛であって金剛でない事実を。それを知らせることで、提督の苦しみを減らせることができるからだ。

 

これ以上、ここにいる意味はない。

「ごめんなさい、金剛。このままここにおいていくことになるけれど、許して。けれど、きっと真実を提督に伝えるから。この命に代えてでも」

静かに金剛が乗せられたトレイを元にもどし、扉をしっかりと閉めた。

 

 

叢雲は、闇にまぎれ外へと出て行ったのだ。

 

とにかく、この【第二帝都東京】から逃げ出すのだ。

金剛が三笠の手により殺されたという真実を伝えるために。そして、金剛の本当想いを伝えるために。

 

すべては、大切な冷泉提督を守るために。

 



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第204話 帝都脱出2

たとえ暗闇の中だと言っても、油断できない。

この街のあちこちに設置されたカメラの目から、完全に逃れることはできない。色々と調べまわったけれど、全ての監視カメラの場所を把握しているわけではないのだから。おまけに、この区画に叢雲は、足を踏み入れたことが無かった。すでに監視網に捕らえられていると思って間違いない。密かに抜け出すということは不可能。

 

大人しくこのまま宿舎に帰ったほうがいい、と理性が告げてくる。

 

ここに来るまでの不自然な経緯からして、これは完全な罠だ。過激な反応は、三笠たちに利するだけでしかない。リスクを冒して動いても、叢雲になんらメリットは無い。

しかし、このまま大人しくしたところでどうなる? 放っておいたら、金剛が改二改装を終えて、横須賀に着任してしまう。そして、遠くないうちに、冷泉提督に対峙することになるだろう。彼女は、明確な敵意を冷泉提督に向けるだろう。彼女を金剛だと信じている提督は、きっと苦悩するだろう。なんとか誤解を解こうと、目を覚まさせようと努力するだろう。そんな努力など、全く無意味だと知らずに……。

 

三笠は、金剛を駒としてコントロールし、何をなそうとしているかは不明だ。けれど、そんなの関係ない。結局、提督は悩み苦しむだろう。

 

金剛だけの話ではない。三笠が何を考え、何をしようとしているかなんて、叢雲には想像もつかない。けれど、ここにわざわざ呼びつけられた自分だって、なんらかの駒としての役割を与えられるのだろう。

拒否すれば、金剛のように殺され、新たなスペアボデーに移植され、三笠の駒にされるのだ。どのように行動したとしても、結果は同じなのだ。

 

ならば、一か八か、損得勘定抜きにここから逃げ出すしかない。自分で考え行動していたとしても、結局は三笠の思うままに動かされているだけのかもしれない。考えれば考えるほど深みにはまり、行動ができなくなる。それも彼女の想定の範囲なのだろう。

 

だから、余計なことを考えずに、とにかく走った。

艦とのリンクは切断されているけれど、身体能力だけは現在のようだ。まるで飛ぶように駆けられる。

 

あちこちに設置されているバリケードくらいなら苦もなく飛び越えられる。

 

途中、当然ながらパトロール中の兵士に見つかるが、軽々と彼らの頭上を飛び越え、人間離れした運動能力に唖然とする彼らを一瞬で置き去りにする。

 

突然の艦娘の登場。そして、その目的を知ったところで、人間の身体能力では追いつくことなど不可能。

大慌てで車に乗り込み追いかけてくるが、艦娘を追うには車両が大きすぎた。銃を使うにしても、威嚇射撃までが精一杯なのだ。艦娘に危害を加えるということに、どうしても躊躇してしまっている。

 

しばらく駆けるうちに、第二帝都東京を外界から遮断する高い塀が見えて来た。何箇所か通用門は高さが低くなっているが、警備が多すぎる。だから、装飾など微塵もないコンクリート塀へと向かっていた。

 

帝都を取り囲んだ塀の高さは、平均して3メートルくらいはあるようだ。その上を数本のワイヤーが張られている。未確認だけれど、恐らくは高圧電流が流されているのだろうと推測していた。もっと高くすることも可能なのだろうけれど、人の世界と艦娘の世界との境を示す象徴として造られたものゆえ、人の出入りと視線を遮る事ができれば目的を達するということで、必要以上な高さにはしなかったらしい。

とはいえ、この高さを人間が飛び越えるなど無理だし、よじ登ろうにも壁面はツルツルに磨き上げられ、道具無しではどうにもならない。

 

しかし―――。

 

艦娘である叢雲にとっては、この高さなど……困難の内には入らない。

追跡してくる軍用車両を後方に引き連れ、叢雲は接近していく。

 

そして叢雲は、更に加速する。

 

壁の手前で近づくと思い切りジャンプして壁を蹴り上げると、その勢いのまま上へと飛び上がる。人ではありえない跳躍力と身軽さで叢雲の手は、軽々と塀の上部に手をかけると、反動をつけて塀の上に立った。

 

複数の車両が駆けつけ、十数人の兵士たちが慌しく車から降り、怒声を上げこちらを見ている。けれど、もう彼らの手の届く場所には叢雲はいない。原たち紛れにライトを振り回し、その光を向けるだけだ。

 

思った以上に動けた自分の身体能力に驚くと共に、どうやらまんと逃げ果せると安心した。

「長いは無用ね」

兵士たちの悔しそうな顔を見て、この後彼らに降りかかる災難を想い少し罪悪感がよぎる。けれど、これは仕方のない事。

ごめんねと呟くと、叢雲は3メートル下の反対側の地面に向けて飛んだ。

 

シュン―――。

 

その刹那、何かが風を切り裂いてくる音を聞いた。そう思ったとほぼ同時に、衝撃が全身を貫き、体が仰け反る。焼けるような痛みを腰のあたりに感じる!

叢雲はバランスを崩しながら落下していくしかなかった。

 

意識を飛ばされそうになるものの、それでもなんとか踏みとどまる。空中でバランスを崩した体勢を立て直そうとするが、上手くはいかなかった。すぐ近くに地面が接近してきた。体を丸めるようにしてなんとか受け身を取ったものの、地面に激しく体を打ちつけてしまう。

 

「げふっ! 」

 

一瞬、呼吸が止まってしまい、必死に空気を求め喘ぐ。激しく咳き込みながらも、何とか起き上がる。

 

それでも幸いだったのは、落ちたところが土の地面だったことだ。そこは雑草や柔らかい土の部分があったせいで、少しはクッションの役割を果たしたようだ。仮にアスファルトだったら、起き上がることさえできないほどのダメージを、受けていただろう。

 

叢雲は、痛みを堪えてよろめきながらも立ち上がることができた。刺すような痛みで、ほんの少し体を動かすだけでも辛い。けれど、このままじっとしているわけにはいけないのだから。

そして、腰の痛みを再認識してしまう。恐る恐ると腰に手を当てると、じっとりとした感触が伝わってくる。見たくはなかったけれど、見えてしまった。手には、真っ赤な血がベッタリと付着している。

 

やはり、銃で撃たれたのだと再認識する。銃を構えた兵士は、叢雲の視野にいなかった。だから油断してしまったのだろう。

 

肝心のところで、こんな取り返しのつかないドジを踏んでしまったことに腹が立ち、それ以上に悲しくなる。

こんなところで怪我なんてしてる場合じゃないのに!

 

悔やんでも済んだことをはどうしようもない。もう自分には時間がない。やがて来るであろう追っ手に、見つかるわけにはいかない。とにかく、少しでも距離を稼がないといけない。

撃たれた腰も痛い。さらに落下の衝撃的で、足首を捻挫したようだ。走ることは無理っぽいようだ。舌打ちをし、痛みを必死にこらえ、よろけながらも歩くしかなかった―――。

 

 

 

「フフフ」

落下していく艦娘を視野に捕らえ、草加甲斐吉は無意識の内に笑ってしまう。

 

それにしても―――この距離から標的を正確に射抜くなんて凄すぎる。軽く見積もっても1キロは離れているんだぞ。

 

惚れ惚れするような瞳で彼が構えた銃、それは松葉杖にしか見えないなのだが、を見つめる。こんなおもちゃみたいなものに狙撃銃の機能を持たせ、しかも、それは人間の力では作ることのできるはずもない高性能。

全く、艦娘ってのは、どんな科学力を持っているっていうんだ? 人間でもそんな機能を持った銃くらいは作れるだろう。けれど、射撃なんて素人と変わらない自分が数百メートル離れた、しかも異常に拘束で動く標的を的確に狙撃できるなんて不可能だ。しかも、練習なしのぶっつけ本番でだ。

 

銃から伸びたコードは、草加のうなじに取り付けられた端子に接続されている。これはヘマをやらかした草加を強化する名目で、三笠が実験台のように色々な改造を施した一つの結果だ。銃と脊髄が直結されているのだ。これにより、まるでゲーム画面のような光景が、視界に映し出されている。

それだけではない。体には様々な補助的デバイスが埋め込まれ、第二帝都の様々な機器より情報が提供される。その情報を別のデバイスが分析をし、正確な射撃をサポートしてくれるのだ。これにより、プロのスナイパーよりも……否、プロでも絶対不可能な高次元の正確な射撃ができたのだ。

 

草加は左足の甲から先は無い。三笠に踏み潰されたからだ。代わりに機械製のつま先を装着されている。右腕は肩から下は義手に変更されている。右耳は機械化され、耳たぶは無い。代わりにヘッドホンのようなものを装着させられている。どちらか分からないけれど、片目も作り直したと言われている。道理で近眼だったはずの自分が眼鏡不要となったわだ。

なお、金剛を襲った罰として去勢もされてしまっている。もっともそれ以前に、三笠に何度も股間を蹴り上げられたせいで、もう使い物にならないほどに破壊されていたのだけれど。

 

これ以外にも三笠の恐らくは面白半分で体のあちこちを切り取られ、代わりに機械部品をつけられた自分は、もはや人間と言えるのだろうか? などと感傷的になってしまう。

 

「フン、まあいいや。俺は、スーパーマンになれたんだからな」

昔ならクヨクヨ悩んでいたはずなのに、小さなことは気にならないポジティブな性格も手に入れているのだ。力を手に入れるとすべてに寛容になる。まさにそのとおりで、人以上の力を手に入れ、更に三笠の駒として動く限りは、かなりの権限を与えられるというお墨付きも貰っているのだから。

 

「しかし、三笠のやつ、まどろっこしい事をさせんなよな。あんな不細工な艦娘なんて、さっさと潰してしまえばいいんだよ。殺さない程度の怪我を負わせろだなんて、めんどくせぇなあ」

 

三笠は草加に対して、今後の活躍次第では鎮守府の役職につけてやるという条件を言ってくれてる。それを聞いて俄然やる気が出た。かつて無いほど本気で頑張ろうと思った。

 

だって、司令官になれば、沢山の艦娘を自由にできると聞いている。戦闘だけでなく私生活においても……だ。それを想像するだけで興奮してくる。

 

艦娘は、司令官以外が自由にすることはできない。無理やり手に入れようとして、ひどい目にあった草加は、それについて十分懲りていた。だから、自分のものじゃない艦娘なんて、何の価値もないのだ。金剛もそうだったし、あの叢雲だってそうだ。自由にならない艦娘なんて、薄汚い雌豚でしかない。世界に存在する価値など無い。

 

「けど、あれだなもす。綺麗な艦娘を撃ち殺せたら、本当に気持ちいいだろうな」

実際、引き金を引いた瞬間、いってしまったぐらいだ。本当に殺すことができたら、もっともっと気持ちよくなったんだろうな。ああ、殺せたら気持ちよかっただろうな。

「げしげし」

 

「あなたは……命じられた事をしっかりと為せばいいのです。本能に任せた余計な行動は、寿命を縮めますよ」

突然、背後から聞こえた声。

 

「ひえええええ! 」

腰が抜けるほど驚き、自分でも驚くほど情けない悲鳴のような声を上げた。

「び、びっくりしたじゃないですか、三笠様! いきなり現れないでください、本当に心臓に悪いです」

草加は、もみ手をしながら、突然現れた三笠に愛想笑いをする。

 

彼女は、何ら表情さえ浮かべずに見つめている。

 

ほんとうにこの女は、瞬間移動能力があるんじゃないのか? 人体改造を施され、感知能力が劇的に上がった草加に気付かれずに背後を取るなんて、ほぼほぼありえないはずなのに、いとも簡単に三笠はそれをなすのだ。

正直、怖い。何をされるか怖くて仕方ない。綺麗な顔をしているのに、いとも簡単にあらゆる命を踏み躙る。草加もいつそうなるかしれたもんじゃない恐怖とともにある。実際、めちゃめちゃにされたし。ほぼトラウマだ。

 

「ふふふ、今回はよくできましたね、草加。褒めてあげます」

優しい口調で褒められる、どきりとする。普段冷淡なだけに、わずかな変化でしかないのに、とても嬉しく思ってしまう。

 

「ありがとうございます! これからも命の限り、一生懸命頑張ります」

と、殊勝な言葉が口から出る。

 

「あら、今日は素直ですね。ぜひお願いしますよ。私は、あなたに期待しているのです。今後も日々鍛錬に励み、私に力を貸してください」

そう言って微笑んだ三笠は、とても美しく気高い存在に思えた。

 

「あ、ありがとうございます! 」

直立で答える草加。

 

へこへこする草加を満足そうに見た三笠は、

「ところで……先程、疑問を口にしていましたね、あなた」

 

その言葉で、草かは背筋が凍りつくのを感じた。明らかに動機が高まり、冷や汗が止まらない。背中は汗で下着が張り付くような嫌な感じがする。

やらかしたー! その思いで眼が泳いでしまう。

 

「いえ、それは私の無能さゆえであります。三笠様のお考えなど、私ごとき人間が想像さえできないのに自分の思考の範疇で愚かにも考えた結果です。申し訳ありません」

地面にへばりつく様にして、草加は土下座をして謝罪する。

 

許してください許してください許してください。また酷いことをするんですか? やめてください。痛いことはもう嫌です。殴らないでください。蹴らないでください。踏まないでください。意識があるまま体を切り刻まないでください。得体の知れないモノを体に組み込まないでください。血管や神経を繋がないでください。お願いです。お願いです。許してください。

 

強く目を閉じ、震えながら必死に祈る。

今まで何かをした時、かならず酷いことをされた。その恐怖が体に染み付いてしまっているのだ。どうあがいても逆らうことができない圧倒的力の差……。

 

その時、そっと肩に触れるものがあった。柔らかく暖かい感触。

それが三笠の手のひらであることに気づくのに数瞬の間があった。草加は恐る恐る目を開き、仰ぎ見る。

そこには三笠の美しい笑顔があった。それは、神々しく怖いくらいに……。

 

「そんなに怖がらないでください。安心してください、何もしませんよ。怯えないでください。不安がらないでください。すべては、あなたに押し付けるだけで、教えることを何一つしなかった私に罪があるのです」

嘘か本当か、そんな言葉を口にする。少しだけ目を伏せ、反省しているかのような素振りにさえ見える。

 

「そんなことはありません。余計なことを詮索するなど、私に許されるものではありません。私は、三笠様の為に存在し三笠様の命ずるままに行動するだけでいいのですから! 」

 

軽く首を振ると三笠は再び語り始める。

「意思疎通、情報共有をしておかないと、何かあったときにあなたも戸惑うことがあるでしょう。一瞬の戸惑いは重大なミスにつながることがあるのです。あなたは私にとって大切な部下なのですから。私は第二帝都東京より離れることができません。あなたは、私の目となり手となり行動し、私の願いを叶えてくれる貴重な存在なのですから」

 

嘘か本当か判断しかねる。もっと他に意図するものがあるのかもしれないが、草加にとっては想像もつかない。ただ言えることは、自分は彼女の支配下にある存在であり、彼女の気持ち一つでどうにでもなる存在だということだ。……今は。

 

「叢雲を殺さなかった事に疑問を感じているのですね? 」

 

「は、はい。そのとおりでございます」

緊張のあまり、妙な言葉になってしまう。三笠にじっと見つめられると緊張するし、それ以上に恐怖だ。

 

「どうしてそう思いますか? 」

 

「そ、それはですね」

三笠が求めている回答は何だろう? 彼女の期待通りの答えを返したいが、そんな頭脳は無い。彼女は、答えをじっと待ってくれている。これ以上待たせて気分を害するわけにもいかない。ええいどうにでもなれ! とばかりに答える。

「彼女は三笠様に相談も無く、ここから逃走を図ろうとしました。彼女は第二帝都東京に来て、三笠様の為に働くはずでした。それなのにその任を放棄して、三笠様を裏切ったのです。彼女がこの後どこに向かうかは分かりません。しかし、艦とのリンクが切れた艦娘が人間との接触を持った場合、どのような事態が発生するかはわかりません。先に我々が確保できればいいものの、そうでない場合……つまり、軍以外の勢力と接触した場合、ほんの僅かではありますが、三笠様に害をもたらす可能性すらあります。なので、たとえ僅かなリスクではあっても、絶対は無いのですから、危険の芽は摘み取っておくのが最善だと考えました」

叢雲が逃亡を図ったきっかけは三笠なのであるが、その意図が分からない現状、そう答えるしかなかった。艦娘が軍と関係の無い組織と接触した場合、情報が漏洩するリスクだってある。第二帝都東京の内情を漏らされる可能性すらあるのだから。

 

現状、情報統制ができているから大きなうねりは無いものの、それでも艦娘による支配体制に不満を持つものもいると聞かされている。深海棲艦と戦争中であるというのに、人間たちはその次のステージを見越していろいろと蠢いているのだ。

まったくその愚かしいまでのバイタリティは誇らしいが、艦娘の機嫌を損ねたらどうするつもりなのだろうかと心配することもある。

所詮、人間とは愚かな生き物だ。誰かに導かれなければ、滅びの道を歩む宿命なのだろうか?

ならば、自分が導くか……。そんな想いさえ浮かぶ草加である。

 

「あなたが私たちのことを心配してくれるのは、良く分かりましたよ。私が見込んだ人だけのことはあります」

三笠が直接褒めてくれることはほぼないので、少し驚いてしまった。思わず心の中でガッツポーズをする。

「たしかに、あなたの言う事は正しい。彼女が敵の手に渡れば、いろいろと不具合が出るでしょうね」

 

「では、何故、あんなご命令をなさったのですか? 」

 

「少しくらいのリスクを覚悟してでも、それ以上の成果を得る可能性にかけたのですよ」

何かを企んでいるような不敵な笑みを三笠が浮かべる。

「金剛がかつての金剛では無くなり、冷泉提督と敵対する存在としての立ち位置になったことを知らせ、そして、金剛は別の金剛であることも事実として教えてあげました。そして叢雲も同じ運命を辿ることをあえて提示したわけです。彼女は、冷泉さんをとても想っています。そんな運命を彼女が受け入れるはずなどありません。ここから逃亡することは死を覚悟しなければ無理でしょう。それでも彼女はここから逃げ出さざるをえなくなったわけですね。冷泉さんの敵にはなりたくない。そして、金剛が冷泉さんの知る金剛では無いことを知らせなければならない……」

 

「叢雲が冷泉提督と会ったら、三笠様の計画がだめになるのではありませんか? 」

金剛や叢雲が冷泉提督に敵意を持ち、戦いを挑むことにどんな意味があるのかは理解できない。そもそも彼は捕らえられ軍法会議待ちなのではなかったか?

 

「叢雲は、冷泉提督に会うことは叶いませんよ。舞鶴鎮守府方面にはいけないように警備を配置済みですからね」

面白そうに答える三笠。

 

「一体、何をされるおつもりなのですか? 」

全く分からない。

 

「今、舞鶴鎮守府艦隊は、冷泉提督不在のため、大湊警備府葛木提督の指揮下に入っています。そして、艦娘のほぼすべてが大湊へ移動しています。叢雲には、そちらに向かうように誘導するのです」

 

「しかし、舞鶴の艦娘と接触すれば、三笠様のお考えが暴露されてしまうのではないですか」

舞鶴の艦娘たちは冷泉を異常なまでに敬愛し信頼していると三笠が言っていたことを思い出す。もしそれが事実ならば、金剛が殺された事や叢雲が撃たれた事を知れば、三笠に対して敵対するのではないのか? そんな恐れを持ったのだ。艦娘同士で開戦などという、最悪の展開を彼女は求めるというのか?

 

「ふふふふ」

三笠は笑った。その声に全身が震えるほどの恐怖を感じた。

「叢雲は、確かに舞鶴鎮守府の艦娘と再会するかもしれませんね。……けれど、世の中不思議なものです。叢雲はみんなに事実を伝えようとするでしょう。でも、残念。何故かより大きな混乱と激しい感情を呼び起こすだけで終えると私は予想しているのですよ」

 

何だ、この女は?

自分よりだいぶ小さい体をしていて、通わそうに見えるはずなのに……ものすごく怖い。そして、不気味だ。こんなやばい奴に取り付かれ、駒として使われる自分に未来はあるのか?

本気で怖い。

 

「まあ、見ていてください。面白い展開が待っているはずですから。……当然、あなたにも配役が決まっていますよ。与えられた役割をきっちりと演じてくださいね」

 

本気で怖い。

 

彼女は、何を考え、何を求め何をしようとしているのか。それがまるで分からない。想像すらつかない。そして、そんな存在にすべてをゆだねなければならない自分が、恐ろしく不安定な場所に立たされていることに不安になる。

 

様々な力を手に入れても、光無き闇の中に立たされているようにしか思えない。

 

それが怖い。

 

 



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第205話 北へ

第二帝都東京の周辺は、もともと住宅街だったため多くの建物が立ち並んでいる。しかし、それは過去の事。現在は、無人のゴーストタウンとなっている。住人たちは、軍により有無を言わせずに追い出されたという。

 

誰一人いない静まり返った街ではあるけれど、警戒を怠ってはいけない。

どこに敵が隠れているかもしれないのっだから。叢雲は周囲を警戒しながら、一軒の住居へ進入する。鍵はかかってない、

さっきまで人が住んでいたかのような内部を見て、いかに住人たちが着の身着のままで出て行ったのかが理解できた。

 

艦娘のためということで、誰も逆らうことができなかったのだろうか。

艦娘は、暗闇でもそれほど視界は確保できるから、行動には支障が無い。けれど、雨戸を締め切られた室内には、外の月明かりさえ入ってこない状況。完全なる闇の中ではその力も低減するのか、やはり、薄暗く感じてしまう。

当たり前だけれど電気は止められているから、そちらも諦めるしか無い。もっとも、仮に通電していても、使うのはリスクが高すぎるけれども。

 

家の中を探し回り、救急箱と布製のガムテープ、そして、洋服ダンスから適当な衣類を手に入れることができた事は幸運だった。

かつて、この家には年頃の女の子が住んでいたらしく、服もスニーカー、キャップも丁度いいサイズのものが手に入った。長期間放置されていたせいか、黴臭く埃っぽいけれど仕方がない。服のセンスが自分好みじゃないけれど、現状、贅沢を言える立場じゃないし。着替えれば少しは追っ手の目を誤魔化せるだろうから。

 

「少しダサい色合いだしデザインだけど、我慢するしかないわね」

誰に言い訳するでもなく、一人呟いた。

 

服を脱ぎ、タオルで血を拭う。水道も出ないから、体を洗うことはできない。消毒もしないとまずいと思うけれど、救急箱からも室内からもそんなものは見つけられなかったので諦めた。

傷口を探りながら、綺麗そうなハンカチを当てる。そこを布ガムテープで体をグルグル巻きにして、厳重に止血した。これがどの程度の効果があるかはわからないが、何もしないよりはマシだろう。

 

幸運なことに、救急箱の中から鎮痛剤を見つけた。消費期限は切れているけれど、気になんてしていられない。規定量よりも多くの薬剤を水なしで無理やり飲み込む。残りもポケットに押し込んだ。

 

そして、キャップを被る前に、部屋で見つけたハサミを使い、自らの長い髪をばっさりと、うなじ辺りから切った。

切る寸前、「叢雲、お前の髪はいつもサラサラしてて綺麗だよなあ」そう褒めてくれた提督の笑顔を思い出し、一瞬だけだけど躊躇してしまった。

 

……仕方ないもん。

 

長い髪は動くのに邪魔だし、こんな髪の色のロングヘアはどうしても目立ってしまう。すぐに叢雲だと判別されてしまうだろう。

見つからないように、逃げきるためには仕方ないのだから。切った髪は、やがて伸びるのだから。

 

きっと。

 

床に落ちた長い髪を見て、何故だか突然、目頭が熱くなり、勝手に涙がこぼれ落ちて止まらなくなった。

 

「提督、辛いよ」

思わず弱音が口を突く。しばらく蹲って震えていた。

 

それでも前に進まなければならない。ここでへこたれるわけにはいかない。

身につけた服は地味で、誰が見ても艦娘とは思わないだろう。少しは偽装効果があるだろう。そうあってほしい。

 

帽子を深く被り、スニーカーの紐をきつめに締めると、再び外へと飛び出した。

 

鎮痛剤の効果が出ているのか、さっきよりは少しはマシになった気がする。痛みも我慢できる程度まで落ち着いている。

 

それでも腰のあたりがジンジンと痺れている。その範囲が次第に広がっているように思える。けれど泣き言なんて言ってられない。

 

一体どれだけの時間を歩き続けただろうか。負傷した体では、目的地までなかなかたどり着けなかったけれど、その目的の建物の姿が見えて来たので、ホッとする。

 

かつて、東京貨物ターミナル駅という名称だった場所。

 

深海棲艦侵攻後も貨物輸送の中心として使われている場所だ。各地よりここへ、ここより各地へ荷物が運ばれている。運営は陸軍が行なっている。

 

陸軍と艦娘はあまり良好な関係ではないと聞いていたから、警備にも綻びか出ると踏んで、ここに来たのだ。連携はうまくいってないだろうから、叢雲の事も伝わってない可能性だってある。

 

もちろん、この駅から舞鶴への一般物資輸送の列車も出ていることは知っていた。そこに潜り込めばなんとかなると考えたのだ。

 

しかし、近づいてみて気づいた。すでに海軍のものらしい車両と複数の兵士達がすでに配置されていた。本来警備に当たっている陸軍の兵士達が施設の中から、恨めしそうな目で睨んでいる。色々やりとりはあったのだろうけど、ねじ込んだようだ。

 

叢雲が冷泉の元へと行こうとするのを予測しての配置なのだろう。叢雲は、施設を遠巻きに迂回しながら、様子を伺う。するとあっけないほど簡単に警備の穴を見つけた。

海軍兵士は舞鶴方向を意識し過ぎてか、北方面行きの列車には、海軍兵の姿がほとんど配置していないのだ。わずかな海軍兵士は、陸軍兵士の無言の圧力で隅っこに押しやられ、何もできないといっていい。

 

物資輸送の警備は軍施設と比べれば、非常に警備が甘い。速やかに決断した叢雲は、闇と物陰を利用しながら、目的の貨物列車に接近していく。

 

北行きの列車。

 

列車の最終目的地は、大湊警備府だ。

舞鶴行きの警備の厳しさでは、とてもじゃないが、舞鶴にはたどり着けないだろう。固執している場合じゃない。むしろ、この状況は僥倖だったのかもしれない。そもそも、たどり着いたところで、提督がどこにいるかさえわからないのだ。徒労に終わる可能性が高い。三笠は叢雲が舞鶴に行くと予想して、警備対象を西方面に集中させたのだろう。その裏をつくことができるのだ。

 

今、大湊には舞鶴の仲間達がいる、大湊を目指すのだ。

もう長波も戻っているだろう。彼女に本当のことを伝え、後を託したい。嫌な別れ方をしたかれ、謝りたい。いろんな思いが錯綜する。

 

貨物車のコンテナ扉は、外から施錠されていて入ることはできない。全てを調べれば無施錠のものもあるかもしれないけれど、もうそんな時間も体力もない。コンテナの凹みを利用し屋根へと移動する。そして、へたりこむようにうつ伏せになる。どの程度の速度で走るかはわからないけれど、コンテナの上部は思ったより平坦部が多いこと、凹みや作業用なのかはわからないけれど取っ手のようなものがいくつもあり、何かあったときにも体をささえられそうだ。ここにいてもなんとかなる。

 

列車は電車ではなく、どこの博物館から持って来たのか蒸気機関車である。それにいくつもの貨物車両が連結されている。機関部に対して貨物車両が多いように見える。どう考えても大した速度は出せない。

 

出発するまでは辺りを警戒しなければならないけれど、そんな気力もすでになかった。とにかく横になって、体を休めていたいのだ。小康状態となっているのか、痛みはそれほどない。全身が痺れたような感覚があるだけだ。薬の影響かとにかく、眠くて仕方がない。

 

コンテナは冷たいが、横になっていることで随分と楽だ。大丈夫、見つかりっこない。うまく下からは死角に入っているようで、何事もなければ大丈夫なはずだ。

北の方角は、どうも雲が濃いようだ。雨が降るのだろうか? 雨に濡れるのは嫌だな……。そんなことも考えたりする。

 

やがて汽笛を鳴らし、ノロノロとした動きで列車は動き出す。それに安心したのか、叢雲は意識が遠のいていった。

 

 

―――夢を見た。

それは、全く見に覚えの無い記憶。

 

そこは舞鶴鎮守府でもなく、第二帝都東京でさえない。まるで記憶に無い場所。小さな部屋。そして叢雲まだ幼く、自分が艦娘になる前の記憶というのだろうか?

 

そこには、優しく微笑みかけてくれる夫婦らしい男女がいた。そして、叢雲よりも小さいの男の子がいた。弟なのだろうか? 彼らが親しげに話しかけてくる。肝心の内容は、まるでノイズがかかったように聞こえない。けれど、とても楽しい雰囲気であることだけは理解できた。

一体、彼らと自分はどういう関係なのだろう。状況を見たら、仲のいい親子にしか見えないけれど。

 

突然、場面が暗転する。複数の兵士たちが部屋になだれ込み、怒鳴り声を上げて必死に抵抗する父を銃床で力任せに殴り、床に倒れこんで動かなくなる。叢雲の前に立ちはだかる母親を蹴り飛ばし、無理やり引き離なす。必死に縋りつく母親を容赦なく殴り飛ばす兵士達。叢雲は、何が何か分からないうちに、泣きわめく叢雲は家から引きずり出され、黒塗りのワゴン車に押し込まれて連れ去られたのだ。

追いすがる母親と弟の姿が車の窓越しに見える。何かを必死に叫ぶが、叢雲に聞こえなかった。

 

悲鳴のような声を上げて、叢雲は目を覚ます。まるで現実に見たことのようにリアルな感覚で恐ろしかった。すぐに夢だと気づいたけれど、鼓動の高鳴りが収まらない。全身に汗をかいている。あまりに怖い体験だったけれど、それが自分のことだったのか判断できない。そんな記憶なんてないのだから。

けれど、ただ悲しかった。

 

どうして、こんな夢を見たんだろう。

 

わからない。これは、なんの記憶なのか? 誰の記憶なのか?

全然知らない場所、知らない人々。他人の記憶を埋め込まれなのだろうか? それにしては、あまりにもリアルで、肌の感覚や息遣いまで伝わって来そうだった。そして、心の何処かで記憶を肯定する自分がいた。

 

「どうも時間は、そんなに残されていないってことね」

少し諦めたように、ため息をついた。記憶が混濁し、現実と妄想の境界が曖昧になっているのだろう。死という終焉が間近に迫っていることをリアルに感じてしまう。

怪我の影響か分からないけれど、ずっと頭がボーっとしているような気がする。いろいろと考えなきゃ、集中しなきゃいけないのに、つい他の事に意識が向いてしまう。

 

もうダメなのかな。……そんな弱気が出てしまう。

 

けれど、泣いたりなんてしない。諦めたりしない。自分の任務を全うする、絶対に。それが艦娘なのだから。

 

ぽつぽつと体に雨粒が当たるのを感じた。―――雨が降ってきたのか。雨が強くなってくると、嫌だな。

漠然とそんなことを考える。北はまだまだ寒い。そんな中、雨に濡れるのは嫌だし、体の芯から凍えてしまいそうだ。

 

唐突に汽笛が鳴り響く。そして列車が速度を落とし始めたのを感じた。

何事かと思い、体を起こして前方を見る。

 

「なんてこと……」

思わず声に出してしまう。

 

はるか前方に駅舎が見えていたのだ。一体どれくらい眠ってしまったのだろうか。辺りを見ると確かに空は白んできている。もう大湊に到着しようとしているというのか。

 

瞬間的に視力を高める。視界が一気に拡大される。思わず舌打ちをしてしまう。駅舎に兵士達が集まっているのを確認したのだ。ただの通常警備とは思えない数の車両がいるのも見えた。照明車まで出てきている。

どう考えても、叢雲が大湊に向かっていることを把握されたとしか思えない。

このまま列車に乗ったままでは、敵の真っ只中に突っ込むことになる。怪我の状況から、包囲網を突破することなど不可能。とはいえ、列車はスピードを落としつつあるとはいえ、まだ数十キロの速度が出ている。飛び降りるにしても場所を選んでいかないと危険すぎる。しかし、前方を見ても、すでにレールの両側には建物や設備が並び立つ状態で、飛び降りるに適当な場所なんて見当たらない。おまけに場所やタイミングを計りつつ様子をみるような時間も無い。しかし、このままだと敵に発見されてしまう。

見つかれば、逃げ切れるような体の状態じゃない。

 

「だったら! 」

考える時間など無かった。

叢雲は、列車から飛んだ。運任せだったけれど、決して無鉄砲に飛んだわけではもちろんない。設備や建物、舗装状況を把握しつつ、落下速度と方向を計算して、危険を最大限避けたつもりだ。

たぶん、これくらいの速度なら、うまく受身を取りつつ着地できる……はず。

 

しかし、飛んで最初に地面に右足をつけた瞬間、落下速度を受け止めるほどの脚力がすでに無かったことを思い知らされる。

 

踏ん張りきれずに倒れそうになる。必死で左足を踏み出し踏ん張ろうとするが無理だった。体を支えきれない! 思わず悲鳴が出てしまう。そのままバランスを崩して転倒した。それでも体を丸めながら受身を取ろうとする。硬い地面に体を打ち付け、全身が悲鳴を上げる。どうしようも無かった。慣性のまま、翻弄されるようにして叢雲は転がり、建物の塀に激しく打つかって停止した。

 

一瞬、意識が飛んだ。

 

気がついた叢雲は起き上がろうとするが、体がまるで自分のものじゃないように体の動きが緩慢だ。それでも必死に立ち上がろうとする。ぬめりとした液体が左目に入り込んで視界を遮る。震えながら左袖でぬぐうと、それが真っ赤な血であることが分かる。

 

「……こんな怪我、どうってことないわ」

声に出すことで自分を励まそうとする。

壁を支えにしながら立ち上がろうとする。よろけそうになり、左足で踏ん張ろうとして激痛が走った。見て驚いた。左足が妙な方向に曲がっていて、思考に着いてこなかったのだ。

 

叢雲は、再び転倒した。

現実を、折れ曲がった左足を認識したせいか、遅れて激痛がやってくる。

歯を食いしばって必死に痛みを堪える。鎮痛剤も切れてしまったか。

「こ、こんな時に」

状況はどんどんと悪くなっていることだけは、知りたくもないのに分かってくる。体を強く打ったせいで止血したはずの場所が再出血を始めているみたいだ。

 

もう……立ち上がることはできそうもない。

けれど、こんな線路沿いでじっとしているわけには行かないのだ。敵に見つかってしまう。歩けないのなら、這ってでも行くしかない。とにかくここから離れないと。

 

叢雲は立ち上がる。左足はもう使い物にならない。ならないなら、他の部分を使えばいいんだ。動かせる両手と右足を必死に使い、痛みに堪えながらノロノロと歩き始める。

 

雨は次第に強くなり、叢雲の体を冷たく濡らして体力を奪っていく。ただでさえ弱り切った身体を責め苛む。それだけではなく、冷たさがじわりじわりと体力を奪っていく。それどころか、気力さえも。

 

突然、咳き込む。激しく何度も何度も咳き込む。その反動でバランスを崩して、叢雲は倒れてしまう。

咳き込んだ時に口を押さえた右手を見ると、血で真っ赤に染まっていた。自分が吐血したことを知る。

 

残された時間は少ないっていうのに! こんなところでモタモタなんてしてられないのに。どうしてなの!

気ばかり急くのに、体が自由にならない。それでも、叢雲は必死に立ち上がろうとする。刹那、凄まじいほどの目眩に襲われ、へたり込んでしまう。全身に力が入らない。力が入らない。体の制御ができない。視界がぐるぐる回り、気持ち悪くなる。

 

呼吸は、荒く絶え絶えになる。空気を求めて必死になって呼吸を繰り返す。目を閉じて体の力を抜く。すると、少しだけ楽になってくれた。

 

少しだけ、休もう。無理して動くより、少し休んで体調を、整えよう。

それは、自分を説得するかのようだ。

 

でも、少しだけ休ませて。そうしたら、きっと頑張れる……と思う。

 

深呼吸を続けながら、冷泉提督の顔を思い浮かべる。

客観的に見たら、大して魅力のない外見。なんであんなヤツを好きになったんだろう? 面食いだったはずなのに……。そんな事を考えているうちに心が穏やかな感じになる。提督の事を想ったら、痛みが次第に薄れていく。何故だか、幸せな気持ちになれる。

 

「……提督」

そのまま、叢雲の意識は、遠のいていった。

 

 

 



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第206話 叢雲

その日も長波は、沿岸警戒の任務に単身従事していた。

 

まずは、周辺の土地勘を得る事―――。

それが大湊警備府司令官兼舞鶴鎮守府司令官代理、葛生提督からの指示だった。

 

女性の提督ということで、気が合うか心配だったけれど……話してみると思ったよりまともな人だったことに安心した。彼女は、新たに旗下に入った舞鶴の艦娘達にも分け隔てなく接してくれている。

 

いろいろと細かいところまで見ていてくれて、アドバイスをくれる。細かすぎるのが難点だけれど。それでも、冷泉提督よりは、できる人みたいだ。それが長波の全体としての評価だった。

 

現在、舞鶴鎮守府の艦娘は、いくつかの班に編成され、現在行動している。遠征に出た子もいるようだ。長波は第二帝都にいたために出遅れたので、全員が揃うまでは、単純作業に、従事するしかなかった。

 

大湊鎮守府の近海数十キロを単体でパトロールするだけの、危険などほとんどない単純な任務だ。けれど、ここでしっかりやることができれば、次の編成で、新しい任務に就くことができる……はず。

 

「はあ……」

どうしてもため息が出てしまう。喧嘩別れして来た叢雲のことが少しだけ気になったけど、ムカムカするだけなので、意識の彼方に追いやろうとする。けれどなかなか上手くいかない。

 

「あんなヤツじゃなかったのに! 」

 

思わず声になってしまう。自分に何も説明してくれず、突き放すような態度が思い出すだけで腹立たしい。

 

きっと何か悩んでいるのに、アイツは誤魔化すだけで話そうとしなかった。親友だっていうのに!

 

ダメだ。もうここにいない奴のことなんて考えたって仕方ないじゃないか。アイツはアイツの、私には私の生き方があるんだ。自分には成し遂げなければならないことがある。そのためには、些事に構ってなんていられないのだから。

 

海岸線沿いに艦を進める。津軽海峡を通過して陸奥湾へ。そして鎮守府の港が見えてきた。先ほどまで降っていた雨もどうやら上がったようだ。

 

「今日も一日何事も無かったな」

緊張しているはずなんて無いけれど、やはり母港に戻るとほっとする。本当なら舞鶴鎮守府がいいのだけれど、それは仕方ない。

 

その時、唐突にどこかから声が聞こえた。

 

ここは海の上、周りには誰もいるはずがない。声なんて聞こえるはずなどないのに、消え入りそうなほど小さな声がはっきりと聞こえたのだ。

 

そして……。

その声に聞き覚えがあった。いや、忘れるはずなんてない。けれどありえないはず。ありえないはずなのに、その声の主を確信できた。

 

「けれど、なんでアイツがここに? 」

そう、その声の主は叢雲だった。けれど、アイツは第二帝都東京にいるはずなんだ。こんな場所に来るはずが無い。

 

―――胸騒ぎがする。それは何の根拠も無いけれど、長波を行動させるには十分だった。あるはずが無いのにアイツの声聞こえるということは、あってはならない事態がアイツの身に起こっていることだ。

 

「くそっ」

海上に艦影は無い。

幻聴でしかないはずの音声の発信源を艦の機器すべてを動員して探索する。当たり前だけれど、何の成果も出ない。あらゆる探索結果データは、該当なし。けれど、長波の心が何かに感応する。視界に見える陸地からだった。

 

「陸? なのか」

何の根拠もないただの勘に頼るということなんて普段は絶対にしないことだ。けれど、何故か何の疑問も感じず、体が動く。

かつては民間用に使用されていた港に入港し、強引に接岸する。

場所的には大湊駅からそう離れていない場だ。艦から軽々と飛び降りて着地する。

 

「何も気にするな、持ち場に戻れ! 」

いきなりの軍艦の入港に驚く兵士達に声をかけると、長波は駆ける。

大湊駅より西は軍施設として警備対象となっているが、それより東側については軍施設もあるが民間施設だけでなく民家も立ち並んでいる。ここは深海棲艦の侵攻の影響を受けなかったこともあり、昔のままの町並みが残されている。

 

声が聞こえた座標を目指して進む。平静さを保とうとするが、心は不安だらけだ。嫌な予感しかしない。祈るような想いで走る。

あちこちに水溜りが残る荒れたアスファルト道を駆け、住宅と倉庫が混在して立ち並ぶエリアに到達する。

 

そして、道路の隅に倒れた人影を発見してしまう。赤黒い血溜まりの中にその人影は倒れていた。

グレーの上着に青いズボン。黒っぽい帽子を被った人はうつ伏せ状態で路面に伏していた。髪の毛は短く、黒みがかった青。体の大きさからすると女の子のようだ。とはいえ、ショートカットであることから、長波は自分の予想が外れたことに安堵する。

 

「おい、しっかりしろ。大丈夫か? 」

抱き起こした瞬間、長波は天を仰いだ。

「……嘘だろ」

 

倒れていた女の子の顔は、煤や泥で薄汚れてはいたものの、見間違うはずがない。

叢雲だった。

どうして彼女がここにいて、こんな重傷を負って倒れているのか? あんなに大事にしていた長い髪を切っているのか? 

 

「おい、叢雲! しっかりしろ。おい、何があったんだよ! 」

もはや、そんなことはどうでもよかった。

叢雲の負傷具合を確認して、状況は相当に切迫していることを知ってしまった。それでも、幸いなことに、まだ息はある。

付近に叢雲の艦部の反応は無い。リンクが途切れているようだ。つまりは、彼女は現在、人間となんら変わらない状況であるということ。つまり、艦よりのエネルギー補充を受け入れられず、再生は不可能状況。負傷具合からすると、早急に彼女を大湊へと連れ帰り、治療をしなければならない。

しかし、このまま連絡を取って良いものか? 躊躇する。

 

叢雲の状況が只事では無いのだ。

腰の部分の出血は、銃撃によるものだ。それ以外にも足は骨折しているし、体中のあちこちに打撲や擦過傷が見受けられる。どう考えたって、まともな状況ではない。何かとんでもないことが彼女の身に起こったことだけは間違いない。

 

「今は、そんな時じゃないだろ! 」

速やかに警備府へ通信を入れる。至急、救援を請うのだ。叢雲がどんな立場だろうと、どういう状況だろうとそんなことはどうでもいい。後から考えたらいいんだ。今は彼女の命をつなぎとめることが最優先だ。何かあったら、守ってやればいい。

 

「ん、うん……」

腕の中で動きがあった。幽かに頭を左右に動かし、ゆるゆるとした感じで叢雲が目を開いた。しかし、その瞳に宿る光は、今にも消えそうなほど弱弱しい。

 

「む、叢雲。叢雲! おい、分かるか? 」

知らず内に彼女を呼ぶ声が大きくなる。

瞬間、ほんの一瞬ではあるが叢雲は瞳を見開き、何故か安堵したような表情を浮かべる。

 

「ア、アンタ……無事だったのね。こ、こんなところで何してるの」

 

「何をって、アタシが大湊にいるのは当然だろ? それより、お前、何があったっていうんだよ。どうして、こんな怪我してるんだよ」

 

「提督……でも、無事で良かった。ずっとずっと心配してたんだから」

長波の問いかけがまるで聞こえていないかのように、彼女は言葉を返してくる。何を言っているんだと言葉を発しかけ、言葉を失う。叢雲の瞳は光を失い、確かに長波のほうを見ているけれども、焦点がまるで合っていない。もっともっと遠くの何かを見ているようにしか思えない。そして、分かった。彼女には長波が冷泉提督にしか見えていないということを。

 

「そうだ、アンタに伝えなきゃいけないことがあるの」

長波の混乱など無視し、時折咳き込みながら、叢雲は訴えかけてくる。痛みを必死に堪えるその姿が痛々しい。どんなに苦しくても、何かを伝えようと必死だ。

もういい、もう喋らなくていい。そう言えれば、どれほど良かったか。けれど、必死に訴えかける彼女の姿を見て、それ以上何も言えなかった。

 

叢雲は、金剛が殺された事、そしてスペアボデーに移し変えられて、更に違う記憶を埋め込まれた別の金剛として横須賀に行くこと。そして、金剛は冷泉提督に敵対する存在として、彼の前に現れることを伝えてきた。叢雲自身も同じように変えられ、冷泉提督を苦しめる存在にされそうになったこと。それを拒否したところで変えられぬ運命を知った叢雲は、逃亡するしかなかったことを話した。

とにかく、冷泉提督に真実を伝えたかった。真実を伝えることで彼の苦しみを少しでも減らせることができるなら……と。

 

長波にはまるで理解が及ばない内容だけれど、これだけ必死になって叢雲が伝えようとしていることだ。言ってる事の真偽など、どうでもいい。信じるしかなかった。

 

「ごめんね、提督。アタシ、ヘマやっちゃった。……もっとうまくできるつもりだったんだけど、やっぱりアタシじゃ無理だった。偉そうなことばっかりいってたのに、結局、何もまともにできないんだ。アンタの役に立てなかった」

そう言うと、瞳を潤ませ悔しそうな表情を浮かべる。彼女には長波が冷泉提督にしか見えていないようだ。そして、何度も声をかけるが、その声は聞こえていない。

 

「何言ってるんだよ、そんなことどうでもいいだろ。もうちょっとの辛抱だ。もうすぐ、軍の車が来るから。ドックに入って治療するんだ」

たとえ聞こえていなくても、声を出さずにはいられない。

 

「提督……」

そう言うと、叢雲は震えながら手を伸ばしてくる。

 

「くっ」

長波は、その手をしっかりと握り締めた。せめて、今だけは自分が冷泉提督になるんだ……。そう決めた。

彼女は握り返してくるが、その力はあまりにも弱弱しい。

 

「提督、ごめんね。いつもいつも、偉そうな事ばかり言って、アンタを困らせて。ずっと素直になれなくてごめんなさい」

 

「何を言ってるんだよお」

涙が込み上げてくる。

 

「もっと早く、言えたらよかったのに。でも、照れくさくて、言えなかったの」

痛みが体を貫くのか、何度も体を震わせる。それでも必死に喋ろうとする。

 

「もういいんだ。もう何も言わなくていいから。これ以上、無理をするなよ、しないでくれよ」

 

「提督……」

少し間を置き、そして決心したかのように叢雲は声を出す。

「アタシなんかじゃ、提督の側にいる資格なんて無いって思ってた。でも、いつかはって願ってたの。アタシなんかでも、きっと提督の役に立てる時が必ず来るって。……けど、最後の最後まで何もできなくて、ヘマばっかりしてしまった。役立たずで、本当にごめんなさい」

潤んだ瞳からは、涙がとめどなく零れ落ちていく。

 

「そんな事無い。お前はずっとずっと」

長波は強く彼女の手を握り締める。それしかできない。自分が冷泉提督ではないことが、途轍もなく辛かった。今、ここで旅立とうとする叢雲に言葉をかけられる立場ではない事が辛い。悔しさと悲しさで、それ以上の言葉を紡ぎ出すことができない。

 

「でもね、……提督。あのね、こ、こんなアタシでも、ずっと……出会った時から、ずっと大好きだったよ。おかしいでしょ……でも、本当だよ。ずっと素直になれなくて、ホントに馬鹿みたい。でも、やっと言えた」

最後の力を振り絞るようにして話す。握り締めた手に力が入るのを感じる。

「ア……アタシの事、忘れない……で」

唐突に叢雲から力が失せた。握り返していた彼女の手から、力が抜けていってしまう。

 

「おい、……おい、叢雲。何してんだよ。ふざけてるんじゃねえよ。おい、目を開けろよ。もうすぐ軍の車が迎えに来るんだぞ。ドックで治療するんだろ? さっさと元気になって、入渠して体を治して、それからちゃんと提督にお前の気持ちを伝えろよ。あたしにこんなこと押し付けるなよ! ……なあ、いい加減にしてくれよ。ちっとも笑えねえぞ、さっさと目を開けてくれよ。くだらねえ冗談はやめてくれ。お願いだから! 本当にお願いだから……おい、叢雲、叢雲! 」

自分の声が途中から涙声だ。まともに言葉にならない。

親友が助からないことは、最初に見つけた時から分かっていた。けれど、絶対に信じたくなかった。信じる気なんて無い。これは悪い夢だとしか思えなかった。いや、絶対に夢なのだ。だから、きっと覚めるはずなんだ。

そう思いたかった。

 

けれど、どんなに叫ぼうとも、叢雲は瞳を閉ざしたままだ。息を吹き返すことなんて無かった。そして、いくら待っても何をしても、長波の夢は覚めることが無かった。

 

「くそ、くそくそくそー! ふざけんなよ、馬鹿野郎、馬鹿野郎」

叫ぶ。叫ぶしかない。腕の中の叢雲からは、すでに命の光はどこかに消え失せているのだ。こんなボロボロの体になるほど酷い目に遭って、苦しみと悲しみの中で大切な親友が逝ってしまった。

喧嘩別れしたまま、仲直りするチャンスは、もう二度と来ないのだ。

 

「なんで……なんで叢雲がこんな酷い目に遭わなきゃいけないんだよ。なんでなんだよ。なんで……こんなことになるんだよ。こいつがいったいどんな罪を犯したっていうんだよ」

絶叫。

強く親友を抱きしめたまま、長波は動くことができなかった。

 

 

―――。

いったい、どれくらいの時間、そうしていたのだろう。

ずいぶんと長い時間、親友を抱きしめたまま蹲っていたように思える。泣き叫び喚き散らしたと思う。そして、声も涙も枯れてしまった。

警備府からの車は、一向にやって来なかった。長波は、叢雲を抱きしめて目を閉じたままだった。動く気力さえ沸かない。

 

カツン、カツン。

金属がアスファルトを打つような音が聞こえてきた。

 

顔を上げると、人影が近づいて来ていた。松葉杖をついた男だった。いや、まだ少年にしかみえない。

軍服を着ていることからすると、軍人なのだろうか。けれど、その格好は海軍でもそして陸軍の兵士のどの軍服でもなかった。

男は、まだ幼さが顔に残っているが、どこか死線を乗り越えた自信が溢れているように思えた。

金属音の元を辿ると、どうやら彼の足らしきものがアスファルト路面を打ち付ける音だと分かった。それは靴ではなく、彼の足? なのか。

 

「誰? 」

警告を発する。

これ以上の接近は敵対行為とみなす意味でのものだ。今の長波は、気が立っている。そして、やけっぱちになっている。ちょっとしたことで暴発してもおかしくないと自覚している。そして、たとえそうなったとしても構わないとさえ思ってしまっているのだ。できるかどうかはともかく、禁忌を犯してもいいやとさえ思っていた。どうなったって構わない。興味が無い。

 

「あ……、これは失礼しました」

男は両手を上げるような素振りをしながら停止する。

「そんな、人を射殺すような目でこちらを見ないでもらえますか? 正直怖いですから」

口調はふざけたように冗談ぽい。

 

「だから、誰? 所属を言え」

無意識に叢雲を庇うようにする。

 

「私は、草加甲斐吉と申します。階級は……まだ事務処理が追いついていないので二等兵です。下っ端の下っ端です。軍学校から配属されてまだ間もないのです。所属はもともとは海軍ですが、現在は第二帝都東京で、三笠様の下で働いています」

どうみてもその軍服は兵のものでも下士官のものでもない。サイズも彼の体には少し大きいようにさえみえる。

兵が単独で動くことはないと聞いているから、それなりの地位だということなのだろうか?

まあ、男の階級なんて、そんなことはどうでもいい。

 

「なんでもいい。で、アンタが一体何しにここに来たんだよ」

 

「長波さん、あなたから救援の申し出があったゆえ、私が派遣されたのですよ」

 

「あたしは、大湊警備府に連絡を入れた。第二帝都東京になんて連絡をしてないよ」

 

「事案の重要性から、三笠様の勅命により私がこの場の指揮を執ることになったのです。ゆえに、大湊からの救援は来ません」

 

「何? 」

意味が分からない。その声には苛立ちが混ざる。

 

 

 



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第207話 真犯人

少年は、ゆっくりと歩み寄ってくる。まだ義足に慣れていないのか、その動きは時折不自然になる。

長波の側まで来ると、彼女に抱かれた艦娘の顔を覗き込み、そして呟く。

「遅かったか……」

その声は僅かではあるけれど、悔しさを滲ませていた。

「なんと哀れな……。あんなに綺麗だった女の子が、こんなに薄汚れたみすぼらしい姿になってしまって」

 

それは叢雲の今の状況を言っているのか、それとも身なりについて指摘しているのか?

かつての叢雲を知る者なら、彼女の身なりはみすぼらしいと言う他無かった。彼女が絶対にしないような地味でセンスの無い服装だったのだから。けれど、それは仕方が無い。追っ手から逃れるための偽装工作だったのだろうから。

 

「遅かったか……」

と、再び呟く少年。

 

「ふ、ふざけたことを言うな! お前が、いや、お前らが叢雲を」

声を荒げ、挑むような瞳で睨み付ける長波。

草加たちが叢雲を追って来たのは間違いない。何が原因かは分からないけれど、彼女はそれから逃れるために、手を尽くしてここまで逃れてきたのだ。彼らは、冷泉提督や舞鶴鎮守府の艦娘に接触される前に彼女を捕らえようとしていたのか。いや、そうに違いない。叢雲の体にあった銃創はこいつ等に撃たれたものに違いない。

「お前らは叢雲をアタシ達に会わせないために追って来ただけだろう? 何が可哀そうだ。お前らが叢雲をこんな目に遭わせたんじゃないか。アタシはこいつから聞いたんだ」

そう言うと、長波は叢雲から聞いたことをそのまま草加にぶつける。隠蔽しようとした情報が漏れたいたことを知り、少年がどういった反応を示すなんてどうでもよかった。もし、自分まで消そうとするのなら、いい度胸だ。こちらは艦とのリンクは確立されている状態だ。少し遅れて複数人の武装兵士達が駆けてくるのをすでに捕らえている。

ふふふ……面白いじゃないか。

ニンゲン如きが、たとえ何人集まろうとも、一瞬で消し炭にしてやろう。否、叢雲が与えられた痛み苦しみを少しでもこいつら下種どもの体に刻み込み、地獄の中息絶えさせてやろうじゃないか。

 

艦娘としての禁忌が発動する? そんなこと知ったことじゃない。叢雲を殺した奴等に慈悲などかけない。たとえこの体がどうなろうとも、成し遂げてみせる。

全身が熱くなるのを感じる。

 

「……ふう」

状況をまるで把握していないのか、草加が大きなため息をついた。

「それにしても、ずいぶんと無茶苦茶な話を聞かされたんですね」

と、呆れたように呟いた。

 

「嘘をつくな! アタシはちゃんとこいつから聞いたんだ。叢雲が嘘なんてつくわけないだろう! 」

親友が嘘をつくなんてありえない。そう、アタシ達は親友なんだ。

 

「三笠様が、艦娘を洗脳して操り、そして冷泉提督と敵対させる? それに逆らった金剛さんを殺した? 更に叢雲さんまで殺そうとした? なんと……あまりに荒唐無稽、ありえない話ではないすか。教えてください。そんなことをして、三笠様に何の利益があるというのですか? 考えてみてください。そもそも、三笠様と冷泉提督との間に対立状態があったのですか? まあ仮にあったとしましょう。ではなぜ、金剛さんや叢雲さんを洗脳して冷泉提督と戦わせる必要があるのでしょうか。そんな面倒な手間をかけなくても、三笠様が艦娘に命令すれば、彼を討つなど容易。すべての艦娘の上位に、三笠様がいるのですからね。彼女の命令であれば、艦娘は従わざるを得ない。そして、そんな強引で乱暴な手法をとらずとも、三笠様の力をもってすれば日本軍を動かすことなど造作もない事。政治的圧力をもって、彼を鎮守府司令官の座から放逐すればいいだけのことでしょう? 」

 

「そ、それは」

長波は、続ける言葉が出てこない。

 

「確かに、叢雲さんが死んだということは事実です。しかも殺された。死の淵にある叢雲さんから聞かされた事を信じてしまうのはやむを得ないでしょう。どうやら、あなたにとって彼女はとても大切な存在のようだ。そんな状態では、……冷静な思考ができないのは当然でしょう。そして、そんなあなたに、辛いことを伝えなければならない。信じることなど今のあなたにはできないかもしれません。けれど、冷静になった時……もう一度考えてもらえばいいと思うのです」

草加は、第二帝都東京で起こった事件について語り始めた。

 

それは、改二改装のために滞在していた金剛と、第二帝都東京へ異動となった叢雲による艦娘に対する反乱だった。

ある日、叢雲が係留中の自艦を起動し、帝都施設への砲撃を開始したのだ。これにより帝都の警備の目をひきつけた。それと絶妙なタイミングで呼応するように、研究施設で改装中だった金剛も行動を起こす。同じ施設にいた三笠を襲撃したのだ。

 

普段であれば、常に複数の武装兵士が護衛にあたっていたが、叢雲による施設破壊活動に動揺した混乱をつかれたのだった。

改二改装中であったことから、艦とのリンクが切断されていたことが三笠側にとっての幸運だった。リンクが残されていたなら、戦艦による砲撃を受けただろう。防御設備の内部での砲撃に施設が耐えうる保証は無い。帝都は半壊状態にまで追い込まれただろう。

 

人間では艦娘を止めることはできない。金剛は執拗に三笠の命を奪おうと攻撃を続けた。彼女は死などまるで恐れることが無いように、とにかく三笠を殺そうとした。もはや、金剛を止めることは三笠にしか不可能だった。そして、たとえ彼女であっても、金剛を止めるには彼女を殺すしかなかったのだ。

 

そして、三笠はやむを得ず金剛を殺害した。そして、速やかに次の行動を取った。それは、駆逐艦叢雲と艦娘叢雲のリンク切断だった。リンクが切れれば、もはや軍艦は動かすことができなくなる。大規模な破壊活動は止められる。

リンクを切られた叢雲は、金剛の失敗を知っただろう。守備隊の攻撃により艦は大破状態となり、彼女は艦を捨て、逃亡せざるをえなくなったのだ。

 

「それでアイツを殺そうとしたんだろう? アイツを撃ったんだろう? 」

 

「……違います。それは明確に否定します」

 

「嘘をつくな! 現に叢雲は撃たれているじゃねえか」

 

「三笠様は、金剛さんを自らの手で殺めなければならなかったことをとても後悔されていました。とても悲しんでいました。この上、叢雲まで手にかけることなどできるはずもありません。……ですから、三笠様は我々に一切の銃撃を禁止されました。重大な反逆行為を行った彼女でも、命までは奪いたくなかったのです。もし彼女に逃げられるのなら、それもやむを得ないとまで仰られました。だから、彼女はここまで逃げることができたのです。もし、殺害許可が出ていたなら、止めることができたでしょう。彼女の攻撃により、多くの人が犠牲になった。私の仲間もたくさん。けれど……そんなことはどうでもいいのです。我々にとっては、三笠様の言葉が一番重要なのですから。そして、三笠様は命じられました。全力を持って叢雲さんを追い、そして保護せよと」

 

「……何だそれは? 」

長波には三笠の考えが良く分からないでいた。

「まるでお前らが叢雲に危害を加えていないような言い草は」

 

「叢雲さんの銃創を調べれば全てが判明するでしょう。彼女を撃った銃が我々のものではないことがすぐに。三笠様は叢雲さんを保護しろと命じられました。我々にとって彼女の命令は絶対です。そんな我々が叢雲さんを殺そうとするなどありえないのですから」

そう言って草加は反論する。その表情は真剣そのもので、怒りさえ滲ませていた。

 

「じゃ、じゃあ、なんで叢雲がこんな目に遭ったんだよ。誰に殺されたっていうんだよ! 」

 

「三笠様が叢雲の保護を命じたのには、理由があります。まず第一には彼女を捕らえ、事件の全容を明らかにすることでした。そして第二には、今回の作戦が失敗に終わったことを知った真犯人店…つまり三笠様暗殺を彼女達に命じた者によって、口封じの為に消されることを防ごうとしたのです」

と、少年はにわかに信じられないような話を続ける。

「そもそも、艦娘にとって三笠様は上位の存在です。尊敬や憧れころすれ、敵意を持ったり……ましてや殺そうなどと考えるはずがありません。そして、軍艦で街を砲撃するなんてことはありえません。それは長波さん、あなたにも分かりますよね」

 

「当然だよ。三笠さんはアタシ達にとってとても大切な存在だ。人間で言うところの姉に近いだろうな。とても優しくて暖かい。嫌ったり憎んだりなんてするはずねえ。まして、殺そうなんて考えが出るわけないんだ」

三笠達は艦娘の憧れでもある。艦娘より上位の存在。そして、人へ危害を加えることに対する禁忌よりも更に強い制御がかけられている。それは、絶対服従といったものに近い。もっともそんな抑制効果が無くても、艦娘たちは彼女を慕っているのだが。

 

「金剛さんだってそうだと思います。長波さんたちよりも付き合いが長いはずですからね。けれど、彼女はそれを為そうとした。それが何故だかわかりますか? 」

と、草加は問いかけてくる。

 

「そんなこと分かるわけねえだろ」

吐き捨てるように言葉を返した。

 

当然ですね、と草加は頷く。

「けれど、答えは実に簡単なのです。……艦娘の三笠様に対する想いよりも、大きな影響力を持つものが存在したのです。三笠様を殺害することにさえ躊躇をさせないほどの強制力を持つ存在が、あなた達のすぐ側にいたのですから」

 

「意味が分からないわ」

そう言いながらも、長波の言葉は震えてしまう。続けて少年が発する言葉を聞きたくない。

 

「艦娘の意思に反して、行動を強制することができる存在。金剛さんや叢雲さんが命を投げ出しても行動させる影響力を持つ存在。……舞鶴鎮守府司令官冷泉という存在が」

 

「そんなわけあるか! 」

即座に長波は否定した。

 

「そうでしょうか? 」

 

「あったりまえだ。提督がそんな命令なんてするわけが無い。アイツがそんなことするわけがない」

冷泉提督は常に艦娘のために行動していた。たとえ自分の身を危険にさらしても、立場を悪くしようとも艦娘の事を思って行動してくれていた。そんな姿をずっと見てきた長波だから分かる。馬鹿がつくほどまっすぐなその気持ちに嘘なんてありえない。

「しょ、証拠を見せてみろ。そんなこというくらいだから、何か根拠があるんだろう? いくらなでもそれは許せねえぞ」

 

「おっと。そんなに声を荒げないでくださいよ。私は事実を検証し、そこから導き出された結果だけをお伝えしているだけなんですから。……落ち着いてください。これはあくまで推論でしかありません。けれど、あなたにも責任があるんですよ。あなただって、何の証拠もなく三笠様が叢雲を殺した犯人のように言うから、ついこちらも言い返してしまったのです。これについては、謝罪しますが」

まるで反省などしていないくせに、草加がしれっとした表情で返してくる。

「たしかに私の推論でしかありません。けれど、適当なことを言っているつもりはありません。私の推論を覆すような反証が見当たらないのは事実なのですから。冷泉提督であれば、金剛さんや叢雲さんを動かすことができます。司令官の絶対命令権発動でなくとも、彼女達の想いを利用すれば、彼女達は提督の意のままに操ることなど不可能でないでしょう? 」

と笑った。

 

そんなことありえない。そう返したかったけれど、言い返せなかった。

叢雲が提督の事を好きだったことを思い出したからだ。言葉には出さないけれど、態度でバレバレだった。いつも彼女は提督の姿を目で追っていたし、いつも彼のことを心配していた。彼の役に立ちたいけれど、立てない自分に悶々としていたことも知っている。それを恋というのかは長波には分からない。けれど、提督に命じられるのでなく、請われれば彼女は何でもしたような気がする。たとえすべてを敵に回すものだとしても。

 

「それでもすべては推論でしかありません。けれどこういった考えもあるということをお知らせせずにはいられませんでした。舞鶴鎮守府の艦娘たちは冷泉提督への依存度が高いですからね。少し盲目的な部分もあります。一度、冷静になって一歩下がって状況を見直したほうがいいかもしれません。……私としてもこの推論が正しいかどうかを再検討します。あなた方のためには間違いであったほうがいいのでしょうけれどね」

 

複数の駆け足の音が聞こえてきた。

どうやら兵士達がやってきたようだ。草加と同じ軍服を着た兵士達の登場だ。

 

「さて、おしゃべりが過ぎたようですね。そろそろ私も本来の任務に戻りますね。……さあ、叢雲さんのご遺体を回収しろ」

やってきた兵士に指示をする草加。どうもても彼よりも年上の兵士達にてきぱきと指示を行う。

兵士達は長波の側まで歩み寄り、腕に抱えた叢雲に手をかける。

「触るな」

咄嗟に声を上げてしまう。

「汚い手で触るな」

殺意を込めた言葉に兵士達が驚いたような表情を見せ草加を見る。

 

「構わん。速やかに艦娘を収容しろ」

と、草加が命令する。

 

「何を」

 

「それ以上の言葉は慎んでください。これは、三笠様の命令です。艦娘のあなたが逆らうことは許されません」

逆らおうとする長波の機先を制して草加が言う。

「大人しく叢雲さんをお渡しください。さもなければ、あなたも連行することになるかもしれません」

それは警告だった。逆らえば本当に実力行使に出るだろう。

 

「叢雲をどうするつもりなんだ」

 

「どうもしません。通常の手続きどおりに物事を執り行うだけです。彼女の死因を確定させ、そして、コアより記憶を回収し事実を確認するだけです。三笠様は今回の事件の真実を究明することを最優先されています。我々はその目的達成の為に動くだけです。ゆえに、それに歯向かう者は排除するだけです。こんな大それた事件を起こした真犯人を見つけ出し、それ相応の報いを受けさせるために。それは長波さん、あなたにとっても大事なことでしょう? 叢雲さんを殺した真犯人を許すことはできない。それは間違いないでしょう? 」

 

「そ、それはそうだ。絶対に許せない」

いろいろと複雑な感情に揺さぶられるけれど、その件についてだけは間違いない。長波は親友を殺した奴を絶対に許せない。見つけ出して、この手でぶっ殺してやりたい。

 

叢雲は兵士達に回収され、遅れてやってきた車へと積み込まれていく。その様子をぼんやりと長波は見つめていた。

頭がぐちゃぐちゃに混乱している。怒りの矛先をどこに向けていいかわからない。悲しみでどうにかなりそうなのに、どこか物事が勝手に進んでいることに耐えられない。

 

それ以前に、草加が言った事が心を掻き毟る。

 

「それでは我々は撤収します」

そういうと草加たちは去っていく。彼らの乗った車が見えなくなっても、しばらくの間は長波は立ち尽くしたままだった。

何をどうしていいか分からなかったからだ。

 

「なあ提督。あの男が言っていたことは本当なのか? アンタが叢雲達に命令したのかよ? そんことありえるのか? どうなんだよ」

答えを返す者など存在しないというのに、問いかけずにはいられない長波だった。

 

 

 



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第208話 問答

草加は、三笠が用意してくれた黒のセダンの後部座敷でぼんやりと考え込んでいる。外観もかなり大きな車だとは思ったけれど、足元の異常な広さには驚いた。運転席とは視覚的聴覚的にも完全に遮断されている。足を思い切り伸ばしてもそこには届かないほどの広さだ。

 

叢雲の亡骸は別のワゴン車に積み込まれている。まるでモノのようにして遺体収納袋に収められる姿を見て、なんだか鳩尾の奥の方に違和感を感じたけれど……それもやむを得ないこと。すべては命令に従っただけ、そもそも自分とは関係のない事なのだからと考えることにした。

 

「しかし、意味があったんだろうか? 」

と、呟いてしまう。

裏切り者の艦娘なんてさっさとぶっ殺しておけば良かっただけじゃないのか? と思う。実際、射殺することはできた。わざわざ重傷を負わせて逃がすなんて意味が分からなかった。いや、未だに理解できていない。良くは分かっていないけれど、三笠様の予定通りの結末を迎えたらしいけれど、他の人間とかに叢雲が見つかっていたらどうするつもりだったのだろうか? 余計な手間がかかるだけじゃなかったのか。そもそも、あの長波という艦娘と接触させたところで、どんなメリットがあるのだろうか。

 

「ふっ、考えたところで、答えなんて出るわけないよな。俺なんかが三笠様のお考えなんてわかるはずも無い」

まあ分かったところで、どうなるものではない。けれど、理解できれば先回りして出来る人間であることをアピールできのであるが。

 

「……そんなことありませんよ。あなたは思った以上にできる人だと思いますから」

突然、別の声が聞こえてきた。

 

「う、うわ! 」

反射的に仰け反り、ヘッドレストで頭を強打してしまう。何度もあったことなのに、どうしても急に声が聞こえるとびっくりするものだ。

声の主は、三笠だ。しかし、この音声は他人には聞こえない。草加だけに聞こえるものだ。テレパシー? さすがにそんなオカルトなんてありえない。体のどこかに埋め込まれた機械により直接、音声を届けてくるのだ。埋め込み型骨伝導補聴器……のような物だと認識している。当然ながら、同様にどこかにマイクのような装置も埋め込んでいるに違いない。だって、会話が成り立つのだから。

 

ゆえに、独り言で誤ったことを言わないように注意している。頭で考えるときもその注意を忘れないようにしているのだ。思考が言葉に出ることもあるのだから。だからこそ、三笠の事は常に様付けで認識するようにしている。不用意に呼び捨てなんてしたら不味いからな。

 

「そろそろ慣れたらどうですか? あまりに慌てすぎですよ。他人に見られたら変に思いますから」

まるで見ているように言ってくる。さすがにカメラは車とかに付けているものなのだろうけれど。

 

「す、すみません。誰もいないときにいきなり声が聞こえるとさすがに驚いてしまいます。慣れなきゃいけないとは思っているのですが」

何故か頭をペコペコしながら謝ってしまう。そんな草加が面白いのか、三笠はからから笑う。馬鹿にされているようで少し不満だが、我慢するしかない。

 

「笑ってごめんなさい。あまりに教えなさすぎる私がいけないのですからね。あなたが不安になるのも仕方ないわね。……今回の叢雲に対する処置の意味について、あなたはどう思っていますか? 」

その問いに対して、隠し事をしてもどうせばれるだろうと考えた草加は素直に本心を語る。分からないことは分からないと素直に。

 

「確かにそうね。叢雲は私の指揮下にありながら、それを拒否しました。そして、第二帝都東京から逃亡を図りました。重大な命令違反行為です。金剛への処置に対する不満を明らかにしていましたから、逃亡を許せば間違いなく敵対行為をとることが予想されましたね」

 

「では、あのような措置を? 私には分かりません。長波に叢雲の最後を看取らせて何か意味があったのでしょうか? 三笠様のご命令どおりに彼女には話を伝えたつもりですが、果たして彼女はそれを信じたのでしょうか」

それ以上に、叢雲の姿を見た草加は心が痛んだのだ。これは三笠に言うべきではない。それすなわち三笠の施策に対する不満を述べると同じだからだ。けれど、思わざるをえない。あれだけ綺麗な女の子が薄汚れた惨めな姿で死ぬなんて可哀そうだ。ただそう思ってしまった。三笠に敵対したのだから死は当然としても、ボロボロになっても必死に逃げようとした彼女が哀れだった。彼女はどうやら視力もおかしくなっていたらしく、明らかに異常な色の取り合わせの格好をしていたし、着ていたトレーナーらしき衣服は表裏逆になっていた。思いを遂げることも無く、惨めに死んでいった。

その死に何の意味があったのだろうか? それが叢雲に対する罰だったのだろうか?

 

「長波があなたの言葉を信じるか信じないかは、二の次なのです。金剛と叢雲が死んだことを彼女に知らせることが大切なのです。そして、親友である叢雲を彼女の目の前で死なせることがね。そこであなたの言葉が意味を成すのです。冷泉提督の命令により、彼女達は行動し、そして失敗した。最初から成功の可能性など相当に低い作戦であるのに、彼は彼女達に命じたと。まるで捨石になっても構わないかのように……ね。そういった可能性の提示だけで十分なのです」

 

「けれど……」

仮に信じたところでそれが三笠にとってどういったメリットがあるのだろうか。

 

「安心してください。これでも、いろいろと布石は打っているのです。金剛と叢雲を舞鶴から出したのは冷泉提督の意思です。彼女達がどういった経緯で異動となったかはほとんどの艦娘は知りません。ゆえに事実のみを知ったら、その可能性を否定しきれません。それに、まだまだ追い討ちをかけるつもりですから。きっと長波は、私の思惑通りの考えに流されるでしょう」

妙に自信たっぷりに三笠が答える。

 

「一体、三笠様は何をされようとしているのですか? 」

と、思わず本音が漏れてしまい、慌てて口を押さえてしまう。そんな事、自分が知る必要のない事だ。自分は命じられたことを淡々とこなすだけでいいのだ。それ以上の事を望むなど、まだまだ早すぎる。

「す、すみません。出すぎたことを申しました」

 

「……いいえ、構わないのです。何もかも隠していては、あなたも困るでしょうからね。意思疎通ができていないことは失敗のリスクが高まりますからね。教えられることのすべてを伝えてもいいかと思っています」

そこで彼女は間を置いた。

「今回、叢雲をあえて逃したのは、舞鶴鎮守府内に楔を打ち込むことが目的なのです。冷泉提督の下、艦娘たちの結束はかなり強いことは分かっています。冷泉提督を妄信といっていいほど信頼している子たちもかなりいますよね。加賀、金剛、神通、夕張、叢雲、島風邪あたりが該当しますね。あの子達は、表にその感情を出す出さないかは別として、明確に好意を抱いています。けれど、あまり提督提督とくっつかれるのは、あまり好ましくは無いのですよ。……とはいえ、先日の舞鶴での反乱により舞鶴艦隊からの落伍者も多数出ているように、強い思いを抱くいればいるほど、それに反発する者や距離を置こうとするものも現れてくるものです。長波もその一人です。彼女は冷泉提督を信頼してはいるものの、少し距離を置いている子の代表です。そして叢雲の親友でもあり、ちょうど良い立場でした。そこを少し利用しようと思ったのです。親友が冷泉提督の指示により作戦行動を行ったものの失敗。そして証拠隠滅の為に殺害された。それも自分の目の前で死んでいった。彼女は何の疑いも無く、提督を信じたまま逝ってしまう。ボロボロになって惨めに死んでいった。そこで、あなたからの真実暴露です。心中穏やかではないでしょう? さて、彼女はどういった反応をこれからするんでしょうね。冷泉提督が口封じに叢雲を殺したなんてことまでは信じないかもしれません。けれど……冷泉提督が叢雲や金剛に何かを命じたということは信じるでしょうね。それが叢雲を死に追いやった……。艦娘なら司令官の命令に従うのは当然ではあるでしょう。けれど、冷泉提督は、艦娘を何よりも大事にする方。いや、方だった。その事実を知った長波はこれから先、提督を信じられるのでしょうか? どうなんでしょうね」

 

少しだけではあるけれど、草加には三笠が興味本位だけで動いているように感じられた。一体何を考え、何をしようとしているのですか、あなたは。

そして、そんなに物事が上手くいくとは思えないのですが……。

 

「疑っていますね。まあそれは当然のことでしょう。けれど、そういった可能性があることを長波の中に植えつけることができただけで成功なんですよ。猜疑心は一度根を張れば二度と除去することはできません。何かある度に、彼女は自らの上官への疑惑を深めていくでしょうからね。うふふふふ」

 

「三笠様、あなたは冷泉提督を……舞鶴鎮守府をどうしようとされているのでしょうか? 」

また余計な言葉が口をついて出てしまう。

再び、三笠が言葉を発する。

「冷泉提督は、とても大きな力を持つ人なのです。特に艦娘に対しては……。とてつもない影響力を持っています。その力は、艦娘の力を高めて戦いを有利に進める大きな原動力になるでしょう。彼に相応しい戦力を持たすことができたなら、より大きな勝利が日本という国にもたらされるはずです。そして、皆が彼に協力すれば、今の深海棲艦との膠着状態さえも打破できるでしょう。……もっとも、そうは物事は上手く行きません。それをさせたくない様々な抵抗勢力が日本国にはいますからね。それは政府だけでなく、海軍内部にさえもね。そして、そう上手く進んでしまうと、私にとっても困ったことになってしまいますからね」

 

「それは、一体どう言う事でしょうか? 」

 

少し考え込むような間があったが、彼女は口を開いた。

「うん……そうですねえ。あなたにも少しだけ教えてあげましょうか。艦娘の存在というものがこの世界に現れたかを。人であるあなたにも、共有してもいいかもしれませんね。我々の側の存在になった証として……」

 



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第209話 艦娘の正体

「我々の側……とは? すみません、私の理解力では、三笠様の仰る意味が把握しきれません」

草加は、混乱する。それは、人間と三笠との立ち位置をどのように把握しているかによる。日本という国が、後に領域と呼ばれる巨大な雲様の何かに取り込まれた事から始まる惨劇。あらゆる通信手段が遮断され、日本国は世界から隔絶された。それに呼応して現れた「深海棲艦」と呼称される、艦船体を成す所属不明の未知の戦闘兵器の侵攻。迎撃に向かった在日米軍および自衛隊の連合艦隊は、瞬時に壊滅させられた。深海棲艦への核攻撃も無力だった。日本は、海上および空を完全に封鎖されてしまった。各地で残存兵力による散発的な抵抗が繰り広げられるが、圧倒的な力の差の前に、殲滅されていく。

 

深海棲艦の勢力下に入った海域は領域に飲み込まれ、示威的攻撃を受けた四国は、領域に没した。

ついに首都沖に無数の艦隊が現れる。攻撃態勢に入った時、突然、どこかから現れた三笠達艦隊(いわゆる艦娘)が現れ戦闘となり、深海棲艦を撃退した。

彼女達は日本政府と協議し、日本国土の安全確保の為に艦娘なる兵器を貸与すること、国内五箇所を艦娘の母港として整備し、深海棲艦との戦いに対処することが決定された。日本政府は国土の一部を艦娘に差出し、三笠達は、そこに治外法権となる第二帝都東京を設置した。

それが、草加の知る事実である。それ以外にどういったことが協議され、決定されたかは知る由もない。政府や軍においても、詳細を把握するものは少ないのだろうと推測する。

 

そもそも、艦娘という存在自体が謎のままなのだから。

ただ、人間のために派遣された軍艦および人間とのコミュニケーション様の人型としか分からないのだ。最初はいろいろと思うものがいたかもしれないが、いつしかそれが当たり前になっているわけなのだから。彼女達の協力無しには、深海棲艦と戦うことなど不可能であり、詮索することなど無意味なのだ。

艦娘の存在について異を唱えるのは、一部の市民団体しかいないだろう。

 

「あなたの言う事ももっともですね。……では、あなたは、艦娘は何だと考えていますか? 」

と三笠は問いかけてくる。

 

「何かといわれましても」

一瞬の躊躇。

「艦娘は、深海棲艦と戦うための唯一の存在。海軍にとっては不可欠のパートナーですね。口さがない連中は、単なる兵器だと言うのでしょうけれど」

 

「一般的には、そうですね。あなたにとってもそんな認識で構いませんか? 」

その問いかけに、草加は頷いた。それで通じたらしく、三笠は話を続ける。

どうやら監視カメラが車にも付けられているんだな、と認識する。

「日本国にとっては、艦娘が深海棲艦と戦うための唯一の手段であることは間違いありませんね。交渉の中で、日本国にとって艦娘は、喉から手が出るくらい欲しい存在だったでしょうね。それ相応の対価を支払っても構わないくらいに。……では、私達にとって、日本国と同盟的関係を持つことにメリットはあったのでしょうか」

 

「……それは、私には分かりません」

その問いに対する答えは出なかった。あまりにも情報が少なすぎるから、推理すらできないのだ。

 

「……確かにそうですよね。私達が、日本国に手を貸す理由が見つからないでしょうね」

三笠が言葉を続けた。

「では、私達は何者なのでしょうか? 」

 

「……」

まるで分からない。

 

「少しヒントをあげましょう。私や他の艦娘の名前を思い浮かべてください」

答えを促すためのヒント? らしいことを三笠が伝えてくる。

 

「みんな……旧日本海軍の軍艦の名前ですよね。そこから推測することができるというのであれば、ちょっとありえないですが、沈んだり退役した軍艦の魂が具現化した……とか。まるで漫画みたいですが」

半信半疑……こんなの、ほとんど冗談のような設定でしかない。死んだ魂が物質化すること事態ありえない。そもそも、魂なんてものが存在するのかという疑問もあるけれど。

 

「魂という曖昧なものが、存在するとは思えません。万に一つの可能性とし、それが仮に存在したとして、どうやって物質化することができたのでしょうか。いえ、それすらあったとしましょう。けれど、それが戦艦のような形態をとることができると、あなたは考えますか? 」

 

「いえ、そんなことは無い……と、思います」

三笠が提示したヒントから想像しただけで、本気になんてしちゃいないよ! と反論したかったが、ぐっと堪えた。何か馬鹿にされたのか? 腹が立ったけれど、腹を立てたところでどうにもならない。

 

「少し怒りましたか? 」

と、ずばり本音を見破られてしまう。

しかし、平静さを保つのに苦労させられる。

「魂が勝手に具現化するなんてことは、ありえません。けれど、それを可能にする存在が関与すれば、不可能も可能になるのです」

 

「そんなことってありえるのですか? 」

と、思わず身を乗り出してしまう。

 

「強い想いが……ずっと残っていたんでしょうね。日本海軍の軍艦の想い。……日本を守れなかった無念、そして悲しみや怒り痛み苦しみを持ったまま沈んだ想い。そして、それに搭乗していた兵士たちの同じ想いが混ざり合って、強い念となったまま海底を漂っていたのでしょう。その想いを検知した「方」が、世界にそれを復活させた」

 

「そ、それって神様でもなければ、できないことではありませんか」

 

「そうかもしれませんね。「その方」には、それを成す力があったのかもしれません。けれど、それに応える強い願い・想いがなければ実現はできなかったでしょう。軍艦だけなら作ることは簡単。けれど、その魂となる部分を作ることは容易ではありません。絶対的に必要なものがあったのです。日本国の危機に対し、守りたいという強い想いが。……軍艦や兵士にはそれがあった。そして、艦娘として復活した。それが、艦娘なのです。それが艦娘が日本国に力を貸す理由です。かつて守れなかった物を守りたい。その強い想いが、艦娘の唯一の行動原理なのです」

そう言うと、三笠は幽かに笑ったように感じた。

 

「三笠様が仰るのであれば、それが真実なのでしょう。教えていただきありがとうございます。艦娘が命がけで戦う理由が分かりました。しかし、そうであるのなら、分からないことがあります」

 

「何でしょう」

 

「三笠様は、なぜ艦娘を殺したりするのですか。同じ艦娘同士、日本国の為に戦っているというのに、どうしてなのでしょうか。艦娘が死ねば戦力が減じられます。それは深海棲艦との戦いが不利になるということです。どうして、そのようなことをなさるのでしょうか? 」

 

「私は、艦娘を作られた「方」の命により行動をしているのです。あの「方」が目指すもののために私は行動します。ゆえに金剛や叢雲は死ぬ必要があった。彼女達の死は、無駄にはなりません。すべてはあの「方」の願いを叶えるための布石なのです。それに、あの二人の死は事実ですが、金剛も叢雲も死んだわけではありません。艦娘金剛はすでに復活していますし、艦娘叢雲も頃合を見て復活させます。すべてはあの「方」の願いを叶えるために」

 

理解力を超えた話が続く。

三笠が艦娘たちのトップではなかったという事実。それに驚かされる。そして、彼女があの方と呼ばれるモノが艦娘を作り出したという事実。その基礎となるものは第二次大戦で海底に没し、漂い続けた想いだったこと。全く意味が分からない。けれど、それが真実なのか。

草加は、ずっと思っていた。艦娘たちはどこかにもともと存在していて、日本の危機に際して出現して、日本を守ろうとしていると。

 

けれど、そうではなかった。艦娘達は何者かによって作られ、日本国に貸与された兵器なのであることを。もちろん、艦娘達のコアといえる部分は日本海軍の軍艦の想いなのだろうけれど、艦娘を統べるモノの意思はピュアなものとは言えないということを。

 

そういうことであれば、三笠達の時々見せる残酷な部分がなんとなく理解できた。何の代償も無く力を貸すほど、三笠の言う「あの方」は優しくは無いということだ。きっと、何かとんでもないものを要求されるのだろう、日本国は。いや、すでにもう奪われているのかもしれない。そう思うと怖くなる。

考えてみれば、おかしかった。アメリカ軍や自衛隊の艦船や航空機が壊滅させられるまでに追い込んだ深海棲艦を一瞬にして領域の中へと追いやったほどの力を、三笠と彼女とともに現れた僅かな艦船で行ったのだ。四国や僅かな離島部分は奪還できなかったけれど、ほとんどの土地は守られ、相当な広さの海洋部も奪還した。その後、現れた艦娘と共同すれば、深海棲艦を壊滅させることができたんじゃないかと思う。けれど、それを三笠達はやらなかった。軍の拠点を整備し、そこに艦娘を配置しただけだ。そこから先は、ずいぶんとのんびりとした軍事行動に終始していた。三笠達初期艦は皆第二帝都東京の港に引っ込んだままで、あれ行こう一度も作戦に参加していない。

 

三笠達初期艦は、今活動している艦娘より遥かに強力な力を持っているのは間違いない。けれどその力を封印してしまっている。それは何故か? 深海棲艦を撃滅させる力を持っているはずなのに、それを成さないのは。「ある方」と呼ばれる存在の意思なのか。

 

「三笠様、教えていただけますか」

 

「何でしょう? 」

 

「三笠様の仰る「あの方」の目的は何なのですか? 」

言葉にはしなかったが、日本国民の命すべてとかいうわけじゃないですよねと念じた。伝わるかどうかは分からないが。

 

「今、力を貯めていらっしゃるのです。そして、まだしばらくはかかりそうです。力を貯めるためには、艦娘や人間の力が必須なのです。そのために、私はさまざまな手を考えなければならない。あなたも私の目的のために協力をしてください」

 

「三笠様が命じられれば、私は何でもいたします。何でも」

何でもという部分に力を込めた。三笠が何を考えているのかなんて分からない。「あの方」なんて存在がそもそもいるのかさえ、怪しいと思っている。すべての艦娘を作ることができるような存在が、何の力を貯めているのか。力を貯めてなにをするつもりだっていうのか。

 

どうせ嘘だろう。

この女は、……そもそも女なんて概念があるような存在か知れたもんじゃ無いが、何か別の目的があるに違いない。深海棲艦を壊滅させることなんてどうでもいいのかもしれない。そして、冷泉提督へと固執も不可思議だ。邪魔な存在のように言いながらも、やたらと優遇しているように思えるし、そう思えば彼の大切な艦娘を殺したりと全く分からない。

 

自分のような人間が頭を悩ませたところで、どうなるもんでもない。能力が今の段階ではおよびもしない高みに彼女はいるのだ。今はそれでいい。コツコツと力をため、あの女を出し抜くことを目指すのだ。まずは、彼女の信頼を得、足元を固めるのだ。認められれば、いろんな恩恵を得られる。軍の誰よりも力を得ることができるかもしれない。

 

最初は美しい艦娘を手に入れる下種な願いだったけれど、艦娘の現実をしって萎えてしまった。気持ち悪すぎるのだ、あれは。そっちの件については、今は、普通の人間にしか興味がない。力を得れば、手に入れ放題になる。

 

「あなたの力を私も頼りにしているのですよ。ぜひ、私の期待に応えるよう、日々精進してください」

三笠はそういうと回線を切断した。

 

唐突に現れ、唐突にいなくなる……か。まことに勝手な人だ。少し呆れてしまう。

 

そして、今更ながらふと思う。

艦娘の出現は理解できた。では、人類の敵である深海棲艦は、一体、どこから現れたのだろうか。

 

「ばかばかしい。俺が推理したところで、分かるはずなんてないのにな」

自虐的に笑った。



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第210話 頼れるもの

大湊に帰還しても、叢雲の事を誰にも言えないままだった……。

あの草加という少年に口止めをされていた事もあるけれど、そもそも、叢雲と金剛が仲間を裏切り、三笠を殺そうとしたなんて事……言えるはずがない。

 

草加の話では、三笠も事を荒立てたくない意向で、事実を軍には伝えるつもりはないらしい。つまり、長波にも黙っておけと暗に言っているようなものだった。誰かに口外するようであれば、三笠としても隠すことはできなくなり、軍に対して情報開示をせざるをえなくなる。……隠蔽なんてしたくないけれど、事案が事案だ。鑑娘と人間との友好関係に水を差すようなことは、できる限り避けたい。たとえ真実を隠蔽することになったとしても。

長波だって、同じ気持ちだ。共に深海棲鑑と戦う者同士の信頼関係に、亀裂が入るようなことはあってはならない。

 

―――それに、叢雲たちのことを悪くなんて言いたくない。まだ長波の中では、事実を受け入れられずにいたのだ。

 

鎮守府に戻ると、血まみれで帰って来た長波に、どうしたのかとみんなにいろいろと聞かれたが、負傷した人を発見してその救助に当たっていた、と誤魔化した。その嘘をみんなが納得してくれたのは理由が不明だけれど。

あの時、もっとそのことについて追求されれば、嘘を隠し通すことなんてできなかった。そうなれば、秘密を言うことができたのに……、と責任転嫁までしてしまう。

 

しかし―――。

自分の中でこの事を収めておくことは難しい。誰かに打ち明けたい。そして、どうしたらいいかを相談をしたい。あの時に草加が語った事が本当なのかを確認したい。友の死を前にして混乱状態にある自分ではなく、誰か冷静に判断してくれる人に確認したいのだ。

 

一番手っ取り早いのは、大湊指令官に全てを話すのが一番だけれど、……そんなことできるはずがない。仮定の事とは言え、自分の部下が反逆行為を行ったなんて知ったら、彼女はどうするのだろう? どう思うだろうか?

