なろう的異世界生活 (いきなり! ナマクラ伝説!)
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なろう的異世界生活

 まずは、一人の少年を紹介しておこう。

 

 『ユータ』。彼は小中学生の頃はどこにでもいる普通の少年だったが、高校から苛めが原因で不登校になり、出席日数が足りず中退してニートとなり、だからといって働き出す訳でもなく惰眠を貪り続けた結果親から見放され、家を追い出されたその日にトラックに跳ねられて死亡したと言う……、まさになろう主人公の鑑と言える存在だった。

 

 こんな逸材を神が放っておく筈もなく。「まじかよ、ホントにこんなテンプレな奴居るとかマジ笑うんですけど」「ねぇ仏陀ぁ、こいつマジで異世界にくれてやらね?」「あーそれ、アリよりのアリ!」等と悪ふざけ半分で、彼は全く違う神の管理する「なろう的異世界」へと転移する事となった。

 

 特に意味はない。神様なんて、気まぐれなものである。

 

 これはそんな、ネタで異世界転移させられてしまった少年ユータの山も谷も無い平凡な日常を淡々と語るだけの物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に来ちまった……、なろう小説なんてただの妄想だと思ってたが」

 

 目を開いたユータは、見晴らしの良い野原にポツンと立っていることを自覚した。

 

 周囲に繁殖している虫や植物に見覚えはない。全く知らぬ、未知の生態系。

 

 安らかな風が身を包み、仄かに香る草の臭いが夢ではないことを示す。

 

 それは、ユータが本当に異世界へと来てしまった証拠であった。

 

「空気がうめぇぇ……。で、俺は何処へ行けば良いのかね」

 

 何故彼が野原に転移したかと言えば、単に人前に転移させると地元民が混乱するだろうという配慮である。

 

 神様は無駄に仕事を増やしたくないのだ。

 

「えっと……、そうだ。まずは……『ステータスオープン』!」

 

 ユータは、自信の知識に則って異世界生活の基礎となる呪文を唱えた。

 

 ステータスオープン。それは、自身のステータスを確認する魔法であり、大概主人公はぶっ壊れた値を持っていて「こ、こんな数字あり得ませんよ!」と出会った人に驚いて貰うまでがテンプレートである。

 

 果たして、彼のステータスは。

 

「……」

 

 表示されなかった。

 

 何故ならこの世界には、ステータスとかいう概念は無いのだから。

 

 そもそも彼は、神の悪ふざけにより適当なノリで転生しただけである。

 

 神様は適当に受け入れてくれた異世界に飛ばしただけであり、彼のために何もかもなろうらしく設計された世界に飛ばす等の手間暇をかけるモチベーションが無かった。

 

 それに、神様は彼に特別な転移特典の類を渡したわけではない。現地住民と言語は通じないし、身体能力も体力も地球そのままだ。

 

 だからぶっちゃけステータスが分かる魔法が有ったとしても、彼のスペックは一般人と同じ程度だろう。いや、下手をしたらニートな分他人より弱いくらいである。

 

「成る程。そういう系の異世界では無いわけだな」

 

 ユータは納得し、次に自分の身体能力を確かめることにした。

 

 異世界主人公は、主に二通りに大別される。即ち、強化系と特質系だ。

 

 強化系の主人公は単純一途な者が多く、『化け物じみたステータス』で他者をビビらせ、正義の立場で悪をなぎ倒すある意味正統派のなろう主人公だ。所謂「無自覚系最強主人公」は、これに分類されるだろう。

 

 一方で特質系主人公は個人主義でカリスマがあり、『初期ステータスは貧弱だが絶対に他者には真似できないバランスブレイカー的異能』を持つ存在だ。洗脳であったり、成長補正であったりがこれに分類されるだろう。

 

 だから、ユータは自分の身体能力を把握することでどちらの主人公なのか判断しようとしたのである。

 

「……ふむ、俺は特質系か」

 

 彼の調べたところ、自身の身体能力は現実世界に居た時と大差はなかった。つまり、初期ステータスは非常に貧弱であると言える。

 

