ナティシア ー平凡幼女はハードモードな世界を生きるー (かげはし)
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第一章 狂気に堕ちる不純物たち
0話 転生したら女だった


 

 

 

 

 平凡な人生を生きて、平凡な見た目のまま、ことごとく平凡な人生を生きる。そう思ってしまうほど、俺はいろんな人間の平均値に立っていた。

 

 身長は低くなく、それほど顔は悪くないはず。

 だがしかし、何処にでもいるような『平凡顔』と言われるために彼女なんて出来たことはないものだ。一応義理チョコは貰えるけれど、長年みんなからあと一歩と惜しまれ過ぎてもう彼女とか考えるのを止めた。別に拗ねてる訳じゃない。

 高校一年の俺は学校で平均値の成績を残しながらも、何も問題を起こさずに毎日を過ごしているはずだったんだ。

 

 

「お待たせ。急に呼び出しちゃってごめんね」

「いや、別に」

 

 

 そんな平凡な俺にとっての唯一のあり得ないことといえば、この幼馴染だが。

 文武両道、いろんな意味で優秀な美人。これからの将来を約束された幼馴染が俺を公園に呼び出した。太陽が沈んだ夜の時間帯の公園に利用する人はほとんどいない為、俺と幼馴染の二人っきり。

 それにドキドキするような関係ではないが、何故かあいつは自分の……学校中の男子が下心丸出しの目で揉みたいと密かに言ってしまう程大きな胸を両手で祈るように押さえて口を開く。

 

 

 

「あのね……突然だけど私について聞きたいなって思って」

「はい?」

「私の事どう思っているのかなーって……」

 

 

 何を言っているのだろうかこの幼馴染は。

 こいつはもう俺がどう思っているのかは知っているはずだろう?

 

 ただの幼馴染。俺にとって妹のような存在。

 ずっとずっと一緒にいた。離れがたいが彼氏が出来たら祝福して、そんで大人になってこいつが結婚したらいつか俺が親友としてスピーチぐらいはするんだろうなって関係のはずだろう。

 家族であるということはちゃんとこいつも理解しているはずなのに、今更何を言っているのだろうか。

 

 しかもいつもなら俺の部屋に勝手に上がってきて宿題を共にやったり遊んだりとするはずなのに、こんな夜中に家から遠い公園まで呼び出しておいて……。

 

 

「……なあ、そんなくだらねーことで俺を呼んだのか?」

「く、くだらなくなんかないもん! 私にとっては重要だもん!」

「もん、じゃねーよ馬鹿」

 

 

 いきなり何を言ってるんだろうこいつは。しかもこんな夜に家じゃなくて公園に呼び出しておいて他愛ない話でもする気かよ。電話で良いだろそういうのは。

 ってか、こんな場所に呼び出すんだから普通友人関係で悩んでるとか、幼馴染を見る男子の目が変態過ぎてどうにかしてほしいとかそういう話かと思ってたんだが。

 

 ジト目で見つめていると何故か幼馴染は頬を赤らめて焦ったように言う。

 本当にこいつどうしたんだ? 彼氏でも出来たのか?

 

 

「あのね、違うの。わ、私のこと好きかなーとかそういうんじゃなくて。いやそうだけどそうじゃなくって。ずっと一緒だったからそろそろいいんじゃないかなーとか、まだ駄目なのかなーとか……」

「どっちだよ」

 

「ああもう! だから私は君のことが―――」

 

 

 

 何を言うつもりなのか。別の重要な話でもあるのか。そう話を促そうとしていて。

 

 

 それは有り得ないほどに急だった。

 突然の痛みと、聞いたことのない冷たい声が俺に襲いかかったのだ。

 

 

 

「死ね」

 

「え?」

 

 

 ドスリ、という鈍い音と共に広がる冷たくも鋭い痛みが身体中を蝕む。

 立っていられない衝撃。悲鳴をあげそうになって……しかし、口から出てきたのは胃から込み上げてきた吐血だった。

 

 

「な……ん……っ!?」

 

 

 現実的ではない激痛にゆらりと身体が崩れ落ちる。

 そうしてようやく見えたのは、見知らぬ誰かが俺に向かって包丁で刺そうとしている場面だ。

 

 

「っ――――――!」

 

 

 痛みの発生源は包丁だった。殺人鬼が包丁を手に持って今度は俺の腹に突き刺して来たのだ。

 

 身体に包丁を突きたてられて、俺の身体から血が噴き出した。

 だが奴はそれだけじゃ足りなかったんだろう。倒れた俺の腕を引っ張ってその場でのしかかり、何度も何度もその胴体に突き刺してきたんだ。

 

 抵抗なんてできなかった。ただ幼馴染に「逃げろ」としか言えなかった。それも込み上げる血と共にか細く言うしかなかったもの。

 目の前を見ると幼馴染が恐怖と悲痛の叫び声をあげている声が遠くから聞こえた。俺の名を必死に呼ぶ声が聞こえた。その後何かが騒ぐ音が耳鳴りのように響く。鉄臭さが鼻を通って吐き気を促し、奴は満足したのか俺の腕から手を離した。

 

 刺された場所が悪かったのだろう。

 身体中から力が抜け、一気に視界が黒く染まっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこしか覚えてねえんだよなぁ……」

 

 

 おぼろげの記憶にため息しか出てこない。

 以前の俺とは比べ物にならないほどの小さな手を天井に掲げ、ごわごわとしているが寝台よりも柔らかい藁に寝転がりながらもため息をつく。

 俺の口から発せられる声は少女のように可愛らしくあるもの。身体全体も小さく、以前では考えられないほど燃え広がるような真っ赤な髪が藁に広がっていく。あの刺された身体とは違う幼くも傷ひとつないものに、またため息が込み上げる。

 

 あれはきっと通り魔だった。

 誰でもいいから誰かを殺したかったのだろう。ニュースとかでよくやっていた事件を思い出してはため息が込み上げる。

 俺の知らない身近な殺意。不幸にもその犠牲になったのが俺だっただけのこと。

 

 

(あいつは無事に逃げられたかな……)

 

 

 逃げ切れたと思いたい。俺を襲った奴は頭がおかしい通り魔だと思うから。

 あいつは俺と違っていろんな意味で恵まれてる。いろんな人に愛されている。

 

 幼馴染は家族のような存在でもあるから、生き延びて幸せになってほしい。

 

 

「あー。でもなー」

 

 

 刺されるまでの記憶。すなわち以前の男の俺は前世と考えよう。

 誰が見ても幼女の身体。それも生まれつき真っ赤な髪が受け入れられるような世間。性転換しただけなら良かったが、それ以外にも問題はあった。

 

 

「アルメリア! 遊んでないで早く手伝いなさい! でないとモンスターの森に放り出すわよ!」

 

「はーい! 分かったよ母さん!」

 

 

 ここは、ゲームのようなモンスターがいる異世界。そこに俺は性転換して幼女として生まれ変わったらしい。

 

 

 

 

 

 

 



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1話 惨たらしい異世界

 

 

 

 

 死んで生まれ変わったら女だった。それだけならまだいい。いやよくないけど。

 問題はこの世界がゲームなどで見かけるモンスターがいるのが当たり前な世界だということだ。

 

 村の中でよく聞く「はぐれゴブリン」の噂がある。

 はぐれゴブリンはそのままの意味であり、ゴブリンの群れからはぐれたか、追い出されたかのどっちかの一匹のこと。

 そいつがたまに村へ侵入し、いろんな意味で美味そうな女を連れ帰って新しい群れを作ろうとする恐ろしいモンスターだという話を村の少年から恐ろしげに聞かされた。

 

 前世だったら他人事のように可哀そうで済むけれど、今の俺は一応女だ。

 幼女だけど女だから警戒はしなきゃいけない。

 

 モンスターに会いたくないなら誰かと離れず一緒にいるか、村から出なければ済む話だけれど、現実はそうはいかないんだ。

 

 

「さあ行くわよアルメリア。今日は町の商店街に買い出しに行かなきゃいけないんだから」

「分かってるよ母さん。でもさ、できれば俺と母さんだけじゃなくて他の……ほら、村の少年とかに頼んだら?」

「馬鹿なことを言うんじゃないの! 私達の村はただでさえ人手不足だっていうのに……まったく、何でこんなに我儘に育ったんだろうね」

「我儘じゃなくって提案……」

「やかましいよ。さっさと荷物を持ちなさい!」

「はい」

 

 

 村で耕した薬草を縛って背に括り付けただけのものだが、それでも五歳の幼女に持たせるようなものじゃないと思う。薬草一本だけなら軽いけれど、それが何束ともなると結構な重さになる。一応母さんが手加減して俺が持てる限度ぎりぎりまでにしてくれているんだろう。……うん、そうだよな?

 

 靴もボロボロで、服だって母さんが大事に持っていたお古を着ているようなもの。

 ぶっちゃけワンピース一枚のような恰好なので、町へ向かうための獣道へ行くと草が肌に刺さってチクチクしてかゆくなる。でも文句なんて言えばまた母さんの機嫌が悪くなって夜ご飯がほぼゼロに近くなる。

 普通に考えて虐待だと思う。

 

 だがそれが、この世界での当たり前なんだろう。

 

 父さんはいない。国に兵士として徴集された。他の大人の男達も、国へ呼び集められた。

 だから村はスカスカだ。働ける人間が女か老人かまだ徴集されるべき年齢じゃない若い少年たちぐらいしかいないから、皆支え合って生きていかなきゃいけない。だから俺も働かされる。俺ぐらいの年齢の幼児たちもそれぞれの家族の元で手伝っている。泣いている子供もいるけれど、それ以上に皆疲れた顔をしている。

 

 

「早く行くよ。町で薬草を売って、食料と消耗品を買って、帰るんだからね」

「ああ。いつか父さんが帰ってくるその時までな」

「一言多いんだよアルメリア」

「ごめん母さん」

 

 

 ジロリと通常の幼女なら泣きそうな目で睨みつけられた。

 でも地雷を踏んで苛立たせて教育されるわけじゃないからまだ平気な方か。これ以上母さんを怒らせるようなこと言わないようにしよう。

 

 獣道を歩き慣れた母がたまに俺の方を振り返りながら、休憩を入れながら歩いて町へ向かう。重さで足が痛くなった頃に休憩をこまめに入れるけれど、それも数分。

 朝日が登ってから歩きはじめて、町へ到着する頃には太陽がてっぺんだから、数時間もかけて歩いているのだろう。

 

 

「……自転車が欲しい。それか靴にローラースケート」

「何変なこと言ってるんだいこの馬鹿娘は。ほら、背中の薬草を降ろしてこっちへ寄越しな。その間は座ってて構わないよ」

「分かった」

 

 

 ようやく一息つけた。今度の難関は町から村へ帰る道か……。

 邪魔にならない道の隅っこで地べたへ座って、薬草をまとめている母さんを眺めた。手伝えって言われたらやるけれど、今は休憩していたい。

 

 

「アルメリア」

「なに?」

「私はいつもの店に行くけれど、分かってるだろうね?」

「分かってるよ。誰かに話しかけられても答えないしここから離れない」

「ああそうさ。そう言うところだけは他の子たちとは違って頭が良くて助かるよ。まるで大人と話してるみたいで鼻が高いさね」

「あはは……」

 

 

 母さんはただ冗談を言っていただけかもしれないけれど、結構心臓に悪いんだよなぁ。まあさすがに前世の記憶ありというような疑問には思われないだろう。良くて大人っぽい幼女。悪くて変に頭が冴えた気持ち悪い幼女。最終的には幼女だから大丈夫なはず。

 

 

「早く帰って来てね母さん」

「ああもちろんだよ。あんたが変なことしないように見てなきゃいけないからね」

「そうだね。俺は他の子よりおかしいから」

「……ふん」

 

 

 ひらひらと手を振って、ちょっと機嫌が悪い母さんが町でいつもの薬草売場へ向かうのを見送る。

 

 ポーションを売っている店らしいけれど、ぶっちゃけあれってただ草と水をミキサーで混ぜて飲ませるようなものなんじゃないかなって思う。野菜ジュースより酷い草ジュースだ。

 一度だけ店の中を覗いて見たことがあったけれど、ゲームのポーションのような神秘的な感じはしないし、どろっとしてて薬みたいだった。だからちょっとだけ失望した。

 理想と現実は違う。モンスターだって現実では人間に惨たらしい被害を出している。だから父さん達はいない。

 

 

「あー……止めよう。楽観的に考えよう。父さんが戻ったら人生は楽になると考えよう」

 

 

 肩までかかる赤髪が乱れるほど首を横に振り、小さい手で柔らかな頬をパチリと叩いて思考を切り替える。そんな危行に走る俺の姿を見つめる目なんてありはしない。町も村と似たように国からの要請のせいで活気があるわけじゃないから、皆自分の事で精一杯なんだろう。

 俺は……どうなんだろう……。

 

 

「お嬢ちゃん。お母さんはどうしたのかな? 迷子になっちゃったの?」

「…………」

 

 

 こっそりと、俺はすぐそばにあった天井を支えるための柱にしがみつく。

 ああ面倒だ。凄くめんどくさいし、キツい。

 

 薬草を売りに行って数分が経ったから、母さんが店に入った後に俺に気づいたのかな。

 気色悪い笑みを浮かべる男が三人ほど、俺を取り囲んでジロジロと観察している。普通の幼女ならどうしていただろう。

 前世の世界での幼女ならたぶん恐ろしくて泣いていたか逃げ出すかもしれない。この世界の幼女は親が仕事に集中していて最低限の関わりしかなくて寂しがり屋が多いから、一見すると優しげな笑みに惹かれるかもしれない。

 

 町を歩く他の人を見るが、誰も興味なしというように俺達を素通りし歩いている。

 店の中から出てくる母さんの様子もなし。取り囲まれているから逃げることもできない。

 

 

「黙ってちゃ分からないなぁ。おじちゃんたちに教えてくれないかい?」

「げへへへ。おじちゃんたちは怖くないよー」

「そうそう。君のような可愛らしくて可哀そうな子を救いたいだけなんだ。お母さんとはぐれたなら、おじちゃんたちと一緒に探そうか」

「…………」

 

 

 一人の男に俺の小さな肩を掴まれたから、柱にしがみつく力を強める。両足で柱に絡みついて絶対に離れないようにする。

 そうすれば男たちは俺がこの場から離れないという意思を感じるはず。

 

 そう思っていたら、店から盛大な音を立てて扉が開かれた。

 

 

「うちの子に何やってんだいアンタ等! ちょっと店長さん、冒険者でもいいから呼んできて! うちの子が攫われそうになってるって!」

「なっ、お、俺達は親切心からだね……」

「親切心でうちの子を囲んで何をしようっていうんだい? 町に兵士がほとんどいないからって自分の庭みたく好き勝手してるんじゃないよ! 誰も見てないと思ってるんじゃないだろうね?」

「それは……」

「言っとくけど私は見てるよ! アンタ等のような変態を見てると腹が立つんだ! うちの子に触ったってやつがいたら口の中に石詰め込んで殴ってやるから覚悟をし!!」

 

 

 母さんの怒涛の怒声に殺されるんじゃないかと不安になったが、その騒ぎのおかげで興味なさげだった町の目が男たちに向かれた。そのおかげで奴らは顔を赤らめながらもどこかへ向かって去っていく。

 その後ろ姿を見て不安になったけれど、いつものことだから気のせいだと信じたい。

 

 

「まったく、大丈夫かいアルメリア。身体は平気かい? 身体中を舐められたり触られたり、揉まれたってのはないだろうね?」

「あー……いや……」

「胸触られたとか、服を捲られて恥ずかしいところを見られたとかは」

「ないってば。母さん、大丈夫だから」

「……そうかい。何もないんだね」

「うん」

 

 

 なんかこう、いやに生々しくて聞きたくない。

 こういう言葉をさらっと言うあたり、本当にこの世界の酷さを身に染みて分かった気がする。分かりたくないけど。

 

 

「なら仕事に戻るよ。次は必要な物を買わなくちゃいけないからね」

「うん」

 

 

 母さんが俺の頭を軽く叩いて立ち上がる。

 荷物はないが、心は重かった。

 

 嫌な感情は町から村へ戻っても続いてしまって、母さんに軽く心配をかけてしまった。だから次からは気を付けよう。今の母さんに負担をかけるような真似はしちゃいけない。

 俺は中身が男なんだ。いくら幼女でも中身の性別はもう変えられないほど前世の記憶があるのだから、不安を表面に出さないようにしなければ。

 

 

 

 

 

「母さん、ちょっと小屋まで出かけていい?」

「ああ、今は仕事もないから構わないよ。でもねアルメリア、モンスターや変な人間に会ったらすぐに逃げるんだよ」

「はいはい。分かってるよ」

「ハイは一回だよ!」

「はい」

 

 

 小さくため息をついた母の声を背に受けながらも、家を出ていつもの小屋へと向かう。

 小屋は俺が一人になりたいときに使う場所。

 

 母さんの怒声が響く程度には村に近いけれど、その小屋は森の中に面している。

 もともとは父さんが馬を飼っていて、それで狩りに使うためのものだった。だからまだ藁が残ってるし、薬草などを干す場所でもあった。

 ある意味昼寝スポットでもあり、俺にとっての小さな冒険の場所でもあった。

 

 モンスターに襲われるかもしれない不安はあるけれど、母さんと薬草を売れるように干すために何度も通っているからほとんど俺の別荘だ。

 今回売ったから、また薬草が生えるまでに数週間はかかるだろうけれど。その間は好きにしよう。

 

 

「……ん?」

 

 

 村から森の中へ入り、小屋までの距離が半分ほどに近づいた時だった。

 

 臭いがする。血のような腐った臭い。

 獣臭が、小屋の方から感じる。

 

 

「……いやいや。まさか」

 

 

 小屋にモンスターでもいるのか?

 まさか、はぐれゴブリンが小屋に住みついたのか?

 

 そうなった場合は逃げた方が良いのだろうか。

 この異変に母さんを呼んで、対応してもらうべきだろうか。

 

 でも母さんは俺以上に働いて疲れてる。

 俺に教育しなきゃいけないこともあって機嫌がすぐに悪くなるし、これ以上の心労は身体に毒だ。

 小屋は俺達にとって必要な物。薬草を売るために必要な場所なんだ。

 

 これは、呼ぶ必要のある事態だろうか?

 いやそれよりも、本当に小屋で起きている状況か?

 

 

「……状況判断は、しっかりと目で確認」

 

 

 まだどうなっているのか分からない。

 ただのポンコツ幼女の身体のせいで誤解かもしれないし、見に行ってみないと分からないだろう。

 よし行こう。小屋まで行って、確認しよう。

 

 先程よりもゆっくりと、警戒は怠らずに歩く。

 獣道に落ちていた俺が持てる程度に小さな木の棒を拾って、気持ちを落ち着けて前へ進む。

 草木をかき分けて、次第に俺がよく知る場所へ。

 

 木々が小屋から離れるように数本切り倒されて視野が広がるところへ。

 

 慎重に歩いて近づいて―――――――。

 

 

「……うわあ」

 

『あ?』

 

 

 小屋があった場所に、小屋がなくなっていた。

 

 いや違う。それだけだったらまだよかった。

 

 

『貴様、あの盗人共の手の者か』

 

 

 

 脳内で響くような重低音の声が、俺に向かって囁かれる。

 それに身体が震えた。本能で、ここにいたらやばいと分かってしまった。

 

 

 小屋があった場所を押し潰す形で、頭に血を垂らしながらもガン垂れる一匹の黒いドラゴンがいたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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2話 こんにちは、ドラゴン

 

 

 

 

 

 

 黒曜石のように綺麗で黒い鱗が特徴の、以前は建っていた小屋よりも数倍は大きいドラゴン。

 

 周囲の木々を大きな身体で押し倒し、俺を見下しながら鎮座するふてぶてしい様子。

 その視線と殺意に満ちた表情から、ふとした拍子にあっけなく殺されてしまうんじゃないかと思えるくらい身体が恐怖を感じている。

 

 まるで像がアリを踏み潰すかのように、本当にあっけなくあの鋭い牙に噛みつかれるんじゃないか。

 敵意を示しているから、凶悪な爪で切り裂かれるんじゃないか。

 そんな嫌なことを想像し、また身体が震える。

 

 だが、それ以上にドラゴンの頭の傷が気になった。

 ずっとそれを見つめていると、ドラゴンが鋭い目を細めて俺を見下す。

 

 

『ふはは。愚かにも私の傷を凝視し殺せるかと驕ったか、下等生物(にんげん)の分際で』

 

「ち、違う。それは誤解だ。怪我は酷そうだと思ったけど……殺そうとは思ってない」

『ハッ、幼い娘と言えど人間は信じられん。我が宝を盗み出した連中と同じく、塵芥に等しい存在だ』

 

 

 低く唸り声を上げる重低音の声が、脳内で響き渡る。声で直接話しかけているわけじゃない。テレパシーのように、俺の脳内で話しかけているみたいだ。

 ごくりと息を呑む。いろいろと気になる言葉を吐かれたが、それはまあ後で考えよう。今は現状が精一杯だ。どうやって生き延びれるんだろうかと必死に思考を回す。それと同時にドラゴンが俺をどう見ているのか考える。

 身体はドラゴンの殺意の目で震えてしまっていたが、逃げられる状況だとは思えられなかった。恐怖感で気絶したかった。でもそれをしたら永眠する。

 というか、逃げた時点で即座に価値なしと判断されて殺されるんじゃないか。

 

 死にたくはない。

 だから、傷ついたドラゴンという現実から目を背けられない。

 

 

 

「俺はただドラゴン……さんの傷が気になっただけだ。た、宝とかそういうのは……気にならないっていうとウソになるけど、それでもこれだけは言わせてくれ。お前の傷を治したいんだ」

『ふはは。この私の傷を治すだと? 傷を治してどうするつもりだ?』

「何もしないよ」

『……む?』

 

 

 ドラゴンがその巨体のまま小さく首を傾ける。そこらへんはまるで猫が首を小さく横にして「おかしいなー?」と言っているようでちょっとだけ可愛らしかった。可愛いだなんてドラゴンに思いたくないけれど。

 それにそんな風に可愛いだなんて思えたのはほんの一瞬だ。ただの息吹で殺されてしまうんじゃないかと思えるほどに強烈。そして凶悪。

 逃げないのも、恐怖が身体を支配しないのも――――すべてはドラゴンの理性があると分かっているから。

 

 俺は格下だ。ファンタジーな世界だから、俺がどれだけ弱くてあっけなく死ぬのか分かってる。

 だから、傷ついたドラゴンに対して、警戒して持っていた木の棒だけで殺せるとは思えない。

 

 それでも傷つき羽を休めている様子は、ポーションを始めて見た時のような感覚を覚える。

 

 

 

 

「俺は、ドラゴンにまで失望したくないんだ。ドラゴンは最強で伝説なんだから、その通りに生きてほしいだけだ」

『………ほう?』

 

 

 よし。よしよし! いけるぞ!

 俺と似た紅い目を細め、考えるように黙り込むドラゴン。ただ小さく発した声には、楽し気で興味をそそられるような色が滲んでいた。

 生き延びたいのと、ほんの一欠けらの欲望。それをただ混ぜ合わせて必死に思考を回転させて言う。それにドラゴンが興味を持った。

 

 

『この私の傷を治せると言ったな。嘘をつくならかみ殺してやるが、どうするつもりだ』

「ポーションを使うよ」

 

 

 薬草を売っている店で俺が初めて来店した時に小さな瓶に入ったポーションを記念に貰ったことがある。

 でかい図体のドラゴンだと小さなポーションじゃ足りないかもしれないけれど、でも少しは良くなるはずだ。

 

 そう思って言ったのだが、ドラゴンは鋭い牙を剥き出しにしたまま俺を嘲笑ってきやがった。

 

 

『ハッ! はははははっ! ポーションなんかで我が傷を治せると思ったか!? 愚かだな人間。貴様が私に失望する前に、私がお前を失望しそのまま殺してしまいそうだ!』

「じ、じゃあ……どうすれば治るんだ?」

『水と食料を持ってこい。一度だけでいい。人間一食分ので構わん。その後私の話し相手となれ』

「みず……と、食料」

『何だ? この私の傷を治してやると図々しくも愚かに発した貴様では無理難題か、小娘』

「……いや、そんなことはない」

 

 

 本当はそんなことはある。

 今の俺の現状だと、人間一人分の食料と水でもギリギリ与えられるかどうかといったところだろう。

 なんか今さらだけど、もっと別のことを言って興味を惹かせたらよかったかな。怪我をして血が垂れているけれど、普通に元気そうだし。でもそれ以外に力ない幼女が生き延びるのって難しそうだしなぁ。

 

 だが、前言撤回なんかすればそれこそ俺に興味を失ったドラゴンに殺されるだろう。

 だから言った責任はちゃんととらないと……。

 

 

「でも、本当に俺の事信じるのか? このまま村に逃げ帰って二度とここに帰って来なかったらどうする? ただの小娘で下等生物の俺を殺すか?」

『当然。貴様が盗人の手先ではないのは理解したが、愚かにもこの私に恩を与えようとするのは初めての経験だ。本来なら殺すが、特別に生かしておいてやろう。約束を破るならば貴様の全てを殺してやるがな』

 

 今だってそれは可能だろう。

 やらないのは俺に対する興味本位か。

 

 

「分かってる……責任はちゃんと果たすよ。それにドラゴンを間近で見られて凄く嬉しいし……怖いけど」

『ハハハっ! そうかそうか。素直に口にする人間は愚かで愉しいものだ。小娘、名は?』

「……アルメリア。アルメリア・ナティシア」

『ほう、そうかそうか』

 

 

 何故か先程よりも上機嫌に笑ったドラゴンが、俺を見下した。

 食料と水がなくても生き延びそうなドラゴンが、楽しげに俺をじっと見つめている。

 

 ただの暇つぶしかおもちゃ代わりか。

 ……でも、最初に会った時の死亡フラグは折れただろう。代わりに食料という難題を与えられたが、それはまあ何とかしてみせよう。

 話を聞いてくれる存在で助かった。何も言わずに逃げ出してたら殺されてただろうから。

 

 

 

 

 

 

 

「あー……でもどうするかなー」

 

 

 トボトボと村の中を歩きながら、深くため息を吐いた。

 村に戻っていい権利は貰った。でもこのまま放置すればいつかドラゴンが村を襲って俺達全員皆殺しとかしそうな気がする。

 食料と水の問題はとてもでかい。村は今働き手がいなくて大変な状況だしな。

 それにその後話し相手になれってのも問題だ。機嫌を損ねたらすぐに殺されるよなー。でも本音を隠して上っ面だけで相手するとすぐに見抜かれて殺されそうな予感もある。どう対処するべきか……。

 

 

「おっと、チビのナティシアじゃんか。働かないでこんなとこで何してんだよお前」

「お前もナティシアなんだからちゃんと名前で呼べよ権助。というか、村全体がナティシアだろ」

 

「誰がゴンスケだ! 俺様の名はグレン・ナティシアだって言っただろアルメリア! それと五歳児のくせに見下したような目で俺様を見るんじゃねえ!」

 

 

 

 

 頬を膨らませて俺の頭を拳でグリグリと地味に痛い攻撃を仕掛けてくる年上の12歳の少年が睨みつけてくるけど、今はそれどころじゃないから抵抗して彼よりも一歩後ろへ下がる。

 

 ナティシアは前世でいうところの苗字の多い名だ。国に召集をかけられた男以外で合わせて40人程度の規模の村全体がナティシアという性を使っている。

 村にはちゃんとした名前なんてないのに、共通してのナティシアの性があるのは不思議だったけど……。

 まあそれはどうでもいい。今の問題はドラゴンなんだから。

 

 

 

「ってか、お前ついさっき森に入ってなかったか? 何かあったのか? はぐれゴブリンでもいたか?」

「いや、はぐれドラゴンならいた」

「はぁ? ハハッ! 何言ってんだよ嘘つけよ馬鹿!」

「嘘だったらどんなに良かったか……」

「え?」

 

 

 あーやばい。勢いで愚痴っちまった。

 

 

「嘘だよ半分」

「おい待て残りの半分は!?」

 

 

 群れで行動していたか分からないから、はぐれドラゴンではない。

 でもドラゴンはいる。それをグレンに伝えたらどうなるんだろうか。いや言わない方が良いよな……うん、子供達の情報網って意外と怖い部分あるし。

 こいつにあのドラゴンを見せたら騒いで大変なことになる。

 ……よし。半分嘘の『半分』を勘違いさせればいいか。

 

 

 

「なあドラゴンって本当にいるのか? 俺様にも見せてくれ。というか、幼いお前一人で危ないことすんじゃ――――」

「落ち着けよグレン。言っただろ半分嘘だって」

「はぁ? ドラゴンがいないってのが嘘なのかよ。じゃあ誰が……」

「まあ、傷ついて弱ってる生き物を発見してだな……ちょっとサイズが大きくて、人間一人分の食料と水が必要なんだけどさ。グレン家って狩人でもあったよな? 一人分の仕事はちゃんと手伝うから分けてほしい」

 

 

 頭を下げて、懇願する。

 勝手な願いだと思うけれど、約束を守るためにはグレンに悪く思われたってしょうがないと思おう。

 グレンが俺を見下ろして、何かを考え込むように小さくため息をつく。

 

 

 

「弱って傷ついた生き物を、アルメリアが救いたいってことか?」

「ああ」

「食料にするんじゃなくて?」

「……ああ」

「ただ救いたいだけで、おばさんに迷惑はかけてないよな?」

「もちろん。母さんに迷惑をかけるぐらいなら俺は……」

「ああいいよアルメリア。それ以上幼いお前に頭を下げられるとこっちが心痛む。村全体で助け合うのは当然のことだから助けてやるよ。姉ちゃんだってそう言うはずだし。今回だけはな!」

「……ありがとう」

 

 

 爽やかに笑ったグレンにまた一度頭を下げた。

 そんな俺に対して照れたように頭を軽く叩いて「ついて来い」と腕を引っ張るグレン。

 

 頼られて嬉しいのかもしれない。グレンの両親はどちらも国に呼ばれてしまったから。

 

 

「あーそういえばな。最近また『はぐれゴブリン』が発生したらしいから気をつけろって村長から聞いたぞ。ここからちょっと遠い方の集落が襲われて壊滅したんだと。ここより遠くだけど凄い騒ぎになってるし、お前よく小屋に行くだろうから気をつけろよ」

「あ、うん……?」

 

 

 あれ、はぐれゴブリンって女を攫って群れを作ろうとする生き物だって聞いたんだけど。

 村にはモンスターが襲撃した時用の武器が置かれてるし、一匹だけなら皆で頑張って倒せるんじゃないのか?

 

 たった一匹に襲撃されて壊滅。ゴブリンってそこまで凶悪な存在だったのか?

 いや、噂と真実は全く違うはずだ。ポーションの一件もあるし、もっと警戒しよう。

 

 ドラゴンについても、これからの対処を考えねえとな……ああくそ。

 

 

「どうしたアルメリア。幼女にあるまじき顔してるぞ。そんなにはぐれゴブリンの話が怖かったのか? 安心しろよこのグレン様が守ってあげるからな!」

「あーうん。ありがとなグレン。幼女にもいろいろあるから気にしないで」

 

 

 そういえば、ドラゴンに潰された小屋どうしようかな。

 母さんになんて言おうかな。

 

 あー。問題が山積みで胃が痛くなってきた……はぁ。

 

 

 

 

 



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3話 不意の始まり

 

 

 大きなドラゴンの真正面にある木の幹に座る形で向かい合う。

 

 ドラゴンは愉しげに俺を見ながら笑った。

 時間をかけて食べるはずの料理を、たった一口で噛み締めながら。

 

 

『ハハハっ。不味いな。泥を食べているような不味さだ。ああだが、これがこの村にとっての普通か』

 

「そうだよ。それが俺達人間の食べ物だよ」

『ふむ、あっという間に食べてしまった。足りないが……まあ、及第点としておこう』

 

 

 ぶっちゃけグレンがこっそり出してくれた猪の肉の一欠けらと山菜だけなんだけどな。

 調理も何もしていないし、素材そのままの味しかしない。

 

 肉は焼いてあるものを。野菜は軽く洗ったものを。

 

 だがそれが良かった。

 食べ物がある時点で俺は幸せなんだと生きていてそう思えるようになった。

 

 及第点と言われても、俺から見たら100点満点以上の食べ物だ。

 前世の俺から見ればほぼ0点と答えるだろうけれど……。

 

 俺が食べる一食分。

 人間一食分と言っても大人の分じゃないから、ドラゴンには足りない量だろう。ドラゴンに与えないなら俺が食べたいぐらいだった。

 不味いと言っていても、肉がある時点で高級な食べ物になっていたから。

 

 ドラゴンのぱっくりと開いた額の怪我はまだ治っていないようだが、自然回復なのか血は止まったみたいだ。

 

 

 あとは話し相手だけだよな……ふむ……。

 

 

「そうだ。ドラゴンなら知ってるかな」

『む?』

 

「はぐれゴブリンって知ってるか? 最近遠くの集落を壊滅させたらしいんだけどさ……たった一匹の力で村って簡単に滅びるのかなって疑問に思ってて……」

 

 

 不意に、何かがピリッと肌を刺す空気を感じた。

 だがドラゴンの俺を見る視線は普通で、地雷を踏んだようではないことに小さく息をつく。

 

 

 そんな俺を気にせず、ドラゴンはつまらないような声色で言った。

 

 

『何を言うか雑食生物が。貴様らのような疲れ切った小動物が元気いっぱいなモンスターに勝てると思っているのか? それとも何か、貴様一人でそいつに敵うと愚かにも考えているのか?』

 

 

 疲れ切ったという言葉に思わず納得しかけたが、それでもまだ完全にとは言えない。

 

 

「俺一人じゃ勝てないっていうのは分かってるよ。たださ、その集落は俺の住んでる村と同じ人口規模なんだって聞いた。武器もあるし、40人くらいのいろんな人間がいる。その中にたった一匹のゴブリンが襲いかかったとして……人間を全滅させることができるのか?」

『ハッ。くどいぞ人間。私は言っただろう。それができると』

 

 

 ……なるほど。まだ実感は湧かないけれど人間とモンスターの強さは圧倒的に違うと考えておいた方が良いのか。

 今目の前にいるドラゴンに勝てる気は全然ないからな。話し相手として話題を振って、暇つぶしになれたらそれでいい。殺されないと保証されるなら、恐怖は感じない。

 

 いや本当は怖いけれど。でも何度か話してみてドラゴンに理性を感じたから大丈夫……だと思いたいな。

 

 とにかく、狩人の家であるグレンに話を聞いたが、モンスターに出会ったらすぐに逃げろと言われているのは事実だ。

 モンスターと戦うのは冒険者と呼ばれるある程度の適性を持った人間だけであり、彼らはギルドで専門的に訓練されているため、ただの村の狩人では戦うことは出来ないとのこと。

 

 適性は……まあ、グレンは知らなかったみたいだし後で村長にでも話を聞いてみようとは思う。

 モンスター専門が冒険者。

 ただの普通の動物を狩るのが狩人。その違いは激しいということだけ分かればいいか。

 

 

『だが、モンスターと人間に力の差はあれど、貴様の言ったはぐれゴブリンとやらは多少違うようだ』

「は?」

『私はドラゴンだ。遠くの集落の音も私には聞き取れていた。その際に聞こえた声は複数だったがな』

「……複数の、ゴブリン?」

『いいや違う』

 

 

 ニヤリと嘲笑ったドラゴンが、尻尾を上げて俺の村の方向を示した。

 

 

『人間というのは本当に愚かで滑稽だ。ああ、クソッたれが……』

「は?」

『貴様はまだ、アレがゴブリンの仕業だと思っているのか?』

 

「えっ―――――」

 

 

 ――――――刹那、何かが叩き壊されるような音が村の方向で鳴り響く。

 

 

 何か嫌な予感がしてドラコンの方へ一歩二歩後ろに下がった瞬間、村の方向から閃光が光り輝く。

 ドーム型に村全体を包み込むような大きな光の膜が三秒ほど発生して、五芒星の模様を描いて消えていった。

 

 どう見ても普通じゃないもの。

 ざわざわと肌が痛み出す。

 

 

「悲鳴……?」

 

 

 村が騒がしい。

 木々がざわめいて、木の葉を振り落としていく。

 それと同時に、背後から異様な熱気を感じ取った。

 

 反射的に振り返って見ると、ドラゴンが爬虫類のような目で村を見つめている。怒りと憎しみが混ざったような濁った眼で、村の方を睨みつけている。

 

 それは俺がはぐれゴブリンの話をしてからチリチリと感じていた緊張感。

 ドラゴンが溜めていた怒りを発散する音が、俺の精神をぶち壊そうとする。怒りが嘲笑となり、殺意を込めて俺の身体中を突き刺す。

 

 

『ああハッ――――――ハハハハハハハっ!!! やはり、やはりそうか。使ったか。2度程使用した気配は感じたが、この私の目の前で宝玉を使ったか!!! アレを使うとはどれだけ人間の欲望とは恐ろしいものか! ああ、ああ。ぶっ殺すぞ人間風情が!!!』

 

「ひっ……」

 

 

 何かが俺の心臓に突き刺さったような気がした。

 思わず足から力が抜けて、しゃがみこむ。息が出来なくなる重圧。ビリビリとドラゴンの怒りを感じて意識が遠のきそうになる。

 吐き気がする。失禁しそうになる。怖い怖い怖い。

 

 村で何かが起きてるんだ。母さんたちがいる村で、何かがあった。

 でもそんなのを気にする余裕がない。殺される。殺される。

 心が壊れそうになって、吐き気が――――

 

 ドラゴンが怒りのままに四肢を起こして村の方へ行こうとし、だが何かを思い出したように急に立ち止まり考え込み、ふと俺を見下ろした。

 

 

『行かぬのか』

「ふぇ」

『気が変わった。私は行かぬ。貴様はどうするつもりだ』

「そ、そ……」

 

 声が出ない。

 くるしい。痛い。息ができない……!

 

 

『ああ。先ほどの私の怒りに恐怖で震えているのか? いや、たかがドラゴンの怒りを感じただけで死にかかっているのか。ハハハっ。良いだろう土産だ。回復(ヒール)

「あっ……」

 

 

 緑色の光が身体全体を包み込む。

 肌の痛みも恐怖感もなくなって、ただ気分が落ち着いた。これは魔法……だよな?

 

 いやそれよりも……それよりも……。

 

 

「は……ぁ……あ、ありがとう。でも俺はいかなきゃいけない……から!」

『ふむ。死にかけたくせに精神だけは頑丈だな。いや図太いのか。まあ、それでいい。さあ行け小娘』

 

 

 その言葉がきっときっかけだった。

 

 慌てて駆け出していく。獣道を駆けて駆けて。たまに足に木の根っこが引っかかって転びそうになったが、意地でもバランスを整えて駆けていく。

 ドラゴンが俺の背を見つめている恐怖心はあった。

 でもそんなの気にしていられない。

 

 村に近づくにつれ、聞こえてくる声がする。

 呻き声。悲鳴。何かの痛みに耐えようとする声。

 ブチブチと何かを引き裂くような、奇妙な音がする。

 

 心臓の鼓動が早くなった気がした。

 

 

「はやく。はやくはやくはやく」

 

 

 これ以上走ったことないほどに力いっぱい前へ向かって足を踏み出す。尖った草が肌を傷つけ、血を噴きだしたとしても止まらない。

 

 

「はやく、家に――――――」

 

 

 駆けて駆けて―――――――。

 そうして、視界が開けたそこはもう、俺の知っている村じゃなくなっていた。

 

 

「なっ、ん……」

 

 

 それは、地獄絵図のようだと思った。

 

 かなり遠いが俺の知ってる村のおばさんが腹を押さえて倒れ込んでいるのが見えた。

 その肌が刺青のような黒い模様を心臓がある胸の中心から発生していき、一気に真っ黒に染め上げた。

 

 俺の知ってる結構親切なおばさんだった。

 酒癖が悪いが家族は大事にしてくれるという旦那を待ってるいい人だったのに。

 

 

 

「お、おばさ……」

 

 

「ひぁ……あ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 

 真っ黒の墨を頭からかぶったような状態になったおばさんが、痛みを訴えて慟哭を上げた。

 

 断末魔の叫び声じゃない。

 獣のような呻き声で肌をかきむしって身体を仰け反らせた。その肌が溶けていく。綺麗な茶色の髪がごっそりと地面に落ちて行くのが見える。ボトボトと血肉さえも落ちていき、おばさんの骨が見えてくる。

 

 まるで硫酸を浴びたかのようにドロドロになって人間としての原型がなくなる。あっという間におばさんだった人がいなくなって、液体になってしまった。

 

 肉が腐ったような臭いがする。周囲から様々な悲鳴が聞こえる。

 周囲を見渡すと、おばさんのように黒い刺青が肌に浮き彫りになった村人たちが痛みを訴えて肌を掻き毟っているのが見える。

 

 その後の変異なんてもう見たくないと視線を逸らして……。

 込み上げてきたそれを、地面に吐き出した。

 

 

「うぶっ……おえっ……」

 

 

 地面に朝食と胃液を溢して、手で口の汚れを乱暴に拭いた。

 もっと吐きたい。気絶して現実逃避したい。

 

 

「母さん……母さん……」

 

 

 走って自分の家まで前へ進む。その周囲がどうなっていようとも構わないと、前へ進む。

 

 なんでこうなったんだ。

 異世界だからって何でもありだというのか。

 これが、普通の村で起きるようなものなのか……?

 

 小屋よりも大きな建物。

 薬草の香りが鉄臭いものに混じって感じる。

 いつもの時間帯ならば、母さんは家にいて薬草の種を準備している頃のはず。

 

 

 ゆっくりと扉を開いて――――――――。

 

 

「え?」

 

 

 複数の目が扉の先にいる俺へ向けられた。

 母さんじゃない。いや、母さんがいない。

 

 違う。床に広がった血濡れの肉片は、誰のものだ?

 

 複数の人間が俺の家にいたが、村人じゃないのは分かった。異世界で生まれてから見たことのない高級そうなローブを着た5人ほどの男が、驚いたように俺を見てくる。

 

 子供を見るような目じゃない。

 か弱い生き物を見ているような、優しいものじゃない。

 

 

 

「皆の衆、成功体が誕生したようだ」

 

「おお、これは実験のし甲斐がある」

 

「だが偶然範囲外にいたという可能性はないか?」

 

「幼い子供が範囲外にか? それは考えにくいだろうが、とにかく時間だ。全て回収するぞ。この娘も連れていけ」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 ――――複数の手が、俺へ向けられた。

 

 

 

 

 

 



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4話 異様な抱擁


異世界転生――――
 現実の世界から死に、平和からほど遠い乱世の中で強い力を手にし謳歌する者
 もしくは、強制転生をされチート能力を手に入れた者

 どちらにせよ、異世界に転生した者はその世界で生き残れるだけの力を手にするのが普通なんじゃないだろうか。
 そうじゃなければあっけなく死んでしまう。

 物語も何も始まらずに終わってしまう。


 ――――だがしかし、現実とは非情なものだった。



 無意識の中で漏れ出る悲鳴と痛みによる嗚咽。
 現実を見たくない。今ある現状を、知りたくはない。
 早く終わりたい。終わらせたい。


 だからもう、異世界に転生した意味なんて考えようとは思わなかった。

 考えたところで意味はない。
 もう何も変わりはしないのだから。





 

 

 

 

 

 何でこうなったんだろう。

 俺が一体どんな悪いことをしたというんだ。何故こんな仕打ちを受けなきゃいけない。

 

 ドラゴンと約束をしたせいか。グレンに嘘をついたせいなのか。

 そのせいでこんな酷い仕打ちを受けているのか。

 

 感情が狂いそうになる。

 怒りと絶望と痛みと発狂を繰り返しては、無理やりもとに戻される。

 

 

「起きろ。起きろ検体0」

 

 

 頬を強く叩かれて、その刺激で意識が覚める。

 覚めたくない現実を、直後に起きた腹の激痛と共に目覚める。

 激痛は酷かったが、疲労感と絶望で腹を両手で押さえたいという思いはなくなっていた。

 傷は治っているだろう。痛みはそのままだが、もういい。

 

 鉄臭さが当たり前のように感じて、床に赤黒い俺の内臓か何かが派手にぶちまけられている。

 一部は回収されたみたいだが、腹を抉られ、血を抜かれ、そして痛みを伴う『実験』を幾度となく繰り返したせいで天井をぼんやりと見つめることしかできない。

 建物に連れて来られた際、ローブを着た奴等と代わって白衣を着た男たちが俺の身体中を調べる。

 

 観察と拷問と実験と回復。そしてまた殺されかける悪循環。

 

 アレはもう実験じゃない。拷問か何かだ。

 俺を普通の幼女だと思っているように感じられない対応。実験動物以下の扱いに幼い身体が耐えられるわけもなく、何度も死にかけては何度も回復させられる。そしてまた殺されかける。それを永遠と繰り返す。

 

 何日経ったのかすら分からない。

 窓も何もない洞窟のような薄暗い部屋を行き来して、実験をされては地べたで気絶し無理やり目覚めされられて実験する。

 

 やだ。

 もういやだ。疲れた。これ以上はもうやだ。

 前世でのように、あっけなく死ねるならば良かった。母さんたちのように死ねたらよかった。

 あの時一緒に死んでしまえれば良かったんだ。

 

 この苦痛から逃げられるなら、俺は何でもしよう……。

 そう考えていても、誰も何も助けてはくれない。現実なんて何も変わらない。

 

 

「立て。回復魔法をかけたのだからすぐに動けるはずだろう」

「う……ぐっ……」

「そのままそこにいるつもりならまた腹を掻っ捌いて内臓を直接取り出してやってもいいが?」

「わ……ってる……」

 

 

 回復したと言ってもドラゴンの時のような完全とはいかない。

 低レベルの回復呪文のせいで傷がなくなっても、激痛は消えることなく続く。経験から言って、今日は一日中この激痛に耐えないといけないだろう。

 白衣の男たちの苛立ちを感じ取り、なんとか激痛を耐えて無理やり立ち上がる。

 

 気絶したい。痛い痛いいたいのに――――――。

 

 

「ぐっ……」

「さっさと起きろ! はぁ。全くもって失敗だ。検体0の能力値は平均。全てにおいて平均か。いやそれ以下しかないか。だが――――」

「な、ら……ころせよ」

「ッ……はっ、生意気な口応えはするんじゃないぞ。次で最後だ」

 

 

 呟き声に反応した俺に対して、ビクリと肩を震わせた白衣の男。

 俺を価値なしと判断すれば、そのまま殺されるだろう。

 

 ああもういい。

 この永遠ともいえるような痛みから逃れられるなら、とっとと殺されても良いような気がした。

 

 こんなにも酷い目に遭って生き延びる必要があるのだろうか。俺に生きる意味なんてあるのだろうか。

 家族もいない。友達もいない。

 全員あのよく分からない光によって殺された。全員が黒い刺青を浮き彫りにして、死んでいった。

 もう俺一人しかいない。成功体なんかじゃない。

 

 だから、これで終わるのならそれで……。

 

 

「この扉を開けた先だ。早く行け」

「ぐっ……」

「扉を開ける力がないのか。なら無理やり行かせてやるよ」

 

 

 歩くのも辛い道を、白衣の男に俺の両腕を引っ張ってほとんど引きずられた状態のまま連れて行かれる。

 

 いつもの木造の扉とは違う、鉄製の頑丈そうな扉。

 その扉を白衣の男が開けて、俺を放り出した。

 

 どうやら部屋の中はかなり広く作られているらしい。

 建物だと二階ほどの広さを持つその部屋から無理やり放り出した幼い俺の身体が宙に投げ出されて一気に地面に激突する。

 

 二回ほどバウンドし、身体を丸くして痛みに耐えた。

 ダメージが激しく、視界が明滅して何度か意識を失いかけるが、すぐに痛みで目を覚ましてしまう。

 

 背後を見れば扉はもうとっくに閉められている。

 完全に逃げることが出来なくなった。逃げようと思ってもこの痛みと疲労で逃げようと考える気力さえなくなってるけど。

 

 

「さあ実験開始だ。立て検体0。お前の命とその価値のない化け物の命と、どっちが上なのか勝負してみろ」

 

 

 俺を放り出した男とはまた違う上から聞こえてきた声。たぶんこの部屋を監視できるように上からこちらを見ているのだろう。

 大人がジャンプしても届かない上部分にガラスがあり、そこから複数の男たちがこちらを覗いているのが見えた。

 

 

「ッ―――――」

 

 呻き声が聞こえて、反射的に目の前を見た。

 目の前にいたのは、死神だった。

 

 

「オォォォォッッ!!!」

 

 

 ……いや違う。オーガだ。

 前世のゲームで見たようなモンスターの大鬼(オーガ)が俺を見下ろして呻き声を上げている。

 

 二メートルほどの大きな身体。

 その体つきから見ておそらく雌型か。裸の身体なため、赤い肌が異様に恐ろしく見える。そして額に大きな角が二つ。口から見える鋭い牙と、血走ったような赤い目が俺に死を訴えかけた。

 

 白衣の男が、俺とオーガに争わせようと言う。それはすなわち、死の宣告。

 俺にとっての、極楽への一歩。

 

 

「グォォォォっ!!!」

 

「まあ……く、われても……しねるなら、それでいい」

 

 

 痛みで震える舌っ足らずの口がただその瞬間を受け入れる。

 もうこれ以上はつかれた。

 

 生きることに疲れたんだ。

 

 

「ォォォ―――――!!」

 

 

 近寄ってくる巨体。

 ただ一度、奴に攻撃されたら死ぬことができる。痛みは凄いかもしれないけれど、実験の時のアレに比べたら大丈夫だと思いたい。

 今だって凄く痛くていたくて、死にたいと願ってるんだから。

 

 足音が俺の目前に立ち止まる。その手が俺の身体へ向けられる。

 そのまま頭を潰されるんだろう。

 ゆっくりと目を閉じてその時を――――――。

 

 

 

「オォ……!」

 

 

 

「…………ふぇ?」

 

 

 

 

 あれ、何で俺。

 

 なんでオーガに抱きしめられてんの?

 

 

 

 

 

 



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5話 生きる目的

 

 

 

 

 

 

 

 人間の好奇心というのは恐ろしいものだ。

 実験を行う研究員としてのやりがいはあるが、その実験の恐ろしさに吐き気を起こすことがあって気分が悪い。

 

 ただ、完璧な人間を作ること。

 つまり人間の状態のまま強い力を得られるようにする。魔法とは違う基礎的な能力値の向上。

 

 モンスター以上の攻撃能力を秘めた兵士を作る。それか何か特殊な能力を伴った人間を作り上げ教育し、言うことを聞くようにする。

 それが私達に与えられた仕事。

 それ以外にも研究として他の部門の奴等が連れてきた様々なモンスターを人間の指示で動けるペットにするのもあった。

 

 上の連中のことだ。何か他にも隠しているものがあるかもしれない。

 変に情報規制がかけられているせいで、外から来る連中が実験体を連れてくるが、それがどこから連れて来られているのかはっきりしていないんだからな。

 

 だがこれだけは分かる。私達は実験の為だったらなんだってやっても良いと上が保証してくれているということ。

 なんせ、全く新しい人間を作るという禁忌を犯そうとしているのだから。

 

 そうして最近変わったことがあった。成功体となり得るであろう存在がまた外にいる連中によって実験施設に連れて来られたのだ。私が彼女の研究を担当することになったが、それ故に身近に分かることがあった。

 

 仮の名前として『検体0』と呼ばれているが、私達の誰もが彼女を使った実験に疑問視を感じていた。

 

 ――――――そう、初めの頃は私も思っていたのだ。

 

 

 作られた際の年齢は5歳。性別は女。

 幼女ともいうべき彼女の能力値はすべてが平均値。

 可愛らしい外見に騙された複数の女性研究員が何度か検体0の実験に思うことがあり実験中止を懇願したことがあったが、それらすべてを却下し強行に続けられていった。

 

 何故実験施設に連れて来られたんだと思われるほどに弱かった。

 あっけなく死にかけるし、身体を切り裂くだけですぐに痛みで気絶する。

 それは、完璧とは呼べない失敗作なんじゃないかと研究員の誰もが声を上げたものだ。

 

 だが、一番恐ろしいのは検体0の精神力だった。

 何度も何度も殺されかかっているというのに発狂しない精神力。殺してくれとは何度か言っているが、それでも私達との会話はちゃんと成り立っている。それが異常だった。

 

 見た目に騙されてはいけない。やはり化け物だ。

 

 私には子供はいないが、甥ならいる。

 だから彼女の異様さは際立って分かる。

 他の研究員は失敗だのなんだの議論しているが、私はそうは思わない。

 幼い子供は普通泣くものだろう。怯えて口も聞けなくなるものだろう。私達を見る目が絶望で光を失っているように見えるが、普通じゃないということは感じていた。

 

 ああそうだ。今見ている光景も全てが異様だ。

 ただ精神が頑丈なだけな平均値の幼女であるならば失敗だとして殺処分を下すつもりで実験と称して連れてきたが。

 

 

(ああ、やはり……)

 

 

 実験体の一つである大鬼(オーガ)に抱きしめられ、まるで守られているような検体0に背筋が凍りつくような不穏さを感じた。

 私のような考えを持つ者はおらず、他の奴等は違う考えを持っているようだが……。

 

 研究というのは思わぬリスクを生み出すことがある。

 そこを気を付けてこれからの実験で教育を施していかなければ。

 

 あの幼女が私達に牙を向かないように、今まで以上に躾していかなければ。

 だが、恐ろしいがとても価値のある存在だ。

 

 他のあれらはあまり興味がないが故にそう思う。

 恐ろしいからこそ、惹かれる何かがある。

 

 

 部屋中に歓声と感嘆の声が起きる中で、ただこれからの実験に想像を膨らませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 オーガに抱きしめられている。

 いや、何で俺は抱きしめられてるんだろう。

 

 絞殺されるほどの力ではない。抱きしめられたせいで発生する痛みは全くない。

 

 優しく愛おしく、か弱い何かを抱きしめているような力の無さで俺の身体を包み込む。

 まるで俺が、オーガにとって宝物であるかのように……。

 

 

 

 

「ほう。ほうほうほう!!……これは素晴らしい!」

「失敗作だと思っていたが何か力があるのか。不安は消えたがどう扱うか」

「もしも操れるのだとしたら、あれを殺してしまうのは勿体ないかと」

「ああ」

 

 

 聞こえてきた声がBGMとなって素通りする。

 抱きしめられているのはなぜだろうか。オーガが俺の身体全体を確かめるように両手で触っていく。その感触は戸惑いを感じるほどに優しい。骨でボコボコしてるし、食べる要素がないほどやせ細っているからか。そういえば最近まともな物を食べてない。

 

 オーガがゆっくりと俺を触っていく。

 頭から肩へ、胸や背中から腹へ―――――。

 

 

「うぐっ」

「オォ……」

 

 

 腹の接触することによって激痛が発生し呻く。

 どうやら俺が触られると痛いと分かったのか、オーガがピタリと腹を触るのを止めて、オーガの巨大な片手が俺の腹から頬へ移動する。

 

 優しく撫でてくる。

 愛おしいと思われるような感触で。その固くて筋肉質な手で。

 

 

 

「オァ……ァ……リア」

 

「えっ?」

 

 

 

 言葉を発したように聞こえて、思わず顔を見上げた。

 オーガが、モンスターがちゃんとした言葉を話すだなんてあり得るのかと疑問に思って。

 

 そうして気づく。オーガが真っ直ぐ俺を見ている事実に。

 

 憤怒と悲しみが混ざり合ったような赤い色。

 その色を、俺は知っている。

 

 

「ァ……メ、リア」

 

 

 かすれた声を、聞いたことがある。

 

 

「かあさん?」

 

 

 ―――――――無意識に発した俺の声に、オーガが頷いたように見えて。

 

 疑惑が、確信へ変わった。

 ずっとずっと一緒だったから、分かった。分かってしまった。

 

 

「あっ……ああ……」

 

 

 そうだ、言っていたじゃないか。

 ドラゴンが、宝玉を使ったと。人間は愚かで滑稽だと。

 

 何をやったんだ。

 あいつらは、母さんに何をした。

 

 ああなんだ。何で。

 死んだんじゃなかった。いや違う。それ以上に惨たらしい所業をやった。

 残酷で、酷く傲慢なことを奴らはやらかしたんだ。

 人間から化け物へ変えた理由は何だ。俺達が何をやった。何もやってないじゃないか。

 

 奴らがそう仕向けた。

 母さんがこうなる理由は何処にある。俺を拷問する理由がどこにある。

 怒りが胸の内からふつふつと発生する。今にも上で見物している連中に向かって怒鳴ってやりたくなる。激痛のおかげで冷静な部分があったが。

 あいつら全員、この事実を知っているのか? だから俺と母さんを会わせたのか?

 

 母さん以外にも、もしかしたら……。

 

 

 

「何をしている検体0。さあそのモンスターを操ってみろ!」

「……ろしてやる」

「何だ? ぶつぶつと何を言っているのか聞こえないが、とにかく早くやれ! その凶悪で醜いモンスターに壁に下がって座るように命じるんだ!」

 

 

 

 連中の言葉なんて聞きたくはない。

 だが、無視した後のことを考えるならばやらないといけない。俺だけだったならこのまま殺されても良かった。もう生きる意味なんてないと思ったから、死んでも良かった。

 これ以上実験されるぐらいなら、死にたかった。

 

 被害が俺だけじゃないなら、このままでいるつもりはない。

 奴らの勝手で殺されてたまるか。

 

 このままで終わらせてたまるか。

 

 

「……お願い……俺か……はぁ……おれから離れてかべ……に、座って?」

「オォォ」

「……おねがい、かあさん」

 

 

 奴らに聞こえない声で、小さく頼む。

 村にいた頃とは違う母さんの手を、俺の手と重ねて泣きそうになるのを必死にこらえて懇願する。

 その声が母さんに届いたのだろうか。

 

 俺の頬を撫でる手が止まった。だからもう一度お願いと言うと、オーガの身体が起き上がり、俺から離れてドシドシと歩き、壁際にゆっくりと座った。

 言う通りにしてくれた。言葉が通じた。

 

 母さんに、俺の言葉は届く。俺のことを理解してくれている。

 

 

「おお! やったぞ!」

「これは素晴らしい! 実験を。更なる実験をしなければ……!!」

 

 

 ガラス越しに聞こえた歓声が部屋中に響く。

 腹の激痛は回復していったが、吐き気と自らの拳を握る痛みは止まらなかった。

 

 部屋を強制的に出されるまでの間。

 部屋に入ってきた研究員に襲いかかろうとして、複数のローブを着た男たちによる魔法で無理やり拘束された母さんに駆け寄ろうとして止められて一人の男に腕を引きずられるまでの間。

 

 

 怒りは、生きる目的に変わった。

 

 

 

 

 

 

 引きずられた先は牢屋の中。

 複数の檻が並んだ細長くも広い一室。

 

 その中にいくつか生き物が檻の中にいた。だがどれも醜悪で、俺を掴む男に襲いかかりそうな勢いで檻に体当たりをしているが、頑丈な檻は壊れそうにない。

 獣のような唸り声と、檻にぶつかる騒音。そして鎖が鳴る音が不協和音となって部屋中に響き渡る。

 それに男が顔をしかめながらも俺を引きずって部屋の中へ入り込む。

 

 そのうちの空いている檻の中に放り投げられ、俺はただ抵抗することなく床に寝転んだ。

 寝転んだ俺に檻の天井からぶら下がった一つの首輪を付けてくる。見下ろした男の目はただ冷めていた。

 

 

「今日からお前の部屋はここだ。部屋の中は自由にしてもいいが、首輪は外さないように」

 

 

 一言いった後、奴は部屋の外へ出て行き去っていく。

 男の姿が見えなくなった瞬間。いやそうじゃない。男が部屋の扉を閉めて廊下を歩き去っていった後。

 

 

「あれ……」

 

 

 騒がしかった檻の中が急に静かになった。

 まるで敵がいなくなったと言うかのような不穏な静寂が部屋中を包み込む。

 

 あんなにも騒いでいた化け物たちがじっと檻の中にいる。それらはガラスの檻に入れられたスライムのような液体だったり、鎖で身体中を繋がれた動物のような姿だったりと様々だった。

 だが、それら全員が大人しくしていた。

 

 それはつまり……。

 

 

 

「やあお嬢さん。元気そう……には、見えないかな」

「っ!」

 

 

 反射的に隣りから聞こえてきた声に振り返る。

 瞬間身体に痛みが発生するが、何とか堪えて音の発生源を睨みつける。

 

 檻の中に、15歳ほどの少年がいた。藍色がかった黒髪。俺と同じく真っ裸を隠すための白くてタオルのような一枚の服を着ている姿。

 首輪を付けて俺をじっと見つめているが、さっき檻を見渡した時には人間らしい生き物はいなかったはずだ。

 部屋を去った男と俺以外にはいなかったはずなのに何で……。

 

 そういえば、この人の檻って俺達のような鉄製の隙間なんてない。鉄製の檻に、分厚いガラスが包まれて逃げられないようになってる……?

 

 

「ああ、ひょっとして誤解されてるかな。心配しなくていい。僕は敵じゃなくて君と同じ被害者だ」

「……それに、しては……げんきそう」

 

「ははっ。そう見えるかい?」

 

 

 その喋り方に何処か違和感があった。

 だが、にっこりと笑いながら俺がいる檻に背を向けて背座り込んでしまったために違和感の正体が分からなくなる。

 

 

 

「この檻に来たと言うことは、君はあいつらから合格点を貰ったということだ。でも君はそうは思ってないんだろう。ここにいるみんなと同じように……」

「……やっぱり、元は人間か」

 

 歯軋りをして怒りを募らせる俺に対し、少年は朗らかに言う。

 

 

「ああそうさ。理性はあるし、僕たちの言葉もちゃんと分かってるよ。ただ、あいつらには分からないふりをしているんだ。なあ皆?」

 

 

 その瞬間、複数の檻から唸り声が聞こえてくる。

 まるでこの少年の言葉に頷くような声だ。

 

 

「なんで? あのクズ共は理性があることを知らないのか?」

「ああ、そうだ。研究しているくせに知らないとは馬鹿だけど、何故かは分からない。……だが、それは僕たちにとって運がいい。分からないふりをしてただ価値があると証明できれば殺処分にならないで済むからね」

「殺処分って」

「……そうだ。今までにもたくさんあった。僕は最初の村から運ばれたんだ」

「最初の村?」

「被害に遭った村が複数あってね……」

 

 

 それ以上は何も言わずに、ただふと思い出したかのように少年が言う。

 

 

「君のことも聞いたよ。ついさっきの出来事みたいだが、奴らはかなり喜んでいたからね。研究員の連中がモンスターを操れる成功体が完成したと騒いでいたんだ。だからすぐに分かったよ」

「……それって、まずいかな」

「うん?」

「俺のせいで殺処分とかにならないかなって……」

 

 

 理性があることを内緒にしているのは何か理由があるように思えた。

 だから、俺が彼らと関わって何か大変なことをするんじゃないかと思ったんだが。

 

 少年は、そう思わなかったらしい。

 

 

 

「いや、それはあり得ない。むしろ好都合だ」

「ふぇ?」

「この部屋以外にも被害に遭った人が集められた檻がある。でも僕たちはそこへ行くことができない。そして僕も……まあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから君に託したいんだ」

「どういう……?」

「モンスターを操る価値のある幼い子供という名目での実験なら、おそらく奴らは他のモンスター……被害に遭った人たちと会わせようとするはずだ。その人たちと交流してほしい」

 

 

 つまり、他の人たちとの中継地点となれって言いたいのか。

 他の人たちに会いながらも、少年が考えている何かしらの話をして、そして研究員たちにばれないようにするということ。

 それはとても危険だが、やりたいことでもあった。

 

 

「……それで俺は何をすればいい?」

「ふふっ、話の分かる子は嫌いじゃないよ。計画はすぐに話そう……ああだけど聞きたいことがあるんだ」

「へ?」

「名前を聞いてもいいかな、お嬢さん」

 

 

 ああ、そういうことか。

 

 

「……アルメリア・ナティシア」

「ほう?」

 

 

 興味深げに少年が俺を見つめる。

 背中越しにしか見えないが、顎に手を当てて爽やかに笑いながら、何でもないように口を開く。

 

 

「いやそれは……ああ、それは偶然だね。僕もナティシアって言うんだ。この部屋にいる皆もそうさ。まあ『ナティシア』の性は世界中に多くあるものだからね。僕はルクレス・ナティシア。宜しくねアルメリア」

「……ああ。そう、だな」

「さて計画を……の前に、少しだけ眠りなさい。腹が痛いのだろう? 後で起こしてあげるから、回復してから話をしよう」

「いやでも俺は――――」

「幼い子供に無茶はさせられない。この部屋にいる皆もそう思ってる。だから眠りなさい」

「……分かった」

「良い子だ」

 

 

 鈍痛を耐えて目を閉じる。首輪が邪魔だったけれど、優しい子守唄が少年――――ルクレスから聞こえてきて、それにただ偽りの平穏を感じ取った。

 

 これからの目標は決まった。

 あとはどう復讐するべきか決めよう。

 

 少年の計画を聞いて、どう動くのかも考えないと……。

 

 

 

 

 

 



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6話 思惑に動かされて



 数々の実験による痛みと疲労感に苦しめられながらも、身体が無意識に生き残ろうとして回復するために深い眠りへと誘おうとしてくることが多かった。
 いつもなら痛みですぐに起きてしまうせいか、たまに夢を見た。

 木漏れ日が広がる木々の間。
 花の香りと薬草の臭いが混ざった、小さいころから慣れ親しんだもの。
 もう二度と見れないかもしれない故郷の―――――――その目の前に、奴はいた。


『楽になりたいか?』


 重低音の声は酷く優しげに問いかける。
 黒曜石の鱗が太陽の光を浴びて煌めき、こちらを見つめる眼差しは燃えてしまいそうなほどの熱を感じた。


『貴様だけが、私の繋がりだ。貴様が私の問いかけに頷けば、私は貴様を楽にしてやることができる』
「……俺を見殺しにしたくせに」
『まだ生きてるだろう。だから聞いてるんだ』


 ――――――――楽になりたいか?
 その言葉の意味がどういうものなのか分かっていた。それが俺の、アルメリア・ナティシアとしての生の終わりを意味していたとしても、

 だが頷けなかった。希望なんて持ちたくなかった。
 絶望は現実だけで十分。夢を見るが、希望を見るつもりはなかった。

 ただそれだけだ。







 

 

 

 

 

 優しく起こされて目を開ける。

 疲労感はあったが、痛みは少し和らいだ。

 

 

「さて、調子はどうだい? 少しは良くなった?」

「まあ、ちょっとだけ」

「なら話をしてもいいかな」

「……うん。でもその前に言いたいことがあって」

「うん?」

 

 

 首を傾けられて思わず視線を逸らす。

 ぼんやりとした夢に出てきたドラゴンについて、思い出したことがあった。だから彼に話した方が良いかもしれないと思ったんだ。部屋の中にいる皆にも聞いてほしかった。

 これは、モンスターになってしまった皆にとって重要な話だと思うから。

 

 

「実はさ――――――――」

 

 

 

 

 

 

「なるほど。ドラゴンの宝玉とやらが誰かに盗まれたらしく、怪我を負っていたところを助けて。そして話し相手になっていた時に魔方陣が発動し、皆が変異したと……」

「う、うん……それっぽい話をドラゴンから聞いたんだ」

「なるほどそれはとても重要な話だ。僕たちに話してくれてありがとうアルメリア! 希望へまた一歩進んだ気がするよ!」

「そ、そうかな……」

「ああそうだとも。そのドラゴンに話を聞けば僕たちの変異について詳しい事情が分かる。解決策も見つかるかもしれない」

 

 

 ルクレスさんの言葉に部屋の中にいた何人かのモンスターたちが小さく喜びの声を上げた。

 それに手を上げてルクレスが静かにするように合図し、また俺をじっと見つめる。

 

 

「だから君は人間なんだね。少し勘違いをしていたよ」

「え?」

 

「君だけが普通の人間だった。有り得ないほどに普通過ぎる人間だったんだ。だから研究員が成功体と言っているのも何か理由があったんじゃないかと勘繰っていたんだけれど……ちゃんとした成功体ではなく、偶然魔方陣の外にいて巻き込まれた被害者だったと……」

 

 

 その声は、俺に対しての驚きと感嘆の色が混ざっていた。たぶん普通の幼女がここまで発狂せずに生きてこられたことに驚いているというところだろう。

 まあ前世の分の記憶があるし、あの時は何かもう全てに諦めきってたし。

 といっても、ルクレスさんの視線には普通に巻き込まれ人体実験だから同情の色の方が大きいみたいだが。

 

 彼は小さくため息をついて、独り言のように通常よりも低い声で言う。

 

 

「……ドラゴンにはいろいろと話を聞かなきゃいけないな。本当に」

「ルクレスさん?」

「ああいや……とにかく計画の話だったね。じゃあ話をしよう。時間も限られてるし、奴らがいつ来るか分からないから簡単に」

「はい……」

 

 

 ルクレスが初めて背中ではなく真正面から俺を見つめて言う。

 

 

「この施設にはいくつかの魔術制限を込めた呪いの核があるんだ」

「呪いの核?」

「ああ。モンスターたちの動きを封じるものだったり、本来の力を半分以下に抑えるものだったり……つまり、今の僕たちにとって致命的な呪いがこの施設中に張り巡らされてるんだよ」

「……そっか。だから皆逃げることができないんだ」

 

 

 巨体のモンスターならば、檻程度だったら逃げ出せそうな気がしたけれど、誰もが鎖付きの首輪や腕輪を付けて大人しくしているのはそのせいなんだろう。

 

 

「俺がやることは、その核をどうにかすることですか?」

「半分当たってるよ」

「半分……」

「僕が集めた情報で分かる範囲は、魔術による縛りで身体を思う以上に動かせないということ。そしてその魔術核が複数の人間で成り立っているということなんだ」

「複数の……人間?」

「そう。その人間たちを探してきてほしい。奴らの魔術を潰すためにも、どのような魔術を使っているのか情報を集めて、僕たちに話してくれ。そしてその間に他のモンスターへ変異した犠牲者に理性がないふりをするように呼びかけてくれるかい?」

「……わかりました」

「よしよし。良い子だ」

 

 

 にっこりと頷いたルクレスさんに違和感を覚える。

 真正面で話し合っているせいだろうか、何か変な感じが……。

 

 

「ん? どうしたんだい僕の口をじっと見つめて」

「あ、えと……その、口の動きと声が合っていないような気が……それにルクレスさんの雰囲気が凄く大人の男性って感じがして……」

 

 

 どう見ても15歳の少年には思えないほど落ち着きがある男性に見える。

 これが異世界の男子……いやでも、俺がいた村にも同じ年の少年がいたけれど、違和感なんてなかったんだけどなぁ……。

 そう思っていると、ルクレスさんが額に手を当てて苦い顔をする。というより、照れてる?

