男だけど女だらけの事務所でアイドルやります (蒼い鳥)
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男でも構わず勧誘するプロデューサーの鏡
渋谷。
凛じゃなくて区。
渋谷区の街中である見目麗しい奴が一人、ブラブラと歩いていた。
身長は170cm前後あり、背が高い割りには全体的に細身である。
腰まで伸びる真っ直ぐで真っ黒でカラスの様なツヤのある長髪を靡かせ街を闊歩する。
真っ白な肌に映える黒髪と左右で色の違う、オッドアイの目。
すれ違う人皆の目を引く見た目は怪しい輩も同時に呼び込んでしまう。
「お姉さん綺麗だね!モデルとか興味無い!?」
「興味無いで〜す」
「お姉さんお姉さん、少しの時間でたくさんお金稼げる仕事があるんだけど」
「お金には困ってません」
「うひょひょ、えっちなビデオ撮らせてよ」
「死ね」
と、まあこんな風な日常が常だった。
ゆったりとしたパンツにシャツと適当な上着を着て街を歩く。
「今日は一段と勧誘が多いな……面倒臭いしそろそろ帰るか…」
目を見えて疲れた表情から特大の溜息を吐き、首をコキコキと鳴らしながら家路へ。
だが今日が普段と違うのは何も勧誘の数だけじゃなかった。
これから暫く世話になる相手との遭遇が待ち構えていた。
「…アイドルに、興味はありませんか」
「…お、おう…?」
そこそこ背が高いと思っていた自分の身長よりも上から見下ろしてくるやけに低姿勢なガタイのいい男。
差し出された名刺には346プロダクションアイドル事業部担当プロデューサーと書かれていた。
(346プロって言えば…かなり有名な会社だもんなぁ……ついにこんな大物にまで声を掛けられるようになっちゃったのか…)
「どうか…なさいましたか…?」
「いやぁ…」
「…宜しければ、少しお話を」
煮え切らない反応にプロデューサーの方が切り出した。
手で指し示す方には個人でやっているであろう古い外観の喫茶店、店内にはあまり人の影も見当たらず格好の密談場となり得る。
促されるままに店内へと足を踏み入れてしまった件の勧誘相手はこの後のことを痛く後悔することになる。
「それで…私にどうしろって言うんですか…」
えらく厳つい相手が対面に座る。
コーヒーを飲みながらも視線は合わせないようにあっちへこっちへフラフラと。
「今更になりますが…私はシンデレラプロジェクトを担当しています、武内駿輔と申します」
「ご丁寧にどうも……
「では四十崎さん、改めて…アイドルに興味は」
「ちょっと、ちょっと待って…武内さんは何処をどう間違って私をアイドルに勧誘してるんですか」
「笑顔です」
もはや定番となった決まり文句、笑顔。
勧誘された者は大体これを言われている。
真尋の好きなアイドルの一人、渋谷凛も言われていた。
しかし、真尋は男だ。女だらけのアイドル事務所に入るなんて以ての外、気まずさで自殺しかねないかもしれない。
基本的に男と女の話題が合うことなんて例外はあれどほぼ皆無と言っていいからだ。
「あの……うぅん…私、男ですよ…?」
「……」
目の前の仏頂面が一瞬で変わった。
アイドル向きのビジュアルをしている女を勧誘したと思ったら蓋を開ければ男だったのだから驚きもするだろう。
カレーだと思ったらハヤシライスだったなんてレベルじゃない、根本から違っている。
武内はじっくりと舐るように身体を見つめる。
相手が女性なら問題しか無いが目の前に存在するのは男。
不躾ではあるが大した問題ではない。
しかし見た目だけならその辺を歩いている女子高生よりもレベルは高いのだから混乱するのは当たり前であった。
「私の見た目なら自分でも自覚してます…両親が女の子が欲しかったからってこんな格好させてるんです…だから一人称も私とか言っちゃってますしね……あ、でも声は地声です」
