SYMPHOGEAR/Demon's Phonic Order (222+KKK)
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prologue

(──失敗した)

 

(そう、失敗だ。結論から言えば、私は失敗したのだろう)

 

 

(別の端末が顕現した時、私は世界から放り出された。焼却される領域にあって、私という肉を授かる前の霊体が存在できるはずはなかった)

 

(それは当然であり、順当である。そして同時に、私達は存在できるはずがなくとも自己のみで存在証明ができる。故に消滅させられなければ消滅することはなく、私は宙の外に身を投げることとなった)

 

(流れた、漂った、彷徨した。己が楔である魔力供給が刻一刻と細くなっていく中で、歴史の外側の領域を漂った私はただ消滅の時を待っていた。根が腐り、この身が崩れ落ちるまで待っていた)

 

(だが、ある時枝を見つけた──いいや、見つけたソレは枝と呼べるほど小さなものではない。基盤が大きく異る"異世界"と呼べるものだった。主観時間にして600年弱漂っていた私は、その世界にある"ソレ"掬われた。私は融解しかけていた"ソレ"の崩壊を止めるために、"ソレ"自身によって掬い上げられたのだ)

 

("ソレ"と私はよく馴染んだ。私は"ソレ"に存在を刻み、私を修復させることにした。修復さえ完了すれば、私を掬い上げたこの世界を焼いて私はもとの領域へと帰参することもできると考えた)

 

 

(修復の間、私はこの世界を眺めてみることにした。何も変わらないだろうとは感じていたが、だからといって止めることはしなかった。情報を集め、事象を詠むことは私に与えられた在り方だった。

 視界に広がる世界は、私にとっては『またか』と言えるものでしか無かった。人間という知性体の進歩の無さに呆れ、見る世界を変えても変わらぬ在り方には苛立ちしか浮かばなかった)

 

(このまま無意味な行為を続けるならばせめて、と私は異世界の技術・システムから得られるものはないかと考え──そして、見つけた。見つけてしまったのだ、あの1人のホムンクルスを)

 

(彼女(女、という表現には語弊があるが)を見つけたのは、この世界に独自である"フォニックゲイン"、"聖遺物"、"錬金術"などの情報を蒐集していた時、偶然見かけただけのものだった)

 

(彼女は端的に言えば憐れな存在だった。1人の錬金術師の怨念、執念によって鋳造され、そのくせ水準未満だからと使い潰されるただの道具だった)

 

(だが、彼女はその環境下であっても唯々諾々としているわけではなかった。己を鋳造した錬金術師を止めるために錬金術師の下を飛び出した。私はその姿に、他の人間とは違うものを感じていた──世界をより良くするために、造られた己の存在意義に反旗を示すという彼女の在り方に、私は興味を示した。人によって作られた人工物たる彼女だからこそ、この世界を離れるときに1人くらいは連れて行っても良いかもしれないとすら考えていた)

 

 

(修復が済むまでを目処として彼女に幾度か誘いを掛けたが、彼女は首を縦に振ることはなかった。私はそれなら見捨ててもいいか、とも考えていたが、その度にまだ時間があると思い直していた。

 ──今にして思う。気づいていなかっただけで、この時点で私は壊れ始めていたのだ)

 

(そうだ、私は壊れていた。何が原因かはわからなかったが、私は、私がこの世界に居る間に"私たち"ではなくなっていたのだ。魔力の供給を失ってもその存在を維持するための楔、そして維持できるほどのエネルギーがあったせいで気づくことが遅れてしまった)

 

 

(彼女が錬金術師との戦いの中で傷を負った姿を見て、私は彼女の死を惜しいものと感じていた。被造物でありながら、存在意義に反して己の願いを遂げようとする彼女をこのままにしても良いものかと感じていた。

 おかしな話である。死ぬならそのまま放置すればよかったのだ。そもそも彼女は私の計画にとってどうでも良いものであり、私に賛同しないならそこで終わり……そういう相手だったはずなのだ)

 

(……彼女はもういない。彼女は、既に命を落としてしまった。私は彼女を助けたいと願い様々な手を使ったが、その全てを彼女は否定した)

 

 

(……私は失敗した。何が理由かは分からないが、失敗したことは確実だ)

 

 

(──だからこそ)

 

 

 

 

 

 

 閃光が走り、轟音が響く。様々な音楽がかき乱されているその戦場は、一般的な意味での戦場とは大きく異なる様相を呈していた。

 大都市であったことを彷彿とさせる高層ビル群は見る影もなく崩壊しており、その繁栄が失われてしまったことがありありと想像できる光景を生み出している。ここまでは普通の戦場と言えるものだろう……そう、ここまでは。

 だが、その戦場を舞っているのは火薬の残滓や瓦礫の粉塵だけではない。膨大なまでの黒炭が風に巻き上げられ、まるで都市だったその戦場を黒く染めようとしているかのようだった。

 

「──ッ!ええい、一体何がどうなっているッ!?アルカ・ノイズではないノイズ、だとッ!?」

 

 その戦場で、1人の少女が息を切らしながら駆けている。鍔の大きな帽子をかぶり、全身を覆うような丈の長いコートを纏ったその少女はまるでありえないものを見たかのような声を上げた。

 周囲には蛍光色のような体色の生物のような姿をした奇妙な物体──ノイズが大勢出現し少女を襲わんとする。ノイズがその奇妙な姿を変形させ少女に襲い来るその瞬間、少女はその手に火を意味する紋章(クレスト)を浮かべ炎を生み出した。術陣から放たれる炎は瞬く間に膨れ上がり、炎の奔流となって爆音とともに周囲のノイズたちを呑み込んだ。

 

「これで済めばいいが……やはり、そうもいかないようだな」

 

 周囲を呑み込み燃え盛る炎を見ながら、表情に呆れと苛立ちを浮かべた少女はそう呟く。

 そしてその小声に反応するかのように、オーケストラの如き荘厳な演奏とそれに合わせたかのような奇妙な高音による合唱が周囲に響き、一帯に広がっていた炎をかき消した。

 炎が晴れたその領域を少女が見やれば、そこには数を大きく減らしながらも先程のノイズ達が、その身から生やした管楽器のような器官から音楽を発生させ、それに合わせて肉体を再生させている。

 

 先程よりこのノイズ達と戦っていた少女は、自身が何故かノイズと戦っていて、そして己の攻撃でノイズを滅ぼしきれないという異常事態に不可解さを感じてた。

 そもそも、少女にとってノイズとは本来ここまで苦戦しながら戦うような存在ではない。ノイズ──認定特異災害としてこの世界で広く知られるそれらは、位相差障壁という独特な防御手段をもち、人間だけを襲い諸共に炭素化・消滅するという一般人にとっては危険極まりない存在である。しかし、先程の炎を生み出すようなものから、果ては位相差空間への干渉技術すら持つ錬金術を扱える少女にとってはそれほど危険な相手でもない。相手が通常のノイズであれば最初の炎だけで容易に焼却できるはずだったが、現実は異なる結果を示していた。

 そもそもノイズ自体、数ヶ月前にあったとある異変でその数を大きく減らしている。だというのにこうやって大量のノイズと戦っているというこの現状こそ、少女にとって理解しがたい状態だった。

 

「──それを言えば、そもそもオレがこうやって戦場に出られている時点で異常が過ぎるというもの、だがなッ!」

 

 誰にともなくそう言いながら、彼女は再び炎を放つ。その矛先を向けられたノイズは再生しきれてない状態で膨大な炎を浴び、今度こそ欠片残さず消滅した。

 

 敵影がいなくなったことで一息ついた少女は、先程戦ったノイズについて思い出す。ふざけた、という冠詞をつけられたそのノイズたちは、なにも『今更ただのノイズとはふざけているのか』ということではない。文字通り彼女にとってふざけた見た目をしている、ということだった。

 通常のノイズといえば、大雑把な記号化をされた生物のような形状の無機的な存在である。しかし先程戦ったノイズには、通常のノイズと比較しても2つの異常性が見られた。

 1つは、まるで眼球のような器官がついているということ。眼球のような形状、ではなく眼球そのものがそのままノイズ内部からはみ出しているような姿であり、ノイズの無機質さに比べてあまりにも生体的で奇妙な姿だった。

 そしてもう1つ──。

 

(それだけでも奇妙だというのに──ノイズがよもや、歌だとッ!?)

 

 そう言った少女は、先程のノイズの強靭さを支えたもの──「歌」を思い出していた。

 人の声で歌を歌っていたわけではない。通常のノイズも発する奇妙な高音で、しかし間違いなく音階を調律された「歌」を歌っていた。まして、本来ならまずありえないことだがその「歌」の力によってそのノイズたちは再生するためのエネルギーを獲得していたとしか彼女には思えなかった。

 少女が知る限り、歌に端を発するエネルギーは1つしかない。己の使う錬金術同様に、古くから伝えられるもの。異端技術(ブラックアート)によって製造された「聖遺物」を機能させるために必要なエネルギーであるフォニックゲインと呼ばれるエネルギーこそ、あのノイズに使用されたエネルギーであるとしか推測できなかった。だが、少女はそうと知っていても納得はできていなかった。

 

(適合者でも……いいや、人ですらないノイズがフォニックゲインなんて発生させられるはずがない。ノイズ如きがフォニックゲインを発生させられるならオレも、いや先史の巫女だってここまで苦労することもなかった)

 

 少女はかつて、大きな事件を引き起こした。魔法少女事変と呼ばれたその事件は、フォニックゲインやそれを発することで聖遺物との適合を果たした「適合者」を利用することで起こすことができたものである。

 そのために適合者が大勢出揃うまで待ち続けた少女からすれば、一山いくらの雑兵であるノイズがフォニックゲインを発することができるなんて事実は到底認められなかった。まして自分よりよほどそういった事情に詳しかった"先史の巫女"と呼ばれる存在ですらノイズをフォニックゲインの発生源にできなかった時点で、このノイズがどれほど異常なのか分かろろうというものだ。

 

「だとすれば……いや、今はこの事変を──ッ!?」

 

 今の己の置かれた現状を思い出し、少女は考察をやめ行動を再開しようとした。だが、その次の瞬間に大きな地響きが発生し、周囲を照らす炎の輝きを遮らんとする巨大な影が出現する。ソレを見た少女はそのあまりの異形さに絶句し、一瞬だが天に向かってそびえたその姿を見上げて呆けてしまっていた。

 ソレは蛍光色の体色をしており、先程から戦っているノイズのように管楽器のような発音器官と眼球状の器官を備えていた。もっとも、それだけなら今までのノイズと同じであり少女が絶句する程ではなかった。

 だが、ソレには腕も脚も、頭も無く。直立する肉の柱の如きその体躯を覆う煉瓦状の細やかな皮膚、それを破り裂くかのような亀裂から大量の眼球が覗いているという悍ましい外見を少女に晒していた。

 

「~~ッ!悍ましい、消え失せろッ!!」

 

 呆けたのは一瞬、少女はすぐさま意識を切り替えその手に再び紋章を浮かべる。複数属性の紋章を多重展開したその術陣は先程のような簡素なものではなく、四大元素(アリストテレス)とそれらを束ねるエーテルを輝かせ、閃光となったエレメンタルの奔流を放った。

 その一撃は、あるいは巨大なビル群すら貫く光芒。今の少女が"想い出"を焼却せず内在魔力のみで放てる最大威力の砲撃、本来なら高々ノイズ程度は容易に滅せられる──そのはずだった。

 

「──我がデモノイズを、それも楽団ではなく魔都の指揮者すらも損害を与えるほどの火力。異界法則の錬金術師、今なおこれほどの力を振るえるとは驚きだ。キャロル・マールス・ディーンハイムがこの強度であれば、なるほど魔都焼却が開始されない理由も頷ける」

 

 少女──キャロル・マールス・ディーンハイムの耳に聴き覚えた声が聴こえる。己に似た、しかし決して己ではない1人の人間、キャロルにとって忘れることはできない、たった1人の"自分"の声。

 エーテルの一撃を今まさに食らわんとした柱状のノイズ──否、声の主が言うところの「デモノイズ」を守るかのように、1つの人影が宙空に浮かんでいる。キャロルの放った一撃は、その人影の掌によって抑え込まれ、やがて霧散した。己の錬金術を片手で抑え込まれたその現実を前に、キャロルは悔しそうな表情を浮かべ人影を睨みつける。

 

「だとしても、私に敵う道理はない。貴様も、惑星(ほし)の真裏の錬金術師共も、抵抗は無意味と知るが良い」

 

 声が告げる。キャロルの耳に聞き覚えのない文言ではあったが、その声音は絶対的な宣告の如く彼女に届いた。その言葉と同時に周囲のデモノイズからバックコーラスのように荘厳な演奏が鳴り響き、その全てからフォニックゲインが放出され柱状のデモノイズへと流れ込んでいく。

 

「これは……ッ!そうか、貴様か。貴様がこの"魔都"を造り上げた元凶か……ッ!だが、貴様は何者だッ!」

 

 人影に従うように行動するデモノイズを見たキャロルは、デモノイズを操る人影こそが世界を揺るがしている"魔都"の事変を引き起こしているその元凶であると確信した──そして、その声と身体が誰のものかについても。

 

──そう、キャロルは人影の正体──いや、より正確に言うなら人影の"身体"の正体は見抜いていた。だが、身体の持ち主だった人間はキャロルの知る限りでも極めつけの善性の持ち主であり、間違ってもこのような異変を引き起こすような存在ではなかった。

 

──だからこそ、キャロルは問いただしたのだ。キャロルの知る"身体"、既に死んだはずの少女の肉体を殻として悪逆を為す相手が何者なのかを。

 

 

 

「聞こえなかったかッ!?()()()()()()の遺骸に潜む『貴様』は何者だと聞いているッ!」

 

「……吹弾器官展開。楽団、開演。我が"歌"の前に破れよ、錬金術師。────『焼却■■ ■■■■■■』」

 

 

 デモノイズ達の演奏が激しさを増し、『エルフナイン』の凝視より炎が放たれる。キャロルは己が身を焼かれる刹那、炎光に照らされた『自分と同じ顔』を見て──そのまま大地に倒れ伏した。

 

 

 

 

「錬金術師め、存外と粘ったものだ。起点で抵抗する錬金術師共といい、この世界の人間は、現在に至るまで本当に無駄にしぶとい」

 

 炎に焼かれ地面に倒れたキャロルを見やり、エルフナインの遺骸に潜む存在はそう溢す。その倒れた身体を焼き払おうと、ソレは手を向け術陣を展開しようとし……そのまま何もせず手を下ろした。

 

「まあいい。貴様にこれ以上関わる暇はない。そこで都市と、人と、世界と共に焼け落ちるが良い」

 

 そう言い残し、ソレは足元に赤い輝きの紋章を浮かべる。そこにはキャロルが行使していた「錬金術」と同様の紋章が展開されており、その術陣から発する光に呑まれるようにしてその場から掻き消えた。

 

 

 

 

「──ッ!……そうか、オレは見逃されたのか?……いや、オレの生き死にはどうでもいい、ということか」

 

 エルフナインの身体とそれに潜む存在が消えてから僅かに、倒れていたキャロルは目を覚ました。先程の炎、自身を焼いた凝視の火はキャロルの想定を遥かに超える熱量で存在そのものを焼き払わんとしていた。キャロルが原型を残し、あまつさえ生存しているこの状況は、あの炎に焼かれる一瞬でキャロルが様々な要素を元に構築した防御の術式を使用したためであり、それだけでもいかにキャロルが卓越した錬金術師であるという証明だった。

 満身創痍で倒れていたキャロルは無理矢理に身体を起こし、その小さな体に力を入れ立ち上がる。

 

(……魔都焼却、という言葉。先程の炎、そしてデモノイズの歌……。ふん、オレは闇雲にデモノイズを減らしていただけだが、それでもヤツの目的の阻害にはなっていた、ということか)

 

 キャロルは先程得られた情報を反芻する。デモノイズという存在に対処できる存在が限られていたこともありとりあえず闇雲に戦っていたキャロルだが、この魔都事変の目的や意味について把握できていなかった。だが、元凶と思しき存在との戦いでキャロルは、この魔都事変で"どうやって""何が起きるか"ということをおぼろげながら把握していた。

 

(今ある魔都の数は10。そのうち抵抗できるとすれば日本にいるオレか、欧州のパヴァリア光明結社の連中……だが、惑星の裏となると中南米か?結社の連中、欧州ではなくバルベルデを護りにいくあたり、ナチスの遺産に余程の興味があると見える。あの化物はオレより先にバルベルデを焼却しに行った……いや、魔都の配置、起点とは──そうか、そういうことか)

 

「……だが、そんなことをさせるものかよッ!」

 

 周囲に赤い光を灯した黒い結晶をばら撒く。結晶が地面に当たりひび割れ、崩壊すると同時にノイズに似た、錬金術師によって鋳造された「アルカ・ノイズ」が出現する。出現したアルカ・ノイズは先程戦った柱状デモノイズほどではないにしろかなりの巨体であり、円盤状の回転体によって宙空へと飛翔する。アルカ・ノイズはしばらく滞空していたが、キャロルが指示を出すと同時にスラスターのような部位から炎を吹き上げて3方向へと飛び去った。

 

「……これでいい。デモノイズ共は複数体が歌をかき鳴らして初めてオレを焼けたのだ。ならば、とにかくこの国の魔都だけでもデモノイズを減らせば……ッ!」

 

 そう言って、キャロルは魔力を限界まで振り絞り再び四大元素の術式を展開する。その照準は、先程の存在いわく「指揮者」デモノイズへと向けられる。それを察知したデモノイズは、当然やられるままにしようとはせず、キャロルに視線を合わせた。

 お互いの攻撃が放たれる。先ほどとは比較にならないまでも以前強力なデモノイズの凝視の火は、エレメンタルの光に貫かれながらもキャロルを焼却せんと迫る。その炎が自身に届くまでの僅かな空白、キャロルはそういえば、とばかりに自分がなぜ戦っているのか……なぜ戦場に「出ることができているのか」について想起していた。

 

 

(ああ、全く。大罪人のオレがこうして戦っているというのに──歌女どもめ、いったいどこに消えた……の、か……)

 

 

 エレメンタルの光が炎を貫き、炎を生み出した指揮者を穿つ。

 その光景を見ることもなく。キャロルは凝視の火に焼かれ、今度こそ完全に意識を失った。



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第1節 歌と魔術の邂逅(1)

────────♪、──♪───

 

(……?きれいな……歌?)

 

 少女は、旋律の中で意識を覚醒させた。 

 少女にとっては懐かしい都会の風景の中、彼女は今まで聞いたことのない、それでいて美しく胸を打つ歌を『夢の中で』聞いていた。

 

(──なんだ、また夢か。ああ、でも。いいなあ、こういう歌を聞いているとなんだか気持ちよくなってくる。誰かの夢、アマデウスあたり……でも、ないか。まさか監獄島みたいな……?)

 

 少女にとって「夢」とは特別なものだ。少女は度々「誰か」の夢の中にいることがあるし、夢と現実の狭間にとらわれることもあった。夢に覚醒しているということは今回もその類だろうと少女は当たりをつけて周囲を見回す。

 だがそこには誰もおらず、美しい歌が世界に満ちているだけ。最初は歌に関わる英霊の夢かとも考えたが、英霊の心象としてはあまりに現代的である都会の景色を前にその考えを否定する。

 

「……い、起きて……先輩……」

 

 まあ歌がきれいだし、とりあえず状況が変化するまでは、と名目を付けて少女が歌に浸っていると、どこからともなく自身を呼ぶような声が聴こえる。少女はなんだろうと歌声に混じった呼びかけに耳を澄ませ──

 

「先輩起きて下さい!緊急事態です!」

 

「ぅおわぁ!な、何事なんですー!?」

 

 大きな声が響き渡り、少女の意識は夢の世界から現実世界へと叩き出された。

 

 

 

 

 標高6000m、一年を通して雪に覆われた山の地下。『人類の航海図を未来に至るまで保証する』と題目する人理継続保障機関フィニス・カルデアはその日、俄に騒がしくなった。

 

 事の始まりはその日の早朝。活動している職員やサーヴァントもまばらなその時間に、カルデアの中央管制室に据え付けられていたカルデアスに新たな特異点の反応が確認されたのだ。

 惑星の魂を複製・小規模再現した疑似地球環境モデル・カルデアスは惑星の過去・現在・未来を投影できるカルデアの発明の1つであり、人類の未来を保証するカルデアの役割の中枢を担うものである──本来なら。現在のカルデアスはしかし、人理焼却やそれにまつわる獣の残滓により可能性の坩堝と化していた。

 

 カルデアス観測の専用機材である近未来観測レンズ・シバは、カルデアに発生した異常な歴史──特異点や、それに類する反応を観測できる。通常の歴史は当然のこと、人理定礎を揺らがす特異点やとある英霊による珍妙な仮装世界(ハロウィンワールド)などなど、実に多岐な可能性をしっかり観測してきたという極めて信頼性のおける設備である。

 

 だからこそ、早朝に観測されたカルデアスの異常に対してカルデア職員は迅速な対応が可能だったわけで。それにやや遅れながら対応することとなった「人類最後のマスター」こと藤丸立香は、後輩にして彼女の最も信頼する「シールダー」クラスのデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトに連れられ、寝ぼけ眼で中央管制室へ向かっていた。

 

「先輩急いで下さい、職員やサーヴァントの皆さんはもう集まってます!」

 

「え、えっとマシュ。私まだ髪を結いきれてないというかなんというか……。あ、いや急ぐよ、急ぎますとも、うん」

 

 可愛い後輩に急かされ、慌ただしげにその橙色の髪の左側をシュシュで結い上げる。このカルデアに居る人間の中で最も普通の人間である彼女は、こういった緊急的な厳戒態勢に対する耐性が(他の職員に比べれば)低い傾向にあった。

 とはいえ、1年以上もの人理修復の旅路に身を投じていたこともあり。これでも当初に比べれば対応力も大きく底上げされている──何だかんだいって「慣れてきている」といったところであった。

 

 彼女たちが小走りで中央管制室へと到着すると、カルデアスやシバと言った設備の担当者やコフィンの担当者である立香と似たような意匠の制服を着込んだカルデア職員の他に、時代背景から出身やらがバラバラとしか言えないような色彩華やかな服装・外見の存在が彼女たちを出迎える。

 その中で、黄金比に富んだ豊かな体つきをした女性が笑顔を浮かべて2人に近寄る。その姿は人が正しく究極の美を体現せんとすればこのような見目になるのではないか、そう思わせるかのような美貌を誇っている。

 

「や、お揃いで到着かい?」

 

「すみませんダ・ヴィンチちゃん。その、先輩がまたレムレムしてまして……」

 

 女性に声をかけられ、マシュが遅れた理由を説明する。立香は弱みを突かれたとばかりに「う゛っ」とうめき声を漏らす。

 

 違うんだよ、起きようとしたんだけどなんか頭に聞いたことは無いけどきれいな歌が聞こえてついつい寝入っちゃただけなんだよ、等と言い訳にもならない言い訳を敢行する立香に女性……ダ・ヴィンチちゃんことレオナルド・ダ・ヴィンチが興味深げに反応する。

 

「歌、か。ふーむ、おそらくマシュは頑張って起こそうとしただろうに、夢で起きれなくなるというのは怪しいね。そもそも歌──音楽というのは、感情や情報、価値観を共有するための原初のコミュニケーション手段だ。必然、それらは種々の文化・民族に合わせて変化・発展するものだから、旋律や歌唱法なんかはそれ単体で歴史や文化を象徴すると言ってもいい。だというのに、君が夢で聞いたのは古今東西の英霊集うカルデアにいながら聞き覚えがない歌ときた。これはちょーっと気になるところかな?」

「────っ!」

「えっ。寝坊しただけだと思ってたのに、ダ・ヴィンチちゃんが結構真剣な反応……?」

 

 思わぬところからの真面目な考察に、敬愛する先輩のために心を鬼にして苦言を呈そうとしていたマシュは表情を引き締める。大切な後輩からお説教を受けなくなった立香も、万能の天才からの真面目なフォローにそういえば、と思い返す。

 

 ダ・ヴィンチの言うとおり、このカルデアには過去の神話伝承に語られる英雄や歴史に名を残した偉人たちが昇華した存在である英霊──正確には"座"に本体が存在する彼らの影法師、魔術用語としては境界記録帯(ゴーストライナー)と呼ばれる存在である「サーヴァント」が大勢存在する。その中には古代なら竪琴の名手ダビデや円卓の竪琴弾きトリスタン、近代では音楽の巨匠にして奇人のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトなどの「音楽に長けたサーヴァント」も当然のごとく存在する(一部には芸術家気質の騒音公害サーヴァントも存在するが)。

 そしてそんな彼ら彼女らの奏でる楽曲についても当然立香はよく聞いているが、逆に「全く聞いたことのない音楽」が夢の中に聞こえてくるというのはよく考えればかなりの異常であるということが立香にもよくわかった。

 

「って、ダ・ヴィンチちゃんもしかして私の聞いた脳内ソングって今回の特異点と関係あるのかな!?どうしようマシュ、歌詞とかほとんど覚えてないよ!?」

 

「せ、先輩落ち着いて下さい!大丈夫です、先輩なら鼻歌でもなんとかなると思います!……ではなく、ダ・ヴィンチちゃん、今回の特異点についてなんですが……場所が日本で、時代が──不明、とは?」

 

 自分が夢の中ですごくうろ覚えだった歌が重要かもしれないという情報に、立香は軽くパニックを起こす。そんな先輩を自分も慌てながらもどうにか落ち着かせながら、マシュは今回のカルデアスの観測座標を確認し、疑問の声を上げる。

 

 通常、カルデアスの観測結果は該当特異点の発生年代とその場所を座標として取得する。人理保証機関であるカルデアはそのデータを元に、マスターやサポートとして選出されたサーヴァントを霊子筐体(コフィン)を通じて霊子へと変換し特異点座標へと召喚する──つまり、レイシフトと呼ばれる手法を用いて特異点の解決を実行するのが常である。

 もっとも、法則が現在と大きく異なる神代やそれに近しい過去へのレイシフト程エネルギーや時間を必要とすることや、現在のカルデアではなぜか未来にレイシフトすることができないといった諸事情があるため、レイシフトならいつのどこにでもすぐにいける、というほど万能ツールではない。そして今回の観測記録は、この特異点がそういった難事に近しいものであることを示していた。

 

「……まあ、そういうことだね。といっても、別に神代ってわけでも未来って程でもないんだ。時代が不明っていうのはね、マシュ。──単純に、対象の特異点における"西暦"の人類史における起点が私達の世界と異なっているところにある。

 つまり、今回特異点として観測されたのは──"異世界"さ。文明の発展度でいうなら私達の今いる年代より未来的な感じだけど、惑星を基準とした年代ではほとんど変わらない、現時点から数ヶ月……そうだね、遠くて精々1年程度過去の時代だろう」

 

「す、すごい近い時代の話ですね……。ですが、西暦と言えばいわゆる『彼』の生誕を境に定めたものである以上、西暦の起点がずれているということは、よほど大きく人理定礎を揺るがすような事件が起きたとしか思えませんが……」

 

 ダ・ヴィンチの答えに、マシュは疑問を呈する。

 西暦の定義を考えればその疑問は当然であり、『もし西暦がずれているのなら、そもそも西暦前後に特異点が発生しなければおかしい』と考えてることがマシュの表情にありありと浮かんでいた。

 そんなマシュの反応に、ダ・ヴィンチは今から説明するよと懐から取り出したメガネを掛けながら説明モードに入る。余談だが、メガネ・ダ・ヴィンチを見た立香は胸を抑えてときめきを抑えようとしていた。

 

「さて、マシュの疑問に答える前に、だ。文明が明らかに私達の世界より発展した世界でありながら、その世界がなぜ剪定事象として処断されずに今も存在し続けているのかというところについて話していこうかな」

 

「とはいってもこれは簡単な話でね。該当する特異点の基となった世界と私達のいる世界の分岐点が極めて古い、それこそ星造りとか人類創生とかそういったレベルで異なった可能性の世界であり──端的に言えば、世界法則が大きく異なる世界だということさ」

 

「こうなってしまうと、如何にカルデアスといえども観測することすら不可能に等しい。なにせ世界そのものの法則が異なっているんだからね。我々の言うところによる人理定礎は、今いる太陽系では大体100年単位で発生する"発展性のない可能性の排除"という事象を指すけど、向こうにはそもそもそういった法則が存在しない可能性すらある──というか、ほぼ間違いなく存在しない」

 

「だからこそ、西暦の起点が我々の世界とずれていても、それを"正常値からずれている"と規定するシステムが存在しないし、剪定事象として消滅するようなこともないというわけだ。と、いうわけでここまでで何か質問、あるかい?」

 

「ええと、その、ですね……。先輩起きて下さい、ダ・ヴィンチちゃんの説明終わっちゃいましたよ!?」

 

 ダ・ヴィンチが一通り説明を締めたところで話を聞いていたであろう2人を向けば、まるで当然とでもいうかのように立香は立ったまま眠っていた。マシュはそんな立香を頑張って起こそうとしているが実っている様子は伺えず、どうにもダ・ヴィンチの説明が立香にとって意味不明過ぎるあまりに、意図的に意識を遮断することで理解不能な事象に対処しようという謎の生理的防衛機構が働いているようであった。

 まあ、立香の知識量を考えればそうなるだろうことをダ・ヴィンチは想定していたので、気にしなかったように話をすすめる。

 

「簡潔に言えば、だ。今回観測された特異点が本来辿る歴史に"魔術"だとか"人理"だとか、そういった"我々の世界の基準となる編纂事象"に存在する法則がない。この宇宙と違う常識を持つ異世界だから、年号とか歴史が違ったとしても剪定事象にはなりえないということさ」

 

「な、なるほど……?」

 

 簡潔なまとめに、ようやくなんとなく理解を示す立香。自分なりになんとかその内容を噛み砕いているうちに、立香の脳裏にふとした疑問がよぎった。

 

「……あれ?じゃあなんで今回はカルデアスが特異点を観測したの?っていうか、そもそもカルデアスは魔術とかがない世界を観測できるものなの?」

 

「良い質問だよ立香ちゃん、今回非常事態とされたのはそこにあってね。

 ……カルデアスはあくまで惑星の魂を複製した地球のコピーなわけだけど、それが今回観測された世界の"地球"の魂のコピーかと言えばノーだ。仮に魂があったとしても魔術を始めとした法則が存在しない以上、私達の技術で観測できる形にはなっていないと考えるのが自然だからね。にも関わらずこうやって観測できているとなれば──誰かがそこに、我々の世界法則()()()()を持ち込んだ可能性が高い。侵食型の固有結界なんかの類に近いだろうけど、規模はかなり違うね。特異点を成立させている中心が我々の世界における日本の東京都新宿区であることは確かだけど、世界法則の変容自体はそれこそ地球全体だ」

 

「──ダ・ヴィンチちゃん、今わかってる情報を教えて」

 

 ダ・ヴィンチの説明に、異世界とはいえ状況が極めて悪いことを十二分に把握し表情を引き締める立香とマシュ。彼女たちの要望に、当然とばかりにダ・ヴィンチは資料を渡し、説明を再開する。

 

「先程言ったように、この世界は法則の改変により我々に観測できる状況になっている。であれば、その法則改変者がこの特異点の鍵を握っていることは十分に想像できる。でもね、当然だけどそこまで大規模な世界法則の改変、それも単に固有結界で世界を入れ替えるのではなく、世界そのものを作り変えるなんて能力はそうはない。できそうな候補は最強種や全盛期の神霊を始め幾つかあるけれど──可能性が高いのは、ビーストIの残滓……魔神だ」

 

 そういって、ダ・ヴィンチは先程渡した資料を指差す。2人が資料の内、魔神に共通する性能・機能について記載されている項目を確認すると、御丁寧にダ・ヴィンチのポップな吹き出し付きデフォルメ自画像で『ココを要確認!』と書くほど念入りに強調している箇所が目に入る。

 

「私達がかつて戦った七十二柱の魔神は、存在そのものが魔術の基盤として成立している。それら自体が一種の法則としての側面を持っているわけだ。そしてビーストのスキル『単独顕現』がある以上、本来は存在が許容されない別世界でも、顕現の条件を満たせば存在しているものとして確定してしまう。それらを総括して考えれば、本来あり得ざる法則の世界にあって別の世界法則を捻じ込むなんて真似をするのは──」

 

「──魔神くらいしかいない、ということですね。ですがダ・ヴィンチちゃん、あの神殿より逃走したとされる反応のうち、現在までで観測されたのはバアルとフェニクスの2柱です。とすれば、次の特異点は残った魔神柱のどちらか、ということですか?」

 

 マシュの問に、意を得たりと頷くダ・ヴィンチ。冠位時間神殿ソロモンより逃走したとされる4柱の魔神のうち、亜種特異点を形成した魔神は「立香を殺す」ために新宿を亜種特異点として成立させた魔神バアルと、「復活する限り死ぬ」ことを恐れて中央アジア地下を亜種特異点とした魔神フェニクスの2柱。それ以外にも逃走途中に死骸となって漂流した魔神アンドラスのような例外も存在するが、残存する魔神柱は残りの2柱しかいないだろう、というのがダ・ヴィンチを含めたカルデア司令部の見解である。

 

「な、なるほどお……」

 

 なお、彼女らの知らない歴史の中でひっそりと消滅した魔神ゼパルのことを立香は(とある事情から)記憶していたが、ここで言う意味がなく混乱を助長させるだけなのは彼女にも容易に理解できたため相槌を打つにとどめていた。

 

「……と、言うわけで。今回のレイシフト先は異変の中心と思われる日本の新宿──なんか前も新宿だったよね。新宿呪われてないかな……いや、それは置いておこうか。新宿へレイシフトしてもらうわけなんだけど、ここでちょっと問題があってね……」

 

 とりあえずの相槌を受け説明を再開したダ・ヴィンチだが、レイシフトの内容について話す段になって後ろを振り返る。釣られて立香とマシュがダ・ヴィンチの背後を覗き込むと、そこには先程より待機していた大勢のサーヴァント達が立香に顔を向けていた。

 立香は居並ぶ顔ぶれを見て、この中央管制室にこれほど大量のサーヴァントが居ることについてそういえば、と疑問を感じていた。今まで亜種特異点でのサポートとして共に戦ったサーヴァントは多岐に渡るが、それでも精々数人が良いところである。まさか数十人ものサーヴァントがサポート要員として待機するなんてことは今までになかったため、立香は今更ながらに面食らった。

 

「……誰がついていくのか、レイシフトするまで確定しないんだ。何分、ついさっきようやく観測できるだけの共通法則をもった世界だからねー。観測難易度としては神代かそれ以上だろう……まあ、レイシフトさえしてしまえば法則の解明が一気に進むだろうから、レイシフト自体の危険性は神代より遥かに低い見込みだけどね。で、そんな不安定な世界だからこそなるべく相性がいいサーヴァントを連れていって欲しいところなんだけど……」

 

「えーっと、世界の詳細が不明だから、そもそも相性がいいサーヴァントが誰なのかレイシフトするまでわかんない。……ってことは、まさかまさかの縁召喚(世界)!?」

 

 ダ・ヴィンチの今までの話を総合した立香は、話の結論に驚きを隠せていなかった。

 そもそも特異点修復の際にカルデア側で存在証明できるのは立香とマシュくらいであり、サーヴァントはその対象にはない。それでも通常の特異点はもとより異世界であったとしても、法則が共通していればそこに"座"という概念があるため、時間を超えた信仰により英霊の写し身であるサーヴァントは存在を確立することが可能である。

 だが今回の世界のようにそもそも"座"という概念がない場合、存在証明のためにはマスターという楔の他に、現地における法則に則ることが必要となるとカルデアでは結論づけたのだ。

 つまり、サポート役のサーヴァントは特異点の世界・法則と相性が良く、ある程度存在を確立できるサーヴァントを順次召喚していくというのが今回のレイシフトにおけるカルデアの方針ということになる。

 

 立香はなんとかそこまで理解はしたが、流石に初手ランダムは博打が過ぎないかなーと一瞬考え込む。しかし、別に誰が来ても立香的には問題なく一緒に人理修復の旅路に就ける。仮にマタ・ハリのような非武闘派サーヴァントだけがついてきてすぐにワイバーンとかに襲われれば、そこで立香の旅路にレッドアラートが点灯することは疑いようもない。が、だからといって特異点の観測データが安定するまで放置して、結果として世界消滅となったら悔やむに悔やみきれない。

 そんなことになったら一生罪悪感と後悔に苛まれることが容易に想像できた立香は、無駄な考えは休むに似たりと考え込むことをやめ顔を上げる。

 

「……うん、よし。立香、いけます!」

 

 立香の決意の表情と共に放った宣言を確認したダ・ヴィンチは、笑顔を深めてメインオペレーター席へと戻る。マシュは力強く宣言する立香に、申し訳無さそうな視線を向ける。

 

「……すみません、先輩。私が、まだ力を取り戻せていないばかりに先輩や他のサーヴァントさんにばかり無理を……っ!?」

 

 立香は、そんなしおらしくするマシュの両手で頬を挟み込む。突然の立香の行動に頬を染め目を白黒させた後輩に、立香は心からの笑顔を向ける。

 

「だーいじょうぶっ!マシュがここにいてくれるから私は頑張れる!もちろん他の職員さんもそうだけどさ、なによりマシュがいるから、私はここに戻ってこようって思える。マシュが見てくれているから、私はかっこよく……は難しいけど、できるだけキリッとやってみせるから!……だから、大丈夫、ね?」

 

「──はい、ありがとうございます先輩!それでは不肖マシュ・キリエライト、ナビゲーターとして先輩のサポートに邁進します!」

 

 にこやかな笑顔を浮かべた立香に、驚いた表情だったマシュは表情を緩め、同じように笑顔で応える。そしてそのままダ・ヴィンチのいるオペレーター席に移動し、ナビゲートの準備を始めていく。

 

「いやあ、さすがの手並みだったよマスター。マシュの鼓動もマスターの言葉一つで劇的な改善を見せて……『聞かせて』くれたよ」

 

 せかせかと準備をすすめるマシュを見てホッとしたように息をついた立香は、不意に声をかけられたのでそちらに顔を向ける。

 視線の先に立っていたのは、ド派手に飾り付けた姿の長身(英霊の中では別段長身でもないが)の男性。ステンドグラスのような豪奢なマントを身にまとい、意匠にこだわったその姿は1人で劇場を形作るかのようである。彼の名はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。神の寵児と称された稀代の音楽家たる「キャスター」クラスのサーヴァントである。

 

「あ、アマデウス!ちょうどよかった、聞きたいことがあったんだ!ねえ、今日の夢で聞いた歌なんだけど……」

 

「……?」

 

 立香は今日の夢で聞いた聴き覚えの無い歌について、歴史に残る程の音楽家であるアマデウスなら何か知らないかと考え、相談を持ちかけた。拙いながらも記憶に残っていた旋律を再現した立香の鼻歌を聞いたアマデウスは少し考え込み、それから顔を上げた。

 

「うーん、そうだね。アレだよ、マスターの聞いた歌は、多分幾つかの旋律が混ざってるね。今の鼻歌を聞いた限りだと、マスターはいろんな旋律が一緒に流れてたのを1つの曲として記憶したんだろう。僕の知ってる曲目は無かったけど、乙女の心がそのまま歌になったようなリズムと、僕の作曲するような音楽がぶつかり、混ざりあった感じだ。普通の人が一聴する限りではあまり違和感を覚えないだろうけど、旋律同士がぶつかってるよ。まったく勿体無い……」

 

「えっ、そこまで理解るんだ!?私のうろ覚えな鼻歌なのに……アマデウス、すごい!でも乙女の心の歌ってなに!?」

 

 そんなアマデウスの分析に、目を見開いて驚く立香。立香のうろ覚えという鼻歌は実際とてもあやふやな代物でり、そこから曲の内容をしっかりと把握するという英霊たりえる流石の才覚を示したアマデウスに立香は賞賛と驚愕の言葉を送る。

 

「そりゃあ、乙女の青春とか恋とか愛とかそういうのがにじみ出るような──というのはさておいて。実際、今の曲がマスターの記憶違いというわけでもなければ僕が今回レイシフトに付き添えるかもしれないね。さっき僕が言った曲は、所謂現代で言うクラシックというくくりじゃなく、文字通り"僕"が作曲した曲に近い……まあ、実際に作った曲ではなかったけど。ともすれば、僕の曲をパクろうとした某伯爵とか居るかもしれないよ?」

 

 英霊になれるほどの人間かは知らないけどねー、と冗談交じりに告げるアマデウス。彼の言うことはさておき、アマデウスの情報はレイシフト先の特異点の状況を把握する可能性の1つ足り得るものだった。多少なりとも先の世界の情報を得られた立香は、少しだけ気を楽にしていた。同行するサーヴァントが誰になるのか、という可能性を把握できるだけでも彼女にとっては今後の大雑把な戦闘・解決方針を推測できるというものである。

 

「立香ちゃん?そろそろ準備できるから霊子筐体(コフィン)に入ってくれるかい?」

 

 そんな会話を続けてたところでダ・ヴィンチから霊子筐体(コフィン)──レイシフト者の意味消失を防ぐためのカプセル状の機材に入るよう指示された立香は、アマデウスと別れ霊子筐体へとその身を預ける。

 

 

『アンサモンプログラム スタート。

 霊子変換を 開始します。』

 

『レイシフト開始まで あと3、2、1……』

 

 霊子筐体の蓋が閉じたところで、機械的な音声によるアナウンスが響く。それと同時に、立香という人間自体が魂のデータと変換され始める。

 

『全行程 完了(クリア)。』

 

『アナライズ・ロスト・オーダー。

  検証を 開始 します。』

 

 やがてその存在が擬似霊子へと完全に変換される。『人類最後のマスター』藤丸立香は、カルデアスの示す座標、歌の響く特異点へと投射された。



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第1節 歌と魔術の邂逅(2)

 

「────ぉ、おおっと。ここが今回の特異点……。現代日本にしか見えないけど、でもこれは……」

 

 レイシフトが完了した立香が目を開けた時、そこに広がるのは現代日本の要素の色濃い世界だった。以前訪れた亜種特異点Iと同様、コンビニエンスストアやチェーンの飲食店(店名などは彼女の知るものではなかったが)のような、彼女にとっても見覚えのある世界。……ただし、それが廃墟と化していなければ、だが。

 一部は炎上しているのか黒煙が立ち上っている場所も残っている。まるでかつてレイシフトした特異点Fのような光景に立香が呆然と立ち尽くしていると、そこにカルデアからの通信が入り、立香の正面にモニターが展開される。

 

『あー、聞こえるかい立香ちゃん?──うん、どうやら今回もちゃんとレイシフトできたようだね。そっちの世界の情勢がちゃんとしているのかはともかく』

 

「ダ・ヴィンチちゃん。その、この世界の状況って……」

 

『ああ、こちらでもモニターで観測しているけどかなり異常な状態だとも。その時代の東京がそこまで崩壊するなんてことは本来はまずありえない。……それと、西暦2000年台というのは原子力兵器をはじめとした大量破壊兵器が世界中に存在している時代だから、もし首都圏が崩壊するような事態であってもそれで特異点化するかは微妙だねぇ。とりあえず、今から君の観測を通じて周囲の世界法則を把握していこう。ある程度法則が把握できればこちらからサポートサーヴァントをレイシフトさせることができるから、それまで少々待っていてくれ』

 

 ダ・ヴィンチから立香へ現状・推察及び今後の方針を告げた後、カルデアからの通信モニターが消える。見知ったような風景、自分の国の首都がここまで崩壊しているという事実に衝撃を受けていた立香だが、驚いていても仕方ないとばかりにやにわに周囲の状況把握を始めた。

 

「……よし、とりあえず周りを見よう。えーっと、あれがコンビニで、向こう──うわ、結構遠いけどスカイツリーかなあ?微妙に形違う上に折れてる……って、スカイツリーがあんなにちゃんと見えるってことは、ここもしかしなくても新宿じゃないじゃん!えっと、そしてあそこにあるのが緑色の光で、あっちの丘のアレは折れた……塔、かなあ。なんかどれも折れてるような──」

 

 周囲の状況を1つづつ確認していき、自分の知ってるもの、知らないものを見比べ、とりあえずここが新宿ではないことを把握する立香。スカイツリー的なものが普通に見える辺り、東京ではあるようだが新宿じゃないなー、などと考えていた辺りで。

 

「……えっ!?ちょ、緑色の光って何!?私今何スルーしてるの!?」

 

 立香はあからさまに異常なものがあった事に気づいて、慌ててそちらに向き直る。立香の視線の先にはなんとも言い難い、人の背丈よりやや大きいくらいの緑色の光の渦のようなものが、地面より僅かに離れた空中に発生していた。 一周回ってゲームの魔法か何かにしか見えないそれは、魔術やら何やらに関わってはや1年余りの立香でも流石に見たことのない異常なものだった。

 

『先輩、一体どうしました?こちらの召喚準備は完了……っ!?え、ええと先輩?その、なんか光っているそれは何でしょうか……?』

 

「あっ、マシュ!ちょっと説明に困るんだけど、よくわかんない光の渦があって……。これって何?そっちでは何かわからない?」

 

 再度開いたカルデアからの通信に、思わずといった風に確認を取る立香。モニター前のマシュ以外にも、その背後のダ・ヴィンチを始めとしたオペレーター陣もモニター開いてすぐに映ったそれに面食らったらしく、えぇ……とか、何アレ魔力反応ないよ……?とかなんか全体的に宜しくない反応をしているらしいことが僅かに漏れ聞こえる。

 

『ええと、だ。とりあえずそれはなんか怪しいけど今は置いておいて。ちょっと様子を見れる程度の距離まで離れておいて、そこでサーヴァントをレイシフトさせよう』

 

「あ、はい。……とりあえず、ここらへんかな?ダ・ヴィンチちゃん、サーヴァントのレイシフトお願いしまーす」

 

 なんか変なのから結構距離を取り、何かが起きれば瓦礫等を盾にできるような場所でサーヴァントのレイシフトを依頼する立香。極力平静を保とうとはしているものの、謎の光が気になるのかチラチラとそちらを見ている。と、現界のための楔であるマスターの側に霊子が収束し、やがて2つの姿を形作った。

 

「──サーヴァント、キャスター。というわけで、宣言通り僕がきたわけだ。だけどマスター、もう1人には驚くと思うよ?」

 

「えー、前フリは良くないですよキャスター。……サーヴァント、アーチャー。今回はマスターのサポートに就きますので、がんばってくださいね、マスター?」

 

 1人は先程言葉をかわしたキャスターのサーヴァント、アマデウス。そしてもう1人のサーヴァント……神話の英雄とはとても見えない、金髪紅眼の小柄な少年の姿の英霊がマスターである立香の側に召喚された。

 

「アマデウスは良いとして……あれ、ギルくんも同時に召喚されたの?」

 

 立香は彼女がギルくんと呼ぶサーヴァント──子ギルが召喚されたことに意外さを感じていた。今回は全く別世界の、それも(崩壊しているとはいえ)文明的には近未来としか思えないようなこの特異点と、数えて4千年以上前の王であり英雄たる子ギル──ギルガメッシュとの関わりが彼女には思いつかなかったのである。

 子ギル自身もどうやら縁についてあまり理解しているわけではないらしく、苦笑を浮かべている。

 

「ええ、そうですね。マスターの困惑もわかりますけど、ボクもちょっと把握できてないといいますか、把握しようとするとあまり良くなさそうといいますか。ああ、そうだ。大人のボク達が来てないのは、単純に来るつもりが無かったからですので召喚ミスとかじゃないですよ」

「え、ええー……」

 

 成長後の自分が堂々とサボったことを笑いながらのたまう小さなサーヴァントに、思わず立香も苦笑いをうかべる。サーヴァントは英霊の一側面が強調された姿で召喚されるということが多く、側面の違いは例えばクラスの違いや、子ギルのように年齢などに現れてくる。同じ英霊ギルガメッシュでも、カルデアには子ギル以外にも「暴君たる英雄王」の側面を持つアーチャーのギルガメッシュや、「不死を探す旅路よりから帰還した賢君」の側面を持つキャスターのギルガメッシュが存在している。そして、子ギルの場合は「若くして完全な理想の君主」である英雄ギルガメッシュの側面であり、他のギルガメッシュに比べて謙虚で素直、空気が読めるといった特徴がある。一般庶民気質の立香からすれば一番付き合いやすい側面であるといえる。

 

「ま、まあギルくんがいてくれてよかったよ。アマデウス1人だとほら、何かあった時に色々と物理的に危ないしー……」

 

「おいおい、ひどいことを言うねマスター。いつも言ってるじゃないか──僕の音楽は君の『戦闘以外の全ての』人生を彩ると!」

「堂々と不戦宣言!?いつものことだけど!」

 

 何だかんださっきまでひとりぼっちで心細かったのか、アマデウスとテンション上げてコントを繰り広げる立香。そんな面白い様相を呈するマスターにあははと笑う子ギル。

 

「えー、よし!それじゃ探索したいところ……なんだけど……」

 

 立香が改めて仕切り直そうとするが、そこで先程の謎の光のことを思い出す。立香が恐る恐る先程の光があった場所に目を向けると、そこには相変わらず光が渦巻いている。召喚された2人に目配せし恐る恐る近づいていく立香をモニタリングしているカルデアのオペレーター陣も固唾を呑んで見守っている。アマデウスは耳を澄ませ異変を瞬時に察知できるように体制を整え、子ギルはマスターを引き戻せるようにと考え自身の宝具である「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」を展開できるよう魔力を高める。子ギルはそこでふと違和感を感じるが、マスターがいよいよ光に接触できそうな距離まで近づいたためにそちらを注視する。

 

「……っ、えいっ!……あれ、素通り……」

 

 側まで近寄った辺りで、手近に落ちていた小さい瓦礫を投げつける。立香の投げたそれは光を素通りし、そのまま地面に転がった。

 

「ふむ。ではこうしてみよう──『fortissimo(非常に強く)』!」

 

 アマデウスの詠唱とともに、その手に持つ指揮棒から不可視の波紋が広がる。指向性を持ち放たれた音は言霊に載せた魔力を纏い、神秘を伴う破壊の奔流としてきっかり音速で光の渦へと到達する。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがキャスターとして召喚される理由である音楽魔術、神域の才から生み出される魔の響きはしかし、立香の投げた瓦礫同様に渦をすり抜け背後の地面を抉るにとどめた。

 

「……あの、ダ・ヴィンチちゃん。これって……」

 

『うん、ある程度は解析したけど、これは全く我々の知らない技術だね!空間に一定の干渉が確認できるから、どうやら一種の転移門に近いものだとは思う。でもこれは詳しくはしっかり見てみないことにはわからないなあ。ただ、その転移門に干渉──つまり、その転移門から転移するだけの条件をさっきの瓦礫やアマデウスの音楽魔術は満たしていなかったんだろう。ああ、だからって立香ちゃんは触っちゃダメだよ?』

 

「触んないよ!?」

 

 あからさまに怪しい光を前に、まるで注意しなきゃ触ると思っているかのような言い様に憤慨する立香。その膨れ面をみてカラカラ笑ったダ・ヴィンチは、とりあえずほかの場所や気になるものがないか確認してほしいと告げる。

 

『というのも、魔神柱のような、でも微妙に違う微弱な反応源が特異点中に存在しているんだ。何か異常なことが確認できれば、そうすれば、その特異点が荒廃している原因だって見つかるかもしれないからね』

『けど用心もしてくれ。微弱とはいえ、特異点中から魔神柱の反応だなんてまるでかの神殿のようだからね。世界法則が大きく違うこともあって、何があっても何が起きてもおかしくないんだ、気をつけて、かつどんな些細なことでもいいから調査して欲しい』

 

「──と、あの天才ダ・ヴィンチちゃんが言ってたから探してみるのですが。2人共、なにかあったー?」

 

 ダ・ヴィンチの言葉を受け、立香が周囲を探索することしばし。徐々に捜索エリアの中心を光の渦から遠ざけながら、立香は別な場所を探索していたサーヴァント2人に声をかける。

 

「ああ、見つけたよ。マスター、こっちだ。──これは少々どころじゃなく異常だぞ」

 

 マスターに顔を向けずその言葉に耳だけを貸し、自身の探索していた広場を凝視するアマデウス。その態度に立香は何かがあったということを察し、表情を引き締めアマデウスの元へと向かう。

 

「──こっち?……って、これは……炭?」

 

 果たしてアマデウスのもとへ到着した立香が見たものは──広場一面をに広がり、周囲を黒く染める炭素の砂塵だった。まるで炭の海とでも形容すべき光景に、立香は何とも言えずに困惑する。

 

『……構成材質、確認したよ。驚いたことになんと純正の炭素100%だ。流石に純正の炭粉が自然発生するなんてことはないし、これは十分に調査すべき内容だね。』

 

「何かが燃えたにしては周囲に焦げ跡がない。かといって、どこからか運ばれてきたにしては風に流された様子もない。まるで唐突に炭が生み出されたみたいだろう?これがこの世界の法則なのか、それとも人為的に何者かがやったのか、どちらにしても調べて見る価値はあるんじゃないかな?」

 

 カルデアの調査結果を聞いた立香は、アマデウスの提案の言葉に一も二もなく頷く。さっきの調査不能な光の渦は置いておいて、この特異点の理解に繋がりそうな初めての手掛かりであり、調査する価値は十分にあるものである。とりあえず、と立香が炭に近づこうとしたところで、側に来ていた子ギルが難しい顔をしていたことで足を止める。

 

「……ギルくん?」

 

「マスター、この炭はあちらの方に続いているみたいです。これらは材質自体はただの炭ですし、まずこの炭の発生源を調査しに行ったほうが良いと思いますよ?」

 

 子ギルの指摘に一理あると考えた立香は、足を止める。

 

「む、それは確かに。うーん、アマデウスもそれでいい?」

 

「……ふむ、いいんじゃないか?僕は自慢じゃないが音楽以外のことにはそこまで詳しいわけでもないからね。そこのちびっ子王様の方が世界について知る道筋に詳しいだろうとも」

 

 最初に別案を提案したアマデウスに、子ギルの案を優先することについて問題ないかを確認する立香。アマデウスは最初はニコニコ笑う子ギルをじっと見ていたが、やがてマスターへ笑顔を向けて応じる。彼の出した炭の調査案を蹴った立香としては、アマデウスが子ギルの意見に肯定的でほっとしていた。

 

『それじゃあ、炭の発生源を先に調査するんだね立香ちゃん。炭はどうやら都庁の方につづいているようだけど、その炭の発生原因は不明だから気をつけ給えよ。唐突に出現した炭をかぶってシンデレラにならないようにねー』

『先輩、周囲は火災等であまり良い環境とはいえませんので、体調に気をつけてくださいね』

 

「うん、ありがとう2人とも!──よし、行こう!アマデウス、ギルくん!目指すは、えーっと……ゴー・都庁!」

 

 ダ・ヴィンチとマシュの言葉を最後に通信が閉じる。立香は気合を入れ直すと、サーヴァント達に呼びかけた後に炭が続いている方向──都庁方面へと歩を進める。人理修復で磨き上げた健脚の賜物かずんずん歩いて行く立香に、アマデウスと子ギルもついていくように歩きだす。

 

「……で、どういうつもりだい?もしかしてあの炭、なにかまずいものなのかな?」

 

「ああ、わかっちゃいました?」

 

 歩調を僅かに緩め、立香から若干後方に距離を取り子ギルへと話しかけるアマデウス。マスターに届かぬ小声での問いかけに、子ギルも同じく小声で答える。あっけらかんとしたその答えに、アマデウスは当然だとばかりに呆れた顔を見せる。

 

「そりゃあね。あの声音を聞いて気づかない鈍感さんなんてマスターくらいなもんだろうさ──それで答えは?」

 

「ボクの声音で判定できるなんて貴方みたいな音楽家くらいですけど……うん、そうですね。どこぞの探偵でもないですが、確証を得られていないので一旦は保留で。ですが、あまり良い物ではないでしょうね──例えば、ここに聖者の類のサーヴァントが居れば確実にわかったのでは、とは思いますけれどね」

 

「──それは答えを言っているようなものじゃないか?ああ、いや。とりあえずマスターにはまだ内緒にするってことでいいんだね?よし、そういうことにしておこう」

 

 子ギルの口から語られなかった炭に関わる推測、それがマスターの精神衛生上良くないことを理解したアマデウスは言葉にまとめずにスルーすることに決めた。ちゃんとわかったその時には伝えるべきだろうが、不確定な情報を伝えてマスターを不安にさせる必要はないという子ギルの判断にアマデウスも賛同した形となった。

 

「……?どうかしたの2人とも?」

 

「いやいや、何でもないとも」「いえいえ、何でもないですよ」

 

「?」

 

 2人の会話内容を聞いてなかった立香は何らかの同意に至ったらしいサーヴァントたちに話しかけるが、2人から似たような言葉で濁されてしまい疑問符を浮かべる。が、まあいいかとばかりに表情を変えた。

 

「おっと、それで2人とも、ここに来るまでに何か見つけたりとかした?」

 

 ちなみに私は見つけられてないです!と自信満々に発言する立香にアマデウスと子ギルは苦笑する。しかし何だかんだド素人から始まり人理焼却を防ぐに至っただけのことはあり、マスターたる立香の観察力はかなりのものである。そんな彼女に見つけられないとなると、今の今までに本当に何もなかったか、彼女では持ち得ない視点を必要とするかの二択である。先程の炭の問題における子ギルは後者であり、そしてこの時のアマデウスもまた後者であった。

 

「──ん?これは……ビンゴ、かな?」

 

 アマデウスのその言葉に、立香と子ギルは足を止め耳を澄ます。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは優れた音楽家であり、当然のことながらその音楽を聞き分けるだけの優れた聴覚も併せ持つ。それは音階を聞き分ける絶対音感であり、感情を読み取る程の音程の分析力であり──そしてまた、純粋に遠く小さな音すら聞き取る聴力においても超一流ということである。

 

「何が聞こえたの?──あ、もしかして」

「ああ、マスターの想像しているとおりだろう。それもこの旋律には聴き覚えがある──マスター、君が夢の中で聞いたっていう旋律とそっくりだ」

「よし、そっちに行こう!」

 

 マスターや子ギルからすれば(周囲の燃焼音を除けば)静寂としか言えない状況だが、それでも音楽家の耳にはしっかりと聞くべき音が聞こえていたということであるらしい。勿論アマデウスの能力に疑うところを持たない無い立香は、アマデウスの言葉に躊躇なく行き先を決める。子ギルも異論を持たず、マスターともどもアマデウスが指し示す歌の方角へと歩を進める。

 

 歩くこと数分。立香の耳にもアマデウスの言う歌(立香の記憶が正しければ、アマデウスの言う『乙女の心の歌』であった)がぼんやり聞こえてくるようになったところで、アマデウスが足を止める。 

 

「……お、そろそろ私にも聞こえてきたかな──って、どうしたのアマデウス?」

 

 足を止めたアマデウスに、若干先行していた立香も立ち止まり振り返る。アマデウスは難しい──というより、懸念をその表情に浮かべている。

 

「──マスター、戦闘音だ。ところどころ荒れた息で歌っているところを聴くと、どうやらこの歌声の主である少女は戦っているみたいだね……歌いながら」

「歌いながら!?……じゃなくて、それじゃあ急がないと!」

「ああ、急ごうか。どうにもちょっと醜悪な歌も聞こえてくるようだ。ああやだやだ。魔境の美の一線の向こう側の音色だよ、これは。──だから用心するんだマスター。この歌も、マスターの夢で聞こえていた歌だ」

 

 アマデウスの言葉に、立香も表情を険しくする。先程から聞こえていた歌声以外の歌、となればそれは(本人曰く)『アマデウスの作曲するような歌』ということになる。それが魔境の旋律ということは、まさかアマデウスが反転(オルタナティブ化)したサーヴァントでも出てくるんだろうかと立香が多少戦慄する。

 

「……でも、アマデウスのオルタってあんまり強そうじゃないよね」

「どうしてそんな話になったんですかマスター?それより行くなら早く行ったほうが良いと思いますよ?」

 

 立香がふと自分の空想上で生み出したサーヴァントに身も蓋も無い評価を下した辺りで、子ギルから催促が掛かる。立香はその言葉に我に返り、先程までの徒歩ではなく駆け足で現場と思しき方向へと向かう。

 

 

 

 やがて現場に近づいてきたところで、カルデアのマシュから通信が入る。

 

『先輩、気をつけて下さい。向かっている先からは従来のエネミー反応とは異なる未確認の高エネルギー反応が確認されています!サーヴァント反応ではありませんが、それに匹敵する熱量です!』

「わかった!ありがとうマシュ!」

 

 周囲の情報を収集していたマシュの言葉に短く謝意を返し、立香・子ギル・アマデウスの3人は戦闘の現場へと急ぐ。やがてどちらの歌もよく通るほどに近づいたところで、立香は戦場の状況を確認できるよう、周囲の崩れたビルの瓦礫を登っていく。やがて瓦礫の山の頂上に到達したところで、瓦礫の影から頭だけを出して様子を見た。

 

「……ここからなら見えそうかな?マシュ、そっちでも見えてる?」

『はい、大丈夫です先輩。こちらのモニターでも確認できています。ですが、これは──』

 

 立香の座標を介してカルデアのモニターに映し出された戦場の光景。それを見たマシュが思わずといった感じで口籠る。

 

「──うん。私の方でも見えた。戦ってる相手は見えないけど、とりあえず最初の歌を歌ってる方は──女の子、だね。私と同年代くらいかな?……本当にサーヴァントじゃないんだよね?動きとか近接戦型のサーヴァントみたいなんだけど……」

 

 立香はマシュの口籠るのもわかると言わんばかりに、眼前の非現実的な光景を見やる。

 

 そこにいたのは、歌を歌う少女たちだった。黄色、青、赤を貴重としたボディラインが顕になる戦闘武装を装備した彼女たちは、戦闘スタイルの違いこそあれど、立香達の道中の推測通り「歌いながら」戦っていた。

 

「うーん、良い声が良い旋律に乗っている。やっぱり歌っていうのはこうでなくちゃいけないよね」

「ですが、どうやらその動きも精彩を欠いていますね。やはり原因は──アレでしょうね」

 

 その光景を前に、アマデウスの音楽家としての言葉と子ギルの戦闘者としての言葉が続く。子ギルが目線で指した『アレ』に立香も目を向ければ、そこには少女たちと戦っていた敵達の姿があった。

 不可解な蛍光色に光る、全体的に生物を半端に模した姿。金管楽器のような発音器官からはアマデウスの述べた「魔境を越えた歌」が流れ、その肉体には立香たちにとってすごく見覚えのある生々しい眼球のような器官が付随している。

 小型なもので人間サイズ、大型なもので大体十数メートルほどになる大小形状様々なそれらのエネミーの背後には、彼女たちが人理修復の過程で幾度となく退治してきた魔の姿が屹立していた。

 

「変な生き物?と、魔神、柱──っぽいけど、なんか色が蛍光色だし、他の奴らと同じ楽器みたいなのが付いてるヤツ、かな?今回の騒動と関わりはありそうだし、どうにか加勢したいんだけど……」

 

 と、立香はそこで言葉を切る。彼女が単純に困っているのは、今味方として連れているサーヴァントのどちらもが、あまり高速度の戦闘についていけるサーヴァントではないということである。アマデウスはもとより、子ギルは未成熟な子供の肉体で現界しているため、本来の英霊としての姿に比べて著しく戦闘力が低い状態にある。

 

「……あ、でもギルくんは『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』は使えるんだよね!ようし、あの人達に呼びかけて援護ってことで……」

「うん、そうしましょう……あれ?」

 

 マスターの言葉に当然とばかりに背後に宝具たる宝物庫の門を展開し──何も出てこない。思わず使用者の子ギルは首をかしげ振り返るが、それでも結果は変わらない。

 

「あ、あの……ギルくん?」

「うーん、ちょっと待って下さいね。確かにこちらに歩いている時点で何か違和感はありましたが、これは──」

 

 子ギルの様子に不安を覚えた立香の声を軽く流し、子ギルはついには宝物庫に頭を突っ込む。そしてすぐに頭を引っこ抜く。

 

「……ええと、どうやらレイシフトによる『召喚』を経過した関係で、この特異点に元来存在した『宝物庫』と僕の宝具が接続されてしまってますね」

「えっ」

「で、今回『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』を使用するにあたってはこちらの宝物庫を参照してしまうわけなんですが」

「……うん」

「こちらの宝物庫、なんか今見た限りだとほぼ全ての財宝が焼け落ちちゃってました」

「…………マジですか」

 

 てへ、とばかりに小さく可愛く笑う子ギルの告げる真実に立香は呆然と呟く。

 正直なところ、子ギルはこの状況にあっては貴重な直接戦闘戦力である。立香は別段アマデウスと扱いを異にすることは無かったが、それでも戦闘において矢面に立ってくれるサーヴァントが居るかいないかというのは戦闘における自由度を大きく左右するもの。

 アマデウスが戦闘事態不得手である現状、子ギルにその立場についてもらうことを想定していた立香は思わぬ伏兵にガクリと肩を落とす。

 

『って、一体どういうことですか!?今までどんな時代にレイシフトしても、ギルくんを始めとしてギルガメッシュさん達の宝具は使えていたはずです!』

「本来はこんなことはありえないんですけど……。おそらくですが、この世界が異世界か、並行世界としてもボクが誕生する遥か以前に分岐しているだろうということと、それに付随して『英霊の座』という機構が存在しないからではないかと。『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』はあくまで過去・現代・未来に存在する人間の造り得た財宝の原型をしまい込む宝物庫、それに接続する宝具ですから。歴史の幹そのものが異なるこの世界では宝物庫の成り立ちも違いますし、宜なるかなというところですね」

 

 マシュに自身の推測を話す子ギル。この世界にそもそも蔵がないか、もしくは召喚サークル宜しくボクらの世界に繋ぎうる場所があれば別なんでしょうけど、と最後に締めくくる。

 立香はその子ギルの言葉に思わず嘆息するが、嘆いていても始まらないと首を振る。

 

「……よし、開き直ろう!できないことを何時までも言っててもしょうがないし、どっちにしろあの人達を援護しないとダメだしね!」

「はははごもっとも。それでこそだとも」

「ええ、全くですね」

 

 マスターの意気込みあふれるやけくそ気味な言葉に、笑顔で戦闘準備を始めるアマデウス。子ギルは立香の側で何かあれば守れるように体勢を整える。

 

「何、あまり気張らなくても良いはずさ。彼女達は強そうだからね、こちらがちょこちょこ手助けをすればそれで十分だろう。

 ──さて、それでは楽しみ給え少女たち──異界とのコラボレーションコンサート、今より開演としようじゃないか!」

 

 優雅に指揮棒を構えたアマデウスの言葉とともに、特異点解決のためのカルデアの戦いの火蓋が切って落とされた。



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第1節 歌と魔術の邂逅(3)

「────ッ!?」

 

 学校からの帰り道。いつもどおりの日常の最中、少女は唐突に言葉で表せないような違和感に襲われ立ち止まる。今まで感じたことのない、何もかもを急に取り零したかのような奇妙な浮遊感を感じた少女は、思わず足元を見て地面を確認していた。

 

「……どうしたの、響?またレポートでも忘れたの?」

「あ、ううん!なんでもないよ未来……って、いくら私でもそうそう何度もレポートを忘れたりなんか……するけど今回はしてないよ!」

 

 少女──立花響が急に足を止めたことに驚いたのか、共に歩いていた響の親友である小日向未来も足を止め響の方を振り返る。

 自分の急な行動で自身の親友を心配させてしまったことを反省した響は、自身の心に湧き出た不安感を押し隠しながら未来の隣まで駆け寄り笑顔を見せる。

 

「……ねえ響、本当に大丈夫?顔色が悪いよ?」

 

 が、親友(なかよし)な未来にはどうやら響の取り繕いは奏功することはなかったらしく、すぐに不安を見破られてしまった響は眉尻を下げながらうつむいた。

 親友の言葉にどう答えたものかと悩んだ響は、「あー」とも「うー」ともつかないような声で唸りながら、漠然と言葉を探していく。

 

「……えっと、ね。なんか今さっきすごい不安な感じがあったんだ。よくわかんないんだけど、こう、夢の中で高いところから落っこちたことで目が覚めた、みたいな。……うん、ごめん。やっぱりよくわかんないや。未来はさっきそういう風にならなかった?」

「え?うん、私は特にそういうことにはならなかったよ?」

 

 未来の言葉に、響はそっかぁ、と息を吐く。

 

「うーん、でも私に聞いたってことは響は不安を感じる心当たりがないんだよね?……ねえ、これからS.O.N.G.に行くんだよね?他の皆にも聞いてみたらどうかな?」

 

 未だ心の中に澱みがある様子を見せている響を見て、未来はそう提案した。もしかしたらお仕事と関係があるかもしれないし、と最後に付け加えた未来の言葉を聞いた響は、名案とばかりにパッと顔をあげる。

 

「うん、そうしてみる!きっといろんな経験豊富そうな師匠とかマリアさんなら知ってそうだし!きっと将来の進学先とかそういった不安が無意識のうちに漏れ出したとかそういう原因を究明してくれるはずッ!そうと決まれば、行こう未来!」

「あっ、ちょっと、急に引っ張らないで……もう、響ったら……」

 

 自分のさっきの症状?を思春期の悩みか何かみたいに言いながら、響は未来の手を引きS.O.N.G.の本部へ向けて走り出した。手を引かれた未来は文句を言いながらも、若干空元気気味ではあるが持ち直した親友の様子にホッとした様子をみせて一緒に駆け出す。

 

 

 

「……到着、したけど……」

「……皆、ピリピリしてるというか、不安そう……?」

 

 青春真っ盛り!みたいな感じで走り出した2人が到着した港には、国連直轄下の超常災害対策機動部タスクフォースとして編成された組織であるSquad of Nexus Guardians──通称『S.O.N.G.』の本部である潜水艦が停泊していた。立花響は諸般の事情により、私立リディアン音楽院高等科に属する女子高生でありながら、このS.O.N.G.のエージェントのような立場にあった。

 S.O.N.G.には彼女たちが頼りにする大人な人々が居るわけで、そんな彼ら彼女らの豊富な人生経験に頼ろうと考えていた響はしかし、周辺に漂う異様な気配、というか雰囲気に二の足を踏んでいた。

 

「……ああそうだ、先程の異常な感覚について調査を……?おお、響君に未来君か!丁度良かった、君たちを呼ぼうとしていたところだ!」

「!師匠、なにかあったんですか!?」

 

 そんな中、赤髪の偉丈夫と呼ぶべき男性が周囲のS.O.N.G.職員に指示を出していた。響に『師匠』と呼び表されている彼、響の武術の師であり、S.O.N.G.を束ねる司令である風鳴弦十郎は、S.O.N.G.の職員に指示を出したところで2人に気づき、笑顔で呼びかける。

 響は自分たちの到着を「丁度良かった」という彼の言葉に、何か異変のようなものが起きたのかと尋ねる。S.O.N.G.は超常災害──太古、この惑星に存在した超文明の遺産たる"聖遺物"を始めとした種々の特殊な物品・事例による災害より人々を守るために結成された組織である。そのエージェントのような立場にある響が求められたということは、すなわち超常災害の発生を意味しているのでは無いか、と考えていた。

 ……余談ではあるが、この組織は平時はもっと緩かったりする。仮に普段通りの空気で司令が同じセリフで呼びかけたなら、響は誰かの誕生日のサプライズパーティー企画の相談かな?とか思ったりするだろう。

 

 とは言え、響は今のところはそこまで大事でもなさそうとも考えていた。これがS.O.N.G.が対処すべきとされる認定特異災害であるノイズや、異端技術の使徒たる錬金術師の製造するアルカ・ノイズのような一般戦力では到底太刀打ちできないような存在が出現した場合、到着を待つなんて悠長なことは言わず響の端末へと直接指示が飛んでくる。更に緊急性が高いときにはヘリコプターが飛んできたりすることすらあるのだ。それに比べれば(彼女たちが本部に向かうことは事前に決まっていたとは言え)悠長に到着を待っていた時点でそこまで緊急性は高くないと響は楽観視していした。

 

「……ああ。何か、といえる事件が明確に発生したとはいえないが──。響君、未来君、こちらに到着する少し──およそ30分程前だが、我々に奇妙な感覚が伝播した。なんと言えばいいか、そう、まるで()()()()()()()()()()を見届けるような──」

「──ッ!?」

 

 ──が、そこで問われた言葉に響は思わず息が詰まり、バッと弦十郎に視線を合わせる。その響の様子に、弦十郎はやはりかとばかりにため息をつく。

 

「──あの、私はそういったことは無かったんですけど……もしかして、S.O.N.G.の人達は全員……?」

 

 未来の言葉に、弦十郎は重々しく頷く。その顔に浮かんだ表情を見れば、このちょっとした、しかし確かな異変が相当な規模で発生していることが少女たちにも理解できた。

 

「……そうだな、君たちにもはっきりと言おう。我々は現在、聖遺物や錬金術といった関係技術による精神干渉かそれに類する何らかの攻撃を受けたのではないかと考えている。とはいえ、物証が無いから一般人を対象に調査を大々的に行う訳にはいかないからな……取り敢えず関連組織の職員に対して調査をかけているというわけだ」

 

 弦十郎の説明に、なるほどー……?と、響がわかってるのかどうか怪しい相槌を打つ。そんな響を一瞬呆れた目で見た未来だが、すぐに弦十郎に向き直る。

 

「それで弦十郎さん、その精神干渉って一体どういったものなのかはわかってないんですか?それを受けたらどうなるのか、とか……」

「……そこが不思議といえば不思議なところでな……。有り体に言えば、全く何も起きていない。記憶の混濁のような現象が起きたとか、あるいはなんというか、こう……浮世離れするような感覚があったという報告こそあるが、それらは全て一瞬で治まっており、以降何らかの干渉は確認できていない。結果として何が起きているのかを現在から検証することが出来なくなってしまったがな。S.O.N.G.がピリピリしているのも、精神干渉のせいというよりそれについての詳細が得られていないというところのほうが余程大きいくらいだ」

 

「な、なぁ~んだ。じゃあ今のところは私も皆も問題はないってことなんですね!それはそれでよかったぁ……」

 

 弦十郎の言をポジティブに捉えた響は、取り敢えずまずいことにはなっていないということを知り安堵の表情を浮かべた。未来も後を引くような症状が出ないってことを知り少しほっとした様子を見せていた。弦十郎はそんな2人(主に響)の良いとこ探しなポジティブ発言に苦笑を浮かべながらも、その発言に影響されたか若干表情が上を向いていた。

 

「まぁ、とにかくだ。他の装者たちももうそろそろ到着する頃だし、君たちは一旦発令所へ……ッ!?」

 

 話を一段落させた弦十郎が2人に指示を出さんとしたところで、周辺に緊急のアラートが鳴り響いた。そのアラートに弦十郎は俄に表情を厳しくし、響に未来は緊張の面持ちを浮かべた。見れば周囲の職員たちも慌ただしく動き始め、それぞれ所定の配置へと向かっていた。

 

「このアラート……まさか、ギャラルホルンかッ!すまん、2人も一緒に来てくれッ!」

 

 そう言うが早いが、弦十郎は身を翻して停泊中の本部に一息で飛び乗りハッチを開く。響に未来も一瞬顔を見合わせたが直ぐに行動を始め、S.O.N.G.本部に乗艦した。

 

 

「師匠、ギャラルホルンが動いたってことはまた何か並行世界に異変が起きたってことですよね!?もしかして今回起きたことと何か関係があるんじゃ……!?」

 

 本部艦内を走りながら、響は弦十郎に尋ねる。このアラートの原因であるギャラルホルンは異端技術の中でも特に重要な存在である「完全聖遺物」と呼ばれる物品であり、正しく先史文明の技術が詰め込まれたオーパーツである。長年の経年による劣化や風化、破損といった事態を免れ現代に至るまで完全な姿を残したそれは貴重な遺物であり、同時に今の技術では解析しきれていない部分が多々存在する曰く付きでもあった。

 

「ああ、その可能性は十分にある……っと、到着だな。──やはり、ギャラルホルンのゲートが開いている。だが今までの反応とは結構異なる反応だな……」

 

 艦内をそこそこ最速でなるべく最短で走ってきた彼らは、とある区画の扉を開き足を踏み入れた。そこでは、カラフルかつメカニカルな法螺貝のような形状の聖遺物──ギャラルホルンが奇妙な発光・蠕動を繰り返していた。

 ギャラルホルンとは北欧神話における橋の番人たる神ヘイムダルが危難を告げる際に使用される笛である。その名に違わず、この聖遺物は世界が危険にさらされるときに様々な信号を発することで何が発生しているのかを知らせるという性質を持っている。

 また北欧神話においてヘイムダルは神の世界と他の世界をつなぐ虹の橋の見張りであり、その所有物であるギャラルホルンも他の世界──すなわち、可能性により分岐する並行世界で発生した危険を知らせ、並行世界へ移動するゲートを管理する聖遺物ではないか、と推測されている。そのゲートが開いているということは並行世界に異常が起きていることの証明であり、放っておけば今いる世界にも悪影響が出る可能性があった。

 ギャラルホルンの保管区画で、異常な兆候を示すギャラルホルンを見上げた響は、一呼吸ためた後に口を開いた。

 

「……いつもとの違いがよくわかりません!」

「響……もうちょっと気を配ろう?ギャラルホルンは何度も利用してるんでしょ?」

 

 わからないことを堂々開き直った響に、未来が呆れた顔で注意する。そんな未来に言い訳をしようと更に口を開こうとした響の言葉は、室内に備え付けられているスピーカーから聞こえた幼気な声によって遮られた。

 

「……現在のギャラルホルンは従来の反応に比べて蠕動の規則性に乱れが生じ、ゲート自体も若干不安定になっています。今まで取った並行世界の差異とギャラルホルンの反応データを対応・照合した結果からの推測ですけど、現在つながっている並行世界は今ボク達のいる世界から少しずつ乖離しているのではないかと考えられます」

「あ、エルフナインちゃん!世界がー……えっと、どゆこと?」

 

 少女──エルフナインの言葉に、響は首を傾げる。そもそも深く並行世界論に詳しいわけではない響からすれば、専門的知識を基に紡いだエルフナインの言葉はちんぷんかんぷんである。

 エルフナインは、とある事情から錬金術師として異端技術に対する知識や技術を持つ。現在はその見識を買われS.O.N.G.では技術者として活躍するほど才ある少女であるが、その頭脳から導き出せた結論を響に過不足無く伝えることは出来なかったようだ。

 もっとも当のエルフナインはそれも想定していたようで、慌てず言葉を紡いでいく。

 

「簡単に言えば、徐々にボク達の世界との類似性を失っているということです。今までの事例では一定の違いこそあれど、その違いに基づいてボク達の世界と同様のアルゴリズムで物事が進んでいきましたが、今回はそうじゃなくて──」

「……なるほどぉ?」 

 

 が、その言葉でも理解を得られなかったようで、エルフナインは響に対しどう説明したものかスピーカー越しに頭を悩ませた。やがて考えがまとまったのか、えっと、という言葉とともに更に話を続けていく。

 

「そうですね、武者ノイズの出てきた世界でのノイズの対応なんかがわかりやすいかと思います。あの世界は装者がいないという顕著な違いこそ存在しましたが、そこで取られていたノイズの対策……装者がいない場合は兵器を用いた飽和戦術によってノイズを倒す、というのはこちらでも同様の手順です。ですが、例えば装者の代わりに強い武術家が刹那の見切りでノイズを倒すのが日常だとか、ノイズを倒すにはグルメバトルしかないとか、そもそもの法則性が乱れている世界はそれだけボク達の世界から離れていると表現できる……それこそ、並行世界というよりはいっそ異世界と言えるかもしれません」

「あ、なるほど!」

 

 人によっては更にこんがらがりそうな説明をしたエルフナインだが、結果として理解を得られたようでホッとする。響は響で納得した後、あるのかなそんな世界、いやでも師匠みたいな人達がいっぱいいる世界もどこかに……ッ!?など1人勝手に戦慄していた。

 

「えっと、響やS.O.N.G.の皆さんに起きた異常はやっぱりギャラルホルンの繋がった並行世界と関係しているの?」

 

 響の思考が話から逸れていることに気づいた未来は、軌道修正のためにエルフナインに問いかける。並行世界の事象は大なり小なり今の世界にも変化を及ぼす場合があるため、今回もそういった事例なのかを確認したかったのだ。

 未来の言葉を聞いて本題を思い出したエルフナインは、こほん、と咳払いをした上で確認されている情報を説明した。

 

「明確に関連性があるか、といえば『いいえ』です。ですが、現状で一番関わり深そうな事例が今回のギャラルホルンの異常反応であることもまた確かです。ですので響さんと──」

 

「──我々が調査に向かう、というわけだ」

「精神攻撃だか何だか知らねーが、売られた喧嘩は最高値で買ってやんねーとな!」

 

 エルフナインの言葉を引き継ぐように、2人分の新たな声がその場に響く。安定感のある冷静な声と力強く威勢のよい声が聞こえた方向には、今まさにこの区画に入ってきたであろう2人の少女が不敵な笑みを浮かべていた。

 

「翼さん、クリスちゃん!それじゃ、今回はこの3人で並行世界の調査に行くってことですか?」

「ああ、そうなるだろう」

 

 喜色を浮かべた響からの問いに、3人の中でも年長である青い長髪の少女──風鳴翼は端的に回答する。

 この場に揃った立花響、風鳴翼、そして翼とともに現れた銀髪の少女──雪音クリスの3人(正確には翼の言にある通り、主として動くのは更に3人ないし4人存在するが)はある特殊な力を持っており、ノイズのような特異災害や異端技術による人災に対処できる希少な人材である。

 また、その希少な力が無いとギャラルホルンの作り出す並行世界へのゲートを通過することが出来ないため、残りの3人──マリア・カデンツァヴナ・イヴと暁切歌、月読調と、非常時など手が足りない時や聖遺物特性によっては今この場にいる小日向未来とを合わせた7人を半々に分け、(彼女たちの視点で)元の世界と並行世界の解決に戦力を振り分けるのが常であった。並行世界の異変がいつ致命的な状況を生み出すか元の世界からではわからないため、必然として現在到着している3人で調査に向かうということになる。

 

「……ってか、マリアはともかく残り2人はまだ来てないのか?」

 

 クリスは未だに到着しない2人のことを考え呟く。既に卒業した翼や最年長のマリアとは違い、此処に居るクリス、響、未来とまだ到着していない切歌と調は全員私立リディアン音楽院の生徒である。となれば、住居の違いこそあれ彼女たちの下校時刻は大体似たようなものであるため、切歌と調も本来なら到着してなければおかしいのだが。

 

「ああ、切歌君と調君はどうやら宿題を片付けるのに手間取っていたらしいな。なあに、ギャラルホルンの異変が確認できた段階で車を回してある。君たちの出発には間に合うだろう」

「……なんつーか、締まんねえなあ……」

 

 弦十郎からの情報にため息を吐いたクリスは、他の2人ともども出発のための準備に向かった。

 

 

 

「さて、全員準備はできたか?」

「ばっちりです師匠ッ!」

 

 弦十郎の言葉に、装備やら食料やらをしっかり持参した響が元気よく返事を返す。並行世界の調査は場合によっては数日かそれ以上に渡ることもあるため事前の準備は非常に重要である。大半が食料なのも現地調達の難しい場合に生命を左右するからであり、決して響が食べたいがために大量に用意したとかそういうわけではない。尚、翼やクリスは現地の状態を観測・記録するための機材を持っている。

 

「さて、それでは注意事項を……っと」

 

 全員の準備が整っていることを確認したエルフナインは注意事項の説明をしようと口を開くが、廊下から聞こえる足音に言葉を飲み込む。テンポよく響く足音からどうやら走っているらしく、音が大きくなるにつれて荒い息遣いも聞こえてくる。

 やがてギャラルホルンの保管区画の扉が開き、小柄な2人の少女が息を切らしながら入ってきた。

 

「お、遅れました、デースッ!」

「遅れてすみません……」

 

 金髪でバッテンマークがトレードマーク、語尾の怪しい暁切歌と黒髪でツインテール、装者7人で一番小柄な月読調の2人は入室するなり遅刻を謝罪する。もっとも今回の呼び出しは相当に急な話であるため、遅刻することも若干やむなしではある。

 

「お前らなあ……。宿題くらいちゃっちゃとやれよな」

「私達はクリス先輩ほど頭良くないデスよ……見逃してほしいデスッ!」

 

 もっとも、同じ学校のクリスは地頭の良さからか同条件でも余裕で間に合っていたためか、後輩2人に苦言を呈する。その言葉の横では、響がまるで胸に槍が突き刺さったかのようにゔっと呻いていた。ちなみに響が間に合ったのは最初からS.O.N.G.の本部で待機しながら宿題しようと考えていたためであり、未だ宿題に手を付けていないのである。

 

 取り敢えずメンバーが揃ったことで、エルフナインがコホン、と咳払いをし改めて説明に移る。

 

「それでは今回の並行世界へは、響さん、翼さん、クリスさんに行ってもらうことになります。向かう先の世界は先に発生した精神干渉の原因である可能性が高いのと、観測記録から今まで以上に世界観の差異が大きいものと思われますので十分に警戒して下さい。現地には二課ではなくS.O.N.G.が存在する可能性が高いと思われますので、相手機関の状況にもよりますがそちらと連携してください」

「む、S.O.N.G.があるのか?今まで以上に違いが大きいという話だったが、S.O.N.G.成立まで同様の歴史を辿っていたのであればむしろ今までより近い世界なのではないか?」

 

 エルフナインの説明を聞いた翼が疑問を呈する。今までも並行世界の現地機関と協力することは多々あった彼女等だが、それは基本的にS.O.N.G.ではなくその前身である組織、発端を第二次大戦にまで遡る特異災害対策機動部二課であった。S.O.N.G.の成立はここ最近の話であるため、S.O.N.G.が存在するということと平行世界間の差異が大きいということは彼女たちの今までの経験と矛盾していた。

 

「それは僕から答えさせてもらいましょうか」

「緒川さん?」

 

 そんな翼の疑問に答えたのは、今まで説明していたエルフナインではなく唐突に姿をみせた1人の青年だった。青年──緒川慎次の手には今回の件に関する色々な記述がある紙束を持っており、それをペラペラとめくりながら言葉を紡ぐ。

 

「なぜS.O.N.G.が存在するのかということですが、それは今回の精神干渉を受けたのがS.O.N.G.の人員だけだからです。今回の異常について調査したところ、響さんと近しい間柄でありココに出入りしている未来さんには影響がない一方、イギリスに居るマリアさんやそのボディガードや連絡員といった人員に対しては等しく影響が及んでいました。そこで条件付けについて詳しく精査したところ、S.O.N.G.のデータベースにおいて組織人員として登録されている人間のみが影響を受けていることがわかりました」

 

「もし二課を対象としているならマリアくんを始めとしたF.I.S.組は被害をまぬがれたはずだし、装者とその身近な人々を狙ったのであれば未来くんも巻き込まれているはずだ。これら全ては、干渉の実行者がS.O.N.G.について知っていたということであり……もし、それが並行世界の住人からの干渉であれば、並行世界にもS.O.N.G.があるということを証明している」

「しかし、小日向は今では装者として正式に登録されているのでは……?」

 

 緒川の言葉を引き継ぐように弦十郎が結論付ける。翼は2人の言葉に新たな疑問を感じ、緒川に確認する。

 

「はい。その点についてですが……どうやらパヴァリア光明結社との一連の騒動、それが表面化する前までの人員を対象としているようでした」

「仮定になるが、おそらく向こうの世界ではパヴァリア光明結社との争いが無かったということなのだろう。未来くんの適合率はあまり高水準ではない以上、手が足りない状況にならない限りは正式な人員として登録されることはないからな、外されていても不思議ではない」

 

「なるほど、そういうことでしたか」

 

 2人の言葉に納得するように頷き、響・クリスとともにギャラルホルンの前まで移動し、形成されるゲートを見上げた。

 ギャラルホルンは通常時のゲート展開の際の緑色の発光領域を形成していたが、やはり不安定なのか別な色が混じったり、またゲートの形状が時折乱れることもあった。その様子を見ていた未来が、不安そうな顔で響を見やる。響はそんな未来に気づき、あえて明るい笑顔で呼びかける。

 

「──大丈夫、ぱぱーっとみんなで人助けして、みんなで帰ってくるから……だから、心配しないで?」

 

「……響……うん、響はいつもどおり頑張って、いつもどおり帰ってきてね!」

「もっちろん!」

 

 未来の思わず出た心配の言葉に満面の笑みで応え、響はギャラルホルンゲートの前に立った。

 

「やれやれ、相変わらず元気なやつだな……」

「どうした雪音……?よもや例の精神干渉で気力が削がれているとは言わないだろうな?」

「へっ、冗談!」

 

 響の元気さに辟易したような態度を見せるクリスに、翼が冗談交じりに声を掛ける。クリスは心外とばかりに肩をすくませ、獰猛な笑みを浮かべた。そのまま響に続きギャラルホルンゲートに向かったクリス、翼に切歌と調がエールを送る

 

「先輩方、頑張るデースッ!」

「こっちの守りは任せて、心置きなく異変を解決して下さい」

 

「ああ、小細工ごと踏み潰してやるさ!」

「油断するなよ──なんて、その様子では言う必要もなさそうだな。──そうだな、マリア共々こちらの世界の守護をよろしく頼む」

 

「合点デース!」

 

 切歌と調のエールに気合十分とばかりに答えるクリスに、翼も大丈夫そうだと頷き歩を進めた。

 

 

「さて、全員準備はできたな!んじゃあ、行って来いッ!」

 

 全員が用意できたことを確認した弦十郎は、安心感を抱かせるような太い笑みを浮かべ3人に号令を下す。

 

「了解ッ!それじゃ、一番槍いってきますッ!」

「フッ、では次いで二番太刀が行くとしよう」

「そんじゃあたしは槍脇付か?まあいい、行くぜッ!」

 

 3人は威勢よくギャラルホルンゲートへと飛び込んでいく。彼女たちは自分たちの世界を守るため、顔も知らぬ誰かを助ける人助けのためにと、今まさに異変を解決するために異界となった世界へと旅立っていった。



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第1節 歌と魔術の邂逅(4)

「とうちゃ~く……って、これ……ッ!?」

 

 虹光の回廊を抜け並行世界に足を踏み入れた響は、目にした光景に絶句する。意気込んで出立した彼女たちを出迎えたのは、まるで戦争でもあったかのように荒廃した町並みであった。

 名所である東京スカイタワーが見えることから日本の都内であるはずなのだが、その荒れ様は紛争中のバルベルデをも上回っているのではないかと思わせる程のものであり、思わず響は一歩後ずさる。

 

「どうした立花……ッ!」

「おいおい、嘘だろ……ッ!」

 

 続けてギャラルホルンゲートから出てきた翼にクリスも、その光景には言葉を失った。

 

 だが、何も彼女たちはその風景だけに圧倒されたのではなかった。彼女たちは今までも戦いの中で戦場となった町が崩壊していく光景を目にしてきたし、その中でも己を奮い立たせて最後は団円に導いてきたのだ。だから、彼女たちの言葉を失わせたのは崩壊した風景ではなく──。

 一陣の風が吹き、まるで地吹雪のように黒い粉が巻き上げられる。黒い粉が巻き上げられたあとも地面には黒く跡が残っており、それが黒炭の類であることが見て取れた。

 この大破壊の中で発生したであろう火災の燃え滓とも取れるそれは、しかし少女たちからすれば全く別の物を想起させる。それこそは、彼女たちが戦場に身を投じる理由となった認定特異災害──。

 

「────ノイズッ!」

 

 まるで響のつぶやきが聞こえたかのように、周囲から発光する生物のようなフォルムの存在が次々と姿を現す。小さくても人並、大きいものだと倒壊したビルの向こうに頭(と思しき部位)がはみ出て見える程の大きさ。出現したノイズ達は彼女たちを獲物と定めたかのようにジリジリと間合いを詰めてくる。

 その光景はまるで肉食獣に追い詰められた小動物のようでもあったが、彼女たちは臆すること無く、むしろ凛とした顔つきでその鋭い眼光に決意を乗せる。

 

「──翼さん、クリスちゃんッ!」

「ああ、やるぞ」

「おう、連中を蹴散らしてやるッ!」

 

 彼女達はその首に掲げていたペンダントを手に、心に湧き上がる聖詠を歌う。

 

Balwisyall Nescell(喪失への) ──」

 

 ノイズが認定特異災害であるならば、それと戦うためのエージェントとしてS.O.N.G.に所属しているのが彼女達である。この状況に奮い立つことはあっても気圧されるなんてことはなく、彼女達はその胸に浮かび上がる『歌』を声高らかに歌い上げる。

 当然、ノイズ達がそれをただ待つということはない。無機質な姿のノイズ達はその風貌に違わず、彼女達の歌を聞いても何ら反応せずに彼女達に攻撃する。その蛍光色の肉体がまるで粘土のように変形し、一斉に突撃する。その先端が響のに触れんとしたその瞬間──。

 

「──gungnir tron(カウントダウン)ッ!」

 

 突如として、響の肉体が光に包まれる。響に触れんとしたノイズ達は、まるで歌そのものが光と化したかのようなその力場に圧され崩壊していく。翼やクリスも同様の光を纏っており、3人の輝きの前に周囲のノイズは吹き飛ばされた。そして光が収まると同時に、装い新たな少女たちが姿を見せた。

 ボディスーツに機械の如き具足を纏ったその姿からは力強さが感じられ、無駄を減らした歩法による踏込みからは積み上げた巧夫が感じられる。だが、何よりも特徴的なのは視覚ではなく聴覚に捉えられるものであった。

 

 力強い橙を纏う響は、歌いながら無手の構えをとり。

 

 怜悧な青を纏う翼は、唄いながらその手の剣の鋒をノイズに向け。

 

 鮮烈に紅を纏うクリスは、謡いながらクロスボウに光矢を番えた。

 

 そう、彼女達は歌によって力を得て、歌によって誰かを守らんとする戦士。S.O.N.G.がその前身である特異災害対策機動部二課だったときに、1人の技術者によって提唱された「櫻井理論」に基づき、聖遺物の断片から形成された武装をその身に纏う適合者達。

 ──「FG式回天特機装束」シンフォギア──その装者である3人は、彼女達が駆逐すべき災害へと立ち向かった。

 

「……?このノイズ、なんか普通のノイズと違う──けどッ!」

 

 迫りくるノイズから目を逸らさずにいた響は、そのノイズ達が彼女の知るノイズと違う部位が付いている事に気づいた。まず、通常のノイズと異なる裂傷状の器官がある。現在は閉じているが、内部に何らかの機構が格納されていることは目に見える。またその背部からは金管楽器然とした器官が生えていた。

 その差異に最初は躊躇するもそもそもノイズの姿は千差万別であり、瞬時に心を落ち着けた響は歌を響かせて突撃する。その纏う鎧は歌のボルテージに合わせ、響の望む形にアームパーツを大きく変形させていく。

 周囲のノイズ達は集団の主格たる巨大ノイズに向かう響の疾走を邪魔しようとするが、それを彼女の仲間たちが座して見るのみであるはずもなかった。

 

「──ノイズにしては随分統率が取れているようだが、その程度の動きで我が剣嵐を抜けられると思うなッ!」

 

 風鳴翼は歌の高まりに呼応するかのように刃──アームドギアを抜き放つ。鋭く光るその剣は空を映し出すかのような青い剣群を宙空に生み出し、仕手たる翼の意を汲みノイズへと降り注いだ。

 

────千 ノ 落 涙────

 

 まるで豪雨のように襲いかかる剣群は瞬く間にノイズの数を減らす。それでもどうにか直撃を免れたノイズ達はなおも響の妨害へと走るが、そこに間髪入れずに追撃をかける者がいた。

 

「それでもあいつの妨害かッ!意地でもこっちを見ねえってんなら、後ろを見やすくしてやるよッ!」

 

 そう叫ぶ雪音クリスは、その感情のままに声音を旋律へと変えていく。その歌に乗った感情はクリスのアームドギアたるクロスボウをより適した形へと変化させていく。彼女にとって忌むべき、しかしよく知る大量破壊に向いた武装──連装式回転銃砲、即ちガトリング砲の姿へと変化したアームドギアは、猛々しい思いを表すかのように一気に鉛玉を吐き出した。

 

───BILLION MAIDEN───

 

 その弾幕は鉄風の如く、その砲火は雷火の如し。響を狙ったノイズ達は、2人の剣林弾雨の前に儚く消え失せた。

 

 まるでそうなることが当然であるとばかりに、狙われていたはずの響はその光景を一顧だにせずに勢いのままに跳躍する。矢のような速度で巨大ノイズの胸元へと一直線に迫った響は、腕でありながら槍でもあるかのように変形した拳を大きく振るい叩きつけた。

 

「────!」

「まだまだッ!」

 

 その威力は少女の膂力とはとても思えず、巨大ノイズを大きく損壊させる。だが響の攻撃はそれに留まらず、弩を引き絞るかのように変形した腕部のハンマーパーツのエネルギーを開放し、おまけとばかりに巨大ノイズに叩きつけた。

 瞬間。激しい衝撃がノイズを貫き、巨大なノイズは愚かそれを取り巻いていた他のノイズたちも纏めて炭のように黒く崩れ去った。

 

「……我が拳即ち一撃必倒、是成は六合大槍、无二打(にのうちいらず)!──って、これって二発入ってるってことなんじゃ……」

 

 映画か何かで見たセリフを自分流にアレンジしいかにもかっこよく決めた響だったが、自分で言ってておかしいと感じたのか首を傾げる。響の言う无二打は李氏八極拳開祖の李書文の伝説のことで、本命のための牽制打すらも一撃必殺の威力を秘めていることを評した言葉であるため、原義的には二打入れることは間違いではないのだが。

 

「しっかし、なんか随分と奇妙なノイズだったな……」

 

 クリスが自分たちが倒したノイズの残骸を見ながらそう呟く。ノイズは既にその身が崩壊しており、その崩壊の仕方は彼女達の知るノイズと基本的に同一だった。だからこそ、発言したクリスはもとより戦っていた響や翼もその異様さに気づいていた。

 

「──確かにな。怪しいからこそ何らかの行動を行う前に仕掛けた速攻が奏功したが、統率が取れていたことといいまるで誰か錬金術師が新しいノイズのレシピを使って生み出したとしか思えないが……」

「でもアルカ・ノイズみたいにプ、プリ……プリなんとかになりませんでしたよ?カルマノイズ……でもなさそうですよね……」

「プリマ・マテリアな。あー、今まで見た並行世界みたいに、聖遺物とか哲学兵装を取り込んだ、いや取り込まれた?ノイズじゃねーのか……いや、でも破片とかは落ちてねーしなぁ」

 

 戦闘が一段落したことで、あーだこーだと意見を言い合う3人。しかし結局結論はでなかったのか、翼が切り替えるように首を振る。

 

「よし、埒が明かないならばこじ開けるよりほかにあるまい。エルフナインの言っていたとおり、まずはS.O.N.G.を探すとしよう」

「つってもどこを探すんだ?まるでアダムの野郎とかとやりあった直後みたいな状態だぞ、ココ。あたしらの通信機だって向こうのもんだからこっちじゃ繋がらないだろうし」

 

 翼の案を聞いたクリスが不安要素を確認する。翼もそれは当然理解しており、案を提示した理由を続けていく。

 

「いや、もしこの状況が戦闘後であるとすれば、ノイズが跋扈しているのが放置されている筈もない。となれば、何れかの勢力が別の場所でノイズと戦闘しているだろう。即ち……」

「そっか!どこか戦っている人達を探すんですね!」

「ハッ!わかりやすくていーじゃねーか!そうと決まりゃ……ッ!?」

 

 彼女達が方針を固めて行動に移そうとしたところで、地平線の向こうから空を穿つかのような閃光が放たれた。複数の色が混じり合ったその光は空を覆う淀んだ雲を突き破り、その向こうにある青い空を映し出す。

 

「──今の光って……?」

「呆けるな立花、発射地点に向かうぞッ!」

 

 響はどうにもその光に見覚えがあった気がして少し記憶を探っていたが、翼に急かされ中断する。誰かが戦っている以上、響がそこに向かわない理由はなかった。

 

「おいバカッ!それと先輩──乗れッ!」

 

 クリスの声に響達が振り返れば、シンフォギアの腰部パーツを大きく展開したクリスが今まさに巨大なミサイルを発射せんとしていた。常軌を逸したその光景に対しても響達は慣れているのか、頷き合ってミサイルに飛び乗る。

 

「行くぜ──ミサイルサーフだッ!」

 

 響と翼が乗っているミサイルをそれぞれ発射したクリスはシンフォギア装者の身体能力を活かし、わずかに遅れて発射した残り一基のミサイルが加速し切る前に追いつき、そのまま飛び乗る。優れたバランス感覚でミサイルを乗り物同然に乗りこなしながら、先程光条が放たれた場所へと向かった。

 

「……見えたぞ、あそこだ──って、あいつは──ッ!?」

「どうした雪音──ッ!?」

 

 そろって飛翔する3人の内、『彼女』を最初に見つけたのは遠距離戦が主体であるクリスだった。狙撃手としても天性の才能を持つクリスは、その優れた動体視力で地面に倒れている人影を見つけ絶句した。クリスの反応を訝しんだ翼だが、次いでその小さな人影を見たときには思わず言葉を失った。

 響はそんな2人に遅れてその人影を見やり、2人が絶句した理由を知った。

 

「……えっ?そんな、あの子は……ッ!」

 

 その少女は、先程彼女達を並行世界へと送り出した少女である『エルフナイン』に瓜二つの容姿であった。違いと言えば三つ編みが大きいことと、まるで中世の魔女のステレオタイプをそのまま持ってきたかのようなローブと鍔広帽を纏っている程度。だが、彼女達にとってはその程度の違いこそが何よりも重要だった。

 

「──キャロル、ちゃん……!?」

 

 少女の名はキャロル、キャロル・マールス・ディーンハイム。ホムンクルス・エルフナインの製作者であり、優れた錬金術の技量を持つ錬金術師。そして──かつて響達と敵対し、その果てに己すらも焼却したはずの少女だった。

 

 

 

 

「────!────ちゃんッ!──っかりし──!」

(……なんだ、この声……。ああ、そうだ。忘れようとしても忘れられない、あいつの──)

 

 キャロル・マールス・ディーンハイムは深い微睡みの中、どこか聞いたことのある声に耳を傾けていた。

 

「キャロ──んッ!ねえ、しっかり──てッ!」

(──いや、あいつはこの世界から消失した。幻聴とは、オレも弱く──いや、それは昔からか──)

 

 つい最近まで聞いていた声。しかしキャロルはその声の主を知っているがために、その声を幻聴であると断じ、意識的に遮断して快復に努めようとし──。

 

「キャロルちゃんッ!」

「──ええい喧しいッ!幻聴が囀るなッ……!?」

 

 どんどん喧しくなるその声に怒鳴りつけたことで、唐突な覚醒を果たした。上半身を跳ね起こしたその目の前には、消失したはずの1人の少女。キャロル・マールス・ディーンハイムにしつこくつきまとい()()()()()()立花響の姿があった。

 

「……ここは。そうか、オレは()()をぶち抜いてそのまま昏倒していたのか……。だが、どうやらあの一撃で討ち果たせはしたようだな」

 

 円形にくり抜かれたかのように吹き飛んだビルや高温により硝子化した周囲、そして何より自身の生存から戦闘の結果と現在の状況を察し1人納得するキャロル。その視線はそのまま自分を心配する一対の目へと移る。

 

「……それで、貴様らは一体何処にいた?この"魔都事変"にあって今頃出てきたということは──いや、違うな。貴様らは()()()()()から来た?」

「!私達が並行世界から来たってわかるの!?」

 

 キャロルの言葉に響は驚く。今まで彼女達が移動してきた並行世界において、理論や可能性として並行世界を示唆する人間はいてもそれを断定する人間はいなかった。それをキャロルが僅かな時間で看破したことに、響は思わず並行世界から来たことを暴露してしまった。

 

「……ああ、知っているとも。──正確には、それしか()()()()()()と言ったほうが正しいがな」

「それはどういう意味だ、キャロル・マールス・ディーンハイム。それに先程の"魔都事変"という言葉──いや、そもそも貴様は何故──」

 

 思わせぶりなキャロルの言葉に、この異常のための情報収集をせんとする翼は警戒しながらも矢継ぎ早に質問を繰り出す。そんな翼に一瞥をくれたキャロルは、どの質問にも答えずただため息を吐いた。翼は嘲笑されたのかと一瞬だけ激昂しかけたが、そのため息に吐いたキャロル自身に対する呆れを含ませている事に気づき冷静さを取り戻す。

 

「……その様子だと、並行世界のオレは疾うに死んでいるようだな。そちらのオレが此処に居るオレと同じことをやったのであればまあ、十中八九そうなるだろうが。──何故、オレが生きているのか、か?別に何のことはない──途中で折れたからだ。立花響の言葉とパパの想い出に絆され、真理と命題から訣別した。だからオレは死なず──エルフナインが死んだ」

「ッ!エルフナインが死んだだとッ!おい、そいつはどういう──ッ!?」

 

 キャロルの半ば投げやりな言葉にクリスは思わず熱り立ちキャロルに詰め寄るが、その瞬間に大きな揺れがその場の4人を襲った。常人ならとても立っていられないほどに強い揺れに、詰め寄らんとしたクリスはその場に踏みとどまり周りを睨む。

 やがて揺れが収まり、巻き上げられた土煙が晴れる。周囲を油断なく警戒していた彼女達が目にしたのは、先程も戦った変異ノイズ──そして、今まで見たどのノイズとも違う異形だった。

 

「なっ……んだ、こいつはッ!?」

 

 絶句するクリス。響や翼もその異形には思わず唖然とした表情を見せる。所謂大型ノイズに匹敵する捩れた柱のような形状をしたそのノイズは、ほかの変異ノイズと同じ裂傷状の割れ目がついている。但し、装者達が今までみた変異ノイズと異なりその割れ目は大きく開いており、その内部にはノイズに不釣り合いなほどに生体的な眼球が規則的に配置されていた。またその根本からは管楽器のような器官が枝のように生えてきており、不気味さと悍ましさという点で通常のノイズを遥かにしのいでいる。見れば同時に出現した他の変異ノイズも割れ目が開いており、同様の眼球が装者達に焦点を合わせていた。

 

「デモノイズ……指揮者かッ!先程のに比べて小型だが……悪いが話はこいつらを片づけた後だッ!手伝ってもらうぞ歌女共ッ!」

 

 その正体を知っていたキャロルは変異ノイズ──デモノイズを睨みつけ、ふらつきながらも戦闘姿勢を取る。とはいえ負傷がひどいことを自覚していたキャロルは1人で戦うつもりはサラサラ無く、出会ったばかりの装者達にも半強制的な共闘を呼びかけた。

 

「~~ッ、くそッ!後でしっかり聞かせてもらうからなッ!どさくさに紛れてトンズラすんなよッ!」

 

 流石にこの状況で問答できるとは思っていないのか、釘を刺しながらもクリスはアームドギアをデモノイズに向けた。残り2人も各々構えを取り、いつでも戦える状態へと移行する。

 

「指揮者と言っていたな、キャロル。あの異常なノイズ──デモノイズといったか、やつらの組織的な行動を指揮しているのはあの柱状のデモノイズということか?」

「いいや違う、戦闘指揮を執るのは別だ。いいか、指揮者デモノイズが指揮するのは──『歌』だ。アレが吹弾器官を起動する前に片を付けないと厄介なことになるぞ……ッ!」

「ノイズが『歌』……それに吹弾器官だと?──いや、仔細を問うてる暇はないか。行くぞ、2人ともッ!」

 

 翼はキャロルの言葉に僅かに考え込むが、目の前の状況をどうにかすることを優先し考えを打ち切る。号令に合わせ響と翼は突撃し、クリスが腰部パーツを展開する。

 

「露払いだ、吹き飛びやがれッ!」

 

───MEGA DETH PARTY───

 

 展開された腰部パーツにあるミサイルコンテナから大量の小型ミサイルが放たれ、デモノイズたちを蹂躙する。先程のデモノイズ戦で使用したアームドギアの攻撃に比べて速射性や小回りでは劣っているものの、その分破壊力と破壊範囲に優れた攻撃は容易にデモノイズの戦線を崩壊させる。クリスの一撃によって拓けた柱状デモノイズ──指揮者デモノイズに向かう最短ルートを響と翼は一息に駆け抜けた。

 

「いっけええええッ!」

 

 響の拳と翼の剣が指揮者デモノイズの眼球に突き刺さらんとする。──だが、そこで異変が起きた。

 

「─────♪、seイ、■ョうノトキ──■■レ■────♪」

「──歌ッ!?何が──ッ!」

 

 指揮者デモノイズの管楽器のような器官──吹弾器官から荘厳にして流麗、人類には到達できないのではないかと思わせるほどに心を震わせる「歌」が流れ始め、指揮者デモノイズにエネルギーが収束し始める。嫌な予感を受けた響は無理矢理脚部パーツのパワージャッキを起動し軌道を変え、その反動で翼を進路上から弾き飛ばした。

 

「立花、何を──ぐッ!」

 

 翼は体勢を立て直さんとするが、デモノイズの歌と同時に力が抜ける感覚を受け、膝をつく。何が起きたのかとデモノイズを睨みつけた翼は、その光景を目の当たりにする。

 

「────────♪──♪、────♪」

「──嘘だろ、こいつは……ッ!これは、フォニックゲインだッ!」

 

 悍ましい姿のデモノイズから、歌が炎となって放たれる。光熱の奔流は地面を融解させており、もし響達があのまま突っ込んでいたら諸共に焼き払われていたことが容易に想像できる。そうなれば如何にシンフォギアの防御能力が優れていようとも、これほどの火力を防ぎ切ることはできずに戦線を離脱する可能性すらあった。

 デモノイズによって生み出された膨大な熱量──その正体をクリスは把握していた。否、響に翼、錬金術師であるキャロルも正体を理解している。

 フォニックゲインと呼ばれるその力は、本来なら適正ある人間の歌声にしか発露しない。にも関わらず、人の心を震わせんとするデモノイズの荘厳な歌により作り出され──歌とともに戦う彼女達に牙を剥いていた。

 

「ノイズが、歌を──」

 

 響にとってその光景は非現実的であり、立ち上がろうとした足がガクンと下がる。それでも、と力を入れようとして、彼女は異変に気づいた。

 

「って、あ、あれ……?力が──入らない──?」

(どうして?私はまだ諦めてない、のに──胸の、歌が──遠く──)

 

 響はまだ戦えると自分で感じていたはずなのに、それでも力が入らない。過去に歌えなくなったときとは違う感覚に、響は思わず周りを見回す。

 

「ぐッ、何が──」

「あたしの、歌が……乱されて……ッ!?」

 

 見れば、その影響は響1人だけにとどまらない。先程体勢を立て直せなかった翼はもとより、ミサイルを放っただけで体力も戦意も十分だったクリスすらも思わずふらついている。この状況下で(以前からの負傷分はともかく)平気そうにしているのはデモノイズとキャロルのみであり、だからこそキャロルはその状況に推察を立てる。

 

「あの歌、オレが戦っていた時は気づかなかったが……まさか装者の歌に影響があるのかッ!?如何に雑音呼ばわりされているとは言え、そんなことができる道理が──ッ!?」

「──だが、実際に、そうなっている以上仕方あるまい……ッ!カルマノイズとも異なるこの力、まるで歌そのものが我々の心の奥底まで響き渡り、揺さぶっているかのようだ……ッ!」

 

 翼は感覚的に状況を把握しながら、刀を支えに立ち上がる。その視線は油断なくデモノイズに注がれているが、「心を揺さぶられた」と形容すべき精神反応はシンフォギアとの適合を阻害し続けており、その肉体のフラつきは到底隠せるものではなかった。

 

 デモノイズが無造作に流す魔境の歌。それは彼女達のシンフォギアへの適合そのものを妨害していた。

 元来、シンフォギアに適合する際の精神状態というのは決して馬鹿に出来るものではない。人の強い思いが聖遺物に作用する以上、その適合にも心の在り方、思いの強さが非常に重要な役割を示すのである。過去にも強い思いや意思が聖遺物への適合・制御に繋がる例が多々存在しており、ここに居る中では響もそういった経験を持っているといえる。

 故に、心に対し一種の強制力を発揮する程常軌を逸した、それこそ魔的なほどに「感動的な」音楽は、心に自分の歌を擁して戦う彼女達に対し、これ以上無いほどに相性が悪かったのである。

 

(……この歌が流れている限り、奴らはフォニックゲインの出力を上昇させ続け、それと比例するように我々は弱体化する。このままでは最悪、我々はギアを纏うことすら不可能になるということッ!)

 

「──立花、雪音、キャロルッ!今はとにかくデモノイズの総数を削るより他にはないッ!少しでもデモノイズのフォニックゲイン生成量を減らさねば、本丸攻めは不可能だッ!」

 

「了解ですッ!城門をこじ開けてみせますッ!」

「~~こいつらッ、無駄に歌を心に届けやがってッ!上等だ、やってやらぁッ!」

「──何処まで持つか。だが、取れる選択肢がない以上仕方ないか──!」

 

 翼の号令のもと、装者と錬金術師は即席の陣形を組む。慣れていたはずの歌の響く戦場、全く未知の領域と化していたそれを前に、彼女達は不安を押し殺すように心を奮い立たせたまま先の見えない消耗戦へと身を投じた。

 

 

 

 

「そらよッ!……これで、何体目だ?くそ、倒しても倒しても湧いて出やがるッ!」

「さっき戦った時は、こんなこと、無かったよねッ!?」

 

 ──戦い始めてどれほど経ったか。クリスの銃撃によりまた一体のデモノイズが消滅したが、それを待っていたかのようにデモノイズが補充されていく。

 そう、彼女達は戦い始めてすぐに気づいた──デモノイズの数が減らないという現実に。ノイズは通常、亜空間領域に保管されているものを鍵となる聖遺物や錬金術による空間転移──テレポートジェム等によって呼び出される。逆に言えば、誰かが追加で呼び出そうとしない限りは出現時より増えることは基本的にありえないのである。

 にも関わらず、デモノイズの軍勢は破壊されればされた数だけ出現していく。結果としてデモノイズの総体は変化せず、彼女達は徐々に疲労から動きを鈍らせていった。

 

 この異常を前に、キャロルは戦いながらも思考を止めず、その原因を考えていた。

 

(オレも一度こいつらと戦った。楽団デモノイズとしか戦ってなかっただろう装者共と違い、指揮者デモノイズともだ。だが、その時はこんな機能はなかった。いったその時と何が違う?オレが指揮者を撃破したとき、その後に倒れたオレに対し一切の追撃が無かったことを考えれば──)

 

 そこまで考え、キャロルは1つの仮説に思い至った。

 

「──指揮者が雑兵共を召喚・維持しているということかッ!自分で雑兵を呼び出し自己強化し、更に多くの雑兵を呼ぶとは随分な設計だなッ!」

 

 キャロルの暴言混じりの言葉に、装者たちは苦味走った表情を浮かべる。仮にキャロルの言葉が真実であれば、指揮者を倒さないと指揮者に到達する壁になるデモノイズを減らせないという矛盾に陥っていることになる。

 もちろん、指揮者に比べて周囲のデモノイズはキャロルの言うとおり雑兵程度である以上、大威力の攻撃を放つことで雑兵諸共に指揮者を攻撃すれば良いという暴力的な解決手段があることは彼女達も分かっていたが、それは平時の話。

 

「──くッ!デモノイズの、歌さえなければ、一刀にて斬り捨てられるものを──ッ!」

 

 翼の苦し紛れた言葉が、彼女達の現状を物語っている。魔境の歌によるシンフォギアに対する適合系数の低下はその影響を如実に示しており、平常時ならば長時間とは呼べない戦闘時間も、今の彼女達には10倍にも20倍にも長い間戦っているかのように感じられる程だろう。そんな彼女達に大技を撃つ余力はなく、やろうと思うなら誰か1人が技の準備をする間に、残りの3人の誰かが生命を捨てる覚悟すら必要になるだろう。

 

「──────♪──♪────♪、────♪──♪」

「ッ!全員オレの後ろに回れッ!」

 

 だからこそ、破綻の訪れにそう時間はかからなかった。デモノイズは獲物たる彼女達の動きの鈍化を機械の如き正確さで把握し、その隙を逃さずさらなる追撃を加えた。指揮型デモノイズはエネルギーを収束し、周囲を飲み込むように解き放った。

 暗雲のごときエネルギーの奔流が壁のように迫る。相殺等の選択肢が取れないと理解した装者たちは、とっさに盾の紋章陣を展開するキャロルの言葉に従い盾に隠れる。彼女達が隠れきれるか切れないかというところで黒い嵐が盾に衝突、金属を削るような甲高い轟音が響き渡った。

 

(キャロルちゃん、すごい……。でも、これじゃ……ッ!──────?これは、歌……?)

 

 内在魔力のみで戦うキャロルの錬金術は以前より弱体化しており、目の前のエネルギーの奔流を受け止めきれる程の頑強さは望むべくもない。そのことに気づいた響はどうにかして対抗せんと考え──何かが聞こえた気がして、周囲を見回した。

 それはデモノイズたちの魔境の歌とも違うごく一般的な、それでいて最上級のクラシックの旋律、音楽の授業でも映像あるいは音声でしか聞かないような曲。デモノイズの歌に比べれば遥かに小さくか細い旋律は、極限状態にあって集中力の増していた響の耳にしっかりと届いていた。

 

『──"comodo(気楽)"にしたまえよ、少女たち。……さあ。落ち着いて、君たちには君たちにとって一番の歌があるはずだ』

(音楽──デモノイズの歌とは違う、優しい、きれいな──)

 

 歌が語りかけてくる、そう響は感じた。何処からか届くその歌うような声に、響は徐々に平静を取り戻す。魔境の旋律により揺らいだ精神を取り戻させるかのように、胸の歌が強く鳴り響く。

 

『あの魔境の歌は、君たちの胸に無理に感動を押し売りしているのさ。あの歌は全人に通じさせる歌だ──君たち自身の音楽と感性が違うにも関わらずに、ね』

(無理矢理……。そうか、心中を乱して歌えなくしたのではなく、感動の過程で私の、私自身の歌への感性を乱してきたということか)

 

 翼は、己にそう伝えるかのような……否、真実そう伝えてくる音楽を聞いた。歌詞でもなく、曲でもなく。デモノイズの歌同様に、音楽を通して心に直接奏でられる旋律。

 

『だから僕が、君たちの心に手助けをしようか。なに、そう大したものでもない──君たちの感性が君たちのものだって思い出させるだけだとも』

(……誰だか知らねえが、この音楽──あたし達の歌を取り戻させるために、あたし達の歌に合わせてくる……)

 

 だが、クリスはそれを気に食わないとは思わなかった。この音楽を奏でる誰かは、あくまでクリスたち装者の心を、歌を尊重していることがわかったから。

 

「──もう、盾が保たん……ッ!」

 

 デモノイズの暗黒の波動に盾が破壊される刹那。3人の装者は示し合わせることもなく、ただ"誰かからの音楽"にユニゾンするよう、それぞれの胸の歌を口ずさんだ。

 

 

 

 デモノイズの一撃はノイズが使用する攻撃としては埒外の火力であり、その力は過たずキャロルの盾を破壊した。直撃すれば装者たちとて生存が危ぶまれるであろうそれを叩き込んでも、デモノイズは歌を止めることなくただ破壊の風景を睥睨する。やがてその眼球に映り込んだのは、己が一撃によって無残な最期を遂げた少女たちの姿────ではなく。

 

「──貴様の一撃、都牟刈の刃には劣るようだな」

 

 そこにあるのは、まさに盾と見紛わんばかりの巨大な刃。天羽々斬が極大化した逆さ鱗によって、デモノイズの一撃は完全に受け流されていた。

 感情も知性も持っていないデモノイズは、システム上ありえないことが起きていることに気づいていないかのように只々機械的に歌を大きくかき鳴らす。装者達をかき乱さんとする指揮者やその取り巻きたるでもノイズめがけ、追撃とばかりに大量の矢が降り注いだ。

 

「──その目を見開いて良く見てろ、あたしの矢はここにあるッ!」

 

 デモノイズの大量の眼球の幾つかが空を見れば、イチイの弩を構えたクリスがミサイルの上で不敵な笑みを浮かべている。一度に大量のデモノイズを失ったことで出力を大きく減じた指揮者は、軍勢たらんとデモノイズを製造し始める。その増産能力は圧倒的ではあったが、敵対者がいる状態での製造は僅かだが致命的な隙でもあった。

 

「いっ……けええええええええッ!!」

 

 翼の立てた逆鱗から飛び立つようかのように、響が腕部スラスターを全開まで稼働させてデモノイズに突っ込む。ナックルパーツがまるでドリルのように大きく、鋭く変形・回転し、竜巻を伴い指揮者に突き立つ。その一撃に大きく拉げたデモノイズに、更にダメ押しとばかりに腕部に蓄積されたエネルギーが開放される。強力なハンマーユニットは瞬間的に威力を限界以上に跳ね上げ、その拳にとって指揮者ノイズの障害など有って無きが如しと大穴を開けて突き抜けた。

 

「なるほど、指揮者ノイズがデモノイズの中核というキャロルの推察はどうやらそう外れているわけではないようだな」

 

 最後の一撃が止めとなったのか、指揮者ノイズが形を保てず炭となって崩壊し、それに同期しているかのように周囲にいた取り巻きのデモノイズも纏めて崩壊していく。その光景をみた翼はポツリとそうつぶやいた。

 

「本当にこの推察で一分の間隙もないのか、というとわからんがな。それより貴様ら途中から随分と動きが良くなっていたが、一体何があった?」

「それが私たちにもさっぱり……。ただ、誰かの歌が……」

 

 

 

「いやいや、流石だね。君たちの歌から聞こえる力強さと清純さは僕の予想通り素晴らしいものだったよ!」

 

 

「!!この声……」

 

 響の言葉に被せるかのように紡がれた言葉に、全員が声の聞こえた方へと振り向く。そこにいたのは、大きく派手な帽子をかぶり、同じ意匠のカラフルな服装をした1人の男だった。よく見ると羽織っているコートの裏地はきらびやかな刺繍が施されており、派手な色合いやステンドグラスのようなデザインはまるで、歌劇場が人に成ったのではないか、そう思わせる姿をしていた。

 そして何より、装者の3人はこの声に聞き覚えがあった。デモノイズとの戦いの中で聞こえた音楽、その音楽の奏者の声。

 

「う、わぁー……。すごい強いね、あの人達……。ほんとサーヴァントみたい……というか、私達ほとんど何もしてないよね……」

「キャスターも言っていたとおり、彼女達は十分な戦力ですから。先程の精彩を欠いた動きもどうやら今回の魔神柱との相性の問題みたいですし。ボクの戦力が落ちている現状、彼女達が味方になってくれれば心強そうですが、どうなるでしょう」

 

 更に追加で2人の声も聞こえてくる。最初は派手な衣装の男性に視線が行ったために気づかなかったが、よく見れば影に隠れてて響達と同年代の少女と小学生くらいの少年の姿が見える。私服というにはちょっと変わった格好ではあるが、まあ一般的の範疇に含まれるだろう姿の2人は(どうやら男性とも)知り合いらしく、親しげに話をしている。

 とりあえず声をかけられたということで、この中でおそらく一番社交性のある響が代表してその3人組?に声をかける。

 

「あのー……すいません、さっきの歌の人?ですか?というかあなた達は誰ですか?」

「あ、はい?えっと、歌の人……はアマデウスだけど……。じゃなくて、コホン」

 

 どうやらあの3人組の中では少女が代表格らしく、男性の前に出て咳払いをする。自身の緊張をほぐすかのように深呼吸した少女は、人好きするような笑顔で言い放った。

 

「えっと……我々は人理継続……じゃ、じゃなくてえっとぉ。こ、国連承認機関カルデアの魔じゅ……と、特殊な専門家です!私は藤丸立香、この特異、じゃなくて……と、とにかく解決のために来ました!どうか協力していただけませんか!」

「……はい?」

 

 響の顔が固まる。少女の言った言葉の中に理解できる用語がなかったのか、響は首を傾げた。

 聞き返そうと響が少女──立香を見やれば、自分と同じように固っているようだった。明らかに自分がやらかしたことに気づいた表情であり、彼女の後ろに控えていた男性と少年も苦笑を浮かべている。

 

 この締まらない邂逅が、今回の異変、後に『魔■■事変/亜種特異点 ■■魔■宮殿 ■■■■■■■■■』と呼ばれる事件の解決の立役者。そののファースト・コンタクトであり、彼女達の短くも長い戦いの始まりだった。



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第2節 現状把握(1)

「えっと、取り敢えず……情報共有しましょう!まず私達から!」

「……オレは歌女共は知ってても貴様らは知らんからな、まず事情を話すとするなら確かに貴様らからが筋だろう──信じるかはともかくな」

 

 立香の言葉に、この場唯一の地元世界民ことキャロルが警戒混じりに頷く。キャロルからすれば、自分の知る理論に基づいた"並行世界"の住民たる装者たちより、全く未知の領域からの来訪者である立香達の身の上を知りたいのは当然だった。そしてそれは装者たちも同様であり、まず何よりも『カルデア』と『装者・錬金術師』での情報交換をすることが先決だという空気が出来上がっていた。

 

「えっと……その、信じてもらえるかはわからない……んですが。私たちはその、国連に承認されたある専門機関であるカルデアっていう……」

 

 立香の説明がそこで途絶える。というのも、響以外の装者及びキャロルの視線が明らかに立香たちを訝しんでいたからだ。キャロルに至っては訝しむというより苛立ちに近い目線を向けている。

 

「……すまんが、我々の知る限り国連承認機関カルデアというのは存在しない。それが何らかの裏の機関であるとしても、それが異端技術や錬金術に関わることである限り我々が知らないということはない」

 

 翼の言葉にうっ、と言葉をつまらせる立香。どう説明しようかと頭を悩ませる立香に対し、元々短気の気があり、かつ現在進行形で自分のいる世界が異変に襲われているキャロルの堪忍袋の緒が切れた。

 

「と、いうよりも──知っていることは隠し事無しでキリキリ吐き出せッ!いいか、この歌女共が『ギャラルホルン』でこちらの並行世界に来ている以上、この世界で何か並行世界に纏わる異常が起きていることが明らかだッ!そこで貴様らという全く知らん存在が現れた時点で、本来ならこの事変の犯人扱いしてやりたいところだ……が、あいにく黒幕が別にいることは承知している。そして同時に、貴様らが今回の事変に何らかの関連を持っているということもな。

 ──だから、貴様らについて、一から、全部、このオレに明かせッ!」

「は、はいッ!」

 

 キャロルの見た目に似合わぬ怒り心頭な詰問に、思わず立香も了解してしまう。

 一方、装者たちはキャロルの怒りを見て驚いた。装者たちにとって、キャロルは復讐心と父の残滓を拠り所に戦い、その果てに消滅した──彼女達の敵として現れた少女だ。その戦いで父の遺言と復讐心を見たさんとするために地球を分解しようとまでした彼女が、まるで世界が大事であると言わんばかりの態度を取っている。

 

「──キャロルちゃんすごい怖いけど、でもちょっと良い感じ……かなあ?この世界では一体何があったんだろう……」

「あたしが知るかよ……。ただ、都庁がぶっ壊れてるのを見ればこっちでもワールド・デストラクターを使ったのは確実だろ?角突き合いがあったのはそうだろうけどな」

 

「……なんだ貴様ら、オレに何が言いたい?」

 

 響とクリスが後ろでコソコソ話しているのを目ざとく見つけたキャロルが睨みつける。その眼光は幼いという言葉に片足突っ込んでる見目の少女としては破格のものであり、響とクリスはこれ以上の刺激は危険そうだと私語を謹んだ。

 装者年中組が黙ったところで、立香を睨み直すキャロル。立香はその瞳に嘘は通じないことを直感的に理解し、ちゃんと説明しようと深呼吸をして──。

 

『……うん、ならこの私から説明しよう!この天才たるダ・ヴィンチちゃんがね!』

 

 という、なんとも緊張の感じられない言葉が聞こえてきたので思わずよろめいた。どこから聞こえたのかと探す間もなく、キャロルと立香の間に空間投影ディスプレイが展開され、1人の女性──ダ・ヴィンチちゃんことレオナルド・ダ・ヴィンチが笑顔で手を振っていた。すぐ隣にはメガネを掛けたショートカットの少女──マシュが並んでおり、解説用なのか大量の資料を抱えている。

 キャロルはそのモニターに映し出されていた女の姿に、最初は思わず嘆息し──次いで、呆れたようにため息を吐いた。完全な肉体、黄金比の再現をここまで成立させた肉体というのは珍しく──だからこそ、それが人造のものである事に気づいてもいた。

 

「ダ・ヴィンチちゃん……レオナルド・ダ・ヴィンチか。ふん、性的倒錯者であると聞いてはいたが、よもや己を完全比率の女体に転写するとは、随分と奇特──いや、似たような奴らも居たな……」

『えっ?う、疑わないんですか?英霊召喚システムやサーヴァントに関連する機構はそちらには無かったはずでは……?』

 

 異様な程物分りのいいキャロルに、書類を抱えながらモニタリング作業をしていたマシュが首をかしげる。ダ・ヴィンチもキャロルの対応には疑問を抱いたが、キャロル以外の3人の驚きを隠せていない表情にあまり一般的ではないことがわかり、改めて最初から説明するとしようと1人で勝手に納得した。

 

「きゃ、キャロルちゃん?あの画面に映ってる人がダ・ヴィンチなの!?だって、レオナルド・ダ・ヴィンチって言ったら私だって知ってるんだよ!?教科書と映画で!なのに顔が違うし、"ちゃん"だよ!?かわいいよ!?」

 

 響はキャロルの納得に納得できていないようで、思わずといったふうにいらないことまでまくし立てる。が、優れた錬金術師であるキャロルからすればむしろダ・ヴィンチ本人であったほうが納得が行くというものでもあった。

 

「そも錬金術における完全性を示すのは女性の姿だ。こいつらがどういった組織かは知らんが、あの黄金比に塗れた肉体を作り上げたともなれば、それは高位の術者であるか余程の変態である可能性が高い。話に聞いた万能の天才ならどちらにせよ納得できるというものだ。……そうか、貴様らはパヴァリアの錬金術師と戦っていなかったのか」

「いや、戦ったけど……?え、どゆこと?」

 

 響の反応から、キャロルは彼女等が錬金術師の真実を知る機会を得なかったのかと得心する。キャロルはかつての計画の中でパヴァリア光明結社と呼ばれる錬金術師の秘密結社から技術供与を受けていたこともあり、その中でも幹部級だった錬金術師の秘密についても知り得ていた。

 

「大した話ではない。アダムとサンジェルマンは知らんが、プレラーティとカリオストロは元々うらぶれた中年男だっただけの話だ。元職はそれぞれ錬金術師もどきと詐欺師だったか。まあ、それはいい。それでダ・ヴィンチ、天才だと嘯くからには一から十まできっちり説明があるんだろうな」

『ええ……。カリオストロが活躍(サギ)してる頃は死んでたから知らないけど、プレラーティってそっちでも女になっちゃったんだ。ダ・ヴィンチちゃんも思わずびっくりだよ……』

 

 キャロルの言葉に異世界との奇妙な類似性を発見し驚愕していたダ・ヴィンチ。そんな後天的モナ・リザな会話の後ろでは、響と翼、そしてクリスが思わぬ真実に打ちのめされていた。そして偉人が実は女性でした的な英霊あるある話に慣れていたはずの立香も、後天的女体化系偉人(?)が別世界にも居るという事実を聞いて思わず遠くを見つめてしまうのだった。

 気を取り直して、とダ・ヴィンチが頭を振り、カルデアについての説明を始めた。

 

 

 

『さて、我々カルデアは国連承認機関であることに間違いはない。ただ当然ながら一般的な機関ではなく、本来的な目的としては我々の常識に守られた宇宙に於ける"人類"の繁栄を止めさせないことにある』

 

『人類の繁栄のための航海図……これは私達魔術師の間では"人理"と読んでいるわけだが、我々はそれを継続するための組織──それがカルデア、人理継続機関フィニス・カルデアだ』

 

『現在の主な仕事は、異様な反応を示している歴史を正しく補正するために、かつて我々が戦った敵である"魔神柱"が発生させた異なる時代の領域──亜種特異点に対して介入する"レイシフト"を用いての人理補正作業(ベルトリキャスト)だね』

 

『で、私達が今通信を飛ばしているそちらの世界は、我々の世界と異なる宇宙常識を抱えた"異世界"と呼ぶべき世界であり、システム的には観測の余地が無いはずだった。──にもかかわらず、何故かこちらの機材・機能で観測できてしまった』

 

『我々はこの異常について、何らかの理由で我々の世界の常識がそちらに流出し、結果として観測できるようになってしまったのだと推察した。そして、それは将来的な危険に繋がる可能性がある、ともね』

 

『というわけで、調査担当者でありサーヴァントのマスターである立香ちゃんを派遣したのさ!』

 

『サーヴァントとは英霊……端的に言えば過去の偉人の幽霊が現れたようなものだとでも考えてくれればいい。実際は英霊の座とか本人ではなく影のようなものだとか色々専門的なことはあるけど今回は重要じゃないからね』

 

『マスターはサーヴァントを召喚し、従える人間のことさ──まあ立香ちゃんについては、いろいろ建前的というか、名目上だけって部分もないでもないけれどね。マスターが英霊たちと連携しながら物事を解決するのがいつもの流れで、今回も同じやり方を踏襲しているのさ』

 

 

 

『と、いうわけだけど何かあるかな?』

「……そうか、おおよそ把握は出来た。つまり、今回の異変は法則性の異なる貴様らの世界と我々の世界が何らかの接点……実際に接してるかはわからんが、とにかく接点を持ってしまったことに起因する可能性が高いから専門員が調査に来た、と。なるほど、真実かはともかく筋は通っている」

 

「──いや、訳わかんねーよッ!というか並行世界でもアレだったのについに異世界?おいおいどうなってやがる世界は無限大かッ!!?」

 

 一息で長々と説明されたダ・ヴィンチの言葉をきっちり分解しその内容に納得しているキャロルに納得できず、クリスは盛大にツッコんだ。

 

「落ち着け雪音。確かに彼女らの説明は我々の知るものではないが、今の状況で只の妄言だなどと斬って捨てていいものでもない」

「そうだよクリスちゃん!ほらあの人教科書のモナリザにそっくりだし、きっと本当にレオナルド・ダ・ヴィンチなんだよ!……あれ?モナリザにそっくりってことはモナリザなんじゃ……あれ?あれれ?」

「そこのバカはもう少し勉強しとけッ!」

 

 一通り思いを吐き出したクリスは友人2人に宥めすかされ、どうにか平静を取り戻した。まだ若干息が荒いが、それでも話を聞く体勢に戻る。

 

「……んで、それがあってるとしてだ。結局あたしが気になるのはデモノイズだよ。アレがそこのモナ・リザ……じゃなくて、ダ……ダ・ヴィンチの言うとおりだってんなら、そりゃあんたらの世界のもんなんだろ?なんとかできねーのかよ?」

「えーっと……その前にデモノイズ?って何?さっきの魔神柱もどきとその取り巻きのこと?」

『デモ、がDemonだとすればデモノイズというのはDemonoiseという一種の造語、意味合いとしては魔神の雑音といったところでしょうけど……』

 

 彼女らの疑問にクリスは鼻白む。どうやら彼女達の世界にノイズは存在せず、指揮者デモノイズは彼女等からすれば魔神柱なる存在のもどきであるらしい。

 クリスは練磨のシンフォギア装者ではあるが、流石にノイズそのものが存在しない世界なんて彼女には想像もつかなかった。

 

「あー……ノイズってのは、さっきあたしらが戦ってた変な生き物みたいな形の奴らのことで、だな……」

「──ノイズは認定特異災害の一種、人類のみを狙う自動兵器群の総称だ。存在そのものの位相が常に移り変わることで物理的干渉を無力化するため、基本的には位相の調律が可能なシンフォギアでしか倒せん……例外はまあ、ないでもないが」

 

 クリスの言葉を引き継いだ翼の言葉に、なるほどと立香とモニター向こうのダ・ヴィンチが納得する。例外とはノイズが人間を襲うために位相を合わせてくる瞬間に触れずに迎撃して消滅させる規格外人類の話であり、この場の面々では関係があまりないため翼は存在を仄めかすだけにしておいた。

 

『ふんふん、そこら辺についてはこっちの説明が終わってから聞かせてもらうとして。で、対策については現状不透明なままだね。そもそもさっきの魔神柱の反応もなんというか、こう、中途半端だったからなんとも正体が掴みづらいというか……』

 

「ま、話を聞く限り最初から全部わかるたぁ思っちゃいねーよ。んで?さっきの変なデモノイズ……いやデモノイズ自体ノイズよりだいぶ変っちゃ変だけどよ……がその魔神柱だかってんで、あんたらがそれをどうにかするのが仕事なんだろ?じゃあ、サーヴァントってのはさっきみたいにあたしらを補助できるって考えていいのか?でなけりゃ、デモノイズと戦ったりとかできんのか?」

 

『それはサーヴァントによるかな。何分そちらの主な摂理がこちらと違う以上、モニタリングだけでは正確なことは言えない。そもそも私からよりも、実際に解決した彼から聞いたほうがいいだろう』

 

 クリスの疑問により正確に回答できるサーヴァント、としてダ・ヴィンチはアマデウスに水を向ける。装者たちもさっきの音楽を演奏したサーヴァントとやらに話を聞いたほうがいいと考え視線を向けた。

 

「いやあ、あの扇情的なカラオケスーツ、シンフォギアだっけか?ああいうの着て戦ってるって色んな意味で凄いよねえ。それにどの娘の歌も胸内をさらけ出すような惚れ惚れするほどいい歌を……。あ、僕らの自己紹介?」

「確かに年頃の少女がそういう格好をするのはって思わなくもないですけど、ソレで言えばサーヴァントのほうが色々危ない気がしますけどね。あ、ボクはさっきの戦いでは特に何もしていなかったので、キャスターから自己紹介していいですよ?」

 

 が、そこにいたのは呑気にシンフォギアについての寸評を話していたアマデウス(と子ギル)だった。視線が集まったことで自分たちにに話題を振られたと気付き居住まいを正すが、正直もはや手遅れである。

 装者たちは下世話な話題を喜々として話していたアマデウスをジト目で見るも、当のアマデウスはどこ吹く風とばかりに笑顔で自己紹介を始めた。

 

「さて、ダ・ヴィンチも言ってたけど僕たちはサーヴァント。人に使役される使い魔という形で現出した英霊だ。で、僕はアマデウス、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。キャスター……つまり、魔術師のクラスのサーヴァントだ」

「僕はギルガメッシュ、ウルクの王ギルガメッシュです。クラスはアーチャー、気軽にギルとでも呼んで下さい」

 

「ギルガメッシュ?古代ウルクの王、最古の叙事詩の英雄ギルガメッシュか?にしては随分と年若い気がするがな」

 

 サーヴァントたちの自己紹介に、神話伝承にも精通しているキャロルが疑問を浮かべる。一種不躾な態度のキャロルに対し、当然の疑問とばかりに子ギルは笑って答える。

 余談だが、見目の年若さでキャロルは人のことを言えない事実を棚に上げており、気づいた響が微妙な表情を浮かべていた。

 

「あはは、まあ今のボクは若々しい頃の姿ですから。英雄ギルガメッシュのうち『暴虐を敷く前の姿』とでも解釈してください」

「……ほう、それなら暴虐を敷いていたときの姿もあるのか?サーヴァントとやらは英霊の幽霊のようなものだとダ・ヴィンチは語っていたが、どうやら単純に末期の様で呼び出されるのではないらしいな」

「まあそうですね。サーヴァントは生前の全盛期の姿で呼び出されますが、ボクみたいに全盛期が解釈次第で複数存在する英霊もいるということです」

 

 子ギルの言葉に、キャロルはそういうものかと納得する。そもそも肖像画が残されているダ・ヴィンチが女性の姿な時点で単純な幽霊とは全く考えていなかったということもあり、比較的すんなりと受け入れていた。

 

「……モーツァルト、ですか?先のダ・ヴィンチ……女史の話通りならば、あなたは音楽家のモーツァルト本人ということですか?」

 

 そしてリディアン卒でアーティストである翼は、思わぬ名前が飛び出したことに驚きの表情を浮かべていた。アマデウスのどう見ても史実の人物に見えない服装を見ればさもありなん、神話伝承の詩人と言われたほうがしっくりくるといえるだろう。

 

「え、ええッ!?だって髪の毛くるくるして……してますけど、音楽室の肖像と全然違うくるくる感ですよ!?というか、モーツァルトは英雄なんですか!?まさか戦う音楽家・モーツァルトという知られざる真実ッ!?」

「ああいや、文化的な側面での功績に対する信仰で英霊に昇華することもあるのさ。僕やダ・ヴィンチはそういうタイプの英霊だね」

 

 まあダ・ヴィンチはともかく僕は君らに比べれば限りなく雑魚だよ、と笑って答えるアマデウス。

 

「というか気にするところはそこなんだ。……あ、いや、よく考えたらそりゃ普通ツッコミどころだよ?あ、あれ、私はいつ常識を捨ててしまったんだろう……?」

 

 響のどこかズレた反応に立香は思わず苦笑し、そこに苦笑してしまう自分に人知れず戦慄していた。立香からしても肖像画やらと違う見た目の英霊が多すぎることをかつて気にかけていたこともあったが、そもそも胸像が男なのにきわどい格好の美少女な皇帝がいるという事実に早くに浸ってしまっていたため、最早慣れとばかりにスルーするようになっていたのである。響の驚きは、そんな立香にとって新鮮な光景として目に映っていたことに気づいてしまったのだ。

 

「……そういえば、サーヴァントが偉人の幽霊って……。お、おいおい。本当に昔の人間のゆ、幽霊なんてそんなまさか、なあ?」

 

 そしてクリスは今更ながらに気づいた事実に、おもわず誰にともなくつぶやく。幸いというかその声は小さく、その声色が若干震えていたことに気づけるほどに耳を傾けているものはいなかった。

 

「おや、幽霊が怖いのかい?そういう勝ち気な中の少女らしさっていう意外性も歌を豊かにするスパイスのひとつさ」

「んなッ!?う、うるせえ誰が怖いもんかよッ!?」

 

 訂正、いた。優れた聴覚を惜しげもなく使っているアマデウスにとって、声音の中の感情、それも隠蔽に不慣れな少女のソレを読み取るなんてことは全く造作もなかった。

 

「そ、それよりさっきの戦いであたしらが平静取り戻せたのはあんたが何かやったことでいいのか?」

「ん?ああ、そうだね。とはいっても何も僕が優れた音楽家の英霊だからってだけじゃない。人の心に沁み入る魔の音色……そうだね、今回のこれは暫定的に『魔詠』とでも呼ぼうか。そういった魔術めいたものに少々詳しいのも僕が対処できた理由の一つだね」

 

 顔を赤くしながらあからさまに話を逸らすクリスへ返答するアマデウス。その言葉に嘘を言っている様子はなく、錬金術は元より歌に対してもある程度深い知識を持つキャロルは唸った。

 

「確かにモーツァルトは秘密結社であるフリーメイソンリー(フライマウレライ)……フランスであればフランマソヌリだな、ソレに所属していた以上、何らかの秘術を学んでいたという可能性もあるだろう。こちらの世界においては音楽と錬金術が密接な関わりを見せている以上、音楽がそちらの魔術に連なることも十分に考えられる、が……」

 

「いやいくらなんでもソレだけで納得済まされねーだろッ!っていうか魔神柱は結局なんなのかわかんねーし、あたしらは結局何されてどう治されたんだッ!?」

 

 クリスが堪えきれないように叫ぶ。クリス……というか実働していた装者たちからすればそれこそが重要なのであり、歴史やらなんやらではなく現状を教えて欲しいと感じるのは当然だった。

 

「そうだね。まず何をされたのかといえば……魔詠に感動させられてしまった──いや、感動するように精神を捻じ曲げられてしまったという言い方が適切かな」

「?えっと、よくわかんないんですけど……どう違うんですか?」

 

 アマデウスの言葉の違いが何を示しているのかわからず、響は首を傾げた。 

 

「万人を感動させる音楽はあっても、全人類を等しく感動させる音楽はないということさ。ああ、いや不可能ではないかもしれないが……そんな音楽を作るくらいなら、聞いた相手を無理やり感動させるように精神を作り変える音楽を作ったほうが手っ取り早いだろう?今回のソレはそういうことができる程に歌に特化したヤツの仕業と見るべきだ」

 

 と、そこでアマデウスが言葉を切る。その視線はマスターである立香に向いており、言外に話してもいいのかと語りかけてくる。

 もっとも立香たちからすれば、魔神と縁深い存在らしいノイズと戦う専門家である装者と協力しない選択肢は存在しない。この亜種特異点を修正することと装者との協力はイコールなのだ。

 

 それでも自分の許可を求めたということ──すなわち、マスターとして立てられていることに気づいた立香は、その決断を自身の意志であると示すために首を縦に振った。

 

「──つまり、今回の事件の首魁、かどうかはわからないけど。デモノイズの力の源泉の正体は歌に優れた魔神柱か、あるいは受肉前の魔神──いわゆる『音楽魔』の類だ」

「そして、その正体たりうる魔神であり、かつ僕に縁が深い魔神となると……第一候補は魔神アムドゥシアス、なんだけど。時間神殿で消滅しちゃってるはずのアレがいるってのも考えづらいというか……」

 

「アムドゥシアス、というと"ゲーティア"の序列67位に記されているソロモンの悪魔か……。なるほど、貴様らのいう魔神柱の正体がソロモンの悪魔──否、魔神だとするならば、ノイズ共と親和性が高いのも頷けるが、な」

 

 アマデウスの言葉にキャロルが納得と共に戦慄する。ソロモンの魔神といえばファンタジーなどでよく語られる存在だが、キャロルはもとよりこの世界の事情に対する知識をある程度有する者なら、それが空想でしかないことを知っている。だからこそ、空想が現実に湧き出たかのような奇妙さを生み出していたといえる。

 だが、確かに言われてみればうなずける部分もあった。金管楽器で旋律を奏で、歌で人を感動させるという魔神柱の行為は伝承上の魔神と同一であり、それ故にある程度の信憑性を彼女に与えていた。

 

「つまり、デモノイズは異世界のソロモンの魔神と融合しているノイズということか。ノイズには何某かと融合する特性がないことは確認している。となれば魔神側の特性により融合しているのか、あるいはノイズの概念との親和性の高さが影響しているのか……」

「そのデモノイズが魔神の力であたしらの心根を半端に歪ませたせいで、あたしら本来の歌と適合する聖遺物に対する適合性を失って……」

「──結果として、私達の胸の歌が聞こえなくなった……ってことッ!?」

 

 装者たちも敵がソロモンの魔神であるということにある程度の納得を見せる。そして彼女らの導き出した結論は十分あり得ることであったためキャロルは頷く。

 

「……ノイズのくせにフォニックゲインが生み出せるのも、その魔神が歌を司るという概念を持っているせいだろう。ソロモンの魔神ともなれば、強固な哲学兵装たりうるだけの信仰を与えられてもおかしくはあるまい」

 

 キャロルが話す推測は彼女たちにとって苦い真実・現実を多分に含んでいた。デモノイズが歌でフォニックゲインを作り出し自己を強化することもそうだが、その副産物で装者たる彼女たちが弱体化するともなれば、戦闘は極めて難しいものになってしまう。ソレこそ先の戦いのように、アマデウスの支援を得なくてはならない場面が多くなることだって考えられる。

 

 と、そこで通信のメインモニターが切り替わり、ダ・ヴィンチから変わってマシュが映し出される。モニター内の彼女はおずおずとその手を上げており、次いで疑問を口にした。

 

『……あの。確認させていただきたいのですが、そちらにおける"哲学兵装"、"錬金術"──そして"フォニックゲイン"とは一体どういったものなのでしょうか?』

「あ、それ私も気になってた。歌の力が云々ってよくわかんなくて……。深刻なのはもう見るからに分かるんだけど、具体的にどうヤバイのかを把握したいんだ。ね、今度はそっちの世界のことについて聞かせてもらえないかな?」

 

 通信の向こうから届くマシュの疑問に乗っかるようにした立香の提案に、奏者たちはそれぞれ目をあわせる。

 

「……私は教えていいと思うが。立花、雪音……と、キャロルはどう思う?」

「私もいいと思います!カルデアの人たちはなんだか師匠たちと似てますし、悪い人たちじゃないですよ!」

「おっさんと……似てるか?あー、まあモニターの連中もあの後ろにいるサーヴァントって奴らも怪しいっちゃ怪しいさ。でもあたしらの世界のことを一般常識レベルで知らないってんなら、教えなきゃ話進まねえだろ?」

 

 装者たちからすると、現状でカルデアを完全に信じられるかは微妙なところではある(響のように信じる気満々な人間もいるが)が、それでも話す限りでは信用が置けるものであると彼女たちは理解している。

 この中で一番猜疑心の強いであろうキャロルですら、現状打破のために共闘をすべきであると心中の舵を切った。

 

「……前提だが、そこの装者共の世界と今ココの世界──オレの出身といえる世界だが──は過去のどこかで分岐してはいるが、法則としてはほぼ同一の世界だ。どこが分岐点かは知らんが、歌女共の反応からしてそう古いこともあるまい」

 

「だから、オレがこの世界について話そう。この世界の辿った道と、今この世界を襲う災厄を」

 

 それほど大きくもないキャロルの言葉は、確かな真実と絶望の重みを伝えてくる。立香は思わず、唾をゴクリと飲み込んだ。



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第2節 現状把握(2)

「──さて、現状の危険度についてを理解したいならば、まずこの世界の歴史と法則を知るべきだな」

 

 キャロルはそうして、異世界からの来訪者に語り始める。この世界がいかなる歴史を歩み、今までに何が起きてきたのかを。

 

「まず人類の歴史以前……先史、神話時代の話になる。先史の古、カストディアンと呼ばれる超存在がこの惑星に現れた。奴らが何を目的としていたかまではオレは知らんが、何らかの必要性を持ってルル・アメル──すなわち、人類を作り出した」

 

「ルル・アメル……。僕らの時代の言葉で人類を指す言葉ですね。アヌンナキによって造られた『原始の労働者』であると後世には伝わってますから、この場合はカストディアンとやらがアヌンナキになるんでしょうか」

「アヌンナキってシュメールの神様なの?イシュタルもアヌンナキ?」

「そうですけど、イシュタルはあまり人造りや国造り、星造りと関係ありませんので気にしなくてもいいですよ。アレは造られたモノを支配し、飽きれば適当に打ち壊す神です」

 

 カルデアのはマシですけど、どちらにせよあの女神にそこまでの甲斐性はないですよ、と話す子ギル。シュメール云々で真っ先にイシュタルを想起した立香だが、彼女たちの世界における当事者の子ギルが関係ないといえばそうなのだろうと納得する。なんかカルデアの通信が騒がしいが、立香は聞かないふりをした。

 

「……話を続けるぞ。カストディアンは極めて高度な文明を持ち、今の技術体系とは異なる技術──異端技術を持ち人類を支配していたが、その中である事件が起きた……と、伝わっている」

『?人間に反旗を翻されたとか?』

「いや違う。もしそうならオレたちは今頃地上にはいるまい……1人の人間、カストディアンに仕える巫女が、何を思ったのかカストディアンに恋をしたのだ」

 

 その言葉に、露骨に子ギルが嫌そうな顔をする。立香もカルデアにいる神霊系サーヴァントの性格・性質を思い返し、碌でもない結末を思い浮かべた。

 

「……まあ、そこで何がどうなったのかの詳細は不明だ。巫女の方はどうやら統一言語を用いて、人類の階梯をカストディアンに並び立てるレベルにしようとしたと聞いている。恋仲になるには立場を合わせねば、ということだろうよ」

「…………」

 

 響は、黙ってキャロルの解説を聞き続ける。

 彼女はかつて現代に蘇った巫女フィーネと戦い、その中で今の話を聞かされたこともある。その戦いの理由も、フィーネが現代に蘇ったのも全ては恋の成就のためであることを、響は直接聞かされていた。

 そんな彼女に響は思うところはあるが、それでもその恋心が本当であることだけは知っている。

 もしキャロルがソレを否定するようなことがあれば訂正しようかと考えていたが、キャロルも人の一念を重く見ているのか特にそういったこともなく話が進んでいった。

 

『統一言語、ってことは関わってくるのはバベルの逸話かな?おっと、シュメール風に言うなら神の門(カ・ディンギル)だったか』

「そうだ。この世界の天頂にある月……まあ今は物理的に欠けているがな。あれは神の呪い、不和を呼び起こすバラルの呪詛を生み出す巨大な異端技術の遺跡だ。アレを以て神は言葉を乱した、というわけだ」

『なるほど。確かに月というのは不和・狂気の象徴ですが、そちらではより直接的に月が不和を生み出しているんですね』

 

 キャロルの説明に、マシュが納得したように頷く。

 魔術的・逸話的に見ても月が不安定性を象徴しているという観念は共有しやすい。例えば、月に心を乱されたという伝承を持つ古代ローマの皇帝カリギュラ。カルデアではバーサーカーのクラスで現界している彼は、月の光に狂気を乗せることで狂乱を伝播させる広域精神汚染の力を伝承から獲得している。まさしく今の説明にある不和と戦いを生み出す月の象徴そのものと言えるだろう。

 

「そうだ。そして言葉の通じぬ相手を殺戮するためにと、異端技術によって造り出されたものが人間のみを殺戮する自動兵器『ノイズ』だ。常時位相を変化させることで物理干渉を無効化し、人類と接触することで諸共に炭素転換で炭となる一体一殺が特徴と言えるだろう」

「……ってことは、ノイズって人が作ったんだね」

「ああ、ノイズは人が人を殺すために作り上げたものだ。決して超存在が人類を減らそうとしたとかそういうものではない。人が言葉を、音を共有できなくなったという事実を体現しているソレに名をつけるとするなら、正に『雑音』が相応しかろうよ」

 

 キャロルの皮肉に、立香は納得と哀しさを覚えてしまう。彼女だって人間が理解できないものを恐怖し、排除しようとすることは理解している。理解しているが、それでもやはりどこか認めたくないところではあった。

 立香の心の沈みを無視するように、キャロルは言葉を続けていく。

 

「このノイズと異端技術の結晶たる聖遺物等を用いての殺し合いが続いた結果、先史文明は崩壊した……と、考えられている。世界に残る神話伝承、それに登場する武器防具はこの聖遺物が形を変えて伝承されたものであることが殆どだ」

『ははあ、なるほど。そちらの世界もすごい歴史を歩んでいるってことか。どの世界も大変さは変わらないんだなあ』

 

 話を聞いたダ・ヴィンチは、そう言って嘆息する。

 

「どうやら納得したようだな。で、以降重要になるのはノイズよりも異端技術の方だ。先史以降、つまり現行の技術体系と全く異なる異端技術、及びそれによって造られた聖遺物を制御できれば莫大な力が得られる。となれば、異端技術に対する研究が進むのが世の道理だ」

 

 キャロルの言葉に、立香たちは無言で肯定する。

 聖遺物とはつまり、彼女たちの世界で言うならば宝具やソレに類する立ち位置の代物だ。もし本来の担い手ではない人間にも宝具を扱う術があったら、その術を研究する人間がいないほうが不自然だといえる。

 

「現行まで続く制御研究としては幾つか種類がある。まずは科学技術による制御、これはアメリカの研究機関F.I.S.が進めていたものだ。次に異端技術の知識を受け継いだオレたち錬金術師が用いる錬金術。そして、そこのシンフォギアに用いられている櫻井理論だ」

「櫻井理論?」

 

 1つ1つ指を折って挙げるキャロルに、立香が疑問の声を上げる。科学技術、錬金術は一般的な用語として知っていたが、櫻井理論だけは聞き覚えがなかった。

 

「ああ、櫻井了子という人間の提唱した聖遺物やノイズの仕組みを総した理論だ。この理論により構築されたシンフォギアは、歌によって聖遺物を起動させ、またノイズの障壁を調律することが可能になっている」

『……うーん。歌によって、ていうのがなんとも言い難いというか……』

 

 キャロルは予想できていたようで、立香の疑問に淀みなく答える。立香はソレを聞いてなるほどーと納得したが、モニターに映るダ・ヴィンチは困惑の表情を浮かべる。

 もっともそれも予測していたのか、更に言葉が続いていく。

 

「当然だろう。今までのはこの世界の歴史だが、歌によって云々はこの世界の法則の話になる」

『……では、それがフォニックゲインということなのですか?』

「ああそうだ。詳細は省くが、フォニックゲインとは人が大なり小なり持っている想いの力であると考えればいい。波長・出力に個人差が大きく、また複数人の共有感情による共鳴で出力が大きく上昇するという特徴がある」

「あれ、フォニックゲインって言う割に歌じゃないの?あ、それとも共鳴って合唱するってこと?」

「いや違う。違うが、そうだな……あながち、間違いでもないといえば間違いでもない」

 

 立香の素朴な疑問に対し、キャロルは即否定したものの、言葉を続けたその表情は難しいものだった。

 何か問題でもあるのかと立香がシンフォギアを実際に使う装者たちに視線を向ければ、どうやら地味に難問だったらしく、彼女たちも何と言ったものかと考え込んでいた。

 その中で響だけがあまり深く考えずに、パッと顔を上げて言い放った。

 

「うーんと、ね。きっと、歌が言葉を超えるからだと思うんだ。歌が皆の手を、想いをつなげるから、だからフォニックゲインって名前なんだよッ!」

 

 多分ッ!と言い切り、どうだと言わんばかりの笑顔を浮かべた。

 立香は一瞬面くらい、次いでそのとおりだとばかりに破顔した。

 

「響ちゃんの考え方、すっごいいいと思う!きっとそうだよ!」

「うんうん、そうだとも。豊かな旋律、美しき歌声は生物としての琴線に触れるモノだ。もはやソレだけで共有言語と言ってもいい。

 我らが音楽魔術の祖たるギリシャのオルフェウスに至っては、大岩や荒海すら感動させ動かす程だからね。正に歌こそ統一言語の再現だろうさ」

 

 まあ実際は魔術的にどうにかしたのかもしれないけど、とにこやかな笑みでオチを付けるアマデウス。冗談交じりに締めたその言葉からはしかし、彼の音楽に対する誇りが感じられた。

 

「……まあ、感情の出力媒体として優れており、かつ言語を超えた原始的な共感を促す『歌』という要素に着目したネーミングには違いない。事実、櫻井理論が生まれるずっと以前から、聖遺物の起動に対する歌の研究は錬金術と二分するほどだったからな」

『なるほど。フォニックゲイン、たしかに私達の世界にはない法則に違いなさそうだ。しかし、そこの子たちのように一々歌い続けなければならないってのは不便じゃないかい?』

 

 シンフォギアを纏う間、装者たちは間断なく歌い続けている。デモノイズによって歌が途絶えさせられた際の弱体化ぶりを見れば、歌がなくてはシンフォギアを稼働させられないことは明らかだった。

 聖遺物の稼働が延々歌わなくてはならないという制約が必要となる道具とすれば、そんな不完全なものをカストディアンが作るとはダ・ヴィンチは到底考えられなかった。

 

「シンフォギアに使われている聖遺物はただの欠片ですから、励起させ続けるため歌わなくてはなりません。故にシンフォギアは誰にでも扱えるものではなく、聖遺物に適合する歌い手……我々のような適合者が戦場に立つのです」

「これが無欠の聖遺物……完全聖遺物なら話は別だがな。完全聖遺物は起動に必要なフォニックゲインが多い代わりに、ある程度の相性差はあれど一定以上の出力が得られればどんな歌でも起動させられる。更に一度起動した完全聖遺物は永続的に稼働し、誰でも──フォニックゲインを使えない者ですら扱えるようになる。

 創造者たるカストディアンは超文明の担い手だ。一度励起させるだけのフォニックゲイン程度なら手間取らなかったということだろうさ」

 

 翼の説明に、キャロルが補足を加える。聖遺物という存在の特性、特にも完全聖遺物の埒外のスペックにダ・ヴィンチは思わず口笛を吹いた。

 

『ははあ。カストディアンってのはこっちの神代に負けず劣らずぶっ飛んでるってことかあ。でもまあ、欠片しかないシンフォギアでさっきの立ち回りをするんだから納得するしかないね』

「まあ、シンフォギアはただの欠片よりは出力が大きい。フォニックゲインにより出力を増幅させることで、機械式制御より高出力かつ高安定性を保つことができる……歌そのものが安定性に欠けていると言えばそうだが」

 

「ほへー。……あ!それじゃ、響ちゃんたちがさっき動きが悪くなったのって……」

 

 立香は何かを理解したかのように響に目を向けた。余談だが、先程から響にナチュラルにちゃん付けしていた。

 

「うん、さっきのデモノイズ……魔神チュー?だっけ、それの歌がなんか、こう……」

 

「……先程も言ったが、聖遺物の適合に必要となるのは歌、心根、感情だ……根本的に適合係数が高い必要があるがな。

 そちらの音楽家の言うとおりなら、デモノイズと合体している魔神柱の流す精神をかき乱す歌を聞いてしまえば、適合に必要な要素を恣意に捻じ曲げるということにもなる。

 聖遺物との適合は基本的に命懸けだ。先程は動きの鈍化程度で済んだが、適合係数が更に下げられるというなら反動で血を吐いて倒れてもおかしくなかっただろうよ」

 

「……ッ!」

 

 キャロルに聖遺物との適合に係る危険性を改めて説明され、立香は背筋が凍る。

 考えてみればアレだけの力を発揮できる以上、扱えなかったときの反動があるのも当然であり、キャロルの言うとおり「鈍化程度」で済む内に介入できたことに今更ながらに感謝していた。

 

「あ、うん。多分私達の歌に対する感覚が変わっちゃって……。ちゃんとした私の胸の歌じゃなくなっちゃったから、ガングニールが歌に応えなくなっちゃったんだと思う」

『ガングニールッ!?まさか、北欧の主神オーディンの魔槍「大神宣言(グングニル)」が響さんのシンフォギアに?』

 

 マシュが驚きの声を上げる。確かに聖遺物が神々の遺物であるとは聞いていたが、それが主神級の神格の武装すらも現代の兵装として使用されているという事実はマシュを驚愕させるに十分な事実だった。

 

『あー、そう言えばシンフォギアの聖遺物について聞いてなかったね。聞いてもいいのかい?』

「……本来は秘匿すべきではありますが、現在は緊急事態ですから。私のシンフォギア、それに使用される聖遺物は天羽々斬です」

「あたしのギアはイチイバル……まあ、こっちで付けた名前なもんでよ、厳密にそういう名前で伝承されてるやつじゃないけどな」

 

 翼とクリスが相次いで使用される聖遺物について語る。

 天羽々斬は日本神話でスサノオが使用した剣であり、ヤマタノオロチ退治に使用した武装であるとされている。

 クリスの語るイチイバルはそのまま「イチイ」の「(バル)」……北欧の狩猟神ウルの使用したイチイの弓の聖遺物にそういう呼称を付けたものである。

 

『ガングニール、天羽々斬、イチイバルか……すごいね、どれもこれも結構なビッグネームだ』

「北欧系が多いねえ。皆かわいい女の子だし歌も上手いし、さしずめ現代のってところかな?」

 

 さすが異世界、神話の武器も大盤振る舞いだぜとのんきに笑うダ・ヴィンチ。そのモニター横ではアマデウスが何か満足気に頷いている。

 

「案外そうでもないが……まあ、いいだろう。さて、あとは哲学兵装だが……まあ、これは聖遺物に輪をかけて不可解な代物と言えるだろうな」

「ふ、不可解なんです……?」

 

 キャロルの語り口に、思わず立香がゴクリとつばを飲み込む。

 

「そうだ。哲学兵装とは人々の想念の結晶と言える存在、『そうあれかし』と願われることで『そうある』ように変質した……いわば概念そのものを付与された存在だ。特殊な機能もない物品すらも変化することもある。兵装とは名がついているが、別に武防具に限るものではなく……?おい、どうした?」

「いつ聞いても不思議だよね……って、立香ちゃん?」

 

 話の最初では明らかに身構えていた立香が、今は明らかに肩透かしを食らったかのように脱力している。

 思わずキャロルと響が何があったのかと確認すれば、すごくホッとしたかのように笑顔を浮かべていた。まるでわからない授業を受けていたと思えば唐突に得意分野に移ったかのようなその姿に、キャロルは首を傾げた。

 

「あ、あはは……。いや、私達の世界にもすっごい似たようなものがあるから馴染みやすくて……。一体どんなのが来るかと思ってたから一気に気が抜けたというか……」

『あー、まあねえ。神秘学とか魔術とか、そういったのと凄まじく縁深いからね。私たちは概念武装と呼んでいるけど、それと近い在り方のようだ』

 

 先程までの話し合いでは聖遺物とかフォニックゲインなど、立香の常識からかなりかけ離れているようなそうでもないような説明ばかりが語られていた。半端な理解度でなんとか頷いてた立香としては、彼女の知るモノに近い哲学兵装の登場にようやく話を理解して聞けそうだと胸をなでおろした。

 ダ・ヴィンチの言うとおり、魔術の世界には長くに渡り積み上げてきた共有観念……所謂概念に基づいた物品が存在する。概念武装と呼ばれるそれらは魔術儀式や歴史の積み重ねにより力を増すため、基本的に古く神秘的なもの程強力である。

 例えば英雄ジークフリートの魔剣バルムンクであれば、竜を殺した逸話が古くから、多くの口で語られたことから「竜」に有利な効果を得られる。逆に、強力な銃でワニを殺してもそれは概念武装たり得ない。概念を得るまでの共有観念・信仰あるいは歴史が足りなすぎるのだ。

 

 ……全く余談ではあるが、例外的な立ち位置に居るのが作家のサーヴァントである。

 英霊の座に名を残すまでに至った作家である彼らは、人々に伝承・観念を共有・伝達するスペシャリスト。そんな彼らが物品あるいは人員について書き記すということは、世界に新たに共有観念を生み出すようなものである。それこそ概念付与(エンチャント)と呼ばれる技術であり、魔術による強化とはまた微妙に異なるものでもある。

 

 

「わかるのならそれで良い。拍子抜けだが、しかし魔術を扱うというのであればそういう観念について詳しくとも当然だろう。

 さて、色々あったがこれで事前説明は終わりだ。………で、ここからは()()()()に何があったのかという話になる」

 

 

 立香が先程までと異なり案外しっかり把握できているようだったので、キャロルは哲学兵装の説明を打ち切り、今まで何があったのかを話すことにした。

 『この世界』と強調しているということもあり、ここからの説明はカルデア勢はもとより、響たち装者も知らない内容であることが読み取れる。自然と、この場の面々は姿勢を整え、キャロルの話を聞き漏らすまいと集中した。

 

 

「現代に転生した終末の巫女フィーネによる月破壊計画『ルナ・アタック』、1人の英雄狂の人類救済計画『フロンティア』……。事変の詳細は今は置いておくが、これらの事変により世界は二度破滅しかけた」

 

 キャロルの言葉に、装者たちは黙って頷く。立香は月破壊だの英雄狂だのなんか若干ヤバそうなワードが出ていることにそこはかとなく興味をそそられたが、取り敢えず話を聞く姿勢を取り続ける。

 

「……歌女共は驚かないか、そうだろうな。オレがオレとして表舞台にいること、それは先の事変の発生とほぼ等価だ」

「ってぇと、やっぱ手前はこっちの世界でもトンデモやったってわけか?」

 

 クリスの問に、キャロルは微かに、だがしっかりと頷く。

 

「……そうだ。オレはフロンティア事変で人類に齎されたフォトスフィアを用いてこの世界の全てを解剖せんとした。

 魔法少女事変(アルケミックカルト)とこちらで名称付けられたこの一件がそちらでどう呼称されているかは知らんが、起こった内容としてはそこの装者共の世界でも同じだろう。イチイバルがエルフナインの心配をしていたからな」

 

 キャロルの独白に立香は目を見開く。世界を滅ぼそうとした、なんて彼女の聞いたことのある不穏なワードの中でも指折りにまずい言葉である。

 思わずキャロルの後ろにいた響たちを見るが、響たちの目は憐憫と後悔が混ざったような複雑な色合いを浮かべていた。どうやら昔のゲームのボスキャラみたいな単純な話ではない(当然だが)ということに気づき、キャロルに視線を戻した。

 

 そんな立香の目線を見やったキャロルは、何事もなかったかのように言葉を紡いでいく。

 

「オレはかつて、世界を知るために世界を分解しようとした。経緯は省くが、オレの解すべき命題──『世界を知る』ためにな。

 世界を余すこと無く識るために、数百年の時を掛けてワールドデストラクターを建造した。世界すべてを腑分けすることで、そのすべてを詳らかにするためにな。……まあ、復讐のメスを入れたかったという気持ちも多分にあったがな」

 

 改めて語られるキャロルの話に、響たち装者は複雑な目線を向ける。エルフナインからある程度の話は聞いていたが、直に語られると何とも言えない気持ちになっていた。

 

「……復讐?」

「そうだ。世界の分解はその時のオレにとっては正当な復讐だった。いや、今でも半ば以上は正当なものだという気持ちは拭えん。──だがそれもそこの装者共によって頓挫した……心が挫けさせられたというべきだな」

 

 キャロルの独白が続く。かつての事件について異なる結末を迎えたという事実に、響は複雑そうな表情を浮かべる。

 この世界のキャロルは、この世界の自分たちによって(過程はどうあれ)復讐を止めさせられたということ。逆に言えば、その過去を聞いている自分たちには成し得なかったことを実現した世界であるということだ。

 もちろん、キャロルが助かってくれた事自体は響にとっては喜びでしかない。だが同時に、今ここにいる自分たちがキャロルを助けられるはずだったのに助けられなかったという事実を突きつけられていた。

 

「とすると、この世界ではキャロルは降伏の呼びかけに応じたということか?ならば、並行世界としての分岐はそこに端すると見るべきか……」

「おそらくはな。だが、あそこでオレが心変わりしたことには今でも……。いや、まずはいいだろう」

「?」

 

 翼の推論にキャロルが言葉を濁す。何かおかしなことがあったかと視線を向けるが、キャロルは何でもないと首を振る。

 

「……まあ、結局オレは投獄・処刑される立場になった。だが大犯罪者であったオレは同時に、錬金術師として研鑽を積んだ数百年の智慧があった。

 オレは錬金術を国防に役立てたいと考えた風鳴訃堂によって秘密裏に政府に引き取られ、研究を提供する代わりに生存させてもらう契約を交わした」

「──ッ!お祖父様が……ッ!?」

 

 キャロルの態度に疑問をいだいていた翼だが、その口から自身の祖父の名が出たことで思わず問い返す。そんな翼に言葉を返すことなく、キャロルは視線だけで雄弁に肯定してみせた。

 翼の祖父である風鳴訃堂は、国家の裏の重鎮であると同時に、良くも悪くも国粋主義者な人間である。孫娘の翼も愛情を注がれた記憶は一切なく、国のためなら肉親すらも利用する姿ばかりが思い起こされる。なるほど彼ならば、今後の護国のためにとキャロルを利用することぐらい想像をつけるのは容易かった。

 

「ああ、そこでオレは錬金術の知識と技術の研究・伝達と同時に1つの事柄に力を入れた。──それが、死に瀕していたエルフナインの救命だった」

 

 その言葉に、装者たちに緊張が走る。彼女たちの世界でもエルフナインは致死に近づいていたことがあったが、何らかの手段(エルフナインいわく、キャロルを受け継いだということらしい)により健康体として生還した。そして、その選択の結果としてキャロルは存在が消滅していたことも彼女たちは知っている。

 だからこそ、キャロルが生きているこの世界にあって、エルフナインがどういう道を辿ったのか。気になる響たちは思わず息を止め、キャロルの話を聞き入る態勢に入った。

 

「エルフナイン……って、どんな人なの?」

 

 そんな彼女たちの様子を伺いながらも、恐る恐る立香が質問する。先の話に出ていた用語も気にしていたが、その後に出てきた装者たちの間ではとても重要なキーパーソンっぽい名前が出てきてからはそっちが気になってしまい、悪いと思いながらも彼女は話に割り込んだ。

 

「エルフナインは、記憶の転送複写用の躯体として製造したホムンクルスだ。オレが死んだときにオレの記憶を転送複写し、新たなオレを作り出すためのな。

 ……結局、期待されるだけの精度がなかったからその用途には使わなかったがな」

 

 その言葉に、立香は声にならないため息を吐く。額面を見ればあんまりな言葉であったが、その中に複雑な感情を感じた立香は言葉を続けられなかったのだ。

 

『あー、そういう予備って大事だよねぇ。まあ私だったらそもそも別生命として自我・意志を持ちうる構造のソレを予備躯体に採用するのは色々とどうかと思うけど』

「そもそも予備って考え方もどうかと思うんですけどダ・ヴィンチさんッ!」

『あ、気軽にダ・ヴィンチちゃんと呼んでくれていいよ響ちゃん』

「え、いいんですか?じゃあ僭越ながら……ダ・ヴィンチちゃんッ!」

『うーんこのノリ、結構な逸材と見た』

 

 どこかズレた発言をするダ・ヴィンチに響が突っ込む。お互いのノリの良さとか生来の天然さとかが相まってやたら漫才めいた掛け合いとなっていたが、そこには互いのスタンスの違いが読み取れた。

 響たちや立香のような真っ当な倫理観があればそもそも死んだときの予備を用意するという発想がおかしいのだが、悲しいかな魔術師に真っ当な倫理観はなかった。レオナルド・ダ・ヴィンチは魔術師としては極めて良識的ではあるが、それでも常人に比べて人道のハードルが低いところは否めないところだった。

 

「エルフナインは必要な精度にこそ達さなかったが、それでもある程度の錬金術を運用できるだけの躯体に仕上がっていた。

 故に最初はシャトー建造の任につけていたが、そんな環境で尚真っ当な感性・倫理観、そして根性と図太さを身につけたエルフナインをオレは使えると感じた。

 そこで、オレはエルフナインを用いてS.O.N.G.の情報を把握するための無自覚なスパイとして利用させてもらったりもした」

 

「根性と図太さも身につけたんだ……っていうか、なんか聞いている限りだと、もしかしてキャロルちゃんって手段を選ばないタイプ?」

「なんだ、今更気づいたのか。手段を選ぶ人間が世界を分解しようとするわけ無いだろうに」

 

 立香の思わずなつぶやきに、キャロルは呆れたように返す。

 

「で、だ。オレはそこのシンフォギア装者……まあ、厳密にはそこの奴らとは世界が違うんだが、まあそこのシンフォギア装者共と戦い、その最中でエルフナインも大きく負傷。

 エルフナインもオレと同じく……いや、ある意味オレ以上にパパから祈りを、遺志を継いでいたことを知ったオレは、瀕死のエルフナインをどうにか救ってやろうと考え風鳴訃堂の誘いに条件付きで乗ったということだ」

 

 その努力は結果を実らせなかったがな、と淡々と語るキャロル。その冷めたような態度はしかし、キャロルの無念の現れであると響たちは元より立香たちにも理解できてしまった。

 

「……だが、なぜだ?エルフナインの負傷が我々の知ってるレベルならば、現代医療ならともかくキャロルの錬金術であれば治らないということは……。まさか、お祖父様が何か……ッ!?」

 

 キャロルが取引をした、という己の祖父が何らかの手管を用いたのではと零す翼。

 国連の組織であるS.O.N.G.に錬金術師を置きたくないということで見殺させたのではないかとの疑いから出た言葉に、しかしキャロルは首を横に振る。

 

「いや、違う。エルフナインは……」

 

 やはり言いづらいのか、少しの間目を瞑り一呼吸置くキャロル。

 僅かな間の後、決心がついたのかキャロルは目を開き、装者たちに視線を合わせ口を開いた。

 

 

「……エルフナインは、治療を拒否して死んだ。オレの錬金術治療だけではない、S.O.N.G.の技術はおろか一般的な医療すら拒否し、そのまま……な。有り体に言えば、消極的な自裁を選んだ」

 

「──、え……!?」

 

 告げられた言葉に、響は思わず思考が停止した。

 

「なんだとッ!?てめえ、嘘、を……ッ」

 

 嘘であれと願うかのような言葉がクリスの口端に上るが、しかしその声音を聞けば、クリスがキャロルの口から告げられた言葉を真実であると理解していることは明々白々だった。

 しかしそれでも、クリスは信じたくなかった。キャロルの言葉が真実である、つまりエルフナインが自殺を選んだということを認めるなんて、クリスには出来なかった。

 

「……嘘なものか。ソレが真実であるのはオレからすれば疑いようはない」

「……ッ!」

 

 しかし、キャロルの言葉はそんなクリスの想いを両断する。

 

「そして、だからこそ。エルフナインが己が命を絶つに足る理由が何処かにあるはずだとオレは考えた。

 先程も言ったがアレは繊細なようで意外と図太い。余程誰かの迷惑になるようなことでもない限り、自殺なんて選ぶぐらいなら生きて役立つ道を選ぶようなやつだからな」

 

 何かを言わんと口を開きかけたクリスにかぶせるように、キャロルは言葉を継いでいく。その言葉には確信がはっきりと表れており、キャロルがどれほどにエルフナインのことを理解しているかが伺えた。

 キャロルの言葉に、翼が腑に落ちたという表情で腕を組んだ。

 

「……なるほど。こちらのエルフナインが我々の知る彼女と同じ性格であれば、事態の解決に安易に命を捨てて終わり、とするような人間ではない。

 そんなエルフナインが死を選ぶには、相応の理由があったということは自明……」

「そうだ。そしてそこのカルデアの言うことが真実なら、その原因は十中十で件の魔神の仕業と見ていい」

「えっ!?十割確定!?」

 

 キャロルがあまりにも堂々と断言したため、立香は驚きを顕にする。

 確かにエルフナインの件と現状とで関連を見出すとすれば行き着く先は魔神関係だろうが、先程から聞いてたエルフナインの性格を考えれば、自殺よりもそれこそ生きのびて対策を練りそうなものだと立香は思っていた。

 

「あ、あの~……キャロルちゃん?十割断言しちゃうと後に引けなくなっちゃうよ?」

 

 そしてそう思っていたのは立香だけではないらしく、響が控えめな挙手の後に質問する。こんな場所でも妙に学生らしい行動をする響に、立香は(割りとどうでも良いところで)感心していた。

 響のどこか頓珍漢な心配にちらりと視線を向け、キャロルは間髪入れずに口を開く。

 

「ここで後に引いてどうする。というかオレが倒れていたのは、死んだはずのエルフナインがデモノイズを従えた上でオレを強襲してきたからだ。

 まあ、とどめを刺される前にエルフナインがバルベルデにいるパヴァリアの連中を始末しに行ったからどうにか生き残ったがな」

「……は、はぁッ!?エルフナインが……って、おいとんでもねー事言い出してんぞてめえッ!?」

 

 クリスが思わず突っ込む。エルフナインの人となりを知る響と翼もまた、先程以上に驚いていた。

 

 一方、そのキャロルの言葉を冷静に噛み砕いていたのはアマデウスだった。しばらく考え込んでいたが、やがてまとまったのか口を開いた。

 

「ああ、なるほど。ソレでさっきの自殺に繋がるってことか。察するに、エルフナインは魔神に魅入られ、依代に近いものにされかけたんだろう。だから究極的に自分を利用させないために、と自死を選んだんじゃないかな?」

 

 アマデウスは言葉を疑問形で終わらせたが、しかしそうであろうという確信が言葉から響く。

 その声音の中の真実を理解した翼は、僅かに顔を曇らせた。

 

「そういうことか……。だが、エルフナインの少なくとも身体が攻撃してきたということは、結局エルフナインの目論見は……」

『破綻したんだろうね。魔神は状況によっては死骸すら依代として行動できるから、キャロルが戦ったというのはそういう手合ということだろうさ。』

 

 ダ・ヴィンチの言葉に沈黙する一同。無音の静寂の中、周囲には怒りと悲しみの感情が漂う。

 今回の異変で戦う相手はエルフナインの死体に潜む魔神であると、この場の面々は実質的に理解している。そして同時に、その体は最期まで世界のために命を賭けたエルフナインのものである。

 その遺体を操り悪を成す魔神の行動は、守るために自分できることをやり切ったはずのエルフナインを無駄と嘲笑うかのようであり、つまりはこの場の者の逆鱗を逆撫でるようなものである。

 エルフナインと面識のない立香たちですらも、その人となりを聞いた後では魔神の怒りがこみ上げてくる。況や装者たちをやである。

 

「……ってぇことは、だ。あたしらがやるべきことが決まったな」

「ああ、目標はエルフナインに潜む魔神の撃破だ。デモノイズを統率しているのが魔神であるなら、それが一番手っ取り早いだろう」

 

 獰猛な笑みを浮かべたクリスに、同調するように翼が応える。

 

「うーん、取り敢えず目的と言うか目標がはっきりした、というか魔神柱の所在らしいのがすぐにわかったのはよかったけど……」

 

 一方の立香はといえば、若干不安そうな表情を浮かべた。

 今までの亜種特異点では、そもそも魔神柱がどこで何をしているのかといった部分は早期には判明せず、諸々の問題を解決したり謎を解き明かすことで在処を突き止めることが多かった。

 そういう意味では今回のように、最初から居場所あるいは依代がわかっているというのは稀有な例であり歓迎すべき点ではあるのだが。

 

「……立香ちゃん?どしたの、なにか気になることがあったの?」

「あー、いや、確かに最終目標は翼さんやクリスが言った通りなんだけど……」

 

 言葉を濁す立香。その消極的な態度に響は怪訝な表情を浮かべたが、ふとある事実に思い至り、キャロルに向き直る。

 

「……ねえキャロルちゃん、エルフナインちゃん……じゃなくて、魔神は今どこにいるって言ったっけ?」

「中米のバルベルデだろうな。ヤツの去り際のセリフを聞く限り、パヴァリアの連中があそこでレジスタンス活動をしていたようだからな」

「だよねぇ……」

 

 キャロルの身も蓋もない言葉に、響はがっくりと肩を落とす。

 その後ろでは立香もそうだろうなとため息を吐く。最初にバルベルデ(尚、この地名を聞いてダ・ヴィンチは『行くまで11時間はかかりそう』などとつぶやいていた)にレイシフトしたならともかく、今から海を遠く隔てたバルベルデに行くとすれば大きくタイムロスすることは目に見えている。よしんば行けたとしても、そこにエルフナインがいる保証はどこにもないのである。

 

「っていうか、それなら早くサンジェルマンさんたちを助けに……ッ!」

「パヴァリア光明結社を助けに……?一体貴様らどういう……ああいや、今からバルベルデに行くとすれば……ふむ」

 

 響はキャロルの肩を掴み、乗り出すように言い募る。

 キャロルはそんな響に内心で首を傾げながら、仮に助けに行く場合の計算を始める。

 ほんの僅かだけ沈黙したキャロルだったが、やがて結論が出たのか口を開いた。

 

「……いや、やはり無理だな。手持ちのジェムでパヴァリアに座標固定しているものがない以上、転送事故の恐れがある。ましてこの異常の中だ、平時より事故率は高かろう」

 

 キャロルはそう言って手元のテレポートジェムをちらつかせる。錬金術によって作成されるテレポートジェムは、距離に関係なくゼロ移動する転送器具である。

 しかし、転送先の座標をしっかり指定登録しないテレポートジェムは転送事故で空間の位相差空間に迷い込む可能性がある。もしそうなれば脱出不可能であり、如何に低確率といってもとても許容できるリスクではなかった。

 なお、この後ろでは『テレポート出来るとか異世界の錬金術ってすごいなぁ』とモニターのダ・ヴィンチが何処か不貞腐れたかのようにぼやいていた。

 

「で、でもッ!!」

「聞けッ!話が途中だったが、この世界で何が起きているか、だ。

 いいか、今この世界はデモノイズの湧き出る"魔都"による世界崩壊に向かっている。バルベルデと東京を含め、世界に10の魔都が構築されているッ!世界の10箇所で此処と同じだけの地獄が作られていると心得ろッ!」

「──ッ!魔、都……ッ!?」

 

 キャロルの口から出た"魔都"という単語を噛み砕き反芻するかのように、響はその言葉を口から零す。その様子を見れば彼女の知る言葉ではないことは明確であり、装者たちとキャロルの並行世界間の差異を最も際だたせるものであることを如実に示していた。

 

「魔都、って……そういや場所も近いしまさか……」

『いや、場所は確かに新宿区近辺であることは否定しないけど。ただ状況が違いすぎるからね、かつてのそれとは同語を使っているだけだろう』

「だよねー。ってことは、結局どういう仕組で何が起きるかがわかんないってことかあ」

 

 立香はどうやら聞いたことがある単語だったのか関連性を見出そうとしていたが、その前にダ・ヴィンチに否定される。

 かつて経験したそれもまた一種の地獄であったため、そうでないことは喜ばしかった……が、どちらにせよキャロルの言う通り地獄のような状況には変わらない。

 むしろどういう構造かが不明な分、まだしもかつての魔都の再現のほうがマシだったかもと立香はため息に盛大に感情を乗せた。

 

「なにか経験や情報があるかは知らんが、この国や米国によって暫定的に魔都という呼称が付けられた10の領域こそ、魔神の計画の要である可能性が極めて高い。

 詳細は今は省くが数や配置も重要なようだからな、何処か一箇所でも機能不全に落とし込めればヤツの計画を盛大に遅らせられるだろう」

『……なるほど、その可能性は高そうだね』

 

 堂々と断言するキャロル。その彼女の言葉から何かを把握したのか、モニターのダ・ヴィンチは表情を引き締める。

 

「故に、だ。もしサンジェルマンを助けたいなら、まずは他の魔都を攻めるべきだろう。奴はたとえ釣りだと解っていてもそれを無視できないからな」

「あ……そっか、サンジェルマンさんから魔神を引き離せば……」

 

 

 

 

 

 

「────引き離れて欲しいか。では、その欲を叶えよう」

 

 

 

 

 

 

 背筋に怖気が走る。唐突なその悪寒の正体を求め、響は弾かれたように背後に振り向いた。

 先程まで何もいなかったはずのそこには、錬金術の光による紋章が閃いている。テレポートジェムの輝きは其処に現れた人影を一瞬だけ、しかしこれ以上ないほどに血染める赫で照らし出す。

 

 そこに立っているのは、響たちがよく知っている姿。深くかぶったフード付きコートの内側には、この世界に来るときに自分たちを笑って見送ってくれた、儚げで、しかし明るく強い少女の貌。

 しかし、その相は全く異なる。その顔は何にも期待していないとでも言うかのような無関心が浮かび、向けられているようで全く視ていないその視線を受けている己等が、まるで背景や書割になってしまったかのような気にさせられる。

 

 瞬間、美しく胸を打つ魔の旋律が響く。まるでその存在に付き従うかのように現れたデモノイズが吹弾器官を起動させる。

 

 その場にいた全員が、瞬時に臨戦態勢を執る。

 誰もが理解していた、デモノイズを引き連れるその存在こそがこの地獄の元凶であり──どうしようもないほどに人外であると。

 

「……貴様が何を考え、何を目的としたかは知らんが……」

 

 唐突に現れたその存在に、すでに一度邂逅していたキャロルは口角を上げる。

 戦意も高らかと言わんばかりのその笑みからは、一種虚勢のような、しかし真実それを望んでいたようにも聞こえてくる。

 

 

「現れたな──エルフナイン……否、魔神ッ!」

 

 

 キャロルの言葉を肯定するかのように、キャロルと同一のホムンクルスの姿をした存在──魔神と呼ばれるソレは薄い三日月のような笑みを浮かべた。



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第3節 正義と悪、英雄と魔(1)

「さあて、本日二度目の公演だ!」

 

 その戦いの火蓋は、魔詠を相殺せんとしたアマデウスの演奏から始まった。

 荘厳な真なる魔の旋律に合わせ奏でられるは、魔境に並ぶ人の歌。少女の心を守り援けるその歌こそ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの天才の証明だった。

 

『──異界法則推定、状況計測開始しますッ!先輩、皆さん……どうか無理しないようにッ!』

「もちろん、出来ることからやってくよッ!」

 

 カルデアのモニターから聞こえるマシュの声に、立香はいつもどおり威勢よく応える。

 

「カルデアのマスターか。貴様らの人類史に影響も出やしないというのに、わざわざこんなところまで来るとは御苦労なことだな──労りだ、そのまま消え失せよ」

 

 魔神の口端からは無感情に、しかし何処か辟易したような声が漏れる。

 それと同時にその正面に錬金術の紋章が浮かび、生み出された爆炎が立香を襲った。

 

「──ッ!」

「立香ちゃんッ!?……くぅッ!」

 

 瞬間的に膨れ上がった炎の波は立香の元に容易に届き、その余波で装者たちも一瞬の足止めを余儀なくされる。

 周囲はまるで火山にいるかのような高熱に飲まれ、陽炎と煙が視界を塞いだ。

 

「……錬金術、先の戦いでは使っていなかったな。──だが、『凝視』に比してずいぶんと手緩いようだ」

 

 歪んだ視界の中、涼やかな紋章が輝く。錬金術の輝きによって生み出された水の障壁、キャロルの編んだ術理は四大元素の定義のままに魔神の炎を相殺せしめた。

 その障壁の後ろでは立香が大きく後退しており、とっさの回避行動をとったのか服に土埃がついていた。

 

「……キャロル・マールス・ディーンハイムか。脅威優先度で後回さず、最初の時点で入念に弑しておくべきだったな──」

「よそ見してんじゃねえぞッ!」

 

───MEGA DETH PARTY───

 

 キャロルに攻撃を防がれたことに若干の苛立ちを浮かべた魔神に、お返しとばかりに小型ミサイルの雨が降り注ぐ。

 器用なことに逃げ場を無くすように放たれたミサイルは、一寸のズレなく着弾しエルフナインの姿の魔神を爆炎で覆い隠した。

 

「って、クリスちゃん!まず話を聞こうよッ!?」

「先に手ェ出してきてんのは向こうだろうがッ!あいつの選択科目は肉体言語(ボディ・ランゲージ)だッ!」

 

 そういうクリスもどうやら知り合いの、それも非戦闘員の姿にミサイルを撃ち込むのは若干気が引けていたようだが、それでも銃口をブレさせずに構え続けた。

 この程度で終わるようなら、そもそもキャロルが負けることはない。特殊な条件下であったとはいえ、キャロルはかつて此処にいる装者3人がかりを打ち負かすだけの力を発揮することもあったのだ。

 そんな彼女が勝てなかった相手であると考えれば、牽制ミサイル程度が徹るとはとても思えなかった。

 

「──。そこのカルデアの連中から聞いたのではないか?私は魔の柱、呪の起端。人理を砕く錨であると」

「……判っちゃいたが、無傷かよ」

 

 濛々と立ち篭める煙が、暴風によって一瞬で吹き散らされる。

 その中央に在る魔神は無傷であり、どころかエルフナインの姿身に焦げ目の一つもついていなかった。

 明らかに万全のままであるとわかるその姿に、全員が改めて相手の強度を理解した。

 

「だというのに、まずは話を、とは。全く、識っていても驚かされる」

 

 響のクリスへの静止を聞いたのか、明らかに呆れと取れる声音・表情を浮かべた魔神。その穏やかともとれる様子に、鋒を交わした装者たちは困惑する。

 目の前の存在は未だ人外としての存在感を強調するかのようにそこに在るというのに、その口も態度も意外と人間らしく、また理性ある挙動をとっている。先制攻撃された以上は警戒を怠る気はなかったが、事前に悪魔だなんだと言われていた割には真っ当な態度をとるような相手に、一瞬だが毒気を抜かれたような気になる。

 

(あ、あれ……?この魔神、意外と話が通じそう……?)

 

 そして、装者たち以上に驚いたのは立香である。焼かれかけた彼女は内心でヒヤリとしながらも表に出さず、怯えそうになる心を叱咤し勇気を奮い立たせていた。そんな緊張の精神状態に対して魔神のこの反応である。

 今まで散々魔神を見てきた立香だからこそ、目の前の魔神が嘘偽りなく呆れ、かつ攻撃もせずに嘆息していることが解る。

 様々な問題や責任問題はあるものの、もしかすれば、交渉で話が終わらせられるのでは……と、彼女が淡い期待を抱いてしまうのもしょうがないと言える程、目の前の魔神の行動は魔神のテンプレートから逸していたのである。

 

「でも……私は、あなたの話を聞かせてほしい!だって、何も知らないうちから戦いだけで解決なんて、そんなの納得出来ないよッ!」

「そうか。ならば、まずは伝えるべきことがある」

 

 響の訴えに、腕を下ろす魔神。まさかの行動続きに、次に何を喋りだすのかとその場の者たちが身構える。

 少女の姿に潜めた魔神は、若干の瞑目の後に口を開いた。

 

「理解は無用だ、速やかにこの世界から消えるがいい。私は、貴様らの退去を止めないことを約束しよう……カルデアのマスター、そしてシンフォギアの唄い手よ」

「……ッ!」

 

 その口から出た言葉は、明確な対話の拒絶。魔神の独特な瞳に浮かぶ突き放すような感情に、響は思わず口を噤んだ。

 

「人を守る防人として、この状況を捨て置くなど出来よう筈も有るまいッ!」

『それに帰れ、とはまた随分と唐突で予想外な回答だね?それに、この計測反応──』

 

 言葉が止まった響をカバーするかのように、翼の激昂するような声が鳴り渡る。その裂帛に続くように、ダ・ヴィンチが言葉を継いでいく。その言葉からは、魔神であろう相手を測りかねていることが読み取れた。

 

(そうだ、なんで見逃すの?私達を見逃す意味はどこに……?生かす必要?殺さない必要?ううん、なにか違う気がするけど……)

 

 話を続けるためにとダ・ヴィンチの口にした疑問は、立香も同様に不思議に感じたところである。相手の魔神が撤退を認めることは、彼女の記憶上無かったことだ。

 強いて言えば第4特異点で諦めるよう言われたことはあったが、その時は結局止めを刺され終わっていたようなものなので立香の中ではノーカウントである。

 魔神からすれば、立香たちが妨害者である以上殺したほうが都合がいいに決まっているのだ。勿論、妨害たり得ないというなら排除することもないだろうが、であれば撤退を薦める理由がない。

 考えれば考える程思考が詰まっていくような感覚を覚え、立香は袋小路を振りほどくように首を振る。

 

(でも、このまま相手の言う通り撤退なんて出来るわけがない。そんなことをしたらこの世界は焼却……かはわからない。でも影響が出ないって保証もないし、特異点になったら私達の世界にも影響が出るかもしれない。やっぱり、止めるしか──?)

「──違う」

 

 勧告を無視すれば、今度こそ戦いが始まるだろう。心中が戦闘に傾きかけていた立香の耳に、強い意志を感じる声が聞こえる。

 声の主、立花響は決然と顔を上げる。そこには聞いた声と寸分違わぬ、むしろ声以上に強い意志が宿っていた。

 

「理解がいらないなんてことは、絶対にないッ!」

「!?ひ、響ちゃん?」

「だって、本当に理解がいらないって思っているなら──そんな辛そうな表情をする必要なんてないッ!」

 

 叫ぶような想いの発露が辺りに響く。唐突に感情をぶつけられ、わずかにだが魔神の表情が揺らぐ。そう、揺らいだのだ──響の言葉を肯定するかのように。立香はまず何よりその事実に驚きを感じていた。

 先程までの魔神の表情は立香にとっては無表情に近いものであり、魔神という理性の局地的な存在であるからこそ、それも当然だろうと思いこんでいた。

 だが、その揺らいだ顔には図星を突かれたかのような苦々しさが浮かんでいたのだ。まるで本当に"辛い"と感じていたかのようなその反応に、立香は心中の戦意が少し萎むのを実感した。

 

 立香の心中の変化を当然のように置いておき、響は尚も魔神に詰め寄る。

 

「────」

「ねえ、教えて?どうして──どうして、あなたは──ッ!?」

 

 凄まじいまでの死の予感に、響は元より其処にいた全員が全力で飛び退った。なお、立香は子ギルが抱えていた。

 瞬間、魔神の目に輝きが瞬く。複雑な魔術陣が瞬時に形成され、錬金術の炎を超えた絶対的な焼却の一撃が閃く。その炎、焼却式の一撃は先程まで彼女らがいた領域を跡形なく焼き消した。

 

「立花響。ガングニール。繋ぐ力、私の思考すらこじ開け繋がんとするか。だが、構うものではない」

 

 魔神の言葉が辺りに広がる。その口調こそ変わっていないものの、先程の語り口と異なる声色からは明確に苛立ちが伝わる。

 

「交渉は決裂だ。今此れを以て貴様らを焼き尽くす。そこの錬金術師は当然のこと、シンフォギアも、魔術師も等しく我が凝視によって滅ぶがいい」

 

 魔神の瞳が輝き、再び昏い炎が放たれる。焼却式と呼ばれるその術式は、世界を焼く魔神の凝視の極小再現。正面から受けてはシンフォギアでも到底耐えうるモノではない。

 

「──よし、装者の皆の援護ッ!」

「分かりました。しっかり捕まっていてください、マスター。そしてキャスター」

 

 立香の指示に、サーヴァントたちが迅速に行動する。

 子ギルが立香とアマデウスを抱え跳躍する。腐っても……むしろ熟して無くても英霊は英霊。筋力値も敏捷値も常人を遥かに凌駕する彼は、人2人を抱えたまま魔神の攻撃を回避するように空中機動に専念する。

 

「了解、さあ、『andante(歩くような速さ)』で来るといい!」

 

 アマデウスの音楽魔術、一種の遅滞術式が発動する。放たれた炎が大きく減速し、立香たちは余裕を持って射程圏外から逃れた。

 当然そんな彼らより機動力に優れる装者たちもまた炎から逃れ、戦闘態勢を取った。

 

「ねえ、話を……ッ」

「落ち着けバカ。まずふん縛って、そっから事情を聴取するぞッ!」

「~~、わかった、まずはッ!」

 

 尚も対話を試みたがる響を、クリスが諭す。

 強い戦意を見せる魔神相手に対し心が揺れていては勝てるものではない。そう言外に語るクリスの言葉を正論であると理解し、頭を振って切り替える響。

 理解を諦めないにしても、まずはお互いに冷静になれるようにすると心に決めた響は、高らかに胸の歌を歌い上げる。

 

 響の様子を見て問題ないと判断した翼は、刃を構え魔神を見据える。

 

「立花は持ち直したか。──ならば、初手にて一閃仕ろうッ!」

 

───颯ノ一閃───

 

 鋒を魔神へと向けた無我の構え。駆けたその速度は風の如く、シンフォギアの力と本人の力量が見事に調和したその剣は音を凌駕し魔神を袈裟懸ける。

 回避せんとする魔神だが、その肉体は所詮非戦闘用の脆弱なホムンクルス。幼く脆いその肉体では瞬間的な動作を取ることはままならず、防人の刃をその身に受けた。

 

「──手応えが過ぎる。異様な頑強さ、それが魔神としての力ということか?」

 

 剣を振り抜かんとした翼が、その刃を見つめる。通常状態のシンフォギアとは言え、幾多もの戦場を駆けたその剣は全く信頼に値するものであり──故に、振り抜くことすら出来ず、その体表で止められていることの異常性をその身をもって噛み締めていた。

 

「翼さん、下がってッ!とぉりゃああああッ!」

「援護するよ──『vigoureusement(元気よく)』!」

 

 足を止められた翼のフォローとして、ブースターを吹かせて響が突撃する。そこでダメ押しとばかりにアマデウスの歌が響の肉体に強化の術式を付与することで、そのマフラーすらもスラスターと変化させ一気に加速した。

 

「……成程。そこの英雄王が攻撃してこないということは、この場で直接戦闘できる者はシンフォギアと錬金術師のみというわけか」

 

 そのまま拳を叩きつけんとする刹那、魔神はそうつぶやき、酷薄な笑みを見せた。

 瞬間、刃で相手を抑え込んでいた翼の足が崩れる。何事かと響が思う間もなく、周囲のデモノイズから荘厳な歌が鳴り始めた。

 

「──ッこれは、魔詠ッ!?だが、先刻のソレとは──ぐ、うッ!!」

 

 それは先程のデモノイズのみの演奏と比べれば一聴瞭然と言わんばかりの音量・精度、そして情感が込められており、その干渉力の高さを前にして、翼は一気に力を抑え込まれていた。

 当然その魔詠の影響は響にも現れ、一気に失速し転倒、地面に体を強く打ちつけた。

 

「ちぃッ!おいモーツァルト、あたしらに──ッ!」

「ああ、勿論!歌で感動させるのは良いけど、無理矢理は良くないとわかって欲しいもんだよね!」

 

 強力な魔詠を前に、穏やかなクラシックのような楽曲──魔詠を相殺するために編み出されたアマデウスの無銘の曲が響き渡る。

 その音楽を聞くことで自身の歌・感性を取り戻した響と翼は、魔神の反撃が来る前に飛び退き構え直す。

 

「この場で最も警戒すべき対象が、まさか戦闘すらままならないとは。秩序の違う世界というのは、随分と都合がよく回るものだ」

「……んだそりゃ、あたしらはハナからアウトオブだってのかッ!?」

 

 (内面がどうあれ)外見は小学生高学年程度の少年と比較され、戦力として下と扱われることにいい気もしないクリス。

 そんな彼女を、魔神は鼻で笑う。小さく大人しいエルフナインの見た目でソレをやられることで、クリスの怒りのボルテージは否応なく上昇する。

 

「眼中の内外、という意味では眼中の内だとも。面倒だが、視野に入れねば焼くのも手間だからな」

「~~抜かしたなッ!」

 

 魔詠の響く中、ソレを押しのけんばかりにクリスは唄う。イチイバルのシンフォギアは装者の意を汲み、銃砲雷火を浴びせかけた。

 

「……ッ!これは……ッ!」

 

 その出力にクリスは驚く。

 シンフォギアの力を引き出すには、己の感情を旋律と変え、合わせて歌うことが力となる。

 故に感情を歪ませる魔詠はシンフォギアの性能を大きく阻害する事になり、逆にアマデウスの旋律は感情・自己を確固たるものとし、尚後押しする。

 アマデウスの旋律が魔詠を無力化する仕組みについて、彼女たちはそう聞いていた。

 

「すごい、これがモーツァルトさんの……」

「なるほど、まさに音楽の天才──否、鬼才ということか。しかし、この歌は……」

 

 そして魔詠が強力であるほどに、ソレを無力化するアマデウスの旋律はより効果が強いものへと切り替えられていく。

 クリス同様に旋律を受けた響や翼は、その歌に宿る力──そしてその危険性にも気づいていた。

 

「ああ、君たちの危惧しているとおりさ。僕の曲も、本質的には魔詠と何ら変わらない──人の心に干渉している歌であり、君らには正常値以上の負担を強いることになる。あまり長い間やる訳にはいかないから注意してくれ」

「承知した。ならばこそ、刹那の合間に刃を懸けるまでッ!」

 

 翼は剣戟を振るい、再び魔神との戦闘に身を投じる。先の一閃と遜色ない速度を実現しながら尚精緻な技量の冴えを見せるその姿は、正に一振りの剣と呼ぶにふさわしいものだった。

 そんな翼に遅れを取るものかと、響が連携に入る。年若い少女でありながら年季の入った連携戦技は、お互いを邪魔するどころか力を相乗させるほどだった。

 

「……力の向上もさることながら、連携能力に補正がかかっているな。成程、同一の楽曲をベースとして歌うことによる効果といったところか」

 

 前衛の2人を一切巻き込まないように、かつ高精度のミサイルやガトリングの鉄雨、クロスボウのエネルギー矢を放つクリスを見ながら、キャロルがそう独語する。

 同一の曲を全員で歌うことによる連携強化、というのはキャロルも見てきたものではある。だが、今回のソレは外部の歌をベースとして自分たちの歌を唄うという特殊な状況。これはアマデウスの歌のパート部分としてそれぞれの曲を合わせている──というより、それぞれの曲がうまく入るようにアマデウスが楽曲を調節しているという方が正しい。天才の面目を躍如とする技量である。

 なお、これは別にアマデウスだけの力ではない。というのも、今戦っている装者たちは互いの連携強化としての技術であるユニゾンについて訓練を積んでおり、互いの歌の相乗により出力を向上させることを可能としている。

 一方キャロルの世界では、キャロルが目を光らせていたために装者たちはパヴァリア光明結社と大規模衝突に至っておらず、従って特殊なパワーアップをすることもなかった。

 結果、彼女たちがユニゾンと呼ぶそれをキャロルは一部を除いて知ることはなく、単純にアマデウスの楽曲の力であると誤認しただけである。

 

 

『──それにしても、不可解です』

「マシュ?」

 

 その戦闘をモニタリングしながらのマシュの言葉に、立香が首を傾げる。現状立香が出来ることは殆どないため、せめて戦場を俯瞰し相手の兆候をいち早く補足することに注力していた。

 だからこそ、マシュの不可解という言葉が気にかかった。

 相手の魔神はエルフナインという少女の肉体に入ったまま戦い続けている。通常の魔神柱とは全く異なる戦闘形態だが、特に立香が気になるような異常な行動を取っているわけではない。

 キャロルと似た姿からは錬金術が放たれ、魔神としての眼光からは凝視が放たれる。それらは当然といえる攻撃であり、不可解と呼べるものだろうかと立香は疑問に思った。

 

『先輩。おかしいと思いませんか?こちらからはそのエネルギーを明確に観測できるわけではありませんが、先のデモノイズが使用していたスキルをあの魔神は使用していません』

「スキル?──あ」

 

 確かに、と立香は納得する。確かにデモノイズは魔詠を使用しているし、その力でシンフォギア装者たちを苦しめているのはそのとおりだ。

 だが、デモノイズの魔詠の用途は別にあるものであり、装者への精神干渉は副次的なものであると彼女たちは認識していた。

 

「確かに、フォニックゲインによる強化をあの魔神は使用していない。不可解といえば確かにそのとおりだが……」

 

 キャロルは考え込む。フォニックゲインの利用手段をいろいろと模索した彼女は、逆に利用しない理由が何処にあるのかを考え始めた。

 フォニックゲインというのは、利点ばかりではない。例えば手と手を繋ぐという特性のギアを纏う響なら、周囲のフォニックゲインを束ねた必殺スキル「S2CA」を持つ。その技による逆転を恐れたのでは、とキャロルは最初に考えた。しかし、すぐに頭を振る。

 

(いや、違うな。S2CAは強力であり、エクスドライブもまた然り。だが、原理上フォニックゲインを際限なく利用できるという魔神ならば純出力で上回れる筈)

 

 先程のカルデアとの話を統合すれば、相手方の魔神は音楽という概念そのものを纏め扱う化外そのもの。自分のように心中に譜面が浮かばないがために様々な工夫をこらす必要はなく、その出力で劣るようなことは基本的にありえない。

 事実周囲の雑兵のようなデモノイズが雑にフォニックゲインを生産・利用している状況を見れば、響によるフォニックゲインの利用を警戒しているわけではないことはすぐにわかった。

 逆に言えば、デモノイズが可能なことが今の魔神では不可能であるその理由こそが、一縷の可能性に繋がるとも言えた。

 

(待てよ、S2CA?……エルフナインは、オレと同様に適合係数はカス同然。となれば、シンフォギアに類する聖遺物武装はありえない。ファウストローブを纏っている様子もない──となればッ!)