 

 

「ルクレスさん?」

「いや。そうだな……アルメリア。僕の年齢については気にしないでくれると助かるよ」

「ふぇ?」

「傷ついている幼女相手に連中と同じ年齢の男性が話しかけるより歳が近い方が良いと思ったんだけど、やっぱり慣れないことはするもんじゃないね」

 

 言い訳のような口調で話すルクレスに目を見開く。

 真正面に向いていた顔を隠すように背を向けて、ただ首を何度も横に振っていたからだ。

 

 助けを求めるように周りのモンスターたちの方を見たが、何故か彼らは全員視線を逸らして何も言わずにいた。

 ……いや、目がないモンスターもいたし、言葉も話せないだろうから、『おそらく』という言葉が必要になるんだけれど。

 

 俺は戸惑いながらもルクレスに向かって口を開いた。

 

 

「ええっと……つまり、その外見年齢と実際の歳は全然違うと」

「まあそうだ。魔術核は己の姿を変える部分についてはあまり適応してないみたいだから若い頃を選んだんだけど……」

「そ、そうなんですね……で、でもありがとうルクレスさん。ちょっとだけ話しやすかったのは事実ですから」

「そっか。それなら良かった。でも敬語は止めてくれ」

「アッハイ」

 

 

 俺に気を遣って姿を変えてくれたことに首を横に振って苦笑する。

 年齢について話をするのは止めよう。精神年齢が違うのは俺も同じことだし。

 

 

「えっと、とにかく俺がやるべきことは……ひとつ、魔術核となっている人間についての情報収集。ふたつ、他の部屋にいる被害者たちに理性がないふりをしてもらうよう話すこと。みっつ、皆との中継地点となること」

「うんうん。それであってるよ。ああでももう一つ追加だ」

「へ?」

「アルメリア、君にはあの連中に優れているのだと分からせてもらいたいんだ」

「えっとつまり……みんなを、モンスターを操ってるっていうことですか?」

「いいや、それ以上だ。君が成功体として優れていると偽ってもらう。当然それがバレたら君は速攻で殺処分が下されるだろうが……それをやりながら、この施設の核をぶち壊すための情報集めと中継役を担ってもらうんだ。やれるかい?」

「……どのみちそれしか方法がないんだ。ならやる」

 

 

 もう覚悟は決まった。そう頷いてみれば、ルクレスが笑った。

 

 

「幼いというのに大した度胸だ。足手まといなのは僕の方だな、すまない」

「いやそんな。ルクレスさんがいなかったら何もできないままだったから!」

「……ありがとうアルメリア。君は本当に優しくて素晴らしい子だ」

「こ、こちらこそ……それよりも」

「ああ、やるべき時が来たら僕たちに任せてくれ」

 

 

 何度も頷けば首輪に繋がった鎖がジャラジャラと音を立てていく。ルクレスが背を向けながらも小さく笑った。

 

 

「オォァ!!」

 

 

 不意に部屋の中にいる一匹……いや、モンスターとなってしまった人間の一人が警告音のような甲高い叫び声を上げる。

 それに全員が首を上げて扉を注視した。その瞬間、様々なモンスターたちが動き出す。

 

 男が俺を連れてきたときのように、檻に身体をぶつけていく者。うめき声をあげて威嚇している者。モンスターのふりをして、部屋中に騒がしい音を奏でていく。

 一斉に始まった行動に、俺はただ驚いてルクレスから目を離し周りを見渡してしまった。ポカンと開いた口に埃が入りそうになり慌てて閉じて、何が起きたんだと戸惑う。

 

 

「これは……」

 

「おっと。誰か来たみたいだ……じゃあ任せたよアルメリア」

「え、あっ―――――」

 

 

 じゃらり、というような鎖の音がルクレスの檻の中から聞こえた。

 思わず檻の中を見て、息が止まりそうになる。

 

 

「あ、れ?」

 

 

 ルクレスさんの姿がなくなっていた。鎖と首輪が檻の中で宙ぶらりんにぶら下がっていて、そこに人の気配がないことに驚愕する。

 姿を変えられるって言ったのは、形状が変わる……スライムみたいな存在ってことか……?

 

 ルクレスがモンスターに変異していたのは分かったけれど、実際その正体は何なんだろう。

 

 

「うるさいぞモンスター共。静かにしろ! ……よし、検体0! 実験の時間だぞ!!」

「あっ……」

 

 

 いや、今はやるべきことをするのが大切か。研究員が一人とローブの男が一人、部屋の中へ入ってくるのが見える。

 檻を開けて俺の首輪を乱暴に外し、腕を掴まれてそのまま引っ張りだされた。

 

 途端にモンスターたちの咆哮が大きくなったような気がしたけれど……まあ、気のせいだよな。

 

 

「さて、今回もお前の活躍に期待してるぞ検体0」

「…………」

 

 

 ニヤニヤと笑っている研究員。そして後ろを歩きながらも俺を監視するローブの男。いつもなら実験と称した拷問による痛みでぼんやりとしか覚えていない光景だ。ほとんど一人の男が俺を連れ出すことが多いが、モンスター関連だから監視が増えたのか……。

 

 何にしても、頑張らないと。

 

 

 

 

 

 

 

 実験施設にいつものように放り込まれた。

 その先にいたのは、魔術で出来た光の槍に足を突き刺されて動けない状態の子供のモンスター……というか。

 

 

「がうー!」

 

 

「……くま?」

 

 

 俺とはまた違った、女の子のような可愛い声で鳴いた生き物。

 茶色の毛皮と額に王冠のような模様が特徴の、前世の動物園で何度か見たことのある可愛らしい小熊。

 

 俺より身体は大きいが、ぬいぐるみみたいなまん丸い身体と可愛い顔が俺を見て必死に威嚇している。

 

 モンスターに理性があるというのだから、こいつも同じはずだ。

 操れるようにしろというのが実験目的ならば、まずは落ち着かせないと……。

 

 

「さあ検体0! 今回の目的はグレートリトルベアを操り、その背に乗ることだ。簡単だと思えるかもしれないが、人間を主食にし子供でありながらも凶暴性を潜めた凶悪なモンスターだ。どう対処するのか我々に見せてもらおう!」

「魔術師よ、足枷を外せ!」

 

 

 

 いつものごとく上から聞こえてくる偉そうな声に舌打ちをしながらも『魔術師』という言葉に耳を傾けて……。

 

 魔術師が槍の魔法を消したのだろう。

 小熊の足枷が消えた瞬間、その巨体がロケットのように俺に向かって突進してきた。

 

 

「がおー!」

 

「ふぁ!?」

 

 

 先程まで足に光の槍が突き刺さっていたからか、ふらついて俺より数センチ逸れて壁にぶつかった。

 壁に一瞬網目状の光が見えて、小熊を壁から弾かせる。

 

 

「がぅー!」

 

 

 壁に攻撃されたとでも思ったのか、両手をあげて必死に威嚇している様子は可愛らしい。

 檻の外にいたならば、いつまでも見ていたいと思える可愛らしさだが……。

 

 

「言葉が通じない……じゃない、こいつの中身ってまさか子供か?」

 

 

 幼い言動。モンスターの名称に『リトル』が付く小熊。

 本能のままに動き、襲いかかる様子。

 

 

 まさか、人間だった頃のこの小熊って俺より年下になる……のか!?

 

 

 

 

 

 

 








 あの薄汚い研究員の連中がアルメリアを連れて部屋へ出て行く。それをひっそりと観察し、また誰も監視していないことを見たうえで皆が静かに身体を休めた。
 僕もまた同じく床に身体を寝そべって、彼女が来るまでの間に準備する。情報を収集するべく、あの子たちに協力を求めないといけないから。


「……さて」


 彼女の言葉を信じるか否か。
 ドラゴンの宝玉とやらを使ったせいで僕たちがこうなったかもしれないと言った。それが真実だとしたら、僕たちの敵は人間以外もあり得ることになるだろう。

 宝玉を盗まれて使用されて、それでこうなったとしたら……。それはドラゴンの管理不足が原因だ。だから復讐の対象として遠慮なく選んでやりたい。
 だがドラゴンを倒すのに骨が折れそうな気がするな。足が何本あっても足りない。
 モンスターに変異した中にドラゴンより強い奴はいないものか……。

「ルク……」
「ん? どうしたんだい?」


 近くのスライムの身体をした元人間の女性が、薄水色の身体を丸く団子状に整えながらも話しかけてきたので思考を止める。
 声は透き通ったもの。洞窟の中で叫んだ声が反射しているような不可思議なものだった。


「良いノ? アの子まだ幼イけど」
「ああ。良いんだよ」
「危険なンじゃなイの?」
「それはあの子次第。アルメリアはしっかりした子だから大丈夫だよ。それにこれは必要なことなんだ」
「ルクレスおじサん……」

 スライムに顔はないけれど、何となく非難の視線を向けられているような気がして苦笑する。
 でももう止めるつもりはない。

「これは、チャンスなんだよ。僕たちがここにきて何年になる? 殺処分の脅威から震えて、実験と観察を繰り返しやらされて発狂し犠牲になった仲間は何人になる? 皆覚えているだろう! あの頃の絶望と怒りと悲しみを!!」
「…………」

 皆が顔を俯かせる。変異を遂げても喋れる者から、喋ることが難しい者まで全員が死にたいと思った過去を思い出して身体を震えさせる。
 それはあの腐った連中に対する恐怖でもあり、怒りでもあり。そして絶望だった。


「僕にはね、生まれたばかりの孫娘がいた。今ならちょうど……そうだね、アルメリアと同じ年齢の孫娘がいたんだ。立派に育った息子と、息子が連れてきた綺麗なお嫁さんと四人で暮らしていた。老後の人生を楽しんでいたんだよ」
「……えエ、知ってルわ」
「ああそうだねアリスちゃん。君には世話になったことがあった。だから僕はもう嫌なんだ。孫娘と同じ年齢のアルメリアでさえも実験対象となって苦しめられている事実に」
「…………」
「奴は何年経っても変わらない。それどころか過激になってきているんだ」


 だからこれは必要なことだ。
 アルメリアを囮に使うのは、必要なことなんだ。

 心の中で懺悔しよう。
 あの幼い少女が犠牲になったとしても、僕は前へ進み続ける。
 彼女が研究員たちの視線を集めてくれれば、彼女が失敗して殺されることがなければ。


「失敗すれば僕たちは全員死ぬ以上の思いをするだろう。連中の良いように扱われて、そして殺される。皮を剥ぎ取られ、血を抜かれ、拷問され……異種交配の名目で強制的に犯され、全てを奪われる。ここに居たら時間の問題だよ。また永遠と同じ苦しみを味わうんだ」
「…………」
「僕たちが発狂しないのは、変異でモンスターになったおかげだよ。でもこれがずっと続くのは耐えられない」
「……うン。私も耐えラれナい」
「なら僕の指示に従ってくれ。アルメリアを騙して悪いと思っているかもしれないけれど、うまくいけば全てが終わる。自由になれる」


 アルメリアはまだ子供だ。だから大人の指示に従って行動してくれる。
 彼女の通常の人間より図太い精神力には評価する部分があるが、それだけだ。

 連中が誤魔化されてくれるなら良い。でも全員とはいかないだろう。それに新しく変異したものが施設に入れられ続ければ、いつか僕たちに理性があることがバレる。
 だから今の内なんだ。


「皆覚悟を決めてくれ。たとえアルメリアを犠牲にしたとしても自由になるために進む覚悟を」


 僕の言葉を肯定する声は聞こえなかったが、逆に否定の声も上がらなかった。
 異様な静けさが部屋中に包み込まれる。

 ―――――――それが皆の答えだった。






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7話 数センチの一歩



 純粋な心というのは、時に悪意より残酷な場面をみせることがある。

 例えば、幼い子供が虫を解体していたというもの。例えば、立つのが最近なほど幼い子供が食べてはいけない洗剤を口に含んでしまったというもの。


 理性は、社会においてのルールだと俺は思う。

 ならば、無垢で何も知らない心は?
 まだ幼い子供が、凶暴で肉食のモンスターに変わってしまったら?


 それが、現状を意味しているのだろう。


 だから、どうにかして生き残らなくてはならない。
 目の前にいる子供のためにも。俺自身のためにも。

 俺はまだ、生きなくてはならないのだから。








 

 

 

 

 

 

 前世で見たことのある小熊。ルクレスさん達がいた部屋のモンスターよりも可愛らしくぬいぐるみのようにモコモコしていて丸っこい。

 光の網が張り巡らされた壁に弾かれたことを攻撃されたとでも思ったのか、何度も壁に体当たりをしている。無駄な行為だと言うのにそれを行う。

 

 本能のままに行動している。中身が人間ならばこんな行為は意味がないって分かるはずだろうが、『小熊』であるからには幼い可能性が高いってことで……。

 

 

「何をしている検体0。さっさとそのモンスターの背に乗ってみせろ!」

 

 

 ああくそ。ちょっとは考えさせろっての!!

 このまま無視したら駄目なのは分かってる。だから行動しないと……。

 

 

「……なあ! ちょっと落ち着いて冷静になろうぜ。壁にいくらぶつかっても意味なんてないぞ」

 

 

 小熊が鼻息荒くこちらを見た。

 二本足で立っていたというのに、四つん這いになって四足歩行で一気に駆け寄ってくる。

 

 

「がぅー!」

 

 

 突進なんて勢いじゃない。ダンプカーがブレーキも掛けずに猛スピードで俺に向かって来るような感覚。

 可愛らしい外見に似合わず、手加減なんてものを知らないモンスターだと感じられる殺意。

 

 何とか足を動かして突進してくる直線状を避けると、奴は勢いよく俺から通り過ぎ、すぐに爪で地面を引っ掻いて壁にぶつかる前に急停止する。

 どう身体を動かせばいいのか分かっているのだろう。人間らしいところがなくなっていた。というか、ルクレスさんたちと同じ元人間なのかこいつ?

 

 

 

「最初っからトラブルだなんて本当にやってられないな……」

 

 

「がぉー!」

 

 

 突進しても避けられると学習したのだろう。

 小熊が二足歩行になって立ち上がり、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 

 伸ばされた爪が天井の光に当たって反射し輝かせながらも、俺の方へとゆっくり移動してくる。

 恐る恐る後ろへ後退し逃げるが、小熊は近づいてくる。

 

 

「何をしている検体0!」

 

 

 うるせえよ俺にどうしろってんだよ!

 

「がぅー」

「あっ……は?」

 

 

 小熊が、泣いている?

 瞳を潤ませ、毛皮で分かりにくいが一筋の涙を流しているように見えた。

 錯覚か……?

 

 涙を流しているように見える小熊だが、歩みは止まらない。

 だから俺も後ろへ下がる。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 やがて光の網目がある壁にぶつかって、背中が一気に燃え広がるように熱くなった。壁に接触した部分が痛い。でも拷問された時に比べたら痛くない。ただ火傷しただけだけど。

 

 やばっ――――!!?

 

 

「がうー!」

「ぐっ……!!」

 

 

 いつの間にか目の前にいた小熊が俺に爪を振り下ろす。咄嗟に横にずれて、爪が頬をかすりながら地面へとぶつかり、その衝撃で小さな俺の身体が簡単に吹っ飛ばされた。

 何度か地面をバウンドし、転がってぶつかった先は壁がっ。

 

 

「ぐぁぁっ!?」

 

 

 いっだぁぁ!!?

 痛い痛いっ。熱くて痛いっ!

 くそっ。火傷した背中が猛烈に熱い。

 激痛で身体をうつ伏せに寝転がりながらも痛みに耐える。

 

 荒く呼吸をして、何とか痛みが治まるのを待つ。立ち上がることは無理だ。すごく痛いし、視界がまた明滅している。このままだと気絶するかもしれない。

 

 

「がぅー」

 

 

 刹那、息が止まった。

 ものすごい近くに小熊がいる。小熊の体温が感じられるほどの距離に奴がいる。

 ふんふんと俺に鼻を近づけて匂いを嗅いで。

 

 嗅いで……?

 

 

「あれ……」

「ぐるぅ?」

 

 

 どれだけ時間が経っても俺を攻撃しようとする気配がなかった。

 どうしてなんだろうかと何とか首を上げて小熊の方を見ると、奴は小さく首を傾けてただ俺の目の前で可愛らしく座り込んだ。

 敵意が急になくなった。最初に出会った頃の殺意も何もかもがなくなって、戸惑ったような表情で首を傾けているだけだった。

 

 

「ぐぅー」

「……ははっ。ああ、そうか」

 

 

 必死に立ち上がって、座っている小熊に抱きついた。もふもふでふかふかの大きなぬいぐるみのように、抱き心地は最高だった。

 俺を一気に殺せる位置にいる。小熊の胸の中にいる。

 それでもこいつは攻撃しようとしてこない。

 

 だから上にいる研究員たちに聞こえない程度の小声で、小熊に向かって話す。

 

 

 

「……なあ、血の臭いで同族だって思ったのか? それとも村の人間だっていう何かの匂いがあるのか?」

「がうー」

「ごめんな、クマの言葉はわからないや」

 

 

 何にせよ。これでようやく話が伝わる。何で俺を敵対していたのに急に味方になったのかは分からなかったけれど。

 とりあえずやるべきことをやりながらでもいいから考えよう。ルクレスさんに話をするのもいいかもしれないな。

 

 

「なあ、俺の話を聞いて……他の仲間がいるならそいつらにも伝えてやってくれ」

 

 

 できれば伝えられることを、祈っておこう。

 幼い小熊に微かな理性があることを信じて、今俺を襲わない事実に希望を抱いて伝えよう。

 

 こいつは俺を攻撃して殺しにかかってきた。でもそんなのどうでもいい。どうして攻撃してこなくなったのかとか、ちょっと考えることがあるけれどそれもどうでもいい。

 俺の村にいた奴かどうか判別がつかないけれど、同じ被害者なら仲間も同然だから。

 

 

「ほう! よくやったぞ検体0! さあそのグレートリトルベアの背に乗ってみせろ!」

 

 

 失態を見せた部分もあったけれど、ちゃんと成功したんだから俺の価値は上がったように見えたらいい。

 

 

 

 

 

 

 私はただの人間だった。

 人間だったわ。

 

 大好きなママと、お姉ちゃんやお兄ちゃんたちと一緒に畑を手伝って、ほんのちょっとの食べ物で満足して暮らしてた。いっぱい散歩して、私と同じ年の赤い髪が綺麗な女の子と友達になって、他の皆と遊んで暮らしてた。

 

 でも、急に来た大きな光のせいで私の身体は崩れちゃった。ボロボロに崩れて、お兄ちゃんぐらいに大きくて丸っこくなっちゃった。毛もぶかぶかだし、気持ち悪い。

 それに身体が崩れて血が出て、すごく痛いし辛いのに、誰も助けてくれなくて泣いてママを呼んで……。

 

 その後のことはあまり覚えてないの。

 

 

 大人の人たちが私を無理やりどこかへ連れて行って、そこで痛い思いをする。

 狩りに出かけてくる人が仕掛けるような罠……えっと、檻っていうんだっけ? たくさんの優しいモンスターたちがいる部屋へ連れて行かれて、その檻に入れられる。

 

 檻に入れられると、周囲にいたたくさんのモンスターが私を取り囲んで今日あった痛い思いをした話を聞いて、慰めてくれる。

 

 

「頑張ったねイヴァ。お姉ちゃんも頑張ったけど、あなたの方がもっとすごいわ」

 

 

 なんで私の名前を知ってるの?

 

 

「暴れたら駄目だぞ。泣くんじゃないイヴァ、お前を失ったら俺達……お兄ちゃんが凄く悲しむからな」

 

 

 お兄ちゃんとお姉ちゃんの声が似てるけど、私は貴方たちを知らないよ。

 

 だれなの?

 

 

「ママがいるわ。イヴァ。安心して」

 

 

 ママと同じこと言って、檻の隙間から手を出して私の頭を撫でてくれるけど、誰なんだろう。

 ぼんやりと鳴き声しか上げられずにその手に身を委ねた。

 

 部屋の外は嫌いだ。

 でもこの檻の中は凄く気持ちいい。

 居心地は良いけれど、凄く悲しい。

 

 ママたちに会いたい。お兄ちゃんやお姉ちゃんに会いたい。

 友達に会いたい。

 

 痛くて痛くてずっと目を閉じていた。

 見ているけれど、見てないふりをしていた。

 もう嫌だった。ママたちに似た声をするモンスターと一緒にいると、私はもう一人なんだって思って。

 悲しくて悲しくて、死にたくなった。

 

 

 ごめんなさいアルメリア。

 あなたの綺麗な赤髪を見て、あなたの血と肌に染みついた薬草の匂いを嗅いで、私は一人じゃないんだって分かったの。

 ようやくあなたをまっすぐ見ることが出来たわ。

 ようやく、懐かしい景色を見ることが出来たような気がしたわ。

 

 

 だからちゃんと伝えるね。

 あなたには言葉が届かなくても、あのモンスターたちには通じるみたいだから。

 

 ママたちに似たモンスターに、あなたのお話をするからね。

 だからまた会おうねアルメリア。私の大好きな友達。

 

 

 

 

 

 

 



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8話 何かが起こった日

 

 

 

 

 

 

 

 改めて日々を過ごしていて分かったことがある。

 この実験施設はとある洞窟を加工して作られた場所だということ。石材の壁や床のせいで分かりにくかったが、おそらく確実と言えるだろう。

 移動している際、蝋燭で照らされた部屋の奥から見える鉄柵付きの窓越しに見えた森林。そして通常よりも高い場所を映す景色がとても久々で、少しだけ涙したのは研究員の連中に見られないように隠したが。

 

 実験でさえモンスターに乗れるかどうかといった試しから、モンスターに自分の血を与えて興奮するかどうか確かめろというもの。木箱を持ってきて、それに右手だけで攻撃しろ。モンスターが生み出す毒を瓶の中に入れてみせろ。

 とにかく様々な指示をモンスターたちと交流しながら行っていく日々。

 

 モンスターの檻がある部屋は2つ。1つは俺が使っているルクレスさん達がいる場所であり、もう1つは俺がいた村とそれより前に襲撃された集落の人たちがいる部屋。

 

 

 モンスターの身体になったことへの混乱と悲しみから徐々に回復したのは、おそらくルクレスさんの計画が生きる目的になっているからだろうと思う。

 ここから自由になって、ドラゴンに会い人間に戻る。その希望を抱いて、今の身体や痛みに耐えている。連中への復讐に備えて。

 回復魔法で塞がっていても思い出すトラウマを、いろんな傷が出来た経験を連中にぶつけてやるために。

 

 そのために必要なのは、モンスターたちの攻撃を抑制し行動を制限している施設に張り巡らされた魔術核を壊さなければならないということ。

 どうやらその魔術核は人間であるというのは分かった。そして張り巡らされた魔術は血管のように地面や壁に膜を覆う形で発生しているというのも、研究員たちの話し声で伝わる。

 何処で聞いていたのかは知らないが、ルクレスさんもその情報をとっくに入手していたので恐れ入る。

 

 とにかくもっと情報を集めていかないと。

 

 

「ァぅメリぁ」

 

「……グレン、小声で話そう。大きな声だと連中に聞こえる」

「ぅぃ」

 

 

 村にいた時に仲良くしてくれていたグレン。

 彼が『ウィスプ』と呼ばれる鬼火のような青白い炎のモンスターとなっていても理性は変わらず、ゆらゆらと丸から子供サイズの人型へ形状変化し、ゆっくりと座って俺をじっと見つめる。……見つめてるんだよな?

 顔のパーツも何もなく、棒人間の炎バージョンというような形状だからグレンの感情が伝わりにくいときがある。

 ……まあいい。とにかく元の人間の姿であれば、確実に頷いたとされるグレンにほっと息をつく。

 

 言葉は片言だが、通常であれば俺が触ったら火傷どころか肉と骨を一気に燃やされて溶かされるほど熱い炎の塊となっているモンスターが俺の幼馴染であるグレンならば恐怖心はない。

 今回の目的も俺がグレンに触っても熱で溶けるかどうかの実験だ。ウィスプは友好関係があればその炎も柔らかく暖かな物へ変化する……というらしいが。

 

 

「触るぞ。手を伸ばしてくれ」

「ぅ」

 

 

 研究員に聞こえるような大きな声で、グレンに行動を促す。

 グレンが少しだけ不安そうにしながらも、片手を俺に差し出した。その様子に研究員たちが視線を集中させて何やら束になった紙の資料にいろいろと書き込んでいるのが見えた。実験の為の観察記録を付けているのだろう。

 いつものことだ。カリカリと書かれるペンの音も拷問時に聞いた音と重なってトラウマになって手が震えるが、なんとか耐えてグレンに触る。

 

 

「……よし、熱くない」

「おゥ」

「いや熱い。ちょっと温度下げて」

「わカった」

 

 本能でどうやるべきなのか分かっているのだろう。ルクレスさんもモンスターとしての力がどう使えばいいのかなんとなく分かると言っていたし。

 片手を触って、俺の手がグレンの炎を貫通するような形で通り過ぎて行くのを何度か行う。

 その間に、出来るだけ小声で皆の状況と魔術核について何かわかったことがあるかを話して―――――。

 

 

「そこにいたのかね! おお、報告通りの出来栄えじゃないか!」

「な、アレイルクス侯!? 何故ここに!?」

 

 

 頭上から聞こえてきた大きな声に、俺とグレンは天井を見上げた。

 だが、誰かがこちらを見つめているのを視界にとらえて慌てて視線を下げる。

 

 ……グレン、顔がないからって見上げっぱなしになってんじゃねえよ!

 

 

 

 

 

 

 

 広大な実験施設に資金と必要支援を行ってくれている国家の東貴族の一角である領主アレイルクス侯。

 私達の実験の成果を強く急かしている人物であり、人を作る禁忌を指示した恐るべき人。

 

 何人かの兵士と共に視察―――――という形で来たのだろうか。突然すぎるが、慌てて来訪を歓迎するために彼が座ろうとしているソファの前に研究員の皆が跪く。

 

 

「アレイルクス候、わざわざ研究所まで赴きいただきまして誠にありがたく―――――」

「ああいい。そういうのはいらぬ。それよりも成功体についての資料を読んだ。アレがそうか?」

「え、ええ……」

「おお、確かにモンスターと交流しているではないか! はははっ! これは良い。流石は竜の宝玉だ!」

「り、竜の秘宝?」

「ああそうか。お前さんは知らないんだったな。実験はしているが、それがどうやって作られたのかはこの施設ではいらない情報だった」

 

 

 ニヤニヤと上機嫌に笑うアレイルクス候。新しい成果に満足しているのか、私達に向けて嗤う。

 片手を上げた候が「立ち上がることを許可する」と言ってくれたため、ゆっくりと立って話を伺う。

 

 

「戦争において必要なのは何か分かるかね諸君?」

「……兵士ですか?」

「そうだとも。圧倒的な力、戦力。そして戦争以上の脅威となるモンスターたちへの牽制。それらすべてが叶うのが宝玉だ。我が国の勇者がドラゴンと対峙した際に奪ったとされるものだが、その力が今のコレなのだよ」

「……検体0が、その力だと」

 

「いいや、全てだ」

 

 

 他の研究員と顔を見合わせてアレイルクス候を見る。

 彼はただ、下で行われている実験を見つめていた。下では検体0がウィスプと呼ばれるモンスターの炎を手で浴びてその温かさを確かめている最中だった。

 

「アレイルクス候、質問の許可を」

「ああいい。許可しよう」

「はい。宝玉の力というのは具体的にはどのような……」

 

「一概には何とも。すべての力の解明には至ってはいないのでな。貴様らのような研究員だけではわかり得ぬ力の深淵だ」

「はぁ……では、私達が行う『人を作る』というのもそれに当てはめられるのですか?」

「ハハハっ! それは最終目的だ。今はその通過点―――――人がモンスターとなるための実験だ」

 

「………はい?」

 

 

 今何と言った。

 アレイルクス候は、なんと仰った?

 

 

「人を、モンスターに変えている……というのですか?」

 

「ああそうだとも。領地には至っていない無法の村。国家と帝国の間に位置し、そのどちらにも位置してない大森林に潜んだ三つの村を実験に選んだまでの話だがな」

「ま、待ってください! 国家と帝国の間とはすなわちあのメリア大森林のことですか!? りょ、領地に至ってないといっても、確かあそこの森林の村はいくつかが国家に属すると決められ、兵士招集がかけられていたはず。て、帝国に属する村もあったはずでは!?」

「男どもは兵士招集がかけられ王都に集められただろう。それ以外は価値のない村人だ。あの鬱陶しい大森林のせいで領地には至らず、モンスターが蔓延る中で暮らす酔狂な心を持った人間ならば実験に役立つと思ったのでね」

 

 

 人間が、モンスターとなる実験を村規模で行う。

 それはなんという恐ろしい事態か。

 

 

「帝都に属する村でさえ実験に使ったのだとしたら……そ、それは戦争行為に繋がるんじゃ……」

「ハッ。そこまで有能な探査魔術を奴らが持っているわけはないだろう。せいぜいがモンスターに襲われたと噂されるだけだ」

「……はぐれゴブリンですか」

「おお、知っていたのかね?」

「ええまあ……私には可愛い甥がいますので」

 

 

 はぐれゴブリンの噂はメリア大森林の近くに建てられているこの実験場で聞いたことがある。

 いくら弟家族が王都にいたとしても、私にとっての可愛い甥っ子が殺されないかと心配で手紙を書いたのだから。

 

 そのはぐれゴブリンの秘密。

 人間を作り上げるという禁忌よりもさらに許されない罪を私達は重ねていた。

 身体が罪を重ねた恐怖で震えている。他の皆も嫌な考えをめぐらせ、手を震わせて涙をこぼす者がいた。だが、人を作る禁忌を犯すことを承知の上で我々はここにいる。だからそこまで絶望している研究員はいなかった。

 

 

 それでも嫌な予感がした。

 まさかとは思うが。まさかアレは―――――――。

 

 

「あ、アレイルクス候。最終目的が人を作ると言うことですが……。ならば、あの検体0は……」

「外部魔術師から聞いてはいないのか? いや、あいつらも頑固なところがあるからな。よし、ここまでの成果を出した貴様らの褒美として教えてやろう。アレは宝玉の力を耐えきった唯一の成功体だ」

「……ああ」

 

 

 それは、すなわち人ということか。

 ホムンクルスでも人工物の生き物でもなんでもなく、ちゃんとした幼女であるということなのか。

 

 

「……王は、それを知っておられるのか」

「何故貴様にそこまで詳しい説明をしなければならない?」

「し、失礼しました」

 

 

 覚悟を決めねばならない。

 周りを見れば、全員が真剣な表情で頷く。

 知らないと言っても、ちゃんと交流していれば分かったことだ。

 

 私達の罪は重い。人を作り上げる以上に禁忌を犯している。それと同時に好奇心もあったのは事実。

 人がモンスターに変異することができる宝玉を、私達も調べてみたいと思えたぐらいに。

 

 

 

「ああそうだ。アレらは全て処分しろ」

「しょ、処分……」

 

 

 

 アレイルクス候は、なんでもないような口調で言う。

 ただ飽きた玩具を捨てる子供のように。無感情で傲慢に。

 

 

「あの低レベルモンスターたちのことだ。ここに来る前にいくつかの檻を覗いて見たが、ほとんど使えないモンスターばかりではないか。冒険者でも退治できるモンスターは実験に相応しくない。全て殺処分としろ」

「っ……ハッ」

 

 

 殺処分か……。

 いつものことだ。

 必要ないと分かれば魔術師に頼んで閉じ込めた部屋で燃やすか凍らして粉々にするか毒で殺すか。そういう判断を私が下していた。

 

 ああ、いつものことだ。

 知らなくてもいいことを知ってしまったが故にその冒涜さも分かってまた身体が震えて吐き気がする。

 

 

 

「……あの検体0を戦争に投入できるか否か明日の実験で耐久試験を行う。拷問道具の準備をしておけ。それとそれまでに全てのモンスターを殺処分にしろ。新しい実験体は数日後に届くようにしてあるからな!」

「は、はい……」

「さて、まだまだやるべきことはあるのでな! また明日にこちらへ来よう! 彼女の実験をこの目で確かめたいのでな!」

「は、はい。アレイルクス候……」

 

 

 

 候が出て行った先で、拳を深く握りしめた。

 

 

「あちっ……」

 

 

 

 瞬間、幼女の小さい声が私の耳に届く。

 傍聴魔法が仕掛けられていたならば、彼女の声もこちらに届かないはずなんだが。

 聞こえたとはすなわち――――――。

 

 

 

「ッ――――おい、傍聴魔法は仕掛けたのか!?」

 

「仕掛けていませんよ」

「あっ……す、すいません! 私が指示を出すのを忘れていて……」

 

 

 ローブの魔術師は何も言わずに首を横に振った。指示待ち人間の魔術師はこれだから……。

 それに苛立ちながらも、ひたすら謝ってくる後輩の研究員の肩を叩いて大丈夫だと仕草で示した。

 

 

「検体0に聞かれていたとしても問題はないと判断しておこう。……とにかく、アレイルクス候の指示に従うぞ」

「ですがそれは……」

「私達はもう重罪人だ。覚悟を決めろ」

「……はい」

 

 

 嫌な空気が、部屋中に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 



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9話 誘導の彼方へ






 これがいつも見る夢だとしても、怒りは強く湧いてくる。
 夢から目覚めたら忘れてしまうものだとしても、それでも目の前にいるこいつに怒りを抱くことだけは、忘れてはいけない。



『楽になりたいか?』



 ――――――うるせえよ。
 俺を見殺しにしたドラゴンなんかに助けを求めるつもりはねえ。むしろ俺を助ける義理ぐらいあるだろうが。


『ほう? 人間のくせにこの私自らがお前を助けると?』



 それぐらいの親切は通したつもりだぞ。食料も軽い話し相手もした。その借りを返せ。
 いやむしろお前が人間に宝玉を奪われなかったら俺たちはこうならなかったんだ。

 だからなんとかしろよ。


『ふはははっ! なんとかしろか! いやはやどうにも乱暴に任せるものだ。私に責任を取れと貴様は言うのか。ならばもう一度問いかけよう。貴様が応えるのだ。楽になりたいとな』


 俺は楽になりたいんじゃない。死にたい訳じゃない。



『……なら何が欲しい? 憎しみ抱いた奴等を殺す攻撃力か。それとも逃げ出す為のスキルか』



 皆を元に戻してくれ。
 それで、元の平穏な村の生活に戻してくれよ。


『ハッ。それは無理な相談だ』


 はぁ!?
 おいこら、何でだよ。
 お前の宝玉でこんな事態になったんだ。なんとかしろよ。



『力には使う法則があるものだ。いくら私がドラゴンでも世界の定められた秩序を壊すことは出来ないのでな』



 チッ。使えねードラゴンだ。



『フハハッ。ドラゴンとなり長い時を永遠に生きているが、貴様のように舌打ちをする奴は初めてだ』



 そうかよ使えねードラゴンさんよ。
 じゃあ何ができるんだよ。言っとくけど力やスキルを俺に渡してそのままポイってのはなしだからな。



『我が儘な幼子だ。ならば仕方があるまい。貴様と私は繋がりがある故にな。お前が手を伸ばすのなら救ってやろう』



 手を伸ばすってすなわち……。



『私のモノになれ。私の所有物となって、宝玉を奪い返す手伝いをせよ』


 え、面倒……。
 ってか何でそうなるんだよ。お前に食事やら何やら用意したんだから恩を仇で返すようなことすんな。交渉なしで俺を助けろ。



『ふははははっ! それは無理だな。いや、最初はその気もあったがここまで頑固さをこじらせているのなら気が変わるというものだ。拒否権はないぞ小娘! 貴様は楽になりたいと言った言葉に頷かなかった。それに、もう遅いぞ。私はとっくに貴様に手を貸しているのでな!』


 ぼんやりと景色が歪んでいく。
 ドラゴンの笑い声だけがいつまでも響く。


 これが夢だからこそ、なんだか精神的に疲れた。凄く寝たような気はしなかった。
 次にまた夢を見たならば、その時はドラゴンの頭に乗って奴の顔面をぶん殴ってやろう。


 そう決意しても、もう遅かったらしい。







 

 

 

 

 

 

 

 やばいやばいやばいやばいやばい!!

 俺をどこかへ連れて行く。それだけじゃない。モンスターを全員殺す。すなわち、母さんもグレンも、友人もおじさんもルクレスさんも皆みんな殺される!?

 

 

「おら、とっとと歩け!」

「……っ」

 

 

 いや落ち着け。冷静になれ。

 こんなのいつもの事だろう。

 拷問でも実験でもなんでも、発狂しなかったあの時の感覚を思い出せ。

 

 一瞬で良い。ルクレスさんと話したときの計画通りに。もう実行に移すしかない。本当はもっと長い時間をかけて少しずつ聞いていくつもりだったけど、明日までは無理だ。一気にいかないと。

 

 俺に価値があれば、奴らは俺に目をつける。

 それと同時に連中は今俺を恐れてる。

 あのアレイ…なんちゃら候が話した内容を聞いてビビっていたから、俺が言えばある程度は……。

 

 

「……ねえ研究員さん」

「あ?」

「あの時実験室で聞いてたけど、あのお偉いさんに連れてかれるんだろ」

「……ハッ。なんだ、今さら怖気づいたか?」

「ううん違うよ。むしろ痛い思いしなくて済むなら凄く幸運かな。でもさ、俺の力ってまだ制御されてるみたいなんだよな。モンスターを操るだけじゃないかもしれないという感じかな……?」

「……何故今になってそれを言う」

「だって、向こうで痛い思いしたくないからさ。それと、この施設で制御されてるっていうんなら、向こうで自由になった瞬間何やらかすのか分かったもんじゃないよ?」

 

 

 この言葉に、研究員の足が一瞬立ち止まる。俺に向かって化け物を見たような顔で見下ろしてくる。

 背後にいたローブの男が咳き込みをしたため、すぐにまた歩きはじめるが……。

 

 

「制御されているか……検体0の細胞値は人間のままのはずだが。おいお前、核の……彼女の方はどうなってる? モンスターだけに力の制御が効いているはずだろう?」

「さあ知りませんよ。私は管轄外なので……」

「チッ。……一応調べた方が良いか。枯渇されては意味がない。アレの力もまた研究対象だ」

 

 

 ぶつぶつと呟く研究員の言葉に、さりげなく顔を上げた。

 心臓がバクバクとなっているが、それを表に出さないようにごくりと唾を呑んで、口を開いた。

 

 

「アレってモンスターのこと? 俺の力を抑えるってことは相当凄いモノなんだ」

「いいや、彼女の力はただの楔。国家の大魔術師が作り上げた膨大な魔術を使用して力を抑える人柱となるものだが」

「おい、それ以上は……」

「ああ」

 

 

 ローブの男が口止めをしてきたことに内心で舌打ちをする。

 もっともっと、情報を集めないと。

 

 

「へぇ、それって何処にあるの? どうせ俺はもうここに来ないんだから、最後の記念に教えてくれてもいいだろ? 実験でいろんなことをやった借りとして」

 

 

 実験のことを話しながらニヤリと笑うと、思わずといったように急に俺を掴んでいる腕を離し、不気味な目で研究員が俺を見る。

 背後にいるローブの男がとっさに俺の肩を掴んだが、それについては言及せずに……。

 

 

「ねえ、俺が一番痛かった部分って何処だと思う? 一番最初に着た頃、爪を剥がされて指を折られた時の鈍痛実験? 裸に剥かれて抵抗も出来ずに腹を掻っ捌かれた時の事? いろんな攻撃魔法をこの身に受けた時の痛み? それら全部の痛みが、制御されたせいだったら俺は―――――」

 

「ああ! ああ分かった! 軽くなら話してやるからそれ以上恐ろしい話をするのは止めろ! 私が悪かったから、止めてくれ!!」

「おい、実験体に核の話は……」

「喧しいぞ魔術師風情が! 私の名前も覚える気がない指示待ち人間は黙ってろ!!」

 

 

 ふぅーふぅー、と息を荒げて研究員が髪を乱暴に掻く。

 制御なんてされてないけれど、話しやすい内容はこれしかない。

 ルクレスさんの言った通り、男は恐ろしげに俺を見つめて口を開いた。

 

 奴が指差した方向は、俺が行ったことのない薄暗い通路。

 

 

「……この先の奥。カプセルの中に入った女が核となって眠っている。それ以上の話をする気はないが―――――」

 

「いや、充分だよありがとう……なっ!!」

「っ!?」

 

 

「ヒ、ギァァァァァッッッ!!?」

 

 

 ローブの男によって俺の肩を掴んでいる手を無理やり離し、警戒される前にと、奴の視界を指で突き刺す。

 激痛を伴ったのだろう。回復魔法をする余裕なんてなく、ローブの男が両目を押さえて転がっているが、研究員は事態の急変さについていけず呆然としているのみ。それは俺にとってすごく良い状況だった。

 

 血とどろっとした何かと水っぽい液体が指にこびりついて汚いと思ったが、俺の実験に比べたらマシな方だ。回復も出来るんだし大丈夫だろ。

 とにかく急ぐは通路の先。

 研究員が嘘をついていないならそこに核がある。早く壊してしまわないと……。

 

 

「ま、待て!」

「ぐっ――――――」

 

 

 くそっ。手を掴まれた!?

 そのまま引っ張られ抱き上げられる。

 畜生。幼い身体のせいで抵抗しても意味がない。くそっ、くそっ!!

 

 

「離せ。離せ離せ離せはなせっ!!!」

「ヒッ! ……そ、それは無理だ。君を連れていかないと私達は――――――っ!?」

 

「離せ!!」

 

 

 抱き上げているから近くにあった顔に大きく拳をぶち当てた。

 その瞬間、ぐらりと研究員が倒れて俺の身体は自由になる。でも、何故か違和感があった。

 

 拳が奴の急所を当てた……のか? 

 いやでも、それよりも前に男の意識がなくなったように見えた。急に身体が硬直したように見えたんだけど……。

 

 

「このクソガキ……」

「回復早いなクソが!!」

 

 

 魔術師が目に血涙をこぼしながらふらふらと身体を起き上がらせようとしてくる。まだダメージが完全に回復しきってないようで、目を閉じたまま立ちあがって派手に転んでいた。

 でもすぐにまた回復してくるだろう。それも完全回復かもしれない。

 

 

「やるべきことをやらないと……」

「待て……。貴様は、アレイルクス候に……」

 

 手を伸ばされかけたので、すぐに通路の先へ駆けだしていく。

 一気に息が上がって辛い。やっぱり体力がなくなってる。休憩を入れながらじゃないと無理だけど、それでも……早く……!

 

 

「グレンにも話は通した。ルクレスさんの所は無理だけど、でも……」

 

 

 モンスターとしての力を思う存分使えるなら、何とかなるだろう。

 

 

「緊急事態の……魔法を……」

 

 

 背後から聞こえてきたローブの男の声。

 黄色い何かが背後で光った刹那――――――鐘の音が、施設中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 鐘の音が心地よい。

 それは、この施設で働く連中にとっての緊急警報の証。

 

 そして聞こえてくる、『検体0が逃げ出した。魔法核の方へ行ったらしい。早く捕まえろ!』というもの。

 アルメリアの状況は僕の可愛い子を通して目で見た。だから全てが分かる。

 

 

「ギィッ」

「ぐっ。たす……け……」

 

 

 部屋の中。

 僕の可愛い子たちに覆われて、憎たらしい研究員の身体を指示通りに動かしていく哀れな姿。

 それらすべてが、ずっとずっと思い描いた状況の通りだった。

 

 

「さてみんな。今日は素晴らしい日と思わないかな?」

「そンなことナイわ」

「おや手厳しいな。まあいいさ。アルメリアには軽く手助けをした。後は彼女が駆け回る間にやればいい。鹿が死の淵を駆け回るように。狩人がその鹿を狙っている間に、その狩人を僕たちが叩くのだから」

 

 

「やめ、ろ……こんな……なんで。お前ら全員、ただの化け物なんじゃ……」

 

 

 研究員の身体を動かし、皆の檻の鍵を解く。そして100以上あるような鍵の束の一本一本を首輪や手錠などをつけられている檻の中へ入れていく。

 その一本を手に取ったモンスターの皆が器用に首輪を外していく。通常のモンスターだったらできないことを何でもないようにやりながらも、その巨大な手や爪でゆっくりと外へ出てきた。

 

 最後になったが、可愛い子たちが人間を操り僕の檻を外していく。

 鍵を外し、ガラスの扉を外し、そしてゆっくりと鍵全てを落とした。

 

 

「ありがとう。これで自由になれるよ。そいつは褒美だ。食べてくれて構わない」

「ギギッ」

 

「ヒッ―――――あがっ」

 

「ああ、ゆっくりと咀嚼して。一気に殺しちゃ駄目だよ」

「ギィィ」

 

 

 にっこりと笑って嗤って。そして僕は周りを見つめる。

 人型の黒い何かが倒れ蠢いていても誰も気にしない。興味も湧かない。

 

 ただ鍵を持った哀れな研究員がどうなろうと、誰も知ったこっちゃない。

 

 

「能力値は通常より半分以下。力も抑えられて一般的な攻撃をしようとしても効かないだろう」

 

 

 皆が僕の話を聞く。

 一見すれば、檻の外で複数のモンスターに囲まれる15歳の少年という異様な光景に、ただ心の中で興奮する。

 

 

「何故世界中にいるすべてのモンスターが人間に管理されることがないのか。それは力があるからだ。だが力を抑えられたら一部のモンスターは強制的に飼われてしまうだろう。それは理性がないからだ。頭の良さがなければ所詮、下位モンスターなんて冒険者に簡単に狩られるだけの存在―――――」

 

「ルクれスおじサん。長ったラシい話ハやめテ」

「ああごめんね。とにかくこれだけは言いたい。力が半分以下でも、僕たちには理性がある。下位モンスターだとしても、どう力を使えばいいのか分かっている。攻撃が出来ないなら、遠回しにぶち壊す方法を知っている」

 

 

 両手を広げて、ただ自由な今を感謝した。

 

 

「アルメリアが囮になってあの腐った研究員共、魔術師共に追われている間に全てを終わらそう。被害者は自由に、それ以外は復讐に。僕たちの傷を奴らに味わってもらおう!!」

 

『ッ―――――――!!!!』

 

 

 

 鐘の音と共鳴しながらも、部屋中にモンスターの咆哮が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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10話 開幕への混乱 序章

 

 

 

 

 

 計画は順調。復讐に身を焦がす火は大きく燃え盛っている。

 周囲の様子を見る限り、騒ぎは大きくなっているようだった。

 

 僕の耳に届いている情報は様々。

 行動するチームを2つに分け、他の被害者となったモンスターを救出するチームと、混乱している連中を捕えるチームで分ける。

 アリスちゃんたち隠密軌道に長けたモンスターに変異した仲間たちは、研究員を殺したり捕えたりとするチームへ。

 僕を含めたチームは他の檻がある部屋に行って、仲間を救うために行動する。

 

 どうやら聞こえてくるのは雑多ばかりだ。「どうしてモンスターが檻の外から出ているんだ!?」という声があり、それがアルメリアの仕業となっていることに苦笑する。

 なんとも無様に「モンスターの動きがおかしい、これは絶対に検体0が何か操っているんだ!」と叫ぶ声のおかげで、連中は逃げ惑いながらもアルメリアを必死に探している様子が見てとれた。

 

 彼女には多大な誤解をさせてしまって少々同情する。罪悪感だってある。

 

 だが、計画通りだ。

 僕としてはその方が一番いい。

 

 アルメリアを捕えればこの騒動が収まるとでも思っているのか。まあ確かに僕たちの動きは通常のモンスターでは有り得ない動きを見せているのだから当たり前か。

 モンスターを操る実験体として研究員たちに注目されていたのだから、モンスターの動きがおかしいと思えばそれは当然アルメリアのせいになる。 

 事実は彼女とは無関係なんだけど……。

 

 

「オォォ」

「騒がしいな全く……」

「ルクれス、こっちじゃナい」

「おおそうかい」

 

 

 廊下の奥でアリスちゃんたちが活動しているのだろう。捕えた連中の泣き喚く声が多く聞こえ、「知らない。私達は知らなかったんだ!」という愚かなものに嘲笑しつつ、リザードマンの身体に変異した仲間の誘導に従って歩く。

 

 研究員たちが知らないと泣き喚いていても意味はない。というか、もう遅いんだよ。

 むしろ知らなかったことこそ罪だ。そう皆思っているだろう。

 

 僕たちがまだ理性がないと偽る前に仲間たちが何度も何度も言っていたじゃないか。

 異形の姿に変えられたんだと。

 人間で、モンスターじゃないと何度も言っていたじゃないか。それを無視した奴らはただ僕たちの仲間を殺処分にした。

 ただ、人間のように喋れるというだけのモンスターを危険視した。それだけのために何度も切り刻み身体を確かめモンスターとしての性能を実験し、身も心もズタズタに切り裂いてしまったではないか。

 

 僕の大事な仲間たちを物のように扱った。

 壊れたらすぐに殺して、そのまま彼らをなかったことにした。

 僕たちの言葉を信じず、己のやらかした過去の罪深い行動を後悔すると良い。

 

 僕たちはまだ殺すつもりはない。まあ全員を生き残らせるつもりはないけれど、とりあえず5人くらいはいてくれたら助かるかな。

 研究員は20人。僕たちを抑え、行動を抑制する魔術師が5人。

 何人かがいなくなっても構わない。どうせみんな好き勝手に行動するだろうし、復讐心のままに暴れたいと思うから最低でも研究員と魔術師が何人か捕まえられたらいい。

 アリスちゃんがどうにかやってくれるだろうと信じよう。

 

 

「ガゥゥ」

「うんそうだね。混乱してる今ならやれるだろう」

 

 

 石造りの扉や無数の曲がり角、そして床に張り巡らされた魔術防御の能力低下の力が煩わしく感じる。

 だがその先。扉を開けた先に檻がある部屋へ繋がっているはずだ。

 

 混乱の中で聞こえてくる悲鳴を背に、僕はゆっくりとその扉を開けた。

 

 

「あ?」

 

 

 視界が急に狭まった。というよりも、いつも見えていたはずの視界が急に閉じたように真っ暗になっている。これはどういうことだろう。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 聞こえてきたのは荒い息遣い。そして部屋の奥にいるであろうモンスターたちのどよめき。

 恐る恐る両手で頭の部分を探って確かめるが、特に問題は――――――。

 

 

 

「ルくレス、頭がつぶレテるぞ」

「ああなるほど、斧で刺されたのか」

 

 

 

 斧で切られたらしく、頭がへこんでいる。痛みはないが、おそらく見た目はかなり酷い状態になっているだろう。血は出ていないし、()()()()()()()()()()()()()()()()()から、吐き気を催すようなものじゃないと思うが……。

 

 

 

「ヒッ! な、何で生きてやがる!? あた、頭を潰したんだぞ!!? 人間じゃない。ば、化け物の見た目でも頭を潰せば殺せるんじゃ……」

 

「それは本体の話だろう?」

 

 

 

 片手で頭に突き刺さってる斧を取り外す。

 視界は良好だが、その拍子にある程度編み込んでいた身体が崩れたために、僕を攻撃しおぞましい姿を見て尻餅をついている人間が声を震わせる。

 

 

 

「い、糸……?」

 

 

「ハハハっ。ああそうだよ、僕の身体は糸で出来てる。そしてこれが本体だ」

 

 

 

 糸で覆われた身体を崩していき、()()()()()()()()()()()()()

 研究員は絶句する。二本の線が血のように赤い模様となって身体の背に刻まれた姿を。八本の脚、そして小さな毒の牙。

 害虫と呼ばれ蔑まれ、そして鉄製の檻を覆うような形でガラスに入れられた哀れな姿を見て、その恐ろしさに身体を震わせている。

 

 

「レッドキラー……だとっ!?」

 

 

 レッドキラー。通常の蜘蛛と似た体形をした、小型のモンスター。頑丈な糸と毒が特徴であり、それより格が上の蜘蛛のモンスターに遣えるだけのただの雑魚。

 普通なら有り得ない糸で繕い能力で操る人間のような姿に、研究員はただ絶句する。

 

 

「小型の蜘蛛のモンスターが、人の姿をして動くだなんて。レッドキラーは毒糸だけが特徴のモンスターなはず。に、人間に……糸で人間になって行動するとか有り得ん……そんな馬鹿な……ことが……」

「馬鹿だと思うなら、とりあえず眠ってなよ」

 

「オォ」

「ゴフッ!?」

 

 

 背後に潜んでいた仲間によって奴は頭を攻撃され昏倒する。

 いや……?

 

 

「あーあー、死んじゃったじゃないか。もうちょっと手加減したらどうなんだい?」

「オオアッ」

「無理ダといッてルゾ」

「伝わってるよそれぐらい」

 

 

 目玉から後頭部にかけて、頭が一枚の紙のようにへこんでいる。

 まあモンスターとしての力が半減していたとしてもこのぐらいか。偽っていたところもあるし、それに奴は攻撃を無効化する魔術師じゃない。単独で行動してた愚かな研究員だから死んだ。それだけの事実を知ればもういい。興味はない。

 

 動かなくなった肉体を足蹴にし、その奥へ足を進めた。

 いくつもの檻の中にいるモンスターたちが、僕たちに視線を向ける。

 

 

「さて、君たちはどうする?」

 

 

 僕たちと同じく様々な辛い目に遭った被害者たち。

 アルメリアと同じ故郷に、別の集落の者たち。

 

 

「君たちは復讐を選択するかい? それなら僕たちが―――――――いや、アルメリアちゃんが先導してくれるよ」

 

 

 肩を揺らしたのは複数。オーガにウィスプに……あと、複数。

 全員とは言わないが、絶望しきっていた目に光が宿るのは見えた。僕たちもモンスターだから、君たちがどう思っているのか伝わるよ。

 

 

 ……さて、僕たちに反抗しあの研究員たちを憐れんで助けようとする馬鹿はいるのかな。

 いないことを祈ろう。いたら処分しないといけないな。肉とか残骸とかめんどくさいからスライムなアリスちゃんの栄養分になってもらおうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 



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11話 開幕への混乱 前編

 

 

 

 

 

 

 

 

 鐘の音が聞こえていたはずなのに、いつの間にか施設の中は静寂で満たされていた。

 薄暗い廊下の先を必死に走り、体力がなくても立ち止まりはせずに歩き、時には転びながらも進んでいた。だからだろうか、鐘の音が届かないほどの奥へ行くと、そこはまるで鍾乳洞のように周りの壁や天井が真白の石で覆われ、神秘的な場所へもぐりこんでいった。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 今日はずっと何も食べていないからお腹が痛い。先ほど必死に走っていたから、足が痛い。裸足で歩いてきたから血がにじみ出ている。

 だがその先―――――廊下の奥にはホールのようなとても大きな部屋があった。

 

 いや、これは部屋とは呼べないだろう。

 天井に穴が開き、太陽の光が部屋の真ん中に差し込んでいる。それ以外の天井には尖った石の柱がぶら下がっており、人工的に作られた壁や地面などはなく、自然の鍾乳洞がそのままにされてあるように見えた。

 その至る所に前世で見たことのない煌びやかな宝石の類が埋め込まれていて、太陽の光を反射してキラキラと様々な宝石の色に合わせて七色に光っている。

 

 その奥に、人工的に作られたカプセルのようなものがあった。

 カプセルには地面や壁に沿うように、まるで血液のような太いホースが自然とできた鍾乳洞の上を沿って、廊下の先へ伸びている。

 だがそこから先は消えてなくなっていた。まるで切断されたように急に途切れている。ホースの先はまだ制作途中なのかと疑ったが、俺がそのホースを触ろうとしても触れないことに気づいて違うんだと理解した。

 グレンの炎に似ている。温かさはあるが、ホースの感触はない。空気を掴んだように俺の手から通り過ぎ、その先の壁にぶつかるだけ。

 どういう原理なんだろうかと思ったが、それよりも先にやるべきことをしなければならないと我に返る。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 息はもう乱れていない。まっすぐとカプセルの方へ歩いて進む。

 カプセルは周囲が鍾乳洞の石と同じく真白のコンクリートみたいな物質で出来ていたが、その前の一面だけは透明なガラスで包まれていた。

 カプセルの中を覗き込んで、研究員が言っていた言葉を思い出す。

 

 

「……彼女って言ってたけど、こういうことか」

 

 

 カプセルの中で、呼吸器のような透明な何かを口につけられて眠っている女性がいた。

 十代後半から二十代前半といった若さの見た目をしていたかもしれないが、白髪、痩せこけた頬が彼女の年齢をより上に感じさせた。

 これを潰せばいいのか。カプセルの外に彼女を出せばいいのか……?

 

 

「くそっ、重い……」

 

 

 体力が少ない俺に頑丈なカプセルのガラス部分を壊すのは無理だ。地面に落ちていた石で叩いても全然割れる気配はないし、ぎゃくにこっちの体力が奪われる。

 ホースは無理だし、接続部分に石をぶつけようとしても無理。

 

「おい起きろ! 眠ってるんじゃねえ!」

 

 

 眠っている女性の顔部分へ向けて何度も叩いて大きく怒鳴る。だがそれに目覚める気配もなし。

 あとちょっとだと言うのに……くそっ。

 

 

 

「ようやく見つけたぞ! 貴様の仕業か!!」

 

 

 瞬間、男の怒声が背後から聞こえてきて反射的にそちらへ振り返ろうとする。

 でもまずい。振り返った先で見覚えのない立派な服を着たおっさんが俺に拳を振り上げて―――――。

 

 

「っ―――――ごふっ!?」

 

「この、クソガキが。実験体であろうと許せる行為じゃないぞ。この施設にどのくらい金を消費したと思っているんだ!」

「ぐっ……う……」

 

 

 右頬をぶん殴られ、そのまま横倒しに倒れた俺に近づき、首を絞めてくる。

 苛立ちと殺気が俺にぶつかる。やばい、息ができな……。

 

 

「わざわざ使えないメリア大森林の近くの領地を買い取ったんだぞ。査察を続けていて良かった。貴様のせいで大損害になるところだったんだ!!」

「うぐッ……がはっ。ひゅ……」

「ふんっ! このまま死ねると思うなよ。お前は最後まで最大限有効活用し、私のために死ねばいい」

 

 

 首から手を離されたため、乱れた息を整えようとして咽る。何度も咳をしている俺にたいして、おっさんは俺の髪を引っ張った。ブチブチと痛みと共に数本の赤毛が抜け落ちていくのを感じる。

 声を聞いていてようやく思い出す。こいつあれだ。今日アレイなんちゃら候ってやつだ。まだこいつ帰ってなかったのか……。

 よく見ると背後に二人ほど男たちが警戒しながら周りを見ているぐらいだし。こいつらは護衛の連中になるのか……。

 

 

 

「おい、このガキを連れていけ! それ以外は全て処分だ!」

「アレイルクス候。施設ごとでしょうか」

「言っただろう! 全て処分しろとな!! 研究員も残っている魔術師もいらん! 扉を全て封鎖し、中に油と火の魔術を放て! 全て燃やして証拠を消せ!!」

「「ハッ!」」

 

「ハッ……はは…」

「何がおかしい!?」

 

 

 おっさんが俺を睨みつけながら頬を強く叩いてくる。それでようやく気付く。

 ああ、俺笑ってるのか。勝手に口角が上がってた。

 おっさんの言葉を聞いてざまあみろって思ったんだから、仕方ないよな。

 

 俺を何度も何度も殺しかけた連中が、このおっさんにとっては俺たちと同じ道具にすぎなかったんだなって思ったら、いろんな意味で奇妙な気分になった。

 嘲笑でもあったし、憎しみもあったし、この目の前にいるおっさんが元凶なんだと思うと、ぶち殺したくなる。殺したいのに先程のダメージで死にかけている自分が憎たらしい。

 目の前にいるのに、護衛の男一人に両手を掴まれて引っ張られる俺の身体の弱さに苛立ちが込み上げる。きっと暴れても意味はないんだろうな。

 

 

「クソが……」

 

 

 

 ズルズルと身体を引きずられ、カプセルから離されてどこかへ連れて行こうとする。

 もう一人の男がおっさんの近くで手のひらを地面に押し当て、何かを呟く。その瞬間現れたのは五芒星の光の魔法。

 淡く緑色に光るそれに向かって俺を連れていこうとしている。抵抗するが男はそれを苦に思わず無視して引っ張る。むしろ抱き起されてそのまま荷物のように肩に捕まれて歩かれる。くそが。くそが……!!

 

 

 

「オォォッ!!!」

 

 

「なっ!? ぐぉッ――――――」

 

 

 

 突然、何かの咆哮と衝撃が俺の身体を襲う。

 いや違う、俺を捕まえていた男を襲って、その衝撃で俺の身体が吹っ飛んだ……のかっ!?

 

 身体が宙を舞う。鍾乳洞の天井部分。尖った石が俺の肩をかすめて血が数的落ちていき、そのまま落下していく。ああやばい。やばいやばいやばいっ。

 何に吹っ飛ばされたのか分からないが、このまま地面に激突したら死ぬ……!

 

 

「がぅー!」

「……は?」

 

 

 衝撃が来ることを予想して目を閉じていたというのに、来たのは柔らかな感触とふわっとした優しいもの。そしてどこかで聞いたことのある獣の声が俺の頭上で響く。

 目を開けてみると、そこには実験で会った小熊がいた。いや、それだけじゃない。周囲を見るとかなり様々なモンスターたちがいる。

 男を吹っ飛ばしたと思えるオーガ――――――母さんがいる。

 

「かあさ……」

「むリしナイ」

「うぃ……」

「がうー」

 

 

 母さんとはいえ、大鬼(オーガ)に一睨みされると本能的に委縮する。でもなんだか安心した。母さんや小熊以外にもモンスターはいる。俺の村の人は全員いるのかな。グレンらしき青白い火の玉がいるのも見えるし。

 モンスターたちは男達を囲って睨みつけている。ぶっ飛ばされた男は動かないが、まだ生きているようだし……。

 

 小熊が俺を地面に座らせる。そんな俺を見て、男たちは困惑する。

 

 

「な、なんっ……何故モンスターが……っ、検体0! 貴様の仕業か!! やはり貴様がこいつらを操って大虐殺を起こしたんだな!!」

 

 

 何の話なのか分からないが、とにかく誤解されているのは伝わった。

 もう喋る気力もないからこのまま見ているけれど、母さんがちょっとキレかけてるからあいつらが母さんによって死なないことを祈ろう。母さんが人を殺すのは見たくないし。

 

 

「ガァァッ!!」

「オオォ!」

 

 

「は、ははははっ! 無駄だ、モンスターの攻撃なんぞ我々に通じるわけないだろう!」

 

 

 男たちはまだ抵抗を続けていた。

 攻撃防御の魔法でも使ったのか、何体かのモンスターがぶん殴りにかかるが、透明で五芒星の光が刻まれた防御壁が発生してそれに阻まれているのが見える。

 

 

 

「アレイルクス候、このままでは……今は逃げることを優先した方が良いです」

「何を言うか! このまま逃げるわけには―――――」

 

「おっと、逃がさないよ」

 

 

 一瞬何かが透明な防御壁の中へ通り過ぎた。

 

 

「なっ!? 防御壁を突破するだと……ぐっあぁ!?」

 

 

 奴等の背後から複数の黒くて小さい何かが護衛の男の一人に襲いかかる。

 先程までモンスターたちに効いていて攻撃が出来なかった透明な壁から入り込み、男の背中に張りついていく。

 それを間近で見たおっさんが、尻餅をついて後退した。髪を振り乱し、冷や汗をかいて口を開いて叫ぶ。

 

 

「ひぃっ!? お、おい何をやっている! 貴様は私の護衛だろうが!!」

 

「あ……がっ……」

 

 

 小さくて黒い複数の物体が男の背中から身体全体を覆いつくしていく。

 助けを求めるような声は聞こえるが、すぐに呻き声となってなくなる。

 

 

「な、何故だ。防御壁はモンスターの攻撃に効くはずだろう。何故効かない! 何故だ!!」

「そりゃあ、僕たちモンスターが攻撃しているわけじゃないからね。防御壁なんて頭で考えればすぐに意味がなくなるものだよ」

 

 

 そう、小さく嘲笑うように言ったのは廊下の先にいたルクレスさんだった。

 

 

 

「モンスターでもない小さな蟻達に身体中を貪り食われる気分はどうだい? 蜘蛛に噛まれて毒を入れられる気分はどうだい?」

 

 

 ルクレスさんの言葉でようやく気が付く。

 男の身体を覆い隠した黒い物体は全て虫だった。ほとんどが蟻だったが、その中に数匹だけ蜘蛛が混じっているのが見える。殺し合いなんかしていない。ただ共闘して、一人の人間を襲っている。

 ルクレスさんがそう指示を出したのか? そんな凄いことが出来る人なのか?

