母よ、その鎖を解き放とう (HBata)
しおりを挟む

母よ、その鎖を解き放とう

 

 例えばの話だが、君は自分の母親を食い物にされていると知ってなお我慢ができるかい?

 

 

「え、えっと……僕には母親も父親も居ないので……よくわからないです」

 

 

 そうか……でも、正直に分からないというのはいい事だと、僕は思う。

 

 相手に合わせていい加減な答えを言うより、分からないと自分の意見をキチンと言う事は。

 

 

「そ、そうですか?」

 

 

 うん、それで、さっきの話に戻るんだけど……あぁ、君にとって大切な人はいるかい? または居たかな?

 

 

「え、えっと……大切な人ならおじいちゃんが、居ました。すごく優しくて……あったかくて……大きな手で頭を撫でてくれました」

 

 

 ごめんね。逝ってしまった人の事を思い出させてしまって……。

 

 純粋な君に追い打ちをかけるようで申し訳ないな……それで話を戻すけど、そんな優しい君のおじいさんが——誰かに踏みつけられ、その血肉を貪られ、搾りかすとなった魂さえも食い物にされたなら、君は、どう思うかな?

 

 

「……きっと、許せないです」

 

 

 そうか。

 

 

「でも……」

 

 

 でも? 何か、まだあるのかい?

 

 

「何か理由があると思うんです……。相手だって……そんな事、好きでやってるはずがないんです。だったら、話せば何か解決することが出来るんじゃないかなって……」

 

 

 そうか……うん。なら、君はそうするといい。

 

 君の選択や決断の善悪がどうかなんて僕には当然分からないし又、決めつけることもない。

 

 

「そ、そうですか! えへへ。旅人さんみたいな優しい人にそう言われるなんて僕、嬉しいです。そうだ! 旅人さんは強いですけどオラリオの冒険者なんですか?」

 

 

 いや、僕は旅人だけど迷宮都市に住んでも居ないし地上に降りて来た神々の恩恵を刻まれた神の眷属じゃないよ。

 

 まぁ、強いて言うのなら……僕は、迷宮都市に住む冒険者の誰よりも強いと、そう言っておこうか。

 

 

「えぇ?! そんなに強いのにファミリアに所属してないなんてやっぱり旅人さんはすごいんですね!」

 

 

 君のような純粋な子に、すごいと言われるのは僕としても気分が良いね。

 

 あぁ、僕はもう行くとするよ。ここに寄ったのは少しばかり……いや、君が知らなくても良いことだ。

 

 さようならだ、ひどく純粋で、そして幼気な君……えっと、ベル・クラネルだったね。

 

 また会うとしても、きっとこうして何かをかわす事は無いだろう。

 

 

「そ、そうですか……僕は旅人さんともっと色々なお話をしたいんですけど……そうだ! 僕、おじいちゃんの言っていた迷宮都市に、オラリオに行こうと思います! おじいちゃんが話してくれた色々な話に出てくる英雄のように、旅人さんみたいな人を助けるかっこいい英雄になりたいんです!」

 

 

 僕を英雄に例えるなんて……言い得て妙だね。

 

 さっきも言った通り、僕は君の決断を尊重しよう。

 

 だけど心しておくと良い。

 

 ダンジョンは君を含めて誰も歓迎していないと、ね。

 

 

 

 

 

 これが、かつて迷宮都市オラリオにおいて千年もの間君臨しながらも隻眼の黒竜によって甚大な被害を被ったファミリアの主神・神ゼウスの唯一の遺産であるベル・クラネルと、神々に謀られ弄ばれダンジョンに変えられた全ての地母神・ティアマトを解放するために動き出したキングゥの初めての邂逅であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愛故に

過去改変に独自設定満載です。

ティアマトの姿はFGOをイメージしていただければ。
キングゥを利用してはいないし、ティアマトは純粋に自分を止めて欲しいと思ってキングゥを地上に生み出したと思っていただければ。


 今より神が降臨し始めた千年前、それよりも遥か昔、この地上の世界は見るも無残なほどに荒れ果てていて、それに反するように神々が住まう天の世界は華やかで不自由がない世界だった。

 

 そんな中、神々と同じように天界にいた母ティアマトは、今の草木が生い茂る地上とは比べものにならない、荒れ果てた地上を見てその過酷な地に住まう神の気まぐれによって作られた生き物や原始の人々を見て涙を流した。

 

 どうにかして彼らの苦しみを癒したいと、その嘆きを止めたいと。

 

 だからティアマトは自らの体を引き裂き地上の世界に還元して、荒れ果てて活力などない世界に生命の恵みを与える事にした。

 

 その結果、この地上の世界は瞬く間に活力を得て生き物や原始の人は数を増やし独自の営みを、文化を築くほどに成長することができた。

 

 そこに行き着くまでにはゆったりと、人の寿命や神の視点から見ても途方も無いような時間が流れたが、ティアマトのその身を犠牲にするような献身は誰も理解できない行いであったことは事実だろう。

 

 途方も無い時間が流れていく中、人や生命が地上で生を謳歌していた中でも神は天で暮らしていた。

 

 だが全てが満たされた生活を営んでいながらも神は退屈を覚えたらしい。

 

 全てが満たされているというのに。

 

 全てが満ち足りているが故に。

 

 神々が天界での生活に次第に飽きを覚えて来始めた頃、様々なことを行なって己の我欲を満たそうとする神々の中で、ある神は地上に目を向けた。

 

 地上に這う無数の人と生き物たちを見て、その神は、地上に住む生命で、遊ぶ事にした。

 

 まるで子供が玩具で遊ぶように、その神は地上の世界に生命を貪るモンスターを放つ事にして、人や生命が食われていく様を見て楽しむ事に悦を見出した。

 

 突然のバケモノ共の来訪に、生き物や人は瞬く間に数を減らしていく。

 

 そしてその神はその様を見て笑った。楽しんだ。嘲笑った。

 

 そんな中で、地上に溶けてもはやかつてのような自我がほとんど残っていないはずの地母神・ティアマトはその殺戮を許せずに地の奥底からその身を顕現させて地上を荒らすバケモノ共を消して、この地に住まう生命と人々に再び安寧をもたらす事になったが、それを面白くないと思ったのが地上にバケモノを放った一柱の神。

 

 地上でティアマトが姿を現したのは他の神々も気づく事になった。だが、全ては地上に平穏が戻った後だった。

 