声は少し低めだが性別を言われなければハスキーなんだなぁくらいにしか思えない。
それが今までの人生で勘違いを生み続けている要因でもある。
「…では、女装でアイドルを…!」
「落ち着いてください、自分で何言ってるか分かってます?」
自分がどれほど混乱していても話し相手がそれ以上なら逆に冷静になってくる。この現象はなんというのか分からないがそういうこと。
「876プロの秋月涼さんという前例もありますから…」
「あの人結局315プロ行ったじゃないですか。それに昨今は色々厳しいですし、着替えとか色々あるじゃないですか…」
「その程度ならこちらの配慮でなんとでもなります。なので四十崎さんは普段通りに生活して頂いたも構いません…むしろその方が自然でバレにくいでしょう」
「いやだから…私がアイドルとか向いてませんって。愛想も悪いですし」
「問題ありません」
話が通じない。
大丈夫イケる問題無いの一点張りでどうにもこうにも二進も三進もいかない。
このままテコでも動かないつもりの武内の熱意は相当量上がってきてしまい、この状態の彼を鎮めるのは事務所のアイドルでも難しい。
「…はぁ…分かりました、じゃあお試し期間を作ってください。その間でバレたら辞めます。バレなければ…不本意ですけどバレるまでは続けますよ」
「それで構いません」
「あ、でも事務所のアイドルの子に気付いても無視しろとか言ったら即辞めますからね」
「はい。四十崎さんも出来る限り女性である様に振舞ってください、極力男性を匂わせるような行動は」
「しませんよ…フェアな勝負をしないと意味ないですからね…」
「ありがとうございます。では後日、御手数ですが事務所に足を運んでいただけますか」
「はいはい…で、期間はどうしますか」
「……1ヶ月でいかがでしょう」
「わかりました。ではその様に」
結局、意思の弱い真尋は流されるように契約を結んでしまった。
細かいところまで言えばこの試用期間にも給料と言うか、お小遣い的なモノは発生し途中でバレても1ヶ月分は支払われる。
性別を知るのはプロデューサーの武内、アシスタントの千川ちひろ、他は主なスタッフや会社側の人間のみでアイドルには誰一人明かさないこと。
武内や千川が極力フォローすること。
契約期間終了後はそのまま所属すること。
契約期間終了後に男性であることがバレても退社はしない。
女性アイドルからの辞めさせる要望が一定数あった場合は退社を認めること。
最後の契約に関してはどれだけ売れたとしても身内のアイドルに嫌われたり避けられながら仕事をするのはメンタル的にキツイ真尋からの要望だった。
女性だらけの針のむしろで仕事をし続けられるような強メンタルは生憎と持ち合わせていないのだ。
そして、契約開始の日へ。
当日、真尋は346プロの前までやって来た。
別れ際に交換した連絡先で武内に確認を取ると「社内のカフェで待っていてください」と言われたので早速カフェ探しに歩き回っている。
歩くこと一分も掛からずカフェを発見。
テラス席に近寄ると奇抜な格好をした店員が声を掛けてくる。
「いらっしゃいませ!」
メイド服が映えるテンションと小柄ながらも抜群のプロポーション、飛び切りの笑顔で迎えてくれたのは目下活躍中の現役アイドル「安部菜々」だった。
「ぅわ…」
「あれぇ!?そんなテンション下がっちゃってどうしたんですか!ナナ痛い子ですか!?そうなんですか!?でもでもナナはへこたれない!なんてったって17歳だから!キャハッ!」
薬でもキメてそうなぶっ飛んだテンションで詰め寄ってくる安部菜々さん17歳に真尋もタジタジだった。
しかし真尋はナナのことが割りと好きなアイドルだった。だからこそテレビの中と同じテンションなのかと驚き半分、尊敬半分。
「いえ…すみません、好きなアイドルの方が目の前にいると思ったら感動しちゃって…あ、サイン貰えますか?」
