AI (海沈生物)
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四分の一
#1


 ここは河野高校の図書館。学校のパンフレットに”蔵書数三万冊!”と銘打っている高校だけあり、かなり広い。

本棚も数列整然と並んでおり、中にはぎっしりと古今東西の古本が詰まっていた。また、窓辺には勉強スペースも完備されており、大きな机が三つ、椅子と共に並んでいた。

そんな図書館の最奥部。外国文学の原書が詰められたその列の前に、目をキラキラと輝かせて本を選ぶ蒼髪の少女がいた。深海みたいな蒼をしたサラサラの髪はとても美しく、見るものを魅了させること間違いなしと思われた。

 

「……あっ。あった」

 

 温かな感情を内包した声を漏らし、その少女は本棚の上段右端の本に手を伸ばした。それは赤い表紙の、片手だと少し重いぐらいのサイズの本だった。ガタンと音を立てて少女はその本を取り出す。少女が本の表を見ると、「Old Story」と刷られていた。筆者名は不明なのか書かれていないことも相俟って、近年のライトノベル作品の表紙と比べると、かなりインパクトに欠ける表紙のデザインであると思われた。本を取り出した少女は、それが思っていたものであると再確認すると、両手に抱いてカウンターへと持って行った。

 

「これ、貸してください」

 

 本の世界に入り込んでいた女子生徒は一テンポ遅れてその声に気付くと、すいませんと軽く謝った。慣れた手つきで貸し出し処理を行うと、本の一番最後のページに返却日のハンコを押した。

 

「5月15日返却です。…その短編集、二つ目の”Evening”という話が、繊細優美な語り口調で癒されますよ」

 

「…あ、ありがとう」

 

 女子生徒に軽く会釈すると、少女は本を持ったまま教室へと帰った。図書館の窓の向こうでは、花を落とした桜が木漏れ日を広げ始めていた。

 

# # #

 少女が教室に帰ってくると、教室は幾つかのグループが楽し気に語らい合っていた。ある男子のグループからはスマホゲームの話、ある女子のグループからは来週末にある中間試験の話が聞こえてきた。どこのグループに所属している訳でもない少女はその喧騒の中を潜り抜けると、自分の椅子にストンと座った。ふぅと一息つくと、少女は借りてきた本の一ページ目を、まるで宝箱でも開けるように開けた。中には白と黒と黄ばみがあった。しかし、少女の目にはそこにもう一つの世界が見えていた。始めの話のタイトル”LOVE"。その下にダラダラと文字が書き連ねられてあった。もし英語と本が三度の飯より嫌いな人が見たならば、拒否反応で燃やしてしまうだろう。ただ何度でも言うが、少女にとってこの本は宝物のようなものである。彼女は心を飛び跳ねさせて、黙々と読み進めていく。周りの生徒はその異様な姿を別段気にしない。いや全くという訳ではないが、もう見慣れていた。

 

(また雨宮さん本読んでるよ。しかも英語の原書)

 

 誰も彼もがそう思っていたが、決して口に出すことはなかった。なぜなら、彼女に関わると”面倒”だからだ。噛み砕いて言えば、彼女は極度の人嫌いなのだ。本を嗜む人とはまともに会話できるが、それ以外とはからっきしだった。先生の中でも文系の先生とは話せるが、理系の先生とは話せない。もちろん生徒も例外ではなく、文系ではないクラスメートとも話せなかった。…ただ、唯一一人を除いて。

 

「アイアイー!こんこんちー!」

 

「……こんにちは、本条さん」

 

 目の前の女子生徒はムッと頬を膨らませた。

 

「もぉ!アイアイ、いつも紗耶っちって呼んでって言ってるでしょー!」

 

「……そんなことより、昼登校って貴方の腹時計は狂ってるの?」

 

「えっとね…ゲームセンターでぬいぐるみを乱獲していて、気が付いたら十一時だったの!本当に焦ったよ!」

 

 少女はため息をつく。目の前のオレンジ髪の本条紗耶香に呆れたわけではない。本の世界に入り込んで精神の休憩をしていた彼女を、無理矢理心休まらない現実の世界に引き戻されたことに呆れているのだ。

 

「……貴方らしいわね。でも、程々にしないと進級できなくなるわよ?」

 

「えへへ……まぁ私、テストの点数だけはいいから、大丈夫だって!」

 

「はぁ……テストの点数”だけ”はね。……それじゃあ、本の続き読んでいいかしら?」

 

「あっ。邪魔してごめんね!全然大丈夫だよ!それじゃあね、アイアイ!」

 

 ぶんぶんと大きく手を振ると、彼女は仲の良い女子達が話す元へと向かっていった。ふぅと少女は安堵のため息をつく。これでやっと本の世界に戻れる。視線を本条から本に戻す。およそ高校生レベルとは思えないその単語達をするりするりと脳内で読み替え、自分なりの意訳で物語を読み進めていく彼女の姿はまさに”文学少女”だった。

 その後もぺらりぺらりと頁をめくって物語を楽しんでいた彼女だったが、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったので、鞄の中に本を仕舞った。頁数を忘れないように、手の甲にマジックで”205”と書き記した。




ふろふき大根食べたい気分。


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#2

# # #

 放課後。部活に所属していない少女は車通りの少ない道を選び、帰路を歩いていた。一定学校から離れた場所に来ると一旦立ち止まり、鞄の中から原書を取り出した。手の甲の数字を見るとその頁を開き、そのままのっそのっそと歩き始める。この帰路こそが彼女にとっての最高の時間だった。夕焼けの黄金色の光に照らされて、孤立した気分にもならず、それでいてなんだか優越感を感じるこの時間。どこからか子供が無邪気に遊ぶ声がして、どこかの家からかパチパチと揚げ物を揚げる音がして、カレーのいい匂いがする。そんな平穏な時間が、彼女は本当に大好きだった。ただ、幸せな時間というものは同時に流れるのも早いものである。気が付くと、もう彼女の家の前に着いていた。少女は筆箱からマジックを取り出した。手の甲の頁に二本の線を引くと、読み進めた頁をその横に新たに書き直した。ふぅと息を整えると、玄関のドアを開けた。

 

「ただいま、です」

 

 少女の声が10mほどある廊下に反響する。それに呼応するように二階からドタドタと足音が聞こえてきた。そして数十秒後には玄関前の階段上から、眼鏡をかけた太っちょの男がひょっこり顔を出した。容貌から察するに、三十代と言ったところだろう。

 

「おかえりなさい、藍ちゃん」

 

「あの……お仕事、してたんですか?だったら、邪魔して……ごめんなさい」

 

「……いや、模示くんのレポートの助言をしつつ、テストの採点していただけだから大丈夫だよ」

 

「本当ですか?……だったら、良かったです。手洗いうがいしてきます」

 

 少女はドタバタと急ぎ足で洗面台へと向かった。その姿になんだか微笑ましいなと男は笑みを零した。一方少女は洗面台に着くと、手洗いうがいをすると、そのまま冷水で顔を洗った。近くにあったタオルで手と顔を拭きながら、鏡に映る自分の顔を見る。右目下にあるほくろになんとなく視線を向けつつ、自身の顔の値踏みをする。【鼻、悪くない六十点】【目、三白眼怖い三十点】そう言った具合に。その結果、満点五百点中三百五十点という、なんとも言えない点数になった。これではまだまだだな、と思いつつ、軽く頬を叩いて気持ちを切り替えると、タオルをかけ直してキッチンへと向かった。

 

# # #

 キッチンには先程の男と共に、もう一人、金髪の男がいた。身長的には先程の男よりも高いが、顔の貫禄的にはまだ幼さを感じた。大学生か新卒、そのぐらいの年齢だと類推出来る。その二人の方に向かって少女が歩くと、先程の男は眉を上げて少女の姿を確認し、こっちこっちと手招いた。それに応えるように少女はリビングのソファーに鞄を置いて男の元へと向かった。

 

「……今日の晩御飯、トマトパスタですか?」

 

「うん。給料日前であまりお金がなくてね……あっ、二人の学費はしっかりあるから安心して大丈夫だよ。お小遣いもね」

 

「やっぱり私、バイトした方が……」

 

「お前文系の人間としか話せないのに、どこでバイトするんだよ。」

 

「うるさいよ、亜鈴。貴方も大概なんだから口を挟まないで」

 

 身長の高い男”亜鈴模示”はちっと少女に向かって舌打ちをすると、大人しく茹で上がってくたくたになったパスタを三つのお皿に分け始めた。眼鏡をかけた男は二人が喧嘩をする姿に頬を緩ませた。少女はというと、亜鈴がパスタを分けている間に予め用意していた市販のパスタ用トマトソースを棚から取りに向かった。棚の二段目を漁って、なんとかトマトソースを見つける。切り口をピリリと破るとちょうどパスタが分け終わったので、少女はなるたけ均等になるようにトマトソースをかけた。ただ、気持ち亜鈴のパスタのトマトソースの量を減らし、代わりに眼鏡をかけた男の分を増やした。亜鈴は薄々その事実に気付いていたが、ここはあえて黙っておくことにした。

 

「……よし。亜鈴、私が前野さんのお皿持っていくから、私のお皿もついでに持っていてくれない?」

 

「やだよ。俺はか弱い文系男子だぞ?持てるはずがない」

 

「はぁ?何が”か弱い文系男子”よ。昨日、前野さんの為に参考文献20冊を軽々持ち上げていたのはどこの誰かしら?」

 

「うるせぇ。ついさっきまで、結構重い原書を軽々と持って歩き読書していたお前なら、二つお皿を持つことぐらい楽勝だろ?」

 

 ぐぬぬと二人の間で火花が散った。相変わらず、その姿を眼鏡をかけた男”前野翔太”は頬を緩ませて見ていた。だが睨み合いが数分続いているのを見ると、やれやれと言った顔をした。二人の手からお皿をひょいひょいっと取り上げると、ついでに三つ目のお皿も両手の間に置いた。そのままするりと二人の間を縫うように歩くと、机の上にかたんことんかたんとお皿を並べた。二人はその一連の前野の行動を呆然として見ていた。

 

「それじゃあ二人とも、フォークを取って来てくれないか?……あっ。私はお箸で頼むよ」

 

 何事もなかったかのように椅子に着席する前野の姿に二人は戸惑いを隠せなかった。けれど、すぐに分かりましたと答え、二人で自分のフォークと前野のお箸を一本ずつ分けて持って行った。前野はご満悦の様で、また頬を緩ませた。

 

「……よし。みんな座ったね。それじゃあ、いただきます」

 

「……いただきます」

 

「……いただきます」

 

 未だ困惑が抜けきらずにトマトパスタを食べる二人の一方で、前野はうどんでも食べるかのように、お箸を使ってズルズルとパスタをすすっていた。




トマトソース丸呑みにしてみたい


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#3

# # #

 食後、三人はのんびりと今日読んだ本について互いに語り合った。大学で近代文学者の研究をしている前野は久方ぶりに読んだ夏目漱石の「坊ちゃん」の話を、見た目に反して本を読むことが好きな亜鈴は同じく夏目漱石の「草枕」の話を、そして少女”雨宮藍”はちょうど読んでいる作者不明の原書「Old Story」の話をした。三人ともが文学を沢山読んでいるということも相俟って、話はとても盛り上がった。例えば「草枕」のラストシーンの駅での主人公についてどう思うかだったり、坊ちゃんのストーリーのその後を妄想しあったり。ただ、少女の借りた「Old Story」だけは二人ともタイトルすら聞いたことのない作品で、少女からどんな話かを聞くことになった。少女曰く、その物語は三つの短編で構成された本であったそうだ。図書館の彼女が言っていた”Evening”の話だけ取り上げると、おおよそこんな話のようだ。

 

『遥か昔、昼を支配する神様が夜を支配する神様に恋をした。しかし、夜を支配する神様は夕方を支配する神様に片思いをしていた。夕方の神様の眷属は夜の神様が嫌いだったので、あの手この手を使って夜の神様と昼の神様が付き合うように誘導した。しかし健闘虚しく、夜の神様の心は不動で、絶望した昼の神様はどこかに姿を隠してしまった。しかしある日、昼の神様が隠居していた場所に夜の神様が訪ねてきた。何の用かと昼の神様が聞くと、夜の神様は何でもないと言ってそのまま帰っていった』

 

 なんとも後締まりの悪い話である。慟哭するほどの悲恋でもなければ、最後に二人が結婚する幸せ恋物語でもない。正直、少女はなぜ図書委員の彼女がこの物語が一番オススメと言ったのか理解できなかった。亜鈴も然りだったが、三つの物語を聞いた前野はなるほど、と頷いた。

 

「……多分これは言わぬが花なんだろう。この推理には確証はないし、仮に合っていても、推理小説の最後のページをチラ見した気分になるからね」

 

「そう……なんですか?よく、分からないんですが」

 

「すまないね。こればかりは”君自身”がその意図を理解しなければならない問題だからね」

 

「意図……?」

 

 少女はその意図が理解出来ないままに、前野は微笑みを浮かべながら亜鈴と仕事場のある二階へと戻っていった。その後もぼんやりと考えたが、全くと言っていいほど分からなかったので、仕方なく少女は原書の続きを読むことにした。

 

# # #

 次の日。いつものように学校に行くと、珍しく校門の前で友達と楽しそうに登校している本条の姿があった。なるたけ見つかりたくなかった少女はこそこそと人混みに紛れて、バレないように努めた。しかし、逆にその行動が裏目に出た。少女のその不審な動きを察知して、本条は「あ!おはおはー、アイアイ!」と言って、猛スピードで走ってきた。人混みはモーセの奇跡の如く割れ、少女に向かって、抱きつきタックルを喰らわせてきた。しかし、少女は華麗に横に避けてスルー……できるほど、反射神経は良くなかった。少女はコンクリートの上に押し倒され、本条に馬乗りにされた。

 

「ふっふっふっ……アイアイ、ゲットだぜ!」

 

「……意味わからないから退いてくれないかしら、本条さん?」

 

「だーかーらー紗耶っちで良いって言ってるじゃん。そう言わないと退かないよ、アイアイ!」

 

「……そう呼んだら、退いてくれるのかしら?」

 

「いえす、あいどぅ!」

 

 周りの生徒たちの目線が怖く、何の騒ぎだと生徒指導部の教師が走ってきている。仕方がない。いち早くこの場を離れたい一心で、少女は心を無にした。

 

「紗耶っち、おはよう!……だから、行くよ!」

 

 本条が慌てふためくのを無視して立ち上がると、本条の手を掴んで、注意しに来た教師の魔の手から一緒に逃げ出した。この後の呼び出しを考えて憂鬱な顔の少女とは対照的に、本条はとても頬をゆるゆるに蕩けさせていた。




市販の硬い煎餅より固い煎餅どこかにないかな


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#4

# # #

 なんとか教師の魔の手を免れる為、二人はひとまず校舎裏に隠れることにした。

 

「ひぃひぃふぅぅ……いやぁ……こうやって誰かと一緒に逃げるの楽しいね!」

 

「ど……こ……が……よ……はぁ。もう、体力が尽きたわ……」

 

 少女は息を切らせながら校舎にもたれかかり、本条を見上げた。本条は未だ元気満点と言った様子で、この分だとあと三時間弱は走り続けられそうだと類推出来た。その無駄な元気さに少女の口からため息が漏れた。

 

「……それで、本条さん。勢いで逃げちゃったけど、ここからどうするの?大人しく怒られに行く?」

 

「うーん。……あっ、そうだ!どうせならこのまま授業サボらない?」

 

「……はぁ?」

 

「いーじゃん。どうせ今日の授業、アイアイの苦手な理系教科と体育のオンパレードだよ?」

 

とても生真面目な性格の少女は風邪などの所用で休むことはあれど、サボるなんて理由で休んだことは一度もなかった。無論、サボりなどする人間は成績表に一や二が並ぶ低能な人間しかしないと軽蔑したぐらいには。だからこそ少女は本条の誘いを聞いた途端、そんな人間たちと同種族にはなりたくない一心で、断ろうと決めた。

