【完結】偶像の象り (hige2902)
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第一話 やわらかなナイフの刺し込み

「ぼく、オールマイトみたいなヒーローになりたい」

 と、さざ波に反射する朝日の煌めきの瞳で言った子供がいた。

 

「おれは、オールマイトを超えるヒーローになる」

 と、夜の波間にぎらついた月明かりの瞳で言った子供がいた。

 

 両親が幼稚園の送迎バスを待つ暇つぶしで井戸端会議をやっている間、緑谷出久と爆豪勝己は一つのタブレットをそれぞれの手で持ち合って夢を語った。なりたい偶像を口にした。

 偶像の対象は二人の視線の先、タブレット内の動画で輝かしい活躍を見せていた。前髪を兎の耳のように跳ねさせた、自信に溢れた笑顔と金髪。そして天をも支えられそうな筋骨隆々の体躯。名を、オールマイト。それが二人の偶像であり、共通点だ。

 

 その点に遡れば一年ほど前の年少組の頃。緑谷が幼稚園で特に意味も無く走って転び、膝を擦りむいた。それにたまたま気づき、傷口をオールマイト柄のハンカチで縛ったのが爆豪だ。

 

「うぇっ、オール……んぐっハンカチ、うぁあ、お母さっ。ありがっ。ひぅう。痛いぃ。ぼくも」 ひゅうと大きく震える肺で息継ぎし。 「好き、オールマイト。血がっ出てっ」

 

 涙を拭いながら、痛みと共通のヒーローのファンを見つけた嬉しさで何が言いたいのかわからない緑谷を見て、爆豪は小さく笑って言った。

 

「うん、おれも好き。だから泣くなよ。オールマイトだったら絶対に泣かない」

「はあぁっ、ふうぅ……う、うん」

 

 それで泣き止めるほど緑谷は器用な人間ではなかったが、とにかく涙があふれてしまわないように懸命になった。

 

「それ、あげる。そのハンカチ。泣かなかったら」

「ふぐっ! うっ!」

 

 ヒーローならきっとこうすると、爆豪は考えてそうした。

 力んだ緑谷の瞳からは虚しくも、つう、と何滴かの雫がこぼれた。それでも結局、爆豪はハンカチをあげた。懸命に涙を堪える緑谷に対する敬意なのかもしれないし、ただただそうしたかっただけなのかもしれない。

 

 その夜、爆豪の母はアレ? と疑問を口にする。

 

「勝己、あんた買ったばっかのオールマイトのハンカチどしたの? 手洗いするって言ってたけど」

「なんでもない」

 ぷい、とテレビのヒーロー特集に視線をやる。

 

「ええー失くしちゃった?」

「ん」

 と、怒られた時の肯定の意を返す。

「新しく出たやつじゃなかったっけ? もー、大事にするって言うから買ってあげたのに。何枚あると思ってんの、あーあ。名前書いてたんだよね?」

「ん」

「もう買わないからね」

「ん」

 

 その反応に、珍しいなと母は思った。いつもならグズるのに。

 その答えは翌朝になってわかった。緑谷の母が、申し訳なさそうに洗ったハンカチを返してきたのだ。

 

「どーもすみません。うちの子が貰ったとか言うんですけど、名前書いてあるし、大事な物かと思って」

 

 そう言う母親のスカートをぎゅっと緑谷は握りしめて気まずそうに地面を見つめているだけだ。

 庇うように爆豪が言った。

 

「それ、あげたの」

 

 その言葉で、なんとなく母達は合点をいかせた。どーもうちの子がすみません応酬の後に打ち解け、子どもがオールマイトのグッズにうるさくての話題にシフトし、送迎バスを待つ間のお喋りになった。

 

 その間、手持ち無沙汰の緑谷は母親から借りたタブレット片手に爆豪に話しかけた。この間はありがとう、ぼく緑谷、オールマイト好き?

 

 この時代。ようやく個性黎明期が終わり、政権交代の後に個性に対する法が一般に馴染んだ頃。オールマイト以外のヒーローの人気も高かった。それでも二人はオールマイトこそが憧れだったし、同じくらい好きだった。ようやく見つけた同志だ。仲良くなるのに時間はいらなかった。

 

 緑谷は気が弱く、運動神経も平均的。けれども、どこかどんくささが残る。同学年にからかわれていた。

 そんな彼を、爆豪は庇った。気が強く、運動神経は秀でていたのもある。それがヒーローとしての立ち振る舞いだと信じていた。

 

「ぼく、かっちゃんのサイドキックになるよ」

 

 緑谷にそう言われると、悪い気はしなかった。おれがこいつを引っ張っていかなければとさえ考えてすらいた。

 

 ちょうど四歳前後だったので、そろそろ個性が発現する時期。将来はどんなヒーローを目指すかを語らい、どんな個性なのかと期待に胸を膨らませた。

 

 五歳、六歳。小学校に上がる頃、遅咲きに緑谷出久の個性が発現した。両親の『グリセリン』と『酸化汗』が混じり合った、汗腺から出るニトログリセリンに似た体液を起爆させる『爆破』だ。ヒーロー映えする強個性。

 

 爆豪勝己は無個性だった。

 病院でそれを告げられた時、気丈に振る舞ってはいたもののその夜ベッドの中で押し殺すように泣いた。

 親はただただ、ドアの前で立ち尽くす他になかった。『物を引き寄せる』と『火を吹く』のどちらも引き継がれないという、個性遺伝に関連する一種の突然変異。

 

 それでも、爆豪と緑谷の関係性は変わらなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 緑谷は無個性と知ってもへこたれない爆豪に尊敬の念を抱く。自分だったらきっと折れてしまうだろう。絶望してしまうかも。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうしていつもと変わらないヒーロートークに花を咲かせる。

 

 小学校高学年。誰もが自身の個性から将来を夢見る時期。なりたい職業ナンバー1を不動にするヒーローについて誰もが語っていた。

 ただなんとなく、二人の間に限り、将来の話題は消えてなくなった。

 

 

 

 xxxxxx

 

 

 

 中学校。個性により出来る事が広がり、自信過剰になる者が多い中。爆豪はいつだって、クラスで、学年でただ一人無個性の彼は好奇の目にさらされ続けていた。

 からかわれもした。無個性である事をバカにされもしたが、持ち前の勝気な性格と恵まれた身体能力でふてぶてしく捻じ伏せた。

 それをスカした態度と取られて素行不良な連中に良く思われない事も多かった。

 

 決して緑谷の助けを借りようとはしなかったが、シメた同級生の部活の先輩が絡み、呼び出された時は多勢に無勢で袋叩きにあった。

 

 鳩尾に一発貰い、倒れて意識が朦朧とする視界に赤いスニーカーが映る。その脚はひどく震えていた。

 

 ふっと目が覚めて周囲を見渡すと、どうやら保健室のベッドにいた。頬や手の甲にはガーゼなどで処置してある。

 

「あ、かっちゃん。大丈夫そう?」

 と、丸椅子に腰かけていた緑谷が覗きこむ。

 

「緑谷、おまえ、あれだけいた連中全員やったのか?」

 

 そっと、自分の中にある蜘蛛の糸で作られた繊細なナニかを壊してしまわないように尋ねた。

 

「え、いや。ははは。『爆破』使ったら、見た目が派手だから皆逃げちゃった」

 

 気恥ずかしそうに言う緑谷に、ナニかを失わずに済んだ安堵感と、あまりにもあっけない顛末に小さく破顔する。

 

「なんだそりゃ、あいつら数だけか」

「僕、個性使うのヘタだからさ。全身を『爆破』させちゃうんだよね。それでビックリしちゃったんじゃないかな」

 

 へへ、と頬を掻いて緑谷も笑う。

 

「ま、確かに自分の身体もそんな爆破に包まれるんじゃないかって考えたら逃げるか……まだ手からだけとか、うまくいかねーの?」

「えっ? うん、まあ。服とかには爆破が干渉しないから助かるけど、爆破させる部位を指定ってのが難しくてさ。センスなくて、個性制御の」

 

 個性制御とは発動、変形、異形型の3個性に共通する、拡張性を包括した便宜上の名だ。例えば火を吹く個性使いが自らの舌を焼かないのは、ひとえに個性制御の働きだ。それが未熟ならば口の中を火傷する。

『落下』させる個性も、制御を卓越させれば落下速度を極限まで遅く操作して、疑似的な浮遊を与える事も出来る。

 鍛錬と才能で磨けば、個性に幅を持たせる技術だ。

 

 へえ、と無感動に相槌打って会話を続ける。

 

「でも練習してんだろ?」

「まー、頑張ってるよ。個性を使い過ぎると汗腺から血が出ちゃうし、めちゃくちゃ痛いから大変だけど」

「雄英、行くんだもんな」

「あ……うん」

 

 あっけらかんとする爆豪に、緑谷は静かに敬意を覚えた。上級生もいる個性持ちに囲まれてもなお、平然と相対せる強靭な精神力に。心の底から。その行為こそがヒーローたる本質的条件を満たしているように感じられた。

 自分に同じことが出来るだろうか? きっと無理だ。泣き寝入りで終わるだろう。いくらバカにされても、きっと下を向いて家に帰るだけ。

 

 緑谷は爆豪の中に見出してしまった。一度もあった事の無いオールマイトよりも身近で輝く光。

 憧れ、羨望、偶像を。

 

 この一件は風の噂でクラスに広まった。上級生に囲まれても立ち向かった無個性と、助太刀した一人の男。ありていに言えば武勇伝のようなもの。

 もともと仲の良かった二人がバディに見えたのもある。

 

 

 

 xxxxxx

 

 

 

「なー爆豪、おまえ雄英のサポート科受けるんだって」

 

 そろそろ受験本番を意識しだす時期の放課後、帰ろうとする爆豪と緑谷にクラスメートの一人が尋ねた。

 

「ああ、まあな」

「マジか、スゲーな。やっぱあれか。将来はアイテム開発職?」

「どーかな、わかんねえよ。んな先の事」

「いやいや、海外のプロヒーローも大金積んで日本工房のワンオフアイテム、オーダーするらしいじゃん。夢あるっしょ」

 

「ほんで緑谷はヒーロー科でしょ?」

 と、女子が当人に話しを振った。

「まさかこのクラスから二人も雄英入りが出るとはね~」

 

「い、いやでもまだ受かるって決まった訳じゃあ」

「ゆーて二人とも模試はボーダー超えてんだろ? 緑谷は強個性だし」

「爆豪はもう規格化アイテムくらいならリバースエンジニアリング出来るってチラッと聞いたぞ」

「んあー才能、今のうちにサインくれサイン」

 

 もてはやされる雰囲気に耐え兼ねた緑谷は、無理やり会話を断ち切って爆豪と共に教室を出た。

 

「やっぱあれかねー。二人仲良いし、爆豪が作ったアイテムをプロになった緑谷が使ったりすんのかね」

「ほーん、それで爆豪はサポート科か、エリート目指すなら普通科行くし。胸熱やな」

 

 そんな会話を背にして。

 

 いつものように図書館の自習室で勉強を済ませると、もう辺りはすっかり暗くなっていた。日も短くなった季節、吐く息もほんのりと白い。

 商店街に寄って馴染みの肉屋のコロッケを買い食いした。恰幅のいい店主はいつも、二人の為にこの時間に揚げてくれる。はふはふと齧りつくと、肉の甘味をたっぷりと吸ったジャガイモが美味い。『熱量感知』の個性で揚げていると店主は言う。味から推察するにたぶん本当だ。

 

 そのまま住宅街に向かうと、台所の換気扇から何かは分からないがとにかく良い匂いが漂う。

 バチカンのビルボードチャートというマニアックな内容についてぺらぺらと喋る、いきいきした緑谷と適度に相槌を打つ爆豪。

 いつもとなんらかわらない下校の風景。これがずっと続けばいいな、と緑谷は思った。

 

「そういや緑谷、おまえさ、個性制御の方は上手くいってんのか」

 

 珍しく爆豪が会話の腰を折った。

 

「え、いやー」

 尋ねられた内容に固唾を飲む。

「なかなかね、難しくって。あ、でね、チャートの中にはスイスから傭兵的に派遣されてるヒーローが」

 

「部位指定っつったら割かし基本だろ、発動型の個性制御の中でも」

 

「まあ、ね。数量操作に比べたらってだけで、実は結構難しいんだ」

 適当に顔を撫でる。

「プロだと基礎にして奥義って言ってる人もいるくらいで。個性制御が上手いヒーローって結構地味でいぶし銀って感じが」

 

「どれくらい出来るようになったんだ。掌とまではいかねーまでも、腕からくらいはいけたんか」

 

「あーと、うん。いや、実は全然でさ。練習し過ぎると全身の汗腺から血が出てきて、一回それを人に見られたら大騒ぎでさ」

 気まずそうに頭を掻いた。

「でも結構いるよ? 逆にそれでゴリ押しちゃうヒーローって。ビルボードには乗ってな」

 

「そんなんで雄英のヒーロー科行けんのかよ」

 

 あはは、と緑谷は誤魔化すように自嘲気味に笑って言った。

 

「実はサポート科にも願書出してるんだよね」

 

 寒空に室外機の駆動音と、どこかで犬の遠吠え。

 

「一応ね。もちろんヒーロー科が第一志望だけど、ヒーロー資格は卒業後からでも取れるし。マイナーだから知らないかもだけど、アイテムを主軸にしたヒーローも多いから学んだことは無駄にならない。あっ! それに他科からでも成績によってはヒーロー科に編入出来るって……」

 

 ふと、足音が自分一人である事に気付いて、街灯に投射された光の中で振り返った。

 月明かりすら雲が隠した夜闇の中で一人、緑谷の歩みについて来なかった爆豪がただ一人立ち尽くす。

 

「なんでてめえなんだ」

 

 懸命に憎悪を押し殺し、震える声で言った。

 

「どーしてお前みたいな半端なやつが強個性で俺は無個性なんだ。おかしいだろ、これ」

 

 緑谷は言おうとしたが口が動かなかった。爆豪から初めて向けられた憎しみに動揺したし、何を言いたいのか、言えばいいのか、自分でもわからないから。

 

「全身血だるまになる? 汗腺が痛む? だから嫌か。だったら俺にくれよ。たいして使いもしねー個性ならよこせ。代わりに失血死寸前まで血を出してやるよ、寝れないほど痛くても構わねえ」

 

 通学鞄を落とし、詰め寄って胸ぐらを掴み上げる。

 

「俺がそんなに憐れか、だからヒーロー科諦めてサポート科に来るのか? 来てまた俺を憐れみたいのか」

「ち、違」

「中一んとき、俺がボコられた場所、よく偶然出くわしたよな?」

 

 緑谷はただ、焦点を合わせないようにするだけだった。

 

「アイテム主体のプロがいるくらい知ってるに決まってんだろ。将来俺がお前のサポートアイテムを作るだと? クラスのボケどもはホントぶち殺してやりてえよ」

 

 濡れた呪詛を告げた。

 

「言いたかないが信じてたよ、ガキの頃、オールマイトみたいになるっつったお前を。今言ったらこの場で殺すからな」

 

 短くそれだけ言うと緑谷から手を放し、それまでの怨嗟を嘘のように切り替えて通学鞄を拾い上げて立ち去った。

 

 緑谷は動けなかった。茫然と、しかしなんとか事態の大きさを捉えようと泥のように鈍い思考に沈む。

 

 アイテム主体のプロがいると言っても個性とのシナジーありきだ。無個性なら普通は諦めてしまうヒーローへの道。

 かっちゃんは諦めてなかった。出会ったばかりの頃、語り合った事を。

 

 無個性だと知った時もあっけらかんとしていたし、一言も悔しいなんて言葉を聞かなかった。だからてっきり、もう手放してしまったのだと勝手に思っていた。

 違う。必死に耐えていたんだ。ひがんだりすれば、僕がオールマイトみたいなヒーローになりたいという夢に傷を付けるかもしれないから。だから()()()()()()()()()()()んだ。

 

 かっちゃんはとても強くて、高いところに居るんだと見上げていた。そんな僕の足は、ずっとかっちゃんの夢を踏んでいたんだ。何年もの間。

 

 理解すると強烈な吐き気に襲われた。何度か飲み下したが、ついに堪え切れずに道路わきの排水溝にもどす。

 胃の中のものを全て吐き、胃液も空っぽになった。酸で喉が熱くなり、動悸がおかしい。グレーチングにはついさっき食べたコロッケの欠片がくっついている。

 

 それを見て涙が出てきた。

 もう二度と、爆豪勝己と並んでコロッケを食べる事は無いのだとわかったので。

 



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第二話 燃罪

 爆豪は自宅の玄関の前で短く息を吐き出し、感情を整える。プロヒーローにとって精神制御は基礎中の基礎だ。

 

 ただいま、と帰宅する。おかえり、と母親がキッチンから言った。

 

「先お風呂入るでしょ」

「ん」

「今日カレーだから」

「ん」

 

 階段を登る足音を耳に、母親は包丁を握る手を止めた。いったい自分に何が出来ると言うのか。

 

 自室に入るとベッドに倒れ込んだ。ガキじゃあるまいし、と誰に言うでもなく零す。意図的に思考を停止させるため、携帯端末で適当にトレンドを漁る。

 いま机の上の参考書でも目にしようものなら、たぶん当たり散らしただろうから。

 

 ディスプレイの中では誰かと誰かの熱愛報道だとか、どこかの取締役が逮捕されたとか、診断メーカーの文字が並んでいた。

 

 ふと、#違法アイテムエンジニアのハッシュタグに目を止めた。

 ニュース記事まで辿ると、認可を受けていないエンジニアが公的機関を介さずにアイテムをヴィランへ流していたらしい。組織的犯罪で、ヒーローが工房(マンションのワンルーム)に踏み込んだ際にアイテムによる反撃を受けて重傷を負ったそうだ。

 

 基本的にヒーローコスチュームには防弾防刃はもちろんの事、防炎絶縁等の処理が施されている。国が認めた基準の最低限の性能でも、かなりの防御力があるはずだ。

 それを抜かれたのならヒーローがヘボだったか、よほどエンジニアの腕が良かったのだろう。もぐりで開発したのなら、アイテムの素材も三級品に違いない。

 

 パトカーに連れられた主犯が動画にちらりと映る。痩せていて、どう見ても戦闘経験のない開発職。

 こんな弱そうなやつでもヒーローと戦えるのか。

 それはプロに対する落胆でもあり、プロになれるのではという儚い希望だ。

 

 起き上がって戸棚から課題を取りだした。サポート科の実技試験の練習にと作った簡単なスタンガンと催涙弾。

 実技では例年、雄英敷地内に造られたシチュエーションエリアで行われる。化学薬品施設だったり、ホームセンターだったり、車工場だったり、普通のホテルだったり。とにかく毎年変わる。そこでヴィランが襲撃してきただの、バイオハザードが起きただとシチュエーションが告げられ、その場で対応策となるアイテムを作らねばならない。

 

 だから受験生はみな、手の届く範囲でアイテムを作って予習しておく。結局のところ本番はアドリブ力が試されるので、作動原理を把握しておけばよい。実用性は二の次だ。

 

 いま、爆豪の手に収まるそれはしかし、市販品よりも過剰な物だった。アイテムの領域に踏み込んでいないものの、無意識的に社会や運命に対する防衛本能が働いたからかもしれない。

 

 あのひょろいエンジニアはアイテムを使ったからだ、俺の劣化版でじゃあ……けど、身体能力はかなりある方だ。いや、と薄暗い室内で、頭を振った。

 

 バカげてる。俺はまだ、諦めていない。まだやれる事はあるはずだ。俺は弱くない。オールマイトを超える俺が、弱い訳にはいかない。認められるか。

 たぶんその辺のヴィランくらいなら……。

 

 ノックの音で、反射的に時計を見た。硬く、あまりにも硬く課題品を握りしめていた事に今更気付く。

 

「あのね、勝己」

 と母親の声。

 

「ん?」

「お母さん達の事、恨んでる?」

「なんで」

 

 よせ、言うな。それだけは言ってくれるな。

 

「無個性で、苦しい思いをさせちゃって」

 

 嗚呼、クソ。ひでえ一日だ。

 

「俺がいつ泣きごと言った?」

 震える声で、突き放すように叫ぶ。

「一言でも個性持ちが良かったなんて口にしたかよ! あんたまで俺を憐れんでじゃあねえッ!」

 

「ご……そんなんつもりじゃ、ごめん」

 

「同情ってのはな! ツエーやつがヨエーやつに向けるもんだろうがよ、クソッ、なんなんだよどいつもこいつも……」

 弱者の証が零れてしまわないように上を見上げた。

「あってたまるか、そんな事。オール、ッ、オールマイトを超えるやつが弱いなんて事が……受け入れられるかよ」

 

 爆豪はドアを開けるとするりと母親の手を逃れ、スニーカーをつっかける。

 

「待って勝己! 今のは無神経だった!」

 

 そのまま家を飛び出した。

 

 

 

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 ものの、どうすっかな。

 

 コンビニで買ったホットコーヒーを啜り、無理やり心を落ち着かせる。我ながら幼稚だ。この歳で家出まがいの事するなんて。

それに、と学ランの内ポケットに意識をやる。課題品の重さが異物に感じられた。

 こんな物を公共の場に持って来るなんて、見つかれば補導じゃすまないかもしれない。

 

 ショッピングモールの二階テラスの柵に前腕を乗せ、階下の通りを見下ろす。クリスマスを待ちきれないカップル、家族連れ、バイトに向かう途中の学生。全員が個性持ちだと考えると、この時ばかりは流石にセンチになった。もしも俺が個性持ちだったらどんな個性がいいかな、などの妄想を止める事は難しい。

 

 例えば、もしも別の、どっか別の世界で個性持ちの俺がいたとして、今の俺を見たら笑うだろうか。無個性のくせにオールマイトを超えるだとかほざいてんじゃねえとブチのめされそうだ。絶望に陥りそうになる。

 

 来世に賭けて、ワンチャンダイブしとけ。とか。

 

 結局、強くなきゃあヒーローにはなれない。

 

 賑やかな雰囲気と明るいクリスマスソングに耐え兼ねて、その場を離れた。

 特に意味も無く、今まで行った事の無い場所へ足を向けた。無意識的に、自分の事を誰も知らない所へ行きたかったからかもしれない。

 そんな場所があれば、オールマイトを超えると言っておいて諦観の念に沈んでいる自分を慰めようとするやつはいない。

 

 気が付くと辺りに人の気配は無く、人工の明かりも無い。遠くで高速道路を走る、低く唸るようなトラックの音がまばらに聞こえる。

 目の前には廃工場があった。何を造っていたのかわからないが、とにかく巨大なタンクにポンプが格子のように張り巡らされている。

 ここどこだろ。ぼんやりと見上げると、星空を背景に動く人影が目に入る。

 

 こんな時間に人? と、目を細めた。

 

 ふらりふらりとタンクに外付けされた階段を登っている。適当な踊り場で身を乗り出した。

 

「は!? あっ! クソ」

 爆豪は反射的に警察へ連絡を取ろうとポケットに手をやる。やって、舌打ちして駆け出す。ベッドの上に置いてきたままだ。

 

「おいちょっと待ててめえコラ!」

 

 叫びながらフェンスをよじ登り、敷地内に入る。

 

「く、来るなー」

 と気の抜けた男性の声。

 

「うるせー! ツイてねーと諦めて考え直せ! ガキにテメーの死体を見せつけて嬉しがる変態か!? ぁあ!」

「ど、どういう引き留め方だ……」

 

 身体能力には自信があった。廃材が雑に置かれている脇を抜け、あっという間に階段を駆け上がって男の下に辿りつく。呼吸を整えて試算する。金網で透けて見える地面のせいで実際よりも高い位置に思えるが、だいたい16メートル前後って所か。

 

「まあ、そのなんだ。ちっと話そうや」

「勘弁してくれよ、俺だって覚悟して来たんだ」

 

 そう言った男の身なりはひどく汚かった。中年の脂ぎった肉付き、溜まったフケにサイズの合っていないシャツ。すえた臭いが漂ってくる。

 

「見つけちまったもんはしょうがねえだろうが」

 

「人が居ない所を探したってのに」

 中年男性は改めて爆豪を頭からつま先まで眺めて、苛立ったように言った。

「それで、何を話せって」

 

「や、まあ何ってそりゃ。アレだよ、何で飛び降りようなんて思ったんだ」

 こういった場合どうすればいいのか。とにかく時間を稼ごうと適当に話題を振る。

 

「何で?」

 中年男性は小ばかにしたように鼻で笑う。

「何でって職歴無しの40代フリーターだから。死のうとするくらい当たり前だろ。満足したか?」

 

「いや当たり前って言うか……」

 

 爆豪は言葉に詰まった。

 死のうとする人間の瞳があまりにも色が無く、熱が無く、光が無く、ただ顔に二つ行儀よく収まっているだけだ。それに気づくと、他のパーツもただそこにあるだけ。身体すら、どこか現実から浮き出ているような気配がある。

 現実は生きているからだ。だから死する人間は異物として人の目に映る。

 

「別にいいだろ、俺が死んだって。なんか問題あるか? どっかの誰かがシフト埋めるだけ。貯金も無いし、増税するし。マジで住民税とか払ってらんねーよ。破綻する破綻するって言われ続ける年金納めるなんて、蒔く種の無い畑を耕し続けてる気分だわ」