「もっちろん!その前にご注文をどうぞ、一緒にサイン持ってきますね♪」
程なくしてコーヒーと共にサイン色紙を持ってきたナナと握手をしてホクホク顔で武内を待つ真尋。この時点で武内の策略に引っ掛かっていることに気付かない。
前日。
「皆さんにお話があります」
武内の声に反応したのは数人のアイドル。
事務所に残っていた数少ない、今回の作戦に加わる仲間達だ。
安部菜々
渋谷凛
鷺沢文香
小早川紗枝
輿水幸子
かなり濃いタイプが混ざっているが武内はこの際文句は言っていられない。
「明日、新しいアイドル候補の方がいらっしゃいます」
その言葉におおーと色めき立つ者も、クールにキメる者も、フフーンな者も反応は様々。
「しかし、確実に仲間になるとは現状言えません。1ヶ月の試用期間を経て所属するか決めて頂くことになりました。なので皆さんには勧誘のお手伝いをしていただきたいと思っています」
「質問」
「はい、どうぞ」
そこのいたアイドルのひとり、渋谷凛が手を上げる。
他の4人は黙って行く末を見守るだけ。
「その人はアイドルをやりたがってるの?」
「いえ…反応は芳しくありません。ですが、私は是非皆さんと同じように階段を上がってほしいと思っています」
「ふ〜ん……ま、プロデューサーがそう言うならいいけど。やる気の無い人と一緒だと困るよ?」
「その点は問題ありません。他に質問のある方は」
「…はい」
今度は鷺沢文香が恐る恐る手を上げる。
読んでいた本を閉じて伏し目がちに口を開く。
「その方は…本を読むのでしょうか」
「それは分かりません…どちらかと言えば渋谷さんや北条さんに近しい方です」
「…そうですか」
「はいはーい!」
文香が残念そうに本を開き、隣にいたナナが元気よく手を伸ばす。
紗枝と幸子に至ってはすっかり聞き役になってしまっている。手を上げる素振りすら見せない。
「ナナは明日カフェで働くつもりなんですけどどうすればいいですか?」
「安部さんはそのままで結構です、待ち合わせ場所にカフェを指定するので接客をして、あわよくば勧誘のお手伝いをお願いします」
豊満な胸の前で握り拳を作りやる気十分のポーズを見せるナナに武内も安心した。なんだかんだ最年長として仕事はしてくれるだろう、と。
問題は多数所属している問題を起こしそうなタイプのアイドル達と鉢合わせないかということ。それだけが懸念材料だった。
「誰か明日の宮本さんと一ノ瀬さんの予定を把握している方は」
「フレデリカと志希なら明日は仕事だよ。あの二人がいると初日から躓きそうだもんね」
「残念ながら…その通りです」
問題児トップ10に問題なくランクインしそうな二人が不在ならこれ程の安心感はない。
出来るなら他の8人にもあって欲しくないのだが…そう簡単に事は運ばないだろう。
話はカフェに戻る。
コーヒーと色紙を持って戻ってきたナナと軽い談笑の後、分かりづらいながらも嬉しそうな笑顔を浮かべる真尋を物陰から武内は見ていた。
絵面は完全にストーカーか不審者である。
ポリスメンがいれば即声掛け事案であり、元婦警もいるので怪しいラインだった。
「……最初の作戦は成功ですね」
因みに、作戦は複数存在する。
ひとつ目は今のナナ。
ラッキーなことに真尋がナナのファンだったので想像より上手くコトが運んでいる。
ふたつ目は凛とのダンスレッスン。
みっつ目以降は流れで行われる予定だ。紗枝、幸子、文香の誰かしらと会った時にアイドルはいいぞ〜と軽い勧誘を仕掛けてもらうのが立案された。
契約違反ギリギリの作戦だが、契約上性別さえ明かさなければ問題は無い。
この部分は真尋の落ち度でもあるのだろう。
和やかな空気になった所で武内が物陰から姿を現し、真尋に近づいていく。
「お待たせしましたか」
「いえ、全然。…そういえば、勝手にサインとか貰っちゃったんですけど拙いですか?」