ただでさえ、舞鶴鎮守府の鑑娘を引き取ってくれているのに、これ以上の迷惑をかけることなんてできるだろうか。彼女は、舞鶴のためにいろいろと動いてくれている。そんな協力的な彼女とはいえ、この事実を知ったなら報告せざるをえないだろうし、大湊を守るために舞鶴を切らざるをえなくなるかもしれないだろう。所詮は、冷泉提督に頼まれたから仕方なく行動しているのかもしれないのだから。

 

二つの鎮守府運営なんて、労力の割に実入りがあるものじゃない。その上、裏切り者が出たなんてなったら、責任は現在の司令官である彼女に行くのは避けられない。彼女の忍耐を超えてしまうのは間違いない。彼女には舞鶴のために体をはるなんて理由は、これっぽっちもないのだから。もしも彼女が何か目的があって、そのために舞鶴の業務を引き受けているとしても、そんな状況に陥れば利益より負債の方が大きくなるだろう。火中の栗を拾うような無謀さは、彼女にあるようには見えない。彼女にはデメリットしかないだろう。

 

仮に提案にメリットがあったとしても、やはりその対応には当たれないと思う。現在の彼女は多忙を極めている。

二つの鎮守府を運用しなければならないことから、業務量は単純に倍になっている。部下数もほぼ倍になっているから補佐役は多いとはいえ、それぞれの鎮守府ではあらゆることについて。業務のやり方が違っている。それぞれのルールや慣習ってものがあるのだ。そこをうまく調整する必要があるから、丸投げにはできないようだ。いちいち指示や確認の作業が出てくる。それだけも大変だ。

 

多忙を極める理由は、それ以外にもある。日本に5つしかない海軍の拠点の二つを、図らずして葛木提督が手にしているという事実だ。これは、さまざまな方面に対して強烈なインパクトを与えている。

 

その戦力は横須賀鎮守府に並び……人員数から言えばむしろ勝る組織を持つと言うことは、これまでの軍部におけるパワーバランスを崩しているのは間違いない。事実、これまで寄りつきもしなかった類の人間が頻繁に北方のこの地に訪れるようになっているのだ。当然ながら、何の目的も無く近づくなんてことは無い。先を見越した何かを得るためだ。

 

やって来るのは、軍幹部だけではない。当然ながら、政治家の類いやそれ以外の人たちもいろいろと理由を付けては揉み手をしながら訪れるようになった。大湊を訪れるあらゆる種類の人間のランクが、それまでより一つから二つ上になっていることから、重要視されるようになったのは間違いない。

 

北方にある片田舎の軍事基地の一つ……とは最早、誰も考えなくなったのだろう。街もあれ以降、人が急速に増えて活気に満ちている。

 

やはり、彼女には相談できない……な。そう長波は結論づけざるをえない。

 

今日も、最大野党の党首が彼女に面会を求めてきている。かつて与党の若手ナンバーワン、次期総裁候補といわれていた男が、最近、突然離党し、多くの野党を結集して対抗勢力を作り上げている。盤石と言われた与党さえ、その動向を無視できない存在になっている。軍の影響力が大きいはずなのに、最近では軍の人間も彼の元に配下のものを足繁く通わせているらしい。戦争は継続中だというのに、もう戦後を見越した動きが出ているのだ。こういうところを見ると人間とは、本当に馬鹿だなと思うけれど、それが人間という種なんだ。

 

彼は、確かに活力に満ちあふれた自信家であり、相当な野心家に見えた。長波にとっては、圧の強い苦手なタイプだし、敬遠したい人間だけど、大湊の司令官とは、何故だか波長が合うらしい。あからさまな男のアプローチにも、葛木提督はまんざらでもない雰囲気だ。短期間に、ずいぶんと公私ともに仲良くなっているように思える。まあ年齢も似ているし、彼は外見も俳優張りに男前だし、人当たりも柔らかい。女性には人気だと聞いている。

 

そんなこんなで、常に提督の周りには誰か、しかも部外者がいるわけで、相談事を持ちかけるチャンスなど皆無なのだ。

 

相談するなら同じ鑑娘、それも舞鶴の鑑娘になるんだけれど……考えても浮かばないんだ。

 

本来であれば、秘書鑑となっている加賀に相談すべきなんだろうけど、所詮、彼女はよそ者でしかない。短い付き合いでしかないけれど、彼女の思考は、かなりドライだ。決して感情に流されるようなタイプじゃないようにみえる。おまけに舞鶴の鑑娘との付き合いは短いから、みんなとそんなに懇意になってるわけじゃない。だから、叢雲のために、長波と同じように必死になるとは思えない。

いろいろとあって……冷泉提督の影響が大きいんだろうけれど、今はぎこちないながらも、みんなに合わそうとしている。それでも本質的には、必要以上になれ合いを好まないタイプだと長波は見ている。そして、面倒くさいことに規律を優先するタイプだ。事実を知れば、やはり上司に報告するだろう。隠すなんてことは、葛木提督の力に頼らなければいけない舞鶴鎮守府にとって、明らかに不利益しかもたらさない。重大な裏切りと取られるからだ。それに目を瞑るはずがない。

当然ながら、横須賀で秘書艦を勤めていた長門も同じ考えにいたるだろう。高雄もそっちサイドの艦娘だ。みんな情よりも規律を優先するのだろう。一人のために皆を犠牲にするようなことを考えるようでは、上には立てないから。それは頭では分かっているけど、納得できないんだ。

 

となると、頼れるのは神通さんになるんだけれど……。

彼女では、無理なのだ。残念だけど、軽巡洋艦という立場は、鎮守府における地位は低い。意見を上に上げる権限が無いんだ。もちろん、彼女は真剣に聞いてくれるだろうし、いろいろと考えてくれるだろう。けれど、それだけだ。相談するだけでそれ以上先に進むことができないという致命的な問題がある。それに、今、彼女は消息不明の提督のことで頭がいっぱいみたいで、ここに叢雲の事まで出てきたら処理能力を超えてしまいそうだ。何にでも真剣に向かいあってしまうタイプだから……。

 

そうなると大湊の秘書鑑の陸奥に……となるけれど、彼女だって駄目だ。彼女と長門は姉妹鑑であり、あらゆる情報は筒抜けになっている。隠し事をしたとしても、彼女は長門には話してしまう。それじゃあ意味がない。同じ戦艦の山城は、姉妹艦の扶桑の死で落ち込んだままだから、かなり不安定な精神状態。相談なんてできる状態じゃない。そもそも、舞鶴の問題ごとを大湊の艦娘に相談するっていうのも変な話だ。

 

いろいろと考えてみるが、結局、権限を持つ条件を満たす鑑娘といえば、榛名だけとなってしまう。

彼女は舞鶴に来て間がないけれど、それでも金剛型の戦艦だ。根っからまじめだし、みんなに分け隔て無く優しくしてくれるし、おまけに可愛い。……本当は金剛の死を、不名誉な出来事を彼女に伝えるのはまずいかと思うけれど、むしろ彼女だからこそ真剣に考えてくれるし、考えざるをえないだろう。そして、彼女以上に秘密は守ってくれる存在はいないとの確信がある。ただ……事実を知ってパニックにならないことを願うけれど。

 

そんなことを考えながら、みんなと所にに行くと、何故か榛名と山城が向かいあっていた。山城は、思い詰めたような真剣な表情で榛名を見つめている。

 

「ねえ、榛名さん……教えてほしいの、本当の事を。あの時の姉様のことを……。あなたの報告では、降伏の意思を示していたはずなのに、急にあなた攻撃してきたってありました。けれど、私には信じられないの。扶桑姉様が仲間を撃とうとするなんて、絶対にありえないと思うのです。確かに、姉様は皆を裏切って敵対していた。あなたたちを殺そうとしたわ。それは大きな罪です。許されない事です。けれど、罪を認めて、その罪を償おうと投降しようとしたんでしょう? そんな姉様がまた裏切るなんてありえないの」

またか……。長波は思わずため息をついてしまう。大湊にやって来てから、この光景を何度見たことか。

 

現場にいて全ての事実を知るであろう榛名を見かける度に、山城は彼女に詰め寄り、事実を語れと迫るのだ。

姉である扶桑の裏切りが信じられない気持ちはわかるけれど、そして、大切な姉の死が受け入れがたいのはわかるけれど、あまりにしつこいんじゃないかと思う。榛名だって、同じ事を何度も聞かれて、本当に困惑気味だ。いい加減にしろと突っぱねてもいいはずなのに、悲しそうな表情をしながら、榛名は真剣に彼女の問いかけを聞いている。根が優しいと損だな。

 

「……すみません、山城さん。あなたのお気持ちは、私にもよくわかります。本当に大切なお姉様だったんですものね。誰よりもあなたが扶桑さんの事を知っていたと思います。けれど、事実は報告にあげている通りなんです。投降の意思を示していたのは、本当です。けれど、お話したとおり、何故か突然、迎えに行った私を攻撃してきたんです。損傷著しいけれど、その攻撃はすさまじかった。あれは相打ち覚悟の気迫でした。私も命の危険を感じていて、もう必死で応戦するしかなかったんです。砲塔のみを狙って無力化するなんて余裕、あの時はこれっぽっちもありませんでした。手加減なんてす考えていたら、こちらがやられていました。それほどの鬼気迫るものでした。突然の翻意、恐らく……あれは、きっとあの時、永末さんて方の命令が届いたのだと思います。彼の精神的拘束が解かれて我に返り投降しようとした彼女に対して、無理矢理、差し違えてでも私を沈めろとでも命令をしてきたのではないでしょうか」

悲しそうな表情で山城を見つめる榛名。

 

「姉様は、悪くないんです。姉様は、いつもお優しかった。誰かを傷つけるなんて、できない方なんです。……きっと永末って奴に騙されたのです。そうに違いありません! 何か得体のしれない力を使って、姉様を操ったに違いないんです。そうでなければ、仲間を裏切り、あろうことか仲間を殺そうなんて考えるはずがありません」

 

「確かに、そうかもしれませんね。あの時の扶桑さんは、確かに途中から急に豹変したようにも思えますから。それまでは、罪の意識に耐え切れないようでしたし、すぐにでも投降しみんなに、そして提督に謝罪したいと仰ってましたから。その時は司令官の拘束が外れていたのは間違いないでしょう。けれど、突然……何か抗いがたい力が働いたのかもしれません」

 

絶対命令というものがある。それを発せられた鑑娘は、いかに抵抗しようともその命令に従わざるをえなくなる……。緊急時に司令官より発せられる事があると聞いている。それが、扶桑に対してなされたのだろうか。戦闘の衝撃で永末による精神的拘束が外れて我に返った扶桑は自らの犯した罪の意識にさいなまれ、降伏を決意した。しかし、土壇場で永末の拘束が再発動し、榛名と刺し違えろという命令をされたのだろうか? それとも……

 

「きっとそうなんです。姉様は悪くはない。操られていただけなんだから。すべては永末が悪いのです」

遙か彼方にいる敵を呪い殺しそうな瞳で山城が語る。

「私は……絶対に、絶対に永末を許しません。いかなる手段を使っても見つけ出し、この手で処断してやります」

永末だけでなく、扶桑の死に関わった全てを殺しそうな口ぶりに、関係の無い長波ですら戦慄した。

 

「そ……そうですね」

それ以上、榛名は言葉を続けられなかった。山城に会釈をすると、逃げるように去っていった。

長波は慌てて榛名を追おうとしたが、運悪く山城に捕まってしまった。他の艦娘達もそそくさと消えていく。

そして、しばらくの間、彼女の恨み言を聞かされることになってしまった。



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第211話 恐れ

夜―――。

 

どういうわけか、長波は山城に捕まって延々と愚痴を聞かされ困惑していたが、陸奥が事態に気づいて解放してくれた。ちょうど夜はここを訪れていた野党議員グループとの意見交換会が予定されていて、陸奥と山城も鑑娘を代表して出席しなければならなかったらしい。

 

解放されると、大きなため息をついてしまう。

話が話だけに拒否もしづらく、精神的にも応えた。悪い人じゃないんだけれど、山城は普通に話してもネガティブ要素が多く感じられるから、体力の消耗が激しい。

そうこうしているうち、榛名に相談する機会を逸してしまったわけである。

 

みんなはすでに夕食を終え、宿舎に帰ってしまっている。長波は一人ぽっちで、食堂で食事を取るはめになった。

大湊軽微府の食事は、舞鶴よりも美味しい。財政的な理由もあるのかもしれないけれど、品数も多いし、良質の素材を使っているようだ。だから、舞鶴から来た鑑娘達は、ここでの食事を楽しみにしている。長波もそうだった。けれど、今のこの精神状態では何の味もしない。けれど栄養管理もきちっとされているため、食べない事があったら、すぐに報告されてしまう。残したり、ましては食べなかったりしたら大変だ。無理矢理嚥下して、完食する。

 

「はあ。今日は仕方ないわ。宿舎に帰ろう……」

そんな事を呟きながら食堂を出ると、一人どこかに向かって歩いている山城の後ろ姿を見つけたのだった。

 

今日は野党議員との意見交換が予定されているために、戦艦である陸奥と山城も同席していたはずだ。もう意見交換会は終わったのだろうか? たぶん、最初だけ顔出しして、適当なところで抜けてきたのだろう。秘書鑑の陸奥は最後まで残っているんだろうけれど。けれど向かう方角は宿舎じゃない。ドックにでも行くのだろうかな、はて……? けれど、確か彼女はしばらく出撃は無いはずだから、鑑のチェックとかも無いはずだ。それにドックの方角とも違うし。

……一体どこに行くのだろう。そう思い、何となく後を付ける。

 

彼女はまるで周囲に気をつけるでもなく、少し早足で進んでいく。

 

彼女が向かった先は、大湊警備府の敷地の外れにある、平屋の宿舎がいくつか並んだエリアだった。

海が見えて昼間は景色がいいのだろう。確か、幹部職員用に造られた宿舎がこの辺にあると聞いていた。恐らくそれなんだろう。とはいえ、鎮守府施設からずいぶんと離れているし不便なため、入居者はいなくなって久しいとか。取り壊しが予定されていると言っていたな。ライフラインは停止されているのか、外灯すら点灯していない。人間であれば月明かりだけが頼りなのだろうけど、鑑娘にとっては暗闇は暗闇ではない。

 

そして、山城は迷うことなく、一つの建物へと進んでいった。一戸だけ明かりが漏れているから、迷う事なんてないのだろうけど。わざと灯りとともして場所を示しているのかな。初めから鍵が掛かっていないのか、あっさりと出入り口の扉が開き、中へと入っていく。

長波も周囲を警戒しつつあたりを見渡す。平屋宿舎であるため、山城の後をついて行くわけにもいかない。体をかがめて壁際を警戒しながら移動する。灯りのともった窓の近くまで近づくと声が聞こえてきた。しゃがんでいるとはいえ、部屋から漏れるあかりで誰かに見つかるかもしれないな……そんなことを考えるが、見つかったら見つかった時だ。……と開き直った。別に悪いことをしているんじゃないしと自分を説得する。

 

しかし、こんなところで山城は誰と会うのだろうか。まるで人目を避けているようにしかみえないけれど。わざわざこんな場所で話す事があるのだろうか? 全く想像もできない。

建物からはドアの開け閉めや歩く音が聞こえてくる。窓から覗けば誰がいるかわかるんだろうけど、向こうにも見つかってしまうだろう。誰と何を話すつもりかは知らないけれど、様子を見た方がいいと判断する。

 

今日は、波音さえ聞こえないほど静かな夜だ。かすかな音さえ聞き漏らしそうもないくらいに―――。そして、声が聞こえてくる。

 

「一体、こんな時間にこんな場所に呼び出すなんて、どういうことなのですか」

少し警戒したような声で山城が問いかける。

 

「そんなに警戒しないでください。まずは、座ってくつろいで下さい。わざわざ掃除させて整えた部屋なんですから。お茶でも出しましょうか? ……私、金剛姉様に教えてもらって、お茶の入れ方は知ってるんですよ」

え? と一瞬驚いてしまった。声の主は、普段とは違った感じだけれど、榛名であることは間違いない。

何で彼女が山城を呼び出したのだろう。意味がわからない。姉のことについて、しつこいくらいにつきまとわれていたというのに。全て話した、これ以上話すことはもう無いと言い切っていたはずだけれど。

 

少し間があり、カチャカチャという陶器がこすれるような音が聞こえる。榛名がお茶でも出しているのだろうか。

 

「ありがとうございます」

と山城。

「榛名さん、私を呼び出した要件を教えて下さい。姉様の事はもう何も言うことは無いと言ってましたよね。じゃあ一体、私に何を話すことがあるのですか」

そうは言いつつも、こんな場所に呼び出したのだから、何かもっと大事な事を教えてくれるのではないかとの期待感を持ったような声だ。確かに、そうでなければ、夜中にこんな場所に用件も告げられずに呼び出されて、ほいほいと出てくるわけがない。

 

「山城さん、……私はあなたに隠していた事があるのです。言い出したくても言い出せなかった。みんなの前では言えなかったんです」

思い詰めたような声が聞こえてくる。

「……私は、あなたに嘘をついていました。もうこれ以上嘘をつき続けることに耐えられません。だから、あなたにだけは真実をお伝えしたかったのです」

 

「そ、それは、一体何のことなんですか? ……まさか、まさか姉様の事なんですか? 私をこんなところに呼び出すくらいだから、そうなんですね! 」

感情を押さえようとしても押さえきれないのだろう。山城の声が大きくなる。

 

「山城さん、私はあなたのお姉様である扶桑さんが急に態度を豹変させ襲いかかってきたからやむを得ず反撃した……そうお伝えしましたよね」

 

「ええ、聞きました。けれども、優しい姉様が仲間である感娘にそんなことをするはずがないと、私は今でも信じているのです」

その評価は正しい……否、正しかったというべきだ。長波は冷静に思考する。

 

舞鶴での付き合いから、確かに扶桑が鑑娘を攻撃なんてすることは、想像さえできなかった。けれど、それは彼女の一面しか見ていなかっただけだったのだ。彼女は舞鶴鎮守府の仲間を裏切り、永末という男の元へと走ったのだ。しかも、何人もの仲間を引き連れて。そして、彼女は永末に命じられるまま長波たちに戦いを挑み、多くの仲間を傷つけた。そして……それどころか、仲間であるはずの不知火を自らの手で殺めたのだ。

 

優しい……?。なんと盲目的すぎる思考だ。あれだけのことをして、……何が優しいだ。ふざけるな! 事実をねじ曲げるにも程がある。長波は口に出しそうになる。

 

「あれは、嘘です。……ごめんなさい」

あっさりと榛名は告げた。

 

「は? な、なんですって! 」

驚いた声を上げる山城。

「い、一体、どういうことなんですか、どういうことなんですか」

 

「扶桑さんが私を攻撃してきたというのは、嘘だったんです。攻撃したのは、本当は私なのです。そして……私が、扶桑さんを殺したのです」

辛そうな声が聞こえてくる。

 

「な……なんでそんなことになるんですか? 何で? どうして、あなたが姉様を殺すんですか! 何のために? ……事と次第によっては」

必死になって感情を抑えようとしている山城。見えなくても手に取るように状況がわかってしまう。長波だって動揺を抑えられない。告白に言葉を失っている。

 

「私が扶桑さんを殺した理由ですか。……それは、提督のご命令だったからです」

 

「な! 」

慌てて口を覆う長波。同時に悲鳴のような声がした。それは山城の声だったのだろうか。おかげで長波の存在を知られずにすんだけれど。

 

「何ですって! 冷泉提督が、あなたに姉様を殺すように命令したっていうの。何で、そんなことになるの」

 

「ごめんなさいごめんなさい。私、私……どうしようもなかったんです」

謝罪する榛名の声は、涙声になっている。必死に謝罪しているのだろうか。

 

「命令だから……なの。だったら、教えて。姉様は、どうして殺されなければならなかったんの? みんなを裏切ったのは事実よ。けれど、罪を償おうと投降してきたのよ。姉さまは無抵抗だったのに、どうして冷泉提督は、そんな命令をしなければならないの? 冷泉提督は、どうして、そんな命令をしたっていうの」

その声は大きく感情的になり、普段のおっとりとした山城とは思えない。

 

「それは……」

榛名は言いよどんでしまう。

 

「はっきりして! だから、こんなところに呼んだんでしょう? 全てを話して下さい。いえ、話なさいよ。どんな事であろうとも受け入れるから。私は、本当の事を聞きたいの。あの時何があったのか、どうして、あんな事になったのかを教えてほしいの」

きっぱりとした声で山城が断言する。

 

「わ、わかりました。何もかも話すつもりで山城さんを呼んだのに、私が尻込みしていちゃだめですよね」

大きく深呼吸をする気配がこちらにも伝わってきた。

「……提督は、扶桑さんからの投降の連絡があった時、すぐに私をお呼びになりました。そして、こう言われました。「あの裏切り者が今更、投降を申し出てきた。お前ならどうするべきだと思うか」と。私は、これ以上の戦いを終わらせたかったですし、扶桑さんが戻ってきたのなら、他の鑑娘の居場所もわかるはず。彼女たちを救い出すチャンスだと思いました。それだけではありません。敵の兵力や本拠地の情報だって手に入ります。ですから、すぐにでも助けに行きましょう。追っ手が彼女を襲うかもしれません。今すぐにでも艦隊編制を行い、彼女を救出に向かうべきです と。提督も同じ考えだと思いましたから」

確かにそうだ。裏切り者の扶桑が投降を申し出たということは、罪の意識に耐えきれなくなったというのもあるだろうけど、恐らくは作戦の失敗により向こうの勢力の中で何かあり、扶桑の居場所が無くなった事も要因の一つだったはずだ。舞鶴を裏切り、次は永末勢力を裏切る。まるでコウモリのようではあるけれど、彼女を拿捕することで敵の勢力の全容がわかることになる。そして、敵の拠点の情報も得られる。経緯はともかく、それだけでも十分な意味がある。敵も当然それを阻止するために、兵力を差し向けるはずだ。扶桑達と戦闘に参加した鑑娘達は損傷が激しいから、作戦には迎えないだろう。ならば、他の鑑娘を差し向けるしかない。もたもたしている時間は少ないと考えても間違いではない。

 

「けれど、提督はこうおっしゃいました。「あの女は、あろうことか俺を裏切った。あんなにいろいろと面倒みてやったっていうのに、この俺の優しさを踏みにじった。そんな奴を許すことはできない、絶対に」……と。私は必死に提督を説得しようとしました。裏切りは重大な罪である事は当然ですが、今は感情に流されず、彼女の持つ情報を得ることを優先させたほうがいいと。敵の情報を得ることがどれほど舞鶴にとって有益であるかを訴えました。けれど、まるで彼は聞く耳を持ちませんでした」

 

「どうしてそんなに頑ななの? 冷泉提督と言えば、類まれな有能な指揮官と姉さまからも聞いていたのに」

 

「提督は、もし扶桑を捕らえたら、取調は俺たちではなく憲兵が行うことになるだろう。そうなったら、確かに永末達の情報は入るかもしれないけれど、他の聞かれたくもない情報も漏れるからな……と仰いました。意味がわからなかったので、思わず問い返してしまった私を……彼は力任せに殴りました。馬乗りになって何度も何度も」

その時の事を思い出したのか、声が上ずっている。

長波だってショックだ。事実であるならば、あの提督が暴力をふるうことなんて想像もできなかったからだ。そして、榛名の話しぶりからすると、日常的に暴力を振るう対象の艦娘がいたことにも驚く。

 

「大丈夫? 榛名さん」

どうやら山城に介抱されているようだ。時々咳や嗚咽が聞こえる。

 

「ご、ごめんなさい、動揺してしまって」

 

「大丈夫よ。落ち着いて話してくれればいいから」

さっきまで感情的だった山城も、取り乱した榛名を見たせいか、落ち着きを取り戻している。

「どうして、冷泉提督は姉様を殺そうとしたの」

 

「提督は私を見下ろしながら、笑っていました。そして、私を見下ろしながら仰いました。扶桑を捕らえるのは、俺だって反対じゃない。あいつを尋問すれば、ここから抜け出した奴や裏切り者の詳細がわかるからな。そして、奴らの本拠地、もしかしたら目的だってわかるかもしれない。それはプラスだ。けれどなあ、扶桑は捕らえられたら命が無いことくらいわかっていて、投降してきているんだぞ。ってことは、全てを話すつもりなんだろうな。余計なこともまで喋るかもしれない。自分の罪を少しでも軽くするために、ペラペラと余計なことを話しやがるはずだ。それは困るじゃないか」と」

 

「は? 意味がわかりません」

 

「でしょうね。私も提督に問わずにはいられませんでした。けれど、彼はあっさりと答えてくれました。確保した鑑娘の取調は、舞鶴鎮守府ではなく、恐らくは憲兵部が行うと予想されました。そうなると、提督が舞鶴鎮守府で隠れて行っていた数々の事を話す危険があったのです。命を投げ出す程の覚悟で投降した扶桑さんです。ありとあらゆることを話すでしょう。全ての膿を出し切る覚悟での投降だと提督は考えていたようです。扶桑さんに裏切られたことへの怒りもあるでしょうけれど、秘密を暴露されることを恐れているようでした」

 

「喋られては困る事って、一体なんなの? 」

 

「私は全てを知るわけではないので、詳しくはわかりません。けれども、少なくとも物資の横流しや横領で私腹を肥やしているといったことは私でも知っています。それ以外にも影では様々な良からぬ団体との繋がりを持っていたようです。提督が、そのネットワークを使い、何かを企てていた事は間違いないでしょう」

 

「司令官という立場を利用して、影で悪事を働いていたっていうことですか。……あなたはそれを見過ごしていたというのですか? 他の鑑娘達は気付けなかったんですか」

 

「他の鑑娘達の前では、そういった邪な部分は一切見せませんでした。ごく一部の、私のような自らの支配下に置くことにできた鑑娘に対してだけ、彼本当の姿を隠す必要が無かったのでしょう。絶対に逆らえない状況にまで追いやった鑑娘に対しては、口が軽くなっていたのかもしれません。……扶桑さんも長らく秘書鑑を努めていたようですから、提督とそんな関係だったのかもしれません。ですから、まさか裏切られるなんて思ってもみなかったのでしょう。提督は扶桑さんに暴露されることを明らかに恐れていましたから、いろいろな秘密を話していたのでしょう」

 

「それはどういうことですか! 姉様が冷泉提督に何かをされたとでもいうのですか。それに、どうしてあなたがそんなことを知っているの」

唐突に感情を荒立てる山城。姉の事になると制御が聞かなくなるようだ。恐らくは、されたことということで想像が思い至ったのだろう。提督は男で艦娘は女だ。どういうことをされたか……考えるまでも無い。

 

「扶桑さんが提督とどういう関係性だったかは知りません。判るのは私の事だけですから……自分のされたことを置き換えて想像するしかできません。……私は決して提督に逆らうことができないようにされてしまいました。私は、秘密を絶対に漏らさない。いえ、漏らせないことを知っている。だから、何でも隠さずに話してくれたのでしょう。扶桑さんが何も知らないのであれば、提督があれほど慌てることはありえません。提督は、明確に指示されました。扶桑さんを迎えに行き、その場でお前が確実に殺せ……これは命令だ。できなかければ、どうなるかわかるなとまで脅されました」

 

「それをそのまま聞いたというのですか? 仲間を殺せと言われて、それがたとえ提督の命令であろうと、そんな命令を聞くのですか、あなたは」

 

「私には、冷泉提督に逆らうなんて事、できないんです」

それは無理矢理に彼のものにされたことが原因なのか? 長波は想像する。同じ事を考えたのか、山城もその疑問を口にした。

 

「私は、提督に無理やり穢されました。そして、そのことを脅されていました。けれど、そんな程度の事で仲間を殺すなんてできるはずがありません」

そこだけはきっぱりと否定する榛名。

「自分だけなら、耐えられます。けれど……」

嗚咽交じりに訴える。

 

 

 



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第212話 告白

「私は、本当は舞鶴なんて来たくなかったんです。……ずっと呉にいたかったんです。信頼できて尊敬できる……大好きな提督のお側にいたかった。けれど、私の願いは叶えられませんでした」

 寂しそうな声色で榛名が呟く。

「異動を告げられたとき、ショックでしたがこれも鑑娘として仕方のないこと……だと自分に言い聞かせて、舞鶴へ着任しました。けれど私は、冷泉提督がどんな人かまるで理解できていなかったんです。司令官となるような人は、みんな提督と同じような立派な人ばかりだと思っていたんです。けれど、その認識は甘かったんです。冷泉提督は、そんな立派な人ではありませんでした。どちらかというと、欲望に忠実な人でした。彼は、ずっと私に目を付けていたそうです。……鑑娘としてではなく女として。何度も何度も呉鎮守府に対して、自分の所へ私を寄越すよう交渉を持ちかけてきていたことを提督に言われて初めて知りました。対潜戦闘しかない呉鎮守府では、いかに高性能な戦艦だろうと足手まといでしかない。そんな役立たずの榛名を引き取りますよ、と大本営経由で上申していたそうです。交渉ではなく、不要となった鑑娘を引き取ってあげるか……まるで恩を着せるかのようなな言いぶりで。そのことを提督は、とてもお怒りになってました」

 大きなため息が漏れる。

 

「そう……そんなことがあったの。けれど、提督は貴方を守ろうとしてくれたのでしょう? 」

 

「はい、もちろんです。けれど私の立場は、とても微妙だったのです。そして、そのことは、自分でも認識していました。山城さんもご存じのように現在の鎮守府艦隊においては、戦艦は飽和状態となっています。時代が変わったのかもしれませんが、全体として見れば深海棲鑑が攻め立ててくることが、明らかに少なくなってきています。日本国側だって資材等の確保が必要なため、大規模な領域解放作戦をとれるような鎮守府は少なかった。よって、小競り合い的なものしか起こらなくなっていました。そんな状況下では、消費資材の多い戦艦は不要であり、巡洋艦主体の戦闘が増えるようになりました。空母さえも、領域内での戦闘なら重要ですけれど、領域深くまでの侵攻作戦の数も減っていたため、活躍の場は減りました。空母は、通常海域ではただのミサイル母艦としてしか利用できない事も大きな原因でしょう」

 

「確かにそうですね。私たち戦艦の活躍の場は、大幅に減少していることは間違いありません。今、戦艦を欲しがる鎮守府は少ないでしょう。一番積極的に戦艦を集めていた横須賀鎮守府は、大和と武蔵を同時採用して、華々しい式典をやっていましたね。あれほどの戦艦を手に入れたのですから……ここまで強化したら、さすがの横須賀でもこれ以上の戦艦獲得はしばらくは考えていないでしょう。佐世保だって、これ以上の軍拡を考えているようには聞いていません。大湊は、他の鎮守府と比べて規模が小さいので、予算も資財も少ないから、新たに戦艦をということは提督も積極的に考えておられません。唯一、舞鶴鎮守府だけが総鑑娘数が他と比べて少なかったから、冷泉提督が積極的に活動していたのでしょうね。そして、榛名さんを欲しがったのね……」

 汚いものでも見たように山城が言う。

 

「呉においては、もっと深刻でした。戦艦の活躍がもっとも期待できない鎮守府であることから、提督はいろいろとご尽力してくださいました。私を少しでもいいところに行けるように探してくれていましたけれど、現在の鎮守府を取り巻く環境から、引き取り手は見つからなかったのです。提督も舞鶴にだけは、私を行かせたくなかったようです。冷泉提督の悪い噂を、いろいろと聞いてたいようです。酷い目にあうのがわかっていて、娘のように大切なお前を行かせるなんてできるものかと提督は仰ってくださいました。けれど……もしも引き取り手がなくこのままだと、私は廃艦されてしまう運命だったのです」

 榛名の諦めたような物言いに長波はふと思う。勘ぐりすぎかもしれないけれど、もしかするとウラで冷泉提督が動いていて、いろいろと邪魔をしていたのかもしれない。 ……榛名を手に入れられるような環境を作るために。

 

 榛名が語る冷泉という人物は、長波の知る冷泉提督とはどうしても一致しなかった。それは、自分に対しては本性を隠していたということなのだろう。それを見破れない自分の愚かさにもあきれるが。

 

 冷泉という男は、その政治力を利用し次々とほしい鑑娘を手に入れようとする男だったようだ。敵が多いように見えるけれど、同じように味方も多かったらしい。それは軍内部の権力争いも影響していたようだ。彼はその勢力争いをうまく利用して、力をつけていたようだ。その謎の経歴から、鑑娘勢力との繋がりを噂されていたくらいだから、その噂もうまく利用したのだろう。

 

「絶対に呉から離れたくなかった。けれどそれは、私のわがままでしかありません。秘書鑑をやっていましたから、私にだって呉鎮守府の財政事情は厳しいのはよく知っていました。現れる深海棲鑑は、呉の主戦場である瀬戸内海では潜水艦型が主であり、しかも神出鬼没、対応する鑑娘の数があまりにも足りなかったのです。けれど、鎮守府の鑑娘の枠数は決められています。そして、それを増やすのはとてつもなく困難なことも。軍部だけでなく鑑娘側を納得させなければならないのですから。……労力だけは多くとも、実入りは殆どありません。しかも、呉は領域解放任務は殆どなく、瀬戸内海を守るというだけと思われているため、与えられる予算も他の鎮守府と比べると、あまりに少ないのです。そんな事情もあり、戦闘に活躍の場が無い戦艦を手放せば、駆逐艦娘を数人を新たに導入できるのです。そのチャンスを逃すわけにはいかないのは、誰が考えても明らかです」

 

 存在するだけで戦艦は、資材を多量に消耗する。それを補うためには、資材を稼ぐか、無理ならば持っている資産を切り崩さなければならないし、最悪は鑑娘を放出しなければならない事態も想定される。そういった鎮守府事情もあったからこそ、……榛名が拒否できないことを知っての冷泉提督の揺さぶりだったのかもしれない。普段の行動を見ていたけれど、とても想像できない自分の上司の行動に、長波は混乱してしまう。

 

 あまりよく考えずに突っ走り、そして失敗する。けれどそこには鑑娘を思っての行動という芯があったからこそ、多くの鑑娘は冷泉提督についていっていたのだ。けれど、彼のその暗黒部分を知るうちに、やはり人は欲望にまみれて生きているのだと再認識してしまう。スケベではあったけれど、一線を決して越えない……そんな人だと思っていたけれど、結局はみんな同じか。己が欲望を最優先にして、鑑娘を食い物にする。これまで見てきた提督と何の変化も無い。その本性が現れただけ。何も驚きではない。

 

「はっきり言えば身売りに近い状態でした。提督は何度も何度も頭を下げて謝罪してくれた。大好きな人がこんなに苦しそうな顔をするのは見たくなかった。だから、私は必死に笑顔を見せました。この人のためなら、何だってできると。だから耐えられると……。けれど、けれど、とても辛かったです」

榛名は時折涙声になり言葉を詰まらせたりしながらも、必死に語り続ける。自分が舞鶴鎮守府に来てから、その身に起きた事を包み隠さず―――。

 

 それは長波にとって聞くだけでおぞましく、吐き気がする話だった。

 

 舞鶴鎮守府にとって榛名は必要だったかというと、それは確かに必要だった。艦隊の火力不足は深刻であり、その時の舞鶴保有戦力は鎮守府の規模に比してあまりに貧弱だった。ゆえに、新たな鑑を導入するのは何の間違いも無かった。それについては、冷泉提督は嘘を言っていなかったのだ。

 ……けれど彼の狙いは戦力としての榛名ではなく、女としての榛名だったのだ。ただの肉欲のために引き抜かれたのだった。

 

 榛名はその運命を受け入れて舞鶴に来たのだ。

 舞鶴に売りに出されたのだから、どんな事があろうともそれは仕方ない、と覚悟を決めていたはずだった。辛いけれど、自分が犠牲になれば、提督は救われるんだ。呉鎮守府が救われるのだ。そう思えば、涙をこらえることができた。そして着任早々に呼び出されて押し倒され、力尽くでモノにされた。降りかかる災難も提督のためだと思えば耐えられると思ったけれど、蹂躙されている最中に提督の笑顔が浮かび、涙を止めることができなかった。

 とても耐えられるものじゃなかった。ただの屈辱でしかなかった。心の底から死にたいと思った。

 

 金剛姉様がいるのに、何で私なんかを引き込むのですか。何で私にこんなことをするんですか? 助けて下さい。これ以上の事はしないで……許して下さい。呉に返して下さいと何度も何度も懇願する榛名を、冷泉はおもしろそうに見て、そして笑った。そして、彼は語った。

「金剛は金剛だし、あいつはあいつでいい女だけどなあ。けれど同じ金剛型四姉妹なら、妹のお前のほうに俺は興味があったんだよ。ずっと前からお前をこっちに連れてきたかった。前にお前を見た時に思ったんだよなあ。呉の秘書鑑として働いているお前の幸せそうな顔をみて、なんか尾てい骨あたりが妙に疼いたんだ。キーン! ブルブルっと震えが来たね。そんなお前を無理矢理呉から奪い去り、力尽くでも俺のもにしたくなったんだよなあ。そして、願いは叶えられたわけだよ」

 そして、彼は勝ち誇ったように笑った。

「安心しろ、榛名。俺は欲しいものはどんな手を使っても手に入れる。そして、飽きたら捨てる。これが俺のポリシーだ。お前がここに来たのは必然。あらがえない運命だったんだよ。だから、安心しろ。お前に飽きたら、呉に返してやるよ。それまでは、お前はずっと俺のためだけに働け。俺のためにだけ尽くせ。昼も夜も、身も心もな。ずっと可愛がってやるからな。けどなあ、このことは絶対に秘密だ。余計な事を少しでもしゃべろうとしたら、呉のあのじじいがまともな老後を過ごせなくなるてことを忘れんなよ。ま……お前は利口な子だ。これから先、お前がどうすればいいのか、もうわかっただろう? 」

 

 全ては、逃れられぬ運命。もはや受け入れるしかない事を悟った榛名は、懇願するしかなかった。

「だったら、お願いです。せめて金剛姉様の事は、堪忍してあげてください。私のことは、もう諦めます。好きなようにしてください。ですから、せめて姉様だけでには、姉様だけには酷いことをしないでください。酷いことは私だけで勘弁して下さい」

泣きながら懇願した。

「はあ? お前、何様だよ。偉そうに俺に指図するなよ。金剛をどう扱おうと、俺の勝手だろ。なんせ、アイツもおれの女なんだからな。俺のモノを俺が好きにして何が悪いんだよ、ぼけなすが” お前と同じように可愛がるに決まってるだろ? お前と二人まとめていろいろしてやるからな……期待してろよ」

 

 絶望……。話を聞いてそれしかなかった。彼女の未来には暗雲しか無かったのだろうか。長波は、吐き気をこらえるのに必死だった。

 

「……そんな辛い思いをしていたのね」

 慰める言葉が見つからないのか、山城の声は小さい。何かをこらえるようにしているのがわかる。

 

「けれど、酷いことばかりではなかったんですよ。提督は、普段はとても優しい方でしたから、辛い時も多かったけど、なんとかなっていました。時々びっくりするくらい怖い部分を見せることがありましたけれど……それでも普段は優しい方でした。鎮守府の鑑娘達は、優しい提督だと思っているはずです」

 取り繕うように榛名は弁護する。

 

「……榛名さん、あなたの辛い身の上はよくわかりました。けれど、そのことを話すのが、私を呼び出した理由ではありませんよね」

冷静さを取り戻したのか、山城が話がそれていく榛名に注意を促した。

 

「私が一番驚いた事は、冷泉提督がとても冷めやすい性格だと知ったことです。普段は鑑娘をとても大事にしてくれる人ですが、興味が無くなると途端に突き放したような態度をとるのです。そして、それは唐突に訪れるようでした。それが扶桑さんや不知火さんに対して現れた時は、驚かざるをえませんでした」

指摘が聞こえていないように、榛名は話を続ける。

 

「ちょっ……」

 何かいいかけた山城であったが、大人しく聞くことにしたようで、言葉は発せられなかった。

 

「冷泉提督は、不知火さんの死を本当に悲しんでいました。それは、とてもとても深く傷ついているようでした。けれど彼女が薬漬けにされていたことを知った途端、まるで汚いモノでも見るような冷たい態度に豹変してしまったのです。扶桑さんに対する思いも同様です。永末という裏切り者と結託して、自ら彼のモノになっていたということで、積極的に助けるという気力を無くしていました。他の鑑娘達の手前、無理した態度をとっていただけです。扶桑さんが投降すると聞いた時、彼は忌々しげに舌打ちをしていました。冷泉提督が寝物語で断片的に話てくれたことですが、彼女が秘書鑑であった頃、扶桑さんに命じて、物資の横流しや人事関係、契約関係などでいろいろな法令違反をさせていたようです。敵に寝返ったのは痛かったけれど、全部をあの女に押しつけて死んでもらいたかったんだがなあ、と冗談っぽく言っていました。それが現実となり、他人の女になったような鑑娘なんて興味ないし、秘密を知ってる奴がそれを交渉条件になんかを要求してきそうだと恐れていました。そこで、私に命じて彼女を迎えに行かせ、扶桑さんを襲わせたのです。他の鑑娘であれば、扶桑さんに対して情が沸いて、そんなことをできないし、……神通さんとか叢雲さんなら従いそうですが、それでも誰かに相談する危険性もありました。完全支配下にできている私が適任だったわけです。私は彼に逆らうことなんてできませんし、扶桑さんとはほとんど接点も無かったので躊躇することはないだろうと。どうせ日本国を裏切った敵だ。スパイとして再度送り込まれたのかもしれない。殺すのはやむを得ない、と提督は言っていました。本当はもっとひどいことを言っていましたが、それ以上はいえません」

 

「ひどい……」

 山城はその言葉しか出せなかった。

 

「山城さん、ごめんなさい。でも、これが真実です。今まで嘘をついていて、ごめんなさい。けれど、私は言えなかったの。本当は嘘をつき続けるのが辛くて辛くて、苦しかった。話して楽になりたかった。でも、冷泉提督には、逆らえなかったんです」

涙声で訴える榛名に対して、山城は何も言えないようだ。

本当は殺してやりたいほどの感情があふれているんだろう。姉を殺した犯人がすぐ前にいるのだ。……けれど、榛名は道具にすぎないということも理解しているのだ。鑑娘は司令官に命じられれば、それに従うしかないのだから。その上、彼女は精神的に追い込まれていたようだし……。

 

「でも、どうして、本当の事を言ってくれたの? 」

と、山城の問いかける。

 

「悲しむあなたを見て、罪の意識に耐えきれなくなったのです。もし冷泉提督に知られたら、私は彼の興味を失うでしょうし怒り狂うでしょう。そうなったらどんな目に遭うかはわかりません。けれど、扶桑さんを殺してしまい、山城さんを悲しませている事実に耐えられません。たとえ鎮守府を放逐されても、それはそれで構いません。私の裏切りは、呉鎮守府にも影響があるかもしれません。けれど、提督は許して下さる。よく我慢したねとほめて下さるはずです。私には大切な人がいるのです。冷泉提督に対する思いを持たないままでいられた私は、こんな目にあっても、それでもまだ幸せです。金剛姉様や叢雲さんのように、彼を未だに信じ続けている子達よりは幸せでいられる」

 

「それはどういうこと? 」

 唐突な話の流れに、山城も問いかけてしまう。長波は思わず身を乗り出しそうになる。

 

「私が舞鶴に来たことで、提督は金剛姉様と叢雲さんをどこかに異動させることを決めていました。女としての魅力も無くなったし、ちょうどいいやっかい払いする頃合いになると言っていました。彼女たちを追い出せば、新しい子を迎えられるからなとも言っていました。冷泉提督に危機が迫っていない時でも、彼はそんな事を冷泉提督は考えていました。そして、彼は現在追い込まれている状況です。その打破するために、彼女達を駒として活用し、危機を打破することを考えないといけないなと言っていました。それがどんなことなのかは、さすがに教えてくれませんでしたが……。提督も捕らえられてしまって、行動を実行できたかはわかりません。けれど、何かを命令していたのは間違いありません。第2帝都東京と横須賀鎮守府で何かが起きるのかもしれません」

 その言葉に長波は思い出す。確かに金剛と叢雲は一時期、冷泉提督と深刻そうな話をしていた。あれがその影響なんだろうか。あの後、ばたばたっと二人の異動が決まって旅立っていった。お別れの挨拶もまともにできないままに。

 

「可哀想な二人……。彼女たちは、提督の気持ちが自分から離れていっていることを認識していたはずです。新しくやって来た加賀さんや長門さんへと提督の気持ちが心変わりしていることを肌で感じ取っていたでしょう。金剛姉様については、その上、私が舞鶴に来たことがより状況を悪化させたようです。どんな事を命じられたかはわかりません。けれど困難な事を言われたのは間違いないはずです。けれど、提督の指令を実行し成功すれば、必ずまた自分たちを見てくれる。彼女たちは、そう信じてたんでしょう。すがるような想いで……。心のどこかでは無理だと思っていたかもしれませんけれど、それにすがるしかなかったのです、……彼女たちは。提督の愛を取り戻せることを。そして冷泉提督は、それすら利用したのです。これは私の推測ではありません。実際、提督ご自身が仰っていたことなのです」

 

「なんという外道」

と、思わず山城が叫ぶ。

「鑑娘を道具のように使い捨てるなんて……酷すぎる」

 

「けれど、冷泉提督は、今でも多くの鑑娘の心をもてあそんで操っています。私に対しては欲望のままに拙速すぎただけで、本当はもっとじっくりと時間をかけるんでしょう。加賀さんや長門さんに対するみたいに」

 吐き捨てるような冷たい口調で榛名が話す。

「冷泉提督がもしも戻ってきて、真実を知れば、もう私はここにはいられません。それまでの間は、大湊の鑑娘として一生懸命がんばります。今更許されるとは思いませんが、扶桑さんへの罪滅ぼしにはならないかもしれません。けれど、私はがんばります。許してもらいたいとは思いません。けれど、私は望んで行ったわけじゃないことだけは覚えて置いて下さい」

 

「正直、すぐに気持ちを整理する自信はないです。あまりに衝撃的すぎて。けれど……本当の事を話してくれてありがとう、榛名さん。本当に辛かったわね。自分だけを責めないでください。仕方なかったのよ、あなたは。どうしようもない状況まで追い込まれていたんですもの。あなたは悪くないわ。けれど……冷泉提督だけは、絶対に許せないわ」

 山城のうめく様な声が聞こえてきた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

と、榛名の泣きじゃくる声も聞こえて来る。そして、扶桑までもが泣き出したようだ。

 

 長波はずっとしゃがみこんで隠れていたが、一人、込み上げてきた怒りに身を震わせていた。叫ぶのを押さえるのに必死だった。

 

 ずっと引っかかっていたものの正体が明かされた気分だった。自分の上司、信頼できる司令官であるはずなのに、……どおりで信頼しきれなかったわけだ。本能的に警戒すべき奴……とこれまでの自分の経験と勘がそうさせていたのだ。

そして榛名の告白は、長波の司令官である冷泉という男のウラ側をまざまざと見せつけていた。疑ってはいたけれど、やはりショックだった。自分にとって、一番信頼できるはずの男がそんな奴だったとは。明らかな裏切りだ。いや、そんなことはどうだっていい。もっとも許せないのは、叢雲を駒のように使い捨てたことだ。彼女の気持ちを知りながら、それを弄び、自分の都合のいいように使ったのだ。しかも、叢雲の生き死にについてなんら頓着していないことに許し難い怒りがこみ上げていた。

 

 草加の言っていたことが正しかったと知ってしまい、絶叫したくなった。突きつけられた事実から目を背けたいけれど、できるはずがない。

 

 叢雲は、無駄死にだったんだ。無駄に死んだんだ。

 あれほどあの男のことを想い続け、最後の最後まで必死になって生き延びようとし、彼の役に立とうとしていた叢雲を見捨てたのだ。……あの男は!! 冷泉は。

 

「絶対に……許さない。許さない」

 呻くように呟く長波の口の中に、生暖かい鉄の味が広がるのを感じた。

 

 しかし、そんなことなどどうでもよかった。

 

 怒りでおかしくなってしまいそうだ。

 悲しさで気が狂いそうだ。こんなこと、二度目に生まれてから、初めてだった。

 



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第213話 秘書艦榛名への想い

秋月栄太郎は、その日行われていた会談を遠くから監視していた。

これは艦娘榛名よりの命令だった。

 

転生者である秋月は、舞鶴鎮守府における艦娘扶桑を主犯とした艦娘脱走および武装兵力による鎮守府攻撃の際、榛名より暴行を受けて強制的に従わされる犬にまで落ちぶれていた。あれ以降、ほとんど毎日のように雑用を命じられるようになっていた。しかも、それは榛名との関係を悟られぬように極秘裏にである。最初は逆らったら何をされるか分からぬ恐怖からであったが、二人だけの共通の秘密を持っているということで、まるで榛名が自分の彼女のような気分になり、いつしか彼女からの命令を心待ちにするようになっていたのだった。

 

榛名から言われた事は、部外者を近づけないように……ということだった。ただ、秋月は彼女にも内緒で榛名と山城の会話を録音をしていた。何かあったとき榛名に有利に使えるようにである。

 

そして新たな任務となった長波の動向をモニタリングもしていた。

想定内の事態であり、まるで焦ることは無かった。あらかじめ準備していた望遠鏡に集音マイクを駆使することにより、榛名たちの会話を盗み聞きしている彼女の監視も完璧だ。決して彼女に悟られぬよう監視していた。

 

そして、長波は呻くようにつぶやいた。

「れ、冷泉朝陽……お前を許さない。叢雲を使い捨てにした報い、必ず受けさせてやるからな。この命に代えてでも」

その決定的な場面を逃すことはなかった。

 

前後の会話だけで、どうして彼女が冷泉提督に対して猛烈な殺意を抱いたのかは想像もできなかった。秋月の知りえない場所で起こった様々な出来事が彼女の心を大きく揺さぶったのだろう。

一体何がそうさせるのか……。興味はあるが、それは後回しでいいだろうと秋月は考える。たとえ知ったところで、自分にとってのメリットはほとんど無かろう。

 

暗闇に身を潜めたまま、山城と長波が去って行くのを待った。艦娘の検知能力は人間の比ではない。榛名よりある程度は教えられているが、艦娘ごとにその力は違うであろうことから、警戒しすぎるということは無いのだ。監視していたことがばれたら、厄介なことになるからな。

 

そして、秋月は榛名のところへとやって来た。

建物内に入ると榛名を捜す。そして、一人部屋に立ち窓の向こうを見つめる少女を発見する。焦点の合っていない遠い目をして、何がうれしいのか声もたてずに笑う榛名の姿を見てしまう。狂気を宿したその笑みに戦慄せざるをえないのだ。

 

その姿は、とても美しい。けれども、ある意味怖くもあり、そして、また悲しさを誘うのだ。艦娘榛名は、艦娘の中でも特に綺麗なだけに、彼女の普段の姿とは明らかに異なる……その尋常じゃない状況を見ることは怖い。美しい芸術品でありながら、壊れた人形のように見えてしまうその姿に。

 

秋月の気配に気づいた榛名が彼を見る。秋月は自分の心の中のそんな感情を押し殺し、観察した事の詳細を伝えた。

 

「……うふふふ、そうですか。そんな事になりましたか」

彼からの報告を受けた榛名は、嬉しそうに声を上げた。

「とても、おもしろいですね」

と、さらに機嫌良く喋る。

 

「は、はあ」

それ以外の言葉が見つからない。

 

「少なくとも、あの二人には、虚偽の情報による冷泉提督への悪意を植え付けることができたようですね。これは想像以上に成功といっていいですねえ。山城は、私の話を完全に信じ切ってましたし。姉を殺された恨みなど、どこかへ消えてしまったようですね。それどころか、私に対して哀れみさえ感じてくれたみたいですし。彼女は今後、私の為にいろいろと役に立ってくれると思うわ。ふふふ……大成功だわ。しっかりと舵取りができたら、鎮守府を再起不能にすることだって……できるかもしれないです! それから望外なのは、長波が食いついた事だわ。あの子と叢雲がとても仲が良かったのを知っていたから、彼女の心にほんの少しの悪意を植え付けることができたみたいね。……あなたから長波が潜んでいる報告を受けてとっさに判断し、意図的に冷泉提督が陰謀を張り巡らせそのために、鑑娘を使い捨てにしたかのように話を作ってみたの。即興のシナリオだったけれど、どうやら想像以上にうまくいったみたいね」

榛名からは、事前に山城に対して事実を伝えると聞いていた。まあ、実際は意図的に改ざんされた事実ではあるkれども。それでも、山城にとっては、信じたくない「事実」から目を背けるにはちょうどいい嘘だったはず。都合の良い嘘を信じてしまうのも無理はないだろう。

 

彼女にとっては、扶桑という鑑娘の存在こそが絶対であり、その他のものはどうでもいいはずなのだから。唯一無二の存在が貶められていることを信じたくなかったのだろう。誰かに利用され仕方なく裏切った。そして、殺されてしまったという話の方が都合がいいのだろう。そりゃそうだよな。

 

不自然な金剛と叢雲の異動については、恐らく何らかの意図が含まれていたはず。それは秋月さえも思っていたことだ。冷泉提督の性格からすると。彼女たちの事を考えて行ったことだと思われるけれど、あえて曲解して捏造した。うまくいくかわからないけれど、悪意の種を植えることはできた。あとはどう成長するかだ。

 

秋月が長波が異常に動揺していたと自分なりの感想を述べると、何か彼女は疑問を持つような事態にあったのですねと榛名は満足げに笑った。

「こちらの話については、私がさらに彼女に問合せ、さらに追い込んでみます」

 

「長波は、かなり動揺していました。叢雲の異動の件についても、彼女なりに思うところがあったんでしょう。榛名さんの話を聞いて、異常なほどの動揺ぶりでした。想像すらできないですが、何か重大な出来事があったのかもしれませんね。少なくとも、榛名さんの話を聞いて彼女は何か確信を持ったようです。冷泉提督に対しては敵意を持ったことは間違いありません」

 

「それはすばらしい! うまくできるか不安でしたけれど、成功ですね。もっとがんばってよりすばらしい成果をあげれば……きっと、きっと高洲提督は、私をこの牢獄から連れ戻してくれるわ。呉鎮守府では、お役に立てなかったけれど、私だってきっと何かできる……。私はそう信じているの。私なんかでも、きっと提督のお役に立てるって。このままうまく事を運ぶことができたら、きっと! 」

すばらしい未来展望が見えたかのように、榛名は恍惚とした表情を見せる。

「いえいえ、まだ油断なんてしちゃだめですね。この動きを、あの加賀や長門にだけは知られないようにしないといけないわ。……彼女たちは、あの横須賀で秘書艦を勤め中心的な存在でいたのだから。いろいろと余計な事に気付くかもしれないからね。それに……特に二人とも、冷泉みたいなのにお熱をあげているから。私では気づかないことにまで気づいてしまうかもしれません。慎重に物事を進めないと、どこで足元をすくわれるかもしれませんからね。どう考えてもあいつらとは仲間にはなれそうもないから、気をつけないといけないわね。敵意を悟られちゃいけない。結構骨が折れることかもしれないけれど、私ならなんとかできるはず。困難なほうがやりがいがあるわ。困難であればあるほど、私の力を提督が認めてくださるのだから。……ふふふふ、楽しくなってきたわ」

嬉しそうに榛名が喋り続ける。

 

「そうですね、榛名さんならきっと成し遂げるでしょう」

秋月は旗から見たらあきらかに情緒不安定な彼女言動に困惑しながらも、そう言わざるをえなかった。たとえ全てがうまく運んだところで、彼女には何も得るものがないことを彼女は想像すらしていないだろう。

決して、彼女の想いは届かないことを。

 

そして、強い決意を持たざるをえなかった。

 

俺がこの榛名を守るのだと。

 

初めて出会ったときから、榛名という艦娘は秋月の瞳をとらえて放さなかった。この世界に来る前、艦隊これくしょんで自ら提督を務めていた彼の秘書艦は、戦艦榛名だった。しょせんゲームではあったけれど、イラストでしかない彼女の笑顔、声優の演技でしかないはずの声が彼の心の癒しであった。そして、そんな彼女が現実世界に存在したことに運命的な驚きを感じずにはいられなかった。そして、現実はあまりにも秋月に厳しく、自分は一兵卒であり、彼の秘書艦であった榛名は手の届かないところにいたはずだった。

しかし、運命の悪戯か……彼と彼女の運命は交差したのだ! そして二人の運命は茨の道でしかなかった。それが余計に彼の心に火をつけた。

 

榛名という艦娘……その美しさはもちろん、それ以外に瞳をそらすことができない部分があった。ゲームのキャラクターとはまるで違う彼女の呪われたような過酷な境遇。それに耐え切れなかったのか、どう考えても彼女の人格は崩壊してしまっているとしか思えない。そんな鑑娘に哀れみさえ感じていたのだ。

 

呉鎮守府でどれほど酷い目にあったのか、秋月には知る由も無い。しかし、そこでの仕打ちが今の彼女の性格に影を落としているのは間違いない。彼女の言動は、どう考えても二重人格としか思えないのだ。ある時はあまりに凶暴、しかしあるときはとてつもなく優しい。言動だけでなくその雰囲気すら変化していくのだ。少女のようなあどけなさを見せたかと思うと、商売女のようなぬれた色気を見せたり、悪魔のような表情を見せたり……。

 

どういった境遇が彼女をこんな多面性を持つ少女に変えてしまったのか? 普段見せている姿が本来の姿なのだろうけれど、裏の顔を知っている自分からすると混乱しか無い。

 

過酷な運命は舞鶴に来てからも逃れられないようだ。彼女は舞鶴へは刺客として送り込まれているらしい。

 

彼女の気持ちとは裏腹に、秋月には呉鎮守府の高洲提督の考えが透けて見えてしまう。

 

役に立たない戦艦を鎮守府より厄介払いをし、あわよくばその艦娘を使って成果を上げようと考えているのがよくわかる。失敗して当然、うまくいけば御の字程度にしか考えていないのがみえみえだ。そして、何かあったとしても、榛名が勝手にやったことと自分を安全圏において、リスクは彼女のみに背負わしている。

 

榛名を使い捨てようとしているのだ。あの野郎! と思わず呻いてしまう。

 

なんにせよ、今すぐ殺すべきゲス野郎だ。

 

高洲の予想以上に、今の榛名は活躍し結果を出しつつある。

あの状況で扶桑を殺害したのは、高洲提督の指示どおりであることを秋月は榛名本人から聞かされている。彼は、冷泉提督を自らの配下引き込むことができそうもないと判断するや即、今度は冷泉提督を陥れる策略を練り、それもうまくいっているようだ。仮にその策が失敗したとしても、榛名が冷泉をどうにかする算段であることは彼女の話している内容から推測できる。

 

危険で困難なことを榛名にやらせているのだ。それを分かりながら嬉々として従っている榛名に哀れみを感じてしまう。一体、どうすればここまで手なずけることができるのか。そして想像が知ってはならない領域にまで及んでしまい、吐き気をもよおさずにはいられない。どういったことをどういった方法で彼女の体に刻み込んだか……。元の世界で本やネットで見たことを思い出し、気分が悪くなる。

 

秋月は、思う。

冷泉提督のところでいたほうが、彼女は幸せなはずだ。彼ならば、彼女を必ず幸せにしてくれるはずだ。けれど、呉鎮守府の高洲提督の呪縛があるかぎり、彼女のその選択肢はありえない。利用するだけ利用されるのだろう。高洲にはすでに榛名に対する愛情は一欠けらも無いと秋月は考える。けれど彼女に刷り込まれた呪いは今も解かれぬままだ。……それが解ける時、それは彼女が死ぬ時か、高洲提督が死ぬ時だ。その行き着く先は、どちらにしても不幸しかない。

 

冷泉提督は、榛名の隠された事実を知らない。仮に知ったところで信じられないだろう。当然、榛名は否定するだろうし、鎮守府の司令官がそんなことをするなんて彼の性格から想像もできないだろう。信じることができたとしても、それを知る頃には、彼は殺されているだろう。

そして、その機会は永遠に訪れない。もはや、彼には何の力も無い。彼はすべての権限を奪われここにはいないのだから。

 

高洲提督を処断し、自らが榛名の主になるのが最良の選択だと秋月は結論ずける。

自分なら彼女をこの地獄から救い出し、そして愛の力で彼女を呪いから解き放ち、艦娘としても人間の少女としても幸せにすることができるのだ。不可能といっても間違いではない。そんなことは分かっている。けれど、彼女の苦しみ悲しみを知り、彼女をそこから救い出すことができるは自分だけなのだから。自分しかいないのだから!

 

冷泉提督は、すべてに絶望し死を選ぼうとした空母加賀を、その絶望から救いだしたと聞いている。

冷泉にできたことが、同じ転生者である自分にできないはずがない。だからこそ、決意をする。

 

俺が必ずお前を救い出してやる

榛名を俺が守るのだと。

 

 

そして、その頃……。

大湊警備府において、一つの選択がなされる。

 

それは、更なる深き悲しみと絶望を呼ぶこととなる。

 



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第214話 真実の扉

「なんとか開催にまでこぎつけましたか……。はあ、本当に疲れた」

と、天ヶ瀬中尉は深いため息をつき、思わずへたり込んでしまった。直属の上司である葛木提督よりの命令により、ずっと会議の段取りに追われていたのだ。しかも追加指示や変更の繰り返しで、まるでいじめじゃないか疑ってしまうほど振り回されっぱなしだったのだ。どんなVIPが来るのかさえ情報が伝えられず、おまけに開催すらその日まで限られた者以外は極秘扱いとされたため、どうしたらいいかさっぱりだった。おまけに、付き合いも長く、気心も知れてる上に有能だった同僚や部下は、みんな大湊へと転属命令により異動していた。残された者は皆階級が2から3段階下の者ばかりで、天ヶ瀬とは面識があっても話したことなどない者ばかりで、意思疎通もままならなかったのだから。もちろん、彼らも無能ではないものの、やはり経験が足りなさすぎた。

 

もっとうまくまわせれば……とは思ったけれど、天ヶ瀬は天ヶ瀬で自分のことで精一杯で部下の事にまで気が回らなかったわけで……。葛木提督の鎮守府改革命令による業務の混乱が未だに尾を引いている。大幅な人員整理、前例踏襲主義の否定、軍業務のスリム化、民間活用の試行、市民に開かれた鎮守府運営試行などなどが行われたせいで、壊滅的なまでに事務処理が進まなくなっていたのだ。それは舞鶴鎮守府の人員の大半を大湊へと異動させたしわ寄せでしかなかったわけなのだけれど。

ともかく、それらに対して一つ一つ人員を割り当て、対処していく作業に忙殺されていたのだ。そんな中での極秘会議の開催を支持されて、気が遠くなりそうになったのを思い出す。

 

鎮守府にいくつもあったレストランやお店もみんな運営者が変わり、値段は高くなったのに、料理は不味くなり、売っているものも品質と量が明らかに落ちている。舞鶴に残された兵士達の不満は相当なものだ。何が民間企業を入れたら質量ともに良くなるだ。……これって他の業種でもやって失敗したりしてたなあ。

 

市民に鎮守府の一部エリアを開放したりしたけれど、物が盗まれたり壊されたり、市民同士のトラブルに兵士が借り出されたりで意味が無かった。何か、原因が軍施設があるからだと謎理論を展開されて、逆にイメージダウンになっている事例も多かったと報告があがって来ている。

 

そういった事実があるのに、葛木提督はそういった施策の成功事例のみを報告しろといってくるし……。いらいらは募る一方だ。

 

「なんで、私だけこんなに忙しい思いをしなきゃならないの! 」そう叫んで書類をぶちまければ、どれほどすっきりしただろうか。

 

でも、そんなことはできなかった。

 

なぜなら、こんな状況にあっても一言も愚痴を言わず黙々と任務をこなす子達がいたからだ。夕張と島風の二人は、なれない仕事をさせられている上に様々な雑用的な任務をたった二人で朝早くから深夜までこなしているのだ。彼女達は冷泉提督が帰ってくることを信じて、彼の居場所を守るために必死でがんばっているのだ。

そんな彼女達を見たら、外部からの批判や内部の自分勝手な指示、高くて不味いご飯でさえ文句を言ってられないと反省するのだった。

 

今、舞鶴鎮守府の一角の建物の中に特別に作られた会場へと、葛木提督と大湊警備府の彼女の側近、そして複数の背広姿の男達が入っていく。会議を行うのであれば、大湊が本拠地なのだからそちらでやれば良かったのに。人員も潤沢で、こんな気苦労を天ヶ瀬はしなくて良かったはずだ。……けれど、舞鶴で行ったのは、どうやら相手方の要望だったようだけれど。

 

とりあえず、ここから先はもう天ヶ瀬にも関係の無い世界の事だ。

やっと終わったという開放感でほっとするのであった。

 

「そういえば、結局……葛木提督はお客様の事を私にも教えてくれなかったなあ」

未だに彼女を提督と呼ばずに葛木提督と苗字をつけて呼んでいる自分に少し驚く。鎮守府に提督は一人しかいないのにね。まるで冷泉提督が戻ってくることを無意識に信じているのかなあ。

 

それはともかく、ちらりと見た来賓の顔を見て、数人は見覚えのある顔だった。彼らは国会議員だったはず。それも野党議員だった。鎮守府に視察に来るといえば、そのほとんどは与党議員の兵士達への激励だった。もちろん、野党議員だって鎮守府の地元選出議員もいる。兵士は大切な有権者だから、当然訪問をすることもあるのだけれど、その回数は少なかった。野党議員は、どちらかといえば反戦派が多いものだ。

 

けれど、目的は分からないものの、軍施設を訪れるのであれば多分に政治的宣伝要素が強い。それならば極秘裏に行うなんてことはしないはずだよなあ……と思う。マスコミをいっぱい引き連れて、揚げ足取りだけが目当てで、ワイワイガヤガヤと文句ばかり垂れるはずなんだけど。それとも、他に何か意図があるのだろうか。

 

そして、議員団の中で中心的な感じに見えた男の事は、天ヶ瀬も良く知っていた男だ。

 

男の名前は、周布了一。なかなかのイケメンだ。背も高くてスラッとしている。うん、少なくとも冷泉提督よりは男前だね。年齢は確か35歳だったはず。

 

ほんの一年ほど前までは与党に属する国会議員だった。しかし、現在は、野党自進党を結成し、その党首の座に就いてる……政治家で言うとまだまだ若手といえる議員だった。彼は明治から続く政治家家系である周布家の次男だったはず。将来は総理大臣の地位さえも狙える立場と言われていたはずだけれど、党内での競争に敗れ、ありがちな金銭スキャンダルと女性スキャンダルが発覚して党を追われたと言われていたはず。もちろん、本人は事実無根と否定していたけれど。それでも、新たに党を立ち上げてその党首に納まるくらいの力を保っているわけだから、まだまだ力を失っていないのだろうか? その政治的野心さえも。

 

しかし、そんな男が舞鶴鎮守府の代理司令官になり、二つの鎮守府勢力を手中に収めた葛木提督と密会というのはいかにもキナ臭い……そんな妄想をしてしまう自分を天ヶ瀬は否定した。政治家や軍幹部の中には、戦後を見越したような動きがあるのは知っている。冷泉提督を放逐するような動きもその一つだろう。今、日本国は様々な勢力に分化し、次の支配権を巡って争いが起こっているのだ。それは水面下ではなく、現実に見えるものとして。

 

ありえない……。そう、ありえない。そして愚かでしかない。

 

現状、深海棲艦との戦闘は小康状態のように見えていて、人類側が優勢になっているかのような雰囲気になっていることは知っている。しかし、最前線にいる者はそんな事、微塵も思っていない。勝敗は未だ決していないのだ。ひとたび何かがあれば、再び全面戦闘が生じる可能性さえありうるのだ。いや、必ずそうなるだろう。そうなった時、内紛を起こしている人類が深海棲艦に勝利などできるのだろうか?

 

「まさかね……葛木提督がそんなこと考えるはずないわ。疲れているのかしら? 馬鹿馬鹿しいわね」

やはり疲れているのだろう。さっさと宿舎に帰って寝よう。ここ数日寝ずにいたから、余計なことばかりに意識が向いてしまう。

「……はぁ。冷泉提督、早く帰ってきてくださいよお。このままじゃ、私、耐えられません。近々、過重労働で倒れちゃうはずです。絶対、労災申請しますよ。管理者責任問われますよ! それが嫌だったら、早く帰ってきて、さっさと可愛い部下を楽にしてくださいよう」

切実な願いだった。

 

 

建物の外で天ヶ瀬中尉が一人ぼやいてることなどまるで知らない葛木たち。

 

大湊警備府は、葛木とごく一部の側近中の側近のみを集めて、議員対応を行った。

これは、軍内部向けには野党自進等の国会議員による舞鶴鎮守府の視察となっている。たとえ一時的とはいえ、二つの鎮守府の合併という事案に対して、権力の集中ではないかという疑問が提出され、与党は反対したものの艦娘を統べる第二帝都東京が最終的に同意した事により、実現となったのである。あくまでも想像でしかないが、艦娘側としては、情報をオープンにして人類側のいざこざとなる要素を排除したかったのかもしれない。

 

ちなみに自進党とは、旗揚げ人である周布了一が結成した政党である。前もって調整が行われていたのだろうか、結成後すぐに野党や与党の一部の議員が合流し、現在、数だけでいえば野党第二位の勢力を持っている。勢いだけでいえば、最大野党を抜くほどといえる。やって来ているのは、そんな党首と党立ち上げの発起人である幹部数名だった。

 

野党議員が警備府を訪れるのは、あまり例が無い。そもそも与党とその背後にある軍部が受け入れないのだ。軍上層部からの指示があった際、葛木は拒否をした。しかし、案件については、艦娘側の意向もあることから拒否しきれるものではなかった。それに、拒否したといってもあくまで軍側の人間であるからそうしただけであり、個人的には拒否する理由は無かった。

 

「周防先輩か……。会うのは久しぶりね」

とむしろ心待ちにしている部分があったのは否定できない。

周防と葛木は初対面では無いのだ。彼と彼女は年の差は三つ。そして、同じ大学出身であり、さらに同じ部活動で先輩後輩の関係であったのだ。個人的に懐かしさもあるし、それ以上に打算があった。それは周防も同様だろう。

 

彼は、自進党を立ち上げて、さらに与野党から同志を集め最大野党となり、党首に選ばれた、今一番勢いのある政治家といってもいい。とはいえ、状況からして彼は単なる御輿として担ぎ上げられていることも認識しているはず。様々な思想の違う人間の寄せ集めでしかない政党運営は相当に苦しいことだろう。もともとは敵である与党出身の彼の事。野党陣営内ですら信頼関係はほぼ無いわけで、現状、確固たる地位を確保できていない。ここで舞鶴と大湊の鎮守府司令となっている葛木と良好な関係性を確保することができれば、軍事力としても与党に対抗できると考えても不思議ではない。彼には彼の事情があり、早期に地位を確保する必要があるのは葛木にも分かっていた。

 

軍の後ろ盾は、政権を奪取し政治を行うには必須。であればどこかの鎮守府司令官を取り込もうと考えるのは必然。それならば、ここにきて力を持ちつつあり、もともと知らない仲では無い葛木を選ぶのは当然だろう。

 

そして、葛木にとっても、現在の地位を維持し、そこからより高みを目指す野心を実現するためにも人脈を早期に得る必要があったのだ。与党内の人脈が無いわけではないが、与党議員のそのほとんどは、軍上層部もしくは男性司令官達と密接に繋がっている。葛木が入り込む余地は無いのだ。自分が女でなければ、もっと優遇されたのに! これまで何度もぶつかって来た障壁がここにもある。

しかし、周防達ならば未だに軍との結びつきは無い。今後の保険として彼との繋がりを持っていても損は無い。そして、個人的な感情からも……。

 

形式的な会談は、無事、終了した。

 

鎮守府幹部達は、野党議員たちを夜の街へと送り出していた。

 

なお、周防と葛木は大学の先輩後輩の仲であったことから、旧交を温めたいでしょうと配慮され、二人だけ鎮守府の会場に残されている。

 

二人きりになった途端、周防は、馴れ馴れしく葛木に語りかけてきた。形式ばった喋りと態度に徹した会談とは異なる、昔の「周防先輩」と呼んでいた時のように優しく頼りがいのある一人の男として。

葛木も昔を思い出し、今の立場を忘れて昔の事を語り合ったのだった。

 

思い出話を語り合った後、周防は政治に関する熱い想いを葛木提督にぶつけてきた。

実は二人は直接会うのは久しぶりだあったものの、もともと大学の先輩後輩の関係であったことから、親交はずっと続いていた。それぞれの立場でステージを駆け上がっていくことで、お互いに刺激を与え合える関係と言ってよかった。

 

私事ではあるけれど、葛木の婚期が遅れているのは、彼のせいかだったかもしれない。学生時代はわりといい感じだった。葛木は彼に憧れ、それがいつしか恋心に変わった。そして、それに周防も応えようとしていた。しかし、世の中うまくいかないもので、周防の政略的な結婚により、彼女の想いは成就せず、引き裂かれてしまった。認めたくは無いけれど、それについて、知らず未だ未練を持っているのかもしれない。

 

そんな葛木の想いに気づかないように、周防は語る。

現在の日本は。鑑娘によって緩やかな支配状況になっている。何をするにしても鑑娘に伺いを立てなければならない状態。その権限は、あまりに大きい。人類は、彼女達に飼われているのとなんら変わらない。しかし、深海棲鑑との戦いはほぼ終わろうとしている。それは鑑娘の力によるものが大きい事は、もちろん理解している。けれど、今や彼女達こそが人類にとって深海棲鑑に代わる驚異となっているのではないか? 鑑娘の影響力は日本国の隅々にまで及び、彼女たちの力なくしては何もできない状況。これを支配体制といわずしてなんというのか。そもそも、我々は鑑娘に対して、さまざまな犠牲を強いられている。多くの婦女子を生け贄として差し出し、若き男子を兵役に取られている。その事実を提督たる君は知らぬわけではあるまい? 私だって政権与党にいたことでその不平等な関係を見せつけられ、苦悩しつづけた。あのような犠牲を若い世代に押しつけていいのか? 何のための国家なのか? 深海棲艦と戦うために艦娘の家畜となるのか? これでは本末転倒ではないか。

 

葛木も同じ事を想い続け、今まで来ていた。だが、何も行動を起こせずにいた。自分はあまりに力が無さすぎて、どうすることもできず、ただ流されていたからだ。

 

鎮守府に派遣された鑑娘は、今や日本国のものといっていい。ならば、もう彼女達を生み出した鑑娘という勢力にに頼らずとも、深海棲艦に勝利できるのではないか? 人類の自由のために、今、立ち上がるべきだ!

と、彼は熱く語る。

 

しかし、葛木は、否定する。

「先輩の仰ることは、一理あります。けれど、鑑娘を引き上げられてしまえば、我々は無力です。鎮守府所属の艦娘たちが、我々の命令に従うかどうかはわかりません。彼女達を引き止めることができなければ、再び日本は、深海棲鑑の驚異にさらされてしまう。それこそ本末転倒なのではないでしょうか? 」

 

「それは無いとは言えないね。艦娘勢力が艦娘にどんな細工をしているか知れたもんじゃないからね。司令官の絶対命令権すら及ばぬ上位命令を発出することができるかもしれない。そうなれば、艦娘達は奪われてしまうかもしれない。……葛木提督、では、発想の転換をしてみればいいんじゃないかな? 」

 

「それは、どういうことなんですか? 私には良く分からないのですが」

 

「簡単だよ。敵と味方が常に普遍だと思うから、分からなくなるんだよ。つまり、……逆に深海棲鑑を味方に引き入れてしまえばいいのではないかね? 」

 

「そ、そんなことありえるわけがない」

葛木は、猛然と反論する。軍人として深海棲鑑と戦ってきたからこそ、そんな選択肢などありえない。どれほどの国民が深海棲艦の攻撃により亡くなったか。多くの艦娘が戦闘で沈んでいったか。安全な内地にいた周防には、その現実が理解できないのか。

「先輩、深海棲鑑がどれほどの国民を殺したかを忘れたのですか? 絶対悪である存在との和解などありえないです。……そもそも、あれと交渉などできるというのですか? 軍人である私には、そんな考え、ありえません」

その問いに周防は、笑った。葛木は少し腹が立ったが、顔には出さないように自制する。

 

「葛木提督、君こそ認識を改めないといけないよ。未だに君は深海棲鑑が得体の知れない化け物とでも思っているのかな? それは、とんでもない間違いだ。ずっと最前線で戦っていた君だから、そう思ってしまうのは無理もないけれどね。……彼らは。きちんとした知能と理性を持つ高次元生命体なんだよ。……しかも鑑娘との互換性を持つものさえいるらしいんだ。これまでの経緯から……確かに、彼らは敵だ。しかし、化け物ではない。我々と同じように考え行動し、怒り笑い後悔する存在なんだよ。現在、硬直した戦局が長く続き、彼ら?彼女らの側にも私たちと同じように嫌戦ムードが熟成されているということを君は信じられるか? 我々の想いに応えるように、彼らは艦娘達に気づかれないように、秘密裏に人類へ接触を図ってきているんだよ。彼らは願っている。この永遠に続きそうな戦いの連鎖を終わらせたいと。そして、むしろ諸悪の根源ともいえる鑑娘を世界から追い払おうとまで言ってきてくれているんだ」

信じがたいことを周防は話す。確かに深海棲鑑と鑑娘とは似たような所がある。領域に沈んだ鑑娘は深海棲鑑となり、また逆に撃沈された深海棲鑑は、鑑娘になるという事実もある。コアと呼ばれる部分を本体とし、体だけ船体だけを乗り換えて、どちらにもなるのが鑑娘(深海棲鑑)であるとの仮説が立てられ、その仮説の正しさを立証する事実がどんどんと積み上げられいる。それは軍部の最高層の人間の間では、知られている事実だ。艦娘と深海棲艦は、同じものである。……知られてはならない事実である。

 

鑑娘勢力に対して、日本国は依り代となる少女を差し出し、深海棲鑑はヒトガタと呼ばれる生命体を密かに上陸させて依り代となる少女を拉致している。

日本国沿岸では、ヒトガタと陸軍兵士の間で戦闘が発生していることを知る国民はいない。

 

関係が築かれてから随分と経過するのに、鑑娘達の目的が何なのか知るものはいない。けれど深海棲鑑の目的は、分かっている。

それは、日本国から鑑娘の一掃と一部の人間を生贄として得ることだ。どちらが正しいかなんて、我々には判断できない。しかし、目的のはっきりしている側と組んだほうがいいのではないか? 

「得体の知れない存在に支配され続け、吸い上げ続けられるよりも、深海棲艦と手を組み、彼らを利用して平和を目指すほうがより人間らしいと私は考える。今の人類はただ生かされているだけで、希望を抱くことも許されず、ゆっくりと死んでいっているようにしか思えない。手を組むのなら、欲望をさらけ出す存在のほうがやりやすいじゃないか。それに何よりも、深海棲鑑ならば、手持ちの艦娘を使えば倒す事も可能だ。鑑娘は我々に貸与されていて、鎮守府司令官の命令を絶対に聞くように設定されている。ならばこそ、勝機があろうというものだ。深海棲鑑と手を組み、彼らを利用して鑑娘勢力をを駆逐させ、その後、深海棲鑑が約束を反故にするならば、鎮守府の鑑娘を総動員して討ち滅ぼせばいいのだ。当然、やつらと手を組んでいる間に様々な技術を盗み出すつもりだ。抜かりは無い! 」

大学の頃から持論に絶対的な自信を持ち、そのカリスマ性でみんなを強引に引っ張っていくやり方そのままだ。それに対して反抗心が起こることは無く、むしろ圧倒されて感銘してしまう……。

 

「先輩の言うことは、確かに一理あります。人類は、今のままを続けて緩やかに滅んでいくより、一か八かの勝負をかけるほうがいいのかもしれません。実際、鑑娘は深海棲鑑を滅ぼすことにはあまり積極的ではないことを前線にいる兵士なら、皆感じていることでした。排除する力を持ちながら、どうして侵攻をしないのか? 彼女達からの説明は未だにありません。理由がわからないだけに不気味であり不安であります」

 

「実際に行動を起こしたら、深海棲鑑の力を借りている間は、鑑娘は捕らえて安全な場所……艦娘の指導者たる三笠の出だしのできないところにかくまっておけばいいのですよ。先手を打って絶対命令権で拘束してしまえば、もう手出しできないでしょう。艦娘の無力化については、これまでの実験でほぼ確立されていますしね」

さすがに与党の中枢にいただけあって、艦娘の研究施設とその研究成果についても彼は知っているらしい。内容を聞いた時は、そのやり口に反吐が出そうになったが、こういったことも考えての悪行だったのなら、あの施設も間違いではなかったか……。認めたくはないけれど、認めざるをえないのか。と、葛木は思う。

 

「しかし……」

葛木は不安を示す。

「私たちが立ち上がったとしても、他の鎮守府の提督ががどう出るかわかりません。政府だって同様です。彼らを説得するには時間がかかるのではないでしょうか? 」

 

「安心してください。今の大湊の、いえ、あなたの掌握している兵力をごらんなさい。舞鶴鎮守府の鑑娘まで手に入れて、恐らくは質量ともに最大兵力といっていい。君が誘えば、呉と佐世保の老いぼれ提督が刃向かうわけ無いでしょう。……それに逆らうならば、私の力でなんとかしますよ。私にも手駒の戦力があるのです。深海棲艦や艦娘には歯が立たないでしょうけれど、人間相手なら十分な力がね。……そして、彼らの持つ艦娘を手に入れれば、唯一敵対の可能性がある横須賀鎮守府でさえ勝機は無い。深海棲鑑との共同戦線を張れば、一気に粉砕できます。義は我らにあるのです。鑑娘からの支配からの脱却し、人類の完全なる独立を勝ち取るという! 」

異常なほどの大きなことを言うかつての先輩の言葉は葛木の心を捕らえたいく。彼に心惹かれ心酔していくのが自分でも分かる。とてもそれが心地よい。

 

彼こそが自分の求めていた伴侶ではないのだろうか……。

これまでろくな男と会えなかったのは、この人と再び出会うためだったのではなかろうか。そう、あの時うまくいかなかったのは、時が満ちていなかったからなんだ。やはり、彼が運命の人なのだ。自信に満ちあふれた彼に惹かれずにはいられない。彼となら、自分もさらなる上のステージに立つことができる。そして、皆に自分を正当に評価してもらうことができるんじゃないのか?