 彼が自身を特質系と判断したのも無理はない。

 

「なら、後は俺がどんな特殊な力を貰ったのかだな」

 

 彼は、ソコまで考えると立ち上がった。これからやることは山積みなのだ、のんびりしている暇はない。

 

「まずは、情報を。人里を探すとしよう」

 

 彼は、こうして明日に向かって歩き出した。ニートだった頃では考えられない、前向きな表情で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 歩いたのは地球的距離尺度にして、30km程。小さな山や森は見当たれど、人里の気配はない。

 

「……」

 

 ニートは、体力が尽きて倒れ込んだ。

 

 人里を探す以前に、人里まで歩けるかが問題だ。彼は、その現実を思い知った。

 

 神様が『転移の瞬間を人に見られたら面倒くさいし、周囲100kmは人が居ない、かつ危険な魔物も少ない野原とかに転移させよ』と考えたのが運の尽き。水もなく、モノも食べられず、30kmという距離を歩いたニートは死にかかっていた。

 

「こんな……筈じゃ……」

 

 せめて水が飲みたい。なのに、池や川が見当たらない。

 

 こんな残酷な話があるか。何も物語が始まらず、ただ歩いただけで熱中症で死亡するなんて。

 

 どれだけ心の中で世界を呪っても、状況は好転しない。頭上で燦々と照りつける、この世界の太陽に当たる星。止まらぬ汗と、対称的に加速する喉の渇き。

 

 このままじゃ、本当にユータは干からびて死んでしまう。

 

「せめて、日差し、に」

 

 照り付ける日を嫌って、ユータは森へと這いずる事にした。野原を歩いている時に、森の中にチラチラと獣が見えた。だからユータはずっと森を避けていたが、こうなっては背に腹は代えられない。木陰なら、まだ体力の消費は少ない筈だ。

 

 森に生い茂る木に果物でもなっていれば貪るのだが、周囲の木々にその様な栄養価の高い果実は無さそうだ。針葉樹と言うのだろうか、森には葉が細長く尖った形の木が群生していた。

 

「果物とか、ねぇよなぁ」

 

 そもそもユータは、この世界の植物の知識なんて持っていない。それが本当に果物なのか、はたまた毒物なのかの区別がつかない。

 

 見知らぬ植物は、見知らぬ動物を食すより遥かに危険。彼は、そんな言葉を聞いたことがあった。

 

 ここで俺は死ぬのかな。

 

 そんな絶望が頭を過り、諦めた表情で木にもたれながらも周囲を見渡すべく再び立ち上がったユータは。

 

 

 

 

 

「……川!?」

 

 

 幸運なことに、流れ行く水のせせらぎに気が付いた。

 

 いや、正確にはこれは幸運でもなんでもない。ユータは単に、今まで森を避けて野原を突き進んでいたから川に気が付かなかっただけである。

 

 川付近には魚を獲るべく動物が棲む。動物が住めば、動物により媒介される種類の植物や安定した水源を必要とする木々が繁殖し始める。

 

 要は、ユータが森を避けていたから川の存在に気付けなかったのだ。

 

 彼が森を避けて進みさえしなければ、ユータは簡単に水源だけは確保できていたのである。

 

「みっ、水っ」

 

 かぶりつくように、ユータは川にすり寄って両手で水を掬って飲んだ。多少汚れていようが気にするまい、今は水分を摂取することが大事なのだ。

 

「はー、生き返るわぁ……」

 

 ガブガブ、と水を口に含んで数秒。彼の肌は潤いを帯び、再び活気を取り戻した。そして彼は改めて、川とその周辺を見渡す。

 

 清らかな水流、人の手が入っていない粗雑で自然な川辺。小さな魚が岩影に隠れ、小鳥が川に突き出た岩端で囀ずっている。

 

「……魚か」

 

 ぐぅ、と腹の音が鳴る。ユータの中で、今何をすべきかのプランが積み上がっていく。

 

 そして、彼は動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すりすりすりすりすりすりすり。

 

 すりすりすりすりすりすりすり。

 