「──そういうことか。聞け歌女共ッ!身体が調整されていない"エルフナイン"の肉体に入っている現状こそが、最大の勝機だッ!その肉体は──歌に耐えきれないッ!」

「──ッ!」

 

 キャロルの叫ぶような言葉に、魔神が僅かに眉をひそめる。装者たちはその言葉の意味を一瞬考え、次いで理解した。

 フォニックゲインというのは膨大になればなるほどに肉体的に負荷を及ぼすものである。事実フォニックゲインを利用するシンフォギア・システムは、当人が使用できるレベルを超えないように総数301,655,722種類のリミッター・ロックが施されているほどだ。

 先程の例に上げたS2CAでも、エネルギーを再配置するシンフォギア『アガートラーム』がない状態で使用すれば命が関わるような技であり、アガートラームがあったとしても肉体面の負荷はかなりのものとなる。

 

 勿論、魔神そのものは音楽魔という概念を持つ可能性が高いことからフォニックゲインをそのまま負担なく利用することは可能かもしれない。だが、肉体であるエルフナインという脆弱なホムンクルスはそうはいかない。

 聖遺物に対する共振性を持つ者──適合者ではなく、錬金の秘奥ファウストローブによる負荷軽減もなく、魔神の生来の技術である魔術に対する適性も当然ながら在るわけもない。

 そこでS2CAを超える程の膨大なフォニックゲインを纏ってしまえば、そのエネルギー全ての負荷がエルフナインの肉体に跳ね返ってくるということである。そうなれば、魔神はエルフナインの肉体を瞬く間に失うことになる。

 

「てことは、今なら取り押さえられる!」

「……私がこの肉体を捨てるということは考えもしていないようだな?随分とまた考えが足りていないと見える」

 

 意気を揚げる響に水を指すように魔神が嘲る。が、響はそんな魔神の言葉を意にも介さない。

 

「考えてませんッ!そんなことしないと思いますッ!」

「────」

 

 堂々とした響の宣言に、思わず呆然とする。思いますの一言で断言するその姿勢はいっそ清々しいものを感じさせた。

 

『──まあ、確かに捨てられるならとっくに捨ててると思うけどね。でも、こちらの観測データを精査した結果、ソレは無理だろうことは把握できた』

 

 そんな響の様子に苦笑しながらも、しかし(相手の内実はともかく)その見立ての確度を高めるようなことをいうダ・ヴィンチ。

 

「ダ・ヴィンチ女史、なにか判明したのですか?」

『判明していいことかはわかんないけどね』

 

 とりあえず事実だけは伝えておかないとね、と前置きするダ・ヴィンチ。

 

『彼女からは魔神の魔力はあっても魔神柱としての霊基の反応がないのさ。つまり、受肉体を捨てて、本来の魔神──守護霊体として人に憑依している。で、受肉した魔神、魔神柱としての霊基の反応はそこらのデモノイズから強く反応している』

「!それって……」

『そう、かつての魔術王と同じというわけだ──遺体に取り憑いてることを含めてね。だけど、憑依体たる魔神は使役される使い魔だから、主がいないと成立しない。つまり──』

 

 ダ・ヴィンチの言葉に、魔術王と魔神を知らない装者やキャロルも実情を理解し始める。

 召喚魔である魔神は、それを召喚する人間がいない限り現実に介在できない。今の状態が「エルフナイン」を主としているならば、そこから離れるには受肉の工程を踏まなくてはならないということである。

 

「──なんだ、本当にふん縛るチャンスってわけかよッ!」

 

 クリスが猛々しい笑みを浮かべる。他の面々も大同小異な姿勢で、魔神へと向き直る。

 その様子に、魔神は嘆息する。

 

「……やはり厄介だな、カルデア。そこの楽師の歌もそうだが、この世界の人間が知りえない私について理解されていると、単に実力が優れているよりも面倒だ」

 

 フードを深くかぶり直したその姿からは表情が見えない。だが、声音からは感情が──隠しようもない苛立ちが伝わってくる。

 

「そうだ、そもそもカルデアさえいなければ、他の連中は抗しえない。レイシフト対象であるマスターが消えれば、楔を失ったサーヴァントは消滅し、座標を失ったカルデアは私を観測できない──ならば、狙うは1人のみだ」

 

 フードの下の目が輝く。錬金術の紋章に変わり、魔法陣──魔神が使用する術式を示す魔術王の陣が展開される。

 

「消え失せよ、魔術師──」

「ッ!させるものかよォッ!」

 

 今までの簡易な焼却式を超える極大の炎が放たれんと輝く。世界そのものを焼き払うとする魔神の眼光を防がんと、キャロルは水の障壁を展開する。

 キャロルがかつて受けたソレと比すれば規模が縮小しているものの、それでも万全な自分でどうにか受けきれるかどうか、という炎。まして現在は想い出の大半を消失させ、内在魔力の消耗も激しい状態である。これは受けきれない、とキャロルにはわかってしまっていた。

 

『ッ!先輩ッ!たった今、ラインが通じましたッ!だから──ッ!』

 

 だからこそ、立香はどうすればいいかはわかった。かわいい後輩からの言葉に、間髪入れずに右手を掲げる。

 視線が炎となり、立香を焼かんと迫る。とっさに翼は逆鱗を放ち、防火盾としてキャロルと魔神の間に突き立てる。その剣身は瞬時に赤熱し、その数瞬後には貫通した。

 クリスは相手の火の威力を弱めんとしてリフレクターを展開する。光学系ではない攻撃にはそう長く持たず、僅かに炎をそらしたのみで融解した。

 僅かに減衰した劫火がキャロルの水障壁へと到達した。水でできた錬金の壁は多少持ち堪えたが、生成を遥かに上回る勢いで蒸発した。

 そして、最後の砦たる純粋な紋章障壁が消し飛ばされんとするその瞬間。

 

「────来てッ!」

 

 炎が閃く。錬金術を超える人理焼却の炎が立香を飲み込むその刹那。単純で、何よりも力強い立香の呼びかけが辺りに響く。

 

 彼女は英霊をサーヴァントとして使役するマスターであるが、そこに魔術による契約を通じた上下関係はほぼ存在しない。

 人に従えられる存在ではない英霊。義と約定、己の心に則り彼女と共に戦わんとして召喚に応じた者たち。

 

 だからこそ、彼女を手助けしてやろうとする彼らが彼女のその言葉に応じるのもまた必定だった。

 

 

 

「……我が剣は、此処に。『一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!」

 

 

 

 輝かしきは黄金の剣閃。対軍絶技と名高いその光は、聖者の奇跡のごとく魔神の炎を左右に切り裂いた。見れば、紋章陣の前に立つのは長身の男性。優男とも取れる顔は、守護の決意に満ちている。

 

 剣閃によって炎が晴らされる。先の男性が炎を切り払うまでに炎を受けていたはずのキャロルの紋章陣は、崩壊どころか更に強い輝きを放っている。

 そこに刻まれしは、輝かしき原初のルーン。大神オーディンが叡智により発掘した魔術刻印は、キャロルの紋章と相乗し極めて強固な防御壁として機能した。

 

「ああ、マスター……御無事な様で、何よりです……」

 

 キャロルと立香の間に、更に人影が増えている。剣を振るった男性に比べれば背こそ低いものの、声音から解る性別を思えばかなりの長身だった。

 どういうことだ、とキャロルがあたりを見回すと、そこに竪琴の音色が響く。アマデウスの歌に似て、それでいて非なるその竪琴は、疲労してたその場の少女たちに癒やしを与える。

 

「やれやれ、全く。これはまた随分と奇妙なことになってるね」

 

 現れた人数は、全部で3人。特殊な術陣──召喚陣の輝きが消え、彼らは立香のもとにと立つ。

 

 

「サーヴァント・セイバー、ベディヴィエール。これよりこの戦場にて、私が貴女を守りましょう、マスター。我が銀の腕にかけて」

 

「サーヴァント・ランサー……ブリュンヒルデ……。マスター、私も一緒で、いいですか?」

 

「サーヴァント・アーチャー、ダビデ。ああ、勿論異世界であろうと僕はやる男さ」

 

 

 カルデアから遠く離れたこの異世界。だが、その異世界と縁深い英霊ならばラインを通じて召喚できる。

 

 立香がこの世界に降り立って数時間。その数時間で、彼ら英霊は世界との縁を確たるものとした。理由は様々あれど、彼らにとってやることは1つ。

 剣を、槍を、杖を。世界を守るため、サーヴァントたちは魔神に武装を向けた。



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第3節 正義と悪、英雄と魔(2)

「サーヴァント、って……」

 

 召喚されたという彼らに、響は呆然としたようにつぶやく。

 サーヴァントとして呼び出された彼らは、それぞれ独特な風体をしていた。

 

「おっ、かわいい子ばかりだ。──ああ、君はもしかしてアビシャグ?アビシャグじゃないか!」

「ちょ、なんだよッ!?アビシャグって誰だよッ!?」

 

 開口一番そんなことをのたまい、いつの間にかクリスの側に立つのは、緑の軽装に羊飼いの杖を持つ男性。

 その真名はダビデ、古代イスラエルで常勝の王と謳われた偉大な王……なのだが。

 

「ちょっとダビデ!結構危機的状況なんだから真面目に!」

「おっと怒られてしまった。だがマスター、僕は結構真面目だよ?」

「わかってるけどすごく真面目に!」

 

 逸話でも語られる通り、彼は結構な女好きでもあった。尚、アビシャグというのは彼の老年期の妻の名前である。

 そんな姿に、戦闘中だと言うのに妙に力が抜けてしまう。

 飄々としていて掴みどころもなく、だからこそ周りの心を過度な緊張から解き放つという意味では彼もやはり優れたサーヴァントであると言えるのかもしれない、などと立香はいつもどおり平常運転なダビデにそう思う。無論呆れ半分だが。

 

 一方、そんなダビデに免疫のない装者たちは呆れ半分疑念半分な視線を向けていた。戦士である以上に年頃の少女たちである、是非もない。

 

「……あれが、ダビデ王、か?藤丸の言葉を疑うわけではないが……」

「ったく、あんなんじゃただのエロいおっさんじゃねーかッ!あんなんがゴライアスに勝てたのかよッ!?」

「気持ちは判らなくもないが、こっちとあっちを一緒に考えるべきではないぞ、雪音」

 

 翼はダビデの絡みから逃れてぼやいていたクリスを苦笑しながら嗜める。

 あの態度はどうかと思うが、それでも立ち姿は堂々としたもの。力を入れすぎず抜きすぎずな態勢で魔神に視線を向けている彼を見れば、なんだかんだサーヴァントとして力を有していることは翼には十分把握できた。

 

「それに、他の2人を見てみるといい。まさしく英雄、というに相応しい振る舞いを見せている。ダビデ王とて、いざともなれば我ら同様に戦場に立つ戦士たる姿を見せてくれるだろう」

「まあそりゃあ解るけどよ……」

 

 そういって、クリスは目線をダビデ以外のサーヴァントに向ける。

 一人は騎士然とした甲冑を纏った線の細く見える青年。ただ、あくまで体格にしては細く見えるというだけであり、長身とそれに見合ったしなやかな動きは確かな強さを感じさせる。

 魔神を警戒しつつ、周囲の敵味方を判別し気を配っている姿を見れば、彼が戦巧者な騎士であるとひと目で解る。解るのだが……。

 

「……なあ、ベディヴィエールって誰だ?」

 

 そう、ボソリと呟くクリス。世界史に出てくるギルガメッシュや音楽の授業に出てくるアマデウス、聖書に登場する有名な王であるダビデと違い、クリスはベディヴィエールという名に聞き覚えはまったくなかった。

 どう答えたものか、と翼も己の記憶を探り始めたところで、キャロルが代わりに答えた。

 

「サー・ベディヴィエール。アーサー王伝説に登場する騎士で、隻腕義手だったと伝えられているな。通常の騎士の三倍の力を持つとされるが、他の騎士に比べれば伝承は少ない。歴史自体は他の騎士より古いがな」

「はは、確かに仰る通りです。ですが御安心を。不肖ながらこのベディヴィエール、円卓の騎士に相応しいだけの戦いを見せましょう」

 

 キャロルの解説を否定せず、その上で己の力を示してみせると涼やかな笑みで豪語するベディヴィエール。そんな彼に応えるように、その銀腕が燐光を見せる。

 

「!はい、よろしくおねがいしますッ!」

 

 その姿に映画的なかっこよさを見たのか、響がテンションを上げる。

 気合を入れ直す響をよそに、クリスは召喚された最後の1人である、巨大な槍を持つ女性へと視線をずらす。

 

「で、あんたが……」

「……ブリュンヒルデ、と申します。ワルキューレが長姉、クラスは、ランサーです」

 

 ランサー……ブリュンヒルデの姿は独特なものだった。女学生の制服のような革鎧の上から、複雑な形状の翼を模した甲冑を身にまとっているその姿は先の2人と比べて尚現実離れしたファンタジーな姿であり、その巨大な槍と相まって神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 

「あっ、お姉さん……ブリュンヒルデさんも槍なんですか?私のガングニールとおそろいですね!」

 

 ベディヴィエールとテンション高めに会話していた響が、ブリュンヒルデが話し始めたということで会話に入っていく。

 が、そんな懐っこそうな響の言葉にブリュンヒルデはなんとも言えない表情を浮かべた。

 

「あ、あの……そうですね、お揃いというにはちょっと……。武装のレベルが、異なりますので、その……困ります」

『そりゃそうだ。あのね響ちゃん、ガングニール……"大神宣言"は北欧の主神にして彼女の父親であるオーディンの必殺の武装だからね?お揃いって言われてもきっと恐縮しちゃうって』

「そ、そうなんですか……」

 

 ダ・ヴィンチのフォローに、そういうものかと首を傾げながら納得する響。自分の使ってる武装が大切なものである自覚はあっても、凄まじく高位のものである自覚はあまりないようだった。

 なお、ブリュンヒルデの妹達である正式量産機なワルキューレには大神宣言のレプリカが配されており、ある意味ではブリュンヒルデは武装面で冷遇されている。

 

『って、そうじゃないや。ベディヴィエール卿の宝具で相手の攻撃ごと大斬撃をぶちかましたみたいだけど、反応は未だ健在だ!』

「!」

 

 その言葉に、全員が魔神のいた地点を注視する。濛々と立ち篭める砂埃の向こう側、そこにはゆらりと人影が映り込んだ。

 相手方の消耗度合いがわからない内に闇雲な攻撃をするのにためらいがあったか、下手に手を出さずに様子を伺う。

 

 やがて間をおかずに錬金術の緑の光──風の属性の術式により砂埃が吹き飛ばされた。

 

「──我が剣をその身で止めましたか。姿こそ幼けれど、やはり魔神というわけですね」

 

 砂埃の中から、魔神が姿を現す。

 見ればベディヴィエールの絆の聖剣の一撃は大地に浅からぬ割れ目を造り出していたが、魔神が立っていた時点でその割れ目が途絶えており、斬撃を止められたことを否応なしに理解させられる。

 

「だが、無傷とは言えぬようだな?」

 

 キャロルの言う通り、魔神は今までと異なり纏うコートが破れ、その下の皮膚も裂傷が見える。

 裂傷の下からは筋肉や血管ではなく、グロテスクな彩色の眼球が覗いていた。視覚的な悍ましさに思わず響たちは息を呑む。

 

「──成程、エルフナインの身体を操っているとはそういうことだったか……ッ!」

 

 親しい知己が得体の知れない怪物に取り憑かれたという実感がより強くはっきり湧き上がるその姿に、翼が怒りを抑え切れないかのようにそう漏らす。

 装者たちの中で、できることなら彼女の肉体だけでも魔神から開放してやりたいと願わないものはいなかった。しかしエルフナインに取り憑いて離れない現状こそがチャンスであるため、彼女たちにとっては業腹だがこのまま戦い続けなくてはならない。

 言葉に表せない感情を抱きながら、ここからどう戦うのかを打ち合わせんと立香に視線を向ける翼。

 

「わぁ、あのコートって一張羅なんだ……って、なんで魔神柱が詰まってるの!?どういう事!?」

『あー……ちょっと初めて見たね、これは。あとあれは厳密には魔神柱──受肉したソレが詰まってるんじゃなくて、遺体に取り憑いている憑依霊体を一時的に実体化したものだろうね。本来なら伝承上の姿が出そうなもんだけど、魔神柱を辞めて日が浅いのかな?』

「──何?どういうことですか、ダ・ヴィンチ女史」

 

 魔神の様子に慌て、あるいは興味深いような様子で警戒するカルデアに、翼は訝しげな様子を見せる。そんな彼女に、ダ・ヴィンチが手短に説明する。

 本来魔神の因子を継いだ、あるいは魔神を呼び出す依代たる人間は肉体はそのままであることが基本であるらしく、受肉体である魔神柱を召喚するまでは人と変わらない強さ、あるいは強度しかない。

 だからこそ、あの魔神のように薄皮の下に魔神がいるなんてことは基本的にありえない──との説明に、翼は眉をひそめる。

 

「となれば、あれは……」

『ああ。おそらく焼却式を放った直後で宝具を防ぐだけの防壁を展開できなかったんだろう。直撃を受ければ憑依体のエルフナインの肉体ごと両断されかねないから、緊急的に霊体を盾にして損傷を最小限に留めたってことだ』

「……図らずとも、あれが肉体を捨てられないということは証明されたということか。だが、なぜエルフナインの肉体にそこまで執着する……?」

『そっちに魔神の因子を継いだ人間がいるわけないだろうから、そこら辺はなんとも……。鋳造したのはキャロルなんだろう?なにかわかんないのかい?』

 

 ダ・ヴィンチの説明に、キャロルが納得と疑問を同時に示す。が、魔神にはともかくこの世界の事情に疎いダ・ヴィンチは逆に問を返す。

 

「それが判れば苦労はしない。が、エルフナインが自死を選んだことと魔神に関わりがあるというなら、生前から目をつけていたのだろうな。ソレほどまでにあの肉体が重要であるなら、やはり攻撃するのが最善だ」

「あ、やっぱりそうなるよね……」

 

 キャロルの言葉に、若干辛そうに笑う響。同じ見た目のキャロルの顔面をぶん殴ったことのある響だが、どうにもエルフナインは儚いというイメージが付き纏うらしく未だに躊躇している姿を見せる。

 だが、だとしてもやらなくてはならないということも自覚しているのだろう、一歩前へ出て、拳を構える。

 相手が身体を捨てられないということは、逆に言えばエルフナインへの攻撃を全て魔神が代わりに受けんとしているということでもある。霊体である魔神を消耗させれば、取り押さえることも容易になる。下手に抵抗できない内に行動不能に落とし込めれば万々歳、響の望む対話による解決の道に繋がる可能性もあった。

 

「……うん、大丈夫!行きます、援護お願いしますッ!」

「ああ、任せろッ!行って来いバカッ!おいキャロル、てめえもあたしと一緒に後方支援だッ!」

「私は立花に随伴しよう。雑兵デモノイズは私が切り払う、立花は魔神にッ!」

 

 それがわかっているからこそ、辛いことと判っていてもなお、響はその拳に歌を乗せてデモノイズの群れに飛び込む。最初に辛そうな表情を見せた魔神の、その顔をどうにかしたいという思いを抱いて。

 魔神が再び錬金の炎を放ち、デモノイズが簡易的な焼却式を展開する。受ければダメージ必至なソレに、響が突撃することが判っていたであろうクリスがミサイルを反応装甲代わりにとぶつけ相殺していく。

 

「……行動が早い連中だ。それで、貴様らはどうする?」

 

 その様子を、彼女らのコンビネーションにワンテンポついていけなかった立香に尋ねる。訪ねた当人はクリスの指示に理があると考えたのか、錬金術で氷の槍を造り魔神の炎と相殺していた。

 

「え、えーっと……ブリュンヒルデ、ベディお願い!ダビデはクリスやアマデウスと一緒に遠距離から支援ッ!」

 

 援護、と言われてとっさに誰をどう配分するかを決め、慌ててサーヴァントに指示を出す立香。

 

「ええ、それでは……私は、彼女に供しましょう。お父様の槍を担う、最新の槍乙女(ゲイロルル)に」

「それでは私は、あちらの剣を携えた女性の支援に回ります」

「ようし、僕の華麗な竪琴と投石で色んな所が素敵な彼女はきっとメロメロさ!今日の帰りは遅くなりそうだ!」

 

 立香よりよほど軍略・戦意等に溢れていた彼らは立香の指示に即応し、それぞれの立場でやるべきことを決めそれぞれ走り出した。

 ちなみにダビデ以外の面々はダビデのクズ発言に「それはない」と内心で思っていたが、言っても無駄とわかっていたから無言を貫いた。時間消費を恐れた彼らの英断が光る。

 

 

「……くッ!やはり、デモノイズの壁は分厚い……ッ!」

「これじゃ、あの子のところにたどり着けない──ッ!」

 

 先んじて突撃した響たちだったが、指揮者デモノイズとの戦闘時を上回るデモノイズの総数、及び補完能力に手を焼いていた。

 総体がある限り減少してもすぐに補完されるという仕組みを攻略するために、先程はアマデウスの歌による支援があれば十分な火力を用いた。その時はそれで十分だったが、今はそうできる状態ではなかった。

 

「指揮者が、指示、していたッ、時と比べて随分と組織だってやがるッ!」

 

 休む暇なくミサイルを撃ち続け、喉が枯れんばかりに唄っていたクリスがそう悪態をつく。そういう間にもデモノイズは波状攻撃のように攻撃・牽制・演奏を交互に行っている。

 指揮者デモノイズが機械的に群体を操作──指揮していた時は、只々標的に優先順位を定めた上で突撃・攻撃させていただけだったデモノイズは、魔神によって完全な統制下に置かれていた。

 その挙動は彼女たちの知るとある聖遺物による支配を更に強めたような状態であり、こんな状況ながらも相手が魔神であることを強く意識付けられていた。

 

「くそッ!魔神1柱なら指揮力1/72になって貰わねーと算数成立しねーぞッ!」

「ぼやくなイチイバル。オレたちはまだマシだろうが……とにかく前衛が突破できんことにはこっちも崩れるぞ──っと、奴らの援軍もついたようだ、手並を拝ませてもらうとしよう」

 

 キャロルがそう言って、ちらりと後ろを見やる。クリスもそれにつられ流し見ると、そこには先程もいたイスラエル王の姿。

 ただし、先程のように竪琴や杖を構えるわけでもなく、その手には紐のような物体が握られている。

 

「って、マジで投石器(スリング)かよッ!?ダビデ、そりゃ……ダビデならそうなんだろうけどよ、いくらなんでも場違いすぎねーかッ!?そんなんでダメージ出るのかよッ!?」

 

 遠距離に精通しているからか、ダビデの武装を看破するクリス。見慣れない人間が見ればただの紐にしか見えないソレは、ダビデの逸話を形とした手持ち式の投石器である。弾頭となる石は逸話に含まれていないのか、腰にくくられているのはいい感じの大きさのそこらへんの瓦礫である。

 

「ははは、確かに。だけど、投石器は僕のようなただの羊飼いでも十分な威力を出せる武装だからね、下手な剣よりも便利なのさ」

 

 そう言って、ダビデは投石器に瓦礫を装填(引っ掛ける程度だが)する。そして、響や翼に迫るデモノイズを見据え、投石器を構えた。

 

「さあ、意志無き彼らに慈悲は無用だろう──『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』!」

 

 投石器に装填された瓦礫が、高速回転と魔力の高まりに合わせ燐光を見せる。そして、ダビデのアーチャーとして呼び出された逸話の具現、巨人ゴリアテの急所を撃ち抜いたとされる投擲が5発連続で放たれた。

 放たれた瓦礫はデモノイズの群れを貫通し、響や翼の不意を突こうとしたデモノイズを蹴散らした。その光景に、思わず投げたダビデも若干驚く。

 

「──あれだね。魔神柱の霊基が含まれるっていっても、魔神柱に比べるとだいぶ柔らかいと見た」

「そりゃ、ベースがノイズだしな。ノイズって別に頑丈じゃねーぞ」

 

 一部を除いてな、というクリスの言の通り、見た目こそモンスターめいてるノイズだが実際のところそこまで頑丈というわけではない。位相差障壁こそ最大の防御であり、ソレがないノイズは人間大~数m程度なら携行できるレベルの銃器の火力があれば撃破が可能なほどである。

 そしてノイズをベースに作られているデモノイズもまた、如何に魔神柱の霊基を持っているといえども防御力はそこまで向上できるわけもない。

 まして、神の加護をその身に受けたダビデの膂力は見た目に反して高く、ライオンの尾を掴んで地面に叩きつけるといった伝承があるほどである。そんな膂力から放たれた投石に対して、デモノイズの肉体が紙か何かのように撃ち抜かれることは必然であった。

 若干変則的ではあるものの、ダビデの投石はまさにアーチャーの面目躍如……だったが。

 

「……すぐに補完しやがる、か……」

「こっちの状況は来る直前までは知ってたから、まあそうなるだろうなとは思ってたよ。ただ、相手はデモノイズの補完に魔力なりフォニックゲイン?なりを使っているだろうから、補完させるだけでも本体の消耗とか火力減衰には繋がるさ。あとは前衛に援護に向かった2人と合わせて4人。これだけいれば、十分に勝ちに繋がるとも」

「ダビデ王が言うならそうかもしれんな。ジャイアントキリングが出来るものか、期待だけはさせてもらうとしよう」

 

 先程までのダビデ様子からその言葉に信を置くかはともかく、どちらにせよ後方からは援護射撃するより他はない。彼の言葉通りになることを祈りつつ、キャロルとクリスは後方から錬金術やらミサイルやらを打ち放ち続けた。

 

 

「よし、後方支援が来たおかげで幾分か楽にはなったか。あの投石の力強さ、やはりイスラエルのダビデ王なのだろうな」

「うへー、ギアとか使わないでどうやってあんなスピードで投げてるんだろう……っとぉッ!でも、その分相手もこっちに集中してきましたよッ!」

 

 八極拳のようなそうでもないようなアクション映画じみた動きで眼前のデモノイズを吹っ飛ばす響。

 後方からの支援を受け突破速度を速めた響を抑え込むかのように、デモノイズの群れは魔神との間の直線上に分厚く配置され始める。

 防御に回るデモノイズが増えたために、後方への……特にも実質無防備に近い立香への攻撃を減らせはするものの、どちらにせよ突破できなければジリ貧である。

 それを判っていたであろう翼はしかし、焦るどころか不敵な笑みを浮かべている。

 

「案ずるな立花。ダビデ王が雪音たちの支援に回ったということは、残りの2人がこちらの支援に回るということだろう──と、影が差したか」

「影?──ッ、ぅわッ!?」

 

 翼の言葉と同時に、戦闘中の響に文字通り影が差した。沈まんとしている夕日を遮ったのが何かと響が目線を向けたそこに、響の身長を上回る程の大槍が振り下ろされた。

 

「ああ、すみません。邪魔にならないよう、配慮したつもりでしたが……。大丈夫、当たることはありませんから」

「あ、いえいえご配慮どうもどうも」

 

 その槍の上に立つのは、先程召喚されたランサーのブリュンヒルデ。

 響の動きを邪魔せず、かつ的確にデモノイズを減らさんとするその技量に舌を巻く一方、ちょっと小市民的かつユーモアを忘れない性格なのかブリュンヒルデの言葉に丁寧に対応する響。

 

「それでは、これより私たちも支援に入ります。しかし……響さんが最初に突撃したようですが、なにか考えはありましたか?」

 

 ブリュンヒルデとほぼ同着で前線に踏み入ったベディヴィエールは、ここからどうしたいのかを響に問いかける。

 

「……えへへ、実はあんまり……。でも、魔神さんのことも、願いも。私はあまり良くわかってないから……だから、直接聞きたいんです。そのために今は、今だけは拳を握りますッ!」

「ふふ、ええ、ソレでこそ。お父様の槍に認められている貴女の心根、確かに聞かせてもらいました」

 

 無策であることを堂々と語りつつ、それでも尚と己の意志を表明する響。彼女の純粋さに、ブリュンヒルデは優しい笑みを浮かべて小さく頷く。同時に、一旦場を改めんとばかりにルーンを乗せた槍撃で周囲のデモノイズをまとめて吹き飛ばした。

 

「では、私は響さんに力を貸します。ですので、響さんに、そして残りの方々にやっていただきたいことが」

 

 デモノイズの消滅した僅かな空白、その間にブリュンヒルデは前衛組に向かって1つ提案をする。この状況で、響が突破するための彼女に出来る策を。

 

 

「────と、いう手段です。そのために、私と響さんに時間を頂けましたら、と」

「……やりますッ!」

「相変わらず安く請ける──だがその提案、理があると見ました。立花がやると言うなら、事の是非に及ぶべくもない」

「お二方がいいというのであれば、私も協力を惜しみません。ですが、ランサー。その術式、本当に彼女は耐えられるのですね?」

 

 ブリュンヒルデの提示した作戦はに、間髪入れずに飛びつく響。翼は多少考えはしたが、どちらにせよ現状の打破には無茶も必要かと許容する。

 逆にベディヴィエールは若干の難色を示す。ここらへんはベディヴィエールと響・翼のブリュンヒルデのスキル・術理への理解度から反応が別れた形となった。

 ただ、ベディヴィエールの心配についても織り込み済みだったのか、ブリュンヒルデは首を縦に振る。

 

「ええ、彼女ほどの靭さがあれば。それも、他ならぬ大神宣言を纏うなら尚の事です」

「……であれば、了解しました。ですが決して無茶はしないでください」

 

「では、まず我らが時間を稼ぐッ!」

 

 翼が響の前に仁王立ち、より一層の歌声とともにアームドギアを肥大化させる。空中から大地に向けて蹴り放つが故の天の逆鱗を、平時とは逆に大上段から振り下ろした。

 真正面のデモノイズたちが両断され、剣が叩きつけられた余波でその周囲のデモノイズも動きを止める。

 

「これが、この世界の力──シンフォギア。改めて見るとなんとも頼もしいですね。では、私も今一度。『剣を摂れ(スイッチオン)──……一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!」

 

 変幻自在なシンフォギアに舌を巻きつつ、ベディヴィエールは再び聖剣を輝かせる。銀の流星が黄金に輝き、横薙ぎの一閃、対軍絶技たる光の刃がデモノイズを蹴散らした。

 

「流石ですね、ベディヴィエール殿。私のような未熟者からすれば、その練成にこそ敬意を払います」

 

 そう翼がベディヴィエールを褒める。翼とて一流の戦士であり、ギアがなくとも常人を逸する程度の戦闘力は持っている。

 だからこそギアなどの肉体補助武装を用いずにこれだけの動きが出来る彼らサーヴァント、正に英雄と呼ばれるだけのその力を持つまでの鍛錬を思えばこその言葉であった。

 

「おっと、私の実力が褒められることはあまりないのでどうにも面映い。さて、それでは彼女たちのためにも戦いを続けましょう」

「ええ。──さあ、如何に"魔"が差しているとはいえ、ノイズごときに我ら2振りの剣を止められるものと思うなッ!」

 

 

 翼とベディヴィエールが前線での奮戦を始めた頃。後方支援組及びカルデア組でも戦いながら策を考えていた。

 

『取り敢えず、響ちゃんが魔神に到達することを目的にしているわけだけど……。どうやら前衛組はブリュンヒルデの作戦を採用したっぽいね』

「ってことは、あたしらはバカを守る先輩を更に支援すりゃいいわけだな?っても、後ろからじゃどっち守るにしろ一緒だけどな」

「それはまあ、そうだな──だが、カルデアのマスター。貴様らはなにか考えがあるようだが?」

 

 クリスはそう呟き周りを見やる。

 後方からあまり細やか過ぎる支援をしようとしても逆に火線が減るだけ、無理に翼やベディヴィエールを優先的に守るようなシフトを取るべきではないというクリスの考えに、キャロルは賛同する。

 そのままダビデ、及び彼女らの更に後方の立香たちに目を向けたキャロルは、立香が何かを考え込んでいることに気づき声を掛ける。

 

「うん。あんまり深い考えでもないというか、私は大雑把なアイデアしか提示できないけど。さっきダビデと念話で相談して思いついたんだ。魔詠対策をダビデにやってもらって、アマデウスは強化支援の音楽を演奏してもらったほうがいいかな?って」

「……何?ダビデが魔詠の対策を取れるのか?」

 

 立香の案にキャロルがダビデを見る。いつもどおり飄々とした態度で石を投げていたダビデは、キャロルやクリスに解るように頷いた。

 

「ああ。君らの治癒のためにと最初に奏でた竪琴は僕のスキルでね。僕の竪琴の音色は悪霊を鎮め精神に安寧を与えるものだ。有り体に言えば、この竪琴の演奏は魔詠に対して特効と言ってもいいだろうね」

「……サウル王の悪霊祓いの逸話か」

 

 キャロルはダビデの言葉に、一つの伝説を思い返す。曰く、ダビデ王はイスラエル王サウルに憑いた悪霊を、竪琴の演奏で祓ったというものだ。

 古代より竪琴は悪霊祓として珍重されており、その逸話から派生したものだろうと納得する。

 

「おっと物知り……って、数百年前から生きてるんだっけか。そりゃ知ってるよね。そう、ソレだよ」

「だが、戦闘要員である貴様を支援に回すほどか?それでは単純に火力支援要因が減るが……」

 

 キャロルが疑問を浮かべる。

 立香もソレを考えたらしく、まだ悩んでるんだけどね……と前置いて話し始める。

 

「ほら、クリスもキャロルも砲門が多いでしょ?で、ダビデは石を拾って投げ拾って投げだから効率良い訳でもないし、言っちゃあれだけど居ても居なくてもデモノイズの殲滅にそれほど貢献できなさそうと言うか……」

『事実かもしれないですけど言葉を考えてください先輩!』

 

 身も蓋もない立香の言葉に、確かにと考えるクリス。

 ダビデの投石はその精度・威力は成程大したものであり、アーチャーを名乗るだけはあるとクリスは感じていた。

 だが、装弾数の少なさとリロードの手間、そして何より一発の攻撃範囲が狭すぎるというのも理解していた。

 

「……まあ、な。伝説通りなら、アンタのソレって要するに対人用だろ?いやゴライアスは巨人らしかったから対人って言って良いもんかは人権団体に任せるけどよ。ただ、ソレは群雀を相手取るようなもんじゃないわけだ」

「そうだね。デモノイズってそこまで固くないから宝具並みの火力は必要ない。かと言って僕の前線適性はそこそこしか無い。火力要因としては役者不足なのさ」

 

 クリスの言葉を肯定するダビデ。そして、ならいっそ演奏に手を塞がれているアマデウスに代わり自分が魔詠を防ぎ、アマデウスに装者たちを純強化してもらうほうが総合的な火力が上がると見込んだのだ。

 

「──良いだろう、確かにこのままやるよりかは勝率が高そうだ。ガングニールが勝てるかはわからん以上、少しでも勝率を上げるに越したことはないか」

「だろう?ああ、ちなみに本来は演奏中は槍の命中率がだだ下がるけど、そこはまあ必中の魔槍なわけだし。ブリュンヒルデはちょっと気になるけどし、ガングニールの子……響ちゃんだったかな、彼女のサポートに専念するみたいだし大丈夫さ」

 

 微妙に仲間に気を使ってないダビデはそう言って、魔力で編んだ竪琴の弦を弾き始めた。

 竪琴の名手らしくアマデウスのリズムに更に調和するように奏でられているソレを聞いて、アマデウスの歌と調子を合わせていた装者たちもリズムをダビデの竪琴に合わせ始めた。

 見ればブリュンヒルデたちの準備も出来たようで、一旦配置を仕切り直すにはいいタイミングとなった。

 

「さて、あとはガングニール次第か。どうにか抑え込めるといいが──」

 

 前衛をすり抜けてきたデモノイズを錬金術で吹き飛ばしたキャロルは、期待半分に響たちの策が成功するように祈った。

 

 

「……鬱陶しいものだ。物量に徐々に押されているだろうに、よくもまあ只管に粘る」

 

 槍と剣の進撃に弓の援護。その向こうからは魔詠を中和するようにと編まれた音色が鳴り響く。

 想定を外した敵対、想定以上の抵抗。既に統括局はなくただ一柱の魔神となったソレは、未来予測を悉く乱す彼女たちと精度の落ちた自身の予測能力に辟易していた。

 

「そして、だからこそ。貴様らは私を踏破するための某かを持ちうるのだろう。──だからこそ、ソレを否定する。否定させてもらう」

 

 そして、それでいて尚その魔神は彼女らを見下してはいなかった。

 音楽を司る魔神たるソレは元来から人に対しそこまで苛烈なパーソナリティを刻まれてはおらず、むしろ人の手助けをする立場として構築された魔であった……あくまで相対的には、という程度だが。

 そのためか彼女らを人間だからと侮ることもなく、油断なく戦場を見渡す。

 そうなれば自ずと装者・サーヴァントたちの行動から誰が鍵かが理解出来る。魔神はブリュンヒルデと響きに視線を合わせ、そのまま自身の前にデモノイズを集中させる。

 

「こンの野郎ッ!?この期に及んで穴熊決めるのかよッ!」

「……いや、違うッ!立花、逃げろッ!」

 

「思えば当然だ。私と意思を疎通するなどと宣う愚者であればこそ、私の理解を超えてしまうものだ。だが、それも終わりだ」

 

 デモノイズの演奏が最高潮まで高まる。小型のデモノイズに至っては生産するフォニックゲインに耐えきれずにその素体が崩壊するほどに。

 そしてデモノイズの補完機能を一時的にカットすることで、崩壊したデモノイズが生み出したフォニックゲインはそのまま指揮者デモノイズへと蓄積されていく。

 魔神が土壇場で標的を立香から変えたことにも、装者・サーヴァントたちは迅速に反応する。少しでも多くのデモノイズを減少させようと攻撃するも、デモノイズたちの正面に膨大な魔力で編まれた錬金術の障壁が展開される。

 先程までは影も形もなかったその防壁に、彼女らの攻撃のほぼ全てが弾き返された。唯一ベディヴィエールの聖剣を対人規模に収束させた一撃が障壁を破壊するも、その後ろに展開されていた二重の障壁によって防御されてしまう。

 

「これは──ヘルメス・トリスメギストスッ!?馬鹿な、あの術式が事前準備もなしに……ッ!?」

「準備なら、副次的に終えている。錬金術、占星術、降魔術。そのどれもが、我らにとっては馴染みが過ぎるもの。事を成さんとするならば、その場を最適に整えるのは当然だろう」

 

 魔神がそう言ってキャロルを嗤う。その程度のことに手こずるようなことなどありえないと、魔術の源流たる呪いは言外に語っていた。

 事実、それはかつてのキャロルが編み上げたモノを大きく上回る頑強さを持っていた。魔神と讃えられたソレはその叡智を余すことなく利用し、従来の術式をも遥かに上回る精緻さを持った三重防壁を構成するに至っていた。

 

「まさかこれほどまでとはな……。だが、選択を誤ったな」

「──何?」

 

 己の力を過不足なく評価し誇る魔神に、キャロルはため息とともに告げる。

 その言葉に含まれたキャロルの嘲りとも同情ともつかない感情に、魔神は笑みを潜める。

 

「聞き捨てならないな、何が誤りなものか。貴様などと異なり、我が選択に誤謬などありはしない──貴様らの足掻き、ここで潰えさせてくれるッ!」

 

 その言葉とともに、ついに指揮者デモノイズ以外の全てのデモノイズがフォニックゲインへと還元される。

 そこに宿るフォニックゲインは膨大。その全てを燃料と変え、1つの術式──先程までの焼却式とはまるで規模の違う炎が展開される。

 かつてキャロルが魔神と遭遇したときに受けた一撃、それを更に強化させた絶死の業火が放たれんとしていた。

 

「斉唱の時、来たれり。──さあ、聞くがいい、魔の響きをッ!」

 

 

── 焼却指揮 アムドゥシアス ──

 

 

 それこそは、魔神──音楽魔、アムドゥシアスの名を冠する炎。正しく人理焼却の成し遂げた魔神の眼光の再現。

 周囲のデモノイズの歌を束ねた一撃は、奇しくも響の力のソレに似る。虹の如き極光を放つ灼熱は、響とブリュンヒルデを焼き尽くさんと放たれた。

 

 

「──だとしてもッ!私たちの願いは、想いは──歌は消えないッ!燃えないッ!潰えないッ!」

 

 

 目前に迫る絶望を前に、だとしても、と高らかに謳い。立花響は臆さず拳を突き翳し──炎も結界も、そして指揮者デモノイズすらも無意味とばかりに響の拳は全てを撃ち抜いた。

 輝くその拳には、北欧の神秘たるルーンの光が煌々と存在を示している。18のルーンを以て構築された上級宝具すらも防ぎきるであろう防壁が、立花響の拳を起点として展開されていた。

 

 曰く、ガングニールの穂先にはルーンが刻まれており、その輝きはあらゆる鎧を貫き敵手に届くとされている。

 伝承の通り、ガングニールの穂先──立花響のアームドギアたる拳に刻まれた18の原初のルーンにより、彼女はこの場に至って、通常時を遥かに超える貫通力を獲得していた。

 

 最短距離を一直線に突き抜けた拳は、あまりの事態に動きを止めていた魔神の鳩尾に盛大に突き刺さる。

 凄まじい速度に脱出も叶わずにもがく魔神ごと響は突き進み、拳が刺さるその矮躯を背後にあったビルに叩きつけた。

 

 

「……言ったろう、選択を誤ったと」

 

 瓦礫の向こうへと沈む魔神に何かを思い出したのか、キャロルが何処か痛快そうに吐き捨てた。



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第3節 正義と悪、英雄と魔(3)

「ルーン……ですか?」

 

 ブリュンヒルデの提案を聞き、響は首を傾げる。全く知らないことを如実に示すその態度に、ブリュンヒルデは若干嘆息する。

 大神宣言を担う響がまさかルーンを知らないとは露程も考えていなかったようだ。

 

「ええ、そうです。いいですか、槍乙女(ゲイロルル)。大神の宣を戴くというのなら、せめてルーンについては学んで……」

「待って頂きたい。この僅かな時間では立花に座学は無理です。まずどのような策を講じるつもりなのかを端的にお願いしたいのですが」

 

 戦闘中にもかかわらずにルーンの何たるかを教え込もうとしたブリュンヒルデの言葉を両断し、翼は提案の中身を催促する。

 見れば先の槍撃で吹き飛んだデモノイズが順次補完されており、現状にあまり余裕がないことは誰の目にも明らかだった。

 それをちらりとみたブリュンヒルデは今度こそ明らかにため息を吐き、仕様がないと作戦について改めて説明する。

 

「……分かりました、それでは……。原初のルーン、と呼ばれる刻印を私はお父様より直伝されています。これは強力な魔術であり、10と8(オホド・デウグ)のルーンを全て使用すれば、一度なら魔神の火炎を大きく減衰させられます。また、攻撃に転用すれば城塞すら吹き飛ばすだけの火力を得ることも可能でしょう。ですので、この術式を響さんに刻みます」

「刻むッ!?タトゥーは校則違反になっちゃいますよッ!?」

「落ち着け立花、刺青は彫るものだ」

 

 言葉の物騒さというか、地味な凶悪さに何を思ったのか響が思わず声を上げる。そしてボケを重ねる翼。彼女たちは至って真面目である。

 

「ああ、厳密には刻むのは貴女本体ではなくその身に纏う槍のその穂先、腕を覆う籠手に刻むということです」

「あ、なぁーんだあ。良かったあ、今後の人生お風呂お断りになるかと思いましたよ」

 

 ブリュンヒルデの言葉にホッとする響。論点はそこではない、とのツッコミが出来るのがベディヴィエールだけだが時間に余裕が無いのでぐっと飲み込む。

 

「ですがランサー。全てのルーンをというのは実質的には不可能ではありませんか?光の御子が言うには、ルーンを全て使用する術式には制限がかけられているとのことでしたが」

 

 ツッコミの代わりにとベディヴィエールがブリュンヒルデに確認する。同じ原初のルーン使いから聞き及ぶ限り、原初のルーンはそこまで便利ではない……というより、全てのルーンを相乗させることには危険性があるものだとベディヴィエールは認識していた。

 

「ええ、貴方の言う通りです、セイバー。ですけれど、お父様の槍は元来、その穂先に原初のルーンが刻印されているもの。彼女は見たところ、只人と異なる体のよう。大神の担う(みことのり)を相応しい姿に転じさせても、一度程度なら問題はありません」

「只人と異なる?ランサー、それはどういう──」

「というわけで、全てのルーンの相乗により相手の攻撃を防ぎ、相手の防壁を超え、全てを貫き目標に至る。一回限りの、しかし運命を確実とする槍を以て槍乙女(ゲイロルル)を魔神に向かわせる──と、いう手段です。そのために──」

 

 

 

「って言ってたけど、ほんとに凄いなあこのルーンって。身体がガタガタになっちゃってるけど……」

 

 魔神を殴り飛ばし、ビルに叩きつけた響はそう言葉を漏らす。見れば先程まで鮮烈に輝いていたルーンも役割を終えたことで消滅しており、その手にはいつもどおりの自分の籠手……ただし罅だらけのそれが残っていた。

 

「うへー、ガングニールも私もボロボロだ……。でも、今ならッ!」

「ええ、今の一撃を防ぎ、かつ再生しようとするならば。その間は、魔神は無防備です。話をしたいというのなら、今が好機でしょう」

 

 自分に活を入れる響を後押しするように、ブリュンヒルデが隣に立つ。露払いをしていた翼たちや後方援護に回っていたクリスたちも魔神へと駆け寄った。

 

 

 

「……忌々しい、ここまでの力とは──それで、貴様らは私に何を望むつもりだ?封印か、消滅か。──それともまさか、未だに対話を求めるつもりか?」

 

 本当に心底忌々しいと言わんばかりの魔神の声が、集まった彼女たちに向けて紡がれる。

 

「……私たちと話し合って、手を取り合うことって出来ないんですか?世界皆を巻き込んで、エルフナインちゃんの身体を使って。そこまでして貴方がやろうとしていることが何なのか。それ以外の選択が出来ないのか、やっぱり話し合いたいです」

『って立役者の響ちゃんが言っているからね。まずは対話かな……尤も、再度戦えるようになる前に会話が終わらないなら流石にこっちも手を変える必要があるだろうけどね』

 

 響の言葉に辟易したような感情を向けた魔神は、むしろ理を取っているダ・ヴィンチの言葉に若干安心したような表情を浮かべた。

 

「そうだろうとも、レオナルド・ダ・ヴィンチ。それでこそ理性あるものの行動だ。そうであればこそ読みやすい、聴きやすい。……まあいい、私の話すことは変わらない。貴様らが退去することこそを私は望む、ソレだけだ」

「……ッ。どうして、私たちを見逃そうとするの?必要もなく姿を晒してまでして……そこまでして私たちをこの亜種特異点から排除しようとする理由は何?」

 

 魔神の言葉に立香が問いを重ねる。立香はこの魔神の行動に理由が見いだせないでいた。対話に応じる素振りを見せたと思えば、それを求めた響に攻撃してくる。戦いでは殺そうとするが、そのくせ逃げることは止めないという。

 今まで遭遇し、その意思を聞いてきた魔神たちは何だかんだと行動に一定の指針があった。だが、この魔神アムドゥシアスは大きく異なる、いわば一貫性のない姿に立香は混乱していた。

 立香の問に、ふと考え込むような仕草をとる魔神。なにか理由を求めているようではあったが、やがて首を振り顔を上げた。

 

「……無用なリソースを消耗する理由はない。私の目的に貴様らというリソースは不要である以上、この世界にとどまられて下手に術式に混ざり込んでしまっては困る」

「…………」

 

 魔神の返答に立香は押し黙る。今の言葉、そこには確かに魔神の意志が込められていたと立香は感じていた。

 しかし同時に、彼女はその言葉に妙な違和感も受けていた──それこそ、先程響が言っていたような何某かの心根を隠しているのでは、と疑ってしまうくらいには。

 

「そもそも、貴様らはなぜこの世界に来た?貴様らが無理に観測しなければ、この世界は単独のまま完結したというのに」

 

 が、その違和感の理由を探ろうとする間もなく、魔神から逆に詰るような言葉が吐かれて眉をひそめる。

 確かに魔神の視点からすればその言は正しいのかもしれないが、それならそもそも特異点なんて作るんじゃないと口を開きかけ──動きを止めた。

 

『んん?おいおい私の聞き間違いかなぁ?アムドゥシアス、まさか特異点は私たちが解決しに行かなきゃいけない類のものだって知らないのかい?』

「……知っているが。だが、この領域は明確な座標も薄い、遠い異世界のようなものだろう。放っておいても貴様らに害はなく、手を掛けても貴様らに益はない。そもそも観測すら困難な領域のはずなのに、わざわざ探し出して暴き立てるとは余程暇と見えるが」

「そ、そりゃそうかもしれないけど……。でも、そこで人が死んでるかもしれないってなったら放置なんて出来るわけ無いじゃん……」

 

 合理的に考えればそうかもしれない、そんな言葉を魔神は連々と述べていく。そんな姿に脱力とも呆れとも言えない感情を言葉に乗せる立香。

 そもそも立香は何れ崩壊するであろう特異点を合理性の観点から放置できるような人間ではない。実際、かつて立香と戦った魔神バアルは、立香のその性格を利用した悪辣な亜種特異点を造り立香を殺そうとしたほどである。

 てっきり魔神にとっても周知のものであると立香は思っていたが、目の前の魔神アムドゥシアスはそういった立香の人間性を知らなかったようであった。

 

「っていうか、あたしらからすれば普通に迷惑なんだよッ!どんだけトンデモかは知らないけどな、お前のバカ騒ぎでギャラルホルンがアラート大安売りだッ!」

 

 魔神の責任転嫁じみた言葉にクリスが怒鳴る。

 カルデアの観測云々はまだしも魔神の言い分が通るかもしれないが、装者たちにとってギャラルホルンのアラートは放置できず、しかもゲートがどこにどう繋がるかは行ってみないとわからないものである。

 そしてそこの問題を解決しないとギャラルホルンのアラートは止まず、放置すれば並行世界の影響が自分たちの世界に現れるおまけ付きときている。

 ギャラルホルンのアラートが何を基準に鳴るのかは未だ詳細は不明なところではあるが、この魔神をほったらかして自分たちの世界にデモノイズが出現・固着なんてことになったら目も当てられない。

 つまるところ、装者たちはカルデアの人々より余程切羽詰まっているのである。

 

「──ギャラルホルン?」

 

 そして、魔神がそれを知っていれば先程のような言葉を吐くはずもない。その存在を知らなかったのか、魔神の口からは疑問符が出た。

 

「……この世界には存在しないのか。確かに今までもギャラルホルンがある世界に接続されたことはなかったが……」

 

 それでも知らないというのは本当だろうか、と翼が訝しむ。

 並行世界論というのは一般的ではないにせよ、この世界の裏、特にも錬金術について知っていれば並行世界論についても見識があるものと考えていた翼は、事情に詳しそうなキャロルに目を向けた。

 

「おかしなことでは有るまい。並行世界があることを知っていることと、並行世界に作用する聖遺物について知っているかは別だろう」

 

 翼に視線で問いかけられたキャロルは、何でもなさそうにそう答えた。事実、キャロルも並行世界論について知っていたが、ギャラルホルンについて知ったのは先程響たちに教えられたときが初めてである。

 

「それに千里眼で並行世界を観測できるということと、その全てを把握できているかも別問題ですよ」

 

 キャロルの言葉を子ギルが補足する。ほんとかなあ、と立香は何処か余裕を漂わせた笑みの子ギルを見て思う。

 

「……成程、ギャラルホルンという完全聖遺物がこの世界を観測していたということか。唄い手が私と戦う理由はそこにあると」

 

 得心がいったという表情を浮かべる魔神。腕まで組んでいるウンウンと頷いている姿は、見目の幼さも相まり奇妙なちぐはぐ感をその場に漂わせる。

 

「いいだろう、理解できた。では──」

「……いいえ、此処までです」

「ッ!」

 

 そして姿勢を解き更に話を続けようとしたところで、唐突にブリュンヒルデがルーン魔術を展開する。

 そして他の人が何事かと反応する前に、ルーンによって編まれたアムドゥシアスを拘束した。

 

「へっ!?ブ、ブリュンヒルデさんッ!?何を……」

「……先程、ダ・ヴィンチが言っていましたね?再度戦えるようになるのであれば、別な手段を講じると。……(スリサズ)欠乏(ナウシズ)(イス)による捕縛陣。逃げられると、思わないように」

 

 そういうブリュンヒルデの目は、組みを解いたその腕に焦点が当てられている。

 何があったのかと響たちも目をやると、解かれた小さな手の内には宝石、あるいは鉱石のような物が握られていた。

 それの正体に気づいたキャロルが目を細める。

 

「ッ、テレポートジェムか。今までのは時間稼ぎか?ここから更に逃げるつもりだったとはな……」

「ですが、ソレも抑え込めた。ランサーの原初のルーンなら、あそこまで弱体化した魔神であれば捉えられます」

 

 キャロルの悪態に、ベディヴィエールが応える。彼の言う通り、現状ブリュンヒルデのルーン陣は魔神をしっかりと抑え込んでいた。

 響は悲しそうな、むしろ悔しそうな顔で捕縛されたアムドゥシアスに歩み寄る。

 

「……どうして、話してくれないの?」

「なぜ話すと思う。私はお前に私の目的を話すほど親しく、あるいは優位に立った覚えがないが」

「それじゃあ、だって……最初の辛そうな表情を見て、それでも無視して戦うなんて、私には……」

 

 尚も言い募る響に、アムドゥシアスは心底信じられないものを見る目を向ける。

 見下しとも憧憬ともつかないその目線をまっすぐ見返した響に、アムドゥシアスは周囲を見回し、やがてため息とともに苦笑のような薄ら笑いを浮かべる。

 

「ああ、そうか。そういう人間だったな、立花響というヒトは」

「……そういえば、さっきから気になってたんですが……私のこと、知ってるの?」

 

 響が質問したときには、アムドゥシアスの表情は元に戻っていた。だが、響はその無表情の下を見せてほしいとばかりにじっと目を合わせ続ける。

 

「一方的にだが。このホムンクルスを通して、キャロル・マールス・ディーンハイムとの一連の戦いの全てを見させてもらったとも」

「……魔法少女事変(アルケミックカルト)

「そうだ、そちらでも発生していたか。では、聞きたがりな立花響のために1つだけ教えてやろう」

 

 アムドゥシアスの言葉、それも意外と真摯な響きをもつその発言に、聞いていた響ではなく立香が思わず目を剥く。

 その大げさな反応に気づいた響がどうしたのかと立香に目を向ければ、立香以外にもアマデウスを始めサーヴァント達も大なり小なり驚いており、泰然自若としていたダビデや子ギルすら思わず眉根を潜めていた。

 

「……なにか企んでいるのかな?」

「かもしれねえけど……。でもなにか話すってんだから取り敢えず聞いといた方が良くないか?全くのデタラメだってことも無いだろうし……ないよな?」

「いやあ、本当は魔神の言葉にも警戒すべきなんだろうけどね。ただ、まあ……そうだね、デタラメってことはないか。なら、聞くだけは聞いとこう、タダだしね?」

 

 クリスの突っ込みにダビデがそう零す。

 その台詞からしてダビデもクリスも怪しんでいるようだが、それでもこの状況で逆転ホームランは無いだろうと考えているのか警戒しながらも相手に言葉を促した。

 

「……さて、私が貴様らに望むことはこの領域からの退去だ」

「──ッ」

 

 アムドゥシアスの願うこと、何度も言っていたその言葉。だがこの状況で魔神から放たれる言葉の、そこに懸かる重みの違いに少女たちは思わず押し黙る。

 

「この世界の過去は消える。この惑星の未来は失せる。貴様らの観測が途絶えたその時、この宇宙は全ての懸架を放棄する」

「だからこそ──そうなる前に、この世界から退去することだ。それが合理であり、道理であると知るがいい」

 

 アムドゥシアスの語調は不遜なそれだがどこか穏やかさを感じさせるものであり、強力な結界に捕縛されているとはとても思えない。

 だからこそ、そこに抱かれる想いが、感情が本当のものであるとその場にいる誰もが感じていた。

 

「貴様、ふざけるなッ!」

 

 そして、そうであるが故に。それを認められない者──この世界で罪を背負い、終らぬ贖罪のためにと生存を許された人間。キャロル・マールス・ディーンハイムは激昂の声を上げる。

 思わずと言った叫びに、アムドゥシアスはキャロルに目を向ける

 

「ああ全くオレが言えた話ではない、ないが──この世界の装者共を、S.O.N.G.を消滅させたのは貴様以外にいないッ!だというのに臆面もなく、よくもまあそんなことが言えたものだなッ!どうせ先のパヴァリアの連中も同様に……」

「……そう言えば、貴様がいたな。キャロル・マールス・ディーンハイム。──なにか勘違いしているようだが、私は貴様にも、パヴァリア光明結社にも退去を勧めてなどいない」

 

 キャロルの激昂を聞き、鬱陶しいどころか嫌悪感を僅かに覗かせ、アムドゥシアスはキャロルを睨む。

 響たち装者に向ける目とも、立香たちカルデアの人間に向ける目とも違う、一種恨みとも殺意とも取れるそれを受け、キャロルは思わず言葉を止める。

 

「S.O.N.G.がこの世界から消失したのは、確かに私のやったことだ。それは奴らが私の行動を阻害するからでもあるが──本質的には、私の行動の対象ではないから除外したまでのこと。分かるか?貴様ら錬金術師共や、他の雑多な人間共を()()()()()()に支障がないということだ──だから」

 

 ふ、と一呼吸置く。己の臓腑にためた鬱憤を吐き出さんと溜めたその息のままに、アムドゥシアスは決定的な情報を口にした。

 

「──だから、貴様ら()隔離されたのだ。この崩壊しか無い世界にな」

「……何、それはどういう……?」

 

 

「おっとぉ?そろそろ彼?を離してもらいたいですねぇ?」

 

 

 キャロルがアムドゥシアスを問い詰めようとしたところで、慇懃無礼な言葉が辺りに響く。

 何処かで聞いたような気もするがよく考えればやっぱり聞き覚えのないその声に、何者かと立香たちは見回す。

 

「──この、声ッ!?まさか、ヤツが生きているはずは……」

「ッだがこいつを聞き間違えるものかよッ!忘れも出来ねえ、アホウの陀羅助かッ!」

 

 キャロルの慌てたような声に、声の正体に見当がついてしまっていたクリスは怒鳴りながら一気に警戒姿勢に移る。

 ほかの装者たちもその声の主を知っているのか、誰にともなく周囲を警戒し始めた。

 

「この声、響たちの関係者……っていうか、敵対関係にある人?」

 

 彼女たちの迅速な反応についていけなかった立香は、しかし彼女らの対応から警戒に値するのだろうと周囲に気を配りながら響に問いかける。

 聞かれた響は推定される相手のいろいろ複雑なポジションに、何と答えたものかしばし考え込んだ。

 

「えっと……前に敵対しちゃって、色々あって、なんやかんやあってちょっとだけキャロルちゃんとの戦いで一緒に戦ったりした人なんだけど……」

「取り敢えず波乱万丈な関係だってのはわかった。っていうかアホウの陀羅助って呼ぶほどってどんな……?」

 

「全く相変わらず失礼極まりますねえ、イチイバルの装者は。形容ですら的を外すようじゃ、おつむの出来も射撃の腕もたかが知れるッ!」

 

 再びの声。盛大に煽り立てるその声に思わずいきり立つクリスだったが、それでも武装をむやみに放つことなく感覚を研ぎ澄ませた──次の瞬間、動いたのはクリスではなく翼だった。

 

「……そこ、かッ!」

 

──影縫い──

 

 極めてなめらかな、熟練を感じさせる動きで翼が短刀を放る。その刃は何処に突き刺さるべきかを判っているかのように、岩陰に突き立った。

 

「おっとおっとぉ?ははぁん、そう言えば忍法を直伝してたんだっけか」

 

 全員が短刀の刺さった場所を見れば、そこに立つのは一人の人間。

 白衣を纏った、長身痩躯のメガネの男。いかにも研究者然としたその顔は、嫌らしいニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 

「でも無駄無駄。今の僕はこんなちゃっちいニンポーなんかで縛れるほど小さい男じゃあないってことを理解してないようですねぇ?」

 

 そう男が言った刹那。その肉体が劫火に覆われ、短刀の突き立つ影がその炎光によって掻き消える。

 影に突き立つことで相手を縛り上げる翼の『影縫い』の刃は、影がなければ意味がないとばかりに融解した岩から抜け落ち地面に転がった。

 

『今のは……、ッ!ブリュンヒルデ、来るぞ』

 

 モニタリングしていたダ・ヴィンチが何が起きたかを分析しようとするよりも早く、ルーン陣を堅持していたブリュンヒルデに炎が襲いかかる。

 それは先程までの魔神の炎とは違い、特殊な能力は何も無い純粋な高温・高輝度の燃焼反応。

 しかし、その豪炎は先の魔神の炎と比較しても尚も膨大な只の熱量のみによって、ブリュンヒルデが構築した防御陣ごと彼女を吹き飛ばした。

 

「ブリュンヒルデッ!?大丈夫!?」

「……ええ、マスター。大丈夫です、ルーンで軽減はしました……。ですが、お気をつけて。アレは只の高温の炎ですが、そのエネルギー量は桁外れです。まともに受ければ、サーヴァントであれ影も残りません」

 

 ブリュンヒルデはマスターにそう答え、炎を放った男を睨む。その身体も鎧もところどころ焼け焦げており、言葉とは裏腹に軽くないダメージを受けたことは明白な姿。

 魔力を炎と燃やすスキルを持ち、生前の逸話で燃え盛る館で眠り続けていたという伝承を持つブリュンヒルデに只の高熱の炎で此処までダメージを与えたという事実に、立香は相手の火力の高さとその危険度を改めて実感した。

 観測データを分析していたマシュが、慌てたように声を上げる。

 

『先輩、皆さん!気をつけて──霊基パターン確認、クラスは不明ですが彼はサーヴァント、ソレも特級の霊格の英霊ですッ!』

 

 マシュからの言葉を受け、立香が驚く。思わず相手をまじまじと見るものの、その姿は特に戦闘に優れているようには見えない。しかし同時に、外見で判断できないのも英霊の特徴であると立香は知っていたため、油断なく観察を続ける。

 何より相手が響たちの知己であるということを考えれば、彼は人間を依代とした存在……疑似サーヴァントの類であると推察していた。

 

「そろそろ"身"を結ぶ頃合いだろうとは考えていた、が。わざわざこちらに来るとはな」

 

 先程までと何ら声色を変えず、援軍が来たことに僅かな感慨すら抱いていないとわかるアムドゥシアス。

 謎の乱入に皆が気を取られていたその瞬間、ルーンで拘束されていたアムドゥシアスは、術者たるブリュンヒルデがダメージを受けたことで緩んだ術陣を解呪していた。

 

「いやね、僕もアナタが破れて消えてればそれはそれでとは思ったんですけどねぇ。ただほら、思ったより強情なんですよ、彼女。手が要るんですよ、手がね」

「……ふん、強情となると、アレか。己が神代と紛っているとは馬鹿らしい。が、だからと使わぬわけにもいかん。……いいだろう、どちらにせよ回復も必要か」

 

 アムドゥシアスは消耗した自身を鑑み、知己のように振る舞うその男に答えを返す。

 その懐から新たにテレポートジェムを取り出す魔神は、彼がいることも、来ることも把握していたようではあった。

 しかし、装者たち、そしてキャロルにとってはそうは行かない。

 

「って、ふっざけんなッ!」

 

 この場きっての大戦力たるブリュンヒルデの損傷、そして突然の敵増援の出現。何より、その増援の正体……そこにありえないものを見たとばかりにクリスが叫ぶ。

 

「てんめえ、なんで生きてやがるッ!そんでなんでそいつに手を貸すってんだよッ──ドクター・ウェルッ!!」

 

 クリスの言葉に、その男──ドクター・ウェルことジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは顔を向ける。

 その質問を的外れとでも言うかのように首をやれやれと首を振るウェルだが、その顔にはニヤリとした笑み、隠しきれない狂喜が浮かんでいる。

 

「生きている……?いいや、僕は死んでいたッ!かつてチフォージュ・シャトーで、人類を救う英雄として散ったッ!」

 

 喋っている内に気分が高揚してきたのか、徐々にピッチを上げて話し始めるウェル。

 

「そして──英雄として散ったからこそ、今、此処にいるッ!そうッ!死すれども尚、大切なものを守らんとする哀れな暫定少女の手助けをするッ!誰にも理解されず、それでも誰かを助けようとする影なる英雄ッ!ソレこそがこの僕というわけさッ!」

 

 この状況下、どう見ても悪役としか思えないような風体で堂々と宣言するウェル。自分の言葉で感極まったのか、余韻に浸るように目を閉じ震えていた。

 

「……なんというか、すごいね。色んな意味で」

「うーん、確かに。少なくともあのアムドゥシアスを暫定少女呼ばわりする精神は英雄級だね」

 

 自分というものを何処までも知り、信じ、自己陶酔していくその姿は、多くの人を見てきた立香たちからしても(英雄かはともかく)常人を超えた精神力を持っているなと思わせるだけの風格であった。ウェルを評するアマデウスの声も何処か面白がっているような、疲れているような感じになっている。

 しかし、である。おそらく彼は疑似サーヴァントだろうと思われるが、疑似サーヴァントは基本的に何らかの理由で顕現できない存在がサーヴァントとして召喚されるために依代を用いる。

 事情が特殊なために疑似サーヴァントとして呼び出されているならまだ良いが、単純に厄介なのはその力が膨大過ぎる・霊格が強大過ぎるために人を介する──すなわち、神霊がサーヴァントとなっている場合である。

 基本的には相性がいい依代を用いるものの、その強さは見た目では測れない。あの控えめに言ってぶっ飛んでる精神に見合うだけの強さである可能性も十分にある。

 

(というか、さっきの炎を考えれば弱いなんてことはないだろうけど……)

 

 先程の炎を考えれば所謂炎に纏わる神霊かも、と立香が考えたところで、アムドゥシアスが地面にテレポートジェムを叩きつけた音で我に返り相手を見る。

 

「さて、去る前に改めて確認だ。──貴様らは、この世界から撤退するつもりは無いだろう?」

「ありませんッ!あなたが私たちに何も伝えたくないってことは、なんとなくわかりました。でも、それじゃ何も変わらないじゃないですかッ!」

「……ないよ。アナタが何かをしたいってことはわかった。でも、そのために犠牲を出しているんじゃ、私はそれを見過ごせない!」

 

 ジェムから展開された赤光に包まれたアムドゥシアスの問いに、響と立香はそれぞれ答える。

 分かり合いたいのに分かり合おうとしない。願いのために別の何かの犠牲を許容する。魔神の言葉を受け入れるということは、彼女たちにそうしろと言っているに等しかった。

 今までの人生、そこから培ってきた矜持にかけて、彼女たちが魔神の提案を受け入れることは全くありえないものだった。

 

「そうか。では……そうだな。1つ、面白いことを教えてやろう」

「おやぁ?言ってもいいんですか?ま、あなたがいいってんなら僕は構いませんがねえ?」

 

 アムドゥシアスがふと思いついたかのように、人差し指を立ててみせる。

 中身が魔神でなければ様になってると思えるようなその行動に立香は訝しげな視線を向けるも、どこ吹く風とばかりにアムドゥシアスは説明し始めた。

 

「キャロル・マールス・ディーンハイムが『魔都』に放ったアルカ・ノイズは、私の行動を僅かにでも阻害するに足るものだった。

 同じ自動兵器であっても、歌をベースとし魔詠生産を主とするデモノイズと、錬金術師によってデモノイズを攻撃するよう指示されているアルカ・ノイズ。互いに位相差障壁を無効化出来る以上、分解機構を持ち能動的に攻撃するアルカ・ノイズが勝利することは必然と言えた」

 

 訥々と語りだすアムドゥシアス。立香たちはアルカ・ノイズが何かは知らないが、話からしてキャロルが使役するノイズの類であることは理解出来た。

 おそらくキャロルが状況の打開のために取った手であり、ソレが実際に効果があったということだろう……魔神の言葉を信じればだが。

 一方アルカ・ノイズについて知っている装者たちは、そんな手が取れるのか、と驚いていた。

 思い返してみれば、デモノイズは確かにノイズとして人間(といっても此処にいるメンバー以外への戦闘は見てないが)を攻撃するが、それ以外には歌い続けるくらいしかしていない。

 だからこそ、ノイズにノイズをぶつける。キャロルはアルカ・ノイズに対応できるデモノイズがいないということも理解していたのだろう故の行動は、確かに奇貨足り得る手段ではあった。

 

 そして、それは魔神にも理解できる手段であり、対策の取れる内容でもあった。であれば、魔神がそれを放置するわけもない。

 

「……デモノイズは幾らも増産が効くとは言え、システムは効率的に、安定的に、不変的に稼働するべきであり、無為な消費は避けるべきだ。故に、外敵より魔都を守るもの──即ち守護天(ガーディアン)、堕天の御遣いを呼び出した」

「守護──それって、もしかしてそこのウェルさん?みたいに……」

 

 曰く、英霊とは元来人類悪に対し遣わされる天の御遣いである。そう立香に語ったのは、目の前の魔神の総体たるモノだった。

 もし、目の前のウェルという男がマシュたちが言う通りサーヴァント、すなわち英霊であるとするならば。

 守護天、魔都の守護者たる御使いとはつまり──。

 

「それくらいは察せるか。そうだ、この新宿の魔都を除いた9の座標を守るモノ。御使い──すなわち、サーヴァント。それも貴様らのカルデアのソレを遥かに凌駕する器を用意した」

 

 立香の心中を看破したアムドゥシアスは、隠し立てする必要など何処にもないとばかりに語る。

 目前の男、ウェルは半ば不意打ち気味とはいえブリュンヒルデに一方的に大打撃を与え、また翼の拘束忍術たる影縫いに対し瞬時に適切な対処をしてみせた。

 その実力は見目に反して相当なものであり、同格のサーヴァントがあと8人、全世界の魔都を守るために散っているという事実は十分に酷な現実であったと言えるだろう。

 だが、そう言って変わるものでないことは重々承知なのだろう、魔神は未だ折れそうにない少女たちに目を向け、嘲笑するように1つの案を提示する。

 

「此処まで聞いても貴様らは引き下がらないだろう。故に、慈悲をくれてやる。その魔都の守護者を打倒し、魔都の柱をへし折ってみせるがいい。全てを折れたならその時、私が改めて相手をしてやろう」

「……別に方々に出向かなくても、此処の魔都とやらはおそらく君が守るんだろう?なら、他を無視してこの魔都だけに注力してしまえばいいんじゃないか?」

 

 魔神の提案に従う気は無いと暗に示すアマデウス。実際彼の言葉の通りであり、魔神が提示した9つの守護者に対し、魔都の数が10。となれば、何処か1都は魔神が直接陣取るということを示している。

 であれば、それは今いる新宿の魔都に陣取るだろうことアマデウスは己の知識から推断していた。

 案外そうすべきか、実はブラフみたいなもんじゃないかと立香が真面目に考えたところで、横合いから声が掛けられた。

 

「……ソレは危険です。先程のウェル博士も守護天であるという魔神の言が正しければ、わざわざ戦力を割いてまで魔都を守るだけの理由があるということ。そこを見極めずに敵地中枢に吶喊するのは危険かと」

「んでも、その上であたしはモーツァルトに賛成だけどな。結局そこの魔神がうまく動けてないのは今のうちだってなら、今やった方がちゃっちゃと片がつくってもんだろ?」

 

 アマデウスの言葉に待ったをかけた翼に、逆にアマデウスに賛成するクリス。

 どちらの言い分も正しいといえるため、どうすべきかと装者たち及び立香は悩み始めた。

 

『いや、この魔都の配置は厄介だ。あとで説明するけど、下手に放置すれば新宿より余程危険になる。癪だけど、此処で仕留める目処がない以上そいつの言葉に従ったほうが先が生まれる』

「……というより、攻撃はできまい。テレポートジェムを運用している時点で、あの魔神は位相差技術を獲得していると見ていい。となれば退避先はどこぞの亜空間だろうが、今のオレたちがその座標を特定する術はない。」

 

 だがそんな彼女たちに、万能の天才たるダ・ヴィンチとこの世界由来の技術に詳しいキャロルは現実を語る。即ち、魔神の言葉に従うべき……というより、従わざるを得ないという現実を。

 ダ・ヴィンチは立香にとっては正に万能と呼べるだけの知識・頭脳の持ち主であり、キャロルはこの場の誰よりもこの世界の法則に詳しい。

 そんな彼女たちが事実上の停止命令に近い指針を出すということは、それは現状どうにもならないと言っているのと等価でもあった。

 

「さて、それでは名残も全くないのでな、この場の幕は閉じさせてもらおう。そして──」

 

 立香たちの話し合いをよそに、魔神とウェルはテレポートジェムの輝きにその全身が包み込まれる。

 赤い輝きに覆われたその影から、最後の忠告が伝わってくる。

 

「──もし私に抗うと言うなら、命を捨てるというのなら。──無為に捨てるその命、我が資源と摘むのみだ。リソースの無駄こそ無為であると知るがいい」

「やれやれ、持って回って踊っちゃって。資源は大切にネ!っていうのも流行ってるんだかどうだか……っと、そんじゃ僕も、バッハハ~イ」

 

 魔神の忠告にやれやれと首を振るウェル。その身を覆う赤光がひときわ強く輝いた刹那。その場に影も形もなく、魔神もウェルもまるで最初からいなかったかのように姿が掻き消えていた。

 

 相手の残した言葉を受け、翼はおもむろに口を開いた。

 

「……ああ、確かに。最後の表情は"辛そう"だったな」

 

 魔神が最後に残した言葉。その言葉には何処までも相手が本気であることが判るだけの気迫が伝わってくるものであり、そこには響が何度も言うような"辛そう"な顔が浮かんでいた。

 クリスも同意なのだろう、難しい顔を見せている。

 

「はい。でも、私は……」

 

 その表情を浮かべた理由は、未だ分からない。……そして、だとしても。それを諦めることだけはしたくないと。そんな思いを胸に、響は小さく、だがしっかりと返事をする。

 

(……辛そう、かあ。よくわかんないけど、あの魔神はやっぱり何かあるのかな?……ううん、何かあったのだとしても、止めないとダメだよね)

 

 なぜ魔神が辛そうに思ったのか、そもそもそんなことを思う魔神がいるのか、立香にはイマイチ実感が持てていない。だが、どのような事情があれ、カルデアのマスターとして……1人の人間として、ここで引き下がれば未来がないということを経験から知っていた彼女は、決意を新たに小さく頷く。

 

 その場にいた彼女たちの全員がこれからの戦いが厳しくなるだろうことを感じ──それでも尚、止めてみせるとその眼で語っていた。



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第4節 異世界防衛同盟(1)

 あの後……魔神がテレポートジェムによりウェルを引き連れ消えた時からしばし。

 彼女たち一行は立香がレイシフトした場所に戻ってきていた。

 

『……それで、これがギャラルホルンゲート……ですか?』

 

 マシュのモニター越しの視線の先に浮かぶのは、一度彼女たちが確認した緑色の光の渦。

 それこそが完全聖遺物「ギャラルホルン」のゲートであるらしく、装者たちは一様に頷いた。

 

「ゲートと言われれば、確かにSFのワープゲートっぽいかもだけど……。でもこれ、石投げたりとか色々やったけどなんも起きなかったよ?」

 

 響たちが言うなら間違いではないんだろうけど、と言いつつ若干懐疑的な視線を送る立香。

 石はもとより、それこそ魔術をぶつけたりしたがこの渦は乱れることすらなかったものをゲートだと言われても……と立香が疑うのも無理はなかった。

 

「仕方有るまい。そもそもこのゲートは基本的に装者以外には反応しない。たとえ聖遺物を単純に所持していようと、錬金術を扱えようともな。藤丸たちのように魔術を扱えたとしてもソレは変わらない、ということだろう」

「その御蔭であたしらアラート鳴ったら出ずっぱりなんだけどな……」

 

 翼の言葉に、げんなりするようにクリスが付け足す。

 もともと特異災害たるノイズが出た時にほぼ確定で誰かが出動するものではあるのだが、ギャラルホルンのアラートの際には元の世界と並行世界をそれぞれ防衛しなければならないため、個人単位の負担が増加するのである。そのため、ギャラルホルンが頻繁に起動し始めた最近では、彼女たちは結構なブラック勤務を学校の合間に行っているのが実情だった。

 

「そうなんだ……どこも大変だね」

 

 立香は同情するようにそう呟く。自分はちょっと前まではブラック勤務だったが、人理焼却を防いでからこっちは前ほどではないからマシだななどと考えていた。傍から見れば最底辺がブラックまで上昇したようなものだが、言わぬが花である。

 

「しかし……そうなるとどう報告したものか、だな」

 

 翼はギャラルホルンゲートを前に考え込む。そう、彼女たちはこちらの世界の状況が状況だったために、戦力配分について見直すべきではないかと報告しに行こうと考えていた。

 そのためにギャラルホルンゲートの前に着いたはいいが、そこで1つの現実にぶち当たった。──立香たちについてどう説明するか、である。

 現地の住人であるとか、聖遺物が絡んでどうのこうのなら報告も容易である。S.O.N.G.も状況を推察し、方向性を判断することも出来るだろう。

 しかし、魔術だの魔神だの英霊だのというのは装者たちにとっては全く未知のワードである。

 もちろん、直接カルデアの説明を受けその力量を目の当たりにした以上、現地で共に戦うに値する人々であるということを翼は理解している。響やクリスとて同様だろう。

 戦士である翼にはそれで十分ではあるが、それが組織であるS.O.N.G.となるとまた話は別である。

 正直彼女たちの立場は微妙……というより率直に言って怪しいものであり、現地で接した自分達はともかくS.O.N.G.という「組織」がカルデアに信用・信頼を置かせるよう説明するにはなるべく本人たちに説明させたほうが良い、というのはそうなのだが。

 

「一緒について行ければよかったんだけどね……」

『立香ちゃんだけだとあれだけどね。相手もちゃんとした組織なんだから、本来なら私たちが説明できれば一番なんだけど』

 

 何分、彼女たちはギャラルホルンゲートを通れない。結論として、直接な説明は不可能という結論に、その場の全員がため息を吐く。

 事実が発覚した当初はギアで録音でもすればいいかも、と考えたりもした。しかし、やはり常識外れた諸知識については直接議論してもらうほうがいいだろうし、一々録音した内容を連絡するためにゲートを行き来するのは手間が増えるばかりである。

 よって、取り敢えず録音は最後の手段とし、それ以外でどうにか出来ないかと全員で額を突き合わせていた。

 

「モーツァルトさんは音楽で私たちのサポートできたじゃないですか、だったらこう、装者枠のような何かでイケませんかッ!?」

「イケないね。そもそも僕の音楽は君たちの精神面に作用させているのであって、別に魔神のようにフォニックゲインを発してるわけじゃないからね」

「そうですかぁ、イケるかな~って思ったんですけど……」

 

 響がとりあえずと挙手するも、当人が却下する。

 

「私の連絡用の端末を響とかに持ってもらって、向こうでダ・ヴィンチちゃんが説明する……」

『装者の皆の世界は並行世界で、今立香ちゃんのいる世界じゃないからやるべきではないね。立香ちゃんと響ちゃんたちの世界を同時に観測するのも難しいし、出来たとしても精度が大きく落ちるのは確実だ。無理に観測しようとして立香ちゃんの観測が困難になっても困る……立香ちゃん、意味消失したくないよね?』

「……ダメだね、別なの考えよう!うん!」

 

 立香が続いて素人(なりの)考えを発表するも、カルデアで観測中のダ・ヴィンチが脅し付きで切って捨てる。立香は思わず身震いして即座に言を翻した。

 

「う~ん、ギャラルホルンはそちらの完全聖遺物……聖遺物って表現には首を傾げるけど、完全聖遺物なんだよね?上手いこと制御して、通信に使用できたりしないのかい?」

「……正直なところ、完全聖遺物は色々と未知なのです。なぜ今ギャラルホルンが起動したのかも不明ですし、どのような原理で通過者を厳選しているのかも不明。下手に手を加えて逆にゲートが閉じようものなら我々は此処に取り残されることになりますので……」

「ああ、それは無理だ。そっか、並行世界を渡れるって色々便利そうだと思ったけど、実質は爆発しても残り続ける不発弾ってことか……いやあ、おっそろしいね!」

 

 ダビデがギャラルホルンについて質問するも、翼の答えにやれやれと首を振る。

 超文明の遺産といえば聞こえはいいが、何が原因でどんな反応を示すのか判らず往々にして現行技術で制御が効かない伝説に語られる武装の名を持つ兵器である。当たり前の感性を持っているなら誰もが敬って遠ざけるだろう。

 

 その後もやれルーンはどうか、錬金術はどうだと話が広がるもこれと言って妙案は出ず、徐々に話が煮詰まってきていた。

 そしていよいよ録音お手紙作戦(響命名)に手を伸ばさなくてはいけないか、といったところで。ずっと黙っていた子ギルが手を上げた。

 

「……皆さん、ちょっといいですか?」

「はいギル君!どうぞ!」

 

 立香の指名に子ギルがいそいそと立ち上がり、皆の視線の中央、ギャラルホルンゲートの前で向き直った。

 その場の(モニター含めて)10人以上の視線を浴びながら、子ギルはこほんと咳払いをして話し始めた。

 

「えー、さて。あまりこういう手は使いたくありませんが、これも役割と思いますので……。端的に言って、この状況を解決……つまり、彼女らの並行世界に対してある程度の能動的な対話を可能とする手段がボクにはあります」

「本当ッ!?」

 

 子ギルの言葉に、真っ先に響が食いつく。思わずにじり寄った彼女をやんわり押し留め、子ギルは苦笑を浮かべた。

 

「近いので離れてくださいね、お姉さん?で、まあ何をするのかと言えばですが……宝具を使います」

「?あれ、でも今『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』は使えないんじゃなかったっけ?」

 

 立香は首を傾げる。

 王の財宝、バビロンの宝物庫。子ギル……というより英雄王ギルガメッシュの持つ宝具であり、宝物庫への鍵を開き内容物を射出するというかなり大雑把かつ広範囲・高性能な宝具である。

 平時は戦闘に使用するため剣や槍、斧やらの武器を投擲することが多いが、それ以外の場面でも便利グッズよろしく人類の叡智、その原典たる宝物を取り出して対応できるというまさに万能と呼ぶに相応しい宝具といえる。

 が、先の戦いの通り現在は使用できない。この世界の宝物庫に接続されているからではないか、と子ギルは言っていたが嘘だったのだろうか?と首を傾げた。

 

「ああ、それは先程までの『場所』での話です。このギャラルホルンのゲート、どうやら並行世界を繋ぐトンネルであると同時に、今ボクらのいる閉塞世界に唯一空いた綻びでもあるようです。外界からの観測は全てこの穴を通して行われている、ということですね」

「そういやそんなこと言ってたな、さっきの魔神も。ギャラルホルンが観測してるとかどうとか」

 

 クリスがさっきの戦いの中で魔神が零していた言葉に思いを馳せる。

 本人(?)の言い分を聞けば、魔神は本来クリスたちの世界に影響を及ぼす気がない……というより、及ぼしている自覚がなかったような反応。

 

「……もし先の魔神の言っていたことが真なら、ギャラルホルンのゲートを魔神は感知できていなかったということか」

「というよりも、おそらく聖遺物全般だと思いますよ?魔神は見た目はともかく、ボクらの世界における常識、あるいは秩序に属するものですから。

 類似する概念である哲学兵装や錬金術はともかく、全く異なる世界法則であるフォニックゲインや聖遺物について完全に把握することは難しいということかな、と。まあ、音楽魔として聖遺物の励起・操作は可能なようですが」

『だねー。というかここから観測しても私たちの機器だと僅かな熱量とかを除いて一切エネルギーを計測できてないし。こっちとある程度融合しているとはいえ、私たちと同じ常識に縛られている魔神が把握することは難しいだろう』

 

 少なくとも今はね、とダ・ヴィンチが締める。

 

「それで話を戻しますが、ギャラルホルンゲートは世界を穿つ穴であるなら、逆にそれを通じてボクの宝具である『王の財宝』を使えないか、と考えたんです。さっきまで試行中だったので黙ってたんですよ」

「成程、それが先程までの『場所』での話、ということですね。ですが仮に『王の財宝』を使用できたとしても、それと並行世界間の通信が出来ることは関係無いのではないですか?」

 

 それともその宝物庫にはそれすらも可能とする宝具が在るのですか、とベディヴィエールが疑惑半分に問いを投げる。

 完全聖遺物ギャラルホルンは、神秘に親しい彼らにとっても魔法と呼べる事象に近しい……どころか、魔法の一端を自動かつ単独で実現させる程の代物である。

 それと同様のことが出来る宝具があるならそれに越したことはないが、そうだとすれば今までの旅路の中で使用しててもいいはずだ……と言外に語るベディヴィエール。

 

「あ、いえそれとこれとは関係ないというか。要するに、王の財宝を使うための目録──通常時ならボクは無意識下で辿るそれが今は辿れない状況なんです。なにせ普段使ってる宝物庫とは全く違う現地の宝物庫に勝手につないでるわけですし」

「っていうか、バビロンで宝物庫って……もしかして、バビロニアの宝物庫のこと?あれは亜空間にあるって了子さんがずっと前に言ってたような……?」

 

 子ギルが話を再開したところで、響が回顧するように独語する。

 そういえば、と翼とクリスも気づいたように子ギルに目を向けた。

 

「……まあ呼び名はそれぞれでしょうが概ねそれでいいです。アッシリアの女王ニトクリスが遺した言葉に沿い、ダレイオス一世が見つけ出したとされるバビロンの宝物庫。

 かつて繁栄したウルクの誇る全ての財を収める蔵、それがボクの宝具『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』です。……が、この世界だとそれもだいぶ違うみたいですね」

 

 話が遮られたことに若干困ったように眉をひそめた子ギルは響の言葉を肯定する。尚その後ろでは知ってるようで知らない名前が出て混乱している立香にマシュが説明している。

 

「ギルガメッシュの宝具か。てっきり鎖か斧ではと思っていたが、宝物庫とはな……。だが、使えないという意味はわかった。こちらの宝物庫はかつて起きたフロンティア事変で中のノイズ共諸共に焼け落ちたからな」

「こちらでもその点は一緒か。S.O.N.G.が成立している以上、そうだろうとは思っていたが」

 

 ふむ、と翼が改めて世界の近さを理解したように頷いた。

 

「って、そうじゃなくて。ねえギル君、結局どういうことなの?」

 

 翼たちの様子を見ながらマシュの講義を受けていた立香は、今更ながらに話が途中だったことに気づいて子ギルに続きを促す。

 話が終わるまでのんびり待つ姿勢だったのか子ギルはそこらの瓦礫に何処からか取り出した豪奢な布を敷いて座っており、立香に声をかけられたことでようやく話の主題が戻ってきたのかと腰を上げた。

 

「あ、話を戻していいですか?えー、結論から言って、ギャラルホルンゲートの付近ではこのように宝物庫を使用することが可能です。

 ですが、通常の並行世界や特異点とは異なり、この異世界と呼べる領域から元の宝物庫にある財宝を無意識下で検出するのは平時より手間がかかっているので、やはり戦闘に使用するには工夫が必要なようでして」

 

 そういって布をしまう子ギル。普段みたいに適当に放るのではなく手を肘辺りまで宝物庫に突っ込んでる辺り、もともとあった宝物庫の棚に戻すにも苦労しているようである。

 やがてしまい終えた子ギルは宝物庫から手を抜き、全員に顔を向け更に続きを話していく。

 

「それで、本当に已む無くではありますが、もう1つの宝具を使って『王の財宝』への経路を常態的に把握し、この場所限定で過不足なく使えるようにしたんです」

「もう1つ?宝具っていくつも持ってるものなんですか?」

 

 てっきりダビデの投石、ブリュンヒルデのルーン、ベディヴィエールの銀腕のように、宝具は1人1つだと思っていた響が子ギルに聞く。

 

『ああ、そういえば言ってなかったね。宝具は英霊の象徴、信仰や生前の逸話等が形になったものだ。逆に言えば、逸話が豊富かつ只のスキルに収まらないような伝説があれば、それに応じて宝具量も増えるということさ』

「実際この中で宝具が1つなのはアマデウスとベディヴィエールだけだしね。僕の場合はゴリアテ討伐の投石以外にも2つ。ブリュンヒルデは今回宝具使ってないけど、槍ともう1つだったっけ?」

「えっ?あのルーンって宝具じゃなかったんですか……?」

 

 ダ・ヴィンチが響の疑問に答えるように解説し、ダビデがそれに補足を加える。その言葉で勘違いに気づいた響は、驚くと同時に地味に肩を落とした。

 原初のルーンは実質宝具じゃん、とか思っているの立香はその気持ちがよくわかるのか、ドンマイと響の肩をたたいて慰めていた。

 

「で、その宝具……『全知なるや全能の星(シャ・ナクパ・イルム)』ですが、正直なところあまり使いたくないというか、親の七光りみたいで色々と忌避感があって平時は抑えているんです。

 ですが流石に現状のお荷物な状態もよろしくない、ということで自分の世界の宝物庫を探すために使用していたんですが……その過程で気づいたことがありまして」

「意外とそういうとこ気にするんだな……。で、気づいたことって?」

 

 子ギルが本当に使いたくなさそうにぶつぶつとぼやく姿を見て、クリスが驚き混じりに促す。

 

「はい。このゲートはどうやら完全に1対1……いえ、雰囲気的には1対多でしょうか?まあこちらから見れば単線で世界間を接続していたので、『全知なるや全能の星(シャ・ナクパ・イルム)』ならこのゲートの先を見通せる──つまり、ボクの宝具なら装者の皆さんの世界を常時、確実に観測できるということがわかったんです。

 ──ですので、この宝具を宝物庫の他宝具でバックアップすることでボク自身を通信用の中継点にしたいと考えているのですが」

 

 その提案に、一瞬場が静まり返った。

 装者たちはそれがどういう意味なのかを判りかねているのか沈黙し、カルデアの人々はまさか(子ギルとは言え)ギルガメッシュがそんな提案をするとは思ってなかったのか絶句した。

 

「……成程。すべてを見た人(シャ・ナクパ・イルム)、ギルガメッシュ王を象徴するワードだが、生身のみで並行世界すら見通すとは名に恥じない宝具だな。だが、いいのか?」

「ええ。今のボクはこんな成りですがそれでも王。玉座に常に構えることでその責務を全うするとしましょう」

 

 キャロルの念を押すような言葉に冗談交じりに、しかし真摯な瞳で答える。

 その言葉で、装者たちは子ギルの言った意味と理由を朧気ながら理解した。つまるところ、表に出さないだけで彼は彼でこの状況に憤りを抱いていたということだろう。

 状況が特殊過ぎるとはいえ、己が実力をほぼ削ぎ落とされているも同然であることに我慢が出来ないのか、あるいは自身の財宝から引き離されていること自体に我慢がならないのか。

 

(……多分、どっちもな気がする)

 

 今まで見てきたギルガメッシュについて想起し、そう結論付ける立香。

 何だかんだどの年齢期でもプライドの高いギルガメッシュである。自分が無力に落とされることを良しとするような殊勝さはまず無い。

 たとえ戦線を外され、実質電波塔みたいな役目に従事することになるとしても。それでも何もしないでいるよりはマシと思っているようであった。最もこれは比較的まっとうな感性を持つ子ギルだからであり、他のギルガメッシュの場合あるいは高みの見物に洒落込む可能性も無きにしもあらずなのだが。

 

『まあ、英雄王がそれでいいならいいけどね。それじゃ、観測よろしく……っと、その前にあれだ』

「?」

『いやほら、そもそもそっちがどんな端末なのかわからないからさ。ちょっと響ちゃんたちの通信機を見せてほしいな~って』

 

 その言葉にああ、と納得する響。今更だが彼女らカルデアの人々は並行世界どころか異世界の住人である。今使ってる空間投影モニターも響たちの知るものに比べて随分特殊であり、使われている技術とかが違う可能性も十分にある。

 

「それじゃ、えーっと……」

「いや、すまんが少し待て立花」

 

 ならば、と見せようとしたところで翼が止める。

 

「あれ、どうしたんですか翼さん?」

「どうもこうも、これは一応機密事項だぞ。機材周りは本部に了承をとっておくべきだし、序に先んじて意思疎通にしてもカルデアについて知っていてもらうほうがいい。

 すまない、ダ・ヴィンチ女史。この通信機はS.O.N.G.のエージェント用の通信機なので我々が今すぐにそちらに開示することは難しい。

 先に我々が本部でカルデアについて説明をしてくるから、そこで許可を得てからにしてもらっても構わないだろうか?」

『あ、そりゃそうだ。うん、いいよ。こっちはその間に通信についてギルガメッシュと色々調整しておくよ』

「というわけだ。切羽詰まっているのはそうだが、だからこそ然るべき手順を守るほうが結果的に早く進む。さあ、司令に報告に行くぞ立花。雪音はデモノイズが来たときのためにこちらに待機していてくれ」

 

 そう言って、クリスの返事を待たずにギアを纏い先にゲートを潜る翼。響も慌ててゲートに飛び込んでいく。

 

「了解……って言う前に行っちまったか。先輩も大分焦ってるってか、急いてるっていうか」

「まあ是非もないよネ!っていうか、正直色々タイムリミットが短そうなのがなあ……」

 

 そういう立香は言葉のテンションとは裏腹に浮かない顔で魔神との戦いを思い出す。

 結局、先程魔神を取り逃がしたことで現状の勝機は大きく損なわれた。キャロルの言う通り、エルフナインの肉体に入っていた先ほどが勝機だったということでもある。

 時間が経てば、魔神がエルフナインの肉体を強化することで膨大なフォニックゲインをそのまま利用できるようになる可能性が高い。そうなれば、こちらも何らかの策を用意する必要が出てくる。

 せめてもう少し後で、それこそこっちの援軍サーヴァントが呼び出されてから魔神が襲来すれば最初から一気に畳み掛けられたのに。そう立香が思ったところで、そういえばとふと思い立ってクリスに顔を向けた。

 

「ねえキャロル、クリス。さっき聞き忘れてたんだけど、パヴァリア光明結社って何?魔神と戦ってたみたいだけど……」

「パヴァリア光明結社?あたしはうまく説明できねえからパス、錬金術師の集団だってんだからキャロルのがよく知ってんだろ」

 

 間髪入れずにクリスは回答をキャロルに譲る。実際錬金術師の集団であることぐらいしか知らないのだからどうにも言いようがない。

 そんなクリスにジトッと視線を向けたキャロルだが、詮無いことと諦め立香と視線を合わせた。

 

「パヴァリア光明結社、遥かな過去より連綿と続いてきた錬金術師の結社だな。曰く先史の時代からあるのではないかとか、統制局長のアダム・ヴァイスハウプトは一切座を譲らず数千年を生きているとか。

 連中はどうにもオレの……いや、正確にはナスターシャ教授のフォトスフィア関連のデータが欲しかったのかオレに協力を持ちかけてきたりしたんだが……肝心要のアンティキティラがバルベルデの何処かにある、位の情報しか出回ってない中でのこの事変だ」

 

「……だからバルベルデにいたってことか、アイツら。ってことは、魔神のやつはパヴァリア光明結社を全滅させてこっち来たのか?の割には随分弱かった気がするけどな」

 

 いやまあ普通に強かったけどよ、などとのたまうクリスに立香は疑問符を浮かべる。クリスの言葉が正しいなら、パヴァリア光明結社は先の魔神より明確に強いということになる。

 さっきの魔神は立香にとってもかなり苦戦したレベルで、少なくとも只の魔神柱より強かったと感じていたにも関わらずである。

 

『──その、クリスさん。パヴァリア光明結社はそれほどまでに強かったのですか?というか、戦ったことが?』

「ん?ああ、ある。あたしら3人とあと3人の装者でな。っても、あの魔神よりパヴァリアが強いってよりは、あの魔神よりアダムのが強いって感じだな。ツングースカ大爆発だったか、そんくらいのバ火力の一撃を平然とぶっ放してきやがるからな」

 

 消耗状態で戦わなきゃまず勝てなかっただろうな、と激戦を振り返るクリス。

 アダムの力を完全に把握してなかったキャロルはそれほどかと驚くに留めたが、聞いていた立香たちはドン引きである。

 

『ツングースカ……5MJ規模とか、そんな技をブッパするのは流石にヤバイかな。ちょっとその規模の存在相手だと普通の魔神柱は瞬殺だし、それなら魔神が勝てたことが不思議ってなるのも納得だ』

 

 ダ・ヴィンチがそう呟く。彼女たちの経験した中で、水爆規模の術式が使用可能であると確認できているのはごく僅かしかいない。

 それこそ神霊が自重しないで魔力行使をするだとか、人類悪の一角であるとかそのレベルの存在でない限りそこまでの術式を使えるものは存在しなかった。

 魔神柱とて英霊数騎に比肩する力を持っているが所詮それまで。超級の英霊で単騎でも勝機がある程度の力ではアダム・ヴァイスハウプトには勝てないだろうことは容易に想像できる。

 アムドゥシアスはフォニックゲインやデモノイズ、錬金術といった力を持つため、この世界なら通常の魔神柱より余程強いだろうが、先程の戦いぶりではやはり勝てるとは思えないというのがこの場の全員の見解だった。

 

「……となると、可能性は絞られてくる。1、アダムが何らかの理由でまともに力を発揮できなかったために、魔神に遅れを取った場合」

 

 キャロルがそういって指を折る。

 

「この場合、魔神はアダムの事情に精通しており、タイミングを計って行動した可能性が高い。同時に、フォニックゲインを纏えないことへの改善策がないから、オレたちが魔都への対抗策を練れない内に早々に始末しに来たということもあるだろう」

「成程!」

 

 エルフナインに精通しているキャロルからすれば、仮にエルフナインに手を加えるにしても、もしくは外部から補助するにしても今すぐ早々に魔神がソレを改善できるとは思えなかった。出来るなら改善してから来るだろうというキャロルの言葉に立香が頷く。

 勢いの良い立香の返事、しかしその表情が願望にあふれていることに気づいたキャロルはため息混じりに指を更に折る。

 

「……そして、2。アダムに対抗できる力があり、それにより撃破した場合。例えばそうだな、それこそ武装なり兵装なりでフォニックゲインを身に纏うことが出来たとすれば無尽蔵の歌でアダムを超えることも可能だろう」

「でも今回使ってこなかったじゃねーか。それともなんだ、振ってあったかい使い捨て聖遺物でも使ったってのかよ?」

 

 キャロルに反論するクリス。

 実際、装者やカルデアの人間が来なければ現行のS.O.N.G.がないこの世界で最強格なのはパヴァリア光明結社のアダムであり、それを排除するために切り札たる使い捨て武装があった、というのは考えられないでもない。

 神話伝承の中でも破山剣や帝釈天(インドラ)の槍のような一度しか使えない武装というのはある。また爆弾などの最初から使い捨てとして想定されるものによる撃破をした場合、今回は使えなかった可能性はある。

 

「かもしれん。だがそれこそシンフォギアでも作って纏っていたかもしれんだろう?アダムと相討ったことでペンダントのコンバーターが破損したから現在修理中、なんてこともありうるだろう」

「──ッ!出来るもんかよ、フィーネもいないってのにッ!」

 

 クリスはキャロルの言葉を強く否定した。

 シンフォギア自体は神域の天才たる櫻井了子が己の理論に則って造り出した物である。

 その才智がフィーネに由来するのか、それとも完全に自前のものなのかは判らないものの、少なくとも彼女以外にシンフォギアを新たに作り出せた人間はいない。

 聖遺物の権威ナスターシャも、生物学の天才であり聖遺物との適合に詳しいDrウェルも新たに作り出すことは不可能だったのである。

 だからこそ、この世界のシンフォギアが新たに生まれる訳がないとクリスは怒声混じりに主張した。

 

「……まあ、いい。で、魔神をよく知っているカルデアの連中に問いたい。──どれが一番可能性が高い?」

「えー……っと。もし後者の場合はさ、魔神の目的って修理のための時間稼ぎとかかな?」

「それ以外にもあるだろうがな。ウェルのような守護天を呼び出すため、とかな」

「あー、そっかー……そうだよねー……」

 

 質問に対し前提の確認をする立香に、キャロルは淀みなく応える。言った側もそうだろうことは自覚していたのか、僅かに目線をそらしぼやく。

 

「いいんじゃないか?どうせもう予測できてるだろう、マスター?」

「まあそうだけど……さぁ」

 

 だがそれもわずか。アマデウスの言葉に意を決したのか立香は顔を上げた。

 

「うん。ほぼ後者だと思う」

「……そうか、そうだろうな」

「……やっぱりかよ。なんとなく気付いちゃいたさ……認めたくはねーけど、な」

 

 キャロルは立香の答えを判っていたというように頷き、クリスは追随するように立香の出した結論を肯定する。

 

「魔神ってあれでも理知的と言うか、理性的だからね。多分仕込みは全部終わって、余暇でちょっかい序に私たちをどうにかできればいいかなって来たんじゃないかなぁ……。そういうの、今までもあったしね」

「あったのかよ」

 

 目玉だらけの柱、という指揮者デモノイズを想起し、あんなのがちょっかい掛けに来るのかとクリスが身震いする。実際は何か勘違いめいているがまあいっかと立香はスルーした。

 ちなみに立香は「仕事の終わりついでに寄った」というだけで邪視によりガチ呪殺されかけている。魔神にとっての片手間は立香たちの致命、何処までも注意が必要な相手だった。

 

「となると、時間稼ぎというよりはむしろ文字通りちょっかいでしか無かったのだろうな。どうにもオレを嫌っているようだったし、オレを絶望させに来たんだろう……貴様らがいるのは想定外だったようだが」

「ギャラルホルンによる接続を感知できなかったみたいだしね。ギルガメッシュが言う通りなら、僕らやマスターのレイシフトのためのレンズ・シバの観測もギャラルホルンゲートを介している以上、僕らにも気付かなかったと」

 

 キャロルは立香の解説と魔神の態度から相手の考えを推測し、今回の行動がどういう目的だったのかをおよそ把握する。

 瀕死のキャロルだけだろうから素の自分でも十分殺せると考えていたところに、カルデアのレイシフトとギャラルホルンによる装者の出現が重なったためにこのような激戦を装備もなしに熟す羽目になったというのが真実ではないか、とキャロルは推測し、そこにアマデウスが補足する。

 

「……では、今回の魔神は今武装を修理し、かつ肉体を修復中であるということでもあります。相手の拠点が判らないにしろ、多少でも時間が出来たというのは僥倖ですね」

「ああ、少なくとも魔都の守護天攻略に邪魔が入る可能性は下がった。……だが」

 

 ベディヴィエールの幸運に感謝する言葉を半分肯定したキャロルは、そこで言葉を区切る。

 今回の魔神の行動理由が先程の推測で合っているのであれば、それは幸運であると同時に1つの事実とつながっていた。

 

 

「……次に戦う時。魔神はフォニックゲインを纏うための武装を使ってくるだろう。この空いた時間に、どうにか対策が見つかればいいがな」

 

 

 非常に重い空気を纏ったその言葉に、否応なしに周囲が沈み込む。

 

 絶望的としか言えない現実を伝えるキャロルの言葉が、辺りに虚しく響いた。



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第4節 異世界防衛同盟(2)

「風鳴翼、只今戻りました」

「立花響も戻りましたッ!」

 

 S.O.N.G.本部たる潜水艦、そのなかでもある意味発令所より厳重に守られている場所──聖遺物格納庫。

 そこに開いているギャラルホルンゲートを通り、並行世界で行動していた翼と響の2人が戻ってきた。

 

「おかえりデース!」

「おかえりなさい……あれ、クリス先輩は?」

 

 待機していた切歌と調は戻ってきた彼女たちを出迎えたが、出立したときと比べ人数が少ないことに気付き首を傾げる。

 彼女らの質問を聞いた翼はどう答えようかと一瞬悩むも、答えるより先にやるべきことがあると判断し早足で歩を進める。

 

「すまない、暁、月読。現在急いでいてな、すぐに出戻る必要がある。司令に早急に確認と連絡を取りたいが、今何処に……」

 

 

「──俺は此処だぞ、翼」

 

「ッ司令!?──申し訳ありません、少々浮足立っていたようです」

 

 が、どうやら同じ室内に司令である風鳴弦十郎も待機していたらしく、声をかけられたことで翼は慌てて振り向き謝罪する。

 歴戦の戦士たる翼が気付かないということは本来ありえず、翼は自分が予想以上に焦っていたことを自覚した。

 

「らしくないな、その慌て様は。……並行世界でなにかあったか」

「何かどころじゃないんですよ師匠ッ!ちょっと今までに類を見ないビッグでビックリな状態でして……」

 

 響もまた翼同様に慌てているらしく、話題が振られるや否や止め処なく語りだそうとする。

 が、それを止めたのは翼だった。

 

「私が言うのもあれだが落ち着け、立花。……司令、我々があちらで経験したことの概略を説明させていただきます」

「……どうやら本当に深刻らしいな。ああ、頼む」

 

 

 どうせ説明するなら、とメインのオペレーター達が集っている発令所に場所を移し、翼は説明を始めた。

 といっても、魔神や魔術、英霊やカルデア等については大雑把な説明にのみとどめ、まずどういう状況にあるのかということを先に話すことになった。

 

「……というわけで、向こうの世界はキャロルが生存し、それに対しエルフナインが落命していました」

「成程、な。そして、そのエルフナインくんの遺体に取り憑いた『魔神』とやらが向こうの世界を滅ぼしにかかっている、と……」

 

 翼の語った内容に、どうとも言えない表情をするスタッフたち。

 さもありなん、今までギャラルホルンで移動した並行世界では、聖遺物やら哲学兵装やらといった敵対することも利用することも多々ある物が原因であることが基本だった。

 だが、それらとは全く違う異世界の住人が割り込んできていると言われても困るというのは当然の話である。それでも翼が言うことだから、と全員信じてはいるのだが。

 

「キャロルが生きていた……のは、ボクとしても気になりますが……。ボクが死んでいることと、キャロルが生きていることにはつながりがあるんでしょうか……」

 

 発令所で話を聞いていたエルフナインが、辛そうな気配を滲ませる。

 まるで自分とキャロルが同じ世界にいてはいけないとでも言われているんじゃないか、エルフナインはそう感じてしまっていた。

 

「ッ!あ、ああ。いや、代わりというわけではないのだろう。あちらの世界のキャロルが生きていた理由として、ヤツ自身が戦いの中で立花の言葉に感化されたと語っていた。それに現地協力者であるアマデウス氏によれば、あちらのエルフナインは魔神に取り憑かれた結果として自死を選んだということだ。そこに因果関係はない」

「そうそうッ!今回はほら、たまたま魔神さんがなんちゃらしちゃったからだからッ!」

 

 どんよりし始めたエルフナインを見てあわてて答える翼。響もフォローなのかよくわからないことを言ってエルフナインを元気づけようとする。

 急にわたわたしだした2人にクスリと笑い、エルフナインは首を振る。

 

「大丈夫ですよ、ふたりとも。それで、そのカルデアの人たちと通信が可能か、ということでしたが……」

「俺たちの現状の技術力では不可能だが、あてはあるのか?」

 

 エルフナインの言葉を引き継いだ弦十郎に、翼と響はどちらともなく顔を見合わせ、そして翼が答えることになったのか口を開いた。

 

「はい。それで、我々の使っている通信……その端子、端末、通信形態に関する情報が欲しいとのことでした」

「……成程、お前たちで判断する訳にはいかないな」

 

 弦十郎はカルデアの要求に唸る。別に通信端末や通信形態にそこまで頓着しているわけではない。というのも、回線こそバレないようにしているものの、それ以外はこの世界ではそこそこ知れている技術だからだ。

 が、それの相手が異世界である。翼たちが信用している以上、弦十郎たちにとっても信用がおける相手ではある。しかしあくまでそれは個人的なものであり、組織的な信用とは別物でもある。

 組織としての常識か個々人の鑑定眼、どちらを取るべきかを心中の秤にかけた弦十郎は、しかしそう悩まずに結論づけた。

 

「よし、わかった。教えてやってくれ、責任は俺が取ろう」

「!やった、ありがとうございます師匠ッ!」

 

 もしこの判断が裏目に出たら自分が責任を取ればいい。弦十郎は考えた末に彼女らにその意志を伝えた。弦十郎の決断に響が飛び跳ねて喜ぶ。

 

「司令?我々から依頼しておいてなんですが、本当に……?」

「ああ、構わんとも。……というかだな、話を聞く限り向こうにはキャロルがいて、その上キャロルは今の事変の前までは風鳴機関に所属していたんだろう?なら、俺たちが提供せずとも端末関係の情報を得るのは容易だろう。にも関わらずにこちらに了承を得ようとする律儀さを俺は尊重したい」

「あ……」

 

 弦十郎の言葉に翼と響が今気づいたとばかりに口をぽかんと開ける。

 こんなことにも気付かないとは、余程切羽詰まっているのかと弦十郎は苦笑した。

 

「やれやれ、焦るのは判るがな。だが焦るときこそ冷静さが肝要だぞ?」

「申し訳ありません……」

 

 軽い忠言に思わず縮こまる2人。

 

「いいさ、気負いすぎるなよ?戦うのをお前たちに任せはしているが、だからと俺たちを頼ってダメという道理はないからな。……というわけで、俺たちを頼れるように向こうに返事を頼めるか、2人とも?」

「……了解ッ!」

「りょ、了解ッ!」

 

 弦十郎の言葉に綺麗な敬礼で応える翼。響は若干もたついたが、皆響のキャラを判っているのでそこに注意は入らなかった。

 

「……待ってもらえるかしら?」

 

 いざ出発と諸物資を補充した2人に声がかかる。翼が機敏に振り返るよりも先に格納庫の扉が開き、逆光で人影がシルエットのように浮かび上がる。

 姿の詳細こそ見えなかったものの、翼は声と猫耳みたいなシルエットの髪型から、そこに誰がいるのかを直ぐに把握した。

 

「その声は……マリアッ!?イギリスにいたのでは無かったのかッ!?」

「ライブが終わって直ぐにチャーター機を出してもらったわ。流石にこの奇妙な一大事、表仕事にばかりにかまけていられないということよ」

 

 マリアが言うには、イギリスにいたS.O.N.G.職員たちと話して飛行機をチャーターしたという。

 通常なら此処まで急な行動は慎まれるべきだったが、この異変による奇妙な感覚……不明ながらも大きな喪失感の伝播現象はイギリスのS.O.N.G.職員たちも経験していたため、比較的スムーズにことが動いたとのことだった。

 

「先程までの貴女たちの話、1から10まできっかり聞かせてもらったわ。その上で提案なのだけれど──私も、そちらの世界に向かってもいいかしら?」

「何?だがギャラルホルンの移動は原則3人、そして残りの人員でこちらの防御を熟すのが定石だろう。私、雪音、立花の誰かと交代するということか?」

 

 勿論、通信が成立してからでいいけれど、というマリアの提案を訝しむ翼。別に交代すること自体は問題ではないが、その提案をした理由を翼は聞きたかった。

 本来、ポンポン人を交代するのは宜しくはない。相手方と交流を深めた人材を中心に行動したほうが連携が取りやすいのは当たり前で、派遣者が変更されればそれだけ関係を深めるのに時間がかかる。

 

「いいえ、そうではないわ。交代ではなく増員を願い出てるのよ」

「……?」

 

 マリアの言葉に、翼はますます疑問を深める。

 

 そもそも彼女らの半数が待機する理由は、装者不在の穴を他の組織等に突かれるから……だけではない。ギャラルホルンによる並行世界とのつながりはこちらの世界にも影響を及ぼすことが多々あるため、そちらの対処をする必要があるのだ。

 とはいえ、影響と言っても大抵は並行世界のノイズや聖遺物、あるいは哲学兵装やその複合的産物の影が出現するというもの。装者たちからすれば対処できないものではない……が、それでも通常戦力ではどうにもならない場合が多い以上残らざるを得ないのである。

 また、その影は最初は出現後に僅かな間をおいて消える程度のものだが、世界とのつながりが強まることでより強固な形を得て出現し、最悪の場合固着する危険もある。

 そのため、基本的にギャラルホルンの異変解決はスピード勝負かつ適度な戦力配分が大事であり、状況が確定していない現状での今のマリアの発言はそれを乱すものと取られても仕方ないものだった。

 

「ふふっ、安心して?別に考えなしに言っているわけじゃないわ」

 

 当然言ったマリアもそのことは理解している。その場の誰かが開く口に機先を制し、マリアが話し始めた。

 

「相手方の魔神……だったかしら、本来的にはこの世界との接続、ギャラルホルンによる橋頭堡を疎ましく思っている。そして……計測値が正しければ、かの並行世界は徐々にこちらから遠ざかっているとも言っていたわね、エルフナイン?」

「はい。ですが、その速度は微々たるものです。何れ接続が途絶えるにしても、時間はかかるものかと……」

 

 エルフナインは今までの計測結果から、ギャラルホルンが該当世界とのゲートを維持できなくなるまでの凡その時間を推測していた。

 結果、ゲートが自然消滅するのは短く見積もっても月単位の時間はかかるだろうと解析チームは判断しており、不介入による早期解決は見込めないと結論が出ていた。

 

「そう、そこよ。今までの並行世界は長時間の接続の結果として要素の固着する危険があった。だが、今回の世界ではソレを拒む魔神がいる」

 

 ギャラルホルンについて報告するエルフナインに、ピッと指を立てるマリア。

 その言葉にエルフナインは少しだけ考え込み、直ぐに理解したのかハッと顔をあげる。

 

「!成程、並行世界での相違点の増加、法則の歪曲等の手段を魔神が取っているというのは翼さんから伺いました。それらは全てギャラルホルンの影響から離れようとしているため、そうマリアさんは考えているんですね?」

 

「ギャラルホルンを知らなかったみたいだから別な理由かもしれないけど、少なくともギャラルホルンの影響に反する何かを行っていて、その結果としてギャラルホルンの接続が不安定になっていることは事実。なら、それを実施してる魔神をどうにかしない限りこの影響は止まらない……逆に言えば、こちらへの影響は増加どころか減少するのではないかしら」

「なるほど、確かに考える必要があるかも知れません。ギャラルホルンのゲートが開いてからこっち、並行世界からの影響は最初の1回のみ……もしかすれば、これ以上の直接的な影響が発生しないという可能性も十分にあります」

 

 マリアの言葉を聞き、その真実性について脳内で検討を始めるエルフナイン。

 

「……確かに増員は助かる。だがマリア、なぜそこまで?」

 

 むむむ、と唸るエルフナインを尻目に翼がマリアに問いかける。

 マリアが今まで話した内容は確かに真実ではあるが、そもそも翼が聞きたかったことはなぜ並行世界に行きたいのか、である。

 もちろん只の善意、あるいは互いの戦力比からの判断ならソレでもいいが、どうにもソレだけが理由ではないのではと思えてならなかった。

 

「……察しが良いわね、翼。勿論手伝いたいのはその通り、だけど……」

 

 そういってマリアは僅かに黙り込む。どう言葉にまとめようかと思案しているらしく、「……のためだから……いや違うわね……」などとぶつぶつとつぶやいている。

 やがて言葉がまとまったのか、マリアは改めて顔を上げた。

 

「そうね、私は問いたいのよ……ドクター・ウェルに。最低の……英雄として死に、そして蘇って。そんな彼が魔神と協力してまで、いったい何を望んでいるのか」

「……確か、マリアはウェル博士の死を見届けたのだったか。なるほど、であれば複雑な思いもあろうものか……」

 

 マリアの決意に満ちた瞳を受け、翼は呟く。

 

 ウェルのことは翼はあまり深くは知らない。直接話すこともごくごく少なく、他の装者に比べて関わった事自体が稀とも言える。

 そんな彼女からしても、ウェルという男は傍迷惑極まりない人間であり、それでも最後まで己が信念……もはや執念などと言い換えられそうなそれを貫き通さんとしていた人間という印象が強い。

 

(マリアが言うには、こちらの世界のウェル博士はその理想に殉じたとのことだった。そして向こうの世界の辿った道を考えれば、同様の末路を辿っている可能性は十分にある)

 

 翼は頭の中でマリアの目的を纏めていく。そしてそれがこの状況下に適うだけの理があるのかについて考慮し、やがて結論を出した。

 

「……そうだな、私は構わない。司令、マリアの同道に問題はありますか?」

「問題ない。が、そうだな……マリア君」

「?何かしら。……ああ、もしこちらに何かあれば私がいの一番に戻るわ」

 

 翼に許可を出した弦十郎は、マリアに一声をかける。

 なにか条件を出されるのだろうか、とマリアが疑問を浮かべる。いや、正確に言えば条件は出されて当然だがどんな条件が来るのだろうか、ということをマリアは考えていた。

 取り敢えず何かあればこちらを優先するという立場表明をしてみるものの、どうやらそういうことではないらしく、弦十郎は難しい表情を浮かべている。

 

「……あちらのウェル博士は、我々の世界のウェル博士と同じ末期を迎えた可能性は非常に高い。だが、だからといって同一人物であるわけではない。……もし期待するようなことがなくとも、気負わないようにするんだ」

「────」

 

 弦十郎の口から出たのは条件でも何でもなく、マリアが受けるかも知れない心傷へのフォローだった。そんな答えが来るとは思わず、思わずマリアは目を見開き、次いで俯いて身を震わせる。

 その様子に弦十郎は慌てたが、同じくその様子を見ていた翼は呆れ顔を浮かべる。

 見ればどうやら泣いているとかではなく、笑いを堪えるのに必死なようである。よく耳をすませば、吹き出すのを堪えているような吐息の音が聞こえてくる。

 

「ま、マリアが壊れたデース……ッ!」

「大丈夫、マリア?深呼吸、深呼吸……」

 

 思わず切歌と調が駆け寄ってマリアを宥める。一体どこが琴線に触れたのか……は、なんとなく2人にも判ってはいたが、ソレはソレとしてここで大爆笑すると色々台無しである。

 

「…………~~ッ!はぁ……ふぅ。いいえ、最初から気負うつもりはないわ。そもそもドクター、ええ、あのドクターよ?期待通りの答えが帰ってくるなんてはじめから思ってないわ」

 

 マリアにとって、ドクター・ウェルは掛け値なしに天才で狂人である。装者たちの中でも比較的真っ当な常識を持つマリアにしてみれば、その理念・思考回路の全てを理解なんてできようはずもない。

 それでも協力しているうちは(行動予測も兼ねて)どうにか理解していければと努力することもあったが、こと此処までくれば諦めの境地でもあった。

 

「そこまで言うんですか……」

 

 ウェルの考えてることがわからないと堂々と宣言するマリアに響は思わずぼやく。

 

 確かに響にとってもよくわからない人でありぶっちゃけ色んな意味で良い思い出がない相手ではあるが、それでもマリアたちは結構深い付き合いではなかったんだろうかと首を傾げた。

 響が呆れるのも無理はないが、それでもマリアは首を振る。

 

「ええ、言うわ。でも、ドクターは英雄に狂奔していたし、それを疑うことだけは絶対にない。……であれば、魔神に協力しているのはその意に沿うものか、あるいは無理やり従わされているのか。どちらにせよ、話を聞く価値はある」

「……たしか、『暫定少女を手伝い、理解されずとも戦う影の英雄』っていってましたよね?」

 

 ふと、響が思い出したことを話す。

 自分のことを堂々と宣言するあの姿は「この人なんも変わってないな」と思わせるには十分な勇姿だったが、そこに語られる内容は彼の現状を示すものであることには違いない。

 

「そうなの?なら……いえ、その『暫定少女』が取り憑いてる魔神のことか、はたまた依代のエルフナインのことなのかは不明ね」

 

 当人の弁から判ることは、と考えたものの、そこから先の類推にはやはり情報が足りない。

 やはり行く必要はありそうね、とマリアは首をすくめる。

 

(……それにしても。ドクター、一体何を考えているの……?)

 

 マリアの脳裏に飛来するのは、ドクター・ウェルの死に際の姿。

 キャロル・マールス・ディーンハイムが構築したワールド・デストラクターを破壊するために命を賭け、その果に人類を救ったと言えなくもない……彼女の知る限り最低の英雄。

 彼の死に至るまでの歴史とその結果は、彼にとって満足だったのだろうか。考えていること自体は分かりやすいが、天才と断言できる彼の思考の先にある行動と結果を予期できるだけの思考力はマリアにはない。

 それこそ英雄と呼ばれるような人智を超えた偉業を成すような人々なら、ウェルと同じ地平からモノを見ることが可能なのだろうか……と、そう考えたところで1つの考えが去来する。

 

(英雄……。そう言えばカルデア?から来ているという彼らはかつての英雄だったという話だったわね。……まさか、ドクター並みにオツムがねじ曲がってる人ばっかりだったりしないわよね……)

 

 英霊。サーヴァント。かつての神話や伝承に語られる英雄たち。彼らは果たして自分のように普通の価値観を持っているだろうか。

 地味に嫌な空想がマリアの脳裏に浮かぶ。今の所話を聞く限り善性のようだが、響や翼は自身に比べて常識が足りない……というより、常識外れに対する包容力に優れている気がする。有り体に言えば、マリアと比して天然度合いがだいぶ上である……とマリアは信じて疑わない。

 マリアにとってヤバイ手合に対しても十分に対処できるだけの非凡さを持つ彼女らが受け入れられても、マリアが受け入れられるのとは限らないのではないか……など、胸中に不安が渦巻き始める。

 

(……早まったかしら。いえ、大丈夫、大丈夫よッ!)

 

 表面上は不敵な笑みを浮かべたまま、その内面で自己暗示をし始めるマリア。

 

 ……尚、彼女は確かに相対的には翼や響に比べて常識的ではあるが、決して常識人と言えるような柔い人間ではない。人間、自分のことが見えないものである。

 

 

 

「皆さん。物資の準備が完了しましたので、ゲートによる移動者以外は離れてください。響さんと翼さんは準備の程を」

 

 マリアが煩悶としているところで、S.O.N.G.のエージェントである緒川慎次から声がかかる。彼の足元には結構な量の物資があり、装者たちの分以外にもカルデアから来たという人々の分まで用意されていた。 

 ちなみにこれは響が頼んだものである。追加物資はご飯アンドご飯アンド立香ちゃんたちのご飯で!と緒川に依頼しており、それを苦笑しながら了承した結果である。

 必然量もそれなりではあるが、ギアを展開すればこの程度の物資を運ぶくらいは容易……というか、翼も響もフィジカルに優れているので生身でも持ち運べなくはない、という程度でしかない。

 

「分かりましたッ!」

 

 そういってギアを展開し、荷物を一気に抱える響。翼も同じくらいの荷物を持ち、更に弦十郎から預かった通信許諾書を用意する。彼女らの世界で平時使われているホログラフ印ではなく、紙と印鑑というアナログ仕様である。

 

「それにしても、許諾書とかやっぱり必要なんですね」

 

 翼の手にあるソレを見ながら、響がポツリと零す。

 

「まあ、責任の所在は大切だからな。普段は職員に届けさせるが、並行世界相手になると君たちに持っていってもらうしかない。頼むぞ?」

「はっ、謹んで拝命致します」

「頑張りますッ!」

 

 緊急時、身内相手なら口約束とかで済ませることも無いわけではないが、その存在が不明瞭な組織相手に口約束、なんて手段をとって後で誰にどう文句が行くかがわかったものではない……ということで、弦十郎が用意したものである。

 これらもS.O.N.G.が現場で働く自分たちを守るための手段である、というのは響たちも判っている。自分達を守ってくれる、見ていてくれる人たちがいるというのはやはりやる気が出るものなのか、翼と響の返事もしっかりとしたものである。

 

「それでは、何れ通信越しにまた」

「立花響、いってきます!」

「ああ、行ってこいッ!無事に戻れよッ!」

 

 力強く出立する2人を激励する弦十郎。その激励に笑顔で応え、2人はゲートに消えた。

 

 

「それにしても、魔神、ですか……」

 

 2人がゲートを通るのを見届け、エルフナインが呟く。

 

 彼女らの今度の敵は聖遺物でも哲学兵装でも、まして錬金術師でもない。

 まったく異なる異世界の論理によって構築された異形のもの、魔神アムドゥシアス。

 どう対策をとるべきか、今から頭を悩ませるところである。

 

「ああ。アムドゥシアスはソロモン王の72柱の魔神だったか。……ソロモン、か。ノイズを依代としていることと何か関わりがあると見て間違いないのだろうが、判断が難しいな」

「はい……。魔神アムドゥシアスは67番目の魔神であり、人に音楽の才を与え、また音楽会を開く力を持っているとされています。出現時にはオーケストラによる演奏が流れるとも。これが"音楽"という概念を形とした哲学兵装に類するということなら、フォニックゲインを自在に扱えることにも一定の納得できます。ですが確証を、となると……」

 

 エルフナインが口ごもる。結局の所、相手の法則等を理解するにはそれ相応に調査する必要がある。

 だが、そもそも調査が出来ていない……否、並行世界の調査が出来ないのは今までも同様だった。従来までの並行世界と異なる点は1つ。

 

「現地にS.O.N.G.が無い……というより、無くなってしまっていたとは。俺たちの感じた喪失感とも関係はありそうだが、なにより必要なデータを収集できないというのは辛いものがあるな。」

 

 平行世界のS.O.N.G.は壊滅どころかいつの間にか完全な蛻の殻と化していた、とキャロルは語っていた。

 つまり、従来と異なり現地の組織と協調行動による調査をすることが不可能であり、聖遺物に詳しくないカルデアから派遣されたメンバー以外に現地でバックアップがないということになる。

 よってデータを採取するにもカルデアの機材ではデータを収集できないため、S.O.N.G.の機材を通してデータ化して貰う必要がある……が、そこで問題になるのは並行世界の緊急度合いである。

 

「やれやれ、あちらがどうにか俺たちと通信できるようにしてくれるというなら、むしろ感謝だな……」

 

 響たちの話を聞く限り、並行世界は極めて危機的状況であることは疑いようもない。そんな中で一々ゲートに戻って情報共有、対策を考える……なんてやってる暇はない。

 現地にS.O.N.G.がない以上、リアルタイムでデータ解析をすることが可能になるのであればそれに越したことはないのである。

 

(それにしても……カルデア……魔神……)

 

 感謝の言葉を漏らす弦十郎を見ながら、エルフナインはふと疑問に思う。

 カルデア、ギリシャ語の地名の1つであり、同時に占星術、天文学に優れたバビロニアの古民族国家を指す言葉でもある。が、それが体系化されている国連組織として存在しているということはない。

 あくまで別世界の組織であり、今まで彼女たちが蓄積してきた並行世界の記録の中ですら全く影も形もない存在……完全なる異世界に由来するもの。

 

(……そもそも、一体何があったら全く別の、法則すら違う世界の産物である魔神が並行世界に現出したのか……)

 

 彼らが魔神と戦っていたということは、魔神も同様に彼らの世界に根ざしたものに他ならない。であれば、魔神が並行世界に出現するにはそれ相応の理由がなければおかしい。

 そして、エルフナインは最も可能性の高い……しかし同時に極めてありえない予測だけはあった。

 

(いや、バビロニアの宝物庫が焼け落ちているという話があった以上、あるはずがない。だけど、もし残っていたとすれば、ボクが取り憑かれる可能性がある時期と合わなくもない)

 

 完全聖遺物の暴走により、ほぼ全てが焼却されたというバビロニアの宝物庫。

 その暴走の余波が現実世界に来ないようにと、内側から宝物庫を閉めるために使用された「鍵」。そして、他の宝物庫の中身同様に蒸発したと考えられる聖遺物。

 

(……ソロモンの杖が、残っている……?)

 

 バビロニアの宝物庫の鍵、72の命令権(コマンドワード)を以てノイズを支配する完全聖遺物「ソロモンの杖」。

 この世界で消滅したはずのそれが並行世界に残存している……エルフナインは、そのごく僅かな可能性を切り捨てることが出来なかった。

 

 



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第4節 異世界防衛同盟(3)

『おっと、接続はこっちだよー。ほらマシュ、そのケーブル持ってー』

『は、はい!』

「うへー、あんなケーブルとか何処にあったんだろ……」

 

 GOサインを受けたことで、響たちの世界との通信網確立に向けたカルデア側の準備は着々と進んだ。

 立香はモニター越しに様子を眺めていたが、マシュが一抱えもあるようなケーブルをよく判らないソケットに繋いだりする姿を見て言葉を漏らす。

 そしてその様子を一通り見た後、今度はギャラルホルンゲートに目を向ける。

 

「……で、こっちはこっちで凄いなあ。ねえギル君、その……えっと、それ何?」

 

 思わずという風に問いかける立香。その瞳には変わり果てたギャラルホルンゲートと、その傍に設置された豪華な玉座に座す子ギルが映っていた。

 

 ゲートの周辺には多くの宝具が呼び出されており、それらが組み合わさった姿は絢爛な神殿か何かに見えてくる。

 その異様な光景に、ギルガメッシュの黄金っぷりに慣れていない装者たちは全員思わず引いていた。

 

「何って、通信設備ですよ?ああ、半分くらいは防衛用ですが」

「……えぇ……」

 

 その異様な領域をさも常識であるかのように語る子ギルに、思わず立香も絶句する。

 こういったゴージャス感あふれる所業は子ギルではなく大人のギルガメッシュ、陣地という意味ではカルデアギルガメッシュで最年長(?)であるキャスタークラスのギルガメッシュがやらかすようなものである。

 一応同一人物とは言え、基本的に遠慮や道徳を押さえている子ギルが此処まで派手派手しくするとは立香も思っていなかった。

 

 うへー、と眺めているマスターに子ギルは不満そうな表情を浮かべた。

 

「……マスター。ボクだって別に綺羅びやかぶりを殊更にアピールしているわけではないんですよ?豪華なのは好きですが、これは単に必要な分を揃えているだけです。

 通信用としては伝達・通信に纏わる伝承を持つ宝具や異世界・門に纏わる伝承を持つ宝具……の原典を使っています。通信先どうしの観測は『全知なるや全能の星(シャ・ナクパ・イルム)』によって行い、これらの宝具で実際の通信を行う形になります」

 

『で、その宝具による通信を相互に行えるよう、さっき見せてもらったS.O.N.G.の通信システムのデータ形式を宝具通信用の形式に変換、及びカルデアのシステム用のデータに再変換するための変換システムをこっちで作っているということさ。

 ちなみに余談だけど、そこの宝具群の中にはそれこそ北欧神話のギャラルホルンの原典とか、鈴鹿御前の顕明連の原典とかあるらしいよ?』

 

 ダ・ヴィンチの言葉に、おおーと立香が驚嘆する。

 

「……よく判んないけど凄いことはわかった!」

「いやお前はわかっとけよ」

 

 立香のポンコツっぷりに思わずツッコミを入れるクリス。お前のとこの技術じゃないのかよと呆れ顔である。

 もっとも、直ぐに自分のところのポンコツひよこ頭を思い浮かべて首を振る。

 

(いや、一定の知識すら無いポンコツはあたしんところにもいたか……)

「にしても、こんな直ぐに出来るもんなのか?その通信システムって」

 

 考えててもしょうがないとダ・ヴィンチに聞いてみる。

 実際作業を手際よくやっているところからすれば出来るのだろうが、如何にオープン感満載の組織だとしても腐っても国連の組織。データを渡したからといって早々簡単に──特にも異世界の人間に解析できるようなシステムなんだろうかと少し不思議に思っていた。

 が、ダ・ヴィンチはクリスの言葉を聞いて、やれやれと大仰に肩をすくめた。

 

『そりゃそうさ。なんたって私は天才なんだぜ?それにカルデアも何だかんだ国連の手が入ってるから世界は違えど通信の暗号化様式は似通ってるってのもあるし、他の技術系の英霊もいるからねー、手伝ってもらってるのさ』

「……なあ、今更だけどなんで中世の天才が現代技術に精通してんだッ!?なんかおかしいだろッ!?」

 

 クリスとて昔の人間が今の技術に精通していることに文句を言いたいのではない。例えばキャロルやパヴァリア光明結社、フィーネのように昔の人間が得てして優れた技術力を持っている、というのはクリスの世界にもままある話ではあった。

 しかしそういった例は基本的に現代まで生きているであるとか、知識を引き継いでいるからという理由がある。英霊たちのように死してから現代に蘇ったわけではない。

 

『おっと、地味にいいところを突くねクリスちゃん。カルデアの英霊召喚システムはかつて行われた聖杯戦争を元に構築されたものでね、召喚時点で時代における一定の教養・常識が頭の中に入ってるのさ』

「あれ?だけどダ・ヴィンチちゃん、それじゃあキャロルちゃんや了子さんみたいに一流の最先端ッ!ってなるのはなんでなんですか?ま、まさかそれも一般常識で全問正解するのが普通英雄とかそういうアレなんですかッ!?」

「待って響、それだと私がそっくりさんにッ!」

 

 まさか自分たちの世界と違って立香たちの世界だとあの程度は一般教養なのだろうかと震える響に、ポンコツ発言をしていた当の立香が慌てる。

 誰の何がそっくりさんだよ、とクリスがぼやいているのを尻目に、ダ・ヴィンチはそれこそ常識とばかりにため息を吐いた。

 

『ふぅ、いいかい響ちゃん。……それは私が天才だからさ』

「──なるほどぉ……」

「……やはり天才とは凄いな」

 

 ダ・ヴィンチのドヤ顔に無邪気に感動する響にボケを重ねる翼。

 危機的状況だと言うのに天然無法地帯と化している現状に、キャロルとクリスは重い溜息を吐いた。

 

 

 

 キャッキャウフフ……と呼べるかはともかく、少女(例外あり)たちの姦しいという言葉が似合う光景。

 それを流し見ながら、立香の召喚したサーヴァントたちは寄り集まって話をしていた。

 

「……それで、英雄王。通信設備はともかく、迎撃武装を取り出しているということはやはり……」

 

 ベディヴィエールが物々しくなったゲートに使用されている宝具群を見て、子ギルにそう確認を取る。

 

「あ、子ギルでいいですよ。……まあ、魔神は此処を潰せば勝ちですからね。デモノイズを差し向けてくるでしょうし、防備は十分にしておかないと」

「まあね。それにアムドゥシアスは並行世界や過去・未来の情報の把握に長ける情報室の魔神だ。世界の勝手が違ったとしても、並行世界を渡れるゲートっていう便利なものを使って向こうの世界のギャラルホルンそのものを壊しに来るかもだ」

 

 ベディヴィエールの言葉に端的に答える子ギルと、それを補足するアマデウス。

 通信用に構築された玉座の周囲には自動迎撃系の宝具の原典による防衛網、相手が位相差を利用するということで優れた感知能力を持ったセンサー系の宝具による監視網が敷かれている。立香たちは気付いていないが、最早一種の城塞宝具に近いものとなっていた。

 だが、それでも相手はノイズと魔神。根本から法則が異なる者同士の融合という異形に対し警戒しすぎるほどはないだろうと子ギルは考えていた。

 

 その光景を眺めていたダビデが、ポツリと呟く。

 

「あれだね。そもそもS.O.N.G.とかキャロルの技術を使ったほうがノイズ検出の精度がいいんじゃないかな」

「……確かにそうかも知れないですけど。ただ、S.O.N.G.の設備はキャロルさん曰く本部のハコだけで人員ゼロだそうですし、ボクの宝具と連携を取れるように改修できる人員がこちらにいないので」

 

 子ギルの言葉に、あー、と納得するダビデ。盲点だったとばかりに額を抑え空を仰ぐも、相変わらずの曇天模様に首を振る。

 ベディヴィエールも子ギルの言葉に成程と頷き、ため息を吐く。

 

「……エジソン殿やテスラ殿がいれば、そういった改修も可能だったかも知れませんが……。こちらの世界と縁浅いのか、不在なのではどうしようもないということですか」

「はい、そういうことですね。っと、そろそろ準備が出来そうなので、マスターを呼びましょうか」

 

「んー、ギル君呼んだー?」

 

 マスターという単語は耳ざとく聞き付ける質らしく、立香が話を切り上げ子ギルのもとに向かう。

 同時代同世代の少女たちとの話が随分久しぶりだったのもあってか、その顔には楽しげな笑顔が浮かんでいた。

 

「はい。準備ができたので指示をお願いします、マスター」

「お、できたの……ってうわ、さっきよりゴージャス!でもなんかバランス取れてる気がするし万事良し!ソレじゃ一発……ダ・ヴィンチちゃんお願いします!」

『もちろん!さあ、初めてとなる特異点中継並行世界通信、いってみよー!』

 

 完成した子ギルの通信用玉座をみてテンションを上げた立香は、ノリノリでダ・ヴィンチにぶん投げる。そしてダ・ヴィンチもその流れに乗り、勢いのままにレバーを倒した。

 

「……あのレバー、いるのか……?」

 

 モニターに映るダ・ヴィンチの様子に、クリスが疲れ切ったようにぼやく。

 当然ダ・ヴィンチが面白半分に据え付けただけの代物であり、あんな前時代的とすら言えない変なレバーは元々存在しているわけもない。どころか、実際の操作は空間投影型のキーボード等により信号操作をしていた。

 

「何言ってるのクリスちゃんッ!あれはそう、ロマンだよロマンッ!刀持った人がしめ縄切るときにキーを同時に回すくらいのロマンだよッ!」

「そうそう、ロマンだよローマだよ!」

 

 ボケの供給過多な女子トークの果てにトンチキユニットを披露され疲労困憊なクリスの言葉に、まだまだ元気いっぱいな響が反論する。そして響のやけに具体的な意味のよく判らない言葉をスルーした立香が取り敢えずロマンでゴリ押す。

 そんなテンション高め過ぎての突っ込む気力すら失われてしまっているのか、諦めの境地で首を振るクリス。

 

「さて、これでうまく行けば──ッ!」

『───、─ちら──N.G.本部、発令所──全員、聞こえるかッ!』

 

 しんどそうにしているクリスをよそに通信の様子を固唾を呑んで見守る翼、その手に握られていたS.O.N.G.の通信機から声が辺りに広がる。

 通信機のスピーカーから聞こえてくるのは、翼の叔父にしてS.O.N.G.司令たる風鳴弦十郎の声。

 

『……成功です。通信波、受信確認です!』

 

 特異点を介したさらなる並行世界への通信、英雄王の財宝すらふんだんに実験が成功した証明たる声に、思わずマシュも興奮した様子を見せる。

 ダ・ヴィンチもまさか一発で成功するとは思ってもいなかったのか、逆に絶対に成功するという確信があったのか。奇跡の美貌に浮かぶ笑みをニンマリと深くする。

 

『……はじめまして、になるかな?こちらは人理継続保証機関カルデアの所長代理……サーヴァント・キャスター、レオナルド・ダ・ヴィンチだ』

『成程、あなたが……。こちらはSquad of Nexus Guardians……S.O.N.G.司令、風鳴弦十郎だ。……まずは、そちらでの我々の作戦行動に支援いただいたこと、深く感謝を申し上げたい』

 

 モニター、そして特異点を介しての通信。2つの組織の邂逅は、そこから始まった。

 

 

『しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチがモナリザがどうのという報告を受けた時は何事かと思ったものですが、実物を見て確かにそのとおりのだと二度驚かされましたよ』

『いやいや、芸術家たるもの真の美を追求しなくては片手落ちどころか両手落ちというものさ。そういう意味では弦十郎殿もいい肉体をしているじゃないか。私とは別ベクトルだが天賦の才を持っている上、才に胡座をかかずに向上心を持っていると見た』

『かの万能の天才に認められるとは恐縮ですな。何、男の鍛錬というのは飯を食い映画を見て寝る、それで十分というものですよ』

 

 ははは、と談笑する2人。元来性質が善性同士、かつどちらもフランクな人柄であるため、会談開始からそう間を置かずに一気に打ち解けていた。

 一通りお互いに褒めあったところで、ところで、と弦十郎が切り出す。

 

『件の"魔神"について、カルデアの方々が詳しいという話を響くんから伺いましたが……詳細について、お願いできますか?』

『ああ、いいとも。法則の違うそちらで神秘の漏洩も何もあるもんじゃないしね』

 

 ダ・ヴィンチは魔神について説明をする。ソロモン王の使い魔、72の魔神。それぞれがそれぞれの概念を抱く魔術基盤の一角、そして音楽の概念を抱くアムドゥシアスという魔神が黒幕ではないかということ。

 ……そして、先程まではバタバタしていたために装者やキャロルには話せていなかった秘密──魔神の正体についても。

 

『アムドゥシアスは一角獣の姿をしているという魔神だが、そもそも我々の世界におけるソロモンの魔神というのは色々複雑でね。既存の信仰を受けた土着神、民間に語られる精霊や悪魔の伝承を元に束ね上げた一種の魔術そのものだ』

『……魔術そのもの、ということはつまり何処かに魔術を行使する者……いわば魔術師とでも呼ばれるものがいるのですか?』

 

 S.O.N.G.発令所の大モニターいっぱいに映るダ・ヴィンチからの言葉に、弦十郎が唸る。

 ソロモン王の魔神というからには使役されるものであり、魔術を行使するなり魔神を使役するなりする魔術師がいるという推測は、ダ・ヴィンチの言葉から考えれば決して間違ってはいない。

 

『いや、いないだろうね。そもそもアムドゥシアスがどうやってこの世界に漂着したのか判らないけど、仮にこの世界で魔神を召喚しようとすれば神霊規模の魔術行使を可能とするだけの魔力と魔法使いばりのトンデモが必要になる』

 

 明確に表舞台に出ている魔神に対し、隠れている魔術師にも対処する必要があるか……と弦十郎が考えたところで、ダ・ヴィンチはそれを否定する。

 

『かといって、どんな仕組み……というか手管を使っているかについてについては、不確かすぎてなんとも言えない。一応カルデアの指揮官としてではなく万能の天才ダ・ヴィンチちゃんとしての推測はあるけど、ソレで良ければ答えよう』

『……聞かせてくれ』

『OK、立香ちゃんたちも聞くように』

 

 あえて個人による推察と明言し他のスタッフ等に責任が行かないようにする辺り、余程不確かなのだろうと弦十郎は当たりをつける。だがそれでも聞かないよりは聞いていたほうが万倍いいだろうと頷いた。

 声をかけられた立香や一緒にいた響たち装者、キャロルやサーヴァントたちも何事かと集まっていく。

 

『さて、まず前提としてになるかな。魔神は自立稼働する魔術であるから、一度動作を始めてしまっている以上は魔術師を必要とするわけではない。けど同時に、現実への変換器がないと魔神は世界に表出し得ない。

 ……つまり、召喚者・依代の類がないと魔神は魔神として出現できないわけだ。今回の魔神の受肉体としての依代はノイズであるわけだけど……』

「デモノイズか。だがソレはとっくに知れていることだろう?」

 

 わざわざカルデアとしてではなく個人として、と前置いてまで語ることかとキャロルが首を傾げる。

 デモノイズ……それがノイズと魔神アムドゥシアスの融合体であり、音楽に纏わる概念を内包する一種の哲学兵装、あるいは概念武装としてフォニックゲインを扱えるということは戦闘中に既に予測できていたことである。

 感動させるために装者たちの心中を捻じ曲げるという傍迷惑な副次効果まであるという厄介な声質を持つため、S.O.N.G.にとって死活問題であるとして既にS.O.N.G.にも伝えられている内容でもある。

 

『そこはまあキャロルの言う通り。でも、受肉体である魔神柱としての霊基をデモノイズに譲渡したということが問題でね。──魔神は、"魔術師"に召喚・使役されなくてはならない。使い魔として造られた存在としての宿命として、人の下に在ることを強いられているんだ』

「……だが、そこでエルフナイン……ああ、魔神本体が宿る方のエルフナインだが、彼女が魔術師として扱われているということなのではないか?」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に困惑する翼。先程の戦いを見ている限り、デモノイズを召喚・操作しているのはエルフナイン(に入っているアムドゥシアス)である。

 魔神が魔術師にしか召喚できないということは、エルフナインこそ魔術師であると考えるのが正道だろうと翼は疑問を浮かべた。

 

 が、そこで立香はなにかに気付いたかのように「あ」と声を上げる。

 

「ねえ、ダ・ヴィンチちゃん。今更だけど……エルフナインって魔術回路、持ってないよね?」

 

 彼女の言葉に、カルデアに属する人や英霊は思わず真顔で固まる。

 

『そこだよ。エルフナインはこの世界……魔術師、魔術回路という法則を持たない世界常識、秩序のもとに生まれた存在だ。憑依するくらいならいざ知らず、魔術を使わせるなんてことは如何に魔神といえどもかなりの無理筋だ。よっぽど無茶をしないとだろうけど……そんな無茶をするくらいなら、まだしも同じ世界秩序下にあるフォニックゲインへの適性を持たせたほうが手っ取り早い』

『……ですが、実際にはフォニックゲインに対する適正を持っていなかった。効率と理性を重視する魔神の性質から考えれば、フォニックゲインへの適正に優先するカタチで魔術に対する適正を持たされてはいない、ということですね』

 

 全く当然の事実なのだが、今までレイシフトした世界ではそういったことは全く無かった上、主要な人物は得てして魔術回路や神秘に類する力を持っていることがほとんどであったために気付いていなかった。

 彼女たちの世界において、魔術を行使するには魔術回路と呼ばれる非物質性の一種の臓器──魔力を生み出し、魔力を通すための疑似神経が必要となる。

 それは魔神を召喚するためにも当然必要……というより、魔神を召喚するための術式は魔術師が使用することを前提としている以上、魔術回路のない一般人では魔神の召喚は不可能である。

 例外として神代の魔術師・魔術使いなどは魔術の行使に必ずしも回路を必要とするわけではないが、それは彼らが現代とは全く異なる世界に生きていたため。魔術運用に関する肉体構造も術理も魔力の質すら異なっているが故である。根本的に魔術に適正がないエルフナインとは事情が違う。

 

『だが、貴方の話を聞く限り魔術師の黒幕はいない──つまり、魔神が関わる範囲に魔神化したデモノイズを召喚・使役する存在がいるということになる。エルフナイン君以外にその条件を満たせるものはいない以上、魔術への適性を優先した、ということにはならないか?事実、戦闘では魔術を使っていたんだろう?』

『んー、あれは魔神が行使してた魔術だからなあ。勿論、最低限魔神を召喚・使役できるレベルの改造をしていた可能性はあるけど……ところで聞きたいんだけど、ノイズは人間が異端技術で作った兵器という話だったね?』

 

 ダ・ヴィンチはS.O.N.G.に改めて確認する。

 何を確認したいのか、と弦十郎が一瞬詰まったところでエルフナインが代わりに答える。

 

『──はい。バラルの呪詛により人々が理解を忘れ、互いに疑心暗鬼となった果てに相互に殺し合うために造られたものとされています。……それを聞くということは、やはり……』

 

 一瞬驚いた目を向けるダ・ヴィンチ。ホムンクルスとしてのベースであるキャロルとも酷似した姿は確かに2人の関係性を如実に示すものではあったが、目つきや表情が違うためその印象はだいぶ異なるものであった。

 

『おっと、君がそちらの世界のエルフナインか。……やはり、というにはなんともだけど──』

 

 そこまで言って、ダ・ヴィンチは一呼吸おく。勿体つけるように僅かな間を空け、そして口を開いた。

 

『──アムドゥシアスは魔術ではなく、ノイズを制御するための異端技術を使ってデモノイズを召喚・使役している。そして、そのための聖遺物なり錬金術の産物として関わってくるのは……魔術王に由来するものだ』

 

 あくまで現状、それが一番辻褄が合うってことなんだけどね。そう言葉尻に付け加え、誰かの言葉を待つでもなくそこに至った経緯を話す。

 

『魔神と戦う前に情報共有した時があったけど、その時に装者のみんなやキャロルは魔神とデモノイズの関係にあまり疑問を抱いていなかった。どころか君たち、むしろ納得していただろう?

 ノイズが唐突に出現し人を殺す災害である、ってだけならまあ、悪魔みたいな奴らだってことで伝承されたってことも考えたけど、聞けばノイズは対人兵器として造られたと言うじゃないか。

 それを使役するための手段は何かと考えると、ノイズ製造時に利用されていた技術たる異端技術によって製造された聖遺物か、異端技術研究によって生まれた錬金術によるものと考えるのが妥当。

 で、悪魔の使役に係る伝承上のブツであり、聖遺物としての技術が用いられていそうなものってなるとやっぱりソロモン関係があるんじゃないかってなるだろう?

 魔神アムドゥシアスとノイズが好相性なのも、ソロモン関係の器具により操作されるモノという共通点があるなら納得がいくしね』

 

 一気に捲し立てるダ・ヴィンチに、キャロルやエルフナインはやはり判るか、と納得する。

 彼女ら及びS.O.N.G.関係者はソロモンの杖に関する情報をカルデアに伝えていない。

 別に伝えることがダメということではなく単純に伝えるタイミングがなかっただけだが、ダ・ヴィンチが知らなかったことは事実である。

 にも関わらずその品物を想定している辺り、少なくとも僅かな情報を逃さず検討に上げるだけの洞察力がダ・ヴィンチにはある(彼女の伝説から考えれば当然ではあるが)ということをキャロルたちはきっちり理解した。

 

「え、ええっ!で、でもソロモンは、魔術王は、だって……」

 

 ダ・ヴィンチの推測に立香が慌てたように口を挟む。何が言いたいのか微妙に判らないが、どうやら立香とソロモン王は何らかの関係があるらしい、と朧気に理解する響たち。

 英霊だのなんだのとある上、ソロモン王の父たるダビデがこの場にいるのだし、そういうこともあるのかなと思いつつ、それでも結構な取り乱しように余程深い何かがあったのだと納得する。

 

『違う違う。魔術王というのはまあ便宜上の呼び名さ。ここでいうのは、古代イスラエル王ソロモンの悪魔使いの伝承、その大元になったであろう異端技術によって構築された聖遺物があるんじゃないかってこと。別に魔術王がこの世界に古くから干渉しているとかそういう話じゃないよ』

「あ、なあんだ……。っと、お恥ずかしところを……」

 

 その慌てように言葉が足りないと思ったのか、ダ・ヴィンチが即座にフォローを入れる。その言葉でホッとしたのか、さっきまでの慌てた姿を見られたことに地味に恥ずかしがる立香。

 そんな彼女を横目に見つつ、エルフナインはダ・ヴィンチの推察にどう返すか少しだけ悩み、ふと現地にいるキャロルに目を向ける。

 

『……キャロル、すみませんけどお願いできますか?ボクたちはそちらの()()がどうなっているのか、しっかりとは把握していませんので……』

「?ああ、そうか。そちらとは微妙に異なる結末を迎えている可能性もあるのか……。しかし、そうだな……」

 

 エルフナインに振られた内容にキャロルが納得しつつ、ふむ、と僅かに考える。

 一から順にか、いやそれとも……と口端から溢れる独り言にどうやら言葉の順序を考えているようだが、すぐに結論が出たのか顔を上げる。

 

「よし、端的に答えるのが一番いいだろう。確かにこの世界にはノイズを操作する聖遺物として『ソロモンの杖』というものがあった。が、今は宝物庫で焼失した」

 

 キャロルが本人の言葉通り端的にまとめる。あー、やっぱりという表情を浮かべているのはS.O.N.G.関係者である。

 

『……キャロルが行動を起こすまでの歴史がきっちり等しいと聞いていたから、十中八九そうだろうとは思っていたが』

「その言い分だと、やはりそちらでも焼失したのか」

 

 キャロルが嘆息する。

 ソロモンの杖が焼失したのは彼女が事件を起こす前の話。今まで聞いた限りだと、キャロルの世界と弦十郎たちの世界の分岐はキャロル自身の選択のみであり、それ以外は特に分岐する要素はなかったため納得しかないのだが。

 

「…………」

「いや、うんその……ギル君顔、顔!なんか普段と変わらないけど怖いよ!」

 

 そんな2人の会話になんとも言い難い顔をしているのはカルデア関係者だ。宝物庫が焼けたのと関係があるということで、子ギルに至ってはにこやかな無表情とも言える顔をしていた。

 謎の威圧感にこれがカリスマかとビビりながら諌めようとする立香。彼女は彼女で大人の方のギルガメッシュじゃなくてよかったーなどと考えていられる余裕があったようだが。

 

『そうかぁ……。となると調査は振り出しかな』

 

 現地から齎された情報にがっくりするダ・ヴィンチ。とはいってもその目は全然気力が失われていない辺り流石の探究心である。

 そんなダ・ヴィンチに待ったをかけたのはエルフナインである。

 

『いえ、完全とは言えないにしてもソロモンの杖は残存している可能性は高いと思います』

「はぁッ!?おいおい、宝物庫焼けたときのソロモンの杖は爆心地間際だぞッ!?残ってるわけ無いだろッ!?」

 

 思わずクリスが反論する。宝物庫が焼けた戦い……フロンティア事変では、クリス、そして響と翼、マリアと切歌と調の6人が主として戦っていた。

 だからこそ、宝物庫のほぼ全てが焼け落ちるあの爆発の中でソロモンの杖が残っているはずが無いと断言出来るレベルである。

 確かに実際に爆発を見てはいないが、その爆発が地表で起きれば地球に住む人間が全部焼死するレベルの大火力であると聞かされればそう考えるのが当然だった。

 

『はい、普通に考えれば残っている余地は無いです。ですが、ソロモンの杖に類似する聖遺物が存在しないというのも、ボクが魔術回路?を持っていないことも事実となれば、可能性はソロモンの杖にしか無いんです』

「逆説的に杖は残っているしかありえない、と。確かに杖の結末は見届けてはいないが……。だが、よしんば残っていたとしてもそれは焼滓、聖遺物としての体を成すまい」

 

 翼がクリス同様にエルフナインに反論する。

 詳細は省くにしても、ソロモンの杖(というより、それを使用する者達)によって散々振り回された挙げ句に世界滅亡一歩手前でどうにか解決した問題である。ある意味元凶であるソロモンの杖が残っている、というのは彼女たちからすれば流石に信じ難いし信じたくないことであった。

 

『うーん。まあ、可能性は無きにしもあらずってところかな。極端なことを言えば、聖遺物としての機能が残っていようと残っていまいと、"ソロモンの悪魔を支配する器"としての概念から概念武装……いや、非魔術師が使うと考えれば哲学兵装かな?として運用している可能性だってある』

『それに、哲学兵装や聖遺物でもノイズと相性が良ければ融合する事例はありますから。今回は特にも概念が近い者同士ですので、魔神が融合させたにせよ、概念の近似により勝手に融合したにせよ、悪魔使役の哲学兵装で召喚・操作しているというのは十分にありえます』

 

 ダ・ヴィンチの呟くにエルフナインが乗っかるように補足する。

 そこまで言われると、概念やらの専門家としての知識は薄い装者たちは反論することができなくなる。

 裏側の常識とかに比較的疎い響なんかはそうかな、そうかも……とぼんやり納得し始めているほどである。

 

『……さて。とにかくだ』

 

 どことなく場の雰囲気が煮詰まってきたところで、ダ・ヴィンチが手を叩き(大きな籠手をはめているため音は鳴らないが)場の空気を一旦リセットする。

 

『まず魔都の攻略、そして並行して調査といったところかな。そこから始めて行こう。拙速がいつも大事ではないけど、今回は大事だよ。……というわけで、改めて協力お願いするよ、S.O.N.G.の皆さん?』

『それはこちらも同様だ。異世界の組織であるカルデアの力はとても心強いものだからな。……改めて協力の程、よろしく頼む』

 

 画面越しではあるが改めて協力を取り付ける2人の姿に、どこか緩く淀んでいた空気がピンと引き締まる。

 

 2つの組織の協力体制、それぞれの立場から見ても前代未聞たる並行世界をまたいだ異世界間での協力関係が築かれた瞬間だった。



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第5節 魔神攻略に向けて(1)

『と、いうわけで。魔都については現在調査中……っていっても場所は割れてるし、そこまで時間はかからないんだけどね。取り敢えず調査してる間は少しだけど自由時間になるから、そこら辺を見て回ってきていいよ』

『ただ、通信を担うギルガメッシュ君がゲートに張り付いている以上、なるべく遠くには行かないように頼む。一応ゲート防衛の手伝いとしてこちらから装者を派遣する予定でいるが、追加の派遣となると多少手続きに時間がかかるからな。こちらの影響が無いなら尚の事だ。不自由を強いるが、よろしく頼む』

 

 

 

「って、弦十郎さんとダ・ヴィンチちゃんに言われたけど……」

 

 立香の目に映るのは焼け落ちた都市。一応このゲートが開いているのは嘗て公園だった場所のようで、池もあるためか火の手は無い。

 が、この状態で周囲を見に行っても彼女の常識ではスケルトンが湧き出すくらいである。こんな景色でテンションが上がるのは某第六天魔王くらいだろうなとひとりごちる。

 

「……そう言えば、この世界って私たち『は』いないんだよね」

 

 響がふと思い出したようにポツリと呟く。何やら気になることがあるらしい響にどういうことかと顔を向けた立香。その向こうでは、響が何を言いたいのか気付いた翼がに痛ましげな表情で響を見る。

 

「立花……小日向のことか?」

「翼さん。……はい、私たちがこの世界からいなくなったのは魔神がやったってことはそうだとしても、もしそれが私達が向こうで感じたものの理由だとすると、それを感じなかった未来は……」

 

 小日向未来。おそらく彼女たちの反応からして友人の名前だろうそれを聞き、立香は事情を察する。

 

 この世界……特に魔都にはデモノイズが跋扈し、その凝視により都市を焼いている。魔神の言葉が正しければここは閉じた世界として構築されそうになっている場所であり、この世界の響たちS.O.N.G.はその閉鎖世界に存在していないということだった。

 そして、それ以外……錬金術師たちを始めとしたこの世界の住人は、閉鎖世界に取り残されている。魔神がこの世界をどうするつもりかは不明だが、魔都を設置し辺りを焼却しようとしている時点でまずろくなものではないだろうと誰もが予想している。

 なにせ魔神である。幾らかの例外こそあれど、およそ人間を資源か何かとしか見ていないような彼らが世界に閉じ込めた人類をどうするか──と言われれば、立香たちの常識で判断すれば十割アウトな行為に決まっていた。

 

(……ん?新しい世界が作られるときに残る人を選べる、って何処かで聞いたような、そうでもないような……?)

 

 ふと、脳裏に何かがよぎる。結構知っているような事象とこれが似ているような、と思いつつもどうにも思い出せずにもどかしい思いを抱く立香。

 うんうんと悩んでいる立香を横目に、キャロルは少し考え込んでから一つの可能性を口にした。

 

「……。小日向未来か、リディアンの寮住まいだったな。であれば、生きている可能性は存外あると思うが」

「ッ!キャロルちゃん、それ本当ッ!?」

「ああ。魔都それぞれの範囲は意外と狭いからな。リディアン音楽院学生寮は魔都の範囲外、旧リディアンもまた然り。魔都以外のデモノイズはフォニックゲインを発生させることを優先させているのか、通常のノイズと違いあまり積極的に人を探して狙うことをしない。ノイズについてそこそこ知っている奴らは逃れている可能性は十分にある」

 

 勿論見つかれば遠慮なく殺しに来るが、というキャロルの言葉に、響が勢いよく食いつく。

 その掴みかからんばかりの勢いに傍で考え込んでた立香は思わずびっくりして響をなだめる。

 

「お、落ち着いて響……。でも、そもそもこんな火事じゃ積極的に狙われないって言っても……」

「いや、そもそも特異災害に悩まされているのがこちらの日常だからな。直接狙われたならいざ知らず、対ノイズ用避難シェルターならば延焼被害は起きないだろう」

 

 響の反応を予期していたのか立香より落ち着いていたキャロルは、この世界について詳しくない立香に事情を説明する。

 特異災害ノイズは日常に唐突に現れる危険極まりない存在であると同時に、この世界では(公的にはともかく)はるか以前からその存在は認知されていた。

 であれば当然その対策についても表裏で研究が進められており、シェルターや輸送システムなどでそれらが反映されていた。

 

 余談ではあるが、響たちの世界が立香たちの世界に比べて発展しているのは、西暦のズレだけではなくこういった事情も込み入っているからでもあった。

 

「そっか、確かに寮の近くのシェルターに避難してるかも!」

「あくまで可能性だがな」

 

 響はその事に気づいて目に見えてやる気を取り戻したその姿に、彼女をよく知る翼たちはほっと一安心する。

 立花響は明るく強いようでいて、やはり普通の少女であるというのは彼女の友人たる翼たちはとても良く知っている。状況が状況なので、なるべくいいニュースが多いほうが気が楽になるというものだった。

 

「ま、あたしらだって知らねえ仲じゃねーからな。安全を確認できるならそうしときたいとこだな。それに……」

「ああ、小日向だけではない。仮にS.O.N.G.所属者がこの世界に囚われていないとしても、リディアンの生徒や教員等は巻き込まれて避難している可能性がある。自由が若干ながらも保証されている今のうちに、我々で可能な限り生存への支援をするべきだろう」

 

 クリスと翼の言葉に、ちょっとテンションが上ってた響も冷静になる。彼女らの言葉は真実であり、もし避難者が生存していた場合に物資等が尽きている可能性も無いではない。

 シェルターは確かに高性能ではあるし、予備の備蓄も十分である。だが、全世界規模でのこの事件において、通常対応すべきS.O.N.G.が不在というこの状況。誰かが支援しない限り早々に干上がる可能性がある。

 

(……でも、ゲートの周辺シェルターはともかく、遠い場所になると……)

 

 この問題が世界規模であることを思い出し、響が暗い顔をする。事実上支援可能なシェルターは距離的にも限られている以上、依怙贔屓をしているというわけではない。が、それでも知人がいそうなシェルターだからと優先していることに感じるものがあるのは彼女の性分とも言えた。

 ぶんぶんと響は首を振る。この問題は悩んでもどうにもならないことであり、今までも直面してきた問題でもある。だからこそ、少しでも多く助けようと気合を入れ直した。

 

「……よし、翼さん、クリスちゃんッ!」

「ああ。支援のための物資を忘れるな」

「取り敢えず吹っ切ったみてーだな。んじゃ行くぞ……って、そうだ。あんたらはどうする?」

 

 ゲートが開通したことでピストン気味に輸送した大量の荷物を抱えながら、クリスが立香の方を向く。実際は立香以外にもカルデアの面々に向かって言ったことではあるが。

 立香はあー、と悩み他のサーヴァントたちに目を向ける。

 

「私は響と一緒に行こうかなって思うけど……うーん。誰か……アマデウスとダビデ、はアレだね。響たちと同世代ってなると連れてくのは憚られるから……」

「ひどくない?主にかのダビデ王と一緒に扱うところが」

 

 立香のあけすけな物言いにアマデウスが憮然とする。

 実際変態じみた性格であり、シモネタを結構振るタイプの変人天才芸術家であるため強ち間違いではないのだが。

 

「というかデモノイズが来たときに僕がいなかったらどうするんだい?」

「あー、そっか。じゃあアマデウスは確定で後誰か戦える人ー……ベディ、いい?」

 

 此処に召喚されているサーヴァントたちをぐるりと見回し、一番安牌そうなベディヴィエールをチョイスする立香。

 ブリュンヒルデは(今の所兆候は落ち着いているにしても)若干精神面に不安があり、ダビデはアマデウスに輪をかけて女子の前には連れて行きたくない。子ギルが動けないとなれば、品行方正容姿端麗である(立香評)ベディヴィエールに白羽の矢が立つのは当然であった。

 ベディヴィエールも他のサーヴァントのことを考え、苦笑しながら了承する。

 

「ええ、私で良ければ。それではツバサさん、クリスさん、ヒビキさん。マスター共々旅路の供をいたしますので、よろしくお願いします」

 

 綺羅綺羅しいスマイルで笑いかけながら挨拶をするベディヴィエール。

 その裏のなさそうなアルカイックスマイルに響が眩しそうに目を細める。

 

「あ、は、はい!……ねえクリスちゃん、ここまで正統派な人って初めて見たかも私」

「本音かもしれねーけど今もS.O.N.G.に通信つながってるの忘れんなよ」

 

 思わずそう零した響に、クリスはジト目を向ける。

 女子校であるリディアンに通う響たちは確かに男性に会う機会は少ないため、白皙の美青年と呼べそうな風貌・態度のベディヴィエールに高評価を下すのはある意味当然ではある。当然ではあるが、嘗ての英雄にして円卓の騎士と比較されたS.O.N.G.の職員(男性)は微妙に肩を落としていた。

 

「それではよろしく頼む、ベディヴィエール……殿、いや卿と呼んだほうがよろしいか?」

「貴女のお呼びしやすいよう、お好きな呼び名を選んでいただければ」

 

 そんな2人と違い、丁寧に対応する翼。何だかんだ世界規模で活躍している彼女は男性と接する機会が少ないわけではないということもあり、それほど衝撃を受けていなかった。

 ……尤も彼女の場合、公私関わらず身近にいる緒川が整った容姿であることも多分に関係しているのだろうが。

 

 彼女たち(主に響とクリス)の年頃女子トークを立香がしみじみしながら聞いていたところで、ふと何かに気付いたのか「あ」と声を上げる。

 

「ねえ、そう言えば私達全員で行っていいの?今こっちに襲撃きたら拙いんだよね?」

『今気づいたのかい?やばいよ、そりゃもうやばい。装者がいないとデモノイズを調律出来ないからね』

「……あっ、そういえばそうだった!」

 

 今更感のある質問をした立香と今更感のある反応をする響の姿に、ダ・ヴィンチがニヤニヤ笑いを浮かべる。

 いつ気づくかなーいつ気づくかなーと小声で呟いていたダ・ヴィンチの隣で作業していたマシュは、そんな彼女に呆れ顔を浮かべていた。

 

『ダ・ヴィンチちゃん、ちゃんと説明するべきかと。先輩、大丈夫です。S.O.N.G.の方から追加で派遣される方が此処を護衛してくれるとの通信を頂いていましたので』

『あ、マシュもうバラすんだ。そういうわけで、安心してシェルターに向かってくれたまえよ』

 

「ダ・ヴィンチちゃんはもう……。ところで、装者って誰が、というよりそもそもどんな人がいるの?」

 

 大雑把に聞いた装者についての概要を想起しながら、立香は響に尋ねる。

 

「えっとね、マリアさんと調ちゃんと切歌ちゃんと……あとはまあ、場合によりけりというか。それでさっきマリアさんが来るって言ってて──」

 

「──来る、ではなく既に来ているわ」

 

 響が誰が来るのかを説明しようとしたその瞬間、ゲートから人影が現れる。初めて聞くその静かでいて強さを感じさせる声に、立香はゲートの方を振り向いた。

 

 そこに立つのは、白銀のギアを纏う女性。年の頃は20代前半といった風体であり、長身にメリハリの効いたボディラインは彼女のコーカソイド的な美人さを強調していた。

 それでいて髪型はまるで獣の耳のような特徴的なものであり、花のような髪飾りを付けていることでギャップによる親しみやすさを感じさせるものだった。

 

「マリアさん!手続き終わったんですか?」

「マリア……この人が……」

 

 響がパァッと顔をほころばせ駆け寄る。その人懐っこい動作にマリアは薄く微笑み、自身をぽけーっと見つめる立香に向けて歩を進める。

 

「ええ。私が銀腕アガートラームのシンフォギア装者、マリア・カデンツァヴナ・イヴよ。付き合いの長短がどうなるかは今後次第だけど、それに関わらず親しくしてくれると嬉しいわ」

「は、はい!よろしくお願いします、マリアさん!」

 

 なんか如何にもカリスマ感溢れるその立ち振舞いに、立香は思わず敬語で答える。

 

『如何にもデキる女性という気風の方ですね。……もしかして、実は初めて接するタイプの方かも知れません』

「ねー、頼れそうというかなんというか。いや、マルタさんとかドレイクとかカッコイイ系は知ってるけどジャンル違いと言うか……でもこういう人もいいよね!」

 

 などと思わずマシュと盛り上がる立香。

 実の所。マリアのように所謂かっこいい大人の女性、という人間と立香は接触経験が少ない。というのも、彼女の知る限りでマリアのようなサーヴァントと会ったことがないのだ。

 かっこいい女性、というなら意外といるのだが、そこは英霊。その格好良さは所謂英雄的な、あるいは女性的な格好良さであり、昨今のデキる女感満載のマリアとはベクトルが違うというのが立香の所感だった。

 

(……なんか、結構過大な評価を受けていないかしら。いえ、大丈夫よ。私は自然体、私は私らしくやっているだけだから問題ないッ!)