 

「確かにそうだけど……まえ……じゃなくて、両親に心配かけてしまうから、お断りさせてもらうわ」

 

「むぅ……つまんないなぁ。でも、無理強いは出来ないからね。とりあえずは先生に見つからないように教室に行こうか」

 

「……え、えぇ」

 

 いいよというまで、「一緒にゲームセンター行こうよぉー」などと粘って来ると踏んでいたので、こんなにあっさり本条が折れてくれたことに少女は少し戸惑った。ただよく考えてみれば、今までも少女が嫌と言えば、本条は基本折れていてくれたことを思い出す。少女は少し……ほんの少しだが、本条の事を見直した。

 

# # #

 校舎裏の屋外廊下から校舎内部に侵入し、二人はそのまま先生にバレないように息を殺して教室へと歩を進めた。途中までは順調に進んでいた二人だったが、教室前の廊下に差し掛かろうとした時、本条が少女の行く手を遮った。

なんだろうかと少女がこっそりと教室のある方を隠れ見ると、教室の前に先程の教師が陣取っていた。本条と少女はうーんと唸りながら、その場に座り込んだ。

 

「うーん。あれじゃあ通れないし、例え通れたとしても指導部行きになりそうだなぁ。どうする、アイアイ?どうせ見つかるのは時間の問題だったし、もう大人しく捕まりに行く?」

 

「……」

 

少女は頭の中で熟考していた。確かにこのままあの教師へ正直に謝り、指導室でお叱りを受けるのが安泰なのは確実だ。しかし、本当にそれでいいのだろうか。いつもの少女ならその選択を選んでいたはずだ。しかし、少女の中の形容し難い感情がそれを許容しまいとしていた。その何かは少女をサボり……非行への道へと誘おうとしていた。少女は”世間体を守りたい感情”と”形容し難い感情”の間挟みにされ、とても葛藤していた。

 

「……どうしたの、アイアイ?具合でも悪いの?」

 

少女を心配そうに見上げる本条を見て、少女は本条についても熟考した。きっと私が世間体を優先したとしても、本条はいつものように「うん、分かったよ」と言って了承してくれるだろう。しかし、それに甘えさせてもらってもいいのだろうか。いつも少女の気持ちを優先してくれている本条に、こんな時まで甘えてしまっていいのだろうか。たまには本条の気持ちも優先してあげるべきではないだろうか。少女は悩みに悩んだ。その末、一つの答えを出した。すっと本条と目を合わせる。

 

「……仕方ない、本条さん。行くわよ」

 

「……あーうん。それじゃあ説教地獄に」

 

少女は教師の方へ行こうとする本条の手を掴んだ。

 

「違うわ。一緒にサボりに行くのよ」

 

「……えっ。本当にいいの?私はいいけど、アイアイの両親が心配するんじゃ……」

 

「大丈夫。……私、本当は両親いないから」

 

「……そ、そうなんだね。う、うん、分かった。そ、それじゃあ、行こうかアイアイ!」

 

「えぇ!」

 

 前野に迷惑がかかるであろうことだけが少し気掛かりだったが、今は本条の太陽のような満面の笑顔を見れて良かったと少女は優し気な微笑みを零した。




長芋丸かじりしたい


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#5

# # #

 目をキラキラと輝かせながら先を歩く本条を微笑ましく見つつ、二人はゲームセンターへと足を進めていた。学校からほど近くにあるショッピングモールの中にあるらしく、少女はその近さになんだか安心感を覚えた。しばらく何も話さずとも上機嫌な本条だったが、少し時間が経つとその熱が少し冷めてきたらしく、少女に歩幅を合わせ始めてくれるようになった。ニコッと少女と目を合わせる本条。

 

「ねぇ、アイアイ。こうやって二人で一緒にいる機会なんてほとんどないんだしさ、どうせだしアイアイの読んでいる本の話聞きたいな。私、本を読むのが苦手だから滅多に本を読まないんだけど、昔から誰かに本の内容の話をしてもらうのは好きなんだ。毎晩寝る前に、お母さんに十冊も読み聞かせてもらっていたぐらいだからさ」

 

「うーん。だったら、ちょうど昨日の夜に読み切った”Old Story”っていう短編集の話でもいいかしら?」

 

 本条は少女の両手をガシッと掴んだ。

 

「全然いいよ!確か……昨日の昼休みに読んでた原書の本だっけ?どんな話なの?」

 

 少女はコホンとわざとらしい咳をした。

 

「この作品は”Love”、”Evening"、”No Hope”の三つの作品で構成されていて、それぞれがそれぞれの味を持っているの。例えば”Love"。この作品はある中世の時代の騎士が散歩をしている途中で出会った、姫が扮した村娘に恋をして、でも叶わないって話なの。感情の描写がとても秀逸で、特に二人が永遠の別れを誓うシーンは……もう……人間の心を持った人なら、皆切なく思うだろう内容だったわ……」

 

「ふーん。そうなんだ……」

 

「……はぁ」

 

 素っ気ない返答に少女は呆れたが、あえて口に出さないでいた。そこから着くまでは終始無言だったが、なぜか本条は少女の姿を見ながらニコニコしていた。少女は少し不気味だと心の中で少し引いた。

 ゲームセンターに着くと、本条は真っ直ぐUFOキャッチャーエリアへと突っ走って行った。少女は元気溢れているなと詠嘆しつつ、のっそりと跡を追いかけていった。

 

「……あっ。アイアイ、こっちこっち!」

 

 いつの間にか制服から謎のキャラクターが刷られたTシャツに着替えているのに、少女は当惑を隠せなかった。小走りで本条の元に向かうと、ちょうど本条の着ているTシャツのそれと同じキャラのぬいぐるみが、本条の隣にあるUFOキャッチャーの中に入っていた。

 

「ねぇ、本条さん……そのキャラクター、何……?」

 

本条はくりくりとした目を輝かせた。

 

「ふっふっふっ……これはね、”ほむんくする君”っていう名前の超絶可愛いマスコットキャラクターなんだよ!」

 

「超絶……可愛い……?」

 

「ほらほら、見て見て!ここの鼻筋のカーブとか、この大学芋みたいな肌のカラーリングとかさ、あとあとあと……」

 

 少女は本条の唇に右手人差し指を当てた。一瞬本条はその意味が分からなかったが、直ぐに察して口を止めた。今日何回目か分からないため息を少女はついた。

 

「それで。本条さんはこのぬいぐるみを取ってみたいわけね」

 

「ご明察!いやーアイアイやっぱり賢いね!」

 

 こんなことで褒められても全く嬉しくないと心の表面では思っていたが、身体は正直で少しだけ顔を赤くしていた。それを見て、本条は静かに微笑んだ。本条は鞄から”ほむんくるす君”が刷られた財布を取り出すと、とりあえず一枚、百円玉を取り出した。

 

「アイアイ、UFOキャッチャー名人の私の勇姿見ていてね!」

 

「……えぇ」

 

 少女の見立てでは、このぬいぐるみは五百円程度の価値だと踏んだ。五回までなら失敗しても安上がりだが、それから先はするだけ無駄だろうとも。百円玉が機械に入ると、軽快な音楽が流れ、二つあるボタンの内の片方が光りだした。横矢印マークが書かれている。本条はゴクリと息をのみ、ボタンを押した。ジィーという機械音をと共にアームが動いていく。ちょうどぬいぐるみの辺りにアームが行くとボタンを離し、今度は二つ目のボタンが光り始めた。少女は同様にボタンを押して、ちょうどぬいぐるみの端の辺りでボタンを離した。それからワンテンポ置いて、アームが降りていく。少女はこれの何が楽しいのだろうかと冷めた目で見ていたが、心の奥底ではやってみたいと期待感を募らせていた。アームがぬいぐるみを掴む。しかし、アームの掴む力が弱いのか、掴んですぐにぬいぐるみを落としてしまった。

 

「……ふにゅう。も、もう一回!」

 

 財布からまた百円玉を取り出し、機械の中に入れる。同様にボタンを押し、またぬいぐるみを掴んだ。だが、やはりアームが弱いのだろう。パタンとぬいぐるみを落としてしまった。

 

「……も、もう一回!」

 

 また百円玉を財布から取り出そうとする本条の手を、少女の手が掴んだ。本条は何事!?と言った感じで顔を赤らめている。少女はため息をついて鞄から自分の財布を取り出すと、百円玉を取り出した。

 

「私に任せて」

 

「アイアイ……」

 

 少女は百円玉をかちゃんと機械の中に滑り込ませた。軽快なBGMが鳴り、少女の心を煽る。彼女ははぁぁぁふぅぅぅと深く呼吸をすると、ボタンを押した。アームが動かされていく。

 

「……ここよ」

 

 ちょうどぬいぐるみの角の辺り。光るボタンを二回押して、成分表示等が書かれた白い部分がある辺りにアームを置いた。ごくんと本条は息をのむ。少女は平然とした顔でその光景を見つめている。アームが降りていく。降りていく。降りていく。やがて下まで降りると、ちょうど白い部分の隙間部分にアームが挟まった。そのままアームが持ち上がると、搬出口にまで運んでいき、ボトンとぬいぐるみが落ちた。テレテレッテテーと軽快な賞賛する音が鳴った。

 

「おぉ!すごいね、アイアイ!」

 

「……別に、普通だわ」

 

 そう言いつつ少女は搬出口のぬいぐるみを取り出した。改めて”ほむんくする君”の顔を見つめる。途中で折れ曲がった鼻筋、分厚いたらこ唇、禿げた髪の毛。少女はその姿を見て、直ぐ決断した。

 

「いら……じゃなくて、今日ここに連れてきてくれたお礼にあげるわ」

 

「ほほほほ、ほんと!?ありがとう、アイアイ!」

 

 ぬいぐるみを受け取った本条はぴょんぴょんと飛び跳ねると、ぬいぐるみをぎゅうと抱きしめた。少女はその姿になんであんなもので喜べるのかという呆れと同時に、けれど喜んでもらえてうれしいな、と強く感慨を覚えた。




市販の蜂蜜梅干しは実質おやつ


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#6

# # #

 ショッピングモールを後にした二人はその足で商店街に向かった。少女の妄想ではサボりをするような人間はもっと裏社会的な行為をすると思っていた。例えば手頃なヤンキー引っ掛けて遊んだり、昼間から”そういう場所”に行って”然るべき行為”を行ったり、そういったことを。しかし本条の行動を見た感じ、案外サボりと言っても皆が皆、そんな破廉恥なことをするわけではないのだと、強く感じた。

 しかし商店街も真ん中辺りに着いた頃、本条は突然真っ暗な裏路地に入り始めた。入り始めた頃はまだ明るさが残っていたので大丈夫だと思っていたが、段々少女は不安を募らせていった。

 

「あ、あの……ほ、本条さん?」

 

 足を止めて、本条は少女の方を向く。ちょうど先程少女がプレゼントした”ほむんくする君”を抱きかかえている。

 

「ん?どうかした、アイアイ?」

 

「あの……ど、どこに向かっているのかしら?」

 

「大丈夫だよ、もう少しで着くからさ!」

 

「いや、そうじゃなくて……」

 

「さぁ行こう、行こうー!」

 

 最悪何があってもいいよう、少女は護身用にと鞄の中の原書を握り締めた。コツンコツンと二人の足音だけが響く中、ついに目の前に白い光が見えてきた。少女はごくりと息を飲み込んで、原書を持つ手に力を入れた。しかし、光の先の光景を見た途端、その力も緩まった。なんとそこにあったのは、小さな駄菓子屋だった。てっきり奥は袋小路になっていて、そこにバッドを持ったヤンキーが何人も座っていて、少女にあんなことやこんなことをしようとスタンバイしていると恐れていた。けれど実際は、子供一人大人一人もいないような辺境で、少女は拍子抜けした。駄菓子屋の中にはうっすらと優しそうなおばあさんがいるのが見えたが、そこら一帯にはそれ以外の人影が見えなかった。

 

「えっと……本条さん?この駄菓子屋は一体?」

 

ふっふっふっと本条は自慢げな顔をした。

 

「何を隠そうこのボロ駄菓子屋、私のおばあちゃんが細々と続けている駄菓子屋なんだよ!老後のあまりに退屈な生活をどうかしようと、若い頃に荒稼ぎしたお金を資本に駄菓子屋を始めたものの、場所が場所だから毎月大赤字!そんな素晴らしいおみ……」

 

 そこまで言った時、突然お店の方から野球選手が投げたのではないかと思うぐらいのスピードで袋に入ったうまい棒が飛んできた。運よく二人が立っている真横の壁にぶつかった為に回避できたが、うまい棒は袋の一部が破けて中身が粉々になっているのが見えた。

 

「もう、おばあちゃん!友達連れてきたんだから、突然うまい棒投げてくるのはやめてよ!」

 

本条の声に呼応するようにまたうまい棒が飛んでくる。今度は二本も。今度のうまい棒は良く見て見ると、何か紙が巻きつけられていた。本条は三本のうまい棒を拾うと、その紙を取り外して広げた。そこにはこう書かれていた。

 

『店の前で堂々とこの店の批判をするんじゃないよ、紗耶香!次そんなことをしたら、うまい棒乱れ舞の刑だからね!あと、その粉々になったうまい棒はお友達にでもあげな』

 

 此の祖母にして此の娘ありなんだな、と少女はとても納得した。同時に心底呆れたが。少女は本条から粉々になったうまい棒を受け取ると、微かに開いた隙間を拡張して、中身を粉薬でも飲むみたいにサァァと喉の奥に流した。本条は慣れた手つきで袋の穴を拡張して、二つ一緒に喉の奥に流し込んだ。

 

「うーん、美味しい!」

 

 本条のことを冷めた目で少し見たが、言っても無駄かと大人しく駄菓子屋に入店した。中は古き良き駄菓子屋と言った雰囲気で、子供の頃に見たことがあるようなお菓子が並んでいた。

 

「あ。ミックス餅」

 

「それ美味しいよね。爪楊枝で一つ一つ食べるの楽しいし」

 

「……そうね」

 

 少女は両親との優しい記憶を思い出して少し感傷に浸ったが、湿っぽくしたくないと思い、すぐに振り払った。少女が顔を上げると、レジの前でお茶を飲む本条の祖母と目が合った。厳しそうな目つきの中にどこか闇を感じて、三白眼の少女は少し親近感を持った。しかし本条の祖母にとってはあまり好印象ではなかったのか、すぐに視線を逸らされた。

 

「……ねぇ、本条さん」

 

「ん?なに、アイアイ?」

 

「……本条さんの祖母ってどんな方なの?」

 

「うーん。戦争でおじいちゃんと死別して、なんだっけ……みぼ……みぼ……」

 

「未亡人?」

 

「それ!みぼーじんになったらしいんだけど、そこから一人で超稼いで、今はここで半隠居暮らししてるらしよ」

 

「ふーん……なるほどね」

 

 つまるところ、あの目の中の闇の正体は私と似て非なるものなのか。少女は、少しだけがっかりした。とりあえず本条に頼んでオススメの駄菓子を教えてもらうと、一緒にレジに持って行った。

 

「えっと……合計で百五円になるよ。ほら、紗耶香。どうせそのぬいぐるみ、そこの三白眼のお友達に取ってもらったんだろう?百五円ぐらい奢ってやりな」

 

「むぅー分かってるよ。むしろ払わなかったら、私の腹の虫が踊るからね!」

 

「……はぁ。三白眼のお友達さん、こんなバカ娘だがこれからも良くしてやっておくれ。悪い子ではないからね」

 

「……えぇ、まぁ」

 

 本条の祖母に軽く頭を下げて店を出ると、いつの間にか空は夕焼け模様になっているとに気付いた。流石に夜遅くまで遊んで互いの両親に捜索届を出されたら困るということで、二人は路地裏を抜けたところで別れることにした。




