『その男、バレル』 (はいばら榊@旧名)
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第1話 熱斗

 時空タワーの観測棟は、今までにない緊張感に包まれていた。指揮者のみならず管制員達も、現在置かれている事態の深刻さを嫌という程理解している。

 デューオの地球抹殺プログラムが始動し、地球と人類の生命糸に、今や高みから見下ろす神の指先がかかろうとしていた。異星のネットナビでありながら余りにも力ある存在は、自身の価値観を絶対視し地球人類を断罪しようとしている。

 人類を悪しき存在と断定したデューオが、30年前の地球を消滅させてしまった場合。30年前を生きていた人間ばかりか、その後に生まれている熱斗や全ての生命が、誕生から否定される事になる。

 父親達の真剣な様子に、熱斗は拳を握った。はっきりとした表情にこそ出さないが、隣に立つ炎山も思いは同じに違いない。

 人類、他の生命、更にはロックマン達ネットナビの誕生に続く未来も、全てがデューオの否定一つで無にされてしまう。

 そのような事があっていいものではない。今を否定されるのも、過去から人類の全てを否定されるのも沢山だ。

 地球抹殺は、必ず止めて見せる。それが熱斗の誓いだった。

 長い一日が、おそらくは生涯忘れる事のない一日が始まろうとしている。

 先程、熱斗の父、光祐一朗博士が、12人のクロスフュージョン・メンバーに集合をかけた。10時間後、この観測棟に1人を除く12人の紋章保持者が集結する。

 熱斗と同様デューオに選ばれた人間として、パートナーのネットナビと共に地球存亡をかけた戦いへと身を投じる者達が。熱斗は、彼等全員をよく知っていた。

 職業や立場の様々な、しかし人間ともネットナビとも心を通わせている仲間達がやって来る。

 そう、1人を除いて。

 デューオの紋章を持つ者の中でただ1人、バレル大佐だけが欠けてしまう。しかし、それは無理のない事だった。

 熱斗と共に今を生きているバレルは、存在しない。バレルは既に故人であり、モニターの向こうから話かけてくるバレルは20年前を自身の時間としている過去の人間だ。

 つまり、モニター越しに見せているバレルの表情も声も、その全てが20年も前に大佐が発した過去の情報でしかない。

 過去…?

 いや、違う。熱斗は、確信をもってそう叫びたかった。

 かつてネビュラグレイ事件の時。侵入したアメロッパ軍の実験棟で出会ったバレルは、確かに今を生きる熱斗と触れ合う事の可能な存在ではなかったか。

 少し低目の大人の声、落下する熱斗を受け止める逞しい右腕、防寒服越しに感じた鮮やかな身のこなしも、当時の熱斗の五感全てが「ここにいる」と認識していた。当時の感覚も、今に残っている記憶も、決して間違いな筈はない。

 勿論。パスト・トンネルの理論は難しくてよくわからないものの、あの姿をしたバレルが過去の彼であるという事実自体を否定するつもりはなかった。

 ただ、時として。過去という壁の向こうにしかバレルがいない、そのようなニュアンスで話をする父や炎山達と受け止め方の違いを感じてしまう。熱斗がそう捉えてしまうのも事実ではあった。

 果たして、バレルは皆が言う通りの存在なのだろうか。

 ロックマンなら、きっと『そうだよ、熱斗君』と即答するだろう。父親も炎山も、これから集まる仲間達も、皆がそう熱斗に返すのだろうとの予測がつく。

 だからこそ、IPCは現在バレル大佐の紋章に関する情報をアメロッパ軍に請求中だというし、念のため炎山はこれからバレルが生前住んでいたマンションに向かうと言い出した。

「でも、それってさぁ…」

 微かに熱斗が独りごちる。

 13人目の仲間が、仲間である筈の人間が、今では紋章一つに置き換えられてしまっている。

 現実問題としてその対処は間違いではないのだろうが、熱斗は個人的に面白くなかった。13人目だけが、人間として扱われていない。

 しかも、他ならぬあのバレル大佐が。

「何か言ったか?」

 自分のPETを見下ろしていた炎山が、ふと顔を上げ不機嫌そうに熱斗を睨んだ。

 慌てて熱斗が、首と両手を横に振る。

「いや、別に。…ただの独り言だって」

「下にヘリを用意させた。大佐のマンションに行くだけなら俺1人でも構わないのに、お前がついて来るというからあれこれ変更しているんだぞ。文句があるなら、ここで待て」

「いや、ホントに違うって! 文句とかそんなの全然ないから。頼む、一緒に行かせてくれって」

 炎山が、ふと顔を背けた。

「大佐は、そこにはいないんだぞ」

「…わかってる。でも、13個目の紋章の為じゃなくて、13人目の仲間の為に俺が行ってもいいだろう?」

 横顔の炎山が目を大きく開いた後、静かに目を閉じた。

 そして、目を開いて熱斗と向き合う。

「そうだったな。…行くぞ、熱斗」早々に歩き出した炎山が、すれ違いざま白衣姿の大人に話しかける。「では、行ってきます、光博士」

「ああ。連絡は密に取ろう、炎山君」

「はい」

「じゃあパパ、行ってきます。行くぞ、ロックマン!」

『OK、熱斗くん!』

「熱斗も炎山君も気をつけて」

 身につけているPETからの声を耳にしつつ、熱斗も歩き出した。父の簡単な見送りが、背中を更に押してくれる。

 炎山の後ろ姿を見、友人も気づいてくれたのではないかと熱斗は思う。

 バレルの価値は、紋章だけではない。勿論、1人過去から現在に出現する事のできるカーネルのオペレーター、そのような価値だけでも終わらない。

 バレルは仲間であり、恩人であり、また会いたいと思わせる魅力溢れる大人でもあった。

 熱斗は、ネビュラグレイ事件の時、別れ際に聞いたバレルの言葉を思い出す。

「俺は、不死身のバレルだ。また会おう、熱斗君」

 シャッター越しの声は力に満ち、あの声が、言葉が、熱斗の奥に小さな炎を点している。

 もし胸の炎が今も燃えていなければ、障害の多かった仲間探しは頓挫していたかもしれない。人の心は弱く、対するアステロイドは仲間の数よりも多いのだから。

「置いてゆくなよ、炎山~!!」

 しかし、ようやくここまで来た。今からバレルを探しに行く。

 シャッター越しのあの約束は、決してモニター越しの再会を指していた訳ではないのでは。何の根拠もなく、しかし熱斗はそう信じて疑わなかった。

 紋章だけではなく、カーネル1人でもなく。熱斗のよく知るバレル大佐を手繰り寄せる為に、熱斗は再び動き始めた。

 外に出た途端、乾燥した空気が熱斗の全身にまとわりつく。

「ひぇ~」

 思わず熱斗は、情けない声で悲鳴を上げた。

 その様子を、振り返った炎山が冷めた眼差しで見ている。

「やはりここに残るか? 今夜に備えて、お前は疲れを取っておけ」

「やだよ。行く。行くってば!」

 頬を膨らませ、手を翳しながら熱斗は空を見上げた。

 どうしても行きたいのだ。どうしても。

 アメロッパの砂漠を照らす日は、まだ高い。

 

                    「第2話 炎山」 に続く  (全7話構成)



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第2話 炎山

 往復の時間を考えるなら、IPCの炎山専用ジェット機でより多くの距離を稼ぐ方法が理想と思われた。

 アメロッパ砂漠から長距離を移動し、バレル大佐がかつて住んでいたというマンションのあるアメロッパタウンへ。そこで用事を済ませた後、日帰りでUターンをしようという計画だ。

 伊集院姓を持つ炎山にとって、それは特別強行スケジュールでもなければ、不慣れな移動でもなかった。

 IPC副社長として、広大な国土を持つアメロッパの地方都市間を短時間で移動するなど、別に今日初めて行う事ではない。視察に商談、会食など、このアメロッパを疾駆させられた経験はいくらでもある。

 それが、炎山の日常そのものだった。

 隣で車中の食事を楽しんでいる熱斗には、想像の世界でしかないのだとしても。

 IPC所有の小型ジェット機で最寄りの空港に降り立ち、炎山は予め手配していた黒塗りの高級車を市街地の中心に向かわせた。経験上、日帰りUターンは確かに可能と言えるのだが、距離が距離だ、さして時間に余裕がある方ではない。

 ましてや、アステロイドの妨害が途中入らないとも限らなかった。

 あのスラーの事。最後の紋章とも言うべきバレル大佐の紋章をこちら側が手に入れる難しさを、よく理解している筈だ。それでも動いてくるのが、彼女ではないのか。

 途中、不測の事態によって時間を浪費する可能性は考慮すべきだろう。だからこそ、急いでいる。

 そう、我々は皆が知ってしまった。デューオの紋章が、複製可能だという事を。

 事実、Dr.リーガルはそのようにして既に13全ての紋章を手に入れている。

 かつてDr.ワイリーが抽出した大佐の紋章に関するデータは、オリジナルがリーガルによって奪い去られてしまい、アメロッパ軍にコピーが残っている可能性も極めて低い。

 それでも一縷の望みを繋ぎ今一度軍内部でデータの洗い出しを進めてもらっているが、おそらく何も出てはこないだろう。

 炎山が、早々にバレル大佐の自宅を捜索しようと決めたのは、バレルという男の聡明さと用意周到なところを大いに買っている為だ。

 カーネルを未来の事件解決に送り込むバレル大佐が、紋章を仲間に届けたいと願わぬ筈がない。ここで人類の希望とする糸が切れてしまう事を、決してよしとはしないだろう。

 炎山は、その可能性に賭けていた。大佐の自宅に何がしかが残っているのではと踏んだのは、炎山なりの推理である。

 急ぎ食事を終えた炎山は、サンドイッチの入っていた箱を畳む。そして、シートに背を預けた格好で思案げに小さく息をついた。

「あぐあぐ…。うんめぇー!」

 隣で、熱斗の声がする。

 炎山が顔を傾けると、ちょうど熱斗がサンドイッチを口に運ぶところだった。事態の深刻さを理解している今でさえ、簡単な食事に熱斗はさも幸せそうな声を上げ頬を紅潮させる。