 

 尚、そのマリアの内心はこんなものである。

 別に意地を張っているわけではない(見栄を張っている部分はあるが)。彼女の自然な行動というのが得てしてカリスマ性がある様に見えるだけであり、彼女自身は装者としては比較的真っ当かつ謙虚な精神性である。

 よってたまに他者との評価の差に悩んだり恥ずかしがったりもするが、それも彼女の美しい容貌と併せて仲間内では愛嬌として親しまれている。

 

「うーん、あの色々突っつけそうな気風は嫌いじゃないけど、ちょっと、いや、ギリギリアビシャグかな?」

「そうですか。まああの外面も彼女の本質だとは思いますよ?どちらかと言うと見目から勘違いされやすい感じでしょうか、取り繕っている部分もありそうですが」

 

 そんな彼女を眺めていたダビデの言葉はあまりにもいつもどおりであり、それを聞いていた子ギルはダビデを見もせずに適当に流していた。

 彼らは真にカリスマある王であり、人を見る力に長けている。故にこそマリアのイッパイイッパイな胸中を理解していたのだが、流石にそれを本人に言わないだけの分別はあった。

 なおダビデのアビシャグ判定基準は色々あるが、そこには背丈も含まれている。クリスがアビシャグでマリアギリギリアビシャグというところで察したのか、傍で聞いていたキャロルはダビデに胡乱な目を向けていた。

 

「とにかく、このゲートの防衛は今は私がやっておくから。小日向未来やリディアンの人間とは貴女達が親しいのだから、行ってあげなさい」

「はい!……あれ?師匠、そういえばゲートの防衛って交代制になるんですか?それともマリアさんに居てもらう感じになるんでしょうか?」

 

 マリアの言葉に勢いよく返事したあとで、ふと疑問に思ったことを弦十郎に聞いてみる響。

 

 魔都は日本に(新宿を含めなければ)3箇所、というのは相手方の魔神の情報提供により確認できている。

 ブラフの可能性も無いでもないが、キャロルが事前にこの世界で発生している魔都の個数とも一致することから疑いをかけるほどでもない、というのが現在の司令部の方針であった。

 ……というより、計測をうまく行えるのが錬金術及びこの世界の専門機材に詳しいキャロルと特異点観測に長けているカルデアであり、少なくともキャロルの調査の結果以上のものを直ぐに求めることが出来ないのが現状であるため方針に選択の余地は無いのだが。

 

 とにかく、魔都の数に対して装者・英霊の数は明らかに少ない。攻略を手早くやるには少しでも人足を増やして手分けするべきでもあるが、そこで困るのがゲートの扱いである。

 ギャラルホルンゲートはこの世界を閉じた世界にしないための唯一の観測孔であり、魔神側の唯一の攻略点でもある。つまり此処には魔神が能動的に戦力を向けてくることが容易に想像できるため、相応に戦力を振る必要があるのだが。

 

『ああ、基本的には装者とサーヴァントで組んだ上で、それぞれ別れて行動してもらうことを想定している。魔都攻略に出ない残りがゲート防衛だな。ただ、相手の戦力次第では追加で戦力を輸送することも考えねばならないから一概には言えん。魔都の攻略が終わった段階でゲートに戻り、ゲート防衛中の連中と交代するという形になるだろうが……』

『何分、どれだけ時間がかかるかって話だしねえ……。休息も挟みながらでないととても戦いどころじゃない、どころか過労死するよ』

 

 どっかの王様みたいに、というダ・ヴィンチの言葉に子ギルが苦笑いを浮かべる。

 過労死した自分を知っているということでは笑い事ではないのだろうが、その理由がある意味アホらしすぎて笑いが漏れるのも宜なるかなである。

 

「まあ、そういうことよ。どちらにせよ調と切歌もやる気だから、あとは向こうの書類作成が滞りなく進めばこっちに来られる。魔都の攻略はそこからになるわ」

「わかりました!それじゃ、行ってきます!」

「響!?ちょっと待って、私も行くからー!」

 

 マリアの言葉に待ちきれないとばかりに駆け出す響に、慌てて追いかける立香。

 その様子にやれやれと肩をすくめながら翼、クリスが続く。

 

「ってか、早っ!?」

「すまんな、立花をちょっと止めてこよう。……配分を考えずに急ぎすぎても無為に疲労するだけだと言うのに。このままでは雪音が戦場を待たずして落伍するぞ……」

 

 嘗て旅路で特にも健脚ぷりに磨きがかかっているはずの立香だが、そんな彼女をしても目の前を響に追いつけない。それどころか、驚いている間に後ろから来る翼に追い越される始末。

 別に立香の足が遅いわけではない。単純に生身で響・翼の脚力が勝っているだけである。特にも翼は後から来て響にすぐに追いつき、挙げ句息を乱しても居ないあたりそのポテンシャルが伺える。

 

「……ちょ、ちょっと……待て、お前ら……」

「……、あ……だ、大丈夫クリスちゃん!?」

「うわちゃー。速度落として落として!」

 

 尚、早くもへばり始めているのはクリスである。常人より体力があることはそうなのだろうが、フィジカルに優れた装者の前衛組や、何だかんだ(主に逃走・移動が徒歩であったために)修羅場をくぐり抜けてきた立香に比べ、スタミナや脚力で大きく引き離されているようだった。

 ぜーぜー言っている姿に流石にヤバそうだと思ったのか、響と翼、立香はペースを落としクリスに速度を合わせる。

 

「────」

「だ、大丈夫ですかアマデウス……?」

「あっはっは──音楽なら、何時間でもやってられる、んだけど──な──」

 

 ……どうにか少女4人が合流し、歩調を揃え始めたその大きく後方。

 英霊化してマシになっているとはいえ、肺活量と聴力と音楽の才と若干の魔術技能以外は一般人としか言えないアマデウスが困憊し地に臥せっていた。その脇ではベディヴィエールが恐る恐る様子を伺いながら、ぐったりとした彼を抱えていくべきだろうかと逡巡していた。

 

 

 

 響たち一行が出発した後のギャラルホルンゲート前。子ギルが陣を張ったその前で口火を切ったのはキャロルだった。

 

「さて、だ。オレはシャトーを確認し、資材を回収できるものは回収しておきたい。それらをこちらの世界に残されたS.O.N.G.本部に運び入れて拠点としたいのだが、何か問題はあるか?」

『シャトー……って、新宿のあのでっかいやつかい?あそこは魔都のど真ん中だろうに、行って戻ってこれるとは思えないけど?』

 

 ダ・ヴィンチはキャロルの意見に苦言を呈する。

 帰還する術はあるのか、と暗に尋ねる彼女に、キャロルはふむ、と顎に指を当ててどう説明すべきかを考える。

 

「戻ってこれるか否かで言えば、可能だ。……とはいっても、あくまで魔神の言葉が正しい前提──新宿の魔都に守護天(ガーディアン)がいない場合に限るが」

『魔神の言葉を信じるのか?魔神との会話データはこちらでも把握しているが、敵対している事実に変わりはない。仮に嘘だった場合、守護天が陣取る場所は必然シャトーになる……戦いになれば、おそらく──』

「負けるだろうな、ソレぐらいは判っている。──ふん、そう気にすることじゃないだろうよ。魔神の言葉、新宿の守護天がいないというのは十中八九で事実だからな」

 

 弦十郎の心配をどこ吹く風とばかりに、キャロルは出立準備を始める。

 キャロルの言うように守護天がいない場合、アルカノイズを召喚・指揮できるキャロルにとってデモノイズは驚異たり得ない。新宿の指揮者はキャロル自身が撃破済みであり、それが再召喚される前……つまり今なら侵入が容易であるという理屈は正しい。

 

『なぜ事実だと判るんだ?もし相手のやり方が判るのであれば、可能な限り教えてくれないだろうか』

 

 キャロルの言葉に弦十郎はもしや、と期待を込めて問いかける。

 が、弦十郎の期待の答えを返したのはキャロルではなかった。

 

『……あー、そうだね。別にキャロルの説を補強しようというわけじゃないんだけどね。もしこの世界が私の想像どおりなら……魔神の言葉、少なくとも守護天がいないというのが事実であるというのは正しいというのがカルデアの見解だ。

 詳細はまあ、追って説明するとしよう。これについては、今説明しても後で説明しても結果に変わりはない類の内容だからね。どうせ説明するなら出てっちゃった響ちゃんたちが戻った後、攻略時のブリーフィングでまとめて説明すべきだろう』

 

『……そうか、いや、2人がそこまで言うなら引き下がろう。だが、全員揃ったなら説明してくれるんだな?』

『時間があればね。何分今回は時間が大敵だから、悠長な説明をしているわけにもいかない。こっちでも端的に言葉をまとめて説明するつもりだけど、状況と制限時間によってはすごいざっくりしちゃうかもだ』

 

「……話は終わったな?では、オレは行くが……そうだな。ダビデ王、付き添いを頼めるか」

「え、僕かい?やっぱり女の子を引きつけるカリスマがあるのかな?いやあ参ったなー」

 

 まあ当然だよね、と言わんばかりの態度で爽やかな笑みを見せるダビデだが、キャロルは鼻で笑う。

 

「ハッ。ブリュンヒルデとダビデのどちらを付き添いに、となったときの消去法だ。イザという時に、ゲート防衛に際して手数が効く方を残すのは当然だろう」

「そうかい?それは残念だね」

「ほざけ」

 

 微塵も残念そうにしていないダビデにそう吐き捨て、ダビデと自分の足元にテレポートジェムを叩きつける。

 物珍しそうに足元を眺めるダビデはそのままの表情で、キャロルはそんなダビデに呆れたような表情で。彼女たちは瞬時に姿を消した。

 

 

 

「時間があれば、か……」

 

 僅かに遡りS.O.N.G.の発令所。モニターに映る、所謂『モナ・リザ』が喋っていると形容できそうなその人物──ダ・ヴィンチの言葉にひとまず納得したのか、弦十郎は憮然としながらも口を閉じる。

 弦十郎もキャロルとダ・ヴィンチが共通して確信を持っているということは理解した。彼女たちが共通し深い物を持ち、弦十郎達が浅い知識分野……所謂「概念」「錬金術」「魔術」などが関わってくるだろうことも。

 

(だが、相手の説明を待つだけというのは良くはないな。彼女らの知識だけで補えない部分を見落としている、なんてことが万一にあっても困る)

 

 別にキャロルやダ・ヴィンチを疑っているわけではない。だが諜報機関の系譜を継ぐ風鳴の一族に生を受けた弦十郎だからこそ、情報の確度を上げることが如何に重要かを理解していた。

 と、そこで弦十郎はモニターから目を外し、別端末に取り付いて解析中のエルフナインをちらりと見やる。

 

「エルフナインくん。──彼女たちの言葉が真実であるとして、その場合、何が問題になると思う?」

「……はい。やはり時間と──最優先で攻略する魔都がどこなのか、だと思います。この十の魔都のうち、何処が起点で、何処が終点なのかが焦点になります」

「起点に終点……やはり、何らかの規則性が?」

 

 弦十郎の言葉に、エルフナインがこくりとうなずく。現状の情報だけでは起点がどちらなのかまでは推測しきれていないにせよ、魔都の配置が何を示しているのか。それをエルフナインはしっかりと理解していた。

 

「魔都、という言葉はあちらの方々が造語したものと聞いていますが、実際は都市部以外にも魔都は存在します。

 そして、その配置はバルベルデと新宿を極点とした配置であり、バルベルデが最も近い魔都は2つ、新宿が最も近い魔都は3つ建造されていました」

 

 いいながら、エルフナインが空間モニターに光点を配置していく。

 地球儀を簡素化したような立体図に次々と点が表示され、やがて10の光点が点灯した。

 それを見て、弦十郎が唸る。

 

「……この国にあるのは、長野の皆神山、松代の風鳴邸、そして深淵の竜宮か。確かに重要拠点ではあるが……」

「はい。そのうち前の二箇所はまだしも深淵の竜宮は歴史的にもレイライン的にも重要ではありません。ですが、その3箇所が新宿からバルベルデを結ぶ線の中間点となるように線を引くと……」

「──ッ、これは……ッ!」

 

 空間モニターに今度は光の線が引かれ、新宿とバルベルデ、地球の表裏を繋ぐ3本の線が表示される。モニターに映るその立体図に、弦十郎は思わず息を呑んだ。

 発令所がわずかな沈黙に包まれる。やがて誰のかも判らぬ、息を吐き忘れていたかのような長い溜息にも似た吐息の音で静寂が破られた。

 

「……なるほど。新宿とバルベルデを繋ぐ3本の線、その上に全ての魔都が乗るという事か。であれば、確かに新宿とバルベルデのどちらかが起点ないし終点と言うことになるが……」

「はい。ですが、今のところはここまでです。守護天を置かない理由はいくらでもでっち上げられますから」

 

 エルフナインの言葉に、弦十郎がモニターに映る図式を眺める。

 映し出されている図は球形の立体図から、起点を上、終点を下とした平面図に置き換えられており、どの魔都がどう繋がっているかがひと目で理解できるようになっている。

 そして、その図式は世間にあまり知られていない、しかしちょっとでもオカルトをかじったなら知っていそうな図式と酷似していた。

 

 

「しかし、こんな図を拝むことになるとはな……。だが、これを見れば彼女たちのような専門家が相手の手法をすぐに把握できたというのも頷ける」

「本来、映し出されているソレは錬金術とはあまり深い関わりではありません。これは一種の信仰形態、あるいは神秘思想の一派として見られたものです。ですが、同時に魔術的な概念としても確立しています」

 

 

 平面化された10の魔都は、左に3つ、中央に起点・終点を合わせて4つ、右に3つで並んでいる。

 

 左右対称となるように配置されたソレは、エルフナインの意向で新宿を終点としている。

 

 最初は縦線しか無かった図も、エルフナインがどんどん書き足すことで網の目のようになっていた。

 

 

「10の(セフィラ)、22の経路(パス)。──神秘思想、カバラに由来する生命の樹(セフィロト)。──魔神の配置した魔都、そしてその計画に、関わりが無いとは決して言えないとボクは考えています」

 

 

 モニターに映し出されていたのは、神の力の流れを示すもの。同時に、逆を流れ高次の存在に至らんとする経路を示したもの。

 魔神の計画の一端たるその図式は、暗い発令所の中で煌々と輝いていた。



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第5節 魔神攻略に向けて(2)

「で、その未来ってどんな()なの?」

 

 立香がふと響に聞いてみる。響がそこまで会いたいというからには親友なんだろうなーと勝手に当たりを付けていた彼女だが、やはり事前にどんな人なのか知っておきたかった。

 響はよくぞ聞いてくれました!とばかりに満面の笑みで立香に向き直る。

 

「お、聞いちゃう?未来はねー、私にとっての陽だまりなんだ!」

 

 そこから始まる未来の話は、最早惚気話に近い。大事な時は助けてくれるだの、一緒のベッドで寝ているだのとその話の内容は様々であり、総じて未来大好きでベクトルが固定されていた。

 立香は聞くのを早まったかとも思ったが、しかし聞けば聞くほど響と未来は互いを大事にしていることが分かり、それはそれでいい話だなあと立香は受け入れていた。

 

「立花は小日向のことになると相変わらずだな」

「少しは自重しろっつの……」

 

 延々と語る響に慣れているのか、諦めているのか。翼もクリスもあまり強く諌めることはせず、時折相槌を打ったりしていた。

 

「うーん、あれだね。重いなこの娘!」

「聞こえないようにお願いしますよ、アマデウス。それに、愛が深いというのは良いことでしょう……重い女性というのも今更です」

 

 それを聞いてたアマデウスは率直な感想を小声でつぶやき、それをベディヴィエールが同じく小声で嗜める。英霊には彼女たちと同レベルに重い女性が結構いるため、ベディヴィエールの言う今更、というのも強ち間違っていない。

 というより、こっちに来ているブリュンヒルデのほうが常識的に考えれば余程重い──若干精神に異常を来した姿である以上しょうがない側面もあるのだが。

 

 

 そんなこんなで益体もない話をしていると、程なくして大きな建造物が見えてくる。

 他の町並み同様に焦げていたり所々崩れてはいるが、それでも建物の構造自体がしっかりしているためか、原型は残っている。

 

「……これが、響の高校?」

「うん。あれがリディアン……なんだけど……。でも、ここもやっぱりボロボロだ……」

 

 立香の質問に答えつつも、校舎の悲惨な様子に響はがくりと肩を落とす。

 

「……まあ、気を落とすな立花。渦中に福あり、とは言えんが……校庭を見る限り、炭化した形跡はない。授業が終わり帰宅中であったことを踏まえたとしても、犠牲者は少ないはずだ」

 

 意気消沈する響を慰めるように、翼が肩を叩く。

 翼にとっても此処は母校であるため、この現状には思うところはある。が、それでも知人……それも(翼にとってもそうだが)親しい友と呼べる人間が巻き込まれている可能性に晒されている響を思いやろうとする気持ちが勝っていた。

 

「ったく、ほら行くぞ。シェルターはあっちだからな。あいつ、元陸上部だって言ってんだししっかり逃げ切ってるだろ!」

「そ、そうそう!それにさ、他の建物よりはちゃんとしてるし、ちゃんと助かってるって!」

「──、うん!ありがとう、翼さん、クリスちゃん、立香ちゃん!それじゃ、シェルターに行こう!」

 

 クリスが響を元気づけるようにと背を叩き、それに便乗するように立香も校舎を指差しフォローする。

 そんな皆の気遣いで調子を取り戻したのか、響は笑顔を見せ、学校そばのシェルターへと歩き始めた。

 

「やれやれ、世話焼けるな」

「そうは言うが、新リディアンは襲われたことはないからな。この学校は立花にとっても日常の象徴の1つ、衝撃をうけるのは当然だろう」

「ま、そうだな。あたしだってこんなボロったリディアンにはちょっとショックは受けたしな」

 

 そんな彼女を眺めつつ、クリスと翼は小声で会話しつつ響を追いかけていく。

 立香は2人の会話を聞きながら、改めて校舎を見やる。

 

(……、学校かあ。なんか、懐かしいなあ。……って、そう言えば私、いま学年どんな扱いなんだろう……)

 

 立香がカルデアに来てから凡そ2年近く。最初に来た時は女子高生だった彼女だが、よく考えればもう卒業してる年齢ではないだろうか、と自問する。

 それどころか、最初の1年強は人理焼却中で周囲の時が止まっているようなものであることを考えれば、自分だけ1年以上老け込んだということではないか、と(女子的に)怖い想像を膨らませる立香。

 

(……考えないようにしよう)

 

 実はこの面子で一番年上なのは翼ではなく……などと考えそうになったところで頭を振り、立香は現実から目を背けつつ3人を追いかける。

 やがてすぐにシェルターの入り口と思しきシャッターが見えてきた。

 

「あっ、シェルターってあのシャッターで閉じてるヤツ?うはあ、本当に街中にあるんだねー」

 

 立香は感心したような声を上げる。

 事実、学校傍のシェルターというだけありその入口は徒歩でも十分に到着できる範囲にあった。とはいっても、特異災害でもなければ学校自体が避難所になることを考えればその近辺にシェルターがあって当然なのだが。

 

「ああ。勿論此処だけではない、すぐに避難できるようにシェルターは街中にいくつも配置されている。此処はその1つというわけだが……妙に騒がしいな。警備、見張りもいないようだ」

 

 学校から幾らか場所を移したところで、シェルターの入口を塞ぐシャッターが見えてきた。が、近づくに連れどうにも騒がしい声が聞こえてくる。その様子に、何かあったのかと自然と翼の目つきが鋭くなる。

 シャッター自体は壊れている様子はなく、多少焦げてはいるもののしっかり障壁の役割を果たしている。物理的に破られた、というわけではないようではある。

 

「表に炭がねえ、ってことは……」

「まさか、デモノイズが内部に直接出現したのかッ!?皆、急ぐぞ!」

「──ッ!未来ッ!」

 

 翼の指示が飛ぶかどうかというタイミングで、響がギアを纏って一気に駆ける。

 固く閉ざされたシャッターの向こうから聞こえてくるざわつくような声は、響の胸中に嫌な想像を植え付ける。

 少しでも急がなきゃ、そんな思いからか一歩ごとに速度を増し、アスファルトに轍を刻んでいく。そしてそのままシャッターを蹴破らんと足を振り上げ──。

 

「あ、待った。中の声を聴くに、デモノイズではないね」

「え──ッ、と、とっと、うわあ!?」

 

 シャッターにその剛脚を叩き込む寸前、アマデウスがなにかに気付いたのか響を引き止めた。

 急なその言葉に響は慌てて制動をかけるも抑えきれず、脚部ジャッキを展開して無理やり足の挙動にブレーキを掛けたために盛大にひっくり返った。

 

「うわ、すっごい急停止。痛そう……」

「ほっとけ、気持ちは判るけど突っ走りすぎだ。……つっても、デモノイズじゃないにしてもこの距離まで聞こえるったら結構な大声だろ?内容まではわかんねーけど、本当にヤバくねーのか?」

 

 響の心配をする立香をよそに、クリスが尋ねる。

 シェルターの外まで聞こえる騒ぎともなれば、何某かの異常事態が発生していると考えるのが自然である。実際にそう考えたクリスからの問いかけに、アマデウスは少し考え、口を開いた。

 

「うーん、ちょっと待っててくれ。あー、これは……ああ、歌か。何処かの国歌ではないし、僕の時代以前の音楽ではない。そうだね、軍歌という雰囲気ではないから……学校歌、寮歌、応援歌……その辺りかな?聞いている限りだと、数十人が歌っているみたいだ。で、それを聞いている人がざわついている。これらの声が外に漏れている感じだね」

 

「校歌……って、どんな感じですか!?鼻歌とかそういうのでいいので!」

「おっとと、えっとだね……」

 

 聞こえてくる音を詳細に分析していたアマデウスの答えに、先程からやきもきしていた響は一気に詰め寄る。

 少女とは思えない迫力(物理)のある詰め寄り方にも動じず、アマデウスは聞いていた旋律を鼻歌で再現する。

 

「……やはりこの歌だったか。中でこの歌を歌っている人間が多くいるというのは嬉しい情報だな」

「だな。しっかし、シェルター越しに聞いただけでその旋律を鼻歌で全再現って、やっぱすげーな」

 

 アマデウスの鼻歌を聞きそう漏らす翼とクリス。

 その歌は彼女たちにとっては馴染み深く、勇気づけられる日常の歌。戦場に浸る彼女たちにも帰ってくる場所があることを示す灯火。

 それが歌われているということは、彼女たちの日常に属する人々が生きているという事実に他ならなかった。

 余談だが、この歌は彼女たちの世界にしか無いはずの歌であり、単純な歌ではあることを差っ引いてもそれを瞬時に再現するアマデウスの技量にクリスは舌を巻いた。

 

「……って感じだね。いい歌だと思うけど有名な歌なのかな?」

「はい!この歌、さっきあった学校、リディアンの校歌なんです!だから、中にはリディアンの生徒が……えーっと、アマデウスさんが言ってたとおりなら数十人はいるはず!」

「ってことは、響の親友もいるんじゃないかな!?」

 

 喜びを隠す気のないような響の様子に触発されたか、立香もテンションを上げる。

 よく考えれば言っていることが無責任な気もするが、立香はそれでも響には喜んでいてほしいと考えていた。この僅かな間でもそう思えるくらいには、立香は響の笑顔を好んでいた。

 

「よーし、となれば早速……」

 

 響は喜び勇んでシェルターに駆け寄り、接地部分にギアのスーツを纏った指をねじ込み……翼に止められた。

 

「待て立花、このシェルターは手動で開けるものではない。下手にやって壊したら此処に避難している人々に迷惑がかかる」

「あっ。そ、そうですね……。えーっと、あれ?パスコードって何番だっけ……?」

「……やれやれ。待っていろ」

 

 響の言葉に、翼が呆れたような声を出しつつシャッターまで歩み寄り、壁面に取り付けられたパスコード入力端末に自身の記憶する番号を入力していく。

 その様子を見ながら、なんとはなしにクリスが翼に尋ねる。

 

「なあ先輩。こっちの世界のパスコードなんていつ知ったんだよ?」

「ああ、出掛けにキャロルに聞いてきていた。本来なら担当者に開けて貰う予定ではあったが、万が一ということもある」

「ふーん。……さすがソツがないことで」

 

 がさつな言葉とは裏腹に、今度はそこら辺も気をつかおうと考えていることが見て取れるクリスに翼は苦笑する。

 どうにも翼の可愛いこの後輩は何だかんだ更に後輩の響や切歌、調に先輩ぶりたいところがある。頼れる先輩たらんとするためにと色々努力しているのだ。

 

「まあ、精進するといい。立花も慌てているのは判るが、もう少し状況を判断するといい」

「……ふん、わかってらぁ」

「うあー、恥ずかしい……って!あっ、は、はい!」

 

 己の内心に気付かれたことにちょっと恥ずかしがりつつも返事をするクリス。響は響で恥ずかしいと思っていたのか自省していたようで、翼の言葉に慌てて返事をした。

 

「全く……。と、いい加減に行くとしよう」

 

 その様子にどことなく場が緩んだところで、認証が済んだのかロックが解除された事を示すビープ音が鳴りシャッター脇の非常扉が開く。

 翼は扉の開く音を聞いたところで話を切り上げ、非常扉に足を踏み入れた。そしてそれを追うようにして響とクリスが、次いで立香、アマデウス、ベディヴィエールの順で入っていく。

 

「……さて、と。成程、中に入れば歌だということは瞭然か」

「そのようですね。しかし意外と防音性が高いですね、中でこれだけ響いているのに外には殆ど漏れていないとは」

 

 全員が入った事を確認したベディヴィエールが扉を閉めたところで翼がそう呟き、ベディヴィエールが同意しつつもシェルターの性能に感心する。

 実際、せいぜいざわついている程度にしか外に漏れていなかった歌声も、内部は閉鎖空間なだけありそこそこの音量として響いていた。反響している事を差し引いてもやはり音楽系の生徒の合唱と言うだけはあり、その音漏れを防いでいたシェルターもかなりの防音性を持っていた。

 

「ノイズって音で相手を見つけることもありますから……。私も昔そういうのに出会ったことがあったんですけど、いやーあのときは苦労したなあ……」

 

 奥へと進みながら響がそう答える。未熟だった頃、色々と周りとから回っていた頃のほろ苦くも大切な想い出に、言葉とは裏腹に響は知らず微笑んでいた。

 

「だがあの時はノイズにというより、小日向との仲違いで苦心していたろうに」

「あ、あはは……」

 

 翼の容赦のない言葉に顔をそらす響。

 当時から未来と仲が良い響だったが、当然喧嘩するときはある。音を探知するノイズと対峙したときも同様であり、その危機を通じて前以上に仲が良くなった経緯があった。

 翼の言葉はそれを指しているわけだが、一切衣を着せないその言葉は素晴らしい切れ味で響にダメージを与えた。

 

「……どうした雪音?」

「……うっせー。思い出させんなっての……いや、元々忘れちゃいねえけど」

 

 余談だが、翼の言葉の刃は仲違いの理由づくりをしてしまっていたクリスにもぶっ刺さっていた。過去を思い出してしまったクリスは、申し訳無さ溢れる表情でそっぽを向いた。

 

「やっぱりみんな色々あったんだねー……っと、ここかな?」

 

 響たちの話に人に歴史ありと感心していた立香の耳により鮮明な歌声が届き、ある扉の前に着いた立香が立ち止まる。

 

「ああ、この先が主要な避難者の待機所だ。……開けるぞ、いいな?」

 

 校歌も終わり静かになった扉の前、翼の言葉に集まった全員がコクリと頷く。

 翼は扉の開閉スイッチを押し、開いた扉から中に入った。

 

「……結構いっぱい避難してるね」

「それはまあ、そうだろうけども。さて、先程の歌声の主は……と、あそこだね」

 

 アマデウスの言葉が指す方に視線を向ければ、そこには同じ制服……リディアンの指定夏服を纏う少女たち。

 響やクリスにとっては知っている顔もそこそこおり、その中心にはとても良く知る面々もいた。

 

「いやー、どーもどーも。……って、ビッキー!?」

「えっ、嘘!?ちょ、ちょっと通してください!」

 

 どうやら扉を開けたことで向こうもこちらを注視したらしく、響たちの顔見知りである少女たちが人の間をすり抜け駆け寄ってきた。 

 

「ビッキー、無事だったんだ!良かったあ……。ヒナがトンデモなく心配してたからさ、私達も気が気じゃなくて……」

「一気に辺りが変わっちゃって、もうあたしらもどうにもこうにもね……。連絡つけようとしても全然つながらないしさ」

「創世ちゃん、弓美ちゃん!やっぱり、未来はここにいるの!?」

 

 駆け寄ってきた2人……安藤創世と板場弓美の言葉に、響が喜色混じりに確認する。

 

「え?ああ、いるわよ。ってそれよりあんた、一体どこ行ってたの……というより、何があったのよ」

 

 開口一番の響の言葉に相変わらずと呆れていたが、そんな彼女の後ろの見慣れぬ顔ぶれに首を傾げそう尋ねる。

 

「うぇ!?あ、えーっと、話せば長いと言うか、こっちで何があったかはよく判ってないというか……」

「?どういうことよ」

 

「えっとそれは……」

「響ッ!」

 

 響が何と言ったものかと言葉を選ぼうとした時、割って入る様に声が届く。

 焦がれていましたとでも言わんばかりの声に、脇で話を聞いていた立香は何となく声の主が誰かを悟る。

 

「未来ッ!良かったあ、無事だったんだ!」

 

 パアッと表情を輝かせる響。そのまま声のする方へ走っていき、同じく響の方へと向かってきた少女……小日向未来を強く抱きしめる。

 その光景に笑顔を浮かべていたのは、未来を連れてきたのか傍に立っていたブロンドヘアの少女。

 

「ふぅ……。いなくなっていたと思ってた立花さんが居て、小日向さんと再会できたなんてナイスです!」

「あ、テラジ。ヒナを呼びに行ってくれたんだ」

「ええ。あのまま塞ぎ込んでいた小日向さんを思えば、少しでも早く呼んであげようと思いまして」

 

 創世にテラジと呼ばれた少女、寺島詩織はそう言ってうふふと笑う。

 

「よかった……。響が急にいなくなっちゃって、S.O.N.G.にも連絡はつかなくて……。どうなっちゃったのかって心配で……」

「いやその、えっと……」

 

 未来にしがみつかれ、響はどういったものかと口を濁す。

 響からすれば今目の前にいる彼女は自分の知る未来であって未来ではない、なんとも言い難い立場なのだ。この事件の当初に響たちが感じた違和感……一種の記憶に近いそれが、目の前の未来と親友だった事を告げてこそいるものの、結局彼女の親友本人ではないのである。

 勿論目の前の彼女が大切な親友であるのは疑いようもない事実だが、それでも……と言葉に悩んでしまうのは当然と言えた。

 

「そういやあんた、さっきもそうやって口籠ってたけど……。何、やっぱりやばいの?そっちの後ろの派手な人といい、またアニメみたいなことになってるの?」

 

 いまいち要領を得ない響の様子に訝しげな視線を送る板場。

 その視線は後ろの派手な人ことアマデウスほか立香とベディヴィエールにも向けられており、あからさまに表立っての事情じゃないことを察した上であからさまに怪しんでいた。

 

(どうしよう、私が説明すべきかな。でも言っちゃあれだけど怪しいよね私ら……)

(まあね。自分で言うのもあれだが僕の格好が今風じゃないのは言わずもがな、ベディヴィエールだってよく考えなくても金属鎧を纏っているし)

(ここはやはり、彼女たちに対する信頼性に優れるヒビキさん達に依頼したほうが……)

 

 敵意がないこと自体は伝わっているのか特段騒がれはしていないが、どう見ても仮装パーティから抜け出してきたかのような姿の彼らだ。

 下手に口を開いて弁護するにしても、まず響達に説得してもらってからのほうがやりやすいだろう……という意思を込めて、立香は響に視線をチラチラと送る。

 

「えっと、この人達はカルデアってところのですね、えーっと……」

「……立花。私から話そう」

 

 立香達の意図を察した響は自信なさげに口を開き、彼らの説明をしようと言葉を探すも歯切れが悪い。

 どうにも響に説明させると埒が明かなそう(流石に出会って僅かしか経っていないカルデアの事情を含めてちゃんと説明しろという方が無茶振りではあるが)と感じたのか、翼が代りに口を開く。

 

「いろいろと言いたいこともあるだろうが……実は、だな……」

 

 

 

「並行世界……って、本当?それにノイズに、悪魔に……?え、えーっと……?」

 

「過去の英雄が実体化した英霊さんが解決に尽力して下さっている組織……ナイスです!」

 

「……って、アニメじゃないのよッ!?え、マジでそうなの!?並行世界とかって本当にあるのッ!?それに過去の英雄って、本当にアニメみたいじゃん!」

 

 事情を説明するために別室に移動後、翼からの説明及び立香ほかサーヴァントたちの事情を話し終えたところでの創世、詩織、弓美の反応はそれぞれの個性を如実に表していた。

 特にもアニメが好きな板場は如何にもなワードに妙な食いつきを見せており、過去の英雄がどうのこうのという下りに至っては物凄く詰め寄っていた。

 

「……そして、今いる響たちは、私が昨日まで一緒に居た響とは……」

「……うん。厳密には皆と一緒に暮らしてた私達じゃないんだ。この事件も、ギャラルホルンっていう聖遺物のアラートで初めて知ったから、それ以前にどうなってたのかはキャロルちゃんの又聞きで……」

 

 俯いたままの未来の言葉に、気まずそうに答える響。

 この世界のS.O.N.G.がどうなったのかについては未だに答えが出ていない。当事者であるキャロルですら何が起きたかわからない内に消失したS.O.N.G.の職員達の行き先は杳として知れず、手がかりはS.O.N.G.の職員が受けた違和感と魔神の言葉だけ。どうにも捜査を進められていないのが現状だった。

 

「ッ、でもでもこの世界の私だってきっと今頃未来を探して鋭意努力中だったりするから!私が代わり……なんてとても言えないけど、それでも私は私だから!私なら絶対未来を助けるために頑張ってるから、だから……」

 

 どんどんと言葉が尻窄むが、それでもと言葉を紡ぐ。

 響自身、ここの響がどうなっているのかなんて全くわかっていない。それでも、並行世界とは言え自分だから、自分ならそうすると断言したかったのだ。

 そんな響を見て、未来はくすりと笑った。

 

「……大丈夫、わかってるよ響。もしもあなたが私の知ってる響じゃないとしても、響は響だもん。だから……へいき、へっちゃら、でしょ?」

「未来ぅ……」

 

 未来にかけられた温かい言葉に、響は思わず涙ぐむ。そんな響の涙を指で拭いながら、未来は並行世界でも相変わらずさを持つ親友に苦笑した。

 周りの友人達も並行世界云々に関わらずやれやれと肩をすくめつつ、全員笑顔を浮かべていた。

 

 

「ね、響……。私、響の人助けを信じてる。だから絶対、無理しないでね」

 

 響の涙が治まったところで、未来が響の耳元で静かに呟く。

 今までの事件でも、響は無茶や無理を気合と歌と愛と拳で突破してみせた。しかし同時に、響は誰かが諌めなければ無茶しがちになるということも未来はよく知っていた。

 親友を心配しつつも、それでも彼女が戦わないという選択肢はない。自分が何かできればいいのに、という感情を圧し殺した未来の言葉に、響は僅かに目を見開いたあと優しげな表情を浮かべた。

 

「……うんッ!大丈夫、ババーンと世界も、皆も助けてみせるからッ!みんなが居れば大丈夫、へいき、へっちゃらだッ!」

 

 親友の言葉に決意の笑みで豪語する響。

 たとえ世界が違ったとしても、それでも自分はみんなと一緒に戦えるのだと、みんなが居るからこそ自分は歌えるのだと。

 並行世界の友人の肩をしっかりとつかみ、響は堂々と宣言した。

 

 

 

「いやあ、熱い青春の熱情を感じるね。うんうん、やはり青少年少女はこうでなくてはね」

「茶々いれんなよ」

「ははは。茶々なんかじゃないさ、全く正直な感想だとも」

 

 響と未来の様子を後ろから眺めていたアマデウスの言葉に、クリスが小声で突っ込む。

 

「ええ。そしてああいう貴い誓いを守るのも騎士の努めというもの。彼女らが悲しい涙を零さぬように、我々も出来ることをしなくては」

「……そうだね。いや、私が何処まで出来るかはわかんないけど……それでも、やれるだけ頑張ろう」

 

 ベディヴィエールの言葉に立香も頷く。

 彼女達の関係性は、自分とマシュの関係に近くて遠い。立香はその在り方を理解しきれているとは言えないが、それでも彼女達の尊さは守られて然るべきだと。そのために自分のできることをしよう、そう立香は自然と考えていた。

 

 決意を新たにしていた立香は、そこで唐突に肩を叩かれる。

 慌てて振り向けば、いつの間にこちらに来ていたのか、そこにはクリスと翼が立っていた。

 

「肩の力は抜いとけよ?安心しろって、あたしらだって居るし、いっぱい呼んだサーヴァントとかも居るんだろ?」

「そうとも。何、案ずるな藤丸。お前も、立花も、私たちも。決して1人で戦うわけではない。全員が全員人事を尽くせば、天命を引き寄せることとて不可能ではないさ」

「クリス……翼さん……。うん、そうする!私一人じゃへっぽこど三流魔術師だから、無理そうな分は全力で頼らせて下さい!」

 

 クリスと翼のアドバイスに、すっぱり自分の立ち位置を明言する立香。

 自分をへなちょこと言い切り頼らせろというその潔い姿勢に、翼とクリスは瞠目し、次いで破顔した。

 

「へっ、それが言えりゃ十分だろ」

 

 最初は響と似たような人間かと立香のことを認識していたが、意外と強かであったらしい。クリスはそう理解し、無用な心配だったかと思いつつニヤリと笑う。

 

「ふふふ、頼ることには慣れてますから!あ、やれることはやるよ、当然だけどネ!」

「いや、それならば良いんだ。出来ることをやり、出来ないことは頼る。これが意外と難しいものだからな」

 

 どこかおどけた口調の立香に、翼がそう返す。その言葉の裏には過去の己を想起したが故の説得力が多分に含まれており、クリスも同意するようにうんうんとうなずいていた。

 

「ま、うちのマスターは"出来る限り"の見極めについてはプロ級だけど、無茶のしどころで盛大に無茶をするのもそうだから安心しきれないんだけどね」

「アマデウスひどい!サーヴァントの皆にはいつもお世話になってます!……って、うわっと!」

 

 まるでコントのような掛け合いをする立香たち。と、そこでその腰の通信機から音が発せられる。

 急な着信音に恐る恐ると通信ボタンを押すと、そこからは立香の聞き慣れた声が届いた。

 

『あ、繋がった。全く、詐欺じゃないんだから電話してからワンコールで出てくれたまえ……という冗談は置いといて、こっちでも準備が出来たから戻っておいでー』

「ダ・ヴィンチちゃん!了解、今すぐ帰投します」

 

 通信を終えて他の人と顔を合わせれば、響たちも通信を受け取っていたようでそれぞれが通信機を手に表情を変える。

 やがて響が未来へと向き直り、口を開く。

 

 

「それじゃ、名残惜しいけど。……未来、いってきます!」

「うん、響……いってらっしゃい」

 

 

 世界を助けにいってくるという響に、信頼の笑顔で送り出す未来。

 

 並行世界の、並行世界でも親友たる少女の送りの言葉を受け、響は仲間たちとともに駆け出した。

 



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第5節 魔神攻略に向けて(3)

「さて、ここがチフォージュ・シャトー……オレが居城としていたワールド・デストラクター内部だが……」

「いやあ、空間転移は初めての体験だったね。レイシフトとは違う感じで実に新鮮。……それにしても、遠くから眺めてた頃から思ってたけど随分と荒れ果ててるものだね」

 

 時は僅かに遡り、キャロルとダビデはテレポートジェムにより新宿都庁の真上、チフォージュ・シャトーへと転移を果たしていた。

 シャトーの内部は魔法少女事変以降から手を加えられていなかったため、一部が崩落していたり大きく崩れてはいるものの、凡その形状だけは保たれていた。

 パイプオルガンのような巨大な機構が盛大に破損している光景を眺めながら、ダビデが気安げに話す。

 

「今となっては夢の跡……いや、妄執の残骸だな。しかしまあ、オレが此処に来る前にこの国の政府やらに密かに持ってかれるものかと思っていたが……存外と残っているな」

 

 崩壊したかつての居城を見るキャロルは、その言葉に懐古の念を滲ませる。尤もそこまで衝撃を受けたわけではないらしく、辺りの機材の確認や城の遍歴を推測している辺り、彼女にとっては既に過去でしか無いことが見て取れた。

 

「あまり手を触れたくなかったんじゃない?君は腐っても優れた術師みたいだし、工房に何が仕込まれてるかと思えば、ねぇ」

 

 キャロルの心情を知ってか知らずか、ダビデは彼の常識に則った言葉を吐く。

 魔術師の工房は要塞であるというのはダビデに限らずカルデアの面々にとっては一種の常識であり、術者が優れているほどその工房は危険であるとなるのもまた然りである。

 そんな彼の言葉に、キャロルは嘲笑を漏らす。その嘲りはダビデにではなく、この国の政府機関等に向けられていた。

 

「確かに罠も用意していたがな。歌女共はおろか三枚目のイカレですら盛大に踏み砕いているというのに臆病な話だ。まあ、オレが子飼いになったからと言う可能性もあるが……と、こちらだ。着いてこい」

 

 そういって、キャロルは瓦礫をどけながら崩落した通路を歩いていく。ダビデもそれに付き従い、キャロルがどけるのに手間そうな瓦礫をヒョイと退けていく。

 細身な外見とは裏腹なその膂力に、キャロルは改めて目の前の男が人外であることに感心した。

 

「こういう時は男手を頼るものだよ?特にもそう、イケてて力持ち、カリスマ豊かな羊飼いとかね?」

「……騎士の方ならまだしも、貴様に頼る気力は湧かんな」

 

 キャロルの視線に気づいたのかダビデが笑顔で自己アピールするも、当のキャロルはスッパリと切って捨てる。

 無情なキャロルの言葉に、形だけ肩をすくめるダビデ。

 如何にも辛そうな動きと裏腹にその表情は笑ったままであり、一切ダメージがないことが誰にでも見て取れるその姿にキャロルはため息を吐く。

 

「……全く。よくまあこんなロクでなしを連れ歩けるものだな、貴様のマスターは」

「手厳しいなあ、別に僕は(相対的には)そこまでひどくないよ?……それで、こんなところまできて一体何を探してるんだい?」

 

 通路を進みながら、悪態をつくキャロルにダビデが問いかける。

 資材が欲しいという話で此処まで着いてきたダビデだが、辺りの設備は瓦礫に埋まったり内部がショートしたのか内側から破裂したりとどれも使えそうには見えなかった。

 何もデモノイズがここまで壊したというわけではなく、あくまで嘗てキャロルが起こしたという事件の中でここまで壊れたということであれば、この状況も想定できていたはずである。であれば、それでも尚必要な物品があり、それを求めてきた可能性が高いとダビデは踏んでいた。

 

「言外の意味が気になるところではあるがまあいい。探しているものか……なんのことはない、オレの想い出だ」

 

 キャロルの口から出た言葉に、ダビデが僅かに身体を硬直させる。

 想い出、想い出である。こんな危険地帯まで来て必要なものが想い出と言われ、ダビデは自分の理解が足りなかったことを思い知らされる。

 今まで彼女と対話してきて現在の彼女のパーソナルについてそこそこ理解できていたつもりだったが、どうやら女性の深淵はまだまだ奥深いのだとダビデは一人納得する。

 

「……えっと、うん。そうだね、想い出は大切だよね」

「何か勘違いしているだろう、貴様。……とは言え、説明もなしに連れてきたのは事実か」

 

 慈愛の笑みを浮かべていたダビデに呆れたような視線を向けたキャロルだったが、よく考えれば自分の説明不足もあるかと自省する。

 

「想い出という言葉だからこそ奇妙に聞こえるだろうが、これはこちらにおける錬金術用語と思ってもらって構わん。想い出とは記憶、直截的に言えば脳神経を通う電気信号に他ならん」

「……まあ、今の時代の技術で言うならそうなるのかな。しかしまあ、随分ファンシーなネーミングだ」

 

 記憶というのは脳細胞が刻む情報記録でしかないと宣うキャロルに、ダビデはやれやれとばかりに肩をすくめた。

 ダビデの生きていた時代であれば魂やらなんやらが関わってくるものだという認識が一般的であったが、それも昔の話である。

 魔術的にはそれ以外にも物体、あるいは世界そのものに刻まれる「記録」……生物的な記憶とは異なる一種の法則に近いものもあるが、少なくともこの世界における錬金術では意外と科学的なシステムが組み込まれているらしい、とダビデはキャロルの言葉から理解した。

 

「想い出というのは個人を構成する巨大なリソースであり、錬金術の原理たる等価交換の基本則に基づく錬成資源としては極めて有用だ。オレたち錬金術師……いや、語弊があるな。少なくともオレはソレを燃料源として強大な力を行使する。一部例外こそあれど、内在魔力だけでは大出力を生み出せないからな」

「ふぅん。僕は魔術師じゃないからなんとも言えないけど、まあ足りない分を他所から持ってくるのはよくある話だね」

 

 相槌を打ちつつ、先を語るように目線で促すダビデ。

 その視線を鬱陶しそうに感じたのか、キャロルは表情を歪めた。

 

「……そう急かすな。想い出を探すと言っても、何もそこかしこにオレの記憶が零れ落ちているわけではない。先程言ったが、オレの想い出は錬金術の燃料であり、錬金術の行使に際し焼失する。そんな技術体系を扱うオレが、対策も練らずに数百年も活動出来るわけがあるまい」

「そりゃそうだ。となると、何らかの手段で想い出を装填するシステムを持っているということかな?」

「そういうことだ。……まあ、装置がダメでも最悪中身があればどうにでもなる」

 

 キャロルのなんとも不明瞭な言い方にダビデは首をひねる。 

 

「ふうん。想い出……記憶を入れるってなると高速学習とかかな?……直接知識・智慧を頭に入れられる学習装置か、良いビジネスの匂いがするね」

「……その発想は無かったな。それもある意味錬金術だが」

 

 経済的に貪欲な姿勢を見せるダビデに、この英霊は過去の王ではなかったのだろうか、本当はウォール街の英霊とかではないのか……などと言う思いが脳内を駆け巡る。

 あんまりにも即物的なエコノミック発言に、ああそう言えばこいつもユダヤ人か、などという偏見に満ちた言葉を思わず飲み込んだキャロルだった。

 

「まあいい。そら、ここだ」

 

 盛大に破損した扉の残骸を無理やりこじ開け、その中へと歩を進めるキャロル。

 ダビデはソレの後を追うようにして、キャロルの想い出があるという部屋の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

「……なるほどね。あ、僕を連れてきたのってここら辺も理由にあるのかな?」

「ないではないな。王である以上、現実的な判断でこの設備を許容する可能性もあるかと考えていた。そういう意味ではサー・ベディヴィエールなどが着いてこなくてよかったと言うべきか」

 

 自分の言葉を肯定するような言葉を返すキャロルに、肩をすくめ嘆息する。

 ダビデの視界に映るのは、壊れた金属製シリンダーや用途不明の錬金術の機材と思われるもの。そして──。

 

「それで、ここいらのシリンダーに残っているのは……エルフナインと一緒のホムンクルスかな?随分ぼろぼろだけど」

 

 ダビデの目線は破損した大きなシリンダーに向けられている。

 シリンダーに付いたガラスの窓から中を伺えば、そこにはキャロルやエルフナインと同様の姿をした少女──だっただろう、その身が崩れた遺骸が残されていた。顔周りの損傷が殆どないことから、ダビデはそのホムンクルスが誰を基にしているのかを即座に察していた。

 

「ああ。オレの予備機として使えるだけの精度は無いし、エルフナインのように錬金術を使わせられるだけの近似性も無い。どうにも使い途がなくて放置していたものだ」

「へえー。背格好は大体似たようだけど、そこまで近似性がないのかい?」

 

 キャロルの人道を盛大に無視した発言を軽く流し、シリンダーをまじまじと見つめ疑問を浮かべるダビデ。

 髪型といい顔といい、生前(?)はエルフナインやキャロルのそれと同じに見えただろうにというダビデの言葉だったが、キャロルはソレを鼻で笑う。

 

「当然。パっと見た外見すら違うような失敗作はその時点で廃棄するに決まっている。これは髪の色素が定めた閾値を超えているのと、本来のオレと違う所に黒子がある。あとは……」

「あとは?」

「身長が2cmばかりこちらのほうが小さい」

「……まあ作ってるのはキミだから、その基準等はキミの考えによるんだろうし僕がとやかくいうことではないけども……マスター達には言わない、見せない、聞かせないほうが良さそうだ」

 

 キャロルが連々と相違点を挙げていく。余人が聞けば何をその程度で、としか言えないような違いではあるが、キャロルにとってはその時点で作業要員としてすら使わないレベルの差異であるらしい。

 魔術師、あるいは錬金術師ではないダビデは、そんな理由で放置されているのかと憐憫の感傷を抱く。だが同時に、必要な基準を持たずに造られたものであれば廃棄もやむなしか、という冷徹な考えもその脳内に存在していた。

 とはいえ、サーヴァントであり常勝の王であるダビデにとって目前のホムンクルスへの感情はその程度ではあるものの、流石に年頃の少女であるマスター及びマシュ、正義感の強いベディヴィエールなんかには知られないほうが良いだろうと独りごちる。

 

(特にもマスターが知るのが問題だろうね。彼女は善人だから、キャロルのやり口をあまり良く思わない可能性は十分にある。……多少人道に悖るとしても、キャロルの行動が止められることで戦力外になるのは痛手だからね)

 

 人食いの怪物や殺人鬼なんかも含めてカルデアの仲間として認めているマスターである。今更、この事実が明るみになったところでキャロルを嫌うとはダビデは考えていない──が、それはソレとして非人道的手段はNGとするのもカルデア最後のマスターの特徴なのだ。

 勿論、装置を使わない場合についてもキャロルが織り込み済みの可能性は充分あるものの、なるべく戦力低下の愚を冒す可能性は減らすべきだと現実主義者のダビデは判断した。

 

「ところで、そのホムンクルスをどうするんだい?拠点にしたいっていうこちらの世界のS.O.N.G.の本部に彼女ごと運び入れたりなんかしたら、流石にマスターが黙ってないと思うけど」

「…………どうするか、か」

 

 ダビデの問いかけに徐に押し黙るキャロル。その顔にはどう説明すべきか、というよりどう言葉を選ぶべきかという苦悩が見て取れる。

 珍しいものを見たとその様子をダビデがしげしげと眺めていると、やがて言葉がまとまったのか、静かに口を開いた。

 

「……このホムンクルスは死んでいる。哲学的な意味ではない、生物として生存の状態にないという意味で間違いなく死んでいる。……そもそも起動させる前に施設が損壊してしまったのを死んでいると言って良いのかはともかくな」

「…………」

 

 キャロルの真摯な語り口に、ダビデは口を挟まず話を聞く姿勢を取る。

 

「この状況から、こいつを生の状態に……改めて生命として稼働させるのは不可能だ。ワールド・デストラクターは崩壊し、ガワはともかくシャトーとしての機能も半壊状態だからな。その設備を修繕する資材を集め終わる頃には魔神の野望が成就しているだろうよ」

 

「────だが、こいつが入っているシリンダーはまだ使えるかもしれん。調べてみないことにはわからんが、記憶をインストールするための設備──オレが錬金術を使う過程で失った想い出を補填することも可能かもしれない」

 

 キャロルの言葉は醒めたモノ。目の前のホムンクルスをもはや一顧だにせず。だが、ダビデはそれに苦言を呈する気はなかった。

 彼女がホムンクルスの死を語るとき、その顔には一種の使命感、罪悪感、後悔のようなものがないまぜになった表情が浮かんでいた。その顔を見て、ダビデは彼女を糾弾することが……出来ないわけではないが、糾弾しようとは思わなかったのだ。

 

「……うん、わかった。土台僕が何かを言うような立場じゃないし、さっぱりやると良いんじゃないかな」

 

 結局、ダビデはホムンクルスにもキャロルの事情にも深入りしないと決めた。彼の仕える先はカルデアのマスターであり、キャロルと今後深い付き合いがあるわけではない。わざわざ胸中にいらない心配や不要な悪意を抱える義理は無いとダビデは切って捨てた。

 ……自分が何をしなくとも、お人好しな己のマスターがキャロルと親しい間柄を築くだろうという確信があったのも理由だが。

 

「ところで、僕は何か手伝ったほうが……」

「いや!……周りの瓦礫を退けるだけでいい。その後は事が済むまでどこぞで待っててくれればいい。どうせ想い出のインストールは少し掛かるしな」

「……?」

 

 ダビデの言葉に、やけに食い気味に遠慮するキャロル。彼女の様子を不審に思いながらも、ダビデは瓦礫を退ける作業に取り掛かった。

 その様子を見ながら、キャロルは今更ながらに思案する。

 

(……問題は、既に意識を持つオレに新たに想い出を上からインストール出来るかどうか、という話だ。やもすれば無様を晒すかもしれんし、そもそも出来るかも怪しいものだ)

 

 なるべくなら見られたくない、というのがキャロルの正直な感想である。

 そもそもこの設備は造られたばかりのホムンクルスに錬金術などの知識を埋め込むためのもの。所々欠けているとは言え既に記憶を持っているキャロルに対して使えるような設計ではなかった。

 が、このままではキャロルの戦力的な限界は決戦前に訪れる可能性が高いということは彼女自身が把握していたため、出来ることはなんでもやり通す必要があった。

 

(ダメだった場合……)

 

 と、キャロルはちらりとホムンクルスを見る。余り気が進まないことではあったが、それでもやらなければいけないことだと彼女は決意を呑み込んだ。

 

「……ところで、僕は何処らへんで待っていればいいかな?こういう言い方はどうかと思うけど、ここは敵地のど真ん中で、記憶のインストールともなれば結構な隙を晒すだろう?となればほら、なるべくならお互い離れないほうが安全だとは思わないかい?」

 

 瓦礫を退け終わったところでキャロルに声をかけるダビデ。

 さっきの不審な様子にすごく興味をいだいていたダビデだったが、そんな好奇心をおくびにも出さずに安全性を重視した(という体の)方針を提案する。器用に本音と建前をきっちりと融合させた上で本音を隠した提案を出来るというところからも、彼の王としての道を選び生き抜いただけの才覚を感じさせた……この場では無駄もいいところだが。

 

「あ、ああそうか。あー、いや。そうだな、それならば外を見張っていてくれ。そこの扉の外でな」

「うーん?うん、判ったよ」

 

 キャロルの態度はどうにも怪しい。露骨に疑ってくれと言わんばかりのその態度にダビデの好奇心は大いに刺激される。

 勿論、好奇心が刺激されたからといって無理に覗くつもりはダビデにはなかった。英霊でありながら出歯亀に終始するというのは如何なものだろうと自問するだけの真摯さは確かにダビデも持ち合わせていたのである。

 

(……要件が終わったって勘違いして覗き込んでしまうことは……うん、十分可能性アリだ)

 

 無駄に言い訳を考えながら、ダビデは一旦部屋の外で辺りを見張ろうと扉へと向かう。電源が通ってないためか自動で開かない扉に指をかけ、持ち前の膂力でこじ開けてそのまま部屋の外へと消えた。

 

 

(……よし、視線は感じんな。……少々不審過ぎる態度だった、とは思うがどうにもな)

 

 ダビデが部屋から出て数十秒。足音も聞こえず、覗き見ている様子もない。

 視線が通ってないことを確認したキャロルは、ホムンクルスの入っているシリンダーの扉を開き内部を見回す。

 

(システムは──やはりだめか。稼働自体はしているが、既に覚醒しているオレにインストールできるようなものではない。他の機材が壊れてることを鑑みれば、今から改修するには時間が足りないな)

 

 現状をその目で確りと確認し、ため息を吐いて目線を落とす。その先には起動すらされないまま、只保存され放置され続けたホムンクルスが眠るような姿で停止していた。

 その姿に、キャロルはなんとも言えない表情を浮かべる。

 

(……仕方ない。許せ、とは言うまい。こいつと同型機を散々と使い潰してシャトーを造り、錬金術を磨き上げたオレが──今更こいつにだけ許しを請うことこそ馬鹿げている)

 

 内心の思いとは裏腹に、キャロルの身体は僅かに震えている。

 力の入っていない、崩れた矮躯。自身とほぼ同じ姿をしたそのホムンクルスは、己の復讐心によって生み出された咎の象徴である。

 復讐の狂気によって只々に邁進していた数百年の罪過は数え切れず、今に至るまでに奪った命もまた然り。ホムンクルスであれ人間であれ命を奪ってきておいて、いまさら罪悪感もあったものではないと己を嘲笑する。

 

 やがて意を決したのかキャロルはホムンクルスへと近づき、その頭部を両手で支える。

 

 そしてそのまま顔を近づけ……その唇をホムンクルスの唇へと押し当てた。

 

(……ああ、そうだ、そうだった。オレの、オレの想いは……パパの願いは……)

 

 想い出が互いの唇を通してキャロルへと流れ込んでくる。最低限以外全てを焼き捨て、失っていたキャロル・マールス・ディーンハイムの今までの記録が彼女に再び刻まれていく。

 キスの姿勢を10秒ほど維持した後、事が済んだキャロルはホムンクルスから口を離し、元のシリンダーへと戻す。

 

 

「……まさかそう来るとは、流石に急すぎてびっくりしたね!」

「!……ちっ、やはり見ていたか」

 

 虚空から声が聞こえたことで驚くも、すぐに調子を戻し悪態をつく。

 なんとなく声の聞こえたほうを向けば、扉は閉まったままであり……そこに青い燐光が集まっていき、やがて一人の人間の形を作った。

 

「いやあ、無音だったから終わったかなーって」

「……臆面もなくそう言える度胸と面の皮だけはさすがだなと褒めてやる。……サーヴァントというのは随分多彩だな。いっそそれで魔都に侵入して、守護天を無視して敵指揮者デモノイズを駆逐してほしいものだ」

 

 先程の粒子が結集したかのような出現はサーヴァントとしての力だろうとキャロルは当たりをつける。

 ダビデに量子転移のような逸話があるとは聞いたことがないのもそうだが、何よりサーヴァントが霊体であると言うなら、この世界の物理干渉に依らない状態への遷移が出来るかもしれないと思い至ったためである。

 

「できれば良いんだけどねえ。まあ霊体化は実体化状態と違って物理的な干渉が出来ない・されない・検知されないって利点はあるけど、魔術的には感知され得るからなあ。アサシン、特にも専門家のハサン・サッバーハとかなら霊体化せずに感知網をくぐり抜けられるのかな?」

「……そこは確りと検討するのか。真面目だか不真面目だかわからんやつだな」

 

 盛大に皮肉をぶつけたら意外と真面目に返され、キャロルは諦めたようにため息を吐いた。

 

「いやいや、僕は真面目だよ、すごく真面目だ。キミの想い出の供給を覗き見ていたのも、周りを監視するのも己の役割と欲望に忠実だからこそさ」

「ふん、どうだかな。……まあいい、取り敢えず今般の戦いに使えるだけの想い出は補充できた。ホムンクルスが残っていたのは僥倖だった。もし全損してたらこの機材を持ち帰って、S.O.N.G.の規格に合わせて調節して……なんて、とてもじゃないが不可能だったからな」

 

 もしそうなったら戦線に参加できなかっただろうよ、などと嘯きつつテキパキと帰り支度を始めるキャロル。

 

 

 

 

「……ところで。オレからこう聞くのもあれだが、何も言わんのだな」

 

 作業の途中、先程のダビデの反応がふと気になったのかなんとはなしに口を開くキャロル。

 サーヴァントたちは意外と柔軟な考えを持っているようだが、それでも先程の行為はダビデの信奉する神にとっては禁忌ではないだろうかと首を傾げる。

 

「そりゃあ、見た目こそあれだけど必要な行為だったわけだし、見慣れてると言えば見慣れてるし」

「────」

 

 ダビデの返答に、思わず作業の手を止め真顔でその顔を見つめるキャロル。

 教義的に同性愛は禁忌だろうに見慣れているというダビデに、やっぱりこいつじゃないやつを連れてくるべきだったか、と何度目かも分からない考えが頭をよぎる。

 その沈黙、そして変態を見る目を向けられていたことで流石に自分の評価が落ちそうだと思ったのかは不明だが、ダビデは言葉を続ける。然程動じた様子でもない辺り、変態と疑われるのは慣れているのかも知れない。

 

「いやいや、そんな目で見ないでくれよ。カルデアの面々は見慣れてるから、僕だけじゃないから」

 

 ダビデの脳裏に浮かぶのは2人の少女。どちらもホムンクルス(及びそれに纏わる生まれ)であり、片方が魔力を供給するために同じ顔のもう片方の少女にキスをしているのは意外と日常茶飯事である。

 そう考えればキャロルの行為も(その行為の不可逆性等の問題はともかく)見慣れているというダビデの言は強ち間違いではない。

 

「……存外爛れているな、カルデア」

 

 ダビデの言葉に、カルデアをどんなものかと想像したのか身を震わせるキャロル。

 なにか勘違いされている気もするけど訂正する気もなかったため、ダビデはその言葉に黙って肩をすくめた。

 

 

 

 

 

「さて、取り敢えず使えそうな機材は凡そ纏めたが……」

 

 そう言ったキャロルの周りには、電子機器らしきものや機械制御駆動であろうそこそこ大型の機械。錬金術で造られたであろう金管やらが接続された用途不明の機材などが纏められている。

 その手には複数のジェムが握られており、まとめてテレポートジェムで運ぶつもりであることが見て取れた。

 

「うーん、魔術とかに疎い僕にはよくわからないけど、まあ重要そうだね」

「ま、そうだな。恐らくS.O.N.G.本部にも最低限の機材はあるだろうが、出来てせいぜいギアの調整や改造程度だろう。まして今は親組織たる国連の支援も受けられんとなれば、設備やらは自前で揃えられるだけは揃える必要がある」

 

 キャロルの戦闘手段は、主に錬金術によるものが大きい。所謂ゲーム的な魔法攻撃のような手段は当然持ち合わせているが、その本質は物質の変遷・流動にある。

 例えばアルカ・ノイズの製造・改造やテレポートジェムの作成などはそれ用の設備があってこそ。手持ちには限りがある以上、設備を確保しておきたいという切実な思いをキャロルは抱いていた。

 

「事前準備が必要なのは錬金術も魔術も一緒ってことだね。それじゃあ、此処にあるもの以外にもなにかないか一通り他の場所も見てくるよ」

「うん?ああ、やってくれるのであれば頼もう」

 

 親切心からの申し出をキャロルが了承したことで、ダビデはそのままシャトー内部へと姿を消す。

 その様子をみたキャロルは、ダビデに1つ事実を伝えそこねていたことに気づく。

 

「……主要な資材庫である此処にある機材がこの程度では、他の場所もたかが知れているだろうが……」

 

 まあ、何かあるかも知れないのは事実であり、何かが見つかれば儲けもの。そう考えたキャロルはダビデに探索を任せ、機材の整理を再開した。

 

 

「さて、と。うん、どれが価値ありそうかなんてさっぱり判んないね!」

 

 一方のダビデはと言えば、当たり前だが周りの機材がどれが重要なものなのか等については全く理解できていなかった。

 これが技術者系のサーヴァントや魔術師系のサーヴァントであればあるいは理解できたかも知れない。もしくは出身時代が近現代のサーヴァント、特にも現代武装を扱えるタイプの英霊なら破損の度合い程度なら把握できていただろう。

 しかし悲しいかな彼は古代イスラエルの王たる英霊。軍略戦略あるいは人心掌握なんかは専門分野であっても、科学と錬金術、それも異世界のそれを理解できるわけがない。

 

 結果として、やはりというべきか彼はめぼしい物品を見つけられないでいた。

 

「うーん……よし、戻ろう!」

 

 これ以上は無理だ、とダビデはさっぱりとした表情で踵を返す。流石の割り切りの早さであり、即断即決さは彼の合理主義性を表しているようだった。

 そしてキャロルの元へ戻る段になった彼だったが、ふと壊れた扉が目に入る……否、正確に言えば壊れた扉の罅割れの隙間が目に入るというべきか。

 

「……何か、いるのかな?」

 

 ダビデがその隙間を見た時、彼は直感的に「何かがいる」と思っていた。魔力はない、生命の痕跡もない。それが生物かどうかもわからない。

 ならばなぜそこに何かがいるのかと思ったのかといえば……暗がりに彼を見返すモノが在ったからに他ならなかった。

 

「……、これは……」

 

 隙間に近づいたダビデがそれを見た時、彼はまず最初に「手が込んでいる」という感想を抱いた。パッと見ただけでも、それは彼に理解できる価値観のもとで「有用そうである」という考に至るに十分だった。

 次いでこの場所の主を想起し──最終的に「使えるかも知れない」という判断を下した。

 ダビデは笑みを浮かべ、壊れた扉をこじ開ける。そしてそのまま部屋の内部へと手を伸ばした。

 

 

『……おい、何をやっている。こちらの準備は終わったぞ、そろそろ戻ってこい』

 

 シャトーの設備の残滓を使ったのか、通路に控えめな音量ながらキャロルの声が反響する。

 所々割れた音にダビデは若干顔をしかめるも、それもすぐに笑顔で上書きされる。

 

「それじゃ、戻らせてもらうか。なんとも面白そうなのを見つけたからね」

 

 聞こえているかはわからないが、ダビデはそう返答しつつ歩を進める。

 その肩には、最初の部屋を出たときには無かった大きな物体が掛かっていた。

 



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第6節 魔都(1)

『さて、それじゃみんな集まったかな?それじゃ、諸々の情報を改めて共有しようか』

 

 空間投影モニターに映るダ・ヴィンチの言葉に、そこに集まった装者、錬金術師、マスターにサーヴァントが頷く。

 まずはじめに口火を切ったのは、当然ながら会議の音頭を取ったダ・ヴィンチである。

 

『えー、それじゃまず我々から、魔都について報告させてもらおうかな。ぶっちゃけ感づいている人もいっぱいいるだろうけど』

『ぶっちゃけ過ぎです、ダ・ヴィンチちゃん。

 魔都についてですが、カルデアのデータベースに同様のものはありませんでした。異世界の要素であるノイズが混じっているため当然ではあるのですが……』

 

 マシュの言葉にそりゃそうだと現場の、特にカルデア勢が頷く。もしノイズやらが使われている魔都がカルデアのデータにあったらそっちのほうが問題だろう。

 

「何かわかったことはあるの?」

 

 単刀直入な立香の問いかけに、モニター上のマシュが頷く。

 次いで、モニターの表示が切り替わり、3次元的に表示された彼女たちのいる世界……亜種特異点の全景が映し出される。

 球体として表示された地球図の幾箇所かが点灯しており、そこには彼女たちの至近である新宿も含まれていた。

 

『おわかりかと思いますが、これが魔都の配置図となります。魔都の個数は10、現在地からの最遠となる魔都は中南米……ええと、バルベルデ?が該当します。

 この10座標の組み合わせ、配置の球体表面における直線性を加味した場合、起点と終点にはバルベルデと新宿のどちらかが該当することになります』

『そして、その二点は3つのラインで結ばれる……つまり経路、パスというやつだ。所謂生命の樹と呼ばれる図表だね。一般的にはカバラの思想として認知されているそれに則れば、この2座標のどちらかが王冠(ケテル)、どちらかが王国(マルクト)となる訳だ』

 

 端的にまとめると言っていたとおり、助手にマシュを据えたダ・ヴィンチの説明は今まで以上に淀みがない。

 

『で、ここからが重要。起点・終点がどちらが該当するかと言えば……』

「ああ、起点がバルベルデだ。アムドゥシアスがオレを打倒した時にそう言っていた。オレが気絶間際の状況だったことを考えれば、ブラフということは無いだろう」

『……うん、そうだねバルベルデだね』

 

 意気揚々と説明していたダ・ヴィンチは、割って入ったキャロルの言葉に露骨にテンションを下げる。

 どんよりとした雰囲気をまとったその姿も様になっているとは言え、なんとなく気まずい沈黙があたりを包む。

 

『そ、そうか。こちらでも起点と終点を絞るまでにはなっていたが、カルデアはそこからどうやって起点と終点を判断したんだ?』

『!ああ、そうだね根拠を説明しよう!確証は得ているとしても裏付ける根拠は大事だぞう!』

「……ダ・ヴィンチちゃん、頑張ってる……」

 

 その微妙な雰囲気を打破するためか、先程微妙に情報共有で蟠っていた弦十郎が思わず助け舟を出す。

 サポートを受けてどうにかやる気を取り戻さんとテンションを無理に上げるダ・ヴィンチの姿に、立香は思わず目の端に涙を浮かべていた。

 

『えーと、そう。起点と終点の問題だけど……。まあ、お察しの通り守護天を置いていないから……というより、守護天に魔神アムドゥシアスを配置しているからと言い換えたほうが良いね』

「……魔神アムドゥシアスは守護天として配置されているのですか?」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に翼が疑問を呈する。

 彼女からすればアムドゥシアスは首謀者である。わざわざ自身の行動を制限するような"守護天"としての役割を己に課するとは思えなかったのである。

 

『ああ。まあ配置しているというより、存在しているから配置されているのと同義になっているのが正しいのかな?魔神アムドゥシアスを初め魔神というのは魔術王の守護霊体だ。セフィロトのそれぞれのセフィラに対応している守護天使は一種のみである以上、既に守護霊体たるアムドゥシアスが存在する新宿の魔都には新たに守護天が呼び出せないということさ。

 勿論アムドゥシアスが魔都以外を拠点とすれば話は別だけど……』

「……ホームグラウンドでありデモノイズが跋扈している魔都を離れてまで、守護天を用意する必要はない。そういうことですね、ダ・ヴィンチ女史」

 

 翼の疑問は最もであり、ダ・ヴィンチもその疑問に対する回答を用意していたのだろう。間を置かず返ってきたダ・ヴィンチの言葉に翼は得心の表情を見せた。

 

『そういうこと。魔神の行動は合理性重視だからね。下手に魔力を消費する行為はしないだろう。あの魔神もそこそこ負傷した筈だから尚の事……まあこっちは確証がないけど』

「……?はいっ!よくわかんないですけど、怪我してるんなら安全な場所に逃げたりしないんですか?」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に今度は響が疑問の声を上げる。ご丁寧に手を上げてからの響の発言にもダ・ヴィンチは慌てず答える。

 

『ああ、安全な場所には退避しているだろうさ。新宿はデモノイズがいることはいるだろうけど蛻の殻、事を成すまでは別位相、あるいは虚数空間辺りに引きこもってるんだろう』

「はあ?引きこもってる……って、あたしらが新宿の魔都を制圧できねーとでも思ってんのかよッ!?」

「落ち着きなさい。……それで、事を成すと言ったわね?魔神が新宿の魔都を蔑ろにしていい理由……いいえ、そもそも魔神が何をするつもりなのか。判っているのね?」

 

 ダ・ヴィンチの推測を聞きナメられてると思ったのか憤ったクリスを宥めつつ、マリアが確信しているかのようにダ・ヴィンチに問いかける。

 揺るぎないマリアの目線を受けたダ・ヴィンチは、その確信に気押されたのかは不明だが若干自嘲気味に微笑む。

 

『本当に何もかも判ってればよかったんだけどね。だけどまあ、相手が何をするのかはわかったっていうのはその通り』

「ほんと!?」

「さすがモナリザっぽい顔!」

 

「貴様ら……」

 

 さすがダ・ヴィンチちゃん、と今にも小躍りしだしそうなテンションで喜ぶ立香になんかよく判らない称賛を投げかける響。

 ポジティブな内容ということでテンションを上げる脳内単純勢に、キャロルは盛大にため息を吐いた。

 

『何をするのか、か……。生命の樹、ということは、自身の位階を上げる……有り体に言って神になろうとしているのだろうか?』

「神……ってそりゃあれかオッサン。あの……アダムみたいにってことか?」

 

 弦十郎のカバラ的な一般論に基づいた発言にクリスが疑問を浮かべる。

 

 彼らの世界で直近に起きた異変の中、彼らS.O.N.G.は神の力を得て無敵の存在にならんとした敵と戦ったことがあった。

 クリスはその時全員掛かりで戦った相手……色々とキャラの濃いアダム・ヴァイスハウプトのことを思い出したのかげんなりした表情を見せた。

 

『確かにその可能性もあるけど、まだ目的は不明瞭だからなんともだ。ただ、生命の樹を完成させるという前提に立ち返れば相手が当面やるべきこと、やらざるを得ない作業は1つ──経路(パス)を通すことさ。各セフィラ間でね』

 

 クリスのげんなり感が気になったのか地味に興味深そうな表情を浮かべつつも、ダ・ヴィンチは弦十郎に告げる。

 言われてみれば、と弦十郎が納得の表情を見せる。

 

『そうか、そもそもまだ経路が確立していないのか』

『確かに……。以前キャロルが引き起こしたワールド・デストラクターによる世界解剖、パヴァリア光明結社が用いようとした鼓星の神門。どちらも既存の経路……レイラインを用いていました。

 ですが、今回の魔都は生命の樹と同形状になるよう配置を優先した結果としてレイライン上に配置されていない箇所がいくつか存在しますし、そもそも新宿から直線上に出ているレイライン上にある魔都はありません』

 

『そういうこと。まあ相手がどんな手段でパスを通すかはわからないから経路の切断は狙えないから、妨害手段は魔都の制圧になるんだけどね。で、そういう意味で考えれば新宿を放置する理由も自ずと見えてくるのさ』

 

 ダ・ヴィンチの言葉に、その場の全員がむむ、と考え込む。なお、キャロルやサーヴァント達のように神秘にある程度の知識があるものたちはすぐに理解していた。

 やがてこの場の少女達の中でも一番状況把握力が高いであろうマリアが閃いたかのように顔を上げた。

 

「……成程、そういうこと」

「えっ!マリアさんわかったんですか!」

「すごい!」

 

 若干得意げな顔で理解できたことを態度で示すマリアを響と立香がもてはやす。

 尚、モニターのダ・ヴィンチはマスターであるはずの立香がまともに理解できてなかったことに生温い微笑みを浮かべていた。

 

「そうね、私の推論になるけれど……。生命の樹が王冠から王国へと力が流れることを示しているというのなら、逆に言えば終点たる王国の魔都をそこまでキッチリ守る必要は無いってことじゃないかしら」

「……?えっと、つまり……」

 

 判ってなさそうな立香の反応に、マリアがピンと指を立てて詳細を説明する。

 

「中継点となる他の魔都を破壊したり、あるいは起点であるバルベルデを破壊すれば生命の樹の完成に支障が出るのだろうけど、終点である新宿は力が流れ着くだけ。たとえ魔都自体を崩壊させたとしても、新宿魔都跡地に膨大な力が流れ込んでしまえば関係ないと考えれば、新宿が半ば放置気味なのも納得できると思わない?」

『成程な。新宿は最後の受け皿であり、流れる力を受け取れるだけの器さえ残っていればいい……。極端なことを言えば、場所そのものが無くならない限りはあちらもあまり気にしないということか』

 

 弦十郎がマリアの推論にうむむ、と唸った。

 言われてみれば……というわけでもないが、納得できるだけの理屈がマリアの言葉にはあると弦十郎は感じていた。

 ……弦十郎の隣にいたエルフナインはダ・ヴィンチの言葉だけで大体同じことを想定していたが、口に出す前にマリアが弁を振るったためにどうにも居心地悪そうにしていたのであるが。

 

『いやあ、言いたいことを凡そ言われちゃったね!ただそうだね。付け加えるなら王国(マルクト)は"玉座に座る女性"を象徴とする(セフィラ)だということも要点になる可能性はある。アムドゥシアスが取り憑いたエルフナイン、それ自体が魔都を示す中心核になっているかもしれないってことだね。もしそうであれば……有り体に言って、今の新宿をどれだけ荒らしてもアムドゥシアスが健在であれば概念上は王国(マルクト)の座は存在するとして生命の樹の崩壊につながらないということに繋がるのさ』

「……成程、ね。王国(マルクト)とか言いつつ、その本質は知識(ダアト)……隠された神意、ってことね。全く、魔神とかいいつつ趣味が悪いと言うかなんというか」

 

 ダ・ヴィンチの補足した内容を聞いて、マリアは吐き捨てるように呟く。

 結局、ここまでの事実を統括した結果として導き出せたのは、新宿に存在している魔都は(最初はともかく)現状では只のハリボテでしか無いという結論である。

 攻略すべき箇所が減ったことを喜ぶべきか、はたまたどうしても攻略できない箇所が残されてしまうことに嘆くべきか。何にせよこんな考察に時間を取られた当てつけにため息の1つでも吐きたくなるというものだった。

 

「……魔神の合理性を尊ぶという性質を改めて理解させられますね。かつて時間神殿にいた魔神が第6までの特異点を無視していたことと同様に、そもそも手出されてもされなくても構わない場所は最初から注視に値すらしない、と」

「新宿に魔都を作ったのは、恐らく最初に儀式場として作成するために(セフィラ)が必要だったから程度だろう。最初に構築して、体裁さえ整えてしまえばあとはどうにでも出来るということか」

 

 話を立香の背後で聞いていたベディヴィエールの言葉に付け加えるように、ダ・ヴィンチの推論を補強していくキャロル。

 

『要するに、現段階で重要なのは新宿ではないということさ。じゃあ何処が重要なのかと言えば……』

「……力の経路、新宿の魔都の上流である3箇所、ということか」

 

 ダ・ヴィンチの言葉を途中から引き継ぐように、得心が言ったというような表情の翼が呟く。

 そういうこと、とダ・ヴィンチは笑顔で翼の言葉を肯定する。

 

『実際はどの魔都も機能は等しいとは思うけどね。ただ、現在の拠点であるゲート周り、及びそちらの世界のS.O.N.G.本部として使われている潜水艦が日本である以上近辺の魔都から狙うほうが効率がいい』

「う、うーん……な、なるほどぉ。──あ!そういえば気になってたんだけどダ・ヴィンチちゃん、起点?王冠?だかのバルベルデを最初に制圧しちゃえば良いんじゃない!?ほら、そうすればそれ以降の魔都をゆっくり確実に攻略できそうだし!」

 

 どうにかこうにか話を噛み砕いていた立香が、ふと名案だと言わんばかりに手を挙げて発言する。別に手を挙げる必要はないのだが、先程の響に触発されていたようだ。

 どうだ、と立香が周りを見回せば、装者たちやモニターのマシュは「その手があったか!」と言わんばかりの顔をしていたが、逆にキャロルやサーヴァント、モニターに映る。ダ・ヴィンチや弦十郎などは若干渋い表情を浮かべていた。

 

「……あ、あれ?なんか悪いところあった?もしかして何か見落としてた?」

 

 意外と悪くないと思っていただけに、皆の表情に困惑する立香。

 

「……司令?藤丸の言葉には一定の理があると思いましたが、何か懸念が?」

『ああ。確かに立香君の言葉はそのとおりではあるんだが……』

 

 どうにも歯切れの悪い弦十郎に、翼が訝しむような視線を向ける。

 

「ハッキリしねーな。気になることがあるならさっさと言ってくれよオッサン」

『……ええと、ですね。こちらの画面を御覧下さい』

 

 弦十郎の様子が気になったクリスの問いかけに、問われた弦十郎ではなくにエルフナインが答える。

 エルフナインの言葉と同時に、S.O.N.G.のモニターがカルデアのモニターを通して立香たちの見ていた空間投影ディスプレイへと映し出された。

 先程の魔都の配置図に重ね合わせるようにして映し出されたソレは各魔都の何らかの要素を抽出したグラフであるらしく、どの魔都もある程度の差こそあれ似たり寄ったりな数値を可視化していた……新宿とバルベルデを除いて。

 バルベルデのグラフは明らかに他の魔都と比較して突出しており、その1つだけで平均値を大きく押し上げるのではないかと思わせるような表示となっていた。そして逆に新宿はその平均を大きく下げてしまいそうな、そんな値となっている。

 

「……なんですか、これ?」

 

 映し出された図柄に見覚えがない響は首を傾げる。立香たちも同様に疑問符を浮かべており、これが何なのかとモニターの向こうに目で尋ねていた。

 

『これは各魔都から観測されたエネルギーになります。見て分かる通り、守護天がいない新宿の数値は低いという事実が判明しています』

『先程、S.O.N.G.とカルデアで観測した結果を突き合わせたものさ。悪いとは思ったけど、君らに見せる前に先んじて情報共有していてね』

 

 エルフナインとダ・ヴィンチの言葉に、改めて画面のグラフを注視する。エルフナインの言う通り、守護天が存在しない魔都である新宿は他の都市と比べ明らかにエネルギー量が少ない。

 新宿内部に行ったわけでは無いにせよ、響たちも先の戦いからこっち、デモノイズと戦ったこともなければその歌を聞いた記憶もない。ワールド・デストラクターを探索したダビデやキャロルもまた然り。今の新宿は事実上ただの廃墟なのである。

 なるほどそう聞けば、このグラフが各魔都のエネルギーを観測した値という言葉に偽りがないということがその場の誰もが理解できた。

 

「……なるほど、このグラフは……。いいえ、このグラフが示しているのは、バルベルデには他の地域とは比べ物にならない、膨大なエネルギーが犇めいているということ、ですね?」

「ええ、それも他のと比べて桁違いです。下手すれば此処だけで他の魔都全てを相手取るより厳しいかも知れませんね」

 

 ブリュンヒルデがその場の共通認識をはっきりさせるようにと言葉に出す。画面を眺めていた子ギルもそれに同調し、実数値以上の驚異がそこにあることを看破する。

 2人の言葉に、響がうーんと唸る。

 

「つまり……バルベルデの守護天がすっごく強いってこと?」

『必ずしもそうとは言えませんが、その可能性は高いかと思われます。勿論大量のデモノイズが膨大なフォニックゲインを発している可能性もありますが……』

 

 限りなく低いでしょう、と締めくくるエルフナイン。その言葉には確信が満ちており、強力な守護天の存在を疑っていないようであった。

 

「えっとー……。なんでそう言い切れるの?」

 

 エルフナインの言葉が正しい……つまり強力な守護天がいるのであれば、最初にそこを狙う行為が悪手であるということに繋がる要素足り得る。

 逆にもしデモノイズが大勢にいる場合であれば、相手の戦力上限がどれほどかは不明にしろ数で押してくると考えられるため、戦力次第では十分に勝ちの目があるだろう。

 そこまで考えていたかは不明だが、立香はエルフナインが強力な守護天の存在を確信する理由が知りたかった。

 

『はい。といっても理由自体は明快で、これだけのエネルギーを生み出すだけのデモノイズがいれば、そもそも我々への干渉に躍起になる必要がないからです』

「……?私達の行動を妨害する理由って言えば、私達が魔神のやろうとしてることを邪魔しようとしてるからだよね?」

「後は確か、そもそもギャラルホルンが世界を観測することで単独の閉じた世界にならないというのも理由だったな」

 

 イマイチ理解が出来ていないのか、ぼんやり覚えてる理由を口に出す立香。そして立香の口にした理由以外に、魔神が言っていたことを思い出し立香に続く翼。

 その理解は間違いではないが全てでもない。そう考えたエルフナインはどう説明すべきかと考え、最初から説明することに決めた。

 

『ええと、取り敢えず順を追って説明させてもらいますね。今回の魔神の計画について、現段階では生命の樹をモチーフとした何らかの術式を地球規模で展開することだろうと推定しています。

 そして、生命の樹の経路とは第1の(セフィラ)である王冠(ケテル)からの神性の流出、神と呼ばれる存在の持つ何らかが現実世界に出力されるまでの経路を示したものとするのが通説とされています』

「うんうん。うんうん……?えっと、よく判んないけどわかった!」

『先輩どうか頑張ってください!まだ途中です』

 

 エルフナインの説明に頷いてはいるものの、完全に理解できているとはとてもいいがたい立香の反応に、半ば通例のようにマシュが激励する。

 

 そもそも魔術だなんだに年単位で関わってきた立香だが、その過程で身につけたのは魔術ではなく生存の術が大半である。へっぽこド三流魔術師などという自己紹介は決して誇張では無い。

 忍術で変わり身を習得したりレオニダス一世を初めとしたサーヴァントによるブートキャンプで物理的に身体的なスペックを強化している彼女だが、魔術を深く教わったことはなかった。

 一応彼女を弟子扱いする魔術師の英霊はいるが、本気で教え込むと言うよりも魔術師に対する気概を教え込む方に注力している。

 ……魔術に歩を向けたキャスタークラスの英霊だからこそ、一種の巻き込まれとしてこの世界に入ってきてしまった立香が魔術との深い関わりを持つべきではないという考えがそこにはあったのだろうが。

 

 閑話休題。

 

「……生命の樹の経路は、その上位のセフィラから下位のセフィラに向けた流れの道だ。王冠(ケテル)のセフィラを起点と呼んでいたのもそれが理由だが、此処で重要となるのは"何が"流れるのかということだ」

 

「魔力!」

「歌!」

 

「違う……が、ある意味どちらも近い。黙って話を聞け」

 

 面倒だとキャロルがさっさと纏めにかかる。途中で上がった立香と響の言葉をさっくり流す程度には話を進めたいようであった。

 

「アムドゥシアスが用意できるエネルギー源として最も利用しやすいものはフォニックゲインだ。歌の魔神であるという概念がある以上、無制限の出力はなくとも無尽蔵の放出はある。もし王冠のデモノイズの量が他の魔都を大きく凌駕するレベルで存在しているなら、そもそも守護天なんぞ用意しないでさっさと経路にフォニックゲインを流しているだろうよ」

「……た、確かに……」

 

 エルフナインの言葉を引き継いで語られたキャロルの言葉に、ようやく理解が及んだのか立香が戦慄する。

 現在アムドゥシアスの計画は実行できていない。合理の塊である魔神が用いるのはフォニックゲインである以上、十分なフォニックゲインが満ちていない。故に王冠(ケテル)の膨大なエネルギーの正体は守護天である。これが成立し得るために、作戦立案陣は王冠(ケテル)への直接的な奇襲行動を案に挙げていなかったのである。

 

『……というわけで。皆納得してくれたようで重畳、それじゃ話を本筋に戻そうか。あ、ちなみに王冠(ケテル)の守護天の正体はキャロルが心当たりあるらしいけど今は関わらないから置いておくね』

 

 ダ・ヴィンチが軌道修正したことで、全員居住まいを正し話を聞く姿勢を取る。

 

「最初に攻略するのが日本の3つの魔都だったか?場所が確か……」

『はい、風鳴邸、皆神山、深淵の竜宮ですね。現在、カルデアの霊基パターンの検出システムと併用することでそれぞれの守護天の正体を確認していようとしていますが、深淵の竜宮以外は詳細が不明です』

 

 話の流れを思い返しているクリスの言葉を受け、エルフナインが現在判っている情報についての説明をする。

 

『深淵の竜宮に存在する守護天はDr.ウェル……を依代とした疑似サーヴァントと思われるサーヴァント。皆神山は……近似値としてブリュンヒルデさんのパターンにほど近い反応ですがデータベース上の照会はなしとなっています』

「私に、ですか?では、戦乙女がいるのでしょう。……誰が来ているにせよ、私を呼ぶ縁足り得る。そういうことかと思います……」

 

 ブリュンヒルデが皆神山の守護天を推測するその言葉に、立香がむむむと唸る。

 戦乙女、大神の娘たるブリュンヒルデは(格が高いわけではないにせよ)れっきとした神霊である。彼女が英霊として呼び出せている理由はあくまで、主神たるオーディンの怒りに触れ神性を剥奪された為でしかない。

 逆に言えば、零落していない戦乙女は存在としては神霊なのだ。それこそDr.ウェルのように疑似サーヴァントで呼び出されている可能性があるにせよ、油断ならない強敵である可能性は十分にある。

 

「それに、戦乙女は一種人形のようなもの……。召喚されれば、余程ではない限り従うものです……」

『人形……いや、今はいい。成程、アムドゥシアスの命令で魔都を抑え込む可能性は十分にある、そういうことか』

 

 弦十郎はブリュンヒルデの今までの様子で人形と言われてもと思わないでもなかったが、今は重要ではないので置いておいて彼女の情報を吟味する。

 

『風鳴邸は近似パターンはなかったけど、こっちに居残ってる英霊から話を聞いてある程度は絞り込めた。……あくまである程度は、だけどね』

「?それって、風鳴邸の守護天に関わる英霊がいるってこと?」

 

 確かにカルデアには四海の神話に由来する英霊がいるが、霊基パターンを見てそれが自分に関わる英霊であると理解できるだろうかと首を傾げる。というかそれが出来るなら普段からやって欲しいと口に出しかけた。

 が、ダ・ヴィンチもそれが離れ業である自覚があるのか立香に先回りして言葉を塞ぐ。

 

『ああ、これは今回だけ、風鳴邸のサーヴァント限定だよ。……モニターを見ていたフィンが親指をかむかむして一方的に情報投げつけてきたからね!』

「えぇー……。ってことは、ケルト系の英霊?」

 

 ネタばらされた経緯になんとなく力が抜けるも、それはそれとして立香がダ・ヴィンチに確認する。

 フィン・マックールはケルトの英雄、エリンの守護者とも呼ばれるランサーのサーヴァントだ。その親指を噛むと自身の智慧が冴え渡りあらゆる事象を読み解くなどの伝承を持つ大英雄である。

 が、その能力はあくまで自身の知る内容・情報から最適解を見出すものであり、知らないことは知らないとしか言えない。従って、霊基パターンから情報を判読するということは彼が知る霊基、あるいはそれに近しい属性……つまりケルト神話に由来するものではないかと立香は考えた。

 

『いや、詳しい正体は不明だけど……英霊ではなく神霊。ケルトに由来する高位の神霊ということだ。神殺しの伝承を持ち、神の血を引くフィン・マックールの言葉だから間違いはないだろう』

「また神霊!?バーゲンセールじゃん!」

 

 神霊系のサーヴァントは基本は英霊たるサーヴァントの中にあって一段も二段も上位の力を持つことがほとんどである。そんなのしかいないともなれば立香が嘆くのも無理はないと言える。

 

「……では、私が呼び出されたのはそこに縁があった、ということでしょうか」

『恐らくそうだ、ベディヴィエール卿。キミは円卓の騎士だけど、その由来としては土着のケルト系の伝承が多いからね。それこそフィンやクー・フーリンじゃなくて君が行ったことにも何らかの理由はありそうだけど』

「フィン殿が即座に理解できたことを考えれば……恐らくは戦神ヌァザやその係累が関わっている、ということでしょう。銀腕だけなら聖ブリギッドなども考えられますが……それならば、私ではなくマルタ殿等の方が呼び出される可能性が高そうです」

 

 ベディヴィエールはそう言い、己の銀腕を見やる。

 銀の腕、アガートラム。この武装は名前を借りただけではあるが、アガートラムというのはケルト神話の戦神にして嘗ての主神ヌァザの武装である。フィンがヌァザの血を引くことといい、関係がないとはとても思えなかった。

 

「……」

 

 そんな彼の様子に、同じく銀腕(こちらは欠片とは言え本物だが)を抱くマリアは神妙な表情を浮かべる。

 自身と同じ銀腕を持つ異世界の神に合わせ、偽の銀腕を抱く異世界の過去の英雄、そして銀腕の欠片を持つ自分が揃う。縁、と彼は言っていたが、正に奇縁としか呼べないこの状況を受け、マリアも思わず自身の首にかかったアガートラームをちらりと見た。

 

 

 マリアの様子をよそに、そう言えば、とダ・ヴィンチがふと思い出したように口を開く。

 

『言い忘れてたけどこれが生命の樹に基づいた術式であるとすれば、新宿にある王国(マルクト)に繋がる3つの魔都はそれぞれ勝利(ネツァク)基礎(イェソド)栄光(ホド)が割り当てられるだろう。魔都の位置からすれば基礎は風鳴邸で確定として……』

『残りについては、地球表面を表と見た場合に王冠、基礎、王国を繋ぐ均衡の柱の左側、峻厳の柱に存在する深淵の竜宮を栄光、反対側の慈悲の柱に存在する皆神山を勝利として暫定名称とした』

 

 ダ・ヴィンチの説明を引き継ぐように弦十郎が説明を続ける。

 先程からそうだが、どうやら彼らは説明中にも互いに情報共有をしているらしかった。

 

(私達が混乱しないように、指揮側で情報を統一しているのか。司令達にはいつも助けられるな……)

「ふぅん、ウェルの野郎が栄光たあ皮肉が効いてやがる……って、どうしたんだ先輩?」

「……ふっ。いいや、なんでもない」

「?」

 

 何だこいつと不審な目を向けるクリスに、翼は笑みを深めるだけだった。

 尚、響や立香はなるほどぉと頷いていたがあまり深く理解できていないようであり、それを見ていたキャロルがため息を吐いた。

 

『さて、それじゃこの3つの魔都の攻略について。まず最初に君たちに決めてもらうのは……』

 

 と、そこで一呼吸置くダ・ヴィンチ。立香、サーヴァント、そして装者たちはその様子を真剣な表情で伺う。いや、アマデウスやダビデあたりはダ・ヴィンチの様子を把握できていたのか真剣というほど真剣ではないような表情だったが。

 

 

『……チーム分けだ!さあ装者とサーヴァントで2人1組でペアを作ってー!』

 

「…………はい?」

 

 その美人な顔から放たれたどこか抜けた言葉に、そこに居た面々は口を開いたままの呆けた表情でダ・ヴィンチを見つめ続けた。



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第6節 魔都(2)

『つまりね、皆で一個一個制圧してくんじゃ間に合わないのさ。前も言ってただろう、基本的に3ペアで行動するように考えてたって』

 

 急に体育の時間宜しくなペア作ってー宣言に不信感丸出しな彼ら彼女らに、ダ・ヴィンチが改めて説明を始める。

 

『勿論、安全性を考慮すれば全員で各魔都を攻略するのが一番いい。というか本来はそれが最善だけど……』

「……時間が、ないんですね」

 

 響がダ・ヴィンチの言葉と声音から、現状について悟る。

 ダ・ヴィンチのふざけたような言動も、その実いつになるかわからないタイムリミットを危惧してのことなのだろう。響の言葉に神妙にうなずく。

 

『そういう事。本来の生命の樹であれば流れにはちゃんとした順序があるけれど、術式次第では必ずしもそれを守る道理はない。最終的に生命の樹を完成させることで何かを成すことを目的としている可能性がある以上、やはり確実策を取るべきだろう』

 

 そう言って、ダ・ヴィンチはモニター上の3つのセフィラ……勝利、基礎、栄光を指し示す。

 

『つまり、ここだ。この3つさえ止めてしまえば、取り敢えず王国へ繋がる経路は全て遮断できる』

『相手が行動を起こすまでの時間が判れば良かったが、まあ無い物ねだりしても仕様があるまい。この3つの魔都の制圧、そしてフォニックゲインを中継・増幅するために使用されるであろう指揮者デモノイズの撃破を並行して行う必要がある』

 

「だから、チーム分けね。……それはいいとして、どうしてサーヴァントと装者のペアになるのかしら?普段連携慣れしている装者同士、あるいはサーヴァント同士のほうが戦闘で優位に立てるのではないかしら」

 

 ダ・ヴィンチ、そして弦十郎の言葉に納得したのだろう、肩の力を抜いたマリアがそのまま質問を投げかける。

 先程の戦いでは、装者たちとサーヴァント達が一丸となって魔神、及びデモノイズに挑みどうにか勝利を得た。その中ではサーヴァントと装者が連携する場面もあったが、やはり連携しやすいのは互いを知る同士であるのは事実。

 特に装者たちは歌のユニゾンをすることでその戦闘力を大きく引き上げることも可能であるため、本来なら装者同士で組んだほうが勝率が上がるというマリアの言葉は正鵠を射るものだった。

 

「いや、それは困る。主に僕たちサーヴァントが」

「……ダビデ?」

 

 が、マリアの言葉を否定する声が上がる。本音を堂々とぶちまけるその声の主は何を隠そうイスラエル王ダビデその人である。

 ダビデの反応になにか困る事あったかな、と立香が首を傾げる。が、すぐに問題に気付いたのか目を見開いてマリアに向き直った。

 

「って、そもそもサーヴァントじゃノイズを実体化させられないんですよマリアさん!」

「……そうなの?」

 

 立香の言葉に呆気にとられるマリア。次いで、言われてみればそのとおりだと愕然とする。

 今までマリアが戦った中で、装者でなくとも位相差技術を扱いノイズを遠慮なく操っている者達は結構いた。錬金術師が代表されるが、それ以外にも聖遺物やそれこそ錬金術の産物を用いて一般人ですら操ることは出来たし干渉することも出来た。だからこそ、目の前の如何にもデキそうな魔術師集団らしいカルデアの人々だって出来るのではないか、などと思っていたのである……勿論、異世界出身の彼女らにそんなマネは不可能だが。

 

 これはマリアが響からの報告を聞いて直ぐに出立したがために情報共有できていなかったためであり、マリア以外の装者の面々は知っていることではあった。

 しかし先程の戦いで皆で戦い、英霊たちがノイズの分解を恐れず遠慮なく突っ込んでいる姿になんとなく普通にノイズと戦えるんじゃないかなんて思っていたのも事実である。

 その証拠というわけではないが、マリア以外の装者も「ああ、そういえば……」という表情を浮かべている。

 

「まあ、僕らは霊体だからね。生身に見えるかも知れないけど、その実体が魔力で編まれている以上炭素分解というノイズの機能を受けることはないんだけど……」

「……ですが、位相差障壁の突破は、難しいでしょうね。私ならば原初のルーンであるいはといった所でしょうか。……英雄王ならば位相固着の宝具を持っている、かもしれませんが……」

 

 そう言って、ブリュンヒルデがチラリと子ギルの方を見る。視線を受けた子ギルはニッコリとした笑顔を見せた。

 

「当然、僕はここから動けないので意味はないですよ?そもそも常時発動型で位相固着ってなると、大規模な結界系、あるいは領域系の宝具になりますからね。宝具を組み合わせて通信設備を構築している現状で使うのはちょっと、動作保証が出来ないといいますか」

「そうなんですか……」

 

 乖離剣なら纏めて吹き飛ばせるかもですけど、それを雑種……もとい雑音ごときにはちょっと……。などとこの期に及んでプライドを優先させるような発言をする子ギル。

 一応、閉じた世界だの法則が色々入り混じってるだのといった現状があり、世界が不安定な状況で乖離剣を使うことが危険であるという理由もないわけではない。ただそれ以上に、魔神混じりとは言え高々ノイズとやらに丸薬呑んで元の年齢に戻って乖離剣を使うか、となるとノーとしか言えないのがギルガメッシュという英霊だったと言うだけの話だった。

 

 響はそんな彼になんとも言えない表情を見せるが、しかしそんな子ギルに慣れているのかカルデアの面々が何も言わなかったため粛々と引き下がった。

 

「まあ、ギル君がそうだろうことは想定済みだからセーフ!むしろ通信環境作ってくれるだけで超万々歳だからそれは置いておいて……。というわけで、サーヴァントで位相が云々を解決できる人が召喚できてないので頼らせてください!」

「それは勿論構わないわ。むしろ事情を知らず軽々な提案をしたことを謝罪させて頂戴。……しかし、そうすると誰と組むか、という話よね?そうね、共に戦った3人がそれぞれペアを組んで、私はギルガメッシュ王……なのよね?彼とともに此処を防衛する立場に回ったほうがいいと思うのだけど、どう?」

 

 そう言って、マリアが改めてあたりを見回す。彼女は話を聞いただけで、サーヴァントたちの戦いぶりを実際に見てはいない。

 実際に戦った彼女らの方が連携は取れるのではないかという考え方は至極真っ当であり、その提案に装者たち、サーヴァントたちは一理あると頷く。

 

「あ、そうだ。当然というか、僕は戦いには出ないぜ?君らがシンフォギアの通信を常時オンにしてくれればそこから僕の曲を流すことで魔詠対策は取れるしね」

「何……?ああ、いや。それもそうか、よく考えなくとも貴殿は音楽家、別に戦場に立つ戦士ではないのでしたね」

 

 そういえば、と取ってつけたようなアマデウスの言葉に翼は訝しむも、直ぐに彼の能力の方向性を思い出して納得する。

 アマデウスの楽曲による精神安寧効果はあくまで演奏によって発生する技術的なものであり、彼の歌を直接聞かなければ作用しないといった特殊性はない。それを鑑みれば彼が戦場に出向く理由はまずない。

 それどころか戦闘技能で言えばこの場における最底辺一歩手前(尚、最底辺は立香である)の彼が下手に戦場に出れば、むしろ弱点にしかならない。彼の音楽が魔詠に対するウィークポイントであれば尚更だ。

 

「となると、前線に出るのは僕、ベディヴィエール、ブリュンヒルデといったところかな?で、ペアを組むのが響ちゃん、翼ちゃん、クリスちゃんと。いやあ可愛い子揃いで参っちゃうね!」

「……もう此処まで来ると、流石としか言えないわね……」

 

 そんな場面でもなかろうに肝太くウキウキな様子を見せるダビデに思わずマリアがため息を吐く。

 こんなのが世界的な宗教における重要人物である事実を思えば、彼女が額に手を当て空を仰ぎ見たのも已む無しであろう。いっそ彼の態度はこの場の空気を弛緩させるためにわざとやっているのだと言われればその方が納得できる。内心を読ませない表情を伺えばどちらとも取れるあたりに彼の厄介さが表れていた。

 

「………………」

 

 そんないつもの様子なダビデにも反応せず、だんまりを決め込む男が1人。

 

『ベディヴィエールさん?先程から発言なされていないようですが、なにかありましたか?』

 

 ペアが云々の話になって以降だんまりを続けていたベディヴィエールに、通信でブリーフィングを確認していたマシュが何かあったのかと様子をうかがう。

 その沈黙具合はマリアの提案を境にますます深くなっており、彼女の言葉になにか問題があるのだろうかと首を傾げる。

 

「そうですね……。あの、誰と組むかということでこちらから希望を出すことは可能ですか?」

「?別にいいと思うけど……もしかして、なにかこの状況で気付いたことでもあった?」

 

 彼の口にした内容を聞き、ベディヴィエールの様子にピンときた立香が小声で尋ねる。マスターの問いかけに、ベディヴィエールはハッキリと頷いた。

 

 軍略スキルを持つベディヴィエールは、ある意味では他のサーヴァントより広い視野を持つ。勿論スキルとして明示化されていないだけでダビデやギルガメッシュも文字通り技能として習得しているだろうが、サーヴァントとして召喚された際にスキルとして設定されているか否かというのは意外と大きな差がある。霊基自体がその行為を最適に実施できる器となっているのは、そうでない場合とはやはり異なるのだ。

 ましてや、基本一歩後ろで控えつつも適切な助言をするようなタイプ(円卓の騎士がいない場合に限る)のベディヴィエールが他に先んじて希望を出したということは、盤面に対して何らかの……それも、かなり重要度が高い情報を見出したのではないかと立香が考えるのも当然だった。

 

 彼女の期待するような視線を受け、ベディヴィエールがハッキリと口を開く。

 

「気付いた事、というには若干の語弊があります。また、確証はありません。啓示や直感と言った技能を持たない私の言葉を信じていただけるかは解りません。ですが、それでも尚私は組む相手を指定させていただきたいのです」

『そ、そこまで……。うぅん、理由を聞いてもいいかな?』

 

 ベディヴィエールがこうも自身の主張を通そうとすることは珍しいのか、若干面食らったダ・ヴィンチが理由を訊く。

 カルデア勢だけならベディヴィエールに対する信頼もあるのでそのまま通してもいいのだろうが、組む相手は年頃の少女達である。現サーヴァント中最安牌な人格者のベディヴィエールが自ら組む相手を選ぶというのは(装者たちは気にしないかも知れないが)それ相応の理由がいるのだ……などとダ・ヴィンチや立香は内心で考えていた。

 

 そんな2人の内心を知ってか知らずか、ベディヴィエールは落ち着いた様子で、しかし確固たる意志を込めて話し始める。

 

「はい。……こちらの風鳴邸の魔都の守護天であるとされるケルトの神霊。我が腕、そしてマリアさんのシンフォギアに由来する神であり、エリンの守護者たるフィオナ騎士団の長フィン・マックールとも縁が深いとなれば、十中八九でヌァザやその係累たるダーナ神族がいるだろうというのは承知済みでしょう」

 

 ベディヴィエールの語る内容は全く真実であり、その場の全員が軽く頷く。まあ、神話等に詳しくないであろう響は空気に流されているきらいはあるが。

 そう、ここまでは大前提……ほぼ確定している状況である。問題なのは、その中で誰が……ナニが召喚されているのかという点にある。

 

「最悪かつ最も可能性が高いのは銀の腕の真の所有者……ヌァザ=アガートラム、銀腕のヌァザが顕現している状況です。

 かの神は病を癒す力、水を司る力があるとされていますが、何よりヌァザ神は神々を率いて戦う神軍の王にして戦神。もしその顕現形態が疑似サーヴァントであれ、戦闘・戦争を司る神霊を相手取るというのであれば……英霊と装者1名ずつでは明確に不足している」

 

 そう語るベディヴィエールの表情は優れない。自身の力不足を認めてしまわなくてはならないことに不甲斐なさを感じているのか、あるいは敵対者の強大さを予感してのものなのか……恐らく両方だろうというのはその場の誰もが理解していた。

 

 銀腕のヌァザ。ケルト神話に語られる戦の神であり、クー・フーリンの父にして光明の神ルーに王権を禅定するまではダーナ神族の王位に立っていた神でもある。

 その力はケルトの神々の中でも強力な部類であるが、魔術に長けた巨人フォモール族との戦いの中でその生命を失ったと言われている。

 光神ルーに比べれば些か見劣りするといえばそうなのだろう。しかし歴とした主神級の神霊であり、正面から戦って勝利を拾える英霊など数えるほどしかいないだろう。

 

 ベディヴィエールは己が英霊として弱い部類であり、今の力も花の魔術師によって造られたという銀の右腕によってどうにか保てているということは理解している。

 力の不足を晒すのは騎士として気持ちの良いものではないが、だからといってそれを隠して意地を張れると考えるほど彼は現況を楽観視していなかった。

 

『確かにソレは私も懸念してた。……そうするとベディヴィエール卿、キミの希望は……』

「……はい」

 

 ダ・ヴィンチの言葉を途中で受け、その想像通りだと肯定するように頷く。そして、一息の後にベディヴィエールは口を開いた。

 

「私が希望するのはヒビキさんと、加えてマリアさんに行動を供にしていただきたいのです。ヒビキさんのガングニールは軍神の槍にして勝利の魔槍。その矛先が共にあるという事実で以て、戦神の権能に抵抗できる可能性が高い。そしてマリアさんは……」

 

 そこで僅かに言葉を口を閉じ、マリアのギアへと視線を注ぐ。

 

「……マリアさんは私とは異なる、真なるアガートラムを持っている。アガートラームは銀の腕というヌァザ神の象徴であると同時に、無欠という神の完全性の否定の証。何らかの効力を有している可能性は十分にあります。そしてだからこそ、私はお2人とともに向かいたい……どうでしょうか」

 

 真剣な眼差しで2人を見つめ、ベディヴィエールが語る。

 マリアと響はその真摯な眼差しに、思わず息を忘れ言葉を失ったように立ち尽くす。

 

「……って、2人ですかッ!?あ、いや、私はいいんですけどッ!……その、ゲートの護衛はどうすれば……?」

「それは……」

 

 ハッ、と我に返った響が驚いたように叫び、次いでその作戦の問題点を指摘する。

 ベディヴィエールがそれにどう答えたものかと逡巡していると、意外なところから彼に助け舟が来た。

 

『いや、その点は問題ない。調くんと切歌くんがそろそろ派遣に回せるからな。2人がそちらに行った段階で出立すれば、ゲートの防備に際して装者が足りないということにはならんだろう』

「2人が?そう、もう書類(と宿題)が終わったということね」

 

 あの子達にしては意外と早く済んだわね……などと嘯くマリア。驚きと同時に喜んでいるっぽい彼女の雰囲気から、なんとなくその調と切歌という少女たちの立ち位置が想像できる。

 

「いーや、こっちに来る書類が纏まった時点でこれ幸いと投げ捨ててきたって可能性のが高いと思うぜあたしは」

 

 面白がっているような声で話すクリスの様子からも、どうにも可愛がられている感じがひしひしと伝わってくる。

 なんか仲良くなれそうかも……などと立香が勝手に空想を膨らませたところで、弛緩した空気を程よく張り詰めさせるようにパン、という手をたたく音があたりに響く。

 

「……はい。銀腕の騎士、ベディヴィエールがおふたりと組む、というのであれば。私とダビデ王が残るお二方のどちらと組むのか、ですね」

「ブリュンヒルデも組みたい相手がいるの?というか、結局響とマリアさんはベディヴィエールと組むってことでいいのかな?」

 

 声に空想から現実へと立ち返った立香が音源に視線を向ければ、両手を胸の前で合わせて薄い笑顔を浮かべたブリュンヒルデが視界に映る。

 ベディヴィエールもそうだが、あまりこういう場で前に出てくることのないサーヴァントである。そんな彼女が話を進めようとしたことで、立香はブリュンヒルデにもペアの希望があるのか?と首を傾げた。

 

「私は構わないわ」

「私も大丈夫ですッ!……で、そうするとブリュンヒルデさんとダビデさんがそれぞれ翼さんとクリスちゃんのどっちかとペアになるとしたら……」

 

 響は言葉を切り、それぞれに顔を向ける。

 目線で水を向けられ、翼は僅かに沈黙した後に口を開いた。

 

「……私は。……風鳴邸に向かいたいと考えていた。だが、ベディヴィエール殿の言うことは最もというものだ。感情も大事ではあるが、それに終始する訳にはいかない。勝ちの目を大きくすること、それこそが何よりも人々を守る手段たり得るのは至極当然でしかない」

「ツバサさん……」

 

 翼の言葉に、ベディヴィエールは罪悪感を覚える。

 風鳴邸、という名称通り、そこは風鳴翼の生家である。心を許せる家族がおり、幼少の思い出もそこに眠っているため、当然翼はそこをどうにかしたいと思うだろう。

 だが、その心を持っていて尚翼は己の希望ではなく、勝率の高くなる道を選ぶ。人類を守る防人として、少しでも多くの人を、想いを守るために。

 

 そしてだからこそ、ベディヴィエールは己の発言を撤回しない。己が出した提案を彼女が理解し受け入れた以上、不用意な同情は彼女の防人としての在り方に瑕疵を与えてしまうと知っていたから。

 

「1つだけ。風鳴邸を……いいえ、魔都に囚われているであろう人々を、どうかお願いします」

「……はい。騎士王に仕えし円卓の名に於いて誓いましょう。私は必ず、かの魔都を開放してみせると」

 

 翼の真摯な願いを受けたベディヴィエールは、騎士として最上の礼を尽くし誓いを立てた。必ず、目の前の戦士たる少女の大切なものを護り通すという守護の誓約を。

 

 

 

「……先輩、は問題なさそうとして……」

 

 一方。翼とベディヴィエールを伺っていたクリスは、2人の落ち着いた様子に安堵の表情を浮かべ……残るサーヴァントたちに目線を向けどうしたものかと微妙な表情を浮かべていた。

 

「……あたしは、あんまりダビデのオッサンと組みたくないんだが」

「いいじゃないかアビシャグ。その小柄の割に豊かなスタイルも素敵だよ?豊穣を約束しているようだ!」

「そういうとこだよスケベ野郎ッ!」

 

 という、ご覧の有様である。マスターである立香は(知ってはいたものの)ダビデの奔放さに思わず頭を抱えた。

 別にダビデが悪気があるわけではないだろう、彼の基準で褒めちぎっているだけ(性欲的なものがないとは断言できないが)である。

 それが現代人価値観と合わないというのはダビデも知っているだろうが、合理主義のダビデでも譲れぬ一線があるということだろうか。

 

「風鳴邸、ケルトの神の御座以外の2箇所。即ち、炎の英霊が鎮座する深淵の竜宮と、戦乙女の守護する皆神山。……私は、皆神山に向かいたいと考えていますが、お二方はどうでしょうか?」

 

 ダビデの戯言に付き合う気がないのかは不明だが、少なくとも話を続ける気はないブリュンヒルデによりダビデとクリスの会話が打ち切られる。

 同じ目的地に行きたい者同士で組もうと言いたいのだろう、クリスと翼が行きたいのは何処なのかと尋ねる。

 

「……風鳴邸が選べぬと言うならば是非もない。私は皆神山を目指したいと考えているが、雪音はどうだ」

 

 ブリュンヒルデの希望に翼が答える。

 風鳴邸はベディヴィエール、マリア、響が担当する以上翼の入り込む余地はない。深淵の竜宮と皆神山ならどちらがいいのかを考えた時、翼からすればまだしも知識がある皆神山に行きたいと考えるのは自然である。

 ……皆神山の守護天として召喚されているという、ブリュンヒルデ曰く戦乙女。もし彼女が擬似サーヴァントであるなら、あるいは自身の知己に会えるかもしれない、戦うことになるかも知れないということも理由に含まれていたが。

 

「……ちッ、わーったよ。あたしはマリアの代わりにあのイカレぽんちの本性開けっ広げてきてやんよ」

 

 翼の瞳に浮かぶ強い意思を受け、しょうがないとばかりに肩をすくませる。

 皆神山と聞いてクリスが最初に連想した相手はどうにも不在であるらしいし、それなら行きたい人間に譲るべきだろうとクリスは内心でそう思っていた。……勿論、ドクターと関わりたくないしダビデと組みたいわけではないが、誰かが引かねばならない貧乏籤をひいただけだと己に強く言い聞かせることも忘れていない。

 

「本性は知ってるからいいわ。何を考えているのか聞き出せれば聞き出して頂戴な」

「へーへー」

 

 クリスの半ばヤケな意気込みを冗談交じりに受け取り、ついでとばかりにクリスにウェルの真意を聞き出すように頼むマリア。

 元々ウェルの考えていることも調査するつもりだったクリスは彼女の言葉を適当に受け流しつつモニターに向き直った。

 

「ってなわけだ。あたしはスケベ野郎とだ。組み合わせはこれでいいか?」

『君たちがそうすると決めているのなら問題はないとも。それでは翼はブリュンヒルデ……さん?とだな。どうだ翼、問題ないか?』

「はい、問題はありません。護国の刃、人護の防人として存分にこの剣を振るわせていただきましょう」

 

 そういって翼がブリュンヒルデを見れば、目線があったのかブリュンヒルデが薄く微笑む。

 

「そうですか……。それでは、宜しくお願いしますね、剣の貴女」

「こちらこそ。神話に語られる戦乙女の力、存分に頼らせてもらうとしましょう」

 

 翼がそう言って手を差し出せば、ブリュンヒルデはそれに応じて確りと手を握る。

 どうにも掴みどころのない女性ではあるが、立香が隔意なく接しているところを見れば悪人ではないのだろう。一度共闘した中でその実力が確かなことも重々承知している。

 握った手から伝わる不思議な力強さに、彼女という英霊の頼もしさが感じられるようだと翼は思った。

 

 

 

「はあ、スケベ野郎と一緒にウェルん所ってどんな罰ゲームだよ」

 

 一方、盛大に愚痴を漏らしているのはクリスである。

 しょうがないと納得してはいるものの、それでも何だかんだ仲良くなっている他の組と比べて自分の組む相手と戦う相手のアレさに今から頭痛を覚えるほどだ。

 

「ふふ、安心してほしいなアビシャグ。──僕はアビシャグには紳士的だよ」

 

「……今までの言動で信用の置き場をガリガリ削っておいて、よく言えるなこのオッサン」

 

 正気を疑うような眼差しをぶつけるクリス。

 一応ダビデの伝承を考えればアビシャグには紳士的という本人の言に間違いはないが、それも本人を見る前の話。

 当人の目の前で堂々と体型や身長等を論じた上、別人の名前で呼ぶ始末。

 これで紳士的だというのは土台無理ではないかというクリスの思いは、S.O.N.G.職員や装者のみならず、カルデア職員やサーヴァント、そしてマスターである立香を含めて話を聞く全員が抱く思いである。

 

「ま、まあほら。実際に手を出すことはないし……。というかダビデもホント控えてよ?頼むよ?」

「ははは」

 

『……大丈夫、でしょうな?』

『流石にこの状況でアホやれるほどダビデ王はぶっ飛んでないよ。アレは本人にとっちゃ軽いスキンシップみたいなものだろうね。現代基準では褒められた話じゃないけど』

 

 カルデアの面々に(一応)ダビデの行動を保証され、それならと渋々納得する。どちらにせよ組む相手がこれ以上いないためそうせざるを得ないのだが。

 

「……はあ、まあ頼りにしてるぜダビデさんよ。あたしは接近戦苦手だからな、うまいことカバーしてくれると助かる」

「そこは勿論。戦いであれば僕はやるよ、女の子遊びよりもね」

「……本当だな?信じるからな?」

 

 念押しするクリスに問題ないと頷くダビデ。

 クリスは色々と貧乏籤をひいてしまった自覚があったが、しかしダビデ自体は心強い戦力であることは確かである。

 

「それに……そうだね。僕が何を縁にこちらに召喚され得たのかを考えれば、深淵の竜宮にいる……えっと、ウェル?博士だったかな。彼と僕になにかの因縁がある可能性は十分にある。僕は因縁がある相手には負けたことが無いからね、大船に乗ったつもりでいるといい」

 

 堂々と言い切るダビデに、思わずクリスは面食らい、次いで苦笑する。

 先程までの一種軽薄とも呼べそうな態度から一変したその様子は、自然体でありながらも威風のようなものが感じられる古代の王としてのカリスマに溢れていた。

 

「……そうかよ。ま、そこまで言うなら期待してやるさ。巨人退治に頑張って精を出してもら……。ゴライアス、そっちではちゃんと巨人だったんだよな?」

「え?そりゃあ巨人だけど……。え、どういうことだいクリス?こっちでは巨人じゃないのかい?」

 

 クリスの言葉に思わず真顔になるダビデ。呼び名もさっきまでのアビシャグではないあたり、余程驚いたらしい(ちなみにクリスが戦ったゴライアスは完全聖遺物であり、見た目は巨人ではなくメカニカルな直立歩行の怪獣みたいな姿である)。

 

「……ああ、いや気にすんな。こっちの話だ」

 

 妙に慌てていると言うか、あるいは驚いていると言うべきか。その様子がなんだかおかしくて思わず笑いをこぼす。

 

「ま、よろしく頼むぜ」

「ああ、任せてくれ」

 

 腑に落ちないという表情をしつつも、クリスの言葉に人好きのする笑顔で答えるダビデ。

 彼のそんな姿を見て、普段はふざけているだけで案外ちゃんとした奴かもしれないとクリスは今更ながらにそう思った。



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第6節 魔都(3)

 彼女たちが来たのは、各魔都の攻略の組決めが終わり出立の準備をしていたときだった。

 

「到着、デスッ!いま人類は大いなる一歩を踏み出したのデースッ!って、なんかすっごいキラびやかデースッ!?」

「もう色んな人がここに来てるよ切ちゃん……。でも、確かに綺麗だね……」

 

 楽しげな掛け合いとともに現れた2人の少女。

 1人は全体的に緑色系の装いに金色の髪。所々のバツ印の意匠の飾りや特徴的な口調が印象に残る。

 もう1人は桜色、あるいは桃色の比率が多い服を着た黒髪、ツインテールのストレートヘアの大人しげな風合いが見て取れた。

 

 ギャラルホルンゲートに造られた豪奢な神殿風通信施設に驚いているその姿について立香やサーヴァントたちは見覚えはなかったが、それでもその2人が誰なのかは見当がついていた。

 

「切歌ちゃん、調ちゃん!待ってたよ~ッ!」

「あ、やっぱりこの2人がこっちに来るS.O.N.G.の装者の最後のメンバーかぁ。カルデアのマスターの藤丸立香です、よろしくね?」

 

 響の言葉を聞き、己の推察が当たっていたと把握できた立香は2人に声を掛ける。

 なんか自身に比べて若干年少っぽいため、なんとなくお姉さんぶってみたくなった立香は若干丁寧さの増した自己紹介をする。

 

「クッ……ククッ。似合わないよマスター」

「……いいじゃん。たまにはこう、優しくて丁寧なお姉さんキャラみたいなポジションに立ってみたいよ私も」

 

 その言葉遣いがなんというか似合わないと思ったのか後ろの方で笑いを堪えているアマデウスに、立香は不貞腐れたような表情を向ける。

 尚、カルデアには母親然としたサーヴァント等は幾らかは居ても、優しくて丁寧なお姉さんキャラみたいなポジションに該当する存在は殆ど居ない。よって「たまには」も何もあったもんではないのだが立香は敢えてそこから目を背けている。

 

「貴女が、平行世界の魔術師組織の人……。ええと、月読 調です。あっちの子が……」

「おおっと、自己紹介は自分でやるデスよ。はじめまして、アタシは暁 切歌デスッ!今後ともヨロシクデースッ!」

「おっと、うん、よろしくねー」

 

 そんな彼女の微妙な心根を軽く流して自己紹介をする調と切歌。

 アマデウスにいじられてやや凹んでたものの直ぐに立ち直った立香は、2人の第一印象として静かな月と明るい太陽を連想した。名は体を表すとはこのことかー、などと自己紹介を受けた立香は勝手に考えていた。

 

「お、やっと来やがったのか。宿題はちゃんとやってからこっちにきたんだろうな?」

 

 立香がポヤポヤと益体もないことを考えているところに、2人が来たことに気付いたクリスが声を掛ける。

 彼女がいの一番に心配するのは彼女らの宿題である。なぜなら2人がサボると学校の座学にとても強いクリスが面倒を見てやる必要が出てくるためだ。

 

「イヤイヤ、平行世界の大ピンチとあれば宿題の1つや2つに足止めを受けるアタシじゃ無いのデスッ!」

「帰ったら、やりますから。……大丈夫、朝礼前までならイケます……ッ!」

 

「……まあ、そんなことだろうとは思ってたけどよ」

 

 2人の無駄にキメた台詞を聞いたクリスは溜め息を吐く。要するにすっぽかしてきたのであるが、クリスの溜息からは自分の予想が当たっていたことに対する納得と諦観の感情が透けて見えた。

 ……ちなみに予想が外れていたマリアはがっくりと肩を落としており、話を聞いていた響はそもそもこの異変は朝礼前に片付くんだろうかと首を傾げていた。

 

 

『さて、そちらに調くんと切歌くんが到着したということで、2人には事前に話していた通りギルガメッシュ王とともにギャラルホルンゲートの水際防衛を頼むことになる』

「アイサー!デス!」

「了解です」

 

 彼女たちの悲喜交交とした会話を打ち切るように、弦十郎の声が辺りに通る。

 テンション高めだった調と切歌も指示を理解・対応出来る程度には組織人であるため、判っているとばかりにキッチリ返事をする……個性は出ているが。

 

 そんな彼女たちに声を掛ける存在が1人。

 

「成程、ボクとともに戦うのは君たちということですね。……何処ぞの贋作屋と違って、欠片ではあるけれど此方の真物たるザババの二刃に認められているのであれば合格点だ。ええ、宜しくお願いしますね?」

 

 ゲートを魔改造した黄金の玉座に座りながら声をかけたのは、子ギルこと英雄王ギルガメッシュその人である。

 調と切歌は声の聞こえてきた方向へと振り返り、そこに築かれた宝具の山による通信施設をみて眩しそうに目を細めた。

 

「おおぅ……。アナタがこのゴージャス溢れるお金持ちデスか……。これからよろしくお願いするのデース!」

「すごいよ切ちゃん。もう見た目からお金持ちになるべくして生まれているようなこのオーラ……。あ、宜しくおねがいします」

 

 ゲートを神殿宜しく改造した張本人たる子ギルに対し、お金持ちっぽいという以外に特に物怖じしない2人に、思わず彼は苦笑を溢す。

 王だなんだと戦かれたり敬われたりすることはあれど、純粋に財があることだけにここまで驚かれるのはなかなか無い。

 

「ええ、宜しくお願いしますね」

 

 彼女らの貧乏性と生来の気質によるものだろうが、ただ王気に戦慄するような手合よりはるかに面白い存在だ。そう思った子ギルは、人好きのする笑みで2人に言葉を返した。

 

『そして、2人が揃ったからには君たちには出立の準備をしてもらうわけだが……』

『……そういえば。先輩は待機ということになるんでしょうか?』

 

 弦十郎の言葉に、そう言えばとマシュが思い返す。

 立香は非戦闘要員だが、それでも基本的に戦場に赴いて指示を出すことは多々あった。

 ソレは長旅の中で形作られたマスターとしての矜持の産物……と言うより、マスターの仕事であるという彼女自身の理解によるもの。

 故に今回も現場に出て指示を出すものかと考えていたのだが。

 

 後輩の純粋な疑問に、居心地が悪そうな笑みを浮かべる立香。

 

「いやあ、それが……」

 

 と、弁明のために口を開いたところで、そこに別の声が割って入った。

 

「……幾ら何でも、ノイズとの戦場にそいつを向かわせるつもりはない。カルデアでどのような戦いがあり、どの様にくぐり抜けたかは推し測り難いが、それでも苦難の旅路を踏破してきたのは容易に想像できる。

 だが、ノイズは接触した時点で即死する劇物。炭素分解機構を無力化出来ない輩が出向くべきではないだろうよ」

「って、キャロルちゃんがね……」

 

 キャロルの厳しい言葉に苦笑で答える立香。

 今までの旅路で立香が攻撃を受ければ即死、という敵に見えたことは何度もある。だが触れただけで抵抗不可で即死するような相手は流石に経験がないのも事実。

 まして立香の護衛に割ける戦力に限りがある現状で、むやみに戦場に出すつもりはない……というのがキャロルの出した結論である。

 

 当然カルデアの面々も理解していたようで、ダ・ヴィンチがそりゃそうだと納得の表情を見せる。

 

『うーん、正論。一応マスターは楔のようなものだからあまりサーヴァントとは離れてほしくはないけど……』

「でもマスターを守るために戦闘が疎かになるのも問題だと思うよ?今回は超級の敵+取り巻きを相手に各組2~3人でたたかう少数精鋭方式だから、1人がマスターを守るだけで戦力ダウンが著しいしね」

『そうなんだよねぇ……』

 

 ダビデがキャロルに同調する意見を出す。

 マスターはサーヴァントを現世に留める楔であり、マスターから物理的に距離を置きすぎるのが魔力の供給という観点から問題となるのはダヴィンチの言う通りである。

 だがそれ以上にダビデの、ひいてはキャロルの言葉がド正論なのはその場の面々も等しく理解していた。

 

「そもそもマスターが分裂できるわけではないので、何処かの魔都にマスターが行ったらその時点で他の魔都のサーヴァントは余計に弱体化しますけどね」

「あ、そっか。今の場所から3方向だもんね、魔都。どっかに近づいた分だけほかの魔都から離れちゃうんだ」

 

 子ギルの更なる追撃に、なるほどーなどと響がのんきな反応をする。

 現状が各魔都からの距離が比較的一定である以上、必要以上の弱体化を避けるにはこの近辺(各魔都からの実平面距離が等しくなる地点は別にあるが、拠点化を碌にしていない座標での待機は危険すぎるということで論外である)での待機こそが最も有用であるというのは一定の理がある。勿論完全に正しいわけではないが、どの魔都でもしくじれない以上なるべく戦力を均衡配置させるのは必要なことでもあった。

 

「んー、じゃあ私はキャロルちゃんとアマデウスと一緒に待機……なんだけど。そう言えばこっちのS.O.N.G.の本部?だっけ、そこを拠点にするんだっけか」

 

 なんかダビデが運び込んでたよね、という立香の言葉に、今更かとキャロルが溜息を吐く。

 

「ああそうだ。少々調整したい物品があってな……。まあ安心しろ、雑兵程度のデモノイズならオレのアルカ・ノイズでどうにでもなるし、指揮者デモノイズが相手でも魔都の中心部に配置されている奴らに比べれば十分だ」

「それに、いい感じの音響設備があって待機に向くのは其処しか無いらしいからね。僕の歌を全員に常時配信するにしても、なるべく音質は維持しないとね」

 

 キャロルとアマデウスの言葉に、そういうものかと立香は納得する。

 と、そこで本部の話題が出たことでついでに話そうと思ったのか。そうだそうだ、とダ・ヴィンチが口を開く。

 

『各組に配ったキャロル謹製のテレポートジェムの転送先もそのS.O.N.G.本部になってるから、一応憶えておいてね……まあ転移先を変えられるのはキャロルくらいだろうから本当に憶えておくだけだけど』

「うん?ギャラルホルンゲートでは無いのでしょうか?確かそのように聞いていましたが」

 

 疑問に思ったベディヴィエールがダヴィンチに確認する。

 仕事が終わればギャラルホルンゲートの護衛に加わるものかと思っていたのか、疑問の表情を浮かべている。

 

『最初はその方が手間がなくていいかと思ってたんだけどねー。ただほら、まずキャロルの元に戻ってくれば、キャロルがギャラルホルンゲートまでのテレポートジェムを作ってくれれば事足りるわけだし』

「……まあ、作っておく予定ではあったがな」

 

 作る前提で語られるのもどうかと思う、そう言外に語るキャロルは若干面倒臭そう……というか、しんどそうな表情を浮かべている。

 テレポートジェムは空間に干渉する錬金術の産物であり、そこそこ高度な技術が用いられている。数を作るのにはあまり向いていないのかな、と立香は同情の目線を向ける。

 

「それ以外にも各魔都への転送用も一応用意してある。オレの所に戻すのは、オレが中継点足り得るからとだけ考えておけ」

「成程。おかげで疑問が晴れました。ありがとうございますダ・ヴィンチさん。そしてキャロルさんも」

 

 ベディヴィエールが律儀に謝意を述べ、キャロルが若干面食らったような表情を浮かべる。次いで胡乱げな視線をベディに向け、最終的にはやれやれと肩をすくめた。

 

「……この程度に感謝などいらん」

 

 そういいつつ、自身の表情を帽子の大きな鍔で隠す。帽子の裏側の表情は見えないまでも、照れているのかと思った響がニコニコと声に出さずに笑う。

 

「……何が言いたい」

「ううん、なんでもないよ!」

「……チッ」

 

 ふい、とそっぽを向くキャロルに皆からの生暖かい視線が注がれる。

 やがて居心地が悪くなったのか、キャロルが憮然とした表情で口を開いた。

 

「……さっさと行くぞ」

「はーい。……それじゃ、みんな頑張って、命を大事に!」

「おっと、僕もいかないとだね。それじゃ歌女ちゃんたち、いい感じの歌を期待してるぜ?」

 

 立香とアマデウスがキャロルの後ろについていきつつ、明るげに、しかし真摯な言葉を投げかけた。そしてその言葉を最後に、キャロル及びアマデウス共々テレポートジェムの光に消えた。

 

 

 

 立香らが拠点とするS.O.N.G.の本部へと転移するのを見送ったところで、切歌がポツリと言葉を零す。

 

「……あんまり話せてないけど、優しそうな人だったデス」

「普段はもうちょっとテンション高めですけど、まあ彼女は一般的な人間ですからね。年下には優しくするのは当然だと思いますよ?」

 

 まあ一般人にしては適応力と胆力が並ならぬ様にまで成長していますが、と最後に付け加えて立香を評する子ギル。

 

「ソレはまあ、ね。言っちゃあれだけどマスターはその一般的な感性こそを求められている面はあるし」

『そうなんですか?』

 

 ダビデの言葉にエルフナインが首を傾げる。少なくとも今まで接してきた英霊たちは一般的感性とかけ離れている……とまでは言わないにしろ、やはり常人のそれとは違うというのが彼女の所感だ。

 だからこそマスターにも一種非凡性が求められているのでは、とエルフナインは考えていただけにダビデの言葉に驚きを見せていた。

 

 エルフナインの疑問に、当然というようにダビデは笑顔で答える。

 

「本来なら、サーヴァントを使役するためには魔術師としての能力は重要だよ?そういう意味ではマスターに非常性が求められるけど、カルデアのマスターは別なのさ」

『カルデアのサーヴァントはカルデア自体の電力を魔力の代替とすることで召喚コストを賄っているからねー。マスターに求められるのは戦術・戦略眼と人格となるわけだ』

「でも、戦術や戦略に長けた英霊なんて山程いるからね。そうなればホラ、英霊と親しく交流できるなら戦略眼とかは要らないから……最終的に一番重要なのは人格ってことになるだろう?」

 

 ダビデとダ・ヴィンチの説明に装者やエルフナインは成程、と納得する。

 が、そこでエルフナインはソレだけでは説明できない点があることに気付いた。

 

『……ですが、それは一般的な感性が必要とされるということとは微妙に異なるのでは……?』

「まあね。ただ英霊っていうのは文字通り過去の英雄が基盤として構築されるものだからね。ほら、英雄は基本的にお人好しだから『頑張って生きている何処にでもいる一般人』の味方をしたくなるものだろう?反英霊とかの例外はまた別だけどね」

「はー……」

 

 ダビデの語りに、聞いていた装者たちは感嘆の息を吐く。

 立香は英雄に好かれる質である、というダビデの言は成程と頷かされるだけのものである。

 

「まあ、ボクなんかは面白がって着いてきてるところはありますけどね」

「……話の余韻がブチ壊れたデス……」

「ははは、まあまあ。英霊だって千差万別ですよ」

 

 ダビデの含蓄ありそうな語りを盛大になかったコトにする子ギルの発言に切歌が苦言を呈すも、当の子ギルは笑って流す。

 当たり前だが英霊には英霊の事情があり、立香に召喚される理由も様々である。ダビデの話にも出ていた反英霊などはある意味その極地であり、単純に立香が好き程度ならまだしも事あるごとに爆弾を送りつけるような歪んだ好意(のようなもの)を見せるものまで正に多種多様としか呼べない有様である。

 

 と、そこで子ギルの言葉にふと響が疑問を抱く。

 

「……ってことは、立香ちゃんと敵対する英霊とかも居たってことなの?次の魔都とかもそういう英霊がいるってこと?」

 

 ダビデの言を聞く限り立香が英霊好きのする性格であるらしい。であれば、英霊たちと戦うようなことはないのだろうかと響は思っていた。

 しかし子ギルの言う英霊が千差万別という言葉や実際に魔都で擬似サーヴァントとは言え英霊(実際は神霊らしいが響にはあまり差がわかっていない)と敵対している現状を鑑みれば、英霊と戦う場面も当然あったのだろうかという考えに至ったのだ。

 

 子ギルは笑みを崩さぬままにその質問にうなずいた。

 

「それはもう。ボクも何度かマスターと敵対した記録が残ってますし、ブリュンヒルデはマスターの記憶を術で混乱させたりしてましたし」

「ええッ!?」

 

 子ギルの唐突な暴露に驚く響。思わず翼の隣へと目を向ければ、恥ずかしそうに俯くブリュンヒルデの姿。

 

「急にそんなことを……困ります……。ですが、ええ。あれもマスターの靭さを確かめるためのことでした。結果として彼女が期待通り──いえ、期待以上の輝きを持っていることを知れたので、あれはあれで良かったのだと思います」

「ええぇ……?」

 

 開き直りにしか聞こえないようなブリュンヒルデの言葉。しかし彼女の本当に嬉しそうに語る姿見た響は、ブリュンヒルデがそれを至極当然のように、確信を持って語っていることがありありと理解できた。

 今まで物静かで穏やかで強い大人の女性みたいに思っていたために印象の落差が激しい。

 

『ブリュンヒルデさんは相変わらずですね……』

 

 という苦笑交じりのマシュの言葉に追従するように、うんうんこれでこそ……だとか、本当に変わんないっすね……とかそんなガヤがカルデアのマイクから漏れ聞こえてくる。

 響にとってはショックの大きい彼女の姿もカルデアの関係者からすれば慣れたもののようであり、むしろこの姿のほうがカルデアでよく見られているみたいな言い分まであった。

 

「……その、なんだ。どういうことだ?」

 

 つつ、とブリュンヒルデから心持ち距離を置き、ダビデに話を聞いてみる翼。

 今まさに自分と組むということになったブリュンヒルデの秘話が詳らかにされたことで、組む相手に対する若干の警戒心が芽生えていた。

 

「マスターの事かい?それともサーヴァントの事?」

「……サーヴァントの事だ」

 

 翼の訝しげな視線に、ダビデが肩をすくめる。

 

「まあ、英霊の価値観が現代人のそれと一緒ってことはないのさ。時代、文化、立場が違うわけだしね。まして神代の英雄は視野からして異なることがね……」

「それは、まあそうだろうが……」

 

 納得は出来るが、それはそれとして不安を感じる翼。

 翼は現代人、ブリュンヒルデは古代の戦乙女。考え方が違うのは当然であるが、うまく合わせていけるだろうかという不安が彼女の声からは滲み出ていた。

 

「それに僕だってある意味そうさ。ハッキリ言うけどね、僕が立香ちゃん以外に召喚されていて、立香ちゃんが僕が立てた目的の障害に立っていたなら……好ましく思いこそすれど殺そうとすると思うよ?そうなった僕はこの僕とは違うから明確には断言できないけどね」

「……!!」

 

 ダビデの唐突な言葉に、サーヴァント以外の全員がダビデに鋭い目を向ける。

 特に隣から来るキッツイ視線を意にも介さず、ダビデは連々と語り続ける。

 

「僕のパーソナルは合理主義、信仰、利益、王という所に比重が置かれているからね。召喚者によって優先順位が変わる事はあっても、基本的に根本を変えることは出来ない。冷徹な王としての側面が僕にあり、人を合理に則り切り捨てることが出来る人間なのも事実。立香ちゃんが英霊に好かれやすいからと言って、それを好ましく思う英雄が彼女を絶対に殺さないということはないんだ」

 

 ダビデの言葉に、場の空気が重苦しいものとなる。

 普通に話せるからこその一種の勘違いであろう。英霊たちは英霊たちのロジックで動いているが、それが現代の基準で真っ当であるとは限らないということを聞いていた者達は改めて理解させられた。

 

 と、そこまで語ったところでダビデは真剣そうな表情を一転させ、爽やかな笑みを皆に向ける。

 

「ま、真面目ぶって語っちゃいたけど要するに英霊って現代基準で倫理観がゆるい連中が多いってことだよ。ほら、ケルトや北欧の戦士みたいに好ましいという感情と殺意を同じ相手に向けて矛盾しない精神性を育む文化もあるわけだし」

『迷惑には違いないけどね。ただ、ブリュンヒルデは戦乙女、勇猛果敢たる戦士を現世より見出しヴァルハラへと歓待する存在だ。であれば、立香ちゃんに与えた一連のアレコレも彼女にとっては正当な行為でしかないと言えなくもないでもないんだよね』

 

『ふむ……いや、あなた方の在り方はよくわかった。であれば、まず何より意思の疎通、そして価値観の共有……少なくともともに戦う英霊の価値観に理解を示すことこそ重要ということか』

 

 ダビデ、そしてダ・ヴィンチの言葉に弦十郎が得心がいったという表情でふむふむと頷く。

 

 未だ彼らを確りと理解できたわけではないし、ダビデの言うような好ましいという想いを抱えたまま遠慮呵責なく戦えるというのは弦十郎たち現代の人間からすれば慮外の精神である。

 だが、だからと遠ざけ理解を諦めるつもりは毛頭ない。価値観の共有こそ不完全だが、それでも互いに意思を疎通できる。それだけでもS.O.N.G.に所属する人々はともに手を取り合えると信じていた。

 不安を感じていた翼も彼らの言を聞き、ならばこそと意を決する。

 

「では私も道すがら、彼女と連携できるよういろいろ話してみようと思います。やり方はどうあれ、彼女は藤丸を尊び行動できるというなら、それだけでも十分に信頼に値する」

『それが良い。ブリュンヒルデはああ見えて英雄の介添としてのスキルを高ランクで取得しているからね。むしろ連携って意味なら他のサーヴァントよりイージーだと思うよ』

「ふふ……。私が英雄かどうかはともかく、それは心強い」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に小さく笑い、翼はブリュンヒルデの元へと戻る。見ればブリュンヒルデは元の場所で丁寧に待機しており、戻ってきた翼にも薄く笑顔で迎えてくれている。戦乙女としてのものかはともかく、これも気遣いなのだろうと思い至り翼にも小さく笑顔が浮かぶ。

 色々ととんでもないことをしているということを伝聞し驚いたものの、それでも彼女はともに戦う相手を尊重して行動している。そう翼は理解し、安堵とともにブリュンヒルデに話しかけた。

 

 

 

 翼がブリュンヒルデと口数少なに、だが丁寧に言葉を交わす姿にほっこりしていた響は、なにか忘れている気がして首を傾げ……思い出したかのように叫んだ。

 

「……あ、そうだ!それで聞きたかったことなんですけど!えっと、私達が向かう魔都なんですけどッ!」

「テンション高いですね」

 

 話がダビデから微妙に逸れ始め、いつの間にかブリュンヒルデの話になっていたことに気付いた響の叫びに、子ギルが耳を半分覆いながら笑顔で突っ込む。

 

「えっと……サーヴァントってアムドゥシアスに絶対に従うものなのかなって。魔都にいるサーヴァントが良い人ならなるべくなら戦わないほうがいいって思って……」

「ああ、敵対が云々ってそういう疑問から来てたのか。確かにサーヴァントって結構我が強そうだけど……どうなんだ?」

 

 響が急に声を荒げたことに驚いていたクリスも、その行動の理由を聞き納得する。

 と、そこで翼と話していたブリュンヒルデが2人の会話を聞いていたのか口を挟む。

 

「ええ、そうですね。……私の姉妹、戦乙女。ツバサと共に赴く魔都にいるであろう彼女。戦乙女であれば、まず従う可能性が高い。私は感情を得たために人に堕されていますが、本来の戦乙女は神に従う自動人形のようなもの。召喚された、という時点で大体は召喚者に従うものなのです」

「そっかぁ……。竜宮の魔都はウェル博士だから置いておいて、そうするとヌァザ……さん?だっけ、その人はどうなんでしょうか?」

 

 ブリュンヒルデの断言にがっかりしつつ、ある意味本題である自分たちの向かう魔都の相手について尋ねる響。

 今回の作戦においてカルデア・S.O.N.G.が一番注力する風鳴邸の魔都だが、逆に言えばその魔都を手際よく攻略できればそれだけ他の魔都への支援に向かえる可能性が高まる。

 根本的に争いより和解を求める性質である響が魔都攻略の手際まで踏まえた上で先の発言をしたかどうか、と問われればまず無いだろう。だが相手が対話に応じた場合のメリットを考えれば、風鳴邸の魔都の主の対話性を考慮する価値は十分にある。

 

『私は会ったことが流石にないから相手の性格は理解できないけど、伝承に語られるとおりなら悪神ではないし神らしい奔放さも薄いね。フェニアンサイクルで語られる彼は少々あれだが、神話サイクルでは勝利と奮戦の果てにバロールの召喚した邪竜に殺されたとされている。王としての信念や価値観も持っているあたり、ある意味神としては珍しいタイプって言えなくもないかな』

 

 ダ・ヴィンチがヌァザの神話から読み取れる情報を少しずつまとめていく。

 実際の性格と神話上の内容は乖離が見られる場合があるので正確な情報とは言えないが、それでも対話できるかどうかの指標として考えれば十分に評価に値する話だった。

 そしてその情報を一番に喜んだのは当然響だった。

 

「そんな神様だったら、まずなんでこんなことに加担するのかを話し合いたいですッ!」

『神様って時点であまりおすすめはしないけどね。まあ実際の神様会話は響ちゃんのトークスキルに期待するとしてもだ、風鳴邸の守護天がアムドゥシアスに従う理由が判明すれば今後の対応について検討が容易になる。ぜひともいい感じに頑張ってくれたまえ響ちゃん』

「はいッ!一直線に伝えますッ!」

 

 ダ・ヴィンチの微妙に気の抜けたなんとも言えない激励に対し、全力の意思表明。ダ・ヴィンチは響という少女の人間性がわかる一幕に苦笑を漏らしつつ、先程までの話を──正確には、そこに出ていた神に思いを馳せる。

 

(にしても、ヌァザか。……神話におけるヌァザは、戦神というだけあって機を見るに敏という表現が当てはまる神であり、逆に機が来なければ来るまで耐えしのげる神でもある。あるいはそう、魔神に従うことも何らかの機を伺っている可能性もあるということかな?)

 

 ダ・ヴィンチはその優れた脳髄に思考を走らせる。

 先程までの戦いの結果。相手から得られた情報。カルデア、そしてS.O.N.G.が導いた情報。それら全てを彼女は苦もなく脳に刻み、己の思考のパーツとしていく。

 そして、その結果として1つの事柄に気付いた。

 

(……少なくとも、能動的に従っている可能性は無いな。恐らく概念的なモノによって無理やり従わされているとすれば、それは──)

 

 ダ・ヴィンチの脳裏に浮かぶのは、戦神ヌァザの武勲と凋落。アガートラムの根本に関わる戦神の逸話。

 

(──あの後彼女らから聞いたDr.ウェルという男の顛末。そして彼と魔神の去り際の会話。であれば──ヌァザが待っているのはやはり、彼女たちということか。やれやれ、戦いを避けられるほど知的な神様であればいいけど)

 

 ダ・ヴィンチは目の間で意気込む響の意志の強い目を見やる。

 "主神の槍"の欠片という聖遺物を纏う彼女は、その全身からエネルギーが放出されているように錯覚するほどにやる気に満ちており、今もえいえいおーと自分自身に気合を入れている。  

 ダ・ヴィンチはその様子を見て、一言だけ声をかけようと考えた。

 

『……ねえ響ちゃん。対話で済めばいいけど、済まなかった時はどうするつもりだい?』

「対話ですまなかった時、ですか?そんなの──」

 

 ダ・ヴィンチの問に少々驚いた響は、しかしすぐに調子を戻しニコリと笑顔を見せる。

 

「──私の想いを伝えますッ!最速で最短で、そして勿論一直線にッ!伝わるまで、諦めませんッ!」

 

 その笑顔に、ダ・ヴィンチは僅かに目を見開き、次いで僅かに表情を和らげる。

 

『……そうか』

『どうしたんですか、ダ・ヴィンチちゃん?』

 

 何か納得したかのような、あるいは安心したかのようなダ・ヴィンチの様子に、不思議に思ったマシュが尋ねる。

 

『いいや、ただ──どちらにせよ上手くいきそうだって思っただけさ』

 

 マシュの問にそれだけを答えたダ・ヴィンチは、スッキリしたと言わんばかりに椅子に深く腰掛けた。



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第7節 勝利の座I:魔都ネツァク(1)

『──聞こえるか?……ああ、聞こえているようだな?』

 

 組決めが終わり、お互いに思い思いの談笑をしていたところで各員の通信端末に音声が届く。

 幼さが強調されているようでいて、それでもあからさまにやさぐれたような気風を感じさせるその声音。キャロルの声に、全員が話を止め通信端末を耳に当てる。

 

「キャロルちゃん!S.O.N.G.の本部使えるようになったの?」

『ああ。何分手が足りんから雑にしか使えんが……貴様らの方では何か問題はあったか?』

「特に問題らしい問題はない。強いて言うならお互いを再確認できた、というところだ」

『……?』

 

 意図の掴めない翼の返答に、キャロルは困惑を含む沈黙を返す。

 恐らくカルデア側とS.O.N.G.側で何かあったのだろうが……と考えた辺りで、考えても埒が明かないと首を振る。

 

『まあ、仲違いしていないようだし深く聞く意味もあるまい。それで、こちらの"歌"の準備はできたが、そっちは出立に支障はないな?』

「ええ、それは勿論問題ない。……このジェム、叩きつけるだけで本当に使えるのよね?」

『使える……というか、オレが何度も使っているのを目の前で見ているだろうが』

 

 今更ながらに若干不安そうな声を出すマリア。

 さっきからさんざっぱらキャロルがアルカ・ノイズ召喚やら空間転移やらに使っているのに何を今更という話ではあるが、彼女らは一度も使ったことがないので不安に覚えるのはある意味当然であろう。

 尚、テレポートジェムは転送時に事故が発生して別位相空間の狭間に飛ばされることもある。修正が効くものではない以上、言っても始まらないということでキャロルは説明を放棄しているが。そういう意味ではマリアの心配も的外れというわけではない。

 

「とは言っても、使わなきゃ話になんねーだろ。んで、あたしらはアマデウスの歌が聞こえたら転移すれば良いんだよな?」

『そうとも。ああ、勿論転移前にギアを纏っておくことを忘れちゃダメだぜ?転移先にノイズがいましたーってなったらシャレにならないからね』

「ゾッとしねえな……。ま、言われずとも展開済みだけどよ」

 

 アマデウスの言葉に肩をすくめて答えるクリス。今更ノイズごときにとはよく言うが、それでも接触が死を招くのは変わらないというのを彼女らは誰よりも知っている。故にこそ、(他の対策はともかく)ギアを使用せずにノイズ前に立つ愚行は彼女らが何よりも避けることであった。

 その答えに満足したのか、アマデウスはうんうんと頷き(御丁寧にも口でもそう言っていた)、音調の確認とばかりにピアノで和音を奏でる。

 

『──♪─……うん、良いピアノだ。それじゃ、そろそろジェムを準備してくれよ……っと。──さあて、耳を澄ませよ……人を楽しませる、だからこその音楽。じっくりと味わってくれ』

 

 アマデウスの言葉とともに、魔力もフォニックゲインも持たない只の"音楽"が流れ始める。シンフォギアを纏う装者たちにはそのヘッドパーツから、そうでない者たちには保持する通信端末から聞こえるその曲は、何も特殊なことのない……だからこそ聞くだけで理解できる程の天上の調べ。

 ソレを聞いていたメンバーは適度に力を抜き、そして己を改めて自覚できる。そういう風になるようにヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが奏でている以上、そうなることが必然だった。

 

「……これが、モーツァルトさんの──」

「──モーツァルトの演奏能力。いつ聞いても流石、という陳腐な評しか浮かばないのが悔やまれるな」

 

 調と翼が思わずという風に言葉を漏らすが、それは聞いていた装者たちやS.O.N.G.職員の共通の思いだった。

 特にアマデウスの生演奏を聞いたことのなかったS.O.N.G.側での感動は結構なものであり、少なくない職員が歌に聴き入り一瞬手を止めるほどだった。

 

『……うむ、歴史に名を残すほどの音楽家とはこれほどなのか』

『只の技術のみで概念的干渉に対処できる……成程、これほどの技術があれば可能なのですね』

 

『ははは、もっと褒めてくれていいんだぜ?──こっからずっと弾きっぱなしって考えるだけで気が滅入るからね!』

 

 弦十郎とエルフナインの称賛の言葉に気を良くするアマデウス。

 普段はこうやって自分の音楽を全面に押した作戦が無いためあまり目立っていないが、本来彼は飽きっぽい性質である。なのでこうやって褒めそやされることでモチベーションを維持したいということなのだろう。この状況だと飽きたからと言って弾くのを止めるなんてことはないが、それでもやはり演奏へのモチベーションは重要なのである。

 

「むむ、シカらばさっさと魔都の制圧をするほうが良いということデスね!」

「私達はこっちで防衛だよ、切ちゃん」

 

 切歌と調の掛け合いを聞いてそれもそうだと思った魔都制圧チームは、各々のテレポートジェムを準備する。

 

「それでは、司令」

『ああ。作戦開始だッ!』

 

 

 

 

「──と、意気込んで来た、ものの……ッ!」

 

 天羽々斬のアームドギアが閃き、周囲のデモノイズ達を横一文字に両断する。

 行動不能になったデモノイズが黒炭のように散っていくも、その穴を埋めるように新たなデモノイズが後詰めのように出現する。その様子に苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

 

「ええ、全く驚きです。よもや転移直後にこれとは……」

 

 新たに出現したデモノイズが密集し切る前に魔銀の槍で叩き潰し、後続が集まる前に原初のルーンを使い道を切り開くブリュンヒルデ。

 平時はあまり感情を表情に乗せない彼女だが、今はその顔に焦燥が見て取れる。普段の彼女なら滅多にありえないことに、その額には汗が浮かんでいる。

 

 S.O.N.G.とカルデアによってネツァク(勝利の座)と名称付けられた魔都。長野県皆神山に構築されている、魔神アムドゥシアスが何らかの計画の要として建造したその領域は現在──デモノイズの巣窟となっていた。

 元々皆神山は聖遺物が埋まっているとの情報から発掘作業が行われていた場所であったが、とある事件以降は特段の音沙汰なく作業も終わり、土地の崩落が起きない程度に補強された坑道が残る以外は只の山でしかなかった。

 魔都、と呼称するもののこの場所(深淵の竜宮もそうだが)は人の生活圏から遠く離れており、およそ座標だけを考えて魔都を作っていたことが如実に透けて見える配置であった。

 

 そして翼とブリュンヒルデの2人は、そんな山中の入り組んだ坑道に犇くデモノイズを押し破りながら内部を進撃していた。

 

「──しかし、この数、それに──ッ」

「ええ、全く美しく、それ故に不快が過ぎる歌。こんな場所では、尚更に不快です……」

 

 戦場ではデモノイズたちが吹弾機関から荘厳な演奏を鳴り響かせており、アマデウスの楽奏がギアから流れているおかげで精神的な干渉こそ無効化しているものの喧しいことには変わりない。

 ましてや翼たちがいるのは狭い坑道。反響する歌はただその音量だけで彼女らの気勢を削ぐに十分なものだった。

 

「──ですが、ええ。大丈夫です、剣の貴女。その道筋、その鋒。私も手伝わせてもらいますね」

「済まない、ブリュンヒルデ……」

 

 それでも尚彼女らが戦える理由として、ブリュンヒルデの助力が大きかった。

 別に翼はブリュンヒルデが弱いとかそういう事を思っていたわけではない。実力は自分らと同格か、純火力はともかく万能性やらを考慮すれば同格以上とすら考えていた。ただ、ブリュンヒルデの連携能力の高さは翼の想像を遥かに凌駕していたというだけの話である。

 

 『英雄の介添』、戦乙女の性質が嵌り象られたそのスキルは読んで字のごとく共に立つ英雄をサポートするためのスキルである。

 魔力を対象と同調させ、その相手の行動判定に補正をかけるとするそのスキルにより、翼は自分ひとりの十全以上の実力を発揮することが可能となっていた。

 そしてブリュンヒルデ自身も英雄の傍に立ち共に戦うことを得手とする戦乙女である以上、ブーストされた翼の行動すらも読み切り僅かな間隙を潰すように立ち回ることを可能としており──結果として、精々雑兵程度のデモノイズが群れている現状は彼女たちにとって物理的には障害足り得なかった。

 

 故に、現在彼女たちを苦しめているのは唯一つ。

 

「……ふぅ、どうにかデモノイズの補完領域から逃れたようだが……」

「そのよう、ですね。ですが、その起点となる指揮者デモノイズが、こちらに向かっていないとは言い切れません。我々がするべきこと、やるべきこと。それを、デモノイズの補完領域から逃れられている今のうちに見出さなくてはなりません」

 

 坑道を突き通り、デモノイズの存在しない発掘部屋に身を潜めた2人は互いに顔を向け合う。その表情は双方ともに厳しいと言わざるを得ず、如何にこの状況が彼女らを苦しめているのかがわかる。

 そう、デモノイズが厄介なのは偏にその補完能力にあった。滅んだと思えば何食わぬ顔で後から湧き出るその姿に、翼は辟易していた。

 どうしたものか、そう思いつつ翼が周りを見渡せば……そこには、多くの資材が散乱していた。土埃を被っている発掘機材、坑道を示す地図と思しきもの(かすれて彼女らには判読は難しいものとなっていたが)、壁には発掘に回る担当を決めるために使用したであろう入坑者一覧表が傾いている。そして──。

 

「……ここも、か」

 

 そうつぶやく翼の前にあるのは、黒い炭素の塵と戦闘用に作られれたであろう銃器やヘルメットなどの武装。傍に落ちている認識票には、所属と名前が記されている。

 壁の弾痕とばら撒かれている空薬莢を見れば、彼らが此処で戦い……そして炭素分解されたことを示していた。

 2人は先程より戦いの最中、同じものをいくつも見てきた。この世界の人々の抵抗の残滓、魔神の行った暴虐の証だった。

 

「装備を見るに自衛隊員か……。この世界のS.O.N.G.が消失した中でも、彼らは戦ってくれていたのだな」

「ええ……。名も知らぬ彼らですが、それでも勇者だったのでしょう」

「ああ、彼らこそ護国のために……何より人々を守るために立ち上がり立ち向かった防人だ」

 

 そう呟いた翼は瞼を閉じて黙祷をする。そんな場面ではないと言うことは出来るだろうが、それでも翼は最期の最期まで戦った彼らに祈りを捧げたかった。

 ブリュンヒルデもまた翼に倣う。現世において勇敢に戦った勇者を神の身許へと導くことこそ戦乙女の役割ならば、自身が祈ることで彼らもまた彼らの望む死後へと導かれることを望んだ。

 

 やがて、ごく僅かな黙祷を終えた翼は怒りを押し殺すような震えた声音でポツリと話し始める。

 

「──この魔都を開放する。防人たる彼らの遺志を継ぐことにこそ、防人の刃たる私のあるべき姿だ」

「ええ、そうですね。だからこそ──私と同じ、戦乙女たるサーヴァントを討ち果たす必要があります。指揮者デモノイズを守る守護天となっているのであれば、対峙は不可避でしょう」

 

 ブリュンヒルデの言葉に翼も頷く。

 守護天、それがこの皆神山のどこかにいるというアムドゥシアスの情報が真実である、というのがカルデアとS.O.N.G.の出した見解である。

 膨大なデモノイズの霊基反応が正確な座標の把握を阻害しているものの、この魔都に魔神以外のサーヴァントらしき反応は確認できていた。

 

 と、ブリュンヒルデの言葉にふと翼が気になったのか言いづらそうに口を開く。

 

「……その、今更だが貴女は問題無いのだろうか。姉妹なのだろう?戦乙女というのは」

「────」

 

 ブリュンヒルデが目を見開くのを見て、やはり何かしら思うところはあったのかと翼は目を伏せる。

 今更言っても詮無いことであるが、それでもやはり姉妹同士。血縁のある互いと切り結ぶということにどのような思いを抱くのか、兄弟姉妹として育ったものが居ない翼は想像もできない。

 やらなくてはいけないこととは判っているし、この惨状を思えば止めないという道は閉ざされている。それでも、姉妹での戦いを強いざるを得ないという現実に翼は忸怩たる思いを抱いていた。

 

 が。

 

「ええ……。ええ、そうですね、そう……。…………問題……?」

「……?」

 

 なんというか、思っていた反応とは違う。いや、苦しそうな反応ではないことは良かった(と言って良いのかはわからないが)のだが。

 翼がブリュンヒルデの様子になんと声をかけたものかと若干悩むも、その前にブリュンヒルデが翼に向き直る。

 

「──問題は、ありません。ええ、戦乙女ならお父様に、大神たるオーディンに仕えてこそですが、今の私達はサーヴァントですから。召喚した方に仕えてることが定めなら、主の意によって槍を結ぶこともええ、それは当然なのでしょう」

 

 などとのたまうブリュンヒルデの表情に悩みらしい悩みは一切浮かんでいない。翼は人間の鑑定眼に自信と呼べるほどのものは持っていないが、それでも彼女が本心からそう言っているであろうことが伝わってくる。

 

(……成程。出掛けに互いの言葉を交えたつもりであったが……こうも考え方が違うものなのか。彼女が戦乙女だからか、あるいは古代の、北欧の価値観によるものか……?)

 

 おそらくは両方だろうと当たりをつけつつ、翼は彼女の反応を飲み込む。

 彼女の考え方は職業戦士として割り切っている。翼の立場から見れば確かに異常な思考回路と呼べなくもないが、割り切りが過ぎている事を除けば例えば傭兵のような価値観を持っているのだと納得もつけられる。

 

「むしろ、私としては貴女が大丈夫なのか……気にかかります。ねえ、剣の貴女。なぜこちらへ、勝利の魔都へと訪れたのですか?」

 

 自分のことは良いとばかりに翼に語りかけるブリュンヒルデの目は真剣そのもの。

 チームを決める際に、翼は風鳴邸以外なら皆神山を選ぶと言っていたことをブリュンヒルデは憶えていた。風鳴邸は成程彼女の名字を考えれば是非もない。だが皆神山については聞く限りでは特段翼と関わりがある場所ではない。

 出会ったばかりの彼女たちなので、当然互いの事情は知らない部分が多い。だからこそ、もし翼が皆神山に何らかの思いがあるというなら──そうブリュンヒルデが考えるのも無理らしからぬことであった。

 

 翼はブリュンヒルデの言葉にむむ、と口を噤む。

 

「……そうだな。ああ、私もそれは言っておかねばならんことだろう」

 

 出立前、翼はブリュンヒルデのことを理解しようと考えていた。相手のことをよく知り、連携力を高めることの重要性は翼は十分に理解していた。だからこそ、翼がブリュンヒルデのことを知るのみでは片手落ちであるとも気付いていた。

 勿論、翼がブリュンヒルデに合わせるだけ……それで十全に力を発揮できるならそれでも問題はないかも知れないが、場面によっては翼がメインで戦うこともあるだろう。ならばこそ、互いのことを互いに知っておいたほうがいいだろうと翼は判断したのだ。

 

 翼は坑道を見回す。この皆神山で聖遺物の採掘が行われていたのは今は昔。彼女が幼少期の頃、戦場に立つ心構えすら出来ていない時の話である。

 

「──皆神山の発掘隊が、嘗てノイズの襲撃で壊滅する事件があった。関係者は軒並み炭に還され、生存者はたった1人だった」

 

 翼は訥々と語り始める。

 

「彼女──天羽奏はノイズに復讐するために二課を頼り、ノイズを殺すための力……シンフォギアを得るために文字通り血反吐を吐いた。やがて適正は最低ランクにも関わらずギアを手にした奏を見て、偶々適正があったから、という程度の考えしか持っていなかった己に比してなんという精神力だろうと当時の私は思ったものだ」

「カナデ、ですか。その方はギアの装者だったのですね。ですが、その方は今は……」

 

 ブリュンヒルデの言葉に黙って首を横に振る翼。そうだったか、とブリュンヒルデも目を伏せる。

 翼の様子を見れば、奏という人間が翼にどれほどの影響を与えたのか想像に難くない。

 今の翼は正に人、そして国のために戦うにふさわしい戦士としての精神性を間違いなく持っているが、それも奏の生き様を見たことで「偶々適正があった」という己を昇華させたのだろう。そう思える程に、翼の語り口と其処から漏れ出る感情はどこまでも純粋だった。

 

「立花が今使っているガングニールはマリアがかつて使っていたものだが、それ以前は奏の──というと語弊があるが、奏の形見とも呼べるガングニールを纏っていたんだ」

「……カナデも、お父様の槍を担っていたのですか。では、貴女が危惧していることは……」

 

 一体何を心配しているのか、その心情を理解したブリュンヒルデの言葉に翼も頷く。

 

「ああ。──皆神山、戦乙女。疑似サーヴァントとして呼び出されるのがワルキューレであるというのなら、奏こそがその依代に成りうるのではないか。そう思えてしまった時、私は此処を選ぶより他になかったということだ」

 

 ある意味、ベディヴィエールが先んじて風鳴邸を選んだことは良かったのかも知れない。ブリュンヒルデに己の危惧を語るために言葉にまとめ上げたことが、翼の心にそういった考えを抱かせてしまう。

 下手に風鳴邸と選択肢を与えられ、風鳴邸を選んだとしたら。あるいは翼は僅かな気後れを抱いたままに戦っていたかも知れない。戦場に迷いを抱いていては勝てるものも勝てない……翼はそれを肌で理解していた。

 

 が、それはあくまで翼の事情である。翼はそのことで、ブリュンヒルデに対し罪悪感も抱いていた。

 

「……感傷で選んでしまったことは、申し訳ないと思っている。前後衛の振り分けで言うなら間違いなく雪音のほうがバランスが良かっただろうが……」

「いいえ、気にしないで、剣の貴女。貴女達の歌には、想いが、祈りが、血が流れている。強い愛があればこそ、刃を向けるに足るものです」

 

 翼の言葉に首を振るブリュンヒルデ。抑揚に乏しいその声音からはしかし、翼の想いを尊いものとし、慈しむ感情が伝わってくる。

 シンフォギアは想いを、心を歌へと変えて力とする。たとえ実際はもう少し法則的な、あるいは科学的な変換作用の末にエネルギーを取り出しているとしても、その事自体は大きく間違っていることではない。

 そういった内容をS.O.N.G.から聞いた時、ブリュンヒルデはその力こそは素晴らしいものだと感動すらしていた。

 

 強い思い、強い願い、強い祈りこそが正しく力へと変わる。それはなんて──愛おしいものだろうと。

 

 愛に生き、愛に狂い、そして愛に死ぬことこそブリュンヒルデの生涯であった。英霊の象徴たる宝具すら、愛故に作用する概念武装となっている程だ。

 そんな彼女だからこそ、思いを歌に乗せ力を増すというシンフォギアを掛け値なしに素晴らしいものだとそう思えてやまなかったのだ。

 

「…………」

 

 ブリュンヒルデの絶賛になんとなく気恥ずかしくなったのか口を噤む翼。別に恥ずべきことでは無いのだが、此処まで真正面から愛があると言われればさしもの剣とて照れが入るのも仕方が無いというものだろう。

 だがいつまでも顔を赤くしてはいられないと頭を振って気持ちを切り替える翼。再び顔を上げればそこに照れ交じる乙女の相は無く、守護の遺志を継がんとする防人の顔が顕れていた。

 

「……ここからどちらに向かえば良いか、宛のようなものは?」

「行く宛、ですか。……私はこの山の構造を知りません。ですから、順当に考えて──」

 

 ブリュンヒルデは、その顔を彼女らが入ってきた通路へと向ける。デモノイズの補完領域から抜けてきた彼女らだが、それは逆に言えばデモノイズの密集地帯を回避するように移動していたということ。

 指揮者デモノイズはデモノイズたちを生み出している事を考えれば、どこにいるかは自明であった。

 

「──ああ。デモノイズの密集している所に向かうほかは無い。先程は無様にもこうして逃れてきたが……今度は全て、我が弌陣の剣風にて斬り捨てよう」

「ええ。そうしなくてはならないのなら、そういたしましょう。剣の貴女、その鋒には死したる戦士の、勇者の祈りがある──であるなら、貴女は全てを斬破できる」

 

 翼はアームドギアを、ブリュンヒルデは魔銀の槍を構える。

 

「……ブリュンヒルデ。貴女は炎に長けているとの話だったな」

「そうですね。燃え盛る茨も、情愛の熱も……殺意の炎すらも、全ては今、ここにいる私を做る断章です」

「……そうか」

 

 其処までは聞いていない、そう思いつつもそういうものなのだろうとブリュンヒルデを見やる。

 元の神話伝承から考えてもそういった愛憎の側面はあるのだろうと考えていた翼だが、堂々と殺意と情愛も己の炎であるとのたまうなどとは思っていなかったため額に冷や汗が浮かんでいる。

 勿論ここで引いても始まらないので、若干不安を抱きつつも言葉を続ける。

 

「であれば……その炎、私に貸してほしい」

「?ですが、私の炎は無尽の炎、燃え尽きぬ情念を形にしたもので……。いえ、ええ。そうですね、剣の貴女、その刃に私の熱を乗せることにいたしましょう」

 

 翼が何を考えているのかをブリュンヒルデは疑問に思ったが、しかし翼の真剣な眼差しにその疑問を捨てる。

 何も考えることを止めたというわけではない。ただ、どこまで行っても彼女は戦乙女であり、ならばこそ勇者たる翼の策に乗ることこそ己のポテンシャルを活かす道にもつながるだろうと考えてのことだ。

 誰かのために立ち上がり、我が身を顧みて尚も人のためにと命をかける翼のような勇者にこそ、英雄の介添たる己を役立てるのに最も適している。そう考えることは、ブリュンヒルデにとっては最早本能に近かった。

 

 

 

「……はぁッ!」

 

 数分後。2人は坑道内を疾風のように駆けていた。

 否、正確には駆けているとは言い難いだろう。脚部装甲からブレード状のウィングパーツを展開しジェット噴射の如き勢いでホバー移動しているその姿は、人が駆けるという表現が適さないというのは誰が見ても明らかだろう。

 ブリュンヒルデはそんな翼の肩に手をかけ、まるで重さもないかのように追随する。一体どうやっているのか翼には見当もつかないが、それを気にすることもなく只々坑道の先の暗がりを目指す。

 そんな勢いのまま坑道を突き進めば、先程抜け出したというデモノイズの補完領域に突っ込むのは当然であり、

 

「──間もなく、接敵です。剣の貴女、刃を立てて……ええ、よろしくお願いします」

「──承知ッ!征くぞ、何するものぞデモノイズッ!」

 

 高速下にあっても言葉を交わす2人の眼前には大量のデモノイズが出現し、彼女らを黒く散らせんと吹弾機関を鳴り響かせて迫りくる。

 狭い坑道にあっては、ただそれだけで人の生を拒まんとするほどの音の壁。それに翼は速度を緩めず、一切の躊躇なく飛び込んだ。

 

 そうなれば必然、彼女らは死ぬ……などということは勿論無く。

 

 

「さあ、聞くが良いッ!防人達の歌をッ!」

 

 

 翼の叫びに応じるようにアームドギアが巨大な両刃剣へと姿を変じ、彼女の持つ天羽々斬の柄頭と縁金から二振りの白刃が輝きを見せる。

 柄に1つの刃となるのが普通の剣だというのなら、それこそは尋常ならざる防人の剣であるのだと。それを証明するかのように、刃が灼熱の炎に包まれ始める。

 

「さあ……征きましょう、剣の貴女。私の情念、不尽の炎。そして死して尚尽きぬ勇者たちの願いを──その刃にて、振るいましょう」

 

 ブリュンヒルデの魔力が炎へと姿を変える。永劫に尽きぬという炎は妖しく揺らめきながら、翼のアームドギアを覆い隠していく。

 己の用いる火遁と比するも烏滸がましい神話の炎に煽られ翼は僅かに顔をしかめるも、ここで死したる防人達の無念を思えば直ぐに持ち直す。

 

「──♪────♪♪───♪──」

 

 デモノイズから流れる歌も、今の翼には届かない。神域の歌に守られ、戦乙女の介添がある。だが何よりも、今の翼は強い決意に心が満たされていた──生半な魔詠など届かぬほどに。

 戦乙女の炎は翼の強い思いに呼応するかのように燃え上がり、最早通路を埋め尽くさんばかり。デモノイズはその熱波の前に動きを鈍らせ、直接炙られているものはその姿を炭へと変えていく。

 

 それでも尚迫るでもノイズを前に、翼は炎を纏うアームドギアを大上段に構え回し始めた。場所が場所なら棍回しの演舞もかくやと見惚れてしまうようなような白刃は、纏っていた炎を巻き込み火災旋風へと姿を変えた。

 

「────これが、これこそがッ!貴様が砕かんとする人護の戦士の想いと知れッ!」

 

 

───風輪火斬・天陽───

 

 

 それはまさに太陽の如く。灼熱の刃風を前に、デモノイズは為す術無く焼滅していく。障害など無いも同然とばかりに減速無く吶喊した翼は勢いのままにデモノイズの軍勢をなぎ払い、巻き込み、そして斬り刻んでいく。

 ほんの数瞬の交錯の後、2人の駆けた後には炎と轍しか残っていなかった。

 当然デモノイズは消滅しても補完されるが、翼が纏っていたのはブリュンヒルデの不尽の火。炎々とした輝きは彼女を覆い塞いでいたというに相応しい不滅さを以て、再出現したデモノイズを瞬く間に焼き滅ぼしていく。

 

 その様子を一顧だにせず、翼とブリュンヒルデは未だ炎の灯らぬ暗黒を見据える。

 

「……この先に行くほどにデモノイズの数は増えています。こちらに向かえば、早晩──」

「ああ──行こう」

 

 言葉少なに頷きあった2人は、坑道を照らしあげながら尚見通せぬ最奥を目指して進撃を再開した。



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第7節 勝利の座I:魔都ネツァク(2)

 光の殆ど入らない、廃棄された坑道の最奥。

 本来なら暗闇であろうその場所はしかし、現代の技術では不可能ではないかとも思えるような不思議な蛍光に照らされている。

 恐らく主たる発掘場所だったということが想起されるその場所には、屹立する柱を背に1つの影が浮かび上がっていた。

 

「…………侵入者。排除、しなくては…………」

 

 ポツリと影がつぶやく。静かだが張りのある声であり、静寂とは言えないその場所にあっても不思議とよく通る。

 言葉少ない声使いであっても美しい音だと感じられる声音だったが、聞く人間によってはもっと活発な喋りでこそ魅力が生きる──そう考える人間もいるだろうと感じられるだろう、少女と女性の間に差し掛かったかのような声だった。

 彼女の足元には北欧に由来するというルーン文字によって刻まれた結界陣が敷かれており、その術陣から情報を読み取っている様子が伺える。

 

「──♪────♪──♪──」

 

 未だ鳴り響くのは、その名に反する様な雑音などとは到底呼べぬ荘厳な音色。それは何よりも声の主の背、坑道でなければそのまま天までも伸びているのではと錯覚するような柱から聞こえている。

 柱──指揮者デモノイズの奏でる歌にわずかに耳を傾けるも、まるで興味も関心もないとでも言うかのような無表情でふい、と顔をそらす。

 否、事実彼女はその音色に興味が無いのだろう。デモノイズの歌は人を無理矢理に感動させる歌であり──翻って、人外に対してはその効果を持ちえない。

 

「……いいえ。ここで待つ方が…………」

 

 音色には興味がない。歌に関わりは無い。その精神には既に人の有り様が亡い。

 だとしても彼女は戦いを知っている、戦場を知っている。勝利のために何を積み重ねるべきかを識っている。

 己に何ら意味を成すことのないソレが来たる襲撃者に対して有用であり、また純粋な戦力としても極めて強力だということを教えられずとも理解している。

 故に、この場────大きく開けた坑道の終着、音色が折り重なる無人のコンサート・ホールこそが何よりも彼女にとって有利となる戦場であることは彼女にとって明白だった。

 

「────♪♪──♪────♪──」

「…………」

 

 未だに歌は鳴り響く。デモノイズがいる以上当然のことであり、魔神アムドゥシアスがフォニックゲイン伝導のためにとより効率的な音響効果を設計した決戦場では、ただの魔詠と比してなお形容できない程に美しい音楽として成立する。 

 

 結界を仕切る魔術、ルーンの陣は正しく領域内に作用し、その陣を起点とする魔力は光を伝い、風を伝い、土を伝うことで彼女が望む情報を持ち帰ってくる。

 例えばそれは進撃してくる敵の位置情報であり、戦闘体系であり、それぞれのもつエネルギーであり、会話であり──。

 

「…………?」

 

 ふと、彼女は伝い聞こえる情報にピクリと瞼を震えさせる。

 

 音色は彼女には意味がない。だから、その音が──魔詠とは全く異なる、荘厳という形容とは程遠い苛烈な、だからこそ生の感情を叩きつけるような歌が己の精神に影響を与えたことに僅かなりとも違和感を抱いていた。

 

 何故かは彼女は分からない。だが、それが自分のことであるのに、と言うよりも自分のことだからこそだろうと自答する。

 自分が人形のような存在だ、というのは自覚しているし、そういうカタチを与えられたということは理解している。だからこそその性質に則り、召喚した人ならざる獣に従っていた。彼女は仕えるモノであればこそ、己を従えようとするモノに従うのは道理である。

 

 その在り方は正しく人外のソレであり、だからこそ平常のカタチで呼ばれることは通常ならば有り得ない。

 

 デモノイズの薄ぼんやりとした光に、彼女の姿が照らし出される。

 独特な金属で構成された羽飾りのような部分鎧の下には、豊かな体躯に張り付くようなインナースーツ。腕甲や脚甲は部分鎧の意匠と大きく異なる機械的な形状をしており、甲冑と言うよりもむしろ装甲と呼べるような装いとなっている。

 頭髪もまた豊かであり、長い部分は腰口にまで伸びている。独特な癖毛の赤橙色の髪は、炎とも翼ともとれる印象を相手に与える。

 表情は穏やか、を通り越して静謐と形容できる無表情だが、橙の瞳の吊眼はその身体の持つ気質を示しているようだった。

 

「……そうか、やはり。わたしではなく、貴女か」

 

 誰に聞かせるでもなく、ただ己に語りかけるように。事実彼女は己という他者に語りかけている。

 

 歌は彼女に関わりが無く、その精神には既に人の有り様が亡い。

 であれば、その歌に関わりがあり、人らしい感情のブレを導く原因としては。

 

「────翼」

 

 最後にそう呟く。それこそは魔神に封された人間性の残滓であり、守護天たる彼女の依代として使われる少女の想いの発露であった。

 

 

 

 

 

 

「────だいぶ奥まで進んできたはずだが……一体どうなっている……?」

 

 デモノイズを焼き払いながら進むこと暫し。如何に道中でデモノイズとの戦闘を繰り返しているとは言え、幾ら何でも時間が掛かり過ぎていることに焦りを覚える翼。

 翼は皆神山に立ち入ったことはないが、明らかに彼女の知る採掘領域を逸脱した広さであることは理解していた。

 

 デモノイズの敵影も濃くなり不安が増していたところで、ピピ、と通信が入る。信号音からしてカルデアだろうが、モニタリングしていたのだろうかと思いつつ翼は通信機をオンにした。

 

「こちら風鳴翼です、どうぞ」

『──良かった、まだ繋がりました。こちらマシュ・キリエライトです』

「キリエライト?藤丸の方は見ていなくて──いや、この状況について何かわかったのか?」

 

 マシュ──実働要員でこちらに来ている藤丸立香の後輩という少女の姿がモニターに映ったことで、何らかの調査結果でも出たのかと期待を寄せる。

 

『はい。正確な術式は不明ですが、類似した魔力反応や術式パターンを検証した所、その領域が異界化の魔術が使用されていることが解りました。空間の拡張と迷宮化、でしょうか……皆神山の坑道データがないのでどれほどの規模で変化しているかはまだ……』

「空間の拡張、迷宮化か……。どうやって現実空間に手を加えるのかは魔道に不学な私には知り得ざるが、魔術はそこまで可能なものなのか……」

 

 マシュの言葉に翼は改めて魔術の奥深さの一端を知り、このような状況でありながらも成程と感嘆していた。

 

『ですが、領域の核であろう極めて大きなデモノイズの反応に向かっていることは確実です。道の形成具合にもよるかとは思いますが、このままのペースで行けば10分程度で到着するものかと……』

「そうか……いや、踏み出す先が在るならば仔細無い。一振りの剣として──戦士として勇往邁進に努めてみせよう」

 

 マシュの言葉に納得した翼は先程までの焦りの見えた表情を一転させ、暗闇の先を見据えるかのように鋭い目つきで先へと進む。

 当然その最中も彼女はアームドギアと脚部ギアを休めることは無く、ブリュンヒルデの炎を纏う天羽々斬の剣閃は坑道のデモノイズを焼きこがしていく。

 

 と、そんな翼の後ろで僅かも撃ち漏らさぬと言わんばかりに槍を振るっていたブリュンヒルデがふと口を開く。

 

「……ところで、マシュさん。我々のモニタリングをしていただいているようですが……他の魔都はよろしいのですか?」

「む、そういえば……。キリエライト、我々が真に接敵するまではあと10分かそこらはあるのだろう?であれば、その間は他の魔都の支援に回ったほうが良いのではないか?」

 

 今のところ自分たちは問題ない、そう言っているも同然な翼の発言だがブリュンヒルデも同意見らしく首を縦に振っている。

 実際、狭い坑道だと相手のデモノイズも性能に限りが出るのか小型種ばかりが出てきており、またその数も一度に対峙するのはそう多くはない。

 不尽の炎を残すことで背後からの致命の一撃を回避しつつ、足を止めずに安定した進撃を見せている彼女らの状況認識は過信でも何でもなく、だからこそちゃんと接敵するまでは別チームを助けるべきだろうという意見は間違っているものではない。

 翼のその疑問に対し、マシュはああ、と思い出したかのように……というよりも説明を後回しにしていたのだろう、ちょうどいいとばかりに説明を始める。

 

『はい、そのことについてですが……現在、後方支援の担当も魔都ごとに班分けしているんです。敵陣地にいるであろう魔神や疑似サーヴァント等の情報に詳しいカルデアが2つの魔都の担当として分かれて、S.O.N.G.は残る1つの魔都を担当しています』

「そうなのか?しかし、それでは互いの専門性から外れる類の相手が出現した時に危険ではないか?」

 

 マシュの言葉に尤もな疑問を翼は抱く。

 言葉通りに取るなら、その決定は実働組に先んじて後方支援組で決めていたことなのだろう。そしてそれはカルデア、S.O.N.G.双方が決めたことであることもわかる。

 だがしかし、S.O.N.G.は異端技術や特異災害などの情報には詳しくとも、サーヴァントやら神秘やらについてはカルデア側の情報提供によるところが大きい。そして、カルデアはカルデアで異端技術や特異災害についてはS.O.N.G.のデータベースからの情報共有によって把握するしかないところである。

 

『確かにおっしゃるとおりです。ですが何分、指揮所が完全に別領域にあるのが問題なんです。仮に両組織双方から各魔都の後方支援班に人員を供出するとなると、班員の連携のためだけに各班ごとに回線を常時割く事になってしまい、却って現地情報の処理能率が落ちてしまいますので……』

「む……まあ確かにそれでは本末転倒だが」

 

 各組織で並列指揮を行うには指揮系統の差から難しいものではあるのだろうことは感じていたが、そこまでとは思っていなかった翼は嘆息する。

 そしてそれだけではないらしく、言いづらそうにマシュが言葉を続ける。

 

『あとは……お恥ずかしいことではありますが、風鳴邸の魔都が我々の技術では詳細な全容を把握できない状態になってしまったんです』

「ッ、なんだとッ!?では、立花やマリアは……」

 

 無意識に鋭くなった目線がマシュを睨みつける。

 マシュも自分の言葉が信用度を下げることは判っていたので、若干竦みながらも目線を受け止め話を続ける。

 

『は、はい!お2人についてはS.O.N.G.の観測機器で正確な測定ができていますから大丈夫です。ですので、風鳴邸の魔都の指揮についてはS.O.N.G.におまかせしまして、こちらからは適宜必要な情報を提供することで対処することにしたんです』

 

 そう説明するマシュは若干焦ったような表情ではあるものの、語り口に乱れはない。

 どうやらカルデア側の事情が込み入っているということは間違いないようであり、さらに言えばその結果としてカルデアの人員であるベディヴィエールについても観測が難しい状況であるだろうというのは容易に想像ができる。

 その様な状況を推察しながら言葉を荒らげられるほどに翼は考えなしでもなければ、相手のことを思い遣れない人でなしでもなかった。

 

「……何故そのようなことになったのか、説明してもらってもいいか?」

 

 カルデアにとっても想定外だろうに、素早く対応しているその柔軟性は褒められることであれ怒ることではない。

 僅かな怒気も直ぐ様に鎮火した翼は、平素と変わらぬ落ち着いた表情でマシュへと問いかける。

 

『はい、というのも風鳴邸の魔都が神霊規模のサーヴァント、恐らくはヌァザがいるであろうことは想定していたのですが、どうやら相手方は何らかの手段で時代そのものを神代のそれに置き換えているであろうことが判明しました』

「?時代を、書き換える……?」

 

 マシュの言葉の真意が掴めないのか、はたまた時代が置換されるということの重大さが不明なのか。

 神秘という事象に対して未だ理解が浅い翼はその事をどうにも理解しがたく、ただ首を傾げて言葉を反芻する。

 

『ええと、ダ・ヴィンチちゃんの推測ではレンズ・シバは西暦以降の時代を主対象として観測するシステムであることから、風鳴邸の魔都が神霊級の存在によって時代ごと書き換えられているために精度が著しく低下しているとのことです。S.O.N.G.のシステムはそういった要素を排して、純粋に現地にある本部で観測したエネルギー情報を指揮所に伝達しているので問題ないそうですが……』

 

 マシュはダ・ヴィンチがS.O.N.G.の観測データとカルデアの観測データを突っつき合わせた結果導いたであろう結論の、その要点を掻い摘んで説明する。

 

『似たような事象は別な特異点でも発生していますから、それ自体はまあ不思議な事ではないのですが……。しかし通常の特異点とは異なる、ただでさえ観測難易度の高いそちらの世界で更に限定領域下のみを神代に書き換えられてしまうとなると……』

 

 そう呟くマシュが想起するのは、嘗て戦った第六特異点や第七特異点。中世に神代エジプトをまるごと持ってくるファラオや、神代にあって更に別地域の神代中南米を持ってくる女神といった相手を思えば、風鳴邸にて神代テクスチャを敷く相手もまた同規模の存在であることが想定できる。

 そんな相手に、誰もがサーヴァント級、特にも戦闘に優れた面々とはいえたった3人で出向かせてしまったことにマシュは心配せずには居られなかった。

 モニター向こうの翼たちには心配を掛けまいと努めて冷静な表情を保っている辺り、なんだかんだ専門家としての知識や経験を積んだだけのことはあるのだろうが。

 

「む……。いや、カルデアやS.O.N.G.で調査しても尚対応が不可能であったというならそれでかまわない。無理に聞いて済まなかった、キリエライト。」

 

 もっとも、戦士として、歌女として、何より人間として濃密な時間を経験してきた翼はそんなマシュの心情をある程度は把握しており、不慣れな感じではあるが労るように声を掛ける。

 

「私は2人──否、3人を信じてここに来ている。立花たちは言うに及ばず、ベディヴィエールさんも見れば気骨のある方と見受けられた。であれば、私はまず己のすべきことからやらねばな……ッ!」

 

 仲間を信じる。今までの戦いで信頼できる友を得て、またこの場で短い交流ながらも清廉な精神を持つ戦友と出会った──そうなれば、翼のやることは1つしかない。

 眼前に出現したデモノイズを瞬く間に切り捨てる。先程までと比べてなおも分厚くなるデモノイズの壁に対し、その量に比例するかのように速度を上げて突き進む翼。

 

「……ええ、その意気です。大丈夫、彼女らは勝利の槍を担っているのですから」

 

 意気込み駆ける翼に微笑みながら、ブリュンヒルデがそっと呟いた。

 

 

 

 

『聞こえますか?そろそろ魔都中枢に到着しますので注意してください!』

「ッ、そう、かッ!道理でデモノイズの補填速度が明らかに早くなっている訳だ……ッ!」

 

 マシュの警告の言葉にそう返しつつ、進路上のデモノイズを薙ぎ払う翼。

 ブリュンヒルデの間隙を縫う技量に任せ敢えて大振りの攻撃や範囲攻撃を繰り返していた翼は、若干の疲労を滲ませつつも眼光は鈍らずに進撃を続けていた。

 

「ええ、今は通路だから良いものの……。いえ、相手の壁が分厚くなるという意味では、広い場所のほうが良いかもしれませんが……」

 

 そして隙を潰すように立ち回るブリュンヒルデも流石に現状に辟易しているのか、眉尻を下げ困ったかのような表情を浮かべていた。

 

「突破する、進撃するという意味では狭いほうが楽ではあったが……。だが、魔都の首魁と対峙するというなら広いほうが良いだろうな。この場所では宝刀を抜くのも無理がある」

 

 翼もブリュンヒルデの言葉に(部分的に)同意しつつ、返す刀で先を焼き払う。その剣閃も、彼女の疲労を反映してか翳りが見えている。

 原初のルーンと火遁による文字通りの焦土戦術は確かにデモノイズの阻害には有用だったのだが、剣に比して使い慣れない火術と魔力を食らう魔力放出を使用しての戦闘は、それ相応に彼女らの体力を奪っていた。

 そして2人のバイタル(翼の分はS.O.N.G.の機器による観測データの転送で確認しているが)を確認していたマシュは、そんな状況に危機感を抱いていた。

 

(……お2人とも、いえ。翼さんがこのまま戦うのは……)

 

 マシュのモニターに映る翼のバイタルは、各数値でブレこそあれど大なり小なり正常値を下回っていた。同様に戦っていたブリュンヒルデと違い、長時間の活動に比例するように減少値が積層していくことが確認できており、マシュもカルデアスタッフも苦渋の表情を浮かべている。

 

 これはある意味、サーヴァントとマスターの戦いという従来までのレイシフトによる修復活動に慣れていたからこそ気づけなかったことだろう。

 マスターは後方から指揮するだけ(というのも語弊があるが)であり、サーヴァントは魔力供給が十分であれば疲労らしい疲労を覚えることはない。移動に際しても極論サーヴァントがマスターを運ぶのでも問題はなかった。

 事実ブリュンヒルデは魔力放出をしているから疲労しているのであり、戦闘前に少し控えてカルデアからの魔力供給を受ければそこそこ回復も見込めた。

 しかし翼は違う。マシュからしてもとんでもないスタミナと剣術家としての技量、ギアによる戦闘技術や身体強化も相まって近接型サーヴァントと肩を並べて一線で戦えるだけの実力はあるだろう。

 だがそれでも、翼はあくまで二十にも満たない人間の少女である。疲労すればその回復には相応の時間が必要だし、エネルギーの補給だって魔力でどうこう出来るものではないのだ。

 

『お2人とも、その状態で接敵するのは……』

「──いや、問題無い。どちらにせよ、これ以上は望めまい」

 

 だが、そんな翼は心配の声を一蹴する。別に強がっているのではなく、単純に休めない現状を考えればなるべく体力が残っているうちに敵中枢に仕掛ける方が良いだろうと判断しただけである。

 マシュは割り切った翼の様子に心配そうな表情を浮かべながらも、その言葉が正論であると認めざるを得ずに口を閉じた。

 

 そしてそうこう言う間に、彼女たちは坑道の先に開けた領域を見出す。

 煌々と輝る炎が背後にあって正に光が届かぬ闇の領域に空目する其処は、しかしその中央にこの世界のものとは思えない蛍光の柱が眼を開いて待ち構えていた。

 

「見えたッ!ならば手筈通りに……ッ!」

「ええ、わかりました」

 

 翼はそう言い、よりいっそうの炎で盛大に道を切り開く。そして間髪入れずにアームドギアを平時の刀剣型に変換し、そのまま走る勢いのままに全力で投擲した。

 

「ブリュンヒルデッ!」

 

 そして間の空かぬ内の翼の呼びかけを受け、ブリュンヒルデは待ってましたとばかりに翼の手を取り、その脚部ギアにも手を伸ばす。

 

「さあ、往きましょう。その名の通りに、空に、羽ばたいて……」

「臨む処ッ!」

 

 翼の脚部に刻まれるソレは牡牛のルーン。勇ましさ、速度、前進を示す魔術の刻印。

 刹那、2人は投擲した剣より尚も加速する。神代の神秘は現代の魔術では成し得ぬ奇跡を当然のように具現化し、その身を一気に剣の柄頭へと届かせる。

 

 そのまま翼は空中で器用に体勢を変え、その柄頭を盛大に蹴り飛ばす。脚部ギアからはフォニックゲインが形を変えた噴進が炎の如き輝きを放ち、ルーンと合わさりさらなる加速を実現する。

 投擲したアームドギアは翼の過剰な速度を抑えるためか将又攻撃に合わせるためか、刃を著しく肥大化させ、後方からは翼のギア同様に噴炎が走った。

 

 

「征くぞ……ッ!先手にて必殺させてもらうッ!」

 

 

───天ノ逆鱗───

 

 

 風鳴翼の大技、龍鱗を想起させる巨大な両刃剣は坑道の壁を斬り抉りながらも加速を続け、指揮者デモノイズが佇む採掘場へと刃を届かせる。

 そして遮るものが無くなったことで更に加速し、その刃は刹那の間に指揮者デモノイズを貫かんとし──。

 

 

「……防衛戦、開始」

 

 

 極めて小さい、しかしその場の者全てに通るその声と共に、旋風を纏った槍が逆鱗を撃ち抜いた。

 

「────ッ!」

 

 逆鱗と共に空を駆けていた翼は剣が砕けたことでバランスを崩し宙へと投げ出され、そのまま部屋の上部、壁面に立つ1人の少女が視界に入った。

 その声と槍に僅かに動揺するも、想定していたことだと直ぐに己を取り戻す。即座にギア各部から噴炎が走り、中空でありながら器用に体勢を立て直し地面へと降り立った。

 

 一瞬の交錯、その直後にマシュからの通信が入る。

 

『高魔力反応、確認しました!相手はサーヴァント、ですが、これは……ッ!』

「……フォニックゲインだ。そうか、いや、そうだろうとは思っていたが──」

 

 翼の目線の先にある少女、過去の記憶……今の己より尚も若かりし頃の、誰よりも親しかった親友の姿。

 その装備こそ彼女の知るそれではないが、それでも所々に過去の姿を想起させる機械的な武装が付いている。

 

 風鳴翼の無二の親友、欠けてしまった片翼たるシンフォギア装者、天羽奏がそこに居た。

 

「……守護天、ですね。やはり、戦乙女のようですが……」

 

 ブリュンヒルデが奏の姿をしたサーヴァントを見上げ呟く。

 するとその微かな声を聞き取ったのか、あるいは魔力を感知したのか──彼女は、まさに今気づいたとでも言うかのようにブリュンヒルデへと顔を向ける。

 

「……霊基、ランサー。大神の娘……そう、輝く乙女、ブリュンヒルデ……御姉様……」

 

 どうやらひと目見ただけでブリュンヒルデについて看破したらしく、無表情のまま視線を翼に戻す。

 

『彼女の霊基……疑似サーヴァントではあるようですが、紛れもない神霊級のサーヴァントです!クラスは……ランサー!』

「ええ。戦乙女であるなら、槍を振るうのは当然のこと。ですが、模造品(レプリカ)ではないお父様の槍を担うということは、それ相応の能力が必要になる筈……」

 

 大神の槍、即ち「大神宣言(グングニル)」。

 智慧と魔術の神、北欧の主神オーディンのもつ魔槍であり、伝承においてソレを担うのは当然オーディン当人である。

 だが、仮にオーディンを疑似サーヴァントとするなら。こんな風に魔神に易々と従えられるということなど有り得ないとブリュンヒルデは識っている。

 彼女が目の前の少女から感じる魔力は己の父のものではなく、自身と同じ戦乙女のソレに他ならない。であれば、欠片とは言え真なる大神の槍を担えるはずはない……のだが。ここで、神秘に属し、由来する彼女たちとこの世界における差異が牙を剥く。

 

「……あの疑似サーヴァントの依代はガングニールの装者。私達の考えていた通りだ──ならば、手に槍が有って当然だ」

 

 翼はそう言いつつ疑似サーヴァントたる頭上の存在を睨む。

 その見目は翼が奏を失ったちょうどその時の彼女の姿に瓜二つ。嘗て平行世界で出会った奏とは異なり、間違いなく「死んでしまった」天羽奏その人の肉体が霊基を成立させる依代となっている。

 であれば、主神の槍がその手にあるのは至極当然……翼はそう言い切った。

 

「だとしても。大神の槍を担うのが肉体であるならば、ソレを適切に扱うのは霊基の役割。もし魔神が何も考えてない無思慮なら誰が来ていてもおかしくはありません……ですが」

 

 勿論、ブリュンヒルデも翼の言うことは理解している。ここでブリュンヒルデが気にかけているのは、主神の槍を動かす身体を依代とするほどの戦乙女が誰なのか、ということだ。

 魔神は決して無能ではない。無思慮でもない。無策など以ての外。

 効率の良い手段を選ぶのが魔神の手口である以上、依代が折角持ってきたガングニールという属性を活かせる戦乙女を召喚するだろうという推測が成り立つのは至極当然である。

 

 そして、大神の槍を扱う可能性が高いと推測できる戦乙女は絞られる。それは戦を司る者、あるいは槍を担う者。

 だが、ブリュンヒルデは奏に憑依するサーヴァントについて、既に見当はついていた。

 

 

「ですが、ええ。従属させられた逸話を持ち、その瞳は遠く見透し、その加護は戦に勝利を齎す。……貴女でしょう、ヘルヴォル──ヘルヴォル・アルヴィト。全知の名を冠する、軍勢の庇護者。お父様に近い概念を持つ貴女こそ、お父様の槍を偽り無く振るうに足りましょう」

 

 

 ブリュンヒルデの言葉に、対峙する少女は眉を僅かに動かし、目を細める。

 表情の変化は微細ではあるものの、その反応を見極められればブリュンヒルデの言葉が的中したのだと誰もが理解出来ただろう。

 

「……肯定します。そして、それだけです」

 

 ブリュンヒルデの言葉に、それだけ答えて同じ表情に戻る。実にあっさりとしたその対応に、さしものブリュンヒルデも多少眉を顰めた。

 ……他のサーヴァントと比べれば変化に乏しいブリュンヒルデの表情も、前に居る疑似サーヴァントと比較すれば実に豊かに見える。人に堕ちた戦乙女と、そうでなかった戦乙女の対峙は、戦乙女を人形であると言うブリュンヒルデの言葉を証明する事となっていた。

 

 

 そして、この場にいるもうひとりの戦士にとって、ヘルヴォルであろうと推測されるサーヴァントの反応なぞ些細なことでもあった。

 

 先程までの疲労は継続しているだろうに、翼は欄とした眼光を奏の姿をした疑似サーヴァントへと向ける。

 その表情は冷静であるように見え──どうしようもないほどに怒りを感じさせる。

 

「貴女にとっては、理不尽だろう。だが……その依代は、我が友だ。ノイズにすべてを奪われ、血反吐を吐いて立ち上がり──人を守って散った、真の防人。それをデモノイズだの何だのと、こんな無体に使うなど──」

 

 翼にだって判っている。依代を選んだのは魔神であり、指示を出したのだって魔神だ。目前の相手は召喚した者に従うという己の役割に準じているに過ぎない。

 それでも言葉を紡げば紡ぐほど、翼の声が荒く、鋭くなっていく。一言ごとに感情が露見していき、そして。

 

 

「──怒髪、天を衝くとはこの事だッ!!」

 

 

 カッ、と目を見開いた翼は叫ぶように言葉を叩きつけ、肥大化したアームドギアを両手で持ち、重さを感じないかのように正眼に構える。

 その言葉を受けたネツァクのランサーはそれでも尚表情を変えず、ポツリと呟いた。

 

 

「……仮称名称、魔都ネツァク。召喚者との契約に則り、防衛する。──降伏は、認めない。その手の刃を振るえ、勇士よ」

 

 

 翼の知る声で吐き出されたその言葉とともに、手にあるガングニールのアームドギアが魔力とフォニックゲインの嵐を纏う。それに呼応するように、翼はアームドギアを正眼に構える。

 

 魔都ネツァクにて、今まさに戦いの火蓋が切って落とされた。



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第8節 基礎の座I:魔都イェソド(1)

「……お、終わったかな……って、あれが……!」

 

 テレポートジェムによる転移の光が途切れ、恐る恐る目を開いた響の目に映るったのは、翼から事前に聞いていた風鳴邸と思しき構造物。

 思しきと形容したのはそもそもの全体像を伝聞以上に知らないということもあるが、何より響の視力では現在地から見るには遠すぎた、という点に尽きる。

 

 イェソドの攻略のために出撃した響、マリア、そしてベディヴィエールの3人が転移したのは、魔都の中心地であろう風鳴邸、そこから数km、あるいは十数kmは離れているであろう小高い丘だった。

 辺りは木々が生い茂っているが、彼女らの居る斜面地帯は伐採されたのか栄養状態が悪いのか、ある程度視野が開けている。

 

 テレポートジェムの座標は作成したキャロルが指定したものであり、曰く強襲制圧のために魔都外縁部にかなり近めの場所に転送する……という話を彼女らは聞いていた。

 

「ええ、全くとんでもない……。強化の魔術が使えれば中心部まで見通せるのでしょうが、生憎私は魔術師ではないので、アーチャーほどの視野は……」

「!いやいや、気にしなくても良いですよッ!この距離じゃあアフリカの狩猟部族でもないと見えませんからッ!多分ッ!」

 

 ベディヴィエールの申し訳無さそうな言葉に響が慌ててフォローする。

 そんな彼女たちの視線は風鳴邸に──彼女らからは見下ろすような場所、眼下に広がる地方都市……「だったもの」に向けられていた。

 

「……魔都、イェソドね。成程、魔都と言われるだけはあるわ」

 

 マリアが呟く。

 彼女の視界に映るその領域は、決して地方都市なんて呼べるようなものではない。

 

 魔都の外縁部であろう箇所には、新宿の魔都には存在しなかった石造りの城壁が顕現しており、領域の内と外を物理的に、そして概念的に区切っている。

 

 そも、壁とは元来世界を区切るもの。壁より内側と外側は別世界として扱われる……というのは魔術や哲学、神秘学等でも見られる考え方ではある。

 ……だが、彼女たちの目に映るのはそんな思想的なレベルのものでは断じてなかった。

 

 その光景にどうしたものか、と作戦を考えようとした3人。そんな彼女らが渡されていたS.O.N.G.の通信端末に通信が入ったため、それぞれ端末を手に取り通信をオンにする。

 

『……通信が入ったということは転移に成功したか。聞こえるか、3人ともッ!』

「師匠ッ!」

 

 通信端末から聞こえる声は、S.O.N.G.の発令所で指揮を執る弦十郎のもの。転移が終わったことの確認ということで通信を入れてきたようである。

 無事に通信できることが確認できたことで、弦十郎は状況確認もそこそこに本題に入る。

 

『今、そちらの魔都についてカルデアから情報が入った……とはいっても、どうにも厄介そうでな。何でもカルデアの技術では、その魔都の内部を観測できないということだ』

「……成程。ええ、この目前の光景を見れば何らかの異常事態があるってのは嫌でもわかるけど……」

「ですよねー……」

 

 マリアの言葉に響はうんうんと頷き賛意を示している。

 一方のベディヴィエールはその言葉にやはり、と零す。魔術や神秘といった事象に縁深い英霊であるからこそ、装者2人と比べ魔都の異様さをより深く認知していた。

 まして、彼はこの空気に覚えがある。いや、正確には彼自身ではなく──『今回限り』の特例で英霊となった彼の霊基そのものにこそ憶えがあったと言えるだろう。

 

「……ええ。相手が主神級のサーヴァントであるというのなら、あるいはこういったことがありうると覚悟してはいました。おふたりとも、気を緩めずにお願いします。此処から先は──」

 

 風鳴邸を中心として構築された半球状の領域の内部は、城壁外の地方都市としての風景とは似ても似つかぬモノとなっていた。

 

 視界に広がる石造りの城壁内は、日本の風景にはまずありえないであろう青々とした美しい草原が広がっている。そして外縁部から中心部の風鳴邸に向かうに従って石造りの建造物がポツポツと現れ始めている。

 建築の様式はマリアや響には見覚えが無いものではあるが、ベディヴィエールにとっては薄らとだが覚えがある。

 彼の居た時代には既に過去のものと成り果てていた古の遺跡、神々が覇を争っていたというケルトの過去を象徴する、生命の流転を示す渦模様の飾り石。

 

 それだけではない。遠目には鳥のように見える生物は現代の鳥類と比してあからさまに巨大であり、牙と鱗、角に象られたその顔は今や幻想と化したはずの飛竜(ワイバーン)

 遺跡の合間を抜け、青々とした草原を太い二足で闊歩するのはこの街に住んでいたであろう人間ではない。身体の各部位から小さな木を生やし、巨大な石の剣を持つ大地の石像というべき成りを見せるのは、遺跡を守護するという遺跡妖精(スプリガン)

 装備があからさまに現代離れした人間のような姿のケルトの兵士は、デモノイズと共に徒党を組んで魔都内部の遺跡を巡回している。

 

 

 一瞥しただけでソレだけの情報が見て取れる……見て取れてしまうほどに、その魔都は現実離れしすぎていた。

 

 

「──現代ではなく、神代。太古のケルト、神々の時代そのものを相手取っていかなくては無いのですから」

 

 ベディヴィエールの言葉の意味は、彼らの常識を上辺しか知らない響とマリアにはよくわからない。だが、そんな彼女たちであっても、魔都の異様さにゴクリとつばを飲み込んだ。

 

 

 

 神代。詰まるところ神の時代を指し示しているその言葉は、何も神話の舞台となった年代を指し示す言葉ではない。

 

 神々の居た時代、ただそうあれかしと力を振るう彼らが当然のように世界に顕現していた時代というのは、そもそも現代とまるで異なる世界である。

 大気に満つる真エーテルは現代のマナを遥かに凌駕するエネルギーを秘め、行使される業は空想にしか有り得ないような超常現象を当たり前のように発生させ、現代では当然とされる事象が神の指先1つで覆る。

 つまり神代というのはそういった色々とあやふやな時代であり、物理法則の下に各種事象が発生する現代とは文字通り全く違う世界なのである。

 

「……ってことはベディヴィエールさんの説明でわかりましたけど……。あの~、師匠?私達そこに今から突っ込むんですよね?」

『ああ、そうなるな。何、安心しろ響君!現地にいる神様は今から対峙するであろう守護天以外には居ないとのカルデアからのお墨付きがある!』

 

 響のそこはかとなく不安そうな言葉に、力強く弦十郎が答える。

 カルデアのお墨付きとは言うが、要するにS.O.N.G.の観測した内部データを元に強大な霊基を探したところ、デモノイズと件の守護天、あとは種々の幻想種くらいしか居なかったという話である。

 S.O.N.G.の観測システムは神秘に依らず物理法則、あるいは異端技術の産物によるシステム構築がされている。概念やらなんやらが全く関わらなずにエネルギーの大小を検出することが出来るので、一応同じ3次元空間上にある神代の魔都の内部もある程度は観測することが出来るのである。

 また、S.O.N.G.による観測が有効なのは、実際の観測システムがこの世界のS.O.N.G.本部にあることも大きい。カルデアの場合はどうしてもレンズ・シバで観測しなくてはならない関係上、神代に対する精度が著しく悪いシバを調整する暇なく使っている現状では神代の魔都をまともに観測できないのである。

 

 閑話休題。

 

「そもそもの問題だけど、その神代?っていうのは私達が入って平気なのかしら?」

「む──。確かに、私はサーヴァントですから兎も角、彼女たちは……」

 

 マリアが呈した疑問に、ベディヴィエールも苦渋の表情を見せる。

 

 カルデアの魔術師達曰く、大気に満ちているらしい真エーテルは猛毒であるらしい。

 濃密な魔力はソレだけで人を蝕み、完全な幻想の領域ともなれば呼吸しただけで人が破裂するのだ……などと、とあるキャスターのサーヴァントが語っていたのだとか。

 事実、カルデア最後のマスターこと立香は神代の時代にレイシフトする際は、特殊なマフラーやらを使って濃密な魔力を吸うことのないようにと調整していたりもした。

 

 そんな事情もあってのベディヴィエールの表情であり、そして弦十郎も話を聞いて頭を悩ませたのだ。そして悩ませた末に、彼はダ・ヴィンチに相談を持ちかけたのだが。

 

『我々もダ・ヴィンチ氏からその話を聞いたときに、どのように対策を講じれば良いのかを確認したところ──』

 

 

『ああ、魔都が神代になってた場合?うーん、シンフォギアがどういった特性なのかによるけど……。対毒性とか、そういう奴ある?神代の空気は人には毒だから、そういうのを無効化出来るフィルターみたいなのがあれば良いんだけど……』

『一応あるんだ、それは良かった……え?そもそも単独で宇宙空間に行ける?じゃあ大丈夫じゃないかな、うん。大気のエーテルはそりゃ毒だけど、そもそも呼吸が必要ないなら問題ないよ』

 

 

『──ということだそうだ』

「ぶっちゃけるなあ……」

 

 ダ・ヴィンチから伝え聞いた言葉を聞かされ、響やマリアは何となく気が抜けたような表情を浮かべる。

 

 とは言え、ダ・ヴィンチの言うこと……というより、シンフォギアの特性上、周辺大気の質が使用者に影響を及ぼさないのは至極当然なのである。

 確かに彼女たちは歌う。歌うのだが、別に周囲が海底だろうが真空だろうが宇宙だろうが、兎に角空気がなかろうとも普通に歌える。

 さらに言えば、彼女たちの世界はそもそも大気中に魔力とやらが無いため、それらの質によって機能に変化することもない。魔力の種類が違うからといって、それでシステム上の問題が出ることも根本的にあり得ないのである。

 

「ってことは、私達は突入でいいのね?」

『ああ、問題はないッ!……っと、そうだ。魔術的な概念等の話に係るらしいが、なるべく城門のような箇所から侵入したほうが良いとのことだ』

「ええ?それはまたなんでですか師匠、こう、怪盗みたいに壁の上をバーって行ってサーチライトに照らされないようにするんじゃ駄目なんですか?」

 

 弦十郎の言葉に、響が首を傾げる。

 

「……まあ、侵入時の振る舞いはともかく。概念的な問題というと……察するに、そもそも門以外を通るのが物理的に不可能とかかしら。城壁が世界を別つ壁であるというのなら、門は世界を繋げる穴ということ。新たに世界の間に穴を開けるのと、既に空いた穴に侵入するのだったら後者のほうが手間が少なそうだものね」

 

 怪盗の下りで何となく煤けた表情を見せつつも、マリアが己の推測を口に出す。

 元々聖遺物関係で世界の裏側について種々の情報を知識として知っていた上、エージェントとしての活動を熟してきたマリアは概念関係の話題についても比較的順応性が高かった。

 

「……?」

 

 そして一方、順応性が低かったのが響である。この場合純粋に理解力が足りないだけとも言えるが。

 

「ええと、ですね。あの壁は見た目相応のものではありません。怪盗……でいうなら、壁の上に高圧電流の流れた有刺鉄線が張り巡らされているようなものです」

「あ、なるほど!そっかあ、それじゃ門から入ったほうが良いのかぁ」

 

 彼女の先のたとえ話を思い出したベディヴィエールが噛み砕いて(序に言えばかなり語弊がある内容で)説明したことで、響もその理由を飲み込めたらしい。この会話を円卓の騎士が聞いていたら、ベディヴィエールが何処から怪盗の知識を得たのかをまず問いただされるところだろう。

 

 会話を一通り聞いていた弦十郎が、問題がなさそうであると判断し口を開く。

 

『……納得してもらえたようで何よりだ。いいか、侵入前にギアを纏う、侵入は門からだッ!────それでは、健闘を祈るッ!』

 

「!わっかりましたあッ!」

「?……了解ッ!」

「ええ、了解しました」

 

 弦十郎からの激励に、三者三様の答えが返る。

 

(さっきの言い方……どういうことかしら……。いえ、彼女は判っているようだし問題はない……のよね?)

 

 ……響に含めるような言い方をした弦十郎の言葉に、マリアは一抹の不安を抱いていた。

 

 

 

 

「やっぱりもう少し考えるべきだったッ!」

 

 盛大に不安が的中したマリアは、盛大にこじ開けられた門の向こう側に見えるこの世ならざる幻想から向けられる殺意を前にどうしてもそう叫ぶ自分を止められなかった。

 マリアの前には若干唖然とするベディヴィエールと、ドヤ顔で拳を突き出す響の姿。太古の歴史を思わせる巨大な城門は無残にひしゃげ、無理な力が掛かったのか蝶番が外れ、轟音を立てて倒れた。

 

 

 

 時は僅かに遡り、彼女らが魔都を囲う城壁の一箇所、侵入経路として指示されていた城門に到着したときのことである。

 遠目にはよく判らなかったが、近くに来てみれば城壁も城門もかなり巨大なものであり、どう侵入するかを3人はそれぞれ考えていた。

 

「……やはり、城門の一部に穴を開けて侵入というのが良いと思うのだけど」

「ですが、神代の城壁は見た目通りの防御力ではありません。門扉に沿うように斬撃を放ち、向こう側に存在するであろう閂もろとも両断するという手を取りたいところですが……」

「でも、それでは目立ちすぎるんじゃないかしら?閂が落ちても結構な音が鳴るでしょうし、この城門が開いたら遠目にも見つかりそうなものだけど……」

「確かにそうかも知れませんが、穴を開けるような手段を用いたらそれはそれで結構目立つことになるでしょうし、それなら簡便な手段の方が……」

 

 あれやこれやと門前で話すマリアとベディヴィエール。

 なるべくなら確実な手段を取りたい。そんな思いが一致していたため、2人はどうにか妥協点を模索していた。

 

 で、その話し合いに口を出していなかったのが響である。

 別に話から締め出されていたわけではなく、彼女はまず門がどんなもんかを確かめるために2人の元を離れて門に触れたり小さくノックしたりと確認作業をしていたのだ。

 やがて門の強度やらが何となくわかったところで、響は2人がまだ話し合いをしていることに気づいて駆け寄った。

 

「マリアさん、ベディヴィエールさんッ!あの、思いついたことがあるのでやってみてもいいですかッ!」

「……思いついたこと?」

 

 響の様子に眉根を寄せるマリア。

 何となくだがろくなことじゃない気がするものの、かと言って2人がうまいこと案をまとめられるかと言うとなかなか難しい状況であった。

 

「良いのではないでしょうか?正直なところ、我々の話し合いも妥協点が見いだせないところでしたので……」

 

 ベディヴィエールは響に賛意を示す。

 結局双方の主張は別にどちらも間違っているわけではないので、あとはどちらが納得するか、に終始する状況であった。

 だがそこに巡り合わせの悪さがあったか、マリアはこの世界にきて以降戦闘をして居ないことが災いして魔術界隈に対する実感を持てず、同時にベディヴィエールはマリアのギアの限界に対する実力を測りそこねていた。

 詰まる所、マリアは神代の城壁の強度がどれほどのものかは知らないし、ベディヴィエールはマリアのギアの斬撃の鋭さを知らない。そんな認識の差は言葉で語っただけではどうにも埋めがたいのは致し方ないことではあるが、かといってそれで無闇に妥協することが出来ない程度にはお互い真剣に考えていたのである。

 

 そんな状況で出たのが、響が城門突破の策がある、という発言である。

 

 ベディヴィエールは響となら共闘しているので、その力について感覚的にも理論的にも理解できている。だからこそ賛意を示した。

 対してマリアは、戦闘感に優れている響なら戦闘経験のある魔術やら神秘やらに対して一定の有効策を出せるだろうと踏んではいたものの、響に任せて大丈夫なのだろうかと僅かに口を閉じる。

 

「……そうね、頼めるかしら」

 

 しかし、結果としてマリアは響の案に乗ることにした。不安はあるが、それでも彼女は見た目ほど考えなしではない。これ以上話し合いをして時間を消費するくらいならいっそ、という思いもあってのことだろうが。

 

 

 彼女らの不幸は大別して3つ。

 

 まず1つ目は、響は「門から侵入する」という話しか聞いていなかったこと。

 響は2人の話し合いが始まる前に、先んじて門について調査に出向いてた。その行動力は褒めるべきであり、別に間違ったことではないが、結果として話し合いを聞いていなかったのである。

 マリアとベディヴィエールは門からの侵入を隠密行動として捉えており、そしてそのことを当然響も知っているものと勘違いしていた。

 

 2つ目は、ガングニールの突破力と響の力量、そして何より彼女が誰から教えを請うたのかを軽視していたことに尽きた。

 平時ならマリアも見逃さなかっただろうが、そこそこ熱量入れて議論していた彼女は、その時点で問題に目を向けるだけの余裕がなかったのである。

 

 そして最後、それら全てより致命的であろう3つ目は────響に教えを授けた誰かさんが、先程盛大に響に発破をかけていたということに他ならない。そういう意味の発破をかけたわけではないだろうが。

 

 

 その結果──。

 

 

「はぁあああああ───ッ!」

 

 立花響のアームドギア、なんて呼称されるシンフォギア・ガングニールのナックルパーツが肥大化し、内部シリンダーパーツが回転することで拳を極限まで安定させるであろう強力なジャイロ効果が発揮される。

 拳から肘にかけて構成された推進機関はエネルギー噴出直前でチャージしてますと言わんばかりに煌々と輝き始め、響の構えと合わせまさしく一撃必倒と言わんばかりの気迫を感じさせる。

 

「今こそ必殺、師匠から教わった対・城門奥義ッ!」

 

 丹田に溜まった気を爆発させるように、辺りに響く大声で叫ぶ。もうこの時点で隠密がどうという問題ではない。

 

「────って、ちょっと待ちなさいッ!」

 

 そのセリフで漸くマリアが嫌な予感の正体に気づいて、慌てて声を掛けるも時既に遅く。

 ヒールが無いベタ踏みの足から、大地を支えに剛拳を振るうその姿は正しく一本の槍のようであり──。

 

 

「我流・猛虎──硬爬山ッ!」

 

 

 ──力強い掛け声とともに、右拳の一打目にして盛大に城門を吹き飛ばす。連携の初打がそのまま必殺の一撃となったその業前は、正しく李氏八極の開祖を思わせる『无二打』と言えるものだった。

 

 

 

 

 ……以上が、彼女らの魔都侵入の顛末である。

 

「あ、あれ……私、もしかしてやっちゃいました?」

 

 ドヤ顔していた響は、頭を抱えるマリアを見て今更ながらにポツリと呟く。その内心を一言で言うなら「やばい」としか表せまい。

 

「……シンフォギアは凄まじい膂力を発揮できるのですね。それに響さんの技量もかなりのものと見ました」

 

 僅かに落ち着いたベディヴィエールがフォロー気味に呟くも、己がやらかしたことを自覚した響はあははと苦笑いするしか無い。

 実際、古代の城壁──それも神代のソレを(正確には城壁ではなく城門相手とは言え)拳の一打でふっ飛ばすのは並大抵の宝具では不可能である。最低でも対軍、できれば対城くらいの武装が必要となる一種の到達点のようなものだ。

 だがしかし、隙を晒してしまう程度にという前提こそあるものの、力を溜められるのであれば立花響の拳は山をも搗ち上げる。戦闘中には難しいが、今回の場面のように敵対者が出てこない状況では彼女の拳が貫けないものはほぼ存在しないのである。

 

 自分たちが悩んでいたのは何だったのかと溜息を吐くマリアだったが、しかしそこは熟練の戦士。

 即座に気を取り直してギアを構える。

 

「──よし。過ぎたことを嘆くより前を向きましょう。ええ、むしろ分かりやすくなったわッ!」

「?よくわかりませんけど、大丈夫なんですね!じゃあ──行きますッ!」

 

 気合十分とばかりに、魔都の内部、神代の世界へとためらいなく身を投げ出す2人。

 そんな彼女らの姿を見ていたベディヴィエールは僅かに瞠目し、ついで破顔する。

 

「……はは、なんとも頼もしい限りだ。──なら、私も騎士として、サーヴァントとしてやるべき使命を果たすまで!」

 

 少女と呼べる年齢の彼女たちの勇壮な姿に負けじと、円卓の騎士たるベディヴィエールは流星のごとく敵陣深くへと切り込んだ。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 そんな3人を見据える視線が、ひとつ。

 魔都に踏み込んだ3人は気づくことはなかったが、視線の主は彼女らが門を砕く前からその動向を伺っていた。

 そう、門を砕く前──彼女らが転移し、魔都を一望したその時より、ソレは3人を観察していた。

 

「……雑兵での迎撃は悪手……ではないが、道理に悖る。迎撃せよ、守護石兵。兵はドルイドを護れ、必要なら雑音共を盾にせよ」

 

 魔都の中央、周りの様式と著しく乖離した風合いの建物にソレはいた。

 本来ならこの国にあっては風情あると評されたであろう美しい庭園も、上空に飛竜が居ては台無しとしか言えない。

 そんな和風様式の庭園に不調法に設置された巨岩の上、そこにどかりと座り込み指示を出すその声は、口調とは裏腹に鈴の鳴るようななどと形容できる少女のソレであった。

 

 一体どうやってから3人を見透しているのかは不明だが、姿見えぬほどの彼方にもかかわらず彼女は間違いなく状況を把握していた。

 

「……懐かしい、古き神秘だ。察するにあの騎士のものか。そして女戦士は……ああ、あれらも十分か、わざわざ銀腕を掲げるとはご苦労なものだ」

 

 そう喋る声には自嘲しているかのような声音が混じっており、不愉快というわけではないだろうがどうにも不可解とでも思っているようであった。

 彼女は3人への視線を切り、自身の腕を……まるで妖精であると言わんばかりの柔らかな曲線で形作られた銀の籠手をつけた少女の腕を見やる。

 

「まあ、そういう意味ではこれも、か。全く馬鹿らしい、この様な不具を今再び晒さなくてはならんとは」

 

 その言葉もやはり苦笑交じりであり、どうやら本気で己の……否、己ならざる己の腕に呆れの感情を向けていた。

 

「…………。ああ、まあいい。どちらにせよ、私は見極めるだけのことだ」

 

 僅かに沈黙した彼女は、それだけ呟き視線を屋敷を囲う塀の外の3人へと戻す。

 遥か向こう側を見通すのは、瞼に仄光る軟膏を塗られたパチリとした紅眼である。

 見えないものを見通すもの──本来ならば浄眼のような役割を擬似的に果たすドルイドの秘薬も、神代の神秘に浸ったソレからすれば僅かに構成を変えるだけで遠視魔術のための薬品へと変じさせることは容易だった。

 

 視線の先に映る3人は、彼女の指示を受けて戦いに赴いた守護石兵を殴り倒し、デモノイズを切り裂き、ケルト兵を打ち払う。

 少女2人はケルト兵を殺さぬように進んでいるらしく、騎士はその意向を汲んでいるのか光り輝く銀の腕を使わず剣の柄で昏倒させていた。

 どうやら人を殺すことを好まぬらしく、昏倒したケルト兵は3人の攻撃射程外にいたドルイドの魔術で直ぐ様戦場へと復帰している。

 そのままではジリ貧は確実だろうに戦い方を曲げない彼女たちを、ソレはただ見つめていた。

 

「ふ、ん……甘いか、優しいか。殺しに来る敵を殺さずに止めようとするのは、あるいは強さ故か。──だが、悪くはない。こうでなくては張り合いがあるまい」

 

 そう呟くソレは可愛らしい顔を凶悪に歪ませ、犬歯を剥き出してニヤリと笑う。

 目線は件の3人を捉えて離さず、口元さえ見なければ憧憬ともとれる表情を浮かべていた。

 

「……?ああ、まったく、独り言が増えてるのはどうかというものか。だが、それでも期待は抑えられないさ」

 

 と、ふと我に返ったのかソレの表情が少女の顔へと戻る。誰かに答えているのか、あるいは自分に答えているのか、言い訳のような言葉が一人しか居ない空間に沁みる。

 感情を隠すつもりはないらしく、その身体は上機嫌そうにリズムを刻んでいる。身体に合わせたスーツ状の軽鎧に付いた、ふわふわとした妖精の羽のような飾りもまた、彼女の刻むリズムに合わせゆらゆらと揺れている。

 

「早く来てもらわねばな、私がこの様な無様に耐えていることに報いてもらいたいものだ」

 

 ふふふ、と呟く少女の声。誰が聞いているでもないだろうに、己しか居ない空間で一人飽きずに話し続ける。

 その声音は先の言の通り、何かを心待ちにしていることを隠しもしていない。

 

「さあ、来るがいい。その不出来な銀腕で戦えるのか、精々眺めさせてもらうことにしよう」

 

 そう呟く少女の姿をしたソレの右腕──幻想的な腕甲の下にある真に輝く銀の腕が、まるで主の言葉に呼応するかのようにキラリと輝いた。



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第8節 基礎の座I:魔都イェソド(2)

「マリアさんッ!ス……スプ……、えっと、石の巨人きますッ!」

「スプリガンかッ!こ……のッ!」

 

 ベディヴィエールから教えてもらった名前もうろ覚えに、注意がマリアに飛ぶ。

 その声と共に己が身に降る陽光が翳ったことで、マリアは即座に至近に迫る岩の巨体へと向き直った。

 迫る岩の足は太さだけで彼女の身丈を上回っており、踏み潰されれば赤い押し花が出来るであろう。そんな巨躯を相手に、マリアは間髪入れずに逆手に握った銀剣で両断し、刃を返しついでとばかりに上空に迫る飛竜の翼を切り裂き地に落とす。

 

 大地に落ちた飛竜、その翼の切り落とされた前肢からは血が溢れ出し、大地を赤く染める。飛竜はもがき苦しむも、やがて息絶えたのか動きを止めた。

 

「……ッ!」

 

 そのあまりに生々しい「生命が失われる」光景に、「生命を奪った」自分に対し僅かに眉を顰めたマリアは、しかしやるべきことのために、と目線を戻し依然迫ってくる怪物共を迎撃していく。

 死して間も無く現実への軛を失い、大源(マナ)へと還りゆく幻想の獣たる彼らだからこそ、マリアも、そして響も己の成したことに対する罪悪感をあまり覚えなかったことが救いだったと言えるだろう。

 

「せい!はぁっ!」

 

 一方、そこら辺に頓着せずに普通に斬り殺し、打ち倒すのはベディヴィエールである。

 未だ幻想醒めやらぬ古きブリテンにて生を謳歌した彼にとって、幻想種といえどもぶっちゃけ害獣のようなもの。勝てるなら狩って殺すことになんの躊躇もなかった。

 

 とはいえ、そんな彼だとて気が鈍いというわけではなく、むしろ気遣いに優れる人格者であり。

 

「ふぅ、一息つけそうですが……。やはり、おふたりは厳しいですか?」

 

 城門をこじ開けて直ぐに始まった、近辺の怪物たちとの戦い。それに一段落ついたため、3人は現況のまとめも兼ねて一旦足を止めていた。

 

 ベディヴィエールは先の戦いでの彼女たちの挙動の僅かなぎこちなさを見抜いており、ためらいがちに、だがハッキリと2人に指摘した。

 彼女たちは言われるまでもなくその点は自覚していたようで、気まずそうに目を逸す。

 

「ベディヴィエールさん……。……出来ない、わけじゃないですけど、やっぱりちょっとためらっちゃって……」

「ええ、やはり慣れるものではないわ」

 

 2人の言葉に、でしょうねと苦笑するベディヴィエール。

 彼女たちは戦士だが、それ以前に少女である。女として扱われることを望まぬ戦士や騎士という古く居るであろう手合ならいざしらず、彼女たちはそうではない。

 少女として、この時代の若者として当然の価値観を持ちながら、それでも誰かを守らんとする善き意志を胸に戦場に身を投じたのが彼女たちシンフォギアの装者である。

 もちろんそれぞれで覚悟の程に差はあるだろうが、それでも生命を奪うことを良しとするような装者は誰ひとりとして居ないことはベディヴィエールとてよく知っていた。

 

『…………済まない。俺たちがそちらに向かえれば良かったのだろうが……』

「ぅえっ!?い、いえいえ、大丈夫ですよ師匠!平気、へっちゃらです!」

『……そうか、そうだな』

 

 グッと小さくガッツポーズを決め、大丈夫だとアピールする響。

 本心からそう言っているのかどうかまではともかく、響が吐いた言葉を信じるより他にないという現状に弦十郎は忸怩たる思いを抱えていた。

 

「……、大丈夫よ。生き物って言ってもあからさまに怪物なのだもの。やらなきゃやられるのはこっちだし、ネフィリム宜しくファンタジーに両足突っ込んだような生き物なら逆に罪悪感も薄れるわ」

 

 マリアが響の言葉を補強するように言葉を重ねる。

 たとえ血を出すとは言え、倒せばすぐに消滅する怪物だ。であれば手に掛ける嫌悪感だって無視できる、十分に戦えるのだとそう言い募る。

 

「……そうですか。いえ、それならばいいでしょう。ですが──」

 

 ベディヴィエールは言葉を途中で止め、前方を見据える。

 それを一瞬怪訝に思った2人だが、異様なほど美しい音色がその耳に届いた瞬間、弾かれるように顔を音の聞こえる方へと向けた。

 

「──デモノイズッ!っと、それに──」

「……あれは、いえ、彼らは……?」

 

 デモノイズ、指揮者デモノイズではなくそれが召喚する小型──楽団デモノイズとでも呼称すべきそれらが、隊列を組んでこちらへと向かってきている。

 そして、それを指揮しているのはおぞましい柱状の指揮者デモノイズではなく、どう見ても人間にしか見えない者たちであった。

 

 ベディヴィエールはその姿を確認し、露骨に顔を歪ませる。

 

「──ケルト兵。この統率の取れた動きから察するに──眷属の類か!」

 

 そう呟き、目前の人間らしき彼らに向けて刃を翳す。

 そんなベディヴィエールに慌てたのは響である。

 

「って、ベディヴィエールさんッ!?相手は人間ですよッ!?」

「っ、立花さん!彼らは人間ではありません──いえ、人間と同じ生命構造ではありますが──ッ!」

 

 言葉の途中で、ベディヴィエールが剣を振るう。唐突な行為に響が目を白黒させる間もなく、キィンという快音が辺りに響いた。

 

「これはッ!?──弓ッ!?」

 

 マリアが驚愕する。相手の(ベディヴィエール曰く)ケルト兵と呼ばれる彼らの武装は、弓、剣、そしてローブを着た者は杖と正しく古代や神話からそっくり抜け出てきたかのような出で立ちをしていた。

 そして彼女らが何らかの行動を起こす間もなく先手で攻撃を仕掛けてきたのだが、驚愕すべきはその攻撃速度。

 

 通常の弓なら、響が気づかない訳がない。彼女は正面を見据えれば戦車砲だって迎撃できるし、加速前なら噴進弾とて無手で投げ飛ばす。

 そんな彼女が(ベディヴィエールに注視していたとはいえ)気づかないとなれば、たかが矢がそれだけの速度を発揮していたということにほかならない。

 咄嗟に気づいたベディヴィエールが迎撃しなければ、ともすれば直撃し、当たりどころが悪ければ昏倒していたかもしれない。そう思えば、響は無意識に身を固くした。

 

「ッ、サーヴァント……?」

 

 恐る恐る呟く響に、しかしベディヴィエールは首を横に振って答える。

 

「そうではありません。女王メイヴの配下であればここまで統率は取れないでしょうから、恐らくは神霊規模の疑似サーヴァント、守護天の眷属です。弱いサーヴァント未満、兵士の概念を持った魔力構造体と考えていただければ」

 

 ベディヴィエールの言葉に響が改めて見直せば、確かに剣兵は剣兵の姿、弓兵は弓兵の姿と統一されている。個人差なんて欠片も見受けられないその姿を認識してしまえば、それらが人間であるとはとても思えない。思えないが──。

 

「────」

「……では、ケルト兵は昏倒させて回りましょう。そうですね……ドルイドを優先的に気絶させれば、覚醒の魔術を行使できない以上、進軍は遅くなるはずです。ああ、デモノイズは破壊したほうがいいでしょうが」

「すみません……」

 

 押し黙った響とマリアに、ベディヴィエールが代案を提示する。

 スプリガンやワイバーン、その他幻想種にデモノイズは撃破し、ケルト兵は気絶させる。彼女らの精神的な面を考えればその方がいいだろうというベディヴィエールの言葉に、2人は申し訳なさそうに頷いた。

 そんな2人に、ベディヴィエールは微笑む。

 

「……今を謳歌する貴女たちが、生命を奪えないというのは当然だ。それは何処までも、永遠と宝とすべき尊き考えです」

「ベディヴィエール卿……」

 

 古代を生きた騎士、生命の遥かに軽かった時代に武を揮った彼の意外な言葉に、マリアが感動とも困惑とも取れる声を漏らす。

 ベディヴィエールは全く本心を語っていた。当たり前だ、命を奪わずに済むならそれに越したことはない。それが出来なかった彼だからこそ、それが出来るはずである彼女たちの思いを尊重したかった。

 

「何より、そんな貴女達の当たり前を護れずに円卓を名乗るなどと──そんな恥知らずな真似、この私には到底出来ませんとも」

 

 ウィンク混じりに告げたその言葉。その中に一片の虚偽すらも含まれていないことは2人には容易に理解できた。

 彼は、円卓の騎士ベディヴィエールは。己の中に守護の誓約を打ち立てたのだ──共に戦う心優しき少女たちの、今を生きる誇りを失わせないのだと。

 

 ぽかん、とした表情を浮かべていた響だったが、すぐに顔に満面の笑みを浮かべた。

 

「──ありがとうございますッ!」

 

 大声でそう告げ、腕をブンブン振るって戦闘姿勢に入る響。

 その様子を見ながら、マリアも笑みを浮かべてベディヴィエールに向き直る。

 

「そうね、ありがとう。円卓の騎士様、頼りにさせてもらうわね」

「それは勿論。トリスタンやランスロット卿ではありませんが、婦女子に頼られるのは騎士の本懐ですから」

「……そ、そう、かしら」

 

 さらりとそう告げるベディヴィエールに驚くマリア。

 気障な台詞に気恥ずかしさから己の頬が赤くなるのを自覚したマリアは、接敵の間際だと言うのに何を言っているんだろうかと恥ずかしさを誤魔化すために正面に向き直る。と、そこでふと視界の端に入ったベディヴィエールの横顔を見て気づいた。

 

(って……彼も慣れてないのね、こういうことするの)

 

 どうやら彼も気恥ずかしかったのか、前を向くベディヴィエールの頬はほんのり赤く染まっており、それをみたマリアは小さく吹き出した。

 

 

 

 

 そんな騎士道的なやり取りがあった時から1時間。

 

 風鳴邸の魔都攻略に赴いた3人は、目的地である風鳴邸への道程のおよそ5割程度を踏破していた。

 

「……こうなると、クリスちゃんが居たほうが良かったかも……」

「ミサイル乗り?ワイバーンに撃墜されるか、でなくてもワイバーンに当たって空の藻屑に消えそうだわ」

 

 響とマリアがぼやきつつ、目前に現れたケルト兵を最低限だけ手早くノックアウトさせつつ、その間をすり抜けるように駆け抜ける。

 城門近辺と比較して明らかに石造りの建物が増えてきており、丘の上から眺めた地形図と大雑把に整合させることで、彼女たちはおおよその現在地を理解していた。

 ……つまり、時間の割に全然進んでいないという事実である。

 

「確かに結構広かったですけど、大体が原っぱだからまっすぐ行けばすぐだー!……なーんて思ってたんですけどね……」

 

 響の悲しげなつぶやきがだだっ広い草原に響く。

 シンフォギア装者たる響にマリア、サーヴァントであるベディヴィエールは常人を遥かに凌駕する巡航速度を持っている。

 瞬間的な速度ならみなそれぞれ得手不得手もあろうが、少なくともまっすぐ駆け続けるというだけなら総じて自動車なんて目じゃないスピードで走り抜けられる。

 

 平時なら戦場が市街地であることや疲労を考えて其処までの速度を出すことはないが、相手の領域である障害物の少ない草原であれば問題ないだろう……と考えていたのだが。

 結果として、彼女たちは想定にかなり足りない距離の移動しか出来ていなかった。

 

「……どうにも、敵の行動が的確に過ぎますね。散発的な襲撃をかけてくるワイバーンはともかく、スプリガンとケルト兵、そしてデモノイズの動きは明らかに組織的だ」

 

 ベディヴィエールの言う通り、この結果に陥った原因は明確。

 その外見とは裏腹に、正しく軍団と呼べるほどに秩序だった敵方の連携に手を焼いていたのである。

 

「……ベディヴィエール卿の言葉が真実なら、本来ここまでではない連中を統率している輩がいるってことね」

「それって、やっぱり守護天なんですよね?ってことは、えーっと……軍神?説が濃厚になってる感じでしょうか!?」

 

 マリアと響の言葉に、ベディヴィエールは頷く。響が理解度が浅そうなのは愛嬌であろう。

 

「ええ。スプリガンをも統率できるとなれば、やはり相応の神格である可能性が高い。……まあ、スプリガンが原義の意味でスプリガンであれば逆に従わないかもしれませんが……」

『原義的に……か。確かスプリガンというものは、戦いで殺されたというコーンウォールの巨人の亡霊であるというのが元の伝承だったか?』

 

 確かにそれなら、守護天がヌァザとするなら巨人とは敵対関係と言えるので従うことはないだろう。

 最も、そもそもここに出現するスプリガンは原義的な意味でのそれらではない。あくまで遺跡を守る精霊、妖精の守護者としての存在に類する霊的存在系のエネミーをカルデアが総称してスプリガンと命名しているだけである。

 

 と、そこら辺の話を聞いていたところで、響がなにか疑問が浮かんだのか首を傾げる。

 

「……今更なんですけど、ここって遺跡なんですか?というか、そもそもこの魔都の……えっと、神代で上書きしてるんでしたっけ。それってどういうことなんですか?」

『それについては、カルデアからの話を聞いています。空間領域の3次元的な書き換え──いえ、むしろマクロスケールで見た地表平面、二次元的な平面世界のテクスチャの上書きということでしょうか。時代に合わせて世界を再構築するとか、過去の時代の空間と領域を置換するのではなく……。そう、既存の世界を一枚平面と見た時にその世界をそのままに新たな世界を重ねて、そこにあるモノを生物非生物問わずにシフトさせて……』

「……言ってること、全然判んないよぅ……」

 

 カルデアから伝えられた神の時代による上書き。どういった原理で世界が変化しているのかをエルフナインは推測していたが、最初の当たりで響は白旗を挙げた。

 

「とりあえず、これって守護天を撃破すれば元に戻るのかしら?」

「こういった時代の顕現というのはサーヴァント自体が核となる場合もあれば、そのサーヴァントの持つ宝具などが核である場合もあります。どちらにせよ守護天を撃破すれば元に戻る公算は十分かと」

 

 ベディヴィエールが向かってくるワイバーンを切り捨てながらそう話す。

 当該事象のうちカルデアに記録されているものでは、前者には第6特異点で古代エジプトを領民ごと持ってきたファラオ・オジマンディアスが、後者には第7特異点で対峙した女神ケツァル・コアトルが該当する。

 両者ともに強大無比なサーヴァントであり、また時代や地域と極めて縁深い神秘を抱えた存在である。逆に言うなら、その規模のサーヴァントでなければ神代の顕現と言った無茶は出来ないのだが。

 

『それに、こういった時代の上書きはあくまで上から別世界を被せているようなものとのことですので、この状態さえ元に戻せれば本来の住人も元通りになるかと思われます』

「!ってことは、守護天を撃破すれば全部元通りってことでいいんだねッ!」

『はい、おそらくは』

 

 現状を端的に理解した響が、パッと笑顔を浮かべる。

 魔都の住人がどうなったのか、というのは彼女がここまで戦った中でどうしても気になっていたことであった。

 彼女の親友である小日向未来を始めとするリディアンの友人たちはシェルターへ避難を余儀なくされていたが、それでも彼女らは魔都の傍であり魔都の中ではない。新宿の魔都に住んでいたであろう人々は、そのすべてが炭に還されていた。

 

 そんな中でのこの魔都である。もしも、元の住人たちがそのままに神代の怪物たちが出現したのだとなれば、その被害は新宿のそれと同様──否、相手が生物であるが故の残酷さ、生々しさの残る惨劇が繰り広げられていた可能性すらあった。

 が、もしこの神代が魔都と同時に展開されたのであれば話が変わる。話を纏めれば、元の住人は神代の展開と同時に神代を被せた下(響の認識では、だが)に行ってしまっただけであり、死んだわけではない。魔都が開放され神代の領域が消滅すれば元通りになるとすれば、この魔都による犠牲が事実上ゼロとなるということだ。

 そこまでうまくいくかはわからないにしろ、響のやる気がグッと上昇するのも無理らしからぬことであろう。

 

 そんなテンションの上がった響だからだろう、次のようなことを口走ったのは。

 

「まるで、守護天さんが魔都のみんなを助けてくれたみたいだねッ!話せば分かってくれるかもッ!」

「────!」

 

 ベディヴィエールが驚きの表情を浮かべる。

 勿論、響がそんなことを信じていることに驚いたのではない。──現状を照らし合わせると、それも有り得るということに気づいたからだ。

 

(……確か、魔都の守護天のうち一人はウェルキンゲトリクスという男、もうひとりは戦乙女。そしてここにいる守護天はその2名以外であり、ウェルキンゲトリクスの言動を思い返せば──)

「ベディヴィエールさん?」

「どうしたの?……って、もしかして……」

 

 突然驚いたかと思えば黙り込んだベディヴィエールに響とマリアは怪訝な顔を浮かべたが、すぐにマリアも同じ事に気づいたのか同様に考え始める。

 

「──これは、確認しなければならないことが増えましたね」

「……そうね」

 

 ベディヴィエールはマリアと頷きあう。

 それを眺めていた響は、どうにも2人に取り残されてしまい、未だに頭上に疑問符を浮かべていた。

 

「えっと……その、どういうことなんです?」

「相手のスタンスのこと。案外貴女の言葉が的を得ているかもしれないってことよ」

「そうなんですかッ!?じゃあ最速ダッシュで行きましょうッ!」

 

 マリアが自分の考えに意外と肯定的であったことに驚きつつ、それならばと笑顔で走り出す。やる気増し増しな響の前に、スプリガンやらワイバーンやらは悉く撃破されていき、正に無人の野(厳密には敵は全部人外だが)を進むが如しであった。

 そんな彼女を苦笑しながら2人は追いかけ……その中で、ベディヴィエールは向かい来るケルト兵を器用に昏倒させつつ、響の言葉の通りに行くだろうかと考えを巡らせる。

 

(果たして、守護天は其処まで甘い存在だろうか。……いや、既に敵軍と戦闘状態にある以上、やはり戦闘が起こることを前提とすべきだ)

 

 ベディヴィエールは僅かな思考時間でそう断定する。

 そもそも敵対する気がないならここまで兵力をぶつけるわけがない。それも3人の進行方向に合わせてきっちり波状攻撃を仕掛ける徹底振りである。

 ここまで正確に攻撃してくる以上、相手方が3人に気づいていないなんてことはまずありえない。こちらが何者か理解して攻撃している──つまり、明確に敵対意思を示すものであるとベディヴィエールは判断していた。

 

(神霊の判断基準や感情表現は人間のそれとは全く異なる。相手が何を考えているにせよ、衝突は避けられないと見るしかないか)

 

 むしろぶつかることが確定していたほうがわかり易いまである、と口に出さず己の思考に区切りをつけるベディヴィエール。

 話し合えそうだと無邪気に喜ぶ響の背を見て、彼は小さく、しかし重い溜息を吐いた。

 

 

「……見えたッ、あれだッ!」

 

 それからなおも突き進んで暫し。

 入り組み始めた太古の町並みを抜けた彼女ら3人は魔都の中枢、風鳴邸が目視できる地点まで来ていた。

 

「うわあ、なんか周りとのミスマッチが酷いッ!」

 

 響が思わずとばかりにそう口に出す。残り2人は言葉にこそしなかったが、響の言葉に内心大いに同意していた。

 古代ケルトの石造りの簡素な建物に青々とした草原という如何にも神話らしい光景のど真ん中に、それはそれは立派な門構えの日本家屋が堂々と建っているのだ。響でなくとも突っ込みたくなるというものだろう。

 

「全く、そういうことは思っても言わないことよ。といっても、誰が聞くでもないでしょうけど」

 

 マリアは響を嗜めつつ、風鳴邸の門の前に立つ。

 そのまま取っ手に手をかけ、すぐに隣に並び立った2人にアイコンタクトで門を開けることを告げる。

 

「…………」

 

 その目線に2人が頷き返したことで、マリアは勢いよく門を押し開け──。

 

 

「……ほう、来たか。歓迎するぞ、来寇者共よ」

 

 

 鈴の鳴るような声が、3人の耳に届く。

 およそローティーン程度であろう少女の声、しかしその声音に反した尊大な口ぶりがアンバランスさを醸し出している。

 門を開けた正面から見て右手、嘗てはレイラインを整えるための要石を祀っていたそこに一人の少女が座り込んでいた。

 

「この、声は……」

 

 マリアはその声に聞き覚えがあった。まさか、という思いとやはり、という考えが思考に湧き出し、若干混乱しつつもそちらに向き直る。

 

 透き通った声に違わぬ、響たちと比較して尚も年若い姿。やや薄い褐色の髪は見ようによっては薄赤ともとれる色合いであり、その瞳は視線を合わせるマリアの碧眼とは異なる真紅を浮かべている。

 

「……どうした?そんな不出来の顕れの如き銀腕をわざわざ携えて、我が都へと押し入り。あまつさえ私を前に口を閉じることすらも忘れるとは」

 

 不審に思った……ということではあるまい。その少女は愉悦とも嘲りとも取れる笑みを浮かべ、マリアへと語りかける。

 

「あの姿……なんでッ!?」

「?あの依代の少女をご存知なのですか?」

「う、うん……あの子は……」

 

 目前の少女について見覚えがあった響は、唖然としたマリアに変わってというわけでもないが、彼女についてベディヴィエールに話していく。

 S.O.N.G.の資料などで目にした、既に亡き少女。とある平行世界では生存が確認されたりもしているが、しかし目前の彼女とは全く印象が異なること。

 

 そして──。

 

 

「──セレナッ!?」

 

 

 ──依代となった少女、その名前はセレナ・カデンツァヴナ・イヴ。何より、マリア・カデンツァヴナ・イヴの妹である。

 

 

 マリアの狼狽ぶりに、さも今気づいたかのようにセレナを依代とする守護天が驚きの表情を見せる。

 

「ほう?ああ、そうか。成程、依代の関係者か。ふんふん、道理でな……」

 

 感心しているような素振りを見せつつも、その笑みは変わっていない。その態度は2人の間柄について既知であることを如実に示しており、もっと言えばあからさまにマリアを煽っていた。

 

「そうだな。であれば、妹思いであるらしい人の子に1つ真実を告げておこう。──この依代、セレナ・カデンツァヴナ・イヴか。私という高位霊体の媒介となっている以上、長くは持たんぞ?」

「────ッ!?」

 

 慈悲を示してやろう、そうわざとらしく態度に出した守護天が口にした言葉は、マリアの表情を強張らせた。

 セレナの名前を知っていることといいマリアの関係性を知っていることといい、先の発言が茶番であることを隠しもしないが、最早それもマリアの耳には入らない。

 

 そういった些事を吹き飛ばすだけの内容を守護天が告げたことに、言葉を失ったマリアの代わりに反駁したのは、疑似サーヴァントについても知識を持つベディヴィエールだった。

 

「何を……器を失えば消えるのは貴方自身だろう、神でありながら言を弄するか!」

「私が弄舌だと?ふん、依代に迎合する様に呼び出されている連中ならいざしらず、私は依代に頓着などしていない。魔神に召喚される際に、現世の器として用意されたものを乱雑に扱っているだけだ」

 

 ベディヴィエールの憤る声を受け、守護天は嘲りの表情を止め冷めた目線を向ける。

 

「──そも、私が魔神に反抗していたことは水底の守護天から聞いているだろうに。あれの思い通りに、いつまでも現世にしがみつくと思うか?この様な脆い器を蝶よ花よと扱うよりも、乱雑に扱い砕いたほうが早いと思わんか?」

 

 その右手に付く銀光きらめく義腕を物憂げに眺め、やれやれと呆れたようにため息を吐きながら続けられた言葉にマリアは激昂した

 

「貴様──貴様ッ!!妹を、セレナを──ッ!」

「落ち着いて、マリアさん……ッ!」

 

 普段のマリアの印象を全く狂わせるほどの激昂に、響が堪らず声を投げかける。

 マリアが怒るのも無理はない。マリアにとって、セレナ・カデンツァヴナ・イヴとはそれほどまでに大切な存在なのだ。

 

「逆さ鱗に触れたようだな、銀腕を継ぐ者よ。なればどうする、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。貴様がこの器を助けんと希うなら、どうするのだ?」

「あなたは……」

 

 マリアの様子に、今までの調子を一転させた守護天がただ問いかける。

 少女の姿の、神を名乗る者。今までの蛮性に満ちた姿はそこに見いだせず、その紅い瞳を見た響は、やはり彼女は何か事情があるのではと口を開く。

 

「──そんなの、決まっている。貴方を倒す。倒して、セレナを返してもらうッ!」

 

 だが、その言葉は繋がらない。マリアの怒りに満ちた声に、思わず響は口を噤んでしまった。

 

『落ち着けマリアくん、守護天を撃破してもセレナくんが戻ってくるとは──』

「ふふ、面白い事を言う。私を倒して、依代を取り返すときたか。軍神であり、神々の指導者たる私を倒してか?──く、ふ、ハハハハハッ!」

 

 弦十郎がマリアを諌めようとするも、守護天たる少女の姿の神──軍神を名乗る彼女の呵々大笑が弦十郎の言葉を遮る。

 先程のように煽り嘲る様子ではなく、心底可笑しそうに笑う姿は外見には楽しげな少女にしか見えないだろう。

 

 やがて笑い終えた守護天は、目尻に浮かぶ笑い涙を指で拭い、ふぅと一息つくとマリアへと向き直った。

 

「そうだ、精々足掻いてみせろ。そうすればあるいは、願いも叶うかもしれんな」

 

 そう鼻で笑う。そこには最初の頃の嘲る様子が蘇っており、実に小憎たらしい。その整った顔も、歪んだ笑みから伝わる悪意を増幅させるだけだ。

 ましてマリアからすれば、大切な妹の顔でそんなふざけた表情を晒すのだから怒りも一入だ。

 

「……言ったわね。上等、吐いた唾は飲み込ませないわよ……ッ!」

「~~ッ!マリアさん、私手伝いますッ!セレナちゃんを助けて、そして──」

 

 事ここに至って戦闘は不可避だ、ということを響は理解した。

 もはや戦わずに事を収めることは出来ない。そう知ってしまった。

 

 

「──そして、教えてくださいッ!貴方の事をッ!貴方の思いをッ!」

 

「!君は……」

 

 魔都の主、守護天に向けられた響の大声に、マリアは怒りの感情を僅かに忘れ横に立つ響を見る。その顔はマリアも過去幾度となく見てきた。敵として、味方として、互いに分かり合うという理想を妥協なく掲げる少女の決意がそこにあった。

 

 戦わなければ、どうにもならない。──だとしても。

 たとえ戦うとしても、理解を諦めない。何がしたいのかを聞きたいのだという思いの丈をぶつける。

 お互いに理解することだけは絶対に諦めないのだと、響は神に向かってそう叫ぶ。

 

 呆然とするマリア。その前で、今度はベディヴィエールが口を開いた。

 

「──マリアさん。どこまでも沈着冷静であってこそ、かの神に抗する目が出てきます。怒りを抱くのはいいですが、怒りに呑まれないようにしてください」

「ベディヴィエール卿……」

 

 マリアに語りかけるベディヴィエールの声も表情も何処までも穏やかで、冷静なそれを保っている。

 だが、マリアにはそこに彼の思い遣りが隠れていることを肌で感じていた。

 

 怒りが潮を引くように失われていくのを感じる。根本的にはやはり怒りを感じているが、それは正当な分の怒りだ。妹の姿で、妹を人質に取る神に対する怒り。

 ……そう、人質だ。頭が冷えればマリアにだって理解が出来る。相手がわざわざ自分を怒らせ、言葉を遮り、双方の退路を断ってまで──敢えて戦おうとしていることぐらいは。

 何を考えているのかはまだ細かくはわからない。だが、かの守護天──魔神に抗わんとして、この魔都に封ぜられた神威の主は何かを自分たちに求めている。

 

「2人とも……ありがとう。──ええ、頭も冷えたわ。行くわよ──ヌァザ・アガートラーム。貴方の時代、この神代最期のステージの幕を切って落としてやるわッ!」

 

 戦う道は変わらない。だが、その胸に身を焼くほどの怒りはない。

 真の名を告げられた守護天──ヌァザは、面白そうに、にんまりと笑う。

 

「……ふふ、さあ──神に抗うがいいッ!」

 

 笑顔で告げ、神威を解き放つ。

 暴威を纏い巨岩の上に座す守護天は、初めてその顔に相応の表情を浮かべていた。



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第9節 栄光の座I:魔都ホド(1)

「ふ、フフフ……ハァーッハッハッハッ!ようこそ、僕の栄光を示すこの魔都へッ!君らが一人目のお客様だッ!」

 

 盛大に高笑いする1人の男。メガネを掛け、身体はやや貧相気味、目には知性と狂気が同居するその男を前に、クリスはげんなりとした表情を浮かべていた。

 

 クリスはここ──深淵の竜宮の魔都に来ることを選んでからこっち、色々がっくり来ることは多かったと自覚していた。していたが、その上で尚目前で高笑いする男はとびきりとしか言えなかった。

 横を見れば、自分とともに付き添いに来た英雄……イスラエルの王ダビデが驚きと興味、有り体に言えば変なのを見る目で目前の男……守護天を繁々と眺めていた。

 

(──判っちゃいたけど、判っちゃいたけどよ……ッ!これはあたしへの罰ゲームかッ!?)