「手が痛い。本当にこれで火が付くのか?」

 

 ユータは、まずは火を起こすことにした。魚を捕っても、生では食べられない。

 

 剥けた木の皮を集め、ごつごつした枝を擦り合わせ。いつか見たレジャーサバイバルの知識だけで、彼は火を起こそうとしていた。

 

 すりすりすりすりすりすりすり。

 

 すりすりすりすりすりすりすり。

 

「おっ!! 今、ちょっと煙出たか!?」

 

 しゅ、と言う鋭い音と共に僅かな煙が立つ。どうやら、方法は間違っていないみたいだ。

 

「よっし、やる気出てきたぞ」

 

 すりすりすりすりすりすりすり。

 

 すりすりすりすりすりすりすり。

 

 彼は無心に枝を両手で回し、一点を加熱していく。

 

 そしてついに。

 

「よっしゃあ!!」

 

 ボッ、と言う不細工な音を立てて。彼がひたすらに枝を擦り付けていた乾いた木の皮に、彼の努力の火は灯った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「獲ったどぉぉぉぉおおおお!!!」

 

 ようやく木に火が付いた頃には、周囲は暗くなっていた。

 

 彼は慎重にその炎に枯れ葉をくべて、他の木の枝に燃え移らせ、大きな焚き火を作り上げた。

 

 これで準備は万端だ。

 

「食料ぅ……、うう、食料だぁ」

 

 次に、彼は銛を作った。とはいっても、頑丈そうな木の枝を、岩にぶつけて叩き割って先端を尖らせただけのシンプルなものだ。

 

 彼は、魚を取るのに釣りではなく銛による漁を計画していた。理由は簡単、糸や針がないからだ。

 

 川底に足を付け、ユータは岩の隙間に隠れる小魚を狙って漁をする。

 

 しかし、池を泳ぐ魚は速い。ユータは体力の持つ限り銛で突いて突いて突きまくったものの、一度も魚に刺さることはなかった。運動不足のニートが、いきなり銛による漁など無謀でしかないのだ。某番組のように、大漁に魚が取れる方がおかしいのである。

 

 だが、しかし。

 

「ちっこい、蟹ぃ!!」

 

 彼が漁を諦めて川から出てきた刹那、蟹によく似た謎の異世界生物が川原にゾロゾロと歩いているのを発見したのだ。

 

 ユータは、即座に獲物めがけて駆け出した。その生物の逃げ足は早かったが、咄嗟に彼は一匹を銛の束で叩いて殺すことが出来た。

 

 動かなくなったその生物の死体を持ち上げる。ユータの掌にピッタリ収まる程度の大きさのその生物は、細長い足が生えて固い殻に覆われている。つまり、地球で言うところの蟹にそっくりであった。

 

 事実、この生物はこの異世界でも食用とされている。地球だと甲殻類に分類されるだろうこの生物を焼いて、肉や内蔵をすすると中々に美味なのだ。

 

 パチパチ、と音がする。木の枝に串刺しにされた蟹の死体は、芳醇な匂いを漂わせて赤く変色していく。

 

「ほっ……ほっひひ!」

 

 ユータが蟹の殻を血塗れになりながら破って、中身をすすった第一声がそれであった。

 

 空腹の頂点に達した後で、苦労に苦労を重ねた食事。それは、ろくな成功体験のないユータにとってどれ程の達成感だろうか。

 

「ああ……食事って、こんなに苦労して取るもんなんだな」

 

 ユータの目に涙が浮かぶ。

 

 今まで地球で当たり前のように享受してきた幸せを、今さらになって実感したのだ。

 

「俺が……間違ってたなぁ」

 

 どうして、努力しなかったんだろう。どうして、やり直そうとしなかったんだろう。

 

 生きるってどれだけ大変なのか、食べられるものがあると言うのがどれだけ幸福なのか、ユータはこの日初めて理解した。

 

 自らの無様な人生を一人寂しく悔いながら。ユータは涙を溢し、焚き火のすぐ傍で横になって泥のように眠った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 ユータが何かの気配を察知して目を開くと、目の前に熊のような大型の生物が佇んでいた。

