五等分のルルーシュさん。 (ろーるしゃっは)
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TURN 01:黒の皇子

上杉家の人々は出てこないんだ、すまない。


「『瑕疵(かし)なく卒業させなさい♪ 断ったら()()()全額ナシよ、よろしくね?マリアンヌより♡』、だと…………許さん、絶対に許さんぞ…………!」

 

 日本国は東京都の私立アッシュフォード学園高等部に通う高校2年生、ルルーシュ・ランペルージはその痩身を怒りに震わせていた。

 なんやかやと折り合いの悪い両親の元を飛び出し、愛しのマイシスター・ナナリーと共にスクールライフを楽しんでいた彼の平穏が、たった一枚の母親からの手紙によってぶち壊されたからである。

 

 送信元は太平洋を挟んで向こう、ブリタニア本国の首都・ペンドラゴン。蝋で封された高価そうな便箋が送られて来た時は、「なんだ何時もの(バカ)二人の旅行写真詰め合わせか」と思ったが現実は非情なり。

 

 要約すると「日本にいる知り合いの医者の娘さんが成績ヤバイから家庭教師やれ、拒否ったら仕送り差し止めんぞ」というその中身。

 即座に猛抗議の電話を母親にかけるも、「お母さんの知ってる限り、ルルちゃんが一番頭良いんだから仕方ないでしょ〜?」などと供述され取りつく島もなく。

 加えてこの手紙、至って短い内容だが今の彼には非常に効果的だった。

 

(金が無ければブリタニアの実家に帰らなければならない。……が、それだけは死んでも御免だ!またあの両親と一つ屋根の下で暮らしたくはない……!)

 

 お陰で自身の家事スキルがメイド並みに向上してしまったのは僥倖だが。

 実家への帰還は有り得ない。しかし、この学歴社会を生きていくにあたりハイスクールを辞めて働く、という選択肢も彼の中には無い。将来的には大学院まで進学予定なのだから。何より。

 

(貧乏してナナリーの生活の質(QOL)が下がるのは絶対に許容出来ないッ!!クソッ!妹が絡めば俺が断れないと踏んでの事かッ!)

 

 実は仕送りとは別に、賭けチェスや株式投資で裏金をせっせと溜め込んではいる。だが、これらは()()()()の準備資金の為手をつけられない。貯蓄を切り崩せばそれだけ()()が遅延する。生活の首根っこを掴まれた彼に、此度の依頼を断る選択肢は存在しないも同然だ。

 加えてこの()()()、どうやら内訳に学園への寄付金も含意しているらしい。私立ゆえお金のかかるアッシュフォードの会計に、金満家である─それこそブリタニアで最も裕福な─ルルーシュの実家からの寄付金が途絶えるのは極めて拙い。

 仲の良い生徒や何より妹の安全で快適な学園生活を、自分の意地で突っ撥ねて良いものか。

 

 総合して考えれば、反論の歯切れが悪くなるのも無理はなかった。事実、親を翻意させるのに失敗している。新たな考えをまとめる為自宅マンションの一室にて腕を組みつつ、暫し瞑目した末の結論は。

 

(……ええい、やればいいんだろうやれば!どんな馬鹿でも俺の教鞭をもってすれば更生させられる筈!出来ないのはスザクくらいのモノだ!)

 

 付き合いの長い友人、枢木(くるるぎ)スザクをディスりながらも指導依頼、受諾決定。ついでに何やら開き直りの境地にでも至ったのか、座ったままで天を仰いでぶつぶつと独り言。

 

「良いだろう……!この俺が指導する以上、何処の馬の骨だろうと必ず卒業させてやる!無体な仕打ちを俺に強いた事、覚えていろよシャルル、マリアンヌ!フハハ、フハハハハハハ!」

 

 此処と異なる位相では世界を壊し、創り変えすらした反逆の男は高らかに笑い上げる。ルルーシュ・ランペルージは、いや"ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア"は、逆境でこそ燃えてくる人間なのだ。

 

(……お、お兄様がまた何か企ててる……。どうしましょう、物凄く声をかけづらいです……)

 

「ルルの部屋」なる表札がかかった部屋の前。悪逆皇帝チックな哄笑を聞き、ノックをしようとした格好のまま固まっている当の妹・ナナリーの夋巡は、いかんせんまだまだ続きそうだった。

 

 

 ☆

 

 

(先ずは依頼相手の情報収集。の前に次学期の活動計画書の推敲と財務諸表の草案改定、序でに今日の献立も考えなければ。全く、脳内で処理が出来ても手が二つでは思考に筆記が追いつかん……!)

 

 高等部で生徒会副会長を務めるルルーシュの一日は多忙である。特に決算期は目も当てられない忙しさなのに、今日からは家庭教師のバイトの負担も付加される。

 

 少しでもスキマ時間を有効活用せんと、彼は珍しく校内食堂の片隅でサンドイッチ片手に何やらノーパソを叩いていた。いつもなら所属する生徒会室か屋上、或いはクラブハウスあたりで友人達と食べるのだけど、今日に限っては別行動だ。

 何故って仕送り差し止め危機の件、出来れば知られたく無いから。特にナナリーにいらぬ心配はさせたくない。しかしこんな所に居れば、当然生徒達の目にも止まる事になり。

 

「あら、副会長!?どうして学食にいらして?」

 

「知らないわぁー、でも遠くからでもやっぱりカッコいい♪」

 

「いつ見ても涼やかでスマートなお方……♡」

 

 ……とまあ、取り巻きの声からしてこのように。眉目秀麗にして頭脳明晰、人当たりも良く人望のあるルルーシュは学園の生徒からすれば高嶺の華でもある。友人から評しても、この男の欠点は体力の無さと重度のシスコンくらいのもの。

 だからだろうか、ルックスの良さも相まって今の彼はまるで「麗しい顔に憂いを帯びて尚、昼食の寸暇すら惜しんで学園の為奮闘している」ように見えるのだ。実際はPC片手に横目で書類にダメ出ししながら、「このBLTサンド中々美味いな」とか思ってるだけなのだけど。

 

 昼時ゆえに混雑する食堂内。最早誰が最初に彼に話しかけるのかチキンレースの様相を呈してきた時。ふとお盆を持った少女が彼に近づいていったか、と思うと。

 

「あの、すみません。相席してもよろしいでしょうか……?」

 

 ついに均衡が破られた。突然の誰何にルルーシュが目線を上げると、どうやら空いている自分の向かいの席を所望している少女が一人。碧眼に赤髪のロングヘア、2つの星型のヘアピンが特徴的な、見覚えのない美少女であった。

 

「……ああすまない、好きに座ってくれ」

 

 外界の情報をシャットアウトするくらいの集中は途切れてしまったが、別段怒るほどの事でもない。そればかりか親切序でに、書類も自分の側へと寄せておく。

 

「ありがとうございます……!それじゃ失礼して、っと」

 

「お構いなく。(せわ)しくするが気に留めないでくれると嬉しい」

 

 右手だけで資料をめくりつつペンを入れ、矢鱈に文字数のある書類を凄まじい速度で捌いていく彼。既に仕事中毒の片鱗が示されているのは気のせいか。

 しかし全ての紙に「高等部生徒会関連資料」と赤字で印が押されたそれらの資料が、どうにも向かい席の彼女には気になった。実は()()()()この学校に転校する彼女。生徒会室にも()()を代表して放課後、挨拶くらいはしておこうかなと思ったからだ。

 

「……生徒会に属されているんですか?」

 

「色々あって副会長を押し付けられてね。君はその様子だと見学か?」

 

「?……はい、そうですけど……どうして分かったんです?」

 

 既に前の高校のものではなく、()()()()()()()()学園の制服に袖を通している彼女は尋ねる。もしかしてこの人、校内で知らぬ者のいない有名人だったりするのか、と。

 

「生徒の顔は全員把握しているんでな」

 

 この男にとり、数百人いる生徒の顔と名前を全把握することなど造作もない。脳内データベースにヒットしなければ、転校生か見学に来たかの二択。ただそれだけの話だが、澱みない返答に嘘はないことを見て取った彼女は。

 

「凄い、よく出来ますねそんな…………」

 

(見た目だけじゃなくて、頭も良いみたいですねこの人……。今も左手でタイピングしながら、右手で書類にチェック入れてますし)

 

 且つその状態で初対面の女子との会話もこなす、という聖徳太子みたいなことを易々と行っているルルーシュ。

 因みに食事はさっさと食べ終えてしまった。ナナリーの前では早食いするとたしなめられるので控えているが。

 

「……ああその、実は私本日から転入しますので、下見も兼ねてここに来たんですけど……」

 

 下見。即ち学食のレベルが如何程かの調査である。尚前いた学校より美味しかったが、眼前の男は違う意味にとったらしく。

 

「成る程。俺も一応役員だから、何か不便を感じたら言ってくれ。校則くらいなら会長のノリ次第でいつでも変えられる」

 

「ここの校則、会長さんの気分で決まるんですか!?」

 

「会長は理事長が溺愛する孫娘でな。ついでにここは私立校だ」

 

「は、はあ…………」

 

 それでいいのかアッシュフォードよ。この学園のガバナンスはどうなってるんだ。

 そこまで思った時にバサ、と。前触れなく、彼女の方へ崩れた書類が何枚か寄った。

「すまない」と述べる彼に「いえ大丈夫です」と返しつつ、咄嗟に拾って彼へ手渡す。まじまじ見るつもりはなかったが、視界に飛び込んできてしまった書面を見てびっくり。

 

「ぜ、全部100点……!?」

 

 それは期末テストの全科目と思わしきテスト用紙を、分かりやすく点数が見えるように留めた紙束だったのだ。

 思わず口にしてからしまったと気付き、ごめんなさいと小さく付け加える。お互い初めましてなのに礼を失したかと。

 

「いや、特段気にしていない。今日中には棄てるしな」

 

「捨てるんですか?」

 

 思い切りがいい人だなとも考えつつ、「もったいない……」とも呟いてた彼女に。

 

「PDF化済だし棄却するが、ソレがどうかしたのか?」

 

「いえ、記念に取っておいたりとかは」

 

「要らん。無駄な物は棄てる主義なんだ」

 

「む、無駄ですか…………」

 

 断捨離は彼の習慣である。もし毎日処理する膨大な量の紙媒体を逐一保存していたら、自宅の床が抜けてしまうだろう。無論大切ならば保管するが、テスト用紙は脳内で常に重要度:低に区分けされている。

 才気煥発たる頭脳を有する彼にとって、ペーパーテストの返却結果なぞ一々取っておく意味もない。毎度満点に決まっているからだ。

 

「まあ、いずれ再生紙になると思えば有用かも分からんが。ところで」

 

「?」

 

 推敲は全て完了、後は家庭教師の件だけ。タスクを粗方終わらせてちょっとした達成感に包まれつつ、手元の林檎のマークのノートPCを静かに閉じたルルーシュは尋ねる。

 

「始業まで残り7分だが……今からその量、食べ切れるのか?」

 

「…………あっ」

 

 ついでに言えば予鈴まであと2分。彼女のいつものペースだと、到底間に合いそうになかった。

 

 

 ☆

 

 

「な、中野五月です……。よろしくお願いします」

 

(まさか同じクラスになるとは……)

 

 約15分のち、放課後のHR教室にて。

 

 午前授業で今日は終わりという事もあり、三々五々放課後に遊ぶ計画やらを話し合ってた生徒達。

 喧しい彼等を遮ったのは、担任からの「これから転校生を紹介するぞ。しかも美少女だ美少女、喜べ女子と童貞共」なるあんまりな一言だった。

 しかし多感な時期の共学校の高校生に、これ程クリティカルに刺さる言葉もない。当然クラスはヒートアップ。

 

()()()()()()()()()という珍しい容姿ながら、とんでもない美女の担任教諭(ちなみに世界史担当)が煽るだけ煽った教室へと入ってきた彼女。

 室内のボルテージに若干引き気味になりつつ無難な自己紹介をせざるを得なかったその転入生、なんと先程の大食い少女だったのだ。

 

「席は最期列、窓際の横だ」と担任に指された彼女が促されるまま歩いていけば、当然隣席に座る()が目に入り。

 

「あ、先程の! ええっと……」

 

「ルルーシュ・ランペルージだ。ルルーシュで構わない」

 

「では、ルルーシュさんと」

 

 話し始めて途切れさせるのも何だかなとお互い思い、とりあえずコミュニケーションとばかり声を潜めてひそひそ話す。生徒との良好な関係構築もまた、生徒会役員の務めでもある。

 

「ところで……結局、完食できたのか?」

 

「意地で詰め込みましたよ。でももっとゆっくり食べたかったです……」

 

 うう、せっかくの海老天とかしわ天が、と悔いている。どうも彼女、大食漢の気があるみたいだった。

 

「それにここの生徒さん皆頭良さそうで……進度も早そうだし、今から付いていけるか不安です……」

 

「とは言っても、編入試験は受かったんだろう?」

 

 試験の難易度はそこそこ高めに設定してある。入試問題を毎年、教師陣と共に作成しているルルーシュが言うのだから間違いない。ところが。

 

「いやあ、あれマークシートでしたので」

 

 ……ははあ、ヤマ勘だけで当てたのか。偶にそういう運の良い奴はいたりする。リヴァルとか。

 

「そ、そうか……。まあこの学園は単位制だから、教科担任に土下座すれば単位をくれる事もある。あまり悲観しなくても良い」

 

「……さ、参考程度に覚えておきます」

 

 しかし、学力が低過ぎるというわけではないだろう。証拠が彼女のバッグから先程ちら、と見えた生徒手帳だ。一瞬だけだったが目敏いルルーシュには把握出来た。アッシュフォードのものではない、表紙に写ってたあの校章は。

 

(確か、黒薔薇女子のものだった筈。あそこはこの学園と同じく進学校だ。女子校とはいえ進学先も偏差値も大した差はない。不祥事をやらかした不良娘にもみえないし、風評があれば生徒間で噂が回ってくる筈。転校は何か別の理由あってのことか?)

 

 事情はよく知らないので全て憶測。何故わざわざ転校なんて手間をかけたのか、と。だがプライベートを不必要に詮索する気もない。それに。

 

(…………何にせよ、ウチに来たなら大事な生徒だがな)

 

 フ、と意識せずとも顔が緩む。この男普段から情より理、怜悧冷徹を心がけておきながら、根は人情家なのである。

 

「そういえば、まだ言っていなかったな」

 

「え?」

 

「───歓迎するよ、ようこそアッシュフォードへ」

 

 生徒会を代表して述べておく。卒業まで滞りなく、楽しく過ごしてくれると嬉しい。それもまた彼の本心だった。頬杖をつきながら言っても絵になるのは、流石に名家の青き血を引く者だからか。

 まだどこか強張っていた表情の五月も、気付くと思わず破顔していた。

 

「───はい、どうぞ宜しくお願いします……!」

 

 写りの良い写真がSNSを経由し、生徒間でこっそり売買されているこの副会長。彼に笑顔を向けられた五月…………の周りの女子に「しまったぁ! 絶好のシャッターチャンス逃したァ!」などと思われていることは知る由もない。

 

 …………ついでに言えば、担当するはずの教え子が()()()()()()こと、そのせいで組み立てた学習計画が思い切り崩壊していくことも、この時のルルーシュはまだ知らなかった。

 




※緑髪で金眼の担任教師
…生徒ポジが被っちゃうので設定変更。色々と検討した結果教師に。


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TURN 02:五等分の邂逅

サブタイトル変えました。


(確か、このマンションで良いんだったな)

 

 転入生を生温かく迎えた日の翌日、16時30分。

 一旦帰宅して夕食の下拵えをしたルルーシュは現在、都内某所に位置する高層マンションへと赴いていた。本日指定された家庭教師としての赴任先だ。

 

(対象者は日本人の女子高生で、現在17歳。給与は相場の5倍……とあるが、家計代わりの仕送りは今後も継続されるから必要ない。後で断りを入れておくか。会話と筆記に関しては日本語でいいだろう)

 

 なぜ5()()としたのかは分からんが。時間がない中で今日までに入手出来た情報を、エントランスへ歩みを進めつつ改めて整頓していく。

 

 ちなみに、ルルーシュの日本語はネイティブと遜色ない程流暢である。アッシュフォード学園は在日ブリタニア人の子弟も多く通う学校のため、入試では外国人の場合は日本語を、日本人の場合は英語(ブリタニアの公用語)を必ず受験する事になっている。

 尚校内では基本的に日本語を用いるのが慣例だ。

 

 閑話休題。マーライオンみたいなオブジェを横目に、ロビー備え付けの電子キーに(便箋に書いてあった)部屋番号を打ち込む。通信がアクティブになった事を確認して通話を開始。

 

「失礼します。私、本日付で御息女の家庭教師を拝命する事となりました、ルルーシュ・ランペルージと申しますが……」

 

『はい、どうぞ上がっ……えっ、ルルーシュさん!?』

 

「!……その声……!?」

 

 インターホン越しの声の主は、驚くべきか聞き覚えのあるものだった。なんといってもその声、昨日の午後一番で耳に入ってきたばかりだったのだから。

 

『……あの、私です。五月です。転入生の』

 

 転入生。裕福な医者の娘。引っ越してきたばかり。真新しい造りのマンション。これらのキーワードの意味するところ、即ち。

 

「……大体分かった、そういうことか」

 

 話しかけられて隣の席になった子が、今度は件の家庭教師の生徒とは。世の中とは思ったより狭いものだ。

 すぐに通達したい言伝でもあるのか、いやに急いているようで何か言いたげな彼女だった。が、「取り敢えず上がってから話そうか」と彼の方から提案、一旦会話を打ち切った。他に特段気になる点はないが、強いて言えば。

 

(……通話に少し別の女性の声が混じっていたな。恐らくはテレビの音声、それか母親か姉妹だろう。もし誰か在宅していたら、挨拶ついでに名刺でも渡しておくか)

 

 思案しつつ、マンションの30階までエレベーターで程なく移動。「NAKANO」と銘打たれた部屋のチャイムを押す。どうぞ、との声に促され、扉を開けるとそこには。

 

「いらっしゃいませ、ルルーシュさん!」

 

 スリッパをパタパタと鳴らしながら、此方へと駆け寄ってくる五月がいた。それはいい。いいんだけど。

 

(……部屋の住人、()()()()()()?)

 

 友人でも呼んでいたのか?それともルームシェアでもやってるのか?疑念を抱いた困惑の状況下で。

 

「おー、君が五月の言ってた副会長さん?」

 

 右耳にピアスをつけたショートヘアの女の子から、軽い調子で話しかけられた。尚、五月と顔が()()()()()()

 

「……はじめ、まして……?」

 

 お次はヘッドホンを首から下げたメカクレ少女。彼女も()()()()()()()だ。

 

「へーえ、あんたが五月のランチ相手?」

 

 更には、蝶を模した髪紐を揺らすロングヘアの娘。これまた顔立ちが()()()()()()

 

「ランペルージさんでしたっけ?先生が同級生だなんて楽しそうです!」

 

 最後に頭にリボンを巻いた、溌剌とした印象の女子。()()どころのレベルじゃない。

 つまるところ部屋の中には、合わせて()()()が五人いたのだった。

 

「……はっ?」

 

 目を二、三度瞬かせる。なんだこれは。五月は影分身の心得でもあるのか?

 言外に「どういうことだこれは」との彼の意を察したのか、少々気まずそうな顔で五月が切り出した。

 

「い、いえ、その、申し上げていなかったんですが……」

 

 …………私達、姉妹なんです。()()()()

 

 突然のカミングアウトに、謎がまた一つ解けた。相場の()()()()()とは、単に太っ腹だったのではない。その意味するところとは。

 

(今分かった。要するに()()()、面倒みろと言う事か…………!)

 

 なるほど五つ子の姉妹、というのは非常に珍しい。が、確かに言われてみれば5人皆、身長も顔立ちも同じだ。髪型や私服こそ別だが、スタイルだってほとんど変わらない。しかし。

 

(余程のバカでもなんとか卒業させられるプランは練ってきた。大方、医者の道楽娘と踏んでいたからな。が……)

 

()()()5()()()受け持つのは、余りに想定外すぎる。

 計画の大幅修正をせねばならない事実に際し、思わず額を手で覆う。初回は手間のかかる数学と英語から教えようかと思ったが、今日はそれどころではないだろう。

 気を取り直せ。自分に問い掛け己を鼓舞する。

 

「じゃあ……自己紹介から、お互いやろうか?」

 

 とりあえず、はじめましてからもう一度。

 

 

 ☆

 

 

 中野さんだと紛らわしいので、全員名前で呼んで下さい。五月のフランクな提案を受け入れたはいいものの。

 

「一花、二乃、三玖、四葉、そして五月、か。俺の呼び方はルルーシュで構わない。いきなりで混乱もあるかと思うが、これから宜しく頼む」

 

「はい。いや丁度良かったです。昨日思いついたんですよ、せっかく同じクラスなんだから勉強教えてもらいましょう、って」

 

 にこにこと喋る五月に関しては順調。浅いとは言え知己であるし、心象も悪くないからだろうか。同級生が教師、というイレギュラーにもそれなりに納得してくれてるようだ。問題は…………。

 

「待ちなさいっての。乗り気なのは五月だけなんだけど?」

 

 …………残りの4人だ。

 

「わ、わたしは別に嫌ってわけでは」

 

「四葉、無理しなくて良い。……私からもひとつ、質問」

 

 三玖と名乗った物静かな三女が、淡々と誰何を口にする。

 

「なんでプロの家庭教師ではなくて、同級生の貴方なの?」

 

「そうよ、この街ってまともな家庭教師もいないわけ?」

 

「ま、まあまあ二人とも…………」

 

 次女の二乃まで被せてきたのを見兼ねた五月がフォローに入るも。

 

「いや、当然の疑問だ。俺だって逆の立場ならそう言うだろう」

 

 疑われるのは無理もない。世間的にはルルーシュは一介の高校生。そこら辺の教師なぞ歯牙にも掛けない、悪魔的頭脳の持ち主などと広く知られてはいないのだ。というわけで説得フェイズ。

 

「講師の資格程度なら取得済だ。教鞭を取る事に関して多少の心得はある。会話と筆記には日本語を用いるから心配するな。何なら全部英語でも構わんが」

 

 ついでにこれが証拠、とばかりライセンスも見せておく。ブリタニアの資格であって日本の教員免許とは異なるが、ないよりはマシだろう。

 と、後半の「英語」というフレーズに一花が反応した。

 

「えー無理無理、私英語苦手だし。キミこそ自信あったりするの?」

 

「ブリタニア人だぞ俺は?むしろ一番の得意科目だ」

 

 というかこの見た目で分かれ、どうみても白人だろう。それからルルーシュに苦手な座学科目はない。全てが一番の得意科目である。

 

「……確かに、日本語がペラペラなのは話してて分かる。でも英語以外の科目は?一人で全部教えるとしたら、何か証拠くらい示して欲しい」

 

「全国模試なら常に1位だ。それで不足と言うのなら……」

 

「なら?」

 

「CiNii Booksあたりに『Lelouch Lamperouge』とでも入力すれば、俺の書いた学術論文が幾つか出てくる。頭の程度を判断する参考にはなる筈だ」

 

 論文自体は既に20本近く上辞している。アカデミーでルルーシュの名に一角の知名度があることは、知る人ぞ知る事実だったりするのだけど。

 

「はい!名前のスペルがわかりません!」

 

「スマホを貸せ、俺が直接打つ」

 

「……出てきたけど全部英文。これは流石に読めない」

 

「和文でも出している、そっちを読めば良いだろう?」

 

「あ、ホントだ!……何々、『サクラダイトの平和有効利用に適う実践的研究と今後の展望』……?うわ、難しそー」

 

「いや、翻訳にあたっては簡潔な日本語表現を心がけたんだが……」

 

「こっちは共著みたいね。ええっと……『ドルイドシステム構築のための基礎理論』?何よコレ?」

 

「相対性理論が分かれば解せる、別段難しくはない」

 

「文字数がどれも軽く10万字を超えてますね。お忙しいでしょうに立派です」

 

「五月、それは褒めるところじゃないぞ……?」

 

 五人それぞれ好き勝手に喋るので逐一受け答え。この分だと彼女らの親は相当に大変だろう。勝手に邪推していたら、二乃が再び口を開いた。

 

「……あんたが賢いってのはよく分かったわ、それも相当。でも私、ぶっちゃけ家庭教師とか要らないんだけど?」

 

 ならなぜ頼んだんだ、という言葉は飲み込んだ。代わりに。

 

「違うな、間違っているぞ。要る要らないを決めるのは()だ。お前ではない」

 

 滅茶苦茶な理屈だが、この男が言うと皇族補正もあってかそれっぽく聞こえてしまう。(かしづ)かれ慣れてる故にナチュラルに俺様気質なのは、ルルーシュの欠点でもあり美点でもある。

 

「……っ、だったら何よ!大体あんたこそ、家庭教師未経験のくせにどうして受けたワケ?高給目当て?」

 

「金など要らん。俺が欲しいのは『結果』のみだ」

 

「はあ?」

 

 そこで唐突に、ルルーシュは一度席から立ち上がる。二乃だけでなく全員に向け指示を発布せんとする、突然のアクションの裏には。

 

(……此奴ら、もしかして「俺が教えるに足る理由」を聞きたいのではなく、単に「勉強する気がない」だけか?ならばこんな茶番に付き合う道理は無い。イニシアチブを握り続けて意地でも机に向かわせる)

 

 このまま此処にいて質問という名の()()()()に付き合っていたら、教える時間がなくなってしまう。

 

「今から学力の確認がてら抜き打ちテストだ。私用で一旦退室するが、30分後に戻るからそれまでに全員解いておけ。いいな?」

 

 

 ☆

 

 

(……さて、そろそろ頃合いか)

 

 ナナリーに「ごめん、予定より遅くなるから先に咲世子と食べていてくれ」と今しがたまで連絡していたルルーシュ。ガヤガヤしていた電話口の向こうの声から察するに、今日はC.C.も来ていたらしい。

 住んでるマンションが同じだからか分からないが、あの教師は気付いたら我が家に入り浸っていた。それもごく自然に。

 

(帰宅したら自宅にC.C.がいても既に違和感を感じないあたり、俺も相当に感覚が狂っているかもしれんな)

 

 それはさておき中野家五姉妹。この5人いっぺんに見なければならない事に、若干の頭痛を覚えるがそこはそれ。

 想定外に弱いルルーシュではあるが、この長電話の最中に修正案を脳内で作成済みだ。並行作業は彼の得意技の一つである。

 部屋へと戻った彼は程なく、五女へ一斉に声を掛けた。

 

「配ったテスト用紙を間も無く回収する。終了予定時刻まであと1分だから頃合いだろう?」

 

 元々家庭教師を依頼してきたのだから、一見反抗的でも根本では勉学の意志はあるはずだ。発破もかけたことだし当然、彼女達からは色好い返事が返ってくるかと思いきや。

 

「る、ルルーシュさんてすっごい美白ですよね。今メイクとかされてるんですか〜?」

 

「ていうかまつ毛長いねー、つけま?」

 

「フツーにしてればもっとイケメンなのに惜しいわね、眉間にシワ寄ってるわよ?」

 

「余計なお世話だ話を聞け。それから化粧の類は一切しとらん」

 

 ちなみに上から四、一、二、ルル。テスト中だというのに急に3人して好き勝手振ってくるマイペースぶりに、ここにまともな奴はいないのか……と心の中で小さく嘆息。質問にはきっちり答えてるあたり無駄に真面目だが。だが。

 

(……下手にも程があるだろう。俺を()()()()()つもりか、それで?)

 

「……もしかして、まだ終わっていないとか言うんじゃないだろうな?」

 

 やけに白い答案4つを、冷たく見つめて言い放つ。質問自体が白々しかったから、直ぐに気付いていたというのに。

 

「え、えっと、名前は書けてます!」

 

「じ、実は仕事で疲れてて、五人になった後にうたた寝しちゃって……」

 

「……私、勉強するとは言ってない」

 

「汗掻いちゃったからシャワー浴びてきたのよ、悪かったかしら?」

 

「追試扱いにしておく、今から解け」

 

 目を泳がす者、白状した者、開き直る者に悪びれない者。4名へ有無を言わさずやれと促す。出来なかった()()など問うていない。()()を出すことこそ重要なのだ。

 尚解答時間は短縮させる。そうでなければ真面目にやっていた人間に示しがつかない。しかし、幾ら何でも反応が鈍すぎる。

 

(これでは暖簾に腕押しだ。「やる気がない」以前の問題、そもそも勉強自体が嫌いで苦手意識がある、というレベルか?)

 

 あ、そういえば残り一人はどうしたんだろう。いやに静かだな、と思ったら。

 

「……あの、ルルーシュさん?テスト、今終わりました」

 

 横合いから静かな残り一人こと、五女の声が耳に届く。みれば差し出された答案に、きちんと名前と答えが書いてあった。

 

 今の騒ぎの中でも、一人黙々と解いてくれていたのか。ごく普通のことなのに、彼女がなにか物凄い偉業を達成した聖人に見えてきた。

 

「……五月…………君が一番まともだ、この中で……」

 

 なんか感動。柄にもなく思わず両手で彼女の手を握ってしまう。

「えっ、ちょ、あの」とか、アメジストに真正面から至近距離で見つめられ、眼鏡越しに一瞬で頬が赤くなった末っ子が何事か呟いてるが気にしない。割とこの場で一番の心のオアシスだった。この子いなかったら帰ってたかも。

 

 というかもう帰って早くナナリーに会いたい。ナナリー分がこの空間には足りていない。ただでさえ大事な妹との団欒タイムを削ってるというのに。

 

「ちょっと、ウチの妹口説かないでくれる?」

 

「どこをどう見たら口説いてるんだ、え?」

 

 前途多難だった。

 

 

 ☆

 

 

 馬鹿ではないと俺の前で証明して見せろ。仮に全員赤点を回避していれば視界から消えてやる。

 

 姦しい女子達は、流石にそこまで言うと大人しくテストを受け始めた。あまり焚きつけるような表現を使いたくはなかったが仕方ないと割り切った、約30分後。

 

「…………なあ、一つ聞くぞ」

 

 夕刻の中野家に、局地的なブリザードが吹き荒れていた。発生源は、絶対遵守ならぬ絶対零度の視線で5人を見つめるルルーシュ。

 初めてお邪魔した家の応接間の椅子に当然とばかり踏ん反り返り、嫌味な程に長い脚を組むその様は、何故か妙に板に付いていた。

 

 五人はというととりあえず、大人しく椅子に座っている。こんな状況、普段なら間違いなく二乃あたりが文句を垂れるのだがこの場は沈黙。

 先程まで単に線の細い優男、と思っていた彼から立ち昇るオーラが、余りに禍々しすぎるからだ。様子見モードの五つ子は、さながら王の下命を待つ家臣のようだった。

 

「五人()()()()合計100点。どうやってアッシュフォードに入れたんだ、この点数で?」

 

 全25問、一問4点のテストの採点自体は一分かかっていない。問題はそこからだ。あまりに惨憺たる点数、かける五であったのが彼の疑念に火を付けた。

 マークシートとは言え、五択選択式で100問ある編入試験の答案。このレベルなら普通に受けたらまず不合格だ。当てずっぽうでも限界がある。

 早い話、ひょっとして入試の時は不正行為でもしたのか?と疑っていた。

 

 ついでに言えば、先程から聞かん坊共のせいでフラストレーションが溜まりに溜まっていたのもある。本気で激怒した彼に理知的に抗弁できるのは、おそらくシュナイゼルくらいだろう。五月はとばっちりなので可哀想だけど。

 

「ええと、編入の時に面接もしたんだけど、ね……」

 

 姉妹を代表して一花が答え出す。こういうところで一歩先んじるあたりは姉御肌だ。

 

「その時面接官だった理事長さんが『可愛いからオッケー、全員合格ね!』って……あはは……」

 

「んなッ…………」

 

 驚く。いや、驚いた()()を器用に顔へ浮かべつつルルーシュ、瞬時に彼女含めた五人の目線の動きや挙措動作を確認。虚言か否かを複合的に判断する。

 結果は…………嘘に非ず。つまり、実質的な裏口入学。

 

(莫迦な、あの聡明な理事長が?何故そんなことを……)

 

 かつて自分も妹含めた()()()()()やらで世話になった人物なので、彼が清廉なだけでなく、清濁併せ呑む器があるのも知っている。しかし彼は、裏金をいくら積まれても入学を許可しないくらいには潔白でもあるのだ。

 

(……何かがおかしい。「可愛いからOK」だと?そんなもの適当な方便に決まっている。彼女達を受け入れるに足る、もっと決定的な理由が隠されている気がしてならん……!)

 

 ルルーシュの勘はよく当たる。明日この件について理事長へ直談判するか、と決めたところで、再び意識を現実へと切り替える。不正をしたのは彼女達ではなく学園側。この件で間違っていたのは自分だった。となれば。

 

「……事情は分かった。急に怒って悪かったな、すまん」

 

 怒りを霧散させ、意識していつもの調子で話しはじめる。それだけでなく、座ったまま頭を垂れた。静観を保っていた五月が、目に見えて慌て始めたのが分かった。

 

「あ、頭を上げて下さい、ルルーシュさん!」

 

「いいや、これは俺なりのケジメだ」

 

 入学の経緯が経緯だ、自分達の学力に内心思うところがあったのだろう。五月が昨日「不安」と言っていたのは、純粋に本心からだったのだ。

 一転した態度に4人が小さく息を呑んでいるのを感じたところで、ルルーシュは頭を上げた。何だかんだでこの五つ子、根は皆良い子達である。

 証拠に一応、この場に全員座っている。本当にやる気が無ければ部屋に籠るなりしているだろう。この調子なら態度の軟化は、時間経過と今後の交流で十分見込める。

 

 ……さて、後は五人分の学習計画を、更に修正する作業だ。想定より相当低かろうが、面倒をみるのが一人ならまだいける。しかしそれが一度に5人となるとやはり話は別だ。

 

「残り時間があまりないから、勝手だが話を戻させてもらうぞ。当面は基礎から地道にやっていこう、それでいいな?」

 

 テスト結果を分析していくと傾向が見えてきた。5人とも、得意科目がそれぞれあるのはよく分かった。科目ごとに個別指導の際、応用も絡めて教えていけばいい。

 ただ苦手科目については酷い出来だ。おそらく基礎が出来ていないのが原因だろう。

 

「……謝られてそこまで言われたら、おねーさんスルーってワケにいかないかな。てゆーかキミって落として上げるタイプ?」

 

 やはり一花がフォローに回る。姉として気を張っている部分があるのか、周りに気を配る性質なのか。

 

「……タイプは知らんが感謝する、有難う。了承の意と見做していいな?」

 

「やーいいけどね?でもねー、一度しかない学生生活だよ?勉強以外も力入れて青春を彩るべきじゃない?ほら、例えば恋愛とか?」

 

「出来ればテストを正解で彩ってからにしてくれ」

 

「むー。そー言うキミはどうなのさ?枯れた生活送ってたりしてないのー?」

 

「生徒会で間に合っている、心配いらん」

 

 一花は終始こんな感じで、気付けば会話が横道に逸れていく。先程の発言を聞くに、彼女は仕事をやってるらしい。ならば勉強と両立させられるよう、時短ノウハウを叩き込んでいこう。

 

「あの、ランペルージさん、私はどうですか〜?」

 

「四葉か、……端的に言ってマズイな。この点数、具体的にはスザク以下だ。ああ、スザクは俺の友人の名でな」

 

 今回の抜き打ちテストでワーストワンだった四葉。成績的には彼女が一番手がかかるとみている。個別で最も多く時間を割かねばならないだろう。

 

「はいはーい!指標がイマイチ分かりません!」

 

「大脳が筋肉に侵されてる奴くらいヤバい」

 

「ホントに友達?その評価」

 

「辛辣…………」

 

 次いで二乃と三玖。この2人はまず意識改革からだろう。ルルーシュへの当たりが強い次女と、イマイチ学習意欲の低くみえる三女。別ベクトルでどちらも変えていかねばならない。

 

「それで私達、今後はどうすればよろしいんですか?ルルーシュさん」

 

 最後に五月。食い気最優先の気があるのは何ともいえない。ただ彼女やシャーリーのような真っ直ぐな気質の人間は彼にとり好ましい部類に入る。やる気があれば尚更だ。

 

「……そうだな、今後の方針を此処で通達しておこう。正直言ってかなり厳しい状況だ」

 

(5人いっぺんに教える上で、一番大きな問題は「時限性」だ。俺基準の処理速度を他人に求めるべきではない。皆ある程度の時間確保が必要だろう)

 

 相手が一人と想定していた時は、それはそれは丁寧に教えるつもりだった。(ナナリーに勉強を教えてる時の半分くらいは)優しく教えてやっても良かった。

 なんだったら5人同時でも、一年生の初めからならハートフルコースで対応出来た。

 

 けれど、現在は自分も含めて2年生。ルルーシュが生徒会業務を遅滞なく行い、()()実現のため蓄財しながら五つ子皆に勉強を教え卒業させるには、既に()()()()()()()()()

 スパルタ方針以外、到底間に合いそうになかった。

 

(心を鬼にしなければ。反抗的なら屈服させる、友好的なら懐柔する。それくらいの気負いでやらねば成し遂げられん)

 

 王道ではなく覇道を歩もう。たとえそれが茨の道であろうとも。心に修羅を宿さんとする男は、新たな方針を宣告する。

 

「やり方は全て教える。否やは認めん。過程は問わん。結果を出せればそれで良い。全員、揃って卒業出来るように────」

 

 学力(チカラ)無きもの、皆全て。

 

 

 

「────()に従え」

 

 




※「英語」……本来なら「ブリタニア語」とするべきですが、表記する上で短く収まり、また(我々にとり)馴染みある表現でもある「英語」と記します。作中のキャラクターは実際には「ブリタニア語」と喋っている、という設定です。


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TURN 03:魔女と白騎士

 五つ子編入の真相をお聞かせ願いたい。

 

 姉妹達との邂逅の翌日。朝イチで理事長室に赴いたルルーシュの口から飛び出したその言葉に口角を上げたのは、部屋の主たるアッシュフォード理事長だった。

 

「……君にはつくづく敵わないね。まさか、昨日の今日で全て看破してくるとは」

 

 口調と裏腹、微動だにせず好々爺を演じる老人に、若き俊英は一抹のまだるっこしさを覚える。この男討論も口論も大得意だが、無駄なお喋りは好まない。

 今日は中等部校舎までナナリーに付き添う、という大役を咲世子に任せてまで来ているのだ。それ相応の収穫を得るまでは帰るつもりは更々無かった。

 

「看破も何も、面接で態とらしい発言をすれば気付くでしょう?」

 

 「無論、気づいてもらわねばならなかったからね。ただ君がその彼女達の家庭教師を始めた、とC.C.先生から昨日伺った時は、流石に予想外だったよ」

 

「彼女達も不安がっていましたよ?私に直接言いこそしませんでしたが、ね」

 

 お陰で懐柔にえらく苦労した。姉妹達だって編入に裏があるのは察していたけれど、理由は何か分からない。かといって生徒や職員にすらろくな面識もない状態で、私学の理事長に聞きづらい事を尋ねるなど出来るわけがない。

 

 ましてやこのアッシュフォードは、日本の学校の中でもブリタニア人が最も多く在学する場所。学校暦だってブリタニア準拠の()()()()だし、異国に放り込まれたのと大して変わりないだろう。五人とも、今は環境への適応で手一杯に見えた。

 そしてルルーシュは元来世話焼きで情に厚い性質ゆえ、そんな五つ子達を決して放っておけない。

 

「だからこそ彼女らの名代として、物怖じしない君がここに来たわけか」

 

「当然です。時に教師()が直接動かねば、生徒(部下)は付いては来ないでしょう」

 

 それでも昨日好意的になったと評せるのは四葉のみ。二乃と三玖との間にはまだしこりがある。一花は多少良くなったとはいえ、腹の底に何か一物抱えていそうだし。五人の中では今のところ、五月の安定性が貴重な清涼剤だ。

 だが、話はそれで終わりではない。

 

(………まだだ。昨日、気にかかる点が二つあった)

 

 一つは部屋に置いてあった備品。少しでも目に入った物は配置から大きさまで全て覚えているが、リビングルームに置かれた二つの写真立ての中身が特に彼の目を引いた。

 

 一枚目は、妙齢の美女の周りでロングヘアをはためかせる、白いワンピースを着た笑顔の幼い子五人の写真。顔立ちの似通ったところからおそらくは、幼少期の五つ子と母親かと思われた。

 二枚目は最近撮ったものだろうか、いささか緊張した面持ちで黒髪の男性を取り囲む姉妹達の写真。こちらはうって変わって、両者の関係のぎこちなさが伺えた。

 あまり部屋に寄り付かないのか、男親の生活感や私物などが殆ど無かった事もそれを助長する。

 

 更に疑問に感じたのが、()()()()()()家族写真、及び母親と最近撮った写真が部屋に無かったこと。ついでに言えば母親の私室と思わしき部屋も見当たらなかった。

 家庭教師を依頼してきたのは医者である父親のみだったし、もしかして離婚でもしたのだろうか?しかし日本では離婚すると、子供の親権は母親が持つ事が多い。

 加えて気になる二点目が、五人の容姿だ。全くもって父親らしき人物に似ていない、そればかりか。

 

「五つ子揃った碧眼と、真白い肌に赤い髪。……まるで、カレンをみているようでした」

 

 いずれも、モンゴロイド系人種の多い日本人には珍しい身体的特徴だ。五月と食堂で話した時も、ルルーシュは最初ブリタニア人かと思っていた。

 日本人であることは後で知ったが、似た容姿の例として日ブ()()()である生徒会の同僚、紅月カレンの存在が頭をよぎった。

 身近に実例がいるからこそ、類推は容易い。確度が決して高い訳ではないが、彼は一つの仮定を述べる。

 

「彼女達の本当の父親は別の人間であり、かつ外国人の血を引いている。今の御父君とは再婚。母親とは離婚もしくは死別した。違いますか?」

 

 部屋に仏壇なりがあればもっと絞り込めたが、そこまでは確認出来なかった。さて、結果は。

 

「……全て正解だ。御母堂は何年か前に亡くなっておられるそうだよ」

 

 ビンゴだったか。ならば彼女達の男親はハーフかクォーターの日本人どころかブリタニア人、いやひょっとすると何処かのお貴族様の御落胤の可能性だってある。例えば。

 

「では誰です、彼女らの実父は?まさかシャルルとでも?」

 

(ルルーシュ視点で)いけ好かない肖像画を拡大コピーし、こっそりダーツの的にしたこともある父親の名を提示する。まあわざと言ったんだけれど。

 

「いや、違うぞルルーシュ君。…それからだね、周りに誰もいないとはいえ、一応陛下とお呼びした方が……」

 

 もしくはせめて父上とか。一応自分達の母国の君主なんだし。一歩間違えば父と子で大騒動が起こりそうな現状には、学園の古狸も心中で苦笑い。

 

「あの縦ロールは呼び捨てが適当ですよ、理事長」

 

 ……それで、一体誰なのですか?

 

 にべもない若人の眼は、いつの間にか部下を案じる優しき王のそれに変わっていた。声までも、気付けば幾分いつもより低いのだ。

 

(おや……?)

 

 何かが違う。還暦をとうに超えた理事長は、一見すると分かりづらい彼の変化を、長年培った年の功で感じ取る。今そこに居る彼は、生徒会副会長としても、家庭教師としても立ってはいない。声に覇気が籠っている。ジェレミアらが心酔する、ルルーシュから意図せずして時折発せられる、王の天凛が発露しているのだ。

 

 ならば、正しく今の彼を呼ぶならば、きっと。

 

「……………では、殿()()。これより話す出来事は、全て密に願えますかな?」

 

 瞑目ののち、約一〇秒後。彼に向けられたのは老獪な理事長の眼ではない。狂信に近い忠誠心すら秘めた、家臣のソレだった。

 ピク、と。殿下と呼ばれた男の柳眉が、小さく跳ねる。決して口外せぬように。依頼に対する返答、いや下命は。

 

「───我が魂と家名に誓おう、()()()()()()()()()

 

 自分の家の名に拠って、発言に箔をつける行為など本来好きではない。むしろ嫌悪している。そればかりか家格など不用とばかり、ルルーシュは(少なくとも表向きには)皇籍を離脱し名字を変えている。

 

 しかし。どう足掻いたところで自らの生まれは変えようがないし、それより重い栄誉栄達など今は持っていない。賭けられるものは捨てた筈でも付いて回る家名と、精々が命くらいしかない。

 だからこその大仰な発言。長年ブリタニア皇家に仕えてきた忠臣は、その老骨に今一度力を込めて切り返す。

 

「…イエス、ユアハイネス。受け入れ理由はただ一つ。彼女達を()()ために御座います。そして、五つ子の()()()父親の名は………」

 

 

 家庭教師の任に着いて早二日目。黒き皇子は、着々と姉妹達の核心に迫りつつあった。

 

 

 ☆

 

 

「ルルーシュが家庭教師?」

 

「うん。彼って学内にファンクラブまであるんだね。あのルックスだしそりゃそっかーって、何か納得しちゃったけど」

 

 副会長が皇子ムーブしてた同日同時刻、五月の属するA組の隣、2年B組にて。

 転入してきたばかりの五つ子の長子・中野一花は現在、同じクラスの男子生徒にして生徒会員、枢木スザクとの雑談に興じていた。

 

 一昨日、毎度のことながらテンションが振り切れてるB組担任、ロイド教授(化学担当)に連れられて入ってきた彼女。持ち前の人当たりの良さもあって、隣の席となったスザクとまずコミュニケーションを始めたのがクラスメイトとの初取っ掛かりだった。

 

 編入して早や三日目となった今ではそれなりに打ち解けてきた気がする一方で、知己となったスザクはというと。

 

(あのルルーシュがタダで?しかも放課後に?ナナリーとの憩いの時間を削るだなんて、ついに麻薬(リフレイン)でもキメたのかな……?)

 

 ちなみに家庭教師の対象生徒が同じ学校に五人もいる時点で、既に緘口令は敷けないと諦めたルルーシュ(現に今もダダ漏れである)。

 学園屈指の人気を誇る美男子につきっきりで教えてもらえるなんて事が露見すれば、一部の女生徒が涙を流して羨ましがるのは確実だがもう手遅れだ。

 実際この後、家庭教師発覚により五つ子達は学内で広く認知されていくのだが、それは今はさて置いて。

 

「……ねえ、ルルーシュ君て、スザク君からみてどんな人?」

 

 生真面目で異性への警戒心が強い末っ子の五月。彼女があれだけ男の子に懐いている(姉視点)のは、これまでで初めてだった。加えて卒業まで付き合う相手なのだし、長女としても気になった。

 

 初日に一花から「枢木君」と呼ばれたのを「名前で良いよ」、と即座に訂正して今に至るスザク、問われると程なく。

 

「うーん、………優しい嘘つき…かな?」

 

「嘘つき?」

 

 彼女にとって、至極意外に聞こえる返答を送った。

 嘘つき、だって?昨日あれだけ非協力的な態度を取った自分達にも誠実な謝罪をくれたルルーシュと、スザクの評する彼は見事に一致しない。が。

 

「うん。普段は実直だけど、たまに物凄い嘘つくよルルーシュ。あと基本人使いが荒いし、顔は良いけど口は悪い。荷運びとかしても『箸より重いものはお前が持て』とか平気で言うし」

 

「え、ええ……?」

 

 この話だけ聞くと単に嫌な奴である。思わず微妙な表情になった一花に対し、「でもね」と構わず彼は続けた。

 

「でも、彼は止むにやまれぬ理由なくして嘘は吐かない。それから、何だかんだ今までで……」

 

 一拍おいて、スザクは呟く。

 

 そう、栗色の癖っ毛を揺らすこの男は誰より理解している。荒いとはいえ、ギリギリ達成可能なラインを目一杯見極めて人を使う彼の気遣いと采配を。

 あまりに飛び抜けた美貌ゆえ、放っておくと外見だけの「白馬の王子様」扱いされるのを防ぐための処世術たる毒舌を。

『俺より断然体力があるから効率が良い、だから持て』という意味で自分に色々と頼み込むことを。

 

「……一番の親友なんだ、僕の」

 

「……!…そっか」

 

 心酔、ではない。これは『信頼』。人の良さそうなスザクにここまで言わせるのは、果たして彼の人柄ゆえのものなのだろうか?

 まだ彼等と付き合いの浅い一花には、その区別はつきかねた。分かるのは、彼等が旧友と呼べるに値する仲であることのみ。

 

「まあね。ルルーシュは気難しいけど優しいし、余りある長所は付き合ってく内に段々分かると思うよ?」

 

 言ってから「…割と気恥ずかしい事言ったね」、と頬をかくスザクを尻目に、中野家の長女は一つの意を決した。

 

(…なら、勉強ついでにルルーシュ君の為人(ひととなり)、ってのを……時間をかけて、これから知っていこうかな)

 

 「俺に従え」と言い切った、自信満々な家庭教師の顔を思い出す。彼の内面を、この先も続くだろう友誼を通して識る由としよう。正直未だにその全貌は分からない。役者を志し演技派を称する自分ですら、彼がどこまで「演じて」いるのか掴みきれていないのだ。

 しかし幸い自分の家庭教師だ、今後も機会は沢山ある。

 

「いやいや、ありがとねスザク君♪」

 

「僕でお役に立てたなら」

 

 トーンを努めて軽快に。ああ、ついでに一つ聞いとこう。

 

「……あとさ、ウソって例えばどんなの?」

 

「嘘?……ええっとね、あれは確かユフィ…ああ、僕らと仲良い隣のクラスの女の子なんだけど、彼女が珍しく本気で怒ったやつでね………」

 

 と、そこまで言いかけたスザクの顔色から、傍目でみて分かるくらいに血の気が引いていく。何か恐ろしい過去のトラウマでも喚起されたのだろうか、腹部の辺りをそっと片手で押さえ始めた。

 少なくとも、胃が痛くなるようなことがあったらしい。

 

「……ごめん、あんまり思い出したくない」

 

「そんなに!?」

 

 

 ☆

 

 

「ここがルルーシュさんのお家ですか。なんだか、ウチのマンションと似てますね」

 

「外見はな。立地にだけは恵まれてる、と言ったところだ」

 

 その日の午後。アッシュフォード学園の直ぐ隣にある高層マンションに、中野五月はルルーシュと共に赴いていた。

 

 生徒会の書類は昼休みと授業中に全て処理した。一旦家に帰り、それから五つ子のもとへ向かう。

 放課後のHRで家庭教師本人からそう聞いた五月は、「ならば私もご一緒します、よろしければ道中でも勉強教えて下さい」との意見を陳述。車で下校するのをキャンセルしてルルーシュに同行。

 スパルタ方針に協力してくれる向学熱心な彼女の主張は快く引き受けられ、そのまま口頭説明でもって彼女は英語を教わっていた、そこまではいい。

 

 しかし彼の部屋のドアを開け、いの一番に出てきた住人は彼の妹でも、はたまた左隣の部屋に住んでるメイドでもなく、なんと。

 

「お帰りルルーシュ、ナナリーなら咲世子の部屋に行ったぞ。ん?後ろの娘は……なんだ五月か、いらっしゃい。学校にはもう慣れたか?」

 

「せ、先生!?いや、おかげさまで、…ってそうじゃなくて!なんて格好してるんですか!?」

 

 ランペルージという表札の下がったマンションの一室。そこから黒いレースの下着にYシャツ姿、というあられもない格好で出てきた妙齢の美女は、なんと担任教師のC.C.であった。

 

「と言われても、部屋だとこんなものだぞ私は?」

 

 などと意味不明なことを述べるこの担任教師の、しかしパリコレモデルもかくや、と言うほどに整ったボディーラインのなんと綺麗なことだろうか。ちょっとした仕草が艶かしくて思わず見入ってしまう。特にお尻から脚の曲線美にかけては、同性の五月でも感心するくらいに美しかった。

 が、今は彼女の裸体の感想よりも、教育的指導を優先しなければ。

 

「せめて前くらい留めてください!男の子の前ですよ!」

 

「減るものでもないし気にするな。というか五月はどうしてここに?夜這いにはまだ早いんじゃないか?」

 

「夜ばっ……違います!大体先生こそどうして…ここ、ルルーシュさんのお宅ですよね!?」

 

「抜き打ち家庭訪問だ、何故なら私はC.C.だからな」

 

 前半は兎も角、台詞の後半部分は意味がわからない。

 

「それでも下着姿はダメです、一花じゃないんですから!」

 

「別にルルーシュの前くらいでしかやらんさ、問題ない」

 

「えっ」

 

 彼の前でしかしない?下着の御開帳を?それってつまり……?混乱する堅物娘に、今度は件の彼が被せる。

 

「……大丈夫だ五月。実はこいつのこういう奇行、割とよくあることなんだ」

 

「えっ」

 

 更に爆弾。よくあること?下着に彼シャツで担任が自分の部屋から出てくるのが?

 フリーズする末っ子をほっといたまま話は進む。フリーダムな担任の言動に拠るものか、眉間を指で揉んで溜息をついてる辺りに彼の心労が伺えたが。

 

「…おいC.C.、俺のYシャツを勝手に着るんじゃない。今月で何度目だこれで?」

 

「小姑かお前はケチケチするな。ほら担任教師の萌え袖だぞ、感想とかないのか?」

 

「洗って返せ。当然費用はお前持ちだ」

 

「新品は下ろしてないから断固断る。これはお前が昨日着て洗濯カゴに放り込んだ使用済だ」

 

「尚更悪い!だから今日クリーニングに出した時一着足りなかったのか!」

 

 突如始まった立て板に水の如きやり取りは、まるで。

 

(……えっ、ちょっと、なんですかこの夫婦漫才!?この二人新婚さんか何かですか?)

 

 もしくは痴話喧嘩か。彼氏のいない女子高生に何をみせつけてくれてるんだ。また美男美女だから絵になるのが何とも言えない。

 パパ活ならぬママ活?それとも学生と教師との禁断の愛?身体だけの爛れた関係?

 あらぬ妄想が浮かんでは、思春期の少女の頭の中でどんどんと膨らんでいく。

 

「……あの、お二人ってもしかして……」

 

 そう言う関係なんですか。……と聞きたかったけど、流石にそこまで踏み込むのは憚られた。

 皆まで言わずとも彼女の意図に予想がついたのか、頭を掻いたルルーシュは珍しく控えめに切り出す。

 

「…ああ、五月。多分君が思っているのとは違う。俺達は、そうだな………所謂、腐れ縁というやつだ」

 

「大体合ってるな、その表現で。…ああ、私はルルーシュの両親と古い付き合いでな、その時期からの縁なんだ。ブリタニアに居た小さい頃からもよく知っている」

 

「小さい頃?」

 

「こいつの背がこーんなだった時とかだ」

 

 扇情的な格好のまま、自分の腰元あたりで手をヒラヒラさせた担任教師をみて思う。

 とんでもなく端正な容姿をした彼の幼少期。さぞ可愛くて仕方ないだろう。別に五月はショタコンではないけど、つい声に出していた。

 

「……ど、どんな感じだったんですか…?」

 

「アルバムがあるぞ、あいつの部屋のクローゼットの中だからとってこよう。それから慌てずともゆっくりしていけ、ついでに車で家まで送ってやる」

 

「わあ、楽しみです!」

 

 急にテンションの一変した五月に対し、今度は彼が慌てる番だった。具体的には「アルバム」というフレーズに、だ。

 

「待て五月、まともに受けとらなくていい。それからC.C.、何故俺の部屋の備品を逐一把握してるんだ?そもそもお前の自宅は隣室だ、いい加減巣に帰れ」

 

「ルルーシュ、無駄口を叩いてないで客人に紅茶ぐらい出しておけ。気の利かん男に育てた覚えはないぞ?」

 

「聞けこの大年増。というかアルバムテロはやめろ!」

 

 とたとたとルルーシュの部屋に侵入していく担任の背に向け話しかけるが、返答は返って来ず。そればかりか間も無くアルバムを二、三冊、的確に抜いて持ってきた。しかも。

 

(…おい、あの金背の表紙のやつは確か……!)

 

「待たせたな五月。これは生後半年くらいかな、私がルルーシュにミルクをやっていた時の写真で」

 

「やめろと言っとろーが!!」

 

 自分の同級生にそんなもの晒すな。こっちだってキャラとかあるんだ、学内じゃ優等生で通してるんだから。

 

(このままではマズイ、針のむしろだ…!)