マーライオンの口から豆乳流れないかな


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#7

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 家に帰ると、イルカのエプロンを着た前野がソワソワしながら玄関前に立っていた。少女が小走りで前野の方に走っていくと、その姿に気付いて前野も少女の方に向かって歩いてきた。二人が合流すると前野は心配そうな顔をして「大丈夫?」「怪我はなかったかい?」などと少女を質問攻めにした。別段やましいことはしていないので少女が大丈夫と受け答えすると、それならよかったと言ってほっと一息ついた。

 

「それにしても学校から藍ちゃんがサボタージュしたって聞いて驚いたよ。藍ちゃん、生真面目だからこういうことするのに抵抗あると思っていたからさ」

 

「は、はい……私一人じゃきっと、こんなことしなかったと思います」

 

「なるほど……”昼”が出来たんだね」

 

「……”昼”、ですか?」

 

「ははっ。何でもないよ。……それじゃあ亜鈴君も回鍋肉作って待ってるし、家の中に入ろうか」

 

「……は、はい」

 

 前野が少女の頭をポンポンと撫でると、ぽぉぅと少女の頬が火照った。

 

# # #

 ご飯を食べ終えると、前野の勧めで少女は一番にお風呂に入ることにした。湯舟には白濁色の入浴剤が入れられており、大根のように少女の疲れた体にとても染みた。湯舟から漏れ出す湯気を見つつ今日あったことを思い出すと、なんだか夢の中の出来事の様で少女はイマイチ実感が湧かなかった。前野の言う通り、少女は理系人間と話せない以外はとても真面目に生きている。しかし、そんな少女が学校をサボって遊び惚けるなんて、夢の中の出来事にしか思えない。明日目が覚めたらこれは悪い夢で、本当の私は普通に学校に行っていたのではないか。そんな気がしてならなかった。でも、本条におごられて買った駄菓子は部屋に置いてあるし、なにより夢と違って今日の事は未だ鮮明に覚えている。

 

「……でも、非日常だったけど、今日は楽しかった」

 

 新しい出会い、不安、恐怖、そしてうまい棒。あと、”ほむんくるす君”。大好きな作家の本の一ページ目をめくるあの感覚とは違った、また新たな感覚。少女は一生今日という日を忘れないだろうな、と強く思った。

 

「さて、上がろうかな」

 

 少女は湯舟から上がって、ドアを開けようとする。しかし、なぜかドアが開かなかった。無論お風呂のドアに鍵なんてついていないし、開かない道理はなかった。もし開かないとすれば、誰かが意図的に開かないように細工をしているのだろうか。なんにしても、長時間お風呂の中にいたらのぼせて倒れてしまう。少女は思いっ切り息を吸って……吐いた。

 

「前野さーん!」

 

「…………」

 

 しかし返答はなく、残響だけが残った。どうしようか。少女は必死にドアをガチャガチャして、開かないかと試してみる。しかし、何かが向こう側に突っかかっているのか、やはり開かない。そんなことをしている間にも少女の身体は熱くなっていき、目の前の世界がクラクラとしてくる。

 

「あっ。窓開けたらい……」

 

 そのことに気付いた時には手遅れで、少女はけたたましい音を立ててお風呂のタイルの上に倒れた。それを確認したや否や、お風呂のガラスのドア越しに誰かの影が蠢いた。

 

# # #

 少女が気が付くと、そこは家の庭だった。家の電気は当に消えており、空には月が煌々と白い光を漏らしていた。一体何があったのだろうか。少女が立ち上がろうとすると、やけに周りがへこんでいることに気付いた。そして、隣にはスコップが置かれていることも。

 

「……」

 

 少女は身体に付いた土を払うと、そのまま何事もなかったかのように、なるたけ音を立てないように家の中に入っていった。




うどんは極細いのが好き。ほうとう?のアレが好き。


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#8

# # #

 いつものように何事もなく学校に来た少女だったが、やはり昨夜のお風呂からのことを思い出して気持ちが暗かった。そう思い悩んでいる時、バンっと机が叩かれる音がした。ぺちゃくちゃと話していた周りの人間達は突然の大音量に黙り込み、少女の机の方に視線をやった。

 

「ア!イ!ア!イ!お!は!よ!う!」

 

「……あっ。ごめん、本条さん。おはよう」

 

「もーアイアイ。ぼぉーとしてたけど、どうかしたの?」

 

 少女は少し目線を下げた。周りの人々はいつの間にか平静を取り戻し、ぺちゃくちゃ喋っている。

 

「……まぁ、なんでもいいよ。それより今日、放課後にご飯食べに行かない?」

 

 今日の放課後。大した用はなかったはずだが、二日連続で遅く帰ったらまた前野さんに心配をかけてしまうかもしれない。少女は悩んだが、断ることにした。その言葉に本条は残念そうな顔をしたが、仕方ないと言ってそのまま友達の元へと駆けていった。

 

「……ねぇねぇ紗耶香、昨日のニュース見た?」

 

「うん!まさかアレがアレなんてね……」

 

「本当やばいよね!」

 

 いつのものように、少女と一緒に話すより楽しそうに話す本条の姿。少女の心の中で、それがなんだか引っかかった。悔しい、悲しい、残念。そう言った感情が入り混じったような何か。形容し難いその感情。少女は未だその感情の名を知らなかった。気を紛らわそうと借りていた原書を読み返そうと鞄を漁る。

 

「……あれ」

 

ない。ない。本がない。確かに昨日家で読んで鞄に仕舞った記憶はあるが、部屋に忘れてきてしまったのだろうか。仕方なく、来週に迫る中間テストの勉強をしようと勉強道具一式を出す。数学B以外の教科は前野に教えてもらっているので安泰なのだが、数学Bだけはどうに無理らしいのだ。ノートと問題集を開けると、少女は紙との睨み合いを始めた。べくとる、ないせき、ふくそすう。まるで別の世界の言語みたいで、少女の目はぐるぐると回った。

 

「……こんな時に、誰か頼れる人がいたら」

 

「それじゃあ私達が教えようか?」

 

「……へっ」

 

 背後にはいつの間にか、本条とその友達らしき人達の姿。しかもその友達の中にはいかにも理数系っぽい顔をした人間もいた。反射的に少女の口が動かなくなる。

 

「……いや私は教えるの苦手なんだけど、波間ちゃん数B得意らしいの」

 

 えっちょっと明らかに嫌がる女子生徒を少女の前に突き出す。少女は無味無臭の空気を吸わされて感想を聞かれた時のような顔をしている。その顔に気付かないまま、本条は話を進める。

 

「でもアイアイ、数Bが苦手なんてね……でも気持ちは分かるよ。確かに計算が複雑怪奇だしね……うんうん」

 

「……ごめん」

 

「えっ……」

 

 少女を囲む包囲網に無理矢理穴を開けると、少女はそのまま走り去って行った。無理矢理退かされた女子生徒はカンカンに怒っていたが、少女は世界が真っ暗になったようで、ただただ安心できる場所へという意思しかなかった。




中華のモトは外れ多くてあんまり好きじゃない


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#9

# # #

 一時間目を告げるチャイムが鳴る。しかし少女は教室にはいない。図書室の端に、ポツンと縮こまっていた。体質は仕方ないとは言え、口が開かないと言い訳もできなくて困る。ごちゃごちゃした頭の中を整理するために、近くの本棚から適当な本を取り出す。タイトルは「落窪物語」。確か平安時代の作品だったか。ページをめくると新たな世界。召使い、女、女に恋する人、意地悪な人。所謂シンデレラストーリーなのだろう。ペラペラ。めくる度に疲れた精神が物語の世界に取り込まれていく。少女は少しずつ、少しずつ現実のことを忘却していく。いつの間にか佳境、女が意地悪な女の夫の屋敷から脱出した頃。少女の世界が”途切れ”てしまった。何事かと少女が上を見上げると、そこには目が真っ赤に腫れている本条の姿があった。いつもの本条とは違い、その顔はまるで阿修羅のようだった。少女が後ずさりすると、本条は少女の肩を掴んだ。

 

「……ねぇ、アイアイ。どうして私がアイアイに関わろうと思い始めたか分かる?」

 

「……」

 

「それはね……ある男に脅されたからだよ。もしアイアイに関わらなかったら、お前の秘密写真をばらまくって。だから……最初は仕方なく、アイアイに絡んでた。でもね……いつの間にか私、アイアイの事が好きになってた」

 

「えっ……」

 

手が離さたが、少女はぽかんと呆然としたままだった。本条は言葉を続ける。

 

「……私ね、その男から昨日あの後に聞いたの。アイアイの過去のこと」

 

「……そう。でも私みたいな件は世の中に一万とあるわ。それに、”あの人たち”はまだ生きている。いつまた襲いに来るのかなんて、全く分からないわ。前野さんの元も高校卒業後には立ち去る予定だから」

 

突然、本条が壁ドンをしてくる。少女は動けずに、カチンと固まる。

 

「……独りよがりもいい加減にして、アイアイ!お金も稼げない、これと言った才能もない、しかも高卒。そんな人間が一人暮らし出来るお金なんて稼げると思う?私がまともな企業サイドなら、絶対に雇わないわ」

 

「……ね、ねぇ、本条さん。あ、貴方は一体何が言いたいの?」

 

「……私が貴方を引き取って、守って、そして”結婚”する」

 

少女は突然の告白に言葉を失った。いや頭の中に”結婚”という言葉が乱立して、正常な思考が保てなくなっていた。自分と本条さんが結婚、結婚、結婚。えっ、結婚。うそ、結婚。そう言った感じに。そしてその言葉の意味が心に浸透したとき、少女は顔を真っ赤にした。真っ赤にして、両手で顔を覆い隠した。

 

「……ほ、ほ、本当に?じ、じ、冗談じゃなく?」

 

「うん、私、アイアイのこと愛してるから」

 

 満面の笑みで答える本条に、また少女は頭をハテナだらけにする。なぜ、どうして、どこが、私のどこが。少女のそんな問いに答えるかのように、本条は言葉を続ける。

 

「やっぱり一番はアイアイの楽しそうな顔が好きなんだけど、いつも一貫としてツンツンした態度取ってくるとこも好きだよ。あとは……そう!あの人嫌いなおばあちゃんに駄菓子屋への入店を認めさせたこと……かな?」

 

「……うまい棒投げてこられたけど、あれは認められてたの?」

 

「いつも色んな友達連れて行ったことがあったんだけど、ことごとく、百連うまい棒乱舞で近づけなくてね……でも、あそこで確信したんだよ。あぁ、私がこの目で見定めたこの人は間違ってなかったんだって」

 

「そう……なんだ」

 

 確かに最後に「あの子をよろしく」と頼まれたが、そういうことだったのか。少女は色んなことに確信がいきながらも、未だ頭の中で結婚という言葉が荒ぶっていた。本条はまた肩を掴んで、強い眼差しで少女の目を見つめた。

 

「それでね、アイアイ。嫌なら嫌って断ってもいいんだけど……どうかな」

 

 少女は戸惑った。正直、今まで本条のことがそんなに好きではなかった。うざいし、本読むの邪魔してくるし、自分と違って陽キャっぽいし。でも本条と学校を抜け出して、ゲームセンターで遊んで、駄菓子屋でいろいろ奢って貰って。少し、ほんの少しだけど本条のことを知って、好きになっている自分がいた。だからこそ、少女は一つの答えを出すことにした。

 

「私はーーー」

 

# # #

 その日の帰り道。手を繋いで二人で歩いている。ただしそれは少女と本条ではない。二人はそこから十メートルほど離れた後ろ。もちろん、手は繋いでいない。

 

「でもさすがにあれは笑ったよ、アイアイ。まさかあのシリアス状態で、”親友から始めてくれませんか?”……って。真面目に告白ぐらいしようと思っていた私の心ぶち壊しだよ!まぁ、前向きな方向だし、私にとってはアイアイとやっと公然でイチャイチャ出来るようになるから幸せなんだけどね。抱きつ……ぐはっ」

 

 少女が本条の頭に軽くチョップする。本条はわざとらしくいったぁと叫んでいる。

 

「まったく……本条さん、どこの世界に抱きつき合う親友がいるのかしら?」

 

 ぷすぅと本条は頬を膨らます。

 

「実質親友と恋人なんて紙一重なんだし、いいじゃんー!ほらういういー」

 

「はぁ……」

 

 ため息と共に、あの時は軽く流したことを思い出す。本条は”ある男”に脅されて絡み始めた、と言っていた。そも男なんて前野と亜鈴以外に関わったことがないような自分に、どうしてわざわざ本条に絡むように言ってきたのか。

 

「……アイアイ!もう、何考え事してるの?」

 

「……いや、なんでもないの。ちょっと今日の晩御飯について考えていただけ」

 

「そっか……あっ、そうだ。どうせだし私もアイアイの家に夕ご飯ごちそうになりに行っていい?」

 

「……へっ?」

 

 声が裏返る。あんなことがあったすぐ後に、相手の家にお邪魔しようとするなんて。度胸あるなぁとある意味で感心した。でも実際、断る理由は全くない。

 

「……まぁ、いいわよ」

 

「本当?ありがとう、アイアイ!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねながら、その勢いでダキッと少女に抱きつく。振り払おうと少女がするも、接着剤みたいに協力にくっついていて全く剥がれない。

 

「へへへ……アイアイの身体あったかいね……眠く、なりそう……」

 

「ちょっ、本条さん!?」

 

 くぅくぅと本当に寝息を立てて眠ってしまった。色々あったしで、疲れたのだろう。仕方なく本条を背負う。思ったより軽いが、人一人ということもあり、やはり重い。ひぃひぃと声を上げながら、少女はまた一歩また一歩と家路を歩いた。春の淡い風が二人の髪を揺らした。




ここでいったんストップ。続きは遅くても夏中には出すよ。
冷凍うどんを早く溶かす方法を知りたい。


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四分の二
#10


 時間は有り余っているんですが、個人的な壁打ち二次創作楽しすぎてサボってました。あと太宰とか太宰とか太宰とか。太宰全集、皆読もうよ。……それはそれとして、4分の2、始まります。


# # #

「……はぁ?」

 

 少女は読んでいた本から顔を上げた。自慢げな本条の手には二枚のチケットが握られている。

 

「だーかーら!アマゾンランド、行こうよ!」

 

 ため息代わりに眉をひそめるも、本条は一切気付いていなかった。その事実に心の中でため息をつく。

別に少女も”面倒くさい”などといった、怠慢な理由でアマゾンランドに行きたくないわけではなかった。少女の体質たる”文系以外の人間と話すことが出来ない”というものがあるからだ。この体質は単に広義的に”文系以外”というわけではない。

 例えば文理選択で文理を選んでいる中の文系というわけではなく、”少女の目から見て理系の気配があるもの”は全体的に話すことが出来ないのだ。一応学校には前野経由で話を通してあるのだが、遊園地となればそうはいかない。”文系以外の人間と話すことが出来ない”なんて体質、理解してもらえるはずはない。

 

「……ごめんなさい、遊園地とか苦手で」

 

 なるべく傷つかないようにと考慮した上での言葉。察しの良い本条ならばこの真意を理解してくれるだろうと期待した少女だが、返ってきた言葉は予想外だった。

 

「んーここ遊園地じゃないよ?ほむんくるす君あったでしょ?あれの展示なの!」

 

 ほむんくるす君。少女の脳内検索であのゲームセンターでのぬいぐるみが思い浮かんだ。あれから本条との帰路でほむんくるす君に関して「偶像界のピカソ」や「神聖ローマ帝国をもっとも恐れさせた偶像」などと熱弁されたが、少女の心には全く響かず、いつも本を読みながら適当に返答していた。あの造形なので本条以外の人間で好いている者など一握りだと信じていたが、どうやらかなり人気の商品らしい。前野に聞いた所では一クラスに五人はほむんくるす君のストラップを付けているらしい。軽く狂気では、と少女は強く思う。

 

「……あ、そうだわ」

 

ふと、少女の脳裏に一つの案が思い浮かんだ。

 

「えっ、行く気になったの、アイアイ!?」

 

「……一つだけ、条件を飲んでくれたらいいわ」

 

ちょうど、その日にある用事があることを思い出したのだ。

 

「条件?」

 