 

「……ひっ!?」

 

 ユータが思わず悲鳴をあげる。すると、クマっぽい角の生えた生物もビクリと震える。

 

 やばい、野性動物だ。このままじゃ殺される。隣の焚き火を見れば、とっくに火は消えていた。だから、近寄ってきたのだろう。

 

 ユータは額に汗を浮かべながらも、何とか生き残る術を模索する。

 

「そうだよな、迂闊だよなアレは」

 

 寝起きの頭でユータは自省した。

 

 昨日のユータは、非常に危険な状態だった。獣にとって餌の宝庫である川原で、堂々と爆睡する生き物があるものか。

 

 人間に慣れてない生物達が、火を恐れて近寄ってこなかったからユータは事なきを得ただけである。普通なら、即座に襲われて殺されて獣の胃袋に収まっていた。

 

「アーアアー!!」

「っ!」

 

 こうなれば、やけくそだ。大きな声を出して驚かせるしかない。

 

 ターザンの如く大声で、ユータはクマもどきを威圧する。すると、クマは怯えたように体を震わせた。

 

 このまま、ゆっくり。クマに背を向けず、じりじりと後退りして。

 

「アーアアー!!」

 

 その場で動けぬクマを背に、俺は森の奥へと逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クマから逃げ出したユータは、まず自分の身の安全について考えることにした。

 

「……家が必要だな。安全な家が」

 

 そう。実は異世界生活では、食料の確保よりまずは住み処の確保が大事である。

 

 安全なホーム、と言うのは何にも代えがたい存在だ。特に、こんな誰にも頼れない異常な状況下では心の安寧を保つ意味でも重要になってくる。

 

「雨風は凌げて、クマに襲われない……。取り敢えず、そんな仮拠点を作るとするか」

 

 そう考えた彼が最初に行ったのは……、穴堀りであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、完成。……随分と簡易だが、本格的な家はまた今度作るとしよう」

 

 彼は、木の枝を使って自分一人がすっぽり入るような穴を掘った。

 

 そして、集めてきた木の皮を重ねて落とし穴の要領で穴の表面だけを土で覆い隠す。

 

 更に、間違って動物に踏み抜かれないように周囲に杭のように木の枝を打ち込んで、動物が避けるようにして完成。

 

 

 ここに土の棺桶と言えなくもない、ユータの簡易住居が完成した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どっかの中東の大統領、確かこんな穴に隠れてたんだよな」

 

 動物からの侵入を防げるほどの建築物は建てられない。だから、動物に気付かれない様な住居を作る。それが、この土の棺桶のコンセプトである。

 

「うげー、もう夜か。これだけで一日仕事だよ、お腹すいたなあ」

 

 地味で簡単な住み処ではあるが、実際に作ってみると非常に大変だ。特にスコップ代わりにしていた木の枝が何度も折れて新しい枝を探しにいったり、土で表面を偽装する為の木の皮を探し回ったりと素材集めに時間がかかった。

 

 この周辺に落ちていた木の皮は、昨日大体集めてしまっていたからだ。

 

「こりゃ、明日はもっと遠くまで探しに行かなきゃな」

 

 その家の出来に満足した彼は、余った木の枝を持って再び川へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

「居たぁ!! 蟹やぁ!!」

 

 魚を取るのは、最初から諦めて。彼は、血眼になって真っ暗な川辺を探し回った。

 

 視界は殆ど役に立たない。僅な月明かりが、微かな生物の気配を映し出すのみ。

 

 だからこそ、彼は昨日蟹を倒した場所に陣取って息を潜め待ち構えていた。

 

「一匹か! まぁ上々だぁ!」

 

 蟹を素早く仕留めた彼は、満面の笑みでその四肢をもいでいく。

 

 残念ながら、この小さな蟹では四肢は食べる程の実がない。

 

「だよなぁ! 生でも、味噌はうめえよな!」

 

 そして、今から火を起こす時間は無い。そんな気力はない。

 