 

 思ったルルーシュは厨房の方へ向かうことにした。逃亡ではない、戦略的撤退というやつである。どうもあの魔女、年増と言ったのはしっかり聞こえていたらしい。

 

 一方でちゃっかりアルバムを捲っている五月は、担任とトークタイムと洒落込んでいた。やたらふかふかなソファの感覚が腰に優しい。

 

「そういえば、ルルーシュが家庭教師になったんだって?襲われたりしてないか?」

 

「お……いや、そんな事ありませんよ!指導だってすっごく分かり易いんです、彼。でも……」

 

 問題はルルーシュには全くない。むしろ。

 

「私の姉達の一部が、困ったことに彼に反抗的でして……」

 

 真面目な彼女にとって姉、特に二乃あたりの反抗的態度は悩みの種だった。無給でやるとまで言ってくれてるのだ、それ相応に遇しなければ失礼だろうに。

 

「そうかそうか。まああいつ、身形(ナリ)は良いが仮面を被るタイプだからな。いけ好かないと思われたんだろう」

 

 しょうがない奴だ、とばかり苦笑した彼女に、突然。

 

「わっ、ちょっ…先生?」

 

 わしゃわしゃと、頭頂部のアホ毛の上からいきなり頭を撫でられた。そういえばよく母にこうしてもらったなあ、とか昔の事を思い出して、なんだか胸の奥がこそばゆくなる。

 

「悪い悪い、可愛くてつい、な。ルルーシュなら大丈夫、あれは何だかんだで人誑しだ。その内改善されていくさ」

 

「…任せて大丈夫、ってことですか…?」

 

「ああ。それに私も一応担任、もし何か困り事ならこのC.Cになんでも聞け」

 

 台詞に思わず目を見開く。転入初日の彼と似た、その言い草に。

 

「……実は一昨日、ルルーシュさんにも同じ事言われました」

 

「はは、なら鬼に金棒じゃないか、どっちも上手く使うといい。…そうそう、ちなみに私の担当教科は世界史だ、楽単だからしっかり点数取るんだぞ?」

 

「…は、はい!頑張ります……!」

 

 くすり、と柔らかく笑う彼女の、慈愛に満ちた金色の瞳。彼女を通してまた一つ、彼について理解できた気がする。

 きっと彼も、小さい時から彼女にこうやって育てられて来たんだろう。他者に手を差し伸べる性質は、C.C.の背を見て学んだのかも知れない。

 

 ルルーシュとC.C.。この二人の関係は親子でも恋人でも夫婦でもない。切っても切れない宿業に近い腐れ縁。

 そして、黒き皇子は不死の魔女に、この先も多分ずっと。

 

(……なるほど。ルルーシュさん、頭が上がらないんですね)

 

 彼の弱みを唯一全て知る女、それがC.C.でもある。証拠に。

 

「……全く、俺を顎でこき使うとは信じられんぞ。…ああ五月、折角だしお茶にしよう。これが君の分だ、食べ終わったらマンションに向かうぞ」

 

 ぶつくさ文句を言いながらも、ルルーシュが手早く紅茶を三人前淹れて持ってきたのだ。ご丁寧にケーキも添えて。反射でお礼を述べた五月、いただきますと言うことも勿論忘れない。

 しかし。その間も写真を見ていくうち、ある一つの疑問が浮かんできた。

 

(あれ、でも………?)

 

 二〇年近く前の写真にも関わらず、このC.C.なる担任教師、全く見た目の変化がないのだ。仮にルルーシュの母親と同じ歳としても、アラフォーでなければおかしいのに。

 ひょっとして体型維持やアンチエイジングにでも一家言あるのだろうか。だったら是非教えて欲しいんですけれど、と実は密かに己のウエスト周りが気になる五月は思う。

 

 隣でアルバムの説明をしてくれる彼女は、下手をすれば二〇歳かそこらにも見えた。

 

(……先生って、一体おいくつなんでしょう?そもそも、本名だって分かりませんし……)

 

 C.C.はただのイニシャルだから、別にきちんとした名前があるはずだ。しかし当然の事ながら、名前は兎も角成人した女性に歳など聞くべきではない。

 奇しくもアッシュフォード学園七不思議の一つに数えられるC.C.の年齢。彼女が優に一世紀以上は生きていることを五月が知るのは、果たして何時になるのだろうか。

 

(あっ、このチーズケーキ凄く美味しい)

 

 

 

 

 ……いやもしかしたら、終生知らないかもしれない。

 

 




・ロイド教授……2年B組担任。客員教授として大学に出向する傍らで高等部クラスも受け持つ。ブリタニア軍のシンクタンクとかにも出入りしてたりしなかったり。尚B組の副担任、セシルによく手料理を振舞われている。


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TURN 04:黒揚羽青春謳

二乃回。


「ルルが先生!?…あ、だから昨日生徒会室来なかったんだ……!」

 

「え、仕事すっぽかしてきたってこと?」

 

 

 五姉妹達の転校三日目。一花がスザクとお喋りしてた同時刻、早朝の二年C組にて。

 三日前にクラスに配属されたばかりの五つ子の次女・中野二乃。

 彼女は現在、前席に座る生徒会メンバー、シャーリー・フェネットとのかしまし女子トークを繰り広げていた。

 

 クラス一高いコミュ力の持ち主たる彼女と、流行りのコスメやファッションやらについて語ったのち。話の流れの中で何の気なしに二乃が切り出した、「ルルーシュとかいう家庭教師が来た」という話。

 しかし「ルルーシュ」なる単語にシャーリー、予想外に強い反応を示したのだ。

 

「ううん、仕事自体はパーフェクト。むしろ来週処理予定の決算書類とかまで全て終わらせてあったよ」

 

「そこはキッチリしてるのね…」

 

「ルルは完璧主義だしね。ただ机の上に『本日私用のため先に失礼する』って書き置きが置いてあったから、何で?と思ったんだけど」

 

「うんうん」

 

「『どうせナナちゃん関連だろ』って、満場一致で気にも留めなかったんだ……」

 

 そっかー、家庭教師始めたのかあ…と呟き揺れる、橙髪の持ち主に、遠慮がちだが未知の単語を問う。

 

「ええっと、シャーリー。そのナナちゃんって…?」

 

「え?ああ、ルルの妹さん。中等部にいるんだけど、すっごく性格良くて可愛い女の子だよ。写真あるけどみる?」

 

「どれどれ…わ、ホントに可愛い」

 

「でしょー?」

 

 シャーリーのケータイ画面に映し出されたのは、癖っ毛の特徴的な優しそうな女の子。ナナリー、というらしい。

 

 しかし件の彼女を評しつつも、彼が家庭教師のために生徒会に顔をあまり出していない、という事実を知ったシャーリー。気のせいか少し気落ちしているようにもみえた。

 

「……ねえ、カテキョのルルってどうだった?」

 

「どう、って?…そうね……」

 

 ぽつり、と滲み出た彼女の問い。不意な質問を受け、二乃は彼に暫し思いを馳せる。

 

 ルルーシュ・ランペルージ。生徒会副会長を務めるブリタニア人の二年生。

 生徒のみならず教師陣からの信任も厚く、全国模試ではマーク・記述とも常に一位。海外留学の話もひっきりなしに舞い込んできているばかりか、その道の学者達に第一線で用いられるようなレベルの論文を何本も発表。加えて本人はあの美貌で、実家は相当な資産家らしい。

 一体どんな完璧超人だ、って話だけれど。

 

「……気を悪くしたらごめんなさい。正直、私は彼とはあまり合わないわ」

 

 嫌い、ではない。合わないのだ。自分達の家に来なかったなら、或いはもっと違った感情を抱いていただろうに。

 

 見た目は全く文句なし。むしろ面食いな二乃にとり、ルルーシュの顔形はどストライクだった。

 白磁の肌に、烏の濡れ羽色をした艶やかな黒髪。紫水晶の如く輝く切れ長の双眸。これでもっと野生的な面があれば尚良かった。

 

 でも彼は……彼は異物、なのだ。姉妹達の家に割って入ってきた、異分子。家族を何より大事にする二乃にとって、本心としてそんなイレギュラーは排除しておきたい。

 どうせなら睡眠薬でも盛った飲み物なり出して、タクシーで自宅に叩き帰してやろう。そこまで思っていたのに、いざとなると出来なかった。何故って。

 

(あんな顔されたら、追い出すなんて出来ないわよ…)

 

 ……末っ子の五月が彼を見る眼が、あまりに信頼に溢れていたからだ。男に媚びるような真似は絶対に嫌がる、あの五月がだ。

 家庭教師が誰か分からずガチガチに緊張していたのに、相手が彼と判明した途端、一気に顔が華やいで歓待ムードになっていた。なんたって終始隣に座ってたくらいである。

 

(よっぽどあいつの何かが、五月の琴線に触れたんでしょうね)

 

 アッシュフォードに来ることで母の墓と前より遠くなる事もあってか、転校が決まってからは五人の中で一番気落ちしていた五月。編入初日の見学の時も空元気で、「先にご飯でも食べてきなさい」と食堂にけしかけたくらいだ。

 まさかそんな彼女を変えたのが五つ子の誰でもなく、突然やってきた家庭教師だったとは。感謝はしているが、姉としては複雑な思いもある。

 

 そして彼の持つ「何か」の正体は、未だ二乃には分からなかった。

 

 

 ☆

 

 

 「合わない、か。実を言うとね、私も最初はそうだったよ?」

 

「そう…なの?」

 

 シャーリーの返答は、二乃にとっても意外だった。生徒会が同じ、ということもあってより彼を深く知っているのもあるだろう。敬意すら抱いているようにもみえる、そんな彼女が。

 

「うん。頭いいのに使い方おかしいし。ぶっちゃけ最初は、ルルにあんまり好印象持ってなかったんだ、私。色々あって今は勿論違うんだけどね?」

 

 口ぶりからするに、あくまで過去のことらしい。しかしそれより何より二乃にとって気になったのは、彼女がルルーシュについて話す時の、瞳の熱のこもり具合だった。

 特段話せるような恋愛経験なんてないけれど、二乃だって年頃の女子。コイバナくらいこれまで散々してきたのだ。その経験則から言うと……。

 

 「…あ、ねえ、これ聞いてもいいかな。二乃ちゃんの好きなタイプって、どんな人?」

 

 そんな考え事をしてる時。割に突っ込んだ質問が飛んで来て、テンパって答えたのが。

 

「え、あ、私?ええっと…ワイルド系でかっこいい人、かな……?」

 

「へぇー!じゃあ、ウチだとD組のジノ君とかかな?」

 

「あ、確か金髪でイケメンの子よね?妹が隣の席になった、って一昨日言ってたわ」

 

「話し上手で聞き上手だから、妹さん楽しいと思うよー?それにスポーツも万能だし人気だよ、ジノ君。ただ、若干チャラいけどね……」

 

「うーん、タイプでも軟派過ぎる人はちょっとムリね……」

 

「あー、それは私も同意かなー」

 

 そこは二人して意見が一致。

 なんたって二乃の一番好きなのは、実は「白馬の王子様」タイプなのだ。子供っぽいと言われようとこればかりは譲れない。

「どうにもならない窮地の中、颯爽と現れたカッコよくて素敵な王子様に掻っ攫われていきたい」みたいな、人前では到底恥ずかしくて言えない恋愛観が彼女の中にはある。あるんだけど。

 

(……いるわけないのよねー、そんな人。少なくとも、私の周りに)

 

 タイプはタイプ、あくまで幻想。あまり理想の男性像やら妄想やらに固執していると、将来的には行き遅れて嫁の貰い手が無くなるだろう。

 根はメルヘンチックの癖してこういう時はシビアな思考をするくらいには、彼女は割とスレていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 その日の放課後。何故か同伴でマンションに来たルルーシュと何やら機嫌の良い五月を訝しがりつつも、二乃は一応、自宅にて渋々机に向かっていた。

 

「一花は仕事で四葉は部活の見学。三玖はまだ帰ってない、か」

 

 五人全員揃わない日はままある。用事が入ってればそうもなるのだ。が、先の二人は兎も角、三女の無断欠席は理由が分からない。どこで油を売ってるんだろう。

 と思ってたら先程、部屋の人員を把握するなり「……三玖を捕まえに行って来ます」と五月が宣言。居場所に心当たりがあるのかはさておき、来た時の柔和な表情が一変、目が据わってしまった彼女を止めるのはちょっと出来そうになかった。

 ルルーシュですら「()()()くらいまでにはどうにかなる筈だから大丈夫だ」、と言ってたのが剣幕に圧されたのか、最後の方は「…無理のない範囲でいいからな?」と返すのがやっとだったぐらいだ。

 

 まあそんな訳で、「序盤なのに対象者が一人しかいないのは効率が悪い」と、指導もそこそこに取り敢えず二〇分の小休止を言い渡した我らが家庭教師。彼は今しがた部屋の外へと出て行った。帰りがその分遅くなるので家に電話するらしい。

 

 室内には自分だけ。彼がいる時は小うるさい五月もいないしこれ幸い、とばかり、だだっ広いペンタゴンの一室でだらりと寝転ぶ。いつも丁寧にケアしているロングヘアが、はらはらと数本顔にかかった。

 一抹の鬱陶しさを感じて思わず「…邪魔ね」と独り言。でもまだ切ろう、とまでは考えない。長髪はかつての五つ子の象徴なのだから。

 

(こんなことなら今日はシャーリーと、ウィンドウショッピングの約束でもすれば良かったかしら…)

 

 気さくな友人の顔を思い出しながらも、寝返りを打って横を向く。するとついさっきまでルルーシュが羽織っていた、紺色のテーラードジャケットが視界に入る。少し部屋が暑かったのか、畳んで文机の傍に置いてあった。後で暖房の設定温度を変えておこう。

 

 手持ち無沙汰もあってか寝転がったまま思わず、滑らかな光沢のある其れに手を伸ばす。あくまでその行為は、興味本位のものだったのだけれど。

 

(わ、この手触り、凄い良い服……)

 

 ファッションに明るい二乃なら分かる。高級衣料は生地の質感と、縫製の丁寧さがまず違う。自分の持ってるアウターの中にも、このレベルの製品は滅多にない。思わず何処のメーカーだろう、と少し広げて中を見てしまった。

 

(あれ、首元にタグがない。…あ、切ってある)

 

 なぜわざわざ切ったんだろう。…と、ジャケットの裏地の左側、かなり目立たない部分に小さく何か文字の刺繍がしてあった。読み方は……。

 

(「H.I.H.P.L.V.B.」……?…ブランド名、にしては聞いたことないわね。どういう意味かしら?)

 

 個人名でもないだろう。もし本人の名前を刺繍するなら、「Lelouch.L」とでも入れる筈だから。ならまあ、私の知らないローカルブランドか何か?とその場は自己完結。あとで調べておこうかな、と思うに留まった。

 

 しかし彼なりに遠慮してるのか知らないが、何も床にそのままアウターを置かなくたっていいだろうに。

 

(シワになっちゃうじゃないの、せっかく良い服なのに。……仕方ない、ハンガーに掛けといてあげますか)

 

 やれやれと思いつつ立ち上がり、ジャケットを掴んだその時。ゴトリ、と。服の内側から何やら、不自然に硬質な音がした。名刺入れでも入ってるのだろうか。

 

(……?…あ、右の裏地に隠しポケット付いてる。この中かしら)

 

 でも、パスケースとかにしては嫌に重量感のある音だった。訝しさがどうにも収まらず、悪いと思いつつ手探りで発生源を弄る。すると程なくして出てきたものは。

 

 

「…コ、コイルガン…!?」

 

 掌大の鈍色に煌めく金属塊。サイズこそ小さいながらもよく海外の刑事ドラマなんかで出て来るそのブツの正体は、なんと実銃だった。

 

(思いっきり銃刀法違反じゃない!何でこんなもの持ってるのよコイツ……!?)

 

 それもおそらく模造品ではない。コンパクトなホルスターに収まった銀塊は、ところどころ使用感があった。おまけにグリップ部分の刻印は丁寧に削り取られており、この銃本来の所属先が分からないようになっている。もしかするとどこかの軍からの横流し品だろうか。いずれにせよ普通ではな……

 

「────何をしている、二乃?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「!?」

 

 斜め上からの鋭い声に振り向くとそこに居たのは、いつになく厳しい顔つきをしたルルーシュだった。何時戻ってきたのだろうか。此方を見下ろす目線は勿論、彼女の手元に向いている。

 誰何は怒気を孕んでこそいない。が、昨日五つ子を問い質した時のような、余人を圧倒する覇気がまた漏れ出ていた。

 

(ヤバっ…バッチリ見られた……!)

 

 一挙に緊迫する空気に、思わずゴクリと唾を飲み込む。

 しかし、中野二乃の持ち球に敬遠球なぞ存在しない。迷ったらど真ん中に投げ込むのもまた、この次女の潔さである。

 

「……勝手に私物を触ったのは謝るわ、ごめんなさい。でも何よ、この銃?他人の家に持ち込むには物騒すぎやしないかしら?」

 

 生来気の強い性質ゆえか勢いよく立ち上がり、声を張り上げ彼を見返す。二〇センチ近い身長差から見上げる格好になるが構わない。そのままお互い見つめ合う。

 他方、暫く腕を組んだまま彼女を、いや正確には彼女の持つ()()()()()()含めて見ていたルルーシュ。その場で「()、か」と小さく呟くと、一度瞑目したのちに、唐突に妙な話をし始めた。

 

「昔の話だが、俺はかつてアッシュフォード学園のファイアウォールを、クラッキングして数秒で突破したことがあってな」

 

 腕試しで過去にやった、紛れも無い事実だった。ちなみにその時潜ったセキュリティホールは、入学してから彼自身がパッチを作成し塞いでおいたが。

 尤も二乃がそんなエピソードを知るはずもなく。いきなり脈絡も無い話を振られれば、当然戸惑うわけであり。

 

「は、はあ?だから何?今になって懺悔でもしようっての?」

 

「いいや違う。続けるぞ、クラッキングは確かに悪だ。ただし大元のハッキングという技術自体に罪は無い。登録外の銃を持つことも同義だ。銃自体は単なる凶器に過ぎん。肝要なのは悪事を成す人間が、予め覚悟を決めておくことだ」

 

 その場で適当に思いついた理屈をすらすらと並べ立てる。どこまで本心で思ってるかは知らないが、窮地に追い込まれても変わらず口達者なのがこの男の特徴だ。

 

 ちなみにコイルガンだが、実は昨日まではこのマンションには持ち込んでいない。気が変わったのは今朝、理事長に彼女達の()()()()()を聞いた時。

「これからは保険として、()()()()()にも携帯しておこう」と決意し、家からこっそり持ってきたのだ。放課後に一旦、自宅に立ち寄ったのはこの為だったりする。

 尤もこんな裏事情は五つ子達には話さない。そして現在淀みなく二乃に語る彼の懸念は、銃ではなく全く別のモノにある。それは。

 

(…危なかった。昨日届いたばかりのジャケットだったが、あんなところに小さく刺繍が入っているとは。「家紋は入れるな」、という言い付けは守ってくれたようだが)

 

 客の個人情報を他者に決して喋らぬことで有名な、ブリタニア皇室御用達の仕立屋(テーラー)。今日着ているジャケットを注文したその店、有り余る皇室への忠誠心ゆえか、なんと余計な気を回してくれたらしかった。

 サービス価格で安くしておくから、と半ばお任せしておいたのが良くなかったようだ。次回以降の発注には重ねて、「名前も入れないでくれ」と頼まねば。

 

 余計な事で自分が皇族と知られるのは、絶対に回避しておきたい。鬼札は使わずに済むのが穏当。芋蔓式にナナリーへ面倒事が降りかかるのはもっと願い下げだ。

 

 閑話休題、ルルーシュとしては「彼女のことだ、弱みを握ったのを奇貨として非難の嵐、なんなら罷免要求までして来るだろう」と、反論を二〇〇パターン程考えて身構えていたのだが。

 

「……もしかしてあんた、『必要なら法など度外視しろー』、とかそういう系?」

 

 返ってきたのはお咎めではなく、問いかけだった。何故その質問?と思案しつつも即座に返答。

 

「そうしなければ大事なものを守れないなら、躊躇いなく破るだろうな」

 

 この銃だってそうだ。元々ナナリーを守るためなら拳銃のひとつやふたつ、入手するのに全く躊躇はなかった。結果自分が撃たれても、たとえ処罰を受けようとも。

 

「…へえ、ちょっと意外かも……」

 

「そうか?」

 

「てっきり『ルルーシュ・ランペルージが命じる、遵法精神無き者は死ね』、とかいうタイプだと思ってたわ」

 

「人をなんだと思ってるんだ」

 

「俺様?」

 

 もしくはナルシストとか。

 

「よーく分かった、もう聞かん」

 

 しかし。そこで軽口が返ってくるかと思えばそうではなく。むしろ好機とばかり何やら決意したらしい二乃が、印象通りの強い語調で語りだした。

 

「あと、ひとつ約束して。ソレ、今後ウチの中では取り出さないでね?」

 

 今度は真剣なトーン。これには流石に居住まいを正して答える。ブリタニアでは帯銃なぞありふれたものだが、日本では常識を外れた事だ。今後の事を考えても、誠意ある対応をすべきだろう。

 

「確約しよう。もし俺が禁を破ったら煮るなり焼くなり好きにしろ。何なら家の中ではお前に預けても良いぞ?秘密にしていてくれるなら、な」

 

「……流石にそこまではやめとくわ。使ったことないし」

 

 顔を若干引きつらせた二乃が述べる。引き気味の対応、予想通り。…間が出来た今が頃合いか。そろそろ斬りこもう。

 

「了解した。…ああ、それから話は変わるんだが……」

 

 ……度外視と言えば理事長に今朝、編入の真相を尋ねておいたぞ?

 

 

 ☆

 

 

 分かっていてもその言葉に、彼女は食いつかないわけにいかなかった。

 

「!…えっ、……あの、なんて言ってたの……?」

 

 もろに話題をジャケットからも銃からも逸らしながら、気になるであろうトピックを彼は振る。対象の控えめだが強い食いつきを見て「いける」と判断。肩をすくめてごく自然に、()()()()()を口にする。

 

「『俺の指導が前提で受け入れた』、だとさ」

 

「あんたの……?」

 

「俺の親に先に渡りをつけてあったんだ。『じゃあウチの息子に指導させれば良いじゃないか』と結論付けられて決まったことらしくてな。理事長には『卒業まで彼女達の面倒を見てくれ、君なら出来るだろう?』とも言われたよ。全くどいつもこいつも大概、事後報告ばかりで困る」

 

 ちなみに大嘘である。これらはルルーシュが今朝、理事長と示し合わせて捏造した方便だ。両親に関しては渋々、……本当に渋々だがマリアンヌに電話をかけて口裏を合わさせた。大人達には泥を被ってもらう形になったが、実際結果として子供が一人タダ働きに甘んじている。このくらいの不名誉は許容してもらおう。

 

 尚、本当の入学許可理由は……話せない。いたずらに彼女達を不安がらせたくないということもある。自分達を()()()()で庇護下に置かねばならなかったから、などと。

 ……そう、止むに止まれぬ事情があれば、彼は幾らでも嘘をつく。良心の呵責があれど、何遍でも。

 

「親同士知り合いなのよね、そういえば。…ていうか、アリガト。わざわざ聞いてきてくれたのね。五月達にはもう話したの?」

 

「いいや、二乃が最初だ。全員揃ってから改めて周知するがな」

 

「そ、そう……私が、ね……」

 

 「二乃が最初」。言葉以上の意味などないのに、たった一つのフレーズに何故か彼女は、自分の心の奥がざわめくのを感じた。

 最初は彼と二人きりなんて、到底間が保たないと思っていた。むしろ気まずいとすら。…が、もう少しくらいお喋りしてもいいかもしれない。この時間は、彼は、昨日よりは嫌いじゃない。むしろ……。

 

「そういうわけで俺とは卒業まで一連托生だ。精々気張れよ、問題児?」

 

 ……前言撤回。やっぱりムカつく!

 

「あ、あんたに言われなくてもやってやるわよ!赤点取らなきゃいいんでしょ!?」

 

「言ったな?言質はたった今獲ったぞ?」

 

「あっ………!?」

 

 売り言葉に買い言葉で、気付けば口車に乗せられてしまった。ルルーシュがツンデレの取り扱いは(日頃のカレンとの交流で)十分心得ていることを、露ほども知らなかったのが二乃の敗因である。

 

 そして気付けば、休止してから二〇分という時間は、あっという間に過ぎ去ろうとしており。

 

「ではそろそろ再開するか。次は数学からだ」

 

 学生の本分は勉強と言わんばかりに、ルルーシュが畳み掛けてきた。

 しかも悔しいことに妖しげな微笑(二乃視点)を浮かべる彼の笑顔は、掛け値無しに美しく。会って数日の野郎の顔に魅入るだなんて、と思ったが、そういえば至近距離で真正面から直視したのは初めてだった。

 

「えっ……わ、私、先に御手洗い行ってくるわ!」

 

 踵を一旦返して急遽離脱。しかし教師側にとっては、生徒が「数学」という言葉を聞いて逃避したように見えてしまい、ついつい嘆息。

 

「……おいおい、どれだけやりたくないんだ…?」

 

 一方の二乃はというと、素早く個室にこもって悶々としていた。

 本音を言えば別に勉強したくないわけではない。それ以上に何となくだが、あの場であれ以上、彼を凝視してはいけない気がしたのだ。今はこの、ぐちゃぐちゃな頭の中を整理する時間が欲しい。

 

 改めて一人になり、些か勢いよく閉めたドアノブをそのまま握りしめる。振り返ると暫く彼と二人きりで居た、今の彼女の心中は。

 

(………意外と、優しいところあるのね)

 

 裏口入学の経緯なんて正直聞き辛かっただろうし、自分達にそこまでしてやる義理もない。なのに昨日の今日でよく尋ねてきてくれたと思う。神経質そうな優男かと思ったら帯銃してるクラッカーだとか、とんでもない一面まであるし。

 

 更にシャーリーから聞いたけれど、生徒会業務に充てる時間を削ってまで自分達に付き合ってくれてるみたいなのに、それをおくびにも出さない。

 何よりあれだけつっけんどんな態度の自分にも、憎まれ口を叩きこそすれ指導自体は真摯で親身だ。口惜しいが分かりやすいし。

 なんだ、これではまるで。

 

(……これじゃあ私、彼に矢鱈に楯突く只の、我儘な子供(ガキ)じゃない…!)

 

 五月が懐く理由が分かった。彼の毒舌や偉そうな態度の裏にある優しさを、彼女は克明に感じ取っていたのだ。五つ子の中では少しだけ長い彼との付き合いが、それを可能にしたのかは分からないが。

 比べると、今までとってきた己の態度が身につまされる思いだった。

 

(……少なくとも腹が立とうと、非協力的な姿勢くらいは改めましょう。自分で自分が情けなくなってくるわ)

 

 ルルーシュ・ランペルージ。自分達の家庭教師。一見すると嫌味だらけの俺様毒舌キャラであるが根は優しい。加えて超美形で、しかも必要とあらば法律も侵す系男子。白馬の王子様…では多分ないけれど。

 

 さてさて、では彼の外見だけでなく内面も含めると、二乃にとっては。

 

 

(……あれ?)

 

 

 ………もしかしてツーアウト?私?

 

 

 

 

 




・「H.I.H.P.L.V.B」
…His Imperial Highness, Prince Lelouch Vi Britannia


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TURN 05:三玖天下第一

サブタイ和訳:みくすき




 抹茶ソーダは良い。心のささくれを癒してくれる。

 

 

 二乃がトイレで悶々としていた同時刻。アッシュフォード学園の屋上でぽつねんと黄昏る少女が一人、幾分厭世的な思考へと埋没していた。

 右眼が隠れる程に長い前髪の奥からサファイアを覗かせるのは、中野家の三女こと三玖その人。

 

 奇妙な味のする清涼飲料缶を片手に日没を知覚する彼女は、しかしこれから何をするアテがあるでもなく。ただ茫洋と手持無沙汰に、すっかり温くなった缶を握る。

 

「…………帰りたくないな、家…」

 

 夕暮れに沈む街を見送りもせず、手摺を掴んで項垂れて。

 そう思うのには、些か心当たりが多過ぎた。

 急激に変わった環境。外国人だらけの学校に、見慣れぬ街並み。前の学校では落第しかけ、慕っていた母の墓は転校で遠くなり、父との仲は相変わらず微妙。引っ越しの荷物だって未だに整理しきれていない。

 

 この学園だって裏口で入ったようなものだから、いつ放校になるとも知れない。先行きが見通せないばかりでなく、とどめに家にやってきた家庭教師は、なんと同級生の男子生徒ときた。

 相次ぐ事象にキャパオーバーした今の彼女の、(うろ)みたいな心を占める感情は。

 

(………疲れた……)

 

 この一言に尽きた。

 一人になりたい。今は誰とも会いたくない。布団をひっ被って何も考えたくない。秋口の微睡みの中で、消え入るように眠ってしまいたい。第一なんだ、この街は。東京は雑音が多すぎて音に酔う。

 思わず愛用のヘッドホンを耳につけ直して、ざわつく波を遮断する。高性能なノイズキャンセリング機能は、こんな時も立派に役目を果たしてくれる。

 

 更に蹲って目をつむると、外界から少しだけ自分が隔離された気がして、やっと一心地つけた。

 

(……いつまでもこれじゃ、いけないのは分かってる。分かってるんだけど……)

 

 落ち着き始めたところで、またちょっとだけ考える。

 

 三玖だって今の自分は我が儘だと、理解してはいる。

 裕福な生活を送っているばかりでなく、設備の潤沢な私立校に転入までさせて貰った。

 姉妹五人揃って衣食住に何一つ困窮していないどころか、送り迎えは車付き、更には個々人にクレカまで渡されているのだ。こんな贅沢な環境、母の再婚前は全く考えられなかった。

 

 でも、自分のやりたい事が分からない。今の自分に自信が持てない。絡め取られた蔦の中から、一歩を踏み出すことが出来ない。自ら行動しない限り、自分を取り巻く世界はいつまで経っても色づかぬままなのに。

 

 昏い停滞の沼に、身をやつしていたその時だった。

 

 学生証(アンロックキー)をドアに翳す、ピ、という電子音がしたかと思えば。不意に自分を隔絶していた、屋上のドアが開け放たれた。誰かここに来たのだろうか。

 重い電子扉を解錠して、言葉と共に現れたのは。

 

 

「見つけましたよ、三玖……!」

 

 

 ☆

 

 

 扉の向こうから姿を見せたのは、最近とみに真面目さに拍車がかかって来たみたいに思える、中野家の末っ子だった。

 

「い、五月……?」

 

 ローファーの踵を鳴らして向かって来る彼女は、まるで末期の人間に告死を告げる医師みたいで。

 

(……行先は伝えてないのに、なんで私が屋上にいると分かったの…?)

 

 戸惑いながらも、半信半疑に誰何する。

 

「なんで、ここに…?」

 

「なんでじゃありません、無断欠席は貴女だけです。わざわざ車回してもらったんですから、早急に帰宅しますよ」

 

 帰宅。その言葉で現実に引き戻された気がして、思わずしかめ面になる。

 

 この子はどうしてそんなに一生懸命なんだろうか。気付けば五つ子の中でも一番勉強熱心だ。編入初日に二乃の手によって学食へ放り込まれるまでは、私と大して変わらぬテンションだったのに、一体その後何があったのか。家庭教師の件だってやけに前向きだし。

 

 翻って自分はどうだろう。…未だ、そこまで進める気はしなかった。だから。

 

「……これから図書館行くから、ヤ」

 

 にべもなく断る。妹の顔が悲しそうに曇ったのには心が痛くなったけど。自分を思ってくれての行動と分かっているけど。それでも……無理。()()()は、姉妹達には話せない。

 

「そうですか、なら私にも考えがあります」

 

 言うが早いが五月、少々しかめ面に切り替わる。そして目の前でおもむろに電話をかけ始めた、かと思うと。

 

「……もしもし、C.C.先生ですか?私です、先程お会いした五月です。すみませんが今どうされて……あ、学校に戻って職員室でこっそり寝てた?あの、早速ですが困り事で相談がありまして…ええ、ちょっと聞き分けのない姉が居ましてですね」

 

 とか言いながら三玖を直視。そのまま見せつけるように通話を続ける。これ見よがしに何がしたいのだこの妹は。

 

「…ですので腕っぷしの強い、ええと……そうです、ジェレミア先生です。お手数ですが本校舎の屋上までお願い致します、ハイ」

 

「えっ」

 

 それきりピッ、と通話を切った五月の顔は、ふふんと勝ち誇って居るようにもみえた。

 

「退路は絶ちましたよ。観念するのです、三玖」

 

 しかし当の三玖はと言うと、今しがたの通話に出てきた「ジェレミア先生」なる単語が気になってそれどころではない。

 

「ここに、呼んだの……?」

 

「はい。貴女を机に着かせるためです。不服なら幾らでも私を恨んで貰って構いません。それでも私はやりますが」

 

 五月が真面目に何か言ってるけど今は後だ。

 ジェレミア?ジェレミアってアレか、二乃が「キャラが濃すぎてヤバいわ」って言ってたC組担任の、身長高くて筋骨隆々で、半分ターミネーターみたいなあの改造人間!?

 

(なんて人を呼びつけてくれるの、五月……!)

 

 これ以上屋上に居てはならない。自分のなけなしの危険信号が警鐘を鳴らしている。こういう時は須らく早期撤退するに限るのだ。

 てことで回れ右、しようとしたその時。

 

 ガン、ガン、と。校舎の壁を蹴る音が聞こえたかと思ったら、何とソレは徐々に大きくなって近づいてくる。しかもただ壁を叩くんじゃなくて、まるで蹴り上がって迫り来る、ような…。

 

「なん、の音……!?」

 

 言い終わるか終わらないうちに。

 

「お待たせ致しましたッ!主の為なら何処までもッ!アッシュフォードがナイトオブワン、ジェレミア・ゴットバルト只今見参ッ!!」

 

 空を裂く、大仰な掛け声と共に。

 階下から跳び空中で宙返りしたジェレミアが、握り拳を地面に打ち付け颯爽登場。かくしてスーパーヒーロー着地を決めた妙な男は、突如少女二人の眼前に降り立った。

 同時に彼の付けてると思わしき、柑橘系の香水(オイル?)の匂いが淡く鼻腔へ届く。オシャレなのかは分からない。ついでに言ってることもよく分からない。

 

「…は、早……!」

 

「壁登って来ました…?今…!?」

 

 今さっきまで部活動の顧問でもしてたのだろうか、オレンジ色の派手な道着を着た男はその場ですっく、と立ち上がる。かと思うと、左眼を覆うゴツいスカウターみたいな機械から「ピピピピピ…」との電子音を伴って悠然と近寄って来た。出る作品を間違えている気がする。

 

「お二方共、拝謁の光栄に浴せる好機を逃してはなりませぬぞッ!宮殿(パレス)へお戻り願います、ミス・ナカノッッ!!」

 

 両手を広げて訳の分からないことをまくし立てながらジリジリと躙り寄る、やたらに体格の良いサイボーグ。花も恥じらうJKに迫るその様、さながら朝の特撮番組の悪役みたいだった。

 

 これはマズイ。激しく拙い。こんな不審者どころかトランスフォーマーみたいな人間に追いかけられたら、たとえ俊足の四葉であっても到底。

 

(……に、逃げられない………!)

 

 

 観念するほか、選択肢はない。

 

 結局勉強からの逃避を図った三女は、自宅へ帰還させられてテストを受ける羽目になった。

 

 

 ☆

 

 

 翌日。嫌々ながらも課業をこなし放課後というパラダイスを迎え、憩いの場たる屋上へと向かった三玖を。

 

「待て、逃がさんぞ不良娘め」

 

 …待ち伏せて腕を掴んだのは誰あろう、世界有数の知性(ジェレミア評)を持つ男ことルルーシュ。三玖の行動パターンを脳内演算し、最も確度の高い時間と場所に張り込んだ彼の頭脳は、今日も順調に作動している。

 

 一方、捕獲された彼女はというと。

 

「い、嫌。セ、セクハラで訴える事も辞さない……」

 

 割に頑固だった。勿論本当に訴える気はないけど、こうまで言えば流石に引いてくれるだろう。ブラフで投げてみたのだけど。

 

「やれるものならやってみろ。司法試験に一発満点合格の俺に勝てるならな?」

 

 全国一の頭脳の持ち主は、この程度では動揺すらしなかった。ブリタニアの弁護士資格最年少保有者であるルルーシュなら、実際訴訟を吹っかけられても示談にはしない。そもそもこの男との本気の論戦で優位に立てる人間を探すなら、選りすぐった史実の高名な哲学者でも用意すべきだ。それも複数。

 

 遅ればせながらも彼の固い意思を解した三玖は、この場は渋々恭順したフリをすることにした。

 

「…なら、早くして。…話って、何?」

 

「陶晴賢。これで分かるか?」

 

「……!」

 

 昨日のテストの答案、その一問目の答え。

 二乃に個人指導している内に帰ってきた一花と四葉を含めた、五人の中で彼女だけが唯一解けた問題。それにルルーシュは目をつけた。

 解けているという事は、復習を手抜かりなくやっていた証拠。つまり。

 

「やる気が無いわけではないだろう。なのに何故逃避ばかり繰り返す?自ら動かずして、己を取り巻く環境など何も変わらんぞ?」

 

「っ…………!」

 

 耳が痛い。直球が的確すぎて逃げたくなる。言われなくてもそんなこと分かってる。分かってる!分かってるけど!

 

「……か」

 

「か?」

 

 出来ない。そうしたいけど…出来ない。だから彼女は糊塗して誤魔化す。心に膿んで溜まるのは、モヤモヤとしたフラストレーション。いっそ身体でも動かせば、少しはスッキリするだろうか?

 

「嘉永六年、ブリタニアから親書を持って日本に開国要求をしてきた人物は」

 

「そんなものマシュー・ペリーに決まって……っておい!」

 

 答えない。どころか、小学生でも知ってるレベルの質問をぶん投げ、そのまま背を向け逃走を開始。どこへ行くというアテも特にないのに。

 が、ルルーシュから見れば三玖のそれは、単なる奇行もしくは逃走にしか見えず。

 

(逃がさんぞこのじゃじゃ馬めッ!戦略が戦術になど負けてたまるかッ!)

 

 緻密な理論的戦略が、行き当たりばったりの情動的戦術に屈してはならない。彼なりの信念だが、ここまで来るともう意地だ。さして遠くなりもしてない背を、脇目も振らずに追跡開始。

 

 それは傍からみれば「副会長が走って女生徒を追いかけてる!?一体何があったのかしら!?」と目撃者の誤解を招くくらいには、延々と続くのではないか…と思われた鬼ごっこだった。

 

 

 ☆

 

 

 しかし、僅かに一〇分後。

 

 

「…こ、こんなの、俺のジャンルじゃない……」

 

「…い、息切れしすぎ……」

 

「そのセリフ、そっくりそのままお返ししよう……!」

 

 疲労困憊で屋上に跪く、二人の様子で大体察せられるだろう。要するにバテていた。この二人屋上→中庭→また屋上という、無意味極まりない走り込みをやったも同然の一〇分を過ごしたのだ。

 どっちも若いのに体力が貧弱過ぎて目もあてられない。もうちょっとトレーニングとかしたらどうだろうか。壁走りでも難なく行う友人を見習うべきだ。

 

(三玖め…言動パターンからインドア派と思っていたが予想外だ。まさか俺をここまで振り回すとは………)

 

 御髪や服装の乱れを見苦しくない程度に直した副会長、なんとか荒くなった呼吸を整える。

 

「……何か事情を抱えているのは分かる。だが無理には聞かんさ」

 

 問いに返ってきたのは、数秒の沈黙。西日が落ちつつある学び舎の空間で、やがて躊躇いがちに彼女は述べた。

 

「………聞かない、の?」

 

「誰だって、隠し事くらいあるだろう?」

 

 一々的確な表現にハッとした。口ぶりからして彼もまた、何か抱えているのかもしれない。それに何だかんだ口は硬そうだ。…彼になら、或いは話してもいいのか?不安定な振り子みたいに、棘の刺さった心が揺らぐ。

 ……いいや、思い出した。まだ踏み止まる材料がある。

 

「…で…でもキミ…答えたって、嘘つくでしょ?」

 

「ほう、何故そう思う?」

 

「一花が昨日言ってた。ルルーシュ君って偶に嘘つくらしいよ、って。クラスメートから聞いた…みたい」

 

「聞き捨てならんな、誰だそんなこと言う奴は?」

 

 人を嘘つき呼ばわりとは酷い奴も居たものだ。まあ間違っては無いけども、こう言う時に言われると困る。会話に説得力が生まれなくなってしまうではないか。

 

「一花の隣の席の……枢木君て、人」

 

「あれは腐れ縁だ。俺に対してそれくらいの物言いはするだろうさ」

 

 わざとらしく無い程度に、シニカルな表情を浮かべて言ってみる。腹芸は大得意だ。心の中は突発的大嵐だったが。

 

(スザァクッ!俺の綿密な戦略を掻き乱すなッ!海馬に苔でも生えてるのかアイツは!?今度余計なことを吹き込んだら珪藻土を口にネジ込んでやる!)

 

 ルルーシュは割と怒った。ルルーシュには天然男の思考は分からぬ。しかしかの軽挙妄動なる輩には、いずれ土の味でも噛み締めてもらおうと決意した。

 

「…そっか。……お互い、気の置けない仲なんだね」

 

 いつの間にやらタイツを脱いで座っていた三玖が、相変わらず抑揚の小さい表情で返してきた。

 

(…気の置けない仲、か)

 

 そう言われると照れるんだけど。彼女に免じて食わせるのは枢木神社の玉砂利あたりにしといてやろうか。体力バカの頭にも効く神仏の御利益があるだろう。

 

「一応、親友だからな」

 

 尤も照れ臭いから本人の前では言わない。ただこの後五つ子ネットワークで拡散されて、スザク本人の耳にまで届いてしまうのは未だ知る由も無い。

 

「………親友、か……」

 

 いいなあ、羨ましい。言葉を聞いて彼女が正直に感じたのは、羨望だった。親友。自分には無い存在。眼前の彼は、確たる友誼を厳然として築いている。

 

 一花の話によれば、同じくルルーシュを「親友」と言い切った枢木君の目に、一切の迷いは見えなかったという。

 三玖のクラスメートであるユフィだってそう。なんとルルーシュのことを、「()()()()に親しい間柄」だとまで評していたのだ。

 

 人の良さそうな二人にそこまで言わせるのだから、目の前の彼は信用するに足る人物なのかも知れない。それだけ深く良好な人間関係を構築出来る人なら、或いは打ち明けてもいいのかも知れない。

 それに枢木スザクを「親友」と評した今の彼は、三玖には嘘をついているようには……みえなかった。

 

「……ねえ。ひとつ、聞きたいことがあるんだけど」

 

 だからだろうか。彼女が己の葛藤を、人に話そうと思えたのは。ひょっとしたら、一時の気の迷いかも知れないけれど。過去から救われたいだけの欺瞞かもしれないけど。

 

「何だ?」

 

 柳眉を跳ねさせたルルーシュの、紫色の綺麗な瞳を見遣る。てっきりこれから話すのは、勉強に関する質問とでも思っているのだろうか。

 そんな綺麗なモノじゃない。もっとドロドロした、剥き出しの本音の話なのに。

 

「……あの、さ」

 

 逡巡。言おうか、言わまいか。自分で切り出しておいてまだ迷う。拒絶されたらどうしよう。まともに取り合ってくれなかったら?せせら嗤って否定される結末を、想像するだけで心臓が痛くなる。

 

 未だ扉の瀬戸際に立つ彼女の心を動かしたのは、やはり先程の彼の言葉だった。

『自ら動かずして、己を取り巻く環境など何も変わらん』。

 断言した紫紺煌めく双眸の中に、彼の内に滾る焔を垣間見た気がした。

 

 …信じてみようか、一度だけ。もし聞き返されたら、もう言わない。

 

 それだけ決めて、ほんの少しの一歩だけ、なけなしの勇気を振り絞って動く。

 

 

「……ハーフの人間が日本史好きって、…おかしい、事かな?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

 拳を握って出てきた台詞が、自分でも吃驚するくらい震えた声だった事に、三玖は声に出してから気がついた。合わせたはずの目線は、いつのまにか外れていた。自分が下を向いていると、目を伏せた後から自覚した。

 

 一聞すれば何でもないような問いかけ。だがその実、それを聞ける相手は彼女にとって数限られていた。

 相手は日本人でも、ハーフでもなく。しかし日本を知るブリタニア人であり、ある程度信が於け、そして悪口でも本人の前で言えるような図太い人間でなければ、到底聞けないことだった。

 

 発言に至った直接の切欠はほんの些細なもの。

 今でも時折脳裏にリフレインする、前の学校での出来事だ。友達。一応はそう認識してた子との、なんでもないはずの会話から出てきた一小節だった。

 

 

『……日本を侵略したブリキの子の癖に、日本人が好きなんてよく言えるね』

 

 そう、たったそれだけ。僅かに一言だけ。

 

 もしかしたら言った側にとっては、何気ない発言かも知れなかった。実は冗談交じりで、大した隔意はないのかもしれなかった。偶々イライラしていて、憂さ晴らしでつい口に出してしまった言葉なのかも知れなかった。でも。

 

 

『え……………』

 

 意図せず息が詰まるくらいには、胸の奥が苦しくなった。

 

 或いは一花みたいに、要領良く受け流せればどんなにか楽だったろう。二乃みたいに衝突覚悟でも強く切り返せれば、そこで終わった問題だったかも知れない。

 でも、三玖はどちらも出来なかった。

 考え過ぎてしまって結局何も言えない、いつもの癖が出てしまったのだ。そして変装が得意なくらいに普段から人をよく見ている彼女は、人一倍に悪意に敏く、繊細だった。

 

 黒薔薇女子にはブリタニア人の血を引く人間は自分達だけだったから、尚の事目立ったのも影響しているかも知れない。

 それでも日本人離れした碧眼も、周りと比べて色白な肌も、彫りの深い顔立ちも、今までの自分にとっては好ましかった。五つ子皆の共通点は、イコール全員を結ぶ紐帯に思えたから。

 でもその時、まるで自分の、自分達の容姿に心を抉られたみたいで。

 

 

(好きで、好き好んでこんな風に生まれたワケじゃない!)

 

 …生まれて初めてそれらを、疎ましく思った。

 

 顔も碌に知らない実の父親が、心底嫌いになった。大好きだった母に片親のみで子供五人の世話を丸投げし、窮乏を強いさせた男親。忘れようと思っても毎朝鏡を見るたび、その血を強く引いている事実を見せつけられるのが、堪らなく苦しくなった。

 母譲りの赤髪を伸ばして、真白い肌と碧い眼の顔を隠すようになったのも、振り返ればその頃からだった。

 

(私が、ハーフじゃ無ければよかったの?クォーターなら?そのまた半分なら?血を引いていようと、見た目がもっと日本人に似てれば良かったの?)

 

 ……しかしそれを三玖にあたった女子に問うても、答えは帰ってこなかっただろう。

 半世紀以上前とはいえ、かつての日ブ両国は大きな戦争を経験している。その後の様々な事情と経緯から友好国となった今でも、反ブリタニア感情を持つ人は数こそ少ないが存在する。そして大概、八つ当たり気味の発言に大した理由などない。

 きっと彼女も、家庭で父祖らにそうされて育ったのだろう。寝物語に憎しみを聞かされて大きくなれば、根っこの価値観にブリタニア蔑視の感情が植え付けられてもおかしくない。でも。

 

(そんなの自分じゃ、どうしようもない…!)

 

 過去の歴史など変えられないし、自分の生まれや遺伝子も勿論変えられない。自分の生みの親だって、未来永劫変わらない。

 国籍だって成人するまでは二重のまま。しかし根本に己を規定する核が無いから、日ブどちらに自分が拠ればいいのかまるでわからない。

 それは親の再婚で生活に余裕が出来、考える時間が生まれて初めて分かった、予想だにせぬ落とし穴。

 

 答えを求めて縋るように学び始めた日本史に、自分の探していた核の一端が見えた気がして。それが凄く嬉しくて、だからつい浮き足立った気持ちで、戦国武将なんかについて喋ってしまったのが悪かったのだろうか。

 

 でも、一度自覚した自分の思いに蓋をして生きていくのは、真綿で首を絞められるような気分だった。

 

(…それとも、何時迄も気にしてる私がおかしいの?)

 

 聞いてみたい。そう考えたのは一度や二度ではない。でも、ブリキの子と呼ばれたなんて事、同じ境遇の姉妹達には到底言えなかった。義理の父とは折り合いが悪く、母はとうに鬼籍に入っている。残された大事な家族だからこそ、話せないこともある。大好きな彼女達を、自分の悩み相談なんかで傷付けたくなかった。

 そこへ来てやって来たのが、よりによってブリタニア人の家庭教師だ。もう限界だった。堂々巡りの思考に縛られ、心が軋みを上げていた。

 

 思春期の只中にアイデンティティの確立に失敗し、未だ自己への自信が持てない。勉学にも、一芸にも、あろうことか容姿にも。姉妹四人はやりたい事を持って邁進しているのに、自分だけはあの日から、時間が止まったままだった。

 

 そう、彼女を縛り付けるのは、未だ蠢く過去の亡霊。

 

 ブリキの荊棘(イバラ)が巻き付いて以降、聞きたくない事には直ぐに耳を塞げるように、ヘッドホンを常に掛けるようになった。周りと軋轢を起こしたくなくて、好きなものを好きと公言することをやめた。中途半端な現実逃避は、残された僅かばかりの自己防衛の手段だった。

 

(ねえ。…貴方なら、何か分かるの?)

 

 噴き出したのは、決壊寸前の救済願望。それでも言ってから、やっぱり黙っておくべきだったと思った。

 

 視点は揺らいで覚束ない。口の中は緊張で乾き切っている。掘り起こした記憶のフラッシュバックで涙が出そうなのを、何度も瞬きして無理矢理堪え、必死に平静を装った。

 

 彼が口を開く迄の、永遠にも思えた刹那の一瞬。迎えた先に立っていたのは。

 

 

「全くおかしくないな。俺だってブリタニア人だが日本史好きだぞ?」

 

 

 

 ───黒き皇子の一太刀で、錆びた荊棘は断ち斬られた。

 

 

 ☆

 

 

「……………ど、どこが好きなの?」

 

 指摘すれば瞭然とする程に震えていた彼女が、自分の台詞一つで何やら瞑目している。おまけに頻繁に瞬きし、充血に近くなるまで潤んだ眼をした彼女の様子に、賢しい家庭教師は一抹の疑義を抱く。

 

(……妙だな、この過敏な反応。まるで高負荷のストレスに晒され続けた人間のソレに近い。自分が好きな筈の趣味の話をして、何故こんな状態になる?)

 

 PTSDを抱えた患者の一例に、似たようなケースがあったか。現在学んでいる心理学の症例に、現状の彼女との類似例がある事をルルーシュは発見した。あくまで独学の範疇ゆえ断定は出来ないが。

 しかし脳内での考え事なんておくびにも出さず、会話を間断なく繋ぐ。

 

「個人的には戦国から江戸あたりだな。類稀な戦略家が数多い」

 

 武将なら特に徳川家康あたりがイチオシだ。乱世の只中から天下を統一しただけでなく、その後を見越し優れた統治システムを設計した事は画期的。近世以降で二七〇年近い平和をもたらした事も非常に高く評価している。

 戦略家は戦術家に優る。これは彼の持つ理念の一つである。

 

「い、意外……」

 

 意外か。昨日二乃にも言われたな、とかルルーシュは思いつつ、思考と会話を並行処理。

 

「なんだ、三玖も歴史好きなクチか?」

 

「…うん。特に戦国武将、好きなの」

 

「歴女という奴か、流石にそれなら俺でも分かるぞ」

 

「…で、でも、イケメン俳優とかじゃなくて、髭のおじさんの方が好きなんだけど…」

 

「人の性癖など数多ある。勿論黙っておくからあまり恥じるな」

 

 重度のシスコンが言うと説得力倍増である。まあこの男は自覚した上で開き直ってるんだけど。

 

「い、いや性癖とかじゃなくて!……あ、好きだけどその……ええっと……ハンサムな人が嫌いって事でもなくて…!」

 

「趣味が広いのは良い事だと思うが」

 

「と、歳上じゃないと無理とかそういう事じゃないの!」

 

「……もしかしてショタコ「違う!」……悪い、冗談だ」

 

「…その、私は至ってノーマル。だから誤解しないでほしい」

 

「今覚えた。もう忘れん」

 

 一言一言注意して聞くまでもない。声の張りがまるで違う。レスポンスがしっかり返ってくる。

 見た目は変わらずダウナーだが楽しそうに喋り始めた今の彼女からは、夜の帳みたいな翳りが見えなくなっていた。それは趣味が合う人を見つけて喜んでいる、というよりは。

 

(先の俺の一言が、抱えていたトラウマか何かを払拭するトリガーになったのか?)

 

 人に対して躊躇と疑心が感じられたのが先程の三玖なら、今の彼女から伺えるのは歓喜と希望だ。感情が丸きり反転したのは、ルルーシュの言葉が大きく関連しているとするなら。

 

(…もし、過去に受けた心的外傷なりが起因しているなら座視出来ん。卒業計画を進める上で不安要素は可能な限り排除する。それに女子一人立ち直らせずして、我が野望など達せるものか……!)