 そこで地上を荒らした元凶であるはずの神が天界の神々にこう言った。

 

 

『ティアマトは己の為に地上の子らを滅ぼそうとその神の力を奮っている。神であるなら、地上の子らを荒らすこのような所業を許せるのか!』

 

 

 神々は、地上に降りてきた。

 

 その地に住まう人々に神の力を分け与え、己の眷属としてティアマトを滅する事に決めたのだ。

 

 ティアマトにとって最も酷であった事はかつて共に天界で暮らした同胞ともいうべき神々に剣を向けられた事ではなく、その身を犠牲にして癒しと活力をもたらした地上に住まう人の子たちに悪神と蔑まれ、その存在を否定され、剣を突き立てられた事。

 

 こうして、彼女は誰にも感謝を言われずに、許されざる悪として殺された。

 

 神によってその身を殺されたティアマトの魂は、多くの、何も知らない神々の決定によって地上の奥底に永遠に押し込められる事になった。

 

 死ぬ事もなく、また彼女が自ら死ぬことができない。

 

 それが神々が、人々が望んだティアマトへの罰。

 

 神は天界に戻るものも居れば地上に残って、目に留めた人を眷属として思うがままに振る舞った。

 

 しかし、何の因果か。

 

 ティアマトを封印した上には穴が空き、そこから異形のモンスターたちが溢れ出て人を、神を襲うようになり始めた。

 

 ティアマトの無私の愛情は、神や人への憎悪に変わったのは当然の帰結と言えるだろう。

 

 それがダンジョンの始まりであり迷宮都市オラリオの始まりだ。

 

 

 だけど断言できることがある。

 

 

 神々はティアマトがこの地上に癒しをもたらしたことなんて何も知らないし、ティアマトが人々を愛して己の身を犠牲にしたことなんて欠片も知らない。

 

 一柱の神が裏でほくそ笑んでいる事も知らない。

 

 ただ、ダンジョンは悪神ティアマトが作ったものだという事しか知らない。

 

 僕、キングゥはそんな母の願いを叶える為に産まれた存在だ。

 

 確かに母は人々を、神を憎んでいる。

 

 だが、母が僕を生み出したのは僕に自分を止めて欲しいから。

 

 憎悪に染まってしまった自分を殺し、ダンジョンを止めて地上に住む人々に安寧をもたらしたいから。

 

 だから僕は、母ティアマトを止める為に無知で傲慢な神々が我が物顔で居る迷宮都市オラリオへ、ダンジョンへ行く。

 

 でも僕の最終的な目標はそこで終わらない。

 

 母を解放するのは僕の産まれた意味であり、使命で大前提だ。

 

 しかし母の解放はダンジョンの崩壊を意味する。

 

 そうなればダンジョンを娯楽とみなす神々が新たに地上を荒らす可能性があるのだから、僕がダンジョンを継いでダンジョンを存続させるんだ。

 

 まぁ、いずれ終わるものだとしてもその時はその時だろう。

 

 その時までに、人が神に抗えるようになっていれば御の字だ。

 

 僕は、母が愛したものだから、好きなだけだ。

 

 

 

 

 バベルの塔、と呼ばれダンジョンの入り口に覆い被さる蓋としての役割を持つ巨大な塔を、街の門を潜った僕は無意識のうちに見つめていた。

 

 大きくて立派とか、建築にどれだけの時間と労力と犠牲が費やされたとか、あれが迷宮都市の象徴なのかと色々と思うことはあれどあの塔の下にダンジョンがありその最奥に母がいるのだと、無意識のうちに考えてしまった。

 

 城壁の入り口付近で街の中心にあるバベルの塔を見上げるという行為は、この街の住人にとっては新参者の証拠として見做されているのか城門に詰めていた者や荷車を引いた馬を手繰る御者に視線を送られたが直ぐに逸らされた。

 

 ここには日々多くの人が訪れて、多くの人が出ていくのだから高々田舎から出てきたような新参者に一々意識を割くほど彼らも暇ではないらしい。

 

 城門からバベルの塔へと一直線に続く石畳で丁寧に舗装されたストリート。

 

 人の流れが盛んな通りを歩きながら、多種多様な人種や活気ある人々の様子に興味がそそられるが僕にとってそれは重要な問題ではない。

 

 世界を巡り、人の営みを知ってから僕はここに来た。

 

 時間に余裕はあるかもしれないがそれでも母をいつまでも最奥に縛り付けておくのは心が痛む。

 

 ストリートを進み街の中心へと近づいているのだから必然バベルの塔の細部や大きさも視覚を通して伝わってくるのだが、それ以上にバベルの塔の根元付近から今まで出会った中で二番目に強い気配と神の気配を感じ取れた。

 

 あの黒竜に比べて弱い力だが、それでもこのオラリオという街や人という種族に限って言えば最も強いと言っていいその気配。

 

 出会いたくないと言うのが僕の本音なのだが、どうやらあちらは僕に気づいているようだ。

 

 城門付近で街へ入る許可をもらっていた時、バベルの塔の屋上から神の視線を確かに感じたと思ったけどどうやらその神が僕に目を付けたらしい。

 

 バベルの塔に近づくほどに人の流れが少なくなる。

 

 バベルの塔の下にはダンジョンがあるのだから、冒険者と呼ばれるモンスターを倒して魔石を持って帰る者達以外に近づかないのは道理だがひらけた場所に到着した頃にはそれらしき人影は全くと言っていいほど見当たらない。

 

 いるのは屈強な人と女神だけ。

 

 

「退いてくれないかな? 僕はその先に用があるんだ」

 

「あら? つれないわね。折角なのだからもう少しお話ししようとか思わないかしら旅人さん」

 

「生憎と、僕のような存在では楽しい話はできないね。君は女神だろう? ならば、少しばかり人に語りかければ直ぐに人が集まると思うよ」

 

「そうね。でも、それくらいで簡単になびく子じゃ私は満たせないの」

 

「なるほど。持てる者の悩み、と言ったようだ」

 

 

 僕と話す女神の間にはそれなりの距離がある。会話をするにしては遠すぎる距離かもしれないけれど僕と彼女は初対面であるし、この間に何かしらのシンパシーを感じたわけでもない。

 

 僕にとって彼女は女神でしかないのだけれど、女神にとっては僕に何らかの用があるのは確かだ。

 

 少し甘ったるい匂いがするけれど、これは女神の体から発せられる香水か神の力の一部か。

 

 