 

「それは」

 

「自己責任ってか。だったらきみが俺の死を見るのもそうだろ、こんな時間に中学生が出歩くなよ」

「言ってねえだろ。なにも死ぬ事ねーって」

「未来が無いのに生きる意味あるか? 誰が雇うんだよヘルニア持ちのおっさんを。もうずっと、笑えることに子宮に居る頃からずぅっと貧乏が続いてるんだ、明日からもそうなら、勇気出して楽になりたいだろ」

 

「俺だって生まれた時からずっと無個性で、きっとこれこれからもそうだ。それに生活保護とか」

「へー珍しいな。じゃあ俺の『指の爪が少し光る』個性が羨ましいか? こんなの無個性と変わらないだろ。でその生活保護受けてりゃ未来があるのか? 世間やネットから白い目で見られる辛さが、まあ……きみにはわかってほしくはないが」

 

 なんと言葉を投げ掛ければいいのか、爆豪は口をつぐんだ。自殺を試みている人間がいれば止めようとする。それがヒーロー以前に人間としての行為なのだろう。

 だが未来が無いから死にたいという志願者を、どうやって引き留めればいいのか。果たしてそれは正しい事なのか。わからないでいた。

 

「いいよな、未来があるやつは余裕があって。きみ、若いしイケメンだし、足速かったから身体能力も高いんだろ? まあ個性無くても順調にやってけるって知ってるから、俺を止めに来たんだろ? 人生の安全圏から」

 

「……違う」

 自分に言い聞かせるように、拳を握りしめて言った。

 

「残念だったな、可愛い女の子じゃなくて。こんなクズの中年じゃ助ける気も失せたろ。それともあれか? 俺が工場で金属盗むシケたヴィランだったらよかったか? そいつをやっつけられりゃあヒーローになれるもんな!」

 

 中年男性は泣きながら口走る。底辺を這いつくばった人生をこんな子供に吐露する情けなさと、過去の再認識の辛さに。

 

「期待はずれで悪かったな……でも本当に苦しいんだ、終わらせたい。死にたいやつの気持ちは、死にたく無いやつにはわからんよ。少なくとも俺より未来のあるきみには、絶対に止められない」

 

「ふざッけんじゃねえ!」

 爆豪は細い手すりの上に立ち、中年男性を見下ろして言った。

「どいつこいつも舐めやがってよぉ……俺はァ! オールマイトを超える男だぞ。女を期待してだとか、自分よりヨエーヴィランを捕まえて喜ぶケチなヤローが、どーやってオールマイトを超えんだよ! ぇえ! おい! 聞ぃてんのか!」

 

 突然の豹変に、中年男性はぽかんとした。

「は? いや無理だろ。オールマイトを? 無個性なんだろ? きみ。てか危ないぞ、降りなさい」

 

「無個性の事は言うんじゃねーよ! 課題品持って出ちまって、もしかしたらヴィランと戦闘するかもしんねーとか、チラッと思ったりもしたがよー。まずぁテメーだ、テメーからだ。未来があるやつのいう事に聞く耳持たねーってんならよー。これから未来を無くすやつのいう事なら再考すんだろうな」

 

「おいバカよせ!」

「その言葉、そのまま返す」

 

 爆豪はポケットに手を突っ込んだまま、ふてぶてしく笑って背から重力を受け入れた。

 最後に見上げる景色が、星空をバックにして手を伸ばしたブサイクなおっさんとは。と他人事のように思えた。

 

 それは二律背反だった。オールマイトを超えんとするなら、死は許されない。しかし、心のどこかで絶望の淵に覗いた、来世に賭けるという死への逃避。

 無個性がオールマイトを超える事など出来はしないと、本当はどこかで理解していたし、否定もしたかった。奇跡が起きて突然に個性が目覚めるかもという、妄想に似た希望もあった。

 

 あるいは、かつて己に誓った偶像に対する背任に起因した、燃えるような罪の意識。生存本能が覆い隠しておいたそれに、仄暗い情感で剥ぎ取って見つけてしまったからかも。

 

 あの中年男性にとって、自殺を思いとどまらせるのが救いになるのか、爆豪にはわからなかった。ただ、急いで階段を駆け下りようとするその懸命な姿を見て、たぶん俺は今、強くはないがヒーローなのだと思った。

 これから飛び降りようとするやつが、先に飛び降りたやつの心配なんてする訳がないのだから。

 

 雑に積まれていた上を向くパイプに腹部を貫かれ、廃材置き場に叩きつけられた。頭を強く打ち、耳鳴りがひどい。たぶん鼻血も出てる。身体が痙攣しているのが他人事のように分かった。

 

 ぼんやりとする視界で、ひどく焦燥した中年男性がどこかに通話していた。途切れ途切れに耳に入る。

 

「――飛びッ飛び降りた! 学生が、早く来てくれ場所は――」

「――血? 出てるよ! 救急車はあとどれくらいで着く!? ああ、どうしたら……なんでこんな辺鄙なとこで死のうとしたんだ俺!――」

「――ふざけんなよ! お、お、お前ら税金で飯食ってんだろうがよ! いねーのかよ! 救急医療に長けたヒーローとかよ!――」

 

 ボケが、んな都合よくヒーローが来るかよ。爆豪はおぼろげながらに内心で突っ込んだ。自分の事を棚に上げて。

 

 気付けば暗雲は霧散して明瞭な丸い月がしずしずと輝いている。

最後になって晴れやがる。まあ、悪くねえ。感傷に浸っていると、そこにフッと影が出来る。ん? と目を細めるとその影はみるみるうちに大きくなってくる。

 白い満月に黒い影のコントラストは、如実にそれを際立たせた。ウサギの耳のような特徴的な前髪は特に。

 

「わーたーしーがー」

 

 天から力強い声と共に降ってくる。聞く者に勇気と活力与える英雄の声と共に。

 爆豪は終に、無個性だと知った日ぶりに双眸から雫をこぼした。安堵か、やすらぎか、それに似た何か。

 

「消防の応援を受けて歩佐初自動車道を駆け抜けて来た!」

 

 大地を揺らす着地音だったが、衝撃は逃がしているのかそれほどでもない。つくづく規格外なヒーローだ。

 

「おお、お、オールマイ……」

 と、中年は腰を抜かした。

 

「そこの善良なる一般市民! 救急車の速やかな到着の為に入口のフェンスを開けてきてくれ!」

 適当な小石を指弾で飛ばして南京錠を破壊した。

 

 中年男性は四つん這いになりながら立ち上がって千鳥足で駆けだした。

「わ、わかった。わかったからその子供は頼む。俺の、俺なんかの為にっ、救うためにそんな事になっちまって」

 

「オール……イト。聞きてぇ、とがある」

 

 息も絶え絶えで爆豪が口を開く。

 

「喋らない方がいい少年」

 

 手刀でパイプを切断した。内心で呻く。パイプを抜かない限りはこれ以上の出血はなさそうだがshit! 服を裂いて怪我を確認すると打撲や骨折、寒さで衰弱しきった身体では病院まで持つかどうか。マントを外して被せてやる。

 抱えて運ぼうにも、この様子では身体に負担がかかりすぎる。どうすべきか。

 

「おれ、みてーな無個性でも、っはあ……ヒーローに、なれ。っと思うか?」

「喋るな」

「こた、え」

 

 激痛の身にあって、どこか嬉しそうな含み笑いの表情と、答えなければしゃべり続けるという意思にオールマイトは口を開いた。

 

「なれる、と言うべきなのだろう。きみを元気づける為には。しかし私は隠し事が多いが、嘘はつかない。心苦しいが、難しいと言うほかにない」

 

 泣き笑いで爆豪勝己は言い放つ。

 

「簡単、だったよ」

 

 震える小さな手を、オールマイトは握りしめた。

 

「ツイて、生き、ら。あんたを超えっくらい」

 息を無理やり整えて宣言した。

「のヒーローになるから」

 

「少年、きみをここで終わらせる訳にはいかない、どうしても。そして方法はこれしかないし、これでいいと、私は思う」

 ちらと背後を確認する。中年男性はまだヨタヨタとこちらに戻ってきている。髪の毛を一本、引き抜いた。

「先の宣言、平和の象徴を受け継ぐ覚悟と受け取った」

 

 中年男性の頭上を、爆豪を抱きあげたオールマイトが跳んだ。

 



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第三話 罰夢

 翌日の登校時、緑谷はいつも《彼》と待ち合わせている場所に行けなかった。

 うつむいて席につき、陰鬱な表情で携帯端末をスワイプする。

 

『廃工場で人身事故!? 中学生一人が重体。オールマイトが救う』

 

 好きだったオールマイトの記事を見ても、何も感じられない。

 一睡もできなかったし、胃が食べ物を受け付けなかった。それでも無理に学校に来たのは、現実の直視ではなくその逆。何事も無かったかのような日常が待っているのではないか、という逃避だ。

 

「緑谷おまえなんか顔色悪いぞ」

 とクラスメートが話しかけて来るが耳に入らない。

 

 ほどなくして先生が教室に入ってきた。

 妙だった。態度に反して優等生な《彼》がまだ来ていない。

 

「あれ、《彼》くん休み? 珍し」

「遅刻じゃない? 《彼》、風邪にかかった事無いって聞いたけど」

 

「あー、静かに。落ち着いて聞いてくだ、さい。はい、ちょっとね、ご家庭の事情で《彼》はしばらくお休みします――」

 

 そこから先の事は、緑谷はあまり覚えていない。ただ風景がぼんやりとしていて、白昼夢が醒めたように、学校は終わっていた。

 

 自宅に帰り、自室で目頭を強く揉んだ。視野が狭い。震える手で携帯端末を操作し、《彼》の番号に電話を掛けた。

 しばらくして繋がる。粘土で固められた心臓が、ふっと軽くなった気がした。ニュースの被害者とは別人だったのだと気が楽になった。楽になって、聞き覚えのある《彼》の母親の声に打ちのめされた。

 

 気が付くと部屋はすっかり暗くなっていた。さっきの事は夢なのだろうか。恐る恐る携帯端末の履歴を確認すると、通話の事実が残っている。

 

 僕が《彼》にあんな事を言わなければこんなことには、とベッドの中で頭を抱え、小刻みに震える。電話口で、数日が山と、動けるまで数か月と言った涙声を聞いた。

 リハビリも合わせればもっとかかる。受験は諦めなければならないだろう。

 

 僕が傷つけるようなことを言わなければ。僕の責任だ。

 僕が半端に生きていたから。僕がもっと強い志を《彼》に見せていれば。僕が《彼》の夢を壊してしまったんだ。

 

 緑谷は自責の念に切り裂かれた、生きる為に必要な意思を必死になって掻き集めようとした。

 

 死んでしまいたい。

 だが死は、既に目を背けているとはいえ、偶像に対する更なる裏切りに他ならないし、《彼》に対する加虐にも思えた。

 故に生存本能は生きる理由を模索し、一つのあがないを見つける。

 

 台無しにしてしまった《彼》の夢は、僕が叶えなければならない。

 

 その因果関係は曖昧で不確かなものだった。論理立ったものでもない。

 ただただ、自尽を避けるという目的の為に無意識的に作り上げられた自衛の手段。

 

 そうすると、身体の震えは収まった。空腹に気付き、リビングに向かって夕食を取る。

 

「大丈夫? 出久」

 

 今日一日、様子のおかしかった息子を案じた母が尋ねる。

 

「ちょっと具合が悪くて。でももう大丈夫だよ」

「そう……さっきね。《彼》くんのお母さんと電話して、もう知ってると思うけど、その……」

「平気だよ。オールマイトが助けてくれたんだから」

 

 つい先ほどまで、まったく食事を受け付けず、目の隈もひどかった息子がどうやって立ち直ったのか。母親にはわからなかった。

 親友の怪我に心を痛めている節はまだ残っているものの、割り切っているような。それでもこうして元気にご飯を食べてくれる事実に安心した。

 いかに母親だとしても、見抜けるはずがない。今の出久は、罪悪感の糸で自ら操られているに過ぎないという事を。

 

「あ、そうだ。お願いがあるんだけど、いい?」

「ん? なに」

「食事制限しようと思って。あ、食べないんじゃなくて、食べる物を決める感じ。ヒーロー科を受けるわけだから、なるべく追い込んでおきたくて」

「いいよ。身体に無理のない範囲でなら」

「ありがとう。じゃあ後でリストにまとめるけど、とりあえずはレバーとか、鉄分を摂取できるやつかな」

 

 本気なんだな、としか母親は思わなかった。

 

 

 

 xxxxxx

 

 

 

 次の日、出久が全身の皮膚を真っ赤にさせて帰ってきた。

 話を聞くと、どうやら学校の個性練習スペースで『爆破』の練習をしてきたらしい。

 

「ちょっと出久! 大丈夫なの!?」

「大丈夫だよ。これくらい。僕は個性制御がヘタだから、練習しないといけないんだ」

「でもそれって、血が出るし凄く痛いって……」

「うーん、まあ。でもヒーロー科を受ける人は皆これくらいやってるよ? 雄英なんだし」

 

 母親はその答えに懐疑的なものを覚えたものの、雰囲気や口調はいつもの息子だった。雄英を目指す子供は、これくらいが普通なのだろうか。

 

「ホントに?」

「そうだよ。それより、今日から三食はこれでお願いね」

 

 そう言って差し出されたメニュー表は、汗をかく為に新陳代謝を上げ、出血を想定した造血が考慮された物だった。

 

「でも」

「大丈夫だってば」

 と困ったように笑う。

「受験が近いのに本当に無理して身体を壊したら、元も子もないしさ」

「……そう」

 

 母親を納得させ、出久はシャワーを浴びた。まだじんわりと汗腺から滲み出る血が洗い流され、アイボリーのタイルを彩る。

 風呂上がりにスキンケアをしても衣擦れすら痛くて痛くて、寝返りの度に目が醒めそうになる。

 だがそれでよかった。痛みは謝罪の理由になる気がしたから。

 

 そしてたびたび夢を見る。親友を刺したあの夜の出来事だ。

 

 暗夜の中の《彼》の全体像は、水彩画に水を垂らしたかのように滲んでおり、絶えず不安定に揺れ動いている。言葉も壊れたスピーカーやメガホンを通しているようで、何を言っているのか分からない。

 《彼》が自分の胸ぐらを掴み上げる。街灯の下に間近になった《彼》の顔の歪みがひどくなる。恐ろしい怪物にも見えるし、悲痛な叫びをあげているようにも見える、責め立ててもいるし、怒り狂っている。そして泣いている。

 

 不明瞭な存在が、自分に対して糾弾を浴びせる夢だ。

 自分は《彼》にとても酷い事をしてしまったのだ。だからこれは罰なのだと出久は考えた。

 受け入れるしかない、罰の夢を。

 

 罰夢に出る不定形のそれは、既に自分でも気づかぬうちに《彼》の情報を無意識的に遮断していたせいだった。

 

 心因性視覚障害というものがある。人は誰でも、強いストレスや恐怖を感じると視野が極端に狭くなる。乱暴に言えば、見たくないモノ、知ってしまえば耐えられないモノを脳と心で拒絶する能力があった。

 出久の無意識的防衛本能が呼び覚ましたそれは、誰かが喋る、あるいは筆記した《彼》の名前を水の中で聞く音のようにぼかした。記憶や視覚に映る姿の解像度を変えた。防衛本能によって生み出された機構は、それを不自然と感じる事は無い。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 学校から呼び出された母親に、もうやめてと泣きながら背に抱き付かれた出久は、己の中でそう呟いた。

 個性練習スペースにあるテニスコートほどの貸し切られた一室で、緑谷出久は血の滴る掌に『爆破』を発動させる。

 

 

 

 xxxxxx

 

 xxxxxx

 

 

 

「そのガリガリが現状の本当の姿で、ヒーロー活動時の時は個性で無理やり全盛期の姿を保ってる訳か」

 

 気持ちの良い春の風が吹く誰も居ない大病院の屋上で、視線をオールマイトから青い空へ向けた爆豪が言った。シャツにジーンズのラフな格好。

 

 緊急入院の後に一命をとりとめた爆豪は、個性により発達した医療により、なんとか入試に間に合うほどには回復した。約三ヶ月の病院生活だったのでだいぶブランクが出来てしまったが、もともと何でもできる才能はあった。筆記は問題ないだろう。

 

「つまりまあ、あんたはいずれ平和の象徴として身を引くし、その後継者を探していたと」

 

 咳をして、骨と皮だけのオールマイトは「そんなところだ」と答える。

 

 あの夜。爆豪を生かすには『ワン・フォー・オール』を継承させるしかなかった。

 代々受け継がれて来たその『個性を譲渡する個性』は、培われてきた力も内包されている。その個性でもってして身体の頑強さを底上げし、オールマイトの高速移動に耐える他に方法は無かった。

 

 怪我を検める為に服を裂いた時、肉体はかなり鍛えられていた事から譲渡の際の力に耐えきれると判断した。

 したが、なんだその()()()は。とオールマイトは不気味さと感嘆の入り混じった、何とも言えない印象を受ける。動けるまでもう一ヶ月はかかる計算だった。

 

「そっか。まあそりゃあアレだ、マズいわな。平和の象徴がいなくなるのは」

「事後承諾に近い形になってしまったが、返答は?」

 

「聞かれるまでもねえ。なるよ、あんたの代わりに」

 いなくなるんならしょうがねえか、穴は誰かが埋めなきゃならねえ。と省略して頭を掻いて続ける。

「俺が平和の象徴を務める。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そう言ってくれると思っていたよ」

 しかしまあ、実力も必要になってくる。と個性を起動し、全盛期のマッスルフォームになる。

「取り急ぎ、病み上がりで悪いがいま現在のきみの実力を確かめたい。打って来てくれ。受験だからと無理言って退院した身で、治癒していない事をくれぐれも忘れずにな」

 

「いいのか。けっこー暇してたから」

 フェンスに背を預けて空を見上げていた爆豪が、上半身を反動で正して自然体になる。

「だいぶ理解できてると思うけど」

 

「生意気なこと言うじゃあないか。来いよ、有精」

 

 炎色の雷光だけが、爆豪の立っていた場所に残った。

 オールマイトはその場で予備動作の無い数メートルの宙返り。背後からの側頭部を狙った回し蹴りを避ける。その途中、逆さ状態の瞬間に剛腕で爆豪を捕縛しにかかる。回避と攻撃が一連の動きだ。

 

 爆豪はあえて過剰な力で蹴り抜くことで自分の体勢を崩し、その手を逃れ、オールマイトの着地を待ち構える距離と体勢を整える。

 

 kickass! どういう事だよ、とオールマイトは内心で舌を巻いた。おいおい、たった数ヶ月程度、それも怪我人がこれほど使うとは。

 

 着地に合わせた、爆豪がいま放つことの出来る完成に近い一撃。その腰の乗ったボディブローは、無数の掌底から発する空圧で相殺された。

 

「オーケー、爆豪少年。ここまでだ。これ以上は病院に被害が及ぶ」

 

 フェンスまで吹き飛ばされて呆然とする爆豪は信じらんねえと零す。痛みをほとんど感じない事から、かなり手加減されたことを痛感した。

 

「いや空気と衝撃で打撃を無効化するとかどんだけだよ。布団を殴ったみてえだった」

 

 それはきみの方だろ。ガリガリのトゥルーフォームに戻ったオールマイトは末恐ろしさを覚えた。

 戦闘、精神および個性制御の圧倒的センスはなんなんだ。この才能マンめ。

 

 服についた埃を払い、屋上を後にしながら尋ねた。

 

「なあ、オールマイト」

「うん?」

「あんたをそこまで傷つけたヴィランてさ。まだ生きてこの社会に潜んでんの?」

「……恥ずかしながら、まだね」

「そっか、ムカつくな」

「そうでもないさ」

「なんで」

 

 私か、少なくともきみの代で仕留められるから。そう言おうとして、やめた。天賦の片鱗を見たとはいえまだ教えなければならない事はある。たぶん。

 

 もう戻る事の無い病室を通ると、待っていた中年男性がおずおずと壁から背を離した。

 私は先に行っているよ、とオールマイトは爆豪を残して行った。

 

「すまんね、見舞いに来れなくて。まあ、きみのご両親と会いたくなかったというか、なんというか」

「別に気にしてねーよ。つーかあんたこそ生きてたのかよ」

 

 いや、まあ……。と中年男性は頭を掻いた。フケがぽろぽろと落ちる。

 

「流石に何も言わずに死ぬのもなって……ま、ちょっと生きてみた。別にこれから頑張ろうとか思ってないし、頑張ったところで未来が無いのは変わらん。多分このままマトモに働けずにズルズルとフリーターで歳食ってくんだろうしさ。めちゃ怖いよ」

 

「かもな」

 

「たぶんまた死にてーって思うし、結果的にやっぱ自殺するかも、きみには悪いけど。でも、思い出してみるよ。練炭だか飛び降りだか吊るのかわからんけど、火を点ける手前、身を投げ出す手前、踏み台から足を外す手前にきみが俺にしてくれた事を。とにかく最後の手前に考えてみる」

 

「ああ」

 

「俺はまだ、誰も知らないヒーローに助けられた最初のファンなんだって事を、何回死のうとしても、何回でも考えてみるよ」

 

「そっか」

 

 んじゃ俺行くわ、家族待たせてるし。

 爆豪は、涙を流して嗚咽を堪える中年男性に視線を合わせることなくその場を後にした。

 

 もしもあれ以上言葉を投げ掛けられていれば、泣いてしまいそうだったから。

 泣く事は、もう金輪際無いと考えた。

 泣いてる人を助けるヒーローが、泣くわけにはいかないからだ。

 

 取りあえずは、サポート科を通る事だな。今からヒーロー科に願書なんて遅すぎるし。

 

 病院のロビーに着くと、涙ぐんだ両親が出迎えていた。

 

 

 

 xxxxxx

 

 xxxxxx

 

 

 

 かつて。

 オールマイトみたいなヒーローになると言った子供がいた。

 オールマイトを超えるヒーローになると言った子供がいた。

 

 いまは。

 互いが互いの偶像を目指す事になった二人がいるだけだ。

 

 想いの言語化が非可逆圧縮である以上、受け取れば情報は必ず欠落して形を変える。他者のそれを己の中に導入すれば尚の事。

 

 誰かの偶像の象りは、込められていた本質もまた(ひず)ませる。

 



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第四話 若木の洞

 まだ寒さの残る立春が過ぎた頃。雄英高校には、多くの若者が才能の開花を求めて集っていた。

 希望と不安を胸に、サポート科の実技試験に挑む為。

 

 ようやくスタートラインって訳か、と爆豪は巨大な校舎を見上げる。朝日を煌めかせる全面鏡張りのヒーローの巣。ここから何人もの名のあるプロが飛び立った。

 それを夢見て、全国から受験生がやって来る。ヒーロー科ほどの倍率ではないがしかし、天下の雄英ともなればその受験人数は並ではない。

 

 爆豪は珍しく緊張していた。

 オールマイトが雄英の教鞭を執る以上、『オールフォーワン』の訓練や対個性戦について教える為にも、爆豪もまた雄英に通う事が望ましい。たとえヒーロー科でなかったとしても。

 

 受付で受験票を渡し、割り振られた講堂に着く。席にはそれぞれ包装されたジャンプスーツとフルフェイスヘルメット、それに15センチ四方の黒い立方体が置いてある。蓋のような継ぎ目の見当たらない箱には、赤地に白で取扱注意の荷札シールが貼ってあった。

 

 しばらくすると、ショベルを被ったような小柄な男性が壇上に立つ。ろうそくの火がぽつりぽつりと消えるように静寂が広がった。

 

「初めまして、このグループの監督官を務めるパワーローダーです。前置きは無しにしてさっそく()()()()()()()()()。まず説明しなければならいルールについてですが皆さんご存知の通り、サポート科の実技は与えられたシチュエーションを、その場で作ったアイテムで乗り越えてもらいます」

 

 パワーローダーの背後のスクリーンに映像が映し出された。

 観光に使われるような簡易的な地図で、スタートと書かれた工場(ダマツ自動車工場と下部に記載されている)から伸びる直線からヘアピンカーブが続く切り立った斜面(ヘル登坂)を登り、そのまま下ることなく市街地(ホシタタ区)の先にゴールとある。

 どの地名も聞き覚えが無く、実在しない地理のようだ。

 

「今年のシチュエーションを説明します。あなたたちは国営企業の工房で、ある物質の開発に成功しました。しかしそれを狙ったヴィランに襲撃を受け、物質を持ち出して何とか逃げ出した先は無人自動車工場です。このままでは奪われてしまうので、ライセンスを楯に工場を一時的に接収しました。その目的は、最寄りのヒーロー事務所まで、可及的速やかに移動する為のアイテムを制限時間内に作成する事です」

 

 映像が変わり、注意事項が表示される。

 

 ・作成したアイテム及び個性による意図的な妨害の禁止。

 ・移動手段は作成したアイテムに限られる。

 ・物質は衝撃に弱い。一人につき一つ配られる箱の中にある物質は、一定値以上の衝撃で損壊し、減点対象となる。

 ・順位と物質の損壊を合否のポイントとする。

 

 ちらほらと受験生が呟きだした。

 