 彼は、昨日の蟹焼きを食べた印象から生で食べてもこの生物は旨いと判断し、そのまま踊り食いを始めてしまった。

 

「ちゅるちゅると、良い味してるぜ。はぁ……醤油が欲しい」

 

 彼は、ペロペロと蟹の死骸を舐め尽くしたあとに自らの住居に帰って爆睡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、腹が。腹がぁぁぁ!」

 

 翌日。彼は、腹を下してしまった。

 

 現代人が、生で川棲生物を食べたのだ。当たり前である。

 

「うおおおおおっ! 何という解放感っ!! でも腹痛ぇ」

 

 ヒリヒリと肛門が悲鳴をあげて、気持ち悪い胃のムカつきが胃液を口の中へ上げる。それはまさに、この世の地獄だった。

 

 だが不幸中の幸い、ここは川原沿い。彼が用を足すのに、何の苦労も障害も無い。

 

「くそぉぉぉ! 次はちゃんと火を起こさないと……、オエッ!」

 

 異世界生活4日目。

 

 ユータは沸き上がる吐き気と無限の便意と闘いつつ、下半身を露出して川の中で仁王立ちして用を足す。

 

 日本の食品が安全すぎるのだ、普通は生で物を食べてはいけない。彼は少し賢くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、一週間が過ぎた頃。

 

「……おお。釣れた!」

 

 ユータは、ついに釣具を作り上げた。

 

 糸が無いなら、自分の衣服をほどけば良い。針がないなら、針のような形の石に糸を巻き付ければ良い。

 

 小さな虫の死骸を、尖った石に突き刺して。木の枝に糸を結んだだけの簡単な釣竿は、釣糸を垂らすこと数時間、とうとう魚を釣り上げた。

 

「こ、こんな簡単に蛋白質が……」

 

 川原には、既に火が炊いてある。

 

 彼は学んだ。どれ程焚き火に枝をくべておけば一日持つかを、そして火による調理の重要さを。

 

 彼は、焚き火を絶やさない事を覚えた。

 

「旨い……、久し振りの、普通の食事……」

 

 一週間、焼いた蟹だけを食してきた彼にとってまさに文明開化。泥の味しかしない不味い焼き魚の白い身を、ほくほくと涙をこぼしながら食していく。

 

「ごちそうさまでした。……ありがとう、魚さん」

 

 それは、感謝の芽生え。

 

 ぬくぬくと親の庇護のもと、与えられた食事を貪るだけの男ユータが初めて心から食に感謝した瞬間だ。彼の短い人生で、ここまで旨いモノを食べたことはなかった。

 

「あぁ。なんか元気が出てきた。もう一匹、釣ってみるか」

 

 そして、男は再び釣糸を川に垂らした。小魚を一匹平らげた所で、ユータはまだまだ空腹なのだ。もっともっと、栄養を取らねば。

 

 この日、彼は3匹の焼き魚を胃袋に納めて満腹で就寝した。

 

 異世界に転移して一週間、ユータはやっと森での生活に慣れてきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそ!! 大雨か!」

 

 だが、そんな彼の安寧も長くは続かなかった。

 

「火が消えちまったし! 地中は寒くて死にそうだし! でも地中に逃げるしかないし!」

 

 異世界生活最初にして最大の試練。それは、雨だった。

 

 彼の仮の住居は、土と木の皮で蓋をしただけの棺桶のような穴ぐらである。直接雨には当たらないものの、横から水は染み込んでくるしじめじめとして息苦しい。

 

 それに、何より。

 

「火がないから飯が食えん! 畜生、畜生」

 

 この悪天候の中、食糧の確保は困難である。更に、火がなくては調理も出来ない。

 

「寒い! 腹へった! でも何も出来ん!!」

 

 今の彼に出来ることは、空に向かって悪態を点くのみである。

 

「早く雨止んでくれよ、畜生!」

 

 へっくしょん。と、彼は冷えた体を抱き締めながらくしゃみをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

「家……建てないと辛いわ」

 