「その辺りの話は相手方が納得してくれているのなら問題はありません。そのサインは…安部さんですね、今日は勤務の日でしたか」
なんとまあ白々しい。
平然と知ってることを初耳だと偽ることが出来るものだ。
それも真尋を勧誘する為の行動だと考えれば、その熱意は計り知れない。
ガタイのいい厳しい男が女に間違われる高身長ながらも華奢な男を必死に勧誘している。ここだけ切り取れば完全事案。早苗さん案件である。
軽い今日の予定を組み立て、二人はカフェを後にした。
「この後は予行演習を兼ねてダンスレッスンを受けていただきます」
「素人が受けて平気なんですかね…それに他のアイドルの方がいるんじゃ」
「問題ありません。今日のレッスンの予定は無いので、仮に居たとしても自主練の範囲ですからご一緒でも平気でしょう」
ここまで武内の予定通り。
ちょっと悪い顔してる。
次回、渋谷凛との邂逅。
靡く黒髪。
弾ける汗。
ボンバー。
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熱いお茶も冷たいお茶も美味しい
「さて…どうしたもんか…」
真尋の悩みとは
それは武内から借りたレッスン着がどう見ても女物なことだ。
下はスパッツと短パンだからまだいい。
普段ジョギングや運動をする時にも着用する。
しかし上が肩丸出しで紐で支えられている様な露出が多い服装であるからして、女性とは身体の作りが違うせいでバレる可能性があった。
とはいえ真尋がそう思っているだけで周りの人は皆、華奢でシミ一つない綺麗な肌だなぁくらいにしか思っていない。
そこそこ高い身長。
男性からすれば170cmそこそこなのだから普通だが、女性から見ればかなりの高身長と言える。
その身長に見合う長くスラッとした足や細い腰。
誰が見ても女にしか見えないだろう。そういう星の元に生まれ、そういう育ち方をしたのだからしょうがない。
「初めまして、体験でレッスンを受ける四十崎です」
「ああ、話は聞いてるよ。初心者の四十崎には悪いが今日は他のアイドルのレッスンも入っていてな、かかりきりにはなれないが一緒に励むといい」
「あ、はい…無理に時間を作ってもらってるので文句は無いです。邪魔にならないように端っこでやりますね」
端っこでやるとは言ったものの…一緒に居るのって渋谷凛さんなんだよな…二人しかいないしどう足掻いてもトレーナーさんの目には入っちゃうか。
それに隣で踊るのはかなり実力派のアイドル、比べられたら一発で素養無しとか言われるんだろうなぁ。
「ども…四十崎真尋です」
「渋谷凛。凛でいいよ、そっちの方が歳上でしょ?」
「ああ…多分」
「よろしくね」
「よろしくお願いします」
簡単な自己紹介だけで終わってしまった。
欲を言えばもう少し仲良くなりたかったけど…ホントにテレビで見るまんまだな。クールで少し素っ気無い感じ。
って言っても仲間には優しいって聞くし、その内私にも優しくしてくれるかな。
「よし、渋谷はいつものメニューから。しっかり柔軟をしてからだぞ?四十崎も渋谷のレッスンを見ながら、出来そうなら真似してみろ」
「了解です」
取り敢えず模倣から入れってことか。
出来るかわからないけどやるだけやってみよう…取り敢えず柔軟から。
渋谷さんと同じ様に身体をほぐして……ふっ…実は身体の柔らかさには自信があるんだ。渋谷さんに負けないくらいしっかり柔軟をこなしていこう。
「ほぉ…」
「ふぅん…やるね」
準備体操も兼ねた柔軟のおかげで身体も温まってきた。
じんわりと汗をかく程度にはホカホカだ。
今日は今度のライブに向けて自分の持ち曲とユニット曲の振り付けの確認をするらしい。渋谷さんの曲は個人的に好きだから沢山聞いたし、ダンスもライブの映像とかで何も見ずに踊れる程見た。ユニット曲に関しては神谷さんと北条さんの振り付けまで完璧だ!