 たとえ何処に向かおうと大佐には決して会えない、そう知っている筈の彼なのに。

 熱斗の言う、皆が大佐の紋章だけを求めているとの指摘を炎山は敢えて否定しなかった。そのような思いが強いのは、紛れもない事実だからだ。

 しかし、やむを得ないではないか。今置かれている状況を見れば、個人的な感情は捨てざるを得ない。

 あと十数時間で地球が消滅してしまうというのに、出会う見込みのない仲間を追い求めても悪戯に時間を浪費するだけとなる。炎山の中で、急務と人情は秤にかける事すらできなかった。

 ただ一人、そのいずれをも大切にしようとする今の熱斗が、炎山には無謀に思え、また一方では少し羨ましくも思える。

 そもそも炎山とて、バレル大佐という人物に思い入れがない訳ではなかった。

 熱斗は忘れてしまったのかもしれないが、紋章保持者と知る以前からバレルを追っていたのは、他の誰でもない。炎山自身なのだから。

 IPCの情報網を駆使してアメロッパ中を嗅ぎ回り、カーネルというナビの動きを引き寄せ、更には「バレル大佐」というオペレーターにまで辿り着く。そして再びIPC幹部として、今度はアメロッパ軍に関係情報の提供を求める。

 時間はかかった上に紆余曲折があったものの、カーネル、バレル大佐、そしてデューオの紋章は、主に炎山の尽力によって一本の線で繋ぐ事ができた。

 何故かバレルの行動に2系統がある事をつきとめたのも、ちょうどこの頃にあたる。

 アメロッパークで日光浴をして過ごす老人と、カーネルを幾度も事件解決に差し向ける積極的なオペレーター。どちらもバレル大佐というのだから、驚きだ。

 その間、たったの20年間。

 アメロッパ軍から多くの情報を引き出しても尚、「不死身のバレル」は幾つかの謎を残す不可思議な男だった。彼の全ては、未だ濃い霧の向こうで静かに探索者を拒み続けている。

 何故彼は、50歳の肉体にあれ程の老化を抱え死亡してしまったのか。

 20年前のナビであるカーネルに時空移動の能力を与えた人物と、一体どのような関係にあるのか。

 そして何故。多くの事件解決に尽力してくれた人物が、老いたバレルではなく、20年前のバレルと限定されているのか、など。

 炎山が持つ全ての手段を用い、光博士の助力を得ても、謎解きはとうとう完璧に終わらなかった。

 深層の謎を解き明かすには、まだ情報が足らないらしい。欠けているのだ、中心を占める最も大きなヒントのかけらが。

「…山! おい、炎山!」

 突然、やや強い口調で炎山は熱斗に呼ばれた。

「話しかけたら、返事くらいしろよな。どうせまだ着かないんだし」

「…すまない、考え事をしていた」

「もしかして、それってバレルさんの事?」

「ああ」

「やっぱ仲間だもんな。時空タワーで声は聞けるし、何だかすっごく身近に感じるよ。俺」

 炎山が返事に窮していた時、PETからブルースの声がした。

『炎山様、オート電話です』

「わかった」

 一旦手の平を熱斗に翳し、炎山は素早く電話に出た。

 案の定、相手はアメロッパ国防省筋の人間で、バレル大佐の紋章に関する件で急ぎ回答してきたのだ。

 ようやく判明するか。炎山の中に、僅かな期待が膨らむ。

 但し、電話の内容は思わしいものではなかった。やはり軍は、紋章に関する情報・記録を一切持っていないという。

 今置かれている状況を考えれば、嘘ではないと見るのが妥当だ。炎山は話を信じ、協力に対する謝意を伝えて会話を終わらせた。

 そして、聞いたばかりの内容を熱斗と、遠方にいる光博士、ライカにも伝えておく。

 ライカは現在空路にて、プリンセス・プライドと共にアメロッパへと移動中だった。

「了解した、炎山。プリンセスにもお伝えしておく」

 手短な返事だけを返し、ライカは通信を切った。

 ライカらしいと言えば、ライカらしい。落胆は秘めて表に出さない、それが彼の振舞いだ。

 そして、とうとう希望は、バレル大佐の自宅だけとなってしまった。

 隣でようやく食事を終えた熱斗も、失望を隠そうとはしない。

「軍になかったんだ、紋章のデータ」と、熱斗。

「ああ。これでもし大佐の自宅に何もなかったら、とうとう俺達は手詰まりだな」

「あーっ!! あっちのバレルさん、来れないのかな。パスト・トンネルを通ってさ。顔が見れて声も聞けるのに、なんで体だけ無理なんだよ」

「それが簡単なら苦労はしない。たとえ僅かな可能性があるとしても、大佐は移動の際に途方もないリスクを背負う事になるんだぞ。お前は大佐を、そんな危険に晒したいのか!?」

「えー…」

 言い返すつもりの言葉を噛み潰し、熱斗が不平顔で唇を尖らせる。

「だからせめて紋章だけでもと、こうして探しているんじゃないか」

「そっか…。そうだね。もし紋章が見つかったら、あっちのバレルさんを危ない目に遭わせないで済むんだ」

「ああ」

 炎山が車窓を眺めると、陽光を弾くビル群が高さを競い聳え立っていた。景色から察するところ、目的地にかなり近づいているものと思われる。

 こうして街は光で満ち溢れているというのに、審判を下した神の傲慢から、この世界の明日は風前の灯だ。地球消滅まで、最早時間はさほど残されていない。

 当然、この街諸共30年前の地球が消滅する時、20年前のバレル大佐もその存在を抹消される。今更危険の有無など問うまでもなく。

 街も、世界も、我々も、そしてバレル大佐も消える…のか。

 炎山は、自身で言い出した事を反芻し、打ち消さんと強く首を横に振った。

 20年前の大佐が自ら持っている紋章。もしやそれこそが、最後の希望なのではないか?

 一度は否定したものを欲している自分がいる。そのような自分をどう受け止めてよいのかわからず、炎山の心が腹に重く沈んだ。

 

                   「第3話 ライカ」 に続く (全7話構成)



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第3話 ライカ

 氷山に覆われた海を下に見、ヘリが東進を続けている。

 武骨な軍用ヘリの乗り心地は決して良いとはいえないものの、貴き生まれの美しい乗客は愚痴一つこぼさず空の移動に耐えている。

 幸い好天に恵まれ、飛行は至極順調。太陽の光がヘリと下界の氷山を照らしている。

 それにしても。この奇妙な組み合わせが最早奇妙と言えないところに、今置かれている状況の異常ぶりがあるのだろうとライカは思った。

 クリームランドの王女が国内最強ネットナビを自身のPETに収容し、シャーロ軍の下士官を随行者の一人に加えながら出国。シャーロ軍の輸送ヘリでアメロッパに入国しようというのである。

 指定空港に着陸後、アメロッパ政府の手配したヘリが、ライカとプリンセス・プライドを光博士の待つ時空タワーに移動させるよう全てが手配されていた。緊急性と移動時間の短縮を考えるならこの方法もやむを得ないと、関係国全てが判断した結果である。

 最も長く飛行するシャーロ上空の飛行許可を極めて短時間で得る為にも、彼女にはこのシャーロ軍の輸送ヘリで最も長い時間をひたすら我慢していただくより他になかった。

 まず間違いなく今夜。アメロッパに到着し夜を迎えた後、最後にして最大の過酷な戦いが始まる。

 それだけにライカとしては、せめて移動の間だけでも快適な空間と休息を姫君に提供して差し上げたかった。

 しかし現実はこの有様で、王女に相応しい空間どころか、不便を感じさせないもてなしすら提供する事が叶わない。

 もしも。彼女が、クリームランドの王女でなかったら。彼女が、防衛の要ナイトマンのオペレーターでさえなかったら。この白く華奢な腕や肩に、国民と人類の運命を担わずに済んだのではなかろうか。ついそう考えてしまう。

 デューオの紋章を持つ者は、世界各国に13人。但しその中に、軍人としての経歴を持つ者は余りに少ないのが現実だ。

 世界各国に優秀な軍人が沢山いる事は誰一人疑わないものの、彼等でも背負った事のない過酷な運命にプライド姫が見舞われてしまった。

 民間人を多く含む一見無作為な選抜メンバーに、デューオは一体何をさせたいのだろう。

 これまでの経緯を考えるなら、相応の、いや、それを遥かに上回る激しい戦闘が今後想定された。Dr.リーガルの不気味な行動も予測が難しいだけに、3勢力の衝突という最悪のシナリオも最早避けられそうにはない。