「つまりレースか」

「あんま速度出すと転倒した時に物質が壊れるな」

「途中の連続カーブがヤバそう」

「てかスケールがデカ過ぎだろ一つの街まで作るって」

 

 順位を取る為に速度を出すか、物質の損壊を考慮して安全に行くか。減点の基準が明かされていないのは、その両立が求められているからだろう。

 

「みなさんの机の上にある黒い立方体を物質と仮定してください。そして最後に一つ」

 とパワーローダーはことさら重要そうに言った。

「サポート科に、エンジニアに求められるのは()()()です。クライアントの個性や得意とする現場等の情報を入力し、実践性を増幅させ、アイテムとして出力する。それだけです。以上」

 

 試験の説明が終わると更衣室で支給されたジャンプスーツに着替える。タグを見ると、ヒーローコスチュームにも使われる素材が使われており、各所にプロテクターが仕込まれていた。ちょっとやそっとの事故では大した怪我にならないだろう。

 

 アイテム以外であれば持ち込みは自由なので、全員が基本的な工具箱を持って自動運転バスに乗り、シチュエーションエリアに集まった。

 誰もが箱を我が子の卵のように抱きかかえている。

 

 ぞろぞろ何台ものバスから受験生が降車してごった返す人混みの中、ふと爆豪の目に、それとなく周囲を探る男の後頭部が見えた。大柄なので集団の中でも目立つ。

 そびえ立つ巨大な工場までの短い道のりまでの間に、男は不自然な進み方を見せた。狙いをつけたかのようにするすると斜めに歩いていく。

 

 そしてぐらりと躓いた、ように見えるガタイの良い身体に後ろから衝突されれば、小柄な女くらいを転倒させる事など訳も無かった。

 

「どわぁあ!」

 

 と女性らしからぬ悲鳴をあげて、すっ転ぶ。その拍子に箱が手から離れた。周囲の受験生は巻き込まれまいと、固く箱を抱きしめて反射的に距離を取る。

 

 女は倒れながらも、衝撃と重力の作用を受けて小さな放物線を描く箱に懸命に手を伸ばした。指先が箱に触れ、硬い感触が滑るように通り過ぎてゆく。

 そしてアスファルトと接触する。その寸前、箱は五指で柔らかく掴み上げられた。

 

「へぶっ」

 とうつ伏せに倒れた女は箱を救った人物を見上げる。逆光でよく見えないが、ツンツン頭の不敵で不機嫌な表情をしていた。

 

 その光景を目の当たりにした受験生がぽつぽつとこぼす。

「えなに急に」

「いま、なんか」

「いや増強系がサポート科に……」

「にしても速いなんてもんじゃ」

 

「おいてめえ待てや」

 と他人の箱を握った爆豪が、ぶつかったまま何も言わずに過ぎ去ろうとする男を呼び止めた。どこにでもいそうな顔をしているが、人を見下すような目元が軽薄な印象を与えている。

 

「ん、私か?」

 振り返って悪びれるでもなく言った。

「私がなにか?」

 

「すっ呆けんな。わざとぶつかったろ」

「ああ、さっき転びかけた拍子にか。気付かなかったよ。緊張してたのでね。わざとじゃない」

「小さいやつ狙ってやったくせにか」

「だから、わざとじゃないと言っているだろう。言いがかりはやめろ。証拠があるなら話は別だが」

 

 そんなものあるはずがない。証明できないからこそ、卑怯な手段なのだ。

 

「ほらな。わざとやったってのはきみの感想だろ? 余計な手間を取らせるな。私は正しい」

 起き上がった女を見下して続けて言った。

「きみも勝手に転んだんじゃないのか? 人のせいにするなって感じだよな」

 

「は、あ~?」

 と女は不服の表情を見せる。

「いやそれにしても一言くらいあってもいいでしょ!」

 

「事故なのにか。実を言うと私も誰かに押されたのだ。被害者の一人だ。しかし試験前という事で場を乱したくないから黙って耐えたというのに、きみは、きみたちこそが迷惑だとは考えないのか」

 

 沈黙に対し、「私は正しい」と言い捨てて背を向けた。その背に爆豪は言い放つ。

 

「被害者が声をあげる事が、迷惑な訳ねーだろボケ」

 

 男は答えることなくその場を後にした。

 

「気に入らねえヤローだ」

 爆豪は箱を女に返して、置いていた工具箱を手にする。

 

「まったくです。それはともかく助かりました。どうもありがとうございます」

 ぺこり、と桃色のロールなのかドレッドにしては丸い頭髪が特徴の頭を下げて言った。

「私、発目 明といいます。いやーおかげで減点を免れました」

 

「忘れろ、試験が始まってたら拾わなかった」

「へ、何を言っているんですか?」

 

 歩く爆豪にきょとんとした表情の発目は並ぶ。

 

「あんな、いくらなんでも試験中は敵どうしだろ。わざわざ助けるお人よしがいるわけねー」

「あー、私が言いたいのはですね……ああ、そうか。みなさん気付いてないんですね。じゃあ箱のお礼に、ちょっとお耳を拝借」

 

 整列するでも無く、遠巻きに座り込む者や、邪魔にならないようにスペースをとって入念にストレッチする者、気の合った者とお喋りする者。無秩序の集団の前には巨大すぎる工場が建っていた。

 

 発目は背伸びで爆豪の耳元で囁く。

 

「すでに監督官は試験の開始を宣言してますよ」

「は?」

 

 爆豪はその言葉で記憶の糸を手繰る。一番最初にパワーローダーが言っていたセリフは確か……

 思い当たり、足早に最前列へ向かった。

 

 試験開始の合図を待つ一同の目の前の、横30メートルほどの工場へのシャッターが開いた。同時に、ジャンプスーツの袖と一体化している腕時計が電子音と共に起動し、制作時間のタイムリミットのカウントダウンが開始された。

 

 多くの受験生が戸惑った。これ、入っていいの? もう始まってんの? そろそろ開始? そういった類。

 そんな人混みをかき分けてごく一部の受験生が飛び出した。試験が既に開始されている事に気付いて行動した者、工場内の資材は有限である事に気付いていた者、単に早くアイテムを作りたい者。思惑はそれぞれだが、共通して全員がどこか常識から逸脱した思考の持ち主だった。それこそが雄英のサポート科にとって必要な要素の一つでもある。

 

 ドローンや固定カメラからの映像を別室で眺める、サポート科の教師陣の一人が呟いた。

 

「今年は結構少ないですね、動けるの」

「シチュエーションエリアまでの移動の段階で減点ムーブした受験生は、例年より多いですが」

「え、もう落としたヤツいるの? 不安定な物質って伝えてあるのに。マテリアル管理もエンジニアとして求められるんだがなあ」

 

 常に問われるのは入力した情報を想像力でかき立て、無数の解釈の中から最適を選択する事。要件として伝えてある情報を信じて動けるかどうか。

 そして工房を持つようになれば、必然的に市場に出回らない危険物質の保管や、適切な廃棄処分を行わなければならない。そういった無意識的プロ意識も見定められていた。

 

 ディスプレイの向こうではしばらくして、フライングじゃないのあれ? と思っていた層が周りに合わせてようやく動き出していた頃だった。

 

 無人工場内はその名のとおりオートメーション化されており、グレーを基調とした内装に、ラインや土台。目を引くイエローのロボットアームが、未塗装の車のシャシにエンジンやトランスミッションなどのコンポーネントの取り付けを、流れ作業の手術のように行っていた。

 

 発目はラインを管理するコンソールを操作して稼働を停止させる。

 さっそくパワーユニット等を慣れた手つきでバラしてみると、どうやら速度は抑えられた造りのようだ。おそらく安全面を考慮しての事だろう。アクセルベタ踏みでも車の法定速度ギリギリか。

 奥まったラインにあった高級そうなシャシから拝借した、おそらくハイエンドモデルでこの性能ならば、入口付近にある軽自動車の物は原付より少し速いくらいと推察できる。

 

 ふとルール説明時に見た簡易的な地図を思い出し、事務所を探してドアを蹴破りデスクを漁る。お目当てのモノが見つかり、にまー、と笑みをこぼす。そのままポケットにしまい込んだ。

 

 工場に戻った時には、ハイエンドモデルは初動に成功した受験生に取られていたので、グレードを落とさねばならなかったが発目は構わなかった。()()()()()よりも、はるかに価値のあるモノがポケットの中に納まっているのだから。

 

 気持ちを切り替え、さっそく想像力を巡らせる。

「さあ、造りますよー、どっ可愛いベイビーを!」

 

 

 

 xxxxxx

 

 

 

 車、は……いやそんなに手間は掛けてられない。転倒を考慮して三輪バイクがベストか。

 発目の助言で初動組に入れた爆豪は、ロボットアームに取りつけられてある溶接切断部を取り外し、多少時間はかかったが大型の工具として扱えるように改造した。

 

 サポート科に向いている個性使いはロボットアームを独立した電源で操作したり、個性で溶接したり、金属部品をいともたやすく加工している。

 

 そんな中、爆豪はなんとか世紀末感漂うありあわせのバイクを造れた。

 

 中学生程度でも自動車が作れるのには理由がある。技術レベルの高さを評価する一つに、シンプルであるという項目がある。

 個性黎明期の混沌が終わり、個性による技術的ブレイクスルーが起きた結果、いくつかの分野は飛躍的な成長を遂げた。

 

 自動車もその類で、極限までシンプルなコンポーネントで駆動でき、今では一個人でパソコンを組むように、とまではいかないが、完成させられる。

 電気自動車がメインとなったのもそれに起因する。

 

 充電されたバッテリーを確認し、エンジンを点ける。試験用に簡略化されていた電子回路等はそのまま流用するのが前提のようで、問題はなさそうだった。

 

 袖の時計を確認するとちょうど制限時間の終了間際だ。

 なんとかなったかと額の汗を拭って、周囲を見渡す。多くの受験生が爆豪と同じ構想のようで、三輪バイクか、作成に向いている個性持ちは四駆を完成させていた。

 

 不意に、背後からどよめきと重い足音が聞こえてくる。

 

「お、どうやら間に合ったようですね。どうですかこの、どっ可愛い……えーと、誰でしたっけ? あれ、名前聞きましたっけ?」

 

 振り返って固まった。ありていに表現するなら外骨格に身を包んだ発目が見下ろしている。全身を覆うアーマーのようなモノではなく、身体の前後と四肢の側面を補佐するような。

 胴体はどことなく車の面影があった。見慣れない手足はロボットアームを使ったのだろう。足にはローラーダッシュできるタイヤ、なぜか複腕もあり、先端には鉤爪が見える。SFに出てくるレジスタンスが、工業重機をバラして戦闘用に作ったかのような無骨さがある。駆動系やバッテリーはバックパックに格納しているようだ。

 

「いや、あー、爆豪だけど……凄いな、それ」

「おお、爆豪くん。そうでしたか! いやーあり合わせ感が逆にアリって感じですよね!」

 ちらと爆豪の背後の三輪バイクを見やる。

「それじゃ! ゴールで会いましょう!」

 

「いやちょっと待て! なんだその間は!」

 

 あーいやー、と外骨格の前身が開き、四肢の拘束具が外れる。ひょいと降りて爆豪のアイテムを回りながら眺めて言った。

 

「正直に言うと、普通ですね」

 

 いまの爆豪ができる限りの知識と技術をつぎ込んで作ったアイテムを一刀両断した発目に、負の感情が沸き上がらない。と言えば嘘だ。

 しかし発目がアイテムを降りても自立している時点で、彼女の凄まじい才能に圧倒された。おそらく脚部に使ったロボットアームの重さで重心を保っている。総重量はかなりのもののようだが、それを差し引いても文句なく天才だった。

 

「ふ、普通ってマジか」

 

 爆豪はもう一度辺りを見回す。やはり自分と似たようなアイテム、いや、ところどころでざわめきが起こっている。

 目を凝らすと、ハイエンドシャシに使われる硬化材を加工してプロペラを作り、ホバー走行をしている物や、クモのような多脚、人が入れる大きさの球体、ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ! と言われそうな深紅の二輪。どれもこれも初動組の作品だ。

 

 マジだった。

 

 爆豪には確かに天性の才があった。勉学も身体能力も個性制御も、なんでも出来る才能の塊だった。

 芸術分野にしても、低音から高音までカバーできる歌唱力があり、楽器にしても音感とリズム感で完璧に奏で、筆を執れば美しい画を描くだろう。

 

 但しそれは、やってみたら出来たというものであり、クリエイティブな面は常人の延長線上に位置するレベルでしかない。そしてクリエイティブな面において、隔絶した狂人の想像力が産み出す物とは決定的にナニカが違う。

 

 爆豪には才能がある。それは、歴史に名を残すようなナニカを生み出す才能ではない。

 発目のような、世からズレた価値観や頭のネジが外れた思考こそが優れたエンジニアであり、歴史に名を残すナニカを作成するのだ。

 

 初動組のアイテムに気おされる中で一人、発目にぶつかった男だけは余裕そうに三輪バイクに跨っていた。

 



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第五話 若木の洞 後編

 袖時計のカウントダウンがゼロになると、小さな電子音が鳴った。

 

「おっといけない」

 

 と、発目は背中から外骨格に乗り込んで身体を固定し、脚部のタイヤを接地させる。片足だけ駆動させ、爆豪に背を向ける。

 

「それではまた~」

 

 車の衝突防止アシストを姿勢制御としてアレンジしているのか、人型二輪にもかかわらず走行は安定していた。そのまま入口とは反対方向のシャッターを複腕で破壊して去って行く。

 

 初動組は各々が好き勝手な手段で工場を後にしている。爆豪も慌ててヘルメットを被り、箱をサドル下の荷物入れ(タイヤのゴムを加工して耐衝撃を考慮した袋)に入れ、エンジンを点けてそれに続く。

 

 まだ工場に残っている受験生もいた。レーススタートの指示を待っていたり、そもそもアイテムの完成が間に合わずにモタモタしていた受験生たち。その内の一部が痺れを切らせて、律儀に入ってきたシャッターから出て、工場を回り込むように先へ進もうとする

 

「なんか投げっぱなしじゃね? 雄英」

「ていうか工場壊して出るとか普通ダメですよ」

「まあ、先に行ったやつらってフライングとか民間施設の破壊で減点されるんだろうけど」

「ズルよね、あれはやっぱり」

 

 ふと、自分たち乗ってきた何台もの無人バスの間から、妙な影がいくつか遠くに見えた。徐々にこちらに迫ってくる。

 

「なんだ?」

 

 目を凝らすと、どうやら角ばったフォルムの人型のロボットのようだ。規則正しいフォームで人間の走り方を真似ているのが、被生物の見た目とのギャップで不気味さを覚える。

 

「なんだろ、レースの監視ロボかな」

「やっぱまだ始まってないんじゃん」

 

 そんなのんびりとした受験生のアイテムに、ロボットは有無を言わさずに腕部から粘質なネットを射出して移動を制限する。

 

「ちょちょ、何するんですか」

 

 そんな間の抜けた質問を無視し、ロボットは受験生にもネットを撃ち込み、ザラついた合成音声を発した。

 

「物質ヲ渡セ」

 

 その様子を工場から見ていた受験生は、ようやく理解し自覚する。

 あれは、物質を狙って追撃して来たヴィランとしての仮想敵なのだ。そして、自身の想像力の欠如に。

 

「ヤバいヤバい、行け行け行けって!」

「追手が来るなんて説明されてないよ」

「はよ出ろって、邪魔だ邪魔」

 

 足切り役の仮想敵によって工場内は蜂の巣をつついたように混乱し、多くが脱落した。

 

 

 

 xxxxxx

 

 

 

 工場を脱出した先の道は、森の中の比較的穏やかな直線だった。とは言え基本的なステアリング性能をチェックする為のカーブも所々にある。

 やはり二輪にした方がよかっただろうか、と三輪を作った者は思わないでもなかった。三輪のコーナリングがこれほどやりにくいとは思わなかった。身体を倒して曲がるような運転が出来ない。

 

 爆豪は、初動組に少し出遅れた30人ほどの集団の先頭付近に居た。

 運よく完成間近の車を見つけ、少し手を入れただけの受験生を先頭にして、縦に長くぞろぞろと進んでいる。

 

 不意に後方が騒がしくなった。サイドミラーでちらと見やると、接触事故が起きたらしい。そんな混乱の中から一人、何事も無く抜けて来る男がいた。

 

 不自然な出来事に爆豪は振り返る。ヘルメットのシールドから覗く、どこか他者を見下した目元には憶えがあった。俺に上からものを言いやがった、いけ好かないヤローだ。

 

「てめェなんかやりやがったな」

 

 男は鼻で笑って小馬鹿にした。

 

「ん? きみは……人のせいにするのが好きだな。それとな、私はてめェじゃない。端田屋だ、覚えておかなくていいよ。きみとは同級生にならないだろうからな」

 

 爆豪は舌打ちで男のアイテムに視線をやる。初動組のような異質さは感じられず、発目からすれば普通としか評価の出来ない三輪バイクだ。しかしどこか違和感がある。あるべきはずの物が無い。前輪にあるべきはずの()()()()()()()()()()()

 

 前のバイクが速度を僅かに落とした。視線を先へやるとなだらかなカーブだ。爆豪もアクセルを緩める。

 その瞬間、一帯の受験生は想定以上の減速によりガクっと身体が後ろへ引っ張られる感覚をおぼえた。

 

 カーブである事と、予想外のトラブルに全員が軽いパニックを起こす。

 ふらつく車体を押さえようと無理にハンドルを切り、かえって大きくブレたせいで接触が起こり、それを避けようとした者がまた接触を起こす。

 幸か不幸か、一帯の全車両は原因不明の減速を受けているので大事には至らなかった。それどころか、アクセルを回しても加速しない。

 

 そんな中、アウトコースから余裕を持った速度で端田屋だけが追い抜いて行く。いや、それに追随する一台。優れた精神制御で減速の原因を即座に突き止め、センスとしか言いようがないドライビングテクニックで縫うようにインコースを抜けた爆豪だ。

 

 端田屋がノンキそうに言った。

「へーこりゃ驚いたな。あの混乱した車両の中を抜けて来るなんて。そういう個性?」

「ふざけんな! 個性使いやがったろ!」

「ああ、そうだよ。それがなに?」

「なにじゃねーよ! 禁止事項だろうが」

 

「意図的な妨害はね。私の場合は違う」

「はあ? あんだけ周囲を混乱させといてなに言ってんだコラァ!」

「たしかに私の個性、『電子妨害(パルス)』はEMPに似た影響を周囲に与える。それを発動したから、私のアイテムを含んだ、電子制御によって稼働していた周囲のエンジンは停止した。それに慌てて、接触事故を勝手に起こしただけだろ。停止に気付いたきみは、再びエンジンをかけたみたいだが」

「自分自身を巻き込んだから妨害じゃねぇって言いたいわけか? ンな理屈が」

 

「違う。見てわかるように、私のアイテムにはディスクブレーキ機構が無い。そしてアクセルを調整する機構も無いんだ、常時ベタ踏みって訳さ。エンジンブレーキだけで減速する。しかしエンジンを停止する機構もオミットしてあるので、一度エンジンをかけると、かかりっぱなしだ。つまり私が減速するには、『電子妨害(パルス)』を発動して強制的にエンジンを停止するしかない」

 

「つまりこう言いたい訳か? 妨害した訳じゃなく、てめェが減速しようとした結果として、意図せず周囲のエンジンも停止しただけだと」

「てめー、ではない端田屋だ。一応言っとくが、なぜそういう作りにしたかと言うと、オミットによる減量や空気抵抗を減らす為の時間を注ぎたかったからだよ。パワーユニットが一般に流通されているものと違って時速50キロメートルほどしか速度が出ない造りである以上、そういった細かいところで速度を稼がないと距離は縮まらないからな。私は正しい」

 

「俺にはそのクソ仕様が、『電子妨害(パルス)』を使う為の建前としか思えねえ」

「だからそういう主観的な感想はいいんだよ。感情論以外で私のロジックを否定できるか? 私は正しい。上を見てみろ」

 

 爆豪が視線を青空に向けると、監視用のドローンが飛んでいた。墜落していない所を見るに、対電子戦用の防護措置が施されているのだろう。

 

「雄英側は認識していながらも、私を失格扱いにしていない。たとえきみの言う通り、『電子妨害(パルス)』を使用して妨害する為の方便としてこのアイテムを作ったとしても、私がそうだと言わない限りは証拠が無い。疑わしきは罰せずだよ。ほら、カーブだぞ」

 

 自身のアイテムの速度調整の名の下に、端田屋が断続的に個性を発動する。その度に爆豪はイグニッションスイッチを押さねばならず、端田屋の周囲に居る限りは常に唐突な減速を意識せねばならない。

 

電子妨害(パルス)』の個性が及ぼす影響は実際には僅かなものだが、本人はそれで構わなかった。ペースが乱れれば追い越しやすく、それにより接触事故を起こせば箱に衝撃が加えられる。

 

「ああそうそう、個性届けにも周囲に影響を及ぼすと書いてあるからな。もっとも、入学後即、個性制御が上手くいって範囲を限定出来るようになるけど」

 

 森を抜け、切り立った斜面にヘアピンカーブが続く坂がすぐそこに見える頃には、10メートルほどの差が開いていた。

 前を行く端田屋をブッ殺してやりたい気持ちを抑えつつ、爆豪はヘル登坂に瞠目した。

 

 斜度40%はあろうかという道幅の狭い坂で、高さは30メートルほどの崖を登らねばならない。

 さすがの初動組もここで足止めを食らっている。球体で移動していた者は諦めていた。

 難なく突破しそうなのはホバー走行をしている者と、多脚の者。それと腕部に付けられたフックを突き刺し、坂から外れた横をクライミングしている外骨格の発目くらいだ。

 

 マジか、と爆豪は己に対しての自信を失いそうになる。発目はあの説明時の簡易的な地図でここまで予期していたのか?