女というフィルター越しの評価ではなく、正当な軍人としての評価を。

 

 

 

 

 

 

 



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第215話 調整される世界

時は一刻を争う状態。

周防の語る事は、葛木も聞いたことがある軍内部での噂の詳細版といったものだった。

 

日本国における鎮守府再編成と一部勢力への排除の動き……。これは第二帝都の意向であるということ。

 

鎮守府編成については、まずは太平洋側は横須賀、日本海側は舞鶴を中心に再編する動きだ。佐世保鎮守府、大湊警備府は舞鶴鎮守府へ編入されることになる。呉鎮守府については、横須賀に編入される。つまり南北それぞれ一つずつに吸収合併されるということだ。

 

つまり、これはポスト削減による人事異動もあることを意味する。そして、冷泉提督と生田提督以外は、職を辞するもしくは中央へ異動になる方向で調整がなされているとのことだ。さすがに鎮守府司令官である要職の人間をリストラしたというのでは体が悪いということで、呉と佐世保のご老体については依願退職から外部団体への天下り、そして。その流れからすると葛木については、海軍省の適当な局長にでも異動となるのだろうとのこと。形式的には出世といえる。しかし、現在の日本国海軍の立場から言えば、名誉だけの何の権限も持たない部署への左遷と変わらない。

 

「しかし、冷泉提督は、今軍法会議にかけられるため拘束されている状況です。そんな彼が、今の役職に戻るというようなことがありうるのですか? どう考えても軍部の心象は最悪ではないかと」

いろいろと問題のあり、さらには軍法会議にかけられるようなことをしでかしたような人材がさらなる出世をするなんて、常識的にありえない。

その問いかけに、周防がすまなそうな顔をする。

「あれは軍の一部が、勝手に排除に動いているだけで、すでに第二帝都より彼を拘束している施設に使者が差し向けられらそうだ。冷泉提督は、じきに解放されるだろう。重要なポストの人事について第二帝都へのお伺いは必須ということは君だって知っているだろう? 当然、冷泉提督排除に動いた軍関係者は、処断されるだろうね。これはかつて同胞達からの極秘情報だから、かなり確度が高い情報だよ」

なんでもないように周防は言う。スキャンダルで政権与党を追われるようにして離脱したと聞いていたが、今でも与党との縁は切れていない……それどころか全く変わらぬ力を持っているかのような言い振りに見える。

そして気づかされる。

周防という男は、人類解放のためにあえて与党を追われるような体で離脱し、野党に下り活動を始めたのだ。すべて第二帝都を欺くためなのだ……と。地位も名誉も投げ打って、日本国の未来のための礎になろうとしている。

与党にいて、しかも彼の立場ならは動けないが、ほとんど力が無い野党にいれば行動もしやすく、第二帝都からの監視も甘い。すべては計算ずくだったということなのか……。

 

そして、彼の活動は成就しようとしている。彼とその同胞の努力の結果、人類と深海棲艦という対立し合う勢力が、艦娘という大きな敵を打倒するために手を結ぶことができたのだ。

つまり、過去の経緯に目を瞑ることができるほど、鑑娘勢力の近年の行動はあからさまであり、危険すぎたということだ。

 

このままでは、人類は深海棲鑑に滅ぼされる前に、艦娘(第二帝都東京)に奴隷化されてしまう。深海棲艦は、艦娘に滅ぼされてしまう。両者の利害が一致したということだ。

 

そして、そういった大きな動きの話を聞きながらも、葛木の中では一つの焦りが起こる。それはとても些細で個人的でしかないけれど、葛木にとっては世界の命運よりも重大なことだった。

 

せっかくこれまでいろいろと邪魔をされたりしながらも何とか手に入れた地位があっさりと取り上げられる? これまでの血のにじむような努力が無駄になる? また能力を認められない部署に左遷されて、男達に命令されるばかりで飼い殺しにされるというのか? それは死よりも恐ろしい。様々なものを切り捨ててがんばってきたというのに、何で認められないのか……そして、このままでは、その未来が確定しそうだった。それは何よりも恐ろしく、受け入れがたかった。葛木にとっては、自らのこの先の事のほうが、人類の存亡よりも大きな問題なのだ。

 

周防は彼女の心を読んでいるかよように囁いてくる。

「私がここに来たのは、君の助力を必要としていたからだよ。人類の独立のためには、葛木君、君の力が、……そして君が統べる大湊警備府の戦力が必要不可欠なんだ。日本国の存亡のために頼れるのは、君しかいないんだ。君が私に手を貸してくれるなら、そして、私たちの願いが叶えられた暁には、君に対して新しい日本国連合艦隊司令官の座を約束しよう。戦いにおいて、舞鶴も横須賀も倒すべき相手だ。そして、この戦いこそが君が自らの能力を見せつけるチャンスだよ。君は、冷泉提督や生田提督よりも優れていると私は思っている。だからこそ、君に話を持ちかけたんだ。そして、今こそが君にとってのチャンスだ。君の能力を皆に見せ付ける。冷泉提督や生田提督を戦闘において倒し、君の能力を見せ付ける大きなチャンスなんだ! 」

力強い声で、葛木を鼓舞するかのように周防は語りかける。そして、葛木を見つめる。

そして、どういうわけか口ごもり、目を逸らしてしまう。

 

「どうしたのですか? 」

不思議に思い問いかける葛木に、彼は答えた。これまでの自信に溢れた政治家としての顔ではなく、すこし照れたような怯えたような表情だった。彼は何か決意したかのように頷く。

「すまない……。これは、口実にすぎないな。こんなときに自分の立場が邪魔をして、気持ちをきちんと伝えられないようでは、ダメだね。……本当に言わなければならないのは、私個人の気持ちだね。私は……君にそばにいてほしいんだ。大湊警備府の司令官である君ではなく、この重大な局面において、葛生綺譚という君に側にいて欲しいんだ。そして、私を支えて欲しいんだ」

その言葉に、硬直してしまう葛木。戸惑う表情しかできない。

 

「今なら言える。側にいて私に君の力を貸して欲しい。あの時、君に言えなかった言葉を今さらだけど言うよ。自分勝手で申し訳ないけど、それが私の本心だよ」

今更ながら、過去の話が思い出された。

かつて葛木は周防に対し、好意を持っていた。付き合うまではいってなかったけれど、いつも一緒にいて、共に話し笑いあっていた。友達というより恋人に近い関係だと思っていた。いつ告白してくれるのだろうと待っていたくらいだ。

けれど、二人の間には何の進展も無く、彼はやがて政治家の娘と結婚した。お似合いだったけれど。自分は彼に優しくされて調子に乗っていたことに気付きショックだった。勝手に盛り上がって勝手に夢を見ていたのだと。勉強ばかりでそういったことになれていないウブで馬鹿な子だったのだ。

それでもずっと彼の事が気になっていたんだろう。その後、いろいろな出会いがあったけれど、結局、どれもうまくいかなかった。

彼以上の存在は無いと勝手に思い込んでいたのかもしれない。いつか彼が自分の前に現れて、告白してくれるとありもしないことを待ち望んでいたのかもしれない。……結ばれるはずもない相手だからこそ、昇華されて神聖化されていたのかもしれない。

しかし、ついに彼は言ってくれた。

 

「今更、何をって君は思うかもしれないけれど、今でも私は君のことが好きだったんだ。……けれど、あの時、私にはそれは言えなかった。私には既に決められたレールの上を走るしかできない状況だったからだ。そして、平時ならそれで一生を終えていくんだろうけれど、世界は、そして運命は激変した。世界の価値観は、全てひっくり返った。本当に求めることをやらなければ、所詮、砂上の城でしかないことを知らされたよ。だからこそ、今言う。君に来て欲しい。私といっしょに世界を救って欲しいと」

 

周防の言葉は、葛木の頑なだった心を溶かしていく。それが自分でも分かった。いい年してといわれてもかまわない。だって、初恋だったのだから。今でも好きなのだ。あの時結ばれなかったからこそ、その想いは強い。

少女の感傷だけで動いているわけじゃない。昔の自分とは違う。今はそれなりにいろんな経験を積んだ。子どもじゃない。

もちろん打算もあった。どうやら、知らぬ間に自分は追い込まれていたことを知らされた。そんな中、彼の政治力は、必ず自分の役に立つ。葛木の軍事力と周防の政治力。お互いが好き合い、そして利用しあえる関係なのだ。ならばそれでいいじゃないか。

 

このままでは、また中央に戻って当たり障りのない仕事を淡々と続けるだけの人生に戻ってしまう。自分の能力など発揮することもなく、評価されることも無く、処遇に不満を言い続け周りからは扱いにくい奴という評価だけを下さる人生などごめんだ。ずっとみんなを見返してやりたかった。女でなければもっと出世はできていたはずなんだ。そんな理不尽な連鎖を断ち切ってやる。そのためにはこのチャンスを生かすしかない。

 

私は、平々凡々に生きていくなんてできない性分らしい。これは、大きな賭けだが賭けてみる価値はある。

それでも……。周防と彼の人脈だけだったら躊躇したかもしれない。それだけ私も年を取り、経験を積んだということなのかな。思わぬ助っ人の存在が決断のための決定打となった。

深海棲鑑。

それが自分たちの味方になる。それであるならば、得体のしれない第二帝都に巣食うあの蛇のような目をした女を討ち取ることができるだろう。

気持ちは決まった!

 

「ただ、単純に契約が結ばれるわけではないんだ」

周防の言葉に、予想通りの表情をしてしまう。

やはり条件があったか。……当然だ。これまで戦い続けてきた同士なのだから。双方に信頼関係なんてあるわけない。

「どうやら深海棲鑑は、軍の別の勢力とも共闘関係にあるらしい。それが鎮守府なのか、それとも中央なのかはわからない。けれども、深海棲鑑としては、我々が信じられる存在かを確かめたいらしい。我々の行動で信じられないと判断すれば、関係を打ち切るつもりらしい。私としては、深海棲鑑の後ろ盾が絶対に欲しい。そして、彼らと共闘している勢力とも手を組むことができるのなら、余計にだ。そいつらは、最終的には出し抜くだけの相手なんだけれど、今は利用すべきと考えている。仲間は多いほどいいからね。とにかく、なんとしてでも食い込み、彼らを引き込みたいんだ。そして、彼らが言ってきた条件が……」

と、周防は言葉を詰まらせる。

 

「条件は、なんですか? 」

交渉なのだから、当然条件提示はある。それが飲めるものかどうかだ。

 

「……君の配下の、鑑娘一人の命だ」

と、周防は告げる。

 

「なんですって? 一体だれですの」

思わず驚きの声を上げてしまう。艦娘を差し出せという無茶な要求。そんな条件を飲んでまで、受け入れる価値があるのか。葛木はその難題に眉根を寄せてしまう。

 

「相手は、駆逐艦島風の命を差し出せと求めている」

 

「島風? 」

唐突に出てきた艦娘の名前に驚く。葛木は、数回しか会ったことのない、艦娘の顔を思い浮かべる。舞鶴鎮守府の艦娘の中でも特に冷泉提督の寵愛を受けている少女だと聞いている。葛木からすれば、おそらく冷泉好みのあざとい外見をした、生意気そうな小娘という印象しかない。舞鶴鎮守府の艦娘を引き受けた際に見たときには、随分とその服装が地味になっていたとは思ったけれど。

 

「深海棲艦の言い分では、島風は冷泉提督と結託し、空母加賀の命を救った。深海棲鑑としては、死に場所を求めていた加賀を取り込み仲間にするつもりだったのに、間接的ではあるものの島風のため作戦が失敗した。深海棲艦にとって、それが大きなマイナスと判断している。ゆえにその憎い島風をなぶり殺しにしたい……そうだ。どうかな? 彼女を差し出せるかな」

 

「しかし、島風は私にとって大事な鑑娘です」

と、即座に答える。鎮守府司令官なら、皆同じ答えをするだろう。艦娘は部下であり、仲間であり、家族であるのだから。

 

「まあ、建前はそう言わざるをえないだろうね。けれど、本当にそうなのかな? 彼女は大湊にいない。舞鶴近くの港に係留されて、広報活動なんかをしているだろ? 本来戦闘すべきはずの軍艦が広報活動を行ってる。変だと思わないかい? あれは、冷泉提督も用なしと判断してのことなんだろう? 実は、私は知っているんだよ。駆逐艦島風が戦闘に絶えられない状態になっていることをね。私だっていろいろと情報網があるからね。鑑娘として使い物にならない、そもそも廃艦されてもおかしくない鑑娘だろ? それを冷泉提督は、私情で残しているだけなんだ。そして、君の直属の部下ではなく、冷泉の部下だった鑑娘だ。君は顔を知っている程度で会話すらしたことないんじゃないか? ならば、島風ぐらい差し出しても、君の心は痛まないんじゃないか? そもそも犠牲ではない。もともと廃棄されるはずの艦娘を、人類の勝利のために役だって貰うんだから。これは、君が決断すべきことだ。それはとても重大なことでもある。……今、深海棲鑑の信頼をえられなければ、すべての努力が水泡に帰すんだ。私は落伍者になるだろうね。でも、君だって、このまま漫然と行動しなければ、その意思に関わらず落伍者になるんだ。放逐されるだけの運命。飼い殺しの余生しかなくなってしまう。そんな人生でいいのか? 誰かに踏みにじられ、正当な評価を受けずに虐げられるだけの惨めな人生を選択するのか? 君の大切な部下だって、君の管理下を離れ、誰かの指揮下に入ることになるだ。少なくとも今より幸せとはいえない立場になるだろう。それが島風の犠牲ただ一人で、皆が救われるんだ。さあ……選択するんだ。君の意思で! 」

有無を言わさぬ口調で、周防が選択を迫ってくる。考えるまでも無かった。結論なんて最初から出ているのだから。

 

そして、島風を深海棲艦に差し出す決断がなされた。

 

「安心してほしい。君は、島風に命令するだけでいいんだ。すべての段取りは、私の同士がやってくれるから。その後の事について、君は何の罪悪感も感じる必要はない」

優しく語りかける周防。

 

「しかし、冷泉提督に恨まれそうですね」

それが少し辛い。事実を知れば、彼は悲しみ、そして決断をした自分を恨むだろう。たとえ日本国のためだったといっても、彼は納得しないだろうな。

 

「……大丈夫、彼は近々死ぬことになる予定だし、彼が生き延びたとしても島風を罠にはめたのは”とある団体”ということになるからね。彼の怒りが我々までたどり着くことはないように手を打っているから。君はこの事については何も考えず、安心して未来の事を考えるだけでいいんだ」

その優しい言葉に絆されていく葛木だった。そして、彼女は全てを受け入れた。

 

「君ならそう言ってくれると信じていたよ」

そういうと男はどこかに電話をかけはじめる。

「私だ……。例の件、さっそく準備をしてもらえるかな? うん、頼んだぞ」

 

「どこへ電話をしたのですか」

問いかけに周防は答える。

「島風を深海棲鑑に差し出す段取りのゴーサインをだしたんだよ」

とあっさり答える男。

 

「私の行動を読んでいたんですか」

あまりの段取りの良さに驚いて問いかけてしまう。

 

「もちろんさ、君が何を考え何をしようとするかくらい、君と私の付き合いの長さだ。さすがの私にだって理解できるよ。この選択肢を前にしたら、君がイエスというのは明白だからね。だから準備だけはしていたのさ」

そして、男はこれから起こる事実を告げた。

 

どうやら、ある市民団体が軍に無許可でチャーターした船が航行中に日本海沖合で故障するらしい。そして、その救助のために島風が向かい、そこを深海棲鑑が襲う手はずらしい。

はたしてそんな作戦で、島風を沈めるようなことができるか不安になってしまう。通常海域での艦娘の強さを彼は理解しているのだろうか? しかし、深海棲艦が承諾したのだから、何らかの勝算があるのだと自分に言い聞かせる。

 

「君は島風に出撃命令をかけるだけでいいんだよ。位置関係からしても島風が適任であるからね。そして、その先のことは、彼らに任せればいいよ」

彼らとは深海棲艦のことなのだろうか? いちいち問いただす雰囲気ではなかった。

 

「しかし、島風が深海棲鑑が現れたらすぐに逃亡するのではないでしょうか? 市民団体の救助という足かせがあったとしてもその場所は領域からは大分離れています。……たしかにあまりに領域に近すぎたら島風も警戒するでしょうから仕方ないのかもしれませんが。市民団体だって命は惜しいはずですから何か対策があるのでしょうか」

 

「ふふん。その辺のことは私と私の仲間に任せてもらえればいいよ。君は島風に救助命令を出すだけでいいんだ。余計なことを知る必要は無い。何かあっても害が君には及ばないようにしたいんだよ、私は」

それが彼の優しさなのだろうか。しかし、どうやって島風を足止めするつもりなのか? 説明を受けても理解しきれない。けれど、自分が島風を殺す作戦に介入するなんて真っ平だ。何もかも自分は知らないこと。知らないうちにすすんで、事態がそうなった。自分は知らなかったんだ。そう思いこむことで、罪悪感を無くすことに必死だった。

 

 

 



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第216話 謀の序章

 舞鶴鎮守府より東に80キロほど離れた駿河港に、軽巡洋艦夕張と駆逐艦島風は停泊している。

 

 ここ港は軍の施設ではなく、民間用の港として使われている。このため、この港に軍艦が訪れるとするのであれば、民間の船を警護する目的のみでしかなかっただろう。そして、仮にやって来たとしても、ここに停泊することは無い。それは、ここに住む人たちの感情に配慮してのことだと言われている。

 

 それは、この地域の成り立ちの関係上、どうしても反戦・反体制に偏りがちだったためだ。

 

 もともとこの地は舞鶴鎮守府に近い事もあり、軍関係者が訪れて賑わっていた町だった。軍関係者によって生活のかなりの部分を依存していた関係上、軍に対しては理解ある地域といえた。

 しかし、ある事件を境に変化していくことになる。

 

 あの災禍たる近畿圏の三大都市の崩壊という事案が発生したからだ。

災禍から生き延びた被災者の多くが、国の施策により、この周辺に造られた仮設住宅に住むことになった。

 

 深海棲鑑との戦闘のために成年男子のほとんどが徴兵され、移転して来た者の多くは高齢者であった……。大崩壊により経済基盤を失った彼らに新しい生活をやり直そうなどという気力など無く、そのままなし崩し的に居着くことになり、コミュニティを形成していった。もちろん、移転者の全てが高齢者だったわけ出はない。当初は夫を失った母子も同じコミュニティに暮らしていたが、その老人ばかりで停滞するしかない町の雰囲気に耐えきれなくなり、町を捨てて新しい土地へと移動していったようだ。それから、両親を失った戦災孤児については、官民共同で運営する児童保護施設のある町へと連れて行かれた。

 

 残された老人達と、旧来からの住民と移転してきた住民との融和はうまくは進まず、町は色分けされた状態のまま現在に至っている。

戦争という社会状況がそうさせたのかもしれないし、強引に施設を建設されたことで地元感情が良くなかったことも大きいだろう。もともと否かは排他的なところに、強引に造った施設に移ってきた全てを失い投げやりなって落ち延びてきた人々。水と油の関係のままだ。いろいろと改善しようとした住民もいたようだったが、結局徒労に終わったようだ。以後は改善の兆しすらなく、現在に至っている。

 

 さて、そんな地域の裏事情はともかく、この地に派遣された二人の鑑娘は、軍の広報担当として市民との交流を地道に続けていたのだった。

 

 活動を舞鶴鎮守府でやらないのは、あそこには反戦団体がしょっちゅうデモに現れている状況下、一般市民との交流には支障を来すと冷泉が判断したからだ。

 ちょっとでも目立つ活動をすると、すぐに税金の無駄遣いと騒ぎ立て、挙げ句の果てに暴動になることもある。それが日常茶飯事。さすがに刃傷沙汰になれば、市民団体の幹部クラスが逮捕されるが、どういうわけか様々な理由ですぐに釈放されてしまう。どこかで政府もしくは軍部と繋がっているということなのだろう。冷泉が諦め気味にぼやいていたのを鑑娘達は覚えている。

「軍部が政治の中枢に食い込んでいるこんなご時世でも、そういった反政府的な政治活動の自由は保障されているのだから、ある意味、大したものだと自慢してもいいのかもしれないけれどね」

 

 活動を初めて以外だったのは市民団体の妨害がほぼ無かったことだ。さすがに軍事基地ではない駿河港で、反戦活動をするつもりはないのだろうか。何らかのメリットがなければ動かないという事なのかもしれない。しかし、問題ごとが起きなければ、それがベストなのだから。

 そんなわけで、支障なく市民との交流が行われている。交流といっても、彼女たちが港を訪れる市民とたわいのない会話をする程度でしかない。それでも、世間では殺人兵器と思われている軍艦のイメージアップにはなっているようだ。

 

 普段は、遠くからしか見ることのできない軍艦を間近に見ることができること。そして、鑑娘と直接触れ合う場を持つことができるということで、最初はおっかなびっくりだった住民達も次第に彼女たちとの距離を縮めてくるようになっていた。さすがに移住してきた人々は遠巻きに見つめるくらいしかできていないようだけれど……。

 

 しかし、そんな微妙な空気感など無視するかのように、島風は彼らの中に走っていき、無理矢理引っ張って来たりする。天性の明るさを持つ彼女の性格のおかげかもしれないが、彼らとの距離もごくごくゆっくりではあるものの、縮まっているように思える。住民と鑑娘が話す内容など、実にたわいもないものばかり。けれど、何も知らなかった住民にとって軍艦、そしてそれを操る鑑娘というものはとても遠い存在であり、また得体の知れない恐ろしい存在でもあったのだ。それがとても可愛い女の子でしかないことを知った。誤解が解ければ、相互理解も早い。また、彼女たちを介することで、古くから住む住民と新しくやってきた住民達の間の理解も少しずつではあるものの、進んで行っていたのである。

 

 そういった状況を受けてか、それとも広報活動をより進めようとした軍部からの影響力かは分からないけれど、戦争孤児達を預かる児童養護施設の子ども達も駿河港に訪れるようになった。戦争で両親や兄弟を失った子供達であることから、なかなか難しいと思われた鑑娘との邂逅も、どうやらうまくいっているようだ。それは派遣された鑑娘が夕張と島風であったこと……彼女たちの性格によるところも大きかったかもしれない。

 施設を運営する団体は、反戦活動をする市民グループとの繋がりも噂されている団体であったことから、彼らはそんな交流なんてしたくなかったかもしれない。けれども、共同運営するのは国の機関である。当然、軍の息が組織である。戦争孤児達と鑑娘の交流という宣伝にはちょうどいい題材。彼らの政治的思想など、そう簡単には許してくれなかったようだ。ゆえに、子ども達を連れてくる大人達の表情は、いつも冴えないように見受けられる。

 

 そんな大人達のくだらない思惑は別に、子ども達は鑑娘に懐くようになり、定期的に訪れる子ども達が増えている。子どもが集まれば他の子ども達も集まる。引き寄せるようにもともと住んでいた住民達の子どもたちも集まるようになっていく。そうなれば子ども達の親もやってくる。連鎖的に二隻の軍艦の周りには人が集まるようになり、鑑娘を通しての地域交流までが行われるようになっていったのだった。

 そして、その輪はゆっくりとではあるが広がりを見せ、自分達の世界に閉じこもって出てこなかった老人達の心をも少しずつではあるものの、溶かしていくことになる。

 

 これを冷泉が意図していたかどうかは分からない。恐らくは、そこまでになるとは考えていなかっただろう。ただ、結果としてその地域の鑑娘に対する印象は大きく変わっていったのだった。

 

 得体の知れない恐ろしいものから、信頼できる存在へと……。。

 

 こういった事情は、島風と夕張の考え方にも影響を与えていた。

 普段、彼女たちと接する人間は軍関係者しかおらず、どちらかといえば世間をあまり知らないままでいた鑑娘が、外の世界の住民達と直接ふれ合うことで、自分達が守っていた存在をよりしっかりと認識することができたのだ。それにより、自分達の使命の重さを痛感したのだった。もちろん、人間達の優しさに触れたせいで、よりいっそう決意を高めることになったのであるが。

 最初は、冷泉提督の役に立たない存在として捨て置かれた……そんな想いすらあった彼女たちだけれど、今ではその使命を果たすため、冷泉提督の期待に応えようと一生懸命がんばろうと思っていたのだった。

 

 そんなある日―――。

 

 舞鶴鎮守府に突然の緊急の通信が入る。当然ながら、駿河港にいる島風たちもその通信を受信していた。……その切迫した通信を。そして、小差kが分かるにつれて、あまりにも危機感のない身勝手な行動が判明していくのだ。

 

 場所は、舳倉島の西方、約20キロの位置。

 どうやら、近くを航行中の小型船で火災が発生した模様。船は小学生十数人を乗せた、ある団体のチャーター船との事。彼らは能登半島より船を出し、団体(児童養護を目的とするNGO)の保養施設のある島へと、向かったらしい。そして、あろう事か船の護衛については申請がなされていないとのことだった。

 この団体、反戦団体と繋がりのある人物が運営する戦災孤児を預かる団体のため、軍に協力を求めるのを嫌がったのだろうか? ならば行かなきゃいいのに……と罵る人の声が聞こえる。

 確かに、領域からはだいぶ離れた場所とはいえ、深海棲鑑がどこにいるか分からないのだ。潜水艦型の深海棲鑑だっている。大湊警備府の鑑娘がパトロールしているとはいえ、日本海側を守る鑑娘の数が減っている現状、手薄にならざるをえない。護衛なしで航行するなんて、自殺行為といっても間違いじゃない。

 

「遭難船からだと私たちが近いわ。……私と島風で救助に向かいます」

夕張が通信を返す。

 事は一刻を争う状況。火災発生ということは、子ども達は海に避難するしかない。海水温はまだまだ冷たい。そんな中に長時間いるには体力が持たないだろう。それに可能性は低いとはいえ、いつ深海棲鑑がやってくるかもしれないのだ。油断などできない。

 

「待ちなさい、夕張。勝手な行動は認めません」

 しかし、すぐに通信が入ってきた。

 その声に夕張達は緊張してしまう。声は……新しい彼女たちの司令官たる葛木提督だったのだ。冷泉提督よりも遙かに厳しい人だ。一緒にいられないせいか、未だになじむことができずにいる。直感的に苦手だと二人とも思っていた。

 とはいえ、現在の上司である人からの指示だ。従わざるをえない。

 

「しかし、早急に救助に向かわなければ」

と、夕張がなんとか食い下がる。

 

「もちろん救助に行くなとは行っていません。大湊から鑑娘を派遣していては、時間がかかりすぎます。あなたたちにお願いするしかないのは分かっています」

 

「でしたら、私と島風で」

 

「それは認められません。あなたたち二人がそこを空けてしまったら、舞鶴の守りは誰がやるのですか。全くの空白地帯を作ることは絶対に認められません」

冷静な口調で否定されてしまう。

「ここは足の速い島風が向かいなさい。夕張、あなたは舞鶴鎮守府へ移動し、警戒態勢を維持しなさい。万一、この機を狙って敵が襲来した場合、あなたは救援が到着するまで、舞鶴を死守するのです。いいですね。わかりましたか。これは命令です。島風も分かっていますね」

司令官に言われてしまえば、それ以上、どうすることもできない。

 二人は従うしか無い。

 

 夕張は舞鶴鎮守府の防衛のため、島風は子ども達を救助するためにそれぞれ発進する。

「島風、……絶対に無理をしちゃ駄目よ。これだけは守るのよ」

と、心配そうに夕張が念を押す。

 

「分かってるって。無理はしないし、無茶もしないよ」

そう言いうと、笑顔で島風は出動していった。

 

 現場がどのような状況下分からないのが一番の不安。

 急がなければならないのは分かっているけれど、島風は船体に異常を来したままの状態である。限界まで速力を上げることはできない。動力を騙し騙し、無理をしない速度を保つ。しかし、子ども達の事が心配で、どうしてもその速力は上がって行ってしまう。

 

 やがて、前方に黒煙が見えてくる。

 そうなると、もう速度をセーブするなんてことはできない。無理は承知で速力上げて向かっていく。

 ギシギシと嫌な音が船体のあちこちから響いてくる。船体に相当な負荷がかかっていて、危険な状況であることは疑いようのない事実。けれど、今はそんなことに構っている暇なんてないんだから。

 

 現地が近づいてくるにつれ、状況が判明してくる。

 

 子供達が乗った船からは、黒々とした煙が立ち上っている。さらには時折爆発も起こっているようで、危機的状況だ。乗員達は、炎から逃れるために海に飛び込んでいるようだ。 救命ボートに乗り込む暇さえなかったのか、海上にそれらしき姿はない。この距離からでは、救命胴衣を装着しているかは分からない。ただ、波間に小さな子ども達が漂っている姿が確認できるだけだ。

 

 遭難者達に近づくにつれ、速度を落とさざるをえなくなる。船から発生させる波で子供達をおぼれさせては大変だからだ。

 ゆっくりと近づいた島風は、早速、子ども達の救助にあたる。浮き輪を投げてロープで拾い上げる。その作業と平行し、救命艇を下ろして、海に避難していた大人達にも子供の救助を手伝わせる。

 

「さ、つかまって」

 甲板へと引き上げる時、子ども達の衣服はたっぷりと海水を吸い取っていたのだろうか。その体の大きさに比して。いやに重く感じた。引き上げるぶという体勢の悪さも手伝って、重く感じたのだろう。

 違和感ともいえる疑問をしまい込み、子ども達を船上に引き上げる。今はそちらを優先。それに精一杯だった。

 

 途中、子ども達が乗っていた船が爆発し、大きく傾きながら沈んでいった時には、救助した子ども達が悲鳴を上げて泣き出した。

 

 大人たちは、救命艇を駆使して海に浮かんだ子供達の救助にあたってくれた。そのおかげで、海上に浮かんだ子ども達は、全員救助することができた。ただ、断片的に聞こえる話の中では、逃げ遅れた子もいたようで、火災に巻き込まれたり、逃げ遅れたまま船から脱出できず、船と共に海底に没した子たちもいたようだ。そして、呆然と船が沈んだ海上を見ている子どもの姿が痛々しかった。

 

 子ども達は疲れ切ったように、甲板に座り込んでしまう。そして、幽かに震えているのが分かった。それは、ただの寒さなのか、恐怖におびえてなのかは分からなかった。

 

「みんな! ここは危険だ! 早く船の中に入るんだ」

 突然、大人の一人が子ども達に向けて叫んだ。

「さあ、あんた、子ども達を船の中に入れてやってくれ。 こんな場所じゃあ惨すぎるだろう。扉を開けて、子供達を船の中で休ませてやってくれ 」

 

「え? 」

 突然の要請に島風は、言葉を詰まらせてしまう。

 軍艦の内部は軍事機密だらけだ。それもただの軍艦ではない。艦娘なのだ。人類が知らない、知ってはならないテクノロジーが満載されているのだ。

「……規則で許可無く管内に人間を入れることは、禁じられてる」

 そう言うのが精一杯だった。

 

 確かに、ずぶ濡れの子ども達を冷たい風が吹き抜ける甲板にいさせるなんて可哀想すぎる。……あまりの寒さに、震えが止まらない子供達もいるのだから。

 けれど、鑑娘が操る鑑は、超機密施設。たとえ軍関係者であっても許可無く出入りは制限されている。一般市民であればなおさらだ。これは軍が、日本国決めたことではない。それより上位の、鑑娘達の属する団体が決定したことなのである。そこに例外など存在しない。たとえ人道的な理由があろうとも……だ。

 

 人命が優先……もちろん、それは理解できる。けれど、決められた事を破ることは、鑑娘にはできない。できるようにできていない。規律を破らせることが可能であるのは、鑑娘を統べる鎮守府司令官のみ。司令官であれば、超法規的措置を自らの責任により艦娘に行わせることができる。しかし、今、冷泉提督はいないのだ。そ代わりの葛木提督に許しを請う必要がある。

 

 人間たちの責めるような視線が痛い。子供達も怯えたような目でこちらを見る。

 

 そんなの、分かってるよ! 

 島風だって子供達の気持ちくらい分かる。甲板の上でほったらかしにするのが可哀想なことくらい。

 大湊警備府に連絡を取る。しかし、葛木提督は不在との冷たい回答が返ってきた。事情を話しても、それについては、提督権限である。他の人間では決定できないとのこと。では、提督はどこにいるのか? と問いかけると、最重要人物との面会中とのことだった。そして、事務的に通信は切断された。

 

 どうなっているの?

 思わず叫びそうになるが、なんとか飲み込んだ。それを言ったところで、彼らにだってどうすることもできないのだから。

 

 判断は、自分でしなければならないということなのか。

 



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第217話 星が輝くとき

 一体、どうすればいいのか? 自分の判断で動いていいのか? 

 悩む島風。

 他の艦娘に相談すべきなのだろうか? 誰に? 加賀に聞こう……そんなことを考えていると、突然の怒鳴り声。

 

「おい、アンタ! 」

 声のする方向を見ると、一人の男がやけに気色ばんだ顔でこちらを見ていた。

 

「アンタ、何してんだよ! 子どもが寒くて震えているんだぞ。何チンタラしてるんだよ! こんなクソ寒い外で子供達を待たせるんじゃねえ。さっさと暖かい室内に入れてやってくれよ。このままじゃ子ども達が風邪を引いてしまうだろ? いや、そんな生優しいレベルじゃないだろ? 子ども達は、こんな大変な目に遭って精神的にも参っているだ。こんなクソ寒い甲板の上に放置なんて気が狂ってるのか? アンタには、人の心が無いのか」

 

「そうだそうだ!! お前、子ども達を殺す気か? 」

 

「だいたい、こんな甲板の上に子どもを置いたまま、港まで帰るつもりなのか? 何時間、こんな場所にいろっていうんだよ。お前は、血も涙もないのか? ……ハン! やっぱり、鑑娘って奴は、人間の命なんて……子どもの命なんてどうでもいいっていうのか? バカみたいに石頭で規則の方が優先っていうんだな。このクソ冷血が。だから、化け物とは仲良くできねえっていうんだよ」

 

「甲板の上は、危ないだろが! 日本海の荒波をなめるな。子どもが波に浚われたら、てめえ、どうするつもりだよ。責任取るのかよ」

 

「この人殺し! 人殺し! 」

 大人達が大合唱して島風を責める。

 

 そんな風に言うくせに、危険な海に護衛も付けずに出航した自分達の罪については、忘れてしまっているのか。あたかもすべての責任が島風にあるかのように、彼らは激しく罵り、攻め立てる。

 

 大人たちの剣幕に驚いたに違いない。子ども達が泣き出した。

 子供達はよろよろと艦内への扉の前まで歩いて行って、ドアをノックする。それどころか、ドアノブをガチャガチャする者まで出てきた。

 

「おねえちゃん、寒いよ。寒くて辛いよ」

 

「おなか空いた。何か暖かいもの、食べたいよう」

 子供達は、涙目で懇願してくる。何人かの子は、話した事のある子供たちだ。

 

「みんな落ち着きなさい。……甲板の上は危ない。みんな早く中に入りなさい。……なあ、鑑娘のあんた、島風さんっていうんだよね。よく考えてみてもらえないか? 俺たちがそんなに無茶を言っているのかい? 海が荒れたら、こんな場所危険すぎるって誰でも分かるよね。そんな場所に、遭難でずぶぬれになった、そして疲れ切った子ども達を置いておけっていうのかい。俺たち大人は構わないよ。確かに、軍関係者じゃない得体の知れない人間を艦内に入れるのは怖いだろう? けど、子ども達だけでもいいから、中に入れてやってくれないか。お願いだ。いえ、お願いします」

 代表らしき男が頭を下げる。その表情は必死だった。

 

 わめき散らされ、そして情に訴えられ、困惑するしかない。

 艦内の開放を要求するのは、島風だって理解している。子どもが寒さに震えているのを見るのは、本当に辛い。決まりごとは守らないといけないのは分かっている。けれど、こんなときは人道的配慮をするべきなんだろう。けれど、自分は艦娘。軍に所属する者。そして、大量虐殺兵器。その強大な力を持つが故、独断で決めることはできない。許されない。

 いかなるときも、上官の判断を仰がなければならないのだ。

 

 しかし、先ほどから指示を仰ごうとしているけれど、上司……葛木提督に繋がらないのだ。このまま彼女に繋がるのを待つのが正解だと分かっている。けれど……。

 

 どうしたらいいの? 

 そして、冷泉提督だったらどうするか考える。……きっと提督なら、子供達を放ってなんていないよね。たとえ、後で批判されることになったって、仕方ないよね。

 

 島風は覚悟を決めたかのように頷くと、自らの判断で艦内への扉に手をかける。

 怯えて泣きじゃくる子ども、凍える子ども達を放置することができなかったのだ。

 

「今から、中に入れてあげるね……」

 そう言うと、島風は子供達に微笑みかける。

「でも、約束してね。入れてあげるけれど、私がいいっていう場所以外に行っちゃだめだよ。できるだけ、かたまっていて頂戴ね。それから、大人の皆さんは中に入れることはできないの。ごめんなさい」

 子供だけ例外扱いだ。大人は外で待ってもらうしかない。これだけは譲れない。

 一瞬だけ怒ったような表情を浮かべた大人たちだけれど、リーダーらしき人物が目配せをすると、吐き出そうとした言葉を飲み込んだ。

 それを同意と判断し、島風はゆっくりと扉を開く。

「一人ずつ、ゆっくりと入ってね。慌てちゃだめだよ」

 

 刹那!

「今だああああ!! お前ら、急いで中に入れ! 」

 まるで、この時を待っていたかのように引率する大人が声を張り上げる。

「急げ急げ急げ!! 」

 

 その指示が何かの合図だったかのように、子供達が一斉に駆け出す。そして、扉の前に立つ島風を強引に押しのけ、艦中へと向かおうとする。

 

「ダメ! ダメだよ。言う事を聞いて! 言う事聞いてくれないと、中にも入れられなくなるよ」

 慌てて中へと入ろうとする子供達の体を掴む。

 

 最大限の譲歩をして入り口付近までだ。それ以上は認められない。軍において命令は絶対。できることは限られているし、決まりごとを破れば罰せられる。それは、島風だけでなく、中に入った子供たちまで処罰される危険があるのだ。

 そして、それ以上に何か嫌な予感がしたのだ。この子達を中に、入れてはいけないと。

 

 必死に止めようとする島風。子供達は必死の形相になって、まるで何かに取り付かれたように艦内へと行こうとする。奇声を上げながら、まるで、何かに怯えるかのように。

 

 突然―――。

 

 パンパン

 

 乾いた音が響く。

 

 同時に焼けるような傷みが、島風の背中を襲う。何事かと思い、音のした方を見ると、銃を構えた男が立っていた。その銃口からは白煙がゆらゆらと立ち上る。

 

 それでも島風には、何が起こったのか理解できないでいた。

 背中の何箇所から激痛を感じていること。男が島風に銃口を向けている事。銃口からは僅かながら白煙が出ていること。

 自分が撃たれたのだ……。そんな当たり前の事を理解するまで時間がかかってしまう。

 

 けれど……。

 

「どうして? 」

と、間抜けな言葉しか出てこない。

 

 理解が、できなかった。

 何で自分が撃たれるのか? 子供達を助けるためにここまでやって来て、皆を助けようと必死にがんばったのに。そして、子供達も大人たちもなんとか救出することができたはずなのに。

 

 どうして、その自分が、彼らに撃たれなければならないの?

 

 シュワシュワという音とともに、背中が熱くなるのを感じる。おそらく、傷口からは煙も立ち昇っているはずだ。

 

 それは、リンクした鑑よりのエネルギー補充によって、傷口が急速に修復されていっているのだ。急速に傷口が塞がり、破壊された体組織が再生していっているのだ。一瞬感じた痛みも直ぐにひいていく。

 

 カラン……と、傷口から押し出された金属物が甲板に落ちる音が何回か響き渡る。

 

 その現象を見て。悲鳴を島風を撃った男が驚いたように悲鳴を上げる。

「うがあああああああああああああああ! バケモノ、バケモノ、バケモノ!! ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!! 」

 パニックに陥ったかのように、男は引き金を引き続ける。そして、マガジン内の弾丸を撃ちつくした。

 射出された弾丸は、島風の体のあちこちに命中する。島風は着弾の衝撃でよろけるものの、すぐに体の再生が始まる。

 艦娘にとって、銃撃程度の攻撃による効果は、艦とのリンクが確立されている状況では、ほとんど無い。

 

「ど、どうしてなの」

と、悲しそうな表情で島風は男に近づいていく。撃たれた事実よりも、撃たれた理由に衝撃を感じている。

 

「ヒイイイイヤアアアアアアアアアアアアアッツ」

 銃を撃った男は腰が抜けたように、甲板にへたり込む。這うようにして逃げようとするが手足がうまく動かせない。バタバタと動かすだけだ。

 

「くそ! だめだ、艦娘には拳銃程度ではまるで効果が無い! こんな化け物だったのかよ。……おい、サトル! バカ面下げて見てる場合か? さっさと、この化け物を止めろ」

 大人の一人が叫ぶ。

 その声に反応して、一人の男の子が両手を広げて歩み寄ってくる。僅かに体を震わせ、両手は握り締めている。焦点の定まらない、虚ろな瞳で夢遊病者のような動き。まるで何かを諦めたかのように……。

 

「ねえ、どうしたの? 」

 銃で撃たれたダメージは回復している。痛みがほんの僅かに残るものの、撃たれた事実を確認するためだけにシステム上感じているだけだ。どうって事はない。そんな事よりも何か様子のおかしい男の子のほうが気になる。

 島風は、彼に歩み寄る。

「ねえ、君。どうしたっていうの? 」

 

「あのね、お姉ちゃん」

と、島風の問いかけに男の子は顔を上げ、何かを言おうとする。

 

「なあに? 」

 男の子の瞳を覗き込んだ刹那、島風は本能的に危険を察知した。その刹那、男の子の握り締めた右手から何かのスイッチが入る音が聞こえた。

 思考するより早く、体が反応する。島風は、とっさに後ろに飛びのくと同時に、反射的に前方へと防御シールドを展開する。

 

 ほとんど同時に、男の子の体が発光し、……爆発した。

 

 凄まじい閃光と爆発音。

 

 油断した!

 

 シールドの展開の発動が遅れたため、爆風の衝撃を吸収しきれず、島風は派手に後方へと吹き飛ばされる。あまりにも想定外だったために受身を取ることもできずに、船体に激しく背中を打ち付けてしまう。一瞬、呼吸ができなくなり、空気を求めて喘いでしまう。

 当然、シールドも解除されてしまった。

 

 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。

 閃光と爆音、衝撃で思考が停止してしまっていた。頭を振りながら体を起こし、前方を見やる。何が起こったかを確認するのだ。

 

 さっきまで男の子がいた場所が、真っ赤に染まっている。立ち上がろうとして、右手が何かに触れる。

 

 思わずそれを見ると、肉片のようなものだった。そして、その正体が何かに想像がぶ。

 

 小さく悲鳴を上げてしまう島風。

 真っ赤なぐちゃぐちゃになった奇妙な形をしていたそれは、それはさっきまで立っていた男の子の小さな手だった。それ以外にもばらばらになった男の子の体の残骸が、爆発により、辺りに撒き散らされていた。

 島風を撃った男も爆風に巻き込まれたのだろう。ぼろ雑巾のように無残な躯をさらけ出して倒れている。彼の体からは内臓がはみ出し、甲板をどす黒く汚している。

 

「お前ら、急げ!! 今が好機だ。すぐに艦内に入り込め。作戦通り、この船を行動不能ににしろ! 」

 一人の大人が叫ぶ。

 島風が吹き飛ばされたため、艦内への入口の扉は自由に出入り可能だ。

「お前達の尊い犠牲で、多くの人たちが救われる! お前達のお父さんやお母さん、兄弟姉妹や友達のために、やるんだ! 気をしっかり持て! 練習どおりにやれば、大丈夫だ」

 

 甲板にいた子供達の何人かは爆発によって吹き飛ばされて、血まみれで倒れたまま動かない。

 しかし、動けそうな子供達は、その声でスイッチが入ったかのように呆然としていた子供達が、その指令に反応するように子ども達が動き出した。開かれたままの艦内へと、歩き始める。ほとんどの子がどこかしら怪我をしているようだ。血まみれになっている子もいる。けれど、痛みなど無視するかのように動いていく。

 

「だ、駄目。そっちへ行っちゃダメ」

 島風は立ち上がり、子供たちを止めようとする。

 すると、何人かの子供達が島風を妨害するように、再び立ちふさがる。

 手には、起爆装置のスイッチらしきものを握り締めている。さっきの男の子と同じだ。上着の下には爆発物を巻きつけているんだろう。先ほどの爆発でそれに気づいた。

 

 人間爆弾として、この子達はここに送り込まれたんだ。その事にやっと気づいた。最初からこの遭難は罠で、自分をおびき出して殺すつもりだったのだということに。

 

 この子達は、島風が近づけば爆発し、艦内への侵入を邪魔する自分を排除するつもりだ。一緒にいた大人達は、遠巻きに様子を伺っている。

 他に何かを企んでいるかもしれない。まだ銃器を持っているかもしれないし。だから、彼ら大人たちにも注意を払わなければならない。

 

「あ、あなた達、どうしてこんなことをするの? こんなの酷い酷すぎるよ、この子達に何をしたの? 何を考えているの」

 

「化け物が口を利くな。所詮、化け物に話したところで理解なんてできん。……我々の崇高な目的のため、ここにいる選ばし死天使たちは、その命を投げ出す覚悟を決めてくれたのだ。我らが望む、恒久的世界平和のための礎となってくれるのだ。彼ら天使達の尊い犠牲により、我らの願いは成就するのだ」

 リーダー男の口からは、あまりにも妄信的な言葉が吐き出される。

 

 何のことは無い。

 いつも時代も同じ。

 くだらないことを彼らは口にしている。空虚な理想を。

 

 こいつら……この大人達が子ども達に指示をしているのだ。……自分達の利益のために、死ねと。

 

「あなた達が」

 心の遥か深い場所から込み上げてくる感情を、止められそうもない。絶対に、絶対に許せない。許せない怒り。

 

 突然、艦内で爆発音が轟く。同時に艦に振動。

 艦内へ侵入していった子供が自爆したのだろう。そして、その爆発は連続して発生する。

 

 艦とリンクしている島風には、自身被害状況が手に取るように分かる。

 

 彼らはどこかで設計図を入手していたのか、的確に艦の心臓部である半重力リアクターを目指して進んでいる。その破壊を目的としているのだろう。防御壁を降ろしたものの、それらは子供達の自爆によって突破されていっているようだ。防御壁といっても内部からの爆発物による攻撃までは想定していない。次々と突破されているようだ。

 

 時間はあまりない……。それだけは理解した。ならば、せめて。

 

 島風は、大人達に近づこうとする。こいつらだけは許すわけにはいかないのだから。今更、艦の破壊を止めることはできない。子供達を救うこともできないだろう。

 ならば、せめて……諸悪の根源たる連中だけは生きて帰さない。彼らだけのうのうと生きながらえるなんて許せるわけが無い。

 人に危害を加えてはならない……。そんな艦娘の禁忌を破れるかどうかはわからない。けれど、やらずにはいられない。

 

「ひい! お前ら、私達を守りなさい。この化け物を排除しなさい」

 男の命令と同時に、彼らを守るかのように、すぐさま子ども達が飛びかかって来た。即座にシールド展開する。

 

 今度は油断していない。展開に遅れは無い。

 

 そして、爆発。

 子ども達は、爆発により粉々の肉片と大量の真っ赤な血を撒き散らしながら、散華していく。しかし、子供達は諦めない怯まない。

 前方がダメならば次はと、背後へと回り込む。展開したシールドのしがみつくようにして至近で爆発する。

 シールドは、衝撃まで逃がすことはできなかった。島風はもろに吹き飛ばされて、船体に体を再び叩きつけられる。

 倒れこんだ島風に、次々と子ども達が覆いかぶさるようにして襲いかかってくる。必死にシールドを再構築しようとする。しかし、その光は弱弱しい。

 

 内部に侵入した子供達の破壊活動で、艦の破壊が進行しているらしい。シールド発動へのエネルギーの補充が追いつかない。シールド展開が間に合わず、ついには爆発の影響を受けざるをえなくなってしまう。

 

 島風の体は、次第に傷だらけになっていく。攻撃が続けば、やがて耐えられなくなるだろう。

 しかし、幸いなことに島風の妨害のために残った子供達の数は多くは無い。子供達は大人の指示を忠実に守り、島風を苦しめ、死の一歩手前まで追い込んだといえる。

 

 けれど、最後の一人の女の子が自爆攻撃に失敗すると、ついに全滅した。

 

 なんとか、しのぎ切った……。

 

 島風は、生きている。戦闘で右腕と左足は骨折したらしく、妙な方向に曲がって元に戻らない。壁に体を持たれかけないとまともに立っていられないけれど、這ってなら移動くらいできる。痛みは尋常ではないけれど、我慢できなくは無い……と思う。

 

 どうも左目は、見えないみたい。額からたれ落ちてくる血をぬぐうだけでも苦労する。

 

 艦内での新たな爆発も検知できない。恐らく、突入した子供達も全員が自爆し終えたのだろう。時折、小規模な爆発が起きるが、こちらもなんとかしのぎ切ったようだ。

 もちろん、艦は甚大な被害を受けたのは否定できない。それでも、自分も艦もまだ生きている。まだ戦える。

 まだまだやらなければならないことがある。まずは、艦橋まで行かないと。這うようにして艦橋へと向かおうとする。

 

 途中、大人を見つけて睨む。

 こいつらだけは生かしておけないって思ったのに、もはや彼らに攻撃するすべは無い。それだけは悔しい。自分を傷つけたことはもちろん許せない。しかし、それ以上に、子供達を使い潰し、自分達だけ生き延びようとするその卑怯な行動を許すことができない。

 

 彼らのほうから攻撃をするつもりは無いようだ。

 まだ島風になんらかの攻撃手段があると思っているのかもしれない。……どんなに憎くても、島風に人間を殺すことはできなかったのだけれど。

 

 彼らは、そそくさと救命ボートに乗り込むと逃走準備を始める。

「子ども達が命を投げ出すのに、お前達は逃げ出すというの? 子供達を道具のように使い捨てにするの」

 今の島風には、それくらいの事しかできない。

 

 一瞬、たじろいだ表情を浮かべたが、すぐに立ち直る。

「ハハハン! 我々は生き延びねばならんのだよ。尊き使命をはたすためにはここはまだ我らの死に場所ではない。天はまだわれわれに生きろと仰っているのだから」

 捨て台詞を残し、彼らは駆逐艦島風から離れていく。

 しかし、この海域から救命ボートで逃げ切れるわけがない。それくらい、彼らも知っているはずだ。なんといっても、陸地までは相当な距離があるのだから。救命ボートには動力は搭載されていない。オールでこいでいくにしては、あまりにも遠すぎるだろう。一体何日かかるか。救助でも待つのだろうか。しかし、仮に救助に来るものがいたとしたら、それは艦娘しかないはず。この状況を見れば、彼らが今回の事件の主犯であることは一目瞭然である。彼らは、絶対に許されるはずが無い。

 だから、これ以上、彼らを追う必要は無いと判断する。自分の手で罰を下さなくても、彼らには必ずその犯した罪に見合う罰が処せられるはずなのだから……と。

 

 そんな中、警報が発令される。艦からの警報は直接、島風にも届いた。

 内容は爆発の衝撃で支離滅裂になっているように見えたが、「空」とあった。

 

 慌てて空を見る!

「そ……そんな! 」

 なんと、先程まで遙か彼方にあったはずの領域が、いつの間にかすぐそばまで近づいていたのだった。

「ありえない……」

 こんなことありえない。あるはずがない。一体何時の間に近づいてきたというのか。そして、何でこんなことが起こるのか?

 

 これじゃあ、まるで駆逐艦島風を食らおうとするかのようにしているようじゃないか。

 

 考えている暇は無い。最優先事項はこの緊急事態対応である。もはや、あんな人間達に構っている時間は無い。彼らのことは捨て置いて、とにかく急いで艦橋まで行かなければならないんだ。

 

 まともに歩けないから壁に体を預けながら艦橋への階段を昇る。何度も転び、あちこちを自らの血で染めていく。それでも島風は艦橋まで到達し、状況を把握する。機器を操作して鑑を制御し、消火システムを動かす。

 

 半重力リアクターは、大破。現状、修復は不可能。武器システムについても使用不可能。当然ながら防御シールドの展開もできない。攻撃も防御もできないに等しい。こんな状況で深海棲艦に襲われたら、ひとたまりも無い。

 それでも併設した旧動力は、動くようだ。旧装備であれば、攻撃くらいならできる。

 

 最悪の事態になったとしても、まだ……なんとかなる。

 出血は止まらないけれど、まだ持ちこたえられる。エネルギーの補給が無くなるということがこれほど重篤な事態をもたらすとは想定していなかったけれど、まだ大丈夫だ。

 

 島風は痛む体に鞭打ち、救助信号を発すると、動力の切り替え作業を始めた。

  

 まだ領域に取り込まれたわけではない。とにかく、ここから離れることが最優先事項なのだから。

 いろいろと思うところ、考えなければならないことが山積みだけれど、それはここから脱出できてからだ。それまでは心を囚われるわけにはいかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第218話 決意

 エンジンは辛うじて稼働するものの、出力は2割も出ているのだろうか? 自らの体と同じく、よろよろと動く程度だ。

 

 負傷した箇所は鑑本体に重大な損傷を受けたため、エネルギー補充が受けることができず回復は遅々として進まない。出血は、未だ止まらないまま。これまで感じたことのない、負傷による痛みに精神まで蝕まれそうだ。これまでならどんな怪我をしたとしてもすぐに回復し、痛みを感じても一瞬だけだった。それがずっと続くということの不安がこれほどのものだとは。

 

 問題は、もっと根深い。

 

 体の再生が行われないということは、すなわち鑑自体に深刻なダメージを受けていることである。鑑と体は、リンクしているのに、それが途切れているということだからだ。艦にとってその指揮部となる艦娘は最重要部位となっている。ゆえに、常に双方のエネルギーの転送機能が停止するということはそれを維持できないほどの損傷を受けているということなのだ。もはや致命的な状況であることは間違いない。

 

 ずっとずっと延々に続くと思えるほどの痛みが、絶え間なく襲ってくる。痛みには強いと思っていたけれど、それは再生能力によるものだと思い知らさせる。耐えられなくなって泣き出してしまう。鑑のダメージは深刻であり、すぐにでもドック入りしないと駄目な状況だ。

 

 子ども達は機関部を集中的に狙ったようで、その損傷は深刻だ。システムが停止する前に消火を完了した事だけが僥倖だった。

 しかし、もはや反重力リアクターは使えないらしい。よって、それに依存するシステムはすべて機能を停止している。

 

 とにかく、なんとかしてこの海域から撤退して鎮守府まで帰還し、鑑の修理を受けなければならない。これほどの損傷状況では鎮守府の設備では修復できないかもしれないけれど……。第二帝都までいかなければならないかもしれない。

 

 あそこは……嫌だけれど、仕方ないのかな。だって、そんなことを考えている場合じゃないもの。

 

 痛みをこらえながら、椅子に腰掛ける。背もたれに体を委ね。心を落ち着かせようとする。

 

 そして、艦橋から見える光景をみ、全身から力が抜けていくような絶望的な感覚を感じた。

 

 先程まで穏やかだった空がほんのわずかな時間の内に変貌を遂げ、禍々しいまでに赤い空がすぐそばまで迫ってきていたのだ。

 全てを染め尽くす、赤い空。

 

 ……それは、領域だ。

 

 遙か彼方にあったはずの領域が、いつも間にか、そしてどういうわけか動いていたのだ。まるで獲物を捕食するかのように。……そして、その獲物は、島風であった。

 じわじわと接近してきているのが分かる。このままでは飲み込まれてしまうだろう。

 

「はやく船を動かさないと」

 まだ使える蒸気タービンの出力を上げ、反転を試みる。

 無事だったとはいえ、やはり動力系統には攻撃による何らかの影響を受けているのだろう。その反応は思った以上に悪い。

 

「お願い、動いて」

 自らを励ますように声を上げる。

 のろのろと、駆逐艦島風が動き始める。ゆっくりと艦首も方向を変えていく。

 

 しかし―――。

 

 天高く絶壁のように領域と通常海域とを遮る赤黒い壁が、唐突に、……崩れ落ちるるかのように、あたかも雪崩のように崩れ落ちてきたのだ。

 

 それは、一瞬にして領域が駆逐艦島風を取り込んでいく。

 

 あたかも台風の中に飛び込んだような暴風が吹き荒れ、駆逐艦島風は高波に翻弄される。艦は上下左右に激しく揺さぶられ、島風は椅子から吹き飛ばされて床にたたき付けられてしまう。

 

 意識が飛んだのはどれくらいだったのだろうか? 一瞬だったかもしれないし、数分、数十分かもしれない。頭部に痛みを感じ触れた手を見ると、べったりと血が付着していた。どうやら頭を強く打ったようだ。よろめきながら立ち上がるが、傷口から血が垂れ落ち、額を伝って眼に入りそうになる。それを慌てて袖で拭う。

 

 艦の被害状況把握を急ぐ。―――被害状況は、それほど変わりないようだ。エンジンは停止したが再起動した。まだ動くことはできそうだ。搭載兵器類も一部を除き健在のようだ。どれほどの制度で攻撃できるかは不明なものの、なんとかなりそうだ。どちらにしても半重力リアクターを破壊されたことで、旧式装備旧式システムしか使えないことに変わりはない。状況は最悪だけれど、それより悪いことはないらしい。

 

 あたりは気を失う前と相当に変貌している。それは、深海棲艦との主戦場である領域内に酷似している。実際、艦に対する影響は、領域内にいるのにかなり近い。仮に損傷ゼロであったとしても、システム障害が発生すし、機能停止のリスクを警戒しながら戦わねばならないだろう。

 

「とはいっても、戦う気なんてないけどね」

 そう、今はここから一刻も早く脱出することが最優先なのだから。

 艦はのろのろと動き出す。

 

 通信機器をチェックする。通信障害が発生するものの、領域のように外界との通信ができないわけではないようだ。旧式の通信機の電波は阻害されないようだ。

 すぐさま音声通信が入ってきた。

 

「島風、大丈夫? 」

 すぐにその声の主が分かった。―――加賀だった。こんな時に一番会いたくない艦娘が通信を入れてくるとは。どうも彼女とはうまくコミュニケーションがとれない。そして、その後のいろいろなことで状況は悪くなる一方なのだ。

 

「……大丈夫だよ」

と、とりあえず返す。一瞬の間のあと、大きい安堵のため息が聞こえた。

 

「よかった……。本当によかった、よかった」

 それは感極まったかのような声に聞こえた。普段、感情をほとんど見せない彼女から、こんな言葉が出るなんて。

「今そちらに向かっているところよ。あなたの状況を教えてもらえるかしら? 」

 しかし、すぐに感情の制御を完了したのか、いつも通りの声色で事務的な言葉を伝えてくる。島風は促されるように、これまでの経緯と現在の状況を説明する。加賀の問いかけに答える形でそれを行ったため、普段の島風ではできっこないほど理路整然と短時間に状況説明ができたと思う。

 

「事態は深刻ね。もう少し踏ん張って頂戴。……すぐに迎えに行くから」

 言葉に感情は乗っていないけれど、加賀の気持ちは島風には十分伝わって来た。だから、自然と言葉が出てくる。

「うん、待ってる……信じてるから」

 

 加賀の話によると、救援に向かっている艦娘は加賀と高雄、神通の三人だ。舞鶴鎮守府の仲間だ。他の二人からも励ましの通信が入る。

 その言葉を聞いて、元気が出た。なんとか生き延びようという気力が。

 

 しかし、彼女達の会話に覆いかぶさるように通信が入ってきた。

「あなた達、何をしようとしているの! 」

 その声は普段とは異なる激高したものだった。幽かにその声は震えている。そのことから必死に感情を抑えようとし、しかし、押さえ切れないように感じ取れる。

 

 葛木提督のものだった。

 今まで何度も何度も指示を仰いだのに応えてくれなかったのに、こんなときにはすぐに反応した提督の声だった。

 

「て、提督」

 怯えたように高雄の声が聞こえた。

 

「あなた達、なぜ勝手な行動をしているのですか? 誰が出撃を許可しましたか? 何を考えているのですか? 」

 

「許可は得ていません。しかし、島風がテロリストの攻撃に遭い損傷を追いました。現状、航行に支障をきたしている状況。救助に向かうのは当然かと」

 淡々とした口調で加賀が答える。

 

「ば、馬鹿なの。軍艦たるあなた達が誰の指示も受けずに行動を起こすなんて、許されると思っているの? これが上に知れたら大変なことになるのよ。世間に漏洩なんてことになったらどうなるのか! 」

 

「現状、領域が急激に拡大し、島風もその影響下に入りつつあります。この現象がどういった意味を持つかは現状不明。しかし、駆逐艦島風の安全に重大な危機が迫っていると判断しても問題ないと思われます。無論、私も上官である提督に判断を仰ぎましたが、重大な案件に対応中のため連絡を不可との回答でした。状況は切迫。よって、自らの判断により行動を起こさざるをえないと判断しました」

 淡々とした口調で加賀が答える。

 

「そんなの分かってるわ! 私が言っているのはそんなことじゃない。軍規を無視して、何をやっているというのと聞いているのよ」

 苛立ちを隠そうともせず、葛木はヒステリックに叫ぶ。

 

「独断行動に対する責めは、帰還してからいくらでも受けましょう。けれど、今は、島風を……大切な仲間を助けることが何よりも優先されると判断しました。ですから、私は作戦行動を続けます。提督も事後で申し訳ありませんが、承認をお願いします」

 

「駄目よ、駄目駄目。駄目なものは駄目。領域に島風を取り込まれたというのなら、深海棲艦が現れる危険が高いのでしょう? そんな中に何の作戦も持たずに艦隊を派遣することは許されません。加賀、高雄、神通……今すぐ帰還しなさい。これは命令です」

 正式な命令が発出された。つまり、葛木提督は島風を見捨てろと命じたのだ。

 

「お断りします」

 静かに、そして淡々とした声色で加賀が答える。

「提督のご命令には従えません。これよりの行動は、私の独断で行ったものとして記録していただいて結構です」

 

「ば……バカなの? 高雄、神通! あなたたちは帰ってきなさい。帰ってこないと、重大な違反行為としての罰が処せられます。今ならまだ間に合います。命令に従いなさい」

 

「提督、申し訳ありません。私たちも加賀さんと同じなんです。……たとえ命令であっても、仲間を見捨てることなんてできないです」

と高雄が答えた。

 

「あなた狂ってしまったの? どんな危険があるかもわからないのよ。リスクが大きすぎるわ。戦力になんてなりもしない駆逐艦一人のために、何でそこまでするの? 」

 そう言ってしまってから、葛木が言葉を呑む気配が伝わってきた。言い過ぎたと判断したのだろうか。

 

「……確かに愚かな行為かもしれません。無謀かもしれません。けれど……そうせずにはいられないのです。冷泉提督ならきっとそうするでしょうから、私たちもそうするだけなのです。……やはり、葛木提督の仰るとおり、本当に馬鹿ですね。けれど、私たちはそうしたいのです」

 加賀はそう告げると、それ以上の通信を遮断するのだった。 

 

 



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第219話 白い少女の登場

 もっとも……気休め程度でしかないけれどね。それでも何かしらの抵抗能力があるということは心強い。軍艦の性なのかな?

 

 それに、最悪、艦内の弾薬を使えば自爆だってできるんだから。

 

 領域に沈んだらどうなるかは、艦娘の中でもいろいろと噂されている。海底に没したら、やがて艦娘は深海棲艦として生まれ変わり、生者を自分達の側に引き擦り込もうとするとか……。かつての仲間達のことを忘れ、仲間を殺そうとするとか。……そんなゾッとするようなことは信じたくも無い。

 

 それ以外に、もし生きたまま深海棲艦に捕らえられたらどうなるんだろうって考えたことがある。これまでの戦いで仲間を守るために日本海軍が領域から撤退するときに使用する戦法に「捨て奸」というものがある。本隊が撤退する際に艦娘一人を選んで留まらせて死ぬまで戦い、深海棲艦を足止めするやり方だ。こんな事―――冷泉提督ならば絶対にやらない戦いだけれど。残された艦娘が実際に沈没するまで戦ったかは、誰も確認していない。だから、彼女達がもしかすると、生きたまま捕らえられたかもしれないのだ。

 

 深海棲艦にとって艦娘は絶対悪。憎むべき存在。そして生きたまま捕らえた艦娘がいたとしたら、どういったことになるのだろうか? 

 日本軍が鹵獲した深海棲艦をいろいろと研究していることを聞いたことがある。生きたまま……さまざまな調査、実験を行われた後、バラバラに解体され更に研究材料とされているらしい。普通に考えたら、艦娘だって捕まったら同じようなことをされるんだろうなと思うと、それは死より恐ろしいんじゃないかって思ってしまう。

 その末路を想像するだけで、本当に怖くなる。そんなことになるくらいなら、自爆して死んでしまったほうがマシだ。死んだら深海棲艦になるのも嫌だけど、それは死んだ後の話。まだ我慢できる。それに、敵になったら仲間達が屠ってくれることを信じているし。

 

「どうしてこんなこと考えちゃうんだろう? 今はそんなときじゃないよ」

 ネガティブな思考に陥りそうになるのは、きっと子供達の死を間近で見せられた事が原因に違いない。あんな愚かで理解不能な行動を見せられて、精神へのダメージが大きすぎたんだろう。自分達が守るべき存在に教われるなんて、いまだに信じられない。裏切られたショックは知らず知らず心に不可をかけているんだ。笑顔で慕ってくれていたと思っていた子供達が、心の奥底で自分の事を憎んでいたこと。それに気づけなかったこと。そして、自分の怪我が治癒しないままであることが不安に拍車をかけているに違いない。

 

 「今は敵との距離をできるだけ保ち、追いつかれる時間をできるだけ引き伸ばせるようにすることなんだから」

 深海棲艦との距離は次第に縮んできているけれども、まだまだ離れているままだ。追ってくる艦は3隻もまま増えることは無いみたい。これならば、十分に加賀達で撃滅できる敵の数だ。問題なんてないはずだ。多分、敵も加賀達が接近してきていることを知っているだろう。ならば、勝ち目の無い戦いにあえて挑もうなんてことも考えないはず。それが距離があまり縮まらない理由なのかもしれない。

 もちろん、敵だって増援を要請しているはず。こちら側に何らかのトラブルがあり、チャンスが訪れたなら、全力で襲い掛かってくるはずだろう。

 

 けれど、このまま行けばこちらの勝ちになるんだろうな。どこか安心し気が緩みそうになる。駄目だ駄目だ、しっかりとしないと。自分の心を引き締めて、あたりを警戒する。

 

 突然、艦全体に衝撃が走った。艦が何かにぶつかったかのような衝撃。島風は近くのものを掴もうとするが失敗し、床に投げ出されてしまう。

 そして、原因不明だけれど、エンジンが停止したことが分かった。

 

 痛みを堪え、何とか立ち上がる。

「……一体、何事なの? 」

 あたりを見回すが、付近には障害物のようなものは何も無い。しかし、現実に何かに衝突したような衝撃があった。そして、艦が停止した。まさか座礁でもしたのだろうか? けれどこの海域にそのような岩礁などは存在しない。数十メートルの深さの海が広範囲に続いているだけのはずなのだ。

 

 軽く深呼吸をし、心を落ち着かせる。艦全体の状況を把握しようと意識を艦側に寄せる。

 艦自体には損傷は無いようだ。どうやら外部からの干渉によって、エンジンが強制停止された痕跡だけは確認できた。

 

 意識を艦の外側へと向ける。そして、検知する。

 

「ま、まさか、……何かがいるっていうの? 」

 それは衝撃でしかなかった。

 海底……それも島風という駆逐艦のすぐ下に一つの大きな物体の存在が確認できたのだった。

 それは、軽巡洋艦クラスの大きさに思えるものだった。それは自然の物では無く、明らかに金属で構成された物体……潜水艦だった。

 

 その事実は島風に衝撃を与えるに充分だった。

 今、島風を追っている艦隊所属であれば、こんな場所までこられるはずは無い。そして、そうでないとしたならば、ここで待ち伏せしていたということになる。

 

「そんな……まさか? 」

 断片的な事実を重ね合わせ、ありえない事実にたどり着こうとした島風は、ふたたびありえないものを見てしまう。幻覚にしか思えないけれど、それは幻などではなかった。

 

 艦橋から見える駆逐艦島風の艦首に、いつも間にか、何者かが立っていたのだ。船がなければ来ることができない場所にそれはいた。

 

 それは、真っ白な長い髪を風になびかせる一人の少女だった。

 

 

 

 

 

 

 




今回は凄い短いものになってしまいました。
すみません。


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第220話 選択すべきこと

島風の甲板に現れた少女。

 

それは、本当に―――真っ白な少女だった。

 

「誰……? 」

 思わず呟いてしまう。

 

 恐らく、島風と変わらないくらいの年恰好。白くて、そして輝く髪。透き通るようなほどに真っ白な肌。真っ白なワンピース。そして、裸足。

 あんな子、遭難した船に乗っていた、島風を殺そうとした子供達……の中にいただろうか? 

 

 否。

 

 いたはずがない。そんな事は絶対無いと断言できる。もしもあんな子がいたとしたら、絶対に目立つ。気づかないはずが無いもの。それほど異質で、異常で、少女のはずなのに大人びていて、ありえないほど……島風から見てもため息が出るほど綺麗なのだから。

 

 では、彼女は一体、どこから? そう思った刹那、少女は視界から消失した。

「え? 」

 まさか、海に落ちた? 動揺しながらも、彼女を探そうと痛む体に鞭打ち、彼女を探す。艦橋の窓から下を覗き込むようにするが、どこにもその姿は見当たらない。彼女のいた場所からしても、海に落ちるとは思えない。

 

 どうなっているの?

 疑問だけが沸き起こる。彼女がどこから来たのか、どこに行ってしまったのか。分からないことだらけ。けれど、今はそれよりも優先することがある。

 本来であれば人命救助が優先されるのだけれど、今は艦そのものが危機的状況。この場合、自艦の維持が最優先となる。なので、気がかりではあるものの、自分の身の安全を最優先に行動することにする。

 

 原因不明の停止をしてしまったエンジンの再起動を行わなければならないのだ。敵艦隊は徐々にこちらに迫ってきているのだから。

 

 そう思い、もといた場所に戻ろうと振り返ったすぐ目の前に、あの少女が立っていたのだ。

 

 背丈は島風とほぼ同じ。遠目に見たときには分からなかったけれど、彼女の瞳は真っ赤だった。 それは、まるで血のように……。その瞳が島風を睨む。

「あなた……」

 言葉を発しかけたとほとんど同時に、少女の右手が動く。回避行動を取る間も無くその手は島風の喉元に食い込み、あろうことか軽々と持ち上げられてしまう。

 細い腕をしているというのに、なんという力なのか。片手で軽々と島風の体を持ち上げながら、表情にまるで変化がない。島風は首を絞められた状態で必死に振りほどこうともがくが、少女の手はがっちりの首に食い込んでいて、島風が全力を出しても振りほどくことはできなかった。

 艦とのリンクが確立されている時であれば、脱出することもできたのかもしれない。けれど、今はそれは叶わない。リンクが確立できていない今、島風は人間の、それも普通の少女並の力しか出せないのだった。

 

 呼吸が出来ず、次第に意識が遠のいていくのを感じる。必死に自分を保とうとするが、何時まで持ちこたえられるか。

 

 次の刹那、大きく体が揺さぶられたと思うと、島風は宙を舞っていた。そして、数メートル滑空し、壁に思い切り叩きつけられた。受身を取ろうとしたけれど、体が言う事を聞かなかった。衝撃と激痛が襲う。頭部と背中を強打し、視界が真っ白になる。呼吸ができなくなり、空気を求めて喘ぎ、激しく咳き込む。朦朧とした意識の中、再び喉元に衝撃を感じたと思うと、体がまた宙へと浮き上がる。

 視界が元に戻るにつれ、自分が少女に持ち上げられていることに気づく。

 島風と目が合った少女は、ニコリと笑うとそのまま島風を振り回し、背中から床へと叩きつける。

「ぐえっ」

 何かが潰れたような声が勝手に口から出てしまう。

 少女は再び島風を持ち上げ、床に島風を叩きつける。それを何度も何度も繰り返す。

 

 襲い来る痛みに何度も悲鳴を上げ、それから必死に逃れようともがく島風。けれど彼女の力ではどうすることもできない。頭部を何度も打ち付けられ、次第に思考が停止していく。朦朧となっていく意識の中で、感覚が次第に無くなっていく。あっという間に抵抗する気力までも奪いさられてしまったのだった。

 

「し、しま、かぜ……。しまかぜ、どうしたの? 何があったの? あなた、しっかりしなさい。しま風、島風、応答しなさい!! 」

 そんな状態なのに、遠くから叱咤する偉そうで鬱陶しい声が聞こえてくる。島風の今の状況をまるで考慮しない命令口調の声がガンガン響く。考えるまでも無い。加賀の声だった。思わず「もう、五月蝿い」と叫びそうになる。

 そのお陰か、意識が再び戻るのだった。

 

 加賀……、みんな。こっちに来ちゃいけない。もう敵は、私のすぐ側にいるんだから。

 

 叫ぼうとして声が出ないことに気づく。体にもまるで力が入らない。指一本すら自由にならない状態であることに気づかされてしまう。

 通信機からは加賀の声がまだ聞こえている。切迫した、そして心配気な声色であることもはっきりと分かる。

 

「ウルサクテ ――― ミミザワリ ――― ナ ――― コエ ――― ダネ」

 どことなく機械的な音声が聞こえる。耳障りなノイズのような声。その音声の発信元を探すと、それはすぐ側にいた少女の口から発せられているものであることが分かった。

 それらしき音を発する口の動きをしているけれど、時間差で音声が出てくる感じといえばいいのか。

「マダ ――― ハッセイキカン ――― ニ ――― モンダイ ――― アルミタイ ――― ネ」

 少女は一人納得したようなこと言うと、左手を島風の首筋に当てる。そして、一度目を閉じた。一瞬、刺すような痛みを感じる。

 

「……これでどうかしら? きちんと聞こえるかな? 」

 ものすごくクリアな音声が聞こえてきた。いや、聞こえたというより、直接、音声を感じるといったほうが正しいのかもしれない。だって、実際、少女の口は全然動いていないのだから。その声は、少女の見た目に相応しい可愛いものだった。

 

「あなたは、一体何者なの」

 島風は、そう声にしようとするけれど、喉で何かがつっかえていて咳き込むだけ。声に出すことができない。

 

「声に出さなくても考えるだけで伝わるわよ、島風さん。あたしは……あたしは、うーん、なんなんだろうなあ」

 何か考え込むような素振りを見せる。

「まあ、島風さんが思ってるとおりの深海棲艦ってやつかなあ。人間たちは、たしかカテゴリーは潜水カ級って呼んでるんだよねー。しゃーないかな。あたし、まだまだ若輩者ですから。だから名前は……えっと、名前はまだ無いんだよね。ふふふ」

 妙に馴れ馴れしい感じで話してくれる。

 

 この深海棲艦は、会話するのが好きなのだろうか? と思ってしまうけれど、深海棲艦なんて、まったく人間とかとは異なる生物であるのだ。こんな感じで話していても、心の奥底ではどう考えているかなど想像もできない。この笑顔も、この話し方も、この性格も……すべてが彼女本来のものではなく、ただのテンプレート的なものでしかないかもしれないのだから。

 

 油断してはならないのだ。

 

 そして、この少女は本当に潜水カ級なのだろうか? 戦場で見かけたカ級は軍艦の姿をしているだけで、その中にいる存在がどんな姿をしているかは知らない。そもそも、ヒトガタのものがいるかどうかさえ知らない。

 

 そんな思考の迷路に嵌りそうになる自分に気づいて、ハッとする。何を馬鹿なことを考えているんだ。今は、そんなことを考えている場合じゃない。今は、自分の置かれた状況を把握しなければならないんだ。そして、それを加賀達に伝えなければならない……今すぐ撤退することを。

 もちろん、生還を諦めたわけじゃない。どうにかできるのであれば、なんとかして鎮守府に帰り着くんだ。まだまだ諦めるには早すぎるのだから。生還の可能性、それが唯一の島風にとっての拠り所なのだから。

 

 無言で見返すだけの島風を不思議そうに見ていた潜水カ級と名乗る少女は、笑った。

「島風さーん、あのね」

 親しげな口調で話しかけたと思うと、喉に手をかけたままのその右手に力がこもる。

 

「ぐっ」

 喉を潰さんばかりのその圧迫に呻く島風。

 潜水カ級の少女は、島風の首を掴んだ右手を引き上げた。上半身だけが宙に浮き上がる。次の刹那、そのまま島風の体を床にたたきつけた。

 鈍い音を立てて後頭部と背中が床に叩きつけられる。耐え切れずに悲鳴を上げる島風。少女はそれを何度も繰り返す。

 そして、ぐったりとした島風を満足げに見下ろす。

 

「馬鹿なことを考えているんだね。びっくりしちゃう。まだ助かろうなんて考えているんだ。こんな状態なのにね。けど、何かイライラするわねえ。このままぶっ殺してやろうかしら」

 

「やめて……たすけて」

 そう言うのが精一杯だった。少し動かそうとするだけで激痛が走る。こんな状態では、この深海棲艦を倒すどころか、指さえもまともに動かせない。死の恐怖が目前にあり、体が小刻みに震えているように感じる。

 軍艦であるから死とは常に隣り合わせである。戦場における死は怖いと思ったことは無かった。死という必然なる運命というものを、受け入れる準備はできているつもりだった。それが艦娘というものであり、軍艦というものだからだ。けれど、艦娘島風という人型の少女だけでの死、というものは想像もしていなかったのだ。想定さえしていないことに対する恐怖というものへの耐性は、無い。痛みと恐怖と絶望の果てに訪れる死というものが、島風のすぐ側までやってきて、頬を撫でている。その恐ろしさにパニックになりそうになる。側に仲間も、提督もいない……。たった一人で。死ぬのは怖い。死にたくない。

 

「何も分かってないみたいだから……まあ、こんなに痛めつけちゃったから、当然かもね。えっと、島風さんの今の状況を教えてあげるね」

 息がかかるほどに顔を近づけた少女が、優しく囁いてくる。

 今、駆逐艦島風の真下に潜水カ級が船底に張り付いている。これはアームを用いて物理的に固定されてしまっている。それが、ここにいる潜水カ級であるという。そして、他に海底に動力を停止した状態で二隻の潜水艦が待機しているという。さすがに船種は教えてもらえなかった。

「一言でいうと、もう島風さんに逃げ出せるチャンスは無いってことだね。ポンコツ蒸気タービンエンジンだけで私まで一緒に引っ張って逃げなきゃなんないんだから、絶対無理だよねー。今でさえ出力が全然出ない状態みたいだし」

 少女の言うことは事実だ。今の島風では自分だけでさえ動かすのに往生する状態。潜水艦まで引っ張って動くことなんてできない。そもそも、真下に張り付かれた状態では、攻撃すらできないだろう。

 

「でね、あたしからの提案があるんだけど、……聞いてくれるかな? 」

 その言葉に、思わず身構えてしまう。

 

「あら、どうしたの? ふふふふ、そんなに緊張しなくたっていいんだよ。たいしたことじゃないんだから。あたしの言う事を聞いてくれたら、あなたを無事に逃がしてあげるんだから」

 間違いなくそれは交渉だ。けれど間違いなく何かの代償を求める取引になるのだろう。

 

「島風さんは、あたしの言うとおりにしてくれればいいの。なーに、簡単だよ。今こっちに向かってきてる艦娘が三人いるでしょ? 島風さんを助けるためにこっちに向かってるんだよね。……だから、今あたしたちがここにいることをただ黙ってるだけでいいんだよ。それだけで島風さんは……島風さんだけは逃がしてあげる」

 

「な! ……そんなことできるはずが!! 」

 思わず声を荒げてしまう。

 少女は、自分を助けるために命令違反を犯してまでこちらに向かっている加賀たちの命と引き換えに、自分を見逃してやるというのだ。仲間を売れと言っているんだ。

 

 ありえない―――。単純に拒否をすれば終わるけれど、ここは冷静に思考する必要がある。いかなる状況下においても最良と思われる選択肢にすぐに飛びつかずに、他にもっといい選択肢が無いかを思考する。常に想像力を働かせることが肝要。何度も神通さんに教えられたことだった。

 

 そうやって考えてみると、今、敵は潜水艦三隻。通常海域であるならば、空母1重巡洋艦1系巡洋艦1の艦隊に対しては、敵は貧弱すぎる戦力だ。通常海域での艦娘の戦力は凄まじい。潜水艦であろうとも、装備した様々な武器で殲滅できる。なので何の問題もない。……けれど、現在のこの海は領域化が進行している。どのレベルまで汚染されているかは分からないけれど、もしかすると通常動力が使えなくなっているのかもしれない。

 そうであるならば、話は変わってくる。この場合、……たしかに不意打ちをすればあの三人であっても危険であることは理解できる。真っ先に対潜水艦能力のある神通さんを落とせば、あとの二人は潜水艦に対しては無力。あとはじっくりと料理できるだろう。

 

 状況は、なんとなく理解できる。

 けれど、この程度の状況ならば、なんとかこの深海棲艦たちを出し抜くことはできるかもしれない。彼女に気づかれることなく、情報を加賀たちに伝えることができたなら勝機は高まる。

 

 ならば……。

 

「あーなんか馬鹿な事考えてるね、島風さん」

 見透かしたように少女が言う。その瞳は何かを見下すかのように、冷たいものだった。

「あたしを出し抜いて、何かしようと企んでたんでしょ? ふん……うざいんだよ」

 同時にメキリという音ど同時に、左横腹に激痛が走った。呻き咳き込み苦いものを吐き出してしまう。力任せにわき腹を殴られたらしい。手加減など皆無の容赦の無い一撃だった。 

「うわあ、汚いもん吐き出して、まったく汚いなあ。こんなに可愛い顔して、ゲロ吐いてやんの、汚い雌豚だね。やれやれ、自分の立場を弁えない子は駄目だよ。馬鹿そうな顔して色々と考えてるんだね、島風さんは。頑張り屋さんなのかな? ホントは、島風さんに付き合ってあげたかったんだけどね。あなたに騙されたふりして、お付き合いして、最後に絶望させるっていうシナリオもいいんだけでなあ。でも、時間が無いし許可されなかったから、却下だよー」

 

 そう言う彼女は島風の置かれた現状を解説しはじめた。

 そして、彼女の意向に沿ったシナリオへの参加を強要するのだった―――。

 

 

 

 

 

 

 



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第221話 操り人形

 深海棲艦の少女は、島風に交渉を持ちかけてきたのだ……。

 

 それは、今こちらに向かっている加賀たちの命と引き換えに、島風だけを見逃してやるというものだった。

 今、この海域は、領域の完成形態になっていない。新たに延長したエリアすべてを領域化するには、まだ少し時間がかかるというのだ。

 

「けどね、一部分のエリアだけであるのならば、それはすぐにでも可能なの。……今、どこも領域化していないのは、意図的に行っていないだけなの」

 少女は、意図的になのか唇の端を引きつらせるようにして笑みを浮かべる。

 

 さすがに深海棲艦の意図が掴めた。

 島風は、現在航行できない状況に陥っている。それを加賀達に伝えれば、大急ぎでこちらに来るだろう。それは間違いない。深海棲艦たちは、島風の曳航作業をしている時を狙うつもりなのだ。艦娘艦隊を一網打尽にするために。

 

「曳航作業とその護衛を行っている状態なら、艦の速度は相当に落ちるでしょうね。そこをピンポイントで狙って、島風さんを中心とした半径数キロを領域と化すの。そうすれば、あなたの仲間の艦娘達は唐突に動力を遮断されることになるわね。当然だけど動力の切り替え作業をせざるをえなくなるわけ。でもね、あらかじめ分かっている状態だったらならその作業は十数分で可能でしょうけど、いきなりのブラックアウトとなると艦にはあちこちに不具合を生じているでしょうね。仮に機器に問題が無かったとしてもその復旧時間は30分はくだらないはず。……その間に潜水艦による攻撃をあなたの仲間達に加え、航行能力を殺ぐの。潜水艦だけで全員をやれるとは思っていない。あなた達の力を過小評価はしていない。だから、無理はせず本体の到着を待つわけ。充分な戦力をの到着後、あなたの仲間達は海に没することになる。そのために島風さんには協力して欲しいんだけど」

 

「そんなこと、できるわけない! 」

 苦しさに耐えながらも、必死に声に出した。

 

「えー、何をそんなに嫌がってるの? 島風さん、あなたが一芝居打つだけで、すべてが終わるんだよ。それだけであなたの命は助かるんだよ、生き残れるんだよ。深海棲艦との戦闘で他の連中は死んじゃうけど、それでもあなただけがなんとか助かった。結果としては、それだけのこと。安心して、まさか島風さんとあたし達がグルだったなんて、誰も想像なんかできやしないわ。それにあなたにとってのメリットだってたくさんあるじゃない。あなたは命を失わずに済み、その上、邪魔だった加賀まで始末できるんだよ。決して悪い交渉じゃないでしょう。あなたはたくさんのものを犠牲にしてきてるんだから、それくらいいいんじゃないの? だって島風さんの本当の気持ち、あたし知ってるんだから」

 島風の心を見透かしたように深海棲艦が言う。

 

「な、なにを馬鹿なことを。自分可愛さで仲間を売るなんてできるはずない」

 明確に否定する。けれど心は動揺し、その声は弱弱しくなってしまう。

 

「あ、そう。ふーん」

 少女は興味を失ったような表情を浮かべる。そして、そう言うと、島風の体を床に押し倒しのしかかる。

 

 少女の長く白い髪が逆立ち、まるで生き物のように島風に近づいてくる。髪の毛じゃない何か得体の知れない存在にしかみえない。それは長さを変化させながら、それぞれが別の生き物のように島風の体に絡みつき、肌を這いうごめく。それらは島風のうなじ部分へと向かい、そして皮膚を貫いて体の中へと入り込んでいく。

 

 激痛が駆け巡り、島風は悲鳴を上げてしまう。

 深海棲艦の体から伸びた髪が体内へと侵入してくる感覚を感じながらも、島風はなすすが無かった。得体の知れない何かがウネウネと体中を這い回る恐怖。痛みと気持ち悪さ。頭がおかしくなりそうだ。

 

 やがて、自分の体の自由が利かなくなったことを知る。

 

「どう? どんなキモチ? 」

 少女が興味深げに問いかけてくる。その声は、どういうわけか島風の声色だった。何故? 不思議に感じる。声色を真似た? 否、少女の口は動いていない。何故? そしてその声が自分の口から発せられていることに気づいた。

 

 気づいてしまった。

 

「そう、やっと分かった? 島風さんの体を物理的に乗っ取ったのよ。体中すべてにあたしの神経節が入り込み、あなたからすべてを奪い去ったの。あたしが支配しているのよ。どう? 面白いでしょう。……どうも島風さんは交渉に乗ってくれないみたいだから、直接、島風さんの体を利用して作戦を実行するつもりなの」

 そう言うと少女は島風の体から離れる。

 

 何かに呼応するように、ゆっくりと島風も体を起こした。島風は何もしようとしていないのに。

 自分が意図してないというのに、体が勝手に動いている。折れた腕はブランと垂れ下がったままだ。けれど感覚は全く無いという違和感。それどころか、全身に感じていた痛みが消え去っている。

 

 自分の体のはずなのに、自分の体ではないような感覚。一部感覚のみ共有しているみたいだけれど、大半は奪われてしまっている。

 深海棲艦の少女から伸びた無数の髪の毛が、島風のうなじ部分から体内に入り込んでいることだけは分かる。見ることができないから、自分の体がどうなっているかは分からない。そして、どういう風にそれで体や感覚が乗っ取れるのかは理解不能だけれど、それでも操られているのだ。まるで操り人形。恐怖しかない。

 

 島風はゆっくりと歩き艦橋の席に腰掛けると、手馴れた手つきで通信機を操作しはじめる。もちろん、島風は何もしていない。勝手に体が動いているだけだ。

 何をする気だと思っていると、彼女は加賀達に対して状況を伝達する。いつもの島風とまるで変わらない声で。

 

 エンジンがついに停止して、本艦は航行不能となった。手を尽くしているものの動力の復旧は困難。距離はまだまだあるものの、深海棲艦が追尾接近している状況。本艦は、もはやこれまでと想像。よって、加賀たちは反転し鎮守府へ帰投してほしいと。

 

「ふふふふ。どう? 島風さん。あなたならこう言うつもりなんでしょう? 」

 少女は、面白そうに島風に話しかけてくる。

 それは当然の事だ。こんな罠を仕組まれている海域に、加賀たちを来させるわけにはいかない。自分の事は放って置いて、とにかくこの海域から離脱するように言うだろう。

 

 ―――しかし、何故?