「そう、条件。一緒に行くなら、一つだけ条件を飲んでくれたら行くわ」

 

「ほんと!?それでそれで、条件って?」

 

 少女はポケットから四つ折りにされた一枚の紙を、本条に渡した。本条は頭を傾げながら受け取ると、紙を展開した。……なるほど、どうやらそれはチラシみたいだ。チラシに書かれているのは、本、本、本。少女の目を見ると、キラキラと目を輝かせていた。

 

「帰りに……一緒に、本屋に寄らないかしら?」




 市販の蒸しパン食べたら軽く胸焼けした、寄る年波感じました……私何歳だ……


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#11

# # #

「……あ、アイアイこっちこっち!」

 

 本条の手に招かれるように重い足をばたつかせて走る。

 

「間に合った……かしら」

 

「うん、ぴったし!十時十分ちょうどだよ!」

 

「良かった……」

 

 べったりと地面に座り込むと、荒れた呼吸をすぅすぅはぁと整える。繰り返すうちに肺がだいぶ楽になると、人類の二足歩行へと戻った。その間本条は露も知らぬ顔をして朝ごはんだろうか、買ってきた卵サンドを美味しそうにモグモグしていた。じぃと視線をおくったが、本条は気付かずに食べたままだった。

やれやれと思いつつ、少女は鞄に手を入れる。ザラザラの表紙の単行本、少女の好きな作家の新刊である。手触りに頬を緩ませつつ取り出していると、本条が頭をペシッと叩いてきた。

 

「いてっ。何するの、本条さん」

 

「せっかくデートするんだし、読書は禁止だよ!」

 

「……別にカップルじゃないし、別にいいじゃない」

 

「だーめ。ほむんくるす君はしっかり知れば奥深いし、楽しいんだよ?ほらほら行くよー」

 

「わっ……」

 

 心を穏やかにする温かさを持った手。なんだか懐かしい感じがして、少女は抵抗せずに大人しく引っ張られることにした。アマゾンランドの中はあの奇妙奇天烈なほむんくるす君とは真逆と言っていいほど美しかった。名前の通り自然をモチーフにしており、展示エリアはまるで本当のアマゾンみたいだった。なんだかんだ言っていた少女も良質な展示に魅了され、本条と並んで目をキラめかせていた。それも中間地点まで来た頃、休憩スペースとしていくつかベンチがあった。その頃には普段運動しない少女の体力は死にかけで、体力を持て甘す本条は仕方なくベンチに座って、休憩することにした。

 

「どう、アイアイ?ほむんくるす君の素晴らしさが理解出来た?」

 

「えぇ……!ほむんくるす君の要素がどこにあるか理解できなかったけど、展示は本当に優美で凛々しかったわ」

 

「むぅ……ほむんくるす君の味わいが分からないか……でもでも!どこかほむんくるす君感じさせない?」

 

「……ないわ」

 

「そんなぁ……」

 

 落ち込むけれどめげない本条。呆れる少女。そんな会話をしていると、目の前をピンクのワンピースの少女が通った。いかにも妖精らしい見た目にふふっと頬が緩んだ少女は、本条の肩を叩き、無言でワンピースの少女を指差した。しかし、本条は小首をかしげた。

 

「……からかってるの、アイアイ?そこには誰もいないよ」

 

 少女はぞっとしたが、疲れているから見える幻覚だと割り切って何度も何度も目をこすった。だが姿は消えない。あまりに目をこすっているので本条が心配そうな眼差しをしてきたので、そろそろ行こうかと本条の手を掴んだ。本条はもう少し一緒に座っていたそうで不満そうだったが、少女の何かを恐れるような顔を見て従うことに決めた。




 胃腸薬オススメ誰か教えて


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#12

# # #

 展示も後半になってくるとほむんくるす君の写真や設定資料がしっかり出てきて、何も知らない少女にとっては退屈なものになっていた。暇潰しにほむんくるす君の設定についての文も少し読んでみたが、『カレーとシチューの両親から生まれた生き物』という文を読んだ時点で、読むのを諦めた。それにしても少女は浮足立って仕方がなかった。たとえ少し惹かれる展示があっても、時折目の前をワンピースの女の子が通ってきて、全く集中できていなかったのだ。

 

「ねぇねぇアイアイ、これやばくない!?ほむんくるす君の秘密結社バージョンの等身レプリカだよ!」

 

「……えぇ」

 

といったやり取りが、幾度も繰り返されていた。その度に本条もまた、暗い顔をした。

 

「……ねぇアイアイ、どうかしたの?」

 

「……何でもないよ」

 

「そっか」

 

 また変わらずにほむんくるす君の展示を見つめる本条。幾度も繰り返していく内に、段々楽しんでいるという情熱が失っているのが明らかであり、反比例して、わざとらしさだけが増加しているのが強く感じられた。少女は空気が腐ってしまったようで辛かったが、指摘すれば全てが壊れてしまう気がして、口が開かなかった。今、この関係を壊すわけにはいかないのだ。そう思い込もうとしている間も、目の前のワンピースの女の子は楽しそうに走り回っている。少女の心の器には、モヤモヤが溢れかけていた。ちょうどその時、ワンピースの女の子がつまづいて、転けてしまった。

 

「……あっ」

 

「あっ……?」

 

 本条が肌に汗を伝わせているのなんて気にも留めず、少女の心の器はついに洪水を起こした。

 

「本条さん、ごめん。やっぱり私気になる」

 

「えっ……何が?」

 

 女の子に駆け寄ると、少女は手を出した。女の子は少女の手を借りて、立ち上がる。触れられる、ということは存在する者、幽霊ではない。その事実に、少女はほっと一息をついた。

 

「ねぇ、君、大丈夫……?」

 

 未知の生物でも見たような顔をする女の子に、少女はじぃと目線を送る。だが女の子の視線の先はどこか遠く、少女の背後であった。何を見ているのかしらと振り向こうすると、チクッと何かが刺さったような痛みがした。咄嗟に繋いだ手を離してしまうと、女の子は猛スピードで走り去って行ってしまった。本条の元に戻ると、どこか思いつめたような顔で少女を見つめていた。

 

「……ねぇアイアイ」

 

「……うん、何でもないの。さっ、続きを見に行きましょ!」

 

「……そ、そっか!」

 

 少女はすっきりとした心持ちで、また本条と共に歩き始めた。その姿を、女の子は展示の影から不安げな目で見つめていた。




 ソルティライチくんクソ好きだけど、友達は嫌いらしいの悲しい


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#13

 アマゾンランドからの帰り道、"条件"の通り、二人は古書店に寄った。少女行きつけであるこの店はこじんまりとしているが、品揃えがとても良かった。文学から図鑑、料理本に絶版になった漫画など見ていて飽きない程度にはあった。そんな古書達にいつもは永遠のように魅入っている少女だったが、今日は違う。なんと、少女が店主に一年前から頼んでいた古本がついに入荷されたらしいのだ。ルンルン気分で少女は店主に話しかける。

 

「こんにちは、ミツおじさん」

 

「おやおやアイちゃん、こんにちはぁ。今日は……なんだったかなぁ」

 

「芥川龍之介の全集ですよ、ミツおじさん」

 

「あっ……そうだぁ、そうだぁ。少し奥に取ってくるから待ってねぇ」

 

「は、はい!分かりました」

 

 のっそり立ち上がると、店主はサンダルの音を立てながら奥の闇へと消えていった。ただ店には静寂と古書店特有の匂いだけが残る。隣にいたはずの本条は、いつの間にか料理本コーナーを読む訳でもなしに、じぃーと見つめていた。ぼんやりその姿を眺めていると少女の視線に気付いたらしく、フンフンと手を振ってきた。もちろん、少女は何も言わずに無視をした。そんな事をしている内に店主が帰ってきた。

 

「はい、これぇ」

 

 両手には表紙の大部分が禿げてはいるが、保存状態が良いらしい古本が握られていた。

 

「ありがとうございます!」

 

「それじゃあ、五百円ねぇ」

 

 鞄から財布を取り出して、用意していた五百円を取り出そうとする。そこで異変に気付いた。お金が一円も入っていなかったのだ。額から汗が零れる。朝、確かにお金は入っていた。前野から念の為にと貰った一万円も。

思わず本条の姿を探す。相変わらず料理本と睨み合っていたが、少女の視線を感じると、またフンフンと手を振って返してくれた。違う、そうじゃない。なんだが、お金を借りる気がなくなってしまった。

 

「……あの、ミツおじさん。お金忘れちゃったので、今度でいいですか?」

 

「おやぁ、うんぅ。分かったよぉ」

 

 誠意を込めて頭を下げると、人間は忘れちゃう生き物だからねぇと微笑みながら、本をまた奥の方へと仕舞いに行った。その内に、そろそろ帰ろうかという旨を伝えようと本条のいた方を見たが、なぜか姿が見えない。少しの間、レジから離れて店内にその姿がないかと捜索していると、店に設置されているトイレから本条の声が聞こえてきた。何か、小声で話しているようだ。好奇心で、ドアに耳を当てて聞き耳をしてみる。

 

「……だからね、私はアイアイを殺す……」

 

 殺すという言葉に咄嗟に耳を離して、尻餅をついてしまう。

 

「あっ、すいません。誰か待っていますか?今開けますー」

 

 大急ぎでトイレからレジに向かって走る。既に店主が戻ってきており、走ってきた少女の姿に小首をかしげた。

 

「なんだか顔が蒼いけど大丈夫かぃ、藍ちゃん」

 

「はい。ちょっと体調が優れなくて……」

 

「そうかぁ。今日は早く帰るんだよぉ?」

 

「分かりました……」

 

 なんだか本当に調子がおかしい。殺すという単語が頭の中をふわふわと浮遊して、また記憶の本条の姿と結合して、それが血管に詰まってしまっているような。つい少女はその場に倒れ込んでしまう。

 

「アイアイ!」

 

 店主と共に少女の元にトイレから出てきた本条がやってくる。だが、少女はフラフラになりながらも、壁を使って立ち上がろうとしていた。

 

「ちょっとフラついただけだから、大丈夫……よ」

 

「……いやいや、大丈夫じゃないでしょ!すぐに救急車を」

 

「駄目っ!それは駄目っ!」

 

 少女が本条の手を強く掴んだ。思わず本条も床に尻餅をつく。

 

「……前野さんに、迷惑をかけたくないの」

 

 少女の目にはいつものキツイ三白眼に加えて、より確かな強い拒絶がヒシヒシとオーラを放っていた。本条は少し戸惑う姿を見せたが、その目に一つため息をついた。本条は立ち上がると、少女に腰を向けた。

 

「……私の家、すぐそこだから。ほら、乗って」

 

「……いいの?」

 

「もちろん!」

 

 少し戸惑いながらも、もたれかかるように本条の腰に全体重をかけた。本条は一瞬ウッと声を漏らしたが、店主に一瞥して、重い足を前へ前へと進めていった。




 推しの話していいですか?駄目ですか、そうですか。


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#14

# # #

 本条の家はマンションの一室だった。指紋認証と顔認証のダブルセキュリティがあるぐらいの超高級マンションであり、意識が半ば朦朧となりながらも、少女の心はアタフタと慌ただしかった。本条の顔を認知した自動扉が開く。

 

「ほらアイアイ、私の家に着いたよ。少しは落ち着いた?」

 

「……え、えぇ」

 

 本条が電気のスイッチを押すと、LEDの電球が競うようにキラリと全ての部屋を照らした。これが最新鋭の技術かと少女は唖然した。それも束の間の内に本条自身の靴と少女の靴を脱がせると、すぐさま玄関横の部屋に入った。部屋の中央のお姫様が寝るような大きな蚊帳付きベッド、高級そうなタンスやクローゼット、化粧台。そんなベッドの上に少女は降ろされる。

 

「……ふぅ。中々アイアイ重いね」

 

「……早速の無神経発言やめてくれる?」

 

「ごめん、ごめん。嘘だよ、アイアイ異常に軽かったよ」

 

 それはそれでどうなのかと頭をモヤモヤさせたが、強く疲弊した身体がそこで思考をストップさせた。ふっと気を抜いたら、意識が深い夢の奥底へと落ちていきそうだ。寝てしまいたいが、まだ前野にこの事実を伝えられていないことが気がかりだった。朦朧としながら鞄の中に手を入れて、なんとかスマホを取り出す。……充電はなんとかあるみたいだ。少女はほっと一息ついた。電話をしたいが、倒れ込んだなんてバレたらどれだけ心配をかけることだろうか。LINEでその旨を伝えようとした時、LINE電話がかかってきた。サイズの合いそうなパジャマを探していた本条がこちらを向く。

 

「アイアイ、電話?」

 

「うん……出るよ」

 

 つい言葉が口の先から出てしまった。本条の目線がある一方、電話にでないわけにはいかない。スマホに表示された二十二時という表示をチラッと見てから、耳にスマホを当てる。

 

「あ、やっと繋がった!藍くん、こんな時間まで一体何を」

 

「……す」

 

「え?なんだい?」

 

 あれ。少女は喉に違和感があった。声がカスれて出ない。このままではまずいことになる。目が一刻一刻と眠りに近づいているのがハッキリと形をなして分かってきた。まずい。スマホが手から滑り落ちて、ベッドの下に落ちる。少女がいくら手を伸ばそうとしても、なんだか上手くつかめない。半目がもう完全に閉じているせいだろうか。少女の胸に失望と迷惑が入り混じって暴発しそうになったその時、ひょいっと陽に焼けた腕が少女のスマホを拾った。

 

「あっ、もしかして前野さんですか?」

 

「君は?」

 

「はい、前に遊びに行った本条です」

 

「あぁ、あの時の。それで藍くんは一体……」

 

「実は……一緒にカラオケに行ったんですけど、歌いすぎちゃって声が枯れてしまったみたいで……」

 

「なるほど。それで、今藍くんと君はどこに?」

 

「私の家です。実はアイアイ……もとい藍さんと前から一緒にお泊りしたかったんですが、中々その機会がなくて……今日頼んでみたらOK貰えたので……本当にすいません!」

 

「いや、それなら良いんだ。それじゃあ本条さん、藍くんのこと、頼んだよ」

 

「分かりました!」

 

 通話の切れる音共に、少女は胸の中の嫌な感情が全て溶けだして、気が付くと暗闇の世界へと落ちていっていた。




 推しカプが死にそうで毎日苦しい


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#15

# # #

 目が覚めると、少女は床で寝ている本条の姿が確認できた。その横に、昨日少女が着ていた服も。布団から起き上がった少女はやれやれと思いつつ、自分にかけられていた布団を代わりに本条にかけてあげた。えへへと本条が寝言を漏らす。枕元の目覚まし時計を見ると、まだ朝の五時。本条の顔と少女に着せられたほむんくする君Tシャツを交互に見ながら、何をしようかと考える。今日は土曜日であるし、これと言って差し迫った用事もない。ただ、何もしないというのも退屈である。

 

「……少し、この家を探索しようかしら」

 

 人は時に、普段とは違うことをしたくなる衝動に襲われることがある。その強い思いに突き動かされて、少女は部屋の扉を開けた。昨日までの記憶の通り、とても綺麗な内装で、新築マンションであることが窺がわれた。本条を起こさないように、抜き足差し足で、まずドアが開きっぱなしになったリビングへと足を向ける。でも、それは異様だった。これだけ広い部屋を有しているというのに、リビングにあったのは小さなちゃぶ台だけだった。そこには椅子もない、座布団もない、テレビもない、まるで引っ越し初日の部屋のような部屋だった。付属されたキッチンにも何も置かれておらず、冷蔵庫すらもなかった。恐怖、とはまた違った感情。畏怖、とでも言うべきだろうか。いつも、あんなワイワイしている人間が、ここまで非文明的な生活をしていることに驚きを隠せなかった。朝から身体に冷や汗を流していると、ガタンとリビングの奥の方から音がした。本条はまだ部屋で寝ているはずだし、この部屋には別の誰かがいるのか。心臓の音が聞こえる。瞬きが多くなって、恐怖で呼吸がしづらくなる。途端に足音が私の方に向かってくる。ドタドタドタという足音はおよそ人間のモノとは思えないほど速いように感じられ、少女はどうにかリビングから逃げようとした。ドアへと向かって、足音を立てないように後ずさりしていく。しかし、背中に何かがガァンと当たる感触。恐る恐る後ろを向くと、真っ白な壁。もうどうしようもなくなって、頭を抱え込む。