 鼻水をすすり、ダルい体を動かしながら。ユータは、再び穴を堀り始めた。

 

「死ぬ。次に雨が来たら死ぬ」

 

 結局、雨は夜通し降り続けた。朝になってやっと、カラリと青空が覗いて綺麗な虹の橋が川原に架かった。

 

「……くっしゅん!」

 

 全身が冷えきったせいか、ユータの体は熱っぽく頭も痛い。腹は減ってぎゅるぎゅるとなり、悪寒と目眩でぐるぐる世界が回る。

 

 雨というのは、自然において恵みであると同時に試練であった。

 

「1本。太い木を見つけて運ばないと。最悪、斧作って斬り倒すかなぁ?」

 

 そんな、雨に心を折られた彼が作ろうと考えているのは。

 

「竪穴式住居しか無いよな、今作れる家なんて。縄文人の気分だぜ全く」

 

 そう。日本人ならよく知っている伝統的住居、竪穴式住居だ。

 

 円上に穴を堀り、その中心に大きな木を立てて、その周囲を円錐状に木を組んでテントのように屋根を作る。

 

 ろくな木材加工技術を持たないユータに作れる、希少な屋根つきの家だ。

 

「でも、そんな都合良い大きさの木なんて転がってねぇよなぁ……」

 

 だが、支柱となる木材の当てはない。

 

 今まで彼が見つけたのは、大きいものでも精々50センチ程の木の枝くらいである。流石に、家の支柱たる木材は森には転がっていなかった。

 

 だから彼は、

 

「斧。うん、それっぽい」

 

 川原で斧の様な形をした石を探しだし、木の枝の先端に自らの服を使ってくくりつけた。

 

「服を使っちまったから、上半身裸になっなけど。でもこれで……」

 

 斧に、鋭さは必要ない。斧は、重くて先が尖ってさえいれば良い。

 

「木材ゲットぉ!! 獲ったどぉぉぉぉおおおお!!!」

 

 比較的細目の、樹齢の若そうな木であれば斬り倒せるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「家だ……」

 

 数日後。

 

 ユータの竪穴式住居は、ついに完成した。

 

「うう、これで雨に怯えなくて済む」

 

 魚を釣り、蟹を叩き、火を起こし。日々の糧を得ながらも、彼は平行して住居を作り上げた。

 

 ついに、野宿とはおさらば。こうしてユータは、久しぶりに屋根のある生活を手に入れたのだった。

 

「よし。これで、一段落だな……次は、奥の方を探索してみるか」

 

 ホームとなる拠点が出来て、少し生活に余裕が出来たユータ。彼は、更なる自分の生活レベルの向上を求めて行動範囲を広げることにした。

 

 今まで気になっていた、川の向こう側。こちらでは拾い尽くしてしまった木の皮等の素材も沢山あるだろう、もしかしたら果実がなっていて食べられる物が増えるかもしれない。

 

 そんな希望を抱いて、ユータはこの日初めて川を渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、川を渡ったことで事態は大きく動き出す。

 

 川を渡った直後に変わったものはなかった。向こう岸と同じような木が生えて、同じような石ころが転がっていた。

 

 その川原沿いに、ユータは獣道を見つけ。初めての場所なので迷わぬように、その獣道を真っ直ぐたどって探索することにした。

 

 念のために石斧(ぶき)を手に持ち、いつクマが現れても良いように周囲を警戒しながら進んだユータが目にしたものは。

 

 

 

「石、像?」

 

 

 

 明らかに人の手が加わっている、1メートル程の高さの彫刻物だった。

 

 それはポツリと、獣道の脇に生い茂る木の幹の傍に置いてあった。だがその周囲に、石像以外の人工物は伺えない。ただその石像だけが、自然に溶け込まぬ異物としてソコに置いてあった。

 

 その石像は人の形を模していた。所々が雨で溶け苔が蒸して蔦に絡まっている。

 

 たまたま人の形になっだけの石かもしれない? いいや、確かにそれは人工物だ。ユータは、そう判断した。

 