「見た所、ほんの先程この街に来たようだけど……都市外からの冒険者と言うわけでは無さそうね貴方」

 

「冒険者はダンジョンに潜って糧を得て生計を立てる者の総称だろう? その区分に当てはめるとすれば僕は当然都市外から来たファミリアの一員も違うと思うよ」

 

「それもそうね……。でもその口ぶりだと貴方はファミリアに所属していないと?」

 

「そうだよ。僕はこの地上に降りて来た神の眷属では無い。あぁ、ダンジョンに行くから心配してくれているのかい女神様? それなら心配ご無用だよ。隻眼の黒竜程度なら何の消耗もせずに倒せるから……それ以上の存在が跋扈している階層なら考えものだろうね」

 

「隻眼の、黒竜を…………それは、本当なのかしら?」

 

「別に信じなくてもいいさ。女神様にも、そしてそこの彼にも信じてもらう必要はない。そこを通してくれさえすればいい」

 

 

 別に嘘を言うつもりはない。

 

 世界を巡る最中、自然や生き物を傷つける黒竜を倒したのは事実だ。同じ母から生まれた同胞と思えば胸の辺りは痛んだし出来ることならば傷つけることも殺したくはなかった。

 

 だけど、理性あるあの竜でさえ人や神への強烈な憎悪に振り回されて僕に殺してくれと、止めてくれと懇願したとあっては同胞としてその願いを叶えずにはいられなかった。

 

 

「初めてね」

 

「何がだろうか?」

 

「信じられない事を言われているのに、本当の事を言われているのだから」

 

「なるほど。それほどまでにあの黒竜は強大だったんだね。彼も、悪い気はしないだろう」

 

「……ねぇ、貴方、私の側に居る気はないかしら?」

 

 

 もう用は済んだだろうとそう思って歩き出しダンジョンの入り口へと向かおうとした僕に、女神はそう言った。

 

 神とは傲慢で、ある種子供の癇癪のような厄介さを備えているのは遠目から見たり話を聞いて知ってはいたけどこんな風に直球で来るとは僕も予想していなかった。

 

 その嘘偽り無い直球さは素直に感心するしある種敬意を払いたくなるけれど、僕には使命がある。

 

 母をこの地から解放して、そして僕がダンジョンを受け継ぐという己の意志。

 

 答えは最初から決まっている。

 

 

「それは無理だよ女神様。僕は、決して君のモノにはなりはしない。そもそも互いに名前さえ知らないんだからそれ以前だと僕は思うよ」

 

「……それもそうね。少し、はしゃぎ過ぎたかしら……」

 

「わかってくてたようで何よりだよ」

 

「私の名前はフレイヤ。貴方のお名前は?」

 

 

 頬が赤いようだけど熱でもあるのだろうか。

 

 側に居る彼も女神の様子に何やら戸惑っているようだし尋常ではないのは確かだね。

 

 それに話を聞いている風ではない。

 

 

「言っただろう? 僕は、この先に用があるんだ」

 

「?! オッタル! 止めてっ!」

 

 

 女神の側に居る彼はオッタルと言うらしい。

 

 出会う場所が違えば話をしたいと思ったんだけどもう遅い。

 

 彼が動くよりも早く、僕は速く動けるのだから。

 

 待っていて母さん。

 

 必ず、貴女を解き放ってみせるから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

また会おう

 

 ダンジョン、モンスターを輩出し地上の人に害なす尋常ならざる力を備えた存在とされまず何よりも危険視されている存在で、そんな存在を生み出すダンジョンは生きる人々にとって危険そのものなのだろうが僕にとっては嬉しくもあり悲しくなってしまう母の腕の中。

 

 地上を照らす日の光が届かないダンジョンの内部に入り、女神フレイヤから逃れるべく空気を割きながら走る僕の背後から、猛然と迫ってくる強大な気配を感じるが加減をしているとはいえ僕に追いつける速度ではないと分かって僕らしくない安堵の吐息を吐いてしまった。

 

 

「あんなに強い人を見るのは初めてだよ……やっぱり世界は広いなぁ」

 

 

 息を吐き、オッタルと呼ばれた彼の気配を背後に感じつつも僕は彼から逃れるべくより深い階層を目指して足を動かす。

 

 なだらかだが小さな隆起は普段の足取りなら決してつまづかないだろうけど、いつ襲われるか分からないという恐怖と緊張などを感じながらでは意識が地形に及ばずに蹴つまずくこともあるだろう。

 

 だけど、僕にとって此処は母の腕の中。

 

 生まれながら備わっている自然と同化できる感知能力と大地そのものを味方にする力によって、この程度のどかで平和な平原と変わらない。

 

 地を踏みしめて風となって走りぬける。

 

 白い貫頭衣がたなびき風を感じる。

 

 これでもそれなりの速度で徐々に背後の彼との距離が離れていっているのだが、なかなか諦めてくれない。

 

 そろそろ諦めてくれてもいいんじゃないか、そんな想いも浮かんでくるが僕は胸が弾む様に何だか楽しくなってきていた。

 

 だって、手加減しているとはいえ僕の性能についてこれる人なんて今まで見たことも聞いたこともなかったんだから。

 

 壁から生まれつつあったモンスターや武器や盾を構えて緊張している何人かの冒険者の側をすり抜けて僕は更に下の階層に移動して、背後の彼も勢いを落とすことなく、それどころか少しづつ、ほんの少しづつとはいえ速度を上げていた。

 

 

「すごいな」

 

 

 僕は自然と言葉にしていた。

 

 何だか親近感が湧いてきた。

 

 僕は母ティアマトの苦しみや嘆きを解放する為に、彼は信奉する女神フレイヤの願いを叶える為に。

 

 色々と食い違ったり互いに理解できず共感もできないところがあるだろうけど、大切な誰かの為に。

 

 その想いだけは違わない。

 

 

「ん? これは……場違いなモンスターがいるようだ。それに……これは彼かな?」

 

 

 地上から数えて5階層に飛び込んだ僕は前方に感じた数多の気配の中で、この階層に出没するであろう周りのモンスターと比べ物にならない力のモンスターの存在と以前会話した事のある少年の気配を感じ取った。

 

 どうやら彼は本当に迷宮都市に赴いたようだ。

 

 農村に住み、人の活気と欲があふれたオラリオでは、浮いているかのようにあまりに純朴すぎる少年が場違いなモンスターに襲われそうになっている。

 