 

 そもそもどうしてこんな事になっていたのだったか、クリスは思わず過去に記憶を飛ばしていた。

 

 

 

「っと、ここがウェルの野郎のいるっていう魔都か。……なんつーか、本当に深淵の竜宮が再建されてんだな」

 

 テレポートジェムで転移した直後、クリスがまっさきに抱いた感想がそれであった。

 深淵の竜宮は日本政府が主導となり危険な異端技術関係品を保管していた、いわば海底倉庫。収蔵物の危険性の高さと有用性の低さを考えれば倉庫というよりは廃棄所、隔離所の類だが。

 ここに収蔵されている異端技術品はどれも面倒で扱いに困るものばかりだったため基本はアンタッチャブルな場所ではあるのだが、キャロルにとって有用な物があったためにキャロルの起こした魔法少女事変の最中にここでも戦闘があり、結果として崩壊、海の藻屑となった……筈なのだが。

 

「キャロルの言うことが本当なら、ここは一度崩れていたってことだったっけ?いやあ、きれいに再建されているね!このスキルを生かして土建屋にでもなればいいのにねぇ」

『はいはい、馬鹿なことは言わない言わない。魔神の土建屋って、ソロモン王が使役していたことを考えればエルサレム神殿建てちゃうかもよ?』

「おっと前言撤回、土建屋だけは駄目だね、かなーり駄目だ」

 

 ははは、と笑いながら軽口を叩きあうダビデとダ・ヴィンチ。その様子を横目に見ながら、クリスは施設端末の電源を入れる。

 そのままカタカタとキー入力し、モニターに求めていたデータを映し出した。

 

「おい、ダビデのオッサン。あとダ・ヴィンチ……さん」

『ダ・ヴィンチちゃんと呼んでくれてもいいんだぜ?』

「うっせえ、いいからこいつを見てみろ」

 

 クリスの言葉にダビデがモニターを覗き込めば、そこに映っていたのは深淵の竜宮の平面地図だった。

 かなり細かく施設の情報が記載されており、隔壁や監視カメラ端末のデータを容易に確認できるようなインターフェイスであることが見て取れる。

 

「へぇ、ここまで詳細な施設マップがあると攻略が捗りそうだ。……で、これがどうしたんだい?」

『あ、ちょっとまった。あー、成程ね』

 

 ダビデが首を傾げたところで、データとして取得したマップを眺めていたダ・ヴィンチがあることに気づいてふんふんと頷く。

 

「うん?……あ、そういうことか。ははあ、こいつは驚いたね」

 

 どういうことかとダビデが問いかけようとしたところで、モニターの情報を理解したらしく納得の表情を見せる。

 同じ系統の世界出身のクリスやこういった技術に親しい技術系英霊のダ・ヴィンチとは違う筈なのだが、それでも即座に把握するところはダビデ王の面目躍如といったところだろう。

 

「……わかったか?ここ、ここ、そんでここに……。この部屋までの一本道、そこだけ御丁寧に隔壁を開いてやがるってことだ」

 

 クリスがモニターを指差しそう吐き捨てる。

 モニター上ではいくつかの隔壁のロックが既に解除されており、深淵の竜宮のとある一室まで向かう場合のみ障害がなくなっているということを示していた。

 ……有り体に言えば、ダビデとクリスを誘っていた。

 

「うーん、この露骨さ。あのウェル博士だっけか、かなりこう……自信家なのかな?いや、自己顕示欲が強いんだねこれは」

『だろうねぇ。いや、この露骨さはあれだよ、私も覚えがある。アレは自分の考えを──いや、自分の天才性を絶対的に信じてるタイプと見た』

 

 ダビデとダ・ヴィンチの評にクリスは頷けるところしかなかったが、同時にウェルがここまで堂々と自身を危険に晒すのは、矛盾しているが自分が安全であることを確信している時であることをクリスは知っていた。

 

「……つまり、ウェルの野郎はあたしとダビデのオッサンと喧嘩して負ける気しないってあたしらに言ってるってことだ。あの野郎にそこまでナメられてるのがムカつくッ!」

 

 苛立たしげに床に足を叩きつけるクリス。

 先の会戦では確かに相手の力量が嘗てない程になっており、彼女が過去に戦った面々とも引けを取らないだろうことは判っていた。だが、それでも腹が立つものは腹が立つ、そういうことだろう。

 そもそもクリスからすれば、ウェルという男は本人がひ弱だが、その貧弱さを種々の技術やその知性で補うことが面倒な手合という印象があった。

 ──それだけに、まさか堂々と自分への道を開いて挑発してくるという舐めきった態度を取られたことに、思いのほか頭にきていたのである。

 

「うーん、なんともはや。で、直接このルートを行くのかい?それとも罠を警戒して別ルートにする?」

「……ムカつくけど、あいつの誘ってるルートだな。わざわざ道開けてるのは腹立つが、これ見よがしに道作っておいて道中に罠を設置するようなやつじゃねーよ。罠を置くならそれらしく偽装ぐらいはする奴だからな」

 

 そこまで悪辣ではない、というよりもそこまで馬鹿な手段を取るような相手ではない。クリスの主張に、相手を知るクリスがそう言うならばとダビデは納得した。

 

 

 ……そして隔壁を開き、相手の示したルートに足を踏み入れれば。──そこには大量のデモノイズが犇めいていた。

 クリスは間髪入れずにギアを纏い、以前ここに来たときの反省から大型ミサイル以外のアームドギアを展開、一斉に薙ぎ払った。

 

「畜生ッ!あの野郎をちょっとでも信じたあたしが馬鹿だったッ!」

 

 盛大に悪態をつくクリスだが、ダビデは状況を確認し首を振る。

 

「いやまあ、どうにも罠と言うにはお粗末だ。単純にさっきの隔壁が魔都の境界だったってことの気がするなあ。ほら、デモノイズもいっぱいいるけど、吹弾器官を展開すらしてなかったし」

 

 ダビデの言葉に、クリスはそう言えばと思い返す。

 即座に吹き飛ばしたとは言え、そもそもデモノイズは吹弾機関を展開していなければアルカ・ノイズ以下の雑魚、通常のノイズとそう変わらない。

 待ち構えさせると言うなら、それこそ吹弾器官から即座に音楽を奏でられるように備えさせて然るべきだが、今のデモノイズはあの特徴的な金管楽器状の部位を表出させていなかった。

 

「……ってことは、魔都はどこもこんな感じってことか?」

『みたいだねー。他の魔都の報告も眺めてるけど、その行動の統率についての是非はともかく、どこもデモノイズはかなり密集してるみたいだ』

「そうかい。ウェルの野郎が統率も上手かって言えばそうでもないだろうが、かと言って全く動かせないわけでもないだろうし……」

 

 ウェルは生化学者としての専門分野では天賦の叡智を持ち、そうでない分野でも頭を使うものであれば大抵のことに片を付けられる天才である。

 だが根本的に自分本位が過ぎるため、多数を運用する組織行動の統率にはあまり向いていないところがある。ただ、一応ノイズなどの思考を持たない存在ならある程度の統率指揮はしてみせるため、それすらしていないあたりはダビデの言う通り「罠」ではなかったということだろうが。

 

「ま、いいや。再湧きしてねーってんならさっさと進むか」

「そうだね。……にしても、デモノイズって指揮型を討伐しない限りは概念的に再出現するものだと思ってたけど……」

 

 撃破後に湧き出てこないデモノイズにダビデが疑問符を浮かべる。

 デモノイズ達は魔神の因子が組み込まれていることから、カルデアではデモノイズの不滅性がそこに由来しているのだと考えていたのである。

 どうにも当てが外れたかな?とダビデは呟くが、そこに待ったをかけたのはダ・ヴィンチだった。

 

『いや、不滅性は発揮されてるね。ただ再出現場所が……魔都内にランダムポップってとこかな。この魔都入り組んでるし、相手方が指揮をする気が無いみたいだからそうそう同じ場所まで戻ってこなさそう?』

 

 観測されるエネルギー反応を反映したモニターを眺めていたダ・ヴィンチがそう漏らす。

 魔都敷地内のデモノイズ密度自体は他の魔都と大差ないのだが、どうやらデモノイズの配分についてかなり適当に考えているらしく、結果的にデモノイズとの会戦可能性、再戦可能性は大いに減じていた。

 

「……さすがにそこまで雑に扱っていいものなのかな、デモノイズ。余程自信家か、あるいは他に考えがあるのか……当人に会ってみるほうが早そうだ」

 

 便利な雑兵戦力だろうに……とダビデが苦笑する。国を率いるほどの軍政の才を持つダビデからすれば、ここまで雑な兵力管理は贅沢を通り越して無意味としか思えないのだろう。

 

『まあ、ウェル博士の考えはともかく、先へ進んだらどうだい?流石にほっとけばまた集まると思うよ?』

「それもそうだな。あいつについてアレコレ悩ましても埒開かねえし、行こうぜダビデのオッサン」

 

 ダ・ヴィンチの言葉を契機に、ウェルに対する推測を放棄したクリスはダビデに声をかけつつ先へと急ぐ。

 

「今更だけどさ、アビシャグ。僕のことをオッサン呼びは酷くないかな」

「……あたしはアビシャグじゃねえ、雪音クリスだ」

 

 

 

 

「うーん、ねえクリス。この施設って一体何を保管してたかわかるかい?今までのルートにあった倉庫と思しき部屋、どこもかしこも扉開いているし空っぽだ」

「あん?いや、あたしもこの施設についてはよく知らないけど……。まあ、この施設が何のためのかって考えりゃ、どうせ聖遺物関係じゃねーのか?……っと、哲学兵装かもしれないけどな」

 

 言いながら、クリスは目前に一体ぽつんと出現したデモノイズを手早く撃ち抜く。相変わらずの雑な扱いに、撃ち抜いたクリスは呆れ顔を浮かべていた。

 

 最初にウェルが示していたであろうルートを進みつつ、散発的に遭遇するデモノイズを蹴散らすこと暫し。

 彼女らはおおよそ順調に行動を進められていた。それこそ、ダビデが脇見をしながら余裕で考察できるくらいには、である。

 

『ふぅん……。で、その中身がないってのはおかしな話だね。

 建物を修復した手筈にもよるだろうけど、聖遺物とかも建物と一緒に海に没してたんだろう?なら、修復に合わせて回収出来てもおかしくはないし、それが出来れば扱い次第では有利に立ち回れるだろうに』

「……確かに、何処も蛻ってるのはおかしいな。やばいブツとかもあったんだろうけど、それにしても……」

 

 そもそも政府では扱いきれない物品を隔離するための建物である以上、使い途に困る器物もあった。だが十分以上に有用でありながら、そもそも技術不足で運用できないような聖遺物も当然存在していたのだ。であれば、その全てを散逸させたままにしておくというのは考えにくい。

 ならば一体どうなったのか……ということを考え、自ずとクリスは見て見ぬ振りをしたかった1つの答えに辿り着いた。

 

「……十のうち十でウェルの野郎だ。あいつ、ネフィリムに食わせやがったな……ッ!」

『ネフィリムに?確かに聖遺物を捕食して進化するって話だったし、成程、間違いなさそうだね』

 

 完全聖遺物ネフィリム。生前のウェルが己の目的を果たすためにと利用したソレは自律する完全聖遺物であり、その動力炉の動作・発達・拡大の為に聖遺物やそれに由来するエネルギーを取り込む性質がある。

 本来なら人の手に余るソレを、ウェルは聖遺物との適合数値を向上させる薬剤「LiNKER」、それもネフィリム細胞から作った特別製のモノを己の身体に投与していた。

 

「……って話なんだっけか。余り物みたいに配された僕だけど、まあ比較的好相性なところに来れたようで良かったよ」

 

 そう言って朗らかに笑うダビデ。相手が創世記の巨人であるというのにこの余裕である。

 ウェルがネフィリムの細胞を取り込んでいるという情報の共有があった時から、疑似サーヴァントとしての霊基はネフィリムのソレだろうというのは既にカルデアとS.O.N.G.では推測していた。

 そして、そのときの相性を考えればダビデをここに配するべきだろうというのは当然に案として提示されていた。

 

『だからチーム決めるときにそれとなく誘導するつもりだったんだけど、その前に他の2人が何処行くか決まっちゃったんだよね。まあ結果オーライってことで』

「……まあ、あたしも余り物みたいなもんだから別にいいけどよ」

 

 ダ・ヴィンチは可愛らしく舌をぺろりと出し、テヘと笑う。中身を考えなければ素直に女性的な仕草だっただけに、クリスは微妙なものを見る目を向けた。

 

「しかしネフィリムか。改めて考えるとこう、ゴリアテよりよっぽどおっかない相手だ」

 

 ダビデがそう漏らす。その顔に不安は浮かんでいないが、それでも思うところはあるらしい。

 ゴリアテもネフィリムも、それぞれ旧約聖書に登場する巨人である。しかしそこに記載されている大きさは全く異なり、6キュビト半(≒2.9m)と記載されているゴリアテに対し、ネフィリムは3000キュビト(≒1350m)である。

 ジャイアントキリングの原義とされるダビデだが、流石にそこまでの巨体を相手にしたことはなかった。

 

「あー、んー。確かにゴライアスよりはネフィリムのが厄介だったけどな」

 

 そう呟くクリスは、嘗て他の平行世界で戦った完全聖遺物「ゴライアス」を思い返す。

 日が出ているときのみフルパワーで戦えるというその聖遺物は完全聖遺物に恥じない強力さを持ち、万全なら装者が束になって返り討ちにされるレベルの強敵である。

 しかし、万全なネフィリムの厄介さに比べればゴライアスはただ強いというだけであり、クリスからしてもどうにもネフィリムほどの驚異性を感じてはいなかった。

 

「……へえ、クリスもゴリアテ退治したことあるんだ?うーん、ここにゴリアテ退治の英雄が2人……やっぱりこれは運命だねアビシャグ!さあ、その柔らかそうな身体で僕を温めておくれ!」

「寝言抜かしてんなッ!おいやめろ寄るんじゃねえッ!?」

 

 爽やかな笑みで文字通り言い寄るダビデ。クリスに押しのけられようともお構いなしである。

 ふざけているように見えるダビデだが、内心では彼女らに称賛を覚えていた。

 平行世界とは言え、ゴリアテに臆せず向かいその討伐を成し遂げた彼女らは、当時自分と共に戦っていたイスラエルの兵より遥かに勇敢である。ただの少女としての感性を持ちながら、(力を持つとは言え)兵士すら尻込む危難に立ち向かえる彼女らの心の強さにダビデは嘘偽り無く感心していたのだ。……その結果が先の発言なので、どうにも締まらないが。

 

「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」

「テメエがそうやってふざけなきゃあたしだってトーンダウンするってのッ!」

 

 まったく、と頬を染めて憮然とした表情を見せるクリス。照れというより頭に血が上ってるようにしか見えず、そろそろやばいかなと思ったダビデはからかうのを止めて真面目な表情を作る。

 

「それで、ここにある聖遺物を取り込んだとして、君の記憶にあるネフィリムと比較してどれだけ厄介になってると思う?」

「…………」

「クリス?」

 

 ダビデの質問に無言で返すクリス。不審に思ってダビデが聞き返せば、答えをまとめたのか僅かに口を開いた。

 

「……正直わかんねえ。ネフィリムは取り込んだ聖遺物によっちゃ変な能力獲得するからな。……だけど、あたしらが戦ったのだと、フロンティアを取り込んでおっそろしく強くなりやがった。ここの聖遺物がどれだけあったのかは知らないけど、取り込んだやつの中に大出力の聖遺物があれば……」

『君たちが戦ったっていう強かった形態になりうる、と?参考までにどれだけ強かったんだい?』

 

 ダ・ヴィンチはクリスにそう問いかける。ネフィリムという聖遺物の特性は把握していても、それが引き起こした過去の戦いについてまではカルデアに情報が来ていなかった。

 というよりも、双方の過去の事件についての情報まではカルデアもS.O.N.G.も共有していない。それらについての情報共有に意欲がなかったわけではないが、互いに過去事情が複雑に絡まっているため端的な説明が難しく、結果として共有できるだけの時間が彼らにはなかった。

 そんな事情から、過去のネフィリムとの戦闘情報について把握していないダ・ヴィンチは、敵対するであろうネフィリムについての情報精度を上げておきたいと考えていた。

 

「そうだな……。新宿でぶつかったときの炎、あれより強力な火を吐いてきたし、通常状態のギアじゃ攻撃はまず通らねえってぐらいには強かった」

『あの炎よりも?成程、そいつは強敵だ』

 

 新宿でウェル博士が使用した炎は、火に耐性を持つブリュンヒルデの防御陣を貫通していた。過去に装者たちが戦ったというネフィリムは、生半な英霊では防ぐことすらままならないあの熱量すらも上回るということである。

 

「まあ最初は限定解除したギア6人がかりでどうにか出来た。問題はその次に出てきた……確か、S.O.N.G.で記録している名前はノヴァだったか?ネフィリム・ノヴァはエクスドライブでもどうにもなんなかったからバビロニアの宝物庫に捨てて来たんだよ」

「あ、こっちの世界の宝物庫が焼けてる理由ってネフィリムが暴れたからなんだ」

 

 ダビデが得心がいったと頷く。

 さりげに明かされた、カルデア側からすればある意味衝撃の真実。この話を聞いていたダ・ヴィンチは、中継しながら聞いているであろう子ギルの反応が気になったが、気にしてもしょうがないかと頭を振る。

 

『で、そのノヴァって今はいないんだよね?流石に今も居たら豪胆で知られるかの王だって悠長にはしてないだろうし』

「いねえ。ってか、あたしらが戦ってた時点で暴走してて自爆間際で、自爆されたら地球がこんがりローストって状態だったからな」

『惑星レベルかぁ……』

 

 暴走状態かつ自爆とはいえ、そこまでの出力をもつ例はカルデアにも殆ど記録がない。いわゆる人類悪、ビーストクラスに該当する存在の一部が火力で対等に並ぶくらいだろうか。

 遠い目をしているダ・ヴィンチを気にせず、クリスは話を続けていく。

 

「で、その宝物庫を閉じるのに使ったのがソロモンの杖ってわけだ。こっちについてはもう結構話したよな」

「ソロモンの杖がバビロニアの宝物庫の開閉鍵なのかい?そこも驚きだね……。ああ、確かその杖も爆心地間際で焼失したって言ってたけど、閉じるときに宝物庫に置き去りにしたってことだったんだ」

 

 そりゃ残ってるって思わないよなあ、とダビデは独りごちる。地球丸焼きな大火力の爆心地にあれば、普通なら消滅したと考えるのが妥当であるところだ。

 何故残っているのかの真相については流石に現状で推測は出来ないので、魔神に聞くより他にはない……答えが帰ってくるかは不明だが。

 

「とにかくッ!あのウェルの野郎は新宿の時点だとまあ普通に強い完全聖遺物じみた力しかなかった……この時点で相手したくはねえけど。でも今はもっとやばいことになってる筈だ。……だから、これでも頼りにしてんだよ」

「勿論、そこは弁えているとも。今の僕はただの羊飼いとしての時分の僕だ。だから……巨人殺しは、何処までも僕の領分だ。たとえ相手が星を焼く怪物であっても……たとえ元が学者であっても、巨人であるなら殺してみせるさ」

 

 ニヒルな笑みを浮かべたダビデは、気負うこと無くそう言い切る。

 

(殺してみせる……か。ウェルはムカつく野郎だ。でもあたしは、いざってときにウェルを殺してでも止められるのか……?)

 

 相手が巨人なら、何であれ殺してみせる。その言葉に偽りを感じられなかったクリスは、己の心を振り返り、苦渋の表情を浮かべていた。

 

 

 

「おいおい、折角僕が歓迎の口上述べてやったのに、見るなりだんまりとは随分失礼じゃないかい?……でもまあ許してやろうかな、僕は寛大だからねえッ!」

 

 からの、冒頭である。目前で騒いでいるウェル博士をみて、さっきまでの葛藤は何だったのかとクリスは思いたくなる。

 ネフィリムについての情報共有をしてる間に魔都の中心に辿り着いたクリスとダビデが最後の隔壁を開けたところで、そこに待っていたのはウェル博士ことジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス。深淵の竜宮の魔都、呼称名魔都ホドの守護天だろうと目される存在であった。

 

『うわー、ほんと濃いねえ。っと、そう言えば私ははじめましてかな?私はレオナルド・ダ・ヴィンチ、カルデアの技術顧問をしているよ。で、キミはなんでまたこんな守護天なんてやってるんだい?』

 

 新宿で見たときと変わらぬキャラの濃さにいっそ感心していたダ・ヴィンチが、そう言えばとウェルに問いかける。

 

「はぁん?へぇ、アナタがあの有名な万能の天才か。会えたことは素直に嬉しいね。で、守護天やってる理由ぅ?そいつはとっくのとうに説明したと思うけどなあ?」

『いやあ、確かに暫定少女を助けるためと言っていたけどね。……ただ、どうにも信じられない。キミのような手合は己の目的に合致するなら禁忌にも平然と手を染めるだろうし、人道に悖ろうが気にしないだろう。でも、英雄らしく……なんて言う割に、今のキミはそうは見えない』

「…………」

 

 唐突に切り込んだダ・ヴィンチに、ウェルは沈黙で答える。その表情は僅かな驚きが浮かんでいる。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、ダ・ヴィンチはそのまま言葉を続けていく。

 

『ぶっちゃけさ、魔神の使いっ走りになることを英雄らしいだなんて、自分でも思ってないだろう?』

「……さて、そこら辺については見解の相違がありますねえ。僕らとキミらは仲良しこよしのオトモダチ未満なんだ、話して聞かせてあげようって気にはなりませんねぇ……?」

 

 顔にかけたメガネのブリッジをクイと押上げ、ニヤリと笑うウェル。その動き1つで鬱陶しさを表現しているので始末に負えない。

 案の定、そのうざったい様子にクリスの怒髪が天を衝きかけていた。

 

「~~ッこっちだって、テメエにいちいちお伺い立ててやろうなんて蟻一匹分も思ったことねえってのッ!」

「ヒートアップしてるなあ。落ち着いてクリス、彼は素で人を苛立たせる珍しいタイプの人間みたいだし、本人も性質歪んでいるみたいだ。でも──」

 

 ダビデは言葉を途中で切り、落ち着かせるように穏やかな口調で言葉を続ける。

 

「──アレはかなりの難物だよ。ダ・ヴィンチとの問答で確信したけど、彼は何かを隠している。武力的にも、それ以外でもね」

『ソレは私も感じた。だけど、彼は自己顕示欲が強いのと同じ位、自分の願いに誠実な質と見た。少なくとも精神的な余裕を保っている今の状態では、何を隠しているのかを看破できそうにないね』

「はぁッ!?何を……」

 

 馬鹿な、と続けようとしたところで、その言葉が止まる。ダビデ達の言葉でウェルを見たクリスは、彼が一切慌てておらず、またその表情が興奮しているときに浮かべるような狂相では無いことに気づいたのだ。

 

 彼女の知るウェルは、己の野望が成就せんとするときは興奮のあまり表情が狂ったように崩れており、逆に崩れていない表情のときは何らかの仮面を被っているときであった。

 そんな己の記憶を鑑み、今のウェルが何かを隠しているというダビデ達の言葉に一理あると考え、昂ぶっていた自分の感情を鎮め、冷静にウェルを見定めようとする。

 

 そんなクリスの様子に、ウェルは拍子抜けしたような顔を見せた。

 

「おやぁ?いつもどおり猪突猛進しないんですかあ?」

「何時もってほどテメエと直でやりあってねえだろうが」

 

 挑発には乗らないと言わんばかりにそっけなく、しかし挙動の一挙手一投足を見逃さないように視線は外さない。

 その様子に、つまらなそうにため息を吐くウェル。やれやれと首を振り、気を取り直したように顔を上げる。

 

「ま、いいや。それじゃあ……」

 

 その顔には今度こそ、クリスの知る狂相そのものが浮かんでおり──。

 

「──精々頑張ってくださいねぇッ!」

 

 ウェルの左腕が、瞬時に異形へと変じた。黒色のソレははちきれんばかりに膨れ上がり、まるで竜の息吹のごとく、クリスたちに向けて灼熱の波濤を解き放った。



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第9節 栄光の座I:魔都ホド(2)

 深淵の竜宮──その名に反してとても楽園とは言えない海底の魔境。

 その一室に、尋常ならざる灼熱が溢れかえる。

 

「ハァーッハッハッハッ!いやあ、まったく気分が良いですねぇ~、僕が君らに対してここまで物理的に優位に立てるなんてねぇ?」

 

 そこに響く男の哄笑。ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは己に与えられた力に──否、己に与えられた役割に酔っていた。

 炎の満ちるその領域。常人なら炎は愚かその熱波だけでその身を焦がされるであろう空間にあって、その身に纏う白衣に焦げ目の1つもないその姿はまさに、彼が常人を逸脱したことを如実に示す。

 

「これもどれも、この僕が英雄であると世界に認められているからにほかならなぁいッ!やはり今季最もホットな英雄はこの僕に決まりだなぁッ!」

「──わっけわかんねー事、抜かしてんじゃねぇッ!」

 

 瞬間、陽炎に揺らめく部屋で悦に入っていたウェルに対し弾丸の嵐が放たれる。

 ガトリング系の銃砲に特有の銃身の回転音と発砲音が、ウェルが居る場所を含め部屋中を蹂躙する。

 

「ウヒィッ!?……って、なぜ生きているッ!?」

「あたしらがあんなんで死ぬものかよッ!」

 

 そう叫ぶのは、先程ウェルのもとまで辿り着いたシンフォギア装者の雪音クリス。

 ウェルの放つ豪炎を一身に受けたかに思われていた彼女だが、そこは熟練の装者。全身各所が煤けているものの、きっちりとくぐり抜けていたらしい。

 

「どんだけ熱かろうが炎は炎、このあたし様が捌けないわけ──ねえだろうがッ!」

 

 直撃すれば骨も残らないであろう爆炎を放たれても、逆に言えば直撃しなければ問題はない。

 先程炎を向けられたクリスは、咄嗟にアームドギアから巨大ミサイルを放つことで盾とすると同時に、引火・炸裂したときの爆風で己に来る炎を吹き散らしていた。彼女の鎧を焦がしたのはウェルの炎ではなく、自身のミサイルの炎によるものであった。

 

「ああ驚いた。ゴリアテもそうだけど、怪物とは真正面から戦うもんじゃないねホント」

 

 その爆風で守られたのはクリスだけではない。彼女の後ろでやれやれと額の汗を拭くダビデは自身の後方、流された炎が焼き払った施設の光景を見やる。

 壁面は融解し、床面は赤熱化している。生半な炎の魔術ではあり得ざる火力は、単なる熱放出でありながら対軍宝具に肩を並べるほどの威力を見せていた。

 

「ねえクリス。かっこいいこと言ってたけどさっきの炎は流石にまずくないかな」

『さっきの炎、摂氏で言うなら100万度ってところかな。周囲の融解範囲が小さい辺り、ネフィリムが自分を巻き込まないようにするためのエネルギーコントロール機能でもあるのかな。まあ、巻き込み範囲が少なかろうとそもそも純粋な熱量としてぶっ飛びすぎてるからね。気をつける必要大有りだ』

 

 摂氏100万度といえば、太陽表面で発生するコロナ現象に比肩する温度であり、漫画でしか聞かないような数値を聞いたクリスは、ちょっとだけ勝ち誇っていたその顔に渋面を浮かべた。

 

「……まあ、とばかりヤベえってのは認めてやる」

 

 渋々認めると言わんばかりの態度だったが、流石に直撃は危険であることぐらいはキッチリ理解していた。というよりかつて対峙した完全体ネフィリムの火炎もそうだが、クリスからすれば一撃で落とされることが判りきっている以上、そもそも最初から食らうことは慮外、戦闘における前提条件でしかなかった。

 その上でどう対処するのか、というところが問題と言えば問題なのだが──。

 

「でも、ソレだけだ。ダビデのオッサンだって判ってんだろ」

「ははは、まあね。ソレじゃ、僕が前衛に回ろうかな。クリスは援護頼むよ?」

 

 言うが早いが、ダビデは羊飼いの杖を構え一息に駆ける。その速度は瞬間的に音を置き去る程であり、傍目には瞬間移動も斯くやとばかり。

 だが、そもそもその突撃を読めない程にはウェルは凡蔵ではない。

 

「ハッ!この狭い環境で真っ直ぐ以外にぶつかってこれるわけがないッ!わけがないなら、防ぐのだってちょろいもんさッ!」

 

 ダビデが足に力を込めた瞬間を見逃さず、ウェルはネフィリムと同化した左腕を肥大化させ、己が身を覆い尽くす程の盾と変える。

 巨大な肉壁と化したその腕に杖を叩きつけるも、到底貫くには至らない。加護をフル稼働させた持ち前の豪腕で、どうにか相手をその肉壁ごと弾き飛ばすもそこで追撃の手が止まってしまっていた。

 

「これが説話に名高きネフィリムか、なんとも流石としか言えないねこれは。」

「ネフィリムだけの力じゃないさ。この僕という天才的な頭脳があってこそだともッ!むしろそっちこそ、かのダビデ王にしては随分謙虚なものだねえ?」

 

 ダビデが相手の耐久力の高さを呆れ半分に称賛したところに、ズケズケと自分のアピールを挟み込んでくるウェル。

 ドヤ顔で見下す様に高笑いする彼に、ダビデは苦笑する。

 

「おいおい、心外だなあ。僕はいつでも謙虚で理性的な、そう正に理想的なイケメン羊飼いだとも」

『ギャグかな?』

「おいおもんねーぞオッサン」

「君達ひどすぎやしないかい?」

 

 味方からも散々言われたダビデは若干傷ついた表情を見せつつも、弾き飛ばしたウェルに向き直る。

 

「それで……まあ、君のその天才的を自称する頭脳も厄介には違いないんだろうけどね。……ただそう、今は君がネフィリムの力だけに頼れない状況だってことは判ったさ」

「あぁん?」

 

 何か聞き捨てならない事を聞いた、とばかりに語尾を上げて聞き返すウェル。

 よく見ると額に薄らと青筋が浮かんでいる程度に沸点の低そうなその姿にも、ダビデはいつもどおりの爽やかな笑みで答える。

 

 

「いやいや、君だって判っているだろう?──そのネフィリムの霊核、どうやら不完全のようじゃないか」

 

 

 告げられたダビデの言葉に、苛立ちの色を浮かべていたウェルの表情が失われる。

 

『……守護天である君から感じられる魔力は、先程の新宿での戦闘時をも上回る。でもその割に火力が変わらないし、何より狙いが雑だなと思ってね。悪いけどこっちでも確認させてもらったよ』

「──その戦闘勘の無さを見りゃ、テメエの感覚に全戦闘を委ねてんだろ?いくらバ火力で聖遺物に強かろうと、その程度で負ける気はしねーよ」

 

 ダ・ヴィンチ、そしてクリスから言葉を重ねられ、ウェルは思わず面を下に向け、プルプルと振るえだす。

 

「……確かに、僕は戦闘の才能があるとは微塵も思っちゃいない。現代英雄であるこの僕が、わざわざ肉体労働に脳領域を割くなんて無駄なことはしたくないからね……」

 

 どうやら散々言われたことが堪えたらしく、その言葉の端々から怒りの感情が滲み出ている。

 図星かな、とダビデが思ったところで、ウェルはバッと顔を上げる。

 

「だけど、だけど──ふざけているにも程があるッ!」

 

 叫ぶように言葉を吐く、その表情は正に怒り一色。その顔が紅潮しているのも恥ではなく怒りによるものだろうことが見て取れる。

 平素の本性を晒したときの顔を狂相と呼ぶなら、こちらは素直に凶相と呼ぶべきだろう。

 

 そして、その口から放たれた言葉に思わず3人は硬直した。

 

 

「この僕を、この大英雄たるドクター・ウェルをッ!事もあろうにネフィリムと誤認するだってッ!?僕はウェルだッ!英霊ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスだッ!」

 

 

 その言葉は、彼と対峙していた面々にとっては青天の霹靂だった。

 

『嘘だろ!?カルデア式の霊基登録があったわけでもなし、何で現代人であろうウェル博士が英霊になるんだ!?いや、アムドゥシアスの召喚式に何か特殊な事情が……?』

 

 彼の言葉にダ・ヴィンチが取り乱しながらも霊基数値を調べれば、確かにそのステータスを見ても神霊、半神特有の霊基構造である「神性」も、怪物や魔に属する存在特有の「魔性」も確認できない。

 ネフィリムは伝承上は堕ちた天使と人間の混血である以上、疑似サーヴァントであるならばそのどちらかがあって然るべきである。にもかかわらずそういったパラメータが無いということは、驚くべきことだが、目前の男は純人間のサーヴァントであるということだ。

 

「おいおい、幾ら何でも驚きすぎだろう?だけどそれもまあしょうがないか、僕という男の英雄性を見抜けるだけの英雄認識力を君達が持っていないってことなんだからねえッ!」

 

 どうやらダ・ヴィンチの取り乱し様に溜飲が下がったのか、満足げに笑みを浮かべるウェル。戦場であるのにそんな隙だらけな態度をとる辺り、彼自身が英霊であるという主張の信用性が無闇に増していた。

 

「……ねえ、彼。そんなにも英霊になれる要素があったのかい?」

 

 ダビデは隙を晒すウェルに攻撃しようかを考えていたが、それよりもその特異性のタネを知りたくなったのかクリスにこっそりと近寄り小声で尋ねる。

 尋ねられたクリスは、その問いに首を振る。

 

「いや、あたしの知る限りはねえけど……。ってか、英霊になる条件をそもそも知らねえからなあ……」

「うーん。前に聞いた話だと、今どきは世界を救う程度じゃ英霊にはなれない、なんて話を聞いたけど……」

 

 ダビデの知る時代に比べ、今の世界は広大に過ぎ、神秘があまりにも薄れている。

 かつてのように力あるものでなくとも、武器を用いれば容易く……とまでは言わずともかつてより簡易に百人殺しを達成でき、神々の加護がなくともボタン1つで小国が滅ぶ。

 そんな世界において、世界を救うのはボタンを押すのを止める程度の偉業でしか無く。世界を救うことは日常の中、誰もがふと思いとどまることで果たしているというのだという。

 

「そう、その通りッ!だが僕は違う……ッ!人類を月の落下による大量絶滅から救わんとし、またキャロルの成そうとした世界解剖を水際で留めたッ!一度で駄目でも二度も偉業を成した僕だからこそ、世界に認められたわけだッ!」

 

 ウェルが耳ざとく聞いていたのか、堂々と自己アピールをする。大した自己顕示欲だと思いつつ、ダビデはそれでも……と疑問には思う。果たしてソレだけで認められるものだろうかと。

 が。その疑問も次のクリスの一言で氷解した。

 

「~~ッ、その前に月の落下を盛大に加速させたりキャロルに賛同してワールドデストラクターを動かした張本人だろうがッ!鴨ってんじゃねえよッ!」

 

 あんまりにも自分に都合のいいことしか言わないウェルにクリスが突っ込む。特に後者については、キャロルに加担しなければそこで話が終わっていたのに盛大にややこしくしたのがウェルである。その場に居合わせたクリスからすれば怒鳴りつけたくなるのも当然だろう。

 

『あー……。確かにそこまで世界の存亡に関われば、現代にあっても英霊足りうるか。英雄なのか反英雄なのかはさておくとしても』

 

 ウェルの言葉を総合すれば、彼にしか出来ない技術・知性・タイミング諸々の末に世界の存亡に盛大に関わり続け、その果てに世界を守って死んだということなのだろう。ダ・ヴィンチはそれならまあと納得の表情を見せる。

 

「……で、英霊の座の法則は?異変を起こしたのが今で、ウェル博士が死んだのは結構前だろう?いくら英霊の座が時間軸に跨る法則だとしても、そもそも法則が流入する前の世界の過去までどうにかなるものかな?」

「どうにかなっているのさ。だから僕が、ここに居るッ!」

「うーん、そっか。まあどうにかなってるのはそうみたいだし気にするのは後にしよう」

 

 己の疑問を一蹴するウェルの姿勢に、悩むのも馬鹿らしいとばかりに疑問をうっちゃるダビデ。そもそも一応現在は戦闘中なので、こんな悠長にすべきでもないなとダビデは構え直す。

 クリスも今が戦闘中であることを思い出したのか、ギアを構える。

 

「まあ、そうだな……いや、むしろウェルだった方が有り難いってもんだろ。例えば──」

 

 軽口を叩きながらも、その目線はウェルの本体……左腕以外の各部位を余さず射抜いている。

 

「──根本的に戦闘が向いてないってところとかなッ!」

 

 

───QUEEN's INFERNO───

 

 

 イチイバルのアームドギアがクロスボウ型へと変形し、大量に番えられたエネルギー矢が雨霰と降り注ぐ。唐突な戦闘の再開に身体が反応しなかったのか、ウェルは思わず頭を抱えてその場に蹲った。

 

「ひぃいッ!くそ、なんて暴力的なんだッ!?」

「どの口がッ!」

 

 先んじて炎をぶっ放してきておいての言い草に、思わず口から悪態が出るクリス。

 ウェルは先程のダビデの突撃時と同様に左腕を盾のように変形させてクリスの矢を防いでいたが、どうにもクリスの射撃についてウェル自身が警戒していなかったのか、明らかに慌てていた。

 その様子に、クリスは僅かに頬を吊り上げる。

 

(左腕でカバーリング……よし、予想通りだッ!ウェルが英霊ってのは間違っちゃいないみたいだけど、これならネフィリムにウェルの頭脳よりか大分マシだな)

 

 攻撃を防ぐ時に左腕を使うことといい、先程の当人の言といい、対峙するウェルの持つネフィリム要素はどうやら左腕だけらしい。それ以外の生身の部分は、生前よりはマシに動けるようではあるがそれでも戦闘型サーヴァントや装者にはまず及ばない。

 もしもこれがネフィリム本体であれば、その反応速度も戦闘機動も正しく獣の如くでありここまで容易ではない。さらに言えば、クリスのように聖遺物から生み出された飛び道具であれば、その進化の段階によってはエネルギーとして吸収してくる可能性すらある。そうなっていたら、クリスはひたすらダビデの援護に回るより他にはなかっただろう。

 

(最初の遭遇戦のときに炎で着飾ったんで、一体どんな塩梅かと思ったが……。苦労を取り越すこともなかったか?)

 

 ウェルを侮っているわけではないが、クリスにとって危険なのはあくまでネフィリム。そういう意味では、クリスの想定に比べて遥かに楽な戦いになりそうだと内心で安堵し……そこで自分の思考を思い返す。

 

(いや、待てよ?新宿では先輩の影縫いを抜くために、さっきと同じ炎を使ってた。ってことは、あいつは何らかの手段でそれを身にまとっても熱を受けなかったってことだ。でもどうやってだ?特殊なエネルギー制御機能なんてのがあれば、前にあたしらが戦ったネフィリムだって自爆するなんてことも無い筈だろ?)

「クリス?一体何を警戒して……」

 

 余裕の笑みを表情から失わせたクリスに、ダビデが不審を抱いて問いかける。

 と、その時ウェルが這々の体で左腕の影から顔を覗かせる。

 

「全く、野蛮人め……ッ!この僕の天才的頭脳が人類から二度も失われるという特大ファールを成し遂げようとはいい度胸だねえッ!」

「……ッ!」

 

 ブツブツと呟いていたかと思えば瞳孔の開いた目で睨み叫ぶ。その様は紛う方無き狂人のそれである。

 だが、ダビデもクリスもそんなウェルに言葉を返せない。異様な威圧感とも言うべきか、あるいはプレッシャーをかけられているとでも形容すべき感覚が2人を貫いていた。

 

『気をつけろ、ふたりとも!ドクター・ウェルの魔力反応が急激に上昇している!──何かはわからないけど何かしてくるぞ!』

 

 その様子の異常さは感覚的なものだけでは無いらしく、計器の異常を確認したダ・ヴィンチが慌てて通信を入れる。

 ウェルから計測される魔力量は尋常ではなく、他の魔都のから送られる守護天のデータに比肩するほどである。

 

 ダビデもクリスも、先程からの戦いの中で、無意識にウェルの戦闘的な意味での実力を低く見ていた。

 勿論、それ自体は真実であり、彼女たちの戦闘勘の確かさの証明ではあった。だがそれ故か、2人とも見過ごしていたのだ──彼もまた、魔神によって選ばれた守護天であり、それに見合う力を持っているという事実を。

 

「──宝具か?いや、だけど様子が……!」

「……ッ!こいつは……ッ!?」

 

 

(どいつもこいつも……この僕のことをバカにしているッ!英雄……そう、英雄だッ!今この時この場所に召喚されている僕こそ、人類を救う大英雄だと言うのに……ッ!)

 

 ウェルは怒りの感情のまま、膨大な魔力を身中に渦巻かせる。己の真価を曝け出さんとしている。

 

 ──「ウェル博士」こと、英霊ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス。彼はこの世界にしか顕れない英霊と言える。

 彼が偉業・奇跡を成し遂げたのは、神秘も英霊も、座も人理も無い世界である。当然、そこで英霊となることはありえない。かの世界にあっては人の魂とは電気信号でしかなく、他者に語られる伝説は哲学として器物に示されることで精々だ。

 完全聖遺物ギャラルホルンが接続する凡そあらゆる平行世界にあっても、その事実は変わらない、変わるはずもない。世界の法則とは、普遍にして不変。そしてその法則を共有しているからこそ、異端技術による平行世界の観測や、場合によっては移動を可能としているのだ。

 だが、「この」世界にあっては話が別だ。魔術基盤であり、異世界の法則そのものたる「召喚式」──魔神アムドゥシアスによる神秘の流入は、「座」の概念の限定的な共有にまで至っている。だからこそ、己の才覚と幸運と努力の果てに人類を2度滅ぼしかけ、そして2度救った彼は英霊として認められるに至ったのだ。

 

 グニャリ、とウェルの左腕のネフィリムが変形していく。

 

 そう、本来なら彼と対峙した時点でおかしいとクリス達は気づくべきであったろう。

 ネフィリムは元来、生物型の完全聖遺物。聖遺物を喰らい、そのエネルギーを己の出力へと回すことでより巨大に、より強大に、より貪欲に変化していく聖遺物である。だが、出来て精々が肉体の肥大化あるいは縮小化であり、ダビデやクリスの攻撃を防いだように、己の腕を盾のように変形させる──そこまで自由に変形できる能力があるわけではない。

 

 では、そのタネが何なのか、といえば────。

 

 

 左腕がどんどん膨れ上がり、膨張に耐えきれなかったのか皮膚が裂け、体液が溢れ──すぐに塞がり、瘡蓋のように盛り上がることで更に不気味に膨らんでいく。

 まるで何かを生み出さんとしているソレは、傍目には卵とも、人造の胎盤とも取れるだろう。映画好きの弦十郎がこの光景を見ていれば、何某かのハリウッド映画、特にも宇宙生物モノで例えたであろう程度にはグロテスクな光景である。

 

「これ、ヤバそうじゃない?っていうかネフィリムにこんな能力あるなんて聞いてないんだけどなあ……!」

 

 ダビデの焦るような声。投石器を構えては居るものの、目前の肥大化しすぎた左腕が邪魔で到底狙える状況にはない。

 彼の宝具は狙うことで急所へと必中させる伝承宝具であり、いわゆる伝説上の必中の剣や槍のような自動補足機能は一切ない。狙えば必中とは言うものの、急所を狙うのはダビデの役割である以上、物理的に狙えなければただの投石でしかない。目前のネフィリムを貫いてウェルに当てられるかは未知数な状況であり、迂闊に手を出せないでいた。

 

「こいつは、まさか──ッ!そうか、くそッ!そういやこいつ、取り込んだブツ次第じゃ破茶滅茶やりやがるんだったッ!」

 

 一方のクリスはというと、以前話に聞いていたことを思い出していた。

 

『……もしかして、これはS.O.N.G.のデータにない範囲で起きた話なのかい?』

 

 どうやらクリスが何かを知っているということを察したのか、ダ・ヴィンチがクリスに確認を取る。

 その様子にこのネフィリムの力を知らないということを察したクリスは、記憶の底から情報を引っ張り出す。

 

「そうだ。ネフィリムは取り込んだ聖遺物によっちゃ、新たに能力を獲得するって話だ。

 カルデアとS.O.N.G.がどんな情報交換したかは聞いてねえ。けど、この能力は別な並行世界でしか確認してないからな、あたしらのところに数値上のデータも、映像記録だってねえ。精々が聞き取り情報ぐらいで……。くそ、炎とか自在に操ってたのも、それ用の聖遺物を取り込んだんだなッ!?」

『……時間がないとはいえ、もう少しちゃんとお互いにデータのやり取りをすべきだったかなあ……いやでも、それで間に合わないのも困るか……』

 

 以前、幾人かの装者たちがとある平行世界でネフィリムと対峙したことがあった。その時ネフィリムと共に居たのは目前のウェルではなく別な科学者だったが、彼はウェルが残した資料を元にネフィリムを制御し、己の手勢として扱うことで装者たちと渡り合ったというのである。

 ネフィリムを操っていたその科学者は、産み出すという性質を持つ聖遺物をネフィリムに食らわせることで、ネフィリム自身の増加・分裂といった機能を付与していたのである。それらの情報からS.O.N.G.は、ネフィリムは捕食した聖遺物の機能を自身に付与、あるいは捕食時に融合することによって機能を統合するという性質があるのではないか、ということを推測していた。

 が、そもそもの話として今この場にいる装者たちの世界のネフィリムは既に自爆・消失しているのでデータとしての価値は殆ど無い。まして平行世界のデータということもあって情報記録を共有できたわけもなく、そのデータは正式なものとして認可されず精々が文書として記録するに留め、データライブラリに記載されることはなかったのである。

 

 そういった裏事情についてまでは流石に把握できておらずブツブツと零すダ・ヴィンチを尻目に、クリスは目の前のネフィリム……ウェルの異常も、先程の炎のコントロール能力も、全ては捕食によるネフィリムの変質によるものだと確信していた。

 

 クリスの脳裏に、ここまでの道中が想起される。

 魔都の元となった深淵の竜宮には、かつて政府が扱いきれない、あるいは利用用途が無い異端技術の産物と思しきものが、さながら廃棄場のように節操なく保管されていた。それが空になっていたということで、クリス達はソレがウェルの仕業であり、ネフィリムの成長に使ったものだと認識していた。

 たられば論にはなるが、ここに来ているのがかつて特殊な能力を獲得したネフィリムと戦った装者であれば、この危険性にもすぐに感づいたかもしれない。しかしここに来たのは、通常のネフィリムとし戦った経験しかないクリスである。他の魔都との相性を考えた結果の戦力配分だったが、結果としてそれが裏目に出た形となっていた。

 

「散々言ってたねぇ、僕が戦う力に乏しいだって……ッ!当たり前さ、今どき流行りの英雄に必要なのは知性、勇気、努力に根性だッ!肉体労働が英雄の象徴だった時代も今は昔、そういうのは頭パーの指示待ち脳筋に差配してやればいいのさッ!」

 

 人が聞けば変な目を向けるであろうウェルの叫びとともに、その左腕に造られたおぞましい卵状構造体にヒビが入る。亀裂からは体液とも思しき不明液体が流出し、ウェルが撒き散らした炎に触れて気化することで異様な匂いを充満させていく。

 その匂いにクリスは思わず鼻を塞ぎたくもなったがしかし、目前に産み出された「ソレ」──膨大な威圧感を産み出す存在を前にしてはそうもいかない。目前の巨大な存在に対峙するにあたり、手にした武器を放す気はこれっぽちも起きなかった。

 

「……こいつは……ッ!?」

 

 その姿は──少なくともネフィリムではない。かつて分裂・増殖したという微妙に姿の違う個体とも全く異なる。

 

 その全身は金属に覆われた機械構造に近いものであり、赤と金に彩られた輝きはこの場に見合わぬ豪奢さを感じさせる。

 各部にはネフィリムの細胞と思しき生物的なモノがある以上、一応これもネフィリムとして区分されるのだろうが、それにしても見た目が違いすぎた。

 ずんぐりとした体躯に、頑強そうな黄金の胴。首は短く、その頭部はネフィリムよりも既存の生物……トカゲなどの爬虫類のような特徴を見せている。

 そして、前後肢共に鋭い鉤爪を備え、その背には雄々しく羽ばたく翼ががしりと付いている。

 

 クリスはその姿が一体何なのかを見たことはない。しかし、それでも似たような特徴をもつ敵と対峙したことはあった。

 彼女がかつて対峙したそれは、この世ならざる幻想の生命。かつて英雄が討伐することで多大なる勇名を戴き、そして様々な奇跡を与えたという伝説の存在。

 

「──ドラゴンッ!?」

「うわあ……機械のイノシシじゃなくて機械の竜種なんて聞いたことが無いね。というか、こういうのは竜殺しを呼ぶべきだと僕は思うんだけどな!僕みたいな一般イケメン羊飼いに相手させるには荷が勝ちすぎるんじゃないかな!?」

 

 目前の怪物の余りの異様さにたじろぐクリス。ダビデも今に至るまでに様々な竜種を見てきたが、流石に目前の異様な姿は見たことがないのか慌てた様子を見せる。 そんな2人の様子に、これまで以上に悦に入った表情で嘲笑を浮かべるウェル。

 

「言ったろう、物理的に優位に立つってッ!そもそも大量の聖遺物を取り込んだこの僕が、キミらの風下に立つわけがないだろうッ!?」

 

 かつて深淵の竜宮に封印されていた、異端技術によって産み出された禁忌の怪物。既に機能停止していたソレをネフィリムに吸収させた折に、ウェルはソレを利用する計画を考えていた。

 彼は最強でも無敵でもない──それは彼自身がよく知っている。如何に英雄狂であるとしても、その頭脳は明晰であり真実を認めない程には頑迷ではない。

 

 だからこそ、己が最強である必要はない。最強たる存在を、無敵たる兵器を十全に従えることが出来るのならそれは最強であることとなんら変わりはない。生前より一貫していたそのスタンスは、死後英霊と化した今このときも健在であり──。

 

 

「──さあ、蹂躙のときだグラウスヴァインッ!深淵の竜宮に封じられていたその力、僕に見せるときだッ!」

 

 

 ネフィリムによる完全支配を果たした怪物──機械魔竜グラウスヴァインの背に立ち、深淵の竜宮の守護天、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは、人類を救わんとする己に対峙するちっぽけな2人の悪を滅ぼさんと牙を剥いた。



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Interlude.I 錬金術師と魔術師(見習い)、そして探偵

 装者と英霊、それぞれが日本各地の魔都へと向かった頃。

 今や無人となったS.O.N.G.本部である潜水艦、その発令所……ではなく、研究室に丈の違う2つの人影があった。

 

「……おぉう、ダ・ヴィンチちゃんのラボも大概だったけど、ここもよくわからん装置だらけだぁ……」

「それはそうだろう。違う世界で違う法則を扱う工房が同じ機材を使っている方が余程不気味だ。貴様らがわかる設備なんて、精々が物理的なデータ測定器具くらいだろう」

「ソウダネー私達がわかるのなんてそれくらいだよねー」

 

 背が高い方の人影こと立香は、もう一方の背が低い方の人影ことキャロルの言葉にあははと諦念混じりの乾いた笑い声を上げる。キャロル達の世界はもとより、元の世界の専門知識にも基本疎い立香からすればキャロルの言うような「わかる設備」すら到底理解が及ばないのだが是非もない。

 

(にしても、本当に色々あるなあ……)

「おい、ジロジロと眺めているのはいいがオレの邪魔はするなよ。錬金術は機材の配置1つで成否が変わることもあるんだからな」

「あ、うん」

 

 首を回しあたりをぐるりと伺って立香が最初に感じたことは、なんとも調度が不釣り合いであるという点である。

 おそらく元々この場所にあったであろう機械的な、立香からすれば近未来的な設備の数々。診療台のような設備に頭に取り付けるためのヘッドギアのようなものがぶら下がっているのは、傍目に見れば洗脳装置か何かにしか見えない。

 其処から少し視線をそらせば、おそらくキャロルが後付で配置したのであろう大量の不可思議な機材。パイプオルガンを縮小したようなよくわからない設備に、人形の残骸のようなもの。天体観測にでも使うのか天球儀ともみえるような物品もある。

 眼の前で作業を開始しようとする小さな体を見て、立香は嘆息する。

 

(エレナもそうだけど、なんていうか、慣れないなあ……)

 

 立香の眼の前に居る少女……を通り越して幼女にしか見えないようなキャロルだが、その実数百年を生きた錬金術師であるという。聞いた話から時代を逆換算すると、下手すればパラケルススとかと同年代ということになる。カルデアに居るキャスターのサーヴァント、エレナ・ブラヴァツキーもそうだが、年配らしいのに全くそう思わせない見目を維持されてしまうと、立香としても対応に困る部分があった。

 

 眼の前の錬金術師は(どういった経緯なのかは不明だが)それだけ長い間、その力を復讐に費やしてきて……そして、それが破れて今に至るのだという。

 

(……復讐、かあ)

 

 立香には、彼女の正確な気持ちなんてわからない。

 復讐、という行為を望む存在は、彼女は当然知っている。立香が出会い、言葉を交わした「復讐者」──カルデアのアヴェンジャーのサーヴァントや、亜種特異点の1つだった新宿に顕れた魔神バアル。彼らの復讐心は、その正当性の是非(感情に正当性を当て嵌めること自体どうかという話ではあるが)はともかく、それが何の事象に端を発するのか、その思いの矛先が何処に向いているのかについてを立香は知った。

 だが、その心中の強さ、殺意、復讐の感情……そしてその狂気は彼女が知り得るものではない。復讐心は復讐者のみが知るものだとまでは言わないにしろ、復讐という行為とはおよそ無縁であった立香が彼らの心中を理解できる……そんなことを軽々しく言葉にすべきではないと考えていた。

 そして、新たに現れた……むしろ自分たちから姿を現したと言っていいのだろうが、ともあれ立香と交流する関係になった目前の少女。世界そのものへの復讐者として生き、そして復讐を諦めたらしい彼女は、一体どんな気持ちでこちらと協力して世界を守ろうとしているのだろうかと考えずには居られなかった。

 

「……ねえ、キャロル」

「……?どうした」

「あ、えっと、その……」

「何もないなら話しかけるな、オレは奴との決戦の為の仕込みをしているんだ」

 

 どうして復讐することをやめたの、なんて言葉を口には出せない。幾ら何でも其処まで無神経なことを言えるわけがない。立香は自分の無意識下で声を掛けてしまったことを激しく後悔していた。

 ぶっきらぼうに返されてしまい、なんて言い出そうかと悩んだ末。立香は意を決して口を開いた。

 

「こ、これからどうしようって考えてるのか、展望ってある?」

 

 ……その口から出たのは、とりあえず無難な言葉に置き換えた質問だったが。もっとも、無難と言っても今この状況で切り出すような話ではないのだが。

 案の定というべきか、余りにも唐突な質問にキャロルは眉根を寄せ、胡乱な目線を立香に向ける。

 

「展望、だなどと……。そんなもの、先に決めた以上のことがあるとでも思っているのか?」

 

 何に使うのか立香には到底理解できない種々の機材や素材をおいて、キャロルは呆れたように溜息を吐く。

 

「いいか、あの魔神は今でこそ休眠しているが、いつ目覚めるかがわからん。カルデアでもS.O.N.G.でも前例のない話だ、推測するにしてもばらつきが大きすぎてまるで使えん。だからこそ対症療法的な措置でしか無い魔都のローラー作戦を敢行しているのだろうが……」

「ち、違うよ!そうじゃなくて、ええっと……そう、みんなの方針って言うよりキャロルの方針?が気になるんだ。キャロルはこれから、どうしようって考えているのか。今の状況で聞くべきことかは微妙だけど……」

 

 キャロルの呆れ果てたような説明を受けて、立香が慌てて抗弁する。

 確かにそっちも重要な話ではあるが、立香が今聞きたかったのは「復讐」をやめた彼女が今後どうしようと考えていたのか、ということである。

 これも本来的には立香が聞くべきことでも考えるべきことでもなければ、背負う必要もないことではあろう。

 ──だが、それでも立香は気になっていた。一度気になったから聞きたい、ということもあるが、それ以外にも大いに気になるところがあったのだ。

 

「ほ、ほら。響たちが言うには、あっちのキャロルはなんだかんだ最後まで戦ったって言ってたから……こっちのキャロルは戦いをやめたってことは、何か思うところがあったんだよね?何かやりたいこととかあったのかなーって……」

「何……?」

「あっいやほら、言いたくないならいいよ、うん、無神経でしたごめんなさい!」

 

 どうにか言葉を選ぼうとはするものの、結局根掘り葉掘り聞き出そうとしている様にしか取れない言葉を吐いてしまった立香。盛大に取ってしまった不覚を誤魔化すように、即座に前言を翻し謝罪する。

 言われたキャロルは最初キョトンとしていたが、言いたいことを理解したのか嘆息する。

 

「ああ、何が言いたかったのかと思えば……。別に、オレが戦いをやめたことに特段おかしなこともない。シャトーが砕け、オレの復讐が成らないなら、戦い続けることは無意味……だろう……?」

 

 言葉を紡いでいくうちに、キャロルはふと疑問を感じたのか言葉の端々から自信が失われていく。

 文字情報、あるいは言葉として再認識したことで、キャロルは改めて己の心情に対して不信感を覚え始めた。

 

「そうとも、復讐が成せないと知って尚戦う……その方が、おかしい……その筈だろう?」

「キャロル?」

 

 キャロルがおかしな様子でブツブツと呟く様を見て、心配した立香は恐る恐る声を掛ける。

 もしかして自分の言葉が何か琴線に触れたんだろうかと不安になる立香だが、そんな彼女の不安を余所にキャロルは不安を払うように首を振り、顔を上げる。

 

「……いや、今は考えても仕方がない。それで、オレが復讐をやめた理由は先程の答えで満足か?」

「う、うん……」

 

 おずおずと頷く立香にそうか、と返したキャロルは、立香の言葉で止まっていた作業を再開する。

 

(……『復讐が成立しない』から、それで復讐をやめたって言うけど……。でも、数百年も恨みを抱えて、それで出来ないからやめたってなるものかな……?)

 

 キャロルの言葉を反芻した立香は、おそらくキャロル本人より違和感を覚えていた。

 立香が今まで見聞きしてきたキャロル像には、冷静であると同時に激情家としての側面があった。また、恨みを延々と……それこそ数百年も抱え続けて復讐の機会を伺うという、とても執念深い面もあると感じていた。

 だからこそ、そこまでの復讐心を抱えていて……そこでやめるものだろうか。いや、そこで止まれるのだろうかという疑問が立香の頭の中を離れなかった。

 

 立香のそんな葛藤を余所に、少なくとも今は納得している当人は作業をしながらも話を続ける。

 

「さて、アマデウスの音楽配信システムは構築が完了した。奴も長時間の演奏は辟易するようだが、まあどうにもならんから諦めてもらうほかないな」

「そりゃ、まあねえ」

 

 アマデウスは飽き性だが、流石にこの場でまで飽きることを主張するつもりはないらしい。そのかわりと言うか、通信先にもっと褒めそやしてくれるようにとなんやかんや言っているようだが。

 そんな彼の状況を無視して、キャロルは作業を続けていく。

 

「この施設はオレの手が入った錬金術の工房でもある。だからこそ、色々と手を打つことも出来るわけだが……まず差し当たって、S.O.N.G.が消えた原因を探ることからだな」

「!」

 

 キャロルの言葉に立香は目を見開く。その言葉の意図することを噛み砕こうとしているのか、少し考えてから立香が口を開く。

 

「……S.O.N.G.の人たちって何で消えたのかって、錬金術で判るの?」

「確実にわかるようならもう少し早くそれらしい情報くらいは出している。だが、少なくともオレたちの技術で成したことなのかどうか……オレたちの知る異端技術、錬金術、哲学兵装でこれだけのことを引き起こせるのかどうかを検討しなくてはならん。」

 

 そう呟くキャロルの手元にあるモニターには、この世界のS.O.N.G.職員が消えたその瞬間の映像が映し出されており、その映像に重なるように展開された小ウィンドウにはその時点でのエネルギー観測記録が記載されている。

 

「少なくともオレたちの知る技術で解明できない場合、逆説的にこの世界にある異端技術に由来する諸技術以外の何らかの力が使われている可能性が極めて高いということがわかるだろう。最も、オレたちが影も形も知らない異端技術……例えば神隠しに由来する聖遺物なんかによるものである可能性もあるが……」

 

 もしそうなら考えるだけ無駄だ、と切って捨てるキャロル。聖遺物に関しては謎が多すぎるということなのだろうが、そのあまりのバッサリ具合に立香も思わず苦笑いが出る。

 と、データを一通り眺めたキャロルは難しい表情を浮かべる。

 

「……やはり、空間の乱れが発生しているな。だが、錬金術による亜空間制御とも違う反応……オレたちの知る技術ではない、か。そうだな、カルデア側で何かわかったことは無いのか?これを認めるのは癪だが、オレの技術で当時何がおきたのかを解析できそうにない。そちらでどうにかわかるのであれば聞いておきたいんだが?」

「う、う~ん。どうなんだろう……。ほら、今カルデアでも攻略チームのサポートに回ってるし……」

 

 言葉を濁す立香。どういうことかとキャロルが目線で先を促す。

 

「ダ・ヴィンチちゃんがフリーになってないと、情報解析速度に差が出るって前にムニエルさんが言ってたんだよね……。ダ・ヴィンチちゃんは今……ダビクリチームのサポート中でしょ?」

「……そうか。だがそうすると手詰まりだな。仕方ない、別のことについて……」

 

『ああいや、別のことをする必要はないとも。こちらでもある程度把握できたことがある……私が説明してもいいと考えられる事項がね』

 

 と、2人が話している中に唐突に割り込む男の声。

 立香は聞き覚えのある声が聞こえてきたことで、キャロルは知らぬ相手からの通信が入ったことでそれぞれに驚きを見せるが、そんなことは知らんとばかりにS.O.N.G.本部潜水艦のモニター、それこそ凡そ全てのモニターに、1人の人間の顔が映し出された。

 

「!貴様、一体……ッ、いや、カルデアの人間か!」

 

 モニターに映し出された顔を食い入るように見つめたキャロルだが、その男の背後に映る設備からカルデア所属の人間であることを看破する。

 看破された側の男は、その言葉ににこやかな笑顔を向けた。

 

『ははは、そうだとも。はじめましてだ、錬金術師キャロル・マールス・ディーンハイム。そして久しぶりだね、ミス藤丸……まあ実時間ではそれほどでもないが、忙しなさそうな現状を鑑みれば、君の体感としては久しぶりでいいんじゃないかな』

 

 その男の顔を見て、立香は今更ながらに彼が居たことを思い出した。

 このレイシフトの間中ずっと顔を見ていなかったから、てっきり居ないものかとぼんやり思考の外に置いていたのである。

 

 

「って、今までどうしてたのさ──ホームズ!」

 

 

 モニターに映る優男──サーヴァント・ルーラー、シャーロック・ホームズは、立香の声に僅かに口角を上げた。

 

『さて、私の今までの動向について説明するのは吝かではない、が……その前に』

「ホームズ……ホームズだとッ!?」

 

 ホームズが言葉を切ると殆ど同時に、明かされた事実にキャロルが目を剥いて叫ぶ。

 

「幾ら何でもおかしいだろうがッ!シャーロック・ホームズはアーサー・コナン・ドイルの創作上の人物、実在するはずか……ッ!」

『ない、とは言い切れないだろう?まあそちらでは言い切れるのかもしれないけれど、我々の世界においては、さてどうなのか。私がサー・アーサー・コナン・ドイルの創作存在であるのか、あるいは私が居たから彼が"シャーロック・ホームズ"を書いたのか……まあ、どちらにせよ私の主観では私は実在していた、ということにしておこうか』

 

 あまり重要でもないからね、と切り捨てるホームズ。キャロルは納得がいかないと憮然とした表情を見せるが、確かに今この場で重要なことではないこともそうなので口をつぐむ。

 ……なお、この問題については立香も以前同様の問答をしたが、そのときも結局はぐらかされていた。立香は自分同様にホームズにはぐらかされたキャロルの肩をぽんと叩き、苛立たしげに睨む彼女に黙って首を振った。

 

『さて、ミス・ディーンハイムに納得してもらったところで。私の動向については順を追って話すことにしよう』

「核心部分から……はないですね、はい」

 

 全く納得して無さそうなキャロルを見ながらさらりとのたまい、ホームズはモニターの前で手を組み替える。

 立香はそんな彼に重要な部分だけ先に話してほしいと控えめに要求するも、笑顔で全く表情を変えないホームズに諦める。

 

『うんうん、我がマスターは流石私をよく理解している。では、何故私が今回ろくにサポートに回っていなかったのか……というところから話をしよう』

 

 にこやかにそう告げる。長い語りが始まると察した立香は、はぁとため息を吐いて椅子に座り直す。キャロルもこの短時間で相手の精神性を何となく理解したのか、作業の手を緩めずにジトッとした目線だけをモニターに向ける。

 

『ミス藤丸は存じているだろうが、私は今回の特異点の際のサーヴァント招集をブッチしていた。ああ、誤解しないでもらいたいけれど、何も今回の異常がつまらなそうだとかそういう訳ではない』

「その言い訳はいらなかったね……」

 

 無意味に疑惑を向けられるような言葉を吐くホームズだが、変な目線を向けられることに慣れているのかはははと流す。

 

『まあ何のことはない。ダ・ヴィンチがカルデアスの感知した異常を調査するように依頼されていたのさ。勿論魔術的な要素なら私の出番ではない……わけでもないが、私よりそれこそダ・ヴィンチがやるべきことだからね。私のやることは過去に発生した情報や種々の魔術・神秘事件から今回の異変と類似する点を探し、そこから今回の異変の謎を探っていたということだ』

「情報統計による真実の推理ということか。それならば確かに探偵の仕事だな。……だが、今ここでオレたちに話をするということは、何かわかったことがあるんだろう?」

 

 キャロルがホームズの言葉に納得するように頷く。そしてそのまま話を続けるようにとの意思を込めて、キャロルは手を止めずにモニターをジロリと睨む。

 

『まあそうだね、ある程度重要な点は把握できた。そしてその先については情報統計だけでは難しそうだから、今回は中間報告のために回線を開いたというところだ』

「だろう?さあ、さっさと……」

『確かに核心部分というのは大事だが、まあ聞いてほしい。何、各魔都の攻略はまだまだ掛かりそうだからね、話す時間はそこそこあるとも』

「…………貴様……ッ!」

 

 ホームズは急かそうとしたキャロルの言葉をぶった切る。その態度が痛く癇に障ったのだろう、キャロルの声は怒りに震るえている。今の状況理解できていないのかとでも言いたげだ。

 立香はやっぱそうなるよなーと半ば投げやりな心境だったが、だからといって本当に投げる訳にはいかない。この状態のキャロルと一緒に待機するのは立香も嫌だった。

 

「ねえホームズ。貴方の性癖……じゃなくて性質は知ってるけど、なるべく端的にお願いしていい?っていうか、ホントお願い、ね?」

『仕方ない。それでは順繰りに、なるべく手短にまとめることにしよう。まず私が着目したのは、当然ながらセフィロトの様相を呈したこの世界の魔都と呼ばれるものだ。これに類似するものを、私は過去の特異点データから見つけた』

「……何?」

 

 ホームズの言葉に、キャロルがどういうことだと立香を見る。睨まれた立香は慌てて回想するも、覚えがないのか首を傾げる。

 

『ああ、ミス藤丸は覚えていないかもしれない、いいやまず記憶に無いだろう。そもそも今回の魔都とは大分配置が違うし、構成の役割から異なるものだった。だが、それでも類似性はあったのさ──あの"時間神殿"とね』

「!?それって……」

 

 疑問符を浮かべていた立香だったが、ホームズが言った内容に思わずガタリと席を立つ。

 

 時間神殿とはかつて彼女が宿敵と戦い、そして失い、勝利した特異点。

 ──即ち、終局特異点。それこそが時間神殿……冠位時間神殿『ソロモン』と呼ばれる特異点だった。

 

『魔都は時間神殿における各末端部と同様。データによると、各末端部から中枢へと魔力を送り込むことで中枢部に膨大な魔力を蓄えていたということだけど、今回は中枢が新宿ということだ』

「で、でも今回の魔都と直接つながってるのは3箇所でしょ?それにまだエネルギーが流れているわけじゃないんだよね?」

『そうとも。だが考えてみたまえ、魔都の中枢は魔神柱をベースとしたデモノイズであり、まとめて吹き飛ばさない限り延々と再生する。これが純再生力なのか、あるいは嘗てのように七十二柱という概念を用いているのかについては今は確定ではないから置いておくとしても、ともかく嘗ての神殿同様に各末端を魔神柱が、そしてその中心部には首魁が居座っているという点で類似性が認められる』

「むむむ……」

 

 言われてみれば……と立香は唸る。脇で聞いていたキャロルはといえば、そもそもその神殿を知らないためにイマイチピンときていない様子を見せていた。

 そんな2人に畳み掛けるように、ホームズが言葉を紡いでいく。

 

『さて、当然ながらこれは仮定でしか無いため、本来私が語ることではない。確定しない推理はただの妄想のようなものだ、探偵は確実な内容のみを伝えるべきだからね。だからこの仮定が正しいか、あるいは間違っているかの裏付けを取るということで調査を続行した。

 時間神殿の特徴とは何か、というと様々だろう。宇宙の極小再現モデル、魔神柱で構成された特異点、無尽蔵なエネルギー……。だが、今回の件で何より重要な点は、魔術王の遺体、さらに言えば魔術回路を用いた固有結界であるという点だ』

「固有結界……」

「固有結界……?」

 

 ホームズの推論に異口同音で返す2人。キャロルはそもそも固有結界という用語を知らないために疑問形で返しているが。

 

『固有結界というのは個人の心象風景を具現化する異能、あるいは魔術の総称だ。正確にはもっと詳細な要件があるがここでは割愛するとして、だ。固有結界も千差万別だが、その中でも私が注目したのは、固有結界というのが世界卵の理論に基づいているという点だ。つまり、固有結界は心象世界と外界を隔てる殻を定義した上で、それを反転させる手法を取る。この場合、使用者及び結界に呑まれた対象者は外界……即ち現実世界から消失し、使用者の心象世界へとその座標を移すことになるが、重要なのは内と外を反転させるということであり……』

「……?、??」

「おい、藤丸の頭が熨されているから一旦止めろ」

 

 ホームズの語りを聞いているだけで頭が湯だったのかオーバーヒートを起こす立香。脇で聞いていたキャロルは諸知識に詳しいこともあり普通についていけていたのだが、流石に立香の状況を鑑みて話を止めさせる。悲しいかな、事前の情報を知っていた立香と知らなかったキャロルだったが、地力と地頭、基礎知識に大きすぎる隔たりがあったようである。

 

「……しかし世界卵か。ミクロコスモスとマクロコスモスの逆転というのは興味深いが……。しかし、そうするとS.O.N.G.の職員が消えたのは……固有結界に囚われたから?いや、逆だな。固有結界に囚われなかったということか?」

 

 今まで情報を聞いていたキャロルは、その話の内容から現在にどうつながるかを推測し、その上で1つの結論を導く。

 ホームズは言いたいことを言われたことで若干眉を潜めたが、しかしだからといってふてくされるようなこともなく、キャロルを肯定するように頷く。

 

『先に言われてしまったか……言いたいこととしては、そうだ。しかし、厳密には実情とは異なる。先程も言ったが、固有結界とは1つの生命の内面世界をベースとするが、君達がいるその世界は生命の内面世界というわけではないからね』

「え、えっと……どういうこと?」

 

 わからないなりに理解しようとしているのか、解説を希望する立香。

 ホームズはそんな立香にどう噛み砕いて説明するか考え──諦めたような表情で口を開いた。

 

『ふむ……よし、まず説明を先にさせてもらおうか。ところでいわゆる英霊の宝具、あるいはスキルとしての固有結界は先程言ったように心象をベースとすることが多々あるが、高位の魔術師の場合は事情が異なることがある。というのも、魔術で固有結界を構築するということは、ある程度自分の願望に叶った性質の固有結界を作成できるということだからね。前者としては例えばエミヤの無限の剣製が、そして後者としてはそれこそ時間神殿が挙げられるだろう』

 

 アーチャーのサーヴァントであるエミヤが使用する無限の剣製は、あらゆる剣になりうる要素が満たされた領域であり、種々の武装(特にも刀剣類)を見ただけで複製・貯蔵することの出来る固有結界である。これはエミヤの魔術属性である「剣」に特化した心象風景であり、魔術基盤や魔術式の積層により作成するようなものではない、文字通りの心象風景と呼べる魔術である。

 逆に時間神殿は純粋な心象というよりも、複数の魔神たちが惑星魔術や召喚術、その他種々の術式を綿密に組み合わせて構築した大神殿と呼べる魔術であり、こちらは魔術師としての粋を尽くしたものと呼べるだろう。

 

「あの……分かりやすく!お願いします!」

 

 立香は自分にわかるような解説を放棄したホームズに食って掛かる。キャロルはキャロルでエミヤって誰だよ、といいたげな様子を見せていたが、ホームズはそんな2人を流して連々と話し続けた。

 

『そして、固有結界に満たずとも同規模の異界……世界間の壁を1枚隔てた異界というのを世界に構築するということもある。以前ミス藤丸が訪れたという小川マンションがその類例であり、神代の魔術師であれば手順をふむことで特定者だけを招き入れいる異界を構築することも可能だろう。勿論、境界足りうるものが必要にはなる。小川マンションという建物がその内と外を隔てているようにね』

「小川マンション……あそこってそんなすごい場所だったんだ……」

 

 立香は解説をもらうことを諦め、かつてレイシフトした小川マンションに思いを馳せる。確かに奇妙な建物であり、英霊たちの暗い側面が集められて悪意の坩堝と化していた其処を異界と呼ぶことに違和感はない。

 しかし立香からすれば某アヴェンジャーの英霊が何かやっていた場所、という印象が強い。建物を建てたという魔術師については其処で出会った少女との話でしか出てこなかったため、そういうものであるという考えがまるで無かった。

 

「結界、という概念としてはまあ納得がいくというものではあるがな。ヒンドゥーの伝承なんかにもそういうのがあったと思うが……。しかしそうなると……まさか、世界そのものが?」

 

 何となく推測がついたのか、嫌な予感を隠しきれないかのように表情を歪ませたキャロルに、ホームズが頷く。

 

『そうだ。魔神はそちらの世界にとって外なる領域から訪れた存在である、ということは逆説的にそちらの世界には概念的に外の世界があるということを後付けで証明してしまっている。であれば、その世界そのものを異界として作り変えることも出来る。世界に存在を許される対象も、世界の書き換えの過程で選別できる。

 総じて、私はそちらの世界がどの様な原理で構築されているのかについてこう判断した。──世界そのものをベースに構築している途中の固有結界であると。S.O.N.G.以外の住人を招き入れた魔境。そして魔都を通じて世界中に網を張り巡らせ、世界殻を閉じることで固有結界として完成する異界である、とね』

 

 

『つまり、魔神は固有結界の完成を──ひいては、魔術王の神殿を再構築し、己のものとすることを目論んでいるということだ。無茶を言うようで悪いが気をつけてくれ。異なる世界の極点では、綺羅星の如き英霊たちもその姿を顕せない。もしも本当に完成してしまったら──どうにもならなくなってしまうだろうからね』

「────そんな……!」

 

 

 シャーロック・ホームズ──名探偵の名を持つサーヴァントが告げた事実は、2人の心に大きな衝撃を叩き込んだ。



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第10節 戦乙女の凱歌(1)

 開戦の狼煙を上げたのは、守護天たるランサーの暴風の如き槍撃だった。

 

「──くぅッ!?馬鹿な、これほどだとッ!?」

 

 旋風を纏うガングニールの一撃をどうにか受けたところで、翼は己の構えたアームドギアごと吹き飛ばされる。その膂力は翼の知る友人のものではなく、その力の差に翼はどうにも抵抗することができなかった。

 ならば、とその隙を狙ったブリュンヒルデの大槍も、即座に引き戻された魔槍によって容易に迎撃されてしまう。力いっぱい叩きつけた攻撃であるにも関わらず、相手が無理な体勢から引き戻した槍で弾き返されるといった不条理がブリュンヒルデを襲った。

 

『守護天、ヘルヴォル・アルヴィトの出力は通常のサーヴァントを遥かに凌駕しています!おふたりとも、気をつけてください!』

 

 マシュの通信に、いままさに身をもって体感していた2人は全くだとばかりに頷く。

 

「──守護天、というのはここまで通常のサーヴァントと違うものなのか?」

「いえ、ヘルヴォルにここまでの力はありません。これは一体……?」

 

 2人にとって、この状況は不可解なものであった。

 翼が今まで見た限り、サーヴァントという存在はギアのような肉体能力の向上を行う武装なしでそれと同等以上の規模の戦闘を可能としていたが、それは逆に言えばギアなら支えきれるレベルの戦闘力でしかなかった。しかし現実には、こちらの渾身の防御をあって無いようなものとばかりに吹き飛ばしてくる。

 またブリュンヒルデにしてみれば、ワルキューレ姉妹では基本的に長姉たる自身の能力が最高であるという認識があったことで、この状況が明らかにおかしいと感じていた。たとえ武装が偽ではない本来の大神宣言(グングニル)である(正確には別世界の欠片(ガングニール)であるが)としても、それでここまでの性能差が出るとはブリュンヒルデには考え難かった。

 

「私も、嘗ての私ではないのです、御姉様。──文字通り、器が違いますから」

「──そうです、か!」

 

 話しながらもその猛攻を止めることのないヘルヴォルに、魔力放出を使用してどうにか応戦するブリュンヒルデ。

 ブリュンヒルデが攻撃を捌く隙を見て、翼はアームドギアを刀に近い通常形態から身の丈に近い大型の片刃剣へと変化させる。そしてそのままヘルヴォルとブリュンヒルデの間に入り、武装自体の質量を利用して槍を受け払う。

 

 ヘルヴォルの攻撃を2人がかりで凌いだところで、ブリュンヒルデは相手の発言の意図を考え始める。もちろんその間も集中を切らすこと無く、翼と共にヘルヴォルの出方を伺い続けている。

 

(器が違う、とは──?確かに、天羽奏を依代とした疑似サーヴァント。器が違う、というのはそのとおり。ですが、半神である本来の肉体のほうがずっと強靭なはず……!?)

「────ッ!まさか……」

 

 ブリュンヒルデと同様の結論に思い至ったのか、翼とブリュンヒルデの目が合う。翼は自分たちをモニタリングしているマシュへと通信を開く。

 

「キリエライトッ!奴のもつエネルギー出力の内訳はわかるかッ!?」

『え?えっと……はい!情報を細分化及び解析してみます!』

 

 マシュは翼の要望に一瞬疑問符を浮かべたが、もしやと感づいたのか即座に作業を開始する。

 これで良いと通信を切り、集中し直すその刹那。翼の眼前にまるで瞬間移動のごとくヘルヴォルが迫っていた。

 

「隙を晒すとは、無謀に過ぎる──」

「ッ!」

 

 通信に意識の一部を割くというごく僅かな隙すら見逃さない橙の速攻に翼は絶句するも、しかしと瞳に力を入れ直す。

 主神の槍が振り下ろされんとする瞬間、当然に魔銀の槍がその軌道を逸す。

 

「すまない、助かったッ!」

 

 割って入った影の正体、ブリュンヒルデに翼は感謝を告げる。

 ブリュンヒルデは気にしなくともいいと首を振り、ヘルヴォルへと向き直りつつ翼に語りかける。

 

「剣の乙女、風鳴る翼。──貴女が晒さねばならないその間隙、私が塞ぎます。勇士たる貴女、私が介添を務めましょう」

「勇士、か……。戦乙女に認められるのはどうにも面映いが、勇士として、戦士として。何より防人としての務めを果たすとしよう」

 

 翼は相手に隙を見せないように……ブリュンヒルデと互いにカバーリングできるようにとジリジリ動きながらもそう零す。

 と、そこで解析が終わったのかマシュからの通信が入る。

 

『お2人とも、お待たせしました!相手の異常出力の原因は──高出力のフォニックゲインによる駆動兵器、シンフォギアです!常時発動型のスキル、あるいは宝具として使用している可能性が高いと思われます!』

「──ッ!」

 

 マシュの報告に、翼がやはりかとヘルヴォルを睨む。その目線は彼女の纏う鎧へと──彼女の依代たる天羽奏が、ワルキューレの鎧の下に纏うギアスーツへと向けられる。

 

 疑似サーヴァントは、その依代となった人間の縁を由来とするスキルを継承することがある。

 カルデアに居る疑似サーヴァントの場合、代表的なものとしては金星の女神イシュタルが依代の少女の宝石への縁を。山嶺の娘パールヴァティーは依代の少女の持つ虚数への縁をそれぞれに抱いている。

 これは依代と英霊・神霊側の割合、比率によって表に出てくる部分が異なるため一概にどの様な面が出てくると言えるものではない。

 

 だが、それはあくまで元の依代がただの人間である場合。

 

「──天羽奏は、諸事情あれどお父様の槍に担い手として認められた戦士。であれば、疑似サーヴァントとして顕現した時にその槍を持ってくることは想定していましたが……」

「奏が手に持つ槍は、あくまでシンフォギアの付随。シンフォギアの機能でアームドギアという武装が出現しているだけのこと。奏のガングニールとはあくまでその身に纏うシンフォギア、なればこそ──」

 

 真なる大神の槍が握られているということは、シンフォギアを纏っているということと等価である。

 これが依代本体が強靭であるなどという話であれば、依代の肉体か宿ったサーヴァントのステータスのどちらかが上限になるのだろう。だが今回のような場合、ギアという強化装備をサーヴァントが纏っているということになる。

 ただの年頃の少女が装者となれば、銃撃を見切り、砲撃を往なし、地を砕き山を割る。常時それだけの出力というわけでもないが、それでも尚シンフォギアは特級の強化武装であると言えるのだ。

 

 まして、ソレが素で装者と同様の振る舞いをこなせるサーヴァントが纏ったとなれば、その力が常軌を逸するのは至極当然な話であった。

 

 明るみとなった事実に、翼がため息を吐く。

 

「──最も、我々が知ったところで打てる布石があるわけではないが、なッ!」

「理解が早い。であれば、この戦いに勝利がないことは理解できているのでは?」

 

 ヘルヴォルから牽制のように放たれた必殺の槍撃を、刹那に見切り大剣の腹で受け流す。最初の剣戟で互いの出力差を知り、その裏事情を明かされた今となっては、翼に相手の槍を正面から受け止めるつもりは無くなっていた。

 対峙するヘルヴォルの言葉通り、この状況での勝率は限りなく低いと言えるだろう。攻撃が通らないわけではないからゼロではない、その程度の話である。

 ──そして、風鳴翼という少女は「その程度の話」さえあれば膝を折ろうなんて思いもしない、それ程には修羅場を潜ってきた歴戦の防人であった。

 

「ふ……。万に一つ、億に一つの先にしか勝機がないというのなら、億と一つの手立てを以て勝機を掴み取るまでのことッ!」

 

 痩せ我慢とも取れそうなその言葉を、全く本心から吐き出す翼。たとえ現実味がなかろうとも、気炎を上げ己を奮い立たせることがどれほど重要なのかというのを翼は経験で理解していた。

 そんな翼に、ふと何かに気づいたブリュンヒルデは僅かに黙り、そして翼に告げる。

 

「ええ、負けられません。ですが、勝つ必要もありません。私達の砕くべきはあくまでデモノイズ、あの恐るべき魔音の楔なのですから」

「む──それは……確かに、そうだな」

 

 ブリュンヒルデの言葉は今更という程度の話であったが、しかし事実である。相手が奏を依代としていたことで血が登っていたのか、そもそもの勝利条件を誤認していたことに翼は気づいた。

 一旦冷静になろうと、翼は本来の勝利目標であるデモノイズ──魔都の要であろう、巨大な指揮者デモノイズへと目線を向ける。

 

「──♪───♪───♪──♪♪──」

 

 歌をこれ以上無いほどの大音量で奏で続けるその柱は、その大量の眼球をあらぬ方向へと向けたまま、翼にもブリュンヒルデにも興味が無いとばかりに周囲のフォニックゲインを高めることへと終始している。その様子は不気味以外の何物でもない。

 

「──しかし、何故手を出してこない?」

 

 手を出してこないというのは彼女たちにとっても有り難いものではあった。しかしその意図が不明であれば流石に気を配らないわけにもいかない。

 

『──デモノイズ、フォニックゲインを増幅していきますが……。増幅分は魔都内の各所に分配しているようです。魔都の領域に広がるエネルギー増幅率を考えれば、凡そ1~2時間程度で……』

 

 マシュの通信が入り、2人に予断を許さないということを告げる。

 ……未だ危険域にないとは言え、最終目標という意味ではデモノイズにこそ気を配るべきなのだろうが、守護天の力量を考えればとても余力で相手できる存在ではない。結果として今まで守護天にばかり注意を向けていたのだが……。

 翼がデモノイズへと警戒を向けているということで、ブリュンヒルデはヘルヴォルから目線を一切そらさずに言葉だけを零す。

 

「魔都内へのフォニックゲインの充填を続けているということは、それ自体があのデモノイズの──ひいては、魔神にとってのこの魔都における達成目標なのでしょう。デモノイズは攻撃時に、フォニックゲインを大量に消費しますから、なるべくなら守護天だけで勝利するほうが良いということでは?」

「となると、守護天だけで我々に勝てるつもりである、ということか……。いや、2人がかりでこの体たらくともなればその自信も頷けるというものだが……」

 

 だが、と翼は目を細めてヘルヴォルへと目を向ける。

 

「逆に言えば、守護天を抑え込めさえすればいい、ということか。……二手に別れて戦えればいいが、流石に其処まで甘い相手でもない」

「ええ、まず守護天を行動不能にしましょう。私の原初のルーンによる幻視、あるいは束縛か……」

「あるいは、私の影縫い辺りだな。……よし、事前の取決めどおりに私が主体として矢面に立つ。ブリュンヒルデは援護、機を図って拘束術を使用してくれッ!」

 

 そういって、ヘルヴォルへと駆け出す翼。ギア脚部のスラスターを全開にしたその突撃は疾風のごとく、ヘルヴォルの喉元へと刃を運ぶ。

 

「…………甘い」

 

 ヘルヴォルはその瞬撃にも慌てること無く、魔槍でその刃を空へと弾き飛ばす。翼の手を離れたアームドギアは、坑道の天蓋へと突き刺さる。

 そのまま翼の軌道に合わせ魔槍を構え、その身を切り裂かんと大きく振るった。

 

「(やはり、弾いたかッ!)──甘い、のはそちらもだッ!」

 

 翼は魔槍の横薙ぎの一撃を、まるで身を崩すようにして躱す。まるで横薙ぎが来ることが判っていたかのようなその動きに、ヘルヴォルが僅かに目を細める。

 

 先の突撃の時点で、翼は自分の攻撃がほぼ意味をなさないであろうことを予測していた。相手のほうが動きも良く、また膂力に優れる以上、1人での正面からの攻撃には限界がある。

 本来ならば絡め手や面攻撃による制圧をすべきなのだろうが、翼はそうせずに敢えて回避できる攻撃を放ったのだ。それも、避ける方向によって大きくリターンが変化するようにと刃先の角度を調整した上で、である。

 

(──ヘルヴォルの攻撃を正面から受けきることは難しい。かと言って回避するとしても、相手の峻烈極まる刃運びを考慮に入れた場合半ば直感的に回避する必要がある。であれば──)

「成程、私の攻撃を限定するとは。その技量、見事というほかありません。しかし──」

 

 敢えて対処しやすい攻撃を放たせることを目的とした行動、それを為せるだけの力量を持っている翼にヘルヴォルは驚きと称賛を口にする。

 しかしそこで、無慈悲にも2人の能力による差が現れてしまう。ヘルヴォルは振り抜いた大槍をギアで強化された筋力で無理やり引き戻し、回避のために体勢を崩した翼へと即座に向き直る。先んじて回避したはずの翼が体制を整える前に行われた早業に、翼は瞠目する。

 これが「ただの」装者の限界だろう、ヘルヴォルはそう認識し槍を振り上げる。

 

「今の手管が出来るのは、体勢が万全な初撃のみでしょう。それでは勇士よ、せめてヴァルハラへと──」

「──ッ!生憎だが、この身はこの世界の人々を守るためにと捧げた身ッ!罷る先を貴様に定められる謂れはないッ!」

 

 ヘルヴォルの振り上げた槍が振り下ろされる瞬間に、翼は崩れた体勢を更に崩し手を地に着ける。そしてそのまま脚部ブレードを展開し、地についた腕に力を込めコマのようにその身を回転させる。

 

───逆羅刹───

 

 スラスター推力により加速した右脚ブレードは腕より尚強靭な脚力によって支えられ、ヘルヴォルの槍を過たず迎撃し、逸す。そして弐の刃たる左脚ブレードは、槍を逸らされたことで体勢の崩れたヘルヴォルへと迫る。

 だが、ヘルヴォルはその真紅の眼をぐるりと見回し、慌てること無く脚部ブレードの軌跡に合わせ手を掲げる。

 ギアスーツの上から籠手に覆われていようとも、アームドギアの斬撃を防ぐことは到底不可能。その細く美しい手が伐されんとするその瞬間──。

 

「──それも、もはや見えております」

『そんな……!?』

 

 驚愕に満たされたマシュの声が響く。

 翼の放った刃は、まるで吸い込まれるようにその手に収まった。守護天を斬獲せんとばかりに直前まで維持していたはずの勢いも、まるで最初からなかったかのように殺されている。

 その非現実的な光景に、逆立っていた翼も思わず言葉を失ってしまう。

 

「──ッ!ツバサ……!」

 

 流石にこの状況を放置して縛鎖の術を行使など出来ようはずもない。ブリュンヒルデはルーンの術式を破棄し、魔銀の槍でヘルヴォルを切り払う。

 ヘルヴォルは流石に直撃しないものの、翼を掴んだままでも居られないと手を離して距離を置く。

 離された側である翼は即座に転回し、足を地に着けヘルヴォルを睨む。先程翼を捉えたその手の平を、原初のルーンの淡い輝きが照らし出している。

 

「あれは──ブリュンヒルデも使用していた、原初?のルーンというやつか……」

「ええ、遅滞、縛鎖のルーン……。私が使おうとしていたものの規模縮小版です。──これは、まさか……」

 

 ブリュンヒルデは相手が何故その手にルーンの輝きを宿しているのかが気になっていた。が、間を置かずにその理由へと思い至る。

 

「──ヘルヴォル、貴女は……」

「……御姉様、気づかれましたか。ええ、今の私は生前とも違う。曲がりなりにも御父様の真品を担う素体、であれば、私に与えられた名がその体にも現れましょう」

 

 語るヘルヴォルの目が、妖しく輝く。真紅に輝くその瞳は、素体のソレとは全く違う。

 天羽奏の瞳は、その髪色と同じく橙色。であれば瞳の真紅は奏のそれでは無く、ヘルヴォルの眼の色であろうことは容易に理解に及ぶ。

 

「あの、瞳は──」

「──最初は、あの子の神性が眼に表出しているものだろうと考えましたが……。ソレだけではない。あれは、魔眼です」

 

 ブリュンヒルデの言葉に、翼は眉をひそめる。

 

「魔眼、邪視の類ということか?しかし私は幾度となく目を合わせてしまっているが、特にこれと言って異変はないが……」

「狭義の意味での魔眼、ではありません。この場合、特殊な効果を及ぼす眼球を起点とした異能、程度に思っていただければ」

『しかし、ヘルヴォル=アルヴィトの伝承に魔眼はありませんし、大神オーディンにもそのような伝説は……』

 

 神秘・伝承に詳しいマシュが、ブリュンヒルデの言葉に反論する。

 伝承に曰く、オーディンは片目を代償に巨人の泉から叡智を得たとされ、またルーンの叡智を知るときには己を吊り槍で刺されること9日9晩を掛けたという。

 その結果として様々な神秘・奇跡を担う大神として語られているのだが、その話の中には魔眼のたぐいは登場しない。むしろ目を失ってすら居るのである。

 マシュの言葉に、ブリュンヒルデは頷き答える。

 

「ええ、その言葉に嘘はありません。あくまで武装や概念が御父様に近づいたことで、後天的に概念の結晶として獲得したもの──違いますか?」

「──はい。この瞳は全知の瞳。私の視野が拓く限り、私の視座は御父様の視座。是成は魔眼、全知の視座(フリズスキャールヴ)と呼べましょう」

「ッ!」

 

 翼はその言葉に身をわずかに硬くする。ヘルヴォルがあっさり認めたのもそうだが、何より語った内容が内容である。

 その衝撃は翼のみが受けたわけではないらしく、モニター向こうのマシュが慌てた声を出す。

 

『全知──アルヴィトとは確かにその様な意味であるとは伺っていますが、しかしそれでは……!』

「勝機がない、ですか?最初からそう告げているのですから、貴女達はそれを承知で挑んでいるはずでは?」

『それは、でも……』

 

 通信越しのマシュの言葉に、ヘルヴォルはふいと興味を失う。

 ヘルヴォルは今挑んできている戦士たちを見逃すつもりはない。彼女たちは侵入者であり、己の敵であり──そして、勝てないと告げられ尚も億に一つの勝機を掴まんとする勇士である。

 事実、マシュの驚きとは裏腹にヘルヴォルの目の前の勇士は──己の依代に残された記憶とは異なる、不敵な笑みを浮かべている。もっと少女らしい笑顔だと思っていたが──と思考したところで、瞑目して記憶を払う。ヘルヴォルは己の依代たる少女、目の前の蒼い少女と共に不条理に抗った戦士の想い出を荒らす気はなかった。

 

「……ふ、どうあれタネが明かされたのであれば話は早いというもの。だろう、ブリュンヒルデ、キリエライト?」

 

 そんなヘルヴォルの心情を知らずや、翼はまだまだと笑みをうかべる。全知であるというヘルヴォルにはその心情も読まれているかもしれないが、今更だと翼は開き直っていた。

 

『え……?』

「ええ、そのとおりです。──ヘルヴォル、何故其処まで話すのかは問いませんが──。やはり、貴女は御父様とは違う。──たとえ全知であっても、全能ではない。……いいえ、今の貴女の魔眼では、まだまだ全知には遠い──」

「──!」

 

 そのブリュンヒルデの言葉と同時に、ヘルヴォルが眉根を寄せて空を視上げる。掘削のためにと広げられた坑道の天蓋間際に展開されているのは、今にも降り注がんとする青白い刃雨。

 

「言っていたな、視野が全知とッ!であれば、我が死角の刃を視るのは遅きに失したぞッ!」

 

 翼の刃──先程弾き飛ばされ天蓋に刺さったアームドギアは、刃の雨へと姿を変えていた。

 技の発動自体は全知の視野に居た翼の意思から読み取ったものの、やはり当の刃に目が向いていなかったタイミングでは行動に遅れが生じる。

 

 

───千ノ落涙───

 

 

 蒼の刃が群雨となり、まるで涙のごとく降り注ぐ。

 ヘルヴォルが何らかの対処をする前に発動した翼の殲撃は、瞬く間にヘルヴォルへと迫りくる。

 

 本来的な全知であれば、これらの技、たとえ視野外で発動した技であっても対処できただろう。しかし、ヘルヴォルの全知は後天的な魔眼に由来するものであり、正確に全知と呼べるような万能性がない。ならばこそ、常に周囲を眼で見回すなど全知の性質に合わせた振る舞いをすべきであったのだが、ヘルヴォルはそれが出来なかった。

 ──生前になく、英霊として発生したものでもない。疑似サーヴァントの依代が特定の存在であるがゆえに発生した全知の技能。それを十全に扱えるだけの経験値が、ヘルヴォルには足りなかった結果と言えよう。

 

「……ですが、この程度なら──」

 

 ヘルヴォルは頭上に槍を掲げ、ルーンによる防御陣を中空に描く。堅固な城塞のごとく展開された魔術は、ヘルヴォルへと降り注いだ刃の雨を容易に塞ぐ。

 千ノ落涙はそこまで威力の強い技ではないとはいえ、それでも即座の防御で十二分に対処されるとは思っていなかったのか翼の顔が僅かに歪む。

 

「いや、これで打ち倒せるなどと最初から考慮の外。元より布石、──ブリュンヒルデッ!」

「……わかりました。では──」

 

 ブリュンヒルデが指を動かす様を見たヘルヴォルはその行動の意味することを識り、その顔に焦燥の表情を浮かべる。だが、翼の落涙を防いでいる以上すぐには手を空けられず、結果としてヘルヴォルが対処する前にブリュンヒルデによってルーンが展開される。

 その指が描いたのは「太陽(ソル)」のルーン。炎と栄光、太陽の輝きを示す大神の刻印はその名の通り、薄闇の坑道をまばゆく照らしあげる。先程までかろうじて光源となっていたデモノイズの光も、太陽の輝きの前にかき消されていた。

 

「く──、後手を、踏みましたか……!」

 

 ヘルヴォルが苦しげな声を上げる。その目線は翼やブリュンヒルデにではなく、己の背後に向けられている。最も、顔を動かさず、瞳だけを動かしてどうにか後方を確認しているその姿を「目線を向ける」と言えるなら、だが。

 辛うじてヘルヴォルの視野に入ったのは、彼女の影に突き立った蒼い刃。降り注いでいた青白いエネルギー刃は、今はほぼ実体となってヘルヴォルの影を穿っている。

 

『あ、あの技は確か……!』

 

 マシュが驚きの声を上げる。それは以前、新宿でウェルに放った拘束技、風鳴翼が会得した忍術の1つ。

 即ち、影縫い。太陽のルーンによって色濃く映し出されたヘルヴォルの影を、翼は狙い過たず刺止めたのだ。

 影を縛られ動けなくなったヘルヴォルを前に、ブリュンヒルデがポツリと零す。

 

「──全知、と貴女はいいますが、その視座は御父様だからこそ。見えていても対処できねば意味はない、ならばこそ勇士の身体に合わせて戦うほうが幾らも利口──違いますか?」

「……っ!」

 

 呟くブリュンヒルデの眼には、僅かな憐憫が浮かんでいる。

 戦乙女、戦士の介添人たるヘルヴォルが戦うならば、最も効率がいいのは戦士の肉体の戦いやすい道を選び、戦乙女の技能は肉体の補助にすることだろうと彼女は嘆く。

 そんなブリュンヒルデの様子を見ていた翼だが、状況が切迫していることもあって、話を遮り声を掛ける。

 

「あー、そのだな。奏の戦士としてのあり方を褒めてくれるのは有り難いが、ブリュンヒルデ。ルーンと影縫いが持続するうちに本丸を叩かねば──」

「──そうですね。それでは、剣の乙女は──……?」

 

 ブリュンヒルデが翼の言葉に応じ、ふいと目を背けた時。ふと悪寒を感じ、また即座にヘルヴォルへと目を向ける。 

 

「……確かに、学ばせて頂きました。御姉様、そして蒼き刃の勇士」

 

 身体が固定されたヘルヴォルは、目を伏せてポツポツと語り始める。

 その身は僅かに震えており、ブリュンヒルデと翼は拘束が緩み始めているとの疑念を抱かせる。2人は僅かに目を見合わせ、デモノイズに向かうことを止め即座にヘルヴォルへと武器を構え直す。

 

「ええ、全知の眼を得たことで逆に前を見ていなかったとおっしゃるのであればそうかも知れません。ですから──」

 

 ヘルヴォルの依代、天羽奏の肉体が纏うガングニールの鎧の各所に光が灯る。

 

『魔力反応!?これは……術式推定、原初のルーン!?一体いつの間に……!?』

「──ッ!馬鹿な、ルーンを刻む暇は与えていない筈──ッ!?」

 

 翼はヘルヴォルの鎧に発生した異常を前に、浮かんだ疑問をそのまま吐き出すように叫ぶ。

 しかし現実はマシュの言う通り、鎧の光──雄牛、巨人、雷などの大神を示すルーンが全身へと映し出されている。その様は叫んだ翼にも確り見て取れるものであり、だからこそより混乱させた。

 

「──そうか、御父様の槍。私達の世界の大神宣言(グングニル)シンフォギア(ガングニール)が習合されているというのなら、槍身の原初のルーンは……最初から、刻まれている!」

 

 ブリュンヒルデもまた、ヘルヴォルの様子に目を見開く。その表情は、ヘルヴォルに何が起きたのか、何を見過ごしてしまったのかを理解できていないことを如実に示していた。

 

 ヘルヴォルの影を貫き拘束している落涙の刃から、ぴし、という音が届く。

 天羽々斬の一片、エネルギーの刃による拘束。煌々と輝く太陽のルーンによる影は消えていないにも関わらず、今にも拘束から抜け出ようとしている。

 

「ですから──御姉様の言う通り、此方も本身で当たらせて頂きますッ!」

 

 その言葉が言い放たれると同時に、遂にヘルヴォルを拘束していた刃が罅割れ、砕け散る。

 翼がシンフォギアを用いて放つ影縫いは、己より出力で上回る暴走状態の装者が相手であっても容易に拘束できる熟練の技であった。にもかかわらず、ヘルヴォルに破られた──それも、以前ウェルが新宿でやったように「影を消す」という変化球ではなく、正面から堂々、力押しで破砕されたのだ。

 

「ッ、来る……!?」

 

 その光景に驚きはあれど、しかし破られそうだという意識があったために翼は即座に構えた武器をヘルヴォルへと向け、万全の状態で迎撃姿勢を取る。

 だが──。

 

「……全知だけに頼ることは愚かである、というならば。全知と、私と、勇士の身体。それらがあってこその一撃を以て手向けとさせていただきましょう」

 

 ヘルヴォルの言葉に合わせ、その手に持つガングニールのアームドギアの刃が回転し、螺旋のエネルギーを纏う。それはさながら嵐のよう、ソレを構えるヘルヴォルはまさに大神オーディンが身を変えたとも言われる「嵐の王(ワイルドハント)」そのものであるかのように錯覚させる。

 その光景に、翼は言いようのない感情を抱く。嘗て共に戦った戦友にして、掛け替えの無い比翼たる天羽奏の技に酷似するその嵐の槍は、翼の感情を掻き乱す。

 だが、状況を思い出した翼は即座に意識を切り替える。逆鱗の巨大剣を複数に渡り展開し、戦場たる発掘現場を複数の部屋に分断する壁を作り出した。

 

「魔槍、展開。照準、固定──」

 

 その様子を見てもなお、意にも介さんとばかりにヘルヴォルは魔槍を構える。

 彼女の周囲には先程の翼のように槍状のアームドギアが並列展開されており、逆鱗の壁の向こうの翼が見れば友の業が縒り合わさった一撃であるとも感じるだろう光景である。

 

 これこそは、今のヘルヴォルが召喚されている状況であればこそ成立する宝具。シンフォギア・ガングニールを纏う天羽奏の心象武装たるアームドギアによる分裂・螺旋機構、大神オーディンの神秘たる大神宣言の必中の呪いを統合したことで構築された制圧砲撃。それを照準するのは、全知の魔眼を獲得した疑似サーヴァントたるヘルヴォル・アルヴィトであるならば。その全知の魔眼による照準は、壁も、盾も、刃であっても遮ることは不可能であり──。

 

 

「──個体名:風鳴翼、個体名:ブリュンヒルデへの必中の呪の転写を完了。

 真名開放、嵐をここに──『嵐槍・大神宣言(ガングニール・ワイルドハント)』ッ!」

 

 

 螺旋の槍、真なる大神の魔槍。強大なエネルギーを嵐と変え、逆鱗の障壁をまるで障子紙のように刳り捨て──その向こうに居た、装者と英霊を吹き飛ばした。



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第10節 戦乙女の凱歌(2)

(……あたし、は……)

 

 彼女は、夢に揺蕩っていた。

 その意識は心の内界に落ちており、外界からの情報を殆ど受け取ることのできない状況にある。

 

 だからこそ、本来ならば夢という形だとしてもその意識が形を取ることは無かった──筈なのだが。

 

(……ガングニール?あたしのギアが……)

 

 ガングニールのシンフォギア。彼女の死装束として最期の時まで纏い続けた戦士の外装。己の心象に合わせた形質を取る、日本の聖遺物研究の極限にして異端技術の結晶体。

 あくまで第二種適合者である彼女の心象によって展開される武装であり、ワルキューレが纏うものではない。

 依代たる肉体がそれを纏うことで、彼女の心は擬似的にだが外界へと触れ得ていた。

 

(……翼、それに……?)

 

 先程から、自分の身体は何者かと戦っている。

 最初にそれを知ったのは戦乙女の術によるものだが、直接対峙してからはギアが打ち合うごとに、その心象世界に断片的に相手のことが流れ込んでくる。

 

 蒼き少女、風鳴翼。自分とともに戦ってくれたはずの彼女、己の最期まで共に居て、自分の死に際を看取ってくれた大切な人。心象の主たる少女の生の中で、全く忘れ得ないほどに大きなウェイトを占める片翼。

 そんな彼女とともにいるのは、自分と同じように大槍を携えた長身の女戦士。打ち合うごとに響くその感情は、依代として召喚された彼女ではなく、その内に容れられた半神の魂へと向けられている。姉妹に対する愛情ともつかない感情が、しかしとても強いということをひしひしと感じる。 

 

 今、己の槍はその力を発揮し、対峙する2人をその防御ごと打ち砕いた。

 少女が使用する故にロックが外れ、ガングニールの力の一端が嵐のように渦巻く。螺旋の激流に呑まれ、もうもうと立ち込める土煙の向こう側に消えた蒼い剣士と槍兵を、未だ夢見心地で見ている自分がいることを漠然と感じている。

 

 己を揺り動かす感情が湧き上がらない。自身を突き動かす衝動が立ち昇らない。

 まるで強く抑え込まれているのではないかとすら思わせるほど不自然に、己の心は平穏なまま。その心象を反映しているのか、夢に浮かぶ自分の身体は、まるで鎖で雁字搦めにされているよう。

 

(あたしは……)

 

 知らない長身の槍使いを攻撃したことに、身体の主導権を握る英霊が僅かなりとも動じていることは同じ身体に居る彼女にはわかる。御姉様、と呼んでいたのだ、親しい間柄なのは心象の少女にも理解できる。

 だが、自分がとても大切に思っていたはずの少女に攻撃したというのに、そこに衝動が現れない。まるで自分が自分で無いかのようであるが、それすらも尚疑うことも出来なかった。

 

(…………翼…………)

 

 橙の髪、翼のように広がった癖のある長髪の少女──天羽奏の精神は、未だ覚醒せずに夢に浮かび続ける。

 

 

 

 

『強力なエネルギー反応……これが彼女の宝具……!おふたりとも、無事ですか!?翼さん、ブリュンヒルデさん!』

 

 観測されたエネルギーは極めて強大。高ランクの対軍宝具として区分するに相応しいだけの大火力が薙ぎ払ったその領域は、暗がりと大嵐が巻き上げた砂塵とが相まって、全く先が見通せない状況を作り出していた。

 それは観測しているカルデア側も同じであり、魔力とフォニックゲインが混じり合った暴風が閉所をかき回したことで、S.O.N.G.やカルデアの機器によるデータ取得状況に大きな乱れが発生していた。

 

 モニタリングしていたマシュはその光景を乱れたモニター越しに確認しており、立ち込める砂埃の向こう側へと呼びかけを続けていた。

 

『おふたりとも……どうか返事を……』

「無事……とは、言い難い……ッ!が、戦闘に支障はないッ!」

『翼さん!──!』

 

 何度目かのマシュの呼びかけに、ある程度通信が回復したらしい翼からの応答が届き、マシュは喜色を浮かべる。

 が、モニターに映る翼の姿は凄惨なものであった。全身各部から血を流し、所々には盾として砕けたであろう天羽々斬のパーツが突き刺さっている。

 その惨状に思わず絶句するマシュだが、翼は何するものぞとばかりにアームドギアを支えに立ち上がり、そのまま構え直した。息を荒げてこそいるものの、ブレなく構えている彼女の姿はまさに戦士と呼ぶに相応しいだけの勇姿であった。

 

「落ち着いて、剣の乙女。応急処置はしてありますが、それでもダメージは大きいのですから」

『ブリュンヒルデさんもひどい怪我を……』

 

 そんな翼の脇には、同じく負傷が酷いブリュンヒルデの姿。その手は魔銀の槍の柄ではなく刃を握っており、肥大化した穂先を盾のように構えていたようである。マシュが心配の声を上げるが、ブリュンヒルデは静かに足元を指差す。

 マシュがつられて足元を見れば、そこにはルーンを組み合わせた魔術陣が展開されていた。

 

「治癒の術式を刻んでいましたから、見た目ほどではありません。レプリカならともかく、真作に近い大神の槍をルーンで防ぐのは悪手だったので、天羽々斬に威力減衰を任せ、最終防御として私の宝具を使わせていただきました」

「……ブリュンヒルデの宝具が、見目に違わぬ強靭さを持っているようで助かった。──だが、聖遺物に特効する神獣鏡ならいざ知らず、ガングニールがここまでの威力になるとは……」

 

 翼が呆れたように呟く。彼女の傷も徐々に修復されており、息も少しずつ整ってきている。

 相手が英霊としての膂力にギアを上乗せることで接近戦能力が高まっていたのは理解していたが、しかしギアまで威力が上昇しているとは思っていなかったのである。

 その疑問に答えたのは、ヘルヴォルと同じワルキューレであるブリュンヒルデだった。

 

「大神宣言は、神性の剥奪されていない姉妹に共通してレプリカが渡されています。おそらくですが、ヘルヴォルは私達の世界の偽・大神宣言(グングニル)をベースに、この世界の真なるガングニールの概念を上乗せすることで威力を強化したのでしょう」

『成程……。いえ、おふたりがどうにか無事で良かったです』

 

 とりあえず一撃は防げた、という事実にマシュはホッとする。

 もちろん予断を許さない危機的状況が継続していることは事実ではあるが、それでも相手の一撃が致命となるほどのものではなかっただけでも、対サーヴァント戦としては朗報といえた。サーヴァントの秘中たる宝具には正に必殺、使用されたらほぼ即死確定なんて危険なものも多くあるため、それらに比べれば十分対処できるものであることは証明できたのだから。

 最も、受けた側である彼女らからすればそう易いものではない。

 

「……だが、どうする。流石に2撃目を連続で放たれたら……」

「…………」

 

 翼がポツリとつぶやき、ブリュンヒルデも無言で返す。

 今の一撃を凌げた彼女たちだったが、それでもその負担は馬鹿になっていない。もう一発受けきれるのかといえば、先程の沈黙こそがその答えと言えるだろう。

 だが、2人に危惧するような追撃は来ない。それどころか、ヘルヴォルはおかしなものを見たと言わんばかりに目を見開いていた。

 

 なにがあったのかと訝しむ2人だが、追撃がないならばと肉体の快癒を優先することにして警戒を続けることにした。

 やがて、ヘルヴォルは思考が纏まったのか静かに口を開く。

 

「……成程、そちらの勇士の力ですか。その槍でこの御父様の槍を防げたのは」

「…………?」

 

 理解できたとばかりに頷きアームドギアを構え突撃姿勢を取るヘルヴォルの言葉に、ブリュンヒルデはふと疑問符を浮かべる。

 言っている事自体は先程翼と2人でまとめた内容と相違ない。だが、そのことを殊の外驚いており、挙げ句納得までに時間を掛けていたことをブリュンヒルデは疑問に思った。

 

(何故?確かに私の魔銀の槍は、レプリカとはいえ御父様の槍とは比べ物にならない程度の武装……ですが、私の宝具ならその性能を大幅に強化できる。姉妹としての愛情では然程の出力向上は得られないにしても、それに疑問を差し挟む余地はない筈……)

「考え事ですか、御姉さ、ま!」

「──!くっ──」

 

 ブリュンヒルデが思索を深める前に、ヘルヴォルが勢いよく突撃する。アームドギアは先程同様に螺旋するエネルギーを纏っており、ただ魔銀の槍で防いでも防御の上からガリガリと力を削られていくような嫌な圧迫感をブリュンヒルデに押し付けていく。

 これは堪らずと大きく槍を弾くも、膂力や肉体の制動に関して相手が常軌を逸しているのは先程からわかりきった事実であり、弾いたブリュンヒルデが槍を戻すより遥かに早く、ヘルヴォルが槍を構え直して突き入れる。

 咄嗟にルーンによる防壁を展開するも、大神の槍たる大神宣言は必中の概念を持ち、その刃に原初のルーンを刻む魔槍。ブリュンヒルデの咄嗟の防壁を貫き、そのまま大きく吹き飛ばした。

 

「ブリュンヒルデッ!?く──ッ!」

 

 瞬間の攻防に己の刃を差し入れられなかった翼は僅かに悔やむも、ヘルヴォルに攻撃を加えるのではなく吹き飛ばされたブリュンヒルデのカバーリングに立つ。

 ヘルヴォルは翼の反応にもブレること無く槍を振るい、最初の交叉同様に翼の防御ごとブリュンヒルデのもとまで吹き飛ばした。

 

『そんな──!ここまで、出力差が大きいなんて……!』

 

 今の僅かな、しかし絶対的な差を見せた打ち合いを見て、マシュは思わず苦しげな声を上げる。

 先程までの戦いを見ていたマシュであったが、翼やブリュンヒルデが上手に攻撃を当てたり回避していたりしていたために理解を誤っていた。

 

 別に、出力差が先程から更に開いたというわけではない。

 元々大きな差があったところを、戦巧者たる2人が綺麗に凌ぐ手筈を整えたが故に、僅かな拮抗を得ていたに過ぎなかったのだ。

 故に、ヘルヴォルが依代の戦闘センスと全知の魔眼を上手く併用し、タイミングを見極めて攻撃すれば──否、それどころか僅かな……それこそ一瞬の思考分の隙があれば、容易く拮抗が崩れてしまうのも自明であった。

 

「さらばです、勇士。そして御姉様。──願わくば、ヴァルハラで再開できることを祈りましょう」

 

 そして、戦ってきた相手の技量の高さ、戦士としての誇りを知るヘルヴォルは、たとえこの圧倒的優位からであっても油断するようなことはなかった。

 その手にある槍が宙へと浮かぶ。ガングニールのアームドギアは先程同様に分裂し、その全てが嵐を纏う。嵐の王、大神オーディンの逸話の一端が再び世界へと顕現する。

 

「──さようなら。嵐よ、いま一度……『嵐槍・大神宣言(ガングニール・ワイルドハント)』ッ!」

 

 絶対的な宣言、複合した武装から昇華された嵐の槍の銘が世界に告げられる。

 吹き飛び、瓦礫に埋もれた2人に向かって、全てを砕き呑まんとする大嵐が放たれた。

 

『翼さん、ブリュンヒルデさん────』

 

 マシュの悲痛な叫びも虚しく響く。直前に吹き飛ばされ、折り重なるように倒れた2人には、抵抗するすべもなく──。

 

 

 

 ──比類ないほどに巨大化した魔銀の槍が、飛来する嵐を薙ぎ払った。

 

『──え?』

 

 モニター向こうで起きたとんでもない光景に、先程まで悲痛な表情を浮かべていたマシュはぽかんとする。

 対してヘルヴォルは慌てず、やはりとでも言いたげに嵐を凪いだ大槍の根本を見やる。

 

 そこには、2人掛かりで槍を支えるブリュンヒルデと翼の姿があった。

 

 

 

 

(……ヘルヴォルは、私達が何か出来るようになる前に殺すつもり、ですね)

 

 僅かに考えを深めていたその隙を穿たれ槍に叩き伏せられたブリュンヒルデは、どうにか身を起こしたものの目前の大嵐から退避することが叶わずに居た。

 その側には同様に槍で吹き飛ばされた翼の姿もあり、同様に嵐を前に口惜しそうな表情を浮かべている。

 

「このままでは……ッ!否、たとえ一寸先に闇があろうとも、我が眼前は照らしてみせる──ッ!」

「翼……」

 

 翼は決意に満ちた表情で、とある歌を口ずさまんとした。それはシンフォギアの決戦機構、この場で使用したならば一度は嵐を迎撃出来るであろう大技のためにと武器を構え──ブリュンヒルデがその身体を支える。

 

「……貴女が何をしようとしているのか、話を聞いていたので想像は付きます。私の魔力を貴女に同調させて負荷を──?」

「どうした、何か──?待て、その槍……」

 

 ブリュンヒルデと翼の目線の先、紫水晶のごとき魔銀の槍は、その輝きを大きく増していた。

 

「これは──」

 

 ふと、ブリュンヒルデは先程抱いた疑問、ヘルヴォルの不可解な言葉を思い出す。

 あの時、何故ヘルヴォルは異様なものを見る目で防御した自分たちを見ていたのか。どうして奇妙に納得したような態度を見せたのか。

 

(……決まっている。宝具を迎撃するときの攻防で、予想外の結果を生み出したから。──そう、それこそ全知の魔眼でも見えなかった結末を)

 

 本来ならば有り得ない。全知の魔眼は文字通り全て知るからこその魔眼であり、その視界の万象を元にあらゆる情報を獲得するものだ。

 ……そして、有視界にないものの情報を獲得することは出来ない。少なくとも対峙するヘルヴォルの魔眼はそういう性質を抱えていた。

 

(あの魔眼に透視能力はない、つまり剣の乙女が防御の剣を用意したところまでの情報で、防ぐこと能わずと考えていたということ……)

 

 嵐が今にも迫らんとする中、思い出せ、とブリュンヒルデは自己へと囁きかける。己が大神の槍を防御したとき、一体何が起きていたのか──。

 思考が加速する。刹那の剣戟を戦う時のように、須臾が永遠と伸ばされていく。宝具を防いだ僅かな時にそこにあったものが、まるで走馬灯のようにブリュンヒルデの精神を駆け巡る。

 

(剣の城塞、魔銀の槍、嵐、防人、勇士、剣の乙女、歌────歌?)

 

 歌、デモノイズが鳴らす荘厳な楽曲ではない。神の指(ゴッドリープ)が奏でる安らぎの調べでもない。猛々しく、しかして優美に歌われる、防人の心を形としたもの。

 戦う中、劣勢であっても力の限り歌い上げる心象の旋律。もしもそれが、魔力を同調させていた自分にも影響を与えていたのだとしたら?そして、己等が知らないそれを、ヘルヴォルが全知で知ったのだとしたら──?

 

 ブリュンヒルデは、まるで天啓を得たかのように翼の手を強く握りしめる。

 槍の輝きに刹那目を奪われていた翼も、ブリュンヒルデの勢いに思わず彼女の方を振り返った。

 

「一体、何を──ッ!?」

「──ただ、歌って!貴女の想いを、貴女の──アイを!」

 

 最早賭けでしか無い。いや、この状況では賭けにすらならないかもしれない。ブリュンヒルデの閃きはその実、限界状況が生んだ妄想でしか無いかもしれない。

 だとしても、ブリュンヒルデは──愛に生き、愛に死んだ戦乙女は、この想いに賭けることに躊躇しなかった。

 

「──な、何故其処で……いや」

 

 事前にブリュンヒルデの宝具について聞いていた翼は、それに関わることかもしれないという考えが即座に浮かぶ。

 だが、聞いていた限りではそれはブリュンヒルデの愛に呼応するものであり、己の……天羽奏への親愛に呼応するとは考えられなかった。考えられなかったが──。

 

 シンフォギアの曲調が変わる。今までの歌が戦意旺盛な戦士としてのものであるならば、その曲目は切なげな想いを運ぶ歌。

 目前に迫る嵐の前にあって儚さが際立つそれは、かつての双翼に向けた、何処までも真摯な──空へと羽ばたく歌。

 

 もちろん、歌詞が実際に歌われるわけではない。その前に間違いなく嵐は2人を飲み込むだろう──だが、それも最早問題ではない。ギアの曲自体が翼の心象を示しているのであれば──それで戦乙女にとっては十分だった。

 翼のアームドギアがその手を離れ、まるで意思を持つかのようにブリュンヒルデの槍を覆う。

 確かに装者として熟達した翼であれば、たとえバイクであろうとも剣を纏わせることが出来る。まして況や魔力同調状態の戦乙女の魔銀の槍であればといったところだが、しかし実情としては違う。

 その剣は装者である翼の意思を受けたものであり──同時に、その在り方に同調するブリュンヒルデの狂気を浴びるものである。

 

「ああ──ああ!そう、そう!これが、これこそが──」

 

 頬を紅潮させ、この危機的状況が見えていないかのようにその瞳が狂愛に落ちる。

 愛するものを殺す英霊。愛しき相手にこそ力を発揮する、その伝承を与えられた戦乙女ブリュンヒルデは、その愛の狂気に翼の歌を載せ、大槍を嵐に掲げる。

 

「く、ぅ──。これは、これがブリュンヒルデの──」

 

 当然、その狂愛は介添を受ける翼にも及ぶ。唐突に発露した純然たる強い想い、余りにも力強すぎる一個人の感情を前に、しかし翼は臆せずにその槍の──剣の柄を握りしめる。

 たとえブリュンヒルデが神話に語られるほどの愛の狂気を孕んでいたとしても、その感情に流されず、しかし拒絶せずに──心と心を重ね、魔力とフォニックゲインを共鳴させためにと歌う。

 

 翼にとって幸いしたのは、ブリュンヒルデのソレがいっそ視野狭窄と言えるほどに一本道しか無い感情であったことだろう。それが狂気の伝承の果てとは言え、単調化された心象、愛の概念を持つ狂気は翼の歌に十分に共鳴せしめる。……感情の発露する方向性こそだいぶ違うが。

 

 そしてブリュンヒルデにとって──彼女の宝具にとっては愛こそすべて。愛が深まれば深まるほどその槍は肥大化し、極重化し、強靭になる。

 翼の親愛の歌に惹かれ、同調し、姉妹への愛が煮詰められ──その全てを受け容れ、槍は今こそ真価を発揮した。

 

 

「あ、ああ、ああ!好き、好き、好き好き────コロ、す──『死がふたりを分断つまで(ブリュンヒルデ・ロマンシア)』!」

 

 

 2人の感情を湛えた魔槍は、その刃を大蛇殺しの神剣で覆い、大神の槍へと振り下ろされる。大嵐を纏い放たれた幾多もの必中の槍は、比類ない質量に至った狂愛の大槍の前に、その分子結合ごと破砕され、ガラス細工のように砕け散った。

 

 

 砕かれた刃に纏う燐光が反射し、キラキラと星空のような美しさを描く。刃をブリュンヒルデと共に支えていた翼は、その光景に僅かに目を奪われ、次いで渋面を浮かべる。

 

(威力は申し分ない。当てられるかは不明だが、これなら槍は防ぎきれる。だが──)

 

 翼の目線は、未だ動じないヘルヴォルへと向けられる。

 先程ブリュンヒルデが翼に向けて放った唐突な言葉も、ヘルヴォルの様子を見れば何となく想像がつく。最初の宝具の攻撃を防ぐための最終防壁として使用したこの宝具が、自分の歌と重なり想定以上の防御となったのだろう。それに気づいたブリュンヒルデが、咄嗟にだが今回のような奇跡を生んだということである。

 しかし、それは逆に言えばヘルヴォルにはとっくに知られているということでもある。ただでさえ巨大化し、この閉鎖空間では取り回しが難しくなっているため、この槍でヘルヴォルの猛攻を凌げるのかと言われると難しい。

 

 そして──不安要素はそれだけではない。

 翼はちらりとブリュンヒルデを見れば、瞳孔が開いた状態でじっとヘルヴォルを見つめている。

 ブリュンヒルデは現在、翼の歌の一部、奏へ向けられた想いに強く強く同調したことによってトランス状態に陥っていた。宝具を維持するために必要なことではあるのだが、槍を維持したまま戦うには2人で1本の武器を持ったまま戦う必要がある。せめて通常状態であればうまいこと動きを合わせられたかもしれないが、今のブリュンヒルデに合わせきれるかは未知数だった。

 

(……いや、私は彼女を信じよう)

 

 翼は改めて決心し、ブリュンヒルデとヘルヴォルの挙動の一挙手一投足に気を配る。

 せめてこの閉所空間がどうにかなれば、そう考えたところでふと、翼は己が抱える逆鱗の槍がガングニールをガラスのように砕いたことを思い出し1つの策を考える。

 聞こえているかわからないが、一応ブリュンヒルデにも伝えようと口を開きかけたところで、先にブリュンヒルデが口を開いた。

 

「……ええ、いい考えだと思います、剣の乙女。気づかれても妨害がし辛い策であるというのが尚、良いかと」

「!そうか……。──ブリュンヒルデ、大丈夫なんだな?」

 

 正気と狂気が混在する目線を向けられるが、言葉自体は意外と明瞭である。先程殺すとまで口走っていたのでどうかと思っていたが、想定より安定していそうで翼は小さくほっと安堵の息を吐き、そして本当に問題がないかと念を押すように意思確認を取る。

 ブリュンヒルデはニコリと小さく微笑みかけ……大槍を振るい、突撃してきたヘルヴォルを間一髪で打ち払った。

 即座の対応だが、突撃してきたヘルヴォルも、槍を共に持っていた翼も慌てること無く行動へと移る。ヘルヴォルの場合は追撃であり──翼とブリュンヒルデはそれにかまうこと無く、採掘場の天井へと駆け上がった。

 

「逃しません……!」

 

 ヘルヴォルは2人を追うように壁を駆け上がり、その手の魔槍による連撃を放つ。

 翼とブリュンヒルデは今、2人同時に行動せざるを得ない以上、その回避範囲にも限界がある。その限界を見切り、その上で2人が分断されるように放たれた槍撃の雨を、ブリュンヒルデが翼をかばうように位置を入れ替えてその身で受けた。

 

「……ブリュンヒルデッ!?」

「心臓と頭部が無事であれば、幾らでも対処は出来ます。……それより」

「あ、ああ、わかったッ!」

 

 手足を魔槍で貫かれたというのに、それを意にも介さずブリュンヒルデは翼とともに駆け──天井付近、オーバーハングした壁面から飛び立った。

 超重の槍を抱えているものの、その先端に纏われた逆鱗の根本のスラスターを全開とすることで重量を緩和し、ルーンによる飛行補助と脚部ギアのスラスターにより、2人は僅かな間完全に空中へと身を躍らせていた。

 対してヘルヴォルは、その壁から跳ぶことはなかった。ルーンで足を壁に縛り付け、魔槍の投擲姿勢に入る。だが、壁面踏破の勢いを殺すような無理な制動はヘルヴォルの行動を一手遅らせてしまっていた。

 

 魔槍が投擲される前に、翼とブリュンヒルデは槍を横薙ぎにする。逆鱗を纏い巨大化した槍頭は壁面へと突き刺さり、熱したナイフでバターを切るように岩肌を切り開いていく。

 

『おふたりとも、一体何を──!?』

「まずは広い場へと出るッ!いくぞ──雪音と立花がK2を搗ち上げたというのなら、ブリュンヒルデの介添を受けた私が、皆神山を切り開けない筈がないッ!!」

『え、ええっ!?それはどういう……というか、切り開くって──まさか!?』

 

 とんでもない発言に混乱するマシュを置いてけぼりに、翼とブリュンヒルデは一切躊躇なく山を切り裂く。

 わずかに遅れて真名開放すらなく魔槍が投擲されるも、その頃には2人の振るう槍の穂が正面に戻ってきており、その面積の暴力にあっけなく阻まれる。

 

 そして最後まで振り切り、最初に突き刺したところまで槍が回転したところで──ずるり、と皆神山の山頂がズレた。

 ずずず、と鈍い振動音と共に山頂は滑り──その隙間から、晴れ渡る太陽が薄暗がりだった坑道を照らし出した。

 

 拓く、ではない。2人掛かりであるとは言え、翼とブリュンヒルデは宣言の通り皆神山を切り、開いたのだ。

 

 2人の起こした圧倒的なまでの力業に、思わずマシュは度肝を抜かれる。

 

『すごい──なんて、出鱈目……。って、これならデモノイズも──!』

「……期待させてすまんが、僅かに傾けてデモノイズには当たらないように切り裂いたのでな。流石にここでデモノイズまで狙うとなれば、二正面を強いられる。

 ヘルヴォルの槍が此方を狙っていた以上、流石にそこまで足を勇ませられなかった」

 

 想像の埒外の光景に興奮していたマシュだが、翼に苦笑交じりに告げられた言葉に我に返りモニタをまじまじと視る。

 山頂の斜めに切り裂かれた切断面を見れば、その軌跡が坑道の天井まで伸びていたデモノイズを切らないように綺麗にギリギリを狙っていたことは見て取れる。

 ヘルヴォル1人に恐ろしく苦戦している状況を考えれば当然なのだが、それが見えていなかったマシュは慌てて謝罪する。

 

『あ……って、そ、それもそうですね、すいません!状況が読めていませんでした!』

「いや、構わない。……さて、大刀を振るうだけの舞台は整ったが……」

 

 相手の宝具たる大神宣言に対抗するためにと土壇場で編み出した合体武装。これを用いなくては立ち行かない状況だったために、広間を確保する目的で坑道の外に出る……そこまでは考えていた翼だが、そこから先については未計画であった。

 守護天であるヘルヴォルは魔都……というよりその核たるデモノイズの防衛を目的としているためなのか、2人が坑道の外に出ていったにもかかわらず、採掘場の底に両足をつけて2人を見上げているままである。てっきり追撃に来るものかと考えていただけに、この状況は想定していなかった。

 ならばとこの隙に外からデモノイズを狙うことも考えたが、仕留めきれなかった場合はいよいよ詰みとも言っていい。ヘルヴォル1人にここまで苦戦している状態で、補足しきれず仕留められる保証のないデモノイズを狙うのは賭けに近い。

 翼がむむ、と悩んでいたところに、大刀を抱えるもうひとりであるブリュンヒルデが口を開く。その傷は徐々に修復されているものの、マスターから離れすぎている事もあってか痛々しい様子は隠しきれない。

 

「……手立ては、ないわけではありません。いいですか……」

 

 ブリュンヒルデが翼にボソボソと耳打ちする。

 翼はブリュンヒルデの案を聞き、驚きの視線を向ける。

 

「……本当か?だが、もしそうなら──」

 

 いけるかもしれない、そう考えた翼はブリュンヒルデの策に乗ることにした。

 

 

 一方、坑道内から天井に出来た隙間を伺っているのは守護天たるヘルヴォルである。

 

「外に退避しました、か。……いいえ、いずれまた来る可能性が高い。この魔都が臨界を迎えるまでに、御姉様も勇士も間違いなく戻ってくる。であれば、無為に外に追撃は悪手でしょうか……」

 

 彼女の担当たる魔都は、その領域を自然に定められた領域である皆神山に当てはめている。つまりブリュンヒルデたちが外に逃げたのであっても追いかけて問題ないのだが、その間は核たるデモノイズが無防備になることを懸念していた。

 もちろん、魔都の中枢を担うほどのデモノイズである以上、そうそうやられるものではない。むしろ返り討ちにできてもおかしくはないのだが、しかし破壊されてしまう可能性も僅かだが存在する。

 

(それに……デモノイズが戦闘することになれば、魔都に溜め込んだフォニックゲインが消費される。いずれ補填が可能としても、召喚者の意向を考えれば……)

 

 そもそもフォニックゲインの消費を嫌っていたからこそデモノイズを戦闘に参加させていなかったというのに、ここで無為に消費させたくはない。一種自動人形めいた性質を持つヘルヴォルは、魔神から与えられた指示に対し、己の機能限界の中の最善を求めてしまっていた。

 これがヘルヴォルと2人の間の実力差がもう少しでも小さければ、あるいはもう少し個我が強ければヘルヴォルは逆に躊躇なくデモノイズを戦場に加えただろう。だが現実として、ヘルヴォルと翼・ブリュンヒルデペアの能力差は歴然であり、またヘルヴォルの非生物的性質が強かった。それが逆にデモノイズの介入の余地を奪っていた。

 

(まあいいでしょう。土台、魔都のフォニックゲインの蓄積量を考えれば、御姉様たちが行える大規模な攻撃行動は精々1回か2回程度。であれば、ここで凌ぐだけで事足りる──?)

 

 魔都の下層、採掘場の底。慢心ではなく純然たる事実を元に襲撃を待っていたヘルヴォルは、そこでふと異音が耳に届く。

 何かを削るような、砕くような。それも鑢や回転錐の様な軽い切削音ではない。もっと大規模、まるで山肌そのものを掘削するボーリングマシンのような轟音が彼方から響くような鈍く重い音。

 

「──まさか。いえ、だとしても──!」

 

 その音に何かを察したのであろう、ヘルヴォルがズレた天井を見上げる。見れば僅かに振動しており、その音も揺れもどんどん大きく、そして近づいてくる。

 この時点でヘルヴォルは何が起きるのか、何が山肌を貫き砕いているのかを理解していた。そして、それに対する対処も当然のように実現できる。

 天井の岩盤に、魔槍による斬撃が放たれる。まるで岩盤を斬り飛ばさんばかりに放たれたかのようなその連撃は、しかしその勢いとは逆に表面を削り取るに留める──否、ヘルヴォルは過不足無く岩盤に刻んだ。

 斬撃痕は、まるでそこに奇跡が起きたかのように輝きを放つ。直後、天井の岩盤何かが直撃したかのような轟音と共に大きく揺れる。

 

「……っ!まるで悪神が吼えたよう……ですが!」

 

 ヘルヴォルがルーンの叡智の根源たる大神宣言で刻んだ渾身の原初のルーン──城塞を示す大神の奇跡は、一度だけならたとえ対軍宝具の一撃すらも防げるだけの代物である。

 全てのルーンを組み合わせた防御陣に比べれば劣るだろうが、それでも己へ向けられた矛先くらいなら十分に逸すことが出来る。事実、山を掘り進んできた来たであろう岩盤の向こう側の存在は最後の防壁を砕けていない。

 

 ルーンの輝きが消える。相手は未だ荷重をかけているようであり早晩貫通するだろうが、どちらにせよヘルヴォルの迎撃の準備は整っている。

 魔槍が輝く。螺旋の力場を纏い、その数を倍々と増やしていく。先程のように防がれることの無いようにと、今にも穿たれんとする岩盤の一点を囲うように大神の槍が展開された。

 

 

「今度こそ──さようなら、御姉様。『嵐槍・大神宣言(ガングニール・ワイルドハント)』ッ!」

 

 

 大神の魔槍が放たれる。絶対なる神の予言の象徴、ソレが岩盤を貫いてくるであろう2人へと放たれ──。

 

 

「──いいえ、最後の最後。貴女は私達を読み誤りました。見えないものはその魔眼であっても知りえない──そうでしょう、ヘルヴォル」

「────っ!?」

 

 瞬間、岩盤に強化のルーンの輝きが奔る。それはヘルヴォルが刻んだものではなく、つまり逆説的にブリュンヒルデが岩盤の裏側からの刻印に他ならず。

 

 それは、先程の焼き直しのよう。

 原初のルーンによる防御壁は、対軍宝具の一撃すらも防ぎ切る──それは、ヘルヴォルが証明したことだ。

 嵐のような魔槍の雨は、岩盤へとぶつかりその力を減衰させる。嵐を纏い貫かんとする魔槍の力に耐えきれなかったのか、ピシリ、という断裂音とともに岩盤にヒビが入る。そのヒビは一気に広がり、今にも砕けんとしていた。

 

 ここで、先ほどとは違う点がある。強化された岩盤は、確かに対軍宝具に耐えれるだろう。ヘルヴォルが放った嵐の槍だけなら、岩盤は僅かな間盾として機能したに違いない。

 ──それはつまり、反対から突き刺さる魔銀の槍を受けて、その両者を防ぎ切れるほどではないということでもあり。

 嵐が治まる前に、神剣を纏う魔銀の槍が岩盤を貫き──その槍を担う2人の少女の姿を克明にした。

 

 必然、全知の魔眼は彼女たちの姿を捉える。嵐をその身に受けながら、それでも超重の魔銀の槍とともに、己へと真っ直ぐ降ってくる2人を。

 だが、最早止められない。如何にヘルヴォルが膂力に優れていようとも、その手に神の槍がなければ迎撃すらままならず、逃避するには時間がない。

 盾として機能しきらなかった岩盤では、その勢いの減衰も然程ではなく。大槍の担い手の2人すら最早これ以上のコントロールは不可能な程であった。

 

 だから、ヘルヴォルは、向かってくる2人の刃を為す術無く受けるしか無かった。

 

「────御姉様──翼────」

 

 だから、その言葉を2人が聞いたとしてもその刃は逸れるはずもなく────当然のように、ヘルヴォルの影にのみ突き刺さった。

 

「っ、これは──まさか!?」

「その、まさかだッ!」

 

 ヘルヴォルは咄嗟に飛び退ろうとして……しかし、その身体は微塵も動かない。シンフォギアによる肉体強化、刃に刻まれたルーンが全身各部のギアで輝くも、それら全てを以てしてもなおピクリとも動くことはなかった。

 空からは、2人が山頂を貫いたことで陽光が燦々と入ってくる。太陽の光という強力な光源によってできた影は、その光源に見合う黒くはっきりとした輪郭を映し出しており、神剣と魔銀の槍による拘束を一層強化していた。

 

 

───影縫い 不動───

 

 

 それこそは、まさに不動明王の羂索がごとく。

 

 翼の親愛、ブリュンヒルデの狂愛の刃は、遂に魔都の守護天──ヘルヴォル・アルヴィトを完全に捕縛せしめたのだった。



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第10節 戦乙女の凱歌(3)

「──ふう、どうにか上手く行ったか」

 

 眼の前で指一本動かすことも出来ないままになっているヘルヴォルを見て、翼がポツリとこぼす。

 その額には冷や汗が浮かんでおり、彼女にとっても乾坤一擲の博打であっただろうことが見て取れた。

 

『拘束、確認しました。──このレベルの忍術、本当にすごいですね……』

「師が素晴らしい人だったからな。それに、これだけの拘束力を生む刃を作るに至ったのはブリュンヒルデのおかげだ」

 

 翼は謙遜するようにそうつぶやき、先程の最後の戦闘を思い出す。

 

 

 ブリュンヒルデの案は非常に単純なもので、全知の魔眼でも見えない場所からの攻撃による突撃、ただそれだけであった。

 

 最初は翼同様に武装を十全に取り回せる山の外での決着を考えて居たのだが、それはヘルヴォルが追撃しなかったことで画餅に帰していた。しかし逆に言えば、何故ヘルヴォルが追撃しに来なかったのかまでは把握していないまでも、兎に角追撃するつもりが無いということは確かだった。

 そこで、追撃されないなら思い切り準備して、妨害されない方向から攻撃しようという至極シンプルな策に至ったのである。

 ヘルヴォルの魔眼は視界内の要素全てを把握する──つまり、視界を塞ぐものの向こう側からの攻撃であれば魔眼による情報獲得の余地はない。あるいは物理攻撃のみであれば罅や振動から攻撃を想定することも可能だろうが、それでも予め準備していたルーンの予兆を獲得することはまず不可能だろうと考えたのだ。

 

 そこで2人は山頂上空へと跳び上がり、そのまま重力に沿って、逆鱗のスラスターと魔力放出を全開にして突撃したのだ。それこそが巨大な山頂をぶち抜いたカラクリであり、ヘルヴォルの想定しきれなかった攻撃の正体だった。

 

(……尤も、まさかルーンの岩盤強化とやらがああも強力だったとは思わなかったが……)

 

 翼は最後の最後、予想だにしない鍔迫り合いを演じてしまったことに苦い表情を浮かべる。

 元々強化のルーンは槍に付与することで、最後の貫通力強化を目論んでいたのだ。それが、最後の貫通強化の前にヘルヴォルの城塞のルーンのせいで勢いが大きく削がれてしまったため、相手の宝具の迎撃のためにやむなく岩盤にルーンの強化を付与したのである。もしも岩盤がヘルヴォルの槍を止めきれなければ、防御策をろくに取ってなかった自分たちはまとめて吹き飛ばされていただろう。

 上手く行ったから良かったものの、全く綱渡りだったとため息を吐いた。

 

「いいえ、貴女の愛情のおかげですよ、剣のヒト。ええ、本当によかった……。それで、次は──」

 

 そんな内心を知ってか知らずか、ブリュンヒルデはそこで言葉を切り、フイと視線を別の方へと向ける。

 皆神山の山頂を貫き砕いたその場には強い陽光が差し込んでおり、その目線の先の場所にあるものも必然として照らし出されていた。

 

 それは、戦場にあって只々歌を鳴らし続けていたもの。ヘルヴォル・アルヴィトの指示により戦いに参入すること無く、延々と歌い続けていた雑音ならざる魔の音色──魔都の中枢、指揮者と呼ばれるデモノイズである。

 眼球が大量に開いた蛍光色に光る捻れた肉の柱という、まるで異界の邪神を形容するかのようなその悍ましい姿を前に、翼は眉をひそめた。

 

「──改めて陽の光のもとで見ると。随分こう、巨大だな……」

『新宿の魔都で魔神アムドゥシアスが引き連れていた同型デモノイズと比較して、およそ倍程度……私達が以前より敵対していた魔神柱と同規模のものと思われます。……そして、エネルギー出力も魔神柱と遜色はありません。──ここからでは支援が出来ませんが、十分に気をつけてください』

「……ああ、当然だ。此の身は人を守るための剣、折れることなどありはしないとも」

 

 マシュの通信に対し、自身を自身を鼓舞するようにそう宣言した翼は、その柱体を高く高く伸ばすデモノイズを仰ぎ見る。

 先程までは閉暗所であり、それこそデモノイズの発光と戦闘時の閃光程度しか光源になるものがなかったのであまり大きさを類推できていなかった翼だが、こうやって照らし出されればその巨大さも理解が及ぶ。

 翼が今まで戦ってきた大型ノイズに並ぶその威容を前に、しかし翼は臆した様子もなく冷静に観察し──やがて一言呟いた。

 

「……攻撃してこない、な」

 

 守護天であるヘルヴォルが行動不能に陥ったにも関わらず、先程同様只々歌を垂れ流すデモノイズ。まるで工場か何かのようにフォニックゲインを増産するその姿に翼は何となくやるせない気持ちを抱いてしまう。

 

「おそらく、ヘルヴォルが行動不能とは言え意識を失っておらず、また命令の更新をしていないからでしょうね」

 

 そう話すブリュンヒルデの目線は再びヘルヴォルへと向けられる。影をきっちり縫い留められたヘルヴォルは、それこそ言葉のひとつも発していない。通常の影縫いなら喋るくらいは出来ることを考えれば、逆鱗と狂愛の楔がそれだけ高い拘束力を持つということの証左であると言えるだろう。

 天羽奏の姿をした少女──肉体面は真実、奏本人であることを考えれば「姿をした」と形容することもおかしいが──が拘束されている姿を見て、翼は何を思ったかヘルヴォルへと近づく。

 

「……翼?」

「すまない、ブリュンヒルデ──少しだけ、彼女と話しをさせてくれ」

 

 様子を不審に思ったブリュンヒルデだったが、翼の表情を見て、困ったような笑みを浮かべて小さく頷く。

 デモノイズとの戦闘が始まれば、最早彼女と話す余裕は無い。ならばこそ、翼がヘルヴォル──奏に話しかける機会は今しか無かった。

 

 

「…………」

 

 近づいてくる翼に、ヘルヴォルは眼球のみを動かしてその姿を捉える。その表情に変化する様子が見られないのは、影縫いによる拘束があるからだろうか。

 そんな身動きの取れないヘルヴォルの手に、翼はそっと手を重ねた。

 

「──貴女に言っても詮無きことかもしれない。気でも狂ったのかと思うかもしれない。でも、それでも話したかった事があったんだ」

 

 そう前置いて、僅かに間が空く。わずかに乾燥した唇を湿らせるように口を閉じ、そして決意の眼差しと共に口を開いた。

 

「奏……。私は、飛ぶ。あの日、奏を失って、どうにか我武者羅にもがいて、仲間ができて、後輩ができて──」

 

 翼はかつて、平行世界の奏と出会ったことがある。偶に交流を持つ彼女は間違いなく天羽奏本人であり、そう考えれば目前のヘルヴォルにこんなことを話す必要は無いかもしれない。

 疑似サーヴァントの依代として用いられる肉体は生者のそれであり、そう考えれば今目の前の奏は翼の知る奏とは違う可能性だってある。

 それでも、翼は話しておきたかった。自分の世界と極めて似た平行世界に現れた──今の自分よりも年下の肉体を持つ彼女が、誰かを守るために戦った掛け替えの無い片翼のように思えて仕方がなかったから。

 

「──だから、私は飛べる。あの怪物に、デモノイズと呼ばれるあの魔性にだって打ち克ってみせる」

 

 それは、嘗て泣き虫で弱虫と呼ばれた彼女に対しての宣言の意味合いもあったのかもしれない。

 成長した自分を見ること無く散ってしまった彼女に、自分は大丈夫だと。そう見栄を張りたかったのかもしれない。

 

 そこまで話したところで、苦笑するように表情を崩す翼。

 

「……なんて、本当に迷惑だな、私は。──ヘルヴォル・アルヴィト、拘束した私が言うのもどうかと思うが──そこで見て居てほしい」

「…………」

 

 相手が答えられないことを知っていながら、一方的に話すだけ話して踵を返す。当然ながら、翼の言葉にヘルヴォルは只々最初と変わらず視線を返すだけだった。

 

 

 ブリュンヒルデの元へと歩を進め、肩を並べるように隣に立つ。

 

「──もういいのですか?」

「ああ、もう十分だ。ただの自己満足のようなもので──そういう意味では、彼女も迷惑だったろう」

 

 翼は今になって、自分のやったことを笑わずにはいられない。だが、たとえどれほど馬鹿らしく思われようとも、それでもと思ってしまったのだ。

 自分を剣と定めておきながら女々しいことだと自嘲するが、ブリュンヒルデは首を振った。

 

「いえ、いいえ。彼女は貴女の友であることに変わりはありません。疑似サーヴァントであれば、その肉体は元よりその精神にも依代のそれが──」

 

 と、そこまで語ったところでブリュンヒルデが言葉を切る。

 不自然な言葉の区切りに、翼はなにかあったのかとブリュンヒルデを見る。その目線の先の彼女は、自身の言葉でなにかに気づいたのか目を見開いていた。

 

「──ブリュンヒルデ?」

「あ、は、はい。──そうですね、彼女はヘルヴォル・アルヴィトであると同時に、天羽奏でもあります。ですから、先程の言葉は少なからず彼女に届いていますよ」

「──そうか。であれば、あとは宣言したとおりに飛んで見せなくてはな」

 

 ブリュンヒルデの言葉に救われたのか、翼が肩の力を抜き、次いで眉尻をキリリと上げる。適度に力を抜き、その上で次の瞬間には全身のバネを開放させられるように出来るような、そんな姿勢をとったとき。ふと翼が思い出したように口を開いた。

 

「と、ブリュンヒルデは声をかけなくてもいいのか?彼女は貴女の妹だろう?」

 

 心配そうな声音に、ブリュンヒルデはわずかに思案し、やがて小さくうなずき返す。

 

「──ええ、では、一言だけ」

 

 そう言うと翼のようにヘルヴォルに歩み寄ることも無く、ブリュンヒルデはその場で振り返り、本当に一言だけ告げた。

 

「白鳥の翼を捨ててしまうのですね──ヘルヴォル・アルヴィト」

「────ッ!」

 

 ささやくような小さな声で告げられたその言葉が耳に届いたとき、ヘルヴォルの瞳孔が開く。

 その様子を気に求めること無く、ブリュンヒルデは前へと向き直った。

 

「おまたせしました、それでは──」

「もう良いのか?──いや、是非は語るまい」

 

 翼は先程の言葉の真意が聞きたかったが、聞くことではないと思い直し頭を振る。そして思考をクリアにしたところで、脚部ブレードを展開し、両足のギアから短刀を取り出し、1本を自分に、もう1本をブリュンヒルデへと手渡す。

 そして2人で頷きあい──デモノイズへと向き直った。

 

「──では、行くぞッ!」

 

 真打に比べ、全く心もとない刃を携え、2人は魔詠の主へと吶喊した。

 

 

 

(…………私は……)

 

 縛られたヘルヴォル・アルヴィトは、デモノイズとの戦いへと駆ける2人をぼんやりと眺めながら、ここまでの戦闘を思い返していた。

 

(私は、何をしているのだろう。召喚者の指示を護れないばかりか、デモノイズを指揮することもままならない。挙げ句、ああもいいように言われたまま、それでもこの為体)

 

 彼女はただただ己の現状を鑑みて、ワルキューレとしての本来からは有り得ないことだが、後悔をしていた。

 疑似サーヴァントとして召喚される際の、勇士たる己が依代の影響があるからだろうか。自動人形の如き機械的な性質しか持たないはずのヘルヴォルはしかし、悔いているとしか言えないような感情を抱いていた。

 

(私は……どうして、あそこに居ないのだろう。勇士の伴としてあるべき私が、召喚者の指示に従わなくてはならないはずの私が。なぜ、どちらにも立てずにこんなところに居るのだろう)

 

 ワルキューレは、勇士の伴として戦場を駆ける半神にしてオーディンの眷属。その立場を考えれば、あからさまに悪性であるデモノイズへと立ち向かう2人の傍にあるべきだ。

 ワルキューレは、召喚者の命に諾々と従うことを定められた境界記録体。その在り方を為さんとすらば、デモノイズと共に魔都を攻め来る敵へと立ち向かうべきだ。

 どちらであっても、彼女は彼女としての使命を全うすることにつながるだろう。そして、彼女は後者を選び、その在り方を貫かんとしたはずだ。

 その結果としてこの無様を晒してしまうのは、仮にも全知の眼を抱いたものとして、召喚者の意向を受け立場を与えられたものとして恥ずべきこと以外の何物ではなかった。ヘルヴォルにとっては、だが。

 

(……御姉様……)

 

 最後に言われた言葉を反芻する。白鳥の翼を捨てたのだと、大切な姉はそう告げてきた。

 ワルキューレが持つ共通礼装である、白鳥礼装。ワルキューレとしての神格を剥奪されたブリュンヒルデは持っていないが、ヘルヴォル・アルヴィトはそれを持っている。ヘルヴォル・アルヴィトという戦乙女の構成要素として、むしろ白鳥礼装は他のワルキューレよりも大きな比重を持つ物といっていい。

 

 彼女は己の逸話の中で、礼装を奪われたことがあった。水浴びをしていた時に脱いでいた白鳥の翼を、ヴェルンドという男が隠したのだ。

 彼はヘルヴォルを妻としたいと申し出て、ヘルヴォルはそれを承認した。白鳥礼装がなくば戦場に赴くことも出来ないし、隠した当人と共に居なければその礼装を取り戻すことは不可能だったからだ。

 伝説では、彼女がヴェルンドと結婚してから数年が経ったが、最終的には白鳥礼装を取り戻し飛び去ったのだと言う形で彼女にとっては終わっている。

 

 その時に何を思ったのかはさておき、ともあれヘルヴォルの伝説には白鳥礼装が欠かせないファクターなのだ。

 ──そして、ヘルヴォル・アルヴィトを従わせるためには、白鳥礼装の封印こそが何よりも手っ取り早い手段でもある。

 

 ヘルヴォル・アルヴィトはワルキューレである。自動人形のような性質を持つ彼女は、逆に言えば自我・自意識というものが通常の英霊たちに比べ薄い。故に、通常霊基で召喚したならば制御は通常のサーヴァントに比べ容易といってもいいだろう。

 ──だが、疑似サーヴァントとして召喚された場合は。少女としての脆さこそあれ、強く弛まぬ意志を持つ勇士が依代となったなら──ワルキューレとしての意思は、果たして依代に優越するだろうか。

 

 疑似サーヴァントにしない訳にはいかない。ただのワルキューレを呼んだところで、装者が相手では敗北の目が十分にあるからだ。魔神の視点で考えれば、強靭な依代にサーヴァントを載せることによる大出力を求めて然るべきだ。

 だから、ヘルヴォル・アルヴィトは必然、神の槍を担う少女を依代としなくてはならない。では、依代の意思を封じ、扱いやすいヘルヴォル・アルヴィトの意思を優越させるにはどうすればいいのか──封じられた依代の意思が表出しないためにはどうすればいいのか。

 

 

『──ッ!?ここは……?クソ、どうなってんだ……?あたしの中に、何か別な奴が……ッ!?』

『──召喚確認。やはり依代の意思が強いか。まあいい、想定内だ』

 

 記憶が蘇る。忘れていたわけではない──ただ、ヘルヴォルが振り返っていなかった記憶。

 自分が、天羽奏が擬似サーヴァントとして従わされた時の記憶。

 

『……そこのおチビさん、アンタの仕業か──なんて、聞くまでも無さそうだなッ!よくわからんから、いろいろ教えてもらうッ!』

『想定してたより、随分と荒々しい。だが、どちらにせよ無意味だ。術式、展開──』

 

 記憶にある魔神。幼い少女の姿をした人類にとっての敵。

 悍ましい気配を漂わせたそれを前に、天羽奏は間違いなく天性の戦闘勘で敵対を選んだ。勇士として、人を守らんとする強い意志を持つ戦士として、何よりも正しい選択をした。

 

『これは、何を──ッ、ぐ、あああ──……ッ!』

 

 ──そして、魔神の魔術の輝きを前に、膝を屈した。

 

『…………人格封印を確認しました。主意識の代替を実行──ヘルヴォル・アルヴィト、クラス・ランサー。此れより、召喚者の槍となります』

『そうか。では、最初の命令だ────白鳥礼装の使用を禁止する』

『…………了解しました』

 

 

 思い出す。ヘルヴォル・アルヴィトの持つ大切なもの、自由の象徴、飛行を司る白鳥礼装──それと共に、天羽奏という意識が封じられたことを。

 天羽奏という人間性を封じてしまえば、あとに残るのはヘルヴォル・アルヴィトという非人性の強い霊体だ。依代と意識が混在することで僅かに持っていた人間性も奏ごと封じられ、あとは召喚者たる魔神の意思をただ受け容れる人形となったワルキューレしか残らなかった。

 それでも、それで戦い抜けたならどれほど良かっただろうか、そうヘルヴォルは自嘲する。感情を封じられたはずの彼女は、しかしそれでも己の在り方故に──機械にすら成れなかったなんて、と失望せざるを得なかった。

 

 

"──だったら、結局どうするんだ?"

 

 ヘルヴォルの思考にノイズが走る。ノイズ、それは本当にノイズだろうか。

 

 雑音は目の前で勇士たちと戦っている。圧倒的なフォニックゲインの出力の前に勇士達は劣る得物で懸命に戦うが、それも時間の問題だろう。

 ヘルヴォルを封じるために、強力な武器を捨てたからああも苦戦しているのだろうか?いや、元々ヘルヴォルが居なくともデモノイズには勝てなかったかもしれない、そう思わせるだけの出力差がある。

 

"──あたしは飛んで見せる。ああも発破をかけられて、それで黙ってられる程殊勝なタマじゃないんだ"

 

 また、ノイズ。彼女は封じられている。聞こえる声もただの幻聴でしか無いだろう。

 でも、それでも──ヘルヴォルは何となく腹が立ってしまう。それは感情だ、ヘルヴォルは僅かな感情も封じられている筈だ。

 

 雑音の眼光は、全てを焼く炎として2人に襲いかかる。

 その火炎で影の向きが変わればと思わないでもなかったが、残念なことに太陽とデモノイズいる方角はだいたい同じ方角だった。

 

"──アンタにとっちゃ裏切りかもしれないね。でも、元々あたしとアンタは今は一心同体なんだろ?じゃ、最初にあたしらにとって迷惑なことしてたのはあっちじゃないか"

 

 説得の言葉だろうか、本心だろうか。ヘルヴォルに奔るノイズはだんだんと大きくなってくる。

 眼の前に居る雑音が、その歌をどんどん高めているからかもしれない。だから、自分の中の雑音まで大きくなるのかもしれない。ぼんやりとした思考の中、ヘルヴォルはそんなことまで考え始めていた。

 

"どうするんだ、ヘルヴォル・アルヴィト。今はあたしと共にいるアンタは。アンタも姉さんに煽られてたじゃないか、なにくそって感じに気概を見せられないのか?"

 

(──私は)

 

"アンタは、飛べないのか?──アンタは、あたしでもあるんだろッ!?"

 

 これ以上無いほどに、ヘルヴォルの思考の中のノイズが五月蝿さを増す。

 そんなこと判ってるといいたくもなる。だが、言えない。ヘルヴォルの五体は元より、口端の筋肉すらも影ごと縫い留められているのだから。

 

"本当か?アンタが喋れないのは──本当に影縫いのせいなのか?"

 

(──私は──)

 

 違う。そんなわけがない。そもそも口に出さずとも、少なくとも心中に置いてはその意志を形にできるはずなのだ。

 それが出来ないのは──自分に失望しているから、落胆しているから──何より、今も心の中で叫び続けている勇士に後ろめたさを持っているから。

 

 奏が言うことは至極最もなことだと、ヘルヴォルだって判っている。魔神は最初に召喚しておきながら、問答無用で人格の封印、礼装使用の禁止など、一方的に此方を縛り続けてきた。

 召喚した時点で奏が敵対していた、そういう意味では魔神の行為は正当なものと言えるかもしれないが、そもそも魔神の行動自体が奏に──そしてヘルヴォルにとっても悪と呼べるものでしかない。呼び出しておいて悪行に加担させようなんて時点で、魔神が彼女たちに敵対しているという奏の言葉もまた正当性がある。

 

 だが、だからといって自分に何が出来るだろう。

 奏は強い意志を持っている。魔神に封じられたはずの意識も、こうして縛られている自分とは裏腹に徐々に強まって来ていることからも明らかだ。

 翻って、いつまでもこうしている自分は何なのだろうかと思わずにはいられない。そんな思いがいつまでもループしている。

 

"いいや、アンタはとっくに抜け出せるはずだ。──こうして一体化したから、あたしはアンタの逸話を知ってる。だから、あの姉さんも言ってたんじゃないのか?アンタも、あたしも今はおんなじヘルヴォル・アルヴィトなんだ。あたしが飛べるってことは、アンタだって飛べるんだ"

 

 奏の声が──いいや、ヘルヴォル自身の声と言うべきだろう。己の声が、自分自身を鼓舞してくる。

 出来るだろうか、どうだろうか。──出来るかもしれない、魔神に封じられた自由意志であったはずの声は、今やノイズの混じらぬクリアな音として頭に響いている。

 だから、今なら、あるいは──。

 

 葛藤の中、轟音が響く。縛られているヘルヴォルのことなど構わぬように放たれた業火がうねり、狭い坑道を満たし拓けた空へと立ち昇った。

 己の身が焼けていくような感覚を受ける。如何な半神とはいえ、シンフォギアがなければ直ぐにも果てていたであろう。

 

 その光景を前に、ヘルヴォルは言いようのない焦燥を感じていた。戦闘が始まったときは全く感じなかった、どうとも言い表せない感覚。

 何故動かないのか、そんな焦りの中、デモノイズの炎による黒煙が晴れていく。

 

 そこには、炎に巻かれ力尽きた2人の姿。

 

 ヘルヴォルの瞳に彼女たちが写ったとき、まるで今までの葛藤を忘れてしまったかのようにただただ無心に──己の逸話の通り、奪われた白鳥の翼を取り戻した。

 

 

──強力な感情による、自由意志への干渉を確認しました。

──白鳥礼装、展開。人格の代替処理を終了します。

 

 

「──そうだ、私は、あたしは、飛べる──飛ぶッ!」

 

 

 

「──♪──♪♪─、ザtsu、お、ン。ハチョ、うとう合。展、開」

 

──焼却式 ネツァク──

 

 デモノイズの眼光と共に、天まで貫く業火が放たれる。魔神の因子により無尽蔵に作られるフォニックゲインを消費して作り出された極彩の火炎は、対峙していた2人の戦士を飲み込んだ。

 炎が晴れ、倒れていた2人はよろよろと身体を震わせながらもどうにか身を起こす。

 

『魔神が居ないのに、焼却式まで──!?おふたりとも、ご無事でしょうか!?』

「無事ではないが、仔細無い──だが、ブリュンヒルデの炎避けのルーンがあってこれとは……ッ!」

 

 翼は改めて眼前の脅威がどれほどのものか、まさに骨身に沁みるような思いだった。

 一度目の対峙では、同じ指揮者とはいえこれよりも大分小型であり、(キャロルの援護があったとはいえ)天の逆鱗を壁とすることで凌げるだけの火力でしか無かった。

 二度目の対峙では、今戦っているソレと同等の大きさではあったが、戦闘時は魔神の添え物のように支援に徹しており、翼たちの側も共に戦う仲間が多く、また凡そ十全の状態で戦うことが出来た。

 だからこそ、ある意味では魔都の中枢たるデモノイズを見誤っていた。英霊たちが複数騎で当たらねば対抗も難しいとまで言わしめた魔神柱、それと同規模のエネルギーを持つと先程マシュが言っていたというのに。

 

「ふ……。啖呵を切ってながらのこの無様とは、な。だが──まだだッ!」

「ええ、その意気です、剣の貴女。ですが────?」

「──?どうした、ブリュンヒルデ────なッ!?」

 

 なおも闘志を燃やす翼を支えんとしたブリュンヒルデは、ふと違和感を覚え後方へと目線を向けた。

 翼も釣られるように振り返り、そして絶句した。

 

 2人分のアイを込めた強力無比であるはずの拘束が、まるで羽毛を払うかのような仕草で振りほどかれる。

 ただ僅かに身体を震わせたヘルヴォルの動きひとつを前に、天羽々斬も魔銀の槍もまとめて払いのけられ床へと転がった。

 その背には光り輝く翼のような羽衣が展開されており、まるで重力のひとつも無いかのような軽やかさを見ただけで感じられるほどだった。

 

『──そんな!ここで守護天が戦いに加わったら……!おふたりとも、ここは一時退避して、どうにか各個撃破を……』

「いや、そうするにはもう遅い。それに──」

 

 翼は、嘗ての片翼が今まさに輝く銀翼をはためかせるその姿に一種の確信を得ていた。

 横をちらりと見れば、ブリュンヒルデはより強く確信しているようであり、全く警戒する様子がない。

 

 そんな2人の様子にマシュはモニター向こうで慌てるも、既にヘルヴォルは地面に転がった剣と槍を軽々と拾い上げ──。

 

 ──そのまま、持ち主の元へと投げ渡した。

 

『……えっ?』

 

 マシュが思わず驚きの声を上げる。

 そしてそれがどういうことかを把握しようとする前に、嵐のような槍がデモノイズに降り注ぎ、辺り一面ごと盛大に吹き飛ばした。

 

『ええっ!?』

「────よくもまあ、あたしをああも好き勝手働かせてくれたもんだ」

 

 唐突な攻撃に、そして全く異なる口調にマシュの混乱が加速する。

 その姿は間違いなく、魔都の守護天たるヘルヴォル・アルヴィトその人だったはずだ。だが、その表情も、蓮っ葉な口調もマシュが先程まで見ていた彼女とは全く異なっていた。

 

 そしてそんなマシュとは逆に、翼はその口ぶりに安心したかのように笑みを見せる。

 

「奏……」

「──違うぞ、翼。あたしは──」

 

 が、声をかけた瞬間にその言葉を否定され、翼も困惑したような表情を見せる。

 そこでブリュンヒルデは守護天の言葉を引き継ぐように声を掛ける。

 

「──やはり、貴女がヘルヴォル・アルヴィトなのですね?」

「……ああそうさ、少なくとも今はあたしがヘルヴォル・アルヴィトだ。実感はないが、姉さんとでも呼んだほうがいいか?」

 

 からかうような口調で、ニッと口端を上げ力強い笑みを見せられ、困ったような表情で小さく笑みを浮かべるブリュンヒルデ。

 翼はその様子に、どういうことがあったのか納得するように頷いた。

 

「そっか……ううん、それでもいい──おかえり」

「ああ、ただいま……って、言っていいのかわかんないけどね」

 

 そう答えたヘルヴォルは、翼の知る彼女そのものの笑顔で答えた。

 

 

『それにしても驚きました、まさかヘルヴォル・アルヴィトの依代の方がこんな性格だったなんて……って、これは──皆さん、デモノイズ及び周囲のフォニックゲイン量が増大しています!デモノイズはまだ──』

 

 状況をモニタリングしていたマシュから入った警告に、その場に居た面々は主神の槍が吹き飛ばした筈の方へと向き直る。

 砂埃が立ち籠める中、その向こう側で赤い眼光が輝く。その光を目にした瞬間、3人は即座に跳躍(ヘルヴォルは飛行)し、空へと開いた大穴から山肌へと退避した。

 

 瞬間、炎が妖しく煌めき、直前まで3人が立っていた地面は文字通り焼却された。壁と床の境すらわからないほどに融解した光景を前に、ヘルヴォルがへの字に曲げた口を開く。

 

「……ま、だろうな。あのくらいで殺しきれるなんて思っちゃいなかったが……」

「再生力が高い──いいえ、あれは一種の復元呪詛に近い。生半可な火力では即座に修復されてしまう……ということですね。以前は確か……槍乙女(ゲイルロル)の手を借りて……」

 

 彼女たちは新宿での戦いを思い出す。あのときは立花響のガングニールに原初のルーンをすべて載せるという暴挙を実施したことでデモノイズを撃破した。

 

「……だが、その手段は今回は使えないだろうな」

 

 翼の言葉に、ブリュンヒルデは同意するように頷く。

 確かにガングニールはあるし、ルーンの刻み手ならブリュンヒルデの他にもヘルヴォルがいる。条件という意味では以前と同じか、あるいはそれ以上とも言えるだろう。

 だが、立花響とヘルヴォル・アルヴィト──天羽奏とでは、ガングニールに対する適合係数が違いすぎる。適合係数が高く、また力を束ねるという特性を持つ響ですら攻撃の反動でかなりのダメージを負ったのだ。真作のガングニールの担い手があくまで依代である奏の肉体であることを考えれば、そもそも原初のルーン全てを刻む行為に耐えきれるかもわからない。

 というより、耐えきれるほど頑丈なら戦闘中に使用しているだろう。最初に影縫いで縛ったときも、そのギアに浮かんだルーンの数は18を大きく下回っていたということからも容易に想像がつく。

 かといって、先程のようなブリュンヒルデの宝具によるアイのブーストも不可能だ。いくらなんでもブリュンヒルデが目の前の悍ましい怪物の姿をした自動兵器に愛情を抱くことはない。どころか、下手しなくとも嫌悪感で火力が下がることすらあり得る。よって、この手も使えない。

 

 ──つまり、この状況はこれ以上無い限界状況だった。

 守護天たるヘルヴォルの大火力宝具すら耐えきったデモノイズ相手に、講じられる手立てはない。守護天がなくとも、デモノイズはただ魔都全域にあるフォニックゲインだけで無敵を誇っていた。

 

 

「でも、飛べる」

「ええ。私達なら──どこまでだって」

 

 

 だから、そんな状況にもかかわらず視線を交わし笑う2人──ヘルヴォルと翼に悲壮な様子は全く見られず。出来ないと疑うことすら想像の埒外と言わんばかりに、彼女たちは自然体でデモノイズへと向き直った。

 そんな2人の姿に、置いてかれたブリュンヒルデは困ったように口を開いた。

 

「もう……困った人。ですが、貴女たちは往くのでしょうね」

「あ……っと、すまない。私は──」

 

 翼が慌てて言い訳するような口ぶりになったことに、ブリュンヒルデはクスリと笑う。

 

「いいえ、いいえ。──私は翼を失った戦乙女、私の比翼は既に無い。だから──2人で、飛んでいって。私は勇士を助くモノ。2人の道程を、ここから祝福しましょう」

「……姉さん、あんたは──」

 

 どことなく達観するようなブリュンヒルデの言葉に何かを言いかけ、しかしヘルヴォルは口を閉じる。

 首を振って思考を切り替え、ヘルヴォルは獰猛な笑みを浮かべる。

 

「──いや、なんでもない。往くぞ、翼ッ!」

「うん、奏ッ!」

 

 ヘルヴォルは白鳥礼装を起動し、光の翼をその背に輝かせる。

 そして翼は彼女の横に立ち、その手のアームドギアを炎の翼へと転じさせた。

 

(……これが……今の、翼の……)

 

 ヘルヴォルは、その炎の翼を見たことがなかった。美しく、雄々しく、それこそ自分が居なくともどこまでも飛んでいけそうな翼。

 こんな時だと言うのに、自分の知る時代より後──年上になってしまった片翼の姿に、ヘルヴォルはセンチメンタルな感情を抱く。

 だが、それも僅かなこと。

 今、己がすべきこと──今度こそ間違えずにやり遂げるべきことのために。ヘルヴォル・アルヴィトは白鳥の翼を一層輝かせ、全てを振り切り空へと浮かぶ。

 

「──♪────♪♪─────」

「魔詠──焼却式かッ!だけど、今更その程度ッ!」

「はッ!あんな歌はこの魔都で一生分聞いたってのッ!だから、今度はアタシらの歌を聞いていけッ!」

 

 辺りに響く魔詠に負けじと、炎を吹き上げ翼を広げた剣の歌女。彼女の歌に合わせるように、全く違和感なくヘルヴォルも声を揃えて歌う。

 

 ヘルヴォルの歌は翼の歌と重なり、溶け合い、絆のユニゾンを展開していく。翼はそうなるだろうと漠然と感じていたのか、唐突に歌いだしたヘルヴォルに対し、全く慌てることなく歌を重ねていく。

 歌が一節、また一節と調和されるに合わせて、ヘルヴォルの纏うシンフォギアの出力がどんどんと向上していく。

 

 そもそも、天羽奏としての人格及びヘルヴォル・アルヴィトの人間性が封じられている間、ヘルヴォルは歌うことなく戦う道を選んでいた。

 武装としてのシンフォギアは、一度展開すれば最低限度の性能は発揮できるが──何よりも天羽奏という人格がなければヘルヴォルはフォニックゲインを発することが出来ない。つまり、そもそも歌わなかったわけではなく歌えなかったのだ。

 元来擬似サーヴァントであるヘルヴォルであれば、最低限度の出力上昇しか発揮できないシンフォギアでも十二分に力を行使できた。辺りにはフォニックゲインが満ちているため、聖遺物の特性上、一度起動すれば最低限度の動作が可能だったため、最初の起動以外で歌わなくともギアを扱うことは出来たのだ。

 

 だが、その制限はもはやない。ヘルヴォル・アルヴィトの──ツヴァイウィングの歌を止めんとするような無粋な縛りは、彼女の纏う光翼の前に霧散した。

 

 デモノイズの眼光が3度輝く。翼を広げ果敢に飛翔する矮小なものへ向けて、すべてを焼き滅ぼす炎が放たれる。

 だが、不思議なことにその炎は徐々に威力を減衰させ、2人に届く頃には彼女らの歌の前に為す術なく吹き散らされた。

 

「全く、無粋なことです、ね……」

 

 ぽつり、と。勇壮な歌を鳴らし続けるデモノイズには届かないであろう小さな声が響く。

 開けた天井の縁に立つブリュンヒルデの指先には、原初のルーンによる炎除けの刻印が輝いていた。大神オーディンの魔術刻印は、大神ならざるものが使っても尚、炎自体の在り方自体を弱めるだけの力を示したのだ。

 

「さあ──行って、何処までも遠くへ。翼を持つ、私の妹──」

 

 彼女の目線の先にあるのは、焼却の業火を踏破し、歌の壁を突破し、今まさにデモノイズに刃を突き立てんとする2人の勇士。

 その輝きは嵐を纏い、その翼は炎となる。

 

 

「これがッ!!あたし達の──ッ!」

「これがッ!!私達の──ッ!」

 

 

「──シンフォギアだッ!」

 

 

───双 星 ノ 極 光(DISASTER BLAZE)───

 

 

 2人の心象の象徴たるアームドギアから放たれたのは、全てを巻き込む炎嵐の波濤。

 心象を真に重ねた双翼の輝きは、魔都の中枢たるデモノイズを飲み込み、その全てを炭素へと変え──そして塵すら残さず蒸発させた。



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第11節 勝利の槍:開放

「────終わった、のか?」

 

 かつての双翼と、戦乙女の先導によって放たれた炎の旋風は、間違いなく魔都の中枢たるデモノイズを打ち砕いた。

 その証拠に、彼女たちの視線の先──かつてデモノイズが陣取っていた箇所には影すら残さず、その後方──皆神山の採掘場だったそこは吹き飛び、その向こうには青空が広がっていた。

 

 ──ツヴァイウィング、戦乙女姉妹の力の全てを注いだ全霊の一撃は、見事デモノイズを──魔都であった皆神山ごと吹き飛ばしたのだ。

 

 それをようやく実感したかのような翼の気の抜けた声に、皆神山の魔都の守護天たるヘルヴォルが応えた。

 

「ああ。──っていっても、一時的なもんに過ぎないけどな」

「……えっ?」

 

 ヘルヴォルの言葉に、そのまま素で反応してしまう翼。とはいっても、ヘルヴォルの言葉はそう反応してもおかしくないような内容だったのでさもあらんといったところだが。

 流石にその言葉は看過できなかったのか、慌ててマシュから通信が入る。

 

『あ、あの!それは一体どういうことなんでしょうかヘルヴォルさんっ!?』

「うん?えっと……?ああ、あんたらが天文台(カルデア)の魔術師ってやつか。あー、あたしは魔術が専門じゃないからあんまり詳しくは話せないけど……」

 

 ヘルヴォルはマシュの必死な様子に頭を掻きながら、魔都の守護天としての事情を話し始める。

 

「そうだな、あたしは──ヘルヴォル・アルヴィトは戦乙女であり、本質としては人形的性質を持ってる。疑似サーヴァントであるあたしは天羽奏という依代の人格がメインだけど、それを運用上の問題とみなした魔神はさっきまでみたいに人間性を封じた状態にしてたわけでな……」

『えっと、つまり……?』

「ぶっちゃけ、ヘルヴォル(あたし)は言われた通りに動いちまうから、あまり裏事情を教えられてないんだ。魔都の運営に関する最低限くらいでさ。もちろん、知ってる限りは全部教えるつもりだけど……」

 

 なんともバツが悪そうな口調で語るヘルヴォル。言われてみれば当然なのだろうが、それでも若干の肩透かし感は否めない。

 

『いえ、私達の持っている情報はあまりにも少ないのが現状です。どんな些細なことでも構いません、知っていることを教えていただければ助かります!』

 

 だが、今までろくに情報がなかったことを考えればそれでも破格の進捗である。状況が切羽詰っているだけに、マシュはどんなことでもいいから知りたかった。

 

「そうか、ああ、わかった……。まず、あたしらが召喚されたのは、キャロルが日本の魔都を一回壊滅させたからだ」

「キャロルが……。そういえば、魔神もそんな事を言っていたな……」

 

 ヘルヴォルの言葉に、翼はふと新宿で魔神が去り際に残した言葉を思い出していた。

 翼たちが同行してからはそんな行動を取った様子がなかった事を考えれば、おそらく合流する前の話だろう。だが、今更だがそんな事をする暇がキャロルにあったのかとの疑問が先に立つ。

 その旨をヘルヴォルに伝えると、逆に彼女も驚いたような表情を見せた。

 

「へぇ、翼たちと合流したときには倒れてたんだ。ってーと、魔神が言っていたキャロルの攻撃タイミングはそのちょっと前くらいになるな……」

 

 ヘルヴォルが魔神から聞いたという話では、なんでも弾道ミサイルのような巨大なアルカ・ノイズが上空から飛来し、大量のアルカ・ノイズをばらまいて中枢デモノイズを襲撃、魔都のデモノイズを一掃してしまったらしい。

 

「待って、かな……ヘルヴォル。アルカ・ノイズってデモノイズに勝てるの?いえ、楽団型ならともかく、指揮者の中枢デモノイズは……」

 

 デモノイズとアルカ・ノイズ。能動的に相手を分解可能であり、また相手が人間だろうがそうでなかろうが一方的に解剖するアルカ・ノイズは攻撃面では確かにデモノイズより優れていると言える面はある。だが、それはあくまでデモノイズが雑兵──楽団デモノイズと呼称されているタイプのデモノイズの話である。

 いくら能動的に攻撃しないとはいえ、アルカ・ノイズの解剖器官の驚異にさらされて指揮者デモノイズが反撃せず、敗北することがあるだろうか……という翼の疑問を解消するように、ヘルヴォルが言葉を補足した。

 

「奏でいいよ、翼。それでえーと、指揮者デモノイズがアルカ・ノイズに負けたのは……デモノイズが反撃を指示されていなかったからだな」

「指示?ですが、デモノイズは兵器であると言うならその程度は自己判断するのでは?」

 

 それすらできないのは兵器として欠陥では……とブリュンヒルデが指摘する。だが、翼はヘルヴォルとブリュンヒルデの言葉からひとつの可能性について半ば確信を得ていた。

 

「いや……。奏、つまりデモノイズは特定の命令しか下されていなかったってことでしょう?それこそ、動作の一つに至るまで」

「ああ、そういうことだ。魔神はデモノイズの指示に手を抜くことはしなかった。予定外の行動が起きないようにと、様々な事象に対する行動をインプットしていたんだ」

 

 聞けば、守護天のデモノイズに対する指揮権も同様であり、守護天がデモノイズに一定の指示を与えることで対応する行動を取るようなものらしい──少なくとも自分はそう聞いたとヘルヴォルは語る。魔神からの説明の中で、ヘルヴォルは魔神からデモノイズの行動原理を聞いていたのだ。

 ……場違いではあるが、デモノイズ取扱手引みたいなのを想像したのか翼が微妙そうな顔をする。

 

『魔神は基本的に魔術式で構成された存在ですから、不確定要素になりうるものをなるべく排除しようとするのは分かりますが……』

「そうさ。んで、あたしの推測になるけど、最初に設定したデモノイズの動作指示の中に、アルカ・ノイズに関する指示が入っていなかった可能性が高い」

「む……。だが、いくらなんでも有り得るの?」

 

 アルカ・ノイズの驚異について、魔神はちゃんと理解している素振りを見せていた。エルフナインに取り憑いている以上、錬金術に対する一定の知識があって当然だろうことを考えれば、錬金術の産物であるアルカ・ノイズに対する対策を講じて然るべきだ。翼はそう考えていたのだが、どうやらヘルヴォルの視点だと違って見えているらしい。

 

「あー、んー……。なんて言えばいいんだろうな、あの魔神は──アルカ・ノイズの対策を意図的に落としている感じだったな」

「は────?」

 

 いきなり告げられたとんでもない内容に、翼も、ブリュンヒルデも、モニター越しに聞いていたマシュも思わず言葉を失う。はっきり言えば、ソレをする意味がわからないというのが3者に共通する感想である。というか、事実そんなことをする理由は全く無い。

 どういうことかを聞きたそうにしている3人に、ヘルヴォルが言葉を付け加える。

 

「ああ、どうにもあいつは──魔神は、錬金術……というより、錬金術師を嫌悪している節があった。意図的にアルカ・ノイズ対策を省くことでアルカ・ノイズによる攻撃を誘発させてたんじゃないかってあたしは思ってる」

「──そして、錬金術師を炙り出そうとしていたと?」

 

 ブリュンヒルデの言葉に、ヘルヴォルはコクリと頷く。

 

「錬金術師を嫌悪……。そういえば、確かキャロルも──」

 

 翼は、パヴァリア光明結社が起点となるバルベルデの魔都で暴れて、その鎮圧に魔神自らが向かっていたという話をキャロルがしていたことを思い出していた。

 当時はデモノイズでは勝てないからだと思っていたが、今の話を聞く限りだと、パヴァリア光明結社が錬金術師であったことも関係しているのかもしれないとも思えてくる。

 

(……いや、だが魔神はアルカ・ノイズが行動を妨げたと言っていた。それと今の話は──)

 

 矛盾している、そんな考えが翼の脳裏をよぎる。が、それも次の言葉に意識を取られ薄らいだ。

 

「話を戻すけど、魔神がデモノイズに指示を出すために使ったのが──ソロモンの杖だ。あたしの記憶にある通りの形とは言い難かったけどね」

「──ッ!やはり、残っていたのか……」

 

 その言葉がヘルヴォルの口から伝えられたことで、翼は先程の確信が正しかったと理解した。

 ソロモンの杖、それが残存している可能性が高いというのはS.O.N.G.とカルデアで導かれた共通認識であったが、同時に実存しているか不明なものであり、敵陣営の戦力の根幹とも言えるそれを仮定のままに作戦を進めていたのが現状だったのだ。

 そこに、敵陣営の1人であり、守護天という魔都の防衛の担当者であるヘルヴォルから事実確認が取れたということで、俄に場の空気が沸き立つ。

 

『ソロモンの杖……それが本当なら、デモノイズの制御や魔神の縁について確証を掴むための鍵になるかもしれませんね!』

 

 魔神がどうやってこの世界に来たのか、またどうやってデモノイズを制御しているのか。それらについての謎が明かされた、乃至手がかりが見つかったということは大きな進歩であり、その事実にマシュも興奮を隠せないようであった。

 が、その場で聞いていたブリュンヒルデはヘルヴォルの言葉に疑問を抱いたのか、探るように問いかける。

 

「……ですが、ヘルヴォル。形が違ったというのはどういうことですか?例えばそう、融け落ちていたようなものであったとか?」

「いや、違う。一応ちゃんと杖の体裁は保ててた、けどあたしが生前資料で見たやつとは大分形が違ってたんだ。左右非対称だったりとか、なんか不格好っていうか……」

「形が……」

 

 どうにも説明し難いことなのか、あー、ともうー、とも付かない曖昧な発音で言葉を濁すヘルヴォルに、翼はどういうことかと僅かに考え込む。

 

「そうすると、ソロモンの杖を何らかの手段で修復したのか?だが、魔神がそれほど詳しい聖遺物に関する知識を持っているのか……?」

『どうでしょうか……。魔神がそちらに出現してからどの程度経過しているのかについては、ある程度の推測は立っています。ですが、何分法則性が違いすぎる存在ですので……』

 

 ソロモンの杖自体は、形がちゃんと残っているなら比較的意匠がシンプルな杖状の聖遺物である。それが資料を見ただけの奏(の記憶と人格を持つヘルヴォル)にすら違うと認識できる程度に形状が違うとなれば、何らかの手を加えていることは想像に難くない。

 しかし、魔神はあくまで異世界の存在である。如何に知識と計算の権化であろうとも、その存在は元の世界の常識に拠るところが大きい──どころか、下手な生命体よりも法則そのものである魔神のほうが世界常識に対する依存度は大きいとすら言える。現代からすでに失われた異端技術の結晶をそうやすやすと修復できるのか、という点については懐疑的にならざるを得ないのがカルデア・S.O.N.G.の見解である。

 

 そんなわけでマシュは現在の後方組の考えについて明言を避けたわけだが、そこで翼が思い当たるフシがあったのか、ポツリとつぶやいた。

 

「……錬金術、はどうだろうか」

『錬金術、ですか?それはつまり、キャロルさんが使うような……?確かに障壁や陣地作成の際に使用する様子が確認できていましたが……』

「ああ。魔神はエルフナインの肉体に取り憑いているということは、エルフナインの知識──つまり、キャロルの知識が使えるということとほぼ同義だろう。エルフナインはシンフォギアの整備・改造に必要な知識を持っているし、キャロルは聖遺物のパッチワークでシャトーの建造をしていたと聞き及んでいる。錬金術なら、完全な復元は無理でも最低限までの修繕くらいなら……と思ったんだが」

 

 鸚鵡返しのように返事をしたマシュだが、続く翼の言葉に納得の表情を浮かべる。

 

『確かに、それなら可能かもしれません。聖遺物の破損と稼働限界の相関性がわからないので、明言は難しいですが……』

「いや、この場合はあまり重要ではないから構わない。錬金術でソロモンの杖を修復し、使用している可能性がある。それだけ判れば十分だろう」

 

 実際、実働要員である翼からすれば相手がソロモンの杖によってデモノイズを使役している事が判れば問題ない、というよりもソロモンの杖以外の何らかの手段でノイズを操っている訳ではないことが判れば問題ないと言うべきだろう。

 ソロモンの杖の機能については、翼も、そしてS.O.N.G.の発令所の面々もよく知っているし、その情報はカルデア側にも共有されている。少なくともデモノイズの操作にこちらの想定外のオプションが付いてこないことが判ったのは収穫だった。

 

 と、そこまで話が進んだところでヘルヴォルがん?と首をかしげる。

 

「って、違う違う!いやここらへんの情報も重要だけどそうじゃなくて、魔都の話だったな」

「……そう、でしたね。ヘルヴォル、この状態が一時的というのは結局どういうことだったのですか?」

 

 話の流れをやや強引に軌道修正したヘルヴォルに、ブリュンヒルデが改めて問いかける。

 

「ああ、えっと──この魔都のデモノイズは、厳密には魔神が召喚しているわけじゃないんだ」 

「……なんですって?でも奏、デモノイズを操っているのは魔神の持つソロモンの杖の力によるものって、さっき言ってたでしょう?」

 

 直前に言われたことと矛盾したような発言に、翼が困惑の眼差しを向ける。

 が、ヘルヴォルはその言葉に首を横に振る。

 

「確かにあたしはそう言ったけど、ソロモンの杖でデモノイズを召喚しているとは言ってないだろ?ほら、楽団型のデモノイズは指揮者デモノイズが召喚しているし……」

「そ、それはそうだけど……」

 

 ソロモンの杖はバビロニアの宝物庫にアクセスし、その内部のノイズを召喚・操作する聖遺物。だからこそ、デモノイズの召喚──特に、他のデモノイズから召喚されなさそうな指揮者デモノイズの召喚に使用しているものと翼は考えていた。だが、魔都の管理者として知識を与えられていたヘルヴォルが言うには、そういう訳ではないという。

 

「ココらへんは英霊としてのヘルヴォル・アルヴィトの知識と照らし合わせてのことだけど……。デモノイズを召喚してるのは魔神本体じゃなくて、魔神が設置した召喚式って術式だ」

「召喚、式?何かを呼び出す仕掛けということ?」

 

 耳慣れない言葉に、翼はよくわからないままに疑問を口に出す。

 

『召喚式!?それは、つまり魔術によるものということですか!?』

 

 一方、魔神がどのような存在かをきっちり把握しているマシュはその言葉に驚きの声を上げていた。

 召喚式とは魔術の用語であり、読んで字の如く何らかの霊的存在を現実へと召喚するための魔術式であり、魔神たちもその召喚式の一種である。

 魔神は本来魔術王に構築された召喚式であり、逆に言えば魔神たちは召喚式に関しての情報をその根本から刻み込まれたまさにエキスパートであるといえる。ならばこそ、魔神がデモノイズを召喚できるように召喚式を構築することは容易だろう。

 

「そういうこった。あたしはソレを全知の魔眼で読み取ったんだけど、何分元となる知識が足りなくてね……」

 

 ヘルヴォル・アルヴィトが持つ全知の魔眼は、ガングニールのギアの装者である奏を依代としたことによる後天的なもの。本来的に全知の視座を持つオーディンと異なり、世界の神秘を余すことなく理解できるような性質のものではなく、獲得した膨大な情報から必要なものだけを抜き出すには使用者の頭脳が関わってくる。

 魔術とは全く異なる世界の住人である奏と、オーディンより原初のルーンを与えられてはいるものの魔術師ではないヘルヴォル・アルヴィトではその術式についての詳細が理解できず、結果としてこの場で公開できる情報に限りが生まれてしまっていた。

 もちろん、原初のルーンを知っている時点で神代の魔術使いとしてのある程度の知識はある。如何に魔術王に由来する超抜的な魔術であろうとも、全知の魔眼と合わせてある程度の情報の獲得はしていたヘルヴォルは、分かる限りの情報について先程の言葉に付け足していった。

 

「……でも、少なくとも全部の魔都で似たような術式が起動しているのはあたしにもわかった。こっちの術式の魔力の流れや形式を考えれば、魔都の召喚式は相互にリンクしているみたいだ」

「相互にリンクしている、ですか。なるほど、それはつまり……」

「ああ。全部の魔都の召喚式が壊れない限り、他の魔都のデモノイズが消えても復活する。召喚式もおんなじで、どっかが壊れても他の魔都から修復が掛けられちまうってわけだ」

 

 心底面倒臭そうな表情でヘルヴォルが吐き捨てる。

 魔都の一つを潰す程度では大勢に影響はない。そう言外に告げられ、翼とブリュンヒルデ、マシュの3人も難しい顔で唸る。

 

『それは、なんというか……。ですが、それならヘルヴォルさん達守護天を配する意味が無いのではないでしょうか?現状の戦力では一度に魔都を制圧するのは事実上不可能ですし……』

 

 マシュが疑問に思ったのか、ヘルヴォルへと質問する。

 

「ホントのホントに即座に復旧するなら要らなかったろうね。ただ、実際は滅ぼしきれないってだけで今直ぐに復旧ッ!ってほどには再生能力はないんだ、楽団と違ってね。復旧に若干のタイムラグがある以上、タイミング次第では術式がトチる。だから代理で防衛するやつがいる。それだけさ、簡単だろ?」

『成程……って、すいません!あの、召喚されたヘルヴォルさんに失礼ななことを言ってしまって……』

 

 ヘルヴォルの返答に納得しつつ、今更ながらに被召喚者であるヘルヴォルに居る意味がない(意訳)とも取れるような事を言ってしまっていたことに気づいたマシュが慌てて謝罪した。

 

「いや、いいさ。あたしも今なら理解している。あたしらに課せられた役割は精々が時間稼ぎでしか無かったってことを……腹立つけど。むしろ、あたしらこそあんたらに迷惑をかけちまったんだ、謝らなきゃいけないのはこっちさ……済まなかったね」

 

 それでも恐縮そうに身を縮めるモニター向こうのマシュになんと言ったものかと額を掻きながら、ヘルヴォルはどこか清々したかのように吹っ切った様子を見せ、ついで申し訳なさそうに謝り返した。

 一頻り頭を下げあった後、ヘルヴォルは取り敢えず現状についての話を再開することにした。

 

「まあ、とりあえず指揮者デモノイズを潰したし、今んとこ魔神はグッスリだからな。とりあえず早々に干渉されることはない、けど……」

 

 と、そこで表情を引き締め3人へと向き直る。そのただならぬ様子に3人も居住まいを正した。

 

「……この際だからはっきり言おう。カルデアも、S.O.N.G.も、魔神の策を事前に止めることなんて絶対に出来やしない」

「────ッ!」

 

 ヘルヴォルのその言葉に、3人は思わず目を見開いた。

 

「悪い……。でも、この場で言っておかなくちゃいけないことだ。魔神の片棒担いだあたしだからこそ、これは伝えなくちゃいけないことだ」

『そんな、何故──!いえ、ではどうしたら──』

 

 思わずマシュが縋るような声を出したところで、それを制するように翼が口を開いた。

 

「──正しい対策はあるの、奏?」

「ある。というか、現状では翼たちのやってる対策が一番安牌だ。魔神の策にはどうやっても遅れを取る……けど、あたしがここを守る限り、この魔都のデモノイズは沸いた端から潰せる。他の2箇所、新宿の魔都につながる残りの魔都も同じように制圧できれば──そうすれば、最悪だけは避けられる」

 

 ヘルヴォルの言葉に、辺りが押し黙る。

 やがて、ブリュンヒルデがポツリと呟く。

 

「……つまり、ここのデモノイズを全て排除していても、完全な妨害は成しえないということでしょうか?」

「……ああ、そうだ。魔神の策には各魔都のフォニックゲインの相互干渉も視野に入れた術式が使われているから、新宿につながる3箇所を抑え込んでおけば最期のトリガーは弾かれない。後は魔神に決戦を挑んで──どうにかするしか無いな」

 

 どうやればいいのかは見当もつかないけどな、なんて半ば無責任気味につぶやくヘルヴォル。だが誰もその姿を責めることはしない。今まで接したのは僅かな間だったが、その中で彼女の義理堅さと正直さは全員が理解していた。

 だからだろう、翼は口端を挙げ不敵な笑みを浮かべた。

 

「──フッ。どうにかすれば、どうにかなるのでしょう?無理を通さなければ勝ちの目が無いというのなら、幾らでも無理を通してみせる──それこそが、防人のあるべき道だッ!」

「ええ、そうですね。剣の乙女、命の守り人。何処までもお供しましょう──堕ちたとはいえ、戦乙女の矜持に掛けて」

 

 ブリュンヒルデが翼の傍に立つ。凛としたその立ち姿は、どれほどの困難にあっても怯まず立ち向かうという力強さがあった。

 その2人の勇ましい表情に、ヘルヴォルは思わず顔を緩める。

 

「その意気だ、あんたたちなら出来るッ!なあに、あたしの槍は勝利の槍だッ!絶対に勝てるッ!」

 

 勝利の穂先を2人へと掲げ大輪の笑みを見せるヘルヴォルに、翼とブリュンヒルデも笑顔で応えた。

 

 

 

「──それじゃ、奏。私達は戻るけど……その……」

 

 ヘルヴォルからの激励を受けた後。

 取り敢えず魔都の制圧が完了したということで本部潜水艦へのテレポートジェムを取り出しながら、翼がヘルヴォルへおずおずと話を切り出す。

 

「ああ。……何だ、ついてきてほしいのか?」

「そうじゃないよ、そうじゃなくて……奏は、ここで守ってて大丈夫なんだよね?」

 

 先の戦いで消費しきれなかったフォニックゲインが周囲に残存する以上、指揮者デモノイズが再出現したときの強さは相当なものだろうことが見込まれる。デモノイズを沸き潰すなんて簡単なように言っているが、実際はそこまで簡単なものではないだろうという危惧を翼は抱いていた。

 そんな翼の思いを知ってか知らずか、奏は呵々大笑する。

 

「平気さ。あたしはギアをまとった疑似サーヴァントだぞ?単騎の能力ならあんたらよりぶっちぎって高いんだ──前と違って、な?だからあたしを信じろ、あんたの片翼であるこのあたしをさ?」

「……うん、そうだね。それじゃ、無茶だけはしないようにね、奏」

 

 ヘルヴォルの言葉の力強さに、翼も安心したように頷いてテレポートジェムを起動した。

 翼の足元に、赤い紋章陣が展開されていく。やがて錬金術によるテレポートジェムはその術式を適正に発揮し、翼とその隣に立つヘルヴォルを魔都から転送した。

 

 

 掻き消えるように居なくなった2人を見送るように、ヘルヴォルがぽつりと呟く。

 

「あんたもね、翼……って、無茶すんのが仕事みたいなもんだけどな。──さぁて、そんじゃあ……っと」

 

 ヘルヴォルはぐいと背伸びをして、デモノイズの再出現に備えて魔力を蓄えるべく、回復を兼ねた軽い瞑想(メディテーション)に入る。

 そうして意識を内に向けてすぐに、どこか無機質な声がヘルヴォルの意識に届いた。

 

(──有難うございます)

 

「……あんたか。ありがとうもなにもないだろ?あんたも、あたしも、結局今は一心同体じゃないか」

 

 やれやれとヘルヴォル・アルヴィトは──主人格たる天羽奏をベースとした人格は、己の声に肩をすくめる。

 パッと外から見たときは一人芝居にしか見えないそれも、今魔都にはヘルヴォルしかおらず、監視の目になりうるデモノイズも消失済みである以上気にする必要はなかった。だからこそ翼たちが去ってから主人格に話しかけてきたのだろうが。

 そして、己の声たる代替人格……ワルキューレの霊基を基準としたヘルヴォル・アルヴィトの人格が今話しかけてきた理由も、主人格には見当がついていた。

 

「ま、あたしのことだからわかるけどさ。──んで、魔神に勝ちの目はあるってのは、あたしの槍に関わることなんだな」

 

 主人格の言葉に、己の内側の代替人格が頷いたような気配を感じた。

 

(勝利の道筋は、か細く、脆い。──だけど、その槍なら。御父様の、大神の勝利の槍ならば。そのか細い道筋を何よりも強固なものに出来る。ただ──)

「──代償か?」

 

 また、頷き。心の中の、正しく自問自答しているだけの状況であるというのに頷くような気配というのもおかしな話だと、主人格は呆れて笑う。

 そんな主人格側の葛藤を気にすることなく、代替人格は言葉を続けた。

 

(──ええ。その時、必要な時間、必要な場所、必要な向きで──私達は、存在を破棄することになるでしょう)

「ああ、わかってる……最後まで粘って、足掻いてはみるけどな」

 

 聞き様によっては自殺しろと言わんばかりの言葉に、主人格は気負わぬ様子でそう答える。

 ヘルヴォルはそこで思考を打ち切り、くるりと身体の向きを変え誰ともなく言葉を零す。

 

「行け、翼──例え場所が離れていようとも、両翼揃ったツヴァイウィングなら、どこにだって飛んでいけるって──それを、見せてくれよ」

 

 最早、魔都の守護点たるヘルヴォル以外の誰も残っていない採掘場の底。

 受け取る人間の居ない、しかし確かに誰かに届くだろうという強さを持った言葉が、陽光の差し込む坑道へと響いていた。



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第12節 軍神の礼賛歌(1)

「くぅッ──!」

「これは──何とも、ですね!」

 

 銀光が閃き、マリアとベディヴィエールがまとめて弾き飛ばされる。

 セレナを依代とした神──ヌァザ・アガートラムはその場から動かぬまま、只の腕の一振りで己に向かう刃を羽虫が如く払っていた。

 

「マリアさん、ベディヴィエールさんッ!──こ、のぉッ!」

「突撃か、勢いだけが良くとも……な!」

 

 追撃姿勢に入ろうとするヌァザを止めるべく、響は持ち前の突進力を活かし右拳打突を敢行するが、パシン、という軽い音と共に矛先を逸らされる。そして勢いそのままに軽くいなされるように放り投げられ──。

 

「ぅえッ!?うわったぁ────ふぎゅッ!?」

「いたッ!~~ッ、無駄に効いた…・ッ!」

「あわわ、ご、ごめんなさいッ!」

「って、それより──」

 

 響は放物線を描いて綺麗にマリア・ベディヴィエールがダウンしているところに墜落し、体を起こしていたマリアに盛大に衝突した。

 頭をしたたか打ち付けたマリアは僅かに目端に涙を浮かべつつ、平謝りしている響を軽く流してヌァザに焦点を合わせる。それに釣られるように響も顔を向ければ、優越の笑みを浮かべ値踏みするような無機質な眼差しのヌァザが目に入る。彼女たちが今まで知ってきたセレナのそれとは似ても似つかないその様子に、響は無意識に拳を握りしめた。

 

 

「……拍子抜けだな。我が世を切って落とすという大言壮語を吐いておきながら、まさかこれだけではあるまい?」

 

 

 大岩に腰を下ろしたまま、やれやれとオーバーアクション気味に肩を竦める。全く似合っていないその動作はしかし、そこに浮かぶ表情と発露する神気からか妙に相応しく感じられてしまう。

 風鳴邸の魔都の守護天であるヌァザ・アガートラムとの戦いが始まってまだほんの数分だというのに、そこには厳然とした力量差が現れていた。

 

「これが──立香達の世界における、神の力だというの……?」

 

 その場を微動だにしない、己の妹の姿を借りたモノ。

 

 神の力、といえばマリアにとっては嘗て戦った錬金術師たちが作り上げた怪物が脳裏に閃く。原罪を捨てた無垢なるモノに宿る輝きは、あるときは南米の神として、またあるときは歯車の女神として顕現した。

 それらは顕現する依代によって力は異なったが、どれも超常の火力と、それすら上回る得意な防御性質──不死を備えたものだった。その力はたしかに神と呼ぶに相応しく、そういう意味では目前の少女よりある意味神らしいと言えたかもしれない。

 

 しかし、それとは全く別ベクトルの「神」という存在性をマリアはヌァザから感じていた。

 ただ強く、巧く、貴く、隔絶している。人が想起するであろう神話の神々とは斯く或るべきであると言わんばかりに、目前の存在は人外めいた在り方を良しとする。

 ヌァザ・アガートラム。戦の神、ダーナ神族の王であったと言われる神は、その概念の示すままに只々その強さをその場に居た小さき人々へと示していた。

 

 そして、ヌァザは軍神であるならば──その戦いは、孤軍のみにはあらぬものである。

 

「マリアさんッ!」

「──ッ、ち、ぃッ!隙を晒すとすぐにこうなんだからッ!」

 

 響の声に、僅かに呆然としていた己に活を入れ即座に刃を振るう。その瞬間、今にもマリアの身体に穂先を突き入れようとした兵士の槍が弾き飛ばされた。

 ケルトの意匠を纏う兵士は、軍神たるヌァザの配下。"ケルトの戦士"としての概念を抱く量産の兵士は、しかしその強さは余人のそれを遥かに上回る。事実、槍が弾かれた瞬間に即座に徒手空拳へと切り替え、冷静にマリアの頭部へと拳を向けてくる。今にも届かんとする拳に逆にヘッドギアを叩きつけて迎撃したマリアは、相手が僅かに手を痺れさせた隙をついて遠くへと蹴り飛ばした。そちらには幾人かで組まれたグループが迫っており、まるでボウリングのピンのように一斉に吹っ飛んだ。

 

「──っていうか、この兵士さん絶対道中にいた人たちより強いですよ!?エリート兵ってやつですよきっとッ!」

「訳解んないこと言ってないで、すぐに戻ってこれないように遠くにふっとばしてッ!」

 

 喚く響に軽く指示を入れ、己に迫ってきた軍団を振り払ったことでフリーになったマリアは即座にヌァザへと向き直り、その手に握る銀の短剣を連節刃へと転換し、間髪入れずに岩の上に座るヌァザへと放たれた。

 

「近くからが駄目なら、ここから────ッ!」

 

───EMPRESS†REBELLION ───

 

 変形したアームドギアに軽く驚きの表情を作ったヌァザは、しかしやはり動くことなくニヤニヤと笑みを浮かべている。その様子が一層癇に障ったのか、刃の鎖が平時より鋭い軌跡を描きヌァザへと迫る。

 そしてその身体──より正確には、首元にあるギアのコアユニットに刃が届かんとしたその瞬間──マリアは納得と驚愕と煩悶をないまぜにしたような表情でその姿を見た。

 

「ふ、ん。銀碗の一閃で駄目だからと、遠くから削りに来るか?──しかし、何だな。お前たちは銀の腕を何だと思っているのやら……。よもや、こんな玩具と思っているまいな」

 

 まあ、玩具といえば玩具だが。などと嘯くヌァザの銀の腕が、刃の先端を軽く摘んで止めていた。ぷらぷらと縄を揺らすかのように動かせば、その軽い動作だけで銀の剣が引きちぎられる。

 

『この力──疑似サーヴァントとシンフォギアによる肉体の大強化というやつかッ!気をつけろ、皆神山の魔都ネツァクからの報告だが、疑似サーヴァントはギアを纏うことでただでさえ強力な力をギア分だけ増強させているぞッ!』

「道理で、でも──」

 

 弦十郎からの通信に膂力に対する納得はしたが、それでもやはり目の前の守護天の強さの根源はそこではない──マリアは漠然とだが、しかしそう確信していた。

 そんなマリアに、ある一定の回答を示したのは共に戦うベディヴィエールだった。

 

「一種の地形効果、あるいは知名度による補正の類、でしょうか。ケルトの大地、エリンの草原はヌァザ・アガートラムの本陣と言っても差し支えありません。この魔都において、おそらくその出力は平時を上回ります。そして何より──」

「……何より?」

 

 先を促すマリア。その会話のさなかも襲い来るケルト兵やドルイド、幻想種らをベディヴィエールと共に迎撃しており、2人がこじ開けた道を響が馬鹿正直に突撃している。どうやら先程よりも拳を安定させる為に腕部の形状が回転型へと変化しており、ヌァザは先ほどのように受け流すことをせずに受け止めている。

 普段なら、響がその防御を突破して相手の顔面に一発入れる(マリアとしてはやや複雑な気持ちだが)ような場面であるとガッツリ信じられる光景だが、しかしベディヴィエールと話しながら戦っている今のマリアにとっては全くそう感じられない。むしろその余裕がいわゆる小手先のものではない、策によるものではないと言えるだけの力量差こそを疑いもなく信じてしまうほどに、今のマリアはヌァザの力を信用してしまっている。

 そんなマリアの心情を理解しているのだろう、ベディヴィエールははっきりとそう信じてしまう理由を口にした。

 

「何より、彼の神は軍神、戦神としての権能を強く有している。ケルトの領域であればそれは尚の事──その環境下で、真正面からやりあって勝利し切るのには無理がある。だから──」

 

 と、ベディヴィエールは今まさにヌァザに弾き飛ばされた響を見、即座にカバーリングするように着地点へと駆ける。

 ワンテンポ遅れてついていくように走るマリアに、小さく、だがはっきりとベディヴィエールは告げた。

 

「──勝つには、貴女達の力が必要でしょう。私ではなく、他ならぬ貴女達の力が」

「私達の……?」

 

 唐突に告げられた言葉に、マリアは走りながらぽかんとする。

 必要と言うなら、自分たちだけじゃなくベディヴィエールの力だって不可欠だろうとマリアは考えていた。共闘期間こそ短いが、その僅かな間でベディヴィエールの実力が本物であるとマリアは理解しており、特にも敵のケルト兵等の軍団的な行動に対しては自分らの中で一番うまく対応できると確信していた。そういう意味では統率の取れた対軍戦闘が必要であるこの場では、むしろベディヴィエールこそが必須なのではないかという思いすらある。

 そんなマリアの心情に答えることなく、ベディヴィエールは小さく笑みを浮かべてコクリと頷き、高みの見物を決めていたヌァザを見やる。

 

「さて、そのためにはまず──なぜ、彼の神が魔神の味方をしているのか、からですね」

 

 響を助け起こしながら、ベディヴィエールはそうつぶやいた。

 

「確かに、最初はそれが知りたかったんですよね……。よぉし、こうなったら頑張って聞き出してみせますッ!一度や二度の」

「はは、ソレは心強いですね。……ヌァザ神は強大な神霊であり、ゲッシュの伝承があるケルトの神です。如何に魔神とはいえ、そう易々と契約させることが出来るかという疑問が残ります。況して召喚時点では縛れていなかったことを考えると……」

 

 むん、とやる気の入った響を笑顔で本心から褒めるベディヴィエールだが、流石に相手に問わないことには相手の状況を類推できず、その表情もすぐに難しいものへと変わる。

 そんな彼がポツリと零した言葉を聞いたマリアが、ん?と首を傾げる。

 

「それって──って、ああ、そういえば……」

 

 どういうことかを聞こうとし、しかし事前に共有した情報を思い出したのか言葉を切る。

 

「ああ、マリアさん新宿でウェル博士の言葉を聞いてないんでしたっけ」

「ええ、というより新宿に出向いてすらいないけど……」

 

 それは、去り際にウェル博士が残した言葉である。端的に言えば「召喚されてから反抗し続ける守護天がいた」というもの。ブリーフィングでは皆神山の魔都の守護天であるワルキューレはそういった性質を持っていないという話であったため、消去法で風鳴邸の守護天のことであると見做されていなのだ。

 とはいっても、目前の守護天からはそういった反抗的要素はパっと見では確認できない。新宿の戦いから多少の時間経過を経て魔都攻略戦に乗り出した彼女たちだったが、その間に魔神とウェルがどうにか出来てしまったんだろうかとマリアは不安を覚える。

 

『そのことについてですが、あるいは、という仮説ならあります。あくまで仮説でしかありませんが、カルデアのダ・ヴィンチちゃんさんと推論を重ねた結果ですので、ある程度の信頼性はあると思います』

「そうなの?……いえ、今は仮説でもなんでも聞かせて頂戴」

 

 そんな不安を抱えたマリアのもとに入ったエルフナインからの通信に、当初は僅かに困ったような反応をするも即座に意識を切り替え話すように伝える。

 最初はその理由について相手から聞き出せればいいだろうと考えていたマリアだったが、この軍勢の波状攻撃のような状態に加えて相手が話すつもりが無さそうに石の上から動かない有様なのである。一応今も隙をついては響が突撃しており、今度はベディヴィエールが補佐に回ってもいるのだがやはり相手にもならず大きく吹き飛んでいる。そんな状況にあって、悠長に相手からの言葉を待っていられるわけもなかった。

 

『はい、ええと──』

 

「こそこそと、内緒話か?」

「────ッ!く、ぁあッ──!!」

 

 エルフナインが話しだそうとした瞬間に、稚げながらよく透る声が耳に届く。

 マリアは悪寒と共に、振り向き様に反射的に右手に握る短剣で攻撃を受け止め──直前に吹き飛んだ2人同様に高々と宙を舞った。

 

(何、が──、どう、して──ッ!?あの場所から動けないはずじゃ────いや、違うッ!?)