 何故なら、その石像の持つ板には明らかに文字のようなモノな刻まれていたからである。その文字は全く未知の言語でユータには読めなかったが、間違いなくそれはこの世界の住人の文化を思わせるものだった。

 

 そして、ユータが何より気になったのは。

 

 

「これってまさか、長耳族(エルフ)?」

 

 

 その彫刻の耳に当たる部分は、人間とは思えないほどに長く鋭く尖っていた。

 

 異世界生活10日目。ユータは、ついに現地の人族の文化に触れることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「女の子だよなぁ。ロリで髪は短いけど、耳がめっちゃ長い」

 

 その石像をよくよく調べると、色々なことが分かった。

 

 まず、原材料の石はこの辺の川原で取れるモノではない。少し青みがかかったその石は、ここ数日川原の石を吟味していたユータが見たことのない石だった。

 

 そして、衣類。その石像は古くてあまりよく分からなかったが、どうやらこの石像の女の子はワンピース的な服装を身に纏っている様に見える。

 

 そして、石像の女の子は胸に板を持った形に彫られており。その板には、短くもはっきりと謎の言語が刻まれていた。

 

「うーん、字体は何となく英語の筆記体っぽいな」

 

 ユータは、その見たことの無い言語をそう評した。もっとも、彼は日本語以外に英語しか知らないならそう評しただけである。

 

「英語だとしたら……、ここCっぽいな。ここはoそこは……数字の1かな? あーっと」

 

 初めての人工物。見たことの無い文字、文化。彼が受けた衝撃と感動は計り知れない。

 

 それらが相まってテンションが上がったせいもあり、彼はこの場所を暫定的に聖地と認定して定期的に巡礼することにした。

 

 つまり、オタクの習性である。

 

「アルファベットとして読めるのは、Cとoと1。よし、今日からここはCoC●壱だ!」

 

 こうして、謎の石像が置いてあったこの場所を『聖地CoC●壱』としてユータは認定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日も俺を見守ってください、女神様」

 

 聖地CoC●壱が出来てから、ユータは目に見えて元気になった。

 

 たかが石像を見つけただけで、何故ユータはこんなにも嬉しかったのか。それは、

 

「アーメン、アーメン」

 

 信仰対象を得たからである。

 

 人間とは弱い生き物だ。ましてや、ゴミグズニートだったユータは人間の中でも一等弱い生き物である。

 

 そんな弱い人間は、自己を鼓舞するために信仰対象を求めた。古代より神秘的な力を持つ存在を神と崇め祭るのは、世界の何処であっても変わらぬ人のあり方だった。

 

 この世界では、地球の神様が存在するか分からない。いや、事実として存在しない。ユータは、信仰対象を失っていたのだ。

 

 無宗教を貫いていたユータも、死が身近である大自然の中に置いて崇める存在を求め始めた。死への恐怖に対する一番の薬は、宗教である。死を意識し始めたその矢先に、ユータはまるで現地の宗教の御神体の様な石像を見つけたのだ。

 

 それはもう、崇めるしかなかろう。崇めて損があるわけでも無し、むしろ何かの加護があるかもしれないではないか。

 

 こうしてユータの日課に、聖地CoC●壱でのミサが加わった。石像の前に木の枝で簡易な祭壇を組み、そこで土下座して石像に祝詞を唱えるようになった。

 

「偉大なるロリエルフ女神様のお導きの有らんことを────」

 

 目が覚めて最初に聖地に向かい、勝手な口上で祈りを捧げたあと、彼は探索と食料確保に向かう。それが、ユータの新しい日課だ。

 

 ユータの表情は晴れやかで、希望に満ちている。ニートであったときの彼では想像もつかない、アクティブで前向きな笑顔だ。そんな彼に、暫定女神様は僅かに微笑んだような気がした。

 

 ユータが異世界に転移してきて、半月程。彼は、過酷な大自然に体一つで向き合って精一杯生きていた。

 

 

 

 

 

 

 これは、何の宿命も使命もなく異世界に転移させられたニートが、ただ過酷な自然の中で生き抜くだけの物語。

 



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