 母さんたちはみんな何の反応も示さない。むしろそれが当然と言うように思っているらしい。

 

 だが、絶句したのは俺だけじゃなかった。

 

 

「なっ……」

「ああ、お前には用があるから殺さないよ。僕たちはお前に対して、本当にいろんな意味で借りがあるからね」

 

 

 ルクレスさんの後ろにいたらしいトカゲっぽい人……リザードマンか。そのモンスターがずしずしと気絶しているもう一人の男に近づいて、その首を噛み千切った。

 あっけなく殺していくルクレスさん達に思うことはあったが、そのまま見ていることだけで十分だった。

 

 

 

「ハッ……ははっ……お、お前たちの思う通りに行かせるものか!!!」

 

 

 おっさんが駆けていく。その足を母さんがぶん殴ってひっかけて派手に転ばしてやるが、おっさんは止まらない。折れたような足を引きずって、カプセルの方へと向かって行く。

 最後の足掻きだろうか。

 男を捕まえて、それで終わりにしようとルクレスさん達が近づいた。

 

 

「畜生! どいつもこいつも役に立たんゴミが! これで死ぬくらいなら―――――これで最後だ!」

 

 

 何をやったんだろうか。

 おっさんがカプセルの側面に手を当てた。その瞬間、カプセル全体が光り輝きはじめる。

 

 

 

「あっ……いかん! 皆、あの男をカプセルから引きはがしてくれ!」

「ガァァッ!!」

「りょうカい!」

 

 

 ルクレスさんが何かに気づいたらしい。慌てた様子で男に駆け寄ろうとする。それに続いてモンスターたちも慌てて近づこうとする。

 それを、呆然と眺めていた。体力もなくなって身体が動かせないから、見つめていた。

 カプセルだけじゃない。七色に光り輝いていた宝石が次々と光を失っていく。

 部屋全体が鼓動のように小さく振動する。

 

 カプセルの内側から、ガラスが割られて細い手が出てきて息を呑んだ。

 おっさんはただ嘲笑っていた。これですべてが勝てると思い込んでいたんだ。

 

 

 

「はっはははははっ!! ああそうだ。それでいい! さあ殺せ。皆殺しにして――――――ェッがっぁ」

 

 

 

 そうして、カプセルの近くにいたおっさんの頭を掴んで内部へと引っ張られているのが見えた。頭を潰され、身体の骨が折れてもなお、まるでブラックホールのように無理やり中へ引っ張られている。

 ぐちゃぐちゃと嫌な音を立てて、カプセルの中身が真っ赤な液体へ染まっていく。

 

 やがて音はなくなり、カプセルのガラスすべてが吹っ飛ばされた。

 ゆっくりと起き上がったのは、もともとは白のワンピースだった服を真っ赤に染めた女性。身体全体におっさんの残骸を浴びた、真っ黒の眼球をした狂ったような化け物がそこにいた。

 

 

 

「アァァァァァァァッッッ―――――――!!!!!」

 

 

 

 甲高い悲鳴のような咆哮を上げた女性に耳鳴りがした。

 俺だけじゃない。モンスターの全員が、奴を敵だと認識したのだ。

 

 

 

 

 

 

 



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12話 開幕への混乱 後編

 

 

 

 

 

 

 平均的な身長をした女性が、赤く血に濡れた白髪を振り乱し、まるでゾンビのようにふらふらと身体を揺らしながら近づいてくる。

 その表情に正気はない。理性の欠片さえもなく、口から涎を垂らし、眼球も結膜もすべてが真っ黒に染まっているため、どこに視線を向けているのかさえ分からない。

 あの耳鳴りがするほどの咆哮は一度きりだった。それ以外はずっと奇妙なうめき声を出しているだけ。それが女性を『人間』として見ることができなくなっている要因だった。

 確実に言えることは彼女は絶対に味方ではないということぐらいか。

 

 母さんたちがモンスターに変異して異形になっているというのに、人間らしい見た目をしている女性の方が恐ろしく感じる。

 それを俺以外も思っているのだろう。母さんが俺の前へ出て、小熊たちが近づいてきた。守ろうとしてくれているのだろうか。

 

 

「ガゥゥ」

「ルクれス、ドうスルんだ?」

「いや、これは逃げた方が良いな……」

 

 

 気難しい表情でルクレスが言う言葉に反対する言葉は出ない。

 ぶっちゃけ檻の外へ出て自由にしているのはルクレスさんのおかげだと思うから、彼がリーダーとなって指示を出してそれに従ってやっているのだろう。ルクレスさんや母さんたち以外も喋れるモンスターがいることには驚くが、今はそういう状況じゃない。

 すべて終わってから話をすればいい。

 

 

「ここは魔法制御の核がある場所。居ても気持ち悪くなるだけだ。……廊下の外へ出よう」

 

 

 女性の身体はふらふらと動きながらも前へ進んで歩く。だがそれだけだ。

 ゾンビのようにゆっくりとスローペースで歩いているため、俺達が追い付かれる気配はない。

 だからか、ルクレスさんは警戒はしているが攻撃を仕掛けようなどと考えていなかった。

 

 とにかく逃げようと母さんが俺を抱き上げようとして、皆が廊下へ目指そうとした瞬間。

 

 

 

「オォァァァァァァァッ―――――――!!!!」

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 くっそ耳が痛いッ!

 それに吐き気で気持ち悪い!

 なんだよ今の叫び声は!?

 

 周りを振り返ると全員が頭部分を――――――頭がないモンスターは、ただ身体を丸めて震えさせていた。全員が立ち上がることさえできずに地面に膝をついているのが見えたのだ。

 

 大きめの咆哮をダイレクトに聞いたせいで頭痛がする。

 鼓膜は破れてないと思うけど、何かただ叫び声を聞いたというより攻撃されたと言っていいような気持ち悪さがあった。

 おそらくあの声に秘密があるのだろう。もともとはモンスター用の防御魔法として利用していた核の女性だ。人間である俺以上のダメージを周囲にいる母さんたちが負ったように見えた。

 周囲の壁や地面に埋め込まれている宝石のような石が不気味に黒く光り輝いている。あのカプセルと繋がっていた不思議なホースでさえ、周囲の石と共鳴しているように赤黒く染まっていった。

 何か魔法でも発動しているということなんだろうか。吐き気はするし気持ち悪いし立っていられないぐらい辛い。

 でも何故か、思考だけははっきりと回る。冷静に周りが見れる。

 

 

 ってか……あれ、ルクレスさんの姿がない?

 というより、先程までルクレスさんがいた場所に一匹の黒い蜘蛛がいる。絹のような太い糸が周囲に散らばって空気に溶けて消えていく。それと同時に、女性が黒い蜘蛛めがけて動く。

 

 

 

「アァァッッ」

 

「グッ……ルクれスっ!」

「ガァァッ!!」

 

 

 

 頭を抑えながらも黒い蜘蛛に向かって『ルクレス』と焦ったような声で叫ぶリザードマン。

 そして二足歩行の狼のような姿をした獣……実験の時に知ったコボルトと呼ばれた人ほどの大きさのモンスターが大きく口を開けて牙を剥き出しにし、女性に襲いかかる。

 

 

「ォォァァァァァァァッ!!!!」

 

「ギャッ!?」

 

 

 だが、コボルトに向かってまたも咆哮をした女性が、攻撃の勢いを消して吹き飛ばす。宙に浮いた彼をそのままに―――――女性が手を伸ばしてコボルトの腕を掴んだ。

 

 

「ぐ、ぅ……い、いかん……奴に攻撃を許すな! 僕の前で殺しを許すな!!」

 

 

 リザードマンによって手の平の上に乗せられた黒い蜘蛛からルクレスさんの声が発せられる。

 彼がルクレスさんなんだと知る一方で、血の臭いが周囲に発生した。

 

 

「ガァァァッ!!?」

 

 

 女性に捕まれたコボルトの腕を捻り、ねじ切って切断しやがった。それに唖然として――――だが、これ以上は見るなと母さんが俺の目を覆ってきたせいで声しか聞こえなくなる。

 

 

「駄目だっ!」

「待テ、ルくれス。そノマま行っタラ殺さレルぞ!」

「何を言うか! 僕がこの計画を立てた責任者だ。僕が行かないでどうする!?」

 

「大ジョブ、俺達が行ク」

「がうー!」

「グォォ!」

 

「っ……分かった。なら僕の指示に従って動いてくれ。君たちのことを侮っていたよ。絶対に死なないように!」

『―――――――ッ!!』

 

 

 グレンの言葉をきっかけに、モンスターたちの咆哮が聞こえる。

 

 俺の傍にいて離れない母さん以外の誰もが女性に向かって―――――――いいや、あのコボルトを助けるために向かって行く気配を感じる。目は母さんの手で覆われていて見えないけれど、音だけでも分かる。

 怖くはないのか。あんなモンスターよりも恐ろしい化け物を見て、怖いとは思わないのか。いや、憎たらしいという思いはあるから、その殺意に身を任せて襲っているのか。

 

 やがて、ゆっくりと母さんの大きな手が俺の目から離れていく。

 拳を握った母さんが、戦いを見て我慢できなくなったように女性だけを睨みつけている。

 

 

「母さん……」

「待っテなサぃ」

 

 

 そう言って、母さんも女性の方へ走っていった。

 オーガとしての力のままに。走った瞬間地面が抉れるほどのスピードでもってあの女の元へ近づく。

 

 片腕を捻り潰され、切断されたコボルトの方ではルクレスさんと一緒にいたリザードマンがいる。そしてルクレスさんがその肩に乗って、攻撃して来ようとする女性に糸を飛ばしたりみんなの指示を飛ばしたりとしていた。

 だが、両手足に絡まった糸はすぐに引きちぎられて女性が自由になるし、攻撃してきたモンスターに対して口を開いて獣のように噛みつこうとしたり、コボルトの二の舞にさせようとしたりと凶暴だった。

 

 火の玉のグレンならばその身体を燃やすことが出来るんじゃないかと思ったが、あの女性はウィスプとしての身体を掴むことが出来た。いや違う、いろんなモンスターに対して攻撃することが出来ているようだと分かった。なんせグレンの身体を掴もうとした時に周りの壁に埋め込まれた宝石が赤く不気味に光ったのだから。

 腕を咄嗟に捕まれたグレンが火の温度を上げて女性の手の平を燃やしたが、すぐに彼女は回復した。それどころかまた掴んでコボルトのように捻ろうとしてきた。

 そこをオーガの母さんが攻撃を仕掛けてなんとか体勢を整える。

 

 女性は退かない。そして俺達を逃がそうとはしない。理性がないように見えるのに、そんな意思がちらつく。

 

 

「他の仲間たちに増援を頼むか……いや、この化け物以外にも何かいるかもしれない。他の問題が発生する事態に備えるなら、僕たちだけで倒すしかない……!」

 

 

 決意を抱いたルクレスさんが格好良く見えた。黒い蜘蛛がまるで軍師のように皆に指示を出して先程のコボルト以上の怪我を負わせないように必死に抵抗する。

 それに合わせて皆が攻撃する。何度も何度も攻撃しては避けられて、そして攻撃されそうになってまた避けての繰り返し。俺の目では見えないようなスピードで行う時もあった。獣の唸り声が部屋中に響いた。コボルトの血の臭いが鼻をツンとさせた。

 

 だが、何故か全員の戦う姿が全て違和感があったように見えた。

 なんというか、慣れてないように見えるというのか。ぎこちない動きが目立っているというのか?

 

 女性はそれとは違って、ゆらゆらと動いて両手を使って攻撃しようとして避けられた先で足をもつれて転び、モンスターに攻撃されそうになって口で噛みつこうとしてくるのろい行動しかできないように見えた。

 ゾンビっぽい動きだから女性に違和感はない。だがモンスターの方に違和感がある。それはなぜなのかようやく分かった。

 

 以前グレンが本能で炎の温度を変えていたことがあった。それ以外にも氷の力やぶよぶよのスライムの身体を鉄のように固くさせたような実験もあった。

 みんな本能でどうやるのか分かっていた。

 あの時は一つの指示に従っているだけだから違和感はなかったんだ。

 

 だが多彩な動きが入って変になる。本能と理性が衝突しているように見える。

 モンスターに人間らしい動きが目立って仕方がないんだ。そのせいで動きにぎこちなさが出て攻撃じゃなくなっているように見えるんだ。

 人型のモンスターはあまりそうじゃないみたいだけれど……。

 

 ううん……何で俺そう思っちゃうんだろう。というか、ぎこちないって何がだよ。

 だが呆然と座り込みながらも何もできずについ見てしまう。考えてしまう。

 

 モンスターって確かもっと恐ろしいって思うよな。圧倒的な攻撃力があるもんだよな。

 

 あのドラゴンのように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 

 

 その瞬間、だった。

 

 

 

「アァァァァァァァァ――――――――ッッ!!!!」

 

 

 

「ぐっ……!?」

 

 

 

 先程よりも大きな咆哮を女性があげる。

 それと同時に赤黒いホースが一気に四散し、埋め込まれた宝石がパリンと割れていくのが見えた。

 

 とっさに耳を抑え、両目を閉じて痛みを堪えた。

 鼓膜は破れてない。でも頭痛がする。耳鳴りがして音が遠く聞こえてくる。

 

 咆哮が収まったようで、ゆっくりと目を開けて――――――絶句した。

 

 

「……え?」

 

 

 皆が血を吐いて倒れている。

 グレンなんか丸い火の玉となって、その命の灯火を小さくさせて地面に落ちていた。

 小熊を守るように倒れている小さいケット・シー3匹がいる。リザードマンがコボルトの上に覆いかぶさるように身体を震えさせて尻尾をくるんと丸めている様子が見える。

 ルクレスさんが8本の足をピクピクと動かして、身体を痙攣させているのが分かる。

 

 そんなにも酷い攻撃だったか。

 モンスターたちが血を吐いて苦しんで倒れるほどに、凄いものだったのか。

 

 

 

「なんで……どうして……」

 

 

 

 母さんが、あの女性の目の前で膝を地面につけて血を吐いて苦しみもがいていた。

 女性がニヤリと笑う。嗤っている。

 

 両手が伸びて向かうのは母さんの方で―――――――。

 

 

「止めろ! おい、狙うなら俺を狙えよ! 母さんを狙うんじゃねえ!!」

 

 

「アァァッ」

 

 

 

 奇妙な声と共に俺の方へ一瞬向いてきた。

 だが女性は興味ないと言うようにオーガへ向かう。母さんの首に両手で掴もうとする。

 それを止めたいと必死に立ち上がって近づこうとする。頭の中で無理だと冷静に思う気持ちはあった。でも感情はそれでは駄目だと諦めきれずにいた。

 

 

「止めろぉ!!」

 

 

 殺すな。殺すんじゃない。

 俺の家族を殺すな! 俺の前で殺すな!!

 

 転んでも頑張って起き上がり、母さんの元へ近づこうと必死に走る。足から血が垂れて来ても気にせず。頭痛で激しく視界が明滅しても気にせず。

 はやくはやくはやくはやくっ!!!

 

 

 だが、女性の手は止まらない。

 母さんの首を掴んで、そのまま力強く押そうとする。母さんが、苦しそうなうめき声を上げる。

 

 駄目だこのままじゃ助からない。母さんが死んだらその後どうなる。

 このままだと全員が死んでしまう。あの女性のせいで、皆が死ぬ。

 母さんが、目の前で殺される。

 

 俺は無力だ。それは分かってる。

 必死に走ってる頭の中で冷静に言っても無駄だと分かってる。

 でも嫌だ。このまま終わるのは嫌だ。身内が死ぬのは嫌だ。仲間が死ぬのは嫌だ。

 

 

 

「だれかっ――――――――」

 

 

 

 だれか、たすけて。

 

 

 

 

『良いだろう。喜べ小娘、これでようやく契約成立だぞ』

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 刹那―――――――意識がかき消えた。

 

 

 

 

 

 

 



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13話 英雄の素質を備えた幼女




 ―――――それはまだ、目覚めではない。


 それは、彼女の力ではない。








 

 

 

 

 

 正直言って、あの女と対峙したのは失敗だった。

 モンスターの攻撃を妨害する魔術核となった女。

 人柱として犠牲になった、僕たちと同じ被害者だった人間。

 

 ここまでうまくいっていたから侮ったんだろう。

 周囲に展開された防御魔法によって攻撃をしても想定より半分以下のダメージしか与えられない。思いっきり腕を振り下ろして即死級の攻撃をしても、人間から見れば一般男性にぶん殴られる程度の威力。それでも何度も続けていればいつかは死ぬ。

 

 それはきちんと調べ、知っていた。

 だから魔術核の穴でもある僕たちからの攻撃ではなく別のモノで攻撃すれば人間を即死させられると理解し行動した。

 だからここまで来れた。魔術師にだけ注意していれば良いだけの簡単なものだった。

 

 だが、あの女はそうはいかない。

 モンスターではない蜘蛛たちによる毒攻撃を行っても倒れず、天井にぶら下がっている尖った石を壊して女の頭上に落としても、何も効いていない。

 人間の見た目をしているというのに、奴はまるでモンスターだ。いや、モンスター以上の化け物だ。

 

 おそらくあのアレイルクス候の血肉を取り込み、その命を犠牲にしてようやく稼働する最終武器。でもあの国家でそんな人間兵器を使ったモンスター殲滅など聞いたことはない。そのせいで誤った行動をした。

 もっと強いモンスターならば助かったかもしれない。僕がもっともっと強かったら……。

 そう嘆いていても、もう遅いことは分かっていた。

 

 僕たちは全員、世界にとって下位モンスターとして扱われている力の弱い存在ばかりに変異した。

 そんな半端なモンスターが女の化け物に敵うわけない。

 

 

 身体中が激痛で起き上がることすら出来ない。

 あの咆哮が、僕たちモンスターの力を奪い、内側からダメージを負わせてきた。

 これは明らかに魔法だ。それも中位魔法のもの。若い頃に帝国でよく見ていた、人間の方の魔術師に比べるまでもなく圧倒的な力を持つ者の力。戦争なら戦力に組まれるレベルだぞ。

 

 気絶しないように必死に耐える。だが、刻一刻と死の足音が聞こえてくる。

 死にかける身体を叱咤し、通常では見えないほど細い糸に毒を染み込ませ、それらを周りで包んで丸めて最低限の防御を取り繕う。

 それでも死ぬかもしれないという最悪の考えは消えなかった。あの女の攻撃を受けて、全滅しかかっている状況。

 

 ―――――――それだというのに。

 

 

 

「そこまでにしておけ、成り損ない」

 

 

 

 聞こえてきたのは、アルメリアの声。

 

 首を締めつけられ、死にかけていたオーガに向かって、「母さん!」と叫びながら転んで身体をふらつかせながらも必死に駆け寄ろうとしていたアルメリアが、凛とした声であの女の手を掴んだ。

 さっきまで遠い位置にいたというのに、いつの間に移動して来たんだ? 一瞬であの距離を走って女の腕を掴んだのか?

 

 明らかに異常だった。

 アルメリアの雰囲気が先程と一変していたのだ。

 他の皆はまだ気絶していたり必死にダメージに耐えていたりと死にかけているが、僕だけは分かった。

 

 血のように鮮やかな赤毛の色が少々濃くなっている。まるで炎を浴びたようなオレンジが混じったものへ変化している。

 瞳でさえも紅色から、月夜のような漆黒の色へ変わっていた。

 

 まるで僕たちが味わった変異のように細かな点で変わっている。身長などは全然変わらず、異形へと変化しているわけではないというのに、人間のようには見えなかった。

 まるであの化け物の女と同じように、本能で人間ではないと分かってしまったんだ。

 

 彼女は変異に巻き込まれなかった被害者なんじゃないのか。

 アルメリアが知らないうちに、彼女の中で変異が起きていたのか?

 

 

「ァァッ――――――」

 

「しー。喧しいだけの叫び声など聞く価値もない。静かにしていろ」

「ッ!?」

 

 

 明らかに先程と同じ咆哮をしようとして口を開いた女に、その小さな手で唇を塞いだ。

 それに女はうろたえ、攻撃できなかったと理解したのか後ろへ一歩下がってみせた。

 

 

 それにただ挑発的に笑みを浮かべ、自らの上唇を小さく舐めるアルメリア。

 瞬間、チリっとした熱気を感じた。

 

 

「燃やせ」

 

 

 アルメリアが小さく呟いた瞬間、化け物の女の身体が一気に燃えた。火達磨となった女が苦しみ咆哮とは違う叫び声を上げる。

 

 油などを浴びたわけではない。魔術を使ったようには見えない。

 炎の魔術を使うのならば、赤色の光を放つ五芒星が一瞬でも浮かび上がるはずだ。だがそれが何もなかった。

 それとも僕の目には見えないほどの速さで発動させた?

 

 

 

「アァァァァッ―――――――!!!」

 

 

 

「喧しい。貴様のような塵はよく燃えるが煩わしいな」

 

 

 

 小さくパチンと指を鳴らすと、突風とも思える風が吹く。今まで天井と廊下などから風が吹くようなことはなかったというのに、アルメリアの行動で一気に周囲の空気が変わる。彼女が周囲全体を意のままに操っているように見える。

 

 焦げ付いて炭になりかけていた女の身体が切り刻まれていくのは、その風のせいなのか?

 

 

 

「生き物には全て運命というものが備わっている。死の運命がな。貴様はそれに選ばれた。喜べ小動物、貴様はようやく楽になる」

 

 

 

 粉々に切り刻まれた女はもう生きていないだろう。

 ただの焦げ付いた残骸を踏み潰しながら嘲笑うその姿は、ただただ異様だった。

 

 

 

「だが、これで終わりにはさせないがな」

 

 

 

 ああ。僕なんかが対処できるような存在じゃない。

 あんな高等魔術以上の力を―――――――周囲の空気を変えてしまうような力を持った相手に敵うなど経験上有り得ない。

 もう死んでしまった化け物の女以上の力だ。

 

 おそらく覚醒した……といえるのだろう。変異による成功体。あの研究員共が言っていた言葉は、全くもってその通りだったんだと思えた。嘘じゃなかったんだ。

 その力を僕たちに向けずに奴らを復讐するために動くのならば、それはどれだけ素晴らしいモノなのかと思えた。蹂躙し、連中に復讐をして――――――そして元の生活へ戻れるための力。

 それを彼女は備えている。

 

 それほどまでの力をアルメリアは示した。

 僕たちが必死になって戦っていたというのに、彼女はあっという間に倒した。瞬殺ともいえる光景だった。

 

 

 

「さて、起きている奴もいるようだが……まあいい。完全蘇生回復(グランドリレイズ)

 

 

 

 黄緑色の淡い光が部屋全体に包み込む。

 それに僕はギョッとした。

 有り得ない。ありえない魔法だ。なんだこれは……!?

 

 通常の回復魔法は傷の血を止めて怪我を塞ぐだけのもの。

 軽く治すだけなので痛みは残るし、小さな怪我しか治せない。内臓などの重傷部分を治す回復魔法なんて一般的にありはしない。ポーションだってそうだ。

 そんな大魔法は、100年に一度いるかいないかの天才的な魔術師しか使うことができない。それも魔方陣を発動させるために数時間もの時をかけながら。

 

 それだというのに、アルメリアは何をやったんだ。

 僕たちの怪我が一気に回復していく。女の攻撃によって腕が引き千切られ死にかけていた仲間でさえ回復する。―――――千切れた腕がまるで傷口から生えていくように回復しているのだ。

 モンスターの僕たちだけじゃない。殺したはずの人間でさえも回復していた。生き返っていた。

 あのアレイルクス候の肉片の残骸が一気に形を変えて、カプセルに顔を突っ込み気絶している人の姿へ戻っていった。回復したんだ。

 そしてアルメリアが踏みつけていたあの化け物の女でさえも生き返っていた。頭を踏みつけられてはいたが、何故か白髪ではなく金髪の見目が可愛らしい少女へ―――――10代前半ぐらいの若さへ戻って穏やかに眠っていた。

 息をしている。死んだというのに生きている!

 

 こんなのただの回復魔法なんかじゃない。

 これは蘇生魔法。だがそんな時間超越魔法より酷く難易度が高いものなどあり得ない。

 ありはしないはず……だというのに、アルメリアはそれを成し遂げた。

 

 彼女は神か何かか……!?

 

 

 

「人間は縛っておくか。それ以外は放置して……おい、そこの」

 

 

 

 

 鋭い瞳が、僕を捕えた。

 

 

「お前だ。ルクレスと言ったな?」

「っ!?」

 

 

 アルメリアが呆然としていた僕に向かって話しかけてきた。

 いつもとは違う偉そうな表情と口調で―――――――でも何処かそれが本来の彼女の姿のように見えたまま、僕に言う。

 

 

 

「……お前、あの人間どもを縛っておけ」

 

 

 

 それは命令。

 お願いなんかじゃなく、絶対に成し遂げろと言う上からの指示。

 

 それに従う意味はまったくない……ないのだけれど……。

 

 

 

「了解……しました……」

 

「うむ、それでいい」

 

 

 

 満足げに笑ったアルメリアに屈服した。

 これでいい。これでいいんだと心が満たされる。

 年齢なんて関係ない。僕の今までの経験なんて意味がない。彼女の言葉こそすべてだ。

 

 彼女は覚醒した。強く気高い生き物になった。

 

 それなら僕は従った方が良い。怪我を直し命をも復活させる。

 そんな神のような幼女に従わない道理なんて存在しない。

 

 

 

「私は少しの間寝る。後は任せたぞルクレス」

「はい。分かりました」

 

 

 

 蜘蛛の姿で分かりにくいかもしれないが、敬意を込めて頭を下げる。

 

 なんとなくだったが、若い頃――――――帝国にて戦士として働いていた頃の輝かしい過去を思い出した。

 英雄と名高き男が伝説を作り上げた人に従って生きてきたあの頃のような気分にさせた。

 

 

 僕の目がおかしかったんだろう。

 彼女は異端だ。だがそれは良い意味でのものだった。

 

 

 

 アルメリアはいつか英雄になれるかもしれない。

 その下で僕が僕らしく動けるのなら、いつかきっと果たしてくれるのかもしれない。

 

 

 

 僕たちが願った復讐を。

 

 あの頃の平和を、取り戻せるのかもしれない。

 

 

 

(いいや、取り戻して見せるさ)

 

 

 

 幼い子供につき従っても構わない。

 プライドなんていらない。子供に頭を下げてでも、やり遂げなくてはならない悲願があるのだから。

 

 僕はもう、人間じゃないのだから。

 

 

 

 僕は帝国を捨てた。

 あの頃の栄光を全て捨てて平穏な生活を望んだ。

 

 

 だから僕は生きなくてはならない。

 家族の分まで。失った大切な人たちの分まで。

 

 

 それに彼らを扇動し人を殺した罪は、僕自身が背負い晴らしていかなくてはならない。

 

 

 

 それが僕の生きる意味になるのだから。

 

 

 

 

 

 

 



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14話 知らない間に誤解は広まる

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付いたら全て終わってた件について。

 というか、目が覚めたらオーガな母さんが薄暗い部屋にぼんやり浮かんでるようにいてびっくりして気絶しそうになった状況なんだけど、どうなってんのかさっぱり分からない。

 

 誰があの女を倒したんだ? 怪我とかは大丈夫なのか?

 何が起きてるのか分からねえんだけど、とりあえず誰か説明して。

 

 

 いつもの檻とはまた違った、人間が2人程ゆったりと入れるような部屋。そこに俺と母さんがいた。

 前世から見れば少々安そうだが、村にいた頃よりも柔らかめのベッドに俺を眠らせて、椅子に座った母さんが机に肘を乗せて俺の様子を窺っていたのが見えた。

 パチリと目を開ければ、母さんが勢いよく立ちあがって近づく。

 それと同時に近くにあった机の角をぶっ壊しながらも俺へ近づき、恐る恐る頭を触ってくる。ただ接触しただけで机を派手にぶっ壊した母さんの破壊力に戦々恐々していたというのに、拍子抜けするほど母さんの触り方は凄く優しかった。

 

 

 

「身体はだイじょウぶ?」

「う、うん。大丈夫だよ母さん」

 

「ソう、良かッタ」

 

 

 

 今の母さんにはこの部屋でさっき見たように椅子に座っているだけでも視界的にかなり窮屈そうだった。

 だが、俺を心配しているのは分かった。

 頭はとくに痛くない。倒れて頭をぶつけたわけじゃないのに心配し過ぎだ。いや、どう倒れたのか分からないから頭をぶつけたかもしれないけれどさ。

 

 

 

「母さん、俺なんで寝てたの? 皆はどうなった? あの女は?」

「……覚えてナイの? あンた、母さン達を助ケてクレたンだよ」

「はい?」

 

 

 

 いや全然覚えがない。

 というか、なんか気が付いたら眠ってたこと自体おかしい。

 

 助けたってどうやって……。

 

 

「母さん、ルクレスさん達の所に行きたい。いろいろと話がしたいし」

「……そウネ、行こウ」

 

 

 俺をその大きな腕で抱き上げて部屋から出て行く。どうやら俺を自ら歩かせるつもりはないようだ。

 部屋の外は廊下で――――――ここはあの実験施設の建物内なんだと分かった。さっきの部屋はたぶん……研究員たちの宿泊施設の一つだろう。

 実験施設以外の区域を歩いたことがないから見覚えがなかっただけかもしれない。

 

 少し広い廊下にはチラホラとモンスターがいるのが見える。

 母さんの腕の中で見えたその光景は、凄く平穏そのものだった。

 二足歩行の小さな兎たちが小熊を連れて笑いながら歩いている姿。何処から入手したのか、斧を片手に歩くゴブリンたちの姿。

 

 様々な色をしたスライムたちがぽよぽよと身体を丸ませて談笑し、蝙蝠たちが天井を飛び回る。

 ちゃんとした人間の生き物は俺以外にいないが、殺伐とした空気はない。

 

 あの憎しみしかなかった実験施設が、自由になったと言うだけで凄く良い印象を抱かせる。

 何も知らない人間から見れば恐ろしい光景かもしれないが、俺にはそうは見えなかった。

 

 なんというか、俺の理想そのものがこの廊下にあったんだ。

 

 

「着イたわ。アるメりぁ」

「うん、母さん」

 

 

 

 立ち止まった先は、鉄製の扉。

 それを片手で開けた母さんが、俺を抱えたまま中へ入る。

 

 どうやらもともと何かの会議で使う場所だったらしい。

 あの化け物の女がいたホールより一回り小さいが、普通の部屋よりも大きな空間。天井も母さんがジャンプしても余裕なほど高く、壁には本棚が埋め込まれていた。

 

 真ん中奥に机が置かれており、そこに大きな一枚の地図を広げて話し合っているルクレスさんとモンスターたちがいる。

 ルクレスさんも蜘蛛の姿ではなく人間の姿で対応してるな。

 

 

 だが、俺達が入ってきたことによって地図から目を離し、すぐに俺達の前へ出て……。

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 有り得ない光景が、俺の目の前にあった。

 

 

 

「長らく目覚めなかったので何かあったのかと心配いたしました、アルメリア様」

「うぇっと……」

 

 

 

 あれ。何で皆、母さんに跪いて話してんの?

 ってか何で母さんが当然のように受け入れてんの?

 

 いやまって、違う。

 母さんにじゃなくて俺?

 

 

 ルクレスさんが一番前に出て最初に話しかけてきた。

 それ以外の十数ものモンスターたちも跪いたり身体を縮めて頭らしい部分を下げたりとしている。

 

 

 

「身体に異常はナいデスか?」

「いやないですけども……」

「何かアレバ指示を」

 

「いやちょっ――――――待った! ちょっと待ってくれ皆おかしいぞ! なんで俺に敬語!? アルメリア様ってなに!? いつものでいいっての! というか、俺何やったの!?」

 

 

 

 慌てて母さんから降りて皆と同じぐらいの視線になるようにしゃがみこむ。

 よく分からず冷や汗が流れる。マジで俺何をやったんだ?

 まさか何か俺の中にいて、内なる俺が暴走した結果がアレ……いや、有り得ねえだろ。厨二か。

 

 現実逃避して遠い目でルクレスさんを見る。

 彼は難しい表情を浮かべながらも俺と視線が交わった。

 

 

 

「……覚えていないのですか?」

「敬語止めてくださいルクレスさん。俺何も知らないですから。気が付いたらベッドの上で寝てましたから」

 

「………そうなのかい? そうか。未熟な力の覚醒は一部分だけと聞くが……まさか……」

「はい? 覚醒ってなに?」

「ああそうだね。それについてもそうだが……僕たちの計画も含めて話をしないと……」

 

 

 

 真剣そうな表情で俺に向かって「椅子に座ってくれるかい? 話をしよう」と言ってくるルクレスさん。

 そしてソファへと誘導しようとしてくるコボルトの一匹。

 

 ……というか待って。

 

 

 

「とりあえず跪くの止めてくれませんか。そんなことされるようなことした覚えないんで」

 

 

 

 そう呟くと、何故か全員視線を逸らした。

 

 

 

 跪くのを何とか止めてもらって話をしてくれる。

 ルクレスさんが本来立てた計画の事。情報収集が十分進んでから俺が囮となって全員で襲撃をしようとしていたこと。

 あの女の攻撃で使用した咆哮は実験施設全体を巻き込んでいたために、ホール以外にもいた全員が死にかけていたこと。女を俺が倒したこと。回復魔法で全員が救われたこと。その全てを。

 

 

 

「そうだったのか。俺は……」

「うん、だから僕は君に対して酷いことをしたと思ってる」

「ルクれスだけじゃナいぞ。俺達ダッてそう思っテル」

 

「う、うん。まあそこは大丈夫。どっちみち俺は囮になって連中の注意をひきつけておこうと思ってたし」

「アルメリア……」

「そりゃあ話してほしいとは思ったよ。やっぱり何も聞かないより聞いた方がいろいろと動きやすいし……それにルクレスさん達を信用してたからね」

 

 

 じゃなければあそこで絶望して死んでいただろう。

 憎しみで何も策がないまま研究員を襲って殺して、逆に酷い目に遭っていただろう。

 

 ルクレスさんと話しをして冷静になれたから、今があるんだ。

 

 

 

「……ありがとうアルメリア。僕たちを信用してくれて」

「うん。でも次は止めてください」

「分かってるさ。もう二度と。ああそうさ、もう絶対に君を裏切るような真似はしない。そんなことをしたら僕は自らの命を絶とう」

 

 

 真面目な様子で頷いたルクレスに俺も頷く。

 一応はこの事実を覚えておくだけでもう終わりにしよう。裏切りとか言ってるけどあまり気にしてないし、皆が自由になれたのは事実なんだから。

 

 問題は―――――――。

 

 

 

「俺が、女を倒して回復魔法を皆にかけた……か……」

「そうだよ。その時のことは覚えてないかい?」

「いや、全然……母さんを助けようとして走って……でも無理かもしれないって思って……えっと……」

 

 

 そういえばその時誰かの声がしなかったか?

 聞き覚えのある声で、俺に『契約成立だ』って言っていたような……。

 契約ってなんだ?

 

 いやでも、ただの夢の可能性もあるし……ううむ……。

 まだ確定するわけにはいかないか。寝ている間に勝手に行動したとしても、仲間たちを救うために行動したという意味なら許容範囲だ。

 いろいろと調べてみるつもりだけれど、焦る必要はないかな。

 

 

 

「……そういえば人間たちはどうなったんだ? そいつらも回復したんだろ?」

「ああ。研究員の連中はあのまま楽に死なせるつもりはないから檻の中に縛って入れてあるよ。魔術核になった女の方もね。尋問とかもしている最中だ」

「尋問?」

「モンスターになったせいか、人肉を主食とするモンスターに変異した仲間たちが彼らの肉を欲してしまってね。一部の肉だけでも提供することになったんだ。死なない程度にいたぶりながらね」

「あー」

 

 

 そういえばそういうモンスターもいたなぁ。実験で俺の腕を噛み千切った人が……。

 

 

「……それって俺も危ない?」

「いいや! そんなことはないよ! というか君は僕たちの命の恩人だ。だから絶対に被害は出さない!」

「あ、うん」

 

 

 ルクレスさんが焦りながら答えられたのでとっさに真顔で頷く。

 本当に寝ている時の俺って何やらかしたんだ……? ルクレスさんがここまで畏まるって有り得なくないか?

 

 視線をうろつかせていると―――――――ふと、最初に部屋に来た時に目に留まった大きな地図が見えた。

 

 

「あーっと……それって何に使うの?」

「ああこれかい。これからの計画についてだよ……そうか、アルメリアも一緒に話をしよう。アルメリアのお母さんは……」

 

「私モ一緒にイルわ」

「分かった。じゃあこっちにアルメリアが座る椅子を……よし」

 

 

 机は俺が立っても地図が見えない高さにあったので、コボルト達が用意した大きな椅子へ誘導してくれたまま、話を聞く。

 

 

「この地図はメリア大森林……って知ってるかい?」

「えっと、俺たちの故郷……だよな」

「そう。アルメリアの故郷でもあり、僕たちの村がある森林でもある。そしてこの地図はメリア大森林の勢力図となっているんだ」

「勢力図?」

「ああ。ちょうど国家と帝国の二つの領土となっていてね。こっちが国家で、こちらが帝国なんだ」

 

 

 ルクレスさんが指差した地図は赤と青で塗られており。様々な村が点在しているのが見えた。少なくとも三つ以上。大森林というだけあって、森はかなり大きめの場所らしかった。母さんが一つの村を指差してくれたから、そこが俺の故郷なんだろう。それは赤い色で塗られている。

 赤い色はレジスト国家で、青い色がコノエ帝国か。

 

 

「大森林には他の村も点在する。被害に遭ってない方だが……話し合った結果、ドラゴンの宝玉を使用している奴らがまたメリア大森林にある他の村を襲う可能性が出てきた」

「そっか……そういえばアレイなんちゃら候っておっさんが言ってたな」

 

 

 新しいモンスターを補充するとか何とか、そういう感じのことを言っていた気がする。

 顔を見上げながらルクレスさん達に言うと、彼らは真剣な表情で頷く。モンスターの中には表情が分からないのもいたが、まあ雰囲気で分かる。

 

 

「アレイルクス候は国家の―――――――レジスト国家の領主だ。そしてこの真ん中に位置している村……コノエ帝国の領土となっていたのに襲ってきた僕たちの村があった。だから次に狙うとしたらまた真ん中に位置する村だろうと予想したんだ」

「俺達は皆、悲劇を繰り返シタくなイんだ」

「ああ、捕まえた奴らを尋問して奴らがこの村を襲うと確定しているからね。まだ予定は先だけれど……だから僕たちは反撃をして村を守りつつも宝玉を奪うことを目的として行動する。それにドラゴンにも会わないといけない」

 

「……うん、それは俺も同じ考えだよ」

 

 

 あいつにはいろいろと話をしなくちゃいけない。

 でもそれ以外にも言わなくちゃいけないことがあるんだ。

 ルクレスさん達も俺に微笑みを浮かべている。リザードマンの一匹に頭を撫でられながらも、ぼんやりとこの先の未来を考えた。

 

 

 

「……アルメリア、それ以外にも何かいい案はあるかい?」

「良い案? そうだなぁ……」

 

 

 

 何故か真剣な表情をしているルクレスさんに促されて考える。

 村を守りながらも宝玉を奪うことには賛成。ドラゴンに会うのも賛成。それ以外とすると……。

 

 

 

「ねえルクレスさん達。レベル上げに興味ってない?」

「うん?」

 

「そのままじゃたぶん返り討ちに合うかもしれない。モンスターらしい姿をしてるのに人間みたいに攻撃してたから……中途半端に守っても何も成果は出ないと思うから、レべリングしようよ」

「……レべリングか」

 

 

 モンスターというのが前世でみたものと同じならたぶんレベルというのがあるはずだ。

 ポーションや魔法といったゲームに似た要素があるんだから、当然強くなれるはず。進化ももしかしたらできるかもしれない。

 ただ理想と現実は全然違うから意味がないかもしれないけれど……でも戦いになれるぐらいなら良いんじゃないかなって思うんだ。

 

 もちろんレべリング中に他の村を襲われたら困るから、やるべきことはやるつもりだけれど。

 

 

 

「それとね、どうせなら1つの村を守るだけじゃなくって、メリア大森林ごと侵略でもしちゃおうかなって……」

「侵略?」

 

「うん。メリア大森林を中心として変異を繰り返し起こそうとしてるんでしょ。ならメリア大森林ごと全て俺達が奪ってやろうよ。あいつらが手出しできないように……今のこの施設のように」

 

 

 

 ルクレスさん達が顔を見合わせている。

 幼女である俺の考えを真剣に受け取ってくれている。彼らはみんな頷いてくれた。

 

 それが当然というような仕草で、俺の意見を肯定してくれたんだ。

 

 

 

 

 

 

 



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外伝 化物となった人々の日常
モンスターの力の使い方 序章





 全ての悲劇が、ようやく終わりを迎えた頃。
 これからどうするべきかを話し合うことと、今度のために身体を休めさせている数日の間。



 ―――――これは、その間に起きた複数の事件のうち一つのお話である。







 

 

 ここは、あの実験施設跡となった場所の一室。

 すべてのモンスター……つまり、俺の家族や友人と言った実験での被害者である元人間たちが全て集まれるほどの大きなホール。

 天井をぶち抜いて二階分ほどの広さをもっているため、大鬼の母さんでも頭を気にせず楽にすることが出来る場所の一つだ。

 扉からその奥の壁いっぱいにまで広げた長いテーブルを並ばせて、その上に食料を並べて食べ放題形式のようにたくさん置いていった。よく分からない肉も置いてあるが、俺から遠い位置にあるしぶっちゃけ気にしない方が身のためだろう。

 

 椅子に座れる者は各自自分の場所まで持って行くようにしているため、そこまで狭くは感じない。

 大きな体のモンスターの圧は凄いが、恐怖は全くない。

 

 現在の時刻は太陽が昇り始めた早朝。

 微睡んだ思考をなんとか覚ますために水を飲んで、周囲を見渡す。

 

 俺が目覚めてからみんなはかなり喜んで祝杯などをあげていたらしい。いや、酒を飲んだり食べたりしたわけじゃないが、嬉しさのあまり暴れまくっていたという話は聞いていた。

 だからだろうか。早朝でみんなが集まっている状況だというのに少し騒がしい。そしてどこかで笑い声が聞こえたりモンスターの雄叫びが聞こえたりとお祭り騒ぎになっているように感じる。

 

(……というか、俺以外の人間なんていないんだよなぁ)

 

 ルクレスさんは俺に配慮してか人間の姿をとっているが、実験のせいでモンスターに代わっている。俺以外は全員モンスター。

 でも、皆が暴れるだなんてことは有り得ないからこそ安心して食べることが出来る。

 

 

 そして―――――もぐもぐと、固めのパンを食べていた手が止まった。

 

 

 

「大問題が発生した」

 

「はい?」

 

 

 ルクレスさんが少し難しそうな顔をして言う。

 

 彼は食べ物を口に入れていない。

 机の上には村で生活していた頃とは比べ物にならないほど豪華な食料の数々。

 全てが終わって、俺が目覚めてしばらくして落ち着き……まあ大体の落ち着きを取り戻した朝だというのになんでそんなに気難しい顔をしているのだろうか?

 

 というか、なんだかおかしくないか?

 

 俺の目の前には野菜スープや果物の入ったサンドイッチなど調理されたものが置いてある。

 皆もそれぞれ食べていて、急に話し出したルクレスさんに周囲にいるモンスターたちが一瞬だけ行動を止めてこちらを見たぐらいだ。

 

 

 

「どうしたんですかルクレスさん? 問題というのは?」

「医療薬が底をついた。それと食料以外の消耗品もだ……というか、どうやら僕たちが襲撃をする前に仕入れをしようとしていたのか、かなり少ない状態だったんだ」

「え、それってやばくないですか?」

「ああやバいゾ。薬草もまダ出来てイないかラナ」

 

 

 実験場の施設を改良している最中のため、必要な物資はたくさんある。

 だがそれがないとなると今後の計画に支障が出ると考えているのだろう。

 

 これから行うのは長期戦だ。

 この実験場だけでも過ごせるような環境を整えることをルクレスさんは考えている。ここで籠城していても一生暮らせるような場所にするためには、今の状況だと不十分だ。

 

 

「今の身体はモンスターだ。だから僕たちの力だけで物資を作り上げることは可能だろう。僕も糸さえあれば服やシーツが作れるようになるからね……慣れればの話だけれど」

「本当ですか!? じゃあ――――」

 

「いいや。暴力以外での力に慣れていないから、練習する時間はかかる。……その間の時間を補うために物資が必要なんだ」

 

 

 まあ、そうだよなぁ。

 蝋燭がなければウィスプのグレンや、炎に関係するモンスター達に任せればいい。

 

 でも、包帯はできない。怪我を直すためのポーションだってまだここにはない。

 あの襲撃のせいで怪我をしているモンスターはいる。俺もそうだし、ルクレスさん達だって怪我をしている。その身体を癒すための薬がないといけない。

 命に危険があるようなことは絶対にあってはいけない。これ以上、身内を失うわけにはいかないのだから。

 

 

 

「ぁルめリア、こレを見ロ」

 

 

 

 近くにいた蒼いバンダナを付けたコボルトの一人が、ある地図を差し出した。

 その地図こそ、空を飛べるモンスターの数人がざっと見て書いたメリア大森林の大雑把なもの。

 俺たちがいる場所より右、かなり近い場所でバツ印が描かれていた。

 

 

「……これは?」

「純粋なモンスターであるゴブリンの住処だよ」

 

「何でそんな場所を知っているんですか!?」

「いヤぁちょっト自由になレたこトが嬉しクテな。空を飛ベル奴らガ無茶をシて暴走シた結果がこレダ」

「彼の言う通り、そういうことだよ」

「どういうこと!?」

 

 

 まあ自由に生きれるようになったことが嬉しくてヒャッハ―みたいな興奮状態で行動に出るのは分かる。

 俺だって昨日の夜はなかなか寝られなかった。

 グレンだって廊下を超特急で走り回ってどっかで火事を起こして彼の姉さんがキレたっていう些細なトラブルがあったのも知っているし、他にも壁が崩壊しただのモンスターがジャンプしただけで落盤が起きただのトラブルが発生しているのは分かっているのだから。

 

 でも、空を散歩していたらゴブリンの住処が見つかったっておかしいだろ。

 

 

「ごほん……ええっと……ゴブリンの住処があったのは分かりました。でもそこと物資補給はどういう関係があるんですか?」

「ゴブリンはもともと人を襲う性質があってね。彼らが奪うものは人だけじゃないんだ」

 

 

 この大森林を抜ける最中の旅人は必ず様々な物を持って歩いている。

 たとえば野宿するための料理器具。寝袋や武器。そして怪我をしてもすぐに治せるように医療用品があるという。

 

 ゴブリン達は大森林を移動している旅人を狙って襲い掛かり、その荷物ごと巣へ持ち帰ってしまうらしい。

 

 

「……つまり?」

「モンスターとしての力を比べるために……戦う自信がある者たちでゴブリンの巣を襲って物資を補給しようって算段だよ」

 

 

 

 

 ルクレスさんはとても簡単そうに―――――だがしかし、実際には酷く大変そうなことを言ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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モンスターの力の使い方 前編



 人が包丁を手に持って、それを人に向けて襲いたいと思う気持ちはあるか?
 包丁で、凶暴な獣相手に戦えると本気で思えるか?


 グレンが言いたいことはそれだけだ。
 大半の戦えない仲間たちでさえ、そう思っていたのだから。





 

 

 

 戦えと言われても、実際にやることはできないと思う。

 っというか、ぶっちゃけるなら絶対に無理だというのが俺たちの仲間の中で大半の意見だろうと思う。

 

 だって、あの時の実験施設での奮闘は全て無我夢中だったんだ。

 何をしていたのかさえ分からずただ必死に生き残るために動いていたことぐらいしか覚えていない。

 逃げていた人もいるし、家族を奪われたという人たちは復讐に身を宿し怒りのままに暴れたとしか思えない。

 

 あの時の例外と言えば、ルクレスに近しい者だけだった。

 自分たちのように衝動のままに動いてはいない。本能に従って生き残ろうとはしていない。

 

 ただ冷静に、そして理性的に―――――こちらがぞっとするような目で戦ってきていた。

 戦い方を知っていた。ただの平民が。自分たちと同じ村人だった彼らが、人の殺し方を知っていた。

 

 短い期間の間だろうとも、あの実験の惨たらしさを彼らは知っている。

 自分たちはちゃんと、覚えている。

 

 でもだからと言って戦う覚悟はまだ持っていなかった。

 人を殺す覚悟もなく、憎しみで行動しようとも何の関係もないどこにでもいるゴブリン相手に戦いを挑むことなどできなかった。

 

 生きるか死ぬかの戦いに、自ら入っていくことなんてできない。

 モンスターになっても、戦いたくはない。

 

 

「んー……無理だナぁ」

「がぅ?」

「いヤだっテよぉー。俺たチが戦えるト思うカ? ってか、モンスター相手に戦いたイって思ウか?」

「がうっぅー」

「俺たちハモうモンスターだっテ? んナコと当然知ってルよ!」

「がぅー」

 

 

 ウィスプという小さな炎の子供であるモンスターになったグレンでさえ、ゴブリンの巣に向かって戦うという言葉に頷ける自信はなかった。

 だからこの元実験施設の子供部屋でのんびりとしていた。

 

 モンスターになったからと言っても、心は人間のまま。

 火になっていてもそれは変わらない。水が怖くなっただけの人間の子供のままだ。

 

 動こうとしないグレンたちを見て、ルクレスは何を思ったのだろうか。

 グレンはあの時の彼の言葉を思い出す。戦えないと叫んだ彼らを見た優しくて慈悲のある目を思い出す。

 

 

 

「大丈夫だよ。僕たちはもう人間じゃない。それより強いモンスターに生まれ変わったのだからね」

 

 

 

 ルクレスはにこやかに笑っていた。でも、有言実行する力はあった。

 ルクレスと同じ村にいたモンスターの元人間たちは恐怖という感情がないようにただ平然とゴブリンの巣へ向かって行った。

 

 もちろんそこで手に入れた物資の数々を見る限り、やはりルクレスさんとその村の人たちは別次元だ。

 ぶっちゃけて言うなら普通じゃない。恐怖なんてないように思えるぐらい、あっけなく戦ってあっけなく殺していくのだから。

 

 

 悪い言い方をするならば、長期の実験台にされていたからモンスターとしての使い方を理解できているのかもしれない。

 

 グレンはただ思う。

 自分はまだ、力の使い方を分からない。

 ふとした瞬間に何かを焦がしてしまう。水に少し当たっただけで身体が抉れたような痛みを感じてしまう。

 

 子供の時の方が―――――まだ自由に生きやすかったように思えた。

 

 

 

「がぅー」

「なァ、お前もそウ思うダろ?」

 

「がぅぅ」

 

 

 小熊のモンスターになって言葉が喋れなくとも何が言いたいのかは伝わる。

 こいつの力が通常のモンスターの倍。人間で言うなら鍛え上げられた兵士より数倍もの力を発揮すると言われている怪力。

 でも中身はただの子供だ。俺より年下で心優しい小さな女の子だ。

 

 

 ぶっちゃけて言うならアルメリアの方がこの子より強かで精神的にも強く何があろうとも生き残れると思っている。

 

 

 俺のような意見が大半。

 モンスターとして生きる覚悟がまだない者がほとんど。

 

 

 今はこの生きている奇跡の時間を十分実感しているだけで精いっぱい。

 それがいけなかったのだろうか。

 

 戦えずにいる元人間のモンスターたちへ向かって声をかけたモンスターがいた。

 

 

 

 

「地下の大ホールに集合してくれ。やりたいことがあるんだ」

 

 

 

 それは当然、ルクレスの声だった。

 

 

 

 ―――――そうして後にアルメリアが青ざめた顔で「鬼指揮官かよ……」と呟く程度には酷い状況に陥ることになる。

 

 だがその一件が原因で、未だに疑心暗鬼に陥る仲間たちがルクレスを少しでも信じることが出来るきっかけとなった事件に繋がるのは当然であったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 



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モンスターの力の使い方 後編

 

 

 

 

 

 

「ここハ?」

「まあ待って。後のお楽しみにね」

 

 

 

 地下の大ホールから外へ繋がる道があり、そこから連れてこられた場所は実験場からほど近い見知らぬ洞窟だった。

 ゴブリンの巣というわけではない。

 モンスターの危険性もないだろうただ普通の洞窟に見える。

 

 だが、それでも彼らには恐怖はあった。

 グレンにとって外に出たのは久しぶりだ。ずっと実験場の中にいた。

 ずっと外の世界を――――守られていると分かる場所から外へ出ることを恐れていた。

 

 

 空を飛べるシャドーバットなどのモンスター達は、自由気ままな外から密閉空間となる洞窟に入ったことで怯えて、ゴーレムなどの身体にしがみついて離れないという現象が巻き起こっている。

 

 皆は何も言わない。でもどこか緊張し怯えたような目で周囲を警戒して歩いていた。

 

 周囲にルクレスや彼と同郷のモンスターがいようともそれは変わらない。

 

 

 ――――やってきたのは洞窟の最奥にある円形に広がっている場所だった。

 

 

 行き止まりに連れてきたルクレスが、その奥の壁に背を付けて俺たちへ振り返る。

 

 

 

「今日連れてきたモンスター達の中にはいない者がいると気付いているだろうから説明しよう。僕は絶対に保護が必要な幼い子供やまだ精神的に回復していない女性などは連れてきていないよ。もちろんアルメリアもだ」

 

 

 ルクレスの言葉にグレンは首を傾けた。

 いや、実際には傾けたような行動をしたが、身体ごと傾いたと言った方が良いだろう。

 

 

 

「えっト、俺様ハ? 俺も子供なんだけど……」

 

「君はまだ大丈夫な方だろう?」

 

 

 

 人間だったら笑ってない目で、とても綺麗な笑みを浮かべていたことだろう。

 そう思えるような雰囲気でルクレスは言った。

 

 彼の身体は糸で作られているから、笑顔を浮かべるという手間はしたくないからか真顔であるが……。

 それが余計に背筋がぞわりとするような、何か嫌な予感がした。

 

 

 

 

「僕はね。このままじゃいけないと思っているんだ」

 

「ハっ?」

 

 

「モンスターとしての力がうまく使いこなせないのは分かるよ。でもそれだけじゃなくて行動に移さないのが問題なんだ。恐怖があるのは分かるよ。でも非常事態の時に動けないのは僕としては駄目だと思うんだ」

 

 

 

 周囲にいる、ルクレスの同郷のモンスター達が壁まで下がる。

 広場の中心にいるグレンたちは何が何なのか分からず困惑し、引き攣った笑みで話し続ける彼を見た。

 

 嫌な予感が膨れ上がる。ここに居てはいけないかもしれないと察する。

 

 

 

 

「生きるか死ぬかの瀬戸際に、戦えないかどうかは僕が決めたいと思う。

 

 ―――――だから君たちを、試させてくれ」

 

 

 

 しかし、逃げようとした瞬間だった。

 ルクレスの近くにいた大きなゴーレムが、その太い腕を振りおろし地面に亀裂を与える。

 

 いつの間にか出来ていたのか、大きな穴が瞬時に出来上がりグレンたちを落とした。

 

 

 空を飛べるシャドーバットたちはなんとか逃げようとしたようだったが上にいる彼らに物理的に突き落とされる。

 どうあがいても上には逃げられない。

 

 しかも穴の中にいたのは―――――。

 

 

 

「ここは元ゴブリンの巣の最奥。そこにいるのは、僕たちを襲い、過去様々な人間を食べてきた理性のないモンスターたちだ」

 

 

 

 ゴブリン達が、涎を垂らしてグレンたちを見つめている。

 

 

 

「ギギィ」

「ギ……ィィ……」

「ギィッ!」

 

 

 

 まるで餌が来たとでも言うかのような目。

 だらだら垂れる涎と、ぎらつく歯。

 

 周囲に漂う腐った臭いに吐き気がする。恐怖で身体が固まる。

 

 

 

「さあ戦いなさい! そのままでいたら死んでしまうよ!」

 

 

 

 声が響いた瞬間、誰もが死の気配を感じ取った。

 

 

 

「ひっ! うあァ……」

「ギュァァ!」

「嫌ダ! 私ハ死にたくナい!」

「た、助けテくレ! お願いダ! 俺たチが何をしたっテいウンだ!!?」

 

 

「何を言っているんだい。君たちが何もしてないのが悪いんだろう?」

 

 

 

 ルクレスは冷めたように言う。

 とても落ち着いた声で、周囲の悲鳴によって聞こえなくなると思えるぐらいの音量で言ったというのに、逃げまどい、ゴブリン達の歯から逃げようとしている彼らの耳に届いた。

 

 

 

「僕は戦争を体験したことがある。戦いを、その先の絶望を――――すべてを見たことがある!」

 

 

 

 ルクレスは身体の糸を解いて本来の蜘蛛の姿となり穴の淵に立ち、彼らを見下ろした。

 

 小さくてグレンでさえ殺せてしまいそうな虫の一匹が、ルクレスが叫ぶ。

 

 

「君たちは今の僕よりも強い! その気になればちゃんと戦えるんだ! 必要なのは前へ出る意思だ。生きたいと願う行動力だ! 守られているだけでは何も始まらないぞ!!!」

 

 

 

 

 叫ぶ。

 彼らのために、己自身のために。

 

 彼は心を鬼にして、生き残るために叫ぶ。

 

 

 

「思い込みで戦えないのは弱者のやることだ! 最初から何もしないから生きることはできなくなるんだ!

 

 ―――――君たちの力はその程度のものじゃないだろう!?」

 

 

 

 

 ルクレスの声に、魂から響き渡るような慟哭に誰もが身体を動かした。

 

 恐怖はあるが、生きたいという気持ちの方が大きく働く。ここで動かなければ死ぬ。

 あの時のように。身体が溶けてぐちゃぐちゃになっていくあの頃のように。

 

 

 

『ッ―――――――――!!!!!』

 

 

 

 悲鳴が雄叫びへ。

 生きたいと願うモンスター達が、それぞれの拳を握り、それぞれの身体に合わせた攻撃を放つ。

 

 グレンはただ願った。

 できないと思う気持ちをなくしたいと。

 

 

 もう何もできず死ぬようなことだけはしたくはないと。

 ただのちっぽけな幼女のアルメリアに、年下の女の子に守られるようでは何が男か!

 

 グレンが衝動を目の前にいるゴブリンへぶちまける。

 

 

 

 

「あぁアあァあアアァぁッッ!!!!!!」

 

 

 

 生きたいと願うごとに己の炎が熱く燃え上がる。

 目の前にいて襲い掛かってくる理性のないゴブリン相手に、燃やすという行為が―――できる!

 

 

 

 

「ああ、上出来だよ」

 

 

 

 蜘蛛の姿だというのに、ルクレスの表情はとても嬉しそうに笑ってるように見えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 







「っテことがあったンだ」
「いや怖えよ鬼指揮官かよ。いや鬼蜘蛛……」


「どうしたんだいアルメリア。僕が何だって?」


「何でもないですごめんなさい!」



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第二章 メリア大森林=攻略戦線
15話 彼女たちは動き出す




第二章開始です。
感想などお待ちしています!





 

 

 

 

 

 メリア大森林が呪われていると噂が広まったせいでえらい目にあった。ある程度の物資を売りさばいてくれる商人も来なくなり、こちらから町へ行かなきゃならない始末。

 貴族御用達の店で働いた経験と腕を活かして、料理人として何処か安全な都市にでも移り住めばいいかもしれないとは思う。

 だがメリア大森林は帝国と国家の間に位置する場所。冒険者たちにとっての通り道だ。

 長旅で腹を空かせた奴らに美味い飯を食べてもらいたい。一日の幸せを飯で満たしてほしい。そんな細やかな願いの為にずっと故郷を離れられないでいるが、やはり限界なのだろうか。

 

 というかだな……狩りで得られる肉だって限りあるというのに、これ以上の不幸は止めてくれると助かるんだが。

 

 

「むごごごっ!」

「だから肉をあまり食うなって言ってんだ! 貴重なんだからゆっくり味わいやがれ!」

「いいひゃない!」

「良いじゃない、じゃねえよルナの馬鹿野郎!」

 

 

 焼いた肉をかっ食らう美少女とは思えないルナの野性的な顔を見て、額に手を当てて項垂れる。

 もぐもぐと肉を頬に詰め込み、ようやくごくりと飲みこんだルナは満足げだった。

 

 

「んぐっ……だいたいレオン兄さんはいつも心配し過ぎるのよ。肉なら私がとってきてあげるし、金がなかったら私がまた稼いできてあげるっていつも言ってるでしょう?」

「お前の狩りや稼ぎ方に問題があるんだよ。死んだらどうするんだ」

「大丈夫よ。私は強いから!」

 

 

 確かにルナは強い。

 料理人としての才能を伸ばした俺に比べて、何故か戦闘能力に特化した才能があった。

 村にいる狩人のおばさんたちが両親のいない俺達を憐れんでというわけもなく、才能のあるルナに跡継ぎになってほしいと土下座する勢いで頼み込むぐらいだし。

 俺が都市に修行に行った時なんてこいつも一緒にくっついて来て、そのせいで金を稼がなくちゃいけなくて悩んでたらルナが円形闘技場で下位モンスター複数に中位モンスター2体と戦って優勝し、金を俺に渡したぐらいだ。

 こいつが強いのは分かってるんだ。冒険者として活躍できるぐらいの力を秘めてるのもな。一人で金を稼いでこれるこいつなら、一人でなんでもできるだろう。

 だから独り立ちしてほしいというのに……何でこいつは村にいてただ料理をするだけの俺に執着するんだ。早く兄離れしてくれ妹よ。

 

 

「だからね。レオン兄さんは諦めて私に美味しい料理を作ってくれたらそれでいいの! むしろ私が外で稼ぐから兄さんは家で料理する。それが一番良いんじゃないかな!!」

「ふざけんな俺はお前の専属料理人じゃねえぞ!!」

 

 

 ああもう駄目だこの愚妹。俺が何とかして村でも安全かつ継続した生活を送れるようにしないと……。

 いやそういう考えがいけないのか? 兄離れの前に妹離れしないとやっていけないのか?

 

 

「そういえば兄さん知ってる?」

「あぁ?」

「このメリア大森林が呪われてるって話」

 

 

 真面目な顔で今さらな話をしてきたことに呆れる。

 メリア大森林が呪われていると言う噂が経ったのは一か月ぐらい前の話だ。はぐれゴブリンによる村や集落の壊滅がいくつかあったらしく、都市で世話になった料理店の元同僚から聞いた話だとアレイルクス候もそれに襲われて死んだという。そのせいで跡継ぎ問題でメリア大森林以外の領地が荒れてるみたいだ。まあこっちも似たような感じか。

 だからはぐれゴブリンのせいで森が呪われてるんじゃないかという点で俺にとって客である冒険者が多く来るようになったし、逆に商人たちが来なくなった問題が起きた。

 

 

「ああ知ってる。……っていうかだな、そのせいで肉も香辛料も何もかもが手に入りにくくなってんだよ。だからお前が食ってたさっきの肉が最後かもしれないって嘆いてたんだ!」

「え!? おかわりできないの!?」

「だから真面目にゆっくり味わって食えって言ってんだ! 話をちゃんと聞きやがれこの馬鹿妹!」

「味わってるわよ! ただレオン兄さんの料理が美味しすぎてついいっぱい食べたくなっちゃうの!」

「そのせいで狩人の奴等が働きすぎてひぃひぃ言ってんの分かってんのか」

「………てへっ」

 

 

 

 可愛らしく舌を出しても俺には効かないぞこの馬鹿妹が。

 

 

「さあ働くぞ。肉が食いたいならルナは狩人のおばさんたちの手伝いでもして来い! 今日もまた冒険者が来るからな!」

「分かったよ兄さん。たくさんお肉持ってくるから夕食もよろしくね!」

「……お前は少し我慢ってもんを覚えろ」

「嫌だよ。お腹いっぱい食べたいもん!」

「だからって牛一頭丸ごと食い潰すんじゃねえよ! この人間ブラックホールが!」

 

 

 

 

 

 

 

「……そう。アレイルクス叔父様が亡くなってしまったの」

「ええそうですお嬢様。それで次の跡継ぎは貴方となりそうです。レベッカ様」

「それは……それはとても大変な事態ね」

「ええ、おそらく」

 

 

 

 アレイルクス・アレクシア。それが私の一族の一人である叔父の名前である。

 私の叔父には子供がいない。それに引き替え、叔父様の兄であり私の父は他の領地を持った貴族の一人。私の兄や姉たちも小さいが領土を所有しており、アレクシア一族はレジスト国家の大貴族となっていた。

 私だけはそういう面倒くさいのはいらない。領土も何もなく、ただ普通に暮らしたかった。

 お花を見て、美味しいお菓子を食べて、密かに都市を散歩して、そしてゆっくり過ごしていきたい。だが、兄や姉たちもそれぞれ立派に仕事があって暮らしている。

 私だけなのだ。叔父様の跡を引き継ぐことができるのは。

 

 

「……そういえば、何故叔父様は亡くなったのかしら」

「現在調査中でありますが……それと、アレイルクス候……いえ、アレイルクス様は現在進行中で国王に命じられ行うべき仕事を抱えておりました」

「まさか、それを私にやらせろと?」

「国王はそれをお望みだそうですよ」

「えぇー……」

 

 

 凄く嫌だ。何で私がそんなことをしなきゃいけないの。

 というか、私のような小娘に仕事を引き継がせるぐらいならお父様にやらせたらいいのに……。

 

 

「貴方のその頭脳と采配をお父様も期待しているから何も言わないのです」

「……口に出てたかしら?」

「はい。しっかりとお父様にやらせたらいいのにと聞きましたよ」

「そう。……はぁ、面倒」

 

 

 本当に嫌だなぁ。ゆっくりと休んでいたいなぁ。

 まだ読んでない小説だってたくさんあるのに、仕事したら絶対に兄様たちのようにやりたいこともやれなくなるんだろうなぁ。

 

 

「……それで、仕事ってなんなの? 楽できるようなもの?」

「いえ、楽が出来るか……と言いますと正直微妙ですが、これを――――――」

 

「……なぁに、それ?」

 

 

 メイドが見せてくれたのは、綺麗な赤色をした宝石。

 真珠よりも丸くて大きく、光の加減によっては宝石の中で七色に光っているように見える見たことのないもの。

 

 

「どうやらこれの調査と実験をするべきと国王から命じられていたようです。実験内容に関しましてはアレイルクス様が報告する前に亡くなってしまいまして……」

「そうなの。……ねえ、これの名前は?」

「ドラゴンの宝玉と呼ばれているそうですよ」

「ドラゴンの、宝玉……ね。この宝玉にはどんな力があるの? 鑑定は?」

「それは鑑定スキルでも分かりかねます。国王もそれを調査せよとアレイルクス様に命じていたので」

「なるほどね。全然わからないもの。力はありそうだけどよくわからない宝石か」

 

 

 少しだけ興味が湧いた。

 仕事は嫌いだけれど、興味があることならやってもいいかもしれない。

 

 

「ねえ、仕事の引き継ぎ資料見せて頂戴。それと叔父様がやっていた調査と実験についても調べて」

「承知しました、レベッカ様……いえ、レベッカ・アレクシア候」

「うふふっ。まだ私は何も引き継いでないから候になってないわよ」

 

 

 この宝玉にどんな力が備わっているのだろうか。仕事と趣味を兼ねて……ちょっとだけ、楽しめそうな気がした。

 

 

 

 

 

 

 実験施設―――――――俺達はここをホームと名付けた。トラウマもたくさんある施設だが、俺達にとって現段階で安全である場所だから、そこを拠点とした活動を開始することになったのだ。

 拠点の複数の部屋にあった俺達にとってのトラウマ製造機の実験場は全てゴブリンたちが斧でぶっ壊し、スライムがそれらを気合いで消化し、そして壁などを綺麗にして畑も作って住みやすい拠点にするのを始めていくことが最初の目的……だったんだが。

 

 

「ええっと、つまりあなたが俺達を襲ったあの女なわけで、それで屈服して……えっと、何でしたっけ?」

「はい! わたくしは化け物であった時、理性などは何もなかったのですが……あなた様の強烈な赤と、身体中を引き裂かれるそうな衝撃だけは覚えています! ですのでアルメリア様の奴隷にしてくださいまし、お姉さま!」

 

「……ねえルクレスさん、こいつ檻から出して大丈夫!? 本当に大丈夫なの!?」

「ああ、大丈夫だよ」

 

 

 いや全然大丈夫そうに見えないんですけど!?