 それと同時に嫌な思考が脳裏を這った。

 

「おい端田屋、ちっとばかし個性使うの待て!」

「は、なぜ」

「見てわかんねーのか! 坂じゃなくて崖を登ってる奴が」

「悪いが、ヘル登坂に入る最初の直角カーブだ」

 

 端田屋が素知らぬ顔で個性を発動する。坂を上っていた全員の駆動系が停止した。

 

「ほ?」

 

 発目の外骨格が、片腕を抜いた状態で機能を停止する。一本では自重を支えられず、バコリとフックが抜け、背から重力に引っ張られる。

 

 ヤバい、と爆豪は思考する。高さ約30メートル。外骨格とは言え急造品、プロテクター入りのジャンプスーツを着ていてもその高さから落下すればただでは済まない。

 そう()()()()()()()()()()()()

 

 エンジンを再起動しながら崖めがけて最高速度で突っ込み、ほぼ垂直の壁面を駆け上がる。空中で発目を見下ろして言った。

 

「それ脱げ!」

「んなんで爆豪くんが!? どーやって! どんなアイテムを使ったんですか!? 教えてくださいぃ!!」

 

 驚きつつも発目は従った。落下に対して重質量を保持する必要はないからだ。

 爆豪は発目の手を掴み、引き寄せる。

『OFA』で強化された身体であればこの高度の着地は問題ない。だが発目は耐えらないだろう。

 

 徐々に地面が近づき、位置エネルギーが運動エネルギーに変換される。

 ではどうすべきか。爆豪は病院にて既に体験していた。あとは一発勝負で実践するだけだ。

 

 右腕に炎色の雷光が奔る。

 爆豪は感覚で理解していた。今の個性制御ではまだ、『OFA』を十全に使いこなすのは不可能だという事を。それほどまでに継承されてきた力は、底知れぬ強大さだという事を。

 故に心中で叫んだ。決して超えてはならない、現状のしきい値であるという戒めを込めて。

 

 20%解放!(ラフ アウト)

 

 地面に向けて渾身の掌底を放ち、瞬間的に発生させた空圧で落下するエネルギーを減衰させる。同時に、最初にオールマイトと手合わせした時の布団を殴ったような空気の層をクッション代わりにした。

 

 冗談のような現象で着地する。発目の体感的には数メートルからの落下で済んだ。

 

「お、ぉお。生きてます。助かりました。というか今のは爆豪くんの個性ですか? 興味深いです」

 と、発目は状況を理解しているのかしていないのか。目を輝かせて爆豪の身体をしげしげと見回し、べたべたと触る。

 

「……そうだが、んなこと気にしてる場合じゃねえだろ」

 

 道路に転がる無残な姿のアイテムを見やった。爆豪の三輪は崖に衝突して大破しており、発目の外骨格は背から落ちたせいでバッテリーが格納されていたバックパックが破損していた。

 上を見上げれば、端田屋の個性で多くが足止めを食らっている。動力や駆動系を『旋風』や『テレキネシス』といった個性で走らせている受験生はその影響を免れているようだったが、個性の使用は体力を消耗する。市街地エリアでは端田屋の一人勝ちになりそうだ。

 

「ほほう、何かこう、風を操る的な?」

「ん、あー。増強系だ、身体能力の」

 

 ここで脱落か、と爆豪は感傷的になってサドルシート下の箱を取りだす。物質が壊れているのかどうか、判断がつかないのがこの試験のいやらしいところだ。

 オールマイトみたいなヒーローになると言っておいてこのザマとは。情けない。

 

「んんん、それはワンチャンですね。ちょーっと私のどっ可愛いベイビーのバックパックを外してもらえます?」

「そりゃいいが、電力がぶっ壊れてんならもうこれ動かねーだろ。俺のアイテムのバッテリーも使い物にならねえ」

 

 言いながら爆豪は外骨格を起き上がらせ、硬く絞められたボルトを素手で外し、溶接されている金属を引きちぎった。

 

「その様子だと大丈夫そうですね」

 と発目は各関節のクランクを回してサイズを調整する。

「こんな感じですかね。乗ってください」

 

「は?」

 爆豪は口を半開きにして発目の言わんとする事をかみ砕く。

「いや乗れってこれお前のアイテムだろ、しかもバッテリーをオミットしたんだから動くわけ」

 

「動力源はバッテリーではなく、あなたですよ爆豪くん」

 発目は爆豪の箱を預かり、手早く外骨格の背に乗る。車のドアハンドルが掴まるのにちょうどいい感じ。

「ほら早く。受かりたくないんですか。さっき採寸したのでぴったりのはずですから」

 

 これにはどうしたものか、と別室で映像を眺めていた教師陣は頭を悩ませた。実技試験で協力関係は初めて見た。

 悩ませたものの、四肢に使用されているロボットアームの数からして1トン近い外骨格を身に着け、動力無しで人間一人を背負ってクライミングしている姿を見て笑ってしまった。無茶苦茶すぎるパワープレイ。

 笑ってしまったら、もう負けだ。エンジニアがアイテムを見てウケるという事は、予想外を提示されたのだ。つまり、教師陣の想像力を上回ったという事実に他ならなかった。

 

「なにこの脳筋的解決方法」

「いや有効な解決策ってのは、往々にしてシンプルなもんですよ」

「一応これ、増強系の個性を使ってアイテムを駆動しているって建前でいいんだよね」

「移動手段は作成したアイテムに限られる。ってルールには、まあ反しないんじゃない」

「爆豪って受験生のバランス感覚どーなってるのこれ、外部の姿勢制御無いんでしょ。少しでも重心移動ミスったら落ちるぞ」

「あーおかしい……」

 

 でも、と教師陣の全員は心のどこかで冷静に考えた。

 発目のクラスを受け持つのは面倒そうで嫌だな。

 

 

 

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 工事の音かと思うほどの足音を響かせ、外骨格が駆ける。

 

「どーですか爆豪くん、どっ可愛いでしょう! 乗り心地には激しく改良点がありますが!」

「クソ重ぇよ!」

「女の子に向かって重いとは失礼ですね!」

「テメーに言ってねえ!」

「? わかってますよ?」

 

 ダメだ、この女の思考は理外に位置する。自分の価値観が誰にでも通用すると思ってるし、通用しなくても気にしてない。

 気持ちを切り替えて市街地エリアに突入する。

 

 都心で行われる大規模なマラソンのように道が制限されており、コースとして設定されているようだ。

 さっそく簡易的な障害物で左折を促される。

 

「あ、そこは直進してください。ショートカットするので」

「無茶言うなや! ゴールがどこだかわかんねぇんだぞ!」

 

「わかりますよ」

 ほらこれ、と発目はポケットから取り出していたモノを爆豪に見せた。

 存在するはずがないと、虚を突かれる。

 

「地図、だと」

「最初に表示された簡易的な図には一目で架空の地理だとわかる地名が表記されていたので、存在して当然ですよ、架空の都市の架空の地図もまた」

 

 発目の指示に従って直進しながら爆豪は口からこぼすように尋ねる。

 

「どこで、こんな」

「工場の事務所です。大抵は置いてありますから。たぶんその辺のオフィスにも同じのがありますよ。で、工場から最短距離にあるヒーロー事務所はここ。あ、次の三又路は左です」

 

 爆豪は自分の才能とは別種の、発目の異能に胸が苦しくなった。

 今までは無個性だから上手く行かないのだと思っていた。勉学も運動神経も戦闘センスも優れる自分が、個性さえ手に入れれば他を寄せ付けないはずだと。そう思っていた。

 

 だが現実は違った。世の中には全く違う分野から、想定外の角度で能力を発揮するやつがいる。発目の桁違いの想像力がそれだ。

 架空の地理がシチュエーションとして与えられているからといって、故に地図まで用意されているなどと誰が想像できるだろうか。むしろ、彼女の想像力をカバーしている雄英が異常でもあるが、逆説的に雄英こそが彼女の異能を受け入れるだけの器があるという事だ。

 

 発目に頼りきりの敗北感を強く噛みしめた。前向きに考えろ。個性を手に入れた以上、グズってる暇はない。俺はまだ欠けている、成長して補え。その為にも想像力を働かせ、サポート科に受からなければならない。

 

 公園を横断すると、バイクの走行音が聞こえる。大通りに出て先頭車両と合流した。

「驚いたな。きみたち、それでよく失格にならないな」

「ああ! その声は私にぶつかってきた失礼な人ですね!」

 

 視線の先のビルには、『最寄りヒーロー事務所』と描かれた看板がデカデカと掲げられている。最後の直線だ。

 爆豪はふと気づいて、会話を続けようとする。

 

「テメーはまた個性使って他人を蹴落としたのかよ」

「端田屋だ、何度も言わせるな。その記憶力だと筆記もマズいんじゃないのか」

 

 一瞬、端田屋の速度が落ちる。すぐに自動的にエンジンが再点火される音がした。

 

「ふーむ。きみの個性で無理やり動かしているのか、それ」

「『電子妨害(パルス)』使いやがったな」

「なーるほど、それで私のどっ可愛いベイビーが急に停止した訳ですね……許せません!」

 

「いや、もう争う気はない。なんなら一位を譲ってもいいよ」

「どういうつもりか知らねーが、信用すると思ってんのか」

「本心だよ、二位でも十分に合格圏内だからね。興味ないんだ、アイテムの優劣とか」

 

「じゃあどうしてサポート科に?」

 きょとんとして発目が尋ねた。

 

「そりゃあ入りやすいからさ。経営、普通科ほど筆記が難しくなく、ヒーロー科ほど戦闘力が求められる訳じゃない。それにほら、私の個性なら実技で有利だろ、今どきのアイテムは電子制御だし、競争なら尚の事」

「雄英のブランドが欲しいだけか」

「そうだよ。それなりに課題をこなして卒業できればいい。別に普通だろ? 大学で法学部に行くやつ全員が法律関係の仕事に就くわけじゃない。取りあえず学校出て、適当にステップアップするやつは多いだろ」

「それについて何か言える立場じゃねーが、だからって怪我人出す事もいとわないってか、ぁあ?」

 

「だとしたらなんだよ。私を攻撃する気か? それこそ意図的な妨害だぞ。ヒーロー気取りもいい加減にしてくれ。私は正しい」

「いいや違うね。てめェは間違えてる」

「端田屋だ! いい加減にしろ、何を間違っているというんだ!」

 

 端田屋は並走する爆豪を睨みつける。敵対する意思を持った視線が結ばれた。

 

「いやなに、俺もちっとばかし想像力を働かせてみた。俺がヴィランならどう動くかってのを」

「なにが言いたい」

「だからよぉ、国営の工房を襲うくらいの組織な訳だから、最寄りのヒーロー事務所の場所くらいは把握して当然だし、逃げたエンジニアが駆け込むのもそこしかねぇ……俺がヴィランなら待ち構えとくね」

 

 前方で物音がした。端田屋が視線をやると仮想ヴィランが腕部からネットを射出しているのに気づく。反射的に『電子妨害(パルス)』を向けるが、既に放たれたネットを止める事は出来ない。

 前輪に絡まり、ディスクブレーキが無いので速度を殺しきれず、スリップしながら電柱にバイクをぶつけた。掘り出された端田屋は大破した自分のアイテムから、先を行く爆豪に向かって叫ぶ。

 

「きさまワザと注意を逸らしたな!」

 

 見ることなくネットを避けてみせた爆豪が捨てセリフを吐く。

 

「きさまじゃねえ、爆豪だ。同級生にはならないから忘れていい。あとよ、証拠があんのかァ? ワザとやったっつーよぉ」

 

 移動手段は作成したアイテムに限られる以上、端田屋はこれ以上進むことは出来なさそうだった。途中で誰かが手を貸せば話は別かもしれないが。『電子妨害(パルス)』の代償は大きそうだ。

 

 ばんばんとフレームを叩きながら発目が抗議する。

「急制動するなら前もって言ってください!」

「悪いな。あんたなら予想が付いてるもんだと思ってたが」

 

「あーんまりそういう自分に関する戦闘にはどうも普通でして。そこは爆豪くんが一枚上手って感じですかねー」

「ま、助かったわ」

 

 爆豪は器用に発目の襟元を掴む。

 

「はい?」

 と発目は間の抜けた声。

 

「正直言って、認めるよ。俺の負けだ」

 

 そのままゴールに突き出し、遅れて自分も実技試験を終わらせた。

 

 

 

 発目 明。最終リザルト、順位1位。

 爆豪 勝己。最終リザルト、順位2位。

 

 

 

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「けっこう律儀なんですねえ」

 

 発目は事務所の二階に設置された医療スペースでスポドリを飲みながら、ぼーっと後続が向かって来るのをガラス越しに眺めて言った。

 面白くなさそうに爆豪が答える。

 

「実力はあんたの方が上だった」

「……そう言えば私、自己紹介してませんでしたっけ」

「いや」

「だったら、あんた、じゃない。発目です。同級生になりそうなんで覚えといてくださいね」

 

 そう、屈託なく笑って言った。

 

「いやでもよ」

 視線を逸らして歯切れを悪くした。

「わかんねえだろ、正直、物質はお互いほぼ損壊してんじゃねえの」

 

「そんなのただの減点対象でしょ。箱の中にいくつ物質があるのか分かりませんが、二人の箱の内、一つでも残っていればエンジニアとしては及第点なのでは?」

「さすがにそれは無茶だろ」

「まあまあ、過ぎた事を考えたってしょうがないですよ。うん?」

 

 会話の途中で、発目は爆豪の首筋に小さなかすり傷がある事に気付いた。まだ新しい物らしく、レース中に負ったものだろう。個性『ズーム』を発動し、ぽつりと言った。

 

「あのー爆豪くんの個性って『身体能力の強化』なんでしたっけ?」

「ん、ああ」

 

 へえー、と発目は悪戯に笑う。初めて見るオモチャを目にした時のような気持ちを覚えた。

 まあ追及はしませんけどね。近年では個性を秘密にする権利も唱えられてますし。と、内心で付け加える。

 

 

 

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 サポート科の試験の全ての工程が終了した数日後、残すは実技の結果を反映させるだけになった。

 それこそが教師陣を悩ませるものだった。

 発目と爆豪をどう評価すべきか。

 

「これがヒーロー科なら爆豪くんにはレスキューポイントが入るけど、サポート科はクリエイティブポイントだしな」

「爆豪なー、アイテム作成は正直言って凡でしたよね。その加点も見込めず、合格ラインに達しない。惜しいけど」

「筆記はずば抜けてるんだけど、お利口さだけでサポート科やってくのは難しいんじゃないかな。不合格は却って本人の為かもしれん」

「個性は凄かったけど。ヒーロー科行けばよかったのに」

「個性届けを見るに発現したのが最近で、願書とか間に合わなかったんじゃないですか? 筆記も法律関係で出題範囲が違うし」

 

「ふーん。半面、発目さんは頭一つ抜けてましたね、受け持ちたくないタイプですが」

「初手で市街地エリアの地図探すムーブ取るのがヤバい。こっちが設定した架空の世界の中で、そこに住む自分ならどうするかを考えるのはヤバい。受け持ちたくないタイプだけど」

「物質は3つのうち2つ損壊。ま、端田屋くんの個性のせいもあって全体的に減点は多いけど、順位とクリエイティブPで補って余りあるし。文句なく主席合格かな。受け持ちたくないタイプなのがあれだけど」

 

 発目の話題で盛り上がる中、ちょっといいですか、とパワーローダーが水を差す。

 

「爆豪くんなんですが、私はクリエイティブPを認めてもいいと思うんですよね。アイテムではなく、行動に」

 

 教師陣は顔を見合わせて、続きを促した。

 

「発目くんを助けた時の個性の使い方とか、ヴィランの待ち伏せを想像力で推察していた所とか」

「想像力が無い、とは言い切れない訳ですか。でも彼の物質は全損ですよ」

「発目くんとバディを組んでゴールしたのですから、発目くんと合算してもいいんじゃないですか。それが認められないのなら、爆豪くんを使って走破しておきながら、順位だけは認めると言うのもおかしな話では?」

 

 確かに、それもそうか。と、誰かが呟いた。

 じゃ、発目さんはパワーローダーさんが受け持つって事で。と、誰かが呟いた。

 

「いやいやちょっとそれはまた話が違うのではないでしょうか!?」

 

 サポート科の誰もが薄々は勘付いていた。発目のような自分の世界で生きているエンジニアは、好奇心で物を作り、壊す。

 それはもう雄英の工房が大変なことになるだろうから。

 

 

 

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 トップヒーローは、学生時代の逸話をこう締めている。

 考えるより先に、身体が動いてた。と。

 



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第六話 鞘の無い刃

 それは運命のいたずらか、それとも心操人使の幸運か。

 もしも爆豪勝己がヒーロー科を受験していたならば、心操は別の会場で実技試験を受けていたに違いない。

 

 ただ現実として彼は、『爆破』の個性を使う受験生と同じ会場になった。

 観察力によって次々と仮想敵のウィークポイントを爆破していく様子を、遠巻きに目にする。

 

 ああいうのがヒーロー科に受かるのだろうな、という現実に心底まいった。純然たる戦闘力が、俺にはないと内心で独り言ちる。

 ダメ元で受けてはみたものの、実力差に打ちのめされるのならよせばよかった。こんな証拠も残らないヴィラン向きの個性でなく、もっと戦闘向きであったならば。

 

 そんな後悔の中、20メートルをゆうに超える巨大な0ポイント仮想敵が現れた。足が震え、思考は逃げる以外の選択肢を出そうとしない。

 辺りの受験生はみな背を向けて駆け、足が動かない心操とすれ違う。心操には動けない理由があった。

 視線の先で、足を挫いたのか瓦礫に足を挟んだのか、それとも恐怖やパニックで身体が言う事を聞かないのか。とにかく倒れている女がいた。

 心操は逃げろと叫んだ。しかし聞こえていないのか、それとも巨大仮想敵の足音や破壊されているビルの音で掻き消されているのか女は反応しなかった

 

 舌打ちして心操は女に駆け寄る、返事をしろと念じて声を掛ける。返事さえすれば、痛みや恐怖を無視して逃げる事が出来る。仮に衝撃で個性が解除されても、気付薬にはなる。

 無力な自分が、圧倒的脅威に向かって行っている事を無視して叫び続ける。

 

「聞こえないのか! 立て!」

「ごめん、逃げて……」

 

 女は心操が助けに来ている事に気づき、巻き添えにならぬように()()をした。

 

「痛いかもしれないが、我慢しろよ。『立ち上がって、逃げろ』」

 

 その一言で、女の腰が抜けて立てなかった身体は自らの意思とは無関係に動き出す。巨大仮想敵は彼女に気付き、手を伸ばした。

 その大きさに、心操も圧倒された。このままだと俺も、いやポイント的にはどうせ失格か。

 

 女が心操の腕を掴む。

 

「飛ぶよ!」

「は!? はぁあ?」

 

 二人は宇宙空間で投げ出されたスパナのような等加速直線運動で空中へ逃げた。一瞬遅れて巨大仮想敵の手が二人を空ぶった。

 女の個性『無重力』により、窮地を脱したのだ。

 

 巨大仮想敵と距離を取って着地する。同時に実技試験終了のアナウンスが響いた。

 心操はとにかく落胆とか、諦観だとか、そういった感情が沸き上がるものだと思っていたが、違った。ちょうど眼前には、仮想ヴィランの首を爆破し飛ばした受験生がいた。その幽鬼のような色の無い瞳の印象による悪寒が、何よりも上回っていたのだ。

 

 巨大仮想敵から上手く逃げ出した安堵感よりも、それが上回ったのは女も同じだった。

 

 

 

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 まさかレスキューポイントなんて制度があったとはな。と、心操は運動着に身を包み、まだ実感の湧かないプロへの第一歩を噛みしめた。

 

 受験の時に助け、助けられた女、麗日お茶子のおかげでもあった。一緒のクラスというのも心強い。しかし、と同じ1-Aのクラスメイトであり、一般入試主席の緑谷を盗み見る。最初の授業という事で、どこか緊張したおももちのようだった。受検日に見た、あの異様な雰囲気とはまるで違う。別人のようだった。

 

 クラスで少し話した時も、初対面のせいかキョドった口調の中に、どこか親しみやすささえ覚えた。

 

 思い悩むまでも無いかと思考を切り替えた。今から個性把握テストが始まる。()()使()()()()()()()()らしく、はっきり言って心操の個性は活かしようがない。

 

 こりゃ最下位は覚悟の上だな、と腹を括ると、誰かが「面白そー」とはしゃぎ、担任の相澤はトンでもない事を言いだした。

 

「んじゃ、最下位は除籍な」

 

 冗談じゃないと心操は焦った。向いていない個性の者が他にもいたが、だからといって除籍が免れる訳ではない。

 焦りからか身体が強張る。結果が出ず、それで次の種目の結果も芳しくない。

 

 嫌だ。と強く思った。ヒーロー科に受かったのは、偶然と幸運によるもので、実力は満たしていないのかもしれない。それでも、踏み出した夢への歩みを止めたくは無かった。

 

 なり振りは構っていられなかった。

 

「あのさ、麗日。頼みがあるんだが」

「うん? なに?」

 

 とりあえず最下位は免れそうな面々は、安堵感と憐れみを覚えながら心操のボール投げを眺めていた。はっきり言って彼は一般人と変わらない。

 変わらないはずが、心操の投げたボールは線を描いたように空に消えていった。

 

「え!? どういう事だこれ」

「これって無重力の……」

 

「どういうことだ心操」

 と相澤は鋭い眼光で問う。心操は震えを隠すように手を握った。

 

「俺の個性、『洗脳』を麗日に使って、ボールを無重力にさせました」

「そんなイカサマまがいの事が許されると思ってるのか」

「これは、()()使()()()()()()()()です。俺はためらいません。どれだけ汚いと言われようが、ヴィランまがいと言われようが、これが俺の個性です」

 

 こういう生徒も悪くない。相澤は内心で密やかに笑った。

 

 

 

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 雄英入学後、初のヒーロー科らしい授業が行われた。戦闘訓練である。同時に、生徒のコスチュームの初のお披露目でもある。

 みな、それぞれの個性を活かし、アイデンティティを主張するような衣装に身を包んでいた。

 

 集合場所であるグラウンド・βに移動中、轟は静かに緑谷に値踏みするような視線をやっていた。一般入試の首席らしいがしかし、峰田と女性ヒーロートークに花を咲かせている(緑谷は純粋なヒーローフリークとして話しており、峰田のそれではない)のほほんとした表情からはその貫録は無い。

 

「オイラだけかと思ったよ。ヒーロー名鑑vol.5に記載されてる自称スリーサイズより、絶対にヒップがあると睨んでたのは」

 

 感激する峰田に、どこか恥ずかしそうに答えている。

 

「ま、まあ、やっぱり相手の体格を見て選択する戦術とかあるからさ、偽の情報を流すのも手なんじゃないかな」

「それでコスチュームがそんなコートみたいになってるのか?」

「まあね、他にも理由はあるけど。けっこう便利だと思うんだけど、どう?」

「黒一色だと正直中二臭いな」

 

 身も蓋も無い答えに、これでも一生懸命に考えたんだけどなと緑谷は肩を落とす。

 透湿性に優れた生地の戦闘服の上に、丈の長いダスターコートとケープ、長く大きなショルダーマントが両肩に留められており、羽のようだ。

 太陽光を吸収する為に黒で統一してあるので、峰田の意見も一理あるかもしれない。

 

「そんなんでちゃんと動けるのか?」

「コートの裾の所は切れ目が入ってるから飛んだり跳ねたりは大丈夫だよ」

「ほーん。でもなんかヴィランっぽいな」

 

 何気ない一言で、がーん、と聞こえてきそうなほど緑谷はショックを受けた。

 

 なあ、と轟は心操に声を掛けた。

 

「おまえ、実技試験で緑谷と同じ会場だったんだよな。あんま主席って感じしねえんだが」

 

 言われて心操は緑谷を盗み見る。それは自分も思った事だ。試験の時のような鬼気迫る雰囲気は微塵も感じられず、峰田や上鳴にイジられている。頼りにならなそうだがどこか愛嬌がある、たぶん良いやつって感じ。

 

「話を戻すけど、やっぱMt.レディのスゲーとこは下半身だと思うわけよ」

「う、うん? そー、かもね。」

 

「ケロ、峰田ちゃんと緑谷ちゃんがいやらしい話してるわ」

 と、軽蔑するような口調で蛙吹。

 

「ちち、違うよ! 『巨大化』した状態で転倒すると都心部では建物を壊しちゃうし、やっぱり下半身を鍛えてると思うよ!?」

 と、必死すぎて逆に誤解を加速する緑谷。

 

「ちち? ちちもいいよね」

 と、わきまえない峰田。

 

 まあ、実力はいずれわかるか。と、轟は思考を切り替えた。必ずNO.1ヒーローになる。その為にも、まずは1-Aでトップは押さえておかなければならない。

 一般入試の首席とは、遠くないうちに格付けしておく必要がある。

 

 

 

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 戦闘訓練はヒーローとヴィランの陣営に分かれた2対2の室内戦、ヒーロー組は5階建てのビル内に隠した核兵器に触れると勝利条件を満たす。ヴィラン組は制限時間の15分が経過。あるいはどちらかの陣営を鎮圧させても残った方が勝利する。

 オールマイトの抽選で組み合わせが決まった。

 

 第一回戦。ヒーロー組、轟、八百万 対 ヴィラン組、緑谷、蛙吹。

 

 思ったより機会は早かったな。と、轟は緑谷に視線をやった。半信半疑の実力を確かめ、上回ってやるという気概を持つ。

 

 確認する、という目的があったのは轟だけではない。オールマイトもまたそうだった。極めて効率的に、()()()()()()()()で試験会場を動き回って仮想敵を破壊し続け、レスキューポイント無しで雄英に合格した超攻撃的な生徒。

 結果だけを見れば、危うさが漂う。

 

 ヴィラン側のセッティング時間が終了した。

 峰田との会話が卑猥に聞こえていた事から、まだどこか不信感を残した蛙吹が緑谷に話しかけようとした瞬間、ビル全体が凍りついた。

 外に繋がる窓やドアはもちろん、室内の壁や床までもが徐々に氷で覆われる。

 

 八百万は呆然としながら轟に尋ねた。

「あら。これほどまでに広範囲とは……どうします? ここから」

「緑谷の個性は『爆破』って聞いたからな。足首まで凍らせても氷を砕けるだろ。念のため凍らせ続けて、このままビル内を氷蔵にして、体力を奪ってから突入する」

 

「では突入に備えて、防寒着やスノーブーツを『創造』で産み出しておきますわ。あまり私の役割はなさそうですが」

 

 モニタしていた生徒は、ほぼ同じ感想を抱いていた。轟の個性で十分すぎる。いかにコスチュームが断熱防寒防刃その他諸々に優れた、一般の衣類とは一線を画している性能だとしても、緑谷のコスチュームが保温に優れていたとしても、寒さは確実に体力を奪い続ける。

 

 そして何より、蛙吹は急激な外気の低下でうつらうつらと舟を漕いでいる。

 

「ごめんなさい緑谷ちゃん。『蛙』の個性の都合上、どうしても寒さには……眠くて」

 

 ふっと、鼻孔に漂う()()()()に心安らぎながら、冬眠モードに入った。部屋の隅で四肢を畳むようなうつ伏せになり、丸くなって眠りに落ちる。

 

 発動や変形型なら起動のタイミングで虚を突くなり、個性制御の熟達によって性質を変えられる。要するに応用が効きやすい。

 半面、異形型の個性は常時起動しており、奇襲等には強いが性質を変える事は出来ないし、不利な状況で個性を解除する事も出来ない。故にどうしても相性という問題が付いてまわる。

 

 交戦前からの人数と環境の不利に、モニタしていた全員が同情を覚えなくも無かった。なにせ相手は推薦入学者の強個性使いなのだ。

 

 それでもヒーロー組は油断や慢心といった浮ついた感情を切って捨てていた。轟が炎で玄関口の扉を溶かし、曲がり角や潜伏していそうな場所では必ず八百万が、柄を伸ばした手鏡で距離を保ったまま安全を確認する。推薦入学は伊達では無かった。

 

 一階の探索が終わり、二階へ続く廊下へ向かうと、白い吐息を両手に吐きかける緑谷が佇んでいた。

『蛙』の個性使いは冬眠でダウンしている以上、廊下という狭い空間で待ち構えるのが最善手である。二人はこの状況を予期していた。

 だが緑谷のそのたたずまいに妙な違和感を覚えた。色の無い瞳は二人に畏怖を与えたが、追い詰められて切羽詰まっているのは緑谷の方であるようにも感じる。低体温症による精神的錯乱だろうか。