 苦笑いだと思う。

 

 今、僕の顔にどんな表情が浮かんでいるかは分からないけどこの際どうでもいいだろう。

 

 見捨てるのも簡単だが、此処でまた会うのも縁だから今回だけは介入するとしよう。

 

 何やら地下からそれなりの速さで大きな気配が登ってきているようだけどこれでは間に合うか微妙な所だし、母から力を分け与えられた風の精霊の力を感じるし一目見ておいて損は無いはずだ。

 

 地面を蹴りつける足に込めた力を、更に増加させ、その反発する力を前へとてっんかさせて僕はさらなる速度を得る。

 

 背後の彼と一気に距離が開いたけど、お目当のモンスターと壁際に追い詰められて縮こまっている少年の気配はもう目の前。

 

 壁の向こう、あちら側からは見えない角から僕は飛び出し今まさに振り降ろされんとする二足歩行で筋骨隆々の猛牛のモンスターと壁際に追い込まれた少年の間に飛び込んだ。

 

 

「ブモッ?!」

 

『おやめ。恐れなくていい。今、この少年では、君を傷つけることはできないよ』

 

「…………ゥモ」

 

 

 僕よりも上半身1つは大きな体躯の猛牛のモンスターは僕の言葉をきちんと理解してくれ、先ほどまで恐怖によって錯乱していたが徐々に落ち着きを取り戻し振り上げた剛腕を下ろしてくれた。

 

 

『いい子だね。大丈夫、僕は君を傷つけたりしないよ』

 

「モゥ……モゥッ!」

 

 

 手を伸ばしモンスターの腕を撫でると彼は嬉しそうに声をあげた。

 

 まるでじゃれついているように嬉しげな声をあげるけどこの大きな体に低い声では猫とはいかないね。

 

 僕に備わっている生物へ語りかけることが出来る力は相手の意思や言葉を理解することも出来る。

 

 どうやら猛牛の彼の明確な意思ともいうべきモノは読み取ることができないが、動物のように本能や微弱な意思を読み取ることは僕にも出来るようだ。

 

 これが彼と同族の猛牛のモンスターであればもっと明確にその意思を読み取ることが出来るだろう。

 

 

「ぇ……あれ? 僕、死んでない?」

 

「そうだね死んではいない。だから、君もこれに懲りたら此処に来るのはやめにするといい」

 

「ぇ……? あっ! 旅人さん!? なんで此処に?!」

 

 

 これも彼の純朴さや素直さを表すものと考えれれが、此処は仮にも生死の危険が当然のようにあるダンジョンなのだから脱兎の如く逃げ出しても命があるのなら儲け物だ。

 

 さて、下来る二人と上から来る彼の対処をしなくちゃいけないのだけれど咄嗟の判断か僕の服の裾を掴んで後ろに隠れている少年をどうにかする方が先かも知れない。

 

 

『君、少しだけ隠れていてくれるかい? 少し狭いけど、ちゃんと匿う場所を作るから』

 

「ウモ……モッ!」

 

「ひぃぃ! ミ、ミノタウロスがまだ—— !」

 

 

 僕の陰から彼を覗き見て少年は喉から絞り出した悲鳴を上げてしまい、近づいてくる者たちに彼を感づかれては同じ同胞として申し訳ない。

 

 少年の視界を一瞬だけ僕の姿で覆い、ダンジョンの地面を操作して穴を作り彼をその中に落としてその穴を隠すように地面で覆ってこの場から彼/ミノタウロスの姿を消しておく。

 

 後は徐々に地面の中の空洞ごと動かして彼が本来いるべき場所まで戻ってもらうとしよう。

 

 

「少年、もう大丈夫だよ。あのモンスターは此処にはいない」

 

「え?! あ、ほんとだ……」

 

「なら君は帰るといい」

 

 

 まだ状況が理解できていない少年は何とか僕の服の裾から手を離してくれたとはいえその恐怖と緊張はまだ体から忘れ去られてはいないようでしきりに周囲を伺っている。

 

 でも、何とか間に合ってくれたようだ。

 

 

「ミノタウロスは!? ……いない?」

 

「……テッ! そんなわけねえだろアイズ! レベル1の雑魚がミノタウロスを傷つけるなんざ、ましてやピーピー悲鳴あげてるような奴が倒せるわけねえェだろ?」

 

「でも……いないですよベートさん」

 

「……チッ。臭いは確かに此処だ。だが姿どころか陰もねぇのはどういう事だ? オイ! そこの雑魚どもッ! ミノタウロスはどこ行った!」

 

 

 金の髪の少女に、出で立ちからして狼人の青年。

 

 ミノタウロスが恐怖していたのはこの二人だったようだ。

 

 その体からは尋常ではない気配と血の臭いを漂わせているし、ミノタウロスを戯れに殺せる程度に強いのは確実だろう。

 

 

「ミ、ミノタウロスならさっきまで居たんですけど……その、何処かに……」

 

「アァ?! だったらおかしいだろうが! ミノタウロスが此処に居たんならテメェらみてぇな雑魚、とっくの昔に死んでるだろうがッ!!」

 

 

 少年は嘘は言っていないんだけど、狼人の青年には神のように嘘か本当か分かるような便利な能力はないらしい。

 

 質問というよりもはや詰問と言ってもいいし、物騒な顔で僕たちへと苛立ち交じりに近づいてきたが何かに気付いたのかその動きをピタリと止め、緊張した面持ちで後ろへと振り返った。

 

 

「此処に居たか。ようやく逃げることを諦めたようだな」

 

「もう追いついたのかい? 本当にすごいね君は」

 

「……それでまだ逃げる気か?」

 

 

 狼人の青年と金髪の少女が極度の緊張によって体を強張らせ冷や汗さえ浮かべながら決して視線を逸らさない先には、ミノタウロスよりも背が小さいとはいえ屈強な体つきの彼オッタルが近づきながら背中から無骨な大剣を抜き放っていた。

 

 

「『猛者(おうじゃ)』……!」

 

「何でテメェが此処にいやがるッ!?」

 

「……『剣姫』に『凶狼(ヴァナルカンド)』か。元より貴様らに用も此処で剣を交える気などない」

 

 

 少女も青年も強いようだけど、オッタルとは歴然の差があるのは確か。

 

 それは二人も分かっているようだし無闇に勝負を仕掛けようとしていない。相手との力量を理解しているようだし、後ろにいる少年を任せても問題はないだろう。

 