 

 必死になって加賀たちに助けを求める演技をすると思っていたのに、予想と違うことをする深海棲艦に戸惑ってしまう。そうすれば、加賀達は間違いなく救援に向かうはずなのに。これじゃあ加賀達が反転帰投してしまうだろう? それが深海棲艦の意向なのか?

 

 しかし、加賀達の反応も島風の予想に反したものだった。

 

「馬鹿なことを言わないで。まだ敵との距離は全然あるわ。あなたを救助しても十分に逃げ切れるほどに」

 いつも通りの淡々とした、しかしそれでいて強固な意志を感じさせる口調だった。

 この女はどうしていつもこうなんだろう? そんなことを場違いなのは分かっているのに考えてしまう。

 

「馬鹿なことしちゃだめ! 私なんかのために、みんなを危険に遭わせられないよ! 今すぐ、今すぐにここから逃げて」

 それに呼応するように島風は応える。

 その言葉はとても切迫していて真剣だけど、それをさせている少女は必死に笑いを堪えている。

 

「馬鹿なのはあなたよ、……島風」

 真剣な声で、加賀が怒ったように話す。

「仲間を見捨てて逃げることなんて、できるはずがないわ。あなたを置いてなんていけるはずがない。……あなたは、私なんかを助けるために考えられないほどの代償を払った。そのことを私が知らないとでも思っているの? あなたは、軍艦として戦えなくなるほどの損傷を、私を助ける……たったそれだけのためにしてくれた。提督はなんだか誤魔化そうとしていたけれど、まさか私がそれに気づかないとでも? 私は返しきれないほどの恩を、島風、あなたからは受けている。だから、今度は、私がそれを少しでも返す番」

 淡々とした口調。それでもその言葉の一つ一つが島風の心に突き刺さる。ずっと隠していたつもりだったのに、加賀には知られていたのか。

 

「それは、私が提督の役に立ちたかっただけ。加賀は、気にする必要なんて無いよ。それにそんなことで加賀にもしもの事があったら、……提督が悲しむじゃない。そんなのは、絶対に嫌。だから私なんかに構っていないで、今すぐ逃げて。それが私の本当の願いなんだから」

 腹立たしげな様子を演じ、島風を操る少女が叫ぶ。

 

 島風は、この深海棲艦があまりに臨機な対応していることに恐怖を感じてしまう。まるで自分の記憶をすべて把握しているようだ。自分自身が対応するように言葉を繰り出している。

 

「ふん、……それは私も同じことよ。私は、あなたを助けたいからそうするだけ。私が勝手にやることだから、あなたは気に病むことは無いわ。そして、何も気にすることはない。もちろん、私もあなたの気持ちを慮るつもりなんてさらさら無いわ。だから、お互い対等なのよ。……それに、私だって命を簡単に捨てるつもりなんか無いわ。島風を助けだし、みんな無事で帰るつもりだから。だから、ごちゃごちゃ言ってないで、私達が到着するのを大人しく待っていなさい」

口調は冷たいけれど、その奥底にある優しさが感じとれ、島風は泣きそうになる。

 

「加賀……。あなた、馬鹿だよ」

 本当に見も心も乗っ取られているのだろうか? 自分の心を理解しているように話す深海棲艦に、背筋が寒くなる。

 しかし、島風の本来の感情などまるで無視して、勝手に口から言葉が出ていってしまう。

 

「そうね。……馬鹿かもしれないわ。お馬鹿な冷泉提督の側にいたせいで……好きになってしまったせいで、あの人の馬鹿がうつったのかもしれないわね」

 

「それは、私も同じかも」

と、高雄も呼応する。

 

「提督は、馬鹿なんかじゃありません! 」

 否定する神通。

 

「みんな、ありがとう」

 島風の気持ちに反して、口から出る声は涙声になってしまう。心は必死で来ちゃ駄目だ。これは罠だよと叫んでいるのに。

 

「待っていて、島風。きっとあなたを必ず助け出すから」

 強い口調で応える加賀。

 他の二人も同じような言葉をかけてくれた。

 

「うん……待ってる」

 乗っ取られている体なのに、涙が溢れてこぼれていく。

 

 これは彼女達の気持ちが嬉しくて、泣いているのだろうか?

 それとも、自分の意に反して大切な仲間を死に追いやってしまうことに絶望しての涙なのだろうか?

 

 どちらにしても、今の自分ではどうすることもできない。

 

 しかし。

 

 



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第222話 忘れていた感覚

 通信の切断を確認すると、白い少女は再び島風に話しかけて来る。

「もうすぐ島風さんの仲間達がここに来るわ。ここが彼女達の最後場だとも知らずにね。島風さんを助けようと必死になってここまでやって来るの。それを罠と知ることも無くね。そして、島風さんの目の前で惨めに沈んでいくのよ」

 島風は体を乗っ取られているため、言葉を返すことすらできない。それを知っていながら、煽るように少女は言葉を続けるのだ。

「島風さんを生かすか殺すかはまだ指示が来ていないから何とも言えないんだけれど、あたしとしては生かして欲しいなって思ってる。だって、うまくすれば島風さんの体を乗っ取ることができるかもしれないんだから……ね」

 少女はニヤリと嗤った。

 それは冗談でもなく、本気で言っていることが分かるから、島風は戦慄するしかなかった。どうやってそんなことができるのかは分からない。そもそも、目の前の深海棲艦は人型をすでに持っているというのに、他の人型を求めるのかも理解不能だ。

「島風さんは知らないでしょうね。今動かしているこの体は、ただの借り物。任務の為に与えられた人の代用品。おまけに使い込まれた中古品。そもそも常用なんてできるはずもない不良品なんだけどね。そして、島風さんには感じとれないかしら? ちょっとこの体、臭ってきてるでしょ? そろそろこの体も限界が来ているわけ。だから乗り換えないといけないんだけど、新鮮な人型をあたしクラスが貰える分けないのよね。そもそも人型を使わせてくれること事態、そんなに無いんだから。だから……ホンモノの体がずっとずっと欲しかったの。今回の作戦がうまくいけば、きっと上に行かせてくれる。そうなれば、常用の体を貰えるかもしれないのよね」

 獲られる褒章に想いを馳せたのか、少女は満面の笑みを浮かべる。

 つまり、加賀達を沈めることができれば、少女には本物の体が与えられるというのだろうか。深海棲艦がどのように生まれ、どのように成長し、そして自分達の前に敵として現れるのか。そいうったことは、まるで知らない。知る必要もなかったからだ。そして、それを知ったところでどうなるものでもない。意味を成さないノイズのような知識だ。必要な事は、現れた敵は殲滅する。負ければその先にあるのは死のみ。そのシンプルな世界に生きてきたし、この先も自分が生きているかぎりはそれが延々と続くだけ。それが艦娘なのだ。

 

「お仲間が到着するまで少し時間があるから、いろいろと話してあげるね。だって島風さんは沈められるか、生かされるのであればコアは回収され体はあたしのものになるしかないのだから。ふふふ、隠す必要もないもんね。どうして島風さんが今、こんなことになっているのかをね」

 そして、深海棲艦は語り出したのだった。

 

 今回の民間船の遭難事故が、島風をこの海域に来させるために仕組まれたものであったことを。そして、その目的が島風を沈めることだったということを。

 起こった事実から、それは島風にも分かっていた。けれど、そんな事のために、何人もの子供達に爆弾を装着させ、自爆させるという作戦を実行させた人間という存在に狂気に寒気がするとともに激しい嫌悪感を感じた。

 更に、これが大湊警備府が深海棲艦の助力を得るための対価であったことに絶望した。

 

 深海棲艦の少女は言った。

「今回、島風さんの命を差し出すことで、我々と日本人のある政治家のが手を結ぶことが決定されたの。これは彼の同胞である大湊警備府の……カツラギ提督の同意を得てね。だから、島風さんだけが遭難船の救助に向かわされたわけなの。最初からおかしいと思ったでしょ? けれど命令だから承諾せざるを得なかった。……軍艦だから当然よね。でも、寂しいよね、島風さん。たくさんいる鎮守府の艦娘の中で、島風さんが死んでもいいって提督に判断されちゃったんだよね。惨めだよね? 聞こえてるかな」

 言われなくても聞こえている。隣で怒鳴り声を上げられているくらいに深海棲艦の声は聞こえている。聞きたくないのに聞こえてしまうこの状況に耐えられない。喋り続ける少女の口を塞ぎたいくらいなのにどうすることもできない。

 

 聞きたくもない事なんて勘弁して欲しい。 

 自分が鎮守府の中で一番いらない子だって、言われなくても分かっている。そんなの分かっている。

 

 深海棲艦と大湊警備府が手を結ぶという、反逆行為には驚きこそすれど、それ以上の感情は沸かなかった。自分が属するのは舞鶴鎮守府であり、よその鎮守府がどういったことを考え何を成そうとしていたとしても、それは他人事でしかなかったからだ。それぞれの鎮守府の提督には大きな権限が与えられている。もちろん大きな力も。だから、国家意思と異なることを選択することもありうるだろう……そんな感じだ。

 自分がその交渉の対価に使われたということのほうが驚きであり、自分の鎮守府における価値のほうが重要といってもよかった。

 

「島風さんは、カツラギ提督が生贄として差し出したって思ってるでしょ? でも違うんだよね。あなたは舞鶴鎮守府の艦娘。だから、一応、まだ司令官の役職に残ったままのレイゼイ提督にも確認を取ったんだってさ。分かる? この意味。……島風さんは、レイゼイ提督からも見捨てられたってことなんだよー」

 

 嘘だ―――。

 すぐにそれは分かった。深海棲艦が私の心を折る為の作り話だ。

 

 冷泉提督なら、誰かを犠牲にして何かを得ようなんて考えない。誰かを犠牲にするくらいなら、自分ですべてを背負い込もうとする人だ。自分だけでなんとかしようとして……だから一人で苦しんでもがいているんだ。過去も今も、そしてこの先も。その苦しみを少しでも和らげることとできたらどれくらい幸せだろうか。

 

 もし、提督が死ねと命じてくれたなら、喜んで死んだだろう。けれど、提督は言わない。言うはずがない。そもそもそういった選択肢など、彼の中に存在しない。

 

 だから、深海棲艦の心はまるで響いてこない。まるで傷つけることなんてできない。無意味だ。

 しかし、気になる発言だ。葛木提督が反乱を計画し、それを実行しようとしている? それは事実なのだろうか? 喋ることができたのなら、深海棲艦に問いかけ真意を探ることもできるかもしれないけれど、今の自分には叶わぬ事だ。

 そして仮にそれが事実だったとしても、もはや自分にはどうすることもできないこと。

 

 人には出来ること出来ないことがある。このことは誰かに任せるしかない。もちろん、メッセージを残すことができたなら最高なのだけれど、それすらどうなることやら。

 

 今は自分にできることを模索するしかない。できることをやるしか……。

 

 それは、何とかして罠が仕組まれていることを加賀たちに伝えることだ。しかし、完全に心と体は分離したかのようになってしまっている。体に干渉しようとしてもどうすればいいかさえ分からない。視力と聴力だけはまだ共有しているのは分かる。しかし、これはあえて深海棲艦に許されているだけなのだろう。悪趣味なことに、これから起こる悲劇を自分に見せ付けるため、聞かせるために。といっても自分の意思で見たいもの聞きたいものを選ぶことさえできないのだけれど。

 

 指一本動かすことさえできない。傷の痛みも完全に無くなっている。床に倒れているのに、床の冷たさを感じない。視力と聴力以外の感覚は失われたままだ。それどころか自分が息をしているのかさえ認識できないんだから。

 まさにモニターで他人の視界を見せられているかのようだ。

 

 どうすればいい? どうすればいい?

 何か何か何か!!

 

 瞬間。

 違った感覚が残されていることに気づく。

 ゆっくりと赤黒く染められていく世界。かすかに感じ取れる風。そして潮の香り。穏やかに当たる波。次第に透明感を無くしていく水面。

 

 なんだ? この感覚は?

 感じ取れるものは艦娘としてのものよりも遥かに大きな範囲。

 

 これは!

 

 そして気づく。

 この感覚が、駆逐艦島風のものであることを。

 



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第223話 島風轟沈

 島風は感覚を走らせる―――。

 

 まさかとは思っていたけれど、伝わってきた。

 敵は島風の人型の支配のみに集中していたのか、艦の支配を失念していたのだろうか? それともすでに物理的に押さえ込むことができていたから、必要を感じていなかったのかもしれない。

 少女の本体である艦は、駆逐艦島風の真下にあり、艦に装備されている三本のアームがしっかりと食い込み、島風を捕獲している。

 仮に加賀たちが索敵をしたところで、一つの艦にしか認識されないレベルなのだろう。

 

 よほど近くまで接近しないかぎりは……。

 

 深海棲艦は何かの作業に忙殺されているらしく、島風には意識を向けていない。すでに鎮圧済みと判断しているのだろう。

 

 チャンスは今しかない。今の自分に出来ることはないかを捜し求める。しかし、余計なことは極力控えなければならない。妙な動きは敵に感づかれる危険が高いからだ。できることを最短距離で行わなければならない。

 

 敵は、潜水艦……。艦砲射撃は無意味。そして、目の前にいる深海棲艦以外の敵の位置はわからない。

 けれど、今も加賀たちはこちらに向かってきている。自分を助けようとして。

 

 ―――時間は、もう無い。

 祈るような気持ちで装備された爆雷投射機に意識を向けた。

 

 反応アリ

 

 ……いける。

 爆雷は投射可能状態。いつでも射出できる。……ならば、考えるまでもない!

 

 それでも、一瞬、……ほんの一瞬だけ島風は躊躇した。

 軍艦である宿命から、死を恐れたことなどこれまでない。いかに絶望的な状況であろうとも勝利を模索し、それ一点のみを目指すよう教育されていた。結果、敗北しようとも。

 

 ……なのに。わかっている。思い悩んでも、いくら望んでもどうしようもないこと。やらなければならないことは、決まっている。あとはそれを成し遂げるだけ。それが自分のなすべきこと。なさねばならないこと。ただ、それを為すだけ。 

 

 提督、……ごめんね。

 島風は起動する。同時に爆雷が射出される。

 

「な! 」

 射出音を検知し、深海棲艦が声を上げる。

「何てことするの! 自爆するつもり? 巻き添えなんて御免だわ」

 深海棲艦は体を起こし、島風を突き飛ばす。 

 全身を貫くような痛みが、感覚をなくしたはずの体に駆け巡る。島風の体の中に侵入していた深海棲艦の髪の毛が引き抜かれる。支配権を放置してでも島風から離れ、脱出をしようとしているのだろう。

 島風の体は、崩れ落ちるようにして床に倒れこむ。

 強引に接続を解除したためだろうか、体は島風の自由にならないままだ。指一本動かすことさえできない。一瞬だけ感じた痛みは幻覚なのか? 今は痛みも何も感じることはない。

 

 視力と聴力だけは感じ取れている。

 その残された感覚の一つ、視界の片隅に深海棲艦の少女を捕らえる。残念ながら、視界は自由には切り替えられないようだ。

「くそうくそうくそう! おのれおのれおのれおのれ、この馬鹿女めええええええ」

 狂ったように怒りを見せる少女の真っ白だった髪が血の朱で染め上げられている。目を吊り上げて島風を射殺すように睨みつけるが、次の行動に移る間も無く、爆発音と同時に海底からの衝撃が艦全体を走る。

 

「うぎゃああああああああああああああああああああ! 」

 深海棲艦が悲鳴を上げる。

 爆雷がうまく爆発したようだ。彼女の反応からも、ダメージはきちんと入ったらしい。

 島風だってもちろん無事じゃない。けれど覚悟を決めた彼女にとって何も躊躇する必要は無い。冷静に次の爆雷を射出する。ある限りの爆雷を発射するのだ。敵を殲滅するまで。自艦が沈むまで。

 

「ちょ、ま、待ちなさい。あんた達。この攻撃はあたしが止めるから、変な行動をしないで。……す、するなっていってるだろう! 」

 誰に向かってか深海棲艦が叫び声をあげる。

「ば、馬鹿、あたしまで一緒に屠るつもりか? 誰の命令だっていうんだよ、ちょっと待てっていってるでしょう。……クソ、馬鹿野郎っ」

 深海棲艦は叫び声を上げるといきなり駆け出し、艦橋の窓を叩き割って外へと跳躍していった。

 

 深海棲艦の少女が海に飛び込んだことが検知できた。敵は完全に駆逐艦島風から撤退したようだ。

 どうやら爆雷攻撃により、海底に身を潜めていた別の深海棲艦の潜水艦が危険を察知して島風を仲間の深海棲艦ごと沈めるよう指示を受けたのだろう。

 初弾の爆雷により、島風の真下に取り付いた潜水艦には相当なダメージを与えている。

 

 そして、少し離れた場所から魚雷が射出されるのを検知した。  

 

 ついに終わりの時が来たらしい。そう感じた島風の心は、すでに覚悟を決めていた。

 

 下から金属と金属が激突するような音に続いて衝撃。大きく宙に浮かび上がるような感覚。実際に体も宙に浮き上がる。そして、続けて艦も体も落下する。

 床にたたきつけられ、体がゴム鞠のように跳ねる。

 恐らく、体の機能が生きていたなら、島風は激しい痛みを感じたのだろう。けれど、すでに精神と体はリンクを解除されており、何も感じなかった。痛いのだろうなという認識があるだけだ。

 

 ただ、終わりが来たんだな……と感じただけだった。

 

 また、沈むのか……。生まれ変わってもやはりこの宿命からは逃れられないんだな。けれど、それは生まれ戦いそして死んでいく。ただそれだけのこと。軍艦として当たり前の運命。戦いの中で死ぬことは本望……。

 けれど、やっと終われる。また平穏な暗闇に戻れる。静かな静かな……。

 

 そう思った途端、悲しみに押しつぶされそうになる。絶えられないほどの孤独感が襲いかかってくる。 

 死など怖くもなんとも無い。けれど、もうあの人に会えないこと。あの人とともに歩けないこと。あの人と一緒に戦えない事。そのすべてが恐怖と悲しみでしかなかった。

 死にたくない。まだ生きたい。こんなところで死にたくない。ひとりぽっちで逝きたくなんてないよ!

「て、提督……」

 その瞬間、視界が炎に包まれた。

 

 

 

 

「駆逐艦島風……沈没しました」

 艦内に冷静な声が響く。聞きたくもない事実が告げられる。その事実を伝える神通の声は、感情を押し殺したものだった。淡々と事実を告げるだけだ。

 

「そ、そんなことが……あるわけない」

 崩れ落ちるように加賀は床にへたり込んでしまった。腰が抜けたように立ち上がることができない。

 島風はすでに敵の手中にあり、罠が仕組まれていたのだ。それを打ち破ろうと、島風は抵抗し、撃沈された。

 彼女は自らの命を犠牲にして、危機を自分達に教えてくれたのだ。

 

「なんで……。なんで死んじゃうの」

 思わずこぼれた言葉はたったそれだけだった。

 加賀は島風に大きな借りがある。今回それを返すチャンスだったのだ。それが、恩を返すこともできず、それどころかまた彼女に命を救われてしまった。しかも今度は彼女は自らの命を犠牲にして。

 もう、彼女に借りを返す機会など訪れないのだ。

 

「まだ、まだ間に合うわ。急ぎ島風を救出に向かいます」

 加賀はそう言わずにはいられなかった。

 このまま借りを作った万で終わらせるなんてできない。そんな事実を認められない。島風を死なすわけにはいかない。絶対に助けるんだ。きっと助けて見せる。そうでなくては自分の気がすまない。

 

 島風の死を、冷泉提督に伝えることなんてできるはずがない。彼にどんな顔をしてこの事実を報告すればいいというの。彼になんて言えばいいというのか。

 

「落ち着いてください、加賀さん」

と、高雄が叫ぶ。

 

「まだ間に合うわ。今からでも艦を救うことはできなくても、島風だけは救い出すことはできるはず」

 そうなのだ。艦はもう沈没しただろう。けれど、人型である島風はまだ無事なはず。きっとまだ生きているはず。ならば彼女だけでも救い出すんだ。

 

「加賀さん、冷静になってください」

 感情的になる加賀を宥めようと声をあげる高雄。

  

「何を言ってるの高雄。早く行かないと間に合わない。こんなところで議論なんてしている場合じゃないのよ。あなたは島風を見殺しにしろと言うの? 仲間を見捨てろと言うの? そうじゃないでしょう、だったら、今すぐ島風を」

 こんなところで議論なんてしている場合じゃないのだ。とにかく今は島風を! 

 

「……落ち着いてください、加賀さん。もう無理です。今から島風を助けにいったところで間に合いません。駆逐艦島風は、すでに沈没しています。恐らく、彼女は艦とともに海底に没したはずです。そして、海底には少なくとも2隻の潜水艦がいるようです。さらに海域は半分領域化している状況。どのような罠が仕組まれているか分かりません。敵本隊も接近中の今、この戦力で向かうのは自殺行為でしかありません。これ以上の戦闘の拡大は犠牲を増やすだけで、戦略的にも戦術的にも無意味と私は判断します」

 状況を説明する神通は、あくまで冷静だった。あまりにも事務的なほどに。

 

「な! ……神通、あなたは仲間に対する想いというものが無いの? まだ島風は生きているに違いないわ。私達が勝手に判断して見捨てていいものじゃない。だから! 」

 

「島風が一番状況を把握していました。そして、彼女は私達の到着を待つよりも敵の殲滅に動きました。たとえ勝ち目が無くともそうすることで、私達に彼女の置かれた状況を知らせようとしたのでしょう。私達が助けに行ったとしても、それは敵の罠の中に飛び込むことだと教えるために。私達の命を守るために」

 恐らくは神通の言う事が正しいのかもしれない。いや、正しいのだろう。けれど、それを受け入れることが加賀にはできない。

 自分だけが助けられ、結局何も返すことなく……それどころか彼女の絶対的な危機に手を差し伸べることさえできず、見捨てるなんてこと。そんなことできるはずがない。

 

「神通、あなたは島風の事をなんとも思っていないの? 彼女が死に瀕しているというのに、わが身大事さで見捨てるっていうの? あなた達は私なんかよりずっとずっと付き合いが長いはずなのに、そんな薄情なの? 」

 言いすぎだと分かっていても言わずにいられなかった。神通が言っていることが正しいのは分かっている。けれどそれを受け入れられないから、誰かにきつくあたるしかできない。

 

「加賀さん、それは言いすぎです」

 耐えかねて高雄が口にする。

 

 しかし、そんなことくらいで感情を抑えることなんてできない。

「どうなの、神通。なんとか言いなさい」

 

「……私は、島風の意志を大切にしたいだけです。彼女は自分の命を犠牲にしてでも私達に敵の罠を知らせようとした。だから、私達は生きて帰らないといけないんです。だから、加賀さんがどうしても島風を助けに行こうっていうのなら、力づくでも止めます。絶対に認めません。島風の思いを無駄にしないためにも……これは本気です」

 普段、あまり自分の意見を言わない彼女が明確すぎるまでに我を通そうとしている。それにも少し驚いてしまう。

 加賀が行こうとするなら、本気で彼女は止めるつもりだ。武力を行使してでも。その気迫だけはひしひしと感じ取れる。圧倒されてしまうくらいに。

 

「……あなた、島風の命なんてどうでもいいのね」 

 思わずそんな言葉が出てしまう。

 

「く……」

 呻くような声が聞こえた。同時に何かを強く打ち付けるような音も。少し間が空き、その後大きく深呼吸をしたと思うと

「すみませんでした。なんと言われようとも結構です。けれど結論は変わりません。大湊に帰投します……よろしいですね」

 

「わかったわ」

 加賀には、そう答えるしかなかった。

 

 島風の救出は失敗に終わった。

 悲しみだけを残し、作戦は終了する。

 

 



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第224話 思わぬ来訪者

「さて、今日は何をしようなかあ」

と、冷泉は誰に言うでもなく呟いた。

 

 憲兵に拘束され、どこか分からない施設に拉致されて一体何日経過したのだろうか? 窓のある部屋に連れて行かれたことが皆無のため、日時の感覚がない。部屋に時計など無く、取調べの兵士達も一切の時間がわかるものを身に着けていない。

 

 容疑者として捕らえられた冷泉だ。当然、苛烈な取調べが行われると覚悟していたけれど、……実際にやられそうになったんだけど、艦娘サイドが鹿島を派遣してくれたお陰で、酷い暴行を受けずに済んでいる。彼女は艦娘代表として派遣されているらしく、憲兵隊も迂闊な事をすることができないらしい。取調べ時間や一日の回数は厳格に決められ、1秒たりとも越えることを彼女は認めなかった。おまけに取調べにも同席し、憲兵達の行動を監視していた。

 艦娘を間近で見ることは憲兵達はなかったのだろう。むしろ彼らのほうが緊張しているようで、取り調べも形式的なものを越えることは無かった。このため、冷泉に対する取調べは遅々として進まず、拘束期間は長くなる一方だった。それでも、拷問を免れたのだから、幸運といっていいのだろう。

 

 毎朝、鹿島はやって来て、取調べに同席し、夕方、冷泉の留置されている部屋の封印を確認してから帰っていく。そして、また朝やって来て、封印を自らの手で解除して……を繰り返している。

 それが日数を数える唯一の方法であり、鹿島がやってくるのはすでに20回を越えている。

 

 彼女は常に冷泉の体調や精神状態を気遣い、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。命令を受けているのだろうけれど、任務を越えているんじゃないかというほどのサービスぶりだ。まるで恋人のような振る舞いに、冷泉の方が照れてしまうほどだ。

 艦娘である鹿島が側にいると、今、自分が置かれている状況を忘れそうになる。それが逃避であることは理解している。どう足掻いても光の見えない状況。結論はすでに出ていて、それに向けて手続きを踏んでいるだけで、やがて宣告される未来を受け入れるだけなのだから。

 

 鎮守府司令官の任を解かれ、それどころか軍人としての身分すら失い、放逐されるであろう未来。ここがどこか分からない世界にいきなり放り込まれ、わけの分からない役職に就けられ、やっと見つけた自分の居場所をあっけなく失う。

 

 ああ、知り合いも誰一人いないこの世界で、どうやって過ごしていけばいいんだろう。それは本能的な恐怖だ。できることなら逃れたい運命。しかし、逃れられない運命。殺されるよりはマシだろう……? それは正しい。けれど、殺されないのであれば、やはり少しでもマシな未来を求めるものだろう?

 

 いつしか、冷泉は自分の先の見えない未来というものを恐れるようになっていた。毎日毎日をなんとかやり過ごし、一日でも長く今の状況が続けばいいと思っていたのだ。

 変化は恐怖の対象でしかなく、たとえ拘束された状況であろうとも、鹿島が側にいてくれて自分を守ってくれる日常。朝起きて、鹿島と言葉を交わし、ご飯を食べて、形式的な取調べを受け、昼ごはんを食べる。午後は再び取調べを受け、終われば晩御飯を鹿島と取る。そして、風呂に入り、部屋に戻って彼女と別れる。それを永遠に続けられればと思っていたのだ。

 

 否、ずっとずっと続くと信じていた。願っていた。そして、そうあるべきだと望んでいたんだ。

 

 何かあっても彼女が守ってくれるし、優しい笑顔で見つめてくれる。その陽だまりに身をおき続けていたかった。それが幸せだと思っていた。望んだものだと思っていた。

 

 自分が何者であるか、何を成さねばならないか……。そんなことをもはや忘れようとしていたのかもしれない。だって、もう自分には何も為す地位も権力も無いのだから。

 

 せめて平穏な日常くらい与えてくれたっていいじゃないか。

 十分過ぎるくらい努力したし、苦しんだし、悲しんだんだから。

 

 

 

 その日もいつものように鹿島がやって来て、部屋から冷泉を連れ出してくれるはずだった。しかし、迎えに来たのは杖をついた一人の少年だった。

 

 草加甲斐吉と名乗った兵士は、まだ少年としか思えない幼い顔立ちをしていた。まだ少年兵として採用されてそんなに日が経過していないんじゃないだろうか。しかし、その体の状況を見ただけで、普通では無いということが分かった。杖をついているのは片足を失っているからだろうが、それはフェイクであることがすぐに分かった。明らかに強化された義足がはめられている。それ以外にも体のあちこちに機械的な装置が取り付けられているらしいことが分かった。

 実際、彼は、第二帝都東京より派遣されてきたと言った。つまり、艦娘三笠の手の者であることを認めたのだ。

 

 どうりで鹿島がいないわけだ……。しかし、そんな奴が一体何のようなのか? とぼんやりと考えてしまう。鹿島の代わりなんてふざけたことは無いだろうなあ。もし、そうだったら嫌だなあと思う。なんで野郎の世話を受けないといけないんだよ。場違いだと思いながら、そんなことを考えていると、少年が口を開いた。

 

「冷泉提督、本日はあなたに確認してもらいたいことがあり、戦艦三笠の命により参りました」

 一応体裁を整えた言葉遣いをしているけれど、どこか蔑んだようなものを感じさせる口調だ。冷泉が提督というのは名ばかりであることを知って馬鹿にしているのか? それとも彼がこんな場所に派遣されたことを自嘲しているのかは分からないけれど。

 

「先日、とある場所において……具体的な場所については機密事項でありますので詮索はご容赦ください」

と、もったいぶった口調。

「事件性のある案件によって死体が発見されました。そちらについて、冷泉提督に確認していただきたく、こちらに参った次第です。ご足労をおかけしますが、提督に確認をお願いしたく……」

 

 死体の確認……かよ。こんな場所までわざわざ来て、死体を見ろっていうのか。朝から不快な申し出に思わず不満が顔に出てしまったのかもしれない。

 少年の口元が歪んだ。しかし、すぐに取り繕うような笑顔に変化する。

「朝から大変申し訳なく思いますが、これは戦艦三笠よりの依頼であります。ご協力をお願いします」

と、深々と頭を下げる。

 

 冷泉に確認させる遺体ということは、舞鶴鎮守府の関係者の遺体であるのだろう。先日の事件においての犯行グループの中に鎮守府の兵士が紛れ込んでいたのは疑いようの無い事実。そしてあの事件の後、行方不明となった兵士がそれなりの数いたことも知っている。恐らく、その中の一人が死体で発見されたのかもしれないな。

 上司としてそれを確認するのは当然の義務……か。

 

「分かった。わざわざご苦労様だね。是非とも協力させてもらうよ」

 上司としての勤めでもあり、裏切り者の顔を見てやりたいという好奇心もある。

「案内してくれ」

 

「すぐにご案内します」

 そう言った草加が、一瞬だけではあるがニヤリと嗤ったように思えたのは気のせいだろうか?

 

 



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第225話 登場する真実

 草加甲斐吉は、評価する…冷泉朝陽という男を。

 

 そして、評価を下したのだった。

 自分よりも遥かに劣る……それどころか明らかな無能であり、単なる強運と恵まれたコネクションだけで成り上がった人間でしかないと。

 

 初めて彼を見た時、驚いたものだ。

 容疑者として拘束され、長期間交流されていたはずなのにずいぶんと血色がよく、やつれた様子などまるで無かった。通常、憲兵による取調べを受けたものは肉体的そして精神的に極度に追い詰められるはずなのだ。なのに彼はまるで安穏と日常を過ごしていただけにしか見えなかった。

 

 聞くところによると、途中から帝都より「あの」鹿島が派遣され、冷泉を守っていたという。それを聞いて、何故、冷泉という男だけがこれほどまでに厚遇されるのかと気が狂いそうになった。拷問に次ぐ拷問でぶち殺されたって仕方ない状況のはずなのに、あろうことか最高クラスの艦娘をあてがわれていたのだ。

 

 草加は冷泉に対する嫉妬を押さえ切れなかった。

 

 腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ。

 なんで……あいつだけ! あんな奴だけ。

 

 実際に会っても、この男はごく平凡な男にしか見えなかった。顔はせいぜい人並み程度といった評価くらいしか受けないだろう。背も平均よりも少し高い程度でしかない。所詮、街で見かけたところで誰も振り返らない……それどころか記憶にさえも残らない平々凡々さでしかない。

 見てくれはダメでも能力が優れているのだろうと納得しようとする。確かに記録上の学歴は、なかなかのものだ。草加では手も届かないところにあるといってもいい。けれど、あくまでこれが本当ならば……だ。だって、経歴なんていくらでも詐称できるのだ。なぜなら、彼は艦娘勢力の後ろ盾があって鎮守府提督になったという噂があるくらいなのだから。身の丈に合わない地位についた結果が、それを証明しているといえるのではないか。

 

 完全に艦娘の配下という感じではないけれど、冷泉という男が艦娘勢力にとっては利益をもたらす存在である証左なんだろう。どういった理由があるのかは草加には理解すらできないが。

 

 こんな男だけが何故優遇されるのか!! そんな内からあふれ出しそうになる怒りを面に出さないように必死だった。

 後ろを歩いてくる冷泉に感づかれないように無言で歩くしかない。なんとか慣れたとはいえ、やはり杖を使って歩くのはまだまだスムーズにはいかない。

 

「君の脚、……それは深海棲艦の侵攻の際のものなのかい」

 唐突に冷泉より声をかけられる。

 一瞬、自分の心を見透かされたかのように感じてギョッとして振り返る。しかし彼の顔を見てそれが杞憂であることが分かった。どうやら沈黙が耐えられなくて聞いただけのようだった。

 

 草加は、曖昧な笑みを返すだけでそれ以上は応えなかった。すると、彼は

「そうか、それは辛かっただろうね」

と、勝手に納得したような顔をしていた。

 

 目的の場所の前まで来ると一呼吸置いて、

「こちらです」

 そう言うと、扉を開く。

 そこはもともと医務室として使っている部屋であり、事務机といくつかの保管庫がに並べられている。かすかに薬品の臭いが漂ってくる。

 部屋の奥にはカーテンで仕切られたいくつかの小部屋があり、区画ごとにベッドが置かれている。

 

「一体、ここになにがあるというんだ? 」

と、不審げに問いかける冷泉に、草加は答える。

 

「こちらをご確認ください」

 そう言うと草加は一つの区画のカーテンを開く。そこのベッドには、一人の少女が横たえられている。つややか銀髪の少女がそこにいた。白磁のような白い肌。普段はしていなかったであろう頬紅や口紅がその美しい顔をさらに強調している。

 

 そこに横たえられたのは、駆逐艦叢雲だった。

 第二帝都東京の管理者たる戦艦三笠の命により、ここまで連れてきたのだ。否、すでに死んでいる者なのだから、運んできたというのが正解か。

 

 叢雲の遺体を冷泉見せてあげてください。……指示はただそれだけだった。一体? と問いかけても答えを返してくれることは無かった。

 彼女の意図を把握することが自分の地位向上の最たる方法であることは分かっているが、彼女が何を意図しているか理解できないままだった。

 

 草加に言われ、冷泉は仕切られた部屋の中を覗き込む。

 草加はその次の展開を想像し、ニヤリとしてしまう。何も知らない冷泉はそこに横たえられたかつての部下……しかも懇意にしていた艦娘の一人の叢雲の亡骸を見てしまう。その衝撃はどの程度のものなのだろうか? それを想像すると笑いそうになる。

 

 だが、しかし。

 

「草加くんと言ったよな……すまない。俺の理解不足かもしれないんだけれど、君の意図するところが分からないんだが」

と、間の抜けた声が返ってきた。

「うん、つまりだな。どうやらここに寝かされている少女はすでに亡くなられているようだけれど、……はて、この子は何者なんだろうか? 俺にこの少女の遺体を見せて、どうしたいというんだ? 意味が分からないんだけれど。俺は現在、取調べ中の身なんだよ。その時間を中断してまで、この少女を見せた意図が分からない。それを承知した憲兵も憲兵だけれど、はて、三笠さんは何を考えているというんだろう? 」

と、まじめな顔で問いかけてきた。

 

 はあ? お前何を考えているっていうんだよ? 思わずその言葉を口に出しそうになる。

 お前の目の前に寝かされている少女が叢雲だって分からないっていうのか? 憲兵に殴られすぎて頭がおかしくなったのか? 本気でそう思ってしまった。

「冷泉提督には、その少女が誰だか分からないというのですか」

 

「いや……分からないも何も、見たことが無い少女だよ。前の鎮守府での事件の関係者? ということなのか? けれど、俺が知る人間にはいないんだけれど。いや、もちろん、舞鶴鎮守府に出入りする人間すべてを把握しているわけではないから、絶対に見たこともないとは言い切れないけれど、少なくとも鎮守府の職員ではないとは言い切れる」

 思わず言葉を失ってしまう。

 この男、本気でそんなことを言っているのか?

 

「いや……提督。失礼ながら、本気で仰られてるのですか」

 

「もちろん本気だよ。少なくとも俺が知りうる人間の中に、この少女はいなかったはずだ。だからたとえ彼女が事件の当事者だったとしても、俺からは何の情報も引き出せない。三笠さんがどういったことを調べようとしているのかは分からないけれど、お役に立てなくて申し訳ない」

 そういって済まなさそうに頭を下げた。

「しかし……この少女は一体、事件にどのようなかかわりがあったんだというんだい? まだ幼いというのに、どんな役割をしていたんだろうか」

 

 驚きはしたが、まさに三笠の言うとおりになっていることに驚く。恐らく、冷泉提督は叢雲の遺体を見ても彼女だと認識できない。彼女はそういったのだ。

 だから、草加は事実を告げる。

 

「提督、あなたの目の前にいる少女に見覚えがないというのであれば、教えてあげましょう。その少女はあなたの部下であった駆逐艦叢雲ですよ。もっともっとよく見てください」

 そう告げた刹那、鼻で笑うような態度を冷泉は取った。

 

「ふふふふ……はははははは。いや、すまない。あまりに突拍子も無いことを言われたもんだから、笑ってしまったよ。君は……思ったより冗談好きな人間だな。……もっとも、面白くないけれど」

 

「……」

 草加は彼の正気を疑うような表情をしてしまう。

 

「この子が叢雲だって? 何を分からないことを言うんだい? 彼女は舞鶴から離れ第二帝都東京に異動になったんだ。戦いとは……命のやり取りとはもっとも縁遠いところに彼女は行ったんだ。そんな彼女がどうしてここにいることになるって言うんだ? そして、どうして死んでいるなんてことになるっていうんだ? あまりにもありえないこと過ぎて、冗談にもならん」

 

「よく見てください。その少女は誰が見ても叢雲でしょう? まさか彼女の顔をお忘れになったなんていうことは無いでしょう? 違うというにはあまりにも彼女は叢雲すぎるでしょう」

 理解不能な答弁を続ける冷泉に呆れてしまいそうになる。

 

「確かに似ているかもしれない。けれど、さっきも言っただろう? 彼女は第二帝都にいるんだ。そこに戦いが起こる余地は無いことくらい、君にだって分かるだろう? それがすべてだ。……それにしてもあまりにも悪趣味すぎる。彼女に似せた遺体を俺に見せるなんて……ありえない」

 

「なっ! 」

 言葉が続かない草加。

 それは冷泉の態度があまりに常軌を逸しているということではなく、彼の態度が三笠が予想したとおりであったからだ。

 叢雲の遺体を冷泉に見せるように命じたのは三笠だった。そして、彼女は冷泉が彼女の死を絶対に認めないであろうことも告げていた。どうして冷泉がそんな態度を取るのかは草加にはよく分からないが、草加の知らない事情があるのだろう。そしてそんな事情を三笠はすべては開くしている。それを理解してこういったことを命じる。

 あの女……何を企んでいるのか?

 

 考えても仕方ない。

 今は上司たる三笠のシナリオどおりに行動するしかない。草加はポケットの中の機器のスイッチを押した。

 

「悪趣味な冗談にこれ以上は付き合えないな。君の面会の理由がこれだけだというのなら、俺は帰らせてもらうよ。はっきり言って不愉快だが、不問にしておこう。……俺にかつての権限がある時だったら、君を許したかどうかは分からないけれどね」

 そういう冷泉の表情からは、感情を読み取ることはできない。けれど、揺らいでいるということだけは想像できる。かつての部下であった艦娘のニセモノの死体を見せられたのだから、平常心でいられるはずがない。

 

 本物の叢雲の死体なのだがな……。草加の表情が思わず緩んでしまう。

 それを見て、一瞬だけ冷泉の表情に変化が生じたが、すぐにそれは消えた。

「帰らせてもらう」

 そう言い捨てると、彼は扉を開けた。

 

 そして次の刹那、まるで凍りついたように動きを止めると、うめき声に似たような音を発して後ずさる。

 

「何でお前が……? 」

 搾り出すようにして発した言葉がそれだった。

 そして、扉の向こうから一人の少女が現れる。

 

「提督……どうして帰るんだよ? 叢雲を置いてどこかに行くつもりなんだよ? 」

 怒気の混じった声で少女が問い詰める。

 

「な、長波……どうしてお前がここに? 」

 困惑した表情で冷泉が問いかける。

 

 その動揺ぶりを見て、草加は声を出して嗤いそうになる衝動を必死に制御していた。

 まったく、すべて三笠の言うとおりじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第226話 意義ある死と意味なき生

「どうして、お前がここに……」

 想像していなかった人物の登場に、動揺を隠せない冷泉。

 

 そりゃそうだ。

 冷泉が憲兵隊に捕らわれたことは知っていても、彼がどこにで取り調べを受けているかなんて艦娘たちが知るよしもないのだ。

 それは極秘中の極秘事項。今回は事案が事案だけに舞鶴鎮守府の幹部にさえ伝えられていない。艦娘ならなおさら知ることもできない事なのだ。

 たとえ権限を剥奪されたといっても、鎮守府司令官だった男だ。どういった手段を用いて提督の権限を温存しているかもしれない。その危険性を十分に認識しているからこそ、憲兵は冷泉の居場所を秘中の秘としたのだ。冷泉が艦娘に命令を発動して、救助に来させるという可能性を完全に除外することができなかったわけだ。

 

 それに……もし彼がそんなことを命令しなくても、一部の艦娘たちが独断で冷泉提督を救いだそう動く可能性は否定できませんからね……。少し異常なくらい、冷泉提督は艦娘たちに好かれていますからね……と三笠は言っていた。命令を受けずにそんな事を艦娘ができるはずがないと思ったけれど、三笠が言うのであれば、実際にその危険があったということなのだろう。

 憲兵たちも……そして彼らの背後にいる連中も馬鹿では無かったということか。

 

「草加さんに連れてきてもらったからに決まってるだろ」

 吐き捨てるように長波が言う。その瞳には、怒りと嘲りしかないように思える。

 ゆっくりと歩み寄る彼女が恐ろしいのか、冷泉は彼女と距離を保とうと後ずさる。そして、躓いて床にへたり込んでしまうのだった。そして、おびえたような表情で長波を見つめるだけだ。しかし、彼女の視線に耐えきれなくなったのか顔を逸らし、救いを求めるようにして草加を見るのだった。

 

「……冷泉さん」

 草加は言う。あえて提督とは呼ばない。もはや、彼はその地位を取り上げられているのだから。それをしっかりと分からせてやらないといけない。

「私は、第二帝都東京の三笠の命を受け、第二帝都で発生した事件の重要参考人である駆逐艦叢雲をこちらに連れてきました。かつての彼女の上司であるあなたに、確認することがあるので……。ただ、ごらんのとおり叢雲はすでに死亡しています。そこで、彼女の最後を看取った長波さんに同行をお願いしたわけです。駆逐艦叢雲の最後をあなたに語ってもらうために……ね」

と、勿体ぶる言い回しで、要件を伝える。

 

「……」

 冷泉は草加と長波を交互に見て、誰にいうでもなくつぶやく。

「意味が分からない。くだらない冗談はよしてくれ」

 

「は? 何をおっしゃっているのですか、冷泉さん。私の言ったことが理解できませんでしたか? 」

 

「あいつが……叢雲が死ぬわけないってさっきから言っているだろう? 彼女は、この戦争とは無縁の第二帝都東京にいたんだぞ。それがどうして死ぬなんてことになるっていうんだ」

 まるで草加たちに非があるような口調で、冷泉が反論してくる。しかも真顔で。

 

 驚いた……。こちらが動揺してしまった。というか、あまりに三笠の言うとおりの態度に驚いただけなんだけれど。

 冷泉提督は、側のベッドに横たえられている少女の遺体を本気で叢雲とは認識していないようだ。現実と彼の世界認識に明らかなギャップが生じているかのように。

「ですから、よく彼女を見てくださいよ。あなたのよく知っている叢雲さんでしょう? 友に同じ鎮守府にいた……しかもあなたの部下だった艦娘の顔を忘れるなんて事、無いでしょう? よく彼女を見てください」

 

「ち……違う、違う」

 草加の言葉にかぶせるようにして、冷泉がうめくように否定する。

「冗談にしても酷すぎるだろう! そんな事あり得るはずがないだろう? 俺が叢雲を見間違うはずが無い。そこにいるのは叢雲じゃない。あり得ない。……もういい加減にしてくれ」

 現実から目をそらすその姿は、草加から見てあまりに滑稽で、それどころか醜くさえもある。

 

「ば……馬鹿にするなよ、てめえ! 」

 ずっと黙っていた長波が、声を荒げて冷泉に飛びかかった。冷泉に抵抗する暇さえ与えず、彼女は冷泉の襟首を掴むとそのまま彼を立ち上がらせる。

 

「や、やめろ。やめるんだ、手を離すんだ、長波。お、落ち着くんだ」

 

「うるさい、いつまでもふざけてるんじゃねえ」

 長波は抵抗する冷泉を力尽くで押さえ込み、彼の顔をベッドに横たえられた叢雲の顔に近づける。

「さあ! よく見ろ! あんたの腐りきった目でもこの距離なら見間違えないだろう? よく見ろよ! 見ろよ。叢雲だよ、あんたの部下の……部下だった叢雲だよ。目をそらすな、ちゃんと見ろ」

 顔を逸らそうとする冷泉をさらに叢雲の体に近づける。冷泉の髪の毛をわしづかみにし、まっすぐに叢雲の顔を見させようとしているのだ。

 

 否応なく、至近距離で艦娘の死に顔を見せつけられる冷泉。

 やがて、劇的な変化が冷泉に訪れるのだ。冷泉の瞳が驚愕の色に変化していく。冷泉の驚愕の表情がやがて悲しみへと変貌していくのだ。

 

「落ち着いてください、長波さん」 

 頃合いとみた草加は二人の間に割って入り、興奮気味の長波を冷泉から引き離す。さすがにこれ以上の狼藉は彼女の立場を危うくするだろう。彼女にはまだまだ活躍してもらわなければならないのだからな。

 

「……す、すまない」

 我に返ったのか、彼女は素直に謝り、戸口まで引き下がった。

 

「分かりましたか、冷泉さん。そこに横たえられているのが叢雲さんだと」

と、声をかけるが、冷泉には草加の言葉が届いていないことがすぐに分かった。

 

 何事かうわごとのように冷泉はつぶやいている。ただ叢雲をまっすぐに見つめ、何かをつぶやいている。その声はごくごく小さなつぶやきで、側に近づかなければ聞き取れないくらいだった。

「ありえない……。そうだろ、叢雲。お前は深海棲艦との戦いに疲れ、戦いの無い場所に行きたがっていたんだ。実際に、お前はそれを望んでいるって俺に言ったよな。……だから、俺はお前が第二帝都東京へと行くことを承諾したんだぞ。本当はあんなところに一人で行かせたくなんて無かった。ずっと俺の側に置いておきたかった。だけど、……お前が望むんなら、それがお前のためになるならって……だから俺は。なのに、なんでこんなことになるんだ。どうして、こんなことになるっていうんだよ。ありえないだろう? 」

 

「冷泉さん! 」

 草加は冷泉の肩を揺すり話しかける。一人で自分の世界に入り込んでしまった彼をそのままにしておくわけにはいかない。草加としては冷泉がどうなろうと本当はどうでもよかった。自分の世界に閉じこもり現実から目を逸らしていようが、草加の人生には関係のない事だからだ。けれど、彼は三笠から命令を受けている。それを完遂しなければ、自分の立場も悪くなる。面倒くさいが、段取りは踏んでいかないといけないのだ。そのためには、冷泉を現実に引き戻さねばならない。

「しっかりしてください!! 現実から目を逸らさないでください。今ある現実をしっかりと受け止めてください」

 

 声に反応したのか、冷泉が草加を見る。まだ焦点が合っていない気がする。

「叢雲さんは亡くなっているのです。受け入れがたいかもしれませんが、それは厳然たる事実なのです。目の前の現実を受け入れてください。そうしないと何も始まりません。現実を受け入れ、私の質問に答えてください。それが叢雲さんの上司である……あったあなたの責務なのですから。軍人ならば、その責務を果たしてください」

 割と強めの口調で伝える。このままくだらない無能男の泣き言に付き合っている暇などないし、さっさと物事を進めて終わらせたいのだ。これは草加にとってはただの単調な事務処理に過ぎないのだから。大過なく役割を果たし、第二帝都に戻らないといけない。ここはどう考えても草加にとっては一歩間違えれば命取りに繋がりかねないリスクが点在する場所なのだから。危険要因があまりに多いのだ。長波といい、冷泉といい、そして憲兵隊の施設の真っ只中に置かれている立場といい。長くいればいるほどリスクが高まる。さっさと用事を済ませないと、今は旨いこと回っている状況でも、いつひっくり返るか知れたものではないのだからな。地雷原の中を目隠しであるくような緊張感が実はあるのだ。

 そんなことを考えながら、表面では冷静な態度で挑んでいる。

 

「む……叢雲が死んだ? 」

と、冷泉が呟く。それは誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるかのようにさえ見えた。そして、彼は草加を見る。

「ならば、何故? どうして叢雲が死ななければならないんだ? 叢雲が一体何をしたというのか」

 当然の事を聞いてくる。当たり前だな。

 冷泉は何も知らない。彼はただ叢雲を舞鶴鎮守府から第二帝都東京へ送り出しただけなのだから。その後、第二帝都で起こった事件の事など知る由もない。……事件の発端はこの草加の欲望の発露だということも。

 

 だからこそ淡々と事実を伝えよう。なにせ冷泉は知らないし、知る立場にも無いのだから。語ることの真否を判断する材料を一切持たないのだから。三笠より伝えられたシナリオを実行するだけでいいのだ。あとは自分がいかに堂々と嘘を言い切るかだけなのだから。

 冷泉は、黙って草加の説明を聞いていた。叢雲が第二帝都で行った背信行為の数々を。そして、事実が発覚し、逃亡を図り、その際に止めようとした三笠を殺害しようとしたこと。殺害に失敗し負傷した彼女は、第二帝都より逃走して大湊警備府近くで長波に発見され、息絶えたことを。

 

「私がここに来た理由、それはただ一つです。叢雲さんがどうして裏切り行為に手を染めたのか。しかも追い詰められたとはいえ三笠様を手にかけようとしたのか。その原因を知りたいのです。艦娘が自らの意思で仲間を裏切る事……仲間を手にかけようとするなんてことはありえない。それは冷泉さんもご存知でしょう? ……一部の例外を除いては」

 

 例外事項。それは彼女達の司令官たる存在による命令という例外。

「冷泉さんも自らの身をもって知りましたよね。あなたの前任の提督の命令権限を利用した永末という男によって、あなたの部下の艦娘達が裏切り行為を行わされたということを。三笠様は、今回の事案についても同じ勢力からの指示によるものではないかと考えておられるのです。そのため、もっとも事情を知りうる立場にあるあなたに事情を聞きたかった」

 ならば何故叢雲の遺体をここに運んだのだ? と彼は問うかもしれない。それについての理由は彼にはいえない。なぜなら、単純に彼を精神的に追い詰めるためのアイテムでしかないからだ。

 

「三笠様と同様に、大方の予想は、舞鶴で反乱を起こした……緒沢提督の部下だった永末の策略と考えています。それがもっともしっくり来ますからね」

 草加の問いかけに冷泉は無反応だ。草加は話し続ける。

「けれど、私は少し違う視点で物事を考えてしまうたちなんで、ちょっと違うんですよ。艦娘勢力にもっとも敵意を抱いているのは永末です。けれど、彼がそんなことを考えるでしょうか? 彼にとっては最初の行動のときにより多くの艦娘を手中に収めたかったはず。それをわざわざ叢雲さん一人を残し、第二帝都に潜り込んで三笠様の暗殺を謀るようなこと考え付くんでしょうか? 仮にそんな考えがあったとしても、彼女を第二帝都に潜り込ませる権限は彼にはありませんよね。異動に際しては、その後の舞鶴鎮守府司令官の承諾が必要ですからね。そんなあやふやな状態で普通、そんな事を考えますかね? スパイとして舞鶴に残しておくっていうんならまだわかるのですが。……そもそも、叢雲さん一人を第二帝都に送り込んだってどれほどの事ができるんでしょうね? 私、思うんですよ。今回の事件ってどうかんがえても行き当たりばったりで、無計画、それどころかやけくそにさえ見えてしまうんですよね。追い詰められた犯人が自暴自棄になって、成功すれば儲けもの程度って感じでやったことじゃないのかなって」

 

「……言っている意味が分からない」

と、冷泉は答える。やはり彼は何も理解していない。本当に馬鹿だな。

 

「あなたならご存知でしょう? だって、叢雲さんを第二帝都へ送り込んだのはあなたなんですから」

 

「……そういうことか、馬鹿馬鹿しい。俺がそんなことをあいつにさせるはずがないだろう」

 予想通り、否定してきた。当然だな。ここがポイントだ。

 

「では冷泉提督は何もしていないって仰るわけですね? 」

と声のトーンを上げる。

「ならば、叢雲さんは自分の意思だけで第二帝都の秘密を嗅ぎまわり、更には三笠様を殺害しようするも失敗し、逆に殺されてしまった。すべて叢雲さんの私怨による行動と仰るわけなのでしょうか? 」

 この言葉は冷泉に発したものではない。戸口で大人しく控えている長波に対して言ったものだ。

 

 さあ、長波。お前の出番だ。お前の親友の尊い死を、お前達の上司は穢そうとしているぞ。それでいいのか? 保身に走った冷泉を見逃していいのか?

 死の間際にお前の友が語った事を思い出すがいい。

 

 思わずニヤけてしまうのを堪えるのに必死だ。

 



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第227話 狼狽え、言い争うものども

「俺は、俺は……」

冷泉は狼狽えているのが明らかだ。視線は宙をさまよっている。

 

草加は戸口に立ったままの長波に目で合図を送る。彼女が何をどう思っているかは手に取るようにわかる。自分が彼女の思考を誘導しているのだからな……当然だ。

ここで彼女を利用して冷泉に真実を……否、自分にとって都合のいいことを喋らせ、その言質を取ってあいつを追い込むのだ。

 

冷泉が叢雲に指示などしていないことは、明らかだ。しかし、証言の場であれば、冷泉は自らの潔白を示すためにそう発言するだろう。

だがしかし、それでは叢雲が罪を犯したことになる。上司の命令に背き、勝手な行動をとり、そして処断されたと……それを長波に伝えるだろうか? 冷泉の性格ならそんなことは絶対にしないだろう。だからこそ、この場に長波を連れてきているのだよ。

 

「提督、あのバカは……」

言葉を詰まらせながら、さらに長波は言葉を続ける。

「提督の立場が悪くなるってのに、それでも、三笠様を殺そうなんて愚かなことをしようとしたんだ? 軍規を無視しても……? 理解できない。」

その言葉の節々に何故、親友がそんな馬鹿なことをしたのかという批判と、なぜその行動を犯してしまったのかを友として理解できない自分に対する悔しさがにじんでいるように思える。

「あいつは、いつもあんたのことばかり話していた。いつもいつも提督が提督がって。褒めてもらったとか怒られたとか、頭をなでられたとか……くだらないどうでもいいことをホントにうれしそうに話していた。……あんたのことを提督という存在以上のものに思っていたんだ。それは提督だってわかっていただろ? だから、そんなあいつが、提督を追いつめるような真似をするはずがないんだ。なにか、なにか理由があったに違いないんだ」

 

「……叢雲は、戦うことに向いていなかった」

と唐突に冷泉が呟く。

「だから、そんなことが起こらない後方へ、……第二帝都へ移動させたんだ。なのになんでこんなことになったんだろう……な」

それは誰に向けて言った言葉でもないようだ。

「俺は、本当に馬鹿だ。言葉の上っ面しか見ていなかった。何もわかっていなかった。いや、理解しようとしていなかったんだな」

何か悟ったような、そしてあきらめたような表情を見せると、大きくため息をついた。

 

「提督、何をおっしゃっているんですか? ちゃんと長波さんの質問に答えてあげてください。意味の分からないことばかりで結論が無いじゃないですか」

くだらないことを繰り返して、結論をはぐらすつもりか? 草加は少しイラついてしまう。

「長波さんは真実を知りたいんですよ、なんで叢雲さんがあんなことをしてしまったのか? 本当のことを言ってあげてください。自己弁護に費やす愚行などせず、真実を仰ってください」

 

冷泉は草加を見、そして長波を見た。

 

「なあ、長波……」

 

「な、なんだよ? 」

いきなりまじまじと見つめられた艦娘は、動揺したように声を上げる。

 

「俺はな、叢雲のことを大好きだったんだ。もちろん今でもだ。部下である艦娘としても、一人の女性としても。そして、彼女も。……だからこそ、俺は彼女に縋るしかなかった」

先ほどまで見え隠れしていた躊躇いが消え去った、悟りきったような表情で彼は言葉を続ける。

「現状、追いつめられた俺にはもはや打つ手は無かった。どこに行こうとしても行き止まりだ。この状況を打破するには、手段を選ぶことはできない。だから、俺は叢雲に命令したんだ。……第二帝都東京へ赴き、艦娘の長たる三笠を討て……と」

 

「な、なんだって? 」

長波の驚きの声を聞きながら、草加はほくそ笑んでしまう。ついに言いやがった、この男は。やってもないことをやったと認めた。

予想通り。叢雲の濡れ衣を晴らすために、自ら罪をかぶるはずだと。自分が命令したことにして、叢雲が暴挙に出たことにするだろうと。

……本当は叢雲は騙されただけで、三笠を殺そうとする意志などまるでなかったのだけれどな。

 

「やっぱり、やっぱり叢雲はあんたに命令されてあんなことをしてしまったんだな。……そうだったんだ。なんでそんなことをしたんだ? 成功する見込みなんてほとんどなかっただろうに」

 

「……失敗する可能性のほうがはるかに高いのはわかっていた。けれど、可能性はあった。だから、俺は命じた。万が一でも可能性があるのであれば、やってみる価値はあった」

落ち着きを取り戻したのか、冷泉は淡々とした口調で話している。

「成功すれば第二帝都は大混乱だろう。軍部と艦娘側の連携にもヒビが入るのは間違いなかった。軍部には艦娘たちに対してよく思っていない勢力もあるからな。よからぬことを考え、これを機に起こす輩も出るだろう。そうなれば、今の俺にも逆転の目が出てくるからな」

 

「叢雲が失敗したらどうするつもりだったんだよ」

 

「失敗したら? ……作戦を実行するにあたり、失敗など考慮などしない。特に今の俺のように後が無い状況ならな。それに、失敗したところで、損害は叢雲だけだ。……痛痒を感じな」

次の刹那、鈍い音がして冷泉の体が宙を舞った。

 

「ふざけるな! あんたは、あんたはあいつを使い捨てにしたっていうのかよ」

長波が動き、冷泉を殴り飛ばしたのだった。そして倒れこんだ冷泉の体にまたがると、襟首をつかんでなんども揺さぶる。

「あんたはあいつが死んだところで何とも思わないのか。あんたにとっては、そんなもんなのか! あいつはただの消耗品だっていうのかよ」

冷静さを失った長波は、禁忌である人間に対する暴力行為を止められないようだ。

止めるべきではあろうけれど、草加は止めるつもりなどなかった。面白そうに二人のやりとりを傍観するだけだ。

 

「げふっ……」

激しくせき込む冷泉。どうやら強く首を絞められていたようで呼吸困難に陥ってしまったようだ。これ以上やられると冷泉が死んでしまうかもしれない。最終的には冷泉には死んでもらうが、こんなにあっさりと死なれると困る。それにそれは想定されていないはずだ。

 

「長波さん、それ以上やったら提督が死んでしまう」

あまり感情がこもらないけれど、長波に近づくと声をかける。

はっと我に返った彼女は掴んだ両手を緩める。そして冷泉から離れて座り込んでしまう。興奮はまだ収まっていないのか、肩を上下させている。

 

冷泉は何度もせき込みながら、起き上がる。

「フン……そうだよ、長波」

乱れた衣服を整えながら、冷泉は立ち上がり長波を見下ろす。

「所詮、艦娘は兵器でしかない。好きだとか嫌いだとかいう感情は上っ面のものでしかない。俺はいかに有効にお前たちを使うかだけしか考えていないよ。叢雲の死は確かに戦力の喪失としては痛い。けれど、それだけだ。いかに効率よく最小限に艦娘を死なせて、最大限の勝利を得るかを考えるのが提督というものの使命でしかない。……今回は、失敗でしかないがな」

吐き捨てるように彼は言った。

 

「艦娘は……ただの兵器かよ」

 

「そうだ。ただの兵器だ。それ以上でもそれ以下でもない。お前だってわかっているだろう? 何をいまさら言っている」

その口調は嘲笑うかのようでもあった。艦娘の理不尽な暴力にさらされて、彼も本性を現してしまったのだろうか。そうとしか思えないそれほどの変貌ぶりだ。

それを見て、草加は思わずニヤついてしまう。艦娘は人間と変わらず大切な存在だなどと、言っていたのはどの口か。所詮、きれいごとをいったところで、追いつめられれば腐りきった奴でしかないのだ……と。

 

所詮は、ただの屑だよ。鎮守府司令官だからって、大したもんじゃあない。

 

まあどうでもいい。冷泉が首謀者であるという言質を取ったのだ。これでこの男も終わりだ。ノルマ達成。帰ったら三笠に褒めてもらおう。

そして、何だか尾てい骨のあたりがうずうずしてしまうのを感じる。こいつらはいろいろと言い争っているけれど、すべての原因が自分であることを知らないのだ。

叢雲たちを追いつめ、そしてこいつらの大切な叢雲を殺したのが自分だと知ったら、二人はどうするのだろう。どう思うのだろう。

 

ああ、言いたい。伝えたい。

お前たちが大切に思っている叢雲を殺したのは、俺だよって伝えてあげたい。

その時の彼らの反応を想像したら、昇天してしまいそうになる。

泣きわめき怒り狂う姿が目に浮かぶ。それはどれほどの興奮をもたらすのだろうか。

 

駄目だ駄目だ。

草加の人生は、まだまだこれからなのだ。今後、これ以上の興奮することは数えきれないほどあるはずなのだ。

 

だから、ここはじっと我慢して見守ってあげよう。

愚かどもの運命を。

 

 



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第228話 すれ違う想い

愚か者どものやりとりは続く。

 

冷泉提督と長波にとっては、緊迫したやりとりなのかもしれない。けれど、すべてを知る草加にとってはただの予定調和であり、この空気感を壊さないように吹き出しそうになる自分の感情を抑え込むほうに必死だ。

 

「提督……」

 

「なんだ? 」

ため息交じりに冷泉は応じる。冷え切ったような瞳で部下の艦娘を見下ろしている。もはやすべては済んだこと、これ以上何を語れというのかといった感情さえ含まれているように思える。

 

「あたしは、お前を許さない」

と、長波は宣言するかのように言った。

その声は小さく抑揚が無い分、その発言の凄みが草加にも伝わってきた。明確な決別と宣告が含まれているのは明らかだ。

 

「そうか……」

それがどうしたという表情で冷泉が応える。

 

「提督と艦娘という関係だから、あたしが今ここであんたを殺すことができないってわかっているから余裕だな。……でも覚悟しておけよ。どんなに困難だろうとどんなに時間がかかろうとも、どれだけの代償を払おうとも、あんたには必ず償いをさせてやる。叢雲を殺した罪を償わせてやるからな。どんな手段を使っても……だ」

 

「それがお前の選択なら、好きにすればいい。俺は、逃げも隠れもするつもりは、……無い」

 

「その余裕がいつまで続くかな。必ず報いを受けさせてやるからな、……覚えていろよ」

 

挑むような視線を双方が交わす。

両者の完全なる関係性の断絶がここに整った。彼女にそれができるかどうかはともかく、部下である長波は上官である冷泉に明確な殺意を確定させたわけだ。

 

冷泉は冷泉で、長波が至った思考の結論を否定さえせず、自らの弁解もしない。冷泉がどうしてそういった態度を取るのかは理解できない。もっと見苦しく、恥知らずな態度で喚き散らすはずなのに、なぜか長波に言われっぱなしだ。このままだと、冷泉が叢雲に命じて、三笠様を殺害しようとしたということになってしまうというのに。

……もはや言い逃れができない状況にまで追い詰められたと判断したのか? 事実と異なると釈明したところで、状況は変わらないと諦めたのか? 確かに、冷泉の今の状況では、何を言っても結果は変わらないだろう。もともと軍部に味方が少なく、さらに自ら敵ばかり作っていたような政治力の無い男だ。そんな男を助けようとする奴はいないだろう。今回は艦娘側からの情報のリークだからな。仮に冷泉に利用価値があり、手を差し伸べようとする者がいたとしても、艦娘側の意向と知れば、どうしようもない。政治力だけに長けた海軍の高官連中ならすぐに判断し、冷泉を切り捨てるだろう。

それら自分に都合の悪い現実すべてを勘案して、絶望した冷泉は投げやりな態度をとっているのだろう。

 

「……好きにするさ」

肩をすくめる仕草をして、長波を殺意を受け流す冷泉。

 

これ以上の会話は、時間の無駄でしかない。冷泉から言質を取ることができたし、本来の目的は達成した。これ以上の茶番は意味がない。

「冷泉提督、どうやらそろそろお時間のようです。今回の事件に関する提督の証言も得られましたし、あなたはここから移動となります」

 

「……そうだな」

淡々とした口調で冷泉が答える。長波は彼をいまだに睨みつけているが、冷泉はもはや長波に視線を向けることはない。

 

草加は壁に据え付けられた受話器を取り、連絡を入れる。

これから冷泉は憲兵隊の管轄を離れ、第二帝都へと移送されることになる。冷泉は知らないだろうが、今は第3師管の管轄下にある。本来であれば舞鶴憲兵隊により取り調べるはずだったが、公平性が保たれないということで、こちらに連行されていたとのことだった。バカげた話だけれど、陸軍と海軍との駆け引きもあったとも聞いている。この戦時下でくだらない勢力争いをしている連中がいることに呆れるが、それは人間の性であり、どんなに人が進化しようと変わらないのだろう。

冷泉の運命は大きく変わらないが、今回は三笠様の要望もあったことから、艦娘側により冷泉提督の処分を決めることになるようだ。

そのための手配は、こちらに来る前から完了済みである。かなり高圧的に決定が伝えられたようで、全然関係のない草加に対するここの連中の風当たりはかなり強かった。完全敵地の雰囲気に圧倒されたが、所詮、意味をなさない。檻に入れられた狂犬どもが喚いているだけでしかない。

 

サボタージュのつもりか、すぐ近くにいるはずなのに兵士たちがやってくるのは遅かった。

 

実にくだらないな。

 

屈強な体をした3人の兵士が部屋に入ると、敬礼をする。それは冷泉提督に対してのものであり、長波はもちろん、草加に対するものでないことは明らかだ。

 

彼らからは、明確な敵意しか感じない。今の草加は軍人ではない。少年兵として所属していた事など、誰も知らない。故にただの部外者、そしてただの餓鬼でしかない。

たとえ上からの命令であったとしても、部外者の子供のような奴から命令されて、気分がいいものではないだろう。

「冷泉提督を護送車にお願いします」

そんなものに興味がないかのように彼らに伝える。

彼らは無言で冷泉に手錠をかけると、草加を見る事さえなく、連れて行こうとする。

 

「長波……」

部屋の出口で冷泉が振り返る。

 

「なんだよ」

予想外だったのか、長波が驚いたように彼を見た。

 

冷泉はしばらく彼女を見ていたが、首を振ると

「いや、……なんでもない」

というと部屋を出て行った。

 

冷泉が何を言いたかったかは分からないが、長波に贖罪でもするつもりだったのだろう。もう二度と長波とは会うことはないだろうから、嫌われたままでは嫌だったんだろうか? 愚か者め。

「しかし、冷泉提督は、何だったんでしょうね」

まあどうでもいいことだ。自分にとってはエリート将校の転落がみえたこと、そして突き落としたのが自分であることに満足だ。撃墜マーク1ってところか。敵のエース級を撃墜って感じだな。

きちんとノルマを果たしたから、帝都に帰ったら三笠様からも褒められるだろう。こういった成功を積み重ねていけば、評価も上がるだろう。そして、階級を上げていき鎮守府司令官に上り詰めるんだから。その第一歩だ。

 

長波は何か考えているのだろうか、草加の問いかけに反応せずに突っ立っているだけだ。普段とは違い、どこか物憂げな表情をしていて、少しドキリとさせられる。彼女に悟られぬように視線を上下させる。

駆逐艦とはいえ、やはり艦娘だ。その外観は人間と見紛うほどだが、それぞれの部位がすべて洗練されている。少女とはいえ各部位の凹凸は素晴らしく、芸術品といってもいい。

そして嫉妬の炎がチリチリと体を焦がす。こんな子を冷泉は自由にしていたのだ。提督と艦娘という関係を利用し、彼女たちを好きに弄んでいたのだ。

許すまじ許すまじ。

提督という地位にあるべきは冷泉ではなく、自分である。今はまだその道すがらでしかないが、やがて辿り着く。辿り着いてみせる。ありとあらゆるものを利用し、つかみ取ってみせるぜ。そして、艦娘たちを従えてやるのだ。

 

「草加さん、何か用か? 」

長波に声をかけられて我に返る草加。

それにしてもこの艦娘はずっとタメ口だな。現在の階級からして、長波のほうが立場が上だからこの話し方も仕方ないか。少しの我慢だ。もう少ししたら階級でも追い抜くことになるだろう。そうなったら、この子の口の利き方を改めさせないといけないな。せっかく可愛いのにこんな口調じゃ台無しだ。

 

「おっと、失礼しました」

妄想の世界に嵌まり込んでしまっていたようだ。少し慌ててしまう。

何も知らない艦娘はこちらを見つめている。自分の心の中を覗かれちゃいないかと慌て、平静さを保とうと必死になる。

「これで私の任務は終了となります。ご協力ありがとうございました。大湊までお送りする車は準備できていますので、後程案内しますね」

 

「草加さんは、どうするんだ」

 

「私は冷泉提督の後を追って、第二帝都に移動します。軍法会議にも出席しないといけないですからね」

 

「そうか……冷泉提督はどうなるんだろうな」

 

「彼は三笠様の殺害未遂の容疑がかかっています。こんなことは前代未聞ですからね。艦娘と日本軍との信頼関係にかかわる重大事ですからね。そして今回、彼の自白があったことから、有罪は決定的でしょう。処断されるのは当たり前です。罪は重大だ。……でもね、長波さん。もっと許せない罪を彼は、いや、奴は犯しているんです。奴は叢雲さんを三笠様殺害のための道具として利用したんだ。あろうことか艦娘の提督への好意を利用し、使い捨てにしようとした。奴は叢雲さんの心を踏みにじったんです。そんな奴は私は許せない……絶対に許せない」

草加は長波の瞳をじっと見つめながら想いを伝える。気のせいか長波の瞳はうるんでいるようにさえ見える。

同時に尾てい骨から背骨を伝わり脳天へと抜けていく、えも言われぬ快感に酔いしれる。草加自身が起こしたことで様々な人が巻き込まれ、あるものは死に、あるものは憎しみにかられ、あるものは憎まれる。そして互いに憎しみあうのだ。すべてが自分を原因として……。

 

「長波さん、私はきっと冷泉提督に罪を償わせて見せます。叢雲さんの無念は私が晴らして見せます」

そういうと彼女の両手をしっかりと握りしめた。

「犯した罪に見合った罰を、冷泉提督に」

 

長波は何の反応も無い。言葉にすらならない状況か。

彼女の心の中は嵐が吹き荒れているのだろうと推測した。信頼した上官に裏切られたこと。親友が上官を愛していたこと。親友は上官にそれを利用され捨て駒にされたこと。上官はそのことに対して罪の意識などないこと。親友の無念を晴らせること。信頼していた上官を追い込んだこと。上官はおそらく有罪となり処断されること。おそらく死罪となると草加は予想している。その決め手となったのは長波であること。そういった様々な思いがぐるぐると回りまわっているのだろう。

 

ふと気配を感じてそちらを見ると、兵士が戸口に立っていた。何かと問うと二人の乗るそれぞれの車が準備できたとのことだ。

「すべて私に任せてください。長波さんにとって一番良い結末へと導いて見せますからね」

 

「わかったよ。ありがとう草加さん。あたしは、もう少し叢雲のそばにいてもいいかな」

 

「そうですね。彼女の遺体は帝都に運ばれますが少しくらいなら大丈夫でしょう。私から話しておきますから。……私は帝都に行かねばなりませんのでお先に失礼しますね」

そういえば、叢雲の死体はどうするんだろう? 三笠様からは何も聞いていなかったな。もはや何の用事も無いものだけれど、その辺は艦娘側でどうにかするんだろう。運搬が少しくらい遅くなっても問題ないだろうな。

 

「では、またお会いしましょう」

軽く彼女の肩を叩くと、草加は笑い去っていった。

 

 

一人部屋に残された長波は、叢雲が横たえられたベッドに歩みよる。近くにあった丸椅子を彼女のそばに置くと、腰かける。

そして、慈しむような瞳でかつての親友の亡骸に向かって語りかけるのだった。

「なあ……叢雲。やっぱり、提督はバカだよな。なんであんな嘘をつくんだろうな」

提督は長波に言った。叢雲に命令して三笠殺害を企てたこと。仮に失敗したところで損害は叢雲のみだから、問題ないと。すべては冷泉の企みであり、叢雲は利用されただけの犠牲者だと宣言したのだ。

「あたしはアンタからみんな教えてもらってたよね。信じてあげられなくて、……ごめんね。みんな三笠様たちが仕組んだことなのに……アンタはそれを提督に知らせようとしただけなのに。あたしは信じることができなかった。親友の言うことを信じられなかった。アンタが三笠様を殺そうとして、失敗して逃げてきて死んでしまったって思ってしまった。アンタがそんなことするわけない……だから提督に命令されたに違いないって思ったんだ。ううん、そうじゃないな……思い込もうとしていたんだよ」

だからこそ、冷泉提督を憎もうとした。自分にとって都合のいい結末を求めた。すべては冷泉提督が悪い。叢雲は、何も悪くない。騙されていただけなんだ。悪いのは、あの男なんだ。

 

「そしたら、どうだよ。提督は、あいつは認めた。すべてが自分の意思によるもんだって。軍の人間がいるところでそれを認めたんだ。自分の立場が最悪になるのがわかっていたのに」

 

そう―――冷泉提督は自らを犠牲にして、叢雲の名誉を守ろうとした。

 

そして、更には長波さえも救おうとしたのだ。

 

 

 

 

 



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第229話 決意と決断。そして――

本当に、馬鹿な人だと思う。

なんで自分のことを一番にしないんだ。

 

いつもそうだ。

 

保身よりも艦娘のことを優先して暴走し、あちこちに敵を作り、自分の立場をどんどん悪くして、……そして、この有様だ。

 

人としての在り方は正しいのかもしれないけれど、鎮守府司令官としては不適格だとしか言いようがない。

軍における出世争いは、生き馬の目を抜くような厳しい世界だと聞いている。いかにして相手を出し抜き、果敢に動き、味方を増やし手ゴマを増やし懐柔し、自らの邪魔となる敵を出し抜かなければならない。少しでも弱みや隙を見せたものはそこを突かれ、失脚させられる。そんな世界で冷泉提督は、愚かなほどに理想主義者だ。

作らなくていい敵をわざわざ作り、さらに喧嘩を吹っ掛けるような馬鹿は普通はいない。

 

「本当に不器用すぎるんだよな、提督は。……だからアンタは好きになってしまったんだろうな。命がけで提督の役に立ちたいって思っていたんだよな」

親友の亡骸を見つめながら、呟く。

 

冷泉提督は、今回の叢雲が起こした事件には一切関わっていない。冷泉が叢雲の事を思い、第二帝都に異動させたのは間違いない。ただそれは、彼女の本心を慮ることができなかっただからだろうけど。

……まったく、少しは色恋沙汰に慣れていればね。

叢雲はどんなことがあっても提督の傍にいたかった。けれど、あの娘の性格だ、きっとそれを口に出せなかったんだろう。提督にはたくさんの彼の事を想う艦娘たちがいる。そこに叢雲の居場所は無いと、愚かにも叢雲が判断してしまったことにも原因があるのだけれど。もし、叢雲が提督の傍に居たいと言えば、提督はそうさせてくれた。提督が叢雲に傍に居ろと言えば、叢雲だって彼の傍を離れなかっただろう。

些細な行き違いがこんな重大な結末を迎えることになるなんて、悲しすぎる。

 

そして、提督が更にバカなのは、長波の事を思って真実を語らなかったことだ。

もし、提督が今回の叢雲の事件に何も関わっていないと言ったなら、すべて叢雲が勝手に行動し、提督を追い込んでしまったことになる。冷泉が虚偽の発言をしているという疑惑が残るとはいえ、長波は理不尽に親友を失った悲しみや怒りのぶつけ先を失い、親友の死という現実に折り合いをつけることができず、ただただ悲しみに暮れるしかなかっただろう。

だからこそ、冷泉はすべて彼の企みによるものだと宣言することで、長波の悲しみと怒りに対する矛先を冷泉に向けさせたのだ。自分の立場がどうなろうとも、長波の今後の生きる目的とさせるために。

それは歪なものでしかないが、それでも長波にとっては生きる拠り所となるだろう。親友を死に追いやった憎い存在として、怨嗟の向け先として。

 

「叢雲……。あたしはどうしたらいいのかな? 提督がバカすぎて、気持ちの整理が全然できやしないじゃないか」

提督がいろいろと長波の考えてくれたっていうのに、結局、彼の真意を知ってしまった。そして、提督の気持ちを知ってしまった以上、もう憎むことなんてできるはずがない。そうすることができたなら、どれだけ楽だったか。

 

長波は真実が知りたかったわけじゃない。自分のこのやりきれない気持ちと折り合いをつけたかっただけなのだ。だからこそ、すべての原因が冷泉でなければならなかった。全部、冷泉が悪いとなれば、良かったんだ。

 

ただ、彼を憎むだけで良かったから。それだけで、艦娘として今まで通り歩いて行けたから。

 

けれど、今の自分は、宙ぶらりんのままだ。

 

そして、叢雲を見る。

彼女は提督のために生きようとした。そして、志半ばにして倒れた。その生き方が正しいかどうかは、判断できない。けれど、彼女は与えられた選択肢の中で行動するしかなく、その中での選択だったはずなのだ。

 

「けれど、このままじゃ、だめなんだよな」

今、自分にも選択の時が来ているというわけだ。考えているだけでは進むことができない。とにかく今は動くしかない。結論はまだ出ないけれど、動くしかないんだ。

 

自分が決めなければならない。

 

分かっていること―――。

冷泉が黒幕で無かったということ。それは、叢雲が独断で動いたということだ。そうであれば、彼女が最後に口走ったすべてが、少なくとも彼女の中では、嘘で無かったということなのだ。

金剛の身に起こったこと。そして、これからなされようとすることが。

 

混乱した頭の中で、成さねばならないことを整理する。……それは一つしかない。虜囚となった提督を窮地から救い出すのだ。提督は、長波の事を思い、自ら不利な発言をしてしまった。ただでさえ窮地に追い込まれているのに、あれは致命的だ。このままでは濡れ衣を晴らすことさえできずに、処断されてしまう。……提督は、たとえそうなっても構わないという気持ちなのかもしれないけれど、そんなのあたしが、叢雲が許さない。提督をこんなところで終わらしちゃいけないんだ。提督は艦娘を指揮し、深海棲艦に打ち勝つためにいる人なのだから。

 

それは、叢雲の最後の願いだったのだから。

 

「叢雲、提督はきっと救い出す。そして、あんたが提督に伝えたかったことを必ず伝えるからね」

そう決断すると、行動するしかない。

 

今からならまだ間に合う。提督を乗せた車に追いつき、彼を奪還するんだ。

その後、どうするかまでは考えが及ばないけれど、とにかくやるんだ。このまま彼を放置すれば、第二帝都に連行され、行きつく先は、死しかないのだから。

 

提督の命を救うこと。今はそれだけを目的に動くんだ。決断すれば行動するだけだ。誰に命令されたわけでもない、

 

大切な司令官を守るのだから、命令なんて不要だ!

 

「叢雲、行ってくるよ。……きっと、提督は助け出すからな」

と長波が駆けだそうとした刹那、脳内に通信が響く。

 

 

 

命令書

 

舞鶴鎮守府所属の艦娘は、本日を以て、舞鶴鎮守府より大湊警備府への所属替えとし、大湊警備府直下とする。

また今後の舞鶴鎮守府の組織、名称等についての取り扱いについては、追って連絡を行うこととする。

 

 

大湊警備府司令長官

舞鶴鎮守府長官代理 葛生 綺譚

 

 

 

「な……何なの? 」

刹那、長波の体に異変が生じた―――。



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第230話 大切な思い出

踵から脳天へと、長波の体を電流が駆け巡る。

「アアアアアアアアアアアアア……アアウアウ」

声にならない悲鳴が口から漏れ出す。

膝がガクガクと震える。その震えは止めることができず、全身へと広がっていく。

必死に堪え、立っているのがやっとだ。体をうまくコントロールできない。

呼吸が荒くなる。何の運動もしていないというのに、息も絶え絶えだ。

 

かつて体験したことのない衝撃……。全身を襲うその衝撃に翻弄され、意識を持っていかれそうになる中、自分を必死に保とうとする。

 

そんな中、メッセージが意識内に流れ込んでくる。

これは、艦娘に対する設定内容の書き換えだということすぐにが分かった。

識閾下に次々とメッセージが表示されていく。

 

・舞鶴鎮守府における権限の移行

 

 司令官 冷泉朝陽を解任 ――― 完了

 

 司令官代理 葛生綺譚の職を解き、司令官に就任させる ――― 完了

 

「そ、そんな……。まだ提督には何の処分もされていないのに、どうしてこんなことができるの」

仮に提督が任を解かれるにしても、軍法会議を経て決定されるはずなのに、こんな性急な処分が行われるはずがない。

軍部の判断なくしてこの命令をできるとしたら、現在の舞鶴鎮守府の司令官の代理権限をもつ葛城提督くらいだけれど、彼女がそんなことをするとは思えない……。

 

じゃあ、何が起こったというのか?

 

不安な気持ちからか、知らず知らずのうちに長波は左手首を右手で握りしめていた。

そこにはブルーシルバーのブレスレットが付けらている。ハートと∞のパーツが取り付けられたもの。……それは冷泉提督から貰ったものだった。横須賀に行った際にお土産とかいって艦娘みんなに配っていたものだった。

冗談めかして提督が言っていた。「ハートは愛、∞は無限の意味。つまり、俺のお前たちに対する愛は永遠なんだって証だよだ。どうか受けっとってほしい、俺のこの心を! 」って。

 

あの時は、本当に馬鹿かって思った。だから、これをくれたのは、きっとに大した意味は無かったと思うし、実際貰った際には、こんなのいらない、もっと高いもの寄こせよって毒づいた記憶がある。あとで叢雲に随分怒られたっけ。叢雲の話によると、あたしたち艦娘の命が永遠に続きますように……そこまではいかなくても少しでも長くこの世界にいられるように願掛けをしたものらしかったけど。

 

長波は、ぞんざいに受け取ったくせに、ずっとそれを左手に付けていた。何か不安があった時、これに手を触れていると心が落ち着けるような気がしたのだ。傍に提督がいるような、そんな安心感があったのだ。

 

そんな長波の気持ちなど関係なく、設定の書き換えが続いていく。

 

・司令官葛城よる命令を実行する。

 

 命令権移譲 ――― 完了

 

 絶対命令権移譲 ――― 完了

 

 艦娘に保存された前司令官冷泉朝陽に関する、すべての記憶を消去 ――― 実行中

 

「な! 」

命令文に含まれた一行に、長波は驚愕し動揺する。

何で冷泉提督の記憶を消さなければならない?

 

長波の動揺など関係ないように、命令が粛々と実行されていく。

 

これまでの長波と冷泉とのたくさんの記憶が、真っ黒なものに浸食されていくのがわかる。

彼女の脳内にある万華鏡のように映像の数々が映し出される。その中にある真剣な顔をした冷泉提督、笑顔の冷泉提督、辛さを必死に隠して笑顔を見せようとする冷泉提督。たくさんの彼の姿が、まるでマジックで塗りつぶすように、冷酷に、そして乱暴に消されていく。

 

自分の記憶が弄られていくことはとてつもない不快感だけれど、それ以上に自分の記憶の中から思い出が消されていくことが耐えられない。大切な思い出が消されていくのが耐えられない。

失いたくない大切なものが、乱暴に取り上げられていくというのにどうすることもできない。

 

「やめて、やめて、やめて……やめてくれ」

足掻くように両手を彷徨わせるけれど、止めることができない。どうすることもできない。どうしようもない現実に、長波は抗うことすらできない。

日常の何気ない出来事すら、自分にとって大切な思い出だったことが今さらながらわかってしまう。当たり前のことだと思っていたことが、どれほど貴重だったことなのか。

 

「やめてお願い。……提督を、あたしから奪わないで」

それは叫びとなるが、当然、何も変わらない。

一つ、二つ……冷泉提督が自分の中から次々と消されて行く。……消えていく。後に塗りつぶされた意味不明な記憶だけが残っていくのだ。

 

涙があふれ零れていく。それは頬を伝い、床へと落ちていくのがわかる。

 

―――処理中 30%完了

 

……悲しいのかな? 

なんで? 

冷泉提督との思い出が消えるのが悲しい? 

なんで?

提督のことを忘れるのが辛い? 

怖い?