 一度戦闘に突入してしまえば、戦略、適切な判断、経験、技量、そして武器の威力がものをいう。プライドには申し訳ないが、この先、気力でどうこうできる次元の問題でなくなる事は目に見えていた。

 たとえ彼女が、強力なナイトマンとクロスフュージョンできようとも。

 それが戦闘というものだ。厳格なルールに拘束されている公式ネット・バトルや、命までは奪われないサバイバル・ゲームとは根本的に違う。

 姫君に紋章を持つ者としての役割が無ければ、御身を思い強制的に帰国させてしまいたい程だった。

 顔にこそ出さなかったが、ライカも憂鬱なのである。軍人として、またサーチマンのオペレーターとして、周囲を驚かせる程の結果を積み重ねてきたというのに、今のこの身の何と無力な事か。

 同じく紋章保持者として、せめて姫君以上の働きをし彼女の、そして仲間達の負担を下げてやりたいと願っても。時空を自在に行き来する神の如き異星のネットナビを相手に、12組の人間とネットナビのペアが何をしたら状況を好転させられるというのか。

 そう。デューオに選ばれた人間は13人いるのだが、最後の1人を戦線に加える術が無い。

 欠けてしまうその人物こそ、ライカが意識するもう1人の軍人であり、シャーロ軍にもその名を轟かせている大国アメロッパの伝説的存在だった。

 バレル大佐。もし彼が生きていれば、ライカは50歳の大佐と対面が叶ったのかもしれない。かつて、肉薄する敵に対し起死回生の望みを繋いだ作戦で大勝利をおさめ、「不死身のバレル」と呼ばれるようになった元アメロッパ軍総司令官である。

 髪、アイ・カラー共に黒。将校でありながら空手の達人で、白兵戦にも長けているという。頭脳、肉体、共に最高のものを備えており、シャーロ軍諜報部は常に彼の動向を追跡せんと試みていたようだ。

 尤も、その度に手酷い反撃を受けていたようなのだが。

 察するに、ネットワークを掌握し常に大佐を補佐し守っていたカーネルから、容赦のない妨害を仕掛けられていたのだろう。

 総司令官当時にバレル大佐の立てた作戦とその指揮ぶりは、間接的な経路を介し戦争終結のかなり後、シャーロにもたらされたと聞く。おそらく、今も尚関係資料がシャーロ軍記録庫に保存されている筈だ。

 バレル大佐ならば。もし、彼がこの戦闘に参加する事ができるのなら。素人と軍人、そしてそのナビという13組の混成部隊は、一つにまとまる事くらいはできるとライカも確信する。

 今この13組は、幾つかの重大な問題を抱えていた。

 勿論、総合的な戦力の差は最大の問題点ではあるが、そもそも今のライカ達にはリーダーが不在だった。

 最前線で、最適な指示を出す事ができる者。年齢、国籍、立場も様々な者の集まりが、己を、そして集団としての決定を委ねてもいいと認める存在。戦闘時如何に係わらず、雑多な集まりと化してしまいそうなクロスフュージョン・メンバー全員の心を束ね、更には士気を高める存在が、今早急に必要なのである。

 現在総指揮は、時空タワーの観測棟に詰めている光祐一朗博士が行っているが、いざ戦闘が始まってしまうと、最前線にはその場を指揮する者が必ず必要になる。人間である事を捨てたDr.リーガル、そしてアステロイドとの戦いも想定される中、経験豊富な戦闘指揮官は不慣れな光博士の負担を下げる意味でも必要不可欠と見るべきだろう。

 これから我々が立つ事になるのは、人知を越えた戦場なのだ。既に皆が、相当な不安を抱えている。人としての適性と限界を、それぞれ知っているが為に。

 それなのに、何故。デューオの審判が下される前に、バレル大佐は亡くなってしまったのか。

 そして、カーネルを操るもう一人のバレル大佐は、20年間という時間の向こうから姿と声を届ける事しかできないのか。

 仲間達は、皆が切望している。彼の大佐の合流を。

 その為に必要な手段は、まだ見つからないのだが。

 炎山は現在、せめて大佐の紋章だけでも手に入れようと熱斗と共に大佐の自宅に向かっているという。しかし、ライカは余り楽観していなかった。

 紋章に関するデータはアメロッパ軍にも無かったと、つい先程連絡を受けた。しかも、Dr.リーガルが全てを持ち去ってしまった後、Dr.ワイリーは今一度大佐の紋章を分析し直さなかったと聞く。

 最初のデータを作ったワイリーすら作業に関わってはいない中、他の誰に紋章の分析が可能だったというのだろう。

 再分析が行われていなければ、そもそも何も存在しない。自宅の訪問は無駄足になるのでは、との思いが頭を過った。

 ふぅと息をつき、ライカは憂鬱な気分を払拭しようとコーヒーを用意する。

 そして、プライド姫と世話役の女性にもカップを渡し、努めて冷静に話しかけた。

「今まで随分と、未来にいる我々を助けてくれたバレル大佐です。大佐の紋章に辿り着く方法は、何処にはあると思うのですが」

 手袋越しにカップで手を暖め、プライドが何かを言いかけてやめた。

「何か…?」と、ライカが話を促す。

「その事なのですが…。20年前の大佐に手を貸し、カーネルに時空移動の力を与えたのは、一体誰なのでしょう? もしや私達は、その人物をこそ追わなければならないのではありませんか?」

「そ、それは…!!」

 今度は、言いかけたライカが喉の奥に言葉を詰めてしまう。

 ライカとて、その可能性を気に留めていなかった訳ではない。ただ心の何処かで、その人物はワイリーなのではとの推測を一人密かに立ててもいた。

 全てにワイリーが絡んでいたと考えると、筋の通る部分が余りに多いのである。

 常人には決して見る事すら叶わぬデューオの紋章を分析する能力まで持っているのなら、カーネルに時空移動の能力を与えていてもさほど不自然ではなかろう。

 そもそも。バレル大佐と当時のDr.ワイリー、そしてカーネルというナビは、ほぼ同時期にアメロッパ軍に所属していたという共通項で強く繋がっているではないか。

 しかも、バレル大佐とワイリーとの関わりも、決して希薄なものではなかったようだ。

 Dr.ワイリー。まだまだ疑ってかかるべき存在と見るべきだろう。

「しかし、ワイリー…!」

 その名を改めて唱えかけ、ライカは絶句した。何か大きな見落としがあると、ライカの頭脳が警鐘を鳴らしている。

 ワイリーではなく。そう、バレル大佐に、だ。

 かつて幾度となく20年前から現在の事象にカーネルを送り込み、現在の時代に干渉してきたバレル大佐が、今更原因と結果の反転に躊躇いを見せる筈がない。

 何故大佐は、過去の自分に情報を与え、もう一度ワイリーに紋章の分析を行うよう指示しなかったのだろうか。

 IPCの最新式PETの情報を過去に送り、トリニティ・ブレイン社の最深部で稼働しているヒカリ・タダシ・プログラムの情報まで提供しておきながら。他にも数々の事件解決に絡み、明らかに未来の情報を持っていると思わせるあの大佐が、リーガルが紋章を奪う事の意味と危険だけは伝えなかったというのか。

 おかしい…。バレル大佐の行動に、大きな矛盾を感じてしまう。

 ライカは、咄嗟の思いつきを手短にプライドに伝え、急ぎ自身のPETを取り出した。

「サーチマン。アメロッパにいる光博士に連絡をつけてくれ。緊急だ」

『了解しました、ライカ様』

 観測棟との回線が繋がるまでの間、ライカとプライドは互いに顔を見合っていた。

「確かに変ですね」と、眉をひそめたプライドがカップを握る。

 ライカは頷いた。

「亡くなった大佐は、おそらくもっと別の方法で我々が紋章を揃える事ができると知っていたのだと思われます。可能性の一つに過ぎませんが、今よりもっと未来の情報として。その方法さえわかれば…」

 直後、PETからサーチマンの声が割り込む。

『ライカ様。時空タワー観測棟の光博士が出ました』

 

                   「第4話 祐一朗博士」 に続く (全7話構成)



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第4話 祐一朗博士

 シャーロ上空にいるライカからの緊急連絡。

 観測棟に詰めている祐一朗がそう聞いた時、第一に脳裏を過ったのはアステロイドの襲撃という可能性だった。

 先程炎山から連絡があり、バレル大佐のマンションに向かう途中、市街地でアステロイドからの襲撃・妨害を受けたという。

 幸い、ロックマンとブルースが迎撃し大事には至らなかったそうだが、スラーにこちらの考えを見抜かれているのだと改めて祐一朗は思った。

「こちらに繋いでくれ」

「はい」

 管制員がメイン・モニターに回線を繋げると、軍服姿のライカが大映しになった。

 その表情は固いものの、移動中の機体に異常が起きている様子は見受けられない。

 知的な祐一朗の顔から、安堵の息が漏れた。

「何かあったのか? ライカ君」

「光博士…。実は、少しお話しておきたい事があります」堅苦しい前置きの後、「極個人的な推測にすぎないのですが」と言葉を添え、ライカはプライドとのやりとりを要約して話した。

 それを聞いていた祐一朗は、自分の中で次第に視野が広がる錯覚に囚われ驚く。確かに、先回りを好むバレル大佐とは思えない手抜かりが、紋章の件のみに感じられはしないだろうか。