ただのアイドルオタクみたいだけど、私のちょっとした特技でもある。
大っぴらにドヤ顔は出来ないけど物覚えはいい方だし多少練習すれば出来るようになる。
「それにしても…目の前で見れるなんて幸せ…」
アイドルをやるにしても男性アイドルとしてなら喜んで入るのに…何故女装をしながらじゃなきゃいけないんだろう。
「よし…四十崎、渋谷の動きをそのまま真似してみろ。渋谷の後に8カウントずつ交互だ、渋谷はステップ覚えてるな?」
「はい」
トレーナーさんの手拍子と掛け声に合わせて渋谷さんが軽い調子でステップと振り付けを見せてくれる。
それをしっかりと目と脳に焼付け、寸分の狂いもなくトレースする。
大丈夫、全然問題ない。
ウォーミングアップなのかな、結構簡単だ。
それから10分程度ひたすら基礎練のように繰り返す。
途中から私と渋谷さんは同時に動くように言われ、足並みを揃えて隣同士で踊り続けた。
「…ふぅ…」
ストップがかかり私と渋谷さんの足が同時に止まる。
同じステップを踏み続けるってのも中々キツイんだな…汗で髪が張り付いて鬱陶しい。
この時ばかりは肩出しのレッスン着で感謝しておこう、涼しくて快適だ。
ただちょっと前髪がやっぱりウザイな。
「トレーナーさん、ハサミ貸していただけますか?」
「それはいいが、何に使うんだ」
不思議そうな顔のトレーナーさん。小さめのハサミを貸してくれた。
小さい方が都合がいいからちょうど良かった。
取り敢えずゴミ箱の所へ…渋谷さんとトレーナーさんに背中を向けたままジャキジャキと前髪にハサミを入れていく。
ゴミ箱の中に髪がバラバラと落ち、おでこがどんどん涼しくなってきた。
「おい!なにしてる!」
「なんですか?」
「…なにやってんの?」
ハサミを持ったまま振り返るとトレーナーは凄まじく怒っている。その上渋谷さんはなんとも言えない表情だ。目にかかるくらい長かった前髪がおでこの半分くらいで散切り状態だからかもしれない。
「すみません、もうちょっとちゃんと整えますね」
「切るのをやめろ!」
「自分で切るのは良くないから、美容院行こ?」
トレーナーさんにハサミを取り上げられてしまった。
渋谷さんもなんだか可哀想な子を見る感じで優しく接してくる。
……そうか、今私は女の扱いだから変なのか…。
髪は女の命って母さんも言ってたし、それをいきなりハサミでぶった切ったら変な奴と思われても仕方ないか…これは私の落ち度だ。
「四十崎はアイドルの候補生としての自覚は無いのか…?アイドル以前に女はこんなハサミで適当に髪を切ったりはしないぞ」
「それは偏見じゃ…」
「何か言ったか?」
「いえ…なにも…」
「はぁ…取り敢えずレッスンはやり遂げろ。髪は…渋谷、時間があれば346専属の美容院…分かるな?」
「…連れて行ってきます」
「すまんな…」
なにやら私のせいで暗い雰囲気になってしまった。
ここは明るく振舞ってなんとかしないとな。
レッスンもあるみたいだし髪を払って…汗でベタベタだから全然取れない…。
「トレーナーさん」
「今度はなんだ」
「切れた髪が張り付いて鬱陶しいので適当に流してきてもいいですか」
「……渋谷、10分休憩だ。ついでにシャワー室に連れて行ってやれ」
「わかりました……こっち」
シャワーなんて浴びてもどうせ汗かくから適当な蛇口でいいよって言ったらめっちゃ怒られた。
仕方ないからシャワーで頭を軽く流した。
女の子って結構気を使ってるんだなぁ…なんて、知り得ない世界に思いを馳せる。