 というか、俺その時何やってたのか覚えてねえから勘違いかもしれないって言うのに!

 

 あーでも一応ルクレスさんは言うなら大丈夫なのかなぁ。捕まってる人間たち管理してるのこの人だし。

 

 金髪美女ももとは名目上の復讐対象であり捕虜となった人間たちのうち一人だった。

 人間に関してはルクレスさん達に任せてるので何をしているのかは知らない。いや、尋問とかで聞いた話については教えてもらってるけど、それ以外は特に興味ない。

 

 それは皆も同じだったんだが、この目の前で俺に跪いている金髪の女性に問題があった。

 

 

 元々は白髪で白いワンピースを着ていた女性。どうやら防御魔法に関しての力があり過ぎたせいでアレイルクス候に目をつけられ、無罪の罪を作られて捕まりここで力を利用されていたという。

 ある意味俺達と同じ被害者だった。もともとは金髪だと言うのに、力を強制的に使われたことによって髪が真っ白に染まってしまうほど酷い目に遭っていた。

 攻撃してきたときは理性がなくほとんど何をしていたのかさえ覚えていないようで、檻に捕まっていた時も騒ぎ喚く情けない研究員や魔術師たちとは違って正座してただ静かに死の時を待っていたというのだ。

 

 

「……まあ、裏切らないなら俺はどうでもいいけど」

「はい! 裏切りませんわわたくしのお姉さま! あなたの御付きとして活躍したく思います! むしろお姉さまの全てをわたくしがお世話したいですわ!!」

「いや無理。御付きとかいらない。ってか何でそっち?」

 

 

 御付きって従属人って意味だろ? メイドとか執事とかさ。

 

 

「はい! 貴族のステータスは素晴らしい従属人にあります! 力とは縁の下にございますから! わたくしはアルメリア様のお力になればと思いますし、以前も似たようなことを行っていましたので!」

「強い防御魔法があるのに?」

「はい!」

 

 

 ニコニコと子供みたいな笑顔で俺の足をすりすりと頬ずりする気持ち悪い金髪美女。美女なのに本当に残念だ。というか気持ち悪い。

 

 

「ああ、この足……ええそうですわ。わたくしこの足に踏まれたことが……お姉さま! もしもよろしければわたくしを踏んでくださいませ!」

「いや無理」

「ああん。つれないですけどその冷めた目も最高ですわお姉さま!」

 

 

 紅い頬を両手で押さえて、興奮したように鼻息荒く俺に近づく金髪美女。

 もうすごく怖いのでルクレスさんの後ろに隠れる。というかルクレスさんも傍観気味に苦笑しないでほしい。

 

 

「ルクレスさん、この人理性戻ったんですよね? 正気に戻ったんですよね?」

「あーうん。これはもともとの性格かもしれないなぁ。まあ裏切らないことは確実だから大丈夫だよ。被害も何もないし、彼女の強い防御魔法は絶対に僕たちの力になる」

「待ってルクレスさん! 俺!? 明らかに俺が被害に遭ってる!!」

「お姉さまお姉さま。ああお姉さまぁ!」

 

 

 マジで怖いんですけどこの美女!?

 ルクレスさん! 俺の足にすり寄って頬ずりしてるこの美女を放置しないでくれよ!!

 

 

「それで、君の名前は何だったかな」

 

「はい! わたくしはマーガレット・ナティシア。マリーと呼んでくださいまし、お姉さま!」

「いやだから無理だっつーの!!!」

 

 

 

 

 

 



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16話 レベル上げと交渉をしましょう

 

 

 

 

 ホームの基盤は出来てきている。あの捕まえた連中は檻があった方の一つの部屋に押し込んでおいたし、そこは通常であれば滅多に行くような場所じゃないから他のモンスターになった子供達に悪影響はないだろう。今の時点で悪影響がどれぐらいなのかとかわかんねえけど。

 

 

 

「ホームをもっと有効活用できたらいいんだけどなぁ」

「何を言うんだい。現段階でもいろいろとやってるじゃないか」

「そうなんだけどさ」

 

 

 施設は洞窟を利用し、入り口付近だけ加工をして天井をぶち抜きもっと大きくした建物だ。加工した部分は木造建ての三階までの建物。

 一階は檻やら実験施設やらがあった場所。二階は複数の住居部屋と実験施設を見るための観覧広間。そして三階は今となっては俺達が会議の場所でもあり、様々な実験結果が置いてある資料室でもあった。

 資料室は必要なもの以外はいらないとグレンの炎で全部燃やしてしまったし、いろいろと利用されてない部屋が多くある。そこは後で考えよう。

 

 そして一階にある手が加えられてない洞窟の奥にはあの鍾乳洞。

 一部の天井に穴が開いていて、太陽の光が入ってくるあの場所を利用して畑を作っていきたいと思った。俺達にとってはいろいろとあった過去だけど、どうせならそこを利用してしまえばいい。

 それをルクレスさん達に相談したら、彼らは快く頷いてくれた。

 

 土を入れて耕し、畑の基盤を作っていく。食料庫からあった種を入れて、水を与えて育てていく。出来るかどうかを見極めるために育てる野菜は村で育てていた芋にした。食料が豊富にあっても、元に戻れないのならここにいるしかない。だからいつか食料がなくなるかもしれないしな。

 畑については意見はしたが、詳しい状況についてよく分からない部分もあったからみんなに任せることにした。

 

 一番大切なのはメリア大森林にいるであろう連中と対峙すること。そしてドラゴンと話し合いだ。

 でもその前に……。

 

 

「ねえルクレスさん。本当にモンスターは進化することがあるんだな?」

「ああ。レベルという概念も、スキル能力もある。人間には進化というものがないが、モンスターはそれを行って強くなる奴らがいるよ」

「……なら、できるかもしれない」

「そうだね。とりあえず地図を……」

「アぁ」

 

 

 リザードマンが出してくれた地図を広げてその一点を見る。

 俺達がいる場所はメリア大森林の東の橋。国家に近い位置にある場所だ。森の真ん中にドラゴン―――――俺の故郷の村がある。

 ドラゴンに話せるのならば、先にやれたら……。

 

 

 

「僕の蟻と蜘蛛達に森の全体を見てもらった。それと空を飛べる蝙蝠……ブラックバットになった仲間たちの中で長距離を飛べる子に視察しに行ってもらったよ」

「ドラゴンは?」

「いなかったそうだ」

 

「……そうか」

 

 

 どういうことなんだろうか。何であいつはいない?

 いや、怪我をして身体を休めていたらしいから、俺がここにきている間にどこか別の場所に向かったかもしれない。もしかしたら宝玉を取り戻しにどこかへ行ったのかも。

 

 ずっと俺の村近くにいると思っていた。だから焦りがある。

 ドラゴンは何処かにいるはずだけれど、見つからなかったら意味がない。あいつの宝玉がルクレスさん達を変えたんだから。

 

 

「……アルメリア、ドラゴンは後回しにしよう。まずは宝玉だ」

「うん……そうだな。そのためにやらないといけない……けど、見つかったのか?」

 

 首を傾けてルクレスさん達を見ると、近くで一緒に見えていた透き通った青色のスライムであるアリスさんがそのどろどろの手を伸ばして一点を指す。

 

 

「ここニはオークの群レガあるノ。レベル上げなラここガ最適よ」

「なるほど……オークか……」

「まあ、女子供は行かない方が良いかもしれないね。モンスターであっても」

 

 

 オーク。豚のように醜い頭の人型種族とされるモンスター。ゴブリンに似た性質を持ち、人間の男は食らい、女子供は巣へ持ち帰って襲うことがある種族だっけ。

 

 

「群れの規模ってどのくらい?」

「小規模の……そうだな、30匹程度のオークたちがいる」

 

 

 30匹程度といってもかなり多い方だ。

 しかも群れで襲ってくるとなるとちょっと面倒なことになる。でも強くなるためにはここが一番最適なんだよなぁ。

 

 ドラゴンと会うためには宝玉が必要だ。だから宝玉を奪うためにも強くなって備えないといけない。戦わないのならそれでいいけれど、多分無理だと思うから。

 

 

「……アルメリア、レベルに関しては彼らが行うよ。僕たちは他の村の交渉に」

「うん、分かってる」

 

 

 

 やるべきことは2つ。

 強さを手に入れるために森の最奥にあるオークの群れと戦ってレベル上げをして進化できるかどうかの検証。

 そして他の村で出来るだけ交渉をして、俺達と協力をしてもらいながらも宝玉を手に入れるための囮となってもらうこと。

 

 レベル上げはグレンたちが行い、交渉は俺と人間の姿になれるルクレスさんがやる。

 それと……いや、彼女についてはまた後で考えよう。

 

 

「第一目標は死なないこと。そしてこのホームへ無事に帰って来れること。ホームの拠点を守るのはアリスさん達に任せます」

「えエ、任せテ」

 

 

 アリスさんがぽよぽよと丸まりながらもそう話しかけてくれた。それに頷いて、ルクレスさんを見た。

 

 

「決行は明日。皆、休むようにね」

「はい!」

 

 

 

 

 

 まだ夕食まで時間があるし、小熊――――――いや、イヴァと遊ぶのも微妙だったから休もうかと思って自室へ向かったら何かベッドの上に残念美女がいた件について。

 

 

「お帰りなさいませお姉さま。さあさあ、お休みになられるのでしたらひと肌に温まりながらのご就寝はいかがでしょうか! 人と肌をすり寄せて寝ますとストレスも軽減されると言われていますわ! さあ、私の身体を抱き枕代わりに眠りましょう。さあさあさあ!」

 

「いやアンタのせいで逆にストレスたまるわ」

「むぅ。つれませんわねお姉さま」

 

 

 金髪の髪の端っこを掴んで弄りだした美女。

 美女と一緒に寝るのは前世での性別といろんな意味を含めて無理だったのでこれは譲れない。というか部屋から出て行ってほしいんだけど……いや、いいか。

 

 

「なあ、何で俺をお姉さまって呼ぶんだ?」

「何を仰っているのです? お姉さまはお姉さまですわ」

「意味わかんねえ。なんだそれ。だから……マリーさんは俺よりも年上で、大人の女性だろ」

「まあそうですけど……」

「なら、まだ子供の俺に向かって『お姉さま』って言うのはおかしいと思うんだ」

 

 

 

 お姉さまというのは姉を意味する言葉だ。

 だから子供の俺に対しての呼び方じゃないと思う。というのにそう呼ぶのには何か理由があるのだろうかと首を傾けていると、マリーさんはいつものだらしない笑みではなく真面目な表情で俺を見つめてきた。

 

 

「……まずお姉さまにお話ししなければならないことがあります」

「な、なんだよ」

 

「わたくしの立場についてですわ」

 

 

 ベッドの上に正座をして、俺に向かって話をするマリーさん。

 いつものふざけた様子が別人のように、有り得ないほど丁寧な口調で話す。

 

 

「わたくしはこの施設の魔術核として使われた存在ですわ。それはすなわち皆様を傷つけてしまった存在。わたくしは被害者でもあり加害者でもあるのですよ」

「……でもさ、加害者の部分はちょっと違うと思うぞ。正気はなかったんだろ?」

 

 

 俺の言葉にマリーさんは首を横に振った。

 

 

「傷つけたのは事実ですわ。ですからわたくしは死して当然の報いをしました。わたくしの命はもうあってないようなものなのです。そこをお姉さまに救われた。わたくしは蘇生されたあの時、お姉さまの為に生まれ変わったのです!」

 

 

 魔術核としての命は死んだから、新しく生まれた瞬間から俺の為に遣えると決めた。そうマリーさんは話す。

 心の奥底に隠した本音を曝け出し、救われた命は俺の為にあるべきだと本気で思っているようだった。

 それは凄く重くて、俺に背負いきれるかどうか分からないものだ。でも背負えなくても良いんだとマリーさんは思っているんだろう。この先の行動次第で対応は変えた方が良さそうだな……。

 

 

「……で、何でお姉さまなんだよ」

「それは妥協点ですわ。ご主人様やアルメリア様と呼ばれるのは嫌なんでしょう?」

「まあ……」

「我が主人。救世主さま。わたくしの大事なお人―――――そういう呼ばれ方も嫌でしょう?」

「そうだけど……」

 

「ならこれでいいと思いますわ!」

 

 

 何か丸め込まれた感があるような……。まあいいか。

 

 

「それにわたくし、お姉さまに救われた時に小さな夢を抱いたんですわ」

「なにを?」

 

 

 問いかけただけだと言うのに、マリーさんが不意にハイライトのない死んだ目で俺を見つめてきやがった。

 

 

 

「わたくしはお姉さまの傍にいたいと。先ほども言ったように、お姉さまの為にこの命を使いたいと。お姉さまに救われたあの瞬間から、わたくしはお姉さまに対して心を奪われてしまいましたもの。一生、この身をお姉さまの為に使って欲しい。傍を離れたくはない。周囲に何を言われても、何があろうとも絶対に絶対に絶対にぜったいにぜったいに。……死ぬはずだったわたくしの命を救ったのですから、その責任は果たしてくださいましね?」

 

「ハハハハッ……」

 

 

 いや、だからその時の事覚えてないんですけど……。

 それに重すぎてこわい。病んでるみたいでこの人マジ怖い。

 

 もはや乾いた笑みしか浮かべず、この先の前途多難な状況に頭を抱えるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 



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17話 交渉にはトラブルが必須

 

 

 

 東の村。村に名前はないが、帝国に属しておりいろいろと有名な兄妹が都市に暮らさずずっと偏狭な村で暮らしているといわれている場所でもあるのだとルクレスさんが言っていた。

 交渉は直接行うことはしない。どうせ国がドラゴンの宝玉を使用し、村の人間をモンスターに変えて実験していただなんて話を信じられるわけがないからだ。

 真実は時に小説より奇なりともいう。でもその真実を告げるのに失敗したら敵対される。そして二度と協力はないだろう。だから慎重に動く必要があった。

 

 他の村に対して行うのは、助けでもあり協力。

 俺とマリー以外の人間はいない。ルクレスさんは人間に成れるけど蜘蛛のモンスター。

 これから先宝玉を奪うために行動するのならば貴族たちがいるであろう都市に―――――宝玉があるかもしれない場所へ行くのが目的の一つ。

 だがそこで一番の問題点はモンスターが町に行くことが難しいというもの。いくら中身が人間だとしても、外見がモンスターなら完璧に誤解されるだろう。

 

 それにモンスターは驚異的だと人間たちは思っているために、それぞれの大きな町にはモンスター対策というのが存在する。それが厄介だった。

 村はともかく都市などの大きな町では検問によるモンスター対策があるから、モンスターだとバレたら即座に終わる。ルクレスさんはモンスター売買などで隠していてもすぐに感知された事件があったと話をしてくれた。

 そのためにも、協力できる人間をなるべく増やすのが目的だった。もちろんこれ以上の被害を出さずに助けることも重要だけど。

 

 だから、間接的に動く。

 

 

「まさか今の時期に冒険者ではなく商人が来るとは思ってもいませんでしたよ。さあさあどうぞ……あ、レオン君。飲み物をお願いできるかい?」

「了解です、村長さん」

 

「あ、いや僕は自前のがありますので結構。……アルメリアはどうする?」

「あーえっと……貰います」

 

 

 20代程の青年と、50代の初老が机を間に挟んで少々古臭いソファに座って対面の形で向かい合う。

 ソファはどうやら羊の毛と木材と何かで作られた物らしい。前世で見たソファというよりも、柔らかい椅子って感じがする。そんなソファの感触を気にしながらも部屋の中にいる青年たちを見た。

 

 青年は栗色の髪に青目の人懐っこそうな好青年という印象を受ける。初老の方は日に焼けた肌に白髪交じりの黒髪であり、真面目そうな顔つきをしており、にっこりと笑顔を浮かべると余計に年若く見えた。

 どちらも痩せているが程よい筋肉が備わっており、畑での重労働などで苦労しているようだ。

 

 青年……確かレオンと言ったな。レオンが一度部屋から出て行き、コップに紫色の飲み物を俺の前に置く。

 ルクレスさんの方を見たら彼は頷いてくれたので少しだけ飲んでみた。

 

 

「あ、美味しい」

「お、良かった。子供の口に合ったみたいだな。それはこの村周辺の木々生えてるブドウの実を絞った果実ジュースなんだ」

「……お兄さんが作ったの?」

 

 

 首を傾けながら質問すると、ルクレスと向かい合う形で座っていた村長が微笑む。

 

 

「ああそうだとも。レオン君はこの村の一番の出世頭でもあり、かつて貴族御用達の料理店で働いていた経験を持つ凄腕の料理人さ」

「村長! そ、そういうの止めてくださいよ」

「何を言うか。君のおかげで村は安泰だ!」

「あの。あー、村長。そういうのマジで止めてくれませんか」

「あっはっはっ!」

 

 

 上機嫌に話す村長と赤くなった頬をかいて誤魔化すレオン。なんか凄く平和な光景だ。

 ついあの嫌な過去のことを思いだして遠い目になる。それが分かってしまったのか、ルクレスさんが俺の頭を撫でながらも愛想笑いを浮かべて口を開いた。

 

 

「レオンさんの噂は僕も聞いたことがありますよ。このメリア大森林を通る腹を空かせた冒険者に美味しい料理を食べて疲れをとってもらうために都市ではなく村にいるというのを」

「おお! レオン君や、やはり君は有名人だぞ!」

「そ、村長……」

「それと彼の妹さんについての噂も聞きました。冒険者になれば英雄も夢じゃないほど凄くお強いとか。それなのに村の為に働いていると言うのですから凄いですね」

「そうだろうそうだろう。レオン君たちのような兄妹はこの村の誇りさ!」

「村長! 話がズレてますよ!」

「おお、そうだったな。だがその前に―――――――」

 

 

 一度咳き込み、軽やかな会話はそこで途切れる。

 ピリッというような緊張感のある空気を感じて思わず背筋を伸ばした。

 よく見れば村長とルクレスさんがどちらも微笑み合いながらも相手の様子を窺っている。

 

 

「ルクレス・ナティシアと言ったな。私はその名前を何度か帝国で聞いたことがあるんだが……君は知っているかね?」

「いいえ。僕は国家から来た商人ですので。それに名前が同じ人なんてたくさんいますよ。ナティシアだってそうでしょうに」

「そうだろうが、私は前に何度か見たことがあるのだよ。数十年前だったけれどね」

「ほう?」

 

 

 え、これ大丈夫?

 ルクレスさんの今の姿って確か俺の為に若い見た目に変えてたんだよな。それでずっとそうしてきてたからもう慣れちゃって本来の姿にはせずにそのままにしてたんだけど……。

 チラチラとルクレスさんを見てたら、俺の正面に座るレオンが気まずそうに口を開く。

 

 

「えっと、村長。 ルクレス・ナティシアさんの話を帝国で聞いたというのは……」

「うむ! 話してもいいかな?」

「ええどうぞお好きに。僕ではない人のお話ですので」

 

「うむ。ルクレス・ナティシアは帝国戦士の一人だ。かつて勇者とされた男の右腕としてフォローに徹し、ルナちゃんと同じく戦うための力を備え、数十年前に起きた災害事件の時に率先して市民を守り活躍した人……まあ、今はどこに住んでいるのか分からないがな」

「数十年前というと……」

「ルクレス・ナティシアは私と同じくらいの年齢だ。だからあなたとは関係ないか、それか年齢を偽る何かの魔術でも使われたのかと」

「ハハハっ。そんな魔法があったら世の女性たちが黙っていませんよ」

「そうだろうね。いやしかし似ている」

「他人の空似でしょう。それよりも商談の方を」

「あ、ああ」

 

 

 にっこりと笑ってルクレスさんが促す。村長はおそらくルクレスさんの反応を見たかったんだろう。ずっと顔を窺い、考え込んでいた。

 

 

「売っていただけるのはある程度の食材と香辛料。それと衣類だったな」

「ええ。アルメリア」

「は、はい」

 

 

 ソファの後ろに置いておいた大きな鞄を引っ張って何とか机の横に置き、その上に食材と香辛料、そして衣類を置いていく。

 それらすべてはホームの二階にあったものであり、交渉材料として使えるものを持ってきたつもりだ。それらを品定めするために食材と香辛料を見ているレオンと村長をじっと眺める。

 

 

「ふむ。なかなかの代物だ。……それでは、君はどの程度の金を要求する? ルクレス氏」

「はい。1銀貨と7銅貨で売らせていただきたいと思います」

「……え? ま、待ってください! い、1銀貨7銅貨!? そんな安く売って大丈夫なんですか!?」

 

 

 驚愕したレオンが衝動のままにソファから立ち上がる。それに「座ってください」とルクレスさんが言い、何とか冷静さを取り戻したレオンが息を呑む。

 

 まあ確かに食材だけの量で3日分はあるからなぁ。

 香辛料は数種類のハーブと、薬草を混ぜたものばかり。一応ホームで量産可能にするためにいろいろと調整しているところだけれど……。

 この世界において香辛料は都市での贅沢品。それに加えて食料と衣類だ。都市で買うとしたら一般の平民でも買うことのできる値段ではあるだろうが、村の移動費も兼ねるとすると通常よりかなり金がかかるはず。

 それを通常よりも安く売る。都市で売られている程度の値段で売っておく。それにルクレスさんは小さく笑みを浮かべていた。

 

 あれ絶対内心で計画通り! とか思ってんだろうなぁ。

 最近ルクレスさんの思考が読めるようになった気がする。身内には甘いけど他は腹黒で利用価値があるか程度にしか見てないところとか……。

 

 

「な、何でこんなに安いんですか!? ふ、普通だったらたしか……」

「ええ、通常なら5銀貨7銅貨……いえ、6銀貨の価値がありますからね。ですが僕たちは手間賃などは必要ありません。また欲しければちゃんと売らせていただきますよ」

「それは……値上がりなどもせずにかね?」

「ええ、もちろん」

 

 

 ルクレスさんはこの先を見通しているのだろう。

 まだ食べ物の畑は稼働してないし、香辛料も量産できていない。

 でも彼らと交渉できるきっかけがあれば良い。

 

 

「……ふむ。それはそちらのメリットがないように思われるが?」

 

「いえ、それと引き換えに僕たちの方からこの村に依頼をしようと思いましてね」

「ほう? それは一体なんだね?」

「それは―――――――」

 

 

「た、大変だぁぁ!!」

 

「むっ?」

 

 

 ようやく本題に入れると思ったのに、急に聞こえてきた警告のような鐘の音と大騒ぎする人の声。

 レオンさんがすぐさま立ち上がって窓を開けて大騒ぎしている男達を見下ろした。

 

 

「おい、どうしたんだ! 何かあったのか!?」

「ああレオン! それが……おばちゃんが急に帰ってきて……お、お前の妹が!」

「は?」

 

 

 何か問題でも起きたのか?

 まさか、宝玉を利用している連中の仕業か……!?

 

 

「落ち着いてアルメリア。今は傍観しよう」

「っ……はい」

 

 

 無意識ながらにソファから立ち上がって

 そうだ。とにかく落ち着け。

 村にあの不気味な五芒星が描かれてるわけじゃないんだ。

 とにかく、様子を見ないと……。

 

 

 

 

 森の中はとても静かで不気味。

 こういう時に歌を歌ってる妖精がいたらいいのにって私は思うけど……まあ、妖精なんて肉にもなりはしないものがいるより、目の前にでっぷりと脂肪のある猪がいたらいい。

 私の兄さんに美味しく作ってもらって、いっぱいお肉が食べたい。でも肉を狩るのは面倒。

 

 

「あーもーかったるいなー」

「そう言わないのルナちゃん。お肉が食べたいんでしょう?」

「もちろんだよおばさん! お肉は私の栄養源にして回復ポーション!」

「ならさっさと狩って、レオン君に美味しく調理してもらおうじゃないの」

「はーい」

 

 

 お肉の為ならいくらでも頑張れる。肉を食べれるなら何でもしよう。

 拳を握りしめてやる気を出して前へ歩く。草むらが邪魔だし所々に虫がいて肌を刺してきてチクチクするし嫌だけど、でもお肉の為なら何でも――――――。

 

 

「あっおばさんストップ」

「なんだい? ……ああ、あれ」

「うん」

「流石ルナちゃんだね。私には見つけられなかったよ」

「えへへー」

 

 

 照れて頬をかきながらも、木の陰に隠れておばさんと一緒に様子を窺う。

 見つけたのは一匹のオークだった。どこかで狩ったのだろうか。大きな猪を肩に担いでノシノシと歩く巨体。豚の顔と男の身体をした気持ち悪いモンスター。

 あのモンスターって確か種族上、頭悪くなかったっけ? お肉もその場でむしゃむしゃ食べるような奴だったよね。何で持って帰ってるんだろう。今はお腹いっぱいなのかな?

 

 あーでも豚の顔だけ見ても美味しそうに見える。豚の顔をしているなら身体も豚で良かったのに。

 そういえばモンスターって美味しいのかな……。

 

 

「どうする? 今日はもう止めとくかい?」

「ううん。あいつ猪担いでるよ……あれ奪っちゃおう」

「モンスター相手の戦闘は私やったことないよ」

「大丈夫。私ならできるよ!」

 

 

 一気に身体を前へ出して、一歩を強く踏み出す。

 

 

「あっちょっとルナちゃん!?」

 

 

 おばさんの声が背中から聞こえたけれど、そんなの気にせずに前へ躍り出る。

 

 

 

素早さ特化(スピードアップ)身体能力向上(フィジカルアップ)。超特攻スキル発動!!」

 

 

 戦っているうちに身についた力のいくつかが消費される。身体が微かにオレンジ色に光り輝き、そして一気に軽くなる。

 オークは素早い私の動きを感知できずに背中を向けていた。

 その背に向けて勢いのままに強く飛び蹴りを食らわす。

 

 

 

「グォォォッ!?」

 

 

 

 流石はオークと言ったところだろうか。身体がふらふらになっているけれど、ゴブリンなら胴体が半分に分かれてる程度の力でぶっ飛ばしたのに無傷っぽい。中の骨は折れてるかもだけど。

 やっちゃった反省も兼ねて私は小さくため息をついた。

 

 

「あちゃー。もうちょっと首部分を狙うべきだったかな」

「ゥォォッ!」

 

 

「あっ、逃げんな!」

 

 

 

 私が直線距離を走るとすぐに木を利用して逃げていく。

 力の差をあの一撃で思い知ったのか、殺されたくないと猪を担いで逃げる。

 猪は置いていってもいいのに!!

 

 うぐぐっ。森に隠れながら逃げているのか、すぐに姿を見失う。ガサガサと音がするのにどこなのか分からない。

 でも近くにいるはず! 周りを探せば見つかるかも!

 

 

 

「待ちなルナちゃん!」

「ごめんおばさん、私あいつ追いかけるから!!」

「だから待ちな! もうオークの姿はないだろう。今から行っても森の中で迷子になるだけだよ!」

「で、でもお肉が……」

「いくなら私も行くよ! 私なら迷子にならずに追いかけられる。この森に詳しいのは私だからね!」

「お、おばさん!」

 

 

 目をキラキラと輝かせておばさんに抱きついた。

 

 

「いいかい。私がいなかったらアンタは逃げているオークを追いかけてたんだろ。姿が見失っても懸命に。でもそれじゃあ駄目だ。森はおっかないからね。それにルナちゃんが強いとはいえモンスターだ。用心しておくようにしなよ」

「うん! ……でも、どうやって探すの?」

「足跡ならあるだろう? それで追いかけるよ!」

「なるほど!」

「ほら行くよ!」

「うん!」

 

 

 おばさんがオークの足跡を調べて追いかける。それに私もついていく。

 急かしたい気持ちもあったけれど、おばさんに我儘を言ってついて来てもらってるのは私だから我慢する。

 ああでもなぁ。あの猪のお肉がなくなってたら嫌だなぁ。

 

 

「いたよ」

「え!? どこにお肉が……!」

「ほらあそこ!」

 

 

 

 見つけたのは少しだけ離れた場所だがオークが慌てながらも洞穴に入って行こうとする姿。

 今からなら追いかけられる。お肉をゲットできるだろう……けれど……。

 戦った時に身に着けた勘かな。一歩を踏み出す力がない。

 さっきまでは大丈夫だったのに何で……。

 

 

「どうしたんだいルナちゃん。いつもならお肉ぅぅぅ! って叫びながら追いかけるだろう?」

「う、うん……そうなんだけど……」

 

 

 なんだろう。

 何かがおかしいような気がする。

 

 

「ねえおばさん。あの洞穴って村から近いよね。つまり村を襲ってくる可能性高いよね?」

「ああそうだね。私たちに被害が及ぶ可能性がある」

「なら倒した方が良いよね」

 

 

 猪の肉は後回しだ。

 お兄ちゃんならどんな状態のお肉でも美味しく調理してくれると信じてるから大丈夫。

 

 中に入ってみよう。なんか嫌な予感がする。

 

 

 

 

 

 

 



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18話 ダンジョン遭遇戦 序章

 

 

 

 

 

「ルナちゃん、本当に行くつもりかい?」

 

 おばさんは凄く心配そうな表情を浮かべていた。そりゃあそうだろう。いくら狩人と言ってもモンスターを狩る冒険者と比べてはいけない。攻撃力も耐性スキルも何もかもが普通の動物とは違うモンスターは、一度敵対してしまえば高い確率で人間が負ける。

 冒険者だって死亡率8割を超える大変な仕事なんだ。耐性に物理が入っていれば魔法しか使うことが出来ず、また特定の攻撃しか通さないモンスターもある。

 だから、モンスターを狩る力があるかどうかを査定するために、冒険者にもランクがある。

 私は強い方だ。だから大丈夫。

 

 

「ルナちゃん、オークは女子供を特に襲うモンスターだよ。危ないなら村に帰って冒険者に依頼した方がいいんじゃないかい?」

「大丈夫だよおばさん! それに依頼するのにもお金ってかかるものだし、村に近いから襲われる可能性も高いし。私、都市にいた時は冒険者の手伝いもやったことあるから大丈夫だよ!」

「でもオークだよ?」

「大丈夫だよ! むしろ食ってやる!」

「……あははっ。ルナちゃんらしいねぇ」

 

 

 うん、あのオークを見てるとお腹が空いてくる。

 豚の顔だけでも兄さんに渡して美味くしてもらおう。

 

 おばさんが苦笑しているけれど、安心したって顔だ。だから大丈夫。

 

「ねえおばさん、村に戻ってて。猪の肉を奪って、ついでにオークの肉もたくさん持ってくるから」

「ハハハっ。オークはいらないよ……それに戻るつもりもないさ」

「え?」

 

 

 ずっと正面を見て警戒していたが、おばさんの言葉に思わず振り返った。

 おばさんは背中につけた弓矢を手に、ただ静かに覚悟を決めた目で頷いている。

 

 

「ルナちゃんが強いのは分かるよ。でもね、一人で行かせるわけにはいかない。ルナちゃんが村へ無事に戻ってこれるか心配でもあるしねぇ」

「おばさん……でも、あの巣に行ったらおばさんが危険な目に遭うかもしれないよ?」

「私なら大丈夫だよ。熊に襲われたこともあったし、モンスターに遭遇したこともあったけど、狩人としての経験を活かして生き延びたんだ」

「……分かった。でも何かあったらすぐ逃げてね」

「もちろんさ」

 

 

 私はただひたすら警戒しながらいつもの感覚で洞穴へ忍び寄り、おばさんが私の後ろを歩いていく。

 あのオークはどうやら洞穴の奥へ進んだらしい。でもなんか違和感がある。

 洞穴近くの出口の壁を触って。そして内部の壁も触って確かめる。砕いた小石を小さく舐めて吐き出して……。やっぱり違う。空気だけじゃなくて、中にちょっとだけ入って分かってしまった。

 

 これって洞穴って言うより―――――――。

 

 

 

「……ここはダンジョン、かな」

「なっ……ちょ、ちょっと待っておくれルナちゃん」

 

 

 私の独り言を聞いたおばさんが恐ろしいものを見たような表情で言う。

 

 

「ダンジョンって、あのモンスターが生み出されていく呪いの場所かい!? まさか、村の近くに住んでるけどこんな場所見たことが……」

「うん。でもね。私ね、結構いろんな修羅場を潜り抜けてきたから分かるんだ。普通の洞穴とは違って、この場所は魔力で満たされてる」

「……だから、ダンジョンだって言うのかい?」

「うん。でも普通なら有り得ないんだ……こんな場所にダンジョンが出来るだなんて……」

 

 

 

 そう、普通は有り得ない。

 帝国の都市で、ちょっとした冒険者の荷物運びの手伝いでダンジョンと洞窟を通ったことがあるけど、はっきりとした違いがあったんだもん。

 だから分かるんだ。この場所はダンジョンだって。

 

 洞穴に魔力が豊富に満たされている。それはすなわちモンスターにとって住み心地のいい場所を作り上げているということ。通常の洞穴ならばこんなことにならない。

 自然発生するならば、この洞穴で大量の死がなければ……死肉と血と魂で魔力が洞穴に染み込み、豊潤で気味の悪い魔力が発生しなければいけないはず。

 一応人の手で魔力が込められた洞穴を作ることは出来るって知り合いの魔法使いに聞いたことがあるけれど、人の手で作られたダンジョンはモンスターの血肉の臭いなんてしないって言ってた。だから、清潔なハーブのような香りがするって言ってたんだ。

 それなのにこの洞穴は血肉の腐った臭いがする。でも、何か肉を焼いているような臭いもする。

 

 

「ダンジョンなら冒険者を呼んだ方が良い。帰るよルナちゃん」

 

 

 その言葉に、素直に頷けない自分がいた。

 おばさんはこの洞穴の異常さに気づいて早く帰った方が良いって思ってるんだろうけど、私はこのままでいていいとは思えない。

 

 

 

「……でも」

「でもじゃないよ! ルナちゃんが死んじゃったらレオン君が悲しむだろう! こんなところで無駄死にしなくても良いんだ!」

 

 

 

 おばさんが心配して私の腕を引っ張っている。

 でもこのままにしていたら、多分いつか村の人間を襲ってくる時期が来るだろう。だって、モンスターにとって人間の肉って美味しいっていう噂があるみたいだもん。美味しいお肉なら食べたいけれど、私は人間の肉は食べたくない。

 でもモンスターがお肉を食べたい気持ちを我慢できないって言うのは分かる。

 ……だから、このままにしてはおけない。

 

 

「本当にごめんおばさん! 私やっぱり――――――――っ!」

 

 

 不意だった。

 ただ、足元を洞窟の方へ一歩踏み出しただけなんだ。

 

 

「ルナちゃん!!?」

 

 

 

 足もとの地面が急に崩れて一気に落下する。

 洞穴の出入り口近くの地面が落とし穴のようになっていたみたいで、空中で体勢を整えながらも地面への衝撃に耐えて上を見上げた。

 

 

 

「大丈夫かいルナちゃん! 今すぐそっちにいくからね!!」

「ううん大丈夫だよおばさん! こっちに来なくても大丈夫だから……できれば村の人呼びに行ってよ! 私はここにいるからさ!」

「だ、大丈夫なのかい?」

「だいじょーぶだって! 中位モンスターを倒した私なら全然平気だよ!」

「そうかい……なら、すぐに帰って来るからね!! 待ってるんだよ!」

 

 

 そう言ってすぐさま駆けていくような足音が聞こえて一息つく。

 とりあえずおばさんについてはまあ何とかなるだろう。村からここまでの距離はたぶん離れているから数時間はかかるはず……なら、その間に出口に行った方が良いかもしれないけれど……。

 

 

「登ってもいいかな……っと!?」

 

 

 

 反射的に背後に振り返って見ると、そこにいたのはリザードマン。

 オークではなくリザードマンがいるということは、このダンジョンに数種類のモンスターがいるということ。

 

 でもこのリザードマンの色がおかしい。

 通常のリザードマンは緑色をしているはず……だというのに、この目の前にいるモンスターは深い青色。

 それに剣のような武器を持っている。あれは相当の魔力が込められてるかな。

 なんとなく、中位クラスのモンスターに似た脅威を感じた。

 

 もしかしたらここのダンジョンって、かなりヤバいんじゃ……。

 

 

「人間か。何故ここにイル?」

「…………は?」

 

 

 聞こえてきた声に呆然とした。

 というよりも、有り得ない言葉に背筋がぞっとした。

 

 モンスターが喋った。それはすなわち高位モンスターの可能性がある。中位に比べてより戦闘能力が高く、人間と同等の知恵も持っているためにずる賢い力を持つ。

 本能でゾッとする。死ぬ。こいつと一緒に居たら死ぬ……!

 やばいやばいやばいやばいやばいやばいっ!!

 ここはやばい。こいつが戦いを挑んで来たらヤバい!!

 

 私がリザードマンのお肉にされちゃう!!!

 

 

 

「っ!? おイ待テ!!」

 

 

 

 素早さ特化(スピードアップ)を存分に発揮して逃げる。洞穴の道を利用して逃げていく。

 喋るリザードマンなんて始めて見た。それにあの武器もヤバい。

 あいつは相手にしちゃいけない。本能で分かる。このダンジョンはヤバいって分かる……!!

 

 

 

「おばさん……来ちゃ駄目……兄さん……!!」

 

 

 

 早く逃げて伝えないと。

 おばさんが村の人を連れて来る前に、伝えないと!!

 

 

 

 

 

 



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19話 ダンジョン遭遇戦 前編

 

 

 

 恐怖心からつい通路となっている方向へ逃げてしまったけど、それは失敗だったって後から気づいて舌打ちした。これじゃあ兄さんが私のことを詰めが甘いっていうのもよく分かっちゃうよ。

 さっき落ちてきた穴は普通の人間が体勢を整えずにそのまま落ちたら確実に怪我をするレベルの深さだった。たぶんここは地下一階のフロア。

 ダンジョンだと地上へ出るための手っ取り早い出口はリザードマンと遭遇したあそこしかない。それか遠回りになるけれど、ひたすら出口を求めて歩くしかないだろう。

 

 

「うぅ……早く帰らなきゃだけど……戻りたくないんだよなぁ」

 

 

 あの異様なリザードマンとはなるべく戦闘は避けたいって思った。そりゃあリザードマンって都市でしか見たことのない高級な鰐料理となんか似てるから食べれるなら食べたいレベルのお肉だったとは思うよ。

 通常のリザードマンだったら持って帰って兄さんに調理してもらおうと考えてたよ。

 まあ、モンスターって食べれるのか分からないし、冒険者の手伝いをしてたときなんかにモンスターの死体を血抜きしようとしてたら食べるなってみんなから怒られたぐらいだし……。

 

 

 火か何かがないとはっきりと見ることができない暗闇の通路。

 闇に慣れた目で見えるのはぼんやりとした通路のみ。さっきまで走ってたけれど何度も地面に足をとられて転びかけたことあったぐらいだ。壁沿いに進んでいるけれど、このままじゃ私は二度と外へ出られなくなってしまう。

 

 

「あぅぅー……兄さん絶対心配してるよね。私のレオン兄さん……」

 

 

 

 お腹すいた。早く帰って兄さんの料理をいっぱい食べたい。

 現実逃避だとは分かってるけれど、モンスターが怖いって思うのは初遭遇以来だからなぁ。

 

 

 ―――――――あれ、待って。

 初遭遇の時って私どうしたんだっけ?

 

 

 私がまだ戦う力があると分かってなかったあの時。帝都へ向かう途中で冒険者たちに護衛されていたというのにモンスターに遭遇したあの日。

 初めて拳を握りしめて兄さんを助けた時の感覚は恐怖心だった。でも、その後私の力で助けられるって分かって強くなることを決めたんだ。

 

 

「……そうだよ。これは私だけの問題じゃないんだ」

 

 

 あの高位モンスターであろう青色のリザードマン。あいつがどんな攻撃をするのか知らない。

 それは最初に戦った時だってそうだった。あの時戦ったモンスターと同じだ。

 あいつを倒さないと、兄さんを危険に晒す。村から出たくない兄さんが、殺されてしまうかもしれない。

 それは嫌。絶対に嫌。

 

 

「戦わないと……戻らないと……」

 

 

 ゆっくりと振り返って、先程歩いた道を辿っていく。

 暗闇でモンスターに襲われても対処できるように、警戒心は高めて。周囲の空気を感知しながら、一気に進んでいく。

 

 

 

「……あれ」

 

 

 ふと思う。小さい考えが思い浮かぶ。

 そういえば、ダンジョンってある意味モンスターの住処だよね?

 なんで私ここまで音を立てるほどに走って、その後はゆっくりと歩いてただけなのにどうして何も会わないんだろう。

 

 まるで私を観察しているかのようにすごく静かだ。私の息遣いが聞こえるほどに、暗闇の中は生き物がいないと錯覚するほど誰も……だれも?

 

 

「っ……身体能力向上(フィジカルアップ)拳攻撃能力向上(ナックルアップ)。はぁぁっ!!!」

 

 

 

 オレンジの光が淡く周囲を照らす。拳に力を込めて、大きく地面を抉るように殴った。

 地面がぐらぐらと揺れて、天井から砂埃が舞うほどの轟音。一瞬落盤でも起きてしまうかなと心配になったけれど、そういう嫌な予感は働かなかったから大丈夫だと分かった。

 拳に力を込めて、周囲に衝撃が来るほどの攻撃を与える。私の力で円形のへこみが出来て、周囲に風が発生する。

 

 

 

「ギィィッ!!」

「ウグッ……」

 

 

 

 その瞬間に聞こえてくるのはモンスターの悲鳴。

 鳴き声は蝙蝠かな。それとあと、人間っぽい悲鳴も聞こえた。でも明らかに人間じゃない。

 

 たぶん力を抑えていたのだろう。私の周囲を吹き飛ばすような衝撃に耐えきれず、人間のような悲鳴を上げたモンスターの一匹の身体が青白く燃え広がり、明るく照らされて周りをよく見れるようになったのだから。

 

 

「ウィスプ……と、シャドーバット?」

 

 

 炎の身体をしているモンスターのウィスプの対処は水があればできるもの。でも私は今水を持っていないから、攻撃に当たらないように気を付けてればいい。それか火が消えるほどの何かを与えれば倒せるはず。それなら私に考えがあるから出来る。

 

 ただ微妙だったのは真っ黒の身体に赤と青の線のような色がある蝙蝠。シャドーバットはブラックバットの進化形……だったはず。この洞穴ダンジョンに蝙蝠系のモンスターがいるのは分かるけれど、ブラックバットではなくシャドーバットなのはなぜ?

 ブラックバットはウィスプと同じく下位モンスター。それと同等だけれどシャドーバットは明らかに少しだけ違う。下位モンスターだけれど進化をする際、確か吸血鬼に血の力を与えられて育ったモンスターだって聞いたことある。シャドーバットがいる場所は、必ず吸血鬼がいるんだって。

 

 まさか、吸血鬼もこの場所にいるの?

 

 

 

「いや、今はそんなこと言ってる場合じゃない……逃げる……ううん、倒さなきゃ」

 

 

「ま、待テ! お前を殺ソウと思って見張ってたワケジゃない! たダ無事に帰れルか見てたダケなンだ!」

「ギギィ!」

 

 

 

「ウィスプも喋れるの!? くっ……モンスターの言うことなんて信じないんだから!」

 

 

 

 ウィスプは下位モンスターのはず。亜種なんだろうか。それともそう偽ってる高位モンスター?

 でもそれでも構わない。倒さないと村へ安心して帰れない。

 洞穴の出入り口を埋めてしまわないと。モンスターたちが外へ出ないようにしてしまわないと。

 

 

 

拳攻撃能力向上(ナックルアップ)。おらぁ!」

 

 

 

 まずシャドーバットへ力いっぱい拳を握って殴り掛かる。すぐさま避けられたけれど、それでも構わない。一番の目的はその後ろの壁。

 一気に殴り掛かったことによって壁は抉れ、その破片が爆散し周囲へ槍のように吹き飛んでいく。

 それに一番のダメージを負うのはウィスプのはず。シャドーバットも全ての破片を避けきれずに当たって、ダメージを受けているように見えるけれど、まだ元気なようだ。

 ウィスプも火が少し弱まってしまったけれどまだやれるみたいだね。ああもう。シャドーバットの肉をウィスプの炎で炙って食べてやろうかこの野郎!!

 

 

 

「ギィっ!? ギギギギッ!!!」

「ぐぅゥっ――――逃げヨウ!!」

 

 

 

「逃がすか! 絶対にぶっ殺してやるんだから!」

 

 

 

 そうすれば兄さんに手を出されずに済む。兄さんがモンスターの脅威から怯えなくて済む。

 兄さんのためにも、私はどんな力を手に入れようとも殺す。殺してやる。

 

 もう一度拳を握りしめて、奴等へ向かって殴り掛かる。

 モンスターたちの後ろ――――――その壁へ向けて。

 

 

 

 

「おッと、そこまでダ」

 

 

「なっ……!?」

 

 

 

 

 私の腕を掴んだモンスターに驚愕し、絶句した。

 身体中の鳥肌が立つ。有り得ない異様な状況に背筋がまたゾッとする。

 恐怖で気絶出来たらよかったのに。冒険者の友達がここにいたら私の恐怖感を共感し、冷静に対処することができたのに。

 

 ねえちょっと待って。待って待って待って!

 このダンジョンの地下一階のフロアで会ったのはリザードマンとウィスプとシャドーバット。

 ダンジョンにはモンスターたちの縄張りがあるから協力体制をとっていたとしても一つのフロアに最低3体のモンスターがいるはず。たまに5体以上のモンスターがいて縄張り争いをして共倒れしていることもあるけれど、こいつらはそうじゃない。

 

 

 

 

「ご、ゴーレムがいるだなんて……なんで……」

 

 

 

 

 大きな岩の集合体。魔法の力が零れだしているのか、黄緑色の光を繋がれた岩の間から放ちながらもしっかりとした体格を維持し、目の部分から緑色の光を輝かせる。

 魔法によって作られた自動人形。でもたまに岩に魔力がこもって命が宿ったモンスターへ変貌するとされるゴーレム。

 そいつの対処方法は魔法でしか通らない。私は魔法の力を持ってない。打撃系スキルしか持ってない。つまり対処方法がない。

 ゴールド級の冒険者がそれぞれのモンスターのチームを組んで倒さないといけないほどの難易度だ。

 

 でも、このゴーレムはただのゴーレムなんかじゃない。

 なんでなの。何で当たり前のように中位のモンスターがいるの。何でこいつも人間の言葉を喋ることができるの!?

 

 有り得ないことの連続で頭が現実を拒否しようとしている。

 絶望が私の身体に押し寄せる。

 

 

 

「おおっと、コノ俺様の魅力的な身体(ボディー)に見惚れているナ、人間!」

「は?」

 

 

 

 だが、私の腕を離したゴーレムがその大きな指を顎らしき部分に乗せてキランと目を輝かせたように見えた。

 

 

 

「このがっしりとしタ体格。疲労なんてなイ最高の力。魔法以外の攻撃を許さない魅力的な身体(ボディー)! 病弱だったあの頃よりも輝いているだろう。お嬢ちゃんもそう思うんだろうハーッハッハッハッッ!!!」

 

 

「グローリーさん……」

「ギィ……」

 

 

 

 ゴーレムがよくわからないことを言って、筋肉ムキムキの友達がよく身体を強調させるポーズをとっているかのような恰好を何度も決めながら笑って私を惑わそうとする。

 そして何故か、ウィスプとシャドーバットがまたかと言ったように項垂れた雰囲気に包まれる。

 というかまるで人間がやってるような感じで……いいえ、私を陥れるための罠なんでしょう。

 

 

 数歩奴等から距離をとって考える。ウィスプとシャドーバットだけなら私は倒すことができただろう。

 でもゴーレムは私に倒せない。魔法使いじゃないとできない。

 

 でも、このまま逃げることも不可能だと思う。ここはダンジョン。モンスターのホーム。

 なら私は覚悟を決めて戦わないといけない!!

 

 私ならやれる。出来る……!

 あいつら全員を殺して、ここから出てやるんだ!!

 

 

 

 

 



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20話 ダンジョン遭遇戦 後編



 像と蟻。どちらが怖いのかは分からないモノだ。

 単体で見るとするならば像の方が圧倒的に恐怖を感じるであろう。

 だがしかし、集団で攻撃をし始める蟻はどうだろうか?

 人間のように頭が良かったら?
 どのように攻撃すればいいのかを理解していたら?

 それが集団で襲い掛かってきたならば――――――どちらが怖いのかは言うまでもないだろう。





 

 

 

 

 

 

 ゴーレムの巨体は私やウィスプ、シャドーバットに比べるとはるかに差がある。

 シャドーバットが手のひらサイズの蝙蝠で、ウィスプが私より小さな子供の形をした炎の塊。そして私は天井をジャンプしても手が届かないほど広い空間の中にいる。

 だというのにゴーレムが来た瞬間から広い空間が狭く感じてしまうほど、奴の巨体は天井スレスレだった。

 

 大きな岩をくっつけてできたようなモンスター。それの攻略方法は爆弾にも似た炎系の魔法か、瞬時に凍らせる氷か水の魔法を使った方が有効だった……って言ってたっけ。私の友達の魔法使いはモンスター攻略オタクだから、いろいろと知ってたのはありがたい。でもどうせなら魔法の使い方でも教えてくれたらよかったのに。いや、魔法は才能がなければ無理な分野かな。料理人の兄さんと同じで魔法が得意という人は限られてるし。

 ああ、自分の力に酔いしれてないでもっともっと強くなるために修行すれば良かった。もっともっと強くなればよかった。

 

 

「……素早さ特化(スピードアップ)身体能力向上(フィジカルアップ)拳攻撃能力向上(ナックルアップ)超攻撃特化(アタックアップ)

 

 

 身体中の血液が熱くなるほどのスキルを積み重ねて発動させていく。

 オレンジの輝きが身体中を走り、時に痛みとなって副作用が出るがそれを気にせずにもっとスキルを積み重ねる。

 通常のウィスプとシャドーバットなら一撃で倒せる程度には力を込めている。だがそれでもゴーレムを倒せるような気はしない。

 

 

「ぬゥ。俺様と戦う気カ、小娘」

 

 

 私がスキルを発動している目の前でニヤニヤと笑っているような気配を漂わせながら待っている。それに凄くムカついた。強者の余裕というのかな。私にとって強さとは生きるための力。兄さんを守り抜くために必要なもの。

 強くなった分だけ兄さんを守れる気がしていた。最近ではお肉の為に頑張ってたこともあったけどさ。

 でも、だからこそムカつく。モンスターごときに気を遣われて、スキル向上を許したこのゴーレムに苛立ちがある。

 

 生き抜くための余裕なんていらない。

 戦うために気を遣うことなんて相手を侮辱する行為だ。私の冒険者の友達だったら絶対にこの行為を許さずボコボコにしてただろう。

 

 

「ぶっ潰す」

 

 

 だから、物理系に効かないゴーレムであろうとも、戦ってやる。私が初めて魔法を使わなくてもゴーレムに勝てた戦士になってやる。

 身体中の力を抜き、血液のように巡っているスキルの力を身体の一部分へ込めた。両手をだらけさせ、地面へ顔を伏せる。でも眼だけはただひたすらゴーレムを見つめていた。

 その後ろにいるウィスプやシャドーバットも敵として、警戒を続けていた。

 

 

 

「戦闘攻撃スキル発動」

 

 

 音速とはいかないが、ゴーレムと一気に距離を詰めてその腹へ一撃を食らわせる。

 余裕そうな雰囲気を漂わせていたゴーレムが一瞬だけ宙へ浮いた。

 だが固いし重い。拳から血が噴き出してしまうぐらい痛い。拳で戦った故のカウンターだろう。剣でゴーレムに挑んだ馬鹿が剣を折られて挙句の果てに攻撃した時の振動で腕が痺れたという話を聞いたことがあったんだから。

 私はその馬鹿以上になる。もっともっと、もっとだ。更に上へ!!!

 

 

 

「ぬゥッッ!?」

 

 

超攻撃特化(アタックアップ)超攻撃特化(アタックアップ)!!」

 

 

 

 何度も拳を振るっているうちに拳の痛みは感じなくなった。青黒く染まってきているから打撲にも似た症状が出ているんだろう。指は動くからまだ骨はイカれてない。

 もっと強く力を込めて、もっと攻撃をしていかないと。

 

 

「おおぅ、小娘貴様モシや冒険者かッ!」

 

「うぇ……グローリーさンソれヤバいンじゃ……」

「下がってろ火玉! 俺様に任せロ!! ハハハハハッ冒険者と戦っタことハナイが、レべリングを済ませタこの俺様の力はどノクらいか試さセロ!!」

 

「あー駄目ダコりゃ……」

「ギギッ……」

 

 

 腹を殴られている最中だっていうのに、仲間内で話すだなんて本当にむかつく!!

 私が絶対にぶっ殺す。私をただの試しの道具として扱わせない。私だって強いんだ。強くなってきたんだ。兄さんの為に、冒険者になれると誘われても蹴って、村で生きてきたんだ。

 絶対に許さない。こいつら絶対に村へ行かせない。

 

 

「潰す。潰してやる!! 殺してやる!!」

 

 

 瞬間強化を行う。何度も何度も戦闘能力向上を狙って、拳を振るいながらもぶつぶつとスキルを上げていく。

 

 通常状態で行うスキル共感お限界を何度も何度も繰り返すのは寿命を短くする行為だ。でもいい。兄さんの為なら私はなんだってやる。それにこいつを潰せるならなんだってやる。

 

 たぶんこの戦いが終わったらしばらくの間は副作用で立てる気力すらなくなるだろう。でもそれでもいい。こいつらをぶっ殺して、村を脅威に感じてもらって……そして、兄さんに美味しい料理を作ってもらうんだから!!

 

 

「ぐゥ……ヌっ……」

 

 

 何度も腹に一点集中の攻撃を食らっていたからか、徐々にダメージが与えられていったのだろうか。

 ゴーレムが猫背のように身体が九の字に折れていく。私の攻撃への勢いが増して、私の足が衝撃で徐々に後ろへ下がる。

 それと同時に、ゴーレムも私の勢いに押されて片足を後ろへ下げていく。

 

 

「うアチッ!?」

「うわっ、スイマセン!!」

 

 

 ゴーレムに悲鳴が入った瞬間だった。

 それか後ろのモンスターたちに当たった瞬間。

 

 ―――――ああそうだって、気付いたんだ。

 私が出来る最大攻撃の隙は、今しかない。()()()()()()()()()()()、仕留めるしかない。

 

 

「粉々に砕けろゴーレム野郎!! 振動拳(テマーナックル)!」

 

 

「グゥゥッ!?」

 

 

 スキル全てを拳にぶち込んだ攻撃を食らわせる。

 私にとっての必殺技。物理特化を極めた私が出来る最大攻撃。

 

 一気に後ろへ下がったゴーレムが、あいつ―――――ウィスプにあたって背中が燃える。

 当たったということはすなわち、ウィスプの魔法にも似た炎に当たって攻撃が入ったということ。その瞬間、ゴーレムの身体である岩の背中から横っ腹にヒビが入ったのを私は確かに見た。攻撃を受けた瞬間のダメージ判定だ。

 これならいける。これならやれる!!

 

 

「砕け散れ!! 死ね!!」

 

 

「ウォォオォォォッ!!!!??」

 

 

 

 限界だった私の拳にもう一度叱咤を振るいながらも最大の攻撃をひびが入った個所へ向けて食らわせた。

 力強い一撃が決め手となったのだろう。

 ゴーレムの身体となっていた岩の、くっついていた部分が剥がれ落ちて崩れていく。

 ただの岩山と化していく。

 

 

「グローリーさンッ!?」

「ギギッ!?」

 

 

 ウィスプとシャドーバットが岩山に近づいて嘆きながらも叫んでいるのが聞こえた。

 でもこいつらなら私の一撃で倒せるから大丈夫。ああそうだ。今の私はゴーレムに勝ったんだから、強いとダンジョン内にいるモンスターたちに認められたはず。

 勝ったんだ。私はあのゴーレム野郎に勝った。軟弱だと思われていた奴に対して、私は戦った。

 物理不可だと思われていたモンスターに対して、私は勝つことが出来たんだ。

 

 

「ハハッ……はっ……」

 

 

 思わず込み上げた笑い声が、カタカタと聞こえた不気味な音によってかき消される。

 

 あれ、待って。

 なんでゴーレムの身体だった残骸の岩が動いてるの?

 

 ウィスプ達が何かを察したのか岩山から後ろへ下がっていく。

 岩がぐらぐらと動いて、黄緑色の閃光を発しながら宙へ浮いてくっついていく。

 

 

「……物理不可。魔法でしか対処できないって……ああ、こういうことだったんだ」

 

 

 私が戦ったことのある中位モンスターは全て物理攻撃が可能な奴等だった。下位モンスターだってそうだ。だから冒険者はチームで行動する。その意味を、私はようやく知った気がする。

 

 先ほども見た巨体が私の目の前に作り出されていく。

 いや違う、崩れ落ちた身体を元に戻したんだ。

 私が頑張って繰り出した攻撃は、こいつには不可能だった。

 やっぱり魔法がないとゴーレムには対処できないんだ。

 

 それはまさしく絶望だった。

 倒せない敵がいるというのは本当に恐ろしい。このまま蹂躙が開始されてもおかしくないほどに怖い。

 倒せない敵がいると言うことは、ほとんど抵抗できないモンスター相手と対峙する場合は死を覚悟しなきゃいけない。

 冒険者にとってそれは常識だ。私はそれを忘れていたんだ。

 

 唯一の抵抗は逃げないといけないこと。

 でもあの怒涛の攻撃で拳が血で濡れ、疲れているというのにダンジョンの中でゴーレムと追いかけっこするだなんて無茶も等しいものだ。

 

 ああ、身体が今になって震えるほどに怖いんだ私は。

 

 ゴーレムの目の部分、その瞳らしき場所から緑色の光が浮かんで私をじっと見つめてきた。

 それにビクッと肩を震わせる。

 

 

「ハーッハッハッハッ!! いやいヤよクヤったゾ小娘! 若いと言うノに強イナお前は!」

 

 

「ッ……ぅぅぅっ!!」

 

 

 このまま兄さんに会えずに死ぬのは嫌だ。死にたくはない。

 逃げないと駄目だ。このまま殺されたら兄さんを悲しませる。二度と兄さんの料理が食べれなくなる。それは嫌だ。私はモンスターの料理になんかなりたくない。このまま意味なく死にたくない!!

 

 

「やってやる……やってやる!!」

 

 

 もう一度だ。もう一度だけ攻撃を与える。そして隙が出来たら逃げる。

 もういい。一度は勝ったから力を示せたって言えるから逃げても良い。

 必要なのは己の命だけ。兄さんの為にも私は生きる。私は私の為に、兄さんに会うために生き延びる。

 

 ――――――――刹那、だった。

 

 

「そんナとコロで何を騒いデルんダ。お前タちハ……」

 

「おお、ランルーク。遅かったデはナイか」

「ランルークさン」

「ギィ」

 

 

「あぁ……!」

 

 

 そうだったって思い知った。

 そうだ。私は何で忘れていたんだろう。

 なんであいつの存在を忘れていたんだろう。

 

 最初に出会ったリザードマンの存在を忘れていただなんて馬鹿だ私は。一番やばいのがゴーレムだなんて誰が決めた。

 今目の前で起きている光景だって明らかに異様だ。モンスターが人間のように会話をして、縄張り争いも何もなくただ普通に協力をしている。友人のように、親しくしている。

 こんなのおかしい。絶対にありえない。

 

 駄目だ。私の手に余る事態だ。肉が欲しいとかお腹が空いたとか言っていられない。

 ああでも、こんなところで死ねない。

 

 身体の体力は限界だけれど、もう少しならいける。

 もうちょっとぐらいなら、無理をしてでもスキルを発動することぐらいならできる。

 

 

素早さ特化(スピードアップ)素早さ特化(スピードアップ)……素早さ特化(スピードアップ)……」

 

 

 モンスターたちに気づかれない範囲で足にスキル効果を集中させる。

 ―――――――逃げなきゃ。ここから生きて帰らなきゃ。

 

 

 

「おっと、今君に逃げられるのはちょっと困るな」

 

 

「ひ――――――――っ!?」

 

 

 

 何か別の声が聞こえた気がした。

 チクリと身体を指すような痛みが首で感じて……そしてようやく気付く。

 黒色の蜘蛛のモンスターが、私の首を噛んだんだ。ひょいっと地面へ降りてゴーレムたちの元へ向かっているのを見て、こいつも仲間なんだって気付く。

 下位モンスターのレッドキラーが、他のモンスターとは違って流暢に話していたありえない事実に気づいてしまう。さっきまで気配を何も感じなかった事態の恐ろしさを理解してしまう。

 

 

「ぐっ……」

 

 

 身体が言うことを聞かない。あれだけ力が込められていたスキルが一気に霧散していく。ぐにゃりと視界が歪んで、身体が地面へと倒れていった。

 ぼんやりとした意識の中、明滅する視界にて私の事なんてもう興味がないというようにゴーレムたちがレッドキラーの蜘蛛を見つけて友好的に接しているのが見えた。

 

 

「あレ、ルクレス?」

「おおルクレス! こんなトコろでドウした!?」

「アルメリアは一緒じゃナいんデすカ?」

「ギギ?」

 

「村で彼女に関しての騒ぎが起きていてね。それでアルメリアの――――――――」

 

 

 

 最後まで聞いていたかったけど限界だった。

 目を瞑って、意識が深い眠りに吸い込まれてしまう。

 

 ああ、私はもう二度と兄さんに会えずに死んじゃうのかな。リザードマン達のお肉にされちゃうのかな。

 兄さん。兄さん。レオン兄さん。

 

 兄さんに、もう一度会いたかった。

 もっともっと話をしたかった。美味しい料理をいっぱい食べたかった。

 

 死にたくないよ、兄さん……。

 

 

 

 深く深く、意識が沈んでいく。

 このまま私はもう二度と、目覚めることはなく死んで――――――――。

 

 

 

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 

「ぇ……?」

 

 

 

 あれ、死んでなかった。

 あれ? 私、モンスターにやられて死んだんじゃなかったの? 何で私生きてるの?

 それにここは何処だろう。目の前にいる赤毛の幼女が心配そうに顔を窺っているのも意味がよく理解できない。

 ここはダンジョンの中じゃないのだろうか。

 周りを見て……ああ、気付いた。

 

 

「ルナッ! 体調は大丈夫か!? 身体に痛みはないか!?」

 

「うぁ……に、に゛いさんっ!」

 

 

 兄さんに会えた。死ぬことなく兄さんに会うことができた。

 それだけでも私は凄く嬉しかった。兄さんが私に抱きついて顔を覗き込んでくる。私と同じ栗色の髪がちょっとだけ乱れてるのも、私を心配して駆けつけてくれたんだって分かってるから、凄く嬉しい。

 生きていて、すごく良かった。

 

 抱きついて涙と嗚咽を漏らす。

 もう二度とあんな目に遭わないように、強く強くならないとって誓う。

 顔を上げて周囲を見ると、そこには村の男達が涙を浮かべて私を見つめてホッとしていた。私が知らない人間では幼女ぐらいしかいない。おばさんだって私を抱きしめて、「よかった!」って言ってくれるぐらいだ。

 もしかして、ダンジョンの中に入ってくれた冒険者は依頼が完了したからって村から出て行っちゃったのかな? でも景色は森の中だ。移動中に目が覚めたから地面に下ろされて抱きしめられた。それだけみたいだけど……。

 

 

 

「ね、ねえ兄さん……ここは何処? ダンジョンは?」

 

「ああそうか。まだ分かってなかったんだよな」

 

 

 どうやらここはダンジョンの出口近くの森の中らしい。冒険者に依頼でも出して攻略してくれたのかな。

 話を聞いているうちにレオン兄さんの話がおかしくなる。私がダンジョンに落ちた時から数時間しか経ってないって話だった。

 それにもうモンスターに襲われることはないって兄さんたちが力説してるのがおかしい。

 

 どういうことなの。ダンジョンに発生したモンスターに襲われないだなんてあり得ないのに何で?

 

 

「に、兄さん。それに皆も……どうしてモンスターに襲われないって思うの?」

 

 

「それはな。このアルメリアちゃんがモンスターを操る力を持っていたからなんだ! ほら、この蜘蛛も力を貸してくれてなっ!」

 

 

 指を指した人物の名前と、その蜘蛛の姿に背筋が凍った。

 

 

「大げさですよレオンさん。私はただ……ルクレスさんの指示に従っただけですよ」

「それでも凄いよ。まだ若いのに……皆さんも、そう思いますよね?」

「ああそうだとも!」

「ルクレスさんがアルメリアちゃんを護衛だって言ってた理由が分かったよ! 幼いのに凄い力だよねぇ!」

「この子なら冒険者になれるさ。ゴールド級も夢じゃない!」

 

 

 

 皆がアルメリアに対して絶賛する。

 彼女の頭を、兄さんが撫でる。

 その様子に、彼女に好意的に思っているその恐ろしい状況に鳥肌が立った。

 

 幼女の肩にいるレッドキラーが私をじっと見つめて、嗤ったように見えた。

 

 

「あっ……ま、待って! 皆騙されてる!! 私が襲われたのはこの子供のせいだよ!! だってモンスターたちが『アルメリア』ってこの名前を出して、喋ってたもん!!」

「何言ってるんだルナ? モンスターが喋るだなんてあり得ないだろ」

「それがあったの!! ウィスプも、ゴーレムも……そこにいるルクレスってレッドキラーも!!」

「ルナ! ルクレスさんは人間だぞ! お前何言ってんだよ!?」

 

 

 急に空気が変わった。

 というよりも、私を信じてないような空気だ。

 何を言ってるんだこいつって言うような感じだ。

 

 それは駄目だよ。私だってこんな話を兄さんから聞かされたら信じ切れないと思うけど、それでも!!