「なるほど。もしかしたら今年亡くなったというバレル大佐は、我々が思っている時期よりもずっと先の未来まで知ったのかもしれない、と。そういう事なのか」

「はい。今まで我々はずっと、大佐の亡くなった時期を起点に大佐の行動を推測してきました。ですが。もし、もっと先にある未来まで…。今の我々がデューオの彗星にアクセスする事ができるようになるまでを、一人先に知っていたとしたら。かえって大佐の行動には、一貫性を見る事ができるようになります」

「なかなか興味深い話だな、ライカ君。…確かに大佐が更に多くを知っていたのだとしたら、必要が無いから敢えて何も残さなかったという行動として筋が通る。勿論、可能性の一つにすぎないのだが」

「わかっています」

「しかし、有り得ない話ではないな。元々大佐は、積極的に未来を変える行動を繰り返してきた。まるで、我々に一本道を歩かせようとしているかのように、だ。カーネルを使者に立て我々を幾度も導いてくれたバレル大佐は、紋章の件について我々にどう動いて欲しいのだろう…」

「我々には、全ての紋章が必要ですからね。…どうにも掴みどころがないという点では、まるでデューオのようです。大佐の本心は」

「ライカ君、それでは大佐が…」

 言いかけてから、驚愕の余り祐一朗は絶句した。

 モニターのライカも祐一朗の思考を読み取ったのか、その端正な顔を突然硬直させ言葉を失っている。

「まさか…」と、ライカ。

「まさかとは思うが…」無意識の仕種として、祐一朗はかけていた眼鏡の位置を直す。「直に、熱斗と炎山君から大佐の自宅捜索についての結果がこちらに届く。内容如何に係わらず、二人には早々こちらに戻って来てもらおう。あと30分で、ニホンから名人達がこちらに到着する。他のメンバーも、次々とアメロッパに入国中だ」

「こちらもヘリの飛行は順調です、博士。到着予定時刻が判明した時、また連絡します」

「ああ。それから先程、熱斗と炎山君がアステロイドに襲われたそうだ。君達も、十分に気をつけて」

「了解」

 頭上のモニターが暗転し、同時に音声も切れた。

 しかし祐一朗は、最早何も映していないモニターを浅い呼吸と共に見上げていた。突如降って湧いた途方もない思考に、一人気持ちがこの場を漂う。

 バレル大佐とデューオとの関わり。普段なら相手にもしない荒唐無稽な話にも聞こえるというのに、今はそれが祐一朗を捕らえて離さなかった。

 何かがおかしくはないだろうか? そう、二人のバレル大佐、二人共が。

 そもそも祐一朗が知る限り、パスト・トンネルを利用し過去や未来への干渉を試みた人間はバレル大佐が初めてだろう。

 祐一朗の時空干渉にしても、そもそもがカーネルとバレルの模倣であり、祐一朗自身が時空を越えた訳ではない。

 しかも、その際初めて行った時空移動は、シェードマン、バブルマンの乱入によって想定外の混乱を20年前に引き起こしてしまった。

 過去や未来に干渉する難しさをその時祐一朗は思い知ったというのに、大佐が繰り返す時空干渉のあの無駄の無さは神技と言ってもいい。大佐の功績により、人類はおぼつかない足取りながら一本道を未だ歩き続けている。

 たとえ、あの異常な老化が彼一人の払った代償だとしても。

 大佐が自在にした事象の大きさとその後に与える影響に比べれば、代償は本来人類レベルに相当するのではなかろうか。心の隙を持つ人類全体が、全員で払うべき程のものでは。

 普通ならパスト・トンネルの存在を知っただけでは、原因と結果を反転する事などできる筈はない。地球を救う為に軍人として全ての手段を用いているのだとしても、成功させた時点で大佐の存在は神の領域に達している。

 バレル大佐と彼に手を貸す者を、あのデューオがよく許しているものだ。

 デューオとバレル大佐、そもそも両者に繋がりが無いと断定する事は難しい。紋章を与えられた時点で、バレルは既にデューオに見出だされているのだから。

「うーん…」

 祐一朗は低く唸った。手には汗が滲み、もどかしさから新たな苛立ちが生まれてくる。

 人が何かを知る事ができない場合、理由は二つ考えられた。

 一つは、参照すべき知識や情報が不足している為。

 そしてもう一つが、知る資格が無い為、である。人の心の奥底と同様、ヒントを手繰り寄せる手段のない謎もこの世には確かに存在する。

 老いたバレル大佐は、祐一朗に何も残してはくれなかった。

 それでも、個人的に大佐への強い思いならばある。

 彼無くして、ネビュラグレイ事件の解決は有り得なかった。どうして大佐の助力を忘れたりできよう。

 Dr.リーガルに囚われていた祐一朗を救出してくれた逞しい腕とあの優しい眼差し。若さと行動力に満ちていた大佐を未来に差し向けてくれたのが、他ならぬ老いた彼その人だった。

 当時、祐一朗の中で大きな謎となっていたカーネルというナビを、若い彼は黒い最新型PETで操作していた。謎解きの為のヒントの幾らかは、大佐に支えられ立ち上がったあの時、一気に祐一朗の中へと雪崩込んできたのである。

 自身の体験だからこそ、確信できる事もある。

 冷静に考えれば、バレル大佐という存在は極めて異常だ。

 しかし、彼は人類に味方する者で、決してデューオではない。

 そして、熱斗が慕う良き大人でもある。

 一科学者の身では、地球抹殺という事態と向き合うのは些か荷が重い。しかも祐一朗は、傍観する立場ではなく、事態打開を役割とする側の人間だ。

 不安なら際限なく湧いてくるものの、決して表に出す事は許されていない。今の祐一朗にとっても、大佐のようなカリスマ性を持つ力ある男がすぐこの場に欲しかった。

「ふっ」

 つい、渋い笑いが口を突く。

 人として、祐一朗はワイリーの心境が十分理解できると思ってしまった。WWWというネット犯罪組織の頂点に立ち悪として世界と対峙したワイリーも、バレル大佐一人を敵に回す事だけは避けていたようだ。

 熱斗に対するワイリーについての話ぶりから、彼が良き友人として大佐と接していた事がわかる。驚く事に、あのワイリーが、だ。

 一度でもバレル大佐を見知った者は、皆同じ反応を示すのかもしれない。

「博士、ニホンからのヘリが来ました」

「とうとう着いたか」

 管制員の言葉に、思考を裂かれた祐一朗の声が弾む。

 アメロッパ国内で飛行機からヘリに乗り換え、待っていた者達が遂に到着する。

 ヘリには、祐一朗が補佐を頼んだ名人の他、クロスフュージョン・メンバーのメイルと燃次の二人が乗っている筈だった。

 彼等が次第に集まってくるという事は、地球消滅という運命の時がそれだけ近づいた事でもある。

 一度は笑顔になった祐一朗の顔が、ふと曇った。

 時計を見る。

 四方が壁の為に外は見えないものの、この季節ならば日がかなり西に傾いている時刻になっていた。

 

 

                  「第5話 Dr.ワイリー」 に続く (全7話構成)



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第5話 Dr.ワイリー

 時空タワーを見下ろすクレーターの縁で、ワイリーは美しい星の瞬きを見上げていた。

 ネットワークが縦横無尽に張り巡らされている大都会とは対象的に、クレーターとその周囲に広がる風景の何と薄暗い事か。現在の人類が持てるもの全てを注ぎ込み建設した時空タワーは暗闇の中で静かに佇み、役割を果たす時が来る瞬間を待っている。

 敢えて人目を拒むかのように。

 バレル大佐の自宅で熱斗、炎山に黒いPETを渡した後、ワイリーは何を差し置いてもこの場所に急行すると決めていた。

 今日という日を迎えるまで、20年の歳月を待った事になる。その間を短いと思った事など一度もない。

 しかし、遂にこの日が来る。

 約束の時が来るのである。

 昼のうちに、バレル大佐の墓参は済ませておいた。自分の知っている事も、これで全て熱斗達に話してしまった。残る自分の役割といったら、ポケットの中にあるものを再会する相手に渡す事しかない。

 保護フィルムに包んでおいた小さなチップは、ワイリーが造ったチップの一枚。そして、最後の一枚でもある。

 世界でただ一人、ここで再会すると約束した彼の為にとワイリー自らが造ったものだった。時空タワーと共に、チップの役割もこれから始まる。

 一人のアメロッパ軍人とその仲間達が、地球消滅を回避し人類の未来とやらを守る為に、このチップもまた時が来るのを待っている。

「ふっ…」

 ワイリーはつい、自嘲気味に笑った。世界の破壊と混乱を望んでいた筈のWWW創設者が、昔馴染みの軍人一人との約束をこうも律義に守っている事を知れば、あの光正の息子は笑うのだろうか。

 クレーターの中は、奴の領域になる。ワイリーは、なるべくその中にまでは近づきたくなかった。

 20年という時間を、ワイリーがどのような思いで過ごしたのか。正の息子に知る資格などない。

 スペクトルを成す双璧の一つ、ワイリー・プログラムを持ってアメロッパ軍に出向いたあの日。ワイリーは、科学者という自分が如何に無知であるかにさえ気づく事ができなかった。