 

 カウンセリング要素を練り込んで会話をするのは、かつてナナリーによくやっていたから手馴れたものだ。昔取った杵柄がこんなところで活きるとは。

 

 そして、三玖を観察していくうちにふと思い至った。もしかして今まで蓋をしていただけであって、彼女は本来快活で明朗な性格なのではないだろうか。ただ、表現するのに奥手なだけで。

 証拠に、今。

 

「…なんだ、ちゃんと笑えるじゃないか」

 

「え…?」

 

「今まで真顔としかめ面しか見てなかったからな。…五月達がな、何だかんだ気にかけてたんだぞ?三玖の事」

 

 潤んだ彼女の眼が、今度こそ大きく見開かれた。

 

 

 ☆

 

 

「気にかけて、って……皆が……?」

 

「ああ。誓って嘘じゃない」

 

 息が止まった。嘘、そんな素振りなんて全く。

 

「特に二乃には昨日強く言われたよ。あいつ、あれで中々妹思いだぞ?」

 

 ……なんだ。なんだ。悩んでるのを隠し通せてるつもりだったけど、私の事なんてお見通しだったのか。普段人のこと味音痴とか不器用とか言ってイジる癖して、こんな時ばっかり姉妹揃って心配とか、ホントに。

 

「……わ、私…その……」

 

「…ゆっくりでいい、俺は此処に居る」

 

 本当に、ズルいよ。皆も、キミも。

 

「…今迄ずっと、ずっと言えなくて、それで……!」

 

 崩折れたそこから先は、もう言葉にならなかった。黙ってシミひとつないシルクの白チーフを差し出して、頬に当ててくれた彼の気遣いが嬉しくて。

 

 もう、堪えられなかった。

 

 

 時計が秒針を刻む音だけをBGMに。声を殺した嗚咽を静かに聞いていたのは、自分の他には一人だけ。視界の滲みを何とかおさめて上を向くと、優しげな紫水晶と眼が合った。腫れた眼を見られていることまでが気恥ずかしくて、照れたように苦笑いする。

 

「………ごめん、これ、洗って返すね」

 

「気にするな。謝ることなど何もない」

 

「で、でも」

 

「むしろ誇っていい。()()()()()()()()()()()()なんだ。俺に吐露すべきか迷ったんだろう?悩んで克ち得た選択は、決して間違いなんかじゃない」

 

 優しげな口調で、でも強くそう断言された。いつの間にやら背中まで摩ってもらっていて、もうなんか迷惑かけっぱなしだ。

 思えば自分がここまで全肯定されたのも、母が亡くなってからは初めてだった。

 

「…………ねえ」

 

 だから今日はなんだか、更にもう一歩を踏み出せそうな気がして。

 

「…な、名前で呼んでも、良い…?」

 

「好きに呼べ」

 

「……ル、ルルーシュ」

 

「なんだ?」

 

「好きなもの、好きって言ってもいいの……?」

 

「言えばいい。幾らでも」

 

「…私、勉強苦手だから足引っ張るけど…それでもいい?」

 

「五人の中で一番出来るのは三玖だ。俺は磨けば光ると観てる」

 

「…最初に会った日に、さ。『俺に従え』、って言ったよね?」

 

「言葉通りだ。二言はないし過不足もない」

 

「……なら、…責任…取ってくれる?」

 

 言葉に今度は、彼が瞠目する番だった。投げられた言葉を咀嚼していたのだろうか。ややあって、さっきまで座り込んで泣いていた私に、彼はゆっくりと手を差し伸べた。爪まで綺麗な左の五指が、揃ってこっちを向いていて。

 

「クーリングオフは無効だが、受けるか?」

 

 不敵に笑う彼の微笑は、屑鉄の烙印、その痕跡すらいとも容易く消し飛ばし。何気なくともどこか優雅な手招きに、そっと手を添え応えを返す。ここは学校でお互い学生服なのに、エスコートでもされた気分だ。

 

 

「…うん。……貴方に、ついてく」

 

「良いだろう。結ぶぞ、その契約」

 

 

 出会ってから、今日でたったの三日目なのに。灰色だった世界はもう、すっかり色づいて見えた。

 

 

 



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TURN 06:長月、白詰、蜃気楼

四葉回。


「そういえばルルーシュさん、来週はどう過ごされる予定なんですか?」

 

 屋上でのやり取りから約三時間後。

 三玖を伴って(連行して?)帰還したルルーシュと、在宅していた五月と二乃との四人で行った花金勉強会後の雑談にて。ちゃっかり彼の左隣に陣取っていた末っ子のクエスチョンに対し。

 

「そうだな、とりあえず土日がオフなのは通達した通りだが……」

 

「……え、明日は家、来ないの……!?」

 

 これに驚くは右隣に座ってた三玖。そんな話寝耳に水だったからだ。ところが言葉に直したのを、耳聡く横合いからつつかれる。

 

「初日に言ってたじゃない。…ぼーっとしてて聞いてなかったんでしょ」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

(一応は聞いていた)二乃に、ジト目で指摘され困り眉。正直精神的余裕の出来た今日になるまで彼の話、しっかり覚えられてなかったし仕方のない面もあるが。

 

「構わん、なら今記憶しておけ三玖。基本的に俺が来るのは週に三日。週末は基本的に復習をこなせば、それ以外は各人の自由だ」

 

 初週の今週は今日を入れて水、木、金の三日連続コーチングだったが、週の半分以上が自習日程なのは勿論ワケあり。

 そもそもこの五つ子達、今まで継続的に勉強する習慣自体が身についていない。そんな人間に急に週七で講義してもまず内容を習得できないだろう。よって残り三日は復習に充て、残り一日は完全オフを当面の方針としている。

 ノー勉は認めないがオーバーワークも認めない。スパルタに慣れされるにも段階というものがあるのだ。最終的には喜んで勉強するくらいに仕立ててやろう、と密かに彼はほくそ笑む。

 

 黒い計画を進めるそんな敏腕教師は、現在二乃が淹れた紅茶の香りを上品に嗜んでいた。今日は彼女、あらかじめカップまで温めて人数分持ってきたのだ。

 昨日の課題終了後、好きな茶葉やらを彼から聞いていたのはこのためか? と傍らの五月は密かに思う。

 

「お言葉に甘えて好きに過ごさせてもらうわ。でもそう言うあんたこそ、今週末はなにするのよ?」

 

 物言いこそつっけんどんだが、興味ありげにルルーシュの様子を伺う二乃。そういえば何故か今日は、彼の着ていたライダースJKTを真っ先に受け取りハンガーに掛けていた。彼の方も「助かる。…漁るなよ?」とか苦笑して預けてたとこを見ると、わだかまりは無事解消されたらしい。

 

(……最初はあんなツンケンしていたのに、昨日からどんな風の吹き回しでしょうか、この次女は)

 

 妹がそう思ってる、などと露知らぬ姉はさて置き。

 

「生徒会に休日出勤だ。実は再来週の校内行事の計画に変更があってな。その草案の作成責任者が俺なんだ」

 

「……フツー職員がやるべきじゃない? そういうのって」

 

 にべもない社畜発言に、思わず二乃が突っ込んだのだが。

 

「……大丈夫? ルルーシュ、先生達に仕事押し付けられてない?」

 

 予想外の伏兵、まさかの割り込み。

 

 

 ☆

 

 

((……な、何で急に呼び捨て……?))

 

 加えて突然のファーストネーム呼びに、珍しく次女と五女の思考が同調。二乃もそうだが昨日の今日で何があった、この三女。密かに抱えてた何かは片付いたらしいが、昨日まで「貴方」呼びだった人間に急に懐きすぎだろう、と見解の一致をみるも。

 

「問題ない、俺がやった方が迅速かつ的確なだけの話だ。ソレに校内行事といったってフジへの林間学修だぞ? 例によって退屈はせんだろうがな」

 

 最早おなじみの語調で彼は一蹴。勉強がてらモラトリアムを全力で満喫することを至上とする学園の方針に、新しく生徒となった五つ子達も勿論帯同させる腹積もりの副会長だった。

 

(林間学修?……あ、まさか……!)

 

 ところが。「富士への林間学修」という言葉を聞いた二乃、この時機敏に何かを察する。

 良質なサクラダイトが産出されることもあり、日本政府が国有地兼国家戦略特区に指定している富士山麓。あそこはたとえ学修目的だろうと、()()()予約し政府からパスを貰っておかねば入れないプラントやらがいくつもある。

 

 建物のお洒落なデザインからか幾度かTV等でも紹介され、二乃の買ってた雑誌にも特集を組まれて載っていたそれらは……昨日ルルーシュが持って来てくれた修学パンフレット見本にも、見学場所として入っていた。

 ということは。

 

「……ねえ、計画変更で休日出勤って、もしかして……」

 

 ……急に編入して来た私達の分のパス申請も、向こうに掛け合ってくれてるからなの? 

 

 対面する彼と目を合わせて意思を問う。濡れ紅葉が如くほとんどくっついてた妹二人も、時を同じくして彼の意図に気がついたらしかった。

 

「……う……嬉しいけど、そこまでしてもらうわけには……」

 

「そうですよ!それに、多忙の中でお手を煩わせるわけには……」

 

 わたわたと姉に追随。特に五月は彼の自宅にも赴き、書斎に整理されていた膨大なファイルやらを直に見ているから分かる。

 ルルーシュは自身のキャパの高さと人脈の広さ故か、日頃からやる事が数多い。家事と論文執筆に職員との業務提携、生徒会の仕事に加えて何やら色々やってるらしいバイト、更に自分達の家庭教師。

 このままでは過労で倒れてしまう、と気を揉んでの遠慮は。

 

「決算期や受験期の慌しさに比べればこの程度朝飯前だ。そもそも学校行事で一部の生徒だけ見学出来ずに外待ちさせるなど、俺のプライドが許さん」

 

 一瞬だけ「失言だったか」という表情を浮かべた彼だが、返す刀で即座に両断。

 あくまで自分の勝手だと擬制させ、彼女らの負い目を削ぎ落とす。更に目論見を一切晒さず二撃目。

 

「なんだ、それとも行くのが嫌だったか?」

 

「とんでもない!むしろ行きたいで……って、あ……」

 

 五女が慌てて口を閉じたがもう遅い。しかし本音なら好都合。強い表現で二の句を塞いだところに差し込んだのが奏功したか。

 

「いや、五月が気に病む必要は無いんだが」

 

「面目ございません……」

 

 こんなところか。あとはフォローアップだ。

 

「まあ、なんだ。どうしてもというならそうだな、学んだ結果で応えてくれ」

 

 勉強で示せ。代案としてはお硬いが適当だろう。

 

「う、うん、皆で一緒に頑張ろ……?」

 

 対し色好い三女の返答。この辺で適当に重苦しさを散らそうか。

 

「その意気だ三玖。聞いたか二乃?見習えこのスタンスをだな」

 

「あんたはいつも一言多いのよ!私も素直に褒めれんのか!」

 

「偉い。お前は女子力の塊だ」

 

「よろしい」

 

「いや、それで良いの、二乃……?」

 

「ただの欲しがりさんじゃないですか…」

 

 ノリが良いのは良いことだ。次女なりに妹達をよく見ているのか、硬軟織り交ぜた対応を返してくれるのは実に助かる。

 ちなみに言っていない彼の日曜の予定だが、賭けチェスでシンジュク区のカジノにおもむいて荒稼ぎするつもりである。勿論本来は未成年参加禁止だ。……ああそうそう、話が脱線して五月の問いに答えていなかった。

 

「……で、元はといえば週明けの予定についてだったな?確か月曜はコルチェスター学院とのテレビ会議で、火曜は生徒会の予定が入っていた筈……」

 

 本革装丁の高価そうな手帳を何の気なしにパラパラ捲る彼の、伏し目がちな紫眼。それを思わず目で追ってしまうのは、最も至近距離にいる三女。

 

(……うーん、二センチくらいある……?)

 

 煌めくアメジストを取り囲むバッチバチの睫毛を、横合いから眺めての所見。五つ子達も長い方だが全く引けを取らない。これですっぴんとは驚いた。おまけに手脚どころか首や指まで長いときている。

 色白で細身だし正直、女装したら結構似合うんじゃないか、とか余計なことを考えてる三玖をよそに、スケジューリングの確認は淡々と行われる。

 

「……部活連からの陳情があるな。骨が折れるが直接査察に赴かねば」

 

 げ、と珍しく面倒くさそうな顔を隠しもせず、遅ればせながらルルーシュは五月に答えた。

 

 

 ☆

 

 

 週明け、九月半ばの月曜日。

 高等部は二年E組の教室に、髪留め代わりのリボンをぴょこぴょこ揺らしてクラスメートとお喋りするは中野家の四女、中野四葉だ。

 

「それでですね、三玖ったらすっかり温厚従順になっちゃいまして」

 

「ほうほう」

 

「あれはホの字ですね、ホの字」

 

「表現、微妙に古くない……?」

 

 苦笑しながらも相槌を打つは、外ハネが特徴的なセンターパートの赤髪と意思の強そうな碧眼を有する少女、紅月カレン。

 一見華奢な女子の身ながら、B組のスザクに匹敵する身体能力と速力を持つ韋駄天でもある。彼女が気にかけるのは、目下のところ四葉の内実。

 

「にしても眼の色とか似てるなー、って最初思ったけど、まーさか皆してハーフとはねー」

 

 そこまで共通していると、何か不思議な縁を感じる。日ブハーフにして名門シュタットフェルト家の令嬢でもあるカレンだが、名前自体は「紅月カレン」で通している。将来的にも日本国籍一本でいく気満々だ。

 

「いっそ私たち合わせて六つ子に……あ、でも胸はカレンさんの方がってむぐっ!?」

 

「……よ、四葉、声大きいって……!」

 

「ほ、ほへんははい」

 

 四女の口元に手を添えて緘口令。アッシュフォードは共学だから男子生徒もいるのだ、何処で誰に聞かれてるか分かったものではない。四葉のここら辺の感覚の違いは、まだ女子校のノリが抜けきってない事によるものだろう。

 両手を合わせてごめんごめんと謝る彼女は、思いつくまま自然に話題を切り替えた。

 

「ところでカレンさん」

 

「なーに?」

 

「カレンさんがヴァインベルグさんと付き合ってる、って噂が流れてるんですけど、これホントですかー?」

 

「んなわけあるかいっ!」

 

 明後日の方向からパスが飛んできた。ジノは気っ風も良いし格好も良い男だが、いかんせんあちこちにコナをかけすぎる。あんなのともし付き合ったらデキ婚で退学不可避だろう。

 

「わーあ超否定しますね!」

 

「そりゃそうよ。アレは知らない間に隠し子とか作ってるタイプよ絶対」

 

 カレンを気に入ってるのか、よく絡んでくるのは事実であるが。まあそんな奴でもMr. コンテストはいっつも上位なんだけどねー、とフォローはしておく。

 コンテストと聞いて何やら興味が湧いたのか、「じゃーウチのクラスで一番人気の男の子って誰なんですか?」と四葉が訊ねると。

 

「そこの席で爆睡してるアキトね。でも去年の時点で今三年のレイラ先輩と付き合ってたわよ?」

 

 言いながら二人してアキトこと本名・日向アキトに視線をやる。普段無口だがやる時はやる彼、実はルルーシュ、スザクあたりともクラスを超えて仲が良い。ついでにE組の副担任、シン・ヒュウガ・シャイング先生の異父弟でもある。この副担、担任のラクシャータがHRやらをサボりまくる穴埋めをする、不憫なお人だったりもする。

 

「なるほどー、日向さんはリア充なんですね!ちなみに全校だと?」

 

「合算だとルルーシュかしら。女子だとミレイ会長が人気なんだけどねー」

 

 あっちこっちに脱線する、とりとめもないよくあるお喋り。ポップなガールズトークの中で「あ、そーだ四葉」と思いつくまま彼女は切り出す。

 

「やりたい部活、決まった?」

 

「うーん、取り敢えずバスケ部行ってみましょうか、って!見学行ってちょっとやったら助っ人、頼まれちゃったんです!」

 

 入部するかは暫くやって、じっくり決めます!トレードマークのリボンを揺らして、快活に四女は笑った。

 

 

 ☆

 

 

 小さな決意の後の放課後。勇み足で進んだ体育館がもぬけの殻なのを不思議に思い、向かった女バス部室を開けた四葉の耳に飛び込んできたのは。

 

「だから、予算の増額お願いします!」

 

「いや、意見はあげとくけど決済で通るかは確約できないんだって!」

 

「そこをなんとか!」

 

(……う、うわあ……)

 

 部室に行きがてら挨拶でもしようかと考えた四葉を迎えたのは、爽やかに汗を流す少女達……ではなく、生臭い資金調達の現場だった。

 

 部長らに詰め寄られてたじたじといった様子なのは、生徒会メンバーの一員ことリヴァル・カルデモンド。ルルーシュの盟友にして、実は生徒会長のミレイに密かに想いを寄せている、人の良い好青年だ。しかし生来の気質が災いしてか、あまり強くものを言えないタチでもある。

 

「大体、なんでこんな緊縮財政なんですか!?」

 

「そうですよ!もしかして誰かピンハネしてません!?」

 

 険悪になりつつある空気に、つい耐え切れず四葉は口を挟んでしまう。

 

「あ、あの、喧嘩はダメですって!」

 

「いやいやもっと言わなきゃ!四葉ちゃんからも是非!」

 

「ええ!?」

 

「オブザーバーとしてお願いして欲しいの!」

 

「そ、そんな……!」

 

 まさかの巻き込み事故である。困った。競争は好きだが闘争は好まない四葉にとって、押せ押せの交渉など不得手でしかない。こういった場を切り抜けられるのは賢しく、かつ我が強い人間だろう。彼女の知る限り今最も欲しい人は、例えば自分達の家庭教師……とまで考えた時だった。

 

「───その陳情、少し待ってもらおうか」

 

 朗々とした声が、無機質な電子音に被さり。近代的な体育館の機密扉が、遅滞無く滑らかに解錠される音が大衆の耳朶を打つ。

 響き渡るはアッシュフォード学園に属する全生徒の学生証に付与される、何の変哲もない音。しかし、問題はそれに共するある役員の声である。

 

「な…………!」

 

 動作の主を観た生徒達に走る動揺。さもありなん、()()()は生徒で唯一、学内金庫や一般生徒に秘された()()()()()までも含む異例のアクセス権を持つライセンスを有する者。特例中の特例たる証、黒い解錠札(ブラックカード)を翳し現れるのは、学園始まって以来の鬼才の姿。名を。

 

「待たせたな。名代として陳情聴取に来たルルーシュ・ランペルージだ。ここからは俺が話を聞こう」

 

 煌めく紫眼と金縁バインダーを引っさげて。満を持し、真打登場。

 

 

 ☆

 

 

 黒き麒麟児の見参は、それだけで周りの空気を一変させるに十二分だった。時折やたらオーバーリアクションになるが、彼の普段の挙措動作は至って上品。ひとえに育ちの良さと性格に起因するものだろうが、それがかえって堂々とした振る舞いに見えるのだ。

 

「代行有難う、リヴァル。生徒会室に帰参して通常業務に戻ってくれ」

 

「サンキュー!ルルーシュ!」

 

 早々にバトンタッチを受け、心底「助かった」という顔でいそいそと楽園(当社比)へ帰還していくリヴァル。彼を見送った副会長は程なく女バス勢へ向き直ると、適当な手振りを交えてペラペラと話し出す。

 

「事前通知は査読済だ、陳情内容は粗方理解した。しかし、だ……」

 

 途端、冷ややかな目線が鋭くなって皆察する。あ、これヤバイやつだ、と。

 

「……女子バスケ部の予算は昨年度より1.2倍ベアした筈。今年度の不足原因は何なんだ?」

 

(げ、手強い…………!)

 

 女バスの総意である。学園一のタフネゴシエーターと論戦を挑んでも勝てるわけがないことは明白だ。ディベート大会の優勝者なんて可愛いレベル、大企業の顧問弁護士や総会屋のイチャモンよりタチが悪い。この場はもう、開き直って正直に答えるが最善だろう。

 

「え、遠征費用です!」

 

「去年もそう言ってただろう?臨時予算を組んで補填したじゃないか」

 

「うっ……」

 

「それはその通りですけど……」

 

 そこを突かれると頭が上がらない。昨年度にアッシュフォード学園の会計を預かる財政部門の鬼・星刻先生と侃侃諤諤の議論を交わし、追加で予算をもぎ取って来てくれたのは他ならぬルルーシュであるからだ。つまりはバスケ部の恩人なのである。だから尚のこと強く言えない。

 バインダー片手に象牙の万年筆を走らせ流麗な筆記体でメモを取る辣腕副会長に、しかし彼女達は引けぬとばかり果敢に意地を見せに行く。

 

「再来週の週末だって遠征があるんです!予算が到底足りなくて、部員でカンパしてるんですけどそれでも……」

 

「……再来週に遠征?林間学修があるのにか?」

 

 引っかかる。それも当然、昨年度末に出してもらった女バスの年次計画には、再来週の欄は何も書いていなかったから。白紙のところに無理矢理予定を詰め込んだのか、と思ったが。

 

「実は、親善試合でペンデルトン学園に行くんです……」

 

「な、マドリードまでか!?」

 

 予想外の言葉に、思わず瞠目を隠せない。

 ペンデルトン学園。E.U.域内のスペインはマドリード市に位置し、「教育機会の平等」という理念を掲げる全寮制の学校だ。フットボールとバスケットの強豪校として知られているのだが、事実ならそこへ日本から行こうというのか。欧州まで大荷物で旅するとなれば、全員の往復の交通費だけでもバカにならないだろうに。

 

「はい。当然旅費はこっち持ちですし、それで予算が足りなくなっちゃって……」

 

 しおらしくなってしまった彼女達の様子も加味すれば、この話は嘘ではないだろう。生徒会から後でペンデルトンに電話すればすぐに裏は取れるのだから。ならば何故、校内行事とわざわざ予定を被せたのか? 

 

「ホスト側に負担してくれ、というのは筋違いだしな。しかし再来週か……他の週末は無理なのか?或いは別日に他校との練習は?」

 

「ダメです!あそこはU-18最強のオズちゃんがいるところなんです!!」

 

「そうです!今回だって四ヶ月以上前から頼んでやっと叶ったんですよ……!」

 

「でも冬大会前に向こうが予定空いてる週末が、再来週しかないらしくて……」

 

 枠が決まっていたのか。ペンデルトンの強さと人気は広く知られるところであるから、理由としては得心がいく。ついでに言えば一〇月にはウィンターカップ予選がある。彼女達も冬の本番前に、強豪と練習しておきたかったのだろう。

 

 しかも間の悪いことに、今現在(名前は伏せるが)E.U.域内諸国の某国王の容体がとみに悪く、巷ではもって来月いっぱいと噂されている。

 数多くの王国・共和国の連合体であるE.U.は、加盟国の国家元首が鬼籍に入ると連合全体で最低一月ほど喪に服す。当然その間のイベントやコンサート、大会などは全て中止となるから、「十月上旬しか空いてない」という向こうの言い分を信じれば、実質今回を逃したら練習試合のチャンスは師走までない。その頃にはとっくに冬季予選は終わっている。

 彼女達も不敬と思い口には出さないが、噂は耳聡く知っているのだ。逸る気持ちも理解出来た。

 

「せっかくの強豪校と試合できるチャンス、潰したくないんです」

 

「だからわたし達、林間学修キャンセルするしかないかなって……」

 

「あと、四葉ちゃんにも来て欲しいんです!」

 

「わ、私ですか!?」

 

 ところがにわかに怪しくなる雲行き。どうやらついでに勧誘もしたいらしい。

 

「うん!昨日思ったんだけど、四葉ちゃん脚速いし体力あるし、やれば絶対伸びるよ!」

 

「今回だけでもいいからお願い!来てくれるよね!?」

 

「えー、あの、ええと……」

 

 しかし当の四葉はというと、明らかに狼狽え困った様子。本人の意思を無視するのは拙いが、ヒートアップして皆それどころでないようだ。この場は助け船を出さねば。

 

「……転校したての生徒を、欧州くんだりまでいきなり連れて行くのは認められん。少なくとも学校生活に十分慣れてからだ」

 

 とりあえず釘を打って先送り。強行されたら四葉が林間学修に行けなくなる上、遠征に長期間連れていかれれば彼女の勉強が遅れる。教師役としては絶対に認められない。

 これはマズイ、早急な対策立案が必要だ。話している合間を縫って、彼は膨大な脳内データベースからペンデルトンに付随するワードを析出。コンマ数秒で齎された、検索結果は。

 

(……ペンデルトン学園。ジヴォン家の影響下にある学校で、現理事長のオイアグロ・ジヴォンは特殊部隊への所属経験もあった武闘派だ。フットボールとバスケ好きで学生の試合でも欠かさず観戦する程であり、加えて現役時代の兵棋演習好きが高じて無類のボードゲームマニア、という一面もあったな。……ああ、成る程)

 

 ……決まった。如何様にでも()()()()()。柏手をパン、と一つ打って注目を集めつつ、「よし、全員聞いてくれ」と前置きし再び切り出す。

 

「分かった。この件俺がなんとかしよう」

 

 簡潔に、一言だけ。しかし自信満々にんなこと言われても、ハッタリかましてるだけだと思われるがオチである。

 

「何とかって、いくら副会長でも無理ですよそんな事……!」

 

「そうです、奇跡でも起こらなきゃ……!」

 

 案の定の反応。無理もない。しかし。

 

(……奇跡、か)

 

 自身に投げかけられたその言葉を、胸中で思わず反芻してみせる。「キセキ」。フィクションでは最早、ありふれたフレーズのひとつだが、一方で現実では中々あり得ないことの代名詞。

 ……しかしそんなもの、これまでの人生で既にそれ以上のことを経験済だ。

 

 幼き日にペンドラゴンで経験した()()テロ事件。母やナナリーが凶弾を浴びたあの日は、人生最大の憤怒と悔恨を覚えたものである。……しかし、彼女達は今日も無事生きている。何か一つ間違っていれば、疑いなく死んでいたのに。今生きているのは紛れもない奇跡だろう。

 

 比べればこの程度の問題、単なる些事でしかない。己が心に自問自答した彼は、瞬きを一つ挟んで言葉を紡ぐ。

 

「…心配無用だ。報告は明日行うから、今日のところは各人練習に戻ってくれ」

 

 折角の貴重なイベントだ。病欠や忌引ならまだしも、部活動が理由での生徒不参加など認めない。

 日本の最重要戦略資源・サクラダイトへの見識を深めることは勉強計画の一環だ。大学入試問題の頻出事項でもあるし、関連する企業も数多ある。現代社会を生きる上で、教養としても身につけておくべき事柄だろう。

 よって彼は一計を案じる。兎に角時間がない中で、なんとか形にしていくにはどうするか。答えは。

 

(一先ず、()()()行って()()直接連絡を取ろう。あそこなら人には聞かれない。ついでに()()のOS更新もしておきたいしな)

 

 己が計画を阻み、ナナリーの生活水準を1%でも下げ得る要素は全て排する。ルルーシュはこの時既に、目的達成の為の作戦構築を完了していた。

 

 

 ☆

 

 

 二〇分後。アッシュフォード学園最深部、地下格納庫。地上の光など一切届かぬ漆黒の領域に、学園が……いや()()()()()秘匿する()()()塊が静かに鎮座していた。

「Type-0/0A」と刻印された黒き人型機械の中で、一人悠々と佇むのは。

 

「『ウィザード』か?……ああ、察しの通り私だ、『L.L.』だよ」

 

 ……普段使いとは別機のスマートフォンを用い会話する、ルルーシュその人であった。

 人一人分が丁度収まる程度のスペースに座る、彼の手前にあるはキーボード。自身を取り囲むのは無数の計器やモニター、シフトレバーにシートベルト。例えるならこの空間はまるで……()()()()()()()()のようだった。

 

 口元にニヒルな笑みを浮かべ、自らを聞き慣れぬ呼称で名乗ったルルーシュ。「L.L.」とはなにかの符丁か暗号だろうか。

 相手側には「非通知」とだけ表示され発信位置も分からない通話は、彼の筋書き通りつらつらと進んでいく。

 

「再来週の末に打とうか、朝と夜に一局ずつ、な。画面越しでも悪くはない。他の予定は外しておいてくれよ?……どういう風の吹き回し?年度の変わり目は仕事が多いものだろう、それが落ち着いただけさ」

 

 何やら誰かとネット越しに、チェスかなにかの対局の約束でも取り付けているらしい。ボイスチェンジャー越しの会話で以って、再来週の予定は淡々と詰められていく。

 

「……何、どうしても生でみたいスポーツ観戦の予定があるからずらしてくれ、次はいつ出来るか、って?……最低でも来春になるかな、私も中々多忙でね。……分かった、調整してくれるんだな、ありがとう。しかしお互い大変だな。君の氏素性は知らないが」

 

 わざとらしい大嘘ひとつ。何故ならルルーシュはこの「ウィザード」なる通話相手の正体が、ベンデルトンの理事長、()()()()()()()()()その人であると承知で電話をかけているから。

 

「……ああ、よろしくウィザード。いいゲームをしようじゃないか」

 

 暫し歓談してのち快諾の意を得ると、そのまま流れで通話を終える。ホーム画面に戻ったスマホを傍らに置いたルルーシュは、さてもう一仕事とばかり目の前のモニタを立ち上げ、今度はキーボードを猛烈な勢いで叩き始めた。

 

(……とりあえず布石は一つ打った。一二時間以内に先方の動きがなければ次策を用いる)

 

 自身の乗る()()()()()のOS更新を進めながらも、善後策を整頓していく。しかし、ある程度いけるという確信もある。以前にも急に電話して尚、対戦の取り付けに成功した経験があるからだ。

 

『ウィザード』。これは実はオイアグロ・ジヴォンがネットチェスをする際に用いるハンドルネームである。

 以前クラッキングしたネットチェス運営の非公開個人情報欄を流し見した時、視界にパーソナルデータが引っかかったのを覚えていたのだ。スペイン有数の名士が無類のゲーム好きとは意外であったが、とかくルルーシュの記憶力が奏功した瞬間だった。

 

 そして『L.L.』とは、数年前より彗星の如く現れた賭けチェスの名手にして、現在は日ブ裏社会で賭博王として名を轟かせるギャンブラーの渾名。一日で1000万ブリタニアポンドを荒稼ぎしたという伝説を持つばかりか、どこからとも無くチェスに覚えのある者に便りを送っては対戦を申し込む、無類の戦闘狂(バトルジャンキー)として知られている。

 

 凄腕のバウンティハンター・L.L.。各国財務当局が血眼になってその正体を探しているにも関わらず、足どりどころか消息すら全く掴めない。が、勿論大人しく捕まる気なぞ、「L.L.」()()()であるルルーシュには更々無かった。

 

(俺の尻尾を捕まえたければ、並行世界から俺自身でも引っ張ってきて捜査するのが最短距離だ。少なくとも現状では、な)

 

 にしても過去の違法行為が役立つとは、人生何が奏功するか分からない。学園のトラブルシューターの一日は、今日もこのようにして過ぎていく。克明に、明日の流れを読みながら。

 

 

 

 ☆

 

 

 ──女子バスケット部のマドリードでの親善試合は来月半ば、冬季予選の一週間前に変更されました。旅費については来年度予算から前借りで付与されます。細目に質問のある方は、生徒会室までお越し下さい───。

 

 そんな公式アナウンスを校内放送と掲示板書面で通知された時、四葉は狐につままれたような気持ちに陥った。

 

(……ホントになんとかしちゃいましたね、ランペルージさん)

 

『俺がなんとかしよう』。彼がそう言った翌日、たちどころに懸案は解決されてしまった。まるで釈迦の掌の上で転がされているように。一体何をどうやったかは分からない。ただ、すごいなとは思う。

 

 頼まれごとは断れない自分と違って、彼は頼られずとも要諦を察する。右往左往する皆を手早く纏め上げ、瞬く間に正解へ導いていく。

 そもそもマンモス校の生徒会に属しながら全国模試一位を取り続け、全校レベルで生徒に慕われる英才、という点だけでも驚異的なのに、加えて論文執筆や教科書の作成にも関わっているときた。

 同い年でこれだけ突出した人間を見ると、自分の抱えた劣等感などとうに突き抜け、最早唖然とするほかない。

 

(何を見て、感じて、考えてたら、ああいう人になるんでしょう……)

 

 自分がこれまで出会った人の中でも、文句無しでナンバーワンに頭が良い。話術だってそう。彼があの場にいなければ、四葉はあれよあれよという間に遠征に参加させられていただろう。角を立てずに交渉を進める姿勢は、到底今の自分には出来そうになかった。

 

(……あ、そういえば今日、五時半から勉強でした)

 

 家庭教師への物思いに耽りながらも、今日の予定を諳んじる。そろそろ自宅に帰らねば。

 廊下から昇降口に向かい、靴箱に手を掛けた時だった。

 

「───ここにいたのか、四葉」

 

 後ろからかけられた声に振り向くと、件のルルーシュがそこにいた。少し息が荒いところをみるに、どうやら自分を探してくれていたらしい。今の今まで考えてた彼の登場に、何となく泡を食ったような気持ちになった。

 

「はい!……どうしたんですか、ランペルージさん?」

 

 思わず声が上擦ったのは、ばれていないといいんだけど。

 

「少し野暮用でな。五分でいいが時間はあるか?」

 

「むしろこれから帰ろうとしてたんで全然、大丈夫です!」

 

「そうか、なら」

 

 ……でも、その前に。

 

「……あの」

 

「ん?」

 

 どうしても知りたかった。彼が用いたウルトラCは、如何な手法であったのかを。快刀乱麻に煩雑を断つ、その斬れ味の真相を。「ひとつ聞きたいんですが」、と呟いてから。

 

「……どうやって、片付けたんですか? 今回の事……」

 

 思い切って聞いてみた。どんな努力をした果てに、今の貴方があるのですかと、言外にその意も込めて。すると。

 

「時にトップダウンで進めた方が、上手く行く交渉もある。それだけの話だ」

 

「え、ええ……?」

 

 超簡潔だった。

 

「案件を早く処理したいときは結構使える手法だぞ? 特にお役所相手となると、手順通り下っ端から宣っていたらいつ迄経っても仕事が終わらないからな」

 

 上層部に直談判してサインを貰えば半日でカタがつく事に、何月もかけるのは時間の無駄。合理主義者を標榜するルルーシュの発想の一つである。

 

「な、成る程……?」

 

 しかし四葉にはクエスチョン。参考になったような、ならないような。そもそもその手段、まず物凄いコミュ力とコネクションを作らないと無理じゃないか? 

 余りにも普通の事のように喋るが、この人は前提としている条件……いや、自分自身に課しているハードルが凄まじく高い。しかし本人のスペックも飛び抜けて高いので、少なくとも傍目からは苦もなくこなしてしまってる様に見える。

 

(ランペルージさんて、悩みとかあるんでしょうか?)

 

 この人にも解決出来ないようなことがもしあるなら、それは間違いなく自分の手にも余ることだろう。

 それた思考を是正するが如く、「そんな事より」と彼が前置きをし始めた。どうにも野暮用とやらをこの場で済ませるつもりらしい。何だろう、私何かやらかしちゃったかな、とか思ってたら。

 

「受け取れ、例の品だ」

 

 彼の懐から取り出された、一枚のチケットが彼女に手渡される。名刺大の大きさで、自分の写真付きで太めの明朝体が踊る書面。QRコードと11桁の番号が割り振られた、その正体は。

 

「?……これって……!」

 

「日本政府許可申請済・サクラダイト関連施設見学許可証」と、そこには確かに記されていた。通常は一月以上かかるとされたパスの発給が、申請からわずか数日で間に合ったのだ。

 

「『上記の者は、アッシュフォード学園高等部生徒として日本国・国家戦略特区施設内への一部立ち入りを、指定の時間内のみ許可する』。つまり……」

 

 シックなデザインのパスケースに入れられたそれは、許認可時刻が僅かに20分前。許可が下りてすぐ、プリントして持ってきてくれたのだろう。……そして、コレの意味するものとは。

 

「おめでとう。来月の林間学修、揃って五人全員参加だ」

 

「…………い、いいんですか、わたし達が行っても……?」

 

 湧き出るのは歓喜。二乃の買った雑誌を読んでた四葉だって、密かに胸躍らせて「此処に行ってみたいな」とは思ってたのだ。急に編入してきたのにこの厚遇、なんて至れり尽くせりだろう。普通なら行けなかったはずなのに。本音は正直、嬉しかった。

 ただ一方で憚れ、と思う心もある。日頃より気を遣いすぎるくらいに使う四葉から表出した遠慮に、彼は。

 

「当然だ。四葉はもう、この学園の生徒だからな」

 

「…………!」

 

 そう言って一瞬にこやかな顔をした彼が、なんだかとても新鮮だった。すぐに表情を元のクールなものに戻したソツのない態度が、どこか名残惜しく思えたところで。「だから」と彼は語り掛ける。

 

「…来てくれるか? 林間学修」

 

 通学カバンを掛け直しての、短いお誘い。返事は、当然。

 

「…………はい!」

 

 時刻は夕刻、午後の5時。リボンを手櫛でこっそり直し、彼女は彼と帰途に着く。

 

(……いつか、また。これからもっと仲良くなって、そうしたら……ゆっくり、お話ししたいです。……いいです、よね?)

 

 抱えた悩みと劣等感は、未だなくなってはいない。しかし、紛れもなく軽くはなった。

 

 皮肉屋にして毒舌家、減らず口などお手のもの。でもその中身は人情家。逢魔が時の帰り道、一緒に歩いた河川敷には、満開の白詰草が凪いでいた。

 

 




・ブリタニア式交渉術概要

Q. 人に何かを頼む時、押してダメなら?

A. 相手が折れるまでもっと強く押す。


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TURN 07:突発学園祭

一花回、前哨戦。


 顔色、見違えたよ。元気になって良かった。

 

 四葉がルルーシュと共に家路についた数日後、夕刻。中野家は三玖の寝室にて。

 優しくかけられた長女からの言葉に、三女は内心大いに慌てていた。

 

「……わ、私、そんなに様子酷かった……?」

 

 問いかけに対し、まるで御見通しとばかり長姉はこともなげに首肯する。分かんないわけないでしょう、と。

 

「…これでも一応、貴女達のお姉ちゃんなんだからね?」

 

 口調だけは努めて軽く、一花は呟く。…ついこの間まで、本当に気掛かりで仕方なかった。

 母を亡くして以来、気勢を張って全員の親代わり足らんと無理をする五女が。自分のせいで姉妹全員を転校に付き合わせた、といらぬ負い目を引きずる四女が。

 そして黒薔薇女子にいた頃のある時からずっと、時折痛々しげな表情を浮かべていた三女が。

 何かに堪えるように唇を噛み締める時があった三玖が、お風呂場で一人密かに声を殺して泣いていたのを偶々聞いてしまった日は、すわ誰かに虐められでもしたのかと疑ったくらいだ。

 

 それが今やどうだ。二人きりの時に思い切って聞いてみたけど、姉妹有数の頑固さでもって「四人にだけは話せない、ごめんなさい」の一点張りだった彼女が、溌剌とした笑顔を浮かべているのだ。五月は五月で抱えていた険が薄れ、四葉も大分肩の力が解れてきた印象を受ける。

 これらを勘案し三日前、二乃とノンアルドリンクで「皆が落ち着いて良かったー!」と三人の就寝後にこっそり祝杯を挙げたのは、上の姉二人だけの秘密だったり。

 

「……ま、それはいいとして。最近学校はどう?友達出来た?」

 

「友達?うん……」

 

 まるで母親みたいな一花の台詞に三玖が思い起こすは、怒涛の様な記憶のライブラリ。

 思考は時に、一週間前。初めてこの学園へ来た日のホームルームまで遡っていた。

 

 

 ☆

 

 

 ……中野三玖です。よろしくお願いします。

 

 編入初日。それだけの淡白な自己紹介を終えて、そそくさと指定された席へ着いた。

 特に二言三言言う事はない。あまり馴れ合いたくもないし、取り敢えず卒業出来ればそれで良い。正直さっさと不貞寝したい。学校生活自体に思い入れはないし、打ち込みたい部活も今はない。

 前の学校で感じた疎外感や窮屈さは、それだけ彼女の心に棘として残っていた。ところが。

 

「ミクさん、と仰いましたよね。どこからいらしたんですか?」

 

「え?」

 

 話しかけるなオーラを暗に全開にして。

 いびつな静寂を己に纏わせようとした三玖の思惑は、しかしごく自然な声かけによって破られた。

 声の主は左隣の席の女子。目をやればそこに居たのは、ピンクの淡い髪色に人懐こそうな笑顔を浮かべる、良家の令嬢然とした少女だった。

 しかも今日が初対面の筈なのにその顔、どこかで見たことあるような。

 

(……この娘、確か前にTVで……)

 

 喉元まで出かかってるけど出てこない。ああ、一応聞かれたし答えなければ。

 

「…ま……前は、黒薔薇女子ってところにいたけど…」

 

「まあ!たしかアイチにある有名な女子校でしたよね?遠い所からわざわざ来られたんですか、大変だったでしょう?」

 

 凄いグイグイくる。ニコニコしたまま自然に距離を積めんとするこの少女、リア充ムーブが強過ぎる。考え過ぎてしまって上手く言えないことの多い三玖にとり、こういうタイプの相手はあまり得意ではない。勿論嫌いじゃないんだけど。

 その後も流れるように話し出す彼女だったが、途中でハッと何かに気付いたような顔をしたかと思うと、手早く居住まいを正して切り出した。

 

「すみません、申し遅れました。わたくしユーフェミアと言いますの。どうぞ気軽にユフィとでも呼んでくださいな」

 

「あ、うん……」

 

 ユーフェミア!その名で思い出した。この子って。

 

(ブリタニア皇族の、お姫様だ……!)

 

 去年日本に留学してきた、とニュースでやっていたけど、まさかこのアッシュフォードに来てたとは。そう思って改めて見てみると、如何にもドレスとか似合いそうな品のある娘さんだった。大事に大事に箱入りで育てられてきたのだろうか。

 …にしても隣の席の女の子は、隣国のプリンセスでした、なんて全く予想外だ。偏に自分のリサーチ不足が仇となった。

 

(……ど、どうしよう…)

 

 三玖が密かに立てていた、新天地での学生生活をひっそりと過ごすと言うささやかな目標は、どうにも叶いそうに無い。こうして転校初日から彼女は、いきなりの方針転換を迫られることになったのだった。

 

 

 ☆

 

 

(…なんだか、嵐みたいな数日間だった………)

 

 首にかけてたヘッドホンを静かに外して机に置き、私は暫しの回想を終える。

 ユーフェミア・リ・ブリタニア。天真爛漫でよく笑う可愛い女の子。皇族という事で最初は緊張もしたけれど、のっけから提案されたユフィという呼び方にも慣れてきた。クラスの中心にいる彼女のおかげか、それなりに馴染めたのは何だかんだで感謝している。誰とも話さないよりかえって気楽、という事に気付いたから。

 総評すれば悪くない。それどころかむしろ楽しい。初めて小学校に通った日よりもワクワクしているくらい。

 ……そして。

 

(今、そう思えるのは、きっと…)

 

 ……きっと、()のおかげ。

 転入三日目。あの日、腫れた眼を隠せてたかは分からないけど。()の隣にくっついて教えを乞うてた私の様子がそれまでと違うのを見て、皆言わずとも察してくれていた。そんな姉妹達への感謝と同じくらいに、優しく心を込めて名を呼ぶ。

 

(…ねえ、ルルーシュ)

 

 貴方にとっては、あの放課後の屋上での出来事は、何気ない日常の中のいつもの一ページに過ぎないんだろう。溢れる才気や明晰な頭脳をもってすれば、人助けの難易度など、きっと呼吸するも同然の筈。気負わず掛けた言葉で、今までも幾人もの人を助けてきたのだろう。或いは転入生の私に手を差し伸べたのだって、生徒会役員としての義務感から仕方なくだったのかも知れない。でも。

 

(……私が、その優しさに…どれだけ、救われたと思う?)

 

 初めてだった。付き合いが深いわけでもないのにお見通しとばかり易々と己を看破し、同情も憐憫もせずただ真っ直ぐに寄り添ってくれた人は。

 みっともなく零れた涙と一緒に、ブリキの重石は無くなった。再び色付いた世界の中で一番最初に映った、鋭く輝くアメジストの双眸に祓われて、私は今此処に在る。

 そうして助けられた己自身に問い掛ける。認めよう。未だ私は至らぬ女。自分自身で自立も出来ぬ未熟者。でもこれだけは、毅然と胸を張って言える。

 

「いい人達に恵まれたよ。……転入してから今は毎週、月曜日が待ち遠しいんだ」

 

 成し遂げたい()()がある。自分の帰る場所がある。慈しい友人がいる。時に喧嘩もするけど、何だかんだで大好きな姉妹達が居る。

 学校はどう?と聞かれて、ありのままを素直に答えられる。ただそれだけで、幸せというには十分過ぎた。

 

「……そっか。じゃーそんな素敵な妹に、私からもう一つ」

 

 本心から放った言葉は、果たして長女にも届いたらしく。慈愛に満ちた表情を眦に浮かべた一花がまたも切り出した。「後から話、聞いたんだけどね」、と。

 

「…何で五月ちゃんが、貴女を捕まえにいけたのか分かる?」

 

 穏やかに語る長子の問い。…答えは、今なら痛い程によく分かる。

 

「……こないだまでの五月と、私が同じ顔してたから?」

 

「大正解♪」

 

 行先を伝えてないのに、屋上まで来たのはそういうこと。何だかんだ似た者同士の五つ子だ。五月が同じ心境なら、きっと私と同じ行動をとるだろう。確信があったから、真っ直ぐに向かえたのだ。

 ……うん、今言おう。この数日間折を見て姉妹一人一人に伝えた言葉を、彼女にも今ここで。

 

「…………ありがとう、一花」

 

「いーってことよ♪」

 

 五人でいれば大丈夫。そして()がいるなら私達、どこまでだって行ける気がする。そんな確信めいた予感が私にはあった。たかだか会って数日の人間に対して、だ。普通なら何を馬鹿なと思うだろう。しかし心の中には確かに、彼への無形の信頼が醸成されていた。

 

「……あとね、面倒見の良い人だよ、彼。私、よく分かってなかった」

 

「みたいだね。『デフォで上からだし口調は辛辣。でも中身は人情家ね』って、あの二乃ですら言ってたんだから」

 

 入学してから一年間で彼のファンクラブの会員数が一〇〇人を超えた、なる話は伊達ではない。

「ルルーシュが専任で教師に就くのか?ならミク、お前は相当に運が良いぞ」。先日面談した時にそう言っていたクラス担任、コーネリア先生の言は嘘ではなかった(ちなみに、TVで見た顔だなと思った先生も普通に皇族、しかもユフィのお姉さんだった。この学園は色々と規格外過ぎる)。

 …まあ、それは今はさておき。

 

「…うん。優しいし、何より聡い。……だからね、一花」

 

 ここ数十日を回顧するにつれ思う。私達は、一人じゃない。姉妹がいる。友人がいる。頼れる大人が周りにいる。ならば次は、きっと私の番ではなく。

 

「………貴女の悩みも、打ち明けてみて?」

 

 え、と虚を突かれた声が虚空に溶ける。正対する長女から、素で発せられたものだった。

 

「……お願い、一花。今じゃなくてもいいから、いつか」

 

 いつになく真剣な声音を意識して話す。

 知っている。姉が家計を支えようと、長女足らんと自分に枷を科しているのは。何やら学業の合間に仕事を詰め込んで、かつ苦手な父との連絡も欠かさず行うパイプ役を務めているのは。

 損で大変な役回りばかり押し付けられてるのに、余裕のあるお姉さんぶろうとするのは、きっと彼女なりの姉としての矜持なのだろう。

 だから皆の前ではこんな事言わない。二人きりの時しか、聞かない。ささやかながら心に決めた、自分だけの約束事だった。

 

 懇願にも似た要請にむむ、とひとしきり悩む風な様子を見せた一花は、迷った末にふわり、と。

 文字通り花が咲く様な笑顔を浮かべて………感情を、()()()

 

「んー。……じゃ、考えるだけ考えとくね?」

 

 ……手応えは、薄い。これでは暖簾に腕押しだ。はぐらかす様に曖昧に答えた彼女の真意は、未だ不明瞭なまま。そして、この手の問題は本人が隠し通す限り理由まではわからない。たとえ同じ五つ子といえどもだ。何故って、ずっと黙っていた私がそうだったから。

 

「…………………分かった。…一花が、そういうなら」

 

 納得できない。根掘り葉掘り聞いてやりたい。けれど、不承不承に了解をする。

 矯正を試みてはいるけど、自分が未だ口下手なのは自覚している。正直言って話術で一花に勝てる自信はない。姉妹一の演技派たる彼女にはぐらかされたなら、もう底意は見通せない。間違いなく彼女の内に沈むナニカに気付きはしたけど、全容把握は到底出来なかった。

 …しかし、同時に思った。こんな時、彼なら。ルルーシュなら、どうするだろうと。

 

(……聞いて、みようかな)

 

 灯ったのは仄かな決意。そうだ。此処に居るのは、殻に閉じこもっていただけの以前までの私ではない。踏み出す一歩が世界を変える。お節介でも構わず焼こう。手遅れになってからでは遅いのだから。

 

「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」

 

 一花に適当な断りを入れて部屋を出る。静かにドアを閉めるとほぼ同時、意を決してポケットから私はスマホを取り出した。

 

 

 ☆

 

 

 タレント、という言葉がある。

 古代ギリシャ語で重量単位や貨幣単位に用いられた「talanton」・「talant」が語源とされるこの言葉は、ブリタニア語では才能・技能を意味し、転じて今日の日本では芸能人の呼称に用いられることが多い。

 

 中野一花という少女は、そんな人を惹きつけ魅了する技能、即ちタレントとしての才能に恵まれている。

 知っての通り、彼女を含めた中野家5姉妹は皆美人揃い。アッシュフォードの生徒の中では小柄な方ながら顔もスタイルも良く、既に彼女らを密かに狙う男子もいるくらいだ。

 しかし中でもひときわ目立って、一番モテるのは誰か?と問われたら。紛れもなく彼女、一花の名が妹達からは挙がるだろう。

 そんな一花はというと現在、自宅の寝室でそれはそれは深い眠りについていた。ちなみに布団を1枚剥ぐと装備はショーツのみ。ひとつ間違えばとんだ痴女だ。…まあ、世の中には自宅では終始全裸で過ごす人も存在するらしいので、それと比べれば幾分マシだろうか。

 夢見心地の只中にある彼女が、幸せな惰眠を貪っていた時だった。

 

「起きろ一花。流石に遅刻してしまうぞ」

 

 ぐうたら眠り姫を起床へと誘ったのは、姉妹ではない誰かの呼びかけ。最近は8時間くらいしか睡眠を取れてない彼女、茫洋とする状態のまま、半ば反射でぶつぶつ答える。

 

「むー、あと5分………」

 

「5分は無理だな。陸路移動では間に合わなくなると同義だ」

 

 やはり返ってきたのは先程と同じく理知的で、どこか色気ある男性のウィスパー。寝ぼけ眼を擦りながら、一花は発声源へと顔を向ける。うなじが震えてこそばゆくなるようなこの声、何故だか最近よく聞く気がする。義父の声はもっと低いし、さてこの主は一体。

 

「…うーん、誰……?」

 

「誰、だと?…君のお父君より家庭教師を仰せつかっているルルーシュだが」

 

 

 ☆

 

 

「る、ルルーシュ君!?」

 

 吃驚、覚醒。慌てて布団から跳ね起き目を向けるとそこに居たのは、半ば呆れ顔の我らが副会長であった。

 朝一だろうと相変わらずの怜悧な美貌と、艶やかな紫眼に黒髪。完璧なプレスの効いた指定制服に留まる、磨き込まれたボタンが眩しい。そんな彼は現在、カーテンから洩れる陽光を受けて輝く腕時計で以って、冷静に時刻を確認していた。ただ、今大事なのはそんなことではない。

 

「え?な、なんで私の部屋に!?」

 

 待て待て待て待てちょっと待て。不法侵入だ不法侵入。義父だって入ったことないのに、何故こうも気安く部屋に居るのだこの男。異性を招いた事自体初めてなのに、こんなロマンのカケラもない起こされ方しても嬉しくない。

 飛び起きた拍子に掛け布団がズレ、胸元あたりが大変なことになってるのに焦りで気付いてない一花に、しかし我関せずとばかり事務連絡。

 

「姉妹達から許可を得たからな。4人は既に()()まで送らせたぞ?」

 

 尚ルルーシュの私用車─ブリタニアで日ブ互換運転免許所得済である─で送った。代行の運転手は咲世子である。篠崎流体術を駆使して自宅から駆け付けてもらった彼女には、後日時間外手当を多量に弾んでおく腹積もりだ。ナナリープラス4姉妹を乗せた車は、今頃は学園の駐車場に向かっている頃だろう。

 閑話休題。

 

「学園?」

 

「ああ。そういう訳で一花、悪いが今日は俺と通学してくれ。ちなみに集合時刻まではあと17分42秒だ」

 

「ちょ、ちょっと待って?今日、()()だよ?」

 

 アッシュフォード学園に基本、土曜日課はない。

 それに慌ててはいるが彼女だって、学校の時間割くらいは把握している。通常、1限開始時刻は朝9時ジャスト。SHRは8時40分から50分まで。ここから学校までは車で10分、かつ今は8時2分だから、平日はまあ25分くらいに家を出れば余裕で着くのだ。なのに何故。

 

「いや、今日は特別日課で部活も全休だが登校日だぞ?学園の創立記念日だからな」

 

「…あっ」

 

 そうだった。立て込んでる女優業と勉強で頭がいっぱい、昨日は仕事で帰ってきたのが皆が寝静まった夜遅く。そんなこんなですっかり忘れていたが、今日は。

 

(…アッシュフォード学園創立記念パーティー、当日じゃん……!)

 

 思いだす間に「俺は外で待っている。学校までは飛ばせば5分で行けるから、それまでに頼むぞ」と言い残して退室した彼の言葉を受け、彼女は慌てて身支度を整え始める。

 

(わー!マズイマズイマズイマズイっ!)

 

 混乱しつつも急いで着衣し洗面台へと駆け込む彼女をよそに、さっさと玄関前に出たルルーシュはというと。

 

「……ジェレミアか?すまんが至急、()()の手配を頼む。ペンタゴンマンションの屋上ポートに接地してくれ。……ああ、一機で良い。感謝する」

 

 アッシュフォードに何やら大層な電話を平然とかけていた。後でジェレミアにも心付けを渡さねばな、とかしゃあしゃあと呟いてる辺り、どうにもこの手の事態に慣れすぎてる気もするが。

 

 …ところで、うら若き女性の部屋に立ち入った上に同級生のあられもない姿をみたこの男。そこら辺の童貞なら赤面して何も出来なくなりそうな状況で、終始淡々としていたのは何故だろうか。

 

(…見た目は完璧だが、プライベートはズボラな点があるな、一花は。特にあの寝室、C.C.の私室が可愛く見えるレベルの汚部屋だ。折を見て収納術でも教えておくか…?)

 

 何のことはない、前例があって慣れてるだけだった。

 

 

 ☆

 

 

「あのねえ、だからってヘリコプターで学校来る!?」

 

「いやあ、玄関開けたらいつの間にやら、屋上のヘリポートに連れていかれまして……」

 

 その日のお昼時、自由時間。アッシュフォード学園高等部2年A組にて。

 模擬店出店も許可される創立記念祭において、趣向をこらしたコスプレ喫茶を開店したA組では、本日はプレオープンという扱いで特別に軽食を振舞っている。

「ブリタニアンカフェ・アーサー」と銘打たれ、アール・デコ調の豪奢な飾り付けがなされた教室内は、主に多くの女生徒(客)達でひしめきあっていた。

「記念に五月との合流も兼ねていってみましょう」と言った二乃の提案でここに集まった、五月を除く四姉妹達もその例に漏れず。彼女達は現在、一花へのプチ質問大会の真っ最中。

 

 何でもあの後急いで来たので、集合には間に合ったそう。自宅を出るまでに秒で着衣し、寝癖直して洗顔メイク歯磨きした…までは良い。登校手段に関しては突っ込み所満載だけど。

 

「…見事に朝食、食べ損ねたと」

 

「うん。今なら五月ちゃんくらいご飯食べられそう…」

 

「あの量を常食してたら、流石にまずいんじゃないかしら?」

 

 一家の食卓を預かる二乃は冷静に突っ込む。主に血糖値とか体重とか大変なことになりそうだ。

 

「…にしても一花、今日は全然起きなかった。体調が心配」

 

 お次は一昨日、部屋で一花と話してた三玖。長姉が寝坊助なのは今に始まったことではないけれど、やはり一昨日()()()()()()()電話した結果を踏まえると気掛かりだった。

 

「そうね。私が枕元でフライパン叩いて鳴らしても、布団剥がしても起きないんだもの。いっそ水でも掛けようかと思ったわ」

 

「ほ、ホントにごめんね………?」

 

 一花は区分すればロングスリーパーに属するためか、長時間寝ないとコンディションが覿面に悪くなる。最近は仕事入れすぎてオーバーワークの気もあり、正直くったくただった。今なら机が枕でも爆睡出来そうなくらいには。

 

(…うーん、このまま突っ込まれてるとボロが出ちゃうかな。…よし、逸らそう)

 

 漏らす気はない。知らなくて良い。背負うのは私だけでいい。メイクで隈を隠した長女は、本心までもひた隠して平静を装う。

 

「…ていうか、なんで今日ルルーシュ君がウチに来たの?」

 

「あ、それね、実は五月が一緒に行き……」

 

「わーっ!よ、四葉!それはちょっと」

 

「五月!?」

 

 何やら四葉がこぼし掛けたところで、横合いから慌てた風な五月が急に登場。しかし飛び込みで混じった彼女、いつもの学生服姿ではなく。

 

「「わあ、可愛い!」」

 

 長女と四女から上がるは歓声。其れもそのはず、褒められて思わず照れくさそうな表情をみせた五月は、クラシカルなデザインのメイド服を身に纏っていたのだ。事前に採寸しておいたのだろう、寸分の狂いもないジャストサイズの洋装が醸し出す清楚な空気感が、五月にはまた妙に似合っている。

 

「あら、似合うじゃない」

 

「うん。これは写真とらなきゃね」

 

「ありがとうございます。…でも、本命は別にいるんですよ?」

 

 スマホをむけてポーズを取るよう要求する姉ふたりへのお礼もそこそこに。「感心すべきは私ではない」とばかり珍しく、悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべた五月。事実彼女には謙遜どころではなく、もっと楽しみなことがある。

 

「本命?」

 

 四葉が尋ねたその時だった。

 調理スペースの向こう側から誰かがやって来たのを視界に捉えたある女子が、にわかにざわつき始めたのだ。教室にさざ波のように広がる原因は。

 

「…ねえ、あのお姿、ひょっとして…!」

 

「え、嘘!?こちらまで来られるの…!?」

 

 横合いの席の女生徒達からも黄色い声が上がる。なんだなんだと周りの生徒も視線を向けた先に居る、その人をみるなり無理からぬ歓声が伝播する。

 近付いてくるのはたった一人の、A組の男子生徒。しかしその間も、期待感からボルテージはガンガンに高まっていく。一体、()()()()()彼は来てくれるのか、と。

()の普段の姿を見慣れてるアッシュフォード学園生でこれなのだ。外部からも人が来る明日なら、更なるブーストが見込めるは確定。同じくクラスメートの五月はそう勘定を弾いていた。

 

「ねえ、本命ってまさか…!」

 

「はい。来ましたよ、ウチの真打です」

 

 視線が釘付けになってる、三玖の疑問に即答しつつ考察。

 

(…宣言通り生徒会の仕事を終わらせたのでしょう、通知した12時半ピッタリの登場。計ったように正確なのは流石です)

 

 そう、()()男子生徒こそ五月を含むA組女子全員が結託して組織票を投げ込み、クラスの模擬店を絶対多数でコスプレ喫茶に確定させた最重要要因。奇しくも「大切なのは過程より結果」と説く彼の信条そのままに行動した、女生徒達の願いの結晶。

 

(そして彼こそ、試算によれば9割超えの確率で我らがA組が圧勝できる決戦兵器。記念祭の模擬店で最も多く売り上げたクラスにのみ贈呈される優勝景品・一か月連続学食デザートフリーパスは、これで私達が頂きますッ…!)