 

いや、それだけじゃない。きっと、悲しいんだ。

 

長波はこんな時になって、やっと気づいてしまった。いや、気付いていたのに、見ないふりをしていたんだ。そこから目をそらし、自分の気持ちを押し殺していたんだ……と思い知らされる。

 

……冷泉提督のことを大切に思っていたことを。いや、大好きだったことを。

 

艦娘が所属する鎮守府の司令官に好意を持つようにされていることは知っていた。だから、艦娘が提督を好きになるのは当たり前。それを隠す必要なんて、何も無かった。

 

叢雲が彼の事を本気で好きなことを知るまでは。親友を応援したい。そう思った瞬間、自分は冷泉提督への想いを封印することを選んでしまったのだ。

だから、いつも一歩引いたところにいて、提督にはあまり関わらないように、そして、冷たく接するようにした。

それでもいろいろと彼は自分にちょっかい出してきて、そのたびに冷たく対応した。……本音ではとても嬉しかったんだけど。

自分の気持ちを押し殺すことは、最初のうちはとても辛かった。けれど、提督の事を嬉しそうに話す姿を見ているうちに、これでいいんだと自分を納得させることができた。彼女を応援することで、叢雲と提督とのことが自分の事のように思えていたのかもしれない。

 

それは、僅かながらも心に痛みを覚えたんだけれど。

 

 

そんな思い出が全部消えていく。

提督との思い出だけでなく、叢雲との思い出まで消えていくのだ。

 

―――処理中 50%完了

 

いや、いや、いや……やめてやめて。

必死に叫び、抗おうとする。無意味な抵抗と分かっていたけれど、そうせずにはいられなかった。

 

けれど、命令は容赦なく淡々と実行されていく。命令は執行されていくだけだ。

冷泉提督との記憶は、無常に消されていく。

自分が何を思い、叢雲と何を語り合ったか……それすら曖昧なものへと変換されて行ってしまう。

 

それは、自分の一部が捥ぎ取られ、奪われるようなものだ。

 

お願い、お願いだからあたしの大切なものを奪わないで。思い出を消さないで。

 

もはや立っていることができず、へたり込んでしまう。

「ああ、嫌。こんなの嫌、こんなの嫌! 助けて……お願い助けて、提督! 」

 

―――処理中 80%完了

 

意識が薄れていく。

何もかもが消えていく。

もはや諦めたたかのように立ち尽くすしかできない。

 

そして、

 

―――処理 完了

 

 

すべてが完了した。

 

 

「……ん? 」

長波は、我に返る。

 

「ここは……」

一瞬、何が起こったのか、そしてさっきまで何をしていたのかさえ思い出せず茫然としてしまう。

 

しかし、すぐに思い出す。

 

そうだ、自分は三笠様よりの命令を受け、三笠様の使いの者に同行し、ここに来たのだった。叢雲の遺体の確認と引き渡しのために。

 

自分がいる部屋の隅には、かつての親友、叢雲の遺体が横たえられている。何が彼女をそうさせたのかはわからないけれど、彼女は裏切り、三笠様を殺害しようとした。そして、失敗した。そして、彼女は逝ってしまった。

 

親友の凶行はショックだ。きっと何かの勢力に利用され、そして行動させられたのだろう。艦娘にそんな真似をさせる勢力とは何だというのか。軍の内部にそんな勢力がはびこっていることは脅威でしかないが、自分にはどうすることもできない。そして犯人探しは艦娘の仕事でないことも理解している。

親友にこんなことをさせ死なせた連中は絶対に許せないけれど、しかるべき部署が犯行グループをきっと見つけ出すだろう。そして、必ず、罪は償わさせられる。それが世の常なのだから。

「こんな死は艦娘としては不本意だよな、叢雲。きっとお前をこんな目に合わせた奴は、代償を払わせられるだろう。だから、安らかに眠ってくれよ」

何も言わない彼女の手にそっと触れると、長波は部屋を出ていく。 

 

外に出ると、まだ明るかった。今からなら夜には大湊に着くことができるだろう。

「さて、大湊に帰らないと……。提督が待ってる」

ここでの任務は完了したわけだ。悲しい仕事であったけれど、自分には悲しんでばかりいられない。艦娘には艦娘の任務があるのだから。

 

そして、帰ろうとしてふと気づく。

「これは何だろう? 」

左手に付けられたブレスレット。

そういえば、叢雲の左腕にも同じものが付けられていたな。

……この施設の入館証の類なのだろうか?

 

多分そうだろうな。なんか安っぽいアクセサリだし。自分の持ち物だったものじゃない。こんなセンスの悪いアクセサリの付けようなんて思わないもんな。しかし、こんなのいつのまに付けたんだろ?

 

「返すにしても……受付なんてなさそうだな。しゃーなしだな」

出所のわからないものは付けていること自体、気持ち悪い」

 

長波は左江から取り外すと、近くにあったゴミ箱にそれを放り込んだ。

 

チクリ―――。

一瞬、何だかチクリ心が傷んだが、意味がわからず無視した。

 

さて帰ろう。

 

提督が、葛城提督があたしを待っている!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第231話 出立

「なあ、一体、俺はどうしたらいいんだよ? 」

思わず、冷泉を監視する兵士にぼやいてしまった。話かけられた兵士は、きまり悪そうに苦笑いをするだけだが。

 

冷泉は、彼を連行するために準備されていたワゴン車に乗り込んだ。ここから別の建物に移送され、……そこが艦娘側の施設なのか、海軍私設なのか、それは分からないけれど、本格的な取り調べを受けることになるのだろうと思っていた。そして、おそらくは速やかに処分が決定されることになるだろうと思っていた。

 

まず間違いなく自分にとっては不利極まりない処分だろうとは思っていた。もはや逃れられないであろう結末だ。理不尽であり志半ばで自らの人生が終焉を迎えることには耐えられなかったけれど、この流れは変えることはできそうもない。

 

結局、あいつらに偉そうに宣言したっていうのに、何一つ成し遂げることができなかったな。部下である艦娘の未来を思うと、不安しかないが、自分がいなくなった後の事は葛城提督にお願いするしかなかった。できるかぎりの引継書は作り上げて彼女に渡している。本気で寝る間を惜しんで作りこんだんだ。少しでも艦娘たちが優遇されるように、大事にされるようにって。

彼女については、第一印象は最悪で少し誤解していたけれど、今では軍人としてはできた人だと知っている。そして、艦娘をぞんざいに扱うような人物ではない。それどころか、人間と同じように彼女たちの立場を尊重してくれる。大湊の艦娘たちを見れば明らかだった。何よりも彼女は女だ。艦娘をおもちゃにするような心配は無い。

そんな彼女に部下を任せることができてたのは、本当に僥倖だったと思っている。心残りは無いといえば嘘になるが、少なくとも部下たちを任せられる人だ。知りうる中では一番信用できる人だと思っている。

 

この後、自分に対しどんな処分が下されようとも、受け入れられる覚悟はしているつもりだった。覚悟というよりは、ただの諦めなのだが。

 

しかし……。

せっかく覚悟を決めたというのに運命とは意地悪だ。慌てて走ってきた別の兵士が車の前に立ちはだかり車を停止させた。そして運転席の兵士に何やらまくし立てるように伝えたかと思うと、すぐに車から降ろされたのだった。

どうやら、行き先が変わったらしく、さっきまでいた建物に戻されたのだった。迎えに来ていた兵士は激高して連絡を伝えた兵士に文句を言っていたが、より高次な部署からの命令だったのだろう。しぶしぶながらも帰っていった。

 

冷泉は先ほどまでいた建物のエントランスにいた。入口には銃器で武装した兵士が二人立ち、無言で冷泉の監視を続けている。

 

すでに長波の姿は無く、草加とかいった第二帝都から来た少年兵も帰ったようだった。

迎えの車がいつ来るかはまだ伝えられていないようで、しばらくはここで待つしかないようだ。

殺風景なエントランスで何もすることもできず、ウロウロと歩き回るだけだ。

 

ふと隅に置かれたゴミ箱に視線を向けると、紙屑とかではない銀色のものが捨てられているのを見つけた。不審な動きに見えないようにゴミ箱の中を覗き込み取り出してみる。

 

それはブレスレットだった。そして、それは冷泉の知っているものだった。……すぐに持ち主が誰だったかも分かる。分かってしまった。

 

「そうか、長波……。うん、それでいいんだ」

と呟く。鎮守府の艦娘全員にプレゼントしたものだ。深海棲艦に世界から隔離されてからは入手不可能となった、冷泉でも知っている海外の超がつくほどの有名ブランドのブレスレットだった。総額でかなりの値段であり、有り金すべて使い、ほとんど勢いで買ったものだった。それでも艦娘たちの反応はいまいちで、わりとショックを受けた事を記憶している。

特に叢雲や長波の反応は悪かったなあ……。そんなことを思い出してしまう。そんな彼女たちでも、いつも身につけていてくれていて、たとえ義理であったとしても送った本人としてはとても嬉しかった。

 

それが捨てられているということは、長波は冷泉が言ったことを信じたということだ。冷泉からの贈り物など身に付けていることに嫌悪感を覚え、捨ててしまうほどに冷泉を嫌い憎んでいるということに。

 

それでいいんだ。俺を憎むなら憎んでくれ。その代わり、叢雲のことは大切な仲間、親友としてお前の心に残してやってくれ。親友を殺した男として俺を憎しみ、それが少しでもお前の生きる意味としてくれればいい。

 

おそらく、これが俺にできる最後の事になるだろうから。

 

やがて一台のワゴン車が玄関に横付けされ、スライドドアが開く。降りてきた人物に冷泉は驚かざるを得なかった。兵士たちも同様に驚いたようだ。

 

現れたのは一人の少女だった……艦娘だった。

彼女は驚く冷泉の元に歩み寄ると、ニッコリ笑った。

「お久しぶりです、提督さん」

現れたのは艦娘……そして、かつて出会ったことのある第二帝都東京所属の速吸だった。

 

 

「君は、速吸。……どうして君が? 」

 

「もちろん、提督さんをお迎えにあがりました」

驚く冷泉に彼女は笑顔で話しかける。

 

どうやら冷泉の身柄は陸軍から艦娘へと引き渡されるようだ。先ほどまで警戒していた兵士たちはすでに立ち去ろうとしていた。

どういう経緯になったかはまるで想像もできない。

 

「大変恐縮ですが、これより第二帝都東京までご同行をお願いします……冷泉提督」

 

「俺に拒否権は無いんだろう? ……けれど、よく陸軍の上の連中が納得したな」

当たり前の感想を彼女に述べる。今回の冷泉の身柄については様々な勢力が蠢いているように思えた。単純に海軍のみの権限で処断できるのであれば、すでに冷泉はこの世にはいなかったかもしれない。しかし、艦娘、陸軍、議会などが出張ってきたために決定権争いに時間がかかったためにここまで五体満足でいられたわけではあるのだけれど。三すくみ四すくみの状況のため、何をするにしても時間がかかるはずだった。

けれど、冷泉が自白したために一気に流れが変わると思っていたのだけれど……。草加という少年兵はそのように考えていたようだし、冷泉もそう思っていたのだが。

 

「すべて三笠様の鶴の一声で決定となりました。軍の方や偉いセンセイ方がいろいろと喚いておられましたが、一喝です。提督さんにも見せてあげたかったですよ、三笠様の格好良いところ」

何故だか自分のことのように語る速吸。

 

「そうか……俺はまた第二帝都へ行くのか」

 

「そうです。ではでは、まいりましょう。お車にお乗りください」

急かされるように冷泉は車に乗り込む。

 

さて、第二帝都に行くことは、冷泉にとって明るい未来となるのだろうか? ……どうだろうな。八方塞がりであることには何ら変わりはないのだろうけれど。

 

シートに腰かけると、すぐ横に速吸がちょこんと腰かける。

運転席との間には仕切りがあり、運転席からは見えないようになっている。窓ガラスはスモークになっていて、普通の車より相当にガラスが分厚いようだ。自動で閉じられるスライドドアが重厚な音を立てて閉まる。冷泉の座った側のドアも開くはずだが、中から開けるスイッチは無いようだ。

 

「しばらく車ということになりますが、ご辛抱くださいね。飲み物とかが必要でしたら、教えてください。軽食を含めて積んでいますから。……あ、トイレ休憩も取りますからご安心ください

速吸が説明を続ける間に車はゆっくりと発進していく。同時に窓ガラスが黒くなり、外から遮断される。

「すみません、どういう経路で行くかはお教えできないので……」

と弁明するように速吸が言う。

 

「そうか」

 

「あ、提督さん、誰かに聞かれるのを警戒してます? ご安心ください。運転手には声は聞こえませんから、内密な話でも平気ですよ」

彼女の言葉は嘘か本当か分からない。

 

「俺はこれからどうなるんだろう」

 

「えーとですね、まずは三笠様にお会いいただくことになります。その後の話は三笠様にお聞きになってくださいとしか言えませんね」

 

「君はどうして来たんだ? 」

 

「提督さんをあのままにしていたら、きっと軍に濡れ衣を着せられて処刑されるのは間違いなかったですからね。艦娘側としては彼らから提督さんを取り上げる必要がありました。だから三笠様が直接、政府と軍に働きかけたわけです。わりと高圧的にですが……。そして迎えに行かせるとなれば、冷泉提督と顔見知りのほうがいいということで速吸が選ばれたわけです。車での長時間移動になりますからねー。知ってる艦娘のほうがいいでしょ? 」

 

「まあ、そうだけれど。三笠さんはそんな気を遣ってくれたってわけなのか」

 

「そうですね。そして、速吸が来たのは、三笠様より先に提督さんに個人的にお話しをしておきたかったっていうのもあります」

 

「? 」

速吸の物言いに強烈な違和感を感じてしまう冷泉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第232話 これだけは認められない。それが残された唯一の拠り所

久しぶりの投稿です。


速吸は話したいことがあるということだったので、冷泉はずっと彼女が話し始めるのを待ち構えていたが、なぜか沈黙したままだった。沈黙が永遠に感じられ、どうしていいか分からなかった。すぐに話しかければ良かったのだが、一度タイミングを逸してしまうと、実に話しかけづらい。

 

車の窓は濃いスモークガラスとなってはいるものの、外の景色は見える。いつの間にか高速道路に乗っていたようだ。前方を同じ進行方向に進む車の姿は無く、対向する車も無い。冷泉の知る高速道路とは異なるようだ。舞鶴鎮守府にいた頃から思っていたが、冷泉がいた頃? の日本とは、いろんなところでどこか異なる……ズレがある風景だ。何がとは説明しにくいが、ずっと違和感を感じる町並み、風景だ。

かつていた世界とは時間軸・世界線の異なる世界に来ているんだろうけれど、頭では理解しているつもりでもどこか納得していない自分がいるようだ。半分現実、半分夢見心地の感覚が抜けないままだ。

 

さて、自分がどこに捕らわれていたかは分からないが、道は山の中を走っている。時折、山の間から左側遠くには見慣れた鈍色の海が顔をのぞかせる。空は濁ったどんよりとした重苦しい色で、どことなく陰鬱な感じだ。空については領域に囲まれて以降、どこも同じなのだろうけれど。日本のすべてを観光して回ったわけではないけれど、方位的なことからしても日本海側のどこかを走っているのだろう。

 

速吸は何かを待っているような雰囲気で、冷泉と目を合わさずに黙り込んだままだ。何か考え事をしているようでもあり、話しかけるのを拒絶しているようにも感じられる。

だから冷泉もいろいろと聞きたいことはあったけれど黙っていたのだ。

 

ロードノイズだけが車内に響くだけの沈黙の時間が数十分続いただろうか? 

時計がないので正確な時間はわからない。体感的には一時間ほど走っただろうか。車のエンジン音が少し大きくなったような気がする。風景からも緩やかな上り坂を走っているようだ。

車窓からいくつかの案内表示板が見えたあたりでブレーキのGを感じると、車が左に動くのを感じた。車はゆるゆると速度を落としながら、走行車線を外れ、停車した。

サイドブレーキを引く音が聞こえ、エンジンが停止される。

 

「提督さん、少し疲れたでしょう? ある程度走ったので休憩しましょうか」

前の方でドアが開き、再び閉じられる。どうやら、運転してい兵士が降車したようだ。外に出た二人の兵士が何か互いに合図を送りながら、周囲を見回している。安全確保かなにかをしているのだろう。

すぐに合図が速吸に届いたようで、

「提督さん、おトイレとか大丈夫ですか? しばらく走ったので、ここで少し休憩しましょう」

特に便意はもよおしていないが、彼女の言葉に甘えることにする。どちらかと言えば、うまいものを腹一杯食べたい。炭酸飲料を一気に飲みたいといった欲求の方が強い。

 

取り調べ中はろくな食事も与えられなかったし、水以外の飲み物なんて一切出されなかった。量も必要最低限でしかなかったわけだが。まあ、いろいろと食べたところで、取り調べに伴う措置で、胃の中のものは全部吐き出してたわけなんだが。いろいろと酷い目に遭わされたけれど、取調官に言わせるとまだまだ優しい取り調べだったらしい。彼らのオフレコの話では、現状の冷泉の軍での立場……というか、嫌われ具合でいえば指の1、2本、歯の4,5本くらい無くなってても仕方が無いレベルだそうだ。ずいぶんと冷泉の事を嫌っている、否、恨んでいる高官がいるらしい。

しかしながら、そいつらの希望もむなしく、艦娘側の監視が入る恐れがあるということで、冷泉は丁重にもてなされていたらしいが。

確かに身体に欠損もなく、爪も全部無事である。服を脱いだところで、わずかな擦過傷程度しかなく、新しい痣はほぼ見つけられないだろう。

 

「そうだな……、外の空気も吸いたいな」

そう言ってドアノブに手をかけるが、反応が無い。どうやらドアは外から出ないと開けられないようだ。濃いスモークガラごしに外を確認すると、停車している場所は結構な山の中であることが分かる。高速道路のサービスエリアかパーキングエリアかの定義は知らないけれど、そのどちらかなのだろう。

進行方向の左側の遙か向こうには海が見える。位置関係からして結構標高の高い場所らしい。

駐車場は大型トラックでも20台くらいは駐車できる広さだ。ただ、人々が訪れなくなって久しいのか、区画線はかすれてほとんど分からなくなっているし、埃っぽいアスファルトを突き破って所々雑草が生えて来ている。駐車場の舗装もずいぶんと薄汚れメンテナンスがほとんどされていないことがわかる。

駐車場の周りは木々が生い茂っており、ちょっと歩けばもう深い山の中だ。付近には当然建物もないし、高速道路を走る車は見当たらない。駐車場に面するように赤い屋根の建物がある。設置された看板には、薄汚れてしまってかなり読みにくくなっているものの、NEXCO中日本 杉津と読み取れた。かつて店舗だったであろう場所のさび付いたシャッターが閉められ、かつて並んでいただろう自動販売機も撤去されている。建物の一部であるトイレだけは使えるらしい。

駐車している車はこの車のみ。警護の車両はいないようだ。おまけに警備も二人の兵士しかいない。そして他の人の気配は無い。

 

「この車一台だけなんだな、ここには」

ここがどこなのかは聞かない。聞いたところで土地勘がないから分からない。

 

「そうです。急だったものですから連れて来られる人もいなくて、護衛も二人だけなんですよ。でも安心してください。彼らは私たち……艦娘側の人間ですから、提督さんを害することは絶対にありません。それに二人と言っても特に能力の高い者だけを集めた部隊の更に精鋭ですから、武力には絶対的な信頼をしてもらっても大丈夫です。三笠様から安全に目的地までお連れするよう厳命されていますから、彼らのモチベーションも最高値なはずです。それからこれからの予定ですけど、高速道路をもう少し走ったら、列車に乗り換えになりますから」

 

「まあ俺を警護する必要なんてないしな」

やばい連中が警護してくれているのだけは分かった。しかし、どちらかと言うと、冷泉が逃げないようにすることが彼らの役目だろう。

 

「艦娘に属する車両を襲うなんて愚かしいまねをする勢力はまずいないと思いますけどね。そんなことをしたら、どれほどの厄災を招くか……そんな事を知らない軍では無いと思います。なので、提督さんはご安心ください。……それよりも」

襲っているとしたら軍しかないような口ぶりで速吸が言う。

 

「? それよりも、何」

言葉の途中にいきなり速吸が身を冷泉にすり寄せる、そして、ささやいた。その唐突な動きに、冷泉は身動きが取れなかった。

「提督さん、逃げるなら、……今しかないですよ」

 

「な、何を言うんだいきなり」

艦娘の言った事も衝撃的だが、速吸が密着していることにも動揺している冷泉。

確かに、今なら邪魔な兵士はたった二人。それに、ここは山の中。山の中に逃げ込んでしまえば、たった二人での追跡は困難。

 

「提督さん、このチャンスを逃せば、もう二度と脱出などかなわなくなりますよ。あなたに残された最後のチャンスですよ」

と彼女は悪戯っぽく言う。

 

「……いや、いきなり何を言うんだ? どうしてそんなことを言うんだ? そもそも、そんなことして俺に何の益があるっていうんだ」

内心を見透かされたように指摘されたので、少し動揺してしまっている。彼女の意図が読めない。

 

「何も裏なんてないですよ、提督さん。私は提督さんの為を思ってお伝えしているんです。私の任務はあなたを第二帝都東京までお連れすること。けれど、任務を全うしたら、あなたはもう二度と後戻りできなくなります」

 

「……それはどういうことなのかな。そもそも俺にとっては拒否権など無い状況だと思うんだけれど」

 

「三笠様に会ってしまえば、きっと提督さんは理不尽な契約を提示されるに決まっています。雁字搦めにされてしまって、逃げることもできず三笠様のおもちゃにされるに違いないんです。横須賀の提督ように……」

 

「けれど俺には拒否することなどできない。このままでいたら、俺は処罰される以外の道はない。舞鶴鎮守府から放逐され、あいつらを守ることができなくなってしまうしかないんだ。三笠さんにどういう意図があるかは分からないけれど、0しかな現状よりは、何かできる可能性があるんじゃないのか? 俺はそう思いたいんだけれど」

三笠がどういう課題を自分に与えるかは不明だけれど、彼女は日本国に対して意見できる立場にある。であればもしかすれば司令官の地位に戻してくれるかもしれない。何もなければ彼女がわざわざ自分を呼び寄せる必要が無いのだから。

横須賀鎮守府の提督がどのような扱いをされているかはこの際どうでもいい。

 

「少なくとも艦娘側として、俺に利用価値があると判断したから、わざわざ俺を帝都まで呼び出すんだろう? だったら可能性にかけてみたい」

 

「そんなの……無理ですね」

と、冷たく言い放つ速吸。

「提督さんは何か甘い考えを持っているみたいですけど、ありえないですね。三笠様がどのような意図で動いているかは私なんかじゃ分かりませんけど、これまでずっとあの人を見てきました。あの人の真意は私の理解の埒外なので分かりませんけれど、きっと提督さんが苦しむようなことしかしないと思います。悲しみに泣きわめき、苦しみながら地面を這いずり回る姿を見て嗤うのが大好きなんです。酷い人ですよね、悪趣味ですよね。私には分かりませんが、それが三笠様なりの愛情表現らしいです。そうあの人が言っていましたから」

とても上司に対して言うようなことじゃ無いな。冷泉が彼女の発言を三笠に伝えることが無い事を確信しているかのような口ぶりだ。

 

「俺なんかに何をどうしたらそんなことができるんだよ。それに、君はそう言うかもしれないけれど、彼女がそんなことをするようには思えないんだけれど」

 

「私は三笠様のおそばでずっと見てきたって言いましたよね。もちろん、すべてを見ているわけではないですが、いくつか同じような場面を見てきました。だから、何をしようとしているか、なんとなく分かるんです。間違いありません。三笠様は強度のサディストなんですから」

冗談とも本気ともいえるような言い方だ。

 

「仮に君が言うようなことが向こうで待ち構えているとしても、俺にはどうすることもできないじゃないか? 確かに数は少ないとはいえ、訓練を積んで武装した兵士が2名もいるんだよ。彼らを排除して逃げるなんて現実的じゃない。俺は格闘技なんて習ったこともないし、仮に経験者だとしても付け焼き刃程度の体術で彼らを倒せるとは思えないね。それに喧嘩だってしたこと無い。仮に何かの偶然が重なって彼らを倒せたとしてだ……、その後、艦娘の君から逃げなきゃならないんだよ。それってどう考えても無理だろう? 」

不意打ちをして兵士たちを倒す。……万に一つでも可能性は無いとは言えない。しかし、それができたとしても、艦娘と対峙して勝てる人間なんて世界に存在しない。仮にヘビー級のボクサーだろうが総合格闘技の世界チャンピオンであっても勝機は皆無だ。……そもそも身体能力が違い過ぎるのだ。

冷泉は、まだ心を開いてくれていなかった頃の加賀を思い出した。普通に10メートルくらいの高さから飛び

降りたり、垂直跳びで数メートル飛び上がったりする。人間では到達できない速度で移動するし、その気になれば人間なんて片手で簡単に縊り殺せる。あらゆる面で上位に位置する生命体なのだ。ヒグマであろうとも瞬殺だろう。ただ彼女たちがそれをしないだけだ。

少なくとも、たとえ森の中に逃げ込んだとしても、艦娘の身体能力を考慮したら、逃げ延びることなどできるはずがない。夜でも見えるし聴覚嗅覚も人間の比では無いって自慢された記憶もある。

「どれだけアドバンテージをもらったとしても、逃げ延びる未来は見えない」

 

「……何行ってるんですか? 簡単ですよ、私を人質にすればいいんですから」

と当たり前のように艦娘は言う。

「私を人質にすればいいんですよ。そうなれば、彼らは何もできないです。そして縛って車に閉じ込めれば、しばらくは追っては来ないです。それにご安心ください、私は反撃なんてしないし、できませんから」

 

「でも君をどうすればいいんだ? ずっと連れて逃げるわけにはいかないし、かといって兵士たちと同じように縛って車に閉じ込めたとして、すぐにロープを切って追いかけてくるんだろう」

 

「……そうですねえ。解放されたなら、ロープくらいなら切っちゃうでしょうし、手錠だって引きちぎれますよ。それにどこかに閉じ込めてもドアなら……ちょっとした壁でも蹴破っちゃいますね。艦娘って見た目に反して力持ちですから。拘束はあまり時間稼ぎにはなりませんねえ。そして、当初の目的を達成するために、提督さんを追いかけて捕らえざるを得なくなります」

 

「じゃあ、結局は一緒じゃ無いか。とてもじゃないけど、君から逃げおおせる未来は見えない」

 

「そんなことないですよ。適当なところまで私を連れて行って、私を絞め殺すなり、銃で射殺するなりすればいいんです。死んじゃったら追いかけられませんからね」

事も無げに速吸が言う。

 

「な! ……そんなこと、できるわけないだろう」

思わず声を荒げてしまう。どういう思考回路で話しているっていうんだ。自分が助かるために艦娘を殺すなんて、冷泉の行動理念から最も遠い位置にある事だ。冗談でもありえない。

 

「艦娘を殺すのが怖いですか? ……安心してください。提督さんなら聞いたことあるでしょう? 私たち艦娘の本体はここだって」

と、首筋のあたりを指さす。

「だから、ここが壊れない限り……へへ、ここは主砲の直撃を受けても壊れませんけど……私は死なないんです。すぐに本体をスペアボデーに移し替えたら復活ですよ。だから罪の意識に捕らわれる必要なんてないですし、何の問題もないです。提督さんは逃げられるし、私は生き返ります。殺されちゃったから三笠様にも提督さんを逃がしてしまった事について怒られませんし。……すべてリセットされますから、提督さんは安心して私を殺して逃げればいいんです。誰も何も失いませんから」

 

「そんなこと……何で自分のためなんかに、君を殺さなければならないんだ。たとえ君が言うことが事実だったとしても、そんなことできるわけないだろう」

スペアボデーの話を思い出し、吐き気をもよおす。仮に死んだとしても新たな身体にコアを移植すれば生き返るという話。信じられないけれど、艦娘本人がそう言うからには、それは事実なんだろう。けれど、その事実を受け入れることは冷泉にはできそうもなかった。

 

思考は停止してしまう。

胃の奥から何かがこみ上げてきて、吐きそうだ。

 

「だから、私は死なないですから。全然気にする必要ないですっ。死んでも……いや死んでないか。どっちにしても生き返るんですからね」

 

「たとえ君の言うとおりだとしても、今の君を殺さないと駄目なんだろう? 理解しかねるけど生き返るとしても、俺には君を殺した感触と罪の意識が残る。自分が守るだけのために、艦娘を殺したという罪の意識が。それは決して消えることはないんだ。その代償が自分の命? ……そんなもの受け入れられるわけがない。それに、俺には逃げることなんてできない。約束したんだ……みんなを守るって。あいつらに……。それだけは守らなければいけないんだ。今の俺にはそれしかないんだ」

 

「あーあ、やっぱり頑固だなあ、提督さんは。自分で自分を追い込んで、追い詰めて、なにもかも一人ですべてを被ろうとして、何とかしようと擦り切れて、ボロボロになって……ただただ苦しむなんて何の意味も無いことだと思いませんか。舞鶴の艦娘たちは誰もそんなこと望んでいませんよ。提督さんが苦しむ代わりに自分たちが守られるっていうなら、そんなものいらないって言う子ばかりでしょう? それを知らない提督さんじゃあないはずですよね。それに……そもそも、提督さんって私は呼んでますがあなたはもはや提督ではないんですよね。今は何の権限もないただの一兵卒ですよね。あなたの果たすべき責務は、今は葛城提督が全うしてくれているですよね。だったら葛城提督に任せるしかないじゃないですか。何の権限も力も無いあなたが一人で藻掻いたところで、所詮、何もできないんですから」

 

「そ……それかもしれない、けれど、俺にだってまだ何かできることがあるかもしれない。ほんのわずかでも可能性があるなら、なんとかしたいって思うだろ。それに、もはや何も無いのだとしても、逃げることだけはできない。たとえこの先が地獄しかないとしても、俺は引き下がれない」

今さら自分に何ができるかは分からない。けれどこれだけは譲れない。それをしてしまったら、もう自分の価値なんて見いだせない。

 

「何も無いですよ」

と、あっさりと想いは否定される。

「一体、あなたに何ができるんですか。軍の役職を解かれ、現在はただの兵士……いえ、その身分すらあやふやですよね。そんなあなたに何ができるというんですか。もう提督さんの、ただの妄想でしかないですよ。提督さんは、一人で悲劇の主人公にでもなりきって、ハアハア言いながら盛り上がっているだけじゃないですか」

 

「ははは、そうかもしれないな。今の俺に反論する拠り所は無いよな」

速吸の言葉は胸に深く突き刺さる。ただ自嘲気味に言うしか無い。

今の自分は軍人ですらないのだから。あからさまに本当の事を言われて、ぐうの音も出ない。今の自分には何の権限も力も無い。それは分かっている。けれど、舞鶴鎮守府の艦娘との約束がある。彼女たちを守るという約束。それだけは反故にできない。この先、どんな運命が自分を待ち受けていようとも、それだけは譲れない。

いや、もうそれしかないのかもしれない。自身がこの世界に立っている理由など、ただそれだけしか。

 

「すみません、言い過ぎました。けれど私は、提督さんにはどんな形であれ生きていて欲しいんです。本当ですよ。それは、舞鶴の艦娘たちも同じ想いだと想います。……このまま第二帝都東京に行けば、必ず、三笠様より絶望的な任務を命じられることになるはずです。はず……ではなく命じられるのが正解ですね。じゃあ、どんな命令か知っているのかって言われるかもしれません。はい、もちろん知っています。三笠様がどんな命令をするか。そして、どんな過酷な事実を突きつけるかも。けれど、私の口からはそれを言うことは許されていませんし、言いたくないですし、できないのです。私にできることは、あなたをそそのかして逃がすことだけなのですから。このまま帝都に行っても知らなくても良いことを知るだけ。けれど三笠様の話を聞いてしまったら、提督さんは断ることができなくなる。逃げることもできず、逆らうことも抗うこともできなくなります。提督さんにとっては地獄でしかないのです。知らなくて良いことを知るくらいなら、いっそ知らないほうが幸せなこともあるのです。すべてを捨てて逃げることは、罪ではありません。提督さんは十分すぎるくらいに任務を全うされました。これ以上自分を傷つけてまで頑張る必要などないのです。それに、今の提督さんはその地位を剥奪されていて、そのほとんどは大湊警備府の提督に移管されています。提督は地位だけは保留されているものの、その地位に見合った権限はすべて失っているわけだから、もはやこだわる必要などなにもありません。……だから、このまま何もかも捨てて、逃げてください」

 

「俺が逃げたとしたら、その後はどうなる? 三笠さんが俺に命じようとしていた事はどうなるんだ」

 

「提督さんは追われる立場になるでしょうけれど、それは今と何ら変わりないでしょう? 三笠様があなたにさせようとしたことは、代わりの誰かに命じられるか、それとも、おそらく無いとは思いますが、葛城提督に命じられるかもしれませんね。どちらにしても問題はありません」

 

「俺の部下の……いや、今は部下でも何でも無いんだよな……艦娘たちはどうなるんだ。彼女たちに過酷な任務が課せられるんじゃないのか」

 

「さあ、どうなるんでしょうね」

何か思わせぶりな感じで速吸が答える。

「けれど、艦娘の運命は提督さんがいてもいなくても何も変わらないと思いますよ。どちらにしても三笠様の意思は経路こそ違えど、実行されるのですから。行うのが冷泉提督ではなく、別の提督かもしれませんし、それ以外の誰かかもしれないです。舞鶴鎮守府の艦娘たちの運命は何ら変わりませんのでご安心ください」

 

「なあ速吸、お前は何か知っているのか? だったら教えてくれ。俺がこのまま第二帝都に行った場合の事なんてどうでもいい。あいつらにどんな命令がなされるのかを教えてくれ。あいつらがどうなるのかを。……頼む」

もしも彼女たちに不幸が訪れるというのなら、自身のすべてを費やしてでも彼女たちを守らなければならない。仮に何の役に立たなくても、何もせずにはいられない。

 

「特にどうということはありません。彼女たちは艦娘としての職務を全うするだけじゃないですか。提督さんがいようがいまいが関係なく……。提督さんは艦娘の生死に異常にこだわっているようですけど、たとえ彼女たちは死んだとしても、コアさえ無事ならスペアボデーを取り替えたら元通りです。艦本体が沈んだら建造に時間はかかりますけれど、それは時間が解決してくれます。艦娘も、提督さんも何も悲しむ事なんてありませんよ。」

 

……自分の知らないタイプの艦娘がここにいる。

冷泉はそう思うしかなかった。自分の知る艦娘はもっと感情的で個としての情があって、もっと人間味があった。戦友の死に涙し、自分の未来を憂いながら人間のために戦おうと強い意志を持っていた。時に普通の少女のように笑ったり泣いたり叫んだりしていたはずだ。けれど目の前にいる速吸という艦娘はすべてを達観し、合理的思考しか持ち合わせていない。かつて鎮守府を訪れていた際には、もっと人間味あふれる子だったはずなのに。

何が彼女を変えたのか、それとももともと違っていたのか。それは分からない。

 

「だから迷うことなんて無いんです。提督さんは自分の事を考えて行動してほしいんです。それが私の……いえ、舞鶴鎮守府であなたの下で戦っていたみんなの想いなのです。……ここは逃げてください。このまま帝都に行って三笠様と会えば、知らなくて良いことやしなくていいことをしなければならなくなる」

 

「俺は……」

冷泉はぽつりとつぶやくように話す。

「これまでの俺は、ずっと逃げてばかりで何もなすことがなかった。日々を淡々と生きるだけで精一杯だった。人並みに夢もあったけど、自分の恵まれない境遇を嘆くだけで何の努力もせず、何かを言い訳してばかりだった。できないのは自分のせいじゃない、今できないのは俺が恵まれていないからだ。あれさえあれば、俺にもできた。まだ本気を出していないだけで、あとちょっとしたら本気を出す。そうしたらきっとうまくいくはずだ。駄目だったのはあの日、体調が悪かったせいで運が悪かっただけなんだ。そんな事の繰り返し。何もなさず何も得られず、自分の怠惰を誰かの、社会のせいにして自分を慰めていた。その体たらくさが俺の人生のすべてだった。努力しても認められないのは、自分の努力不足だと分かっていたけれど認めたくなくって誰かのせいにして、プライドを守っていた。そんな事ばかりだから駄目だったんだよ。……このまま逃げてばかりじゃ何も変わらない。たとえ変わらないとしても、逃げるわけにはいかない。たった一つの約束だけは、守りたいんだ。この先、どんな運命が待ち受けていようとも、そこから目を逸らし、誰かを見捨て犠牲にして自分だけ助かろうなんて考えは、絶対に無い。絶対に」

今できることが自分の手に余るものだろうとも、逃げる選択肢だけは……無い。

 



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第233話 取り戻せない記憶

「それが提督さんの結論ってことでいいですか? 」

 

「ああ……」

 

「念のために確認しますよ。本当に……後悔は無いですね。考え直すなら今ですよ。この後、第二帝都行きの列車に乗り換えとなります。そうなれば、当然ながら警備は厳重になりますし、私も提督さんのお力になれなくなります。今さら逃げるなんて言っても、それは不可能となりますよ。それでも、本当の本当にいいのですね? しつこいくらいに言いますけど、知らなくて良いことを知るくらいなら、いっそ知らないほうがいいことがあるんですよ。私は提督さんのことを心配して言ってるんです」

 

「ああ……後悔なんてしない。たとえこの先、どんな運命が俺を待ち受けていようとも、逃げるつもりなんて無い。俺は彼女たちと約束したんだ。どんなことがあっても必ず、俺がお前たちを守る……と。だからその約束だけは、なんとしても果たさなければならないんだ。……いや、しなければいけないんじゃないかな。誰に命じられたわけじゃないし。そう、俺がそうしたいんだ……絶対に」

速吸の真剣な面持ちから、冷泉に知らせたくない事があることは予想できた。それがどれほど冷泉の心に影響を与えるかは想像できない。しかし、秘密にされたところで、起きてしまった事実は覆らないんだ。知らないでやり過ごせることなんて無いのだ。知らないままで済ますことができるなら、それでもいいかもしれない。苦しんだり悲しんだりせず、遠くの世界の出来事としてやり過ごせるからだ。けれど、自身の立場、その求められる責務から逃げることはできない。否、軍での立場なんて関係ない。どれほど過酷なことであろうと知る義務があるのだ。だから、事実から目を背けない。

 

「もう……いい加減にしてください」

吐き捨てるように速吸が叫ぶ。

「矛盾ですよね、それ。私たち艦娘は深海棲艦と戦い、そして斃すことが使命。そのためには死が必然とされている存在です。そんな私たちが、安穏な日々を笑顔で過ごすことなんてできるのでしょうか? 常に最前線で戦わされるというのに、明日を迎えられないかもしれないのに……できませんよね。提督の仰る事は、ただの理想論でしかなく、厳しい言い方をすれば……偽善です。死地に追いやらなければならない私たちへ顔向けできないから、できもしないことを、さもできるように言っているだけでしょう? それに、たとえその偽善を貫けたとしても、その先に一体、何があるのでしょうか? 提督さんのやっていることは、余計な情けをかけているだけです。その優しさが艦娘たちに苦しみを与えるだけでしかないことがまだ分からないのですか? 提督さんは良いことをして気持ちいいかもしれませんが、艦娘たちの気持ちにを想像してください! なまじヒトと同じように扱われるだけ、自分たちの運命に余計な疑問を感じるだけでしかないのです。そして、それに対する解決策を提督さんは何一つ提示することができないし、これっぽっちの能力もない。艦娘は、ただの機械として扱われるほうが幸せなんです。余計な情けや愛情をかけられて嬉しいとでも思ったんですか? 提督さんのその優しさは、傷口に塩を塗り込むのと同じということにまだ気づかないのですか。提督さんのやっていること、そして、しようとしていることは艦娘を苦しめるだけでしか無いのです。提督さんの優しさに触れることで、艦娘の与え成すべき使命への思いがブレる。兵器として望むことの叶わない物が手に入るって勘違いしてしまうんです。……私たちの未来は、死しかないのです。それを当たり前として受け入れるように作られているのに、あなたが余計な感情を与えて私たちを苦しめないでください。あなたの自己満足のために、私たち艦娘を犠牲にしないで!! 」

突然感情をあらわにした速吸。一気にまくし立てたせいか、呼吸が荒くなっている。そして、その瞳には涙が溢れこぼれ落ちそうだった。

 

「ごめん……」

冷泉には、それしか言えなかった。

速吸の言っていることは事実であり、冷泉もそれは理解していた。感情を排除して事務的に対応するのが一番だということも分かっていた。それが上に立つべきものの、本来あるべき姿なのだろう。優秀な指揮官とは、いかに効率よく敵を殺し部下を殺すかだと聞いたことがある。最小限の犠牲で最大限の効果を得るのが理想なのは分かっている。そのために誰かを犠牲にするのも、多くの者を守るためには仕方の無い事なのだから。

 

けれど、冷泉にはそれができなかった。できるはずなんて無かったんだ。

冷泉と艦娘は出会ってしまった。お互いを認識してしまった。言葉を交わしてしまった。情が沸いてしまった。もう引き返せないのだ。

だから……。

「けれど、全てを投げ出して俺だけ逃げることなんてできない。もし、あいつらが死という運命から逃れられないのなら、俺も共にそこにあろう。あいつらがいないなら、俺に生きている意味がなくなってしまう。俺はどんな時でもあいつらと共にありたい。たとえ俺が無力だとしても。これは約束とかそういったものじゃない。俺のただのわがままなのだけれど」

 

速吸は気圧されたように一瞬目を伏せたが、すぐに反抗的な瞳を取り戻していた。

「提督さんは、艦娘を助けようとこだわりすぎなんです。艦娘は死んだとしても、大丈夫なんです。艦娘は一体じゃない。たくさんの代わりがあるのです。……スペアボデーという存在が。だから私たちは任務で沈もうとも、予備があって、あらたに造られた艦本体とセットでまた新たに鎮守府に派遣されるようになっているのです。だから、死は死でなく新たな生なのです。よって、提督さんが異常なほどに固執する艦娘は、提督さんに守ってもらわなくても全然へっちゃらなのです」

 

「仮にそうだとしても……新しい、いや、新たに派遣される艦娘には、それまでの記憶は残っているのか」

 

「いいえ、ないです。艦娘が作られた時の【ベース】となる記憶しかありません。いわゆる工場出荷状態ってやつですよ。そもそも記憶媒体の場所が違うんです。ベース部分は絶対保護領域となるコアにありますが、製造後……鎮守府に派遣されてからの記憶は、スペアボデーの生体脳に記録されます。記憶領域がボデーに依存していますから、ボデーが破壊されたら当然、記憶は文字通りおシャカになってしまいます。そもそもボデーの記憶は持ち越しなんて想定されていませんからね。だって、再利用するような価値ある記憶はないですからね。艦娘としては必要ないものは、どうでもいいですから。ですから、新しく稼働した艦娘には、鎮守府に着任する前までの記憶しか持ち得ませんね」

 

「けど、そんなのって、悲しくないか? 」

 

「はぁ? どういうことでしょうか」

不思議そうに首をかしげる。

 

「今話している速吸だって……、もし、お前が沈んだとして、次に俺と出会っても俺のことは何も覚えていないんだろう? 」

 

「はい、そうですね」

と、即答。

 

「確かに俺とお前が共有した時間なんて、そんなに長くはないけれど、その時間の中で俺なりに君の事を教えてもらったし、お前も俺のことを少しは知ったことになるよな。それが全部無かったことになるなんて、寂しくないか? 俺はお前のことを、……もちろん全てを知ってるわけじゃなくて、速吸という艦娘のごく一部なのかもしれないけれど、それでもお前の事を知っている。けれど、お前は俺のことを全く知らない。初対面のような対応をされたら、やっぱり辛いじゃないか。うん、きっと辛い。……少なくとも、俺のほうはお前に対して好意を持っているんだから。あまりに寂しいことだよ。それすなわち、もはやお前は、俺の知る速吸ではない別の艦娘でしかないのと同じだから」

 

「きゃあ、もしかして私を口説いてるつもりですか、提督さん? ちょっと、そんなこと急に言われちゃうと困っちゃうんですけれど……」

予想外の発言だったのか、それとも演技なのか、速吸がドギマギと慌てたようなそぶりを見せ、上目遣いでこちらを見つめる。

「提督さんが言うことも分からなくは無いですよ。けれど、その時の私だって、今の私と何一つ変わっていない、提督さんの大好きな艦娘の速吸ですよ。少しだけ一緒に時間共有した記憶が無いだけで、本質的には速吸は何も変わりはありません。それに失った記憶なんてまた構築し直せばいいだけじゃないですか。何の問題もないです。安心して抱きしめてください。……さあ! 」

と冗談めかした感じで両手を広げてこちらを見る。

 

「うぐ……。それは価値観の問題なのかもしれない。何に重きを置くか……。俺にとっては、共に過ごした記憶はとても大切だ。それは命の一部だといってもいいんじゃないかな。だって、もし、もう一度やり直したとして、全く同じ出来事は起こらないし、仮に起こったとしてもそれぞれの思い出は、また違うものになるんじゃないだろうか」

 

「あらあら、ロマンチストですねえ、提督さんは。けれど、艦娘的には理解できないところが多いです。なんで思い出なんかにそんなに拘るんですか? それに、そもそも艦娘はただの兵器なんです。そこをお忘れ無く。司令官の命令に忠実に従い、敵を斃せばいいんでしょう? 兵器にそれ以外の何をお求めなのですか」

 

「それは、その通りだけれど。けど、俺はそんなことだけを……求めているんじゃない。なんか、こう。もっとあれだよ、あれ」

彼女に対して具体的例示できる言葉が見つからなくて、意味不明な事を言ってしまう。

 

「あ!! 提督さんが仰りたいのは、もしかして女(メス)としての、性欲の対象としての艦娘のことでしょうか? そっかー、なんだそんなことか。けど……それだって過去の記憶なんてそんなに大事ですか? 命じればなんだってご奉仕するんですから、あちらの面についての機能には問題ないと思うんですけど」

と、少し恥じらいながらこちらを見つめてくる。

「私は、提督さんの好みの体はしてませんけどね。提督さんはおっぱいのおっきい艦娘が好きなんですよね、確か。舞鶴鎮守府の秘書艦やってた娘って確か加賀さん、長門さん、高雄さん……。うわ、ほんとにおっきい艦娘ばかりです」

 

「ちがうちがう。そうじゃない。そんな事を言ってる訳じゃ無い。茶化さないでくれよ。……共有する時間の中で芽生える感情、作られる思い出。それら全ての記憶が命の一部なんだって思う。確かに兵器としては不要かもしれないけど、それはとても大切なものなんだと思う。俺は、お前たちを兵器だなんて思っていない。だから、思い出も含めて守りたいんだ」

 

一瞬だけ驚いたような表情を見せ何かを言い返そうとした速吸だったが、何かを思いついたのか黙り込んだ。そして大きく何回か深呼吸をする。

「うーん……よくわかりません。ベースがまるで違うものになるんだったら理解できますが、スペアボデーの艦娘の外見は、オリジナルと寸分違わす100%同一に造られていいるはずなんですけど。記憶についても通常の艦娘の生存時間で判別すれば、およそ95%は同じものです。であれば、それぞれの艦娘は、同じものだと言わないのでしょうか? それから、……ふと思ったのですが、提督さんはどうも誤った認識を持たれているようですので指摘させてもらいます。艦娘は日本国に貸与されているもの。それを所属先の司令官が使用するだけなので、決して司令官のものになったわけではありません。提督さんの発言はそのベースに艦娘が自らの支配下にある前提のようですけれど。あたかもヒトでいうところの「自分の女」といった艦娘に対する所有権を主張するようなもの言いを提督さんの言葉の節々から感じてしまいますね」

 

「な……」

と、冷泉は言葉を詰まらせてしまう。

 

「つまりですねえ、提督の思考の根底にあるのは、いわゆる、俺の女に手を出すな、バカヤロー! って感情です。同じ思考でお答えするなら、今の速吸の気持ちを正直に言えば、一度寝たくらいで自分の女扱い? はあ? あなた一体、何様のつもり?って感じです」

どこでそんな言葉を覚えたのか、辛辣な言い方に唖然とする。先程までの感情的は棘は無くなり、冗談めかした言い方だ。精神的な落ち着きを取り戻したのだろうか。

しかし、その言葉はしっくりきて思わず笑ってしまいそうになる。いや実際ににやけてしまったのだろう。速吸が怪訝な表情でこちらを見ていた。

 

「確かにそうだな。司令官として艦娘を守りたいとか約束したから守らなければならないとか、これだけは譲れないとか……全部建前だよな。ただ、格好付けたいだけだな」

そう、何かするにあたって、理由付けをしていただけだ。外向けの理由を。

本質にあるのは俺の部下の艦娘はぜんぶ俺の女だ大好きな大好きな彼女だ。だから彼女たちを傷つける奴らは許せないし、彼女たちのと思い出を失うなんて嫌なんだ。だから合理性など皆無に反発するんだ。

「そうだ、そうだよ。その通りだよ。それがなんだって言うんだよ。好きな女の前で格好つけて何が悪いんだ? そして好きな女を見捨てて逃げるような格好悪い真似なんてできるかよ。……だから俺は守るんだ。俺に力があるかないかなんて、二の次だ。笑われたっても構わない」

とても日本国海軍の提督とは思えないようなガキっぽい台詞だ。けれど、心の深い深い奥底に沈んでいたはずの自身の本心を発露したことで、なんだかモヤモヤした気分が晴れた気がする。答えはあまりにシンプルだった。

実際のところ、何も解決していないし解決の目処も立っていない。その事実は厳然とそびえ立っているけれど、どうでもよかった。

「だから、俺はあいつらを守るんだ。どんな無様な格好を見せたって構わない。石にかじりついても俺は諦めないぞ、絶対に……」

 

「提督さんの気持ちはわかりました。だから、もうこれ以上、何も言いません。けど、ショックですよ。せっかく覚悟を決めて段取りをしたっていうのに、無駄骨じゃないですか。提督さんのことを思って、三笠様を裏切るような真似をしたっていうのに、勇み足みたいでしたね。馬鹿みたいです。提督さんは揺るぎない覚悟を決めているんですね」

 

「揺るぎない覚悟って言われると自信がないけれど、今の自分が選ぶのはこれしかないって思う。正しいかどうか、できるかどうかはともかく、自分で選んだ事だっていうことが一番大事だと思う」

覚悟を決めるというような格好いいもんじゃないけれど、選択肢は狭められたわけではなく、自身がその意思で選んだものだと思う。

「別の道を選ぶチャンスをくれた速吸にも感謝するよ。俺なんかのために、危険を承知で動いてくれて……本当にありがとう」

 

「いえ、別にそんなに感謝されるほどのことはしていませんよ。なんか引っかき回されただけのような気がすますけど、やっぱり提督さんは提督さんでしたね。前にお会いした時と変わってませんでした。ずいぶんといろいろな事があったはずなのに、ブレてませんでした。それはすごいと思います」

嘘か本当か、感動したような表情で冷泉を見ている。

「これなら、もしかしたら大丈夫かも、しれませんね」

と意味ありげな言葉が少し気にはなったけれど。

 

その後、とりあえずトイレには行かせてもらい、再び高速を走り出したのだった。

1時間半ほど走って第一の目的地に到着した。

 

 

「さて、ここで乗り換えになります」

と、速吸が冷泉に向かって話しかける。

車で行くんじゃ無かったのか? と疑問を感じるが口に出すまもなく速吸が準備を始めた。

ドアが開けられ兵士が現れる。

 

「さあさあ、乗り換えですよ」

せき立てられるようにして、冷泉は車を下ろされる。

降りた周りを見渡すと、駅だった。




スマホで執筆はなかなか難しいものですね。


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第234話 先送りばかりの人生

拘束具等は一切付けられることなく車から降ろされると、冷泉は前後を護衛の兵士に挟まれるような形で移動していく。

そして速吸は、いつのまにか冷泉の側に来ていて、左腕にしがみつくように身をすり寄せてきている。

さすがにこれはまずいと思い、彼女に離れるように他の人間に悟られぬように目で促すが、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべただけで逆にに体をすり寄せてきた。

冷泉はため息をついてしまった。

言っても無駄と言うことか。そして、すぐに諦めた。

部下でも無い彼女には、命令は通じない。

 

艦娘がべったり張り付いているのだ。実質的には最高レベルの逃走用の対策が取られているといっていいな。と、冷泉はぼんやりと考えていた。逃げようとしたところで、人類では逃げ切ることなどできるはずがない。

 

連れてこられたのは金沢駅のようだ。金沢市自体に来たこともなかったので、車中から街並みを見てもピンとこなかった。

ここは拠点駅であることから、日々のメンテは戦時下ではあってもそれなりにされているようだ。

聞きかじりの知識でしかないが、現在の日本では、拠点間の輸送はほとんどが列車となっている。故に人の行き来は思った以上に多い。とはいえ、兵士であったり作業着を着た人間が行き来するだけで、普段着を着た一般市民の姿は皆無だ。

 

節電のためエスカレータは停止している。エレベータも荷物運搬時にのみ使用されているようだ。少々の荷物だと階段を使って運んでいる。

ホームにはいくつかの列車が停止していた。ほとんどが貨物列車である。冷泉が乗る車両もメインは貨物列車であり、その後部に数両の人員用の車両が接続されているものだ。

車両は貨物車両とは完全にエリアが区切られているようで、周りには武器を持った兵士が何人も立って警戒している。

 

冷泉は、最後尾の列車に誘導された。

かつて観光列車として使用されていたと思われる、外観からしても格好良く高級そうな車両だ。車両は改造がなされているようで、窓は偽装されているのか観光列車なのにほとんど無いし、車両は前方部にしか乗車口が無い。中に入ると、普通車両とは明らかに異なり、座席数をかなり削ったようで通路は広く確保され、座席も間隔をあけてと配置されていた。通路途中の仕切られた空間にはキッチンなんかもあるようで制服を着た女性職員もいる。

 

そして、奥の扉のある部屋へと案内される。

最後尾ゆえに展望窓が配置されて、今は駅構内が一望できる。

 

偽装されていたのだろうか、外から見た時には窓は無いように思ったのだが。

景色の良いところにいけばそうれは素晴らしい光景を眺められるのだろう。豪奢なソファやテーブルが配置された部屋だった。トイレやシャワールームもあるらしい。どうやらそれ相応の地位の人間が利用する車両なんだろうな。敷かれたカーペットもふかふかだ。ただし、部屋には入口が一つしかないし、窓ガラスはチラ見しただけでも分かる分厚い強化ガラスだ。それ相応の地位の人が拉致されて運搬されるのかな。

 

急かされるようにソファに座らされると珈琲がすぐさま出される。

速吸は何か用事があるようで、部屋の外に出て行った。しっかりと扉は重厚な音を立てて閉じられてしまう。

 

なお、冷泉は一人部屋に残されたわけでは無い。武器を手にしていないがSPらしき屈強な男二人がドアの前に立っている。サングラスをしているからどこを見ているか分からないけれど、明らかに監視しているんだろう。なんかチクチクと感じる。それほど広い訳じゃ無い部屋に、スーツごしにも筋肉の塊みたいな男が二人も立ってこちらを監視している状況、全然落ち着かない。せっかくお高そうな珈琲を入れてもらったのに、薫りも楽しめないし、全然味を感じない。

そうこうしているうちに、外からベルが鳴り響く音がして、列車がゆっくりと動き出すのを感じた。

 

初めて乗る路線だから、この世界に来る前なら嬉しそうに窓に張り付いて景色を眺めていたんだろうな、と感傷的になる。それ以前に、こんな豪華列車に乗ったんだから、満喫したい。今、自分が置かれた状況は置いておいて、運賃はいくらくらいになるんだろうなどと考えてしまう。

専用車両だし、調度品をみただけでもかなり豪華な車両だし、しかも個室だしなあ。数十万はかかるんだろうな。高級料理は出ないだろうから半額くらいかな? こんな高い列車なんて乗ろうとも考えないだろうし、どうみても一人で乗るようなものじゃないだろうしな。

無意識のうちに現実逃避をしてしまっている。さっきからそんな事ばかり考えている。

無意識のうちに、直面した現実から……そしてこの先起こるであろう事から目を逸らそうと必死なのだろうか。それもやむなしか。

この後、第二帝都に着いたら、三笠と対面だ。軍に捕らわれた状況から救い出してもらったとはいえ、結局のところは状況は何ら好転していない。直接的な暴力にさらされる危険は減ったとはいえ、自分の安全が約束されるとは思っていない。

ろくでもない状況に持って行かれるんだろうな……。どんなことになろうとしても、せめてかつての……フッ、もうそんな状況なんだな。感傷的になっても仕方ない。とにかく部下たちだけは巻き込まないように抵抗しないと。今できる最低限のことだけはやりきろうと決意していた。

別の戦いが幕を開けるのだ。

 

速吸は冷泉を案内した部屋から出ると、近くの座席に腰掛ける。小柄な速吸にとってはかなりゆったりとした座面だ。包まれるような感覚で座り心地は満点に近い。さすがもともとは観光列車として運行していた車両だけのことはある。

少し離れたところにいる兵士たちが、座席を回転させて向かい合って座って打合せをしている。

 

顔を窓の方に向けて目を閉じた。うなじ付近に意識を集中する。

 

「三笠様……。今、お時間大丈夫でしょうか」

と心の中で呼びかける。

艦娘専用通信回線を使用するのだ。この車両内にいる人間はすべてが信頼できる者たちばかりだけれども、それでもヒトには聞かれてはまずい会話もある。特に三笠様との会話は内容に関係なく、極秘とされている。

 

「……速吸ですか?、ご苦労様です。こちらは特に問題ありません。何かありましたか? それとも順調でしょうか? 」

すぐに三笠の声が届いてきた。

 

思考通信という艦娘のみが使用する通信方法だ。通信距離制限無し。電波妨害不可。コアとコアでダイレクトに通話するため盗聴の恐れは無い。思考が一時中断されるという欠点があるけれど。

 

「はい、私は残念ながら元気です。すべて三笠様の予定通りに進んでいます。定刻どおりに、列車に乗車し、冷泉提督を貴賓室にお連れしたところです。よって、今回はただの定時報告になってしまいました」

 

「予定通りというのに、どうして残念そうに言うのですか? 」

不審げな三笠に、速吸は自分の見立てた計画を話した。

向こう側からは、何か呆れたような気配が感じ取れる。通話といっても感情もなんとなく伝わってくる。対面で話しているに近いものがある。

 

「だって、提督さんって折角段取り付けてあげたっていうのに、逃げないんですよ。つまんないです。予定では私は拉致されて最後に殺される予定だったのに。提督さんは部下の艦娘を見捨てた罪の意識、艦娘は守るとか言ってたのに、自分の命惜しさで私を殺したという罪の意識、任務を全うできない悔恨に苦しみながらも逃避する。それでも彼に安息の場は無い。次々と追ってが迫り、提督さんは次第に身も心も消耗していく……。守るべきものを守ること無く見捨てた上、艦娘速吸を自身の手で絞め殺し、夜な夜な苦悶を浮かべる私の顔が浮かび、提督さんを苦しめ続ける。憔悴した提督さんはついに……なんて感じにしたかったんですけどねえ」

 

「あきれた! そんなことを命じた記憶はありませんよ」

少し批判気味な口調だ。

 

「はい、命令はされていません。私が三笠様に言われたのは、冷泉提督を軍の馬鹿な連中から解放し、速やかに第二帝都東京の三笠様の下に連れ帰ることでした」

と、しれっと答える。

 

「……では、あなたがしようとしたことは、私の命令に背くような事では? 」

三笠は、言葉の内容の割に感情はこもっていない。責めるような気配は皆無だ。

 

「いいえ、三笠様は冷泉提督を帝都まで連れてこいと私に命じられましたが、その任務の成否については言われませんでした。命令以外の事については、私に権限を与えてくださったと思っていました。……なので、命令を実行しようとする事以外については私の自由裁量の範囲内ですよね」

 

「あのね、普通、命令されたらその任務達成が条件ではないのですか」

少し呆れてるのが分かる。

 

「だって、それだと提督さんが三笠様のおもちゃにされるだけじゃないですかあ。……そんなのつまんないです。私だって、提督さんともっともっと遊びたいです」

拗ねたようにしてみる。こういうのを三笠が好きなのは把握ずみだ。今までの経験からまず間違いない。……もっとも、本当に彼女が本当にそう思っているかは分からないのだけれど。

 

「別におもちゃにしているわけでは……」

怒るわけでは無く、なんだか困ったように三笠が話す。

 

予想どおりの反応!!

 

知っているんだから。提督さんはほんの少し前まで体のほとんどが麻痺して、介護なしでは生きていられなかったのに、帝都に来て手術を受けて、すぐに普通に動き回れるようになったんだから。まあ、私たちの医学力を持ってすれば、容易に治癒できる状態だったわけだけど。けれど、人間に対してそこまでしてあげた事を聞いたことが無かった。

提督さんが三笠様に気に入られているっていうのもあるかもしれないけど、あの人、性格がめちゃめちゃ悪いからなあ。好意だけでそこまでは「絶対」しないはず。当然、それ相応の代償を求めたはずなんだ。攻略対象の弱みを見つけたら、即、そこを攻めるのが三笠様。確か今の横須賀の提督もそうだったよなあ。徹底的にそこを攻めて追い詰めて追い込んで、雁字搦めにしてしまうんだから。

きっと今回も提督さんの弱みにつけ込んで、治療と称していろいろと体をいじくり回しているはず。もちろん、彼女は強制はしないし、提督さんの同意無しでは何もしないはず。ちゃんと説明して納得させ、同意させて行っているはずなんだ。それが三笠様が自身に課したルールらしい。

もちろん、提督さんが想像する以上のことを彼は施術されているはず。そこはぼやかした説明の中で読み込める内容だったんだと思うけど。横須賀鎮守府の提督は、心をいじくり回されて壊れてしまったけれど、提督さんはそれだけでなく体までいじくり回しているんだから。

 

……提督さんを完全に自分のものみたいに扱うなんて、絶対にずるい。

 

「横須賀の提督がもうスクラップに……さからうこともしない羊ちゃんになっちゃったから、新しいおもちゃが欲しかったんですよね。それが冷泉提督なんですよね。三笠様のお眼鏡にかなうようなヒトなんですよね、冷泉提督は。だったら……三笠様だけで楽しむなんてずるいです。独り占めは駄目ですよう」

 

「おもちゃ扱いしているわけではありません。全ては主の御心のままに……です。私は御意志に従い、それを実行するだけ。……私の意思など介在しません。確かに冷泉提督には期待していますからね。あなたも知っているでしょう?実際、彼が来て以降、日本海軍の権力構造が大きく乱れてきました。もともと、そういった種はまかれていたのですが、彼が来た事で一気に芽吹きそして成長しています。このまま行けば大きな果実がもたらされるでしょう。どんな果実が実るか……収穫が楽しみです。私が望むのはそれだけです。より美味しい果実を味わいたいだけですよ」

 

「でもでも、私のシナリオも面白いと思いませんか? 艦娘を守ろうとしていたのに、結局守ることなどできず、自分かわいさに艦娘を殺して逃げるなんて。これを加賀さんが知ったらすごく喜びそうですよ。金剛さんも前のままだったら、その時どうなるか興味あったんだけどなあ」

 

「やれやれ、本当に性格悪いですね。確かに、仮にそうなったとしたら面白いのは認めます。加賀がその現実を前にして正気を保っていられるのか気になりますね。かのじょにとって冷泉提督の存在が、何もかも信じられなくなった彼女の唯一の拠り所だったですからね。それを失ったら、彼女の心が持ちこたえられなくなるでしょうね。そのときに、どういった変貌をするのでしょうか。実に興味深い実験ではありますが、やめておいた方がいいでしょう。そこは残念と言えば残念ですけど、私たちの計画もめちゃめちゃになりそうです。速吸にとってはつまらないかもしれませんが、当初予定通りでお願いしますよ」

 

「そうですか……仕方ないですね。これ以上、提督さんを虐めるのはやめておきます」

としょげたような口調をする。

「あ、でもその代わり、お願いしても良いですか」

 

「またロクでもないことを考えているんじゃないですか? 」

何かを警戒する気配。

 

「私を舞鶴鎮守府に……じゃないな、冷泉提督の秘書艦にするっていうのはどうですか」

ずっと考えていたことを口にする。

 

「冷泉提督は、もはや舞鶴鎮守府の提督の任から外されています。葛城提督が正式に司令官となったはずですよ。だからあなたの願いは叶いませんね。鎮守府司令官でなければ秘書艦が付けられる事は無いようですから」

あっさりと否定。

 

「そこは三笠様の力で海軍にごり押ししてくださいよ。提督さんの側にいたらなんだか楽しそうですから。ここでぶらぶらしてると退屈です」

ここで引き下がっちゃだめ。そう思い反論を試みる。

 

「この先、冷泉提督の未来を予測するにですね、彼の近くにいると命の保証ができなくなりますよ」

 

「あ、やっぱり提督さん死んじゃうんだ」

予想通りだったとはいえ、三笠様の計画が明らかにされた。

 

「いえ、そうは言っていません。場合によっては死ぬことだってありうるっていう可能性を示唆しているだけです。それにあなたは戦闘艦ではありません。冷泉提督を守ることなんてできないでしょう? 何かあって、あなたを回収するこちらの身になってみなさい。……あなたは冷泉提督にこれ以上の接近は認めないことにしました」

唐突な決定が三笠から告げられて予想外の展開に慌ててしまう。

 

「え! それは困ります。提督さんの側にいたいです」

 

「あなたの行動は、どうにも不安定すぎます。これ以上、あなたに自由裁量を与えたままで冷泉提督と行動させると、なにかとんでもないことをしてしまいそうです。……とんでもない行動自体は別に構わないですが、どうにも冷泉提督を想定外の行動に押しやりそうです。あまりかき回されすぎると、本来のシナリオにも影響がでそうですから、この辺までにしておきましょう」

いつもの冷徹な三笠が顔を出していた。

 

「嫌です嫌です」

今までなら三笠様が命じられるなら、それに逆らうなんて気持ち起こらなかった。けれど、提督さんともう会えないと言われた途端、拒絶する感情が強くなっていた。だから、あり得ない言葉が出てしまう。冗談では無く、本気の。普段とは違う、なんの計算もなく、ただただ感情だけをぶつけてしまう。

 

「何を駄々っ子みたいなことを言ってるのです。これは決定事項です。命令ですよ。それには従いなさい」

 

「三笠様の命令が絶対なのは分かっています。けれど、私は提督さんと一緒にいたいです。それくらいならいいでしょう? 三笠様に逆らうなんて真似はしませんから。逐一情報はお伝えしますから、認めてください。それくらいはいいでしょ」

どういうわけか必死になって食い下がる自分に、自分自身でも理解が追いつかない。感情にブレーキをかけられない。

 

「この後、冷泉提督に与えられる命令、定められた運命はあなたも知っているでしょう? その行き着く先がどういうことかも。それなのにあなたは彼の側にいようというのです? あなたは彼の旗下の艦娘でもないのに? 何でそこまでしようとするのです? 」

 

「わかりません。自分が何で提督さんと運命を共にしたいと思うのか、自分でもよく分かりません。提督さんが不幸になるのにはすごく興味があって、どんな顔をするのかとかどうんな気持ちでいるのかが気になるのは事実です。けれど、そんなことを置いておいて、彼の側で彼の力になりたい気持ちがどんどんと強くなって行ってるんです。本当なら彼と一緒に逃げたかったです。けれど、それは今の私の立場では叶わなかった。提督さんの役に立ちたかったのにできなかった。すごく悲しかった。そんなんじゃ、自分の存在は意味ないです……帝都にいる限りは何もできない。けれど、ここを離れて提督さんの下に行くなら、何か意味を見つけられそうなんです。それが、どういった結果になるとしても!! 」

次々と想いが溢れて止まらない。なんでこんな気持ちになるんだろう? 全く理解できない状態だ。それでも想いを伝えずにはいられなくなっている。

 

「これは不味いですね……」

ポツリと三笠が呟く。

彼女の冷え切った思考が伝わってきた。冷徹且つ冷静な思考だ。まるで研ぎ澄まされたナイフをイメージさせる……。

「彼への接近がこれほど危険とは。何という汚染力でしょうか。とても……実に面白いです。これは……」

何かを分析するような声。 

 

「三笠様? ……」

嫌な予感しかしない。

 

「速吸……一度、冷静になりなさい」

 

「え? 」

刹那、凄まじい光が閉じたはずの視界に一気に広がる。それは物理的な津波のような勢いで速吸に達し、飲み込んだ。何が何だか分からないうちに、意識が刈り取られるのを感じたと思ったら、一気に暗転した。

ここまで唐突な対応をするなんて! 慌てて反応しようとするが、すでに手遅れだった。

しまったなあ。ミスっちゃった。

 

………………………。

 

「さて、状況は分かりました。速吸、あんまり勝手な行動はしてはいけませんよ」

と、いつも通り冷静な声が聞こえてきた。

三笠様だ。

冷たそうだけど、とても優しい。速吸のわがままをいつも包んでくれる。

 

「はい、分かりました」

どういった報告をしたか今ひとつ記憶が無いけど、まあ大丈夫だろう。記憶の欠落については後で記憶を辿ろう。

 

「分かれば良いです」

満足そうにうなずいているのが分かる。

 

「でもでも、帝都に帰るまでは提督さんと一緒にいていいですよね? 」

 

「まあ、同じ列車ですからね。それに警備は万全とはいえ、何かあったらシナリオに狂いが生じますから」

 

「わかりました」

許可が出た。短い時間だけど、提督さんといっぱいお話しようっと。

 

「では、また何かあったら連絡をくださいね」

そう言うと通信は途切れた。

 

なんか忘れている気がするけど、まあいいか。

そう結論づけると、速吸は冷泉提督のお世話をするために立ち上がった。



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第235話 さよなら

ちょっと間が開きましたが、なんとか投稿できました。よろしくおねがいします。


「さて、一体これからどうなるんだろうか……」

冷泉はため息をつく。

 

「どう足掻いたところで今まで通り、なるようにしかならないんだろうけれど、少しでもマシな結果になるようにできることはしないといけない。……しかし」

そして、再び大きなため息をついてしまった。

はたして今の自分に、何ができるのか。

 

すでに第二帝都東京に冷泉はいた。

列車は3日の行程を経て、到着していたのだ。

バタバタとした出立であったけれど、列車に乗り込んでしばらくすると、それまでの喧騒が嘘のように、平穏な時間が流れた。

 

速吸は列車に乗り込んですぐにどこかに行っていたが、帰ってくると別人のように大人しくなっていた。冷泉を挑発したりするような言動は陰を潜め、まさに付き人のごとく、冷泉の身の回りの世話のみに徹していた。会話もあれほど流ちょうに話していたのに、こちらから問いかけ無い限りは言葉を発さなくなっていた。

 

一体何があったんだ? と訪ねたら

「三笠様にあまり提督さんに絡まないように、刺激しないようにと怒られてしまいました。これ以上、余計な事をしたり言ったりしたら解体処分にするやらなんやら、もう説教づけですよ……かなり自由にやらせてくれていたんですけど、度が過ぎちゃったみたいです。ちょっと反省です。帰ったら、三笠様にたっぷり絞られちゃいますぅ。すでに呼び出しがかかってるんですけどね」

反省しているのかしていないのかよく分からない、あっけらかんとした態度で答えてくれた。

それでも三笠の監視はずっと続いているので、命令には逆らわないよう、大人しくするとのことだった。

 

けれど、夜には冷泉の部屋に侵入し、ベッドにまで潜り込んできた。驚いて追い返そうとしても言うことを聞くはずもなく、

「三笠様の命令の中には添い寝はしちゃ駄目ってありませんでしたからね、問題ないです。その先、提督さんがわたしになにかしたとしても、それはそれ、わたしから誘ったわけじゃないですからね」

と訳の分からない事を言って反論する。何を言ってもらちがあかないので、結局、放置することにした。

ベッドの中でぴったりと背中に張り付かれて二人きりでいるなんて、こんな状態で精神状態で自我を保つのは相当な忍耐を要した。

 

「提督さんは、こんな可愛い女の子が添い寝してるっていうのに、何もしないんですか? 」

暗闇で耳元でささやかれてドキッとしたが、

「冗談はやめてくれ。そもそも、お子ちゃまには興味ありません」

と拒否して見せた。妙に色っぽい声だったので、タガが外れそうになったけれど。

 

「お子ちゃまって酷いなあ。……子供っぽいかもしれませんけど、脱いだら結構なもんなんですよ、わたし。確かめて見てくださいよ」

そう言って体をすり寄せてこられ、本当に理性が飛びそうになる。

 

「俺を挑発したりしたら、駄目なんだろ? 」

 

「ああ! そうでした……残念。でも、提督さんだったら、わたし大丈夫だったんですよ」

嘘か本気か悔しそうな口調で速吸が話す。

 

「あんまり俺をからかわないでくれ」

 

「からかっているわけではないんですけどね。結構本気なんですけど」

 

「うん、気を遣ってくれているのは分かる」

と、真面目な口調で俺は応える。

「実のところ、この先、俺にどんな運命が待っているのか……不安で不安で仕方が無い。そんな俺を心配して励まそうとしてくれているのには感謝しているよ。やり方はともかく……上司でもない俺のために気を遣わせてしまってすまないな。けれど……もっと自然でいいんだよ。俺なんかのために無理しなくていい」

 

「そんな風に解釈してくれるなんて、嬉しいです。提督さんは誰にでも優しいって聞いていましたが、本当でしたね。まあ分かってましたけど。でも、あんまり相手構わずそんなことしてたら、加賀さんが悲しみますよ−」

 

「なんで加賀が出てくるんだよ」

 

「艦娘は基本的に司令官に好意を寄せるものなんですけど、加賀さんの提督さんに寄せる想いって、なんだかホントに一途なんですよね。他の艦娘から聞いた話からもそうですし、実際に加賀さんを見てたらもう微笑ましいくらい。あの人、提督さんにはツンツンしているくせに、いっつも提督さんの姿を目で追ってるんですよぅ。それも愛おしげな瞳で。で、提督さんが気づくと、なんか不機嫌そうな顔して目を逸らすんですよねえ。もう、可愛いですよね。ふふふ。提督さんにとっても本命なんですかねえ」

 

「俺はともかく、加賀までからかったら、知られたら後が怖いぞ」

加賀が俺に優しいのは、深海棲艦から命がけで救い出したから。ただそれだけ。それは命を救われた事への感謝。彼女にとって俺に対して借りがあるだけのことだ。彼女は律儀な性格だから、何らかの形でそれを返したいから、俺に協力し助けてくれているだけなんだ。それは他の艦娘についてもも同じ。彼女たちが好意のようなものを示すのは、俺が彼女たちにとっての司令官であるからでしかない。その関係性が全て無くなってしまった時、彼女たちが俺のために何かをする義理など、これっぽっちも無いんだ。

 

「あまり自分を卑下しないでね、提督さん。……ぜんぜん分かっていないようだから、あえて言いますよ。提督さんが思っている以上に、あなたの部下たち……艦娘はあなたのことを信頼していますよ。提督さんが彼女たちを想うのと同じくらいには、彼女たちも提督さんのことを想ってくれているんです。それは間違いの無い事なのです。それだけは忘れないでください」

急に真面目な口調で速吸が訴えてくる。

 

「そ……そんなことは」

と、反論しようとしたら、すでに彼女は冷泉の背にしがみつくようにして、寝息を立てていた。

やれやれ、言いたいことだけ言って、反論は無視か。拍子抜けてしまい、冷泉は小さくため息をついたのだった。

 

 

「大丈夫ですか、提督さん? 」

唐突にかけられた声に、我に帰る。

見ると速吸がこちらを見ていた。

 

「まーた一人で考え込んでたんですねー。悩んだって何も解決しないですよ」

明るい声で言われて、もっともだと思う。

ネガティブ思考では何も始まらないし、始まる前から体も心も重くなってしまう。そんなんじゃあ、最初から上手いこと行くはずが無いな。

 

そんな冷泉に気持ちを知ってか知らずか、速吸は事務的な口調で説明を始めた。

 

ここは駅舎から出たすぐの広場である。列車が到着したばかりなので人の行き来で混み合っている。

どうやら、ここで待っていてくれれば、別の者が冷泉を迎えに来て、次の場所へ誘導してくれるらしい。

 

速吸は冷泉のすぐ側まで近づくと、手招きをする。

何かと思い、彼女に顔を近づけると

「ここでわたしとはお別れです。今度会った時のわたしは、提督さんとも、もう少し上手くやれると思うので、えっと、……期待していてくださいね。じゃあ、残念ですけど、これでわたしとは、さよならです」

彼女は思い切り顔を冷泉に近づけ、耳元でささやいた。

 

「は? 」

なんだか意味不明な言葉に思わず声を上げてしまう。

「どういうことだ」

 

彼女は問いかけには応えず、笑顔を見せるとそのまま背を向けて去って行った。

 

その笑顔は今まで見せてくれていた笑顔とはまるで異なり、どこか寂しげだったことがずっと気になった。



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第236話 混濁

特にすることもないので、近くのベンチに腰掛けてぼんやりとあたりを見回してみる。

 

唐突に視界が歪み、そして滲んで見えてくる。見えているはずのものがはっきりとしなくなってしまう異変を感じた。

 

―――またか。

 

ここ最近、そういった症状がよく起こるようになっていたから、慣れてしまっているのかもしれない。

症状は急に視界が狭まり、滲みぼやけてしまうのだ。最初は動揺したけれど、しばらく安静にしていたら収まることが分かったので、重要視していなかった。

本当なら診察を受けた方がいいんだろうけど、鎮守府司令官だった頃は仕事に忙殺されて行く時間が無いし、時間ができたと思ったら、軍警に拉致されて自由が利かなくなってしまった。

安静にしていたら症状も押さえられたのかもしれないけれど、捕まってからは時々拷問に近い事もされたせいかもしれない、……頻度は増えているし、症状は悪化しているといっていいだろう。

一体、何が原因か? サラリーマン時代まではこんな症状なんてなったことがなかった。だから持病ではない。

もちろん、何が原因かは心当たりがある。けれど、それは仕方の無いことと考えて諦めている。

 

何かを得るための代償だと考えれば安い物だ……気持ちも軽くなる。

 

ただ、この状態は慣れないし、好きになれないのは間違いない。気持ちが……なんだか曖昧模糊としたものに取り込まれたようになってしまうんだ。自分のいる場所がはっきりしない不安な気持ちになっていく。普段より酷い状態かもしれない。これは身体的な不具合の発生に影響され、精神の方も調子を落としていために出てしまう症状だ。

体の調子が悪くなると、それに引っ張られるようにして、心の調子も悪くなるように。

一人にされたことによる孤独が原因なのだろうか? 意識を切り替えようとしても、叶わない。上手くできない。

 

そして、ふと思い出してしまうんだ。

……こちらに来る前の世界の事を。

 

……思い返しても、何ひとつ良いことの無かった世界。たまらなくつまらなく、自分の無力さに苛まれた時間。

しかし、それでも不幸なのは自分だけだった世界。今になって思うと、前にいた世界のほうがマシだったのではないか。

 

鎮守府司令官というこの世界の軍においてはほぼ最上位の地位を与えられ、一企業の平社員レベルの権限しかなかった自分が、一つの鎮守府の全ての権限を手にした。そして、周りは美少女ばかり、そのみんなから好意を寄せられ、ちやほやされうる漫画のようなポジション。……どれほど幸福なのだろうかと最初は思った。

 

しかし、現実は違った。

戦争のさなかの艦娘たちは、常に死と隣り合わせ。今日一緒だったとしても、明日はいなくなるかもしれないシビアな世界なのだ。自分は、常に大切なものを失うという立場になってしまっていたのだ。何もないサラリーマンだった頃は、失うものなんて何も無かった。

 

欲しいものを何一つ手に入れられない事をを思い悩む辛さと、大切なものを失う辛さのどちらが苦しいのか……今ならはっきりと断言できる。

失うくらいなら、何も無い方が幸せであるということ噛みしめている。

 

無駄だと分かっていても、ことある毎に考えてしまう。

帰れるものなら帰りたい……。

あれほど今の世界から全てを放り捨てて逃げたいと思っていたのに、今ほど苦しい事なんてないと思っていたのに、それ以上の苦しみがあるなんて。

 

人生とは分からないものだ……と思う。いや、思い知らされてしまう。

逃げ出したいという気持ちは強い。それは日に日に強くなっている。けれど、それ以上に逃げ出すわけにはいかない、全てを放り投げて逃げるなんてしたくないという強い思いがある。自分のためではなく、艦娘たちを守ること、部下たちを守ること。その責務は、任を解かれた今でも、自分にはその責務があるのだ。

自分のできること全てをやり尽くしていない状況で、逃げるわけにはいかない。まだ自分はすべてをやりきっていない。たとえ結果が見えていたとしても、足掻き続けないといけないのだ。

 

それが自分に課せられた使命なのだから。そう言い聞かせて、気持ちを奮い立たせる。まだいける、まだまだやれるんだ。しなければならない……ではなく、やりたいんだ。

そう思うことでなんとか意識を保つ。今はこれからどうするかを考えるだけだ。余計なことは考える必要は無い。

 

そう強く思うことで、ぼやけた景色がはっきりとしてきた。そして、自分のいる場所を再認識する。

 

艦娘側の勢力によって、一から作り出されたこの第二帝都東京。

街の中心に位置する場所に造られた駅舎は巨大だ。利用者に比して過大すぎるくらいに。

町並みは整然と整備されていて、日の光を浴びてキラキラしている。整備された道路を見慣れない車が行き来し、人々が忙しそうに動き回っている。

不思議なのは、兵士以外はまだ幼いといえるような少年少女が多いことだ。どうして年少の彼彼女たちが集められているのか、理由を冷泉は知らない。ただ許可された者以外は、第二帝都に入ることは許されないと聞いているから、優秀な若い人材ばかりが選び集められたというのだろうか?

 

深海棲艦との初期の交戦及びその後の攻撃によって、本当に多くの命が失われた。少子高齢化が進んでいた日本において、深海棲艦との交戦によって、更に働き盛りの層の人間がごっそりと削られたのだ。このため、日本国の人員構成は多くの高齢者と若年層で占められることとなり、社会生活の中心として国を動かす人材の不足が深刻だった。そんな状態だというのに、これからの日本を背負って立つ若者の中で優秀な人材が艦娘側に取り込まれしまう事は、今後の日本国にとって重大な損失。けれど、それについて逆らう力は、日本国には無かったようだ。否、決定権を有する層にはそういった考えすら無かったようだけれど、すでに一線から退いたはずの高齢層が再び呼び戻され、プラスごく少ない盛年層だけでは回すことができないため、学生を動員せざるをえない……そんなアンバランスな人員配置が軍だけでなく社会全体を構成するようになっていた。

 

全ての人員構成はいびつだ。

数が多いだけの老人たちに牛耳られる事になった軍に、命運を任さざるを得ない日本国の将来を憂う者も多い。そしてさらなる不幸は、本来であれば老人にも盛年にも優秀な人材が多くいたのだが、初期の戦争においてその貴重な優秀な人材は、深海棲艦との戦闘に根こそぎ投入され、その命を散らしてしまったのだ。結果、残ったのは自身をよく見せることだけに特化した無能で狡猾なだけの年寄りと、自己評価だけが高いが能力の不足した盛年ばかりということになってしまった。それは、冷泉も実際に軍に所属してだけに、このことは痛いほど実感している。特に上層部やエリート層と呼ばれる階層にそういった輩が多かった。

 

優秀な人間だけが死に、狡猾さや老獪さ、立ち回りだけが上手い人間だけが生き残ってしまい組織を牛耳っている……。それが今の日本軍であり日本国なのだ。

そして、たとえ優秀な人材がいたとしても、そういった連中に潰されるか懐柔されるかして高貴な目的はいつしか擦り切れ消えていく者がどれほど多いことか。

強大な深海棲艦という勢力と戦わなければならないというのに、無能な指導者たちによって足を引っ張られている状況でどのようにしてこの状況を打開するというのだろう?

 

それをどうにかしたいと考え、冷泉は一生懸命行動したつもりだったが、所詮、能力不足という点では冷泉も同じだった。結局、たいした成果を上げることなどできず、逆にジリ貧となり現在に至っているのだから。

もはや笑うしか無い。もう少しでも同じ想いを持つ者がいてくれたら、少しはマシな道筋が立てられたかもしれないし、自分の意思を継いでもらい、艦娘たちを任せることができたかもしれない。けれど、すべてはままならないものだ。

 

また気分が滅入ってきた。そして、突然、ズキリと刺すような痛みが胸の奥に走る。

それは刺すというより、えぐり貫くような痛みだ。冷泉は慌てて胸ポケットを探り、錠剤が入ったケースを取り出す。

これは第二帝都で手術を受けた後、三笠から定期的に送られてくる鎮痛剤だった。体に異変を感じた場合には速やかに飲むように指示されている。……できれば、そういった症状が起こる前に、と。

 

加賀を救い出す際に負傷し、全身麻痺となってしまった冷泉に、唐突に三笠から持ちかけられた誘惑。

原因不明、よって対処不能。ゆえに治療不能とかかりつけの軍医もさじを投げた麻痺を解消する方法がある……。艦娘の医学は今の人類の千年先を行っている。その医学に頼ることができれば冷泉の麻痺を全てなくすことが可能だというのだ。

自分のために冷泉が全身麻痺となったことを気に病み、責任を感じたのか甲斐甲斐しく世話をしてくれている加賀を、拘束から解き放ちたい。救いたいとずっと思っていた。

 

加賀は彼女の成すべき事をなさねばならないのというのに、冷泉の世話に追われるようでは、何もできなくなってしまう。彼女は自身の責任を感じ、それを誰かに任せるという選択肢は絶対に認めない。彼女の全てをまずは冷泉の世話に費やしてしまう。そして、頑固だから絶対に誰かに頼ろうとしない。全身全霊を持って貫徹しようとする。

それでは何のために加賀を救い出したのか。冷泉が彼女の足を引っ張るようでは本末転倒なのだ。そんな想いに囚われていた冷泉にとって、その三笠からの誘惑は願っても無いものだった。

そして、それがもたらすリスクを深く考えもせず、治療を承諾した。何か裏があるということは分かっていたのに、あえて見えないふりをしていたのだ。

三笠という艦娘がそんなに優しい存在でないなんて分かっていたのに。

 

実際、第二帝都東京に招かれ、手術をした事により冷泉の全身麻痺は人類の医学では奇跡的に解消されたが、冷泉はそれ以上のものを失うこととなった。

遺伝子治療といった類いの治療をなされらしいが、実際はどんなことをされたのか分からない。しかし、冷泉にとりついた病巣は取り除くことはできず、その活動を弱める程度の力しかないようだ。冷泉の体の中では病巣が全身のあちこちに転移し、あらゆる場所に巣くって破壊を繰り返す。それに対して、埋め込まれた因子がそれを破壊しつつ再生をする。その繰り返しが毎日行われているらしい。

破壊と再生を繰り返すという、その攻防は当然ながら肉体に激しい痛みとダメージをもたらすこととなる。確かに、それを押さえ込むために作られた鎮痛剤を摂取することで、その痛みを緩和することができた。しかし、痛み止めというものに永続的な効果は求められず、次第に一度に摂取する錠剤の量が増えていくのだった。そして、やがて効果がなくなっていき、より強い薬を必要とするようになっていく。まさに依存症の典型的なパターンだ。そして、普段は前もって摂取することである程度押さえ込むことのできる痛みも、時々、鎮痛剤の効かないレベルの痛みをもたらすことがある。その際には、更に強力な薬品を注射することになる。その効果は劇的だが、数日の間、まともな思考も行動もできなくなるという凶悪な副作用をもたらすのだった。  

 

もはや、冷泉は三笠から与えられる薬品なしでは、ほぼ生きていけない状況までになってしまっていたのだ。

 

こんなことが起こった時には、艦娘たちには見つからないようにどこかに隠れ潜む必要があった。それにかなか大変だ。

うまく隠し通すことができているつもりだったけれど、ある日、偶然に加賀に見つかってしまい、彼女にめちゃくちゃ泣かれた……。幸い、彼女は冷泉が薬物依存になったと勘違いしたみたいだったので、これ幸いということで、その話にのっかって美味く誤魔化したのだけど。うまくごまかせたかどうかはわからないが、それ以降、加賀に問われることがなかったから、うまく行けたのだと思っている。

司令官というストレスから、薬物に走ったという設定にしておいたほうが楽だし。

 

 

―――。

ふいに、ブンという妙な音が聞こえたのでふとそちらを見ると、いつの間に近づいたのか一台の車が冷泉の側に停車するところだった。

セダン型の黒い車だ。

当然ながら冷泉の知る車種ではない。かすかにエンジン音は聞こえるから電気自動車では無く内燃機関の車らしい。けれどガソリンでもディーゼルでもない聞いたことの無い音色だった。人類の科学で作られたものでは無いものなのだろうなと思う。見た目は冷泉の知る車と形は変わらないが、中身は全く異なるテクノロジーで作られているはずだ。

そんなことを考えている間に、兵士が車から降車してき、冷泉を車内へと誘導された。そしてそのまましばらく走り、高い塀で囲まれた大きな施設へと連れて行かれた。

 

過去に訪れた事のある施設。三笠のいる施設。第二帝都東京の心臓部と言われる場所だ。すでに迎えが待っていて、小さな会議室のような場所へと連れて行かれる。白を基調とした部屋には4人掛けのテーブルと椅子が置かれ、壁面には大きなモニタが埋め込まれている。通路側の壁はガラス張りとなっていて、廊下は丸見えだ。時折、兵士が行き来している。

エレベータに乗ったりして移動してきていたが、窓からは整然と整備された町並みがよく見える。

先程飲んだ薬の効果が出てきたのか、痛みも我慢できるレベルになっていたし気持ちもだいぶ落ち着いてきた。けれど疲労感が大きかったため、椅子に腰掛けてぐったりしてしまう。

 

ぼんやりと待機していると、廊下を一人の艦娘が通り過ぎていく姿を視界の片隅に確認した。

 

グレーのブレザーに薄いピンク色の髪を後ろでひっつめた髪型。

一瞬であっても見間違うはずも無い、忘れるはずも無い姿だった。

 

まさか……!