 

 ヌァザと距離をとっていた筈のマリアは唐突に起きた事態に一瞬脳がついていかず、それでも状況を把握しようとどうにか視線を巡らせ言葉を失った。

 先程自分が迎撃した攻撃は、連節剣と化したアガートラームの刃。驚いたことに、セレナの姿をする神はその身にまとうギアをまるで手足のように(義腕の聖遺物をそう形容するのも奇妙な感じではあるが)操るばかりか、先程自分がやった攻撃をそっくりそのままに模倣してきたのだ。

 

「なん、で──?セレナは、この技を使えない筈──」

「何故も何もあるまい。軍神である私が、ヌァザたる私が。剣を扱えない道理が何処にある」

 

 混乱するマリアにそう告げるヌァザは、やはり大岩から坐して動かず、小器用に振るわれる刃はともすればマリア以上に自在に動かしている。元より宝剣の担い手としての勇名もあるヌァザにとって、その手に収まる銀の刃を扱うことは児戯なのだろうと確信させられる程にその動きは様になっていた。

 

(────これが、神。これが、戦いに特化した戦神──ッ!)

 

 戦いが始まってすぐに抱いた感想を、マリアは今再び感じてしまわずには居られない。

 力も、技も、自分が厳しい戦いの果てに身に着けた業すらも。眼の前に在る存在にとっては只の小細工にすぎないのか──思わず思考がマイナスに寄った、その時。マリアの肩に乗せられた、冷たく硬い感触。しかし何処か労るような雰囲気が感じられるその接触は、その手の──その義腕の主が誰なのかを如実に伝える。

 

「──ベディヴィエール卿?」

「落ち着いて。彼の神が隔絶している存在であることは事実ですが、だからといって負の方向へ考えを向けるのは良くありません。……貴女のギアも、そして神の依代たる貴女の妹御のギアも、元を辿れば彼の神の所有物です。であれば、その機能の全てを万全に扱えて当然とも言えます。ですが──」

 

 その万能性には翳りがあります。そう小声で伝えるベディヴィエール。今の一合で彼は何かに気づいたらしいが、マリアがソレを問う前に再び鞭のような斬撃が奔った。

 

「くッ──!だが、二度も三度も同じ手は──?」

(同じ手?おかしい、アガートラームはギアの中でもかなり多機能な部類のはずなのに──何故、連節剣しか使わないの?)

 

 ヌァザの攻撃を躱したとき、そんな思いがマリアの胸中に飛来する。

 アガートラームが多機能である、というのはマリア自身がそれだけ多様な技を持っている自負から来る考えである。短剣を複数に増殖させた上で半自立させ、エネルギー熱線を放つ小規模な浮遊砲台。エネルギーを収束しより強力な熱光線を放つ砲撃形態、連節剣、増殖させた短剣による連撃、刃から放たれるエネルギー斬撃等々、遠距離の技に限定したとしても(特化型のイチイバルを除けば)装者の中でもトップクラスである。

 翻ってみれば、確かに連節剣形態はその軌道が特殊である以上回避が難しいものではあるにせよ、二度も三度も使えば対応される可能性は大幅に増してしまう。それが本来の使用者であるマリアに対してならなおさらだ。にも関わらずその形態ばかりを使用するということは──。

 

「──ッ!そうか、そういうことかッ!」

「マリアさん、また来ますッ!今度はスプリガンと連携して──ッ!」

 

 マリアが絡繰りに気づいたと同時に、響の警告が飛ぶ。

 

 ハッとマリアが顔を上げれば、その頭上から岩の巨剣が降ってくる。その左右を塞ぐように放たれた剣刃の包囲は、マリアの逃げ場を失わせることを主軸においていることは明白だ。

 とっさにマリアは大技を放とうとするも、しかし途中で手が止まる。

 

「~~ッ、ええいッ、ままよッ!」

 

 僅かに逡巡したマリアは、首を一回だけ横に振り、自棄になったかのような勢いそのままにその手の短剣での迎撃を敢行した。

 その刀身を一気に長剣レベルまで伸長させ、刃にエネルギーが収束する。マリアはスプリガンの巨剣に刃を合わせ、一気に振り抜いた。神秘に満ちた精霊といえども、戦神の刃は分が悪い。巨剣は銀の刃の前に真っ二つに切り裂かれた。

 マリアは開けた頭上をすり抜け、そのままスプリガンを足場にヌァザへとその刃を向け先程同様に振り抜こうとし──同様に伸長した刃に受け止められた。その事実に、マリアは確信の笑みを浮かべた。

 

(やはり、私の剣を真似ているッ!──どういう理由かはともかく、アガートラームのギアを扱いきれていない……いえ、そもそもギアについて知らないということかしら)

 

 マリアは相手の事情をなんとなく理解した。如何に軍神、如何に戦神であろうとも、全く法則の異なるギアに対する理解は完全には届いていないのだろうとあたりをつける。

 これがギアの駆動に習熟している依代ならともかく、セレナはギアへの適合率はともかく戦闘に関しては実戦経験がほぼ皆無であり、そもそもシンフォギア自体を疎んでいる節すらあった。そう考えればアームドギアについて依代の経験値は期待できるものではないため、必然眼の前のマリアの技を利用する必要があるということだろう……少なくとも、マリアはそう考えた。

 

「──気づいたか、そうでなくてはな」

 

 そして、それは実際正しかったのだろう。マリアの表情から己の不備に知られたことを理解したヌァザは、しかしそれを待っていたかのようにニヤリと笑った。

 さも想定通りであると言わんばかりの笑みに、マリアの表情から笑みが消えその眉間に皺が寄った。

 

 マリアは自分のカバーリングに来ていた響に足止めするよう伝えポジションを交代し、エルフナインと通信を開く。

 

「……ねえ、エルフナイン。さっきの話を聞かせて」

『は、はいッ!私達の推測では──』

 

 マリアから小声で伝えられた言葉を受け、エルフナインの口からつらつらと情報が語られていく。内容を聞くにつれ、マリアの顔が考え込むような表情へと変化していき……やがて、納得の笑みを見せた。

 

 

「──どうした、銀腕を継ぐ戦士を排してきたか?」

「そういうわけじゃ、無いんですけどッ!」

 

 少女の姿をした神から、死を招く一閃が首へと飛ぶ。

 それを驚異的な動体視力で認識した響は、一刀に切り捨てんと己に迫る銀の拳閃に対し首元のマフラーを小器用に操り、まるで達人の布槍術の如き技でその一撃を逸す。そしてそのまま僅かに距離を取り、追撃にと放たれる連節剣を化勁で受け流す。

 

 先程スイッチングした響は、今までのような突撃スタイルではなくあえて中途半端な距離を取るような戦い方を心掛けるようにしていた。

 マリアに足止めするようにと指示されたこともそうだが、自分の得意分野である突撃からのインファイトを取るには相手の位置や姿勢がまずいという事実に気づいたということでもある。……先程からポンポンと吹っ飛ばされていれば嫌でも理解することではあるが。接近戦の技量があり、なんだかんだ装者として屈指のタフネスを持つ響であればこそめげずに戦えているという側面もあるだろう。

 そして。

 

「彼女だけでは、ありませんよ!」

「ベディヴィエールさんッ!有難うございます!」

 

 そんな響を周囲の幻想種やケルト兵たちから守っているのは、他でもないベディヴィエールである。ベディヴィエールは守護の誓約や軍略といった対多数防衛戦闘に優れたスキルを多く持つ──つまり、元来多数戦における防衛戦こそが彼の得手であればこそ、敵手の軍神には及ばずとも少女2人を守り通すだけの結果を導き出していた。

 通信を聞く僅かな時間を稼ぐためにと即興でシフトを組んだ彼ら彼女らであったが、即興という割には驚くほどに上手く嵌っていた。

 尤も、それを続けても何れ天秤は傾く状況ではあったが、そうなる前に通信内容を聞き届けたマリアが声を上げた。

 

「──2人とも、ありがとうッ!聞きたいことも出来たから、守護天との戦闘は私が請け負うわッ!」

「わっかりましたぁッ!」

「ええ、では今度は我々が軍勢を留める側にまわりましょう。……ご武運を」

 

 ベディヴィエールの激励に無言で頷き、マリアはヌァザへと向き直る。先刻までとは違うその様子に、ヌァザは喜色を浮かべマリアへと声をかけた。

 

「ほう。ほうほう、何か私について掴んだことでもあったか?」

「ええ──だから、まずはじめに貴方の口から聞かせてもらおうかしら。……どうして、貴方はあの魔神に唯々諾々と従っているの?」

 

 マリアの問いかけに、ヌァザは笑みを収め、つまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「何だ、そんなことか。……貴様に伝える義理はないな」

「本当に?もしかして──恥ずかしいんじゃないかしら、伝えるのが?」

 

 挑発するような言葉を浴びせるマリアに、ヌァザは露骨に不愉快そうな表情を見せる。

 

「言う気がないなら、こっちから言ってあげましょうか?──負けたのでしょう、軍神なのに。ドクターウェルと魔神の手に掛かっては軍神も形無しって所でしょうしね?」

「────」

 

 

「あわわわわ……」

「……そこまではっきり挑発するとは……。確かに挑発すれば怒りで口が緩むかもしれませんが……」

 

 いっそ清々しい程に煽るマリアに、傍で守りながら聞いている響はハラハラした表情を隠しきれない。ヌァザなんて挑発を受けて能面のような表情へと変化しており、よりいっそう響の不安を誘う。

 ベディヴィエールはベディヴィエールで、マリアがエルフナインから聞いた内容について問い質すために何らかの言葉を弄することは想像してはいたが、神相手に神経をダイレクトに逆撫でするほどの直球度合いに冷や汗を流す。

 

(ご、ごめんなさい2人とも……。でも、こうなれば後には引けないッ!)

 

 そんな2人に申し訳なく思いながらも、マリアは自発的に退路を断ったつもりでさらなる挑発に走る。

 

「ケルトの神ヌァザ──確かに主神級でしょうけど、それでも神話じゃあいわば前座みたいなもの。戦いに敗れ、フォモール族に隷属していたという伝承……貴方がここで魔都の防衛に就いているのは、つまりそういうことでしょう?」

 

 そう告げるマリアの言葉には、末尾にふふん、とでも言いそうなほどに確固たる自信が備わっていた(ように見えた)。

 

 ヌァザがわざわざ従っている理由について、結論から言えば伝承の再現によるものだろうというのが後方組の見解であった。

 古代ケルトに存在した巨人にして神とも呼ばれた種族、フォモール。彼らの侵攻に対し、ヌァザは抗しきることが出来ずに国土を支配され、その下で隷属の憂き目にあったと言われている。

 魔神はその伝承に目をつけ、魔術に長けた魔神と巨人ネフィリムたるドクターウェルの組み合わせにより反抗心の強いヌァザを支配下に置いた可能性が高い──そう結論づけたのだ。

 

(さあ──どうなのッ!?)

 

 内心では若干腰が引けつつも、その心境をおくびにも出さないで堂々と目線を合わせてくるマリアに、ヌァザはうつむき、肩を震わせ──大口を開いて高笑った。

 

「く……くく……ハハハハハッ!」

「……何が可笑しいの?」

 

 まさに大笑と呼ぶに相応しいその笑いに、マリアは眉根を寄せてヌァザを睨む。

 もしかして間違いだったか……鎌首をもたげた不安を圧し殺すマリアに対し、ヌァザは一頻り笑ったところでマリアと目線を合わせる。

 

「いや、いや。合っているさ、あの魔神に負けたことも、巨人に組み伏せられたことも、な。──そうとも、ソレは合っているとも」

 

 だが──と。守護天として隷属させられたことを明かすヌァザは、凄絶な笑みを浮かべた。

 

「──だがな、それで何が変わるわけではないぞ?確かに隷属は屈辱極まるが、だからといって憤死するわけにもいくまい」

 

 その額には青筋が立っており、いびつな笑みの口端はヒク付いている。マリアの挑発も理由だろうが、ソレ以上に自分の現状に我慢がならないということを如実に示している歪んだ表情は、それほどの怒りを湛えながらも神が理性を以て其処に立っているのだと見る者に伝えてくる。

 

「……そう、ね。ええ、先程までの言い様だけは謝らせてもらおうかしら」

 

 空間が歪んでいるとも錯覚させるだけの怒気を前に、それでもマリアは取り乱す素振りを見せず冷静に謝意を伝えるに留める。

 マリアが最初に挑発めいた言い回しにしたのはヌァザが喋るのを拒否したからであり、煽れば喋るかもしれないという程度の目的ではあったが、流石にああも怒りを抑え込んでいたとまでは思っていなかった。いっそ殺意が形をなしているのかもしれないと思わせるほどの形相でありながら、未だ上位者としての傲岸に満ちた振る舞いを崩さないだけの精神力はさすが神だからというべきなのか……などという考えがマリアの脳内に浮かぶ。

 

「構わんさ、どちらにせよ貴様らが私と戦わなければ話にならんのだからな。貴様の挑発はそういう意味では意味は無かったと言えるだろうが、しかしまあ──」

 

 マリアの謝罪を流し、ヌァザはその身に纏うシンフォギアへと手を当てる。

 

「──ソレはソレとして、私は非常に腹立たしい。勿論役割は忘れず全うするが──」

 

 ──加減はせん、精々足掻け。

 その言葉が対峙する3人に届くと同時に、デモノイズの歌に合わせるようにヌァザが歌った。

 

『────歌、だと……ッ!?』

 

 モニターで戦況を確認していた弦十郎は、その状況に思わず唸る。

 他の守護天の戦況から推測される情報として、歌を歌っていないということが上げられた。

 何故歌わないのか──これについて、てっきり依代と霊基が別の存在であるためかと推測されており、如何にギアを纏っていようと歌を歌うことはないと考えていた。

 だが、それが覆された。モニターに映る神は、どういうわけかセレナの歌声でギアの出力を上昇させていく。

 

『ッ!司令、周囲の魔力体の出力がッ!』

『これは──まさかッ!?』

 

 そして、異変はそれにとどまらない。ヌァザの歌が辺りに響き渡る度に、周囲の幻想種たちがより強力に、より俊敏になっていく。

 数値的変化を見る限り、それはデモノイズたちのようなフォニックゲインによる強化ではない。S.O.N.G.の保持する機器による測定と、カルデアの機材による測定の結果を突っつき合わせた結果、判明したのはそれがシンフォギアの力によるよるものであるということ。

 

「──この歌、これは……!」

 

 また、S.O.N.G.の発令所で観測されるそれとは別の事実にいち早く気づいたのはサーヴァントであるベディヴィエールであった。

 歌の形をとっているが、その歌女は少女であると同時に戦の神。それがただの歌であるはずがない。

 

 彼はこの現象に近い技術に覚えがあった。カルデアのサーヴァント達にも、類するスキルを持つ者たちがいた。

 

 それは例えば、兵や民に従われるだけの魅惑、度量を示す王が持つものであり。

 それは例えば、戦に優れる軍師や覇王が持つものであり。

 それは例えば、共に戦場に立ち人々を鼓舞する鯨波であり。

 

 ──その全てが含まれるその歌は、まさに勝利そのものを与えんとする神の託宣そのものであった。

 

『アガートラームの……エネルギー分配能力かッ!』

「これは、軍神の権能──!」

 

 奇しくも同時に発せられた2人の言葉は、どちらも正鵠を得ていたと言えるだろう。より正確を期すならば、2人の出した結論を併せることこそが正答だと言えた。

 

「まわりの、兵士さんたちが……ッ!」

 

 兵の動きが見違える。幻想種たちが位階ごと引き上げられる。

 ギアによるフォニックゲインのエネルギー転化・分配と戦神の力による軍勢強化は周囲の在り方も、そして使用者当人すらもその力のランクを向上させる。

 

「そう、まだまだこれからってことね……ッ!上等だわッ!怒らせてしまったことは悪いけど、2人とも付き合って頂戴ッ!」

「──はいッ!」

「ええ、勿論です!」

 

 この状況にあって、マリアが怒らせたことを謝りつつ2人に協力を求めれば打てば響くように肯定の意志が返る。

 戦端は悪化の一途をたどっているが、それでもマリアも、響も、当然ベディヴィエールも諦めるつもりは毛頭なかった。

 

(──エルフナインから聞いたことは、あと一つ……)

 

 マリアが先程エルフナインから聞いた話、戦神ヌァザの栄光と落陽の逸話。

 ……巨人に従属したときの、ヌァザの味わった辛苦と逆転の伝承。ヌァザが魔神たちに従っている理由がそれに起因するというのなら。

 

「……いいわ、私達が光明になってやればいいってことでしょうッ!」

 

 マリアは自分に気合を入れ直し、強化された敵軍へとその刃を向けた。



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第12節 軍神の礼賛歌(2)

「ま、マリアさんッ!側面、兵士さんたちが来ますッ!」

「ええ、見えているッ!」

 

 青銅の巨兵の刃を拳で迎撃していた響が慌てたように叫ぶ。もはや半分パニックが入ったかのようなその声に、マリアは即座に対応して銀の短剣を雨のように降らせた。

 牽制とはいえシンフォギアのアームドギア。生半な雑兵程度なら容易に撃滅できる攻撃はしかし、隊列を組んだケルト兵──その最前列の者たちが振るう刃によって迎撃される。

 

 彼女にとっては現実味に欠けすぎたその光景に、思わずマリアは歯噛みした。

 己の磨いた技、ノイズを倒し、正義を成すため──何より、大切なものを守るためにと手にした力。それがああも容易く払われるのでは全く割に合わないのではないかとすら思ってしまう。

 

「ったく、ここまで強化するッ!?」

「それだけ、彼の軍神の権能が強力ということでしょうか。──あるいは、依代たる少女の力が図抜けているのか」

 

 吐き捨てるように紡がれたマリアの言葉を受け、ベディヴィエールが現状について考察する。その目線は先程より遠ざかった──否、追いやられて引き離されてしまった魔都の中枢へと向けられている。

 

 目線の先には、全力を振り絞って戦う3人の姿をまるで喜劇にでも思っているかのように笑顔を浮かべ、岩の上に腰を掛け歌う少女の姿。

 楽しそうな雰囲気で歌う少女の、その鈴を転がすような澄んだ声が奏でる旋律は率直に言って勇猛・勇壮のそれであり、全く似合っていないはずなのに妙にしっくり来るような不思議な歌声が鬨の声のように戦場に響き渡っている。それこそが魔都の守護天、軍神たるヌァザが本領の発露なのだろう……絵面との落差は天井知らずであるが。

 

 更に悪いことに、軍神としての指揮能力故か辺りのデモノイズすら意のままに従え己の旋律に重ね合わせている。デモノイズのフォニックゲインを己の歌に合わせた形へと変生させ、それをアガートラームのギアの力で周辺の手駒たちに配分する。魔詠を収束させ術式に転用していた魔神と似て非なるその戦略は、3人を徐々に押し返す形として結実していた。

 そしてデモノイズの扱いはそれだけではなく……。

 

「駆けよ、流星──『一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!」

 

 宝具の真の名を告げる宣誓とともに、銀の腕から軍勢すら切り裂く聖剣の刃が放たれる。

 ベディヴィエールの宝具の真名開放、その刃を向けられたケルト兵たちは──事もあろうに、そこらへんにいたデモノイズを引っ掴んで聖剣の光へと投擲した。

 聖剣が直撃したデモノイズはその瞬間にヌァザの指示を受け、その身を顧みず魔詠を全力で奏で上げ、閃光の刃を僅かなり相殺する。結果として狙われたケルト兵は僅かなかすり傷にとどまってしまい、それも即座に修復される。

 

「──盾ッ!?」

 

 ケルト兵の流れるような(一方的な)連携にマリアが驚きの声を上げる。

 

「嘘ぉッ!?なんでノイズ掴めるのッ!?」

 

 その一連の流れをみた響はあんまりにも非常識な迎撃法に思わず叫ぶ。彼女の知るノイズはそんな簡単に──投げたりは出来るが、それもギアがあってこそ。どう見ても生身なケルト兵たちが──と、そこで響はベディヴィエールが言っていたことを思い出す。

 

「あ、あの人達ってそういえば……」

『はい。彼らは人の形をとっているだけの魔力構造体。魔術によって編まれた使い魔であり、彼らの構成体は本質的には魔力なんです。だから、人間と接触することで炭素転移を行うノイズの機能とは干渉することがないと考えられます』

「成る程ね、こんなところで強く実感させられるとは思っていなかった、わッ!」

 

 そういって、マリアはケルト兵を全力で蹴飛ばす。常人が受ければ重体は免れないその一撃を受けたケルト兵は、放物線を描き地面に落下し大きなクレーターを作ったが、その様子を見てもマリアは眉を動かすこともない。

 彼女たちの常識として、ノイズに触れた人は死ぬ。余りにも当たり前のその常識から乖離したケルト兵たちを改めて視認することで、マリアはソレが人間ではない……どころか生命ですら無いことを漸く実感したと言えるだろう。

 

「……要するに、見た目が生身なノイズって思って戦えばいいのかしらね。──余り、気持ちいいものではないけれど」

 

 そう呟くマリアの表情を見れば、余り、どころではないことは如実に読み取れる。だが、強化されたケルト兵たちは前にもましてその頑強さを示しており、そんな甘いことを言える状況ではないとも思えている。

 そもそも殺すつもりではないにせよ全力で生身の人間相手(嘗て戦った錬金術師など)に殴る蹴るをすることはままあるのが彼女たちでもある。ケルト兵もそういう意味では拳を向けるに不都合がなくなっただけとも言えるだろう。

 色々と考えるマリアの前で、蹴り飛ばされたケルト兵はフラフラとだが立ち上がり、愚直に刃を構え直してさえいる。そのケルト兵を前に、マリアは覚悟を決めてその手の刃を構え──そこで、響がマリアの前へと立った。

 

「…………?」

 

 訝しげなマリアの表情に僅かに目を合わせ、次いで正面のケルト兵の姿を見る。

 やがて決心がついたのか、響は自分の頬を両手でぱちんと叩く。ギアでやっているからか結構な衝撃が発生しており、到底ぱちんと表現できる音ではなかったが。

 そして、一気にケルト兵の懐へと潜り込み──綺麗な、しかしきっちり加減されたアッパーカットで意識を刈り取った。

 

「──マリアさん。私は、たとえ相手が魔力でできていようともノックアウトさせるようにがんばりますッ!」

 

 自分でぶっ叩いたせいでヒリヒリする頬の痛みに涙をわずかに浮かべながら、それでも不敵な笑みと共に宣言する響。その言葉はこの現状に即していないといえばそうかもしれない。だが、それでも響は人の形をする彼らを消滅させるつもりで戦うつもりはサラサラ無かった。

 気合を入れ直し、自分に盛大に縛りを課す響に、マリアが僅かに目を見開き、次いで優しげに細める。

 

「……そう。いえ、そうね、それがいいわ」

 

 そもそも、魔都に入った時点でケルト兵が魔力体である旨は告げられていたわけである。そして、彼女たちはケルト兵が魔力体であると知って尚、相手を昏倒させる方針を固めていた(実感がなかったといえばそうだが)。

 それをたかが相手が強くなったから、魔力体である実感が生まれたからと方針を変えるほど彼女たちの信念は安かっただろうか?いいや、そんなことはないとマリアは己に向かって叫ぶ。

 

「……そうよ、この程度で方針を変えてちゃ、光が云々なんて言えない、言えるものかッ!」

 

 構えた刃はそのままに、乗せかけた殺意を霞と消しさる。響と同様に不敵な笑みを表情に浮かべ高らかに己の意志を宣言し、マリアはその隣へと立った。

 

「それでこそ。であれば、私も誓約を守り抜いてみせましょう。なに、彼我の力量差が想定より大きかったことなんて円卓時代にはよくありましたとも。その程度で誓いを翻すほど無様な騎士であるつもりはありませんよ」

 

 響きを挟んでマリアの反対側に剣を構えたベディヴィエールが立ち、3人は視線を揃え遠く在る魔都の守護天をはっきりと見た。

 

 遠く離されながらも己に強く目線を向ける3人を前に、ヌァザも一層笑みを深めた。そうでなくては、そうこなくてはという感情がその貌から見て取れる。

 そんなヌァザの笑みに比例するように苛烈に、より隙のない連携を見せるケルト兵たちを前に3人は怯まず前へと踏み込んだ。

 

 

「■■■■────ッ!!!!!」

 

 ソレはまさに暴力の波濤。否、洗練された連携は波濤などとは呼べはしない、それは途切れることなき殺意の激流だった。

 己にヒシヒシと向けられる熟練の戦士の殺意、弓兵の射抜くような目線、おどろおどろしい呪文と共に向けられる魔術師の邪念を前に、響はそれでもと往なし、流し、極限の集中力で僅かずつ前進を始める。

 

 勿論、敵はケルト兵だけではない。

 

 空から来たる飛竜(ワイバーン)はマリアが綺麗に翼膜をピンポイントで撃ち抜いていく。先程までの飛竜とは存在から一線を画しているのか、その翼膜は落ちる前には修復され、即座に姿勢を戻し再び襲い来る。

 が、バランスを崩した僅かな隙があれば、今のマリアにとってはそれで十分。飛竜が彼女に頭部を向けた瞬間、その体に連節刃が絡まり、強制的に地面に叩き落とされた。

 

 そんなワイバーンを踏み潰すように迫るのは、青銅の巨人。ロードス島の伝承を思い返させるようなそれは、戦神ヌァザに仕えし精霊種たる守護妖精(スプリガン)。通常のソレと比べより強固に、より重く、より巨大になったその体から繰り出された巨剣の一撃は、神秘としてより上位の金属である銀の義手により迎撃される。

 僅かに蹈鞴を踏むベディヴィエールは、巨剣の勢いに押される前にと己の聖剣を振り抜いた。絆を束ねた輝きの残光が大気に溶け切る頃には、両断されたスプリガンがどどうと轟音を立てて左右に倒れた。

 

 先程までとは動きが一線を画す。それは3人が3人、自分たちで認識していることであった。

 それは、それぞれが言葉として己の思いを正直に示し、互いに深い理解と共に戦うようになったからか。S.O.N.G.の人々が言うところの「絆のユニゾン」に親しい現象がそこには発生していた。

 本来その対象足りえないベディヴィエールにも同様の奇跡が発揮されているのは、あるいは想いを束ねる銀腕の聖剣が関わっているかもしれない……そんなことを彼は考えていた。

 

「そういえばマリアさん。さっき言ってた光明が~~ってどういうことなんです?」

 

 互いに連携し、進む中で。ふと響が疑問に感じていたことを口に出した。

 マリアはそういえば、と響に顔を向ける。

 

「ああ、ヌァザの伝承の話よ。さっき、あのヌァザは巨人の虜囚になった過去を認めていたでしょう?伝説でヌァザがその虜囚状態を脱するきっかけになったのは、巨人たちに勝てるほどの強さを持つ光の神ルーを見出したからなのよ。文字通り光明を見たということね」

 

 ケルト兵に投げつけられたデモノイズを両断しながらマリアは口にする。

 

(光明──そう、ヌァザはルーを見て、その才気ならばこそ巨人フォモールに勝てると信じ神々の指導者としての立場を譲った)

 

 それは先程エルフナインから伝えられたこと。神話に曰く──ケルト神話における主神の交代は、当代の主神ヌァザ自身が次代の神へと禅定することで完了したという。

 当時(と言っていいのかはマリアにはわからないが)、ヌァザ率いるダーナ神族が巨人フォモールに隷属させられており、ヌァザ自身ではその状況をどうにも出来ないからこそ耐え忍んでいた。勝機が見えるまで、神々の王という立場でありながら。

 その時の心情をマリアが知っているわけではないが、それでも先程のマリアの挑発を前に尚も態度を変えようとしなかったことから推測はできる。

 

「それってつまり……」

「ええ。ヌァザはおそらく待っている。それがこの状況を打破できるスキルを持つ者なのか、魔神を打倒できる力を持つ者なのかはわからないけど……少なくとも、今の私達はそうではないってこと」

 

 マリアはそう言って、妹の顔で今もニヤニヤと笑いながら歌っている神の方へと目線を向ける。

 

 今にして思えば、最初に遭遇した時からあえて決戦以外の選択肢を奪うような言動をしていたことも、戦いの中でこちらの力を見極めんとしたことであるとすれば十分に筋は通る。

 

「──しかし、だとすれば我々は今試されているということですね」

 

 目前に迫るワイバーンの前肢を切り落としながら難しい表情を浮かべたベディヴィエールの言葉に、マリアは同意を示すようにこくりと頷く。

 そう、少なくともあの神は今戦っている3人に見切りをつけてはいない。ニヤリと笑いながら波状攻撃を仕掛けてくる……言い換えれば、総力による殲滅戦を仕掛けてこないことからもそれが事実であると示していた。戦力として貸与されているであろうでもノイズだって、今はヌァザの歌によるエネルギー分配用の貯蔵庫兼ケルト兵の盾扱いである。器用にこちらの攻撃を相殺させたりするあたり指示は出来るはずなのにその程度の扱いにとどめているということも、まだまだ余力があることを証明している。

 未だ本気を見れてはいない、というだけでマリアは辟易すると同時に言いようもない反骨心のようなものがメラメラと燃え上がった。

 横を見れば響もベディヴィエールも同様のようであり、なんとしてもあの神に認めてもらうのだという気概が一挙手一投足から溢れている。

 

「だったら、まずはそこから行きましょうッ!あの……ヌァザさんに、私達の思いをとっぷり見せつけてみせますッ!」

「……その言い方はどうなのかしら……」

 

 なんか締まらない響の言葉に、やれやれとため息を吐くマリア。だがその目線は力にあふれており、響の言う通り自分たちの在り方をたっぷり示してやろうとマリアは更に前へと踏み込んだ。

 

 

「……とは、言ったものの……」

 

 どんどんと進撃速度を増していく3人は、高みの見物を決めているヌァザのもとへと徐々に近づいている。間もなく先程までの戦闘領域に到達せんとした辺りでマリアがポツリと呟く。

 

 結局、ヌァザにどうやって力を、価値を、在り方を示して見せればいいのだろうとマリアは悩んでいた。

 これが普通の戦いであり、相手と己の信念や価値観が違うというのであれば自分のソレを示せばいい。だが、そもそもヌァザは一体こちらの何処に光明を求めているのかがマリアにはわかっていなかった。

 

 現在、絆のユニゾンは成立し3人の力は増している。ヌァザの配下による息をつかせぬ猛攻を前に進むことが出来ていることからもそれは明らかである。

 

(それをヌァザは笑ってみている……ということは、意にそぐわないということではないのだろうけど……)

 

 少なくとも個々人の力のみを判断基準にしているわけではないらしいが、それでもヌァザがマリア達のどこを評価しているのかまでは未だ不明であった。

 

 そして更に、というべきか。不安要素は他にもあった。

 

(……確かに力は相乗しているけど、それでも尚、私達はヌァザに比べて弱い。それに……)

 

 先程までの戦いで、ヌァザと直接刃を交えた回数は数えるほどだが、その時点で戦力の差は浮き彫りになっている。

 確かに絆のユニゾンが働いている現在の状態であれば、成程先程よりは善戦できるだろう。だが、それでも勝ちを拾えるかといえばマリアにはそうは思えなかった。というのも、マリアは先程までの戦いで気づいたことがあった。

 

(……ヌァザは宝具を欠片ほどもも見せていない。セレナの体を依代にした疑似サーヴァントって言っていたけど、それでも話に聞く宝具は持っているはず。でも、さっきから使っているのはあくまでシンフォギアだけ……)

 

 戦神たるヌァザは戦いに関する逸話が豊富である。その伝説が具現化したものであろう宝具はやはり、それ相応の武装が出てくるだろう。にもかかわらず、3人は今まで戦った中でヌァザが宝具らしき武具を使用しているところを見ていない。精々がシンフォギアとしてのアガートラームの下にある銀腕を使用した程度だが、それだって迎撃のために使っただけで固有の能力等が使われたようには見えなかった。

 これが戦神としての力だとするのなら、最早苦笑するほかにはない。そんな内心が表に出たのか、マリアはやや疲れがにじみ出たような声を漏らす。

 

「儘ならないわね……」

「マリアさん?」

「なんでもないわ、どうやって攻める?」

 

 響に心配そうに声をかけられ、マリアはさっとなんでもないかのように表情を取り繕った。

 そんなマリアを見て様子がおかしいかもと響は首を傾げるが、しかしそれはそれとして攻めるための策が無いことは事実であったためむむむと頭をひねる。

 

「──思いつきませんッ!ベディヴィエールさんはなにか無いですかッ!?」

「そう、ですね……」

 

 僅かに悩んだ後に堂々とそう宣言した響に苦笑しながら、ベディヴィエールも頭を悩ませる。

 実のところベディヴィエールもずっと考えていたのだが、それでもあまり思いつかなかったのである。そもそも相手がずっと座り込んで動かないなんてハンディキャップを自らに課しているにも関わらず、尚も勝てなかった。よしんば今の状態のヌァザに全力を出して勝てたところで、その後に待つのはデモノイズとも連携を取り自分から立って行動するであろうヌァザである。疲弊した身で勝てる相手ではない。

 

「……とはいえ、他に道はないのも事実ですか。座っている相手に勝てていない我々が、先を心配して、も────?」

「ベディヴィエール卿?」

 

 不自然に台詞と、ついでに足を止めたベディヴィエールに、マリアがどうしたのかと顔を向ける。

 まさか、いや……と小さな声でつぶやいていたベディヴィエールは、顔を上げマリアと面を合わせた。

 

「……マリアさん。もしかしたら、ですが……、少し確認していただきたいことがあります」

「……聞かせてもらえるかしら?」

 

 ベディヴィエールの表情は、まさにか細い光明を見出したと如実に示している。先程まで考え込んでいたマリアも、その表情を見て詳しく聞こうと決めた。

 

 

 

「…………?動きが変わったか?」

 

 ヌァザの目に映る魔都への来寇者たちの行動が、明確に変化した。

 3人の歌と絆による精神を揃えた連携は、純粋な精神性、仲間意識をまざまざと示していた。それは彼女たちが同じ歌を常に耳にしていることを差っ引いても尚の事称賛されることであったが、その時点では行動自体は戦闘当初のそれと同じ──すなわち、守護天たるヌァザに対する突撃であった。

 だが、先程サーヴァントであろう騎士が足を止め、次いでそれぞれ何かを話し合ったと思ったらその行動は変わったのだ。

 騎士の英霊が遊撃を、槍なる拳の使い手が前衛を。そして──ヌァザ自身の不具の象徴とも呼べる銀の欠片を抱く少女は、その腕に銀の刃を備え、意識を集中し始める。それと同時に、徐々にその銀腕が光を放ち始める。

 

「ほ、う。アレもアームドギアと言うやつか。あんな義腕を元に、よくもまあ……。いや、あるいは腐っても神の腕ということだろうか」

 

 彼の知る銀の腕、アガートラムは、あくまで十全な神の力を発揮することが出来るだけの義手である。ソレ以上の機能もないし、逆に欠落した機能もない。医神の粋を込めて作られたそれは、義手であるということ以外に一切の不出来はなかった。

 ──余談ではあるが、彼の知る銀腕は義手以上、腕以上の機能はないということでもある。そんな腕が、異世界とはいえ短剣・長剣・連節剣などなどへと変化するのは彼の理解を若干超えていた。

 

 閑話休題。動きを止めた銀の少女へと向かわせたケルト兵や飛竜、スプリガンたちは軒並み迎撃されている。特にもケルト兵は昏倒させるという彼ら自身の縛りゆえにか、槍の少女の手によって遠く遠くへと吹っ飛ばされていく。

 

 動きを変え、その場に留まり続ける彼女ら3人をヌァザは眺めつつ、一体どういう手筋で来るのか──などと考え、ふとその銀腕に違和感を覚えた。

 

 連節剣として扱っていたアームドギアは地面に楔のように打ち込まれ、刃を括る腕を抑え込むようにも思わせる。否、足を止めた銀の腕の継承者が構える銀の刃の腕甲は、いよいよヌァザの見たことのない形状へと変化していた。控えめに言って刃ですら無いそれは、ヌァザの時代にはなかったもの──依代の記憶に言うところのレーザー砲に近い形へと姿を変え、放熱板ともエネルギーの貯蓄板とも呼べるようなそれがハリネズミのように腕甲後部から飛び出ている。

 

 まさか、とヌァザが思ったその瞬間、3人の力が銀の刃へと一気に収束される。その腕にはいつの間にか主神の槍に聖剣モドキが重ねられており、その全てを束ねて今にも破裂しそうな輝きを放った。

 

 当然、ヌァザの配下たちも黙って見ているわけではないが、彼女たちの攻撃における最大の障害であろうケルト兵たちはその全員が遠く弾き飛ばされている。

 

「受けて、みろッ!」

 

 それでも飛竜やスプリガンが攻撃を妨害をしようとしたところで──輝きが、爆ぜた。

 

 

───HORIZON†CANNON───

 

 

 閃雷が奔る。熱線が輝く。青銅の巨人は容易く融解し、飛竜は翼を吹き飛ばされ高温による乱気流で墜落していく。

 彼らの妨害なんてあって無きが如しとばかりに放たれた3人分の絆が乗った光芒を前に、ヌァザは思わず立ち上がり──熱線の前へと身を投げた。

 

 

 

 

「……どう、かしら?」

「見えました。確かに彼の神は──あの『岩』を庇いました」

 

 ベディヴィエールの報告に、マリアはほう、と息を吐いた。その中には全員での連携が成功したことと、その狙いが的中していたことに対する安堵が多分に含まれていた。

 

 3人分のエネルギー、絆のユニゾンにより増幅したフォニックゲイン及び絆の聖剣の出力向上分の魔力を響が束ね、エネルギーに指向性をもたせられるマリアが射出するという即席の作戦は、彼女たちの狙い通りの結果を生み出していた。

 ……実際は連携技というよりマリアの出力向上でしか無かったのだが、ともあれ絶唱に届かんとするその光輝は、過たずヌァザの座る『岩』へと届かんとし、ヌァザはそれを止めようとせんばかりに己の身を盾としたのだ。

 

 熱線により膨張した空気が生み出した上昇気流により、もうもうと土埃が舞い上がる。その様子を見ながら、マリアは先の話を思い返す。

 

 

『──マリアさん。貴女は以前ここに来たことがあるということでしたが……彼の神が座るあの岩、あれは以前からここに?』

『岩?ああ、要石かしら。あれは確かに以前から──いえ、ちょっとまって』

 

 確認してほしいことがある、そうベディヴィエールに頼まれたマリアは続いて告げられた言葉に僅かに体を硬直させた。

 その顔はヌァザの方へと向けられ、その目はヌァザの座す大岩を穴が空くほどに凝視している。

 

『──おかしいわ。キャロルがシャトーをワールドデストラクターとして使っている以上、レイラインは開放されている。であれば、風鳴邸の要石は砕かれてなければならない筈……ッ!まさか、あれは要石じゃなく……ッ!?』

『どういうことですか、マリアさん?』

 

 響がマリアの慌てように首を傾げる。

 よく判っていない様子の響に、マリアは簡潔に説明するために口を開く。

 

『……例え要石がなくとも、あそこがレイラインの要所であることには違いないわ。そこに新しく岩が置かれたって言うことは、それはつまりレイラインを利用するために……ッ!』

『ええ、おそらく彼の神が置いたものでしょう。詳細はさておき、あれはこの神代を形造るための宝具と見て間違いないかと』

 

 ベディヴィエールはその宝具に見当がついているようであったが、時間はないということだろうかここでその詳細について話すつもりは無いらしい。

 マリアは気になりはしたが、しかし気にしてもしょうがないとその考えを思考の端に追いやった。

 

『そう、つまり私達は──』

『──あの岩を狙うってことですねッ!……でも、どうやって?』

『それについてですが……生半可な攻撃ではこの軍勢を超えて撃ち抜けはしないでしょう。どうにか隙をついて合間を縫うしか……』

 

 ベディヴィエールがそこで手詰まりとばかりに悩ましげな表情を浮かべる。自分で言ってて、隙をついて前進が非現実的であることを理解しているようであった。

 

『でも、強引に突破してたら途中でヌァザに気づかれて吹っ飛ばされて、良くて最初からよね……』

 

 悪くてそこで見限られて殺されるというところだろうが、言霊もあるかもしれないとそこは言わないマリア。

 と、響がまたも閃いたとばかりに表情を輝かせた。

 

 

『だったら──遠くからぶっ飛ばしましょうッ!みんなの力で、真っ直ぐにッ!』

 

 

 そんな響の作戦に乗って、真っ直ぐに最速でぶち抜いた戦場を見るマリア。

 地面は赤熱化し、石像は崩壊し、ワイバーンは死屍累々の有様である。余り見ていていいものでもないが、やがて魔力に還元されたのか消滅していく。

 

「……これで終わり、かしら」

「そうであればいいですが……しかし、それは流石に楽観が過ぎるかもしれません。ですがある程度のダメージくらいは──ッ!?」

 

 ベディヴィエールが撃ち抜いた先を険しい表情で見ていたその時、先程の輝きを遥かに上回る煌きが土煙を吹き飛ばす。

 その光の前に、マリア達は視界を瞬間失ってしまう。

 

「──ッ、一体何が……ッ!」

『…………さん、皆さん、気をつけてくださいッ!膨大なエネルギー……魔力反応ッ!これは──宝具ですッ!』

 

 思わず瞠目するマリア達の耳に、エルフナインの叫ぶような警告が飛ぶ。

 

 

「……いいぞ、まさにソレでこそだ。機転を示した。信念を示した。であれば──あとは単純だ」

 

 そう呟くのは、幼さが残るも凛々しい声。

 朗々と、それこそが神の意思であると言わんばかりに言葉が紡がれる。その身体は僅かに汚れ、傷が残るも……全く健在であると言わんばかりに、戦神が剣を掲げる。

 その刃にはいつ準備が終わったかもわからぬほどに、膨大な熱量が湛えられている。

 

 

「────このヌァザに武勇を……貴き輝きを示せッ!『焼滅せよ、銀色の腕(クラウソラス・アガートラム)』ッ!」

 

 

 その熱量は太陽の如く。

 

 戦神の咆哮とともに放たれた神剣の炎は、呆然と立ち尽くしてしまっていた3人を一気に飲み込んだ。



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第12節 軍神の礼賛歌(3)

「マリアさん、響さんッ!どうか応答してくださいッ!」

 

 平行世界で活動している装者2人を主としてモニタリングしていたエルフナインは、画面の向こう側へと必死に呼びかけを続けていた。

 敵対中の守護天の持つ刃から閃光が放たれた後、光熱による大規模攻撃が発生。その光量は凄まじく、S.O.N.G.の画面が一時的に真っ白に塗りつぶされてしまっていた。現在は回復したものの、その向こう側には陽炎と煙が立ち昇っており、戦っていた少女らを確認できていない状況だった。

 

「──くそッ!一体何が起きたッ!?」

 

 弦十郎は思わずと言ったふうに叫ぶ。

 こうなる直前、膨大なエネルギー反応がヌァザから発生したのを彼らは観測していた。それがベディヴィエールはじめサーヴァント達の宝具反応と酷似していたことから、それが宝具であろうと警告を飛ばし──太陽の如き光によって画面が塗りつぶされてしまった。

 結果として状況の確認に映像記録が使用できなかったため、彼らはソレ以外の媒体でデータを取りまとめることでどういった攻撃が発生したのかを認識しようとしていた。

 

「司令ッ!こちらを……」

「なにかわかったのかッ!?」

 

 弦十郎へと呼びかけたのは、S.O.N.G.発令所における情報処理担当のオペレーターである藤尭。

 かれは弦十郎の言葉にコクリと頷き、モニターに一連の状況を映し出す。

 

「こちらが閃光が放たれた瞬間。そしてこちらが相手が宝具を放った間です。最初の閃光時点でこっちのモニターがダウンしてしまったので音声記録だけになりますが……」

「──閃光から宝具までの間に結構な時間があるな。あの宝具、放つ際にエネルギーの蓄積が必要なのか?あるいは起動までに時間がかかるか……」

「おそらくどちらか、とにかく発射までに一定の時間がかかるようですが、問題はそれを棒立ちで受けているようなんです」

 

 そう言った藤尭の目線は、別ウィンドウに表示された装者たちの位置情報についてであり、閃光があってから宝具が放たれるまで、その座標が移動していないことを示していた。

 そして、そこまでの情報をまとめていて弦十郎が眉をひそめる。

 

「……光が発生してから宝具と推測される攻撃が放たれるまでの時間は、本当にこの時間で正しいんだな?」

「どういうことですか、司令?ええ、機器の計測はあちらの本部の観測機器やカルデアのデータともリンクさせているので、この数値で正しいと思われますが……」

 

 そう藤尭が振り向けば、その目線の先の弦十郎は何かに気づいたのか、考え込むような仕草を見せる。

 

「……成程な。どういう原理かはともかくだが、何が起きたのかは掴めてきたか。──俺たちはイェソドの支援を中心にしていたが、カルデアではネツァクとホドの支援を主としていたな?体感時間にズレが生じた人間がいないか大至急問い合わせろッ!」

 

 やがて弦十郎はポツリと呟き、どういうことかと周囲のスタッフが尋ねる前に大声で指示を出す。

 スタッフたちが即座に意識を切り替えテキパキと行動を起こす様を眺めつつ、エルフナインも何かに気づいたように弦十郎へと目線を合わせた。

 

「……相手の真名開放として告げられた宝具名と思われるものは『クラウソラス・アガートラム』……。つまり、あの光はクラウ・ソラスの……」

「かもしれん。ヌァザの剣である、という伝説があったかと思うが……」

 

 弦十郎はエルフナインに渋い顔でそう答えた。

 敵対している守護天であるヌァザ、彼のサーヴァントとしてのクラスは「セイバー」……すなわち剣のサーヴァントである。

 弦十郎はベディヴィエールの宝具の情報を知っていたこともあり、てっきりアガートラームがセイバーとしての要素であると考えていた(アームドギアが剣型であることもその考えを助長していた)が、それ以外の伝承も持ち合わせているとは思っていなかったのである。

 

「…………」

 

 が、弦十郎の言葉にエルフナインは思案顔でうつむく。

 その様子に不審そうに目線を向けるも、エルフナインは反応せずに考え込んでいる。

 

「エルフナイン君?」

「……あ、いえ。なんでもありません。すいません、ぼーっとしちゃって……」

 

 黙り込んでいたエルフナインは、弦十郎に改めて声をかけられ慌てて謝罪する。今は戦闘中だ、と己の柔らかそうな頬を気付けとばかりにパンパンと両手で叩く。

 

 何かを見逃しているのではないかという直感じみた考えが彼女の脳裏に浮かんでいたが、しかしそれがはっきりとする前に弦十郎に声をかけられたことで霧散してしまっていた。

 

 

 

 

 ──そこは、知らないものが見れば地獄とでも思うだろうか。

 丁寧に整えられていた庭園も、美しい白さを見せていた漆喰塀も、その外側に広がるエリンの蒼い草原も。

 その全ては灼熱により焼き滅ぼされ、今は残火が燃え滓を炭へと変えるパチパチとした音が小さく鳴るばかりであった。

 

 そこであった戦いを知らぬものが居れば、そこに生命は無いものと考えてしまうだろう。

 だが、その炎を振るったもの──輝く鏡面の剣を持つ神はそのようなことを露程も考えていなかった。

 

「どうした?此れで終わりな筈はないだろう。貴様らは私に知恵と勇気を示したのだ。であれば、力が足りぬということはあるまい?」

 

「──無茶苦茶、言ってくれる、わね……ッ!」

 

 神の期待するような言葉に応じるように、凛とした声が辺りに響く。

 そして、その声に触発されたかのように。その身に降り積もった残骸を退かすようにして立ち上がる人影が──3人分。

 

「今、のって────」

「宝具、でしょうか。あの熱量、あるいはあれこそが彼の神の本領でしょうか……」

 

 そう口々にいいながらヨロヨロと立ち上がる。

 響、ベディヴィエール、そしてマリアの3人は、あの破壊の中どうにか生を掴んでいた。

 

 マリアは2人の安否をちらりと確認し、そのまま正面を向く。

 

「ねえ、2人とも──気づいた?」

「……うん。あれって新宿で見た……」

「そのようですね……」

 

 3人の目線は、今までヌァザが座っていた岩──その向こう側にそびえ立つ、巨大な肉塊を思わせる不定形の柱状の存在を見ていた。

 彼女たちが認識する限り、先程までは確かにあの存在──指揮者デモノイズは視界に映っていなかった。にもかかわらず、今ははっきりとソレが見える。

 

「今まで隠してたんでしょうか……?」

「どうかしらね。でも、少なくとも今は姿を見せている。そして、私達の勝利条件は守護天ヌァザの排除じゃなく──」

「指揮者デモノイズの撃破、ですね。ですが──」

 

 そこでベディヴィエールは言葉を切り、岩の前に陣取るヌァザを見る。

 

 ヌァザは、明らかに何かを期待している目で彼女たちを見据えている。

 ワクワクしているとも取れる表情は依代の少女相応のソレであればさぞ似合っていたのだろうが、戦神らしい猛々しい笑みが全て台無しにしている。

 

「──このまま素通り、というわけにもいかないでしょう?」

「……そうね」

 

「こそこそとした話は終わったか?いや、素晴らしいぞ。我が光熱の一撃を如何にして凌いだ?」

 

 マリアとベディヴィエールの話に割って入るように、まさに上機嫌そのものと言える口調で語りかけるヌァザ。

 一種の戦闘狂とも呼べそうなその姿に、思わず辟易とした表情を見せるマリア。だが黙っていてもしょうがないだろうと口を開く。

 

「……別に、大した話ではないわ。アガートラームのギアの力なら、同じギアの力で受け流せる──なんて、分の悪い賭けに出ざるを得なかっただけだもの」

 

 そういって己のアームドギアたる剣を見るマリア。その刃は融けかけており、腕甲は黒く煤けている。そしてそれは後ろに居た響も同様であり、彼女の腕甲も熱を受けたのかところどころ焦げ、一部装甲は融解しかかっているものもある。

 タネとしては非常に単純だが、彼女たちは即興で簡易的なS2CAを運用したのだ。

 

 S2CA──Superb Song Combination Artsと命名されたそれは、立花響とマリア・カデンツァヴナ・イヴの2人が揃って初めて実行できる荒業である。

 繋ぎ束ねる特性を持つ響の無手たるアームドギアと、エネルギーの分配・再配置の特性を持つマリアのアームドギアをそれぞれ絶唱状態で使用することで、一時的に大出力を獲得する技。

 本来は複数人の絶唱のフォニックゲインを束ね調律するのだが、今回はデモノイズの撒き散らしている魔詠のフォニックゲイン……そして、ヌァザの放った宝具の炎熱を転用し、相殺したのである。

 

 勿論、本来はフォニックゲインを束ねる技であり、間違っても単なる炎やらを束ねることが出来るわけではない。ヌァザの宝具として放たれた炎熱の極光が、あくまで依代のセレナが使用するシンフォギア・アガートラームの特性により再配置されたフォニックゲインの変質したモノだったから出来た芸当であり、そうでなければここで敗北していただろう。マリアの言う通り、全く分の悪い賭けでしか無く──それでも、どうにか彼女たちは立ち上がれたのである。

 

(──さて、問題はここからよね……)

 

 そんなギリギリの綱渡りでどうにか現状を維持したマリアだが、彼女の浮かべた未来予想図はお寒いものであった。

 まず、同じ技を何度も受けきれるわけではない。ヌァザの宝具はどうやらフォニックゲインを束ねるだけではないらしく、響やマリアのギア自体に大きな負荷が掛かっていた。ところどころ融解しているのもその証明であろう。

 下手すれば次に同じ技が来ただけでこの状況は瓦解してしまう。

 

 だからといって、ベディヴィエールの宝具で迎撃というのは──マリアがそう考えながら銀腕の騎士を見やれば、彼はあくまで冷静な表情を崩さず、小さく横に首を振った。先程の宝具には抗しきれないという意思表示だろう。

 この状況であってもその沈着冷静さを失うことなく油断なくヌァザを見ている彼は、当然響とマリアのギアの状態にも気づいていた。

 

(おそらく次に攻撃が来れば、彼は相手の炎を少しでも相殺するために宝具を使用せざるを得ない。そして、そこで終わり。霊基の崩壊に至るかは未知数だけど、少なくともそれ以上の戦闘行為は不可能になってしまう……ッ)

 

 それはあくまでマリアの推測でしか無かったが、しかし遠からずだろうという確信もあった。先程相殺に宝具を使わなかったのは、次に必要になるかもしれないからという彼の戦闘感が導いたのだろうとマリアははっきり理解していた。

 

「──せめて、もう少し隙があれば……なんて、無い物を強請るにしても限度があるというものか……」

 

 ここですべきは、何をおいても宝具を撃たせないことに尽きる。だが先程の攻撃の際、ヌァザは閃光が放たれると同時に炎熱の準備を終えていた。

 そこに隙は存在せず、彼女たちの間に横たわる物理的な距離を踏破するだけで隙が潰れてしまうだろう。

 

 と、そこで響がポツリと、まさに思ったことがそのまま溢れたかのように呟いた。

 

「……それにしても、アガートラームってあんな一瞬で攻撃できましたっけ?マリアさんはもっとこう、エネルギー・チャージッ!みたいな感じでやってたというか……」

「それは……」

 

 響が首をかしげる様子に、マリアが言葉に詰まる。

 先程の攻撃をギアの能力で防げた時点で、相手の攻撃はフォニックゲインに由来──つまり、シンフォギア・アガートラームの効果によるものであることは疑いようもない。だが、同じギアを持つマリアが同速で同規模の攻撃を行使できるのか、ということになると話が変わる。

 

(確かに、私ではあの規模の攻撃は難しいけど……それは相手がヌァザ本人であるとか、依代のセレナの適合率が高いということで説明自体はつく)

 

 マリアは今の攻撃をひとつひとつ分析していく。大規模な熱線、剣を抜いたときの閃光、瞬時に終えたエネルギーの収束……その中で、マリアは1つの違和感に気づいた。

 

(でも、収束速度は別だわ。アレだけの出力、かなり広域からエネルギーを集めなきゃいけない以上、どうしたって収束し切るまでには時間を要するはず……)

 

 マリアの場合、大規模な攻撃を放つ際には発射前にエネルギー収束のための時間を必要としている。というより、もともと大出力を持つ聖遺物自体を歌で増幅させるシンフォギアであっても、大規模攻撃に際しては発動に必要なエネルギーを蓄積するための動作が必要なのだ。

 それがネフィリムやデュランダルのような完全聖遺物……それもエネルギー関係の能力に優れた物品であるなら即座の大規模攻撃も可能だろう。だが、相手のヌァザが使用する聖遺物はあくまでシンフォギアに使用される欠片のみ。大技の発動に際しては大量のフォニックゲインを何処からか調達・蓄積する必要がある。装者はソレを往々にして歌で補うが、今のヌァザの場合はその歌すら必要としていなかったようにマリア達は感じていた。

 

「とにかく、このまま睨み合っていても仕方ありません。相手が何をしたのか、なるべく眼を離さないように戦わなくては……?」

『──いえ、むしろそれは不味いですッ!』

 

 ベディヴィエールが当座の戦闘方針を2人に告げかけた時、響達のギアに焦ったような声で通信が入った。

 

「エルフナインちゃん?なにかわかったの?」

 

 その慌てようを宥めるように、しかし期待の籠もった声で響が問い返す。

 なにせ彼女はS.O.N.G.本部で最も神話伝承・異端技術の扱いに秀でている技術者である。緊急の通信で注意を促してくる時点で期待を抱いてしまうのも無理らしからぬことだろう。

 

 そして、そんな響の期待に応えるような答えが通信先から返ってくる。

 

『はい。先程の状況をこちらでモニタリングしていたところ、守護天ヌァザが剣を抜いた際に発生した"閃光"を目視した方の体感時間にズレが生じていました。時間にして短くて1~2秒、長くて10秒程度ですが、その間の情報を記憶できていなかったんです』

「────ッ!それはつまり、あの光を見ると記憶が飛ぶってことッ!?」

「そんな映画みたいなことが……」

 

 エルフナインからの説明に、マリアと響がそれぞれの反応を返す。響の指す映画と今回の事象は微妙に違うが。

 

『先程守護天が真名開放として宣言した連語の中に"クラウ・ソラス"という単語がありました。これはケルトの伝説に登場する宝剣を指す単語ですが、特に光に関係する逸話が数多語られているんです』

 

 ケルトの伝承に登場するクラウ・ソラスは、諸説ある中で光の剣とも呼ばれている。

 一度抜けば閃光が世界を3周する、井戸を照らす光源として使う、窓のない部屋で僅かに覗いた刃が輝き、辺りをまるで太陽が出たかのように照らし出した、などの伝説がある。

 

『そしてその中に、閃光を放ち敵を眩惑するという話もあると言われています。先程の閃光はおそらくその逸話を元にした攻撃でしょう』

「成程、それで見るなって言ったんだ……」

『そうなんです。無茶を言っているとは思いますが……それでも、剣の閃光を眼にしてしまうと先程のように動きを止められてしまう可能性があります』

 

 エルフナインの言葉にそれぞれ納得の表情を見せる3人。

 

「光を見ずに、彼の神と戦う……。いえ、刀身が光る瞬間さえ見なければいいのでしょうが、どちらにせよかなりの難題ですね。……ええ、やってみせましょう、騎士の名にかけて、我が王に誓って」

「師匠が言ってましたッ!達人は相手の足だけを見てその動きを読めるってッ!不肖立花響、今こそ達人の頂に──ッ!」

 

「──そうね、やってやりましょう。ソレでこそ、あの神様が望む"力"を見せたってことになるでしょう?」

 

 マリアはそう言って、先程からこちらの行動を待っていた神へと向き直った。

 そんな彼女に倣うように、響とベディヴィエールも体勢を整える。

 

『……こちらでも至急対策を考えますが、その間だけ、どうにか──お願いします』

 

 エルフナインはそう告げ、通信を切る。それを待っていたかは不明だが、ヌァザが静かに口を開いた。

 

「ほう、いよいよ正面からぶつかる気概を見せるか。先の技巧、我が陽熱を受け流したことに加え、我が刃の秘密を知ったと見える」

「……やっぱり、判るみたいね」

「わからいでか。我が刃を構えるための腕に視線を合わせていればな。そうやって片腕を前面に出した戦闘姿勢も、成程光の放たれる瞬間に影を作るためだろう」

 

 ヌァザはそう言ってニヤリと笑い、対象的にマリア達は苦い表情を浮かべる。

 一応簡易的な対策として、それぞれ瞬間的に光を防げるよう……正確には、相手が剣を抜くような動作をする瞬間に目隠しが出来るように普段と若干体勢を変えていた。それでも響やマリアは元来の姿勢とそうそう変わらない体勢だから気づかれないかも……という淡い期待を抱いていたがするだけ無駄だったようである。

 

「そう。だったら話は早いわ。例え策に気づかれていようとも構わない。私達は──貴方に勝つッ!」

 

 その言葉と同時に、3人はきっちり散開して突撃する。

 

「ほう、また離散するか──良い判断だな」

「いつまでも、上から目線でッ!」

 

 マリアが先手必勝と最早技を隠す気すらなく大上段から刃を振るい、同時に複数展開した短剣から光線を浴びせかける。ヌァザはその攻撃に対し同量の短剣を展開し、光線の盾とした上でマリアの斬撃を己自身の銀腕、医神の構築した神秘で受け止め弾き返す。

 響が間髪入れずに間を詰め、刃を抜かれる前にと崩拳を叩き込む。一種の対城兵器とも呼べるであろうその拳は、ヌァザがもう片手に握っていたアームドギアの剣身により芯を逸らされ空を切った。

 

「そこ──ッ!?」

 

 ヌァザが両手を使ったことで表出した隙を、ベディヴィエールがその手に握るロングソードで突いた。がら空きの胴へと放たれた英霊の膂力が一点に籠もった一撃が放たれ──音の暴力とも呼べる爆音と共に業火を受け、大きく吹っ飛ばされた。

 

───焼却式 イェソド───

 

「ベディヴィエール卿ッ!?く──ッ!」

 

 炎は弾かれ往なされていたマリアと響にも届き、2人はすんでのところで跳躍し回避するがそれでも余波を受け、結果としてヌァザから距離を大きく引き離された。

 

「ぐ……ッ、今のは……そうか……」

「デモノイズ……ッ!」

 

 ふらつくベディヴィエールと、彼に肩を貸していた響が口々に呟く。

 そう、戦場にいるのはヌァザだけではない。先程までは盾扱いされていた楽団デモノイズや隠されていた指揮者デモノイズは、その身から生やす吹弾機関からけたたましい合奏を鳴り響かせている。先の炎は、デモノイズが魔詠を束ねて放つ焼却式の一撃だった。

 

 3人の様子を見ていたヌァザは、ふむ、と一つ頷いた。

 

「連携はいい。戦闘における着眼点もいい」

 

 先程まで固まっていたのは、周囲のヌァザ配下による圧力に対抗するためだった。だが、今相手は宝具を抜き力を見せろと言った以上、周囲を巻き込むような宝具と軍勢を併用することはないだろうと考えての陣形だった。

 以前より戦闘で配下の巻き添えを作る戦い方をせず、デモノイズを盾にさせるなどむしろ配下を労る戦運びをしていたことからの推測だったが、ヌァザが高評価を下しているところを見るに、作戦の方向自体はそう誤っていたものではない。

 だが、結果は結果。作戦がどうあれ、彼女たちは自分たちが神に力を示せたとは思えなかった。

 そして、そう考えていたのは3人だけではなかったようである。

 

「──だが駄目だな、力が足りん。やはり、人の子にルーに並ぶ器量を求めることが間違いであったか。神槍の担い手、銀腕の担い手──紛いとはいえ、聖剣を抱える者。期待していたが──ここで、終わりだな」

「────ッ!何を終わりなど、私は、私達はまだ戦えるッ!」

 

 一方的に下された宣告は、まさに神の詔とでも言うべきか。下された側を全く慮っていないとばかりのその言葉に、黙ってられないとばかりにマリアは反駁する。

 だがその気炎を全く気に留めず、ヌァザは体勢を立て直すことでいっぱいいっぱいだった3人を尻目に徐ろに刃を抜いた。シンフォギア・アガートラームのアームドギアと似て非なるその刃は深い神秘を湛え、まさに神の剣と呼ぶに相応しいモノ。刃には光が揺らめいており、キラキラとした刀身は波立つ水面を思わせる。

 

「戦えるからどうだというのか。ここで押しきれぬようでは──いや。……想定に届かなかったとはいえ、せめてもの慈悲だ。眠るように死ぬがいい──その方が、今後の世界の有様を見ずに済むだろう」

「そんな、勝手な……ッ!どうして、そうやって決めつけちゃうんですかッ!」

 

 神の目線から憐れみと慈愛を以てそう告げられ、響は思わず声を荒げる。その言葉には全く価値観を通わせようとしない神に対する怒りより、心情を伝えてくれない相手への辛さが多く滲み出ている。

 だが、その言葉にも神はただ悲嘆と諦念が入り混じった目線を向けるだけであった。

 

 刀身に輝く光が尚も強まる。3人は光が放たれる前に止めようと駆け出そうとするが、その身は満身創痍であり到底間に合いそうにない。

 

「──静かに、眠るがいい」

「待っ────!」

 

 輝きが解き放たれる。全てを惑わす光が辺りを包み込まんとする。

 それに呑まれては、最早彼女たちは戦えない。そのまま無慈悲に刈り取られるだけである──そう理解していても、現実は変えられない。光が放たれるのを止められぬままに、彼女たちの全てが終わらんとし──。

 

『マリアさんッ!その手の、刃を──ッ!』

「────ッ!」

 

 ──最後に耳に届いた叫びに、マリアは反射的に己の刃を抜いた。

 

 

 

 

 

「──?何も起きない……?」

 

 その光が収まった時、マリアは自分の身に何も起きていないことに気づいて驚きを零す。

 先程のヌァザの言葉が正しければ、自分たちはあの光に包まれて記憶を飛ばされそのまま死ぬものであると考えていただけに、マリアは拍子抜けしたかのようにあたりを見回す。

 

「む……どうやら無事のようですね」

「ピカーってなったから、てっきり目が覚めたら宝具が飛んでくるかなって思ってたんですけど……」

「…………どういうこと?一体……」

 

 隣にいた響とベディヴィエールも無事なようであり、マリアはますます混乱する。

 そこでふと、己の手に握られたアガートラームのアームドギアを見た。先程エルフナインの言葉が耳に届くと同時に反射的に掲げたが、それがこの場を助けたのだろうかと首をかしげる。

 

「……ッ、そうだ、ヌァザッ!あの守護天は──」

 

「──そうか、そうだな。その刃は光の剣に等しいもの。であれば、そういうことも可能ということか。私がアガートラームをクラウ・ソラスとして扱ったのだ、同じ源流の刃が同じ概念を持って当然か」

 

 光を放った張本人がどうなったのかを確認しようとマリアが顔を向けると同時に、そんな言葉が静かに響く。

 言葉の主の手にある剣は先程までの輝かしさを失い、普通の神剣としての様相に戻っていた。

 

 マリアはヌァザの言葉で何が起きたのか朧気ながらも理解し、己のアームドギアを強く握りしめた。

 

 光を弾き、光で照らす剣クラウ・ソラスをヌァザはアガートラームの聖剣形態と同位させて宝具として運用した。それは他ならぬ真なる銀腕の所有者たる神が「アガートラーム=クラウ・ソラス」としてこの場に概念を提示したのだ。

 伝承の中では鏡のように邪視を反射するとの逸話を持つクラウ・ソラスは、光を鏡のように発した相手へと反射する概念を持つ。それと同じ概念を持つと神が示した為に、マリアのアガートラームも一時の間、クラウ・ソラスと同じ哲学を持つ刃として機能したのだ。

 

(そういうことだったのね……ありがとう、エルフナイン)

 

 この可能性を導き出したであろうエルフナインに、マリアは深い感謝の念を抱く。この短時間の間におよそあらゆるデータベースをひっくり返しただろう彼女の頑張りは、今戦場に立つ3人にチャンスをくれたのだ。

 

「さあ、どうするヌァザッ!貴方の宣告を超え、私達は未だここにいるッ!先刻に言ったとおり──私達はまだ戦えるッ!」

 

 キッと決然とした表情を浮かべ、マリアは今一度ヌァザに己の思いの丈をぶつけた。響もベディヴィエールも同じ意志のようであり、目線を僅かにも逸らさずにヌァザを見つめた。

 その様子に、ヌァザは先程までの諦念の目線を消し、改めて戦意あふれる戦神としての形相をその可愛らしい顔に浮かべた。

 

「ふ、成程。これは私の落ち度だな。──戦いの意思は残っているのか、人の子よ?」

「何を……当然ッ!僅かにでも可能性がある限り──いいえ、可能性がないなら作ってでもッ!」

 

 神の言葉に、マリアはそれこそが己の決意であると言わんばかりにそう宣言する。

 

「私の宣告を、慈悲を。未だ勝手だと思っているか?」

「~~はいッ!もっとちゃんと話してほしいですッ!話し合いたいですッ!私は──貴方と話して、もっとわかりあいたいですッ!」

 

 神の確認に、響はそれこそが己の望みであると示さんばかりにその手に感情を込める。

 

「その誓いを、貴様は履行せんと願うか?」

「──ええ。守護の誓約は、私が騎士である限り破られることはありません」

 

 神の問いに、ベディヴィエールはそれこそが己の誇りであるとして剣を立てる。

 

 

「──ならば、これこそが最後の、最期の機会と思え。私の全霊、私の炎、私の太陽。そして私の歌のすべてを込めよう」

 

 ヌァザはその神剣を高く掲げ、声高らかに、喉が枯れんばかりに歌う。

 太陽の光がその刃に収束し、魔詠がその歌に束ねられていく。

 

 それは先程の灼熱の再現と言わんばかりに輝き、神の剣としての真の姿を曝け出していた。

 

「……セレナ・カデンツァヴナ・イヴは其処の騎士とも、女戦士とも違う──真に我が銀腕の担い手たる器だった。だからこそ、疑似サーヴァントたる私の依代として選ばれた」

 

 ヌァザの独白と共に剣は更に熱量を増し、太陽と見紛うばかりの光を放つ。

 最早直視もままならないであろうその輝きを前に、3人は屈することなく顔を上げ続ける。

 

「だからこそ──この宝具は歌と銀腕、そして──我が剣の位相を揃えることで成立させられる。他ならぬセレナ・カデンツァヴナ・イヴの才覚に依って成立する、この私だけの光の剣」

 

 魔詠によるフォニックゲインと、太陽光の収束による熱エネルギー。それを握る銀の腕は赤熱化している程であり、しかしその熱量は完全にコントロールされ、神に対峙する不遜なる者へと牙を剥く。

 

 

「さあ、人の子よ、光明たらんとするならばここに力を示せ──『焼滅せよ、銀色の腕(クラウソラス・アガートラム)』ッ!」

 

 

 宝具の真名。今この場にのみ成立する奇跡の光剣が輝きを放つ。

 それは先程の一撃をも容易に凌ぐ大火力であり──だが、今や彼女たちはそれに臆することはなかった。

 

 

「──Gatrandis──babel──」

 

「──ziggurat──edenal──」

 

 

 歌が響く。どの言語にも属さない言の葉にて紡がれる歌。神秘の残り香とも感じられる、生命を燃やす歌が。

 それこそは絶唱。シンフォギア装者たちが命を懸けて歌う、彼女たちの切り札──シンフォギアの特性を最大限に活かした、聖遺物のエネルギーの最大増幅による必殺の歌。

 

「いきますマリアさんッ!とっておきの最終手段ッ!」

「ええ、やってやりましょう──スパーブソングッ!」

「コンビネーション・アーツ……セット、ハーモニクスッ!」

 

 響の掛け声とともに、マリアと響は周囲のデモノイズにより奏で続けられる魔詠、そのフォニックゲインを束ね上げ、虹色の光を纏う。

 神の刃が輝きを増すというなら、彼女たちの歌も虹を纏う。相手の全力に応じるための、自分たちの本来の、2人しか居なくとも全力のS2CA。相手の聖剣同様に自分たちの歌と魔詠を束ねた輝きを──マリアは、己のアームドギアに全力で注ぎ込んだ。

 

「ぐ、う────ッ!」

『シンフォギアにかかる負荷が、いえそれ以上にマリアさんにかかる負荷が大きすぎますッ!マリアさん、それ以上は──』

 

 エルフナインの心からの静止にも、マリアはニヤリと笑うことで答えた。まるで何も心配はいらないのだと、そう言わんとしているかのように。

 

「自棄になったかッ!だが、貴様ではそれに耐えられまい──何より、その様では私の刃に合わせられまいッ!」

 

 ヌァザが剣を振り下ろす。ヌァザの言う通り、2人分の絶唱と魔詠のエネルギー、その全てを制御するために全神経を集中するマリアはその剣を止めることは出来やしない。

 だが、そんな彼女たちを守るのだと誓う騎士は確かにそこにいた。先程、神たるヌァザに対しても引かず、己の誓いを守ると宣言した騎士が。

 

「──だからこそ、私が止めてみせましょう。騎士の誓いを反故にするなど、円卓の名折れというものです」

 

 ヌァザが振り下ろした剣を、ベディヴィエールの銀腕が受け止める。

 

 嘗て花の魔術師が作り上げた、星の聖剣を基に構築した銀の腕。神造兵装たる真の銀腕とは異なる、ベディヴィエールにとってのみの銀の腕。

 今はその聖剣はない。彼が英霊の座に祀り上げられる際にはその聖剣は失われており、代替として主との絆を示す仮想聖剣がその霊基に登録された。

 

 そして今、その仮想たる聖剣はヌァザの光の剣を僅かなりとも押し止めていた。

 

「なんとッ!?本身ならいざ知らず、貴様のその脆弱な剣では我が光を秒も止められぬだろうに──」

「ええ、そうかも知れませんね。ですが──」

 

「──私も居ますッ!だから大丈夫ッ!平気、へっちゃらですッ!」

 

 その言葉は、ベディヴィエールの影から聞こえる。

 先程マリアとのS2CAを終えたばかりで疲労困憊だろうに、それでも響はベディヴィエールを支えるように立っていた。

 

 響のギアは、神の槍たるガングニール。必中にして必勝の魔槍は、あるいはケルトの光神に通じるものがある。

 そんなガングニールを響が纏うことで発現する特性は「束ねる」というもの。あるときは平行世界の可能性を束ねてぶち抜き、またあるときはともに歌う人々のフォニックゲインを束ねる。数多あるモノを一つに束ねること、それこそが立花響の力。

 

 そして今、彼女は己の身体に残された僅かな力とベディヴィエールの聖剣の力、そして何よりこの場にいる3人の「絆」を束ねあげ、ベディヴィエールを全力でサポートしていた。

 彼女たちは互いの考えを揃え、束ね、絆のユニゾンを成立させていた。その思いの相乗によって発揮された力を束ね上げた結果、銀腕の仮想聖剣をほんの一瞬だけ本来の聖剣に遜色ない力を与えていた。

 

「この一瞬、この刹那の全てで──その剣、遅らせてみせる!今一度輝け、銀の流星──」

 

 ほんの僅かな鍔迫り合い。ほんの少しの猶予。ベディヴィエールはそこに、己の円卓の騎士としての矜持を掲げた。

 

「────『一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!」

 

 ベディヴィエールは己に受けた力の全てを込め、自身の銀腕を振り抜く。黄金の輝きが空間を切り裂き、鍔迫り合っていた光の剣を上に跳ね上げた。

 ヌァザは己の剣を受け止められ、あまつさえ盛大に弾き上げられたことで目を見開いた。力を失ったベディヴィエールはその様子をみて笑みを浮かべ、響共々その場に倒れ込む。

 

「ふたりとも……ッ!~~、有難うッ!」

 

 マリアは響達が倒れ込む姿を見て、それほどまでに力を振り絞ってくれたことに感謝する。

 そして、同時にここで己が成し遂げなければ全てが無駄になってしまうのだと直感した。

 

「まさか──否、だとしてもこれを止めれねば終わりだッ!」

 

 一瞬だけ茫然自失したヌァザは即座に意識を切り替え、今一度跳ね上げられた刃を振り下ろす。

 今度こそ防ぐものは居ない。だからこそ、それが止められなければ全てが無駄になるだろう。

 

 そして。

 光の剣が最後まで立っていたマリアに直撃する──。

 

「────」

 

 その瞬間、光が弾ける。銀の刃、銀の流星。マリア・カデンツァヴナ・イヴの腕部ユニットから伸びた、この場の何よりも光り輝く銀色の剣が、この場に限る哲学のとおりに光を弾き、反し、それ以上に煌めく。

 ──そして、それは相手が光の剣であろうとも変わらない。

 

 ヌァザはその貴い光に思わず動きを止める。それは刹那の間だけであっただろう──しかし、この場の歌と光を束ねたマリアにとってはその一瞬で十分だった。

 ほんの一刹那の後にヌァザが正気に戻った時、マリアはヌァザのはるか後方──ヌァザに歌、魔詠によるフォニックゲインを供給していた指揮者デモノイズの更に向こうで刃を静かに降ろした。

 

 

「……言ったでしょう?可能性がないなら作る、って。──これが、私達の"光明"よ」

 

「────見事」

 

 

───DESPAIR†BREAK───

 

 

 アガートラームに──否、その刃と同一であると定められたクラウ・ソラスに、光を跳ね返せないはずがない。

 一瞬の銀の光が閃くと共にヌァザの光の剣が散り、指揮者デモノイズが細切れに切り裂かれ、まるで昇天のように輝きの中に消え去った。

 

 その様子を視界に収めたイェソドの守護天たるヌァザは、小さな微笑みと共にその場に崩れ落ちた。



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第13節 基礎の王権:光明

『……やりました、魔都中枢の指揮者デモノイズが消滅していきます!』

「そう……。やったのね、私達は」

 

 指揮者デモノイズを切り裂いたマリアは、エルフナインの通信を聞き安堵するようにほうと息を吐いた。

 先程の一撃で手応えは十分であると認識していたものの、デモノイズ達の補完能力の高さは十分に知っていたため、もしかしたらと考えているところもあったのである。

 しかしそれも杞憂であるとわかり、マリアはようやく肩の力を抜いた。

 

「……っとと、まだ終わってはいないのよね。残る魔都は……」

『先程翼さん達の班からも連絡がありました。魔都ネツァクの攻略も完了、現地守護天との協力関係が得られたこともあり、暫くは魔神の策を遅滞できるとのことです』

「翼たちが?良かった、無事だったのね。……それにしても、守護天と協力って……」

 

 魔都イェソドと名付けられたここの守護天たるヌァザも、言葉の端々から魔神に嫌々従っていることを仄めかすような言葉を溢していた。

 そして皆神山の魔都ネツァクの守護天もそうであったらしく、どうやら魔神の人望は薄いのかとどうでもいいことがマリアの脳裏を流れる。

 

「さて、と。それじゃあ私達も戻らないとだけど……ふたりとも、大丈夫かしら?」

 

 マリアを最後の瞬間まで守っていた2人、響とベディヴィエールは渾身の力で神の剣を弾いたことで力を使い果たしていた。

 2人を介抱しようとマリアは元の場所へと駆け寄る。

 

「あ……マリア、さん……。すいません、ちょっと力が出なくて……」

「もう、無茶しすぎよ。でも、ありがとう。貴女たちのおかげだわ、私達が勝てたのは。……ベディヴィエール卿は?」

「私は無事ですよ、マリアさん。霊核も異常なし、ただ楔であるマスターから物理的に遠いので少々回復に時間はかかりますが……」

 

 ぐったりとした響とは対象的に、ベディヴィエールはすでにある程度の回復を見せていた。

 装者である響は鍛えているといっても只の人間であり、疲労や負傷はそう簡単に癒えることはない。対しサーヴァントであるベディヴィエールは使役されている霊体である以上、使役者の魔力があれば文字通りに回復することが可能なのだ。

 とはいっても、それでもベディヴィエールとてそうそうに回復できるものではない。その表情は優れておらず、響は元より、ベディヴィエールも全快での決戦参加が出来るかどうかは半々と言えるだろう。

 

「……そういう意味でも、本部にすぐに戻ったほうがいいかしらね」

 

 ベディヴィエールのマスターとの距離もそうだが、そもそもS.O.N.G.からすれば現在ダウンしている響の方が深刻である。

 響はそのアームドギアの特性や人柄から、複数人による連携や限定解除のためのフォニックゲイン収束などなど、装者達による戦闘での中心的存在である。

 幸い?というかは不明だが、エルフナインに比べ熟達した錬金術師であるキャロルが種々の改造を施した本部設備がある。そこにキャロル当人がいるともなれば、この状況からでも一定の回復を見込めるのではないかという考えがマリアの胸中にあった。さらに言えば、神々の時代の魔術を使えるというブリュンヒルデという英霊が本部に戻っている可能性もあるということで、ファンタジックな回復魔術みたいなのもあれば……という希望的観測も抱いていた。

 

「それじゃ、このジェムを────?」

 

 懐からテレポートジェムを取り出したマリアは、それを地面にぶつけようと腕を振り上げ──ようとしたところで、その腕が掴まれ止められた。

 自分の腕を掴むか細く華奢な銀の指は、マリアの腕をピタリと固定してしまっており、マリアがどれほど力を入れようとも微動だにしない。

 

「……?ちょっと、一体誰、が……」

 

 

「──まあ、落ち着け。何もそうそうすぐに帰ることもあるまい?」

 

 

 一体何なのか、と憤り混じりに振り返ったマリアは、その銀の腕の持ち主を見て動きを止めた。

 

 それは先程、己自身がこの場の全員の力を結集して打ち倒したはずの魔都の守護者。銀の腕を持ち、光の剣を振るう戦の神──少女の依代を以て現界した守護天たる軍神ヌァザであった。

 

「な、なんで貴女が──というか、何故そこまでピンシャンしているッ!?」

「何故も何も、な。神が己の領域で死ぬわけにもいくまいよ。ここは神代の大地にしてダヌの土地であるならば、ダーナ神族の長たる私が少々のことで死ぬはずもあるまい」

 

 外部から来たお前たちはともかくな、と狼狽するマリアを見てドヤ顔で説明するヌァザ。その姿は確かにボロボロではあるが、よく見れば装いはともかく本体の負傷は然程でもない。

 どころか、彼女らが見ている前でどんどんその負傷も装備も修復されていっている。

 

「う、嘘ぉ……」

 

 呆然とその様子を眺めていた響が信じられないとばかりにポツリと零す。傍で彼女の体を支えているベディヴィエールも思わず苦い表情でその姿を見続ける。

 

 そんな3人の表情を見ていたのか、ヌァザはハハハと笑い首を振る。

 

「そう驚くな、怯えるな。この戦いは貴様らの勝利だ。私が守らんとしたデモノイズを撃滅し、私の光刃を打ち破った。お前たちはまさしく光明たる有り様を見せてくれたとも」

 

 だからこそ──と、ヌァザは腕を振るう。するとその手から唐突に流水が溢れ、3人を包み込んだ。

 突然のことに何を……と抵抗しかけたところで、なにかに気づいたのか3人は各々の身体を見つめた。

 

「って、ええッ!?き、傷が治ってくッ!?っていうか呼吸できるッ!?」

「うろたえるなッ!……確か、ケルトの神ヌァザは軍神、神々の指導者であると同時に、水の神としての側面もあるという話は聞いたことがあるわ」

 

 驚く響を一喝したマリアは、そう言ってヌァザを見つめる。その視線を受け、肯定するようにヌァザはうなずき語り始めた。

 

「如何にも。我が係累フィンは知恵の鮭の力を受け治癒の力を発現したというが、私は元来そういう神でな。水は癒やしと流転、豊穣へとつながる権能なればこそ、我が水は生命を癒やすものよ」

 

 五体が欠損するところまでなれば流石に直せんがな、などと呑気に呟くヌァザだが、その間にもマリアら3人は治癒が進んでいき、間もなく水牢がバシャンと消え、この魔都に来た当初、万全の状態へと回帰した。

 

「ほへー……。すごいですねッ!この力は素敵だと思いますッ!」

 

 快意した拳をニギニギと確かめていた響は、パッと顔を上げヌァザを褒める。その奇跡のような力が本当に気に入ったのか、満面の笑みを浮かべ、その目がキラキラと輝いている程である。元来人を傷つけることを好まず、守るための力だからこそとギアを振るう彼女からすれば、生命を癒やすという力はそれほどまでに魅力的に見えるということだろう。

 

「そうだろうそうだろう。……と、それだけではなかった。お前たちを癒やすこともそうだが、光明足り得たお前たちだからこそ伝えておかねばならんことがある」

「…………!そう、漸く聞かせてもらえるわけね、貴女の真意を」

 

 褒められたことで気を良くしたのか、ふふんと小さく笑うヌァザ。だが本題を思い出したのか、笑みを潜め真剣な表情で3人に向き直る。

 その様子に各々身体の癒え具合を確かめていた彼女らも居住まいを正し向かい合った。

 

 向き合う3人を前に僅かに瞑目したヌァザは、やがて口を開いた。

 

「さて、薄々どころではなく気づいているだろうが、私のこの状態は甚だ不本意極まりないものである」

「……それはそうでしょう。そういった語り継がれる概念に弱いのが我々サーヴァントとは言え、生前の伝承のために不自由を強いられるというのは……」

 

 ヌァザの言葉に納得するような表情を浮かべるベディヴィエール。

 彼の言う通り、英霊や神霊は語り継がれた概念に在り方を影響されやすい特性がある。それは彼らが厳密に生前の自分ではなく、嘗て発生した現象として人類史に紐づけされた英雄や神々といった記録を霊体として喚起しているからであるのだが、その性質上生前の生き様・死に様が強調されている事が往々にして発生するのだ。

 ヌァザの場合はそれがフォモールに敗北し、虜囚として圧政を強いられたという伝承を再現されたものである。当たり前だが、それで良い心地がするものなどいるわけもなく、ヌァザは全く怒り心頭であった。

 

「……だが、それでも私は堪えたわけだ。これも偏に貴様らのように光明を見出すためであった訳だが……」

「それで、私達は光明足り得たというのは聞いたわ。必要なのはその先よッ!」

 

 焦れったいと感じたマリアは、たまらず叫んだ。

 

「判っている。貴様らはこれから、他の魔都を制圧しに行くつもりか?」

 

 そんなマリアに対して、あくまで冷静な態度を崩さず、ヌァザは問いかける。

 何が聞きたいのだと思いつつも、マリアは当初の予定が魔都の全制圧であることを考え肯定する。

 

「……ええ。貴女が治してくれたおかげで、すぐにでも別の魔都に──」

「駄目だ」

「ッ、どうしてッ!」

 

 が、その考えを一刀両断され、マリアがまたも叫ぶ。

 

「マ、マリアさん落ち着いてください。えっと、なんで……って、理由は教えてもらえますよね?」

「ああ、単純だ。──間に合わん。労力の無駄であり、決戦で不利を強いられるからだ」

「間に合わない……?」

 

 今度はちゃんと理由を教えてもらえたことに安堵しながら、響はヌァザの言葉を疑問符をつけて鸚鵡返しにする。

 

「そうだ。はっきり言おう。お前たちがここから拠点に戻り、次の魔都に転送される間に魔神は再起する。その程度には魔神の回復能力は高い」

「そんな……!」

「だからこそ!だからこそ、私はお前たちを見定める必要があった。例え私がこの魔都を押し止めたとしても、それでも不完全ながらこの世界に施された魔術式は作動する。そのバックアップを得た魔神に勝つには、ただ強いだけでは意味がないのだ」

 

 ヌァザの言葉の端々から、そうせざるを得なかったのだという思いがひしひしと伝わってくる。

 戦神でありながら、魔神に隷属され使役されることの憤りを抑え、この世界を守るために足掻き続けていた。そんな思いが伝われば伝わるほどに、3人は神妙な表情を浮かべヌァザを見つめる。 

 

「知っているかもしれんが、この魔都を含む3箇所、新宿の魔都に接する全ての魔都を塞げば最悪を免れる。

 貴様らはあの魔神に勝ちの目がある……少なくとも私はそう判断できるだけの材料を貴様らに見出した。故に、この魔都は私が制圧し、デモノイズ共が湧き出ぬようにしておくとして……」

 

 そこでヌァザは言葉を切り、3人をじっと見つめる。改めて3人を見定めているとも取れるその目線を受け、俄に緊張が走る。

 が、最後にベディヴィエールに合わせていた目線を切り、1人納得するように頷き、言葉を続けた。

 

「……魔神を討ち果たすために必要なことは幾つかある。単純な実力は当然としても、それ以外にも達成すべき事項があるということだが……」

『!!すまん、ヌァザ神よ。どうにかそれを教えてはもらえないかッ!?』

 

 ヌァザの言葉は、全員の支援をしているバックアップ組には到底看過できることではない。その場にいる誰よりも先に、モニタリング担当であるS.O.N.G.発令所のトップである弦十郎が反応した。

 

「おお、全くいきなり割って入るとは。だが許す、そちらにとってもこの状況は火急だろうからな」

「……では、教えていただけるのですね?」

 

 唐突に割り込んだ言葉にも、ヌァザは鷹揚な態度でそれを認めた。

 神霊を知るベディヴィエールからすればその鷹揚さはある種驚くべきことではあったが、それだけ切迫していることの証左だろうと先を促した。

 

「ああ。ひとつ、この世界……否、魔神曰く"宮殿"を破壊することだ」

「"宮殿"……?」

 

 聞き覚えの無い単語に、ベディヴィエールが眉を顰める。

 魔神を知るベディヴィエールですら知らないということに、マリアと響は顔を見合わせた。

 

「明確に断言はなかったが、十中八九この結界のことだ。我らの守っていた10の魔都、その全てを用いた固有結界の完成形を指して、ヤツは"宮殿"と呼んでいた」

 

 どういうことかと問う前に、ヌァザが補足するようにそう言葉を続ける。

 

「神殿、ではなくですか?」

「そうだ。全く腹立たしいが……魔神めは『この世界に祀る神はいない。故に宮殿だ』などとほざいていたからな」

 

 神霊の疑似サーヴァントであるヌァザにとって、魔神の言葉はよほど癪に障ったらしい。可憐な少女がぷりぷりと怒っているように見えるが、その身体から発せられる怒気は比喩抜きに世界を震えさせていた。

 そんなヌァザをなだめながら、ベディヴィエールはふむ、と考えをまとめる。

 

「つまり、魔神にとっての神がいないから神殿ではない、と……。時間神殿の折には魔神たち自身が創星の神となる、と言及していましたが……」

『むう……。話に聞くソロモンの神殿をモデルとした宝具を再現する、という可能性には聞き及んでいたが……。しかし、その魔神の言葉が正しいと言うなら──』

「──かつての魔神が目論んだそれと着地点が違うということね。じゃあ具体的にどう違うのか、ということはわからないけど……」

 

 ベディヴィエールに次いで、弦十郎、マリアと言葉がつながっていく。だが、現状で判明しているのはそこまでであった。

 

「まあ、とまれそういうことだ。で、話を戻すが……こちらについては、正直に言えば目処は余り立っていない」

「うぇえッ!?さっき私達がなんとかできるって言ったじゃないですかッ!?」

 

 ヌァザのぶっちゃけた言葉に、響が涙目で食いつく。

 響のいうことも尤もだと思ったのか、ヌァザは慌てて言葉を付け足す。

 

「た、確かにそう言ったとも。何、その時が来れば縁は繋がれるだろう。その槍がある限りな……多分」

「絶妙に不安になるわね……」

 

 さっきまでとうって変わってふわふわした話ばかりが伝えられ、思わずマリアがぼやく。

 ヌァザはマリアの言葉をスルーしてコホン、と一つ咳払いをし強引に話を中断する。

 

「さて、私がお前たちを光明と言ったのはお前たちの実力、能力、連携、精神性……それらを総合してのことだ。だが、それだけではない。最も重要な条件を満たしていたからだ」

「!」

 

 ヌァザの言葉に、強引な話題転換に微妙な表情を浮かべていた全員が表情を改める。

 場に緊張が走る中、ヌァザは口を開き重々しく語り始めた。

 

 

「────それ即ち、魔神を殺す刃。あの哀れな魔術式を討ち果たすだけの奇跡は、およそこの世界にあってお前たちしか持ちえないからだ」

 

「────え……?」

 

 

 告げられた言葉に、誰が言ったかもわからないような小さな声が静かに響いた。

 

 

 

 

 一通りヌァザからの話が終わり、3人は出立の準備をしていた。

 当初カルデアとS.O.N.G.で考えていた全ての魔都の制圧は(半ば想定されていたとは言え)およそ不可能であることが明らかにされたため、現在はヌァザやネツァクの守護天であるというヘルヴォル=アルヴィトらの進言を受け入れ決戦の準備を着々と進めていた。

 

「……魔神を、殺す、かぁ……」

 

 そんな中、非常に重苦しい調子を隠せない響が居た。

 ヌァザは元より、直接話したことのないマリアや騎士であり英霊であるベディヴィエールはある程度の割り切りは出来ていたが、魔神と対面し、その心中になにか悲痛なものを抱えていると考えている響は未だに割り切れていない。

 

「嫌か?嫌だろうな、お前は我が配下の生命を奪うことすら躊躇していたものな」

「ヌァザさん……」

 

 慈しむような声を掛けたヌァザに、響は僅かに縋るような目線を向ける。

 本当にどうにもならないのか、そういいたげな目線を向けられたヌァザはしかし溜め息を吐いて肩を竦める。

 

「あのだな、私にお前の悩みを解けるかと言えば無理だぞ?我が依代は心優しいが……私はそうではない。ある程度の影響を受けているとは言え、本来的には歯向かうなら殺すとまで思うのが私だからな」

「…………」

 

 今更ながらに、目の前の少女が軍神であり、自分と遥かに違う思考形態を持っていることを響は否応なしに理解させられる。

 むしろ、ヌァザからすればだいぶ譲歩している部類なのだろう。言葉の端々から感じられる彼の神の本質を思えば、かなり人間よりな在り方を獲得しているとすら感じられる。

 

「だがな、私は私の国の民を見捨てることは認められない。……魔神の計画が成就してしまえば、私は庇護下の者達の生命を守り通せないだろう。それだけは避けたいのだ……お前たちとて、この世界の民草がこれ以上死ぬのは嫌だろう?」

「──それは」

 

 響が今の状況を苦痛に思えてしまうのは、ヌァザの言葉にも正当性があることに尽きる。

 そもそも世界にデモノイズを氾濫させ、あまつさえ魔都などというものを10も建造したのは魔神である。デモノイズが増殖しているこの世界にあって、何の過誤も持たずに生きていた人々が多く犠牲になっている。

 それを考えれば、ヌァザの言う通り魔神を殺害するという行為は少なくとも今を生きている人々にとって正義と呼んで差し支えないものである。

 

「……はい。これ以上誰かが死ぬことを認めたくなんてありません。──だから、本当なら魔神さんがこの結界を作る前に止めたいって思ってます」

「だが、それは不可能だ。シンフォギアの力をどれほどに開放したとしても、物理的に不可能だ」

「それも……わかってます。──だとしても」

 

 ──だとしても。響は少しでもよりよい結末を目指したかった。否、今もその思いは変わっていない。

 せめて戦う前に、戦ったとしても。それでも最後は手を取り合って──そんな有りえない夢想を、彼女はどうやって成し遂げられるだろうかと思わずにはいられない。

 

 だが、現在ではどうにもならないという事実は覆らない。

 

「……まあ、私は軍神だからおよそ選択肢は戦いに傾くが──お前たちが別な道を選べるならば止めはすまい。私はお前たちを光明と見定めた、ならば後はお前たち自身が為さんとすることが成就することを望むのみだ」

「!……ありがとうございます」

 

 賽は投げられたのだからな。そう言って、ヌァザはニコリと笑う。

 なんだかんだ自分の考えを肯定してくれているのだとその笑みで示され、響は有り難さと若干の申し訳無さがないまぜになった感謝を述べる。

 

「それより、お前たちがここを離れればそうそう会話の機会も訪れまい。今のうちになにか聞いておきたいことはあるか?」

「何か、ですか……」

 

 この話は終わりだとばかりの話題転換に一瞬面食らった響だが、しかし話す機会が無くなってしまうというヌァザの言葉にむむ、と考える。

 そしてふと、聞きたかったことがあったことを思い出して口を開いた。

 

「ヌァザさん……。ここの魔都の人、守ってくれているんですよね!ありがとうございますッ!」

「む……。ああ、まあ、そうだな」

 

 それは、先程ヌァザが響を元気づけよう(軍神基準)と発破をかけていたときに零した言葉。

 この世界の人、彼の国の、庇護下にある民。そこまで言われれば、響だってそれが誰を示しているのかくらいは判る。

 図らずとも、最初に響が考えていたとおりヌァザがこの魔都の人々を守っていたという想像はたしかに真実だったわけだ。

 

「……この魔都の地下は異界でな。ああ、人を害するようなものではない。私が存在し、あの宝具を維持できる間なら……ここの民は凡そ流血と死から無縁となる」

「そんな能力まであったのね、その戴冠石(リア・ファル)には」

 

 マリアが驚きと呆れの混じったような疲れた声で会話に加わる。その目線はヌァザが戦闘中にずっと腰掛けていた大岩へと注がれている。

 

 そう、それこそは王権と運命を示すエリンの4秘宝の1つ。ヌァザの持ち込んだ「神代のケルト」を象徴する宝具「運命の戴冠石(リア・ファル)」である。

 カルデアやS.O.N.G.側で推測していた神代形成の核、その候補としてあげられていた「核となる宝具」こそがこの宝具であった。

 かつて神々の時代に於いて王都タラにあったとされるその石は、神々の指導者たるヌァザと共にあることで「その場所を神々の時代における王都」へと置換する。

 そして同時に、神代ケルトにおける「地下」というのは、即ち「常若の国(ティル・ナ・ノーグ)」である。ヌァザがこの魔都を神代ケルトに置き換えた時点で、地下シェルターに退避していた人々は常若の国で保護されていた。

 

「はぁ~……よくわかんないんですけど、凄いですねッ!」

 

 ──という説明を受けた時の響の反応はまあ、多分に漏れないものであったが。

 

「……さっきから余り理解が進んでいないようだが……まあいい」

 

 どうにもこの凄さを理解していないようである響に、いい加減慣れたのかヌァザは呆れたように溜め息を吐いた。

 マリアも今更だと言わんばかりに肩をすくめ、ふと思い出したようにヌァザに向き直る。

 

「この際だから聞いておきたかったのだけれど……。貴女、さっき依代……ううん、セレナについて知っているかのような口ぶりだったわね。開戦のときにはこっちを挑発するためにセレナを出汁にさんざ煽り倒してきたけど……」

 

 そういえば、という体ではあったがどうしても聞きたかったことだったのか、マリアは目線をかっちりとヌァザに合わせて問い質す。

 

「ああ、依代に頓着してない、乱雑に扱っているという話か?いや、あれは嘘でも何でもないが……そもそも銀腕に高い適合性を持っているこの依代は、銀腕を持つ時代の霊基である私が多少乱雑に扱ったところでそうそう壊れやせんよ」

 

 そして真にそういえば、という表情でマリアに向き合ったヌァザは事情を暴露する。

 曰く、銀腕を持つということは神性に欠損が生じていることと等しく、力はともかく神性は全盛期を下回っているという。

 そのため、同じく銀腕を極めて高い適合率で維持しているセレナとの融和性は非常に高く、ちょっとやそっとでは到底負荷たり得ないのだと。

 

「そもそも、私がこの魔都を守ろうとしていたのもセレナのためだったからな。私は元来、この国の民のために憤懣を溜め込んでまで虜囚に甘んじるような神性ではない。こうやって光明を待っていたということ自体、セレナの影響が大きい面があるということだ」

「そういうことだったの……」

「そうとも。もし私が正しく神霊として喚ばれていたなら、自害することであの魔神に意趣返しをするくらいで終わっていただろうな」

 

 明かされた衝撃の事実に、マリアは今更ながらに驚きを隠せない。ヌァザの考え方と自分の妹のポテンシャルには、ただただ呆れるばかりであった。

 ──それとは別に、セレナが世界を守るための意思を以て神すらもその在り方に巻き込んだという話を聞き、マリアは妹のことながら誇らしくも感じるのだった。

 

 

『皆さん、そろそろ本部に合流する頃合いですので……』

「……あら、そうね」

 

 その後も幾つか他愛ない話をしていたところで、エルフナインから通信が来たことでマリアが話を切り上げる。

 

「──それじゃ、この魔都のことは頼むわね」

「よろしくお願いしますッ!」

 

「言われずとも、ここは今は私の国であるからな」

 

 マリアと響の言葉にも、それが当然であるとばかりに腕を組んで頷く。

 と、そこで先程から会話に参加していなかったベディヴィエールが口を開いた。

 

「──神ヌァザ」

「うん?どうした、古き騎士よ」

 

「"剣"のことを──どうか、お願いします」

「──それは、私がお前たちに言う台詞だな」

 

 ベディヴィエールが真摯な表情で告げた言葉に、ヌァザはややバツが悪そうにそう言って頭を掻く。

 

「……色々と葛藤はあるだろう、後悔もまた然り。だが、選び取れる道は多いほうがいい。魔神を殺す刃は鍛えておくが、後はお前達次第だ」

「……はいッ!とりあえず色々頑張って、最後まで手を伸ばしてみせますッ!」

 

 最後の言葉は3人に、特にも響に向けられており、それを自覚していた響は力強い応答を見せた。

 その瞳に強い意志が宿っていることを見て取ったヌァザは、小さく口端を上げたニヒルな笑みを浮かべる。

 

「ふ、それだけ強い返事ができるならば問題ない。何処までも己の望む道を掴んでみせろ──足掻け、"手を伸ばす者(ラヴァータ)"よ」

 

 その言葉が最後に告げられると同時に、3人はジェムの輝きに包まれ転移した。

 

 

「さて、と」

 

 最後まで見届けたヌァザは、踵を返し戴冠石のもとへと歩を進めた。

 その手には何も握られておらず、ただ銀色の腕が輝くだけだ。

 やがて石の前に立ったヌァザは──徐ろに己の銀腕を外し、残る一方の腕で銀腕を持ち上げた。

 

「──花の魔術師か。よもや彼の聖剣を、我が銀腕に擬えた神造兵装と仕立て上げるとはな。だが──」

 

 独り言を呟き続ける間にも、その手に握られた銀の腕は輝きを増し──その形状が徐々に作り変わっていく。

 

「──この世界にあって、アガートラームは剣の武装を持つ。人理の世界にあって、銀腕は聖剣の形が変化したモノとしての概念がある」

 

 その言葉に合わせるかのように、銀の腕はまるで剣のように姿を変えていく。本来の姿を取り戻さんとするような、神の言葉を受けて世界そのものに作り変えられているような。

 

「──ならば。我が銀腕が、聖剣たるとしても不思議はあるまいよ。ヌァザの剣は、聖剣であり、光剣である故な」

 

 そう言って、彼は戴冠石に剣と化した己の銀腕を突き立てる。

 

 

 正しき王の戴冠を宣言する、故にこそ戴冠石。勇壮たるその石体に突き立てられたその剣はさながら、伝説に語られる選定の剣の如き様相を見せていた。



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第14節 暴食の狂想曲(1)

『グラウスヴァイン……かあ。ええと、カルデアのデータベースにはないなあ……そちらの世界独自のものかな?』

「そんなノンキしてる場合かよッ!?って、うわっとッ!?」

 

 ツッコミを入れた直後、クリスは慌てて飛び退る。一瞬後、鋼の爪がクリスが居た場所に振り下ろされ、頑丈なはずの床板があまりに容易く貫かれ拉げた。

 

 ダ・ヴィンチのどこかのんびりした様子とは裏腹に、クリスが思わず叫んでしまう程度には戦場は苛烈さを増していた。

 

『取り敢えずS.O.N.G.のシステムから回収したデータを元に解析をするから、それまではどうにか耐えてくれると嬉しいかな』

「ふ、耐えるのはいいけど……別に倒してしまってもいいんだろう?」

「出来もしねえこと言ってんじゃねえよッ!?場所が場所だからこっちの火力は封印されてるようなもんなんだぞッ!?」

「ははは、弓兵仲間の決め台詞をちょっと拝借しただけだとも。まあ心意気の問題だよ、こういうのはさ」

 

 ダビデとダ・ヴィンチが冗談のような会話を繰り広げる様に、こんな状態で大丈夫なのかとクリスは心中で頭を抱える。

 とはいえ、どこかコントみたいな掛け合いをする面々だが、余裕があるからというよりも軽口でも叩いてないとやってられないという面が強いだろう。

 むしろ現状が逼迫しているからこそ、常勝の王たるダビデはあえて飄々とした態度で緊張を適度にほぐそうとしているようにも見れるほどだ。

 

 そう、多少なりともダビデが戦場の空気を弛緩させようとしているように見える程、クリスとダビデは機械の竜──グラウスヴァインを相手に不利を強いられていた。

 

「ハァーハッハッハアッ!おいおいどうしたんだい?よもやかのイチイバルの装者がこの僕に手も足も出ないなんてッ!?まさか、そんなことがあるもんだねえッ!」

「うるっせえッ!眼の前のトカゲ片付けたら次はてめえの番だからなッ!」

 

 そして、竜の上に立つ人影──ウェル博士ことジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは堪えられないという風に高笑いをしながら2人を見下している。

 その態度に腹が立ったクリスは怒鳴り返してクロスボウを撃ち放つも、ウェルへの射線を塞ぐように広げられた翼が光矢を弾き飛ばす。翼の向こうではそんなものかと煽るようにウェルが薄ら笑いを隠さず向けていた。

 

「んのヤロ……」

「まあまあ、落ち着こうよアビシャグ。手詰まりのときに自棄に走ると碌な事にならないよ」

 

 クリスが頭に血を上らせたところで、ダビデが冷静に諭す。

 

 実際、ダビデの言う通り現状は2人にとっては手詰まりといっていいものである。

 目前の機械竜に対し、彼らの通常兵装では痛打を与えることが難しい。鋼の竜鱗(鱗があるのかは不明だが)は生半可な攻撃を弾き返してしまう。これを打破するには大火力で相手の装甲を貫く必要があるのだが、戦場が海底に建造された深淵の竜宮であるというところがそれを難しくしていた。

 まずダビデの場合、グラウスヴァインの装甲を貫く火力が出せない。宝具である5つの石は対人宝具であり、一個の生命をダウンさせるのに十分なダメージを与えることが可能である。だが、逆に言えばこの宝具の肝は伝承に由来する必中と昏倒の概念であり、威力自体は対軍規模の大火力宝具とは比較にならない。鋼の竜を相手にするには流石に心許なかった。

 であればクリスがどうにかしなくてはならないのだが──。

 

「……確かにな。あんまり大威力だと、相手が躱したときがやばい」

 

 場を薙ぐように放たれた尾の一撃を軽く跳躍して回避し、追撃を警戒しながらのガトリングによる牽制射を放ちながら、クリスが忌々しそうに呟く。

 クリスのギア、イチイバルは遠距離攻撃に優れている。装者がクリスの場合は特に重火器のアームドギアを用いるわけだが、その場合大火力というのは即ちミサイルである。下手に外すと内壁を吹き飛ばし、場合によっては深淵の竜宮がもう一度海の藻屑になる可能性すらある。

 魔都の成立条件がどのようなものかについての情報は彼女たちは持っていないため、深淵の竜宮が崩壊しても魔都が存続する可能性を考えれば下手に壊すわけにもいかなかった。

 

「だから取り敢えずダ・ヴィンチからの報告を──っと、来たかな?」

 

 グラウスヴァインの前肢叩きつけを躱したところで、クリスのヘッドギアに入った通信音を耳聡く聞きつけ、ダビデはホッとするようにそう零す。

 流石のダビデも見通しが立たない現状をどうかと思っていたようである。そしてそれはクリスも同じであり、即座に通信を開いた。

 

「なんかわかったかッ!?」

『うん、まあ判ったというほどでもないけど……』

「それでもいいから教えてくれッ!」

 

 なんでもいいから情報をよこせとばかりに催促するクリス。

 ダ・ヴィンチもそれが判っているのだろう、一呼吸おいて判明した内容を連々と語り始めた。

 

『わかった。戦闘中だろうから聞いてくれるだけでいい。

 S.O.N.G.のデータベース……というより、旧・特異災害対策機動部ニ課の方の情報にあったんだけどね。

 グラウスヴァインは聖遺物、あるいはそれに類する異端技術の産物として保管されていた危険物だ。見た目は見たとおり、機械なドラゴンだね。

 原動力は不明だけど、当時の研究者達はそのエネルギー反応から反応炉に類する動力機関を内蔵していたと見ている。

 ネフィリムの左腕を持つウェル博士が動かせるのもそこに起因するんだろうね。ネフィリムはエネルギー増殖炉だから、非稼働状態のグラウスヴァインを稼働させられるだけのエネルギーを用意できてもおかしくはない』

「……つまりあれか、あのメカドラゴンって元からあんなんなのかッ!?あ、悪い続き頼むッ!」

 

 戦闘の最中であることを踏まえ、努めて冷静に、聞き取りやすいように話すダ・ヴィンチ。

 それを聞いているクリスとダビデは、目前のグラウスヴァインの様子を警戒しつつ先を促す。

 

「さっきからコソコソ内緒話かい?連れないなあ、僕にも教えてくれよッ!」

 

 業を煮やしたウェルがそう叫ぶと同時に、グラウスヴァインの口腔部が輝き──その口から一条の光が放たれる。

 

「って、ビームぅッ!?こんの、リフレクターでッ!」

 

 グラウスヴァインの口から放たれた光線……メーサー砲の一閃を前に、クリスは展開したリフレクターで偏光防御する。

 

「ええい、チョロチョロよく避けるッ!?」

「あっぶないなあ、もう。というかブレスじゃないんだ……と、それで弱点とかそういうの何かあるかい?」

 

 そのリフレクターの影にぎりぎり滑り込むことで紙一重で回避したダビデが、悪態をつくウェルを無視しやや焦ったようにダ・ヴィンチへと問いかける。

 

『うわ、あの規模のメーザーを偏光できるのか、シンフォギアすごいなあ』

 

 クリスのリフレクターは以前も使用されていたが、その時は炎を防ごうとして融解しただけに終わっていた。今回のように正式な使い方をしたときのリフレクターの性能にダ・ヴィンチは素直に感心の声を上げ、そんな場合じゃないと咳払いをする。

 

『ってちがうちがう。ええと、取り敢えず反応炉を攻撃するのは不味い。爆発したら魔都はともかく君たちも纏めて吹き飛んじゃうからね。だからそれ以外の弱点ってことなんだけど……はっきり言えば、伝承がないからわからないね』

「──わかんねえ……って、マジかよッ!?」

 

 ダ・ヴィンチの端的な言葉に、クリスが声を荒げる。

 いきり立つクリスに、ダ・ヴィンチも流石に悪いと思っている風な声音で応じる。

 

『こればっかりは申し訳ない、としか言えない。ええと、風鳴機関?が吹っ飛んだせいでS.O.N.G.側にもまともなデータが残ってないらしくてね……。そっちの世界の本部ならあるいは、って思ってキャロルに問い合わせたけど、何分キャロルの立場が観察処分を受けて政府の管理下に置かれた危険人物だからね、そういった機密情報へのアクセス権限は全くもっていないときた』

「あー、くそ、そういうことかよ。悪い、アンタが悪いわけでもないのに当たっちまった」

 

 ダ・ヴィンチの説明に、流石にどうしようもないかとクリスも流石に落ち着きを取り戻し謝罪する。

 風鳴機関は大戦期からの様々な国防の秘密を蓄積したデータベース。聖遺物やらの情報もそこに大凡が蓄積されていたその場所はしかし、クリス達の世界ではパヴァリア光明結社との戦いで破壊されてしまっていた。

 

『いやいや、必要な情報を纏められなかったのはこっちだ。──で、ここからは僅かな可能性になるけど、どうする?』

「──聞くしかねえだろ?教えろよ、ダ・ヴィンチ……さん」

「そうそう、この状況ではその可能性に賭けないと。必要なタイミングで必要な賭けが出来ないと勝利は遠のくってものさ」

 

 クリスの謝罪を不要と言ったダ・ヴィンチは、声のトーンを落としそう告げる。

 不確実過ぎる故にあまり教えたくないのだろう、そのダ・ヴィンチの声音の変化を聞いて尚、クリスは一も二もなく内容を求める。ダビデもそれに追従するように、ダ・ヴィンチに話すよう促した。

 

『わかった。失敗したらいよいよ打つ手なしだけど……』

 

 ダ・ヴィンチの言葉に、クリスとダビデは僅かに目を見開き……互いに目を合わせ、頷いた。

 

 

 

「全く、ずいぶんと手間を掛けさせてくれるねえ……。どちらにしても僕のグラウスヴァインは君ら如きに負けるわけもないのにさぁッ!」

 

 尾の攻撃も爪の攻撃も躱され、メーサー砲すらも防がれたというのに、ウェルはそれでも肩をすくめて見下す態度を崩さない。

 場所が場所だけに眼の前の敵がグラウスヴァイン自体に勝てない、そのことを理解しているが故の優越的余裕がそこには見て取れた。

 

「ほたえろッ!今からぶちのめしてやるから覚悟しとけッ!」

 

 クリスはそう威勢良く吼えると共に、背中から巨大なミサイルをグラウスヴァインの頭上へと射出した。

 

「何を……って、そういうことかッ!全く、小賢しいだけでおつむが足りないッ!」

 

 ウェルはクリスの狙いが何処にあるかを即座に判断し、左腕のネフィリムを巨大な盾のように展開する。

 その瞬間、クリスが放ったミサイルが炸裂し、クレイモア地雷のように内部から小型の槍型の貫徹弾が雨あられとグラウスヴァインへと降り注いだ。

 

 それぞれの弾丸自体は間違いなく小型であり、火力的には深淵の竜宮を揺るがすほどではない。貫徹力もそこそこでしかなく、グラウスヴァインに対しては精々が足止め程度の役割が果たせればいい、という程度の拙い技。

 しかし、頭上で展開された鉄の雨はまず最初に、グラウスヴァインの上に乗っているウェル博士へと向かっていく。ある程度はグラウスヴァインの翼でウェルへ到達する前に防げる可能性もあるが、到底全弾防ぎ切ることは出来ないだろう。

 

 事実、直上から雨霰と迫る貫徹弾はグラウスヴァインの翼をすり抜け、ウェルの元へと確かに届いた。そして──盾として展開されていたネフィリムを僅かも貫くことなく、全弾が吸収されて消滅した。

 

「ハンッ!こんな程度じゃこの英雄たる僕の玉体に傷一つ付きはしないッ!これで、この僕の──?」

 

 勝ち誇った表情で再度勝利宣言しようとしたであろうウェルは、そこでクリスの口元が不敵に笑っていることに気づいて言葉を切る。

 その眼は全く絶望していないどころか、むしろ今後の先を見据え希望を見出しいてる、そう感じられる強いもの。

 一体何が──と、ウェルが不満そうに、不快そうに表情を歪めたところで、ふと彼女に対し違和感を覚え目を見開いた。

 

(そうだ、爆風で煙があって気づかなかったが……何かが違う。イチイバルの装者、ではない──ッ!)

「見失ったね、だけどそれでいいのさ。足止めが精々……でも、その足止めがあれば竜の背にだって飛び乗れるってものさ」

 

 ウェルが声のする方向を振り向けば、そこには普段の飄々とした笑みに変わり獣のような獰猛な笑みを浮かべたダビデが居た。

 その手には竪琴が携えられており、静かに、だが美しい音色が奏でられている。

 

「普段ならまあ、あの鉄槍の雨をくぐり抜けようとは思わないけどね。でもまあ、これで隙が出来た、というわけだ」

「────ッ!」

 

 その言葉にあわてて体勢を立て直そうとするウェルに、その隙を与えないとばかりにダビデは杖を振りかぶり、ウェルが鉄槍の雨を防ぐために展開していたネフィリムの腕の懐へと一気に潜り込んだ。

 最早間に合わないか──そう思わせるような状況だが、それでもウェルはその眼に一切のあきらめを浮かべていない。

 

「~~~~ッ、この僕が……英雄になったこの僕がッ!こんな簡単に殴られるもんかよッ!グラウスゥ、ヴァイィィインッ!!」

「ッ!?」

 

 瞬間、2人の足場になっていた機械竜グラウスヴァインが大きく身じろぎする。

 この閉塞空間ではそこまで大きな動きも出来ないだろう、そう考えていたクリスとダビデを裏切るようなダイナミックな動きは、その背に乗っていたダビデのバランスを大きく崩させる事になった。

 対してウェルはと言えば、ある程度バランスは崩すものの即座に立て直している。2人の肉体的スペックは大きく差があるが、それでも事前に動きがあるかどうかの覚悟の差は大きかった。

 結果、ダビデの振り下ろした羊飼いの杖はウェルに当たることはなく。足場として大きく動いたグラウスヴァインを痛打しただけに終わった。

 

「……うん。さあてと、仕切り直しかな、これは!」

 

 その結末に悔しそうな素振りを見せず、普段どおりの態度のままダビデはグラウスヴァインから飛び降りクリスの元へと戻る。

 

「ちぃ、ここで済ませられればよかったんだけどな……。一筋縄じゃあいかねえってことかよ」

「ま、そりゃねえ」

「……なんか判ってたような口ぶりだな」

 

 連携で作った隙を十全に活かしきったタイミングも、結局ウェル博士には届かなかった。その事実にふてくされたような心持ちのクリスは、半ば予期できていたとでも言いたげな反応をするダビデに胡乱な眼差しを向けた。

 

「判ってた、というか……。うん、彼は歪んでいても、英雄たりうる精神は間違いなく持っているということさ」

 

 その眼差しを受け取ったダビデは、そう言って首を振る。

 

 ダ・ヴィンチから話を聞いた2人はこの交錯の前に、グラウスヴァインを倒せないならさっさとウェルを撃破する……ということを目標にしていた。

 だが、人類の認識が惑星規模に広がって尚『世界を滅ぼしかけ』ると同時に『世界を救った』程の偉業をなした英霊であり、その身に完全聖遺物や異端技術の結晶を山程取り込んでいるであろうウェルを打倒しきれるかはダビデも半々だと考えていた。

 勿論、肉体面は脆弱とは言わないまでも、装者やサーヴァントに比べれば凡そ貧弱と言えるだろう。武装を考慮しない単純なスペックだけなら、この世界に来ているサーヴァントでウェルが勝てるのは精々アマデウスくらいだろうという共通認識すらある。問題なのは、ウェルの英雄性が肉体的な問題ではなく精神に起因することである。

 有り体に言えば、ウェルという人間が詰みに近い状態でも諦めずに行動できるタイプであり、歪みこそあれど精神的にタフな人間であろうことをダビデは理解していたのだ。清濁併せ呑み、己の美意識と価値観を汚さない限りにおいてどんな手段を使ってでも目的を達しようとする不撓不屈さこそ、ウェルが英雄足り得た理由なのだろうと。

 

 だからこそ、ここで終わらない可能性も十分に理解していた。そして、その先の可能性についても確認していた。

 

「……んで、どうだったよダビデのおっさん」

「うん、いけそうな手応えだったね。どうやら後方組の推察は正しいみたいだ」

 

 ダビデは笑い、杖を握る手の力を強める。

 

「上等。だってんなら、プランBだッ!狙いを違えんじゃねえぞッ!」

「安心してほしい、僕の石は必中だとも。クリスこそ剣はしっかり頼むよ?アレがないとどうにもならないからね」

「ヘッ、誰にモノ言ってんだ……ってダビデ王サマに言うことじゃねえか。──そんなわけで、こんどこそぶっ飛ばすッ!」

 

 今更ながらにそう苦笑し、クリスは己の手に握られたアームドギアを構え、なおも戦意旺盛にウェルを睨む。

 

「……いやあ、理解に苦しむねえ?ほんと、諦めが悪いったらない……ちょっとは僕みたいに有終の美を飾ろうとは思わないのかッ!?」

「思うわけねーだろバァーカッ!現在進行系で黄泉路から這い出てきておいてよく抜かすッ!」

 

───MEGA DEATH PARTY───

 

 その罵声を皮切りに、クリスはミサイルポッドを腰だめに展開し弾幕を張る。

 小型ミサイルはグラウスヴァインを包み込むように展開され、上に乗るウェル諸共纏めて爆破せんとする勢いである。

 対人に向けるには過剰であろうそれも、英霊と機械竜を相手にするとなれば些かどころではなく不足。追加でガトリングによる銃撃をしているものの、あまり意味があるようには見えない。

 

「……ってのはそっちも判ってるだろうに。ほんと、うんざりだね……ッ!もういい、とどめを刺してやれグラウスヴァインッ!」

 

 ウェルの言葉とともに、グラウスヴァインはその口腔に光を溜める。

 それは先程のメーザーとは違う輝き。かつて風鳴機関が、特異災害対策機動部二課がその存在を「反応炉で動く怪物」であると指したエネルギーの奔流。

 原子核同士の反応から放たれるすべての熱と輝きを以て、辺りを焼き払う絶対熱領域。幻想と神秘の世界にあって、竜の息吹に等しいとも称されるその灼熱圏はミサイルを一瞬で蒸発させ、辺りの床材や壁面を融かしながら膨張を続けダビデとクリスへと迫りくる。

 

「嘘だろぉッ!?そこまでするかよッ!?」

「やばい、こりゃ退避しかない──後ろに向かって前進だ!」

 

 それが放出された時点でダビデとクリスは抵抗を諦め、クリスはなりふり構わずミサイルを乱射して後方の壁を破壊、ついでに周囲を瓦礫だらけにして熱放射からの壁としつつ全力で駆ける。

 同じくダビデも大穴の空いた壁を通り、クリスともども退避し──そのまま、ふたりとも灼熱に呑み込まれた。

 

「ぐ、あああああ────ッ!」

「くそ、これは────」

 

 全身を熱に呑まれ、苦しみの声を上げる2人。

 

 

 やがて熱領域が消滅した時、そこには倒れ伏す2人と熱の放射を終えた竜、そしてその背に立つウェルだけとなる。

 深淵の竜宮を沈めないよう加減はしていたようであり、火力の割に影響範囲は狭い。だがそれでもあたりの隔壁は軒並み蒸発し、クリスたちが壁用にと作った瓦礫の山も一塊に融け固まっている。

 その様子に、ふんと鼻で笑い笑みを浮かべるウェル。

 

「漸く終わったか。やぁれやれ、装者ってほんとしぶといのは知ってたけど、サーヴァントってやつも大概……」

 

 と、そこで言葉を切り、不快さを隠そうともしないレベルまで表情を歪める。

 

「……って思ってたんだけどね。まだ立つのかい?」

 

「あったりまえだろッ!まだ立てる、戦えるッ!」

「……そうとも、負けなければ、十分に勝ちの目はあるさ」

 

 ウェルの目線の先で立ち上がる2人。その周囲には細やかな融解片が落ちており、なんとなく事情を察したウェルは忌々しそうに口を開く。

 

「イチイバルのリフレクターだとぅッ!?ずいぶんとまあお役立ちアイテムだなぁッ!」

「それだけじゃねえけどなッ!」

 

 そう不敵に笑うクリスだが、実際のところあまり役には立っていない。2人が即座に撤退したことで、狭い範囲の技として放ったグラウスヴァインの熱放射の影響が抑えめになっていたこと、途中で作った瓦礫の山が盾になったことなどが折り重なったために2人は立ち上がれたのだ。

 

「だがそんな小手先の芸当なんてたかが知れているッ!二度も三度も防げるものじゃあ無いだろうッ!?」

 

 そのウェルの言葉と同時に、再びグラウスヴァインの口内が煌々と輝きだす────ところで、その頭部に瓦礫が連続で叩き込まれ、グラウスヴァインがぐらついた。

 

「『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』──悪いが警告はしないよ。この僕を前に、同じ手が二度も三度も通ると思うかい?」

「宝具──ッ!だがそんなチョロ臭い小石如きで、このグラウスヴァインが揺るがされるはずは──ッ!?」

 

 ダビデの逸話を思いだし、舌打ちをするウェル。それと同時に、己の支配下にあるグラウスヴァインがたかだか対人宝具で目に見えてダメージを受け、熱放射攻撃も中断に追い込まれているという事実に混乱していた。

 だが、そこでふとダビデという英霊の特性を思い変えし、驚愕の表情を浮かべた。

 

「まさか──まさか、巨人殺しかッ!?」

 

 ジャイアント・キリング。小兵が巨兵を打ち倒すという番狂わせこそダビデが戦士として語られる中では特に有名な逸話である。

 故にウェルはそれが己に向けられることを危惧していた。ネフィリムは伝承では暴食の権化たる巨人であり、それを身に宿す自分に対して──あるいは、己の一部たるネフィリムに対して概念による追加ダメージが発生する可能性を危ぶんでいた。

 だが、ソレがグラウスヴァインに向けられるとは思っておらず、ましてやその効力が強く作用したことに驚きを隠せないでいた。

 

「いや、待てッ!グラウスヴァインは見た目ドラゴンだぞッ!?ズングリムックリしてるかもしれないけど、どう間違っても巨人じゃあ無いだろうッ!?」

「だとしても、その動力はネフィリムのソレだろう?それにほら、壊れてたのを修復するためか、あるいは君の意思でコントロールするためかは判らないけど、グラウスヴァインの一部にネフィリムの細胞を使っているだろう?」

「────ッ!」

 

 ダビデの言葉に、図星を突かれたかのように押し黙るウェル。

 そう、グラウスヴァインは危険すぎるからと深淵の竜宮に放置されていたのは事実であるが、ソレとは別に故障箇所──というより破損箇所が多くあるために稼働に達せられないということも理由であった。

 ウェルはソレを取り込み、別に取り込んだ聖遺物やネフィリムの細胞でパッチワークのように修復したものをこうやって前線に出していたのだ。

 

「そこまで行けば、まあ辛うじて巨人だろう……だよね?うん、巨きいから巨人だとも」

「最後は雑だな、おい。……まあ、こっちじゃゴライアスだって機械のドラゴンみたいな見た目してっからな、巨人だ巨人」

 

 クリスは軽口を叩きつつ、己の役割を思い出す。

 

 プランB……などと先程言ったクリスだが、それは詰まる所ダビデの逸話を活かす作戦である。

 最初の作戦はさっさとウェルをダウンさせることでケリをつけるという考えだったが、もしそれが難しそうな時に実施するようにと即興で練った作戦。

 元はと言えば、ダ・ヴィンチの調査結果である。

 先程ダビデが言及したように、グラウスヴァインには処々で巨人たるネフィリムの細胞が使用されている。

 ここに目をつけたダ・ヴィンチが、相手が巨人の属性を持ち合わせているならダビデの逸話が有効だろうという希望的な推測を2人に伝えたのだ。

 

 そこで2人は、もし最初の作戦をしくじった時は相手を殴るでもなんでもやって、巨人としての特性を持っているかをダビデに検分してもらい、巨人であればダビデの逸話に基づく勝利を狙おうと考えたのである。

 

(ダビデのおっさんは何とか相手を昏倒──とまではいかないにせよ、上手いこと頭に岩をぶち当てた。だったら、あたしがやんなきゃいけないことは──)

 

 クリスは即座に、己のアームドギアを身の丈を超える大弓へと変貌させる。それが狙うはグラウスヴァインの頭でも、その背に居るウェルでもない。

 

「いくぜ……ッ!ぶ・ち・ぬ・けぇぇ────ッ!」

 

 

───ARTHEMIS SPIRAL───

 

 

 大弓から放たれた巨大な矢は、筈の部分からエネルギーを噴射し更に加速。一瞬でグラウスヴァインへと迫り──その大きな腕についた巨大な鉤爪を一本、盛大にへし折った。

 

「何だとッ!?」

「ジャックポッドだッ!」

 

 黄金色だった爪の破片が宙を舞い、キラキラと光を反射してきらめく。

 そんな一瞬の幻想的な光景に目もくれず、ダビデは即座に跳躍し、宙へと跳ね上げられた折れた方の鉤爪を掴み、そのまま体勢を変えグラウスヴァインへ向かって落ちていく。

 

「まさか──くそ、起きろグラウスヴァインッ!」

 

 迫るダビデを見て本当の狙いを看破したウェルが、ネフィリムのエネルギーを注ぎ込んで無理にグラウスヴァインを再起動させる。

 無茶な稼働のせいで動作こそ鈍いが、それでも再び動き出したグラウスヴァインがダビデの攻撃をかわそうとした時。一本の矢が脚部に突き刺さり、その巨体を地面に縫い止めた。

 

「何ぃッ!?」

「へっ──あたしだって、ゴライアス殺しだッ!」

 

「はは、流石だねクリス。そして────これで、終わりさッ!」

 

 クリスのしてやったと言わんばかりの笑みに本心から褒めたダビデは、そのまま手に握る爪をグラウスヴァインへと振り下ろす。

 

 

「……こッ、んのぉッ!グラウスヴァインは、高価いんだぞッ──!」

 

 

 混乱しているのか、あるいは本気でそう思っているのか。ウェルの渾身の叫びが虚しく響くが、それも最早意味がない。

 

 ダビデ王はかつての伝承の通り──巨人(グラウスヴァイン)の首を、相手の()で一刀のもとに切り落とした。



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第14節 暴食の狂想曲(2)

「僕の……グラウスヴァインが……」

 

 首を落とされ、動きを止めてしまったグラウスヴァインの上で、呆然とした様子を隠そうともしないウェル博士。

 目前の光景が信じられないと言わんばかりに顔を伏せふるふると震える様を見れば、事情を知っていてもあるいは哀れに思うものも居るかもしれない。

 

「驚きかい?でも戦いとはそういうものさ。さて、これで終わりならそこをどいてデモノイズを止めさせてもらえないかな?」

「つっても、どかねえってんなら無理やりどかしてやるけどなッ!」

 

 よいしょっと、とその手に握る剣──巨大な竜の爪を下におろし、いつもどおりの羊飼いの杖を構えたダビデは気楽そうな調子でそう告げる。

 隣に立つクリスは不敵に笑い、いつもどおりのクロスボウ型に戻ったアームドギアに光の矢を装填する。

 

 巨人殺しの伝承によって作用した概念の一撃、哲学の牙は過たず機竜の活動を問答無用で停止させた。ネフィリムの細胞、ネフィリムの動力によって可動する機竜は巨人であると、僅かなりともそういう概念を有しているのだと認められた。

 ──それはつまり、この世界におけるネフィリムはどれほど怪物めいた見た目であろうとも『巨人』であり、ダビデの逸話が適切に作動することを示していた。

 

 であればこそ、ダビデとクリスはある程度の精神的優位を確保していた。勿論、本家本元のネフィリムが相手だとどうなるかは不明である以上、予断は許さない。それでも、少なくとも効果がないわけではないという事実は、特に過去ネフィリムと対峙した事があるクリスにとって一種の福音でもあった。

 

「…………」

「おい、なんか言ったらどうなんだよ?」

 

 そんな2人の呼びかけに応えるでもなく、伏せた顔を上げることのないウェルに、業を煮やしたのかクリスが再度呼びかける。

 これで反応がなければ実力行使か──などという考えがクリスの脳裏によぎったところで、ウェルがのろのろと顔を上げた。

 

「ようやく退く気に──ッ!」

 

 面を上げたその表情は、戦っていたときの狂相ともグラウスヴァインを停止させられたときの自失したものとも違う、平時の冷静さを取り戻したようなものとなっていた。

 クリスやダビデの思う現況とその表情は一致していない。言い表すなら"見下す"という言葉こそが適切であろう面相で、ウェルは2人を物理的にも見下ろしていた。

 

「はぁ~……。全く理解に苦しむとはこのことですよ……。どうせ死ぬなら僕の手を煩わせることの許し難さこそを慮って欲しいものです」

「おおっと、言うね」

 

 戦力的にはともかく、相性的にはウェルが圧倒的に不利なこの状況での発言に、ダビデの言葉にも驚きが交じる。

 

「ってめえ、今の状況わかって言ってんのかッ!?」

「当ォ然、じゃあないですかッ!そもそもこの状況を読めていないのはそっちだろうッ!?」

「──ッ」

 

 その口から出た言葉にいきり立つクリスだが、その威勢すら押し流すような勢いでウェルが食って掛かった。

 力強い断言に思わず二の句が継げずに言葉が途切れたクリスを尻目に、ウェルはこれが真実とばかりに語り始めた。

 

「そもそも僕がやってること自体、英雄として当然のことッ!それを邪魔するばかりか、悪役臭が匂い立つ台詞回しで脅してくる君らのほうが悪党じゃないかッ!」

「んだとッ!?あたしが悪党ならてめえはド悪党だろうがッ!こんの──」

 

 いきなり悪党宣言され更にヒートアップしたクリスだが、そこでダビデがクリスを手で制した。

 

「何だよ、ダビデのおっさんッ!」

「まあまあ落ち着いて。……確かにさっきの言葉はちょっとだけ脅しに聞こえたかもしれないけど、それは勘違いだとも。僕はいつでも血の流れない解決法を望んでいるからね」

 

 爽やかな笑みで堂々とそう宣うダビデに、ウェルは僅かに拍子抜けしたような顔をする。

 が、即座に胡散臭いものを見る目へと変わった。

 

「流血が多すぎて神殿建築を認められなかった癖によくもいう、流石伝説に名高いダビデ王だねぇ」

「ははは、それは偏に相手が流血を望むからだよ」

 

 ウェルの口元こそ笑っているが、明らかにダビデの言葉を信用していない。ダビデもそれが判っているのだろう、軽くいなす。

 と、そこでダビデの顔に浮かんでいた爽やかな笑みが潜み、ウェルに対する眼差しも鋭いものとなった。

 

「……ところで、さっき英雄として当然なんて言ってたね。僕らの今ある情報だと、君の行為は全く英雄らしくないんだけどそこらへんはどうなんだい?」

「何……?」

 

 ダビデの問いかけに、ウェルも口元の笑みが消える。

 

「いやあ、ほら。客観的に見れば君は魔神が実行するとんでもない術式の基点を守ってるってことになるだろ?普通、英雄とか言うなら止める側に回るんじゃないかな」

「…………」

 

 ダビデの言葉に思うところがあったのか、無言で応じるウェル。その様子を見て問題ないと考え、ダビデは話を続ける。

 

「最初に出会った時、"暫定少女"のために云々言ってたけどさ。君、誰か特定個人のための英雄だっていうならともかく、強いて言うなら大衆的な、あるいは自分のための英雄だろう?なら──」

「──魔神に反旗を翻すべき、だと?」

「そうそう、そういうこと」

 

 どう?と首をかしげるダビデ。

 

「ふ、ん。確かにまあ、道理なんでしょうけどねぇ」

 

 相変わらず何処か人を小馬鹿にする様なイントネーションで喋るウェルは、明確には告げずとも否定よりの言葉を吐き目線をダビデに向ける。

 その目はダビデを見下すというよりむしろ、ダビデが何を言っているのか分からないと言わんばかりのものだった。

 

「僕とて最初の最初はそのことを考えないでもなかったんですけどねぇ……。ただ、そう。魔神からある話を聞いてしまいましてね」

「……話?話ってなんだよ、てめえの大好きな英雄ってのになれるチャンスだろーに、それを棒振ってまであの目ん玉オバケにへーこらするだけの理由があったのかよ?」

 

 クリスの明け透けな言い様に、ウェルははんと鼻で笑う。

 

「僕はもう英雄だッ!それに理由?理由だってッ!それは勿論あるともさッ!──なんと言っても、この特異点を修復したところで、死んだやつは戻ってこないからねッ!」

「──はあッ!?おい、どういうことだよそれッ!」

 

 ウェルのぶちまけた言葉はクリスにとって全く初耳の内容であり、思わず叫ぶように問い返す。

 

 亜種特異点の修復について、彼女たちS.O.N.G.はカルデアからある程度の概要について聞いていた。

 そもそも特異点とは、歴史のターニングポイントを示す座標『人理定礎』が何らかの事由により正常値を大幅に逸脱した『IF』の世界であり、人理の崩壊につながる起爆点。カルデアの言う人理修復とはつまり、特異点の発生要因である存在を排することで歴史を正常値へと戻すことである。

 

「だから、異常の原因さえなくなればもとに戻るって話じゃなかったのかよッ!」

 

 彼女の聞いていたイメージとしては、問題となる理由がなくなれば正しい歴史へ──教科書とかで語られる歴史に戻るのだろうと想像していた。それが死んだ人間が戻ってこないと言われれば、怒鳴りたくもなるというものだろう。

 絶叫のようなクリスの叫びに、ウェルはニヤリと笑う。

 

「そう、そうともッ!僕も最初はそう思ったさ、同情するよ。──だが、カルデアとやらの連中は黙っていたみたいだねぇ?」

「────ッ!」

 

 ウェルの言葉に、クリスは慌ててダビデの方へと目を向ける。

 目線が合ったダビデはいつものような飄々とした表情ではなく、申し訳無さと後ろ暗さが混じったような表情でじっとクリスに目線を返すだけであり、否定の言葉を一切吐かなかった。

 

「~~!おい、どうなんだよダ・ヴィンチッ!あれだろ、この特異点で何か問題があって、それを解決すれば……ッ!」

 

 その様子はクリスの心にますます不安を与え、否定の言葉が欲しかったのか、即座に己のギアの通信を入れる。一応付けていた筈の敬称が無くなっている辺り、当然ではあるがよほど気になっているのだろう。

 

『……いや、こればっかりはウェル博士の言うとおりだ。特異点は解決しても死者は戻らない。厳密に言えば、特異点成立時点での生死は元に戻るけど、特異点で死亡した人については、特異点と同じ時代で帳尻が合うように正常な歴史でも死亡する、と言い換えるべきかな』

 

 聞かないふりをするなんて出来ないと思ったのだろう、ダ・ヴィンチの応答がクリスの耳に届く。通信モニターこそ現れないが、通信音声には苦渋の色がにじみ出ている。

 

『黙っていたのは悪かった。だが現状、他の魔都の制圧は正直難しい。その中でこんな話を伝えれば、君達の士気に大きく関わってしまうからね。成功率を上げるためには、どうしても前線メンバーに伝えるわけにはいかなかった』

「……そう、かよ……チクショウ……」

 

 ダ・ヴィンチの言葉を聞き、クリスの言葉から、そして歌から力が失われていく。

 勿論、普段の活動の中で死んだ人間が生き返るなんて夢物語はクリスは考えたことはない。だが、特異点の修復については助けられるかもという意気込みでやっていたことだ。それが結局助けられていないということでは、流石にクリスも衝撃が大きかった。

 

(……やれやれ、全く。こんなことなら最初から言っておいたほうが良かったかもね。とはいっても、どうにもならない問題ではあるんだけど、さ)

 

 消沈するクリスに、人理修復の問題について知っていたダビデも流石に軽々に励ましを送ることが出来ず沈黙する。

 そう、これは結局(カルデアの出来る範囲では)どうしようとも回避のできない問題だった。だからこそカルデアがS.O.N.G.に内情を明かす時も、このことを装者たちに伝えないようにしてもらっていたのだ。

 

『ところで、私からも質問いいかなウェル博士?』

「幾らでも聞いてくれていいとも。なにせ、時間は僕の味方だからねぇ」

 

 そんな中、徐ろにダ・ヴィンチが口を開いた。改めて展開された通信モニターに映るダ・ヴィンチは、ウェル博士を確りと見据えている。

 ウェルも何か聞かれるだろうことは理解していたのだろう、あくどい笑みで応じる。言葉の末尾にいちいち悪意があるとも忠告しているとも取れるような言葉を付け足してくる辺りは性格だろう。

 

『ありがとう。でさ、結局さっきのって理由になってないだろ?人理精算のアレそれは確かに問題としても、それならせめて生存者を増やすために行動すべきじゃなかったのかい?』

「──は?」

 

 英雄の性根を画一的に図るのもどうかと思うけど、と付け加えたダ・ヴィンチの言葉。ウェルはそれに対して、何をバカなと言わんばかりの驚いた表情を隠しもしない。

 そんな表情をされるとは思っていなかったダ・ヴィンチは、うん?と首をかしげる。

 

『え、何だいその表情』

「──はぁ!?おいおい、天才なんだろうレオナルド・ダ・ヴィンチはッ!だったら、僕の考えくらい理解できないのかなぁッ!?」

『おおっとぉ。いやあ私は確かに天才だけど、何も君ほど自己顕示欲が強いわけじゃ……いや断言は出来ないな。……って、ああ、そういうことか』

 

 思わずというように大声でがなるウェルにダ・ヴィンチはおどけたように言い訳し、自分でしたその言い訳の言葉からなんとなくウェルの心情を察したらしくうんうんと頷く。

 通信モニターに映るダ・ヴィンチは漸く得心したと言わんばかりの表情を浮かべ、改めてウェルと目を合わせる。

 

『わかったぞ、君はあれだな……人理精算における人員勘定より、人理精算が起きたときの自分の立ち位置を考えているな』

「!へぇ、流石は歴史に語られる天才だ……よくもご存知だッ!」

 

「……どういうこったよ」

 

 なぜか通じ合っている2人に、未だ意気消沈しているクリスがじろりと視線を2人の間で往復させる。

 そんなクリスの目線を受け、ダ・ヴィンチがため息を吐く。クリスに対してというよりウェルに向けられたため息と表情からは、どう見ても呆れ以外の何でもなかった。

 

『単純な話さ。人理修復をすれば特異点はなかったことになり、それに合わせて人理の精算が起きて辻褄合わせが行われる。この場合、ウェル博士が得をする──金銭とかそういうのではなく、本人の満足感という意味でだけど、そうなる場合というのは──今この場で足掻くのではなく、なるべく被害が出てから魔神に勝つことさ』

「──はあッ!?」

 

 先程までのどんよりとした雰囲気を投げ捨て、クリスが驚きの声を上げる。

 言っているダ・ヴィンチもクリスに同意したいのだろう、言葉の端々から呆れの感情がにじみ出ている。

 

『どうやって魔神に勝つつもりかはともかく、大被害が出てから魔神に勝てば人理修復後に何らかの辻褄合わせがこの世界に起きる。特異点で召喚されたサーヴァントはその崩壊に合わせて消滅するはずだけど──』

「──そう、そこで君達が繋いでいるギャラルホルンを使わせてもらうのさッ!」

 

 ウェルがダ・ヴィンチの言葉に割り込んでドヤ顔を見せる。

 

「そもそも僕が英雄としてさらなる飛躍を遂げるためには英雄の恩恵を享受する民衆が必要ッ!だというのに、普通に人理修復してしまったら皆が皆僕のことを忘れちゃうんだろう?そんなの認められない、人の記憶に残ってこその英雄だともッ!」

「うわぁ、予想以上に碌でもなさそう」

 

 どんどんと自説を語り始めるウェルに、何故ダ・ヴィンチがああも嫌そうにしていたのかを理解したダビデがポツリと呟く。

 そんな彼は一応にと辺りの瓦礫を拾って宝具用の弾丸を補充しているが、ウェルは語るのに夢中で気づいている様子もない。

 

「……今のうちに不意打ちするんじゃ駄目なのか……?」

 

 ウェル特有の精神的な熱狂状態に入っている様子に、クリスがボソリとダビデに小声で話しかける。

 ダビデもそれは考えないでもなかったが、それでも不意打ちしないのには理由があった。

 

「……彼の語る内容はアレだけど、有用な情報も混じってるかもしれない。聞くだけは聞いておきたいね。……黙ってた僕らが言うのもアレだけど、知らない事実……それこそ、僕らも知らない事実が浮かび上がるかもしれないし」

「はあ?あいつのイカレ妄言の何処にそんな……」

 

「──ちょっとッ!そこ、僕の輝かしき未来の英雄譚を脳の裏表問わずに刻んでほしいんだけどッ!?」

 

 クリスがダビデに疑問を見せたところで、話を聞いてないことには目敏かったウェルの声が届く。

 その理不尽な文句に口を開きかけたクリスの前に、ダビデが先んじて話す。

 

「はは、勿論聞いているよ。それで、普通の人理修復に満足できないってなれば君はどうするんだい?」

「おっと、そうだった。あの魔神は最後の最後に大儀式を行使する筈だから、その隙に僕の最大火力でぶっ飛ばすッ!これで人理修復が成立したところでギャラルホルンで平行世界に移動、修復後の世界に舞い戻るのさッ!」

「うん?でも君サーヴァントなんだから、特異点修復と同時に消滅するってのは例え世界を移動しようともどうにもならないだろう?なにせマスターである魔神がいなくなるんだから」

 

 ダビデがわざとらしさを感じさせないなめらかな会話運びで疑問を呈する。

 それを聞いてほしかったのか、ウェルもふふんと自慢げな笑みを見せた。

 

「楔がなければ新しく突き刺せばいい──単純な話だろう?ネフィリムと紐付けられたこの僕なら、この世界に現存する大量の聖遺物を取り込んで居残りのための重りにすることだって可能ってことさッ!」

『ふぅむ……ははあ、成る程ね。ネフィリム自体が強力な、それこそ竜種に匹敵する強力無比な炉心。あとは現実に存在するためのマスター代わりになるものさえあればいいってことか。英霊の特性と聖遺物の能力を利用した、完全単独の擬似的な受肉ってことだね』

 

 ダ・ヴィンチが素直に感嘆する。というのも、ウェルのやっていることは通常のサーヴァントであればまず不可能な事例だったからだ。

 例えばダ・ヴィンチであれば、マスター代行の人形を用意した上で現実に居座っている。一種の詐欺契約みたいなものだが、ウェルの場合はそれを自分の内側に用意した上で、それを維持するための炉心も全部自分の力で賄っているということである。

 別世界、別法則に生きた存在でありながら、己の特性・英霊としての能力や在り方をきっちり把握した上で行動できるその知性は確かに優秀であると誰もが認めうるものであった。

 

「修復後の世界なら、何れ大災害でも何でも起きて人数の辻褄を合わせるッ!そのときに様々な聖遺物を取り込んだ超・英雄ドクター・ウェルの降臨ッ!素晴らしい、完璧な計画じゃないかッ!」

 

 その場の皆が知るとおり優とも秀ともつかない異常な感性ならではの考えを語りながら悦に入るウェル博士。

 彼女が知る限りいつもどおりの本性丸出しなウェルの様子に、クリスは辟易した様子を見せる。

 

「……おい、あれの何処に有用な情報があったんだよ」

「そうだねえ……。魔神の計画の最後に大儀式があって、そこには隙があるだろうこと。彼自身の大火力はあの音楽魔を打ち倒せること、あたりかなあ……」

 

 ダビデも思ったより収穫がなかったことで少々肩を落としている。

 別に有用な情報がゼロであったわけでもないのだろうが、その表情は「さっき不意打ちするべきだった」と如実に語っている。

 

「っていうか、てめえ本気でそうするつもりなのかよッ!?だってなら、やっぱりここでぶちのめして──」

 

 あんまりにも自分の都合と欲望を追求したウェルの言葉に、クリスは全く話にならないとばかりに己のアームドギアに装填した光矢を放たんと構えた。

 

「おっとぉ、でもこれ以上に君らは人を救えますかぁ?いいやぁ、出来るわけがないッ!……でしょう?」

「────ッ!」

 

 だが、クリスはウェルの一言で言葉を失ってしまう。

 先程ウェルから、そしてカルデアから告げられた人理精算の事実を飲み込みきれていないままにそう告げられれば、クリスは答えに窮せざるを得ない。

 

(そうだ、あたしらはウェル以上に人を救えるのか?いや、できるはずだッ!だって、魔神をあいつより早くぶっ飛ばしてやれば……ッ、でも、どうやって……)

 

 心中で己に対して鼓舞するも、しかし何処かでそれを疑う自分がいることに気づいてしまう。

 色々な情報を一気にぶつけられたことで、クリスは自分の立ち位置があやふやになったように感じてしまっていた。そこに突き刺さったウェルの言葉を認めてしまえば、あとは崩れ落ちてしまうだけだろう。

 

「~~たりめーだッ!やれなくてもやってやるんだよッ!」

(そうだ、アイツも、先輩も、マリア達だっている……。異世界の英霊とかも、S.O.N.G.のみんなも、カルデアの奴らだって居るんだッ!出来るに決まってるッ!)

 

 クリスはそんな己の状態を理解しながらも、意地でも認めてやらないとばかりに威勢よく口を開く。

 自分たちならできると。多くの仲間がいるこの状況なら成し遂げられるのだと言わんばかりの思いで心中を無理やり満たす。

 

 だが、そんなクリスの内面なんてお見通しであるかのように、ウェルがやれやれと肩を竦める。

 

「言っておきますがね、あの魔神が出張る頃には大体の方策は終わってる頃合いですよ?少なくとも世界の大半は死ぬし、僕の魔都には人が居ないから僕がどうこうしようともそれで死ぬ数が減るわけじゃない。……魔神が事を成就させたなら、あとはどのタイミングで殴っても一緒なんですよ」

 

 だから、無駄なのだと。そう言外に告げるウェルは、物分りの悪いやつだとクリスのことを見下していた。

 その目線はクリスへと容赦なく突き刺さり、彼女の身体から今度こそ力が失われていく。

 

「──ッ、それ、でも……ッ」

「でももストもないッ!これが事実だ、受け入れたほうが良いですよ……そのほうがお利口さんですからねぇッ!」

「────ッ、あたしは……」

 

 言い返そうとしても、何も言葉が見つからない。

 魔神という全く知らない異世界からの存在が現れた平行世界。ギャラルホルンのアラートが鳴ってからこっち、異様な方へと状況が進む中でもどうにか解決するためにと力を惜しまずやってきていた。

 

(だってのに、それは無駄だったのかよ……ッ!訳わかんない奴にエルフナインの肉体乗っ取られて、この世界もめちゃくちゃにされて、それをほっとくのが最適だって言うのかよ……ッ!)

 

 そんなことは認められない。同じく異世界の組織であるカルデアも、過去の偉人であるという英霊もこの異変を解決しようとしているのに、それが無駄な行為であるなんてクリスは思いたくなかった。

 

(……でも、ダ・ヴィンチは人理修復はそういうもんだって言ってた。あいつらはその解決法を最初から目的にやってたってことじゃないのか……?だとしたら、あたしは……どうすれば……)

 

 思考が狭まる。出口のない問答がひたすら頭のなかをぐるぐると巡る。

 いよいよ歌も消えていき、その手のアームドギアが解除されそうになる──その直前に、美しい竪琴の音色が響き渡った。

 

「……今の、歌は……?」

「心を落ち着ける曲だよ、クリス。サウル王も悪霊にとりつかれた時、今の君みたいにどんどん深みに嵌っていったものさ」

 

 ははは、と変わらない笑みを浮かべるダビデ。

 数日程度の付き合いしかないのに、その変わらぬ顔と竪琴に妙に安心感を得てしまう。……この竪琴の演奏にはそうなるだけの概念が込められているので、安心するのは当然ではあるのだが。

 クリスが落ち着いたあたりで、ダビデがウェルへと目線を向ける。

 

「さて、ウェル博士。確かに君の言う選択はベターなものだ。ギリギリまで反旗を翻さないのも、勝てるタイミング、勝てる状況で手札を突っ込むのは戦いの定石だしね。それに戦後のことを考えているのも悪くない」

「って、あいつを褒めるのかよッ!」

 

 まさかの褒めそやしにどういうことだとクリスが憤慨する。

 

「いや、そこはほら事実だしね。黙っていた僕らも僕らだけどさ、変えられないものは変えられないからね」

「~~ッ!じゃあ、やっぱり無駄だって言うのかよ……ッ!」

 

 ダビデの冷徹とも取れる言葉に、竪琴による精神平静状態を脱したクリスが怒りをダビデにも向けかける。

 一方珍しく真正面から、それも過去に英雄として語られたダビデに褒められたことでウェルは気を良くしていた。

 

「ははん、ソレ見たことかッ!このやり方こそ英雄のやり方、やはり英雄は英雄を知るゥッ!」

「てめえ……ッ!」

 

 調子づいたウェルにクリスがいよいよ激憤しかけたところで、ダビデがクリスを宥めるようにその肩に手をおいた。

 何のつもりかとクリスが見上げれば、目線の先のダビデはウェルに向かって首を横に振っていた。

 

「いやあ、悪いけどそうでもないかな。そもそも確かに人理精算は色々と受け入れがたいだろうけど、何もどんな状況であっても同じ様に人が死ぬわけではないんだ」

「……ッ、まあ、そうだろうねぇ」

 

 だからどうしたと言わんばかりのウェルだが、僅かに言葉を詰まらせた。

 その反応に訝しげな表情を見せるクリスにも説明するように、ダビデは人理精算について語り始める。

 

「ダ・ヴィンチも言っていたろう?特異点と同じ時代で辻褄合わせをするって。これが結構幅広くてね、どうやっても突然死しかない状況でもなければ元の時代でまあまあ長生きすることだってあるのさ」

「それって……つまり、さっき言ってた大災害みたいなのが起きるとかそういうのは……」

「余程でなければありえないさ。特に今の時代は……まあ、こっちの世界はどうかは知らないけど、通信網の発達とかが著しいからね。少なくとも僕らの世界ならターニングポイントが少ないだろうし、合わせて人理定礎の間隔も広いだろう。それでもダ・ヴィンチは言い訳みたいになるだろうから言わなかったんだろうけどね」

 

 僕は結構ズバズバ言うタイプなんだよね、と言ってわざとらしくキラリと白い歯を覗かせる。

 その顔を見て自分を落ち着かせようとしているのだと覚ったクリスは、余計なお世話だとばかりにおどけたダビデを軽く蹴る。

 

「……ありがとよ」

「いやいや、意外とクリスのためだけでもないんだこれが。──そうだろう、ウェル博士」

 

 ダビデがクリスから蹴られた部分を軽くさすりながら、敵であるウェル博士に対しても変わらぬ笑顔を見せる。

 しかしそれは先程までの穏やかさや苦笑といったものではなく、あからさまにウェルを嘲笑するものだった。

 

「……何がいいたいのかな、ダビデ王は?」

「おや、わからないかい?……少しでも死者を減らす努力は決して間違いじゃない。乾坤一擲は大いに結構だけど、ベターを求めるためにベストを投げ捨てるのは果たして英雄と言っていいのかどうか、ってことさ。英雄というのはね、勝てない不利を大きく覆してこその英雄だろう?」

 

 ここぞとばかりにやれやれと肩を竦める。その動きはいっそ小憎たらしいほどに先程のウェルの動きに似ており、それが彼を盛大に刺激したようだった。

 ウェルの額に青筋が走り、その身体がプルプルと震えだす。

 

「ふ、ふふ……まるで、この僕が英雄じゃないみたいな言い分だねぇ……ッ!」

「いやいや、生前の君は英雄だったかもしれないけどね。ただ今の君はそう、英雄として小粒に過ぎるんじゃないかなってね。ああ、勿論僕は君の策を評価はするとも、なにせ在り方に拘るほど僕は英雄に固執しちゃいないからね」

 

 暗に……というか、迂遠であっても堂々と「英雄として評価していない」とその語り口が告げる。

 ウェルは元来我慢強い質ではない。その言葉で遂に我慢の限界が来たのだろう、体の震えが止まり、憤怒の形相を浮かべて2人を睨みつけた。

 

「上等だ、この僕こそが真の英雄だってことを見せてやるッ!!」

「おおっと、ついつい怒らせすぎたかな?まあ、だけどしょうがない──せいぜいやろうか」

 

 激怒するウェルに相対しても、ダビデは泰然自若と揺るがない。戦う者として、上に立つものとして、英雄としての在り方の差異がそこに現れていた。

 そんなダビデが、徐ろに肩に手をおいていたクリスに視線を向けた。先程から見上げていたクリスは、唐突に視線が合ったことでビクリと肩を震わせる。

 

「──ところで、クリスの悩みは晴れたかな?」

「え──あ、ああ──……」

 

 ダビデの言葉に、ふと自分が先程までのように深々と思い悩んでいないことに気づいた。

 

「……いや、まだ吹っ切れちゃいないし、割り切るなんてあたしにゃ出来そうもねーよ」

 

 クリスの中には、今も変わらず自問する声は心の内にあり続けている。

 吹っ切れるわけがない。ダビデが言っていた内容だって、結局は犠牲を止められないということには違いがなかった。

 それでも────

 

「──でも、少しでも多くを助けたいって動けば、それだけ助けられる人数が増えるってのもそうなんだろ?」

「そこは勿論、当前だとも」

 

 であれば問題ない、そう不敵な笑みを浮かべる。そのクリスの姿からは、先程までの不安げな様子は感じ取れない。

 先程のように戦えないほどまでに追い込まれるような感覚はクリスの中から無くなっていた。

 悩む必要がないなんてことはない。それでも、詰まる所少しでも多くを助ければ少しでも多くが助かるという単純な話でしかないのだ。であれば、クリスが不要に抱え込むようなものは最早ありはしない。

 

 目前には、いよいよ左腕を異形へと変化させたウェルの姿。

 この魔都に巣食うデモノイズを倒し、少しでも犠牲を減らすために。クリスはダビデと共に、完全聖遺物と化したウェルへと意気揚々と対峙した。



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第14節 暴食の狂想曲(3)

 ネフィリムと化した異形の腕を持つウェルが炎を撒き散らし、それに応対するクリスとダビデ。その戦いは、魔都に最初に到着した時を思い出させた。

 爆炎に対してミサイルを盾にした無効化策をクリスが取れば、その隙にダビデがウェルの意識を奪いに殴りかかるか投石する。

 あるいはウェル自身がその腕を更に肥大化させて範囲を広げた攻撃をしてくることもあるが、しかしその腕を振るうのはウェルであるためか、比較的容易に2人は躱している。

 

 ……詰まる所、状況的にはクリスとダビデが比較的優位に立ち回れている事も含めて、最初の戦いに類似した状況を作り出していたということである。

 

「ああ、もうッ!君達さっさと消えてくれないかなあッ!この僕の最後の逆転劇を見たくないのかッ!?」

「そんなに寝言が言いたいってんならあたしがオネンネさせてやらぁッ!」

 

 ウェルがたまりかねたかのように怒鳴った、余りにもいつもどおりの自分本位な文言にクリスはふざけるなとばかりに光矢を放つ。

 巨大な弓形のアームドギアから絶え間なく放たれるそれは、クリスの超人的な射撃能力も相まって、ウェルが炎を放とうとする瞬間をピンポイントで撃ち抜いて行動を阻害させる。

 

「──ちぃ、やっぱギアじゃ妨害が精々かよッ!」

「は、はははッ!そう、そうだともッ!ネフィリムの力を持つこのみんなの英雄に、そんなチャチな玩具が通じるわけがないッ!」

 

 が、それを為したクリスは不満顔でそう吐き捨てる。その眼の前に映るウェルはピンピンしており、クリスを盛大に煽っている。……その声が震えている辺り、やはり戦い慣れはしていないことは容易に推測できるだろうが。

 

 ウェルが扱う完全聖遺物ネフィリムは生きた増殖炉であり、聖遺物を糧として吸収する特性がある。

 それを理解していたクリスは、なるべく聖遺物が弾頭となる物理攻撃である銃撃やミサイルを控え、クロスボウやロングボウによる光の矢──エネルギー矢による攻撃をしていた。

 だが、ネフィリム自体再生能力に優れ、また炉心さえ可動していれば容易に復帰できるということもあり到底致命打に至らないでいるのが現状だった。

 これが生前のウェルであれば、本体に直撃すればそこで戦闘不能にできただろう。しかし今や彼自身もサーヴァントであり、霊核を砕かない限りは早々にダウンすることはないし、ダウンしなければ大量の聖遺物を取り込んだネフィリムからのエネルギー供給により即座に負傷を回復するのだ。

 

 そして、というべきか。真の英雄の姿を見せると息巻くウェルは最初の通りの戦い方だけに拘らなかった。

 

「ハーッハッハッハァッ!さあ、英雄の真骨頂を見せてやるともッ!」

 

 そう叫ぶウェルの左腕から剣のような武装が突き出し、そのままウェル自身が握りしめる。

 その見目は日本刀としか言いようのないものであり、見るからに妖しげな気配を漂わせるそれをウェルが握ると同時に、クリスとダビデに悪寒が奔った。

 

 そしてその直後、2人にとっては驚くべきことに、ウェルが堂に入った構えでその刃を構えた。

 全く隙の見せないようなその構えに、思わず2人は己を制動し──その一瞬の後、銀閃がクリスの前を過ぎていった。

 

「あ……っぶねえッ!てめえ、それは────ムラマサかッ!?なんでここにあるッ!?」

「なんでも何も、この竜宮は危険物を封印するための施設だと知っているだろうッ!?どこで知ったかは知らないけど、コイツも封印されていたのさッ!この刀も封印放置されてるくらいなら、英雄たる僕に使われて光栄だろうッ!?」

 

 ウェルがそうドヤ顔で再び刃を構え直す。

 

『ムラマサ……って、千子村正の打った、あの村正か!驚いた、ここでまさかの武装が出たね!』

「ああ、あたしはアレを見たことあるからな……。っていうか、それは聖遺物じゃねーだろーがッ!なんでネフィリムが取り込んで、ましてや使えてんだよッ!?」

 

 感嘆の声を上げるダ・ヴィンチに、クリスがボソリと返し、直後ウェルに文句でも言うように怒鳴る。

 クリスが叫ぶとおり、ムラマサは彼女の知る限り「千子村正」が打ったという妖刀村正……の概念を一身に背負わされた哲学兵装であり、その本質は呪いを受けただけの只の刀である。聖遺物を吸収するネフィリムの性質は知っていたが、哲学兵装を取り込むなんて話は聞いていなかった。

 狼狽するクリスに、ウェルはチ、チと人差し指を振って否定する。

 

「甘い甘い、甘すぎて嫌に──いや、甘いのは別にいいですけどねぇッ!ムラマサをネフィリムが取り込んでいるわけじゃない、ムラマサがネフィリムに融合しているだけのことッ!ムラマサが生きている以上、僕が振らなくともムラマサの動きに合わせればいいだけなのさッ!」

 

 そう堂々と宣言するウェルに、クリスが辟易したような表情を見せる。

 

「エラソーにしてんな、武器に振り回される英雄なんて笑わせるッ!」

「いやあ、全くそのとおりだ。自分の持ち物に振り回されるなんて英雄を自称するとはとても思えないね!」

 

 クリスに便乗するように囃し立てるダビデ。彼も自分の宝具にある意味振り回されているのだが、それは言わぬが花である。

 

「なんとでも言えッ!神話伝承で自動攻撃する武器なんて山ほどあるんだ、手に持って振ってるだけ僕のほうが真面目ってもんだろうッ!?」

『うーん、ある意味正論に聞こえなくもないのがすごい』

「言ってる場合かッ!っち、呪いが……ッ!っと、だいぶ面倒なことになりやがったぞ……」

 

 理論武装しながら斬りかかるウェルに対し、どこか間の抜けた感想を零すダ・ヴィンチ。

 迫る刃にクリスは不自然に崩れた体勢に舌打ちしながら間一髪で回避し、どうやって攻略したものかと頭を悩ませる。

 どうやらウェルはかつてクリスが対峙した武者ノイズ──ムラマサと融合し、剣術や体捌きに卓越したノイズと同様の状態になっているらしい。

 

「ってか、あいつは呪いをどうやって凌いでやがんだ……ッ!?」

 

 先程体制を崩した自身の足元を見れば、不幸にも床面がクリスの足元でひび割れ抜け落ちていた。

 ムラマサの呪い──近くの人間に不運が訪れるという呪詛は確かに作用しているはずである。にもかかわらず、ウェルがどう対処しているのかは不明だが影響を受けている様子が見られなかった。

 

『呪いっていうと、徳川に仇なすっていう呪いと周囲の人に災禍を呼ぶってのが有名だけど……君が見た村正はどんな呪いが発現してたんだい?』

「不運の方だッ!今はまだそんなんでもねーけど、いつやばくなるか──」

 

 ダ・ヴィンチがふむ、と考えるような呟きを通信に乗せる。そしてすぐ、ああ、となにか理解したのだろう声とともに通信口に解説が流れる。

 

『そちらの哲学兵装の記録は前に見させてもらったけど、そうだね。おそらく人に影響する呪いだから、英霊には影響しないんじゃないかな』

「んな頓知が許されるのかッ!?」

『まあ、概念ってのはそういうものだからね』

 

 クリスの常識からすればあまりにもあんまりなダ・ヴィンチのざっくばらんな答えに、彼女は思わず声を荒げた。

 しかし、往々にして哲学兵装とは頓知のごとく破られることが多い。かつて翼が対峙した哲学兵装「ソードブレイカー」も、翼がアームドギアを炎の翼に変えたからというだけで剣の聖遺物である筈の天羽々斬に破壊された程である。

 魔術師達における概念武装もそうだが、特化した概念ほどそれ以外に対しては無力なのであった。

 この場合、(ダ・ヴィンチ達の世界ではまた別だろうが)少なくともクリス達の世界におけるムラマサは対人に特化した概念を持っている以上、自己改造して聖遺物と融合した英霊というキメラめいた存在に対してその概念が働かないというのは十分に有りえる話であった。

 

「ははは、まあまあ。確かに太刀筋は鋭いけど、どちらにせよ巨人の戦い方じゃないからね。もしかすればさっきの炎のほうが厄介かもだ」

「って、言ってもな……。言いてえことは判るけどさ」

 

 遠距離戦で炎の発動を見切りやすいクリスからすれば、炎のほうが対処しやすい面も多い。しかし確かにダビデの言う通り、刃のほうがやりやすいところもあることはあるのだ。

 ネフィリムにおいて厄介なのは、その膂力と体力、そして大火力である。剣術が厄介ではないとは言えないが、しかしネフィリムの肥大化した腕部や本体の貧弱なウェルとはどうにも不釣り合いでもあった。

 有り体に言えば、ネフィリムとしての力を持て余す戦い方であるということだ。接近戦が不得手なクリスだからどちらにせよ厄介であるという感想を抱くが、逆に遠近両用な戦士であるダビデからすれば炎よりも対処しやすいのだろう。

 

「むしろあれだ、これ以上厄介な武器が出てくる前に今のタイミングでダウンさせたいね。呪いの剣を持っているという理解が彼には足りないという点を加味すれば尚の事だ」

「ふぅん……ああ、そういうことか。いいぜ、確かに今のほうがいいかもな」

 

 ダビデの言葉になにか理解したのだろう、クリスはニヤリと笑った。

 

 

(……なにか仕掛けてくるな。警戒するならやはり、あっちのダビデか。聖遺物の、それも人間であるシンフォギア装者なんて今の僕にとっては飾りも同然だけど、五体が武器の英霊は別だからね……)

 

 クリスとダビデの様子が変わったことに気づいたウェルが、警戒心の強い眼差しを2人に向ける。彼の注意は特にもダビデに向けられていた。

 それはネフィリムの対処能力に哲学兵装ムラマサの呪いという二重防御をもつウェルにとって、クリスはもはや敵ではないという自信があったからだ。

 

「ふん。だが、このムラマサに降り積った概念は僕に熟練の剣士ばりの技量を与えてくれる。ネフィリムの力と炎、そして技術に頭脳が揃っているこの僕が、高々ゴリアテ殺しの英雄なんかに負けるものか……ッ!」

 

 ムラマサの動かすとおりに合わせ、警戒は密に。ダビデの攻撃に特に警戒した体勢のまま、ジリジリと互いの立ち位置を変えていく。

 その動きを見ていたダビデは、ニコリと笑った。

 

「まあ、そうするだろうね、君は。相性の関係からクリスより僕を警戒するのは当然だし、村正に由来する武士の剣技があれば、古代の人間である僕に注力すれば倒せると考えることは的外れじゃないさ」

 

 技芸というものは後世になる程成熟するからね、とダビデは語る。

 その褒めるような語り口を聞いても、流石にことここに至ってただ漫然と自分を褒めそやしてるわけではないことにウェルは気づいていた。

 

「──何を考えているかは知らないけどね、いい加減黙って褒められるのには慣れてきちゃってるんだよねぇ……ッ!」

 

 ウェルはそう軽口で応えつつ、ダビデの考えが何処にあるのかを考える。

 何かに対する意識誘導か、あるいは──と、ふと己の手元の村正を見やる。

 

(……ムラマサは哲学兵装であり、ネフィリムと完全な融合はできない。刀自体はネフィリムじゃない以上、この刃でギアの攻撃は受けきれない。となれば──)

 

 即座に顔をあげ、凶相と共にその場から飛び退いた。

 

「ッ、何を──」

 

 ダビデの驚くような声を無視し、ウェルは一気に駆ける。その先にいるのは──大型の銃型アームドギアを構えたクリスの姿。

 彼女はいきなりウェルが自分に向かってきたことが想定外だったのか、一瞬呆けるような表情を浮かべ、次いで苦虫を噛み潰したような表情へと替わる。

 

「狙撃しようったって、そうは烏賊の……おっと上品にここで止めておこうッ!」

「まずい、クリス──」

 

 ダビデの声も、いまや遠い。ここから投石をするにしても、ダビデの行動よりウェルのほうが早いだろう。腐っても英霊と化し、その動きをムラマサにサポートされたウェルの動きはそれだけの機敏さを見せていた。

 一息にウェルが接近したとき、未だクリスは狙撃銃の如きアームドギアを接近専用のハンドガンに変えていないまま。

 

「これでェ、終わりだッ!」

「────ッ!」

 

 ムラマサの刃が高く掲げられる。

 辺りの残火の揺らめきを反射して妖しく揺らめくその刀身を、クリスは目を見開いたまま見上げ──。

 

「──掛かったなッ!」

 

 クリスが今までの表情を一変させた瞬間、一気に状況が動いた。

 その整った顔に似合う不敵な笑みを浮かべたクリスは、まるでウェルが来ることを理解していたかのように体を捻り振り下ろされる刃を躱す。

 避けられた事実に驚いたウェルは、しかしその身体をムラマサが動かすままに刃を逆袈裟に振り抜こうとし──長銃のアームドギアのフルスイングで胴体を打ち抜かれた。

 

───RED HOT BLAZE───

 

「ぐ、はああッ!?」

 

 ギアの銃床が腹部にめり込み、ウェルはたまらずたたらを踏む。

 よもやこんな一か八かと言わんばかりの反撃をしてくるとは思っていなかったのか、ウェルは咳き込みつつクリスを睨め上げる。

 クリスはようやくスッキリしたとばかりに清々しい笑みを浮かべていた。

 

「な、何故……ッ!?」

「こちとらムラマサの太刀筋は見慣れてんだよッ!ついでにガードが甘すぎだッ!」

 

(馬鹿な……ムラマサの技術があればこれくらい躱せる筈……ッ!?)

 

 クリスの勝ち誇ったような言葉に、ウェルは更に混乱する。

 彼の考える通り、本来ならムラマサと融合したことで優れた剣士としての技量を手に入れているウェルはクリスの攻撃を回避できて然るべきであった。

 

 その彼の予想が成立しなかった理由は2つ。

 

 1つは、クリスの言うように彼女がムラマサの剣に慣れていたことである。

 かつて平行世界でムラマサと融合した武者ノイズと戦い、仲間と共にではあるが華麗に討ち果たしたクリスからすれば、ウェルの振るう刃には既視感しかなかった。

 

 そしてもう1つ。それは──。

 

「──躱せる、と思うということは君はクリスのことを嘗めていたのさ。相性の差があることで無意識に慢心でもしていたのかな?だけど君がいまピンチに陥っているのは、勿論それだけじゃない」

 

 ダビデの言葉が竜宮に響く。

 ふらつくウェルがどうにかダビデの方へと振り向けば、彼の手には既に弾が装填された投石器が握られていた。

 

「君はムラマサを侮っていたのさ。人の想念が、意思が概念となった武装。連綿と語り継がれた『人を斬る』ための妖刀の動くままに身を任せてしまえば、防御と攻撃、どちらを優先するかなんて解りきっているだろう?」

「何だと……ッ!?」

 

 朗々と語り続けるダビデ。言葉を紡ぐその最中にもその手首と腕は小器用に動き、最小限の力で投石器を必要十分な速度へと加速させていく。

 そんなダビデを前にしても、ウェルは僅かに声を上げることしかできない。

 

 クリスの攻撃をムラマサで止められなかった──否、ムラマサが止めなかった理由。それは偏に、「妖刀村正」が後世になるほどに歪み、語られたことで成立した哲学兵装だからである。

 本来は良く切れる刀でしかない村正は、徳川幕府の人間に対して災いを与えたという風説の流布からその在り方が歪み始めた。

 やがてそれは徳川にとどまらず、所有者を不運にする、周囲の人間を不運にする──そして、『人を斬るまで止まらない』『人を斬る魔力を帯びている』などと語られるに至ったのだ。

 

 必然、そこまで歪められた概念を宿した哲学兵装「ムラマサ」は、担い手に頓着せず人に害を為すことに特化していた。それこそがウェルの誤算であった。

 

「っても、そもそもが武者ノイズより色々おざなりな感じはあったけどな。剣速は速いけど、まあそれだけだ」

「ぐ、ぐぅう……ッ!よくもそこまで言ってくれるな……ッ!」

 

 クリスがボソリと零した言葉に耳ざとく反応し、未だダメージから復帰しきれていないだろうに悔しげに唸る。

 そもそもかつてクリスが戦った武者ノイズの場合、今回の事情は問題足り得なかった。ノイズもまた人間を殺戮するためだけを存在意義として製造された無人兵器である以上、ムラマサとの相性は最高と言えるためだ。

 そして武者ノイズの場合、無人兵器である以上自律的に戦闘行動を行うだけのスペックがきっちり前提にあるため、ムラマサが攻撃に専念しても尚、与えられた剣術能力による回避や防御が可能ということでもある。

 

「はん、言ったじゃねーか……武器におんぶだっこで英雄名乗るたあ笑わせるってなッ!」

「こ、この弾かなくてもトリガーハッピーがッ!!」

 

 漸くある程度復帰したのだろう、ムラマサを引っ込め相性のいいネフィリムの腕を肥大化させてクリスへと殴りかかるウェル。

 だが、それを見てもクリスは欠片ほども動じなかった。

 

「だから……てめえは直情が過ぎるんだよッ!」

「────ッ!?」

 

 瞬間、冷静さを失ったウェルの足元に拳大の岩が着弾したことで大きく体勢を崩す。

 しまったと言わんばかりに目を見開いたウェルの視界の端には、既に2射目に十分な加速を得た投石器を構えたダビデの姿。

 

「それじゃ、たった一発だけど慈悲は与えたことにしようかな。──『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』!」

 

 そのスリングから必中の石が放たれる。こちらの世界における哲学兵装と同類の兵器、概念武装の極限たる貴き幻想(ノウブル・ファンタズム)の一撃は、巨腕を振るい巨人ネフィリムの在り方を示す英雄、その額へと吸い込まれていった。

 

 

 頭蓋に轟音が鳴り響く。ドクター・ウェルは一気に朦朧とする意識の中で、己がダビデの宝具を受けたことを理解した。

 

(ぐぅ……頭が、割れるように痛いぃぃ……ッ!否が応でも意識が落ちていく──これが、宝具、ダビデ王の伝承を形としたもの……ッ!)

 

 宝具──異なる法則の世界における哲学兵装の極北。英霊の武勇を形としたそれを受け、その能力に脳内で舌を巻く。

 そこまで強いダメージを受けたわけでも、ネフィリムの再生力・回復力が阻害されているわけでもないというのに。それでも、彼の意識はどんどん闇へと向かっていった。

 

(くそ、くそくそくそッ!宝具がここまでのものだってッ!?僕の宝具はあんなに使いづらいのにッ!こんなのずるいじゃないかッ!)

 

 朦朧とする意識の中、ダビデの宝具の利便性に悪態をつく。

 宝具の強い霊基を与えられたウェルは、それでも己の宝具を使用することはなかった。何のことはない、それは非常に使用が難しいものだったからだ。

 ドクター・ウェルの偉業や成果はこの星でもかなりのものであるが、その悉くは彼の両極端な在り方を反映したかのように振り切れたものばかりである。

 

(──使いづらい……いや、いいやッ!事ここに至って使いづらさは二の次三の次だッ!使う、使う、使ってみせる──ッ!)