 

 心中で新世界の神みたいな笑みを浮かべるスイーツ大好き女子・五月。迎賓館や五つ星ホテルで働いていたパティシエらを雇う、アッシュフォードの学食デザートがどれも垂涎の出来栄えなのは、この数十日間食堂に通い詰めた五月にとっても周知の事実。アレらの絶品がひと月もただで食せるなら、淫獣と契約して魔法少女になることだって吝かではない。

 

(抜けがけでごめんなさい、皆。でも、この戦いだけは譲れません…!)

 

古の美食屋有名レビュワーM・A・Yの二つ名にかけて、私は私のフルコースを完成させなければならないのだから。たとえ死兆星が見えたとしても、闘わなければ生き残れない。

 五つ子の中で入学初日から最も長く件の彼と過ごしてるためか、「目的の為には手段を選ばない」という悪影響を受け始めている五月。彼女にとっての切り札が、今五つ子の席に舞い降りた。

 

「───お待たせ致しましたお嬢様方、ご注文の品で御座います」

 

 

 ☆

 

 

 最高潮のタイミングで両手に盆を携えて現れた彼。しかし、その装いはいつもの黒い学生服姿ではなく。

 

「……なんで、執事服…!?」

 

 何処ぞの悪魔執事そっくりな髪型と服装で身を固めて現れたのは、悪辣家庭教師にして俺様副会長のルルーシュその人であったのだ。

 

「実は推薦によりバトラーを拝命しましてね。僭越ながら明後日までは誠心誠意、職務に邁進する腹積りです」

 

 慇懃な口調で以って、テーブルクロスの上に先程二乃達が注文した紅茶やらを手際よく並べていく彼。どうにもこの妙なキャラで通す算段らしい。

 

「…る、ルルーシュ君?」

 

「どうしました、馬子にも衣装とでも仰りたいので?」

 

 しかし口調こそ意識して変えていると分かるが、その上品な所作はなり切っているどころではない。まるで()()()()()()()()()()()()かのような、一分の隙もない立ち居振る舞い。付け焼き刃ではない、洗練された従者(サーヴァント)そのものの在り方をを体現していた。

「なーに気取ってんのよ」とか普段なら言うかもしれない二乃ですら、驚愕の視線とスマホのカメラを向けている。「…シャーリーに送らなきゃ」という使命感に溢れたフレーズだけが、かろうじて一花の耳に届いた。

 至近距離だと破壊力が高いのか、何やら余裕こいてた五月ですら思わず魅入って、供されたばかりのパンケーキを食べる手が止まってるくらいだ。花より団子の末っ子を停止させるとは恐るべし。

 

「……提供時間にホスピタリティ、クリームの滑らかさに生地の加熱時間、全てが完璧。かつて原宿で食べたものより美味しい…模擬店の軽食、とどこかで侮っていた私の負けです…!」

 

 …と思ったらなんか語り始めていた。感銘を受けたのはどうやら執事コスの同級生ではなく持ってきた料理の方らしい。食戟の審査員ごっこまで始めてる始末だ。

 同じく目の前の皿に集中せんとする一花だが、生憎とそこまで花より団子ではない性分ゆえ、思わず考え込んでしまう。

 

(…学祭の模擬店だよ?どうしてここまで力を入れる必要が…?)

 

 材料だけを取ってみてもそうだ。すすめられるまま一口食べただけだけれど、使ってるのはメープルシロップではなくマヌカハニー、マーガリンではなく発酵バター。茶葉もパックではなく恐らく淹れたて、鼻に抜ける香りが全く違う。茶器に至ってはマイセンだった。ここまで凝ると赤字は確実、原価率は3割どころに留まらない筈。接客だってなんでまたこんな丁寧に?バンダナだけ巻いて屋台みたいに気楽にやればいいだろうに。

 ……まさか。

 

(そこまでして得たい、何かがあるって言うの……!?)

 

 一花も勿論、学祭の優勝景品のことは知っている。それでも何故ここまで全力投球!?疑問に思ってるその間も攻勢は止まない。圧されて見蕩れてるのをいいことにルルーシュ、メニュー表からオススメを紹介し始めた。既に隣席の五月はパニーニとアヒージョまで頼んでいる、もう手遅れだ。

 

(追加注文しろと!?しかもけっこーいい値段するし、ええ!?)

 

 でも、うまく断れない。打開策が浮かばない。差し向けてくる笑顔を曇らせたくない。……いいや違う、自分だけに、もっと視線を向けて欲しい。独占欲と母性を的確に拘束しにかかる毒牙に、頭で理解していても踊らされる。これは麻薬だ、しかも相当に濃い。

 

(こ、こんなの、頼むしかないじゃない……!)

 

 男に貢いでしまうダメな女の気持が分かってしまった。いや、分からされてしまった。自身の内に巣食う、俗に言うジャイアニズムに気づいてからというもの、自分は長子だからと必死に抑えてきた歪んだ欲望。自ら被ったペルソナがこんな、たかが模擬店の接客如きで剥がされてたまるものか。耐えろ一花。相手は演技。自分に今向けられてる美貌は営業用スマイルだ。その台詞は二枚舌で、彼は希代の大嘘つき。クラスメイトのスザク君だって言ってただろう。騙されてはいけない、いけないのに。

 

「あ、あの、ルル…」

 

 しかし、土壇場で口が上手く回ってくれない。落ち着け、落ち着け。女優志望が台詞をトチるな、噛むなんて以ての外だ!言い聞かせるも無情にも。

 

「いけませんか、お嬢様?」

 

 調子に乗ってくっさい台詞を吐いたルルーシュに追い込まれる。さりげなく手まで握ってるあたり、普通ならセクハラと言われ臭い飯を食う羽目になっても反論出来ない。が、ここまで美形だと簡単に場が成立してしまう。案の定(もげろ)

 

「…え、ぇえ…!?」

 

 見下ろす目を見つめ返そうとして、慌てて逸らす一花。……何か、今良くないスイッチが入った気がした。この扉だけは超えてはいけない。ちょっとぞくぞくキましたとか、そんなわけは断じて無い。

 

(あと何秒続くのよ、このイベント!?)

 

 このままだと冗談じゃなく、思考回路がショートする!窮地にタキシード仮面を求めるセーラー戦士みたいな心境に、彼女が陥った時だった。

 

「……五月。シフト交代の時間だからそのまま休憩しておけ、私が代わりに入ろう」

 

 その時。彼女達の後ろからひょっこりA組の担任C.C.先生が顔を覗かせた。しかも何故だか生徒でもないのにメイドコスだった。

 

「あ、有難う御座います!」

 

 教室への突然の闖入者。見慣れぬ格好の女性に一瞬目を奪われたルルーシュだが、相手が彼女と分かると途端に毒気を抜かれたようになり、口調をやっと素に戻した。

 

「…恩に着るC.C.俺もありがたく休んでおこ…「お前は次は調理係だ、厨房に行け」何故だ!?」

 

 担任教師からの命令一下。哀れこの一日執事、抗議の甲斐なくキッチン(隣接の家庭科室)へとあっという間にドナドナされていったのだった。急展開に目をぱちぱちさせてた姉妹達だったが、徐々に言葉を取り戻していく。エッグタルトを食べていた二乃が最初に口火を切った。

 

「……手製でこれだけ美味しいとは、さては料理男子だったのねあいつ。…胸元押さえてどうしたのよ、三玖?動悸?」

 

「………いや、心臓に悪いなって…」

 

「真打ってこれのことですか、五月……」

 

「はい。でもタピオカドリンクも頼みたかったです……」

 

 空気感にアてられてたのから解放されて、(一部を除き)思い思いに安堵する姉妹達。ただ全員密かに残念半分なのは、思ってるけど悔しいから言わない。一方で長女はというと。

 

(危なかった…!本当に危なかった…!)

 

 でも、やりすごした。嵐は一先ず過ぎ去った。台風一過をこれ幸いとし、さっきまで集中砲火を食らっていた一花、渾身の精神力で再起動。いつもの自分を取り戻さんと妹達に乗っかる。

 

「いってらっしゃーい。大変だねー、ルルーシュ君も?」

 

 笑顔を作って軽快に。…そう、これでいい。いつでもどこでも余裕綽々な一花おねーさん、これぞ私だ。男の子に言い寄られて赤面するなど、私のキャラじゃないだろう。

 大丈夫、私はまだまだ大丈夫。反復させて心で復唱。ズキ、と痛んだナニカには、気付かないフリをした。

 

 

 ☆

 

 

 傍目からみても完璧に明るく振舞う一花を、頬杖をつきつつ見つめていた二乃。わずかに傾げた首を直して幾度か瞬きしたかと思うと、取り直したように先の言葉を拾い上げた。

 

「…そうね。色々と大変ねえ、あいつも」

 

「ルルーシュさん、このカフェの調理と接客で全部陣頭指揮とってますからね」

 

 五月が続く。加えて彼は生徒会の仕事で会場の警備配置や動線配置、挙句に予算折衝と執行、学園内外への寄付募集に記念祭パンフレットの草案作成までこなしている。給料も出ないのに不可思議な男である。

 疲労蓄積が懸念されるが、担任曰く「この程度の頭脳労働ではあいつは全く疲れない。憂慮すべきは肉体労働のほうだろう」、とかいうことらしいので心配は半分無用らしい。

 

 さてその末っ子、今度は目配せをさりげなく四葉に振ると。

 

「C.C.先生、後ろ姿まで美人ですねー……」

 

 四葉の呟きに皆で同意。家庭科室にルルーシュを放り込んで戻ってくるなり、枝毛ひとつない緑髪をまとめた彼女は五月とはうって変わって、ある種現代的?なミニスカメイド姿で手早く、かつ正確に注文を取っていた。

 にしても際どい。ガーターベルトが思いっきり見えているし、歩き方に気を付けないとショーツまで見えそうだ。でも着こなしも含めて様になっているし、主に臀部あたりに女生徒達が羨望の目線をやる始末。女子高生には到底出せない妖艶さを秘めた容姿は、アッシュフォードの美魔女と密かに謳われるだけはある。

 

「でも、なんで先生までコスしてるの?確かに売上は上がるだろうけど……」

 

「勿論、最初は教師だからと固辞してらしたんですが、A組全体で説得にあたりました。とどめに職員室に来たナナリーちゃんが『説得のため超長時間演説(フィリバスター)も辞さぬお覚悟です。お兄様が』とか言い出したらしくて、半ば呆れた先生が折れたのがつい昨日です」

 

 一花の懐疑に五月が代返。普段控えめなナナリーだが、どうにも今回は兄と共謀したらしい。

 

「そこで自分じゃなくて、ナナリーちゃん使うあたり()()()わね…」

 

「同感……」

 

 行きがけの車内で件の彼女と話してた二乃と三玖が追随。C.C.先生からしてみればやりづらすぎる。教師陣の眼の前で、傲岸不遜・唯我独尊を体現した天才副会長サマではなく、楚々として大人しい印象の可愛い女生徒にせがまれるのだ、却下しづらい。勿論彼ならそこまで計算づくだろう。ナナリーの行動の裏に、腹黒家庭教師の意図を感じた姉妹達だった。

 

 

 ☆

 

 

 一方、噂の主たるルルーシュはというと、家庭科室でいくつかの料理を並行して作成しながら心で愚痴っていた。

 

(……ええいッ!前にも言った気がするが、あんなキャラは俺のジャンルでは断じてないッ!あれでは執事ではなくホストだ!大体俺は会計を担当する予定だった筈だろうが!!)

 

 よどみない手つきでスコーン(皇室御用達)を盛り付けながら、彼は内心ひとりごちる。本人的には、さっきのナンパしてるときのジノみたいなキャラ付けはいたく不満であった。

 これは対価として「じゃあお前は執事服で接客しろ。私が満足できるレベルまで演技指導してやる」、なる案をC.Cに飲まされたのが運のつきだろう。こき使われてる面も包含すれば、試合には勝ったが勝負に負けているともいえる。

 ついでに一番得してるのは、演技指導と称して「営業スマイルがなっとらん」だの駄目出しを繰り返し、終いにはルルーシュに肩まで揉ませたC.C.である。損して得取れとはこういうことかも知れない。

 ただナナリーの見込み通り、彼女もそれなりに楽しんでくれているみたいなのは彼にとっても僥倖だ。慣れない接客もあってか、おかげで気を抜くと瞼のあたりが引きつりそうだが。

 

(……にしても)

 

 今度はブリティッシュマフィンをトースターに放り込んだ料理上手の副会長は、努めて顔色を変えず思考を巡らせる。目下の関心事は五つ子の一人たる、長女のことについてだ。

 

(…なかなか尻尾を見せんな、一花め。やはり俺とは似た者同士か)

 

 既に姉妹四人と()()()では協力関係にある。今朝だってそう。わざとらしく一花だけ1人部屋に残したのだって、考えれば不自然だろう。疑問が回らないのは、それだけ心が張り詰めている証左だ。

 心の傷をみせまいとしていた三玖とは別ベクトル。彼女は吐露を佳しとしない。むしろ誤魔化す。そして気負いの根っこにあるのは恐らく……長子として家族を支えんとする、姉妹愛といったところか?

 シスコンで嘘つきとは、どこかに似たようなやつがいるな。冷血漢を気取りながら情に棹される男は自嘲する。も、その時やにわに響いた扉の開閉音でもって現実に引き戻される。目線をやるとオーダーをまとめてきたのだろう、C.C.がそこにいた。

 

「…ルルーシュ、流石に事を急いてないか?あれではパンクしてしまう」

 

 周囲に聞こえぬように小声だが確りと。先程わざと止めに入ったC.C.は危惧を口にする。

 

「理解っているさ、時間はある。次善策を講ずるまでだ。それに…」

 

 今の一花のメンタルは、例えるなら膨らませた風船のようなもの。あの調子だと早晩ではないが、なんらかの切欠があればいずれ破綻してしまうだろう。見立てではもって……半年といったところか。仮に決壊したら、修復不可能な何かしらの事象が自他に生起するリスクもある。ヒトの精神とはかくも恐ろしきものなのだ。

 

「それに?」

 

「…俺に壊せぬ仮面など無い。何人の如何なるものであろうとな」

 

「その絵面で格好つけても締まらんぞ」

 

 格好付けたらジト目で速攻突っ込まれた。この先生辛辣すぎやしないだろうか。…ああいや、いつもこんな感じか。会話のタッチが変わった為、ルルーシュもこれに応対。

 

「やかましい。大体厨房に何の用だ、つまみ食いは許さんと言っただろう?」

 

 真面目な話は終わりかと予想した彼としては、このままいつもの流れに差し掛かるかと思われた、のだが。

 

「……差し入れだ、この鈍感め」

 

「ほぁ?」

 

 予想外の展開に、思わず変な声が出た。手渡されたのはタンブラーに入ったハーブティー。彼女が手ずから淹れてくれたのだろう、市販品にはないフレーバーだった。

 それにこの覚えのある馥郁たる香り、確か疲労回復に効果のあるやつだったな、と思い起こす。茶器も予め白湯で温めてから供されたブレンドの一杯は、ルルーシュの嗜好を知りつくした彼女でなければ作れない。匹敵するのはナナリーのそれくらいだ。

 

「邪魔したな。持ち場に戻る」

 

 自分でも似合わぬ事をしたと思ったのだろうか。渡すなりそそくさと接客に戻っていく彼女の、華奢な背中に一声かける。

 

「C.C.」

 

「…なんだ?」

 

「有難う。ついでによく似合ってるぞ、その格好?」

 

 ホイップクリームとキャラメルソースでフルーツパンケーキを可愛くデコリ、野郎の癖して高い女子力を見せつけるなんちゃって執事は、振り向いた彼女の眼を真っ直ぐ捉えて嘯く。

 

「……いくらでも淹れてやるさ、このくらい」

 

 返事は小さく、一言だけ。それっきり、ぷい、とそっぽを向いて退室した彼女の頬に少しばかり朱がさしているのを、果たして彼が気付いたかは別として。気紛れ魔女の内助の功は、魔王を更に加速させる。

 

(…今度は正々堂々語ろうじゃないか、嘘つき同士で。なあ、一花?)

 

 妙に家庭的な皇子の魔の手は、今日も留まるところを知らない。

 

 

 




つづく。


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TURN 08:我が名は零奈(ゼロ)

一花回後半、本戦(ほぼ会話パート)。





 夢を最後に見たのは、もういつだったか覚えていない。

 

 あちこち回った学祭の一日目、そして最終日の二日目を終えた夜。いつも通りピアス穴の消毒を終えた中野家の長子は、ごちゃごちゃとした着衣溢れる自室で静かに床に就こうとしていた。

 

 最近は寝つきが悪いし眠りも浅い。アイメイクはいつからか、ただ目の下の隈を消すためのものに変じて久しい。朝方に急いで塗った化粧が落ちているのを姿見で雑に確認すると、そのまま気絶する様に寝台へと倒れ込む。格好は既にして下着だけだ。

 

 気怠げに灯りを落として目を瞑る。買ったばかりの空気清浄機の稼動音が気に障り、手探りで電源をオフにした。

 我ながら、こんなに神経の繊細な(たち)だっただろうか。

 

 やはり手探りで薬箱から睡眠剤を取り出そうとして、咄嗟に思い留まる。常用して耐性がついてもシャクだし、そもそも汚部屋過ぎて何処に置いたか分からない。

 

(…………昔は、もっと綺麗にしてたんだけどなあ……)

 

「空き巣に荒らされたハムスターのゲージ」と二乃に評される惨状から、布団を被って目を背ける。女優業が立て込むにつれ学生生活との両立で手一杯になり、掃除にまで手が回らない。普段から片付けておけば問題ないのだが、悪癖とは簡単に除けないから悪癖なわけで。

 

 面倒だし掃除はまた今度でいいか、と安易な妥協でお茶を濁す。俗に部屋は心を映す鏡という。ならば今の自分の心とは、どれ程に滅茶苦茶な状態なのだろうか。

 散らかった心に浮かんでは消えるのは、未だ曇ったままの将来への展望。自身の夢、女優について思いを馳せても。

 

(これから、どうすれば良いんだろ……?)

 

 悩むも道理。

 俳優業とは水物である。成る程華やかで憧れる若者も数多いが、大したコネもなく業界で生き残っていける人間など、考えるまでもなくほんの一握り。10年後、20年後に果たして食べていけるのか。貰っているのが端役ばかりの駆け出しの身で、断言出来る豪胆さは無い。

 

 なまじ一時は赤貧生活を送っていただけあって、もやもやとした不安は募るばかりだった。

 

 まずお金。義父からの仕送りは潤沢だが、勿論永遠に続くものではない。高校生の間は大丈夫かもしれないが、でもそのあとは? 

 役者として身を立てていきたい一花は、現在のところ大学進学の意図はない。

 

 しかしいい歳して「女優になりたいから金くれ」などとぬかす子供の話に感銘して融資する親が、果たして世の中にどれ程存在するだろうか。大物YouTuberになれるくらいの超高倍率だ、普通は翻意させられるがオチである。「ほならね、自分で稼ぐしかないやん(意訳)」と自己完結してお金を貯めてる一花は人間の鑑だろう。姉の鑑かは知らないが。

 

 次いで時間的制約。本気で役者を志したいのなら、全日制の黒薔薇やアッシュフォードに通ってる時間は無い。これが()()一花の持論である。もとより自分のキャパシティはそこまで高くない、ならばこそ。

 その為に一時は通信制高校への転入だって検討したのだが、結局は妹達と足並みを揃えることを優先した。…してしまった。

 

 降って湧いたような創立記念日も、正直サボって午睡していたかった。休みの日に新品のショーツを穿いて朝寝すること程、すげェースッキリすることはないのだから。……実は行ったら行ったで学祭、結構楽しかったんだけど。

 早いものでそんな記念祭も恙無く終わり、頭がアイドリングに移行。

 

 一度しかない高校生活(モラトリアム)を謳歌する。自分の夢を叶える。学業に本腰を入れて卒業する。家族のためにお金を稼ぐ。

 当然、姉として最後の選択肢以外は保持すれど優先すべきではない。頭の中ではそう思ってはいるのだけど。

 

(……ホントに、それが私の……したいこと?)

 

 思ってから、ハッとなってかぶりを振る。

 まただ。気を抜くとすぐこうだ。自分のこういうところが嫌いだ。隙あらば顔を出すエゴイズム。ナチュラルに妹を……()()と見做そうとする底意。自分の事だけ拘泥したい、と願う浅ましさ。

 

 普通の家の子なら、或いは許された欲望だったのかもしれない。しかし自分は片親が居ない五つ子姉妹の長女。皆で同じ格好をしていた幼い頃とは違う。我儘なガキ大将は、もう卒業したんだから。

 

 懊悩を縛って押し込め、強く瞑目。ひたすらに、暗示のように言い聞かせる。眉間に皺が寄っているのを、果たして彼女は自覚しているかは分からない。

 

 

 ☆

 

 

(8分で終わるとは上出来だ。今月のノルマは無事達成、と)

 

 学祭も無事終わり、振替休日で休校となった翌日。新宿は歌舞伎町方面から台東区に向け、一路車を転がす男が一人。

 

 左ハンドルのじゃじゃ馬を巧みに操るは、主人公というより悪役が似合う高校生、ルルーシュ・ランペルージその人。格好はフルオーダーの濃紺(ネイビー)スーツにフォーマルタイ。長い黒髪はムースでアップにセットしてある。およそ学生に似つかわしくないドレスコードを纏っているのは、今しがた()()()()()に出掛けた帰りだからである。

 

 後部座席に積まれるは道楽貴族から巻き上げてきた、賭け金(現ナマ)が束で入ったアタッシュケース。調達場所は東洋最新のカジノリゾート、歌舞伎町IR。

 飛び込みチェスで荒稼ぎした総額10万ブリタニアポンドを獰悪な笑みを浮かべ持ち帰ったその様、とても昨日まで真面目くさった顔で執事コスをやっていた男とは思えない。

 

 バニーガールにセクハラしてたので標的にした今回のカモは、顔芸が中々に面白い相手だった。客層が懐を荒らしても良心が痛まない奴ばかりなのは、それはそれでどうかと思うが。

 

 ただ自分の尻をしつこく触ってきた色ボケ貴族がすってんてんになったのが、よっぽど琴線に触れたのか。帰り際に件のバニーの彼女から、なんとキスマークと携帯番号の入った名刺を渡されてしまった。 正直言うと現在進行形で処分に困っている。

 

(厚意で渡してくれたんだろうが、持っていてもな……)

 

 気慰みついでに、カーステレオのチャンネルを適当に切り替える。FMラジオに波を合わせると、程なく「本日は先頃より数回の順延となっておりました、隅田川大花火大会がいよいよ開催されます。既に河川敷には一万人近い人々が各々詰め掛けており、お近くにお越しの際は公共交通機関のご利用をお願い致します………」なる旨の注意アナウンスが流れてきた。

 

 台風やらでずっと延期になってたのを、結局9月も末の今になって実行するらしい。現地は交通規制でてんやわんやだそうだ。明日から肌寒くなるらしいので、ギリギリのタイミングとは正にこの事だろうか。

 そのまま5kmばかり走行し都道を2本経由。後楽園駅前を通過しようとした、ところで。

 

(……ん?…アッシュフォードの女生徒か、あれは)

 

 大型ドームとスパリゾートに挟まれた歩道。そこで男性と何やら揉めている様子の、制服姿の女子を発見。クリーム色に近い女子学生服は、比較的シックな男子のそれと比べて目立つ。そしてご両人、剣呑と言うほどではないが、しかし到底円満とも言い難い。

 

(まさか援助交際か?遊園地の真横でウチの生徒が売春?おいおい…)

 

 冗談じゃない、瀟洒(しょうしゃ)な私学のイメージが一瞬で吹っ飛んでしまう。何処のどいつだ、ナナリーの箱庭に味噌を付ける不届き者は。学費に困ってるなら奨学金を無償付与するから直ちにやめろ。

 自分が非合法の賭場に入り浸ってることは完全に傍におき。さてご尊顔を拝んでやろうと、スピードを落としてさりげなく車を寄せると。

 

(……一花じゃないか。…なぜ?)

 

 なんと女子の方はよく家にお邪魔してる生徒、兼同級生だった。中年男にウリを持ちかけたとでもいうのか?……いや、一花は経済的には困窮していない。興味本位で春をひさぐ手段に手を出す程、短絡的な人間でもないだろう。

 

(売買春でも拉致でもない、誘拐にも見受けられん。ならばタチの悪い勧誘か、若しくは大穴で彼氏か)

 

 出歯亀は野暮だ。しかし家庭教師として教え子がトラブってるのを静観するわけにも行かない。今日はこれから、河童橋の道具街に行って和食器を買いたかったのだが。

 

「……仕方ない。また後日赴くとしよう」

 

 独り言を言うが早いが、死角になる場所に素早く車を停め、シフトレバーをPに入れてブレーキを下ろす。待機状態への移行を確認すると起動キーを引っこ抜き、ガルウィングを跳ね上げて車外へと躍り出る。

 

(丁度いい、サシで話がしたかった頃だ)

 

 計画とは異なるがまあ、いつもの事である。自分の予定通り上手くいったことの方が少ないことに、今更ながら少しばかり虚無感も覚えつつ。鋭い目つきを更に尖らせると、声を幾分硬めに調整。

 さも今通りがかったかのように横合いから現れ、善意の通行人Aを演じて割り込んだ。

 

「何やら穏やかではありませんね。いったん離してあげたらどうですか?」

 

 ……さて、どう出る?

 

 ところが誰何が終わるか終わらないかくらいで、既に男は猜疑に満ちた眼を向けてきた。「なんだこいつは」とお互い思ったに違いない。やおら首から上だけをこちらに向けた、中年男が発したのは。

 

「ん?……何か用かね、うちの()()()()に?」

 

 ……返ってきたのは、斜め上の答えだった。

 

 

 ☆

 

 

「女優…?」

 

 努めて反応を顔には出さないようにしたが、内心首をかしげるルルーシュ。言葉が思い切り引っ掛かった。女優。アクトレス。銀幕やドラマで、麗しき花となる存在。誰が? ……一花しか、状況的には該当しない。じゃあこの男は差し当たり芸能事務所のマネージャーか、マスコミ関係者といったところか。

 

 ついでに近付いてわかったが色気が微塵もない。両者が恋人の線は薄いとみた。

 

「で、何処の誰かね、君は?」

 

 他方、誰と聞かれたルルーシュは「一花に聞くべきことが増えたな」、と冷静に考察。確かに斜め上の展開だが、完全に想定外という程ではない。()()()()()()()()()()()()でなければ、確たる脅威足り得ない。

 意識は既に、話しかけてきた男の分析に移っていた。

 

(吊るしのスーツにそれなりの腕時計、薬指には指輪。……中流家庭の既婚者、とみた。中肉中背の黄色人種、恐らく40代後半の日本人。俺を知らないと言う発言が正しければ、アッシュフォード学園の生徒の保護者ではない。そもそも学園関係者は用務員や調理師含め、父兄らの顔まで全員把握済。可搬記録媒体は右手に持っているスマホのみ。録画は……されていないな、問題ない)

 

 撮られてないなら好都合。口から出まかせを言うのに最適だ。

 実時間に直して0.2秒フラットで解析を終えると、()()()()()がてら確認の言質を取る。

 

「成る程。私をご存知ないと?」

 

「知らんねえ。まさかとは思うがこのタイミング、彼女の交際相手か何かかね?」

 

「ち、違いますってマネージャー! この人は……」

 

 マネージャーで確定なのか、理解。ついでに何故か慌ててる一花が、話の腰を折ろうとする。バレると何か不都合でもあるのだろうか。ひょっとして女優業は秘密にしてたいのか?確かに把握してなかったが、別に言いふらすつもりも無いのに。

 

「困るんだよねえ、デートがしたいのなら…」

 

「彼女の言う通り違いますよ。ここからは私が説明します」

 

 その場で一花を遮るだけでなく。おもむろに自分のジャケットの左側内ポケットに右手を突っ込み、()()()わざと探すフリをする。

 この動き、銃社会であるブリタニアで無断で行った場合、「懐から銃を取り出そうとしている」と見做され、実は即座に射撃されても文句はいえない危険動作である。

 

 が、男性に何も警戒した様子はない。軍人や工作員なら真っ先に制圧に飛びかかって来るアクションに無反応。……確定だ、彼は素人。軍事のプロでもテロリストでもない。単なる極東の民間人なら、自分の正体を知る者などまずいない。

 

(素晴らしい。この場に於いて、最も()()()()()模範回答だ)

 

 或いはより朴訥なシスコン兄に誰何したなら、もっと違った答えを用意しただろう。しかし総身を嘘で塗り固められるこの口達者が、まともに答えるわけがない。

 先程までの発言と矛盾しないよう思索を巡らせ、淀みなくでっち上げを口にする。

 

「何、単なる通りすがりの外国人です。本日はドームで野球観戦を、と思いまして」

 

 一応今さっき通りすがったブリタニア人なので、嘘は言っていない。「彼女と面識がある」とも言っていないだけだ。いけしゃあしゃあと屁理屈を吐く家庭教師に、密かに呆れる一花だった。私が後で口裏合わせなかったらどうするつもりなんだ。

 適当な動機をくっ付けると、氏素性について問われる前に打って出る。

 

「失礼、申し遅れましたね。私の名はアラン・スペイサー。父はブリタニアの公爵です。ああ、パスポートならココに」

 

 弄っていた懐からコイルガンの代わりに取り出した偽の身分証明を、これ見よがしに提示。ブリタニア外務省に(裏金を積んで)発行してもらった、本物と寸分違わぬ見た目の偽造品である。当然一見したくらいで、真偽を見抜けるわけもなく。

 

「な、貴族……!?」

 

 慌てるは高圧的だった相手側。

 

(……ええ、そこまでやる…?)

 

 小道具まで持ち出してきた技巧派詐欺に驚愕半分、更に呆れ半分なのが一花。一応「説明する」と言われたので任せたけど、何を言い始めるつもりなんだ。もう後にひけないじゃないか。

 

 しかし彼女とうって変わって、おっさんの方は物凄く張り詰めていた。まずい。最友好国のブリタニア出身の貴族、それも公爵ときた。失礼があってはならないどころか、下手を打てば国際問題。世界一の超大国、その上流階級と事を構えればそこらの芸能事務所など、圧力の余波だけで吹き飛んでしまうだろう。

 

 遅ればせながら虎の尾を踏んだ事を理解したマネージャーの顔色が、覿面に悪くなっていく。明日の今頃、依願退職という名の懲戒処分を貰う自分でも幻視しているのだろうか。

 

「こ、これはとんだご無礼を……!」

 

「いえいえ、貴殿もきっと()()()()咎められたのでしょう。何分ここは異国の地ゆえ、しきたりに相違があって当然です。未だ不慣れな私の至らぬ行動が御気分を害した、と言うことも有り得ます。此度の件は私の胸先三寸に留めておきますよ」

 

「ネチネチと嫌味を言う貴族」をテーマに即興芝居。幸か不幸か帝都ペンドラゴンで幼少期より豊富に実例を見てきたので、参考資料は山ほど記憶している。

 本当は相手が泣くまで続けるのがブリタニアの流儀だが、流石に陰湿過ぎるのでやらない。目的は一花を連れて撤収することだし。

 

「しかし見たところ、彼女の制服はかのアッシュフォード学園のもの。そうですね、貴女(ミス)?」

 

「え。あっ、はい」

 

 目線を向けて一花に振る。予想通り端的な解答を貰ったため、弾みをつけて次に繋げる。

 

「成る程、ではここでお会いできたのも何かのご縁。いい機会ですから学園に出資しているスペンサー家次期当主として、学生から暫しお話を伺いたいのですが」

 

 言外に、「俺の要求を飲むのがお前の非礼を黙っておく交換材料だ。安いものだろう?」と据わった目で語る。相変わらずの悪役振りだ。別位相でロクな死に方しなかったのも分かる気がする。

 

「な、ならばここで話してしまえばよいのでは…」

 

「校外秘の事柄を多く伺いたいのです、一対一(テ・タテ)で無ければ意味が無い。まあパトロンとしてのアンケートのようなものですよ、大したお手間は取らせません」

 

 更に畳み掛ける。即興の交渉で肝心なのはスピードだ。たとえ粗があろうと、気付かれる前に大筋を詰めてしまえば良い。

 

「私もプレイボールに間に合わせたいのでね、宜しいかな?」

 

「…不純異性交遊は慎むようにして頂けるなら」

 

「無論。家名に傷を付けては貴族の名折れですからね」

 

「………今日の撮影はキャンセルせざるを得ないでしょう。どのみちもう間に合いませんので」

 

 よし、獲った。

 

「英断に感謝します、ブリタニアと日本の将来に幸多からんことを。…ではミス、此方へ」

 

 かくして王の力も隠し持った暴力(コイルガン)も用いず、毒に塗れた舌先三寸で女生徒を持ち帰る副会長。今度は彼女の手を取ってエスコート決めてる辺り、いかにも軟派な貴族といった風。無論全て演技であるので悪しからず。

 

 しかし一花の方はというと。ルルーシュの名乗った偽名が、喉元につっかえた小骨みたく心に引っかかっていた。何故か、その名をかつて聞いたことがある気がしたのだ。思考をとられて仕方ない。証拠に話を振られても生返事だった。

 

(………アラン・スペイサー…)

 

 昔、何処かで。

 

 

 ☆

 

 

 オーディションが終わったところで、急なモデル撮影の依頼がきてさ。大きいところだから受けろって言われて、それで。

 

 揉めた理由を淡々と口にした彼女は、珍しく沈んだ様子だった。

 

「17時半以降はオフの予定だったんだけど、ただでさえ前の仕事が長引いてたところにそれだったからさ。妹達と、花火大会行きたかったんだけどなあ……」

 

 ……でももう間に合わないし、いいや。

 

 グループに断りの連絡を入れながら、諦観交じりに長女はぼやく。

 

 現在時刻は8時半をとうに回っている。隅田川方面行きの電車はいずれも激混み、車全般は交通規制で物理的に通れない。ヘリとドローンはテロ対策で飛行禁止だ。第一、花火を上空から見たって風情がない。屋台にも行けないし。

 

 たかだか4km先の会場が、これ程までに遠いとは。なんだか泣きたくなってきた一花だった。しかし。

 

「5人で見るのは確かに無理だ。…だが、花火を見るだけなら丁度良い穴場を知ってるぞ?」

 

「え?」

 

「善は急げだ、直ぐ向かおう」

 

 言うが早いがルルーシュ、起動キーを捻って愛機を点火。カーナビに「GEFJUN FIELD DISTURB」なる表示が点いたと同時、設定したジャミング機能がオンになる。最早「車の形をしたKMF」というべきか、なんとも無駄なハイテク技術の結晶体である。にしても何の意味があってこんなもん搭載したんだろう。

 

 5秒足らずで100kmをマークするその鋼鉄の愛馬でもって、たどり着いた先はというと。

 

「ええと、だからってなんでこんなところに……?」

 

 戸惑う一花の反応は、至極自然なものだった。小高い坂の上ながら、右を見ても左を見てもどうみてもホテル街。それもラブホテル。艶かしい空気とピンクなネオンのこの場所、どうみても高校生が来るところではない。制服着てる今見つかったら補導確実である。

 

 ……もしかしてワンナイトカーニバル(意味深)を目論んでいるのかこの男。だとしたら酷い、信用してたのに。そうでなくても今、この車内で本気で迫られたら逃げられないのに。いくら美形だからって無理矢理は…。

 

 どっちかというと自分も虚言を弄するタイプなのを棚に上げたJKが、ピンクな猜疑心を強めたところで。

 

「あと7秒待ってくれ。それで分かる」

 

「?どういう……」

 

 答えは明解、暫し待て。疑問を遮ったのは、間も無く打ち上がった花火の轟きだった。

 

 

 ☆

 

 

「わ………!」

 

 思わず口から、感嘆が漏れた。目線を上げると描かれていたのは、碧青、緑黄、真紅に虹色。色とりどりの大輪の花が、雲一つない夜空にいくつも咲いていく。

 

「ラスト15分のスターマイン…ギリギリで間に合ったな」

 

 操縦(ハンドリング)で疲れたのか、目立たぬように()()に目薬をさす彼の姿が視界の隅に入る。私が花火を観てる隙に、と思ったのだろうか。不器用なのか器用なのか。

 

(もう、カッコつけすぎだって。…そういうところなのかな、三玖が…………ああ、うん、やめやめ)

 

 折角連れてきてくれたんだ、今は絶景を楽しもう。

 なんでもないようなフリをして、上を見る。昔母と観覧したのも、こんな盛大な花火だった。妹達と灯す線香花火とはまた違った美しさが、鮮烈に花開いては散っていく。

 

「…ねえ、このためにわざわざ……?」

 

「ああ。合流は無理だったがな」

 

「いや、十分だって。……ありがとね」

 

 それに……見てる景色は、皆同じ筈だから。

 

 独白を紡ぐと、不意に暫しの沈黙が訪れた。お互い黙するタイミングを見計らっていたのだろうか。ややあってから「…他言するつもりはないが」と前置きされて、彼は女優業の話の続きを促した。

 

「………妹達には内緒にして、くれるなら」

 

 当然というべきなのか、即答でイエスを貰った。報告も連絡もしなかった不義理を怒ってるようには見えない。ただ「教えてくれ」、と。それだけ。

 

「いつか…もっとちゃんとした役を貰えたら、話そうと思ってたんだけどね」

 

 君にも妹達にも、何処かで言わなきゃいけないタイミングが来るとは思ってた。引き伸ばしてしまって今に至る。

 訥々とした語りを、ゆっくり聴いてくれた。

 

「誤解しないでね?話すつもりがなかった、ってわけじゃないんだ」

 

 言い訳にしか聞こえないかも知れないけど。

「気持ちは分かる」とだけ、彼は端的に応答した。想定してたよりずっと淡白な反応で、でも柔らかい視線から…………無形の思い遣りも感じた。普段は多弁なのに、こんな面もあるんだ。

 

「……そっか。なんていうか…」

 

「意外、と思ったか?」

 

「うん。やめろって言われると思ってた」

 

 皮肉交じりに「おいおい、まずは机に向かったらどうだ?」とか言われると考えていただけに意外だった。ところが。

 

「逆に奨励したいさ。何もせずただ生きているだけの人生など、緩慢な死と同義だ」

 

 返ってきたのは何か、重い心情が乗せられているような言葉。何やらこの手の話題には一家言あるようだった。過去に何か、やらずにいて悔いた事でもあるのだろうか。

 

「本当はね、………自分が一番やりたいことをしたいなって、思っちゃう時もあるんだ」

 

 我儘じみた、エゴを吐く。そんなものいつまでも抱えてるのは許されない。だって私、お姉ちゃんなんだから。眦を決すべきものに、いつまでも固執すべきじゃない。思考が内向の一途を辿ってた時。

 

「そうか。だから……辞めたいのか、()()?」

 

 見透かされていたような不意打ちに、息が止まった。

 

 

 ☆

 

 

「……っ……!」

 

 なんで、そう思ったの?咄嗟に返したのはそれだけ。読心術でも使えるのかと思う程に鋭い。身内でここまで直感に長けるのは四葉くらいだ。

 その場を繕うために投げた問いは、しかし思いのほかあっさり返ってきた。

 

「自分に経験があるからに決まっている」

 

 「俺も昔、ブリタニアのエレメンタリースクールを中退してな。実は学歴はアッシュフォードの中等部からなんだ」。あっけらかんと大したことないように言い放つその様は、心を読んだとかそんなものでなく、ただ本心から言っているらしかった。

 

「てことは小学校を?…なんでそんなに早く?」

 

()()()()()()()()()ことがあったからな。家族にも反対されたが押し切った。だから……老婆心ってわけじゃあないが、一花にも後悔しない選択をして欲しい。それだけだ」

 

 ああもう。本当に、いちいち心臓に悪い。仮面を貼るたび剥がれてくる。言葉の裏を読むのなら、彼は自問自答を促してるのだ。私がすべきことは何?私のやりたいことは何?私の守りたいものは何?

 

「…………後悔しない、選択……」

 

 昨日寝る前に、やはり一度は考えた問い。

 

「働いてお金を稼ぐのが家のためだ」。最初はそう思って始めた女優業だった。

 エキストラから始まって、台詞のある端役を務めるくらいにはなった。そしていつのまにか、目指す夢になってしまっていた。でも最近は忙しくて、家族と過ごす時間も減った。勉強が出来ないから、何より学業を優先すべきだと考えもした。

今の私は、どうしたいんだろう。

 

「……一応これだけは言っておくと、勉強は別途で教えたっていい。いずれにせよ決めるのは一花だがな」

 

 言い切ってから飲み物でも買うかと思い立ったのか、やにわに車を降りて近くの自販機に向かってゆく彼。背を向けた長身痩躯に、自分と同じ影を垣間見た気がして。

 

 気付けば思わず背後から「…ねえ」、と問いかけていた。

 

「……なんで、私にそこまでしてくれるの?」

 

 溢す。分からなかった。生徒会役員としての義務感? それとも契約のうち? もしくはそのどちらでもない何か?

 

「キミにとって、私って何?」

 

 問われて彼も口元に手をあてる。自分と私を表す的確な表現は?

 

「何、と言われるとな…………」

 

 単なる教師と生徒?同級生?いや、関係はそれだけにはとどまらない。だからといって勿論恋人でもないし、何が適当な表現なんだろう。パートナー?……いいや、この廃スペック男子と肩を並べるにはまだまだ荷が重い。私が潰れる。

 そもそも彼との実質的な付き合いはこの一月程。お互いに深い仲というには浅すぎる。とすると。

 

「そうだな……()()()、と言ったところか?」

 

「共犯者?」

 

「お互い妹に隠し事をしている長子。本質はエゴイストなのを取り繕って生きている。その方が世渡りには都合がいいから。共通点はこんなところか?」

 

「…けっこー言うね。私、そこまで言われたのは初めてかも」

 

「事実だからな。全て認めたその上で、俺は明日が欲しいんだ」

 

「なーるほど。じゃあ……」

 

 ちょっとだけ溜める。で、つつく。

 

「後部座席の怪しいジュラルミンケースも、その『明日』には含まれてるの?」

 

 ガンッ、と彼が先程買った缶コーヒーを落とした。普段ならボロを出さない場面だろうに、どうにも油断してたみたいだ。ひょっとして不意打ちには意外と弱い?

 

「……馬鹿と自称する癖して敏いじゃないか。やっぱり立派な嘘つきだよ、一花は」

 

 拾った無糖ブラックを懐に持ち、新たに買った微糖を「受け取れ」とだけ言って手渡してくれた。奢り、ということらしい。両手で受け取って小さくお礼。…不意打ちに弱いのは私もみたいだ。

 

 ………やっぱり、こういうところなのかな。ねえ、私が立派な嘘つきっていうのなら。

 

「ほんの意趣返し。つくづく優しい嘘つきだよね、キミ」

 

 ストレートな時と、一周回ってフォローかけてくれる時がある。二乃もそうだけど、これがツンデレってやつなのか。

 

「秘密が増えるな、お互いに」

 

「内緒にしてよ?二人だけの」

 

「いいだろう。今日聞いた事は全て秘匿する。俺も俺の話をバラされると困るんでな」

 

「ふふ、ホントに共犯者、って感じだね」

 

 なんか、しっくりきた。共犯者。キミと、私は。聴き慣れぬフレーズが、かつての自分を呼び起こす鍵になったみたいで。

 あれも欲しい、これも欲しい。そういえば、昔はそんな子供だったっけ。

 

(……ああ、そうか………)

 

 私は()()欲しいんだ。自分の夢も、青春も、家族の絆も。誰かを出し抜くでもなく、なにかを奪うでもなく。誰一人欠けることなく、全て守って、叶えたい。

 昔の自分と今の自分。そしてこれからなりたい自分。等しく融けて、混ざり合う。

 

「……さっき、さ。『後悔しない選択を』、って言ったよね?」

 

「ああ」

 

 なら。

 

「……キミは今も、後悔してる?」

 

 ニセモノ? それとも。面映ゆいのかどうなのか、色々とごたまぜになった表情をみせた彼は。

 

「言うまでもない、そんなもの……」

 

 後悔しない選択を。必要なのは結果。じゃあ、私が選びとって、得たいものは。

 気付けば拳を握っていた私に向けた、彼の答えは。

 

「……あるわけないさ。()()を掴みとったからな」

 

 中野一花は欲張りさんだ。そんな女が掴むべきは。……私の中で、踏ん切りがついた瞬間だった。

 

 

 ☆

 

 

 花火も終わって宴の後。

 普段なら帰る手筈なんだけど何故か名残惜しくなってしまい、気付けば「もうちょっとだけここに居たい」などと呟いてた一花。よくよく考えれば彼に気があるかのような発言だが他意はない。

 マネージャーに君のことを聞かれたら口裏あわせとかなきゃとか、雑談めいたことをお互い話してるうちに。

 

「なーんかね、今日はゆっくり眠れそう……」

 

 あふ、と欠伸をかみ殺すまでになる。舟を漕ぐのも時間の問題だろうか。うつらうつらしているのは、余程に疲れている証拠だ。

 

「ところで一花。俺は日本に住んでそこそこ長く経つんだが………」

 

 意図的に声量を絞って、続ける。

 

「……特に好きな日本語が、三つあってな」

 

「……ほへ?」

 

「『ただいま』と『ありがとう』。それから……」

 

 そこまで続けた時。不意に、ルルーシュの肩に重みが掛かる。…も、構わず言い聞かせるように続けた。

 

 …………『おやすみ』、だ。

 

 最後の言葉は、恐らく聞こえていなかっただろう。帰ってこない返答が、彼女の今の様子を結論づけていた。

 ブレーカーが落ちたみたいに、こっちの肩に頭を寄せて静かに眠りこけている。C.C.と同じく、寝る時にいびきをかかない女性(ヒト)らしい。意地でも妹達の前では気丈に振る舞うその姿勢、同じ長子として共感出来るのだけども。

 

(確実に寝違えるだろう、この格好)

 

 そのまま数十秒程、躊躇ってたが。

 

(………起きてくれるなよ、頼むから)

 

 腹をくくれば思い切りの良いルルーシュ。起こさないようにゆっくりと、自分の大腿部に彼女の頭を誘導していく。程無くして己が膝を枕がわりとする……も、我に返って独り思う。

 普通、逆じゃあないか?と。野郎の膝枕とやらに需要はあるのだろうか。まあ減るもんでもないし構わないが。

 

 胎児のように背を丸めて眠る彼女の寝顔は、実はここ数日で一番穏やかだとは彼は知らない。果てはいい夢でも見ているのか、と思うに留まった。

 手持ち無沙汰な己が左手を彼女の赤髪に添え、起こさぬように慎重に、虚空へ囁きを溶かす。昔ナナリーを寝かしつける時、よくやっていた様に。

 

良い夢を(おやすみ)、一花」

 

 

 ☆

 

 

「お、起こしてくれても全然構わなかったんだけど…………」

 

 約30分後。

 今の今までオレ様同級生男子に逆膝枕をされていた、よくある乙女ゲーの主人公みたいな少女が覚醒の時を迎えていた。いつの間に寝こけていたのだろう。

 

(涎とか垂らしてなくてよかった……もしやらかしてたら顔向け出来ない…)

 

 主に亡くなった母親あたりに。ルルーシュファンクラブの女生徒だったら垂涎間違いなしの状況を、全く気付かぬ間に堪能してた一花。惜しむらくは殆ど覚えていないことだった、感触とか匂いとか。

 

(…っていや違うでしょ!?ここは私が膝枕して「頑張ったね、お疲れ様」とかばっちりキメるところでしょ!なんで爆睡してたの私!?)

 

 王道ヒロインムーブを逃したことに、遅ればせながら気付いたらしい。これまで数多くの男の告白を袖にしてきた一花にさえ、野郎の癖して無駄に高い女子力を持つこの主夫は難攻不落だった。いや攻め落としたいわけじゃないんだけど。

 こんな書き方すると一花がやたらに男を眩惑する悪女みたいに思えるが、実際は割とピュアな性格だ。たぶん。

 

「気にするな、別に追加料金など発生しない」

 

 冒頭の遠慮に答えるはルルーシュ。誰がオプションを頼んだと言ったのだろうか。

 実を言うとずっとそのままの姿勢だったので、若干脚が痺れているが痩せ我慢してるのは秘密。本当に嘘ばかりつく男である。

 

「そ、そうじゃなくてさあ……!」

 

 あの、その、…………。口ごもった彼女から、次に出てきたのは。

 

「……あ、ありがと」

 

「どういたしまして」

 

「うん」

 

 そのまま暫し、お互い黙して星空を見る。先程と違って、今度は訪れる静寂が、無性に心地良く思えた。

 久しぶりに夢を見るくらいぐっすり眠れた後だからだろうか。頭が冴えてきた一花には、掘り起こした昔日の記憶がよぎっていた。

 

 制服のシワを軽く直して様子を伺う。…と、身じろぎだけで何か勘付いたのか、丁度お互い目があった。堰きとめられない好奇心が、思わず口をついて出る。

 

「…ねえ、ルルーシュ君」

 

 夢の中で思い出した。憑き物が落ちたような、そんな気分。

 それはずっと昔。まだ五つ子皆で同じ髪型と格好をしていた、あの頃のこと。旅先で偶然出会った、とある一人の男の子。

 彼の名は、確か。

 

「さっきの、君の偽名のことなんだけど……」

 

 ……私、昔一度だけ聞いたことがあるの。同じ、名前を。

 

 

 ☆

 

 

(……何?)

 

 明瞭に、二人を取り巻く空気が変わる。弛緩から、緊迫へ。

 

 アラン・スペイサー。それはルルーシュが用いる幾つかの偽名の一つ。そして彼の記憶ではアッシュフォードに入る前、昔お忍びで日本旅行に行った時に……2()()()()()、名乗った覚えがあった。が。

 

(俺にカマをかけてるのか? 記憶違いや同姓同名の線だってあるだろうに。いやしかし、ここで一花が俺を謀る意味が無い。ならば…)

 

 ……()()()、心当たりがあるのか? 

 いや、留意しろ。相手は嘘つき、自分と同類。演技派を称する故、自分をからかってるだけかも分からない。一先ずシラを切っておこう。

 

「EU圏内ではありふれた姓名だから、そんな事もあるかもな。思い過ごしの線ではないのか?」

 

「いいや、違うよ」

 

 ぼかしに抗するかの如く、明確な否定が飛んで来る。拳を握って目線を上げた彼女は、委細を交えて断言した。

 

「……今でも覚えてるんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女の述べた服装は、まさしく。

 

(……7年前のあの日の、俺の洋装と一致する…)

 

「初日にあれ?とは思ったけど、判断が付かなかった。顔立ちは大人びててわからないし、声も低くなってるし、背は物凄く伸びてたから」

 

「おいおい、確証どころか傍証もないのなら……」

 

「信じて、お願い。名前だけじゃないの。()()()まで被ったら、流石に分かるよ」

 

 中野一花は思い出す。綺麗なアメジストの持ち主を。天然発現確率自体、約1000万分の1程度と言われる紫眼にあの日、人生で初めて遭遇したから驚いたものだった。使った名前まで被っているなら、聞いてみる価値はある。

 

 ルルーシュ・ランペルージは回想する。あの日出会った、白ワンピースに麦わら帽の少女を。鮮やかな赤髪と碧眼、柔らかい声を今でも昨日の事のように思い出せる。だがその少女が成長して、「一花」になった、とでも?…ならば知りたい、真実を。

 

 そう、あの日。

 

「私()、7年前に会ってるよね?……京都、で」

 

 キョウト。7年前。それはルルーシュが『野望』を抱く切っ掛けとなった……始まりの日。

 

「……答える前に、一つだけ聞かせてくれ」

 

 敢えて直ぐには肯定しない。あの時の少女と今の一花の話には、()()()()()()がある。それを当てられたならば、或いは一花は「彼女」なのか? 判断をつけるのは返事を聞いてからでも遅くない。

 

 目線を合わせて慎重に。7年越しに向き合うのは、互いの嘘の答え合わせ。止まった時計の重い針が、動き始める音がした。

 

「俺の記憶では、あの子は『一花』とは一度も名乗らなかった。彼女の名は、確か─────」

 

 

 



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TURN 09:お探しモノと欲しいモノ

(前回のあらすじ)

 女優の卵を夜間労働させようとしたマネージャー。疲れからか、不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。行状を誹られすべての責任を負ったマネージャーに対し、車の主、ルルーシュ・ランペルージが言い渡した取引の条件とは……。



 

 

零奈(れな)」。

 

 機先を制して一花が述べたその名は、ルルーシュの掘り返した過去の記憶と、()()一致する名前だった。

 

 七年越しの答え合わせの結果は「嘘」。

 お互いに偽名を名乗って行動していたことが、時を経て白日の下に晒された。己は身分を明かせぬ立場から。他方、一花に関しては動機がいまいちわからない。加えて彼女は、果たして単独犯だったのかも疑わしい。

 

(「昔はよく姉妹で同じ格好をして、偶に入れ替わっていた」と、五月が先日言っていたな。ならば……あの二日間の邂逅も?)

 

 かつて京都に滞在していた二日の間、零奈には()()()遭遇した。その度に何かしらの行動を共にしたのだが、会う度会う度、()()()()()()、と思ったことを覚えている。

 

(……手癖、微妙な声の抑揚、服や靴の目立たぬ汚れや縫製の小さなほつれ具合。再び俺の前に表れて以降の彼女は、それらが全て異なっていた。妙に感じたものだったが…)

 

 記憶の中の彼女は「一人」。差異はあれど、顔立ちも髪型も同じだったから。これまではそう認識していた。

 ところが「一卵性の五つ子が入れ替わり立ち代わり彼女を演じていた」、という想定外にも程がある仮定を当てはめると、疑惑の種が解消できる。手癖と抑揚の差異はよく似た別人だから。服と靴は揃いのセットが複数あったから。

 

 しかしここまで符合していてもあくまで()()一致。まだ、誤差が一つある。

 

零奈(れな)、か。『零奈(ゼロ)』では、ないんだな)

 

()()()会った時は、()()と名乗ってはいなかったのに。

 

 ゼロ。()()は、自分にとって極め付けで重要な存在だ。何があろうと特定したいし、あわよくば再び会って、話したいことが山ほどある。ルルーシュという男は「彼女」を疑い、考察し、そして……感謝しているのだから。

 正解に辿り着く緒が見えた気がして、名乗る彼女に探りを入れる。

 

「中野零奈(れな)。改め、中野一花でいいんだったか?」

 

「概ね当たりだよ、()()()()()()()()君?……いや、ルルーシュ君、だったんだね」

 

 …そうか、()()()()()か。姉妹で最も言葉巧みな一花が、含みを持たせた表現をするからには何か意味があるのだろう。ならばここから、一花が()()であるのか否か調べねば。

 

 幼き日のルルーシュは、「彼女」の言葉を一度は聞き入れなかったばかりに、重い()()を抱えることになった。背負ったそれを命懸けで得た結果で捩伏せたことが、「野望」を持つ切っ掛けになった。宮廷暮らしのぬるま湯に浸かり、怠惰に生きていた自分を目覚めさせた、()()彼女は……一花なのか?