 

「彼が用があるのは僕だよ。あぁ、そこの二人。この少年の保護を頼むよ。下手に巻き込んではこの少年に労を割いた甲斐がないからね」

 

「アァッ!? テメェ何言ってやがんだ!」

 

 

 オッタルの気迫に当てられたのか僕の後ろに居る少年はミノタウロスの時よりも酷い具合に狼狽していて動こうにも全く動けそうにないので、服の首根っこを掴んでポイっと青年へと投げておくと口とは正反対に狼人の青年は繊細に少年を受け止めてくれた。

 

 その繊細さは青年の口ぶりからはとても似つかわしくないものなのだけれど、あの青年もオッタルの気迫を前に動揺しているようだ。

 

 

「戦うつもりはない。だが、これ以上フレイヤ様の手を煩わせる様であれば無理矢理にでも連れて行く」

 

「それだけの気迫の癖にと言いたいけれど、どうやら本当の様だね」

 

「それで、どうする」

 

「うん。僕としても、ちょっとした事情でこの先までついてこられるのは困るからね」

 

「ならば——論など不要だ」

 

 

 多分だけれど、ダンジョンの上に栄える迷宮都市、いや地上に住む人という枠において目の前のオッタルという存在は最強と言って差し支えないという確信を僕は今得ることができた。

 

 好きのない構えに並々ならない気迫。

 

 無骨ながらも洗練された動きが見え、優雅とは真逆にいながら内包しているという矛盾。

 

 だけど、だけどね。

 

 すごく勘違いをしているよ君たち。

 

 

「誰が、君より弱いと言ったんだいオッタル」

 

 

 これは、今から行くぞという合図。

 

 僕の言葉を聞いて遊びや余裕というものを一切かなぐり捨てたオッタルは無意識の内に僕を殺す気概となって踏み込もうとしたけれど、それじゃあ僕には追いつけない。

 

 だって本気の全力になった君であっても、未だ本気でも全力でもない僕よりも遅いのだから。

 

 踏み込みは一瞬で、オッタルの懐に入る時間は瞬きよりも速く。

 

 鋭く尖らせた手刀を刃と化して彼が手に持つ幅広で分厚い大剣を半ばから両断し、彼の意識が追いつかないままその側を駆け抜けた僕は、振り返って背中を向けたままの彼に話しかけた。

 

 

「今日の所は僕も帰るとするよ。また話をしようオッタル」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三神三様

 ダンジョンからの遠征を終え約一週間ぶりに地上の日の光を拝むことができたオラリオの二大巨塔であるロキ・ファミリアの主力部隊は武器や防具に消耗品を大量に消耗し傷を負った負傷者は居れど、死者0という快挙を残して深層から帰還し拠点へと戻って行く。

 

 その姿を力なき冒険者たちは羨望の視線で眺め、市井の民は流石ロキ・ファミリアと噂話としゃれこむが先頭を行く小さな勇者にとって、次なる遠征に向けての対策が既に練られている事など誰も知る由も無いだろう。

 

 強者の名を欲しいままにするロキ・ファミリアの中に、身を縮こませた白兎の様な冒険者が居たことなど周りの者は誰一人として気づかなかったとしても問題はないことと同様に。

 

 

 

 

 

「まずはこちらの失態によって発生した事について、ロキ・ファミリア団長として正式に謝罪させてもらうよ。申し訳ない事をしたベル・クラネルくん」

 

 

 ロキ・ファミリアの拠点、くねった尖塔が何本も立つ奇妙な館の客間にて、見たことも触ったことはおろか聞いたことさえない様な上等な革張りのソファーに座らされたベルは、机を挟んで同じ造りをしたソファーに座る小人族の勇者の謝罪に目を動転させてあわあわと言葉にならない何かを口にする。

 

 見世物として笑えるかもしれぬベル少年の動きだが、話を円滑に進めるという意味では全くの無意味かつ無駄でしかないのだが、小人族の勇者、『勇者(ブレイバー)』フィン・ディムナは苦笑を浮かべるだけで何もいうことは無い。

 

 まさに大人の余裕というそれだがそれがさらにベルの動転した心の動きを加速させるのだが追求しないだけ、この場に集まった全てのロキ・ファミリアの幹部や首脳陣、そして主神の優しさと言えるだろう。

 

 

「償い、と言えるか分からないが後で武器庫に案内するからそこにある物を一つ好きに持っていってもらって構わない。それでロキ・ファミリアからの正式な償いと謝罪としたいのだけれど……どうかな?」

 

「は、はひ! そ、それでいいですますっ!」

 

「ありがとう。それで、僕たちはこの様な案件が今後発生しない様に努めるつもりだ。だけど状況が正確に分からなければ対策の立てようが無いからね。あぁ、幹部であるベートやアイズから一通りの話を聞いているけれど当事者である君も話も聞いておきたいんだ。話してくれるかい?」

 

「は、はいっ! わかりました!」

 

 

 ベルはフィンの言葉を額面通りにそのまま信じた。

 

 こんな新参者にまで、しかも他所のファミリアの者にまで気を使ってくれるなんてと考え、思い出せることは何でも話そうと思い、先程まで自分が置かれていた状況を思い出せる限り話していくがそれは正にフィンの思惑通りであることにベルが最後まで気づかなかったことが救いだろう。

 

 ロキ・ファミリアの団長であるフィンにとってこの様な人災を今後起こさない様に努める心は本物だが、ダンジョンの暗黙のルールとしてダンジョンで発生した損失や生死は当人の自己責任なのだから、それに沿うのであればロキ・ファミリアの過信によってミノタウロスを逃したのは彼らの過失といえど、ベル・クラネルへと発生した損失はダンジョンを甘く見誤った彼自身の過失なのだ。

 

 それは、この場に集まったロキ・ファミリアの幹部陣は明確か不明瞭とはいえ持ち合わせている。

 

 それなのにベル・クラネルという少年へわざわざ謝罪し話を伺うというのは何やらおかしなことでは無いかと、少しでも勘の良い者なら気付けることなのだがベルは全く気付くことは無い。

 

 何故なら、ベルの純朴さを見抜いたフィンによる手腕なのだから。

 

 フィン自身、その人の良さに騙している彼でさえも苦笑いを浮かべてしまうほど。

 

 

「なるほど。つまり、ミノタウロスに対処したのは君ではなく割って入った君の旧知である『旅人』さんということになるね」

 

 