 

 

「兄さん! あのダンジョンはおかしい!! モンスターたちの話を聞いたんだ。アルメリアって子のせいで、私は……!!」

「何を言ってるんですか。最初は近くにいないとモンスターを操るのは無理ですよ。それにルクレスさんの客人の妹であるあなたを襲うだなんて……」

「お前は黙れ! 私は今兄さんたちに話して―――――」

「ルナ! いい加減にしろ!!」

 

 

 急に怒鳴られて肩が震える。

 恐る恐る顔を見上げたら、兄さんたちが私を同情するような目で見つめてきた。

 まるで、モンスターに襲われて怪我をした人間を憐れんでいるような目で。

 

 ねえ、何でそんな目で私を見るの?

 

 

「……ルナ、お前疲れてるんだよ。悪夢でも見て……たぶん、ちょっといろいろと錯乱してるんだ。おんぶしてやるからゆっくり休め」

 

「っ!?」

 

 

 

 ああ、兄さんが信じてくれないのは何でだ。

 有り得ない話を私がしたからか。

 

 

 

「ほらルナちゃん。命の恩人であるアルメリアちゃんに対してあまり変なこと言うんじゃないよ。あなたが助かったのはアルメリアちゃんとルクレスさんのおかげなんだから、ね?」

 

 

 おばさんが私を助けてくれたのはアルメリアだというのは何故だ。操ったと誤魔化しているからか?

 あんなに……あんなに恐ろしい事態を見て悪夢だなんて思えない。

 あの痛みは本物だ。拳だってまだ痛い。

 

 これはこのままにしていい問題じゃない。

 このまま終わらせちゃ駄目だ。放置しちゃ駄目なんだ。

 

 

 

「ほらルナ。おんぶしてやるよ。……それに、美味しい肉料理も作ってやるからな」

 

「……………………うん」

 

 

 素直にレオン兄さんの背中におんぶされて、ただ静かに周りを見つめる。

 そして前を歩くアルメリアと肩に乗った蜘蛛を睨みつける。

 どうせアルメリアって幼女はただの人間じゃないんだろう。モンスターを操れるのはモンスターしかいない。使役をする魔術はあっても、それは高位の魔術師にしか使えない。彼女が魔術師には到底見えない。

 人間に化けられるモンスターは知ってる。

 だから絶対に、彼女はモンスターだ。

 

 

「アルメリアに、ルクレス……」

 

 

 覚えたよその名前。

 私の敵になる名前を。殺さなくちゃいけないモンスターを。

 

 

 

 

 

 



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21話 5日前の前準備





 ――――――事の始まりは5日前に遡る。





 

 

 

 

 

 

 

 周囲にいるのはモンスターの群れ。

 しかも一つの種族が大勢で移動していると言うわけではなく、たくさんの種族の下位モンスターたちが群れて移動する光景。

 レベルを上げるため、そして進化が出来るかどうかを確認するためのオーク殲滅戦だ。

 

 なんというか、遠征というのは初めてで少しだけワクワクする。

 

 俺様も……いや、見栄を張るのはよくないな。

 俺は子供のうちに入るからと言われて遠征部隊の方に入れてくれないような事態になってはいたが、アルメリアが村へ向かうなら俺も良いだろと説得をして良かった。

 姉ちゃんに我儘言うなって何度も風で火を消されそうになって痛かったけど。

 

 アルメリアのように俺だって強くなりたいんだ。

 まだ子供だとしても、俺はアルメリアより年上なんだから、ちゃんと強くなって成長していきたい。モンスターとして強くなった分、人間に戻ったとしても消えることはない貴重な経験になると思ってるから。

 

 ああでも、狩人としてのやり方を教えてくれた叔父のグローリーさんが煩すぎて困る。下位モンスターで小さいゴーレムだから、まるで手のひらサイズの岩の欠片が大声出して喋ってるみたいだし、姉ちゃんも耳を閉じてイヴァの兄ちゃんであるケット・シーの頭に乗って恥ずかしがっているぐらいだ。

 ああ姉ちゃん分かるぜその気持ち……。いやグローリーさんは頼れるときは頼れるんだけどさぁ。

 

 

「ガハハハハッ! やはり戦いトハ良イものダな。あレだ、若き日の俺様ノ血が滾るっテもンだ!!」

「はいそこぉー。ゴーレムの身体で血がないくせに何を言ってるんですの。わたくしのお姉さまのご命令に従わないなら即座に能力低下魔法ガン積みでオークの群れの中心に放り投げますわよー」

「はっはっはッ! それモソれデ楽しソウだナ!」

「グローリーさん……ちょっと落チ着イテくれヨ」

「何を言うか火玉! モンスターの百鬼夜行だゾ!? 人生長く過ごしテキたト思ったガ、こんな事態になルトは予想だにせンよ!」

 

 

 ハーッハッハッハッ!! と笑っているグローリーさんに対して思うことはあるが、特に邪魔と言うわけでもないし、明るい会話は気が楽になれるからと邪魔しないモンスターが多い。

 三時間程度はずっと歩きっぱなしだけれど、疲れることなく進んでいる。モンスターになって長距離を歩く、もしくは浮きながら進むのは初めてだった。だからだろうか。グローリーさんのようにモンスターになったから嬉しいと言う意見はいろいろと考えることもあるんだ。

 

 人間だった時のグローリーさんの足はもう動かない。

 もともとは国の為に戦う騎士として働いていた叔父だが、戦いに明け暮れすぎて病気になったことに気づかずある日倒れてしまい、そのまま足が痺れて動きにくくなった。そのまま意気消沈し、父さんと母さんが村へ連れて来なかったら死んでいたかもしれない人だ。

 戦いが人生の全てだったと人間だった時に俺に語ってくれた。だから俺は『俺様』として生きたいと思えた。

 まあもう、無理かもしれないけれど……。

 

 でも、グローリーさんのようにモンスターになって元気になった奴は少数だがいるんだ。特に老人や病気になった子供達が、モンスターの身体を手にして痛みや鈍い身体を思う通りに動かせるようになったと笑った。

 あの連中による人体実験の頃は痛みしかなくて何も分からなかったけれど。恨み辛みを全て吐き捨ててようやく自由を手にして初めてモンスターの身体を受け入れた。

 だから、モンスターになって良かったと思える人もいるし、悪い人もいるって分かってるんだ。

 アルメリアの母ちゃんは早く人間に戻ってアルメリアをきちんと育てていきたいって言ってたから、やっぱりグローリーさんの意見は少数だ。

 

 でも、俺がそれを考えていても仕方ない。まずは元の人間として戻れる方法を探すんだ。その後に、モンスターとして人間らしく生きるか、人間として生きるのかを決めていけばいい。

 そう思いながらも前を向いて進んでいく。俺は火の玉だから周りの森を燃やさないように、身体を縮める感覚で丸い火の玉になって行く。

 

 

「ギギィ」

「にゃーん」

 

 

 ああそうだな。姉ちゃんとイヴァの兄ちゃんの言う通りだ。

 なんというか、中身を見ずにモンスターだけで歩く姿は圧巻だ。グローリーさんが言った『モンスターの百鬼夜行』がぴったりなほど、数十もの異形たちがオークを倒すために前へ進む。

 

 

「うぅぅ……ああ、お姉さまと一緒に村に行きたかったですわ……これも放置プレイと思えば楽しいものですけれど……ふへへへへっ……」

「ブツブツと不気味なこトを呟かナイでくれなイか。アルメリア女史が可哀そウにナる」

「トカゲ野郎は黙っててくださります? わたくしは今、お姉さまに褒められることを想像して胸がいっぱいでふふふふふへへへっ」

 

「……ロリコンという変態ハ、まさにお前のこトを意味すルんだロウな」

 

 

 モンスターの中で唯一人間であるマーガレット……いや、マリーだったっけ。姉ちゃんと同い年ぐらいの美人が涎を垂らして目がイッちゃってる姿は見たくなかったぜ。なんというか、アルメリアが言ってた残念美人って感じ?

 町なんかで見かけたら絶対にいろんな男達から誘われそうなほど綺麗な姉ちゃんなのになぁ。美人だしスタイル抜群だし巨乳だし。

 

 ただ、アルメリアに異常なほど執着してるのは―――――助けられた衝撃と実験中、廃人になりかけていた頃に今までに溜め込んだいろんな感情が爆発した結果だってルクレスさんが言ってた。また我慢される方が危険なんだと言っていた。だからアルメリアの母ちゃんも複雑そうだけど仕方ないって諦めてたもんなぁ。

 それが人間として良い感情なのか悪いモノなのかもう俺には分からねえけど。

 

 

「そういエば、アルメリアって今どこにいルんダっけ?」

「帝国の方ですわ! お姉さまとルクレスは人間としておかしなところがないようにメリア大森林を迂回して遠回りのルートを通って有名な兄妹がいるという村に交渉をしに行くとわたくしは聞いたのです!」

「ンー? つマリ?」

「我々とは違っテ、遠回リのルートを進むというコトダ」

「ホームから行くなら半日もかかりませんけれど、遠回りをして人の目を気にしていかなければならないんですもの。5日はかかると言っていましたわ!」

 

 なるほどな。じゃあその間に俺達にアレらを進めろとアルメリアとルクレスさん達が話し合って決めていたのか。

 レべリングで進化できるかどうかの検証。そして強くなったのと同時にメリア大森林の攻略。

 それらを終えたら、あとは餌が食いつくのを待つだけだ。

 

 それが、俺達の計画の一つだった。

 

 

 

「シッ――――――そろそろですわよ。みなさん、準備はよろしくて?」

 

 

 オークの群れがある場所へ近づいてきている。

 皆が気を引き締めて前を見る。

 

 前にあるのはただの洞窟。中は嫌な臭いがした。

 たぶん人間の頃だったら分からないものだろう。モンスターになって五感も鋭くなったから分かる。あいつら人間の肉を食べて生きてる。まあ、仲間たちの中でもそういう種族もあってか、恨み辛みをぶつける意味で食べる奴もいるけれど。そこはいいや。

 

 

 

「……お前ノ同族を狩るンダが、気分ハ大丈夫か?」

「ああん? ホームを出る前も言ったけどアタシはあンなオーク達と同族なんかじゃナい! そのトカゲの尻尾引っこ抜くゾオラァッ!!」

「お前は大丈夫そウダな。お前ハ?」

「う、うン……一応、大丈夫だヨ」

 

 

 遠征に入っている群れの中にいたオークの二人に声をかけたリザードマン……いや、ランルークさんだったが、声をかけるまでもないと分かったようだ。

 この二人だけじゃない。ホームの中にも一応、オークの種族は残ってる。

 というか、戦いをすることよりもホームの改築作業の方が良いと考えて担当してる種族は女子供を含めるとかなり多い。ホームを守護するリーダーのアリスさんがいて、アルメリアの母ちゃんも住み心地のいい暮らしを目指すために薬草をたくさん栽培すると意気込んでいたのを覚えてる。

 

 遠征チームはほとんどが男だ。でも、種族的には一通りそろってる。全員下位モンスターだから強い冒険者だったら一撃で殺されるだろうけどな。

 

 

 

「さて、やりますわよ!」

 

 

 

 マリーさんが大きく息を吐いて洞窟の出入り口近く――――――その一番前へ出て行く。

 美味しそうな人間の匂いを嗅ぎつけたのだろう。オーク達の理性のない鳴き声が聞こえてくる。姉ちゃんが俺の近くを飛んで、姉ちゃんと同じブラックバットの種族の人たちが周りを飛行してすぐ攻撃できるように準備する。

 俺ももちろん、草木がない居場所へ行って炎が出るようにしておく。グローリーさんも小さな岩でも張り切って腕らしき部分を回していた。

 

 

 

「オォォォォッッ―――――!!!!」

 

 

 

 オークの声が聞こえる。

 それと同時に、マリーさんの魔力が漲るのが感じる。

 

 

 

「聖なる波動。我らに力を与えよ。我らは制する者なり。光に当たる異形に鎮静を。彼らに無抵抗の意思を与えよ――――――――攻撃無効化(アタックガード)防御力低下(ディフェンスキラー)!! 聖なるスキル効果発動!!」

 

 

 マリーさんが体勢を低くし、膝を地面について両手を握りしめて、まるで祈りのポーズのような恰好をしてスキルを発動させていく。その姿はまるで聖女のようだった。

 うん、黙ってたら本当に聖女っぽい綺麗な人なんだけどな。

 

 

「ゴォォオォォッ!!!!?」

「ォォッ!!!」

 

 

 マリーさんから放たれた真っ白の光が洞窟内に駆け巡る。

 それに当たった敵のオーク達が俺達を見て驚愕し、また人間のマリーさんに目が釘付けになって涎を垂らしながら近づいていく。

 

 

 

「さあ攻撃の開始ですわ!!」

 

「行くゾッ!!」

 

『ッ――――――――!!!』

 

 

 

 皆が雄叫びを上げて突進していく。俺も負けじと炎を強くして前へ進んでいった。

 

 

 

 

 

 気が付けば戦いは終了していた。

 呆気ないと思ったが、まあ実際そうなんだろう。

 本当なら俺達とオークの戦いは苦戦するはずだったけれど、こっちには対モンスター兵器であるマリーさんがいるからな。

 

 人体実験の頃に味わったあの力が低下するような感じをオークは味わい、また防御力も低下しているせいで下位モンスターである俺達に対して2撃の攻撃だけであっけなく死んでしまうのだから。

 もはや蹂躙だ。最後にはオークが涙目で悲鳴を上げて洞窟の巣から出て行こうとしていたくらいだったけど、そいつに対しては姉ちゃんが首元を吸血し、同じブラックバットの仲間たちがオークの身体を覆い隠すほど集って攻撃して殺していった。

 

 血みどろに濡れる洞窟内。

 俺達によるオーク殲滅を、ただ感情のない目で傍観していたマリーさんが小さくため息を吐いた。

 

 

 

「……まあ、ざっとこんなもんですわね。というかあなた、大きくなりましたわね?」

 

「ハーッハッハッハッ!! だろうなぁ。気が付いタラ俺様の身体はこンな巨体ヨォ!!」

「あア。俺の身体ハ変わらナイが、力が強くナった気がスルな。実際に強くなったンダろう」

 

 

 うん、皆の言っている通り。なんか強くなった気がする。レベルが上がるとはっきり実感したわけじゃないけれど、何となく強くなった気はする。

 

 戦っているうちに身体の底から力が溢れるような感じがしていたんだ。

 なんでだろうか。数体のオークを燃やしたからか?

 

 それに最後にオークに噛みついた姉ちゃんが急にビクって震えて、いきなり身体を一回り大きくさせていた。成長期か、それとも血を飲み過ぎて太ったか。というか、アレって進化か?

 グローリーさんなんて周囲の岩を巻き込んで巨体のゴーレムになってて凄いことになってんぞ……。

 

 

「こういう時に鑑定能力があったらはっきりと分かるんですけどね。ですがあなたは別ですわ。ゴーレムの進化はその巨体であるとされていますもの。レベルが上がってさらに1段階進化を遂げた証ですわ。中位ゴーレムより下くらいかしら?」

 

「ほホゥ? それハ更ナル進化の可能性があるといウコとカッ!!」

「なるホど……ルクレスに良い報告が出来そウだ」

「わたくしもお姉さまにちゃんと頑張ったとたーっぷり褒められますわねふへへへへっ……!!」

 

 

 俺も進化してるって言えるのかな。いやでもウィスプってモンスター種族の進化はかなり差があるってルクレスさん言ってたし……微妙だ。

 

 

「さて! 次の段階へ進みますわよ! みなさん各位置について行えるように準備していきましょう!!」

 

 

 マリーさんが大きな布を取り出していく。

 その中に足もとにいたオークの肉片を蹴りながらも中へ詰め込む作業を進める。他のモンスターたちも皆でやっていく。俺はオークの肉を持とうとしたら素通りするか焦がすからできないけれどさ。

 たまにオークの肉を食いたいって馬鹿がいて、俺の身体を使って火で炙って食べてる奴はランルークさんにぶっ叩かれて笑えた。

 

 強くなったかどうかまだわからない部分があるけれど―――――時間はないからさっさとやらなきゃいけないよな。

 

 

 

「これよりメリア大森林攻略作戦を開始いたしますわ!!」

 

 

 

 マリーさんの声を聞いた仲間たちが咆哮を上げた。

 

 

 

 

 

 

 



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22話 月下を灯した、ある計画 前編

 

 

 

 皆とそれぞれ別れて、マリーさんが作ってくれた血みどろの瓶を持って目的地までたどり着き、グローリーさんに洞穴作りを進めてもらうことになった。

 ある程度深く掘り進め、洞穴っぽいモノになればそれで良かったんだが……まあ叔父はやり出したら一直線だから、マジでダンジョンっぽくなったのがいけないよな。

 ここの目的地に到着し、洞穴作りを進めていた3日のうちに襲いかかってきたはぐれモンスターをグローリーさんやランルークさんが特攻して、俺達がフォローして倒した肉も有効活用して洞窟に染み込むように作っていった。

 周りの壁にマリーさんが作った瓶に入れた血肉を塗って、ぶちまけて。

 

 その間、俺やグローリーさんのようなアンデット系モンスターは食事が不要になったためいらないんだけど、他はいるからたまに狩りに出かけたり、俺の火を使って調理したりとキャンプ感覚で楽しんでいたけどさ。

 一応これで目的は達成したって言えるか?

 

 

「ダンジョン制作っテ意外と簡単なんデスネ」

「いイや、これはダンジョンを作ったトは言えないぞ。ただの仮初のもノだ。必要なノハ拠点だかラな」

「ふーん?」

 

 

 こうした方が良いってルクレスさんが言ってたし、アルメリアもなるべく人が来にくいものを作ってほしいって言ってたからその通りにする。

 だからダンジョンっぽい感じになったって思ったんだけど、ランルークさんはダンジョンに入ったことがあるらしく、これよりもっとすごい場所を見たことがあると言っていた。

 魔力が込められてきたこの洞穴の中よりも凄い場所だとすると、ホームのような感じか?

 

 

 そろそろ皆と別れてから5日経つ。

 俺達の目的地はアルメリア達が向かった村に近い位置にあるから、たぶん会えるかもしれないな。

 

 そう思っていたんだけれど……。

 

 

 

 

「兄さん……にい、さん……」

 

 

 

 姉ちゃんが俺の火を消せと訴えかけてくるので明かりを最大まで消して小石ぐらいの小さい火の玉になって壁の隅に隠れる。そうして見つけたのは人間だった。

 というか、姉ちゃんが蝙蝠のモンスターになって発達した聴覚のせいで見つけたといっていい。

 姉ちゃんが言ってくれるまで人間がこの仮初のダンジョンにいるだなんて分からなかった。気配も凄く薄くなってるし、警戒心が高くて後ろを気にしながらも壁に沿って前へ進んでいるのが見えた。

 

 なんかずっとブツブツと呟いてるけど、恐怖心で泣きそうなのか?

 それともマリーさんのように何か心の理性がどっかぶっ飛んでるのか?

 

 

「ギギッ」

「うん、分かっテルぜ姉ちゃン」

 

 

 姉ちゃんが俺の近くを飛んで注意しろと言ってくるのが伝わる。言葉がなくても分かるぜ。

 あの女をじっと観察する。とりあえずダンジョンに迷い込んできたと言うのなら、この洞穴から出るまで見張っておこうって思った。

 洞穴を作った理由はいくつかあるけれど、目的の一つに個体のモンスターを呼び寄せて退治し、少しずつレベルを上げるという役割がある。だからダンジョンの中に俺達じゃないモンスターと遭遇したら大変なことになる。

 グローリーさんやランルークさんのように身体を活かして戦うことはできない。俺一人で退治できないけれど、姉ちゃんと一緒ならなんとか辛うじて出来る程度には成長した。

 もしもモンスターに出会っても姉ちゃんと一緒ならなんとか倒せる。それに姉ちゃんはあの人間を心配してるし、俺だってそうだ。だから、あの迷い込んできた女を見守ろうと思った。それだけなんだ。

 

 たぶん見えてはいないんだろう。人間の目って今の俺達に比べたら有り得ないほど弱いから。

 でも気配は鋭いかもしれない。何かに気づいたように後ろへ――――――いや違う……!

 

 

「はぁぁっ!!!」

 

 

 

「ギィィッ!!」

「ウグッ……!?」

 

 

 突然だった。何かに気づいたようにあの人間が周囲へ向けて攻撃を与える。モンスターの血肉を染み込ませ魔力が込められてきた地面に身体が当たって痛みを発生させる。

 まるで実験で火を消せるかどうか試された時のような激痛に思わず大きく炎を発生させてしまった。

 

 

 俺の火の明かりで女が俺達に気づき、驚愕したような顔で睨みつけてくる。

 

 

「ウィスプ……と、シャドーバット?」

 

 

 

 俺達の種族の名前を知っているらしい。

 姉ちゃんの種族ってブラックバットじゃなかったっけ? 一回り大きくなったから進化したってことなんだろうか。それは後で確認すればいいか。

 

 とにかくどうやって対処するか考えねえと……。

 まずは人間に対して敵対心はないってことを分かってもらわねえと!!!

 

 

 

 

 そう思ってたんだけど、まあ無理だったよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 村の中。家の外にある村人たちが集う場所。その広場にて大騒ぎが起きていた。

 俺としてはこういうトラブルはごめんだったんだけど……そうは言ってられない事態みたいだ。

 

 

 

「おばちゃん! ルナがいなくなったってどういうことだよ!?」

「いなくなったんじゃなくて落ちたんだよ。ダンジョンに!!」

「はぁ!? ダンジョンって……待ってくれ! この村の近くにダンジョンなんてないはずだろう!!」

「それがあったんだよ! 最近見たときはなかったのに急に!!」

 

 

 30代ぐらいの女性が弓矢を地面に下ろして料理人のレオンに向かってそう叫ぶ。

 ダンジョンが急にできたということを。レオンの妹であるルナがダンジョンに落ちてしまって早く助けなければならないという話を。

 

 ダンジョンというのは、人間を食らうモンスターの巣窟のようなもの。そこへ人間が迷い込むと言うのはすなわち狼の群れに羊が飛びこむような自殺行為だ。

 だからレオンは慌てている。周りの村人たちも村の近くにダンジョンが発生したという最悪の事実に顔を青ざめてる。

 

 

「……ルクレスさん」

「ああ、ちょっとまずいかな」

 

 

 広場の外れた場所から見守っていた俺達はただ話し合う。

 計画についてダンジョンの話は出ていたんだ。ただモンスターが住みやすいよう作成をして、周囲の拠点を作り上げるって話を。

 このメリア大森林にある村の近くに戦いの経験があるモンスターたちに警戒をしてもらいながらレベル上げと情報網の確立をしようって話をしてたんだよな。まあそれいがいにも目的はあるけどさ。

 

 ダンジョンがあることに注目されるのも俺達の予想通り。

 そのルナって女が迷い込んだのは予想外だが、レオンたちが騒ぐのはいいんだ。

 

 この村の近くにダンジョンが出来たと言うのならそれは俺達の仕業になる。

 ダンジョンの中のモンスターは俺達の仲間がいるはずだから、ルナという女は無事だろう。虫のホイホイみたく血肉の良い匂いと染み込んだ魔力に釣られてやって来たモンスターとうっかり遭遇し殺されてなければの話だが。

 まあそこは自己責任ってことで。俺は知らないけど。

 でも殺されると面倒なのはルクレスさんも考えているようだ。いや、彼の事だからそれ以上のことも考えてそうだな。

 

 

 

「……アルメリア、君はどうしたい?」

「え?」

「僕の考えだとまだ計画の範囲内に収まってるんだ。だから君ならどうするか聞いてみたいんだ」

 

 

 

 えぇー。そう言われても俺どうすればいいのか……。

 というか、ルクレスさんが想定ないって言うなら、ルクレスさん自身が動けばいいのに。

 

 そう不満そうな顔をしていたのが悪かったのか、ルクレスさんが小さく困ったような表情を作って俺の頭を撫でてきた。

 

 

 

「アルメリア、これは君の為に聞いてるんだ。いつか僕がいなくなっても適切な指示が出せるようになってほしいからね」

「……ルクレスさんがいなくなるような事態なんて起きさせないし起きないから。絶対」

「そう言ってくれるとありがたいが。事態というのはいつも予想がつかないものだ。今起きているコレのようにね。……それにアルメリアは僕たちとは違って力がない。なら、考える力だけでも高めてほしいんだ」

 

 

 

 ……つまり、不測の事態に備えておけということか。

 そのための予行練習にこれは利用できると。

 

 まあそう考えるなら妥当かな。

 俺の仲間のモンスター以外にレオンの妹が遭遇していないことを祈っておこう。死んじゃってもいい。同情するつもりはないけれど、注目度が上がるだけならいいか。

 宝玉を奪ってやるためにも、そして俺達を陥れた連中をぶっ壊してやるためにも。

 

 

 

「……ルクレスさん。俺が囮になります」

「囮とは?」

「ダンジョンだけじゃなくて、注目される人間になるってこと。もう一度、モンスターを操る人間アルメリアとして活躍してみせるよ」

 

 

 

 そう言うと、ルクレスさんは考えるように顎に手を当てる。

 本体は違うから、たぶん俺にそう見せてきてるだけなんだろうけど。

 

 

 

「……囮になるということは、危険が高まるということだよ。それでもやるのかい?」

「うんもちろん。でも、今度はちゃんと最後まで守ってくれるんだろ?」

「ハハッ。ああそうだね。それと同じく君を利用しきってみせよう。まあそれについてはまた話し合おうか」

「うん」

 

 

 ルクレスさんがいる今なら俺もいろいろと考えて話すことが出来る。

 間違ってたらルクレスさんがどうにかしてくれるだろうし、そういう意味で信頼はしてる。裏切ったとしても母さんたちがいるから大丈夫。

 

 

 

「さてアルメリア。これからレオン君たちはダンジョンへ向かおうとするだろう。そのために、君が『モンスターを操るスキル持ち』だと思わせるためにどうするのかも考えなくてはならない。それも早急に」

「それなら大丈夫。大体は決まってるよ。まあルクレスさんの行動次第なんだけど……」

「具体的にどうするのか君の考えを聞いても?」

 

「えっと―――――――」

 

 

 レオンたちが動き出す前に、話し合う。

 俺の考えを聞いて、ルクレスさんが修正をかけて、また方向性を決めていく。

 

 レオンが武器をとって、男たちがモンスターを狩りに行くぞと叫んでいる。

 女のうち何人かが「冒険者に連絡した方が良いんじゃ……」と話して、それじゃあ遅いと怒鳴り声が聞こえてくる。

 

 彼らの混乱と怒鳴り合いがBGMとなって、ただ心地よいものになってルクレスさんと笑い合った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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23話 月下を灯した、ある計画 後編

 

 

 

 

 女性の首にあまり毒性はない睡眠薬に似た液体を流し入れて眠らせ、事情を聞いて思わずため息を吐いた。

 いや、予想はしていたが彼女の行動まで考え及ばなかった。通常ならモンスターを追いかけるだなんて馬鹿な真似はしないだろう。目撃したオークの危険性を知っているのなら、隠れながらも逃げるのが当たり前だ。

 

 レオンの妹の戦力について、その力の強さについては知っていたが、冒険者手伝いとして行った経験のせいで予想以上に警戒されてしまうとは……。

 

 

 

「事故で迷い込んだと思ったら、まさか食料を運んでいる途中で遭遇して追いかけられただなんてね」

「す、すいまセん……」

 

 

 オークの一人が小さく身体を丸めて頭を下げる。涙声で今にも泣きそうな様子だ。

 僕としてはそこまで責めてるわけじゃないし、今は本体のままなため表情を作ることができないからできるだけ優しい声で慰めるように言う。

 

 

「いや、君のせいじゃないよ。悪いのはモンスターを追いかけ、自ら首を突っ込んだこの女だ。でもまた事故が再発しないよう洞穴の基盤は整えてほしい……出来るかい?」

「ま、任せテくダさい!!」

「おいオい豚面。俺様の仕事を取る気か!」

「そ、そんなコとは……」

「グローリーは洞穴の周囲をもう少し作り直しておいてくれ。注目されるのは必要だけど、なるべく人間が誤ってこないようにするんだよ」

「ハーッハッハ! 良いだロう任せとケ!」

 

 

 

 まあ実際彼女がこの洞穴に迷い込んだ事故があったんだ。村の奴等は警戒してこないだろうが……。

 一応の警戒の意味も含めてやっておこう。現段階で冒険者が対処に来ても困る。

 

 

「あノ、ルクれスさん。アルメリアの指示に従ってコッち二来たって言ってたけど……」

「ああ、言ったとおりだよ。これから僕たちはアルメリアによって操られたモンスターだと偽る。僕はその相棒として彼女にこの洞穴を案内するんだ。だから君たちは隠れるか遭遇してもアルメリアの指示に従うようにね」

 

 

 それはいつものことだ。実験の時に行っていたあれと同じことを村の連中にもやること。

 最終的にはこの洞穴――――ダンジョンの中にいるモンスター全てがアルメリアの指示に従って人間とそれに従属する動物たちを襲うのを止めると思わせる。そのついでに周囲のモンスターを狩ってしまうように指示をして、アルメリアの力の重大さをあの村に通る商人や冒険者たちに広めてもらう。

 特殊なスキル持ちだと騙してしまえば、あとはダンジョンに入ろうとする危険性は消えるだろう。冒険者がやって来たとしても、襲おうとしなければアルメリアの指示に従っているんだと知らしめることができる。

 

 

「……理解できンな」

「何がだい?」

 

 

 リザードマンのランルークが僕を見て、尻尾を地面に叩きつける。

 分からないと言う難しそうな表情と、小さく苛立ちの込められた尻尾の動きに予想はついた。

 

 

「アルメリアの秘めらレた能力についてハ理解できてル。だが判断能力に関しテはルクレスの方が上だろう? わざわざ彼女に考えさせテ指示を出させたのハ何故だ?」

「……彼女はまだ5歳なんだよ」

「ウィスプのグレンもまだ10代の子供ダぞ」

「ああそうだよ。だからこそ今の時間がとても貴重なんだって、君には分かるだろう? ……グローリー。君は国家の元騎士だったはず。なら分かるよね?」

「おオ、ちゃんと分かルぞ。成長期であるから学ばせテイるのだロう!」

「ああそうだ」

 

 

 まだ彼女は5歳。彼女はあの女―――――――マーガレット・ナティシアが理性を無くしていた頃のことを覚えてはいない。

 彼女を燃やし切り刻み、惨殺をしたと言うのに綺麗に生き返らせた。

 間接的にでも、僕たちすべてを救ってくれた。

 殺しの慈悲を与えず、あの人間たちに対して非常に惨い仕打ちをさせてくれるよう僕たちにプレゼントしてくれたことを覚えてはいないとアルメリアは言った。

 

 アレは彼女の中の覚醒に近い何かだった。

 英雄とは生まれながらに奇妙な運命を辿るという。悲劇か喜劇なのかは分からないが、それを経て力を覚醒させ、周りを救う何かになるんだと僕は知っていた。

 あの時のアルメリアの行動がその序章に値するものだとしたならば、僕はすべてを教えなければならない。

 

 マーガレットが屈服したようなあの惨たらしい行動すべてを、僕たちに被害をもたらした人間すべてに味わってもらうために。

 彼女が成長すれば、僕たちを全てを正しく導けるようになるはずだから。

 

 

「アルメリアはまだ卵なんだ。力があるのかどうかさえ分かってはいないんだよ。だから僕たちが導けるようにしなきゃならない。弱いうちは守れるようにレベルだってあげているんだから」

「レベル上げってソう言う意味なンですカ……?」

「いいやグレン君。それだけじゃないさ」

 

 

 ただアルメリアには言ってないだけで含めているといってもいい。

 彼女はまだまだ原石に近いもの。僕たちがちゃんと導いて成長させてやらないといけないからね。

 

 皆には言っていないけれど、人間に戻れるのが今すぐとはいえない。

 僕たちを襲った連中に同じ目に遭わせて人間に戻せと脅しても、それが出来ないかもしれない。

 何年経つか分からないが、僕たちは国家に喧嘩を売っているんだから、ある意味戦争状態になるかもしれないんだ。それならなるべく手は打った方が良い。それだけのことだ。

 

 

 

「……それと、この女の対処も考えなくちゃね」

 

 

 

 意識を失い地面に倒れた栗色髪の女。

 冒険者としての才能があり、中位モンスターに勝つことができる戦力は欲しいところだが……仲間たちに被害を及ぼすのならいらない。このままだとアルメリアを敵視する可能性が高く、面倒な事態を起こす危険だってある。

 

 モンスターに対しての対処法であるマーガレットがいるからダンジョン作成などを行うことが出来た。アルメリアとの添い寝を条件としてマーガレットにはわざわざ特定のモンスター以外に反応するようオークの血肉に防御魔法を込めてもらい、作成した場所に塗り込んで迷い込んだ敵モンスターに対して容易に狩れるような環境を整え、強さをつけれるようにしたんだ。

 ダンジョン作成に必要な血肉を利用して作ったんだから、なるべくここは廃棄したくない。冒険者が多く通るあの村との交流も止めるつもりはない。

 

 だが、この女が僕たちに対して何かしら行動をすると言うのなら……その時は『敵』として対処しよう。加害者以外の人間に危害を加えたくないと思える仲間がいるから、誰にも知られずに。

 まあマーガレットのように、敵として殺して屈服させてからアルメリアに蘇生してもらうっていうのが一番楽なんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルメリアという子供は商人ルクレスの護衛であり、商人見習いの幼子であると兄さんから聞いた。ルクレスはモンスターの対処に詳しくなく、足手まといになるから仕事の方を先に取り掛かっておき、協力者としてアルメリアを行かせようといったからそれぞれ別れていたんだと。

 だから、肩に乗ってた蜘蛛を別れた後にルクレスという人間が荷台から売り物を降ろしている姿を見かけた。ルクレスのことをじっと観察しようとしたが、レオン兄さんに止められて部屋に押し込まれ休めと言われてしまったせいで何も分からなかった。

 ただ、不快な噂ばかり流れる。

 

 小さく口笛を吹いてあのレッドキラーのモンスターを呼び寄せた。

 ダンジョンの中へ入って、案内をしてもらった。最奥で気絶していた私を連れ帰ろうとして、近くにいたゴーレムが起動し殺されかかったが、アルメリアの声を聞いた途端大人しくなった。

 オークがいたが、気絶していた私の身体を運ぶよう協力してもらった。

 人間の村を襲うんじゃないとモンスターたちに指示を出したから安心できるんだ。

 モンスターを操ったから、もう大丈夫なんだ。

 あのアルメリアはモンスターを命令できる特殊なスキルを持ってるんだ。

 

 そんな信用できない話を村の至る所で聞く。

 たかだか数時間。それだけでアルメリアの信用は高まっていた。モンスターが人間に協力し、大人しく指示に従うという異様な光景を目にしたからだろう。

 

 村を通りかかる冒険者に話をしても、馬鹿にされるか本当に信じて感嘆の息を漏らすかの二択のみ。スキル持ちだと言うせいで冒険者たちも納得し、信憑性が高まってしまっているのも原因だろう。

 スキルは私達の知らないものも多くあり、親に遺伝したわけじゃないのに生まれつき備わっているというものだってたくさんある。新しいスキルのものだってたくさん出てきているから、モンスターに命令するようなものも当然あるんだろうって誤解する。

 あの時私がダンジョンの異様さを目撃しなかったら――――――モンスターたちが高度な知識を持っていると分かっていなかったら、私はおそらく信じただろうと思えるぐらいに。

 

 

「だから、協力してほしい。連中は帝国に属している商人だっていうから、あっちはなるべく協力を申請することは出来ない。だからあなたが頼りなの」

「……自分はもう冒険者ではない。魔術を研究するただの魔術師ですよ。それでも良いのですか?」

「もちろん」

 

 

 一度だけこっそり村から出て、冒険者のよしみで連絡した男性に微笑む。

 細身の男性であり、私より年上の人。物に魔力を染み込ませ、高級品となっているローブとメガネと付けた少々神経質そうな性格で、子供の頃に魔術に没頭してから数十年もの間その技術を磨いて突っ走っていた人。

 もとは冒険者だったが、その実力を買われて国家専属の魔術師へ成り上がった頼れる友人だった。

 

 

 

「貴方は私でさえ知らない知識を持ってる。スキル持ちの特殊性も知ってる。そんな貴方だから頼もうと思ったの。私はただ、兄さんと一緒に暮らして、美味しい料理を食べたいだけ。でもあの子供がモンスターと協力して……何かよからぬことを企んでいると言うのなら止めなきゃいけないから」

 

「なるほど、それは興味ありますね。……つまり、その子供の力を試し、危険性を調べろと言うのですね?」

「ええ、どう試すのかはあなたに任せるわ。これは私からの依頼」

 

 

 どっさりと金貨の入った袋を机の上に落とす。

 その数、数千枚。私の手で儲け、貯金していたお金。家を建てて死ぬまでの間豪勢に遊んで暮らすことが出来るほどのお金を、アルメリアと言う子供の調査の為に投げ出す。

 それだけの本気を友人に見せる。私の兄さん至上主義な性格を知っている人だったら、このお金がどれくらいの価値を持っているのか分かっているはずだ。

 その子供がどれほど異様なのかも分かってくれる。

 

 

「……本当にモンスターに指示が出来るスキル持ちだとして、もしもアルメリア幼女の危険がなく、あなたの勘違いだとしても金貨を返すことはできなくなりますよ。それでもいいのですか?」

「くどい。私はただ兄さんと安心して暮らしたいだけなの」

 

「……わかりました。そういうのなら」

 

 

 小さくため息を吐いてメガネに手を当てる友人に、もう一度小さく微笑みかけた。

 

 

 

 

 

 

 



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24話 覚悟がある故に

 

 

 

 

 レオン達がいた村からホームへ帰宅途中。ルナを救ってくれた命の恩人だからもっと長く居ても良いと言ってくれたけれど、やるべきこともあったし遠慮して別れて今に至る。

 

 帝国近く――――――といっても、中心地に近い場所にある村から俺の故郷である村はホームへ帰る道で通るため、そこへ行こうと思ってルクレスさんに我儘を言って到着したばかりだ。

 ブラックバットが偵察して見てくれたと言っても、やっぱり自分の目で確かめたかった。その惨状を。村の現状を。

 

 

「何もない……なぁ」

「連中も馬鹿じゃなかったということだろう。村があった場所に人の血と肉と木片の残骸があれば何かあったのだとえらい騒ぎになるだろうからね」

 

 

 まあ確かにそうかもしれない。

 今俺の目の前にはかつて村があったはずの場所。村があった場所の草木が枯れている以外の異様な部分はなにもなく――――――――いや、村があったのかと思ってしまうほどにないんだ。何も。

 

 あの時の惨状がないから、トラウマが刺激されずに見渡すことができる。

 気分は悪いけれど、立っていられないほどじゃない。

 

 ただ、残骸もない。

 建物も村の所有物も畑も家具もなにもかも。育てていた家畜は……あの宝玉の魔法にやられて殺されたかもしれないが、その肉片でさえなくなっている。

 俺達の思い出も何もかもなくなっている。

 

 この村だけじゃない。ルクレスさんの村も、集落も全てが消えていた。

 だから俺達はホームにしか帰れないんだ。

 

 

 

「あのさ、ルクレスさん……村があったのは事実なのにさ、急に消えたらおかしいって思わないのかな……」

 

 

 独り言のように呟いた俺の質問に、ルクレスは微笑みの表情を作りながら言う。

 

 

 

「アルメリア、建物の瓦礫が至る所にあり血肉が飛び散って地面が抉れているのと、何もない更地なのとどっちが騒ぎになると思う?」

「……前者かな」

「ああそうだとも。後者の場合は村自体がどこかへ移り住んだと思わせることも可能だ。ホームに捕えて尋問途中のアレイルクス・アレクシア候についても調べたが……奴は国家一番の貴族の侯爵であったからね。権力でなかったことにするぐらいできるはずだよ」

「……そっか」

 

 

 だとしたら、やっぱり許すことは出来ない。

 俺達の全てを奪ったあいつらを。

 ドラゴンだってそうだ。あいつのせいで俺達は全員おかしくなった。あいつのせいで、俺たちの人生は狂ってしまったから……。

 

 だから小屋があった場所に向かっても、誰もいない事実に落胆する。

 もしもここでドラゴンがいるのならば、ぶん殴ってやりたいって思ったから。

 

 

「やっぱりいない、か」

「期待していたかい?」

「まあ……ちょっとは……」

「そうだね。その期待と恨みは全て後のお楽しみに取っておこう。今は人間での問題と、宝玉だ」

「……うん。覚悟は出来てる」

 

 

 村に戻って来て良かった。

 俺達はやるべきことがあってこれからに備えるんだ。

 だから、俺達の仲間以外の人間が殺されてももう興味がない。勝手に死んで、勝手に生きていればいい。もう同情もしない。俺達のあの過去に比べたらマシだと思うから。

 加害者関係の連中はみんな死んでしまえばいい。

 

 平穏に生きるために、俺も出来ることを探さないと……。

 

 その為に、覚悟を決めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 レオン兄さんに友人と遊ぶと言って凄く別れを惜しみながらも村から歩き、途中で待ち合わせをしていた場所にて馬車に乗って、何処かへ向かう最中。

 馬車に揺られながらも前を見れば、そこには私の友人である魔術師のウィリアムがいた。

 

 眼鏡をクイッと上げて、ローブの懐の中から取り出した書類の束を私に渡してくる。

 それを広げて見れば――――――様々な疑問点と同時に調査したすべてが書かれていた。

 

 

「この通り、きちんとアルメリア・ナティシアについて調べましたよ。ルナ」

「……うん。でも書類だけじゃすぐに分からないから簡潔に教えてくれる?」

「まあ、あなたは兄とお肉だけしか興味がないですからね」

 

 

 早々に書類を投げ出した私に対して、小さく呆れたように呟くウィリアムを睨みつける。

 兄のことやお肉のことが書かれているのだったら速読できる自信があるけれど、これは敵についての内容。興味がないわけじゃない。情報網と言うのはすごく大事だって私も分かってるから。

 でも、じっくり読んでいると時間がもったいないから聞くだけ。というかちょっと面倒なだけだし、ウィリアムのことは信頼してるからどうせなら口で説明してくれると助かるだけなんだ。

 

 そう思いながらウィリアムを見つめていると、彼はため息を吐いて口を開いた。

 

 

「アルメリア・ナティシアは名もなき村の出身。薬草を売買する家に生まれており、数か月前までは町に定期的に薬草を母親と共に売りに来ていたそうです。ですが、町の目撃情報から聞いたところによると、アルメリアの能力値は全て平均。何も特徴のない幼女だという話が出てますよ」

「……つまり、本当に人間だったってこと?」

「ええそうですよ。アルメリア・ナティシアと呼ばれる幼女に関しては。ですが、あなたが見た子供が本当にアルメリア・ナティシアかどうかは分かりませんがね」

「まさか、ルクレスっていうあの蜘蛛の化け物のように人間に擬態してるんじゃ……」

 

「ああちょうどいいですね。ルクレス・ナティシアについても話をしましょうか。これが書類ですが……」

「説明して」

「はぁ」

 

 

 またため息を吐かれたけれど、ウィリアムは今度は少しだけ興味があるような瞳で説明をしてくれた。

 

 

「最初に聞きたいのですが……ルクレス・ナティシアは10代後半ぐらいの年齢の少年で合ってますか?」

「うん。私が知る見た目はね」

「なるほど……ならこれは少々不必要の情報だったかもしれませんが……関係ないとは言えないので話しましょう」

「……帝国の戦士ルクレスの事ね」

「ええそうです。なんだ、知ってたんですね」

「私は帝国の出身だから」

「じゃあ説明しなくてもわかりますね。ルクレス・ナティシアの栄光を」

 

 

 

 ウィリアムの言葉に頷く。

 ルクレスが帝国の勇者の右腕を支えて国を救った話は有名だ。というか、伝説に近い話だ。帝国側の冒険者でもその話は知っていて当たり前。勇者と同じく有名な人だから。

 だが、その後ルクレス・ナティシアが家族と共にどこか静かな場所に暮らしたというのは聞いたことがある。だが、帝国の戦士ルクレス・ナティシアは年齢を考えると老人と言っていいはず。

 それなのに、若い年齢はおかしい。だからウィリアムに向かって続きを促す。

 彼はただ小さく首を横に振った。

 

 

 

「貴方が見た帝国の商人ルクレス・ナティシアの話は出て来ませんでしたよ」

「やっぱり」

「ですが、最近メリア大森林にある様々な村に交渉をしているようですね。物々交換が主ですが……あなたの村と同じことも――――――」

「ハッ。あれでしょう。『労働力にモンスターを使ってはいかがでしょうか?』ってやつでしょう」

 

 

 

 吐き捨てるようにあの時の奴等と村長との交渉を思い出す。

 

 

 アルメリアのスキル持ちの能力で操ったモンスターを町の労働力として貸し出しをするというもの。それに村長は肯定した。

 だがまだモンスターは借りていない。私達の村だけじゃないんだ。奴らは一匹の蝙蝠を……私が見たシャドーバットではなく、ブラックバットをいろんな村に貸し出してメリア大森林全体の村で交流が容易に出来るようにするのだという。

 主に手紙と荷物の配達。都市などでよく見る飛脚の仕事のモンスターバージョンといったところか。メリア大森林は危険だからあまり人は通らないし、楽にできるようになるなら村にメリットはあるだろう。

 そのモンスターが危険じゃないのなら。

 

 ……兄さんを守るために、あいつらを引きはがす必要があるのに。奴らが企んでいる理由が分からないから、どうすればいいのか分からない。

 

 

「……結局調査は無駄ってこと?」

 

 

 奴等が人間に偽装したモンスターの可能性がある以上、調査は本物の可能性があるから意味がない。

 だから私はため息をつく。金が無駄になったかもしれないという後悔はないけれど、まだ危険はゼロになったわけじゃないし、余計に危ないと認識したから。

 

 そう思っていると、ウィリアムがまたメガネを上げて小さく笑う。

 

 

 

「いいえ、無駄なんかじゃありません。一つだけ進展がありますよ」

「え、なに!?」

 

「戦士ルクレス・ナティシアは家族と共にメリア大森林の村に移り住んでいた。そしてアルメリア・ナティシアも同じく……ルクレス氏とは別ですが、村にいた」

「ねえ、じれったいのは嫌いなのよ。美味しいお肉があったらすぐにガブリつくのと同じだから、早く話しなさい」

 

 

「―――――――全員、行方不明になってます」

 

 

「……え?」

「村ごと消滅したんですよ。ルクレス氏も、アルメリア女史も……村にいた全員が消えてしまった。自分はメリア大森林に行きその調査に向かいましたが、見事に瓦礫も何もなくなっていましたよ。まるで夜逃げでもしたように見えました」

 

 

 

 それは……すなわち……。

 

 

 

「あいつらが本物のルクレス・ナティシアとアルメリア・ナティシアを消して……いいえ、それだけじゃなく、村の全員を連れ去ったということ?」

「それは予想に過ぎません。自分の調査ではそれぐらいしか分かりませんでしたから……ですが、こうなると自分も直接彼らに会いたくなりますね。モンスターが人間に化けて生活しているという……貴重な実験材料(サンプル)として」

「ああうん。いいんじゃない? 好きにすれば?」

 

 

 兄以外はどうでもいい。でも魔術師としてあの二人に興味があるというところはやっぱり研究目的でなんだろう。

 人間に化けるモンスターなんて普通はいないから。いたとしても高位モンスターの最上位。頭も良くて人より寿命が高いモンスターが普通だと言うのに、ルクレスと呼ばれたあの蜘蛛はレッドキラーの下位モンスター。だから、ウィリアムは興味がある。

 ただそれだけなんだろう。

 

 

「そういえば……私達ってどこに向かってるの?」

「ああ、すぐにわかりますよ」

 

 

 馬車に揺られて、やがて止まって扉を開けた先は―――――――まさかの屋敷だった。

 

 

「いらっしゃいませ、ルナ様。ウィリアムさま」

「約束通りの時間ですね。案内を頼みます」

「はい。ではこちらへどうぞ」

 

 

 メイドが可愛く微笑んで私達を案内しようとする様子に圧倒されて足が動かない。

 

 

「こ、こは?」

「歩きながら説明します。さあ進んでください、ルナ」

「う、うん……」

 

 

 豪勢な屋敷だ。私が帝国で見た、貴族が住むような立派な建物。庭も綺麗に整えられており、花々が咲き乱れている。

 バラの花が多いのだろうか。庭師が手入れをしているのが見える。

 綺麗ではあるが、私には居心地が悪くなりそうな場所だった。

 

 

「ねえどういうこと? この家って……貴族の屋敷ってことよね?」

「ええそうですよ。調査をするにあたって、メリア大森林を頻繁に出入りし、その一部の領地を買い取った貴族がいましてね……そこでお話をしたところ、いろいろと分かったことがあるんです」

「分かったことって?」

 

 

「奴らが王国にて所持しているドラゴンの秘宝を狙っているってことです」

「ドラゴンの……秘宝?」

「ええ、この国の騎士―――――英雄にも値する人がドラゴンと戦って得た宝玉です。それには秘められた力があり、それをモンスターたちが嗅ぎつけて狙っているために守ろうとしたということですよ」

「……ねえちょっと待って。守ろうとしたって何?」

 

 

 

 なんか凄く嫌な予感がする。

 あのダンジョンの中にいた時のような感じだ。背筋がぞっとして気持ち悪い。

 それを分かっていないんだろう。ただ単調にウィリアムは説明する。

 

 

 

「メリア大森林に防衛地を作っていたそうなんですよ。ですがそこで宝玉があると考えたモンスターたちに襲われ、所属していた人間全員が死に至った。村がなくなったのもその原因があるのだと思います」

「村がわざわざ狙われたのは……」

「おそらく、人間の皮とその身分を手に入れたかったからだと。……そう、防衛地を担当していた貴族の跡継ぎであり現侯爵の彼女は言っていましたよ」

 

「……ルクレス・ナティシアも?」

 

 

 あの戦士もやられたのかとつい疑問に思った。

 いくら頭が良いモンスターでも、彼に敵う奴なんているのだろうかと。

 だが私の質問に対して、ウィリアムが言いにくそうに話す。

 

 

 

「さあ? 彼は……まあ、悪く言いますと年老いていましたし、いくら元勇者の右腕の戦士と言えど複数のモンスターに襲われては反撃できなかったのでは?

 家族もいたでしょうし……モンスターの頭がいいのなら、家族が人質にでもとられたと予想できますし……」

 

 

 

 ああそれはゾッとする。

 秘められた力とはどのようなものかは分からないけれど、そんなものの為にいろんな人間を殺して利用していっただなんて気持ち悪いし、吐き気がする。

 

 あいつらが村と交渉しているのもそれなんだろう。アルメリアに成りすまして、仲間のモンスターたちに命令をしていると協力してもらって村に取り入ろうとしている。

 こんなの駄目だ。兄さんの身が危ないのは駄目だ。

 

 やはり覚悟を決めよう。兄さんを守るために、あいつらを殺すための力を手に入れなければと。

 

 

 

「……ルナ、そろそろ着きますよ」

「え、どこに?」

 

 

「防衛地を作り上げた貴族……アレイルクス候がモンスターに襲われて死亡してしまったので、その次代となるレベッカ様の所ですよ」

 

 

 

 そう言われて入った場所は、簡素だが高級そうな雰囲気が漂う部屋。客間となっている部屋なんだろうか。

 柔らかそうなソファ。窓際の机には花が一輪飾られており、その近くに立って私達を歓迎するようにドレスの裾を握った女性がいた。

 

 

 

 

「初めましてルナ・ナティシアさん。そして共をありがとう、ウィリアム。私はレベッカ・フェルナータ・アレクシア。アレイルクス叔父様に代わって侯爵を務めています」

 

 

 

 微笑んだレベッカさんは、まるでおとぎ話のように純粋で綺麗な人だった。

 

 

 

 

 

 



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25話 竜の秘宝



 無知は最大の罪だと誰かが言った。


 知らない方が悪いのだと、誰かが言った。



 ―――――――では、これはどうなのだろうか?






 

 

 

 生まれて初めて味わう程柔らかな感触のソファに座り、目の前で優雅に微笑んでいる貴族のご令嬢レベッカを見つめる。

 いや、もうご令嬢ではないといえるのか。侯爵として跡を継いで、ウィリアムが言っていた……アレイルクス候の役割を果たしているというのだから。

 

 貴族の礼儀作法は私にはよく分からない。国家の流儀についてもあまり知りはしない。

 だが笑われないようにと机の上に置かれた薔薇の良い香りのする紅茶を一口だけ飲んで、何とか緊張をほぐす。

 

 

「ウィリアムから私の話は聞いたのでしょう?」

「え、ええ……まあ……」

「では率直にお話をしますわね……ルナ・ナティシアさん。彼らの野望を止める手伝いをしてくださりませんか?」

「……手伝い?」

「ええ、私の仕事の手伝い」

 

 

 驚いた。貴族の侯爵が手伝いという言葉を使うだなんて。

 貴族というのは普通、私達のような平民に対しては対等の関係を結ぶような言い方はしないはずだ。

 いや、それともそれが国家では当たり前なんだろうか。帝国と国家は交流関係を結んではいるけれど、詳しくは知らない。ましてや貴族の侯爵との交流だなんてよく分からない。

 こういうのは兄さんが得意なもんだけど……。

 

 ううん。兄さんに会いたいけれど、今は兄さんの為にも頑張らなきゃ。

 それに少しだけ興味があった。今までの話をした後に『手伝い』だと話す、その内容を。

 

 

 

「……それは、どういう手伝いなの?」

「ええ、お話します」

 

 

 にっこりと微笑みながらも優雅に紅茶を飲み、後ろに控えていたメイドが手のひらサイズの小さな宝石のようなものを出してくる。

 その宝石は主にルビーのように澄んだ赤色をしていた。だがどことなく魔法のような力の渦を感じる。

 それと同時に、透明なのに光の加減によって七色の色が浮かび上がっていたのが見えた。まるで魔力の源に触れているような……そんな感じ。

 

 それを机の上にある小さなクッションの上に置き、レベッカ候は口を開いた。

 

 

「これがドラゴンの宝玉よ」

「……確かに妙な力を感じるわね」

「ええ、これを奴らは狙っているの」

 

「えっと……それを、私が守れってこと?」

「いいえ、あなたにはあのモンスターたちを倒してほしいの。それとできればアルメリア・ナティシアの姿をした生き物だけは捕まえて連れてきて。それ以外は退治して……素材は好きにして構わないわ。売ってもいいし、武器の材料にしても良い」

 

 

 倒したモンスターの素材を好きにして構わないというのは、かなり破格の条件だ。

 モンスターの素材は武器や防具にできるし、魔術を込めるのに適しているから、中位モンスターの毛皮でも金貨十枚はなるだろう。下位モンスターだとしても、銀貨5枚は確実に貰える。

 だから冒険者はその圧倒的な死亡率にも関わらず、人気な職業となっているんだ。私だってそれで稼いだんだから。

 でも依頼で倒したモンスターは依頼を出した人のモノになることが普通。それをレベッカ候は好きにしていいという。つまり、倒すことが重要となっているんだろう。あの幼女だけは捕まえてほしいと言うが……。

 

 それは、私にできることなんだろうか。

 あのダンジョンで感じた絶望。混乱した頭で考えて、情報を集めようと思ったきっかけ。

 人間に化けたあいつらに、私の力が敵うの?

 

 

「……悪いけどできない。私には倒せない敵もいるもの。それに、もっと強くなるために修行しようと思っていたから」

「無理だって言うのかしらルナ・ナティシア。円形競技場の優勝者」

「そうじゃない。時間が必要だってこと」

 

 

 

 私は物理特化の人間だ。拳にスキルを積み重ねてモンスターたちと対峙することができる近接戦闘の特化型。

 ゴーレムのような魔術の力がないと倒せないモンスターには太刀打ちできない。

 それはあの忌まわしいダンジョンで体験したことだ。何度も何度も、限界を突破してスキルを使用して倒そうとした。普通の中位モンスターだったらあれで倒せたはずだった。

 でも倒せなかった。だから私には勝てない敵もいる。円形競技場の優勝者だとしても、無理なものは無理なんだ。

 

 

 

「強さが必要なの。魔術を覚えてゴーレムを倒せるぐらいに強くならないといけない。兄さんを守るためにも、全攻撃可能(オールラウンダー)となって戦えるようになって、それでようやく手伝いは出来ると思う。だから時間がかかるわ」

「ああ。それなら対応は出来るわ」

「本当に? 期限は何時まで―――――――」

 

「いいえ、あなたに時間をあげるのではなく、強さを与えると言っているのです」

 

 

 

 聞こえてきた言葉が信じられなかった。

 強さを与えるだなんて意味が分からない。神に等しき高位モンスターがたまに加護のような力を人間に与えることがあると聞くが、このレベッカ候も同等の力が使えるということなの?

 それはつまり、レベッカ候は神に等しい存在っていうんじゃ……。

 

 いいえ、落ち着くのよルナ。

 彼女は私と同じ人間。モンスターに偽った人間というわけじゃなく、ちゃんと身分がある貴族の侯爵。なにか考えがあるはずよ。

 震える声を抑えながらも、前を見据えて言う。

 

 

 

「ど、どういうこと? ……強さを与えるって、私をどうするつもりなの?」

「あら、この机の上にあるドラゴンの宝玉を忘れているのかしら。これは力の源。やりようにとっては強さを与えることも可能なんですよ。

 ……まあ、宝玉の力の使い道について私の考えと叔父様の研究内容は異なっていたみたいだけれどね。でも、私なら叔父様の研究内容を通じて、応用することができる」

 

 

 ドラゴンの宝玉を利用して私を強くする。

 それはとても魅力的だけれど、危険は伴っていないのだろうか。

 兄に会えずに死ぬことだけは避けたいから、レベッカ候に遠慮なく質問をする。

 

 

 

「研究内容ってどういうものなの?」

「防御スキルをより変異的に向上させてモンスターの力を抑えられるようにするために、この宝玉――――竜の力を半永久的に与えられるようにした、核となるモノに宝玉の魔力を与えるための実験よ。もちろん叔父様の実験は成功したわ」

 

「ぇっ……ちょ、ちょっと待って! モンスターの力を抑えられるっていうのなら、それをやったらすぐに殲滅できるんじゃないの!?」

「いいえ、それは無理よ。防衛戦で人間側が壊滅した結果から分かるように……奴等には防御なんて効かない。それに核となったモノを奪われてしまったから、この手は二度と使えない」

「そう……」

 

 

 それは凄く残念だ。

 他のモンスターに使えると言うのなら、もしかしたらメリア大森林以外で発生して困っている人たちを助けるために使えるかもしれないと思ったから。

 モンスターを抑えるためのスキルなんて効いたことないし、そんなのがあったら王国か帝国直属の勇者になれそうな気もする。

 

 そう思っていると、レベッカ候がくすりと笑った。

 

 

 

「叔父様は宝玉を使って防御と変異について研究していたわ。それについて詳しく話すことは出来ないけれど……だから私は反対に、攻撃を中心とした力をあなたに与えたいの」

「……人体実験ってこと?」

「ふふふっ、人体実験だなんて怖いものじゃないわ。ただ力を向上させて竜の強さを手に入れるだけよ。叔父様の実験結果があるから、応用すれば簡単にあなたを強くすることができるわ」

 

 

 これはある意味悪魔の囁きに似ているように見えた。

 強くすることができるけれど、代わりに何かを代償にしなきゃいけないみたいに感じる。

 実際そうだろう。ドラゴンの宝玉の力を手に入れたら、世間はどう思うんだろうか……兄さんは……。

 

 

 

「貴方が守りたいと思える人の為に、奴らを倒す大義名分を与えます。だから私の手伝いをしなさい、ルナ・ナティシア」

 

 

 たった一言で迷いは全て消えた。

 ああそうだ。私が守りたい人は兄さんだけだ。彼の為に平穏を取り戻したい。

 モンスター共を殺して、村でいつもの生活に戻れるようにしたいから。

 

 

「……ああ、それなら私はやるよ。強くなって、モンスターを殺してやる」

「ふふっ。その言葉を待っていたわ」

 

 

 

 冒険者だったら握手をしていただろう。

 レベッカ候はただ微笑むだけだったけれど、満足いく結果に終わったからか、少し上機嫌になっていた。

 

 

 

「ああそうだわウィリアム」

「はい、何でしょうかアレクシア候」

「ええ、こちらへ来て……ルナの隣に座りなさい」

「ハッ。失礼します」

 

 

 

 扉近くに佇んでいたウィリアムが近づいて座る。

 そうしてレベッカ候が背後にいるメイドから何かを受け取って机の上に置いたのは、ある一枚の紙だった。

 

 

 

「防衛地にいた研究員と魔術師の関係者や家族の人たちに声をかけて来なさい。復讐がしたいというのなら、手を貸しますとね」

「承知しました」

「ええ、頼んだわよウィリアム。それと安心してねルナ・ナティシア。あなた一人で敵地へ行かせるわけじゃないから」

「え、ええ……」

 

 

 頭を垂れたウィリアムを見ながらも、ふと小さい疑問が頭の中に浮かんできた。

 

 

「……あの、犠牲になった村の関係者……男性はいいのかしら? 国家所属の村があるのなら、力のある男性は戦争に備えて国に召集しているはず」

「あら、どこから聞いたのその話。あなた一応帝国の人間よね?」

「自分が話したんですよアレクシア候。帝国は国家に戦争を仕掛けるわけじゃありませんし、彼女には協力をしてもらってますから」

「あらそう……ならいいわ。それとルナの質問に答えます。村の男性たちは戦争が始まるから都市に召集されているわ。でもそれとこれとは話が別なの。

 戦争だってまだ本格的に始まったわけじゃないし、国だって余裕があるわけじゃない。だから、声をかけて応じれる人だけに留めるのよ」

 

「……そう」

 

 

 

 ちょっとだけ、それは可哀そうだなと思った。

 戦争が始まるから村を出て召集されて―――――――それで、帰ってきたら村自体が亡くなっているだなんてショックが大きくなるだろう。

 私だって、帰ったら兄さんがいないとか考えたくない。早く帰って兄さんの料理が食べたい。

 

 安心するために、早く終わらせないと駄目だ。

 

 

「レベッカ候。早速で悪いんだけど私を強くしてほしいの。早く終わらせて、村へ帰りたいから……」

 

「ふふっ、ええ分かったわ。なら早く始めましょう……ウィリアムも、さっさと終わらせて帰って来なさい」

「ハッ!」

 

 

 

 

 妖艶に笑うレベッカ候が、私の頭の上にその宝玉を掲げて――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 



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26話 秘密の茶会

 

 

 

 

 

 深夜。満月がてっぺんで明るく照らす時間帯に、蝋燭を灯さずただ椅子に座って机に置いた紅茶を楽しげに飲む令嬢が自分の目の前に座っていた。行儀正しく、国家の流儀に反しないような綺麗な姿勢で。

 机の上に置かれた紅茶は薔薇の香りがほのかに漂う。それ以外にも机の上にはクッキーや小さいケーキなどが置いてあり、平民たちが厳しい暮らしをしている中でのこの茶会は裕福であることの証を意味していて、少々自分には肩身が狭いと思えるものだった。

 

 だが、ただ真面目に……だが少しだけ微笑みながらも上機嫌にひっそりと茶会を開いて楽しんでいく。

 紅茶を飲んで菓子を食べ、そして静かに語り合う。それが自分たちが計画を決めた時から始めた、レベッカ候のルールであるからだ。

 

 

 

「まさかこんなにうまくいくとは思いませんでしたよ……」

「あら、予想ぐらいはしていたでしょうに」

「それは貴方ぐらいです。レベッカ候」

 

 

 

 温かな紅茶に小さく息を吐いた。ただ思い出すのは昼間の出来事。

 ソファに座っていた自分の友人でもあるルナ・ナティシアを利用してしまったことへの罪悪感と、竜の力を目にしたことによる興奮。

 

 ルナの身体はまだ何も変化していない。いや、()()()()()()()()……というべきでしょうね。

 レベッカ候が考えて利用しただけかもしれないが、ルナの身体はモンスターへ急激に変化することもなかった。報告書通りに肉が腐り落ちるなどの異常もなかった。

 ただあの時宝玉が光り輝き、ルナの瞳全体が真っ黒な色に染まっただけだったのですよね。アレはとても興味深かったのですが。

 それは内部からの変異。瞳が変化するのは、細胞全てが変わっていく状態異常の証でもあり、ある意味悪魔なモンスターと契約を交わした人間の魂が堕ちた時に見られるような光景だった。

 

 

 

「羨ましいものです……ドラゴンの宝玉に魔術を使用する時のような力を使えるレベッカ候が」

「うふふ……そうねぇ。貴方がもっと私に貢献して、この宝玉を貸出ししても良いぐらいの事を成した時には使ってもいいわよ」

「その言葉、忘れないでくださいよ」

「ええもちろん」

 

 

 小さくても魅力的な唇にクッキーを入れて食べるレベッカ候から視線を逸らして窓の外に浮かぶ満月を眺め見た。

 

 

「本当に、興味深いモノよね。宝玉っていうのは……」

「レベッカ候?」

「叔父様の報告書類には変異についての兆候はたくさん書かれていたのよ。ルナにそれを教えるつもりはなかったけれど、つい話し過ぎちゃったわ」

「……よく言いますよ。ほとんど嘘だったくせに」

「あら、ちょっとは本当の事よ。ただ真実は聞かれてないから答えなかっただけ」

 

 

 にっこりと笑うが、心の中でどう考えているのか恐ろしく思う。

 昼間のアレはただの好奇心でルナに力を与えた。宝玉に込められた魔力をルナに直接入れただけの話だ。その力に耐え切れず気絶して、身体を痙攣させたまま床に倒れたルナを地下で寝させて観察しているこの女の考えが読み切れない。

 

 アレクシア貴族にとってはただの実験。人間を使っただけの宝玉の実験だと思っているかもしれませんね。それが残忍かどうかは……この僕も理性のあるモンスターに興味を惹かれている時点で同罪だと思っていますから。

 表は国家を支える巨大な貴族であろうとも、その裏を知らなければ何の意味もない。知らないことこそ無知。ただ自分に助けを求めてしまったルナに同情してはいますが、それでも利用されるのが悪いだけです。この世の中は常に全てが厳しいのですから。

 

 

「ああそうだ、変異についてあなたはどう思うのウィリアム」

「何がです?」

「変異の兆候よ。人間以外の動物にも始めた実験についての報告書は見せたでしょう? アレの素晴らしさは貴方には分かるかしら?」

「……ええ。もちろんですよ」

 

 

 アレイルクス前侯爵による変異の報告書。

 宝玉の魔力を他の動物に与えると急激な細胞変異を行ってモンスターへなってしまうというものだ。

 ネズミはビックラットのモンスターに、蜘蛛はレッドキラーに、熊はグレートベアに。動物はそれぞれ一種類のモンスターに変化すると約236種類もの実験を繰り返して分かった。

 

 だが、人間に対しての実験はそれに限らない。

 

 動物の実験によって、宝玉の魔力を生き物の体内に入れたことによる細胞の突然変異がモンスターへ成る原因だというのは究明された。動物の細胞がモンスターの細胞との情報が似ていることによって起きる進化のような現象なのでしょう。

 ですが人間は様々なモンスターへ変異を遂げると報告書に書かれていました。

 それはすなわち、人間の細胞には複数のモンスターの細胞情報が眠っているということ。神話と呼ばれる大昔の時代に、人間の始祖がモンスターであるかもしれないという重要な情報が明らかになるかもしれない価値を持っているということです。

 

 それに自分は興味があった。

 大昔の魔術について知ることができるかもしれない。あの頃に自然とあった魅力的で豊富だとされた魔力で作ったすべてがどんなものなのか、自分も出来る用になれたらと思えた。

 竜の秘宝。ドラゴンの宝玉とは重要な情報源でもあった。

 

 それを書類を通して見た時の感動と衝撃と言ったら……実際に宝玉が自分の手の中にあったなら。

 ああ、上機嫌に笑うレベッカ候が羨ましい。愛想笑いを浮かべて紅茶を飲んでいるけれど、つまり自分に自慢したいだけなのですよね、この侯爵令嬢は。

 

 

「ふふふっ! 本当に面白いわよねウィリアム。あの宝玉による変異は凄まじい可能性について私達に真理を問いかけてくれてるの!」

「……はい。動物実験での変異の過程のサンプル。そして人間に対する多種多様な変異の情報。それらすべてはおそらく過去の神話時代にあると思っていますから」

「ええそうよ! 宝玉の実験を始めていけばいつかは私たちが知らない世界の全てを知ることができるわ!!」

 

 

 更に上機嫌になったレベッカ候が紅茶に魔力を乗せてクルクルとかき混ぜていく。

 バラの香りがさらに部屋に漂っていくのを感じる。それと同時に考えるのはレベッカ候が送ってくれたあの変異の報告書の情報だ。

 あれは人間の細胞情報を元にモンスターに変異させてるわけじゃない。それ以外にも魅力的な価値がある。

 

 モンスターは人間以上の力を持っている。だが何処から生まれて何処から来たと言うことは分かっていない。それを、宝玉が教えてくれるかもしれない。

 それに人間もモンスターのように進化を可能とする生き物になるかもしれない。まさしく新時代の幕開けと言えるだろう。

 今は人体実験などをして留めているだけだけれど、いつかはもっと奥深い実験をしてみたいものですね……。

 

 

「ああ、ドラゴンにまた会って倒してほしいわ。宝玉がもっとたくさん手に入ることが出来たなら、我が国はより巨大なものに成れるでしょうね」

「人間をモンスターに変えて……ですか?」

「いいえ、人間をモンスターへ変異させるだけがあの宝玉に秘められた力というわけじゃないのよ。アレイルクス候の実験はただ進化と変異を試しているだけ。今回は違うわ」

「では、ルナに(おこな)ったのは……」

 

「人間の進化。更なる超越した人類の誕生よ。ねえ知ってる? 宝玉の力が最大限まで活かせるのはナティシア一族だけだってことを」

「それは……」

「なんとも羨ましいわよね。ナティシア以外の人間に宝玉の力を与えてもただ身体が破裂するだけで死んじゃうっていうのに、あの一族の名を持つ者だけが力に耐えられるだなんて……」

「……そうですね。それも歴史的な何かの秘密が隠されていそうで興味深いものです」

「ええそうよ。だからルナたちを使って実験をするのよ。もっともっと安全が確立されてから国家の力として使うの。いつか人間の力が職業(ジョブ)やスキルだけに留まらなくなるわよ。人類革命の合図はすぐそこまで来ているの!」

 

 

 人類革命ですか……。

 そのためにルナは利用されて実験を行っているんですよね。

 

 おそらくは今頃ルナの身体は変異――――――いや、レベッカ候が言う『進化』の途中で悶え苦しんでいるのだろう。変異には激痛を伴うと実験報告にあった。

 内臓から生き物としての全てが変わっていくため、肌の肉が崩れ落ちて目玉は抜け、歯が欠けていきまるで急激に老いていくような兆候を遂げた後に身体がモンスターになるのだという。

 

 一般的な人間に比べてとても強いルナはどう変わるのだろうか。村人を研究対象として選んだアレイルクス候とは違って、じっくりと魔力を注いだ結果はどうなるのだろうか。

 肉が好きで兄に執着しているから、人食系のモンスターに似た何かになるかもしれない。

 人としての進化を遂げるのなら、一体どんな生き物になるというのか。

 

 これは魔術師としてではなく、ただの研究者としてとても興味があった。

 

 

 

 

 

 






 無知という言葉は、純粋無垢という意味ではない。
 しかし、知らないから学びたいという意欲でもって……それが残酷な状況へ陥れる場面は多々ある。


 子供が掴み上げた虫を解体している光景を見て、残酷だと思う人や好奇心旺盛だと思う人それぞれがいるだろう。
 しかし、それで犯罪者として取り扱われることはない。



 レベッカは子供のように純粋だった。

 それが悪いことだとは思わない。
 当然だとしか感じられない。


 だから、虫をバラバラに解体しても罪はないという子供のように、誰も責めることはない。






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27話 違和感と嫌な予感



 懐かしい小屋の前。黒い鱗の身体をしたドラゴンが俺を見下ろす光景も、本当にもう慣れた。
 これは夢だ。分かってるからこそ嫌になる。

 ああくそ。何で俺の夢にお前が出てくるんだよ。


『契約成立してはいるが、貴様がまだ私に心を開いていないのが原因だ。夢を見たくないならさっさと■■■を■■ことだな』


 は?
 え、悪いけど今なんて言ったんだよ。ノイズが走って聞こえなかったぞ。
 というか、宝玉を見つけるのがお前の目的だったんじゃ……?