 

「ご明察だ、名探偵」

 

 七年前。ルルーシュが()()()遭った零奈は、それまでの彼女とは別人のようだった。天真爛漫な人懐こい女の子ではない。年嵩こそ当時の自分と変わらないのに、まるで歳経た巨木が如く老成した感を纏った………「年老いた少女」、とでも呼ぶべき存在だった。

 

『私の名は、ゼロ。零奈であって、零奈でない者』。

 

 言い残されたいくつかの言葉を、今でも一字一句記憶している。

 過去の彼女の言葉を信じるなら、アレは()()()姿()()()()何者か、ということになる。ならば零奈を演じていた五つ子の中に……()()()()()()

 そして恐らく、其奴は()()()()()()()だ。そうでなければ、()()()()()を自分に残せる筈がないのだから。

 

 さらに言えば彼女が、()()が敵なのか味方なのか、未だに判断しきれない。

 

(五人の中で嘘が一番上手いのはお前だ、一花。この場で絞り込ませてもらうが、判断がつかなければ、或いは……)

 

 コンタクトが乾かぬよう、眼疲れするたびこまめに点眼している左眼付近に指を添える。指先一つで剥がせる蓋の下に秘められしは、掟破りの()()()。未だほぼ用いた事のない、外道にして覇道の力。

「質問に答えろ」とでも命ずれば、瞬く間に従順な人形が出来上がるだろう反則技。その気になれば喜んで自殺させることだって可能な、外法。

 だが。

 

(……いや。出来得る限り、使いたくはない)

 

 訳あってこの力を得て、既に数年経つ。しかし今迄も、殆ど全くと言って良い程使わずに生きてきた。我が身可愛さにも、彼女のことを考えても……出来ない。この平和な時世に、我欲だけで用いて良い代物ではない。何より躊躇わずチカラを使うには、既に…彼女に情が湧きすぎた。

 

(つくづく嫌になるな、自分の甘さが……!)

 

 非情になれないのは、紛れも無い俺の欠点だ。心の底で渦巻く自嘲の抑えに努めて、探りを入れる。この力は()()まだ使わない。だからいつも通り、挙措動作も包含して嘘が真実か判断しよう。

 

「一花は零奈の内の一人。彼女を演じていたのは五つ子複数人。君と俺が京都で会ったのは一度だけ。ここまでは相違ないか?」

 

「うん。私はキミが妹達と何してたか、大体聞いたけどね。でも、なんで()()だけって分かったの?」

 

()()()()

 

「…ほう、()()()()()だったのか」

 

 反応を伺うに虚偽ではないらしい。しかし、死角からの一撃に引っかかった方はというと。

 

「……ひどい。勝手にハメるとか」

 

 ぷー、と器用に片頬だけを膨らませていた。どうにもご機嫌を損ねたらしい。承知の上と思ってひっかけたんだけど。

 

「おいおい、お互い様だろう?」

 

「うわー、ほんっといい性格してるよキミ……」

 

「ブリタニア人なんて大体こんなものさ」

 

「私も半分ブリタニア人だけど絶対違う」

 

 否定が容赦なかった。仕方ないから対価を払うか。

 

「なら俺にも何か聞けば良い。なんでも良いぞ」

 

「むー。……あ、なら折角だから、あの日、()()何してたかまで当ててみてくれない?勿論、答えるチャンスは()()だけね」

 

 これでどうだ、と言わんばかりの難題。当てずっぽうで言えば確率は二割を切るが、そんな博打は願い下げだ。頼りになるのは記憶力。幸い自信のある分野。

 さて七年前。時折ルルーシュに小悪魔じみた笑顔を向けてきた、どちらかといえばお姉さんキャラの零奈は。

 

「トランプ、だろ?確かチョイスはポーカーだったかな」

 

 間断なく即答。流石にゼロ確とは思ってなかった一花、今度はしっかり首を傾げた。

 

「……それも、カマかけ?」

 

「いいや。一番からかい上手な零奈は彼女だった」

 

 決め手は個々の僅かな差異。確かに零奈は一人称は「わたし」、口調は中性語でキャラクターは自由人。これらは姉妹達の素の形質であったのだろうが、微細な挙措動作は異なっていた。

 例えば一花なら、両手を後ろ手に組む癖があるとか。この手癖、七年経っても変わらなかったらしい。あとは単に消去法だ。

 

「…………そっ、か。…やっぱり、あの子は君で合ってたよ」

 

 しみじみとした表情の一花を、初めて見た気がする。何やら彼女の中で、過去の記憶に改めて得心がいったようだった。

 

「…いずれまた、あの時の再戦とでもいくか?」

 

「賛成。勝率、確か五分五分くらいだったからね」

 

「案外覚えてるものだな、お互いに。最後はストレートフラッシュで丁度五分、だったか」

 

「うんうん。わたし前半はからっきしだったけど、なぜか後半はするする勝てたんだよねえ」

 

「ツキが回ってきたんだろう、カードゲームは運否天賦だ」

 

(………序盤はイカサマで勝ちまくっていたが、良心が咎めて後半からやめました、というのは黙っておこう)

 

 黙秘して正解だ。ひとえに純真な一〇歳とひねくれてた一〇歳の違いだろう。同い年で何故こうも異なるんだろうか。生まれも育ちも良いはずなのにこの捩くれ様、実に不可思議な男である。

 

 ただ収穫として、情報アドバンテージがまた一つ増えた。会ったのは一度だけ。やったのはトランプ。

 ならば一花は零奈ではあるがゼロではない。とすれば容疑者は残り四人。早急に特定して話をつけたい。

 しかし既に時刻は夜の十時過ぎ。もういい加減夜の帳が下りて久しい。警邏に見つかって補導されるのも面倒だ。というわけで。

 

「………そろそろ帰るか。いい加減、渋滞も緩和されてるだろうしな」

 

 なるはやで都合のつく時間でいいから、五人まとめて集まって欲しいという旨の連絡を伝え。一旦別れて、また後日ということにした。

 

 尚就寝前のルルーシュの携帯に、「みんなに言っといたよー!p.s.今日楽しかったー、また今度デートしてね♡」なるメールが届いたのは全くの余談である。

 

 

 ☆

 

 

 翌日。悩める生徒に向き合わんとしていた黒髪の家庭教師は、自身の立てた計画通りに事が進んでいる……わけもなく、焦り気味にせかせかと廊下を歩いていた。

 

「早めに彼女達と話をつけておきたいのに、もう拘束時間終了間際とは……どうしてこう想定外のことばかり……!」

 

 本日話をしようと思っていた一花達にメールを送信しながら、紫眼を尖らせた男は足早に歩みを進める。予定が朝から狂いっぱなしになった原因は明快、母マリアンヌが暇な時に気分でかけてくるありがたいお電話のせいである。なお内容は十割雑談でオチがない。そのくせ長い。

 

 しかも丁度、理事長室に会長講話の打ち合わせで呼ばれて油断しきってたところに、だ。「報告・連絡・相談は基本じゃないか。よりによって御母堂とのソレを軽んじるとは、君らしくないねルルーシュ君」、などとルーベン理事長には痛いところを突かれてしまい、老人の説教じみた長話を聞く羽目に。

 

 挙句の果てには「いいですか、そもそも殿下は皇家の青き血を引く御身分なのです。常日頃より君臨者としての資質を疑われぬようになさって下さい」などと口調を変えて臣下モードで捲したてられ、時間が見る間に無くなった。

 普段なら百や二百は言い訳を考える男だが、忠臣の諫言とあらば無碍にも出来ない。

 

「お前が着拒してるのが悪い。これに懲りたら偶には直接連絡くらいしておけ馬鹿息子」

 

 独り言じみた愚痴に対し、横から火の玉ストレートをぶち込むのは緑髪の担任教師。何を隠そう、母マリアンヌは彼女の携帯に電話をかけてきたのである。丁度C.C.が学園閉架書庫の図書一覧表を受領するため、理事長室に居たタイミングと鉢合わせたのが息子の不運だった。

 今日で五回目くらいの溜息をついた彼は、疲れた目で担任にスマホの画面を向けて問う。

 

「誰が馬鹿だ誰が。あのなあ、この通知を見てどう思う?」

 

 表示されていたのは、『ねぇールルちゃん元気〜?最近遅レスだからおかーさん悲しい、えーん(ノД`)。あ、ところでいい加減彼女くらい出来たでしょ?写真うpはよ( ՞ਊ ՞)』なる内容だった。

 

「うわあ………」

 

 ブリタニア皇帝の嫁さんとは到底思えない、やたら砕けた文面に絶句。かの女とは付き合いが長いが、何故息子とここまで方向性が違うのだろうか、これが分からない。

 

「分かっただろう?着拒は俺の精神衛生を保つ為の手段なんだ」

 

 思わず同調しかける担任。成る程理解はした、この思春期男子は相変わらず親と上手く折り合ってない(昔は仲が良かったのに)。しかし彼女にも教師としての立場があるのだ、個人として()()は出来ない。

 

「いいや、だからと言っていらんお説教など貰うんじゃない。いつ終わるか分からん上司の長話に付き合うなんて、賞与増やされても御免だぞ私は」

 

「どうだかな。減俸されてピザ代が減るのが嫌なだけだろう?」

 

「分かっているなら話は早い。減らされたらお前が作れ」

 

「おいおい、生徒を顎でこき使う前に先ず体重計に乗ったらどうだ。食べ過ぎで最近少し太ったんじゃないか?」

 

「……ほーう、担任にセクハラとはいい度胸だな」

 

 ピキ、と青筋を額に浮かべる金眼の魔女。この数百年、体型が全く変わってないのに太るわけあるか。彼がここまで言う女性は後にも先にもC.C.だけなのだが、そんなこと彼女は知る由もない。

 てことで手持ちの出席簿の個人備考欄に、意趣返しがてら特記事項をさらさら書き込んでいく。

 

「『ルルーシュ・ランペルージ、理事長から指導を受けるも反省の色なし』。ああ、ついでに『非合法の賭場に出入りしている可能性大、要調査されたし』、っと」

 

「待て、俺が悪かったC.C.!俺のプランには緻密な戦略があったんだ、具体的には昨日の時点で既にだな……」

 

 あっさり謝って慌てるのは、今しがた鼻を明かしたと思ってたルルーシュ。生徒会役員にあるまじき素行不良をバラされては困る。

 前にユフィにバレて(見かねて仲裁しようとしたスザク共々)雷を落とされてから、一応改心したという事になってるのだ。

 

「……そうじゃない」

 

 前を歩くC.C.が、気に入らんとばかり立ち止まって振り返った。

 

 

 ☆

 

 

 守秘義務に触れるような話でもするつもりなのだろうか。さりげなく距離を詰め、耳元に顔を近づけてきた。

 高いヒールの爪先が、男物のローファーにコツン、とぶつかる。

 

「焦りすぎだ。年内は残りの定期考査だけでも二回、抜き打ちテストだって私の口からは()()()()()()()。お前の計画は毎度感心するが、プラン通り進んだことの方が少ないだろう」

 

 一理ある。結局毎回成功させてはいるが、予期せぬイレギュラーで苦労することは多々あった。今回だって抜き打ちの考査、この口ぶりからだと………あるとみて良いだろう。拙い。

 やはり秘したい話ゆえ周りの耳目を警戒し、今度はルルーシュが彼女の鼻先に顔を近づけ、小声で器用に捲したてる。

 

「C.C.が先達者の立場から言いたいことがあるのも分かる。が……」

 

「ならば汲め。昨日今日だって…」

 

「しかし俺に大それた『野望』があるのも知ってるだろう?準備に現時点で()()使った十年計画、当然引き下がるつもりもない」

 

 優しい世界が欲しい。ナナリーを護りたい。明日が欲しい。全てはそれに帰結する。

 資金繰りだって、賭けチェス等を駆使した危ない橋をいくつ渡ってきたことか。家庭教師を引き受けたのも、仕送りと学園への多額の寄付金カットを親にちらつかされてのこと。元はと言えば資金節約の為に請け負ったのだ。

 

「知ってるさ、共犯者だからな。だが来月は林間学修、再来月は月またぎでハロウィンパーティ。師走はクリスマスフェスがある。全ての行事と勉強を並行して、今月転校して来たばかりの生徒に十全にこなせると?」

 

「問題ないさ。それ以前に俺が重要なイベントを把握してないとでも?」

 

 ところが言い終わるか終わらないかというタイミングで、おもむろに頬を掴まれた。その減らず口をやめろ、とでもいうような行動。おい、と返すが彼女、そのまま頬を引っ張ってきた。笑顔だけれど目が笑ってない。

 

「そうかそうか。なら来月の三者面談はどうするんだ?テレビ電話越しでも良いと決まっているのに、お前は毎回親の参加を拒否してばかりじゃないか。把握してようが自分の準備すら出来てなかったら意味ないだろう。他人の世話を焼く前に先ず自分の面倒をみたらどうだ?」

 

 ぐうの音も出ない正論。板に付いてる保護者ムーブが頼もしくもあり小憎くもある。しかし屁理屈は止まらない。引っ張る手を負けじとひっぺがして抗する。

 

「必要ない。お前が二者と三者を兼ねてる。故にこの面談は俺とお前がいれば成立する」

 

「反抗期やってないで、親がいるうちにもっと孝行しておけ」

 

「孝行なぞ()()()に一生分終えた。大体、彼女がどうのと()()だろう」

 

「あのな、『彼女くらい』という催促だって一応意味があるんだ。世継ぎに恵まれければヴィ家は先がない。実質三人しかいないんだからな。それとも何か、ナナリーに適当な男でも見繕ってくるか?」

 

 形だけとはいえ皇籍を離脱していても、高貴な血統は変えられない。養子を迎える気が全くないマリアンヌは、いずれは実子にヴィ家を相続して欲しい、という願いを持っていた。ちなみにこの件で揉めたのも、親子仲が拗れた理由だったりする。

 

「馬鹿を言うな、そんなものナナリーが自分で決めることだ。それに俺だって、()()の見当くらいついているさ」

 

「なんだいつの間に。また随分と奇特な女なんじゃないか?」

 

「ああ、加えて美人だ。偏食家なのが玉に瑕だが」

 

「惚気は結構。精々愛想を尽かされんようにしておけよ?」

 

 そこまで言うと彼女、満足した様に踵を返して立ち去ろうとした。なんでもこれからコーネリア達と備品一覧の精査をしなければならないらしい、のだけれど。

 

(……おい、()()()気付かないのか?)

 

 それとも、分かってて背を向けようとしてるのか?

 ……いい度胸だ。この俺の迂遠な意思表示にスルーを決め込むとは。ならば普段から皮肉と注文ばかりつけるこのピザ女に、思いの丈を()()()聞かせてやろうじゃないか。

 

(いつも何時も、肝心なところで遠慮ばかり。長生きしすぎて係累を喪うことを過度に恐れすぎだ、お前は。気付いているのか?無意識に周りと線を引こうとしていることに)

 

 柄にもなく熱くなっている自覚はある。が、はっきり口に出さねば伝わらないなら、絶対に聞き逃さない距離で届けてやろう。有り難く思え果報者め。

 

(俺の野望に、お前は必要不可欠なんだよ)

 

 あの光明の見えない日々。学校を退学してまでやりたかったこと。誰も至っていなかった未知の分野を手探りで進むしかなくて、悩み抜いて苦しんだ数年間。常に側で叱咤激励してくれていたのは、他ならぬC.C.だった。彼女なしでは……折れていたかも、知れなかった。

 

 だからだろうか。その日「人生の大局を見据えていたとはいえ、全くもって俺らしくなかった」と述懐する行動を彼が取ったのは。

 

「……そうか、なら精々愛想を尽かされんようにするとしよう」

 

 背を向けた彼女の右手を、行くなとばかり掴んで引き留める。勢いのままあろうことか、そのまま……()()()()()()()

 

「……お、おい…!」

 

 珍しく戸惑いを露わにした彼女が、大きな眼を見開くのが新鮮だった。こういう真似はジノみたいで軽率、と敬遠していたが、やればやってみたで意外とアリかもしれない。

 

「面談?彼女?それがどうした」

 

 バサリ。逃がさんとばかり壁際に誘導された彼女が小脇に抱えていた出席簿が、音を立てて溢れ落ちた。

 

「ちょっ……」

 

 お互いの吐息が伝わるこの距離なら、聞こえなかったなんて言い訳すらさせてやらない。ルルーシュにとってナナリーが死守すべき人ならば、彼女は。

 

「C.C.。お前がいなければ俺こそ先が無い。だから俺に付き合え、最後までな」

 

「は、はあ!?」

 

 唖然。まあ正確には(契約の終わる)最後まで、という意味なんだろう。そうでなければおかしい。

「ナナリーより優先するものがある」みたいな発言をこの男がする筈がない。彼女はそう思う事にした。主に己の平常心を保つ為に。

 

「……とりあえず落ち着け、ルルーシュ」

 

 ここ学内だし。それにお前そんなキャラだったか?なんでここまでいきなり火が付いてるんだ。吐いた台詞の何かが琴線に触れたのか?確かに「愛想を尽かされんようにな」、とは言ったが………まさか。

 

(……()()って、……()()!?)

 

 一方彼はというと、混乱の渦中にある彼女に更に密着。昔一緒に入浴した時だってこんな………いや、何でもない。というか距離感おかしいだろう。いやに積極的すぎるし、昨日変なものでも食べたのか?それとも、この奇行も計画の内なのか?

 

「伊達や酔狂で言っているんじゃない、その程度の分別はある」

 

 あ、これ素で言ってる。付き合いの長い彼女には、声のトーンですぐ分かった。……いや、余計問題だろう。こいつ拗らせすぎじゃないか色々と。

 

「一回で伝わらんなら何度だって聞かせてやろう。耳を貸せ」

 

「……校内で盛るなスケベ。発情期の猫かお前は」

 

「心外だな、今の俺に邪な気持ちなどない。一体どんな淫靡な想像をしたんだ淫乱教師?」

 

「黙れマセガキ。胎児からやり直してこい童貞坊やめ」

 

「ついにボケたか?いつの話をしてるんだ」

 

「……………」

 

「おい、人の鎖骨に頭突きをするのはやめろ」

 

「離せ」

 

「断る」

 

 ここまでお互いの顔がくっつきそうなくらいでの遣り取り。しばらくそうして揉み合っていたのだが、ややあって彼女は「はぁ…」とため息一つ。不本意ながら観念したようにゆっくりと、此方に頭を預けてきた。

 

「………育て方間違えたか、私………?」

 

「いいや、これは俺自身の意思だ。ギアス抜きの、な」

 

「悪趣味」

 

「女の趣味は良いと自惚れている」

 

「こんな時ばっかり女扱いするんじゃない……」

 

 くい、と尚も顎に手を添える。目線が再びかち合うと、彼女の目が心なしか細まった気がした。

 ヒールを履いていつもより視線の高い彼女を見据える。これだけ近いとはっきり分かる。年嵩を全く感じさせぬ白い柔肌、艶やかな唇に通った鼻梁。ブラウスから覗くデコルテと胸元。そして……前髪に隠された、緋い鳥の紋章も。

 そういえば、彼女の背丈を追い抜いてからもう何年経つだろう。C.C.への見方が変わったのは、思えばその頃からだったか。

 

 いつになく潤んだ上目遣いの金眼に、吸い込まれそうな感覚を覚えたところで。

 

 

「………何してるの、ルル?」

 

 後方は生徒会方面から、見知った少女の声が耳朶を打った。

 

 

 ☆

 

 

 だん、と瞬時に眼前の彼女に突き放された。咄嗟に下を向いた彼女の眼は、伏せた前髪に隠れてよく見えない。

 しかし、今のルルーシュにとっての懸案事項はそれではない。

 

 油の切れたジェレミアみたくぎこちなく、恐る恐る後ろを振り向く。やましいことは無いはずなのに、何故か浮気現場を覗かれた駄目男みたいな挙動になっていた。

 はたと見れば、いつの間にやら生徒会メンバープラスαが集まっているではないか。内訳は。

 

「し、シャーリー、カレンにスザク!?何故ここに…!?」

 

「ごめん、取り込み中みたいだね………?」

 

 頭を掻いて苦笑を浮かべてたのはスザク。出来れば旧友に見られたくなかった犯行現場だった。なぜお前がここに。お前はここに居てはならないはずだ、大人しくユフィとでもイチャついてろリア充め。

 

「ルルーシュ……?」

 

 嘘でしょ、と顔に書いてあるレベルなのはカレン。「もっと早く逮捕すべきだった」、などと後でお小言をもらう羽目になるのを、この時のルルーシュはまだ知らない。

 

 シャーリーは………鎮火を待とう。今はなんか触れてはならない気がする。例え流体サクラダイトの爆発に巻き込まれて父親が殺されたとしても、こんな表情は浮かべないんじゃないだろうか。

 

「……よし、仕事があるから私はお暇させてもらう。後は頑張れよ、お前達」

 

 気付けばC.C.はというと、すたこらさっさと一抜けしていた。乱れた髪をさっと手櫛で整え、ファイルも拾い上げての鮮やかな撤収劇。

 伊達に長年生きてはいない、流石の危機回避能力である。ひらひらと去り際に手を振ってニヤリ、と妖しく笑う様は、もうすっかり何時もの彼女だった。

 

(あ、あの女、後始末を全て俺に押し付けたな…!?)

 

 廊下を曲がって去っていく姿が恨めしい。やめろ、俺を一人にしないでくれ。なんでもしますから。そうだ、ルルーシュ・ランペルージからとってL.L.というのはどうだ(錯乱)。置いてかないでくれC.C.。

 

 ……ああもうくそう、腹をくくるか。いざ爆処理だ。愛してるぞナナリー。遺言めいた台詞を心で吐いたシスコンが、犯行動機を取り繕おうとした時だった。

 

「生徒会いつまで経ってもこないし、電話しても出ないからあちこち探し回ってたのに……」

 

 おどろおどろしく聞こえた言葉に、素早く内ポケットから、マナーモードにしていたスマホを取り出す。着信が七件入っていた。どうあがいても申し開きが立たない。

 加えて普段快活な彼女が凹んでいると、こう……心にくる。これには鬼の副会長もなだめに回るほかない。怒ってるならまだしも、ショックを受けているみたいだったから。

 

「…すまない。職務放棄の形になったのは事実だ。その事について抗弁はしない」

 

「だからって、サボって学校で先生と逢引だなんて…」

 

 ………待って、そんな風に見えてた?

 

「シャーリー、違うんだ。これには深いわけが」

 

「廊下で真っ昼間からハグしてるのが?」

 

「……いや、客観視すればそう思ったかも知れんが…」

 

 遅ればせながらルルーシュ、先程までの自分とC.C.が客観的にどう見えるか今更ながら気がついた。

 人気の少ない放課後。髪や着衣の乱れ。やたらに近い距離感。熱く見つめ合う二人。うん、完璧である。てか言い訳するだけ無駄じゃね?まあやろうと思えばできるかもだけど。

 

(良心が咎める!スザクなら出来るがシャーリーは無理だッ!)

 

 スザクなら出来るあたりどうなんだろう。

 

 一方で破局手前のカップルの痴話喧嘩を見た気分になってるのは、シャーリーに気を遣ってさりげなくフェードアウトしたカレンである。ルルーシュと何やら話したかったらしい彼を「あとにしなさい」と首根っこを引っ張り、ご両人の死角となる曲がり角まで距離を取った。

 スザクはよくロイド先生達と一緒にアッシュフォード大学附属・特別派遣嚮導技術部なるものに入り浸ってたりするので、どうにもそっち関係の話だろうか。

 だが影ながら友達の恋路を応援する身として、コマンドはシャーリー優先の一択であった。

 

(…いい加減察してあげなさいよ。生徒会で気付いてないの多分あんただけよ、ルルーシュ)

 

 フラグ乱立男の方角に向けそっと手を合わせる。どうか彼が痴情の縺れで刺殺されたりしませんように。放っとくと一〇代くらいで早死にしそうで実にハラハラする。この年齢で友人への鎮魂歌(レクイエム)を唱えたくはない。

 

「合掌は故人にするものだよ、カレン?」

 

 ピンボケ男の突っ込みが入った。これだからユフィと揃って天然コンビとか言われるんだお前は。まあお似合いだけど。

 

「いいからあんたもやっときなさい、ほら」

 

「いや僕は別に」

 

「明日は我が身よ、あんたも結構人気あるんだから。はい、分かったら二礼二拍手一礼」

 

「カレン、それは参拝の作法」

 

 ああもう噛み合わない。片方鈍感、片方天然。悪気が無いのがタチが悪い。ジノとは別ベクトルで酷い。この幼馴染コンビどうしてやろうか。

 

(…頑張れ、シャーリー。てかここまでいくと、レイラ先輩辺りにアドバイス貰った方がいいと思う)

 

 他人の色恋沙汰でこんなに悩みたくないというのに。ラクシャータ先生みたく面白がって傍目から見られれば楽なんだけど、友達が絡んでるため台風から離れられないのである。あたしだってキセル片手にニマニマしながら「青春ねえ」とか言ってみたいわ。

 姉御肌故か、気付けば生徒会でリヴァルの次くらいに対人関係で骨を折ってる彼女だった。にしても。

 

(……平和ねえ、なんだか)

 

 人それを現実逃避という。

 

 小声で「…フケツ」などと副会長をそしるシャーリー、ジト目で涙目の彼女をなんとか宥めんとするルルーシュ、という奇妙な光景を横目に。「あたしもラクシャータ先生に呼ばれてるんだけど、もうあの自業自得バカの捜索終わったし戻っていいかな…」とか考えてたカレンであった。

 

 

 

 




シャーリーはかませじゃない、決して当て馬のままじゃない筈……信じて…


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TURN 10:凶と狂告ぐキョウトのシ者

回想回。今話より「残酷な描写」タグを追加。


 

 

 七年前、ブリタニア帝国は首都・ペンドラゴン。

 

 言わずと知れた世界最大の軍事力と経済規模を誇る、並ぶものなき先進国の雄にして頂点。有史以来最も強き国家の中枢は、いつもとはまるで異なる喧騒に包まれていた。

 

「ハッ、はぁ、はァッ…………!」

 

 先日の京都旅行から帰国して間もない少年、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。彼はこの日、アリエス宮内部のある方向へ一目散に走っている最中だった。護衛もろくに付けずに払暁の夕陽が射す廊下を、息急き切って駆けていく。

 

(嘘だ……そんな、有り得ない筈だ……!)

 

 宮廷内にけたたましく鳴り渡る、警報。それが書斎で読書に耽っていた彼を、音の方向へ急かせる理由。ただでさえ貧弱な体力を振り絞り、もつれそうになる脚を必死で動かして前に進む。向かう先は、母や妹達が歓談している筈の談話室。

 

 脳裏に浮かんでくるのは、京の旅路で最後に出会った少女──自らを零奈(ゼロ)と名乗った少女が、彼に残した意味深なフレーズ。

 

『……貴方に、大事な、大切な話が有って()()()来たの。間も無く貴方の妹君と母君に、大きな厄災が降りかかる。確定された悲劇を避ける為に、貴方に其れを防いでほしい。先ず、ご実家の警備を見直して───』

 

 訳がわからなかった。意味不明だ。理解不能だ。ただその前に数回会って遊んだ相手が電波な発言をしたところで、信じられる訳がない。自分だって旅行の間中は偽名で通していたが、相手もどうせそうだろう。

 最後に会った時だけ急にシリアスな雰囲気を醸し出していたのだって、考えればおかしかった。

 証拠に「そこまで言うなら何がどうなるのか詳しく説明しろ、そうしたら信じてやる」、といったら口ごもっていたのだから。

 

『……確かに、詳しいことは言えない。でも理由があるの!あまり具体的に言い過ぎて派手に動けば彼女に……()()()()()()に、目を付けられてしまう。そうなったら、また……』

 

 …………世迷い言と断じた言葉が、脳裏にフラッシュバックする。

 

 嘘だ。嘘だ。何もないはずだ。あれは単なる与太話か何かだろう。

 大方こっちをからかいたくて変なことを言っただけ。家族構成なんかを伝えていたから、話を膨らませて適当に作ったんだ。きっとそうだ。

 

 だから、彼女の話は大人達に伝えなかった。自分でも、何もしなかった。時空の管理者がどうだとか珍妙な事を言ったり、災厄がどうたらなんて…………()()()、思ったから。

 

(……これが、これが杞憂であってくれ……頼むッ!)

 

 逸る気持ちのままに、些か乱暴に扉を開けた。その先は。

 

「ナナリー、母上、皆……!?」

 

 …………()以外が、足りなかった。

 

 

 ☆

 

 

 煌びやかな装飾溢れる、バロック様式のアリエス宮。普段は柔らかな日差しと緑溢れるこの箱庭に広がるは、人体から漏れ出した赤、紅、赫。

 壁に嵌め込まれたステンドグラス。折り目なくテーブルクロスのひかれた楕円机と、紋様麗しいレースのカーテン。薪の燻る暖炉に豪奢なシャンデリア。それら全てに返り血が付着し、噎せ返るような死の匂いが漂っていた。

 

 びちゃり。シルク生地の服が汚れるのも構わず、血の滴る室内にルルーシュは膝をつく。この状況で、立っていられそうになかった。信じたくなかった。受け入れたくなかった。

 こんな、まるで……悪意ある何者かの銃撃に、大事な人が巻き込まれたかのような、現実を。

 

 母を慕い警護をかって出ていた異母姉、コーネリア。肩で息をつく彼女は、大腿部を撃たれて出血が酷いだけではない。抜剣しようとしたところを狙われたのか、右肩から右手にかけて穴だらけだった。美しかった顔は死人の様に真っ青で、豪奢な軍服は見る影もなかった。

 

「う……」

 

 昨日一緒にお茶会をしたばかりの、仲の良い歳上の女性、C.C.。華奢な体躯を穿つように、数えきれぬ程の弾痕が刻まれていた。人の身ならば、その死は避け得ぬ絶対の理。筋痙攣か何かだろうか、血塗れた指先がピク、とかすかに動いていた。

 

「あ、」

 

 傍に横たわるはアーニャ・アールストレイム。行儀見習いに先日から来ていた、桃色髪の可愛いらしい少女。まだ幼い彼女にも、明確な凶弾の痕があった。(からだ)が小さく当たりづらかったのか、致命には至らなかったようだったが…………それだけに、痛々しさはより増してみえた。

 

「あ……」

 

 辺境伯の近衛兵、ジェレミア・ゴットバルト。倒れ伏す彼は誰かを庇ったのだろうか、左半身に夥しい数の銃創が付着していた。それでも血濡れた懐剣を手放していないのは、ひとえに彼の持つ矜持故か。

 出血で額に張り付いた、アッシュの前髪の奥。端正な彼の面立ちを構成していた、眼窩に収まっているはずのものが……無い。

 

 血の海の中で手をついたルルーシュの掌に、何かがグニャ、と違和感を伴って触れる。わざわざ拾い上げるまでもなく、手を退ければすぐ分かった。

 ……零れ落ちた、彼の()()がそこにあった。

 

「……あ、ア、ア」

 

 そして、敬愛する母親と、目に入れても痛くない妹はあろうことか…………血溜まりの、中心にいた。無遠慮な銃弾に脚を、腰を、腕を撃たれて。真白い絨毯を真っ赤に染めるほどに、ぼろぼろで。

 血色を失った母親の懐に抱えられた妹が、息も絶え絶えにルルーシュを、いや、彼の声がする方を向いた。

 

「お……にい、さま…………」

 

 生気の無い虚ろな眼で、昨日まで元気に宮廷を走り回っていた彼女は呻く。あるはずのない希望と明日へ、もがくように手を伸ばし。

 

「…………たす、けて」

 

 言葉と共に力なく、小さな手が垂れ下がった。それが、トドメだった。

 

「う嗚呼あアアアッッッッ!!!!」

 

 凄惨な暴力のもたらした血濡れた結末に、少年は人目も憚らず、慟哭した。

 

 

 ☆

 

 

 死者五名、ならびに重軽傷者一三名。犯人らはその場で斬殺。身元の洗い出しと動機解明を急いだものの、詳細は不明。遺体のDNA鑑定をするも該当者なし。それが後に「アリエスの悲劇」と呼ばれる事件の顛末だった。

 大逆罪を適用されてもおかしくない大事件に、当然ながらブリタニア皇族は大きく揺れた。詳細を公表しICPOにも掛け合って全世界へ手掛かりを求めるべき、とする意見もあったが……結局、見送られた。

 

「皇族を死なせかけた」、という不手際を諸外国や衆目に晒すのが憚られたこともある。関係者がダース単位で更迭され、お取り潰しや縮小を危惧し組織防衛に走らざるを得なくなった、宮内省や国防省上層部の動きもあった。

 そして最も懸念されたのは、「猫の子一匹通さぬ程の強固な警備を、なぜ下手人が掻い潜って来れたのか?」ということ。しかも、精鋭である近衛すら苦戦するレベルの強者を引き連れて。

 

 …………どこかに、彼らと手引きした内通者がいるのでは?関係者がそんな疑問を抱くのは、ある種当然の帰結だった。皇帝シャルルが腹心のビスマルクらに内偵調査を命じたのもそのためである。

 

 故に表向きは、「不発弾の爆発による死傷者」という形で事件を改竄。ヴィ家は服喪名目で当面の皇室外交や社交会などの行事を全て中止し、メディアを一切シャットアウト。関係者皆が暫く隠遁生活を送ることでコンセンサスを取り付けた。

 そうして後ろ暗い隠蔽ながら、事件は政治的には一応の幕引きが成されることとなる。

 

 さて。波乱含みの事件を強引に片付けようとすれば、当然それに伴ってひずみも発生する。宛ら、小さな蝶の羽ばたきがやがて竜巻を発生させるが如く。

 後世の歴史家は述べている。この「アリエスの悲劇」こそ正に、二一世紀で最も大きな世界史的事象を引き起こした端緒であった、と。

 

 

 ☆

 

 

 事件発生の翌々日。

 渾々と眠り続ける病床の人々の部屋の前で、黒衣の幼き皇子は呆然と立ち尽くしていた。

 金に糸目を付けぬ迅速で賢明な治療の結果、何とか一命をとりとめた人達もいる。不幸中の幸いか、異母姉も行儀見習いも、優しい部下も生きている。母も、そして妹も。

 ……そう、()()()()()()

 

 コーネリア・リ・ブリタニア、右上腕部以下切断。

 アーニャ・アールストレイム、左脚膝下切断。

 ジェレミア・ゴットバルト、左目失明及び左半身麻痺。

 マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア、頸髄損傷により全身不随。

 ナナリー・ヴィ・ブリタニア、全治不明の半身不随。

 

 手元に握りしめられたグシャグシャのカルテには、残酷なまでの処置と診断結果が記されていた。

 意識を失う程の大出血により、脳への酸素供給が一定時間以上低下し続けた結果、ほぼ全員が歩行障害や視力低下、視野狭窄を併発。一際身体の小さいナナリーは症状が特に重く、全盲判定までが付加された。

 

 慟哭を抑えられぬ事実は、温室育ちの少年には俄かに受け入れ難かった。錯乱しかけた。何度も吐いた。初日は幾度も泣き続けた。次の日は回復を祈り続けた。しかし。

 

(……何も、変わらなかった…………)

 

 涙は、単に目が腫れ上がっただけだった。懺悔室で己を悔いても、何の気休めにもならなかった。死者の冥福を祈ったところで、彼らが生き返るわけではない。重病の怪我人の快癒を祈ったところで、実際に治るわけではない。

 神への祈念など自己満足。現実とは非情なものであり、思うだけでは何も変わりはしないのだ。

 

 普通の日々が、これからも続くものだと思っていた。何不自由なく家族に囲まれ、優しい異母兄妹達がいて、従者達がいて。

 それが、たったの一瞬で壊れてしまった。

 心に去来するのは、限りなく虚無に近い絶望。光明はいずこかへ消え、一寸先までも暗闇に覆われる。

 

 更に。足りぬ人が、もう一人。

 

「…………………………C.C.」

 

 彼女もまた、生存者カルテの中にいない。

 残酷で冷厳な現実に、ますます目の前が暗くなる。彼女の事を、ルルーシュは詳しく知らない。つかみ所のない雲のような女性だった。放っておくとどこかへ行ってしまいそうなくらいの、儚さを感じるヒトでもあった。ミステリアスで、気付けばふと何処へやら失踪しているような人だった。

 …………こんな形で離別したくないくらいには、自分にとって大切な存在だった。

 

(…………僕が、殺したのか……?)

 

 近衛らに彼女の、零奈の言葉を伝えていれば、防げたかもしれなかった。自分が注意喚起をしていれば、何か変わったかもしれなかった。

 それは、考えるに何の意味もないif。断片でしかない可能性。選べたかも知れないより良い未来。

 

 常人と比較にならぬ程に賢く聡い麒麟児であっても、精神性は歳相応のものでしかない。益体も無い思考に絡め取られるほどに、彼は追い詰められていた。あらぬ罪悪感で押し潰されそうになっていた。

 風水、降霊術、或いは占星術。それらの類に近い、聞き入れずとも仕方ない怪しい預言。だから、彼自身に非はないと言っても良いのに。

 

 フラフラ、ふらふらと。ルルーシュは気付けば、覚束ない足取りで霊安室へと足を運んでいた。アリエス宮内の共同墓地横に位置する、冷却機能の効いた冷たい部屋の片隅。

 最後に彼女を、C.C.を看取ろう。心の何処かでそう思っていたのだろうか。

 安置された柩の一番奥に、彼女は居た。慌ただしさゆえ血まみれだった衣装のままだが、明日にでも納棺師の手により清められることだろう。

 

「C.C.」

 

 ついぞ、本当の名前も聞けなかった。

 頭がショートしたみたいだった。全く分からない。何をすべきか掴めない。これから自分はどうすれば良い?自分のせいで奪ったような五つの命。不具となった忠臣、異母姉、母、妹。

 散り散りな思考のまま覗き込んだ彼女の瞼は、未だ固く閉じられたまま。ぞっとするくらいに、嘘みたいに綺麗だった。まるで、()()()()()()()()()()()ほどに。

 

「C.C.ッ…………」

 

 血塗れの咎は、幼子が背負うには荷が重すぎた。緑髪の張り付いた頬に、思わず小さな手を添えた。

 

「……『さよなら』くらい、……言わせて、くれよ…………!」

 

 搾り出した嘆きの涙が、ぽたりと彼女の顔へ落ちた。

 

 しかし。

 流した悔恨の雫は、未だ別離の手向けにはならず。

 

 

 

「…………勝手に殺すな、童貞坊やめ」

 

「うわぁああああ!?!!??!?」

 

 

 ☆

 

 

 話してなかったな。故あってこんな体なんだ。

 

 見下ろしていたルルーシュの顔を、冷たい両手で掴んで一言。ざっくりしすぎた彼女の説明では、ルルーシュが復旧するのに結構な時間を要した。

 

 当然の如く追加説明を求めた彼に語られたのは、人史の開闢より紡がれてきたチカラのこと。ギアス。コード。饗団。人目を忍びルルーシュの寝室で声を潜めて語られた話も、やはりにわかに信じがたかった。しかして穴だらけだった身体が綺麗さっぱり元に戻っているのを目の当たりにすれば、信じない選択肢は存在しない。

 統合すれば、彼女は。

 

「……不死身、なのか」

 

「ああ」

 

 短く、ぽつり。なにかを堪えるように自らの肩を搔き抱いたC.C.の胸中には、愛されることを望んだ昔日の記憶が蘇っていた。ギアスを貰ったあの夏の日と、それからのこと。

『残念でしたぁ!貴女、騙されちゃったの!』……そう言って、狂ったように嗤いながら死んでいったシスターの断末魔は、今でも耳にこびりついている。最初こそ恨みもしたが、可哀想な人だったと今は思う。長く生きすぎ、摩耗するうちに変わり果ててしまったのだろう。

 

 不老不死とは魔法ではなく、呪いなのだ。そして眼前の幼子は、あの時の修道女と同じような、重く昏い眼をしていた。

 

「ギアス、饗団………」

 

 異能の力を持つ敵組織。潜入出来たのもそれが理由か。そんな連中、どうやって捕まえるんだ。この時の彼は、諦観に気持ちが大きく傾いていた。

 

「なあ、ルルーシュ」

 

 思わずC.C.は声をかける。見ていられない。無垢な子供が壊れていくのは。その血筋ゆえ普通の生き方は出来ないだろう。でも、せめて心根だけは普通の人間でいて欲しい。

 

「今のお前に必要なのはカウンセリングだ。然るべき医療機関を受診して……」

 

「やめてくれ。憐憫も慰撫もいらない」

 

 遮るように返ってきたのは、呻くような声だった。悔しかった。自分が情けなかった。今もなお、自分を責め続けている。

 

()()()()()、僕の無為無策が人を傷付けた」

 

 幼い少年の、血を吐くような慟哭だった。歯を食いしばり、握りしめた拳からは悔しさからか血が滲んでいる。

 

「だから、僕のせいだ」

 

 だと言うのに、自分だけは無傷でのうのうと生きている。自罰的思考に沈む彼に、彼女は。

 

「…………逃げてしまうか?」

 

「え?」

 

「何もかも捨て去って、私と二人で生きていくか?」

 

 選べ。それは、実に甘美な言葉だった。停滞の泥の中で老いず、死せず、腐らず。ただ悦楽と酒色に溺れて生きていく。人の営みからも、理からも外れて。鈍った脳髄に沁みていくような妖しい囁き。只人ならば頷くしかない局面で。

 

「────莫迦を言うな」

 

 咄嗟に、ノーを突きつけた。

 

「そんなものは逃避だ、現実から逃げているにすぎない……ッ!?」

 

 そこまで喋って、気がついた。現実と向き合ってないのは、一体何処の誰だ?唯々諾々と心の何処かで誰かの裁きを求めてる今の自分だって、……逃避している、だけじゃないか…!

 

「……気付いたか?」

 

 問い掛けに目線をあげると、此方を見下ろすC.C.の眼とかち合った。「私みたいになってくれるな」。無言の瞳が、どんな弁舌より雄弁に語りかけていた。

 

「………ああ」

 

 お陰で、曇っていた目が覚めた。手を休めるな。頭をヒネろ。あらゆる事象を捻じ切れるまで考察しろ、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。お前の今やるべきはなんだ。家族を、家臣を害されて、泣き寝入りするのが正しいのか?

 

(………いや、違う。絶対に、間違っている…!)

 

 否。否、否、否!跳ね返せ。不条理を、暴力を、理不尽を。そして手に入れろ、全てをひっくり返すチカラを!

 捕縛も逮捕も生温い。恩赦するなど以ての外だ。悪は捉えて敵を討て。下手人を引きずり出して、この手で眉間に風穴を開けてやる。自分で招いた災厄は、根元から断ち切ってやる。

 

 不具になった?死に掛けた?一生後遺症が残る?()()()()()()()。怪我に苦しむ人がいるなら、怪我を()()()()しまえば良い。手脚が無いなら生やせば良い。神経、頚椎、内臓、血管、表皮、血液、筋肉、エトセトラ。自分の軽率さの責任は、自分が贖うべきだろう。

 言ってただろう、妹が。「たすけて」、と。兄が命を賭ける理由は、もうそれだけで十二分だ!

 

「……感謝するよ、C.C.」

 

「老婆心だ、気にするな」

 

 自惚れではない。傲慢でもない。これは自信で、確信だ。我が頭脳をもってして、出来ぬ事なら誰にも出来ない!

 幸い、必要な人間は目の前にいる。敵は全て殺す。大事な人は全て救う。大それた野望を叶える為には、この女が不可欠だ!

 

「………そして、貴女こそが僕の希望だ」

 

 握り込んだ拳から血が滴る音をBGMに、彼は真っ直ぐ言い切った。

 

「希望…?」

 

「貴女が魔女を名乗るなら僕は、いや………()は、魔王にでもなってやる」

 

 纏う雰囲気が一気に変容した彼に、彼女は敢えて焚き付ける。鼓舞するには、これくらいが適温だろう。

 

「………変わるのは、ぞんざいな口調だけか?」

 

「いいや、世界だ」

 

「…これはまた、大きくでたな」

 

「ああ。…俺についてきてくれないか、C.C?」

 

 宣誓には、口先だけでない重さを感じた。悠久の時を生きる魔女が、思わず瞠目する程のそれ。先程までの腑抜けとは違う。王の血脈に秘められし、煉獄の如き猛々しい決意を感じた。十歳かそこらの子供が、こんな獰猛な眼をするのか。決して揺るがぬだろう強固な意思が、其処にはあった。

 

(………此奴なら、もしかしたら)

 

 諦め掛けていた願いが、叶うかもしれない。突如として垂らされた蜘蛛の糸は、無間の獄に囚われし魔女にとって長年待ち望んだもの。永年の苦痛を終わらせる、どんでん返しをどこかで期待していたのだろうか。分の悪いだろうギャンブルに、賭けてみたくなってしまった。

 

「一つ、条件がある。受諾してくれるなら……」

 

「いいだろう」

 

「…………内容くらい、聞かないのか?」

 

「予想は付いている。私と契約して私の願いを叶えろ、とでも言いたいんだろう?ならば寄越せ。ギアスとやらをな」

 

 不敵に笑う彼の顔は、既に憔悴しきっていた子供のそれではなく。それどころか、何やら腹案でもあるらしかった。

 

「王の力は、やがてお前を孤独にするぞ?」

 

「警告か?」

 

「宿業だ」

 

「ならば踏破してやるさ。どれだけ深い業だろうとな」

 

 ルルーシュの決意は既に定まった。覚悟を持てぬ腰抜けが、何かを為せる筈もない。

 この姓を棄て身分も捨てる。濯げぬ程の咎を見つめて心に刻む。昨日までの己を殺し為すべきを為す。弱きままでは、いずれ悪しき獣に喰われてしまうだろうから。

 

「分かっているなら何も言わん。ならばこれからどうするんだ?」

 

「頭は切れるが予算不足で燻っている研究者が、日本に何人かいてな。彼らと手を組む予定だ」

 

 サイエンス誌やネイチャー、ニュートンあたりを定期購読していて助かった。

 キョウトの大学に在籍している日本人教授と、トウキョウの理研に居るインド人の若手女性。それから少々偏屈らしいが、アスプルンド家の次期当主兼伯爵。密かに目を付けていた有能な人材を集めれば、可能性が生まれてくるだろう。必要なのは()()だ。そのために。

 

「……そのためには、皇位継承権が邪魔だな」

 

 これからやる事業は、皇族の道楽などと思われたくはない。何より宮廷内の権力争いから抜け出したい。衰退したヴィ家の再興を狙っている、と勘繰られるのも面倒くさい。饗団を破壊する前に追っ手を差し向けられて命を狙われるのは、こちらとしても心許ない。ただでさえアリエス宮はマークされているだろうに……ん、マーク?……そうか!

 

(饗団の警戒の薄い国で、計画を進めれば良いんじゃないか……?)

 

 先ずは基礎研究と情報・人員召集から始めたい。しかし何もブリタニアに研究者を招聘するのではなく、外国でやったって良いのでは?さすれば最適な場所は、世界で最も犯罪率が低く、治安の良い国。軍事費も比較的少なく、かつ戸籍制度とマイナンバーの併用により、テロリストの背乗りがしづらい国。即ち。

 

(……翔ぶか。日本へ)

 

 決めてからは早かった。事件から一週間後、皇帝と謁見したルルーシュは、その場で日本行きと皇籍離脱を希望。併せて研究機関と会社を独自に立ち上げると宣言。リミットとして五年の猶予を勝ち取った。

 そして。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという男は、確かにこの日、一度死んだ。

 

 

 ☆

 

 

 日本への長期滞在を求めたルルーシュの請願は、呆気ないほどにあっさり受理された。皇帝の問答もそつなくクリア。拍子抜けする程トントン拍子に話は進み、気付けば出立の当日を迎えることとなった。

 

「……慣れんな、このコンタクトというのは」

 

「我慢しろ。暴発されても困るからな、寝てる時以外は付けておけ」

 

「目薬が欲しい」

 

「あとで買えば良いだろう……っておい、ネクタイ曲がってるじゃないか。もっとちゃんと締めろ」

 

「いっ、待ってくれ締まる絞まる!」

 

「皇子がだらしない格好をするな、まったく」

 

 絵面的に恋人ではなく、子供の卒業式に出る若い母親みたいな二人だった。

 児童の方は言われた小言を一応全て聞き入れている点は、歳相応に素直といえよう。……進言を受け入れるかはまた別なあたり、歳不相応に頑固者でもあるのだが。

 

「にしても」

 

 トランクに詰め込んだ荷物の最終確認をしながら、事務的な会話は進む。

 

「本国から遠ざかりたいから、ブリタニアに研究者を招聘しなかったのか?」

 

「ああ。親族にも間諜がいる可能性すらあるからな」

 

 信頼できるやつだけで固めたい。それこそ今の本心だった。

 既に事件からひと月近くが経過した。その間幾度か行われた話し合いの結果、ナナリーは本人の希望でルルーシュ達に同行することに落ち着いた。

 死んでたはずのC.C.がルルーシュの部屋から抜け出し、ふらりと現れたことで箝口令をしかねばならなかったり、と一悶着あったのだが、そのやりとりはここでは割愛。

 

「ついでに、ギアス饗団を壊滅させる」

 

「!」

 

「俺の求める世界に奴等は必要ない。だから俺は、俺のエゴで奴等を潰す」

 

「……誰かを殺したら、もう後には引き返せんぞ?」

 

「覚悟は既に出来ている」

 

 心は定まった。人を殺す作戦と人を救う作戦、同時並行で進めねばならない。だから。

 

「ということで、さしあたりはお前の遺伝子をくれ、C.C.」

 

「…………は?」

 

 目が点になるのはC.C.。何言ってんだこいつ。饗団壊滅と何の関係があるんだ。

 

「その尋常じゃない再生能力、『コードを持ってるから』というだけでは腑に落ちん。デオキシリボ核酸の一片まで解析したい」

 

 常人には存在しない、物理的に欠損した細胞を補い、活性化させる何がしかの超細胞みたいなのがある筈だろう。ギアスが人の上に立つ力ならば、コードとは人を進化させる力なのではないか?ルルーシュはその特異性にも目を付けていた。

 

 不老不死という荒唐無稽な前提を成立させるギミックが、彼女の身体には秘められている。そう考えていたからこそ、彼女を希望呼ばわりしたわけである。構造を隈なく読み解き反映させたい。調べれば何か分かるだろう。今のところ生体解剖までやるつもりは無いが、まあ採血くらい別に良いだろう。

 傍らで「……遺伝子って、え……?」とか言って戸惑うC.C.を放置し、黒髪をかきあげる少年は思考を彼方へ飛ばしていく。

 

(……待っていてくれ、ナナリー、母上、皆。必ず助け出してみせる。俺はそれまで……)

 

 …………ブリタニアには、戻らない。

 

 

 ☆

 

 

 再生医療の研究。

 ランペルージ家に匿われ、学園と研究機関の潤沢な設備を使って尚、それを推し進めることは多大な困難を極めた。

 無論、いつかは実現するだろう。しかし問題は、タイムリミットをルルーシュが五年で区切ったことである。

 

 無茶を通り越して無謀だった。確かに多くの外科医や内科医が夢想した領域の医療。しかしそれは未だ、フィクションの中の夢物語。どう低く見積もっても二〇年は先の技術、というのが医学者の共通見解だったのである。

 

 類似例として、いわゆるES細胞なるものは既に存在していた。しかし受精卵を用いるというその性質上、生命倫理の問題をクリア出来ず、予算をつけるのにも批判がなされるご時世である。研究は遅々として進んでいないのが当時の世相だった。

 四半世紀はかかると言われたものを、僅かに五年で成し遂げる。それがどれだけ艱難辛苦な道のりかは、さして現代医学に詳しくない人間にでもすぐ分かった。

 

 ルルーシュにとってそれからは、長いようで短く感じた日々だった。

 毎夜研究と臨床に明け暮れ、生活は不規則になった。同年代の貴族がスポーツや武道に明け暮れる時分の不摂生は、肉体が痩せ細る遠因となった。今でも痩身なのは、この時の悪影響だろうか。身長も、本当ならもう少し高くなっていたかもしれない。

 

 穏やかだった目付きは、疲労と精神的負荷で目に見えて鋭くなった。資金稼ぎとストレス解消に始めた賭けチェスの影響からか、感情を鋳潰す声とポーカーフェイスが板についた。株式運用や投融資申請で他者を出し抜く言動を繰り返すうち、常日頃から計算高くなった。

 組織運営や人心掌握術を実地で学び、各方面に協力者とコネクションを構築していった。

 

 PDCAを幾度も共にし、気付けばいつの間にやら、C.C.の本名を知るまでになった。既に彼女はルルーシュにとって、単なる親代わりという存在ではなくなっていた。ナナリーや東京で出会ったスザクと同じくらい、心の中で大きな比重を占めていた。

 

 基礎体力を養うべき年齢の時に、妄執にも似た意地でもって初志貫徹をなさん、と馬車馬の如く頭を回転させ続けた。

 体力がないのに負荷を掛けていたところに無理が祟ったのか、何度か倒れたこともあった。それでも時に点滴を打ちながらでも、PCを起動して研究を繰り返した。

 

 そして、四年後。今より三年前のこと。

 

「……見えるか、ナナリー?」

 

 文字通り血反吐を吐いて辿り着いた「結果」でもって…………

 

 

「………はい、お兄様………!」

 

 ……彼はついに、報われた。

 

 

 ☆

 

 

 現代医学の時計の針を二十年早めた男は、息つく間もなく本国へ帰還。手術と投薬を行なったマリアンヌらも、リハビリを進めるうちに皆五体満足に回復した。

 

 ラクシャータ・チャウラー、ロイド・アスプルンド、ならびに他三名の共著で発表された、再生細胞の基礎理論と実証の成功。医学の世界で大きな驚きと賞賛をもって迎えられたこの成果、当然が如くノーベル賞を受賞し、一躍耳目を集めることとなった。

 

 しかし。発表会見の場にも、授賞式にもルルーシュは姿を現さなかった。非実在説が流れる程に、徹底して己を隠匿した。

 彼の関与を唯一示せるものといえば、「他三名の研究者」の欄。その中に「ジュリアス・キングスレイ」なる偽名が在ったのが、彼の実存を表すわずかな痕跡である。

 

 閑話休題。事件発生から四年を経て帰国したのち、アリエス宮でささやかながら催された四年越しの快気祝いは、それはそれは快活な空気に満ちていた。

 

 ……ジェレミアだけは、なんか違う感じになってたのだけど。こう、なんかロボットみたいな。軍属時代の人間に聞かれたら「輻射波動兵器のテストやってたら事故った」とかなんとか言うつもりらしい。五体満足どころか五体大満足な男であるが、ザルすぎるので言い訳とか考えとく必要がある。あとで相談せねば。

 

 にしても、思えば。

 

「随分、突っ走ってきたものだな」

 

 数年ぶりにアリエス宮の自室を訪れたルルーシュは独りごちる。ただ生憎と一つのタスクが終了したからといって、そこで思考を止める程彼は単細胞ではない。

 大仕事を成功させ余裕の出来た彼には、次の課題が見えてきていた。

 零奈の残した預言の内容を、ルルーシュは全て記憶している。そして、その全てを信じることにした。預言を元に構築した、10年単位で計画している三つ目のプランは現在四年目。これはそのまま進めるとして、問題は……

 

「うん、クワトロ・フォルマッジも悪くはないな。ブルーチーズがいいアクセントになっている」

 

 ………問題は我が世の春とばかり、人の部屋に転がり込んでルームサービスを貪るピザ女との契約だ。

 

 この死にたがりを翻意させるにはどうしてくれよう。理詰めの説得はまともに聞かないし、こっちが駄々捏ねたって聞く女ではない。

 もさもさと今度はマルゲリータを食べてる自堕落魔女に、「おい」と声をかけてみる。最近身長で追い抜いたばかりの彼女の背丈は、やはり昔となんら変わっていなかった。

 

「お前確か『この計画が成功したら、貴様の言うこと何でもひとつ聞いてやろう』、とか言っていたよな?」

 

「んん?…………知らんな、忘れた」

 

 ………ついに認知症が始まったか、嘆かわしい。

 

「よし分かった、願いを増やせ因業魔女」

 