 デューオによって人知を越えた科学技術をその身に取り込んでいるリーガルとユリコを手元に置き、調査・分析の限りを尽くした時も同じだ。

 ワイリーは世界でただ一人、自分だけが地球外生命体の超越的な科学力を手にする事ができ、有頂天になっていた。正を越え、一人世界の水準の数歩先を歩いている事が楽しくてならなかった。

 そして、考えたのだ。得たものを使って一体何をしようか、と。

 今にして思えば、WWWという組織の目的自体が、歩みが遅く寄り道も多い人類に対するワイリー一人の苛立ちを晴らす事だったのかもしれない。短気なのだ、老いても尚。

 その自分が。同じく老いた一人の男と対面し、自身の無知を嫌という程思い知った。

 人類最先端の科学技術も、デューオから掠め取った超科学も、車椅子に身を預ける一人の男の知性と状態の前には沈黙し、その無力ぶりを晒け出した。

 彼こそが、バレル大佐。20年前に、ワイリー自身がKA222から未来に向け送り出した友人、その人だったのだ。

 20年前。当時のバレルが言うままに、ワイリーはKA222で廃棄を待つワイリー・プログラムを稼働させ、未来に行きたいというバレルの身を電子データに変換した。そして、彼から説明を受けたパスト・トンネルに送り込んだ。

 一体誰が、未来でバレルのデータを回収するか。その経緯をも全く知らずに。

 バレルの時空移動は、合計3回にも及ぶ。正直なところ、20年後へと意図的に送り出したバレルが生きているなど。たとえ生きていたとしても五体満足であるかなど、まず有り得ないとワイリーは思っていた。

 しかも、30歳の彼を送り出した筈だというのに、目の前にいるこの老いた男の姿は一体どういう事なのか。

 車椅子で不自由そうに体を扱う、一見力のない老人。風貌は変わり残す面影も微かだが、老いて尚澄んだ双眸にワイリーは、20年前と全く変わらないバレルの魂の色を見た。

 体の老化が異常に早いのか、或いは心の老いが極端に遅いのか。再会した時、ワイリーはまずスペクトルによる身体データの破損を疑った。

 しかしバレルは、全く別の事情があるからとスペクトルの件を否定し、心を痛めるワイリーに笑いかけた。

 ワイリーに対する気遣いではなく、まるで本当にそうであるかのように。

 科学者として誰よりも先を歩いていると自負するワイリーも、とうとうここで両手を挙げた。

 人は、余りにも無知だ。

 そしてバレルの老いが、どうしてスペクトルによる身体データの損傷ではないとバレル自身に言えるのだろうか不思議に思った。

 20年前、ワイリー・プログラムの実験をKA222で行った時。バレルは無謀にも、最も空間共鳴の激しい場所に自ら飛び込み、未来に行ったという。そして、密かに何かを為し、帰ってきた。

 しかし帰還の際に、ワイリーの恐れていた事態が起きてしまった。バレルの体に過度な負荷がかかり、全身に深刻なダメージを負ってしまったのだ。

 原因は複数考えられるが、最も大きな要因は、スペクトルの稼働状況が非常に不安定だった事が挙げられるだろう。

 元々スペクトルは、ワイリーの作ったワイリー・プログラムと正の作ったヒカリ・タダシ・プログラムの両方が完璧に揃って、初めて本来の稼働環境ができあがる。ワイリー・プログラム単体では、本来人間を電子データに変換し、それを再び元の人間に戻すところまで実行する事ができない。

 変換した身体データを元の人間に戻す役割を担っていたのが、ヒカリ・タダシ・プログラムの方だからだ。つまりバレルは、不完全なスペクトルに未来間の一往復を委ねてしまった事になる。

 ましてや、帰還先を未指定にしての移動。

 帰路で事故が起こる危険は、ある意味避けようがなかった。

 バレルの体をワイリーに治療する事ができたのは、リーガルとユリコを人として扱わなかったあの研究の成果なのだから皮肉なものだ。引き取った者達に愛情を注がなかった行為が、全く別の人間を再生させる事に繋がったのだから。

 ワイリーの元にいたリーガルが、バレルの持っている紋章のデータに魅かれたのは、同種の臭いを嗅ぎ取ったからなのかもしれない。そして、それを持ち出したのは、ワイリーとバレルに対する面当ても含んでいたのだろうと、今にして思う。

 あの時ワイリーは、持ち去られた紋章のデータが後々大きな意味を持つところまでは予想だにしなかった。

 そして、完治したバレルが再び未来に行くと動き出した時、データが奪われた事とどのように結びつくのかも推測する事ができなかった。

 デューオの持つ科学力を得ても尚、ワイリーは一科学者以上の何者にもなる事ができなかったのだ。

 それが人としての限界なら、それでも構わないとワイリーは思った。

 神になどなりたくはない。

 好奇心のみを友として何かを探り、為し遂げたい。そう思ってしまう時点で、ワイリーは宿命的に科学者以外の何者になる事も欲してはいないのだ。

 たとえそれが、悪事という領域に入る行為だとしても。

 その神の領域を覗いた者が、人類にいる。

 リーガルとユリコがそうであったように。いや、むしろそれ以上に、バレル大佐は人と神の境界線を大きく踏み越えてしまっていた。

 しかも、彼は未だ大胆な歩みを止めるつもりがないようだ。20年前に身体的ダメージを負い、この異常な老化をも受け入れた上で。

 それをワイリーが確信したのは、バレルとの挨拶を交わした後だった。

「あなたに頼みがある」

 彼の話を聞く前から、拒む事などできないとわかっていた。

 他ならぬ『不死身のバレル』の個人的な頼みとあれば。

 そして、WWW総帥としてバレルと向き合い二人三脚を始める事も、ワイリーにはできなかった。

 思わぬ再会の時に着ていたWWW総帥の服。ワイリーにとって、それは正装にも等しい服装ではあったのに、バレルの前で着る勇気がない。

 その後、事情もあり、アメロッパ国内を動き回る時にはなるべく地味な歳に合ったものに袖を通している。カーネルの改造と過去へのデータ転送の為、度々バレルの自宅を訪れていた時もまた。

 高みに立った科学者として、恋だの友情だの家族愛だのに現をぬかす者達を見下ろし笑っていたつもりが、今では自分も彼と再会する喜びに胸ときめかせている。

 自分が特別かけ離れた人間ではなかったのだと自覚し、ワイリーは頭を掻いた。

 今はただ、無性に会いたい。20年前、時空の狭間に霧散したものと決めつけていた命と。

 老いた彼が再会を段取りづけてくれたこの場所で、20年前のバレルと。

「ん…?」

 時空タワーが高出力の光を真上に放ち、1本の直線をその頭上に描いた。

 いよいよ始まったようだ。

 しかも、ワイリーの立つ場所をも包み込むように、半球状のディメンショナル・エリアが展開する。

 遠くを見て、ワイリーも納得が行った。青く輝く満月の下、虹色に彩られた空間境界の外でアステロイドの大軍団が行進をしている。

 この時空タワーを目指し。

 敵も理解しているのだ。最後にこの場に到着する者こそ、13個目の紋章の持ち主であり、13人の中では最も強力な存在である事を。

 ワイリーは用心深くクレーターを滑り下り、時空タワーに近づいた。

 少し急いでやらねばなるまい。

 歩き続けるワイリーの目前に、光の粒が集まり始める。

 ワイリーは、にやりとした。ヒカリ・タダシ・プログラムの実行する最終工程が正常に進行している証だ。

 やがてその光は薄暗がりの中で一つにまとまり、地上に一人の男の姿を形成して四散する。

 現れた男の影は肩で息をし、最初すぐに動き出す事はできなかった。

 ああ、こうして時空移動は成功したのか。ワイリーの胸の中で、言葉にならない思いが膨れ上がる。

 長い黒髪と、シルエットだけでそれとわかる軍用防寒着を着た長身の姿。全てがあの日、密かに未来へと送り出したバレル大佐そのものだった。

 彼にとっては苦痛を伴う一瞬が、他の人間にとっては20年間をかけて過ごした時間なのだと、今彼は理解できるのだろうか。

 できる筈だ、それがバレル大佐という男なのだ。

 暗がりから、彼の名を呼ぶ。

「バレル大佐、待っておったよ」

「…ドクター・ワイリーか?」

 あの時のままのバレルが、ワイリーを見つめ少し驚いた様子をした。

 無理もない。この20年間、ワイリーの身には様々な事が起きた。齢を重ね、人相が変わる程辛く不愉快な思いもしている。

 20年前に見たワイリーの顔を今日の記憶としている彼が、一瞬でも迷うのは、自然な事だった。

 それでも変わらぬ、大佐の声。

 ワイリーは、保護フィルムを外したチップを「ほれ」とバレルに投げ渡した。

「戦え大佐、クロスフュージョンで」

 左手で受け取ったバレルが、手の平にあるチップの正体にすぐ気づく。

 そして、全てを理解した輝く眼差しで「感謝する、ドクター」と礼を返した。

 仲間達の元へと走り出すバレルを、ワイリーはにやりとした笑顔で見送る。

 バレルとワイリー、これで二人共にそれぞれの約束を果たした。

 最早、ワイリーがバレルの為にも、地球消滅を回避する為にも、してやれる事など何一つない。後は、バレルの決意と彼が信じる仲間達に委ねるだけだ。

 間もなく、ワイリーの造ったシンクロ・チップがバレルとカーネルのクロスフュージョンを支援する。功績としては名の残らないそのような小さな行為が、今のワイリーには奇妙な程小気味良かった。