「ねぇ真尋…」
「なんですか?」
「髪…折角綺麗なんだから大切にしなよ」
「って言っても…親に伸ばしてって言われたから伸ばしてるだけなんですよ」
「それでも、だよ。手入れもしっかりしてあるし、私よりいい髪質してるよ」
そんなことないと思うけどなぁ。
男の適当な手入れより女の子がしっかりやってる方が余っ程きちんとしたものだろう。私も自分で髪洗って適当に乾かすだけだし、やってることは男子高校生くらいと変わらない。
なのにここまで真っ直ぐ綺麗になってるのは偏に髪質の問題か、たまに母さんがやってくれるなんかよく分からないアレなのか。
「帰ってきたか。じゃあ最後は渋谷のレッスンを重点的にいくぞ。四十崎は見学でも真似でも好きにしろ」
「あの…渋谷さんのレッスンは持ち歌のダンスですよね」
「そうだけど…真尋は私の曲踊れるの?」
「はい。ライブ映像とかたくさん見てきたので」
「勉強熱心なことだ。よし…ならついてこれるだけやってみろ、5曲連続でいくぞ。四十崎は途中でバテても責めたりはしないから気軽にな」
「はいっ」
人に合わせるのは得意だ。
ここはひとつ、今日色々と迷惑をかけたお詫びとして…全力でやろう。
呼吸を合わせろ。
意識をシンクロさせろ。
渋谷さんの隣に立つのは、もうひとりの渋谷さんだ。
今まで観てきた全ての映像で創り出せ。
もうひとりの自分を。
曲が始まった瞬間に私の意識は完全に渋谷さんと同調した。
× × ×
「なあ加蓮」
「なに?」
「あれ誰だ」
「私が知るわけないでしょ、凛のお姉ちゃんとかじゃないの?」
「いや確かに似てるけど…凛と全く同じ動きを同じタイミングでやり続けるって凄くないか?」
「そんなの他人に出来るわけないじゃん、やっぱりお姉ちゃんとか親族なんじゃないの?」
「…今度はTrancing Pulseだな」
「あれ結構大変なんだよね〜」
「凛と同じ振り付けだけかと思ったら私と加蓮の振り付けも踊れるみたいだな」
「もう私達いらないじゃん」
「マストレさんのあんな顔見たことないんだけど」
「私も奈緒のそんな顔みたことないよ」
「凄いな…一体誰なんだ…」
「四十崎さんは体験レッスン中の研修生です」
「うおっ!プロデューサー!」
レッスン室の扉に付いているガラス窓越しに中を見ていた北条加蓮と神谷奈緒の後ろから現れたのは武内P。
少し心配になったのか真尋の様子を見に来た武内は奈緒と加蓮と共に外からジッと室内を見つめる。
凛と寸分違わぬ流麗なダンス。
余裕する感じさせる涼し気な表情。
流れる汗すらも美しく、照明に照らされていた。
「……なんで前髪があんなにボロボロなんだ…」
現実逃避でもしているのか、奈緒は関係ない所に視線がいっていた。
× × ×
「よし、そこまで」
「…っはぁ…」
隣から熱い吐息を吐き出す音が聞こえる。
少女、それも飛び切りの美少女の荒い呼吸。
男としての欲求が呼び起こされそうだがここは蓋をして閉じ込めておこう。
今は女としてここに居るんだから。
「正直…想像以上だったな」
「ま…悪くないね。私も熱くなれたよ」
「凄く楽しかったです、またお願いします」
「私のレッスンで楽しかったと言ったのは四十崎と高垣くらいなものだ」
私の中でこのレッスンで学んだことが全て取り込まれていく。
ストンと納まるべき物が納まるべき場所に入っていく感覚…なにか新しい経験値が私の中で糧になった。
「凛っ!おつかれ!」
「お疲れ様で〜す」
「お疲れ様です…」