 ベルの話を一通り聴き終えて、彼の真の目的である『旅人』さんが出てきたことに真剣な面持ちの裏で冷静に思考し迷宮都市に存在する名のある者たちの名前や顔を羅列するが、該当する者は一人としていないことに頬を噛んだ。

 

 

「どういう風に対処したのか、君は知っているかい?」

 

「いえ……その、僕が知らない間に旅人さんが何とかしたみたいで……すみません」

 

「いや、君も命の危機を前にして冷静ではいられないはずだ。それを考えられなかった僕の判断ミスだ。気にしないでくれ」

 

 

 申し訳なさそうにシュンとその小さな体を縮こませた様はまさに兎だ。

 

 どうにも調子が狂うとフィンは思いながらもその視線を前に座るベルから思い思いに佇むアイズとベートへと向けて彼らの見解を無言で問うた。

 

 

「……そのガキの話が嘘か本当かはともかく、俺とアイズがそこに着いた時には確かにミノタウロスの姿も影もくっせえ血の臭いもしなかったがな」

 

「魔石も無かったよ、フィン」

 

「なら、件の『旅人』さんが君たちにも気づけないほどに素早く対処したとしたら?」

 

「……あり得るな。あの『猛者』相手に一歩も動かさずに対処できちまうんだからな。ミノタウロス如きブチ殺せてもどこも不思議じゃねぇ」

 

 

 舌打ちでもしそうな程に険しい形相の狼人の青年、ベート・ローガだがその言葉は彼を知る者なら驚くほどに平坦でそこに込められた感情を伺わせないのだ。

 

 長い付き合いであるロキ・ファミリアの面々も驚きはしたがベートの殊勝な様こそ真実を語っていると素早く判断した。

 

 

「アイズ。君も見たんだよね」

 

「うん……完全に『猛者(おうじゃ)』の方が戦闘体勢だったし剣も抜いてた。あの人は構えなんてなくて……でも気づいた時には『猛者』の後ろにいて……私は風が動いたっていう事くらいしか分からなかった」

 

「それで、オッタルの得物である大剣を半ばから文字通り両断した……」

 

「うん。スパって感じ。ガレスの斧みたいに叩き割るって感じじゃなくて……すごく綺麗な断面」

 

「ロキ、一応確認させてくれ。君の知る限り、オッタルの得物は深層から採れた高純度の超硬金属(アダマンタイト)を使い、尚且つ神ヘファイストスが直々に鍛え上げたと神フレイヤから自慢されたとかつて君は僕に言ったと思うんだけど間違いはないね?」

 

「まぁ神が嘘ついとるんならウチにも分からんけど、でもファイたんも言っとたし……確かや」

 

 

 糸目で朱色の髪を頭の後ろで結い上げた露出過多なひんぬー女神のロキは顎に人差し指を当て、天井を見上げながら神妙な面持ちで確かだと口にしたが彼女自身自分の言葉を信じられずにいた。

 

 

「だって、鍛冶神のファイたん直々の作品やぞ? いくら神の力が封じられとるいえ神が作った剣や。それをどこぞ知らん奴に斬られるって……外に鍛冶神が居っておんなじ様なもん作ったかファイたんが流したかやな。いうても深層で採れもん使って作られたもんに匹敵、それ以上言うたら金の流れで分からんはずないわ」

 

 

 それはあまりに筋が通り過ぎていて一切の反論の余地がないほど。

 

 だからこそありえないと言う結論に行き着いてしまい、それ以上に『旅人』という人物が何者なのかと言う疑問が膨れ上がる。

 

 

「あ……そう言えば」

 

 

 痛いくらいの沈黙が充満する客間に控えめで消え入りそうな声が上がったが、それは尻すぼみに小さくなっていきもはや消え入りそうな声量だ。

 

 しかし何か一つでも『旅人』の情報が欲しいロキ・ファミリアとしては自然、視線が声の主ベル・クラネルへと突き刺さった。

 

 

「その、ミノタウロスなんですけど……旅人さんが何か言ったら途端に大人しくなってて……」

 

「その言葉が何だったか、君は分かるかい?」

 

「いえ……全然聞いた事ない言葉で意味も全く……すみません。こんな事しか言えなくて」

 

「……リヴェリア。魔法という線はないかな?」

 

 

 ここにきて貴重な情報だ。

 

 フィンはあらゆる可能性を思い浮かべ、そして最も可能性のある可能性に精通した者への見解を求めるためにその先に視線を向けた。

 

 神々でさえ羨む美しき緑髪のエルフがその先にいた。

 

 

「あり得るな。魔法の正確な効果までは分からないが転移、または対象の精神の安静化、隷属などだろう。熟練した調教師という線がない訳でもないが、少年の言った通り何かを口にした途端にミノタウロスが大人しくなったのなら対象の安静化という線が最も高いと、私は思う」

 

「ガネーシャ・ファミリアにも探りをいれる必要があるね……」

 

 

 悩むロキ・ファミリアの面々だが真実は未だ闇の中であった。

 

 

 

 

 

 

 

「えっと……コレはどういう事かしらオッタル?」

 

「申し訳ありませんフレイヤ様。あの者を連れくる事も出来ず、あまつさえフレイヤ様から賜った剣さえ文字通り両断される始末。如何なる処罰でも甘んじて受け入れます」

 

 

 バベルの塔最上階から見下ろせる見事な絶景には目もくれず、オラリオの職人に作らせた最上質の椅子から思わず立ち上がってしまった神フレイヤは最も信頼する眷属が持ち帰ってきた剣を見て目を丸くしてしまった。

 

 

「貴方やアレンや数人のサポーター、それにヘファイストスの団長『単眼の巨師(キュクプロス)』が深層に潜って超硬金属(アダマンタイト)の品質を確かめながら高純度のものを採掘して、そしてヘファイストス直々に鍛え上げた剣の筈……よね?」

 

「はい。フレイヤ様の仰る通りです」

 

 

 フレイヤ自身が尋ねたとは言え、自分の質問を思い返してその美しい顔を僅かに歪めてしまった。

 

 最高の素材を使い鍛冶の神が作り上げた剣を両断する存在。

 

 一体どんな武器を持っているのかとても興味が湧いてくるが、フレイヤが目をつけたのはその様な部分ではない。

 

 

「オッタル、正直に答えて頂戴」

 

「どの様な内容でも」

 

「現時点の貴方に、コレが可能かしら?」

 

 