「女性になんて口の聞き方だ、偶にはエスコートくらいしてみろ」

 

「チーズ臭い女をエスコート?一億ポンドもらっても御免だな」

 

「いちいち格好つけるな、そんなんだからいつまで経っても彼女が出来ないんだ。女の口説き方くらい習ったろう?」

 

「口の周りにトマトソースつけた女を口説く趣味はない、落としてこい」

 

「ほう、落としたら口説くのか?耳年増な童貞如きがこの私を?卑猥な妄想も大概にしておけよ?」

 

「何を勘違いしてるか知らんが、思春期どころか更年期もとっくに超えてる老人を俺が口説くとでも?詰まった耳垢を取ってから話せ」

 

「……おい、今のは流石の私でも腹が立ったぞ」

 

「それは心配だ。お前の動悸がな」

 

「いいだろう、後悔するなよ……!」

 

 バタン!とシャワー室のドアを勢い良く閉めたC.C.をよそに、ルルーシュは我関せずと晩酌をし始めた。

 

(……チーズ臭いと言ったの、気にしてたのか)

 

 ならばもうちょっとしおらしく出来ないのか、これでも自分なりに感謝はしてるんだけど。今度プレゼントで老人用紙オムツでも贈ってやろうか。…いや、やっぱりあとが怖いからやめとこう。

 

「………む、これがヴィンテージの赤ワインか。香りだけでも凄いな」

 

 こっそり親父の酒蔵から失敬したボトルを、試しに栓抜きで開けてみる。

 人生で初めての飲酒だが、両親とも強いらしいので大丈夫だろう。今日くらいは快気祝いの無礼講だ。ナナリーに怒られると思って部屋飲みにしたが、まあバレなければ問題ない。酩酊するまで飲む気もないし。

 グラスに注いで格好つけてテイスティング。C.C.は放任主義だが酒には煩いかも知れない。さっさと開けて証拠隠滅を図ろうか。果たしてロクなアテもつけずにルルーシュ、くいっと一杯飲み干した。

 

 売り言葉に買い言葉。この時双方がムキになった結果の顛末は、結局今でもお互いだけの秘密にしている。

 

 




※未成年飲酒と一気飲みはやめましょう。皇子様でもダメなものはダメです。


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TURN 11:誰が為の写真

写真回。


 

 アッシュフォード学園の内装は、一般的な私立校と比べてもやけに近未来的な施工が成されている。高等部の一角にある職員室も、勿論その例に洩れない。

 

 電子ロックのスライドドアに、白とアースカラーで統一された目に優しい内装。人体工学に基づき設計された流線的なソファチェアと、各人完備のタワー型PCとタブレット端末。出前を頼めば学食から直ぐ届けてくれるし、空調と温度・湿度管理も当然行き届いている。常にルンバ擬きみたいなガジェットが掃除をしているためか、床には埃一つ落ちていない。

 

 さて。至れり尽くせりの快適な放課後の室内で、何故かこの世の終わりみたく、どんよりとした表情で紅茶を啜ってる先生方がお二人。

 

「……コーネリア、本国からは何と?」

 

 問いかける片割れは、昨日廊下で不埒な副会長に迫られていたC.C.女史。吊り目がちな金眼が特徴のこの方、因みに不老不死である。

 

「…やはり向こうには無いそうだ。国立図書館もあたったが存在していないらしい。ということは()()は、学園の書架に保管されている線が濃厚だ」

 

 同僚の誰何に答えるはヴァイオレットの長髪を揺らす、硬質な印象を与える美人。なお実は皇族である。

 割ととんでもないバックボーンを抱える妙齢の女子二人のトークは、尚もトントン拍子に続く。

 

「と言ってもな、学園(ウチ)に開かずの書庫がいくつあると思ってるんだ?」

 

「……やめてくれ、私も気が滅入ってくる」

 

「学園創立から優に1世紀以上経っている。埃を被ってるどころじゃ済まないぞ?」

 

「頼みの綱のルーベン理事長も知らないのに、我々にどうしろと?」

 

「…地道に探すしかない、か。途方も無いのが玉に瑕だが」

 

「……お前は何か、知っていないのか?」

 

 コーネリアからの小声での問いかけ。どうにも何か古本をお探しのようである。理事長より遥かに長生きしてるC.C.に対し、暗に「()()()学園に来た事とかないのか?」と問うてみたものの。

 

「解らん。アッシュフォードに()()()()()今だって、この学園の全容は掴めてないしな」

 

 嘆息混じりに彼女は返す。自分がかつて在籍していた頃より更に大きくなった学園の全体像は、もう十全に把握出来る気がしなかった。

 

 アッシュフォード学園の開闢は今より150年近く前。明治時代に御雇い外国人として来日した、ルーベン・アッシュフォードI世が設立した私塾が源流である。震災などで被害を被ったこともあるものの、それでも数多くの貴重な歴史的史料が残存し、一部は日本やブリタニアの博物館で展示されていたりする。

 問題は歴史の長さゆえ、資料も相応に多いこと。更に建物自体も増改築を繰り返してるので手に負えない。

 

 無論地上階だけみれば、設備がでかいだけのシンプルな学び舎だ。しかしアッシュフォードの真髄はその()()にある。厳重な防犯シャッターと耐火扉、防振ゴムを隔てた下にあるのは、魔窟と称される広大な空間。耐震シェルターや資料・食料備蓄庫をはじめ、KMFの整備ドックと格納庫まで設置されてる始末。要人脱出用のリニアレールがある、なんて噂も囁かれている。

 …それらはまるで将来、来たるべき()()に備えているかのようだった。

 閑話休題。有り体に言えば曇っていた2人の背中に、遠慮がちに。

 

「あ、あのう……」

 

「お疲れ様、です…?」

 

 戸惑い半分の声が二つ、かけられた。

 

 

 ☆

 

 

「「レポート探し…?」…ですか?」

 

「ああ、かれこれもう40分ばかり書類と睨めっこしててな」

 

 日直の当番で偶々二人して来ていた三玖と五月の質問に、当直日誌を三玖から受領しながらコーネリアは答えた。にしたっていくら学年主任(コーネリア)と副主任(C.C.)とはいえ、この二人だけで面倒そうな仕事をやる事は無いだろうに。

 

「図書委員の学生に手伝って貰ったりとかは……?」

 

 首をひねるは三女の問い掛け。彼女は武将好きが高じて日本史コーナーの歴史書やらを漁ってるためか、姉妹のなかでは最も多く学園の蔵書をレンタルしている。故に察する、人海戦術でやらないとラチがあかない、と。この学校は図書室と別に図書館、更にまた別に資料館が敷地内にあるくらいなのだから。

 

「ユフィの手なら既に借りている。でもな、ミク」

 

「はい」

 

「この学園でデータベース化されている蔵書記録は、コンピュータを導入した1970年以降のものに限る。それ以前は紙媒体の記録のみなんだが、……1923年以前の書類が収まった六つの閉架書庫を、開けられる鍵が無いんだ」

 

「鍵がない」

 

「正確には保管場所ごと消滅した」

 

「鍵を開ける鍵がない」

 

「セキュリティとしてはある種完璧なんだがな」

 

「なるほど」

 

 遠い目をする担任にひっそり同情する三玖。到底一国のうら若き皇女がたたえるべき眼差しではない。煤けた表情をしてても美人に変わりはないんだけど、なんだか可哀想になってきた。

 

「でも消滅って、一体どうして………」

 

「関東大震災で被災して、建物毎木っ端微塵だ」

 

 そのくせ書庫は無傷だったそう。何故だ。

 

「…べ、別の場所にマスターキーとか無かったんですか?」

 

「二本あったが、やはり震災の折に両方紛失したらしい」

 

「鍵を統べる鍵がない」

 

「ちなみにピッキングは試したが開かない」

 

「思い切って爆破するとかは…」

 

「重要文化財なんだ」

 

「重要文化財」

 

「うん」

 

 有難いはずの歴史的価値が邪魔でしかない。どうしろってんだ。

 

「…もし、閉架書庫の中に探し物があったら」

 

「詰みだ」

 

「なるほど」

 

 察した。建設時は欧化政策の影響もあり、学園も西洋チックな石造りの建物ばかり。当然、五重塔みたいな免震構造は備わっていない。大地震に見舞われ全壊するものも出たのは自明の理だった。

 優に90年以上前の話だが、被災後は数年間建て直しのため休校していたので、書庫に用のある人間など居なかったそう。

 

 加えて今まで別に盗人に侵入(はい)られたこともなく、大して貴重でもない(筈の)古臭い資料なんぞ閲覧する機会も必要もなかったので、今日までなあなあで放置されてきたらしい。今更鍵を複製して中を検めようにも、当時作成した職人はとうの昔に故人である。

 詰まる所、八方塞がりだった。

 

「……えーっと、肩でも揉みますよ?」

 

「ありがとう、だが大丈夫だまだやれる」

 

 生徒に心配させてたまるか、みたいな意地を張る担任皇女。気が強いのは異母弟と若干似たところがある。にしても今の彼女の待遇、ダールトンあたりがみたら憤死するかもしれない。

 

 こんな事ならブリタニアで軍人をやっていた方がまだ楽だったかもな、と自嘲気味にコーネリアは心中で呟く。あっちならお高い官給品を紛失すると連帯責任になるから、人海戦術で探し物が出来るし。

 ちなみに彼女はブリタニア帝国軍士官学校を首席で卒業しており、今は予備役として(形だけ)軍に所属している。尤もこのご時世、世界大戦でもなければ皇女に召集がかかることはまず無いだろう。

 

 尚、教職資格はアリエス宮で負傷し、右腕を失っていた四年の間に取得。腕の再生とリハビリを終えた後、大使として日本に赴任し一年間の任期を満了。その後は「日ブ友好の架け橋とならん」とか適当な名目を付けて学園に赴任した。わざわざユフィの入学と合わせたあたり、どこぞの兄に負けず劣らずのシスコン振りである。

 

「なんなら二人ともこの学園に就職するか?給料だけはホワイトだぞ。繁忙期は使う暇がないがな」

 

 D組勢の間隙を縫うように横合いからC.C.が茶々を入れる。正直言って忙しい時期は(アーサー)の手も借りたいレベルなのだ。要領が良いので普段はすぐに仕事を片付けさっさと帰宅してるC.C.だが、受験期は膨大な面接者を捌いたりと色々面倒くさい。

 

 入試の時は年間通して最も忙しい時期だ。アッシュフォードは日ブ各政財官方面に強いコネを持つため、将来の就職先にまず困らない。監査こそ厳しいものの金満校ゆえ設備も潤沢。おまけに授業は評判が良く、生徒も教師も美男美女が多い、ともっぱらの噂だ。倍率もそれ相応に高く、日本のインターナショナルスクールでは現在、一番の人気校なのである。

 

「勤め先としては魅力的ですね。学食も美味しいですし」

 

「司書とかならやりたいかも……」

 

 教師志望の五月に続き、なんと三玖も色よい返事。二人ともまだ多忙な時期を知らない為かもしれない。どころか「図書館散策がゆっくり出来るなら古文書探しとか楽しそう…」とか考えてた三玖。信長公記やら太閤記を愛読書にしている彼女、妙案を抑えきれぬとばかり、珍しく思い付きを直ぐ口にした。

 

「……宜しければ、手伝います…よ?」

 

「いや、流石に生徒にやらせるのは拙い」

 

「いやいや、でもユフィもやってますし……」

 

「ユフィはいいんだ、妹だからな」

 

 にべもないコーネリア。曰くこれは「ノブレス・オブリージュ」の一環とのこと。人の上に立つなら然るべき務めを果たすべしとは、妹にダダ甘な彼女らしくない方針というべきか。だが。

 

「相変わらず堅物だなお前は。私としては手伝ってくれるなら御の字なんだがな」

 

「おいC.C.」

 

「まあまあ。…五月はどうだ?お礼と言ってはなんだが、後日ケーキくらいなら奢るぞ?」

 

「謹んで拝命します。やりましょう三玖」

 

「五月、今はちょっと静かにしてて」

 

「行きますよ、時は金なりです」

 

「聞いてないし…」

 

 人参ならぬケーキにつられてやる気が出たのか、手早く担任からマップを受け取った妹に、ずるずると半ば引き摺られるようにしてドナドナされていく三女。

 ご両人の同意が取れたか知らないが、「いいのかそれで」とC.C.にアイコンタクトした学年主任に対し。

 

「気をつけてなー」

 

 副主任は、堂々と猫の手を借りることにした。

 

 

 ☆

 

 

 教え子二人が図書館へ向かって暫し経過した時分。「1950〜1960」と銘打たれたファイルを捲ってたコーネリア、C.C.へ小声でそっと呟いた。

 

「なあ」

 

「ん?」

 

「第13閉架書架の件なんだがな」

 

「ユフィに次にチェックする予定のところか。それがどうした?」

 

「ユフィか。…今更とは言え正直、私としては妹は余り関わらせたくはないんだが」

 

 先程とはまるで違う事を申し立てるコーネリア。だが声のトーンからするに、どうもこちらが本音らしい。

 

「これもルルーシュの戦略の内なんだ。何より彼女自身が納得してるだろう?」

 

 そう、同意は得ている。

 しかし姉としては手塩にかけて育てた筈の妹が、腹黒い異母弟の企みに一枚噛んでいるのは複雑だった。

 勿論ルルーシュには感謝も尊敬もしている。幼いながらに前人未踏のレガシーを築き上げ、しかし全く以って名誉も名声も求めない。飄々とした顔で学生をやってる現在の彼をみれば、実は既に史実に残る偉人レベルの事をやってのけた人間であると、誰が感知できるだろう。この腕だって彼がいなければ元には戻らなかったし、また剣を取れるとは思っていなかった。正直、血が繋がっていなかったら惚れていたかもしれない。

 

 ……でもそれはそれとして、やっぱりマイシスターが絡むのはちょっとアレだ。自分が協力するだけなら躊躇いないんだけど。

 

「頭では分かってるさ。でもな、蝶よ花よと育てた筈のユフィがな………」

 

「もうスザクに収穫されてるだろうがな」

 

「やめろ」

 

 そこで妹の彼氏の話題を出すんじゃない。「一目惚れでした、私を好きになりなさい(※意訳)」なる男らしすぎる告白をぶちかましてあの天パとくっついたユフィの晴れ晴れとした表情は、忘れたくても終生忘れる事はないだろう。皇女の癖して思い切りが良すぎるのだ、あの娘は。

 ……政略結婚の伴侶を見繕おうとしてた矢先にそれを知った母親の顔を見た時は、正直胸がスカッとしたものだった、が。

 

「キョウト六家に嫁になど行かせんぞ、政争でユフィの胃に穴が空く」

 

「入り婿で向こうが来るなら?」

 

「………………………………………ユフィ次第だ」

 

「妹離れしたらどうだ、いい加減」

 

「んんっ!……もういいだろう、話を戻すぞ」

 

(…相変わらず揃ってシスコン姉弟だな。弟もだがこの皇家、やはり何処かおかしいんじゃないか?)

 

 但し思うだけで言いはしない。乱暴な咳払いでリセットを図った同僚の意を汲んでやり、C.C.はあっさりと軌道修正。閉架書架の件に話をスライドさせた。

 13閉架書架。それは通常、一般生徒の学生証では立ち入れないエリアの一つ。KMFの地下格納庫などと並ぶそれは、学園の有する秘密の一端が眠る場所でもあるのだが。

 

「五月達は入れるだろう。()()()()入学したのではないからな」

 

 そう。彼女達は事情が事情ゆえ、他の一般生徒と学生証の区分けが異なる。理事長自らが「彼女達を護るために編入を許可した」と言ってるのは伊達ではない。鍵代わりの学生証には、普通は立ち入れない場所へのアクセス権が付加されている。

 

「そうだな。……いずれは知らねばならん、か」

 

「ああ。真実を、な」

 

「………態とだろう?さっきあの2人を書庫に向かわせたのは」

 

「どうだろうな。想像に任せるさ」

 

 彼女達がモラトリアムを過ごす間に、真実へ向かおうとする意思を持ってほしい。それは人生の先達二人の、密やかな願いだった。

 

 

 ☆

 

 

 ぺたり。ひんやりとした図書館に、新品同然のスリッパの音が木霊する。学校指定の室内靴から館内入口備え付けのそれに履き替えた三玖が、五月と二手に分かれた後、回廊に足を踏み入れること間も無く。

 

「このフロアは初めて来たな……」

 

 教師陣の意味深な会話も露知らず。バインダーを帯びた彼女は、迷路のように広い書庫をマップ片手に探しているところだった。

 

 ここ約50年分のデータベースの中に、C.C.らが探している資料がない事は既に分かった。残る紙媒体オンリーの資料も、1960年以降の分は持ち出し済。約25の閉架書架のうち、開かずの書架は別棟の1から6。14以降は調査済なので、残るは7から13とのこと。

 ならばと手始めに13書架から当たっていこうか。「何、当たり前だが全てやる必要はない、今日は一棟終えてくれたらそれで良い」と、言われた言葉を反芻しつつ、検索機の方へ向かった時だった。プシュ、と空気の抜ける音と共に、やにわに後方の機密扉が開かれた。誰かいるのかと身を翻した、先に居たのは。

 

「……あれ、ユフィ?」

 

「あら、ミクじゃありませんか?」

 

 背後から現れたのは、同じクラスのお姫様だった。ブリタニアから遠路はるばるやって来た、天上人にしてはやけに気さくな女の子である。ピンクに近い髪をいつも通り結んだ彼女は、思わぬ来訪者が出たとばかり、珍しく目を丸くしていた。

 

「どうして一般生徒がセキュリティレベルAのエリアに入って……あ」

 

 ……ごめんなさい、今のは忘れて下さい、と小さく付け足した。

 

「?」

 

 要領を得ぬ発言に首を傾げる三玖だったが、どちらかと言えばそれよりも、彼女が両手に抱えている写真の束が気になった。10や20どころの数ではないが、そんなにたくさん抱えてどうするんだろうか。資料でも作るというのか。

 

「えーと、申し訳ないのですがわたくし、所用があるので失礼致しますね」

 

「え、あ、うん」

 

「また後日お昼でもご一緒しましょう、御機嫌よう!」

 

 上品かつ快活に一言置いてタタタ、と駆けていってしまった彼女。おっとりした普段の彼女とは大分様子が異なるが、何か変事でもあったのだろうか。

 

「何だったんだろ………」

 

 まあ忙しそうだし、それこそまた今度聞くか。同じクラスだし機会はいくらでもある。気を取り直して機密扉横のカードリーダーに、真新しい学生証をタッチ。

「第13閉架書庫」と銘打たれた部屋の中に流れるように入室するとまず目に入ったのは、最新式と思わしき巨大なプリンタだった。「古写真の着色サービス」なる機能も付属しており、興味本位で解説欄をぽちぽち押してみる。白黒写真の微妙な濃淡の違いを元に色味を解析、淡いながらも当時の彩色に近付ける、なる謳い文句が踊っていた。

 歴史的資料のあれやこれやに色付けが出来るのでは、との可能性を感じ後々活用することを決めた折。

 

(……あれ?)

 

 よく見ると、プリンタ下部の排出口に1枚、刷りたてと思わしき紙切れが残っていた。前利用者を照会するまでも無い。今しがたまでここに居た彼女のものだろう。

 

「ユフィ、写真忘れてる……!」

 

 間に合うか。碌に内容も確認せず、写真を拾って回れ右。勢いのまま彼女の去った曲がり角まで走ったものの。

 

「あちゃー……」

 

 既に、影も形もなく。どうもそそくさとエレベーターに乗ってしまった後みたいだった。

 

(しまった)

 

 正直、自分の脚力では今から非常階段を上ってユフィに追いつける自信はない。四葉なら可能性はあるかもだけど。

 

(…………明日渡そう)

 

 至極まともな結論を導き出した三女は、そういえば急いでた様なユフィが何を印刷したんだろうか、とふと思った。皇女殿下にして気の良い友人がわざわざ刷ってまで欲しいものとは、一体何だ。……好奇心の虫に勝てず、心の中で「ごめん」と謝罪しつつペラ、と捲ってみた。ちょっと見るだけ、すぐ裏返す。そんな腹積もりだった。だけど。

 

「……嘘」

 

 気付けば、思い切り凝視していた。何故ならそこに写っていたのは、本来はあり得ぬ筈の()()だったから。

 鮮やかなカラーで彩色された元セピアの写真に写るのは、武将好きが高じて日本史に強い三玖にとって、驚愕の画像。

 

 場所は船上。人数は3人。正に歴史書の一ページといった趣のそれは、綺麗に着色されている為か個々人の眼の色まで鮮明に分かる。問題は真ん中の人物だ。スカーフの隙間から覗く、黄緑に近い淡い髪。琥珀のそれにも似た金色の眼。顔に煤がついていようとくすまぬ、()()()()()()()()()美貌。見覚えのありすぎる、その人は。

 

(C.C.、先生…?)

 

 よく似た別人、というには余りに似過ぎている。先程当人の顔を見てきたばかりだし、何より三玖は他者への巧みな変装を可能とする程の高い観察力を持つ。見分ける方法は色々あるが、耳の形を見れば大抵は一目瞭然だ。顔を変えても両耳まで整形する人間はまずいない。

 もう一度全体を俯瞰した上で、加味すると。

 

(どう見ても、本人……)

 

 …………いや。決めつけは早計か。落ち着こう。流石に穿った見方をし過ぎているかもしれない。

 例えばエキストラで時代劇とかにちょっと出てた、とか。捻くれて考えれば写真自体を合成で作ったんじゃないかとか、苦しいけど言い訳の余地はある。

 しかし。「何処かに撮影の日付とかあるのでは?」と探すと、隅っこに何やら流麗な字を発見。内容は。

 

(『学制発布ガ為サレテヨリ一年以上、西欧式教育機関ニテ尽力サレル女史ラト共ニ。日ブノ安寧ト皇弥栄(いやさか)ヲ祈念シテ』……え……「学制」って……)

 

 戦前の文書なのかどうにも片仮名だらけだが、普段から戦国大名の記した癖の強い崩し書きを見慣れた三玖にとって、この程度の判読なら可能だ。流石に英語の筆記体を読めと言われたら無理だが。

 さて「学制」。確か発布されたのは明治初期、という非常に古い法令だが……もし現代に映画の収録とかで撮ったなら、こんな厳つい文字列をわざわざ並べるだろうか。普通はアラビア数字あたりで年月日だけ走り書きするだろう。おふざけにしてはネタが分かりづらすぎる。

 

 更に、写真の下部に添えられた人名と肩書きらしき筆書きが、高まった疑惑を一層加速させる。

 

(…文部省御雇外国人教師、クレア・リ・ブリタニア……?)

 

 文部省。勿論現代日本では存在しない官庁だ。それに「ブリタニア」という姓。もし偽名でないなら、C.C.?の隣に写るこの女性は……皇族か?しかも「リ」家だって?

 

(ならこの人、ユフィとコーネリア先生の……ご先祖?」

 

 そう思うと何処と無く2人に似ている気がする、クレアなる女性。でも何より問題なのは()()だった。

 

「……明治六年、九月四日」

 

 即ち、約150年前。

 だが議論するまでもなく一般に認知される事実として、先進国に於ける現代人の平均寿命は70〜80歳前後。ギネス記録でも117歳が最高齢だ。故にこの写真はおかしい。厳然と存在するのに、何かの間違いとしか思えない。

 

 21世紀を生きる人間が1()9()()()()()()()()姿()()()()()()()なんて、どう考えても……有り得ないのだから。

 

 

 ☆

 

 

 三玖が一枚の写真から何かを掴もうとしていた時。五月は何故か、館内付きの検索用PCの前から離れることが出来ないでいた。ふと閃いた思いつきを実行するか否かを、考え込んでいたためである。それは。

 

(私達の実の父は、もしかしてアッシュフォードに通ってたんでしょうか……?)

 

 義理の父たるマルオから聞かされた数少ない言葉の一つを信じるなら、自分達の遺伝子提供者たる父は、ブリタニア人であるらしい。ならばもしかしたら、彼はアッシュフォードの卒業生かもしれない。

 ええいままよ。半ば開き直ったように、覚えている昔の父親の名前を、思い切って打ち込んでみる。しかし。

 

「………出てきません、か」

 

 当然のように、検索結果はゼロだった。

 

(まあ、それもそうですよね)

 

 アッシュフォードはなんだかんだ名門校。父親が馬鹿だったら普通は入れないし、頭の良し悪しがまず分からない。というか父を探したければ、少なくとも日本よりブリタニア各地のアカデミーを調べた方が早いだろう。

 

(逆にほっとしました。だって…)

 

 声や性格どころか、顔だって碌に思い出せない実の父について考える。名前くらいしか碌に覚えてない父は、残念だが今のところ、「女誑しのロクデナシだった」みたいなイメージしか浮かばない。

 置かれた後年の環境から類推するしかないのだが……スレてない時分の若い母を、恐らく誑し込んだんだろう。子供まで孕ませといて後は知らん顔。大凡男としても人としても最低だ。

 しかもその相手はバツイチになるどころか、自分たちと言うコブが五つもつく始末。お陰で母がどれだけ苦労したと思ってるんだ。あのルックスで器量良しだ、本来なら再婚でも引く手数多だったろうに。

 

(私が……私達が、お母さんの幸せの邪魔をしてしまったかも知れない)

 

 本当に、自分達は望まれて生まれた子供だったのだろうか。片親で五人の子供を育てるのは、相当に大変だったことだろう。結果的に母が体を壊し病に倒れ、早逝する一因になってしまった。

「結婚相手は、きちんとした人を選びなさい」。時折母がそう言ってたのは、実体験に基づく考えだったんだと思う。もっと、色々と聞いておけばよかった。今となっては手遅れだが。

 

 さて。母の死後その代役を請け負わんとしたあたりに表れてるように、五月にとって母の存在は一際大きい。言われた事は今でも遵守せん、と考えているし、個人的に結婚願望もそれなりにはある。

 翻って。

 

(私の理想のヒトって、どんな人でしょう…?)

 

 思わず頼み事も横に置いて、将来の亭主像に想いを馳せる。

 まず責任感が強いこと。子供が出来たらハイサヨナラ、なんて真っ平御免だ。次に優しいこと。DV男やネグレクト野郎は論外だ。

 稼ぎはまあ……窮乏しないくらいには欲しい。勿論自分も勤めに出るつもりだが、赤貧生活の辛さは五月自身がよく知っている。ああ、頭は良い方が好き。これは自分にないものだからだろうか。

 容姿や声は…好みはある。けれどルックスにまで贅沢言ってたらきりが無いだろう。清潔感が有れば良い、という大方の女子の妥協点に彼女も漏れなかったりする。

 

(二乃ほど面食いではない筈、ですし)

 

 あと美味しいご飯作れる人だとバイブスがアガってまじヤバい、セイク飲んで優勝する(意味不明)。大体こんなところか。

 

(焦らずゆっくり探す……いや、焦らなすぎても不味いですね。むむ、勉強もそうですが、旦那さん探しとは何と難しいものなのでしょう……)

 

 世の女性達はどうやって適当な男を見繕ってくるのだろうか。あのヒトは、一体どうやって彼と付き合いだしたんだろう。傍からみれば恋愛脳では?と突っ込まれかねない妄想を練り上げる彼女の脳裏に、かつて最も近くで見続けた女性の姿が浮かんだ。

 

(…入力して、みましょうか)

 

 丁度目の前にある、御誂え向きの検索機。カタカタ、と心の向くまま打ち込んでみたのは、五月にとってともすれば自分の名前より馴染み深く、とても大切な符号。でも父と違い、アッシュフォードにその人の名が出て来るわけはない、と思い込んでいた。

 しかし。

 

「検索結果、53件該当………!?」

 

 至極あっさりと、それらは出てきた。カラー写真に写ったその人は、五月の知る姿よりずっと若かったし、化粧っ気も薄かった。いつも鉄面皮な表情を浮かべていたにも関わらず、何枚もの写真の中の彼女は、一様に表情豊かだった。

 中には学祭の準備期間中にでも撮られたのだろうか、模擬店で女生徒と一緒に笑い合っているものすらあった。赤ペンキが顔に飛んだままでもにこやかに笑う姿は、五月の知るお固い母のイメージからは想像だに出来なかった。

 卒業式かと思わしきものもあった。大正時代の女学生風の袴姿にブーツという出で立ちで、綺麗に赤髪を結った彼女。友人らしき学生達に囲まれて、とても幸せそうだった。

 

 確定的だったのは、最後の一枚。出典元はアッシュフォード学園高等部、第XX期入学生名簿。緊張からか若干表情の固い彼女の顔写真の下に、はっきりと名前が記されている。

 その苗字こそ「中野」ではない。けれど、明記された名前と美しい容貌は、紛れもなく。

 

 

「お母、さん…………!?」

 

 

 




〈クレア・リ・ブリタニア〉……コードギアス「漆黒の蓮夜」より。時代設定は幕末の方を採用。


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TURN 12:晴れのち涙雨

五つ子集合……の前のシャーリー回。


 いつからだろう。気付けば彼の姿を目で追うようになっていたのは。

 

 シャーリー・フェネットは回想する。今より三年前。彼とこれまで過ごした時間、その始まりを。

 ……最初は、なんていけ好かない人なんだろうと思っていた。

 

 中等部の二年時に編入試験満点という結果を引っ提げ入ってきたその男は、程無くして学園で知らぬ者の無い存在にまで駆け上がった。

 

 スタイルは抜群で顔も良い。弁が立つからトークも上手いし、おまけに手先も器用ときた。頭脳に至っては転入してこのかたずっと全国一位をキープする天才児。スペックが高過ぎてクラス長なんかにも必ず推薦される、そんな人。

 だというのに、授業はいつも寝てばかり(しかもバレないように上手いこと)だし、口を開けば悪徳弁護士もかくやというくらいの毒を吐く。おまけに気質はナチュラルに俺様で、イベント事では当然とばかり人をこき使う。

 更に巷では「夜な夜な違法カジノに入り浸ってる」とか「実は皇室にも顔が効く」、なんて得体の知れない噂が数知れず。

 勿論、そこまで大仰なのは嘘だとすぐに分かるけど。兎角雪だるま式に噂に尾ひれがつくくらいには、彼は注目の的で。

 

 総合すると、頭良いのに使い方おかしい、いけ好かない人。ルルーシュという人間に対する評価は、精々そんな程度だった。が。

 

(……え、あれもしかして、ランペルージ君?)

 

 入学してひと月ほど経過してからのことだったか。交通事故の現場に遭遇したところを、彼が両者の仲裁に入って上手く纏め上げてしまったのを目撃したのは。

 

 

 ☆

 

 

(……どうして?)

 

 最初に浮かんだのは疑義だった。「動く凶器を扱う癖に事故を起こすなど頭脳が間抜けな証左だ、()く死ね」、とか言い放って捨て置くタイプだと思っていた。損得勘定が得意そうだから、金にならない事なんてやらないだろう。偏見で、思い込んでいた。

 

(揉め事に、わざわざ割って入るなんて……)

 

 意外と、情に厚い人なのかな。彼女の疑惑は、程なく確信に変わっていった。

 理詰めで物事を考える思考の緻密さと裏腹に、彼は存外に人情家らしかった。特に弱い立場にある人々が虐げられているのは我慢出来ない性質らしい。

 こういった点は普段ポワポワしてるがいざとなると恐ろしい程冷徹になる彼の親友・スザクとは極めて対照的だと、後年のシャーリーは述懐している。

 

(……こんなトコも、あるんだ)

 

 彼女が彼に抱いていたイメージは、かくして徐々に変わっていった。でもこの時は、まだ彼の事を……好きだったのかは分からない。どちらかといえば憧憬や、羨望の方が強かった。すごい。同い年でこんな飛び抜けた人がいるのか、と。

 

 嫌悪が好意に変わり、やがて恋慕に変じてゆくのは、やはり生徒会で一緒に過ごした時間が大きい。

 徐々に分かってきたのは、兎角彼は「デキる男」だったということ。事務処理は早く折衝も巧み。複数の作業を並列でこなし、立案企画に一切のハズレなし。運動部や文化部の対外成績を向上させ、文化祭やバザーで過去最高の売上を記録。扇動と鼓舞に長けるため、体育祭なんかでは生徒の士気は鰻登り。でも、全く偉ぶらない。

 

 とどめは、一緒に編入してきてから暫くは松葉杖生活をしていた実妹を気遣い、介助していた姿を幾度も見たこと。優しい声音と真摯な態度こそ、彼の本来持つ形質だと、漸く気付いた。

 思えばその頃からだ。彼に、ルルーシュという少年に懸想したのは。

 

 そして。時期を同じくして、父の職場があるナリタ連山で土砂崩れが発生したのも、丁度その頃だった。

 

 

 ☆

 

 

 山肌どころか火山が噴火したかという規模の災害は、しかして天災ではなく人災であった。下手人は流体サクラダイト。これを用いた発破に成功すれば、工期の大幅短縮と予算削減が見込めるは必定。関わった技術者らの期待を一身に集め、土建業界に於ける画期となる筈だった事業は、予想に反して見事失敗に終わった。

 シャーリーの父が勤め、東京に本社を置くとあるゼネコンもその例に漏れず。丁度現場視察に赴いていた彼も、無傷で帰還することは出来なかった。

 

 ただ案ずるかな、結論から言えば彼女の父は、崩落した土砂に対して巻き込まれる事もなく軽傷で済んだ。石の飛沫で軽い擦過傷を負い、打ちどころが悪くとも肋骨に一本ヒビが入った程度。部位が部位ゆえギプスで固める事もなく、安静にするよう指示されたのみである。労災認定も下りるだろうから、特段心配することはない。

 

 ……そう、()()

 

「………救命措置の結果、一命は取り留めました。患部が全て壊死した訳ではないので、切断の必要もありません」

 

 昨日、命からがら被災現場から脱出したジョセフ・フェネットは、病院の診察室で拳を震わせながら医師の話を伺っていた。傍らには自宅から駆けつけ、顔面蒼白になりつつある妻の姿もある。無論、自分の容態を聞いていたのではない。

 

「但し、……長期間重機と山肌に挟まれていた影響もあってか、下肢の恒久的麻痺は避け得ないでしょう」

 

 レスキューの手により大学病院に担ぎ込まれて緊急手術を受けたのは、ジョセフ・フェネットではなく。

 

「そんな、何とかならないんですか!?」

 

「………申し訳ありません」

 

 外科医は沈痛な表情で、ふるふると首を横に振る。

 

「ここまでが我々の………()()()()()、限界です」

 

 ナリタ連山崩落事故。フェネット家の中で最も深刻な怪我を負ったのは……夫妻の愛娘、シャーリーだった。

 

 

 ☆

 

 

 自らの経過と現状を、彼女は半ば茫然と聞いていた。娘を抱き締めて泣き崩れる母の横で、放心状態だった。

 時間だけが刻々と冷厳に過ぎていく。告死が如き宣告を受けた衝撃も冷めやらぬまま。非常灯の明かりだけが頼りなく灯る病室で、彼女は絶望感に潰されそうになっていた。

 

(どう、して)

 

 ほんの、軽い職場見学のつもりだった。張り切って朝からお弁当も手作りしてたから、昼時にお父さんに渡そうかな、なんて考えてもいた。働いてる父の姿を見てみたいと、思っただけだったのに。

 

(私が、お父さんが、何か悪いことでもしたの?)

 

 腰から下が、動かない。砂袋でも入ったみたいに、全く。走るどころか、自分の意思で歩けない。

 酷薄な現実の与える衝撃に心は折れた。病院食はろくに喉を通らなかった。携帯に沢山入っていた着信を、かけ直す気にもならなかった。バタフライでもクロールでもお任せあれ。体型維持にも気を使って維持していた美脚は、密かに彼女の自慢だった。だと言うのに、今では一人では寝返りを打つことすら億劫な身体。

 

 もう、今までのようには泳げない。誰かの介助なしでは、満足に生きていくことも出来ない。スポーツ推薦どころか五輪だって狙える、と太鼓判を押された水泳を再び出来るかと問われれば…………どう贔屓目にみても、不可能だった。

 

 気付けば、涙が幾筋も頬を伝っていた。

 

 一度しかない学生生活を目一杯楽しもう、と加入した中等部の生徒会は、大変だけどやっと慣れてきたところだった。

 アスリートとして鍛えている身体は、着々と全盛期に近付いている。最も高いパフォーマンスを発揮出来るだろう時期に、世界に挑戦してみたい。そんな志も、勿論あった。

 ささやかな願いだけど、好きな人と付き合って………結婚して、一緒に生きていきたいなんて夢もあった。

 

 でも、今は。

 

(………………………もう、死にたい)

 

 人並みの幸せに溢れていた筈の人生に、突如襲い掛かった悲劇。シャーリーにとってその夜は、紛れもなく最悪の一夜だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 翌朝、早朝9時。コンコン、と響いた2回のノックで、彼女の意識は微睡みから目覚めることとなる。

 

(………誰?)

 

 食欲が沸く筈もないので朝食は断ったから、看護師の診察だろうか。朝一からとは頃合いかと思い、オートロックを手元のリモコンで解除し、どうぞと一声。発した声が意気消沈しているのに自分でも気付いた、刹那。

 

「失礼する」

 

 スライドドアを音も無く開けて入ってきた人物は、しかし医者でもなんでもない彼女の知己で。

 

「生徒会を代表して見舞いに来たぞ、シャーリー」

 

 中等部の男子制服を纏うは、自分が今一番会いたくて……会いたくなかった、人。

 

「……ルル!?」

 

 転入してこの方その英才を存分に発揮し続けるばかりか、現在は中等部の生徒会副会長まで務めている同級生は、両手に花と菓子箱を携えていた。

 

「如何にも。つまらん物だがこれは差し入れだ。序でに今から少し、時間を貰っても大丈夫か?」

 

「いい、けど……なんで、此処に……?」

 

 どうしよう。朝シャンも済ませて無いし、梳かしてないから髪はボサボサ。おまけにすっぴんだし、第一身体、臭わないかな…?

 御礼を言うのも忘れて、自身の酷い容体を一瞬でも忘れられるくらいには、彼女は年頃の女子らしい悩みを心に浮かべていた。

 

「ああ済まない、居室にいきなり立ち入る不躾は許して欲しい。緊急性が高い話なんだ。……ところでこの様子だと、ご両親は不在なのか?」

 

「え、うん……一旦私の荷物取りに、ね」

 

「そうか」

 

 相槌を打ちながらも、彼は備え付けの花瓶に手際良く切り花を生けていく。手先が器用なのか、あっという間に作業は完了。しかもシャーリーの好きな花ばかりというのも心憎い。生徒会の顔合わせの時に一度だけ言ったのを覚えていたのだろうか、なんとも出鱈目な記憶力だ。

 

「………それで、君の容体についてなんだが…」

 

 核心へ慎重に切り込もうとしたルルーシュに対し。ピク、と身体を強張らせた彼女は思う。

 この副会長の先読みと洞察力は常人のそれではない。黙っていてもいずれ全て露見してしまうだろう。けれど。

 昨日の今日でこの現状を、彼女はまだ……受け入れたく、なかった。わざわざ見舞ってくれた彼に、余計な心配をさせたくなかった。

 ……想い人に、こんな自分を知られたくなんてなかった。

 

「……ごめん、折角来てくれたのに悪いんだけど、私は大丈夫だから」

 

「いや、しかしな」

 

「生徒会も、退院したら復帰できるから。だから心配しないで、ね?」

 

 遮る様に、取り繕って語るのは、もちろん嘘。こんな状態で碌に業務が出来るわけがない。水泳だって諦めざるを得ない。五輪の強化選手だって視野に入ってた泳ぎを取り戻すのは……もう、無理だ。学校自体にだって、正直行きづらい。皆が求めているのはいつだって元気な少女、シャーリー・フェネットの筈。腫れ物みたいに扱われるのは御免だし、耐えられない。

 どうしようか。いっそ………学校、辞めてしまおうか。思わず自棄になるくらいには、精神的に切羽詰まっていた。気丈な台詞を吐きながらも気付けば、ベッドのシーツを指先が白くなるくらいに握りしめていた。

 

 しかしその挙措を、目敏いルルーシュが見逃すわけもなく。鋭く煌めくアメジストが、飢えた猛禽のように細まったかと思うと。

 

「脊髄損傷に拠る半身麻痺、か」

 

「……え?」

 

「大方、『このままでは一生車椅子』とでも言われたんだろう?」

 

 淡々とした言葉が、耳朶を打った。弾かれたように目線を上げると、感情を鋳潰したような彼の表情が目に入った。

 

「なん、で…………」

 

 何で、知ってるんだ。本人がつい昨日聞かされた事を、部外者が。

 

「勝手に閲覧した。院内データベースのカルテをクラッキングしてな」

 

 今日の献立でも諳んじるような調子で、稀代のクラッカーは事情を知り得た顛末を語る。

 

「今回の土砂崩れ、死者を除けば最も症状が重篤なのは君だ。だから俺は真っ先に此処に来た」

 

 いつも穏やかな笑みを湛えているだろう顔立ちは、今は能面を貼り付けたように如何なる感情も宿していない。

 

(何………何……?)

 

 目の前のヒトを、理解していたと思っていた。その筈なのに、一分も理解出来なかった。病床の患者への遠慮や慎重さは、カケラも見受けられない。自分の目的を達成する為に、まるで手段を選ぼうとしない。他人への配慮や倫理観が、そこには毛ほども感じられない。人を気遣い思い遣りに溢れる彼とは全く、違う。

 

(………誰…?……ホントに、ルルなの………?)

 

 生理的な嫌悪ではない。例えるなら未知の存在へ対する、畏怖。まるで何か、世に有らざる生物が直ぐそばに居るみたいで。背が粟立ち怖気立つ程に、急に恐ろしくなった。

 

「……帰って。…………部屋から、出てってッ!」

 

 フラストレーションと、畏怖。それらを混ぜ込んでぶつけるみたいに、思わず手渡された菓子箱を投げつけた。衝撃で中に収まったクッキーが、丁寧な個包装ごと吹き飛んで辺りに散らばる。八つ当たりだと分かっていても、気付けば腕が勝手に動いていた。

 

「……………お願い、一人にして」

 

 俯いて、一言。乾ききった雑巾から更に水を絞り出すくらいに一杯一杯な心根のまま、苦心を吐露する。何も考えたくなかった。何もしたくなかった。呼吸すら億劫だった。立ち直るには、前を向くには、途方も無い時間が必要だと感じた。……生きることさえ、諦めたくなった。なのに。

 

「断る」

 

 箱をぶつけられようが何処吹く風。あくまで冷静に、彼は続ける。

 

「君に今必要なのは諦観じゃあない。最善の結果を手にする()()だ。だから俺は今日、君に契約を持ち掛けるため此処に来た」

 

 言うなり手提げの中からバサ、と。彼は一冊のなにかを取り出した。彼女の手元に差し出されたのは、五〇ページ近くの冊子。英語で何やら詳らかに記されたそれは、一見しただけで複雑な公式や理論が幾つも羅列されている。

 中でも特に多く紙面を割いていたのは、「C因子」と「R因子」なるものを導入して得たという、分化万能性と自己複製能を持たせた細胞について。それらは到底中等部に通う一学生が解せるような難易度でも、ましてや提示できるような内容でも無かった。さらに言えば、既存の現代医学で解明されているものでもない。

 

「何、この書類………」

 

「奇跡の結晶、とでも言おうか」

 

 述懐するように、彼は呟き。

 

「超人工多能性幹細胞・『R2-Cell』を用いた再生医療。この誓約書にサインして行われる手術と投薬、リハビリに同意すれば、君の身体は元通り動くようになる。後遺症どころか目立った手術痕すら残らない」

 

 ………雲を掴むような、馬鹿みたいな話だった。有り得ない。身体が元通り動く?奇跡の結晶?覚醒剤か何かの類か?死刑を控えた囚人にだって、もっとマシな言葉をかけるだろう。第一、再生医療なんて未完成のオーバーテクノロジーだ。病人へかける冗談にしては悪質すぎる。

 

「そんなもの、存在するわけ……!?」

 

「あるんだよ。無かったから俺が()()()

 

 ……創った、だって?

 

「医療サイバメトリクスにおいて次世代をひた走る企業・『黒の騎士団(ブラックナイツ)』。聞いたことくらいはあるだろう?」

 

 黒の騎士団。その大仰な名前は確かに耳に残っている。最先端技術を用いた画期的医療により、現代医学のステージを数段上に引き上げたとされる新興医療会社の名称だ。

 

「名前だけなら。それが…何?」

 

 しかし。彼等の提示する理論は理論は難解過ぎて意味不明な上、シャーリーは企業実態まで知ってはいなかった。

 でも病院(ココ)で、このタイミングでその名前を出すということは、彼はそこの関係者、とでも?…降って湧いた疑問を差し挟もうとした時。彼は唐突に、何やら懐から一枚の黒いカードまで持ち出した。

 

黒の騎士団(ブラックナイツ)代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)、ジュリアス・キングスレイ。又の名を……」

 

 提示されたのは、社員証と思わしき黒いそれ。添付された顔写真は、眼帯をつけている以外は目の前の人と全く同じ。即ち。

 

「……黒の騎士団筆頭株主、ルルーシュ・ランペルージ」

 

「……!?」

 

 は?え??…つまり…………彼の言う事が法螺ではないなら……同期の生徒会副会長は、実は生き馬の目を抜くベンチャー企業の最右翼を飾る会社の社長にして経営者で、そして敏腕投資家でした、って事?

 

「…どうして偽名、なんて……」

 

「色々だ。騒がれると面倒な事情があってな、普段はAI越しに経営指示をしている。……さて、俺の情報は開示した。信用するかしないかは君次第だが」

 

「……嘘、だったら?」

 

 もし嘘なら?…同意すれば保険適用外の手術でもって、身体を弄り回されることになる。あまりにもリスキー過ぎる。昨日医師から悲観的な通知を受けたばかりの彼女には、自分の未来に暗雲が立ち込めているようにしか考えられなかった。

 けれども。

 

「数は少ないが、俺の正体を知る社員もいる。裏取りしてみると良い、カレンに聞けば直ぐ分かるぞ?彼女の兄君は我が社のエースだからな」

 

 次から次へと、飛んで来た。

 

 

 ☆

 

 

 30分程外に出ている。その後に可否を伺いたい。紋切型に述べた彼は、言葉通り本当に退室してしまった。

 

 ぼつねんと取り残されたシャーリーが選択した行動は……実際に、かけてみること。

 震える手で携帯番号をプッシュすると、ワンコールですぐカレンに繋がった。事前に話を合わせておいたのだろうか。何やら彼女の声以外にも後ろから色々と聞こえてきたが、拙いながらもなんとか説明。すると。

 

『……うん、確かに働いてるわよ。ルルーシュから聞いたのね』

 

 至極あっさりと、彼女は認めた。おまけに。

 

『どーせあいつカッコつけて外で待ってるとかそんなんでしょ?だからバラすけど…』

 

 今しがたの彼の行動パターンまでお見通しだった。そればかりか。

 

『…この手術は既に成功例があるの。ナナリーちゃん、っていうね』

 

「え?」

 

 もう既に、実用化していたのか?聞けば夏休みでブリタニアに帰省中の彼の妹・ナナリーは、今は手術を終えてリハビリをしているそう。車椅子生活が長かったので感覚を取り戻すには暫くかかるかもしれないが、「兄様の御顔に泥を塗らせるわけにいきません」と、鬼気迫る勢いで励んでいるらしい。

 

『リハビリだって大丈夫よ。開発に関わった先生方も、今度からアッシュフォードに出向するって話になってるから』

 

 なんでも利害の一致とのこと。ルルーシュがいるとスパコン使わなくていい上に性能が上位互換なので、各々やりたいことが早く進むのだと。彼は彼で有能な人材を集めたい目的があるので、お互い願ったり叶ったり。あわよくばアッシュフォードに集う日ブの有能な人材に若いうちからツバつけときたい、なんて魂胆も込みで。

 

『ルルーシュね、シャーリーが巻き込まれた、って知って血相変えて病院まで飛んでいったの。ポーカーフェイス気取ってるだろうけど、きっと内心大慌てだから』

 

「なんで、そこまで………」

 

『ほっとけない、って言ってたわよ?憎からず想ってるんじゃないの、シャーリーのこと』

 

 本当か、それ?共謀されている、という説は……?…いや、私を謀って二人に何のメリットがあるんだ。カレンは気質的にそういうやり口、好まないだろうし。悶々としかけた時、不意に。

 

『……学校で、待ってるから。だから…あとは貴女次第よ、シャーリー』

 

「………!」

 

 励まし序でに二言三言。近況報告を混じえたトークを交わして、そこで一度携帯を置いた。そして。計ったように丁度きっかり30分後に戻ってきた彼に、詳しく聞いてみたところ。

 

「無論、他にセカンドオピニオンを求めるも大いに結構。その上で俺は聞きたい。乗るか、乗らないか?」

 

 ごくり、と生唾を飲み込んだ。真摯に、しかし冷静に此方を見つめる紫の目に映るのは、お伽話に縋りたくなるくらいに、絶望に満ちた表情の自分。

 彼は悪魔か、それとも救い主(メシア)か。

 

「……失敗する、可能性は?」

 

「砂の海で砂金を見つけるほどになら」

 

 あることはある。エラーはつきもの。100%なぞ有り得ない。当たり前の事実なのに、手渡された万年筆を持つ腕が震える。

 

「ただ」

 

 不安げな問いに彼は少し瞑目したのち、呟いた。

 

「そうなったら如何様にでも責任を取ろう、俺自らがな」

 

「………ホントに?」

 

「ああ」

 

 間髪いれず間断なく。明瞭な言葉に否やはない。躊躇いもない。彼にあるのは不退転の決意と覚悟。無論口だけではない。痩身に五つの墓標を背負った男は、救えなかった数以上の人々を、既に救っているのだから。

 

「ルル」

 

 見上げた綺麗な顔立ちは、不敵な微笑を湛えているように映った。…こんな、例えるなら男の子って感じの顔もするんだなと、どこか他人事のように感じて。

 

「私ね、……まだ、ちゃんと学校行きたい」

 

「戻って来い。待っている」

 

 筆を執り、紙を引き寄せ。

 

「……皆と一緒に、卒業したい」

 

「同じ気持ちだ」

 

 震えを堪えて、一筆一筆。

 

「これまでみたいに、泳ぎたい」

 

「出来るさ、直ぐにな」

 

 その一言で、署名を終える。

 

「……………………助けて、ルル」

 

 そうして、彼女は。

 

「────待っていたぞ、その言葉」

 

 賭けに、()()()

 

 

 ☆

 

 

 全身麻酔から覚めると、あっさりと正常な感覚を取り戻した自分がいた。

 転院の後退院したのは、僅かに一週間後。一月後には部活に復帰出来る、とのことだった。拍子抜けするほど即座に社会復帰を果たした彼女は退院予定日より一足早く、思い人にしてお世話になった彼のもとへ馳せ参じていた。

 

「ルル!」

 

 クラブハウスのドアを息急き切って開けると、やたらに分厚い日本語?の本を読んでた彼に突貫。ここ数日の間に毎日せっせと見舞いにくる彼と話すうち、お互いの距離も心なしか縮まった気がする。

 すっかり見知った顔を見るなり目を丸くした彼は、書籍をパタン、と畳んで応対。

 

「シャーリー?退院予定は明日じゃなかったか?」

 

「許可貰ってきたの!いてもたってもいられなくて、ね」

 

「それは良かった。にしても何故此処に?」

 

 ぱちくりと、不思議そうに瞬きひとつ。脚を組んで本読んでただけなのに、どうしてこんな様になってるのだろうか。あれか、惚れた欲目か。

 

「皆と、カレンと………る、ルルに会いたかったから、って言ったら?」

 

「特に何処にも異状は無いか?」

 

「うん、おかげさまで健康体です!…て、じゃなくて!スルーしないでってば!」

 

 慌てて切り返す。このまま彼のペースではぐらかされたら、お礼だけで終わってしまうところだった。

 しかし話を差し戻すと、腕を組んで難しそうな顔をされた。……ひょっとして、迷惑だっただろうか。

 

「うーん、しかし俺に会っても、もう大して出来ることは無いんだがな」

 

「いや、何して欲しいとかじゃなくてね?」

 

「ああ、工事関係者を訴える手伝いなら出来るか。原告を纏め上げて集団訴訟というのもアリだな、幾ら分捕りたいんだシャーリー?本気を出せば相手方を社会的に抹殺できるぞ?」

 

「違う違う!そんな理由でもないの!」

 

 心配は杞憂だった。それどころか恐ろしいことを平気で言い出した。この男に毟られたら一銭どころかぺんぺん草も残らないだろう。それに怪我はお陰様で治ってるんだし、もう彼らへの禍根は個人的にはない。先ずすべきは。

 

「……ありがとう。何から何まで、お世話になりっぱなしで」

 

 一〇度に頭を下げながら謝辞。その上であの、その、と。暫く口ごもっていたのだけど。

 

「お金……手術代!必ず返すから、だから……」

 

 無料(タダ)にして、なんて考えは毛頭ない。でも大金だろうし直ぐには払えない。せめてバイト代が貯まるまで待って欲しい、と言おうとした矢先。

 

「なんだそんなことか。心配するな、金などいらん」

 

「えっ…」

 

 簡潔に過ぎる言葉だった。口ぶりからして、本心から必要を感じていないらしい。だが気持ち的にそうはいかない。どうにも収まりが悪いのもあり食い下がる。

 

「でも、高かったんじゃ」

 

 べらぼうな値段だろう。ジェネリックどころか認可外の薬品の投薬に、手術。保険適用が成されるわけがない。開発費用の試算を入院中にネットで調べてみたけれど、とんでもない額だった。研究費をペイする為には薬代だけでも物凄い金額になるだろう。数年単位での返済を企図し、覚悟していたのだけど。

 

「金目当てでやったんじゃない。君に恩を着せたくてやったのでもない。だから気に病むな」

 

 訴訟も示談もせずに事を収めるなら、今回のことは野良犬にでも噛まれたと思えば良い。もう、いつも通りの日常に回帰するんだ。

 含むように、言いつけて。

 

「親御さんに元気な姿を見せるのが先決だ」

 

 穏やかな口調はそのまま。言いたい事をあらかた言い終えたのか。それきり用は済んだ、とばかり何やら机の引き出しを開けようとした彼。スルーしまくりは仕様なのか?……でも、でもせめて。

 

「………ない」

 

 せめて、お礼くらい言わせて欲しい。

 

「?」

 

「…思えるわけ、ないでしょ……」

 

 最初は、一方的に悪印象を持っていた。それから徐々に彼の言動を見て見直した。内面を覗くにつれ、いい人なんだと認識を改めた。近づけば近付くほど、カッコいいと思い始めた。気付けば、大好きな人になっていた。……あまつさえ、助けられてしまった。

 

「私が」

 

 想い人からここまでされて、心が動かない人間がいるとでも?初恋は実らないと言うけれど、これ以上の恋心を抱ける自分がいるなんて……思えない。言葉一つで嬉しくなるし、彼が疲れてたら心配だし、側で支えていたくなる。思いつめてれば問い詰めたいし、相談に乗ってあげたい。一緒に歩くだけでも楽しくてたまらない。重い女と、自覚してても止められない。

 

「私が一番、ルルに言いたいのは……」

 

 

 

 




次回も!シャーリーの!ターン!


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TURN 13:百代の過客

C組回。


 はた、と。言い掛けたところで、彼女は止まる。今は……あまりにタイミングが悪すぎないか?