 訓練開始前とは別人のようだった。

 

 ゆっくりと二人に歩を進めている。

 

「やる気満々って訳か。俺にとっては都合がいいが」

 

 轟が不意打ち気味に手のひらを突き出し、凄まじい速さで氷柱を生やした。それに対して緑谷は駆け寄り、手から威力の低い爆破を発動させて軌道を逸らす。破壊するほどの威力ではないので、氷柱と繋がっている轟の腕もまた逸らされて反応が遅れ、接近を許す。

 

 緑谷の行動は二人にとって不可解だった。数的不利である以上、攻撃に対しては回避を優先してタイムアップを狙うのがベターな戦略だ。

 ましてや向かって来る氷の塊など、反射的に避けてしまいそうなもの。そこを逆に迎え撃つなど、恐怖心というものがないのか。

 

「八百万! 先に行け!」

 

 緑谷に組み付かれそうになるも、かろうじて距離を取った轟が氷壁で八百万を分断して言った。初動で体力を削る目的で待ちを選択した以上、二手に分かれるのがベストという考えだ。

 

「わかりましたわ!」

 

 八百万の背を視界に収めたまま、轟は試算する。

 体術に自信がある方ではないが、接敵前から緑谷の体力は消耗されているはず。仮に『爆破』で暖を取っていたとしても、それに個性を使用した分の体力は失われている。防ぐ事の出来ない環境による攻撃。

 

 緑谷の両手から発せられる爆破に耐える厚さの氷壁を造りだしながら、轟は隙を伺った。おおよその爆圧半径も掴んでいる。緑谷の攻撃にカウンターで一歩足を踏み込んだ。そこから生み出された氷が、一瞬で緑谷の身体を覆う。

 

 無力化した。あとは八百万と共にビル内を洗って終わりだ。

 

 轟がそう確信した瞬間、緑谷を覆っていた氷が爆散した。飛来する氷片に身を守った隙を突かれ、首をがっしりと掴まれる。熱を帯びた手に固唾を飲んだ。この状態で個性を使われたら、と考えてしまった時点で負けだ。

 

「まいっ、た」

 

 降参の宣言は、緑谷に対してではない。インカムを通して、相方に伝える為だ。

 解氷材で二階の一室のドアを溶かしていた八百万はだから、策を練る。どういう手段かは謎だが、あの戦闘能力に長けた強個性を倒した。もちろん自分も強個性である事は認識しているが、戦闘向きとは言い難い。中衛の位置から、柔軟に前衛をサポートする方に向いている。

 

 幸いにも、今度はこちらが待ち構える立場だ。核のオブジェクトに触れればヴィラン側の負けであり、八百万を見失っている以上、核を守りに戻らなければならない。もしも核の部屋に陣取られれば、八百万の個性では攻略は難しい。つまりそれまでに奇襲をかけるのが最善。

 一階には無かったのだから、少なくとも二階にはやって来るはず。

 

 階段の手すりの影に隠れ、足音にタイミングを合わせて『創造』で産み出した棒を突き出し、マント越しに横腹に鋭い打撃を与える。そのはずが、衣類全体が打撃に対応して爆発し、威力を減衰さる。

 

「これは!?」

 と八百万は広い知識の中から一つを呼び起こして距離を取った。衝撃に反応して爆発を起こし、その力を減衰させる機構には覚えがあった。戦車でよく使用されている追加装甲。

「まさかマントが反応装甲の役割を」

 

 さすがは一般入試の首席ですわね。と棒を薙刀に見立てて構えた。古くより武家の女子の護身術とされてきた薙刀術は、名家である八百万家の彼女も嗜んでいる。

 

 狭い階段の踊り場では取り回しに難があるので短いが、素手よりもマシだ。それに緑谷の様子を見るに、反応装甲も威力を完全に相殺できる訳ではなさそうだ。

 リーチの差で緑谷の接近を拒めてはいるが、数合打ち込むが、爆破の目くらましと軌道を逸らされて思うようにいかない。

 

 ふいに()()()()がした。この香りに、八百万は覚えがあった。ニトログリセリンだ。『爆破』の仕組みに気付くが、行動は止められない。科学的に無効化する手段を取れば良かったと後悔する。

 

 バックステップで避けられた斬り上げから手首を捻り、得物の向きを変える。石突を緑谷の胸部に突き立てるように振り下ろした。

 同時に緑谷が腕を振り上げ、肩マントを八百万の頭部側面に翻す。

 

『反応装甲』が起動する。衣類全体が爆発を起こし、石突の衝撃が減衰されるも胸部への打撃で緑谷は気を失う。八百万もまた、側頭部で発生した爆発により軽い脳震盪が起き、意識を失った。

 

 

 

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「マジ……か。一人で引き分けやがった」

 

 とモニタしていた上鳴が感心していた。

 

「いや、ヴィラン組の勝ちだ」

 緑谷の危うさに気付いたオールマイトが神妙な面持ちで答える。

 

「つってもどっちの陣営も全員再起不能なんじゃあ」

 

 モニタの隅で分割表示していた蛙吹が冬眠から覚め、現状を把握しようときょろきょろと周囲を探っている。

 

「あれ? 蛙吹の身体、なんで凍ってないの?」

「ま! その辺を含めて講評といこうか!」

 

 

 

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 意識を回復した緑谷と八百万、気の沈んでいる轟。それに――

 

「蛙吹ちゃんなんでそんなベトベトなの!?」

 と、麗日が驚いた。

 

 ――謎の透明な粘液にまみれた蛙吹が、モニタルームに揃った。

 

「わからないわ。起きたらなぜだかこんな状態で。あとこれ、少し甘いのだけど」

「あ、それ僕の個性です」

 

 おずおずと緑谷が申し訳なさそうに答える。

 

「水を含んだグリセリンは凍らないので、蛙吹さんが目を覚ますかなあと」

「ぬ、ぬ、塗ったのか緑谷! 寝ている女子に自分の粘液を塗りたくったのか!」

 

 興奮する峰田のセリフに、蛙吹は緑谷から距離を取った。

 

「違うよ! こう……手から垂らしただけだってば! 2対1は大変そうだったから、なりふり構ってられなくて」

 

 そう言われると、足手まといにされるよりはと蛙吹は考え直す。

 

 轟は拳を握りしめた。大変そう、だと……その程度って事かよ俺は。

 

「なるほど、『グリセリン』を操る個性によって、ニトログリセリンを生成したのですね。あの甘い香りで、もっと早く気付くべきでしたわ」

「厳密には違うんだ。僕の個性は『グリセリン』と『酸化汗』を両親から受け継いだ複合型で、汗腺からニトログリセリンに似た物質が出るってだけで。個性制御がヘタクソだったからさ。複合前の個性から練習してたら出せるようになったというか」

「それでインナーの戦闘服は透湿に優れた素材にし、上着で吸湿するわけですわね。だからニトログリセリンを吸ったマントが『反応装甲』のような役割を果たすと」

 

「あ、たしかにこいつすげぇ甘い匂いがする!」

「汗が甘いってすげぇ女子ウケしそうだよな?」

 

「マジか、あんま個性制御がヘタにゃあ見えなかったがな。全身爆破とか、漢気溢れてたぜ」

 

「そうだよな?」

 

 いや、あの全身爆破は。とオールマイトは資料をめくった。

 受験前の個性届けによれば、掌から爆破を発動できるようになったのは最近の事だ。それまでは全身からしか出せず、個性制御の鍛錬不足でしかなかった。

 失敗技を応用している。緑谷自身の言う通り、個性制御はまだまだだ。爆破の威力も、発動までの時間も磨きが足りない。身体の制動まで使いこなせるように、とまでは求めないが。

 

 つまりは個性そのものに対する理解力で勝利を収めたという事だ。自分の未熟な個性で最大限の力を発揮できる、コスチュームに対する要望といい、並大抵のヒーロー知識ではない。地道に努力を積み重ねれば、一線級のヒーローも夢じゃないだろう。まるで爆豪少年とは対極に位置するような、とオールマイトは評価した。

 

「ところで緑谷少年。きみのその()()()()なのだがね」

 

「あ、それオイラも気になった。あんな寒いところで二人と戦って、よく持つよな」

 

 それは、と緑谷は口を詰まらせた。ニトログリセリンを体内に取り入れ、血圧管理と血管拡張により持久力を無理やり底上げしたと言うべきか迷った。スポーツ界ではドーピング扱いだ。

 

「その、鍛錬ですかね。人より肺が大きいのかな」

「ふむ。総評としてヒーロー組は数的有利を維持すべきだったな。ヴィラン組にしても、蛙吹少女の冬眠は致命的弱点だし、メーカーと話し合ってコスチュームで改善すること。緑谷少年、きみは」

 

 言いさして、氷柱に何の疑念も恐れも持たずに向かった姿を脳裏に反芻する。

 この少年には恐怖というものが無い。あるいは、()()()()()()()で感覚が麻痺しているのか。

 誰かに向けられた恐怖を理解しないという事は、誰かに向ける恐怖も理解しないという事だ。

 

 ヒーローとしてその感性は危うい。個性把握テストは自分との戦いだからかその兆候は見られなかったが、誰かと競う状況で人が変わったように無機的になるのも。一歩間違えれば、道を外れてしまいかねない。

 

「きみは、もっと自分を大事にしなさい」

 



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第七話 腐り落ちた一瞬

 末恐ろしいな。

 雄英の個性練習スペースにて、爆豪との朝練代わりの模擬戦中にオールマイトは内心で唸った。

 

 サポート科の先生方の評価を聞くに、アイテム作成のセンスは中の上程度。他校を受験していればボーダーラインは超えている程度だが、雄英でやっていくにはケレン味が足りない、と言った所らしい。

 

 転じて戦闘センスはやはり抜群に優れている。

 

「爆豪少年、きみは何か武術をならっていたのかな」

 

 爆豪の瞳が、フェイントを追った上で反応しなかったのを目視して言った。

 

「いや、特には。今が初めてだ。というか、『OFA』を譲渡してもしばらくは使えるんだな」

「ふむ。これは残り火のようなものだ。傷を負っていなければもっと長くマッスルフォームになれるし、きみの訓練に付き合えるんだがな。『OFA』と言えば、自然に出力を抑えているようだがどんな感覚でやってる? 何パーくらいなら出せる?」

「息が上がらねェように走るって感じかな。多分20%くらい」

 

 では、全速力ならもっと行けるという事か。

 

「オーケー。少しギアを上げよう……これくらいか、なッ!」

 

 鋭いストレートが爆豪の耳を掠る。フェイントを混ぜられていたら避けられなかった。グローブを着用しているとはいえ、肝が冷えた。

 

「はっや」

「先ほどと同じく、まずは回避と防御に専念してくれ」

「いつになったら本格的な打撃を教えてくれんだよ」

「まずは自分の身を守る手段を覚えるんだ。相打ち覚悟でヴィランを倒すのは最後の選択。いつも血だらけで市民を助けていては、平和の象徴として頼りないという印象を持たれかねない」

 

 オールマイトの攻撃は高速だが、かなり大振りで直線的だった。フォームを含めた予備動作から、打撃の到達点を予測して避ければ容易いと、爆豪は気付く。

 

「んな雑な攻撃ばっかじゃ訓練になんねェよ」

「初撃はビビってたくせに」

「ビ、ビビってねーよ!」

「瞳孔の拡大具合を見れば簡単にわかるぞ。相手の精神分析も必要な技術の一つだ」

 

 それに、と乱打して続ける。

 

「現場で偶発的に事件を引き起こすヴィランは戦闘訓練を積んでおらず、個性に頼った単調な攻撃をしてくる。かと思えば素人考えの悪手とかね。犯罪件数で最も多いのがこういうタイプだ。だから雑な攻撃こそ慣れておく必要がある」

 

「なるほどな」

 だからって瞳孔まで見れるか、フツー。とオールマイトの規格外さに呆れそうにもなる。

 

「のらりくらりとした防戦も重要だ。市民が逃げるまでの時間を稼がなくちゃあならない時もある。強敵相手だと戦闘の余波があるからね」

「わかったよ。もう防御に関する訓練に口は挟まない」

「よし。じゃあ次は複数人に囲まれた状況での防御訓練だ」

「うん? 他に誰か居るのかよ」

 

「私が超高速で動き、三方向から攻撃を行う!」

「マジかよ」

 

 引き気味の爆豪に、オールマイトははにかんで答える。

 

「冗、談」

「わかりづれえ!」

 

 

 

 一通りの訓練メニューをこなし、シャワールームで汗を流す。汗が冷えた身体にぬるま湯が心地よく、清潔でモダンなデザインは、高級フィットネスクラブのようだ。

 

「そういやさ」

 と、爆豪はパーティションで区切られたオールマイトに声を掛ける。

「ヒーロー科で、あれだ、スゲー奴っていんの?」

 

「うん? んー、全員凄いよ。そりゃあ戦闘力だけでみたらきみより弱い子はいる。ヴィランとの直接戦闘もヒーローの仕事だけど、対災害や人命救助も同じくらい立派なヒーローの仕事だ。その面ではきみは、その子たちには敵わないだろう」

「わーかってるよ、んな事……ただまあ一応の目安がいるんだよ。サポート科だと、自分がどの辺なのかわかんねえ」

「そういう意味でなら、そうだな……推薦組の轟少年や骨抜少年は、戦闘面でかなりの強個性だぞ」

「……ふぅん、その二人くらいか」

 

「あとはまあ、緑谷少年だな。個性制御はヘタだが、ヒーローフリークらしく、先人の知恵というか、欠点を想像力で補っている」

「そっか、そうなんか」

 

 緑谷がヒーロー科に受かった事は、母親伝いに聞いていた。その後どうなったかを凄まじく遠大にオールマイトに聞き、爆豪は自分の感情を整理するのに手間取る。

 

 あいつは俺のナニカを踏みにじった。だからキレた。そこで関係は途切れたから、あいつが何を考えているのかはわからない。

 わからないが……わからない。

『爆破』という強個性を持ち腐れにするあいつが許せなかった。俺にその強個性さえあれば誰にも負けるはずがないと考えていたが、発目のような異能者は存在する。

 

 あいつが今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言ったら、あの夜のように殺したいほど憎むのだろうか。

 今でもあいつは、むかし語った偶像を追っているのだろうか。

 

 爆豪はそれを確かめる気にはならなかったし、その勇気も無かった。そうする事で、何が変わる訳でもないと思ったからだ。

 

 

 

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 爆豪が教室に入るとクラスに一瞬の静けさが満ち、ふわりと会話が再開された。

 こういった扱いは無個性だった事もあり初めてでは無かったので、それほど気にせずに席に着く。

 

 本鈴が鳴り、パワーローダーが煤だらけの生徒の襟首を引っ掴んで教室に入ってきた。薄汚れたサイズの大きいジャンプスーツをはだけさせて袖を腰に巻き、ラフなタンクトップ姿の発目だ。

 

「とっとと席に着け。あと発目、おまえは工房に入り浸り過ぎだ。こっそり寝泊まりしてないだろうな」

「あはは、そんなまさか、ありえません」

 

 発目はにっこりといい笑顔でパワーローダーの詰問を否定する。徹夜だから寝てない、だから泊まってはいるが寝泊まりでは無いというロジックが通ずると確信して。

 

「本当だろうな。まあいい、後でご両親に確認とるからな」

 仕切り直すように咳払いで壇上に立ち、生徒を見渡して言った。

「はいじゃあ二人組作って、すぐ」

 

 ざわめくクラスで次々と二人組が作られていく。爆豪に声を掛けようとする者はいない。雄英の受験を突破してきた者にとって、爆豪の想像力は普通で、逆に異質に映る。それに、『身体能力の強化』の個性使いがサポート科に入るというのも理解し難い。端田屋のようなブランド目的で入学し、じぶん達の成長の邪魔をされてはかなわないという考えを持つ者も少なくない。

 

「では爆豪くん、組みましょうか」

 

 そんな中、発目が声を掛ける。

 

「そりゃいいが、いいのかよ」

「なんですかその意味不明な日本語」

 

「きみ達には一通り、一般市場では流通していない素材の取り扱いを学んでもらった。今日の授業では、組んだ二人で相手の個性に合ったアイテムを作ってもらう。制限時間は二日後の五限まで。きちんと互いの個性を見極めて、最大限に活かせるように想像力を働かせてください。以上、それぞれ工房に向かって」

 

 やっぱ投げやり感あるよな。と、生徒の一人が漏らしながら、全員が工房に向かう。雄英の潤沢な資金と敷地面積により、サポート科一人一人に工房が与えられている。

 クリーンルームでしか使えない機器などは共有スペースにあるものの、基本的な事は狭いながらも自分の工房で出来る。

 

 発目の工房にお邪魔すると、とにかく一見して乱雑に器具が置かれている。彼女が道具をぞんざいに扱うようには思えないので、おそらく計算された場所にあるのだろう。

 部屋の隅には失敗作がまとめられており、奥まったところには作成中らしき謎のアイテムが鎮座している。手術台に無数のアームが取りつけられており、台の下には怪しげな液体の入ったボトルとチューブで繋がっている。

 

「どーですか爆豪くん! 女の子の部屋に入った感想は!」

「あの奥のおぞましいアイテムは入試の外骨格と同じで女なのか?」

「違いますよ! 女の子ってのは私の事です!」

 

 ぷりぷりする発目に、爆豪は付いて行ける気がしなかった。

 

「それじゃあさっそく作りますか。爆豪くんのアイテムのコンセプトは固まっているので、何か私の『ズーム』について質問があればどうぞ」

「つーかその前によ、なんで俺なんだ」

 

 ぶっきらぼうに疑問を口にする。同情、ではない事は確かそうだ。発目がそんな器用な感情を持つような性格には思えない。

 

「試験の時に感じたんですが、なんというかこう、そうですね……酵素ってわかります? 洗剤とかによく入ってるやつ。40度くらいのお湯で活発に働くんですが、私が酵素で、爆豪くんがお湯なんじゃないかな、と」

「つまりあれか、俺はお前の叩き台だと」

「そうですね。人力のアイテムで移動するなんてバカバカしくてサイコーでした」

 

 ここまであけすけに言われると、腹が立つどころか逆に感心する。また、実力差がある以上、何を言っても負け犬の遠吠えだ。

 それに感慨を覚えないでもない。無個性ゆえに晒され続けた憐れみも同情も軽蔑も、発目はそういった感情を一切向けてこない。完全なる普通の他人と接するのは、爆豪にとっては悪くなかった。

 

「他に質問が無いならさっそく始めましょう」

 

 うずうずしている発目はダボダボのジャンプスーツを脱ぎさった。

 

「おまっ!? 何やってんだ服着ろ」

「なにって採寸しないとアイテムを作れないじゃないですか。私は試験の時に爆豪くんの身体を触って確かめてあるので」

 

 さあどうぞ遠慮なく、と爆豪に迫る発目。

 

「おい発目、親御さんに連絡したら昨日は学校に泊まるって……」

 

 学校に居つくな、きちんと家に帰れと釘を刺しに来たパワーローダーが、工房の扉を開けたまま固まった。

 発目がタンクトップにパンイチで爆豪ににじり寄っている。

 

「え何やってんの」

「あ、お気になさらず。爆豪くんのどっ可愛いベイビーを作る為に必要な事なので」

「ぇええ」

「違う!」

 

 

 

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 二日後、日課の朝練が珍しくキャンセルになった。なんでも通勤途中の片手間にヴィランを仕留めたらしい。その際の個性の使用で体力的に無理との事。そんな謝罪連絡が爆豪の携帯端末に届いた。

 

 ま、俺もおんぶに抱っこで平和の象徴の後釜になろうとは思っちゃねーけど。と自主練の後にシャワールームで汗を流した。

 サポート科の一限目を知らせる予鈴が鳴った。

 アイテムの提出期限である今日の五限目までの授業時間中は、ほぼ全員が各々の工房に籠りきりだ。

 

 爆豪もまた作業用の、いわゆる汚れてもいい私服で黙々と自分の工房で作業している。

 一息つくと、発目がやって来た。

 

「爆豪くんの進捗はどんな具合ですか!」

 

 勢いよく登場した発目の頭部には、パイプや小さなプロペラのついた物物しいスチームパンク風のゴーグルが鎮座していた。

 それを見た爆豪は自分の作業台に視線を戻す。クモの眼のように短い双眼鏡のような物が複数取りつけられたゴーグルがあった。

 

「発目、お前のその頭のアイテム……」

「ああこれですか? 爆豪くんのアイテムを作る片手間に、あったら便利だったので作ってみました。どっ可愛いでしょう!? ……それ、爆豪くんが作ったやつですか? 課題の? 手に取っていいですか」

「あ、ああ」

 

 手早く装着したりレンズを覗きこんだりして爆豪に返す。

 

「まそんな事より、わたしの課題品が完成したので試着してみてください!」

「そんな事ってどういう了見だてめェ!」

 

 机を叩いて抗議する。

 

「いやーなんか無理に想像力をアピろうとしてSFミリタリっぽい造詣にした感がありますねそれ……ただ、レンズだけはめちゃくちゃ良いやつで驚きました。よく経費で落とせましたね、テレビ局のカメラでもなかなか使われないクラスですよ」

「や、これ俺がクリーンルームで研磨したやつ」

「マジですか! 受験で崖をクライミングした時から薄々感じてはいたましたが、精密動作性Aですね! ちょっと私のゴーグルのレンズと交換しとこ」

「提出前に取んじゃねーよ!」

 

「そうでした。レンズ無くなったら普通になっちゃいますね、失礼しました」

 

 こいつと話すのスゲー疲れる。悪気はないのだろうが、だからこそタチが悪い。爆豪は怒る気力も無くなった。

 

 じゃじゃーん、と爆豪の課題品を押しのけて作業台の置かれたのは、受験時に見たような黒いフルフェイスヘルメットだった。ヘルメットシールドはスモーク加工されており、オールマイトを意識してか兎の耳が反ったような意匠が施されている。

 

「なんだこれ、てかなんでオールマイトのフォロワーみたいなデザインなんだ」

「そりゃもう爆豪くんの個性がオールマイトと似てるので!」

「バカ言え全然俺の個性なんか足元にも及ばねーよ」

 

 発目の指摘から話題を変えようと、なんか不安という感情を飲み込んで被ってみる。ヘルメットシールド内に日本地図が映し出され、急速に拡大されていき、雄英高校のサポート科の棟の一室、つまりは爆豪の工房にピンが立っている。

 ヘルメットの内部で発目の声がした。

 

『どうです? UIを視線で操作できるHMDです。それ一つでバックアップチームと通信できますので、応援にも速やかに駆けつけられます。単独行動で活動する爆豪くんにぴったりですよね』

 

 視線をやると、いつの間にかヘッドセットを装着している発目がドヤ顔している。外側にカメラが付いているのか、視界は開けていた。

 どうしてこの距離でわざわざ通信して話すのかは、考えないようにする。

 

「なんだ単独行動って」

『爆豪くんのスピードについて来られる人ってそうそういないでしょ。他のヒーローと連携なんて無理です。あと変声機能も付いているので』

「なんでそんな機能を」

『秘密にしている個性を爆豪くんと結びつけないようにする為です。あえて普通な外見もコンセプトの一つです』

「別に秘密の個性なんてねーよ」

 

『受験の時の傷口を『ズーム』で確認したら、血栓が作られるまでのスピードが尋常じゃなかったですよ』

「は?」

『血小板の作用が早すぎます。()()()()()()()って自覚は無いんですか?』

 

 言われてみれば、と爆豪は記憶を探る。退院する時に医者はたいそう驚いていた。

 

『OFA』は身体能力を受け継ぐ個性だ。それは筋力や持久力に限られるはずだが、超回復や自然治癒力も含まれるのだろうか。それとも爆豪の個性制御のセンスで、培われてきた回復力の継承も開花したのか。というか、そんなミクロの世界まで『ズーム』出来るのかと唖然とした。

 

「ま、どうでもいいけどよ。赤で塗りつぶされたエリアがあるんだが、これなに?」

『オールマイトの髪のような意匠は飾りではなく二本のブレードアンテナでして。赤い所は私との交信不可エリアです……え、近場にそんなとこあります?』

「あるな。校内のUSJって場所だ」

 

 ほんとだ、と発目は携帯端末でHMDの地図と同期をとった。

『妙ですね。極めて高度なジャミングが行われないと赤エリアは表示されないし……って事は雄英内のセンサーが停止してるって事ですし』

 

 爆豪は、オールマイトならどうするか、()()考えた後で身体を動かした。

 

 工房の窓を開け、身を乗り出してヘルメット内のインカムに言う。

 

「ちっとばかし見て来るわ。保健室にオールマイトが居るから、いちおう妙だって事を伝えといてくれ」

 

『さっそく実践テストですか。いいですよ! でも正体バレずに帰って来てくださいね。それ、提出の時はオミットしますがGPSの衛星をゴニョゴニョしているので!』

 

 あいつ、進級前に捕まるんじゃないだろーか。

 爆豪は他人事を考えながら、軌跡に細い炎色の雷光を残して駆けた。

 後悔の地へ。

 



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第八話 心身の葬送

「人命救助訓練かー、やっぱオイラは海とか水辺がいいな。緑谷もそうだろ?」

 

 と災害訓練場へ向かうバスの途中、峰田が言った。

 