 

「わぁぁぁぁぁぁ!」

 

「……落ち着いてください、私はあなたの敵じゃありません」

 

「……へっ?」

 

 目の前にはあの、ピンクのワンピースの少女が立っていた。それも、普通に言葉も話している。やはり幽霊ではなかったのだという安心感と共に、なぜという疑問が少女の頭を包む。

 

「貴方はアマゾンランドのあの……なんで?」

 

「それは……」

 

「それは、私から説明するよ。……アイアイ」

 

 ドアの向こうから、寝ぐせで髪がスーパーサイヤ人のようになっている本条がひょこっと顔を出した。




 ヨーロッパ旅したい


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#16

# # #

 話を聞き終わった途端、少女の本条に対する評価が変わった。いや、正式には"そうであるべき評価に戻った"というべきだろうか。段階的に説明して行くと、本条曰く、部屋にいた女の子はやはり、少女がアマゾンランドで見ていたあの子だったらしいのだ。ではなぜ女の子があんな意味の分からない行動を取ったかというと、いい淀みながらも、全ては少女をこの部屋に連れてくる為だったそうだ。常識論、睡眠薬による昏睡や物理的な気絶をさせて部屋に連れ込むと、誘拐になり、加えて少女に嫌われてしまう可能性もある。そこで考えたのが、怪しくない部外者の手による昏睡だ。とあるルートで手に入れた遅効性の毒を使って、部外者の手から注入してもらう。そしてアマゾンランドからの帰り道で適当に時間を潰し、毒が効くのを待つという作戦だったようだ。だから少女の本条に対する考えは”戻った”のだ。少女は白い目で本条を見つめる。

 

「あの……アイアイ……ごめん……ね?」

 

「せっかく……本条さんのこと……好きになって来てたのに」

 

「……えっ?」

 

 少女はポツポツと降り落ちていく涙で袖を濡らすと、その場にうずくまって何も言わなくなってしまった。本条は何か声をかけようと手を伸ばしたが、直ぐに戻し、何も言わずに隣へ座った。女の子はどうするべきか、と少しの間戸惑っていたが、机の上に置かれた封筒を手にして、そそくさと立ち去っていった。ドアが閉まり、部屋が少し揺れる。本条は少女の髪の毛を見る。交じりっ気のない蒼が深海みたいで、ずっと見ていると吸い込まれそうな魅力がある。いつもはこんな風にマジマジと見ることもないので、なんだか新鮮な気分だった。触れて、みたい。ただ一つの純粋な感情が、本条の中に沸き起こった。いつものじゃれあいなんかではなく、そんな中途半端な気持ちなしに、ただ美しく壊れやすい宝石でも触れるように。しかし葛藤がそれを拒んだ。自分の短絡的な行為が、逆に少女を傷つけてしまった。確かにそれに”理由”があるとはいえ、宝石に一筋の傷をつけてしまった。だというのに、私がまたこの宝石を触る権利などあるのだろうか。相反する二つの感情が混沌として、本条も今にも泣きだしてしまいそうな気分だった。けれど、本条は必死に堪えた。温かくて未来の為に。

 本条はゆっくりと頷く動作をすると、すっと後ろから少女の耳を塞いだ。反射的にピクッと少女の皮膚も動く。耳元で、優しく、朗らかに、言葉が発せられる。

 

「--ごめんね。でも、誘拐してしまいたいぐらいにアイアイの事が好きなの」




 部屋が汚いので掃除しなくていい世界に行きたい……逆に綺麗にしそうだし


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#17

# # #

 それから少女は荷物をまとめ、何も言わずに本条の部屋を出た。背中に、本条の視線をヒシヒシと感じながら。まだ早朝も早朝の頃だったので、通りには、元気に散歩をしている老人か、犬の散歩をする学生程度しかいなかった。そんな中を思いつめたような暗い顔で歩いていると、遠方から見覚えのある人がランニングしてきている姿を見つけた。眉間に皺を寄せて見ると、それは本条の祖母だった。額の汗をぬぐいながら走っており、少女の姿に気付くとあらと言って駆け寄って来た。

 

「おや、おはようさん」

 

「おはよう……ございます」

 

「なんだい、その萎れたスミレみたいな声。……もしかして、紗耶香と何かあったのかい?」

 

 少女はポカンと一瞬間の抜けた顔をしたが、すぐに元の暗い顔に戻って頷いた。本条の祖母は少女の目をじぃーと見つめると、肩をポンポンと叩いた。頭を傾げつつ、少女は本条の祖母の目を見返した。

 

「……あの子はとても不器用でねぇ。ああ見えて私以外の人間が苦手だったし、誰かを好きになることなんて万が一にもなかったんだ。でも高校に入ってしばらくした時から、人と積極的に関わるようになったの。気になって理由を聞いたら、”好きな人が出来た”って言ってたわ。……とっても、嬉しそうな声でね」

 

 遠い過去の思い出を語るみたいに、本条の祖母は空の向こうを見つめていた。少女はより顔を暗くしてしまう。本条の祖母はハッとして口を押えた。

 

「……あっ、すまないね。喧嘩をしたなら、こんな昔の話よりも、どうすれば仲直り出来るとか解決法を言うべきだったね。……ふむ」

 

 思い悩む本条の祖母に、少女は両手を突き出した。

 

「あの……私は一人でも、大丈夫、ですから」

 

「……そうかい。だったら、一つだけ。”この世は舞台、みな役者だ”。……なりたいものを、演じなさい」

 

「シェイクスピアの言葉、ですか」

 

「えぇ。……私の見立てでは、今、貴女に必要なのはこの言葉だと思うよ」

 

「……」

 

 思い悩む少女の顔が少し晴れたのを見て、本条の祖母はふっと大きく息を吐いた。快活な笑顔を浮かべると、腕時計をチラッと見た。

 

「おや……そろそろお店の開店の時間だね。それじゃあね……あー名前、なんと言うんだい?」

 

「雨宮藍です」

 

「藍ちゃんね、うん。それじゃあね、藍ちゃん」

 

そう言い残すと、本条の祖母は元気そうな後ろ姿で走り去っていった。

 

「なりたいものを、演じる……私は……何になりたいのかな」

 

 爽やかな風が、少女の蒼い髪を揺らした。




 プリン醤油未だにやる勇気出ないが、美味しいのカ?


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#18

# # #

 思い悩みつつ帰路を歩いていると、いつの間にか家の前に着いていた。徹夜でもしていたのだろうか、いつもはしっかり電気を消しているはずの前野の部屋の電気がついていた。少女は不審に思いながらも、珍しいなぁと流してドアを開けた。

 

「ただいま、です……」

 

 寝ていたらアレなので、なるべく小さな声で。もちろん返事は返ってこない。けれど、妙な違和感があった。肌に感じる空気の冷たさがいつもと違うように思ったのだ。ふと、”あの夜”のことを思い出す。お風呂に閉じ込められ、外に出されていたあの夜。冷たい空気の流れは二階の方から流れてきているように感じた。冷や汗を背中に感じながら、大急ぎで階段を駆け上り、前野の部屋へと急ぐ。本条との関係がゴタゴタしている今、もし”最悪”が起こったなら、そこには一切の”居場所”がなくなってしまう。誰にも受け入れられず、またあの孤児院に戻ることになってしまう。扉に手をかけると、妙に軽かった。開けると、そこには赤い……血。

 

「……ひっ」

 

 思わず、尻餅をついてしまう。そこには……胸を抑えて倒れている前野の姿があった。気が動転して頭が良く回らなかったが、なんとか冷静な理性を取り戻し、スマホで119のボタンを押した。

 

「も、もしもし、け、警察ですか」

 

# # #

 通報してから救急車が来るまで、電話の指示に従って必死に少女は応急処置をした。でも救急隊員が部屋に入ってきてから、ふっと糸が切れたみたいに少女も倒れてしまった。目が覚めるともう夜で、前野は緊急治療室での手術を終えて、病室で眠っていた。少女もその横に布団を敷かれて寝かされており、起きた途端に前野の寝姿を見て、ほっと一息ついた。布団を綺麗に折り畳むと、のどの渇きを覚えたので病室の外に出た。

 静かな病院はなんだか新鮮で、不思議な感じがした。コツコツと歩いて、近くの自動販売機に寄る。暗闇に浮かぶその姿はどうにも心を安心させるものがあり、改めて前野が生きていたという事実を感じられたような気がした。

 自販機の近くに行くと、どこかで見たオレンジ色の髪が見えた。咄嗟に引き返そうとすると、後ろから腕を掴まれた。

 

「……ごめん、アイアイ」

 

「……離して」

 

「……聞いて、アイアイ」

 

「……離してってば!」

 

 少女が振り払うも、また本条は手を掴んだ。

 

「聞いて、アイアイ」

 

「……なんなの」

 

「……”私が前野翔太をあんな目に合わせたの”」

 

「……えっ?」

 

 病院の窓から見える空は灰色の雲に覆われていた。




 これにて4分の2、終わりです。次は……また来年三月に投稿するか、どうするか……また思いついたら書いときます。
 ちなみに私が今推しているCPはひびみくと、あとは……まぁ、ハーメルンでまたそのうち短編出すかも。それではまたそのうちか、来年か……クリスマスに投稿出来たら楽しそう。


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四分の三
#19


# # #

人は言葉を軽んじる傾向にある。その重みや責任は知っているはずなのに、感情が先走って言葉が漏れてしまう。それは憎しみであったり、怒りであったり、幸せであったり。ただ、それは言葉を使う限り付き纏う呪いでもあるのだ。電化製品を使い始めた人間がそれなしで生きることが出来ないように、私達はその呪いを振り払うことは出来ない。

だからこそ、告白という呪いは相手と自分を死ぬ瞬間まで呪い続けるのだ。例え、どんなに忘れようとしても。

 

少女にかけられた一つ目の呪いは"憎しみ"だった。それは彼女を異端たらしめる原因に至らせた。二つ目の呪いは"幸せ"だった。これは周知の事実たる本条の告白である。そして今、かけられた三つ目の呪いの名は"哀愁"であった。目の前の本条に浮かぶ表情は後悔や絶望などではなかったのだ。哀愁、何かを悲しみ憂う感情。何故にそのような表情を浮かべるのか。少女には全く理解が出来なかった。

 

「ねぇ、本条さん。それってどういうことなのかしら。また"嘘"でもついてるの?」

 

「違う!今回は本当なの。私が貴方の慕う彼を刺したの」

 

「どうして……だったら、どうしてそんなことをしたの!」

 

「"前野がアイアイを殺そうとしていたから"だよ」

 

本条は少女を騙し、実質的に誘拐した。でもそれは行き過ぎた愛故の行動であり、今回前野を殺そうとした事との関連性が掴めなかった。

二人を応援することはあれど、邪魔するような人ではないのだ。なのに目の前の本条の表情には、嘘偽りが全くないように見える。いつものふざけたことばかり言う本条とは違い、どこまでも真っ直ぐなのだ。

 

「前野さんが殺そうとしていたなんて……そんなこと」

 

「信じられないよね。でも本当なの。アイアイ、何度か殺されかけたことあるでしょ?」

 

「えっ。どうしてそのことを」

 

「だから言ってるんじゃん。それを、前野がやったの」

 

庭に埋められそうになったり、お風呂に閉じ込められたり。あの昼間の太陽みたいに優しい前野がそんな酷いことをした、なんて。少女のは得体の知れない真実に身を落とした。

 

「無理。信じれない。そんなの……そんなの嘘よ!そうやって、私をまた騙して……騙し」

 

呼吸が出来ない。この感じ、少女には覚えがあった。それは一回目の呪いを受けた時、少女に引き起こされた症状。"過度に理系の人間と話して、引き起こされると思っていた症状"だった。最近ではまず"話せなくなっていた"のだか、何らかの理由で話せていた本条との会話がトリガーになってしまったようなのだ。

 

「アイアイ!しっかりし……て……」

 

目の前が暗くなってくる。普段なら大問題なのだが、目の前に叩きつけられた真実からも逃れられるような気がして、少しホッとした。少女は今回だけは、この呪いに助けられたような気がした。




間に合った……いやクリスマスには間に合ってないけど……因みに受験に受かりました。おめでとう、私。
でも合格書類無くしました、シンプルにやばいけど、どうしようもない……


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#20

# # #

暗転した世界では嫌なことばかり思い出す。例えば体育の時の失敗で影で悪口を言われたこととか、大好きなぬいぐるみが壊れてしまった日のこととか。確かにこの世界は良いことも沢山あるけど、それ以上に嫌なことで溢れている。だからこそ、あの呪いもそんなありふれた嫌なことの一つのはずなのだ。なのに、呪いはいつまでも私を追いかけてくる。ふとした瞬間に、背後から少女の頬に触れてくる。そっと耳元で呪詛を呟く。「お前は逃れられない」「決して忘れさせない」そんな、心を拘束してくるような呪詛を。

 

「Old Story……」

 

 ふと、あの物語の名を口に出す。カウンターの人に勧められ、前野がなるほどと納得した物語。少女にはなんのことか分からなかったが、前野を納得させたあの物語、そこにこそ"答え"があるのではないか。そうすれば、"前野の無実が証明されるはず"だ。少女は酷く焦っていた。早く証明しないと、少女の元に誰もいなくなるような気がして。

 

# # #

気が付くと、自分の部屋のベッドの上だった。起きるや否や、少女はあの物語が今どこにあるかと思案した。確か……そう、無くしてしまったのだ。無くしたことに気付いた後、ちゃんと図書館に謝って弁償代を払ったのだが。そんなことは重要ではない。あの本はどこにいったのか、それが一番の問題である。そもそも紛失した場所は家の中である。仮に盗られとしたら廃棄されている、またはどこかに隠されているだろう。前者だったら新たなモノを探すしかないが、”ある理由”でそれはないと少女は思っていた。

 

「まずは……亜鈴の部屋かしら」

 

 おそらく亜鈴のことだ、前野の病室に泊まっていることだろう。一応足音を立てないようにして、廊下を歩いてい行く。亜鈴の部屋は二階の前野の部屋の隣にある。少女にとって、亜鈴は目の上のたんこぶのような存在だった。亜鈴は前野にこの場所に連れてこられた時から住んでいた。

 

「前野さん……誰?奴隷?」

 

 第一声から少女から嫌っており、前野にきつく叱られていたのを覚えている。少女は亜鈴がどこ出身であるとか、どんな家庭環境に晒されていたのかは知らない。この家では前野以外は境遇をすべて理解しているモノはいなかったし、暗黙の了解として互いに聞こうともしなかった。また互いの部屋に入ることも、それが相手の”領域”に入るようで避けるようにしていた。

 少女はドアノブに手をかけた。ついに私は暗黙の了解を破るのだ。一筋の背徳感と高揚感を身に感じながら、少女はドアを開けた。




とろろ昆布をそのまま食べたら美味しいよね……分かり合える人少なそうだけど。
ふりかけを個体で食べる変態なので……


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#21

# # #

 ドアの向こう側の部屋に少女は既視感を感じた。ベッド、小さいちゃぶ台、空っぽのタンス。まるで引っ越し一日目のようなほど生活感のない部屋。まるで”彼女”の、本条の部屋の二重写しのように見えた。いやむしろ、”コピーされた”と言うべきか。実際にはもちろん部屋の広さは違うわけだが、部屋のレイアウトやベッドなんかの配置が同じなのだ。

 

「……それで、本はあるのかしら」

 