「事故の前から惚れてました」と言って、果たして真意が伝わるだろうか。「無償の施術を引け目に感じて、その穴埋めとして彼女にそんなことを言わせてしまった」、みたいに彼は思ってしまわないか。

 

 尊崇の念と思慕の念はイコールではない。例えば両親に感謝し尊敬することはあれど、恋愛感情など抱くことが普通はないように。もし勇気を振り絞った果てに、()()()()()断られたら?…諦めはついても、立ち直れる自信がない。

 

(………ど、どうしよう…ここに来て躊躇っちゃうなんて、自分でも思ってなかった…)

 

 一言が言いたいのに、言えない。よしんば伝えたとして上手くいくのか?苦笑いしながら断る彼の姿ばかりが、ありありと想像出来る。

「ごめん、俺は君のことをよく知らない。申し訳ないんだけど、君の気持ちには応えられない」………自分に告ってきた女生徒達をこんな口ぶりでやんわりとフッた彼を、間の悪いことにシャーリーは何度も見聞きしていた。

 

 やらかした後だって、ルルーシュなら素知らぬ顔でペルソナを被ってやり過ごせるだろうけど、自分では気まずくて到底間が持たない。ルルに彼女のいない今がチャンス…の筈、なんだけど。

 

「……シャーリー?大丈夫か?」

 

 邪な心が発露しかけた時に、ふと誰何される。弾かれたように目線を上げると、怪訝な目をした彼に覗き込まれていて。

 

「…あっ、えっ、ごめん!ちょっとボーっとしてただけ、あはは…」

 

 自分で話を振っといてそのままだった。

 

「理論上は後遺症など残らん筈だが、もし何処か悪いなら遠慮なく……」

 

「平気平気!今度はホントに何でもないから!」

 

 今度は本当に本音。聞くなり凝視こそしてこなかった彼だが、此方の眼を一度()てのち声を収めた。後から聞いたことだけど、どうも声音とか眼球、表情筋の動きとかで真偽を判断してるらしい。若者の人間離れとはこの事だろうか。

 

「……みたいだな、良かった良かった。それから──」

 

 面立ちを柔らかくした彼、おもむろにデスクをガサガサしだした、かと思うと。

 

「明日渡そう、と思ってたんだがな」

 

 ぽん、と。彼女の手元に。

 

「ささやかだが、俺からの退院祝だ」

 

 立ち上がってそう述べた彼から手渡されたのは、何やら長方形の包み紙に収まったギフトだった。

 

 

 ☆

 

 

「…………うそ」

 

「本物だ」

 

「くれるの?私に?」

 

「お気に召すかは分からんがな」

 

 余裕綽々とばかり座椅子に座り直して脚を組みだした彼が、心なしか二割り増しで格好良く見える。包装に結び切りの熨斗を付けてあるあたり、彼が日本のしきたりにも長けている事が伺えた。

 

「…開けても、良い?」

 

「勿論」

 

 逸る心を抑えながら、手早く丁寧に包装を解いていく。ビリビリに破るなんて、到底出来そうになかった。喜び勇んで開封すると、中には精緻な細工を凝らしてある、アンティークの匣がひとつ。単体でも売り物になりそうなそれの蓋を慎重に開けてみた、中身は。

 

「……なにこれ?」

 

「小判だ」

 

「小判?」

 

「ああ」

 

 小判。それも明治期より前まで日本国内で使用されていたタイプの古いやつ。博物館や教科書でよくみる黄金色が、行儀良く収まっていた。「祝 御退院」なる日本語の文言も、無駄に達筆な草書体で添えられている。何を企図してこれを作ったんだろう。「ルルーシュは時々変なポーズで変なことを言いだしたりする異常性癖がある」とスザクがのたまっていた事があるが、噂は事実だったのか。

 

「遠慮はいらんぞ、さあ食べろ」

 

「コレ囓れっていうの!?」

 

「割と柔らかめな筈だ」

 

「そりゃ純金は確かに柔らかいけどね?」

 

「いやメッキだぞ?」

 

「メッキなの!?」

 

「ついでに中身はチョコだ」

 

「ホントに食べ物!!?」

 

「後腐れがないからな」

 

「真面目なのかふざけてるのかわからない……」

 

 ……ま、まあ、取り敢えず受け取ろう。断るのも悪いし。病み上がりも相俟って、なんだかどっと疲れた気がする彼女だったが。

 

「ところでシャーリー」

 

「なに?激辛チョコだから気をつけろとか?」

 

「実はその匣は二重底でな。本命のプレゼントは一段下に隠れている」

 

「どうして小ネタを挟むのここで??」

 

「捻りがないのも俺らしくないだろう?」

 

「捻くれてる自覚あったんだ……」

 

「シャーリーが実直な分、俺は偏屈な方がバランスとれてる気がしてな」

 

「何の均衡なのソレ……?」

 

 ツッコミを継続しつつも裏返す。するとよく見たら継ぎ目がある。爪を立ててパカ、と慎重に開けると現れた、本日二度目のサプライズの正体は……カンパニュラを象った、銀細工のネックレスだった。

 

(………え!?…これって、確か……)

 

 以前、父の日のプレゼント選びに付き合って貰った時に見つけた、ジュエリーショップの豪奢なショーウインドウに飾られていたそれ。可愛いなと思ってまじまじ見た覚えはあるが、値段がとんでもなかったので秒で諦めた代物だった。働きだしてから買おうと思ってたんだけど、まさかこんな形で手元にやってくるとは。

 

 中心にカットされたルビーと共に鮮やかに煌めく首飾りは、恐らくは一点もの。かなり前から準備していなければ、用意出来ないだろうプレゼントを。

 

「少し遅れてしまったが……誕生日おめでとう、シャーリー」

 

「………!」

 

 誕生日。そのフレーズを聞いて思い出す。短期とはいえ入院している最中、自分は14歳になっていた。家族ぐるみで一気に色々あってそれどころではなかったのだが、そうか。……誕生日、過ぎちゃってたんだ。

 

「…覚えてて、くれてたの?」

 

「俺にとって7月8日はその為の日だ」

 

「…………ありがとう、ルル…!」

 

「それはどうも。悩んだ甲斐があったよ」

 

 ほっと一息、安心したように破顔する彼の笑顔は魔性のそれ。……なんだ、喜んでくれるのか気にしてたのか。ポーカーフェイスだったから分からなかったけど、こんな可愛いところもあるんだ。

 ただそれだけで連日の入院疲れまで吹っ飛んでしまった気がするから、我ながら単純なものだ。

 

(……幸せだな、私)

 

 文字通りの宝物を抱き締めて、彼女は思う。考えて、選んでくれた。その気持ちが何より嬉しい。ましてや想い人からなら。

 感動と歓喜。それは彼女の中でいつまでも色褪せない、大切な記憶。側にいて笑っていてくれる、それだけで幸せだ。だから。この気持ちはまだ、大事に取っておこう。今は、この時間が何より愛しいから。

 

 ………ついでにもう一つの中身たるキスチョコレートは、食べてみたらべらぼうに美味しかった。後で聞いてみたら何と手作り。意中の人に(裁縫の腕以外は)女子力で勝てていなかったことに、なんとなく負けた気がしたシャーリーだった。

 

 

 ☆

 

 

「はああ………」

 

 時を戻して、現代へ。昼時を迎えたアッシュフォードの学食で、座卓に突っ伏してテンション急降下な女子が一名。誰あろういつもクラスの真ん中に居る女子、シャーリー・フェネットその人である。

 

「もー、朝から溜息ついてばっかりじゃない。どうしたのよ?」

 

 向かいの席に座って問うはクラスメートにして五つ子の次女、中野二乃。転入して以来、一番中の良い女生徒が早朝から空回りしてるのを見て取った彼女、半ば引きずるようにシャーリーを食堂へと引っ立てて今に至る。

 飢餓は思考を鈍らせる。加えて美容にも悪い。料理人としてひとかどの矜持を持つ次女が、末っ子が気落ちしていた時分と同じ手法を選択するのは、かくして自明の理であった。

 

「私ね」

 

「うん」

 

「昨日、ルルに酷い事言っちゃった……」

 

「酷いこと?」

 

 ええ、そんだけ……?と内心思ったが黙っておく。総身に致死毒が宿ってるような弁舌で人を突き刺しまくるあの男に、ちょっと軽口を叩いて何だというのか。中華マフィアの顧問弁護士をやってるって噂まであるんだから、雑言叩けるだけ頑張ったほうだろう。

 

「まあ、それは後で謝ろうと思ってるんだけどね……」

 

 でも、煩悶も理解できる。二乃も此のいたいけな友人にとって、ルルーシュがどれだけ大切な存在なのかは知っているから。無自覚だろうけど彼のことを話す時、いつも柔らかな微笑みを彼女は湛える。釣られてこっちも笑顔になるくらいの、とびきりのやつを。

 

「ちょっとケンカしたくらい何でもないでしょう?余程拗らせてるなら別だけど」

 

「拗らせすぎて他人ごっこ、とか?」

 

「なにそれ?」

 

「あー………ごめん何でもない、忘れて」

 

「?」

 

 他人ごっこ…?ブリタニアで流行ってる遊びとかだろうか。彼女は時々よく分からない。

 閑話休題。「大丈夫?」と聞いて「大丈夫」、と答える人は大概何かある。心当たりがないなら「何が?」って返ってくる筈なのだから。

 

「溜め込んでたって良いことないわよ?分かったら喋る喋る」

 

 そんなわけで先を促す。当初こそ困り眉の彼女だったが、引っ込み思案への対応は妹(三女)で慣れている。やがて観念したかのようにシャーリー、程なくしてぽつぽつと切り出した。

 

「………あのね、ニノ」

 

 既にしてお互い呼び捨てになるくらいには親密になった彼女らの片割れ、昔日の彼との思い出を先程まで回想していた少女は問う。

 

「もしも、なんだけど……」

 

 ………もしも、好きな人が他の誰かを好きだったらどう思う?

 

「振り向かせてみせるわね、どうにかこうにかして」

 

「た、例えばどうやって?」

 

「取り敢えず告る」

 

「……本気?」

 

「大まじ」

 

 自分ならそうするだろう。実際その時になってみないと分からないけど。恋愛事でも『右ストレートでぶっ飛ばす・真っ直ぐいってぶっ飛ばす』スタンスで挑んでいきたいと二乃は思う。いやまだ好きな人いないけど。

 

「でも、だいぶゾッコンみたいなんだけど……」

 

「その身形(ルックス)でなーに弱気になってるのよ。シャーリーなら押せばいけるわ」

 

 よーしよしよしよしよし、と思わず彼女の頭を撫で始める二乃。流石に(実質的な)中野家のオカン役を担ってるだけはある。吃驚した様相を見せた友人だが、何やら思うところがあるのか、大人しくされるがままになっていた。「人懐こい猫みたいで可愛い」と思ったのはきっと二乃だけではないだろう。

 

「いつからって、聞いても良いかしら?」

 

「かれこれ三年くらいかなあ…」

 

 三年。自分ならそんなに待てない、確実にアクション起こしてると思う。共学で美男美女の多いこの学校で、中等部から三年間フリー。周りでドンドンとカップルが成立していく中、それでも一途に想い続けるとは。彼女自身モテるだろうに他の男は一顧だにせず、よくもまあ粘ったものだ。

 

「な、長いわね大分……」

 

「飽きのこない人なんです……」

 

 スルメか。

 

「それはまた………どこが好きなの?」

 

「全部」

 

「わーお…」

 

 即答。健気すぎかこの子。全部好きってサラッと言う娘には初めて会った。ピュア過ぎじゃないか是非とも背中を押してあげたい。

 ……そうだ、いっそ焚き付けてみるか?何もしないで後悔するよりはマシだろう。停滞よりは前進だ。振られたら全力で自分が慰めれば良い。てことで。

 

「悩んでばっかで、他の誰かに獲られちゃってもいいの?」

 

 煽るような発言に、しかし。それがね、とシャーリーは一拍置いて一言。

 

「もう、くっついちゃってるの。それも結構いい感じに」

 

「わーお……」

 

 事態は、思ったよりややこしいらしい。

 

 

 ☆

 

 

 意中の相手は彼女持ち。だいぶヘビィになってきた案件を、それでもなんとかフォローアップしてあげたかったんだけど。

 

(やばいわね。自分の実体験をもとにアドバイスする、ってのが出来ないわ……)

 

 二乃だって同年代の男子と話したりしたことは当然ある。自分の何処に惚れたのか知らないけど、告白された経験も(一花程ではないが)有る。けど、それだけ。小中こそ共学だったが、記憶にある中で自分自身が誰かに懸想した事はなかった。母の再婚や死別、家や妹の問題──特に四葉──などで、それどころじゃなかったのが実情である。

 …前の高校?女子校だったし百合の気はない。同級生と恋バナしたことは散々あるけれども。

 

「うーん、…元カレとかとはどうしてたの?」

 

「私いないよ?水泳中心の生活してたから」

 

 奇しくもシャーリーも似たようなもの。泳ぎの楽しさに幼い頃からのめり込んでいた彼女の才能は折り紙つき。ジュニアの強化選手に選ばれるくらいのハイスコアを修めていた裏には、当然というべきか猛烈な練習量がある。

 正直言って初等部までは自宅と学校、スイミングスクールの往復生活だった。スクールのインストラクターなんかには格好良い人も居たけど、しかし彼女のお眼鏡(※無自覚だが滅茶苦茶ハードル高い)に適う男は居なかった。

 

 中等部以降は生徒会と運動部を掛け持ちしたこともあり、泳ぎは部活一本に絞ったので徐々に周りを見る余裕が出てきた。奇しくも同学年だけでもスザクにアキト、ジノを始めとするイケメン揃い。後にアッシュフォード()()()黄金世代とも称されるメンバーの中、颯爽と彼女のハートを掻っ攫っていったのがルルーシュだったのだ。

 

(私と同じかい!)

 

 友人の恋愛遍歴を聞いた、二乃の心の叫びである。

 しかしていつまでも凹んでる彼女をみてられないのもまた本音。元気を出せとのエールを込めて、拙いながらも弁舌を尽くして頑張って慰撫。その甲斐あってかシャーリー、本調子とはいかないまでも、まあ半分元気を取り戻すくらいには再起動。結果。

 

「……うん、いつまでもうだうだ悩んでても、私らしくないよね!」

 

 ふんす、とばかり握り拳をつくって何やら決意するに至った彼女を、微笑ましく見つめる。この分なら心配いらないだろうか。

 

「ありがとね、ニノ」

 

「どーいたしまして」

 

 シャーリー・フェネット。転入してすぐの頃から気さくに話しかけてきてくれた、今では一番仲の良い女友達。自分が『彼』を知るずっと前から彼女は、彼の事を慕っていた。本当に大好きなんだな、と幾度感じた事だろうか。

 

(果報者よねえ、あいつも)

 

 快活で豊かな表情と、人種身分分け隔てなくフラットに接する態度。部活にも勉強にも生徒会にも熱心で、当然友人も多い。美人の上にプロポーションも抜群だ。彼女を悪く言う人を、学内で見たことがない。

 ……尤も友人や姉妹の悪口を黙って聞いていられる程、二乃という少女は大人しくない。もしそんな手合いがいたならば、まあ平手打ちくらいは容赦なくぶちかますだろう。

 

 しかし激情家の反面、一度胸襟を開いた相手には情が深いのもこの次女の紛れも無い特徴だ。今だって、「なら、良かったらウチで一緒に勉強する?」と、提案くらいしてあげたい。コミュ力がカンストレベルのシャーリーなら、姉妹四人ともすぐ仲良くなれるだろう。

 

(……でも、言えない)

 

 言えない。最近、ある男の子に恋をしてるようにみえる、転入してからどころか生まれた時からずっと一緒の妹がいるから。そして二人の好きな人はきっと……同じ人だろうから。

 思い浮かぶ。自分の好きなタイプの顔で、でもそれだけの筈だった。どんな奴だろうと、聖域たる家の中にまで上がり込んできて欲しくなかった。でも最近は、ちょっとだけ……いやホントマジでちょっとだけ、一応名目は勉強だし少しだけ……来訪を楽しみに待っている、自分がいる。

 友達と、妹と、自分。そして、「彼」はどうにも既に彼女持ちらしい。

 

(………どうしたいのかしらね、私は)

 

 妹にこの事を秘すべきか話すべきか、迷う。何か自分の大切なモノを盗られたみたいな、感傷に浸っているわけでもない。もやもやするこの気持ちは自分自身の恋慕の情では、決してない……と思う。大体、自分の家庭教師に彼女がいたから、だからなんだ。生徒は本来感知しない案件、勝手によろしくやってればいいのだ。

 枝毛一つもない己がロングヘアを一房、くるくると指で毛束を玩ぶ。逡巡するなど柄にもないが、こんな心持ちは未体験だった。

 

(あいつがどうにかこうにか、上手いこと丸く収めてくれれば良いんだけど……)

 

 しかしこの時、悩んだ末の二乃の奮闘は決して無駄ではなかった。異なる位相に於いて、その死が血塗れた皇子を狂わせ、彼を自死(レクイエム)にまで至らしめる契機になった橙髪の少女の存在。その心を少しだけ………でも確かに、一歩前へと進めたのだ。

 

 

 ☆

 

 

『仕事がちょっと残ってるから、今日は生徒会室行くね』。ごく自然に、社畜精神に溢れる労働者めいたセリフを吐いたシャーリーと下校時に別れてから、およそ二時間後。ぬいぐるみが並ぶファンシーな色合いの自室にて。部屋着姿の二乃は帰り際、コンビニで得た情報誌を捲っていた。ヘアリボンは一旦解いて、化粧台に置いてある。

 

(バイトするならタウンワー……じゃなくて、やっぱり飲食系かしら。どうせならホールより、厨房メインのところがいいわね)

 

 ベッドに寝っ転がってパラパラと斜め読みをする彼女の目的は、他ならぬアルバイトを始める為。五つ子イチ美容やファッションに拘る彼女は、兎角化粧品から服装、エステにまで色々お金をかけている。養父からカードを渡されているのでお金に困りはしないのだが、彼女の目当ては給金ではない。

 

(あの味を超えなきゃ、女が廃るってもんじゃない……!)

 

 これまで、料理に関してはそれなりに自信を持っていた。家庭科の調理実習程度で、二乃のスキルに比肩する人は殆どいない。手際だって学食のスタッフにも負けていない。五年近くの切り盛りと研鑽の結果、今では和食・中華・フレンチ・イタリアンの有名どころは一通り作れるまでになった。

 

 でも、それだけでは駄目だ。思うに至った転機は、先般行われた創立記念日の学園祭。そこで出されたルルーシュお手製とされるスイーツの数々だ。シャーリーを始めとするクラスメートの女友達と行ったお店でも、あの時食べた以上の味に出会えない。

 模擬店の設備などたかが知れている筈。なのにハイクオリティーを実現し、手早く提供するのは並大抵の技術ではない。

 この時彼女が味わったのはドルチェだけに非ず。自らの劣位を悟り、それを覆さん為に努力せんとする、ハングリー精神をもこの日に咀嚼し始めたのだ。

 

(もっと識りたい。作りたい。実地で腕を磨きたい)

 

 例えるなら、燎原の火のような固い意思だった。現状に満足していては成長が出来ない。食の頂き、果てなき高みを目指さねば。

 もう遠月茶寮学園でも行ったら?と突っ込まれるような情熱(パッション)が、今の彼女を突き動かしていた。五月が己が「フルコース」の完成を希求する美食屋ドメ肉(意味不明)なら、二乃は「究極にして至高の一皿」を現出させんとするツンデレ求道者であるのだ。ただし。

 

(『構わん、だが成績が下がりすぎたら擁護は出来んぞ』って釘は刺されてるから、それは守らなきゃよね)

 

 バイト相談をしてみたら、冷静に即答した家庭教師の顔が浮かぶ。彼も何やら働いてるらしいので、労働すること自体に関しては推奨する向きだった。

 てっきり『学生の本分たる勉学も碌にこなせん輩がバイトだと?ド阿呆が調子に乗るな、はした金を掴むより先にペンを取れ』とか言われると思ってただけに肩透かし。理解があるということは、人に言わないだけで彼も額に汗して働いてるんだろう、偉いわねとか思ったりする次女である。

 

 ………尤も研究に勤しんでた昔は兎も角、現在のルルーシュの収入源は持株の配当金と賭場で巻き上げたあぶく銭、株取引とFXで発生したキャピタルだ。これらはルーチンワークの一環であり、汗など一滴もかいていない。

 そのくせ畜生発言をしなければ勝手に好感度が上がっていくあたり、生徒にどう思われているのか推して知るべし、というべきか。

 

 さてお金もそれなりに稼げて、料理の腕も向上する仕事。飲食チェーンは折からの好景気で人手不足な事もあり需要に事欠かないが、内容はやはり雑用が多い。ところが探すとほぼ厨房専門な求人が一件だけあった。名前は。

 

「……超大手じゃない、ここ」

 

 その名を黒の騎士団(ブラックナイツ)・日本支社。ここ三年ほどで一気に頭角を現した、全世界上位十指に入る株価を有する新興企業だ。

 一昨年、都内の一等地にドデカいビルをおっ立てたばかりの羽振りの良い会社でもあり、他クラスだがノーベル賞受賞者でもあるロイド先生やセシル先生、ラクシャータ先生なんかが関与してる組織でもある。経営には日ブ両政府が共同出資しているとかいないとか、なんて話も。

 CEOも兼ねている「ジュリアス・キングスレイ」なる社長は、株主総会でも姿を現さない謎の人物として有名。巷では「実は子供である」とか「AIの名称であって人間ではない」とか怪しげな噂まである。

 

 さて、今回はそこの社員食堂が何の気まぐれか実際に応募を出している。こんなところ引く手数多だろうに、なにゆえ求人誌に募集なんて、と思ったが事実は事実。「調理スタッフ募集、採用人数若干名」なる文言につられて詳細を調べると。

 

(時給じゃなくて月給制、更に交通手当と賄い付き。通勤用の無料駐車場、及び非常用の駐()場……駐輪場の誤植かしら?も完備の上、任意で会社全額負担の厚生保険にも加入可。残業基本なし、サビ残なし……)

 

 期間は試用込みで半年。その後は腕次第で半年毎の延長有り。大企業だけあって福利厚生はホワイトだ。

 

「……いいわね、コレ」

 

 高倍率だろうがダメで元々。どうせ働くならこういうところだ。履歴書に書き込みがてらスケジュールと詳細をチェックする。面接は行うが学歴不問とのことなので丁度いい。これでも一応、勉強もコツコツやってはいるけれど。

 ベッドから丸テーブルに移動し、ボールペンで丁寧に必要事項を記入していたその時。

 コンコン、と。ふと訪れたノックの音で我に帰った。

 

 

 ☆

 

 

 紙面に目線を固定したまま、「どうぞー」と事務的に一言。慎重にドアを開ける所作を背後に感じたので、顔を見ずとも誰なのかすぐ分かったが。

 

「失礼しまーす。……言われた通り帰ってきたよ、二乃」

 

「おかえりなさい、三玖。うん、時間以内ね感心感心」

 

 予想通り三玖だった。時間通りとは字の如く。食事の量や仕込みに影響する為、二乃は冷蔵庫横のカレンダーに四人全員の予定を書かせている。おかけで日程把握は慣れたもの、今日は一花は仕事、四葉はクラスメートとお出かけ。6時半までに帰宅予定なのが三女と、そして。

 

「ただいま。五月も一緒だよ」

 

「五月も?晩御飯なら出来てるわよ?」

 

「さすが二乃!今日はニオイからしてビーフストロガノフ……ああいや違うんです、話したいのはそれではなくて。いやそれもですけど」

 

「どっちよ一体」

 

 夕餉の支度が整っていることに素早く反応、三玖の後ろからひょっこり顔を覗かせた五月とも対面。この娘は食べる事が主軸なのは昔からだ。さてご両人お揃いで何なのか、と思ったら。

 

「皆が戻ってきたら、話したいことがあるんだけど………」

 

 三女が深刻な口調で呟く。何やら写真?資料?の入ったクリアファイルをそれぞれ携える妹達は、どちらも真剣な表情だった。そういえば昨日、揃って帰宅してきた時もこの二人こんな感じだ。

 

「なーによ、怖い顔して」

 

 ポールペンを机上に置き、一旦中座して立ち上がる。シリアスなのは結構だが、此方のリアクションは内容に拠る。「学校めんどいから退学したい」とか、「若気の至りで赤ちゃんが出来ました」とかほざいたら張り倒すつもりだ。…が、悲愴な顔色ではない様子からみるに、そこまで後ろ向きなトピックでもないらしい。

 

 ……表情から機微を察しようとしていらん考察を試みるあたり、二乃も徐々に毒舌家庭教師の悪影響を受け始めているのだが、自覚は果たしてあるか分からない。

 

「お風呂出た後でじっくり聞くわ。取り敢えず、先に三人で夕飯にしましょう」

 

 温め直せば支度は終わる。食洗機に食べ終わった後の器を入れ、長女と四女の帰りを待ってれば後々楽だし。てことで入室中の妹二人にリビングに行けと退室指示。ドア横に吊ったエプロンを引っ掴んで持っていくことも忘れない。

 

(……そういえば)

 

 三玖と五月に配膳を頼みつつ、自分は素早くヘアゴムでポニテを結んでいく。足取りも軽く階段を降りながらも彼女、思考は友人のことを気にかけてもいた。

 

(シャーリー、上手くやってるかしら………?)

 

 

 ☆

 

 

「「…………」」

 

 時を同じくして、二時間後。学園の騒ぎの中心地として名高い(?)アッシュフォードのクラブハウスを、微妙な沈黙が支配していた。

 ばたりと鉢合わせしてしまったのは生徒二人。一人は教え子五人の個別テキストを作るついで、珈琲でも嗜むかと思い至った黒髪ストレートの副会長。そして仕事を終わらせたのち、何故か心頭滅却とばかり聖書の一節を諳んじていた橙髪の兼部役員。こっぱずかしいところを見られて硬直していた彼女と、昨日の痴態?を見られて以来なんとなく気まずい彼との間の、静寂は。

 

「「あの」」

 

 破られた筈が、同時にお見合い。

 

「……ル、ルルからどうぞ?」

 

「シャーリーが先だ」

 

「いや、いいっていいって」

 

「レディファーストくらいさせてくれ」

 

 時間経過、一拍。二拍。彼に譲歩の気配、無し。

 

「……じ、じゃあお言葉に甘えて」

 

 先手はシャーリー。お互いちょっと気まずくなって、思い出す。三年前も、確かこんなことあったなと。あの時は片方は病床だったが。

 

「……昨日、ゴメンね?怒鳴っちゃって」

 

「全く気にしていない。それに俺も……いや、言い訳になるな」

 

 ばつの悪そうな顔で首に手をやるルルーシュ。てっきり手練手管を用いた言い訳を披露するのかと思ったら、何も言わないつもりらしかった。聞きたいことは色々ある。だけど。

 

(あんまり引っ張っても、迷惑だよね……)

 

 付き合ってもない女にうだうだ絡まれて、彼だって面倒くさいだろう。勝手に恋人面してくる厄介者なんて、もし逆の立場なら精神科行けとしか思えない。

 

「……黙っててくれても、勿論良いんだけど。…付き合って、るの?」

 

 いきなりの核心。一言には勇気が要った。だが。

 

「まさか」

 

 返ってきたのは、これ以上ない否定だった。

 

 

 ☆

 

 

「じゃ、じゃあ昨日のは」

 

「あいつとは腐れ縁だ。お互いの距離感が可笑しいのも仕様だ」

 

 どう見ても恋人同士に見えたのに、違うと。

 

「好きじゃ、ないの?」

 

 両想いなんでしょ?影ながら、そんな意も込めたんだけど。

 

「…………どうなんだろうな、実際」

 

「……どう、って?」

 

 目を細めた彼の表情は、今までに見たことのないもの。躊躇、懊悩、隔意、慈愛………それら全ての入り交じったような、複雑な面立ちだった。何か確固たる意志を持っていても、相手の感情を測りかねている、そんな顔立ち。

 

「確証が無いんだ。どう思われてるのか。これが親愛なのか尊敬なのか、また別の何かなのか」

 

「……そんなこと、ないと思うけど」

 

 本当にそう思う。頭脳で目の前の天才に敵う気はしないけれど、恋愛(こっち)方面の嗅覚ならきっと彼に勝る。

 彼はマイナスの感情を察知することにかけては極めて敏感だ。まして悪意を向けられたら即断即決。持ち前の知力も相まって、先回りして敵の機先を制し、やり返すくらい造作も無いのだろう。

 思えば自分が落ち込んでいた時、真っ先に気付いてくれたのはいつもルルーシュだった。人の心が読めるのかと本気で考えたくらいだ。だが。

 

(ルル自身に寄せられる好意には、てんで鈍い……?)

 

 いや、疑問形じゃない。おそらく自分の気持ちだって気付かれてない。これはきっと何か理由があるのだろう。だいぶ重症なところからして、単に失恋を経験したとかではない筈。

 

(昔、早くに親元を離れたって言ってたっけ……)

 

 事情を深くは知らない。単に留学の為かと思っていたが、もしかしたら。……人格形成の時期に、酷くトラウマになり兼ねないことがあったのかもしれない。物心ついて以降は無償の愛を注がれていた時間より、人の悪意に晒されて来た時間の方が長いのかもしれない。或いは自らの有用性を提示して人と争い、交渉して何かを勝ち得る。そんなスタンスで生きてきたのかも知れない。

 

 幼少より生きるか死ぬかの競争漬けの生き方をしていれば、対人思考は懐疑的で尖鋭的になるだろう。対価もなしに笑顔を向けられ、利など一切求めない愛情を感じても、受容するより戸惑いの方が勝ってしまう。だから、好意に疎い。

 

(……でも、ルルは歪んでない)

 

 まして愚鈍でも、怠惰でも卑屈でもない。自ら高みに在ろうとする努力は積んでも、他者を引き摺り下ろそうとはしない。挑発的で人を焚き付けるような軽口は叩くが、他人の粗ばかり探して陰湿な悪口を吐く事はしない。いらぬ嫉妬に付きまとわれても、常に結果を出して黙らせて来た。

 

 捻りに捻くれても性根はストイックに真っ直ぐ育った彼を支えたのは、彼を鼓舞し、傍に居てくれた人の存在があったからだろう。腐れ縁。言い換えれば幼馴染に近い。ならば今のルルーシュを、シャーリー・フェネットが惚れた彼を涵養したのはきっと………見目麗しく艶やかな緑髪をたなびかせる、彼女なのだ。

 

(………とっくに、両想いだったんだ)

 

 片恋とは、なんと脆いものなんだろう。彼に逢えたこと。好きになったこと。これは運命なんだと、自惚れても良いのだろうか。そうも考えた。

 何度生まれ変わっても、きっとまた。懲りもせずそう想ってしまうと。

 

「ルル……」

 

 昨日だけでも色々迷った。羨ましかった。妬ましかった。そしてそんな浅ましい考えを抱く自分が、堪らなく嫌だった。

 気付けば、どん、と。体当たりに近いくらいの勢いで、そのまま彼を抱き締めていた。

 

 

 ☆

 

 

「シャーリー……!?」

 

 飛来する驚愕、誰何。素で面食らった表情を、初めて見た気がする。照れ臭くて恥ずかしいけど、面映ゆい。

 

「ごめんね、急に」

 

 自分より少し背の高い彼の黒髪がふわりと揺れ、鼻腔にトリートメントの香りが抜ける。どうしようもなく好きな匂いなのは、きっと彼が身に纏っているからか。残り香だけで胸の奥が痛くなる。恋患いもここまできたら末期だろう。

 

「……やっぱり、無理だよ」

 

 この心根が醜くても、独り善がりでも、我慢出来ない。言わずに後悔し続けるなら、せめて言って後悔したい。

 

「なあ」

 

「バカ。ほんと、バカ」

 

 大馬鹿だ。私は。浅ましい泥棒猫じゃないか、こんな真似。

 

「シャーリー」

 

「鈍感、スケコマシ、女誑し、プレイボーイ」

 

 身勝手にこんな事ばっかり言って。

 

「……酷い言われようだな」

 

「でも」

 

「まだあるのか!?」

 

 ある。山程ある。伝えてない気持ちが、沢山ある。言いたいことが、一杯。

 

「………でも、好き」

 

 傍にいたかった。適うならずっと一緒にいたい。桜の舞う頃、宴のあと。星降る夜に、雪融けの朝。好きになったのは理屈じゃない。見た目だけじゃない。身体目当てでも勿論ない。

 彼だって人の子だ。人間だから失敗もするし、傷心も迷いもするだろう。

 それでも。如何に心を蝕まれようと、困難な局面に立ち合おうと、非難の矢面に立たされようと。どんな状況だろうと踏破し、看破し、突破する。不器用な優しさと、溢れ出る異才とカリスマ、誇り高き精神に……惚れ抜いている。だからこそ。

 

 たとえもう貴方が、他の誰かを愛しているとしても。

 

「………大好きなの、ルルのこと」

 

 貴方以外を、好きになんてなれない。

 



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TURN 14:分岐の刻



シャーリー回ルル視点、からの伏線回。


 

 

 勇気を振り絞ってくれたのだろう宣言が、皇子の耳には確かに届いた。しかし、彼が返事をする間もなく。

 

「だからお願い。……ハッキリ、振って」

 

『そうすれば、諦められるから』、と。

 でも。突き放すような別離の表明とは裏腹。涙でグズグズな表情には、説得力のカケラもない。

 口をつくのは三年前、病院で「帰って」と言われた時と同じ言葉。

 

「断る」

 

「ねえ、ルル…!」

 

 今のシャーリーは正直危うい。打破するために此処から先は、魔女にバレたら殴られる覚悟の所業が必要になるかも分からない。『避妊はしたのか?なら良いぞ好きにしろ』という相棒の頭おかしい方針を知るのはこの後なのだが、勿論今は知る由もない。

 

「見縊らないでもらおうか?俺の中でシャーリー・フェネットとは、そこまで軽い存在ではない」

 

「こんな時まで、優しくしないで……」

 

「相手くらい選んでる」

 

「……大好き、なの。だけど…だから、好きって言って欲しくない」

 

 …ああもう、じれったい。矛盾する投げ掛けに一抹のもどかしさを感じて、今度は自分が抱きしめ返す。「きゃっ」という艶交じりの声音が耳に届く。ついでにハグして初めて分かった。彼女、割と着痩せするタイプらしい。

 

「ルル……!?」

 

 女子にしては割に背の高い同僚は、正面から抱き締めると自分の額の辺りに頭頂部がくる。目視せずとも耳まで真っ赤になっていく様が、手に取るように察せられた。

 

「ぅえ、え」

 

「焦らなくていい。落ち着いて、シャーリー」

 

「無理!絶対無理!」

 

 目を合わそうとすると、か細くも強い声と共に、視線をあっちこっちに逸らされた。

 

「聞かせてくれ。思ってること、全部」

 

「………は、恥ずかしいって……」

 

「今だってそうだろう?」

 

「……私、ルルの彼女でも何でもないんだよ?……ただの、同級生なのに」

 

「単なるクラスメートにここまでしないさ」

 

 繰り返すのは断定。しかし口と裏腹に心は揺れる。弄んではいないだろうか。こんな態度を取ること自体、礼を失しているのではないだろうか。

 彼女はトロフィーでもモノでもない。歴とした意思と思考ある人間で、悩みもすれば傷つきもする年頃の少女で、気の合う仲間で、何より大切な友人だ。

 

「なあ、シャーリー」

 

 かつてブリタニアの初等学校を退学する時だって、此処まで悩みなどしなかった。推理力も戦略眼も役に立たない想定外の事態に、揺らぐのは感情ばかり。

 

「俺はこういう機微に疎い。みっともない話だがな」

 

『お前の直ぐ近くに、誰よりお前を想ってる奴がいるんだ。放っておくのは至誠に(もと)るぞ』。……昨日共犯者たる女から言われた言葉の意味が、今痛いほどによくわかった。

 

「だから、教えて欲しい」

 

 抱きすくめたままで右手をそっと、綺麗な橙髪に添える。合わせてぴく、と一瞬強く身体を強張らせた彼女。やがて何かを決心したかのように、ゆっくりと両腕を背に回してきた。きゅ、と掴まれた制服が突っ張るのを背筋越しに感じる。

 

「…………ずーっとね、言いたかったの」

 

 耳元で囁かれる独白は、独り善がりの我儘には思えなかった。日頃から皆を笑顔にさせる少女に、此処まで哀しい声音を出させている。その原因が自分であることに、胃の腑を抉られたような心持ちになった。

 

「でも言えなかった。今の関係、壊したくなかったから」

 

 いたいけに過ぎる吐露は、返答を惑わせるに十分。そうでなくても情が移って久しい相手を、手酷い返事で傷付けたくない。けれど安請け合い出来る器用さもないのに、陽だまりのような少女にそこまで懸想される価値を……血に塗れた自分に、見出せない。

 なのに。

 

「それでもね。この先……何度生まれ変わっても、きっと。…私は、ルルを好きになる」

 

 まだ彼女は、こんな奴を好きでいてくれるらしい。

 ……自分は一体、何度救われるつもりなのだろうか、この少女に。答えを求め思考の隘路を彷徨う心は、いつのまにか。彼女と初めて会った日にまで至っていた。

 

 

 ☆

 

 

 初めての邂逅は、今より三年前のこと。しかし彼女との委細を説明するには、更に四年を遡る必要がある。

 

 七年前、かの事件の後日本に渡った彼を待っていたのは、生き馬の目を抜く自由競争市場の激しい争い。そこに無償の優しさなど有りはしない。皆従業員を養い、手前を存続させることで手一杯。当然の如く自行の利潤確保が最優先であり、将来性や対価を提示しなければ見知らぬ会社に融資なぞしてくれない。情を殺して理に徹する以外の選択肢は、馬鹿としか見做されないものだった。

 

 金を解決したと思っても、今度は人材不足という課題も発生した。まして挑戦する事柄が事柄のため、当初は雲を掴むような空振りの繰り返し。いくらルルーシュが非合法な手段(賭博等)で金策に勤しもうと、常識外れの演算能力を有していようと、マンパワーの不足は補填し難い。「諦めろ」と、顔のない誰かが囁いている気すらした。

 

『何故、五年なんて区切りでシャルルと契約したんだ?お前の手腕ならもっと引き伸ばせただろうに、私も取りなすから今からでも…』。…そんなC.C.の疑問、もとい慰撫も尤もだった。

 だが彼には、時間を圧縮せずにはいられない理由があった。四半世紀もかければ、間違いなく治療法完成の目処は立つだろう。

 しかしその時、深手を負った皆は何歳になっている?

 

 事件に因る怪我で、ジェレミアは近衛からの除隊を余儀なくされた。コーネリアは将来の嫁ぎ先すら覚束ないだろう。マリアンヌがほぼ前後不覚に陥った事により、ヴィ家の勢いは目に見えて低下した。ナナリーやアーニャに至っては普通科の義務教育すら受けられない。必死に点字を覚えんとする妹の姿を見る度、ルルーシュの心には悲哀と後悔、そして憤怒が募っていった。

 

 こんな悲劇は二度と繰り返させない。罪無き人々に塗炭の苦痛を与えさせてはならない。自分の不始末は自ら贖わなくてはならない。平和を阻み明日を忌避する、そんな輩は全て斃さねばならない。

 人を殺し、人を救う。思い描いた二つの野望を実現させるため、何年かかるか分からぬ計画に何千何万という人を巻き込む。高慢で尊大なエゴをしかし、彼には実現出来るだけの才があった。

 

 そうして、紆余曲折を経てR2-Cellの研究と発表、実用化を迎えて間もない時だ。シャーリー・フェネットという少女に出会ったのは。

 

 その頃はナナリーをはじめとする負傷者が快復した歓喜こそあった。が、四年間まともに気の休まらぬ生活を送っていたせいか、メンタリティがとりわけささくれだっていた時期だった。C.C.がいなければ、とっくに修復不可能な人間になっていたかも分からない。

 

(これでやっと、ナナリーに人並みのモラトリアムを謳歌させてやれる。箱庭としても安全だ、これ程相応しいところはない)

 

 アッシュフォードに抱いていた印象は精々その程度で、自分まで入学する予定は全くなかった。無論現代社会で学歴はあった方がいいに決まっている。だが大卒どころか世界トップレベルの頭脳を有しているのに、今更高校生なぞ面倒で仕方ない。

 しかし「お前のために必要な事だ」、と珍しく強硬に主張したC.C.に説得され、渋々入ったのが内実であったため。

 

(飛び級でさっさと卒業してやる。C.C.の顔は立ててやったが、俺にはやらねばならんことが目白押しなんだ。油を売っている暇などない)

 

 折良く学園に就任したC.C.にはギアスが効かない。担任が認可しなければ学年のスキップなど不可能だが、彼女は理事長に言われようとルルーシュを退学させる意思はない。よって早期に卒業するには、正攻法でさっさと学内の統治機構を掌握し、必要単位を搔き集める必要がある。具体的には、1セメスタあたりの単位履修上限を撤廃させたりとか。

 

 四年ぶりに始めた学校で所属した生徒会でも、彼は己のための過激な改革を行おうと企てた。性悪説を前提として構築した抜け目ない一声を発せんとする、正にその時。

 

『はじめまして!私、シャーリー・フェネットって言います!敬称とかぜーんぜんなくて良いから、これからよろしくね?』

 

 それが、始まりだった。

 

 

 ☆

 

 

 彼女は、彼が宮廷で見聞きしたブリタニア人とは全く違っていた。周りの人を巻き込んで、気付けば皆を笑顔にしている。大切に育てられてきたのか礼節も弁えており、円満な家の出ということが伺えた。天真爛漫で、底抜けに明るい子だった。

 休めるのは家の中でだけ。学校で被り続けんとした仮面を引き剥がしたヒト。それこそ、『ルル、まーた仏頂面してる!』なんて言って話し掛けてくれる彼女だった。

 思えば彼女こそ、自分が初めて仲良くなった、「平和な一般家庭に暮らす市井の女の子」に他ならなかった。

 

 でも正直、最初はあまり好かれていなかったと思う。自分の容姿とスペックだけ見て、騒ぐ女子は腐る程いた。しかし彼女はさにあらず。出来得るだけ人の内面を知り、識ろうとする。硬質な容姿や堅い口調も相俟って、初対面の人を緊張させ易い自分にすら例外無く。

 

(……何時からだろうな、『ルル』と呼ばれる様になったのは)

 

 彼女が偽装を見抜いたきっかけは寡聞にして知らない。ただ素を出せるようになってからは、彼女の自分へのあたりは徐々に柔らかくなっていったと記憶している。気付けば一緒に買い物なんかにも行ったりする仲になった。年度末の決算処理で遅くまで残って作業したり、クラブハウスに泊まり込みで文化祭準備をしたりしたのは、今でも良い思い出だ。

 

 そして今日。二人を取り巻く関係は、否応無しに変革を迫られていた。

 引き延ばすな。向き合え。お茶を濁してはならない。聞こえないフリなど以ての外だ。「俺は」と言いかけて、逡巡。もし。

 

(ここで断ったら、彼女は…どうなる?)

 

 ……決まっている。先の言葉通り諦めて、いずれ彼女も相応の人を見つけ、新しい恋をするんだろう。人の心は不変ではない。平和なところで誰か別の人と幸せになってくれと、想う心は嘘ではない。

 しかし。同じくらいに、今ここで彼女に傷心を刻ませたくない。

 

 矛盾する心音もまた、嘘偽らぬ本音。零奈の言葉で覇道に眼醒めた。妹の願いで決起した。魔女に折れぬ力と愛を貰った。そしていつのまにか、シャーリーに荒んだ心を救われていた。彼女とギクシャクするなんて、到底耐えられそうになかった。

 

(俺にとって、彼女は何だ?)

 

 ナナリーは己の背に回してでも護るべき庇護者。C.C.は背中合わせの共犯者。スザクは親友であり右腕。ならば彼女は……手を取り合って共にある、そんな存在だろうか。

 少なくとも単なる同僚ではない。心情が行動に出ていたのか、何処にも行くなとばかり腕の力を強めた時。

 

「……あのね、ルル。…誰かを好きになるとね、すっごいパワーが出るの」

 

「……確か……『恋はパワー』、というやつか?」

 

「うん。毎日毎日その人のことを考えて、詩を書いちゃったり、早起きしちゃったり、マフラー編んじゃったり、滝に飛び込んでその人の名前叫んじゃったり、って…………ごめん、喋りすぎかな…?」

 

 胸の中で身じろぎしながら苦笑いする彼女の目を見て、ハッキリと。

 

「……いいや、そんなわけあるか」

 

『なあ、シャーリー』。穏やかに言葉を続けて、紡ぐ。君は、いや、君もきっと、自分にとって既に。

 

「俺は断れない。君を陳腐な言葉で貶めたくない。君には嘘をつきたくない。いや、俺自身がしたくない」

 

 詭弁だ。傲慢だ。心に決めた人がいるのに、この上更に?……色に溺れていると言われたって、反論出来まい。誰がどう聞いたってふざけた返答だろうに。

 だというのに。抱き締めてからずっと身体を強張らせていた彼女が、倒れないよう慎重に此方に体躯を預けてきた。さながら、親鳥に全幅の信頼を寄せる雛のように。

 

「………やっぱり、ルルはカッコ良いよ」

 

 左肩に頭を乗せてきて。そのまま、フ、と薄く笑う。

 

「……私ね。…今のルルが、何考えてるか大体わかるよ」

 

 制服越しに伝わる心臓の鼓動は、確かな生を如実に伝えてくれる。当たり前の感覚が、訳もなく尊く思えた。

 

「真面目だよね、ルルは」

 

「買い被りすぎだ、俺を」

 

 潤んだ瞳に見つめられる。何か間違えば、互いの唇が触れ合いそうな距離で。

 

「あんまり自分を卑下しないで。私、ルルのカッコいいとこたくさん知ってるんだからね?」

 

 例えばどこだ。軽い気持ちで、返してみたら。

 

「優しくて人望あって、目端が利いて頭良い。体力無いけどスポーツ上手で、乗馬もピアノもダンスも上手い。教養あるし字も綺麗、料理もお菓子も美味しく作れて、手際がいいし手先も器用。何よりどんな難しいことでも、決める時は必ず決める。それからね……」

 

「………あの、その辺にしてくれ、頼む…」

 

 悶死しそうだ。面と向かってこうまで評されたことはない。戦略家という自負はあるが、流石に過大評価だろう。客観視というには良い方に補正がかかり過ぎているようにも思うけれど。

 

「伝わった?」

 

「生まれて初めてここまで褒められた気がする」

 

「因みにもっと沢山あるよ?」

 

 にこにこと、鷹揚に彼女は微笑む。単に素敵な女友達と、認識していたはずだった。それなのに、ここまで澄んだ一途な好意を向けられたら。

 

「……有難う、シャーリー」

 

 無下になんて、出来るわけがない。

 

 ………それから、取り留めもないような話をぽつぽつとした。先程までの艶めいた空気は雲散霧消。気付けばいつの間にやら、お互い背に回した腕を解いていて。流石にずっとくっついてたら暑いよね、なんて言って。二人の間の距離感も、いつも通りに戻っていた。

 

「今日はありがとね、色々。……それじゃ、また明日ね!」

 

 去り際に台詞を残し。鷹揚に手を振って、彼女は先にクラブハウスを出て行った。気を使ってくれたんだろう。湿っぽくならないように、わざと。

 おかげで、明日からもいつもどおり振る舞えそうだ。

 暫くはこのままで。「出来るだけ自然体で振る舞おう」と心に決めて、一旦別れた。

 

 まるで睦言のような問答。それを途中まで、扉一枚隔てた向こうに。

 

(…………うっかり出歯亀しちゃったけど、これは大変なことになってきちゃった、かな?)

 

 タイミングが良いのか、悪いのか。金糸を揺らす生徒会長がひっそりと聞いていた事に、その時は気付かなかった。

 

 

 ☆

 

 

「で、抱いたのか?」

 

「するか!」

 

 クラブハウスでのすったもんだから二時間のち。人の部屋に入ってくるなり、「制服から違う女の匂いがするな、遂に痴漢をやらかしたか」と濡れ衣を被せようとするC.C.に対し。本日の委細を掻い摘んだ供述をしたところ。

 

「甲斐性なしめ。それでも皇子かこのヘタレ」

 

「既にお前がいるのにか?両方に失礼だろう、出来るかそんな事」

 

 相変わらず通常営業な彼女に安心もする。だが同時に面食らいもした。

 

(なんだこのリアクションは。俺が予想してたのと違うぞ……?)

 

 心中でのみ発した本音に、しかし。彼女は野郎の考えなどお見通しとばかり、ニヤリと揶揄うような笑顔をうかべ。

 

「何だ、私が嫉妬でもすると思ったのか?」

 

「…………ち、違うのか?」

 

「別に女がいくらいようが構わん。誰かさんの扶養が増えるだけだろう」

 

「なあ本当に教師かお前?」

 

 コンプライアンスに抵触する要素しかない。アッシュフォードの人材選考はこれで良いのだろうか。

 

「ブリタニアの法に準拠しただけだ、問題なかろう」

 

「ここは日本だ」

 

「あ、今の内は避妊はしておけよ?ほっとくとあちこちに撒き散らかしそうだからなお前は。学生結婚がしたいなら知らんがな」

 

「人のことを発情期の猫みたいに言うんじゃない」

 

「猫か、それも良いな可愛くて。かくいう私も一度くらい猫を産んでみたいと思ったことがあってな」

 

「知るか。産めるものなら勝手に産んでいろ」

 

 会話が過度に弾みすぎてボールがキャッチしづらい。

 

「か、勝手に産めって……お前の遺伝子、猫ゲノムだったのか……」

 

「獣扱いするな、人を何だと思っているんだ」

 

「けだもの」

 

「……せめてもう少し、まともな表現で頼みたいんだが」

 

「おい、自覚無いのか………?」

 

 素でうわあ、という顔をされた。……他ならぬ彼女に言われると、まあそうなのか?と考えざるを得ない。そこまで倒錯してる筈ではないと思うんだけど。あ、でも二人きりの時のC.C.は、時折借りてきた猫みたいになる。普段は野良猫みたいな女なんだけども。

 

 閑話休題。額に手をやり、「はぁー」と聞こえよがしに嘆息した魔女の口から、お説教じみたお小言が飛んできた。

 

「あのなあ、一七とはいえあまり女に恥をかかせるなよ?シャーリーがどんな気持ちだったか……」

 

「恋愛沙汰にまで御教授は結構。俺の問題なんだ、俺が何とかする」

 

「お前が朴念仁だからこんなことになってるんだ唐変木」

 

「否定は出来んな。しかし女心など俺には量れん」

 

「売れないホストみたいな言い訳をするな」

 

「誰が水商売の輩だ」

 

「髪型がそれっぽい」

 

「流石にこじつけじゃないか…?」

 

 ……でも確か同じ事を、前にカレンにも言われた。「イケメンでそのヘアスタイルだから、黒シャツと白スーツ着たら完璧に夜の蝶」だとか。褒めてたのかディスってたのかは分からない。因みに彼女の名誉の為に付け加えると、カレンはクラブ通いなぞしていない。

 

「…………ところで、話は変わるんだがな」

 

「先に鏡見てきたらどうだエロホスト」

 

「やかましい、まあ聞け。鍵はこの前交換したばかりなんだが、なんでお前は極自然に俺の部屋に入ってこれてるんだ?」

 

 親しいとは言え扉を破壊して入室するほど、彼女は常識知らずでは無いはずだが。

 

「ナナリーがくれたぞ。合鍵」

 

「なん、だと………」

 

 即ち、妹公認。ヒラヒラと揺らしたカードキーを見せつけたのち、それを谷間に挟み込んだC.C.は。

 

「あ、そうだ。気分だけでも酔いたいから、後から私の部屋で酒を注げ。御相伴にあずからせてやる、有り難く思えよ?」

 

 ……鍵の件をつつかれると面倒とばかり、露骨に話題を変えにきたかこの女。

 

「誰が行くか。自棄酒なら一人でやれ」

 

「今日の件全てマリアンヌにバラすぞ?」

 

「一時間後に向かおう。掃除はしておけ」

 

 人、これを手のひら返しという。断じて尻に敷かれてはいない筈、多分。

 

 

 ☆

 

 

 それから更に数時間後。バスローブ姿のルルーシュは、自宅のあるマンションのベランダで一人、自作のカクテルを傾ける。時刻は夜の二時だった。

 人々の寝静まったこの時間に酒を傾けるなど、不健康で不摂生極まりない。しかし連日の蓄積疲労が抜けていくようで、身体に悪いと分かっていても無性に心地よかった。

 

(………あの日からもう、七年か)

 

 悩み事を抱えた日に思い出すのは、決まってあの絶望の日。事件が起きた夜も、一陣の乾いた風が凪いでいた。

 

 下手人たるギアス嚮団は、自ら動けるようになったこの三年間でほぼ壊滅させた。雲隠れした残党もじき殲滅し終わるだろう。囚われていた子供達は解放し、一部の俊英は自らの会社に(学校に通わせる条件付きで)雇い入れた。

 事件の遺族には個人的に稼いだ金でもって、遺族年金にプラスアルファで見舞金を給付している。自己満足の偽善と分かっていても、こればかりは一生続けていくだろう。毎年律儀にブリタニアに戻るのは、死者への墓参りのためでもある。

 

 既にこの人生は、あの日喪った五つの屍の上にある。犠牲者の中にはアッシュフォード家の令嬢、ミレイ会長の元婚約者もいた。

 取り返しのつかない事をしてしまった。懺悔ばかりの日々だった。遺族の弔問に赴いた時は激昂されて殴られるのも覚悟していたのに、皆、「仇を討ってくれて有難う御座います」と述べるばかりで。いっそ罵ってくれれば楽だったろうに、誰も言わなかった。

 再生医療の研究すら、代償行為の一環だったのかもしれない。せめて生き残った人達だけでも、と。

 

 加えて今日の告白だ。結果として保留みたいな形になってしまったが、「年内には必ず納得のいく形で返事をする」と含み置いてはいる。ひとえに、これ以上悲しい顔をするシャーリーを見たくないから。

 傍に居たい。これまで受けてきた告白とは全然違う。言葉が、重みが、篭った想いが。

 普段は酒瓶を見たら即取り上げる癖に、今日だけは飲ませてくれるC.C.だって。二人の狭間で女々しく揺れる自分を、殴り付けたいくらいに懊悩する。

 

(「二番目でも良い」なんて……冗談でも、言わせたくなかった…ッ!)

 

 選べない。どちらかが泣くなんて見たくも考えたくもない。二人とも幸せにしてやりたいのに、この身は一つ。

 無論、金とコネとギアスと弁舌。これらを駆使すれば解決方法は山ほどある。戸籍の偽造から経歴詐称までなんでも出来るのに………嘘を、つきたくない。

 暗躍する嚮団と陰ながら闘う道を選んだ事を、後悔はしていない。しかし、既にこの背は咎を背負っている。この手は殺した敵の血に染まっている。この面の皮の下に、冷酷な人殺しの顔を隠している。身分や出自どころか、己の名字すら嘘で塗り固めているのに。

 

 これ以上自分を偽って付き合うなど、出来ない。そして嘘をつかずに現状を好転させる手段が、見えてこない。

 

(……いや、見えているのに見えないフリをしてるだけ、か)

 

 ……一つだけ、やり方はある。自身の全てを曝け出した上で、野望も諦めず、どちらも切り捨てずに済む合法的な方法。

 だがその手段は日本での生活をやめ、『ランペルージ』の姓を棄てることと同義。まして大恩あるルーベンらを裏切り、妹と離れ離れになる選択を………直ぐに決断するなんて、出来なかった。

 

「眠れないなら、子守唄でも歌ってやろうか?」

 

 苦悶に近い問答を、孤独に繰り広げていた時分。

 部屋の奥、一人部屋には似つかわしくないキングサイズのベッドでシーツにくるまって、抱き枕を抱えた女性の声が飛んできた。

 

 

 ☆

 

 

 七年間殆ど一緒に過ごしてきたC.C.の誰何。そこに珍しく、揶揄いの色はない。

 

「……少し、あの頃の事()併せて思い出してな」

 

「まだ、魘されてるのか?」

 

「平気だ。お陰様で」

 

「そうか」

 

 悪夢に魘されたのは、数年前が最後だ。あの頃は兄妹揃って酷かった。

 ナナリーは事件後、相当長い間フラッシュバックに苛まれた。情緒も不安定になり、酷い時は手を繋がないとまともに寝られなかった。

 完全に快方に向かったのは、鬼のようなスパルタリハビリ(自分でやると言って本当に成し遂げた)を始めて不具を完全に治してからだ。

 今では学業の傍ら、オフロードバイクからKMFまで乗り回してる彼女の姿なんて、あの頃に誰が想像しただろうか。

 ついでに言えば「どうか兄様をよろしくお願いします」とかC.C.に何やら吹き込んでるらしい。……本当にタフな妹になったもんである。

 そして、妹がそこまで回復したのも、思えば彼女の叱咤激励のおかげで。

 

「C.C.」

 

「ん?」

 

 万感の思いがよぎる。恋愛事に悩める事自体、なんて贅沢な平和なんだろう。彼女が「お前のために必要不可欠だ」と奨励した学校生活は、確かに得難いものだったのだ。

 

「ありがとう。お前がいなかったら、ここまでこれなかった」

 

「なんだ藪から棒に、頼み事か?」

 

「何故そうなる。清聴しろ清聴、こんな機会は滅多にない」

 

「『聴いてください』の間違いだろう?訂正するチャンスをやるからテイク2を早くしろ」

 

「……き、聴いてください…?」

 

「殊勝なお前は好きじゃない。やめろ」

 

「あのなあ!」

 

「ルルーシュ」

 

「なんだピザ魔女」

 

「……何で、私がお前と一緒に居ると思う?」

 

「脈絡がなさすぎる。契約だからに決まってるだろう」

 

「それだけなものか。お前が抱いた青臭い夢と無体な野望、その両方に共鳴したから此処に居るんだ」

 

「は……?」

 

 急にどうしたんだ?今迄、そんな事一言も。

 

「私が見たいのは女々しく悩んでるお前じゃない。私が…いや、()()が望むのは、ふてぶてしくて生意気な成果主義者で、斜めに筋が通ったいつものお前だ。心に従え。そして()()。自らの過去と、行動の結果に」

 

「…C.C.………」

 

「……分かったらもう寝ろ、朝のHRに間に合わん」

 

 ひとしきり、言いたいことは言ったようで。彼女はそれきりごろん、と横になってしまった。コードに拠り肉体的疲労は直ぐ吹き飛ぶ彼女だが、心労は別らしく。程なくして、規則的で静かな寝息が聞こえてきた。

 

(…………心に従え、か)

 

 自分にしか見せない、安心しきった寝顔を晒す彼女を横目に。

 

(おやすみ、C.C.)