 正の息子ではなく、自分の造ったシンクロ・チップが、バレルとカーネルを更に強く結びつけるのだから。

 

 

                「第6話 カーネル」 に続く (全7話構成)



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第6話 カーネル

 最初、その場にいたオペレーターもナビも、全員が我と我が耳を疑った。バレル大佐が一人、デューオとのクロスフュージョンを試みるというのだ。

 それはとりも直さず、バレル一人で戦いの全てを抱え込む事をも意味していた。

 先程まで彼とクロスフュージョンしていたカーネルにとっても、驚きは大きい。それが、仲間達を、そしてカーネルをも置き去りにした、バレルただ一人の捨て身の行動と気づいてしまった為だ。

 宇宙空間を思わせる半電脳世界で、生身のバレルが毅然とした態度で巨大なデューオと交渉している。カーネルは、そんなバレルを背後から見守るしかない。

 カーネルのデリートを阻止せんと、カーネルとデューオの間に彼は突如割って入った。全てを共有し共に戦う事を誓った者同士が、今は守る者と守られる者に分かれてしまっている。

 バレルの背が無言で、「今は私に任せてくれ」と語っているのがわかる。しかし、カーネルにはそれが悲しくてならなかった。

 そして考える。何故、このような事になってしまったのだろうか、と。

 時空を越え、13組のオペレーターとネット・ナビのペアがデューオの彗星にアクセスし、全てのシステムをその統制下に置いているデューオと接見。異世界文明の生んだ超高性能ネット・ナビ、デューオの説得を始めた。

 しかし、地球人類と彼等の生み出したネットワーク文明を悪しき進化と断定したデューオは、バレルの時代より10年前、ロックマン達との出会いより30年前の地球をデリートしてしまった。

 地球消滅は、実行されてしまったのだ。

 本来地球が浮かんでいる筈の周回軌道上には、最早僅かなガスと塵の帯しかない。地球の消滅が爆発によるものではなく、存在否定による抹消なのだと、状況が語っている。

 スペクトルによる地球電子データ化すら、まだかわいい方なのだとカーネルは思い知った。変換されただけのものは、元の状態に戻してやればよい。

 しかし、一度完全に消滅してしまったものは、復元が極めて難しい。地球を再構成しても、失われた数多の命を取り戻す事にはならないのだから。

 それでも、バレルは諦めなかった。

 Dr.リーガルが試みた方法を踏襲しようと判断。デューオをここにいる者達の制御下に置き、時空に干渉。地球消滅の工程そのものを否定し、地球消滅という事態がそもそも起きなかった事にしてしまおうと考えたのだ。

 13人の誰よりも早く立ち直り周りを鼓舞する指揮ぶりは、流石バレル大佐と言うより他にない。大人も子供も、他人の幸せを素直に喜ぶ事ができる者もできない者も、彼は見事にまとめ上げる。

 元々皆がこの厳しい状況下で、我が身の行く末や肉親の事ばかりを考えたのではない。豊かで大きな自立した存在に対する外部からの理不尽な扱いに、それぞれが人としての憤りと使命感を感じている。

 バレルはそれを巧みにまとめ上げ、13組のペアの集まりでしかない集団を、チームという体裁に引き上げるのだ。

 しかし、悲しいかな。力と力、気持ちと気持ちの衝突では、神の如きデューオを相手に全く勝負にならなかった。

 デューオの持つ圧倒的なパワーは13組の総合力さえ軽く弾き飛ばし、人間とカーネル達ナビの望まない、力任せの強制的なクロスアウトをも簡単に行ってしまった。

 それにしても、何という無慈悲なクロスアウトなのだろう。実体化の拠り代たる人間の体からナビ達が無理矢理引き剥がされた時、ダメージは全てオペレーター側が引き受けてしまったのだ。

 カーネルがバレルを抱き上げた時も、彼は全身の痛みに顔を歪め、倒れたまますぐには起き上がる事ができずにいた。

 それが、デューオのやり方なのだろう。

 全宇宙に数多存在するネットワーク文明の監視者として、遥かな高みから全ての存在を冷めた眼差しで見下ろしている。そして、悪しき進化が起こっていると判断しようものなら、関係する星の命も文明も、無感情に、そしてひどくぞんざいに取り扱い抹消してしまう。

 心の弱さに甘い誘惑を囁いておいて、立て直しのきかない者達が悪戯に増えるのを嘆くのは、本来試練以前の問題だ。地球と同じような手法で試され、そして滅ぼされた文明人にとっては、感情や衝動を持っている事自体を断罪されたに等しい。

 正常な審査の方法ではなかった。ましてや、デューオに地球に審判を下す資格など元々無い。

 それでも高位の者を気取って、独善的に振舞うのがデューオなのだ。

 勿論、バレル達に対する冷遇を目の当たりにしながら、優れたネット・ナビとして見出だされた事を嬉しく思う者がこの中にいる筈もない。カーネルもまた同じだった。

 地球消滅、そしてバレル達オペレーターへの仕打ち。アステロイドが蔓延した原因もよく知るだけに、カーネル達13人のナビとデューオとの対立点は増える一方となってゆく。

 カーネルは、決然と叫んだ。

「我々は最後まで戦うぞ、デューオ!」

 元より、デリートされる事を覚悟しての拒絶だった。

 しかし、カーネル達がデューオに改めて敵対の意思を伝えた直後、バレル達がパートナーを庇い立ち上がり始めたのだ。術もないというのに、ただ強い思いから生身の姿でナビを背で隠し庇う。

 ただ一つ、自身の中から迸るパートナーのナビを守りたいとの思いから。

 そんなオペレーターとナビ達を、デューオの白い巨体が見下ろしている。感情を表現するようにはできていない、機械的な顔で。

 そして、デューオは何度目かになる同じ質問をした。

「クロスフュージョンとは何だ?」と。

 余程関心があるのだろうと、カーネルは思う。デューオの中から、興味と、悪しきネットワーク文明の産物との断定が、交互に表出する。

 そもそも、デューオがバレルや熱斗達に紋章を与えたのも、地球に実在するクロスフュージョンの何たるかを見極めたいが為だと言っていた。

 或いは、地球人が欲望に溺れアステロイドが世界に浸透する速度に、クロスフュージョンの可能性が抑制をかけるところを見たかったのだろうか。

 但し。クロスフュージョンは、デューオが考えるような力という性質のものではない。当然、精神をコントロールし人間の欲望を抑制する機能がある訳でもなかった。

 単に、人間とネット・ナビの建設的共存が見る次段階の姿、の一つにすぎない。しかしそれは、地球人類とカーネル達のようなネット・ナビが、共存の次段階を模索できる程に接近した結果でもある。

 唯一絶対の存在であるが故、対等な関係というものを一切持たないデューオに、理解する事は極めて困難かと思われた。

 それでもデューオは興味を示し、問い続ける。

 地球を消滅させた後で、僅かに生き残った人間とナビへ。

 最早、言葉の応酬では一向に埒が明かない。その回答を正確に送り渡すべく、バレルは我が身を差し出そうと決意したのだ。

「大佐…」

 カーネルは知っている。バレルの本当の狙いは、更にその先にあるのだという事を。

 ネット・ナビと人間のクロスフュージョンが成功した時、主導権は拠り代である人間が握る。バレルはその瞬間にデューオを制御し、地球復元とも言うべき大規模な時空干渉行為を行うつもりでいるのだ、と。

 失敗すれば、リーガルの二の舞になるとわかっていながら。

 バレルとクロスフュージョンすると、カーネルの中にバレルの感情が直接流れ込んでくる。異質な精神が一つの体に二人分干渉しても何ら問題が起きないのは、肯定的な感情で互いが強く、そして深く結びついているからに他ならない。

 愛や思いやりといった感情を知らないデューオが、思惑あってクロスフュージョンを試みようとするバレルと同化を始めた時。バレルが無事目的を果たす確率は、決して高くはない。

 いや、むしろ。全てを感づかれ、何もできぬうちに抹殺されてしまう可能性の方が遥かに高いと言うべきだろう。

 デューオは元々、地球人に対し好意的でないのだから。

 白い巨神がバレルに前進を促し、カーネルを置いてバレルが一人歩き出す。

 バレルの言葉を待つカーネルに、彼は何も言わない。

「バレルさぁぁん!!」

 ロックマンに止められながら、熱斗が激しく泣き喚く。その姿に、カーネル自身の思いが被る。

 そして、ふと気づいた。バレルの背が怯えているのではないか、と。

 たとえ無言で歩いていても、バレルをよく知るカーネルにはわかってしまう。

 あのバレルが怯えている。

 『不死身のバレル』の伝説を残しアメロッパの英雄と讃えられている彼も、一方では肉体一つ、命一つしか持たない一人の人間でしかない。ネット・ナビと括るには神がかりな力を持つデューオにたった一人我が身を差し出そうとする今、軍人として鍛え上げられた精神を持つ彼も平常心を維持する事は難しいのだ。