バタバタと人が入ってきた。
神谷さんに北条さん…あと武内プロデューサーか。
「いやあ凄かったなぁ!あたしは神谷奈緒、よろしくな!」
「北条加蓮だよ、よろしくね」
「四十崎真尋です、よろしくお願いします」
「それにしてもめちゃくちゃダンス上手いな、キレもあるし迷いが無かったし!」
「なんか秘訣とかあるの?良かったら教えてよ」
興奮気味な神谷さんとクールなままの北条さん。
この二人に渋谷さんでTriad Primusという私の大好きなユニットが出来上がる。
期待してたけど、実際会えるとなると役得というかラッキーだったな。
そんな興奮してる神谷さんはトレーナーさんに捕まってこの後レッスンだそうで、私は汗を流しにシャワー室へ。
渋谷さんも来るのかと内心ドキドキしたけど、私が出た後は三人でレッスンがあるそうな。まだ出来るなんてやっぱりプロは違うな。
「それで、この後の予定は?」
「はい。最後にボイスレッスンがありますが暫くはフリーですので自由に行動して頂いても構いません。16時にレッスン室の前に居てもらえれば大丈夫です」
「了解、じゃあまたあとで」
一時間くらい自由な時間が出来た。
出来たが、勝手を知らぬ場所で自由と言われても出来ることは限られてくる。
まずよく分からない部屋には入れない。
となると休憩室とかまたカフェとか。
あ、因みにさっきまで渋谷さんに案内された事務所からほど近い美容院で髪を切ってきました。
前髪だけ整えてもらってパッツンになってしまった。
パッツンと言えば喜多見柚ちゃん可愛いよね。
はてさてどうしたものか。
取り敢えず喉は渇いた。
レッスン後にはみんなエナドリなるものを飲むらしい。
でも炭酸よりは普通の飲み物が欲しい。
だったら、自販機を見てから決めようじゃないか。
「ん〜…お茶しかないぞ」
なんと見つけた自販機には多種多様なドリンクがある。
が、全部お茶だった。
いろんな会社や種類のお茶、お茶、お茶。
烏龍茶からほうじ茶、セイロンティー紅茶、緑茶と狭い範囲で選り取りみどり。
「おや、お悩みですか!」
とてつもない元気な声が聞こえた。
キョロキョロと見渡すが何処にも人はいない。
「こっちですよ!」
何処かと思ったら背後だった。
そして何より背が低い。
しかし胸元には大きく主張する塊がふたつ。
「お茶で迷ったら熱い緑茶がオススメです!」
大きくクリっとした瞳の奥には轟々と燃え盛る炎を幻視させるこの情熱的な少女は…日野茜さんだ。
背が低いのにかなり豊かなバストをお持ちの元気印、うん可愛い。
元気が貰えるよね、松岡〇造みたいで。
「見掛けない方ですね、お客様ですか!?」
「今日は見学というか、体験レッスンに来てるんです」
「なんと!アイドルでしたか!」
まだアイドルになると決まったわけじゃないけどこの自信満々な言いようの前では否定しずらい。
「まあそんなところですかね…」
「では先輩の私から激励として、お茶をご馳走しましょう!」
そう言ってお茶を奢ってくれた。
緑茶。
熱々の。
同じものを買ったはずの日野さんはそれを一気に飲み干すと90°近く腰を曲げ何処かに走り去って行った。
「ボンバー!!」
ドップラー効果のように響く声は走り去った後でも暫くは耳に残っていた。
「………あつっ…」
次回、「みじゅき」
大人の色気。
色気より酒。
駄洒落を言ったのは誰じゃ。
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