 

 江戸切子のグラスを傾け、呷る。酔いは朝には抜けるだろう。いつのまにか貰っている魔女の気遣いが、骨身に沁みた。

「ルルのカッコ良いところは、決める時は必ず決めるところ」と、シャーリーに言われた。ならば、今は。

 

(決める時、ということか)

 

 明確な回答期限は年内と、自分で区切った。短い。猶予がない。しかし一人の友人に対し、アテもないのに茫漠と告白の返事を待たせるなんて真似、良心とプライドが許さない。期待させる間に彼女の一度しかない高校生活を、棒に振らせて終わらせたくなんてない。

 

(考えろ。ある筈だ、全ての懸案を突破する最適解が)

 

 今日からは、新たな「プラン」を考えて実行せねば。時計が二時半になってるのを確認したところで、C.C.の隣に倒れこむように眠りに就いた。

 

 

 ☆

 

 

 その日の放課後。「昨日、知ったんだけどね」という第一声から始まった中野家の長女の話は、娘達だけでの家族会議の結果?とやらを纏めたものらしかった。

 学園近隣の喫茶店にて、「この前のお返し」と称しコーヒーを(半ば無理矢理)奢ってくれた彼女曰く、昨日は久々に五人で色々と話し合ったらしい。

 

「成る程。御母堂がアッシュフォードに通っていたのか」

 

「そーそー。昨日、図書館で五月ちゃんが印刷してきたらしくてね。流石に吃驚しちゃった」

 

 どう見ても若いお母さんなの、見てこれ?と言って見せた写真に写るのは確かに、五つ子とどこか似た面影のある、赤髪の女子高生。成る程少し老けさせたら、彼女達と親娘と言われても違和感がない。

 正誤は後程、東京都庁や区役所あたりの住基台帳をクラッキングして確認すればよいだろう。それより喫緊の問題が、また別にある。

 

(……何だ、この探るような色は?)

 

 巧妙に隠してはいるが、その実慎重な声音を発する一花の挙動で分かる。此方のリアクションを、()()()()()

 彼女と似た者同士で良かった、普通は全く気付かないだろう。黒の騎士団(ブラックナイツ)の企業CMで起用したいくらいには、この長女は役者だ。

 

(まだ他に、俺から引き出したい情報があるとでも?)

 

 推し量りながらも会話は進む。「それでね、誰かお母さんと同年代の人で知り合いいない?」という事だったのだが。卒業式の写真に写り込んだ年度をみると19XX年。確かこの年はジェレミアが同期で卒業していた筈。彼はアッシュフォードを出たのち、本国で軍人になった経歴がある。

 

「この年ならジェレミア先生が該当するな。二乃経由で分かるんじゃないか?」

 

「ありがと。今月の三者面談の時にでも尋ねる様に言っとくね。あと、知ってる人とかは?」

 

「あるとすれば後は……ノネット・エニアグラム。この卒業式の写真で、一花達の母君?の隣に写っている女性だ。今はブリタニア統合軍で士官を務めている」

 

「この美人さん?…てか、詳しいんだね」

 

「彼女はコーネリア先生の先輩でな。皇女と仲が良いのもあって、ブリタニアだとそこそこに知名度があるんだ」

 

「ほぇー。この分だと日本にも知り合い沢山居るのかな、ルルーシュ君って?」

 

「日本に?」

 

 この国、もっと言えば日本人に学園関係者以外で、市井の知り合いは殆どいない。キョウト六家の枢木や桐原、皇家あたりを除けば、一般の民間人に知己がいるのはそれこそ海外のペンデルトンとか、或いはブリタニアの士官学校とか。案外と日本での交友関係は東京周辺にしかないのだなと、再確認したところで。

 数少ない()()()()()()()、と思い至る。

 

「……いや、一人いるな、愛知に」

 

「……また、女の人?」

 

「何故そうなる。男だ男。同い年の」

 

「え、スザク君の他に男がいたの!?」

 

「待て!俺にそっちの気はない!」

 

 大体向こうは彼女持ち、自分も………いや、今は女関係で色々と複雑なんだった。コホンと咳払いを一つした時、間髪入れず彼女から「なーんだ、ならその子といつから知り合いなの?」、と問われて。

 

「いつから……?…そうだな、確か五年前から、だったな」

 

 五年前。研究に行き詰まりを感じた頃に、C.C.に半ば尻を叩かれる形で再び赴いたかの地、京都府。

 そこで「彼」に会い、ルルーシュはまた一つ、新たに闘う理由を得た。日本に来てから出来た縁としては、彼との親交はスザクの次くらいに長い。親友と向こうが思ってるかは分からないが、気心の知れた仲ではある。

 ……尤も件の彼に「貴方にとってルルーシュとはどういう存在?」と聞くと、「最も尊敬する人」と返ってくるだろうが。

 

「どんな人?その人」

 

「どういう奴か、か。一言では難しいな。ああ、写真とアドレスなら持っているぞ?」

 

「え?」

 

 スマホを開いて連絡先を探し出す。ついでに以前()に行った時、向こうの家族と撮った写真もデータフォルダに残っているだろう。一花が何を追求したいのか、話題を逸らすことも兼ねて思考時間を稼がせてもらおう。

 

 さて、件の相手とは。

 

 

 ☆

 

 

 ところ変わって、愛知県某市某所。

 

 某公立高校の程近くに存在する、「BAKERY UESUGI」なる製パン店は、地元の人々から創業以来高い評価を得続ける人気店である。開店時間には常連客が列をなし、早ければ昼前には売り切れで閉店してしまう。マスコミの取材は一切お断りながらこのお店、近年ではSNSなどで情報を得た若年層がひたひた訪れたりもしているところである。

 

 さて。そんな密かな有名店の裏口にて、学生服を着込んだこの家の一人息子と思わしき少年が、最新モデルのG-shockを腕に付けつつ厨房へと声を飛ばす。

 

()()()、今日の弁当何?」

 

「チキンカツとピタサンド、おまけにフルーツよ〜」

 

「あざーす!」

 

 芳しいパンの香り漂う包みを手に取りバッグにin。足取りも軽く少年は玄関へと駆けていく。返礼に合わせるように、『上杉らいは』と記されたネームプレートを下げた少女が、厨房からひょっこりと顔を出す。

 

「いってらっしゃーい、土曜日だけどね!」

 

 粉まみれの手袋越しにひらひらと少年へ手を振る彼女。どうにも母親の作業手伝いをしているらしい。

 

「いってきまーす。あれ、親父は?」

 

「小麦袋の搬入!『俺一人でやんのかいっ』って愚痴ってたよー?」

 

「息子は今日模試なんだから仕方ないだろうに……」

 

「まーねえ。ちなみにお兄ちゃん、今日の模試の自信の程は?」

 

「自信?んーとな…」

 

 予測を聞かれて端正なその顔に、少し疑問符を浮かべる少年。そのルックスはショートシャギーに近い無造作ヘアの金髪に、両耳に付けた銀のピアス。ふてぶてしい眼光と目つきは、到底進学校に通う生徒のそれとは思えない。

 しかし実は彼、この見た目で東海地方ナンバーワンの頭脳を持つ優等生であるのもまた事実。

 加えていえばこの身形で、別にカツアゲも煙草もクスリもやっていない。品行方正なフリをして裏では違法賭博で荒稼ぎしてる同い年の誰かさんとは、ある種対極と言っても良い存在である。

 

「控えめに言って、だけど」

 

 ローカットのDr.マーチン──当然学校指定のローファーではない──を手早く履いた少年は、使い込まれたキーリングを革ベルトに装着しつつ、妹を一瞥し。

 

 ────全国五番以内、ってトコかな。

 

 ニッ、と白い歯を煌めかせ。五年前までは単なるやんちゃなカメラ小僧に過ぎなかった男は、余裕綽々にそう答えた。




第1話で上杉家の人々は出ないと言ったな、あれは嘘だ。

※(五つ子達の家庭教師役では)彼はこれからも出ないです(言い訳)


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TURN 15:ボーイ・ミーツ・ボーイ

過去篇フータロー回。


 上杉風太郎という人間は、凡そ成績優秀な優等生と言って差し支えない人物だ。金の髪色はお世辞にも大人しい……とは言えないが、少なくとも教師陣からは「学年一位をキープし続ける賢しい生徒」との印象を持たれている。

 

 しかし、その模範生の言動もつい5年前までは180度違っていた。当時の彼は小学生にしてピアス上等のヤンキーかぶれ。思考も口調も荒々しく、眉毛は厳つく剃り込まれ、髪は逆立つオールバック。

 授業は寝るかフケるかの二択。教師にバレようが授業中に平気でガムを噛みケータイを弄る、立派な素行不良学生であった。

 破っていたのは法律ではなく校則だけ、という点ではまだ可愛げがあったが、この調子では将来的にグレてもおかしくはない生徒だった。

 

 そんな往時の彼に、大きな人生の転機を与えた人物が1人いる。或いはそのコンタクトこそ、今日に至るまでの全ての始まりだったのかもしれない。

 彼らの予期せぬ初邂逅は、今より五年前の京都駅に遡る。ソレは故あってカメラに凝っていた時分の風太郎が、すったもんだの末に盗撮犯の疑いをかけられていた時だった。

 

 誰何に詰問、共する戸惑い。成る程、確かにパシャパシャとあちこち撮っていたのは事実。でも収めていたのはあくまで風景、と無実を主張するも梨の礫。高圧的に問い詰められ続ければ、如何に跳ねっ返りとはいえ、バツが悪くならざるを得ない。単独行動ゆえ無罪を証言してくれる友人も不在。何より窮地を脱する弁舌を、当時の彼は持ち合わせていなかった。

 

 自分ではどうにもできない無力を、衆人環視の中で痛感していた状況下。

 

「彼に瑕疵は有りませんよ。私が証言致します」

 

 頭上から降ってきたのは、赤髪の少女が振り絞った蛮勇ではなく。宛ら天の声が如き、怜悧な一声だった。

 

 

 ☆

 

 

(……なんだ、コイツ?)

 

 えらく、気障な言い回しする奴だな。金髪の少年が思案しつつ顔を向けると、其処に居たのは男子が一人。年嵩は、恐らく自分とほぼ同じ。

 敢えて特筆すべき点があるとするなら、その生身の人と思えぬ程の、造形の美しさだろうか。魔力を湛えるが如き紫眼。闇夜にあっても艶めくであろう黒糸。黄金比を体現した顔貌に、均整の取れた長い手脚。無形のカリスマすら感じさせる、堂に入った挙措動作。悠然と階段を降りる仕草は、余人をもって隠し切れぬ気品すら漂わせる。

 

「御公務中に相済みません。どうにも座視は拙い、と感じましたので」

 

 変声期を一足早く迎えたのか、同年代より一段と低く、よく通る声。標的を職質中の警察官に定めて尚物怖じせぬメンタリティは、年齢に対しあまりに不相応。短身とは既に呼べぬ背丈の痩躯に纏うは、先日倫敦(ロンドン)の仕立屋から贈られた三つ揃い(スリーピース)の紺。クレリックシャツの胸元に、窪み(ディンプル)を誂えたブルータイが映える。

 

 子供にしてはあまりに背伸びしすぎな格好は、しかし磨き込まれた焦茶の革靴からカフスに至るまで一分の隙も無い。故に、些末な違和感すら生じさせない。むしろ彼の意図した「演出」に、見事一役買っていた。

 同年代の人間がランドセルを背負って和気藹々とやってるだろう中にあって、その少年はあまりに異質。警官が追い払いもせず、思わず問うてしまうくらいには。

 

「君、この子と知り合い?それとも友達かい?」

 

「まさか。こんな品のない友人、寡聞にして存じません」

 

「なっ、テメェ…!」

 

 だが、口の悪い少年から飛んでくる睨みも、詰問に近い語気の誰何にも、彼は眉一つ動かさない。

 

「手前?私は現況を申し立てたまでのこと」

 

 一歩、二歩、寄るにつれ仔細が分かる。見目麗しく身形も良い、加えて仕草に隙がない。絵画から抜け出てきたかのような少年を視た公僕に浮かぶのは感嘆ではなく、特大の違和感だった。

 

「そうでしょう?警邏方」

 

 ………この子供、何処かおかしい。日頃より職務に忠実な公務員らは思案する。少なくとも現代日本の児童は、こんな……殺人現場に臨場した時のような、濃厚な死の匂いを纏ってはいない。整った眼窩に嵌め込まれたアメジストが放つ光は、妖艶でありながらも禍々しい。

 

 優先順位を金髪坊やからこの()()()少年に、警官二人は瞬時に変更。

 正規の訓練を積み、教本や現場で様々な事例を見聞した彼等は知っている。()()は常人ではない。眼の奥底に()()が廻える。平和ボケと言われ久しい日本で、こんな目の手合いは数限られる。故にたとえ幼かろうと、目の前の外国人子女に探りを入れるは必定であり。

 

「……日本語上手だねえ、いつ覚えたの?」

 

「未だ道半ばですよ、暫く前から留学中で」

 

「へえ?若いのに感心感心」

 

「母国語では無い故、言葉の()()()ニュアンスを間違えておりましたら御容赦を」

 

『外国人だから聞かれたことの意味わからなくても許せ』、とすかさず釘を刺しに来た。断られる前提の牽制だろうがそうはいくか、とばかり。

 

「何だったら英語でも良いよ?」

 

「やめておきます。()が分からないでしょうし」

 

「言うねえ、君?」

 

 スルー。が、普通に件の彼に失礼である。しかし日本人なのに派手な金髪と、いかにもなスエット姿の風貌をみれば皆が内心納得だった。社会で生きていく上で、身形とはかくも重要なのである。

 閑話休題。

 

「今日は1人?親御さんは?」

 

 あえて答えず、次に移るも。

 

「トランジットの不都合で。到着は明日以降の予定です」

 

「じゃあ、一人で旅行ってことね?」

 

「京都の紅葉は一見の価値あり、と伺いましてね」

 

 繰り返す詰問を、のらりくらりと躱される。多少高圧的に接しても全く臆さぬだけでなく、掴めたと思ったら逃げていく。面倒な上にやり辛い。

 昼日中の京都駅。いつの間にやら、彼らのやりとりは衆目の視線を集めていた。そして傍目から見たこの絵面は、日本人の判官贔屓を誘発する。

 外国人の男の子が庇いだてするように同年代の子の前に立ち、彼からみれば異国の言葉で弁を尽くしている。これがガラの悪そうな輩なら話は違うだろうが、生憎と線の細い美少年。人心がどちらに寄るかは明白だった。

 

 気付けば注がれていた好奇の視線は、2対1という戦力差もあってか、徐々に警官に対する非難めいた目線と囁きに変わってきていた。

 この状況で少なからず焦るのは、職質される側ではなく()()()だ。市民の為に職責を全うしているだけなのにバツが悪い。人並み外れて自制心と規範意識が高いにも関わらず、彼らの焦燥は募るばかり。

 

「君、名前と出身を教えてもらっても……」

 

 ………いや、馬鹿馬鹿しい。気圧されるな。たかが丸腰の餓鬼相手に何を梃子摺っている。痺れを切らしたもう一人が、まるで自身を鼓舞するかのように述べた誰何に。

 

「見ての通りの異邦人。名は……」

 

 だが。制服に身を包み、鉄火場を潜り抜けてきた男達の直感は正しかった。眼前に居る子供は、まかり違っても単なる勉強熱心な留学生ではない。

 建国より戦争と政争に明け暮れ、史上最大の軍事・経済大国となって尚、人類文明の頂点に君臨し続ける大帝国。その血と黄金に濡れた玉座を継ぐ資格を有する皇子にして、目的の為に手段を選ばぬ危険人物でもある。そして。

 

「……『アラン・スペイサー』、と申します」

 

 ──この状況は、既に少年の目論見通りである。

 

 

 ☆

 

 

 情勢は時間経過と共に優勢になる。自分を取り巻く盤面の操作も織り込み、態と目立った行動をとったルルーシュ。が、「無鉄砲なことはやるものではないな」、と心中で渋面を作っていた。

 

「取り敢えず、身分証見せて貰えるかな?」

 

 案の定、当然の質問が飛んできたからである。さて困った。言わずもがな本名は出せない。公式発表では「全治不明の病気療養中のため、アリエス宮に篭っている」筈の自分が、今此処に居てはおかしい。第一、かのテロ事件を主謀した饗団らに高々と居場所を教えることになり、敵に面や現住所が割れていない優位性が失われる。

 

 同じ理由でブリタニアで使っていた社会保障番号も、通っていた初等部の学生証も晒せない。偽造パスポートを提示する?これも微妙。既に偽名をひとつ使っているのに、これ以上偽データの塊を矢鱈に開帳したくない。よって。

 

(……国家権力には、国家権力をぶつけるか)

 

 穏便にとはいかないが、手っ取り早く解決させてもらおう。日本に()()を一つ作ることになるが致し方ない。

 

「すみません、日本で困ったらまずコレを出せ、と友人から言われていたのですが」

 

 懐から電子ロック付パスケースを取り出し、静脈認証で解錠。中を改め提示したのは、如何にも高級そうな一枚の名刺。因みにここまでの思考時間、約3秒程である。

 

「名刺?それが何かッ…………!?」

 

 不意にかざされたブツを見て瞠目し、絶句するは警官らの方だった。それもそのはず、ラミネート加工され、桜の花弁が透かしで美しく散る白地のそれには、…………「第XX代内閣総理大臣・枢木玄武」と、流麗な草書体で記されていたのだから。

 偽物と断ずるにしてはあまりに()()()()()。名刺に刻まれた電話番号は、京都御所近くにある枢木議員事務所のそれとピタリ一致。首相の達筆さは広く知られている故、あちこちに頻繁に揮毫をしていることは日本人なら周知の事実。その筆跡はマスコミのカメラ越しに見る総理の字と、何ら遜色なかった。

 

 意味が分からない。「早耳の玄武」との異名を持ち、警察庁どころか検察にも顔が利く、京都六家の一角にして行政府のトップ。日本の現職宰相の名刺を、何故こんな年端もいかない白人の少年が所持している?まさか……それだけの超VIPとでも?この子供が?

 

「当然、名刺の真偽を疑われることと思います。此処では何ですし、場所を変えてテレビ電話でお繋ぎしましょう、()()()

 

 疑問に思ったどころか疑問符だらけだったが、モノの精緻さゆえスルーは出来なかった。その時点で、既に帰趨は決していた。

 

 

 ☆

 

 

「また何処かでお世話になるかも知れません。其の時は宜しくお願い致します」

 

 場所を人目を避けた物陰に移してのち、本当に首相と繋がったテレビ電話の後。一気呵成に会話の主導権を握り、ルルーシュ・オンステージと化した独演会は、結局いつも通りの舌鋒で締めくくられた。

 

(………殴り合いから始まったスザクとの縁が、こんなところで役に立つとはな)

 

 人の縁とはかくもわからないものだ。この借りはいつか返さねばならんな、と心に決めた彼をさて置き。先程まで職質をかけていた律儀な公務員らは、「これから枢木議員事務所に向かう」と述べて去っていった。後援者あたりに話でも聞くのだろうが、ルルーシュについての情報が開示されることは一切ない。もっと言えば、そこらの警官では知る権限もない。ここまで断言するわけは。

 

(俺が日本に居る事は機密。順当に進んでも指定解除は2090年。その頃に存命の関係者は殆ど残っていないだろう)

 

 命を狙われたブリタニアの皇子。彼を日本が公然と隠匿している事実は、日本の改正軍機保護法に於ける「軍極秘」の更に上。最上位の「軍機」に指定されており、情報公開は(ICA勧告準拠の)約80年後となる。早い話がルルーシュ、この国では存在が輻射波動と同じ枠にある。「研究成功の暁には日本政府にも色々と便宜を図る」、などと宣った自身の工作の成果でもあり、彼の希求する再生医療が軍事的色合いも有している傍証でもある。

 

 さて、後にぽつんと取り残されたのは黒と金。用は済んだし移動するか、とばかり帰ろうとしたルルーシュだったが、その背に「なあ」と声をかけられる。

 

「………一体何なんだ、オマエ?」

 

 目まぐるしく変わるやりとり。悪辣なまでの口八丁。あれよあれよと言う間に大人2人を引き下がらせた手腕。てんやわんやの末にどうにか収めた事態を消化し、一息ついた風太郎が素朴な疑問をぶつけるのは、かくも当たり前であった。

 

「先程名乗った。お前こそ誰なんだ?」

 

「だんまりかよ。……風太郎。上杉、風太郎だ」

 

「覚えておこう。それから誤解を招くような事はすべきではない。一歩違えば盗撮犯だ」

 

「んな事した覚えはねーッての。悪いのはあのポリ公だ」

 

「なら、何故手当たり次第に撮影を?」

 

「色々あんだよ、コッチにも」

 

「職質されてまでやることか?」

 

「まーな」

 

「分からんな。()()()()()()()()()()()のならまだしも」

 

 何気ない一言。半ば自分に言い聞かせるように吐いたその言葉に、しかし。目の前の少年は、正鵠を射られたとばかり静かに息を呑んでいた。

 

「………まさか」

 

「そのまさか、だ」

 

 ややあってから、「……しゃーねェーな、内緒にしとけよ?」と前置きして。まるで鬱屈したものを吐き出すように、ぽつぽつと語り始めた。

 

 愛知の出であること。親が自営でパン屋を営んでいること。お店を持つのが幼い頃からの夢であった、という母に付き添う形で、父も脱サラして一緒に働いていること。目に入れても痛くない妹がいること。一家4人での新しい暮らしにも慣れ、経営も軌道に乗ってきた矢先のことだった。

 母が大病を患い、入院したのだ。家族経営の小規模店舗ゆえ店は休業。家計は父が派遣の仕事などを掛け持ちで入れ、何とか食い繋いでいるとのこと。

 そして。母に先日下った診断結果は、癌。しかも進行度合いは初期どころではなく、既にステージ4。加えて。

 

「…………余命、3年って言われたんだ」

 

 時既に、焦眉の急であった。

 

 

 ☆

 

 

 病魔の名は、膵臓癌。進行していれば5年生存率は10%を切る、とりわけたちの悪い病。また人体の構造上、膵臓は外科手術による切除が難しい部位である。今でこそナノナイフやらを用いた多角的医療が提供されているが、当時の日本では抗癌剤と放射線治療が依然として中心だった。

 

(……身体の中心近くにあり、変容が分かり辛い臓器だ。大方、人間ドックでも引っかからなかったんだろう。知らぬ間に放置するうち症状が進行、癌細胞が他の部位へ浸潤・転移し始めていた、というところか………)

 

 この時、ルルーシュの立てた予想は残念な事にピタリ一致。当人は正に初期症状が起こっても単なる腹痛かと思い、胃薬やらを飲んで誤魔化していた。開店資金調達や準備等で忙しく、病院に通い詰めるのが難しかったのも災いした。

 更に言えば、一般的に医者の言う「余命」は全く正確なわけではなく、ある程度は幅を持たせる。つまり、風太郎の母が残り3年と宣告されたとしても………丸3年は保たない公算が大きい。

 

「……母さん、京都が好きでさ。冥土の土産序でに写真撮ってきてくれ、とか言われて」

 

 心なしか空元気を振り絞ったようにも思えた母の言葉に、風太郎は頷くしかなかった。さして興味もないカメラを手に取りバシャバシャ撮るのは、ひとえに母親の望みを叶えんが為だった。

 

「縁起でもねーっての、マジで」

 

 入院してから、母は子を全く怒らなくなった。かつては厳しくも優しい人だったが、気丈に振る舞うのが精一杯なのが、子の目から見てもありありと分かった。夫と2人の子と過ごせる残された時間を、日々噛み締めているようだった。

だから少しでも励みになればいいかと思って、母の生まれ故郷でもある京都の風景を、この手で収めてあげたかった。

 

「…………すまん。軽々に聞くことではなかった」

 

「いーって。気にすんな」

 

 謝罪に手を振り、努めて空気を軽くしようとする風太郎。それでも、払拭出来ぬ重苦しい空気が流れた。ガン。日本人の最も大きな死因とされるそれは、もしかしたらどこの誰にでも起こり得る悲劇。抗う術はあれど、完全に打ち消す魔法は当然、皆無。受け入れる他ない冷厳な現実を、ルルーシュは。

 

(……………また、こんなことばかりか)

 

 傾聴して知った。更々認めたくなかった。幸せな家庭を襲う不幸なんて、鼻で笑って弾き飛ばしてやりたい。

 研究さえメドがつけばどうとでもなる。自惚れでなく、自分にはそれだけの力があるはずだ。全くもって嫌になる。C.C.や皇帝にあれだけ大見得を切っておいて、碌な結果を出せない自分に。

 

(気に入らん。ままならない自分が、何よりも)

 

 皇帝とて、ボランティアで皇子を異国に送り出したのではない。当然ながらブリタニアの国庫も有限であり、原資は国民の納めた税金だ。極秘の研究故、財務省には各所から予算をプールして纏まった資金をつけさせているが、そんな工作はいつまでも持続出来るものではない。さりとて親しい近衛や身内だけで運営が出来るほど、ブリタニア財政は小規模ではない。

 絶対権力者であるシャルルといえども、伏魔殿とも渾名されるブリタニア財務省のグリップを握り続けるのは相当に腐心しているのだ。故にこそ内部リークなども警戒すると、獲得出来た猶予は5年。

 

 血に塗れたあの日から既に2年が経過している現在、成果の目処無しとみなされ、本国からの資金援助が打ち切られるまで、リミットはあと3年。

 隠していたつもりだが、精神的にギリギリなのがお見通しだったのだろうか。C.C.に「休んでこい」と命令され、半ば蹴り出される形でラボから鞄と一緒に締め出されたのが2日前。勿論今後のスケジュールを考えると、年数どころか日数を詰めることすら厳しい。が、彼女はそれを承知の上で叩き出したように見えた。

 

(俺が創り出せば、叩き壊せる理不尽がある。当然の事実だ)

 

 ナナリーに人並みの生活を送らせてあげたくて、自責と贖罪の念も込めて、自分で決めた事だった。成し得なければ割腹するつもりだった。だが。

 

(……贖罪の意を込めただけでは、無理なの、か?)

 

 精神論など大嫌いだ。気合いやら根性といった非論理的で根拠薄弱なトンデモで物事が進むなら、人類はとっくに宇宙を統べている。

 

(死を背負うだけでは、前に進めない。そういう事か?)

 

 馬鹿げている。気が触れている。気の持ちようで科学を語るなど、まるで非科学的ではないか。

 

「…上杉、と言ったな。俺から提言することが一つある。覚えておけ」

 

「なんだよ、いきなり?」

 

 気休め、疑似科学。或いはプラシーボ効果。確証の無い無責任。苦しむ人に半端な希望をぶら下げるなど忌避すべき行為。なのに。

 

「2年だ。2年で、俺が全てどうにかしよう」

 

 心が、動く口が止まらない。

 

 

 ☆

 

 

 いや、何でお前が…?……返ってきた、当然のリアクションに。

 

「俺の自戒に触れたからだ。それ以上でも以下でもない」

 

「………フザけてんのか?冗談にしちゃ笑えねーんだけど?」

 

「伊達や酔狂でここまでほざくか、阿呆」

 

「ッ、医者が無理って言ってんだ!お前に何が出来んだよ!?」

 

「何も出来ないさ。()()()

 

「は!??」

 

「俺はかつて籠の鳥だった。生きながらにして死んでいた」

 

 忘れたことはない。血に塗れた屈辱を。大事な存在をズタボロにされた苦痛と憤怒を。心安らぐ日々は、砂上の楼閣でしかなかった。裕福な暮らしも、豪奢な衣服も、贅を尽くした日々の糧も、全て親から雛鳥のように与えられていただけだった。

 ……一山いくらもしないような安価な銃弾で、簡単に壊れる程度のものでしかなかった。

 

「母が寝たきりなんだ。俺の所為で負った怪我でな」

 

 吐露に、彼が初めて瞠目したのを感じる。感じながらも、自分でも驚いている。思えば自分とこいつは似ている。民族も人種も出生も、国籍も違う。しかし歳も同じで、目付きが荒んだ捻くれ者。態度にシスコンの気があり、そして………度し難い程の己の無力が、嫌いで嫌いで仕方がない。

 

「……それも、お前にどうにか出来るってのか?」

 

「出来る出来ないじゃない。やるかやらないか、だ」

 

「何、やろうってんだよ」

 

 だから、俺は。

 

常識(セカイ)を壊し、理想(セカイ)を創る」

 

 ……それが、俺の至上命題だ。一息に言い切った自分の姿が、風太郎の眼に焼き付いているようにも一瞬思えた。

 

「……喋りすぎたな。お前を呼ぶ声もしてるし、頃合いだろう」

 

 話が長丁場になっている最中に、いつの間にやら。上杉、と遠くから彼を呼ぶ少女の声が聞こえてきた。心当たりがあるらしく。

 

「この声……竹林か?」

 

「身元引受人が来たようだな」

 

「俺はともかく、お前はどーすんだよ?ツレがいんのか?」

 

「一応な」

 

「なーんでぇ、彼女持ちかよムカつくな」

 

「厳密には違うがな。それからお前に、俺から最後に言っておくことがある」

 

「なんだ?」

 

「俺の名は『アラン・スペイサー』ではない」

 

 2年前なら、到底言わなかった選択肢。約定を果たす意思を示さんとばかり。己が首にぶら下げたドッグタグを、ルルーシュは素早く外して風太郎へ放り投げた。

 

「ぅわッちっ!?あぶねーな何だよ!?」

 

2()()()()取りに来る。それまでお前が持っていろ」

 

「急にどうした、オイ?」

 

「いずれ分かる。今日の事はくれぐれも秘密にしてくれ。これは()()()、上杉風太郎」

 

 バサリ。少年が危なげなくキャッチしたのを視界に収めた若き皇子は、優美なサイドベンツの裾をはためかせて、たちまちその場を後にした。

 

「……なんだってんだ………」

 

 秘密、か。残されたのは、茫洋とする金髪一人。とそこに、後ろから何やらお冠なご様子の少女が近寄っていき、おもむろに首根っこを掴んだ。先程風太郎があたりをつけた少女・竹林その人だ。

 

「やっと見つけた!こんなとこで何してんのよ上杉!皆待ってるのよ!?」

 

「あーっと、すまん!この通りだ!」

 

 雷投下。遅ればせながらやらかしを実感した風太郎、慌てて平謝りであった。

 

「ホンット調子いいんだから……ってあれ、今誰かいた?」

 

「ん?いや、誰もいねーよ?」

 

「だって、なんか嗅ぎ慣れない香水の残り香があるような…」

 

「気の所為だろ。あ、あと真田達にもお詫びにジュース奢っから許してほしーんだけど」

 

「まあいいけど………まずちゃんと謝んなさいよ?」

 

「はーいはい。あ、それからさ、竹林」

 

「何?トイレならあっち」

 

「いや、じゃなくて!…………あのさ、俺に勉強、教えてくんね?」

 

「……はっ?」

 

「ま、無理とかならいーんだけどさ」

 

『聞き間違いか?今日は槍でも降るんじゃないか』みたいな怪訝な顔をする竹林。彼女にまるで進⚫︎ゼミの申し込みを親に頼む小学生みたいな拙い弁を振るい出した風太郎は、「また後で聞くわ」、とその場は保留にされたのだったが。

 

(……同い年で、あんだけやべー奴がいる。態度こそスかしてっけど、喋りからして今の俺じゃあ到底及ばねーのは分かる。あんなんに追い縋るには…)

 

 勉強しか、ない。それも生半可ではなく、獣のように貪欲に。なら嫌いだけどやってみっか。この時抱いた至極単純だが強い動機を、彼は後々まで持ち続けることになる。

 

 さてアヒルの雛みたいにてくてくと彼女の後ろをついて行きつつ、ポケットの中にある純銀のドッグタグをもう一度よく見てみる。「Lelouch.L」とだけ彫られたそれは、名前以外の全てが空欄だった。

 

(つーかなんて読むんだこれ………レロウス?)

 

 ルルーシュである。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 …………そういや、あの日からもう5年か。

 

 時を戻して、現代日本は愛知県。日取りは模試から5日後のこと。自宅兼店舗のパン工房にて、上杉風太郎は長い回想を終えたところだった。放課後にやってる店舗の清掃と翌日分の仕込みの手伝いは、既に自身の日課になって久しい。

 

(マジで2年でやるあたり、大概人間やめてるよなアイツも)

 

 あの邂逅から、既に5年。交わされた約束を事実、ジャスト2年後に果たしに来たジュリアス・キングスレイこと『ルルーシュ・ランペルージ』。彼がそれから程なく創設した新興企業「黒の騎士団」は、市場関係者でその名を知らないならモグリだ、と言われるまでに急成長するまでになっている。

 企業飛躍のきっかけになったタネは言わずもがな。中核となった少年と再会した2014年当時の事を、今でも鮮明に覚えている。

 

『喜べ、条件は全てクリアされた』

 

 病院で母の見舞に来た風太郎に会うなり開口一番。くっさい台詞を恥ずかしげもなく吐いた(※様になるのがムカついた)後、都内の病院(やけに真新しかった)に風太郎の母を転院させたルルーシュ。そこから先はあっという間だった。何せ寛解どころか完治したのだ。

 治った原理を説明した広辞苑数十冊分はあろうかという医学書の束を、食い入るように読み漁ったのは今でも覚えている。感動のあまり黒の騎士団への就職を直談判したのは、若気の至りと言えるだろうが。

 

 ともあれ退院以来、母は病気どころか風邪すら一度も罹っていない。何事もなかったかのように元気に働く姿を見るたび、とても数年前まで死の淵にいたとは思えないと感じる。

 そんな、涼しげな秋口の折に。

 

「手、止まってるよ?フータロー」

 

「うおわっ!!?」

 

 耳に当たる突然のこそばゆい感覚に振り向くと、いつの間にやら腐れ縁の女子兼バイト仲間が一人いた。音も立てずに背後にいた彼女こそ、おバカだった往時の風太郎に勉強を教えた張本人こと。

 

「耳に息ふきかけんなって、竹林ッ…!」

 

あの時拾いに来てくれた、彼女だった。

 

 

 

 

 ニコニコとご機嫌な様子で風太郎をイジっているが、これでも旭高校トップタイの成績にして、全国模試一桁常連の才女でもある。

 

「簡単に後ろを取られるフータローが悪い」

 

「前から思ってたけど忍者か何か?」

 

 ちなみに彼女、篠崎流ナントカ術?とか言うヤツをこっそり習ってるらしいのだが此処では割愛。

 

「……まーいいや、いらっしゃいませ」

 

「どーもー、竹林入りまーす♪…あれ、お礼は?」

 

「はいはい感謝してます。でも振替休日にまで律儀に来なくたって店は回せるぞ?俺がいれば」

 

「あ、そーゆーこと言うんだ?同クラでしかも隣の席の女子に?」

 

「いやクラス別だろ」

 

「そんな事より次何作るの?手伝うよ?」

 

「スルーかよ!……竹林お気に入りのアレ。こっち半分頼まれてくれ」

 

「り!」

 

「なにそれ」

 

「りょーかいの『り!』」

 

「分かんねえ……」

 

 ちなみに今こねてるのは、彼女のでもある焼きたてクロワッサン。極めてシンプルだが、実はこれが食パンを凌ぐこの店の一番人気。塩バターやベーグルサンドも及ばない。尚、エスプレッソと合わせて飲むのがおススメだ。

 

 尚かの男の妹・ナナリーちゃんが好きな味でもあったりする。らいはと今でも連絡を取り合ってるらしい彼女は、そう言えば初めて会った時は杖をついていた。次に会った時は兄の運転する車、その次は(自分で買ったらしい)大型二輪に乗ってきた。今頃は自在戦闘装甲騎でも乗りまわしてるんじゃないかと、若干戦々恐々としてるのは自分だけだろうか。

 

 母親お手製の「新作レシピ試作リスト」と銘打たれた紙束をトントンとまとめながら、一見不良の金髪少年は心中で独り言。

 

(今頃何してっかな、あいつ……?)

 

 隣り合って作業をしていると、「ところでさ」と竹林が下から覗き込むように話しかけてきた。この二人、意外や意外と息が合うのだ。

 

「ん?」

 

 相槌に対し。それまでおちゃらけていた竹林が、真剣な面持ちになったかと思うと。

 

「久しぶり。すっかり変わったね、フータロー」

 

「いや昨日も此処に来てたよな?」

 

 ……意外と息が合う気がする……いやしないかもしれない。

 

 

 



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TURN 16:Re;STAGE

原作ヒロイン確定した(っぽい)からやっと進められる……
&ルルーシュハピバ(遅)


 

 

 トクン、ドクン。やかましい心音が徐々に強まり、目を見開く。視界に入る、異国の青空。鳥の囀り。川のせせらぎ。めくれ上がった大地と瓦礫。焦げた樹木。煤けて灰になった街並み。人肉の焼けた、饐えた臭い。変死体、礫死体、焼死体。

 

『僕は………』

 

 そこは、まるでディストピア。ボタン一つ掛け違えただけで、あり得るかも知れなかったifの世界。綺麗な情景と凄惨さが、歪に混じった混濁の夢。

 無間地獄を体現したような惨禍の地で、幼い少年は憤怒と憎悪に満ちた表情を浮かべ。

 

『……ブリタニアを、ブッ壊す』

 

 言い切って、吐き棄てる。そうでなければ、発狂してしまいそうだったから。いや、思えばこの時、少年は既に狂っていたのかも知れない。親を恨み、祖国を呪い、世界を憎んだ。溢れん限りの憎悪で歪んだ両眼に……金の魔女を、捉えたところで。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「………ろ、…起きろって、ルルーシュ!」

 

「……!?」

 

 バチッ。まるでブレーカーが落ちるように強制的に眠りから醒めた黒髪の青年は、聞き慣れた女性の声にベッドから身を起こす。

 

(…!?…………夢、か…)

 

 視界に入るのは空襲跡……ではなく、整理整頓され尽くしたいつもの私室。枕元には、先日の模試の分析レポートが転がっている。手首に巻かれたままの腕時計を見ると、どうにも1時間ほど寝落ちしていたようだった。流れっぱなしのニュースからは『5日後にクロヴィス殿下が来日する』、との報が流れてきた。なんでもサクラダイトの掘削施設の視察らしい。

 

「……すまん、以後気をつける」

 

 五つ子と出会った日からこのかた、妙な夢を見る頻度が増えた。別の自分の人生を追体験しているようなそれの、種類は様々。予知夢めいたリアルなものもあれば、変な仮面を被ったアーサーを追い掛ける荒唐無稽なものまで。中には………異母妹を自ら撃ち殺す、なんて縁起でもないものもあった。

 

「うたた寝とは珍しいな、お前ほどの社畜が」

 

 しかし、やはり彼女はいつもの調子。緑に近い不思議な色合いの髪を揺らす彼女とは、実に形容し難い関係を今日まで築いているのだが、それはさておき。

 

「……煩い。若干夢見が深かっただけだ」

 

「何だ、淫夢でも見てたのか?」

 

 揶揄うように此方を振り向いた彼女、だが。……人の顔をしげしげと見つめるなり何故か瞼をぱちくりとさせ、怪訝そうな顔を向けてきた。妙な反応が引っかかるが、構わず続ける。

 

「当たらずとも遠からずかも知れん。お前が出てきたしな」

 

「ほう。取り敢えず詳しく聞こうか」

 

「情景をか?…そうだな、日当たりの良い日に目が覚めたら、お前の顔が目に入ってきて」

 

「昼間から外で!?やっぱりお前の性癖相当歪んでるな……」

 

 そっちじゃない。

 

「最後まで聞け!それはさておき、その時の俺が10歳かそこらの子供になっていてな」

 

「おねショタ願望は流石にヒく」

 

「シモの話から離れろ変態教師!お前さっきから態とやってるだろうッ!」

 

 寝起きの人間にいつものノリを要求するな。しかし口調と裏腹、彼女はいつものふてぶてしい笑みを浮かべず、真顔で腕を組んだままだった。

 

「………なあ、ルルーシュ」

 

「なんだ!」

 

「気付いてないのか?」

 

「主語をよこせ。頼むから」

 

「……泣いてるぞ、お前」

 

「………え?」

 

 言われて咄嗟に目元を擦ると、証拠に何やら湿っている。タイミング良く手渡された手鏡を覗き込むと、其処には確かに目元を腫らした自分がいた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 意外にも、からかわれる事はなかった。鬼の首を取ったとばかりマウンティングしてくるだろこの女、と思っていたのだけど。

 

「……私もな、偶に変な夢を見るんだ」

 

 聞けば、それは教会でひとり跪く己の夢だと言う。神に向けて祈りを捧げ、静かに涙を流す自分の姿。何故悲痛な表情で懺悔していたかは分からない。ただ日頃より傲岸な魔女が落涙する程、ショッキングな事象があったのか。そう思わざるを得ないような、胡蝶の夢。

 

「……何なんだろうな、これは」

 

 例えるなら死へと歩む男の人生を観測する、孤独な囚人の悲哀。未だ消化不良の感がある、彼女の独り言に。

 

「…仮説を挙げるなら、ヒトの集合的無意識の断片を覗いたか」

 

「え?」

 

 まさか明確なアンサーが来るとは思ってなかった彼女に構わず、ルルーシュはまたぞろ何やら組み立てる。

 

「ないしはパラレルワールドで発生し得る事象を偶々拾った。もしくは単なる幻覚か、脳の疾患」

 

 続けて「待てよ、シンクロニシティの可能性もあるな。それなら俺達の他にも妙な明晰夢もどきを見ている奴がいてもおかしくは…」、などとまたこの捻くれ副会長が、理屈っぽくぶつくさ呟き始めたところで。

 

「ルルーシュ」

 

「ん?」

 

「女がこんな感じで話すときはな、取り敢えず同意したフリして相槌だけ打っとけば良いんだ。別に答えなんか求めてないんだよ」

 

「割と女性への偏見に満ちてないかお前?」

 

「親切な美女からのモテ講座になんて言い草だ。ここで同意しないでいつするんだ」

 

「お前に不要な嘘を吐きたくはない。俺が完全に素で接してるのは唯一お前くらいだからな」

 

「………………」

 

「何故黙る」

 

「閉講!」

 

「最初から受講しとらん!」

 

「口答えするなハイと言えハイと。それよりもう土日でも家庭教師入れてるんだろう?早く行け」

 

「お前に言われずとも今から行くわ!」

 

 いそいそと支度しながら、踵を返し玄関へ向かっていく副会長。女心とやらを理解してるのかしてないのか、結局よく分からない。

 去り際に振り返ったTV画面は、『クロヴィス殿下来日記念!シブヤのJK100人に聞いてみた☆ブリタニア皇族No.1イケメンは誰!?』、なんておバカな特集を垂れ流していた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「5日前の全国模試の解答は確認したな?中身を確認がてら個別の傾向と対策を練るぞ」

 

 パン屋の倅が上手いこと生地をこねてた同時刻。フジへの林間学修を一週間後に控えた、中秋の霜月半ば。ペンタゴンマンション30階は中野邸・リビングルームに集まった五つ子に、ルルーシュは開口一番そう言い放っていた。

 解答例には既に全て目を通してある。各自で持ち帰った模試の問題用紙をザッピングし、誤答を摘出。全員の答を分析したのち、いざレクチャー開始と思いきや。

 

「えーっと、その前にまず言いたいことがあるんですけど、いいですか?」

 

 五女にいきなり出鼻を挫かれた。どころか皆だいぶ上の空。……ひょっとして。

 

「御母堂の仔細か?」

 

 気になるんだろう。思って聞くと全員黙って頷いた。無理もない、実の母のことだ。彼女達なりに、何か調べて分かったことでもあるのだろうか。そう思って先を促してみると。

 

「…一花に言われてジェレミア先生に聞いたのよ、お母さんのこと」

 

 語り始める二乃曰く。なんと「同学年」どころか「同じクラスメイト」だったというジェレミアに聞くと、それは懐かしそうに話をしてくれたらしい。

 

 教師時代は豪腕で知られた母・零奈は、学生時代はむしろ真逆。頭は良く運動も出来たのだが、平生は口数少なく引っ込み思案で、少しばかり人より考え過ぎるきらいがあった。おまけに警戒心が強かったのか、付き合いの浅い相手には若干ツンツンしていたらしい。つまるところ、今で言うクーデレ。変わらないのは誰に対しても敬語なところぐらいだったという。

「彼女は仲の良かったノネットらとよく一緒にいた」と語る担任に、二乃は更に。

 

「『なら』と思って、私達の実の父を知ってるか聞いたの。そしたらあっさり『それは分からん』って返ってきたんだけど…」

 

「ちょっと待て、ジェレミア先生に何故実父の委細を尋ねるんだ?」

 

「?……あ、そういえば昨日の今日で、アンタにはまだ言ってなかったわね。学園の図書館から五月が引っ張ってきた、若い時のお母さんの写真なんだけど」

 

 そこから先は、眼鏡をかけた五女が引き継いだ。彼女達に提示されたのは、卒業式…ではなく学祭の写真。五月は模擬店の製作中に取られたのであろう制服姿の零奈が映るそれの、ある一点を指し示した。

 

「……三玖に言われて気がついたんですけど、よく見るとここに不自然な隙間があるんですよ。丁度、ヒト1人分の」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……成る程な、そういうことか」

 

 写真を眺めた家庭教師は、現物を見て直ぐ察した。その空白に居たのが学園の生徒だったのか、教師だったのかは分からない。或いは考えすぎなだけで、もとから誰も居なかったのかもしれない。が。

 

(日付は19XX年、9月9日。フルカラーで被写体は2人。だが、微妙に御母堂の()()()()()…浮いて見える)

 

 該当箇所をよくよく見れば、()()()()加工したかのような跡がある。この事を踏まえれば五つ子達は、「写真の空白部分に居たかも知れない人間が、もしかしたら将来の零奈の夫となった人物なのではないか」と考えているのだろう。同時に。

 

「なら何故、何処の誰が何の為にそんな隠蔽じみた真似をしたのか?ということか」

 

 そして隠された人物は、零奈と同窓だったジェレミアなら心当たりがあるかもしれない…とも考えた。突飛な発想だが、これが二乃の先の話に繋がる。

 

「話が早くて助かります。…どう思いますか、ルルーシュさんは?」

 

「先ず、合成の真贋を見極めなければ判断出来んな。全ては検証してからだ」

 

 取り敢えず、レベル補正からかけてみるとするか。

 勉強最優先と考えていたが、着任5分ですぐさま翻意。「親について知りたい」などと言われたら、情に絆されてしまうのがこの男の性分でもあった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 一応、覚えている父の名前を入力したんです。照会結果はゼロ件でしたが。そう述べた五月の言葉を皮切りに始まったのは、まるで幻を追うような話だった。生まれも顔も年齢も分からぬ、実の父。彼女達が知っているのはブリタニア人であることと、その名だけ。

 

「むしろ顔も思い出せないのに、名前だけハッキリ覚えているのは、なんというか……」

 

「不自然でしかない、と?」

 

「はい」

 

 五月達の真っさらな記憶の中に、ぽつりと浮かぶ名前。それだけ覚えているコトが、却って更に分からなくなる。

 

「ちなみに、今まで実父と会ったことは?」

 

「記憶にある限りでは無い、ですね」

 

「…そうか」

 

 面会交流ゼロ。これは恐らく、母君は未婚で五つ子を産んでいるかもしれない。後で調べてみるとするか。

 

「あー、でもね……自分達なりに、調べた事はあるんだ」

 

 そこでキリ良く、末っ子とアイコンタクトを交わした長女によれば。

 

「家探しは古い家に居た時にやったけど……何もなかったのよ、父親の記録。お義父さんも『知らない』っていうし」

 

 あっけらかんと語る次女曰く、写真の一枚すらないらしい。

 

「兎に角、手元には写真の一枚もないんです。お母さんと拗れたのか、お母さんが嫌ったのかは分からないですが」

 

「貧乏生活、暫くしてた記憶はあるのにねぇ」

 

「ししし。思い出すよね、あの頃」

 

「…複式簿記の付け方知ってる小学生って、中々いないと思う」

 

「生保受給すると車に乗れない、とかねー」

 

「お陰で色んな手当やらに詳しくなったわ。子供ながらに所帯じみてたわね」

 

 あけっぴろげに言い放つ彼女達は、到底嘘をついているようには見えなかった。だが。

 

(……ここまで話しておいて、手掛かりが一つも増えていないとはどういうことなんだ……)

 

 恐るべしは女子トーク。ヤマなしオチなし思い出話の繰り返し。ここはやはり、自分が進めるしかないようだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『名古屋市役所の住基ネットに入りこむ。少し待ってくれ』。そう言い放つなりリサーチのついで、確認がてら自作のノートPCでクラッキング。五月達の名前で照会をかけるが………台帳を遡っても父親の情報は、何も書かれていなかった。まるで……「不自然に」消されたかのように。死亡して除籍されたか、そもそも戸籍すらなかったか。

 

(父親は今………果たして生きているのか?)

 

 にしても、データが全く無いとは不自然。例えば拗れた末の離婚なら、お役所に事前に離婚相談を入れていてもおかしくない。養育費や慰謝料を巡り弁護士を立て、調停をしている可能性もある。ところが調べてもケース記録は一切なし。

 事件性を疑った為、今度は愛知県警のデータバンクをクラッキングする。が、やはりこちらも梨の礫だった。

 

(これでは話が進まんな。……致し方ない、彼女達と秘密を一つ共有するか。約束事は守れる姉妹だ、頼めば黙っていてくれるだろう)

 

 息をするようにサイバー犯罪を繰り返す男は事ここに至り、新たなカードを切ることを決断した。一旦前置きを入れて、繰り出すのは。

 

「以前、二乃には話したな?理事長に編入の真相を聞いた、と」

 

「え?…えーっと、『親同士で話をつけた。アンタが家庭教師やるのが前提』、ってやつかしら?」

 

「合ってる。その時、理事長が俺に話してくれたことは二点。一つは『五つ子の父がブリタニア人である』こと。そしてもう一つは『父の名前』。それが…」

 

『彼女達を()()ため、編入を認めたのです』。ルーベンの言葉が脳裏にリフレインする中で一旦、言葉を区切り。

 

「……『アリア・グレイサム』。皆の記憶と相違はあるか?」

 

「いいえ、一字一句同じです」

 

 代表して五月が即答。

 

「分かった。……続けるぞ。しかし五月も調べた通り、アッシュフォードの卒業生リストにこの名前は無い。加えて…」

 

 現状で確実なのは「ブリタニア人」ということだけ。ならばこの場で言えることは、一つ。

 

「……英語圏でアリアは女性名。普通は男に付ける名ではない。偽名だろうな、十中八九」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「結局、ふりだしってわけですか………」

 

「残念ながらそうなる、な」

 

 分かってはいたが、重い空気が居間に漂う。彼女達の父は、偽名を複数持つ男だった。鏡を見れば心当たりがあるくらいには身近な存在だが、そんな奴がもう1人いたとなれば話は別だ。

 何故って、彼女達の不自然な記憶の欠落を理由付けするには、御誂え向きのものも想定出来るから。即ち。

 

(あくまで仮定ではあるが……もしかすると彼女達の実父は、ギアスユーザーだった可能性もあるな)

 

 能力にもよるが、ギアスを使えば女性一人手篭めにするのはわけもない。記憶改竄や洗脳のギアスを用いれば、どんな女性だって意のままに出来る。下卑た欲を抱いた輩にかかれば、御大層な「王の力」とやらは簡単に堕し得る。

 

 己の絶対遵守の力なぞ典型例だ。悪用しようと思えばいくらでも使えるが、本人の倫理観に反するので使ってないだけである。

 ブリタニア人、かつ今の今まで消息不明。ひょっこり出てくる可能性もなくはないが、現実的に考えて望み薄だ。

 さて。もしギアスユーザーであったなら、そいつは。

 

(まさか………嚮団関係者、か……?)

 

 胃の腑に冷たいものがこみ上げる。もし彼女達の実の父が嚮団に属していたならば………既にルルーシュは殺めている公算が大きい。彼女達の、実の父を。

 株式投資とR2-Cellで儲けた資金、および皇室の諜報網を駆使し、合法非合法あらゆる手段を尽くして殲滅したギアス嚮団。あそこで能力開発を受けていた子供達は1人も殺さず、自身の庇護下に於いている。が、17歳の実子がいる人間など、どう考えても幼子ではない。

 もしかしたら、この手で殺して………。

 

(……いや落ち着け、早計だ。此方に寝返ったダブルスパイは皆生かしてある。もう少し情報を集めねば)

 

 ただし分かっているのがブリタニア人という事だけでは、手掛かりはないも同然。なんとか手札の増やし方を考えんとした、矢先。

 

「まあまあ、ここでクサしてても進まないですよ。一旦、ちょっと休憩入れませんか?」

 

 カンフル剤を務める四葉が、そう言って気晴らしに、とおもむろにテレビを付けだした。液晶画面から流行のヒットチャートが流れ出すのに合わせ、リビングの重い空気が徐々に霧散していくのを、皆が感じ取ったところで。

 

「……ルルーシュ」

 

「なんだ?」

 

「…私も、一つ聴きたいことがある」

 

 ヘッドホンを下ろした三玖が、ぽつりと。

 

「…………C.C.先生って、何者?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「?…あれはただの変人教師だ、それ以上に何がある」

 

 本人に聞かれたら殴られそうな事を平気で言うこの男。しかし間髪入れずの即答に、どうにも三玖は得心がいかないようで。

 

「……………あのね、ルルーシュ」

 

 迷うそぶりを見せながらも彼女は、何やら懐をまさぐった。そして意を決して何かを取り出そうとした……時だった。

 付けっぱなしにしていた音楽チャンネルが慌ただしく切り替わり、何やら特番編成に。次にTV画面に映し出されたのは、緊迫した様子のスタジオ内だった。

 

「あー、いいとこだったのに……」

 

「特番?緊急地震速報じゃ……ないわね」

 

「んー、J-Alertも鳴ってないですね」

 

「なんでしょう…」

 

 各々で頬杖ついたりしてテレビを囲んでた面子が、めいめいに所見を述べる。

 さて。額に冷や汗をかき、おそらくは慌ててスーツを着込んだのであろう、新人アナウンサーによれば。

 

『……番組編成を変更して速報でお送り致します。臨時ニュースです。本日午後、富士山麓のサクラダイト精製施設にて、神聖ブリタニア帝国より視察に赴いていたクロヴィス・ラ・ブリタニア殿下が、何者かに銃撃されたとの情報が入りました。被弾した殿下は救命措置を施されたものの、先程医師により死亡が確認されたとの事です。繰り返します………』

 

 晩秋に差し掛かった、高校2年の秋の事。

 

「………は………!?」

 

 始まりの日は、前触れもなくやってきた。

 

 



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