 フレイヤはそう言って跪くオッタルの前に置かれた両断済みの剣へと近づき、腰を屈めて神の視点を持つフレイヤをしても怖気がする様な鋭利すぎる断面にそっと触れた。

 

 フレイヤが別たれた大剣に思いを馳せるなか、ほんの数秒が経過したが二人の間にはとても長い時間が経った様な、そんな不思議な時間が流れたがオッタルは恥をしのみ堂々とその質問に答えを出す。

 

 

「不可能かと。同じ剣があったとして砕く事は出来ますが——一撃で、レベル7に何をしたのか気づかせずに、両断する……不可能としか言いようがありません」

 

「そう……正直に答えてくれてありがとうオッタル」

 

 

 いくらオッタルがフレイヤの従僕とはいえ、武を尊重する彼にとってこの質問はその矜持を傷つけるものだとフレイヤは気づき労わるようにオッタルの肩に触れた。

 

 ピクリと震えるように僅かに動いたオッタルだが、その不安を打ち消すようにフレイヤは優しく触れて手を離し彼に背を向けて最上階から外の景色を見ることができる格子付きのガラス窓へとゆっくりと歩き窓を開けて外の空気を招き入れた。

 

 優しく吹く風がフレイヤのプライベートルームに入り込み、彼女の滑らかなプラチナブロンドの風を揺らして髪が頬をくすぐった。

 

 

「とても、澄んだ色だった」

 

 

 フレイヤの言葉が風に溶ける。

 

 

「炎のような情熱、揺らぎのない水面のような落ち着き、たおやかな慈悲、それでいて敵とみなす者にはニヴルヘイムさながらに凍てつく容赦のなさ……いえこれら全て彼の数多ある中の一面でしかない」

 

 

 ほうと、息を吐いて体に篭った熱を逃がすフレイヤだがそれは誰も見たことがないような顔をしていたが、彼女に最も近いオッタルでもその背を見ている事しか叶わない。

 

 

「初めてね……欲しい、手に入れたいではなく——側に居て欲しい、なんて思うなんて、ね」

 

 

 その言葉も風に吹かれて流れて消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

「やぁそこのキミ! じゃが丸くんを食べていかないかい? 一つたったの40ヴァリス! 小腹が空いたらこれだよキミ!」

 

「じゃが丸くん……芋を揚げた食べ物だね。初めて見るな……うん。それじゃあ一つ買わせてもらうよ」

 

「まいどあり! どうだい? このじゃが丸くんの美味しさは!」

 

「……(モグモグ)……いいね。とても美味しい。へぇ……色々な味があるんだね。抹茶クリーム味……? なんだか不思議な色合いだ。うん、これも買うとするよ」

 

「へい毎度あり! しかし躊躇いなく抹茶クリーム味を買うとは……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

母の系譜

 フレイヤ、ロキ、ガネーシャ、イシュタル、アポロン、ゴブニュ、ヘファイストス、アポロン、ディアンケヒトなど、僕が調べた中でオラリオに存在する大きなファミリアはまだまだあるけれど冒険者たちの管理を行い中立を謳うギルドの奥には神が居ることに僕は気づいた。

 

 大地の声を聞くことができる僕にとってギルドの下に大きな地下空洞がある事を知るなんて無意識のうちに知れる事だし、そこで何やらこそこそとやっている事にも気づけない訳が無い。

 

 ウラノスと言う名前の男神。

 

 

「ふぅん……随分と小綺麗な場所だ」

 

 

 ダンジョンが生まれ地上へと進出し人を襲うモンスターが現れ始めた時、人々に恩恵を与え彼らの力をもってモンスターをダンジョンへと追いやり蓋をし、その上に迷宮都市の基盤を作り上げたとまことしやかに言われる神であれば、母を貶めた神の存在を知っているのではないかと僕は踏んでいる。

 

 母さんの嘆きや怒り、そして在りし日の記憶を生まれた時に視た僕だけれどあまりに情報が断片的すぎたしノイズがかってて殆ど理解が及ばなかった。

 

 ただ、地に伏した母に近づきその耳元で、

 

 

『泣いてしまった! 笑える三文芝居をありがとう』

 

 

 そう言った神が居たのは間違いない。

 

 で、あるならばその神は千年前かそれ以降に降りてきている可能性はあるはずだ。

 

 千年も長い間、この地上に降りて来ているウラノスなら他の誰かが知らない情報を知っているのではないか、僕はそんな不確かな物にさえ手を伸ばさざるを得なかった。

 

 僕はダンジョンを、いや母の愛憎を、ひどく楽観的に考えていたらしい。

 

 母の落とし子で望みである僕がオラリオに踏み込み、ほんの上層とはいえダンジョンの中に入ってしまった事で母が動き出そうとしているのだ。

 

 今まで心を頑ななまでに閉ざしていながらも溢れていた人と神への愛憎が、僕の存在をきっかけに感情が動き、それに触発され母そのものであるダンジョンが連動して活発になりつつある。

 

 恐らくまだ時間は掛かる。

 

 だけど人の歴史から見ても神の視点から見てもそれは余りに短い期間で母は再誕してしまう。

 

 このペースでいけば、10年。

 

 たった10年ぽっちで母は動き出す。

 

 死に体の体のダンジョンでモンスターを生み出すというそんな甘いものではなく、自身でさえも制御できない愛憎に振り回されるままに生誕すれば、どう足掻いても地上は終わるし、天界に住まう神々でさえ止めることは不可能だろう。

 

 きっとそれは母の本心だ。

 

 だが同時に、止めて欲しいと、自分を殺してでも人や神を傷つけたくないという気持ちも母の本心。

 

 感情というものは酷く、悩ましいものだ。

 

 

「ようこそギルドへ。本日は一体どのような御用件でしょうか?」

 

 

 統一されたギルドの制服をキッチリと着てメガネをかけたエルフの女性が感じの良い微笑を浮かべて順番の回って来た僕に対応してくれたけど今は神ウラノスに会って情報を得ることが先決だ。

 

 

「神ウラノスへの面会を」

 

「え? いえ一般の方では面会は不可能かと、ウラノス様に会う事は神であっても許可がなければ難しい事ですから。もし宜しければこちらから言伝を預かっておきますが……」

 

「そうか。では伝言をお願いするよ」

 

「はい……それでは、どうぞ」

 

 

 机の下からインクにペン、そして僕の伝言を書き留める羊皮紙を取り出した彼女の促しに従って僕は言葉を口にする。

 