 それでも、バレルは耐えている。為し遂げたい思いの強さで、自身を必死に支えながら。

「大佐…」

 カーネルの中で、他への思いがふと途切れた。

 地球、祖国アメロッパ、そしてロックマンと熱斗達への思いも。カーネルの中で爆発的に膨れ上がる一つの思いの前に、突如として霞んでしまう。

 それは、余りにも大きな感情のうねりだった。

 勿論、決して他者への友情や祖国への思いが色褪せたのではない。単に、たった一つの思いの前に、他者への思いが静かに頭を垂れただけなのだ。

 決してバレル一人を行かせまいと、カーネルの思いは固まった。

「大佐、私もお伴いたします」

 バレルが一度足を止め、ゆっくりと振り返る。

 あのバレルの事。「来るな」と跳ね返される事も覚悟したが、バレルは何も言わなかった。

 ただ、静かな視線と止めた足だけが、カーネルに何かを語りかけようとしている。

 カーネルの背後で、仲間達がざわついた。

 最早何の躊躇いもなく、カーネルはバレルに追いつく。

 バレルはそれを待っていたかのように、並んで歩き出すのをよしとした。

 思えば、バレル専属のネット・ナビとして様々な任務をこなし、指示に従い行動してきた。時空移動をし未来で活動する時には自主的な判断も行ってきたが、バレルの思いそのものに逆らったのは、これが初めてになる。

 カーネルとしては、オペレーターを失ってまで長らえるつもりはなかった。もしバレルが地球と自分一人を引き換えるというのなら、自分は唯一彼の側におり、ネット・ナビとして、そしてパートナーとして彼を支援する存在でありたかった。

 そもそも人間を支援する為にのみ、ネット・ナビは存在するのである。

 取り残された熱斗に、別れ際、バレルが不敵な笑いを残す。

「心配するな、俺は不死身のバレルだ」

 いつもの自分を取り戻しているバレルに、カーネルは安堵した。強がりではあっても、悲壮感漂う無理ではない。

 カーネルが、そして熱斗が、彼を大切に思っている事を受け止めているが故の笑顔だ。

 たった一人のネット・ナビだけを従え、バレル大佐はこれから生涯最大の賭けに出ようとしている。

 昼も夜もない空間に球状の光が発生し、カーネルとバレルの二人を包み込む。光の球体は二人を素早く持ち上げると、水平移動させデューオの胸部に取り込んだ。

 視界が変化する中、カーネルは記憶の糸を手繰って思い出す。

 かつてスラーは言った。アステロイドの純白は、人の心で何色にも染まるのだ、と。

 ならば、これからバレル大佐がデューオを染める。

 人という存在を、そして友愛を知る心ある色へと。

 カーネルの視界にいるバレルが、更に強い光に包まれる。

 そして、それは起きた…。

 

 

               「第7話 熱斗、再び」 に続く (全7話構成)



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第7話 熱斗、再び (完結)

 観測棟で迎えた朝は、日付的には翌日という事になっていた。熱斗達がバレルと別れ、父親のいる現在の時空タワーに送り返されてから、ここではまだ半日も経っていない。

 それでも体に残る疲労感は一日分を遥かに越えており、デューオの彗星に向かった後、熱斗の体が何時間を過ごしたかは最早誰にもわからなかった。

「みんな、御苦労だった。とにかく今は十分な睡眠をとってくれ。これからの事については、君達が起きた後に報告しよう」

 祐一朗のこの言葉で、クロスフュージョン・メンバーの全員が、一旦観測棟の別室で眠りに就く。

 しかし、熱斗と共に同じ部屋で休んでいる筈の炎山、ライカからも、寝息らしいものは全く聞こえてこなかった。

 眠れる筈がない。バレルを見送った者達は、誰もがやりきれなさに苦しんでいる。

 試しに熱斗は、隣に見える毛布の山に声をかけてみた。

「…なぁ、炎山。起きてるんだろ?」

 返事はすぐになく、代わりに毛布を動かす音がする。

『ね…、熱斗くん…』

 気遣いを勧めるロックマンが、熱斗を制止しようとした。

 敢えてそれを無視し、熱斗はしつこく炎山の声を聞こうとする。

「起きてるんだろ? …眠れる訳ないもんな、俺達」

「……」

 炎山が、何がしかを答えた。

 しかし、聞き取る事ができないひどく籠った声になっている。毛布を頭から被っているのかもしれない。

「よく聞こえないよ」

「…話しかけるな」

「え?」

 確かに、炎山の声ではあった。

 但し、短く、邪険な印象の強い口調が、熱斗を戸惑わせる。

「起きたら、少しくらい話を聞いてやる。だが今は放っておいてくれ」

「炎山…」

 鳥つく島も無いとはこの事か。それきり炎山からは、拒絶的な空気が漂ってきた。

 熱斗は渋々炎山を諦め、次はライカに白羽の矢を立てる。

「なぁ、ライカ…」

「お前も寝ろ、熱斗。たとえ眠くなくてもな」

 熱斗の言葉を半ばで遮り、ライカが不機嫌そうに言葉を返す。

「こんな気分じゃ全然寝れないよ。ライカだって…」

「俺は眠れる。軍人だからな」

「軍人か…。バレルさんもここにいたら、同じ事を言うのかな…」

 横になっているライカが返事に窮し、炎山も改めて重い寝返りをうつ。

『熱斗くん、それじゃあかえって…』

「あ…、ごめん」

 ロックマンに窘められ、熱斗は慌てて謝罪する。

 しかし熱斗の失言から、室内の空気がこれ以上はないという程気まずくなってしまった。

 単に、寂しさを紛らわせたかったのに。空回りする思いが煩わしくなって、我慢できずに熱斗は立ち上がった。

 部屋のドアを開けると、通路に日が差している。

「ちょっと外の空気を吸ってくるよ」

 室内にいる仲間にしばらく戻らない事を伝え、熱斗は父親のいる管制室を目指した。

 ドアが開くと、意外に静かな事に驚かされる。

 そうかと、熱斗もその理由に思い当たった。

 デューオの脅威が去りパスト・ゲートも閉じてしまった今、時空タワーはその役割を終えたのだ。観測棟に用意した管制室も、後は片付けを待つだけなのかもしれない。

 仮眠をとっているかと思ったが、父はやはりそこにいた。名人と、他に2~3名の管制員もまたいつもの場所で、海外と連絡を取っている。

「どうした?熱斗。眠れないのか。昼までには、クロスフュージョン・メンバー全員の帰国の手続きも終わる。そうしたら我々も、ニホンに帰れるぞ」

「うん」

 熱斗は素直に首肯した。それでも、体の内側に元気が戻って来ない。

 大切なものを失ってしまったやりきれなさと、大切な人に多くを失わせてしまった痛み。そして、何もできなかった無力感から、嬉しいという感覚が何なのかを思い出す事ができずにいる。

「ねぇパパ。俺達のやり方、これでよかったのかな?」

 近づきながら話す熱斗から、多くを察したらしい。祐一朗が右手で手招きをしつつ、同時に左手でコンソールのボタンを幾つか操作した。

 メイン・モニターが切り替わり、地球の全景が映し出される。

 それはTVや勉強で見慣れた、地球の姿だった。漆黒の宇宙を背景にした青い惑星が美しい。

「見てごらん、熱斗。この映像は、今衛星から送られてきている地球の姿なんだ。わかるか? 消滅してなんかいない。地球は今もこうして周回軌道上を移動していて、我々も生きている。お前達がやろうと決めた事をやり遂げたから、今のこの地球があるんだ。…ありがとう、熱斗。お前達は確かに、地球とその未来を守ったんだ」

「わかるよ…。わかるよ、パパ。……でも、それならなんで、バレルさんだけがいないの?」

「熱斗……」

 父親の顔を見上げ、熱斗が無理な質問をする。

 熱斗としても困らせたい訳ではなかったが、他に言葉を思いつかなかった。

「俺達は、誰も欠けちゃいけなかったんだ! みんなで帰って来るつもりだったのに。バレルさん…、バレルさんをデューオに連れて行かれちゃったよ! しかも、あんなに歳とって戻って来るなんて…」

「熱斗…」

 祐一朗の手が、熱斗を優しく抱きとめる。

「外へ行こうか、熱斗」

「…うん…」

「名人、後は任せていいか?」

「どうぞ、光博士」

 祐一朗の指示を頷きながら了解し、サングラス姿の名人が歩き始める熱斗を優しく見送る。

 誰一人、バレルがいない理由で熱斗を責めはしない。

 そして、もう二度と会う事のできないバレルを惜しむ様子も見せていない。

 大人は我慢ばかりをする。熱斗にはそれが、何とはなしに面白くなかった。

 父親に誘導されるままに、観測棟の屋上へと昇る。そこはヘリ・ポートとして使われている為、熱斗も何度か足を踏み入れた事があった。

 祐一朗が、時空タワーの見える方向に熱斗を誘導する。

 覚えていた通り、やはりそこにクレーターは無かった。

 タワーから観測棟に戻って来る時、景色の激変に全員が驚いたのは、まだ夜の事。

 あの巨大なクレーターが突然姿を消し、砂漠にぽつんと建つ時空タワーと観測棟を、長い高架橋が繋いでいるではないか。今も、景色は夜見た時と変わりがない。

「熱斗。お前の気持ちは父さんにもよくわかるよ。バレル大佐という犠牲を出してしまった事を、僕も悔やんでいるから。でも、地球が消滅して熱斗やロックマンもデリートされてしまう事を、大佐は望むのだろうか? 僕も父親だから、あの人の考え方がかわらなくもない」