「え? うーん。訓練するならそうだね」

「だよな。昼の砂浜で水着、焼けた肌、開放的な気分を取るか、夜の豪華客船できわどい恰好のセレブの護衛なんかも捨てがたいよなあ。なんで海外女優のドレスってあんなに胸元が開いてんだろ」

 

「ケロ、また峰田ちゃんと緑谷ちゃんがいやらしい話してるわ」

 と、軽蔑するような口調で蛙吹。

 

「だから違うって! 濡れると『爆破』の威力も起爆感度も下がっちゃうから、訓練するなら欠点を克服する水辺がいいってだけだよ!?」

 と、必死すぎて逆に誤解を加速する緑谷。

 

「濡れると感度が下がる……? 逆じゃないのか緑谷!?」

 と、わきまえない峰田。

 

 アホくせぇ、と轟は車窓に頬杖をつき、ガラスに反射する自分を眺めた。複製された自分が問いかけて来る。そんなアホくさい相手に負けたのは誰だと、父親によく似た目つきがそう語る。

 

 

 

 xxxxxx

 

 

 

 ほどなくして災害救助訓練施設、USJに到着した。1-Aが、教師である13号の演説を聞き終わる頃、異変にいち早く気づいたのは相澤だった。その視線を緑谷も追う。眼下の噴水広場に不自然な黒いモヤが広がり、その中からならず者といった出で立ちが二十人ほど歩み出る。

 

 状況は極めて切迫していた。敵の実力は未知数で、通信は妨害されており、生徒を守らなければならない。

 

 緑谷は柵に片手を置き、じっと広場を見下ろした。黒いモヤを発生させ、そこへワープするレアな強個性。その使い手らしきモヤを纏った人物。

 

 相澤は生徒の避難を13号に任せ、時間稼ぎの為に単身で広場に駆け下り、多勢に無勢の状況を切り崩していく。雄英側の戦力が分散された事を確認し、黒いモヤのヴィラン、黒霧は個性を起動する。

 

 避難を開始する13号と生徒たちの先にある、USJの出入り口に立ちふさがるように黒いモヤが立ち込め、黒霧が捉えどころのない形を作り、紳士然とした口調で言った。

 

「初めまして、我々はヴィラン連合。覚えていただかなくとも結構ですよ、あなたたちはオールマイトの撒き餌になっていただきますから。死肉でできた、新鮮な餌に」

 

 異様な個性と強襲にたじろぐ生徒の中で一人、緑谷はヒーローフリークとして培ってきた知識の源から引きずり出す。

 声があり、口があり、喉があり。つまりは肺があり、身体の全てがモヤではなく、少なくとも口腔部と胴体は存在する可能性が高い。そういった個性を身に纏うヒーローやヴィランの情報を脳裏に呼び覚まし、『投薬(ニトログリセリン接種)』を行う。動脈を拡張させ、心臓の負担を減らした。

 

 重く湿った岩を乗せられたような空気が漂う。みな、足取りは重かった。1-Aはそれが眼前の黒いモヤのヴィランの威圧感だと思い、黒霧は恐怖で足が止まったのだと思った。

 

「皆さん僕の後ろに!」

 

 13号がグローブの指キャップを外し、そこから発動させた『ブラックホール』の個性で黒霧を吸い込む。モヤを吸引されるのを嫌って、距離を取るだろうと考えての攻撃だ。

 その13号の思惑とは裏腹に、黒霧は突っ込んで来た。そして『ブラックホール』に呑まれる寸前で『ワープゲート』を13号の指先の前に展開させる。出口は13号の死角である背面。

 

 13号は自身の『ブラックホール』で背を塵にしながらも、痛みで意識を失う直前に個性を解除し、致命傷を避けた。

 

 一連の出来事に、みな声を失った。目の前でプロヒーローが倒され、目の前には倒したヴィランがいる。信じがたく、非現実的な現実。

 

「プロヒーローは損ですね。個性が割れてしまっているから対処しやすい。さて、ヒーローの卵にはバロットになっても――」

 

 地に倒れた13号に一瞥し、1-Aの生徒に向きなおる。すでに緑谷が肉薄していた。胴を狙った『爆破』を発動する。

 

「――このッ!」

 

 黒霧は接近に対して反射的に距離を取ろうとした。爆風圧でモヤの一部が吹き飛ばされる。緑谷は離脱を許さず、喰らいつく。

 

 個性には相性がある。『蛙』が『氷』に弱いように、『透明』が範囲攻撃に弱いように、気体を操る個性が爆風に弱いように。

 それに加えて、と黒霧は内心で舌打ちする。

 

 このガキは他人に個性を使う事になんのためらいも無い。

 

 いくらプロ志望とは言え異常だ。子供がふざけ合って個性を向けるのとは全く違う、手加減なしの敵意を込めた個性を向けるのはプロでも難しい。なぜなら人間には同族を殺める事に対する禁忌感、生物としての潜在的なリミッターが存在しているからだ。

 

 だから軍隊では攻撃の思考を徹底してコントロールするし、死刑の執行は誰がボタンを押したかわからないようになっている。

 攻撃には潜在的な抑制がかかっている。そのはずだ、雄英生なら尚の事。

 そのはずなのに、雄英は何を教えているのだと毒づいた。こちら側の人間が居るなどと、聞いていない。

 

 一瞬でも隙があれば、生徒全員を別々の場所にワープさせるだけのモヤを発生させられるが、読んでいるのか追撃の手を緩める気配が無い。ワープ系の個性使いが最も嫌がる戦術だ。個性の希少性故に対抗策はあまり出回っていないはずだが、よほどの知識量のようだ。

 

 多少の負傷は甘んじて、いったん本隊と合流すべきか。その思考は背で味わった硬く冷たい感触で掻き消された。

 雄英生の一人の足元から、地を這う氷が伸びて背後に氷壁を作ったのだろう。そう、これが正常だ。加減と捕縛を考慮した、抑制の効いた攻撃。手強いプロになるだろう。今のうちに摘んでおきたい芽。

 

「調子に乗るな!」

 

 黒霧は緑谷の攻撃が到達するまでの短い時間に、カウンターとして最少の『ワープゲート』を作った。モヤの中に血肉や骨が混ざるのは精神衛生面上の理由で避けたかったが、そうも言っていられない。

 

 緑谷の左手がゲートを通過し、急ごしらえ故に適当な座標に造られた出口からひょっこりと出て、あらぬ方向へ『爆破』が発動された。

 その瞬間にゲートは閉じられる。ねじ切られた左手がぼたりと地に落ちた。

 ガキが痛みと原理不明の攻撃に混乱する。その隙に『ワープゲート』で離脱する。黒霧は、そういう算段だった。

 

「……病人が」

 

 緑谷の右手に頸部を掴まれていた。『爆破』により熱を持った手袋越しの掌は、刑罰としての烙印を押し当てられている心持にさせる。

 

 ガキの表情を見下ろす。左手が欠損したにも関わらず不感無覚としているが、どこか怯えているようにも見える。誰かにこうすることを強迫されており、不本意に感じていながらも一切の躊躇が無いという矛盾に満ちた瞳。

 黒霧には、この行為の正当性が何なのか。また、どうして口元と胴は実体であると見抜いたのかわからなかった。わからなかったが、一つだけ言える事がある。

 

「いいかお前」

 

 緑谷が『爆破』を断行する。

『ワープゲート』の個性が解除され、一人の男が爆風で後頭部を氷壁に打ち付け、背を預けたまま崩れ落ちた。

 

 

 

 ほんの十数秒の間に、1-Aには目まぐるしく非情な現実に直面した。

 

「え? し……てか、ころ……」

「いや、たぶん爆破の衝撃とか、氷壁に頭ぶつけた脳震盪とか、だと思う。息も動悸もある」

 

 誰かがこぼした疑問に、耳郎が耳たぶのイヤホンジャックを地面に挿して答えた。

 

「ていうか、緑谷! お前手!」

 

 緑谷の背に投げかけた峰田の一言で、轟が傷口を氷で覆って止血する。落ちた左手も氷漬けにするが、それは鋭利な刃物による切断ではなく、不定形の気体により引きちぎられている。接合は怪しかった。

 

 これが実力差なのか? あの状況で瞬間的に判断を下し、動くのがヒーローとしての? と、轟はモヤのヴィランの爛れた頭部と、蛙吹が抱える氷の中の左手を見やってかぶりを振る。

 

 いや違う。これは違う。

 

 轟は、これがヒーローの行いだと認める訳にはいかなかった。代替案が無かったとしても。

 ヴィランを倒すという目的の為に自他に非情を強いる事が正しいのであれば、個性婚によって強個性を産み落とす事も、産み落とされた子に非情な訓練を科す事も、その為ならば家族を蔑ろにする事も。その全てが、結果としてNO.1ヒーローになる事に帰結するならば、行為は許されてしまうからだ。

 なぜならNO.1ヒーローになるという事は、多くのヴィランを倒すという事だからだ。

 

 だから認める訳にはいかなかった。たとえモヤのヴィランによって自分が引きちぎられていたとしても、クラスの誰かがそうなっていたとしても。緑谷の行為からは対極に位置しなくてはならなかった。

 

「八百万、13号先生の手当てをしてくれ。医療品とか『創造』で産み出せるだろ」

「え、ええ、そうですわね」

 

 唐突に脳味噌が露出した夜色の巨体が目の前に降ってきた。威圧感はあったが生徒は眼中になく、意識を失ったモヤのヴィランを手に、去って行く。

 

「なん、だったんだ今の。急に」

 と、峰田。

 

 緑谷がクラスの面々を見る事無く、夜色の巨体を追って噴水広場に駆け下りる。

 

「おい緑谷待て!」

 

 轟は連れ戻すべきか迷った。生徒はUSJから離脱するのがベストな選択肢だが。

 逡巡の迷いの間に、手当てを受けた13号が意識を取り戻す。

 

「緑谷くんは僕が追います。轟くんは皆をUSJから退避させてください。先ほどのモヤのヴィランが出入り口で立ちふさがったという事は、外に伏兵はいないはずです。通信妨害もUSJに限られている。自動運転バスの通信機器で応援を頼んでください。後はそのまま逃げて」

 

 緑谷を追うべきか、13号の指示に従うか。もしもの事があれば、強個性である轟が対処しなければならないだろう。ここで集団から離れる選択肢を取る訳にはいかなかった。

 

「わかりました」

 

 峰田が蛙吹の抱える腕を見上げる。作り物のように思えた。気落ちして地面に眺めると、影が走った。空を見上げる。

 

「雷?」

「なに言ってんだ、昼間だぞ。俺は個性使ってねえし」

「水平に、いや疲れてんのかなオイラ」

 

 

 xxxxxx

 

 

 

 どういう事だこりゃあ。

 と、主犯格の死柄木は頬を強く引っ掻いた。眼下には凄惨な姿のモヤのヴィラン、黒霧が横たわっている。

 

 黒霧が生徒を『ワープゲート』でUSJ各所の災害区画へ飛ばし、分断させた上で潜ませていた手下に襲わせる手筈だった。

 しかしなかなか災害区画から戦闘の気配が無い。ちらと出入り口付近へ視線をやると、いつの間にか氷壁が作られていた。

 

 夜色の巨体、改造人間の脳無に、黒霧がヤバそうだったら一時撤退させろと命じた結果がこれだ。

 

「死んでねぇだろうな。おい、お前がツブれたらどーやって帰るんだ」

 

 つま先で脇腹を小突くと、僅かにうめき声が返ってくる。

 

 舌打ちして、何があったんだよと出入り口に視線をやると、ガキが一人駆けて来る。ヒーロー気取りのバカが、と死柄木の神経を逆なでした。

 

「脳無、アイツと遊んでやれ」

 

 その命令で脳無はズッ、と重心を低くし、アスファルト砕いて前方へ跳ねる。同時に、USJの外壁を一息で飛び越えた爆豪が噴水広場に着地し、脳無の進路へ割って入るように駆けた。

 

 緑谷の右側面に脳無のフックが衝突する。『反応装甲』が起動するも、10メートルほど吹き飛ばされた。

 同時に爆豪の拳が脳無の横腹に突き刺さり、巨体が冗談のようにふわりと浮く。すぐさま体勢を立て直し、爆豪に構える。

 

「なんだ、こいつ」

 爆豪は思わずこぼした。

 

 オールマイト級に速く、完璧に入ったのにダメージが無い、てか今のは緑谷か? なんで一人でいんだよ。

 ちらと盗み見ると、13号が介抱していた。チンピラが襲いかかるも、さすがにプロ相手では返り討ちに合っている。

 爆豪の横やりで脳無の攻撃は僅かに芯からズレ、『反応装甲』で減衰し、死柄木に遊べと命じられていたとはいえ、そもそものパワーが桁違いだ。まず無事ではない。

 

 脳無と爆豪の攻撃の瞬間は同時だった。拳を握りしめて後悔しても遅い、あとほんの()()速ければ止められていたなどと。

 

 気を失っている緑谷らしき生徒から、脳無へと意識を移して集中する。オールマイト級のヴィラン相手に、そんな余裕はない。

 

 オールマイトのフォロワーを思わせる意匠の黒いフルフェイスヘルメット姿は、死柄木にとって予定の無い闖入者だ。

 

「あ? なんだお前……ま誰でもいいが、脳無、そいつをやれ」

 

 言うが早いか、脳無の暴風のような乱打が爆豪を襲う。

 舌打ちで『OFAラフアウト』を発動させた。

 筋肉の動きから腕の振りを想定し、そこから繰り出される打撃の到達点を弾き出して回避する。避けきれない場合は軌道を逸らし、最小限のダメージに抑え込む。

 

「うぉっ、マジかあの不審者。なんで脳無の攻撃を耐えられる。ムカつくなぁ、ほんとムカつく、大勢連れてきたもののプロ一人に手間取るし、黒霧は役に立たねえし」

 

 対オールマイト用に調整された脳無の猛攻を防ぎ続けられたのは、力に頼った単調な打撃だからであり、ほんの一日二日ではあるが事前にオールマイトとの防御特訓の賜物であり、個人のセンスであり、上限の30%解放を行っているからだった。

 

「あああ、訳わかんねえ。オールマイトはいない、変なヘルメット野郎に邪魔されるわ、クソゲーかよ」

 死柄木は首元を病的に掻きむしる。薄らと血が滲んでいた。不意に飛んできた捕縛布を掴み、『崩壊』の個性を発動して粉々にする。

 

「オールマイトがいるって情報、どっから仕入れたんだ」

 

 13号と共にチンピラを鎮圧した相澤が死柄木に迫る。

 

「イレイザーヘッド……」

「僕もいる」

 

 13号が死柄木の足を掬うように『ブラックホール』を発動する。

 

「クソが! 一対多なんて恥ずかしくないのかよ!」

「一山いくらのヴィランを俺にけしかけたのは誰だ」

「あの脳無ってやつに命令を出しているのはあなたですね? 止めてください」

「力づくでやってみろよ、ヒーローなんだろ」

 

「許さないからな」

 13号は静かに怒りを滾らせ、そう宣告した。介抱した緑谷のボロボロの身体に行われた悪意と、それを防げなかった自分に対する不甲斐なさ。

 

 マズい、なんでこんなことに、と死柄木は相澤のマキビシをローテクスニーカーで踏み抜いた痛みに苦悶した。脳無はヘルメット野郎の防御を崩しきれない。ガキどもは逃がしただろうからプロの応援を呼ばれる。黒霧は使い物にならない。

 

 しかし焦燥感に駆られたのは爆豪も同じだった。

 ダメージの蓄積と30%解放の体力消耗により、代替案を考えなければならなかった。オールマイトならどうするか、その思考の一瞬に差し込まれた一打を支えきれず体勢を崩した。並の相手ならともかく、そんな僅かな隙さえ許されない純粋な筋力差があった。

 

 脳無は本能的に打撃から組み付きに攻撃方法を変え、掴みかかる。かろうじて反応できた爆豪は、襲い来る両手を掌で受け止めた。凄まじい膂力で捻じ伏せられそうになる。体中の骨が悲鳴をあげる。脂汗を流し、歯を砕かんばかりに噛みしめた。

 

 相澤の捕縛布が死柄木の両手を捕える。

 

 どちらもが王手を指す。

 

 瞬きの間に脳無は吹き飛ばされ、どこからともなく降ってきたその男は打撃の残心で立っていた。平和の象徴は。

 瞬きの間に相澤と13号は崩れ落ち、どこからともなく降ってきたその男はゆうゆうと立っていた。悪の支配者は。

 

 オールマイトは、今まで爆豪が見た事の無い表情で悪の支配者を睨みつける。目が無く耳が無く鼻がない、爛れた頭部のスーツ姿の男。オール・フォー・ワンを。

 



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第九話 「待て」

「遅くなってすまない、爆豪少年」

 小声で柔らかく詫びた。だが、視線の先はオール・フォー・ワンへ向いている。

 

 肩で息をしながら、爆豪は言った。

「速すぎる。もうちょっとであの脳味噌ヤローをブチのめせそうだった」

「オーケーそういう事にしておこう」

「しかしなんだあのスーツ姿の、口だけ付いた出来そこないの茹で卵みてェな頭のヤローは」

 

「黒霧が潰された時点で撤退するべきだったね、弔。脳無に掴まれば、黒霧と二人で離脱出来た」

 オール・フォー・ワンは、不出来だが愛すべき教え子に語るような口調で言った。

 

 足元に転がる相澤を蹴り、死柄木はぶつくさと愚痴をこぼす。

「遅いよ先生。しかもこんな……計画もクソもない、バグってる。台無しだ何もかも」

「失敗は恥じるべきではない、真に恥ずべきは失敗を隠してしまうことだ。学びなさい」

「それもこれもアイツのせいだ、なんなんだアイツは。脳無をいなせるやつがいるなんて」

 

 その一言で、オール・フォー・ワンは死柄木が指差す爆豪へ、無いはずの視線を向ける。その瞬間、オール・フォー・ワンとオールマイトを除くその場の誰もが、死柄木でさえ怖気を覚えた。恐怖が針のように細い雨となり降り注ぎ、全身を透過するような凍てつき。

 

「へえ……しかしなるほど、いい後継者を見つけたようだね。彼を僕にぶつけようというわけだ。そして自分と同じ道を歩ませたいのかな。無様に平和の象徴としての姿を偽るような、道化に」

 

 こいつがオールマイトに傷を負わせた。爆豪はなんとか一言いってやりたかった。だが何かを喋れば声が震えそうで、そもそも固唾を飲むのが精いっぱいだった。それほどまでに規格外過ぎる。

 そんな小さな肩に、オールマイトはそっと手を置く。

 

「私は誰かをお前と戦わせようなどと思ってはいないし、誰かが言ったから私はお前と戦うわけじゃない。お前はただただ、誰でもないヒーローと戦っているのだ」

 

「相変わらず正義を楯に詭弁を弄するのが好きらしいな。まあいい、少し早いお披露目だがこの子は僕の教え子でね、お互いの後継者の顔合わせという事で、手打ちにしようじゃないか」

「ようやく顔を出したモグラを見逃せと」

「僕は構わないがね、いまやり合っても」

 

 いびつな音でオール・フォー・ワンの右腕が肥大化していく。地面に亀裂が広がり、本能的な脅威が相澤と13号の意識を呼び覚ました。覚醒によってオール・フォー・ワンの畏怖もその身に晒されたが、ボロボロの身体でなんとか懸命に立ち上がろうとする。

 

 相澤たちや、噴水の縁を背に気を失っている緑谷の安全性を考えれば、千載一遇のチャンスをドブに捨てたとしても受け入れざるを得ない。爆豪一人なら『OFA』で逃げられるかもしれないが、それ以外は戦闘の余波で死ぬ可能性が高い。

 オール・フォー・ワンにしても、死柄木を安全に離脱させるには戦闘は回避すべきだ。脳無がいるとはいえ、既に応援は呼ばれているはず。何かワープ系の個性を探して奪っておく必要があるなと、内心で独り言ちる。

 

 オールマイトが口を開きかけた瞬間、小さく声がした。

 その場の誰もが耳を疑った。

 そんなはずはないがしかし、確かにこう聞こえたのだ「待て」と。

 

 その声を発した人物へと視線が集まる。

 

「逃がさ、ないぞ」

 

 血で赤黒く染まったコスチュームを身に纏う緑谷出久がふらつく足で立ち上がり、そう言い放った。

 すでにその身体は満身創痍で、とてもではないがチンピラ相手でも戦えそうにない。だらりと力なく垂れた左手の切断面を覆っていた氷は砕かれ溶け出て、血がばたりばたりと流れ落ちている。

 そんな重症で、絶望的な実力差を無視して「待て」などと、常軌を逸脱している。オール・フォー・ワンとは別種の狂気が、そこに揺らめいている。

 

 脳無に殴られた緑谷は、気を失っている間ずうっと夢を見ていた。

 不定形にゆがみ、滲んだ《彼》が聞き取れない程甲高く、唸るような低い声で糾弾し続ける逃れられない罰夢。

 

 近づいた《彼》が最後に叫びつける。そこだけは明瞭に響いた。

 

『今言ったらこの場で殺すからな』

 

 意識を取り戻す。同時に『投薬』で血圧と心臓を整えた。

 そしてオールマイトでさえ手を出せない敵に言い放つ。()()()()()()()()()()()()()()()()()ならば、そうせざるを得ない。

 

 爆豪はその姿に絶句した。先ほどはショルダーマントで見えなかったが、左手が無い。そして何が緑谷をそこまで突き動かすのか、まだわからないでいた。嫌な予感がして、その原因を探る思考を無理やり切り替える。この状況下、オールマイトならどうすると考える事で。

 

 ほう、と感嘆してオール・フォー・ワンは言った。

 

「なかなか面白い子だな。きみは何者だ、どうして僕に戦いを挑む? 返答によっては望みを叶えてあげよう」

「先生!」

 

 死柄木は無性に腹が立った。誰もが戦いを避ける選択肢を取る中、一人だけ戦い続ける意思を持ち、自分でさえたじろぐ先生の威圧感をものともしない緑谷に途方もなく負けた気がした。ヒーロー気取りのバカに興味を持たれたことに対する嫉妬心でもある。

 

 答えなくていい、という相澤を無視して緑谷は誰に言うでもなく口を開く。ただ自分自身に言い聞かせるように。

 

「僕は……()()()()()()()()()()()()()()になる、から。なってみせるから」

「まったく面白いな、雄英ともあろう教育機関が。いずれという事にしておこう」

 

 オール・フォー・ワンは死柄木を抱え、『触手』で黒霧を掴み、『エアウォーク』と『跳躍』の個性を使い、凄まじい速度で離脱する。

 

 マイクロセカンド間の出来事だった。

 地から離れた数メートルという低空で、放たれた炎色の閃光が交差するようにすれ違い、触手を蹴り破った。黒霧だけが地に落ちる。

 

「足癖の悪い後継者だな、要を失ってしまった。搦め手を隠さず、『個性強制発動』を黒霧に使えばよかった」

 言って、内心でかぶりを振る。いや、あの後継者を見くびっていた。まさかあの少年の身丈で、あれほどまでに動くとは思わなかった。油断もある。

 

 離陸時の発射力ゆえ、既に雄英上空のオール・フォー・ワンは黒霧の回収を諦める。

 

 オール・フォー・ワンは弔と黒霧の二人を重要視している物言いだった。その内の一人、小脇に抱えられた弔は無理だが、触手で掴んだ黒霧がその二人目と推察でき、後者は捕える隙がある。

 そして強敵相手に一瞬だけ後手に回るのなら、瞬間的にそれを補う力を出力するしかない。

 

『OFAスプリット(50%解放)

 

 黒霧は逃がさない。

 混乱した状況の中でその判断を爆豪が下せたのは、緑谷の壮絶な行動の原因から逃れる為に、オールマイトならどうするかという命題へ思考を冷静に推移させたからだった。

 

 とはいえ、30%解放で全力疾走と例えていた実力で行った50%解放の反動は大きかった。毛細血管がねじ切れ、強い筋肉収縮が体中に起こった。心臓が過負荷で握りしめられたように痛む。

 

 だがそれに見合うだけの結果は残せたはずだと、数十メートルほど後ろを振り返った。オールマイトが心配そうな表情を向けているので、気遣い無用とばかりに軽く手を振る。

 殴り飛ばされた脳無は、オール・フォー・ワンが出現してから停止したままだった。

 

 相澤が倒れかけた緑谷を受け止める。そう言えば発目は、課題提出前に正体がバレるとGPS衛星の不正使用もイモづるなので困ると言っていた事を思い出し、最後の力を振り絞ってUSJの外壁を飛び越える。

 

 そのとたんに通信が入った。適当な雑木林の木にもたれて応答する。

 

『だいぶ負傷しているようですね』

「わかんのか」

『バイタルデータも送られてくるので。ボロボロですね、帰ってこれます?』

「ああ。いや、どうかな、正直わかんねえ」

 

 どっと疲労感が押し寄せて来る。喋るのもおっくうだ。めまいがする。

 

『んじゃあ迎えに行きますよ。もし課題品を調べられそうになったら粉々にしてもいいんで』

「マジか、提出は今日の午後だぞ」

『一度や二度くらい提出ミスっても大丈夫でしょう』

「悪いな」

『そのかわり、何が起きたか詳細に教えてくださいよ』

 