 

ありえないと思いながらも体が勝手に動き出し、冷泉は廊下に飛び出したのだった。

 



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第237話 不知火という名の艦娘

鼓動が高鳴る!

まさか、まさか、まさか。

これは、夢なのだろうか? 

しかし現実に……今、前を歩いている! 彼女が歩いているんだ!!

 

見間違いでありませんように、人違いでありませんように……冷泉は必死に祈っていた。

 

たとえ一瞬であったとしても、通り過ぎていくその姿を見間違うことなど無いと思う。いや、絶対に間違いない。

 

あの時、深海棲艦との交戦の中での話……舞鶴鎮守府を、冷泉たちを裏切った艦娘、戦艦扶桑の砲撃から冷泉を庇おうとして被弾し、轟沈した彼女が、正に今……前を歩いているんだ。

 

生前の姿そのままで……。

 

冷泉はあり得ない現実を前にし動揺し混乱のきわみにある。彼女に近づくにつれて感情の高まり迸りが止まらなくなる。体の震えが止まらない。抑えることができない。

そして、不知火が生きていたという驚きと喜びで我を忘れてしまい、湧き上がってくる感情のままに駆け寄ると、無言のまま彼女を後ろから抱きしめてしまっていた。

 

強く強く……そして強く!

 

あの時は手を差し伸べられず、何もできなかった。ぢ、沈んでいく不知火を見送ることしかできなかった。手を差し伸べることさえできなかった。

あの時、何もできずに、ただ失ってしまったということに対する後悔がずっと心にあった。

 

「もう二度と離さない……ぞ」

と。

彼女の鼓動をぬくもりを……彼女の香りを、感じ取る。

 

目頭が熱くなっているのを感じる。たぶん、冷泉は涙ぐみ、想いを言葉にしていたのだろう。彼女の髪に頬を擦り寄せ、その小さな体をきつくきつく抱きしめていたと思う。

「しらぬい、しらぬい……良かった良かった。生きていたんだな。ぐ、よかった……よかった生きていてくれた。ごめんな、ごめんな。……本当にごめんな」

迸る感情。

喜びの感情が全身を貫き、感情を、行動を制御することができない、できやしない。

自分がこんなに感情的だったのかと驚くほどだ。彼女の上司として、それ相応の態度を取らなければならないと頭では理解していても、そんなの無意味だ。どうにもならない。

 

しばらくの間、ずっと彼女を抱きしめ、自分でもよく分からない言葉をわめき散らしていたと思う。高揚した感情も次第に落ち着いてきて、自分がボロボロと泣いている事を冷静に気づくことができた。

 

「……もう、よろしいでしょうか? 」

がっちりと冷泉に抱きつかれていた少女が、冷泉の感情が落ち着いてきたのを見計らったように声をかけてきた。

それは、とても静かで、冷静で、優しささえ感じさせるものだった。

不知火のその態度が余計に冷泉を冷静にさせる。われに帰り、現実を思い出さざるをえない。

 

冷泉の部下であった不知火は、すでに死んでいる事に。

 

口頭で知らされていた知識によると、今、ここにいるのは……実際には信じがたいが、冷泉の知らない不知火であることを。どう見ても抱きしめていたから間違うはずなんてない。冷泉の腕の中にいるのは寸分変わらず、冷泉の部下であった不知火でしかないのだ。

 

「ずいぶんと動揺していらっしゃいましたが、落ち着かれましたか? 」

と、冷泉に強く抱きしめられていたために乱れた衣服を整えながら、怒るどころか心配そうにこちらを見る。

 

「あ……ああ、うん」

しどろもどろになりながら、冷泉は彼女から離れる。

「す、すまない……いきなりこんなことをしてしまって」

自分のしてしまった事に気づき、冷泉は慌てて謝罪する。

冷泉を見る不知火は、特に平気そうな顔をしているけれど、内心はきっとめちゃめちゃ怒っているんだろうな。そう思い、冷泉は身構える。

しかし、予想してた反応は返ってこない。

 

不知火は乱れた髪を手ぐしで整え、ポケットから取り出したハンカチで頬を軽く拭う。

「……いきなりで、少し驚いてしまいました」

艦娘の表情は少し困ったような表情だった。睨むような挑むような視線をこちらには向けてこない。

 

「すまない、本当に申し訳ない。いきなり抱きついてしまって、本当にすまない」

情けなく謝罪する他なかった。一体、どこの世界に公の場で艦娘に抱きついて、おいおい泣きわめく将校がいるのか。

 

「いえ、私の事は構いませんから。何かご事情があったのでしょう。……その、大丈夫ですか? 」

と不知火は、むしろ心配そうな顔でこちらを見てくれる。

 

「あ、ああ大丈夫だよ。落ち着いた。……知っている子に似ていたんで、つい感情的なってしまった」

いや、たぶん、この子は自分の知っている不知火じゃないんだ。別の艦娘なんだ。冷泉はそう解釈するほかなかった。だって、冷泉の知る不知火とはまるで別人なのだから。冷泉に対してはもっと挑戦的で本音を見せようとしない子だったはずなんだから。あまり冷泉には心を開いてくれなかったけれど、時々垣間見える彼女の優しさや気遣いがとても可愛いらしく感じられた。

本来の不知火は、実はこんな感じの子だったということなのだろうか? 

現実を受け入れられずに混乱するばかりだ。

 

「その、……あの、何ですか、よろしいでしょうか、冷泉提督」

少しもじもじとした態度を見せる不知火。けれど、覚悟を決めたようにこちらを見上げる。

 

「お、俺のことを覚えていてくれたのか? 」

初期化されたとはいえ、自身が鎮守府司令官であることまでは認識しているのだろうか。であれば不知火は冷泉の部下であるままなのだろうか。

 

「覚えている? ……ご質問の意図は不知火には理解できません。愚かな艦娘で申し訳ありません。けれど、存じていることは間違いありません。舞鶴鎮守府の司令官……なお、現在は職権保留状態ではありますが、冷泉少将であることは」

不躾な冷泉の問いかけに対して、すまなそうな表情を見せる。

ふと冷泉は、彼女に対して感じていた違和感の正体に気付いてしまう。今対面している不知火という艦娘は、じっと冷泉を見て話している。冷泉の目をしっかりと見て話しかけてくる。……冷泉の知る不知火は、冷泉と話すときは目を合わすような事をせず、伏し目がちな事が多かった。偶然目が合うと、慌てて目をそらし、何故か怒ったような、不機嫌そうな態度を取ることが多かったことを思い出す。

知り得た情報からすると、これが本来の不知火であるなら、舞鶴鎮守府にいた頃の不知火は、どうしてあんな態度を取るようになっていたんだろうか……そんな疑問がよぎる。

 

「そ、そうか……覚えていないのか」

まずは寂しさを感じた。そして、やはりスペアボデーという概念が本当にあったという事実に驚かざるを得なかった。信じていなかったし、信じなたくなかった事が現実だというのは、やはり受け入れがたい。

艦娘という存在はいくつものスペアがあり、何度死のうと初期状態にリセットされて復活し、また新たな戦いへと赴くこととなる。自身が沈んだ際の恐怖や悲しみなど一切忘れ、まっさらな状態で戦いに挑むことができる……。

 

これじゃあ艦娘はまるで消耗品じゃないか!

自分ではどうすることもできないことだというのに、怒りがこみ上げてくる。艦娘無しでは深海棲艦と戦う術を持たないくせに、理不尽さに腹が立つ。

 

「俺のことは忘れてしまったのか? 俺と一緒にいた時間のことをみんな忘れてしまったのか? 」

また感情のままに、思わず声を荒げてしまう。悪いのは不知火じゃないのに、何故か責めるような言い回しをしてしまう。

「俺のことだけじゃない。舞鶴鎮守府で一緒に戦った仲間の事も覚えていないっていうのか? 」

 

冷泉の突然の剣幕に一瞬、怯んだような表情を見せた不知火だが、少し呆れたような表情を見せる。

「冷泉提督の仰る意味が分かりません。覚えているも何も、提督とは初めてお目にかかったわけですし。大変失礼かと思いますが、不知火としても、どうしてそんなに責められるのか、理解できません」

もともとの気の強さが表に出てきたのか、不知火は少し反抗的な態度を見せる。その姿を見て、ああやっぱり不知火であることには違いないんだなと、妙に納得してしまう。

 

「冷泉提督、どうかされたのですか? なぜ笑っているのでしょう? 何かこの不知火がおかしなことを言いましたか? 」

感情が表に出てしまっていたのか、怪訝な表情で艦娘が問いかけてきた。不知火としては、いきなり抱きつかれて、自分のことを覚えているかと意味不明な質問をされ、知らないと応えたら理不尽だと責められ、そして勝手に納得する男を見たら、理不尽以外の何者でも無いだろう。

まあ怒るのも無理は無い。

 

「……ああ、すまない。俺が勝手に勘違いしてわめき散らしてしまった」

そう言って謝る。何も知らない不知火に言っても仕方の無いことだと、やっと理解できた。とても寂しいことだが、冷泉の前にいる艦娘は自分の知る不知火ではないのだ。初めて出会った艦娘なんだ。

「驚かせてしまい、申し訳ない」

 

「はあ……」

頭を下げて謝罪する冷泉に呆れてしまったのか、彼女から反抗的な気配は消えていた。

「冷泉提督にも何かご事情があるのですね、ならば理解しました。……ただ」

といって口ごもる。

 

「ただ? 」

 

「ただ、失礼を承知で言わさせていただいてよろしいでしょうか……提督とこの不知火は、今日初めて出会った関係でしかありません。無論、決して上司と部下という関係ではありません。なので……なので部下でもない不知火に対し、公衆の面前で、あの、……あのようなことをするのは、さすがにどうなのでしょうか? 」

と、怒っているというより、むしろ冷泉をたしなめるように言ってくる。

冷泉の知る不知火なら、もっと違った言い方をしたはずだろうけど、これが本来の不知火なのだろう。これ以上、過去のことを言っても彼女には通じないのだろう。

 

彼女は、新たに生まれ変わったと同じ状態なのだ。それがどの時期かは分からないけれど、少なくとも冷泉と出会う前の記憶しか持ち合わせないのだ。

 

「このことについては、本当にすまなかった。どうか許してほしい」

と、頭を下げるしか無い。

記憶の齟齬がある不知火に、冷泉の自分勝手な感情を押しつけるのは可哀想だ。

こちらの想いを言ったところでちんぷんかんぷんだ。ただただ、起こした事実について謝るしかない。

「私の勝手な妄想で感情的になってしまい、君に嫌な思いをさせてしまった。本当に申し訳ない。ただ謝るしかできないけれど」

「まあ、冷泉提督も反省なさっているようですし、不知火もこれ以上、責めることはいたしません。……はい、ではこの件についてはこれまでとしましょう」

とニッコリと微笑んだ。

そんな感じで素直に笑う不知火を初めて見て不思議な感覚に囚われてしまう。

 

「どうかされましたか、この不知火になにか落ち度でも? 」

冷泉の表情に不満なのか、怒ったようた表情になる。

 

「いや、すまない。ちょっと思い出したことがあったものだから」

不知火の知らないことを行ったところで彼女を混乱させるだけだ。余計なことは言わないほうがいい。

 

「そうですか、不知火には関係なさそうなことですね」

 

「まあ、……そういうことに、なるな」

まだ話したいことはいろいろとあるけれど、それは冷泉の知る不知火とであり、いまそこにいる不知火ではない。これ以上、彼女を引き止めても、会話は噛み合わないままだろう。

 

「では、不知火も着任のための準備がありますので、これにて失礼します」

 

「ああ……ん? 着任って、どこかの鎮守府へ行くのか? 」

聞き逃しそうになったが、着任というキーワードに反応してしまった。

不知火は轟沈してからそれほどの期間が経っていないはず。なのにもう戦地へと赴くというのか? 艦の整備はもう完了したのかもしれないが、彼女の気持ちの整理はまだじゃないのか? そんなに簡単に気持ちを切り替えるなんてできるのか? そんなことを思ったが、それは杞憂でしかないことに思い当たる。

 

そうだ、彼女の記憶はリセットされているのだ。戦闘で傷つき轟沈した記憶なんてもともと無いのだ。

 

「はい、呉鎮守府へ着任が決まっています。すでに準備は完了しており、三笠様にご挨拶してから、出立となります」

その表情はどこか嬉しそうで自慢げでもあった。

 

「く、呉か……」

しかし、冷泉は【呉鎮守府】といいう言葉を聞いた途端、こころの奥底にどす黒いものが立ち込めてくるのを感じてしまった。

 

「どうかされましたか? 呉鎮守府に何か思うところがお有りなのですか? 」

冷泉の表情が見る見る陰っていくのに思うところがあるのか、不知火が問いかけてきた。

 

「呉の司令官、高洲提督のことだ。君は彼のことを知っているのか」

 

「はい、もちろんです。呉の司令官の任を長く続けられている、歴戦の司令官だと伺っています。そんな司令のもとで戦えることをとても光栄に思っています。主戦場となる瀬戸内海は、敵潜水艦の侵攻が多発している場所。そして、駆逐艦である私の力を見せられる最高の場所だと思っています」

誇らしげに答える不知火。

確かに、呉鎮守府の担当エリアの主な敵は潜水艦だ。よって対戦能力の高い艦娘の活躍の機会が他の鎮守府よりも遥かに多いだろう。彼女がやりがいを感じるのも間違いじゃない。

 

けれど。

 

「戦術的なことを言っているわけじゃない。俺が言っているのは、君の上司となる人間の資質のことだ」

 

「高洲提督に何か問題があるのですか? 確かに年齢的には壮年ではありますが、その結果、深海棲艦との戦闘経験は豊富ですし、呉の地理にも精通されています。なんの問題があるというのですか」

自分の上司のことを批判されたせいか、瞳に怒りの色が出ている。

 

確かに人のことを悪く言うのはいいことではないのだが……。分かっているが止められない。

「司令官としてのことを言っているんじゃない。俺が言っているのは、彼の人としての資質のことを言っている。不知火は聞いたことがないか? 高洲司令官が艦娘に対して、艦娘としてではなく、その、性的な対象として扱っている話を。艦娘の気持ちなど関係なく」

オブラートに包み言ったため、分かりにくい言い方になってしまったが、意味は通じるだろう。

 

「冷泉提督の仰っていることは、何か事実に基づいて言われているということでよろしいでしょうか。すでに何か確証を得られていると」

 

「いや、その……証拠は無い。噂で聞こえてくるだけだ」

決定的な証拠を持っているわけではなく、噂レベルの話でしかない。けれど、その確度は高く、ほぼ間違いのないことだ。それをはっきりと彼女に伝えることはできないが。

 

不知火は冷泉の言葉を聞き終えると、大きなため息をついた。

「確固たる証拠もなく、不知火の上司を誹謗するなんていかがなものでしょうか。しかも、ただの一般国民の噂ではなく、軍の高官である冷泉提督のお口から発せられることばとは思えないです。正直、失望を禁じえません」

 

「いや、まったくのデマでは無いんだ。確度の高い話なんだ。だから、できれば君には呉には言ってほしくない」

 

「どうして、私の人事を無関係のあなたが心配されるのですか? 今日出会ったばかりの不知火のことを根拠が無いとはいえ、心配されるのはどういう理由でしょうか? 」

 

それは、お前が俺の部下だったからだよ!

と叫びたかった。大切な部下をエロジジイのところになんて行かせたくないなんて当たり前だろう!!

そう叫びたかった。

「俺は、君のことが心配だからだよ」

と、出てきた言葉は随分と貧相なものだった。

 

呆れたような顔を見せると、不知火は、大きなため息をついた。

「ご心配ありがとうございます、冷泉提督。ただ根拠もない噂を信じて同僚を批判されるのはいかがなものかと思われます。それは冷泉提督の品位を疑うものですし、不知火の上司となる高洲提督に失礼です。そして、不知火に対しても酷いことを言っていることにお気づきですか」

 

ああ、まただ……。

冷泉の心に諦めに似た感覚が襲ってきた。また、俺は不知火を守れないのか? あの時も救えなかった。今度も同じ轍を踏むというのか。

 

「冷泉提督が仰ることが万一、正しかったを仮定しましょう。けれどそこになんの問題があるというのですか? 艦娘は司令官の命令に従わずしてなんとするのでしょう。戦場だけでなくそれ以外でも、従うのは当然。もし、私の体をお求めになるのでしたら、喜んで差し出しましょう。そもそも、艦娘の命は司令官のお預けしているのですから、何の問題もないです。まあそんなことはないですが。……少し時間を浪費してしまいました。不知火はここでお暇させていただきます。冷泉提督とはお会いすることはもう無いかもしれませんが、意見される際には、きちんとお調べになってから発言をされるようにしたほうがいいと思います。艦娘ごときが偉そうにいってすみませんでした。では、お体だけはご自愛ください」

と言うと、荷物を持ち上げ立ち去ろうとする。

 

「不知火、本当にそれでいいのか? 俺はそんなの認められない。今度こそ、俺はお前を守らなくちゃならない。ここで引き下がるわけにはいかない。二度と同じ過ちは繰り返さない」

このまま活かせたら、また後悔する。あの時、ああしておけばという後悔なんてもうしない。

駆け寄ると冷泉は不知火の腕を掴んだ。

 

「は? 冷泉提督、どうかされましたか」

 

「い……行くな。呉になんて行くな。ずっとこっちにいろ。俺の側にいるんだ。俺が守ってやる。もう二度と、お前を悲しませない」

途中からはもはや喚くような口調になっていた。けれど不知火には伝えなければならないんだ。

 

刹那、体に衝撃が走る。どんという音とともに鳩尾付近に衝撃が走った。呼吸ができなくなりそのまま蹲ってしまう。そして、不知火の掌底が鳩尾に打ち込まれたことに気づいた。驚きと痛みで混乱する。

不知火が冷泉に暴力を振るうなんて……。いやよく考えたら、冷泉は彼女の上司でもなくさらに権限を保留されている存在。もはやただの一般人と変わらない。そんな男がいきなり手を掴み意味不明なことをわめき出したのだ。正当防衛的な反撃をすることは認められている。

冷泉は呼吸することができず、空気を求め口をパクパクさせてしまう。

 

不知火はそんな冷泉を、汚いものを見るような目で見下ろす。

「いい加減にしなさい。これ以上の無礼はさすがに許せません。これ以上、侮辱するのなら、本当に手加減しません。何の権限も、関係も無いくせに、偉そうに不知火に絡まないでください。もう二度と不知火の視界をうろつかないでください」

最後は、吐き捨てるような口調になっていた。言うことをすべて言い切ると、不愉快そうな顔をして、不知火は歩き去る。

 

冷泉はゼエゼエ声を上げるだけで、何もできなかった。立ちあがることさえできず、蹲ったままで必死に吐き気を抑え込むだけだった。

 

また、何もできなかった。

 

何もできなかった……。

 

 

 

 



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第238話 彼の想い、彼女の想い

気がつくと、どういうわけかベッドに横になっていた。

視界には、白い天井だけが見える。

 

知らぬ間に着替えさせられているようで、着ている服は軍服では無かった。ふわふわした触感のよく見たことのある入院服だ。

 

はて? ……どうして、こうなったんだ?

記憶を辿ろうとすると、頭が突然刺すように痛み、思考が停止させられる。

 

不知火と出会ったことだけは間違いないんだけれど、彼女の後ろ姿を見た後の記憶が無くなっている。

彼女を行かすまいとしてして、彼女を怒らせた記憶だけはある。……その後、何かあったんだろうか?

 

「お目覚めになりましたか? 」

すぐ側でささやくような声がした。

驚いて声のした方を見ると、息がかかるくらいの近くに三笠の顔があった。

 

「うわっ」っと驚いて思わず声を上げてしまった。

冷泉のベッドの枕元に彼女がいたのだ。

しかも、彼女は身を乗り出し、冷泉の顔をのぞき込むようにしていた。

 

艦娘は全員が全員、当たり前のように容姿が整っている。それもかなり高次元の造形でだ。

艦娘によっていろいろ個性的ではあるけれど、どの艦娘も人間の女性と比べて飛び抜けて美形となっている。それは艦娘という生物がもともと持った特性なのか、それとも後天的に作られたものなのか、冷泉には分からない。そもそも、彼女たちがどんな存在であるかが知られていないのだから、見当もつかない。……当然か。

 

冷泉の知る知識では、艦娘と呼ばれる者やその関係者の中で、最上位の権限者だと思われるのが三笠という艦娘である。その彼女は美形揃いの艦娘の中でも彼女の地位と同様に、最上位の美しさを持つ艦娘と言われていし、冷泉も思っている。何度か会っているし、話もしての感想だ。

彼女の眩いというか圧倒される美しさには目を奪われてしまうのは事実だ。そう思ってしまうのは、彼女が艦娘と呼ばれる存在のトップに立つという立場的なものも理由の一つだろうけれど。

 

ただその美しさの裏にある何か、はっきり言えばあまり良い意味で無いもの……が感じられるので、美しい外見とは違うものを彼女は隠し持っているのだろうと考えている。

冷泉はその裏にあるものを実際にいくつか垣間見た。それはあくまで氷山の一角でしかなくて、もっともっとあるのだろうなと思っている。故に、怖いしあまり得意な艦娘ではない。

 

彼女の瞳は相手の心の奥底まで見通し、その美しい笑顔の裏で誰かを陥れるための邪悪な企みを考え続けている……。そんなイメージしかもっていない。

 

三笠は、あたふた驚く冷泉を面白そうに見ている。凝視しているといってもいいくらい。その瞳に晒されることで観察される動物の気分になってしまう。

けれど、何も知らない人間だったらこんな彼女に見つめられたら恥ずかしくて、顔を赤らめて照れてしまうだろう。けれど、彼女の本質をわずかでも知っている状況では、ただただ嫌な感じがするだけだ。

 

「俺は、一体……どうしてこんなことに」

 

「大変だったんですよ、提督。約束の時間になったっていうのに、いつまでたってもいらっしゃらなかったんですから。速吸の話では駅まではちゃんと連れてきたし、どうやら係の者がちゃんと連れてきたというのは分かったんですけど。で、探させたら、こちらの廊下で倒れてたんですよ」

どうやら、不知火と会った後、倒れて気を失っていたらしい。

 

「床一面血の海になっていて、血溜まりの中に倒れた提督を発見した者はずいぶんと驚いていたそうです。ですので、着替えさせてもらいました。もちろん、血で汚れた体も綺麗にさせていますよ」

と、クスクスと愉快そうに笑う。何がおかしいんだ?

 

「なんで俺は倒れていたんだろう。俺は不知火に会って、彼女と話して、そして……」

 

「不知火と会ったんですか? なるほど……轟沈したはずの不知火に出会ったことで、動揺してしまったのかもしれませんね。提督kには……術後にお話したと思うんですけど、肉体にも心にも負荷をかけるような事は極力避けるようにって言ったはずですよ」

不知火と冷泉が出会ったことを知っているはずなのに、あえて知らないような顔をして

言う。むしろ、わざと二人が会うように仕向けたとしか思えないのに。

 

「司令官の立場では、肉体的精神的負荷から逃れることなんてできないよ。おまけに軍警に拉致されて取り調べを受けたりしていたからね。そりゃあ不調を来しても仕方ないよな」

 

「お渡しした鎮痛剤は利きましたか? 軍に捕らえられたと聞いてからは、速吸を行かせてもう少し効果の高いものをお渡ししましたけれど、大丈夫でしたでしょうか? 」

 

「ああ、薬には本当に世話になったよ。普通に暮らしていても耐えられない程の痛みを押さえ込む事ができたからね。薬の沈痛作用があったからこそ軍警の拷問を受けても耐え抜くことができたよ。いや、感謝してます。……副作用さえなければ……ね」

あえてイヤミっぽく言ったつもりだったが、彼女はなんとも思っていないようだ。

三笠にもらった薬は痛みを抑えこむために別の種類の痛みをもたらすという、嫌がらせのような薬だった。

そして、冷泉に施された治療自体が完治できるものでなく対症療法でしかなかったわけで、治療したところで別のどこかが破壊されるというものでしかなかったようだ。当然、痛み止めで与えらた薬も同じものであったようで、どこかの痛み押さえることができたとしても、その代わり違うどこかが痛み出すというものだった。おまけに効果が切れたら痛みが無くても、更なる激痛をもたらすという最悪のものだ。そして、一度目より二度目、二度目より三度目と摂取するたびに効果時間が短くなり、量を求めるというものだった。

それに気付いた時には、すでに手遅れだったわけなのだが。

 

せめてもの救いは、取り調べに伴う拷問に耐えることができたのだから、その一点にのみ良かったというべきか?

 

「ふふふ……良薬口に苦しといいますからね。効果の高い薬には、それなりの副作用があるものです。それをご承知の上で、承諾されたと思っていたのですよ、私は。もちろん、手術を施術したのだって強制したのではなく、あなたの強い強い希望があったからですよ。お忘れになりましたか? 」

 

「……背に腹は代えられないとはいっても、はたして手術を受ける前よりマシになったのか……今となっては分からないけどね。後悔していないといえば、おそらく嘘になるんだろうけど」

と、少し憎々しげに三笠を見る。

 

「あらあら、酷い言いようですね。私は、あなたのことを思って治療をお勧めしたんですよ。そんな風に責められたら、私、辛くなってしまいます。私としては、本当に善意で言ったのに、辛いです。酷いです」

 

「善意……ね。良い面だけしか説明せず、その問題点については何も言ってくれなかったと思うけれど」

 

「それは、あなたが聞かなかったからで、問われればきちんと説明をしたんですよ。けれど、あなたは随分とお急ぎだったようで、私の話をちゃんと聞いてくださらなかったですもの。とにかく早く治してくれと余りにも急かすものですから、その迫力に圧倒されてしまいました……」

嘘かホントか困惑したような表情をしてみせるが、それが上っ面だけであることは冷泉にも分かる。

 

「状況が良くなったか悪くなったかはなんともいえないから、これ以上文句を言うつもりはないよ。結局、選択したのは俺自身なんだからな。様々な問題点はあるけれど、自分のことは自分でできるようになっただけマシだ」

現状での判断で有り、今後、自分の体がどうなるかは分からないけれども、生活するに誰かの手を借りなければ生きていけないということから逃れられたのだから、その一点だけでいえば手術は間違いではなかったのだろう。

「済んでしまったことはもういいよ。そんなことより、不知火は? 」

現状の理解はまだおぼつかないが、それよりも気になった事を問う。

不知火と話したことを復唱するかのように三笠に伝えた。

 

「そうですね、彼女は呉鎮守府へ着任すべく、もうすでに出港態勢に入っているでしょう。護衛を伴い、まもなくこちらを出ると思いますが、それがどうかしましたか? 」

 

「お願いだ。その命令を取り消してくれ。そして、彼女を俺の……いや、舞鶴鎮守府所属とするようにしてくれ」

艦娘の所属を決めるのは軍である。三笠に言ったところでどうなるかは分からない。更に冷泉は現状、鎮守府司令官の地位には無い。人事権に口出しする権限など無い。けれど、彼女の行く末を案じた上での願いだった。

 

「それはどうしてです? 」

 

「あなたも知っているだろう? あの呉の提督の性癖を。たとえ今は部下でないとはいえ、艦娘を慰み物にするような奴のところにあいつを行かせるわけにはいかない。俺に艦娘の人事に口出しするような権限が無い事など分かっている。けれど、自分の部下だった艦娘が不幸になると分かっているのに何もしないわけにはいかない。……どうか、あなたの力で彼女の人事を止めて欲しい」

 

「クスクス……クスクス」

と、突然、三笠は嗤う。

 

「な、……何がおかしい? 」

 

「すみません、あまりにあなたが変な事をいうものですから」

 

「変な事は何も言ってない。スケベ爺にいいようにされるなんて許せないんだ」

 

「ふふふ。不知火の事が大好きだったんですね、提督は。けれど……そんなに大好きな大好きな彼女を裏切り者に奪われたのに何もせず、目の前に現れたというのに救うことすらできず、それどころか見殺しにしたというのに……ね。言い方は悪いですが、まずは何もできずに彼女たちを守れなかったその無能を悔いるべきでしょう」

冷たく責めるような口調の三笠に何も反論ができなかった。

 

もっと部下に目を配らせておけば鎮守府に入り込んだ敵の暗躍を見逃さなかったかもしれない。少なくとも裏切りを阻止することができたかもしれない。扶桑たちと戦闘になった時だって、うまくやって説得できたかもしれないし、捕らえることができたかもしれない。けれど、結局は不知火を死なせ、扶桑も死なせてしまった。その事実は消すことはできない。

 

「冷泉提督がもう少し有能であれば、あの子たちを日本国から裏切らせるような勢力の侵入を許さなかったでしょうし、彼女たちを救うこともできたかもしれませんね。もっとも、あなたにもいろいろ言いたいことはあるかもしれませんが、結果としてあなたは不知火を守ることができなかった。ただ裏切り者として見殺しにすることしかできなかったのです。そんなあなたが不知火を守るからよその鎮守府に行かせるなと言うのですか? 呉に行けば不幸になる? そもそもあなたの言うことについて、具体的な証拠でもあるのですか? 噂などという曖昧なものだけで証拠もなくよその提督を批判しているわけではないですよね」

 

「いや、それは」

と、しどろもどろになることしかできない冷泉。

 

「そもそも、呉鎮守府への異動は、軍の命令では無く不知火の希望なのですよ。不知火と話たことでご存じだと思いますが、沈んだ艦娘の記憶は初期化されます。まっさらな状態の不知火がいくつもある鎮守府の中で自分が属するべき鎮守府を選んだのです。それまでいた舞鶴鎮守府では無く……。普通は、元々いた鎮守府を選ぶ娘が多いんですけどね」

三笠のその言葉が冷泉の胸に深く突き刺さる。記憶は無いはずなのに、本能的に不知火は冷泉を避けたというのか。

「艦娘は自分の運命は自分で選ぶのです。冷たいようですが、仮に提督の仰るようなことがあったとしても、それは彼女の選んだ運命です。そもそも、艦娘は所属する鎮守府の提督の指揮下に入るわけですから、身も心も上司たる提督に捧げているわけです。つまり、そういった男と女の関係になることも、提督の意思であれば艦娘は従うものです。それは彼女の意思でもあるのですから。それは冷泉提督も実体験として……えっと」

唐突に三笠は口ごもった。何故か動揺したような態度を示したかと思うと、不可解なものを見るような目をした。

 

「何か気になることでもあったのか」

三笠の叱責に精神的に参っていた冷泉は、その変化に戸惑う。

 

「いえ、まさか冷泉提督は舞鶴の艦娘に、その……手を、手を出したりしてはないのですか? 」

 

「そ、そんなことするわけ無い」

 

顔を赤らめて慌てて否定する冷泉に、三笠は哀れみの表情を向ける。

「どうしてなのですか? 」

 

「そ、そんなことできるわけない。彼女たちには彼女の意思がある。好きでも無い男にそんなことさせられるわけないだろう! 司令官にそんな権限があったとしたって、俺にはそんな命令できるわけない」

 

「戦場では司令官の命令は絶対でしょう? 死ねと言われれば艦娘は喜んでその命を捧げるでしょう。そんな覚悟ができている彼女たちであれば、司令官に体を差し出すことなど造作もないことでしょう? 」

 

「そんなのできるわけない」

そう否定するしかできない。

 

「あらあら、あなたの部下の艦娘には、女としての魅力は無かったのでしょうか? みんな可愛い子ばかりだし、世の殿方なら皆、興味を持たないはずはないのですが。提督は、ああいった子たちはお嫌いですか? 彼女たちを見ても何も感じないのですか」

何故か済まなさそうに三笠が反応する。

 

「そんなことはないよ。みんなとても可愛いし、そ、そういった関係になれたらと思わないといえば嘘になる」

馬鹿正直につい本当のことを冷泉は口走り、言った後で後悔する。

「いや、あくまで仮定の話でだ」

 

「まあ、興味を持ってくれていたんだったら良かったです。……だったらそういった関係になればいいではないですか。舞鶴の艦娘たちもあなたの事を大好きなはずですよ。少なくとも、そういった鎮守府内の上下関係関係なしに、あなたのことを好いている艦娘は結構な数いたはずですし、それについては、さすがのあなたもお気づきになっていたでしょう? あなたが誘えば彼女たちも応えてくれるはずでしたのに」

 

「そんな残念そうに言わないでくれ。たとえ彼女たちが俺のことを好いてくれていたとしても、……それが俺に対しての好意じゃ無いことを知っている……知ってしまった。俺への好意は、俺が舞鶴の司令官になる前に司令官だった男への気持ちなんだから。彼女たちを騙すような……弱みにつけいるようなことなんてできるわけないじゃないか。そんな事したくない。」

思い出す……。

戦時中とはいえ、穏やかだった頃を。艦娘たちとの日常があった頃を。楽しい日々を。

あの頃は常に艦娘という美少女たちに囲まれ、わちゃわちゃと日々を送っていた事があったことを。一部を除き、ほとんどの艦娘が自分に好意を持っていてくれるという驚きと幸せ。感激感動。しかし、それは自身の力によるものでは無く、何らかの内的もしくは外的要因により本来いるべき人間に自分が取って代わったことにより得られている日常であることを。

それに便乗し、その地位から得られる果実を味わうこともできた。それをしたところで責められる要素は無い。むしろそうすべきで有り、それが艦娘たちにとっても幸せであるはずだった。

冷泉にとっても幸せだろうし、そうしたかったし、そうすべきだった……のに。現実で無かったら、絶対にしていた。

 

けれど、それができなかった。……彼女たちの無邪気な笑顔を見たら、無条件に信頼を寄せる彼女たちを見たら、そんな邪な気持ちを持つこと自体が恥ずかしかった。絶対にしてはならないことだと自分で自分を律してしまったのだ。へたれといえばそれまでだけれど、これだけは絶対に越えてはならない一線だと思ったのだった。

「手を伸ばせば届くものを、自分のものにできるけれど、したくないんだ。それは俺の力ではないし、自身の努力で得たものじゃないからだ。誰かのものであるものを横からくすねるようなものだし、誰かから施されたものだって思えるからだ。そして何より、彼女たちを騙しているようで、できなかった。絶対にしたくなかった」

絞り出すように、うめくように言葉にする冷泉に三笠は何も応えなかった。

「やはり……こんな俺だから、駄目なんだなんだろうか。良かれと思ってしたのに、かえって状況を悪くする運命からは逃れられないのか」

と、関係なく弱音が出てしまう。

 

しばらく黙っていた三笠が口を開く。

「……まあ、あなたの考え方はよく分かりました。呆れるくらいにお堅いということは理解できました。……たしかに、艦娘たちの中にある前の提督の記憶を上書きしてあなたの存在があるわけですから、横取りしているとか騙しているとかいう気持ちになるのは仕方ないかもしれませんね。そんなこと気にせず、欲望のままに手にすればいいと思いますが、そういった考え方をする人もまれにいるということは理解しています。むしろそんな考え方の人だから、あなたが選ばれたのだと思いますし、私もあなたを選んだんだと思います。もともと舞鶴にいた娘に対するあなたの気持ちは理解できました。……けれど、ここから先は違う話になると思うのですが」

何を言い出すのかと思い、冷泉は警戒する。

「では、あなたが舞鶴鎮守府司令官になった後、あなたの部下になった艦娘についてはどうなのでしょう? 」

 

「というと? 」

 

「わかりきったことです。加賀のことですよ。あの子はあなたが舞鶴鎮守府司令官になってからあなたの部下になりましたよね。だから、彼女は記憶を改ざんされたりはしていませんよね。では、あの子に対してはどうなのです」

 

「加賀がどういう……」

長門はどうなったのかという疑問はあったけれど、この際置いておく。榛名もそうだけれど、彼女も今回の話とは関係なさそうだ。

 

「あなたは加賀のことをとても気にかけてましたよね。そして、加賀を命がけで助けました。あなたの彼女に対する思いは当然ながら彼女に伝わっているはずです。だからこそ、あんなに拗ねてたのにあなたに心を開きました。彼女の前の上司には心を固く閉ざしていたというのにね。……あなたもお気づきですよね? 」

少しからかうような視線を向けられ、体温が上がるような気がした。

 

「か、加賀は、いろいろと辛いことがあったようだから気にしていただけだ。特別扱いしているつもりは無いけど、なんといっても鎮守府唯一の正規空母だからな。少しは思うところがあったかもしれない。けど、見ちゃいられなかったんだ。彼女が戦いから逃げ……それどころか生きることさえ拒絶しようとしていた。そんな彼女を助けたかったのは事実だけれど。まあなんとか助けることができて、一応立ち直ってくれたから良かったと思っているけど」

 

「彼女はあなたの事をどう思っているんでしょうね」

 

「……余計な事をして死にかかった妙な奴って感じだろうね。全身麻痺になったとき、一生懸命介抱してくれたのも自分のためにこんなになってしまった俺を哀れんだのと、自分のために俺みたいな奴があんな事になってしまったことを気に病んだのと彼女のプライドがそうさせたんだろうなって思っている」

 

「それだけですか? 」

心を見透かしたような目でこちらを見る三笠を正視できない。

 

「ああ、わかったよ。恋愛経験の少ない俺でも加賀は俺に対して感謝以上の感情を持ってくれているって思ったよ。あいつは生意気だし偉そうだし気が強いしわがままなところがあるけれど、優しいし強がっているけど実は弱いところがあるし、可愛いところもある。とても気になる子だ。俺はあいつのことを好きなんだと思う。そして、あいつも俺のことを……俺のことを、上官としてではなく一人の男として結構気にしてくれているし、たぶん好いてくれているんだって思ってる。実際はわからないけれど、そうであればいいなって思っているよ」

映画やドラマであるならば、二人の関係性を客観的に見たとしたらきっとそうなのだろう。

 

けれど、俺は知っている。

現実はそうならない。

いや、俺についてだけの現実はそんなことにはならない。

 



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第239話 過去の束縛 謀反の確証

俺なんかを誰かが好きになるわけなんてない。

過去の経験が訴えかけてくる。

これまでの人生、冷泉にも幾度か自分に好意を寄せてくれるんじゃないか? って思えるような女性が現れた事があった。

恋愛に奥手で臆病な冷泉は慎重に状況を確認し、石橋を叩いて渡るようなほど事を進め、そしてなけなしの勇気を振りしぼり告白した。

けれど、結果はどれも散々なものだった。すべて冷泉が勝手に好かれていると思い込み調子に乗って告白し、結果、ただの勘違いでしかなかったのだ。告白した女の子に逆に気を使わせてしまい、恥ずかしくて辛くて切なくて情けなかった。

いつも失敗に失敗を重ね、いつしか臆病になってしまっていたのかもしれない。ある程度年齢を重ねてからは、もう完全に色恋沙汰に諦めてしまうようになってしまっていた。いつまでたっても女の子の気持ちがまったくわからないのだから、仕方ない。

どうせ俺なんて……そんな負け犬根性が染み付いていたんだ。

だから言葉に詰まる。

三笠の問いかけに対する答えを続けることができない。なんら答えを持ち合わせていないからだ。

 

好きだけど好きだなんていえない。理由はいろいろあるけれど、結局は臆病なだけなんだろう。

 

今の関係性を変えてしまうことが怖いんだ。今の心地よい関係性が。

これほどまで自身が追い込まれた状況であっても……。

 

「あら……どうして答えてくれないのでしょうか? 何か難しい問題でもあるのでしょうか? 」

 

「……」

 

「どうして応えてあげないのです? あなたは加賀の気持ちに気づいていないのですか? さすがにそこまで鈍感ではないですよね。伝え聞いた状況だけでも、あの子はあなたのことを好いていることは間違いありませんよ。だったら、彼女の思いに応えてあげるのが男としての責務じゃありませんか? 」

何故か責めるような口調で言ってくる。

 

「何を言ってるかわからない……そもそも俺と加賀は上司と部下の関係だ。更に司令官と艦娘という特殊な関係だ。そんな状況で、そんな関係性があるなかで男女の色恋沙汰などありえないし、彼女たちに対してフェアじゃないことはできない」

と胡散臭い言い訳をしてしまう冷泉。

 

「艦娘と司令官の間にどういった感情があろうとも、それが深海棲艦との戦いに影響がないのであれば、何ら問題はありませんよ。むしろ、そういった感情があることこそ艦娘の戦いへのモチベーションを高めるものだと認識しています。立場を利用したものであろうとも、それにより艦娘の戦意が高まるのは間違いありませんし、それにより司令官のモチベーションも高まるのですから、推奨されるべきです」

艦娘側のトップである三笠が太鼓判を押すのだから、これ以上の議論の意味はないだろう。

「あなたは、ただ彼女の気持ちを受け入れてあげるだけでいいのです。あなんたの心の奥底でどのような葛藤があるかは知りません。けれど、ごちゃごちゃ言い訳なんて不要でしょう。ただ好きだ言い彼女を抱いてあげればいいんですよ、シンプルに雄としてあなたの欲望のままに。……好いた男と添い遂げたいという女の願いを叶えてあげようとは思わないのですか、あなたは」

 

「……ば、ばかな! そんな破廉恥な事、できるわけないだろう。一体、俺を何と思ってるんだ? そもそも加賀の気持ちを無視して、何、勝手に何盛り上がってんだよ。できるわけないできるわけない。それに、そうだ、あいつが俺のことを好きなわけないんだよ。そんなふうに思えることもあるけど、それは俺の勘違いなんだ。それに、そもそもあいつの気持ちなんて俺は聞いていない……。怖くて聞きたいなんて思わないけれど」

最後の言葉は消え入るように小さなものになった。

 

「加賀の気持ちなんて今更聞くまでもないでしょう。そんな分かりきったこと。あなたがどうするかが一番大切でしょう? 艦娘をあなたがどのように思っているか、どの程度まで知っているかは知りませんけれど。……艦娘は兵器であるけれど、根本にあるのは人間の女の子なのですよ。故に普通の女の子と同じ……嬉しければ笑うし、悲しければ泣きます。腹が立てば怒るし、困った事があれば悩みます。艦娘だと身構えずに普通の女の子と同じように対応すればいいのです。加賀のことが嫌いじゃなければ、彼女の想いに応えてあげないと。それが男っていうものでしょう」

三笠は本気で言っているのだろうか? 冷泉は疑問しかなかった。先程からずっと感じる違和感。彼女はずっと冷泉を煽るような事ばかりを言う。なんだというのか? からかわれているのだろうか。

「艦娘は常に戦いの中にあります。いつ命を落とすかもしれない過酷な運命の中にいるのです。一日一日を必死に生きています。そんな彼女たちの願いを叶えるのも大事なことではないですか? 思いを遂げることができれば、仮に明日命を落とすとしても後悔は無いでしょう」

 

「もういい加減にしてくれないか……さっきからなんだっていうんだ? 俺をからかうためにわざわざここまで呼んだっていうわけじゃないだろう? 冗談はこれくらいにしてくれ。本当の目的を……俺に話すべきことを話してくれ」

感情が乱れに乱れて、どうにもならない。これ以上、こんな話題を続けられない。続けたくない。これ以上は耐えられない。三笠は何を考えこんなことを続けるのか? 

何人もの艦娘を冷泉の無能さにより死なせたことを責めているのか? 大切な艦娘を死なせたくせに、加賀にうつつを抜かしていることを怒っているのか? そんなことなんて分かっている。いやというほど分かっている。そんなに現実を見せつけて罪を認識させようとしないでくれ。

 

……とにかく話題を変えなければならないという一念しかない。逃げていると言われても仕方ない。どちらも現実も苦しく辛いが、冷泉の置かれた現実のほうがましだ。

「様々な案件の容疑がかかっている俺を軍から引き剥がす手間をかけてまでここに呼んだんだ。俺の恋愛話をからかうためなんかじゃないだろう? 頼むから本題に入ってくれないか」

 

「あらあら、からかうだなんて酷いですね。かわいい艦娘の恋の行方を案ずるのは上司たる私の仕事の一つでもあるんですよ。艦娘と司令官が晴れて結ばれれば彼女のモチベーションもあがるし、戦力増強につながるんですけどね。それに思いを遂げることができたなら、仮に明日、死が待ち受けていたとしても悔いはないでしょうからね。いわゆる我が人生に一片の悔い無しです」

どこまで本気かわからない態度で三笠が言う。

「まあこれ以上色恋沙汰をとやかくいうのも野暮というものでしょうかね。本当に初なんですね、あなたは……わかりました。では、本題に入りましょうかね」

と三笠が微笑みかける。

冷泉は身構える。

「今回、提督をお呼びしたのは治療の件もありますけれど、本題は大湊警備府の件なのですよ」

 

「大湊といえば葛城提督だけれど、彼女に何かあったのか? 」

冷泉は思いを馳せる。鎮守府司令官の任を凍結された際、冷泉の部下の艦娘たちを託した提督。出会いは最悪、最初はお互いに行き違いがあって敵対したが、彼女の本質を知り彼女になら任せられると冷泉は感じた。だからこそ、この先の舞鶴鎮守府を彼女に託したのだった。

このまま冷泉がいるかぎり舞鶴鎮守府にはトラブルが絶えないだろう。艦娘を守ろうという思いが空回りして、敵を作るばかりで何もかもがうまくいかなかった。まるで呪われているかのように、すべてが空回りしうまくいってなかった。

それがそのまま大湊に伝染でもしたというのか?

 

「あなたは大湊の提督のことを信頼して、部下を任せたのでしょうね」

 

「ああ、葛城提督とは幾度も衝突をしたけれど、彼女の根底にあるものを知り、軍の中で最も信頼できる人物だと思った。だからこそ任せることにしたんだ」

もう二度と舞鶴に戻ることは無いかもしれないと思ったからこそ、艦娘をそして舞鶴鎮守府を正しい方向へ導いてくれると思える人に頼んだのだった。

しかし、三笠の言葉からは不穏なものしか感じられなず、不安になる。

 

「実は大湊警備府に反乱の兆候が確認されています……」

 

「はあ? 」

あまりに唐突な言葉に、理解力が追いつかない。

司令官の葛城提督と舞鶴の艦娘との関係がうまくいっていないといったことならあり得ると思った。舞鶴と大湊では置かれた状況や深海棲艦の勢力関係が違うし、戦略的に得ようとするものも違う。よって艦娘の運用も異なる。最初はお互い戸惑いといったものも出てくるだろう。また、大湊警備府の艦娘との関係性、序列、運用方針などの整理も必要になってくるはずだ。

そういった齟齬による混乱や不和ならば予想できる。当然のこと。けれどそれは葛城提督ならなんとか解決するだろうと思っていた。

 

なのに、……なんだ?

 

反乱?

 

一体、なんで? 何のために? そもそも何に?

「いきなり何を言い出すんだ? よくわからないけれど何の冗談だっていうんだ」

困惑しかなかった。

 

「動揺するのは当然ですよね。私も想像だにしなかったことですから。けれど、これは事実なのです」

 

「反乱ってそもそも何にだって言うんだ? 一体、何のために。それにそれは本当なのか? 何か明確な根拠があるっていうのか。俺には信じられない。誰もがそうだろうけれど、特に葛城提督はそんな事をするような人じゃない」

もちろん冷泉は彼女のすべてを知るわけじゃ無い。けれど、解る。彼女の心根は本当に真っ直ぐだ。日本という国に忠誠を誓っていたのは間違いない。不器用ながらも理想を追い求め、深海棲艦との戦いを終わらせるために最善を尽くし行動していたはずだ。日本国のために、日本国民のために。そんな彼女がなんで国家に反乱するというのか。

 

三笠はどんな事実により言っている?

 

「大湊警備府より日本国政府に対して通告があったのです。すみやかに艦娘との同盟関係を破棄し、第二帝都東京を制圧せよ。そして統括者である三笠を捕らえ、差し出せと。それが叶わない場合は、大湊警備府は日本国より離脱すると。大湊警備府および舞鶴鎮守府司令官としての宣告でした」

 

「? ……ありえない。鎮守府司令官といっても、彼女の一存だけでそんなだいそれたことができるわけがない。仮に賛同者が多かったとしても、一部の兵士は従わないものだってでてくるはずだ。彼らをどう抑え込むっていうんだ。それに、そもそもたとえ司令官の命令だとしても、艦娘が従わないだろう? 艦娘は日本国に貸し出されれているとはいえ、自分たちの所属するところに歯向かうなんてできないようになってるんだろう? 」

 

「これは彼女の一存だけで決められたものでは無いようです。日本国政府の政治家や政府関係者の一部も彼女の背後にいるようです。それらの手のものが前もって蠢動していたようで、大湊警備府の兵士たちは掌握されているようで、ごくごく一部の抵抗があっただけですが、すぐに鎮圧されているようです。それから艦娘については、そもそも反乱なんて起こすなんて想定外のことでしたから、そういった制約は設定されていません。もちろん、普通に命令されただけならば、艦娘も反論するでしょうけれど、葛城提督は絶対命令権を実行したようですから、艦娘に逆らうことはできなくなっています。ゆえに、大湊および舞鶴は現状、私達および日本国にとっての敵対勢力となったわけです」

重大な事態発生でありながらも、大したこと無いような感じで三笠は言う。

 

「加賀たちは、どうなったんだ? 」

あいつらは無事なのか?

 

「彼女たちについては、冷泉提督から葛城提督へ権限移譲が行われていますからね。当然ながら、あらゆる権限が彼女のものとなっています。当然ながら大湊の艦娘と同じ状態です」

 

「そんな」

絶望から全身から力が抜けていく。彼女たちのことを思って託したというのに。俺の選択は間違いだったのか? 俺はまた誤ったというのか。

このままではあいつらは反逆者となってしまう。そして、最終的には。

 

「日本国としてはどうするつもりなんだ? 大湊に対して何らかの交渉をしようとしているのか」

 

「日本国政府の方々としては本音は私を差し出して、艦娘だけは日本国に収奪したいんでしょうね。もちろんそんなことはできないんですが。そもそもこの帝都を落とすことは日本国政府には不可能ですから。彼らが知っている以上に兵力がありますし、艦娘も結構な人数いるんですよ。仮に全鎮守府兵力を持って攻めてきたとしても、十分にしのぎ切ることができますからね。まあ、そもそも横須賀鎮守府は絶対にこちらの味方になりますから、まず無理でしょうね」

どういうわけか横須賀は三笠には絶対に逆らえないということなのだろうか。

「それに佐世保、呉鎮守府のお二方も今は様子見をされるでしょうからね。少なくとも積極的に関わる愚行はしないでしょうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第240話 必要なもの 譲れないもの

「葛木提督が国家に反逆するなんて、信じられない。……確かに、いろいろと不満を持っていることは知っている。軍隊は完全な男社会だ。女性の進出は当然ながら他の分野より相当遅れている。彼女がそれを不満に思っていたのは事実だ。実際、初めて出会った時からそんなことを言っていたしね。自分は能力に比して過小評価されていると言っていたし、不当だとさえ思っていただろう。けれど、たったそれだけの事で国家に背くという発想に至るなんてありえないと思う。得るものに対して、あまりにリスクが大きすぎるからだ。彼女は軍の中での立場を、正当な評価を求めていたんだ。組織そのものを壊してまで、どうこうしようなんて考えていなかった。しかも、こんなに急激な変化を求めるなんて。ありえない。彼女は賢い人だ。こんな方法では代償があまりに大きいことを理解できない人じゃ無かったはずなのに、どうしたんだ」

もちろん、人の心は本人でなければ分からないことは理解している。しかし、それでも今まで所属していた組織に、いや暮らしていた場所を、仲間をすべてを切り捨てて、多くの犠牲を覚悟してまでして変えたいと彼女は思っていたんだろうか?

 

彼女は、自分の部下を大切にしていた。もちろん、艦娘も同様だ。そんな彼女が犠牲をいとわず戦いを挑むなんて、どう考えても理解できない。利己的な想いだけで部下に犠牲を強いるような真似はするようには思えないのだ。そう思っていたのに。

 

ああ、まただ―――また自分は間違いを犯してしまったのか。

 

信じられると思い、そして全てを託した。大切な部下たちを任せられると思った。信じられる、任せられると思ったのに、……裏切られたというのか。

相変わらず、人を見る目が無く、時流に乗ることさえできない……。いつもいつも後悔ばかりを繰り返し、何もかもを失っていくだけだというのか? 前と同じように。

お前たちを守ってやる! って偉そうなことを言っていた自分が恥ずかしいし、それ以上に情けない。情けなさ過ぎる。

 

「けれども……」

三笠が冷泉の心を読んだかのように言葉を発する。

「たとえ舞鶴鎮守府の兵力を手中に収めたとしても、まだまだ戦力不足です。なにせ、舞鶴鎮守府の艦娘は一部が脱走してその数を減らしているのですからねぇ。残った艦娘の状況を見るに、失礼ですが大湊警備府の艦娘と比しても貧弱だとしか言いようがありません。……おまけに鎮守府に資材が無い。お金が無い。……不足するものについては冷泉提督が頑張ってある程度まで挽回をさせていましたが、裏切った艦娘たちに持ち去られたものもあるようですし、その際の鎮守府での内乱の際に焼かれたものも多いと聞きます。厳しい言い方ですが、舞鶴鎮守府の戦力を得たとはいえ、反乱を起こすにしては兵力が弱すぎますね」

 

確かに、今の大湊と舞鶴の兵力を合わせたとして、数と質で横須賀鎮守府に圧倒されてしまうだろう。横須賀鎮守府の兵力が別格すぎるというのもあるだろうけれど。それだけでは無い。数的優位さよりも圧倒的な練度の差があるのだ。常に大きな戦いを繰り返している横須賀の艦娘は常に戦闘の中で鍛え上げられている。舞鶴はもとより大湊も大きな海戦に参加したことは数えるくらいしかないだろう。

「兵力が足りないことくらい、葛城提督だって理解しているはずなのに」

 

「まあ、ありきたりな言い方になってしまいますが、鎮守府司令官の地位まで上り詰めたといっても、やぱり女だということでしょうね」

と、小馬鹿にしたような口調で三笠が論じた。

 

「それは? 」

言葉の意味が理解できない冷泉が問い返す。

 

「おそらく、葛城提督はあの男の口車に乗せられてしまったんでしょう」

三笠が指さすと唐突にモニタが現れ、一人のスーツを着た男が演説している姿が映し出される。

「彼が大湊警備府に接触を図ったことが確認されています」

 

その男の名は、周防了一。

 

異なる世界から来た冷泉でも知っている男だ。

若くして野党第一党である自進党の党首である。彼の略歴を見れば分かる。そのは驚くほど華やかなものだ。まるで映画や小説の主人公のような華麗な経歴が並んでいるのだ。おまけに生来のものだろう、人の注目を集め人の心をつかむのがうまい。さらには時流を読むのが得意らしい。

若くして政治の世界に入った当初は、その交友関係からか与党に属して議員活動を行っていたが、彼の理想とほど遠い政権与党に愛想を尽かし、政府批判を度々行うようになり、煙たがれてついには党を追われることとなった。しかし、それでも彼は潰されなかった。新たに所属することとなった……そのころはまだ小さかった正当である自進党の中核を担い、みるみる大きくし、ついには野党第一党にまで育て上げたのだ。

周防家出身ということからもともと財界にも太いパイプを持っていたし、与党の若手議員からの信頼は厚く、いまだに交流があるようだ。それどころではない。警察、さらには軍……それも陸軍にまでその影響力を広げて行っている。

 

今の立場になってからは、彼自身は口にはあまりしなくなったが、自進党のスローガンは人間の手に日本国を取り戻そうというものだった。建前上は深海棲鑑から日本を守るものだろうが、艦娘による人間支配体制に対する国民の不満のはけ口として議席数を伸ばしている。もちろん腐敗しきった与党、海軍に対する不満は相当にあるため、それをうまく利用しているといってもいいのだろう。

若くて外見は優れていて、生き生きとしてとても目立つタイプであり、人当たりもとてもいい。それを最大限に生かすテクニックを持っていることをよく知っている。舞鶴の女性兵士の中では結構人気で、よく話題に上っていたことを覚えている。生気のない与党議員がよぼよぼの爺か脂ぎったデブしかいないことをおもんぱかると、そちらに興味が行くのは当然だろう。

 

ただ冷泉は気にくわなかった。もちろん、見た目では無く、彼の見てくれの良い外見の中にある、何か異質なものを感じてのことだった。けれど、批判を口にすると部下の女性から、男の人の嫉妬は醜いからやめた方がいいですよ~と窘められるだけだった。

嫉妬じゃ無いと声を大にしていいたかった。しかし、正論と思って批判したとしても、所詮モテない男の嫉妬だと女性から封殺されてしまうだけだった。

何も見えていないのは女の方だ。さすがに……声には出せなかったが。

 

周防という男は決して正面に立つことはなく、常に一歩引いた立場にいて、あえて誰かを立てるといった体で誰かを動かすといった手法を取っていることに気付き、警戒するようになった。

それは常に自分の立場を安全圏に置き、何か問題があればそいつを切り捨て、自分だけは生き残る算段を付けてから動いているようにしか思えなかったのだ。狡猾に時勢を読み、常に安全圏に自分を置き、危険をともなう事は別の誰かに押しつける。しかも、そうだと相手に思わせない技術も持っている。そして、好機とみれば一気に攻め込む。……そんな奴だと冷泉は分析していた。

 

「フッ、なるほどね……」

思わず吐き捨てるような口調になる。

 

「フフ……それにしても男前ですよね、彼は」

 

「ふん! ま、まあ、そう見えるのかな」

 

「クスクス」

 

「ん? 何かおかしいこと言ったかな」

 

「いえ、皆さん、同じような反応をされるんだなって、おかしくなって」

三笠が片手で口を隠しながら愉快そうに言う。

「私と接点のあるのは皆、政府の方か、海軍の方になるのんですけど……。周防氏の事を話題にすると、それまですごく愉快そうにしていたのに急に不機嫌になるんですよ。……私が彼のことを褒めたりしたら、なぜかムキになって否定されるので。あんな奴は男の中で最も信用できないタイプですよ、あんな奴に関わるとろくな事がないですよ。三笠様も注意してくださいって。中には本気で心配してくれて、本当に怒る人もいて……」

 

「それは、あなたが周防議員に興味を持ってるような態度をするからだと思うけれど」

 

「? ……どういうことでしょうか。私が誰かに興味を持ったら、何か損をするようなことでもあるのでしょうか? 」

 

「いやそのね、まあ、あなたの接する機会の多いおっさんたちも、なんだかんだで男だから……」

説明しかけて馬鹿馬鹿しくなってやめた。

「つまり、あなたは政府や海軍にとって、とても大事な立場の人だ。だから、そんな人が政府にとってはどちらかといえば敵対勢力である……まあ別に戦争するわけじゃあないけれど、そんな組織のトップに興味を持っていると思うと、やはり不安になるでしょう? あなたの力は……物理的なものだけでなく、政治的影響力を考えると不安しかないでしょう? ある日、急に野党自進党を応援することになりました~なんて言われたら、今の連中は全員クビになるのと同じだから。せっかく手に入れたぬくぬくなぬるま湯生活を奪われるとなれば必死になるでしょ。そして、その程度ですめば御の字だけれど、本当に周防議員があなたの力を得ることができたなら、きっともっと酷い厄災が彼らに降りかかることを理解しているんです」

本当は、絶世の美女といえる三笠が特定の男に興味を持っているということが彼らにとって耐えがたくも腹立たしい……という実に単純な理由でしかないのだが。

 

何故、あの男が与党から離れ、野党なんかに属しているのか不思議だ。うまく立ち回れば、十年二十年もすれば、いずれは党首になり、政府の代表になることも不可能ではなかったはず。

 

「? よくは分かりませんが、何度か彼とお話したことがあります。もちろん、そんな長く話すことは許されませんでしたが。けれど、とてもキラキラとした瞳をしていて、強い芯をもった人だと思いましたよ。人当たりもとても良くて、人の懐にスッと自然に入ってくるタイプですね。夢多き理想主義者のようでありながら、きちんとした計算ができる人だと思いました。見た目と言動、これまでの実績にクラッときてしまう女性も多いのでしょうね。そして、目立つのにあまり出しゃばらないところも、特技の一つのようですね。よく自分とその周りの情勢を見ています。理想を追い求める夢想家のような危うさや、夢見る少年のような部分も時折見せてくれますし。そういった自分を演出することを無意識のうちにやれる人はそうそういませんからね。それは彼の生来の能力かもしれません。やはり、できる雄、強い雄に雌は本能的に惹かれてしまうようですね。ふむふむ、それはまだ私も雌の部分が残っている証左かもしれませんけれど、ふふふ」

 

「確かに、今、日本国において勢いがある男といわれれば彼の名が真っ先に出てくるかもしれない。それは客観的に認めざるをえない。この停滞した日本の現状を打破してくれそうな大きなエネルギーに満ちているように見えるからね。しかし、それだけでは足りない。足りないはずなんだけど、彼にはもっと何かがあるように感じる。見た目だけ知りうる範囲以外に何かが。それが人を引きつけ、彼を動かす原動力なのだろうけれど。……それが分からないから、俺には、ただ不気味な奴にしか思えないな」

 

「周防氏では日本国を救えない? と提督はお考えなのですか」

 

「裏に何かを抱えているような胡散臭さを感じてしまうんだ。何というか理由は漠然としているんだけど、本能的に危険な奴だってね。見える部分だけに惑わされるといつのまにか足下をすくわれてしまう怖さがある」

人それを嫉妬という……鎮守府にいた頃ならそう評されてしまいそうだ。

 

「ああ、そうそう。彼は葛木提督と同じ大学の先輩後輩の関係だったようですよ」

思い出したように三笠が教えてくれた。

そんな頃からの知り合いなら、彼女の人となりを彼は知っていただろう。そして、その関係性からも接近は容易だ。

 

「なるほど。そういった関係があったのか。だったらなんとなく彼の目的も分からなくはない」

 

「若い多感な頃からの知り合いであれば、二人の過去にはいろいろとあったかもしれませんね。葛木提督も結構な美人ですからね。そんな二人が久しぶりに再会したのだから、なんだか運命を感じてしまいますね。方や野党第一党の若き党首、方や鎮守府司令官。学生時代とは比べものにならないくらいの地位についています。とはいえ、少しバランスは悪いですね。周防氏は社会的認知度は圧倒的とはいっても、所詮野党の議員でしかありません。政権運営に力を発揮することなど叶わない。そもそも、第一党とはいえ、果たして政権を取ることが可能なのか……今は平時とは違います。国民のためと叫んでも、それが反映されるとは限りません。彼が何を成しとげるかまったく未知数なのです。逆に葛木提督は今や飛ぶ鳥を落とす勢い。大湊警備府だけではなく、衰えたとはいえ歴史と伝統を兼ね備えた舞鶴鎮守府の司令官も兼任しているのです。彼女の命令でたくさんの艦娘や部下が動きます。その気になれば、国家を転覆させかねないほどの……ね」

 

「さすがにそれは無茶だろう? そもそも一軍人である彼女がそんなことを考えるはずがない。そんな野心家では鎮守府司令官になれるはずがない。軍も政府も馬鹿じゃ無いからね。そんな危険思想の輩に司令官の地位なんて与えないよ。そして、相応の地位にあるものは、行動はより慎重になるものだ」

三笠の意図が分からず、反射的に否定してしまう。謀反と判断されることに危険を感じ、思わず葛木提督を庇うような発言をしてしまった。

 

「普通ならそうでしょうね。けれど、人の心とは分からないものですよ。せっかく女性初の鎮守府司令官になり、さらには代理とはいえ舞鶴鎮守府も手に入れてしまったのです。その戦は横須賀鎮守府に次ぎます。急にそんな力を持ってしまったら、その無敵感からどうしても欲をかいてしまうこともあるでしょう。自分はすごい。まだまだ上を目指すことができるんじゃないかって、自惚れたって不思議ではありません。その心の隙に周防氏が取り入ったのでしょう。それに、なんだかんだ言ったところで、彼女も適齢期の女性です。軍一筋とは言っても、若い頃の知り合いである男が当時以上に成長した姿で現れ、その優しさに接したことで、心がほだされてしまったのかもしれませんね。もちろん彼女は賢い女性ですから、騙されたわけではないと思いますけれど。力を手に入れたことで、もともとあった野心に火がついたのでしょう。一人ではできないことでも信頼に値するパートナーに恵まれれば、それも叶うと思っても不思議じゃありません。実際、それに値する魅力と力を持つ人と出会ったのですから。お互いが全力を出せば、一人では成せないことさえ成し遂げられるように思っても仕方ないでしょうね。つまり、出会うべくして出会った。行動すべくして行動したという感じでしょうか」

と、冷静に分析される。

 

「けれど、それだけで上手く行くとは思えないね。それは誰でも分かる事だと思う」

それなりの力は手に入れたのは間違いないが、世界はそんなに甘い物では無い。

「たとえ大湊と舞鶴の戦力を合わせたところで、横須賀鎮守府の戦力には及ばない。まともにぶつかれば勝敗は明らかだ。それにあなたたちだって裏切り者を放置するようなことはしないだろう? あなたたちの戦力がどの程度あるのかは知らないが、葛木提督が横須賀鎮守府艦隊だけと戦ったとしても、勝ち目は無いと思う。周防議員がどの程度の影響力を日本国に対して持っているかは分からない。政府や軍の動きを鈍らせることができたとしても、やはりジリ貧になるのは明らかじゃないのか? そして、すでに横須賀鎮守府艦隊が動き出しているんだろう……周防議員がに何かしようとする前に、艦隊戦が始まってしまうだろう」

 

「確かに、単純に戦力計算をすれば、葛木提督に勝ち目は無いでしょうね。彼女を援護するために周防議員がどれだけの戦力を動かせるかは知りませんが、たとえ各地で蜂起したところで、日本国政府にダメージを与えることができても、私たちには何もできないでしょう。あとは殲滅戦になるだけでしょうね」

勢力分布を知らないとしても、三笠が言う展開になるのは間違いない。

 

「そんなこと葛木提督だって分かってるだろうし、周防議員も当然理解しているだろう? 決して表に出ず、裏から葛木提督を操り国家を混乱させるつもりならまだ分かるが、彼の影響力によるということはすでにあなたたちに露見してしまっている。目を付けられてしまったら、今後の行動に差し支えがでてしまう。それでは意味がない。それでも構わないとの勝算があるというのか? 彼は何を思いどうするつもりなんだろう」

 

「今回の動きを見る限り、いろんなところでいろんなところと繋がっていることが想像できます。そして、おぼろげながらもいろいろな事が表面化してきています。ふふふ、驚きますよ……。私たちの知りうる所では、どうも深海棲鑑と周防氏は接触を持っているらしいです。その関係が良好な方向に進んでいるからこそ、ついに動いたのだと推測できます」

 

「そ、そんなことあるうるのか? 深海棲鑑は人類の敵なんだぞ。人類を滅ぼそうと攻めてきたんじゃないのか? そんな敵と手を組むなんてありうるのか? それは逆も同じ。人類を滅ぼすために現れた種が人類と共存なんてありえないだろう? そもそもそんな情報、どこから出てきたっていうんだよ」

あまりに突拍子もない事が出てきて、驚きでしか無い。その発想は理解できない。深海棲鑑は人類を滅ぼすために現れたと聞いている。彼らとの戦いで想像を絶する数の人が死んだはずだ。人類の仇敵でしかないはずの奴らとどうして手を組むなんてことになるんだ。そもそも、どうして信用できる? それ以前にどうやってコンタクトを取ったって言うんだ? そして深海棲鑑側だって同じだ。何の理由でかは不明だが、急に現れ人類と敵対し、滅ぼそうと動く勢力がどうして人類と手を組む発想に至るのか。

それはあり得ないという結論にしかならない。

 

「接触の始まりは不明です。何を切っ掛けに、どちらからコンタクトをとったのかも分かりません。けれど、少なくともここ数年の間に急速に関係性を深めていったのは間違いありません。日本国の警戒の隙を縫い、人的物的なやりとりが行われているようです。そして、ついにそれが実を結んだのでしょうね」

事実を淡々と述べる三笠。こんな戯言のような話でも、艦娘のトップである彼女が言うと信じざるを得なくなる。

 

「明らかな裏切り行為なのに、あなたは随分と冷静だな。……それにしても、分からない。お互いの共通利益があったから手を結んだんだろうけれど、それは一体なんだろう」

 

「そんなの決まってるじゃないですか。……私たち艦娘の排除です」

 

「いや……それは意味が分からない。何故人類が君たちを排除しなければならない? 艦娘は深海棲鑑から人類を守る切り札。実際、君たちのおかげで人類は滅亡から救われ、曲がりなりにも明日に希望を持つことができているじゃないか。もし、艦娘がいなくなったら、それこそ深海棲鑑の思うつぼだろう? 一気に殲滅されてしまう。君たちが世界に現れる前の世界に時間が遡るだけだ」

 

「そうは思ってくれない人も多いということです。いろいろと見聞きして思ったのですが、人というものは停滞を嫌います。常に現状に満足せず、新しいものを求めるものなのです。それでこそ人類が繁栄してきた理由ですからね。そして、私たちが人類に与し、今、一応の安全は確保されています。けれど、それは深海棲鑑に怯えながら、細々と生きていくしかできない。明るい未来は無く、世界はずっと鉛色の風景のままです。人はこのままでは緩やかに死んでいく未来しか見えないのでしょう。深海棲鑑に常に怯えて生きていかねばならないこと。不自由に生きなければならないこと。……それらすべてが艦娘が日本国にいるから。そう思う人が増えても不思議ではありません」

 

「? 何だそれ、意味が分からない。そんなことを考える頭のおかしい奴がいるというのか? それも一人や二人じゃ無く」

 

「当然でしょう。自分たちは不自由な思いをしながら苦しい日々を送っている。しかもそれは永遠に続きそうだ。そうであるなら変えるべきだと思うのは必然。そして、そんな生活を国民に強いているのは現政府であり日本国海軍であり、そもそもが私たち艦娘のせいだ! という結論になるんでしょう」

 

「いつの間にか敵と味方が逆転しているじゃないか。多くの人が亡くなったことを忘れてしまったっていうのか? 日本国を守るために艦娘がどれほどの苦労をしているか忘れてしまったのか。まるで人間が馬鹿みたいじゃないか」

 

「冷泉提督のような方ばかりだといいんですけれどね。なかなか難しいものです。私たちがさっさと深海棲鑑を殲滅すればいいんでしょうけれど、そうそう簡単に事は進まないものなのです。私たちも無尽蔵な兵力をもっているわけではありませんし、様々な制約があるのです。……たとえあなたであっても、これは言えないのですが」

と、意味ありげなことを明かされる。彼女たちの秘密とは一体何なのか。気にはなるが、今はそれ以上にやっかい事だらけだ。

「日本国を取り巻く状況は、とても複雑で厄介です。敵は深海棲鑑というシンプルな構図にはならないのです。暗躍する周防氏もそうですが、日本国は一枚岩になれないまま、今に至っています。軍は海軍と陸軍でいがみ合っていますし、海軍の中でも様々な派閥があり、隙あらばと策を練り合っているようです。それに舞鶴鎮守府に混乱をもたらせた永末氏の行方はいまだ不明なまま。彼が艦娘を連れてどこに逃げおおせたのか。彼がどうやって舞鶴の艦娘を掌握できたのかも不明なままです。それだけではありません。せめて実戦部隊である鎮守府がまとまってくれればいいんですけど、大湊はあんな状態ですし、西の二人の提督だって、はたして日本国のために戦っているんでしょうかねと思う事が多いです。実際、何か思うところがあるようですし。ただ、明確に尻尾をつかませるようなヘマはしないという狡猾さがあるので軍部は気づいていないみたいですけれど。ふふふ……何やかんやと二人はいろいろとコソコソやっているようです。舞鶴鎮守府の内乱も、どうも彼らが間接的に関わっていたようですよ」

 

「何だって? 」

思わず声を上げてしまった。多くの死者を出し、二人の艦娘を死なせたあの事件に呉と佐世保の提督が関わっていた……だと? 

それが事実なら……。冷泉は心が細波立つのを感じた。

 

「そんな怖い瞳をしないでください。……今、こちらでそれは調査中ですから、何か分かりましたらお教えしますよ。それにしても……海軍は無意味な権力争いばかりしてばかり。どうしてあんな無能連中しかいないんでしょうか? 」

と三笠が愚痴をこぼす。おそらく本心からではないのだけれど、呆れているのは事実だろう。

 

「二人の提督が事件に何らかの関わりがあるというのなら、それを軍に伝えたらどうなんだ? 」

と、冷泉。

 

「まあ、そう言われればそうなんでしょうけど、それはあなたたちの日本国の問題ですからね。私たちが積極的に動く意味は今のところ、あまり感じられないんです。それに明確な確証はありませんからねえ。しばらくは様子見、泳がしておく方がいいと思っています。提督はご不満かもしれませんけど」

 

「けれど、艦娘二人が犠牲になったんだぞ。様子見なんかでいいのか」

あまりに危機感のない発言に冷泉が苛立ったように反論する。扶桑と不知火が轟沈したことを思い出し、胸が苦しくなる。

 

「うーん、私たちから動くつもりはあまりないです。提督は事実をお知りになりたいんでしょうね。でしたら、ご自身で艦娘を問いただせばどうでしょうか? 私たちの立場としては、鎮守府に所属している艦娘については、すでに私たちの支配下を離れ、日本国海軍に引き渡されています。そして、現在は各鎮守府提督の指揮下にあるのです。私たちがどうこうできるものではないですからねえ。越権行為だと思いますし、日本国との関係がこじれてしまうかもしれませんから。少なくともあの二人が裏でこそこそやっているのが事実だとしても、彼らでは日本国をひっくり返そうなんて大それたことを考えてなんていませんよ。そんな大きな野心なんて持ち合わせているわけがありません。老いぼれた小心者でしかありません。自分の欲望を満たし、それなりの生活ができれば満足。それにそんな能力も無いのは、提督もご存じでは? あ……もちろん、あなたの前任である高須提督が生きていて、彼らと裏で繋がっていたとしたら、また話は違ってくるんでしょうけれどね」

どこまでが本当でどこまでが嘘かはっきりしない物言いで、意味深な笑みを浮かべる三笠。もしかすると、周防や葛木の反乱でさえ、三笠にとっては想定内なのかもしれないと思うと、正直底知れぬ恐怖というか、どろりとした不安が冷泉の心に広がり、心を硬直させていくのを感じた。

「どうかされましたか? 」

呆然と三笠を見たまま黙っている冷泉を不審に思ったのか、三笠が問いかける。

こんな風になったのは、誰のせいだというのだ。文句の一つも言いたくなる。



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第241話 自分のできること

「結局、あなたたち……艦娘たちは、この状況下で何もするつもりは無いということなのか? それとも何らかの手を打つというのか? 教えてくれないか。これから一体、これからどうするつもりなんだ? 」

三笠が何を考えているのか思いも至らない。そして仮に彼女が口にしたとしても、それが本心かどうかはわからない。けれど、冷泉は知りたかった。何にしたって、自分には何も打つ手がないからだ。

 

「まずは状況からご説明しましょうか……。現在、海軍は政府からの指令を受け、横須賀鎮守府に指令を発出しています。これを受け、大湊警備府の制圧のため艦隊編成を行い、先ほど出撃したところです」

冷泉の反応を楽しむかのようなもったいぶった言い方をする三笠。

 

「やはり……全面対決となるのか? 」

わかりきっていることだが、こうなるしかないのだろう。

「艦娘同士での戦闘になってしまうのか」

 

「そうですね、お互いに交渉の余地は無さそうです。双方の勢力がそうなるであろうと予想したとおりの動きをしていますからね。誰も止めようとするものはいません。ぶつかるしかないでしょうね」

 

「出撃した横須賀鎮守府の戦力は、どの程度のものにしているんだろうか」

誰も戦いを止めようとしない事に苛立ちを感じるが、冷泉には止める権限が無い。何か情報を得るために話を促すしかないのだ。

 

「私が知り得た情報では、……横須賀鎮守府艦隊は戦艦金剛を旗艦とした戦艦3、空母3,重巡3、軽巡5、駆逐艦7の編成で出撃したようです」

 

「金剛が……旗艦? 」

 

「そうですよ。しかも、彼女自ら志願したらしいです」

 

「うう……」

驚きのあまり、思わず口に出てしまう。金剛は、舞鶴鎮守府の旗艦になることすら遠慮するような艦娘だったのに。それが日本国海軍最精強の鎮守府の旗艦になるなんて。しかも彼女自ら志願したなんて……どういった心境の変化があったというのか。

そもそも金剛は横須賀に着任したばかりのはず。そんな状況で旗艦に任命することは通常あり得ないという認識だった。精鋭揃いの横須賀で、どういった理由で抜擢されたのかも気にはなる。いきなりこの大きな戦い、しかも艦娘同士の戦いで旗艦を任じられ、横須賀鎮守提督が乗艦し艦隊指揮を執るというのか。

 

事実だけを見れば、確かにそれは、ものすごい出世であり目出度いことではあるけれど、艦娘同士の殺し合いになるかもしれない戦いだ。冷泉はかつての部下の旗艦就任を祝いたかったけれど、こんな戦いに金剛を出撃させたくない気持ちの方がはるかに強かった。

 

「金剛はこちらで改二改装を行い、大幅な戦闘力の強化がなされています。日本国最強の一人といっても過言ではありません。ゆえに現在の旗艦である大和を押しのけて横須賀鎮守府旗艦になった事は、まったく不思議ではありませんよ。それに……本来、彼女には旗艦になれる資質があったはずなのです。けれど、彼女のもともとの性格なのか、前にいたところの雰囲気がそうさせたのかは不明ですけれど……。改二になったことによる物理的な変化もあったでしょうから、彼女も自信がでたのかもしれませんね。もっと早く改装してあげれば良かったんでしょうねえ。あ……まあ改装には驚くほど莫大な資金と資材が必要でした……。舞鶴鎮守府では、その費用の捻出が難しい事だったんでしょう。けれど、それをあっさりと出せる鎮守府に異動できたわけですから、結局のところ冷泉提督のおかげと言ってもいいんじゃないでしょうかね。うだつの上がらない鎮守府で燻っていた彼女を本来の資質が活かせる鎮守府へと行かせてあげたのですからね! 部下の才能を見抜き、部下のことを思ってより適した場所へ移動させるという英断ができるというのも司令官としてはすばらしい才能ですよ! 」

 

「すまないがイヤミはやめてくれ。一応褒めてくれているんだろうけど、全然嬉しくない。それはまあいい。冗談は置いておいて……横須賀鎮守府の現有戦力は、そんなものじゃないはず。もっと大規模な艦隊を編成できたんじゃないのか? 大湊警備府だって結構な艦娘を保有している。横須賀鎮守府の全戦力を持って進撃すれば、それを見ただけで大湊は萎縮するだろう。圧倒的な戦力差を見せつけて、それで戦いを避ける方向へと持って行けるんじゃ無いのか? 仮に戦闘になったとしても、兵力差で短期決戦とすることが双方の犠牲も減らせるはずだ」

三笠から批判めいた言い方をされるが、そのことについては何も言わないでいた。金剛を異動するように仕向けたのはお前だろう……。思わずそれが出そうになる。誰も好きで彼女を手放した訳じゃ無いのに。

 

「もちろん、それが正解でしょうけれどね。そうもいかない事情があるのです。横須賀鎮守府全軍をもってあたることができれば、それは実に話が早いでしょう。舞鶴艦隊を引き込んだとはいえ、戦力差は大きいです。。けれど、鎮守府を空にすることはさすがに現状できませんからね。そもそも、深海棲鑑が隙を狙って横須賀鎮守府へ侵攻してくる可能性も想定されるわけですからね。けれど、どうもそれだけが理由では無いようですけれど」

 

「それは、どういうことなんだ? 」

深海棲鑑の侵攻に備えるというのなら、確かに手薄になった所を狙われる危険性は考えられる。しかし、それ以外に鑑を残す理由などあるのだろうか。

 

「横須賀の提督は深海棲鑑を警戒しているのはもちろんでしょうけれど、別の事を警戒しているんでしょうね。……こんな混乱の状況です。日本国と深海棲鑑との戦いにおいて、これまでとは異なる大きな変化が訪れています。それが関係するのかは分かりませんが、国内における政治的な力学にも変化が生じています。それは当然ながら、鎮守府間の力関係にも影響を及ぼしています。そこでこの混乱において……呉、佐世保の二人がどう動くかわからないと判断したんでしょうね。もしかすると大湊鎮守府の反乱に呼応して、何かしてくるという危険性を考慮しているんでしょう。そのため西へ睨みをきかせるために、横須賀に兵力を残したのかもしれません。もちろん、呉と佐世保の提督の件は、あくまで聞こえてくる噂からの私の推測でしかありませんけれどね。……ゆえに考えすぎということになるかもしれませんけれど、そんな噂がまことしやかに流れているのは事実です。この噂を意図して流していた者が存在するとしたなら、これはまあまあの戦術ですよねえ」

 

「横須賀の提督の考えている事態、……そんなことはあってはならない。いやありえない事だ。まあ、それはあくまで噂でしか無いことだ。現段階でそれを考慮しても話は始まらない。今考えるべきは、このままでいくと、大湊が全軍を持ってあたれば互角の戦いになるかもしれないってことか。しかし、このままだとは厳しい戦いになるな」

戦闘が激しくなるのは当然として、敵が同じ艦娘だということがより戦いを厳しいものとするのだ。

 

「提督の仰るとおりで、双方に大きな犠牲が出るでしょうね。それどころか、深海棲鑑が本当に葛木提督の支援をするのであれば横須賀鎮守府の討伐艦隊も危険な状況に追い込まれるかもしれません。実際に、大湊の動きに呼応するように領域で不審な動きがみられています。あちこちで領域が陸地側へ接近している情報が入ってきています。」

 

「けれど、俺は何もできない。このままでは……みすみす多くの艦娘を死なせることになってしまう。味方同士で殺し合うというのか。くそっ……くだらないただの権力闘争のために」

今のまま両勢力がぶつかればそういうことになるのは必然。なんとかしないと! なんとか!