 

 一瞬先は闇とも思える、明滅する意識の中でもウェルは己の意思を声高に叫ぶ。

 生前のウェルではありえないそれも、彼が英霊としての形を与えられたことによるもの。どの様な状況であっても尚己の夢を諦めない、不撓不屈の意思の体現。

 

 ウェルは意識を失うその間際、確かに己の宝具を使うことを決意した。そしてその意思は、確かに己の霊基に方向性を定めたのだ。

 

 

 ゆらり、とウェルが倒れ込む。

 ダビデの宝具、必中の投石はその矛先を過たず、敵手であるウェルの頭部を打ちのめしたのだ。

 

「やったかッ!」

 

 クリスの嬉しそうな声は、彼女が作戦の成功を確信したことをその場に示していた。

 

 伝承に曰く、ダビデの投石を頭部に受けた巨人はそのまま気絶し、ダビデに武器を奪われ首を落とされたという。

 ウェルの使い走りであったグラウスヴァインはその逸話のままに首を落とされ、そしてまた今、ダビデの前で巨人が音を立てて崩れ落ちようとし──。

 

「────ま、だ、だァッ!この僕が、ここで、終わるものかよッ!!」

「!?」

 

 ──雄叫びを上げ、倒れ込む寸前で無理やり踏ん張り跳ね起きた。

 その様子に、油断なく見つめていたつもりのダビデも思わず目を見開いた。

 

「そんな、これは──!不味い、脱出しようクリス、彼すっごいヤバそうだ!」

「はあ?いきなり何を──それに、脱出ったってどうやって──ッ!?」

 

 ダビデ同様驚いていたクリスだったが、だからといって今のウェルはフラフラとしており、どう見ても死に体である。

 そんな状況でダビデが何を警戒しているのかと首を傾げたところで、ウェルから得体の知れない迫力のようなものを感じて振り向き僅かに飛び退いた。

 

「……なんだ、こいつ。一体何のプレッシャーだよッ!?」

『ふたりとも、不味いぞ!キャロルがそっちの魔都の近くにS.O.N.G本部の潜水艦を動かしてるから、一端撤退するんだ──莫大な魔力反応、宝具が来るぞ!』

「魔力、これがッ!?っクソ、尻尾巻くしかねーのかよッ!」

 

 クリスの疑問に応えるように、ダ・ヴィンチの警告が飛ぶ。

 その言葉を受け悔しさを滲ませつつ、クリスはテレポートジェムを床に叩きつける。ウェルから感じる不吉な予感に加え、歴戦の王とバックアップしているカルデアからの指示に逆らってまで居座るつもりは流石のクリスにもなかった。

 

 瞬間、風景が歪み、己の立ち位置が無くなったような不安定さが体を包みこむ。この魔都に来たときと同じ空間転移の感覚に身を委ねる刹那、クリスは膨大な力を解き放たんとする言葉が紡がれたのを確かに聞いた。

 

 

「宝具、開放……全てを喰らえ────『堕ち来るもの(ネフィリム)』ッ!!」

 

 

 

 足場を感じ、クリスがはっと顔を上げる。

 視界に映るのは見慣れた潜水艦の内壁。S.O.N.G.本部潜水艦の発令所と呼ばれるエリアにクリスは立っていた。

 

「戻って、来たのか──って、そうだ、あのイカレトンチキは──ッ!」

「落ち着け、今浮上しているッ!」

 

 慌てるクリスの耳朶を打つのは、彼女がかつて戦った幼い少女のような声。

 現在本部潜水艦を運用しているのは3人だが、そのうちこの様な声を持つのは1人であり、また操船を担うのも実質その声の主のみ。

 

「キャロル……アイツは、ウェルはどうなってるッ!?」

「こ、ら待て、揺さぶる、んじゃないッ!」

 

 戦闘時の興奮を引きずっているのだろう、クリスはキャロルへと詰めより肩を揺さぶる。

 急に迫られたことに僅かに引いたのも束の間、ガクンガクンと揺らされたキャロルは止めさせようとするもその言葉すらとぎれとぎれになる始末である。 

 

「ええいやめろ鬱陶しいッ!──ああいい、モニターに映すぞッ!おい働け魔術師ッ!」

「りょ、了解!って、これどうやって動かせば──」

『立香ちゃーん、その赤いキーを押して、そう、次はコンソールの再生ボタンを──』

 

 いい加減にしろと言わんばかりに見た目に合わぬ力で振りほどき、そのまま同乗者である立香へと苛立ち半分に支持を出すキャロル。

 命令を受けた立香は普段のカルデアと勝手が違うのだろう(そもそもカルデアでも彼女が扱える設備は限られているが)、ダ・ヴィンチの指示に逐一従って恐る恐る操作する。

 

 幸いにも立香が操作手順を誤るようなことは無く、程なくして発令所の大型モニターが外部の状況を映し出した。

 やった、と映った画面を見上げた立香は、そこに映る影を見てそのまま表情を固まらせた。

 

「って、嘘ぉ……」

『うわぁ、ちょっとここまでとはなあ……』

 

 同じくモニターの映像を確認していたダ・ヴィンチも、画面に映るものに引くような声を上げる。

 クリスは何があったのかとモニターが映った瞬間にキャロルから目線をそらしモニターを確認し……そして、2人の反応がどういう理由かを理解した。

 

 モニターに映る影──黒々とした巨体は、浅瀬というわけでもあるまいにその腰から上が海面を突き出ている。

 その身体はところどころに発光器官のようなものを備えており、まるで警告灯のように赤々とした光でその黒肌を、そして海面を照らし出す。

 人体で言うなら頭部に該当するであろう部位は首との境目がほとんど無く、巨大な口が胴体部付近まで開いていた。

 撞木鮫のように突き出た頭部の突起部位は、まるで目があるかのように錯覚させる様に黄褐色の光を明滅させていた。

 

「あー、あれは巨人だね、うん。間違いない」

 

 何処か場違いなのんびりとしたダビデの声も、あるいは冷静さを保とうとするためあえてそんな声音を出しているかのようにクリスは感じてしまう。

 

 彼女はモニターの巨体に見覚えがあった。忘れようはずもない、命がけで宇宙まで出向いて戦った巨人の姿。

 それは、暴食の名で呼ばれたモノ。彼女たちの持つシンフォギアとは桁が違う、正しく完全と呼ばれるに相応しい聖遺物。

 

「────ネフィ、リム……ッ!」

 

 クリスのポツリと零した名に応えるかのように、堕天の巨人は猛々しい咆哮を上げた。

 



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第14節 暴食の狂想曲(4)

「だ……大怪獣モノも斯くやと言うか、ティアマトみたいな大きさがあるんだけどッ!?」

『いやあ、大きさだけならソレ以上だろうね。なにせ下半身は海没してて、上半身だけでティアマト並みのようだからね』

 

 フリーズ状態から復帰した立香が信じられないとばかりにモニターに向かって悲鳴を上げ、ダ・ヴィンチがそんな立香の心身を更に疲弊させるような事実を突きつける。

 ティアマトはかつて立香らが対峙した大地母神であり、人と竜が入り混じったような外見を持つ。特徴的なのはその巨躯であり、スタイルこそ人のそれに近いが、頭部だけで人間の数倍はあろうかというその姿はまさに巨神と呼ぶに相応しい存在だった。

 だが、現在モニターに映るというネフィリム──ドクター・ウェルの変化した姿は、上半身だけでその規模を維持している。身体各部の怪物的な形状を考えれば、外見上の三次元的な体積はティアマトを容易に上回るだろう。

 

 そしてその余りにも異様な、一種非現実的な光景を信じられないのは立香たちカルデアの人間だけではない。

 かつて出現したというネフィリムの情報を有しているS.O.N.G.の人間とて、映し出されたその怪物の威容に呆然としている。

 

 ややあって、ふるふると震えながらクリスが口を開いた。

 

「────って、おかしいだろッ!!?アタシらが知ってるネフィリムと桁が違いすぎるぞッ!?」

「ああ、明らかに巨体に過ぎる。オレは詳細はデータベースでしか知らんが、本来のネフィリムはせいぜい十数メートルといったところのはずだが、アレは──」

 

 キャロルはちらり、とモニターを見やる。

 まだ上手く動けないのか棒立ちをしているその巨体は、この世界にかつて出現したネフィリムと比較して身長だけでも10倍を軽く超すだけのものとなっていた。

 

「──いくらなんでも巨大に過ぎる。おいダビデ王、貴様──アレをどうにか出来るか?」

「あー、うん。そうだなあ……正直、難しいね。僕の宝具はあくまで相手の急所に必中・昏倒させること、そしてその相手の武器を奪うという由来が骨子にあるからなあ。あのネフィリムは巨体過ぎて僕の投石が何処までダメージになるやらだ」

 

 せめてウェルを直接狙えれば良さそうだけどね……と難しい顔で呟くダビデ。その言葉に、周囲の人間も頭を悩ませる。

 そうやってここからどう行動するかをS.O.N.G.とカルデアが決め倦ねていた時、唐突にノイズ混じりの通信が届いた。

 

「通信ッ!?一体誰が……」

『ふ……ふふふ……』

「!この声……ウェルの野郎かッ!」

 

 急な通信の、そのスピーカーから聞こえた声にクリスが反応する。

 その声は紛れもなく、彼女とダビデが正面切ってやり合っていた守護天、ドクター・ウェルの声だった。嘲笑とも苦し紛れとも取れるような含み笑う声音は、その場の全員の注意を向けるに十分なものだった。

 

『み……たかッ!?これが……僕の、宝具!これが、僕の『堕ち来るもの(ネフィリム)』だッ!』 

「宝具?宝具ッ!?これがかッ!?」

 

 クリスは今まで見てきた他のサーヴァントの宝具を思い出し、その上で海上にそびえ立つ大巨人を見直す。彼女の知る宝具と比べ、その姿は全く宝具と呼べそうな見目ではない。

 何も清廉さとか、高貴さとかを求めたわけではない。が、それにしてもモニターに映る怪物は余りにも"宝"からかけ離れているようにクリスには感じられた。

 

「あー、まあでもそういうものじゃない?おっきくなってる理由はわかんないけど、宝具って言うほどかっこいいものばかりじゃないと言うか……」

『というか、そっちに居るブリュンヒルデの宝具も大概アレだしね』

「うん、まあね」

「……そうなのかッ!?」

 

 一方、種々様々な宝具を見てきた立香からすれば、発動して巨人になる宝具なんてのもあるだろうくらいに考えていた。

 それは他のカルデアの面々も同意らしく、ダ・ヴィンチが呟いた言葉にダビデがウンウンと同意する。

 神秘や英霊に慣れ親しんでいる彼ら彼女らからすれば、例えば愛するほどにその威力を増すという神話級のヤバイ恋心の宝具に比べればまだ目の前のネフィリムのほうが宝具らしいとすら思っていた。

 

 そんな内側でのワイワイとした話をぶった切るように、さらなる通信音声が届く。

 

『……そっちからの通信は届かないけど、攻撃がない辺りまあずいぶん驚いてもらえたようだねッ!この宝具は、発動時に取り込んでいたものが多ければ多いほどに肥大化するッ!僕がさっきまでに取り込んでいたのは聖遺物、哲学兵装、異端技術の産物──そして、魔都そのものだッ!』

 

 通信音声からは、してやったりと言わんばかりの感情に満ちている。

 

『判るかッ!?魔都に使われている指揮者デモノイズも、深淵の竜宮もッ!全部全部、この僕に取り込まれているのさッ!さっきの戦いも全て、この僕の体内で行われていた戦いに過ぎないということッ!』

「────ッ!」

 

 語りたくてしょうがなかったのだろう、連々と続くウェルの自慢話はしかし、確かに彼の意図通りそれを聞くものを戦慄させる程のものであった。

 詰まる所、彼は魔神が設営したという魔都と同化し、自分自身が魔都として存在していたのだということだ。

 

「って、じゃあなんで最初からその形態で迎え撃ってこなかったんだろう……」

 

 と、ふと立香がぽつりと零す。

 そもそも魔都と一体化し、その全てを取り込み肥大化する宝具を持っているなら最初から使っていれば今までウェルが苦戦する必要がなかっただろうという指摘に、その場に同意の空気が広がる。

 

『そこらへんは何らかの制限があるか、彼の目的に差し障るかというところじゃないかな。それより……』

「判ってるッ!とにかくぶっ飛ばしにいくぞダビデのおっさんッ!」

「それしか手はないかぁ……」

 

 発令所を飛び出したクリスを、ダビデはぼやきながら後を追う。

 

「……で、結局策はあるのか?」

『うーん、本人が通らないって言ってもダビデ王の攻撃を通すしかないんだよねえ……。どうにかウェル博士がいる場所を狙って、あの分厚い聖遺物の肉体を貫いて、宝具の担い手であるウェル博士を昏倒させられれば何とか、ってところかな』

「厳しいな。だが……」

『やってもらわないとね。せめてもう少しでも確率を高められればいいんだけど、今のところは手詰まりだ』

 

 まあ、私がそっちに干渉できそうなことなんて無いんだけどね!と若干自棄になったような笑みを見せるダ・ヴィンチに、キャロルは黙って首を横に振る。

 ややあって、キャロルが口を開く。

 

「……オレが命を賭ければ、通せるだろうが」

『それでは後が続かない。そっちの技術体系に長けてる技術者は君だけだからね』

 

 軽率な特攻はやめてくれよ?とダ・ヴィンチに釘を差されたキャロルは、判っているとだけ呟き口をつぐんだ。

 そんな2人の会話を聞いていた立香はやおらモニターを見上げる。艦上に出たダビデとクリスがネフィリムと対峙する姿を見て、彼女は手を出せずにただ見ていることしかできない。

 

「────絶対、負けない。そして、無事に帰ってくる。そうだよね、ダビデ、クリス……」

 

 だがその眼に不安も、そして不信もない。信じることしかできない立香は、己の信じるという想いだけは貫いてみせると言わんばかりの強い眼差しをモニターから逸らさず、出来ることをするためにキャロル達の元へと向かった。

 

 

 

『来たかい、僕に負ける用意ができたと見えるねぇッ!』

「だぁ、うっせえッ!どでかい声で叫ぶなッ!」

『え、何?聞こえないなぁ?』

 

 ダビデとクリスの2人が甲板に出た途端、それに気づいたネフィリムからとてつもなく大きな声が届く。

 思わずクリスは叫び返すが、距離が距離だからか耳をそば立てるようなややコミカルな仕草をするネフィリムの呼びかけにかき消される。

 そんな軽快な動きで立った波が艦を大きく揺らし、その上に立つ2人はややふらつくも器用にバランスを取った。

 

「うーん、あの図体の割に意外と細やかな仕草が取れるみたいだなあ」

「言ってる場合かッ!?」

 

 呑気に呟くダビデに叫ぶクリス。叱られたダビデは心外だと肩をすくめて首を横に振った。

 

「いやいや、これは結構深刻だぞう。相手がもうちょっと動きが鈍ければまだどうにかなったけど、アレだけ大きい割に意外と機敏みたいだからねー。やっぱりどうにか近寄って『五つの石』を叩き込むしかなさそうだ」

「近づく、か……。っても、この状況でやれることって言ったら……」

 

 クリスは己のギアをちらりと見る。アレ程の巨体に対し痛打を与えられる弱点に近づく、となれば手段は彼女にとって1つしか無い。

 一瞬逡巡するも、目前のネフィリムが動き出そうとしている様を見ればもはや躊躇っていられない状況なのは明らかである。

 クリスはブンブンと首を横に振り、その頬をぱちんと叩いて気合を入れる。

 

「~~ッ!しょーがねえ、やってやるから乗ってみせろッ!」

「おっとクリス、背中に展開したそのどでかいのは何だい?え、まさかそれに乗れっていうのかい!?」

 

 ダビデが地味に慌てた様子を見せるが、クリスはその目線で黙らせる。

 クリスが背負い、今まさに発射しようとしているのは彼女が大技を撃つ際に放たれるミサイル。クリスはダビデに、発射されるこれに飛び乗って制御しろとその眼で伝えていた。

 

 勿論、クリスはじめ奏者たちがこの世界に来てからも散々実演していることではあるが、果たしてダビデにそれが出来るのかは未知数である。だが、事ここに至ってクリスが手を選ぶ余裕はなかった。

 

「エクスドライブできねえ以上、これっきゃねえんだよッ!おら、いっけええええッ!」

 

 ミサイルがパイロンから切り離され、その推進力と揚力のままに直進を始める。

 懸架装置の軛から解き放たれた飛翔体は、数瞬後には英霊ですら容易に追いつけない速度へと加速するだろう。

 

「うわ、本当に撃ったかあ!だったら、流石にやらないわけにはいかないね……っと!」

 

 その様子を見ていたダビデは、覚悟を決めたようにその射線へと飛び出し、白と赤のミサイルへと乗り移った。

 色々器用な彼らしく、初経験であるにもかかわらず重心を巧みに操り、ミサイルをサーフボードのように動かしてみせた。

 

「お、おっとっと。いやあ、意外と動かすの難しいぞこれ」

「そりゃな。それより、出来る限りの露払いはあたしがするから、ダビデのおっさんは……!」

「判ってる判ってる。懐に潜って心臓部、あとは頭部……取り敢えず額かな?そこら辺を攻撃してみるよ!」

 

 クリスの言葉を受け、ダビデはミサイルの進路をネフィリムの中央、真紅の発光機関が妖しく輝く心臓部と思われる方へと向ける。

 

『おっとぉ、空に来たかぁッ!だけど、その貧弱な革紐でこのネフィリムを貫けるかなッ!?』

 

 大音声と共に、ネフィリムがその豪腕を振るう。

 巨体故に緩やかに見える動きだが、その実末端速度は音速を凌駕している。紙一重の回避ではその衝撃波だけで破壊されないと、ダビデはたまらず大きく進路を迂回させた。

 

「くぅ、やるなあ!でも、こっちには頼もしい味方がいるのさ!」

「言ってくれるッ!だったらあたしはその頼もしさをアピールしてやるよッ!」

 

 ダビデに頼もしい宣言されて僅かに頬を赤くしたクリスは、己の乗るミサイルを空へと向け──そこから徐ろに飛び降りた。

 宙に身を投げたその手には大弓が握られており、落下中であるにもかかわらず番えられた矢はネフィリムの額へピタリと狙いが定められていた。

 

『はあん?一体何のつもりか知らないけど、空中じゃあただの的だッ!』

 

 狙われているウェルはその様子を嘲笑し、同時にネフィリムの口腔部に膨大な熱量を収束させる。

 一気に蓄えられた熱量はその余剰分が光として放出され、溢れんばかりの赤光を以て周囲を照らし上げる。

 

『こんな名前がつくのもおかしな話だけど──喰らえ、『光を喰らい、輝きを齎せ(ガーフリート・ワー=エーシュ)』ッ!!!』

 

 ネフィリムから放たれるその輝きは、聖書に語られる火と硫黄を名乗る一撃。

 ウェルが疑問に思うのも当然だろう。悪徳と頽廃に塗れた世界を浄化するための裁きの雷火を、大洪水で滅ぼされるというネフィリムが持つ宝具として冠するのだから。

 

 しかし、そんな彼の疑問もその輝きを曇らせる様なものではない。デモノイズの焼却の炎を軽く上回る灼熱の輝きは今、中空のクリスめがけて放たれた。

 それが当たれば、シンフォギアとて如何様にもできずに蒸発する。それを判っていながら、クリスは身動きできないはずの宇宙で尚も落ち着いた様子で火球を見据えていた。

 

「的だあ?はん、あたしを的にするなんてトンチキ如きにゃ早すぎるってのッ!」

 

 全てを焼き滅ぼさんとする灼熱の輝きは中空に居るクリスに迫り──その瞬間、クリスの身体が一気に引き上げられ、射線から大きく外れた。

 

『何ぃッ!?』

「はん、図体ばっかでかくてトロいんだよッ!見えねえのかよ──あたしの矢がッ!」

 

 そう叫ぶ彼女の手に、先程まで番えられていた矢は既に無い。

 射手ごと炎にまかれる刹那、細く白い矢は狙いを即座に変えたクリスの手により空高くへと放たれていた。

 そして、噴進器による自力加速を行うその矢には光る糸のようなものが伸びており、その先に繋がっていたクリスを空へと引っ張り上げてみせたのだ。

 

『馬鹿な、矢に引っ張られての空中機動ッ!?この、よくもこの僕の見せ場をッ!』

「へっ、お前みたいなやつの攻撃に当たるもんかよ──ッ!?」

 

 クリスがウェルの気を引くように挑発したその時、クリスに当たらず遠く海上へと着弾した火球が、輝きとともに炸裂する。

 その炎はあるいは反応兵器すらも太刀打ちできないであろう灼熱を伴い海上を舐め、膨大な水蒸気による上昇気流がキノコ雲を生み出していた。

 

 閃光に遅れ届いた轟音と暴風に、クリスは思わず顔をしかめた。

 

『は、ははは……ッ!どうだ、この威力ッ!カス当たりでも燃え滓に出来るぞッ!』

「……当たりゃしねーけど、当たったら不味いな。位置取りも考えねーと……って、危ねえッ!」

 

 ウェルの自慢げな声を聞き流し次にどう捌くかに頭を悩ませていたクリスは、爆風に晒されたことで一気にバランスを崩した。

 見れば彼女を引く矢が風に煽られ大きく進路を乱しており、これ以上は無理と判断したクリスは糸を切断する。

 

「ちぃ、落ち……ねえ、よッ!今のあたしは二挺拳銃な竜騎兵(ダブルドラグナー)だッ!」

 

 糸を切ったことで先程までの矢による慣性と爆風により高々と宙を舞ったクリスは、弓だったアームドギアをハンドガンに切り替え何処に向けるでもなく銃撃する。しかし、何かを狙い撃ったわけではないにせよその行動には彼女なりの狙いがあった。

 彼女はふわりと浮いた体躯を器用にひねることで、銃撃の反動で空を駆ける。そしてその先には、先程彼女が乗り捨てたはずのミサイル。

 クリスはそのミサイルの進路に合わせて小刻みな銃撃を繰り返し、遂にはそのミサイルへの再着地に成功したのだった。

 

『嘘ぉ!え、さっきの全部狙い通りの動きなの?』

 

 まさかの曲芸に、モニタリングしていたダ・ヴィンチが驚く。

 クリスは内心では冷や汗モノではあったが、それを押し隠すようにあえてそっけない態度を見せた。

 

「よ、っとと……。いや、撃った弾が何処いくかくらいは判るからな、あとは結構その場でやってるってだけだ。……んで、次は──」

『ええい、無駄に映画みたいなことをするッ!銀幕に映りたいならまずは僕みたいな英雄に……』

 

 器用にバランスをとったクリスがネフィリムの方を見れば、彼女のダイナミックな動きに嫉妬したのかウェルの怒ったような声が届く。

 が、そこで彼も一つの事実に気づいたのだろう。

 

『……待てよ?ダビデは、あのイスラエル王は──』

「漸く気づいたのかよ、本当に目が見えてねえんじゃねえか?」

 

 狼狽したような声音のウェルに、クリスは呆れたように肩を竦める。

 そして一呼吸おいて、クリスは今までにない獰猛な笑みを見せた。

 

「──さあ、次はあんたの番だぞ、ダビデのおっさんッ!」

『何ッ!?』

 

 クリスの声にウェルが反応した刹那、クリスが乗るミサイルと同型のミサイルがネフィリムの頭部めがけて一直線に飛来する。そのミサイルに乗り、器用に手綱を捌くのは言わずもがな、アーチャーのサーヴァント・ダビデである。

 

「いやあ、銀幕に映りたいなら名を残すのは当然だよね!僕なんて名義だけなら何度銀幕デビューしたことか!」

『まさか、さっきのあの無駄に派手な動きは──』

 

 先程までクリスに引きつけられていたウェルは、対峙する2人の意図を察したかのように戦慄する。

 

「へ、もう少し牽制するつもりだったけどな。上手いこと釣られてくれてありがとよッ!」

『こ、のぉッ!』

 

 バカにされたことにウェルは怒りを見せつつも、己へと飛来するミサイルを迎撃するためにネフィリムの拳を振るう。

 その豪腕は過たずダビデの乗るミサイルを捉え、爆散すること無くネフィリムの能力で取り込んでいく。

 巨大なミサイルが溶けるように腕に呑まれていくさまはいっそ不気味なほどであるが、それに乗っていたダビデはすんでのところで跳躍しネフィリムの腕に着地していた。

 

『あ、こらッ!僕の身体から降りろッ!』

「いやあ、ゴリアテに比べて巨大だこと。だからこそ、こうやって表面を走る僕を追いきれないみたいだけどね!っと、ここらへんまでくればいいかな?」

 

 ウェルが己の前腕を駆けるダビデを捉えようともう片方の手を伸ばすも、巨体さ故の緩慢さはダビデを捉えることができない。

 遂には化物めいた口を開いた頭部へとダビデの到達を許してしまった。

 

「さあて、悪いけど牽制は無しだ。初手必中さ──『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』!」

 

 頭部に到着したダビデから、間髪入れずに宝具が放たれる。

 神の加護を受けた事による膂力を用い放たれた投石は、革紐の遠心力による加速も相まり、ウェルの反応を待つまでもなくその頭部へと突き刺さり──。

 

「──どうだッ!?」

「うーん、これはやっぱり……」

 

 遠方から叫ぶようにかけられたクリスの問いに、ダビデは頭をかいて踵を返す。

 その動きで察したクリスは、ミサイルをさらに一発放ってから距離をとった。

 

『……って、何も痛くないじゃないかッ!ははは、こんなものかいッ!』

「っくそ、やっぱりってやっぱりかよッ!」

 

 クリスから放たれたミサイルにダビデが飛び乗った刹那、ダメージがないことを自覚したウェルが高笑いと共に2人を睨む様に眼のない顔を向ける。

 ほぼゼロ距離の『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』も、弱点がレンジ外であればその力は発揮できない。

 あまりに巨体過ぎるネフィリムを前に、ダビデとクリスは解決の見えない難題に頭を悩ませることになった。

 

 

「やはり、通らんな。高くを望みすぎたか……」

 

 モニターを見ていたキャロルが唸る。

 弱点に必中するという概念を持つ宝具であればこそ、ネフィリムの内部に居るであろうウェルをピンポイントで撃ち抜いてくれれば……とキャロルは考えていたが、そううまくは行かないようである。

 

「今のってもしかして……途中で止まったの?」

「だろうな」

 

 モニターで観測していた立香も何故失敗したのかを理解しているのだろう。確信こそ持てないから一応ぼやかしているものの、その言葉は核心を突いていた。

 

『"ネフィリム"自体は十分に射程範囲だろう。ただ、ダビデ王の宝具における"レンジ"はあくまで投石の届く範囲であって、投石自体が自己推進力を持ってるわけじゃない。肉体を貫いてすぐに弱点がある人体とかちょっと大きいくらいの巨人や幻想種ならさしたる問題にならないんだろうけど、あそこまで大きいとなあ……』

「そのくせ弱点が小さいのもあるか。ウェルが弱点なのか、あるいは心臓が弱点なのかはわからんが……どちらにせよ、生物としては体躯に対して小さすぎる」

 

 ダ・ヴィンチとキャロルが難しい表情で言葉を交わす。

 

 そう、射程自体は問題ない。ダビデの宝具である『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』は射程だけなら聖剣と同程度の長距離攻撃を可能とする宝具である。

 立香の、そしてキャロルやダ・ヴィンチが問題しているのはネフィリムの身体の、特に肉の分厚さである。

 体躯自体が天を衝くほどに巨大であるにもかかわらず、弱点であると予想されるウェルは人間大。もしもネフィリムの心臓が弱点であるなら、その大きさは人間が片手で持てる程度しかない。それっぽっちの大きさの弱点を、分厚い肉の塊をかき分けて命中するだけの貫徹力が『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』にはなかったのだ。

 

「…………」

 

 その場に沈黙が落ちる。

 全員が全員策を考えているのだが、それでも根本的に威力が足りない以上どうしようもない。

 と、ふと立香がなにか思いついたように顔を上げる。

 

「ねえ、ダビデの宝具の威力を底上げできればいいんだよね?」

『うん?まあそうなるね。だけど立香ちゃんの魔術礼装くらいじゃ流石にどうにもならないぜ?』

「あ、いやそうじゃなくてね……」

『?』

 

 どうやら魔術礼装による強化を用いようとした訳ではないらしい立香に、ダ・ヴィンチは疑問符を浮かべる。

 立香はマスターとしての適性は高いが魔術師としての適性は無いよりマシ程度。マスターに貸与されている魔術礼装以上の支援でありうるとすれば令呪だろうが、この場でそれを切るつもりだろうかと僅かに眉根を寄せた。

 

「あのね……」

 

 そんなダ・ヴィンチの心情を露程も知らず、立香は自分の策を2人に披露した。

 立香の言葉を聞いた2人は最初は訝しげな表情を浮かべたが、話を聞いていく内に表情が変わっていった。その変化はまさに、彼女の話に可能性を見出したようなものであった。

 

 

 

『……というわけだ、出来るかい2人とも?』

 

 相も変わらずミサイルを足場のように使いながら、時には捨てて新しいミサイルに載りながらネフィリムの攻撃を躱していたダビデとクリス。そんな、終始守勢に抑え込まれていた2人の元にダ・ヴィンチから通信が届く。

 立香の提案をダ・ヴィンチとキャロルが詰めた作戦を伝えられ、2人の表情は何とも形容しがたいものとなっていた。

 

 やがて脳内で検討を終えたダビデが、静かに口を開く。

 

「うーん……そうだね。難しいけど不可能じゃない、かな?ただその場合、厳密には宝具と言うより……」

『判っている。正式な宝具と言うより伝承再現による概念攻撃──いわば、即席の哲学兵装になるだろう。使用者が伝承の当人だから不成立の可能性は低いとこちらでは結論が出たが……』

「まあ、そうだね。ただ、僕はともかく──クリス!聞こえるかい、君の方は問題ありそうかな!?」

 

 ミサイルでお互いネフィリムから付かず離れずを維持しつつ飛び回っているクリスに対し、ダビデは大声で呼びかけた。

 ダビデに水を向けられたクリスはうんうんと唸っていたが、ややあって口を開いた。

 

「……空中じゃない、どっか足場が──S.O.N.G.本部の甲板でやるしかねえぞッ!それに弾体も要る、イチイバルじゃ吸収されて無力化されちまうッ!」

 

 ダビデの大声に釣られたのか、自分も大声で返答するクリス。

 声こそ大きいが冷静に作戦の是非を検討したのだろう、彼女の言葉には言外に無理であることを告げていた。

 

『弾体はオレがどうにかしてやる。本部の甲板でやることについては……まあ、そこもオレがどうにかするしか無いだろうよ』

 

 そんなクリスの答えも予想できていたことなのだろう、キャロルもまた冷静にクリスの言った問題点への対策について(詳細はともかく)言及する。

 どうにかする、といったあやふやな回答しか返さないキャロルに、クリスは激昂すること無く口を開いた。

 

「……できんだな?」

『やってやるさ。吐いた唾を飲むつもりはない』

 

 通信機越しに届いたキャロルの声は悲壮感を微塵も含まず、たとえギリギリの賭けであろうとも勝つつもりしかないと言わんばかりの決意が満ちている。

 そこで、クリスの肚は決まった。

 

「だったら、あたしもやってやるッ!いくぞダビデのおっさん、これでアレとの幕引きだッ!」

「よぉし、ギリギリの戦いだ!いやあ、賭け事ならここで自分に賭けるところだ!」

 

 まあ僕が出る時点で賭けが成立しないけどね!などと嘯くダビデは、最後のミサイルを乗り捨ててS.O.N.G.の甲板に降り立つ。

 

『チョロチョロと逃げ回っていたみたいだけど、とうとう本丸諸共降参するつもりかい?尤も、今更降参なんてされても無意味だけどねぇッ!!』

 

 先程から器用に攻撃を避けられ続けていい加減頭にきたのだろう、ウェルがそう吐き捨て本部へ体ごと向き直る。

 固まってくれて好都合とばかりに、その口腔部には膨大なエネルギーが収束し始める。

 

「ちぃ、気が早すぎるッ!おいキャロル、何とかするって言ったからにはなんとかしろッ!」

『やかましい、判ってるッ!──あの魔神が几帳面で助かった、今のタイミングなら……ッ!』

 

 クリスの悲鳴に近い呼びかけに、キャロルも焦った様子を見せる。

 ウェルの行動の速さに舌を巻きつつも、それでも即座に錬金術の陣を構築する。

 

『無駄だよ、無駄ッ!今度こそお陀仏だ──『光を喰らい、輝きを齎せ(ガーフリート・ワー=エーシュ)』ッ!!!』

 

 中空に紋章陣が展開されると同時に、すべてを飲み込む灼熱の業火球が放たれる。

 その熱量に気圧されながら、それでもキャロルは怜悧に的確に己の磨いた術理の集大成を起動した。

 

『無駄なものかよ──"ヘルメス・トリスメギストス"ッ!』

 

 それは錬金術の伝説。神の名を冠する原初の錬金術師の名を冠した三重障壁。

 天体運用など錬金術以外の術理を組み込み、ごく限られたタイミングした展開できないその術式は、その使いづらさに見合っただけの防御能力を持つキャロルの最強の守り。

 本来なら運用が限られるそれも、魔神が結界として場を整えたこの世界でなら話は別。完全な形で起動した術式は、太陽の如き灼熱を受け止めた。

 

『そんなちゃちな盾で一体何が出来るッ!?いいや、何も──ッ!?』

 

 それを見ていたウェルは愉悦混じりに嘲笑し──その言葉が途切れる。

 

 確かにウェルの言うように、最強の守りと言っても術式としてはの話。ネフィリムの炎を受けきることなどできようはずもなく、事実炎に接触した時点でその障壁はひび割れ、瞬く間に崩壊しようとしてた。

 しかし同時に、紙のような防壁を瞬く間に償却せんとした火球は、彼の目の前で広がっていく。

 威力が弱まっているわけではない。しかし、広く展開された障壁の抵抗を避けるように、灼熱の塊は行き場を変えて受け流されていく。

 

『誰が馬鹿正直に受け止めるものかッ!そんなのは一度で懲りているッ!』

 

 キャロルが己の狙い通りに進んだことで声高らかに叫ぶ。

 そう、この障壁が高度な術式を用いていようとも。完全聖遺物にして大量の聖遺物を共食いしたネフィリムの炎を直接受けきれることは不可能であり──だが、その灼熱の広がる平面をコントロールし、炎の逃げ場を与え、受け流す程度の強度はあった。

 上空へと受け流された炎は本部の真上を進み、甲板を僅かに炙った程度ではるか後方へと去っていく。

 当然、灼熱の余波は甲板上の人間にある程度の影響を与えはしたが、到底致命傷にはなりえない。

 

『おのれ、一度ならず二度までも……ッ!』

「安心しろ、三度目はねえよッ!」

 

 外れた宝具を見送り歯噛みするウェルの耳に、猛々しい少女の声が届く。

 

『──何ぃッ!?』

 

 声につられてネフィリムの頭が甲板の方へと振り向けば、先程も立っていた2人。

 しかし、そこには宝具を放つ前の甲板には無かったはずの異様な物体が鎮座していた。

 

 巨大な2本の支軸に支えられた天秤のような形状のそれは、しかし片側だけが異様に伸びている。その先端部からは紐が支軸の根本にまで引かれ、結ばれている大籠には岩塊が搭載されていた。

 一方、支軸を挟んで天秤の反対側には紐がだらりと垂れ下がっており、地面にわずかに届かない程度まで伸びたそれをダビデがしっかりと握り込んでいる。

 

 赤と白のカラーリングを持つことから、ソレがクリスの持つイチイバルのアームドギアであることを示していたが、それにしても彼女が平時使用する各種武装とは趣を大きく異ならせている。

 あまりにも古臭い。あまりにも非効率が過ぎるソレは、ウェルの知識にこそ存在すれども実物なんていまこのときまで見たことがないもの。 

 

 映画か何かでしか今般見ないようなソレを前に、もともと我慢弱いウェルは叫んだ。

 

投石機(カタパルト)だとぉッ!?』

 

「いくぞ──その腕に力入れなッ!」

「勿論!かわいい声援を貰えれば百人力だとも!」

 

 クリスとダビデの勇ましい掛け声とともに、それは動き出した。

 

 本来なら数十人で引いてようやく動かせそうな巨大な梃子を、ダビデは持ち前の膂力で一気に引き絞る。

 その動作に応じ、クリスが半ば自棄で作り出したアームドギアがその設計構造に合わせ、「ダビデの力」により支持腕を大きく撓らせる。

 そして、キャロルが錬金術で作ったどこか結晶体のようにも見える岩塊が装填された籠が支持腕末端部にくくられた紐によって大きく引かれ、超巨大なスリングの様な軌道を描いた。

 

『まさか……まさかまさかッ!そんなのでこの僕を──ッ!?』

「コイツはおまけだッ!」

 

 ウェルの悲鳴のような叫びを更に助長させてやるとばかりに、籠に取り付けられた噴進機が投射物を急加速させ、そのままネフィリムへと撃ち放った。

 

 本来なら曲弾道を描くはずの弾体が直線を描く。ウェルも防御しようと腕を構えるも、その反応に肉体が応える前に弾体はその頭部へと迫っており──。

 

『せめて、顔は止め──ッ!』

 

 ──彼の言葉を最後まで言わせること無く、ネフィリムの頭部を吹き飛ばした。

 

 

 

 巨大な岩とソレを遥かに超える巨人の衝突に、辺りに轟音が鳴り響く。

 衝突時に発生した衝撃波が艦や大気を大きく揺らし、海面は細波立った。

 

 小さく発生した波しぶきを被ることを厭いもせず、クリスはネフィリムを見据える。

 

「……やった、か?」

『いや、まだだな』

 

 クリスが頭部が吹き飛んだネフィリムを見て呟いた一言に、キャロルが即座に反応する。

 その言葉が示すとおり、ネフィリムは未だに生きていた。今はゆらゆらと揺れているが、アレだけの一撃を受けて尚もネフィリムはその肉体を保ち続けている。

 頭部こそ失えど、ネフィリムの本体は心臓そのもの。逆に言えば、心臓を破壊しない限りネフィリムを破ることはできないということでもある。

 

『今もネフィリムが生きているということは、やっぱりウェル博士は心臓付近に居たんだろうね。なるべく弱点は増やしたくないってことかな?』

『だが、ウェルがどうあろうともネフィリムが機能不全に落ちていることは確実だろう』

「そういうもんかよ……ってか、こっからどうするんだ?」

 

 ダ・ヴィンチとキャロルの会話を聞いていたクリスが、投石作戦の先について2人に尋ねる。

 

『そうだな。ダビデ王の投石器……投石機だが、まあ些事だろう。それによる投石が頭部にヒットしたことで、巨人であるネフィリムは確実に行動不能になった。あとは復旧する前にウェルを引っこ抜いてこれれば……』

『……いや、難しいかもだ。予想より再生速度が速い、ゴリアテと違って頭部が弱点っていい切れないところがあるからかな……悪いけど、すっごく急いでもらわないと──』

 

 キャロルとダ・ヴィンチが口々に語る。

 確かに、とクリスは悩みながらもミサイルを展開する。今も彼女の見ている前で、ネフィリムは失った頭部を埋めるかのように周辺組織からにょきにょきと再生を始めている。

 

(遠目で見てるあたしにだって判るぐらいの速度だ。こりゃマジで急がないと──)

「まあまあ、ちょっとまってくれ」

 

 と、さあミサイルを発射しようとしたクリスの肩をダビデが叩く。

 

「な、何だよ、あんたも乗る準備を……?」

 

 急なボディタッチに若干慌てながらクリスが振り向いたとき、どこか神秘的な香りが彼女の鼻をくすぐる。

 その匂いにふとダビデの手元を見れば、そこには先程まで守っていなかった小さな、しかし高価そうな細やかな細工の香炉が彼の手のひらに置かれていた。

 何処か輪郭が揺らめくその香炉は、まるで蜃気楼のようにも見える。

 

『ダビデ王、それは……?』

「ああ、そういえば初お披露目かな?ほら、言ったろう?動きが鈍ければどうにでもなる、って」

「確かに言ってたな。って、ことはそれは……」

 

 クリスがまさか、と言わんばかりにダビデを凝視する。

 今の今まで、彼女はこの場でダビデが使える宝具を「五つの石」だと思っていた。正確に言えば、それだけだと考えていた。

 だが、英霊の宝具は1つだけではない。それはウェルが示していたことだし、カルデアからの情報にもあった。

 そしてダビデも複数の宝具を持つ英霊であるという情報があり、過去にもカルデアは「五つの石」と「契約の箱」を確認しているということは伝えられていたのである。

 「契約の箱」はその逸話上到底使用することができない危険物であるとのことから、この戦闘においては「五つの石」を拡大解釈するなどの手段を用いるのだとクリスは考えていたのだが。

 

「そう、宝具さ。今まで使う機会がなかったけど、こんな場面なら使いどころだ」

『えっ、ちょっと聞いてないよダビデ!他に宝具なんて持ってたっけ!?』

 

(カルデアも知らないのかよッ!?)

 

 マスターである立香からの慌てたような通信に、その宝具が今まで使用されないまま秘匿されていたという事実を知り驚愕する。

 危機管理とか大丈夫なんだろうか、とこの場にそぐわぬ変な心配すら脳裏に浮かぶ始末である。

 

「さて、と……主に叛きし堕天の裔、暴食に相果てるカナンの民よ」

 

 宝具仕様の手はずを整えたのだろう、ダビデがネフィリムを見据え言霊を紡ぐ。

 彼の手に握られた香炉から紫煙が立ち昇り、急速再生のために動くことのできないネフィリムを包むように広がっていく。

 辺りには霧が立ち込め、先程まで海を照らしていた陽光を遮るかのように暗雲と雷光が空を覆う。

 

 その異様さ、不可思議さはその場にいるものなら肌で感じる程であり、ダビデの側に立つクリスは肌が粟立つような感覚を覚えた。

 

 

「善なる者は既に離れた。巨人よ、ネフィリムよ。今こそ諸罪を濯ぐ時だ。……さあ、お披露目と行こうか!──『燔祭の火焔(サクリファイス)』!」

 

 

 宝具の真名がダビデの口から放たれると同時に、ひときわ大きな雷鳴と共に光り輝く業火が天より降る。

 神に命じられ灯された、明るく輝く最も熱い火焔は、神に反逆した堕天使の末裔たる巨人の肉片を一片も残さぬとばかりにその巨体を飲み込んだ。



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第15節 栄光の英雄:革命

 燃える。燃える。

 聖遺物を取り込み、深淵の竜宮を取り込み、まさに神話に語られし巨人と化したネフィリムが今、巨大な松明となり海上を煌々と照らしあげる。

 天より来る罰の炎、生贄を余すこと無く舐めるように焼き払うシナイの炎によって、暴食の巨人ネフィリムは生贄としてその一片を残さぬよう焼却されていた。

 

「…………」

 

 普通にやったらまず勝つことのできない相手。やっと、どうにかという思いでダビデと共にネフィリムを撃破したクリスは、その光景をただ見続けていた。

 

(……やってるときは無我夢中だった。でも、あたしはあいつをやっちまったのか……)

 

 せめて今からでも止めたほうが、そう思いつつも口にだすことができない。

 ネフィリム、ドクター・ウェルは魔神の手先として立ちはだかった。彼は疑似サーヴァントではない純正の(この世界限定ではあるが)サーヴァントであり、仮初の生命である。この世界を救うためには倒さなければならない相手だった。

 

 だから許される、なんて思っているわけがない。雪音クリスは確かにドクター・ウェルの霊基を破壊……殺すための戦いに望んでいたのだ。

 

(あのバカなら、もしかしたら説得とかできたんじゃないか……?あたしは、あたしには……)

 

 そんなとき、彼女の脳裏に浮かぶのは自分を助けてくれた……自分と手を繋いでくれたガングニールの少女。

 シンフォギア装者でありながらアームドギアを持たず、他者と手を繋ぐことこそを己のアームドギアと定めた立花響なら、あるいはウェルとも和解できたのではないだろうかと思ってしまう。

 

「あー、その……後悔しているのかい?」

 

 戦いの結末に煩悶していたクリスに話しかけてきたのは、彼女と共に戦った弓兵、アーチャーのサーヴァントであるダビデだ。

 ダビデは彼女を気遣うような目線を向けてきており、その態度は逆に己の行動をある種割り切っているだろうことがクリスには理解できた。

 

「……しないわけないだろ。でも、これはあたしが背負わなきゃいけないことだ」

(そうだ、あたしは理由はどうあれウェルを撃つ道を選んだんだ。だったら、この業を背負わなきゃいけない)

 

 苦しむような声音で、だが毅然とダビデに答える。

 彼女の言う通りその声には後悔が滲み出ており、それでも尚、それを捨てること無く抱えて進むという意思が顕れていた。

 

「……あー、うん、そうかい」

 

 そんなクリスに、ダビデは何処か言いづらそうな様子で言葉を切り出しあぐねた様子を見せる。

 ぎこちなさを見せるダビデに、クリスは訝しげな様子を見せる。

 

「あたしに気を使ってんのか?……いいよ、そんなにあたしに遠慮しなくても……」

「ああ、いやあそうじゃないんだ。ただ、これを言うと流石に……」

「……?だったら一体……」

 

 クリスがぶっきらぼうに答えれば、ダビデは更に挙動の不審さを増していく。

 一体何なんだ、と気が沈んでいたクリスが少々声を荒げた時。

 

『2人共、気をつけろ!敵サーヴァント、まだ霊基が消滅していないぞ!』

「────何だとッ!?くそ、あれだけやってもまだ足りないってのかよッ!」

 

 未だ燃え続け、祭壇の如き姿へと変えた炎を見据え叫ぶクリス。

 最早炎の向こうに影も見えない有様だと言うのに、それでもまだとどめになっていないという事実にクリスは歯噛みする。

 

(くそ、だったら今度こそ──ッ!)

 

 いよいよ己の手で、と覚悟を決めかけたその時、ダビデがクリスを制するように前に出る。

 

「ダビデのおっさん……?」

「おっさんは止めてほしいなあ。それにクリス、君が手を下す必要はないよ?手を汚すのは英雄の仕事で、君達のようなかわいい女の子にやらせることじゃないからね」

「──それは……」

 

 そういって朗らかに笑うダビデ。

 自分を気遣っているのだろう、その言葉にクリスは一瞬安堵し、そんな自分に嫌悪感を抱いてしまう。

 

 だからこそ、クリスは安全圏にいようとする自分に活を入れるように強がりを口にした。

 

「……あんたひとりに背負わせる気はねえよ。あたしだってそれを選んでんだ、今更……」

 

 今更自分だけ責任から逃げようなんて思っていない。口にはしないものの、彼女はそう考えていた。

 そんなクリスの前で、ダビデは目線をわずかにそらし、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「んー、いやそうでもないんだ。そもそも僕は背負う気なんて無かったし、もっと言えば彼を殺すつもりなんて無かったし」

 

 

「……は?」

 

 その言葉に、クリスは言葉を失う。

 申し訳なさそうに頭をポリポリと掻く美青年の言葉は、クリス先程までのクリスの内心の葛藤を根こそぎ霧散させた。

 

「って、どういうことだよそれッ!?」

『ちょっと、こっちも聞いてないよダビデ王!?え、立香ちゃんは知ってた?』

『知らなかった!え、何々どういうことなの!?』

 

 わちゃわちゃとそれぞれにダビデを問い詰める面々。ダビデは飄々とした笑顔で受け流すが、流石に黙っていたことは悪いと思っているのだろう、無用に言葉を返すことはなかった。

 

「っていうか、あの炎でどうやって……ッ!?」

 

 クリスは先ほどダビデが使用した宝具を思い出し燃え上がっていたネフィリムの方を見る。

 実際に目の前でアレだけの大火炎をぶっ放しといてソレはないだろう……そう思ったところで、炎の祭壇が消滅し、霧や煙が霧散した。

 そこにネフィリムの姿はなく──しかし、海面にはウェルがぷかりと浮かんでいた。

 

「うーん、種明かしをするとだ。あの宝具は天罰の業火で神の意に沿わない存在を灼くものだ。で、ネフィリムは間違いなく神の意に叛く巨人だろう?だから『燔祭の火焔(サクリファイス)』はネフィリムにはまず通るだろうと踏んでいたんだ」

 

 ダビデはそう言って己の手中にある幻想の香炉を見る。

 神秘的なそれは既に紫煙を吐き出すのを止めており、ややもせず光の粒子となって消滅した。

 

「でも君達も知っている通り、こっちのネフィリムはエネルギーの収奪・転用能力を持っている。だから概念による干渉はともかく、熱エネルギーは通らないだろうとも思っていた」

 

 そう言われて、クリスは魔都での遭遇時の戦闘を思い返す。

 言われてみれば、ウェルは炎に満たされた竜宮の中でも本人はおろか白衣にすら焦げ目が無かった。

 サーヴァントには神秘によってのみ傷つくという性質もあれど、ウェル自身の炎である以上その性質による防御を行ったわけではないことは明白でもある。

 

「って、それはあくまで聖遺物由来のエネルギーの話だろ?あんたの宝具は別に聖遺物とかじゃ……」

「いやあ、まあそうだけども。だからここらへんは賭けだったね。ほら、聖遺物を取り込むのは聖遺物ネフィリムとしての機能だろうけど、今の彼は信仰に依るサーヴァントだ。"暴食"の概念、特にも共食いの性質をもつ"宝具"ネフィリムなら、宝具のエネルギーも吸収できるんじゃないかと思ったわけだ。それならほら……あれだよ、魔神の要素が入ったデモノイズあたりだけ概念焼却されて、本人は焼死しないかなって」

 

 まあ、駄目だったら燃え尽きる前に宝具を止めればよかったわけだし……などとすっとぼけた態度を見せるダビデに、良くも悪くも肩の力が抜けたクリスが膝をつく。

 

「そういうことは……先に言えよな……」

「悪い悪い。……で、君はなにか言いたいこととかあるかい?」

 

 クリスに軽く謝ったダビデはそう言って艦の舳先を見やる。

 それに釣られるようにクリスが目線を向ければ、そこには海からどうにか這い上がったのであろうウェルがフラフラと立ち上がっていた。

 

「はぁ、はぁ……よくもまあやってくれたな……ッ!こうなったら、僕の最強宝具で……ッ!」

「まあまあ、落ち着いて。今回君を生かしたのは偏に交渉したいことがあったからさ」

「交渉……?へぇ、言うだけ言ってみるといい。僕は文明人だからね、言葉のキャッチボールは望むところさ」

 

 どうやらダビデに戦意がないことを感じたのだろう、眼をギラつかせていたウェルはすっと理知的な表情へ戻る。

 

『ちょっとダビデ聞いてないよ!交渉ってどういうこと!?』

「いやあ、教えるタイミングがなかったからなあ。彼がどういう人間性と価値観のもとに行動しているか理解しないことには、まず交渉内容が決まらないし……。あ、悪巧みってわけじゃないんだ!そこは信じてもらえると嬉しい!」

『そこは信じるけどさ……。うーん、念話で相談する余裕もなかったししょうがないかな?』

 

 やいのやいのと通信で話し合う主従。

 最初は相談もなしに……ということで問い詰めもしたが、ダビデの言葉に一理あると考えた立香は素直に引き下がった。

 

『やれやれ。まあ、立香ちゃんがいいって言うならいいけどね。ただ、交渉と言っても勝算はあるのかい?』

「そこはまあ、ある程度は目算が立っているからね」

 

 勝算はある、というダビデの言を受け、マスターが引き下がったこともありダ・ヴィンチはこれ以上問いただそうとせず、肩をすくめ傍聴する態勢をとった。

 

「それで?ごたごた相談は終わったみたいだけど、僕にはどういう飴をくれるつもりかな?」

「……そうだね。まず、今回はこんな風にぶつかっちゃったけど、そもそも僕らは手を取り合えると思うんだ。そう、魔神による世界の危機を止めるためにね!」

 

 ダビデがそんなの当然だよね、と言わんばかりのイイ笑顔で堂々とのたまう。

 そのあまりにも自信満々の彼に、その場の空気が凍る。

 

「……いきなり正気かい?それに僕の計画は話したはずですけどねえ?」

 

 胡散臭いものを見る目を向けるウェル。

 口にこそしないがクリスも同じ様に思っているらしく、胡乱げな目線をダビデに向ける。

 さっきまで敵味方に別れていた2人から向けられる猜疑の目を受け止め、ダビデはなおも笑顔を崩さない。

 

「勿論聞いたよ?あ、あの時小粒がどうこう言ったのはあれだ、挑発するためだから許してくれ。それはさておきその作戦には欠点がある、違うかい?」

「欠点?そんなの……タイミング見極めて乾坤一擲しなきゃ駄目ってことぐらいじゃないか。そんなもん欠点なんて言わないよ」

 

 何を馬鹿な、と呆れたように鼻で笑うウェル。常人からすればかなりの欠点のはずだが、ウェルからすればそれは欠点ではないらしい。

 

「いや欠点だろ、どう考えても……」

「ああ、まあそれは欠点って言うほどじゃない……というか、彼1人だとそれくらいしか可能性がないからね。でも、僕が言いたいことはそうじゃないよ」

 

 呆れたようなクリスを嗜めつつ、チッチッと指を振るダビデ。

 その露骨に煽ってくる態度に苛ついたのか、ウェルの額に青筋が浮かぶ。

 

「……それじゃあ、一体何が問題だっていいたいんだい?」

 

「ああ、まあ簡単なことでね……君の作戦の欠点、それはひとえに僕らが居るってことに尽きるのさ」

「はぁん?正気じゃないと思ったら本当にトチ狂ったのかい?」

 

 己を棚に上げてダビデの精神状態を疑うウェルに、ダビデは更に笑みを深くした。

 

「そう思うかい?言っちゃアレだけど、今この世界を救おうとしている僕らは分断した戦力だけで君に勝てたわけだよ?」

「──ッ!それは……」

「本来的な実力で言うなら君のほうが上だとしても、僕らの作戦程度で上回られる君より僕らの全戦力のほうが強いと思わないかい?」

「ぐ、ぐぐぐ……」

 

 ウェルが言葉に詰まったと見るや畳み掛けるダビデ。

 実際はウェルが巨人殺しであるダビデに相性負けした(しかもギリギリ)のであり、他の戦力が居たから強いと言い切れるようなものではないのだが、そんなことを感じさせないようなダビデの振る舞いがウェルを抑え込むことに成功していた。

 

(……傍から見るとサギまがいだよな……。いや、別に騙してるわけじゃねえけどさ……)

 

 そんなギリギリの戦いをダビデと共に制したクリスの心情はなんとも複雑なもので、共に戦った人間が今まさに弄言の限りを尽くしているさまを一歩引いて眺めているしか無かった。

 

「……ええい、それで結局何が言いたいッ!もし、そうもしもそっちが言ってるみたいに僕が君らの全戦力より弱いからって、それがどうしたっていうんだッ!?それとさっきの手を取り合うとかいう戯言と何が関係するッ!?」

「おおっと、そうだったそうだった」

 

 ダビデのネチネチとした言葉に耐えきれなくなったウェルは、さっさと話を進めるためにと話題の核心に触れる。

 明らかに冷静さを失ったウェルを見たダビデは、流石にやりすぎたかなと全く悪びれずにすっとぼけた態度を取る。

 

「そうそう、つまりだ。──僕らなら、あの魔神に勝てる。君のように僅かな可能性に賭けるなんてことをせずともね」

「────」

 

 そう、さらりと言い切った。

 

(何を……いや、まさか本当にそうなのかッ!?)

 

 ダビデがあまりにも軽く言うものだから、ウェルはその言葉を真実であるかと疑ってしまう。

 彼の目に映るユダヤの王は、全く気負わない態度を崩さない。戦闘時に見せていた焦燥の様子などと比較して、ダビデは全くの自然体を成したままであるようにウェルには見えてしまっていた。

 

(────って、はあッ!?ウソだろッ!?いや、確かにあたしらはそう意気込んじゃいるが、ダビデのおっさんは勝つ見込みあんのかッ!?……いや、とりあえず顔に出すな、説得力が落ちちまうッ!)

 

 なお、言葉にされたダビデの考えについてクリスは何ら聞かされておらず脳内でパニックを起こしていた。

 幸い、冷静さを失っていたところでとんでもないことを言われたウェルはダビデに注視していたため、クリスの心情丸出しの表情は見られずに済んだ。ウェルが周りに確認するように視界を動かす頃には、クリスも表情を上手いこと取り繕い終わっていたで事なきを得ていた。

 

 そんな彼女たちの心情を露知らず、ウェルは周りも当然だと言わんばかりの表情を浮かべている様子を見て、成程確かな勝算を抱いているのだろうと考える。

 そして、ならばこそダビデの「手を取り合える」という言葉を発した意味についても理解が及んだ。

 

「……ふぅん。ということは、僕が君らに手を貸すことでより勝算を上昇させたいということか。成程、確かに最終的には魔神の排除をお互い掲げているものな、君らの理屈も通る」

「そうとも。そしてそこらへんは僕らの都合だけど、君にとっても都合がいいだろ?なにせ僕らが先に魔神を倒しちゃったら、出待ちしている君の活躍の機会は無いんだぜ?ほら、君も僕らと共に戦えば世界を救った英雄として武勇伝が増えるし良いこと尽くめじゃないかな?」

 

 自分たちの都合とウェルの都合、その双方の観点から利点があるのだとダビデが語る。

 

「…………」

 

 その言葉にすぐに反応せず、僅かに考えこむウェル。

 さんざんダビデに煽られてヒートアップしていた精神が冷えたことで、今のウェルはダビデに付け足された言葉を吟味する余裕ができていた。

 

(……別に僕はあいつらをほっといても問題はない。僕が既に英雄なのはそのとおりだし、魔神が倒れた時点で平行世界に渡り、人理精算後に戻ってくるという僕の計画を考えれば……極論、誰が魔神を倒しても問題はない)

 

 頭を冷やしたウェルは、ダビデの言うように彼らの戦線に参加する必要がないことは理解していた。

 最終的な目標を達成するに当たり、自分が体を張る必要は皆無である。そのことを、ウェルの冷静な部分──理性ではそう考えていた。

 

(だが……)

 

 ウェルは先程のダビデの言葉を思い返す。

 世界を救ったという武勇伝が増える、というのは自己顕示欲の強い彼にとってはそこそこに甘美な話ではある。もっとも、リスクとリターンが釣り合わない話でもあるためすぐに飛びつくなんて短絡的なことを考えるわけもない。

 

 やはり、勝手にやらせるべきか。そう考えたところで、ダビデが更に言葉を付け足す。

 

「それにさ。魔神が大儀式を完遂するまで君を生かすというのは結局、敵対者がいる場合の話じゃないかい?仮に君の計画を知らない可能性があるとしても、膨大な魔力リソースの塊であるサーヴァントを維持するコストを残しておくほど魔神は非合理的なものじゃないと思うよ?」

「それは……まあ、そうかもしれないね」

 

 渋々と認めるウェル。

 彼は「魔都を守っている」ことを対価に「魔神はウェルを自発的に害さない」という条件を付与した契約を結んではいたし、魔神はそういった契約ごとには厳格であるという性質を持っているものと考えてウェルは計画を立てていた。

 しかし、切り捨ての可能性があるというのは全く否定できるものではない。ダビデの言うように「魔都を守っている」というのは敵対者が居る前提だ。S.O.N.G.とカルデアの全戦力を打ち倒したらその時点で「守っている」という条件が成立しない、とされる可能性だってある。

 

(少なくとも僕が同じ立場ならさっさと切り捨てるってもんだ。だからわざわざ聖遺物を取り込んでこっちに居残る楔にしてるんだしねぇ)

 

 契約を遵守するのが悪魔なら、契約の穴をつくのもまた悪魔なのである。召喚のエキスパートである魔神にどれほど対策が取れるかは不明だが、ウェルは出来る限りの策を練った上で不意打ちに全力を注ぐ腹づもりであった。

 

「……確かに、そっちに乗るほうが色々都合が良さそうだね」

 

 そしてそんな彼だからこそ、遠回しな魔神への叛意を口に出すことに躊躇いはなかった。

 そもそも当初の「大儀式のタイミングで全力で不意打ちして魔神を撃破する」という計画はそもそも、魔神が正面からやり合うには色々と面倒な相手であるからそういう手段を選んだに過ぎない。

 戦後の自分の英雄化・神格化が進みそうだから……というのもそうだが、何よりそのタイミングが最も勝率が高くなる──つまり、ウェル1人で十全に勝ち目を見出だせるのがそのタイミングでしか無いということだ。

 

 だが、ここで魔神と真正面からやり合って勝てる勢力であるという自負を持ち、己を負かした勢力が盤面に居るとなれば話は変わるだろう。

 ウェル自身が言ったように、魔神が出てくるタイミングには大体の魔神の策は終わっているため、それ以降は何時戦ってもあまり変わらない。

 極端なことを言えば、たとえ不意打ちだろうと正面戦闘だろうと、魔神に勝ちさえすればウェル自身の願望である「人理精算後の世界で超英雄として君臨する」という目論見を達成することに何ら支障はないのだ。

 

 であれば、最も勝率が高くなるのがどのタイミングであるかは自明である。

 

「……いいとも。どっかの拳特化な装者の言葉じゃないけど、ここは一つ手を取り合おうじゃあないかッ!なあに、この僕が陣幕に加わったからには百人力だともッ!」

「おお、助かるよ!いやあ、強力な味方にいくらいてもいいからね!人間性はアレだけど、すくなくとも裏切らないだろうことはわかってるなら十分さ!」

 

 自分の中で納得がいったのだろう、実に清々しい笑顔で掌を返すウェルを大げさに歓迎するダビデ。

 

「……ま、いいか」

 

 大人の黒い取引の現場のような打算まみれのシェイクハンドに、傍に立っていたクリスはどうにでもなれとばかりに匙を投げた。

 

 

(……ところでダビデ、本当に勝てる見込みはあるの?)

(マスター、時には方便も大事だとも。なあに、火力だけならビーストクラスに引けを取らない彼が仲間になったからね、勝ちの目は今まさに十分に生えたところだよ)

(…………まあ、そんなことだろうと思ったけどね……)

 

 ──尚、交渉成立後に立香とダビデの間で念話が交わされていたが、その内容を知るのは2人だけであった。

 

 

 

『えー……というわけで、魔都ホドの守護天ことドクターウェルが仲間になったよ!皆、拍手ー!』

「ご紹介に預かり光栄の至りッ!さて、この僕が君らの仲間となったからには忙しくなるぞッ!」

 

「……戻ったと思ったら、一体どういうことなんだ……?」

「さ、さあ……?」

「ここまで来て、またもドクターに付き合わなきゃいけないのね……」

 

 ダ・ヴィンチの妙に脱力したような紹介に合わせ、大仰な身振りと共にウェルが一歩前に出る。

 途中から戦闘の場を移していたクリス達に次いでS.O.N.G.本部に戻った別動班を出迎えたのは、そんな光景だった。

 響と翼は困惑し、マリアは頭を抑えている。

 

「というか、一体何があったのだ?」

「あー、まあ色々あったんだよ、色々」

 

 肉体はもとより精神的疲労がひどいクリスは、もう口にするのもめんどくさいと思っているのか翼の言葉にも適当に返す。

 

「色々……でも味方になってくれるんだよね?」

「ああ、まあな」

「そっか……よしッ!」

 

 響がクリスの言葉にふんふんと頷いた響は、一言気合を入れてズンズンとウェルの前まで歩いていく。

 朗々と己の素晴らしさを語っているウェルが彼女に気づくかどうかというところで、響は大きく息を吸い込み口を開いた。

 

「ウェル博士ッ!」

「ヒィッ!?な、何だッ!?」

(あ、やっぱりトラウマは抱えているのね……)

 

 マリアはウェルの内心を知り、そこはかとなく安堵する。

 ウェルはかつて響に(自業自得とは言え)散々な目に合わされたため、力量差が以前よりはるかに傾いているにも関わらず苦手意識を通り越して怯えているようである。

 

「えっと……よろしくお願いしますッ!一緒に頑張りましょうッ!」

「え、あ、ああ。勿論だとも、一緒に頑張ろうじゃないか……」

 

 ウェルの内心を知ってか知らずや、彼のネフィリムじゃない方の腕を握ってブンブンと握手する響。

 めったに味わったことのない友好的リアクションに、ウェルは毒気を抜かれたのか呆然と言葉を返した。

 

「……って、そうだ。こんなもんじゃまだ僕の自己PRは満足できないけど、そうも言ってられない」

「これ以上話が伸びるようなら無理やり止めたが……端的に聞こう、魔神はもうすぐ回復するのだな?」

 

 ウェルの鬱陶しい自画自賛にうんざりしていた表情を見せていたキャロルは、真剣なものへと変えそうウェルに問う。

 質問の体を成してはいるものの実質断定しているその言葉に、ウェルは口元をニヤリと歪める。

 

「なあんだ、話が早いじゃないかッ!オツムが回る人間はきらいじゃないよ、たとえ僕の腹を突き刺したレディでもね」

「抜かせ狂言回し。……貴様、イチイバルとダビデ王との戦いの中で言っていたな?オレたちが魔神と戦えるようになる段では、世界の大半が死ぬ、と。──あれはどういう意味だ?」

「────なッ!?」

 

 キャロルの言葉に、その話を聞いていなかった前線組、ネツァクとイェソドの制圧に回っていた5人は各々驚愕の表情を見せる。

 

「ど、どういうことですかッ!?確かに完全な妨害はできないって聞いてましたけど……ッ!」

「お、おいやめろッ!揺らすんじゃないッ!君と違って僕の脳細胞はグラム千金なんだぞッ!!」

 

 特にも響はソレが顕著であり、目の前にいることもあってウェルの肩をガッと掴んでガクガクと揺さぶり問い詰める。

 今は英霊であるということでギアを纏っていない響に膂力で勝ることもあり、どうにか響を振り払ったウェルがずれた眼鏡を直しつつ口を開く。

 

「ええい全く……どういうことも何も、魔都を通した世界の焼却だよッ!魔都は所詮宮殿のためのもので、相互に干渉する魔術によって完成するッ!だからお前らは最後の完成のトリガーを潰すために新宿に──魔都マルクトに繋がる3箇所を制圧したんだろうッ!?」

「────ッ!」

 

 彼の言葉で、響はイェソドの守護天であるヌァザが言っていたことを思い出した。

 曰く、3箇所の魔都を堰き止めれば最悪は免れると。宮殿が完成すれば、たとえヌァザの宝具の力があっても人を守り通せないのだと。

 その言葉が告げていたことが何なのか、今まさに響ははっきりと理解させられた。

 

「って、世界の焼却って──まさか、人理焼却みたいな真似をするの!?」

「そうさッ!──そら、始まるぞッ!」

 

 立香が響と同様に詰め寄ろうとしたところで、ウェルが凶相を浮かべ高笑う。

 その目線は発令所のモニターに向けられており、全員がつられてモニターを……否、モニターが映し出したそれを見た。

 

 

 瞬間、閃光がモニターから迸る。その光に眩んだ目が回復する間もなく、S.O.N.G.本部が轟音と共に揺れる。

 

 

「……ッ、今のは──ッ!?」

「嘘、あれは──!?」

 

 轟音による耳鳴りが止み、一瞬の閃光で失われた視界を取り戻し。

 焼き付いたカメラに変わり非常用のカメラの映像を映すモニターを見て、響と立香の呆然としたような声が発令所に響く。

 いや、響や立香だけではない。モニターに映し出された光景を見た誰もが、声にならなくとも同様の感情を抱いただろう。

 

『──無事かッ!?何が起こったッ!?』

『立香ちゃん、今のエネルギー反応は……!』

 

 平行世界、響たちが元いた世界のS.O.N.G.からの通信と、異世界であるカルデアからの通信が入るが、しかし誰も反応しない。

 それも当然だろう、彼女たちが見ている光景がその二組織に送られたとき、彼らも同様に言葉を失ったからだ。

 

 

 はっきり言えば、モニターに映るのは異様な光景としか言えなかった。

 

 彼女たちの居る本部が漂う海が、途中から消失している。

 海の向こう側に見える星空を汚すように、指揮者デモノイズが連結された鎖状のラインが宇宙に網目のように張り巡らされている。

 

 響たち装者は、そこに亜空間を──バビロニアの宝物庫や、錬金術師の作った特殊空間を想起するだろう。

 立香たち魔術師は、それを嘗て経験した神殿と──そして何より、焼却された歴史に重ね合わせるだろう。

 まるでヘラクレスの柱のように、世界の断崖の先にはおぞましい異界が開いていた。

 

 あまりにも異常なその状況に、その場の人間は頭の中が真っ白になる。

 そんな中、いち早く復帰したキャロルの声が場に響いた。

 

「──観測データを見るに、日本の一部……深淵の竜宮、皆神山、風鳴邸で囲まれた範囲は焼け残っているようだな。だが、それ以外は星ごと燃やされたか──チッ、成程これは確かに世界の大半が死んだとしか言えんなッ!」

「そういうわけさ。だがこれは覚悟の上だろう?そもそも完全に止めることはまず不可能だったんだ、せいぜいさっさと切り替えるべきだね。それより、決戦の舞台は新宿の玉座(マルクト)だけど──ぼんやりしていていいのかい?」

『──不味い、あそこにはギャラルホルンのゲートがあるッ!守っている調くんに切歌くん、そしてギルガメッシュ王が危ないッ!』

「────ッ!」

 

 弦十郎の言葉に、全員が自失状態から復帰する。

 デモノイズ対策として配せる現状できる限りの人員を置いてはいたが、魔神が復帰し、かつ全戦力を傾けられるとなればまず保たないことはその場の誰もがわかった。

 だが、現在の本部はキャロルたちが動かしたことで深淵の竜宮近海まで来ている。今から新宿に戻る頃には、他の魔都すら狙われ潰される可能性さえあった。

 

「っちぃ、テレポートジェムを──行き先の書き換えが間に合うか?だがやるしか──ッ!?」

「まあ待ち給え。早速この僕が役立つ時が来たようだねッ!」

 

 人数分には間違いなく足りないジェムを前に陣を展開したキャロルの手を抑え、ウェルがドヤ顔を見せる。

 一体何を、とその場の全員が思った時。彼らの居る本部が再び揺れる。

 

「何──この揺れはッ!?艦底が何かにぶつかっているッ!?って、まさかこれは──ッ!?」

 

 最初の揺れと異なる、衝突による衝撃の伝播にマリアがまさかとウェルを見る。

 

「──そもそも、僕が英霊として呼ばれた時。生前の全盛期が何時なんだってなるじゃない?生まれた時?F.I.S.に居た時?あるいは死んだときか?いいや違うねッ!ネフィリムの力を持ち、そのうえさらなる力を持っていたときこそが僕の全盛期であることは疑いようもないッ!」

 

 独白のようなセリフと共に、本部はやがて船体全てを海上へ、そして中空へと浮かび上がらせられる。

 ──否、中空に浮かんでいるのはこの艦では無かった。

 

「これは……ッ!」

「ああ、あたしにも覚えがあるッ!この感じは──ッ!」

 

 波と海流による揺れが無くなっても尚、振動は変わらず続いている。それはまるで、この艦を乗せた何かが揺れているかのようであり──事実そのとおりであった。

 

「そう、僕のクラスはライダーッ!宝具の数と騎乗に長けるクラスッ!であれば、騎乗宝具があって当然ッ!」

 

 ウェルの言葉とともに、それは姿を表した。

 それは、まさに浮上する大地そのものであった。ガリヴァー旅行記に登場するラピュータ島かとも思わせる圧倒的な威容は、決して小さくないS.O.N.G.の本部が玩具の小舟か何かに見えてしまうほど。

 だが、それはただの大地ではない。頂点から半分に割った紡錘形に近く、その大きささえ除けば簡素な船を思わせるそれは、その中心部に巨大な遺跡を抱えて飛翔を始める。

 

 そう、それは正しく舟だった。それも海を行くような小さな船でも、空を行くような翼持つものでもない。

 

「さあ、起動しろ『天の方舟(フロンティア)』ッ!これこそ、世界を救う戦いだッ!」

 

 大気もなく、重力もなく、光もない無明の世界すらもひた走るそれは、正式に登録された名称である「鳥之石楠船神」ではなく、世界を救う方舟としてウェルが用いた「新天地(フロンティア)」。

 サーヴァント・ライダー、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスの持つ、あらゆる騎乗宝具を見ても尚最高位であろう宝具────「恒星間航行船」はこの世界を守る最後の戦力を乗せ、決戦の地へと飛翔した。



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第16節 王冠より出て、王国に至る(1)

『驚いた、こんな宝具を隠し持っていたのか』

 

 方舟の内部、S.O.N.G.本部よりはるかに高性能な通信・解析・防衛設備が整ったそれを統括するコントロールルームに、通信越しに驚きの声が響く。

 フロンティアの快適な、そして高速な飛行性能に、外部から観測していたダ・ヴィンチは舌を巻いた。

 

「そうともッ!とはいっても、こんなもん規模が大きすぎて個人戦では役に立たないけどね。全く、本当に使いづらいったら無いッ!」

 

(……これ使われてたら、あたしら詰みだったよな)

(確かにね。いや全く、あの狭い魔都に押し込められれてくれて助かったよ)

 

 率直な賞賛に機嫌を良くし、次いで先の戦闘で使えなかったことに悪態をつくウェルを横目に、クリスとダビデは彼の置かれていた環境に安堵の溜め息を吐く。

 フロンティア──『天の方舟』と名付けられたこの宝具は、ウェルが秘策として持っていたものであると同時に、ある意味ではネフィリムすら超える超強力な攻撃宝具としての側面を持っている。だがその性質上、魔都の守護に使うには小回りが効かなすぎるという欠点もあった。

 巨大すぎるために魔都で出現させれば魔都を構成する竜宮が崩壊するため魔都の外に出現させなければならず、それでも使うと今度は魔都が無防備になってしまう。

 最後こそ魔都ごとネフィリムとなるという暴挙に出たものの、ウェルは魔都を守護するという守護天としての契約の上の役割を全うしようとしていた。それ故の紙一重の勝利……クリスとダビデはそれを改めて理解させられていた。

 

「……それにしても、外は一体何がどうなっているんだろう……」

 

 一方、窓もないのに見える外界の光景を見た響はポツリとそうポツリと零した。

 先程までは(魔都などがあったにせよ)普通だったはずの世界が、今や大きく削り取られ、星の形すら保てているか怪しい有様を見せている。フロンティアが比較的高空を飛翔していることもあり、コントロールルームの壁面に映しだされる光景はその非現実的さをより一層際立たせる。

 だというのに、先程の炎に削り取られなかった場所──彼女たちが制圧した魔都を含めた領域にある建物や地形はほとんど変化しておらず、それがより異常さを掻き立てていた。

 

「いや全く、まるで世界の終わりか何かだね!」

「あ、モーツァルトさん」

 

 演奏を一時中断していたアマデウスが全く同感とばかりに呆れたような声を上げた。

 現場での指示拠点をこの世界のS.O.N.G.本部潜水艦からフロンティアに移したことで、この場には本部に乗っていた面々が顔を連ねていた。

 

「それにしても疲れたなぁ、ホント。いくらマスターの指示だからって、あの戦闘の最中ずっとピアノの鍵盤叩いてることのしんどいことしんどいこと。もう二度とこんなことはやらないよ!」

「ごめん、ごめんって!よっ天才!まだ戦いあるからそこらへんの間だけお願い!」

「いや、そりゃやるけども。天才は事実すぎて褒め言葉にならないなあ」

 

 気合不十分なアマデウスをおだてて焚きつけようとする立香に、焚き付けられる側のアマデウスは苦笑する。

 が、その表情もすぐに引き締められ、マスターともども外の空間を注視する。

 

「……人理焼却された、特異点の外側みたい……」

『というか、文字通りそうなんだろうね。我々の時間稼ぎのおかげで全部全部が焼却されることは防げたけど、逆に言えばソレ以外の領域は全て焼却されたということだろう。……相違点も幾つかあるけれど、まあやってることは同じだね』

 

 そう告げるダ・ヴィンチの言葉には、久しぶりに見た終末的な光景になんともいい難い感情が籠もっている。

 

『相違点?参考までに教えてもらっても構わないか?』

『ああ、勿論いいとも。以前の人理焼却は文字通り人理を焼いてエネルギーを抽出する事業だったわけだけど、逆に言えば人類の歴史が存在しない領域までをわざわざ眼光で焼こうということにはならない。彼らが火を放つのはあくまで人類領域である地表なんだ』

 

 まあ、地表のテクスチャから何から焼かれるからどっちにしても世界が消滅したって言っていいんだけど、と付け加えるダ・ヴィンチ。

 

『にもかかわらず、先程の炎でこの世界は一部領域を除いてわざわざ星の中心部まで焼却されている。……おそらく熱量を少しでも多く抽出するためだろうけど、どちらにせよ人理焼却によって得られる熱量と比べれば雀の涙みたいなものの筈だからね、一体何を狙っているのか……』

『成程……こういう言い方はどうかと思いますが、コストパフォーマンスが釣り合っていないということですね。となると、以前言っていた固有結界の構築に際して星そのものが邪魔になったとか、でしょうか……』

 

 むむむ、とエルフナインが考え込む。魔神は合理の化身であり、たとえ感情を得ていたとしてもそれに付随しない点については合理的な判断を下す、というのが彼女がカルデアから聞いていた魔神像である。

 であれば、この行為にも何らかの意味があるのだろうと考えるも、しかし今すぐに答えが出せるものではなく煩悶するほかない。

 

『かもね。だけどそこらへんは今は──』

「──追求する時間もないってことさッ!さあ、そろそろ魔都マルクトだッ!」

 

 ダ・ヴィンチの言葉を引き継ぐようなウェルの言葉と共に、フロンティアは高度を大きく下げ始める。

 だが、上に乗っているだけのS.O.N.G.本部も、コントロールルームにいる面々もその影響を受けた様子はない。

 

「うわぁ……この船、まるでファラオの船か何かみたいな動きするぅ……」

『あるいは英雄王のヴィマーナかな。と、そろそろ地上が見えてくるんじゃないかな?』

 

 物理現象を無視したような挙動と共に、フロンティアは一気に高度を下げていく。

 そして遂に地表付近、ギャラルホルンゲートがモニターに映し出されたところで、誰とはなしに息を呑んだ。

 

「──あれはッ!?」

 

 ギャラルホルンゲートを守る2人の少女と1人の少年。3人が戦闘姿勢を取ったそこから僅かに離れた地点に、蛍光色の極彩の波濤が押し寄せている。ゲートまでわずか数百メートルまで迫りくるその大群は──。

 

「──デモノイズッ!それもあの数、まるで雲霞の如く……ッ!」

「くそ、あの数は不味いぞッ!先んじて吹き飛ばさねえとッ!」

 

 翼が瞠目し、クリスが唇を噛んで踵を返す。

 

「おいおい、まあ待ってくれよ。君らがいくら戦ってもあの数を一気に減らすのは難しいだろう?ソレこそ限定解除なら別だろうけどねぇ……?」

「だとしてもやんなきゃいけないときだろ、今はッ!」

 

 ウェルの嗜める声にクリスが反論する。

 そんなクリスに、やれやれと肩をすくめるウェル。

 

「わかってないなあ。──あんな雑魚ども、この僕なら一掃できるっていう話さ」

 

 そう言って、反論を聞かずウェルがフロンティアのコントロールパネルに手を翳す──その次の瞬間、地表のデモノイズの軍勢が見えない掌に押しつぶされたように拉げ、圧壊する。

 その様子を呆気にとられたかのように見るカルデアの面々。その隣では、過去を思い出した装者たちが顔を引き攣らせていた。

 

「相変わらず馬鹿げた力ね、フロンティアの重力操作は……」

 

 地表を一瞬で制圧した光景を見て、マリアがそう評する。

 これこそがフロンティアが攻撃宝具としても破格と言える力──この船体を星空の海ですら進ませることが可能なほどの「重力操作」機能である。

 

「これくらいならちょろいもんさ。まあ"ちょっとだけ"大雑把になるけどねぇ?」

「大雑把、ね……」

 

 自慢げなウェルの言葉に、嘗てウェルと共にフロンティアを起動させたマリアは呆れたような表情を見せる。

 大雑把といいつつ、ウェルはこのフロンティアで月を落としかけたことすらあるのだ。マリアからすれば大雑把も何もあったものではない。

 

『うぅむ、ここまで強力な宝具は今日日なかなか見ないなあ』

「当ぉ然ッ、だともッ!なにせこの僕は世界の純正英霊第1号(暫定)なのだからッ!さあ、ランディングするぞッ!」

 

 デモノイズが消滅しポッカリと空いた空間に、巨大な船体がゆっくりと着陸する。

 モニターには突如巨大な聖遺物が着陸した様に驚く切歌と調の顔がアップで映し出されていた。

 

「……それでは、事情を説明し行きましょうか」

「そう、ね。というか、あの子達からすればフロンティアが降ってきたってことすらわかんないかもしれないわ」

 

 むしろ攻撃か何かと思われてそうだ、とベディヴィエールの言葉に同意するマリア。

 

『……そうだな。それではこちらから説明しよう。君達も一旦降りて合流してくれ』

 

 微妙な表情をした弦十郎の言葉に逆らうものはおらず、キビキビと動き出した。

 

 

 

「デ、デ、デ、デースッ!?まさかあのトンチキがトンチキのまま仲間になったデスかッ!?」

「何を心外な。僕らはもともとF.I.S.の仲間だったじゃあないか」

「確かに所属はF.I.S.だったけど……仲間だったとはいいたくない……」

 

 ウェルとの遭遇から開口一番、切歌と調は相手が相手なら失礼な言葉を臆面もなく口に出す。

 いや、誰が相手でも本来失礼な台詞ではあるのだが、ウェルを知るものからすれば言って当然であり、当のウェルもさほど気にしていないようだったので黙認された。

 

「いやあ、デスが助かったデスよ。流石にアレだけのデモノイズとバトルするのは生命の危機を感じるデースッ!」

「うん……。今回についてはありがとう、ドクター」

 

 助けられたのは事実である、ということで2人とも素直に感謝を示す。

 そして、そんなウェルに謝意を向けるのは彼女らだけではない。

 

「ええ、僕も助かりました。その船はいい宝具ですね……世界が違うので、僕の宝物庫にないのが残念です」

「ほぉう、彼の英雄王にそう言われるとは……まあ、この僕の宝具なんだから当然ですけどねぇ」

「あはは……うーん、なかなか見どころがあるなあ」

 

 子ギルの褒め言葉を当たり前だと自慢気に胸を張るウェルに、褒めた子ギルは思わず苦笑する。

 

『どういった意味での見どころかは置いておくとしようか。ともかく、アレだけのデモノイズが攻めてきたってことを考えると……』

 

 ダ・ヴィンチはそう言葉を切り、ウェルの方を見る。

 かつて仲間だった彼ならなにか知っているかも、という期待の目線を受け、そう言えばとウェルが思い出したように口を開いた。

 

「おっと、そうそう。そろそろ顔を見せてくれてもいいんじゃないかなぁ、我が召喚者殿はッ!」

「!?」

 

 ウェルの唐突な言葉は、その場に居た面々を驚愕させるに十分な力があった。

 

「ッ!?まさかもう居たのかッ!?だが──」

 

 全く気配が感じ取れない。そう言おうとした翼だったが、その瞬間に中空に発生した魔方陣を目視し言葉が止まる。

 

『センサーに魔力反応ありッ!これは……目標、亜空間から転移してきますッ!』

『確認しました、魔力照合完了──間違いありません、魔神アムドゥシアスです!』

 

 S.O.N.G.オペレーターの藤尭の叫ぶような報告と、カルデアの機器から確認できた情報に焦燥の感情を浮かべたマシュの声が重なる。

 

 

「……ほう、私の転移を認識したのか?そういった機能は、貴様には備わっていなかったはずだがな」

 

 

 その言葉と共に、魔方陣から1人の少女が姿を現す。いや、それは少女の見目こそあれど、本質的には人間はおろか生命とすら呼べないモノ。──魔神アムドゥシアスが睥睨するようにその空間へとその身を晒した。

 

「直感半分、推測半分ってとこだね。重力操作をするフロンティアは、逆に言えば重力波を検出することも出来る……空間が歪めば、必然重力の流れも歪むってものだろう?ま、実際に君が出てくるのか、それともデモノイズが出てくるかまでは知らなかったけどね」

 

 そういいつつも、この場面ならアムドゥシアスが出てくると確信していたのだろう、ウェルは不敵にニヤリと笑う。

 やけに気安そうなウェルの様子は、彼がアムドゥシアスとそれなりの関わりを持っていたことを匂わせる。

 

「相変わらず馬鹿みたいな魔力量だね。それにというか、やはりというか傷も治っているみたいだし」

「当然だろう。仕切り直すなら十全にすべきだ」

 

 ダビデの指摘の示すとおり、アムドゥシアスの憑依する身体──エルフナインの肉体につけられていた傷は完治していた。

 げんなりしたようなダビデの声音を受け、魔神は目を向けることすらなく素っ気なく答える。

 

「ちっ、あんだけ手間隙かけたのに引き籠もるだけで回復たあな……」

 

 当時のS.O.N.G.及びカルデアの連合チームが諸々の手筋を用いて付けた傷だと言うのに、と不満げにぼやくクリス。

 

「ですが、その割には……かの魔神は不服なようです。どうやら、私達が成したことが気に召さない様子──なら、無駄な手間では無かったということでしょう?」

「そのようだな。我々の抵抗の甲斐もあったということだろう」

「わかってるよ。それにあんときより面子は増えてんだしな、今度こそぶっ飛ばしてやるッ!」

 

 ブリュンヒルデと翼からの言葉に、不満げな様子は消えないものの、戦意も顕にクリスは魔神を睨む。

 そんな彼女からの射殺すような目線を、魔神は不快そうに見返す。

 

「……まったく、面倒なことをしてくれたな。本当に、何故こうもこの世界に肩入れするというのか、気がしれないとはこのことだ」

「そんなこと──だって、困ってる人が居て、苦しんでいる人が居て──あなたが居て。そして私がここに居るッ!だったら、私は少しでも皆を助けたいって思いますッ!あなたのこともッ!」

 

 魔神の理解できないという言葉を真っ向から打ち返す響に、心底鬱陶しそうな、それでいてどこか憐れむような目線を向ける。

 

「──立花響か。最早問答の余地はないと言ったはずだが?」

「ありますッ!だって、今だって私に憐憫の目線を向けてくるあなたは──前と変わらない顔をしてるッ!」

 

 前と変わらない、悲しそうな顔をしているあなたを助けたいと響は叫ぶ。話をしたいと、手を取り合いたいと。

 この大破壊をした魔神に対しても、まず問答から響は入りたかった。何故こんなことをするのか──しなければならないのか。たとえ戦わなくてはならないのだとしても……むしろ、たとえこの状況であっても問いかけすらせずに戦うつもりはないと響はその行動で示していた。

 魔神にとって、ここまで執拗に対話を試みようとする人間は初めてなのだろう。その視線も先程までの憐憫の感情が宿るものから、理解しがたいものを見るものへと替わる。

 

「事ここに至って、またそれか。記憶力に乏しいのか、頭の中が幸せなのかは知らんが。であれば、今度こそ──」

「戦う、って言うのかい?おいおい、この僕がいて尚、この戦力比で戦えると思っている程、キミの頭の中が幸せなのかい?」

 

 魔神の言葉を遮るウェルに、忌々しげにウェルを睨むアムドゥシアス。

 

「……今は不備はない。貴様如きに負けるほど──」

「だが、他にも魔都の守護天で寝返ったのは2人居るぞ?そいつらを止めないと貴様の計画は完遂できず、万全と言っても今の貴様ではこちらの合算戦力を止められる程ではないと見たが?」

 

 キャロルがウェルに続いてアムドゥシアスを挑発する。

 当然というか、キャロルもウェルもわざわざ姿を見せた魔神が今の彼女らに劣る戦力であるとは思っては居ない。だが同時に、仮に魔神が以前と同程度の強さであれば今の戦力なら十分抑えられるということも事実である。

 となると、何らかの切り札を持っていると考えるのが妥当であり──そして、守護天であるヘルヴォルから得た情報から、切り札の正体についてもおおよその見当はついていた。

 

「──そら、出してみるがいい。ソロモンの杖をなッ!」

 

 キャロルの言葉と同時に、装者・サーヴァント達は戦闘姿勢に移る。

 結局答えが得られなかった響も、対話を諦めないという意思をその目に宿し拳を構える。対話する状態に持ち込むため己の力で相手を止める。響はそうした想いを胸に、戦う決意を固めた。

 

「…………確かに、な。イェソドの守護天は扱いやすい、ネツァクの守護天は概念的支配が通る。裏切るであろうウェルも、そいつ単体なら私のほうが上であることを鑑みれば特に問題はないと考えていたが、蓋を開ければ誰も彼もが裏切るこの為体。全く、人間とはどこまでも理解しがたい」

 

 ぽつり、と呟いたアムドゥシアスは、懐から杖状の器物を取り出す。

 それこそ、この世界でノイズという災害を支配する指揮杖、魔術の王の名を冠した聖遺物。

 

「あれが……ソロモンの、杖……」

 

 立香が思わずと言った風につぶやく。

 

『我々の知るものとは幾らか形状が異なっているな……。奏君の言っていたとおり、何らかの手段で修復したということか……?』

「それより、取り出した今がチャンスだッ!あいつが使おうとする隙をついて、どうにか奪えれば──」

 

 切り札であろう杖さえなくなれば、現状で把握できる限りの不確定要素がなくなる。クリスはそう考え、アームドギアを構え何時でも狙える姿勢を保つ。

 

「やれるものならやってみるがいい。とはいっても──」

 

 魔神の手にある杖が輝き、バビロニアの宝物庫をこじ開ける鍵として起動する。

 無論ソレを黙って見逃すクリスらでは無く、イチイバルの射撃やダビデの投石、キャロルの錬金術、そしてネフィリムの炎すらも同時に放たれる。

 閃光と轟音。種々の攻撃による爆轟はアムドゥシアスが杖を使う間もなく包み込む。

 

「やったか──ッ!?」

「いや、まだだッ!」

 

 クリスの希望的観測を否定するキャロルの鋭い声。

 煙が晴れれば、そこにいたのは無傷のアムドゥシアスだった。

 

「無傷だとぅッ!?この僕のネフィリムの力を受けて無傷だなんて──ッ!」

「……ひとつ、勘違いを訂正してやろう。私がここに来た理由は最後の忠告の為でしか無い。戦いたくないなどとほざく歌女と、無用なエネルギーの損失を望まない私。であれば、お前たちが戦わずに帰ってくれれば互いに利があるとは思わんか?」

「そんなこと本気で──って、言ってるわけないか」

 

 魔神の冷めた瞳をしっかりと睨み返す立香。

 

「本気には違いないとも。そうなってくれれば面倒が減る、程度のものだがな。──それに、最早貴様らなぞ物の数ではない。居ても居なくても変わらんものをわざわざ殺すために私自身の熱量を込めることこそ、正しく無意味というものだ」

「……!マスター、下がって!」

 

 魔神の言葉が終わるか終わらないかというところで、ダビデが慌てて立香の首根っこを引っ掴んで大きく後ろに下がる。

 

「ダビデ!?って、これは──ッ!」

 

 急に引っ張られたことに文句を言おうとした立香が瞠目する。

 彼女が先程まで居た場所には、肉の柱の如き姿の怪異が屹立していた。蛍光色に染められたその姿は、数多のデモノイズを統括するための指揮者個体。

 

「そりゃまあ、無傷だったわけだしねえ。さっきの煙に紛れて召喚したのかな?」

「そのための杖だ。そら、せいぜい貴様らはそれらと遊んでいるがいい」

 

 アムドゥシアスの言葉に合わせ、ソロモンの杖から緑の光条が走る。

 その光から出現したのは、先程出現したものと同じ指揮者デモノイズ。魔都を指揮していた個体に比べて小型ではあるが、アムドゥシアスが"それら"と指したその言葉通り、今まででは考えられない数が出現していた。

 

「デースッ!?さっきよりグロいデースッ!?」

「気持ち悪い……」

「言ってる場合かッ!ってか、マジでやべえぞ……ッ!」

 

 指揮者デモノイズを初めて生で見た切歌と調の率直な感想を嗜めたクリスは、目の前の惨状に危機感を抱く。

 その強力さから今まで単体でも普通に手を焼いていた指揮者デモノイズである。小型であることから魔都の指揮者ほどの強さではないだろうが、それでもこう大量に湧き出た光景は彼女たちを戦慄させるに十分な威力を持っていた。

 

「それでは私にもやることがあるのでな、これで失礼しよう。──せいぜい気が済んだら帰ることだな」

 

 アムドゥシアスが嘲るようにそう告げ、デモノイズの壁の向こうへと消えていく。

 転移ではなく飛行の術式で離れていく魔神は、新宿の中心──というより、この星の霊的中枢であるレイラインの基点たる都庁へと姿を消した。

 

「あっ、てめえ待ちやがれッ!……くそッ!行っちまったぞあの野郎ッ!」

「止めないと────って言っても、どうやってここを突破すれば……ッ!」

 

 クリスと響の悔しげな声。

 デモノイズ達は既に吹弾器官を展開しており、耳障りだけは最高な魔詠の旋律が流れ始める。

 

「一刻の猶予もなさそうだが──おい、そこの狂人。その大層な船でどうにか出来ないのか?」

「僕はライダーであってバーサーカーじゃないんだけどねえ。えーと、デモノイズの処理は難しいね、流石に距離が近すぎて自分も巻き込んじゃいそうだ」

「ちっ、肝心なときに……」

 

 ウェルの素気ない答えに悪態をつくキャロル。

 流石に理不尽な文句を言われたことでウェルは不快げに眉を顰めるが、だからとこの状況で反駁するほど楽観視をしているわけではないらしく、キャロルに合わせていた視線をデモノイズへと向ける。

 

「……それで、早めに策を練らないと不味いと思うけど、そこんとこどうなんだい?カルデアの魔術師さん?」

『それはわかってる……というか、流石にその数が揃ってると不味いなんてもんじゃない。火耐性の高いウェル以外はデモノイズの焼却指揮を受けきれないぞ!』

『キャロルの対称属性の防壁やブリュンヒルデさんのルーンによる防御率も算出してますが……それでも、相手の魔詠から発生するフォニックゲインの総量を考えると、早期に叩かなければ一帯が吹き飛ばされますッ!』

 

 ダ・ヴィンチも流石に焦っているらしく、忙しなくデータを確認して少しでも可能性の高い道を探る。その一方でエルフナインは魔詠によるフォニックゲインの推移から、遠からず危険域に達することを告げる。

 

『となると、やむを得ないか……ッ!仕方ない、まずは一致団結してその場を制圧することから──』

 

 その場の状況がいかに危険かを十分に把握した弦十郎は、半ば強権的に策を伝えようとし──。

 

 

「うーん、これは仕方ない状況ですかね。危険ですが、賭けることにしましょうか」

 

 

 そんなどこかのんびりした言葉とともに、膨大な量の武装が雨のごとく降り注いだ。

 驟雨を作るその武器は、素人目に見ても超級としか呼べないであろう神器や宝剣。一振り一振りが奇跡の象徴であり、それらひとつでも担えたならば英雄として認められるだろうそれが湯水のように撃ち放たれる様は、正しく財の全てを持つものにしか出来ぬ所業。

 

「これは────?」

「これは────!」

 

 そんな見たことのない所業に戦慄する翼と、その光景を知っている立香の声が重なる。

 

「『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』!ギル君、戦えるの!?」

「あんまり戦いたくはなかったんですけどね。前も言いましたが、今はうまく宝物庫に戻せないので……」

 

 そうつぶやく子ギルの目線は、地面に大量に突き刺さった数多の宝物に向けられている。

 幾つかは宝物庫に戻されているようだが、平時と異なり残存する武装が多い。子ギルの言うように、宝物庫に戻すことが出来ない状態で残っているようであった。

 

「これではいずれジリ貧になってしまいます。ただ、デモノイズが軟らかいこともあって少々の間ならこの壁に穴を開けられます。ので、皆さんはお先に行ってください。──ボクは、ここで殿を務めます」

「ギル君!?」

 

 子ギルの言葉に、立香は何を言っているんだと驚くような目を向ける。

 

「言ったとおりですよ。先刻の天変地異が起きるまで、デモノイズも散発的な襲撃だけでボクは碌に動いていませんでしたから──宝物庫に財宝は十分にあります。デモノイズとかいう無粋なモノに遅れは取りません」

「そうはいっても、流石にあの数は……」

「大丈夫ですよ。ボクは貴女のサーヴァントですから、勝手に散ったりしませんって。……信じてもらってもいいですよ?」

「それは……もちろん信じるけども……」

 

「──だったら、アタシたちも残るデスッ!」

 

 子ギルの言葉に詰まる立香に、後ろから声が掛けられる。

 

「いいデスよね、調!」

「うん、もちろんだよ切ちゃん。私達もさっきまであんまり働けてなかったし、ギル君だけに押し付ける訳にはいかないよ」

 

 2人まで何を言い出すのかと立香が顔を向ければ、決意とやる気に満ちた2人の目線とぶつかり口をつぐむ。

 

「あなた達……いいのね?」

「当然デースッ!ココらへんでアタシらも役に立つところを見せるデス!」

 

 マリアの問いに威勢良く答える切歌。その様子に気負いはないと感じたのか、マリアが嘆息する。

 

「……行きましょう。大丈夫、2人……じゃなかった、3人ならやれるわ」

「む、むむ…………」

 

 2人の保護者的な存在であるマリアにそう言われ、立香も腹を決める。

 

「……よし!行こう!ギル君切歌ちゃん調ちゃんあとは任せた!ウェル博士!宝具宝具!」

「ハぁん?良いとも、この僕を舐めた魔神に痛い目を食らわしてやろうじゃあないかッ!」

 

 立香のテンションの乱高下に一瞬面食らうウェルだったが、先程の魔神の発言を思い返したのか一瞬で立香以上にテンションを跳ね上げる。

 そして彼の言葉に呼応するように、地面に半ば埋まっていた微細な揺れと共にフロンティアが再び起動した。

 

 その様子に慌て始めたのは、その場にいる立香とウェル、マリア以外の全員である。

 このまま悠長に問答をしていたらそれこそ3人だけで先行しかねない……皆が皆そう思わずにはいられない勢いに、それぞれ顔を見合わせ頷く。

 

「────ッ、この状況では拙速を尊ばねばならんということか。立花、雪音ッ!我々も行くぞッ!」

「ああもう、いくらなんでも急すぎだ、って言ってられる状況でもねえってことかッ!おい後輩共、絶対無事でいろよッ!」

「切歌ちゃん、調ちゃん──無茶しないでねッ!」

 

 装者たちはこんな急展開にも慣れていると言わんばかりに即座に行動に移る。

 終末の瀬戸際にあっては辛いことになろうとも尚、親しい友を信じて前へと行動することがより良い結果へと繋がる。それが彼女たちが今まで戦って得た経験則であった。

 

「うーん、マスターってここまで一直線だったかな?ああいや、一直線だったね」

「ええ。大切なものを当たり前のように信じ、恐怖を前にしても決意を鎧として進む。何処までも普通に、ただ誠実に」

「……それでこそ、ええ。私はマスターのサーヴァントですから」

 

 ダビデを始めとした、魔神との戦いにて召喚されたサーヴァント達。彼らもまた、己のマスターである立香が進むと決めた時点で道を定めた。

 彼らはサーヴァント、であればマスターの剣たらんとすることに躊躇はなかった。

 

「……ええいッ!どいつもこいつも、どうにも勢いに任せすぎるッ!」

「あっはっはっは!良いじゃないか、そういう勢い任せ僕は好きだぜ?」

 

 一気に流れ始めた状況に悪態をつくキャロルに、アマデウスは快笑で答える。

 苛ついている己の傍で大笑するアマデウスをキャロルは睨むが、睨まれた側のアマデウスは何処吹く風と歩を進める。

 

「さってと、僕もマスターに、そして彼女たちについていくけど……君はどうする?なんて、言うまでもないか」

「そんなもの……行かいでかッ!この世界の最後の戦力であるオレが立ち会わんでなんとするッ!」

「ははは、だよねー」

 

 ふん、と鼻息荒く足を速めるキャロル。

 ズンズンと歩くキャロルに追い抜かれたアマデウスは肩をすくめ、己の背後へと目線を投げかける。

 

「……そんなわけで任せたぜ、英雄王?」

「それはもちろん。そちらも、精々過去と対峙してきてくださいね?」

 

 子ギルから届けられた言葉に、アマデウスは声には出さずに苦笑する。

 そしてそのまま返答せず、フロンティアへと乗り込んでいった。

 

 

『あーあー、勝手に行動しちゃうかあ……。とはいっても、ここで出来ることなんて最低限の殿を残すか一気呵成の二択だったからしょうがないかな』

『ああ。こうなっては我々に出来ることは、彼らを信じて魔神との戦いをバックアップすることだろう。……殿を任せてしまうことについては、済まないと思っているが』

 

(……別に気にしてもらわなくても良いんですけどね。名乗りあげたのはボク自身なわけですし)

 

 通信機による会話。ギャラルホルンゲートによる通信神殿を担当する子ギルにも聞こえていたその会話に、子ギルは苦笑する。

 既に魔神を追って飛び立ったフロンティアは視界になく、彼の目に映っているのはうぞうぞとしたデモノイズの軍勢である。

 

「デデデース……。流石にデモノイズがああも並んでると無茶震いがとまんないデース」

「それを言うなら武者震いだよ、切ちゃん」

「ムチャクチャ震えるから無茶震いであってるデスよ……」

 

 そんな子ギルの傍でギアを構えるのは、他組の魔都攻略の間も共に居た2人の少女。

 先程フロンティア着陸時に叩き潰された軍勢より数こそ少ないが、それでも軍勢としか呼べないほどの指揮者デモノイズを前にしては緊張を隠しきれていないらしい。

 

「まあまあ。お2人ともザババの刃を担っているんでしょう?戦神の力があれば、この戦いだって勝てますよ」

「さいデスか。……でも同じ時代の王様が勝てるって言うなら勝てるに決まってるデースッ!」

 

 お墨付きデースッ!と(やや空元気のようだが)楽しそうに腕を突き上げる切歌に、子ギルはあははと軽く笑う。

 

 そんな談笑を遮るように、ズズ、とデモノイズが進軍を始める。吹弾器官から鳴り響く魔詠は、まるで最高峰のオーケストラの如き旋律で装者である2人の心を揺さんと耳に響く。

 だが、無理やり人を感動させようとする概念効果もヘッドギアから流れるアマデウスの曲──フロンティアで演奏を始めたのだろう──によって相殺されている。

 

 子ギルは迫りくるデモノイズを改めて見据え、さて、と前置いて口を開いた。

 

「それじゃあ2人とも……宝物庫に巣食っていたとかいうあの無様な雑音を、精々間引くことにしましょうか」

「あいサーッ!」

「伐採なら、任せて……ッ!」

 

 子ギルの号令と共に剣が再び降り注ぐ。バビロニアの戦神の刃を持つ2人は、バビロニアの王が放つ刃の雨の最中を意気揚々と駆け出した。



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第16節 王冠より出て、王国に至る(2)

 魔神が飛翔した先、この世界におけるレイラインの中枢──新宿。

 追跡していたフロンティアがその中心……崩壊した新宿都庁、その上に鎮座した落城後のチフォージュ・シャトーを視界に収める。

 

「──どこだ、どこに……ッ!いた、ぶっ壊れたシャトーの上だッ!」

 

 モニターに映し出された映像、シャトーの尖塔に立つ影を見つけ気炎を上げる。

 フードを深くかぶった少女の姿をした魔神は、その足元や背中、周囲一帯に複雑怪奇な魔方陣を展開している。

 

「錬金術……の紋章陣ではないな。であれば、あれは魔術か」

『そのようだ。今解析をかけるから、手を出したいだろうけど少しだけ待っててくれたまえ』

 

 そう言って、モニター越しに術式の解析を始めるダ・ヴィンチ。

 

「手を出すなって……今のうちに攻撃したほうがいいんじゃないか?」

『その、魔神の魔術は神代の術式を使っていますから。下手に手を出すと解呪できない呪いが返される可能性もありますので……』

「……そういうもんか。なんてーか、あたしらの知ってる錬金術より多彩だな」

 

 まだ何もしていない今がチャンスだと考えていたクリスは攻撃を主張するが、マシュの言葉に不服そうながらも納得を見せる。

 そんなクリスの今更ながらな感想に、当の錬金術師であるキャロルはふんと鼻を鳴らす。

 

「貴様ら相手に多彩な錬金術を使う意味がないからな。呪詛や呪縛の類とて錬金術には──」

『よし、解析完了!今まで見てきた魔神の術式と照応したけど、アレに反撃用の術式はない!術式は未起動状態みたいだし今ならまだ止められる!』

「──後にするか。作戦は忘れていないな?──ではゆくぞ、歌女に英霊共ッ!」

 

 キャロルはダ・ヴィンチの言葉を聞いて反論を打ち切り、己の術式を展開する。

 彼女たちがこの世界に来てから幾度も世話になったテレポートジェムの赤い光がその場の面々を包み込み、魔神の魔力渦巻く決戦場へと転移させた。

 

 

「……しつこいな、本当に」

 

 魔神の懐、輝く魔力の光る魔方陣の上。

 現存の魔術師では困難な高速詠唱を噤み、魔神は空に浮かぶ巨舟を、そして己の目の前へと堂々転移してきた存在に呆れた声を出す。

 

「そう抜かす割には妨害の術式を使用していないようだがな?本当に振り切るならそれこそ罠のひとつふたつを用意して然るべきだろうに」

 

 身の程知らずへ向ける哀れみの目線を真っ向から受け止め、キャロルは嘲るような笑みで切返す。

 そんな嘲笑としかとれないキャロルの言葉を受けても、魔神は顔を向けることすらしない。

 

「……さて、ここまで追ってきたからには私と戦うつもりなのだろうが」

「理由によるけど、まあそうだね」

 

 どこか今まで戦ってきた相手と異なる、なるべく対立しないようにと誘導してくる魔神アムドゥシアス。

 その行動の如何については未だ全容が全く不明なままであるため、立香達としても譲れぬままに戦うしか無い。さんざん響が魔神に対話を求めていたが、その思いの強さの大小こそあれ立香も同様な感情を持っていたことは否定できない。

 

(って言っても、ここまでのことになると流石に和解は……なあ)

 

 尤も、立香は響ほど切実な対話の意思があるわけではない。特に魔神がここまでの被害を齎している以上、内心では対峙が不可避であろうことも理解していた。

 それこそ、魔神の現状に余程切実な何かあるというのならまだ理解の1つも浮かぶかもしれないが、全く理由を話さない魔神を相手にしてはそれもない。事ここに至ってしまえば、今の立香にとって目の前の魔神は(心情的にはともかく)自己の願望に沿って暴虐を振るう大敵でしか無いのだ。

 

「……まあいい。どうであれ、この場で術式を完成させるためには私は貴様らの相手をしなくてはならないわけだ」

 

 立香の複雑な内心をよそに、魔神はその膨大な魔力を即興で組み上げた魔術式に循環させる。

 そのエネルギーは膨大であり、エルフナインという脆弱な殻をどんどん強固なものへと転化していく。

 

『対象のエネルギー、尚も増加中ッ!これは──周囲のフォニックゲインを取り込んで──ッ!』

『どうして……ッ!?僕の身体ではあんな無茶は出来ないはず……一体何が原因で……』

 

 測定されている事象を前に、エルフナインが何が起きているのかと目を皿にして原因を探す。

 そんな彼女へと答えを示したのは、彼女たちと違う世界の住人。

 

「……魔術、ですね。単純な術式ですが……成程、十全にする、といったのはその適正についてもですか」

「慧眼だ、戦乙女。この世界にあり得ざる歪な可能性だが、私ならこの体にその機能を付加する程度造作もない」

 

 褒めるような魔神の言葉と同時にその体表に光が走り、一瞬だが電子回路のような文様をその身に現していた。

 その光景に驚いたのは他でもない、魔術師としても一流であるダ・ヴィンチである。

 

『そんな馬鹿な!如何に魔神が魔術の原型だからって、こっちの世界秩序に染まっているはずのエルフナインに途中から回路を生やすなんて出来るわけが──』

「そうだな、普通は不可能だ。……如何に魔神たる私と言えど、根本として別世界の秩序が満ちている世界で、その秩序に依って在る存在を作り変えるのは手間が過ぎる」

 

 叫ぶようなダ・ヴィンチの言葉に、あくまで冷静にそう回答する魔神。

 

「だが、それはあくまで現行の法則があってこそ。例えば私という魔術法則が満ちた領域にこの肉体があれば、肉体を作り直すのは容易というものだろう?」

『──まさか、この世界はッ!?』

 

 魔神の言葉に戦慄を見せるダ・ヴィンチ。その問答を聞いて理解できた面々もまた、ダ・ヴィンチ同様の表情を浮かべていた。

 

「え、えっと……どういう事?」

「……オレたちが今いるこの世界は──」

 

 問答を聞いて何があったか判っていない勢筆頭の響に、キャロルは言葉を切って空を──星空に浮かぶデモノイズの半透明の身体を睨む。

 通常の世界では全くあり得ざる風景。地球が抉れ、デモノイズが宇宙を鎖のように繋ぐ世界。

 

 キャロルはその風景を見て、立香と共に居たときにあったホームズとの会話を思い出す。

 

(そうだ、そもそもこの世界が完成途中の固有結界ということは、逆に言えば完成に近づいていったということッ!であれば──)

「──この世界は、今やオレたちの世界ではなかった。奴に法則ごと作り変えられた世界だということだッ!」

「!!」

 

 キャロルの言葉は己の世界を失ったためか慟哭のように辺りに響き、状況を理解できていなかった立香も遅れて理解する。

 

「まさか、さっきの光で!?」

「どちらが先かは判らんがな。光が最後のトドメなのか、あるいは十全な環境が整ったから先の光が奔ったのか──どちらにせよ、この世界は既にやつの腹の中ということか……ッ!」

『通信できていることを考えればまだそこまでだけど、いずれはってところだね……これはヤバイぞ』

 

「えっと……?」

 

 ホームズの話を聞いていなかった響はまだ何がどうなっているのか理解出来ず(固有結界に関する情報自体をそもそも知らないのだが)、どういうことかと目線を向ける。

 

「オレたちが魔都の攻略に勤しむ間、ヤツは肉体の治癒・改造と並行してこの世界に対する法則の侵食を進めていたということだッ!」

「ほ、ほうそくのしんしょく……ッ!?」

「エルフナインの肉体に魔術回路が付与できたのも、この世界の基本法則に魔術やその素養に関する部分が十全に染み込んだからだろうな。魔術や神秘の法則が世界にはっきり染み付いている状況でなら、魔神が取り付く肉体に魔術回路が無い方が不自然だ、改造するのも容易だろうさッ!」

 

 よく判ってなさそうな響を盛大に置いてけぼりにしたキャロルは語調も荒く魔神を睨む。

 

「理解できたようだな?それでは──今から私がやることを、精々眺めているがいい」

 

 キャロルの刺すような目線に魔神が愉悦の笑みを浮かべた、その次の瞬間。暴風が巻き起こり装者やサーヴァントたちを吹き飛ばした。

 

「~~ッ、今のは、魔術かッ!?」

「くそ、こんなもんで……って、身体が動かねえッ!?」

 

 紋章陣も魔方陣も浮かばなかったことで全く不意を討たれた面々だが、それでも即座に体勢を立て直そうとする。

 だがそこで、またも動き1つもなしに放たれた魔神の魔術によって彼らは空間に縛り付けられた。

 

「ちぃ、だけどこんなもの、どっかの忍者の苦無に比べれば……ッ!」

 

 そう言ってウェルは、己に掛けられた拘束を振りほどこうと力を込めれば、対魔力もあってかすぐに動きが強まっていく。

 実際、魔術にとって重要な要素である詠唱や身振り、術陣を全省略した魔術による拘束はさしたる力もないようで、各々で差があれど少しずつ彼ら彼女らはその身を起こそうとしている。

 

 ──だが、拘束できた時点で魔神にとっては十分であった。

 

「──魔都による循環機構はやはり完全ではない……が、デモノイズの宙鎖があれば最低限の循環は可能だ。始めるか──」

 

──四方の門は閉じ、王冠より出で、王国へと至る三叉路は循環の理を示す──

 

「呪文詠唱!?あれ、でもこれって……!」

 

 魔神が唱え始めた文言を聞いて、立香は驚く。

 その文言は、彼女がおよそ唯一諳んじられる呪文詠唱。ただの一般人でありながら適正が在るということで、世界を救うために、何より生きるために必死で覚えた基礎の術式。

 

「……英霊召喚!?」

 

 細かな文節は異なるにせよ、それは彼女の知る詠唱に近い単語が幾つも並んでいた。

 それは藤丸立香が世界の危機に立ち向かったとき、彼女と共に戦ってくれるものを座より召喚する儀式。

 ──即ち、英霊召還。高次の存在である英霊を使い魔たるサーヴァントとして顕現させる術式である。

 

 と、ひとしきり驚いたところで立香はあれ、と首を傾げる。

 

「でも、なんで今更……?」

『油断しないように!余程とんでもないものを喚ぶつもりなのかもしれないからね』

 

 ダ・ヴィンチにそう嗜められ、僅かに出来た気の緩みを引き締める。

 とはいえ、立香を始めその場にいるカルデア勢はやはり疑問を抱いていた──サーヴァントの召喚のためにここまで大儀式をする必要が果たしてあったのか、という疑問を。

 そしてそれは当然、ある程度カルデアからの知識を得ているS.O.N.G.の面々も同じ思いであった。

 

「っても、さっきまで守護天とやらでサーヴァント喚んでたんだろッ!?それも強いやつを……だってのに、一体──」

「惑わされないッ!あの魔神が何をするつもりかは不明だけど、私達のやることはひとつ──拘束を解き、奴の行動を止めることッ!」

 

 困惑するクリスを一喝し、マリアはアームドギアを握る力をよりいっそう強める。

 その様子に同調するように、更に声が響く。

 

「そのとおりです──『剣を摂れ、銀色の腕(スイッチオン・アガートラム)』!」

 

 裂帛の掛け声とともに、銀の腕が励起する。銀光は騎士の思いを汲むかのように輝き、その身を縛る魔術を一閃の元に切り捨てる。

 銀腕の騎士ベディヴィエールは縛鎖を振り払い、流星の如き光軌を残し一気に魔神へと肉薄した。

 

 否、彼だけではない。ベディヴィエールが動けるようになったと共に、同様に高い対魔力を持つサーヴァント達は魔術による拘束を突破しそれぞれに行動していた。

 ウェルはネフィリムの、ブリュンヒルデはルーン投射による炎を放ち、ダビデはそこらの瓦礫を宝具として投擲する。

 

──満たされる刻は破却される──

 

──告げる。我が殻は我が下へ、我が臓腑は我が杖に──

 

 だが、それらの攻撃に見を晒されて尚魔神は見向きもしない。火に炙られようと、石に穿たれようと魔神は朗々と言霊を紡ぐ。

 

「以前と違い、エルフナインの身体を守りもしないか。──いや、守る必要もないということか?」

「舐めてんのかは知らねーけど、あたしらももうぞろ──ッ!よし、行けるッ!……嫌でもなんでも、無理矢理にでも止めさせろッ!」

 

───QUEEN'S INFERNO───

 

 己を縛る魔術を解いたクリスは、他の装者たちにも発破をかけつつ構えたアームドギアから光矢を放つ。

 魔神は魔術により肉体を強化しているが、先程よりサーヴァント達の攻撃を黙って受けている以上限界がある。そう考えたクリスは躊躇を胸中に押し込める道を選んだ。

 

「言葉で止まってくれないとしても……ッ!」

「この剣で止めるッ!」

「その身体から──出ていきなさいッ!」

 

───蒼ノ一閃───

───NEMESIS†HAMMER───

 

 クリスの叫びに応じるように、翼は蒼雷の刃を魔神へと放ち、マリアは複数展開した短剣からエネルギーを収束させた光芒を一閃する。

 そして響はベディヴィエールに並走し、魔神の懐へと一気に踏み込んだ。

 

「──ああ、やってやるともッ!その身体は既に喪われたものだ、今更弄んでくれるなッ!」

 

 そして、傷ついていくエルフナインの身体への哀れみと、未だ詠唱を止めようとしない魔神への隠しようもない敵意が乗るキャロルの慟哭のような声と共に、四大元素を束ねたエレメンタルの輝きが辺りを覆った。

 

 

──来たれ、天秤の守り手よ。来たれ──

 

「──我が身にッ!」

 

「『一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!!」

「止、ま、れぇー────ッ!!」

 

 万物を構成する元素の波動の中。魔神の最後の詠唱と同時に、ベディヴィエールの絆の聖剣が魔方陣の輝きに包まれた魔神へと刃を立て、立花響の絆の拳が雑音混じりの異界の魔へと突き刺さった。

 今までにさんざんと攻撃を受けていたその軽い身体はいよいよ耐えきれなかったとばかりに大きく吹き飛び、シャトーから遥か下方の大地に叩きつけられた。

 

「……どうなった?」

 

 クリスは最後の攻撃をした2人──響に問うのは憚られたのか、ベディヴィエールにそう尋ねる。

 魔神の術式を止められたのか。魔神の行動を止められたのか。あるいは──。

 

 様々な意味が籠もったクリスの問いかけに、ベディヴィエールは静かに口を開いた。

 

 

「──失敗、しました」

 

 

 小さく、だがはっきりと辺りに沁みたその言葉の示す真実など、声に含まれる苦味を考えれば改めて問うまでもない。

 

 ベディヴィエールの言葉に誰かが反応するよりも先に、未だ消えていない魔方陣はこれまでにないほどの輝きを見せた。

 溢れんばかりの輝きの中、見通せぬ先からはっきりと声が響いた。

 

「……一手、足りなかったな」

「何……?」

 

 そう歌うように告げる声音は、先程まで戦っていた少女のソレ。

 だが、その声には確かな喜の感情が滲んでいる。己の願いが叶ったことを喜ぶような無邪気な響きは、相手の正体を思えばむしろ空恐ろしい。

 

 展開されていた魔方陣は肥大化と拡張を繰り返し、デモノイズが天空に象る鎖はより一層美しい音色を奏でる。

 まるで何かが誕生したことを祝うかのようなその光景は、まさに異界と呼ぶにふさわしいモノ。

 

「く、くくく。既存の世界とは全く異なる世界であれば、とは考えていた」

 

 言葉とともに、魔神が徐々に姿を見せる。

 先程まで来ていたボロボロのローブは既に無く、幼気な姿は全く異なる意匠に覆われている。──いや、今の状態では幼気と呼ぶのも難しいだろう。

 

「例え今は無きモノであっても、概念自体は残っている。であれば、喪われたとされていない世界であれば、あるいは……とな」

 

「魔神の、あの体は──」

「成長……してる……?まるで……」

 

 響が評するとおり、魔神の宿る肉体は以前までの幼い姿から一変、彼女たちと同年代程度にまで急成長を遂げている。

 スラリとした肢体に、伸びた髪の毛はキャロル同様に三編みになっている。

 まるで、のあとに言葉こそ続かなかったが、その姿は装者たちにかつて魔法少女事変で戦ったキャロルを想起させた。

 

「オレの猿真似……というわけでもあるまいが。だが、エルフナインの身体を覆うそれは……」

 

 当のキャロルは魔神のその姿を油断なく見つめており、その目線が改めた装いへと向くと共に冷や汗を流す。

 彼女はかつて、魔法少女事変で装者たちと戦うにあたって己の肉体を成長させた。そこには様々な目的があったが、そう"出来た"理由は至極単純。即ち──。

 

「──ファウストローブッ!貴様、ソロモンの杖をファウストローブにしたかッ!」

「ッ!!」

 

 その言葉に答えず、ただニヤリと笑った魔神を見て。錬金術師との幾度の戦いを経験してきた装者達は目を見開き、即座に警戒を強める。

 

 ファウストローブ、ソレは錬金術師の秘奥たる真理の鎧。その性質はシンフォギアに近く、聖遺物や異端技術のエネルギーを己の力へと転化する武装である。

 シンフォギアとの違いは歌が不要であること、そして素材次第ではシンフォギアを大きく上回る力を発揮することも不可能ではないということである。

 

「ってことを考えれば、ソロモンの杖だってファウストローブになるってことかよ……」

 

 クリスが忌々しげに鎧を睨む。ヘルヴォル・アルヴィトの報告によれば、一度融解したソロモンの杖も(おそらく)錬金術の力で修復していたという話であった。

 彼女らがその話を聞いたときは、動かなくなった杖を動くようにしたということだという想定をしていたが、どうやらソレだけには飽き足りなかったようである。

 

『気をつけてくださいッ!ソロモンの杖の損傷度合い等は不明でしたが、魔神自身の強さや魔術などを考えればその出力はとても低いとは──ッ!』

「それはわかってるけど……ッ!」

 

 響は苦虫を噛み潰したような表情で魔神を見る。

 どうやらエルフナインの身体の動きを確認しているらしく、今はまだ手を出そうとはしてこない。だが、その場に満ちるエネルギーは膨大であり、闇雲な突撃などとても出来る状況ではない。

 

「とはいえ、このままでは埒が明かないわね。サーヴァントの皆ともタイミングを合わせて──?」

 

 と、ふとマリアは先程からカルデアの面々が何の反応も見せていないことに気づいた。

 失敗した、というベディヴィエールの言葉を最後に、先程まで一斉に攻撃を仕掛けていたサーヴァントたちも、マスターである立香も。まして魔術方面のオペレートを務めていたダ・ヴィンチやマシュの声もない。

 

(何かあったの?いえ、そういえば最後に魔神が使用していた術式はサーヴァントを呼び出す英霊召喚という話だった。──だというのに、魔神の周りにサーヴァントの姿はない。何か関係が?それとも何か、アサシンとかいう暗殺者の英霊でも──?)

 

 曰く、気配を絶ち、人を無慈悲に殺す死神の如きクラスの英霊も居るという。そういったサーヴァントであれば姿が見えず、故にカルデアは警戒しているのではないか。

 そう考えたマリアは、警戒するように周囲を見回し──呆然と目を剥き、魔神を凝視する立香を視界に捉えた。

 

「……立香?」

「……そんな……。嘘、だって、その姿は!」

 

 どうしたのかと問うマリアに答えず、考えがそのまま溢れているかのように呆然とつぶやく立香。

 言葉の最後の方は悲鳴のようになっており、その尋常ならざる様子にマリアはハッと魔神の姿を再度見やる。

 

「姿──あの姿に覚えがあるということッ!?」

(迂闊だったッ!セレナの例もある、あの魔神の姿の変化はファウストローブのためだけでなく、何か英霊か……あるいは神霊をその身に降ろしたということでは──ッ!)

 

 どういった英霊が召喚されたのか、マリアにその知識はない。

 余り参考にならないにせよ、せめて見目から推測は出来ないか──そう思うが、しかし対峙する魔神の姿は歴史の人物とはどうにも被り得ないもの。

 白いローブに金の腕輪。どこか静謐さを感じさせるその姿はまるで神に仕える神官を思わせる。

 

『……あり得ません。ですが、あの霊基、あの姿は──』

 

 だが。その姿から目を離せていないのは立香だけではない。

 カルデアから通信越しに聞こえるマシュの声や、この場にいるサーヴァント達の目線を辿れば。魔神の今の姿が如何に「カルデアにとって」ありえない姿なのかがわかる。

 

『ああ、全くありえないとも。一体どういったインチキを使ったのか──答えてもらおう、一体何をした!?』

「見ればわかるだろう──英霊召喚だ。ああ、厳密に言えばそこの英霊召喚第二号と同一の召喚法であり、疑似サーヴァントではないがね」

 

 明らかに冷静さを欠いたダ・ヴィンチに、端々に嘲りを混ぜた言葉で魔神は応じる。

 英霊召喚第二号──マシュと同様に、デミサーヴァントであると魔神は嘯く。だが、人理を砕く魔神との戦いを踏破した彼らカルデアにとって、そんなことなどどうでもよかった。

 

『白を切ってくれる──感知される反応は、その霊基は──その英霊は……存在しない英霊だ!』

(──ッ!そういうことね……)

 

 珍しく強い怒りが籠もったダ・ヴィンチの怒鳴るような叫びに、装者たちは先程からのカルデアの反応に得心した。

 確かに、カルデアの立場からすれば本来なら存在しない、そう断言できる英霊を召喚したとすれば心穏やかではないだろう。

 まして──。

 

「……もしかして、その英霊って……」

「──うん。もういないけど、何にも代えがたい大切な仲間で……。それでも、私達を守るために存在を投げ出して──」

(やっぱり……きっと大切な人だったんだ。それこそ、私にとっての未来みたいな……)

 

 カルデアの人々の反応から、その姿がどういった英霊のものなのか察したのだろう。

 気遣うような感情の含まれる響の言葉に、魔神から目を離さず立香は答える。その声には誇らしさ、寂しさといった様々な感情が含まれていたが、何よりも悲しさが強く残るもの。

 

 そして、そんな彼女たちを嘲笑するように──そして、ソレだけではない感情を含んだ声が2人の、そしてそこに居た人々の耳に届いた。

 

「──消滅した、か?あの愚かな王がその選択を採ったということが何より私には驚きだ──その様な、己を賭けることが出来るなどとはな」

「?何を──」

 

 どこからしくないその呟きに、立香は刹那警戒を忘れ、呆然と魔神を見る。

 

「──確かに座からは消えたろう。その霊基が関わる全てのタスクは満了し、現し世に梯が降りることはない──それは事実だ、認めよう。だが──」

 

 向けられる目線に気づかないかのように、魔神は己が指を──そこに嵌まる指輪を掲げる。

 すべての指に等しく嵌められた金色に輝くソレは、伝説に語られた天使と悪魔を縛る奇跡。

 

「だが、概念は残っている。哲学は残っている。そして他ならぬこの世界であれば、王が消滅したという記録は残っていない──法則を異とするこの世界でアレばこそ、魔術王の概念が在る」

 

 魔神が身につけるファウストローブは錬金術の秘奥であり──聖遺物・ソロモンの杖を鎧としたもの。この世界に氾濫したノイズを縛り従える異端技術の頂点のひとつ。

 特にも、魔神が介入したこの平行世界にあっては。その肉体に纏うファウストローブこそ、魔神柱と融合したデモノイズを──否、ノイズと融合した魔神を従える奇跡の宝物であり──。

 

「……であれば。召喚式を組み、使い魔たる魔神を携え、十の指輪を嵌めるものを貴様らはこう呼ぶのだろう──」

 

 

「──『魔術王』と」

 

 

 ギシリ、と歯を剥き出して嗤う、魔術王を名乗る魔性。

 見開かれた瞳孔は魔神柱のソレに等しく、肉食魚のような乱杭歯はその肉体が完全に魔と融合したことを見るものに伝えてくる。

 

『そうか!さっきの英霊召喚は実際に召喚するのではなく──』

「──召喚術を使う、それ自体が鍵ッ!己の構成要素を詰めることで、自身を──エルフナインの身体を"魔術王"の哲学兵装としたのかッ!」

 

 下ひた笑みを浮かべた魔神を前に、事ここに至って何が起きたのかを理解したキャロルは、もっと早く気づいていればと己の痛恨を悔いる。

 だが、最早彼女らにはどうしようもない。否、気づいていたところでどうにもならなかったろう──だからこそ、魔神を知る守護天達はその計画を止められないと断じていたのだから。

 

「聞くがいい、我が名を。純真無垢、罪過のない肉体を以て世界に君臨する王の名を」

 

 三編みの髪の毛から、全天を見透さんとするような悍ましい魔神の眼球が瞼を開く。

 額から屹立する一本の柱は、まるで獣の冠を戴いたよう。

 

「──我が名は、ソロモン。魔術王──魔神ソロモンである」

 

 アムドゥシアス──否、魔神ソロモンを名乗るソレは、魔術王の概念を持つ魔神は、己の存在を世界に向けて高らかに謳い上げた。



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第16節 王冠より出て、王国に至る(3)

「魔神ソロモン……だとぉッ!」

 

 その姿に、その名乗りに。

 後方支援中のS.O.N.G.の発令所に司令である弦十郎の絞り出すような驚愕の声が響く。

 

「カルデアからの計測データ確認……今までに類を見ない、膨大な魔力が感知されていますッ!先程の防御魔術を使用した時と比較しても圧倒的ですッ!」

「特に攻撃行動を取ることすらしていないというのにか……ッ!」

 

 藤尭の言葉に、弦十郎は唸る。

 ただ出現しただけ、魔術や錬金術の類は見たところ武装などでしか確認できない。にもかかわらず、計測数値は魔都の戦いを含めた現在までの魔力反応の中で最大値を叩き出していた。

 

「司令、このままでは……」

「……ああ、だが切り札であるS2CAをこの場で使用させるかはまだ判断できん。フォニックゲインは満ちているが、それを生み出したのは歌そのものを司る魔神だったものだ。フォニックゲインの挙動自体を完全に解明できていない現状、フォニックゲインを自在に操る魔神と対峙している現状で使わせて問題ない、とは言い切れん」

 

 渋面を浮かべ、弦十郎はそう告げる。

 女性オペレータの友里あおいが不安そうな感情を滲ませる。

 弦十郎は現状に明確な解決を齎せずにいたが、それでも冷静さを崩さず、発令所の面々が不安を覚えることが無いようにどっしりと構えモニターを見据えた。

 

(……魔神ソロモン、か。カルデアが対峙した魔神たちの目的は時代を焼却し、エネルギーへと変化・利用することだというが……)

 

 しかし、その計画の大本たる獣は既に打倒されたのだと弦十郎は聞いていた。そして、それ以降に戦った魔神はそれぞれ別な目的を持っていたとも。

 それが正しいとすれば、態々エルフナインの身体を乗っ取ったことを含め、魔神ソロモンを名乗る存在にはエネルギー化ではない別の目的があるはずだと睨んでいた。

 

(とは言え……それを知るには、結局相手方から引き出すほかには無い。魔神が元々居た世界にあるカルデアなら何か判るかもしれないが──)

 

 しかし、カルデアからの情報提供は特にない。

 魔神ソロモンの出現に衝撃を受けていることもそうだろうが、それを差っ引いても魔神の目的が依然判明していないということだろうと容易に想像できた。

 

「となると、あとは──」

 

 現場に期待するしかないのか、と弦十郎は暗澹たる感情を抱く。

 普段なら後方からでも相手の情報の解析も出来るが、現状ではそれも困難。いくら平行世界で起きている事件とは言え、その凡そ全てを現場の少女たちのか細い両肩に載せなくてはならない己等を思い、弦十郎は口端から細く血が流れるほどに奥歯を噛みしめた。

 

 

 

「ソロモン、って……」

 

 その単語に響が反応する。

 名前自体は知っている。ここに来るまでにさんざん説明を受けたし、何よりそれは響ら装者たちが今回の事件の肝であると説明を受けた杖の名前……というより、由来となった人物の名前である。

 曰く、古代イスラエルの王。神に叡智を望み、魔術を編み出した魔術王。

 

 そして、先程の立香達の反応で明らかになった────既に存在しない、召喚が不可能である英霊。

 

「エルフナインをソロモンの哲学兵装にした、ってどういうことだよッ!人間が哲学兵装だなんて、んなこと──」

 

 クリスが魔神から目を離さずにキャロルに言葉の意味を問いただす。

 地頭のいいクリスは薄々気づいていたのだろう、彼女の言葉には真実を否定したいという思いが溢れていた。

 

「──みなまで言わずとも判るだろう。あれは"魔術王"という概念を背負って立つ程度には、それに等しい要素を得たということだ」

 

 そんなクリスに対し、キャロルはただただ冷静に語る。

 

「剣を砕くソード・ブレイカーが炎の翼を穿てぬように、物質にはそれ相応の概念が──人類が築き上げた哲学が宿る。剣は刃を持つ剛直と認識し、ラピスはその輝きで呪巣を解すというように。魔神がやったのはそれの逆順だ」

「……つまり、"ソロモン王の扱ったという祭器"を持って、"ソロモン王の使役した魔神"を侍らせ、この世界全土に広がるほどの"召喚式"を組み上げられる存在となることで──ソロモン王であると定義した?」

 

 そこまで来て、マリアがキャロルの言いたいことを察する。

 先程の例えで言うなら、"長い刃""短い柄"を持つから剣であるとし、"呪いの浄化""物質編成の促進"機能を持つからラピス・フィロソフィカスであると定義するということ。

 

「って、流石にそんなんでどうにかなるかよッ!?それが成立するんなら、神様の武器使ってるあたしらは神様かッ!?」

「なるわけないだろうが。ギアが欠片なのもそうだが、例え完全聖遺物を使ったとしてもそうはならん──なるとすれば、ドクター・ウェルがソロモン王になるぞ。────だが」

 

 と、キャロルは魔神が先程まで展開していた召喚式の残滓を睨む。

 

「──魔術王しか呼び出せないように布陣を整えた召喚式で、ソロモン王が座に存在しない場合──おそらく、その世界で最も魔術王の定義に近い存在が"魔術王ソロモン"として呼び出される。違うか──魔神ソロモンとやら」

 

 キャロルの言葉に、魔神はふっと笑みを浮かべる。

 

「存外に慧眼だ、錬金術師。いいだろう、末期の土産ともなる。既に事が成った今、真実をくれてやることも吝かではない」

「──驚いた、存外に有情だな」

 

 多少煽るような、というか答え合わせをさせたくなるような言い回しをしてはいたキャロルだったが、まさか本当に答えが来るとは思っておらず困惑する。

 そんなキャロルの様子を魔神はつまらなそうに鼻で笑う。

 

「召喚者に不都合がない限りは問われたことには答えるものだ。我ら魔神というモノはな」

「~~ッ!それは……有り難いな」

 

 真実を告げることに不都合はない──ここから覆す術はないと言外に告げられ、キャロルはつい反駁したくなる己をぐっと飲み込む。

 そんな様子をどうでもいいとでも言うように、魔神は誰にともなく口を開いた。

 

「先程のキャロル・マールス・ディーンハイムの言葉は凡そ適当だ。この世界で最も"ソロモン王"に近いのが私である以上、ソロモン王の触媒以外に反応しない先程の召喚式であれば──私が"魔術王ソロモン"として世界に定義される、という点はな」

『──確かにそういう場合は往々にしてあるとも。カルデアなら佐々木小次郎やアンリ・マユなんかはその類だけど──でも、少なくともその肉体の場合はあり得ない。エルフナインというちゃんとした名前がある以上、彼女は例え死んだとしてもエルフナインであるはずだ』

 

 魔神の言葉に、聞いていたダ・ヴィンチが即座に反論する。

 

 カルデアに存在するサーヴァントの佐々木小次郎やアンリ・マユは、厳密には神話伝説の彼ら当人ではない。

 前者は無銘の人間が"燕返し"を放てるからと佐々木小次郎であるとされ、後者は生前の内に"この世全ての悪(アンリ・マユ)"であるとして、人々の心を救うための生贄の羊とされた青年である(らしい。流石にカルデアでも生前の詳細データは存在しないため、マスターがアンリ・マユ当人から聴取した内容でしかない)。

 

 そういった"構成される概念"から、近似的な存在として英霊の枠に押し込められるサーヴァントも無いではない。だが、それはあくまで召喚される存在が、召喚される時代において明確な定義を持たない──無銘の存在であればこそだ。

 これが名前の残らぬ程に時が経っているなら、あるいは名前が生前の内に削られたりしていれば"無銘の誰か"として、合致した代理存在として召喚される可能性はあった。

 だが今、この時代において彼女はあくまで"エルフナイン"である。例えどれほどに近似したとしても、"エルフナインである"という概念を超えてまで魔術王として定義され得ないとダ・ヴィンチは論を述べる。

 

「そうだな、それは間違いではない。だからこそ凡そ、ということだ」

 

 だが、魔神はその反論も織り込み済みであったらしくただ肯定する。

 どういうことかと訝しげな目線を向ける面々をちらりと流し見、魔神は言葉を続ける。

 

「詰まる所、この体をエルフナインとして認識するものが誰なのか、ということだ。有り体に言えば、この世界の知性体がこの体をエルフナインであると認識しなければ──この体の名称を"エルフナイン"ではないと規定すれば、この体はエルフナインではなくなる」

「そんなッ!……ううん、少なくとも私達はそう思ってるッ!私達だけじゃない、他の皆、も……」

 

 魔神の言葉に思わず反論した響だったが、他の皆と言ったところでその声がどんどん尻すぼみになる。

 魔神によって大半が崩壊した今のこの世界を取り巻く状況に気づいたのだ。

 響が感づいた様子に、魔神はわずかに口端を上げ。

 

「……概念は、哲学とは得てしてその世界における知性体の思考の総体──特に、霊長と呼ばれる霊的に最も発達した種族が決定するものと思って間違いはない。であれば、エルフナインと貴様らの呼ぶこの体の定義は──この世界の霊長が決定するものだ」

『……まさかッ!貴方は──そんな方法でッ!?』

 

 核心を突かず、迂遠に展開される魔神の論の結びに気づいたエルフナインは、思わずと言った風に叫ぶ。

 そんなエルフナインの声を無視するように、魔神は決定的な一言を口にした。

 

「……ところで、群体生命であり、今やこの世界中に根を張り巡らせた"私"と、この列島の中心部を除いて絶滅した人類。──一体どちらが、この世界の霊長だと思う?」

「────ッ!!!」

 

 その言葉は、聞いたものを慄然とさせた。

 ソロモン召喚のそのためだけにこの世界を滅ぼしたと、魔神はそうこともなげに言ってのけたのだ。

 

「そんな……そうしなきゃだめだったのッ!?そこまでして、どうして……ッ!?」

 

 唇を震わせながらどうにか絞り出すような響の問いに、魔神はふむ、とひとつ頷く。

 

「確かに召喚するだけなら他にも方法はあったが、仮に別な手段を講じたとしても、この世界を滅ぼすことには変わりない。であれば、一石を投じるだけで二鳥が穫れるならそれに越したことはあるまい」

「そんな……ッ」

 

『どちらにせよ滅ぼすつもりだったからついでに、ってことか。ということは、その身体に漲る魔力がその"滅ぼすつもりだった"理由かな?』

 

 これ以上この話を続けても恐らく効率の話か出てこないだろうと見切りをつけたダ・ヴィンチは、響ほかのメンタル面も踏まえ話題をそらす。

 ──逸れた先も大概な題目ではあるが、せめてこの状況を攻略するために少しでも情報を知りたいと考えていた。

 魔神はそれについても隠し立てするほどのことでもなかったのだろう、鷹揚に頷き言葉を続ける。

 

「そうとも。既に理解できていよう、この世界はかつての神殿の再現であると」

「……まさか、本当に……?」

 

 魔神の言葉を聞いた立香は、未だにありえないと思う反面やはり、という感情を同時に抱く。

 キャロルと共に本部待機していたときにホームズから聞いていたが、本当にそれを実現してくるとは考えていなかったのだ。

 

「うん?だけどおかしいな。この結界──冠位時間神殿はソロモンの身体があってこそだろう?あいつの肉体は大いなる主に捧げられたモノ、そうおいそれと代用できるとは思えないけどね」

「!」

 

 ソロモンの神殿に一家言あるダビデの言葉に、立香は思わず魔神に問うような視線を向ける。

 

「私の目を見返すとは、相も変わらず不用心だな。……魔術王の肉体は確かに重要だ。至高の魔術回路を持っている奴の肉体あってこそ、神殿は()()()()として成立していたのは間違いない」

 

 凝りもせずに己に目線を合わせてくる立香を嘲りつつ、一方でダビデの言葉を認める魔神。

 ダビデはソロモンの父親であり、また主に捧げた張本人でもある。ソロモンに関わる情報について、ダビデは当人のパーソナリティ以外はおおよそ把握していた。

 

「……情報を確定しようという腹積もりだろうが。まあいい、貴様の考えに乗ってやろう」

「お、助かるよ」

 

 ははは、とこんな時でも平常通りに笑うダビデ。だが見る者が見ればその額にはわずかながら冷や汗が浮かんでおり、目は全く笑っていない。

 冷徹な王であるダビデと言えど、流石に魔神がソロモンの名を被り、剰え全く関係ない異世界を蹂躙していることには思うところがあった。

 

「神殿は地球環境モデル「カルデアス」に近いものだ。カルデアスが星のミクロモデルであるとするなら、冠位時間神殿は宇宙のミクロモデル。星々の運行、天球の配列、錬金術……数多の魔術理論の集大成であり、同時に人体というミクロスケールを世界というマクロスケールと照応させたものだ」

『ミクロコスモスとマクロコスモスの照応……それは、まるで……』

「そう、この世界における錬金術の秘奥と同じ。……この世界においては、ある意味私が編み上げられた世界より尚"一と全"の対比構造による相似性が意味をもつ」

 

 そう語られる内容に、装者たち──そしてS.O.N.G.で聞いていた後方組は覚えがあった。

 

「賢者の石に対する愚者の石と同じということか……」

 

 翼が納得したようにつぶやく。

 立花響というたった1人の命から生み出された全く無意味な塵である愚者の石が、多くの命を捧げられて造られた完全なる輝きたる賢者の石に対するものとして機能するように。

 小さな"一"と大きな"全"、その対比と相関こそが錬金術の秘奥であり、錬金術師達がその技術を用いて大掛かりな仕掛けを運用していたことは彼女らの記憶に新しい。

 

 そして、魔神が語った内容を踏まえれば先程の"神殿の再現"が別の意味を持つ。

 

「……ホームズが言ってた、『世界ベースとした固有結界として神殿を構築している』って……」

「そこまで調べはついていたか。ならば理解できただろう?この平行世界におけるデモノイズの経絡、魔都の配列……その全てがかつての大神殿を模倣構築したもの。

 魔術王の魔術回路が無いエルフナインの肉体という小宇宙に神殿を構築できないならば、この世界そのものに神殿を直接構築するまでのこと。魔術王の魔術回路は極小宇宙の再現すら可能だが、逆に言えば通常宇宙に同規模の神殿が築ければ問題ないということだ」

 

 そう語る魔神の言葉は出来て当然、と言わんばかりの自負に満たされている。

 事実、彼が言う通りそれが成立しているのだ。あるいは彼が本来存在していた常識では不可能な偉業であっても、歌が、想いが強い力を持つこの世界において、人の想いすら左右する"歌"の概念を持つ音楽魔にとって不可能なことではなかったということであった。

 だが、当然というかそれに異を唱える声が上がる。

 

「……確かにそれならこの世界に魔力は満たせるでしょう。座に存在しない、魔術王に最も親しいものとして"ソロモン"の霊基を獲得したというのはそのとおり。ですが、本来のソロモン王はその全てが放棄されている。魔術王の魔術回路が無いという事実が変わらない以上、その魔力が身体を満たせるかは、また別の筈」

「ブリュンヒルデ……」

 

 ブリュンヒルデはこの中で唯一、魔術王を祖に持たない神代の魔術師としての力を持つ。

 魔術の神としての側面すら持つ大神の智慧を授かった大神の娘は、魔神の言繰りの矛盾点を指摘した。

 そして、そのような考えに至るのは天賦の叡智を持つ万能の天才とて同じ。

 

『彼女の言うとおりだね。神殿の再現なんてのはまあ、見れば判るさ。だけど、君はあくまでソロモンの名札を付けただけであり、その本質は変わらない。仮に座に本来の霊基が欠片でも残っていれば、そこに記載された記録が君に対して適用されることもあるだろうが……』

「そんなことか。それに対する答えは実に単純だ」

 

 ダ・ヴィンチの言葉を遮り、魔神は肩をすくめる。

 

『何──?』

「……この世界における神殿の建立も、ソロモンの杖を加工して十の指輪を作り出したのも、魔術王のように魔神を守護霊体として従えているのも。──その全ては私が為した"功績"だ。ならば、この世界に在る結界は私が敷設したものであると同時に、私自身の"宝具"に他ならないだろう?」

『────ッ!』

 

 何を言い出すのかと問い質そうとしたダ・ヴィンチが、魔神の言葉に絶句する。

 

「英霊の宝具とは、その英雄が生前に為した偉業が、その身に宿る力が形となったものだ。オリュンポスの英雄が十二の難行を踏破したように、西アジアの弓兵が大地を割り戦を平定したように──かつてのソロモンが、エルサレム神殿を建立したように」

 

 それはあまりにも当たり前と言えば当たり前の話。

 "英霊ソロモン"が召喚される場合、その召喚される存在には魔術王の宝具が付随する。だが実際の魔術王の記録が残っていないとなれば──その宝具は、魔術王に最も近しいものが生前に為した、魔術王が為した偉業に最も近しい"功績"が宝具となるのが道理である。

 

「──そして、宝具はときに"生前では不可能だった事象"が実際に使用できるものとして登録される。この結界は"定義上"私自身に力を注ぐ前提で魔術式を組んだもの、例え本来は使用できないとしても──」

「さっきの疑似的な英霊召喚の折に、宝具として使用できるように変質したということですか……」

 

 ベディヴィエールの言葉に満足げな笑みを浮かべる魔神。

 ソロモンとして疑似召喚された魔神を抱く肉体は、サーヴァントとして"結界の力を万全に汲み取れる"性質を獲得した。

 それは本来なら魔術王たるソロモンの魔術回路がなくては成立しない奇跡、魔神はその奇跡を強引に手繰り寄せることに成功していた。

 

『よもやそこまでの手間を、といったところだね。生前に不可能だった逸話を元にした宝具は大抵、現実空間で組み上げて初めて使用できるようになる。だが君の場合既に組み上がっているから、その点も問題ないわけだ』

 

 吐き捨てるようなダ・ヴィンチの言葉には、呆れと賞賛の響きが微かに混じっている。

 魔術という分野であっても天才としての名を恣にしてきたダ・ヴィンチだが、そんな彼女であっても魔神がここまで迂遠な手段を取るとは思っていなかった。

 

『うーん、僕からすればあの魔神がここまでして魔術王の霊基を自分に組み込みに来るとは思わなかったな。ああいや、魔神そのものというよりエルフナインの身体に、か』

「?どういうことだよアマデウス。よくわかんねーけど今の魔神は魔力とやらがあふれんばかりなんだろ?それを狙ってるとかじゃないのか?」

 

 フロンティアから演奏とともに届いたアマデウスの呟きに、クリスが耳聡く聞き返す。

 ソロモンの霊基を得てからはまだ戦ってないが、それでも目前の存在が強大な力を持っていることは十分に伝わってくる。それだけの力を得るためになら、ここまで大掛かりな仕掛けも──と、そこでふとクリスも疑問に当たる。

 

「……待てよ、そもそもあいつの目的って結局判ってねーんだよな?」

『ああ、だけど魔術王に関わるなにかって事はわかる。だってそうだろう、あいつ半ば片手間でこの世界の大半をぶっ壊せるんだろ?フォニックゲインという法則とここまで噛み合った概念を持つアムドゥシアスが、何の目的もなしに何で今更魔術王に立ち返る必要があるっていうんだ』

 

 アマデウスの言葉は的を得ていた。

 現状のままでも、魔神アムドゥシアスは十二分な偉業を達成している。初戦の戦闘時こそ数の利などで押し切ったものの、個体としての力量の差は著しいものだ。

 

「確かに……では、魔神の目的にとりあの姿──魔術王の概念こそが大事であるということか」

『だろうね。まあ今はそれが何なのかは判んないけど。ねえ魔神ソロモン、なんかすごくなった記念に教えてくれたりしないかい?』

 

 翼の出した結論にアマデウスは頷き、ふざけた調子で魔神に頼み込む。

 

「さて。教えてやる道理はないな?」

『おいおい、隠しごとか?ってことは、知られると困ることか──知られたくないことなわけだ』

 

 魔神の白を切るような言葉尻を捉え、アマデウスが訳知り顔でうんうんと頷く。

 露骨に挑発してくるようなアマデウスの語調に、魔神の眉間にわずかながら皺が寄る。

 

「……ふん、忌々しい。絶対尊厳を遵守しないばかりか、ここまで戯けた人格に至るとはな……。だがまあ、それも最早問題ではない」

 

 そう告げると同時に、暗天の星空がにわかに輝き出す。

 何が起きたのかと宇宙を見れば、先程までは薄らとしか姿を晒さなかったデモノイズの連鎖が、結界に蓄積される魔力を、そしてデモノイズ自体が放つフォニックゲインを取り込みその色を増している。

 

『まずいぞ、デモノイズは霊基としては魔神柱と同じだ。アレの存在が結界内のエネルギーを循環させている以上、稼働している限り魔神を傷つけても無意味だ!』

「何だとッ!?」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に、翼の目線が宇宙をなぞる。

 凡そこの場からかけ離れた高空に在るであろうデモノイズは、地上から見てもはっきり見えるほどにその蛍光色を克明としていく。

 それはまるで星空に光の網が掛けられたような、どこか幻想的で悍ましい風景。だが、異変はそれにとどまらない。

 

 光の網が形を変える。地上からは糸のようにしか見えないデモノイズの網が、一本、また一本と縒り合わされていく。

 魔都を繋いでいる鎖以外のデモノイズ達は、上空で徐々に束ねられて太い光条へと姿を変えていく。

 一点を中心に放射状に広がり、また隣どうして束ねられる光の網は、さながら光る蜘蛛の巣のよう。

 

 そして、その放射状の素の最外円から放たれる光は、今や夜空を照らす太陽の如き光を見せ始めていた。

 夜の星を昼の如く照らし出すソレが放つ熱量は、地表に居る人間にとっても容易に感じ取れるほどにまで膨れ上がっていた。

 

『高エネルギー反応検出ッ!魔神の纏うエネルギー……魔力及びフォニックゲインとは別の、単純な熱エネルギーですが──こちらの機器では測定しきれませんッ!』

「馬鹿なッ!?S.O.N.G.の測定器は水爆規模のエネルギーですら捉えられるはずだッ!」

 

 通信機越しに聞こえる藤尭の悲痛な叫びに、キャロルが耳を疑う。

 彼らの扱えない、扱ったことのない別法則のエネルギーならいざ知らず、完全聖遺物のエネルギーすら推定しきる技術を以て尚純粋な熱量を測定できないというのは前代未聞であった。

 

 混乱するキャロルや装者たちであったが、カルデアの面々も到底穏やかではいられない。

 

「あれは……!?」

 

 空を見上げた立香の目に映るそれは、到底忘れ得ない災厄の記憶。

 魔術王を名乗る獣が為した偉業、人類を最も効率よく運用する大災害の輝き。

 

『くそ、迂闊だった!この世界を時代から切り離した固有結界とする……なんてことをやってのけるからには、この"宝具"があって当然と思うべきだった!』

 

 悔恨を漏らすダ・ヴィンチの声も、空を見上げる立香の耳には入らない。

 空に束ねられた熱量は今や完全な円環となり、その膨大なエネルギーを宙に輝かせている。

 

「嘗てのように、遍く過去を焼き滅ぼす必要はない──この世界にはソレを実現できる技術がある。見るがいい。この星を中心核に至るまで、その46億年の歴史(想い出)のすべてを焼却・錬成した新たなる光を」

「……あれは、『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』──」

 

 魔神の厳かな、それでいて興奮と喜悦が混じった声が響く。

 立香の絶望するような声がポツリと溢れる。

 

 それは、遍く天を照らすモノ。人理を元に作り上げられた、人類終了を告げる光帯。

 カルデアが人理を救う戦いの中、特異点の空に在った原罪のIであり、魔術王の第三宝具。

 星の過去の記録を「想い出」として焼却し、錬金術と魔術を組み合わせて構築されたこの特異点にのみ存在しうる智慧の輝き。

 

「──覚醒の時は来たれり。今この時を以て、この世界を構成する要素が揃った。循環する魔力とフォニックゲイン、光帯──そして指輪を持つ王」

 

 魔神は朗々と語る。敵対するカルデアに、S.O.N.G.にその行為の愚かしさを伝えるように。

 

王冠(ケテル)より流出せし偽の冠位は、今この時を以て"宮殿"を建立し、真なる王国(マルクト)へと至った」

 

 時既に遅かったということを、魔神に対峙する者たちは肌で感じていた。

 そう、魔神が異空間から再び現れた時点でこの状況は決まっていたようなものだった。

 

「──第二宝具『戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの(アルス・パウリナ)』の再演にして、歌と頽廃に満ちた偽りの神殿」

 

 だからこそ、突きつけられる魔神の言葉を黙って受け取るほかにない。

 この世界に、彼女たちが勝てる法則は存在しないという魔神の宣告を刻まれるしか無い。

 

 

「これこそが我が願望の最初にして最後の足がかり──『偽冠魔詠宮殿(プセウドモナルキア)』である」

 

 

 宝具の真名を魔神が口にすると共に、結界の歌が完全な調和を成す。

 この世界における真なる王の誕生を祝うかのような、荘厳にして麗美たる天上の調べが空々しく世界に鳴り渡る。

 

偽王国(プセウドモナルキア)……ふん、全てが偽の王国とは笑わせるッ!」

「そうとも。だが、真作が既に無い以上、これこそが真作である。──さあ、大願成就の刻だ。僅かな不備はあれど、それも修正は容易というもの。歌女に魔術師共は早々に尻尾を巻いて去るがいい、一時的とは言え消耗は手間だからな」

「…………ッ!」

 

 それは勝利宣言だったのか。それとも魔神の最後の慈悲だったのか。

 どちらにせよ、嘲りを見せる魔神が全く勝利を疑っていないことは明々白々である。彼女らの儚い抵抗などほんの微かな延命に過ぎないのだと、その態度が示している。

 

 

「──だとしてもッ!」

 

 

 だが、そんな魔神の言葉に従う余地は彼女たちの胸にはない。

 

「私達はアナタを──止める、止めてみせるッ!私はS.O.N.G.の装者で──何より、アナタを理解したいからッ!」

 

 世界を満たす魔性の歌に負けないような大声で、立花響は己の偽りなき心中を謳う。

 その隣には、その周りには装者たちが思いを同じく魔神に真っ向から立っている。

 

「私達は歴史を、想いを、世界を──何より、この世界に生きる人達が当たり前のように生きる権利を守るために戦う!──私は、人理継続保証機関カルデアのマスターなんだ!」

 

 魔神の悪意を跳ね返すように、藤丸立香が決意を高らかに宣う。

 その背後に付き従うように、その前に護り立つように、彼女の剣であり盾である英霊たちが刃を構える。

 

 この世界は大半が滅ぼされ、その全ては燃料と変えられた。輝く光帯は星を貫く光条であり、霊長の座はおぞましき魔神によって奪われた。

 今や彼女たちの居るこの特異点は、歌の力を信じて戦えた嘗ての世界ではない。構成する何もかもが魔神に味方する神殿と成った。

 

 ──だとしても。それでも諦めるつもりは毛頭なかった。絶望する気なんてサラサラ無かった。

 既に滅ぼされた世界であっても。それでも、残る僅かな大地に、世界に未だ人は残っている。であれば、彼女たちが戦いを辞める理由にはならなかった。

 

 その様子に、魔神は呆れと不愉快さを滲ませる。

 

「──面白くもない。よかろう、精々足掻け。この世界の寿命を一刹那伸ばすために、残る年月を使い潰すがいい!」

 

 魔神の死刑宣告と同時に、膨大な魔方陣が空に、地上に展開される。高まるフォニックゲインが、渦巻く魔力が世界を侵す現象として顕現する。

 瞬間的に展開された絶死の嵐を前に、ちっぽけな彼女たちは前へと駆け出した。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(1)

「──小手調べだ、焼け落ちよ」

 

 魔神の魔方陣が輝き、光の柱が降り注ぐ。

 対魔力では減衰出来ない純魔力の砲撃は、フォニックゲインから変換された熱エネルギーにより更に膨張、全てを焼き払わんとばかりに放たれた。

 

「くそ、初対面のときの眼光みたいなのをバカスカ降らせやがってッ!──だけど、ビームならなあッ!」

 

 禍々しい光条を前に、間髪入れずにクリスが盾のように立ちふさがる。

 本来なら無謀な熱量に対し、彼女は腰のリボン状のアーマーからリフレクターを散布することで砲撃を偏光してみせた。

 

「熱線を逸らすか。であれば──」

 

 だが、魔神にとってはそれも片手間の攻撃でしか無い。

 魔神の細い指がつつ、と動くと同時に、熱線の代わりに悪性情報を具象化した呪詛の波濤が押し寄せる。

 黒く染まった凝集された呪いは、クリスのリフレクターを容易く貫通する。

 

「ッ!まず……」

「おっと、これは僕がどうにかしようか」

 

 が、ソレに対して今度はダビデは竪琴を奏でる。

 呪詛を祓う竪琴の演奏は、魔神の呪いへと強く作用する。

 

 そして薄れた呪詛の中、その身が傷つくことを厭わぬように3人の影が魔神めがけて突撃した。

 

「どぉ──りゃああああああ──ッ!」

「はあああああ──ッ!」

「我が魂、喰らいて走れ──銀の流星!」

 

 響の拳が、マリアの短剣が、ベディヴィエールの手刀が同時に奔り、一息に魔神へと迫る。

 魔神の呪いをダビデが軽減したその瞬間を狙い、既に戦場を共に駆けた3人は以心伝心とばかりに同時攻撃を仕掛けた。

 

「呪詛の壁を厚くしすぎたな。視界が晴れないかどうかという瞬間を狙ってきたか──足止めも同時に、とは器用なことだ」

 

 己が眼前に迫る拳を、刃を前に、しかし魔神は揺らがない。否、揺らげない。

 自分で放った大火の光で出来た影に、いつの間にか鋭い短刀が突き立っている。

 

───影縫い───

 

「僅かな隙だが、作らせてもらうッ!」

 

 本来なら呪詛の壁を踏破できるはずもない小さな刃は、大地に深々と突き立っている。

 投げ放ったであろう翼の傍に立っているブリュンヒルデが細工したのだろう天羽々斬の刃は、僅かに地表に覗く刀身に頑健のルーンが刻まれていることが見て取れた。

 

「ふん……無意味と知らぬ事こそが無知ということか」

 

 影に立つ刃を見ても、しかし魔神は動じず鼻で笑う。

 それもその筈だろう。棒立ちしていた魔神に届きかけた槍と剣はその肉体に当たる直前で押し止められているのだから。

 

「──だけどッ!私の拳は──ッ!」

 

 だが、それでも3人は──否、立花響は、ガングニールは止まらない。

 魔神の体表に展開されている防壁を破り、その肉体へと突き刺さり──。

 

「必中の概念、いやこちらではそれが機能として付随しているものか。だが、今の私には無意味。その槍は勝利の為にあるもの、殺すためのものではないということだ」

 

 ──そこから、魔神を揺らがせない。いや、わずかにダメージはあったらしく体表に擦過傷が出来ている。だが、そこまでだった。

 

 ガングニールは必中の魔槍。たとえ中途にどれ程の障害があろうとも、それらを貫き相手へとその手を届かせる。

 そういう意味では、その拳は確かに魔神に届いたのだ。問題だったのは、魔神自体の肉体強度が跳ね上がっていたというだけで。

 

「──どうしてッ!?」

 

 己の拳が確かに相手の体に届き、手応えがあり、その上で殆ど痛痒を与えられない。その事実に響は愕然とする。

 今まで、彼女の拳が撃ち抜けないものはおよそ無かったと言っていい。完全聖遺物を纏うフィーネも、聖遺物を喰らうネフィリムも、破滅の歌を纏ったキャロルだってそうだ。

 拳が届かないことこそありはしたが、逆に言えば彼女の手は確かに相手に届きさえすれば、その歌を響かせられたのだ。

 

 それが、届かない。拳だけ届いても、歌が相手に、魔神の心に響かない。その事実に、響はわずかに動揺した。

 

 瞬間、数多の魔方陣が響を囲う。灼熱を吐き出さんとする炎熱魔術が、数瞬の隙を晒した響きを逃さんとその輝きを見せる。

 

「ほら、ぼさっとしないッ!」

「──マリアさんッ!ベディヴィエールさんッ!」

 

 爆炎に呑まれる瞬間、共に駆けていたマリアとベディヴィエールが響の腕を引っ掴んで一気に後退する。

 2人は響と違い貫通しないことも十分に考慮していたため、実際に刃が届かなかった時点で転進出来るように心構えていた。

 とはいえ、と間一髪で炎から逃れたマリアは先程動揺を見せた響の顔をちらりと覗き込む。

 

(しょうがないところはある、のかしら。──まさか防ぐ素振りすら無く直撃して無傷……でもないけど、ほぼ無傷とは思わなかったわ)

 

 届けば多少は仰け反らせられるかともマリアは考えていた。仮にダメージが無くとも吹き飛ぶくらいはあるだろうと。

 だが実際はその場から微動だにしないばかりかその体に僅かな傷程度。初戦ではルーンによる強化もあるとはいえ一撃で戦闘不能に追い込めていたというのに、いくら何でも今までの魔神と違いすぎていた。

 それはベディヴィエールも同意だったらしく、魔神を見て眉根を寄せている。

 

「これは──固有結界の影響でしょうか、ダ・ヴィンチさん」

『ちょっとまって、あと少し──うん、どうやらそうみたいだ。普通の固有結界とちょっと違うとでも言うのかな、あるいは神話伝承における防御伝承を概念的に重ねた可能性もあるけど、どちらにせよその影響だろう』

 

 いつの間にか調査していたらしいダ・ヴィンチの言葉に、やはりかとマリアは思う。

 以前戦った魔神と今対峙している魔神でどこが違うのか、と問われれば間違いなく固有結界の有無である。ソロモンという名前を冠したことやファウストローブを纏っているといった点も確かに違うが、それくらいではあの防御力に説明がつかない。となれば、彼女らの知り得ぬ固有結界という法則に何か仕掛けがあると見るのが当然だった。

 

『本来の魔術王の神殿は末端から中心を強化することで玉座を難攻不落化し、末端を強力な力を持つ魔神柱で守護するというモノだったけど……。うん、どうやらそちらのは各魔都に存在する魔術式が相互に保全することで永劫性を保つものらしい。どこか一箇所でも残っていれば他の箇所の魔術式の修復を行うことで延々と持続する修復機構だ』

「そんなこと出来るの!?インチキじゃん!」

 

 魔術王の神殿も大概だったが、今回のもひどいと憤慨する立香。

 ペーペー魔術師である彼女からすれば、どっちがどれだけすごいかもわからないが単純に反則じみた手段をとっているということは理解できた。

 

『世界全体でやってるから厄介ってだけで、本来の神殿に比べれば術式自体は簡素なものさ。神代ほどのトンデモがなくても、限定範囲で良質な霊脈があって神域レベルの術者の腕があれば西暦の魔術で構築できる範囲だ。ただ、それであの無敵性は説明が難しいからなあ……』

『それについてですけど……』

 

 と、疑問を浮かべているダ・ヴィンチに、同じく相手の状態を解析していたエルフナインが恐る恐る仮定を挙げる。

 

『その世界は魔神の宝具であると同時に、実世界を魔神が魔術で再構築するという偉業の結果そのものが残る、いわば"現存する宝具"ということでした。そしてかつての魔術王の宝具は魔術王の遺体そのものであるとも』

『ああ、そう言ったけど……って、まさか』

 

 改めて列挙された情報から何かを推察したのか、モニターに映るダ・ヴィンチの顔が引きつる。

 なお、傍から聞いていた面々は正直意味がわからない。精々意味が判っていそうなのは神秘に縁深いサーヴァントたちや、その手の話に造詣深いキャロル、今はフロンティアで援護中のウェル博士くらいだろう。

 

「あの、一体どういう……」

『同じ遺体をベースとした固有結界であるとしても、ボクの身体には魔術回路などのような機能がありません。だからこそ魔神はそちらの世界そのものを取り込むという道を選んだ──ということであれば』

 

 一応魔術側の代表、かつ直接戦闘には参加できないために通信する余裕がある(というべきかはともかく)立香が恐る恐る問いかけるも、エルフナインは後回すように話を進める。

 黙殺されてそれ以上問うことも出来ない立香を置いてけぼりに、ダ・ヴィンチは額に冷や汗をかいて口を開いた。

 

『固有結界として再構築された平行世界そのものが、魔神の肉体と同一のものとして扱われるってことか……。心象世界を実世界と入れ替える普通の固有結界と違って、実世界をそのまま加工して固有結界であると断じることで成立する宝具領域……。ミクロコスモスとマクロコスモスの照応というそちらの錬金術における基本法則を応用して、マクロコスモスの強度を自身に付与してしまうわけだ』

「世界そのものの強度だと……ッ!?ヒンドゥーのクリシュナじゃあるまいしッ!」

 

 ダ・ヴィンチが出した魔神の防御性に対する結論に、キャロルが心底忌々しげに吐き捨てる。

 

『文句言いたいのはこっちだよ。こっちの世界法則だけじゃ無理な事象をそっちの法則とうまく絡めて成立させるなんてペテンもいいとこだ』

「……それで、解決法ってあるんですかッ!?」

 

 魔神から放たれる閃光を逸らすクリスの傍ら、脚部ジャッキを展開し駆け出す体制を整えていた響が叫ぶ。

 悲鳴のようなそれに、ダ・ヴィンチが努めて希望があるような軽い口ぶりで答える。

 

『さっき響ちゃんの攻撃で僅かに傷がついていただろう?本来の世界並みの強度だっていうなら、あのかすり傷だって大きすぎる。察するに、我々の妨害で完全な状態で起動させられなかったのが響いているんだろうね。だったら対処法は簡単、この不完全な固有結界をさらに不完全にすればいい。──つまり、この固有結界を壊す!それで万事解決だ!』

「って、出来るわけねーだろがッ!」

 

 ミサイルの雨を魔神に叩きつけたクリスが怒鳴る。

 その間も逸れていない目線の先では、一切の痛痒を受けていない魔神が砂埃ひとつ無い姿を晒している。

 

『そりゃそうだ、だから霊的な構造を破壊する。魔神とその固有結界が繋がっているのは、あくまで"魔術としての"固有結界だからだ。つまり、どうにかして固有結界の魔術構造を破壊するしかない』

 

 世界そのものの強度をもつ相手を倒すため、その根源たる世界を壊す──なんてことは全く不可能な話であり、クリスが怒鳴るのも当然である。ついでに言えばクリスを始めその場の全員にとって心情的にもNGであった。

 ダ・ヴィンチもそれは理解しており、ある程度現実的な方向性を提示した。

 

「……しかしダ・ヴィンチ女史、魔術構造の破壊は我々には馴染みがありませんが、どうやってやれば────……?」

『どうやって、か。それは今から……って、どうしたんだい翼ちゃん?』

 

 戦闘中で声が途切れたのかとダ・ヴィンチの疑問の声が上がるが、翼はその疑問の声に答えず眉をひそめる。

 まるで耳を澄ませているようであり、その様子になにか思い至ったのかダ・ヴィンチはS.O.N.G.と通信を開く。

 

『ねえ、そっちに何か通信波が来てないかい?翼ちゃんのギアに』

『ああ、そちらとの通信中に別端末から通信があったことを確認している。こちらの世界の機器じゃないから特定できるか──何だとッ!?』

 

 ダ・ヴィンチの確認に調査している旨を話す弦十郎の言葉が俄に驚愕に染まる。

 その通信は当然というか装者たちにも届いており、前衛を一時響とベディヴィエール、ブリュンヒルデに任せたマリアが翼の元へ駆け寄る。

 

「ちょっと、翼ッ!今は通信に足を止めている場合じゃ……」

 

「……奏ッ!?」

『通信先は……ガングニール、だと……ッ!?』

 

「……無いわよって、ええッ!?」

 

 翼の言葉と本部からの解析結果に、マリアは思わず驚きの声を上げた。

 

「奏……天羽奏ッ!?って、まさか魔都の──」

 

 一瞬戸惑ったものの、すぐにどんな存在から連絡が来たのかに感づいたマリア。彼女は他の魔都の戦いの詳細までは聞いていないが、それでも翼たちが戦う相手が天羽奏である可能性が高いということは開戦前に聞いていた。

 急な通信に翼が少々驚きながらも普通に対応しているあたり、守護天となった奏と和解できているらしいとマリアは密かに安堵する。とはいえ、今この場で通信でやり取りするほどとまでは流石に思っていなかったようでもあるが。

 

「奏、一体どうし──え?う、うん。……藤尭さん、すいませんが通信を全体に届けてもらえますか?」

『!ああ、わかった。──よし、全体化しますッ!』

 

 やがて奏から何か言伝られたらしい翼の依頼に、藤尭が即座にマニピュレータを操作し通信範囲を調整する。

 ややもしない内に、藤尭が調整を終え通信システムの接続を更新する。

 

『お、っと。よしよし、あたしの通信はちゃんと繋がってるみたいだ。悪いねダンナ、ちょっと翼のギア以外の通信先が軒並み通らなくて、さッ!』

 

 その通信から届いたのは、間違いなく天羽奏の声。座標は皆神山となっており、守護天であった奏──ランサー、ヘルヴォル・アルヴィトのものだった。

 どうやら戦闘中らしく、通信先からもかすかにデモノイズの歌と、それを薙ぎ払うような轟音が聞こえてくる。

 

『我々も本部をリディアンにあった頃から一新したからな。ところで、戦闘音がするということは──』

『ああ、魔神がこっちの制圧にいくらかデモノイズを回してるのさ。つっても戦力配分は今んとこお粗末さ。あたしがここを張ってなきゃいけないようにしてる程度だから気にしないでくれ』

 

 直接魔神をぶっ飛ばしに行けないのは悔しいけどね、と苦笑交じりに愚痴をこぼす奏。

 そんな軽口ひとつにすら闊達とした気風があり、守護天となっても自分らしさを失っていないようだと聞いていた面々は内心でホッとする。

 

『──と、こっちはともかくそっちは忙しいんだったな?話は聞いちゃいないが、この世界の状況はあたし(ヘルヴォル)()()()から、それの解決策についてちょっと提案があるんだ』

『提案だと?』

 

 前線組はともかく、後方支援している面々はそれぞれのモニタリング情報をしっかり共有している。だからこそヘルヴォルが全知を用いて世界の状況を理解できることについて、弦十郎に疑問はない。

 だが、その解決策については話が別である。

 

『──疑うのも無理はない。私は知ることは出来ても、その先の解を求められる全能性を保持していませんから』

「ッ今の声……。今のがヘルヴォルっていう守護天か……」

 

 通信先から伝う声音が全く唐突に切り替わり、それを聞いていたものに大きな違和感を与える。

 クリスの呟きの通り、守護天たるランサーを構築する霊基の一つ、ヘルヴォル・アルヴィトに人格が変わったのだ。

 

「うう……声がおんなじはずなのにぜんぜん違う人に聞こえる……って、危なッ!?」

「もう、気をつけなさいッ!かすっただけでも危険な熱量なのよッ!?」

 

 先ほどと主が同じ声であることは十分に理解できるのだが、それをして尚も違和感しか感じさせない程の変化に響が戸惑い、危うく炎に焼かれかける。

 辛うじてマリアの銀剣から放たれる光条でインターセプトすることが出来たが、下手をすれば戦闘から脱落していただろう。

 

(とはいえ、ここまでとは……セレナとヌァザもそうだけど、中身の人格が違いすぎるでしょう……?)

 

 平行世界を介してある程度交流があったマリアも、流石に奏が丁寧語、かつほとんど感情がないかのような口ぶりで話されれば違和感しか覚えなかった。

 

『……何か問題がありましたか』

『いや、進めてくれ』

 

 通信先のゴタゴタに気を取られかけたヘルヴォルに、弦十郎は先を話すよう促す。

 今の状況は魔神が本気を出していない──というより、恐らく天に輝く光帯の調整に力の大部分を割いているということは傍目にも明らかであった。でなければ、ここまで互角なように持ち込めるはずもないというのが全員の共通認識である。だが、たとえそうだとしても今が策を練る数少ない機会に違いはなかった。

 

『そうですか。では、端的に言えばこの槍の真なる開放による勝利を提案しますが、如何でしょうか』

「……えーっと……?」

 

 軍勢の護り手たるヘルヴォルもそれを理解してるのだろう、すっぱりと本題に切り込んだ。

 とはいえ、その内容がすっぱりしすぎて真意が理解できないような文言であり、大なり小なり皆困惑の表情を浮かべる。

 そんな中、策と呼ぶにはあまりに途中経過が端折られた彼女の言葉にパッと理解を示したのは、当然というか長姉であるブリュンヒルデであった。

 

「ガングニール……大神宣言(グングニル)の持つ機能、"穂先に指された者が勝利する"という因果の固定ですか」

『はい、御姉様。全知の権能、大神宣言(グングニル)の真作の一部たるシンフォギア、そして聖遺物の力を十全以上に引き出す御業を以てすれば実現が可能です』

 

 ブリュンヒルデの言葉をやや嬉しそうに肯定するヘルヴォル。

 

「因果の固定だと?そんな事が出来るのか……いや、出来るからこその宝具ということか?」

『それは……はい、御父様の槍ですので……」

 

 因果──原因と結果を示す言葉だが、それを固定と言われてもどうにもピンとこないらしい翼がうむむと首を傾げる。

 ヘルヴォルも概念的なものであるためか、主神の槍であるからと説明しづらそうに言葉を濁す。そしてそれだけではないと言葉を続けた。

 

『とはいえ、この宝具の場合言葉通り勝利を確約しますが、途中の内容がどうなるかまでは判明しないので、利用の是非は委ねることになります。ですが、確実に魔神に勝利することは可能かと……』

「……って、それってもしかして例えば隕石が落っこちてきて皆纏めて宇宙の藻屑エンドとか無いよね!?」

 

 とりあえず最後には勝てる、という雑な話に流石に立香がぶんぶん首を振って拒否する。

 主神の槍、大神オーディンの魔槍には、確かに指された対象(及びその軍勢)が勝利するという逸話がある。

 しかし、例えばラグナロクではオーディンを含むほぼ全ての神と巨人が絶滅し、それでも神々と人類が僅かに生き残ったからオーディンの勝利などという結末を迎えている。因果を固定する宝具というのはつまり、原因と結果以外は固定されない宝具であるということ。勝利以外の結果で固定できない以上勝利はしよう、だが勝利の定義にもよるがその結末が必ずしも良い結末となるかは実際にことが運ぶまではわからないのだ。

 

 そして、それ以外にも問題はある。

 

『うーん……最後の手段でしかない、かな。勿論途中経過が凄惨となる可能性があるのもそうだけど、何より魔神──というより今はデモノイズだね。アレは残滓とはいえビーストIIの霊基を持ってる。因果律に影響されない単独顕現を持ちうる以上、下手にそういう宝具を使っても自分達の首を絞めるだけに終わるかもしれない』

『それは確かにそうです。ですが、そうならないかもしれません。勝利の定義次第、になりますが』

 

 ダ・ヴィンチが難しい顔で告げた内容に、ヘルヴォルも眉根に僅かにシワを寄せて頷く。

 人類史に出現する自滅要因、獣の災害たるビースト達は特殊スキルとして"単独顕現"と呼ばれるスキルを有している。

 端的に言えば文字通り"単独で在れる"というものであり、呪殺などの即死効果や、時間遡行による発生の妨害などと言った因果律干渉を無効とする能力である。

 今や残滓と化したものだが、それでも対抗できる可能性がある以上、無駄撃ちで済むならともかく、魔槍の効果が変に作用することで想定外を引き起こす可能性がある以上、観測により立香達の存在証明をしているダ・ヴィンチらカルデアにとっては余り歓迎できる内容ではなかった。

 

『それに、だ。聖遺物の力を引き出す御業というが、それが絶唱を指すのだとしたら、無駄撃ちした場合はそちらの消費が大きすぎるのではないか?』

『……はい。私の霊基があるので、奏の負担もだいぶ軽減されるとは思いますが、それでも十全に戦うには一回が限度でしょう』

『それも織り込み済みか……』

 

 弦十郎の言葉にも、隠さずに肯定するヘルヴォル。

 絶唱は装者がもつ切り札であるが、同時に諸刃の剣。特に適合率が低い装者たちにとっては、使用時のバックファイアだけでもかなりの負担となる。一応ヘルヴォルは生前に主神からレプリカとはいえ大神宣言を預けられている以上、奏より大神宣言に対する適正は高い。だがそれでも、絶唱の負担を二度は受けられないだろうことは当人らが誰よりも理解していた。

 

「なる、ほど!確かに策に使える札が増えたことは歓迎できます、が!」

「それが強力なジョーカーなら尚の事だね。ただ、ちょっとどうするか悩ましいぞう」

 

 絆の聖剣を閃かせ魔神の炎を両断するベディヴィエールの横で、うんうんと納得を見せるダビデ。

 

 ダビデの言う通り、今の通信の目的は詰まる所、それらのデメリットを踏まえた上で一発限りの勝利の魔槍という手札があることを伝えるためなのだろう。

 その考え自体は全く有り難いものであり、有効であろう手札が増えたことについては事実でもある。

 

(だが……どこで使う?いや、どう使うべきか……)

 

 その手札の存在を知ったダ・ヴィンチや弦十郎は頭を悩ませる。

 はっきりいえば時間はない。魔神が光帯の調整が完了した時点で、彼らの敗北が確定するも同義なのだ。

 光帯が放たれるかどうかはもとより、調整に割いていたエネルギーが彼女らに向くだけでも現状では敗色が極めて濃厚になる現状、あまり用途に頭を悩ませられるものではない。

 

「……何も思いつかないなら、僕の案に乗ってみないかい?これなら上手くいくかもだ」

 

 そんな2人の耳に、ダビデの声が届いた。

 彼の手には現地の本部で手に入れたらしい通信機が握られており、あえて全体通信ではなく個別の通信を入れているようである。

 更にどうやら小声で話しているらしく、装者たちにその声が聞こえている様子はない。

 

『……何か策があるのだろうか?』

「勿論、これでも僕はダビデだからね」

 

 おそらく現場の面々には中身を話したくないことを察した弦十郎は秘匿回線を繋ぎ、装者たちへの通信に内容が漏れないようにする。

 ダ・ヴィンチも同様に通信を秘したらしく、立香が気づいた様子はない。

 

「お、助かるよ。ああそうだ、マスターとアビシャグたちには内緒で頼むよ?」

 

 そんな2人に満足げな表情を浮かべ、ふと思い出したかのように言葉を付け加える。

 

『それはどういう……?』

「あー、彼女たちに害があるものではないけど。ただちょっとショッキングな映像になりかねないかなって」

 

 ちょっと外見はひどい作戦だからね、という言葉の後に作戦概要を語るダビデ。

 ひどい作戦、という文言に眼を顰めた弦十郎やダ・ヴィンチらバックアップ組だったが、内容が進むに連れて目が見開かれていく。

 

「……というわけさ」

『それは……そんな事が可能なのか?』

『理論上は出来るだろうけど……でも、それはかなり運賦天賦じゃないかい?』

 

 策の全てを告げられたとき、2人の表情はまさかと言わんばかりのものであった。

 上手くいきさえすれば、確かに勝率が高くなるであろう作戦。魔神の無敵性も、力量差も。その全てを同じ土俵……とまでは言わないにせよ、十分に勝利できる範囲に落とし込める計画、ダビデの語ったものはそういう類であった。

 

「まあ、この手のは7割上手く行けばそこそこ勝ちの目が見えてくるからね。それで、どうする?乗るかい?」

『……』

 

 僅かに黙り込む2人。だが、現状を打破するのに最も……かはともかく、間違いなく有効であるというのは十分に理解できていた。そして、上手く行けば犠牲を最小限に抑え、死者を出さずに済むということも。

 

『だが、彼女は了承しているのか?』

「そこは当然さ。魔都攻略前に可能性の話はしておいたからね、それ用の絡繰についても組み上げてもらってたよ」

 

 弦十郎が唯一引っ掛かった点について確認をとったところ、ダビデは問題ないと笑顔で太鼓判を押す。

 その答えを受け、2人の腹は決まった。

 

『そこまで見越していたのかぁ……。うん、私はダビデ案に乗ろうと思う。S.O.N.G.はどうするんだい、風鳴司令?』

『……乗ろう。ダビデ王が出来ると言うなら、俺はそれを信じよう』

 

 作戦指揮を執る後方からの承認を得られたことで、ダビデはニコリと涼やかに笑う。

 

「ようし、それじゃあ……一丁、世界を救いに行こうか!」

 

 気負いのない自然な姿で、ダビデは今一度戦場へと身を投じた。

 

 

 

「どうした、私を止めるのだろう?先程の通信は察するに戦乙女だろう、槍の力を使って勝とうとは思わないのか?」

「くぅっ……」

 

 嘲るような声に合わせ放たれる嵐の如き魔術を前に、響は吹き飛ばされないように踏ん張るばかりで反論を打つことすらままならない。

 先程より戦いは一方的に推移していた。

 明確に押しつぶされんとされているわけではない、だが魔神に対して全く有効打を出せずにいる現状は、事実上魔神に対して手も足も出ない事と同義であった。

 

 魔神の指が指揮杖の如く揺らめくたびに魔方陣が現れては消失し、また即座に別な陣を再構築する。そこから放たれるのは炎や呪詛、魔力の光芒。場合によっては氷結や雷鳴の魔術など、凡そあらゆる術式が装者を、英霊を全く寄せ付けない。

 謳われし魔術の王の使い魔にして原初の魔術、魔神の力を歌と結界で極限まで高められたその力は強大無比としか言い表せなかった。

 

『おいおい、どうにかならないのかッ!?君らねえ、僕をこんな場面に立ち会わせたんならもっとこう劇的に立ち回ってほしいもんだよねぇッ!?』

「うるせえな、いまやってんだよ色々ッ!」

 

 観戦気分なウェルから飛ばされる野次にクリスが怒鳴り返す。とはいえ、そんなウェルがフロンティアに陣取っているからこそ魔神も下手にここを離れようとしないことは彼女も理解しているためか、普段よりその語調はおとなしい。

 

「……ドクターがフロンティアで重力結界を作ってるから、魔神が億に一つの隙を晒すことのないようにとのらりくらりとしている、のは判るけど……」

「ああ、このままではジリ貧だろう。魔神が手を抜いているのは手応えで判るが、それにすら刃が届かんとは……」

 

 マリアと翼もこの現状に思うところがある……というか、思うところしかないのだろう、会話の最中も苦渋をその顔に浮かべている。

 

「とはいえ、魔神がああも自信満々に槍について挑発している当たり……」

「ああ、やはりダ・ヴィンチ女史の言うような耐性があるのだろう」

 

(埒を開けるには……いや、まだ使うタイミングではない、が……)

 

 先程奏ことヘルヴォルから伝えられた手札の1つも、魔神の警戒度合いが低い以上あまり期待が持てるものではない。

 

 吹けば飛ぶような今の小康をどうやって進めたものか、と2人が小声で相談していたとき。

 遠くの空に、魔神の極彩色とは異なる鮮烈な閃光が輝いた。

 

「あれは──?いや、あの方角、まさか──ッ!」

 

 

(ああ、この歌をまた歌うことになっちまうなんてね。だけど、ヘルヴォル(あたし)が言い出したことで、天羽奏(わたし)が認めたことだ)

 

「──Gatrandis──babel──ziggurat──edenal──」

 

 朗々と、歌が響く。

 

 山頂が切り落とされた皆神山、その断面がまるで舞台のように立ち振る舞うは戦乙女にして魔都の守護天たる英霊──疑似サーヴァント、ヘルヴォルである。

 彼女が口にするそれは、装者が命を賭して輝くための歌。

 止めようとデモノイズが殺到するも、その歌から放たれる波動に、そして魔槍より放たれる魔力によって接近すら出来ずに砕かれていく。

 

 その様子を気にも止めず、ヘルヴォルは歌う。カルデアの、S.O.N.G.の指揮者たちが求めたとおりに──そして何より、神に祝福された英雄の望むとおりに。

 やがて辺りのデモノイズが粗方片付いたところで、再び湧出するまでの僅かな時も惜しいというように白鳥の翼を広げて飛翔する。

 

 伝承に曰く。全能の神オーディンは、世界で最も高い玉座(フリズスキャールヴ)より世界のすべてを見通したという。

 であれば、全知を意味する彼女が世界の遠くを知らんとするならば、まずは何よりも高く、高く飛ばなくてはならない。

 

(──ああ、高いな。こんなところまで飛ぶとは思わなかったけど……でも、翼はもっと高く、それこそ星空までも飛んだんだろ?)