 通信を切ると腰を落とし、へたり込む。アドレナリンが切れると、妙な吐き気がしてきた。たぶん腕の骨にヒビが入ってる。

 先程の切迫した空気とは打って変わって、自然豊かで緩やかな時間が流れている。聞きなれた小鳥のさえずりでさえ、砂漠のオアシスのように安堵をもたらした。

 空いた時間に、どうしても緑谷の姿が脳裏をよぎる。飽きもせずヒーローフリークを語っていた、あの頃の面影はどこにもなかった。

 

 いつからあんなになっちまったんだと考えてみる。考えてみるがしかし、それはあの夜以外の可能性の模索であり、逃避だった。それもやがて逃げ道は塞がれ、一つの答えに向かい合う。

 

 俺があんな事言っちまったからか。

 

 あの夜の時のような憎悪はもうない、かといって許せるとも思っていない。ではタガが外れた狂気に身を置いている姿に清々したかと問われれば否だ。のうのうと普通科などで学生生活を送っていたら、それはそれで反吐が出る。

 

 一つだけ確かな事は、あんな緑谷は見たくなかった。

 

 結局のところ、昔のようにオールマイトの偶像を追っていてくれればよかった。なぜ、緑谷は他人(爆豪)の偶像を象るのか、緑谷(他人)の偶像を象っている自分に気づかぬまま、発目を待った。

 

 しばらくすると、発目が貸し出し電動自転車に乗ってやって来た。雄英の広大過ぎる敷地を移動する為に、学生証を持っている者は自由にシェアレンタルできる。

 

「動けます?」

「無理。肩、貸してくれ。というか、もっと適した乗り物なかったのかよ」

 

「そんな事言われてもですね」

 発目は荷台に爆豪を座らせ、不満げに言った。

「そりゃ私だってどっ可愛いベイビーで回収したかったですよ? でもそんなので移動してたらセンサーに捕捉されちゃいますよ。ほら、しっかり腰に手を回して掴まってください」

 

 ガタガタと舗装されていない道から、遊歩道に移る。事態の収拾に向かった教師とのバッティングを避ける為、少し遠回りをした。発目から、オイルと金属と薬液の混ざった工業臭がする。

 

「おおう、なんですかこの脳味噌丸出し生物は」

 ヘルメットから映像データをスマホに移し、眺めていた発目が尋ねる。

 

「ながら運転はやめろや……俺にもよくわからねえ」

 

 ほうほう、と爆豪の注意を無視してスマホをスワスワし続けている。

 ふと、究極に自分本位のこの女に友達はいるのだろうかと疑問に思う。いやいるはずがない。だからこそ吐露できる気がした。発目には憐れみも同情も存在しない。

 

「お前って友達いんのか」

「んー、エンジニアのネットコミュニティにはいますね。ただまあ世間一般のそれとはちょっと違うと思いますよ。興味を探求したらいつの間にか持ちつ持たれつの関係になったりならなかったりって感じです」

「そいつらと仲が悪くなったらどうする」

「必要になったら関係修復を試みますかね」

 

「クソドライだな」

「だから一般的な友達とは違うって言ったじゃないですか。しかし意外ですね、爆豪くんこそ、そういう所はドライだと考えていましたが。というか爆豪くんこそ友達いないでしょ」

「たしかにまあ、いなくなっちまったな」

「進学先が別でそれきりって感じですか?」

 

 進む先が違うという意味ではそうだった。

 沈黙する爆豪に、発目は続けて言った。

 

「それとも仲が悪くなった? まどっちでもいいですけど、必要ならとっとと関係修復した方がお得ですよ」

「んな簡単な話じゃねーんだよ」

「もしも私が不仲故にパフォーマンスが落ちると感じたらパパッと謝っちゃいますけど……わお、ずいぶん個性的な頭部のヴィラン」

「そこまでストイックになれるかボケ」

 

「そういうセンチな所があるとは意外ですね。……ええ! このヴィラン、明らかに複数の個性を……はあーこんなことが。やっぱり爆豪くんは私にとってのお湯ですよ! お湯!」

「……お前やっぱ俺のことバカにしてんだろ」

 

 お湯と呼ばれて喜ぶやつがいるだろうか。それに見せてはいけない情報のような気がする。気がするが、言ってやめるような性格ではないし、もう指一本動かせる気がしない。

 

 だから自転車に乗ったままサポート科の校舎に入ったり、エレベーターで発目の工房まで連れていかれたり、保健室のベッドではなく数日前に見た手術台のアイテムに寝かされたのも止める事が出来なかった。

 

 がっしりと身体を固定され、身じろぎもできない。

 

「なあおい間違ってたら言ってくれ、お前もしかして医療用のアイテムを俺で試す気じゃねェだろうな」

 

 発目がスイッチを入れると、わしわしとアームが動き出す。その内のレンズが付いた一つが、くまなく身体を精査する。

 携帯端末をスワスワしながら、発目はぼやくように言った。

 

「開放、複雑骨折は無し、手首と前腕が折れてますが手術は無しで行けそうですね。残念ながら」

「聞いてんのか! ヒビくれぇだから問題ねぇって!」

「ヒビも骨折の内に入りますよ。まあ爆豪くんが保健室に行きたいというのなら止めませんが、たぶんヒーロー科の先生方とバッティングしちゃいますよ。それとも学校抜け出して整骨院に? 親御さんに不審がられません?」

 

 たしかにそれはそれで面倒な事になりそうだった。

 

「わかったよ、やってくれ」

「整復で大丈夫だと思うので、引っ張りますね。麻酔いります?」

 

 爆豪の腕がアームにがっしりと掴まれた。おそらく麻酔薬が入っているであろう注射器アームがスタンバっている。

 

「いや、いい」

「結構痛いのに怖いもの知らずですね。でも安心してください、このどっ可愛いベイビーはそのへんの病院よりも的確な処置を施せますので!」

 

 学生のアイテムに麻酔注射されるほうが怖ーよ。と言ってもしょうがないので飲み込む。

 

 それに、いま看護教諭であるリカバリーガールの治療を最も必要としているのは緑谷だ。骨折程度で余計な手間をかけさせたくはない。

 

 

 

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 適当なビルの屋上に降り立ったオール・フォー・ワンは、静かに雄英のある方向へ顔を向けた。晴天の下にある敵地へと。

 死柄木 弔の初陣としては残念極まる結果に終わった。オールマイトを殺し損ねたのはいいとしても、黒霧を失ったのは手痛い出費だ。

 それにあの後継者は、そうとう遣う。『OFA』を譲渡されて一年か二年か、それだけのあいだ隠し育ててきた秘蔵は、弔にとって高い壁になるだろう。

 

「どういう事だよ先生!」

 オール・フォー・ワンの思考を遮り、大仰に手を振って死柄木が抗議する。

「妙なガキが二人もいやがるし、雄英の資料にはあの場にオールマイトがいるはずが遅れて来るし……ハメられたのか?」

 

「その可能性はゼロではないが、無視できるほど低い。だがそういった視点を持つ事は素晴らしい」

「わからねえ。なんでそんなに余裕がある」

「楽しむ事だ、弔。悪為は楽しんでこそ真価を発揮する。楽しんで人を痛めつける姿を見て、人はどう思う? ヒーローが何度でも笑って立ち上がる姿を見るのと同じ気色悪さが、そこにある。だから必要なんだ。時に入念な計画もヒーローによって予想外に崩される事もあるだろう、叩きのめされて逃げる事もあうだろう。それすらも寛容になって楽しめるようにならなければならない。それに、つまらないとすぐ辞めたくなるが、楽しい事は永遠に続けられるだろう?」

 

 死柄木にはその言葉を実感としてまだ理解できなかった。

 それを言えるのは、自らを盤上の駒を動かすプレイヤーだと自覚している者だけだからだ。

 

 駒の怪訝な顔を無視して、プレイヤーはふと夢想する。

 

 あの()()()()()()()()()()()()()()()()()と言った少年の耳元で囁いてみたい。

 オールマイトを超えるという事は、彼を倒すことによって証明されるものではないのかね。と。

 良ければその協力させてほしい。と。

 

 招待状は『テレパス』の個性で送ってある。どう反応するか、想像するだけで胸が躍る。

 

 オール・フォー・ワンは、超常黎明期より一世紀近く生きている。あらゆる種類の人間と接し、人心を掌握してきた。あの手の切迫した人間は、掃いて捨てる程見た。トラウマ、欲望、期待によるプレッシャー。手慣れたものだ。

 

 ただ、緑谷の精神構造はその誰よりも繊細で柔らかく入り組んでおり、そして優し過ぎる事を知る由も無い。

 その理解者は一人しかいないという事も。

 



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第十話 偶像

「で、あの黒霧ってヤローからは何か聞き出せたのかよ」

 

 トレーニングウェア姿の爆豪が、鋭い打撃を放ちながら言った。発目の応急処置から一日空け、オールマイトの口利きでリカバリーガールの『癒し』の個性により身体は回復していた。

 特に意味も無くヒーローコスチュームを身に着けたマッスルフォームのオールマイトが、顔色一つ変えずに最少の動作で躱して答える。

 

「いや何も。知り合いの警部が今回の件を担当しているから、何か情報が出たらすぐに私に流してくれる。今はまだ、DNA鑑定や指紋で過去を洗っている段階らしい」

 

 USJ襲撃事件から既に数日後。雄英は教育機関として、非常に苦しい立場にあった。最高峰の学び舎にヴィランが忍び込み、生徒の一人が重体という餌にマスメディアが食いついた。

 ニュースバラエティ番組やSNSが警備体制の甘さを指摘し、過激な発言やストレスを吐き出させた所で実行犯の一人が『ワープゲート』の個性を使用したと発表。

 ワープ系個性使いによる予測回避不可能な襲撃であった事に雄英批判者は冷や水を浴びせられた形となり。振り上げられた拳の落としどころとして、雄英側は通信妨害に対する備えの甘さを認める事で、後始末は終息を見せることになる。

 

「チンピラどもは?」

「オール・フォー・ワンについては知らないようだった。ヒーローの活躍により力を持て余していた小悪党未満の連中、と言った所かな」

 

 オールマイトがノーモーションで爆豪に組み付き、寝技に持ち込む。『OFA』で跳ね上げようとしたが、オールマイトは足を太腿まで床にめり込ませて地面と自分を固定していた。やむなく床をタップしてギブ。

 ずぼりとオールマイトが足を引き抜く。

 

「クソが、またそれか……体重何キロあんだよ」

「こらこら、人に体重を聞くなんて失礼だぞ」

「そういう茶目っ気はいいんだよ」

 

 苛立った爆豪の反応に、少しシュンとした。

 

「しかし避けては通れない戦術だからね。脳無に体格差で押し切られそうになったんだろ?」

「まあ、そうだけどよ」

「相手の重量が重いってのは、逆に利用できるもんだ。変形型や異形型なんかは重心が変わる事が多いから、柔術の投げが意外に刺さる。相手の自重を攻撃力に変えられるバックドロップとかもいいぞ!」

 

 おもむろにトレーニング人形の背面から胴に手を回し、背を反らしてブリッジをする。床にたたきつけられた人形は肩部まで砕け散った。その間わずか半秒にも満たない。

 

「な?」

「な、じゃねえ! 速すぎんだよ! てかそれだと殺してんじゃねーか!」

「そうだ、『OFA』は悪意と闘う力でもあり、簡単に人体を破壊する力でもある。実際、USJでは驚いたよ、いや驚かされっぱなしだが、とにかく一瞬ではあっても短期間で50%解放まで行えるのは驚異的だ。今のきみが不意打ちで攻撃すれば、トップヒーローでも対応は難しいだろう。一般人なら確実に殺害できる」

「……なんだよ急に」

 

「ま、教育者として言ってはおかなければと思ってね」

 

 言い終わると、制限時間がきた。トゥルーフォームに戻ったオールマイトが、歯切れ悪く口を開く。

 

「それと、悪い知らせだ。今年の体育祭は中止となった」

 

 雄英の体育祭と言えば、一大イベントだ。観客はもちろん個性よる派手な競技目当てだが、参加する生徒は青田買いに来たプロへのアピールが出来る。ヒーロー科に落ちた生徒にとっては、前例は数える程度しかないものの活躍すれば編入のチャンスの場でもある。

 

「オール・フォー・ワンか」

「やつが表に出てきた以上、隙は晒せない。世論もまだ、生徒が重傷を負った事に対する記憶が薄れた訳じゃない。さすがにこんな雰囲気でお祭り騒ぎは出来ない」

 

 雄英へのバッシングを避けるために、ヴィラン連合と名乗った犯罪組織にワープ系の個性使いがいた事を公表したのも理由の一つだ。他にも似たような個性使いがいれば、防ぎようがないではないか、という不安を煽る意見がニュース番組では主流だ。

 人は不安を知りたがる、知らないでいる事のほうが不安だし、知っていれば安全だという気になるからだ。

 

「で、そいつは。緑谷はどうなった」

 

 オールマイトは他科に個人的事情を言うべきか迷った。どうやら二人は幼なじみのようで、爆豪にはどこか緑谷を意識している節がある。

 

「心配かい?」

「命に別状が無いってのは知ってる。このままヒーロー科に留まるのもお袋づてに聞いた。ただ、なんであんな」

「あの自傷を顧みない行為については、我々にもわからない……幼なじみなんだって?」

 

 爆豪は口を開かなかった。

 

「もちろん雄英側は考えを改めるように努めるが、あれは観念の類のようだから時間が掛かるだろう。それまでに彼が擦り切れてしまいかねない」

 

 情けない話だが、とオールマイトはうつむく爆豪の背にそっと手をやった。ほんの少し、一歩を踏み出せるようにと。

 

「情けない話だが、我々は無力に終わるかもしれない。彼を救えるのは、きみだけのような気がする」

 

 

 

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 リカバリーガールの伝手で、緑谷は都内の病院の一室でマスコミや世論から隔離されていた。

 幸いにして骨折程度で済んだ箇所は治癒しかけている。けろりとした表情で、お見舞いのリンゴをパクついていた。体調や精神面から見た早期退院は問題無さそうだった。黒霧に引きちぎられた左手を除いて。

 

 白く清潔な包帯に巻かれた左手首より先は、戻らなかった。切断部分は黒霧のモヤの中に残骸として残っているし、ずたずたに引きちぎられているので縫合も困難だった。

 

 沈痛な面持ちで出久の母親は病室の丸椅子に腰かけ、担任の相澤は緑谷の異様なメンタルに不安を膨張させながらも口を開く。

 

「まずは謝罪する、申し訳ない。我々の力が及ばず、死守しなければならない生徒に取り返しのつかない怪我を負わせてしまい、本当に」

「い、いいんですよそんな、頭を下げられてもその、僕は全然気にしてないって言うか」

 

 そうか、と相澤は気持ちを強制的に切り替える。

 チンピラの取り調べでは、黒霧で生徒を分散させ、待ち伏せで殺す算段のようだった。結果的に緑谷はそれを阻止したことになる。

 雄英生がその辺のチンピラ相手に負けるとは思えないが、可能性はゼロではない。勝手な戦闘も、引率の13号がやられた時点で責められたものではない。

 

「謝った後で言いにくいが、守れなかったくせにどの口が、と思われるかもしれないが、俺はそれでも言わなければならない。緑谷出久、なぜ、黒霧を倒した後に逃げなかった」

 

「もし黒霧に逃げられたら、防ぎようがない潜在的な強襲を警戒し続けなきゃいけないし。あ、それと40年前にアメリカで起きた連続誘拐事件もワープ系の個性使いが犯人で、逮捕までに8年もかかったっていう前例があって」

 

 ぺらぺらと楽しそうに語る緑谷はいたって普通だ。どこにでもいるヒーローオタク。

 相澤はその様子を見て、最後の質問を飲み込んだ。両親と一緒に病室を出て、頭を下げる。

 

「いえ、もう謝罪はいいんです。校長先生にも、もう十分と伝えておいてください。それにこうなる事は、薄々わかっていましたから」

 と、母親が途方に暮れた表情で言った。

「中学の頃、自分の身体を人形のように扱って個性の練習をしている姿を見てから。何度言い含めようとしても、オールマイトを超えるヒーローになるんだって」

 

「しかし本当によろしいのですか、普通科に編入という手段もご用意できますが」

 

「正直、いまの出久をヒーローから遠ざけたからといって安心できるかと言われれば逆です。ヒーロー科から離れれば今まで以上に無茶をするでしょうし、止めてくれる人もまた周りからいなくなってしまう。母親として、どうすればいいのか。……先生、うちの子をどうかお願いします」

 

 わかりました。それ以外に相澤が言える言葉は何もない。

 最後に深々と頭を下げ、病院を後にした。

 

 そして飲み込んだ最後の質問に自答する。

 なぜ、あの時、あの絶望的ほどの実力差をものともせず、オール・フォー・ワンに向かって「待て」と言えたのか。

 勇気があったからではない。あれを絶望と認識する感覚が欠落しているのだ。

 

 

 

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 ヴィラン連合の根城の一つである地下のバーで、死柄木はカウンターに腰かけて爪を噛んでいた。

 

「で、どうすりゃいい。オールマイトを殺すには」

 

 不機嫌な声色で、ウィスキーを口に含むオール・フォー・ワンに言った。

 

「そうだな……きみはどうしたい」

「またそれか、それで失敗したんだ。手本くらいは見せてもらいたいが、今はあの黒ずくめのヒーロー気取りが気に入らない」

「なるほどね。緑谷というらしい、個性は詳しくはわからないが」

 

 死柄木は緑谷のあの態度が気に入らなかった。圧倒的脅威に平然と立ち向かう姿が。あの顔を後悔と悲哀で塗りたくってやりたい。

 

「その緑谷ってやつの住所とかわかるのか」

「少し時間がかかるが、簡単だよ」

「じゃあそいつの家族を殺そう」

 

 その発想は、死柄木にとってそれほど悪いようには思わなかった。それどころか、脳無を使って目の前で親を捻り殺してもあの顔を続けられるのかという好奇心が芽生えた。

 

「適当に思い付きで言ったが、いいな結構。うん」

 自分の考えに相槌を打ち、改めて名案のように続けた。

「自分の力で止められないって事をわからせる為に、あいつが自宅にいる時に目の前で脳無に殺させよう。帰ったら皆殺しにされていた、よりもずっといい」

 

「なるほど、弔が楽しいと考えたのならやりなさい。ただ、悪のシンボルとなるヴィラン連合が名も無き一個人を狙うのはな」

「じゃあどーすりゃいい。俺がどうしたいか聞いたのは先生、あんただろ」

「何も殺すなとは言っていない。僕もそういった暗殺まがいな事をしなかったわけじゃないからね。ただ、組織としては私怨の殺しはバレずにやった方がいい」

「もったいぶらないでくれ」

 

「一人を殺すから目立つんだ」

「……わかった。今動かせる脳無は?」

「三体。決行には少し足りないな」

「クソどもの巣に置いてきた脳無は回収できないのか?」

 

「指揮権を持つ人間から一定距離が開くと機能停止するからね。ドクターに連絡して素材を流してもらわないといけないから、すぐには無理だ」

 

 死柄木は不満げにグラスの液体を飲み干した。

 

 オール・フォー・ワンは黙ってそんな死柄木と緑谷を比べてみる。

 オールマイトの先代の孫である死柄木を、オールマイトにぶつけるのは実に楽しそうだ。倒すべきヴィランが恩師の家族と知った時の顔を想像するだけで胸がときめく。

 だから彼を拾い、ヒーローが跋扈する社会に対しての憎しみを増長させるように教育した。

 

 しかしながら、どうにも幼い。悪の支配者としてのカリスマ性を持たせるには、じっくりと時間を掛けなければならない。

 

 対して緑谷の場合はどうだろうか。あの目は金や名誉、正義感でヴィランと相対しているわけではない。ただ、オールマイトを超えなければならないという観念に突き動かされている。

 善でもなく、悪でもない彼を相手取らなくてはならなくなったオールマイトはどのような言葉を投げかけるのだろうか。それも、ヒーロー科の教え子が牙を向いたとなれば、マスコミにとっては垂涎ものだろう。

 

 USJを去る際に『テレパス』で飛ばした内容は、こちら側への招待状となるだろうとオール・フォー・ワンは確信していた。

 緑谷が救いを求めている事は、手に取るように分かっていたので。

 

「弔、きみ自身がもっと強くなる必要がある。黒霧を失ってしまったからね」

「は? ああ、そりゃそーかもな」

 

 

 

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 クソみたいな日だ。と、深夜の24時間スーパーで働いていた中年男性は、その帰り道をとぼとぼと歩いていた。

 普段はコキ使うくせに、いざ辞めると言い出すと急に猫なで声で労をねぎらいやがって。キモイんだよ、俺より年下のくせによ。

 

 自宅の安アパートに着き、風呂にも入らず晩酌を始める。

 売れ残った惣菜を皿に移し、レンチンしてふやふやの唐揚げを口に放り込み、プライベートブランドの発泡酒を缶のままぐびりとやった。

 

 安いタブレットでVTuberの動画を眺めながら、喉がイガイガする安タバコに火を点ける。コメント欄に次々と数千から数万の投げ銭が表示された。自分の一日の稼ぎを十数分で上回った。

 

 雄英の体育祭も、ヴィランと世論のせいで自粛の方向へ舵が切られた。可愛いJKが飛んだり跳ねたりする姿を毎年ひそかに楽しみにしていたのに。

 狭く汚い部屋に配信者の笑い声が響き、無性に死にたくなってきた。

 どうせ死ぬなら、誰かを庇って死んでみたいもんだと夢想する。電車で轢かれそうになった可愛い子を助けたりとか。

 

 だが、そんな思いにふけるたびに一人の少年を思い出す。こんなクズを助けてくれたヒーローの事を。

 

「シャワー浴びるか」

 

 そう呟いて、狭い浴室へ向かった。

 開けっ放しだった窓を締めようとすると、ふと階下の道路に見慣れない黒いバンが停まっている事に気付く。いつからいるんだ? 出勤前はどうだったっけ?