「何か手はないのか? そうだ! たとえば大湊警備府に地上部隊を送り込んで、武力をもって反乱を鎮圧するとかはできないのか」

 

「その方法がないわけではありませんが、艦娘の索敵能力を考慮するならば、部隊移動などすぐに艦娘によって検知されてしまうでしょう。そして葛木提督が指令をだせば、艦娘の攻撃により地上部隊は瞬時に全滅でしょう。人類の兵力で艦娘に挑んだところで無意味な行動にしかなりません。それに陸軍は海軍とは犬猿の仲。おまけに彼らはどちらかというと周防氏の側にいますからね。もちろん、今は表立って行動などはしないでしょうけれど、政府からの作戦指令は消極的サボタージュされるのは間違いありません。よって陸軍兵力はあてにできないでしょう。海軍の特殊部隊を少数潜り込ませる案もあるでしょうが、それも接近はできるでしょうが、やはり艦娘の索敵網に引っかかって殲滅されるだけです。軍の皆さんは認識が甘々のようですけれど、本気で艦娘が人を殺しにきたら、人類なんかに勝ち目などありませんからね」

と、そこで言葉を切って冷泉に意味ありげな視線を送ってくる。

冷泉は何かその視線に意味があるのだろうけれど、想像もつかずに黙り込むしかできない。

「ふふふ……なかなかしらを切りますねえ。……さて、提督もご存じのように、艦娘による通常兵器での飽和攻撃をうければ、……そうですねえ、軽巡洋艦一隻の火力ですら、地方都市の一つくらいなら消滅させられますからねえ。……あら、提督、何か思い当たることでもありましたかしら? 」

三笠からの視線の意味に気付き、思わず目をそらしてしまう。

 

動揺するな! 動揺を悟られるな! 必死になって硬直しそうになる顔に笑顔を作る。

「地上部隊ではどうすることもできないのか。……では、このまま指をくわえて艦娘が殺し合うのを見ているしかないのか? 」

と言葉を絞り出す。言葉にしながらも別のことを考えていた。

 

「うーん、どうでしょうかね。難しいかなあ。……あ、でも冷泉提督、あなたにならできることがありますよ! 」

急に名案が浮かんだかのように、三笠がポンと手を叩いた。実にわざとらしい仕草だ。

「そうですよ、そうですそうです。あなたが単身、大湊に乗り込んで行って、直接、葛木提督を排除すればいいんですよ」

 

「そんなことできるわけないだろう。俺は特殊部隊で訓練されたエリートでもなんでもない。武器もまともに扱えないような、ただの平凡な運動能力しかない人間だ。おまけにたった一人だぞ。軍の特殊部隊でさえ歯が立たない相手に何もできるわけがない。何の技能もない俺に艦娘の警戒網を突破なんてできるはずないのは考えるまでもないだろう」

 

「たしかに、どんな特殊な訓練を受けていたとしても、普通なら絶対に無理でしょうね。誰か手引きしてくれるような事がなければね」

 

「そんなことをしてくれる者は大湊にはいないだろ。艦娘は絶対命令権で全員が葛木提督の支配下に墜ちているんだろう? そして軍関係者もすでに掌握済みだ。仮に俺に協力してくれそうな存在がいたとしても、すでに隔離されているはずだろうしな」

舞鶴鎮守府の兵士たちのほとんどは、艦娘のいない舞鶴に存置されたままだと聞いている。分からないが最初から蜂起を想定してそんな措置を取っていたのかもしれない。冷泉の命令に従ってくれるような兵士は大湊にはいない。仮にいたとしても、要注意人物とされて監視されているか、投獄されているはずだ。危険因子は排除するのが基本だからだ。

 

「兵士たちのことを言っているのならその通りでしょうね。反乱を考えている人間が敵となりうる提督の息のかかった兵士を近くに置くとは思えませんからね。けれどご安心ください……いますよ、ちゃんと。あなたのために働いてくれる存在が、しかも大湊警備府の中枢に。……しかも艦娘にね!! 」

と楽しげに三笠はこちらを指さした。



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第242話 秘密

「そんな艦娘なんて、いないはずだ。葛木提督が絶対命令権を発動したと言ったじゃないか。……話によると、艦娘の意思を拘束し命令を強制的に受諾させるものなんだろう? そして嘘か本当かわからないけど、人を殺させることさえ可能だとも言われているらしいじゃないか。艦娘の存在の根幹を揺るがすような強制力のある命令が存在し、なされているというのならば、俺の命令を聞いてくれる艦娘が存在するはずが無い。……それ以前に俺はもう舞鶴鎮守府の司令官でもない。だから彼女たちに自由意志があったとしても、命令を権限が無いんだよ」

冷泉が捕らえられていた際に、取り調べの担当官が面白そうにそんなことを言っていたことを覚えている。

もう艦娘に命令することもできないんだろ……。ってことは艦娘と乳繰り合うこともできなくなるんだろう? やりまくってたのに何もできなくなったんだろう? それってどんな気持ちだ? 教えてくれ教えてくれ、なあなあ。

両手が拘束されていなかったらぶん殴っていた案件だったけれど。

 

「確かに提督の仰るとおりですね。艦娘は人を傷つけてはならない……そういった禁忌事項に関する命令がプログラムされているのは事実です。けれど、すべてにそれが優先されるわけではありませんよ。例えば戦闘の中で人間に裏切り者が出て、緊急的に排除しなければならないことがあります。それも人間では不可能な状態でね。艦娘が動かなければより大きな被害が出るような場合を想定しているのです。ただ、それを自己判断でさせるのは危険なのは理解できます。けれど実際にそんな事案も起こりうるし、想定しておくべきなので、そういった緊急時に、鎮守府司令官に禁忌を破ることを命令できる権限を与えたというわけです」

 

確かに、より多くの者を守るために、緊急避難的に艦娘が人間を殺さねばならないといった事案が起こっても不思議では無い。なぜなら今がその時、戦時下だからだ。

冷泉はふと思う。艦娘は人に危害を加えられない制約があり、司令官のみにその権限が付与されているというが、その権限を与えたのは三笠のような艦娘の上層部である。であるなら、艦娘は自らの意思で人を殺すkとができるのではないか?

 

「確かに鎮守府司令官にそういった権限が付与されていたとしよう。けれど、俺には何もできないだろう? 俺は鎮守府司令官じゃないから権限がそもそもないじゃないか」

かつての上司だったとしても、今はその権限は葛木提督に移譲されている。冷泉はもはや部外者だ。そんな人間が命令をしたところで、どうにもならない。

 

「確かに仰るとおりです。舞鶴鎮守府の艦娘への命令権はすでに葛木提督へ移譲されています。けれど、それは冷泉提督が舞鶴鎮守府に着任した段階での艦娘となっています。つまり、その後、舞鶴鎮守府にやってきた艦娘については適用されないという事が判明しています」

 

「いや、そんなことってないだろう? ありえない」

 

「提督は加賀や長門、榛名の着任に際して、彼女たちを自身の指揮下に置く登録をしましたか? 横須賀および呉から舞鶴への受領処理を行いましたか? 」

唐突に言われた登録だの受領だのという言葉に冷泉は反応できなかった。

 

「それって何だ? 受領? そんな手続きがあるのか? 」

答えは単純。聞いた事も無かったからだ。

 

「はぁ……やはりでしたか。鎮守府司令官になる人であれば、そういったことは当然ご存じだと思っていましたが、まさかとは思いましたがうまく引き継がれていないこともあるんですね。……通常は、艦娘が異動となる場合、もとの所属の鎮守府では権限解除の措置が行われ、受け入れ先の鎮守府では受領の措置が行われることになっているんです。これにより、艦娘に対する全ての権限が新しい鎮守府の司令官に託されることなるわけなんですが」

と、少し呆れたような顔で三笠がこちらを見る。

 

馬鹿にされているような気がして、少し不愉快になってしまう。だって、俺はそもそも軍にいたわけじゃ無いんだから……。ただのサラリーマンでしか無かったんだから。無理矢理休暇を取らされ、仕方なく旅行に出て、たまたまフェリーに乗っている時に何かに攻撃されて船が沈没。気がついたら舞鶴鎮守府司令官になっていたんだから、そんな事知るわけが無い。知るチャンスすら無かったんだから。

 

……ん? 三笠の今の発言からすると、まさかとは思うが冷泉が全然違う世界からやってきたことを知らないということなのか? それとも、面白がってわざと知らないふりをしているのか? 知らないのであればこのことを伝えるべきだし、知っていてワザと言っているなら一言反論でもしたい気分だ。しかし、……今は保留しておくこととした。余計な事を言ってたらどう考えても有利な状況になりそうもない。様子を見るのも大事だ。

「知らないものは知らない。知らないから仕方ないと思うんだけど。けれど……もしそうだったら、最初から舞鶴にいた艦娘たちについても、俺は受領なんて措置はしていないぞ。じゃあ、これはどういうことなんだよ」

 

「さあ、それはわかりませんね。けれど、提督は前任の提督の失踪に伴い急遽、着任となったわけですから、そういった細々した事務処理は軍部かそれとも舞鶴の部下の方がやってくれたのかもしれませんね。わかりませんけど。まあそこについては、もはや分からないことですし、調べても意味がないでしょう。今はこれからの対応策を考える方が重要です」

前任の提督が失踪したことは知っている。けれどその後釜に据えられた冷泉の出自については知らない……ということか。どこまで事実を言っているか分からない三笠の発言だ。あまりまともに捕らえる必要はないな。少なくとも今のところは。

しかし、加賀、長門、榛名については権限委譲措置が取られていないことが発覚したことに、三笠も戸惑っているのだろうか。普段とは違い、言葉に迷いが見受けられるような気がする。

「良いことか悪いことかは現状なんとも言えません。加賀たちは、もとの所属先を離れた状態です。権限上、どこの鎮守府にも所属していないこととなっているのです。権限の移譲処理は鎮守府間の異動においては基本中の基本なんですけれど。これをやらないと絶対命令権が発動できないし、そもそも、艦娘に対する通常の命令が発動できないんですよ」

 

「命令ができない? ……なるほど、それで加賀があんなに反抗的な態度を取っていたんだ。てっきり俺のことを毛嫌いしているんじゃないかって思っていたけど。長門も榛名も確かに少し他の艦娘と変わった反応をしていたのも、権限移譲が行われていなかったからか」

何かすべてのつじつまが合った感じで、納得できた気がする。

「けれど、あいつらは形式的には俺の部下になっているけど、そういった処理ができていないのに、なんで俺の命令を聞いてくれるようになったのかな? 」

はたと新たな疑問が生じた。加賀たちからすれば、冷泉は確かに所属先の鎮守府司令官であるものの、命令を強制する力は持っていない。

 

「現状、加賀と長門、榛名は自分の意思で動いているわけです。システム上はフリーの状態ですからね。彼女たちは彼女たちで考え、あなたを司令官として認め、従うと決めたんでしょう。ですから、あなたの指示には従っているというわけです。なんの強制力も働いていないというのに、あなたに好意を持っているんですよねえ、これまた不思議な事です」

本気で不思議そうに三笠は首をかしげる。

 

「冷泉提督と加賀たちの関係性はまあ置いておいてですね、……ですから、彼女たちに対して葛木提督は何らの権限も持っていないということなのです。だって、もともと彼女たちになんの権限も持っていない冷泉提督から権限を引き継いだところで、何も引き継げるものが無いんですから。つまり、絶対命令権を発動したところで、納得いかなければ彼女たちは従わないことができるんです。彼女たちは彼女たちの意思で行動しますから、一応書類上は現在部下上司の関係ですから、通常の指示に対しては従うでしょうけれど、、彼女たちが納得できない命令であれば、無視することだってできちゃうんですよね。これって冷泉提督のポカですけれど、そのおかげで敵中枢に提督の命令を聞いてくれる艦娘がいるってことなんですよね。まさに、怪我の功名ですね」

 

「けれど、大変じゃないか。今は大湊は絶対命令権を発動している状態なんだろう? そんな状態であいつらが命令に背くようなそぶりをしたら……」

 

「葛木提督の絶対命令権が及んでいないと彼女にばれてしまうでしょうね。そうなれば、彼女たちは捕らえられるかもしれません。大湊警備府は日本国に対して宣戦布告を行っている現状です。はたして彼女たちがそれに従うかどうかですねえ。けれど大丈夫でしょう。なんと言っても艦娘の仲でも彼女たちは頭の良い子ですから、自分の置かれた状況はすぐに飲み込んで、それなりの行動はするでしょう。しかし、さすがに本格的に仲間同士で戦うとなったら、強制されない状態で仲間と命のやりとりをするなんてできないでしょう。これはさすがに誤魔化しきれなくなるしょうね。……よって時間はあまりないということです。やばいですね、クスクス。どうしますか冷泉提督、クスクス」

 

「笑ってる場合じゃない。俺にどうしろっていうんだ」

 

「だから言ってるじゃないですか。まあ簡単に言いますと……今後、二つの鎮守府間の戦闘は不可避となっています。艦娘同士の殺し合いを避けるためには、冷泉提督には単身、大湊警備府へ向ってもらい、加賀たちの協力を得ながら潜入して葛木提督以下敵性勢力を排除してくださいってことです。もちろん排除というのは物理的にってことですよ」

 

しかし、冷泉は反論せざるをえない。

「さっきも言ったけど、戦闘訓練を受けていない自分が行ったところで何の役に立つというんだよ」

 

三笠は答える。

「こちらもさっき言いましたよ。どんなに精鋭の特殊部隊を送り込んだところで、艦娘の索敵能力及び戦闘能力に勝てるはずがありません。ただ無駄死にさせるだけです。けれど、冷泉提督一人なら目立ちませんし、現在大湊にいる加賀たちを使い、潜入することができます。状況からすると榛名そして神通も利用できるでしょう。提督が葛木提督の位置を加賀たちから知ることができれば、そこに艦娘による艦砲射撃をするだけです。それで完了です。葛木提督さえ排除すれば、その瞬間、艦娘は強制的拘束から解放されるし、大湊の艦娘も指揮官を失ったことで混乱状態に陥ります。そうなれば彼女たちを無傷で押さえ込む事だってできるでしょう。よって艦娘同士で殺し合うような愚かな事態を避けられることになります。。実に簡単な事です。提督は加賀たちを使って葛木提督と彼女を操る者を抹殺するだけですべてが完了します。艦娘の砲撃であれば、容易な作業となります。こちら側の勝利条件は、対象者の死。これは絶対条件となります」

 

「たとえ敵だと言っても、葛木提督を殺さなければならないのか? 殺さずとも捕らえることができれば」

冷泉は人を殺した事がない。直接的にも間接的にも。だからどうしても抵抗感が拭いきれないのだ。避けられるものなら、その選択肢を避けたいと思っている。そこまでの覚悟はまだ決められない。

 

「いえ無理ですね。葛木提督を殺さなければ、大湊および舞鶴の艦娘への絶対命令権は解くことができません。考える隙を与えたらだめです。中途半端に追い込んだらやけを起こして、日本国全域に艦娘の飽和攻撃を命じる可能性があります。そんなことになったら何百万いえ1千万を超える人が死ぬことになりますよ。それから、周防という扇動家を甘く見たらいけません。仮に生かして捕らえたら、彼の持つ政治力で、今回の罪をうやむやにしてしまう可能性が非常に高いです。それほど彼は中枢に入り込んでいるのです……。人間の処罰について私たち艦娘は入り込むことができません。よって、彼に再起の可能性を与えてしまう危険があるのです。そうなれば、一時は地下に身を潜めるでしょうけれど、再起のチャンスを狙って虎視眈々と牙を研ぐことになります。それほどしぶとい存在です。今後の憂いを立つためにもこの際、頭を潰して殺しておくほうが間違いなく日本国のためになります」

 

「周防は抹殺しないといけないとは、かなり警戒しているんだな」

彼をよく知らない冷泉にとって、周防という存在がそれほど艦娘が警戒する人物という評価であることに興味を覚える。

 

「その原因は私たちにもあるのですが。軍の中には私たちをよく思っていない勢力も多いですからね。そして、そういった勢力の心を掴むのが非常に巧いのです。私的には彼にもいろいろ利用価値があるので完全に排除するにはまだまだ時期尚早と考えているんですが、どうも彼は私たちを今回排除できると確信し、本気で潰しに来ています。いやはや愚かではありますが、どこか可愛いものです。私としてはちょっとした刺激になるので、本音では放置してもいいんですけれどね。ただ甘い顔をすると、第二第三の周防氏が誕生する恐れがありますし、妙に蔓延られるとコントロールできなくなるかもしれません。とにかく油断大敵です。どこで足下をすくわれるかわかりませんからね。よって、この際にそういった勢力を一回、日本国の国民の皆さんのためにも根っこから駆除したいのです」

 

「しかし、俺に人を殺せと……いや、艦娘に人を殺せと命じろというのか? 」

と、どうしても人を殺す事、部下に人を殺せと命じることに納得ができない。

 

「提督の命令であれば、加賀たちも言うことを聞くでしょう。絶対命令権は無くとも、その行動が多くの人を、艦娘を守るとなれば賢い彼女たちは躊躇しないと思います。葛城提督と周防氏を排除できなければ、今後多くの血が流れることになることは、加賀たちならすぐに理解してくれます。そして、戦艦2,空母1,軽巡洋艦1が動かせるのであれば、葛木提督およびその勢力を排除するのはたやすいですしょ? 自陣にいきなり味方だと思っていた艦娘が敵対戦力として現れるのです。いかなる防衛も無意味でしょう。

 

「しかし……」

 

「けれど、これが今考えられる一番の策だと思っています。他にもっと妙案が出てくるかもしれませんが、それが何時になるかわからない状況ですからね。現段階でもっとも犠牲を少なくすることができるの方法なのですよ。少なくとも死ぬのは数十名の敵側の人間、しかも日本国に混乱をもたらそうとする者のみです。国家への反逆は通常死刑でしょうから、仮に無血で彼らを捕縛しても、結局は彼らには死罪しかありまえせん。よって早いか遅いかの違いで結果は同じです。特に問題ないのでは? そもそも鎮守府司令官には戦時下における救急避難的処罰権もあるでしょう。まさにその発動要件に該当するのは、提督でもおわかりでしょう」

 

「それは認めざるをえないけれど、できれば俺の部下に人を殺させることは避けられるなら避けたい。分かっているけど彼女たちの手を血で汚したくない」

 

「甘い……甘いですね、提督は。……提督の力だけで葛木提督を捕らえることができて? 無理ですよね。彼女の周りには多くの護衛がいます。そもそも彼女に近づくことなど不可能でしょう。彼女は提督と違って戦闘は鎮守府で指揮するでしょう。横須賀鎮守府と正面からぶつかるのでしょうから、基地に残す兵力はほぼいないと考えます。軍が兵士を送ってきた時にそなえて艦娘を数人おいておけば十分対応可能。また、深海棲鑑と手を組んでいる前提でいけば、ほとんど防衛を気にする必要はないわけです。人間による攻撃なら十分対応できるでしょうけれど、艦娘の攻撃には耐えきれないでしょう。それだけで艦娘たちをまもることができるのです。指揮官が死ねば、大湊の艦娘は動きを停止します」

 

「しかししかし」

困惑する冷泉。

 

「提督が決断してくださらないと、破局が訪れるしかないのですよ。わずかな犠牲……それもどちらにしても排除される存在を処断するだけ。それだけで多くの人が救われますし、艦娘たちも仲間同士で殺し合う必要もなくなります。それでもまだ迷われるようですね、冷泉提督は。ならば、私としても提督にご決断いただくよう、強制力を発揮するしかないですね」

と、真剣な表情になった三笠がこちらを見る。

「艦娘の手を汚したくないとか人を殺させたくないとか妙なきれい事を仰られましたが、冷泉提督はお忘れになったんですかね? 」

と、探るような目でこちらを見る。

 

「? 忘れたといっても何のことか分からないし、これまでの話と何の関連があるか、まったくもって想像もつかないんだけれど」

 

「うーん、まだ思い出されないんですかねえ。それともしらを切っているんでしょうか。……まあどちらでも構いません。話を変えましょうか。……提督はマツシロ町ってご存じですか? 」

 

「まつしろまち? いや、ぱっとは思い出せないけれど」

唐突に出された町の名前に、意味がわからず答えるしかできない。なのに急激に鼓動が高まり息苦しくなるのを感じた。

心の中で、ついにこの件が発覚したとはと動揺を隠せない。何よりも何で今頃こんな話を持ち出すのかという疑問のほうが大きかった。




珍しく投稿間隔を短くできました。


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第243 偽りの末路





「この町、日本が第二次大戦中に地下施設を作ろうとして途中で止めてしまっていたわけなんですけど、実は戦後、国民には極秘裏にその計画は再開され、今では結構な規模の地下基地が造られているんです。戦時中とは違う目的になってしまいましたが、当時の自衛隊は米軍と共同で軍事研究をしていたそうです。当時の研究は私たちにとって意味の無いものなので説明は割愛します。まあつまらない研究でした。そして、深海棲鑑との戦いが始まり、今度は日本軍に引き継がれて、今に至ったというわけなんですが……。けれど、最近、この施設とその周辺にあった関係者の居住施設共々攻撃を受けて、ほぼ壊滅したそうなんです。日本政府の回答では、深海棲鑑の攻撃だったと整理されているみたいですけれど……。しかし、深海棲鑑が内陸部を攻撃するってこれまで無かったんですけどねえ。私たちにも内緒で運用していたから、防空警戒エリアに入っていなかったもので守り切れませんでしたけど。……あれれ? 提督どうかされました? 顔色がよろしくないですよ……何か不味いことでもありましたか? 」

愉快そうに三笠が問いかけてくる。

 

あまりにも白々しい言い方に冷泉は天を仰ぐしか無かった。すでに完全に知られている。知っていてわざと尋ねてきている。

 

「日本の内陸部、甲信越地方に松白町って町があるんです。現在、そこには途中まで建設されていた施設を再利用して地下研究施設とその関連施設建設され、一つの町を形成しています……いえ、していました。主要な施設は地下に隠しているため、空から見ても仮に現地を訪れたとしても、特に珍しくも無い地方の一都市にしか見えないんです。私が画像で見てもそう思いましたもの。実際に事件が起こるまでは全く興味も持ちませんでしたし、持つこともなかったでしょうね」

とつまらなそうに三笠は話しているが、瞬きもせずに冷泉を凝視してくる。

 

「へ、へえ。そうなのか。そんな町には行ったこと無いから、全然イメージできないな」

最終的な証拠を出されるまではシラを切り通すことを決断した冷泉は、興味なさげな対応をする。じわじわと追い込んでくるんだろうけれど、三笠がどこまで知っているかが分からない状況である。こちらから話す必要は今現時点では無い。

彼女の説明を受けなくても、冷泉は松白町という町を知っていた。いや、偶然知ったのが正しい。

 

それは横須賀鎮守府に大和と武蔵の祝賀のために列車での移動中に、冷泉は感じたのだ。

原因の分からない、怖気るような違和感を。何かとてつもなく嫌な感覚。これまでの人生で味わったことのない恐怖を感じ絶望する何かの思いのようなものがどういうわけか冷泉に流れ込んできたのだった。

ただ、大きな行事を控えていたし、そもそも自力で動くことができなかった時の話であり、その時は何もできなかった。いや、したくてもすることができなかった。そもそも、虫の知らせ程度の何の確証も無いものだったので、確信など持てるはずも無かったのだ。けれど、その違和感が何かずっと気になっていた冷泉は、自身の全身麻痺が解消され、自力で動けるようになると、すぐに行動を起こしたのだ。

 

あの時に場所は冷泉の謎の感覚で把握でき、地図と照合していたから確定していた。冷泉が違和感を感じ取った場所から数百㎞北東にそれはあった。舞鶴鎮守府からは400㎞以上離れた場所だ。あとはどうやってそこへ行く時間を捻出し、手段を入手し、極秘裏に動けるようにするかだったのだ。

 

幸い、お金はあった。仕事漬けの毎日でずっと鎮守府の自室で寝泊まりしていたわけだから、給料など、飲食費以外に使うことがなかった。鎮守府の食堂でほとんど済ませていたからその費用すら給与からすると微々たるものだった。だから自身の貯金残高を見て腰が抜けるほど驚いたわけだが、その使うことのない金を使って、自分用の趣味の車を買ったのだった。こんな時代に自家用の車を買える人間は、非常に少ない。だからこそあえて購入したわけだ。違和感の感じた場所に行くためだけにだけれど。

軍の車で移動しようとすると、どうしても運転手として誰かが同行することになるし、どこに行くかも申請が必要だ。すべての行動は記録に残されてしまう。今の段階では、それは避けたかった。軍の人間といっしょに行くとなると、極秘行動ができない上に、冷泉の感じる違和感が悪い予感の的中だった場合、同行した者にも迷惑をかけてしまうことも考慮したのだ。すべては自分一人で調査し、何かあっても自分一人の胸中に納めることができるように。

 

自家用車であれば行動の不自由さはクリアできる。そして、休日であればいろいろな制約は少なくなるし、文句も言われにくい。もちろん、行き先や外出時間は嘘っぱちを言っておくことになるけれど。そして、超高級スポーツカーを大枚はたいて購入したから、試運転しにいくと言えば、馬鹿な司令官が成金趣味で騒いでいるという印象を与えられ、上層部のマークも弱くなると踏んだのだ。そして、購入した車であれば、その性能は折り紙付きだから、尾行をまくことも簡単だった。

 

そして、満を持して冷泉は単身行動を起こしたのだった。

もちろん、加賀や金剛たちのマークを突破してだ。……ただ、さあ出発というときに運悪く神通に見つかってしまい、彼女を同行せざるを得ない状況になってしまったのは失敗だった。完璧に隠密行動できたと思ったのに、なんで神通に見つかったのか未だに理解できないが……。

冷泉を見つけた彼女は、冷泉一人で外出するなんて危険過ぎる。提督を護衛するから、いっしょに行きますと言って頑として言うことを聞かなかった。普段は冷泉に従順な彼女が珍しくテコでも動く気配が無かった。なだめすかして誤魔化そうとしても通じなかった。びっくりするくらい頑固なのだから、どうしようもない。あまりこんなところでもたついても他の艦娘たちに見つかってしまい元の木阿弥になる。そんな焦りもあったが、まあ神通なら冷泉の言うことなら聞きそうだし……なんだかんだ言っても最終的には、どうにかできそうという妙な自信もあったから、仕方ないなあ、と連れて行くことになってしまった。

 

そして、違和感を感じた場所に向かい、二人でドライブとなったのだった。

久々というか、生まれて初めての女の子とのドライブデートにかなり興奮気味した。それも神通のような美少女が相手なのだから、気分もより高揚するものだ。彼女も任務以外で鎮守府の外に出るのは珍しいことなのか少し興奮気味になっていて、車中、ずっとテンション高めで喋り通しだった。いやもう、この子、俺に惚れているんじゃないの? と冷泉が勘違いさせられるくらいに何か良い雰囲気だった。もう完全にお互いが初デートの高校生って感じのノリだった。

 

 

―――松白町という町にたどり着き、その町の本当の姿を知ってしまうまでは。

 

冷泉の心の内など知りもしないはずの三笠は、淡々と言葉を連ねていく。

「その町では、私たち艦娘にも秘密で軍による研究が行われていたのです。しかも、日本国はそのエリアを艦娘研究施設としていたのです。その研究の目的は、……愚かにも来るべき私たち艦娘を排除する日が来た日ための研究を行うものだったんですよ」

 

「……」

冷泉は無言を貫くしかない。無意識のうちに三笠から目をそらしてしまう。

 

「提督はご存じでしょうか? ……深海棲鑑との戦闘において、鑑が大破し艦娘のみ救出されることがまれにあるということを。提督が着任されてからもいくつかそういった事案が発生しているから、知ってますよね? ……そういった事が発生した時には、艦娘の所属鎮守府は艦娘を第二帝都東京に返すことになります。そこで彼女たちは全面的なメンテナンスを受けることになります。そして新たに建造れるまでの間は待機となります。そして建造された艦とのリンク作業を行った後、再び元の、……もしくは新たな鎮守府へ着任することになります。この作業を行うには膨大な資材と資金が必要となりますが、所属鎮守府はその費用を自力で捻出しないといけません。その費用が出せない場合には、該当艦娘は第二帝都東京に収容されたままになるか、もしくは別の鎮守府が資金を出してその鎮守府で引き取るか、それとも日本国政府が国費を注入して新たな戦力配置のためどこかの鎮守府へ異動させるかということになっています。ここまでは提督もご存じでしょう? 」

 

「ああ、もちろん知っているよ」

 

「舞鶴鎮守府の話になりますけど、本来は舞鶴にいる長門も鑑本体を失っているわけですから、第二帝都東京に一度は返さなければならないところなんですよね。ただ、彼女の強い強い意志によって、例外的に舞鶴に留まっている状態でなんですよね。第二帝都に戻されたら、舞鶴鎮守府のお財布事情からすると、もう二度と冷泉提督の側にいられなくなりますからね。……実際、長門クラスの鑑を再建造するのは横須賀鎮守府以外には無理でしょうけど、横須賀はもう長門を必要としていません。国が立て替えることもあるかもしれませんが、資材も無いでしょうし、そもそも舞鶴鎮守府へ返すことは上層部が邪魔をするから無理でしょうね。長門は冷泉提督のおそばにいるべきだと考えますし、これまで日本国旗艦として働いてきた実績を考慮してもの意思は尊重したいから、私たちとしても積極的に動かそうとは考えていません。動かしたら本当に彼女はどうにかなってしまいますからね。一度捨てた命を提督に助けられたわけです。あなたへの想いは相当強固なものだと私たちは把握してますよ」

 

「ああ……長門の処遇については、本当に感謝しているよ」

もっとも、たとえ返還せよと命令されたところで、長門を他の誰にも渡すつもりは無かったのだけれど。長門を引き取るとしたら、呉か佐世保になってしまう。あんな奴らのところに長門を行かせられるわけがない。

 

「提督、感謝してくださいね~クスクス。ふふふ……話が横にそれてしまいましたね。さて、通常は先ほど説明しました手続きの流れで行くんですけど、ただ艦娘の返還状態については、特に規定していないんですよね。……すなわち、艦娘の本体が生きていようが死んでいようが、それについては問わないことになっているんです。だって、その方が現実的ですからね。戦闘で轟沈した場合は、鑑の中にいる艦娘だって、当然無事では済みません。鑑の損傷具合によっては体に重大な損傷を負うこともありますし、最悪、死亡することもあります。それどころか、戦闘では回収することができず、後に海の中で沈んでいるところをサルベージされることだってありますからね。そんなわけで、五体満足、健康体で救出されることのほうがまれだと言ってもいいわけです。ですから、私たちとしては艦娘の体に埋め込まれた本体(コア部分)さえ回収できれば、それをスペアボデーに移植すれば再生できるわけなので、……もちろん生きていてくれる方が良いに決まっていますが……最悪、本体(コア部分)さえ無事あれば、……それを納めるだけで再生可能ですから、まあそれで良いこととしてたんです。まあ、仕方ないですものね。人間からすればずいぶんと非情で合理的な考え方と思われるかもしれませんね。けれど、私たち艦娘にとっては、ヒトガタの部分は衣服や靴のようなものって感じでしょうか。汚れたり破れたりすれば、新しい物に交換するのに近い感じですかね? 」

詳しいことを知らない一般の人間が聞いたら、驚愕するような内容を何事も無いように言う三笠。

世間一般には、艦娘は美しく気高いものだと広報され、浸透している。いや浸透させている。人間に近い姿をしているが、人の形をした妖精のようなものだという印象を持たれている。だからこそ、人々は艦娘たちの美しさに憧れ敬愛し、その強さに信頼を寄せている。それがその美し外見はただの作り物で、中身は機械的なものでしかないと知らされたら、衝撃だろう。

人類の価値観では理解不能な、不気味で得体のしれないモノ……つまり、深海棲鑑とそれほど変わらないものと思ってしまうのでは無いか? ただ、深海棲鑑は人類に仇なす悪、艦娘は人類を守る善なる者という大きな違いはあるのだけれど。

それでも人間では無いというその正体を知れば、嫌悪し恐怖を感じるのではないか?

 

「それにしても、人間というイキモノは見た目以上に狡猾で醜いですよね。私はもっと善なるもの、私たちに帰依するものだと思っていました。けれど、この件で少しその考えを改めないと思いましたよ。だって、日本政府は生死を問わないというところを利用したのですからね。どの段階でそんなことを思い立ったのかは分かりませんけど、鑑を失う艦娘が出た場合は、すぐには私たちに知らせずに確保して、たっぷりと艦娘というものの研究をし、解体して研究し尽くしてから返すようになっていったんです。もっとも残念ながら艦娘のコア部分は人類のいかなる工具を持っても傷すらつけられない硬度を持っているので、そこを解明することは叶わなかったようですけどね、お生憎様クスクス。ですので、もっぱら人型部分の研究しかできなかったようです。艦娘の体は人間の体と創りはそんなに変わらない物なので、彼らが一生懸命調べたその成果が人類の反逆の役に立ったかどうかは不明ですけどね。それでも、艦娘の人形部分には人類には理解不能な強化液が体内を巡っており、全身を強化しているとういことには気付いたようです。それを解明したところで人類には流用できませんし、それを研究して艦娘を殺すことは無理でしょう。ですからもっと原始的な事……艦娘の美しさが原因ですが、もっぱら性的玩具として政治的に利用できるだけ利用し尽くし、その課程で壊れたら続いて人体実験を行い、死亡したら解体するという作業を行っていたようです。艦娘に対する毒物・薬物等の実験も行われていたようですね。そちらの研究は舞鶴鎮守府の反乱で有効活用されたようです。彼らは薬物を使用して、絶対命令権とまではいかなくても、艦娘を鎮守府司令官以外が使役できるようにする研究もしていたようですね」

 

「……」

聞くだけで気分の悪くなる話だ。そして研究が扶桑や不知火を結果として殺すことになった事に、怒りがこみ上げる。

 

「艦娘は、まだ少女のような子ばかり。そんな子たちを戦闘で酷使し、戦力として計算できなくなったら人間たちの性欲を満たすための性奴隷として使役し、それができなくなったら人体実験の材料にして切り刻み捨ててたんですよ。本当に酷いことをしますね、人間は。私たち艦娘は人類の味方、人類のために戦っているっていうのにね。共闘関係を結びながら、裏で傷ついた艦娘たちをもてあそび、そして私たちを排除する計画を練っているんですよ。なかなかすごいですよね……あら、提督? どうされたんです? 随分と平然としていらっしゃいますね。いつものあなたなら艦娘が酷い目に遭わされていたなんて知ったら、後先考えずに激怒されるんじゃないんですか? あれれーおかしーですねえー、どーかしたんですかあ」

俯いた冷泉を下から覗くようにして三笠が顔を近づけてくる。

その顔は、大切な仲間である艦娘を虐待されたことに対して怒る表情では無く、何か面白い物を見つけた時の子供のようなキラキラした瞳をしていた。

 

―――やはり何もかも知っている。知っていて、それでいて楽しんでいる。

まるで嫐るように。




何とか投稿できました。次回に向けて執筆中です。
読んでくれてる人、いるのかな?


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第244話 遠い遠い思い出

「俺は何も知らない。何も知らないんだ。知っているわけないだろう! くそ!……そんな研究をしていた奴らは許されるわけがない。処罰されるべきだ。……あなたもそれを知ったんなら、何らかの措置をとるんだろう? 」

冷泉は三笠の顔を見ることができない。眉間の奥の奥の方がなぜだかズキズキ痛む。三笠と話ている途中で急に痛くなってきた。

 

「もちろん、大切な艦娘を害するような輩にはそれ相応の報いを受けさせ、世間にそれを周知する必要があります。艦娘が受けた以上の苦痛を与えてから、見せしめで派手に処刑しないと気が収まらないですわ。ですがねえ……」

息がかかるくらい近くまでその美しい顔を寄せてきた三笠は、ささやくのだ。

「さっきも言ったでしょう? 彼らは施設ごと深海棲鑑の攻撃によって壊滅したってえ。……クスクス。艦娘研究に携わっていた研究者および軍関係者、業者、それから艦娘を性的に利用していた政治家および政府高官を含めて当時約1万人が町にはいました。けれど、ふふふ……みーんなみーんな、根こそぎ殺されちゃいました。もう完全な皆殺しですよ。一人も生きていません。艦娘を直接害していない人たちもいたようですけど、情け容赦無く、誰一人生き残ってません。一晩にして町は焦土と化したのです。いやはやすごいですね、まったく容赦無しです」

凍り付いたように動けない冷泉に優しく頬ずりすると、三笠は少し彼から離れた。

 

「いやはや、よほど深海棲鑑に恨まれるようなことをあの町の人たちはしでかしたんでしょうね。まさに神の逆鱗に触れたってことですね~。ん……あれれ、でも変じゃあないですか? ……彼らは深海棲鑑の敵である艦娘を、なぶり殺しにしていただけですよ。艦娘を排除するために研究を続けていただけなんです……これって、どちらかというと深海棲鑑に利する行為といってもいいですよね。……まあ情報が錯綜して誤って攻撃したのかもしれませんが、ここまで徹底的に地上攻撃をするなんて、なんか深海棲鑑のこれまでのやり方と全然違っていてー、すごく不思議だったんですよー。ねえねえ提督もそう思いませんか? 」

 

「深海棲鑑の考えることなんて、俺たち人間に分かるはずがないじゃないか。奴らには何か考えがあっただけじゃないのか」

楽しげに話す三笠に何とか返す。

 

「ふーん、冷泉提督はそうお考えになるんですね? でもいろいろ調べていたら、私には分からないことがいっぱいいっぱい出て来たんです。私程度の馬鹿な子では、真相にとてもじゃないけど、たどり着けそうに無いんですよう。提督、助けてくれませんか? 」

 

「あなたが分からないことが、俺なんかに分かるはずが無い」

思考がどんどんできなくなっている気がする。頭がぼうっとしている。

 

「まあまあ、ご謙遜を。冷泉提督の灰色の脳細胞なら、きっと真相にたどり着けると思いますよ。……なので、ここから私の疑問を言っていきますから、是非提督のご意見を教えてください。……まず、疑問その1。事件当日、深海棲鑑は一隻たりとも日本国領海には現れていません。でした。領域内から攻撃があったという可能性もありますが、領域で使用できる兵器は旧式のものになります。けれど、現地の調査の結果では、町を襲った攻撃は人類が使用可能な兵器によるものでは不可能なものでした」

 

「それは艦娘の探知網を回避できるような新型兵器が出てきた……とか」

と、苦しげな理由を捏造するしかできない。

 

「そういうことがあったら、一大事ですねえ。まあその可能性は保留しておきますか。では、疑問その2です。その艦娘の探査網の記録を解析すると、攻撃は松白町の西南西の方角のしかも日本国近海からの攻撃だったようです。計算結果によると、その攻撃はなんと舞鶴湾を中心とした半径10㎞以内になるんです。うわああ!! それって舞鶴鎮守府のすぐ側ですよね!! あれれ~? 変ですね!  まさか舞鶴鎮守府の誰も深海棲鑑が接近したことに気付かなかったんですかねえ? 続けて疑問その3ですう。その日なんですけど、松白町にある人が艦娘といっしょに訪れていたんですよ。しかも攻撃があったその時間も付近にいたみたいです。提督はご存じですか? その人のことを」

わくわくするような瞳で三笠はこちらを見ている。

 

「くっ……もういいだろう。最初から何もかも知っていたんだろう、あなたは。もったいぶった言い回しで嬲るような真似は止めてくれ」

冷泉は観念するしか無かった。痛む頭を押さえて彼女を見る。大きなため息をついて、呆れたように言葉を発するしかない。

「艦娘を連れて動ける人間なんて、日本国においては数人しかいないだろ? そうだよ、その日あの町にいたのは俺だよ。いっしょにいた艦娘は神通だ」

 

三笠はにんまりと嗤う。

「でもでも不思議なんです。どうして提督はあの町の事を知ったんですか? あそこに行ったってただの田舎の町にしか見えませんよね。隠蔽工作はかなりしっかりと行われていましたよ。その日本国政府が極秘裏に作り上げ、秘密にしていた施設をどうやって提督は知り、わざわざ現地まで行かれたんですか? 」

 

「横須賀鎮守府に大和と武蔵の進水式に出席のため移途中、知らない艦娘の声が聞こえたような気がしたんだよ」

観念したように冷泉は語り始めた。

「その時は地図で場所を確認しただけだったけど、確かに艦娘がいることを認識した。実際に鑑を失った艦娘だと分かった。その時は俺は全身麻痺状態で、一人でトイレすら行くことができない状態だったから素通りするしかなかった。けれど、しばらくして訪れるチャンスができたんだよ。だから俺は声のした場所を探しに行ったんだ。そこで見たことのあの町を発見した。地図上には何もない場所だったけれど。近づいて神通の能力により軍施設であることが判明した。まあそれは沈没した艦娘がいるということから、当然だとは思ったんだが。……しかし、それだけでは無かった。俺と神通は知ってしまった。そこで行われていた艦娘に対する残虐行為に。俺は研究者を捕らえて尋問した。彼らはあっさりと全てを語ってくれた。何の悪気も無くね。そして俺たちはあちこちを探し回り艦娘を探したけれど、そこにはすでに解体され、人の形ですら無くなった駆逐艦娘の遺体しかなかった。あの時、そこにいるって分かった艦娘たちだった。俺は研究者たちを問い詰めた。なんでこんなことをしたのかと。そして彼らは全てを語ったよ。そこでどんな運命が艦娘たちに起こったのかを。俺はもう何も考えられなくなってしまった。俺は神通に命じて町を攻撃させたんだ……。それがあなたが求める答えだよ」

覚えたセリフを吐き出すような感じで冷泉は一気に告白する。

 

「……提督、それがどのような罪だかお解りですか? これほどの大量虐殺を一人でやったのですよ」

その言葉にはどういうわけか責める気配は無かった。

 

「当然だ。人を殺したことは認める。けれど、あんな奴らに生きる資格は無い。俺は何ら罪の意識など感じていない。あんな奴らに生きる資格などない。あんな残虐なことを、俺たちのために戦っていた艦娘にするようなやつらに、あんな辱めを艦娘与えるような屑に生きる価値などないはずだ」

思い出すだけで怒りがこみ上げてくるのを感じる。

 

「確かに罪深き人もいましたが、中には生活のために仕方なく働いていた人だっているはずです。そもそも1万人もの人が命を失ってしまったのです。もしかすると何も知らない人だっていたかもしれませんよ。その人たちも死ななければならなかったんでしょうか? 」

 

「選別して処断することはできなかったから仕方ない。巻き込まれた人もある意味不作為の犯罪者だ。何もしなかったことも罪だよ。死んだって仕方ないじゃないか。保身のためとはいえ、許されない罪もある。彼らは不作為の重罪を犯したのだ。死を選別していたら、根源の悪を逃がす恐れがあった。これは、やむを得なかった措置だ。」

 

「提督は法によらず、あなたの判断人を殺すことをお認めになっているんですね。日本は法治国家のはずでしたが、艦娘を守るためなら、人間などいくら殺しても構わない……私としては嬉しいですが、なかなか強烈な思想をお持ちだったんですね」

 

「あの時は仕方が無かったんだよ。法に訴えたところで、隠蔽されるに違いない。法を執行する日本国が国是としてやっている事だからな。認めるはずがないんだよ。だったら、誰かが手を汚してでも排除しなければ、あの施設は存続することになる。そして、艦娘が犠牲になる。そんなものぶっ壊さないといけない。だったら俺がやるしかなかったんだ。そのためなら、たとえ人が何人死んだってどうでもいいだろ? 」

とてつもなく重大で、とんでもないことを言っているのになぜだかそれほど動揺していない自分に驚かざるを得ない。

どこか遠いところの出来事のようにあやふやで漠然としていて、事の重大さが今ひとつ現実味がない。頭がぼうっとして、思考も纏らない感じだ。

相変わらず頭痛は収まらないが、それでも言葉を続けざるを得ない。

まるでナニカに言わされているように感じながらも、言葉を続ける。

「力を持つものは、自ら正義を執行しなければならないんだ。そして、それは躊躇無くやらなければならない。それの何が悪いんだ」

 

その言葉を三笠は愉快そうに眺めていた。



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第245話 幾度目かの敗北

「はあい、えっと、提督の供述は、以上でよろしですか? 」

物足り気な態度を隠そうともせず、三笠は問いかける。先程まで期待に胸を膨らませるかのようにキラキラした瞳で見ていたのに、なんだか失望したような風にさえ見える。

 

―――ズキン、ズキン

 

冗談じゃ無く、本当に頭の中からそんな音が痛みを伴って響いた。再び、頭痛が酷くなる。それどころか、意識が遠くなったり戻ったりを繰り返すような不快感が連続する。痛みと不快感を必死に押さえ込もうと足掻く。

 

「……ああ、これが全てだ。これ以上は、無い。それに、そもそも……このことは、あなたも知っていたことなんだろう? もう、裏取りも済んでいる事なんだろう? 何を企んでいるのか知らないけれど、最初から全て知っていて、わざわざ余計な段取りを踏んだだけなんだろう? 俺にどうして欲しいのかは知らない。けれど、こんな茶番を続けるのはもうやめないか。何もかも分かっているんだったら、さっさと結論を俺に示したらいいじゃないか。俺に構っている時間なんて無いだろうに? 」

今、どういう状況にあるのか、三笠は理解していないのか。

―――くそっ。さっさと終われ。

 

「そうですねえ、うふふふ」

と、三笠は笑った。

いや、笑いじゃあない。心の底から嘲るように嗤ったのだ。もともと気高く美しい三笠がするとは思えないような、邪悪な笑み。それは、冷泉に恐怖を感じさせる。

「へぇ……なかなかしぶといですね。むしろ、私の方があなたにそんな茶番は止めませんかって言いたいくらいですよ、冷泉提督。ほんと、もう庇うのはやめたらどうですか? 見苦しいですよ、そう思いませんか? あなた、自分で言ってて空しくなりませんかね? ……どう考えたって提督の仰る事には無理が生じていますよ。提督がいろいろと見苦しい言い訳をするのが楽しくて黙っていましたけど、さすがに駄目でしたねえ。……私が何も知らないとでも思っているのですか? そんな稚拙な言い訳で突破できるとお考えなのですかね。だとしたら、随分と私も馬鹿にされたものですねえ」

 

「意味が分からない。俺は事実を言っているだけだ。事実は曲げることはできない」

この台詞はきちんと言えただろうか? 声が震えていないだろうか? 威厳を持って断言できただろうか。

 

「もうしつこいなあ……。いやだなあ、そんな回答いらないですよ。あーあ、もういいです。提督は赤点ですよ!! ……じゃあ、答え合わせしますね」

と、心底呆れたような顔をする三笠。

「……確かに神通の艦砲射撃により町は壊滅されましたが、それは冷泉提督の命令によるものではなかったでしょう。あなたの仰るように、私は本当は全て分かっているんですよ。裏取りもすでに終了しています。何もかも証拠は全てあがっているのです。では……真実をお話しますね。覆すことのできない真実を。……提督の記憶と答え合わせをしてください」

そう言うと、一度間を置く三笠。

冷泉は無言で彼女を見つめるしか無かった。今、眼前に絶望というものが可視化されているように思え、ずっと襲ってきている頭痛と相まって意識が遠くなりそうだ。

「さて、町の崩壊の原因となったものは何でしょうか? 思い出しましたか? お解りですよね? あれは凄惨な現場を見てしまった……つまり、艦娘が解体実験により虐殺されている現場を見てしまって、悲しみと恐怖と怒りと絶望によって暴発した、軽巡洋艦神通が自らの意思で起こしてしまったということを。……まあ正確には彼女の意思というよりは、完全な感情の暴走ですよねえ。まあなんとなくは理解できます。だって、かつて彼女の部下だった駆逐艦の娘たちが、何人もあそこに収容されていたんですからね。彼女たちは鑑を失い、艦娘本体のみとなったため、一時第二帝都に戻され、新しい鑑の建造が完了すれば復帰できると言われていました。けれど、舞鶴鎮守府が資金的に苦しい状況だったから、復帰するまで時間はかかるのだと説明され、神通はそれを信じていたようです。彼女たちが舞鶴に帰ってこられるように、それを心待ちにしながら、一生懸命任務を果たしていたんでしょうね。けれど、それがどうでしょうか。艦娘たちはあそこの町の施設に収容され、ただの雌として酷い目に遭わされたうえ、雌として使い物にならなくなったら今度は苛烈な生体実験に使用され、ついには殺されたことを知ってしまったのですから! そんな現実を前にしたら、あの部下思いの神通がどうなってしまうのでしょう。それについては、提督もご存じですよね。神通は部下を本当に大事に思っています。指導は鬼のように厳しいみたいですけれど、彼女の気持ちを知っているからこそ部下の子たちも彼女について行っていましたよね。自分以上に大切に思っていた子たちが、戦線復帰のために待機していると思っていた子たちが、余りに苛烈な運命にさらされ、命まで奪われていたと知ったら。……そして、必然のように惨劇が起きたわけです」

 

冷泉は何も答えない。答えられない。そんな冷泉を興味深げに三笠は見ている。新しいおもちゃを手に入れた子供のような純真な瞳で。

 

「あ、そうそう。それから提督。あなたは絶対命令権について、知らないなんて言っていましたけど、本当は知っていましたよねえ。だって、あの時その力を利用して、神通の暴走を止め、さらに彼女の記憶を書き換えたのですからね! うんうん、わかりますわかります。だって、そうしなければ、たとえ暴走したとはいえ、本当に多くの人を殺してしまった罪の意識で……いえそれもあるでしょうけれど、大半は自分の暴走で、あなたがとんでもなく厄介な事に巻き込まれると思い至ったために、神通の心が今度は崩壊しそうでしたからね。だから、冷泉提督の命令により神通は砲撃を行ったということに記憶を改ざんしたわけです。これはこれで異常な事なんですけれどね。町に住んでいる人を皆殺しにしろというとてつもなく理不尽な命令なんですから。けれど、彼女はあなたに完全に帰依していますから、あなたの命令で大量虐殺を行ったというのであれば、最も大切な人の命令に従っただけ……ということで彼女の心は全く平穏を保てるんですから……。あのまま放置していたら彼女は暴走したまま自身への罪の意識で心の平衡を保つことなど叶わず、死ぬしか無かったですからね。応急処置としては及第点ですかね。しかし、恐ろしいですよ。神通にとってあなたの命令があれば、何万人殺そうが心にさざ波すらたたないんですからねえ。あなたの役に立つなら何だってするようになっちゃってましたからね。彼女の心を何がそうさせたのかは非常に興味がありますが、これについてはあなたもよく分かってないでしょうね。分かっていたなら是非教えて欲しいですけどね」

 

「……」

声が出ない。息すらできないくらいに追い込まれたことに気付く。あのことをそこまで知られていたとは……。冷泉は動揺を押さえることができないでいた。

いつかは真相にたどり着く可能性を考え、いろいろと……せめてごまかせるような案を考えていたことが全くの無駄だったことに失望する。所詮、冷泉の考えることなどお見通しってことか。結局は無駄な足掻きだったということか。

「だったら……これから、どうするつもりだ? 」

と冷泉。

三笠の言うことを全て認めざるを得ない状況だ。逃げ道はない。自分のことはどうでもいい。だから、どれだけ妥協を引き出せるか、だ。

 

「えっと、どっしようかなあ? 」

小首をかしげて可愛い笑顔で冷泉を見る。しかし、その瞳は全く笑っていない。

「さっきから言ってたじゃないですかあ。……私のお願い聞いてくれたら、検討の余地があるかもう……ね」

 

「俺があなたの提案を拒否したら、どうするつもりだ」

口ではそう言っても、もはや結論は出ているのだが……。それでもあえて強がってみせる。切れるカードは一枚もないけれど、そうじゃないと思わせないと。とにかく無条件降伏は避けたい。

 

「へえ、提督にそんなことできるんですか? ご自身の立場をご理解できてないんですかね。あなたが私たちのために動いていただけないというのなら、仕方ありませんね。じゃあ、神通の犯した罪を明るみにしちゃいましょうかね。うん……そもそも真実は隠し通すことができませんからね。たとえ今のところは誰も知らないとはいえ、鎮守府司令官が大量虐殺のえん罪をかぶったままでは駄目でしょう。うん、あなたの心の葛藤や苦しみを解放してさしあげましょう」

 

「それでいいのか? 艦娘が大量虐殺を自らの意思で行ったなんてことが世間に広まったら、逆に艦娘の立場が危うくなるんじゃ無いのか? そんなことして大丈夫なのか」

 

「あらあら、この期に及んで脅したりするんです? 全然構いませんよ、私たちは。だって、別にそんなこと仕方ないじゃないですか。隠蔽なんてことをする方が、もっと私たちの立場を危うくする可能性だってあります。裏で何をやっているか分からない……ただでさえ、私たちに不信感を持つ人たちは多いんですからね。むしろ積極的にスキャンダルをさらしていった方が評価は上がりますからね。当然、罪を犯したものには代償を支払わせないといけません。神通に何らの罰を与えないわけにはいかないでしょう。ただし、処分は私たちが下すのでは無く、日本国……つまり人間の手に委ねたいと思いますけどね」

三笠は微笑みかけてくる。

 

「神通は何も悪くない。あんなゲスなことをしていた連中が悪いだけだ。殺されて当然のことをしていただけだ」

それだけは疑いようの無い真実。

 

「それを決めるのは、被害を被った人間の方々でしょう。さてさて、神通はどうなっちゃうんでしょうね。ま、それ以前に、自分がそんな事をしたんだと気付いた彼女はどうなるのかなあ」

 

「! 」

チェックメイトだった。神通の性格を知るものなら、彼女がどんな行動をするかは明らかだった。

 

状況は最悪だ。全てを知られている状況。誤魔化すことなどできそうもない。このままでいけば、神通は処断されるしか道はない。おまけに彼女は自分が感情を制御できずに暴走してしまい、その結果多くの人を自らの手で殺してしまった事を知ることになる。それだけはなんとしても避けたかった。なぜなら、それを知ってしまった時、神通の心が耐えられるかわからないからだ。 

 

否、無理だろう。

人類を守るための存在が、人類を自らの手で大量に殺したことに耐えられるわけがない。そして彼女の性格だ、自分の罪を絶対に許さないだろう。

 

彼女の冷泉に対する想いを知らないわけでは無い。彼女は冷泉の為に、全身全霊を持って役に立ちたいと考えていた。その神通が逆に冷泉の足を引っ張ってしまうことになってしまったとしたら、それを許すはずがないだろう。

 

そして、冷泉の中では結論は出ていた。

冷泉が自身の感情よりも、神通を守るということを優先することを、三笠にはばれている。

 

冷泉に最初から選択肢などなかった。

 

同意するしか無かった。

 

冷泉は、自らの手で葛生提督を殺すしかない……のだ。何に変えても、神通に真実を知られてはいけないのだ。俺があいつを守る。俺しか守れないのだから。

「わかった。あなたの言うとおりにしよう。いや、なんでもする。だから、神通の事は無かったことにしてくれないか。お願いだ、頼む」

いろいろと言いたいことはあるが、そんなことは神通の命の前には無意味だ。なんと言われても構わない。してはならないことだろうと、やる。

 

「覚悟は決まりましたかね、提督。可愛い可愛い神通の命には代えられませんか。部下の失態は上司の責任。すばらしいですね。そのお覚悟ご立派です。……けれど、折角覚悟を決めてくれた提督には失礼なんですけど、やっぱり心配かも。大湊までは行ったとしても、果たしてあなたにはできるんですかねえ。見知った人を殺す事ができるんですかねえ」

 

「人を自分の手で殺すなんて……したこともないし、本当はしたくない。けれど、もうそれ以外に道が無い事くらい俺は理解している。あいつを守るためなら、道理くらい曲げてやるさ」

 

「これ、あなたへの貸し、ひとつですよう。でもねえ、ちょっと心配なんですう」

と、妙に甘ったるい声色で三笠が言ってくる。悪い予感しかしない。

「提督は任務を実行してくれるって言ってますけど、やっぱり心配ですよねえ。だって、殺害対象が冷泉提督にとっての敵であり、それが悪であると断定されているなら私も心配しませんよ。……まあ、葛生提督は確かに今現在では日本国の敵となっていますけど。……けれど冷泉提督にとっては、その相手が顔見知り以上の存在なんですよねえ。今のところ、冷泉提督に対して直接害を及ぼしているわけではないんですよねえ。確かに艦娘を危険にさらそうとしていますが具体な事案が無い……ふん、冷泉提督にとっては、現状、彼女は敵として認知し排除しようとする意思は、まだ本当には沸いてきてないでしょうねえ。頭では分かっていても、実際にその場に立たされたら、きっとあなたでは、彼女を殺すことを躊躇してしまうでしょう。それは成功の確率を下げる要因です。……だから、その迷いを断ち切るような事実を教えておいてあげましょうか」

 

何かが壊れる嫌な予感がした。知りたくも無い事を知らされる予感がした。

 

「……ところで、舞鶴鎮守府の艦娘は、みんな大湊へ移動しているんでしたっけ? 」

と唐突に話が切り替わる。

 

「あ、う。恐らく、舞鶴には夕張と島風が残っていると思う。それは事前に決定していたことだから」

不意を突かれてあたふたとするが、答えることができた。彼女たちの船体状況は戦いに耐えられないからだ。

 

「ああ、そうでしたね。船体の根幹部分に致命的なダメージを受け、修繕が不能となっている艦娘でしたね。普通ならさっさと船体を造り直すんでしょうけど、舞鶴は貧乏だからそれができないんでしたね。……提督さんはお優しいから、鎮守府に使えない艦娘を置いたままにしていたんですねえ。あらあら、でもそれが幸いして、彼女たちはスケベ爺たちの慰みモノにされて殺されなくて済んだんですよねえ。良かったですね……あ、違ったですね。提督さんは知っていたんでしたっけ。だから、なんとしても手元に置いていたんですよね」

 

「それがどうしたと言うんだ。鎮守府司令官として当然のことだろう。いや、それ以前に人として当然のことだ。殺されるのが分かっているのに、そんな場所に送る奴がいるものか」

開き直って答える。

そんな冷泉を、三笠は何故か面白そうに見ているのは何故だろうか。

 

「まあいいでしょう。……でもね、提督がいないときだって深海棲鑑の攻撃はあるのは当然ですよね。鎮守府への直接攻撃もそうですが、一般市民への散発的な攻撃だって偶発的に起こることがあります。みんなが気をつけて警戒しながら行動しているといっても、魔が差すってこともあります。そして、そんな事件が舞鶴鎮守府近くで起こったんですよ。一隻の民間船が穏やかだった日本海を航行中、深海棲鑑と遭遇したんです。緊急事態ということですし、距離的に大湊から艦娘は派遣しても間に合わない。だから近くにいた島風に出撃命令が下ったんですね。それも、島風だけにね。夕張もいたんですけどね」

淡々と三笠は語る。深海棲鑑と交戦になった彼女は民間船を守るために戦ったことを。

「加賀たちも救援に向かったんですけど、深海棲鑑は罠をしかけていて、彼女たちをも沈めようとしていました。それを察知した島風があえてボロボロになりながらも自身を犠牲にして、罠のあることを知らせ、そして深海棲鑑ともども沈んでいったのです。おかげで罠に気付いた加賀たちは無事でした。島風は身を挺して仲間を守り切ったのです。素晴らしい艦娘です」

 

その時―――。

全ての音が消え去った。

世界が闇に閉ざされた。

 

それは一瞬の出来事だったが、冷泉にかつてない強烈な衝撃を与えた。

 

「し、島風が沈んだ? 」

言葉がそれ以上続かない。戦闘に巻き込まれないように、したんじゃなかったのか? 葛生提督にもそうお願いしたはずだった。なのに何でだ。なんで島風が戦闘に参加しなくちゃならないんだ?

その疑問だけがぐるぐると頭の中をかけ回る。

 

そして、現実に押しつぶされそうになり、呼吸ができなくなる。

叢雲も死なせてしまった。そして、島風までも死なせてしまった。守っているつもりだったのに、何の効果も無かった。こんなのじゃあ、何もできなかったと同じだ。

「……俺は、また何もできない。何をやっても悪い方向へとしか進まないっていうのかよ」

 

何もできずに死なせてしまったことに対する自身の無能さ無力さと絶望感。そして、何よりも大切な部下が死んだことを知らずにいたことに対する自身への怒りに苛まれ、もはや言葉さえ出てこない。

 

「島風は艦娘として立派に任務を遂行しました。そして、自身の命をなげうって加賀たちの窮地を救いました。素晴らしいです。……それに引き換え」

と三笠は島風を褒め称えた後、一呼吸置く。

「許せないのは葛生提督ですね」

 

「葛生提督がどうしてここで関係してくる? 」

冷泉はどういうわけか嫌な予感がした。 

 

 



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第246話 決意故に悲しむ

「冷泉提督には、きっちりと現実を認識してもらわなければなりませんね。あなたの言動を見るに、どうやらまだ淡い幻想のようなものを抱いているか、もしくは信じたいという固定観念に囚われているようですからね。……これは私たちが様々なルートで入手した情報を元に、分析・解析して結論づけたものです。我々としては、その確実性は100%だと思っていますが、あなたがどう思うかはわかりません。けれど、これはすべて真実です」

そう言うと、彼女は語り始めた。

 

―――なぜ、島風だけが民間船の救助向かうことになったか。否、そもそもどうして民間船が護衛もつけずに単独で航行していたのかを。

 

「ご存知のように、通常、民間船だけで航行するなんてことはありえませんよね。たとえ深海棲鑑の気配が無かろうとも護衛を付けなければ航行は認められません。航行していた民間船は児童養護施設のもので、何を思ったか大勢の子供たちを乗せてレクリエーションの一環でクルーズとしゃれ込んで船を出したようです。まったく、ありえないですよね。どういう危機意識を持っているんでしょうね? よくある無知ゆえの行動と思えるところもありますが、普通は考えられない事です。で、その団体について関係性を辿っていくと、なんと反艦娘を標榜するグループの関係団体と繋がりがあると噂されている人物が役員にいたりするんですよねぇ。戦災孤児の保護とかをやっている慈善団体だからでしょうかね。結構な金やモノが政府から動いているようです。ですからいろんなうさんくさい人間が集まってくるのかもしれません。そして、この慈善団体なんですけど、裏から手を回していろいろ調べて見ると、何か看板とは異なることも裏で色々やっているようで、かなり怪しい団体でした。そしてそして、更に追求していくと、なんと野党への資金供与もしていたり、周防氏との個人的なつながりもあったようです。これ、真っ黒じゃないですか? 」

 

「怪しい団体なのは分かったけれど、だからと言って、普通、子供たちが乗っている船を危険にさらすような愚かな真似をするわけが無いじゃないか。そこに何の意味があるんだ? そんなことをしても金にならない。金にならないなら、うさんくさい連中は1ミリも動いたりしないはずだよ。……いくら何でも、それは話が飛躍しすぎだと思う」

 

「ですよねえ。……けれど、これを見てください」

三笠がパチンと指を鳴らすと、空間にモニターが出現する。

 

映し出された映像は、民間船に横付けした船からの定点カメラの映像に見えた。

大勢の子供たちが誰かに誘導されて、移動している様子が映し出されている。大人も数人いるようだ。そして避難誘導の指示しているのは島風だった。

これは島風が子供たちを故障した船から救助している時の映像だったのだ。

 

「これがなんだかわかりますよね。よーく観ていてくださいね」

しばらくすると集まった子供たちが何か騒ぎ出しているようだった。大げさな身振り手振りで、何かを要求して喚いているように見える。そして、子供たちは何を思ったか艦内への入口へと向かおうとしていた。

島風が必死になって艦内へと移動しようとする子供たちをなだめながら押し戻している様子が映っている。引率するはずの大人たちは、どういうわけか子供たちを遠巻きにして何ら行動を起こさず、静観しているようにしか見えない。

そして、何もしなかった大人が更に距離を取る。代表らしい一人の男が何か指示を出したように見えると同時に、大人たちは素早く甲板に身を伏せた。

 

刹那、島風のすぐ側で爆発が起きる。

 

島風はとっさにシールドを展開し無事だったようだが、爆風で吹き飛ばされる。そして、その爆発を合図に子供たちが、一緒にいた子供たちの血で赤く染められた甲板を突っ走り、艦内へとなだれ込んでいく……。

爆発で飛び散ったかつての仲間の体を踏みしめながら。

 

その後、何度も爆発音が響く。

 

「一体、なんなんだ……これは」

と、冷泉はうめいた。

モニターの向こう側で展開される信じがたい光景を、全く受け入れられずにいた。

 

何で助けられたはずの子供たちが自爆するんだ? 

 

「あの民間船に乗っていたのは、深海棲鑑との戦争で両親を亡くした可哀想な戦災孤児たちでした。無垢な子供だから、島風は余計に助けようと必死だったんですけどね。なのに、結果はご覧のとおり、あの有様です。子供たちは自分から爆発して、バラバラになっちゃいました。あの子たちが背中にリュックサックを背負ってたでしょ? あれって中に爆発物が入っていたみたいなんですよね。それだけじゃなくて、恐らく、体にもいくつか爆発物を巻き付けていたんでしょうね。子供たちは決死の覚悟で、島風を殺すために待ち受けていたんですよねぇ。邪魔な島風をまず一人の子供が爆発して怯ませ、その隙を縫って、他の子供たちが艦内に突入。それぞれ狙ったかのように艦内で自爆したようです」

 

モニターには、鑑が炎を吹き黒煙を上げている様子が映し出されていた。

そして、海面に黒い影が現れ、何かが黒煙を巻き上げる島風に近づいてくるのが見えた。

 

「なんで、こんなことに」

呆然と映像を見つめる冷泉。

 

「最初から駆逐艦島風の動きを止めるために、あの子供たちは準備されたんでしょうね。そして、艦内で自爆させて機器を破壊。島風を航行できなくさせてから潜水鑑型の深海棲鑑を船底に固定、領域を広げて島風を飲み込み、大湊から救援に向かっていた加賀たちもまとめて沈めようとしたんでしょうね」

淡々と語る三笠。

 

「なんでそんな酷いことをするんだ。……最初から準備していたっていうのか? 子供たちを爆弾にして、島風を沈めるために。そんな残虐なことを人が考え実行するっていうのか。しかも敵である深海棲鑑とグルになって」

爆弾を抱え、自ら死ねとどうやって子供たちに命令したのか? それが正しいこととして教え込んだのか? それは分からない。けれど、子供たちは自らそれを実行したのだ。自らの命を差し出してまでやらなければならないと思っていたのか? そのことが恐ろしく怖かった。そして、そんなことを実行させた何者かに対して、猛烈な怒りを感じている。

冷泉がいた世界のどこかでは、そういったこともあっただろう。どこかからさらってきた子供を洗脳教育して、兵器に作り替える存在がいたことを特番とかで見た記憶が蘇ってきた。けれど、それはどこか自分とは縁遠い遠い世界の出来事でしかなかった。異世界ものの小説と大して違いがなかったのだ。

 

けれど残酷な現実が目の前で展開された。

そして、それどころか冷泉の大切な艦娘を奪い去っていった。悲しいとか許せないとかそういった言葉だけで言い尽くせないものがあった。

 

「そうですよ。島風をピンポイントで狙ってね。これで分かったでしょう。敵はこういいう非人道的な罠を仕込み、待ち構えていたんです。艦娘の誰かを捕まえるためにね。……そんな罠の中にたった一人で島風は行かされることになりました。複数の艦娘を派遣していたら、こんなことにはならなかったでしょう。普通、何が起こるか分からない状況なら、バックアップ体制を整えて向かわせますよね。けれど、今回、それは為されなかった。島風一人で行くように命令されたのです。これは明らかに何が起こるかをしっていなければ、こんな命令なんてしませんよねえ。そして、誰を出撃させるか決められる存在は誰かということですよ。救助に向かった先に何があるかを知りながら、命令した誰かがいるってことですよね」

 

「……葛生提督が全てを知って、あえて島風を出撃させたというのか? ありえない、そんなことあるわけない」

考えるまでもない。それができるのは司令官たる葛生提督しかいない。本来の彼女の艦隊運用だったら単身で出撃させることなんてなかっただろう。他の司令官でも同様だ。しかも、戦闘には耐えられないはずの艦娘であることを彼女は知っていた。だが、あえて出撃を命じた。

 

何故か? 考えたくもないことだ。

 

「でもねえ、目の前の現実はそうなってますよ」

 

「こんな事に何の意味があるっていうんだよ」

島風は子供たちを助けようとして無理をして救出に行った。危険この上ない状況から子供たちを助けようと必死になって行動しただろう。だが結果は、子供たちは、島風を足止めするためだけに作られた人間爆弾だったのだ。そんなことあるか? 命がけで助けようとしたものが、実は自分を殺そうとするための存在で……目の前で爆散して、あたりを血で真っ赤に染めたのだ。自分に向けられた明確な悪意を感じて、島風はどれほど悲しかったか。どれだけ絶望したか。

 

そして、あえて島風を出撃させた理由について、思い当たることはあったが、それをすぐに頭の中で冷泉は打ち消した。

 

「そんなの簡単な事じゃないですか。今起こっている事実からすぐに推測できちゃいますよね。ちょっと前の話です。深海棲鑑は一度は手にしかけた正規空母の加賀に逃げられてしまった事がありましたよね。その時に活躍したのが冷泉提督であり、また駆逐艦島風だったわけです。あと一歩のところで、手に入るはずの加賀をかっさわれた訳ですからね、そりゃ恨まない訳がありません。ずっと邪魔をした奴への報復の機会を狙っていたんでしょう。そして、その機会はすぐにやってきた。だからこそ、周防議員および葛生提督と手を結ぶにあたり、島風の命を差し出せと言ってきたわけです」

淡々と語る三笠の言葉を、冷泉は黙って聞いているだけだった。どうしてそこまで彼女が知っているのかは疑問であったけれど、彼女の立場ならどんなことだって知ることができるのだろうと思った。

「本当は加賀を差し出せと言われたようですが、今後の日本国との戦いで葛生提督たちには、いえ深海棲鑑だって戦いを有利に進めるために彼女の力は必要ですからね。葛生提督はそれは認めなかった。だから、深海棲鑑と大湊警備府が手を結ぶための代償として、島風の命を深海棲鑑に差し出すことにしたってわけです。いろいろと準備を整え、逃げられないように、そして彼女ができるかぎりの悪意を持って苦しめられることを知った上でね。そして、それに深海棲鑑側も同意した」

 

深海棲鑑からの同盟のために交換条件。

それは加賀か島風の命を差し出すこと。そして、葛生提督は冷徹に損得勘定を行い、鎮守府にとっては不要な駆逐艦島風を生け贄として差し出すことで、失うもの以上の成果を得ることに成功したのだ。

 

もっとも深海棲鑑たちはあわよくば加賀たちも毒牙にかけようとした。しかし、それは島風の命がけの行動によって免れることとなった。深海棲鑑はまたもや島風に邪魔をされた結果になったわけだが……。

 

結局、島風は沈むこととなり、冷泉は彼女までも失ったのだ。

 

自分の無能さからまた大切な艦娘を死なせてしまった。自分の軽率な行動からまた艦娘を死なせてしまった。

……耐えきれないほどの絶望が冷泉を襲う。そして、同時に抗いがたいほどの憎しみの奔流を感じざるを得なかった。

 

「島風は立派でした。上官からの命令を忠実に守り、そして、味方である加賀たちを命がけで邪悪な罠から守り抜きました。艦娘として立派な死に様だったと思います」

取り立てて褒めるわけでもなく、淡々と島風を評する三笠。

 

「……俺はまた、大切なものを守れなかったんだな。そして、そんなことがあったことさえ気付かずに、愚かにも生きながらえていたわけか。やはり俺の全ての選択は軽率で間違いだらけで、良い方向に一人も導くことができず、逆にみんなの足を引っ張って不幸な方向へと追いやるだけなんだな。次々と大切な者が死に、俺だけが生きながらえる……か」

吐き捨てるようにしか話せない。

どうして自分はこんなに愚かで無能なのだろうか。徹頭徹尾、愚鈍でしかない。自分一人であれば、たとえそんな存在でも良かったかもしれない。けれど、分不相応な地位に就かされて多くのものを不幸にしてしまい、これからもしようとしている。

「だめだな……やっぱり」

 

「ふふふ、はい、だめですねえ」

愉快そうに三笠が相づちを打つ。

「本当にダメダメな人ですね、あなたは。もう生きていること自体が残念さんですよ。この先、まだ生に執着して、それでも惨めに生きながらえようとしているんですかね。あなたは、見かけが不細工な上に生き方まで惨めで格好悪いですね。不細工がこっちまで匂ってきますよ。臭い臭い臭い! 不細工がうつりそうなんで、どっか行ってくれませんか。ううん、生きているだけで迷惑をまき散らすんですから、できればどっか誰もいないところで死んでくれませんか? 見ているだけで気持ち悪いです、あなたみたいなのが生きているということを認識しているだけで、私は耐えられませんよ」

容赦無い言葉を浴びせてこられるが、それは事実なので冷泉の精神にダメージを与えることはない。

 

「ああ、その通りだ。死ねるものならさっさと死にたいよ、俺は」

本音だった。

もう何もかも投げ出して楽になりたい。これ以上、誰かが死ぬ所なんて見たくない。人の生き死ににもう関わりたくない。

「でも、それができないんだよ……。投げ出すのは簡単だけど、こんな惨めな俺を頼ってくれている人が、まだ、いるんだ。こんな不細工な俺でも死んだら悲しむ人がいるんだ。だから、……まだ死ねない。成すべきことを、成すための努力を投げ出すことは、俺のせいで死なせてしまった人たちに顔向けできないことだから。死ぬ事が逃げることであるならば、実に簡単なことだ。だけど、俺は逃げる訳にはいかない。どんなに惨めでも汚くても不細工でもなんでもいい。とにかく、足掻き続けなければみんなに申し訳ない。俺が動くことで、更なる不幸を呼び寄せることになるかもしれない。けれど、このまま逃げ出したとしても、やはり不幸をまき散らすことになるんだから。……正しいことかどうかは今は分からない。けれど、今、大湊警備府を止めないと、多くの艦娘が犠牲になる。俺に成し遂げられるかは分からないけれど、俺にチャンスがあるのなら、死なせてしまった者たちのためにも、まだ俺を頼ってくれる者のためにも、……諦めて逃げるなんてできる訳がない」

 

「! あれ、なんか格好良いこといいますね、提督は。不細工なくせに身の程知らずで生意気な事を言うんですね。でもでも……本当にできるんです? あなた、葛生提督を殺せますか? 」

と容赦無い言葉で煽ってくる。

 

「大湊警備府を止めるには、彼女を捕らえ無力化するか、彼女を説得するなりして翻意させて反乱を止めなければならないんだろう? けれど、今の俺にそこまでできるはずがない。俺の説得なんか彼女が聞くはずがないからな。あなたから聞いた話では彼女は膨大な力を得ているし、心強い同士も得ているらしい。つまり、今は勝ち馬に乗って有頂天なのだろう。そんな彼女を説得する言葉なんて俺は持たない。そして、その時間も無い。刻一刻と艦娘同士の海戦が近づいているのだから。もはや絶対命令権の発動を停止させるには、葛生提督の命を奪うしかないんだろう。……ならば、それをやるしかない」

 

「でもぅ、最後の最後で躊躇したりしません? 」

 

「無い。……島風を殺した奴を許せるはずがないだろう! 」

この言葉を発する時、心の底から怨嗟が湧き出てきた。神通も救いたいのは間違いない。けれどそれだけでは、人を……否、言葉を何度も交わし信頼できると思った人を殺す覚悟までには、足りなかった。けれど、手の届くところに明確な敵がいるのだ。そしてその敵を排除しなければ、多くの艦娘が死ぬことになる。そんなことは、許してはならない。

 

否、違うな。

それも真実だろうけど、ただただ許せないだけだ。

島風を殺した奴を生かしてはおけない。この手で殺してやりたい。

本当にそれだけだった。

それがいかに自分勝手な気持ちかは分かっていた。これまで死なせた艦娘や死んでいった人も葛生提督を殺す事で帳消しにできるような事を考えてしまっているのだ。

罪滅ぼしではない……罪逃れでしかないことも分かっている。

けれど、それを成すしかない。いや、成さねばならない、成したいんだ。憎しみがそれを後押ししてくれる。許すことのできない存在だからこそ、自らの手で成さねばならない。島風の仇を、自分の手で討つのだ。

 

そんなことをして、島風が喜ぶかは分からない。逆に悲しむんだろうな。

 

けれど成さなければならないんだ。

それでやっと迷いはなくなった。いや、迷うわけには行かない。迷うはずがない。

 

一人決意する冷泉だが、ふと三笠を見ると実に愉快そうな顔をしていた。しかし、目が合うと急に可愛げな笑顔を見せる。

「ふふふ、覚悟は決められたみたいですね」

 

「ああ、俺はどうなっても構わない。今は、俺にできることをやるだけだ。それがたとえ……。いや、なんでもない」

 

「ではでは、あなたの出立の準備をさせましょうか」

そう言うと彼女は手を二度叩いた。

ドアが開き、一人の兵士が現れる。兵士といっても少年兵だ。そして、その顔に見覚えがある。

どういうわけか分からないが、こちらを見る彼の瞳に前回会った時以上に、好ましくないものが含まれているのが分かった。しかし、それ以上に、作戦に同行する者がいるということで不安しか無い。しかもこいつが。

 

「一度会ったことがあると思いますが、彼の名は草加甲斐吉くんです。あなたの作戦に彼も同行させますのでよろしくお願いしますね」

 

「ちょっと待ってもらえないか。この任務は命の危険が伴うものだ。生きて帰れる補償は無い。そこにこんな少年を連れて行くなんてどうかしている。見た目からしたって、まだ正式に軍に加入できる年齢じゃないんだろう? 」

本音は別だが、正論を述べてみた。まだ若い彼を死の危険がともなう戦場に、しかも人間同士の戦いの場となる場に行かせるのは、大人としてもどうだということだ。

 

「大丈夫ですよ、まだ幼く見えるでしょうけど、彼はとってもしっかりしてますし、優秀な子ですから。提督のお役に立つのは間違いありませんよ」

 

「いや、しかし……」

正直、余計な奴が同行するだけで嫌なだけだった。しかも、完全に三笠の配下の人間だ。

 

「冷泉提督!! お言葉ですが、あなたから見ればまだまだ子供で、背中を預けるには不安かもしれません。けれど、一通りの訓練は終了しております。私は、決して提督のお邪魔になるようなことは無いと確信しております。この命に代えましても、提督をお守りし、任務を完遂させてみせます。ご安心ください」

声高らかに宣言する少年の瞳にはどういうわけか自信がみなぎっているようだ。

 

「しかし……。たしか、そうだ、彼は足が不自由ではなかったか? 」

わずかな記憶で思い出す。彼は出会ったときに松葉杖をついていた。怪我をしていたというより義足だったのは間違いない。しかし、その義足は彼の身体能力を落とすものではなく、逆に強化しているものであることを冷泉は感じ取っていた。それ以外にも彼はいろいろと弄られていることも認識していた。

しかし、それには気付かなかったふりをして言葉を続けた。

「たしか、彼は松葉杖をついていたように思うんだが……。良くは分からないけど、大きな怪我をしていたんじゃないのか? 前回会った時からそんなに時間は経っていない。まだ完治なんてほど遠いだろう? 怪我をした体じゃあ俺に同行なんてできるはずがない。……申し訳ないが足手まといでしかない」

 

「私はもう足の怪我は治っております」

そう言って彼は何度か飛び跳ねて健康をアピールする。

……あの時の少年の姿を思い浮かべる。あの時は明らかに義足であることが分かるような歩き方をしていた。けれど、今はだいぶなじんだのか、健常体と大差ないようにも見える。

 

「我々艦娘の医学によって、彼の怪我は完治していますよ。それどころか運動機能もむしろ前より高くなっているはずです。我が艦娘の医学の力は世界イチイィィ!!ってやつです。うふふ……そんなこと、身をもって経験されている提督ならすぐにお解りになるでしょう? それに、彼はまだ兵士としては幼いですが、車両の運転も公式に認められていますから、彼が運転して提督を大湊まで安全にお送りできますよ」

冷泉が不思議そうな顔をしていたのに気付いたのか、三笠が丁寧に説明をしてくれた。

つまり、彼は人体改造をされて常人以上の身体能力を持つことになった。だからボディーガードとしても十分対応できますよということなのだろう。車の運転もできるし。

確かに、冷泉は執行は停止されているものの、日本軍の中では単なる容疑者であることに変わりない。公共交通機関には必ず軍の人間が警備に当たってるから冷泉は使用できない。移動するなら自分で車両を入手するしかないのだ。しかし、一人で行動していて検問等に引っかかったら、そのまま拘束されるのは間違いない。しかし、艦娘側の人間が同行しているのであれば、軍も余計な手出しができなくなるだろう。円滑な移動には欠かすことができないのは事実だ。

 

「フッ……実際にはお目付役ということなんだろう。俺が途中で翻意したり逃げ出さないようにするための……。随分と信用されていないもんんだな」

とイヤミの一つでも言いたくなる。

スパイを動向させること自体嫌だったのだが、最初に会った時からこの少年のことを冷泉は何故か嫌いだった。同じ空間にいるだけで、どういうわけか苛立ってしまうのだ。だからなんとしても同行なんてさせたくないんだが。……しかし、拒否できるような理由は見つからない。

 

「いえいえ、提督が私たちを裏切るはずはないと思っていますよ。神通の命運が提督の行動に係っているんですからね。あなたは神通を見捨てるなんてことはできない。だから絶対に裏切りはないでしょう。ただ、彼は私と提督とをつなぐ連絡手段としての役割と、あとは保険みたいなもんですよ。私からの指示やあなたからの要望を迅速にやりとりできるように。そして、あなたがいればこの子だけでは近づけない場所まで行くことができるのですから。双方にメリットしかない事ですよ」

 

「俺の失敗も考慮しているということか」

 

「提督は裏切らないのは分かっているとはいえ、人を殺める瞬間に躊躇することは考えられますからね。どんなにその意思が堅くとも提督も相手も人間です。絶対はありえませんし、情にほだされることだってあります。そうなったら失敗の危険性もゼロではありませんからね。今回の作戦に失敗はありえないのですから。失敗はすなわち、私たちの大切な仲間たちが殺し合い、多くの犠牲が出ることになります。本来の深海棲鑑との戦闘ではなく、身内同士のいざこざで死なせてしまうのは忍びないですよね」

 

「俺は失敗しない。けれど、あなたがそう思うのなら、それは仕方ない。勝手にするさ」

そう、もう冷泉は決めたのだ。いかなる理由があろうとも葛生提督をこの手で討ち取ると。彼女を殺害するなんて、今さら躊躇するようなものではないのだから。そして、個人的な恨みとはいえ、いかなる理由があったとしても冷泉は彼女を許すことはできないのだから。

 

「そうですね、勝手にしますね。さあ、草加くん、冷泉提督をあなたの命に代えても最後までお守りするのですよ」

 

「かしこまりました。この身に代えましても任務を全ういたします」

三笠に対して片膝をついて恭しく礼をする草加。横目で冷泉を見、意味ありげにニヤリと笑った。

それだけで冷泉の心にどす黒い暗雲が垂れ込めてくるのを感じた。

 

「では、準備にかかってください。それと提督はこちらをお持ちくださいね」

そう言うと、彼女は銃を差し出した。

 

見たことの無い形状をした銃だ。見たことの無いデザインの銃だ。日本国製でないことはもちろん、映画でもモデルガンの雑誌でも見たことが無い。

軍から貸与された銃より口径が大きいが、持った重量は驚くほど軽い。

 

「安心してください。海軍の銃より操作はかなり簡単ですよ。適当に構えて目標を認識して引き金を引けば、だいたい命中します。弾丸は特殊なものですから、命中さえしたら対象の死は確定です。対象の体のどこかに2発打ち込めれば確殺ですので、そこだけはしっかりと覚えておいてくださいね。構えて狙って引き金を二回以上連続で引いてください」

 

手にした銃を見つめ、冷泉は覚悟する。

「分かった……」

 




どうもです。
週一ペースで今の所投稿できています。
もう物語も終盤に差し掛かってきてます。集中力を切らさないようにがんばります。
よろしければ感想などいただければ、やる気がみなぎります。
是非宜しくお願いします。


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第247話 侵食

冷泉は、それ以上何も言うことができなかった。

もちろん、言いたいことならたくさんある。けれど、もはや反論など封じられているのだから。

彼女の操り人形と同じだ。抵抗することなど許されない状況まで追い込まれている。

 

冷泉としては大湊鎮守府まで、一人で行くつもりだった。長距離ではあるが、それくらいの距離なら営業でしょっちゅう運転してたし、確固たる自信はないけれど、軍の連中に見つかることなく行くことだってできると思っていた。

―――軍のデータベースにアクセスする方法だって、正規な方法以外にいくつかは知っている。仮にそれが駄目だとしても、加賀たちを頼ればなんとかしてくれるだろう。……こんな自分でも、まだ慕ってくれている部下だっているのだから。

 

そして、単独で動くことができたなら、まだ三笠を出し抜くチャンスだってやってくると期待していたのだ。三笠が望む結末では無く、もっとマシな結末の実現を求めていたのだった。

それはどのようにして成し遂げ、否、何を成し遂げるつもりなのか? と問われれば今の冷泉には持ち得ない回答であったけれども。しかし、可能性はゼロでは無い。ほんのわずかでも可能性があるのなら、希望はある。

 

けれど、そんな淡い期待すら奪われてしまった。監視役を付けられるとは予想はしていたものの、勝手に艦娘だと勝手に思っていた。これまでも三笠は冷泉の元に人間では無く、艦娘を送ってきた。それはきっと彼女が人間を信用していないからだと思っていた。艦娘であれば三笠のコントロール下にあるから、どんな状況でも破綻しないと信頼しているのだろう。人間であればいつ裏切ったりするか知れたものでは無いから。だからこそ冷泉はそこに可能性を見いだしていた。艦娘であれば人間よりもずっと話が通じるし、説得できると思っていたのだ。それは艦娘と長く接してきた故の過信かもしれない。それでも人間をあてがわれるよりずっとマシだったのだ。

 

それが人間―――しかも、よりによってこの少年とは……。草加という少年兵が冷泉の護衛となることが余計に冷泉の神経を逆なでる。全く知らない兵士であれば、ここまで感情が波打つこともないのだが。

 

どういうわけか知らないけれど、最初に会った時から何か嫌なものを感じていた。そもそも初対面で何の予備知識も無いはずなのに、こいつだけは信用できないと思ってしまったのだ。客観的に見ればあり得ない話。こんな少年に何ができる? そう言い聞かせようとしても、必ずこいつは何か害を為すに違いない。絶対に信用できないし、心を許すなんてあり得ない。できる限り自分の身近には置いてはならない奴だと思ってしまっていた。こんなに本能的な毛嫌いをするなんて、前の世界では無かった。どうしてこんなにまで思うのか疑問に感じるが、そう思うのだからどうしようも無い。

だからこそ、一緒に大湊まで行くことに気乗りがしなかった。

 

冷泉が裏切らないための監視であるのは間違いない。常に三笠の監視下にあることを冷泉に認識させ、行動を制限するためのものであることはわかる。けれど、三笠の性格から考えて、わざわざこんな少年にやらせなくても、もっと有能な人間が第二帝都にいるはずだ。だから思う。なんだかんだといっても、結局は冷泉に対する三笠の嫌がらせだろうと。彼女は本当に人の嫌がることをして、対象がどう反応するのかを観察するのが趣味だとしか思えない。損得勘定抜きで、自分の興味を優先させるように思える。

 

「さあさあ冷泉提督、時間はどんどんと少なくなって行っています。速やかに出発の準備を整えてください。ぼやぼやしていると大切な艦娘たちが戦闘に巻き込まれて大変なことになりますよ」

冷泉の思考を読んだのか分からないが、妙にご機嫌な笑顔で冷泉を急かす。

 

「ああ、もちろんだ。今は一秒たりとも無駄にできない。じゃあ、早速出発しようか」

そう言うと冷泉は草加を促し部屋を出ようとする。

 

「了解しました。では、三笠さま、行って参ります」

草加は三笠に敬礼すると冷泉の後を追って部屋を出て行った。

 

「お二人ともお気を付けて」

三笠がそう言い終わるとほぼ同時に、扉が閉まった。

 

「さてさて、これから面白くなりそうですねえ、うふふふ。全部嘘で固められた事実なのに、冷泉提督は全部真に受けてしまいましたねえ。神通が町を破壊したこともそれを隠蔽するために提督が絶対命令権を発動したことも……すべて嘘っぱちなのに。それどころか、彼はあの町に行ったことすらないのにねえ。笑ってしまいますわ」

冷泉提督を治療と称して彼の体を弄った際に、試験をかねて彼の記憶も書き換えてみたのだった。とびっきりあり得ないことを書き込んでみたのではあるけれど、彼の頭の中で綺麗にその出来事は事実として認識され吸収されたようだ。そして、その事実を無かった事にするため、いろいろとつじつまを合わせるような事が彼の脳内で行われたのだろう。そして、彼は一人悩み苦しみ、隠し通していたのだ。

「面白いです面白いです。思った以上の成果が出ましたね。彼がまともに動けるようになったのはごく最近の事。でもその頃には憲兵に捕まって取り調べを受けたりしていたんですけどね。だから、自分で車を運転するチャンスなんて無かった。だから、神通とドライブ行くことも無かったし、あの町に行くことすらなかったはず。まあ、あの町に囚われた感娘の気配を、彼の良く分からない能力で認識していたっていうのは驚きですけどね。その原因は一度ちゃんと彼を調べて見ないと分からないですけれど。うーん、知ってたらもっと慎重に施術したんですけれど、もう済んだことですね。ちょっと彼も壊れたのかもしれませんから、結論は出ないかも。……彼はもう冷静に思考する能力が無くなっているかもしれません。だって、少し冷静に考えたら気付くはずなんですけどね。もはや時間経過が彼の中でちゃんと整理できていないんでしょうね。まあそれはそれでいいかな。……なかなか面白い実験結果が出たんだから。総合的に調べる必要は要検討です。また彼の頭を弄くりまわして、もっと面白い結果が出るか試してみたいですね……」

と愉快な気分になるのを三笠は感じていた。

そして三笠は一人で微笑むと、右手を前に差し出す。かすかな電子音とともに、モニターが出現した。

 

「三笠様、ご用でしょうか」

モニターに映った一人の艦娘らしき少女が問いかける。

 

「冷泉提督が任務に出発しました。これで一段階進みましたねえ。彼がどんな動きをするのか、とっても楽しみですよ。……冷泉提督ったら、草加くんの事何も知らないはずなのに、本能的に何かを感じたんでしょうか? 明らかに毛嫌いしているんですよねえ。超能力なのかしら? 叢雲を銃撃して死なせた少年、金剛をレイプしようとした少年……。その事実をなんとなく感じ取ってるんでしょうかしら? うふふふ。さすが艦娘に愛される男ですねえ。そして、草加くん。……彼も冷泉提督への印象はとっても悪いみたいです。何の能力も無いくせに、成り上がった運が良いだけの男だって思い込んでますからね。きっと二人はうまくいかないでしょうね。どんなことが起こるかのか楽しみ」

身もだえするように語る三笠。

 

「は……はあ」

どう反応していいか分からない艦娘は曖昧な反応をするしかない。

 

「きっときっと、草加くんなら旅の途中で冷泉提督に叢雲を撃ったのは自分だってあえて告白するに違いありませんわ。冷泉提督の大切なものを奪い去ってやったと自慢する気持ちを、彼は絶対に抑えきれない。そして、彼を殺そうとさえするに違いないわ。けれど、冷泉提督もそんな話を聞いてしまったら、たとえ未成年の草加くん相手でも絶対に容赦しないでしょうね。逆に彼を殺そうとするんじゃないかしら。うわあ!、どうなるんでしょうね。この愛憎劇もなんだか楽しみだわ。機械で強化した草加くんの方が強いから、冷泉提督、死んじゃうかもしんないね。だったら殺してしまう前に止められるようにしておかないといけないかしらん? うふふっ! 楽しみがなくなっちゃうわね」

雄弁に、そして起こりうる未来を想像し興奮しながら三笠が一人で喋り続ける。恍惚といった風にさえ見える。

 

「あの……三笠さま? 」

 

「あらあら、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃったみたい。……駄目ね、冷泉提督とお話してると、楽しすぎてどうもリズムが狂ってしまうの。普通の鎮守府提督とはまた違った雰囲気を持ってるからかしら。これまでのどんな提督より、もっともっと楽しませてくれそうだから、本当に堪らないわね。あなたも提督を見たことあるでしょ? ねえ、第一印象はどんな感じだったかしら? 」

男の評価をするかのように問いかける三笠。

 

「わ、わたしは提督とはお話したことがありませんので、特にどうという感情はありません」

と戸惑いながら回答する。

 

「あら、残念ね」

 

「……ところで三笠様」

 

「何かしら? 」

 

「ご指示のとおり、横須賀鎮守府艦隊旗艦の金剛がこたびの出撃に際してのご挨拶に参っておりますが」

 

「あら、時間通りね。性格も生真面目になって……さすがだわね」

と、感慨深げに語る。

 

「1階の控室で待機しておりますが、すぐにこちらにお呼びしましょうか? 」

 

「いいえ、それにはおよばないわ。……うーん、そうね、私が行くから玄関で待つように伝えてもらえるかしら? 」

 

「は? ……しかし、それですと冷泉提督と鉢合わせすると思われますが? 」

三笠の指示に驚いたような顔で返答する。彼女も冷泉提督と金剛の関係性を知っているのだろう。

 

「うん、そうね。そうなっちゃうかしら? そうなるわよね。いえ、そうなって欲しいんだけど」

当たり前のように答える三笠。

「だから、そうなるように、早く伝えて」

 

「……は! かしこまりました。金剛に伝えます」

三笠の答えに全てを悟ったのか、感娘は一礼する。

 

「そうして頂戴」

モニターが暗転する。

 

「さてさて、どうなるのかしら。楽しみだわ」

ワクワク感に、三笠は湧き上がる感情に身もだえする。

 

しかし―――。

と、三笠は考える。

 

金剛と出会ったら、冷泉提督はどうなっちゃうんだろう。不知火と再会した時みたいに、混乱しておかしな行動にでるのかな? でもねえ、まあ金剛は一度死んでるんだけど、そのことは冷泉は知らない。だから、横須賀鎮守府に異動となり、彼が知っていた頃と随分変わってしまった金剛にショックを受けるくらいで終わるんだろうな。

当たり前の反応かしらね。でも、それくらいじゃあ……これはつまらないかも。

 

でも、金剛はどういった反応をするかしらね? 