 

「『10年』そう伝えてくれるかな?」

 

「あ……分かりました。ですが本当にそれだけよろしいのですか?」

 

「うん。神ウラノスが僕がそれなりに知っているなら気付く内容だけど……これに気づけないなら……愚かだと思って他に当たるとする。じゃあ、僕はもう行くよ」

 

 

 対応してくれたギルド職員の彼女はまだ何か言おうとしていたが机から離れた僕に何かを問う事もできないし、そして次の人に対応しなければいけないのだから真面目な性分に従って仕事を頑張るはずだ。

 

 なら追求されようもない。

 

 それに、僕の真意を知ったところで母を悪と貶めた人の子が信じるはずもない。

 

 知らなくていい事なんて、この世界にごまんとあるのだからね。

 

 

 

 

 

 

 多くのモンスターの命の上に成り立っている魔石産業によって発展した迷宮都市という事実を鑑みて、やはり生命は他の生命の犠牲の上で成り立っているのだと思えた。

 

 命を糧に育んでいく、そう考えたなら人も獣も神も変わりないのではないか。

 

 城壁の上から壁に背を預けて地平線の下に夕陽が沈む様子を眺め、その暖かな光に僕は目を細めた。

 

 壁の外に目を向けると、穏やかな平原の景色が広がり反対に迷宮都市へと視線を向けると帰路につく人々や夜の街に足を運び騒ぎ立てる活気ある人の姿が映った。

 

 母が守りたかった、いや守りきった尊い光景がここにある。

 

 母の記憶にあった原初の世界はそれはそれは酷いものだった。

 

 今の世界とは比べ物にならない、生きることが偉業といえるような過酷で荒廃した世界の光景が目を閉ざした瞼の裏に映し出される。

 

 全能を謳われながら神々は地上がどうして栄えたのか微塵も知らないなんて滑稽でしかない。

 

 話したところで誰が信じるか。

 

 与太話だとしてももう少し信憑性のある話か面白い嘘を言えと失笑されるのがオチだ。

 

 知っているが故の苦しみ。

 

 これは先日、バベルの塔の下で出会ったあの女神のように持てる者の悩みなのだろうか。

 

 もしそうだとするならば、このような誰にも共感が出来ない悩みを抱える神という身分も存外に大変だと理解できるが、下界に娯楽を求めてやって来た神の悩みなんて面白いもの探ししかないだろう。

 

 全てを味わい退屈だと口にし未知が欲しいなら、死ねばいいと思うのは勝手だろうか。

 

 

「君はどう思うかな? 風に抱かれた少女」

 

 

 夕焼けの光が沈み込み、夜の暗さが辺りを包み暗くなって来た中で僕は城壁の上に現れた少女の方へと顔を向けて声をかけたが、少女は驚くように目元を僅かに見開きその端正な顔を歪めて立ち止まった。

 

 

「貴方は……誰? なんで私の魔法が風だって知ってるの?」

 

 

 警戒と困惑。

 

 自分のパーソナルを他人に知られているなんて僕も君が悪いと思うし、少女という繊細な年頃なら尚更だろう。

 

 僕は対応を誤ったと思いその警戒と困惑を解消すべく、自分でもうまく笑えているか自信がないけれど微笑みを浮かべて彼女の問いに答えるべく言葉を選び紡ぎ出すしかない。

 

 

「初めまして、僕の名前はキングゥ。君が風にまつわる系譜である事を知っているのは——君の母親が<精霊>アリアだと知っているからかな?」

 

「何で……お母さんの事を……」

 

「申し訳ないけれど、僕がソレを知っている事について話すのはとても難しいんだ。君だって誰にも言えない秘密の一つや二つあるんじゃないかい?」

 

「う、うん……」

 

「ごめんね」

 

 

 ずるい言い方だと僕自身思う。

 

 僕から少し離れた所で佇む金髪の少女の疑問に答えてあげたいのは本心だ。

 

 だって、この世界に生まれて根付いた原初の四大精霊は母ティアマトの子供といってもいい。

 

 <精霊>アリアが母の子供と考えるのなら、その子供である少女に気付くことができるのは同じ母ティアマトの子供である僕なら当然だ。

 

 少女が僕に気づいていないのは、恐らくその体と血に受け継いだ風の力を引き出し切れていないからだろうが、人である彼女にとってその方がいいはずだ。

 

 何故なら、全てを引き出してしまえば人であるこの少女は心身ともに精霊になってしまう。

 

 人の中で育ったのに精霊となってしまえば歪みが生まれ、少女自身を苦しめてしまう未来は確実だ。

 

 だから僕ら二人はこうして会うことはおろかすれ違うことさえ本当ならいけない存在なんだ。

 

 少女は少女のまま、僕は僕のまま、互いを知らずに生きていればよかったんだけれど先日少女に会うまで僕はこの因果に気づけなかった。

 

 しかしこうして生まれてしまった後悔というのは本当にどうしようもない。

 

 こればっかりは後から悔いてもどうしようもない。

 

 彼女は知らず知らずの内に僕の気配に気づいてしまって、そしてここに来てしまった。

 

 

「もうお帰り。そして僕の事は忘れるんだ。君の人生において僕という存在は害にしかならない」

 

 

 母の事を最優先するあまり他の事の重要性や気付くのが肝心な所で遅れてしまう。

 

 母を解放した暁には僕がダンジョンになるのだから誰かの記憶にいても、生きていた僕という存在には何の意味もない無価値で無意味な過去の残滓だ。

 

 

「……私はアイズ」

 

 

 もう夜といってもいい時間帯、オラリオの街の表通りに乱立する魔石灯の小さな光が暗闇の中で輝きながらその言葉は確かに僕の中に入り込んできた。

 

 この場から去っていこうと、立ち上がって背を向け意識が彼女から離れた瞬間、そんな空白の不意を打った彼女の言葉。

 

 

「キングゥ……また会えるよね?」

 

「困った子だね。会えないと言ったばかりだろう?」

 

「まだ、お母さんのこと……ちゃんと聞いてない」

 

 

 何も知らないのに強情だ、僕の気も知らずになんて身勝手だと、僕は思った。

 

 だからこそ僕は強く思う。

 

 母をダンジョンから解放して、僕が人身御供になることで兄妹というべき少女・アイズの悲しい宿命を解き放てるのなら僕が生まれた意味は確かにあったのだと、そう強く確信できるのだから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。