『いやそうであるが……ふむ。やはり干渉はそれほどできぬか。まあいい。契約はきちんと成立しているんだ。貴様は私であり、私は貴様だ』


 だからそれが意味わかんねえんだっての。
 俺がお前ってことはさ、俺はドラゴンになれるってことかよ?
 ドラゴンの力を自由に使えるって?



『ふ――――――ハハハハハハハッ!! 何をたわけたことをぬかすのだ人間風情が!! 貴様がドラゴンの偉大なる力を使えるわけがなかろう! 人間なのだからな!!』


 ああそうかい。じゃあ俺が人間じゃなくてモンスターになったら使えるってわけか?
 ルクレスさん達みたいに、モンスターに変異したらさ。


『そうなったら貴様との契約は破綻するしかないな。私は貴様を見込んだのだ。人間として凡庸だが異様な貴様の……血をな』


 はい?
 いや凡庸で異様で見込むって意味わかんねえぞ。


『いつかは分かる。貴様は平凡だがその精神力は破綻している。貴様にはいつか……』


 視界が急激に遠くなる。
 ドラゴンの姿が消えていく。



『忘れるな。私との契約を―――――』



 ただそれだけが、心の中に残った。







 

 

 

 

 

 

 

 森の中の気温は心地良く服を干したり畑を耕したりする絶好の日であるが、モンスターの仲間たちにとっては微妙な環境。

 一応気を使って帝国側から歩いて村へ通っているため、俺達が一度ホームへ帰宅したあと2週間ぐらいは経っているだろう。

 ルクレスさんと一緒に他の村へ行って様子を確認したり、畑で耕した野菜や研究員たちの私物を売りとばして交渉したりとなかなかに幼女とはいえない忙しい仕事を行っている。

 

 他の村でもそうだが、一応通りかかる冒険者というのはいるため、怪しい人物だと思われないように荷台に商品を詰めてゆっくりと旅をする。村に交渉して、冒険者たちのくだらない話を聞いて、酒盛りにルクレスさんが参加しているのにお酒などの食事はせずにただ俺用のお菓子を貰って―――――――。

 

 だから、村をいくつか見て回り、その後レオン達のいる村に来たのは本当に久しぶりだった。

 

 

 

「ルクレスさん。妹がどこに行ったのか知りませんか?」

「妹さんですか? いえ、見てはいませんが」

「そうですか……あいつ本当にどこに行きやがったんだ……」

 

 

 心配そうな表情でため息を吐くレオンはとても疲れた顔をしている。

 冒険者たちに料理を振る舞いながら、家の仕事をしながら日々を寂しく過ごしているんだ。

 

 それを同情するつもりはないが、ルクレスさんがその話を聞いた時に微妙に嫌な顔をしたため、違和感があった。

 レオンの妹のルナって女は、ダンジョンに迷い込んでしまった経験があるせいか、ちょっと俺たちに対して敵意というものを持っている。

 俺達が行く前――――――ルクレスさん達が何かやったのかなって思うけれど、まあ身内が大変な目に遭うってわけじゃないならいいかな。

 

 

「何があったのか話を聞いても?」

「え、ええもちろん……」

 

 

 レオンの話す内容は簡単だった。

 ただ、ルナの様子が変わってから数日は部屋に閉じこもってばかりいたというのに、急に帝国の冒険者ギルドへ向かうと言って村から飛び出し、そして数日のうちに帰って来たと思ったらまたどこかへ行くと言って飛びだして、その後帰って来ないというもの。

 

 

「あいつ、本当に様子がおかしいんですよ……ギルドで何やっていたのか村に来た冒険者に話を聞いたら、あなたと同じ名前の帝国の戦士ルクレス・ナティシアについて調べてたって言って国家についてコネを持ってたのでそっちで何かやってくるって飛び出していきやがって……」

「何かやってる……というのは?」

 

「知り合いの魔術師に会って魔術教わってくるって言ってたんですよ。ああ、えっと……様子がおかしくても、一応変な意味じゃないんで。肉が好きなのに肉食わねえし。料理食べる時も上の空になっちまってるし……。

 まあそれで、ゴーレム対処法はどうすればいいかってダンジョンで迷って以降ずっと呟いてたので、たぶんゴーレム対策に乗り出たんでしょうね……あいつ、ああ見えて負けず嫌いですから」

「ああなるほど。ゴーレムは魔術を通しての攻撃でないと意味を成しませんからね」

「そうみたいですね……はぁ……」

 

 

 あーっと……つまりゴーレムのあの騒がしいおっさんであるグローリーさんに勝ちたいってことか?

 ダンジョンの中でグローリーさんに勝手に挑んで勝手に敗北したって聞いたけど、もしかして勝ちたいから俺に敵意を向けて……いや、なんかおかしいな。それだったら八つ当たりになるし、あの時感じた視線はそういう薄っぺらいもんじゃなかった。

 だからたぶん何かを察して違和感に感じて、俺達を殺したいとか思ってるんだろう。

 

 あっけなく殺されてやるつもりは俺達にはないけれど、誤解させてるのは何とかしたいんだよなぁ……。ああ面倒くせえ。ルクレスさんは俺の立てた作戦だから責任は俺にあるって言ってさりげなく対応策について考えてみろって遠回しに宿題出してるぐらいだし。

 つまりルナのあの敵意は俺の責任だ。だからどうにかしてルナの敵意を消すような手立てを考えなくちゃいけない。そのために、どう行動するべきなのか……。

 ああくそ、寝不足で頭が回らない。ちゃんとしっかり寝てるのにドラゴンの夢ばかり見るせいだあの野郎……。

 

 

「そうだルクレスさん。確か薬草も商売で出してるんでしたっけ?」

「ええまあ」

「ならいくつかもらえませんか? 薬草を料理に入れて食べるというのも健康に良くて美味しいんですよ。疲れもとれます」

「ほう? それは是非とも試したいものですね」

「食べてみますか?」

「ええ、できればアルメリアに。護衛と言ってもやはりまだ幼い子供。長旅で疲れているようですから……」

「ああ、分かりました! なら荷台の方へ行きましょう! ……ええっと、荷台に薬草が置いてあるんですよね?」

「ありますよ」

 

 

 部屋から広場へと歩いていく俺達。村長は俺達の仲間でありモンスターの蝙蝠を偽ってるブラックバットを可愛がってくれている様子が見えてちょっとだけ笑えた。

 あの仲間って確か30代のおっさんじゃなかったっけ? 人間に頭を撫でられているブラックバットは、見た目が蝙蝠なので分かりにくいかもしれないが、盛大に顔が引き攣っているためつい吹き出しそうになった。

 それ以外にも男の人たちが畑を耕すために重労働を行い、また獣が寄ってこないように柵を立てている人たちもいてとても賑やかだ。

 国家側の俺達の村とは違って、凄く楽しそうだ。

 

 父さんがいたら、あんな感じで楽しく暮らせたのかな。

 ……まあ今となっては興味はないけれど。

 

 

「ルナ!?」

 

「え?」

 

 

 

 聞こえてきた声に反射的に振り向く。

 見えた先にいたのは、確かにルナだった

 服装も髪型もまさしくルナそのものだ。

 

 

 ただ様子がおかしい。というか、違和感がある。

 森に近い位置にある草むらの前でだらんと両腕を垂らして、ふらっと身体の姿勢を低くしている。

 まるで獣のような恰好で、ただそこにいたんだ。

 

 

「ルナ! お前どこに居たんだ!? 心配して……おい、ルナ?」

 

 

 ルナがゆっくりと顔を見上げて分かった。

 瞳の色が真っ黒だ。

 

 まるで、正気を失ったマリーの時のように、ただにっこりと笑って――――――――――。

 

 

 

 

 

 

 とある集落。国家や帝国とは何も関係のない、ただの名もなき村。

 モンスターたちに囲まれたメリア大森林から出ることも叶わず、生き残るために必死に畑を耕し獣から身を守るために壁を作って暮らす毎日。

 

 そんな毎日にある生き物がやってきた。

 

 だからもしも神がいるとするならば、当たり前でつまらない日々を覆す癒しが来たことに感謝したい。

 ルクレスさん。いやルクレス様。俺にクロスケという癒しをありがとう。

 本当の名前は違うみたいだけれど、黒いし丸いからクロスケでいいかなーって思う。元の名前より可愛いからいいよな。

 

 

 

「よしよーし。クロスケー。お前は良い子でちゅねー?」

「ピ、ピィ……」

「ああどうちてこんにゃに可愛いんだろーねー!!」

 

 

 つい頭を撫ですぎて困る。

 そう、こいつが可愛すぎて困るんだ!

 

 毎日楽しくないけど生きるために必死に働いてる日々を神様が憂い見て俺にプレゼントをくれたんだなそうなんだな。ああ可愛い。可愛い。

 

 

「こら、馬鹿なことやってないでさっさと仕事をしなさい!」

「これも立派な仕事だよ! ナティ商会から大事なモンスターを借りてるんだからさ!! ねークロスケちゃーん」

「……ピャア」

 

「あ゛ぁー。可愛い!」

 

 

 まるで都市に置いてある贅沢品のぬいぐるみのようだ。ふわふわだし丸っこいし、普通の蝙蝠に比べて愛嬌もある。

 モンスターと言ってもこんなに可愛いのは初めて見た。だからつい頬ずりするのも仕方ないと思うぜ。

 

 なんかこいつで他の村……確か、こいつを通してレオンやルナとかいう帝国で有名な兄妹が住む村やら何やらと行き来できるようになったらしいな。

 ちびっこいのに村を行き来して交流することができるだなんてあークロスケってば本当に可愛い!!

 

 

「お前はどうしてそんなに可愛いんだろーなー」

「……ピャー」

 

「どうしたんでちゅかー? お腹すいたのかなー?」

「ピィィ」

 

 

 ふかーくため息をつかれてなんだか遠い目をしているクロスケ。

 人間だったら呆れたような顔で……いや、何もかもに諦めたような顔をしているように見えたけどうちのクロスケにそんな……。

 

 

「こら! 早く仕事をしなさい!!」

「ああはいはい! すぐやるよ!!! じゃあなクロスケ。また会いまちょうねー!!」

「ピャー」

 

 

 

 ああ可愛いからいいや。

 仕事なんてつまらない日々の小さな楽しみが出来たんだからいいや。

 こんな森の奥深くにやって来たルクレスさんとアルメリアちゃんの商人は凄く変わっているけれど、そのおかげで俺の癒しが来たんだから何も文句は言うつもりはねえ!

 そうだとも。作物を安く売ってくれたせいで畑仕事を中途半端にやっても大丈夫になったことに文句なんてねえさ!!

 畑に向かって土を耕す。

 集落の畑は広大だ。生き残るために余裕以上に作っているんだから。

 さっさと終わらせて、さっさとクロスケを可愛がろうっと……。

 

 

「……はっ? あれ?」

 

 

 なんか森の奥から変な音が聞こえたような気がしたけれど……気のせいか?

 いやでもギシギシって変な音が聞こえるような―――――――ッ!?

 

 

「ちょっ……おばさんおじさん!! なんか人間たちがこっちきてる!?」

「はぁ? 何寝ぼけたこと言ってるの?」

「寝ぼけてねえよ!! ほらあっち!!」

「あっちって……」

 

 

 指差した方向をおじさんたちが見てくれる。

 森の奥の草むらをかき分けるように人間たちがこちらへ向かってやってくる。

 それに目を細めて見ているおじさんたちが警戒心なく近づいていく。それを遠目で観察していた。

 

 人間の姿をしているし、モンスターじゃないことは確か。

 ならば、変に警戒する必要はない。

 だがやってきたのは十数名もの人間。しかも手ぶらとはどういう……。

 

 

「あんた等ルクレスさん達と同じ商人か? それとも迷ってるんだったら……」

「――――――――ぁ」

 

 

 

「え?」

 

 

 

 ――――――不意に、外から来た人間たちに近づいたおじさんの喉を噛み千切った何かが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 木々の上に立ち、ただ視界と気配を消す魔法を使ってその身を隠す。

 すべては研究の為。
 すべてはこれから先の身分の為。


「さて、実験を開始しましょうか」


 ウィリアムはただ、小さく笑った。






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28話 メリア大森林=攻略戦線 序章







 動いているものすべてがモンスターに見える。
 実際に、そう思って行動しているのかもしれない。

 私はただ、兄さんを救いたいだけ。


 兄さんの為にこの命がなくなってもいい。
 それなのに――――――――――。







 

 

 

 

 

 

 

 

 ただその光景を呆然と見ることしかできなかった。

 ルクレスさんが俺の前へ出て、ただ何かに警戒している。

 ルナだけじゃない。周りの草木の影から、人間たちがゆっくりと来ているのが見える。まるでゾンビのように、ふらついた様子で歩いてくるのが見えるんだ。

 

 

 だが、レオンはそれに気づいていないようだ。というよりも、ただルナの事しか見ていない。妹をずっと心配していたから、突然現れたというのに様子がおかしいことに焦って近づいていく。

 

 

 

「ルナ! お前どうしたんだ!? その目何をやったんだ!」

 

「あっ、ちょっと待っ―――――」

「駄目だよアルメリア」

 

 

 ルクレスさんが俺の腕を引っ張った。

 俺を見て、首を横に振るう。

 ルナの肩を掴んで何度も揺さぶっているレオンに嫌な予感がした。だが何かがあったとしてももう俺達では彼は救えない。救おうとして前へ進めば、俺たちは殺されると分かったから。

 

 

 

「ルナ!!」

 

「あはっ」

「ぐっ――――ッ!?」

 

 

 それは突然だった。

 真っ黒で異様な目を見開いたルナが歪に笑う。人間らしいような笑みじゃない。表情筋を最大限まで使って笑ったというのに、目は冷めていた。モンスターが人間らしく笑おうとして失敗したような笑顔。

 夜に見たら不気味過ぎて悲鳴を上げてしまいそうな、無感情の笑み。

 

 それに驚いたレオンが一歩後ろへ引こうとする。だがルナが兄の腕を握って自らの方向に引っ張り、そのまま片手の拳を握りしめて勢いよくレオンの腹を殴って気絶させた。

 痛みで意識が飛び、身体の力を抜いて倒れるレオンをルナは大事そうに抱きしめた。

 

 先ほどの人間らしくない表情とは違って、兄を抱きしめる様子はまるで幼い子供が宝物を握りしめるように見えたんだ。

 

 

「何だお前ら。―――――――ぐぉっ!?」

「ひぃぃっ! おいこいつら噛みついてくる!?」

「待って止めて。こっちに来ないで!!」

 

 

 

 草木をかき分けてやってきた人間たちがふらっと村人たちへ襲いかかる。

 人間を肉だと思い込んで、そのカチカチと鳴らしている歯で噛み千切ろうとする。

 見た目は普通の人間だ。服装だって村人たちと似たようなものを着ている。肌も変に青白いわけでもなく、攻撃だって鈍くてすぐ逃げ切れるものばかりだ。

 だが、その瞳は人間のものとは思えなかった。

 理性がなかった頃のマリーと同じ、真っ黒の瞳。獣のように襲いかかり、人間の肉に噛みついて食いちぎろうとする。

 あっという間に悲鳴と混沌が飛び交うゾンビ映画を見ているような光景が広がっていった。

 

 頭や心臓を重点的に攻撃すれば人間と同じくあっけなく死んでしまうみたいだけれど、それは混乱している村人たちが抵抗した末に分かったこと。

 村人たちは人間に似たこの生き物たちに混乱し、ただ逃げようと必死に足掻いているようだ。

 

 それと同時に、ルナたちの様子など気にもかけずにただ動いている生き物へ向かって襲いかかる。

 動いていない俺たちへ向かって来る奴らもいるけれど、避けながら近くの壁に行けば、奴らは俺達よりもさらに大騒ぎしている方へ向かって行くのが見えた。

 

 

 

「仲間を呼んだ方が良いな。……いや、もう呼んでいるか」

「ル、ルクレスさん。これってマリーと同じ……」

「似ているが違うよ。彼女よりもずっと知性がなく、魔術も使えない獣だね。人間の姿をしたモンスターと思った方がいい」

「じゃ、じゃあどうすれば……」

 

「それは―――――――っと」

 

「ふぇ!?」

 

 

 ルクレスさんが俺を横に押して彼自身もその反対側へ身体をひねって避ける。

 その瞬間、背中越しにあったはずの家の壁が一気に崩壊した。

 

 いや違う。俺達を狙ったルナの拳が壁にぶつかって大破したんだ。

 衝撃で壁の欠片が俺の頬をかすって飛び散っていく。一筋の血が頬から流れ落ち、その攻撃の威力に恐れ慄く。

 よく見れば気を失ったレオンが地面に横たわっているのが見えた。ただ他の人間に似た獣たちに攻撃されないようにするためなのか、ルナが着ていたジャケットをレオンの身体の上からかぶせていたが。

 

 

「に、人間……の攻撃じゃねえよこれ……」

「ハハッ。こうして見ると本当に僕たちとは真逆の生き物だね」

「それ言ってる場合ですか!?」

 

 

 確かにそうだとは思う。

 人間の姿に似た獣と、モンスターの姿に似た人間と。いやでもルナは明らかに人間だったから、何かされてここにいるんだろうけれど。

 

 というかマジで急過ぎて何が何だかよく分かんねえぞ!!

 なんでこうなったんだよ!?

 

 

「落ち着いてアルメリア。計画通りに」

「計画だなんて……アレは、ただ交流と警戒だけのために作ったものだったのに!」

「いいから落ち着きなさい。あの人間たちは全員マリーだと思って行動していくんだ。……いや待てよ。確かにこの襲撃は急過ぎる。だが、僕たちの事情を知っている奴らがやるならば……ああそうか」

 

 

「ひひっ」

 

 

 

「ルクレスさん!!?」

 

 

 

 何を考えていたのだろうか。計画についてか? それともこの襲撃がどうして起きたのかについてなのだろうか。

 どっちにしろ遅かった。ルナの拳がルクレスさんの頭に直撃して、何かを掴む動作をしてもう片手で一気にルクレスさんの頭の上から振り下ろす。

 頭から地面へ向かって振り下ろされた衝撃でなのか、ルクレスさんの身体が吹っ飛んでいた。

 

 殴り潰されたように見えた。

 潰されたのに血はなかった。でも、身体全てがぺしゃんこになったんだ。いや、身体じゃなくて糸だけど、中身はどうなった?

 衝撃で爆発したように地面がへこんで、ルナがにっこりと笑う。それに、背筋が凍りつく。

 

 

 

「ル、ルクレスさん……?」

 

 

 

 でもルクレスさんは直接的な攻撃は得意でないモンスターに変異した人間だ。

 レッドキラーは他よりも弱いモンスターだってランルークさんから聞いた。だから、物理特化のルナのスピードに勝てないのは確かだ。

 でもルクレスさんは帝国の有名な戦士なんだろう。ならルナに負けるはずがない。モンスターになったとしても……ルクレスさんが、負けるわけない。

 

 

 

「ヒヒっ。アハは。死ンだぁ。やァっと、殺せたぁぁハはッ!」

 

 

 片言だが妙な音がルナの口から嘲笑の含まれたものと一緒に飛び出してくる。

 それに知性のような何かはある。

 

 だというのに、何も抵抗なく殺した。

 ルクレスさんだけじゃない。自らの兄も殴った。

 こいつはもう、人間じゃない。

 喋る知性はあるのに、ただ本能で活動する獣と同じだ。

 

 ルクレスさんは……。

 

 

「ッ……お前、お前が、ルクレスさんに……ルクレス、さんを……!!」

 

「ヒヒっ」

 

 

 不意に、俺の目の前に黒が現れる。

 

 違う。

 ルナの目しか見えないほど、彼女が俺の間近にいたんだ。

 ただ嗤って俺の頭を潰すために手を伸ばそうとして来ている。

 

 不意で身体が動かなくて――――――――――。

 

 

 

「そこマデだ。小娘」

 

 

 俺を殺そうとしたルナが吹っ飛ばされるのが見えた。

 

 庇うような形で現れた大岩――――――違う、グローリーさんに呆然と顔を見上げた。

 ゴーレムだから何を考えているのか表情は分かりにくかったが、それでもただ自信満々のドヤ顔で俺に向かって笑いかけているのは分かった。

 

 

「無事なよウだなアルメリア」

「う、うん……」

「ハハハっ!! この俺様が来たから二はモう安心ダ! 俺様が全部終わらせテヤる!!」

「ま、待った! ルクレスさんが……」

「あの男なラ心配イるマい。だが殺されたナラバそれマでだ。……おいトカゲ!」

「だからトカゲと言うノを止めロトあレほど――――――」

「ランルークさん!!」

 

 

 ゴーレムの巨大な身体で見えなかったが、どうやらこの村近くのダンジョンにいたはずの皆が来てくれたみたいだ。

 グレンもいるが、他の村人たちを救うために行動しているようだ。

 リザードマンのランルークが、吹き飛ばされて木にぶつかったルナを冷めた目で見つめる。

 

 普通の人間ならば背中の骨が折れて重傷になっているほどの衝撃だっただろう。

 だというのに、ルナの身体はピンピンしていた。それだけじゃない。ゆらりと動いて、その真っ黒な瞳で俺達をそれぞれ見つめ、観察してくる。

 それがかつてのマリーのようだと分かったのだろう。以前にも対峙したことのある似たような生き物に、ランルークは苛立ち混じりに地面に尻尾を何度も叩きつけた。

 

 

「アルメリア、ルクレスはどうシた?」

「…………」

 

 

 何も言えず、ただ首を横に振ってルクレスさんがいた地面がへこんだ場所を見つめる。

 それでようやく俺が何を見たのか分かったのだろう。

 ただ衝撃で叩いていたはずの尻尾の動きが止まった。

 

 

「……っ……いや……いヤ、すべテ終わっテカら話そウ。まズは己ノ命と勝利の為に」

「ハハハハハッ! あアそうダトも! 敵がいたナら勝利は掴むべシ! 俺様の強さの糧にナってモらうぞ小娘!!」

「おイ待てグローリー!! 事態は深刻なのダカら冷静に――――――」

「冷静でも戦うノみよ!!」

 

 

 巨大な拳を握りしめルナの頭の上から振り下ろそうとする。

 だがそれに、ルナはただ見つめて嗤って。

 

 

「……あはっ」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それだけに留まらず、グローリーさんの拳を押しのけるように、前へ出た。

 

 

「ぬぅっ!?」

「ひひははぁぁははっ! ころす!」

 

 

 ルナに押されたせいか、グローリーさんの体勢が崩れる。それよりさらに前にルナが動き、ゴーレムの巨大な身体を殴り飛ばした。

 そう。文字通り殴って、その巨体を近くにあった壁が崩壊しただけの家に飛ばしたんだ。

 

 ゴーレムの身体が家を押し潰しながら飛ばされ地面へ倒れる。

 それに俺は鳥肌が立つ。ランルークさんは爬虫類のような目を見開く。

 有り得ない光景だった。意味が分からない状況だった。

 

 まるでアクション映画のように、小さな女性のルナがゴーレムを殴り飛ばしただなんて。

 

 

「フハハハハッ! やりおるナ小娘っ……ぬぅ……」

 

 

 家の瓦礫を蹴りながら来たグローリーさんは楽しそうに笑ってはいたが、その身体は少々ヒビだらけで辛そうに見えた。

 

 

「おイ、大丈夫カそレは」

「正直かナりキたな。以前殴られた時の拳とは思えン」

「ぐ、グローリーさん……それってつまり……」

 

 

 ゴーレムに物理攻撃は効かない。だから物理攻撃特化のルナの弱点のはずだった。

 だがその攻撃が当たるということはすなわち……。

 

 

「あの小娘が魔術の力を込めて殴っタトいウことダロうな。ハハハハハッ!! コりゃ楽シい。楽しくなっテキたぞ!!」

「お前ノ楽しいは俺達にトっテ楽しくないな。この戦闘狂が……」

「ハハハハハハっ!!!」

 

 

 笑いながらもまた攻撃へ移ろうとするグローリーさん。

 でもルナの攻撃はスピードが速く、疾風怒濤のような反撃が流れ出る。

 グローリーさんの巨体がひび割れていく。もうこのまま死んでも構わないというかのように、ただ攻撃をして勝とうとする。それに呆れつつも焦っているランルークさんと、偶然見たグレンが駆けてフォローに急ぐ。

 

 

「……これは、駄目だ」

 

 

 マリーの時のような嫌な予感がする。

 マリーは魔術防御特化でああなっていた。

 

 

 攻撃の力は違えど、ルナも何かあったらどうする?

 魔術を込めた拳が使えるというのなら、何か……。

 

 

「このままじゃ、駄目だ」

 

 

 考えないと。

 ルクレスさんは言っていた。自分がいなくなったらその時は俺が考えるべきだって。

 

 だから、考えないと。

 

 

 

 

 

 

 何が起きたのか分かってなかった。

 ただ生きている人間たちを襲う、人間に似た生き物たちがいるという光景のみ。

 

 

 おじさんもおばさんも殺された。

 俺は足を食われそうになったけれど、友達が助けてくれて皆と逃げることができた。メリア大森林に住んでいる村なら当然あるだろう、モンスターが襲撃した時に備えた頑丈な家の中へ閉じこもる。

 皆その中へ避難していた。

 

 だが逃げ遅れた人はたくさんいた。

 

 

「まま。ままぁ……どこなの……」

「お前さん息子がどこに居るのか見てねえか!?」

「ねえ私の姉を知らない!? お姉ちゃんが私に先に行けって言って、それで後で合流しようって言ってたから……ねえ、来てないの!?」

「ふぇぇぇぇえええっ!!」

 

 

 子供の泣き声。誰かを呼ぶ悲しそうな声。

 焦ったように叩かれる扉を押さえつける男たちの怒声。

 ここにいない人たちは皆、あの人間に似たモンスターに食い殺されちまったんだろう。

 俺達はどうなる? このまま非難した家に居ても、永遠にいるわけにはいかないぞ。でも今外に出ることは出来ないから、どうしようもない。ああ、俺達が何したってんだよ神様……!!

 

 

「……あれ」

 

 

 そういえば、クロスケは何処だ?

 いや、あいつなら飛べるから逃げられてるよな。

 大丈夫だ。俺達もクロスケと同じく助かる。逃げることだって出来るはず……。このまま……。

 

 

「なあ皆。戦ってあいつらをどうにかしないと、俺達このまま……」

 

 

 つい呟いてしまった俺の言葉に皆が静まり返った。

 怯えたような顔で、あるいは怒りに満ちた表情で俺を睨みつける。

 

 

 

「な、何言ってんだよ! 戦えるわけねえだろあんな化け物相手に!!」

「そうよ。逃げても追いかけてくるでしょうし……わ、私足が弱くて……だから走れないの!」

「それよりもこれからどうするか考えねえと……っ!!!!?」

 

 

 不意に、扉から大きな音が聞こえた。

 大きな鉄を叩いているような、不気味な音。それに合わせて扉が少しずつひび割れていった。

 木片が片っ端から壊されるような音が聞こえる。

 避難した仲間たちが恐怖で歯をカタカタ鳴らす音が聞こえる。

 

 

「ひぃっ!?」

 

 

 扉に小さな穴が開いて、そこから真っ黒な瞳が俺達を覗き見た。

 ニヤッと笑った人間に似たモンスターが、一気に扉をぶち壊し俺達へ襲いかかる。

 

 よく見れば奴らの手には農場にあったはずの道具を握りしめていた。

 つまり武器を手に取って攻撃したってことかよ!?

 

 ああっ、逃げなきゃ!!

 逃げないと殺される。逃げないと、死ぬ!

 

 

 横にいたはずの女性が首元から食い殺されたのが見えた。

 建物から外へ逃げ出した人たちを確実に追って、殺そうとするのが見えた。

 血に濡れた足を引きずって外に出て見れば、そこにいたのはたくさんの人間の姿をした、ただの人食いモンスターの群れだった。

 

 

「……ああ、終わりだ」

 

 

 死にたくない。死ぬのは怖い。

 いやだいやだ。

 おれはしにたくない。

 

 手を伸ばされる。

 俺に向かって、歯をがちっと鳴らす音が聞こえる。恐怖ではなく食欲のような音が、涎が垂れる音が聞こえる。

 

 誰か助けて。

 おれはまだ、死にたくないんだ!!

 近づいた顔に咄嗟に目を瞑って痛みに耐える覚悟を決める。

 

 死にたくない。だから精一杯抵抗しなきゃ……。

 

 

 

「ピャァー!」

 

「……ふぇ?」

 

 

 数秒経っても痛みは来ない。

 それどころか可愛い鳴き声が聞こえた。

 

 

 ちょっと待ってくれ。もしかして……。

 

 

「クロスケ? ってうぉっ!?」

 

「ピャー!」

「グォォォォォォッ!!!!!」

 

 

 

 真っ黒のブラックバットを背に乗せた、ウルフのような大きなモンスターが俺を見つめる。

 その背後から襲いかかってきたあの人間のような見た目をしたモンスターを巨大な爪で切り裂いていくのが見えた。でも俺を攻撃しようとしてこない。

 

 それだけじゃない。

 他のウルフのモンスターたちが村の中に一斉にやってきて、集団で人食いモンスターを攻撃しているのが見えたんだ。

 村人には攻撃せず、ただそいつらだけを退治するために現れたように見えて……。

 

 呆然としていたら、真ん丸でふわふわの蝙蝠が俺の肩に乗ってきた。そいつは当然、俺が可愛がっていたクロスケで……。

 

 

「まさか、クロスケが連れてきたのか?」

「ピャァ」

 

 

 その一鳴きだけで、俺達は助かったんだって分かったんだ。

 ああ神様。クロスケは俺達を救うために来てくれた守護モンスターなんですね……。

 

 だからもう大丈夫だ。

 そう思うとただ込み上げてくるのは怒りのみ。

 これは恨みだ。俺達の身内を殺しまわった人間に似たモンスターたちに対する憎悪。

 奴等を切り刻んでくれる狼のようなモンスターたちがいる。俺達を襲わず、味方となって協力してくれる。

 

 無意識ながらに拳を握りしめた。

 このまま終わらせたくはないと、気持ちが荒ぶる。

 

 

「ピャ」

 

 

 そんな俺の感情を読み取ったように、クロスケが俺の頬にすり寄ってくれた。

 

 

「……ハッ。それはありがたいな。なあ皆! この狼たちは味方だ!! クロスケが連れてきてくれた味方のモンスターだ!! 敵はあの人間の見た目をしているモンスターだけ!! 協力して倒すぞお前ら!!」

 

 

 

 それは反撃の合図。

 モンスターと人間が協力して戦うだなんて前代未聞の――――――その光景を知る者達にとってはきっと、歴史に名を残す一ページの光景だった。

 

 

 

 

 

 

 



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29話 メリア大森林=攻略戦線 前編





 ルナという少女は本来なら世界に選ばれていたはずの■■■だった。

 本来なら英雄として選ばれるほどの実力者だった。
 彼女は幸せになるはずの運命をたどっていた。


 しかし、彼女に悪意を向けるものがいた。
 故意にすべてを捻じ曲げた誰かがいた。



 彼女を助けてくれる仲間は、誰ひとりもいなかった。



 ――――――『ルナ』にとって仲間と呼べた彼らはもう、この世にはいないのだから。








 

 

 

 

 

 

 動きをよく見て、その先を予測するとはルクレスさんから教わったことだ。

 考えて予期して、その先のデメリットを考えて、また行動する。ずっと考えてばかりだと辛いだろうから、たまには先に行動してから考えても良い。でもデメリットだけは考えなきゃいけない。

 

 今俺がするべきことは何だ?

 

 

 周りは悲鳴と混沌で溢れている。

 実験場の時の血のような香りがする。肉が飛び散る音がする。

 避難はしているんだろう。メリア大森林に住んでいる村ならばモンスター襲撃用に備えた防御用の建物が一つはあるはずだから。

 だがあの人間の姿をしている獣たちのほとんどは、何故かグローリーさん達の方へ向かっていた。

 いや違う。ルナが小さく指で示せば、その通りに皆が動く。そう実験によって躾されてるのだろうかと思ったが、違うみたいだ。

 獣が本能で強者に従うように、ルナの力は彼ら以上だから従っているように見えた。

 

 それだけじゃない。

 彼女の攻撃は拳を使ったものだけだ。だが、スピードが速いため攻撃範囲は広くてそのダメージも大きい。

 一瞬ルナの拳にオレンジと赤の光が発生し、その2秒後に攻撃を行う。その攻撃によって地面が派手に抉れ家が崩壊してしまうほどのダメージを負わせてしまう。

 だから下位モンスターならば一撃で死んでしまうだろう。

 

 たまに通常攻撃で光が発生することなく殴り掛かったこともあったが、それでもグローリーさんが吹っ飛び後ろにあった大木が倒壊したんだ。

 拳の攻撃ダメージは大きい。その一撃一撃が大砲で撃たれているようなものだと思った方が良い。

 

 

 それと引き換えに、仲間たちの状況はどうだろうか。

 今の俺は足手まといにならないよう崩壊した壁近くで隠れて様子を窺うのみ。力もないから何かできるわけじゃない。

 グローリーさんはその巨体を生かした突進やら拳での攻撃やらを仕掛けているが、スピードが遅いせいかルナに避けられてばかりいる。それと同時に体勢を崩されて逆にカウンターを仕掛けられ攻撃されてボロボロだ。だがまだ動くことは出来る。

 ランルークさんはリザードマンとして体勢を低くし、以前実験室にあった武器を使って攻撃を仕掛ける。だが切りかかる前に人間に似た獣との混戦状態だからか、よく邪魔されてその攻撃を避けている。グローリーさんの体勢が崩された先にランルークさんがいた時もあって、不意に押し潰されそうになって後ろへ大きく後退したこともあった。咄嗟の判断状況で行動しているのだろう。

 グレンはシャドーバットとなったらしいモンスターの姉と共に物理攻撃を仕掛けるが、一撃で死んでしまう可能性を本能で感じているのか、攻撃されそうになったらすぐに避けている。姉であるカレンの誘導もあって、攻撃されそうになったらすぐに注意してくれているようだ。しかし戦いの経験値が浅いせいか、逆にその火を利用されてグローリーさんやランルークさんの身体を火傷状態にさせていた原因でもあった。

 

 このままの混戦状態でいいのだろうかと考える。

 あの人間に似た獣たちはかつてのマリーそのもの。このままの状態にしていいはずがない。

 

 

 

「ランルークさん。ちょっと!」

「ッ―――――何ダ急に」

 

 

 ボロボロの身体で一気に後退し、俺の近くに来たランルークさんに話をする。

 攻撃で周りが見えていない他と違ってランルークさんだけは冷静に状況判断ができるから呼んだだけだ。

 俺にできることはたぶん、これぐらいしかないだろうから。

 

 

「グローリーさんとグレンたちに話をしてくれませんか。俺が指示を出します。周りをよく見て指示を出すので、その通りに動いてくれるかどうかって……」

「それハ……いや、今の状況は非常二良くナいかラな。信じよウ」

「はい! あ、その前になるべく高いところ……あの崩壊しかけの屋根の上に乗せてくれませんか?」

「良いだロう」

 

 

 あそこならば若干距離があっても声が届く。それに高い位置だから状況判断がしやすい。

 ランルークさんが俺をそこまで移動させてくれて、そして攻撃を行っているグローリーさんとグレンたちに話をしに行った。

 攻撃されて避けつつも、ダメージを与えられつつも怪訝そうな顔でランルークさんを見ている。不意に、グローリーさんが俺の方を見た。

 だから大丈夫だという意味で、俺は頷き声を出す。

 

 

「今のままだと絶対に負けます! マリーさんの時のように状況が分かってないから、負けちゃいます!! 人間らしい動きしかできてない皆だから、モンスターの力をきちんと使えてないから!!! だから俺の声を信じて動いてください!! 勝ちたいならその通りに動いてください!!」

 

 

 全員、マリーさんの時のようにモンスターの姿をしているというのに人間らしい攻撃しか出来ていなかった。視野が狭まっていた。だから、遠くにいてすべてを見ることができる俺が指示を出して、奴らを倒してやる。

 

 その意思を感じたんだろう。グローリーさんが珍しく分かりやすいほどに表情を歪ませた。

 

 

 

「くっ……ハハハハハっ!!! 俺様に命令すルか。今回だケだぞ小娘!!!」

「はい!! では指示を出すのでその通りに!!」

 

 

 ――――――さあ前を見よう。

 奴らの攻撃はすぐ近く。

 

 ルナは俺達の作戦に気づいているのか否か。ただ目の前のグローリーさんの巨体を粉々にするために拳に赤とオレンジの光を発生させる。その2秒後に奴の攻撃は来る。

 今なら隙がある。

 

 周りにほかの人間の獣たちがいてそいつらが噛みついてこないようにするためには……。

 

 

 

「グローリーさんは全身を使って周りを横殴りして! ランルークさんはグローリーさんの攻撃のあとすぐにルナに切りかかってください! グレンとカレンさんは周りの人間の足を重点的に狙って!」

 

「ぬゥ……なンと酷い指示ダ!!」

「はやく!!」

 

 

 グローリーさんからの若干の不満はあれど、指示の通りに動いてくれる。

 ルナが力を溜めている間に周りの人間の獣たちが噛みついて来ようとしたのをグローリーさんの巨大な横殴りで吹っ飛んでいく。吹っ飛ばされた先でグレンが足を狙って火傷を負わせて、そしてカレンさんが足から攻撃して血を吸いつつも歩けなくさせていく。

 

 衝撃と巨大な腕によって発生した風でルナの体勢が若干崩れる。そこをランルークさんが切りかかり、肩から血が噴き出た。

 ルナが攻撃を止めて片手で傷ついた肩に手を置いて、その真っ黒な瞳がランルークさんを睨みつけた。

 

 

「ころすころすころすころぉぉぉぉぁあぁぁぁぁああっっ!!!」

 

 

 ルナの体勢が若干右に寄った。

 見つめているのはランルークさんだけ。右の拳に力が入っているのが見える。

 

 あの二色の光はないけれど、このままだと……!

 

 

「ランルークさん左に二歩下がって後ろに大きく一歩後退!!」

「っ―――あァ!!」

 

 

 

 ――――――瞬間、一気にやってきたルナの攻撃が空振りする。後ろに大きく一歩下がったランルークさんの眼前で、その拳がかすりそうになったんだ。

 ランルークさんがそれに驚愕し、尻尾を大きく振った。

 

 だがルナがランルークさんを睨みつけているのは変わらない。

 追撃で拳に力が入っている。体勢が獣のように低くなる。しかし彼しか見ていないなら。

 

 

「グローリーさん、後ろから大きい手でルナを捕まえて大木に向かって吹っ飛ばして!!」

 

「オお、待っていタぞ!!」

 

 

 巨大な手がルナを掴んで吹き飛ばす。その動作で抵抗されたように見えたが、2秒ほど時間がかかる魔術込の拳を行うことは出来ず、大木の方へ吹き飛ばされる。

 そのまま大木を背にぶつけて倒れる。通常なら死ぬかもしれない攻撃だ。だというのに奴はまだ生きているし、ふらりと立ち上がってこちらを睨み―――――――いや違う。

 

 

「え?」

 

 

 やけどで這いずって血肉を求めていた人間の獣が、地面に倒れているレオンに手を触れた瞬間、体勢なんて関係なく一気にそちらまでいき、突撃をかました。

 拳を振ったわけもなく、攻撃をしたようには見えない。ただその身体を使って体当たりをして、レオンの身体を守ろうとしたように見えた。

 

 

 ああそうだ。

 ルナは最初レオンをどのように扱っていた?

 殴ったのは気絶させるためにか。でもなんで気絶させたんだ。行動させない為……自分から離れさせない為?

 大事そうに抱きしめていた。上着をかぶせて絶対に触れさせないようにここより少し遠めの位置に倒れさせた。だがルナの視界が見える距離にいる。

 そして一応は仲間であるはずの人間の獣に攻撃した。ほとんど本能で動いている獣のルナが、兄を守ろうとした。

 

 その意味って……。

 

 

「……ランルークさん。レオンを狙えますか?」

 

「ああ、いいだロう」

 

 

 俺の考えが分かっているのか、ランルークさんが小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 ああまったくもう!

 これだからルクレスさんの計画って意外と乱暴なのよ!!

 

 

「ギギッ」

「グォォー!」

「がぅー!」

 

 

「ほラ子供達、早く二階に避難しなサい!!」

 

 

 異形になったとしても彼らはまだ幼い子供。

 アルメリアだってそうだけど、ルクレスさんはあまり気にせず弟子のようにいろいろと教育するためだって危険な外へ出しているのがちょっとムカつくけれど、いまはそういう不満を言ってる場合じゃない。

 

 一階の窓や扉から一気に来た人間に似た姿をしたモンスターのような何かが私達に襲いかかる。

 身体に噛みつかれたと泣き喚いてる馬鹿がいたけれど、そいつアレだから。あんた普通に食べて寝て数日過ごせば身体再生するでしょうが!!

 

 ただこいつら檻の方まで行かれると面倒なのよね。あのクズ共を殺されるわけにはいかない。

 人間の血肉を求めているのか、ふらふらと檻の方へ向かって行くし。それを止めるのも難儀する。

 一応オーク戦で力をつけた仲間たちが対応して殺しにかかるというのに、奴らは恐怖を感じずただ噛みつこうとするのみ。通常のモンスターだってもう少し知能はあったはずよ。オークだって殺されかけて恐怖で逃げたって聞いたぐらいだし。こいつら感情も知性も何もかもが欠けてる?

 それに、なんでこの場所を襲ったのよ。

 ああまったく、これを予期していたルクレスさんがムカつく!!

 

 それに同意するように、近くにいたマリーが怒りの形相で声を荒げていた。

 

 

「本当に苛立ちますわね!! こいつらわたくしの防御魔法が効きませんわ! ああもう、お姉さまとの添い寝も出来ず殺されてたまりますか!」

 

「はァ? ちょっと待っテよマリー。防御魔法が効かナイって……」

「こいつらわたくしがやられた時と同じ実験を施された人間ですわ!! モンスターでないのなら、防御も能力低下も効きませんもの!!」

 

 

 ああこれこの実験場の関係者が襲撃してきたって意味なのね。

 そういうことなのねぶっ殺す。

 

 本当に国家に対して殺意が湧くわ。

 私は帝国所属だから国家に思い入れなんて何もないし、ただぶっ壊してやりたいっていう思いしかないんだけれど。

 

 私の身体はスライムで出来ているから、何かを溶かすことは得意だ。

 奴らの身体を溶かして栄養源にするのは吐き気がするけれど、必要ならなんだってやってやるんだから。

 

 でも必要なのはルクレスさんが考えた、()()()()()()()()()()()()()

 アンデット達が暴動を起こすほどの超労働で作り上げた巨大な落とし穴に叩き落として生きたまま捕えることが目的なんだから我慢しないと……。

 

 でもやることが多過ぎよ! モンスターの身体が頑丈だからっていっても、子供たちを避難させつつ檻の中の人間を食われないようにさせつつ、落とし穴へ誘導させるだなんて!!

 ルクレスさんなら「君たちならできるだろう? それを信じて僕は君たちに任せたんだ」って言って来るだろうけど! 一応無茶過ぎない作戦だけど!!

 

 

「ああもう本当に苛立ちますわね!! お姉さまと一緒に居たいというわたくしの気持ちにルクレスが邪魔をしますしなかなか会えませんし!! それにこの作戦を考えたルクレスの寝床に虫が寄ってこないハーブを敷き詰めてやりたいですわ!!」

 

「ああソれ賛成。私も手伝ウわ、マリー!」

「ありがたいですわアリス! ではとっとと終わらせてハーブを採りに参りますわよ!!」

 

 

 

 なんだかちょっとだけ、マリーと仲良くなれた気がする。

 でも苛立ちは消えてないからねルクレスさん。後で覚えてなさいよ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 



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30話 メリア大森林=攻略戦線 中編




「……人というのは、こんなにも堕ちていくものなのね」

「お気に召しましたか?」

「そうね……あなたの身体の中はとても居心地が良いわ。だからしばらく貴方の傍に居てあげる。そのために、忠義をきちんと果たしなさい」

「ありがたき幸せ」





 

 

 

 

 

 

 

 

 グローリーさんにダメージを負わせる魔術を込めた拳の攻撃は約2秒ほどかかるため分かりやすく躱しやすい。しかし通常攻撃はグレンやカレンさんに大きなダメージを負わせることができるし瞬時に攻撃へ移れるのが厄介だ。

 だが一瞬でも拳を握りしめて姿勢を左右のどちらかに傾けてから攻撃する癖があると見抜いたので、指示をしてすぐに躱してもらえるのならなんとか平気である。

 

 

 問題はレオンに触れた人間に似た獣が吹き飛んだ瞬間の攻撃だろう。

 一瞬で移動し、拳を使わずに体当たりを食らわせたあれは予測できない。

 だがただの体当たりだ。拳を使って攻撃しているわけではなく、突進にも似た自爆技。グローリーさんがいればなんとかなるだろう。ランルークさんにフォローに入ってもらって、グレンたちには周りの人間の獣たちをどうにかしてもらうか。

 

 周りだってかなり騒がしかったのに今や結構静かになっている。それはすなわち避難が完了したか、それ以外が全滅したかという状態だろう。俺達が助ける暇もない。だから何もしない。

 こいつらをどうにかしないと、それ以上の被害が出るかもしれないから。

 

 屋根の端っこへ移動し、そこにある傾いた大木に近づいて飛び降りて何とか下へ移動する。周りは一応獣などはいないが、まあそれでも念には念を入れるか。

 

 

「ランルークさん、レオンを捕まえてこっちに連れてきてください。グレンとカレンさんはこっちに来て、あの人間に似た獣たちがこっちに来たら対処を」

「おイ小娘! 俺様ハ!?」

「グローリーさんはルナに戦いを挑んでいてください! 魔術を使用すると分かったらすぐに言いますから!!」

「フッ良いだろウ!!」

 

 ランルークさんが頷き、グレンたちが俺に近づいて警戒し―――――そしてルナに対してその巨体を使って攻撃を仕掛けるグローリーさんがいる。

 スピードに速く、事態の対処をしやすいランルークさんならばグローリーさんを壁として扱って何とかこちらへ来ることができるだろうと判断したのも要因だ。

 考えてやらなきゃいけない。事態が動いたら、その次を考えて対処する。予想して、その次の段階を考えて、そしてまた考えて行動する。

 

 状況において必要なのは違和感だ。おかしいと思ったら考えなければならない。どうしてそんな行動したのかを予想しないといけない。

 敵には何かをやらかす癖が必ず存在するはずだから。

 俺が全面的に攻撃なんてできず、ただ見ている事しかできないことも。グレンやカレンさんが小さな体で動き周りのフォローをすることは出来るけれどルナのような存在とはまだ戦えにくいのも。

 ランルークさんが剣を好んで使うスピード特化であり、グローリーさんが身体を使って攻撃を好むパワー型の戦闘員なのもそうだ。

 生き物には必ず癖がある。それを見極めることが重要なんだ。

 

 だから思う。

 ルナの行動は最初からおかしかった。

 もしもレオンを殴り掛かったのがただそのままその場所にいてほしいだけだったとしたら?

 大事そうに抱きしめていたのが、彼女の本能だったなら?

 

 レオンがルナの弱点であるならば、やらなきゃいけない。

 おそらく理性がないからレオンをそのままつかず離れずということはせず、戦いに専念しているんだ。全部終わって脅威が去ったらレオンはどうなるのかちょっと怖いので想像はしたくないが、とにかく今ならやれるかもしれない。

 

 

「ウォォッ!!!」

 

 

 ランルークさんがルナの視界から隠れるように移動し、グローリーさんが一気に彼女の元へやってきて拳を振り上げる。

 それに片手で対処しようとしたので、カレンさんに言って首元に噛みついてもらうよう指示を出す。

 首に噛みつかれたルナが血を吸われまいとすぐに抵抗しようとしたが、グローリーさんの攻撃のことを忘れてしまい、カレンさんが飛んでこちらに戻って来る間に殴り掛かり、ルナの身体が宙に浮く。

 

 

「ひはっはハハッ!!」

 

 

 だというのに、彼女は笑っていた。

 いや、狂った笑みと表現した方が良いな。

 

 

「アルメリア、来るゾ」

「ギギッ」

 

「オーケー。よし、ここからがキツいと思うが頑張って俺を守ってくれよ。俺は一撃ですぐに死んじゃうほど弱いからな」

「ハイハイ」

「ギギィ!」

「いでデ、悪かっタッて姉ちゃン!」

 

 

 なんかカレンさんが羽でグレンの火を消そうとしている仲良しの姉弟喧嘩のところ悪いけど、こっちは大変なんだから集中してもらわないと……。

 

 

「来るぞ!!」

 

 

 

 ランルークさんが一気に隠れた場所からレオンの倒れている地面まで駆け出し、すぐに彼を横抱きにしてこちらへ走っていく。

 それを見た瞬間、ルナが動いた。ルナの真っ黒な目が見開かれ、苦しそうな表情を浮かべて頬を掻き乱す。

 否、実際に彼女は頬を掻いている。血が噴き出るほどに掻いて、苛立ち混じりに歯軋りをしてこちらに敵意を向けた。殺してやると言わんばかりの表情。理性はないが、本能で俺達を敵と認定しぶっ殺すと決めたような不気味なもの。

 

 ああすごく、ゾッとするな。

 

 

 

「いぁァァァッ! かえせぇェッ!!!」

 

 

「ッ―――‐――グローリーさん!!」

「あァ、任せトけ!!!」

 

 

 

 グローリーさんが壁となって立ちはだかる。

 その両手でルナの身体を捕まえて、絶対に離さないように握りつぶしそうなほど力を込めているのが見えた。

 

 

「かえせ。返せ返せかえせかえせ!!」

 

 

 

 大岩に阻まれて、ギリギリと抵抗する音が聞こえる。ルナの抵抗とグローリーの強固な捕縛が対立し合い、不協和音のような嫌な音を奏でる。ルナの骨とグローリーさんの大岩が軋んでいる音だろうか。

 やがて力を込め過ぎたのか、ルナの歯が一つ欠けたのが見えた。

 

 

 

「返せ。返して」

 

 

 

 ぶつぶつとルナから独り言のようなものが聞こえる。

 ランルークさんが俺の近くにレオンを置いてくれた。

 

 起こさないといけないから、その頭に触れて―――――――。

 

 

 

 

「ころす」

 

 

 ゴキッ、という嫌な音が2つ鳴り響いた。

 

 

「ヌぅ……おい小娘! そッチに行っタぞ!!」

「っ!」

 

「アルメリア!!」

 

 

 グレンたちが何とか俺を後ろに庇う。

 俺はレオンから離れず、ただその光景を目にしていた。

 

 ルナは俺達の真上にいる。

 だがしかし、ルナの両腕が折れたようにだらんと垂れ下がっていた。違う、肩から脱臼させたんだ。まさかとは思ったが、こいつグローリーさんの手の中から逃れるために腕を犠牲にして飛びやがったのか!?

 

 赤とオレンジの色の薔薇のような模様が浮かび出ていて、それが一気に光り輝く。

 まさか……いや、嫌な予感がするが……。

 

 

「あっハハっ!」

 

 

 

 筋肉を使ってか、無理やりゴキッと腕の骨を元に戻してランルークさんの真ん前で着地し、体勢を低くして両腕を地面につけ一瞬で彼の顎を蹴りあげて少しだけ宙に浮かんだ身体を掴んで、グレンとカレンさんに向かって殴り飛ばす。

 

 

「ころしてあげる」

 

 

 

 頬を吊り上げて嗤ったルナが、俺の頭を握りつぶそうとしてきた。

 それはまるでルクレスさんの時のようなもの。頭からまた潰そうというのか。俺を殺そうと……。

 

 

 

「いやだ!!!」

 

 

 片手でルナの手を振り払う。

 

 手と手が重なった一瞬、バチリと何かが破裂した音が聞こえた。

 静電気かと思ったけれど、そういうものじゃなかった。

 

 

 

「ッ――――――あれ、わたし……兄さん……何で……あれ……」

 

 

「え?」

 

 

 

 見上げた先にあったルナの顔に理性が戻る。瞳の色が、真っ黒ではなくなって元に戻る。

 いや違う、絵の具でごちゃまぜにしたような色が、瞳を濁らせる。理性が急に消えていく。何かを思い出したように笑う。嗤う。

 

 

 ちょっと待ってくれ。何が起きた。何をやった?

 触ったら、元に戻った……いや違う。

 それなら今、腕を触っているのに戻らない意味はないだろう。濁った瞳が晴れることがない。それどころか逆に俺の腕を折れそうな勢いでルナが握りしめてきて―――――。

 

 

 

「あれ……アは……ハハハハハハハハッ!!!! りゅーの、ドラゴンのぉぉぉみぃぃーつけたぁぁァァハハハハッハハハハハハハハハハッッ!!!!!」

 

 

「ひっ!?」

 

 

 

 いやいやいや怖い!! ホラーかよって思えるほど狂気に満ちてて怖い!

 腕握られてるから折られる痛い痛い痛い痛いッ!!

 

 やばい死ぬ怖い! 俺このまま殺される!!

 助けて!!

 だれか助けて!!

 

 

 

「ぬォぉぉ!!!」

 

「グッ……」

 

 

 急に轟音が響いて思わず目を閉じた。

 腕の痛みは消えた。いや、じくじくと鈍痛はするけれど、先程のよりはマシな方だろう。

 

 ゆっくりと目を開けて見れば、そこには巨大なゴーレムが……いや、グローリーさんがいた。

 俺を守るように、グレンたちが背で庇ってくる。ランルークさんが追撃をしていく。

 

 

「し、死ぬかと……思った……」

 

「ハーッハッハッ! まだ終わっとランぞ小娘! さっサと作戦通りに動ケ!」

「分かってる!」

 

 

 身体が震える。死ぬかと思った衝撃が抜けなくて力がうまく出ない。

 けれど、今はやらなきゃいけない。

 

 やるしかない。

 

 

 

 

 

 

 腹がすごく痛い。何故だろうか。

 いや、ここは……。

 

 

「起きてくださいレオンさん!! はやく起きて!!」

 

「うぉっ……は?」

 

 

 

 目覚めたら周りが凄い状況になっていた。

 モンスターと幼女……いや、アルメリアちゃんに囲まれている。

 ルナが真っ黒の瞳でこちらを見つめている。

 

 

 

「何が……どうなって……モ、モンスターたちはアルメリアちゃんが?」

「はい。皆味方をしてくれています。ただ、ルナさんが何かに操られていて……」

「操られて……ってどういうことだ!?」

「以前も彼女と同じ様子が変わった人を見たことがありまして……」

 

 

 

 なるほどと冷静に思う気持ちと、これは夢なんじゃないのかと現実逃避する気持ちが混ざっていく。

 

 確かに瞳の色もおかしいし、頬が血で染まって両腕も変に怪我をしているように見える。

 あいつが身体を痛めつけるような攻撃をするわけがない。せいぜいが拳を痛めることぐらいのはずなのに。何故……。

 

 

「誰に操られてるんだよ……あいつ、そういえば国家にいる魔術師の友達に会って来るって……」

「おそらくその魔術師とやらにやられたんでしょう。人間とは呼べない存在になっていて、どうにかして正気に戻さないといけないんです。でもその方法がなくて……最悪は……」

 

「そんな……。いや、そんなことさせてたまるか! だってあいつは俺の妹で、ずっとずっと苦楽を共にした家族で……大切な、妹なんだ……」

 

 

 前を見ればモンスターたちが絶対に俺とアルメリアちゃんに近づかせないように連携して戦っている。ゴーレムが壁のように阻み、そこを乗り越えようとしたらリザードマンが切りつけて叩き伏せ、細かい点でウィスプとシャドーバットがフォローに入る。

 まるでモンスターと戦う冒険者のようだ。どちらがモンスターで冒険者なのかだなんて、考えるまでもない。

 夢だったら良かった。違う。夢じゃない。

 あの馬鹿は。あの馬鹿妹がやらかした行為は、夢なんかじゃない。

 

 

 嫌な想像をして息が乱れる。心が締め付けられる。視界が変に歪む。

 腹を痛めたせいか、そういえばあいつ俺に殴り掛かってきたんだったな。ルナが俺を殴るだなんてことありえないってのに……。

 

 ああ、こいつが魔術師に会って来るっていった以前のことを思い出す。

 思い出して思い出して、後悔する。

 何で俺はあの時ちゃんと止めなかったんだ。ようやく兄離れしてくれるかとか思ったからか。大事な妹が自立してくれるんじゃないかと思ったせいなのか。

 

 

「ごめんなさい。俺にはどうしようもなくて……」

 

 

 アルメリアちゃんが謝るようなことなんてなにもない。

 ただ、俺が情けないだけだ。

 

 

「でも、ルナさんの大事な兄であるあなたなら、彼女を正気に戻ってくれる可能性があるんです。ですから……」

「いや俺には無理だ。妹を止める力なんて……情けない兄だから……」

「そ、そんなことないですよ! だってあんなにも仲がいい兄妹なのに!」

「あいつは俺を失望してる! だから殴って来たんだろうが!!」

 

 

 苛立ちに任せて怒鳴ったあとに後悔が先走る。

 こんな幼女に八つ当たりなんてするつもりはなかった。

 

 でももう遅いんだ。

 ルナは俺から離れた。そして俺を殴り掛かった。

 正気のない妹を誰がした。俺だろう。

 そう思っていると、アルメリアちゃんが急に立ち上がって俺の目の前に立って。

 

 ――――――俺の頬に向かって、平手打ちをしてきた。

 

 

「っ……え?」

 

「馬鹿かアンタは! 今だってずっとルナは返せって呟いてるんだぞ! 失望なんてするわけがねえだろうが! 自分の殻に閉じこもってねえでちゃんと妹を見ろ! どうしてこうなったのかを見ろ!! 兄が大事だからアンタを攻撃したんだろうが!! どこにも行かないようにってな!!!」

 

 

 

 幼女の可愛らしい声で、男の子のような乱暴な口調で俺を諭そうとする。

 苛立ちと焦りとモンスターたちの戦況を見て、俺の情けない様子に喝を入れる。

 

 

 

「妹が失望したんじゃない。アンタが妹に対して逃げようとしているんじゃねえか! ちゃんと向かい合えよ。妹の正気を取り戻すためにやってみせろ!! レオンにとってルナは血の繋がった実の家族だろうが!! 家族から逃げようとすんじゃねえよ馬鹿野郎!!!」

 

 

 

 そうして気づく。妹は何で魔術師に会いに行こうとしたのかを。

 俺を守ろうとしてくれたからじゃないのか。

 

 守ろうとして、それで、俺を……。

 

 

「ギギッ!!!」

 

「あっ、ヤバい。危ない!!」

 

 

 シャドーバットの警告音を聞いてアルメリアちゃんが俺の腕を引っ張ろうとして逃げようとしてくる。

 よく見れば後ろから俺に向かって……いや、憎しみの込めた真っ黒な目でアルメリアを睨みつけている。

 

 拳を握りしめているのは敵と戦う時のあいつの癖だ。

 家族だから分かる。あいつが、ルナが何をしでかそうとするのか。

 

 

 だから―――――――。

 

 

「ガハッッ!」

 

 

 

 握られた拳がアルメリアちゃんに向かう前に、彼女を背に庇ってその攻撃を受けた。

 腹に受けたダメージは先ほどの比ではない。

 

 激痛がする。下を見れば、ルナの腕が俺の腹を突き破って背中まで貫通している。

 血が流れ、込み上げてきた吐き気で吐血し、ルナの顔に当たった。

 

 目の前にいるからか、妹の瞳が一瞬だけいつもの色に戻った気がした。

 

 

「にい……ちゃ……?」

 

「ルナ。お前は生きろ……殺すん……じゃない……救って……」

 

 

 

 視界が見えなくなっていく。

 息がしづらくなる。何もかも、はっきりとわからなくなる。

 

 

 

「ああああああッ!!!!」

 

 

 

 なにも、きこえな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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31話 メリア大森林=攻略戦線 後編

 

 

 

 

 

 

 

 血の匂いがする。騒がしい声が聞こえる。

 誰かが死んだかもしれない。何かの肉が食われている音がするのかもしれない。

 

 メリア大森林の奥。森よりも上に位置する高台のような場所。

 森の中心地に位置するそれは、状況判断をするのに適した監察位置だ。

 それこそホームの二階付近と同じく、メリア大森林を眺めることができる場所へ移動する。

 

 そうすれば、見えてきたのは森の現状を眺める観察者。

 僕の予想通りに、人がいた。

 だから奴に向かって小さく指示を飛ばした。まあそれはどうでもいいけれど。

 

 男は僕を見て嘲笑する。

 

 

「ああ、あなた死んでなかったんですね……」

「僕の身体は普通とは違うからね。……本体は奥に隠しているから、逃げることは可能だよ」

「なるほど、次に行うモンスター変異実験の注目点として留意しておきます」

 

 

 歩いた先にいたのはローブを着た男。眼鏡をかけており、マジックアイテムのような何かを持っているようには見えない。だが魔術師は外見で力量を図ることは出来ない奴等だ。警戒は怠ることは出来ない。だから考えよう。

 冷めた目でこちらを睨みつけながらも振り返った人物について、僕は見たことがない。

 知らない人間だが、確実に国家側の連中の仲間だというのは分かった。

 

 

「少し話でもしないかい?」

「ええいいですよ。あなたの……レッドキラーの対処法は知っていますし、あなたはのお話には興味があります」

 

 

 

 明らかに見下したような目だが、現状としてはその方が都合がいい。

 

 

 

「僕はずっと考えていたんだ。僕たちを使った実験場で反乱が起きた場合、何が起きるのかについてね。僕たちは死にたくはない。だが反撃をすれば必ず痛い目に遭うだろうから、どう防ぐのかずっと予想を立てていた」

「…………」

 

「まず一つに、反乱を起こし研究所を襲った僕たちに対しての対処。だが僕たちは低レベルの下位モンスターだから君たちが僕たちに対して簡単に対処することは可能だ。まあ簡単にさせるつもりはないけれど、でも君たちはそれをしなかった」

 

 

 僕の話を聞いている男は、何も反応をせずにいる。

 ひっそりと行動することもなく、僕を殺そうとするわけもなく、ただ実験での暇つぶしに僕を利用しているだけなのだろう。

 

 

 

「もう一つは、実験を進めることだ。メリア大森林に住んでいる村の人は死亡率が高く実験で有効活用できるだろう。だが人間を使った実験で成果を出さなければ禁忌を犯した犯罪者として汚名を残すことになるだろうというデメリットもあるが、そのためにより多くの実験と成果を残さないといけない」

「おや、そう思いますか?」

「ああそう思うさ。かつて新しい魔術を生み出すために行った四方実験において、人間相手に実験をしていたが有益な魔術を生み出した物として罪はなかったこととして扱われたのだからね。それに、宝玉に関しての研究はまだ途中のように思えた。

 僕たちのように人間からモンスターへ変異する実験以外にも……マーガレットと呼ばれる人間のままに能力を高めた実験体も存在した。それはすなわち、研究する幅は広くあるということだ」

「…………」

 

「戦争で活躍した英雄は時代を間違えば大量殺人鬼となる。それと同じ原理だよ。より多くの研究成果を残して国の為に役に立てば、君たちは歴史に名を残せるようになるだろう。良い意味で」

「ふふふっ……それで? そんなくだらない話をするために自分の元へ来たのだというのですか?」

「いいや、そうじゃない。ただ聞きたいことがあったんだ」

 

 

 余裕ぶった顔で笑う男に、ただ内心で嘲笑った。

 今の反応は図星であったのだろう。実験を進めたいと願う魔術師か。研究に没頭したいが、それをするためにこの森を襲ったのか。

 

 

「ルナたちは僕たちと違って人間のままだが、やはり違いがあるのかい?」

「フフッ……ええ、ここまで来てわざわざ話をしてくれたのですからね。せっかくですから教えてあげましょう。ルナとあの人間たちは潜在能力を引き上げたんですよ。細胞変異実験とは違い、力の限界を高めてやるだけ。

 副作用として理性がなくなり、呪いにかかった生き物になるか、国家が禁じている禁忌の薬草中毒になった人間のようになりますがね。ですが生きている生き物に対して全て殺すことしかできない獣ですから、扱いは簡単ですよ」

 

 

 つまり、マーガレット・ナティシアの実験結果が今のルナたちというわけか。

 マーガレットの実験で想像するに、防御魔術の力を最大限まで上げるのだと思っていたが、それではなく潜在能力の引き上げ。

 それならば、もともとあった力を限界まで上げるということならば、マーガレットの対モンスター防御魔術の力の限界突破も、ルナの異常な攻撃力も良く分かる。

 人間のまま力を上げたから、その枷が吹っ飛んだ影響で思考がなくなったのか。

 

 

「なるほど、僕たちとは真逆というわけか」

「ええそうですよ。そしてこの実験では人間の姿をしたモンスターと、モンスターの姿をした人間の争いがどう勝つのか見てみたかっただけです。それ以外にもありますが……。実験について自分たちがやったとは思われないでしょう。なんせルナ達はもう壊れてますからね」

「……ルナの理性が戻ることはないと思っているのかい?」

 

「ええ。宝玉の魔力を注入したことによって魂の核がこわれていると実験で証明されましたから」

 

 

 

 魂の核―――――確か、魔術師たちにとっての人間の心臓。物理的な心臓のことじゃなく、精神的なもの。

 ルナ達の実験はマーガレットの実験研究の先を行くための物だとして、魂の核が壊れているのだとしたら、マーガレットがきちんと元に戻ったアレは……。

 

 いや、彼はそれを知らないだろう。

 監視の目はないことはいろんな視野で確かめたんだ。魔術での監視も、ホームに調査しに来た人間についても全て確認して排除した。

 

 だから僕たちのホームについて、知ることはないが……。

 

 

 

「メリア大森林すべてを使った実験は明らかに帝国に喧嘩を売り、国力をある程度低下させるデメリットしかないように思うが、これは必要な作業だったのかい?」

「ええ必要ですよ。自分にとっても、彼らにとっても……」

 

 

 にっこりと笑った男が、横目で森を見た。

 

 

「宝玉は次の段階へ進んでいます。生き物にではなく、もっとより強力な武器とするための実験へ。ですのでここは廃棄します。実験場もメリア大森林に残る爪痕も、そして彼ら実験体も。何か変化があれば連れて帰るのみですがね……。

 どうせあの帝国は領地外のメリア大森林に住む村人なんて気にもしないでしょうし、モンスターの大災害だと勝手に思ってくれるでしょう」

 

 

 自分勝手な考えだ。だが逆に考えれば、それを許される立場にあるということか。

 だがこれで理解する。メリア大森林の全てが実験場であり、何かあればすぐに対処するためにこの男がいるということを。

 宝玉はアレクシア一族が握っていることは分かるが、僕たちを変えたあの強力な力を持った宝玉を国王に知られず永遠に所持することは難しいように思う。実験を行っていることだし、国家の中枢部には知られているのだろう。

 この実験場が連中にとっての遊びの場のように思えるのも、そのせいか。

 

 

「……知られるわけにいかないから、全員を皆殺しにし、ついでにルナたちの力がどの程度あるのか把握するためにやっていると?」

「ええそうですよ」

「何が起きてもいいってことかい? メリア大森林の外にあの実験体が出て行き、町に被害が及ぶかもしれないんだぞ」

「それはあり得ませんよ。メリア大森林の周辺の町へ行く前に彼らは死にますしね」

「死ぬ?」

「モンスターと違って人間は脆い生き物です。能力値を向上させても限界を突破すればやがてその身は滅ぶ。精神である魂の核も壊れているんですから、死ぬのも時間の問題でしょうね。理性ないモンスターに生き残りたいという欲求なんてないですから」

「……ああ、そういうことか」

 

 

 それは、つまりメリア大森林での大虐殺が起きても構わないということか。

 国家がそれを容認した。そして人間がいくら死んでも構わないと彼は遠回しに言った。

 

 ならば、行きつく先は……。

 

 

 

「……ちなみに聞きたいんだけれど、次の実験段階っていうのはなんだい?」

「フフッ」

 

 

 

 何も言わない。だがそれが答えだった。

 人間を使った実験。

 大量に、それも帝国との関係を無視して行った実験での被害を気にせずやるようなもの。

 

 国家は戦争状態へ突入していると聞いた。それだというのに実験を進める理由は何だ。

 宝玉の価値。生き物のあり方を変える力の増幅。

 副作用があっても、実験を続けていけばいつか修正できるかもしれない。そうなれば、国家はどうなる?