気になることには気になるが、レイアウトが同じなのはたまたまかも知れない。今は一刻も早い"証明"が必要なのだ。部屋を微に入り細を穿つように事細かに調べる。ベッドの下、シーツの隙間、クローゼットの中。思い当たる場所は粗方探したが、見つからなかった。もうこの部屋にはないのかしらと一瞬過ぎったが、そんなことは無いとどうにか振り払う。もしもこの部屋にないとしたら、私がたまたまでも見つけることがない場所と言えば、"あの部屋"しかないのだから。

 

「もう一度……もしかしたら隠し部屋があって、それで……」

 

壁に触れようとした瞬間、少女の身体は刹那に宙を舞った。床に叩きつけられ、声にならない声と共に痛みが骨に染み入る。

 

「……一度だけだ。今すぐ出ていったら、俺は何も見なかったことにしてやる」

 

その声には肌を凍えさせるような冷徹さが宿っていた。普段からぶっきらぼうな亜鈴だったが、今は微かに宿っていた温かさすら消え失せているように聞こえた。それでも、少女は動かなかった。今度は棚を動かそうとしたが、亜鈴が首元を掴んで止めに入った。

 

「聞いてんのか、おい!」

 

「駄目……離して!私は……私には!」

 

このままこの部屋にはない事実を許容してしまったなら、それは逆説的に"あの部屋"にあるということになってしまう。廃棄された可能性だって充分に有り得る。でもそれは"証明"にならないのだ。結局本条の言葉の信憑性を下げることにもならず、むしろ私が私の手でその可能性が存在することを証明してしまうのだ。亜鈴が本条を床に押し倒す。

 

「お前も俺も、この関係を……居場所を失いたくないんだろ?だったら頼む。どんな理由で俺の部屋に入ってきたか分からないが、今すぐ出て行ってくれ。頼む……」

 

亜鈴は涙を流していた。その顔はとても冷ややかだった。けれど、その声には得体の知れない温かさがあった。少女はなんともなしに、日常的に経験している感覚ーーそれはまるで”逢魔が時の温かさ"のようであるーーを感じた。




前回からの続きなんですが、お茶漬けの素を個体だけ未だに苦手なんですよ。さすがに緑の塊がしょっぱ過ぎて……まぁ懲りずに、不定期的に食べてるんだけどね


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#22

# # #

亜鈴に付き添われながら、"あの部屋"の前に来た。ごく最近、入ったばかりの部屋。決して疑いたくなかった人の部屋。震える手を必死にいなしながら、ドアノブに手をかけた。

 

「……えっ」

 

二人の声が重なった。少女も亜鈴も、目の前に広がる光景に自分は夢を見ているのではないかと思った。その部屋には、一冊の本が落ちていた。同時に、あったはずの本や家具が"何一つなかった"のだ。まるで魔法によって消されたみたいに。少女たちは驚き戸惑いながらも、ひとまず本を取り上げた。タイトルは"Old Story"。よほど丁寧に扱われていたのだろうか、古びたその見た目も無くした時のままだ。恐る恐る例の二つ目の話、"Evening"の部分を開けようとする。……開かない。よく見ると、その話の部分だけ糊で張り付けられているらしい。無理に外そうとしたら、ビリビリになってしまうだろう。どうしたものかと悩んでいると、亜鈴がそれを取り上げてしまった。はっと後ろを向くと、糊付けされたページを無理矢理こじ開けてしまった。案の定、ページはビリビリに破けてしまっている。

 

「あ、亜鈴!な、なんてことを……これじゃあ本が読めないじゃない!」

 

「仕方ないだろ、くっつけられていたんだし。それよりも問題はこっちの方だ」

 

ページの隙間に手を入れ込むと、中から一通の便箋を取り出した。便箋はある程度の月日を経たモノらしく黄ばんでおり、TELの隣には”自分と同じ名字の者の名”が書かれていた。少女は反射的に取り去ると、亜鈴がおいっという声も無視して乱雑に封を破り開けた。逆さまにして中身を落とすと、折りたたまれた手紙と星の形をした”何か”が出てきた。星の”何か”はよくおもちゃのおまけにでも付いてくるような、プラスティックの何気ない物だった。そちらも気になったが、当面の課題はそちらではない。少女は折りたたまれた手紙を開いた。

 

『この際なのではっきり言います。前野、貴方は狂人よ。物語は物語足りえるからこそ、狂人は存在しうるし、それが問題化することがないの。そんな当たり前の事、貴方にもわかっているはずでしょう?だというのに、貴方は物語を一つの現実にしようとしている。確かに私は貴方のことが好きだった。貴方の下手くそで現実離れした作品が、どうにも好きだったことも真実よ。でも、私と貴方は別れてしまった。私は別の人と結婚したの。いつまで貴方は夢を見ているのかしら。早く現実を見て、貴方も貴方の幸せを掴んで。それじゃあね』

 

 少女はその場にへたり込み、星形の”それ”をただただ見つめた。




冬休みなので本を読んでいるんですが、原田マハ作品にハマりかけてます……楽園のカンヴァス読んだけど、文学と絵画の親和性というか、文学と絵画は表裏一体というか、なんというか……最高でした、至福。


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#23

# # #

数多くの謎が生まれたと共に、本条のあの言葉が脳裏に蘇る。

 

『私が前野翔太をあんな目に合わせたの』

 

少女とてこの目で見ていた訳では無いので、この手紙は誰かの妄言かも知れない。けれどあの手紙に書かれていた文字は少なくとも、前野の筆跡でないのは明らかである。隣にいた亜鈴も、その点について口を出さなかった事からも明らかだ。それに、どうしてあんな文言の妄言を手紙で送る必要があるだろうか。亜鈴も少女も二人がここにやってくる前の前野については何も知らない。一人暮らしをしていたのか、彼女がいたのか、などなど、何も教えてくれたことがなかった。だが少なくとも、手紙の文言から察するに前野に"彼女はいた"。それは紛れもない事実だ。その彼女は前野の狂人的部分を恐れて別れたのだ。恋のゴタゴタならいざ知らず、終わった恋に対して妄言を書く必要などあるだろうか。おそらく、ないはずだ。少女は星のオブジェを握りしめると、ゆっくりと立ち上がった。後ろにいる亜鈴の方を向く。いつもと変わらない表情だ。少女は奇妙な違和感を感じた。

 

「ねぇ亜鈴」

 

「なんだよ」

 

「"知ってたでしょ"」

 

「……だったらそれがどうしたんだよ」

 

「亜鈴は……これが真実だと思う?」

 

亜鈴は黙り込んでしまった。どこか遠くを見るような目をして、深く瞬きをした。まるで自らの思考の奥深くを見つめるように。少女は何も言わずに、亜鈴の言葉を待った。亜鈴はゆっくりと言葉を漏らした。

 

「俺は……真実だと思う。ずっと前野さんを見てきたけど、時折、あの人、変な表情になる時があったんだ。なんつーか……"小学生になったばかりの頃に抱いていた、学校や世界への甘い幻想"、みたいな。童心と言ったら簡単なんだけど、それとはちょっと違う……みたいな」

 

分かる、何ともなしに理解出来てしまう。亜鈴の言う通り、前野は時折そんな表情を見せるのだ。初めて会った時も前野はその表情を見せたの強く覚えている。少女は深呼吸をすると、暫し目を瞑った。信じたくないという感情と、それでも非情に証拠だけが揃っていく現実。このまま前野を信じ続けるべきなのか、そうでないのか。今の少女には分からなかった。それでも一つの決意が胸に灯った。

 

「……んで、どうするんだ。俺は正直、前野さんがどんな事をしていようと関係ない。過去にどんな残虐なことをしていようと、今の俺があるのはあの人のおかげだから。これ以上は協力出来ない」

 

少女はふっと息を吐いて、目を見開いた。

 

「私は……」

 

窓の向こうでは、灰色の雨が地上に降り注いでいた。




あとは1984年という本……ジョージ・オーウェルの本を読んだのですが、エグいね。
日本もいつかこうなるのかなぁと、監視カメラの必要性と孕むデメリットに思いを馳せたり、
思想管理の仕方に胸が高鳴りました(物理)深夜に読むのは、やめよう!(提案)


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#24

# # #

一人で町の中を歩く。傘を差しているとは言え、雨は前の方から侵入して来て、私の身体を冷やし込んできた。ぷるぷると震えながら、これからどうしようかと歩きながら悩む。少女は結局、答えが出せなかった。仮にその罪が本物だとして、一体自分に罪を裁く権利など本当にあるのだろうか。その選択が軟弱な精神の少女には出来なかったのだ。だとしても、真実を知らずにいるのも違う気がしたのだ。もしかしたら、物語みたいにあっと驚くような展開になるかもしれない。実は他に犯人が、のような。

 

「でも、どうしようかしら。前野さん本人に聞いても教えてくれなそうだし、他に何か知っている人は……」

 

「なんだい、辛気臭い顔をして。早く入りな」

 

どうやら無意識の内にあの駄菓子屋に来ていたようだ。雨の日なのも相まってだろうか、お客さんは誰もいなかった。あんまりジロジロ見ていると、本条の祖母は眉をひそめて睨んできた。それに気付いた少女は目を逸らすと、傘を閉じてそそくさと店内に入ってきた。本条の祖母はお茶を飲みながら、じぃーと少女のことを見つめていた。少女は気まずくて、ただお菓子を眺めていた。悪い人じゃないのは充分理解しているつもりだ。でもそれはそれとして、今話せるような共通のネタがない。ただいま一方的に喧嘩別れしてしまった本条の話をいつ振られないのかと、冷や汗で背中がびしょびしょである。本条の祖母と"約束"したのに守っていないという背徳感が、胸を締め付けてくる。コトン、とお茶が机に置かれる音が響いた。

 

「あの子と、喧嘩したんだって?」

 

「……はい」

 

「あの子も私の元へ泣きつきにきたよ。"取り返しのつかないことしちゃった"とか、"結局私もあの男と同じなんだ"とかね。詳しくは知らないけど、その男が問題の根源みたいだね」

 

「……はい」

 

「ハイハイハイ……って、アンタは人形かい?もっと自分の意志を持ちな。思考を止めた人間は機械と何も変わらないんだよ」

 

「そんなこと言われても……彼女とはもう"話せない"んです」

 

しっかり話し合おう、真実を聞こう。そう何度も思い立ったことはあった。けれど、"呪い"のせいで話せないのにどうやって話し合うのか。本条の祖母はキツい眼差しを少女に向けると、のっそりと立ち上がった。少女の動揺をよそに外に出ると、しばらくして外からエンジン音が聞こえてきた。何事かと思って少女も外に出ると、そこにはヘルメット姿の本条の祖母がいた。店の前で止めると、ヘルメットのシールドをクイっと上にあげた。

 

「乗りな」

 

 乱雑に投げられたヘルメットをなんとかキャッチする。ヘルメットと目の前の女性とを交互に見る。

 

「あの……」

 

「なんだい?怖気づいたのかい?」

 

「店の戸締りはいいんですか?」

 

「そういうことは早くいいな!」

 

 本条の祖母はグチグチ言いながらも、仕方なくバイクから降りてガラス戸を閉め始めた。空を見ると、いつの間にか雨は止んでいた。




食い物、芸術と来て次に話すのはなんでしょう?正解は推し。
Star diamondのライビュでスタァライト映画版と聞いて叫んだ変態は私です。
いやぁ……生きる楽しみが増えて、毎日がEverydayです(は?)


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#25

# # #

 風を感じる。本条の祖母は一体、私をどこに連れて行こうとしているのか。バイクは商店街を抜け、街の小さな小道をすり抜けていき、今はトンネルの中を走り抜けていた。期待感と焦燥感だけが少女の心の中で渦巻いている。

 

「さっ、ここを抜ければ目的地はすぐそこだよ!」

 

 前方に出口の光が見えてきた。バイクはモーターをブルンブルンと響かせながら、光の方へと進んでいく。ぎゅっと本条の祖母の腰を掴む手に力を入れた。トンネルを潜り抜ける。途端に鼻の中を通っていく潮の匂い。トンネルの向こうにあったのは海だった。海開きをしていないらしく海水浴客の姿は見えなかったが、それがかえって海本来の静けさと心を慰安する波の音を際立たせているように感じた。人が多いと、何かと波の音よりその声の方へと心が行ってしまうものだ。そのままつづら折りの道路を駆け抜けて行くと、本条の祖母はその先にあった駐車場にバイクを止めた。

 

「ほら、ヘルメット脱ぎな」

 

「は、はい……!」

 

 スイッチを押して脱ごうとしたが、汗と極度の緊張で指先がツルツル滑り、スイッチが上手く押せない。しばらくバイクの上で格闘を続けていたが、あまりに出来な過ぎて本条の祖母はため息をついてしまった。

 

「ほら、貸しな」

 

 自分の事を情けなく思いながらも、少女は顎をクイっと上げて突き出した。本条の祖母は慣れた手つきでスイッチを押すと、何事もなくヘルメットを外した。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「いいんだよ、このぐらい。そんなことより、さっさと行くよ」

 

 ヘルメットをバイクの持ち手に括り付けると、本条の祖母は早歩きで先々と進んでいった。少女も慌ててその後を小走りで追いかける。本当に、どこに連れて行くつもりなのだろうか。周りを見渡しても、あるものは海と砂浜だけだ。アラジンみたいに「開けゴマ!」と叫んだら、開く岩の扉でもあるのだろうか。期待感は異様なほどに膨らんでいた。けれど同時に、こんなことで何かが変わるのか、このまま本条の祖母に付いていくだけでいいのかという焦燥感も膨らんでいた。砂浜の中腹に来た辺りで、本条の祖母は足を止めた。少女も足を止める。

 

「さて。今アンタは”なぜここに来たのか”と思っていると思うが、理由は簡単だよ。”このままここにアンタを置いていく”ためさ」

 

「へっ……?」

 

「まさかアンタ、私が魔法使いか何かと思っていたんじゃないだろうね。ここら辺に実は私の隠れ家があって、そこには今の状況を打開する魔法のアイテムが……みたいな」

 

 図星な指摘に少女は何も言えなくなってしまう。胸の中にあった期待感と焦燥感は膨らんだまま、弾けてしまった。それも少女の心をズタズタに切り裂いて。その姿にまた、本条の祖母はため息を零した。

 

「まぁなんにしても、ここには電波も届かない。徒歩で帰ろうにも、家に着くころにはアンタの脆弱な身体じゃ餓死しちまうんじゃないかい?ともかく、私は行くからね。じゃあね」

 

 あっと思った時にはもう遅い。本条の祖母は猛スピードで駆けていくと、少女が辿り着くころにはバイクに乗って走り去ってしまった。ゼェゼェと肩で呼吸をしながら、つづら折りになった道を走り抜けていくバイクを呆然と眺めていた。




他の推しの話しますか。最近ゲーム大賞取ったメギドくんのフルーレティというキャラなんですが。
アムトゥギアスちゃん可愛くありませんか(突然の飛躍)フルーレティを尊敬する眼差しとか、アンドロマリウスとメアリー・チェリーについて話す時とか。メギドくんは芸術に対する見方が趣深いので、皆も芸術組を推して行こうね


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#26

# # #

 本条の祖母の言う通り、スマホは圏外になっていた。こうなってしまえば、もうどうしようもない。少女は砂浜の上へ大の字になった。これからどうしようか、と思う。水もない、食べ物もない、そんな環境下でいつまで生き永らえることが出来るだろうか。でも、このままここで死んでしまうのも悪くないような気もする。雨上がりのむわっとした感じはあるが、時折気持ちよい風も吹いてくるし、この砂も慣れてくれば肌に気持ち良いし。それに、もう今目の前にある問題をどうにもこうにもする必要がなくなることが大きい。真実も嘘も有耶無耶になって、ただ意識だけが蕩けていくのだ。そう考えると、なんだか肩の荷が軽くなった。今頃、前野さんや亜鈴はどうしているだろうか。心配して私を探しているだろうか。でも私が死んでしまえば、二人は二人で幸せに暮らせるのだ。それは私がいない頃の二人に戻るだけで、亜鈴は前野さんを独り占めできるのだ。なんだか、自分が余計なお荷物だったような気がしてくる。

 

「でも……どうしてだろ。胸が少し疼くのは」

 