 

 魔都で戦ったときに、その瞳により微かに捉えた友の過去を、今に至る旅路に思いを馳せる。

 

 その瞳は全知、その視野に映る全てを捉える神の視座の欠片。

 ヘルヴォル・アルヴィトは、全知たる軍勢の守護者は雲を抜け、山を超え、遙かなる高みより今この世界にのこる僅かな大地の中心を見据える。

 

「……く、ぅッ!」

 

 瞬間、その視野に映るすべての情報が濁流のように彼女の脳内に押し寄せる。

 結界、英霊、ギャラルホルン、フロンティア、魔神、装者──そして、彼女の友たる翼の少女。

 その姿を捉えたことで、奏は額に流れる冷や汗をぐいと拭って獰猛に笑う。

 

「……だったら、あたしだってこれくらいは飛んで見せなきゃなッ!行くぜ──王サマッ!」

 

 絶唱により蓄積された膨大なエネルギー、その全てがアームドギアへと装填される。

 その身を覆うギアのプロテクターが分離し、その全てを魔槍が纏う。

 

「──原初のルーン、正常展開。勝利条件、定義完了」

 

 絶唱の負荷か、または氾濫する情報を処理した弊害か、あるいは原初のルーンの多重展開によるものか。

 その口端からはつつと血が流れて落ちる。だが、そこに浮かぶ笑みは勝利を確信したもの。

 

「勝利の穂先は、常勝の王へ。栄光をここに、勝利を彼の手に。

 ────真名、絶唱起動。『絶唱・大神宣言(スパーブソング・ガングニール)』ッ!」

 

 それこそは神への祈り。神の成した叡智へ捧げる歌。

 そして何より、勇姿に捧げる勝利の導きたる奇跡。

 

 魔都の守護天として顕現したヘルヴォル・アルヴィトの、天羽奏とともにあることで成立したこの世界のみの輝きが、遠く彼方へと放たれた。

 

 

 

『宝具起動を確認、新宿の魔都に到達しますッ!』

 

 煌輝が、王国に落ちる。それはまるで流星のように、勝利の奇跡が注がれる。

 あまりの眩さに、瞬間、世界が白く染め上げられる。

 

「う、今のは……」

「今のが奏の──ヘルヴォルの宝具?でもなぜ……」

 

 刹那の輝きはすでに収まっており、思わず目を閉じていた翼は何が変わったのかとあたりを見回す。

 だが、そこに変化は見られない。何も変わっていない──そう思ったところで、翼はふと違和感を覚えた。

 違和感の原因を探ろうともう一度見回したところで、直ぐにその理由に思い至った。先程までと比べ人数が足りないのだ。

 

「……いない?だが一体どこへ──ッ!?」

 

 瞬間、魔神の居る方向から轟音が響く。ガングニールの突撃すらも上回るような衝突音とともに、遠くにあったビルが何かを叩きつけられたかのようにへし折れ、倒壊する。

 そして、先程まで魔神が居たところに立つのは1つの人影。その正体が誰なのか気づいたのは、視力に優れ、またその人影とともに行動していたクリスだった。

 

「──ダビデのおっさん、だよな?」

「勿論、そうだとも」

 

 (ケイン)を持ち、涼やかに立つその姿が誰なのか。ひと目見れば誰であるかを理解できるはずなのだが、しかし誰もがその姿に戸惑ってしまう。

 今の彼はそれほどまでに、同じ姿でありながら先ほどとは違うということが認識できてしまうほどに変わっていた。

 

 ガラリ、と小さく瓦礫の崩れる音が届く。

 音の方へと目を向ければ、崩れたビルを押しのけ魔神が姿を表していた。

 

「──貴様が相手ということか、イスラエルの先代王」

 

 魔神が喋る間にも、みるみるその傷が癒えていく。逆に言えば、その身体に遠目にも修復状況がわかるほどの傷を付けられたということだ。

 そして、それがどうやってついたかなんて、見て、聞いていた彼女らには考える必要もなかった。先程の衝突音、そして魔神が居たところにダビデが立っていた事実。即ち──ダビデ王が、魔神を殴り飛ばしたのだ。

 

「世界をその身に取り込んで、世界と同じ強度を得た。なんて大きな脅威だろう。なんて巨いなる災害だろう」

 

 まるで詩吟のように、ダビデが言葉を紡ぐ。

 その手にある竪琴がその詩に合わせて掻き鳴らされ、魔神の編み上げていた魔方陣が悉く消失していく。それが邪悪なる呪いであると、祓われて然るべきだと世界に定められているかのように。

 

「世界を踏み荒らし、飲み込もうとするオマエは。──そう。君は、巨人だな?」

 

 それこそが真実だと告げるように詩うダビデに、魔神は余裕気な表情を僅かに歪める。

 

「──巨人殺しか、馬鹿の一つ覚えのように」

「そうとも、馬鹿の一つ覚えさ。だが、世界に、人々に僕はそういう英雄だと思われているらしくてね?」

 

 巨人殺し、ジャイアントキリングの語源たるダビデ王はニヤリと笑う。

 

「さあ、僕が相手だ。精々油断してくれ、僕は油断している巨人を殺すことにかけてはプロなんだ」

「ほざけ、愚王が──ッ!」

 

 魔神の魔術が放たれ、ダビデに与えられた大いなる主の、そして異教の大神の加護がその全てを逸らす。

 

 それが合図とでも言うかのように。ソロモン王を名乗る魔神を正眼に、ソロモン王の父親たる古代イスラエル王ダビデは、伝説のとおりに、人々に求められる通りに常勝を重ねるために駆け出した。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(2)

「事ここに至って、慈悲はいらないだろう?開幕にいっとこうか──『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』!」

 

 宝具真名解放とともに、ダビデのスリングから瓦礫が投擲される。

 獲物の急所を逃さず捉える投擲、巨人ゴリアテを昏倒させた一撃は一切の牽制無く初段から魔神を打ち据えようと放たれた。

 

「ほざけ、この程度──ッ!?」

 

 迫る瓦礫を前に慌てず魔術防壁を組み上げた魔神は、驚愕に目を見開いた。

 ダビデの強肩から放たれた瓦礫が、物理法則上あり得ない軌跡を描く。まるで意思を持ったかのような飛翔体が、魔神の驚異的な構築速度で展開された魔術防壁を裏回ったのだ。

 

 魔神の防御を躱した瓦礫が、そのまま腹部へと突き刺さり、魔神の顔が僅かにだが苦しげに歪んだ。

 今の魔神が如何に世界そのものといえる防御性能を持っている肉体であるとしても、それとは別に概念的にダメージが通ってしまう以上痛痒を感じることは当然であった。

 

「ち、いッ!忌々しい、大神の槍の力かッ!」

「いやあ、便利だよねえ。ケルトのスカサハに習えばこういう投擲を素で出来るらしいから驚きだよね、ホント」

 

 死ななければらしいけど、等と軽妙さを失わず笑いながら魔神の言葉を肯定するダビデ。

 だが、それでも彼も笑ってばかりはいられなかった。

 

「……ところで、僕の宝具が直撃したからには気絶してほしいんだけどなあ。今からでも気絶出来ないかい?」

「貴様の投擲など、そもそも急所に当たらねば問題あるまいよ」

「鳩尾は急所でいいと思うけどなあ……」

 

 ダビデがそうぼやく間にも、投擲による打撲痕が修復されていく。傷の位置は腹部であり、人間であれば昏倒する可能性は十分にあるだろう。

 だが相手が霊体である魔神の場合、話が大きく変わる。人間霊が昇格したものではない意志を持つ魔術である魔神は、極論、肉体の損傷を無視して行動できる。

 そもそも魔神が現在乗っ取っているエルフナインの肉体は死後のそれを用いている。そういう意味でも、生物的な弱点を狙うことに大きな意味はない。

 

「ま、ソレが判っただけでもいいとしよう。狙うべきは頭か心臓──霊核を打ち抜かないと、ってことか。それにしても薄情だよねえ。前はその体をちゃんと守ってたんだからさ、今度は盾になってあげないのかい?」

 

 ダビデは語調を変えないままに言葉を紡ぐ。魔神を詰るようなその台詞に、ふんと魔神は鼻を鳴らす。

 

「瞬間的に肉体が破砕しないならどうにでもなる。この依代が消滅すれば確かに手間だが、先の戦いほど脆くもない」

「そうかあ、うーん、コイツは手間だ、ぞっとぉ!」

 

 吐いた言葉が切れるか切れないかといったタイミングで踏み込み、杖を振るうダビデ。

 ガギン、と魔神の防壁に叩きつけられたことで轟音を響かせるそれを引き戻し再度振るう。

 

「──ち、一々係うだけ無意味だな、これは」

「まあまあ、そう言わずに付き合ってくれると嬉しいね!」

 

 それが四、五回程繰り返された辺りで埒が明かないと後退した魔神。

 だが、ダビデはその僅かに開いた空白を一気に埋める様に踏み込み、魔神の手を器用に封じていく。

 そして高速詠唱を得意とする魔神が詠唱できないようにと再び杖を振るい、使わせる術式を防御に限定させていった。

 

 

 

「……えっ、えっと……?一体何が起きてるの!?見えないんだけど!?」

 

 ──という戦いが起きているなどと、傍から見ていた立香には全く見当がつかなかった。

 一応というか、後方援護要因ということで(立香よりは前に出ているにせよ)比較的近くに居たクリスが戦闘機動を逐一報告しているから辛うじて顔の向きは合わせていられるものの、それでもどうにか視界から逃さないことで精一杯であった。

 

「ああ?サーヴァントに指示出してるってんならある程度見えてるんじゃねえのかよ?」

「普段は、そりゃ少しは見えてるけどぉ……」

 

 クリスの疑問混じりの声に、立香は情けない声を出す。だが彼女の主観では「そう」としか感じ取れない以上、そう答えざるを得ない。

 今まで彼女が立ち回った戦場で、今ほど高速で戦い続ける存在を彼女は見たことが無かった。今のダビデの動きに比肩するのは、それこそ後ろを振り向く気すら無く逃げ回ったヘラクレスなどの一部の大英雄ぐらいだろう。

 

(うう、やっぱり魔術をもっと勉強するべきだったかなあ……。でも正直体鍛えるほうが色んな意味で優先だったし……でもでも視力を強化するくらいのは頑張って覚えておいたほうが良かったのかなあ……)

 

 決戦の場で自分が役に立てているように思えず、立香は過去の自分を振り返りじんわり後悔する。

 そんなしょぼくれた立香の様子に、クリスは小さく息を吐く。

 

「ったく……。つってもまあしょうがないだろ?ってかダビデのおっさんが見づらいってのはあたしも同感だ。魔都で戦ったときよりえらいギア上がってやがるしな……あれがさっきの槍の効果ってことか?」

「多分……」

 

 自信なさげな立香の声。一年を超え二年に満たぬ期間を修羅場に浸してきた彼女だが、生きるのに必死で知識面はおざなりもいいところであった。

 だが、それでも何となくだがダビデの力の理由は判っていた。

 

「……魔神に因果がどうこうするのは通じない、そうダ・ヴィンチちゃんが言ってた。ってことは、多分槍が決める『勝利の条件』に魔神が関わらないようにしたんだと思う……どんな条件を決めたのかは判んないけど」

「あー……確か槍の穂先で指されたら、そいつが勝つって因果が固定されるってことだったな。ってこた、『魔神に関わらない勝利条件』を決めたダビデのおっさんの、その勝利条件を満たせるように槍が因果を固定したってことか?」

 

 って、因果がどうとかどういうこったよあーややこしいッ!とぼやきながら器用にクロスボウで頭を掻くクリス。

 もう片手は魔神に照準を定めているようだが、そこは射手としての優れた動体視力により相手の動きに合わせて器用に調節している。とはいっても、番えられた矢が放たれることはない。これはクリスがサボっているとかではなくもっと別な理由からだった。

 

「問題は……どうやって援護するか、だ」

「う、うーん……」

 

 実のところ、他の前衛組に比べやや後方に陣取るクリスからすれば魔神の動き自体は比較的読みやすいし、射線自体は合わせられる。

 とは言え、それも空間魔術による残影や防壁の乱数展開などの防御術式をフル活用している魔神を正確に捉えられるかは未知数であった。

 虚実織り交ぜの魔術防御を見抜いているのは、ひとえにダビデの戦闘者としての戦運びの巧みさによるのだろう。

 

 主神の槍により何らかのブーストを受けているらしいダビデに生半可な支援は無意味。現状では下手に助勢に向かえば、逆に足手纏いになる可能性すらあった。

 それを判っているからこそクリスは支援できないが、だからこそもどかしい思いを抱いていた。

 

「せめて、どうにかダビデのおっさんの動きが把握できりゃいいんだけど……なあ、ユニゾンの旋律どうにか出来ないのかよ?」

『えぇ、今の旋律(リズム)では不満かい?でもこれ以上こっちから協調させようとすればむしろ押しつけになっちゃうぜ?そうなったら君らの持ち味を殺しかねないから流石にこれ以上はなあ』

 

 クリスの提案を素気なく切るのは、フロンティア内部で音楽を全力で演奏中のアマデウス。その言葉には音楽家の矜持も含まれていただろうが、何よりシンフォギアに対する理解からでたものであることはその声音から明白だった。

 シンフォギアが奏でる歌は胸の奥から湧き出る歌であり、それは装者たちの心象を形としたもの。心からの歌だからこそその歌には血が流れており、そして力を生み出す。

 当人たちが心から等しく同じ旋律を歌うならともかく、外からの心理誘導による魔詠の妨害及び擬似的なユニゾン状態は現状維持が精々であった。むしろその維持すら通常は不可能であり、アマデウスの神の如き技量により極めてギリギリを見極めた調律が成立しているという状況だった。

 

「ち、そりゃ判ってるけどよ……ッ!」

 

 当然というか、その曲の効力や心象への影響は他ならぬ装者であるクリスが自覚していた。だが、それでも指を加えている現状に我慢がならなかったが故の言葉だった。

 と、そこで2人の会話を聞いていた立香がピンときたように顔を上げた。

 

「……だったら、私が聞くッ!頑張って聞いて、頑張ってダビデの動きを把握して──」

「──それで、あたしらに伝えるってか?それはいくらなんでも無茶だろ」

 

 クリスは立香の言葉に厳しい対応を見せる。

 別に立香の戦闘指示力を低いと思っている訳ではない。勿論歴戦の英霊たちよりは低いだろうし、専門にそれを習った訳ではないだろう。それでも立香は英霊達のマスターとして立ってきた実績はある以上、直接戦場で立ち回りながら策を練る自分らよりは全体的な視野を持っているのでは、と思っていた。

 だが、それとこれとは話が別である。サーヴァントなら念話で指示も出せるだろうからタイムラグも少なく済むだろうが、装者であるクリスたちにはその手段が取れないのだ。通信による戦闘指示で戦うことも当然あるが、現状のダビデ達の戦闘に通信指示だけで割って入るには些か心許なかった。

 

「うん、だから──私も歌うッ!」

「え……はぁッ!?」

『マスター!?』

 

 そう考えていたから、クリスは立香の次の言葉に仰天した。

 歌う、うたう。立香は今、この戦場で装者でも無いのに歌う等と宣言したのだ。

 彼女をよく知るマシュを始めとした面々ですらその言葉を予想できなかったのだろう、カルデアからは困惑するようなざわめきが聞こえてくる。

 

 そしてカルデアに届くということは通信機にその声が鳴り渡ったということ。当然ながら立香の宣言は他の面々にも届いていたらしく、全員が全員奇異の視線を向けている……響だけはその手があった!と言いたげなキラキラした目を向けているが。

 

「それだよッ!立香ちゃんも一緒になって歌えばッ!」

「おいおい待て待てッ!?それだよってなにがどれだよッ!?」

『落ち着こう立香ちゃん、響ちゃん。いいかい、思考停止はだめだよ?』

「違うよ、あのね……」

 

 キラキラした目に飽き足らず口にまで出した響を抑え込むように、クリスとダ・ヴィンチが止めに入る。あからさまに心配な目線を向ける彼女たちに、立香は虚勢が半分自信は満々に説明を始めた。

 

 

 

(…………歌を変えてきたか)

 

 魔神は戦場の変化に即座に感づいた。音楽魔らしく音感は生物のそれを遥かに超越しており、戦闘音が響く中でもその僅かな違いを鋭敏に聴き取っていた。

 現在戦場に鳴り渡る歌は二種類。一つは魔神自身がデモノイズに奏でさせている魔詠だが、それが変化するなどということはあり得ない。理知と合理に満ちた魔神にとって、状況に最善な音色は一つに定められる。そうである以上、不用意に変質させる意味はない。

 であれば、変化したのは当然ながら────装者たち、ひいてはその後ろで己と同位の神技を見せる音楽家の歌にほかならない。

 

 ダビデの投石を魔術で威力減衰させながら、ここには居ないアマデウスに向けて魔神は嘲り笑う。

 

「随分と単調になったものだ。どうした、指が腐り落ちたか?」

『いやいや、単調なら悪という風潮はないだろうさ。重要なのは聞いている人間が心から乗れるかどうかだろ?音楽ってのは』

 

 己が奏でている曲の変化に対する嘲笑を受けても、全く気にした様子もなく飄々と受け流すアマデウス。

 

『結局音楽ってのは聴く相手が居ないことには話にならないんだからさ──尤も、僕の曲を聴くのは何も"ただ聴くだけの人間"に限った話じゃないんだぜ?』

「……何が──ッ、この、曲に合わせきれていない歌声は……ッ!は、ハハハハッ!馬鹿じゃあないのか貴様らはッ!よもやそう来るとはなッ!」

 

 その耳に新たに届いた音に、魔神ソロモンは曲調の変化の理由を理解した。そして理解してしまえば、まるで我慢出来ないとでもいうように大声を上げて笑う。

 素人でも耳に届いた旋律に乗れるようにとテンポを落とし、素人でも歌いやすいように音階を制限したそれは。装者たちには必要がない、普段は歌わないものへの配慮に塗れたその曲は。

 

 魔神の髪の毛や角、そして顔にある2つの眼球がグリンと動き一点を睨む。

 

「──歌うか、不出来な魔術師未満がッ!面白い、精々囀るがいいッ!」

 

 その目線の先に居る新たな歌い手──カルデアのマスターに対して即座にリビルドしたものが、今この場に流れる曲の正体であると魔神は即座に看破した。

 正しく邪視と呼べる魔神の眼光を前に、しかし立香は胸を張り睨み返す。

 

「──歌うよッ!何を隠そうこの私はカルデアで一番──"誰か"に合わせるのが得意だからね!」

 

 それは、決して己を卑下する言葉ではない。個性の塊たる数多くの英霊達とともに歩き、絆を結び、力を、心を合わせて戦ってきた。他の何が無くとも、彼女はそれだけで己を誇ることが出来た。

 およそこの世界の誰よりも神話・伝説の英雄たちと関わってきた、その誇りにかけて。カルデア最後の、英霊達の力を借りて世界を救ったマスターであるという自負にかけて。それが己なのだと主張するように、彼女は声高らかに歌った。

 

 その歌声は、決して聞くだけで誰かを感動させることは出来るようなものではない。所々音程は外れているし、声量も装者たちに比べればまだまだだろう。

 だが、その唄は確かに歌女たちと同じものを抱いていた。その詩は確かに英霊達と同じ視野を感じさせた。

 ──その歌は、確かにその場で戦う全てと心を共にしていた。

 

 勿論、彼女が歌ったところで世界が変わるわけがない。歌を力に変えられるわけでもなければ、世界に干渉する言霊があるわけでもない。

 それでも何かを信じ歌い続ける立香にいっそ憐れみに近い目線を向け、魔神は攻勢魔術を展開する。

 

「……まさか本当に歌うとはな。無駄を見せたな、消えるがいい──ッ!?」

 

 片手間に展開された魔術が立香に致命の一撃を与えんとするその瞬間、魔神の腕に拳が叩きつけられた。

 制御を外れた術式から放たれた炎は、狙っていただろう立香を大きく外れあらぬ方角へと飛散する。

 

「何────ッ!?」

 

 衝撃自体は大した事ではない。だが重要なのは、この戦いに介入があったことだ。

 今の彼らは単なる英霊を遥かに凌駕した速度での戦闘を可能としている。さらに言えば、魔神は戦闘中も幻影や反射など、実に多様な防御を敷いていたのだ。下手な干渉などしようものなら倍にして返す事すら可能な防御をくぐり抜けての一撃を受けたという事実に、魔神の思考は微かに混乱していた。

 

 そんな魔神に向けるように、立香同様に己を高らかに歌うものがまた1人、この渦中に姿を見せた。

 

「……何があったとしても、私の拳は一撃必中ッ!絶対に、届かせるッ!」

「ッ、ガングニールか、何処までも鬱陶しいッ!」

 

 必中の機能を持ち、あらゆる可能性を一つに束ねる立花響の拳。平行世界を利用した不死性すらも貫く槍によるものかと魔神は苛立たしげに歯噛みする。

 そして、その程度であれば今の魔神にとっては何ら問題ではない。

 

「小賢しいッ!」

「く、ぅ──」

 

 虫でも相手にするような魔神の軽い一薙ぎを受け、響は大きく弾き飛ばされる。だが、その様子は払った魔神にとっては予期しない挙動だった。

 攻撃に手応えがない。膨大なエネルギーを纏う魔神の拳を受ければ一撃で死んでもおかしくはないというのに、殴り飛ばされた響のギアには罅すら入っていない。

 

「後ろに飛んだだと……ッ!?今の貴様らが何故──ッ!」

「その情報は、もう古いのよッ!」

 

───EMPRESS†REBELLION───

 

 魔神の攻撃に合わせ響が後ろに飛んだことで生まれた空白に滑り込むように、マリアの連接剣が魔神の肉体を絡め取る。

 ギリ、と掠れるような音を上げて刃が縛り上げるが、それも魔神が僅かに身動ぐだけで砕け、解かれる。だがソレを悲観するようなことはない、そうなることなど今の彼女らにとっては予測できたことであり、重要なのは僅かでも足を止めたことだからだ。

 

「──今一度受けろ『一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!!」

 

 掛け声一閃、騎士の持つ絆の聖剣は歌を通じ、尚も強く輝きを放ち魔神に叩きつけられた。

 魔神は世界を取り込み、世界に比肩する強度を得ている。最初に響の拳を微動だにせず受けきったように、踏ん張れる状況、あるいは魔術により慣性制御している状況ならばこの攻撃を受けても小動もしないだろう。

 だが今は違う。攻撃の際の僅かな隙をついてからの連撃により、魔神はその身を動かされた。膨大な概念質量を持つ矮躯が僅かに大地へと沈み、衝撃で地盤が大きく砕けた。

 

「無駄だというのが──」

「いいえ、いいえ──無駄なんて、そんな事はありません」

「!足場が……小癪な、ルーンかッ!」

 

 僅かに埋まった足を引き抜き、そのまま間髪入れずに反撃──そう考えた魔神の足がより深く埋まる。

 見ればその足元が泥土と化しており、力を込めた軸足が更に沈み込んでいた。

 

「そうとも、そして──ッ!」

 

───天ノ逆鱗───

 

 高くに飛翔する翼が、巨大な剣を空より落とす。竜のうろこに似たソレは、過たず魔神の肉体を穿たんと迫る。

 そしてその刃が肉体を貫いた──といったところで、魔神の肉体がブレた。

 

「これは、幻影──ッ!」

「隙を晒したな、まずは貴様から死ぬがいいッ!」

 

 大地に突き刺さる刀身に、残影の魔術により攻撃を回避した魔神の凶相が映り込む。

 瞬間、周囲に膨大な魔方陣が展開される。逆鱗に佇む翼をこの世から消滅させんとする過剰なほどの攻勢術式を前に、しかし翼はあくまで冷静さを失わずに周囲を見てニヤリと口端を上げた。

 その様子に、殺意を滾らせた眼はそのままに不審げに眉を顰める。

 

「何がおかしい」

「……さて、な」

 

 韜晦するような翼の言葉と同時に、上空で轟音が鳴り響いた。

 魔神が全天を見据える眼で何が起きたのかを見れば、イチイバルの小型ミサイルが魔神が予め展開していた防壁に止められ、爆炎で空を照らしていた。

 その程度であれば気にすることはないと、魔神は即座に見切りをつけ魔術を放とうとし──その指揮をする腕が動かないことに気づいた。

 

「これは、影縫い──……そういうことかッ!」

「そういうことだッ!」

 

───MEGA DETH PARTY───

 

 先程まで他の装者も、サーヴァントも防壁に引っかかるような隙のある攻撃はしていない。にも関わらずクリスの攻撃が露骨に防壁にぶつかった理由を魔神は即座に理解した。

 空間に残る熱量が、追撃で放たれたミサイルを誘爆させる。空に咲く爆炎の花は呪詛の残滓により黒霧に半ば沈み込んでいた戦闘領域を煌々と照らし出し、それにより生まれた影が逆鱗によって貫かれていた。

 

 当然それも、最初のマリアの連接剣のように魔神が力を込めれば振りほどける程度でしか無い。

 だが、力を込めようにも泥土の足場が動きを阻害している。先程のように軽く身じろぎ、程度では振りほどけるものではなく、結果的にだが解くための隙はより大きなものとなる。

 

 そして、常勝の王はそれを見逃すような隙のある英雄ではなかった。

 

「行けよ、ダビデのおっさんッ!」

「激励ありがとうアビシャグ!これで百人力だぞう!」

 

 クリスがタイミングを伝える声が先か、ダビデが踏み込むのが先か。

 彼らはまるでそうなるかのように間髪入れずに連携行動を取り魔神を一気に追い込む彼女たちを前に、魔神は無駄と理解しつつも拘束を振りほどこうと力を込める。

 無理に力を入れたことで足をさらに踏み込みぐらついた魔神の目線が、不出来ながらも歌い続ける立香を捉える。そこで漸く、一体何が起きたのかを理解した。

 

 

 

 立香が歌うといい出した時、当然ながら全員が全員彼女の発言を怪しく思った。バイタルデータを確認してなければ魔詠を聞きすぎて歌に溺れたのかとすら思われてしまうだろう、それほどに突拍子もない言葉だった。

 そもそも立香は歌ではなく神秘の世界の住人であり、どうやってもフォニックゲインがどうのこうのと言った話にはならない。音楽魔術でも扱えるならいざしらず、三流未満の彼女では歌っても全くプラスが無い……双方の世界の常識で考えてもそれが正論だった。

 だがそれをここに来てまで理解していない彼女ではない。奇妙なものを見る目を向けられても、尚も気にする様子もなく口を開いた。

 

「いや、別に考えなしってわけじゃないんだよ。ほら、絆のユニゾンだっけ?あれって本来は心をあわせて一緒に歌うことで力を高めるってやつなんだよね?」

「あ、ああ……。だが、フォニックゲインを生み出せない藤丸では……」

 

 前提を確認するような立香の口ぶりに、怜悧な美貌に困惑を浮かべた翼が言いづらそうに反論する。

 絆のユニゾンはあくまで心象を理解することによる相互連携力の強化、及び装者に限ってはフォニックゲインの相乗による出力向上を目的とするもの。前線に出ず、歌にフォニックゲインが乗らない立香にその恩恵はない。

 

「あ、そこまで高望みしてるんじゃないんだ」

「何?では一体何が目的で歌を歌うなどと……。我々はシンフォギアがあるから問題はないが、一切の扶翼もなく戦場で歌うことの危険は判るだろう?」

 

 それらの恩恵もなく歌を歌う理由なんて、翼には想像できない。これがカラオケやライブなんかであれば理由の100や200は軽いだろうが、魔神の魔術や歌や眼光が折り重なった炎が飛び交う戦場では余りにも危険に身を浸しすぎる行為である。

 翼の真に心配する目線を受け、それでも立香は目をそらさず持論を語る。

 

「……確かに危ないよ。ただ、胸の歌を一つにしてる皆って、言葉に出さなくても動きを合わせてるじゃない。だったらほら、私も同じようにやれば、ダビデの動きを直感的に伝えられるかなって。アマデウスの旋律ならなんかできそうな気がするし!」

「それは…………だが……」

 

 いくら何でも、そう思ったところで翼は魔都での戦いを思い出す。

 ブリュンヒルデと共に戦い、彼女の狂愛と己の親愛を束ねた刃の一撃。あの時、アマデウスの歌を介して2人の心は重なっていた──装者である翼と、装者ではないブリュンヒルデの心が、だ。

 

「……成程、有りうるかもしれん」

「ちょっと、翼ッ!?」

 

 前言を翻し一考する姿勢に入った翼を見てマリアが慌てる。

 

「いや、藤丸の言にも一理ある。アマデウス殿の奏でる歌は、彼自身の言う通り我々の心をある程度縛る。奇跡的なバランスで我々の力を削がぬ様にとその神技を振るってもらっているが、それでもある種強制的なユニゾンが発動していることは疑うべくもない。そしてそれはブリュンヒルデと……サーヴァントの皆と共同で戦っている時も感じていた」

「!……確かに、そうかもしれないけど……」

 

 マリアとて、それを感じた事が無いわけではない。ベディヴィエールとともに魔都の攻略に挑んでいた時、響と合わせ3人の心を一つに合わせられた覚えは幾度もあった。

 だが、今回の問題はそこではない。

 立香が歌えるのか、歌を合わせられるのかは(アマデウスの伴奏もあるため)この際問題ではないが、それを差っ引いてもかなり強引な理論であり、成立しなかった場合戦闘者ではない立香が戦場で致命的な隙を晒すことになるのだ。

 そうなった時、もし守れなかったらと考えるとマリアはなかなか同意することは出来なかった。

 

 そうやって面々が話し合う間にも、戦況は刻一刻と変わっていく。今のところはダビデも魔神もそこそこ拮抗するようにやりあえてはいるが、それも魔神が宝具を展開し切るまでの話。

 早めに解決案を出さなくてはいけない……そう思い誰もが心中に焦りを覚えた時、黙していたベディヴィエールが口を開いた。

 

「……いえ、やってみましょう」

「ベディヴィエール卿、あなたまでッ!?」

 

 立香を守る立ち位置であろうベディヴィエールが賛成に回ったことにマリアは驚いた。

 だが、元々サーヴァントであるベディヴィエールはマスターである立香と同じ向きに立つ者であり、そういう意味では立香の思いを叶えるべく口を開くのは当然とも取れた。

 とはいえ何も考えずにマスターの願いを聞き届けているわけではなく、彼には彼なりの考えもあった。

 

「確かに、直接の意思疎通は難しい可能性は十分にあります。我々の場合戦闘の心得があるがために互いに動きが読めた、という可能性もありますから」

「なら……」

「ですが、アマデウスの歌を介して通常より深い同調を熟せれば、マスターと精神的及び魔術的にラインが確立している我々サーヴァントが疑似ユニゾンと同様の効果を得ることは有り得ます。であれば、我々がマスターから直感的に受けた指示に合わせて動けば……」

 

 装者と立香が直接的にユニゾンすることが難しくとも、間接的なユニゾンは可能なはず。そう告げるベディヴィエールの眼は至って真剣であり、十分に賭けるに足るものであると如実に語りかける。

 そんな目線を受けほんの僅かに言葉を失ったマリアは、やがて溜め息を吐いた。

 

「……しょうがないわね、現状それ以外に道はなさそうだし……いいわ、私も乗りましょう」

「やった!って、おっとと」

 

 この場で最年長の人間に認められガッツポーズする立香だが、現状を思い出し慌てて居住まいを正す。

 装者が賛成多数になったことで、残るクリスは頭をガシガシと掻く。

 

「あー、ったくッ!わかった、あたしも乗ってやるッ!だけど乗り遅れたらただじゃ置かねーからなッ!」

「勿論!あ、音が取れなかったときは許して!……ちょっと音外しても大丈夫だよね、ね?」

「そんくらいフォローしてやるから、遅れねーで、早さだけは合わせろよッ!」

 

 ひどい言い方になるが、その場の誰もが立香に歌の上手下手までは期待していない。重要なのは歌を通じ、曲を通じて心を通わせるという一点である。

 極論リズムさえあっていれば、あとは全員歌い慣れしている装者たちが支えれば(歌については)特段問題にはならないのだ。

 

 立香の作戦が採択されたことで、全員が改めて戦場へと向き直る。

 

 ダビデの竪琴に祓われた呪詛の残滓が黒い霧となり戦場を覆う。そんな中でも、主の加護を受けたダビデは恐れること無く果敢に戦っていた。

 パっと見た限りでは互角の戦いを繰り広げているようではあるが、現状で互角であるということは勝機がないことと同義であることは誰もが理解している。そもそものリソース量が違いすぎる以上それは当然の結論であった。

 最早猶予はない。誰ともなく目を合わせ頷き合い、彼ら、彼女らはその策を実行に移すために動き始めた。

 

 

 

「──カルデアのマスターを媒介に、ダビデに感覚を合わせたかッ!」

「ははは、やるだろう──僕らのマスターは!」

 

 結果として、立香の策は彼女の望みに沿う形で機能した。

 勿論、どれもこれもが完全というわけではない。装者たちが歌いながら戦術を駆使して戦う以上、立香はマスターとしてサーヴァントたちが装者たちにより合わせられるように指揮・補助の役割を果たせれば最上だった。

 とはいえそれはあくまで理想であり、彼女が『マスターとして』実現できたのはサーヴァントであるダビデの動き、それ以上に彼の考える戦運びを理解し、歌を通じて装者たち全員にそれを感覚的に伝える程度。だが、それでも十分だった。

 

 ダビデの狙いは一つ。魔神のあらゆる防壁を突破し『急所』たる霊核が存在する頭部を宝具で撃ち抜く、その一点のみ。

 だが、狙いを言葉にするわけにはいかない。そうしたところで味方が補助できるかどうかは別であり、魔神にその狙いが伝わる可能性があるだけ悪手であるためだ。

 

「でも、歌なら気づかなかったろう?何せただの歌だ。天才的な技術で演奏されているとはいえフォニックゲインも魔力も使わないただの演奏に合わせて、頑張って1人の人間が心のままに歌い上げただけのね」

 

 立香の歌には何の意味もない。魔神に何ら影響を及ぼさず、装者への援護にもならない。精々が戦意高揚の効果を見込めるかどうか、そのために致命の隙を晒すだけのただの歌。

 だからこそ、音楽を司り、法則が入り混じるこの世界ではフォニックゲインと魔術を自在に操る魔神は気づけなかった──単なる精神論に近い立香の策とも呼べない稚拙な策に。

 

「おのれ、カルデアのマスターッ!」

 

 まんまとはめられた、それに気づいた魔神の怒号が響くが最早遅い。

 平衡を失い僅かに傾いだその肉体は、常勝の王を相手取るには些か以上に足りない。

 

 

「さぁて、それじゃあ杖を奪わせてもらおうか!──『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』!!」

 

 

 ダビデの握る投石器がこれ以上無いほどに輝き、戦いの中で番えたであろう瓦礫が放たれる。

 

 必中の概念を持つ弾体は防ぐように展開された魔術をすり抜け────魔神の頭部をしたたかに打ち据えた。

 

 

「お、のれ…………ッ!」

 

 口惜しそうな言葉を残し、魔神が倒れ伏す。

 ギョロリと全天を睨む眼球も光を失い、次々に瞼を閉じていく。

 

 

 そして、最後の瞳が閉じ──魔神は完全に沈黙した。

 

 

 

 

「……やったのか?」

『ダビデ王の宝具は確実にヒットしました。霊核がある部位──急所である頭部に命中した以上、概念的には昏倒しているはずですが……』

『はい、こちらでも相手の状態は確認していますが……。少なくとも、ソロモンの杖のエネルギーは観測できません。魔神がソロモンの杖によって存在していると言うなら、観測上は失神状態にあることになります』

 

 恐る恐ると口を開いたクリスに、マシュとエルフナインが補足のように発生した事象を並べた上での推測を語る。

 S.O.N.G.のシステムで観測される数値、カルデアの術式で計測している状態の上では、間違いなく宝具は成立し魔神を気絶に持っていけたことは確認できていた。

 

「……となると、あとはあの杖を奪うだけだね。いやあ、中身が魔神とはいえ女の子の服を剥ぎ取らなきゃいけないなんて役得……もとい心が痛むなあ」

「本音出てんぞダビデのおっさん」

 

 クリスのツッコミを聞き流し、うへへ、という声が似合いそうな表情でダビデがスタスタと歩み寄っていく。とはいえその立ち振るまいに油断はなく、また他の面々も警戒を滲ませながら見守っている。

 

 そして丁寧、かつ慎重に伸ばされた手がソロモンのファウストローブに、触れた。

 

 

「────え?」

 

 

 一瞬の光、緑の閃光が奔った。

 その瞬間に何が起きたのか、見ていたはずの立香はしかし全然理解できなかった。いや、脳が理解を拒んだという方が正しいだろう。

 

 ポタ、ポタと、雫がこぼれ落ちる。

 何が起きたか違和感を感じたのだろう、己の腹部を見たダビデは苦笑を浮かべる。

 

「…………ああ、そうきたか。やれやれ、その偏執的な周到さは、一体誰に似たのやら……」

 

 己の腹に空いた大穴に、何をされたのかを理解したダビデ。だが、そこから先の言葉を紡ぐ前に、口腔に溜まった血をゴボリと吐き出し、その場に膝を付いた。

 

「ダ…………」

 

 歌が止まる。先程まで仲間とともに歌っていた立香の声が詰まる。

 いや、立香だけではない。そこで戦っていた誰もが言葉を、歌を失っていた。

 

 

「ダビデぇ──────!!」

 

 

 絶望に満ちた立香の慟哭が、戦いの音の止んだ偽王国に虚しく響く。

 魔詠に掻き消された彼女の叫びは、まるでこの先を暗示しているかのようであった。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(3)

 ダビデの体から血が溢れる。先程までは英気に満ちていたその五体は力を失い、立つことも出来ずに大地に崩れ落ちている。腹部は大きく抉れており、まるで太い槍で貫かれたかのような姿を晒していた。

 自身に何があったのかを理解しているらしいダビデは、困ったような、してやられたとでも言うような薄らとした笑みを浮かべており、その額には脂汗が浮き上がっている。

 

「く、ぅ……効いたなあ……!如何に魔神の、魔術があるっていっても、強化された僕の宝具なら、そうそうに覚醒できないはずなんだけどね……」

「──そうだな、遅延術式による回復は難しいだろう。巨人殺しの特性を特化させ、私を巨人と思い込む事による単独のブーストと概念補強を受けた宝具だ。時間があるならともかく、あの場で即座に復帰できる術式を編むには少々手間だったろうな」

 

 倒れていたはずの魔神から声が聞こえる。

 賞賛というわけでもないだろう。だが、己を出し抜いた敵に対して一定の感嘆を抱いているらしい魔神の口調は、先ほどとは打って変わって静かなものだ。

 

「ダビデのおっさんッ!テメエ、一体何しやがったッ!」

 

 クリスの激憤が混じる詰問に、魔神は先ほどと変わらず静かに受け答える。

 

「何を、といえば。起きたことが見たままのはずだが?」

『で、ですが……先程は確かに気絶していた筈です!ダビデ王の宝具を受けたというのに、一体どうやって──』

 

 先程魔神のバイタルを確認、報告したマシュは見落としがあったのかと思わず問い詰める。

 言ってから、答えが返ってくるわけがないと言葉を途切れさせた彼女に、しかし返答はあった。

 

「攻撃を受ける前だ。攻撃を受ける前に──()()()()()()()()()()、宝具による気絶の効果は発動しないだろう」

「何だと……ッ!」

 

 事もなげにそう言ってのける魔神に、聞いた誰もが絶句した。

 言っている内容は単純な話である。必中の宝具に自分から当たることで致命を避けるように。回復困難な気絶効果を持つ宝具を受ける前に、回復できる気絶状態に陥るための魔術を使用した、ただそれだけだ。

 

「ってめ、あの土壇場で──ッ!」

「保険の一つだ。今の私が杖に依存しているのは私自身がよく知っている。であれば、その器物を簒奪しうるダビデの宝具はある意味何よりも警戒に値するものだ」

 

 憤るクリスを冷めた目で見ながら、魔神は何のことはないと種明かしをする──最早隠す必要もないとでもいうように。

 

「──だが、魔術の使用は警戒していたはずだッ!だと言うのに何故──」

「魔術は使用していない、錬金術もだ。ファウストローブに対する接触をキーとして、ソロモンの杖を起動するようにコマンドしていたに過ぎん」

『ソロモンの杖のコマンドワードの書き換え──確かに、書き換えるだけならエネルギーは発生しないから、我々の探知から逃れられる。魔神が式そのものであるというなら書き換えも容易というわけか……ッ!』

 

 それはある意味で、立香の歌と同じ。

 魔術も、歌も、魔神がそれに係る行動を起こせば探知されるだろう。だが、聖遺物のシステム介入は傍からは何も観測できるものではない。

 だから誰も気づかなかった。魔神が立香の歌の真意を見抜けなかったように。装者も、サーヴァントも、カルデアもS.O.N.G.も……魔神の真意を見抜けなかった。

 

 その騙し討つような隠すべき手口を隠そうとしないのは、それを今後使用する必要がないという意志の現れか。

 

『てことは、さっきの光は──』

「わかりきっているだろう──デモノイズだ。ダビデと重なる座標に召喚したデモノイズが、貴様らの歌で実体化しダビデを貫いたに過ぎん。我が霊基を編まれたノイズであれば、英霊を害するなど造作もない」

「────ッ!」

 

 ノイズで人間を貫く。そう言われたとき、この世界に生まれた装者たちは理解が遅れる。

 

 通常のノイズではそんなことは起き得ない。触れた瞬間に炭素に還るからだ。

 錬金術師のアルカ・ノイズでもそうだ。それらの持つ解剖器官は接触対象をプリマ・マテリアに還元する特殊器官であり、物理的な攻撃ではない。触れれば分解されるが、それはつまり純粋に物理的な損傷を与える力がないということでもある。

 そして、ノイズ・アルカ・ノイズのどちらも霊体であるサーヴァントには効果を及ぼすことはない。デモノイズだって、歌を束ねた焼却指揮にさえ気をつけていればよかったのだと無意識に考えていた。

 

 だがそうではなかった。デモノイズは位相差障壁をもつ実体であると同時に、神秘をまとう魔神の受肉体でもある。霊体に対する干渉力は十二分に備わっていたのだ。

 

「はは……いやあ、参ったね。次からは、参考にさせて……もらおうか、な……」

 

 ダビデがその身に纏っていた燐光はすでに無い。大神の魔槍による勝利の加護は、最早無用となったとでも言うかのように消え失せている。

 いや、加護だけではない。ダビデ自身の肉体も端から粒子へと変じ始めていた。

 

「ダ、ダビデ……」

「あー、はは。マスター、気にしない気にしない。安心してくれ、カルデアには霊基グラフがあるからね、僕はそこから再生されるさ」

「でも……!」

 

 立香の声は震えている。当然だろう、カルデアに所属している英霊の消滅というのは彼女は経験がない。

 過去の戦いにおいて、現地で行動を共にしたサーヴァントが消滅することはままあった。だが、カルデアの登録霊基が消滅したことはない。故に、消滅したときにどうなるのか、彼女には想像もつかなかった。

 

『……ダビデ王、君は……』

「おっとダ・ヴィンチ、君も気にすることはないさ。……何のことはない、僕は目的のためなら息子を神に捧げるような男だ──それはまあ、栄誉あることといえばそうだろうけど、今の感性で言うなら人でなしさ。そんな僕が、戦いの中で、勝利のために自分の命を勘定から外すなんてことは出来ないよ」

 

 ダ・ヴィンチの言葉を軽く嗜め、ダビデは消えかけた身体にムチを打ちよろりと立ち上がった。

 彼の視界に映るのは彼の同輩たるサーヴァント、そして世界を救うためにと戦場に立つ歌女たる少女たち。誰も彼も衝撃を受けたような表情で、特にも彼と共に戦ったクリスの表情は酷いものだった。

 ダビデは彼女らを不安にさせないよう、いつもどおり、爽やかに、傷なんて無いかのように微笑んだ。

 

「……末期の別れは済んだか?常勝の王も、そうなっては形無しだな」

 

 ダビデが力を失ったことは判っているだろう嘲笑だが、魔神はそれでも警戒を緩めない。ダビデが消え失せるその時まで、魔神は常勝の王を侮ろうとはしなかった。

 口とは裏腹のわかりやすい警戒の態度とは対称に、感情を悟らせない態度でダビデは魔神と目を合わせた。

 

「よく言うよ、全く。……そうだね、ソロモンの魔術に言うのもあれだけど、一つ未来を予言しよう」

 

 ピッ、と伸ばした人差し指を突きつけ、消えかけているというのにダビデは徐にそう宣言する。

 唐突な言葉に面食らったのか、装者も、そしてマスターたる少女もぽかんとした顔でダビデを見る。そしてそれは彼女たちのみならず、敵として立つ魔神にもまた同じ感情を抱かせる。

 魔神の憑いた肉体の整った顔が僅かに目を見開き、ついで凶相を浮かべ大笑する。

 

「ハ、ハハハッ!なんと言った、貴様!?事もあろうに予言、予言だとッ!?笑わせるな、罪科に塗れ神殿すら築けなかった貴様が、この私に予言などと──」

 

 

「──僕は勝つよ、必ず」

 

 

 魔神の嘲りを無視し、ダビデは静かに、はっきりとそう告げる。

 それはまるで託宣のように、あるいは預言のように。絶対にそうなるのだと確信した、力ある言葉が大気に伝わった。

 

 その言葉に、ピタリと笑いを収めた魔神はギロリと眼を巡らせた。

 

「──そうか、消えろ」

 

 瞬間、眼光と共に焼却式が起動する。

 装者が、英霊が庇おうと身を動かすが、その全てが遅きに失する。

 閃光と轟音、灼熱とともに、誰がダビデをかばうよりも早く魔神の視線は世界を焼き払った。

 

「────」

 

 灼かれる刹那に口を開いたダビデ、彼が告げようと言葉は最早届かず、業火の中に焼け落ちる。

 それが最後。炎と光が晴れたその風景に彼の姿はなく。アーチャーのサーヴァント、イスラエル王ダビデはその周辺の大地ごと焼失した。

 

「~~~~!ベディヴィエール、ブリュンヒルデ!お願い、魔神を──!」

 

 止めて、という言葉が出る前に、主の言葉を読み刃を以て二騎が駆ける。

 

 目の前で親しい友を失ったことで、立香は今も足から崩れ落ちそうになる。だがそれでも、彼女は歯を食いしばり大地を踏みしめた。

 ダビデは勝つと言った。であれば、それを信じる以外はない。そうすることを当然とすることこそ、今まで戦いぬいてきた彼女にとっての最善だった。

 

 今はダビデが見たであろう、或いは考えたであろう勝機を見出すために行動する。そんな立香の思いを、忠実な二騎は、親愛なる彼女のサーヴァントは確かに汲んでいた。

 

「ダビデのおっさん……ッ!ち、くしょうがッ!」

「クリスちゃん……」

 

 一方、同じく彼と共に戦い彼の在り方に触れたクリスは、堪りかねると言わんばかりに吐き捨てる。それが魔神に向けられているのか、それともかばいきれなかった己に向けられているのかは不明だが、確かな憤りと後悔があった。

 響はそんな彼女を見て、思わずその肩に手を置こうとしたところでその手を掴まれる。

 

「落ち着きなさい、今やるべきことは何?」

「マリアさん……でも」

 

 己の手を掴み、諭すマリアに響は僅かに躊躇する。

 魔神が健在である現状、少しでも足を止めさせなければならない。マリアがそう言いたいことは分かったが、同時に今のクリスを放置していいのかという葛藤が響の胸にはあった。

 

「……心配なのは判るわ。でも、ここでダメになる彼女じゃないことは貴方も知っているでしょう?」

「…………」

 

 そう言われてしまえば、響は何も言い返せない。

 響はこれまでの戦いで、クリスと共に多くの戦いを切り抜けてきた。だからこそクリスが優しく、粗暴に見えてとても繊細な少女であると知っている。

 そして同時に、マリアの言う通りここで膝を折ってしまうような少女ではないと信じている。必ず立ち上がってくれるのだと自然にそう思える程に、響はクリスを信じている。

 

 だが、心配なものは心配であり──その心配を粉々に砕いたのは、当然ながら心配のもとであった。

 

「──やってやるッ!こうなったら絶対に、あの魔神を完膚なきまでにぶっ倒すッ!」

 

 咆哮するような意思表明とともに、クリスは決然と顔を上げる。

 

「クリスちゃん!」

「あのダビデのおっさんが勝つって言ったからには勝てるはずだ、だったらあたしが撃ち勝ってやるッ!」

 

 それは共に戦ったが故の信頼か。かつて魔都で戦った時、ダビデは何一つ嘘を言わず、己の言うままに勝利をもぎ取ってみせた。

 イスラエルの常勝の王、巨人殺しと呼ばれた彼は、遥かに巨大なネフィリムを相手に策を弄し、クリスとも力を合わせ、あらゆる手管で肩書を嘘にすることなく打ち勝ったのだ。

 そんな彼が勝つと言った以上、絶対に勝つ道があるのだとクリスは確信していた。それが思い込みなのか、真に信じられているのかまでは今の彼女には判断できない。だが、少なくともクリスは疑うことはなかったのだ。

 

「ね、言ったとおりでしょう?」

「ふ、さすが雪音だな。では我々も行くぞ、立花、マリアッ!先達にばかりやらせては、今を生きる身として恥を覚えようッ!」

「──はいッ!」

 

 マリアの、翼の発奮に響は元気良く頷き、そのまま3人で駆けた。

 向かうは魔神。先程までダビデと戦っていたことによる消耗を回復するためか、最初よりも動きは鈍いものの未だ強大な敵を前に、響は己の拳を強く握りしめた。

 

 

 そんな3人と、やや遅れて駆ける1人を見送る影があった。術理を駆使し、徹底的に援護に徹していた一人の少女──キャロルは、やがて己の手元へと目線を落とす。

 小さな掌の上では万物の粒子たるプリマ・マテリアが淡い光を放っており、キャロルはそれを複雑な表情で見据える。

 

「────ち、そういうことか。仕方ない、どちらにせよオレはこの戦場では役者が足りん、であれば──」

 

 ダビデと共に行動し、神秘に、術理の知識をも十全に得た錬金術師は──その行動の中で彼が残した布石を、この歪な世界を止める術を、彼女の世界を焼いた魔神を倒す道を理解したキャロル・マールス・ディーンハイムは、ここで一つの選択をした。

 

「──オレも、やってみせればいいんだろう。……ああそうだ、全く言えた話ではないがこの世界はオレの世界だ。なら──」

 

 ぽつり、と零して踵を返す。それを見ていたであろうカルデアも、S.O.N.G.も、敵前逃亡に等しい彼女の行動を責めることはなく──。

 キャロルは静かに、戦場から姿を消した。

 

 

 

 魔神に一閃を放つ。渾身の蒼雷も絆の聖剣も、魔神の腕の力だけで軽く弾かれる。

 銃砲雷火が降り注ぐ。展開できる砲門を開けるだけ開いた鉄の雨は、魔神を僅かに身動がせるだけで、その体表には焦げ目すら無い。

 主神の撃槍たる拳が突き進む。古きルーンでコーティングされた拳は銀腕の刃と共に魔神に触れるが、それ以上先には進まない。

 

「無意味な真似をするな。その程度の規模の攻撃は痛痒にすらならんことくらい理解していたと思うが?」

「──だと、してもッ!」

 

 己に向けられた刃をまるで意にも介さず呆れる魔神に、それでもと響は歯を食いしばり立ち向かう。

 他の面々とて同じだ。その場の誰もが、敵わないことを承知で尚、魔神を止めるためにと戦う道を選んでいた。

 とはいえ──。

 

「……それで、こっからどうすんだよ。さっきまでのフィーバータイムは巨人殺しのダビデのおっさんが居たから成立したんだろ?」

「ええ。主神の槍による勝利の固定を、おそらくダビデ王は己に纏わる逸話の拡大解釈および強化に用いたんだと思われます。」

 

 ベディヴィエールはあくまで自分なりの推察というふうに、先程までの状況を推測する。

 ダビデが策を前線組に話すことがなかったため、彼がどのような勝利を抱いたかはベディヴィエールは真には把握していない。ただ、不合理なことはしない人間である以上、語らなかったことにもなにか意味があるのだろうと真意を追求するつもりは無かった。

 結果として、ダビデは消滅した。そこに後悔がないわけではないが、それでも彼の最後の言葉を考えれば、それも作戦のうちである可能性は十分にある。

 だが、しかし。そのダビデの勝利が何時結実するかまでは判らないというのも事実であり。

 

「……今は、この戦場の維持に努めるしかありません。後先を考えずに全力を出す事はできますが、それで事態が好転するとは思えない。先程のダビデ王のように恒常出力を底上げするような、そんな手段があればいいのですが……」

「だよな……」

 

 ベディヴィエールはそう言って苦い表情を浮かべる。

 その言葉を聞いたクリスは、当然ながら落胆を顔に浮かべることはない。どころか、そういった返答が来ることも当然だろうとすら考えていた。

 

「となると、だ……なあ、S2CAは駄目なのか?」

『……ああ、そうだ。とはいえ、使い時は一応想定しているが実際に戦うのはお前たちだ。使うべきだと考えたら使ってしまって構わん』

 

 確認するようなクリスの問いを弦十郎は肯定しつつも、もしもの時に彼女らが躊躇うことのないようにとお墨付きを与える。

 そんな弦十郎の配慮に、クリスは笑みで答える。

 

「はん、使い時があるってんなら、意地でもそこまでは持ってってやるっての」

「そうですよッ!絶対に絶対、やってみせますッ!」

 

 己を鼓舞するようなクリスに同意するような声を上げ、響が猫のように着地する。土汚れや細かい傷はあれどいまだ十全の姿を見せる彼女は、どうにか魔神の攻撃を受け流せているようであった。

 響が飛んできた方向を見れば、僅かに空いた戦闘上の穴を埋める様に翼が刃を振るっている。そしてその翼が魔神の魔術により膝をつけば、彼女の上半身があった空間を魔銀の槍が振り抜かれ魔神の足を止める。

 

 その戦い方は先程までと同じであり、それ故に魔神は僅かに眉を寄せる。

 

「──カルデアのマスターか。ダビデ王が居なくとも、その連携ができるとはな」

 

 その目線は、先程歌っていた──否、拙くだが今また歌い始めた少女の姿を捉える。

 魔性の視線に晒されても尚、やめるつもりなんて無いと言わんばかりに睨み返す立香に、魔神は鬱陶しげにため息を吐く。

 

「察するに、一度同調させたことで私の速度を掴んだか?ああ、貴様は神霊の戦いすらも見てきた前科がある、慣れれば可能かもしれんな」

 

 魔神の言葉にそれがどうしたという意思を目に込める。装者たちのように適宜歌を止めて喋ることができるほど余裕があるわけではないらしく、言葉による反論はない。

 最早なりふり構わず、と言わんばかりの立香に、サーヴァントに、そして装者たちを見て、いよいよ魔神は付き合ってられないと首を振る。

 

「やれやれ、全く何故そこまで食いついてくるのか、理由をどれほど聞いても理解ができんな」

「──わざわざ隙だらけの身振り手振りッ!見せびらかしているつもりかしらッ!」

「余裕をか?いいや、そんなことをする意味などあるまいよ。私が貴様らに対し感じる茫然をいくら言葉にしても、貴様らが理解していないようだからな。精々身振りで示しているだけだとも」

 

 嘲りと共にそう告げる魔神をみれば、ソレが本心でないということは容易に理解できる。

 だが、それを止められない。煽り、見下してくる魔神を見返すことが出来ていない。

 

「──ああ、この世界では月が混乱を助長させているのだったか。ははは、これは驚きだ、貴様らの言葉が理解できん訳だな!ニムロドの塔を焼いた混乱の呪詛は、この私にすら言葉による理解を阻害して然るものだもとは!いや感服するとも!」

「ッ、貴様…………ッ!」

 

 これもまた、本心であるわけがない。魔神が理解できないかどうかは彼女たちには知り得ないが、少なくとも相互に互いの意思が通じていることは明らかである。

 だが、それはこの世界(より厳密に言えば並行世界だが)に住み、戦ってきた装者たちからすれば聞き逃がせぬ嘲笑。至近で聞いていた翼は思わず激発しそうになるが、それでも既で持ちこたえる。

 

 今のこの状況を崩すことは敗北に繋がるということは、その場の誰もが理解している。

 それは戦う魔神とて同じであり、わざと精神的に揺さぶりを掛けているのだということは容易に想像できた。

 

 彼女たちの勝機は、今や殆ど無い。だが、少なくともこの状況を堅持すればゼロではない。

 ダビデの提案した作戦を了承し、切り札の使用機会があると断言したS.O.N.G.やカルデアが攻め手を指示しないことを考えてもそれは明らかである。

 

 だからこそ、平素であれば到底看過できない程の人格を疑うような言葉を浴びせられても、彼女たちは己の戦いをやめようとはしなかった。

 それは或いは、アマデウスの音楽により互いの言葉が簡易的にだが通じているからこそ出来たことでもあるだろう。

 いま翼が抱いた怒りは他の装者たちも等しく抱き、そしてその怒心を宥めるように英霊の、立香の心が浸透する。この世界の柵を真に知らぬが故に、一歩引いた位置から装者たちを『怒りすぎないように』していた。

 

 そんな彼女たちに、魔神はつまらなそうにふんと鼻を鳴らす。が、直後にニヤリと笑う。

 

「……ここで乱れれば手間もなく鏖殺できたが。まずは曲から殺すべきだったか……だが最早、それも不要か」

「何……、まさか──ッ!?」

 

 魔神の語り口に、嫌な予感を覚えた翼は空を仰ぐ。本来なら致命の隙を晒すようなものだが、それでも今、ここで確認しなければならないという確信が彼女にはあった。

 幸いなるかな、魔神はその隙をつこうとはしなかった。いや、隙を突く必要が無かったのだろう。

 

『おいおい、嘘だろう!?さっきまでの作業効率を鑑みれば、あと10分くらいは余裕があった筈だ!例え、ダビデが消滅したとしても──』

「それは貴様らの規格(スケール)の話だ。大神の勝利の加護を担ったダビデが消えことで私の手は空いた。その分だけを勘案すれば、そうだな……後3分程度はかかったろうよ。だが、加護による概念拡充を果たした奴の攻撃力がなければ──そもそも私は貴様らの攻撃を防ぐ意味もあるまい。術式の邪魔になる程度は振りほどくが、それ以外は全て余力なのだからこうもなろうさ」

 

 こう、といって彼女はあえて己ではなく天を指し示す。

 だが、その指の動きに釣られるものは居ない。それも当然だろう。魔神の語り口を聞けば、ダ・ヴィンチの焦りに気づけば、わざわざ指でさされずとも、誰もが空を見上げただろう。

 

 星々の光をも呑み込み、宙に輝くのは光の輪。その眩さは、先程までとはまるで別。

 膨大なエネルギーを加速・収束させたその整然とした輝きを見れば、当初に展開したソレが如何に未完成だったかが見て取れるほど。

 

「熱量自体は足りていた。光帯収束環がない現状で私一人で回すには少々骨が折れたが──」

 

 独白する魔神は最早愉悦を隠そうともしない。

 

「──ソレだけの意味はあった!第三宝具の完成を以て、この霊基はより強固なものとなったッ!──そして、最早出力を絞る必要はない」

 

 最初は高らかに、そして最後は静かに魔神は宣告する。

 その言葉の意味にはっとした装者たちが、英霊たちが動き出そうとする刹那。魔神の姿が掻き消えた。

 

「消、え──ッ!?」

「消え失せよ」

 

 驚きつつも戦闘姿勢を維持しようとした翼が、魔神の指先に弾かれビルに叩きつけられる。

 

「ぐ、あああ────ッ!」

「翼さんッ!?こんのぉ……ッ!?」

 

 翼が為す術なく吹き飛ばされた姿を目にした響は、魔神の凶行を止めるべく拳を振り上げ──そこで静止する。

 何があったかと己の拳を見れば、そこには魔方陣による拘束術式が展開されておりピクリとも動かない。

 

「く、ぅ……ッ!こんな、もの──」

「解けまいよ。大神の槍を抱いていようと、破魔の概念を持たぬのではな」

 

 魔方陣を力づくで破壊しようとする響の前に魔神が一瞬で出現し、攻勢魔術を放つ。

 拘束術式に気を取られていた響が、先程より火力が向上したソレを受けきれる余裕があるわけもなく。

 

「やらせない、ここは私が!」

「ベディヴィエールさんッ!?」

 

 それが響に直撃する刹那、ベディヴィエールが盾となるようにと響の前に割り込む。

 守護の誓約を己が胸中に掲げ、その身を厭わず絆の聖剣を使い火力を相殺せんとし──そして、諸共に吹き飛ばされた。

 

「う、ああ────ッ!」

「こ、れほど、とは……!」

 

「2人共ッ!?」

「お前も共に行けッ!」

「──ッ!?……ぐッ!」

 

 爆炎に呑まれた2人に一瞬集中を乱したマリアが、魔神に軽く、としか言えない動きで蹴飛ばされる。

 先刻までの打撃とは全くエネルギー量の異なる蹴撃を受け、マリアの身が宙を舞う。やがて浮遊していた肉体は響達の元へと墜落し、小さく呻き声を上げて倒れ伏す。

 

「ち、っくしょうがッ!ブリュンヒルデ、合わせろッ!」

「ええ、ウルの弓よ、その鏃に力を──」

 

 クリスが怒声と共に大量のミサイルを展開し、ブリュンヒルデが己を厭わぬ程の原初のルーンを中空に示す。

 

「吹き飛びやがれッ!」

 

 放たれた弾頭の全てにルーンが刻印され、通常を大きく超える火力のミサイルが魔神の頭上に降り注ぐ。

 だが、それを見ても魔神は全く慌てる素振りを見せる様子はない。

 くん、と指を指揮棒のように動かす。瞬間、魔神の周囲に一瞬で展開された魔方陣が全てのミサイルを捉え、ピタリと静止させた。

 

「ッ、そいつはさっきの……」

「返すぞ、受け取れ」

「!いけない──」

 

 ブリュンヒルデが即座にルーンの防壁を展開するのと同時に、全てのミサイルが矛先をクリスたちに向ける。

 

「くっ、そぉッ!案山子みたいに食らうもんかよッ!」

 

 悪態を吐きながらも、クリスは咄嗟にギアをガトリングへ変形させ弾幕を放った。

 吐き出された銃弾が、戻ってきたミサイルの弾頭の悉くを撃ち抜く。瞬間、爆風が2人を飲み込んだ。

 

「ブリュンヒルデ、クリス!」

 

 土煙の向こうに消えた2人に、たまらず立香が叫ぶ。

 やがて立ち籠める煙が晴れた時、クリスとブリュンヒルデは折り重なるように倒れていた。意識は残っているらしく、呻き声が僅かに耳に届く。

 ルーンによる防御をしていたからか、或いはミサイルを事前に迎撃できていたからか傷の度合いは他の面々に比べればまだましといったところである。

 だが、それでも原初のルーンによる強化を受けたミサイルの爆風を正面から受けた事による消耗はとても小さいとは言えなかった。

 

「2人も……そんな……!」

『~~、先輩、退避してください!』

 

 先程までは辛うじて渡り合えていた糸が途切れるのを感じ、言葉を失う。マシュからせめてその場から離れるようにと懇願されるも、その光景を前にしては立香は動くことが出来なかった。

 今彼女が動けたとしても無意味だったろう。立香はどだい戦える人間ではない。礼装などのサポートがあって辛うじて半人前の魔術師である彼女が、この場で逃亡しようとしてどれ程の意味があるだろうか。

 それに──。

 

「……これで、あとは貴様だけだ、カルデアのマスター。あの錬金術師は失せたようだが、ある意味賢かったか?」

「!違う、キャロルは逃げたりなんかしてない!何か考えがあるに決まってる!──だから、わ、私が相手だ!」

 

 魔神からぶつけられた言葉に、立香ははっと意識を切り替え間髪入れずに叫ぶように答える。そして己の口から発した言葉に勇気づけられ、立香は改めて大地を踏みしめる。

 そう、この場から逃げることは生きるためにはならないと彼女は経験から察していた。きっとまだ、みんなこの状況をどうにかするために動いている筈だと確信していた。

 だからこそ、逃げない。どだい彼女の足では逃げ切れるものではない以上、魔神と対峙してでもこの場に釘付けたほうがいい。そんな思いから、立香は魔神に啖呵を切った。

 

 無謀を通り越した立香の愚行に、魔神は目を細める。

 

「そうか。──では、死ね」

(あ、まずい。──でも、どうにか、躱せれば──!)

 

 カッと目を見開き、焼却式の輝きが立香を覆う。

 咄嗟に躱そうとした立香も間に合いそうになく、マシュの悲鳴が通信機から届く、その刹那──

 

 ──戦場に一つの影が降り立った。

 

 

 地面に倒れ込み目を瞑っていた立香は、自分が熱を浴びていないことに気づいた。

 これが天国か、なんて場にそぐわぬのんきな感想が胸中に飛来するも、直ぐに状況を理解した。何のことはない、魔神の炎が何かに遮られていたのだ。

 

(あれ……?何かって、何?)

「ふ、ふふふ……きた、来たともッ!」

「!?」

 

 恐る恐る目を開いていた立香の耳に届いた声に、意識が一気に覚醒にまで持ち込まれる。

 サーヴァントという濃い人間たちと付き合う立香でもなかなか類を見ない、所謂ステレオタイプなマッドサイエンティストと英雄性をかけ合わせたその声。聞いて間違えようもない、独特なその言葉。

 

「貴様──」

「おっとぉ?イライラしてる?カルシウム足りなそうだもんねえ、ミルクでも飲んだほうがいいんじゃないかなぁ──何よりお菓子に合うからねッ!」

 

 魔神の苛ついたような声を全く意にも介さず、己の独特なペースで会話を運ぶ。それだけを聞けば、先程まで戦っていたダビデと同じ様に聞こえなくもないが、しかし彼の言葉を聞けばいっそ正反対とすら言えるだろう。

 

『ちょっと、フロンティアの制御は──』

「ああ、そのこと?大丈夫大丈夫、さっき後任が来たから。──そんなことよりッ!魔神の切り札がお目見えて、味方は全滅、それでも作戦を信じる1人の少女──その危機を守るこの僕を、なんて呼ぶのか、だって?そんなの、誰でも判るに決まってるッ!」

 

 ダ・ヴィンチの咎めるような声を受け流し、ドヤ顔で魔神と相対するのは1人の男。

 黒く変色した腕は極端に肥大化し、魔神の炎を受けて焼け焦げ崩れ落ちていく。だが、崩れた腕の中からは、新たな腕がすでに再生を始めている。

 その再生力──否、その増殖力こそがかの聖遺物の特徴。暴食の果てに巨躯を顕し、食欲を満たすためには相喰らうネフィリムの力。

 

 

「──今の極限が証明してくれたッ!そう、僕は真なる英雄────ドクタァアアアア、ウェルゥッ!」

 

 

 魔都の守護天として復活し、そして世界を救うという名目のもとで主を裏切った『英雄』──ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは、かつての主たる魔神に堂々と反旗を掲げ立ち塞がった。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(4)

「ウェルキンゲトリクス……今この場で唯一の、この世界の英霊か。こんなところで堂々と姿を晒していいのか?不意討つにはもっと適した機会があるだろうに」

 

 目前に立つ、貧相とも呼べる学者然とした男を魔神はじろりと睨めつける。

 筒抜けとばかりに己の目的をピタリと突きつけられたウェルは、それでも何処吹く風とばかりに笑う。

 

「はぁん?いやいや、考えを改めたんだよ。考えてみれば不意討ちなんて十把一絡げの英雄の所業──この星の代表英雄として、そんな真似なんてとても出来ないとねッ!」

「言ってることムチャクチャだぞこいつ……」

 

 この世界でウェルの語りに散々付き合わされていたクリスがため息を吐く。

 そんなクリスには一瞥も与えず、ウェルは腕を元の大きさに戻し、その指先を胡乱げな眼で見つめてくる魔神へと向ける。

 

「ああ、勿論君の考えは手に取るように判っているとも。今更僕の1人や2人、だなんて思っているだろうことはね」

「…………」

 

 唐突に何をいい出したのか、ウェルは魔神が何をか言う前に自分の言葉に浸るように語り続ける。

 彼を見つめる目線がますます胡乱げになるが、それを気にすることもない。

 

「だけどッ!そう、僕には必勝の秘策があるんですよッ!この状況をひっくり返す策がねッ!」

「──、では死ぬがいい」

 

 だが、そんな魔神もウェルの次の言葉に眼差しを尖らせ、間髪入れずに術式を展開する。

 先程はネフィリムの耐熱性によって防がれたことも考慮に入れた氷結の術式に、堂々と宣言したウェルのドヤ顔が一瞬で崩れ引きつる。

 

「ひぃッ!?ちょっと、誰か僕を守ってくれないんですかッ!?」

「ええッ!?もう、調子が狂うわねッ!」

 

 ウェルの悲鳴に、苦虫を噛み潰したような表情でマリアが駆け寄りアガートラームの短剣を用いて光の盾を展開する。

 短剣3つを頂点とした防御膜は、しかしエネルギーの規模が違いすぎて当然だが長くは持たない。だが、その僅かな隙で現状は十分だった。

 

「──やらせるかよぉッ!おらウェル、爆風はテメエで凌げッ!」

「ッ!ガサツな割に意外と気が利くねッ!」

「余計なお世話だッ!」

 

 クリスの巨大ミサイルが、マリアのシールド直前に着弾する。絶対零度に近い状況では自発的な発火に至らないそれを、光で造られた二の矢が貫いた。

 瞬間、爆轟が辺りを飲み込む。いかにその冷却魔術が優れていようと、熱力学の観点で見ればミサイルの熱量が氷結魔術を超えて周囲を加熱するのは当然のこと。それ以上の冷却効率も与えられなくもなかったが、魔神は効率を悪くしてまで必要以上の効能を魔術に求めてはいなかった。

 

 そして勿論、そんな爆炎の中でも彼ら彼女らは無事であった。

 轟々と燃える炎から生み出された黒煙を突き抜け、3人が一塊になって飛び出てくる。炸裂する瞬間に場所を入れ替えていたウェルが立香とマリアをかばうように爆煙を防ぎ、次いでマリアが2人を抱え一気に後退したのだ。

 

「た、助かったぁ……。ありがとうマリアさん!」

「おいおい、最初に助けた僕にお礼はないのかい?」

「いいわよお礼なんて言わなくて。それよりドクターは自分で歩いてッ!というかさっきの氷、ネフィリムの炎で相殺できなかったのッ!?」

「それやると後ろにいたカルデアのマスターが僕の熱量に耐えきれないだろうッ!?」

「ごめんなさい!ウェル博士もありがとう!」

 

 わちゃわちゃと会話をしながら、それぞれで立ち位置を定め直す。

 立香は後ろに、ウェルは中衛に、マリアが前衛に立つ。そしてベディヴィエールと響、翼がマリアの横に並び、ウェルの横にはブリュンヒルデが立ち、クリスが立香に足並みをそろえる。

 

「立て直しも速いか。随分な回復速度だ──ルーンか?随分と無理筋を通すものだ」

「それで戦場を立て直せれば、戦乙女の、御父様の面目も立ちましょう」

 

 ブリュンヒルデは動揺一つ見せず、怜悧な声でそう断ずる。その態度に、魔神は不快げにふんと鼻を鳴らす。

 

「だが、今更立て直したところでどうにもなるまい。よもや、ダビデ王の次はそこのイカレの言葉を信じるとでも?」

 

 信じられないとでも言わんばかりの目線を向ける魔神。

 確かに、魔神の言うようにドクター・ウェルは己の歪んだ欲望に走る狂人としての側面を持っている。それを指して信じられるのか、と問われれば彼女たちは答えに窮するだろう。

 だが──。

 

「──信じますッ!ウェル博士ができるって言ったら……良くも悪くも出来ちゃったりするのでッ!」

「……まあ、そうね。どちらにせよ絶対に間違っていると確信できない限り、私達にとってドクターの言葉は縋るべき藁も同然ッ!」

 

 響がまっすぐ言い返す。その言い分もどうかと思ったマリアは微妙な表情を浮かべながらも、すぐに切り替え不敵な笑みを見せる。

 

「藁扱いはどうかと思うけど、まあヨシとしようかッ!それで、君の妄言では僕らの硬い結束は解けやしないみたいだけど、ここからどうするんだい?」

「戯言を……!」

 

 いけしゃあしゃあと言ってのけるウェルに魔神は信じられない、どころかいっそ不可思議なものを見る目を向ける。

 

(この状況で勝つ気でいるだと?だが、ここから奴がどう足掻いたとしても奴自身の勝利に繋がる可能性は僅かにも在るはずがない)

 

 この状況で、ウェルに逆転の術がないことは魔神自身がよく理解している。

 例え深淵の竜宮を取り込んだとしても、それで今の世界そのものと一体化したと言っても過言ではない魔神を滅ぼせる道理はない。

 だが、とふと魔神の脳裏に一つの可能性が去来する。

 

(……いや、無いわけではない、か。だが……いや、やはり有り得ん。今更その方法に手をつけても意味がない)

 

 魔神は自身の空想をそれこそ戯言とばかりに片付ける。

 一応可能性はゼロではない、それほどまでにウェル……というか、ネフィリムは強力な聖遺物だ。だが、それをするにはウェルは機を逸していたと魔神は断じていた。

 

(そも、奴は己の願望に固執しすぎている。この状況をひっくり返せても、それが奴の勝利に繋がらなければ──)

 

 そんな手段を採ることはない。そう考え、しかしと魔神は改めて今までの状況を思い返す。

 今まで敵対してきた装者も、カルデアの魔術師たちも。その誰もが、魔神にとって不合理な道を選んできた。

 例え狂信的なまでに己の為だけの信仰を掲げる男であったとしても、そういった不合理を選ばないと断じれるだろうか。

 

 かつての魔神であれば断じれた。数式と術理、基盤と法則に則った合理の化身である魔神は断じただろう。だが──。

 

「……いいだろう。であれば、確実な手段を取るとしよう」

 

 魔神はその言葉とともに、完成も重力も振りほどきスッと宙へと昇っていく。

 

「何を──ッ!」

『って、まさか──いきなり!?おいおい、それは霊基を強固にするために頑張って作ったんだろう!?いきなりぶっ放すやつがあるか!?』

 

 空を見上げる翼の耳に、慌てたようなダ・ヴィンチの言葉が届く。

 一体何が起きたのか、そう彼女が問いかける前に畳み掛けるように通信が入る。

 

『光帯、熱量の収束を確認!第三宝具が──人理の熱量が放たれます!先輩、先輩!逃げて──』

『この熱量──かつてのネフィリム・ノヴァ以上かッ!?いかん、退避しろッ!』

 

 マシュの切羽詰ったような叫びに、動揺を隠そうともしない弦十郎の声を聞き、翼は何が起きるのかを理解した。

 

「──まさか貴様、光帯を────ッ!?」

「放つとも。確かに構築には手間取ったが、一度術式を作れさえすればどうということもない──貴様らが対抗できない絶対の熱量で焼却してやろう」

「そんな──」

 

 無慈悲な宣告を突きつける魔神に、少女たちは思わず息を呑み立ち竦む。だがそれも無理らしからぬことだろう。彼女らの頭上、遥か高空に輝く光帯は大陸に比肩する巨きさだ。

 純粋に巨大極まるその熱量が放たれれば、魔神の言う通り彼女たちにはもはやどうすることも出来ない。事ここに至っては逃げることすら不可能だろう、それほどの規模であった。

 

 ────だからこそ、その光の収束が始まったことを確認した時。この場で1人、ドクター・ウェルは笑みを浮かべた。

 

「──いいぞ、狙い通りだッ!さあレディ、僕をあの無駄にキラキラしい輪っかより上まで飛ばせッ!」

『言われずともだッ!』

 

 ウェルの言葉を合図に、キャロルがウェルの宝具たるフロンティアのコントロールパネルに手を当てる。急な動きに呆然とする面々を尻目に、フロンティアはそのコアを強く輝かせた。

 そしてその瞬間、フロンティアから膨大なエネルギーが放たれた。

 

「これは──ドクターッ!?一体何を……」

「ハァーハッハァッ!僕を余り侮るなよ、魔神ッ!言ったろう、この状況をひっくり返す策があるってッ!」

「……貴様、まさか」

 

 困惑するマリアの言葉をガン無視し、ウェルは高笑う。そして彼の口から出てきた言葉は、魔神を確かに動揺させた。

 そうしている間にも、フロンティアから放たれたエネルギーはまるで腕のような形を取り、ウェルを包み込み一気に宇宙へと押し上げる。

 恒星間航行すらを可能とするフロンティアが全力で稼働すれば、月すらも動かすことができる。その力が月より遥かに小さな質量しか持たないウェルを押し上げればどうなるか。

 

「ウェル博士が──」

「空へ……ッ!?」

 

 響と翼が呆気にとられたように、天高く進むウェルを見送る。

 

『ど、ドクター・ウェルの速度、第一宇宙速度に到達ッ!?静止衛星軌道──光帯の上部で安定しましたッ!』

『信じられん、サーヴァントは宇宙空間でも問題ないのか……ッ!?それにしても、何をするつもりだッ!?』

 

 ウェルの考えを全く聞かされていなかったらしく、S.O.N.G.からは混乱した様子の通信が聞こえてくる。声こそ届かないものの、カルデアでも同様だろう。

 

『……成程、そういうことか』

「ホームズ?」

 

 そんな中、何かが解ったというような呟きに立香が反応する。

 盾になるでもなく、むしろ光帯の射程外へと脱するようなウェルの行為に一体どういう意味があるのか。それを見出だせていないのだろう疑問符を頭に浮かべる立香に、ホームズは1つ頷いて話し始める。

 

『この絶体絶命の状況下で、光帯を凌ぐ手段は確かにある』

「……それって、マシュみたいな?でも、あれは──」

『マシュの場合は物理に依らない強度によるものだ。ネフィリムが概念防壁の機能を持たない以上、あの熱量は防げないだろう。私は最悪、ドクター・ウェルにフロンティアを使って重力変動を引き起こさせて熱線を逸らせるだけ逸してもらうように考えていたくらいだが……』

 

 と、そこで僅かに言葉を濁したホームズの目線は魔神へと向けられる。

 今の魔神は明らかに動揺、というより寧ろ空高くに舞うウェルを憎々しげに睨みつけている。それは、光帯の砲口と真逆まで移動したウェルがまるで魔神の邪魔をしているかのように。

 いや、確かに邪魔をしているのだろう。どうやって邪魔をしているのかは不明にせよ、魔神は確かに光帯を放とうとはしていない。

 

 そんなウェルの様子に、立香は恐る恐る口を開く。

 

「……えっと、発射を邪魔するってこと?」

『それも違う。発射の手順を開始した光帯を押し止めるなんて真似は魔神にだって不可能だ。今はどうにか加速度を抑えているようだが、いずれ放たれる事実は覆らない』

「──まどろっこしいなッ!さっさと答えを言えよッ!」

 

 答えを言わないまま会話を続けるホームズに業を煮やしたクリスが怒鳴りつける。

 

『そうだね、では答えをバラそうか。……魔神が自分から照準をそらせばいい、それだけの話さ』

「照準──それって、まさかッ!?」

 

 なにかに気づいたように、響が最早肉眼では見えないだろうウェルを見上げる。

 本来なら焦点も合わせられないだろうが、しかし続々と見上げる彼女たちはウェルに視点を合わせられた。──それほどまでに、ウェルが物理的に輝いていたのだから。

 

『ドクター・ウェルの熱量及び質量、上昇していきます!これは──魔都ホドでも見せた、宝具によるネフィリム化──』

『だけじゃないみたいだね。とんでもない熱量だ、これはまずいぞ!?』

『これは──だが何のために……いや、まさかッ!?』

 

 今度はカルデアから困惑と動揺の声が通信越しに届く。一方、S.O.N.G.はその状態に心当りがあったのだろう、皆一様に冷や汗をかいていた。弦十郎の叫ぶような声は、混乱と言うより焦りを伝えてくる。

 そんな弦十郎たちに何があったのかを問い詰める前に、空にいるウェルが朗々と喋りだした。

 

 

「いいぞッ!これこそ英雄の晴れ舞台ッ!さあ魔神──君が逃げれば、この世界は粉々だッ!」

「──────えっ?」

 

 

 宇宙にいるウェルから唐突に、世界の滅亡を告げられる。宇宙からなのに何故か届いた余りにも急な宣言に、立香が理解できないようにそれだけをポツリと呟いた。

 だが、その言葉にいよいよ魔神は嫌悪を全く隠さない程に感情を顕にした表情を見せた。

 

「──対処をする以外の時間はない、か。貴様、まさか最初から──」

「そうとも!さあどうする?今の僕は取り込みまくった聖遺物を端から端までネフィリムに注ぎ込んでるぞッ!」

 

 魔神にウェルが答えるその間にも、その身を肥大化したネフィリムがウェルの腕は愚かその全身すらも取り込み、また膨大な熱量を湛えることを示すかのように真紅に輝いている。

 そして、その肉体は既に魔都を取り込んだ時をも超えて、なおも巨人の成長は止まらない。

 

『今のドクター・ウェルは──ネフィリムは、際限なく同族を取り込み、成長を続ける巨大構成体(ギガストラクチャ)だ。だが、そちらの世界が物理法則を前提にしている以上、その構成には限界が生まれる。そうなった時──』

「──いずれ炉心融解を起こすッ!そしてそこで放たれるネフィリムの炎は、君の御自慢の結界を物理的に吹き飛ばせる大火力だッ!」

 

 今にも崩れそうなほどに、はちきれんばかりに肥大化しているネフィリムの赤々とした光は今や恒星の如し。貯めに貯めたエネルギースケールは惑星をも焼き滅ぼせる程であり、天に座す光帯にも引けは取らないだろう。

 だが、この世界に法則を敷く魔神が懇切丁寧に調節して組み上げた光帯とは異なり、ネフィリムのそれは増殖炉に後先考えずに燃料を注ぎ込まれた結果誕生したもの。

 そして、それが今も肥大化を続けているということは──いずれ新星のごとく膨張し、魔神諸共この世界を道連れに大爆発するということに他ならない。

 

 ──たとえ、ウェルが本当にそれを実行するかは不明だとしても。世界を焼く力を向けられている以上、魔神に止めないという道はなかった。

 

「────おのれ、おのれッ!何故その道を選ぶッ!それは貴様の勝利ではないはずだッ!」

 

 絶叫するような魔神の声と共に、光帯は矛先を変える。地表に居る蟻の如き魔術師、英霊、装者から、空に浮かぶ炎の巨人へと。

 ネフィリムの炸裂は間近。生中な術式では防げない以上、魔神は同規模のエネルギーで相殺する他ない。

 星を焼く巨人には、星を焼く光を。人類世界を容易に滅ぼせる大火力には、人類終了を告げる光帯を。

 

「答えろ、ドクター・ウェルッ!!貴様のような下劣な人間が、何故────己を捨てる選択ができるッ!?」

 

 最早止められない程にその熱量を収束させた光帯を掲げた魔神は、悍ましいものを見たかのような顔でウェルを詰る。

 それは、ある意味ではウェルを知るものなら大なり小なり思うことだろう。自己中心的で異様なほどの前向きな不屈さをもつ狂人──そんな彼というパーソナリティについて触れているなら、それこそ誰もが魔神に近しい思いを抱くだろう。

 だが──たとえそのパーソナリティが正しいのだとしても。どれほどまでに歪んでいるとしても──。

 

「ドクター……貴方は…………ッ!」

 

 ウェルの選んだ道を理解したマリアは、一言では表せぬ感情をそのまま表情に浮かべる。

 それはまるで、生前の彼が世界を救うために命を捨てたときの────命を捨てる彼を、ただ見送ることしか出来なかった嘗ての自分と同じ表情。

 

 ドクター・ウェルは狂人で、卑屈で、前向きで、自己中心的。どう言い繕うとも人間性が平均を大きく下回っているとしか表現できない程のトラブルメーカーだ。

 だが、末期を看取ったマリアは知っていた。彼がどんな人間か、その心に何を渇望しているのか──彼が、一体何になりたかったのか。

 

 

 

「命を投げ捨てる理由ゥ?そんなの決まってるだろうッ!?────英霊として召し抱えられたこの僕こそ、この世界の真の英雄だからさッ!さあ、死ぬ気で世界を守ってみせろ魔神────

 

────『全てを喰らい、終末を齎せ(トリリオン・ノヴァ)』ッ!」

 

「ぐ、この────ニンゲンがァッ!消し飛べ────

 

────『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)!」

 

 

 

 堂々たる真名の開放とともに、ウェルの宝具が起動する。

 それは世界を滅ぼす大火、神の放つ裁きの業火。最終戦争(ハルマゲドン)とはこの輝きであると言わんばかりの一兆度の炎が、ネフィリムという枷から解き放たれた。

 

 迎撃するのは光束の帯。ソロモンたる魔神が持つ第三宝具。

 歴史を燃やし、想い出を燃やし、星を燃やして創り上げた比類なき熱量の権化たる光帯はしかし、惑星を容易に焼却するネフィリムの炎と相殺するために放たれた。

 

「──不味い、眼を閉じて屈んで!」

 

 ベディヴィエールの叫びと同時に、巨人の業火と魔力の奔流が衝突する。その瞬間、世界は白一色に染め上げられた。

 カルデアやS.O.N.G.のセンサーすら一瞬で焦げ付く光熱を前に、ベディヴィエールの言葉を聞いた面々は皆一様に地に伏せ、その目を手で覆うことで難を逃れることが出来た。

 とはいえ、ネフィリムの炎の大半は光帯が迎撃したにせよ、そもそもの攻撃範囲が違う。収束の一撃たる光帯ではネフィリムの炎全てを遮れず、受け流された炎が宇宙を朱々と照らし上げ、その炎から発せられる熱はまるで世界が砂漠になったかと思わせんばかりに地表の温度を引き上げている。

 

 そしてそんな状況がいつまでも続くわけもない。あるいはそれは一瞬だったのかもしれない、そう思わせるほどに唐突に熱が止み、光が収まる。

 

「……終わった、かな?ウェル博士は……!」

 

 恐る恐ると目を開けた立香は空を仰ぎ見、絶句した。

 

「──は。ハハハ。……様見ろ、英雄などとは笑わせる」

 

 心底可笑しそうに、魔神が嘲笑をぶつけるその空には、先程までの輝きはない。熱を失い、その全身が黒く炭化したネフィリムがゆらりと墜落する。

 衝突直前にフロンティアから重力制御が掛けられたことでどうにか軟着陸したその巨体は、しかし最早耐えきれないというように地に触れた端からボロボロと崩れ去る。

 

「ぐ、ぅ────」

 

 その心臓部から這い出るようにして現れたウェルは、その肉体の端から魔力の粒子へと転換されていく。

 膨大な魔力行使、宝具の暴走と自爆──壊れた幻想をその全身に浴びては、霊核が保つはずもない。むしろ今その身が辛うじて形を保っているという事実こそ、ドクター・ウェルの精神の強さを示しているとすら言えるだろう。

 

「どうした、先程までの威勢はッ!ハハハハハハハハハハ」

「よく言うよ……君の宝具、使わせたんだぜ?だったらもう……」

 

 先程までの憤慨は何処へやら、機嫌良く高笑う魔神にウェルが弱々しく笑う。

 だが、魔神はそんなウェルとは対称的な悪意に満ちた笑みを見せる。

 

「それはどうかな?」

「テメエ、そりゃどういう──ッ!?」

 

 勿体ぶった魔神にクリスが怒鳴りかけるが、その言葉は途中で止まる。

 そんな彼女の目線が向けられていたのは、中空に浮かぶ魔神──その背後たる宇宙。何もかもが消えたはずのそこに、先程放たれたはずの光帯が徐々に再構築され始めている。

 絶句したクリスを始めとした面々にちらりと目線を投げかけ、魔神はあえて説明するように、絶望させるように語りだす。

 

「先に言ったろう?一度安定術式さえ編めればどうとでもなるとなッ!当然だ、放った魔力は、衝突した熱量はこの世界に滞在するッ!循環機構と化したこの宝具であれば、再び収束させる程度造作もないッ!」

『──くそ、やっぱりか!余りに簡単に手札を切ると思ったら……』

「────そん、な。それじゃ、僕がやったことは……」

 

 ギシリ、と鮫のような歯を見せつけそう告げた魔神に、ダ・ヴィンチが悔しそうな声を上げる。そして消滅しかけているウェルも衝撃を受けたように茫然とした表情を見せた後、ついに立つことすら難しくなったのか項垂れるように俯き膝を付いた。

 

「そんな──そんな、ことって……ッ!」

「……ッ!だとしても、まだだ、まだ諦めるわけにはッ!」

 

 響の絶望するような声にかぶせるように、マリアが半ば空元気のように叫び、腰を落として刃を構える。

 

「マリアさん……」

「そうだ、まだ負けてねえッ!あたしらはまだ、ここに居るッ!」

「……フ、ここに居る、か。可愛い後輩が立ち上がるというのに、人類守護の防人たる私が立てない道理はあるまい──立花、いけるか?」

「クリスちゃん、翼さん……はいッ!」

 

 まだ戦いは終わっていないのだと、負けるわけにはいかないのだと。そんなマリアの態度に触発されたのだろう、クリスと翼も銘々にその手の武器を構える。

 そして翼に手を差し伸べられ、響も力を入れて立ち上がる。

 

「……さ、マスターも……」

「うん──そっか、そうだよね、まだ負けてないよね。私達」

「ええ、そのとおりです。行きましょうマスター、まだ戦いは終わってはいないのだから」

『そうそう、行ける行ける!僕のフロンティアのお立ち台公演もまだまだ終わらないとも!』

 

 彼女たちが立ち上がる姿を見て、ブリュンヒルデが主たる立香に手を添える。

 立香とて新たな友人が、そしてサーヴァントたちが立ち上がるというのに自分だけ落ち込んではいられないと己を勇気づけて立ち上がる。半ば無責任なアマデウスの煽りすらも、今の彼女には頼もしく感じた。

 

「……ふん、蛮勇を見せるか。貴様らにとっての切り札たる英霊を二騎も無駄にして、なお立てるその精神力は褒めてやろう」

「!無駄になんてしてない!ダビデも、ウェル博士だって命をかけて──だったら、無駄になんてするもんか!」

 

 勇ましげに吠える立香を見ても、最早魔神は動じることはない。今再び、光帯の収束を開始し──。

 

 

「──僕がやったことは……無駄な、ワケがないだろうッ!?」

『……ええ、無駄になんてなりませんよ。とてもいい仕事でした』

 

 狂った笑みで叫ぶウェルの言葉に重なるように、年若い少年の声が届く。

 ──瞬間、世界を取り巻くデモノイズの鎖が一斉に両断された。

 

「──何だとッ!?貴様、英雄王──」

 

 光帯に収束すべきエネルギーラインの全てが同じタイミングで寸断されたことに、魔神は思わず通信先から聞こえた下手人の名を呼ぶ。

 だが、それに応えたのは別人だった。明るい少女の声が、S.O.N.G.とカルデアの双方の通信端末から同時に届く。

 

『デデデースッ!結界なんてデストロデースッ!』

『これで、終わりッ!』

 

 魔神が慌てて切断されたデモノイズを修繕しようと術式を展開するが、それに先んじて炎が走る。

 デモノイズや魔神の焼却の炎とも、ネフィリムの純粋な熱とも異なる炎。落陽の水面か朝焼けを想起させるような灼熱はデモノイズの切断面を須らく融かし合わせる。

 歪な癒合を果たしたデモノイズの鎖が空に描く紋様は、先程までの整えられたそれとは天地程も違う。それを認めた瞬間、魔神は歯噛みした。

 

「これは……そうか、やってくれたな英雄王ッ!」

『あはは、やだなあ。ボクは手を貸しはしましたが──頑張ってくれたのは彼女たちで、時間を稼いだのはそこの彼ですよ?正確さくらいしか取り柄がないんだから、せめて功労者が誰かくらいは履き違えないでほしいですね』

「2人が……?」

 

 紅顔に浮かぶ微笑みに、成長後を思わせるような愉悦の音色が混じっている。

 そんな将来が不安になる声音を聞いて、響はぽかんと口を開けた。通信越しで何が起きたのか全くわからないまでも、どうやらゲート近辺に陣取っていた3人──殿として戦っていた面々が何か手を打った結果が今のデモノイズの異変らしかった。

 

『これは──魔神の結界のエネルギー循環に大きな支障が生まれています!今の一撃でエネルギー経路がズタズタにされて、その上無茶苦茶に繋ぎ変えられています』

『あー、何処かで見たと思ったらあのアサシンの手管に近いことをやったのか……世界規模で』

 

 エルフナインの驚く声を尻目に、状況を確認したダ・ヴィンチは乾いた笑みを浮かべる。

 

「ダ・ヴィンチ女史、どういうことです?」

 

 目前の魔神は未だ苛立ちを抑えられていないようで、視界を遠くに飛ばしているのか攻撃をしてこない。

 とりあえず今のうちに状況を理解したいと考え、翼は何かを理解したらしいダ・ヴィンチへと問いを投げかける。

 

『うーん、えっとねー。この世界は魔神ソロモンの肉体であり世界そのものだ。そして無尽蔵な魔力の源泉となる理由は、世界の中で発生した魔力は消費されずに魔都の術式を用いて循環させているから。で、魔術師は魔術を使うときに魔術回路を利用するんだけど、そっちの世界では魔神の血肉たるデモノイズが経路を代替していたわけさ』

「デモノイズが?」

 

 そうだったのか、と素人丸出しに感心する立香。

 

『そうさ。でも魔術回路は繊細なものだ。ただ切っただけなら比較的治癒は容易だろうけど、適当に切って乱雑に嗣いでしまえば、余程丁寧に整備しない限りその回路は使い物にならない』

「ってことは、さっきの切歌と調がやったことが──」

 

『そーゆーことデースッ!ギル君からでっかい剣借りてぶっぱしてやったのデスッ!』

『……地平線と水平線の概念を持つ、神造兵装?って言ってました。イガリマとシュルシャガナの原型だって』

 

 会話に割って入るような通信に、ダ・ヴィンチが成程と頷く。

 英雄王の蔵、バビロンの宝物庫にはそれこそあらゆる武装の原典が入っている。まして彼の時代と地域が近しいイガリマやシュルシャガナがあってもおかしくはないだろう。

 どうやって借りたのか、或いは何故貸したのかは知り得ない。だが他の装者を見てれば、通信先の彼女らもまた何だかんだ最後まで足掻くタイプの人間であることは自ずと想像がつく。であれば、英雄王に気に入られることもあるだろうとダ・ヴィンチは自分を納得させた。

 

『やれやれ、ドクター・ウェルがここまでやってやれるとはね。嬉しい誤算、っていうのはあれだけど──彼は間違いなく、この世界の英雄だったわけだ』

(……だが、第三宝具は半端にだけど再装填はされている。魔神が回路を修復しなければ勝機はあるとは言え、未だ予断は許さない。回路修復の間宇宙に逃げられてはいくら何でも追いつけないだろうし──)

 

 魔神を攻略するにはまだ課題は多い。それでもウェルの覚悟が、英雄としての矜持が確かに魔神の世界に亀裂を入れたことをダ・ヴィンチは称讃した。

 

 

「────ぃようしッ!(ザマァ)見ろ魔神ッ!どうしたどうした、さっきまでの威勢はァッ!?」

 

 そしてそんな会話をほっぽって、消滅しかけたウェルが魔神へと近づき嫌らしい笑みをうかべる。

 

「貴様、消えかけの分際で──」

「おっとぉ、イラつくってだけでわざわざほっといても消滅する僕に手を下すのかい?回路ボロボロ循環異常、無駄にエネルギーを使うことが君に出来るかッ!?」

「──ッ!!」

 

 図星を突かれ、魔術を展開せんとした己を律する魔神。

 今、魔神の作った固有結界は循環の理がデモノイズと共に破綻している。これを修復しない限り、魔神の力にはいずれ限界が訪れる。

 それでもS.O.N.G.カルデア連合のほうが先に力尽きるだろうが、修復のための魔力を考えれば無駄遣う余裕が無いのは事実だった。

 勿論、ウェルはそれを承知で盛大に煽ったのだが。

 

 やがて、魔神を馬鹿にするためだけに居残っていたウェルの霊基にも限界が訪れる。

 

「おっと、そろそろ僕はお役御免だなッ!僕の英雄性を否定できないまま僕の勝ち逃げを精々千里眼で見送るんだねッ!ハハハハハハッ!いやぁ正英霊らしからぬと解っていても、嫌がらせは何処までも飽きが来ないッ!」

 

 盛大に高笑いするその身の大半が魔力へと還元されていく。

 その様を憤りながらしかし、合理を尊ぶ魔神はウェルが言う通り見送るより他に取るべき選択はない。

 

 

 だから────それが起きたことに、何より動揺したのは魔神だった。

 

 

「──おんやぁ?」

 

 

 消滅しかけていたウェルの、その口端から血が垂れる。

 それを見ていた誰もが、唖然とした表情を対峙していた2人へと向ける。

 

『──有限のリソースを使ってまで、わざわざ……?』

 

 マシュが思わずと零した言葉に、魔神はビクリと肩を震わせる。

 その腕はウェルへと向けられており、その指先には丁寧に編み上げられた魔方陣が展開されている。

 

『ドクターッ!?この、死体蹴りとはみっともないデスよッ!?』

「────何故……私は……?」

 

 切歌の言葉に耳も貸さず、魔神は己がやった事実に困惑する。

 その様子に、通信先のホームズは訝しげにふむ、と唸った。

 

(合理を優先するはずの魔神が、己の感情を優先する。それ自体には違和感は少ない。かつての神殿の崩壊とともに、魔神たちは感情を得たのだから。だが、それは逆説的に今の行動が"魔神が得た感情"に沿った行為でなければならない筈……)

 

 未だに、彼らはソロモンを名乗る魔神がどんな感情を、どんな理を得たのかは把握できていない。

 嘗て戦った魔神バアルは復讐心、アンドラスは生存への執着、フェニクスは死からの開放を望み、それに沿った行動を取っていた。

 彼らは獲得した欲求に沿った行動の果てに、魔神としては不合理な選択すらしていたことがある。であれば、今の行動は魔神の真の目的を推測する手掛かりの1つ足り得る。

 

(……だが、当の魔神はそれを起こした理由を理解していない。となると、あの魔神は己の得た感情を誤認しているということに──)

 

「……ゴホッ。ああ、そういうことか」

 

 現状を整理しているホームズの耳に、いよいよ消滅せんとするウェルの声が届く。

 一体誰に向いた台詞なのかもわからないその言葉は、しかし確かに魔神へと向けられている。

 

「貴様、ウェル……。何を知っている、私が──」

「──ああ、末期にこういう言葉を言うのも、悪く、ないか」

 

 縋り付くような感情を滲ませた魔神の言葉も、最早ウェルの耳に届いている様子すらない。

 

「ふ、ふふ……召喚された時、そう言えば、一応暫定少女の味方だとも言っていましたねぇ……」

「何がいいたいッ!?貴様、私の何を知っているのか答えろと言っているッ!」

 

 激昂する魔神。ウェルに届かないと解っていて叫ぶその姿は隙だらけだったが、しかし誰も攻撃しようとはしない。

 彼女たちの表情を見れば、それが魔神の真の目的を知れるという打算的な考えからではないだろうことはよく分かるだろう。

 ただ、先程まで圧倒的な力を見せていた魔神のその姿が、魔都から去るときに僅かに覗かせた表情を思わせる魔神の様子が、余りにも等身大に見えてしまっていたから。

 今の魔神と、ただ諾々と戦うべきなのか──そう思ってしまっていた。

 

 ──そして、次のウェルの言葉に見守っていた全員が度肝を抜かれた。

 

 

「愛、ですよ。誰かの為を思い、動く感情、それ、こそが──」

 

「────何、を……?」

 

 その言葉に、魔神は静止した。

 ウェルは既に周囲を認識していない。ただ己の感情に正直に、彼が思ったことを吐き捨てていくだけだ。

 お為ごかしでも、魔神を混乱させようとする妄言でもない。あくまで彼が今思ったことを、率直に伝えているだけのこと。

 

「は、はは……敵も味方も、構わず導くなんて……やっぱり、僕は、英雄……」

 

 それが限界だった。それが、魔都の守護者として召喚された彼の最期の言葉だった。

 混乱する魔神を置いて、動揺する少女たちを残し。

 

 この世界で生まれ、育ち、死に、英雄と成った男。サーヴァント・ライダー、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは、その霊核の消滅とともに、戦いの舞台から姿を消した。



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Interlude.II 翠刃と紅刃と少年王

「ねー、ギルってば昔の王様なんデスよね?」

「どうしました、急に?」

 

 決戦から時をさかのぼり、英霊と装者の各ペアが魔都へと旅立った頃。

 ギャラルホルン通信神殿の防衛ということで配されていた切歌から唐突に問いかけられる。

 やたらとなれなれしい口調も彼女の在り方に反するようなものでもない、悪意の無い子供のものだからと今の自分の見た目を差し置いて受け流した子ギルは、その質問の意図が何処にあるのか首を傾げた。

 

 子ギルの内心を知ってか知らずか、切歌は恐れ知らずにテヘヘと笑う。

 

「いやあ、単純にギルのことはあんまり知らなくてデスね……。ザババが昔のシュメールってとこの神さまってのは薄ぼんやり知ってるんデスけど、ギルってザババと昔関わってたのかなーって」

「切ちゃん、失礼だよ」

 

 調は尚も軽い口調で話す切歌を嗜める。

 相手は太古の王として君臨したという英雄という話であり、であれば(少なくともあまり相手を知らない今は)敬語で話すなりしたほうが良いのでは、と調はジッと訴えかける。それが例え、装者で最も小柄な調より尚10cm以上小さい見た目の少年が相手だとしても、だ。

 言われてみればと思ったのか視線に耐えられなくなったのか、切歌は慌てて居住まいを正す。

 

「で、デース……。え、えーと……昔の王様でアラセラレルんデスしたよね?」

「あはは、無理に敬語にしなくてもいいですよ。今のボクはこんな霊基ですし」

 

 なるべく慮ろうとした結果ひねり出された敬語らしき言葉に子ギルは軽く笑う。

 

「間違いなく王でしたよ。それでザババは──ボクとはあまり関わりがないんですよね。持っていた二振りの刃は優れた宝剣ですから、ボクの蔵に入っていますけど」

「二振り……イガリマとシュルシャガナが?」

 

 そう言えば、と調は初対面の時を思い出す。彼は欠片とは言えイガリマとシュルシャガナを担うことを合格点、と評していた。偽物ではなく真作に認められているから、と。

 

「はい。とはいっても、こちらとボクらの世界では与えられた概念が違うので厳密に同じ武器であるとは言えないですけどね。もっと言えば原型であってそれそのものとは言い切れませんし」

「へー、そういうものなんデスね。アタシたちは今まで行った平行世界だと大同商事って感じでみんな似たり寄ったりって感じだったデス」

「大同小異、だよ。切ちゃん」

 

 そうデスっけ?とてへりと笑う切歌。

 

「それにしても、限られた能力を有する人間以外は使用できないという前提があるとはいえ、平行世界を容易に行来できるという道具が現存するというのもなかなか面白いですね」

「ギルの世界には無いデスか?平行世界移動できるやつ」

「勿論ありますけど、そこまで軽々に移動できるものではないですね」

 

 ギャラルホルンという完全聖遺物あってこそらしいが、装者であれば気軽に平行世界に移動できるというのは流石の彼も驚いていた。

 

「そこらへんも違うんデスね……。いや、アタシたちの世界もラクチンに移動できるわけじゃ無いデスけど」

 

 ふんふんと納得するように頷く素振りを見せる切歌。その真面目くさった表情はいっそコミカルで、本当に解っているか一抹の不安を抱かせるものだが。

 と、そこで思い出したようにハッと顔を上げて子ギルへと向き直る。

 

「って、そうじゃなくて!聞こうとしたことが途中で終わってたデースッ!」

「切ちゃん?」

 

 切歌が話を続けたことで、雑談程度の話題だと思っていた調は訝しげな様子を見せる。

 

「あのデスね、モノは相談なんデスが。アタシたちの武器を持ってるなら見せて欲しいって思ってデスね……」

 

 切歌も調もこちらの世界に来る前、司令たちからこの世界に関する情報をもらっていた。協力者であるカルデアについてもだ。

 そしてその中で子ギル──ギルガメッシュがこの世界のバビロニアの宝物庫とは違う、しかし同名・同概念の宝具を持っているという話を耳にしていた。

 

「で、デスよ。出会ったときにアタシらのギアの事を真作の欠片って言ってたから、もしかしたら完全な真作?を持ってるんじゃないかなって思ってたんデス……まあさっき持ってること確定したのデスけど」

「それで見てみたいと?さっき言ったように持っていることは持っていますが、見たところで余り意味はないかなって思いますけど……」

 

 そう言って言葉を濁す子ギル。その表情は、切歌の要望に消極的な考えを抱いていることが丸わかりだ。

 確かに、彼は彼女ら装者がこの世界、異世界における真作の欠片たるシンフォギアを担っていることは認めている。だが、それもあくまで共に戦場で戦うに能うという観点であり、自分の財宝を不用意に引っ張り出してもいいとまでは思わない。

 

「今はデモノイズの襲撃もないから、見せられないわけでもないけど──いや、それでも無駄に目立つだけですからね。下手に刺激することは止めておきましょう」

「そうデスか……ちょっと残念デス」

 

 やんわりと拒否されしょぼくれる切歌。

 予想より落ち込み度合いが大きかったのか、調がおずおずと口を開く。

 

「切ちゃん、そんなに見てみたかったの?」

「デース……。いやあ、もしかしたらアタシたちにも使えるかなーって……」

 

 そういってあははと頭をかく。

 どういうことかと怪訝な目を向ける子ギルに、切歌は言い訳するようにあわてて口を開いた。

 

「いやほら、魔都の守護天には装者が擬似サーヴァント?になってるかもしれないって話デスけど、それならアタシたちもそっちの世界の宝具を使えるかもしれないじゃないデスか」

「ああ、そういうことだったんですね。……ですがまあ、どちらにせよ使えないと思いますよ?」

「どうしてですか?」

 

 どこか確信的な様子を見せる子ギルに調は疑問を呈する。

 異世界の法則を基準として構築された宝具を、別な法則世界の人間である調や切歌が使えないという子ギルの言い分は理解が及ぶものである。

 しかし、彼の言い分はそれだけではないようであった。

 

 調の疑問に、わずかに嘆息して子ギルは「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」を展開する。

 

「およ、やっぱり見せてくれるんデス……か……?」

「これ、は……」

 

 空間に浮かんだ波紋に、しょぼくれた表情を一転ワクワクした表情を浮かべた切歌だが、宝物庫から鋒を僅かに覗かせたそれを見て絶句する。

 同じく眺めていた調も、それを見て言葉を失うとともに、先程の子ギルの言葉──無駄に目立つ、という意味を理解する。

 

 空中に展開されている宝物庫、通常ならそこから出てくる武装は人が扱うような武装だろう。

 だが、僅かに姿を見せたその刃は、驚くべきことに刀身の厚みが彼女らの背丈を超えるほどの分厚さを持っていたのだ。

 

「……使えますか?」

「ちょっと持てなさそうデース……」

 

 子ギルの言いたいことを理解し、切歌は肩を落とす。

 

「うむむ……完全聖遺物みたいなものって考えれば、アタシらでも起動できればみんなの助けになるかなーって思ったんデスけど……」

「元気だして、切ちゃん……」

 

 落ち込む切歌の肩をぽんぽんとたたいて慰める調。

 そんな2人を眺めつつ、子ギルは空を仰ぐ。

 

(……完全聖遺物。こちらの世界の法則における神話時代の遺物、高位存在の異端技術の結晶、か)

 

 それは英雄王たる彼をしても全く知らない未知の宝物。興味が惹かれないといえば嘘になるだろう。

 とはいえ、彼の本質は人類の発展に伴う技術を蒐集するコレクターであり、根本から異なる技術体系の産物に対してはそこまで重要視するものではない。欲しいと言えば欲しいが、そこまで食指が動くようなものではない。

 だが、それはそれとして彼は切歌の言うことに興味を覚えていた。

 

(宝具は相応しい担い手がその名を告げることで起動し、聖遺物は相応しい担い手が唄うことで励起する。……この2種は、概念的には近しいものとして考えられなくもない。聖遺物は装者でなければ、適合者でなければ起動はできないでしょうが……)

 

 神秘の担い手、英雄たちが仮に聖遺物を手にとっても起動できる物ではない。彼らは聖遺物が励起するために必要なフォニックゲインなどについて、全くの門外漢だからだ。

 異端技術の産物たる聖遺物は、その性質上フォニックゲインという適合するエネルギーが必要である。謂わばエンジンに対するガソリンのようなものであり、そこに人の想念が割り込む道理はない。適合者の想いに比例して機能が増すという声質もあることはあるが、それはあくまで適合者の想いにあわせてフォニックゲインが増減すると言うだけの話でしかなく、根本的に必要なのは聖遺物に適合する膨大なエネルギーなのだ。

 

 だが、逆ならばどうだろうかと子ギルはさらなる思考を巡らせる。

 宝具、概念武装はこちらの世界にも類似する概念がある。所謂哲学兵装と呼ばれるものだが、これはフォニックゲインを必要とするわけではない。

 宝具を起動するのに必要なのは真名開放と魔力だが、こちらの世界には正しく魔力の概念はある。真名開放も担い手が武装の名を告げることで秘めたる力を開放する機能であり、そこに特殊な法則は存在しない。それこそ「担い手」であることが概念的に認められていればいいのだ。

 

(……そういった意味で、装者はこの世界において"担い手"の性質を有していると言っても過言ではない。とは言え、聞く限りのシンフォギアの性能を考えれば、部分的な機能開放では足りないとは思いますが……いえ、今はこれ以上はいいですね)

 

 子ギルはそこで思考を切った。どちらにせよ、彼の持つザババの刃は物理的に人の身に余る武装である。その点を解決する未知がない以上、思考を進める理由が無かった。

 

「まあ、そうですね。必要があれば見せるときも来るでしょうから期待していただければ、ということで」

「わかったデース……。あ、この異変が終わったらその時は触らせてほしいデスッ!」

「あ、今のがイガリマだから……。私も、シュルシャガナを見せて欲しい……です」

 

 とりあえずというように現状での結論を出した子ギルに、もし見れなかったときの保険をかける切歌。そんな彼女に調もおずおずとだが同調する。

 何だかんだと彼女らは自分達のギアの基となった聖遺物の、異世界の姿をちゃんと見たかったという単純な思いがあった。

 

「ふ、む……まあ、戦いの結果次第ですかね」

 

 彼ら彼女らが待機任務に移って以降、デモノイズは襲撃してこない。

 魔神が自己修復に力を割いている以上、魔都内のデモノイズに全体的な指揮を出すのは中枢的な指揮者デモノイズである。が、ここ新宿ではその指揮者も、更に上位の指揮系統の魔神も行動していない。

 これではザババの双刃を晒す時が来るとは思えなかったし、何より共に戦う2人の実力は他の装者と違い不明なまま。

 であれば、戦闘が始まったときに2人の力を見定め、期待値以上であれば見せるようにしよう、と子ギルは決めたのだ。

 

 そんな彼の言わんとすることはその言葉から伝わったようであり、切歌も調も気合を入れ直す。

 

「むむ、アタシらの実力を疑ってると見たデスッ!よぉし、バトるときにびっくらこかさせてやるのデスッ!」

「うん、頑張ろうね切ちゃん」

 

 えいえいおーという掛け声とともに、2人は空に向かって拳を突き上げた。

 

 

 

 

 

 ──そうやって拳を突き上げたところと同じ場所、同じ天頂に巨大な光帯が広がっていたが、見上げる余裕は彼女たちにはなかった。

 

「うわわわッ!?調ッ!右頼むデスッ!」

「わかったッ!切ちゃんは左をお願いッ!」

 

 

───切・呪りeッTぉ───

 

───γ式・卍火車───

 

 

 切歌の持つ大鎌──イガリマから実体を持つ三日月の如き刃が分離し、迫り来るデモノイズへと飛翔しその蛍光色の肉体へ突き刺さる。

 調のツインテールを覆うようなヘッドギアから巨大な丸鋸が放たれ、反対側で眼光を放たんとしたデモノイズの目を両断する。

 

 ……だが、それでもデモノイズは消滅に至らない。歯噛みする2人の後方から魔剣宝剣の群れが飛来し、動きを止めたデモノイズに食らいつき蜂の巣にした。

 

「た、助かったデス……それにしてもこのデモノイズしぶとすぎるデースッ!?」

「ありがとう、ギルさん。……それにしても、増殖型ノイズみたい……」

 

 子ギルの財宝でとどめを刺されたデモノイズが粒子と還る様を見送り、切歌と調が口々に感謝を述べつつ愚痴を吐く。

 

 唐突に世界が変わり、魔神が真の力を曝け出し、世界をつなぐギャラルホルンゲートを攻め落とさんと雑に戦力を差し向けてきて暫し。

 彼女たち3人は他の戦力が魔神を倒すことを期待し、終わりのない闘争に自ら身を差し出し──その戦いが余りにも終わらなすぎて軽く辟易し始めていた。

 

「確かにしぶといといえばそうですが、魔神柱のような見た目の割にはやはり、脆い。とはいえ火力は据え置きでこの数となると厄介としか言えないですけどね」

 

 まるで何時ぞやの時間神殿みたいです、と困ったようにつぶやく。

 そう言っている間にも、消滅したデモノイズはその隙間を埋めるように後詰が湧き上がる。

 

「って、何で減らないんデスかッ!?再生じゃなくて再出現してるのはおかしいデースッ!」

「デモノイズは魔神の特性を引き継いでいますから。以前の魔神は七十二柱で一組という概念がありましたし、似たようなものでしょう」

「でも……えっと、アンドーナツ?みたいな魔神しか居ないって話だったと思うのデスがッ!?」

 

 食い気が漏れ出たような勘違いだが、その文句は間違いではない。

 魔神七十二柱が一組であるため補完される、というのはそもそも七十二柱の魔神という魔術式があってこそ。だが、その術式は嘗ての時間神殿で既に破却されている。

 それについても大凡把握しているらしく、子ギルは困ったような笑みのまま切歌の疑問に答える。

 

「あくまで概念によって補完されている、という話ですよ。いや、この場合は所謂修正力というやつですかね。魔神という魔術式が十全である以上、魔神柱は十全でなければならない。魔術式である魔神があの肉体に憑いている限り、魔神柱の霊基を持つデモノイズも綻ぶことはない、と。うわあ、めんどくさいですね」

「そんな気楽な……」

 

 あはは、と気負わない様子を見せる子ギルにやや呆れた表情を見せる。

 その間にもデモノイズは徐々に包囲を狭めてきており、イガリマやシュルシャガナから放たれる連撃と王の財宝による蹂躙も進行速度を遅くする程度の効果しかない。

 

「そんな気楽にしてるギルにはなにか解決策があると見たデスよッ!きりきり吐いて頂きたく存ずるデスッ!」

 

 その状況に焦りを見せた切歌はやけっぱち気味に子ギルにアイデアを募る。

 必死さに満ちたその言葉に、子ギルは困ったように首を傾げる。

 

「ええと、うーん。難しいところではあるんですよね。やってやれないことはないかもですが、根本的な解決になるかと言うと……」

「根本的な解決?」

 

 子ギルの言わんとしている事がわからず、調は疑問符を浮かべる。

 

「はい。財宝を吐き出せばこの場は収まるかもしれませんが、そもそも現状を解決するには補完を停止させる必要がありますよね?」

「それは……そうデスね。このデモノイズを全滅させてもすぐに湧き出てきたら意味ないデス……」

 

 切歌はげんなりした表情で子ギルの言葉を肯定する。

 魔都などでは指揮者であるデモノイズ、及び魔都の守護者が補完の管理をしていたためその二者を止めることでどうにかなった。だが、この襲撃は魔神本人が実行している以上同じ解決法は望めない。

 

「でも、そしたらどうやって……?あ、補完されるときに魔力とかフォニックゲインを使ってるって話だったから、使い切るまで粘るとか……」

「先にこっちがヘバッちゃうデスよ……」

「うーん、上に展開されている宝具を見る限り、この世界は嘗ての時間神殿を模倣しているみたいなので……単純にエネルギーを使い切らせるのは無理でしょうね」

 

 そういって子ギルはため息を吐く。

 一応、彼には解決案がないでもなかった。本来の英雄としての霊基──丸薬を飲むことで青年の姿まで成長し、最強宝具である乖離剣を稼働させることだ。

 乖離剣は世界を切り裂く星造りの権能を持つ原初の至宝。時代としては現代かつ異世界であることを考えれば最高出力の稼働は難しいだろうが、霊基消滅覚悟で放てばこの結界を砕いて元の世界へと還すことも不可能ではないだろう。

 

(……でも、この世界にそこまでする道理はない。何より大人のボクはそんなこと絶対にしないでしょうしね)

 

 今のマスターは主としては合格点ではあるが、だからといってそこまで命擲つほどかというとそうでもない。

 元の世界であればまあ吝かではないが、そもそもここは彼の世界ではない。であれば、その世界の関係者が何より力を見せるべきだろう……子ギルはそう考えていた。

 そして、そもそも青年となった自分を知っている子ギルはその選択肢が最初から無いも同然であることを理解していた。

 

「こうなったら絶唱するしか……」

「デースッ!?追いLiNKERも無しには無茶デスよッ!?」

 

 と、そこで悲壮さと決意の混じった調と切歌の会話が子ギルの耳に届く。その瞬間、一種の閃き──ある種の賭けが彼の脳裏に浮かんだ。

 

「……ああ、そうだ。うん、そうしましょうか」

 

 考え込む様子を見せていた子ギルが徐に顔を上げた。その顔には純真そうな、何処か黒い笑みが浮かんでいる。

 

「いいアイデアでもあったのデ、スかギルッ!?」

「切ちゃん伏せてッ!やあああ────ッ!」

 

───裏γ式・滅多卍切───

 

 彼の言葉になにか妙案でもあったのかと思わず目線を向けた、その一瞬の隙を突いて放たれたデモノイズの眼光。

 焼却指揮の一撃を、調が巨大な丸鋸を4つ同時に展開し、盾のように展開する。斜めに構築された防御陣地は一瞬だけ炎と拮抗し、即座に砕け散る。

 

「く──ッ!……?」

 

 流石に万事休すと思った調だったが、炎が来ない。思わずギュッと閉じていた目を恐る恐る開けば、そこには彼女たちの身の丈を超えるほどの美しい盾が鎮座していた。

 子ギルの展開した王の財宝──その中には当然剣や槍などの武器だけではなく、盾や鎧なども当然存在する。今回攻撃を防いだのもその1つであった。

 

「た、助かりましたデスッ!調もありがとうデースッ!」

 

 表面がどろどろに溶け、しかし彼女たちへの一撃を完全に防ぎきったその盾を見た切歌は子ギルにペコリと頭を下げ、そしてその盾が展開されるまでの数瞬を稼いでくれた調にも同様に謝意を見せる。

 

「ううん、大丈夫。……それで、そうしましょうって何をどうすればいいの?」

 

 切歌の感謝を受け止め笑顔を見せた調は、表情を切り替え子ギルへと向き直る。

 問われた子ギルは、ええ、と笑って見せた。

 

 

「単純ですよ。先程の二振り──お2人に使ってもらおうかと思います。絶唱してもらって」

 

 

「……え?」

「……デ、デェースッ!?」

 

 

 子ギルの口からサラリと告げられた無茶振りに、調と切歌は目を真ん丸にして驚いた。

 

 

 

『あなた達のギアとは持ちうる概念こそ異なりますが、あの二振りは間違いなくザババの二刀。その真名を開放できればこの状況の打破にはうってつけですからね』

 

「って、言ってたデスけど……」

 

 目の前に突き立つ巨剣を見て、切歌はポツリと呟く。

 その剣は巨大極まりなかった。翼の天羽々斬のアームドギアを出来る限り巨大にしたときと同じくらいの刀身はあるだろう。厚さはソレ以上だ。

 

 そして、その横に突き刺さる刺々しい湾曲刀の如き形状の剣もまた同じくらいの堂々たる刃を晒している。こちらは刀身が在ってないかというように、炎のごとく揺らめいていた。

 

「……ギアの力なら、どうにか持ち上げられるかもしれないけど……」

「こんなの振り回せないデスよ。それに真名開放?が出来なければ単なる大剣デース……」

 

 2人の不安そうな言葉も宜なるかな、彼女たちは現在子ギルからかなりの無茶を強いられているのだ。

 

 曰く。

 

 "この刃を振るうことで、結界を破砕し、無尽蔵と言える魔力供給を一時的に断つことが出来る"

 "取り敢えず財宝は使って少しの間持たせるから真名開放をすること"

 "もし出来なければジリジリとすり潰されてゲートも制圧されて皆の頑張りが無駄になる"

 

 ということであった。

 

「崖っぷちだね……」

「崖っぷちデスよ……」

 

 そう、顔を見合わせため息を吐く2人。

 だがそうやってばかりもいられない。

 そもそも子ギルの言う通り、このままではジリ貧であることには変わらない。先程会話に出た絶唱だって、恐らく2人の命を賭してデモノイズたちを大きく後退させることは出来るかもしれないが、その分戦力が減っては支えきれないことも明白だった。

 

「だからって、絶唱のフォニックゲインで宝具を起動するなんてこと出来るのかな……」

 

 調は不安が拭えないようで、目の前の墓標のように突き立つ大剣を見上げるその目は揺れている。

 絶唱、ソレは歌唱により増幅されたエネルギーを一気に放出することで大威力の攻撃を行うシンフォギアの必殺技とも呼べる一撃である。

 だが同時にそれは装者に多大なる負荷を及ぼすため、場合によっては使用者の命にかかわる諸刃の剣。その危険性故、通常であればエネルギー運用効率の良いアームドギアを介することで負荷の軽減を狙うものなのだが。

 

「絶唱のエネルギーは極大であると聞いていますよ?それに上手くエネルギー配置を行えば、そのギアに使われている諸制限を解除できるとも。それ程のエネルギーであれば、まあ神造兵装であれ起動に支障はないでしょう」

 

 他人事のように(実際彼にとっては他人事だが)軽々しく話を進める子ギル。その背後からは先程までの戦いが児戯か何かと言わんばかりの大量の宝具が投射され、一時的にではあるがデモノイズの進軍をきっちり停滞させている。

 とは言え、ゲート遠方に打ち捨てていることもあってか回収に手間取っている面もあるらしく、少しずつだが放たれる宝具の数は減ってきているのは2人の目にも明らかだった。

 

「──ああもう、やってみせるデスよッ!そうデスとも、アタシとイガリマは一心同体ッ!気合と情熱を見せてやるデースッ!」

「私とシュルシャガナも同じ。切ちゃんがやるなら、私だって──ッ!」

 

 ぱあん、と己の両頬を包み込むように引っ叩いた切歌は、右手で己のアームドギアを握り、左手を巨剣イガリマに添え、そのまま大きく息を吸い込んだ。

 調もそんな切歌に勇気づけられたのか、その右手を巨剣シュルシャガナに添えて息を整えた。

 

「──Gatrandis──babel──」

「──ziggurat──edenal──」

 

 2人の歌が響き、それぞれのギアに、そして宝具に力が流れ込んでいく。

 

 命をとした歌のエネルギーの全てを、彼女たちはその手に触れる武器へと注ぎ込む。

 

 歌う、歌う、歌う──。胸中から湧き上がる絶唱の力が流れていく。己の分身たるアームドギアに、その大本と根を同じくする巨剣に。

 

 そして、歌が終わり────。

 

 

「……何も、起こらない?それに身体もなんともない……」

「え、ええッ!?どういう事デスかッ!何が起きたんデスかッ!?」

 

 

 宝具は起動しなかった。その刀身は歌の最中こそ輝いたものの、それ以上の変化はなく。

 命を賭すはずの歌を歌った彼女たちには、只々脱力感以外のバックファイアは見られなかった。

 

「あれー、おかしいなあ……。もしかして見込み違いでしたかね?」

 

 いやあ、まいりましたねー。なんて笑う子ギルの宝物庫から放たれる弾は明らかに減ってきており、デモノイズたちもジリジリと包囲を狭めてきている。

 端的に言って、絶体絶命だった。

 

「デデデースッ!?不味いです、こうなったらもう一発……ッ!」

「待って切ちゃん、さっきの反応を考えると、もしかして絶唱のエネルギーが全部宝具に吸い取られちゃったのかも……」

 

 そうつぶやく調が思い出すのは、嘗て響たちと対峙した時。諸事情から響たちと敵対していた切歌と調は、共に行動していたウェルの奪還のために絶唱したことがあった。

 その時は響がS2CAを用いて絶唱のエネルギーの全てを一身に引き受け、その結果として切歌と調は共にバックファイアを受けずに済んだ事があった。

 今感じている疲労感といい、当時の状況と現状は同じ事が起きているのではないかと調は思い至っていた。

 

「それってつまり……アタシの絶唱全部乗せしてもこの宝具は動かなかったって事デスか……」

 

 切歌も調も、装者としての能力は高くはない。LiNKERという薬剤を用いてどうにかギアをまとえるラインまで適合係数を引き上げている程である。

 宝具とは異なれど、完全聖遺物との適合の場合適正だけではどうにもならないケースが多い。その歌が膨大なフォニックゲインを生まない限り、完全聖遺物に必要なエネルギーは賄えないということだ。

 そして、子ギルの持つイガリマもシュルシャガナも、戦神が直々に振るった神造兵装であり、その概念強度は折り紙付きの代物。生中なエネルギーではそのすべてを注いでも、尚起動には足らなかったということらしい。

 

「うーん、絶唱を高く見積もっていたんですかね?いや、話を聞く限りでは起動することは出来ると思ったんですが……」

「そ、そう言われても……」

 

 期待はずれだ、という目線を申し訳無さと同時に向けてくる子ギルに、なんとも言い難い感情を覚える調。

 と、そこで切歌が閃いたッ!と言わんばかりに顔を上げる。

 

「そうデースッ!そもそも絶唱全部乗せでスーパー超威力になったのはみんなの歌を乗せたからデスッ!一人分じゃ駄目ってことデスよきっとッ!」

「ニ人分にするってこと?でも、私の歌はイガリマには適合しないし……」

 

 響とマリアがいれば絶唱を繋ぎ合わせられたのだろうが、そうでない場合絶唱を重ねるなんて真似は不可能に近い。

 そう告げる調に、しかし切歌は首を振る。

 

「そんな事しなくても、アタシらの聖遺物は二本一対じゃないデスかッ!絶唱をユニゾンさせれば……ッ!」

「!」

 

 確かに、と切歌の言葉に希望を見出す。

 今まで絶唱を2人で重ねたことはないのはそのとおりだが、しかし彼女たちには絆に依る擬似ユニゾンとは違う、正真正銘のユニゾン機能が備わっている聖遺物がある。相互に共鳴し出力を向上するシステムを持つのは、彼女たちのギア──イガリマとシュルシャガナの固有機能の1つだった。

 もっとも下手するとバックファイアも二倍になりそうではあるが、一人分の絶唱で起動しない宝具を起動させるにはそこまでの無茶が必要かもしれない。そう調は思い始めていた。

 

「策は決まりましたか?そろそろこちらも限界に近いのでお願いしますね」

 

 やっぱり何処か他人事のように、しかしその眼は先程と異なり2人に期待しているような感情を覗かせる子ギル。

 何となくだが、彼女たちは子ギルが王たる所以を理解し始めていた。完全な王としての側面という彼は、要するに自身以外にも水準を満たすことを当然のように考えているらしい。或いは期待されているからだとしても、なかなか強烈な采配を振るう彼に、思わず2人の額に冷や汗が流れる。

 

(デース……。この王様が大人になった姿は考えたくないデス……)

(うん、絶対暴君だよ。……でも)

(判ってるデース、アタシも同じ思いデスよ)

 

 そしてだからこそ、その顔を驚かせてみせると意気込むように頷きあう。

 

「そうと決まれば──」

「やってやるデスッ!」

 

 2人はアームドギアを解除し、手をつなぎ合う。

 そして突き立つイガリマとシュルシャガナの間に立ち、それぞれの刀身に手を触れた。

 

『──Gatrandis──babel──ziggurat──edenal──』

 

 その心を重ね合わせ、異口同音に詩を紡ぐ。

 フォニックゲインが2人の体から湧き立ち、共鳴し、その力をどんどん強めていく。

 

 切歌の目端から、調の口端から血が溢れる。つつ、と流れるそれを彼女たちは意にも介さず、只々一心に歌い続ける。

 

『──Emustolronzen──fine──el──zizzl──』

 

 そして、歌が、終わる。

 

 

 ドクン、という鼓動の音が二人の胸に鳴り響く。絶唱のバックファイアにより、2人の身に強い負荷が掛かる。

 気を抜けば倒れてしまいそうな痛覚への刺激に、しかし彼女たちは堪え、立ち、その手を高く、二刀の柄へと伸ばした。

 

 瞬間、2人のアームドギアが形成される。

 それは普段使うような大鎌や丸鋸をベースとしていても、しかしその用途としては到底使えないような姿。

 丸鋸を支える支柱は伸び、先端の刃は大地に突き刺さる。その端から鉤爪のように大鎌が展開され、スパイクの要領で大地にその身体を固定させる。

 大鎌の柄は多関節を形成し、腕のように巨剣の持手へと伸びていく。その手の先に本来あるであろう指は、掴んだら意地でも食らいついて離れないと言わんばかりの大振りな刃のチェーンソーが複数展開されている。

 

「──さあ、行くデスよ調ッ!」

「──うんッ!行こう、切ちゃんッ!」

 

 

───禁像Ω式・Zあ破刃しRRぇッtTT───

 

 

 それは、刃にて形作られた神の偶像。女神ザババとは斯くあるものだという2人の強固な思い込みから生み出されたような巨いなる人形。

 その身に掛かる負荷なんて知らんと言わんばかりに、()()()()()()の二刀を引っ掴む。ギャリギャリという音とともに刃が食い込むが、しかし不思議なことに巨剣の柄に傷はない。

 

「真名──」

「──絶唱起動ッ!」

 

 勢いのままに、2人はともにある刃の名前を叫ぶ。

 それは、2人にとって余りに呼びなれた名前。装者として戦う中で、己の一部とも呼べるに至った聖遺物であり、戦神の二振りの刃。

 

 

「──『絶唱・千山斬り拓く翠の地平(スパーブソング・イガリマ)』ッ!」

 

「──『絶唱・万海灼き祓う暁の水平(スパーブソング・シュルシャガナ)』ッ!」

 

 

 現代の担い手たる2人の少女の真なる銘を告げる言葉とともに、戦神の翠紅、神代の威容が解き放たれた。

 

 

「デデデースッ!結界なんてデストロデースッ!」

 

 翠刃が振るわれた瞬間、天地を頒つ。否、その剣が振るわれた平面こそが、天地の境界線として定められている。

 斬撃の平面上に居たデモノイズは残らず頒たれた。それは地表に迫るデモノイズだけに留まらず、宇宙を繋ぐ縛鎖すらも残らず切り拓いた。

 

 それこそが、嘗て神代において戦神ザババが振るいし翠刃イガリマ。天地の境界を定める『地平線』の概念武装。

 

「これで、終わりッ!」

 

 紅刃が振るわれた瞬間、境界を融かす。否、その炎が閃いた領域こそが、天地の融け合う揺らめきとして作り直されている。

 炎が奔る軌跡に居たデモノイズは、残らず融け合った。それは地に在るデモノイズだけに留まらず、天に光る経絡すらも残らず融合せしめた。

 

 それこそが、嘗て神代において戦神ザババが振るいし紅刃シュルシャガナ。空海の融け合う瞬間を作り出す『水平線』の概念武装。

 

 

 ザババの剣はその力を遺憾なく発揮し、魔神が組み上げた歪な世界をさらに歪に引き裂いていく。

 子ギルはその光景を眺め、静かに口を開いた。

 

「本当に成し遂げるとは──ね。真作に選ばれたのは伊達ではない、というところかな?」

 

 通信を介してドヤ顔で子ギルの受け売りを語る2人に目を向け小さく笑う。

 絶唱、宝具の起動、そしてユニゾンの負荷を受けた彼女たちはそのダメージは浅からぬものであることを理解していた子ギルは、宝物庫から神薬を取り出す。

 

「さて、と……あとは皆さん、頑張ってくださいね」

 

 誰に届くとも思えぬ声で1人そう呟き、子ギルは大役を為した二人の元へと歩み寄っていった。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(5)

『ドクター・ウェル……。色々と表現に困るサーヴァントだったけど……しかし案外真理を見出だせる力には長けてたみたいだね』

 

 伊達に天才を名乗っちゃいないね、とダ・ヴィンチが溢す。

 彼の最後の一言、魔神は愛によって動いているという旨の発言は最初こそ突拍子もないとすら思えるものだったが、しかしそれも正しい観察の結果だったのではないかと誰ともなく思うようになっていた。

 それもそうだろう。今の魔神の様子を見れば、ここに至るまで魔神と戦い続けてきた面々であれば誰もが彼の言葉に真実が一抹含まれていると考えてしまう。

 

「何が──何故そこで……愛ッ!?愛だと……ッ!?」

 

 ウェルの残した言葉に、己の為した不合理に魔神の内心は困惑と憤懣が綯交ぜになった様子を見せる。

 言われたことを処理しきれていないのか、それとも本当に訳がわからないのか。魔神がどのような主観でその言葉を噛み砕こうとしているのかは不明だが、今の魔神は明らかに衝撃を受けていた。

 ──そう、衝撃を受け、それを切り捨てられないでいる。合理的、システム的である魔神は、それが真実ではないと断定できれば一笑に付すだろうに、そうしないでいた。

 それこそが、ウェルの言葉に対する否定的推論が魔神の中で成立していないという証明であった。

 

「──今なら、隙はあるわ」

「……!」

 

 通信に乗って届いたマリアの小声での事実確認に、聞いていた全員が僅かに顔を鋭くする。

 ぶつぶつと呟き微動だにしない魔神が半ば自失状態に近いというのは誰もが見て判るものであり、魔神の計画を打破するという観点から見れば間違いなく千載一遇の好機。

 とはいえ、その声音はあくまで事実を語るという風でしかなく、僅かながら躊躇うような感情すら混じっている。それほどまでに、彼女には今の魔神が不安定に見えていたのだ。

 

『……未だ油断は禁物だ。ウェル博士の言葉に動揺しているとしても、魔神の力は健在だからな』

 

 そんな彼女たちを慮ってか、或いは言葉通りのままなのか、軽率な行動をしないよう弦十郎は諌める。

 だが、事実彼の言う通り魔神は未だ十分な余力を残していた。

 

『光帯はウェル博士のおかげでどうにか一回は不発に終わり、結界宝具はゲート護衛の方々の援護から現在は機能不全に落とせています。ですが……』

『まあ、実際の魔術回路でもないからね。イガリマとシュルシャガナの一撃で経路をめちゃくちゃに繋ぎ変えることは出来たけど、そもそもこの結界自体元々魔神が作ったものだから──』

「──繕うは易い、ということですか」

 

 翼の言葉に、ダ・ヴィンチは神妙な表情で頷く。

 

『ふ、む。魔神の胸中もある程度は見えてきたところではある。本当なら詳らかに明かしたいところではあるが──』

「ですが、ええ。魔神の演算能力があれば、この結界の修復にも、そう時間はかからないとなれば……止めるなら、今でしょう」

 

 地味に惜しそうな表情で語るホームズを途中で遮り、ブリュンヒルデは槍を握り直す。

 そしてそれは同じくサーヴァントであるベディヴィエールも同意であるようで、己の義手を油断なく構える。

 

「それは……確かにそう、だね」

 

 立香はサーヴァント達の意見を聞き、僅かに考え込む。

 ウェル博士の言が本当であれば、もしかすれば魔神にも何か退っ引きならない事情があるのかもしれない。だが、そのために世界をこうも破綻させているというのは彼女にとっては認められることではなかった。

 例え今、目の前の魔神がああも隙を晒すほどに動揺しているのだとしても。この世界が彼女たちの世界と関わりが殆ど無い世界だとしても。

 ──それでも、既にこの世界に関わった1人の人間として。この世界を滅ぼして己の願望に邁進する魔神を止めなくてはならないと考えていた。

 

 ちらり、とサーヴァント2人と目を合わせ頷く。

 次いで装者たちとも順繰りに目を合わせれば、各々コクリと頷きジリジリと場所取りをしていく。

 装者たちからすれば、現状魔神の脅威はカルデアよりも大きい。なにせこの世界の完全な独立を阻害しているギャラルホルンは、他ならぬ彼女たちの世界にあるのだ。魔神が切なる思いを抱いているのだとしても、そのために世界1つを滅ぼし取り込もうとする魔神の力が自分たちの世界にまで伸びる、その可能性を見過ごすわけにはいかなかった。

 

 だから、彼女たちは失念していた。こんな状況であっても、だからこそと手を伸ばさんとする少女がいるという事実を。

 

「──よし。それじゃ、タイミングを合わせて────?」

 

 おずおず、と静かに、だがしっかりとした足取りで1人の少女が魔神へと近づく。声が、歌が、何よりその手が届く距離まで。

 

「────立花ッ!?」

「まさか、こンの馬鹿ッ!?」

 

 翼とクリスが思わず悲鳴のような声を上げる。2人の声に、今気づいたというように魔神がぼんやりと顔を上げ、近くに来ていた響に目線を向ける。

 

 そう、彼女たちは緊張状態が続いていたことですっかり忘れていた。自失し、隙を晒す魔神を見て。彼女が握った拳を開かない理由がないということに。

 魔神が不審げな目つきを向けてくるにも関わらず、響は口を開いた。

 

「……もう、終わりにしませんか?」

「何だと……?」

 

 この状況で。周りの面々が軒並み武器を構え、魔神に対して最大限の警戒をする中で。

 立花響は拳を解き力を抜いて、そう言って魔神に手を差し伸べた。

 

「……底抜けの阿呆と思ってはいたが。事もあろうにこの私に手を伸ばすだと?」

「おかしいって言われても構いませんッ!だって、今の貴方は──本当に、辛さを隠せてないッ!」

「──ッ、またそれかッ!辛い?辛いだとッ!?この私がッ!?」

 

 ウェルの言葉に心を揺さぶられていた魔神は、何度も訴えてきた響の想いを受けて余裕のない態度で叫ぶ。

 

「この私が辛いなどと思うものかッ!私は魔神、魔神ソロモンだッ!私は──」

「だったら、さっきウェル博士を攻撃したのは何でですかッ!」

 

 なにか言いかけた魔神へと、畳み掛けるように響が問いを叩きつけた。

 魔神は思わず言葉に詰まった。それが解っていれば、先程までのように(たとえ無視していても痛痒を浴びるものではないとしても)己の世界を破壊せんとする敵を前にして自己への問答に終止するなんてことはない。

 

「そんなこと──そう、奴があの炎を吐き出したからだッ!あの一撃は貴様らとは違いこの世界を崩壊させられるもの、そんなものを放つやつを認められるわけが──」

 

『……いいや、認められるさ。魔神ってのはそういうもんだろ?』

「ッ、何が言いたいアマデウス……ッ!」

 

 と、そんな響との問答に割って入ってきたのは通信機で話を聞いていたアマデウスだった。

 

『ウェルも言ってたじゃないか、合理を尊ぶ魔神が消滅待ったなしの、それ以上手出しできない霊基を手に掛ける訳がないって。お前も自分が手を出したことに理解が及ばないからああも問い詰めたんだろうに』

「知った風な口を……ッ!」

『そりゃ、キミらの絶対尊厳の面倒臭さは知ってるからね』

 

 魔神が怒りを見せようと、アマデウスは構わず話を続けていく。

 

『そもそも、最初からおかしいんだよ。カルデアや平行世界のS.O.N.G.は見逃して、そのくせ錬金術師は見逃さないなんて。最初はこの世界の住人が居ると願いが成立しない、とかかと思ってたけどさ』

「……確かに。今も新宿には避難している人らが居る。マリア達の話を聞く限りでは、魔都イェソドにも……」

 

 魔神の術式の起動時とそれ以降を思い返す翼。

 新宿のシェルターは、プセウドモナルキア成立時点では少なくとも残存し、風鳴邸の魔都にも近隣住人が避難している。

 後者はまだ神秘が云々ヌァザの権能が云々といった話で"この世界"として換算していないと言えるかもしれないが、新宿の魔都の人々は確実に今この世界で生きている。錬金術師を逃さぬことに執着を見せる道理はなかった。

 

「……」

 

 アマデウスらの指摘に、口を閉ざす魔神。

 その困惑した表情は、思いもよらぬ事実を指摘されたということを如実に示している。

 

『更に言えば、何度も僕らを見逃そうとした、というのもおかしい話だと思わないかい。えっと、何だっけ?そう、僕らを倒す為に無駄なエネルギーを使いたくない、だっけ』

「……あ、そっか」

 

 アマデウスが何を言いたいのか察した立香が思わずというようにそうつぶやく。それはサーヴァントたちも、装者たちも同様で、皆が今更ながらに魔神の言葉の矛盾に気づいた。

 

『──だったら、わざわざ僕らの前に顔を出さなきゃいいじゃないか。治療中のときみたいに引きこもって、万全の体制が取れるまでは力を蓄えて。そして一気に結界を構築する。僕らは狙いも何も知れないままに無尽蔵の力を獲得した魔神にあっという間に秒殺されて終わり……って、なってもおかしくないだろう?』

「……貴様らの前に姿を表したのは、抵抗勢力であるキャロルとパヴァリア光明結社の錬金術師共を殲滅するついででしかない」

 

 半ば煽るように語るアマデウスにギロリと人を殺せそうな目線で睨めつける魔神。

 魔神の特性を考えれば比喩では済まないその眼差しをモニター越しに受けて、しかし同じ色の瞳でアマデウスは見返した。

 

『……パヴァリア光明結社のボスはトンデモなく強いって話だから判るぜ?聞く限りだと、放っといたら結界完成前に魔都を力技で壊せそうだしね。でもさ、キャロル相手にそこまでする必要があるのかい?』

「──まるでオレが弱いみたいな口振りを……いや、言うまい」

 

 アマデウスの言葉に、先程まではこの場に居なかった筈の声が答えた。

 

「キャロルちゃん?どうしてここに……」

 

 ため息混じりのその声の主に真っ先に気づいた響が、首を傾げて問いかける。

 ウェルからフロンティアの管理を任されて居たはずの彼女が何故──と、そこまで考えて。あ、と響は零した。

 

「──気づいたか?ウェルが退去すれば奴の宝具が消えるのは自明だろうよ。演奏していたアマデウスも本部まで転送させてある──音質は下がるがな」

『いやあ、助かったよメルシーだ。音質は気にしてないぜ、僕の最下限は人類の最上限だからね』

 

 軽く感謝を述べつつ己の腕について豪語するアマデウスの軽妙な様子に、キャロルは再びため息を吐く。

 そしてその呆れたような表情を引き締め、より成長した己の顔と面を向き合わせた。

 

「キャロル・マールス・ディーンハイムか。逃げたときはそのまま隠れているとでも思ったが」

「……誰が逃げるか。まあ、オレも最初は隙を伺うつもりだったさ。だが、話を聞いていて気が変わった。オレがここに居るほうが、貴様を留めていられそうだからな」

 

 その言葉には確信のようなものが見え隠れしており、聞いた魔神は眉を顰めた。

 まるで、目の前の錬金術師が己の知らぬ自分のことを理解しているとでも言いたげなことへの不快感が、魔神の相貌にはっきりと表れていた。

 

「アマデウスの話を散々に聞いた限りじゃあ、貴様はオレが生きていることに我慢がならないんだろう。どうせ死ぬからと一度見逃したオレがここに戻ってきているこの状況で、貴様はオレを放置して居られるか?」

「──当たり前だろう、私は優先順位を誤ったりなどしない」

 

 何を馬鹿な、と鼻で笑う魔神。その姿はそう考える自分を全く疑っていないことが明らかだった。

 だが、それも次のアマデウスの言葉に凍りついた。

 

『優先順位、ね。さっきは優先順位を間違ったのに?』

「────ッ!」

 

 ウェルを殺した時の事を揶揄され、魔神の顔が強ばる。

 魔神にとって、先程の己の行動は正しく青天の霹靂のようなもの。純粋な魔術によって完全な合理を編み上げられた魔神は、己が己の想定しない行動を取ったという事実に目を向けられないでいた。

 そして、今一度。己の言葉尻を捉えられ突きつけられた矛盾を前にしては、流石に認めないわけにはいかなかった──己が壊れているという事実を。

 

 ぴたり、と動きを止めた魔神にとどめを刺すように。アマデウスは決定的な一言を口にする。

 

 

『──認めろよ、音楽魔。お前、エルフナインを愛したんだろう』

 

 

 その言葉を受け、魔神はいよいよ呆然と目を見開いた。

 アマデウスの言葉を否定し無くてはならない、という根拠のない論理に沿って反論を探し口を開くも、しかしそこからは歌も言葉も紡がれない。ただパクパクと開閉するだけだ。そしてそれこそ、アマデウスの言葉を認めている証左とも取れてしまうためかなおさらに混乱する。

 

 そんな魔神を憐れむような眼で、しかし容赦なくアマデウスは心理に刃を突き立てていく。

 

『辻褄が合うだろ?エルフナインの身体にリンクするこの世界を滅ぼしかけたウェルへの憎しみによる衝動的殺人も、エルフナインを使い捨ての道具みたいに作ったキャロルが憎いから生きていることが我慢ならないことも、さ』

 

 こんな世界を作った理由までは流石に知らないけど、などと嘯くアマデウス。

 その一方、その言葉を受けある意味魔神以上に混乱している者もいた。

 

『え、ええ……っと?そちらのボクは一体、何がどうなって……』

「エルフナイン、落ち着いて。いい、冷静によ、息を吸ってー、吐いてー……」

 

 あわあわとパニックに陥ったエルフナインを落ち着かせるためにマリアが通信越しに色々と声を掛けている。

 

(混乱してるわね……無理もないけど)

 

 通信先のエルフナインの様子にこっそりと嘆息する。

 平行世界の自分が何やら珍重されているという事実は知っていただろうが、流石に恋慕されていたらしいという真実までは想定できていなかったらしい。

 異世界の意志を持つ魔術、ソロモン王の編み上げた神秘の結晶たる魔神に愛を持たれたといわれても混乱するしかないだろう。

 

 もちろんこれらはアマデウスの推測でしかないが、しかし名探偵というガワが服着て歩いているようなサーヴァント・ホームズからの否定の通信が入らない以上、その推測が存外的を得ている可能性は高い。だからこその慌て様なのだろうが。

 

「──魔神、ソロモン?さん。貴方がエルフナインちゃんを大事に想っているんだとしたら、私達はきっと手を取り合えると思うんです。だから──」

 

 そんな後ろの状況にも気づかない響は、改めて手を伸ばす。

 放心に近い魔神がぼんやりとその手へと己の手を伸ばし──瞬間、膨大な量の攻勢魔術が空を覆った。

 

「ッ!!うあああ────ッ!」

「立花ッ!ちぃ、牝牛が腹を突いてきたかッ!」

 

 魔神に対して一定の警戒を持っていた面々は回避できたが、心から分かり合いたいと願い、意図的に警戒を解いていた響はそうは行かない。

 空から降り注ぐ光芒に対し回避・防御行動を取るもそのまま大きく吹き飛ばされた。

 

「く、う……」

「──違う、違う違う違うッ!愛など、そのようなものはヒトが抱くものだッ!私は、ただ──造物主に対し叛逆を遂げた彼女なら、無性であり完全性を持つホムンクルスなら──王の素体に相応しいと考え実行しただけのことッ!」

 

 それこそが真実だと断ずる魔神は、倒れ伏す響を無視し再び上空に光を収束させはじめる。

 

『光帯!?神殿が機能不全なのにどうやって──』

「機能不全なら手隙で燻っているデモノイズ共に歌わせるだけのことッ!無限の循環ができずとも、歌があればフォニックゲイン程度いくらでも絞り出せるッ!本来よりは威力が落ちるが、惑星を貫けずとも貴様らを消し飛ばす程度に支障はないッ!」

 

 そう言っている間にも、デモノイズから集められたフォニックゲインが純エネルギーとして転化され、はっきりとした光帯を形作っていく。

 先程の宝具に比較して径も小さく、魔神の言うように出力の低下は見て取れる。だがどちらにせよ、サーヴァントや装者を辺り一帯ごと蒸発させるには過分な程のエネルギーが渦巻いていることに変わりはない。

 

『不味い、全員魔神を──』

 

 止めろ、と弦十郎が告げる前に、1人の小さな人影が全員の前に立った。

 

「キャロルッ!?お前何するつもりだッ!?」

 

 まるで盾のように全員の前に立ち、錬金術の紋章陣を展開するキャロルの姿に思わずクリスが怒鳴る。

 今の魔神の熱量は焼却式が児戯に見える程であり、たかだか一個人の錬金術で防げるような代物ではない。それを理解しているからこその焦りの声に、キャロルはあくまで冷静に口を開いた。

 

「魔神を止める必要はない。そもそも貴様らには止められんだろうが──だが、このタイミングならば可能性はある」

「可能性、って……!一体何をするつもりなのキャロル!そんな、まるで──」

 

 光帯の前に立ち、壁を作り遮らんとするキャロルの姿は立香の脳裏の記憶に重なる。

 冠位時間神殿の戦いで、立香を守るためにその全霊で光帯を防いだ後輩の確かな背中を、そして光の果てに消失した最期を幻視した。

 性格も違う、やり方も違う。それでも、絶望の力を前に、後背を守るために立つその姿は。全てを、命すらも擲って守らんとするその背中は──立香にとって、二度と見たくないモノだった。

 

「──まるで、死んでも、みたいな……!」

『先輩……』

 

 心中の辛さを吐露する立香に、マシュは思わずというように言葉を漏らす。

 その様子に何かを察したのか、キャロルの目線が僅かに和らぐが、それでもと彼女は己の意思を告げる。

 

「オレはオレの我意でこの世界を滅ぼしかけた。そんなオレだからこそ、破滅に対峙する責務がある。──お前がすることは何だ、カルデアのマスター?」

「……!」

 

 静かに語りかけるキャロルに、立香は口を噤む。

 カルデアのマスターとして、やるべきこと。すべきこと。出来ること。──そのために、見過ごさなければいけないこと。

 例えどれ程にその心身を刻むような出来事があったとしても、彼女はただ生きるために、己の持つただの当たり前を守るために今まで戦ってきた。

 であれば、今回もまた例外ではない──先の可能性を掴むために、身命を賭すキャロル・マールス・ディーンハイムを止めたいという思いを必死に押し殺した。

 

「聞け、歌女共ッ!エネルギーの波濤だろうが、オレは流動させ、転換させ、結実させる──させてみせるッ!──だから、お前たちは歌ってみせろッ!」

「キャロル……貴女……」

 

 キャロルが何をする気なのか、出来るのかは判らない。だが、彼女は己の力の全てで成すべきことを成すと宣言した。

 ならば、とマリアは握った手に力を込め口を開いた。

 

「陣形を整えてッ!迎撃するわよ皆ッ!」

「ッ、そういうことか──了承したッ!雪音も……」

「わかってるってのッ!」

 

 装者たちはキャロルを信じ、それぞれの配置へと着いていく。

 全員で一塊になり、キャロルの後ろでしっかりと構える。

 

「う、ぐ……ま、だまだッ!私も、まだやれますッ!」

 

 そして、倒れていた響も気合で起き上がり、マリアと共に陣形の最前列に立つ。僅かにふらついてこそ居るが、修練の賜物か腰から下はしっかりと力を込めて大地を踏みしめている。

 

「……これで、4人。ちょっと不安だけど……」

「だが、先程の一撃を思えば暁と月読はこれ以上は難しいだろう」

 

 先程の結界を切り嗣いだ連撃の際、2人は宝具を利用したと語っていたがその声は僅かにかすれていた。

 余程の無茶をしたのだろう。あれ以降の連絡が無い以上、無事ではあるだろうがこの場での戦いには加われないだろうと予想を立てていた。

 

「そうね……あとはそう、出たとこ勝負かしら」

 

 マリアはそう言って、輝きを強めていく光帯を見つめた。

 

 

『……辛いかい、立香ちゃん』

 

 同時に、その光景を更に後方から眺めていた立香に声が掛けられる。

 ダ・ヴィンチの心配するような声音に、隠すでもなく素直に頷いた。

 

「辛いよ。辛いに決まってる……でも、キャロルはそうまでしてでも、この世界を守るために立つって決めた。そうしないとこの世界を守れないって、そう考えたんでしょ?」

『そうだね。ついでに言えば我々も同じ判断だ──賭けになることも、キャロルを見殺しにするのも含めてね』

 

 敢えてそう言ってみせるダ・ヴィンチに、立香は感謝を抱きつつ拳を強く握りしめる。

 

「……うん。私も今、そうしてる。だから、せめて見届ける──キャロルの作戦が上手く行った時、私も最高の行動をするために!」

 

 ぐっと握った拳を胸に当て、これから起こることを見逃すまいと眼を皿にする立香の姿には、先程までの不安さはない……とは言えないまでも、不安なりにしっかりとした芯が出来ていた。

 そして、そんな彼女を更に支えるためにと二人の人影が寄り添う

 

「その意気です、マスター。彼女たちは強い、我々も負けていられませんよ」

「ええ、そうですね。一番槍は、マスターの母国でも、勇士の誉れでしょう?……私は勇士ではない身ですが」

 

 鼓舞するようにと次々に言葉を口にするサーヴァントに、立香は狙い通り心が上向きになっていくのを感じていく。

 

「ベディヴィエール、ブリュンヒルデ……。うん、そうだよね!絶対、キャロルが見出した可能性を物にする!」

『…………』

 

 サーヴァントと共に力強く笑う立香に、これなら大丈夫だろうとダ・ヴィンチは僅かに笑みを浮かべた。

 

 

「収束、確認。真名、偽装登録──では、疾く死ぬがいい」

 

 その一連の様子を眺めていた魔神が、心底不快げに、それこそ二度と見たくないと言わんばかりの眼差しと共に死を宣告する。

 指が天を指すと同時に、歌によって編まれた光帯が、先程同様にこれ以上無いほどの輝きを見せる。

 

「──第三宝具、再点火ッ!さあ、芥のように燃え尽きろ──

 ────『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』ッ!」

 

 魔神の真名宣言とともに、滅びの光が今再び放たれる。

 星を貫く光芒、すべてを焼き滅ぼす熱量の権化。魔神が今作り出せる限りの歌を元に、崩れかかった宝具の概念を再び形どらせたその一撃は、過たずキャロルの元へ──そしてその後ろにいる全員を消し飛ばさんと迫り来る。

 そしてその先がキャロルの紋章陣に触れた瞬間──辺りに荘厳な音が鳴り響いた。

 

「ぐ、ぅおおおお──ッ!」

「──判っていたぞ、そう来るだろうことはな」

 

 苦しげに、だが死んでも陣を崩さないというように踏ん張るキャロルを、魔神は愉悦の混じった目で見つめる。

 

『膨大なフォニックゲインの発生を確認ッ!これを使えば──』

『だが、それまで保つかどうか……ッ!』

 

 藤尭の言葉とデータ、そして現況を比較し弦十郎は唸る。

 キャロルの展開した紋章陣は、錬金術により光帯が光帯として転化される前の姿──フォニックゲインへと還元していった。

 光帯を錬成して得られるフォニックゲインの膨大さは、人類全ての歌の力を束ねても尚足りないだろう。その膨大なフォニックゲインを、S2CAを通してシンフォギアの真の力が発揮できる──そういう目論見が彼らにはあった。

 

「だが、我が光帯全ては錬成できないだろう?その陣から漏れ出た光の一端でも後ろに流れれば、その時点で貴様らの死だ──さあ、いつまで耐えられるッ!」

「な、めるな……ッ!後ろに流さなければいいだけだッ!」

 

 強がるような不敵な笑みを浮かべるキャロル。だがその額には、魔神の言葉を肯定するようにつつと冷や汗が流れていた。

 

(予測より規模が大きい──いや、あの余裕を見るに敢えて出力を偽っていたのか?どちらにせよ、このままでは十分なフォニックゲインを得る前に──ッ!)

 

 あの発狂とも見紛う姿から僅かな間に再起動した光帯、そこに偽装すら施す辺りは流石の魔神であるとすら思える──それが己に向けられていなければなおのことだが。

 

 卓越した錬金術師であるキャロルは、自身の紋章陣が崩壊するまでの時間と必要なフォニックゲインを得られるまでの時間、どちらが短いのかを残酷なまでの正確さで理解していた。

 かといって補強の術式を使うにも、今の彼女はその全力を目の前の紋章陣の維持に費やしている。複数の術式を使おうとすれば、その瞬間この劣勢の拮抗はまたたく間に崩壊し消し飛ぶことは目に見えていた。

 

 せめて、少しでも時間を稼げたら。そんな考えがキャロルの脳裏によぎったその瞬間、夜空に二条の輝きが奔った。

 

「私達もどうにか援護を──って、あれは……?」

 

 キャロルの背を支えればいいのかな、などと考え一歩を踏み出そうとした響が最初に気づいて声を上げる。

 その言葉に装者たち、サーヴァントたち、そして立香が顔を上げる──と同時に、光帯を遮るように巨大な剣が二本、轟音とともに突き刺さった。

 

『これは──英雄王の──!?』

 

「イガリマとッ!」

「シュルシャガナ……到着しました」

 

 剣の裏面に張り付くようにしがみついてた二人の少女が、そういって響達の下へと飛び降りる。

 

「切歌、調ッ!?どうやってここまで──というか、あれが……?」

 

 心配そうな声で、マリアは2人と二振りを交互に見る。

 

「うん、あっちの世界のイガリマとシュルシャガナだよ、マリア。それで私達は……」

「……ギルにふっ飛ばされたデェス。宝物庫?からの射出体験は懲り懲りデスよ……」

 

 そうつぶやく切歌は己の身を強く抱いており、余程の恐怖体験だったらしい。

 ミサイルを始め高速飛翔体に比較的乗り慣れている彼女たちも、全く制御の出来ない大質量にしがみついて射出され、挙げ句光帯の盾になるように着弾したともなれば流石に怯えもするらしい。

 

「宝物庫って、中に人が入れたんだ……」

 

 思わぬ真実を知った立香が驚く。入ろうと思ったこともなかったが、そう言われると地味に気になってしまう。

 だが現状は逼迫している。そんなちょっとした新事実に考えを向ける余裕はなかった。

 

「英雄王か……やはり奴が一番面倒であったな。先に狙うはあちらだったか……」

 

 魔神が剣の飛んできた先──ギャラルホルンゲートに陣取る英雄王を見据え忌々しげに呟く。

 突き立った巨剣は間もなく光帯に貫かれたが、しかしその頃にはキャロルが紋章陣に補強の術式を追加で展開していた。

 

「──ふ、これで──取り敢えず、間に合いはした、な……ッ!」

「ありがとう、キャロルちゃんッ!いくよ、S2CA──」

 

 キャロルは再構成された陣を維持して不敵に笑い、その場に崩れ落ちる。

 巨剣に遮られた僅かな時間を最大限有効活用した彼女は、しかし目前の脅威を払うためについに全ての力を費やしていた。

 

 光を防ぐ障壁に罅が入る。紋章陣の罅割れから光帯の輝きが漏れ出し、それに比例するように紋章陣がボロボロと崩れていく。

 そして、最後の欠片が砕け、純粋な熱量の波濤がその場を包み込まんとした、その瞬間。

 

 

「──フォニックゲインを、力に、変えてええええッ!!!」

 

 

 膨大なフォニックゲインを纏った装者たちから、虹色の螺旋が放たれる。

 防壁のように展開された虹の竜巻は、光の奔流をも巻き込むように輝きを増していく。

 

「これは……ううん、これが皆の、この世界の──」

 

 その光景を、その輝きを。何処かで見たことがあるかも知れない。フォニックゲインの虹の輝き、万華鏡のごとく煌めくそれを眩しそうに見ていた立香はそう思った。

 想いの力、フォニックゲイン。魔神によって生み出されたものであったとしても、キャロルが錬成し直した単なるエネルギーとしてのソレでしか無いとしても。

 ──それでも、彼女たちの纏う光は確かに尊い輝きであると、人の祈り(英霊)に今まで触れ続けてきた立香は直感的に理解していた。

 

 

「ジェネレイタアアアアッ!エクスゥ、ドラアアアアイブッ!」

 

 

 響の裂帛とともに彼女たちのギアが白く輝き、その身には空を征く翼を担う。

 それこそがシンフォギアの決戦機構の最たるもの。3億165万と5722のロックの全てを解き放つ限定解除──エクスドライブの力。

 

 

「──貴方が愛を抱いていないと、自分の願望のために戦うと言ったとしても。──だとしてもッ!私は、手を伸ばすッ!そのための私の歌、そのためのシンフォギアだッ!」

 

「吐かせ、歌女ッ!──いいだろう、私が私に抱く不条理、ここで貴様らを滅ぼして精算としてやろうッ!」

 

 

 罵詈と共に、魔神は結界の修復と共に魔詠の再収束を始める。

 先程防いだキャロルは今や満身創痍で、同じ防ぎ方は不可能──つまり、次に放たれるまでが魔神ソロモンとの最後の戦いとなる。

 魔神が複数の作業を並列して実施しているにもかかわらず、尚も両者の間には力量差がある。勝ちの目は薄いと言えるだろうが、それでも装者たちの顔に恐れはない。

 

 未だ絶体絶命の窮地であると知りながら、天使のような純粋な輝きを纏う装者たちは恐れず前を向き空を舞う。

 対峙する魔神が纏うフォニックゲインは、蓄積した魔力は悍ましいオーラを纏い、その名の通り悪魔を統べる王に相応しいとすら感じられる威圧感と共に魔法陣を展開する。

 

 聖性と魔性、その極北同士とも呼べそうな両陣の戦いが、今まさに始まろうとしていた。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(6)

「すごい──これが、シンフォギアの……皆の、力……」

 

 重力の軛から解かれ空を舞う彼女たちは、輝く白い翼と併せまさに天使のよう。

 その清浄さに、立香は呆然と見上げ──そして、ハッと気づいたように頭を振る。

 

「って、見とれてる場合じゃない!キャロルは──」

 

 魔神の攻撃、擬似的な第三宝具を全力を賭して魔神の影響下にないフォニックゲインへと錬成したキャロル。

 如何に彼女が錬金術に熟達していようとも、そんな無茶をして平気でいられるわけがない。

 

 エクスドライブ、先程のギアを遥かに凌駕する力を持つ装者達が魔神と対峙する。その傍らで崩れ落ちているキャロルの下へと駆け寄った。

 

「キャロル、大丈夫!?」

「……あ、ああ。だい、じょうぶ、では、無いが──だが、奴らは、シンフォギアは──」

 

 キャロルは薄すらと目を空け、空を見る。

 装者たちはキャロルに心配そうな目線を向けているが、それでも彼女の下には向えない。

 デモノイズから抽出したフォニックゲインを使った第三宝具は、他ならぬキャロルの手により不発に終わった。だが、それでも尚、依然として魔神のほうが総量として強大であることは疑いようもない。

 エクスドライブ状態の装者6人という戦力が真っ向から魔神と対峙しているからこそ立香が駆け寄る隙があったのであり、装者が下手にこの緊迫を崩すわけにはいかなかったのだ。

 

 だが、そんな目線も装者たちの心情を気にすることもなく。キャロルは力なく、だが不適に笑ってみせる。

 

「──ふ、オレは奇跡の、殺戮者だ。奇跡を、既知と──」

「キャロル?キャロル!?」

 

 そう呟くキャロルの肉体から力が抜けていく。

 

「いけない、櫟木(エイワズ)──」

 

 咄嗟にブリュンヒルデが回復のルーンを展開し、治癒力を活性化させる。

 その判断は間違っていなかったらしく、キャロルはどうにか小康状態で治まった。

 彼女の容態が安定したことにホッと安堵の息を吐く。

 

「良かったぁ……。でも、キャロルはもう……」

「ええ、彼女はここで戦線を離脱するしかありません。──ブリュンヒルデ、彼女とマスターをお願いしても?」

「──はい。お任せください」

 

 ベディヴィエールの言葉に、問題ないと静かに頷く。

 ブリュンヒルデに残ってもらう許可を得たベディヴィエールはそのままマスターである立香へと顔を向けた。

 

「……うん、お願い!今は1人でも多く戦力が要るだろうから……」

「ありがとうございます。それでは──いざ!」

 

 主からの出撃の任を受け、銀の流星、隻腕の騎士ベディヴィエールは魔神を討つべく駆け出した。

 

 

 

「キャロルちゃん……」

「行きたいのは判るけどな、まず目の前の魔神をどうにかしないと話になんねーぞ」

 

 チラチラと下を見ている響をたしなめるクリス。立香がブリュンヒルデやベディヴィエールを伴に駆け寄っている様子が見える。

 

「エクスドライブ出来たら怖いもん無しデースッ!って、言えたらいいんデスけどね……」

「とは言え、睨み合ってても始まらない……」

 

 エクスドライブによるパワーアップに奢ることなく、切歌と調は油断なく魔神の様子をうかがう。

 隙を探るも見つけられず、苦々しい顔で視線を外さないように位置取りを調整している。

 

「ああ、埒が明ける機を伺うか。あるいは無理にでも攻めるか──放置してしまえば、今度こそ先の宝具を防ぐ手立てがなくなるだろう」

「そうね、なら──」

 

 翼の言葉に同意するようにうなずいたマリアは、ほんの僅かに目線を下に向け、何かを確認したように腰を落とし構えた。

 その姿を見た装者たちはタイミングが来ることを理解し、それぞれが瞬時に行動できるよう姿勢を整えた。

 

「──『一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!」

 

「──今よッ!」

 

 そんな中、ベディヴィエールが銀の腕を輝かせ魔神へと斬り込む。

 場の動く機が到来したその瞬間、彼女たちはマリアの合図と同時に一斉に動き出した。

 

「はあああ────ッ!」

「おおおお────ッ!」

 

 マリアと翼がそれぞれのアームドギアを極大化させ、ベディヴィエールに追従するニの太刀、三の太刀として一気に飛翔する。

 

「小賢しいッ!」

 

 苛立ちを感じさせる魔神の言葉に呼応するかのように、彼ら彼女らを塞ぐように巨大な指揮者デモノイズが出現する。

 魔都の指揮個体に比肩する大きさのデモノイズの出現に、俄にたたらを踏み……瞬間、両断される。

 魔詠を歌う間もなく消滅したデモノイズ。何が起きたかと目を細める魔神の目線の先には、魔神ソロモンの第三宝具を受け半ばから折れかけている巨剣を構える2人の少女の姿がある。

 

「エクスドライブ中なら、大盤振る舞いデースッ!」

「まだ、少しは使えるッ!」

 

 巨大な剣を持つために、己のアームドギアを戦神の剣柄に突き刺し、食い込ませて無理やり持ち上げて誇る切歌と調。

 

『……まあ、カルデアに戻れば直りますから、今はいいですけど』

「ご、ごめんデースッ!緊急事態なので目溢しくださいデスッ!」

 

 乱雑さがすぎる扱いに眉を顰める子ギルに謝罪しつつ、切歌は調とともに妨害のためにと出現した指揮者デモノイズを片端から切り裂いていく。

 

 とはいえ、デモノイズは指揮者以外にもいる。楽団と称された小型デモノイズ達は吹弾器官を展開し魔詠を奏で始める。

 その歌を相互強化に利用した楽団デモノイズが進行を阻まんと剣の前に立ち塞がった。

 

「ッ、流石に小さすぎて……これじゃ狙えない……ッ!」

「任せてッ!」

 

 巨剣シュルシャガナを振るうには小さすぎる人間大の敵に歯噛みする調の横を、螺旋を描くエネルギーを纏った響が突撃する。

 肥大化した腕部パーツは槍の如く鋭さを増しており、突っ込まれたデモノイズの軍団は紙くずのように片端から吹き飛ばされていく。

 

「流石の突破力──光の御子の魔槍も斯くやですね」

「ああ、ソレでこそ立花だ──そしてッ!」

「道が、開けたッ!」

 

 妨害するためのデモノイズは軒並み蹴散らされ、魔神との間に障害はない。

 英霊と装者、合わせて3人の突撃を邪魔するものは最早なかった。

 

「──だが、私には──ソロモンには届かぬと知れ」

 

 瞬間、魔神が膨大な数の魔方陣を展開する。

 神代の魔術、現代に失われた神秘は領域に蓄えられた膨大なフォニックゲインを魔力へと転化し、迫る矮小な人間を蒸発させるべく輝きを放った。

 さながら灼熱の波濤、魔神の眼光を思わせる業火と閃光が壁のように面ごと消滅させんと迫る。

 

「だから、あたしがいるんだよッ!持ってけ100億連発だッ!」

 

 膨大な手数と高度さを両立させた魔術に精通している魔神を相手に、魔神当人の反撃が無いなどとは欠片も思っていない。

 今まで手を出さず、相手が手数に頼る技を繰り出すまで耐えていたクリスが獰猛に笑い、巨大なアームドギアの弾倉を軒並み開放した。

 そこから放たれるのは熱と光の雨。乱れ撃っているように見える光線は、しかしほぼ全てが的確に魔神の魔術へとぶつかり、相殺していく。

 

「成程、ここまで尽くを潰したか」

 

 エクスドライブの性能を改めて理解したのか、興味深そうに目前に迫る戦士に焦点を合わせる。

 魔神が更に魔術を展開しようと身動ぎするも、その展開速度では間に合うものではない。

 

「今更理解したところで遅いッ!」

「最大火力で劣ってようとッ!」

 

 純粋な力量差は厳然、だが組み合わせ次第では凌駕も出来るのだと。

 そう断言する翼とマリアの刃が上下に挟み込むように魔神へと襲いかかる。そして、その隙間を埋めるようにとベディヴィエールの黄金の剣閃が放たれた。

 

「これで────!?」

 

 だが、3人の放った一撃はその全てが防壁術式によって遮られていた。

 耳障りな金属音のような音を立て、エクスドライブの刃も絆の聖剣も大きく弾き飛ばされた。

 

 その展開される防壁の、六角形の特徴的な紋章陣は彼らにも見覚えのあるもの。

 

「魔術──いや、フォニックゲインを燃料にした錬金術か!」

「備えぐらいはしているとも。当然だろう?──歌を司る概念を持つ私にとっては、フォニックゲインのほうが即応しやすいというものだ」

 

 己に刃が届く筈もないと理解し、確信していたのだろう。笑みを浮かべる魔神の表情は、そのまま魔神の余裕を雄弁に語っている。

 ──そう、魔神は現状で推定できる攻撃に対する備えをしていた。慢心ではなく余裕と呼べるそれは、だからこそ一瞬の隙となった。

 

「でぇ──やあああああああ────ッ!」

 

 展開されたままの防壁に、さらなる刃が突き立つ。

 銀の腕でも、天羽々斬でもない。万物の貫通を目的に造られたであろう突撃槍の形状をとっていた魔槍は、拳を覆うように展開されていた。

 

 そして、その刃が障壁と攻防を始めて間もなく、エクスドライブも宝具も弾き返したはずの防壁が音を立てて罅割れる。

 本来のエネルギー量では不可能な事象に魔神は目を見開き、次いで忌々しげに突き立つ穂先を睨む。

 

 

「魔槍──全てを貫き通すつもりかッ!」

 

「ガ・ン・グ……ニィ────ルッ!」

 

 

 魔神の言葉に答えるように、己の歌に応えてくれる聖遺物の名を高らかに告げる。

 楽団デモノイズを蹴散らし、そのまま3人の影に隠れるように突貫していた響は、聖遺物の特性そのままに強固な防壁を貫き砕き、そのまま穂先をほどき拳で魔神の頬を強かに撃ち抜いた。

 

 ──筈だった。

 

「……成程。エクスドライブは通常時とは桁違いの出力であることは理解した」

 

 響の拳を頬に受け、その身体は大きく一歩、後ろに下がっている。──つまり、エクスドライブの上防壁を貫いた響の拳は、魔神に一歩分の打撃しか与えられなかったのだ。

 己を殴った響に向ける冷めた目線は、所詮この程度だろうと想定していたことを如実に示している。

 

「そんな……」

「それに、純粋な運動エネルギーが発生させる私の肉体に対する負荷も、先程より比率が大きい。フィードバックの比率を考えれば、まあ、先の倍程度といったところか」

 

 響──否、己に攻撃を仕掛けてきた面々など眼中にないとでも言うように、僅かに首を振る。

 

「──だが、それだけだ。概念的な質量は当初から半減しても惑星の半分程度。貴様らの出力上昇が元と比してどれ程向上したかは知らんが──この程度で私を打倒できると思ったのか?」

 

 パッパッと己の体についた土埃を軽く払い、魔神は嘲笑う。

 

「立花響の魔槍は防壁を貫けるが火力が足りない。他の装者どもや英霊共は私の防壁をそもそも貫けない。──この有様で、よくも吹いたものだ」

「だと、しても……私は、私達は諦めないッ!」

 

 魔神の言葉を否定せず。それでも尚、響の決意の言葉は揺らがない。

 

「そうだ、私達は……その程度の窮地、慣れているッ!」

「今更エクスドライブの攻撃が通らないくらいで──諦めを抱くものかッ!」

「あの馬鹿にしか出来ないってんなら、あの馬鹿を全力で援護してやりゃいいんだろうがッ!」

 

 響と共に今まで戦ってきた装者たちは、そんな響のおせっかいを、人助けを、何よりも守りたいという願いを貫けないわけがないと信じている。

 だからこそ、未だ戦意を失わずに彼女たちは刃を構えられた。

 

「そうデスッ!それに今は──」

「ギルガメッシュさんから借りた、これがある……ッ!」

 

 その後ろでは、宝具として貸し出されたイガリマとシュルシャガナをがっしりと支えた切歌と調がそう宣言する。

 魔神はそういえば、と思い出したように切歌と調を、そして斬り込んできたベディヴィエールをついでにと一通り見回す。

 

「……そうか、それもあったか。星の表層を頒かつ宝具、星造りの権能ではないが……しかし、多少は鬱陶しいのも事実、か。それに英霊共もいる……いや、そうだな」

「?何を……まさか!」

 

 魔神のつぶやきから何かを察したのだろう、ベディヴィエールが即座に駆ける。

 その足が向いたのは魔神ではない。──己を現世へつなぎとめる楔、マスターへと走り出した。

 

「ッ!やらせるものかッ!」

 

 ベディヴィエールの行動は、次に魔神が取る行動を想起させるには十分だった。

 エクスドライブも、宝具の攻撃もさして通らない。今までに比べ防御力の低下、及び対峙する装者の火力が上がったことでその確認のためにと防御魔術等を駆使していたが、響の拳を受けたことでそれも必要ないと魔神は断じていた。

 

(この状況下にあって尚魔神に大規模な打撃を与えられるとしたら──英雄王から借り受けた宝具を持つ切歌と調。もしかしたら、極大まで宝具性能を向上させたブリュンヒルデ辺りも可能性は、ないでもないが……ッ!)

 

 翼は空から逆鱗を落とし、魔神の狙うだろう方向を塞ぐ壁のように展開する。

 エクスドライブ状態ということで平時より巨大に、強固になったそれを魔神は特に気に留めることもなく強力な攻勢術式を展開していく。

 

 己を害する可能性を持つものはわずかで、その攻撃も回避は容易。であれば、魔神がやるべきは根本からの敵対者の排除に他ならなかった。

 

 宝具イガリマとシュルシャガナ。逆転の可能性を持つブリュンヒルデを一挙に止めるには。──否、そもそもの根本として、装者が魔神と対峙できないようにするには。

 

「──アマデウスを止め、英雄王を止め、戦乙女を止める──であれば、それらを縛る楔を消してしまえばいい。貴様らが私を止めるだけの札を全て切った以上、最早警戒する必要はない──最短手を打たせてもらう」

「~~狙いは私!?ブリュンヒルデ、お願い!」

 

 魔神の言葉、ベディヴィエールの動きで察した立香が小脇にぐったりしたキャロルを抱えブリュンヒルデにしがみつく。

 ブリュンヒルデは静かに頷き、魔神の射程から逃れるべく退避の姿勢を見せ──即座にルーンの防御に切り替える。

 

 そして、魔神の攻撃が放たれた。攻勢魔術と錬金術を精緻なバランスで組み上げたそれは、対魔力スキルすら容易に貫通するだろう一撃。

 逃げるには遅かったと断じたブリュンヒルデの防壁の選択は決して間違ってはいなかったが、それでも──魔神の攻撃を止められるわけもなかった。

 

 魔神の攻撃は逆鱗を貫き、振るわれた銀腕を弾き飛ばし、ブリュンヒルデのルーン防壁へと到達し──僅かな拮抗後、すぐに防壁にヒビが入る。

 まるで響の攻撃を魔神が防いだ時の焼き直しのようなその光景は、しかし決定的に違う部分がある。──魔神と違い、立香がこれを受ければ即死するというただ一点だ。

 

(いけませんね。……こうなれば、我が身を挺してでも────?)

 

 ブリュンヒルデが立香を庇うように姿勢を変えたところで、更にその身を庇うようにと身を投げた影があった。

 

「──だから、そんな事をこのオレがやらせるものかよッ!」

「キャロル!?」

 

 凡そ全ての力を使い果たしていたはずのキャロルは、何処にそんな力があったのかその身を盾とすべく魔神の術式に立ちはだかっていた。

 

『──キャロル、いけないッ!』

「止めてくれるなッ!これは、オレの使い所だッ!」

 

 そのタネを見抜いたエルフナインがその行動を止めようとしても、聞く素振りすら見せずに術式を展開する。

 三重に展開されたその防壁は、キャロルがウェルとの戦いで使用したヘルメス・トリスメギストス。魔神が創り上げた宇宙の極小モデルケースとしての特性を持つ結界内においてはほぼ十全の力を発揮した──使用者であるキャロルの内在魔力は底をついているにも関わらず、である。

 どうして防げたのか、どんな無茶をしたのかと見つめる皆の前で、その理由は即座に明かされた。

 

 魔力を使い切り、その身に最早エネルギーは無い……そんな彼女が何故行動できるのか。キャロルと同じ記憶を、知識を持つエルフナインは即座に察していた。

 キャロルの繰る錬金術の原則は等価交換、代価に見合う奇跡を引き起こす御業。となれば、今のキャロルが払える代価は一つしかなかった。

 

『キャロル……ッ!どうして、命を──ッ!』

 

 キャロルの肉体が崩れていく。否、その肉体が端からプリマ・マテリアへと還元され、編み上げられる錬金術をより強固なものへと転化させていく。

 魔神の魔術により罅割れゆく障壁を補強すればするほどに、展開しているキャロルは粒子へと還っていく。

 そして、魔神の魔術が途絶えると同時に、キャロルは今度こそ崩れ落ちた。

 

「ふ、ふふ……この世界の生まれはこの場にオレ一人。なら、この世界を守るために、命を投げ出すのはオレが相応しかろうよ」

「そんな、キャロルちゃん……」

 

 あまりの光景に、響の悲痛な声が虚しく響く。

 その身体を抱き起こそうと立香がキャロルに触れれば、まるでそこに何もないかのように手が沈み込む。キャロルは今、それほどまでに存在が希薄化していた。

 

「く、ククク……ハハハハハッ!笑わせるな、キャロル・マールス・ディーンハイムッ!かつて世界を滅ぼそうとした貴様が言えた話かッ!?」

 

 その様に呵々大笑とするのは、キャロルの死を導いた魔神。一貫してキャロルに対しては一層の殺意を抱いていた魔神は、念願叶ったためか愉快な面持ちを隠そうとすらしない。

 

「……そうとも。だが、それでもオレはパパの遺言を諦めた──いや、世界の解剖なぞオレの独り善がりの復讐だと悟った。だから──」

「今度は世界を守る、と?成程、全く、実に──想定を超えない言葉だな」

「……何が言いたい?」

 

 迂遠な侮蔑をぶつけられ、消滅しかけているキャロルは訝しげに眉を顰める。

 傍にいた立香は、何となくだが嫌な予感がして口を開きかたが、結局何を言うべきかが分からず言葉を紡げない。

 彼女らに限らず耳を澄ませる中、魔神は僅かに考える素振りを見せ、ニヤリと笑った。

 

「何が言いたいか、だと?……まあ、いいだろう。どうせ消える身だ、錬金術師らしく真理を得てから消えるのも悪くはないだろう」

「だから、何を──」

 

 

「──その覚りは、貴様が己で得たものではない、ということだ」

 

「────な、に?」

 

 

 尚も挑発的な、持って回ったような言い様に声を荒げる寸前。魔神の口から出た言葉にキャロルは動きを止める。

 そしてその言葉が齎す静寂は、キャロルどころか嘗て彼女と戦った響を始めとした装者にまで波及した。

 

「それ、は……どういうこと……ッ!?」

 

 ハッと、最初に己を取り戻した響が思わず魔神に対して疑問をぶつける。

 その大雑把な問にも、魔神は特に気にした様子もなく。むしろ答えることを楽しんでいるかのように嬉々として口を開く。

 

「どうもこうも、私が捻じ曲げた、ということだ。キャロル・マールス・ディーンハイムという個人をな」

「──馬鹿な、そんなこと──あり得るものかッ!オレは錬金術も、魔術だって受けた記憶はないッ!記録(想い出)にもそんなこと、残っては──」

「いないだろうな。そんな判りやすく証拠が残る手管を私が用いるものか」

 

 狼狽するキャロルを見て溜飲が下がるのか、わざわざその場に居る面々にも説明するような口調で話し続ける。

 止めなければならない、そう思いつつも立香は止められない。魔神が語るのはキャロルをいたく傷つける真実だろうと彼女には判っていたが、ここまで話した内容を知らぬままに死にゆくことを当のキャロルが望んでいないことが明らかだった。

 

「──さて、平行世界の剪定、という事象がある。我々の世界における法則であり、こちらに類する法則があるかまでは調査してはいないがな」

『……いきなり何を言い出すんだい。剪定事象も編纂事象も、そっちには関係ないだろう』

「そうとも、本来はな。──だがそういった現象が、この世界に流入した我らの世界の法則にあり、霊長がそう定義付けていることが肝要ということだ」

 

 魔神が徐に今までの話と無関係な内容について語りだす。

 急に何を、と指摘したダ・ヴィンチの言葉を肯定しつつ、その上で魔神は更に話を続けた。

 

「先のない世界は宇宙も維持しない、無慈悲で合理的な資源管理法則。それ故に霊長は"剪定"と名付けた。歪な世界を歪な枝と認識したその言葉があるからこそ、私に取れる手があった」

『枝……って、おいおい、嘘だろう?……いやまあ、マジで言っているんだろうなぁ』

 

 魔神の言葉に何かを察したのか、アマデウスが心底嫌気が差したと言わんばかりに溜め息を吐く。

 

「──どういうこったよ?」

 

 その声音が今までにない、心からの嫌悪を持っていたことに驚いたクリスが反応する。

 聞かれたアマデウスははあ、と重苦しい溜め息を吐く。だんまりを決めるのは流石にアレだから、という、本来なら喋りたくもないという本心が透けて見える前置きをつけた上で簡潔に答えた。

 

『魔神アムドゥシアスは音楽魔なんて呼ばれてるけど、歌以外にも力があるのさ。それでキャロルをどうこうしたんだろう』

「──確か、樹木を歪めて成長させる、というものだったか?だが、それでオレが変化する謂れ、など……」

 

 キャロルが否定の言葉を口にしようとするが、しかし途中で止まってしまう。

 彼女も、内心では不思議に思っていたところはあったのだ。何故、己が装者達の説得に応じてしまったのか。何故、父の遺言を、父の復讐を諦めてしまったのか。

 

 

「数百年かけて醸造した憎しみだ。本来なら何処までも執念を燃やし、その想い出の全てを焼却して漸く止まれるほどの衝動。それを無理に捻じ曲げ一気に沈静化するとは、まったく────

 

───歪な"枝"に育ったものだろう──この並行世界は」

 

 

「…………ッ、そういう、ことか……ッ!」

 

 だからこそ、魔神の告げた言葉は憎らしいほどに彼女の腑にストンと落ちた。魔神の言葉を否定できず、あまつさえ抵抗なく認めてしまったという事実に、奥歯が砕けんばかりに噛みしめるキャロル。

 魔神の良いように己が歪められていた、だけではない。何よりも、復讐を諦め装者たちと共に活動する立場を得た己自身が、それを問題ないものと──魔神に歪められた己の有り様が心地よかったと今も受け入れているという事実こそ、キャロルにとって受け入れがたいモノだった。

 

『ちょっと待って、いくら魔神だってそんな無理矢理な見立てで歪な並行世界を作るなんて真似が出来るはずない!』

「この世界における概念の在り方は、我らが根付いた常識と比して変動が激しく、また影響幅も大きい。天羽々斬が高々形状を変えた程度で、剣でないと判定されるようにな」

「ッ、ファラとの戦いのことか……」

 

 そんな時代から見ていたのか、と翼が戦慄する。

 魔法少女事変での、キャロルの使役する自動人形ファラとの戦い。翼は剣を砕く哲学兵装ソードブレイカーに対抗すべく、アームドギアを炎の翼へと転化し哲学の牙に打ち勝ったことがあった。魔神の口ぶりから、その戦いはこちらの世界でも起こっていたらしいと翼は悟る。

 

「我々の世界ではああはいかん。どれほど形を変えようと、ソレが剣としての属性をもつ限りは剣だ。であればこそ、我々の世界では"剪定"事象と名がつこうとも、それを樹木の枝として我が力を適用させるには至らなかったが……」

『こっちだとそうでもなかった、と。まあ膨大なフォニックゲインを生産・コントロール出来る音楽魔の特性もあって、燃料が多かったのもあるだろうけどね……まったく、度し難い遣り口を採るなオマエは。それでよくまあ音楽魔って名乗れるもんだ』

 

 せめて歌でやれよ、と言わんばかりにアマデウスは吐き捨てる。

 音楽には、人の心を揺らす力がある。であればこそ、歌によらず力に任せて無理やり人の心を捻じ曲げた魔神の所業こそを、稀代の音楽家たるアマデウスは唾棄していた。

 

「言っていろ。どちらにせよわざわざ歪めた結果がこの結果であれば、最初から────」

 

「──貴様、貴様ッ!オレを、オレの復讐の炎を──私の想い出を歪めたんだなッ!」

『キャロル……』

 

 魔神の言葉を遮るように、この場にキャロルの慟哭と憎悪が広がる。同じ姿、同じ想いを持つエルフナインは、そんなキャロルの痛みを共有しているかのように悲痛さを滲ませた。

 憎しみで眼の前の怨敵を殺せたなら、そう言わんばかりのキャロルの眼を受け止めた魔神は興味などないように、ただ白けたように口を開いた。

 

「──それが、どうした?」

「~~~~ッ!貴、様ァ……ッ!」

 

 魔力も肉体も錬金術の燃料としたキャロルは、既にその存在そのものが消失しかかっている。この状況ではキャロルに取れる手なんてなかった。

 彼女に今残されているのは、ソレこそ想い出以外にはない。魔神に歪められたという己の有り様しかない。

 

 ──だから、本来ならば"とっておく予定だった"その想い出を。たった今湧き出した憎悪のままに、キャロルは錬金術の炉に焚べた。

 

『これはッ!?キャロル、まさか想い出の燃焼をッ!?』

『待つんだキャロル、それは──』

「知っているッ!だが、このままで収まりがつくものかッ!」

 

 想い出が変質した魔力は魔都へと──そこに広がる、魔神が敷設した召喚陣へと染み渡る。それはまるで、魔神が己を召喚し直した時の焼き直しのよう。

 精緻でこそあれど規模の割に単純な構築のその陣は、聖杯を起点とした英霊召喚を可能とするもの。聖杯戦争が行われたという地方都市──冬木で使用された術式とは異なる魔方陣は、魔神の、魔術王の──そして、カルデアの守護英霊召喚システム・フェイトに使用される術式。

 

「何を──?まだ切り札でも持っているとでも言うつもりか?だが、いまさら英霊の一騎や二騎程度では何も変わるまいよ」

 

 今の魔神は、それこそ最強の英霊と名高い英雄王だろうが正面からねじ伏せられる。世界に作用する乖離剣にこそある程度は気を配るだろうが、それを使用する前に純粋な物量で蒸発させられる程の力量差がそこにはあった。

 だからこそ、魔神は召喚される英霊にこそ注視をしても、止めようとはしなかった。キャロルが想い出すらもこの世界から消滅するというのだから、むしろやってみせろとすら考えている節があった。

 

 自覚こそしていないが、それこそエルフナインに特別な感情を抱いて居るという証左であり──必要以上の悪感情をキャロルに抱いているという事実を示していた。

 そしてそれ故に、魔神はキャロルの行動を、キャロルの狙いを見過ごした。見過ごしてしまった。

 

「屈め、カルデアのマスターッ!」

「え、あ、うん!でも一体何を──んぐ!?」

 

 激発のままに叫んだキャロルの言葉に従い、身をかがめた立香。

 

 

 ────その唇に、キャロルが噛み付くように唇を合わせた。

 

 

『────えっ』

 

『────先輩!?!?キャロルさん、一体何を────!?』

 

 

 何故今キスをしているのかを理解できずに呆然とするエルフナイン。

 唐突に己の先輩が戦場でキスをされたという事実に混乱の極みを見せるマシュ。

 

 共に戦場に立つ面々も、この急な事件に時が止まったかのように凍りついた。

 

 そして、その凍った空気を融かすかのような急激な変化が現れた。

 プリマ・マテリアへと還元されていたはずのキャロルの肉体の残滓が、一気に燃え上がる。

 肉体を、想い出を、魂を──キャロル・マールス・ディーンハイムという錬金術師の存在そのものを燃焼させるかのようなその炎は、唇を合わせていた立香へと溶け込み、吸い込まれていく。

 

「え、ええっと、キャロルが!?一体何が……って、令呪が!?」

 

 突然の光景に衝撃を受けていた立香だが、その手に抱く令呪──サーヴァントとのパスを示すマスターの証が熱を持ち、輝いたことにさらなる驚きを見せる。

 そんな彼女に追い打ちをかけるように、カルデアから通信が入る。

 

『これは──システム・フェイトに新たな霊基グラフ!?まさか──いや、確かにこれなら当初の狙いも可能かもだけど……』

「ダ・ヴィンチちゃん、それって……?」

 

「よもや、そのような手筋を打つとはな。どれ程の意味がある行為かはしらんが、ただの無駄撃ちではない可能性が出てきたか──故に、消えろ」

 

 困惑しつつ、朧気ながら何があったかを理解した立香のもとへ魔神の炎が迫る。

 最早一刻の猶予もない、考えている暇は立香にはなかった。迫りくる業火を見据え、彼女は直感的に叫んだ。

 

「ッええーい、マスターは度胸!!──この意、この理に従うなら応えよ!というか、来てッ!」

 

 詠唱の体を成してない雑な召喚詠唱に合わせ、キャロルの魔力で再構築された召喚陣が一層強く輝く。

 そして、彼女の健闘むなしく炎が着弾するその刹那──。

 

 

「──即席の炎魔術程度なら、このオレでも相殺自体は容易だぞ、魔神。──全く、忌々しい。こうなっていたとはなッ!忘却の微睡みから抜け出た気分だッ!」

 

 

 洪水か何かと見紛う程の膨大な水流が、立香を覆い炎を相殺する。

 面白くなさそうにする魔神に水幕の向こう側から答えるのは、先程までここにいて、自分から燃え尽きたと思われた少女。

 その言葉の端々から憎悪が見え隠れ、それ以上に魔神に対して殺意が燃えている。

 

「……そして、混じっているという自覚があるのが尚も厄介なものだ。オレであってオレではない、とはこうも気持ち悪いものだったか」

 

 ふと、溢れんばかりの憎悪が和らぐ。それは召喚した少女がいたからか、それともこの場にいる嘗ての敵であり、この世界にあっては手を取った歌女がいたからかまでは不明だが。

 だがその憎悪の気配が薄れた姿こそ、まさに先刻まで彼女らと共に戦場に立っていた少女のそれに相違なく──故に、装者たちは先程の憎悪の気配を持つ少女こそ、嘗て戦った"彼女"であるとはっきりと理解できた。

 

「さて、と。一応立場が立場だ。様式程度は整えてやろうか」

 

 カルデアのマスターたる立香へと目線を向ける彼女は、第五架空要素(エーテル)によって編み上げられた信仰の結晶。己の全てを情報へと錬成し、共に戦っていたサーヴァントを参考にカルデアに霊基を確立させた錬金術師。

 

「──サーヴァント・アヴェンジャー……いや、キャスターか?まあ、どちらでもいいか」

 

 隷属を告げるのは、煮詰めた憎悪と狂気が混じった瞳。

 己の世界を奪った全てを数百年に渡り憎み続けた人間。中世末期から延々と神秘を蓄積し続け、一度は世界の解剖に迫った程の世界に仇なす反英雄。

 

 そして、魔神によって歪められた"己"と、そうではない"己"が入り混じり、その霊基が歪曲した少女。

 

 

「──キャロル・マールス・ディーンハイムだ。精々扱き使え、オレの憎悪が向かわぬ程度にな」

 

 

 復讐に生涯を費やした"復讐者"たる"錬金術師"──キャロル・マールス・ディーンハイムは、サーヴァントとして戦場に顕現した。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(7)

「キャロルちゃんッ!あれ、一体何が起きたの?それにサーヴァントって……なんか持ってるし……?」

 

 響が立香のもとに現れたキャロルの姿を見て喜色を浮かべ、しかしその装いが先程と異なっている事に気づいて首を傾げる。

 キャロルは先程までと異なり、巨大な琴のようなものを傍らに携えていた。何処かで見たような、と響が首を傾げたところでカルデアから通信が入る。

 

『いやあ、まさか自分の体を情報体に錬成して立香ちゃんのパスを通してカルデアに自分を刻み込むなんてねえ。ただまあ、霊基は不安定にせよ英霊としてきっちり成立する辺り、歴史も逸話も十分だったみたいだね。それで、それはキャロルの宝具なのかな?』

「だろうな。オレの宝具は──まあ、こいつということか。霊基登録の際には持っていなかったが……」

 

 彼女の持つ竪琴は、嘗て彼女が使っていたダウルダヴラのファウストローブ、その待機状態の姿。

 目前に対峙している魔神ソロモンの持つファウストローブ技術、その原型とも呼べる武装である。

 

「……まあ良い。それに問答の余裕はないからな」

 

 そうつぶやいて、キャロルはギリと魔神を睨む。それはあるいは、魔神がキャロルに向ける憎悪に伍するとも、ともすれば上回るのではないかと言えるほどのもの。

 

「さて、と。──よくもオレの想い出を歪めてくれたなッ!」

 

 そう言うや否やキャロルは手に持つ竪琴をかき鳴らし、それに呼応するように強力な錬金術による面砲撃を魔神に叩き込んだ。

 炎が、風が、水が、岩塊が押し寄せるその波濤は魔神を瞬く間に呑み込み──魔神の攻勢魔術によって尽く相殺される。

 

「……ち、やはり通らんか」

 

 そうなることは想定できていたのだろう、キャロルの顔に焦りはない。逆に言えば、通らないと判っていながらも攻撃せざるにはいられなかった程の憎悪が今の彼女には渦巻いていた。

 

「感情任せの攻撃が通るとでも思っていたか?無駄なことをする」

 

 世界に、人間に、そして何より魔神に対する復讐の感情──アヴェンジャーとして召喚されるほどの憎悪は、しかし直接戦闘に寄与するわけではない。

 憎悪のままにぶつけたキャロルの攻撃は、カルデアのサーヴァントとして、マスターから、ひいてはカルデアから供給される魔力を無為に消費するに終わっていた。

 

「それに、何かと思えばこの程度とはな。ファウストローブを纏わないのか?尤も、シャトーのない貴様に敗北する要因など何処にもないが」

 

 エクスドライブ状態の装者と英霊達の波状攻撃も、魔神に対して無意味であったことは既に実証されている。

 その上、サーヴァントとしてのキャロルの攻撃も今の魔神からすれば何ら痛痒を覚えるものではなかった。

 仮にキャロルがダウルダヴラのファウストローブを纏えばスペックの向上は著しいだろうが、それを含んでも魔神は敗因などないと断じていた。

 

「吐かせ。そもそもオレが貴様に勝てないことくらい判りきっている。だが、消滅しかけのオレが貴様に一矢報いようとするならこうするほかあるまいよ」

「それが、サーヴァントになる、か?」

 

 一矢報いる、という言葉に魔神は僅かに眉を顰める。

 

(……何か、策があるということか?奴らの話を聞くに、想い出を最後まで残すことを作戦としている節があった。であれば、本来の目的がある筈だが……)

 

 キャロルが己をサーヴァントと錬成したことは、当初の彼女らの狙いではない。魔神は通信先から漏れ聞こえたダ・ヴィンチの焦りの声からそう判断していた。

 

(想い出、リソースとして最上位であるそれを肉体すら先に消費してまで後生大事に抱えていたということは、それを費やさなくては立ち行かない術理を保険に持っていたということ。であれば……)

 

「考え込む暇などッ!」

「与えるものか!」

 

 魔神が僅かに動きを止めた瞬間を目敏く認め、ベディヴィエールとマリアが切り込む。

 その後ろには響が姿勢を低く突撃姿勢を取っており、魔神に対する二の矢としての構えを見せる。

 

「…………」

 

 当然、マリアとベディヴィエールの攻撃は防壁に弾かれる。そのまま追撃の魔術──が展開される瞬間に、先程同様にクリスの範囲狙撃が攻勢魔術を襲い、その尽くが潰された。

 

「どぉおおお、りゃあああああッ!」

 

 相殺した魔弾の爆発による煙を抜け、響の拳が防壁に突き刺さる。その瞬間、魔神はニヤリと笑う。

 その笑みに響が手を誤ったことに気付いた瞬間、防壁の術式が一気に書き換えられ、平面一体が大きな音を立てて爆発した。

 

「ぐッ───!?」

「反応装甲だとッ!?立花ッ!」

 

 魔神が何をやったのかを理解した翼が、爆発に吹き飛ばされた響のサポートへと向かう。

 

「同じ手が通じるものか。貫かれる前に迎撃すればいい、単純な話だ」

「──いいえ、同じ手ではない」

「ッ!?」

 

 防御を貫く響を迎撃したことで気を緩めた魔神の隙を付き、隠形のルーンを解いたブリュンヒルデがゼロ距離で槍を叩き込んだ。

 魔神は彼女が考える勇士ではなく、その効果はまともに発揮されていない。だがそれでも並の武具と比較すればかなりの巨重となり、魔神の矮躯に突き刺さる。

 

「──ふん、主から離れたか」

「ええ、今はキャロルが同胞としてマスターの下にいますから」

 

 ギリ、と音を立てて魔神の体表に魔銀の穂先が食い込む。

 薄皮一枚を貫けるか、という程度の威力。だが、彼女にとって威力はそこまで重要ではなかった。

 

「……即座に反応術式に書き換えたのは見事ですが、その直後なら防壁は張れない、でしょう?」

「それがどうした。別に防壁を張らずとも貴様らごときに害されることなどない」

「ですが、ええ。──攻撃が当たれば手を止められることは、判りましたから」

 

 それで十分だ、とブリュンヒルデは告げる。

 疵を与えることすらできていない現状を維持しようとするカルデアやS.O.N.G.の対応に、魔神は一層表情を顰める。

 

(やはりだ、やはり何か狙いがある。何処だ、魔都に残した守護天共か?……いや、奴らにこの状況をひっくり返す力はない。不完全だろうとなんだろうと、この結界が稼働している限り私にダメージは与えられない)

 

 考えていく間にも、魔神の手を止めさせまいと装者やサーヴァントが手を変え品を変え攻撃していく。

 そのどれもが魔神に対する痛打足り得ない。だが、キャロルの復活以降、何処かに狙いがあるかのように連携し足止めをしてくる敵を相手に、流石に直接攻撃を受けるのを放置するわけにも行かなかった。

 

(……足止めに終止するような行動の理由……。何かを待っているのかのように奴らは動いている──であれば、やむを得まい)

 

 直接的な打撃・攻撃などは今の魔神にとってどうということはない。生きた魔術としての特性がある以上、絡め手は尚の事気にする必要はない。

 それでも、何かの狙いがある。相手の狙いが未知である以上、ソレが己に刺さる可能性がゼロではないかも知れないと魔神は考えてしまう。

 

 だから、それは魔神にとってある種の決断だった。

 

「喰らえ──忌々しい魔神がッ!」

 

 キャロルが錬金術を発動し、四大属性を束ねた光芒を放つ。

 魔神が防壁を展開するタイミングを顕にするためにとはなった一撃。その後ろには防壁を貫くためにと響が待機しており、響が反応術式を受けたときに備えてイガリマを構えた切歌が更に後方で待機している。

 

 そしてその光が魔神のもとへと達し──防壁を一切展開せず、ただそのまま直撃した。

 

「──えッ!?っと、ととッ!?よ、よく判んないけど──ッ!」

 

 まさか防ぐことすらせずに棒立ちで食らうと思っていなかった響は体勢を崩し、慌てて光の羽でバランスを取り取り敢えず突撃する。

 そしてその勢いのままに突撃し──突き出した拳が、まともに頬を貫いた。

 

「うぇえええッ!?な、なんでッ!?」

 

 響の拳は見事なまでに芯を捉え、概念的にはともかく実質量は少女相当の魔神が大きく宙を舞う。

 そのまま大地に叩きつけられた魔神は、肉体に損壊は殆ど無いにも関わらず起き上がろうとすらしない。全く無抵抗で2人の連撃を受けた形だ。

 

「デデースッ!?こ、これはアタシはイガリマ振っていいもんデスかッ!?」

 

 このまま宝具を叩きつけていいものか、切歌は逡巡する。

 イガリマの能力は絶大であり、それこそ魔神の防壁を一撃で切り拓くことだって不可能ではない(大振りで隙も大きいため、響のようにタイミングを図って攻撃、という訳にはいかないが)。だからこそ、ここで宝具を使ったら真っ二つになるのではないか、という不安が彼女の脳裏で鎌首をもたげた。

 エルフナインの姿は彼女にとっても見知ったもの。更に言えば魔神が乗っ取ってるだけでその肉体は当人のものである。この世界のエルフナインが既に死んでいるとは言え、ソレを真っ二つに切り裂くという行為を躊躇うのは当然だった。

 

『ためらっちゃ駄目ですッ!魔神の頑強性を考えればイガリマの概念攻撃でも切断できませんから、せめて行動を封じて──ッ!』

「──ッ!了解デスッ!」

 

 が、そんな葛藤を見抜いたエルフナインの進言に躊躇はいらんとばかりに巨剣イガリマを振り下ろす。

 既に防壁はなく、その肉体に地平線が刻まれんとしたその刹那──魔神の姿がぶれ、消失した。空振ったイガリマは大地に盛大に突き刺さり、アスファルトやビルの残骸を纏めて叩き割るだけに終わった。

 

「!?消えたデースッ!?」

「今のは……残影!?認識をずらして──」

 

 何処に行ったのかと立香が辺りをキョロキョロと見回せば、程なくその視界に魔神が映った。

 どうやらそれほど遠くに移動していたわけではないらしく、地面に半分以上刺さったイガリマの上空に浮遊している。

 しかしその挙動も何処か不審というか、何処か遠くを見ているようにぼんやりと浮いている。みればキャロルの錬金術、響の拳は回避していなかったらしく、若干の土埃が付着している。

 

「……察するに、イガリマやシュルシャガナだけに発動する条件をつけ、身を躱す術でも使ったようだな。だが──」

「ええ。奴は何かを探っているわ。……さっき本部から来た指示と関係があるのでしょうけど……」

 

 そういって、マリアは魔神を見つめる。視線の先の魔神は、先程までは曲がりなりにも敵対行動をしていたというのに、今では別なことに執心しているのか全くそういった素振りを取らない。

 一応危険度の高いイガリマ等には警戒しているらしいが、それもやはり今までに比べおざなりに過ぎるものであり、いっそ薄気味悪さすら感じさせた。

 

 当然、マリアや翼だけではない。戦っていた全員が何のつもりだろうかと警戒していた。だが、そんな彼女らの目の前で魔神が起こした行動が、否応なしに事態を急変させた。

 

「──見つけたぞッ!そこかッ!」

 

 カッと目を見開いた魔神は魔方陣を多重に展開し、その勢いのままにS.O.N.G.本部の潜水艦へと極光を放った。

 

「ッ、ちぃッ!やはり探っていたかッ!」

 

 キャロルは魔神の放った攻撃を防ぐべく、キャロルは咄嗟に四属性を束ねた防御術式を展開する。

 即席とは言え十分な防御力を持っているはずのその防壁は、魔神が攻撃にも防御にも使用しないことで蓄積されていた魔力の奔流には到底抗し切れず砕け散る。

 だが、そのほんの僅かな時間。コンマ数秒程度キャロルが稼いだ時間の間に、本部から一つの影が飛び出してきた。

 その影は魔術か何かによる不自然な軌道を描き、装者やサーヴァントたちや魔神の居る場所を通り過ぎ、後方で待機していた立香のもとへと一足飛びに着地した。

 

「あっぶないなあ!陣地狙いとか卑怯もいいとこじゃないか本当。──いやあ、助かった助かった、君が居てくれてよかったよ……ぐえっ」

 

 その影から声が聞こえる。話の内容からするに二人であったらしいその影は片方がもう片方を抱えている形であったらしく、抱えられていた側が落とされて呻き声を上げた。

 土埃に目を細めていた立香は、潰されたカエルのようなその声に聞き覚えがあった。

 

「アマデウス!大丈夫だったんだ……ってあれ?」

 

 アマデウスは先程まで本部で演奏を延々と続けていた。戦闘型のサーヴァントや装者であればともかく、魔神が何らかを察知してから攻撃に移るまでの間に、演奏用に使用していたブリッジから脱出できるとは思えなかった。

 であれば、(キャロルが時間を稼いだこともあるだろうが)ほかに何らかの要因で脱出できたのだろう。アマデウスが誰かに向けて話していることからも明らかだ。

 つまり、その影のうちの一つ。魔神が探していた何かであろうその人影がアマデウスの命の恩人だったのだろう、と立香は当たりをつけていた。

 だが同時に、ここで立香には一つの疑問が浮かんでいた。

 

(……本部に人なんて残ってたっけ?)

 

 最初にこの世界に来た時、S.O.N.G.本部にいた人間は軒並み消失していたため搭乗員はいなかった。

 魔都攻略時には立香とアマデウス、キャロルが本部に居た。

 偽王国に来てからは立香は戦場に、キャロルとアマデウスはフロンティアに居たので、本部を一時空にしていた。

 その後フロンティアはウェルとともに消滅し、キャロルは戦場に向かい、アマデウスは本部に戻った。

 

 ……つまり、本部には1人しか残っていなかったということであり。

 

「────どなた?」

 

 立香はアマデウスを抱えていた、そして今落とした人影へと目線を向ける。

 着地の際の土埃が晴れ、朧気なその姿がはっきりと顕になる。

 

 立ち姿は長身の女性のソレであった。

 くるくると縦にカールした長髪。大部分は後ろにまとめているが、横髪の一部は顔の横に下げている。

 瞳や唇、驚いたことに髪の毛の裏側も緑色に染まっている。色合いこそ独特だが、その造作は美しいと呼べるだろう。

 ロングスカートを履いたその姿はまさに大人の女性、と呼ぶに相応しいだろう──その両手に剣を持ち、顔や身体は各部を包帯でグルグルに縛られているということさえなければ。

 

 だが、そんな異様な外見よりも立香には気になるところがあった。

 キリ、キリという駆動音がする。カランコロンと小気味良い旋律が動くたびに鳴り響く。

 腕が、足が。布地に隠れたソレは間違いなく球体関節であり──有り体に言って、ソレは人形だった。

 

『あれは……自動人形(オートスコアラー)の……ファラ?いや、あの雰囲気は……』

「あたしがぶっ壊した……あー、レイアの、妹?だったか。アイツに似てねえか?」

「ではファラの妹、ということか?──キャロル、何か心あたりがあると見えるが、どうなんだ」

 

 エルフナインとクリスの話を統合し、翼が確認ということでキャロルに問えば、キャロルは知っているとばかりにフン、と嘆息した。

 

「あながち間違いではない、ボディはな。だが、あれは──」

 

 

「ははは、いやあ……こうなるとはね!なにかに使えると思って回収したけど、まさか僕が入ることになるとは思わなかったよ!」

 

 

 キャロルが何かを告げようとする前に、自動人形は快活に笑う。ファラでは有り得ないと言えるほどの爽やかな笑いに、嘗て戦った翼は思わず瞠目する。

 一方その喋り口を聞いて、その口調の人物を知っていたクリスは思わず絶句した。

 

「まさか……おい嘘だろぉッ!?いくらなんでも趣味悪すぎだろッ!?」

「ええー。いやあ、僕もそう思うけどねえ。当初の作戦だと剣のスートの属性を付加して霊基違いの僕を召喚するための触媒、って話だったんだけどなあ……」

 

 その声は間違いなく女のソレであり、その女性らしい造作と併せて、驚くほどに口調が似合っていない。

 そして当然ながら。この場の誰よりも"彼"と付き合いの長い少女はまさかと口をあんぐりと開けた。

 

「……ダビデぇ!?なんで、何がどうして!?」

 

 マスターの驚くその言葉を肯定するように、量産型ファラ……それを器として呼び出されていたダビデはニッコリと笑った。

 

 

「──属性の照応か。愚かな王とは知っていたが、ついに祝福すら捨て去ったか?」

 

 そんなダビデの有様に、魔神は嘲笑と呆れを混ぜて詰る。

 

「魔神にまでそう言われるのは心外だなあ。そもそも本来は負けたふりして別霊基で召喚され直すっていうのが目的だったんだけどねぇ」

「すまんな。だがその状態でも目的は遂行できるだろう?」

 

 一時の怒りと憎悪で本来の想定とは違う選択肢を選んだというキャロルだが、しかし当人は反省している素振りを見せない。

 それほどまでに魔神に対する怒りが強かったのかは不明だが、少なくともキャロルは現状でも問題ないと考えているようであった。

 

「……ねえ、今のダビデってどんな状態なの?というか、なんでダビデを再召喚しようと思ったの?」

 

 今更ながらに不思議に思った立香が呟く。

 

「もとは僕の作戦さ。魔槍の力を生かして、魔神に干渉せずに魔神を打倒できる規模に落とすためのね」

 

 動くたびに鈴の音のようなきれいな音が鳴ることを面白がりながら、ダビデはつらつらと語る。

 

「ファラ・スユーフはキャロルの作った自動人形で、属性としては剣の小アルカナ──トランプで言うならスペードだね、それを持っている。だから上手くそれを利用できないかってことでこの量産躯体を確保していたんだ」

「とは言え、元がレイアとのコンベンションで負けたから放置していた残骸だからな。修繕には若干手間だったが……まあ、本部にいる間は実質暇だったというのもあってな」

「いやあ、直してもらえててよかったよ。直ってなかったら僕の復帰は無かったかもだ」

 

 ははは、とダビデは軽く笑う。その手には、元来よりファラに持たせていた剣──哲学兵装・ソードブレイカーが握られていた。

 

「さて、当初はあくまで触媒としてしか考えてなかったんだよね。キャロル自身が小アルカナに合わせた人形運用していたこともあって、この属性強度は折り紙付きだ。だから、僕ならこれを触媒に別クラス──セイバーで召喚されうる、って考えたんだけど……」

「オレがやり方を変えた。オレ自身が魔神に吠え面をかかせてやりたかったからな」

 

 臆面もなく言い放つキャロル。そのために女型の人形に自分の意識を移されたとなれば、流石にダビデも苦笑していた。

 

「確かに再召喚、というか召喚陣利用した召喚で出てきたのはキャロルだもんね。……ってことは、今のダビデって……?」

 

 恐る恐る立香がキャロルに尋ねる。

 

「……その様子だと理解しているようだな。そう、今のダビデは厳密にはサーヴァントではない──人格インストール等をしていないファラ妹の肉体に、情報化されたオレがカルデアでコピーしてきたダビデの人格・属性情報を貼り付けた代物だ」

「つまりダビデコピーって感じかなあ。まあ、そもそも僕は英霊としての自分が本来のダビデ王のコピーって考えてるからね。謂わばコピーのコピーさ」

 

 ははは、と笑うダビデ。

 自分のことだろうに、あんまりにも適当かつ軽い態度に立香は言葉を失う。

 

「それで、僕がセイバーで召喚されようって思った理由は──っとぉッ!?」

 

 更に話を続けようとしたところで、爆炎が辺りを飲み込むように放たれる。

 ダビデは慌てて、その手にある剣を握り──錬金術による防風で炎を巻き上げ、逸してみせた。

 

「おいおい、邪魔をするなんてらしくないじゃないか……なんて、ね。今の魔神の態度が答えというわけさ」

「って言われてもよぉ……ッ、まさか──」

 

 ダビデの言葉で何かを理解したのか、クリスは辺りを──この世界を見渡す。

 魔神が今の状況で警戒し、剰え積極的に排除しようとする理由。そんなもの、1つしかなかった。

 

「──壊せるのか、この結界をッ!?」

 

 クリスの言葉に、そうと気付いていなかった面々が目の色を変える。

 

「そうとも、だからこそこうや、って目の敵にしているというわけでね!っとぉ、いやあこの体強くて便利だね、ホント」

 

 尚も継続して放たれる魔神の攻撃を、またも錬金術で躱し、その剣で切り裂く。

 キャロルがコピーしたものを人形に貼り付けたもの、という今のダビデは先程より霊格自体はだいぶ落ちている。だが宿っている素体──単体で装者すら凌駕する自動人形の性能はそれを補って余りあるほどだった。

 

「──貴様の狙いがわかれば、自ずとそうなろう」

 

 魔神がそう言って睨めつけるのも、やはりダビデの握る剣。

 ダビデの剣になにかあるのか……そう考えた面々のもとに通信が届く。

 

『……ダビデ王の剣は、とある伝承があります。多分ですが、それを利用するということかと』

「マシュ?呪いって?」

『ダビデ王の剣は一部の伝承の中で、奇妙な垂れ布がついた剣として登場します。円卓伝説に登場する騎士ベイリンと漁夫王ペラムとの戦いで登場したこの剣は、その戦いで抜かれようとしたときに周囲に不毛の呪いを与えたと言われています』

 

 立香の疑問の声に答えるように、マシュは簡潔に内容を説明する。

 

『これには諸説あって、聖槍が原因だとも言われていますが……。ともあれその不毛の呪いは円卓の騎士ギャラハッドが癒やすまで戻らぬままだったといいます。その後、垂れ布の剣は騎士ギャラハッドの手に渡るとされていますが……』

「……つまり、その不毛の呪いを再現する、ということか」

 

 翼が得心がいったと言うように頷く。

 

「……とは言っても、いくらギャラハッド卿ではない者だからってダビデ王の剣をダビデ王が抜いたとして、呪いが発動するものかしら?」

『ええと、そこまでは……』

「そこはまあ、確かにね。少なくとも生前僕が使ってたときは単なる剣だった。ただ──勝利の可能性として"ガングニール"が見出した光明だ。狙う価値はあるってものさ」

 

 ダビデが感情を読ませないような微笑みを浮かべそう嘯く。

 その言葉に何かを察したように、キャロルが口端を僅かに吊り上げた。

 

「そうだな──確かに、狙う価値がある。それを理解しているから──貴様もダビデだけを狙うのだろうッ!?」

 

 キャロルは言葉と同時に巨大な岩石の障壁を展開し、魔神の魔術により放たれた土石流を防ぐ。

 

「ダビデ、というよりファラの身体は風の属性しか使えんからな。急に攻撃属性を変更することによる不意討ちを狙ったんだろうが……そこまで恐ろしいか?」

「……恐ろしいかどうかではあるまい。認めてやるが、現状で私に危機を及ぼす可能性があるのはその剣だけ。高々剣の呪い程度ではこの世界は壊れんだろうが──念には念を、ということだ」

 

 そういいつつ苛烈な攻撃を繰り返す魔神。最早装者や他のサーヴァントたちに目もくれないその様子は、ダビデの、そしてキャロルの言葉が真実であると明白にしている。

 とは言え、ダビデに防がれているとは言え、魔神の表情には未だ余裕があった。

 

「そして、であればこそ攻めるのは容易というものだ。如何にその人形が高性能だろうと、貴様さえ押し留めていればいいのだからな」

 

 それは、先程までのように魔神が真意を察することを妨害するための足止めとは逆の立場に置かれたということ。

 魔神はダビデの切り札の発動を妨害するために、延々ダビデに構ってさえいれば良いということでもあった。

 

 そして、だからこそ装者の、英霊達のやるべきことは決まったと言える。

 

『──よし、幾つか想定外もあったが……ここが正念場だぞ、お前たちッ!』

『そうとも、こここそが決戦の山場だ!ダビデの狙いを──"嘆きの一撃"の発動を止められないこと、それこそが勝利の鍵だからね!』

 

 弦十郎とダ・ヴィンチから指示と激励が飛ぶ。

 

「──了解ッ!行きますッ!」

 

 響の──いや、小異なれど他の面々のそれが混じった、少女たちの鬨の声。

 

 この世界を守る戦い、その節点となるだろう大一番。

 世界を、皆を守るためにと戦いに飛び込んだ少女たちは、今度も守りたいものを守るためにと気合十分に戦場へと舞い戻った。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(8)

「……新宿は大詰めに入ったみたいだな」

 

 ぼそりと呟きが溢れ、同時にデモノイズがまた1柱切り捨てられ炭へと還る。

 皆神山、魔都ネツァクと呼ばれる場所。守護天たるヘルヴォル・アルヴィトは空を見上げる。

 独特な鎧を纏うその身は大小の傷を負っていたが、その立ち振舞いに未だ衰えはなく、全知の眼により、魔都と雑音により造られたこの世界の変化を鋭敏に感じ取っていた。

 

「んで……本当に出来るんだろうな?」

"はい。御父様の槍が──この世界のガングニールがあれば、可能です"

 

 ヘルヴォルが己に問えば、その胸の内より己ならざる己の声が返ってくる。

 本来のヘルヴォル・アルヴィトの霊基からの答えに、ううん、とヘルヴォルが……天羽奏は頭を振る。

 

「さっきの宝具開放……魔力供給が打ち切られてるあたしはアレ一発で結構ヤバげだってのは判ってんだよな。ここで戦うだけならともかく、今度やったらこれ以上の手伝いはできなくなっちまう……だから、失敗はできないし、やっぱりできませんもナシだ」

"ええ。出来るか否かは、貴方もその眼で視たでしょう──私達は同体なのですから。後は機を見るよりほかにはありません"

 

 ヘルヴォルの諭すような言葉に、奏では瞑目し息を整える。

 ガングニールの真名開放にて発動した"勝利を確定させる"という奇跡の帰着点。それこそ全知の眼で視た以上、言われなくとも判っていることではあった。だが、それでも彼女にとっては衝撃的な話ではあったのだ。

 

「いや、悩むだけ無駄ってやつだな。……ところで、ダビデはこの話をわかってんのか?」

"────"

「わかってねえんだな、識ってたけどさ」

 

 それはそうだろう。彼女も己の槍をはっきり知るまでは全く理解していないことだったのだ。

 己の握る槍が──ガングニールが、この状況の切り札足り得るという事実が。それによる勝利こそ、ダビデが最終的に掲げた勝利条件だということが。

 

 戦場は今や遥か遠く。全知の眼を持つモノと言えど、その視界に映らない戦場を直接認識することは敵わない。

 今彼女が出来ることは、デモノイズの波濤に負けないように戦い──全知の名に恥じぬよう、タイミングを見切ることだけだった。

 

 

 

 

「どぉおおおりゃああああーッ!」

「はあああ──ッ!」

 

 響と翼。剣と槍の閃撃が魔神へと放たれる。

 展開された障壁は響の拳が打ち砕き、その奥の魔神へと翼の刃が肉薄し、その薄皮にほんの四半寸だけ突き立った。

 鋒が僅かに沈み込んだ白い腕は、その指先を起点として展開した魔方陣の照準をわずかに逸し──結果、ダビデに向かうはずだった魔弾はキャロルの防御陣によって受け流される。

 

「ち、何処までも鬱陶しい……いや、今は良い」

 

 魔神は目線だけを翼たちに向ける。

 放置すべきか、今始末すべきか。ほんの僅かな葛藤がその表情に現れたが、ふいと目をそらしダビデへと目線を合わせるに終わった。

 

「……相手にされていない、か。現状を思えばありがたい話だが──」

 

 翼の忸怩たる感情が、僅かにその言葉の端から漏れ出る。

 

 何処までもダビデを愚直に狙う魔神。先に妨害者である装者や英霊達を狙わないのは、ある意味ではその実力を認めているからだろう。

 即ち、彼女らをまともに相手する必要がない程度には実力差があり、かつ軽く始末できるというほどには弱くはない、という魔神の認識に基づいていた。 

 

 認識自体は間違っては居ない。フォニックゲインを術式の限りに詰め込んだ防壁を貫けるのは現状ではエクスドライブした響だけであり、それ以外では魔神の魔術の障壁を突破することが難しい。

 そして、それとて響のシンフォギア──ガングニールの持つ必中の効果がその奇跡を引っ張り出しているというだけであり、純粋な威力では概念的質量差が大きすぎる魔神に痛打は与えきれていない。

 翻って、決戦当初に比べ出力向上を果たした装者たちと、結界に綻びが生じたことでパワーダウンした魔神との戦闘速度自体は現状そこまでの大差はない。膨大なエネルギー、膨大な質量こそが今の魔神ソロモンの武器であり、逆に言えばそれ以外の性能差は詰められているのである。

 

 だからこそ面制圧で狙うにせよ、狙撃で狙うにせよ。装者やサーヴァントを狙うには魔神もそちらに一定の意識を割く必要がある。

 これが結界が万全であれば話も変わっただろうが、今の魔神ソロモンでは装者・サーヴァントを正確に全滅させつつダビデの剣が効果を発揮する前に片をつける、という手筋を取りたがらない程度には脅威と思われていた。

 

(……等と、慰めにもならないな。我々を狙ってくれる程度に危機意識を持ってくれたほうが、ダビデ王を護りやすいのだが……ッ!)