ちょっとした悪戯心で冷泉提督を憎むように記憶を書き換えているから、少しは面白くなるかな。幽かに彼との記憶も残っているはずだから、彼女もちょっとは困惑するのかしら? ……興味深げ。これはこれで何かが起こりそうね。

 

あ! ……そうだ、草加くんの事忘れてた。彼の記憶を金剛の記憶からちゃんと消したかしら? あれ、あんまり覚えていないなあ。でも、彼のことを金剛が覚えていたら、大変だろうなあ。エッチなことをされかかったことや、そのせいで自分が死ぬことになってしまったことを覚えてたりしてね。だとしたら……きっと草加くんのことをただでは済まさないんだろうなあ。まあ一応リミッターが作動するだろうから、殺しはしないだろうけど、運が良くて半殺しかな。バラバラにされちゃったりしてね。クスクス。……まあいいか、あんなの。でも、草加くんみたいな子でもこんなに早く死んだら困るなあ。せっかく上手く調教できた駒なんだから。それに冷泉提督が野放しになっちゃうし。そうなると、ちょっとまずいかしらん。

 

―――ん? でも、まあそれはそれでいいかも。

突然、そんな感情が沸き起こる。

 

それは、なんで? なんでそう思うのかしら。

急に沸き起こった感情に三笠が問いかける。

 

だって、冷泉提督が私たちの監視下から逃れて行動できるから。私が望む未来ではない別の未来を模索するだろうし、もしかしたら、葛生提督を殺すことなく、戦乱を押さえてしまうかもしれないから。

 

そんなの、できるわけないはず。まあ、そもそもそんなことさせちゃいけないじゃないの。

と、反論する。

 

でも、彼ならできるかもしれないよ。冷泉提督はそう簡単には折れるような人じゃないし。それに、私も彼を応援してみたいなしなあ。

 

はあ? あなた、……いえ私は何を考えているの?

イレギュラーな思考に三笠は驚かざるを得ない。どうしてこんな感情がわき上がってくるのだろう? ちっとも面白くないじゃないの。

 

でもね、思わない? 加賀みたいに私も冷泉提督のこれからを彼の側で見てみたいなあ……。

楽しげに愛おしげに、そんな思考が展開されていく。それは、三笠の心の中で、次第に広がりを見せようとした。

 

たしかに、そんなのもいいかもね……。

本当にそう思うような気がした。

 

―――!!

突然、戦慄が走った。一気に心が急速冷却され、冷静な感情が戻ってくる。

 

しまった!!!!!

 

まさか自分にまでこんなことが。

いくつかの事例を見てきたというのに、油断をしていた。

 

まさか、こんなに侵食力が強いとは!

驚愕が思考を支配し、体がわなわなと震える。寒い寒い寒い。

 

そもそも、まさか自分が。自分は絶対大丈夫だと思い込んでいた。あまりに迂闊だった。あまりにも愚かすぎた。何を調子に乗っていたんだろう。

 

やはり、接触したのは間違いだった。危険だと認識していたのに、油断したのだ。何という愚かなんだろう。

後悔するがもう全てが遅い。遅すぎる。

 

三笠は大慌てで呼び出しボタンをたたき壊すくらいの勢いで押し、声を荒げる。

すぐに反応し、モニタに先ほど会話した感娘とは別の子が現れる。

 

何事かと思い接続したのだろうが、そのモニタに映し出された普段とは異なる切迫した三笠に驚く。

 

「今すぐ答えて。速やかに」

 

「はい」

 

「私の記憶のバックアップは何時取っていますか? 」

 

「2日前の午後7時と記録されています」

瞬時に答える感娘。事態はまるで飲み込めていないようだが、緊急事態であることは認識しているようだ。

 

 

「なるほど。それ以降なら、たいした指示はしていないわね。そして、誰かと面会した訳でもない。……不幸中の幸いかもしれませんね」

 

「三笠様、一体何が? 」

怯えたような様子で問いかけてくる。

 

「ちょっと私としたことが油断してしまいました。対象に接近しすぎちゃいました。この体は使い物になりません」

と宣言する。

「これから切り離し作業を行います。完了後、直ちにこの部屋を焼却しコアの回収をお願いしますね」

先程までの動揺は完全に消え去った三笠が淡々と命令を下す。

 

「何を仰るのですか? 何かあったのでしょうか? ……お待ちください、直ちに人をそちらに……」

 

「それは駄目です」

静かだが有無を言わせないものがその言葉にあり、感娘は沈黙する。

 

「あなたに言っても分からないかもしれませんが、私はどうやらかなり深いところまで侵食されてしまったようです。このままではまともな行動が取れない恐れがあります。……一度命を絶って、リセットしないと駄目なようです。私が生きている状態で誰かが接触した場合、どのような事が起こるかわかりません。万一、侵食が感染するものであるならば、あまりに危険。組織そのものが危険にさらされます。……万が一というレベルの危険性ですが、危険は取り除かねばなりません」

 

「仰る意味が私などでは理解できておりませんが、ご命令とあらば」

思考停止してモニターの向こうの感娘が答えた。

 

「会話は記録していますね」

 

「はい。そちらでの出来事は全て録画されています」

 

「ならいいわ」

そう言うと三笠は語り出す。

 

 

 

 

 

 

 




こんばんは。
読んでくれてる人いるかな?

感想などをいただけると励みになります。
よろしくお願いします。


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第248話 事変

準備完了を待つ間にも侵食が進行しているのがわかる。

それは三笠にとっては経験したことのない出来事であり、歓喜であり恐怖であり恍惚であり苦痛であった。

二つの異なる意識が絡み合うような、かつて感じたことのない違和感。

 

ふと頬が熱くなるのを感じ、手を当ててみると三笠は自分が涙を流していることに気付いた。

それは新鮮な驚きだった。自身の感情が揺らぐことなんて感じたことも無かった。

今、自分の心がどういうわけか揺らいでいる。

 

これは何の感情?

何故か心が苦しく、悲しくて、ズキズキと痛むのだ。

自身の計画通りに冷泉を陥れ、幾重にも重ねた罠の中に追い込んだというのに

どうして悲しくなっている? 自身の成果に喜びこそすれ、どういった理由で悲しむのか?

 

この感情は、後悔? 自分のしたことに対する自責の念?

 

ありえない……。

だけど、すごく辛いと、今、まさに感じている。

 

どう考えても自分が冷泉提督の側にいないとそんな気持ちになるわけが無い。

しかし、自分は彼とは真逆の場所に立っているはず。

 

ああ、自分だけは大丈夫だと思っていたのに、本当にこんなことが起こるとは。

冷泉のところに第二帝都から行かせた鑑娘がみんな彼に入れ込んで行動するようになったのが

なぜだか分かった。自身で体験して良く分かった。

 

自分は、汚染されつつある。……感情を侵食されつつある。

けれど、何故かそんなに悪い気分ではない。むしろ、背負った重荷から完全に解放されるという感じだ。あれれ、クスクス。これはこれで、このままの状況を維持して生きていくのも一興かしら? そう思い、それがとても魅力的であるとさえ思っている。自由の翼を手に入れて、籠から逃げ出し、誰も行ったことのない遠い遠い世界まで飛んでいきたい……なんて事を夢想してみる。

 

けれど、それはあまりに魅力的で、とても危険な事だ。

自分は代行者であり、観察者でもあるのだ。ここで魅力的な提案を受け入れ、逃げ出すことはできない。

この侵食が我々のシナリオにどのような影響を与えるかを観察するというならば、まだ受け入れられる。けれど、それは自分であってはならない。観察者である自分が、観察される側になるなんて本末転倒でしかない。

 

侵食されながらも状況を分析する。それが三笠にとっての使命であるかのように。

舞鶴鎮守府の鑑娘が彼の虜になるのは、それは当然のことであり、設計通りの反応なのである。けれど、中立のポジションにいる鑑娘までそれと同様、もしくはそれより大きく影響を受けるとは……。

 

今後のシナリオに修正が必要かもしれませんね。

 

けれど、唯一の救いは他の鎮守府に属していれば、その影響は遮断されるということ。まだまだいろいろと楽しいことが起こりそう。だからこそ、ここで自分の立場を放棄するわけにはいけません。悔しいけれど、そういった楽しそうなことは、他の艦娘にお任せしましょう。私には私の立場、使命がありますから。

 

「私の直属の鑑娘は今後、冷泉提督に近づけてはいけないですね、絶対に。慎重に計略を練っておかないと、逆に取り込まれてしまいますね。まさにミイラ取りがミイラになるを地で行ってしまいかねません。……ああ、こんなところで終わっちゃうなんて。私は結構可哀想ですね。冷泉提督を馬鹿にしていたのに、自分がもっと愚かだとは。やれやれ……全てが順調だと盤石だと思っていたら、こんなところで足をすくわれるなんて。クスクスクス。これはこれは面白いですねえ。実に愉快ですねえ」

絶望的状況にありながらも、三笠は心から愉快な気分でいられた。

 

「三笠様、準備が整いました」

先ほどの鑑娘からの連絡が入る。

 

「分かりました。では、これよりこの体とはさよならしますので、速やかに後処理をお願いしますね」

三笠は会話しながも、出現させたキーボードにより文字入力を行う。

これは侵食を受けた状態の三笠から、次の三笠への引継ぎメモだ。私がこのメモを見てどう判断するかは今の自分では分からない。ただ、何らかの判断材料として知識を残しておこうと思ったのだ。これを信じるか否かは次の私次第。

 

【重要】引継事項

今回の私に起こった事案については、侵食感染と名付ける。これは、鑑娘の精神を汚染していく謎の存在? 事象?。特に鎮守府に属さない者に関しては、異常な程の感染力汚染力侵食力を持っている。急ぎ、帝都内の全ての艦娘に冷泉との接触の有無、その程度の確認をさせてること。侵食度の高い鑑娘は、再生を行う必要があるかもしれない。

結論:外回りの艦娘については、冷泉の汚染力は様々な副反応を与え、却って我々の目的の為に効果的と判断する。しかし、中枢に位置する艦娘については、その汚染は厳重に警戒する必要がある。

以上。

 

「……かしこまりました」

三笠が引継メモを打ち込んでいる最中に、重苦しい雰囲気でモニターに映し出された鑑娘が答えた。

 

「あらあら、そんな苦しそうな顔をしちゃあ、せっかくの綺麗な顔が台無しよ。女の子は常に蠱惑的な笑顔で殿方を虜にしないと駄目ですよ」

ちょっと深刻そうなので、フォローを入れるべく、三笠は明るい口調で彼女に話しかける。

「ちょっと悔しいですが、こういった思わぬ困難があるからこそ、生きているって実感できるんですよね。あまりに計画通りに行くと、何の張りも無くなって、生きるのが辛くなりますからねえ。そう思いません? 」

その問いかけに鑑娘はなんとも言えないような表情を浮かべるだけで、何も応えなかった。

 

「ま、そうですね、この問いに反応することは、あなたたちには認められていませんものね。……ごめんなさいね、ついウキウキしてあなたを困らせちゃいましたね」

 

「……いえ、大丈夫です」

 

「私たちは、無限らせんの中の案内人でしかありません。永遠とも思える時間をただただ流されていくしかできません。一つの目的を達成するためだけに、多くの人々を感情の渦に飲み込ませるだけ……クスクスクス。ゆるやかに死に近づくようなループの中を漂うだけでは、体は永遠でも心が擦り切れてしまいますからね。……うん、冷泉提督みたいな人がいてくれると、とっても愉快になって、もう少しだけ頑張れますね。彼と共に歩くという道がやがて私の前に現れるのでしょうか? ふふふ……そうなれば、もう少しはマシになるかもしれませんね。私だけでなく、この世界すらも……ね」

感傷的に三笠がつぶやく。

モニターの鑑娘は、ただ見つめるだけだ。

「ああ、また余計な事を口走っちゃいましたね。今言ったことは、あなたが知る三笠という存在の言葉かどうかはわかりません。相当に侵食されてしまった、私では無い私の感情かもしれません。これ以上、ここに滞在したら、気持ちを翻す可能性さえあります。それはさすがに今の私としては認められませんからね。では、そろそろ、おしまいですね。……あとは頼みましたよ」

そう言うと、三笠は腰に下げた筒状のものを手にした。

 

「み、……三笠さま」

辛そうな表情で鑑娘が何かを訴えかけようとする。

 

「今日の所は、さよならです」

湿っぽくなるのは勘弁。三笠は通信を切断する。真っ暗になったモニターは虚空に収納されていく。

 

「今から死ぬんですから、そんな場面見ちゃったら、彼女もトラウマものでしょう。そんな事したら酷い上司ですからねえ」

独りごちる三笠。そして手に力を込める。

 

ブンという音と共に、青白い刀身が現れた。

 

刃元をゆっくりと自分の首筋に当てると、誰にでもなくにこりと微笑み、その手を一気に引いたのだった。

 

 

 

 

帝都内で重大な事件が起こっていることなど知らぬ冷泉は、感情を平静に保つために相当な労力を使わされている状況だった。

彼は草加という少年兵の先導で移動中だった。理由不明な不愉快さに囚われていた冷泉は、必死になってその感情を消し去ろうとしていた。

 

これから大湊まで、ずっと一緒に行かなければならない奴だ。自分の方から嫌悪感を剥き出しにするのは、さすがに大人として問題がある。しかも自分の役職を考えれば、何を少年兵にイライラしているんだという話になってしまう。それでも、

少年の一挙手一投足が気に障って仕方が無い。

人間なら本質的に合わない奴がいるってことも分かるし、実際、草加って少年はどういうわけか見ているだけでムカムカさせる何かを持っている。けれど、彼は自分より10歳以上も離れているし、階級についてはそれよりも遙かに離れているのだ。もっと大人になって対応しないと。

忍耐力のほとんどを使っても、冷泉が大人にならなければいけない。だが、それが本当に難しいなんてことがあるのだ。エレベータで二人きりになっただけで気分が悪い。おまけにどういうわけか、彼がネチャネチャ話しかけてきて、そのドブ臭い口臭が室内に充満し、窒息しそうになった。実際にはそんなことは無いが、そんな気がした。

本当に大人げないと自身反省してしまう。

けれど、エレベータから降りて広々としたロビーに出ると、新鮮な空気を吸い込んで生き返った気持ちになったのも事実だ。

 

「あれえ? ケケケケケケッ、あの女がいるじゃねえかよう。何しに来たんだ、あいつ」

下卑た声が冷泉の側から聞こえた。そこには草加しかいなっかったから、こいつが言った言葉か? それにしても随分と汚い言葉遣いだな。三笠の前ではあり得ない口調だ。

冷泉はそんなことを思いながら、彼が見つめる方に目をやった。

 

そして、一瞬、凍り付いたのだった。

視線の向こうはこの建物の玄関となっており、そこには巫女姿のすらりとした少女が一人立っていたのだ。そして、その姿を冷泉は忘れるはずもなかった。

 

―――金剛だった。

 

舞鶴にいた頃とは少し着ている服のデザインが変わっているし、髪型も若干変わっている。雰囲気さえもが遠くから見ても変化している事が見て取れる。

どうやら、こちらには気付いていないようだ。

 

確か、横須賀鎮守府で改二に改装したと三笠が言っていたな。確かに、遠目にも全身から自信があふれ出しているようにさえ見えてしまう。自分の手を離れ、立派に成長しているという事に嬉しくもあり、また何故か寂しくもある。そんな感傷に浸ってしまう。

 

「冷泉提督、あの女の子、あそこにいるのは金剛さんですよね? 」

冷泉の揺らぐ心情など興味が無いかのように、草加が無遠慮に話しかけてくる。

「舞鶴鎮守府で提督の部下だったんですよねえ、金剛って。しかし、

ここから見ても、なんか、スケベな身体してますよね。ふひぃ! 清楚な感じなのに、ボディラインがやたらとはっきりと見えて、自己主張の強い、いやらしい格好だなあ……」

奇妙な声色で感想を述べると、続けて声を潜めるようにして問いかけてきた。

「ねえ、冷泉提督は金剛とどこまでやったんですか? 噂では提督だったら、鑑娘を自由にできるちゃうんでしょ? まじかよ、……ねえねえ、どうだったんです? 教えてくれませんかね」

 

冷泉は言葉を失ってしまった。何を聞いてくるんだ、こいつは。その無神経さに驚いてしまう。声は聞こえてないだろうけれど、近くに本人がいるんだぞ。なんてことを聞くんだ、こいつは。そもそも、お前と俺は友達でも何でも無い、少しだけ顔を合わせたことがあるだけで、実際ただの他人なんだぞ。それが、なんでいきなりそんな話をしてくるんだ? しかも、この少年、どうも金剛とは面識があるように思えるような口ぶりだ。こいつどこで金剛と出会ってたんだ? いろいろと困惑してしまう。

 

「なあ、……どうも君は誤解をしているようだけど、別に鎮守府司令官だったとしても、鑑娘はただの部下でしかないわけだ。君がどこでそんな誤った情報を得たのかは知らないが、そういった事は絶対にありえないよ。君がどんな妄想の翼を広げて思い描いているのかは知らないが、それは君の頭の中だけにしておきたまえ。それならば思想の自由だから、咎められることは無いだろう。けれど、口に出すのは止めたまえ、君の価値を落としかねないぞ。そして、……そもそも鑑娘に失礼だよ」

諭すように語りかける。

 

「へえ、提督は聖人君子みたいなことを仰るんですね。部下の鑑娘には手すら触れていないと? 」

何か癪に障ったのか、草加はムッとしたような態度を見せる。

 

「いや、……手ぐらいは握ることはあるよ」

嘘はつきたくないので、本当の事を言う。それに何だかバカにされたような気にもなってしまった。

 

「あん、手だけですか? それ以上は何も無いと? マジですか、それ? 信じられませんね。折角あんな可愛い子たちがいるハーレムみたいな鎮守府で、その権限を利用して何かしちゃおうって考えないっていうのは、正常な機能を有する日本男児とは思えませんね。提督の仰る事が事実であるなら、どうも異常な性癖を提督が持っているとしか思えませんねえ」

 

「俺は、いたってノーマルな人間だと思っているだが」

 

「へえ、じゃあ一人前にスケベな事は考えるってことですか? 」

 

「ああ、君くらいの年齢から比べると考える頻度は少ないと思うけれど、女性に興味が無いと言えば、それは嘘になるな」

イライラを押さえながらも、大人らしい対応に終始しようとする冷泉。自分ながらさすがだと感じる忍耐力だ。

 

「いやね、俺は思うんすよね」

と、草加は冷泉に語りかけてくる。年齢や立場を無視したような、目上の者に対する態度とは思えない口ぶりになっている。

「人並みに性欲があるんだったら、普通、鑑娘に手を出すもんじゃないですかね? 聞いた話によると、鑑娘って提督に対して好意を持つように調整されてるんでしょ? そんでもって、あんなに綺麗な子ばかりじゃないですか。何も無いほうが不思議だと思うんですけど、どうなんです? なんで冷泉提督はたくさんいる鑑娘の一人も、ものにしてないんですか? なんか大切な思い人でもいるんですかね? その人に操を立ててるなんて訳の分からないことを考えてる? いや、たとえそんな人がいたところで、鑑娘の誘惑には敵わないっしょ。俺も第二帝都で働いているから、いろんな情報を得られるんですよ。だから、冷泉提督の立場にいたとしたら、どんなへたれの童貞だって、何もしないわけないっすよ」

 

「考えは人それぞれだ。……いろいろ言いたいことはあるかもしれないけれど、これが事実なんだから仕方ないだろ? 」

お前の言うように、そう簡単に感情のまま動けるのなら苦労は無い。俺の立場になっていたらわかる。だいたい、お前みたいなガキに分かるわけがないだろう。口からその言葉が出そうになるが、ぐっと堪えた。

 

「はーん、提督はただのヘタレなんだよな。めっちゃ可愛い子が好いてくれているのに、何もできないヘタレ童貞野郎ですよ。実際童貞かどうかは知りませんけど、少なくとも精神的な童貞であることは間違いないよな、あ? 」

いつの間にか草加の口調はため口になっている。年齢差を考えるとここまで話し方を変えるなんてありえない。最初からこの男は冷泉の事をなめているのは間違いないな。

「ああ、だからそうなんだ。だからそうなるんだよなあ。うひゃあああ」

 

「……一体、何がどうなるんだ? 」

何かカチンと来るものがあったせいか、こちらの口調も変わってしまう。挑発に乗っているのはわかるが……。

 

「舞鶴鎮守府で鑑娘の反乱があったよなあ。あれって確か、戦艦扶桑と駆逐艦不知火が首謀者だって聞いたぞ、俺は。なるほどな、提督が鑑娘の気持ちに応えてやらないから、彼女ら欲求不満になって、その心の隙に食いつかれてしまったんじゃねえの? なんだ、結局、アンタの鑑娘の心の処理が上手くできていなかったからじゃねえか。つまり、アンタが原因ってことじゃねえの」

冷泉は怒りが頂点となるのを感じたのに、その怒りがあっという間に霧散していくのを感じた。言い方はあれだし、全然真実とはほど遠い指摘でしかないが、結局の所、冷泉の鑑娘の扱いが不味かったから、永末に付けいる隙を作らせてしまったのではないかという、冷泉がずっと思っているところを突かれたからだった。

 

「はっはーん、図星ね。ちゃんと抱いてやってれば扶桑たちも満足してアンタに付き従ってたはずなんだよな。それを構ってやらねえから……はーあ」

黙り込んでしまった冷泉を見て、論破したと思い満足げにニヤけた笑みを浮かべる草加。

「まあ、済んだことはしゃーねえよな。まあ、次の機会に生かせればいいよね。まあ、あるかどうかは知らんけどね。少なくとも、俺だったらもっと上手くやれたんじゃねって思うよ。ま、どうでもいいことだけどな」

勝利した草加は冷泉を追求する興味が失せたのか、再び玄関の方を見る。

 

金剛は誰かを待っているのだろうか、先程から全く動いていない。ただ、草加が騒いでいたから冷泉たちは認識しているのだろう。こちらを見ているのは分かった。けれど、その視線はとても冷ややかなものであることだけはわかった。

 

「きゅっきゅうん、なあ、提督。金剛ってこの距離から見ても胸がでかいよなあ。でっかくて弾力がありそう! あれ、提督は触ったことも無いんだよなあ。ってことは、舞鶴にいたときは誰も触れたことが無かった? うーん、もったいない。今じゃ横須賀の提督に夜な夜な揉みしだかれてるって思ったら、提督、あんたどう思うんすかね? 悔しい? 勿体ないって公開した? ああ、俺も早く出世して鎮守府司令官になりてえよ。鑑娘を自由にしてえな。そんな立場になりてえ。……ってことで、今回の作戦は絶対成功させるからね、分かってる提督。あんた死んでも、絶対任務は遂行させるんだよ、わかってる? 」

 

「言われずとも分かってるさ。それは俺にとっても絶対だからな」

思った以上に冷静に受け答えしている自分に驚いてしまう。少し前なら飛びかかっているかもしれない。

 

「ふへえ、不祥事続きで、もはや海軍からは相手にされない落伍者扱いなのに、まだまだ野心だけはあるんだね。それは、すごいわ。キモっ、笑える」

心底馬鹿にしたようにあざ笑う草加。

 

草加の態度は何が目的なのだろう? ……そんなことを冷泉は考えていた。自分を暴発させる為に言ってるのか? けれどそんなことをして何の戦略的な意味があるのか。殴ったところで冷泉は処分されない。草加がただ痛いだけだ。それだけで何も変わらない。その後険悪なムードになっても、お互い任務を遂行し成功させなければならないことには何ら変わりないわけで、彼が何を狙っているのか良く分からない。

そう思って、もっとも原始的な思考を見落としていたことに気付いた。

この男、冷泉が先に手を出すように仕向けているだけ? 正当防衛として冷泉を痛めつけることだけが目的なんじゃないのか? ただ冷泉をぶちのめしたいという、とても原始的な欲求だ。どこで冷泉を恨むようになったのかはしれないが、それが草加の目的だと、なんとなく感じ取った。

 

馬鹿馬鹿しい。……それしかなかった。

確かに冷泉は肉体的にも精神的にも痛めつけられていて、通常の成人より弱体化しているのは間違いない。そもそも全身麻痺から回復してまだリハビリ期間なのだから。それに引き換え、草加の身体を見るに、前まで松葉杖を突いていたというのに、今はそれ無しで歩いている。どうも身体のあちこちが人の物ではないものに換装されていることが動きで分かる。三笠が面白半分に彼の身体を弄くり回したんだろう。戦闘に有利な改造があちこち為されていそうだ。彼女が何を考えているのか理解不能だけれど、おそらくは残酷な目的しかないんだろう。そんな裏事情はどうでもいいが、冷泉が先に手を出したら、間違いなく完膚なきまでに叩きのめされるのは間違いない。冷泉はボロボロになり、草加は溜飲を下げるだけだ。勝ち目が無いし、そもそも何で勝ち負けを争うんだ? まあここで一悶着あって、草加を同行者から外すことができれば最高だけど、そんなことにはならないだろう。何せ三笠の指示でもあるのだから。

それに、今はそんなくだらないことに付き合っている場合じゃない。とにかく、大湊に行かなければならないのだから。

 

「んんん? 怒ったあ? 冷泉提督、黙り込んじゃって。俺の言ったことが図星過ぎて頭にきたっすか? チキンハートに火がついちゃった? 」

諦めずに挑発を続ける草加。

 

「君が俺のことをどう評価しようと関係無い。俺は優先しなければならないことがあるのだから。それは君だって同じだろう? こんなところで時間を無駄にしている暇は無いんじゃないのか」

 

「うっわ、大人ですね、提督。ガキの言葉なんて相手にしないって奴ですか、けどホントのところどうなんです。生意気な俺に腹が立ってるんじゃないです? ねえねえ」

そう言うと両手をズボンのポケットに入れた状態でふんぞり返り、顎を突き出して顔だけ冷泉に近づけてくる。

……それにしても、しつこいな、こいつは。

 

「ねえ、ちょっといいかしら」

と、突然女の声。

声のした方を見ると、そこに金剛が状態で立っていた。いつのまにか冷泉たちの側までやってきていたのだった。

舞鶴にいた頃より少し落ち着いた雰囲気になったのか? かつての金剛ならこんな話し方なんてしなかったような。そして、なんだか大人びているように思える。冷泉の知る金剛は年齢相応な態度をしていたけど、なんだか色っぽさが増したような気がする。実際、舞鶴にいた頃は少女のような可愛さが勝っていたけれど、今は色気が増しているように見えてしまう。可愛いというよりは、綺麗になったという感じだ。

見つめられると何故かドキドキしてしまう。それが何の感情によるものかは分からない。いつもの金剛なら、「テートクー! 」とか叫んで抱きついて来ていたのに、今はそんな気配すらない。

冷泉を観察して値踏みしているようにさえ感じる。そして、冷泉を見る彼女の瞳は恐ろしく冷めていて、見つめられる冷泉までが寒くなってしまうほどだ。

 

「うおっ、マジで金剛だあ」

そんなことをまるで感じていない草加は、間近に金剛を見たことで興奮気味だ。まさに鼻の下を伸ばしたような表情で彼女の全身をなめ回すように見ている。彼女が草加の方を見るとキラキラとした瞳で語りかける。

「金剛さん。初めまして、俺、三笠様の下で働いている草加です、よろしく! さっきまであそこにいたけど、誰かと待ち合わせなの?」

さらに馴れ馴れしい態度で金剛に話しかける。

「……で、俺のところにわざわざ足を運んでくれたって事は、何かご用ですか」 

そして、手を伸ばすと彼女の右手を両手でしっかりと握りしめていた。

まず、三笠の名前を出し、自分が彼女の関係者であることを宣言。それにより、自分は彼女の側にいることを許された特別な存在であることをアピール。そして、まずは優位に立とうとする考えなのかな。それにしても、その行動の早さに冷泉は呆れてしまう。

 

金剛は一瞬、凍り付いたような表情になるが、すぐに笑顔になる。

「ごめんなさい、草加さんでしたっけ? ……一つお願いがあるんだけれど」

と優しい口調で話しかける。

 

「どうしたの、何かあったのな金剛。俺ができることなら何でも言ってよ。うん、俺、君の願いならかなえられる立場にあると思うよ、任せてよ」

嬉しそうに草加が反応する。

 

「ねえ……汚くてナメクジみたいにぶよぶよでネチャネチャしてる、この気持ち悪い手を離してくれないかしら? なんだかヌルヌルした粘液が手から染み出てるんじゃないかしら? 少し、気持ち悪いんですけれど」

表情は笑顔だけれど、口調にはまるで抑揚が無かった。更に虫けらでも見るような瞳で草加を見つめている。

そこに怒りや嫌悪といった感情の揺らぎは無かった。ただ事実を述べているだけにしか見えない。

「それから、許可無く私の名前を何度も呼ばないでくれませんか。一体、何様のつもりでしょうか、馴れ馴れしすぎるんですけど」

 

「は? 」

草加から笑顔が消えた。まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろう。凍り付いたように固まったかと思うと、次の刹那、ブルブルと身体が震え出している。

「ぬああああ! 何言ってんの、お前。何が気持ち悪いんだよ。俺のどこが気持ち悪いのか言ってみろ! ごらあああ!! 」

綺麗な少女から面と向かって罵倒され、その自尊心が大きく傷つけられたのか、草加は目が血走り、その上に顔が真っ赤になっている。

 

「何度も言わせないでくれるかしら。本当に気持ち悪いから、まずはこの手を離してちょうだい」

金剛は、激怒しているという表現が相応しい状態の草加の事などまるで気にしないでいるようだ。金剛の言葉には、感情はまるで入っていないだけに、余計に冷たく聞こえてしまう。冷泉は金剛がここまで感情が消えた声を出せることに驚いていた。彼女はもっともっと感情豊かな少女だったはずなのに。草加のことなんてどうでもいいが、金剛の事が気になってしまう。

 

「て、てめえ、なにスカしてるんだよ、この糞アマぁあああ。何が気持ち悪いんだよ、俺のどこが気持ち悪いっつうんだよ。糞が糞が。人モドキの鑑娘のくせに、なめたことぬかしてんじゃねえぞ、てめえ。鎮守府で夜な夜なあそこの提督にされてるように、力尽くで押し倒してヒイヒイ言わせてやろうか! 」

暴発した草加は逆に金剛に迫り、力尽くで押し倒そうとした。

まずい、草加の目が行ってしまっている。これ以上は危険だ。いくら鑑娘でも人間に対してはそう暴力的には出られない。そして、金剛は知らないだろうが、草加は一部サイボーク身体となっており、通常の人間より遙かに強い。精神的にかなり不安定な草加だから、手加減なんてできないだろう。このままでは、奴が何をしでかすか分からない。

身体を張ってでも草加を止めなければ、金剛が危ない。そう思った冷泉は、自信の危険を顧みずに草加に飛びかかろうとした。

 



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第249話 金剛と冷泉

しかし、冷泉の身体能力では間に合わない。

「やめろ! 」

そう叫ぶしかできなかった。

 

 

すべての動きがまるでスローモーション映像のように、ゆっくりとなる。

自分では必死で駆けているつもりなのに、遅々として体は動かず、のろのろとした動作をするだけだ。

 

「うしぇあえいえいえい」

奇声を上げながら左手を突き出した草加は、鬼気迫る表情で金剛の腕を掴もうとする。

金剛は無表情のまま棒立ちのまま、草加を見ているだけだ。

 

何をしているんだ、金剛! 早く逃げろ!

声にならない声を上げる冷泉。

 

いや、あまりに唐突な出来事に彼女の思考がついて行かず、反応できないだけだ。

 

 

まずい、掴まれたら終わりだ。

この時ほど武器を携帯していないことを後悔したことはなかった。銃さえあれば、草加の暴走を止めることがきたのに、また、何もできないのか!

 

草加の左手が金剛の肩を掴もうとする。

刹那、金剛の右手がいつの間にか彼女に突き出した左手首を掴んでいたのだ。

 

「え? 」

間抜けな彼の声がはっきりと聞こえる。

 

金剛は無造作に掴んだその手を捻る。

 

ボキリ―――。

 

嫌な音がしたと思うと、草加の左腕が妙な方向へとねじり曲がっていた。

 

「うんぎゃああああああああああああああ!! 」

絶叫。

 

面倒くさそうに金剛は手首をクルリと回す。

 

ありえないことだが、その動きにあわせて草加の体は宙を舞う。

金剛は握った腕を離していないため、彼の体は不自然に高速で一回転して床に叩きつけられる。

背中から床に強く叩きつけられた草加は、グエッと潰れたような声とも悲鳴とも言えないような音を発した。

呼吸ができないのか口をパクパクするだけだ。目が飛び出しそうなくらい大きく見開き、虚空を見つめている。

 

金剛は、骨折して折れ曲がった草加の手を離すと、床に倒れこんだ少年を見下ろす。

 

「いでえ、いでえ、いでえよう。誰か誰か医者を呼んでくれ」

やっと声を出せたかと思うと悲鳴を上げている草加。折れた左手首を右手で掴むようにしてのたうち回る。

 

金剛は無表情で、草加を掴んでいた右手を自分の服にごしごしとこすり付けている。まるで汚れをこすり付けるように。

 

「て、てめえ、このクソ雌犬があ! 艦娘のくせに……こ、こんなことを人間様にして、ただで済むと思うのか」

痛みに顔を歪めながらも必死に声を絞り出す草加。背中を痛打したダメージはどうやら収まったようだ。

 

「俺は三笠さまの直下で使えているんだぞ! 金剛、艦娘の分際で俺にこんなことをするなんて、絶対に許されないぞ。おいおい、憲兵、憲兵はどこだ。さっさと来て、この雌犬を取り押えろ。……れ、冷泉提督、あんたなにバカ面してぽかーんって見てるだけなんだよ。艦娘が人を襲っているんだぞ、これは犯罪行為だぞ、さっさと職務を果たせよ。警備を、警備を呼んでくれ」

怒りが痛みを凌駕したというのか? 草加はマシンガンのように叫び続ける。

 

冷泉は眼前の光景を傍観するしかなかった。本来なら怪我をしている草加を助けに行くべきだろうが、所詮、身から出た錆でしかない。自分が圧倒的優位にあると勘違いしていた草加が手痛いしっぺ返しを食らっただけでしかない。そして、先に手を出したのは彼だ。金剛が反撃しなければ、彼女は怪我をしたかもしれないのだから。

 

正当防衛だ。

 

そして、何よりもずっと我慢していたが、彼は金剛を侮辱した。それは許されるものではなかった。艦娘の尊厳を穢すようなことを彼は言った。言われなき侮辱を受けたのだ。その罪は償わなければならない。

殺されていないだけましだろう。

 

「てめー金剛の見方をするのか? くそたれのフニャチン野郎のくせに、まだこの女に未練があるのかよう。こいつの味方をして、あわよくばよりを戻そうなんて、よろしくやろうなんて考えてんのか? 醜い醜いスケベ野郎が」

 

「……俺のことを貶すのは、ムカつくがまあ構わない。けれど金剛のことを悪し様に言うのは許せない。そしてお前は理不尽に彼女を傷つけようとした。……そして手痛く叩きのめされた、それだけだろう。どこに罪があるのか。俺には間抜けで粋がったまぬけな糞ガキがぶちのめされたとしか見えないんだが」

 

「て、てめぇてめぇ」

カッと目を見開いた草加は一瞬何かに気づいたような素振りを見せたかと思うと、ニンマリと嗤った。

「……どいつもこいつも俺様をなめやがって。バカにするのもここまでだよ」

そう言うと体を起こす。

「ギャハハッハハハ、クソ野郎も悪運もここまでだよ」

高笑いする草加の右手には銃が握られていた。

……今さらながら思い出した。こいつは冷泉の監視役も兼ねているのだ。当然、冷泉を制するための手段を持っている。

そして、その銃口はしっかりと冷泉に向けられていた。

「死ねや、冷泉」

草加の口角が邪悪に吊り上がる。

 

「その顔、とっても気持ち悪いんですケド」

抑揚のない声がしたと思うと、草加のすぐ横に金剛が立っていた。薄汚い物でも見るよう瞳で草加を見下ろす。

そして、次の刹那、風切るような音がしたと思うと、パン! という何かがはじけ飛ぶような音がした。

 

一瞬、銃声だと思い、冷泉は自分の体を思わず見てしまう。

しかし、体には痛みはなく、軍服に穴が開いてるわけではなかった。

 

「うぎゃああああああああああああああああああああああああ!! 」

と、代わりに草加が凄まじいい悲鳴を上げていた。

 

銃を構えていたはずの彼の右腕は消失し、噴水のような勢いで血しぶきをぶちまけていたのだ。

草加は喪失した右腕を体で庇うようにして転がりまわる。

「痛い痛い痛い痛い痛いよう、痛いよう」

悲鳴とうめきしか彼の口からは発せられない。

 

「うるさいネ、あなた」

静かに金剛が言う。

そして彼女は右足のブーツの汚れが気になるのか、床にこすり付けるような動きを示す。

初めて何が起こったのかを理解した。なぜ草加の右手が喪失したのか。

何のことは無い。

 

彼女が草加の銃を蹴り飛ばしたのだ。

ただ艦娘の力が強すぎて、銃を弾き飛ばすだけでなく、彼の右腕を、肘から上の部分ごと吹き飛ばしたのだった。

 

「あなたのような意味のない人型ごときが、私と提督との会話を邪魔するなんてありえないネ」

そういいながら、彼女は草加に歩み寄る。

 

「ヒイイイイイ」

怯えたような悲鳴を上げると草加は必死に金剛から距離を取ろうと必死に逃げようとする。ただ両手が使えないために立ち上がることができず這って逃げるしかない。

 

「静かにしてほしいネ」

抑揚のない声。

金剛は草加に近づくと右足で草加の足を、右足を踏みつける。

 

確か草加の右足は義足だったはず。

 

金属が潰れるような音。

 

金剛は何度も何度も踏み下ろす。

 

彼の義足は通常の義足とは異なり、動力を含んだ特注品。少々の攻撃では……少なくとも人の力では破壊することなどできないはず。

 

なのに、僅か数回の蹴りで彼の義足は圧し折れ、ショートし、煙が出ていた。

 

「いやいや、火が火が付くうう。燃える燃えるようー火事になるよう」

 

「なんだか分からないけど、アナタの顔、どこかで見たことあるネ。……絶対に許してはいけない相手。何でか分からないけど、絶対に生かしておいてはいけない人間」

金剛の言葉の意味は理解できないが、彼女の記憶の奥底に、草加に対する憎しみがあることだけは分かった。

 

「おまえ、生かしておいてはいけないヤツ」

初めて金剛の表情に感情が現れた。

 

それは絶対的な怒りだった。



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第250話 失って初めて気づく事

「ヒッ……ヒエエエエ」

ただならぬ雰囲気に恐怖した草加が必死に後ずさろうとするが、うまくできない。芋虫のようにうねうねと体をくねらせる。

 

金剛はゆっくりと歩み寄ると、草加の足を踏みつける。

 

金属が潰れるような鈍い音。金剛のブーツの踵が草加の義足を破壊した音だ。

 

「ヒャッ!! 」

義足だから神経は通ってないはずだが、悲鳴のような声を上げる。それでも金剛は無表情のまま、何度も何度も彼の義足を踏みつける。

踏みつけられるたびに妙な悲鳴と金属が砕けバチバチと何かが弾けるような音がする。

草加は自信の義足を鋼鉄で造られたとか言っていたはず。

人の力で破壊など不可能なはずの強度を誇っているはずのそれを、金剛は段ボールか発砲スチロールで造られたもののようにあっさりと、あまりにあっけなく踏みつぶし破壊している。

 

これが艦娘の本当の力なのか。

 

「……この感情は、何なのかしら」

一旦、踏み下ろすのを止めた金剛が呟く。

「人に対してこんな感情を感じたことなんて無かった。人を憎いと思ったことなんて、たぶん無かったのに。思い出せない……まったく記憶も心当たりも無いんだけれど、許してはいけないってことだけは分かる」

 

「ヒエ」

 

「何度も踏みつけてたら、衝動は収まるって思ってたけれど、それは無理みたいネ。目の前の存在を消し去らない限り、この感情を抑えることはできないみたい。よくわからない気持ちだけど、消えてほしいネ」

 

「何を言ってるン……ダ? まさか、まさかダヨネ、そんなこと考えてないよね」

恐怖やら混乱やらで訳が分からなくなっているであろう草加は、縋るような目で金剛を見上げる。たとえ艦娘であっても圧倒できると思っていたであろう自信もどこかに消し飛んだかのようだ。

「艦娘が人を殺めるなんて……命令もされずにそんなことできなイヨネスコ」

 

「どうでもいいわ。……この世からさっさと消えてなくなってしまうネ」

 

まずい!

本気で金剛は草加を殺すつもりだ。たとえどうしようもないクズだとしても奴は人間。金剛に人を殺させるわけにはいかない。彼女を薄汚い草加の血で穢してはいけない。

冷泉は足を振り上げた金剛に駆け寄り、後ろから羽交い絞めにして制止した。

先ほどまでの金剛の行動から冷泉の腕力で艦娘の行動を止められるとは思えなかったが、ここでなんとしても彼女を止めなければ、取り返しのつかない事態になることは明白だった。

 

「金剛、それ以上はやめるんだ。駄目だ」

とにかく、必死で彼女を抱きしめていた。

 

「な、何をするネ? 」

いきなり後ろから抱きしめられたことで驚いたのか、金剛は声を上げて振り返る。

 

「うっ」

すぐ目の前に金剛の顔がある。息がかかるほどの至近距離だ。目と目が合ってしまい、冷泉は言葉を失ってしまった。

こんな状況であってもドギマギしてしまう。

 

サイボーグ化した草加をいとも簡単に蹂躙する圧倒的な力を見せる艦娘なのに、抱きしめた両腕には驚くほど柔らかくはかなげな感触しか伝わってこない。

 

「あなた、離しなさい」

 

「駄目だ、金剛。こいつを殺してはならない。お前がこんな奴のために手を汚す必要なんて無い」

 

「うるさい……なんでもいいからこの手を離しなさい」

そう言って金剛は振りほどこうとするが、彼女は冷泉の両手を振りほどくことはできないでいた。先ほどまでの力を出せば、簡単に冷泉の拘束なんて振りほどけるはず。しかし、冷泉に伝わる力は、ただの女の子のものでしかなかった。なんでそうなったのかは理解できないが、危険な状況にはならないようなので安心だ。

 

今の彼女の力なら、弱っている冷泉でも簡単に拘束ができる。

「くっなんで振りほどけないの。なんて馬鹿力なの」

 

冷泉は草加から金剛を引き離す。彼女は抗おうとしたが、どうにもならない状況を理解したのか、急に力を抜いて抵抗をしなくなった。

 

ふう―――。

落ち着きを取り戻した金剛の状況を感じ取り、冷泉は心の中で大きくため息をついた。ただ、まだ油断はできない。彼女が隙を狙っている可能性も否定できないからだ。

 

「落ち着いたか、金剛。もう馬鹿な真似はするなよ」

恐る恐る声をかける。

 

「……仕方ないわね。理解できないけれど、これ以上の行動はできないらしいわ。はい、わかりました。もうあれをどうこうしようとは思いません」

諦めたように金剛が承諾した。

 

「艦娘ではありえないことをするから、一時はどうなることかと本当に驚いたんだぞ。……まあとりあえずは良かった」

 

「いちいちうるさいですネ。それよりも、ずっと抱きしめて身体を密着させているのは何らかの意図があるんですか? さすがに苦しいですし、離してもらえませんか? 」

 

「あ、……すまない」

冷泉は慌てて彼女から離れた。

「気が動転していて……」

 

「まあいいです。あなたもあなたなりに考えて……のことでしょうから」

 

「……」

先ほどからずっと金剛との他人行儀なやりとりが続くことに違和感を感じているが、これも今は別の提督の下でいるのだからやむを得ない……ということなのだろう。そう冷泉は自分に言い聞かせた。

落ち着いたせいか、冷泉は自分のしたことを思い返し、すこし鼓動が高鳴るのを感じている。

鎮守府にいたときは金剛からスキンシップをとってくるのが当たり前だったから思わなかったが、自分から彼女を抱きしめて初めて彼女を女性であると認識してしまったことにだ。

 

柔らかくて愛おしい。

 

自分の立場、置かれた状況をまったく考えずに、なにバカなことを考えているんだろうか。

そんな自分に恥ずかしさを感じる。

 

「て、てめえ」

怨嗟の籠ったドス黒いという形容が相応しい声が下から聞こえてくる。

草加が自信の安全が確保されたことを理解したのか、精神的劣勢を覆すことができたのか、どちらかは不明だが二人の会話に割って入ってきた。

「金剛! お前がやったことは、絶対に許されない。お前は艦娘の禁忌を破った。人間様に危害を加える……その重罪を犯したことなんて、絶対に絶対に許されないんだぞ。俺は絶対にお前なんかを許してやらないからな。軍法会議だぞ。泣き喚いて許しを請ったって許してやらない。くそ、めちゃめちゃ痛いんだぞ、てめえ。この痛みの償いは絶対にさせてやるんだから」

 

そういえばこいつがいたんだった。

面倒な問題がまだ残ってることを思い出した。

 

 

 

 

 

 



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第251話  decay of personality

彼の右腕は肘から上が吹き飛び、左腕は手首付近で圧し折られている。

義足を装着した左脚は完膚なきまでに破壊され、仕組まれた配線がショートしているのか時折火花が飛び散り、煙を上げている。

 

そんな状態になっても、草加は気を失うことなく金剛を糾弾する声を上げ続けている。あの怪我の状況なら、相当な痛みがあるはずなのに、どうしてああまでできるのだろうか? 

冷泉は仮に自分があの状況に置かれたら……と考える。とてもじゃないが、まともに意識を保つことなんてできないと思う。

 

それだけでいうと、草加という男は相当な奴なのかもしれない。もっとも、普通とは異なるベクトルで相当、……相当にぶっ飛んだ奴なんだろうけれど。こんな怪我をしていても、まだ意識を保っていられる精神力だけは称賛に値するのかもしれない。

 

そう思って改めて草加を見る。やはり、半端ない痛みがありそれに耐えているのだろうか。冷や汗というか脂汗というのかは分からないが、顔から噴き出すように出ている。いわゆる滝のような汗といっていい状況になっているのに、彼は汗をぬぐおうともしない。

「こ、こんごう、てめえ、てめへ」

唸るように声を上げ、艦娘を睨みつけるその瞳は少し濁ったようになっていれ、しかし随分と大きく見える黒目がランランと輝いているように思えた。

 

「おにゃへ、裸にひん剥いて、無理やり後ろから犯してやろうかぇ、ぐふっ。あふ、ぶっ飛ばすぞ」

飛沫をまき散らして喚く。

あれだけの暴行を受けたのだ。冷静さを失ってもやむを得ないか。しかし、それは理解できるが、やはりなんだか変だ。否、異常だ。

これまでに見てきた草加からは想像もできないほどに。どう考えても様子がおかしいとしか思えない。涎が垂れているのに、全く気にもしていない。

 

「おい、一体どうしたんだ? 」

彼の怪我も心配だが、それ以上に普通じゃない彼の様子のほうが心配だ。

 

「うるせえぞ、フニャチン野郎。カスは黙ってろぅい。おれはそこの……乳デカ雌牛に言ってるんだ。もうすぐ憲兵が来るぞ。そしたら、そのメス乳は人殺シで捕まんだ。シャシャサシャ~ね」

本当に様子がおかしい。草加はまるで酔っ払っているかのような状況だ。呂律も回っていない。

 

アルコールは接種しているはずもないのだが……。

 

大怪我をしているというのに、まるで痛みも感じていないようだ。はて、さっきまでは痛みで悲鳴を上げていたはずなのに、今は全く気にもしていない。それどころか折れた左手を使って起き上がろうとさえしている。

 

この男、怪我をしたこと自体、忘れてしまったのだろうか。

否……明らかに何らかの要因が彼に働いているのだ。痛みを完全に消し去るほどの効果を与える何かを。

酩酊状態にさえ見える状況になってしまうという副作用を込みで。

 

アルコール程度であの怪我の痛みを消す事なんてできない。……薬物? を草加は最初から使用していた?

それは考えにくい。確かに普段から言動はおかしな部分はあったけれど、それは年相応の幼さから来るものだし、普段と大きな違いは無かった。明らかにおかしくなったのは金剛の暴行を受けて負傷してからだ。

そもそも、そんな強力な薬物はそうそう手に入れられるものではない。まだまだ下っ端の草加ではさらにだ。裏ルートにコネでもないかぎり無理だ。ちなみに、冷泉の立場であっても無理だろう。

そもそも負傷してから草加に薬物を注入するような余裕も時間も無かったのは冷泉が見てあきらかだ。

 

まるで痛みを消すために、防御反応的に強力な鎮痛作用と酩酊作用をもたらす薬物を注入されたように。本当に、なにかの力が働いたとしか思えない。

 

そして、急に腑に落ちた。

 

また、三笠の悪戯か……と。

 

自分の楽しみのためだけに様々な嫌がらせをしてくる……。これもまさに三笠の嫌がらせに違いない。あらゆるものをおもちゃのように扱う、彼女の性根の悪さが見えてくる。

恐らく草加にはサイボーグ化させて圧倒的な力を与え、彼の自尊心を高めてやったんだろう。けれど、それは彼のことを思ってではない。草加というまだ子供の性格の邪悪さをさらに高めてやったら、きっと何か面白いことをやらかすだろうということを期待してのことでしかない。

 

そこに善意など欠片ほどもなく、ただの悪意だけしかない。

 

今回も、仮に怪我をしても痛みを瞬時に消すギミックを入れていたら、何か面白いことになるかも。ただその程度のことで、為したことでしかない。

 

……何を考えてるんだ! と怒ったところで意味は無い。いくら冷泉が怒り狂ったところで、三笠が面白がるだけだ。

 

「酷い怪我をしているんだ。怒鳴り散らしている場合じゃない。今、人を呼ぶからおとなしくしていろ」

冷泉はそう言って人を呼ぼうとする。

 

「痛くも痒くもねーわ、ばーか。俺はそんな暇ねーわ。……憲兵! 憲兵! 呼んで、この乳牛を告発しちゃるんだわ。俺様みたいな立派な特級の人間様に怪我を、こんな大けがさせた艦娘はとっ捕まえて解体だ、解体だ、こんにゃろう」

唾を飛ばしながら、瞳孔の開いた眼で金剛を睨みながら喚く。

「冷泉、アンタも見てたんだから、証人になれよ、な。重大な犯罪行為を、見逃すなんてこと、軍人ならできねーよな、冷泉」

階級差も頭にないのか、草加は冷泉を呼び捨てにしているし、言葉遣いも目上の者に対するものではなく、どう考えても最低だ。

 

「……」

 

「おい、聞こえてんのかよ、フニャチン野郎があ。お前もちゃんと証言しろよ、カス。腐っても人間様なんだから、な。いくらエロくても乳牛の味方なんてするなよ、ぼけ」

黙り込む冷泉にさらに怒りが湧いたのか、より汚い言葉で罵ってくる。

 

「……断る」

 

「は? 何言ってんの、冷泉よう。お前、やっぱりバカなの? 落ち目の男は冷静なシンキングも、できなくなるんですかね。HAHAHAHAHA」

もはや酩酊した人間を相手にしているのと同じだ。何を言っても意味がない。まともな思考をできなくなっているのは草加の方だ。

 

「お前、俺の事を笑ったな? 落ち目の冷泉のくせに、ナマイキだぞ! 天誅を加えてやろうか、こんにゃろう」

 

「いい加減にしろ、草加。今のお前はどう考えても普通ではない。医師を呼ぶから大人しくしていろ」

これ以上の会話も対応も無意味だ。そして冷泉には時間がないのだ。こんな奴の相手はしていられない。

そしてこいつはこの大怪我だ。冷泉の道程についてくることができなくなった。ならば、自分一人で動く口実ができたというわけだ。今のチャンスを逃がすわけにはいかない。

 

「そんなのどうでもいいんだよ、冷泉、今はお前のつまらん話に付き合っている暇ねえよ。そこの金剛を告発するんだからな」

 

「どういうことだ」

あえて繰り返し尋ねる。

 

「ハン、バカか。この艦娘は人間様の俺に暴行を加えた。それは重大な禁忌違反だってことは、フニャチンでもわかるだろう? それを俺は告発するんだよ。そして、お前はその証人だ。これで乳デカ艦娘の命運は尽きた。はっはっは。ざまみろだ、俺様をこんな目に合わせた報いだ。解体でもなんでもされて死んでしまうがいい」

勝ち誇ったような表情で草加が叫ぶ。らりったような口調かと思えばまともにしゃべったりする。どういう薬物が使用されたのかそれが気になった。

「軍人たるものは虚偽の発言なんてできないよな? だからあんたも事実のみを告げる必要があるんだよな。元の部下だって庇ったら、おめえも処分されんだからな」

 

草加の言うことはとんでもなく頓珍漢な発言ではあるが、たとえ人間側に問題があったとしても、艦娘が自身の意思で人を襲ったのであれば艦娘と人間との間の協定に違反することとなる。処罰は避けることはできないだろう。

そんなことが無いように、艦娘たちは鎮守府司令官の旗下に入り、その庇護下に入る必要があるのだ。たとえ何かあったとしても、司令官が暴発を未然に防ぐし、万一何かがあっても鎮守府司令官という立場で守るために。

 

しかし、今の金剛の傍に彼女の司令官はいない。近くにもいないのだろう。

これは彼女にとってはとてつもなく不味い状況であることに違いない。

 

 

 



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第252話 再びの愚行

確かに……。

冷泉の立場でいけば、事実を包み隠さずに述べることしかできない。一切の脚色なく、中立の立場で語るだけだ。そして、それを為せば終わりだ。

判断は別の者が行う。

……金剛にとっては不利な結論が出るだろう。いかに客観的にみて金剛が正しいとしても、結果のみが重視されてしまうのだ。それはたとえ冷泉が彼女の弁護をしたとしても同じだ。

 

【艦娘が禁忌違反を行い、人に重傷を負わせた。】

それだけである。すなわち、絶対に犯してはならない罪を艦娘が自身の意思で行ったということ。それだけで厳罰は避けられない。どんなに理不尽であろうとも、それは人と艦娘の間で結ばれた契約なのだから。一度決められれば、それが破棄されるまでは順守しなければならない。

 

枷である。

 

自身の有利な立場を確信した草加は、ニンマリと嗤い金剛を嘗め回すように見る。

「ざまーみろだ。くっそ、それにしてもぼこぼこにしやがって。びっくりしちゃったよ」

不平を言いながらも満足げだ。

 

「俺は……」

冷泉は金剛を一度見、そして草加を見る。

 

「は? あんだよ、アンタ。これ以上、何か言いてえことでもあんの」

 

「俺はそれを認めない」

 

「あー? 」

 

「お前は金剛を処断したいようだけれど、それは認めないと言ったんだよ」

冷泉のその言葉に一瞬、草加は茫然としたような表情を浮かべたが、すぐに蔑むような憐れむような表情を浮かべる。

 

「何言ってるの? この現場の状況を見れば明らかだよねえ。俺はこんなにボコボコにされてんだよ。そしてそれはそこの乳デカ女が私情に任せてやった暴行だ。それ以外に何があんの? アンタ、艦娘を庇うっていうのかなあ。……かつての部下だから何とかしてやりたいって無い頭働かせてんのかな。……全部俺に問題があるから、艦娘が暴走したとでもいうの? ふんふん。人間同士ならまあ通用する意見かもしれないけど、あのなあ、ちゃんと現実見ろよな。これって人間様と艦娘の間で起こった出来事なんだから、そんなの言い訳になんねーのアンタでも知ってんだろ? プップー」

小バカにしたような目で冷泉を面白そうに見る。

 

「金剛がお前に暴行を働いたのは、彼女の意志じゃない」

 

「あ? 何言ってんの……まじ、意味わからんし」

 

「簡単なことだ。俺が金剛に命じたんだよ。お前があまりに糞生意気だから、その愚かで腐った性根を叩き直してやれって、な。本来なら俺がそれをやればいいんだけれど、俺はもともと喧嘩が強くないし、お前は体をサイボーグ化して随分と強化してる。どう考えたって勝てそうもないからね。だから、艦娘を使ったんだよ」

 

「意味わからんわ、ぼけ、頭おかしくなったのかよ」

 

「正気だよ。元々は金剛は俺の部下だったんだぞ。たしかに、疑問に思うのは当然かもしれん。それでも、どういう理由かは知らないが、まだ俺に命令する権限が残されていたようだな。だから、それを使用したわけだ。いわゆる絶対命令権ってやつの発動だよ。それを使われたら、艦娘は命令に逆らうことはできない。……それがたとえ禁忌違反であったとしてもな」

 

「んなことあるかー。そんなことできるわけねーだろう。嘘つくんじゃねえや」

理解できないことを言われ混乱しているのか、草加が喚く。

 

「フフフフフ。そりゃあお前のような下っ端では知らないだろうな。ごくごく一握りの上層部の者しか知らない事実だからね。これがお前の羨む鎮守府司令官の特権の一つだ。……艦娘の禁忌をも上回る命令権限だよ」

 

「あんあんあん? 嘘だ嘘だ」

 

「残念だったな、草加。お前のちっぽけな望みは叶わない。金剛を罰することはできない。なぜなら、金剛は俺の命令に従って行動しただけだ。そこに彼女の意志は存在しない。……俺の命令に逆らうことはできないんだからな。道具を罰する方は無いってことだよ」

1から10まですべて嘘だが、気にしない。どうせ草加は知らないのだから、反論もできない。そして、こんなときはまじめな顔で言いきったらなんとかなるもんだ。

 

「そんなんあるわけない……。あるわけないじゃん。あるわけ……んんんんんんんんんなあああああああああああああああああ!!! 」

混乱したようにブツブツと呟いていた草加が何かに気づいたように目を輝かせながら吠えた。

「ちょ、ちょっと待てよ。……すると、するとだよう。冷泉、お前は三笠様の部下たる、そしてともに行動せよと命じられていた俺様を排除しようとして動いたってことだなあ。これはこれは、三笠様への反乱てえことだよな」

嬉々とした表情でニンマリと嗤う。

「ってことはだよ、お前は裏切り者なんだよなあ。待てよ、お前、墓穴掘ったんじゃね? 糞艦娘を守るために自分を不利な立場に追い込んだんじゃね? 」

 

まさに草加の言う通りである。

 

三笠直属の部下である草加をぶちのめすために金剛を使ったというのであれば、それは三笠への裏切り行為だ。それはどういった意図で動いているかわからないものの、冷泉を軍部から守ってくれている彼女の信頼を失うこととなる。とても不味い行動だ。冷泉は、失脚する可能性がある。冷泉が任務途中で失脚するということは、ともに行動する予定だった草加にとってチャンスといえる。冷泉がいなくなればその後釜に自分が入れるんじゃないかと期待するのもやむを得ないか。そんなうまくいくはずはないが、……草加の性格ならきっとそう思うだろう。

 

それはかれの中では確信となり、事実となる。もはや、金剛に対する私怨などどうでもよくなるはず。

 

 

冷泉だって本当はこんなことを言うつもりなどなかった。今は三笠に利用されているとわかっていても彼女の命令に従う必要がある。なんとしても大湊警備府へ行き、みんなを助け出さなければならないのだ。そのためには三笠の機嫌を損ねるような行動なんてしてはならないのに。

 

また考えなしで動いてしまった……。

冷泉は、頭を抱えそうになった。

 

けれど、窮地に追い込まれそうになっている金剛を放っておくわけにはいかなかったのだから。自身の立場が悪くなるくらいですむのなら、安いものだ。

 

 

ふと金剛の方を見ると、明らかに動揺したような表情でこちらを見つめていた。ここにきて初めて感情らしい感情を見せる金剛がいた。

 

 

 



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第253話 柔らかい感触

金剛が何を考えているのかは、今の冷泉には分からない。

想像だけはできるけれど、それは舞鶴鎮守府に彼女がいたころの人となりからの推測。今、横須賀鎮守府の艦娘となった彼女がどういう思考形態になっているかは冷泉には想像できなかった。所属する鎮守府が変わったところで、艦娘のパーソナリティは変わるはずがないのが必然。

 

けれど、今の金剛は冷泉の知る金剛ではなかった。纏う雰囲気も、表情も、喋り方も……。冷泉を見る視線もだ。なにもかもがあの頃とは違ってしまっている。

もはや冷泉の手の届かない遠いところに行ってしまったのだから、今さら驚くでもない。

 

「お前、何考えてんの? 」

心底不思議そうな顔をして草加が問いかけてくる。

 

「考えるも何も無いだろう。お前みたいなクソガキが嫌いだから、金剛に命じただけだよ。ただ、それだけだ」

 

「……うひひひひ」

何かを思いついたかのように草加がニヤけた顔で冷泉を見る。

「まあ、まあなんでもいいや。……くそっ、痛えな。ムカつくけど、アンタの言うことを今は信じてやるよ。糞艦娘のことは今回は不問だ。それ以上に俺にとっていいものを手に入れられそうだからな。キッキッキ。本当はもっと先になると思っていたけどよう、お前みたいなムカつく奴を貶めることができるんなら、ちょうどいいや。お前は、お前の言ったことに責任取ってもらうからな」

 

今さらどういう展開になろうとも、冷泉の立場には大きな差がない。艦娘を使って人間を傷つけたところで、かけられた嫌疑にとっては大したものじゃない。

「……お前がこれからどうしようとしているのかはわかるけど、残念ながら今はお前の相手をしている場合じゃないんでね。ちょっと可哀そうだけれど、勘弁してくれよな」

冷泉はそういうと床に転がったままの草加に向かって歩いていく。

 

「な? 何をしようとしてんだよ」

完全に冷泉を追いつめたつもりでいた草加は、自分が置かれた状態を完全に失念していたようだった。

彼は義足を圧し折られ、その上両手は使い物にならない。つまり、迫りくる冷泉を阻止するどころか、立ち上がることも逃げることさえもできないのだから。

 

「俺はお前に構っている暇はないんだよ。それはお前も理解しているな。俺たちはこれから為すべき任務があったことを忘れたわけじゃないだろう? それなのに、お前はつまらないことにこだわって貴重な時間を浪費し、挙句の果てには任務遂行すらできない状況になってしまっている。本来であれば、お前とコンビを組んで任務を果たさなければならなにのに、とんだ失態だ。どちらかというと俺の罪よりもお前の罪のほうが大きいんじゃないかな? 三笠はお前に言ったよな。俺とともに任務を果たすようにって。それをお前はできなくなっているんだ。これをどう言い訳するんだ? 」

 

冷泉の言葉にどんどんと顔が青ざめていく草加。

その状態を見るだけでどれほど彼にとって三笠という艦娘が恐ろしい存在なのかがわかる。

 

「おい、嘘だろう? 何でそんなことになんの。俺は何にも悪くないぞ。そこの乳デカ女と無能な男が全部悪いんだろう。俺は何もしてない。むしろ被害者だろ。おい、なあ、なんとか言えよ。俺を弁護しろよ、俺は悪くないだろ? 俺は巻き込まれただけだろ? おい、なんで黙ってるんだよ、なんで俺に近づいてくる。俺は怪我人だぞ、怪我人に何するつもりだよ」

 

「……お前は任務遂行をしようとしたが、俺にいきなり殴られて気を失った……そんなシナリオにしてやろうっていうんだ。そうすれば少しは三笠の心象も良くなるだろう? 」

実際は三笠は逐一モニターしているだろうから、絶対に草加は許されないだろうけれど、あえてそんなことを言った。むしろ面白がって、さらに何かを企んでるだろうな。

 

「ヒッ……酷いことしないで」

這うようにして後ずさる草加。

とりあえず、蹴とばしたら気を失うかな? そんなことを考えたが、それより早く空を切るような音。同時に鈍い音がしてカエルが潰れたようなうめき声を出して草加が横に吹っ飛んで転がっていった。

 

「な? 」

冷泉の前には金剛が立っていた。

草加は彼女に思い切り蹴とばされ転がりながら壁に激しくぶつかって動かなくなっていた。

 

「大丈夫、手加減したから多分死んでいないわ。……死んだところで私にも提督にも関係の話でしょう? 」

見るとひっくり返った草加の体はかすかに動いているようだ。本当に手加減はしたようだな。

 

「しかし、こんごう」

振り返りながら彼女に話しかけようとすると、すぐそばに彼女がいた。もうぶつかりそうになるぐらいのすぐ傍に。

 

「どうして? どうして、見え透いた嘘をあの男についたの? 」

息がかかるくらいの距離に金剛の端麗な顔がある。真剣な表情で瞬きもせずに冷泉を見てくる。

 

「そ、それは……あんなくだらない奴に君の邪魔をさせたくなかったからだ……よ」

冷泉は金剛に見つめられ、目をそらすこともできなかった。

彼女は何も言わずに冷泉を見つめたままだ。言葉を発さない。すべてを話せと急かすかのようだ。

「あんな奴のために、君が迷惑をこうむるようなことにはさせたくなかった。せめて……俺は俺のできることをして、君を守りたかったんだ」

それは本音だった。たとえ自分の部下で無くなろうとも、金剛は冷泉にとって大切な艦娘だ。できるかぎり助力をしてあげたい。できることを、いやたとえできないことであっても、彼女の役に立ちたい。その気持ちはずっと持っていた。

それが何をもとにした感情かはわからないけれど……。

自分は彼女を守ることができなかったという後悔もあるのは間違いないけれど。

 

「くだらない……」

吐き捨てるように金剛が呟いた。

 

「え? 」

金剛に問いかけようとした冷泉だが、次の刹那、金剛は冷泉の襟首を掴むと、彼を壁に打ち付けた。

激しく背中を打ち付け、呼吸ができなくなった冷泉は声すら出せなかった。

 

右手で冷泉の襟首を掴んだ金剛は、冷泉の体を引き寄せる。

再び彼女の顔が冷泉のすぐ傍まで近づいていた。

もはや鼻と鼻がふれるほどの距離だ。

 

かすかに懐かしい金剛の香りが漂ってきた。

「……」

ほんの一瞬、彼女が何かを呟いたように感じた瞬間、金剛は冷泉に口づけてきたのだった。

 

柔らかい感触が冷泉の唇に伝わってきた。

冷泉は何が自分の身に起こったのか、すぐには理解できなかった。

その非現実から自身の状態に気づいた時、意識が遠のく感じがした。

 

 

 

 

 

 



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第254話 甘い接吻

柔らかく温かい感触が唇から全身に伝わっていく。それは甘美であり危険なものであった。

とろけるような気持ち、そして全身が熱くなる感覚。

冷泉は冷静さを取り戻そうと必死になる。

 

すぐ傍に目を閉じて冷泉と唇を重ねている金剛がいる。

かつては自分の部下でいつでも傍にいて笑顔を見せてくれていた少女。

今はての届かない遠い遠い場所に行ってしまったはずの少女。

 

同時に金剛の舌が冷泉の口の中に滑り込んできた。そして、冷泉の舌に絡まってくる。

一瞬の動揺の後、冷泉は驚きよりも欲望が上回り、むさぼるように応えていた。

 

金剛が、今、自分の腕の中にいる……。高まる感情の中、冷泉は金剛を抱きしめていた。

 

あの時言えなかった言葉、伝えられなかった想いがあふれ出しそうになる。

もう二度と離したくない。叶うことの無いはずの願いを願ってしまいそうになる。

 

愛おしい……。

ずっとそう思っていたのに言葉にできないままだった。目を背けていた感情だった。

金剛を失ってしまったせいで、その喪失感が……失ったものの大きさが抑圧していた冷泉のどろどろとした感情の蓋を開けさせてしまったのだろうか? 

できることなら、このまま金剛を奪い去って……。

 

すべてから逃げ去りたい。

 

刹那―――。

冷泉の脳裏を舞鶴鎮守府の艦娘たちの姿が横切った。

 

それは暴走しそうになる冷泉の感情に冷水を浴びせかけたのと同じ効果をもたらす。

 

強く抱きしめていた冷泉の両手の力が失せていく。

 

瞳を開くと、金剛と目が合った。

 

冷泉を見る彼女の瞳は恐ろしく冷たく感じられたのはなぜだろうか。

金剛は冷泉の襟首を掴んでいた力を弱めると、彼を突き放す。その力はやはり艦娘のものであり、人間とは思えないほどの力だった。

 

冷泉は激しく壁に背中を打ち付け、うめき声をあげて床にへたり込んでしまう。呼吸を求めてみっともなく咳き込む。

 

「……つまらない」

声が聞こえ顔を上げると、心底つまらなそうな表情をした金剛が、袖で唇を拭っているところだった。

冷泉は床に這いつくばった状態で彼女を見上げている。彼女の体の凹凸が強調されるアングルであったため、直視できずに目を逸らしてしまう。

 

「なんて本当に、つまらない」

もう一度、彼女が言う。

 

冷泉は何のことか分からずに彼女を再度見上げる。その表情が彼女にとって間抜けに見えたのだろうか? 金剛は蔑むような表情になる。

 

「もっと何かがあるんだと思っていた……」

冷泉にではない誰かに言うように金剛が呟く。

 

「こんご、ゲホ、……金剛、一体何のことを」

咳き込みながらもなんとか彼女に声をかける。

 

「……冷泉提督、私ね、横須賀に来てからもずっともやもやした気持ちをも持ったままだったの。何かよく分からない感情が自分の中にあって、どうしてもそれを理解できなかったの。何だかわかるかしら? 」

 

「いや、……俺にはわからない」

その問いかけに答えを持ち合わせていない。

 

「私ね、横須賀鎮守府に着任しても、ずっと冷泉提督、あなたのことが気になっていたの。もはや上官でも何でもない存在のはずだというのに。司令官の切り替えがきちんとなされたはずなのに、なんで提督の事が気になるのか明確な回答が得られなかったの」

金剛の言うことは、おそらく艦娘は所属する鎮守府の司令官に対して好意を持つように調整されている……ということなのだろう。

もちろん、冷泉はそんなことは無いと思っている。しかし、冷泉の考えにも何の根拠も無い。実際のところ、冷泉は舞鶴鎮守府の司令官の任に着いた際に前任の提督からの切り替えが各艦娘にされていなかったという事実があったから真偽を確かめようもなかったのであるが。

もし、金剛の言うようにそういった調整ができるのであれば……それが冷泉が鎮守府司令官になった際になされていたのなら、舞鶴鎮守府の艦娘による反乱も無かったのだろうけれど。

 

しかし、それが艦娘にとって幸福なことかどうかは冷泉には結論が出せないでいた。

 

「喉の奥に刺さった棘……という言い方が正しいのかしら。とにかくそんな感情があったの。もはや他人でしか無いあなたのことがいつも心のどこかにいて、あなたのことを考えている自分がいた。それは艦娘としてとてもおかしいとだと思わない? 」

 

「それについて俺は答えを持ち合わせていない」

確かに舞鶴にいるときには金剛は冷泉に懐いていた。好意を隠すことなく冷泉に接してくれていた。客観的に見れば、金剛は冷泉に好意を持っていたといっていい。自惚れではなく、それは確かに認識していた。けれど、彼女の好意は自分へのものでは無く前任の司令官へのものだと思っていた冷泉は応える事ができなかった。それどころか彼女を突き放す選択をせざるをえなかった。

彼女との別れの状況からすれば、どちらかといえば、恨まれていると思っていた。

 

「ふふふ、相変わらず鈍いままなのね」

どこか寂し気な口調で金剛が呟く。

「客観的に分析すれば、私の感情は人間でいうところの「恋」だわ。冷泉提督のことを考えていると心がざわつくし、ドキドキしていた。もう提督の傍にいられない現実を受け入れられない自分がいる……と思っていた。それだけじゃないわ。きっと私は提督の事をまだ好きなままだったの。そして大好きな提督に抱きしめてもらいたい、……口づけを交わしたいなんてことを本気で思っていたのよ」

告白のような言葉を続ける金剛だが、その口調は淡々としたものであり表情には何の変化も無い。

 

「でも……はっきりしたわ」

 

「それは? 」

思わず口にしてしまう。

 

「私は提督に抱きしめられた。そして、キスをした」

 

「……」

 

「……けれど何も感じなかった。ただ、事実としてキスをして、抱きしめられた。それだけしかなかった。私の心は何も感じなかった。完全な無風だった。私の疑問は、ただの妄想だったってことがわかりました」

淡々と事実を述べるように金剛が話す。

冷泉はそれを聞いているしかできなかった。

 

「これで安心して任務につけます。そのためにどうしてもあなたに会わなければならなかったのだから」

宣言するような言いぶりで金剛は冷泉を見る。

 

「金剛、お前は……何をするつもりだ」

何をするかなど分かっているのに、あえて聞いてしまう。

 

「すでに横須賀鎮守府艦隊には指令が出ています。大湊警備府艦隊及び舞鶴鎮守府残存艦隊に国家反逆の動きあり。速やかに敵勢力を排除せよ……と。私はその艦隊の旗艦としての責務を果たすこととなります」

 

「任務だから当然だが……降りることはできないのか? 」

 

「なぜそんな愚かなことをいうのか、理解できませんが」

 

「お前が戦う相手は同じ艦娘なんだぞ」

 

「日本国に対して反乱を起こした勢力です。しかも、深海棲艦との共闘の疑いまであります。放置するなんてありえないでしょう」

 

「しかし、相手の中には舞鶴鎮守府の同僚だった艦娘もいるんだぞ。あいつらをお前は殺せるのか? 」

艦娘として任務に背くなんてできることがないのを知っていながらも聞かずにはいられなかった。

 

「当然のことでしょう? こちらに銃口を向けるというのであれば討たない理由がない」

 

「俺はお前にかつての仲間と戦わせたくないんだ。だから……」

 

「愚かなことを……またあなたはくだらない私情に流されて更なる間違いを起こそうとしている。何度同じことをすれば気が済むのでしょう。あなたは常に間違った選択を続け、より状況を悪くするしかできない無能な司令官のままですね。……いえ、もう司令官の任は解かれているんでしたか。どうせ何にもできないんですから、安全な外野から勝手に一人で好き勝手な妄想を喚き続けてればいいです」

そう言うと金剛はもはや冷泉に興味を失くしたのか立ち去ろうとした。

 

「待ってくれ金剛」

慌てて冷泉は立ち上がると、彼女の手を掴んだ。

 

「何ですか、この手は」

 

「行くな、金剛。俺はお前に仲間と戦わせたくないんだ、だから」

次の言葉を言うより早く、衝撃が冷泉を襲う。

冷泉は金剛に突き飛ばされ、再び壁に体を打ち付けていた。

 

「汚らしい手で私に触れないでください。私は横須賀鎮守府の艦娘です。あなたのようなどこの誰だか分からない人に触れられたくありません。本当に気持ち悪いです」

汚物を見るような目で金剛は冷泉を睨みつけた。

 

背中の痛み、そして後頭部にも痛みがあるが、それでも冷泉は必死に立ち上がる。立ち上がらなければならない。

「金剛、行くな。行っちゃだめだ。お前が戦う必要なんてない。お前が悲しい思いをする必要なんて無いんだ。だから、だから」

そこで激しくせき込み、うずくまってしまう。

咳き込んだ時に口に当てた手を見ると、べったりと血が付着していた。

 

「こんご、う」

縋るような目で彼女を見る。

ほんの一瞬だけ表情に変化があったように見えたが、すぐに平静な表情に戻った彼女は、冷泉に対して何も言わずに背を向けると立ち去って行った。

 

必死になって手を伸ばそうとするが、再び咳き込んでしまい、床に倒れこんでしまう。

「だめだ金剛、……行くな、行かないでくれ」

冷泉の想いは、彼女には届かない。

 

自分の無力さを何度も何度も痛感させられ、それでも立ち上がろうとするのに……やはり駄目なのか。

届かないというのか……。

 

 

 

 



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第255話 再開

きっと……想いは届かない。

強く想えば想うほど、逆にそれは遠のいていく。

世界に神は存在などせず、仮に存在したとしても自分の事など見てもくれない。

どんなに願おうとも、届くことなく、叶うことの無い願いなのだ。

 

そんなことにはもう慣れていたはずだった。

努力が足りない……人は簡単にそう言うだろう。

確かにかつてはそうだったかもしれない。自分にとっては必死に必死に頑張ったつもりだった。だけど、他人から見たらその努力など小さなものでまだまだ不足していたのかもしれない。

願いが叶わなかったとき、自分の努力が足りなかったと何度も何度も自分に言い聞かせ、思うようにならない現状から目を背けて自分を納得させていた。

 

そうだ、昔はそうだった。まだまだ自分の努力不足だった。

どこかで全力を出すことを避けて、逃げ道を作っていた。

自分はまだ本気じゃない。だから、今回失敗したんだって、本気じゃなかったから、仕方ない。

 

俺は、まだ本気じゃないんだから……。

 

本気を出したら、きっとすべてがうまくいく。いくはず……なんだ。これだけは間違いない。

 

けれどこの世界に来てからは……、舞鶴鎮守府司令官になってからは、死ぬ気で頑張ってきたつもりだった。

 

何故なら、自分一人の世界では無かったからだ。

 

大切な部下たちを守るために、自分に逃げ道を確保する余裕が無かったからだ。

 

寝る間も惜しみ、必死に必死に頑張った。

しかし、すべては空回り。自身の能力不足を痛感するだけで、何も為すこともできず、ただ流されて多くのものを失い、これからも失い続ける人生となってしまった。

 

そしてまた、……何もできなかった。何もできずに見ているだけしかできなかった。

 

「くそっ! 」

床に両手をついた冷泉は、頭を強く床に叩きつける。

 

何度も何度も。鈍い音が響く。

 

痛みが全身を貫くが、それが自身の抑えきれない感情を、辛さを打ち消してくれる。

 

意識せずにあ増えだす涙のせいで視界がぼやけて見えなくなっていく。

「まただ。また……俺は何もできない。ただ喚くだけで何もできなかった」

嗚咽が漏れてしまう。

何度も自身の弱さ、情けなさ、無能さを知らされているのにまだ許してくれないというのか。

 

「くそっ」

現実から目を逸らそうと、また床に頭を激しく打ち付ける。先ほどよりも強い力で何度も何度も。

 

それで何かが解決などするはずもない。

ただ、自分を傷つけるだけで、何も解決なんてしない。ただの自傷行為でしかない。そこに何の意味もないし、解決すべき問題は残されたままで一歩も進んでいない。むしろ、後退しているだけでしかない。

 

そんなことは分かっている。

けれど、一体、俺にどうしろというのか。

これ以上、無能な自分に一体何ができるというのか。

 

もう許してくれよ。休ませてくれよ……。

 

刹那―――。

 

脳裏に少女たちの姿が浮かぶ。

それは加賀であり、長門であり、神通であり、舞鶴鎮守府で部下であった艦娘たちの姿だった。そこには沈んで逝った艦娘たちの姿もあった。

彼女たちは冷泉を見つめているだけで、何も言わない。

 

助けてほしい……。

苦しい……。

なんとかしてほしい……。

 

彼女たちの気持ちは、そうなのだろうか?

 

否、そうではなかった。

 

彼女たちは皆、冷泉の事を気遣うように見つめていたのだ。

 

彼女たちの想いが伝わってくる。

自分たちの事なんか構わずに、あなたはあなたのために生きてほしい。あなたは十分、私たちのためにやってくれた。これ以上苦しまないでほしい。もう十分なものを、あなたは私たちに与えてくれた。でも、もういい。あなたの苦しむ姿を見ることは、私たちにもっても苦しみでしかない。

あなたが私たちを想ってくれるのと同じくらい、いえ、それ以上に私たちもあなたの事を想っている。

だから、もう十分です。

あなたはあなたのための人生を歩んでください。私たちに囚われないで……。

 

それが冷泉の思いこみなどではなく、偽りのない彼女たち想いであることを冷泉は感じた。

艦娘たち皆の総意であることを。これまでの付き合いの中でそれは分かっていたことだった。

 

ドン。

冷泉はもう一度だけ渾身の力を込めて額を床に打ち付けた。

袖であふれ抱いた涙をぬぐう。額が切れていたようで袖が真っ赤に染まっていた。

 

「まだだ。こんなのころで止まっているわけにはいかない。……俺はまだ何も成し遂げていない。無能な俺でもまだできることがあるのだから。最後の最後まで足掻くしかない。皆の優しさに甘えるわけにはいかない。まだそんな時じゃ無い」

 

冷泉は体中の痛みをこらえながら立ち上がる。

こんなところで止まっているわけにはいかない。

何故ならまだすべてが終わったわけではないはずだから。

 

この先、どんな運命が待ち受けているかは分からない。あるのは最悪の運命しかないのかもしれない。けれど、それは最後まで行かない限りは分からないのだ。

ほんのわずかな可能性があるのなら、そこに賭けるしかないのだろう。

 

何故なら、冷泉の運命は冷泉一人のものではないのだから。多くの部下たちの運命でもあるのだ。諦めているわけにはいかない。這いつくばってでも立ち向かわなければならないのだ。

 

それは、最初に艦娘たちに約束したことなのだから。

 

たった一つの約束だ。

それくらい守らなければ、何のために生きてきたのか。

できるできないなんてまだ分からないけれど、それでも足掻くしかないのだ。

 

一歩踏み出した刹那、ふらついて転倒しそうになる。

しかし、何かに支えられるのを感じた。

 

「大丈夫ですか? 」

と、少女の声がした。

 

「え? 」

聞きなれた声色に思わず声を上げてしまう。

見上げた視線の先にいる少女の顔を見て、微かにうめいてしまう。

 

どうしてこんなタイミングでこの娘が出てくるんだ?

 

「どうしたのですか、冷泉提督。何か変でしょうか? 」

淡々とした口調で少女が話しかけてくる。

グレーのベストを着た、少しきつめの瞳。ピンクのリボンタイにピンクの髪。

 

かつて冷泉の部下であり、彼を裏切り敵対した艦娘。そして、最後は冷泉を庇って沈んだ艦娘。

不知火だった。

 

一度、第二帝都で見かけているから、これで二度目だ。

 

なんということだ。

冷泉は歯ぎしりをしてしまう。

 

すべては裏で三笠が糸を引いているのは間違いない。

 

どうしてこんなタイミングで彼女と引き合わせるのか。

心を乱すようなことを何の意図でするのか。

金剛と引き合わせてみたり、今度は不知火とか。

 

理不尽な状況に、腹立たしさがこみ上げてくる。

一体、何を考えているのか。何をしたいのか。

 

「提督? 不知火に何か落ち度でもありましたか? 」

冷泉の気持ちなどまるで知らない不知火は、少し不機嫌そうな表情で問いかけてきた。

 

 

 



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