 暗がりに目を細めると、ふいに車体が膨張した。めりめりと外装が割れ、中から脳味噌を露出させた夜色の巨体が現れる。

 

 中年男性はきょとんとした後、慌ててスマホにすがりついた。震える手で警察に連絡しようとし、指を止めた。

 ヤバそうだったが、俺の勘違いだったらどうしよう。何かの撮影かも。間違いだったら恥ずかしい。本当に危険なら、もう他の人が連絡しているかもしれない。

 

 そう考えて、自嘲した。

 何かあってから『指の爪が少し光る』個性で、何が出来る? ヘルニア持ちのおっさんが、ヴィランと戦う? やれる事と言えば、電話をかけるくらいだ。

 

「ムカつくんだよ。迷惑クソヴィランが、お前らに比べたらフリーターでも俺の方がマシじゃねえか。雄英体育祭潰しやがって」

 

 自分を勇気づけるように、とにかく早口でヴィランをけなして通報する。

 

「文化祭は絶対行くからな、邪魔すんなよ。自殺するにしても今年のミスコンだけは見てからだ…………あっもしもし警察ですか、なんか外に変なやつが、脳味噌丸見えで」

 

 ふっと部屋の電気が落ちた。遅れて建物が倒壊する音が響いた。

 

『なるほど、住所はどのあたりですか……あ、はい』

 

 通報を受けた警察官はすぐに対個性犯罪課の塚内警部に情報を流した。USJに現れた脳無と外見の特徴が酷似している場合は、そのように処理される取り決めだ。

 

「了解した。ありがとう」

 と、塚内は通話モードをスピーカーに切り替え、手早く寝間着からスーツに着替える。

「不審車両の内部から破壊して出てきたって事は、特定のタイミングまで脳無を待機させてたって事だろう。通報者周辺に重要な施設は無いし、たぶんそれ撹乱目的だよ。同時多発的に起きてる可能性がある。大仕事は覚悟しといてくれ。まずは近隣住民の避難指示、ヒーロー協会と連携して事にあたろう」

 

 いったん通信を切り、友人であるオールマイトに連絡を取った。

 

「どうも歩佐初近辺でマズい事が起こっている。脳無の目撃情報があった。通報が早かったので初動対応は理想的だが、どうもヴィラン連合の目的がわからん」

 

 わかった。と、オールマイトはセーフハウスから飛び出し、夜を駆ける。歩佐初自動車道を駆け抜け、廃工場を通り過ぎ、市街の高層ビルの屋上へ降り立つ。

 

 眼下にはぽつぽつと街灯やコンビニ、民家の明かりが灯っている。灯っているはずだったが、ぽっかりと空洞が出来たように暗い地区や、火の手が上がっている。サイレンがこだまし、報道ヘリのプロペラ音に混ざった人々の悲鳴が、助けを求める悲鳴がオールマイトの耳には聞こえる。

 

 拳を握りしめて、ゆっくりと後ろを振り返り、苦々しく言った。

 

「何が目的だ、オール・フォー・ワン」

 

 ぬるりと暗闇から悪の支配者が姿を露わにする。

 

「気配は消したつもりだったが。なかなかどうして、衰えを感じさせないな、きみは……ああ、待て待て」

 と、臨戦態勢を取るオールマイトを制すように続けて言った。

「きみの相手はこの子だ」

 

 オール・フォー・ワンの背後から、脳無が姿を現す。ただ、USJの時の個体とは違い、筋肉質ではあるもののひょろりとしており灰色の体表をしていた。特徴的なのは14本もの腕で、その内の一組で組んだ手により露出しているはずの脳は覆われていた。

 

「さあ、念願のオールマイトを殺すチャンスだ。行っておいで。……弔」

 

 呼応するように、脳無は崩れ落ちた口回りの体表をゆがませて、敵意をむき出しに唸り声を挙げた。

 



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第十一話 偶像 後編

「なっ!?」

 

 脳無がオールマイトに肉薄する。脳を隠すように組んだ手を除いた12本の腕が襲いかかる。その手数に物を言わせた途切れる事の無い連続攻撃に、何発かもらった。

 

「貴様ッ! まさかあんな幼い子を!」

「彼が望んだんだ。強くなる必要があると理解していたし、僕はそれを手助けしただけ。ただきみを殺したいばかりにこんな醜い姿になってしまって、かわいそうに。きみのせいだ」

「ふざッけるな!」

 

 防戦一方では身が持たず、鳩尾に拳をくらわせる。意外にも耐久力がないのか、よろめいて苦しげな声をあげた。そこに妙な違和感を覚えながら、オールマイトは叫ぶ。

 

「今すぐ彼を止めろ!」

「それは無理だ。ちなみに、いま町中で暴れている脳無の指揮権はその脳無、弔にある。きみが彼を殺せば、この街の騒動は直ちに終息するだろうね」

 

 やむをえず、一打を回避できないと判断して腕を叩き折る。それもすぐさま『回復』によって元の状態に戻ったが、脳無は悲痛な叫び声をあげる。

 まさかとオールマイトは固唾を飲んだ。

 

「気付いたかい? 弔を脳無にする際に与えた個性は、典型的な『筋力増加』と『回復』だけのシンプルな個体だが、特別製でね。痛覚を過敏にして残してある。即死攻撃以外は無駄だ。それと……」

 

 オール・フォー・ワンは『エアウォーク』でふわりと浮き、オールマイトを見下ろして告げる。

 

「何が目的かと僕に聞いたね、答えはこうだ。()()()()()()()。それだけだ、そういう遊びだと思ってくれ。本気の遊びだ。今きみが戦っている化け物、脳無になった()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 オールマイトは脳無の攻撃を耐えながら、深く噛みしめた後に叫んだ。

 

「貴様はッ! 貴様だけはッ!」

「その表情だ、見たかったのは。信じたくないだろうがしかし、僕が殺したヒーローの孫が、きみを憎み、殺そうとしている。()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 そう言い捨てて、上空へ去った。遅れて報道ヘリが、ビルの屋上で化け物と交戦中のオールマイトに気付き、カメラを回した。アナウンサーがカメラに向かって声高に言った。

 

「歩佐初市各地で暴れ回っている怪物とオールマイトがビルの屋上で戦っています! あれは一体何なのでしょうか!? 雄英襲撃事件と何か関連性が……」

 

 その映像を、爆豪は携帯端末で見ていた。バックグラウンドで通話中の発目が興奮気味にはしゃぐ。

 

『寝てるとこ申し訳ないですがこれ、爆豪くんの家から電車で三駅くらいですよね? しかも脳無ってやつでしょ?』

「なんで俺の住所知ってんだよ」

『まあまあ、いいじゃないですか。たぶん近辺で脳無が出てくると思うので、気を付けてくださいね』

「どーいう事だ」

 

『ツイッターやメディアの目撃情報を洗ってマッピングしてみたんですが、どうもその辺りだけ脳無が出現してないようなので』

「そりゃどういう……ここが本命って事か? 他は全部陽動だと? あのクソ騒ぎ全部が!?」

『ただの予測ですけど。でも妙ですね、ヴィラン連合とやらが狙うような施設があるわけではないですし、爆豪くんは身バレしてないハズですし』

 

 爆豪は記憶を探り当て、ハッとして普段着に着替えた。ある、一つだけ。ヴィラン連合が、オール・フォー・ワンが興味を抱くものがこの近くに一つだけ。

 

 

 

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 なにやら各所で同時多発的にヴィランが暴れ回っているらしい、という情報が流れだし、住民が浮足立った夜。1体の脳無がずるりとマンホールから這い出てきた。そのまま一軒家に押し入り、物陰からの『爆破』を受けた。

 吹き飛ばされて冷蔵庫に叩きつけられた。腹部が焼け付くも、まるで気にしていないかのように立ち上がって緑谷に襲いかかる。下半身は爬虫類のような尾で、するすると近づき、腕からは無数の蛇がチロチロと舌をのぞかせている。

 

「出久!」

 

 騒ぎを聞きつけ、二階から降りてきた母親が堪らず叫ぶ。緑谷の視線が脳無から外れた。大量の蛇が殺到し、右腕で薙ぎ払いながら『爆破』で迎撃する。爆風圧で引きちぎられた蛇の頭が、床でのたうつ。

 そうしてがら空きになった首筋に、脳無の口の中から生え出た大蛇がかぶりつく。『麻痺毒』を流され、身体の自由が効かなくなった。

 

 脳無は目標を緑谷の母親に変えた。鋭い威嚇音を出して、筆を走らせるように近づく。母親はその異形の姿に腰を抜かしてへたり込む。

 呂律が回らない口で、待て、と発しながら、緑谷はなんとか這うように動いた。だがその牛歩のような移動では間に合わない。

 爆圧で吹き飛んだ腕の蛇の何匹かが再生し、牙から毒液を滴らせた。母親の肉にかぶりつくその刹那、声がした。

 

「もう大丈夫」

 

 屋根を突き破り、一人の男が降り立つと同時に脳無の身体を破壊する。

 

「僕が来た」

 

 母親を救った男には、目が無く耳が無く鼻がない、爛れた頭部のスーツ姿のオール・フォー・ワンは、緑谷に向きなおり柔らかく口を開く。

 

「すまないね、助けるのが遅れてしまって。ただ、ボスの目を掻い潜るのも至難の業でね」

 

「あ、あなたいったい」

 

 母親の疑問を手で制し、緑谷を起こして壁に背を預けるように座らせる。

 

「身体を麻痺させられているのかい? 発熱も皮膚の壊死も無いから致死性の毒ではないだろう。USJぶりだね。『テレパス』で届いていたとは思うが、僕はヴィラン連合に潜伏するスパイなんだ。だから、安心していい」

 

 麻痺した舌で何かを喋ろうとする緑谷を無視し、テレビを点けた。ビルの屋上で脳無相手に手間取っているオールマイトが映し出される。

 

「ヴィラン連合のボスは疑り深くてね。僕の正体を知っているのは今映っている彼とヒーロー協会の長と警察庁上層くらいなものだ。だからUSJでオールマイトは僕に手を出さずに引いた……しかしまあ、あの程度の敵になにを手間取っているのだろうね。僕が来なければ、自分の生徒は殺されていたというのに」

 

 一呼吸置いて屈み込み、無いはずの目線を緑谷に合わせる。

 

「きみ、彼を超えたいんだって。素晴らしいな。オールマイトみたいなヒーローになる事を憧れる者は多いが、追い越そうとするとは大したものだ。どうだろう、僕に協力させてくれないか。必ず、オールマイト以上のヒーローへと鍛え上げる事を約束しよう。もちろん、きみの努力次第だが」

 

 その声色は力強いながらも、蠱惑的だった。抗いがたい魅力と優しさに満ちている。

 

「スパイとはいえヴィラン連合の一員と繋がりを持つ事に抵抗を持つのはわかる。わかるが、オールマイトを超えるヒーローになる為の近道だ。それは結果として将来のヴィランに対する早期の抑止力となるはずだ。大局的に見れば、悪くない選択と言える」

 

 僅かに声を曇らせ、続けて口を開く。

 

「言いにくいが、雄英側に僕も知らない内通者がいる。きみに探ってほしい。USJの襲撃は1-Aの時間割に合わせられたのがその証拠だ。だからきみと僕の関係は念のためにオールマイトにも内密にしなければならないのが心苦しいが、協力してほしい」

 

 秘密の共有、実力者から一目置かれる、大義、協力関係、政府が雇用主である事、そしてなにより社会的な善行。

 冷静に考えれば、オール・フォー・ワンはそれらを並べて立てる為に設定を喋っているに過ぎないが、精神肉体ともに弱っている人間にその判断は難しい。むしろ心に闇を抱え、苦しんでいる者ほど安寧を覚える。

 

 長い間、裏社会を牛耳ってきた悪の支配者はそれをよく知っている。緑谷という少年は誰かからの許しを欲しているのだと考え、自らが与えてやる事でコントロールしようとした。

 

 楽しい事になりそうだった。この憐れな少年は、雄英に潜む架空の裏切り者を探し、雄英に疑心暗鬼を生じさせる種となり、オールマイトを超える為に彼を殺そうとするだろう。

 そうさせる自信があった。幾人もの人間の思考力を削り、命令に忠実な廃人に仕上げてきたという過去がある。

 

 結局のところオール・フォー・ワンにとって、死柄木にしろ緑谷にしろオールマイトにしろ、全ての人間は自分を楽しませる為の駒でしかないのだ。

 

「僕と一緒にヴィラン連合を滅ぼそう」

 

 右手を差し出し、緑谷の手を求めた。

 緑谷は麻痺の効果が切れた震える身体で、その大きな手を強く握りしめる。

 

 オール・フォー・ワンが密やかに笑う。その瞬間に緑谷はあらん限りの力を込めて起爆した。リビングの窓ガラスが割れ、鼓膜が揺れる。

 爆炎と黒煙が消散すると、オール・フォー・ワンの右手は爛れ、指は何本かが消し飛んでいた。安心感を与える為に、個性を解除していたのが裏目に出た。

 

「おそろしい精神構造だな」

 

 緑谷は確かに許しを求めていた。それはしかし、代替不可のたった一人からの許しだ。

 そもそもオールマイトを超えるヒーローになる為に行動する事自体が、《彼》に対するあがないであり、自身の憧れや野心ではない。また、後悔の念による自死を避けるという目的の為の手段に留まる。

 

 そして脳無の個性を知らない口調であったにもかかわらず、麻痺の効果が切れるタイミングで握手を求めた点で、緑谷はオール・フォー・ワンの嘘を見抜いていた。最初から脳無の『麻痺毒』について詳細を把握しており、全て自作自演なのだと確信した。

 

「惜しい……実に惜しい。きみがそうなった直後に出会っていればあるいは……」

 

 母親の瞳から、大粒の雫がこぼれる。荒い呼吸を繰り返し、ただただ愕然とした。

 遅れて炎色の閃光と共に爆豪が駆けつける。

 

「おばさん! だい、じょう……」

 

 言いさして、母親の震える視線を追う。

 緑谷は『槍骨』で作られた螺旋状の杭の『射出』を腹部に受け、床に縫い付けられていた。それでも戦意は失われておらず、なんとか身体を動かそうとするたびに傷口からはどろりと血が溢れた。

 

「その力、後継者か。一手、遅かったな」

 オール・フォー・ワンが、左腕から『槍骨』を生やす。その切っ先は喉元からほんの数センチも離れていない。

「どうしてここがわかったのかは謎だが、ついでに教えてあげよう。僕と相対するという事は、こういう覚悟も必要だ。唐突に目の前で人が殺され、自身の無力さを呪うという」

 

 杭が『射出』される。同時に爆豪が『OFA』を起動する。常人には感知できない速度で駆け、杭に手を伸ばす。緑谷の皮膚に杭の先端が接触する。間に合わない。

 

 時が停まったかのような感覚の中で、爆豪はその状況をいやがおうにも認識していた。

 

 また一瞬遅かった。

 緑谷に言いたいことがあった。それを言うきっかけを探すべきか迷っていた。そうしてうだうだと悩んでいる内に時間は過ぎ、機会を逃してしまった。永遠に。

 

 一瞬。

 一瞬でいい。ほんの一瞬だけあればそれでいい。それさえあれば他は何もいらない。

 

 身を焦がす程の渇望は、爆豪自身に奇妙な感覚を与えた。『OFA』を使った時のような個性使用による体力の消耗。

 気付けば、杭の先端が僅かに皮膚を刺した段階で握りしめて停止させていた。螺旋で傷つけられた掌から血が垂れる。

 つう、と緑谷の喉から珠のような血がこぼれる。

 

「いま何を――」

 

 オール・フォー・ワンが口を開いた一瞬後には、『槍骨』を生やしていた左腕が蹴り破られていた。壁に血肉が叩きつけられる。

 固唾を飲んだオール・フォー・ワンに、杭を握り潰して静かに告げる。

 

「たしかにこいつ(OFA)は悪意と闘う力でもあり、簡単に人体を破壊する力でもあるみてェだがな。てめェに関しちゃ使い分ける必要はなさそうだ」

 

 OFAによる増速どころではなく、一瞬を切り取られたかのような現象だった。

 オール・フォー・ワンはすぐさま計画を断念する判断を下す。爛れた指の先から黒い帯を自身の背面から床下へ伸ばし、緑谷へ突き刺さす。『個性強制発動』により『爆破』を発動させ、爆炎にまぎれて『エアウォーク』と『跳躍』ではるか上空へと離脱した。

 

 夜空の点となったヴィランを追うよりも、爆豪はすぐさま緑谷の容態を確認した。手刀で杭を切断したものの、螺旋状ゆえに出血がひどい。

 

 ふらりふらりと歩み寄った母親が歩み寄り、消え入りそうな声で言った。

 

「出久、出久……お願い返事して」

 

「おばさん、身体はゆすらない方がいい」

 救急に連絡するが、同時多発的なヴィランの暴動被害により手一杯らしかった。

 

 緑谷は、ポケットから取り出した一枚のハンカチを取りだした。母親の流す大粒の涙を、押し付けるように拭う。

 

 それは色褪せており、端は擦り切れていて、オールマイトの柄で、薄らと消えかけた誰かの名前が記してあった。

 

 それを見て、二度とないと思っていたはずなのに、爆豪の眼には涙が一杯になった。

 

「ふざけんなよ!」

 爆豪はぼんやりとした視線の緑谷に、食って掛かるように言った。

「ああ悪かったよ。無個性だった俺に唯一まともに絡んでくれたお前にあんなひでぇ事言っちまって、今じゃ後悔してるよ! 謝る、だがな! てめェだって悪いだろ! 俺は信じてたんだぞ! 二人でガキの頃語った憧れを、二人でまだ追ってるってな!」

 

 その言葉でふっと、緑谷の視界と聴覚から、《彼》のフィルターが外れた。弱々しく口を開いた。

 

「かっ……ちゃん」

 

 重体の緑谷を抱えて被害の無い地域の病院へ運ぼうにも、この様子では身体に負担がかかりすぎる。

 

「俺は謝った、だからてめェも謝れや!」

 

 緑谷はかすれた声にならない声で答える。爆豪がそれに返答すると、ふわりと安堵の表情を見せた。途方なく恐ろしい罰夢が醒める。

 

「今度こそ信じるぞ、()()()()()()()()()()()()()()()()()ってお前を」

 

 緑谷の口元で傷を負った拳を握りしめる。ぼたぼたと血が落ち、緑谷の口の中に鉄の味が広がった。

 

 すぐさま発目に連絡を取る。スピーカーモードにして緑谷を抱きあげた。

 

「腹に穴が開いて失血死の恐れのある怪我人がいる。こっから一番近い空いてる病院はどこだ」

『あー、その辺はどこも一杯ですね。しいて言うなら……』

「……マジかよ。大丈夫なんだろうな」

『大丈夫じゃなかった時ってありましたっけ?』

 

 言われて短いながらも発目との付き合いを思い出し、腹を括る。

 

「おばさん、不安だろうが俺にこいつの命を預からしてくれ」

 

 へたり込んで涙でぐしゃぐしゃの母親が見上げた爆豪は、どこか既視感があった。出久が動画で何百回と繰り返し見ていた、あるヒーローに。

 

 鼻をすすって助けを求めた。

「わかった、お願いね、勝己くん」

 

 

 

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 避難所に指定されている中学校のグラウンドの隅でこっそりタバコを吸っていた中年男性の頭上を、緑谷を抱きあげた爆豪が跳んだ。

 

 

 

 xxxxxx

 

 

 

 雄英、サポート科校舎にある発目の工房の窓は開け放たれていた。夜風と共に、爆豪が矢のように飛びこんで来る。

 

「相変わらずの速度ですね。それじゃあ私のどっ可愛いベイビーに寝かせてください」

 

 言われて以前の骨折を整復してもらったアイテムに横たわらせる。すぐさまエアカーテンが展開されて清潔な空間が確保される。アームが稼働し、麻酔やら輸血を始め出した。

 

 やっぱこれ違法なんじゃねえの。と口元まで出かかった言葉を飲み込んで言った。

 

「で、市街の脳無はどうなった」

「急に活動を停止したみたいですね。USJの時の映像を見て思ったんですが、命令を下す指揮者が離れると停止するんじゃないですか? 操作系や洗脳系の個性使いがいると利用されちゃいますし」

「てことは、タイミング的にあの卵頭が指揮者か」

 

 そう呟いて、爆豪は椅子に腰かけてオールマイトに連絡を取った。

 

「いま、大丈夫か」

『ああ、問題ない……少し戦いにくい脳無だったが、高速ジャイアントスイングでブラックアウトさせて無力化した。二体目と交戦中にどういうわけか停止してね。今は災害救助中だ。何か問題が?』

「ああ、大問題だ」

 

 窓から夜空を眺めながら暗い気持ちで言った。

 

「『OFA』を譲渡した。それも死にかけの重症のやつに。もしそいつが死んだら、継承されてきたもんが途絶えちまう」

 

 一拍置いて、オールマイトは真摯に答える。

 

『いいさ。『OFA』がヴィランと戦うのではなく、誰でもないヒーローがヴィランと戦うのだから。『OFA』はその手段に過ぎない。それに、きっと大丈夫。きみが判断したんだろう? その重傷を負った子は『OFA』に相応しいって』

 

「ああ、だが……悪い、らしくねえ。普段の俺なら、もっと頭を使ったんだろうが……どうしてかな」

 

 緑谷に譲渡した事に後悔は無かったが、積み重ねてきた力を無くすかもしれない事に責任を感じる。言い訳じみているが、とにかく正直に白状する事で責を果たそうとした。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に、オールマイトは笑みをこぼす。

 

『どうした爆豪少年! そんな暗い口調でヒーローになれると思っているのかい?』

「いや俺はもう……残り火があるっつってもいずれは無個性に戻っちまうし」

『HAHAHA! 廃工場で、無個性でもヒーローになるのは簡単だったと言ったのは誰だったかな~』

「いやあれは……」

 

 なんとなく気恥ずかしくなって頬を掻く。

 

『覚えているぞ。私を超えるくらいのヒーローになるんだろう?』

 

 その言葉で、アイテムの治療を受けている緑谷に視線をやる。

 

「そうだな、そうだった。忘れてたよ。思い出した。忘れたくなかった」

 

 ガキの頃、無邪気に語った偶像を追う事を、一人にだけ強いるのは格好がつかない。

 俺も災害救助を手伝うよ、と場所を聞くと通信を切って椅子から立ち上がる。

 

「え爆豪くん、無個性だったんですか? でその『OFA』ってのを誰かから継承していたと」

 

 ぱちくりとした視線で、発目が投げかける。しまったと思うがもう遅い。完全に気が抜けて油断していた。

 

「おい今の誰にも言うんじゃねえぞ!」

「言いませんけど。そうですか、しかしなるほど」

「んだよ、興味失せたか」

「いえ、逆にレアですね。自論ですが、無個性ってめちゃくちゃ可能性があると考えてるんですよ」

 

 発目が興奮気味に力説する。

 

「セメントス先生っているじゃないですか? セメントを操る個性の。もしもこの世界にセメントが発明されていなかったら、セメントスさんはどう評価されると思います?」

「そりゃまあ、無個性」

「でしょ? そう考えると、いま無個性の人って、まだ個性によって引き起こす現象が定義されてないか、本人が認識してないだけだと思うんですよね~。だから爆豪くんはこれからもサポート科でいろんな現象を学んで、ぜひ個性を見つけ出してくださいよ! ぶっちゃけ爆豪くんの普通の想像力だと落第必至なので課題とか手伝いますから。で、それって必然的に新発見に近いと思うんですよ! 世界がまだ知らない秘めた何かを発露させる可能性があるってめちゃくちゃ胸が高鳴りませんか!? 私の想像を超えた何かが、あるかもしれないんですよ!?」

 

「合間にすげえ失礼な事言われた気がするが、まあいい。作るの手伝って欲しい()()()()があったしな。まぁ、救助活動手伝ってくるわ……ありがとな」

 

 窓枠に足をかけ、背を向けたまま照れ隠しで言った。発目の考え方で、ほんの少しだが気が楽になった。

 

「あ、いーですよ別に。持ちつ持たれつですし」

 

 肩越しに振り返って見やると、発目はどーでもよさそうにPCに向かってキーを叩いていた。

 こいつ……と思わないでもないが、まあ発目らしいと納得させて残り火で跳んだ。

 

 それにしてもと、ビルの屋上から屋上へと移動しながら再考する。

 後悔し、望んだ一瞬。絶対に間に合わないはずの杭を防ぎ、オール・フォー・ワンの片腕を蹴り破った一瞬。ほんの僅かな時間。あの時たしかに……

 

 次第にサイレンの音が聞こえ出した。まさかな、と思考を切り替えてオールマイトとの合流地点へ急いだ。

 

 

 

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 高層マンションの一室で、アイマスクに猿ぐつわの男が転がされていた。

 男はどこにでもいるような給与人で、家に帰れば妻子がいる。

 そんな日常のはずが帰宅途中の突然の拉致に、動揺を隠せずに息を荒くしている。

 

「すまないね、突然こんなまねをしてしまって」

 

 その力強くも柔らかい声とともにアイマスクが外された。目の前には目が無く耳が無く鼻の無い顔がある。身をよじって距離を取ると、左腕も無い。

 ここはどこだと辺りを見回すも、窓はすべてカーテンが降ろされている。ガラの悪い連中が、実験動物を見るような冷ややかな視線で見下ろしていた。

 

「大丈夫、安心してほしい。必ず生きて家族のもとへ帰そう。約束する。きみの個性が欲しいだけだ。自分の肉体を人生における最高の瞬間で維持できるという、変形型の個性。『全盛』が。ただ――」

 

 と、腹部へ手を伸ばす。

 

「――ただ、念のためにどれほどの効果なのか確認させてもらうよ。だいぶ痛いかもしれないが、我慢してほしい」

 

 猿ぐつわされた口で、懸命に抵抗の意思を示す。腹部に迫る手は無数の触手のようにうねり、その先端は鋭利な刃物のように硬質だった。

 涙が出てきた。懸命に助けを叫ぼうとし、内心で祈った。そんな都合よく助けが来るはずがないとわかってはいたが、すがらずにはいられなかった。

 

 助けてくれ、ヒーロー。と。

 

 部屋の電気が落ちた。同時に天井が『爆破』され、左腕の無い男は飛び下がって闖入者と距離を取る。

 

「もう大丈夫」

 

 と黒ずくめのヒーローは、誘拐された男を庇うように降り立っていた。

 

「僕が来た」

 

 その後姿に、誘拐された男は心の底から安堵した。嗚呼、助かった、と。依然としてヴィランに囲まれているのにもかかわらず、そう思った。

 

 月明かりに照らされた室内で複数のヴィランが個性を構えたが、『一瞬』後、同時に叩きのめされて床に伏した。

 

「よーやく見つけたぞクソ茹で卵が」

 

 まばたきの間に、どこからともなくもう一人のヒーローが現れた。反った兎の耳が意匠の黒いフルフェイスヘルメット被った、ラフな格好をしている。

 

「懐かしいね、何年ぶりかな」

 と左腕の無い男が二人を見比べる。

「それで、どっちが後継者なんだい?」

 

「んなこたァどうだっていいんだよ。てめェはここで仕留める」

「これ以上好きにはさせない。あなたを止める」

 

 二人のヒーローが、悪の支配者に対して構えた。インカムにバックアップの通信が入る。

 

『誘拐された人は窓から放り出してください。回収しますんで。あと近隣住民の避難は終わったんで、盛大にやってオッケーですよ。んでその義手、毎度のごとく普通の出来なんで無茶しないでくださいね』

「普通言うなや!」

『いいかげん私のどっ可愛いベイビーを付けてくれればいいのに』

 

「大丈夫だよ、僕にはこれがいいんだ」

 

 そう言って黒ずくめのヒーローは、左手の義手を宿敵に叩き込むべく、最後の戦いを始めた。

 

 

 

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 かつて。

 そのヒーローは互いが互いの偶像を目指し、歪みながら、最後は自分の心に刻んだ偶像を取り戻した。

 

 いまは。

 オールマイトみたいなヒーローだと言った子供がいる。

 オールマイトを超えたヒーローだと言った子供がいる。

 

 そして。

 その二人を偶像に、将来に夢を抱く子供がいる。『爆破』のヒーローと、『アイテム使い』のハンカチを親にせがむ、ヒーローの卵が。

 

 あと裏方がプロデュースした食玩のハツメロボは売れに売れてアニメ化を果たし、シリーズ化し、国民的人気になってる。

 




偶像の象り 完


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