 

 表情には出さないまま、内心で臍を噛む翼。

 そう考えている間にも再び魔神が防壁を展開し、ダビデを狙っている。防御を突破できる響は、先ほど翼が追い抜いた関係で即座に妨害に入れる姿勢にはない。

 

「舐め……る、なぁッ!」

「防壁三段積みだッ!」

 

 ダビデに向かう魔力砲撃をイチイバルのリフレクター、アガートラームの光壁、錬金術の防御陣の三枚を重ねて受け流す。

 光芒に見えるそれは実際のレーザーではなく、イチイバルのリフレクターにそこまでの防御効果はない。それでも、砕けるまでの僅かな間の干渉でほんの僅かに射線が逸れ、その僅かな射線のズレをより大きくするように配されたアガートラーム、紋章陣によって辛くも直撃を避けていた。

 

「うーん。流石に辛いかな、これは」

 

 彼女らの真横を通過した砲撃の余波で姿勢を僅かに崩しながら、ダビデが己の剣、ソードブレイカーを見る。

 その剣はいつの間にだろう、独特な風合いの布で造られた剣帯によりダビデの腰から提げられている。

 剣帯は徐々に魔力で鞘を構築しているらしく、柄から切っ先に向けて伸びるようにその刀身を覆い始めている。だが、その速度は見るからに遅い。

 

「おい、ダビデのおっさんッ!それもう少し早くなんねえのかよッ!?」

 

 たまらずクリスが叫ぶ。無理も無いだろう、今回は防げたからいいものの、魔神が術式を変えてきたらそれに合わせて防御シフトを変更したりしなくてはならないのだ。

 

『先程の魔神の攻撃の頻度を考えれば、構築までには後5回……いえ、4回は防がないと……』

「4回デスか……」

「…………出来るかな。ううん、やらなくちゃ……ッ!」

 

 構築速度を測定していたマシュからの通信に、切歌と調が顔を青くしながら決意を固める。

 

『……事ここに至っては、その武器を捨てることも考えてくださいね?ええ、使い捨ては全く趣味ではないですが、共に戦う仲間を捨ててまで宝物を守れと言うほどこの僕は唯我独尊ではないので』

「あ、ありがとうデース」

 

 いざともなれば手に持つ大火力の切り札を捨てなくてはならないかも、とすら考えていた2人の表情を読み取り、先回って子ギルが許諾を与える。

 持ち主から許可を受けたことで罪悪感が薄れたのか、小さく拳を握るその顔にはさっきまでと比べ悲壮感が薄れている。

 

(……どうやら心配なさそうね。であれば、あとはダビデ王の切り札まで持ち堪えるだけということね。……とは言え)

 

 そんな2人にマリアは安堵し、しかし現状の難題さに苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「4回、ね……悩んでいる暇はないとは言え……ッ!」

 

 マリアがぼやく暇すらなく、魔神が再度攻撃を展開する。

 黒い瘴気、触れるだけでも人の意識を狂わせるだろう呪詛が波の如く押し寄せてくる。

 

「おいおい、僕の竪琴を使わせに来たか……って、今は竪琴無かったっけな」

「あったとしても使うだけの魔力は全部剣に回してろッ!ここは──」

 

「──私が行くッ!征くぞ、破邪顕正、防人の剣を見るが良いッ!」

 

 と、キャロルが錬金術を展開するその前に翼が飛翔する。

 逆光に浮かぶ影からでも判る、アームドギアが極大化するその技は天の逆鱗。だが──その大きさは正しく規格外。それが、落涙のごとくその本数を増やしていく。

 

「──盾か」

「──剣だッ!」

 

 

──天ノ逆鱗・九頭竜──

 

 

 魔神の言葉に律儀に応じ、九つにまで増加したその剣を大地に突き立てる。

 前列に5本、後列に4本。二重の防壁として造られた剣の城塞は、魔神の放つ瘴気を真正面から受け止めた。

 

「ぐ、ぅ……ッ!持ちこたえろ、天羽々斬ッ!」

「小賢しい、消えろ」

 

 魔神の邪気に蝕まれ罅割れ砕けようとも、翼は光の翼を広げ、己のギアを信じ支え続ける。

 そんな翼を嘲笑うかのように、魔神は瘴気の総量を一気に増やそうとして──原初のルーンを刻んだ響の拳により、魔方陣自体が粉々に砕かれた。

 

 呪詛が消失したことにより、一気に翼の負荷が無くなったことで気が抜けたのか、剣の壁も砕けて消えた。

 支えが消えたことで思わずバランスを崩した翼を支えるように、響が一気に翼の元へと舞い戻る。

 

「大丈夫ですか、翼さんッ!?」

「はぁ、はぁ……。すまん、助かったぞ立花……ブリュンヒルデも……」

 

「……成程、我が魔術を砕いたか」

「特化させた組み合わせ、ですが。ある程度の解析の時間を稼げれば、対処は可能です」

 

 響の拳にルーンを刻んだ張本人、ブリュンヒルデがあくまで冷静にそう告げる。

 原初のルーンを行使したことによる反動か、その口端からは血が流れている。

 

「これで、後3回!」

 

 立香が皆を鼓舞するように、敢えて大声で叫ぶ。

 その声を耳障りとでも思うように、魔神が先程とは全く違う術式を展開する。

 が、僅かに展開された魔方陣はすぐに消失し、シンと僅かな静寂が辺りを支配した。

 

「消えた──いや違う、下かッ!ダビデのおっさん、乗れッ!」

 

 その状況で、何処から攻撃が来るかを直感的に理解したクリスがギアを下降させ、ダビデと立香の元に寄せる。

 

「言われなくても!僕の身体は大切に扱ってね!ほら行こうマスター!」

「う、うん!うわあこれ結構しっかり安定して飛んでる!?」

 

 待ってましたと言わんばかりに、ダビデは立香を小脇に抱えてクリスのギアに身を預ける。

 クリスのエクスドライブギア──控えめに言ってロボットアニメの空中戦用の追加パーツの如き様相を呈する大型の重火器をこれでもかと積んだ重武装アームドギアはスラスターを稼働させ、地下からの攻撃を回避せんとダビデを連れて飛翔した。

 

「──その程度で逃げられるとでも?」

 

 当然、そんなクリスの逃避行ならぬ逃飛行を予測できていないわけではない。

 地下から溢れんばかりに放たれるのは、噴火と見紛わんばかりの爆炎。魔神の得意分野、世界を焼き払う焼却の眼光──即ち。

 

「ッ!地下に……眼だとッ!?」

「デモノイズ──ッ!地下に迫らせていたのッ!?いけない、避けなさいクリスッ!」

 

 先程切歌と調によって切断され、回路としては役に立たなくなったデモノイズ。魔神はそれらを大地に潜らせ、不意討ちのための材料として残していた。

 焼却指揮の炎はただの魔術とは比べ物にならない程の熱量、受ければシンフォギアだろうとエクスドライブだろうと物理的に炭にされるだろう。マリアは今更言う意味がないと知りながらも叫ばずには居られなかった。

 

「──消し飛べ」

 

───焼却指揮 ソロモン───

 

 魔神の指揮とともに、地下の指揮者デモノイズに数多ある全ての視野を覆い尽くさんばかりに炎が奔る。荘厳な演奏が炎とともに鳴り響くさまは、まるで鎮魂歌の響く葬礼を思わせる。

 その炎が足元まで一気に迫り、クリスは思わず顔をひきつらせた。

 

「──ッ、冗談じゃねえッ!あたしはまだ仏壇に飾られるつもりはねえよッ!」

 

 せめてもの抵抗とばかりに下方に向けてミサイルを大量にばらまくが、その爆炎も尽く魔神の炎に飲まれていく。

 他の装者たちも炎の延焼範囲外から攻撃しているがどうにもならない。このままでは間違いなく、クリスたちは炎に巻かれて消炭になるだろう。

 だが、当然ながらソレを良しとするわけがなかった。

 

「切ちゃんッ!」

「お願いするデスよ調ッ!あたしは下を潰すデスッ!」

 

「真名開放──『万海灼き祓う暁の水平(シュルシャガナ)』ッ!」

「真名開放──『千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)』ッ!」

 

 調と切歌が、今再び宝具を起動する。

 全てを溶け合わせる旭日の水平線を思わせる炎が、魔神の炎とぶつかり、互いに溶け合う。戦神の剣、紅刃シュルシャガナは神造宝具としての力を遺憾なく発揮し、魔神の攻撃をどうにか押し留めていた。

 そしてその瞬間、僅かな拮抗を狙って切歌が巨剣を振り下ろす。その刃が大地に、大地の中のデモノイズに突き立った瞬間。イガリマはそこが地平線であるというように、デモノイズを抵抗すらさせずに大地ごと両断した。

 

「どんなもんデスッ!って、あ……」

 

 どうにか二度目の攻撃をしのいだところで、切歌の目線の先でイガリマが崩れ落ちる。

 みれば調の握るシュルシャガナも耐えきれないとばかりに溶け落ち、魔力の粒子となって消失した。

 

「……ありがとう、シュルシャガナ」

「お疲れ様デス、イガリマ……」

 

 最後の最後まで(借り物だが)自分たちのもとで力を発揮してくれた宝具たちに、2人はただ感謝する。

 とは言え、既に持ち主には許可を得て使い潰したものであり、更に言えばそこまで離別の寂しさに暮れているわけにもいかなかった。

 

「──これで、あと2回デースッ!」

 

 切歌は改めて己のギアたるイガリマの柄を強く握り、気合を入れるようにそう宣言する。

 

「小癪な──だが、丁度いい」

 

 魔神はそう呟き、膨大な属性の錬金術の紋章陣を展開する。

 火、水、風、地。そしてそれらの基礎たるエーテルの輝きは、空に浮くクリス達を照準として多重に展開されていく。

 

「ってめ、砲門多すぎだろうがッ!」

 

 思わずクリスが自分を棚に上げて叫ぶ。

 

「錬金術師が空になくば、この多重属性砲撃は防ぎきれまいッ!」

「この──小癪はどっちだッ!」

 

 キャロルはダビデや立香とは違いクリスのギアに乗っておらず、別口で回避している。それはキャロルを狙っていない攻撃だからこそだが、今回はそれが悪手となっていた。

 勿論、キャロルとて飛行できないわけではない。一流の術師として飛行くらいは難なく熟せる。だが、その速度はお世辞にも早いとは言えず、魔神の攻撃からの回避行動で大きく距離が離れたクリスのもとにたどり着けるものではない。

 

(テレポートジェムは……サーヴァントになった時点で消えたか。そもそもあったとしても現在地からの相対座標への転移は不確実すぎる……ッ!)

 

 計算すればするほど、どうにもならない。その事実に他の面々の助けが間に合うかと一縷の望みにかけるしかないかとキャロルが考えたその時。

 

「みんな、キャロルを守って!ダ・ヴィンチちゃんにマシュは戦闘服を!」

「ッ!?何を……」

 

 立香が咄嗟に叫ぶ。その言葉にどういった意図があるのか、装者やキャロルたちが疑問に思い問おうとするその間にも、立香のサーヴァントであり現状で動けるベディヴィエールが駆ける。

 銀腕の騎士は魔神とキャロルの間に立ち、どのような攻撃が来ても良いようにと守護の構えを見せた。

 

 そして立香の指示とほぼ前後して、魔神の編み上げた錬金術により全属性を束ねた光芒が放たれた。

 

『そういうことか!ああもう、戦闘前ならともかく戦闘中は次はやめてくれよ!』

『礼装の切替──カルデア戦闘服、展開します!』

「2人ともありがとう!そしてキャロルごめん、防御お願い!──『礼装起動:オーダーチェンジ』!」

 

 立香が叫んだその瞬間、状況が目まぐるしく動いた。

 

 わずかに遡り光芒が立香達に届く間際、彼女の服がオレンジと白、黒いベルトで構成されたボディラインに合わせた魔術礼装へと切り替わる。

 そのタイミングを図っていたかのように、立香は礼装に搭載された魔術を起動する。魔術師としては平凡未満、ろくな魔術を習熟していない彼女でも使えるカルデアの礼装による魔術は正しく効力を発揮した。

 

 そして、ダビデの霊基とキャロルの霊基の座標が寸分違わず入れ替わった。

 

「~~な、にぃッ!?そういうことか、事前に言えッ!」

 

 防御お願い、の意味を理解したキャロルが念のためにと編み上げていた各属性に対応する防御術式を展開、威力を減衰、相殺させていく。

 とはいえ、魔神が回避できぬようにと放った錬金術。全ての術式を相殺できるわけもなかった、が。

 

「あとはあたしがなんとかしてやらあッ!しっかり捕まってろッ!」

 

 クリスがギアに残った残弾を放ち、余分なパーツをパージして装甲代わりにしていく。

 比例して身軽になったクリスは、錬金術の相殺と空間装甲分でできた火線の隙間を圧倒的な機動力で潜り抜けた。

 

「これで、あと、一発ッ!」

 

 クリスはそう叫び空中で姿勢を反転、魔神へとその視界を合わせ──瞠目した。

 魔神の周囲に展開されるは、千を有に超える魔方陣。この世界の錬金術、魔神の手繰る種々の魔術・呪術──そこには1つとして同じ術式は存在しない。

 その全てが、キャロルと入れ替わり地上に降りたダビデへと向けられていた。

 

 余りにも絶望的なその光景に、誰もが理解した。魔神は最初から、この最後の一手でダビデを撃滅するつもりだったのだと。

 

「貴様──今までの手は捨て札かッ!」

「後4回で、となれば。その4回を如何に有効活用するかという話だろう──多くは言わん。死ね」

 

 それ以上の問答は不要とばかりに、無慈悲にも魔神が魔術を励起する。

 

『ここが正念場かッ!少しでも相殺を──』

「そうだね、それも大事だ。そして何より大事なことは──前に出ること、かな」

 

 弦十郎の指示に言葉を被せ、ダビデが一歩前に出る。

 

「ダビデ王?貴方──」

「こういう時、今の言い回しだと何て言うんだったかな──ああ、そう。死中に活、というやつさ。露払いを頼むよ、ベディヴィエール」

 

 そう告げ、ダビデは防御姿勢も取らずに真正面へと──魔術の波濤に正面から突っ込んだ。

 

「ダビデ王!?確かに、ソレが一番効率的ではありますが!──皆さん、弦十郎殿の言う通り少しでも相殺を!ダビデ王は私が!」

「──ッ、悪い、任せたッ!」

 

 ダビデが正面へと駆けたことでその狙いを理解したクリスは、なるべくダビデに近い場所、かつベディヴィエールでは相殺しづらそうな術式を優先的に狙い撃つ。

 僅かに遅れて狙いを理解した残りの面々も、それぞれのギアを、魔術を、錬金術を振るい少しでもその身に向かう魔術を減していく。

 

「──着弾する前に突っ込むことで、受ける魔術を減らしに来たか。だが……」

「……それでも足りない、っていいたいんだろう?わかっているさ、そんなことは」

 

 魔神に言葉に、それでも不敵に笑うダビデ、その腰に提げた帯と鞘はほぼ構築が完了しており、正しくここが最後の山場であった。 

 そしてだからこそ、ダビデは己の傍に居るのがベディヴィエールであることを僥倖であると心の底から確信していた。

 

 

「くそ、抑えきれないか……ッ!?」

 

 苦悶の表情を浮かべるベディヴィエール、その額には一筋の冷や汗が流れていた。

 膨大な術式が折り重なるように放たれている最後の攻撃。魔神が3回目までのチャンスに割く力を減じてまで放つ必殺の布陣は、彼を始めとする味方の総支援があってもなお、とてもではないがその全てを抑えることなどできていない。

 

(このままでは遠からず、ダビデ王は致命の一撃を受けてしまう。どうする、どうすれば──)

「ベディヴィエール!」

「っ、はい!」

 

 すぐ背後から呼びかけられた声、その主は当然ながら今は女性の人形に身をやつしたダビデ。

 そうだ、彼のほうが苦しいはずだ──そう瞬時に考え、ベディヴィエールは己の内にある先の見えない苦しみを表に出すこと無く、己の名を呼ぶ声に答えた。

 

「はは、思考が凝り固まってるよ?君の取り柄は、何よりもその沈着冷静さだろう?」

 

 が、ダビデはそんなベディヴィエールの取り繕った仮面を容易に見通した。

 正しく王の知見と言ったそれに、ベディヴィエールは思わずその顔を崩す。

 

「……それは、はい。評価してもらうのは嬉しいですが……」

「だろう?正当な評価は大事だからね、取引の時は特にだ!」

「はあ……」

 

 そんな場合ではないだろう、そういいたげなベディヴィエール。そういう間にも彼の、そしてその背後のダビデを撃ち抜かんと放たれる魔術を銀の腕で切り裂いていく。

 

「と、いうわけで。そんな冷静で落ち着いている騎士ベディヴィエールにしか頼めないことがあるのさ」

「…………?」

「いいかい、タイミングが命だ。僕が合図をしたら────」

 

 何をいいたいのか分からず困惑するベディヴィエール。だが、次に耳打ちされた言葉にその顔を驚愕に染めた。

 

「────っ、そんな……。いえ、大丈夫なんですね」

 

 最初に反対しかけ、しかし現状を理解し落ち着きを取り戻す。

 

(冷静な騎士にしか頼めない、なんて言い方をするからには……どれ程荒唐無稽に見えようと、人道を介さない手口だとしても、そこには確かに理がある筈だ。それに、もし出来るなら状況を見ても最適には違いない)

 

 ベディヴィエールは単騎の戦力は円卓の騎士としてはかなり下方に位置する。だが、それでも一軍を指揮することもある騎士。戦術・軍略の類は一通り修めていた。

 だからこそダビデの突拍子のない案も、"可能であれば"状況に即しているという事実をはっきり認識し、ダビデに小さく頷いて見せた。

 

「判りました、やってみせましょう。タイミングは任せますよ」

「頼んだよ。まだだ、まだ────今だ!」

 

 ダビデの合図を受け、ベディヴィエールは一切の躊躇なく己の銀腕を閃かせた。

 

 

 傍から見れば、彼らがその時に取った行動は全く理に沿わない行動だっただろう。

 密度を増す魔術の壁に少しずつ前進して近づいて、その中で2人で話していたと思ったら──唐突にベディヴィエールが宝具を放ったのだから。

 

 ──他ならぬ、ダビデへとだ。

 

「!?ベディヴィエール、一体何を──」

 

 太腿から下がスッパリと斬り落とされ、人形となっているダビデの胴体がわずかに宙に逗まる。

 そして、そこからの行動は2人とも素早かった。

 まず、ベディヴィエールが倒れ込む2本の足を蹴飛ばすように魔方陣の壁へと叩きつける。その瞬間、人形の足は爆発し、辺りにキラキラと破片をばらまいた。

 

「──これは、ファラの……自動人形の、チャフッ!?」

「通信妨害──いや、見ろッ!」

 

 必要以上に大量にばら撒かれた破片──否、自動人形の破砕時にばら撒かれるようにとキャロルが仕込んでいたチャフ。

 嘗て戦ったときに通信妨害されたことを思い出した翼とクリスが思わずとダビデたちの方を向いて、そして気付いた。

 クリスの言葉を聞いていた他の面々も、その声の向く先を見て目を見開く。

 

「あれは──」

 

 響が言葉を失う。無理もない、彼女の眼の前では魔神の展開した錬金術が悉く形を失い崩れていっているのだ。

 

「……ああ、そう言えば修復ついでに仕込んではいたが。奴が錬金術を使うときに備えて、決戦時に自滅用の爆弾代わりに使えるかと考えて用意していたが……」

「そう言えば、本部でなんか作業してたね。あー、あれかあ」

 

 キャロルの言葉に、過去を思い返したのか立香がぽんと手をたたく。

 

「察するに、キャロルが自動人形に仕込んでいたのは──」

「そうだ、錬金術の術式と使用者の魔力ラインの間に割って入って、その効力を逆位相にするためのチャフだ。とは言え、余り有用でもない。少しでも俺と癖が違う術式を編んでいれば無用の長物になる程度のものだが──」

「エルフナインの体を使ってるアイツは、キャロルと同じのを使ってるってことかッ!」

 

 エルフナインの錬金術はキャロルの記憶に依るもの。それをベースに構築した錬金術を操る魔神は、総じてキャロルとかなり近しい術式を使用していた。それを利用するためにとキャロルが自動人形の内部に詰め込んでいたものだった。

 とは言え、彼女自身がやったとは言えダビデが入った人形をベディヴィエールが叩き斬って発動させるとまでは考えていなかったキャロルは驚きと感嘆をその顔に浮かべていたが。

 

「って、ダビデのおっさんは無事なのかよッ!?」

 

 と、そこまで話をしてからクリスが戦場に目線を戻す。言わずもがな、その眼は切られたダビデを探していた。

 

「大丈夫さ、心配してくれてありがとうアビシャグ!さあベディヴィエール、頼むよ!」

「承知しました──せ、ぇい!」

 

 下半身が無くなったダビデの腕を掴み、ベディヴィエールが思い切りぶん投げた──突き進んでいた先、今は錬金術の欠けた術式の波濤へと。

 

「ッ、被弾面積を──」

「──小さくしたのさ!術式は減って面積も小さい!これなら──」

 

 ダビデのその言葉の先を証明するかのように、魔神の術式の僅かな隙間をダビデの上半身は潜り抜けていく。

 魔術がかすめ、髪が欠け、服はぼろぼろになり、利き腕ならぬ腕が盾代わりに砕けていく。だが、それでも投擲されたダビデの勢いは止まらない。

 そして我に返ったクリス達の後方支援もあり、ダビデの上半身はそのまま暴力の壁を突破し──魔神の向こう側へと顔面から着地した。

 

「ぶっ!──よし、突破出来たったことさ!」

 

 些か以上に格好がつかない姿勢のまま、ダビデはキメ顔でそう宣言してみせた。

 

「────」

 

 魔神はそんなダビデのふざけた言葉に対応すら無く即席の攻勢魔術を展開する。

 だが、既にダビデの腰には奇妙な垂れ布の剣が完成されていた。

 

「……一手、遅れたか」

 

 魔神がポツリと呟くのと同時に、ダビデが剣を抜き放ち────

 

 

 ────何も起きず、魔術の光条がダビデの肩を貫いた。

 

 

「…………え?そんな、ダビデ!?」

「どうなってんだッ!?あの剣を抜けばマルっと解決するんじゃねえのかッ!?」

 

 立香が思わず叫び、クリスが悪態をついてダビデの下へと向かう。

 その様子を見ながら、モニターのダ・ヴィンチはやはりか、と呟いた。

 

『ダ・ヴィンチちゃん、やはり、とは──』

『言ったとおりの意味さ。カルデアの英霊召喚成功例第ニ号として召喚された英霊ギャラハッドに関しての情報だけで言うなら、その剣である垂れ布の剣はダビデ王が使った、という以上の逸話がなかった。そっちの世界ならもしかして、って思ったけど……』

 

「……嘆きの一撃は、起きなかった、かあ……。まあ、そりゃそうだよねえ。はは、参ったなあ……さて、僕の名誉はここからどうやって挽回したものか……」

「出来るものかよ。そもそもあの剣を乗せていた船は他ならぬソロモンのもの。我々がそれを監視していないなどとは思っていないだろう?」

「よく……言うね。それでも、万が一を警戒していたくせに」

 

 ダビデの言葉に、魔神は当然とばかりに頷いた。

 

「この世界は、未だその法則のすべてを掌握しては居ない。大神の槍の事もあれば警戒もしよう──が、その警戒も無為に終わったようで何よりだとも」

 

 警戒していた、という事は魔神にとって何ら恥ずべきことではない。有り得る可能性の全てまでは見通せない以上、出来る限りその全ての対策を編み出す。完全主義者たる魔神として、全能の王に至らんとする者として、それは至極当然のことだった。

 

 だからこそ。"この世界"については識っていても、この世界の"可能性"までは知らない魔神は、次の一手を見逃すこととなった。

 

 

 キラリ、と空に一条の流星が走る。

 空の彼方、最初はそれこそ星の瞬くような光でしか無かったそれは、あっという間に輝きを増して新宿へと落ちていく。

 

 その流星に最初に気付いたのが、地面に倒れ、足もなく、肩を射抜かれ空を見上げるしか無かったダビデだったのは。それこそまさに"勝利"の加護があったとしか言いようがなかった。

 

 ダビデの目を凝らすその動作に、魔神は己の背後に迫るものがあると理解し、即座に魔術の防壁を編み上げ──何の抵抗もなく撃ち抜かれた。

 

「何、これは……ッ!」

 

『──勝機を溢すな、掴み取れッ!』

「ヘルヴォル・アルヴィトか──無駄な抵抗を……ッ!」

 

 今、この宮殿に魔神の防壁を貫けるものなど、それこそ立花響の拳──ガングニールしか無かった。

 だからこそ驚き──そして、ダビデのもとに向かっていたクリスの通信機から届いた女の声を聞いて、即座にその理由を理解した。

 ヘルヴォル・アルヴィト、ワルキューレの1人、天羽奏を依代とした疑似サーヴァント──魔都ネツァクの守護天。細々と抵抗を続けていたソレが、最後の武器を手放してまでダビデの窮地を救おうとしたのだと。

 

 そして、であればこそ。魔神は目の前に突き立つそれを砕かんと手を伸ばす──ほんの一片の希望も残すまいという意志を、その手に籠めて。

 

「やらせるかよッ!」

 

 だが、魔神の伸ばした手はクリスが放った銃撃を受け、僅かに動きを止められた。何処から、と魔神の目線が向いた先には拳銃型のギアを構えたクリスの姿。

 

「──イチイバルか。いいだろう、まずは貴様から──ッ!?」

 

 ち、と小さく舌打ちした魔神は先にクリスを仕留めんとその指先を向け──どうにか身を起こしたダビデが槍の柄を掴んだ瞬間、己の失策を悟った。

 

 ダビデの握る槍から、膨大なエネルギーが放たれる。それは疑似サーヴァントの宝具として成立したことによる魔力ではなく、聖遺物そのものが持つエネルギーでも無く。

 ──ガングニールと呼ばれる魔槍に与えられた、この世界における人々の想念の力。

 

『膨大なエネルギーを感知ッ!これは──まるで、響ちゃんがアダムと戦ってたときのガングニールと同じ……』

 

「ふ……ふふ。そういうことか、全く、北欧の神様は迂遠な条件を突きつけてくれるね」

 

 ここで漸く、己の勝利条件がどのように満たされるように手配されていたのかをダビデは直感的に悟った。

 彼はついさっきまで、心の底から"奇妙な垂れ布の剣"こそが切り札だと信じていた。そしてそれ故に最後の最後までヘルヴォルの"識った"本当の切り札を知らず、結果として魔神にそれを悟らせなかった。

 

 大神オーディンの槍グングニル。カルデアのデータベースには記載がなく、幾人かの英霊からそれの持つ機能の情報が収集されている程度でしか無いその槍は、伝聞の限りにおいては神話同様の武装でしか無い。

 だが、こと"この世界"においては全く別の側面を持っている。

 それは──。

 

 

「──盲目の百卒長(ロンギヌス)の槍、"彼"の死を知らしめた、彼の血のついた聖なる槍。──嘆きの一撃を生み出した聖遺物伝承のもう1つ。それがまさか──」

 

「──ガングニール、だとッ!?」

 

 

 魔神の言葉に、ダビデはしてやったりと笑みを浮かべる。

 

「おのれ、ダビデ王──」

「全く、一手遅かったね!──今こそ勝利の時だ!聖槍よ、この歪みを終わらせる嘆きをここに──」

 

 己に魔術を放とうとする魔神に対し勝利を告げ、ダビデは己の掴んだ槍の名を高らかに謳い上げる。

 

 それは、"彼"の血を受けた槍。聖杯と同じく、世界にも類を見ないほどの高位の聖遺物(レリクス)

 様々に語られ、数多の定義を受け──「アリマタヤのヨセフの子孫」以外が手に、武器として振るわんとすることで悪意と嘆きを生み出す、そう人々に願われた聖槍。

 その膨大な想念の前には、たとえ"彼"の祖として名高いイスラエル王たるダビデでさえも例外はない。

 

 故に、彼が掴み、その力を振るわんと願えば。それは正しく想われたとおり──国に、大地に、龍脈に──世界に嘆きを齎す一撃を放つことは当然の帰結であり。

 

 

「────『失癒の悲嘆(ロンギヌス)』!」

 

 

 魔神の放った魔術が、より上位の神秘によって掻き消される。聖槍から放たれる災禍の黒き輝きが大地に、宇宙に、世界に染み渡る。

 ガングニールは、"神殺し"は。嘗て城を砕き不毛の呪いを与えたように──偽冠魔詠宮殿(プセウドモナルキア)に、永久に癒えぬ疵痕を深く刻み込んだ。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(9)

 爆風と共に、大地が砕ける。

 神殺しから放たれる不毛の呪いが世界を蝕み、結界のもつ循環機構が修復不能なまでに破壊されていく。

 

「新宿から発せられるエネルギー、急速に衰退していきますッ!」

「魔都ネツァク、魔都イェソドのデモノイズ反応が消えましたッ!」

「やったかッ!」

 

 オペレーターからの報告に、弦十郎の表情にも喜色が浮かぶ。

 S.O.N.G.本部の発令所のモニターには、大地に突き刺さったガングニールを起点に、魔都同士を結合していたデモノイズがボロボロと崩れていく様子が映し出されていた。

 

「これが──嘆きの一撃。複数の国を不毛の大地に変えた、神の罰……」

 

 エルフナインがその影響の大きさに息を呑む。

 街にあった街路樹は一斉に枯れ落ち砕け、付近の建物は瓦礫と崩れ去っていく。それが槍を起点として新宿の魔都全体へと一気に広がっていく様は、ある意味では今まで以上に現実離れした光景だった。

 

「──ッ!ダビデさんが──」

 

 が、そんな光景に目を奪われてばかりも居られなかった。

 槍を握っていたダビデが発動した魔力に巻き込まれ吹き飛ぶ姿が映り、友里あおいの悲痛な声が上がる。

 いや、ダビデだけではないだろう。魔力光と立ち籠める土煙によってあまり多くは確認できていないにせよ、傍で戦っていた他の装者や英霊達だって巻き込まれている可能性は十分にあった。

 

「くっ、ここからでは手が出せん──装者たちのバイタル確認急げッ!」

「了解ッ!」

 

 同じ世界で起きている事件であればある程度は介入もできようが、今モニターに映っているのはあくまで平行世界の光景。ギャラルホルンを通じて世界を超えられる力がない彼らには直接の手出しは不可能であり、精々出来ることといえばその状態を逐一チェックする程度でしか無い。

 

(……無事で居てくれ、お前たち……)

 

 手が出せない──それも、ほんの僅かな支援すらできず見ることしか出来ない現状に歯噛みしつつ、弦十郎は無事を祈った。

 

 

 

 

「全員、無事か……ッ!?」

「な、何とか……」

 

 土煙を剣で払い、目視での確認が難しいと判断した翼の声が装者たちに届けられる。

 

 ガングニールを起点として発動した嘆きの一撃は、間違いなく魔神の居城たる宮殿の構造を瓦解せしめた。が、勿論それだけで被害が終わるわけもなく。

 瓦礫に埋もれた辺り一帯。魔槍の発揮した力の余波は、それだけで完全聖遺物のそれに匹敵する程の破壊を齎していた。

 

「私達はエクスドライブで空に居たから、そんなに被害は大きくないけど……」

 

 マリアはそう言って下に目を向ける。そこには依代として使っている自動人形の身体がこれでもかとぼろぼろになったダビデが倒れていた。

 

「ダビデのおっさんッ!おい、返事をしろよッ!」

「──中枢部までは崩壊が及んでいないとしても、これほどの損壊では……」

 

 その傍にはクリスとベディヴィエールが寄り添っている。

 クリスはダビデの身体を壊れない程度に揺すり意識を確認しようと試みているが、ベディヴィエールはその損傷状態を見て難しい表情を浮かべていた。

 

 不毛の呪い、聖槍を武装として使用したことに端する天罰。それは大地に、国にのみ作用するようなものではなく、生命に対しても治らぬ傷を与えるものだった。

 嘗て嘆きの一撃を受けた者、漁りの王、漁夫王ペラムは付けられた傷が治癒せず不具王と呼ばれていたこともあるほどであり、それこそ同質同規模の奇跡──聖杯でもなければその負傷は治せないもの。

 それを同時代に生きたベディヴィエールは深く知り及んでおり、故にダビデの復帰は難しい……と、そう考えた目の前でダビデがゆっくりと目を開けたことで、彼の顔は驚愕の色に染まった。

 

「ダビデ王ッ!?無事でしたか……」

「いやあ、ははは。──偉い人の先祖にはなっておくものだね、ホント」

「ッ、なんだよ、ぴんしゃんしてんじゃねーかよッ!全く、ビビらせやがって……」

 

 見目の割には比較的まっとうに受け答えをするダビデに、クリスは安堵の笑みを一瞬だけ浮かべ、次いで怒ったように顔を背けた。

 

「ごめんよアビシャグ!だけど安心してくれ、もうあんな無茶はしないからね!──というわけで、僕はこれ以降後方支援に回ることにするよ。足ないしね」

 

 そう言って、ダビデは懐から竪琴を取り出す。当然だが誰も止めない、両足を失い全身ぼろぼろになった彼に「これ以上戦え」なんてのは物理的に無茶であると誰もが理解していた。

 竪琴を調律しながら、ダビデは表情を引き締め口を開いた。

 

「──この固有結界の機能は不毛の呪いで破壊できたけど、魔神は未だ無傷だ。魔神の強さは今更論ずるまでもないけど、この世界だと特にもだ。……だからこそ、もう一手何か必要かもしれない」

「何か?何かって何だよ」

「うぅん、流石にそこまではなあ。この世界の完成に対する作戦まではこう、結果オーライで上手く行ったけど、そこから先は考えてなかったからね」

 

 ははは、と軽く笑いながら片目を瞑り謝罪するダビデに、クリスは呆れ顔を浮かべる。

 だが、なんだかんだ今までダビデと共に戦ってきたクリスは彼の戦場を見る力を理解していた。だからこそ、呆れはするもその言葉を疑うことはしなかった。

 

「……わかった。っても、あたしらもカンバンだからな、どうにかするっきゃねえけど……」

 

 ここまでの戦いの中で、彼女たちは様々な策を講じ、奇縁に助けられながら結界の破壊に持ち込むことは出来た。だが、それは詰まる所最初に戻ったということである。

 最初に遭遇した段階で、彼女たちと魔神では能力の差が歴然だった。エクスドライブしている今であればそこまで差はないだろうが、それでも油断できない力を魔神は秘めていることは誰もが重々承知している。

 

「……あと、力押し以外に手が残ってるかしら?」

 

 マリアが現状を振り返り、ポツリと呟く。結局、これ以上の隠し玉は彼女らにはなかった。種々の作戦はすべて使い切り、あとは互いにどちらが勝つか──或いは。

 

「おのれ、おのれ……ッ!何故、どうして……ッ!」

「…………」

「立花……」

 

 空を仰ぎ、誰に向けてでなく怨嗟を吐く魔神。響はふわりと降り立ち、その小さな姿のもとに歩み寄っていった。

 近づいても、魔神は抵抗する素振りすら見せない。それほどまでに結界の破壊に衝撃を受けたのか、もしくは破壊を止められなかった己に憤っているのか。近寄る響なんて眼中にないかのように、崩れ行く己の世界を見届けている。

 

「もう、終わりに出来ないんですか?」

「…………また、それか?」

 

 今気づいた、と言わんばかりに魔神は振り返る。

 その顔は泣き笑いに近く、自己に向けた嘲笑がそこには浮き上がっていた。

 

「終わりに?終わりにだと?この私が、何も為せずに!?」

「……でも──」

 

 響はその先を口に出していいか、僅かに躊躇する。それを言えば魔神が決定的に崩壊するのではないかという危惧が胸に去来する。

 だが、それでも言わなければならないと感じていた。そうしなければ、きっと目の前にいるモノとの対話が出来ないのだと。

 

「──貴方の、世界は……。貴方の宮殿は、もう無いんです。私達が壊したからッ!だから──」

「────ッ!」

 

「だったら、もう戦うことなんて……」

 

 言いかけた響に、魔術が放たれる。

 結界が維持されていた時分に比べるべくもない、弱りきった魔術。響は難なく躱し、そして攻撃せずに相対する。

 

「戦うことなんて、なんだ?戦うことなどないとでも言いたいのかッ!私の望みを、新たなる完全なるソロモンを絶っておいて──言うに事欠いて貴様、私の願いを砕いて、戦う意味がないとでも──」

 

 と、そこまで言って。魔神はピタリと動きを止めた。

 己の言葉に何かを見出したらしく、その身体は、表情はふるふると震えている。

 

『あ、ようやく理解したのか。ついに、というかなんというか。いいのかい響ちゃん?』

「モーツァルトさん……。でも、多分ここからだと思うんです。話し合うには──分かり合うためにはッ!」

 

 響は語る言葉に決意を込める。

 

 愛を以て戦わんとしている、彼女は、そしてアマデウスは魔神の動機をそうであると考えていた。

 だが、魔神はそれを理解していなかった。己に感情が芽生えている事実を認めようとしなかった。だから、まず響は魔神に心を認めてもらいたかった。彼自身の心を、想いを認めないままに在り続けることが悲しいと感じていたから。

 

 そんなアマデウスと響、そして魔神の様子を見て、ふと立香は疑問が芽生えた。

 魔神が己が愛で動いているのだと言うことを否定していた、それ自体はいい。だが、他の感情を否定するというのはどういうことなのか、と。

 神殿が崩壊してから今に至るまで、立香が対峙してきた魔神は誰も彼もが己に芽生えた感情に忠実に、その想いを遂げるために活動を始めていた。そんな彼らは当然ながら、共通して自己に芽生えた感情を正確に認識した上で一切を委ね活動していた。

 

 立香への復讐心を得たバアルは、立香の心の動きすらも要素に入れた3000年に及ぶ復讐の計画を練り。

 再びの死を恐れたフェニクスは、神秘の全てを滅ぼすことで生を得ないような世界を目指し。

 生に執着したアンドラスは、永遠に死が訪れない、停滞に特化した特異点を作り出した。

 

 だが、目前の魔神ソロモン──魔神アムドゥシアスは違う。感情そのものを否定している。まるで、そんなものを得る事自体があり得ないと考えているように。

 ──まるで、感情の芽生える瞬間に、要因に立ち会ったことなどないかのように。

 

「……ねえ、なんでそんな頑なに愛だのを認めないの?ううん、愛じゃなくても……どうして感情を認めないの?」

「────おかしなことを言う。貴様らが我々と対峙したと言うなら、魔術である我々が理性の権化であることくらい承知だろうに」

 

 その台詞を聞いて、やはりかと立香は己の疑念への確信を深める。同時に、それはカルデアの面々にも同様の思いを抱かせていた。

 

(……あの魔神は、己が感情を得ているということを認めたがらなかった。口振りとかもあくまで表層上のものであって、己は感情を得ていないのだと。だけど、明らかにあの魔神はその範疇を超えている──感情を、得ている)

 

 ダ・ヴィンチは今までの魔神の行動・挙動・発言などを振り返り、それが感情を得た魔神に行動パターンであることを確信していた。否、感情を持たない魔神の行動パターンではないという方が正しいだろうが。

 

 怒りを顕にする、執着を見せる──嘗てロンドンで立香と対峙したソロモンの姿をした魔神王ゲーティアのように、感情的に見える部分は存在する。

 だがそれは七十二柱の魔神の持つ鏡面的な性質によるもの。似たような性質の魔神を表層に喚ぶことで様々な性格を持つように見せかけているに過ぎない。

 こちらを煽るような台詞も、憐れむような語り口も、それは見せかけのソレでしか無い──その内面が、何処までも合理に沿っていればの話だが。

 

 そういう意味では、アムドゥシアスの挙動それ自体は問題ではないだろう。だが、アムドゥシアスは先程より明確な、合理に悖る感情的な行動を取っている。

 それがアマデウスの示すような愛なのか、そうではないのかは置いておいて、得た感情によって行動している──合理基準以外の優先順位を持っていることは明らかだった。

 

 ダ・ヴィンチはそこまで考え、そうか、と1つの考えに至った。

 バッと振り向けば、同じ考えに至ったということを推察したのだろうホームズが小さく頷いている。

 

『……なるほどね、立香ちゃんの疑念のタネがわかったよ。あとアマデウスやドクター・ウェルが愛って言い切った理由がね』

「今度はカルデアのサーヴァントか。貴様ら、我々がどういったものかを理解しないまま戦って──」

 

『君、時間神殿に居なかったろう?』

 

 その言葉に、魔神は続けかけた言葉を止める。立香の前に展開されているモニターに映るダ・ヴィンチを見据えた魔神は、不愉快とばかりに──否、事実不愉快であるという感情を自認しないままに眉を顰める。

 

『だから決定的な、ロマニの──ソロモン王の最後の仕事を見届けられていない。だから感情を理解しきれていないんだ、持っていてもね』

「……その口振りからすると、"我々"は感情を理解したと言いたげだな。あの愚王が指輪を返したからと、我ら魔神がそんな不出来を顕すものか」

 

 我々。そう口にする魔神は未だに己がゲーティアの端末であると──魔神七十二柱という概念に括られたものであると認識していることを示していた。

 

『それがそうなのさ。私達が人理焼却を防いでから戦ってきた魔神たちは、誰も彼もが己の命題に──感情に従って行動していた。でも君は……』

「……あの王の死を見届けていないから、英霊共との戦いを知らないから、本質的には認識できていない、と。成程、筋は通っている」

 

 そうつぶやく魔神の顔は先程までと違い、ある種憑き物が落ちたという表情を浮かべている。

 己の抱いていたソレ──目前に対峙する装者が、英霊が、魔術師が何度も伝えてきた"感情"、それを持つということへの理由、理屈を漸く理解できたということだろう。

 いや──と、ダ・ヴィンチは考えを改める。魔神はおそらく自覚した上で、それを認められていなかっただけなのだと。でなければ言い繕うことはしないし、先程のように己の言葉に矛盾がある事を理解出来ないのだから。

 

 

「そう、だな。ああ、全く──理解ればこうもスッキリするものだとは」

 

 その身を覆う物理的な、質量的な、精神的な防壁の全てを突破して突きつけられた言葉は、魔神の心情に大きな変化を齎していた。

 ソレが愛なのか、までは彼自身理解が出来ていない。だが、少なからずエルフナインを重用したいと、特別に扱いたいという非合理的な──"感情"を持っていたのだと。それを持つことが異常ではないのだと認識できたことにより余裕が出来たのだろう。

 

「……私は、時間神殿に居たものではない。本来ならば貴様らが第一特異点と呼ぶ時代──フランス百年戦争にて顕現する手筈だった」

 

 ポツポツと語り始める魔神。

 

「ジル……?でも、あのときはキャスターの方のジルが最後なんかすごい海魔を呼んで……」

「そうだ。本来なら魔術師──私という尊厳を抱いた音楽魔術の使い手を依代として聖杯に喚ばせ、それを呼び水にジル・ド・レェに召喚させる予定だったが──いや、どちらにせよソイツは我が尊厳に目覚めはしなかった。であれば、もし召喚されたとしても──そうだな、類型の魔神であるナベリウス辺りだろうが」

 

『冗談きついぜ。生前は魔神にならなくて済んだのに、まさか死んだあとで依代にされそうだったなんて』

 

 音楽魔アムドゥシアスの絶対尊厳を抱いた魔術師──稀代の音楽家アマデウスは辟易したような声を通信越しに伝えてくる。

 

『しかし喚ばれなかったならそれはそれで、人理の精算で綺麗サッパリ消えて本体のもとに戻るんじゃないのかい?』

「本来はそうだ。だが、奇跡的にタイミングが噛み合った──こちらの世界のソロモンの杖が、ネフィリムの自爆に巻き込まれ融解したタイミングとな」

「……うん?百年戦争と、こっちの世界のネフィリムの云々って……」

 

 奇妙なことを聞いた、とばかりに立香が首を傾げる。

 

『馬鹿な、フロンティア事変は今から数えても一年は経っていないッ!西暦1300-1400年代の百年戦争とは時間軸に差がありすぎるッ!』

 

 立香がそれにツッコミを入れる前に、弦十郎があり得ないと怒鳴る。

 平行世界において、彼らS.O.N.G.の知る限りではそこまで大きな時間のズレが発生したことは無い。そしてそれは現在の平行世界もまた然り。

 それが唐突に西暦1300-1400年代の平行世界(というより異世界だが)と同じ時間軸と言われても納得できるものではなかった。

 

「厳密には第一特異点の人理精算から、カルデアと時間神殿が同時間軸にあった決戦までは世界の外側を漂っていた。神殿を離れすぎて腐り落ちるとも思ったが、存外保ったわけだ」

 

 魔神は隠すまでもないとばかりに話を進めていく。

 先程までああも情緒が安定せず、かつ本気で殺しに来ていたということもありいっそ不気味さすら覚える程に今の魔神は穏やかに、落ち着いた素振りを見せていた。

 

(って、幾ら何でも切替が早すぎる……。信じたいけど、警戒は必要よね、これは)

 

 響や立香のようなお人好し気質が強い面々はそこまで違和感を覚えていないようだったが、マリアや翼、そしてサーヴァント達はそうそう直ぐに信用するつもりはなかった。

 これが例えば反省の意を示しただとかであればまだしも、今の魔神は悩みが解消されたという以上の変化はないはずなのだ。であれば、まだ何かある可能性は十分にあった。

 そんなマリアたちの様子に気付いているのかいないのか、魔神は警戒する素振りもなく話を続ける。

 

「最終決戦でゲーティアが滅び、同様に消滅するはずだった私は……その時既に、ソロモンの杖によりこの世界に招来され、組み込まれていた。崩壊した機能を保全するために、私という魔神の数式を求めたということだ」

「……ソロモンの杖の72の命令式(コマンドワード)、それを保全するために同概念を持つ魔神を呼んだということか……杖に亜空間に干渉する機能もあったのが災いしたか」

 

 一応筋が通っていることもあり、キャロルもまた警戒しつつもふむとうなずく。

 どちらにせよ、今となっては過去の真実など彼ら彼女らには判りようもない。何らかの理由で魔神がこちらに来たという事実があればそれで十分だった。

 

「杖の修復に合わせ消失する自己を修復に当て、ついでにこの世界を眺めてもいた。大凡は元の世界と同じ人間ばかりだったが──だが、私はその中でエルフナインに注視した。造物主に与えられたオーダーを無視し、己の目指す最良の結末を目指す姿に自己を重ねていた」

『そうだったんですか……』

 

 以前の魔神の目的については、エルフナインもカルデアから聞いていた。箇条書きで要素を書き出せば成程、エルフナインが取った行動と魔神の偉業の行動原理に近いものはあると言えた。

 だが、語る魔神の言葉に徐々に熱がこもるその様子を見れば、おそらく言葉通りの意味では無いのだろうと聞いている誰もが思っていた──そしてそれは、感情を自覚した魔神自身も同じ。

 

「……そう、今にして思えば。私はその時点で壊れていた──魔神であるにも関わらず、エルフナインに惹かれていた。その時の私は無自覚で、この世界を焼却し燃料とするときもお前だけは共に行こう、などと言っていたがな」

『…………』

 

 その言葉に、誰にも気付かれない程度にマシュは身体を固くする。

 彼女も嘗て魔神王から似たような誘いを受けたことがあった。ヒトとしての理解者が欲しい、1人だけ、お前だけは連れて行っても良い──そういう誘いが。

 今となっては魔神王の言葉の内面は知りようもなかったが、それでもマシュには今の魔神の言葉に何か感じるものがあった。

 

「キャロルに立ち向かう姿を知れず追っていた。どうせ見ているだけ、肉体が修復されるまでの暇つぶしという考えはいつの間にか切り替わり、彼女を連れて行きたいと心から思うようになっていた」

 

 興奮のためか、その語る速度が上がっていく。その瞳には異様な色が籠り、耐えられないとばかりに依代の体を掻き抱く。

 

「幾度も誘いをかけた。

──全て断られた。

 キャロルに生存して欲しいと考えていたようだから、世界を歪に分岐させた。

──尚も拒絶された。

 その肉体が限界に到達したときには、我が身を使ってでも治療しようと申し出た。

──不要であると、否定された」

 

「──私に魅入られていた彼女は、私をこの世界に残す訳にはいかないと決意して己の生存を放棄した。──そういう選択ができるほど、意思が強いと知っていたのに。だからこそ私が魅入ったのに。私はそれでも、ただそれを見送っただけだった──」

 

 異様な様子を見せた最後に、懺悔するかのように魔神はそう締めくくり口を閉じた。

 話が終わった魔神は先程までの興奮状態が嘘のように、全くの無表情でそこに佇んでいるだけだった。

 

 そしてその話を聞いて、他ならぬマシュは魔神のやろうとしたことを朧気ながら理解していた。

 

『貴方は……エルフナインさんを蘇生させるために結界を作ったのですね。魔神アムドゥシアス』

「……驚いた。何故そこに至った、マシュ・キリエライト?貴様らが如何に魔神を知っていようと、ゲーティアを知っていようと──現代という領域で死者蘇生が出来るなどという発想には届かないはずだが」

 

 だからこそ、マシュの推測に魔神は驚きを見せた。

 死者蘇生──神代ならぬ現代においては在り得ざる奇跡を即座に、かつ確信的なマシュの言葉は魔術の世界に身を浸す者としては異端の発想だった。

 

「ッ!エルフナインの蘇生、だと……?キリエライト、どういうことだ?」

『どうやろうとしたかは判りませんが、でも、それしか考えられなくて……』

『……魔神ほどの規模であれば、死亡直後の状態で肉体を保全できる。そちらの世界において"魂"が電気信号であること、キャロルみたいな例もあることを考えれば──成程、膨大な魔力があれば不可能ではないかも知れないね。自己同一性の問題はこの際置いておくけど』

 

 マシュ自身もそうであろうという推測以上のものがあったわけではないのだろう。翼の問いへの答えに淀む彼女に代わりダ・ヴィンチが参考程度にとばかりに意見を差し挟む。

 

『とは言え、そのために世界1つはやりすぎだろう。それだけが目的じゃない、違うかい?』

「……さて、どうだろうか。当時の目的は既に語ったが──私は、私の捧げられる全てを捧げるつもりだった、のだろう。当時の私の考えを今の私が解釈すれば、という前提に立てばだが」

 

 感情を否定していた己の過去の行動、その中の無意識までは理解が及んでいないらしい魔神の言葉。だが、少なくとも今の魔神にとってはそれが真実だった。

 

「んなこと、答えになって……」

「答えになっているだろう。私が捧げられるのは、魔神たる私の有り様のすべてだ。──全知にして全能、全てを修められる魔術王の使い魔である私の有り様の、だ」

 

 クリスの反論を遮る魔神の言葉は、言葉通りの意味であれば答えになっていなかった。

 だが、今までの魔神に纏わる情報──魔術王ソロモンが如何なる存在だったか、彼の王に従う七十二柱の魔神が如何なる在り方だったかを知っていればそれは答えとして成立していた。同時に、魔神の考えたその願いが余りにも乱暴に過ぎるものだということも理解させられた。

 

「……完全なるソロモン、っていうのも嘘じゃなかったってこと?この世界を滅ぼして固有結界にしようとしたことも、星を焼却して新しい光帯を作ったのも──」

 

 立香の質問に、魔神は言葉で答えは返さなかった。だが、否定をしないということ、それ自体が真実であると物語っていた。

 

 

「…………」

 

 問答が終わり、辺りを沈黙が包む。

 

(魔神アムドゥシアスの、彼の、エルフナインちゃんへの想い……きっと、それは──。でも、それで私は……)

 

 どうなるのか、どうすればいいのか。魔神の想いを否定できるのか、魔神の行いを肯定できるのか。

 静寂のなか、響は魔神への向き合い方を決めかねていた。

 

 魔神が感情に目覚めたのはごく最近の話。生まれたての純粋な想いにある意味魔神自身が振り回されていた面は確かにあった。

 だが同時に、魔神自身は最初は間違いなく害意を以てこの世界を侵していた。途中から抱いた感情も、エルフナイン以外には特段のソレを持たず。ただ彼女に捧げられるべき資源としてしか見ていなかった。

 

 立花響はそれを認めていいのか、それとも──。

 

「……もう一度、聞いてもいいですか。──もう、終わりに出来ないんですか?」

 

 考えて、考え抜いて。響は魔神がこの願いを、欲望を、祈りを終わらせられないのかを問うことにした。

 たとえ答えが予想できていたとしても、もしかしたら、魔神は止まってくれるかもしれないと──そんな希望を抱いて。

 

 

「──終わりに?終わりにだとッ!?出来るか、出来るものかッ!私が抱いたこの願いは、この思いは、この感情は──終わりになどなるものかッ!」

「────ッ!」

 

 だが、そんな響が口にした最後の分岐点を魔神は踏みしだいた。

 情報室に属し、世界を樹木に見立て分岐させた──可能性を生み出した魔神アムドゥシアスならば、それが響の残した可能性であったことに気付いていただろう。だが、それでも魔神は対峙する道を選んだ。

 

「ああ、ああッ!私に芽生えたこの感情が、誰かに全てを捧げたいと希うこの祈りが愛だと言うのなら──私の愛を、終わらせてなるものかッ!」

 

 その言葉を皮切りに、エルフナインの肉体からソロモンのファウストローブが分離する。

 魔術王の名を関する聖遺物を用いて作り出された錬金の秘奥は、何の支えが無くとも宙へと浮かぶ。

 

「聖遺物が感情を以て力を発揮すると言うなら──我が想いを喰らい輝けッ!」

 

 何処からともなく── 否、ソロモンのファウストローブ()()()()から響くその声は、エルフナインの口から発せられていたものではない、魔術式そのもの──肉を持たぬ魔神の声。

 

 魔神の声に呼応するように、大地が罅割れ隆起する。

 

「う、わ……!?」

「──危ないッ!立香ちゃんッ!」

 

 魔神のそばにいた響と立香はその揺れに足を取られる。響は間一髪で空を飛び難を逃れ、立香に手を伸ばす。

 だが、その手が立香に届く前に。立香の足元にできた裂け目の底に広がる数多の眼球に、そこから伸びてきた肉の柱のようなソレに捕まりそうになる。

 

「──デモ、ノイ──っ!」

 

 その口から途切れたような言葉が漏れる。

 一瞬後に訪れる死に、立香は思わず息を呑み──。

 

「せいッ!」

 

 魔神の様子を警戒していたマリアの輝く剣が、デモノイズの身体を切り裂き炭へと還す。

 そのまま立香を掴み、響ともども一息に魔神の傍から離脱した。

 

「あ、ありがとうマリアさん……」

「礼はいいわ、それより──」

 

 マリアは先程魔神が居たところを睨む。ソロモンのファウストローブが輝くそこには、どこから現れたのか、膨大な数のデモノイズが居た。

 それも指揮者を始めとしたありとあらゆる種類のデモノイズが、それこそギャラルホルンゲートを襲撃していたそれらよりも多く、である。

 

『デモノイズの反応、尚も増大ッ!新宿で当初観測されたものより遥かに数を増していますッ!』

『馬鹿なッ!デモノイズには限りがないとでも言うのか……ッ!』

 

 もしそうであれば、魔神は今の今まで本気ではなかったということになる。

 まさか、有り得ない……そう考える弦十郎を肯定するように、ダ・ヴィンチが口を開いた。

 

『いや、無尽蔵はあっても無制限はないはずだ。結界も壊れたし何処かにカラクリが……。って、そういうことか!他の魔都のデモノイズ全部召喚したな!?』

 

 何が起きたのか、後方組で最初に気づいたダ・ヴィンチの声に、平坦さを取り戻した魔神の声が被せられる。

 

「……デモノイズには限りがある。元が一柱の、それも魔神王という結合から解けた文字通り一本のみの受肉体を腑分けしたモノをノイズと融合させたもの。補完性はともかく上限は決まっている」

「それを全部召喚たあ剛毅な話だけどな、今更デモノイズの一本や二本や十億本ッ!」

「エクスドライブな今なら纏めてぶった切ってやるデスッ!」

 

 例えどれ程デモノイズがいようとも、それでも勝ってみせると言わんばかりのクリスや切歌の威勢に、魔神は何も言葉を返さない。

 

「……雪音ではないが、今更デモノイズを持ち出して一体何を……」

 

 先程までと違い肉の身体を持たない魔神は、表情などによる心中の推察など到底不可能である。

 だからこそ、デモノイズの召喚という魔神の行動の何処に狙いがあるのかを翼は測りかねていた。

 

 とは言え、だからと漫然と見ているつもりは彼ら彼女らにはない。

 遠巻きに伺いつつ、それぞれが武器を構え駆け出せる姿勢を取り──そこで、魔神の声が再び響いた。

 

「そう、デモノイズは何処までも総数は変わらん。ここに居るデモノイズは我が腑分けした肉の全て──つまり、もう一つの私そのものだ」

「──それって……。っまさか!?ベディヴィエール、ブリュンヒルデ!」

 

 魔神の言葉に、立香は、慌ててサーヴァント達に指示を出す。キャロルを忘れているのはある意味ご愛嬌である。

 

「了解──!?」

 

 が、主の指示を受け刃を振るわんとした二騎は、集まったデモノイズから放たれた音の壁によってその身を弾き飛ばされた。

 それは空でタイミングを図っていた装者たちも同じであり、それぞれが自身を庇い僅かに宙を後退する。

 そして、己の歌により敵が一時的に退いたその瞬間に、魔神は言葉を紡ぎ始めた。

 

 

──顕現せよ。奏唱せよ──

──これに響くは音を拓き、言葉を刻み、旋律を与え、歌を束ねる──六十七の呪いのカタチ──

 

 

 魔神の朗々とした詠唱に合わせ、デモノイズたちが寄り集まり溶け合っていく。

 異形のそれらがその身を溶け合わせ一つの形となるその光景に、響、翼、そしてクリスの3人はふと過去を想起した。

 

「まるで──あの時の……」

 

 それは、彼女たちが戦った終末の巫女の取った最後の姿。完全聖遺物を束ね、ノイズを纏い、世界を破滅させんと威を振るう黙示の赤き龍。

 ノイズが変じたデモノイズを束ね、膨らむその姿は否応なしにその戦いを思い出させる。

 

 そして、その変生は終わる。

 見た目は、ただ指揮者デモノイズが肥大化したようなものだろう。だが、その体色はより禍々しいものへと変貌し、その眼球はまるで血を湛えたかのような真紅を見せる。

 体表には人の苦悶が寄り集まってできたような造形が浮かび上がり、その悍ましさは人は愚か、人外も──魔神当人すらも認めるほど。

 

「魔神、柱──」

 

 そして、荘厳な魔詠を纏い天へと伸びるその肉の柱を見て、立香が呆然と呟く。

 堂々と屹立するその姿は、正しく彼女たちが特異点の度に対峙してきた魔術王の使いにして、魔神王の端末そのもの。

 

 

『我こそは七十二柱の魔神が一柱、アムドゥシアス。我が祈りの詩、我が愛の歌──

 "音楽魔"の名にかけて、ここで絶やさせはしない……ッ!』

 

 

─── 魔 神 柱 出 現 ───

 

 

 魔神は──魔神柱アムドゥシアスは。

 自覚したばかりの己の感情を守るために。──己の夢を成し遂げるために。

 

 ──己の世界ならざる世界へと降臨した"降臨者"として、世界の守り人たちへと対峙した。



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Interlude.III 星の輝きと人の祈り

「──外の音が、歌が変わった……?」

 

 私立リディアン音楽院高等科に在籍してる少女、小日向未来はシェルターの外から聞こえる旋律の変化を鋭敏に感じ取っていた。

 気づけたのは音楽を専門とする学校に属しているから──ではなく、彼女の親友が外で世界を、皆を守るために戦っているだろうことを理解していたからであり、どうにか外の状況を探れないかと四苦八苦していたからである。

 

「ううん、あんまりよく聞こえないけど……でも、あの怖いくらい綺麗な歌が聞こえなくなってきてる……。もしかして、デモノイズが居なくなったのかな……?」

「ちょっとヒナッ!あんまりシャッター傍行っちゃだめだって……」

「ってちょっと、何シャッター開けようとしてるのッ!なんか来たら真っ先にアウトだからッ!」 

 

 そんな未来の挙動をハラハラしながら見守っていた彼女の友人達は、シャッターに手を掛けようとした未来を見て慌てて止めに入る。

 

「気持ちはわかりますけど、幾ら何でも危険すぎますよ」

「……ごめんなさい。でも、どうしても気になっちゃって……」

 

 心配させている自覚はあるのだろう、しおらしく謝る未来。だが、その目線は見える筈のないシャッターの外を見ようと揺れ動いている。

 

「響……無事だといいけど……」

 

「……たしかにビッキーから何も連絡ないのは気になるけど……」

「大丈夫だって、あいつがあんたの期待を裏切るわけ無いでしょ?」

 

 彼女にとって何者にも代え難い親友である響。おそらくこの世界を変貌せしめた元凶と戦っているのだろうことはこの場の4人にはよく理解できている。

 だが、異変のはじめに出会ってからここに至るまでに一切の連絡がないというのは彼女たちの──特に未来にとっては今までにないことであり、彼女が不安を抱くのも宜なるかなというものであった。

 そして、その事実に一番心をかき乱されるのが小日向未来である事を安藤創世、板場弓美、寺島詩織の3人は深く理解しているため、安心させようと色々と声を掛けた。

 

「……うん、そうだよね。響は絶対に戻ってくる、それはわかってるんだけど……」

 

 だが、なんと言われようとも未来にとって響の現状が心配なのは変わらない。

 普段なら頼りになるS.O.N.G.の大人たちも居るためここまで揺さぶられるようなことはないのだが、今回はそういった異変に詳しい面々も軒並み消失している。

 挙げ句、この世界の響すらも同様に唐突に消失したのだ。それから間もなくデモノイズの襲撃が発生したことで目を逸らせていた事実に焦点が向いていくという事実もまた、未来の不安に拍車をかけていた。

 

「まあまあ、外の歌……ノイズが歌っているのも変な話ですけど、ともあれそれが止んだということはきっと上手く行っているってことですよ。立花さんたち、ナイスです!」

「おお、テラジはいいポジティブシンキングだ。うんうん、きっとノイズ達全滅したとかだよ。まあまだ元凶とか居るかもだから外には出られないけど」

「そうそう、まさか前みたいに外のノイズが全部融合して最終形態になるとかそんな──アニメとかじゃ」

 

 と、その言葉の途中。新宿の方面から荘厳な音楽が鳴り響く。

 それは先程から彼女たちが言っていた、ノイズの──デモノイズの奏でる魔詠のソレであり、それを更に流麗に、細やかにしたもの。

 まるで最高位の指揮者が楽団を引き締めたようなその演奏が、一方向からのみだが今までにないほどの大音量で流れ始めていた。

 

「……ない、んだし……って、どうなってんのッ!?いやいや、まさかアニメじゃないんだからさッ!?」

 

 慌てたような弓美の声。だがそれも無理らしからぬ話だった。

 今より数時間前、轟音と地震が起きたことで調査のために外を警戒していた自衛隊員から「辺りが一変した」「魔都近辺を残して全部消滅した」などと荒唐無稽な話を聞いたときと同時に、デモノイズの魔詠が世界全体から鳴り響き始めていた。

 避難当初と桁違いの音量だったが、それでもシェルター内部であればそこそこに音が遮られぼんやり聞こえる程度。今現在シェルターの外から鳴り響いている歌は、そのときの歌すら遥かに凌駕していた。

 

(でも、この歌の音量……まるでさっき板場さんが言ってた冗談がほんとになっちゃったみたいな……)

 

 膨大な歌、世界そのものがコンサートホールになったかのように世界に音楽が満ちていく。それこそ歌うノイズが全部集まってしまったのでは、なんて詩織が思ってしまうのも無理はなかった。

 

「……って、ちょっとヒナッ!?」 

 

 今やシェルター内でも方角がわかるほどにはっきり聞こえるその歌に戦慄していた創世は、再びシェルターを開けようとする未来の手を引っ掴んだ。

 それに続くように弓美、詩織も未来の腕や身体を掴んで止める。

 

「────響……ッ」

「小日向さん、落ち着いてください……ッ」

「落ち着いてなんか……ッ!」

 

 この4人はS.O.N.G.、及び前身である特異災害対策機動部二課ともそこそこの関わりがあり、また同時にそういった組織が解決すべき事件ともそこそこの接点があった。

 それ故にフォニックゲインなどの情報についてもある程度の知識があり、特にもギアを一時纏ったことがあるなど関わりが深い未来はその深刻さをより強く実感していた。現場にいる親友を思えば居ても立ってもいられない、そんな彼女の心中が行動に現れていた。

 

「だって、あんな歌……あれがフォニックゲインなら、響が……ッ!」

「判るけどッ!でも司令さんとか居ない今のあたしらが近づいたら足手まといじゃんッ!あたしらが居るだけで響たちはノイズからあたしら庇わなきゃいけないんだよッ!?」

 

 弓美の必死な叫びに、未来も現実を理解したのかその身体から力が抜ける。

 どうやら諦めた……というより、冷静になったらしい未来に三人は安堵を見せる。

 

「……でも、このままじゃ響が……」

「だから、今は私達でも出来ることを探そうよ?ね?」

「……うん」

 

 創世に宥められ、未来はなにか出来ることはないかと考えを巡らし始めた。

 

「……とは、言ったものの……どうしたもんかなあ」

 

 が、それもすぐに行き詰まってしまい、弓美の煩悶する声が虚しく空気を震わせる。

 

「出来ること……。そう、歌なら……」

(ううん、無理だ。静かなところとか、通信機能とかがあるわけでもないのに。こんなに遠いと……)

 

 未来はポツリと呟いて、しかし即座に心中で否定してしまう。

 人類の得た移動力で考えれば遠いという程遠いわけではないが、少女の足では十分に遠い距離。

 もしたどり着けたとしても、それは先程の弓美の言葉通り足を引っ張りに行くようなものだった。

 

(自衛隊の人達はここにいる他の人達を守らなきゃいけないから、無理なんて言えない。……風鳴司令も、緒川さんも……S.O.N.G.の皆が居ない。それが、こんなにも遠くなっちゃうなんて……)

 

 車もない、ヘリもない。自転車ではこの荒れた状況を踏破などとてもじゃないが出来やしない。

 以前の戦いの中で、無線システムやフロンティアの通信システムを介して歌を集め、束ねることで響たち装者は最高の力を──エクスドライブを、完全聖遺物の制御を──歌の、想いの奇跡を発揮した。

 この極限の状況で、戦うことの出来ない未来たちが響たちを支えるには歌を通して自分たちの想いを届けることが一番だ。それは彼女自身わかっているが、それを成しうる手段が彼女たちにはなかった。

 

「どうしよう、どうすればいいの……私、皆を……響を助けたいよ、響ぃ……」

「ヒナ……」

 

 どうにもならない、そんな現実が真綿で首を絞めるかのようにじわじわと未来の心を蝕んでいく。遂にはボロボロと涙をこぼし始め、ガクリと膝を付いてしまい、三人がそばに寄り添う。

 

 

「────助けたい、か。其の想いに嘘偽りはないか?」

 

「────え?」

 

 

 そんなときだった。4人のもとに聞き覚えのない、幼くも威厳のある声が届いたのは。

 

 

 

 

「──デモノイズが魔都から引き始めた。魔神もいよいよ後がないな?」

 

 魔都イェソド。風鳴翼の生家があったその場所で、ぽつり、と声に似合わぬ言葉が響く。

 声の主たる魔都の守護天、ケルトの戦神ヌァザは魔神の状況を適切に認識しニヤリと笑った。その瞳には、巨石に突き立った輝かしき剣が映っている。

 

「……さて、これで大手を振って剣の鍛造を行うことが出来るというものだ、が……」

 

 最初は笑いながら剣を見ていたヌァザは、しかしすぐにその顔を顰めさせる。

 

(聖剣、やっぱり難しいんですか?)

 

 どうにも思い通りになっていない、そんな表情を見せるヌァザの脳裏に声が響く。

 今のヌァザと同じ声色で話す少女──ヌァザをこの場に呼び出すための疑似サーヴァントの依代にして今も魔都で戦うマリアの妹でもあるセレナ・カデンツァヴナ・イヴは、目の前の剣──聖剣の様子を見て、不安そうに(ヌァザの頭の中で)呟いた。

 

「そうだな。まあ、難しいと言って支障はあるまい。ガワはともかく、こうもヒトが少なくては……」

 

 そう呟くヌァザは、己の管理する異界を思い返す。

 風鳴邸のあるこの街にもまた、当然ながら地下シェルターが存在する。対ノイズとして建造されたそれはデモノイズの襲撃時にも同様に緊急避難所として機能していたが、今はそれをヌァザが管理権限を強奪していた。

 

 ケルトの主神であった彼は、死した後にケルトの理に則り転輪を果たした。ミールの末裔(ミレシアン)に追いやられた他のダーナ神族同様、地下世界の常若の国(ティル・ナ・ノーグ)へと在り方を移した。そして、その国の入口は石の下や洞窟の奥などにある、とされている。

 ヌァザはその伝承を利用することでデモノイズの侵略を防ぐための異界としてシェルターを変容させていたのである。ここに人々を匿い、何れは決戦のための布石とすることを目論んでいた、のだが。

 

「デモノイズ共め、悉く地上を焼き払ってくれたものだ。魔都近辺に居るヒトは我が楽園に退避している者だけ──これでは聖剣が聖剣足りえない。魔神を討つための刃が鍛てん」

(…………そう、ですか……)

 

 難しそうに独りごちるヌァザ。門外漢であるセレナはどうにも言いようがないが、それでも言いたいことはなんとなくは分かる。

 シンフォギアは、聖遺物は人の想いを受けて稼働する。逆に言えば、想いが──フォニックゲインが足りなければまともに動くことはない。単純に別なエネルギーなどで代用しようとしても碌な結果を生まないことは、生前の己の末路を知るセレナは重々承知していた。

 つまり、聖剣も似たようなものなのだろう。聖遺物同様に想いを受け星に錬られ、外敵を討つための聖なる剣。

 想いを受け止める器は完成している。彼女のアガートラームと平行世界のアガートラム……の概念でまとめ上げられた、かつての聖剣にして絆の聖剣。そしてヌァザの剣という名称不定な概念を上手に纏め上げたことで聖剣として練り上げられている。

 だから、あとはそれに想いを込めて鍛え上げれば完成する、というわけだ。

 と、そこでふとセレナはふと気づいたことがあった。

 

(あの、想いって数がないとだめなんですか?私達装者みたいにフォニックゲインを高められる人なら少なく済んだりとか……)

「フォニックゲイン、か。無いではないが……それだけでは足りないな。フォニックゲインを自力で発するという真似が出来るものは限られているだろう。出来ない者の分が誘発できれば足りるかも知れんが、生憎そのやり方を私が知らん」

(そうですか……うーん、一体どうすれば……)

 

 むむむ、と思考の中で更に考え込むセレナ。

 ヌァザは魔術に対する造詣は十分にあるが、フォニックゲインに対する知識は少ない。それこそセレナが知っているモノと同程度でしか無い。

 そんなヌァザが知らないということは必然、セレナもまたフォニックゲインを高めるための手段については門外漢であると言っても良かった。

 

(うーん、歌、歌……。そうだ、皆で歌うとかってどうでしょう?)

「歌う?」

 

 暫し悩んだセレナは、妙案を思いついたとばかりにヌァザに提案する。

 

(はい!皆で同じ歌を歌うってことは、想いを1つにするっていうことにもつながると思うんです。そうすれば、もしかしたら……)

「少ないフォニックゲインでも、ただ漫然と祈るよりは或いは、か。だがそんな無秩序・微小なエネルギーなどすぐに霧散しよう」

(そこは私の……って言っていいかはわかんないですけど、アガートラームの力でやってみせます!魔都に来たマリア姉さんと響さん?がやってたコンビネーション、あれは二人分の歌を束ねて力に変えてたので、ああやって上手く収束できれば……)

「……可能性は、あるな。幸いというか、他の魔都もシェルターは無事であるらしい。地下は死したる我らが一族(トゥアハー・デ・ダナン)の領域、デモノイズ共が失せていれば干渉の仕様もあるだろう」

 

 常若の国(ティル・ナ・ノーグ)は古代ケルトにおける地下領域を原典とした異界、地表というテクスチャの下に座す世界。

 デモノイズという楔が世界全体に突き立っていた先程の状況では出来なくとも今なら問題はない、そうヌァザは状況を見定めた。

 

「いいだろう、であれば方々の避難所……そうだな、地下のシェルターを確認するとしよう」

 

 実際に切羽詰まっていることもあり、善は急げとばかりにヌァザは剣の刺さる戴冠石を持ち上げ、その下に広がる裏側へと足を踏み入れた。

 

 

 

「……で、貴様らの元に到達したわけだ。魔神を見ておきたくもあったからと新宿方面を選んだが、いや全く幸運は斯くも唐突だ」

 

 と、そこまで語ったところで声の主ことヌァザは肩をすくめた。

 

「はあ……」

 

 開いても居ないシェルターの入り口から湧くように現れた少女──の姿をした神を名乗る存在に、4人は懐疑的な目線を向ける。

 年の頃こそ自分たちよりも明らかに年下であり、彼女らが親しくする後輩である切歌や調と比べても十分に幼い姿。それが神だのと名乗られても……というところは彼女たちの胸に確かにあった。

 だが同時にその目線には希望の色も確かに浮かんでおり、無意識ながらも超常的な出現を果たした少女に現状打破の可能性を見出してもいた。

 それはその少女が纏う威圧感もそうであり、神秘的な雰囲気もまた然り。だが何より────。

 

(ねえ、この子……)

(うん……シンフォギアを身に着けてる)

 

 ──シンフォギアを纏った装者である、その事実だけで彼女らは期待を抱くに十分だった。

 未来の親友たる響を始めとした装者達の活躍と起こした奇跡を知っている4人にとって、新たな装者というのはそれだけでも「信じてみよう」と、そう思えるものだった。

 

「……あの、それで私達は何をすれば?」

「おっと、話が早いな。いや、装者の知り合いだったな、であれば当然か」

 

 未来が膝を付いて泣きながら、それでも外の装者たちを助けたいと。そう言っていたことをヌァザは思い出す。

 

(……戦える力はまずあるまい。だが……)

 

 見るからに戦闘技能はなく、戦場に出れば秒も保たないだろうことは見て取れる。想いこそ尊いが、戦神たるヌァザはそれを勘案して尚も冷静に評価を下す。

 しかし、そもそも戦う力を求めて地下を行脚しようとしたわけではない。今のヌァザにとって必要なのは何よりも意思、祈りや想いに他ならない。

 

「よし、簡潔に言うとしようか。──歌だ、歌が要る。戦士たちに資する歌、守らんとする祈りの歌が要る。だから、歌ってもらう」

「……歌……ッ!」

 

 ヌァザが告げた途端、ピクリと未来が反応し目を見開く。

 何か琴線に触れたのか、不自然な反応をした未来を訝しげに見る。

 

「……否とは言わさんぞ?」

「言いませんッ!どうやって、どうすれば私の、私達の歌を響に届けられますかッ!?」

「ぬぁッ!?何だ何事だッ!?」

 

 ヌァザの肩をガッと掴みユサユサと揺さぶる未来。

 唐突に揺さぶられ目を白黒とさせるヌァザ。そのままでは喋れないだろうことに気づいた周りの3人が慌てて未来を止める。

 

「ヒナ、ストップ。そんなに揺らしちゃ言うも言わないもないって」

「あ……ご、ごめんなさい……」

「い、いやいい。思っていた以上に強い想いがある。──響、ガングニールの担い手か。並々ならぬ感情を抱いているようだが、好都合だ」

 

 やれやれ、と未来から一歩引きつつヌァザが呟く。

 ふぅ、と息を整えたヌァザは改めて説明のために口を開いた。

 

「で、だ。歌ってもらうにしてもただ漫然と歌っても意味はない。貴様らの思いを、フォニックゲインで聖剣を満たす必要がある」

「聖剣ッ!?なにそれ、そんなのあるんだ……まるでアニメみたいじゃんッ!」

 

 そこはかとなくすごそうな単語に、弓美が露骨に反応を示す。

 期待感丸出しの弓美にヌァザはあー……、と言葉を悩ませる。

 

「……気にするな、お前たちには余り関わりもあるまい」

「えーッ!?ここでそんなのってないでしょッ!?」

「すまんな、押しているのだ。で、だ。その歌を聖剣に湛えるには、フォニックゲインを繰る必要があるわけだが──」

 

「──ここからは、私が説明しますね」

 

 と、話している途中でガラリと雰囲気が変わる。

 いや、ある意味では元に戻ったと言えるだろう。言葉も立ち姿も、その少女の見目にふさわしい穏やかで優しげな雰囲気を匂わせていた。

 

「……貴女が、その……シンフォギアの?」

 

 なんとなく察した未来は恐る恐る聞いてみれば、少女は──セレナはコクリとうなずいた。

 

「はい。私はセレナ、セレナ・カデンツァヴナ・イヴっていいます。マリア姉さんがいつもお世話になっているみたいで……」

「マリア姉さん……って、貴女がマリアさんの妹さんなんだ……」

 

 マリアの妹については彼女らも僅かながら聞き及んでいる。だが、まさか目の前に現れるとは思っていなかった。

 キビキビしたかっこいい女性、なマリアとはパっと見ても似ているとはとても思えないその少女を、思わずマジマジと見つめる4人。

 セレナは集まる視線に思わず照れから顔を逸らそうとし、そんな場合じゃなかったとコホンと咳払いをした。

 

「え、えっと。私のギアのアガートラームは、絶唱でエネルギーベクトルの操作っていう特性を発揮できます。それを使って、皆さんの歌の流れを制御しようと思います」

「絶唱……って、危ないよッ!?」

 

 心配の余り思わず未来が大声を出すが、セレナは判っているというように静かに頷いた。

 

「知ってます。私は絶唱でネフィリムを抑え込もうとして、それで……。ですが、それでも抑え込めはしました。だから、大丈夫です」

「でも……ッ!」

「それに絶唱はアームドギアがあれば大事にならないってマムも言っていました。聖剣は宝具であると同時に私のアームドギアでもあります。だから、絶唱のエネルギーを全て聖剣に注げばそこまで負荷はないと思います」

 

 そう告げるセレナの目は強い決心が漲っており、ここで何を言っても止めるつもりがないということは話している未来は愚か傍で聞いていた3人にすら理解できた。

 

「……この頑固さ、マリアさんもそうだけどビッキーを思い出させるような……」

「装者って皆頑固だったりしない?もしかしてさ」

 

 ……そんなやり取りを見て、ボソボソと小さく交わし合う創世と弓美の反応も、まあ無理らしからぬことであった。

 やがて未来はたっぷりと間を取り、嘆息した。

 

「……うん、わかった。でも、無茶だけは絶対ダメだからね?」

「心配してくれてありがとうございます。でも大丈夫ですよ?前ならともかく、今の霊基(からだ)は神様みたいに丈夫ですからッ!」

 

 どや、と胸を張る少女に、いよいよ未来は小さく吹き出した。

 

 

 

「それじゃ、皆さん準備はいいですか?今から全ての魔都の地下シェルター全域……崩壊してない日本のシェルター以外だと、ヌァザさんの手が届いた範囲ですけど。それらを常若の国(ティル・ナ・ノーグ)のテクスチャに入れ替えます。あくまで距離概念を失わせることで歌を全域に届かせ、また同調させるための措置ですので皆さんに身体的影響はないと思いますが……」

「ごめん、何言ってるのかわかんない。判りやすくお願いできない?」

「……私も、ヌァザさんの知識で言ってるのでよくわかんないんです……。取り敢えず、生き残り皆で歌を合わせられるようにしました、ってことだけわかってもらえれば……」

「あ、それなら……」

 

 セレナと創世の問答を聞きながら、未来は己の胸に響への想いを満たしていく。

 

(大丈夫、大丈夫……ッ!今度は──ううん、今度も、これからも。私も響を守るんだッ!)

 

 歌に必要なのは装者への想い、世界への祈り。聖剣を聖剣たらしめる"世界の敵"に対する防衛機構を発揮させるための思いを歌に乗せる必要がある。

 そうでなくとも彼女の歌には響への想いが満ちることだろうが、それでも未来はより一層強く祈った。

 

「……ところで、歌詞は?っていうか、何の歌にすればいいの?」

 

 と、そんな中でふと弓美が首を傾げた。

 その言葉に、あ、と未来がぽかんと口を開けた。いや、言葉に出してこそいないが創世も、詩織も同じく呆然とした。

 

 どんな魔法を使って地下に皆を集めたにせよ、異変の段階で魔都は世界中にあった。つまり、地下に集まった生き残りは国籍も人種も多様極まりない、ということでもある。

 ただ祈るなら国籍人種を問わないだろう。だが、今回はただでさえ少ない人数でも力をまとめるために、敢えて全員で歌うようにとヌァザが周知している。

 いくら歌が国境を超える、言葉を超えると謳おうと。今この状況においては、既に言語の壁を超えた歌が無くては意味がなかった。

 

「……ど、どうしましょうッ!?」

(いかん、それは想定していなかった……ッ!)

 

 そしてセレナも、そして表に出ていないがヌァザもその事実に気づいて狼狽した。

 慌てて集まり、全員で案を出し合う。

 

「え、えーっとエスペラント語で歌うッ!」

「わかんないでしょ、次ッ!」

「楽譜を見て演奏するとか……」

「楽器できるやつのが少ないでしょ、ここはやっぱりジャパニメーションでッ!」

「無理があるでしょーがッ!私こないだ歌った電光刑事なんちゃらとかうたずきんとかしか知らないよッ!」

 

 やいのやいのと案を出しては互いに無理があると却下していく。ふざけているように見えるが、どんな突拍子もないアイデアにも可能性があるかもしれないと彼女達は至極真面目に検討していた。

 

「……あ、マリアさんの歌は?ほら、全米チャート一位のときのやつとか……」

「!ヒナ冴えてるッ!」

 

 そんな中、未来が出した案に創世が食いつく。

 マリアの歌、かつて全米で一位の座に輝いた彼女の歌はそれこそ全世界規模で聞かれていた。(歌う難易度はともかく)今まで出した中では一番可能性がありそうな未来の案に、それしか無いかと少女たちが頷きかけた時。

 

「あの、私、知りません……」

「────し、しまったぁッ!?」

 

 セレナがおずおずと手を挙げる。さもありなん、当時のセレナは既に鬼籍に入っていた。

 あまりにも当たり前の事実に、またも振り出しに戻ったかと皆が頭を抱え……ふと、未来が再び口を開いた。

 

「……ねえ、セレナちゃん。───────♪って歌知ってる?フロンティア事変のときにマリアさんが歌ってた歌なんだけど」

「え────」

 

 未来が何気なく、それこそ案の1つ程度に出した歌。比較的に歌いやすいリズムで歌詞も短い、シンプルな歌。

 それを聞いて、セレナの大きな眼からぽろぽろと涙が溢れ始めた。

 

「せ、セレナちゃんッ!?ご、ごめんね、私なにか……」

「ううん、違う、違うんです……ッ!そっか、マリア姉さん、まだ覚えてくれてたんだ……!」

 

 慌てだす未来に大丈夫だと首を振り、その涙を人差し指でそっと拭う。

 そして再び上げた顔には隠しきれない喜びが浮かんでおり、何も心配ないとばかりにニッコリと笑ってみせた。

 

「……この歌で大丈夫なら、絶対、どうにか出来ます。──お願いします、皆で歌いましょうッ!世界を──守りたいものを、守るためにッ!」

 

 その胸に、姉との大切な想い出を抱きながら。セレナはこの場にとどまらず、この地下世界全てに聞こえるように高らかに声を上げた。

 

 

「────♪」

 

 常若の国(ティル・ナ・ノーグ)に、多くの声が、想いが一つになった歌が響き渡る。

 

 ある者は、脅威によって引き裂かれた世界を取り戻したいと願い。

 ある者は、これ以上大切なものを奪われたくないと祈り。

 ──ある者は、戦場に立つ友を守りたいのだと想い。

 

 それぞれがそれぞれの感情を胸に、しかしそのために一つの結晶を求め、歌う。

 

 それは、歌姫と呼ばれた1人の少女がかつて歌った歌だと今いる人々には記憶されていた歌。

 単純で、判りやすく。独特な歌詞は民話か童謡のよう。

 ある事件を境に世界に知られたその歌は、誰もが馴染みやすい、口ずさみやすいもの。

 

 それを人々と共に歌う地下世界の主、ヌァザの依代たる少女はこの歌を皆が知っているということが何よりも嬉しかった。

 

(マリア姉さん。聞こえていないだろうけど、私は頑張るから。だから、マリア姉さんも負けないでね)

 

 幼き日々、困ったことや苦しいことがあっても。姉とともに、ずっと覚えていたこの歌を歌っていた。

 戦火にさらされ、流浪してきた彼女たちの民族に──家族に伝わる、何の変哲もないわらべ唄。

 そんな歌が今、人々に広く知れ渡り──そして今、世界を守るための旗印となっている。

 それがいいことなのか、悪いことなのかまではセレナには今すぐの判断はとてもできない。だが、それでもこの歌が皆の心に確かに残っていること。それは、彼女にとってとても嬉しいことだった。

 

(──しかし、成程。この歌がこの世界に響くというのも、なかなかどうして運命を感じるというものだ)

 

 そんなセレナの脳裏で、ヌァザが独り言のようにそう思いを発する。

 どういうことだろうか、そうセレナが問うような意志を投げかけてみれば、ヌァザが軽く笑うような雰囲気で告げてくる。

 

(決まっているだろう、ここは常若の国(ティル・ナ・ノーグ)だぞ?──"Apple(りんご)"こそ、この世界に唯一の果実ということだ)

 

 おかしそうに、ヌァザが告げる。

 

 その世界の入口に立つ、美しい黄金の剣には。人々の思いを、願いを、祈りを──歌を受けて、その輝きを増し始めていた。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(10)

 顕現した魔神アムドゥシアスとの戦いは、熾烈を極めていた。

 

「はぁ────ッ!」

詩に、絶えよ(libera me)

 

 

───蒼ノ一閃・滅破───

 

─── 詩  眼 ───

 

 

 鋭い気合の声と共に、翼は蒼雷の一撃を放つ。

 天に聳え立つ魔神の肉体を両断せんとばかりに放たれた巨大な蒼の刃は、しかし魔神に直撃する前に眼光から放たれた炎によって消し飛ばされる。

 挙げ句、その炎は翼の一閃を呑み込んでも衰えぬままに、翼の肉体をも焼き滅ぼさんと迫り来ていた。

 

「──く、ぅ……ッ!よもや、これほどとは……ッ」

 

 間一髪で青い羽を翻しその炎を躱した翼は、この現状に歯噛みした。

 己の放つ攻撃が羽虫か何かのように目線だけで払われ、剰え返す刀の炎は装者・英霊問わず致命の一撃。あまりにも不利な現状を思えば、翼の反応も已む無しだった。

 姿勢を立て直さんとした翼のもとに次の追撃のための魔術が放たれたが、それは空から降り注いだレーザーとミサイルの飽和攻撃によって相殺された。

 

「──大丈夫かよ、先輩ッ!」

「雪音……ああ、問題はないッ!」

 

 翼に声を掛けたのは、更に高空へと陣取ったクリス。アームドギアから膨大なまでの弾幕を張り、味方への攻撃があまり連続しないように魔神の手数を奪っていた。

 レーザー・ミサイル・実体弾……ありとあらゆる飛び道具の斉射は魔神も無視できるものではなく、特に厄介な順から眼光で迎撃していた。

 とは言えエクスドライブの弾幕は並大抵のものではなく、まるで1人で1個師団もかくやと言わんばかりの濃密な弾幕は到底迎撃しきれなかった。結果として、魔神も大技・小技問わずに被弾はしていた。

 ──だが。

 

「……くそ、傷ついた端から再生しやがるッ!赤い竜だってここまで再生速度早くなかっただろッ!?」

 

 クリスが目の前の魔神に向かって文句をぶちまける。

 デモノイズを束ね上げたという魔神。その性質は正しくデモノイズを承継していた。それは魔詠であり、形状であり──そして何より、理不尽なまでの再生能力があった。

 

『さっきまでのデモノイズの法外な再生力は、魔神の式が無事であるならその肉であるデモノイズも無事である、という概念を元にしたことで得た力のはず。だったら、今はどうやって……?』

 

 通常のノイズを上回る再生は、正しく傷を補完するとすら言えるものであり──その理不尽さに、ダ・ヴィンチが思わず言葉を漏らす。

 そして、そんなダ・ヴィンチの疑問に答えたのはキャロルだった。

 

「……この世界全体にどれほどのデモノイズが蔓延っていたかは知らんが、それを順次傷埋めに使っているのだろうよ。エルフナインの肉体を捨てたことで魔詠を全霊で活用出来る以上、性能が爆上がったソロモンの杖、そして魔神の式としての処理能力によっては傷が出来た端から即時修復できてもおかしくはない」

『数の暴力ってことかぁ……。被弾したデモノイズも自前の修復機能があるわけだし、消滅しなければ自力再生するまでどっかの亜空間にでも退避させてしまえば、また弾除けになる……生半可な技を当てても実質ノーダメージってわけだ』

 

 その声からは隠しきれない苦渋がにじむ。

 二人の会話を聞いていた響は、ええと、と首を傾げる。

 

「つまり、勝つには再生力を上回る攻撃をぶつければッ!!」

「出来ないわよ、手持ち火力じゃ。いいえ、あの修復速度に加えてあの火力であることを考えると、反応兵器だって怪しいものだわ」

「……ですよねー」

 

 響のこれだッ!と言わんばかりの提案をマリアが切って捨てる。

 言った響もわかっていたのだろう、僅かに肩を落とす。

 

「でも、それならどうすれば……?」

「デース……イガリマの絶唱でワンキル狙いとかデスか?」

 

 火力が足りない、修復されるという現状に切歌が提案するが、それにもダ・ヴィンチは難色を示す。

 

『ううん、魔神は存在を自己のみで確立してる特殊な霊基を持っているからね。直接的なダメージによる損傷ならともかく、概念干渉や因果遡行による即死は意味がない。イガリマの絶唱の特性は聞いたけど、それで即死を狙えるとは思えないね』

「デース……アタシの絶唱の強みの全てが失われたのデス……」

 

 彼女が殆ど使ったことも無いイガリマの絶唱特性。対象の魂に直接干渉し、物理防御を無視した問答無用のダメージを与えるというもの。

 が、どうやら魔神には効果がないということでこれまたバッサリと切り捨てられ唸る。

 

「厄介ってレベルじゃないよ……再生能力が普通の魔神柱と違いすぎるし……」

「ええ、音楽魔としての特性がこの世界と合致している事によるエネルギーの無尽性は理解していましたが……」

『フォニックゲインが万能すぎるぜ全く。いや、聖遺物の稼働はともかくそれ以外の転用には魔神の魔術が大いに関わっているだろうけどさ』

 

 カルデア陣営も、流石に目前の魔神の脅威には感嘆する他にはなかった。

 何せ純粋な出力が単純な魔神柱を遥かに凌駕するのだ。本来ですらサーヴァント数騎で対抗すべきような存在たる魔神柱だと言うのに、いま目前に立つそれはそんなレベルの存在ではなかった。

 

 そうこう言っている間にも、魔神の炎が放たれる。先程までは戦闘圏外ギリギリで支援していた立香だが、今となってはこの戦場のどこにも安全圏など無く、ブリュンヒルデやベディヴィエールに守ってもらいながら立つしか無いという状況であった。

 弱点であり足手まといとしか呼べない彼女だが、それでも彼女が戦場にいなければサーヴァントたちが戦線に立てないというのもまた事実。アマデウスのように直接戦闘に関わらなければまだしも、立香がここを離れればブリュンヒルデ・ベディヴィエール両名が戦線を離脱することにもつながる。そう考えれば、例え死の危険があろうともここを離れるという選択は立香には無かった。

 

「……となれば、ええ。なにか策が見出だせるまで、堪え、伏し、耐えてみせましょう」

「ブリュンヒルデ……?その槍……」

 

 ブリュンヒルデが静かに決意を燃やし、己の槍を肥大化させる。

 彼女の宝具「死がふたりを分断つまで(ブリュンヒルデ・ロマンシア)」の効果が発揮されている証左たるそれを見て、翼が驚きの表情を見せた。

 翼がブリュンヒルデと共闘した時にも発現したその槍は、彼女の独自の基準──"愛するもの"を殺すためにこそ肥大化する武装。それ故、今まで魔神に対してはさしたる効力を見せていなかったのだが。

 

「……ええ、そうですよ翼。魔神は愛を歌い、愛の為に戦うと。少なくとも、今の私にはそれが真実であると感じ取れる。──ええ、なんて素晴らしい想いでしょう、佳い心地です──愛の為に戦うなんて、なんて──愛しい──殺し、たい」

「あ、ああ……いや、まあ、そうだな。……慣れないな、何度見ても……」

 

 半ばトランス状態とも呼べそうな程に恍惚の表情を浮かべ、槍をグルンと大振りする。その槍がかすめた瓦礫が一瞬で塵に還る様に、翼は顔を引き攣らせる。

 その様子を見たことが無い他の装者たちは、一気に様変わりしたブリュンヒルデの様子に空中でありながら一歩分距離を開ける。巻き込まれないためでもあるのだろうが、事前に話を聞いていたことを差し引いても流石にここまでのヤバそうな気質を抱えているとは思わなかったというところが大いにあった。

 何が恐ろしいと言えば、それが完全に矛盾なく彼女の心中に同居していることだろうか。彼女の口から溢れる言葉に乗る想いはどちらも等しくあり、聞いているだけでもそれが理解できてしまうというその事実こそが何より装者たちを慄かせていた。

 

「……まあ、ブリュンヒルデの逸話を考えればどこか苛烈な面があるのは当然だろう。だが、それでも足止めには足りんだろう……オレも手伝うとしよう」

「キャロル……」

 

 そんな中で、人生経験豊富で同じく狂気に堕ちていた経歴持ちなキャロルがそう申し出た。

 その顔には魔神に対する怒りか、あるいは恨みか。様々な感情が混じり合った負の念が露骨に現れている。

 

「何が愛だ戯言をッ!オレの憎悪を捻じ曲げておいて自分の恋慕を成し遂げようなどと……そんなこと、オレの目の前でさせるものかよッ!」

(ええ──……)

 

 キャロルの叫びに言葉を失う立香。

 確かにキャロルからすれば魔神が理不尽なのかもしれないだろうが、やってることはどっちもどっちではないだろうかと立香は内心で考えていた……流石に口にはしなかったが。

 そしてそれより立香は別に気になることがあり、おずおずと口を開いた。

 

「……それより、キャロル。足止めできる公算はあるの?」

「ああ。マスターには負担を強いるが、かなり強力な宝具がオレには与えられているからな」

 

 そう話すキャロルの手元には、彼女の矮躯に不釣り合いな竪琴。ケルトの神ダグザの楽器たる聖遺物ダウルダヴラを元に創り上げた錬金術の秘奥、ファウストローブがそこにはあった。

 彼女が旋律をかき鳴らすと共に、その形態は変化し、キャロルの身体を覆い、縛り、その姿を変質せていく。

 豊穣の神の性質を反映してか、あるいは他に理由があるのかは定かではないが、使用者たるキャロルもまたその姿を変えていく──少女たるその姿から、豊満な大人の姿へと。

 

 やがて変化が終わり、紫色に4属性の色をあわせたファウストローブを纏う頃には美しい大人としての美を備えた姿のキャロルがあった。

 

「なんだと……すげえ……」

『先輩度肝を抜かれている場合ではありません!』

 

 色々と豊かな成長を遂げたキャロルに思わず本音を盛大に溢す立香にマシュが慌てて声を掛ける。

 ハッと正気を取り戻した立香はコホン、と一つ咳払いをして切り替える。

 

「──よし、それじゃ二人共お願い!私はベディヴィエールに守ってもらうから気兼ねなくやっちゃって!」

 

「ええ、承りました」

「ああ、目にもの見せてやるともッ!」

 

 立香の指示を得て、2人はそれぞれに魔神柱へと攻撃を仕掛ける。

 

「む、彼女らは向かったか。であれば──いつまで呆けているッ!遅れるな、征くぞッ!」

「……はっ、はいッ!」

 

 その様子を見て、連携を仕掛けんと翼の号令が掛かり、装者たちも呆然としている場合ではないとそれぞれに空を駆けた。

 

「……とはいったものの、結局足止めに終止するのよね」

「そう、だな──ダビデ王も言っていたがあと一手が足りん。とは言え足止めもしなくてはならんことを考えれば、今はバックアップの皆が手を見つけてくれることに期待するしかあるまい」

「ええ……歯がゆいけど、それしか無いわね」

 

 翼と並走(飛んでいるが)していたマリアは、そういってため息を吐く。

 

(……後一手。それが何か、なんて判りきっている。でも、それを用意できるかどうかは彼女……彼?次第よね……今どうなってるのか判らないけど……)

 

 マリアの脳裏には、魔都で出会った妹の姿を借りた守護天の姿が浮かぶ。

 

(……頼むわよ、ヌァザ神……ッ!)

 

 神と名乗るその存在が示唆した「魔神を殺す刃」──魔神に気づかれないようにと、誰も口に出していないソレが出てくることを期待し、マリアは仲間たちと共に消耗戦に身を投じた。

 

 

 

 

「……さて、新宿では最後の大一番が始まったようだな。良いタイミングと言えるだろう」

 

 その頃、マリアの祈りを受けていた当のヌァザは、己の領域たる地下──常若の国(ティル・ナ・ノーグ)に響き渡る歌の全てを収束し、そのエネルギーを聖剣に蓄積していた。

 今やその刀身は黄金に輝き、あまりにも尊いその光はソレだけで見たものが頭を垂れそうになるほどの神々しさに満ちていた。

 

「あとはそれが響のもとに届けば……ッ!」

「ああ。──とは言え、まだ問題がある」

 

 逸る未来に、ヌァザは難しい表情でそう口を開く。

 

「問題、ですか?」

「──どうやって届けるか、だ。大本が(セレナ)のギアである以上、私が絶唱しなくては起動し得ない。一度励起してしまえば問題はなかろうが……今回のエネルギー収束の過程で一度絶唱している以上、二度目の絶唱による励起は余り長時間保つものではないだろうな」

 

 ここまで負荷がかかるとは思っても見なかった、などといけしゃあしゃあと嘯くヌァザに胡乱げな目線を向ける未来達。

 

「現地とか付近で絶唱するとかして、そこまで走って持っていけば良いんじゃないの?」

 

 弓美が至極真っ当な提案をしてみるが、ヌァザは首を振った。

 

「それも考えたが……この地下世界、あくまで入り口を我が宝具たる戴冠石の下から、として構築してしまったのがな。私が外に出られる場所は風鳴邸だろう。そこからでは間に合うまい……お前達ならともかくな」

「え……って、まさか私達にッ!?」

 

 ヌァザが何を言いたいのかを察し、創世が驚愕する。

 

「いや無理でしょ、どう考えても遠すぎるよッ!」

 

 即座に弓美がヌァザに反論する。

 このシェルターと新宿は流石に遠すぎる。一応どちらも都内だが、そんな大雑把で括れるほど少女の足は早くないし長くは保たないのだ。

 

「そこは私が強化の魔術を用いればいいだろう。走り慣れている者でなければ流石に危険が伴うだろうが、そこの……未来と言ったか、その足についた大腿筋を見ればそこそこに走り込んでいただろうことは見て取れる。問題はないだろう」

「私……?」

 

 指名を受けた未来が思わず目をパチクリと瞬いた。

 

(って、流石に危なすぎますよッ!っていうか、すぐそこに出口作ってもらって私達が持っていけば……)

「魔都から長時間離れていると守護天としての機能が弱体化するから、到着時点で絶唱が使えるかも怪しくなるのがな……。ええい、黙れッ!私もここの出口から出れないことが計算外だったんだッ!」

 

 どうやらセレナと口論中らしい、傍から見ると唐突に1人で騒いでいるようにしか見えないヌァザを置いておいて。指名を受けた未来は考え込む。

 ややあって、未だ1人で言い争っているヌァザ(セレナ)に、未来は決然とした表情を向ける。

 

「──私、行きますッ!」

「小日向さんッ!?」

「ヒナッ!?」

 

 未来の決意の宣言に、友人である三人娘は揃って驚愕の表情で未来を見た。

 

「いやいや、危ないでしょッ!?さっきの説得内容覚えてる?絶対狙われるってッ!?」

「でも、それが今一番響の助けになるんでしょ?──響を守れるなら私は行くよッ!」

「小日向さんが巻き込まれたら立花さんが……」

「私が巻き込まれたら、私が怪我や死んじゃうことで響が悲しむなら──絶対に怪我しないし死なないッ!だから──」

 

 

「よく言ったッ!その言や良しッ!」

 

 

 セレナとの口論に勝ったのか、あるいは未来の決意の言葉にセレナが折れたのかは不明だが。友人達に引き止められても断固たる意思を見せた未来にヌァザが感じ入ったようにウンウンと頷いている。

 

「何、安心しろ。何も本当に近くまでいけとは言わんさ。──いいか、およそ魔神の攻撃範囲まで近づいたら聖剣を介して合図を出す。そうしたらそこで止まって……」

「……はい。……はい、はい……」

 

 ヌァザの指示を聞き、それなら自分でも出来ると未来が力強くうなずく。

 

(……内容的には、まだヒナでも出来る、かな)

(危ないけどね……ああもう、響もそうだけどどうしてこうアニメっぽい──憧れちゃうじゃん……ッ!)

 

 恐らく出来ないことであっても頷いただろう未来の様子に、傍で聞いてた3人もどうやらまだ危険性は少なそうで僅かに安堵の息を漏らす。約1名は別な理由で難しい表情を見せていたが。

 

 ヌァザが一通りやるべきことを語ったところで、外から地鳴りのような重低音が響く。

 どうやら戦闘規模が相応に拡大しているらしく、否応にも聞いているものの不安を掻き立ててくる。

 

「……さて、と。猶予はなさそうだな。では──頼んだぞ」

 

 最早言葉を重ねる必要はない、ヌァザはそう言わんばかりに短い言葉に強い言霊を籠める。

 

「もうここまできたら止めないけどさ……いい?絶対に無事に戻ってきてッ!」

「そうそう、ビッキーだってヒナが自分のために怪我したら絶対後悔するからさ、ね?」

「小日向さん、立花さんを……皆さんを助けてあげてくださいね──無茶しない程度に」

 

 再三再四に渡って未来の身を案じてくる友人たちの言葉に、未来は神妙に頷く。

 親友たる響をダシにしているのは、そうすることが一番未来がその身を案じるだろうことを彼女たちが知っているから。そして同時に、未来が目的を見失わないようにと何度も念を押しているのだ。

 響も未来も、彼女たちにとっては大切な友人である。だからこそ、これ以上未来を引き止めはしない。そしてだからこそ、どうかせめて無事でいてほしいのだと、そう強く伝えるのだ。

 

「──それじゃ、行きますッ!」

 

 友人たちの激励を、そして神の頼みを一身に背負い。未来は常若の国(ティル・ナ・ノーグ)を抜けてシェルターの扉を開き、現世たる外へと足を踏み出した。

 

(……空気が、熱い。空が壊れてる。外がこんな風になってたなんて……ッ!)

 

 その世界は、未来が避難する前に見た世界と比べても尚、大きく様変わりしていた。

 遠く輝く魔神の炎の、その僅かな余熱が大気を燃やし、辺りは火災の痕を色濃く示す。常人がこんな中を走ったなら数分と立たずに疲労困憊するだろう。

 だが、水の神としての側面を持つヌァザによるドルイド魔術はそんな熱気からも、灰の舞う大気からも未来の身を守り通していた。

 

(それに、あの柱……あれが、ヌァザさんの言ってた魔神、なのかな……?)

 

 そんな未来の目に、東京スカイタワーすら凌駕するほどの高層まで伸びる柱が映る。

 それこそ、ヌァザを召喚したというこの事変の黒幕──魔神アムドゥシアスが変じた魔神柱。あまりにも強大な存在を見て、思わず未来の足は震えてしまう。

 

「……ううん、こんなのに怯んでやるもんかッ!行かないと、待ってて──響ッ!」

 

 震える膝をパシンとはたく。

 その心に親友を思い、その懐に聖剣を抱え。未来は炎揺らめく瓦礫と廃墟の世界を駆け出した。

 

 

 

『……いつまでも粘るものだな。大層に謳う宝具とやらもその程度か?』

「ぬ、かせ……ッ!貴様こそ、未だオレを滅ぼせぬ程度で……ッ!」

 

 魔神の呆れたような声に、キャロルは悪態を吐いて睨め上げる。

 だがその消耗度合いは尋常ではなく、かろうじて炎こそ直撃を回避しているものの、余波だけでも十分に彼女たちを損耗させていた。

 

「キャロル……」

 

 戦場後方、炎の影響が比較的少ないだろう立香ですら立つことに耐えるだけでもかなり体力を使わされている。それでも彼女は目線を逸らすこと無く、己のサーヴァントとなった少女を見つめる。

 

「くそ、幾ら何でもジリ貧過ぎるッ!魔神と戦ってこっち、ずっとこんなんじゃねーかッ!」

『ボクの体を使っていたときと違って、今の魔神は膨大なフォニックゲインに制約がありません。一旦は消耗を抑える戦いを……ッ!』

「ふ……これでも気を使っていたのだが、なッ!」

 

 再び雑に放たれた熱波をその剣で切り払いながら、翼は息も絶え絶えながらも笑みを浮かべる。

 この状況が可笑しくて笑っているわけではない。ただ形だけでも余裕さを保つことで精神的平静さを維持しようとしているだけに過ぎないその笑みは、しかし確かに翼の、そして戦場の正気を保つ一助となっていた。

 そんな翼に魔神はやや神経質そうに眼を細める(細めた眼もある、程度のものだが)が、しかし気にするでもないとすぐに元の様子に戻る。

 

『……ふ、だがここまで弱れば最早どうにもなるまい。我が最大出力を以て、この戦場を焼き払うことで終曲としよう』

「今までは敢えて弱らせるに留めてたってこと?ずいぶんと余裕ね……」

 

 魔神の尊大そうな態度に、マリアは腹立たしげにぼやく。

 

(とは言え、確かにここまで来たら回避なんてできそうにない。全員がここまで弱るまで、只々偏執的に炎だけ使ってくるなんて……。何が粘るものだ、だッ!ここまで周到に狙っていただろうにッ!)

 

 奥歯を噛み締め、内心で忌々しげに唸るマリア。だが、事実として彼女の仲間は誰もが弱っていた。それこそ大規模な焼却式を使われたら誰もが回避できないだろう程までに、魔神は延々と凝視による炎だけで彼女らを痛めつけていたのだ。

 謂わば詰み、と言えるだろう。もはや盤外手がなければどうにもならない。

 

「──だとしてもッ!私は、私達は──最後まで諦めたりなんか、しないッ!」

 

 それでも最後まで、万と一つ目、億兆に一つ目の策を見出すために。響は──否、装者達は、サーヴァント達は身を起こし構える。

 

『……無駄な足掻きだ、実に心地良い。──楽堂、開放。斉唱の時来たれり、過去の、未来の、全ての歌をここに奏でよう──』

 

 魔神の朗々たる言霊が紡がれ、比例して辺りに膨大な魔力が、フォニックゲインが渦巻き始める。

 それはまさに、戦いを終わらせる歌。響たちとは対局に座す、全てを砕き捧ぐことで終わらせる滅びの旋律。

 過去最高に高められたフォニックゲインの響に、これで終わりなのかという思いが誰にともなく去来する。

 

 

「響ぃ──────ッ!」

 

「────未来ッ!?」

 

 

 だが、そんな僅かな絶望に待ったを掛ける裂帛の叫びが彼女たちの耳に届いた。

 響が本能的にそちらに顔を向ければ、こんな戦場には全く見合わない学校の制服を身に着けた少女──響の親友、小日向未来が肩で息をしながら立っていた。

 

 そして、その胸にある輝きに刹那、目を奪われた。

 否、それに目を奪われたのは響だけではない。

 翼も、クリスも、マリアも、切歌も、調も。

 立香も、ブリュンヒルデも、キャロルも。

 通信先にいる各組織のバックアップメンバー達も。

 

 ──他ならぬ魔神すらも虜にするほどに、その剣は尊い輝きを湛えていた。

 

「……あれは、星の──王の。……ヌァザ神、感謝します……!」

 

 ベディヴィエールは感極まったかのように、思考がそのまま口から溢れてしまうというように只々言葉を漏らす。

 響もマリアもその言葉に──いや、その言葉がなくとも察していただろう。

 あれこそが魔神を殺す剣──聖剣なのだと。

 

『──そうか、成程。最後にとんだ札が出たものだ。であれば──歌よ』

 

 その剣を認識した瞬間、魔神は己の歌の全てを剣へと差し向ける。

 巨大な柱の全ての瞳がギョロリと未来を睨む。悍ましき人外の眼差しにさらされ未来はビクリと肩を震わせるが、すぐにキッと睨み返した。

 

「──負けないッ!貴方の、そんな歌なんかにッ!だから──お願いッ!皆も──ッ!」

 

 未来は間髪入れずに剣を地面に突き立て、同時に全員に呼びかける。

 何の指示も入っていないその言葉に、しかし誰もが突き動かされるように未来の元へと集った。

 

『──消えろ』

 

 

───焼却式 アムドゥシアス───

 

 

 魔神の焼却式が放たれる。エルフナインの肉体に入っていたときのような、あるいは指揮者デモノイズが扱うようなソレとは桁が違う炎が、辺り一帯ごと敵対する者を慈悲無く焼き尽くさんと迫る。

 最早何をするにも間に合わない、そんなタイミングだからこそ。サーヴァント・アヴェンジャー、キャロル・マールス・ディーンハイムは先んじて炎の矢面に立った。

 

「キャロルッ!?」

「やらせるものかッ!時間を稼ぐ、精々やってみせろッ!いくぞ、宝具開放────

  ────『奇跡の殺戮者(グロリアス・エクスターミネイト)』ッ!」

 

 キャロルの高らかな真名開放とともに、彼女の纏うファウストローブから鋼線が爆発的に広がり、一つの姿を編み上げる。

 それは、言葉にするなら翠の獅子機。錬金術の寓意にて混沌段階の物質を示すソレは、本来ならば太陽の如き火球をその口より放つことで世界の終焉という哲学を示す兵器。

 だが同時に、錬金思想における真逆の使い方を彼女は心得ていた。

 

「炎を──太陽を、呑み込んでくれるッ!」

『貴様、キャロル──ッ!』

 

 魔神の焼却式は、本来ならサーヴァントの単なる防御宝具程度では到底耐えられるはずのない熱量である。故に、それに耐えるとしたら単純な防御ではなく──概念による防御にほかならない。

 翠の獅子の口元にある炎、という錬金術の寓意には2つの解釈がある。1つは、原初の物質から太陽を吐き出すということによる万物の完成、すなわち終焉。

 

 そしてもう1つは────太陽を呑み込むことで、完全なる物質……即ち、錬金術の到達点たる賢者の石を創り上げるということにほかならない。

 

 翠の獅子機が炎を取り込み溶け合い、赤い砂へと変貌していく。

 それは完全なる物質たる賢者の石、血よりも紅きラピスの輝き。あらゆる不浄を払い、奇跡を生み出すそれを、キャロルは精緻な術式と哲学の果てにこの土壇場で創り上げた。

 

「──キャロル・マールス・ディーンハイムの錬金術は全てを滅ぼすッ!たとえ、それが貴様の焼却式であっても──オレは、奇跡を殺す者だッ!」

 

 それこそが、錬金術師たる彼女が生前に成した偉業。本来なら奇跡によって起こす事象を、己の研鑽の末に普遍へと堕す──かつて、適合者ではない己が歌を創り上げたように。

 奇跡を殺す──相手の奇跡を己の手の内に掴む業。それこそが、サーヴァントとして顕現したキャロル・マールス・ディーンハイムに与えられし宝具だった。

 あまりにも有用な切り札に、それを今まで使わなかったキャロルの様に魔神は瞠目する。

 

『この盤面まで、隠していただと──ッ!?』

「隠していたともッ!そしてオレばかりにかまっている場合かッ!?」

 

 宝具の発動には膨大な魔力が必要なのは他の宝具と同じであり、更に言えばタネがバレれば魔神も警戒すると考えていた。

 だからこそ、本当に必要な──自分たちを殺しうる一撃を一回だけでも防ぐために。キャロルはソレだけを考え、今の今まで使わなかったのだ。

 

 そして、それは正しく最高のタイミングだっただろう。

 精根尽き果てたキャロルが赤い砂の中に崩れ落ちるその向こうには、聖剣を構える少女たちが立っていた。

 

 

 翠の獅子機が炎を喰らうその背後で、突き立った聖剣のもとに1人の少女が姿を見せる。

 

「……ふぅ、何とか策は成功したようだな」

「すいません、状況がこうなのであんまり成功とは……」

「結果的に問題ないならいいだろう?全く大儀だったとも」

 

 突き刺さった剣の隙間からぬるりと物理法則を無視して出現した少女の姿をした神ヌァザは、疲労困憊している未来を労った。

 

「セレナ……いえ、ヌァザね。彼女は……」

「ああ、私が頼んでこちらに来てもらった。そうしなくては私がここに現れられないからな。魔神の炎はまあ、一度くらいならお前たちが受けきってくれるだろうと思っていたが──」

 

 嬉しい誤算だ、というように笑みを深めてキャロルを見る。当のキャロルはそれどころではないが。

 

「これなら、十全に聖剣を開放できる。──とは言え、担うのは私ではないが」

「?それって──わッ!?」

 

 どういうこと?と響が首を傾げる前にその手をヌァザがガッと掴み、地に刺さった聖剣まで一気に引き寄せた。

 突然の行動に目を白黒させている響を置いておいて、今度は同じく驚いていた立香の腕を掴んで引っ張り込む。

 

「──お前達だ、立花響、藤丸立香。歌を介して、人理を通して、多くの絆を、人の祈りを束ねてきたお前たちがこの聖剣を──想いの結晶たる星の聖剣を振るうのだ」

「え──?」

 

 まさかのこの土壇場での指名に、響と立香は更に驚愕し──しかし、ヌァザの目が本気であると判り即座に覚悟と決意を決める。

 

「判りましたッ!」

「やってみる!」

 

「良い返事だ、では────行きますッ!」 

 

 二人の威勢のいい返事に満足したヌァザは──セレナは、2人の意思に応じるように口を開いて歌い出す。

 そんなセレナの歌に合わせ、誰がタイミングを図るでもなくほかの装者たちも歌い始めた。

 

『──Gatrandis──babel──ziggurat──edenal──』

 

 命を燃やす歌。己のすべてを込める絶唱。セレナは聖剣を開放するため、膨大な魔力を、フォニックゲインを歌を介して聖剣に注ぐ。

 既にエクスドライブ状態にある装者たちも、その負担を軽減するため、そして何より人の思いを束ね、繋ぎ、一つの奇跡へと昇華するために歌っていく。

 そうやって歌う中には、本来効果があるわけでもないだろう立香の姿もある。思いを一つに、願いを一つに。言葉を、歌を重ねることで意思を合わせ、撚り合わせるのはこれで二度目。慌てず、自然に、彼女の歌もまた装者達のそれに溶け込んでいく。

 

『──Emustolronzen──fine──el──zizzl──』

 

 そして、歌が終わり、獅子が赤い砂へと還っていく。

 

(キャロルちゃん、ありがとう──)

 

 崩れ伏したキャロルに感謝を抱き。決然とした面持ちを魔神へと向ける。

 

『おのれ、おのれッ!こんな、このような馬鹿なことに引き下がって、なるものか────ッ!』

 

 見るからに余裕を失い、半狂乱のままに魔神は再び焼却式を編み上げる。退けないのだと、ここで下がるわけにはいかないのだと、魔神は血反吐を吐くように歌い続ける。

 

 

「──貴方にも、きっと退けない想いがある」

 

 マリアが、余裕をかなぐり捨ててでもなおも戦わんとする魔神にポツリと呟く。

 

「何をしても叶えたい願いが、そこには確かにあるだろう」

 

 翼が、魔神の心情を思い重く言葉を吐く。

 

「だけど、アタシらだって退くわけにはいかねえ」

 

 クリスが、自分たちの不退転を説く。

 

「この世界を──」

「大切な人を──」

 

 調が、切歌が、自分たちの背後にある全てを歌う。

 

「──私達の大事なものを──」

「──守るためにッ!」

 

 だからこそ、立ち向かうのだと。どれ程の困難があっても折れたりしないのだと。立香は、響は高らかに歌い上げる。

 

 

『黙れ、黙れ黙れッ!消えろ、消え失せろッ!』

 

 

───焼却式 アムドゥシアス───

 

 

 魔神の炎が迫る。先程も放たれた、膨大なフォニックゲインの焼却の炎。

 その滅亡の業火を防いだキャロルは既に倒れ、同じ手で防ぐことは叶わない。

 

 だが、その炎も最早彼女たちが恐れるものではなく。

 

 星の聖剣は輝きを増す。人の祈りを、常若の国(ティル・ナ・ノーグ)──星の内海で鍛造した輝きは焼却の炎を凌駕する光を放つ。

 

「私達の歌を、皆の願いを一つにッ!!!!────エクス、カリバァァァアアアアッ!」

 

____________

E x c a l i b u r

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 星の聖剣──世界の外からの侵略者に対する最終兵器。

 太古より星に紡がれ、アーサー王伝説に語られる最も尊き幻想は、時代を、世界を超え、今この領域に結実する。

 

 魔神の炎が、蝋燭の火のように吹き消される。

 

 その奇跡の輝きは一切の衰えを見せず、この世界に現れた外敵──異なる世界の侵略者たる魔神を一刀のもとに両断せしめた。

 



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(11)

「オオ……オオオオ…………!」

 

 強大な力を誇った魔神が、慟哭のような呻きを上げてボロボロと崩れ落ちていく。

 それは、まるで枯れ木のごとく。この世界という歪な枝を支えた魔神の枯死は、この事変の終焉をひしひしと感じさせるものだった。

 

「……アムドゥシアス、さん……」

「響……」

 

 結局、話し合えなかったのかと、響は聖剣の柄をギュッと握りしめて悔いるような声を漏らす。

 立香はその様子に声を掛けるか僅かに逡巡する。

 

(魔神に対しても、か……。凄いな、私にはちょっと出来そうにないなあ……)

 

 立香にとって、魔神は純然たる加害者だ。事情は知っているし、凶行に及ぶまでの魔神の思いもある程度は理解しているつもりだ。

 だが、そのために己の世界を滅ぼされ、たった1人の最後のマスターとしてただ生きるために戦った彼女からすれば。魔神に対して同情が生まれることはあっても討ち果たすことに後悔を覚えるようなことは無いし、まして会話で和解しようなんて今までこれっぽっちも考えたことはなかった。

 そんな立香にとって、魔神が相手だろうとも力による制圧ではなく対話で心を通わせようとする響の姿には眩しいものを感じていた。

 そしてだからこそ、そんな落ち込んでいる彼女を慰めるための言葉を口に出しても嘘になりそうで、立香にはとても口に出せなかった。

 

「オ、お、おの、れ……ッ!まだだ、まだだあアアァァア……ッ!」

 

 そんな時である。崩れ落ちた魔神柱の中から、1つの影がゆらりと姿を見せたのは。

 

「──魔神!?まだ生きてたの!?……って、その姿……」

 

 嘘でしょ、と驚愕し立香は一歩後ずさる。が、それも影の全容が露わになったことで足を止めた。

 

 砂埃の中から現れた魔神は、お世辞にも万全のソレとは呼べるものではなかった。

 まるで魔神柱を人形に押し込めたような上半身は焼けただれ、全身の亀裂から見える瞳は一つ残らずくすんでいる。

 下半身は同じ形質で馬の形状を取っているが、後肢の一本が半ばから崩れ脱落している。

 エルフナインの肉体に潜んでいたときからあった一角獣を思わせる額から屹立する一本の角は、中途からポッキリとへし折れていた。

 

「アムドゥシアスは一角獣の姿をした魔神、とは言うが……それが貴様の本質か?」

「……そんなわけが、無いだろう。魔神柱から、魔神への、霊基の変換が完了していないままなだけ、だ」

 

 届く念話は絶え絶えであり、その意識の朦朧さを示しているよう。

 異形の人馬と呼べるその姿も、魔神柱と本来の伝承が混じり合った姿であるという当人の主張を裏付ける。

 

「……それでも、まだ戦うつもりか?」

 

 見る間にも徐々に魔神の身は崩れ落ちていく。

 どう見ても戦える様子ではないにもかかわらず依然立ちふさがる魔神に、翼はそれでも警戒心を見せる。

 

「当然だ、私はまだ、何も……ッ!私は、私の、愛を……ッ!」

 

 

「──いいや、お前はここで終わりだよ、魔神アムドゥシアス」

「アマデウス──!」

 

 

 魔神の言葉を遮るように声がかけられる。

 その声の主が誰か、魔神は顔を向けずともその音だけで把握した。

 

「……何が言いたいッ!私の愛は、私の想いは終ってなど……」

「終わってない、ってか?おいおい、ここに来てまだそんな事を言ってるのかい?」

 

 未だ戦意旺盛な魔神に、アマデウスは呆れたように肩をすくませる。

 

「モーツァルトさん……?」

「……各々言いたいことはあるだろうけど、ここは一旦僕に任せてもらってもいいかな?」

 

 僕も色々突きつけたいことが山程あるんだ、と茶目っ気混じりな台詞を吐くアマデウスだが、その表情は真剣そのもの。

 真摯な雰囲気を醸し出すアマデウスに、誰もが口を噤み話者を譲る。それを確認し、アマデウスは口を開いた。

 

「お前は終わりだ、なんて言っても別に放っといても死ぬからとかそういうのじゃないんだ。いくら聖剣で両断されたからって、デモノイズはまだ残ってるんだろう?」

「…………」

 

 アマデウスの指摘に、魔神は異を唱えない。

 

『確かに。今でこそ聖剣の輝きに身を焦がされ大部分が損失したようだが、それ以前に攻撃を受けたことで無傷のデモノイズと入れ替えに退避させてたデモノイズが穴埋めに使われてない。未だ聖剣の残滓がその身を苛んでいる為にむやみに補填するわけにはいかない、ということだろうね』

「ゲームでいう、毒状態でポーション使っても毒でダメージ受けるから元のドクダミってやつデスね?」

『……まあ、大体はあっているね』

 

 ドクダミではないが、とぼやくホームズを尻目に、立香は成程と頷いた。

 少なくとも、魔神は今は再生は出来ないにせよ継戦能力の全てを喪失したわけではないということは真実であるらしい。それが判っただけで、今にも崩れそうな魔神が未だ油断ならざる存在であるという事をこれまでの経験から立香は骨身に滲みて理解していた。

 

「つまり、だ。お前は終わりだ、っていうのは魔神アムドゥシアスの組み立てた論理が、計画が、野望が、祈りが終わっているって話だ」

「──如何にデモノイズが残っていようと、今ここにある霊基を砕かれては魔神たる総量に満たない。最後の抵抗も、我が願望も……すでに敗退したということか。フ、ははは──いいだろう、貴様らの勝利だ。どうあがいても私は覆せないとも」

 

 その言葉の端々から悔恨が、怨恨がにじみ出てくる。全盛期の魔神であればその言葉だけで聞いていた存在に何れ来る破滅をもたらすことすら可能な呪詛も、今の魔神では到底構成し得ない。

 最終的な勝利者として、目の前に立つ少女たちへと向けられる乾いた笑い声は。願いが叶わなかった、祈りを潰された魔神の逆恨みとも呼べる嘲笑だった。

 そのまま魔神は一頻り笑い────一転、響や立香達に怒気を露わに叫んだ。

 

「──ああ、負けたともッ!これで満足かッ!?貴き純正がむざむざ滅ぶそれを止めようと、取り返そうという願いを──我が愛を踏みにじって、それで満足かッ!?」

「────それ、は……ッ!」

 

 絶望と憤怒に満ちた慟哭に、響は言葉を詰まらせる。

 

 満足、なんて彼女の胸にあるわけがない。魔神の祈りは、確かに純真なものだった。それを踏みにじったのだと、そう言われれば響は否定することは出来なかった。

 もちろん、彼女にだって出来ないことがあることくらいは判っている。今回の魔神の暴挙は間違いなく止めるべきことであり、ひいては魔神の願いを叶えさせることは"出来ないこと"にほかならないことだと響はしっかり理解していた。

 

 だが、誰かの大事な願いを踏みにじったという事実は変わらない。如何に大災害を世界に齎した恐ろしき怪物であろうとも、その根底にあった愛を打ち砕いた事を砕かれた側に糾弾されてしまえば、それは響の胸に強く突き刺さってしまう。

 言葉を失ったのはほんの数瞬。それでも、どうにか響が言葉をひねり出そうとしたところでアマデウスがそれを制した。

 

「いやいや、あんなのは世迷い言さ。君みたいな美しい唄を歌う娘が気にするもんじゃない。……なんて言っても納得しないだろうから、先にあいつの言葉から否定していくことにしようか」

「何……!?」

 

 アマデウスは飄々とした笑みを一転、真剣な眼差しで魔神を見据える。

 何のつもりかと魔神がその目を見返し──その顔に浮かぶ失笑に顔を怒りでこわばらせる。

 

「──貴様、その顔を──」

「いやあ、だってさ──」

 

 怒りのままに怒鳴ろうとした魔神は、しかし次のアマデウスの言葉で凍りついた。

 

 

 そもそも、一番始めにエルフナインへの愛を踏みにじったのは他ならぬお前だろう──?

 

 

「──なあ、魔神アムドゥシアス?」

 

 軽い口調で言い放ったアマデウスに、魔神は何ら反論出来なかった。

 それは、突きつけられた言葉が唐突すぎて理解できなかったからではない。突きつけられた言葉をその優れた思考野で詳らかにした結果、魔神が納得してしまったからであった。

 

「図星だろう?それをさも僕らがお前の純情を穢したみたいに言われてもさぁ……」

「──巫山戯るなッ!良くもそんな戯言をほざいてくれるな……ッ!」

「戯言、ね。それじゃ、お前が星の聖剣の影響を脱する前に解説していこうか」

 

 嘆息したアマデウスは、怒りに震える魔神に無警戒にカツカツと足音を立てて近づいていく。

 

(……アマデウス?)

 

 いっそ無遠慮とも言えるそんなアマデウスの様子に、立香は首を傾げる。

 彼女の知るアマデウスは確かに遠慮のない人間だが、それでも礼儀正しい面もある程度ながら備えている(役職や経歴を思えばそれが当然ではあるが)。如何に魔神が敵であったからと、こうも感情露わな挙動をする人間だったろうかという疑問が立香の頭をよぎる。

 そんな立香を気にすることもなく、アマデウスは魔神の目前で足を止めた。

 手を伸ばせば縊り殺せそうな距離。それでもどこか余裕そうなのは、魔神が今は抵抗できないことを確信しているのか、あるいはそんな至近で告げてやりたい程の何かをアマデウスが心中に抱いているのか。

 

(──何か、あるんだろうな。私にはわからないけど、きっと何かが──)

 

 カルデアのサーヴァントの中でもかなり早期に霊基グラフに登録されたアマデウスとの付き合いは長い。そんな立香だからこそ、アマデウスが魔神に含むものがあるのだと直感的に理解していた。

 

「……お前さ、僕らがエルフナインへのお前の愛を踏みにじったって言っただろ?ああ、ある意味では正しいとも。お前の願いはエルフナインを甦らせることなんだものな」

 

 まるで詩を吟じるがごとく朗々と、演劇のごとくオーバーな振りで語り続けるアマデウス。

 

「あれ?でもおかしいだろう?そもそもなんでお前はそんな願いを抱くことになったんだ?」

「何を巫山戯たことを……。そんなこと、私が彼女を失ったからだろう!?当時は無意識だったにせよ、根幹にはソレがあって当然だ!失ったからこそ取り戻したい、古今不変の欲求だッ!」

 

 わざとらしく問うアマデウスに怒鳴る魔神。しかし怒鳴られた側のアマデウスはといえば、言質をとったとばかりにニヤリと笑った。

 

「そうだ、エルフナインを失ったからだ。うんうん、それも当然だろうね。大切な人を失えば取り返したくもなるだろう、力があれば尚の事だ」

「そうとも、だから──」

 

「──それで?なんでエルフナインを失ったんだ?」

 

「──ッ!それ、は……」

 

 会話を通じて、魔神の根を切開していくアマデウス。

 今自覚したのか、あるいは知っていて因果から目を逸していたのか。突きつけられた単純な問いかけに、魔神は口ごもった。

 

「言えないなら代わりに言ってあげようか。──エルフナインが死んだのは、そもそもお前がエルフナインに干渉し続けてたからだって。知ってたんだろう?さっき自分から言ってたものな、エルフナインがお前という禍根を残さぬために命を絶ったってさ」

「…………ッ」

 

 またも、魔神は反論できない。出来るはずもないのだ、戦いの中でエルフナインの死因を告げたのは他ならぬ魔神本人だ。

 エルフナインはその持ち前の正義感と責任感から、キャロルの被造物として作られておきながらキャロルに反旗を翻した。キャロルの父への思いを深く理解していて、それでも尚止めなければならないのだと立ち上がるほどに心が強かった。

 

 だからこそ、魔神を残せないと命を絶った。魔神によって改心したキャロルの献身の治療を拒み、助かる道を知りながら彼女は死へと行進した。

 人ならざる魔神はその事実を忘却など出来やしない。例えそのときに愛に無自覚であったとしても、その心情を把握していながら、彼女に執着しながらも止められなかったのは確かなのだから。

 

「おっと、予測できなかったなんてことは言わせないぜ?冠位の魔術師の使い魔であり守護霊体である魔神が、まさか千里眼の一つも使えないなんてことはないだろう?」

 

 逃げ道を一つ一つ潰すように、アマデウスが言い募る。

 魔術王の千里眼は未来と過去を見通す。通じ、分岐の先の平行世界もまた然り。

 魔神の行動がどんな未来につながるかなんて、魔神自身が理解できていない筈がないのだと。

 

「……そう、だな。ああ、そうだとも。そうであって当然だろうとも」

「……うん?」

 

 しかし、そのアマデウスの言葉に魔神は顔を歪ませた。

 魔神の言葉に含まれる偽りならざる脆さに、詰っていたアマデウスも期せずして当惑する。

 

「えっと……使わなかったの?千里眼」

「…………」

 

 様子のおかしい魔神に立香が思わず疑問を溢すも、魔神は答えようとしない。だが、その黙りが肯定も同然であることは誰もが理解していた。

 そんな魔神の反応に慌てたのは、ここからの話の組み立てが崩れたアマデウスだった。

 

「お、おいおい、世界を剪定されるべき枝として定義したんじゃなかったのか!?だからキャロルが改心?したんだろ?」

『ああ、確かにそう言っていたな。どういう理屈かはこの際置いておくとして、望む向きに世界を歪ませるには先を見る必要がありそうなものだが……』

 

 今の魔神の話は、かつて魔神が語った『植物を歪み育てるという力を膨大なフォニックゲインを用いて拡大適用した』という話の内容とはどうにも整合性が取れなかった。

 魔神が嘘を付くような精神構造をしていないことは弦十郎も重々承知していたため、何か別な方法で未来を決めていたのかと首を傾げる。

 

 が、そんな彼らの言葉を受けて、魔神は自嘲するような笑みをその顔に浮かべた。

 

「……ああ、キャロルが改心する世界へと捻じ曲げた、ソレは事実だ。その未来は見ていたとも──だが、私はエルフナインを、エルフナインの先を見ていなかった」

 

 未来を見ていた。でも未来のエルフナインは見ていなかった。魔神は確かにそう告げた。

 それを聞いて、誰もが疑問符を頭上に浮かべていた。

 

「…………えっと、何故?こう言ってはなんだけれど、普通はエルフナインの未来を真っ先に見そうなものよね?」

 

 全員の心中を代弁したマリアの言葉に、魔神はぐるりと顔をマリアへと巡らせた。

 

「──当時は、それこそ気にも留めていないからだと本気で考えていたが。だが、そう──私は、未来を恐れたのだろう」

「未来を……恐れた?どういうことだ、その未来を捻じ曲げることが可能なのだろう?」

 

 魔神の言葉を呆然と繰り返し、翼が聞き返す。

 キャロルが改心する未来へと歪めたという魔神は、彼女の聞く限りあれこれと策を弄して()()なるように仕向けたというわけではなく、魔神アムドゥシアスに由来する哲学を働かせて強制的に()()したということだった。

 つまり、やろうと思えば己の望むようにエルフナインを……と、そこまで考えてハッとした。

 

「……いや、そうか。エルフナインを捻じ曲げる気は無かったということか?」

「そうだな、それもある。私はエルフナインを歪めてまで己の物にしようとは思わなかった。彼女には私という存在を肯定して欲しかった。──本来のままの彼女に、私が佳いものであると想ってもらいたかった」

 

 魔神がぽつりぽつりと心情を吐露する。どこか懺悔するようにも見えるそれは、その願望こそが己の慚愧なのだというように。

 

「つまり……愛が得られないことを、怖れたのですね」

「……未来が怖かったって、エルフナインが認めてくれない未来を見たくなかったから見なかった、ってことかよ。嘘だろ、ここまでアレだったのか……」

 

 ブリュンヒルデがどこか納得したような表情を浮かべる傍ら、無意識のままに感情を拗らせていたらしい魔神にアマデウスが戦慄する。

 

「それで、死に別れた片想いを成就させるためにエルフナインを蘇生させようとしてこんな事をやらかしたのか。オレが言うのも本当になんだが、幾ら何でも常軌を逸してやしないか?」

「──黙れッ!貴様に、貴様がエルフナインを死に追いやらなければ私とてこのような真似をせずとも──ッ!」

 

 魔神がキャロルを睨みつける。実際、キャロルが世界を滅ぼそうとしたからこそエルフナインも儚い体躯に鞭打って方々を駆け回り、結果として死に至ったのだからその言い分は強ち間違いではない。

 が、そんな魔神を見ていよいよ呆れ果てたと言わんばかりにアマデウスがため息を吐いた。

 

「……えっと、丁度いいから話を戻そうか。確かにソレは言えてるぜ、うん。それで、キャロルを生かすことでエルフナインから好意を貰おうって考えもまあ、いいだろうさ」

 

 細長い指を一つずつ折りながら、アマデウスが魔神が伝えた過去の情報を整理していく。

 

「でも、結局エルフナインはお前を脅威に見た。ま、話を聞く限り当然だね。何せ当時のお前は無自覚な愛を言葉にせずに、世界は燃やすけど君だけは助けてあげるって言ったんだろ?そんなの受け入れられるわけがない。まして、死の間際に私が助けてやろうなんて言うのは文字通り悪魔の囁きだ。エルフナインが受け入れる筈もない」

「……それがどうした」

 

 訝しげに眉があるだろう場所を顰める魔神に、アマデウスは酷薄な笑みを向けた。

 

「──お前、エルフナインを助ける道を見過ごしたんだ。それで愛しているなんて笑わせるぜ、全く」

「────貴様」

 

「怒るなよ。だってそうじゃないか。──お前が自分から消滅すれば、エルフナインだって死ぬ理由がなくなるだろ?だったら、後はキャロルなりS.O.N.G.なりが全力で助けたと思わないか?」

 

 その言葉に、魔神は今度こそピタリと止まった。

 事も無げにアマデウスが告げた一言は、正しく魔神の急所を抉り抜いたのだ。

 

「いや、たしかにそうだけどよ……。でも、それは……」

「でも、それが最適手だろ?エルフナインの未来を見ようとしてないのは誤算だったけど、少なくとも心情自体は理解していたんだ。だったら、それが一番だってことくらい合理性に凝り固まった魔神なら実行に移すべきじゃないのか?」

 

 身も蓋もない言葉に無慈悲すぎないかとクリスが言葉を濁すも、アマデウスは一蹴する。

 

「ああ、何も消滅する必要も無いね。フォニックゲインという法則を通じて膨大なエネルギーを獲得できた以上、この世界を離れて僕らの世界に舞い戻るなりなんなりしても良かった筈だ。とにかくエルフナインの居る世界から離れてしまえば、エルフナインの生存は保証されるんだから」

 

 つまり、身を引けばよかったのだとアマデウスは語る。エルフナインを諦めれば、エルフナインを助けられたのだと。

 

「この世界を振り切れば、この世界から離脱すれば。無自覚な愛を覆う魔神としての責務だって、それを否定なんてしないだろうしね」

「…………だ、だが、それは……それでは……ッ!」

 

 アマデウスから突きつけられる言葉は、確かに真実である。

 そもそも枯れ果てそうだった己を回復し、この領域の技術を獲得することで人理焼却の一助とすることこそを魔神は当初考えていた。

 エルフナインの死に際では半ば建前となっていたにせよ、そんな考えを持っていた以上それに乗ってしまうことは行動原則に反するようなものではなかった。

 

 ──だが、魔神は実際にはそんな行動を起こすことはなかった。

 エルフナインが死に向かうのを見送りながら、しかしその命を捨てようとはせず。さりとて目を離そうともせず。魔神はただ、エルフナインを見ているだけだった。

 

 それはつまり、エルフナインの命を第一にしていたのではなく。魔神としての責務という建前を立てていたわけでもなく────。

 

 

「認めろよ音楽魔。──お前はエルフナインと一緒に居たかったから、エルフナインを見殺しにしたんだって」

 

 

 アマデウスの言葉の刃は、容赦なく魔神を苛む。

 

「────ッ、…………私、は」

 

 魔神は思わず反論しようとして、しかしその身体は何ら論じようとはしない。

 だがそれも当然であった。今までの言葉と同じく、今回の言葉も到底魔神には否定できるものではないただの事実だったのだから。

 ここまで回りくどく説明したのも理詰めで納得させるためではない。あくまで周りに理解させるためにアマデウスが語っていただけであり、魔神自身はアマデウスに最初に真実を告げられた段階でこの事を理解していたのだから。

 

「エルフナインへの愛を僕らが邪魔しただって?もう一度言うぜ、お前の理論は前提から破綻してるんだ」

 

 そして、機を得たとばかりにアマデウスが畳み掛ける。

 

「──エルフナインへの愛を邪魔したのは、他ならぬお前自身の欲望だ。誰かに対する顧みぬ献身こそが愛だとするなら、お前は──」

 

 そしてアマデウスはどこか忌々しげな表情で、決定的な一言を言い放った。

 

 

「──お前は、エルフナインに対する愛なんて持っていない。お前が持っているのは、お前自身に対する自己愛だけだ」

 

 

 告げられたその言葉に、魔神はよろりと揺らめき、そしてガクリと崩れ落ちた。

 その様子を見てアマデウスはふん、と鼻を鳴らし、くるりと振り返った。

 

「さて、僕の言いたいことは存分にぶちまけてやったからあとは好きに話していいぜ」

 

 後ろに居た他の面々に向けた顔に浮かぶ表情に、先程までの怒りとも憎しみとも呼べない感情はすでに無い。どこか清々したように見えるのは、そんな顔を見た少女達の気の所為ではないだろう。

 

「え、えっと……」

 

 立香はアマデウスの向こう側で呆然と崩れるがままになる魔神を見る。

 心を明らかにへし折られたその姿は哀れと呼べるものであり、何よりそんな感情を抱く立香に怒りすら見せないことこそが何よりも哀切漂うものだった。

 如何に彼女が魔神と敵対してきたとしても、魔神がこの世界を盛大に崩壊させたのだとしても。それでも立香は魔神にかける声はとてもではないが持っていなかった。

 

 チラリ、と後ろを見る。誰か魔神になにか言いたいことはあるかなと目線で確認すれば、誰もが首を振った。

 何分、誰も彼も根が善良で多感な少女。目の前で精神をズタズタにされた魔神に対し、これ以上何か追撃しようと思えるようなものではなかった。

 居るとすればサーヴァントか、あるいはキャロル辺りかと思いそちらに目を向けるも、やはり彼ら彼女らも言葉を口にしない。キャロルは大いに溜飲を下げたようではあるが。

 

「う、うぅん。取り敢えず、ここからどうすれば……っとぉ!?」

 

 まさかアマデウスによる精神攻撃による結末を迎えると想っていなかった立香がポツリと呟いたところで、彼女の腕に強い負荷が掛かる。

 バランスを崩してふらついたところで慌てて立て直し、一体何がと手元を見た立香は自分が1人で聖剣を持っていることに──一緒に持っていた少女が手を離し、魔神へと歩を向けたことに気づいた。

 

「響?……うん、響は響の思うままに動いていいと思う」

 

 後ろから見ていた未来は急に歩き始めた響に戸惑うも、その顔に何かを感じたのか小さく笑って激励する。

 未来の言葉に僅かに笑ってみせた響は、そのまま決然とアマデウスと魔神の元へと歩み寄った。

 

「……お、なにか言いたいことがあるのかな?」

 

 ちょっと予想外だったぜ、と眉を上げるアマデウス。

 

「……すいません、でもどうしても言いたいことがあるんです」

「うんうん、この際だから吐き出すといい」

 

 鷹揚に頷くアマデウスにペコリと頭を下げた響は、大きく息を吸い込み……アマデウスの方に向き直った。

 

 

「──そんなこと、ありませんッ!!!!」

 

 

 大音量の響の声が、その名の通り魔都へと響き渡る。

 魔神を庇うような位置に立った響に、それでこそだと頷いていた未来を除いた全員が目をパチクリと瞬かせた。



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第17節 偽冠魔詠宮殿プセウドモナルキア(12)

 常日頃から歌い慣れている装者の、胸いっぱいに息を吸い込んで放たれた大音声が辺り一帯に轟く。

 至近で受けたアマデウスはその優れた聴力が仇となり、一瞬意識を失いかけたのかグラリとふらついていた。

 そんなアマデウスの前には、先ず言いたいことを言い切ったことで、ふんすと息を荒くも満足気にしている。

 

「アムドゥシアスさんが誰かを愛していないなんて、そんなことはないですッ!」

 

 そしてやおらに振り向き、呆然としていたアムドゥシアスへと繰り返すように言い放つ響。

 魔神もまさか擁護がくるとは思っていなかったのだろう、その人外の相貌が驚愕で歪んでいることが明らかなほどであった。

 

「──まーた始まった。あのバカの……」

「ああ、立花の趣味の人助けだ」

 

 一方、慣れているらしいS.O.N.G.の面々は響が魔神とアマデウスの間に立った当たりで想定できていたらしく、その顔に驚きはない。

 むしろ納得と言えるほどの顔は、アマデウスが魔神にぶつけた言葉に対し彼女たちも思うところがあったからだろう。

 

「立花響、貴様は……」

「……私は、今も貴方を、貴方のやったことを許すなんて出来ません。この世界にも生きていた人はいっぱい居て、それをみんなみんな消滅させた貴方が正しいなんて思いません」

 

 狼狽する魔神に訥々と己の心情を語っていく響。

 この世界で生きていた人は確かに居た。魔神が見ようともしなかった──否、その千里を見通す眼で見た上で切り捨てた膨大な生命がそこにはあった。

 魔神がその感情のままに生命を資源として消費したことを、響はこれっぽちも認めることは出来ない。

 

「……それでも、モーツァルトさんが言っていたことは違うと思います。したことがダメだったとしても、間違ったことだとしても────」

 

 ちらり、とアマデウスに視線を向ける。

 目線の先に映るアマデウスは僅かな驚き、不快感──そして、バツの悪さがその顔に浮かんでいる。

 

 視線を戻した響は改めて魔神に目線をしっかりと合わせ、一つ息を吸い込み、はっきりと言い放った。

 

「──だとしてもッ!誰かと共に生きたい、ずっと一緒に居たいって思いが──間違いなわけ、ないんですッ!」

「────ッ!」

 

 その言葉に、魔神は衝撃を受けたように顔を上げる。

 魔神は、アマデウスの告げた言葉を真実であると認識していた。己がエルフナインではなく自己こそを愛しているのだと、そう納得していた。それが、響には耐えられなかった。

 

 アマデウスの言葉は、少なくとも彼女が聞く限りでは極端に過ぎている。彼の言葉は、魔神のエルフナインへの愛情が無いものだと確信を以て断言していた。

 だが、響はそうは思わなかった。自己愛のようなものが無いとは言わないにせよ、そこには確実にエルフナインに対する愛があったはずだとそう信じていた。

 

「私は、カルデアの人たちやサーヴァントの皆さんと魔神との間の確執をちゃんとは理解できていません。私の言ったことが間違ってて、モーツァルトさんの言ってることが正解かも知れません──それでもッ!」

 

 ここだけは絶対に譲れない、そう意気込む響の肩にポンと手が置かれる。

 響が振り返れば、そこには立香が彼女を肯定するような笑顔を浮かべていた。

 

「……いや、響の言うことも合ってると思うよ。それに、私は魔神の心持ちとか、感情とかはあんまり考えたことは無かったけど……でも、アマデウスの言葉がきつかったってのは思ったしね」

 

 理由は知らないけど、そう言って立香がじろりとアマデウスを見やる。

 響に加え立香からも糾すような目線を向けられ、苦笑しながら帽子を目深に被るアマデウス。彼も言い過ぎなところがあったことは自覚しているらしい。

 

 アマデウスが魔神アムドゥシアスの糾弾をした時、そこには明らかにアマデウスの個人的な感情が透けていた。

 もちろん、立香はそこに彼にしかわからない理由があるのだとは察している。アマデウスがかつてアムドゥシアスとして顕現するという指令(オーダー)を受けていたという事も関係するかも知れなかった。

 だが、そこにどんな理由があれ、アマデウスのソレは必要以上に非難しているところがあったのは確かだった。

 

 立香だけなら、カルデアのメンバーだけならあるいはそれでも放置したかも知れない(というか、彼女にとって魔神はそこまで擁護したい相手ではない)。

 だが、少なくとも響とは友人であり、またその言葉が真実であると感じれば──それなら、立香だってその思いを応援しようと考えることもまた当然だった。

 

 立香からお墨付きを得た響はニコリと笑い小さく礼をする。

 そして改めて魔神へと歩み寄り、その人ならざる大きな手をぎゅっと握りしめた。

 

「……だからこそ、せめて。その思いを否定したまま、消えていかないでください……ッ!」

「…………」

 

 目前の少女に徐に手を握られ、魔神は困惑する。

 最初に擁護された時、この少女は何を言っているのだろうかという思いしか無かった。

 少なくともその時点では、アムドゥシアスはアマデウスの言葉を受け入れていた。それがどれほど衝撃的であっても、己を苛むものであっても……そこに矛盾は何一つ無かった。

 

 だが──最初の衝動は。感情を知らず、思いも知らず。それでも、その身に雷の如く奔ったあの原動は────。

 

 ──その出発点では、確かに魔神は愛を覚えたのだ。

 

「は、ハハハ……。そうか、そうか!そうだな、当たり前の話だった。──感情は、1と0で定められるモノではない、か」

 

 アマデウスが言うように、自己愛もあるだろう。八つ当たりのようなキャロルへの憎悪も、また然り。

 だがその中には、間違いなくエルフナインへの愛があったのだ。

 感情は一つではないのだと、生命が抱く衝動はそんな片手の指で数えられるほどに簡素ではないのだと、魔神は今更のように気づかされていた。

 

「──ああ、或いはこれを最初に知っていれば。善性も、悪性も、悲しみも、歓びも──それら全てが感情を……生命を築き上げているのだと知っていれば、私達はこんなことをしなかっただろうに!」

「アムドゥシアス……」

 

 歓喜と慟哭の入り混じった叫びは、聞いていた立香の心中に否応なしにかつての戦いを想起させる。

 人の営みを悲しみという一面からしか見ていなかったが為に凶行へと走った魔神王と、それを緩やかに否定し、光の中へと消えた魔術王の姿。

 ここに居るアムドゥシアスはその決戦の時点で神殿からは切り離されていた以上、ソロモンのその言葉を知らなかったのだろう。知っていれば、それこそ当人の言う"或いは"が成立していたかも知れないと考えると、立香の胸にも形容できない感情が湧き上がってくる。

 

「私は、確かにエルフナインの傍に居たかった。己の命を賭してでも造物主の無道に反旗を翻すその有り様に惹かれ、その願いを叶えさせてやりたかった」

『……そして、S.O.N.G.関係者がその世界から除外されているのも、それが皆さんの記憶に重なったのも──ですね?』

「そうだ。この世界を成立させる時、私はS.O.N.G.だけは巻き込まないようにしていた。対抗戦力になるから、ではなく──エルフナインが大切に思い、そして同時にエルフナインを労り、最後までその想いを守り通そうとしたことに敬意を持ったからだ」

『成程、何故類似組織を無視してS.O.N.G.だけを結界作成当初に除外していたのかは疑問だったが……それで合点がいった』

 

 ホームズの通信に、魔神は頷く。

 

「そうだ。感情に無自覚な当時の私は、それでも魔神だ。己の行動指針を人のようにバラバラには定められない以上、無自覚なりに無理のない理由が必要だった。普通の人間ならともかく、S.O.N.G.であれば敵対戦力と見做して除外するという理由が成立するからな」

 

 そう告げる魔神に、聞いていた立香はあれ?と首を傾げた。

 

「……でもそれって、私達には当てはまらないような……」

『我々カルデアについては、当初に遭遇したときからずっと魔神が語っていたことが全てだろう。彼という主観における絶対時間において、すでに人理焼却は成立している。にも関わらず我々が特異点修復のために平行世界にやってきたということは、それだけで我々が魔神王に勝った証明になる。もちろん負ける気はなかったろうけど、魔神72柱の集合体である魔神王を踏破したという我々を相手にするのは手間であるって考えでしか無いだろうね』

「あ、そこはそうなんだ……」

 

 当たり前だが、排他理由もまた、一つではない。魔神にとってはそれこそS.O.N.G.の装者と友好関係を持っていたからついでに見逃してもいい、程度のことだったのだろう。

 それこそ響が言っていた"辛そう"な表情も、あくまで無意識に、かつS.O.N.G.にのみ向けていた表情だったのだろう、と立香は今更ながらに気づいた。

 

「記憶が重なっていた、というのは私の知るところではないが──私がこの分岐を作り、結界の構築から彼らを外した段階で、彼らは本来の分岐に戻ったのだろう。そして、その平行世界のS.O.N.G.の人間の感情が更にそちらの世界へと影響を及ぼした、というところか」

「ややっこしいな、おい。……ってことは待てよ?もともとこの世界にいたアタシらは、S.O.N.G.だけが居る世界にいるってことか?」

「そうなるな。まあ、非生命的存在は凡そ両世界に共通して存在しているだろうし、分岐から数えて未だ日も経っていないから現存はしているだろう」

「随分適当だな……」 

 

 さして気にもとめてなかったらしい魔神の様子に、クリスはため息混じりにそう呟くほかなかった。

 自身の手に掛けるのが嫌というだけであり、それ以降のことは知らぬ存ぜぬというその姿勢はやはり魔神らしい無機質さがあるなあ、などと立香は聞いていて思っていたが。

 

『……まあ、それはそれとしてだ。結局君はこれだけの事をやらかした訳だけど、まさか感情の自覚がなかったから仕様が無いとか言わないよね?』

「言うものか。そもそも私はこの世界を捧げようとしたことを過ちなどとは思っていない。失った少女に全てを捧げるべきという想いに何一つ間違いなど無い。──だが、私は確かに間違いを犯していたのだろう。それとは別に、魔神としては致命的な誤謬が確かに在った」

「誤謬だと?世界を滅ぼそうとしたことが誤りではないとして、それでもか?」

 

 そう語る魔神は、言葉とは裏腹にどこか晴れやかな声で。まるで流麗な歌のように、その心根を紡いでいく。

 前半部の人を人とも思わない暴言に目をきつく細めた翼の言葉に、しかし気にする様子もなく魔神は頷いた。

 

「ああ。感情は一つではない。想いは確かに無制限だ。その視点にとり、私は1人を愛し、世界を滅ぼすことは誤謬ではない。──だがそもそも、矛盾した方針を掲げるべきは不完全な存在の特権であり────」

 

 

「────エルフナインを助けたいのに、共にあろうとしたことはやはり、人ではない私には不適合だった。私は、全知たるべき魔神でありながら知らず毒杯を呷ったのだ」

 

「それが何よりも、私の────魔神アムドゥシアスの過ちだ」

 

 

 それは、まさに懺悔であり。魔神という人外の、完全たる魔術式だからこそ持ち得た罪の告白がそこにはあった。

 

「…………」

 

 その言葉に、誰も言葉を持ち得ない。彼の愛を肯定した響も、其の愛を否定したアマデウスも。

 そのとおりだと口にするのは赤子の手を捻るより容易で、そんなことはないと励ますのは朝飯前だろう。だが、それには何の意味もなかった。

 

 ある意味で、それは彼我の断絶を示していた。

 例え互いに理性があろうとも、意志を交わせようとも。それでも、魔神の持ち得た罪の意識を完全に理解することは、人間である限りは不可能であり──だからこそ、この結末に至ったのだと、誰もが理解せざるを得なかった。

 

 錬金術師に対する極端な憎悪も、死した少女のために世界を捧げようとした極端な献身も。全ては当人すら気づかぬ矛盾の果ての暴走だったのだと。

 

 

 ──愛するものを、その想いがあるままに死なせてしまったという矛盾性に由来した罪悪感。それが、この魔神が真に見出した感情だった。

 

 

「──ッそんな、そんなこと……ッ!」

 

 認めたくない、震えた声でそう言おうとする響を魔神が手で制し、四脚でゆっくりと立ち上がった。

 人馬に近いその脚はボロボロと崩れ落ち、作り上げたその肉体も端から塵へと──炭へと還っていく。

 

「カルデアには思い入れはない。この世界にも憎愛は無い。このまま砕け、この世界の人理が精算されるのもよかろうが──だが、お前には借りがある。立花響」

「私──?」

「……立花響。貴様の言葉は、私には救いだった。どれ程に私が矛盾していたのだとしても、それでも──私の愛を認めてくれた、それだけで──私は己の愛を偽り無く受け入れられた」

 

 それは嘘偽りのない、心からの感謝の言葉。

 崩壊に向かう魔神が、己の身を砕いた敵手に対し──只々真摯な謝意を示していた。

 

『……魔神らしい律儀さ、と言えばいいのかな?』

「なんとでも言うがいい。だが、そうとも──私は魔神だ。魔術王ソロモンの使い魔、代価を元に願いを叶える原初の魔術だ。であれば、彼女の言葉という代価を受け取ったままに、何もしない訳にはいかない」

 

 その言葉は、アムドゥシアスという存在が己を最後にどういうものかを定義するものだったのだろう。

 感情を得ようとも、愛を謳おうとも。魔神であるが故の過ちを犯した存在として、せめて魔神という在り方だけは捨てるまいという最後の矜持がその言葉にはあった。

 

「アムドゥシアス……さん?」

 

 端から炭に還るその姿は、響に過去を思い出させる。

 同じように愛に生き、そしてその身を塵へと変えた1人の女性。魔神がその身に抱くソロモンの杖は、否応なしに想起を加速させていく。

 

「それは……まさか?」

 

 そして、それと同時に。立香も同じように過去を思い出していた。

 ファウストローブが変じて構築された、その指に輝く十の指輪を見れば。──その指輪が指を離れ、宙へと浮かび上がる様子を見れば、それが何を意味するのかを理解せざるを得なかった。

 

「……砕けゆく我が身で、願いを叶えるというのなら。これしかあるまいよ」

 

 異なる経験から同じ結論を導き出した2人の目線を受け、苦笑としか思えない音色で答える。

 それこそ、魔神が浮かべる感情としては何処までも不釣り合いなそれであり──祈りを誠実に履行せんとする姿は、何処までも魔神らしいものであった。

 

「結界は砕け、光帯は消えた。だが──それでも、一度宝具として成立したモノであれば。ここに、あり得ざる幻想を結び──1つのカタチを成す」

(そうだ。そうとも、あの臆病者の愚王ですらも命を擲ち奇跡を生んだのだ。であれば、それより優れると自負する我らが出来ぬはずがあろうものか)

 

 その思考の末期に浮かぶものは、愛を向けた少女ではなく、救ってくれた少女でもなく──何処までも彼を苛立たせる、忌々しき王の顔。

 己の知らぬところで、ある筈のない覚悟を示したであろう冠位の魔術師の姿が、一瞬、しかし何処までも鮮明に想起されていた。

 

「──我が痕跡、我が有様……私という錨を、私自身が放棄しよう」

(……私の愛は、世界に残らない。私の愛は、世界に残すべきものではなかった)

 

 朗々と紡がれる詠唱は、世界に沈む暗示ではない。この一瞬にしか輝かぬ、魔神の最期の想いだった。

 

 

「宝具:疑似再演────『訣別の時きたれり、其は世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)』」

 

(──そうだ、私は、私の愛を──)

 

 

 魔術王の最後の、そして最初の宝具の真名が開放され、それが契機であるかのように指輪が天へと還る。

 だが、それを魔神が見届けることはない。この世界全てから"己"という有り様を放棄した魔神の肉体の全てもまた、塵となり空へと消えていった。

 

 

『…………魔神、消滅を確認しました』

「……うん、そうだね」

 

 指輪を天に還すことで、与えられたすべての力、業績──ひいては、その存在すらも宇宙から消滅させる。それこそが魔術王の第一宝具「訣別の時きたれり、其は世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)」、本来ならば魔神の知り得ぬ──魔術王を知るからこそ、魔神が想起することすら出来ない、最初で最後の魔術王の偉業。

 だが、アムドゥシアスはそこに至った。己が抱き、自覚した愛を──漸く得られた個我を捨ててでも、「誰か」が未来へと進んでいく世界を守り通す選択をした。

 

 立香は魔神について深く理解している訳ではないが、それでもアムドゥシアスがそういう選択を取ったということには思うところがあった。

 

『霊核は完全に消失しているね。──空間の崩壊も始まっている。いや、これは巻戻りかな?』

 

 モニタリングしていたダ・ヴィンチの言葉通り、砕けた固有結界としての空間は端から消失し、その向こう側では再構築された世界が姿を表し始めていた。

 

「ん?これは──」

「ッキャロル!?そんな、契約のパスは確かに……!」

 

「あれ、私──?」

「──未来ッ!?」

 

 そして、この場に居た2人の少女も同様に。この世界に生まれた彼女たちもまた、刻一刻と薄れていく。

 衝撃的な光景を見てギョッとした響と立香は慌てて2人に駆け寄る。

 

「未来、大丈夫ッ!?何で未来が消えて……ッ!?」

 

 薄れゆく友を留めんと、その手を掴む響。

 不安そうな響の顔とは対象的に、キャロルも未来も何かを察したような表情を浮かべている。

 

「響──ううん、大丈夫。あのね、私──何となく分かるよ。元に戻っていくんだって。私達は──私達の世界に戻るみたい。だから心配しないで、ね?」

「未来ぅ……。」

「もう、響ったら……。いい、響?そっちの──響の隣りにいる私に宜しくね?」

「未来──うん、だから未来も、そっちの私によろしくねッ!」

 

 なおも不安そうな表情を隠せないまでも、それでも頑張って笑って見送る響。それに負けないように、未来も華やかな笑顔を見せる。

 その笑顔を最後に。この世界の小日向未来は世界と共にあるべき在り方へと還っていった。

 

 別れる2人を眺め、同様に消えかけているキャロルは嘆息した。

 

「……ふん、なるほどな。この世界にあったものは魔神の手が深く入り込んでいる。つまり、その魔神が消えたということは──」

『──単独顕現の放棄をしたことで、過去にこの世界に及ぼした影響が無かったことになるということだろう。魔神は過去現在未来に渡ってただの一時点のみに存在している。逆に言えば、その在り方を放棄するということは……』

 

 ホームズはその先を敢えて口にしなかったが、何を言わんとしているのかは誰もが理解していた。

 即ち、時間遡行による修正。原因が消失したことによる結果の変動という因果律を逆行する奇跡こそが、魔神の宝具の正体なのだと。

 嘗て魔術王が使用したソレとはまた原理の異なる現象だが、ともあれ発生した結果自体は似通っていた。或いは、そうなるように魔神が整えたのかもしれない──立香がそう考えていたところで、しかし次に飛び込んできた言葉によって思考が漂白された。

 

「……貴様らの話を聞く限り、オレは奴に歪められたから今ここにいる。であれば──オレは消える、ということか」

「ッ!それって、キャロルが……!」

「ああ。さっきとは違う、オレは元来居ない存在だ。魔神が歪めずともオレが計画を断念することも無いでもないかもしれないが……まあ、少なくともサーヴァントとなったことで奴に歪められた価値観から開放されたオレはそうは思わないからな。可能性は低いだろう」

 

 事も無げに己の消滅を受け入れるキャロルに、立香は悔しげに奥歯を噛みしめる。

 いまや向こう側が容易に見通せるほどまで透けたキャロルに、やがて決心したように立香は顔を上げ口を開いた。

 

「~~ッ、絶対、絶対召喚してみせるから!カルデアの霊基グラフには未だキャロルのデータが残ってるし、それなら、それなら……!」

 

 勢い任せに放つ言葉も、次第に尻すぼみになる。さもあらん、そうやって召喚された"キャロル"は登録された霊基としてのキャロルであり、ここまで戦ってきたキャロルとは厳密には異なる。

 それでも立香は同じキャロルとして捉えることもできようが、そんなことを目の前のキャロルに言っても何の救いにもならないのだと彼女も理解していたのだ。

 

 立香の落ち込む様子に、ここまでくればお人好しも過ぎると思っていたキャロルだったが、見れば響も同じように悔しげな、悲しげな顔を彼女に向けている。

 そんな2人に、はあ、とキャロルは大きなため息を吐いた。

 

「……やれやれ、オレをそうまで救いたいのか?オレのやった悪行を知ってもそう思えるということには全く理解に苦しむが……なら、そうだな。屈め、マスター」

「?いいけど……ッ!?一体何を────!?」

 

 言われたとおりに姿勢を低くした立香の唇に、噛み付くようにキャロルが唇を合わせた。

 二度目の口づけに、立香が思わず目を白黒とさせる。が、その瞬間に消えかけていたキャロルが炎となって燃え上がったことでさらなるパニックに陥った。

 

「……ふん、これでいい。オレの情報は最後までカルデアのグラフに登録しておいた。精々呼んでみせるが良い、この事変の解決後にオレを喚ぶだけの因果が作れれば、だがな」

「キャロル……勿論!へへん、後悔しないことだよキャロル!私は、私は──一度繋いだ縁は絶対に離さないんだから!」

 

 渾身のドヤ顔で、涙混じりの満面の笑みで。立香はキャロルに向かって堂々と宣言してみせる。

 そんな彼女の言葉にキャロルはただ小さく笑って、そしてそのまま光へと消えていった。

 

 

『……ああ、確かにキャロルの霊基グラフに変化が出ているようだ。後は召喚に応じるかどうかだが……まあ、それは追々だ。それにしても凄いな、生命反応がものすごい勢いで消えて、ソレ以上に"外"に増えている。こういう戻り方は類を見ないね』

『伝え聞く人理の精算とは、やっぱり違いますか?』

 

 今起きている現象をつぶさに分析していたホームズの言葉に、エルフナインは起きている現象の正体が何かを確認する。

 この世界の再編といえる現象が魔神やウェル、カルデアの伝える人理の精算である場合、ギャラルホルンによる橋渡しがされている彼女らS.O.N.G.にはまだまだできること、やるべきことがある。だからこその問いかけだったが、問われたホームズはモニター越しに首を振る。

 

『ああ、これは人理の精算とは異なる事象だ。その世界で人理の精算が起きうるのは、魔神が存在を保てず消滅した場合だ。なぜなら人理精算はあくまで我々の世界の法則であり、ソレを流入させた結果として起きうる事象だからだ。それは偏に単独顕現という特殊な権限あってのことだが……』

「魔神が己が居たという証を過去からも失わせたことで、そもそもの人理精算の──いや、所謂"神秘"というそちらに由来する法則全般が失われる。ひいては、この世界に起きるだろう辻褄合わせも起きない、と?」

『ああ。データ的な確証はないが……逆説的な話になるが、ミス立花の願いのための行動と称して消滅間際の魔神がわざわざ"第一宝具の疑似再演"を行ったということは、つまりそういうことなのだろうさ』

 

 そう告げるホームズに、響はぐ、と拳を握りしめる。

 末期の魔神に感謝を伝えられた時、響は決定的な断絶を超えられなかったのだと理解した。バラルの呪詛だのといった話ではなく、もっと根本的なところで魔神との在り方に隔絶したものがあったという事実を突きつけられた。

 

 ──そして、それでも尚。魔神は確かに彼女に歩み寄ってくれたのだということも──響は確かに理解していたからこそ、その声を小さく震わせた。

 

「……もっと早くに手を取れたなら、私は……」

「立花……」

 

 俯く響に、翼が気遣わしげに呟く。

 彼女の言う言葉は理想論でしか無い。そもそも、響がこの世界に来た時点で人類と魔神の敵対は不可避となっていた以上、"もっと早く"は絶対にありえなかった。

 響がそれを理解していないなんてことはない。それでも、もっと早くに手を取れれば──或いは、和解できたのではないかとそう思ってしまっていた。

 

「……まあ、どうしようもないことではあったんだ。アイツが、魔神が自分の愛を自分で裏切った時点で──止まるには、これしか無かった。純粋な感情ってのは一種の呪いみたいなものだからね、呪いそのものな魔神にはどうすることも出来なかったんだろうさ」

「だとしても、私は──」

 

 辛辣なアマデウスの言葉にも、それでもと響は口にする。そんな彼女の様子に嘆息し、しょうが無いなというようにアマデウスは相好を崩した。

 

「仲良くなりたかったって、そう思うんだろ?それはそれでいいんだ。言ってたろ?そう思ってくれるだけで、アイツにとっては救いだったんだって」

「アマデウス?」

 

 魔神を詰っていたときとは一転して響を肯定するアマデウスに、立香が訝しげに首を傾げる。

 が、そんな立香がアマデウスを問いただすより前に、快活に笑うアマデウスがパンパンと手を叩く。

 

「ま、そんなことよりお別れの挨拶をしたほうがいいぜ?相互に法則が流入するこの世界が無くなったら、もう二度と会えないんだ。だったら、最後は後腐れなくだ、違うかい?」

「あ──ううん、違わない」

 

 思わせぶりな様子を見せたアマデウスだったが、少なくともその言葉は正しいと認め、立香は小さく頷く。

 そして身体を回し響へと向き直り、ペコリと頭を下げた。

 

「──ありがとう、響、皆。色々あったけど、この特異点……特異点でいいのかな?の異常を解決できたのはS.O.N.G.の皆のおかげです!」

「立香ちゃん……ううん、こっちこそありがとう。この世界を守れたのは、立香ちゃん達の──カルデアの人たちおかげだよ」

 

 2人は互いに守りたいものを守れたことへの感謝を告げる。

 本来なら交わるはずのない異世界──出会うはずのない存在との奇跡の邂逅が生み出した円満な結末は、お互いに心通わせ、力を合わせた結果なのだと笑顔で認めあった。

 

 

 そんな2人を皮切りに、それぞれの世界の住人が異なる世界の住人へと別れの言葉を口にする。

 

「異界の防人の力、確かに見させてもらった。──神話に名を刻む英雄、その伝説に違わぬ実力を肌で感じられ感無量だ」

「いいえ、いいえ剣の貴女。この時代にあって、なおも立ち上がるあなた達が勇士なのです。私達はその介添を果たしただけ──今に生きるあなた達が立ち上がったから、この結果が生まれたのですから」

 

 翼の心からの感服に、ブリュンヒルデは彼女にとって当然の論理で感謝を述べる。

 そんな2人の元に、ひらり、と羽が舞い降りる。

 

「──おっと、間に合ったな」

「奏ッ!──その、身体は……?」

 

 魔都ネツァクの守護天たるヘルヴォル・アルヴィト──天羽奏が翼とブリュンヒルデの前に降り立った時点で、その肉体の過半は魔力の粒子へと還っていた。

 

「ヘルヴォル……そう、貴女は魔神に喚ばれたのでしたね」

「……ええ、御姉様。ダビデ王が槍を使用した時点で、私達は一足先に消滅するところでした、が──」

 

 魔力で編まれたサーヴァントが魔力を使い果たせば、当然ながら消滅する。特に、結界が崩壊し主たる魔神から離反したヘルヴォルは魔力の供給もなく、絶唱混じりの宝具まで使い消滅まであと僅か、というところだったのだが──。

 

「──ま、別れの挨拶も無しってのはあれだろ?だから限界ギリギリまで粘って飛んできたんだ」

「もう、無茶しすぎだよ……」

 

 笑う奏に、翼は目尻に浮かんだ涙を拭いながら笑う。

 そんな翼を見て、奏はやれやれと首を竦めた。

 

「まったく、翼は泣き虫だな……なんて、置いてったあたしが言うこっちゃないよな。ま、言っても死んでる身だからあんま悲しむなよ?ほら、翼も平行世界の生きてるあたしに会ってはいるんだろ?」

「そうだけど、でも──ううん、これこそ泣き言だ。……また、一緒に戦ってくれてありがとう、奏。それに、ヘルヴォルも」

 

 最後の翼の言葉に言葉を返すこと無く、奏はニコリと笑う。そして、そのまま小さく手を振り──金色の粒子と共に消滅した。

 それが奏の笑みだったのか、それともヘルヴォル・アルヴィトの笑みだったのか──それを論ずる意味はないだろう。疑似サーヴァントとして召喚された時点で、彼女は奏であり、同時にヘルヴォル・アルヴィトであったのだから。

 だから、その微笑みは2人の別れの笑顔だったのだと、翼とブリュンヒルデは顔を見合わせ、コクリと小さくうなずいた。

 

 

「ハハハ、大儀であったぞ人の子よ!ああ全く、お前たちは正しく光明だったとも!いやあ、隷属からの開放は気分がいい!」

「………………そう、ありがとう」

 

 己の妹の顔で、盛大に上から目線のドヤ顔を向けてくる神にマリアはため息とともにおざなりな感謝を述べる。その横ではマリアのそんな態度を嗜めるべきか、それとも神の傲慢さを謗るべきかで悩むベディヴィエールの姿がある。

 感謝の気持ちはあるが、それでもこうも妹の身体で自由にされるとどう反応していいか困る──そんな態度を見せるマリアに、魔都イェソドの守護天ヌァザは悪い悪いと軽く謝罪する。

 

「さて、と。今頃私の常若の国(ティル・ナ・ノーグ)も同じように巻き戻っている頃だろう。其処に居た住人たちも、まあ先の少女同様にこの世界に戻るだろうさ。誇るがいい、お前たちの選択は最善の結末を導いたぞ?」

「……私達だけじゃないわ。小日向未来やキャロルみたいなこの世界の住人や、ベディヴィエール卿や藤丸達カルデアが居たから──そして、守護天であるあなた達が魔神に抗ってくれたから。だから、皆の選択が導いた結末よ」

「ええ、そのとおりでしょう。──星の聖剣は、人の思いを束ねて奇跡を為すモノ。様々な世界の、人も、英霊も、神でさえも一丸となったからこそ、あの奇跡が起きたのだと私は信じています」

「……こそばゆいな、なんとも」

 

 真正面から堂々と褒められ、恥ずかしげに頬を掻くヌァザ。

 そして僅かに目を伏せたヌァザはうん、と己を納得させるように小さく頷き再び顔を上げた。

 

「──そうだな、であればその褒め言葉はやはりセレナに向けるべきだろう。私の依代、巫女としての在り方を満たしながら、私という神に生きて魔神に一泡吹かせる道を選ばせたのは彼女だからな」

「ええ、それはもうそうするわ。あの娘は自慢の妹ね──でも、貴方が居たからという事実も変わらないのだし、神様なのだから称賛くらい堂々と受け取って欲しいわ」

「──そうか、であれば一切躊躇なく受け取ろう!そして──」

 

 と、ヌァザの表情が一変する。

 否、依代たる少女の可愛らしさが全面に出た優しげな顔は、その肉体の本来の笑顔であると即座に理解できるものだった。

 

「──ありがとう、姉さん!この世界を、皆を守ってくれて!」

「セレナ……ううん、貴女もよセレナ?ヌァザの中で聞いていたんでしょう?貴女も頑張ったんだから、私に自慢の妹を褒めさせて?」

「……えへへ」

 

 優しい笑顔で頭を撫でられ、セレナは年相応の笑顔を浮かべる。

 仲睦まじい姉妹の様子に、ベディヴィエールも思わず微笑んでしまう。

 だが、そんな時間にも終わりが訪れる。

 

 セレナの身体を構成する魔力が、少しずつ解けていく。

 金色の粒子へと還るその姿を見て、マリアはセレナの髪を撫で付けていた手を離した。

 

「……そろそろ、お別れね。ありがとうセレナ。短い間だけど、貴女とまた一緒に居られて嬉しかったわ」

「私も嬉しかったよ、姉さん。ベディヴィエールさんも、姉さんを助けてくれてありがとうございました。……あ、あと姉さん、響さんにも私からありがとうって言ってたこと──」

「ええ、ちゃんと伝えておくわ。それじゃあ、さようなら──セレナ」

 

 万感が籠もったマリアの最後の一言に、セレナは笑って頷いた。その目の端に涙を浮かべ、それでも最後は笑って別れようという少女の想いが伝わる綺麗な笑顔とともに──セレナ・カデンツァヴナ・イヴは、神霊ヌァザはこの世界から消滅した。

 

「……それじゃ、貴方ともお別れね。ありがとう、ベディヴィエール卿。まさに騎士って感じの振舞い、かっこよかったわよ?」

「ふふ、ありがとうございます。──さようなら、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。この世界の銀腕を継いだ戦士──貴女のこれからの道行きに幸あらんことを心から願っています」

 

 ふ、と笑みを交わし2人は踵を返す。銀腕の騎士達は互いに背を向け、それぞれの帰るべき場所へと颯爽と歩みだした。

 

 

「……で、ダビデファラモドキのおっさん。あんたには随分世話になったな」

「そう思うんならそんな面白い呼び名はやめて僕のことをギュッと抱きしめて温めてくれてもいいんだよアビシャグ!」

「うっせーバーカ。いいから其処にいろってんだ」

 

 足がもげて立つことも出来ない、ファラの姿をしたダビデに悪態混じりに向き直る。とは言え、ここまで共に戦ってきた戦友たる彼らであればそれが照れ隠しであることはひと目で分かった。

 壁に立てかけたダビデに無言のまま向かい合っていたクリスは、やがてポツリと口を開いた。

 

「これで、お別れなんだな」

「そうだね。まあ、人生出会いも別れも付き物さ。君の人生はまだまだ長いんだ、僕みたいな死人に足を引きずられることはない」

「……軽く言ってくれる、あたしはそこまで割り切れねえよ」

 

 ダビデのドライな言葉に、クリスは顔を曇らせる。

 未だ十代の少女であるクリスだが、二度と会えない別れというものは幾度も経験している。死に別れも、そうでないものも。

 だが、それでも慣れることはなかった。特にも親しくした相手との別離というのは、彼女の心に深く澱のように堆積していっている。

 

「……そうかい?ま、それもいいだろうさ。君は今までそうやって思いを積み重ねて、心を継いできたんだろう。なら、僕のこともついでくらいに持っていくくらいに思ってくれればいいさ。──あ、それとも僕をそっちに連れてって色々と温めてくれるのかいアビシャグ!」

「やんねーよッ!ああもう調子狂うなあッ!?」

 

 最後の別れだと言うのに相変わらずのダビデに、クリスは頭をガシガシと掻く。だが、その表情には先程までの別離の憂いは無い。

 掴みどころのないダビデの態度は、確かにクリスの心に対する負担を軽くしていた。

 

(……それも含めてのこのテキトーな感じなのかもな。相変わらず掴めねーオッサンだ)

 

 ダビデ王、イスラエルの伝説の王。ここに居る他のサーヴァントたちと異なり、明確に老齢まで生きた英雄。

 だからこその達観ぶりなのか、それとも元来そういう質なのかまでは終ぞクリスは知ることが出来なかった。だが、そういうのもいいだろうと今のクリスは思うようになっていた。

 

「──ま、いいさ。そんじゃ精々元気でやれよダビデのオッサン」

「勿論。一度死んだ身だからね、死んだ後くらい気楽にやるさ。そっちも頑張ってね、クリス」

「!……ああ、あたしの人生まだまだこれからだからな。山程頑張って良い目見てやるってーの」

 

 最後の別れと思えないくらいの軽口を叩きあい、クリスはダビデに背を向けた。軽い調子で一歩を踏み出し、彼女は先を向いて歩き始めた。

 

 

「……ありがとう、クリス。僕を向こうに運んでくれて」

「……なんつーか、締まんねえなあ」

 

 十秒後、歩けないダビデをカルデアに運ぶために戻ったクリスにダビデは嘗て無いほどバツが悪そうな声音で感謝を述べていた。

 

 

 

「そんなわけで、あたしたちの活躍もギル君のおかげなんデスよッ!宝具貸してくれてありがとうデスッ!」

「うん、ありがとうギル君」

「いえいえ、ちゃんと振るえたのなら良かったです」

 

 少々離れ、ギャラルホルンゲート前。

 切歌と調の2人は、世話になった子ギルに素直に感謝の気持ちを伝えていた。

 

「うーん、だいぶ世界も戻ってきていますね。そろそろ僕もお役御免みたいだ」

「そういえば、通信を一手に引き受けていたんデスよね。そういう意味でもありがとうデースッ!」

「あはは。まあボクは殆ど戦ってませんから」

 

 朗らかに笑う子ギル。肩の荷が下りたと言わんばかりに宝物の山に軽く寝そべるその姿には英雄らしさはない。

 

「……のに、王様らしく思えるのは何でだろう……?」

「王ですからね。さて、それじゃそろそろお別れですね。ああ、別に湿らしい挨拶はいらないですよね?」

 

 よっと、と体を起こした子ギルはそう軽く告げる。

 一応最後の別れということのハズだが、彼の態度はダビデのそれを上回るほどに軽いものだった。

 

「あたしたちは若干湿っぽくなってたところだったんデスが……」

 

 切歌の言葉にうんうんと同調する調。唯我独尊感溢れる言葉に、切歌や調の心に浮かんだ寂しさは何処かに吹っ飛んでしまったようであった。

 が、腐ってもというか青すぎてもと言うか、それでも英雄王である子ギルがそんな彼女たちに悪いと思うことは当然無く。はははと軽く笑い飛ばした。

 

「さて、それではお疲れ様でした。宝物庫を吹き飛ばした件はこれでチャラにしましょう」

「……宝物庫はむしろ迷惑料をむぐぐ」

「しーッ!調ストップッ!あ、何でも無いデスよ」

 

 ノイズに苦しめられていたことが多々あった世界の住人として、バビロニアの宝物庫に物申したいところがあるのだろう。

 とはいえ最後の別離というタイミングで話をわざわざ拗らせるべきではないとして切歌は慌てて調の口をふさいだ。

 むしろここで宝物庫爆破について言及する子ギルは流石の空気の読めなさこそが問題なのだろうが、切歌は彼が言って改善するような人間でないことを共闘の中で十分に理解していた。

 

「いやいや、冗談ですよ。──それでは、さようなら。縁が合えばまた会いましょう」

「あ、じょ、冗談だったデスか。ほっとしたデス。……それじゃ、さよならデースッ!」

「──うん、さようなら。縁が合えば、また……」

 

 切歌と調、そして子ギル。ゲート防衛に勤しんでいた3人は、そんな風に軽く別れを告げた。

 

 

『さて、そろそろお別れの挨拶は終わったかな?』

「うん、ぼちぼち」

『よろしい。それじゃ、そろそろ帰還準備を始めるとしようか……と、その前に』

 

 カルデア組とS.O.N.G.組での最後の交流が終わる頃には、すでに新宿周辺以外の全てが元の世界へと変じ始めていた。

 流石にいつまでも居られるものではないと職員に立香たちの帰還手続きを取らせ始めたダ・ヴィンチは、己の作業を始める前にコホンと咳払いをした。

 

『うん、やっぱりこういう事は必要だよね。……。S.O.N.G.の皆さん。貴方達のおかげで、我々の任務は無事達成することが出来ました。人理継続保障機関フィニス・カルデア技術顧問兼所長代理、レオナルド・ダ・ヴィンチとして、ここに皆さんに感謝を申し上げます……ありがとうございました』

『こちらこそありがとう、フィニス・カルデア。貴方達のおかげで、ギャラルホルンのアラートを無事停止させ人々を守ることが出来た。S.O.N.G.の司令官として重ねて、深い感謝を申し上げる』

 

 画面越しに、2人は確りと頭を下げた。

 やがてどちらともなく頭を上げ、互いにふ、と小さく笑った。

 

『まあ、そんなわけで。皆もありがとね、それじゃ、帰還するよー』

「うん、お願い!」

 

『お前たちも、すぐにギャラルホルンゲートを通って帰還してくれ』

「了解ッ!」

 

 それぞれの上司からの指示に互いに了承の返答をし、響と立香は最後にもう一度だけ向かい合った。

 

「それじゃ、さようなら!縁があったらまた会おう!」

「うん……うんッ!さようなら、縁が、あったら……また、一緒に頑張ろうねッ!」

 

 互いの目線が交錯した瞬間、2人は同時に満面の笑顔を浮かべた。

 その瞬間、カルデアの帰還システムが作動し、立香やサーヴァント達は光に包まれ始め──そして、この世界から退去した。

 

「…………」

「おい、行くぞ」

「あ、うん」

 

 カルデアを見送ったままその場に佇んでいた響は、クリスに声を掛けられ踵を返した。

 彼女は何かを惜しむようにもう一度振り返り、なにもないことに頭を振って。

 

 

「──それじゃ、私達も帰ろうッ!私達の世界にッ!」

 

 

 響は元気よく声を張り上げ、仲間たちと共にギャラルホルンゲートから元の世界へと帰っていった。



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epilogue

「……それで、例の──『魔神侵食事変(デーモン・アンカー)』について、原因は結局ソロモンの杖で良かったのか?」

「はい。何処が分岐点かと言えば、恐らくソロモンの杖が分岐点だと考えられます」

 

 S.O.N.G.本部の発令所にて、弦十郎はエルフナインからの報告にううむと唸った。

 

「ソロモンの杖は完全聖遺物であり、人の思う通りに機能・動作します。そのファジーさも異端技術によるものなのでしょうが、ともあれフォニックゲインで励起している間は、指示された意図を汲むために能力の許す限り機能維持に努めようとします」

「……確かに、誰でも──それこそ、完全に非戦闘員だった未来くんですらその機能を利用することが出来た。彼女はソロモンの杖を用いてバビロニアの宝物庫を閉じるよう強く願い、実際に宝物庫が閉じた以上はその点に間違いはないだろう」

「そうです。そして、その強い願いを維持するために、ソロモンの杖は自己の機能の保全に努めた。──我々の世界と異なり、ネフィリムの高熱を受けて尚も融け残った状態になっても」

 

 それが、あの平行世界の切掛だった。『偶然』ソロモンの杖が欠片でも残り、『偶然』ソロモンの七十二柱である魔神がその領域に近づいたことで分岐が発生したのだ。

 そこから先は、戦いの中で魔神が語ったとおり。自己保全に努めたソロモンの杖は、計算式としての特性を持つ魔神を己の補完に用い、魔神は滅びゆく己を維持するための依代として杖を利用した。

 魔神は平行世界に滲み込んだ。原初の魔術基盤としての世界法則を世界に流入させていった。そして──無自覚の感情に狂い、異変を引き起こした。

 少なくとも、記録できた情報から推測できる事実としてはそういうことになっていた。

 

「それにしても、魔術に魔神、か……」

「異なる法則、神秘──ボクたちの世界とは似て非なる様々な常識。平行世界ではない、まさに異世界というほかありませんでした。それに──」

 

 と、エルフナインは散っていった魔神について思いを馳せる。

 彼女とは厳密に言えば全く関係がない。あくまで平行世界の自分と何らかの関係があった、というだけの話でしかなかった。

 

「──彼が感情をちゃんと順序よく認識できていれば、或いは……あの世界は全く独特な平行世界として、ボクたちと関わっていたのかもしれません」

「それは、例えば魔神がカルマノイズに悩まされて、ギャラルホルンが鳴って──協力して事に当たる、というようにか?……そう言えば、今回はカルマノイズが発生していなかったな」

 

 今更ではあるが、弦十郎は首を傾げた。

 ギャラルホルンがアラートを発するときは、得てしてカルマノイズが関わっていた。それがない、ということはその検討方針に誤りがあったのだろうかと唸る。

 が、エルフナインは首を振った。

 

「いえ、それは早計かもしれません。魔神や指揮者デモノイズの力があれば、カルマノイズとも真正面からやり合えます。出現したカルマノイズは魔神にとってもイレギュラーであることを考えれば、早々に滅していた可能性もゼロでは無いかと……」

「成程、な。確かにギャラルホルンのアラートも最初から徐々に大人しく……いや、あれは魔神が世界の法則を乖離させていったからだったか」

「今となっては不明ですが、どちらもであっても不思議ではありません」

 

 短期間で解決せざるを得なかった代償としてS.O.N.G.が調査できたものは少なく、そこで何があったのかについては推測するよりほかにはなかった。

 まして、その世界における問題の原因も、起きた異変自体もすでに消滅してしまっている。どうあれ、真相は闇の中であった。

 

 2人の間に沈黙が降り、やがて弦十郎は肩を竦めた。

 

「いや、とりあえずカルマノイズについて検証は無意味だな。どちらにせよ平行世界の影響も無くなったことを考えれば、あまりそちらにばかり気を取られている場合でもないだろう」

「……そう、ですね。パヴァリア光明結社が何を掴んでいたのか、カストディアンとは、アヌンナキとは何なのか。関係あるかは不明ですが、ギャラルホルンとは何なのか……。ボクたちの世界で何が起きているのかを調査していかないと、ですね」

「そうとも。まあ、それはともかく今日は休むといい。ぶっ通しでオペレーティングしていたからな、随分と疲労しているだろう」

 

 その言葉に図星を突かれたように、エルフナインは申し訳無さそうな表情を浮かべる。

 他のオペレータ達はなんだかんだと軍由来の組織でエージェントをしていた人間であり、体力などは並の人間に比べ十二分である。が、エルフナインの身体能力は逆に貧弱としか呼べないものであり、その癖専門知識に優れることからその身にかかる負担が相対的にかなり大きなものである。

 当然ながらそうやって無理をしている彼女について弦十郎たちが気づかぬわけもなく。警戒態勢が解けた現状においては、休ませることを優先させることが彼らの仕事だった。

 

「う……はい、それではお言葉に甘えさせていただきます」

 

 そんな有無を言わせぬ気配を察して、エルフナインはよろよろと席を立つ。

 そしてエルフナインが退室する間際、その余り働かない頭にふと、異世界で生きていた己と同じ姿の少女の残像が去来する。

 

(……キャロル。ボクは貴女に助けられてこっちで生きています。平行世界のボクに言われても、と思うかもしれませんが……どうかパパの言っていたことを忘れないで、新しい居場所で生きていけるよう祈っています)

 

 エルフナインを助けられなかったことに(歪められていたとは言え)罪悪感を覚えていた少女。戦いの中で己の命を情報に変え、サーヴァントとして再誕した平行世界のキャロルに向けて。

 休憩室に歩を進めながら、エルフナインは心からそう思った。

 

 

 

「立香ちゃんたち、今も元気でやってるかなあ」

「ええっと、今回の平行世界であった人たちだっけ?カルデア、っていうところの……」

「うん、そうそう!昔のすごい人達と一緒に戦ってね、もうすごかったんだよ!」

「そうなんだ、私も会ってみたかったなあ……」

 

 興奮混じりに話す響に、話を聞いていた未来は神話の英雄とその主として行動していたらしい少女に思いを馳せる。

 

 異変の後、一応未来も映像だけは見せられていた。シンフォギアや錬金術師などとは一線を画す、個人の力と英雄としての伝説に沿った奇跡を行使する戦士たちの姿は、普段装者達を見ているときとは違うものがあった。

 人類の歴史に燦然と輝く星、時代を変革させる英雄としての一種のカリスマというべきそれが戦いの端々から感じられた。

 

(……そう、弦十郎さんみたいな感じって言えば良いのかな……?)

 

 動画越しではあるが、彼らを見て最初に未来が思ったのはそれだった。

 S.O.N.G.の司令であり極めて高い個人戦闘力と大人としての度量を併せ持った風鳴弦十郎は、彼女たちからしてもとても尊敬できる人物であることは間違いない。

 彼らサーヴァントは程度の差こそあれ、そういった大きい度量を持っているように(画面越しに見る未来からは)思えるような人たちであり、だからこそ英雄なんだろうな、などと考えを巡らせていた。

 

「いい人たちだったよ!……その、何人か色々と暴走気味だったけど」

「えっ……暴走?一体何があったの?」

 

 が、そんな未来の想像に響の言葉が一滴の染みを作る。

 暴走と聞いて未来は真っ先に隣の友人のことを考え、恐る恐るどういうことかと聞いてみる。

 

「えっと、モーツァルトさんはなんか時々こう……お下品な感じで、ブリュンヒルデさんは時々すっごい怖くて、ダビデさんは事あるごとにクリスちゃんに求婚してたり……」

「そうなの?暴走ってそういうこと……?」

 

 色々と胸中に嫌な想像を膨らませていた彼女に気づく様子もなく脳天気に響が返した言葉に、未来はある意味とても驚かされた。

 どうやら未来が見た今回の異変のダイジェスト版に映っていないところでは色々あったらしい。

 神話・英雄に詳しければそういう人間であることも知っていようが、未来はそういった方面の知識にはそこまで詳しくないため所謂「英雄」という言葉とのギャップに驚かされていた

 

 でもいい人だったよー、等とさして気にしていない様子の響に未来は苦笑した。

 

「あ、それで立香ちゃんなんだけどね、立香ちゃんもすごかったんだ!」

「サーヴァントさん達のマスター何だっけ?よくわかんないけど……でも、うん。すごかったよね」

 

 話を戻した響に、未来は画面に映っていた少女を思い出す。

 橙の髪を片方だけアップにしたショートヘア。若干吊眼なその顔は少女の活発さを強く表していたように思える。それ程までにアクティブ感を感じさせていた。

 そして未来が何よりすごいと思えたのは、彼女はサーヴァントたちのように戦える人間ではないにも関わらず、前線でしっかり戦い抜いていたのだ。

 

(……きっと、たくさんそういう経験を積んだからなんだとは思うけど……ううん、それでも見習わなきゃだよね)

 

 未来は戦闘力がなかったために、S.O.N.G.の発令所からの応援ぐらいしか出来なかったということが多くあった。

 勿論、響の居場所を守るということを大前提に置いている以上、後方からの応援や呼びかけが大切であることは未来も承知している。下手に真似て、己の力を弁えずむやみに戦場に出よう、なんて思っているわけではない。

 ただ、必要な時にはちゃんと戦場にだって出て響の助けになってみせる、という強い思いを心の中でより明確にしていた。

 

「あ、そろそろ打ち上げ会場だよ!」

「そうだね、皆待ってるだろうし早く行こっか。……エルフナインは出れないんだっけ、あとでお疲れ様会もやんなきゃね」

 

 未来の言葉にうなずきながら、響は会場に足を踏み入れた。

 

「おおー……相変わらず豪華ッ!」

「ホントだ。あんなに切羽詰まってたのにいつの間に横断幕まで……?」

 

 『☆魔神侵食事変解決打ち上げ会☆』などとデカデカと描かれた横断幕に、豪華な料理の数々。

 色気より食い気な響は目を輝かせてあたりを見回し、その中に深く知った顔があったことで未来と一緒に足を運ぶ。

 

「皆、お疲れ様ッ!」

「おっと、ようやく到着か」

「定刻は過ぎていないから問題もあるまい。立花も立役者なんだ、労わせてもらうとしようか」

 

 そこに居たのは翼やクリスを始めとした装者たちである。

 本来世界的アーティストである翼やマリアも、うまいこと予定を合わせて参加していた。

 

「そうね。それにしても随分と話し込んでいたわね?」

「立香ちゃんたちのことについて、未来に教えてたんです」

「ギルくん達のことデスか?」

「そっか、会ったのは向こうの……」

 

 平行世界の彼女はともかく、こちらの未来が会ってないという事実に今更ながらに気づいて、切歌や調は顔を見合わせた。

 

「そうなんだ。だから会えたら良かったのにな、って」

 

 結局、ここに集まっている面々の中で彼女たちに会えなかったのは未来だけである。

 彼女は彼女で、装者全員が離脱した場合に備えてこちらの世界に残っていたのであり、何も仲間はずれにされていたというわけではない。ないが、それはそれとして話題がちゃんと共有できないという事実には変わりないため、話してみたかったというのが本音だった。

 ほんのり拗ねているようにも感じる雰囲気を醸し出した未来に、あー、とクリスが口を開く。

 

「まあ、気を落とすなって。ほら、ギャラルホルンは結局つながったまんまなわけだしな。なにかすれば会えるかもしれねーだろ?」

「クリス……」

 

 クリスの言った事自体には誤りは無い。ギャラルホルン自体は未だ当該世界につながっているのだ。

 あくまで向こう側の安全が確保出来ていないこと、ギャラルホルンのアラートが収まっていることから近々の問題にはならないだろうということで先の世界に渡ることを許可していないというだけなのである。

 

「そうね。ギャラルホルンがつながった世界とあちらの世界の住人が本来住んでいた世界は違う。にも関わらず、ギャラルホルンの接続が切り替わる様子が見られないということは……あるいは、私達が今回行った……そうね、カルデア風に言うなら"特異点"かしら。それが未だ残っている可能性があるわ」

「……つまり、もしかすれば会えるかもしれないってことですか?」

「ええ……とはいえ、だからこそその世界への渡航が認められていない訳なのだけど」

 

 優しく笑って頷いたあとで、マリアはそう言って困ったように眉をひそめる。

 未来は申し訳なさそうにしているマリアに笑顔を浮かべ、小さく首を振った。

 

「いいえ、大丈夫です。会えたら良いなって思ってただけですから」

「そうですよマリアさんッ!それに心配しなくても、いつか絶対、また会えますッ!」

 

 互いを気遣うようにしていた2人に、響は堂々と笑顔で言い放つ。

 

「また何時になく自信満々だな、立花?」

 

 その余りにも当然と言わんばかりの態度に、翼は一瞬呆気にとられる。が、すぐにその顔にも笑顔が浮かぶ。見れば周りも同じなのだろう、それぞれがそれぞれに笑っている。

 しかしそれこそ当然であろう。共にこれまで戦ってきた親しい友である彼女が何を論拠にしているのか、なんて考えるまでもないのだから。

 

「──勿論ですッ!また会えるって言ってましたから、だから絶対──また会えますッ!」

「……うん、そうだね。その時が楽しみだね、響」

 

 満面の笑みを浮かべた響に釣られるように、未来の微笑みも大きくなる。

 いつか会えるその日を思い、彼女たちは話に花を咲かせるのだった。

 

 

 

 

 

「────う、ん……。戻って、これた、かな?」

 

 閉じていた眼をゆっくりと開き、立香は億劫そうに辺りを見回す。

 胡乱げなその視界に真っ先に入ったのは、薄桜色のふわりとした髪の毛の、安堵の表情を浮かべた少女だった。

 

「はい、先輩。お疲れ様でした、亜種特異点の修復完了です」

「マシュ……うん。ただいまー……いやあ、今回もとびきりだったなあ!さて、どっこいしょっと」

「先輩、その台詞は年齢不相応です」

 

 コフィンが開いたところで、年頃の乙女らしからぬセリフと共にその身体を前へと進める立香。

 取り繕ってくださいとじっと見てくるマシュにごめんごめんと軽く謝るその間にも、まるで現世へと馴染みを深めていくように確りとした足取りへと変わる。

 

「それで先輩、まずは休息を……」

「うん、それも良いんだけど……ちょっと確認したいことと、やりたいことがあって」

 

 そういって立香はパチパチと目を醒ますように数度瞬きをし、その足を休憩室とは別な方へと向けた。

 

「先輩?どちらに──って、ここは……」

「うん、フランス組の部屋。というわけで──アマデウス、いるー?」

 

 カルデアの本来ならマスターたちが使うマイルーム、今はサーヴァントたちが使用しているその部屋の自動扉をくぐり、立香は中へと呼びかける。

 

「ああ、いるとも。うんうん、聞きたいことがあったんだろう?済まないマリア、ちょっとだけ中座させてくれるかい?」

「勿論構わないわ!だから話したいことがあれば、ちゃんと話してきてね?」

 

 そんな立香に呼びかけられることが判っていたかのように、悠々と飾り椅子に腰掛けていたアマデウスが彼女たちを出迎えた。

 同じ部屋でお茶会を開いていた他のサーヴァントたちが何があったのかと目線を向けてくるが、今回の特異点の話だろうことを理解して目線を戻す。

 主催であるライダーのサーヴァント、マリー・アントワネットに許可をとったアマデウスは席を立ち、マスターと共に部屋を出た。

 

「先輩?アマデウスさんが何か……?」

「うーん、どうにも気になってて」

「?」

 

 どう言おうかな、と逡巡する立香にマシュは不思議そうな目線を向ける。

 ややあって、かけるべき言葉が決まったらしい立香は顔をガバっと上げた。

 

「……よし!アマデウス、一体何で魔神にあんな辛辣だったの?やっぱり音楽魔つながりだから?それとも……」

「あ、あーあーちょっと待った。そんなに意気込まなくてもちゃんと答えるよ。うん、あれは幾ら何でも八つ当たりだったからね」

 

 聞きたいことを次から次へと羅列していく立香をどうどうと嗜め、アマデウスは自嘲気味に笑った。

 そんな2人の会話を聞いて、マシュは立香が何を気にしているのかに思い当たった。

 

「……確かに、アマデウスさんは魔神に厳しい態度でした。先輩はそれが気になっていたのですね」

「うん。それで、やっぱり自覚もあるみたいだし、教えてほしいんだ」

 

 じっ、と真剣な表情で立香はアマデウスを見つめる。そんな先輩に釣られるように同じようにマシュにも視線を向けられ、アマデウスは僅かに躊躇し、しかし腹をくくったとばかりに口を開いた。

 

「まあ、一言で言えば……同族嫌悪だったのさ」

 

 ポツリと零したアマデウスの言葉に、立香とマシュは顔を見合わせる。

 

「同族……」

「……嫌悪、ですか?その、詳細を聞いても……?」

 

 どういうことなのか分からず、マシュが更に質問する。

 アマデウスも言葉足らずだったとは認識しているようで、マシュの言葉に頷き詳しく語り始めた。

 

「つまりさ、あー。アイツ、居ないべきときに居て後悔していただろ?アムドゥシアスは」

 

 そう言って、アマデウスは今さっき出てきた部屋に目線を向ける。

 そこからは先程の茶会メンバーの談笑する声が聞こえてくる。処刑人シャルル・アンリ・サンソンや竜騎兵シュヴァリエ・デオンのようなフランス出身のサーヴァント達の笑い声。

 音楽家として超人的な聴力を持つアマデウスは、その笑い声が誰に向いているのか、その交流の中心が誰なのかも声色だけで聞き取れる。

 先程自分を送り出した、フランス王妃の鈴を転がすような笑い声をその鋭敏な耳で受け取ったアマデウスはフ、と自虐的な笑みを浮かべた。

 

「つまり、僕の場合は逆でね。僕は居るべきときに居なかったんだ」

「────」

 

 まあ、生前の僕に何が出来たかはわからないけど、等と自分に対する呆れ半分に肩を竦めるアマデウスに、なんと言って良いのかとマシュと立香は口をつぐむ。

 そんな2人の様子に気づかないような態度で、アマデウスは話を続けた。 

 

「同じ由来を持っている僕とアイツで、真逆の状況で──それでも、大切な誰かを溢すような選択をしたんだ。ほら、お笑い草だろ?それがあんまりにも腹が立ってさ」

 

 今にして思えば大人気なかったなあ、などと嘯くアマデウスに気負う様子は見られない。

 心情を隠蔽している風でもなく、真正気にしていないということがマスターである立香にも見て取れた。

 

「……アマデウスは、その……」

「おいおい、気にすることじゃないんだ。たとえ生前がどうであれ、今ここにいる僕らは死者であり──」

 

 そう言って、アマデウスは自身の指先を見つめた。

 

「──僕はマリアの傍にいることが出来る。それだけでも十分なんだ、僕は」

 

 その言葉が心底満足そうであり、それ以上立香には何も言えなかった。

 言葉を失い立ち尽くすマスターに、アマデウスはピタリと人指し指を向けた。

 

「それよりも、だ。君、こんな音楽家より大事なことがあるだろう?」

「え──あ!」

 

 指を突きつけられた立香は僅かにキョトンとし、その言葉が何を言いたいのかを理解してハッとした。

 慌てて踵を返し駆け出そうとして──最後にアマデウスへと振り返った。

 

「……確かに用事はあるんだけど、別にアマデウスより大事とかそういうことじゃないよ!どっちも大切なことだったからね!それじゃ行ってくる!ほら、行こうマシュ!」

「あ、はい!今行きます先輩!」

 

 そう言って、英霊召喚システム・フェイトの設置されている部屋へと走り出す2人。そんな2人を見送って、アマデウスは部屋へと戻った。

 

「あら、おかえりなさいアマデウス!どう?マスターとはちゃんとお話できたかしら?」

「おいおい、僕を幾つだと思っているんだいマリア?」

 

 部屋に戻ってそうそう、保護者みたいな物言いをするマリーにアマデウスは苦笑する。彼女の後ろで子供みたいな精神性じゃないかとか言っている処刑人と騎士の2人はガン無視している辺り、いい大人なのに子供っぽい面が無きにしもあらずだったが。

 

「2人共、そんなこと言っちゃダメよ?それでアマデウス、どういった事を話してきたの?やっぱり今回の特異点のお話なのかしら?」

 

 軽口を叩く2人を嗜めつつ、興味津々といった風にマリーがアマデウスにキラキラとした瞳を向ける。

 そんな彼女にアマデウスは一瞬言葉を失い、ついではははと笑いだす。

 

「もう、そんなに笑わなくてもいいでしょう?」

「いやいや、ごめんごめん。それじゃ、お詫びと言っては何だけど──」

 

 むぅ、と膨れたマリーに笑いながら謝罪したアマデウスは、魔力を用いてピアノを作り出した。

 

「──ピアノを弾こうか。なにかリクエストはあるかい、マリア?」

「リクエスト?そうね……それなら、貴方が子供の時の曲なんてどうかしら!ほら、子供の時からきれいな歌をいっぱい作っていたでしょう?」

「いっぱいは言いすぎじゃないかな?ま、いいや。それじゃ、姉さん用に親父が作った音楽帳に載っけてた、僕が鍵盤用に作ったメヌエットから弾いていこうか」

 

 アマデウスはそう言って、ピアノの前に座り鍵盤に指をかけた。

 普段はアマデウスと仲が良いとは言えないデオンやサンソンも、ピアノを楽しみにしている王妃の前で邪魔をするつもりはなく、そもそもアマデウスのピアノを止めるほど常識知らずでもないため静かに拝聴する姿勢に入る。

 

 そんな3人の様子に小さく笑みを浮かべ、アマデウスは神寵の指で美しい曲を奏で始めた。

 

 

 

「ダ・ヴィンチちゃん!準備できてる!?」

「もっちろん!さあ立香ちゃんも準備準備!」

 

 自動扉が開くと同時に勢いよく踏み込んだ立香に、既に待機していたらしいダ・ヴィンチが笑顔で急かす。

 

「召喚システムの準備が出来ている、ということは……!」

 

 遅れて同じように部屋に入ってきたマシュは、既に諸々の準備が整っていることを理解しダ・ヴィンチの元へと駆け寄る。

 そこでいくらか話をした後、職員として所定の配置に着いた。

 

「ええと、この霊基数値であれば……良し、準備できましたダ・ヴィンチちゃん!」

「よろしい、いつもどおりスピーディーで優秀だぞマシュ。それでは、召喚に入ろうか!」

 

 出来の良い生徒を見るような目でマシュを褒めるダ・ヴィンチ。他に気を配りながらコンソールを誰よりも早く正確に操作している辺り流石の万能の天才である。

 そして立香が召喚主としてサークルの前に立ったところで、ダ・ヴィンチは全員に指示を出す。

 

「それじゃ、立香ちゃん?」

「うん。──満たせ、満たせ、満たせ──」

 

 この二年に満たぬ旅路の中で、最早数え切れないほどに唱えてきた召喚の詠唱を今再び唱える。

 勿論、今彼女が思っているのは今回の特異点でのみ成立していたサーヴァントのこと。幼い見た目の、しかし数百年を生きた人。

 

(最初にあったときから、何だかんだずっとに居て。そして、最後には──!い、いやセーフ!あれはノーカンノーカン、医療行為だから!いやそれ以前に見た目子供だからセーフ!よし!)

 

 今回の短い旅路を思い返し、何を思い出したかその顔にほんのりと朱が差し込みながらも詠唱を続けていく。

 その様子にマシュはじとっとした目線を向けていたが、しかし召喚サークルに反応が現れたことで表情を変えた。

 

「──反応あり!召喚──来ます!」

「!──抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ────!」

 

 マシュの声をまるで聞いていたかのように、サークルの魔力は更にその出力を増していく。

 やがて部屋全体が白い光に包まれ────。

 

 

「────こうやって召喚されるのは二度目だが、何とも慣れない心地だな」

 

 

 その光が収まると、そこには小さい一人分の人影が佇んでいた。

 大きな鍔の帽子も、体をすっぽりと包むローブもまるでお伽噺の魔女のようであり──そのどれもが、亜種特異点で共に居た1人の錬金術師に相違なく。

 

「そうだな、こういうのも様式美というものだろう。あちらでは何だかんだ緊急の呼び出しだったからな」

 

 可愛らしい見た目に似合わぬ、スレた笑みを幼い顔に浮かべてそう嘯く。

 それも立香にとってはついさっきまで見ていたものであり──なのに、何かとても懐かしいものを見たかのように破顔する。

 

「……なんだ、急に笑いだして。いや、まあ良い」

 

 そんな立香を訝しげに眺めていたが、仕切り直すように咳払いをした。そしてその表情を引き締め、キャロルは自身で様式美と言った台詞を口にした。

 

 

「──サーヴァント、アヴェンジャー。キャロル・マールス・ディーンハイムだ。……問おう、お前がオレのマスターか?」

 

「──うん、うん!私がマスターの藤丸立香です。……改めてよろしくね、キャロル!」

 

 

 サーヴァントからの問いかけに、マスターはそれが当然なのだと言わんばかりに笑顔を浮かべ、手を差し出す。

 僅かに面食らったように目を開いたキャロルは、しかしすぐにその顔を穏やかな笑みへと変え、信頼を見せるようにその手を握る。

 

 これからも続くであろう旅路を祝福するように、どこからか美しいピアノの音色が鳴り響いていた。



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