 

 

 

「……なるほど、僕たちの敵は国家だけに収まらなくなるってことか」

 

 

 宝玉を一刻も早く手に入れなければならなくなった。

 以前もそう思っていたけれど、今はそれ以上だ。

 

 あれの価値を知れば、必ず狙って来るだろう。

 争いは世界へ発展するだろう。

 争いが起きれば、僕たちが介入する暇はなくなる。

 

 僕たちが宝玉を奪おうとするのも時間が限られている。人間の姿に戻るためのチャンスは少なくなっている。宝玉は力の源。この世界において強者は勝者であり、力をより多く求めるのは当たり前だからだ。助け合いなんてするような暇はない。力がなければ、国は亡ぶ。

 

 ―――――――僕も覚悟を決めよう。

 

 

「……いろいろと面白い話をしてくれたのだから、僕を逃がす気はないのかい?」

「ええもちろん。あなたは下位モンスターといえども元は帝国の戦士。それも英雄に位置する人だ。あなたにはルナ以上の魅力があるんですよ。ですから―――――」

 

 

「連れて行くって?」

「ええ。抵抗はしない方が良いですよ」

 

 

 にっこりと笑いながら火を僕に向かって放つ。

 それに人間としての身体が火で燃えてしまうので、一気に蜘蛛の身体となって木の枝へ飛び上がる。

 

 

「逃がしませんよ!」

「そりゃどうも。僕をそこまで価値があると思ってくれてるのはありがた迷惑だね!!」

 

 

 確かに炎は僕の苦手なものだ。蜘蛛のモンスターとして弱点である火に振れればすぐに人間として作り上げた偽の身体となった糸部分が燃えてしまうし、火傷を負えばしばらく身体が動けなくなる。

 それに体力だって普通のモンスターよりもないんだ。若い頃の人間だった時に比べても少ない。一撃で日に当たれば死んでしまう。だから躱す。何度も走って飛び上がり、木の枝に向かって伸びた蜘蛛の糸を掴んでそこまで飛び移る。

 

 

「そこまでです!」

 

 

 飛び移った枝が燃えて、僕の身体が地面に落ちた。

 もう一度飛び上がろうとして、僕の身体を捕まえようと男の手が伸びた。

 

 

「さあ、もう観念して……っ?」

「ああ、やっと効いたんだ」

 

 

 男の身体ががくりと倒れた。

 それに糸で結んで、身体全体を木で固定し、無理やり立った状態のまま吊るし上げる。

 抵抗しているのか糸がギシッと妙な音を立てるが、力が抜けているために逃げ出すことは不可能。いくら通常のモンスターより弱い僕の糸であったとしてもだ。

 

 

「なっ……にを……」

「僕は下位モンスターだよ。でも、知能はある。弱いモンスターであろうとも、普通の昆虫なら使役をすることだってできるんだ」

 

 

 最初に出会った頃に小さな蜘蛛に僕の毒糸を奴の身体に触れさせるように仕向けた。それだけじゃなく、睡眠作用のある毒で噛ませた。

 だから毒が回ってようやく倒れたんだ。時間経過は予想以上にかかってしまったけれど、計画通りではあるため気にはしない。

 小さく舌打ちをしている魔術師に向けて、僕は木の上へ登ってから糸で下がり、宙ぶらりんのまま奴の眼前へ身体を向ける。

 

 

「じ、ぶんを……どうす……」

 

「君をどうするつもりかって? ハハッ……そうだな。一つ面白いことを聞かせよう。モンスターはどうやって進化を遂げると思う? 人間のように一つの身体でしか成長できないのとは違い、どのような要因が重なって進化をすることが出来るんだ?」

 

 

 

 僕の問いに呆然と男が見つめる。それに思わず笑いそうになった。

 覚悟は決めている。世界が敵になるかもしれないと思えば、強くならなきゃいけないのは当然だったから、だから恐怖はあっても必要だと思えば感情は関係なくなるんだ。

 

 それに、モンスターの進化には様々な用途が絡んでくる。命を取り込み強くなるということも必須条件になるが、それ以外にも進化の過程において必要なものがたくさんある。

 ゴーレムならば周りの魔力が溜まった大岩を身体に取り込むこと。ブラックバットなら血を大量に飲みこむこと。それ以外にも、様々な死が必要になるが、下位モンスターが少しだけ強くなるための進化には必要ない場合も多い。スライムだって環境によって進化する方法が異なるぐらいだし。

 

 そして僕は――――――。

 

 

 

「レッドキラーの名の意味は『赤い殺人鬼』というもの。下位モンスターとしての攻撃性は弱いが強くなるために貪欲で、生き残るためにその身を赤く染める性質を持っている……まあ、どういうことか魔術師の君なら分かるだろう?」

「な、ま……ぁっ……ま、さか……待っ!?」

 

「レッドキラーの進化は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というもの。赤い殺人鬼という名前は、進化とその次の残虐なモンスターの恐ろしさからつけられたものだ……さあ」

 

「ヒッ。や、やめ……やめて……!!」

 

 

 糸で顔を全て縛り付ける。周囲の木と男の顔を固定させ、抵抗されてもすぐに動けないように頑丈に、多重に縛り上げていく。

 頬を吊り上げさせ口を開かせる。

 涙を浮かべる男に同情なんてしない。ただずっと感じていた胸の内の怒りがすっとするだけだ。

 

 

 

「僕の為に、すべてを捧げてくれ」

 

 

 

 男が必死に口を閉じようとしていても、糸で頑丈に縛って、蜘蛛達の毒で麻痺した身体にはもう何も抵抗は出来ない。

 だからそのまま、その状態のまま。

 

 

 ―――――――その中へ、入っていった。

 

 

 

 

 



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32話 メリア大森林=攻略戦線 終幕

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……あ……」

 

 

 項垂れるように叫び、地面に横たわる兄の姿を目にして目の光がまたなくなっていき黒く染まっていく。マーガレットの時とは少しだけ違って、誰なのか認識してはいるが、理性を抑える衝動はないらしい。呆然としていたが、頬はぴくぴくと動いているし、周りの嫌な声も収まらない。

 

 ただ、自分が殺してしまった兄を見つめて、その血に濡れた両手を見て―――――――。

 

 

 

「ころして……コろ……フ、フ……アハハハハハハハハっ!!!」

 

 

 

「アルメリア、こっチへ来イ!」

「う、うん」

 

 

 

 先程と同じ狂気に満ちた声で叫び、俺達を睨みつける。

 だからそのまま両手をこちらに向けると思っていた。ランルークさんが俺を引っ張って背に隠し、また警戒を高めて前へ出る。先ほどと同じく連携できるような体勢で、あいつが向かってきたらすぐに反撃できるように整えておく。

 

 ルナの攻撃範囲は広い。それだけじゃなく、どう攻撃したらいいのか分かっているし、防御をどう崩してその懐へ入ればいいのかも分かっているプロの戦闘員だ。

 近接戦闘特化相手に近接攻撃を挑むもんじゃないってのは分かるぐらいに。

 

 

 

 

「しんじゃ……な……ら、いっしょがいいな……」

 

 

「あっ」

 

 

 一筋の雫が、彼女の血に濡れた頬を伝う。

 ルナはまた正気を取り戻したわけじゃなかった。ただ失ってはいけないものを思い出しただけなんだ。

 

 ――――――気が付いたら、というべきだろうか。

 彼女は血に濡れた両手で自らの顔を無理矢理ずらして首を折って、あっけなく死に絶えた。死んでしまった兄を追いかけて逝ってしまった。

 正気を失っても人間としての機能は働いていたからか、本当に簡単に死んだんだ。

 

 

 

「……なんダ、随分とあっけなイ」

「ギギィ」

「こっチは物足りンぞ。もう少シ何かあっテもいイモのを……」

「戦闘狂は黙ってイろ。アルメリア、無事カ?」

 

「…………うん」

 

 

 同情はしないと決めた。ルナの自業自得でレオンは殺されて、あっけなく自害した。それだけのことだ。

 だが何故だろうか。気分が良くなることはない。

 胸糞悪いものを見た。ただ悪い夢を見た時よりも嫌に心に残るものだった。

 

 ルナは何故、マリーと同じように正気を失っていたんだろうか。病気とは思えなかった。呪いの状態とは思えないほどにマリーの時と同じ感じがした。それはすなわち、宝玉が使われたということ。あの連中だってそうだ。

 俺達を攻撃するために力をつけたとしても、何故宝玉の力を使われたんだろう。

 

 宝玉を使われた理由がただの実験だとしたら?

 

 利用されて実験台にされて、今のこの場所が膨大な実験場だとするならば。

 周りにいる人間に似た獣たちも俺達と同じ被害者なら、助けてやりたいという気持ちになる。

 

 だが、もたらした被害は尋常ではなかった。

 ルナがいなかったら助けてやれたかもしれない。でももうどうしようもない。グレンたちが避難所へ誘導したというのに、みんなが一生懸命生き延びようと動いていたというのに。

 俺達だって生きるために必死だった。周りもそうだった。

 

 

 考えて行動しなければならない。俺がまたこれを戻したらどうなる?

 皆が綺麗さっぱり生き返ったとしても、傷が治って綺麗になったとして、それで全て問題解決といくだろうか。

 

 その一瞬を元に戻すことができたとしても……。

 

 

 

 

「……ランルークさん。あいつらはどうする?」

「捕エてホームに連れテ行く。……村人は避難してイる連中以外ハ全滅したンだ。このまま放っテ置いテモ意味はなイ。それにお前ナらバこいつラを――――――」

「なら、殺そう」

「アルメリア?」

 

「正気を失っているんだ。これ以上人間じゃないまま生かしていても可哀そうだろ。だから殺そう」

 

 

 俺の言葉に何故か仲間の皆が驚愕したような雰囲気が漂う。

 以前俺がマリー戦において気絶していた時にいつの間にかやらかした出来事を思い出していたからかもしれない。

 

 どうやったのかさえ分からない。どうすればあの時の状態に戻るのか分からない……と思う。

 でもどうせ、そんなことをしても救われることはないだろうって分かるから。

 ルナは兄を殺した感触をきっと覚えているだろう。生き返らせたとしても、罪はなくならない。

 

 俺達だって正気を失っていてもやらかした事実は変わらない。

 どうせ皆おかしいから。死んだままにするんじゃなくて、俺が殺したことにする。

 

 生き返らせれば全てリセットされると思うけれど、それはしてもデメリットが残るから止めておく。

 

 

 

「……生き返らせナいノか」

「ああそうだよグレン。たぶんこの場所は実験場だ。俺たちのことを観察されている可能性が高い。たぶん一人や二人じゃないんだろう。これから先の事を考えるなら、俺の……アレについては使わない方が良いと思うんだ。それにこれ以上俺達のような存在を作っても意味がないって思うから」

 

 

 村が救われても残った爪痕は深くなる。

 俺が生き返らせたとして、それ以上の要求をされる可能性もある。監視の目があったなら俺の事を重要視するだろう。ぶっちゃけ蘇生魔術が使えるかどうか今の俺は分からないんだ。どうやってあの状態にするべきなのかも分からないし、あれ一回だけでもう二度と使えなくなる可能性だってある。

 なら、生き返らせることよりも殺したと考えた方が良い。死んだ方が楽になれるっていうのは事実であるんだ。実験中だった頃の俺はずっとそうだった。死んだ方が良いって思ってた頃があった。

 だから殺して楽にするんだ。

 

 今必要なのは『モンスターが人間を救った』という事実のみ。避難誘導だってしたし、人間を救った場面もあった。それを変えるわけにはいかない。だからこのままにする。

 

 

 

「……そウカ。お前がそう決めタなら俺達は何も言わナい」

「ありがとうランルークさん」

 

 

 気分は優れないけれど、結果は残ったんだ。

 このまま気絶したい気持ちがあるがやらないといけない。

 

 人間たちにモンスターが助けてくれたという事実を知らせていこう。

 

 

「あの人間の獣たちを……被害者たちを殺してから、村の人たちに知らせよう。脅威は全て消えたって。そして恩を作ってから、こっちの要求に答えてもらうんだ」

 

 

 全部終わってホームに帰ったら、マリー戦の時になった俺のあの状態にどうなれるか検証してみよう。

 

 ……蘇生魔術だけでも思い出せたらいいな。

 ルクレスさんを生き返らせたいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 








 これが終わりだとは、モンスターの中で誰も思わないだろう。
 アルメリアさえまだ終わったとは思っていない。


 世界中からメリア大森林が注目され、脅威とみなされるのは――――――これより少しあとの話になる。





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33話 切り捨てられた人たち




 無知なのはいけないことだと誰が言ったのだろうか。

 知らない方が幸せだと誰が言ったのだろうか。



 これは、知っている者と知らない者のどちらがより幸運なのだろうか。





 

 

 

 

 

 

 すべてが終わったように見えたが、まだ不安は残っている。

 奴等が誰だったのか。何処から来て、どうしてこの森の中にある村を襲ったのか。

 

 

「食料はこっち! 衣服はこっちよ!」

「なあ息子を見なかったか? 一緒に来ているはずなんだが……」

「子供なら中央に集めているわ。ほら、夜に備えて早くしなさい!」

 

 

 俺の知っている村の人を含めた様々な人たちが広場にて集結し、襲撃の対策を練るために木材の大きな壁を打ち立てる仕事やら食料や衣服などを集めて過ごせるようにしている人などが忙しく動いていた。

 当然俺も木材の壁を立ててあの連中が入って俺達を食い殺しに来ないようにしている最中だが……。

 

 

「なんでこうなったんだ……」

 

 

 今回の襲撃に関して、メリア大森林全域で起きたものらしいということがこの集合した皆の様子を見て分かった。集合と言ってもクロスケに誘導されて皆で行った先に見えたのは、モンスターたちに守られながら来た他の村の人間たちだったというだけなんだが。

 

 この場所についても謎だった。

 村などはまったく何もないが、草木が生えずぽっかりと広い空間がある大森林の中央位置。誰かが村があったはずの場所だと呟いていたのを聞いたけれど、そんなの興味はない。

 

 

 

「俺は、どう生きていけばいいんだ。おじさん……」

 

 

 この先どうすればいいんだ。どうやって生活を立てればいい。どうやって生きていけばいい?

 俺だけじゃない。周りの皆だって、どうしたらいいのか分かってない。

 それほどまでにもあの襲撃で残された爪痕はでかかった。畑だってめちゃくちゃだし、家も暴れられたせいでぐちゃぐちゃになっていた。

 奴等は腹が減っていたらしく、隠してあった保存食でさえ全て食われてしまったんだ。これから先の貯蓄も、町に―――――国に救いを求めても無理なほどの被害が出た。

 

 俺のおじさんとおばさんが食い殺された事件。いろんな村の至る所で人間に似ているが、獣のように呻き声を上げて気持ち悪い動きをしながら飢えた獣のように生き物を襲っていくあのモンスター。

 あいつらが憎い。あいつらのせいで俺達の生活は奪われた。家族も友人も大切な人も全て……。

 それは、俺が思っているだけじゃないはずだ。

 

 それにようやく事態が収束して冷静になって分かってしまったことがある。

 襲撃し避難した皆が絶望しているのは、メリア大森林に助けが来なかったというただそれだけの事実。

 あのアルメリアが操っているモンスターたちによって救われたけれど、彼女とその特殊で偉大なスキルがなければ俺達は全滅していただろう。

 村には国家や帝国の所属がごちゃまぜになって溢れている。もちろん無所属の村人もいるが、国に所属した村は税金と引き換えに絶対的な保護を保証する。

 もちろんそれは村が壊滅しかかった時のリスクがあった場合に限られるが、それでも以前は助けてくれたことがあったらしい。

 

 国家所属でも帝国所属でも……村がモンスター集団に襲撃されて全滅しかかっていたところを魔術ですぐに確認し、軍を派遣し助けてくれたという。

 数人は犠牲になったが、それでも村は助かったし、その後の引き換えとして税金より少し増やされた金を稼ぐことを約束して、復興のための資金を渡してくれた。

 

 

 それが今回はない。

 それの意味を俺達はちゃんと理解していたからこそ、みんなが忙しく一つの大きな村となって動いている間も何処か意気消沈しているのが分かった。彼らの顔に影があったのが見えたんだ。

 

 

「ピャー」

「……クロスケ」

 

 

 クロスケがふわりと飛来し、俺の頭の上に乗った。丸っこいクロスケの頭を撫でて、ただ小さくため息を吐く。

 

 

「みんな! ちょっと中央に集まってくれ! 見張りはモンスターたちがやってくれるからこっちへ!! アルメリアさまからのお話があるそうだよ!!」

 

「ッ―――――」

 

 

 壁を作っていた他の連中がハッとなってすぐに広場へと向かう。クロスケがまた飛び上がって森の周りを警戒するようにぐるぐると回っているため、俺も中央へ向かうことにした。

 彼女は俺達を救ってくれた。命の恩人だ。実際はモンスターたちが救うために動いたとしても変わらない。

 彼女がモンスターを派遣してくれなかったら絶対に死んでいただろうから。

 

 

 

「アルメリア様に救われたから、信じられる……」

 

 

 俺達より年下の幼女だとしても、信じられるのは本当の事だ。

 国家や帝国が裏切っていたのなら尚更……。

 

 俺達はもう、どうやって生きていけばいいのか分からないから、すがりつく相手が必要なんだ。

 

 

 

 

 歩いた先―――――その中央へ行く。

 するといつの間に作ったのか、最後尾にいる人間も眺められるような高めの段上の上に赤毛の幼女アルメリアが見えた。

 彼女の左右には通常ならば凶暴で冒険者にしか倒せないモンスターたちがいる。その近くで縄に縛り付けられて酷く怯えている人が座らされているのが見える。

 彼らの腕章は国家の印が刻まれているみたいだが……。

 

 

「えっともういいかな……皆さん、忙しい中集まっていただいて本当にありがとうございます!!」

 

 

 幼女の可愛らしい声に皆が集中して聞いている。

 緊張しているのだろうか、少しだけ頬を引き攣らせているのが見えた。だがそういった少し未熟そうな部分に俺だけじゃなく全員が好感を持った。

 モンスターを操るスキルを所持しているのなら少しは傲慢になってもいいはずなのにそれをせず、ただ単純に俺たちに丁寧に接する態度をとる。敬語を忘れず、優しい物腰で話すその音色に、誰も彼女が幼女であるということを気にはしない。

 

 

「私は師と共にこのメリア大森林にて、皆さんと交流をし友好的な商売をしていこうと決めていました。私のモンスターを操る力があれば、モンスターがたくさんいる森に住んでいる皆さんのお役に立てると思っていましたから! ……ですが突然、あいつらはやって来ました。あの化け物たちが、肉を食らいつくそうとしてきました」

 

 

 思わずあの時の悲劇を思い出して身体が震えだす。

 他の奴等だって同じだ。泣いている者。自らの両腕を抱きしめているもの。怪我をして身体のどこか一部分をなくした村人たちもみんな、恐怖で俯く。

 

 アルメリアが悲しそうな顔と声色で話す。

 ただ座らされているボロボロの男達をチラリと横目で見ながらも。

 

 

「私は森の中でそれを知って皆さんを守るために動きました。何が起きたのかを探ろうとし……それで、モンスターたちが協力してくれたので探せばすぐにわかりました。それが彼らです。彼らは森の至る所で何かを観察しているようでした。それが皆さんの……村の中でした! ですので急いで捕えて自白させてようやく分かったんです!

 私達を襲った生き物は、捕えているこの人間たちによって作られた生物兵器だということが!!」

 

 

「え?」

「なんだって……?」

「生物兵器ってどういうことなの……!?」

 

 

「皆さん落ち着いてください。説明を続けます! ……生物兵器についてですが、彼らが自白してくれました。彼らは国家所属の研究員。ある力を手に入れたためにそれを使った実験を繰り返しており、その過程において今はもういないアレ等が作られたんです! そう彼らは、話してくれました! 証拠の書類も一部奪ってあります!!」

 

 

「おいおい……」

 

 

 それは凄くゾッとする言い方だった。

 生物兵器を国家が作り上げたって言っても、何でメリア大森林にいるんだよ。何で、こいつらが俺達の村を観察して、それで襲ってきたんだよ!

 

 ざわついている皆を落ち着かせるためにアルメリアが片手を上げてゆっくりと周りを見つめ、そして静寂が周りを包んでからその小さな口を開いた。

 

 

 

「奴らは言いました。実験場としてこのメリア大森林が選ばれたということを。帝国側の村でさえ遠慮せずに襲いました。でも誰も助けに来なかった! 見殺しにされた! そう、私達は切り捨てられたんです! 国家や帝国にただの実験場として利用されたんです!!

 そして連中はその実験成果を使ってより戦力を増大させ戦争を仕掛けようとしているんですよ! 次はもっと膨大に、もっともっと卑劣に!! その為にもっと研究しようと奴らはこの森を選んだんです!!」

 

 

 

 身体中がボロボロで酷く怯えていたけれど、国家の研究員として実験を行っていたと言うアルメリアの言葉に何度も頷いて肯定する連中に皆から殺意が湧き出る。

 戦争の為に俺達の村は利用されたのか。

 

 殺された全ては、実験の為にただ死んでいった。戦争のための過程だった。

 

 

 

「悔しくはないですか! この森全てが奴らの実験場だとしたら、酷く虚しくないですか!! 私達の大切な人が亡くなったのは……殺されたのは奴らの仕業なんですよ! それを他の奴等にも与えようとしているんですよ!!

 見殺しにされて、このまま国家や帝国にしがみついていて良いというのですか!? 無所属の村は、このまま抵抗なく殺されていいんですか!?」

 

 

 

 拳を使って大げさな素振りで言うアルメリアに誰もが頷いた。

 

 

 

「ええそうよ。旦那が死んだのは……あいつらのせい……」

「母ちゃんが食われたのは奴らのせいだ!」

「あいつらのせいで子供たちが……」

 

 

 睨みつけられる白衣の男達が震えあがった。

 殺されるんじゃないかと座ったままにずりっと後ろへ下がったが、モンスターたちが逃げることを許さず、前へ出す。

 

 そういや喋らねえなあいつら。口はパクパクしてるのに声が出てねえ。なんか毒でやられたみたいな……。

 まあ喋ったとしてもどうせ命乞いか何かだろう。そんなの聞きたくねえ。

 今重要なのは、これから先の平穏な未来だ。

 

 いくらメリア大森林がモンスターと遭遇する確率が高い危険地帯と言っても、気を付けていれば遭遇なんて滅多にしない。危険を承知でここに住んでるけれど、それをめちゃくちゃにするのは許せない。

 

 

 

「私達がやるべきことはただ一つ! 生き延びること!! 国家や帝国が私達を切り捨てた事実を後悔させるぐらいに強くなりましょう! 物理的にでも経済的にでも! ……それに私達がやるべきことは、もうこれ以上このメリア大森林を実験場に変えないようにすることです!! この森全てを、私達が管理してやるんです!!!」

 

 

「で、でもどうやって!?」

「そうだぜ。もしも国家がまた手を出して来たら……あの恐ろしい化け物どもが来たらどうするんだ!?」

 

 

 

 広場に集合する数十人の内の誰かが不安げに質問した。

 それにアルメリアはにっこりと両手を開いて話す。まるで教会で見たことのある慈母の像のように、とても綺麗に微笑みながら。

 

 

 

「私には力があります。モンスターを操る力が。それを警備として森全域を守りましょう。皆さんの為に、私は全力で力を注ぎましょう! 命が尽きても守護は尽きないように。私は皆さんと関わっていくうちに、皆さんの事が大好きになりましたから!

 ですので皆さんも協力してください! 私が出来ないことを、皆さんと一緒に支え合って生きていきたいです!!」

 

 

 

 その言葉に、誰もが打ち震えた。

 

 

 

 

「あ、アルメリアさま……!」

「アルメリア様!」

「ありがとう幼女様! あなたのおかげで俺達は生きてる!!」

「俺達も頑張るよ! もうこれ以上あんな目に遭うのは御免だ! 死にたくねえもん!」

「でも反逆って……やばくないか?」

「馬鹿! 反逆じゃねえよ。ただ防衛するだけだ!!」

 

 

「ええそうです! 皆さんが住んでいる森の中なんですから、皆さんで……私を含める皆さんで守りましょう!! メリア大森林は、これから国家と帝国の両方からの独立を図ります!! その為に、私に力を貸してください!!」

 

 

 大きな歓声が響き渡った。

 人の気合いに満ちた声。モンスターの咆哮。料理をしていたらしい女性が鍋を鳴らして、モンスターの狼の群れが遠吠えを上げる。

 

 

 あの事件はもう二度と起こさせない。

 見捨てられたのなら、森の中で生きていくために行動をするのみだ。

 

 

 

 

 

 

 響き渡る大歓声に頬が限界を訴えて小さくため息をついてしまう。

 以前から計画していたメリア大森林攻略のためのルクレスさんとの話をここで実現させることができた。

 

 でも本当に、うまくいったか?

 いや、何とかなったかな……。

 女らしい口調はあまり好きじゃないんだけれど、演技するって凄く疲れるもんだ……。

 

 

「はぁ……」

 

 

 歓声を上げる人たちににっこりと笑いながらも気付かれないよう小さくため息をついた。

 

 たぶん彼らは地獄を見たんだろう。人間に食われる人間の姿を。

 ゾンビのようにうろつき、肉を食らう口は血と涎を垂らした状態のまま、理性ない目でこちらへ来る姿を、もう二度と見たくはないと訴える様子が伝わった。

 俺達だって最初にいたあの実験をもう一度やれと言われても絶対にやりたくないと答えるだろう。それぐらいのトラウマが刻まれた。

 だからその傷が深いうちにメリア大森林を防御するという大前提で全域を支配するために動く。

 

 戦争をするわけじゃない。戦いを挑んで復讐したいというわけじゃない。それを言えばおそらく数人は反対意見が出るだろうから。

 だから今はこの森の中で守りに徹すると訴えた。命の方が大事だと宣言した。

 彼らは私の言葉を信じていろいろと手を貸すようになるだろう。協力して人間としてやってほしいこともあったし……その方が好都合だ。

 

 

 それに、縛り上げた白衣の男たちは俺たちが捕虜とした実験場にいたもともとの研究員を利用したもの。無関係と言うわけじゃないから良いと思う。

 命に害はない毒状態にして声を奪えば、こちらの不都合なことは言わない人形となるし、資料も実験場にあったマリーのアレの一部分を手にしているため、それを皆に後で見せればいいだろう。

 

 

「アルメリア様! そいつらどうしますか!?」

 

 

 

 質問してきた村人は縄で縛りつけられて座らされる研究員を指差す。

 それになんでもないように幼女っぽく笑みを浮かべながらも口を開いた。

 

 

「……ああ、もちろん」

 

 

 不都合な事実は消す。

 モンスターであろうとも人間であろうとも。実験体であろうとも。いらない価値は捨てる。

 

 それは実験場で学んだことだ。

 だから、ちょっとした復讐としてそれを奴らに味わってもらうだけの話だ。

 

 もちろん、実験体だった頃に利用価値がないって言われて家族を殺されたモンスターの仲間たちにやってもらうけどな。それに喜びはすれど、不満なんて持つ奴はいないはずだ。それが真実なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 








 アルメリアの名前は大森林に伝わっていく。
 すべてが彼女を知っていく。

 しかし、その裏で行動するモンスターたちを知る者は一部分のみである。



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外伝 化物と人間たちの日常
スケルトンの抗議





 ――――これは、襲撃が起きる前の話である。








 

 

 

 

 とりあえずある程度の準備は終わったし、俺達だけじゃなくて一時的にダンジョン(仮)制作をしていた仲間たちもホームに戻っていろいろと準備中。

 ホームの中は9日ほど経っているというのにかなり住みやすいところへ落ち着いてきた。

 

 畑も順調。芋以外にも野菜や薬草を育てる計画を立てて土を耕している。

 始めたばかりだというのにモンスターの中にドライアドと呼ばれる植物系の仲間がいたせいか、彼女たちが手伝った植物の成長スピードが速く、最短で5日に実るというのだから驚きだ。

 だから芋はもう収穫済みであり、次の芋を育てつつ他の野菜などを育てると母さん含めて畑仕事にやりがいを感じている人が多かった。

 

 まあ、この世界はもともと疲れ切った人間が多くいたんだ。

 仕事だって手一杯で今日食べていくお金さえ厳しい生活しかなかった。それなのにモンスターの身体になって疲れ知らずになったせいか、仕事をする分だけお金が増えると分かっているからか、前世でいう『社畜』がたくさんいる。

 畑だけじゃなく建築作業も進めており、何故か地下一階の建築に乗り出したせいでいろいろとダンジョン並みに豪勢になってきているような気がした。

 ……地下一階で温泉とか作ったら気持ちいいんじゃないかなって思うし、そういう提案をあとでアリスさんにでも話しておこうかな。

 

 混浴……いや、俺は今幼女だし。そういうのは駄目だよな。

 前世の男としての性別を捨てたわけじゃないけど、今は女なのは本当のことだし。というか皆モンスターだからそういう意味で考えてるわけじゃないし。

 ああでもいつか女として成長するから性別を嫌でも気にする時が来ることになるはずだよなぁ。うわぁ面倒くせえ。

 ああもういい。後で考えよう。

 

 

 でも一番の問題は疲れ知らずのモンスターの身体になったとしても限界があるということだ。ドライアドもスライムもオークもオーガもレッドキラーも――――――ほとんどのモンスターは食事をして睡眠を必要とするんだから。

 人間より強く頑丈な生き物ではあるが、疲れを取るための休憩はとらなくちゃいけない。

 

 そう、例外を除いてであるが……。

 

 

「だカラァ、8時間でいいのよ。アタシ達に休みをくれって言っテんノ!!」

「何度も言ってイルが、却下だ」

「ふザけんじゃナイわよコの鬼トカゲ!!」

「喧しイぞ骸骨女」

 

 

 だからこうなったと言うべきなんだろうか。

 

 ―――――リザードマンのランルークさんに絡みついてるスケルトンがブラック社畜は嫌だって抗議している件について。

 

 というか、作業着のような服を着ている骨もといスケルトンがリザードマンに食って掛かる光景って凄くシュールだよなぁって思う。

 彼女以外にも抗議をしているわけじゃないが、モンスターの中で一番特殊なアンデットだけは休息は必要なくても働くことができるため、ホーム改築にかなり重要視されて動かされてきていた。だから、ストレスがたまってキレたと言ったところかな。

 

 あのまま傍観していても良いけれど、一応話しかけてみようかな。仲間を知ることも大切だってルクレスさんは言ってたから。

 

 

 

「えっと……何してるんですかランルークさんに……えっと……」

 

「あらアルメリアさまじゃナいの。ねエ聞いテよアルメリアさまぁ。この鬼トカゲってばアンデットに人権ハナいって馬鹿なコと言って来るのヨ! 有り得ナいと思わなイ!? ねェ!!?」

「マず人権云々以前にお前ハ今モンスターだロう」

「やかましい!」

「ええっと、ちょっと待ってください。まず俺に様付けで呼ばなくても……」

「ああ我儘骸骨女のことは気にスルなアルメリア。君はルクレスの元へ行っていてくレ」

 

「あー? この子の口からルクレスに話をさレルのは嫌だってコとかしらぁ? マジでいい加減にしロよこのトカゲ野郎。アタシの集落じゃア基本的なルールとしてやルベきコとハしっかりとやるケど、仕事以外の時間も大切にってマイルールがあんノ!」

「ならやるべキこトをしっかりとやレ」

「アンデットは24時間働きますってかァ!? アタシらを舐めてンのかゴラァ! トカゲの尻尾ちょん切るぞオラァ!!!」

 

「うわぁ……」

 

 

 こう言っちゃあなんだけど、骸骨の顔が怖いから動くごとにカタカタ鳴ってランルークさんが着ている服の胸ぐらを掴んで凄む様子はまるで前世での不良のようだ。

 というか、この人集落出身のスケルトンだったのか……。集落にルールがあるとは知らなかったなぁ。まあ俺の村でも助け合いは当たり前って暗黙の了解があったし、それと同じ感じかな。

 

 

「……あの、ランルークさん。アンデットに数時間だけでも休息ってとれないんですか?」

「そウよアルメリアさまぁ。このトカゲに言ってヤってよ!!」

 

「はぁマったく……一応とルこトは可能だ。だが計画にイつ狂いが生ジルか分かラナいノがルクレスの考えデな。余裕がなイ状態で休息が必要でナいアンデットに数時間もの自由時間をとラスのも変だと思うンだが?」

「いやでも……それってある意味差別だと思うんで……ほら、皆が働いている間に休み時間にするとかどうです? 子供達だって働かない時間もあるんですから。俺だってそうだし」

「そウよそうヨォ!!」

 

 

 

 スケルトンから野次が飛び、トカゲがふかーいため息を吐いて俺は苦笑する。

 ルクレスさんがそう考えてやっている計画に支障をきたすのはよくないと思うけれど、それでも仲間なんだからやっぱり妥協は必要だと思うんだよな。

 この世界がいくら厳しいと言っても、集落にルールがあって生活していたんならちょっとぐらいは良いと思う。

 

 

「ルクレスさんは俺から話します。だからランルークさん……」

「はぁぁ……いや、いいよアルメリア。俺から話しておこウ」

 

「マジで!? やっタ! ありガトうアルメリアさまァ!!!」

「あっはい。嬉しいのわかるけど骸骨に抱きしめられるのはちょっと……」

 

 

 

 骸骨の骨って意外と痛い。

 でも仲間が衝突することなく平和に問題が解決できるならそれでいい。敵はドラゴンと宝玉使った人間たちだけでいいからな。

 

 ランルークさんはため息を吐いているけれど、仕方ないとでもいうような顔だから大丈夫なはず。

 ああ。それにもう一つ言わなきゃいけないことがあった。

 

 

 

「あの……あと俺の名前を様付けで呼ぶの止めてくれませんか……?」

「あー、それは無理ィ。だってアルメリアさまのコと様付けで呼ぶのアタシだけじャなイかンね」

「……ちなみにそれを止めることは?」

「無理じゃね? だって様付け必須だっテ言っテンのあノ人間のマーガレットだし」

 

 

 

 えぇ、マジか。

 それは聞きたくなかった……。

 

 

 ああそういえば別れる前に約束で合流した後にマリーとの添い寝って話もあったんだった。

 まだやってないけどちょっと面倒だなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 



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知らぬ村人は疑問に思う




 しかし、質問に応じてくれる者達は今、ここにはいない。






 

 

 

 メリア大森林に住むとある村。

 あの災害からすべてが終わり、何とか復興まで進んできた帝国側の村に住む青年が、シャドーバットを連れて友人の家に上がり込み、話をしていた。

 

 シャドーバットは開け放った窓に飛び降りて休んでいるような姿勢をとる。そ知らぬふりをしつつ彼らの話に耳を傾けているシャドーバットなんて気づかない青年たちは楽しそうに笑い合っていた。

 

 

「だから言っただろ。村側のモンスターだと分かる合図が必要なんだと思うってな!」

「そんで指笛ってか?」

「おうとも! むやみに近づいてそれがアルメリアちゃんの操っていないモンスターだったら俺ら死んじまうだろ? なら指笛でどうにかするっていうのが普通なんじゃねえかなって思うんだよ!」

「……ほーん?」

 

 

 

 

 メリア大森林に住むモンスター達は大きく分けて二つ存在する。

 

 人間たちと共に生活をし、護衛や力仕事などを行ってくれる頼もしい隣人。そして人間を襲い喰らおうとする恐ろしいモンスター。

 

 

 モンスターとしての見た目は同じだというのに何故ここまで違いが出てしまうのだろうかという疑問があるが、それを応えてくれるアルメリアとルクレスはいない。

 

 

「んでもなー……俺たちを助けてくれるモンスターと、森の中にいるモンスターの違いって何だ?」

「アルメリアちゃんのおかげってことだろ?」

「んなら、あの子に森のすべてのモンスターを操ってもらえりゃあ良いじゃねえか。そうすれば安全に森の中で暮らせるってもんだ」

 

 

 友人は眉をひそめて床に寝転がる。

 天井を見つめている顔はどこか寂しそうだった。

 

 青年は何も言うことが出来ない。友人にとって大事な家族は、あの最悪の襲撃のせいで失ってしまったのだから。

 

 襲撃で得られたものはある。

 しかし、失ってしまったものはもう二度と戻らない。

 

 

 友人にとって今よりも過去のことの方が大事だった。

 だから不満があるのだろう。疑問があるのだろう。

 

 

「何故アルメリア嬢はあの襲撃の化け物たちを操れなかったんだ……」

「……そりゃあな。だってまだ幼い女の子だろ。まだ操れる力も未発達なんだよ。期待し過ぎても意味ねーと思うぜ」

「…………そっか。そうだなルクレスさんは操る力はねーしな」

 

 

 もしもルクレスにモンスターの操る力があったのなら。

 アルメリアが普通の成人した女性だったなら。

 

 その時は、家族を失った過去を持つ村人すべてに怒りをぶつけられていたことだろう。

 

 

 シャドーバットはピリピリとした空気と居心地の悪さに身体を丸くした。

 ルクレスに話した方が良い内容だと思いつつも、全てを話すことのできない彼らに罪悪感を抱いているからだった。

 

 

 

「……子供だから、仕方ない」

 

 

 

 幼いから操れない部分がある。

 まだできないことが多いから、あの襲撃は回避できなかった。

 

 そう友人は無理やりにでも納得することを選ぶ。

 

 

 

「……敵が誰なのかは分かってるさ。恨む相手も……全てを救ってほしいと願ったアルメリア嬢じゃねえことぐらいはな」

「おう!」

 

「あー……んで? 何の話だったっけ?」

 

 

「指笛の話だよ! 敵かどうか見極めるためにどうかなーってさ」

「ああそれなら……」

 

 

 

 彼らの話は弾む。

 重たい空気を軽くして、次の未来へ進むために――――――。

 

 

 

 

 

 

 



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ここまでの登場人物

 

 

 

 

アルメリア・ナティシア

主人公 国家所属

普通の幼女だが中身は男子高校生。一般的な幼女枠であるはず。性転換とかもはや考えて悩む暇ない。

なんか記憶がないときがあるし、嫌な夢を見ることがある。しかし夢の詳細は覚えておらず、悪夢をぼんやり見ていたぐらいである。

 

 

 

ドラゴン

黒いドラゴン。現在様々な人間と元人間なモンスターたちから殺意を集めている。根本的な原因。現在行方不明。

 

 

 

母ちゃん。

アルメリアの母親。国家所属

現在は大鬼(オーガ)の下位モンスターとなっている。

 

 

 

ルクレス・ナティシア

帝国所属

モンスターの姿はレッドキラーと呼ばれる毒蜘蛛の下位モンスター。

人間の姿を偽るときは見た目若い姿。だが本当は50代程の老人枠。

現在ルクレス氏によるアルメリア育成計画を立ててる真っ最中。

 

 

グレン・ナティシア

国家所属

モンスターの姿は青白い火玉のウィスプと呼ばれる下位モンスター。

人間だった頃はアルメリアより少し上の少年。

 

 

イヴァ・ナティシア

国家所属

小熊の下位モンスター。喋ることは出来ないが、アルメリアの友達であり幼女。理性はある。

 

 

マーガレット・ナティシア

???

人間だが対モンスター兵器として利用されていた被害者。

理性がない頃にアルメリアに惨殺され、生き返らせた衝撃からいろんな意味で屈服した。彼女にある種の執着を抱いている。

 

 

 

グローリー・ナティシア

国家所属

ゴーレムの中位モンスター。

元国家の騎士。病気になってしまい足が動かなくなって生きる意味を失っていたところにモンスターとなって自由の身体を手にしたためにテンションが高い。

 

 

 

ランルーク・ナティシア

帝国所属

リザードマンの下位モンスター

ルクレスの友人で男性。

 

 

 

アリス・ナティシア

帝国所属

スライムの下位モンスター。

ルクレスの知人で女性。

 

 

 

グレンの姉

国家所属

現在シャドーバットの下位モンスター。

言語を喋ることは出来ないが、イヴァの兄と仲がいい。

 

 

 

イヴァの兄

国家所属

喋ることは出来ない。ケット・シーであり、グレンの姉と仲がいい。

ちなみに彼の母親と姉もケット・シー。

 

 

 

気の弱いオーク

???

猪を運んでいたら不意打ちでルナに攻撃されて泣きそうだった。

 

 

 

アレイルクス・アレクシア

国家所属

現在アルメリア達に捕まっていろいろと尋問されてる。

国家では死亡認定されてる。

 

 

 

 

レベッカ・フェルナータ・アレクシア

国家所属。貴族の娘。

アレイルクス侯爵の跡継ぎ。

本当は仕事とかやりたくなかったが、いろいろと興味を惹かれて行動している。

 

 

 

 

 

ルナ・ナティシア

帝国所属

力が強く兄とお肉に執着している。

いろんな意味でアルメリア達を敵視していた。

しかし彼女は……。

 

 

 

レオン・ナティシア

帝国所属。

最近何かに執着しているルナがいろいろと心配な兄。

帝国貴族御用達の元料理人であり、村で冒険者たちに料理を振る舞うことを夢として働いていた。

 

 

 

 

ウィリアム

国家所属

国家の魔術師。

下位モンスターが人間を装っていることに興味を持っていた。

しかしルクレス相手に油断し、その体内を……。

 

 

 

 

 



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第三章 13の禁忌を背負いし者
34話 迷いの一歩


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの夢だ。もう慣れたし、苛立ちもない。

 いや嘘だ。苛立ちは凄くあるぜ。

 

 でもドラゴンを殴っても嘲笑って『ハッ、何だ今のは。虫が私を刺したか?』って馬鹿にするし。

 それに夢を見だした途端にドラゴンが急に話しかけてくるし。なんだよこいつ、自分勝手かよ。いや自分勝手だな。うん知ってた。

 

 

『貴様は他の人間と違い冷めた生き方をするようだな』

 

 

 何だよ急に。

 冷めたって何が?

 

 

『フフッ……知っているか? 人間の好奇心とは恐ろしいものだということをな。満足するまですべてを調べ尽くし、利益を得られると分かれば悪魔のような所業をも平気でしでかすようになる。それが人間の熱意だ』

 

 

 ……ああそうだな。昔からそうだ。

 ゲームだって満足いくまで一通りやらないと気が済まない人間がいる。本を読んで途中で投げ出さず熱中しすべてを熟読したいと考える人間がいる。

 

 知りたいんだよ。何もかも。

 満足するまで隅々を調査して、把握しておきたいんだよ。そうじゃないと怖いから。

 

 

『何が怖いというのだ?』

 

 

 ……襲われるんじゃないかって不安。もしも自分に害意があったらどうするのかって恐怖感。

 それと、ただの好奇心を満たすために……周りが知っていることを自分も知ろうとする努力かな。

 

 

『フッ。それが人間の愚かしい部分よ。自らの破滅に導く行為でも、目の前の利益を優先し行動する。その先の未来で何があろうとも、今ある快楽を捨てるには惜しいと考えてしまう』

 

 

 知っちまったら戻れなくなるもんな。

 空腹しか知らない子供が、満腹の幸せを知ってしまうとそれ以降が地獄になるのと同じでさ。

 

 

 

『ハッ……ああそうだ。貴様はあの兄妹の最後を見て何を学んだ?』

 

 

 何だよ急に話題変えやがって。

 

 あーそうだなぁ……。

 まあ、兄妹の最後は残念だって思ったよ。

 

 

 

『ほう? 残念とはなんだ? 貴様はあの時救いを求めていなかったではないか。貴様が殺したも同然だというのに、何故残念と言うのだ?』

 

 

 

 ……ただ、あのルナってやつも利用されただけなんだって思ったんだ。

 自分勝手で欲深い人間によって、ただ兄を守りたかっただけの女の子を犠牲にして兵器を作り出した。そして兄を自らの手で殺した。

 ただ兄を守りたかっただけなんだ。そのために俺達に恐怖心を抱いた……でいいんだよな?

 

 

『フハハハハッ! ああそうだな。貴様らを勝手に敵だと判断し誤解していた愚かな少女であった』

 

 

 

 うん。だから俺達を殺すために知ろうとした。

 結局はそこに行きつくんだよ。

 

 知りたいから行動して、何も知らない無知であったために利用された。

 だから残念だと思ったんだ。彼女はとても利用価値はあったけれど、生き返ったとしたら絶対に自殺するって思ったから。

 

 

『ほう? 兄は妹の所業すべてを許しただろう。それでもか?』

 

 

 あのな。意外とさぁ……。

 殺されるのって心に来るんだぞ。

 痛みも戸惑いも心でさえも死ぬんだから。

 目の前が真っ暗になって、何もかもなくなるんだ。一人で死んでいくんだ。寂しさを味わって、助けてほしいのに何もできずに消えていくんだ。

 

 俺はもう二度とあんなのごめんだ。

 もう二度と殺されたくはない。

 

 だから、俺がもしも母さんに殺されたとしても……不意に生き返って現状を見たら意思は許すだろうけど、心は許さないはずだよ。

 死ぬ恐怖心がある限り、無意識に相手を見て怯えるから。あのレオンがルナを許したとしても……絶対に恐怖は消えないだろうから。レオンが正気でいる限り、ルナを無意識に拒絶する。それにルナは傷つき……まあ酷いことになるんじゃないかなって思ったんだ。

 

 

『ハッ、だから素晴らしい兄妹のまま殺したということか。それが自己満足であろうとも、貴様はそれでいいというんだな! 間違えている可能性もあるというのに、それでいいと!!』

 

 

 いいんだよそれで。兄妹として絆は切れずに死んでいけたんだ。だからある意味幸福だったと思うから。

 

 それにどうせ蘇生するための力も使えないし……。

 

 

『フハハハ!! さて、それはどうだろうな。まあ貴様に使えないのは確実だがな!』

 

 

 はい?

 

 

『もう時間だ。また会おう――――――次の話も期待しているぞ』

 

 

 

 不意にぼやける視界に少しだけ苛立ちが増す。

 もう二度とこんな夢なんか見てやるもんか!! お前と話したいからこんな夢見てるわけじゃねーぞ!!

 

 

『ハハハハハハハハハッ!!!』

 

 

 

 笑ってんじゃねーよ馬鹿ゴン!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 あー嫌な夢を見た。

 でも現実はとても良い状況だ。

 

 

 植物を育てているうちにいつの間にか進化していたと報告があった仲間のアルラウネのモンスター達。

 森の中に食べ物の種を植えていって、一斉に能力を使って発芽させて育てていったためか、もう食料には困ることはない――――――野菜と果実に関しては。

 

 だが、肉については元狩人だったモンスターの仲間たちに任せておいて村へ運び入れ、調理の方はやって来た肉を解体し人間たちが行うようになった。

 モンスターの異形の身体ではなかなかうまく調整が出来ずに美味しい料理が出来ないためにこんな役割分担になったのだ。それに被害に遭った村の人間たちもモンスターが調理しているものを口に入れるよりは自分たちの手でやったほうが安心できるだろうし。

 

 ――――――そう、一番重要なのは人間とモンスターとの共存が少しだがうまくいっているということ。

 まあもともと人間からモンスターに変わっただけだから、人間がどう思っているのかとかは全部察しているし、気遣いも出来ているから大丈夫だろう。

 時には人間とモンスターの間に俺が入って、仲裁することもある。

 

 モンスターの仲間たちがもともと人間だったことは言うつもりはない。

 言ってもメリットなんてないと分かっている。むしろデメリットしかないだろう。

 ルクレスさんだって言っていた。モンスターの中身が人間だと言っても同情はあれどそれ以外は自分もなるんじゃないのかという意味のない恐怖と混乱が巻き起こるだけだと。

 だから言わない。言うつもりはない。

 

 それに、ブラックバットやシャドーバットを村に提供し、村の襲撃でモンスターの仲間たちと協力して撃退した経験があるためか、人間たちの方は少し恐怖心はあるが次第に心を開くようになった。

 だから良い方向に向かっていると思う。

 

 

 今食べてるアップルパイのように。

 瑞々しい林檎を育てたモンスターと、それを甘く調理した人間の合作はとても美味なのだから。

 

 

「うま……」

 

 

「うめー!」

「お母ちゃん! もっとー!」

「こら、食べ過ぎないのよ!!」

 

 

 もぐもぐと頬張ってると、近くにいた子供たちも賑やかに騒ぎ出す。

 今いるここは復興し始めた村の中心地にある食堂。一応食べる場所はそれぞれの建てた家にあるんだけれど、モンスターや人間たちが一緒になって食べながら仲良くできるようにとここを作った。それだけなんだが、いつの間にやら料理研究の場所として試食会場になってたんだが……まあいいか。

 いやしかし本当に平和だ。林檎を集めて調理担当のおばちゃんたちに渡すアルラウネやゴブリンたちでさえ優しげに見守っているぐらいなんだから。

 

 それに焼きたてのアップルパイが乗ったトレーごと市民に配るルクレスさんが満足そうに微笑む。

 

 

「さすがはアルメリアだね。果物を甘く調理するだけでここまで成功するとは思わなかったよ」

「ああはいはい。そうですねー。ジャムにしても美味いですけど小麦粉が余ってたからこういうのはどうかなーって提案したぐらいなんですけどねー」

 

 

 ぶっちゃけ前世での記憶をもとに作ってもらっただけなんだけどな。思考錯誤してようやくうまく出来上がったそれに頷くぐらいだろう。今まで食べたのが最悪だっただけ、落ち着いてきて豊富な食料が手に入れば後はアイディアを出して作るのみ。

 香辛料とか作れたらいいんだけどなー。俺にはそういう知識はないからなー。

 

 あールクレスさんみたいにあっという間に驚かせるような頭脳が足りないなー。

 

 

「……アルメリア。もしかしてまだ怒ってるのかい?」

「いいえー。別に死んだふりしてどっかヘ行ってたルクレスさんに言われたくありませんともー」

「アハハッ。ごめんね、僕もあの時は精一杯だったからさ」

「別にぃ?」

 

 

 死んだって思ってたからマジで蘇生魔術をどうすれば出来るようになるのか考えてた。

 悲しかったけどいろいろとあってつい気持ちが混乱してた。

 だから冷静になった瞬間に現れたルクレスさんには全然心配なんてしてねーっての。

 

 

「でもアルメリア、君は泣いてないだろう? それに心配する暇だってなかったじゃないか」

「後で思いっきり泣こうと思ってたんですよ。誰もいない時にこっそりと……でも泣かなくて良かった」

 

 

 

 ああ本当に。

 いろんな意味で後悔しなくて良かった。

 

 

 

「良い意味でそう思ってると受け止めておこう」

「お好きにどうぞ」

 

 

 

 ルクレスさんなんてどうでもいいですし。

 ルクレスさんなんかよりも、後で芋を細く切って揚げてもらおうとか、ポテトチップス作った後はなんかディップ的なの作りたいなとかしか考えてないですからー。

 

 

「……ああそうだ。アルメリア、これから君はどうしたい?」

「それは」

「僕はちょっとこれからやりたいことがあってね……アリスちゃんと一緒に帝国に行こうかと思ってるんだけど、君はどうする?」

「え、それ初耳なんですけど……」

「そりゃあ言ってないからね。ここも順調に安全になって来たんだ。ホームからいろいろと仲間たちが移り住んでいくようになったし、地下一階に捕えたあの人間たちと一緒だと子供に悪い影響を与えるとここでのびのび暮らしてもらうようにするつもりだしね。

 ――――――それが出来ている今、心配なのは襲撃がまた起きることだ」

 

 

 まあ確かにそうだろう。

 あの人間に近い獣たちの突然の襲撃は本当に不意打ちだった。

 もしもまたそれが起きたとしたら……まあ、面倒なことになるだろう。

 

 

 一応モンスターと一緒に共同生活をしてると言っても、中身は人間だ。戦い方が良くなってきていても、まだ若干駄目な部分がある。戦いに慣れているのはもともと戦士や騎士だった人間たちの方であり、普通はそこまでうまくいかない。……そう、グレンやカレンさんのように。

 それに本物のモンスターが現れても面倒だし、これ以上の襲撃は却下したい。

 

 

 

「襲撃を待っていても仕方ないと思います。だから攻めるつもりで動く……ってことですよね?」

「ああそうだよ。帝国も国家と同じで僕たちの状況を把握できているはずなのに何も動くことはなかっただからそれに何か理由があるんじゃないかと……ちょっと探ってみようかと思ってるんだ」

「スライムのアリスさんと? でも彼女は戦えるモンスターじゃ……」

「隠密にスライムは意外と向いてるんだよ。だから帝国での情報収集は僕が動こう。それで君はどうする?」

 

 

 

 俺か……。

 帝国で動くのなら、俺はどうしようか。

 

 

「……以前マリーと戦った時の状態を自分の意思で出来るようになりたいです。まだ俺は、ただの未熟な子供ですから……皆を助けるためにも……もう二度と、あの兄妹のような悲劇を起こさないためにも俺達がどうにかしなくちゃいけないから」

「なるほど、つまり戦力強化の為に動くと……」

「はい」

 

 

 頷いたルクレスさんが俺の肩を叩いた。

 

 

「君は君らしくあれば良い。あの力はあった方が良いとは思うが……別になくても構わないんだ。一番重要なのは現状から逃げること。必ず前へ進むためにも、考えるんだよ」

 

「……はい」

 

 

 

 うん。そのために俺は動こう。

 どうやってあの時力を使ったのかは覚えてないけれど。

 

 

 

 

 

 

 



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35話 平穏は彼女と共に

 

 

 

 

 

 

 

 ルクレスさんとアリスさんが帝国に向かって数日が経つが、いまだに襲撃などは起きず平和であった。ただ俺がたまに話す前世の記憶を頼りにこういうの食べたいっていう提案をして、いろいろと試食をしているからそのうち太るんじゃねえかなって思える程度にはたくさん食事として、たくさんいろんなことをした。

 

 メリア大森林の外周は戦いに慣れたモンスターたちが警備に周りを見回り、内部になるにつれてアルラウネのモンスターたちが木々を成長させつつ異変がないかを確認し合い、そして中心地では人間と子供のモンスターたちや保護者たちが共に暮らしている。

 

 村はもう一つの大きな集落となっていた。モンスターを含めて50人以上の人たちが木材で壁を作り、一部の出入り口を開けてそこでモンスターの仲間たちと交流し合い生活を共にする。

 小熊のモンスターやケット・シーのモンスターと人間の村の子供たちが遊んで、それを見守りながらも建築作業を行ってそれぞれの住む家を建てていく。

 

 襲撃してくる連中もいないし平和だ。

 ああ、凄く平和だ。

 

 

 

「平和だけどなぁ……」

 

 

 早朝。まだ日も出ていない頃に、村から離れた場所をただひたすら歩く。

 果物や野菜が生えている森を抜け、廃墟と化した人間たちが捨てた集落の向こう側まで歩き、高台を目指して歩いて行った。

 

 幼女の身体だから太陽が出るにつれて疲れも出るしお腹もすくからたまに休憩を兼ねて木陰で座って、オーガになった母さんが持ってきてくれた布に包まれたちょっぴり固いパンをかじって食べて、そしてまた出発する。肩から斜めに背負った布の水筒から水を飲んではまた歩く。

 

 高台に着いた時にはようやく昼頃になった時間帯だった。

 小さい脚だから疲れた。でも来て良かった。

 

 

「まだ自由じゃない。でも自由みたいに、いろいろできる」

 

 

 モンスターになった仲間たちのおかげで食料に困らなくなった。疲労がないモンスターたちがいるおかげで建築作業が進んでいた。

 明るさも、賑やかさも―――――全て、犠牲の上に成り立ってる。

 

 

「終わったら全部元通りなんていくわけないよなぁ……ッ!?」

 

 

 

 ガサリッ、という音が耳に入った。

 

 まさに小さくため息をついた瞬間に聞こえてきた後ろから草をかき分けるような音に反射的に警戒し、体勢を整えた。

 高台だから後ろは崖。ぶっちゃけ幼女の俺に逃げることはできない。

 でも死ぬことだって避けたい。

 

 近くに仲間がいるはずだから、そこへ助けに求めよう。

 母さんだって森全体に仲間たちがいるって分かってるから俺を散歩に出しても良いって思ってくれたんだ。

 

 だから大丈夫なはず―――――。

 

 

 

 

「そこで何してるんですの。お姉さま」

 

「……マ、マリー?」

「はいお姉さま。貴方の忠誠なる奴隷のマーガレットですわ」

 

 

 純白のスカートの裾を両手で持ち上げて華麗に礼をするマリーに苦笑する。

 襲撃かと思ったら普通に仲間だったから、マリーの言葉に突っ込む気力さえない。ここまで来るのに疲れだって溜まってるんだから。

 

 

「お姉さま、一人で高台まで来るだなんて危ないですわ」

「そんなことねえよ……ほら、近くに仲間だっているし」

「それでも万が一ってことがあるんですのよ。そうですわお姉さま、何故ここに?」

 

「……それは俺の台詞だよ」

 

 

 マリーから視線を逸らしてただ森全体を見渡す。

 そんな俺にマリーは小さく微笑み、目を細めて口を開いた。

 

 

「……お姉さま、座ってもよろしいかしら?」

「ああどうぞご勝手に」

「ではお姉さま、勝手ついでにわたくしの膝に座っていただけますか?」

「はい?」

「わたくしの膝に座っていただけますか?」

 

 

 いや二度も言うなっつーの!!

 ってか、思わずマリーの方を見たら彼女はいつの間にか俺の真横に座り、その膝をポンポンと叩いて早く座れと仕草で急かす。

 普通なら、子供が大人の膝に座ってはしゃぐような微笑ましい光景になれただろう。

 

 でも俺は中身男だ。精神年齢重ねたらもう成人してんだよ。普通に心は男なんだよ。身体が幼女であろうとも、女としての身体の実感はないから無理なんだっての。

 いくら見た目魅力的な西洋の女性っていう感じのお姉さんでも無理なもんは無理。

 

 

「悪いけど、俺は隣に座るから――――――ちょっ、うぉッ!?」

「良いですから座ってくださいましお姉さま! 地面は冷たいので幼子の身体に堪えますわよ!」

 

 

 いやいやいや!

 明らかにその柔らかくて良い匂いのする膝の上に乗るこそ有り得ねえから!

 

 

「おい離れろ! 俺は隣に座るって言ってるだろ!」

「嫌ですわ! だってわたくし、ずっとずっとずーっと我慢しっぱなしでお姉さまの傍に居られなくてさびしかったんですのよ! 添い寝もお傍にいるという約束も何もかもがずっと放置!! 約束は守らなきゃいけませんわよお姉さま!!」

「いやだから……ってか、添い寝についてはルクレスさんの勝手な約束だし! あれ俺何も言ってねえし!!」

「それでも駄目です! わたくしの抱き枕になっていただきますわよ。お姉さま!」

 

 

 な、なんか凄くご機嫌じゃないかマリーさん?

 俺の服ってぶっちゃけ薄い布で作ったワンピースと短パンだから、ぎゅってされると胸の感触とか凄く伝わってきてちょっと気まずいというかなんというか……。

 むにゅって柔らかいのは分かるけど……ああくそ! 俺一応女だから思考が変になる!

 

 

「うぐぐぐぐ……」

「うふふ……ねえお姉さま、ここから見える世界は、凄く綺麗ですわね」

「ふぇ?」

 

 

 

 俺の複雑な気持ちを知らないマリーは、ただ眩しそうに森を眺めた。

 

 

 

「今までは……ただ血で濡れて、人の欲望で薄汚く染まった場所だと思っていましたわ。でも視点が変われば綺麗に見えるものなんですわね」

「………………マリー」

 

 

 混乱していただけだろう。久々の人の温もりに触れたから微妙に勘違いしただけだ。ああうん、凄く恥ずかしくてマリーの顔が見えないレベルで変な勘違いをした。

 ルクレスさんの人としての身体は作りものだし体温は感じないし、母さんのオーガとしての身体の体温は人とは違う。他のモンスターだってそうだ。だから人の暖かくて柔らかな身体なんて久々だったんだよ!

 ……あーもう! 変な方向に考えるのは止め!!