「それなら俺だって! 俺だって、バレルさんを守りたかった! もし俺に、もっと力があれば…。バレルさんを取られずに、デューオを改心させる方法が見つかったかもしれないのに…」

「それは違うぞ、熱斗」今まで眼鏡の奥に穏やかな目つきを浮かべていた父が、突然厳しい顔つきに変わる。「力で何もかもが解決できる訳はないだろう? 大佐が地球の運命を変える事ができたのは、力に依存しない最良の方法を思いついたからだ。今のお前の考えでは、むしろデューオの不興を買ってしまうぞ」

「…俺じゃダメだって事?」

「今回のケースはな」

「…それってやっぱり、あのバレルさんが、死んでしまったバレル大佐から色々聞いたからできた事なのかな?」

 祐一朗は、そこで一拍置いた。

「おそらくは違うと思う。過去のバレル大佐が、自分で咄嗟に思いついた事だと思うんだ」

「どうして?」

「これは、ライカ君とも話していた事なんだが。今年亡くなったという大佐の誘導には、恐ろしい程無駄がない。明らかに結果から判断し、我々を最良の方向に導いていた節がある。その理由は今回、明らかになった。熱斗も見ただろう? デューオとクロスフュージョンして全てを解決した大佐は、我々のいるこの時間ではなくもっと過去に戻っていった。それが、大佐が元いた時間なのか、もっと後になるのかはわからない。ただ一つ言える事は、後に地球を混乱させるデューオの審判に、事前に備える必要を感じたからだと思うんだ。デューオの力を借りて、パスト・ゲートが機能していた頃にわざと戻ったんだよ。その大佐がデューオとのクロスフュージョンについて教えていたのなら、過去のバレル大佐は、もっと効率のいい近道を選んだんじゃないかな」

「そっか」熱斗も、納得して頷く。「それでバレルさんは、おじいさんの姿でワイリーと会って、そして今年死んだんだ。…って、あれ? でも、おかしくない?パパ。地球が元に戻ったのなら、バレルさんはもう何もしなくていいんだろ?」

「うーん、それなんだが…」首を傾げた祐一朗が、その知的な表情を曇らせる。「パスト・トンネルで繋がれた時間の中で、大佐だけがループしているのかもしれない」

「ループって、つまり…」

『無限に循環しているって事だよ、熱斗くん。バレル大佐が、デューオの審判前に過去の自分に情報を送って。それを頼りに過去の大佐が、僕達と一緒に戦う。そして、パスト・ゲートが閉じる前に、また過去に情報を送って。この繰り返しが起きているって事なんだ』

 熱斗の中にあるもやもやとしたものを、ロックマンが言葉に直した。

 それを、祐一朗が受ける。

「そうだ。大佐の時間は、パスト・トンネルで繋がれた時間の中で閉じられている可能性が高い。そして、同じ事を繰り返すか、微調整をして未来を少しづつ変えながら、30年前と昨日までの間をずっと生き続けているんだ。死の直前になると、また過去の大佐に繋がって。…大佐の人生だけが、一度きりの人生じゃない」

「そんな…!」

 熱斗が言葉を詰まらせた。

 余りにも残酷な結末ではないか。熱斗達が取り戻した前途の長さと引き換えに、バレル大佐は自身の未来はおろか、荷を下ろして眠りにつく事すら叶わなくなってしまったのか。

「バレルさん…」

 熱斗の声が、思わず涙声になる。

「だけれど、熱斗」祐一朗が、努めて明るい声で話しかけた。「今回デューオと地球の関係が良好になって、大佐の過去修正と未来誘導はようやく終わったのかもしれないぞ。バレル大佐は、大切なものを全て守りきり、その上我々の知り得ない知識と宇宙の神秘にまで触れる事ができて、幸せな老後を迎えたんじゃないかな」

 絶対に違うと、熱斗はしきりに首を横に振る。

「そんなの悲しすぎるよ! それに、何もかもを守ってなんかいない! 自分の時間を大切にしていないし、俺達みんなの気持ちを…。気持ちを…。……バレルさんのバカ…」

「熱斗…」

 祐一朗の手が、熱斗の肩にそっと触れる。

「大佐は軍人だ。きっと、それをベストだと信じる気持ちが人一倍強かったんだろう。でも、歳をとった大佐の顔を覚えているか? 大佐は決して不幸になんかなってない。それに、熱斗達の気持ちもとても大切にしていたよ。…本当はわかっているんだろう? 熱斗も」

 潤む両目を擦りながら、熱斗は無言で頷いた。

「それに。もしかしたら大佐は、我々が思っている以上に長生きをしているかもしれないんだ。熱斗は、ウラシマ効果という言葉を知っているか?」

「ううん、知らない」

『高速で移動する物体の中にいる人は、僕達よりゆっくり時間が進むんだって。熱斗くん』

 ネットワークで検索した結果を、ロックマンが噛み砕いて説明する。

「そう」と、祐一朗が頷いた。「デューオの彗星の移動速度は、我々の想像を越えている。大佐が宇宙のあちこちを見る事ができたと話しているのだから、もしかしたら彼は、千年、…いや数万年は生きているかもしれない」

「えっ!? そんなに!! おじいちゃん、なんてもんじゃないじゃん!!」

「ああ」と、祐一朗は笑う。「物理の世界では、そうなっているんだ。…バレル大佐はパスト・トンネルに繋がれた時間の中にしかいないというのは、正確に言うと間違いだ。循環の中で、彼は何度もデューオやカーネルと共に宇宙に旅立っているのかもしれない。唯一、今回の事実から我々科学者に言える事は、彼は地球人類で一番の長生きな物知りだという事かな」

「へぇー! 数万年なんて、俺、何だか想像もつかないよ」

「その間、大佐は一人じゃなかった。心を許せるカーネルがずっと側にいたし、デューオもいた。そして熱斗、お前との思い出もな」

「寂しくなかったんだ、バレルさん。…俺は、こんなに辛いのに」

 熱斗は、時空タワーの先にまで続くアメロッパ砂漠の殺風景な景色を眺め回した。更にその先に、何かが発見できはしないかという思いから。

 一つ息をつき、祐一朗が静かに呟く。

「父さんも、バレル大佐の事は好きだったよ。彼とはもっと色々、戦い以外の話もしてみたかった。パスト・ゲートが閉じてしまった今となっては、夢なのかもしれないけど」

「…もう一度、何とかなんないかな…?」

 祐一朗がそれには答えず、敢えて別の話題を熱斗に振る。

「不思議な事を教えてやろうか、熱斗。実はさっきまで世界各地と連絡を取っていたんだが、誰もデューオの彗星の事を覚えていないんだ。町が破壊された痕跡もない」

「ええっ!?」

 熱斗の声の他に、屋上に出る為のドアからも同様の声がした。

 振り向けば、そこには炎山、ライカの他、メイル、ディンゴ、ジャスミン、燃次郎、プライドの姿もある。

 炎山が、一歩前に出た。

「それでは博士。地球は、そもそもデューオの彗星に遭遇していないという事になっているのですか?」

 祐一朗が首肯する。

「アステロイドにそそのかされたネット犯罪者達も、刑務所や拘置所にはいない。アステロイドと共謀したネット犯罪を、彼等は起こしていないのだからね」

「そんな…」

 何か思うところがあるのか、炎山がその場に凍りついた。

「彼等については、もう一度何か犯罪を起こした時に逮捕し直すしかないだろう。彼等はまた犯罪を起こすかもしれないし、何もしないかもしれない」

「全ては連中の気持ちの強さ次第、という事か」

 祐一朗の言葉を、ライカが継ぐ。

「もうそそのかす連中はいないんだし、今度はあいつらももう少しましな生き方をするんじゃないか」

 発言者が考えている以上に、燃次の言葉は重い。

 犯罪をそそのかす声は、何も外から入ってくるとは限らないのが常だ。犯罪者予備軍とも言うべき者達が、自身に向けて自ら発する事も多々ある。

 熱斗達ネット警察の仕事は、終わらない。たとえバレル大佐が、地球を救ったとしても。

 デューオの厄災は去ったが、地球人類の足下は未だおぼつかないままでいる。

 熱斗の中に、一つの決意が芽生えてきた。

 これから先の未来を守るのは、自分達の役目でいい。いや、自分達の役割にしたい、と。

 バレル大佐の守ったものを、今度は自分達が守るのだ。神も救世主もいないこの世界で、代わりに自分達が引き受ける、と。

「パパ、俺やるよ。学校もあるから大変だけど、ロックマンもいるから大丈夫」

『そうだね、熱斗くん。僕達、これからもがんばろう! 僕もやるよ、カーネルの分まで』

 PETから聞こえるロックマンの声に、「お前達ばかりにいい格好はさせないぞ」と炎山が唇を尖らせる。

 仲間達は、皆それぞれに無理をして笑っている様子ではあった。

 でも、今は仕方がないと熱斗は思う。バレル大佐と出会い、そしてその存在を失ってしまった心の穴は、誰もが簡単に塞ぎきれるものではない。

 ただ。皆が一様に思っている事がある。

 熱斗は、それを敢えて声に出した。父親を、そして仲間達を見回すその表情はとても明るい。

「俺、バレルさんに出会えてよかった! 誰も知らなくても、誰も覚えていなくても、俺、忘れないよ! ずっと!」

 

 

                           終わり (全7話構成)

 

 そして、これより始まる……。



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