 声だけが空しく砂浜に響く。誰もいないこの空間では、その答えを誰も返してくれない。もしかすると、本条の祖母の狙いは”そこ”にあったのかもしれないと少女は思った。いつも自分は孤立はしているけれど、胸の中にしっかりとした信念を持っていると思い込んでいた。でも私は”選択”出来なかったわけで。結局、私の矜持は誰かの価値観に左右される程度のものなんだ。なんだか一人で本を読んで、孤独を深めていただけの自分がただの背伸びしたかっただけの子供に思えてくる。

 

「でも”あの症状”がある限り、私に友達なんて……友達?」

 

 妙な違和感を感じた。何か、私は大切なことを忘れているんじゃないだろうか。そもそも、私が”呪い”を受けて話せなくなってしまったのだろうか。あの時、私の身に起きたのが”何”だったのか。ズキッと頭が痛む。何かがおかしい。あの時の……そう、小学生の時に呪いを受けたのだ。あの頃はまだ、今よりは社交的だった。友達も少なからずいたし、毎日がキラめいていた。でもあの日……担任に呼ばれて理科の実験の補習を一人で受けに行った時に、突然私の事を押し倒して来て、それで。

 

「……っ!」

 

 思い出すだけで吐きそうだが、違う、”そうじゃない”。第一に担任は確か女性だったはずだ。しかも、いつもノロケ話をしているような。だったら一体、私の記憶の中の男は誰なのか。確かあの頃、教育実習生が来ていた。少しぽっちゃりしていて、どこか皆を落ち着かせる雰囲気があって、とても博識で。

 

「……それって、もしかして」

 

 頭がズキズキ痛む。そうだ、あの男は私を押し倒してきて、こう言ったんだ。

 

『これは復讐なんだ。あんな男と死にやがったーーーへの。ただ今は……君はまだ早い。君が高校生になった時、君は私の物語の”ヒロイン”になるんだ。私は君の大事なモノを全て奪い去り、やがて君は私以外の存在を受け入れられなくなる。君は自分で何も考えられない存在、”AI"以下の存在に成り下がるんだ。いいね?いいだろ?』

 

 怖くて何も声が出せなかった。髪の毛に触れられる度に悪寒が走り、胸に触れられると嫌悪感で息が出来なくなった。気が付くと、いつの間にか意識を失っていた。そうだ、私は全て思い出した。その後すぐ、その教育実習生は大学の教授になるとかでどこかに行ってしまったが、あの顔は。

 

「……前野さん、だったんだ」

 

「よく分かったね、"藍ちゃん"」

 

「えっ?」

 

少女が振り返ろうとした瞬間、鈍い痛みが少女の後頭部を襲い込んだ。薄れゆく意識の中、見えていたのは"信頼していた者"の姿だった。




さて。4分の3もあと一話。内容には触れない毎度のあとがきですが、触れないのは私が物語に読者が見る"世界に対する見方"を提示したくないだけなので悪しからず。
はてさて、あと二話は何の話題?と思ったかもしれません。
私も書きながら考えています。うーん……そうだ、これにしよう。

『ということで次回に続きます』


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#27

# # #

 一方その頃、本条はあのマンションの一室にいた。ベッドの中に顔を埋めて、泣き続けていた。本条は最初から少女に興味があったわけではなかった。最初はこれと言ったこともなく、ただの暗い子だなぁと思っていた。でもある日一人で帰っていると、あの男……前野がやってきて、会ったこともないような男と手を繋いでラブホテルに入っていく写真を見せつけてきた。

 

「もしこれを見られたくなかったら、俺の言う命令を聞け」

 

 ドラマの上等文句かってぐらい乱用されている言葉。でも実際、こんな写真が流れてしまえば本条の社会的位置やこれからが終わってしまうと思っていた。その時は窮屈な家から抜け出したばかりのかごの外の鳥であり、ドラマを真に受けていたのだ。ともかく命令を聞くことにした。それがどんな酷い命令かと思っていると、それは奇妙なモノだった。

 

『お前のクラスにいる”雨宮”というクラスメイトと付き合え』

 

 いつも本を読んでいるあの子。どうしてと聞いても教えてくれなかったので、それだけならと仕方なくやることにした。けれど早速付き合えと言われて付き合うやつなんて、脳みそと下半身が繋がっている男しかいないと思っていた。そこでまずは”友達”から始めることにした。前野に承諾をもらい、ゆっくりと時間をかけて少女と仲良くなっていった。その内、ふとした少女の仕草に胸がドキッとしてしまった。本を読むその姿や、時折見せる笑顔に。いつしか私は本当に恋をしていた。それから紆余曲折あって告白までして幸福だったある日、前野から次の命令が来た。

 

『今から私の家に来い』

 

 少女と喧嘩別れして落ち込んでいたその矢先だったので、本条は少し不機嫌だった。それも相まったからだろうか、部屋に入った途端にナイフで切り付けてきようとした前野のナイフを取り上げると、勢いで刺してしまった。やり過ぎたと思って救急車を呼ぼうとしたが、ちょうど下の部屋から誰かの足音が聞こえてきたので、仕方なく押し入れの中に隠れた。

それから救急隊員が運んで行って、誰もいなくなったタイミングで去ったのだ。そこからは言わずもがなである。今までのことを思い出しながら、本条は今頃少女は何をしているだろうかと思った。少女もどこかで同じように泣いているだろうか。それとも、もう別の男を作って……いやいやそれは死んでもない、と頭から嫌な考えを振り払う。

 そんなことを考えていると、玄関のチャイムが連続で鳴らされた。何で今……と服の袖で涙をぬぐって玄関のドアを開けると、そこには本条の祖母がいた。息も絶え絶えだ。

 

「どうしたの、おばあちゃん。こんな時間に」

 

「大変だよ、紗耶香……あの子が……雨宮って子が……いなくなってしまったんだよ!砂浜に置き去りにして、そろそろ頃合いかしらと見に行ったら……この紙が」

 

「えっ……?」

 

 本条は紙をひったくるようにして受け取ると、そこに書かれている文字を見た。

 

『これが最後の命令だ。もう私と雨宮藍には関わるな』

 

 止んでいたはずの雨が、またポツポツと降り注いできた。




前からの続き。それで話の内容なんですが、どうして人間って生きてるんでしょ。
藪から棒に何かという話ですが、端的に言えば話すネタが無いんです……はい。
私の理論は言わないけど、ちょっと考えてみてください。自己陶酔出来ます。

次回はいつなのかな。神のみぞ知る、では?ひな祭りまでには、出せたら良いね。
ではでは……

追記
肝心なシーンで名前間違えてました……ほんと、すいませんでした!


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四分の四
#28


前回素直に名前間違ってました……肝心なところの誤字とかカスかな?ほんとすいません……(蛍× 藍○)

# # #

壁越しに聞こえる雨音だけが少女が生きていることを証明している。砂浜で意識を失ってから、気が付くとどことも知れぬ場所に閉じ込められていた。目隠しをされ、手足を縛られているから何も見えないのだ。これから私は刺されて死ぬのか、それとも餓死させられて死ぬのだろうか。少女がプルプル身体を震わせていると、ドアの開く音がした。冷や汗が背中を伝う。

 

「気分はどうだい、藍ちゃん?」

 

「最悪……です」

 

「そうかい、だったら良かった。”時間”まではあと少しだけど、ゆっくりしておいてくれ。それじゃあ」

 

「前野さんは……どうしてこんな酷いことを……するんですか?」

 

 二人の間に、しばし沈黙が佇んだ。少女は何か不味いことを言ってしまったのだろうか、と肝をキンキンに冷やしていたが前野の”いつもの”優しい溜息でその緊張も解れた。言葉を放つ吐息。

 

「”魂をね、もう一度取り戻したいんだよ”」

 

 前野は質問する隙も与えず、そのままドアの向こうへと消えてしまった。それは一種の狂気だ。憧憬と現実を二重写しにした男の狂言だった。けれど、どうしてだろうか。少女はなぜか、その言葉に妙に魅入られてしまった。雨音は一段と強まっている。

 

# # #

 その頃、本条は前野の家にいた。警察にも一応届けは出したのだが、そもそも家族じゃない本条が出したことを怪しんでいたので、正直信用ならない。そこで、亜鈴なのだ。前々から少女より存在は聞いていたのだが、なんだかんだで会ったことがなかった。けれど今はそんなことを言ってる場合じゃない。家のチャイムを鳴らすと、はーいと弱々しい声が聞こえてきた。ドアが開くと、出てきたのは頭がボサボサの男。この人が少女の言っていた”亜鈴”なのだろうか。疑いながらも、口を開く。

 

「あの……”亜鈴さん”で」

 

「じゃあ、アンタが”本条”か」

 

「はい、今日はアイア……雨宮藍さんの居場所に心覚えあるかなぁ……と」

 

「知らない……というか、どうせ誘拐されたんだろ?前野さん、部屋の荷物を全部粗大ごみとして出してたし」

 

 ”どうせ”。ということは、この男は少女が誘拐されることを予め知っていたのだ。なのに、助けようともせずに放置していたのか。本条は段々、少女が碌な空間に住んでいなかったのではないかと思えてきた。狂気に身を任せた男、狂気を許した男、男、男。本条は色々言ってやりたい言葉があったが、唇を噛んでぎゅっと堪えた。今、この男からの信頼を失くしたら、少女の拉致されているであろう場所が分からなくなる。

 

「……あの、もういいですか。俺、今引っ越しの準備中なんで」

 

 ドアを閉めようとする亜鈴の手を掴む。眉をしかめて、亜鈴は本条の顔を見た。

 

「じゃあ最後に一つだけ。”前野さん”が行く場所に心覚えは?」

 

二人の間に、しばし沈黙が佇んだ。その間、互いが互いを強く睨みあっていた。亜鈴ははぁ……と浅くため息をついた。

 

「知らない……って言っても、無駄みたいですね。分かりました……言います」

 

 雨音はまた一段と強まっている。




書いたけど投稿忘れていました……(ワンピース61巻無料なので読んでた)
ということで、4分の4始まります


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#29

# # #

 亜鈴は自分をバカだと思った。このまま順当にいけば、前野は少女を殺しただろう。なのにどうして、俺は情報を教えてしまったのだろうか。前野が少女なんかに思いを寄せているのに嫉妬していたのか、少女が単に気に入らなかったのか。……多分、そうじゃない。正直、前野が望むなら何をしても構わないのだ。そう思っていた節があった。でも今は違う。あの女の……本条の目を見て思った。自分は”変わること”を恐れるあまり、自分から歩み寄っていなかったんじゃなかったのかと。本当に少女から前野を奪いたいなら、”前野を殺してでも”自分のモノにするべきではなかったのかと。亜鈴の手にはカッターナイフが握られていた。

 

# # #

 もう外は真っ暗だ。一秒でも早く、少女の元に行きたい。ただそれだけを思って、雨の中、傘も差さずに”目的地”へと走り駆けていく。けれど雨は本条の幾つかの後悔を洗い流してくれない。自分の行動の甘さが、少女をあんな男の元にやってしまったのだ。それは一生傷のように離れない。ふぅ……と息を吐く。段々、亜鈴が言っていた”目的地”が見えてきた。その場所は”売地”と書かれている、小さな教会のような建物だった。この中に少女がいるのだろうか。

 

「アイアイ……今助けるからね」

 

 ポケットの中の”護身用”として祖母からもらったスタンガンをギュッと握り締め、教会の扉を開く。それと同時にどこからともなく、不協和音が聞こえてきた。別にそれを聞いたからと言って身体が痺れるとかそういうことはなかったのだが、どうにも不快にさせる音だった。

 

「やっぱり邪魔しにきましたか、”本条紗耶香”」

 

「アイアイを返してよ、”前野翔太”」

 

「”写真”……いいんですか、前より酷い物をネット上にばら撒く予定ですが」

 

「別にいいよ。私はアイアイだけいたら、名誉とお金とかそんなもの一ミリもいらないんだから!」

 

 前野はふっ……と微笑み、上と指差した。何がと思いつつチラッと見ると、そこには……十字架に磔にされた少女の姿があった。殺意が胸の中に渦巻く。

 

「アイアイ!大丈夫!?」

 

「大丈夫……よ。大丈夫……」

 

 何も食べていないからだろうか、少女の声はとても弱々しかった。本条は前野の方をキュッと睨みつけた。

 

「あぁ、怖い怖い……でも藍くんは渡しませんよ。私の大事な……”魂の片割れ”なんですから!」

 

 前野は微笑みながら、ガソリンを巻き始めた。本条はそれを止めようと前野に突っ込んでいったが、”一歩”遅かった。前野はガソリンの上にライターを落とした。

 

「さよならです、本条紗耶香」

 

 炎が、教会を覆い始めた。




もう投稿して一年ぐらいなの……かな?(二年だっけ?)
時が経つの早くないですか。呼吸何千万回しているうちに、もう4月ですよ。
私は時流に乗り遅れ、とび森に最近ハマり始めました。外に家具置きたい。


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#30

# # #

 勢いよく上がる炎。黒い煙はすぐに中を蔓延していき、視界は真っ黒になった。このままでは少女どころか自分までも死んでしまう。どうにか火を消そうにも、もちろんだが水なんて持っているはずがない。もう後戻り出来ない場所にいた。もう私に出来ることはただ、前に進むことだけだ。自分の舌を血が滲むほどに噛みながら前野のいた十字架の方へと走る。

 

「……えっ?」

 

 いない。そこには十字架に括り付けられた少女も、あの微笑を浮かべていた前野もいなかった。代わりにそこにあったのは、少女を縛っていた縄とガソリンの入っていたタンクだけだった。黒い煙を吸い過ぎたせいだろうか、さすがに意識が遠のきかけた。けれど、こんな場所で死んでいる場合じゃない。口を覆いながら、周りをキョロキョロ探すと裏口らしきものが開いているのに気付いた。なんとかあそこから、あそこから出なければ。もはや執念だけしかなかった。本条はケホケホと咳をしながら、裏口へと駆け抜ける。

 

「……っはぁ!はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 口の中が血の味でいっぱいだ。周りには少女と前野の姿は見えない。教会の前には既に野次馬が出来ており、本条の姿を見つけた数人が駆け寄ってくる。

 

「大丈夫かい、キミ!?」

 

「もしかして君が放火したのか?」

 

「あぁ……神よ……罪深きこの女性を許し給え」

 

 身体が動かない。言うことを聞かない。少女を助けたいのに、助けなければいけないのに。動け、動け。

 

「ひとまずこの子を救急車で……」

 

「ひ、必要……ありません……」

 

「しかし、キミ、煙を吸ったんだろう?だったら……」

 

「邪魔しないで……ください。私は!」

 

「”私はそんなクソみたいな身体で少女を助けたい”……とでもいうつもりか?」

 

 野次馬を潜り抜けてきた男、声だけで分かる。というか、ついさっき聞いたばかりの。

 

「まぁ俺に任せておけ。”時間”は稼いでおいてやる」

 

 そこで私の意識はブラックアウトしてしまった。それからどれだけの時間眠っていたか分からない。ただ後悔の念だけが私の中に渦巻き続け、あの雨音が……雨音だけが脳裏に染みついているように鳴り続いていた。次に目が覚めた時にいたのは、病院だった。それも、警察病院。幸い手も足も普通に動いていたが、ただ一つ。舌の痛みだけは未だにヒリヒリとあれが現実だったことを示してくれていた。

 

「は、早くアイアイを探さないと……いやでも、もう……」

 

 窓の外は既に明るくなったいる。少なくとも、一夜は明けたわけだ。だったらもう、アイアイは既にあの男に殺されている可能性も十分あり得る。でも、”そうでない”可能性も十分にあり得るのだ。決心したなら、早くしないと。本条は腕に刺さっていた針を引き抜くと、ベッドから降りた。ふっとその時、何かが一緒に床へ落ちた。何かと床を見ると、白い紙。拾い上げると、ただ一言。

 

「雨宮藍はまだ生きている」




昨日エイプリルフールだったでマジですか!?(後書き連続で書いてるのに白々しいが?)
まぁでも、私は言葉の魔術師じゃあるまいし、上手い嘘も思い付かないから仕方ない。
種も仕掛けもないぐらい、私の中身は空っぽだからね!(言ってて恥ずかしくないか?)


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#31

# # #

 何か焦げ臭い匂いがしたと思ってまたもや意識を失ったのだが、今度は雨音がしない場所に来た。しかも、今度は手錠だけで目隠しも足枷もなかったのだ。だからと言って、逃げ出すことは出来ない。手錠は壁に併設されたものだし、なによりドアの向こう側には前野が立っていたからだ。時折、ドアの上部についた鉄格子から少女の方を向いてきたが今までと違い、全く干渉してこない。少女は不審がりながらも、ひとまずは生き延びれそうなことにホッとした。

 

「でも、時間の問題だよね……多分」

 

 ギロッといつもの数十倍は鋭い目つきで少女のことを睨みつける前野。思わず、少女は背中をピーンッと伸ばしてしまう。前野は少女から目線を外した。くぅーとお腹から音が鳴る。

 

(お腹空いたなぁ……)

 

# # #

 病院のベッドから抜け出した本条は看護師たちに制止させられるのも聞かず、そのまま病院から抜け出した。誰が残したものなのかは不明だが、あの白い紙の後ろに見覚えのある住所が書かれていた。それは本条がよく知る人物……少女の家……ではなく、本条の祖母の家の住所だった。あの幾つもの希望とか涙とか青春がうまい棒に消されてきた場所。少女との、初デートの終着点。そこに何があるのか分からなかったが、行く宛のない本条はひとまずそこに行くことにした。

 小走りで街を歩きながら、初めてデートした時のことを思い出す。そう言えば、ここらへんでアイアイに本の解説をしてもらったなぁ……とか、ぬいぐるみ取ってくれたのカッコよかったなぁ……など、まだ”普通”の関係だった頃のことを回想する。ホムンクルス君のぬいぐるみは本条の毎日の抱き枕になっており、毎日寝るたびに少女からもらったんだと再認して、ふふっと微笑みを漏らすのがもはや日課となっていた。ギュッと手を握る。

 本条の祖母の家……兼駄菓子屋に着いた。病院の患者の服のままで来てしまった本条を祖母は驚いた表情で迎えた。けれど本条の目を見て。ぽつりと誰に似たんだかね……と懐かしそうに呟いた。

 

「……正直、これは一種の賭けだよ。正直、これ以上アンタに無理はさせたくないんだけどねぇ」

 

「おばあちゃん、お願い……私にはもう」

 

「分かってる、分かってる……これは昨日の夜にヘルメットを被った男からもらった紙だよ。おそらく、”あの子”がいる場所が書かれてるよ」

 

 本条は紙を受け取ると、すぐさま裏返して書かれている住所を見た。こんなまどろっこしいことしなくても、最初から病院に紙を置いていってくれたら良かったのに……と少女は不思議に思ったが、ひとまず祖母にありがとうと伝えた。なんだか祖母は機嫌が悪そうだったが、ふんっと言って、お店に戻ろうとした。

 

「……死ぬんじゃないよ、バカ娘」

 

「……うん。絶対おばあちゃんが生きている間には、アイアイと結婚式を挙げるつもりだからさ。応援しててね」

 

 ふんっときまり悪そうに、本条の祖母は店の中に戻った。本条の手の中には、いつの間にか鍵が入っていた。




そろそろ中身のある話でもしますか。
最近、指輪物語を読破しました。映画版見てもよかったんですが、やっぱり映画って端折られる場所結構あるじゃないですか。だから原作を読んだんですが……サムフロ、本当にエモくありませんか。昔BL好きだったころの血が騒ぎました。ラストの展開で限界オタクで半泣きしてました。もう歳ですね……


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#32

# # #

 本条の高校では他の多くの学校と同じく、バイクの免許を取ることを卒業するまで禁じていた。けれど、本条は既に隠れて免許を取っていたのだ。というか、本条の祖母によって取らされていたのだ。まさかこんなところで役に立つとは……と思いつつ、本条はバイクをその紙に書かれていた住所に走らせる。道路交通法はしっかりと守っている辺りに、病院を何も言わずに脱走した時よりも”その後”を考える彼女なりの思考の変革が見えた。

 

「……お腹空いたなぁ」

 

 本条はなんともなしに、少女は今頃何を考えているのだろうと思った。

 

# # #

少女の心には一種の迷いがあった。確かに、前野のやろうとしていることは間違っている。というか、狂っている。そうなのに、未だに少女は前野のことを見限れていなかった。少女を今から殺そうとしているのも前野だが、一方で私を”冷たい”孤児院から連れ出して、”温かい”居場所に連れてきてくれたのも前野なのだ。今ならまだ間に合うんじゃないか、何かをきっかけにしたら、”居場所”に戻れるんじゃないか。少女はそんな小さな希望を抱かずにはいられなかった。はぁとため息をもらすと前野はまたギロッと少女の方を向いた。しかも、今回は扉を開けたのだ。少女に近づいていくと、顎を親指でクイっと上げてくる。突然の行動に困惑する少女。前野はしばらく”冷たい”表情で少女を見つめていたが、ふっと顔色を”温かく”した。それはパスタを一緒に作ったり、少女と亜鈴のことを見ていた時と同じ表情で。前野は優し気な笑みをこぼす。

 

「……藍ちゃん、聞いてくれるかい?」

 

「何を……ですか?」

 

「おそらく、もう少しすれば君の”彼女”さんがここにやってくる。もちろん邪魔する奴は皆殺し……なんだけど、藍ちゃんも命は大事だろ?僕だって、大切な藍ちゃんが失われるのも正直辛い。だからね……」

 

 前野は少女の耳元に口を寄せると、小さく甘い吐息を漏らした。

 

「”君に本条紗耶香を殺して欲しいんだ”。そうすれば君を助けて上げるし、死体の隠蔽は私が上手くやろう。……あっ、武器に関しては気にしなくていい。砥石で切れ味抜群にしておいたナイフがここにあるからさ。大根でも、カボチャでもすっぱすっぱだよ?」

 

 少女は心臓が縮こまる思いだった。本条を、殺す。自分を好きだと、自分を”誘拐”したいぐらい好きだと言ってくれた彼女を殺す。孤独な自分を助けてくれた前野の為に、殺す。少女は前野の顔を眺め……やがて、決断した。

 

「”分かりました”。私も辛い……ので」

 

 前野は少女の頭を優しく撫でた。




でも指輪物語をしっかり評論するなら、ルーン文字すごいですよね。最初の森の所……だったかは記憶が定かじゃないですが、トールキンの名のある物書き特有の異常性が見られて、私は嬉しかったです。


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#33

# # #

 バイクを走らせてやってきた先は山奥にある廃工場だった。その前には見覚えのある車……いつか、少女の家で見たことがある車があった。間違いない、ここに前野と……少女がいる。ポケットの中にスタンガンがあることを再確認すると、本条は建物の中へと入って行った。

 

「……アイアイ、どこ?」

 

 声だけが静寂に支配された空間に響く。声は返ってこない。段々、ここにいるか不安になってくる。でもあの紙を信じるなら、ここしかないわけで。本条はヨシッと声を出して自身に気合を込めると、張り切って工場内の探索を始めた。

 工場内部の構造はいたってシンプルだ。一階と屋上しかなく、一階は工場スペース。ほとんどの機械は撤収されていてそれがあったという黒い跡だけが残っており、残っているのは中央部分にある……謎の巨大な貯水タンクだけだった。天井が抜けているので、おそらく何かの拍子に天井から崩落してきたのだろう。本条は必死に探した。柱の影から、崩落した壁の残骸の中、そして屋上も。ざっと見た感じは、いないように感じた。

 

「やっぱり、ここにはいないのかなぁ……アイアイ……」

 

 屋上のベンチに座り、一息つく本条。実はあの車はフェイクで、本条をおびき出して時間を稼ぐための罠だったんじゃないか。今頃少女はもう……と頭に過るも、すぐに振り払う。少なくとも、教会の時点で少女は生きていたのだ。

本条はベンチから立ち上がると、また探索しよう……と思った瞬間だった。それは本当に一瞬の事で、気付かなかった。

 

「背後ぐらい、確認したらどうだい?……本条紗耶香」

 

 強烈な電気が身体に走る。スタンガン。身体が動かなくなる。

 

「せめて、警察にリークしておけばこの後助かる見込みがあったかもしれないが……まぁ”物語のキャラ”としての自覚のない君には、分からないことだったね」

 

 高笑いする前野に強烈な殺意がわいたが、どう足掻いても身体は動かないのだ。あぁ、これで私は殺されてしまうのか。本条は悔し涙を零しながら前野を見つめていたが……倒れる本条を眺めるだけで、前野は何もしてこない。

本条が意識を失うのを見ると否や、前野は本条を背負った。

 

「さて……私の物語の通りなら、”しかし健闘虚しく、夜の神様の心は不動で、絶望した昼の神様はどこかに姿を隠してしまった”………となっているが、まぁ”姿を隠す”も”死んでいる”もさして変わりはないだろう」

 

 世闇の中に響くのは前野の高笑いだけだった。




指輪物語の話はさておき、他に読んだ本の話でもしますか。
あと読んだ本は……塩の街ですね。前半はそんな好みじゃなかったけど(失礼の塊)、後半まで頑張って読んでみたら展開熱くてつい夜中まで読みふけっちゃいました。いやぁ……でも実際、隣にいる人が塩になったら驚きすぎて心臓止まるよね。私は限界オタクだから、いつでも心肺停止してるけど


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#34

# # #

少女は今ほど心臓というモノを煩わしく思ったことはなかった。手に握るナイフと、それを見つめる前野と……そして、手足を縛られて胸と胸の間に”Critical!”と文字が書かれた本条の姿。少女が深呼吸していると、前野が少女に微笑みかけてくる。

 

「さっ、藍くん。目の前で項垂れているだけの”彼女”を殺すのは容易いよ。”死にたい”なら床にナイフをおいて、”死にたくない”なら彼女の胸を気持ちよく一刺しするんだ。あんまり長く生かすと苦しいだけだからね、上手く殺すんだよ?」

 

「はい……わかり、ました」

 

 少女の気持ちはこの時点で既に強固なモノになっていた。ゆっくりと意識を失ったままの本条に近づいていく。やがて身体が密着するほどまで近づくと、少女は本条の頬に触れた。今まで手を繋いだりまではしたことがあったが、自分からこうやって密着して触れ合ったことは初めてかもしれない。大きな瞳、少し焼けた色の肌、そして……。前野からの強い視線を感じながら、少女は本条の顔を見つめた。……それはほんの一瞬の交わりで、唇と唇が互いの温かさを伝えあい、少女の冷え切った身体に一時の安らぎと、一億の冨よりも胸に染みる”感情”を与えた。少女は唇を離す。そのままナイフを持って立ち上がると、護身用のスタンガンを腰に差した前野の方を振り向く。

 

「……”もういいです”、本条……いや、”紗耶香”を解放してあげてください」

 

 ナイフが固い床と擦れ合う音。驚いた表情で見つめる前野に少女はニコリと微笑む。

 

「私には……前野さんや紗耶香の感情は分かりません。どうして物語なんかにこだわるのかも、こんな面倒な私を追いかけてきてくれるのか。でも、私は少なくとも二人から沢山の”温かさ”を貰えたのはこの胸が、心が、魂が、感じています。だから」

 

「……そうかい。つまり、これは”平等な取引”というわけだ」

 

 前野は微笑を携えながら、床に落ちたナイフを取りあげる。器用にクルクルとナイフを回すと、フッと少女の心臓部にナイフを突き立てた。

 

「でもね、藍ちゃん。”物語”の進行上、キミだけが死ぬと話が成り立たないんだ。だからね……”キミと本条紗耶香には一緒に死んでもらう”よ」

 

 少女の動揺の声など聞こえないように、前野は少女を本条の上に押し倒す。そしてナイフを少女の心臓に突き立てた。

 

「正直二人分の遺体を処理するのは中々手間がかかるのだが……”物語”の為だ、致し方ない。……それじゃあね、藍ちゃん」

 

 少女の胸に勢いよくナイフが突き刺さる……そう思った時、少女に降り注いだのは赤色の液体に成り代わっていた。胸から血を垂れ流す前野の背後には、”いつも”の顔した男の姿。

 

「……さようなら、”翔太”」




はてさて、もう書くネタがないんだけど……なんだろ、次回が最終回になるんだけど。
ワンピースが1984年にしか見えなかった話とか、絶対聞きたくないでしょ……?
うーん……パスタに水ぶっこんで、トマトジュースぶっこんで、チーズぶっこんで、適当な具材ぶっこんだら中々美味しいよ!(適当)


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#35

# # #

 目が覚めると、本条の目の前にはぼんやりと虚空を見つめる少女の姿が目に入った。その背中は遠い誰かを見ているようで、今にもどこかに姿を消してしまいそうな雰囲気を纏っていた。本条が冷たい身体を持ち上げると、少女は先程までのオーラを引きづったまま少女に向かって苦笑いをしてきた。

 

「……起きた?……おはよう、紗耶香」

 

 本条は一瞬誰の事を呼んでいるのか分からなかった。でもすぐに自分の名前が呼ばれていたことに気付くと、今できる精一杯の笑顔でおはようと返す。それから、二人の間にはしばしの無言が続いた。互いが互いを見つめ合い、ただ何も考えずに互いの疲れた表情を鑑賞しあった。でもそのうち、ふと少女がクスクスと笑い始めた。理由は分からない。でも少女にも、本条にも、疲弊した胸の奥の底からムラムラと笑いが巻き起こってきたのだ。どうしてこんなに笑えるのだろう、色々あって、言いたいことや聞きたいことも互いに沢山あるはずなのに。ただそこに、互いが存在して無事である事実しか分かっていないというのに。二人は雨の止んだ狭い空間の中、ヒィヒィと誰かが聞けば狂ったと思われるほど笑い続けた。けれど、そのうちに笑いが覚めてくる。本条は目から零れる塩水を服の袖で拭いながら、あぁそうだと少女に顔を寄せる。

 

「アイアイ、私にキスしてきてなかった?」

 

 少女は一瞬暗い顔をした。でもすぐに顔色を明るくして、微笑む。

 

「……さぁどうかしら?それより今日はもう寒いから、紗耶香の家に泊まりに行きましょう?私、今家無し少女だからさ」

 

 本条はその言葉の意味を考えようとしたが……すぐに考えるのを止めた。多分、全ての物事は終わってしまったのだ。”物語”は幕を下ろして、今は大団円なのだ。終わったことを蒸し返しても、それは多分何にも解決にならない。本条はヨシッと気合を入れる。

 

「家無し少女……ってちょっと興奮する単語じゃない?これはもしかして、アイアイからの……そう確か……いん……」

 

「……隠喩?」

 

「そう、それ!つまり”襲って欲しい”ってことのい……」

 

 パシッと軽いチョップが少女から飛んでくる。ムッとした顔で少女を見つめると、いつもの十倍ほど少女の顔が官能的に見えた。こんなに疲れているはずなのに、どうしてだろうか。帰るわよとなぜか先導していく少女を見つめながら、今夜はきっと耐えられないだろうなぁ……と思いつつ、本条は彼女の跡を追った。その廃工場に残されたただ一つの存在を知らずに。




最終回ですよ、最終回!久しぶりに作品完結まで持ち込んだ気がする。
はてさて、作品内容には相変わらず口出しはしないんですが……次回作の話でもしますか?
まぁ見てくれても見てくれなくても全然書くんですが、予定としては夏には投稿したいなぁ……とか考えてます。予定では、ちょっとファンタジーちっくな話でも書こうかと。まぁ異世界転生とかはしないので、相変わらず人気でないこと必至なんですが。
まぁともかく、ここまで読んでいただきありがとうございました!次回作も読んでくれたら、私の二次創作モチベが上がります(一次創作は?)


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