 

 マリーは普通に子供を抱きしめている感覚で俺の小さな身体をギュッと抱きしめて、頭を何度も撫でながら森の景色を楽しんでいる。

 高台からの景色は絶景とは言えないが……それでも、平和の象徴だった。

 

 空に舞う小鳥達の鳴き声。風がほのかに心地よく、太陽が森全体を照らし出す。

 微かに香ってくる果物の甘い匂いはたぶん内部の森全体に実った果実のものなんだろう。

 

 血のあの鉄臭いモノなんて何も感じない。滴り落ちた内臓の腐った臭いもしない。

 人が泣き叫ぶ悲鳴も聞こえない。たまに耳奥で鳴り響く―――――実験場でのあの光景が嘘のように平和だった。

 

 

 

「……こういう世界が外でも作れたらいいな」

「作れたら……ですの?」

 

「うん。ルクレスさん達と一緒に……マリーとも一緒に、ただ共存して平和に生きたい。殺し合いなんてない世界が一番いい」

 

 

 それこそ前世のように、冒険も何もかもない当たり前の日々を過ごしたい。

 血の臭いはもうこりごりだ。でもこの先そう言ってられない状態が続くんだろう。ルクレスさんが帝国を相手している間にも、俺も次を考えないといけない。

 

 何をやってもいいから、覚えていない時の力を使えるようにならないといけない。

 ルクレスさん達が出発してからずっと練習してたんだ。スキルの使い方を村の人間やモンスターの仲間たちに聞いて、いろいろと試行錯誤を繰り返して練習していた。

 でも無理だった。ランルークさんから直接どんな状態だったのかを聞いても何も解決しなかった。

 

 

「……お姉さま、何か悩み事でもあるんでしょう?」

「まあちょっとな。今の俺は力も何もないから、出来ればその現状を変えたいなって……」

「では、わたくしがその力になりますわ!」

「はい?」

「お姉さま。私はお姉さまの傍にいられるだけで大満足ですのよ。ですから傍にいて、協力できることは何でも力になりますわ。お姉さまが現状を憂いているのでしたら、なんでもやります!」

「なんでも……ねえ……」

「はい! もう何でも言っちゃってくださいまし!!」

 

 

 そう言われるとなんかしなくちゃいけなくなる気がする。マリーはちょっと頭のネジが狂ってる女性だけど、俺の事を想ってくれている気持ちは確かだしなぁ。

 ……ルクレスさんは帝国へ行ってるんだよな。帝国側が敵か否かを確かめるために。

 

 

「なあマリー。お前は宝玉がどこへ来たのか知ってるか?」

「忌々しくも、国家の勇者がドラゴンから奪ったというのは聞きましたわ。その献上品として国王に譲渡し、そこからアレクシア一族の手に渡ったのだとか……それがどうかしましたの?」

 

 

 首を傾けて真上から俺を見下ろすマリーに、俺はただ小さく微笑んで彼女の顔がはっきりと見えるぐらいまで顔を見上げてみせた。その勢いでちょっとマリーの豊満な胸に頭が当たって形がはっきり分かったけれど、もうそれはどうでもいい。

 いやよくないけど今はラッキーとだけ思っておく……うん。

 

 

「あのなマリー。俺は普通の人間だ」

「お姉さま、それは――――」

 

「いいから聞け。俺は普通の幼女で、ただの平凡な人間だったんだ。でも実験を繰り返していくうちに覚えのないスキルに目覚めた。それも俺の記憶がないうちにだ。

 ルクレスさんの話だと俺の口調や態度も変わってたって話だけどさ……だから、それが宝玉の仕業なら、もっとよく知らないといけない」

 

 

 スキルに目覚めているのなら普通は無意識レベルで使えるはずだってランルークさんが言ってた。人間が立って歩くのと同じ感覚で、当たり前のように使い方を覚えているもんだって言ってたんだ。

 だというのに何も使えない。普通の幼女のように蘇生魔術も大回復も何もかも使えない。どうやったのかさえ覚えてない。

 ルクレスさんも俺の異常な状態に気付いて使えなくても良いって励ましてくれた。

 

 でもこのままでいるわけにはいかない。

 だから前に進むために、考えないといけないんだ。

 

 

「マリー。俺はドラゴン方面について調べようと思うんだ。できれば国家へ……母さんたちには内緒で行きたい」

「な、何故ですの? 危険な行為はわたくしも見過ごせませんわ!」

「だからマリーもついて来てくれ。護衛としても……傍にいるっていう約束を守るためにも。なあマリー、俺は皆の役に立ちたいんだよ。今は何もできてないからさ」

 

「っ……お姉さま。ああ、お姉さま」

 

 

 俺がそういうと、何故かマリーは悲しそうな顔で俺をギュッと抱きしめてきやがった。

 

 

 

「……お姉さま。お姉さまは凄く役に立ってますわ。この森の平和を作ったのは誰だと思っていますの?」

「ルクレスさんだろ」

「いいえ! 最初はそうだったとしても――――最終的にはお姉さまが考案し、その通りに動いたじゃありませんか! お姉さまの考えがあってこそ今の平和が成り立っているんですのよ!」

「いやだから、ルクレスさんが俺の考えを聞いて修正をかけてくれたから今があるんだろ。実際に計画が進んで――――それで襲撃が来たときはあたふたしてたじゃねえか。ホームの地下一階の計画だって知らなかったし」

 

「それは……畜生。ルクレスあの下郎!!!」

「うぇッ!? ど、どうしたマリー?」

 

 

 なんか急に舌打ちしだしたんだけど何でルクレスさんの悪口言ってんのこいつ!?

 拗ねてるような表情を浮かべて俺の頭に胸を押し付けてくるのやめてほしいんだけど!?

 

 

「マ、マリー? マリーさん?」

「……別に何でもありませんわ。お姉さまいつか覚悟してくださいまし。わたくしずっとお姉さまの傍におりますので」

 

「お、おう? あー……まあいいけど」

 

 

 まあマリーが変になるようなことなんていつものことだよな。

 ホームに帰ったら即座にベッドで俺を正座待機するのなんていつもの事だし。変な言動もいつものこと。なら気にする必要はない。一応心配してくれたってことだけは受け取っておくけど。

 

 

 

「……とにかく俺はこれからもっと役に立ちたいから、ドラゴンの調査に向かう。……マリー、ついて来てくれ」

「ええもちろん。分かりましたわお姉さま! どこまでもついていきます! ええ今度こそ、必ずお傍に。お約束を果たすために!!」

「お、おう……」

 

 

 ちょっと怖いから止めようかなって思っちまったけど、それ言ったら絶対面倒なことになるよなぁ。

 やっぱりもう少し考えてから発言するべきだったか?

 

 ……いや、まあいいか。

 マリーがこうなったのは俺のせいだしなぁ。

 

 責任ぐらいは取らないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 



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36話 買い出し

 

 

 

 

 

 

 ドラゴンについて調べたいことがあったが、その前にいろんな意味で問題が起き始めていた。

 

 

 まず金が足りない。あと消耗品が少なくなってきた。

 それと同時に、薬草はあるんだが町にしか売っていないポーションやら毒消しなどの薬やらもないせいで困ったことになったため、気分転換も兼ねて外へ買いに向かうことになった。

 

 まだ他の余所者に対してトラウマが刻まれているであろう他の人間たちには何も説明せず、ただ少しだけルクレスさんに用事があるのだと伝えて町へ向かう。

 ランルークさん達は村の護衛についているため、なるべく日帰りで行けるようにと母さんやゴブリンのモンスターの仲間たちが共についてくれている。

 俺達にとっての問題の国家や帝国でもなく、メリア大森林近くの――――――以前薬草を売りに行ったことのある町に行くことになった。

 

 一応国家所属の町だが、森に近い位置にあるためそこまで酷いことにならずに済むだろう……おそらく。

 

 大きなリヤカーの中にたくさんの食料を詰め込んで母さんたちが引っ張ってくれる。

 それに乗り込むのは人間として交渉役の俺とマリーのみだ。

 

 だから移動している間の時間つぶしに、マリーの知識を聞くことにした。

 それが結構興味深いんだが……。

 

 

「良いですかお姉さま。スキルと言うのは大きく分けて7種類ありますの」

「7種類か。結構多いな」

「ええ! ですが職業(ジョブ)と才能があれば誰でも取ることのできるスキルは全部で5種類。あとの2種類は生まれつきか魂に刻まれたスキルだと言われているんですわ」

「へぇ?」

 

 

 マリーが言うには通常取得できる5種類のスキルは『職業スキル』『通常攻撃スキル』『通常防御スキル』『魔法攻撃スキル』『魔法防御スキル』とあるらしい。

 

 分かりやすく言うのなら、母さんが持っている薬草の知識のスキルは『職業スキル』であり、ただ拳で殴ることのできるスキルならば『通常攻撃スキル』であるということ。

 物理的な攻撃に対してガードが固く、防御に強いグローリーさんのようなスキルを『通常防御スキル』というのだとか。

 そして『魔法攻撃スキル』はグレンのような火の玉モンスター系が扱っている魔術のような特殊な物で攻撃していくことであり、それの防御に強いのが『魔法防御スキル』ということらしい。

 まあ人間とモンスターはスキルにおいて比べ物にならないほど変わっているらしいし、本能的にも獣に近くなったみたいだから例に出しても意味はないんだよな。

 

 普通の人間ならばスキルを使う場合は意識しないと使えない。モンスターの場合は意識がなくとも本能的に使っているか常時作動しているかのどちらかだ。ウィスプのグレンに聞いたけれど、身体全体の火が燃えているのは、人が血液を身体全体に送っているのと同じく意図してやっているわけじゃないのだとか。

 まあつまり、スキルを使うには意識的に発動しなきゃいけない。そしてスキルを覚えることによって当たり前に使えるようになるとのこと。

 

 その当たり前が俺にないのが問題だった。

 

 

「なあマリー。残り2つのスキルってなんだ?」

「生まれつきそれぞれの一族に備わっているか、絶対に自然とは取得できない特殊スキルと…………」

「マリー?」

 

 

 何故かマリーは、自らの両手を見て寂しそうに目を細めた。

 

 

「……特殊スキルと、禁忌スキルですわ」

「きん……きって?」

「……はい。禁忌スキルですわ。この世の理から裏切る行為をした場合に発生するとても重たいスキル。……神が唯一、わたくしたちに対して罰するとするなら禁忌スキルであるとそう決まっているんですのよ」

「へぇ。なあ、世界が決めたってどうやって決めるんだ?」

「ええと……そうですわね……」

 

 

 

 数秒だが、静寂が俺達の間を包み込んだ。

 

 その間も母さんたちは俺達の様子を窺ってはいるが会話を邪魔することはない。ただ歩いて前へ進んでいるだけだ。

 困ったようにキョロキョロと周りを見渡し、近くにあった俺の手をギュッと握りしめたマリーが言う。

 

 

「禁忌スキルとは……世界が定めた犯してはならない生き物の理なんですのよ。親族殺しや聖地汚し。国一つを滅ぼして自らの故郷を救った歴史上名高い英雄でさえもその禁忌に苦しんだと言われているんですの」

「それ……ってやばくないか? 俺達結構いろいろとやらかしてるぞ?」

「いいえお姉さま。モンスターは禁忌スキルは取得いたしませんの。それにお姉さまも……裏で活躍してくださったおかげで世界の理を汚さずにすみましたから」

「お前は?」

「えっ」

 

「お前はどうなんだマリー。大丈夫なのか?」

 

 

 俺は確かにそこまで表だっていろいろと動いた……うん。いややらかした記憶はあるし、普通にルナに敵対されたこともあったぐらいだから派手に動いてたのは事実だと思う。

 ただ決定的な事態が動く場面に限っては皆が動いてくれた。

 

 それはマリーも同じだったはず。

 ホームでの襲撃。地下一階への誘導も、モンスターたちとの戦力アップを込めた時に至ってもいろいろと動いてくれた。

 直接戦ったこともあったはずだ。だから少しだけ心配になって聞いただけのこと。

 握られている手を逆に力強く握りしめれば、マリーは頬を赤らめ照れたように笑う。

 

 

「大丈夫ですわお姉さま。わたくしはお姉さまと出会って以降禁忌スキルを取得したことはありませんわ。それにわたくしの知識は全部故郷から貰ったものですから」

「そっか。……ん? ってかマリーの故郷って?」

「はい。わたくしの故郷はここより東―――――国家が数年前に勝利を収めた小さな国。歴史の宝庫となっていた国家規模の図書館ですわ!」

「へえ……図書館か。それはちょっと行ってみたいな」

「そう言っていただけると嬉しいですわお姉さま! ……ですが、もう無理かと」

「え、なんで?」

「言いましたでしょう。国家が数年前に勝利を収めたと」

「あっ……そっか……ごめんな」

「い、いいえ違いますわ! わたくしが悲しいのはお姉さまの役に立てないのではないかと思っただけですのよ!」

 

 

 確かに悲しそうというような感じではない。

 でも嫌なことを思い出させたのは事実だ。

 ああそうか。マリーの故郷は戦争に敗れて国家のものになったのか。

 

 だとすればそこは俺達にとって危険地帯になるだろう。

 国家都市と同じぐらいに、何かあるかもしれないけれど……。

 

 ああでも危険であっても魅力的なのは確かだな。

 だって図書館だぞ?

 知識が豊富であって、歴史の宝庫って言われてんだぞ?

 

 ちょっと帰ってから考えよう。

 ドラゴンについてマリーにもう少し聞いてからにしよう。歴史っていうともしかしたらドラゴンの居場所について書かれているかもしれない。

 危険だと言われていても、前へ進むためには危険も承知で歩かないと……。

 

 

「アルメりあ」

「着きましタぜ。姉さン方」

 

「あ、うんわかったよ」

 

 

 母さんたちが指示した通り、そろそろ着く。

 人に母さんたちのモンスターの姿を見られるわけにはいかないから……そろそろ俺とマリーだけで移動を開始しないと……。

 

 

 

 

 

 ついてない。本当についてない。

 最近は国家も戦争だなんだと煩くなってきた頃だ。騎士となる奴らはみんな召集されちまったし、ずっと入り浸ってた町もすっかり荒んできたもんだ。

 それに、働く人手が足りないからとギルドの依頼書はほとんどがバイト募集だけ。モンスター退治や未知のエリアへ行くための遠征募集なんて何もない。

 

 もう一か月以上も冒険者らしいことを何もしていない。

 それどころか今日はただの草むしり、猫さがし、そして積み重なって汚れた押入れの荷物整理だと? 俺達は冒険者であって便利屋じゃねえんだよ!!

 でもそれやんないと金稼げねーからやるしかねーんだけどな!!! まったく不幸だな俺達は!!

 

 

「ギルドはつらいよ何もねえよーってなぁ!!」

「うるさいわね文句言ってる暇あるならちゃんと仕事持ってきなさいよ!」

「そうだぞ。最近の世の中は物騒なんだ。犯罪もモンスター発生率も急増だと計算上で――――」

「だぁぁっ!! 計算なんかすんな余計気分が悪くなるだろ!! んなことやるより飲みに行こうぜ!!」

「こら! 仕事やるのが先でしょうが!!」

「うるっせえよおっさん!」

「誰がおっさんだゴルァ!!」

 

 

 胸ぐらを掴んできやがった仲間に苛立ちを隠さず思いっきり頬をつねる。

 そんな俺達を止めるのはいつも計算ばっかりで煩い魔術師見習いの冒険者。

 

 

 

「私はまだおっさんじゃないわよ。これでも20代よ!!!」

「ハッ、年齢より見た目が問題なんだよおっさん!」

「おっさんじゃないオネエ様とお呼びなさい!!!」

「誰が呼ぶか馬鹿野郎!!」

「野郎じゃないオネエ!」

「そういう意味で言ったんじゃねーよ!!」

 

「喧嘩は止めないかみっともない。いいか君たち、計算上この争いは98%の確立で無駄な体力を使っているということになるんだが―――」

「喧しいわよ静かになさい!」

「うるせえ黙っとけ!」

 

 

 ってかなぁ、俺よりもガタイの良い長身の男が女口調で喋ってりゃあおっさんだっていうのは当然だろうが!

 黙ってりゃあ俺の次にイケメンだってーのにもったいない奴だぜ!

 

 

 

 

「っ……待て。喧嘩を止めろ」

「だから―――――」

 

「いいから少し落ち着いてあそこを見ろ」

 

 

 急に奴が指差したのは赤毛の幼女と金髪の美女?

 ってか金髪の美女のワンピース姿やばいな。あそこまで見目麗しいの久々に見たぞ。まるでエルフ一族の娘のように美しい。透明感のある肌も、薄着のワンピースから主張する大きくて柔らかそうなこんもりとした胸も、キュッと締まったウエストから曲線を描くあの美尻も見ていて飽きなさそうな綺麗な身体だ。

 

 ……ってか、すげえなあれ。

 いろんな男たちの視線を奪ってるっていうのに、あの金髪美女はリヤカーを引っ張ってどこかへ向かっている。リヤカーの上に乗っている幼女に幸せそうに微笑みを浮かべながら話しかけつつ、歩いている。

 結構重量がありそうだというのに大したもんだ。スキルでも使っているのか?

 

 

「見たかアレを」

「ええ見たわ」

「ああ、凄く大きなおっぱいだったな」

「アホか! そっちじゃないわよあの金髪の顔見なかったの!?」

「見たっつーのあの美女の容姿を見ないわけねーだろうが!!」

「ああもうあんたってそういうところあるわよねこの馬鹿。馬鹿!!!」

「ハァァ……」

 

 

 何だよ急に……ってか何が問題あるっていうんだよ。

 

 

「あの金髪の女の容姿をちゃんと確認しなかったのか……これを見ろ」

「はい?」

 

 

 懐から取り出してきた1枚の絵が乗った紙を俺に渡して見せる。

 仕方なく見るが――――なんかあの美女ちゃんにそっくりな絵だな。金髪だし特徴も一致してるし。

 

 

「ええっと……マーガレット・ナティシア。懸賞金は金貨5500枚……ってなんだこれ?」

「だからそのままの意味だ。ちゃんと見ろ」

 

「ええそうよ。あの子――――――犯罪者だわ」

 

 

 

 言われた言葉に少しだけ残念に思えた。

 あんな美女ちゃんを捕まえなきゃいけないだなんて……いや、捕まえるんならちょっとぐらい堪能してもいいんじゃ……。

 

 

「アンタ本当に頭の回路おかしいわね! ほら金稼ぎに行くわよ!!」

「思考回路が獣に近くなるとモンスターになるぞ」

「喧しい!!」

 

 

 

 ああくそ。マジでついてねー日だ!!!

 

 

 

 

 

 

 



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37話 見知らぬ価値

 

 

 

 

 

 

 

 くたびれた布きれか、捨てられた残骸のような町。それが俺達の住んでいる町の印象だ。

 

 旅人はほとんどこの町を通過点として利用し、その奥のメリア大森林を抜けた先の帝国へ向けて出発しやがる連中がほとんど。この町を目的とした連中なんているわけがねえ。

 ……ああいや、メリア大森林に住んでる頭のおかしい連中が利用しているな。少しばかり上等の食べ物や薬草何かを物々交換で交渉して、たまに金貨と変えていっちまう為に町に来る連中が。

 

 だが連中のおかげで助かってる部分もあったんだ。

 なんせここら辺で畑を作るとなると畑泥棒とモンスター被害に気をつけなきゃならねえから警備が必要になる。冒険者を雇うのは面倒だから自ら警備する奴もいるが、それでもメリア大森林の膨大な自然に比べたら入手できるのはほんの少しだろう。

 

 食料は重要だが、最近じゃあ戦争の余波を受けてるせいでいろいろと品薄になっちまう。畑が思ったよりも順調に進めることが出来なかったのも原因の一つだ。

 だから連中が持ってくる食料は重要視されていた。まあメリア大森林になんか住んでるような連中だから食料の重要性をよく分かっちゃいねえ。俺達だってその日一日の飯を食えなくなるのは勘弁願いたいから、当たり前のように簡単に安い値段で騙す。

 それでも満足してくれるような奴等だから、俺ら町の住人はそこがとても気に入っていたんだぜ。

 

 だが最近、連中は売買をしに町へ来なくなった。

 新しく何処かと交渉しに行ったのか、俺達に騙されてると憤慨しているのかまあ知らねえが……。困ったことになったもんだと思ってたんだ。

 ぼんやりと椅子に座り天井を眺めて一日が終わる。戦争さえ終わればもっと活気は戻るが、それがあと数か月か数年かいつまで続くんだか。

 そういうことを考えては世界の厳しさに苛立ちを込めて舌打ちを鳴らすんだが―――。

 

 

「えっと、すいませーん」

 

 

 キィィ―――――と、古くなった扉が悲鳴を上げるように開かれる音がする。

 それと同時に聞こえてくるのは幼くも可愛らしい声。俺の店に来たんだからメリア大森林の連中かそれとも別の奴等か……。

 

 ため息を吐いて頭をかきつつも、扉の前を見た。

 真っ先に見えたのは真っ赤な髪が特徴の小さな女の子。その奥にもう一人いるな。母親か?

 

 

「あぁ。物売りかい? それならここで受け持ってるがな。ちゃんと上等の……」

「ええ、ちゃんと上等の食料を持ってまいりましたわ」

 

「あっ―――――――――」

 

 

 思わず呆然と扉の先にいる彼女に見惚れた。唾をごくりと飲んでしまうぐらい有り得ないほど魅力的な身体と鈴の音のような綺麗な声。金色の絹のような髪が日を浴びて艶やかに煌めき、こちらを見据える目は氷のように冷めきっている。

 そんな上等な価値を持っている女が、俺の店に来ただと?

 

 おいおい冗談じゃねえぞ。

 どういうことだ。何故こんなくたびれた町に貴族令嬢と言えるようなほど美人な女性が来てやがる!?

 

 

 

「あのぉー。ちょっといいですか?」

 

「あぁ? ……ってなんだガキか」

「いや何でため息を吐かれたのか知らないですけど、食料を売っていただけるんですよね?」

「仕方ねえな。査定してやるからとっとともってこい」

「おーう」

 

 

 赤毛の幼女は娘だろうか。なら残念だ。

 少し誘ってみようと思ったんだが。

 ……いや、俺はともかく他の連中にとっちゃあ人妻という価値がぶら下がったようなもんだな。

 

 

 

「よし、俺も手伝うから早くやろうぜマリー」

「ええ分かりましたわ。お姉さま!」

 

 

「……あ?」

 

 

 何だこいつら、何で母親が娘に対して『お姉さま』って呼んでるんだ。そういう頭のおかしい親子か?

 まあ見た目だけは華やかなんだ。幼女にはあまり食指は動かねえが、真っ赤な髪が燃えるようにキラキラと太陽の光で輝いているのは確かだから派手なのは事実。

 暇な一日の刺激の一つとして甘受しておこうかね。

 

 

 

 ……そう、思っていたんだが。

 

 

 

「んだ……これ……」

「ええっと。何かおかしい部分でも?」

 

 

 幼女が首をこてんと可愛らしく傾けるがそれどころじゃない。

 こいつは有り得ない。有り得ないほど上等の野菜と果物だ。

 瑞々しくて栄養がたっぷりと詰まったのが見るからにわかる。しなびた野菜と果物じゃない。都市で売られているような高級野菜と果物だ。

 

 こんなのを栽培するのは相当の苦労が必要なはずだ。

 栄養が入った土を用意し、モンスターや害虫たちの対処をして、そして聖水と比較できるほど上等の水を注いでじっくりと栽培されたものに違いない。

 

 こんな食料を大量に……しかもこんなくたびれた町の俺の店にポンッと売りに来るわけがねえだろ普通はよぉ!?

 

 

「アンタらどこでこれらを作ったんだ!? むしろどこで手に入れてきた!?」

「あら、種から育てたんですのよ。全部」

「ぜんぶ!?」

 

 

 リヤカーに詰め込まれた野菜と果物を店の細長い机に並べてもまだ足りず、仕方なく地面に布をかけてその上に乗せていってようやく全部というほどのものを、種から育てただと!?

 これは夢か? 夢なのか?

 

 

「早くしてくださいまし。売らないというのなら別の店へ売りに行きますわよ?」

「ッ――――あ、ああ……いや! 分かった。ちゃんと売る! だから待ってくれ!」

 

 

 凛とした声にハッとなる。このままこの売り物を逃す手はない。野菜も果物も俺が独占したい。

 だからきちんと接していかねばならないと思ったんだ。

 

 俺のことを冷めた目で見つめる極上の女性と、ただじっと見つめてくる幼女に対して……何故かメリア大森林の連中と接するような大雑把な値段設定は出来ない。

 ちゃんと売って、誠意を見せていかなければ……。

 

 

「野菜と果物の数と、その質。全部合わせて金貨150枚だ」

「はっ? え、そんな高く売ってくれるの!?」

 

「あ、ああ……普通ならもっと安く売る。野菜と果物だからな。時間が経てば腐っちまう物は上等な食材でも野菜や果物が一つだけで50銀貨にしかならねえ。だが俺は1金貨で出そう。そのかわりと言っちゃあなんだが。これからも俺の店で売ってほしい! 頼む!!」

 

 

 頭を下げてきちんと本音で言って頼むと、幼女は慌てて金髪の美女を見つめた。

 彼女は幼女の頭を撫でて幸せそうに微笑み、俺の方を向いた瞬間無表情と冷めた目で言う。

 

 

 

「ちゃんと価値を知り、その通りに売ってくださりますのでしたらわたくし達はその通りにして差し上げますわ。ですが注意してくださいまし。売りはしますがこの先食材を価値以下で付けようとするのでしたら二度とこの店に来ませんわよ」

「あー……まあそういうことで。宜しく頼みます」

 

「あ、ああ! ありがたい!!」

 

 

 

 女性と幼女の声に俺はただこの店を選んでくれた幸運に涙を流した。

 

 俺には夢がある。儚いが小さな夢があるんだ。

 ああそうさ。もうおっさんだが俺にはやりたいことがある。こんなくたびれた町で一生を終えたくはねえような夢を子供のころから持っているんだ。

 今回の出費で痛いほど金貨が吹っ飛んだが、それ以上に儲けてやる。

 もっともっと金貨を増やして、いつか都市へ移り住んでやる。

 

 そこで俺の店を建てる。それが俺の夢だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんか森でいろいろと栽培し過ぎた野菜と果物の余りを売ったら金貨が大量にゲットできた件について。

 

 まあ売れたんなら良かったけれど、やっぱモンスターの力って凄えなって思うわ。

 本来なら銀貨だが独占したいから金貨にして売ってやると言ったあのおっさんの言葉に驚きは隠せない。マリーがフォローしてくれたからなんとか売ることが出来たけれどさぁ。

 まさかの上等な価値って……。

 

 

「さてお姉さま! あとはリヤカーに必要な物資を詰め込んで行きますわよ!」

「おーう」

 

 

 とりあえず金貨はマリーに持ってもらおう。それで俺はリヤカーに乗って商店街へ買いに向かうか。

 ちょっと人が働く様子は見てとれず、最初に見えたあの店のおっさんのようにくたびれているのが分かる。

 商店街で上等のものが買えればいいかな。予想以上に金が手に入ったし。

 とりあえず商店街を見に行こう。そう思ってリヤカーの方へ―――――。

 

 

「お待ちくださいましお姉さま」

「ふぇ?」

 

 

 歩き出そうとした俺の腕を、マリーが掴んできた。

 思わずマリーの方を見上げると、彼女は何処かの方向を険しい表情で見つめている。どうしたんだろうかと首を傾けていると、いきなり俺を抱き上げて走り出し……っ!?

 

 

「ど、どうしたんだマリー!?」

「分かりませんわ。ですがわたくし達をつけている輩がおります! それも三人ですわ!」

「はぁ!?」

 

 

 リヤカーを置いてけぼりにしてただひたすら走る。

 その後ろで聞こえてきたのは「追いかけるぞ!」「逃げるんじゃねえ!!」という怒声。

 それどころか急に俺達の真横に何か光の球のようなものが直撃し、地面を抉って行くのが見えた。

 

 マリーが俺をしっかりと抱き上げてくれたからよく見えた。

 後ろから追ってきている3人の人間が。

 杖を持った男がこちらに向けて魔術をうち込もうとする様子が。

 

 敵だとしたら国家の象徴であるエンブレムがあるはず。だがそれが何もない。

 それでも追いかけてくる。まさか……俺達の事を知ってる奴が捕えに来たのか!?

 

 

「どういたしますか、お姉さま!?」

「も、森へ!! あそこは俺達のホームグラウンドだから!!」

「了解しましたわ!!」

 

 

 行き止まりがあろうとも壁を駆けて屋根を上って走るマリーの隠された身体能力に驚きつつ、後ろの連中の追っ手が離れない状況に苛立ちが増す。

 国家所属の……メリア大森林近くにある町を見張っていたのか? 俺達が来るのを待っていたのか?

 追いかけて俺達をどうするつもりなんだ。まさか捕まえるつもりなのか……?

 

 

「そろそろ着きますわお姉さっ……!」

 

 

 不意に、背後にいた奴の一人が俺達に向かって切りかかってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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38話 目的を知らぬまま




この世界での冒険者は、モンスターを倒せるか否かが重要視される。
生きるために彼らに倒してもらうことが普通のことだったからだ。


もちろん一般人でも倒せるモンスターは存在する。
その代表格がレッドキラーと呼ばれているモンスターだ。
シャドーバットも見た目は可愛いため、嫌悪されることはない。

しかしモンスターというのは凶悪なものだ。
人を食らう獣。人よりも力を持ち、人よりも優れた生命力を持っているのが主なのだから。


しかし、モンスターを倒せる力を悪用したものは犯罪として指名手配される。
それがどんな理由でも、国が定めたことは全て悪に属するのだから。







 

 

 

 

 

 

 自分で言うのもなんだが、振り下ろした剣技は絶対に当たったと思えたんだ。

 まあ伝説のプラチナ級レベルでもねえし、それより下のゴールド級でもないただのブロンズ級の俺達にとっちゃあ簡単な仕事と言える……いや、言えねえな。

 

 俺達だってこれでも冒険者だ。

 修羅場は慣れてるし、戦いだって何度も行ってきたから身体が自然と動くぐらい覚えてる。モンスターとも何度も戦ってきたし、他のシルバー級の冒険者たちと一緒にだが集団戦を勝ち抜いた記憶もあるんだ。

 

 だがあの女の懸賞金の額を考えれば、難しい方だと言った方が良いかもしれない。

 

 ブロンズ級は一般人と比べて強い方だが、冒険者にとっては一番ランクが下の弱い方だ。

 だがそれでも実績を上げていけばいつかはゴールドも夢じゃねえだろう。

 今回狙った犯罪者の女を捕まえるのは、通常ならばゴールドかシルバー級の冒険者が適任かもしれない。賞金額が金貨1000を超えているのなら難易度が高くなるのは当たり前のこと。

 

 でも関係ねえ。むしろラッキーだ。

 

 幼女がいなければどう抵抗されてしまうのか分からねえ。ある意味あの女の動きを止める弱点になっていた幼女に感謝しつつ、剣を振り上げてそのまま攻撃を行おうとした。

 ああそうだ。行おうとしたんだ。

 

 素早く鋭く、何処を狙えばいいのかを捉えた攻撃。背中を見せて逃げ続ける金髪の女と赤毛の幼女に向けて――――少々残念ではあるが怪我をさせて逃げられなくして捕えて金貨を貰うために連れて行こうと思ったんだ。

 

 だがしかし、その思惑は外れていた。

 剣先は柔らかそうな真白の肌ではなく、固く銀製の斧――――。

 

 

「グォォォッ!!!」

 

 

「んなっ!?」

 

 

 切り裂こうとした先にいたのは大鬼(オーガ)。斧を手に振り下ろしてやって来たのを見て反射的に下がる。

 オーガは一応下位モンスターだが中位モンスターレベルに扱われることが多いとても危険な生物だ。理性もなく戦うことを欲求する獣。そいつがなんで、町の中にいやがる!?

 いや違う。いつの間にか町はずれ――――少しだけ森に近い位置にいる。まさか、モンスターが偶然森から外れてここへ来やがったのか!?

 

 

 

「ちょっと危ないわよ! 大丈夫!?」

「お、おう!」

 

 

 

 仲間に引っ張られ、なんとか体勢を立て直す。

 だがその先――――よく見ればオーガだけではなくゴブリンの群れがいた。

 女性と幼女を守るように周りを囲っている。真ん前にオーガ、その左右と後ろにゴブリン。女性は幼女を守ろうと抱きしめてこちらを睨みつけており、幼女はただ周りをじっと無表情で観察している。

 

 まさか、これはあの女がモンスターを呼んで協力してもらってるのか?

 あの幼女を守ろうとしているのは分かるが……。

 

 

「これは……計算しなくても最悪な状況だな」

「見ればわかるよこの野郎!!」

 

 

 魔術を使ってモンスターたちを遠ざける。

 警戒はしているが、こちらへは来ない。その異様な様子にごくりと生唾を飲んだ。

 有り得ない。ああそうさ有り得ないことだ。

 あの本能の獣であるモンスター共が理性を持って俺達に戦いを挑もうとしてくるだなんて。ただの女と幼女を守ろうとしてくるだなんて!!

 

 あの女何をしたんだ。どんなスキルを使いやがった!?

 

 

 

「下がりなさい。わたくし達に手を出すのでしたら痛い目に遭ってもらいますわよ!」

『オォォッ―――――――――』

 

「ぐっ……」

 

 

 女の声に反応し、モンスターたちが咆哮を上げる。

 まるで彼女の言う言葉を理解しているように、ただ俺達を睨みつける。

 

 どうする。この状況をどう対処する。

 モンスターたちはあの女どもを敵と思っちゃいない。というかむしろ共闘してるように見える。

 ハハッ、普通有り得るか? モンスターと人間が共闘だぞ?

 使役してるようには見えねえし、操っているようにも感じねえ。ただ普通に協力してるように見える。ただのブロンズ級が何言ってんだって話だけどよ。でもそう見えるんだから仕方ねえだろう。

 

 どうやってあいつを捕まえる?

 逃げることは可能だ。だがその後は?

 このまま犯罪者を野放しにするつもりはない。冒険者は憲兵じゃないが、それでも見かけたからには捕まえる義務があるはずだ。

 

 だが――――――――――。

 いや、もうこれしかないか。

 

 

「逃げるぞ」

「えっ、でもオーガとゴブリンならなんとかいけるんじゃ……」

「いけねえよあんなの」

「ああ、賛成だ。計算上このままだと我々が敗北する」

 

 

 

 オネエ野郎は不満げな顔をしているが、状況をちゃんと理解しているはずだ。仲間だから分かるぜ。

 金貨1000以上の賞金がかけられた女だけじゃねえ。モンスターもいる。オーガやゴブリンが敵となって俺達を睨みつけている。三つ巴ならまだしも共闘されたんじゃ敵わねえからな。

 

 だから考える。どうすればいいのかを。

 

 

「おいちょっと……」

「なによ」

「いいから……」

 

 

 

 耳を寄せて話す。

 警戒されている間に、なるべくわかりにくいように。

 逃げる手立てを考えていると思われているうちに。

 

 

 

 

 

 

 

 奴らはどうやら俺達を見て脅威を感じ、逃げることを考えているようだ。

 何故俺達を狙ったのかは分からないが、ここまで来たらもう大丈夫だろう。

 

 俺達がいる場所は森近く。町はずれに位置する場所。ある意味ホームグラウンドの近く。

 他の人が来るような気配はなく、誰かが母さんたちを見て騒がしくなることもない。

 

 だが何か諦めきれねえのか。それともただ警戒して逃げるかどうか考えているのか。奴らが逃げる気配はない。

 もしかしたら逃げたら攻撃されるんじゃないかと思ってるのか? それなら大丈夫なんだが……。

 一応警告しておくか。

 

 

「マリーの言う通り、俺達はお前らに手出しする気はねえぞ! というか、何で襲ってきたんだよ!!」

「聞く必要はありませんわお姉さま。襲ってきた以上、敵であるのは間違いないんですもの」

「まあそうだけど……」

 

 

 ただの賊だったらいい。本当は良くないが……それでも、金目当ての奴等ならば対処は出来る。

 重要なのは俺達を狙う連中だったらということ。それが一番やばいんだ。もう二度と捕まったらやばいからこそ、警戒しなくちゃいけないんだ。

 

 殺しは……できればここは町の近くだから誰にも見つからない場所で行いたい。

 ここでこの三人を殺すのは論外だ。町の奴等に見つかると面倒なことになる。

 だから一番いいのは連中に逃げてもらうこと。

 

 奴らはただ警戒し、後ろへじりじりと下がっていく。

 

 そのうち、ずっと無言だった男が懐から何か―――――――――えっ?

 

 

「計算上、これが一番役に立つ!」

 

 

 出された爆弾のような物体が、俺達に向かって襲いかかる。

 だがそれは煙玉だった。一気に爆発するように溢れる白煙に圧倒され、煙たさに咳き込む。

 攻撃のようなものは感じられなかったけれど、急になんだよ! ああクソッ!

 

 

「ゲホッ……み、みんな無事か!?」

 

 

 片手を振りながらも周りを見る。

 俺を抱きしめてくれているマリーは平気。周りも何も血の臭いはしない。

 連中の声もないし……よし、煙が晴れて来たな。

 

 

「大丈夫か。怪我はないか!」

 

「……えェ」

「大丈夫でスぜ、姉さン」

 

「……大丈夫ですわお姉さま。どうやら逃げたみたいですわね」

 

 

 ゴブリンになっている仲間たちも、母さんも無事だ。

 ただあの急に現れて急に攻撃を仕掛けてきた連中の意図が分からず困惑する空気が漂う。

 ただの賊のようには見えなかった。攻撃だって手馴れてるし、モンスターがいるからってことで逃げるにしても凄く手際が良かった。

 

 というか、煙玉なんて始めて見た。忍者かよあの計算上とか口癖のように言ってる野郎は……。

 母さんたちも俺と同じく驚愕しているみたいだ。

 何もすることはなかった。ただ煙玉に圧倒され、唖然となって取り逃がしただけに過ぎない。

 

 

「なあ今なんか爆発聞こえなかったか!?」

「あっちに何かあるのかな。ちょっと誰か呼んできて!!」

 

 

「あっやべ……母さん」

「分かってル。私達は森に待機しテるけど、気を付けるンだよ」

「うん」

 

 

 野次馬が来る前にと母さんたちが森の草むらの奥へ隠れていく。

 俺達を見つけてくれなかったら―――――あの切りかかって来た瞬間に守ってくれなかったら今は絶対に大変なことになっていただろう。

 買い物はともかく、置いて来てしまったリヤカーだけでも取りに戻らないといけない。警戒は怠らないようにしよう。面倒だけど……。

 

 このまま帰った方が良いかもしれないけれど、それだと来た意味がない。一番近い町はここなのだから。

 それに俺達に対しての脅威であるとするならもう少し探った方が良い。

 何故襲ってきたのかを調べなくちゃ……。

 

 

「マリー、早く行って帰ろう」

「……ちょっとお待ちくださいましお姉さま」

 

 

 マリーが俺を母さんたちがいたはずの近くに俺を置いて、連中がいた場所へ歩く。

 その表情は苛立ちに満ちていた。

 

 ただ地面を触って、連中が落とした煙玉の残骸を触って舌打ちを溢す。

 じっとそれを睨みつけているけれど、どうかしたのか?

 

 

「……マリー、何か分かるのか?」

 

「いいえ、わたくしは感知式のスキルは所持しておりませんから……あら?」

「へ?」

 

 

 マリーが拾い上げたのは、足元に落ちていた一枚の紙。

 奴らの落し物だろうか。俺達より少し遠い位置にいるから何が書かれているのか分からない。

 ただそれをじっと見つめていたマリーが、不意にくしゃりと紙を握り、ビリビリに引き裂いていく。なんでもないように、ただ細かく引き裂いて地面に捨てていく。

 

 

 

「ど、どうかしたかマリー? その紙なんだったんだ?」

「なんでもありませんわお姉さま。ただの依頼書ですわ」

「依頼書?」

「ええ。おそらく連中はギルドの冒険者だったのでしょうね。ギルドの依頼書を落としていっただけですわ。ええ、何の価値もない……くだらないモノですのよ」

 

「ふーん……?」

 

 

 

 まあマリーが言ったんなら信じよう。

 だがしかし、ギルドの依頼書という言葉に首を傾ける。

 

 依頼書ということは、何かを頼まれていたということ。

 俺達を襲うように依頼していた……としたら、マリーが俺に言うはずだよな。

 冒険者が俺達を襲うってどうしてなんだ? そこまで切羽詰まった状況だったとかか?

 

 それとも、俺達についての何かをギルドが知っている……?

 

 

 

「マリー、早く終わらせて帰ろう。俺達にはやるべきことがあるから」

「ええそうですわねお姉さま。人が近づいてきましたし、早く行きましょう」

 

 

 

 頷いたマリーに近づいて、一緒に走って来た道を戻ろうとした―――――瞬間だった。

 

 

 

「ふぇっ!!?」

 

「お姉さま!?」

 

 

 不意に壁から両手が伸びてくる。

 違う。まるで忍術のように、壁に潜んでいた男が俺を抱き上げてきたんだ……!!

 

 

「計算上の通り、成功だな!!」

「んなこと言ってる暇があるなら逃げるぞ!!」

「ほら行くわよ!!」

 

 

「いやいやちょっ―――――たすけてっ!!!」

「っ! 待ちなさいあなた達!! お姉さまを返しなさい!!!」

 

 

「いいやそれは無理だ」

「ええそうよ。この私達がいる限りね!!!」

 

 

 眩しいほどに明るい光が周りを照らしだす。

 後ろからやって来た野次馬の人間が悲鳴を上げ、森に隠れようとしていた母さんたちが戻ってくる気配がしたが、それよりも先に動いたのは連中だった。

 

 またも煙玉を二つほど取り出して―――――俺を抱き上げて捕まえたまま、マリーたちの視界を遮って走る。

 俺を連れて、走り出していく。疾風怒濤のように、不意をついて俺を攫って逃げていく。

 

 

「どこへ連れて行くつもりだよこの野郎ぅぅぅぅっ!!!!」

 

 

 

 ああくそ!! なんでこうなったんだよ!!!

 警戒するにしても突然すぎて意味わかんねーってのっ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 



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39話 それぞれの禁忌 序章

 

 

 

 

 

 コノエ帝国。一般的には『帝国』と呼ばれているその国。

 国家とは違い、外周が帝国の領土に合わせて楕円形のような壁に覆われているのが特徴の城塞帝国である。といっても、城塞となったのは数十年前の話だったが。

 

 ある大きな災厄を勇者と共に乗り越えて壁を作り上げた帝国は、国家と共に友好かつ同盟関係を結んだ。二つの国はそれぞれが対立するきっかけがない限り敵対をしないというもの。国家は帝国を襲わずただ領土を増やすために他と戦争をし、帝国は他の味方には付かず国家からの脅威を退ける。そういう意味で友好を築いた。

 

 災厄でのアレ以外、脅威となるのは国家だと帝国の王はよく言っていたのを僕は覚えている。だから壁を作り上げたんだ。この数十年の間に。

 モンスターに襲われることもなく、一定の出入り口以外からの危険はない。これはもしも国家と戦争をすることになったとしても防御壁として使えるだろう。

 

 だから気掛かりだった。国家とはどこまで協力しているのかを。

 

 

「久々ね、ルクレスおじサんのそノ姿」

「そうかい? 僕としては全然そう感じないんだけど」

「実際、数か月ぶりでショ」

「ああ……そうだね……」

 

 

 感覚はないが、糸によって作り上げた両手を見つめる。

 しわくちゃだが少し鍛えられたと分かるごつごつの両手。あの若々しくも固く骨ばった手ではない。

 アルメリア達と交流して以降はなるべく若い姿になっていたからこそ分かる差だ。

 壁を通り抜けるためにはちゃんとした身分が必要だ。だから若い頃の姿はいけない。

 身分が証明できるようにするためにはちゃんとした姿になる必要があった。

 

 顔も身体も――――その見た目が若くない姿にスライムのアリスちゃんは懐かしんでいるのだろう。見えてはいないけれど、おそらく身体の一部分を溶かしつつ嬉しそうにしているのが分かった。

 どろどろの液体にも固形にもなれるアリスちゃんにはやってほしいことがあるから、僕の仮初の身体の内側に隠している。

 僕の仮初の心臓の部分に、アリスちゃんに入ってもらうのは窮屈だろうけれど必要だから仕方ない。

 

 

「いくよアリスちゃん」

「うン」

 

 

 帝国のある宮廷。その一角にある、王から褒美として与えられた領土。

 そこにいるであろう友人のもとへ急ぐ。

 

 宮廷には貴族が多い。僕の事を知っている奴らが多いために素通りしてくれるだろうが、接触して来たら絶対に面倒なことになるだろう。それだけは避けなければ……。

 

 そう思っていたら、ふと横を見ると見知った顔があって立ち止まる。

 

 

「……あ?」

「ああ、そこにいたんだね」

 

 

 歩いている先―――――中庭が見える廊下の外にて木陰で座り込む老人が見えた。

 渋い顔をした僕と同い年の老人。眉に皺を寄せ、頬に大きな傷をつけた黒髪に白髪が入り乱れつつ若かりし頃の僕と同じく髪を一つに結んでいる男。

 老人と言っても鍛えられている身体は変わらず、いまだに戦士たちを圧倒しそうなほどの雰囲気を漂わせているのが見えた。

 

 そんな彼が、僕を睨みつけながら言う。

 

 

「……何でてめえがここにいやがる」

「おや、僕はもともと帝国出身なんだよ。いてもおかしくはないだろう?」

「あぁ? そうじゃねえ。てめえは貴族共を嫌ってんだろうが。ここは宮廷だぞ」

「分かってるよ。それでも来なくちゃいけない理由があったんだ」

「はぁ?」

 

 

 にっこりと笑いながらも、彼に近づく。廊下から柵の外へ。僕にはもう分からないが、雑草や芝生を靴で踏みつける感触と、周りに咲いている花たちの香りを楽しんだふりをしながらも彼の真ん前へ。

 

 彼は木陰で立ち上がり僕を見下ろしていた。

 僕よりも身長が20センチほど高く、老いていても猫背にならず姿勢が良いため威圧感に溢れている。

 

 

「元気そうに見えるけれど、身体の調子はいつもより平気なのかい?」

「ハッ。良さそうに見えるんだったらてめえの目は節穴だな」

 

「あはは……そうだね。君の身体は禁忌によって蝕まれているからね……」

 

 

 

 平気そうに見えていても、実際は激痛が身体中を蝕んでいるのだろう。

 災厄を退けた結果によって起きた咎。世界が帝国が滅びることを運命と称したのならば、勇者がそれを歪めて世界に喧嘩を売ったようなもの。だから刻まれてしまった禁忌のスキル。

 見た目では分かりにくいが、相当無理をしているはずだ。彼を見ていると人間の身体が恋しくなるが……まあいい。

 

 僕が彼にとっての最大の地雷である『禁忌』について発言をしたせいか、怒気が感じられるようになる。

 そのせいで胸の内にいるアリスちゃんが震えてしまっているのだけれど……うん、大丈夫。彼女が溢れるほど僕の糸は脆くない。

 

 

 

「……おいルクレス。馬鹿にしたいから来たわけじゃねえだろ。何の目的があってここまで来やがったんだてめえは」

「いろいろあってここまできたんだ」

 

「ああ? 孫娘はどうした。まさか孫娘を嫁に出すっていう貴族共の願いを叶えるためにここまできやがったのか?」

 

 

 ああ。その言葉は聞きたくなかった。

 だが帝国に来た以上必要なことだ。覚悟は出来ていたことだ。

 

 有り得ないだろうというような顔をしている彼に向かって、もっとありえないことを言う。

 

 

 

「………………家族は死んだよ。僕以外はね」

「なっ――――――」

「僕を友人として思っているのなら頼む。僕が去ってからの現状の帝国について教えてほしい。そして国家との関係性についても教えてくれ」

 

「ちょっ……おいおいちょっと待て。どういうことだ!? お前が付いていながら死んだって一体なにが……」

「悪いけどその話は止めてくれ。いまは僕の頼みを聞いてほしいんだ」

 

 

 彼の顔を見上げつつも睨みつける。

 怒っているという表情を作る。心を揺さぶられては糸がぶれるから、冷静になれるように対処する。

 

 彼は僕を見て―――――禁忌に犯されていなければ頭を豪快に掻いていたと思えるような嫌そうな顔をした。その表情の意味を知っている。もはや友人を通り越して家族同然の付き合いをしている彼だからこそ分かる。

 

 

「てめえはいつも問題事を持ってくるよなクソ相棒が!!」

「ありがとう」

 

「あぁ? まだ引き受けるようなこと何も言ってねーだろうが!!」

「いいや君は頷くさ。何年の付き合いだと思ってるんだい?」

「ハッ」

 

 

 

 彼の嘲笑う顔に、ただただ自嘲する。

 いいや、自嘲するようなことはもうできないから、人間であったならば自嘲していたと言った方が良いだろう。

 仮初の身体による表情は自嘲とは違って愛想笑いを作っていた。アリスちゃんは何も言わずに傍観してくれているから助かったが……。

 

 

 さて、始めるか。

 

 

 

 

 

 

 

 



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40話 それぞれの禁忌 前編

 

 

 

 

 

 

 

 ぼやけた木漏れ日が居心地良く感じる。

 だがそこにいるのは俺にとって嫌いなドラゴンだけ。

 

 いつもの夢だ。慣れたくはないけれど、もうこの状況が普通になってしまっている。

 それに少しため息をついて、今までの嫌な気持ちを吐き出した。

 

 

『何をボーっとしている。辛気臭い顔をするな貴様』

 

 

 はぁ? 確かにため息ついたけど、俺そんな変な顔してたか?

 ……いや……まあ、そうか。ちょっと考え事してたからな。辛気臭い顔とかお前に言われたくねえけど。

 

 なあ、忍者ってこの世界にもいるのか?

 

 

『何を言っている。頭でもおかしくなったか』

 

 

 んなわけねーだろうが。断定口調で言うんじゃねーよ。

 ただ見たんだよ。煙玉みたいなもの投げて白煙撒き散らして逃げるような忍者っぽい奴がさぁ。まあ口癖で計算上はぁって何度も口にしてたけど……。

 煙玉だけじゃねえ。壁隠れの術みたいなのもあった。まあ壁にそっくりな布を使ってただけなんだけどさ。そういう奴っているのかなって思ったんだ。

 俺達すごく驚いて不意をつかれてさぁ。俺を抱きかかえて逃げていって―――――。

 

 あれ、その後どうしたんだっけ。

 ああっと……うん。夢だからたぶん忘れてるだけかな。

 

 

 

『……フン。忍術などというふざけた名は知らんな。だが道具を使ってスキルを発動させるというのは知っているぞ。私は昔何度も見ていたのでな』

 

 

 え、珍しい……。

 お前急にどうした?

 

 

『むっ、なんだその顔は』

 

 

 いやだってお前が昔について話すとか有り得ねえだろ。宝玉や居場所も何も口にしないくせに、こういうちょっとしたことで自分の情報を話すとか珍しいなって思ってな。

 まあ俺の夢だからお前のことなんか興味ねえし、現実では有り得ねえことだろうけど……。夢だからかな。ちょっとだけ気になるんだ。目覚めたらどうでもよくなるだろうけど。

 

 暇つぶしに聞いてやってもいいぞ。どうせ夢だし。

 えっと……昔は忍者が多かったのか?

 

 

 

『フハハハッ! なんとも罰当たりな発言をする上に私の言葉を聞いていなかったな小娘が! まあいい、貴様の脳は幼虫以下。普通より劣っているのは知っているからな。二度目はないぞ人間、ちゃんと聞いていろ。

 私は忍者など知らんと言ったんだ。ただ知っているのは道具を使ったスキルが昔存在していただけだ』

 

 

 

 道具を使ったスキルねえ。

 つまり道具を使わなきゃ力は使えなかったってことか?

 

 

『ああそうだとも。道具がなければスキルは使えん。それが当たり前の世界だった』

 

 

 ふーん……。

 じゃあ進化はちゃんとしていってるんだな俺達。というか、文明発展というか、スキル発展?

 

 

『むっ。それはどういう意味だ』

 

 

 

 いやだからさぁ。昔の人は道具を使わないとスキルなんて使えなかったんだろう?

 でも今は道具がなくてもスキルは使えてる。つまり便利になって来たってことだ。

 まあ俺はスキルなんて使ったことねえけど……。

 

 人間は進化してるから、スキルもちゃんと道具なしで使えてるって話を聞いてて思ったんだ。

 

 

『フ……ハハハハハハハハッ!!! そうかそうか。貴様はそれを進化と呼ぶのだな! 道具なしでも力を使えるようになった現象全てを、進化だと! 貴様はそう解釈するのだな!』

 

 

 おいなんだよ急にそんな言い方……。

 なんか気になるんだけどさぁ、お前から見るとそうじゃねえってわけ?

 

 

 

『当たり前だろう。貴様ら人間はあの時代―――――()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()を知らんのだ。だからそう勘違いする。私から見ればこれは退化だ。道具がなくても使えるほどに力が弱くなったにすぎん』

 

 

 はいっ?

 え、つまり退化って……何かを通してしか力を使えないってどういうことだよ。

 じゃあ忍者はどうなんだ?

 

 

『さてな。その忍者とやらに宝玉の力を試してみるか? 我が宝玉の力も昔とは違う。あの世界、あの時代を生きた人間であるならば獣に堕ちずに人として耐えきることができるであろうよ』

 

 

 ……お前さ。ちょっとふざけんなよ。

 宝玉について話してなかったくせに、こんな時に話しやがって……。

 今と昔ってどういうことだよ。宝玉で母さんたちの身体は元に戻るのか?

 

 なあお前、今どこに居るんだ?

 

 

『それは貴様がよく知っているだろう』

 

 

 

 嘲笑うドラゴンの声が急に遠くなっていく。

 木漏れ日の太陽が眩しく感じる。

 

 嫌な気持ちのまま夢から覚めるんだと自覚した。その瞬間が一番嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けるとそこは木造のよく分からない場所。

 湿った空気が気味悪く、蝋燭の明かりが部屋の薄暗さを照らしているというのに不気味な雰囲気を増している。

 周りを観察してみるが、誰もいないようだった。薄い布を身体にかぶせて、固いベッドに寝かされているだけだが……。

 

 

「知らない天井だ……」

 

 

 こんな言葉を吐くだなんて思いもしなかったぞクソが。

 ぐるぐると記憶を辿ってどうなったのかを考える。

 つまりあれだ。俺は捕まって気絶し、その後ここへ連れて来られたんだろう。

 

 母さんたちはどうなった。マリーが追いかけてきたのは覚えているが、あれからどうなった?

 俺を捕まえたのは何か理由があるのか。……一体、どうするつもりなんだろうか。

 

 まさかまた、俺を使って実験でもするつもりなんじゃ――――――――。

 

 

 

「ッ……」

 

 

 ギィィ……という扉が開かれる音が聞こえる。

 音を立てないように静かに開けようとしているが、古い扉なせいか不気味な音を奏でて誰かが来ると知らせてくれる。

 

 思わずベッドの下に隠れようかと思ったが、もう時間がない。

 薄い生地の布を掴んで、ただ目の前の大きな影に向かって、ベッドから飛び上がって噛みつく―――――!!

 

 

 

「うぉっ! いだだだだだだっ!! 何だぁ!?」

 

 

 目の前の頭に噛みついて、思いっきり髪を引っ張ってハゲになってしまえと思いながら抵抗する。

 男は俺の首根っこを掴んで離そうとしているが、そんなもんに負けるつもりはない。隙があったら逃げて……ああクソッ!!

 

 男の後ろからまた誰かがやってくる。これじゃあ逃げられる気がしない……!!

 

 

 

「あらあら、お肉と間違われてるんじゃないの?」

「ふむ、計算上それが妥当か……」

「だれが食用肉だごらぁ!! おいガキ! 俺は肉じゃねえ噛みつくのをやめろ!!」

 

「むぐぐっ……!」

 

 

 何か力を使ったんだろうか。

 

 急に男の身体が青く光ったことに驚いて口を離してしまう。

 その瞬間、今までの抵抗とは比べ物にならないほどの力で引っ張られそのままぶん投げられて―――。

 

 

 

「うぁ……!?」

 

 

「こら、女の子を投げるだなんて乱暴なことをしないの! 大丈夫お嬢ちゃん? 痛いところない? ごめんなさいねあのお兄さん乱暴だから……」

 

 

 ぶん投げられた先にいたのは、オカマのおっさんだった。

 腰をくねらせながらも俺をキャッチし、頬ずりされんのはちょっと嫌なんですけど……!!?

 

 

「泣いてない……というより、驚いちゃってるのね。ほら謝りなさいよ」

「あぁ? 誰が謝るもんか」

「あら大人げないわねー。子供相手に本気になるだなんて」

「まさに女にモテない原因そのものだな」

「うるせー!! ガキに噛みつかれたんだぞハゲになったらどうしてくれる!?」

「あらいいんじゃない? ある意味注目されるわ」

「ああそうだな。計算上では一部分がハゲたらある意味注目されるぞ」

「お前ら……ある意味ってそれ悪い意味だろーが!!」

 

 

 プルプルと怒りで身体を震わせている俺が噛みついた男にちょっとだけ罪悪感が出た。

 なんか敵対されてる……というよりは、普通の子供の用に接してくれながらも、頭を撫でてしきりに心配してくれているような感じだ。

 だが彼らは俺を捕まえて連れてきた奴等。警戒心を解くつもりはない。ただどうして連れてきたのかが分からないだけ。

 意味が分からない事態は不安しか残らない。

 

 だから考えろ。考えて行動するんだ。

 

 

 

「お嬢ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど良いかしら?」

「……ん」

 

 

 オカマが俺を地面へ優しく降ろして頭を撫でながら言う。

 その声は母親のように優しく、慈悲に満ち溢れている。心配そうな表情。まるで野盗に襲われた女性を心配し同情するような目線だ。

 

 何を聞かれるのか。聞かれたとしても絶対に答えないように覚悟を決める。優しげな男をただ睨みつけて、口を固く閉じて警戒する。

 男は俺の様子を見て苦笑しながらも質問してきた。

 

 

 

「あなた、あの犯罪者に攫われて捕まっていたのよね?」

 

「………………はい?」

 

 

 え、何言ってんのこの人。

 戸惑い気味に首を傾けたというのに、男は悲しそうに表情を歪ませた。

 

 

 

「ああやっぱり! もう大丈夫よお姉ちゃんたちが無事に保護したもの。これからあの女を捕まえに行くし、もう嫌なことなんて何もないのよ!」

 

 

 いやそういう意味での『はい』じゃねえよ! 肯定してるわけじゃねえよ!!

 犯罪者って誰の事だ。こいつらから見れば俺はマリーと一緒にいた。一度助けに入った母さんたちの事を指すのだとしたら、モンスターたちだって言うはずだ。

 でもそう言わなかった。ただ犯罪者と呼んだ。

 

 それはつまり……すなわち、マリーの事を言ってるのか?

 

 

 

「計算上我らは協力者を雇う必要があるが、無問題に解決するだろう。もう不安になることはない」

「ケッ……まあそういうことだよクソガキ。あのマーガレット・ナティシアはこの俺達が捕まえてやる! てめえは俺達に最大の感謝しつつこれからの未来を生きるんだな!」

「あらやだ素直じゃないわね。やめなさいよそんな乱暴な言い方。子供が泣くわよ! 大丈夫よお嬢ちゃん。彼は素直じゃないだけであなたの事を一番心配していたんだからね!」

「うるせえよくそじじい!」

「誰が爺よこの童貞!! オネエと呼びなさい!!」

「うるせー!!」

 

 

 仲良く喧嘩している二人と、それを仲裁する一人の男を見ながらも考える。

 マーガレット・ナティシアの名前を言った。つまり犯罪者はマリーということだ。

 

 ……そういえば、とふと思う。

 俺はマリーの事をよく知らない。あいつの故郷についてはここに来るまでの間に分かったけれど、それ以外は知らない。

 ただ対モンスター防御兵器ということ。俺を何故か気に入っている事。それぐらいしか知らない。

 それに他の仲間たちだってそうだ。表面上の事しか知らない。彼らは何が嫌いで好きなのか、どんな生き方をしてきたのか。知らないことが多い。

 仲間だと思って慢心していた。男たちが犯罪者とマリーを呼んでいたのは人違いだと思っていたけれど、名前を呼んだということは確定したも同然だからこそショックだった。

 歩み寄る前に、すでに遠ざかっていた。まだ俺は何も分かってなかった。

 

 ルクレスさんの言われるがままに行動していたツケがいまここで来たように思えた。

 俺は自分で動いたんじゃなく、周りに流されて行動していたんだ。何かを成功したら俺がやれたんだって思えたけれど、やっぱり俺は何もできちゃいない。

 ルクレスさん達がいないと何もできない。分かってない。

 

 

 ぐるぐると無表情のまま顔を俯かせ考えている俺に対して、何を勘違いしたのか……。

 あの忍者のスキルを使った男が、俺の頭の上に手をポンッと置いた。

 

 

「これからの事を心配しているというのなら案ずるな。お前は教会に引き取ってもらうが……そこは計算をしなくても安全な場所だ。犯罪者もモンスターもやって来ない……とても良い居心地のする場所だ」

「……きょう、かい?」

「ああそうだ。町の中にある教会だ」

 

 

 実験はされないのならいいけれど、でもやっぱり不安だ。

 マリーの事も何も知らない。仲間たちのことも何も知らない。

 

 

 今はただ、マリーたちに会いたかった。

 犯罪者とか言ってるこいつらよりも、仲間たちに会いたかった。

 

 

 

 

 

 



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41話 それぞれの禁忌 中編

 

 

 

 

 

 

 

 身体が痛い。心が痛い。死んでしまいたい。

 壊れたような感覚。痛みがぶり返す。これは久々の感覚だ。

 何かが壊れて、何かが暴れようとしている。細胞一つ一つの全てがここから逃げたいと暴れている。

 忘れてはいけない過去を思い出す。

 

 思い出したくないあの時の惨状を、思い出す。

 私が死んで、切り裂かれて粉々にされて、そしてわたくしが生まれて――――今がある。

 幸福な今を消し去った存在を許しはしない。わたくしの不注意で起きてしまった不始末は、終わらせてから殺せばいい。ああ、わたくしという存在を消せばそれで終わる。

 

 でも今はただ、お姉さまの為に動かなければ。

 

 

 

「ああ、ああ……お姉さま……」

 

 

 

 心臓がある左胸部分を手でギュッと――――それはもう痛いほど押さえつけて跳ねる痛みを我慢する。

 

 

 

 

「何で……なんでですの?」

 

 

 

 わたくしが呟いた声は、他人から聞けば寂しげに響いていたことでしょう。

 壁には何かで切り裂かれ、何かがぶつかったような跡が残る。

 所々に血が滴り落ち、抉れた地面から何かの肉片が落ちているのが見える。

 

 ただ歩いているだけなのに、わたくしの何かが疼く。何かが動く。

 腹の奥底。眼球の裏側。そして心臓。

 

 疼く感覚は嫌いだ。わたくしの心を弄ぶこの感覚は嫌だ。

 

 

 

「わたくしは……」

 

 

 

 

 不意に真下の地面付近を見た。真下はわたくしの胸が邪魔をして見ることは出来ない。だがそれより少し前は見える。

 そこに映るのは、血の池。

 赤黒く染まったその液体全て誰のものなのか分からない。通りかかった人かもしれない。無害な人がわたくしの前に現れてしまったのかもしれない。

 

 

 ああ、わたくしはもう止めることができない。わたくしの心を止めることはできない。

 血の池に映るわたくしの目には生気のような輝きが消え、その瞳の奥は黒く濁っているように感じた。

 

 

 

 

 

「わたくしは私ワタシわたくしはわたしは……」

 

 

 

 

 

 身体から意思が消える。否、意思を自ら投げ出して本能のままに従う。

 そうすれば何かが見つかるかもしれないから。ただそのまま動く。動く。殺す。

 何かを叩き、殴り、蹴り飛ばす。

 

 これは本能。

 わたくしの魂の奥底に眠っている生きる意味。細胞の中に眠っている情報が呼び起されて、獣のように動く。モンスターではないのに、モンスターのように動く。

 

 一つの何かを守り抜くための、ただの■■の成り損ない。

 

 

 

 

「お姉さま」

 

 

 

 ただの、禁忌。

 

 

 

 

 

 現状をどうにかして打破したいところ。

 でもある意味ここにきてラッキーだったかもしれない。教会というところはある意味子供達を育てていく施設だということが分かったのは良かった。

 まあ俺が犯罪者と認定されたマリーに攫われた不幸な幼女であると勝手に誤解されていることと、俺がそこへ預けられてしまうことまでは微妙だが……。

 

 教会の中はとても綺麗な聖堂で出来ていた。

 西洋のゲームで出てきそうな大きな教会。町の中にこんな場所があるだなんて思いもしなかった神聖そうな場所。

 その奥の椅子に座らされて、あの勝手に誤解した愉快な三人が教会のシスターと話をしている。

 

 話を聞く限りこの教会は死にかけている人を助け、捨てられている子供たちを救い、怪我を無償で治療し食事を届ける善意の塊。

 俺から見ればある意味偽善だろう。国と繋がっているのは確実。この立派な聖堂の状況から見て、金を多く着服し、派手に使っているんじゃねえかってことぐらい分かるしな……。

 まあそれが真実かは分からないが。もしかしたら助けてくれた人が勝手に教会を立派にした可能性も残ってるし。今はどうするかを考えよう。

 

 教会のシスターに対して、あの男たちが俺について説明している今の状況をどう打破するのかを。

 

 

 

「まあそういうことなんですよ。あとは頼みます」

「あらあら、それはとてもお辛かったでしょうねぇ。ええ、私達に任せて」

 

「それは良かった! ところで今度一緒にお茶でもいかが―――」

 

 

 にこやかに笑った乱暴な男の首根っこを、他の2人が掴んで出口まで引っ張っていく。

 呆れた顔をしながらもどこか仲良く会話をしつつ……。

 

 

 

「ほぉーら行くわよ! あのマーガレットって犯罪者を捕まえなきゃいけないんだから!!」

「行くぞ。計算上まだ奴は町の中にいる」

「だぁぁ! ちょっとぐらい良いだろうが!!」

「良いわけないでしょうがこの馬鹿!!」

「うるせえ爺!」

「誰が爺よ今度それいったら問答無用でアンタのお尻を開通させてやるから!!」

「何を言ってるんだ。計算しなくとも尻はとっくに開通済みだろう」

「あらそういう意味じゃないわよ」

「てめえら好き勝手言ってんじゃねーぞゴラァ!!!」

 

 

 

 騒がしく出て行った三人に引き攣った笑みが浮かんだ。

 ってかあいつらコント集団かよ。そう言えば静かな時なんてずっとなかったな。あいつら騒がしすぎて騒音かってぐらい会話しまくってたなぁ……。

 

 ……さて、これからどうするかな。

 教会から出ることは確定だ。マリーのこともあるし、町にいるのも危険。それに母さんたちが何時まで経っても帰らない俺を心配するだろうし、他にも帰ったらいろいろとやりたいことがある。

 だから早く帰りたい。そう考えて前を見た。

 

 前を見て、その異様な光景に息が詰まった。

 

 

 

 

「うふふ、可愛いひよっこ赤毛ちゃんにこんなのはどうかしらぁ?」

 

「ひっ……」

 

 

 

 何故かその手には、縄と首輪があった。

 純白のシスターが、腹黒く笑ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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42話 それぞれの禁忌 後編

 

 

 

 

 

 

 

 王に近い存在。

 あの災害を退けた帝国をまとめる中枢に位置する人。その者との話を勇者となった友から取り次いでもらうことで会えた人物。

 通常の状況であれば会えないだろう存在だ。僕でさえ会うことはもうないと思っていた。

 

 簡単にとは言えないが、会うことができたその意味を僕は知っている。

 

 

 

「久々だな。ルクレス」

「ええ、ご健勝のようで何よりです」

「ふっ……」

 

 

 微かに笑った表情には疲れが滲み出ているように感じた。

 皺も深くなった。白髪も増えて、小さなため息ばかりが目立つようになった。

 プレッシャーが半端ないのだろう。帝国の王とは名ばかりの、ただの管理者となったあの方とは違って、失敗をすれば責任重大である立場についた人間だ。

 

 

「国家から選択を迫られているのですね。いまだに」

「……ルクレス、そんな昔からの話をするために来たんじゃないだろう」

「申し訳ありません。出過ぎた真似を致しました」

「いいや許そう。君の判断は正しいことが多い。だが正しいことが全てとは言えないんだ。分かってくれ」

「はい」

 

 

 昔からのやり取りを終えて、小さく酒を飲んだふりをする。本当に飲むことは避けて、地道に液体を吸収し無害に消火させるアリスちゃんへと移動させつつにっこりと彼を見た。

 

 ただ一つだけ確かめることがあったから、一滴だけ口の糸から本体へ移動させ、その液体を舐める。

 毒反応はない。自白剤などを入れられた感覚もない。それはつまり裏を暴くために僕をここへ呼んでくれたわけじゃない。

 本当に善意で呼んでくれたのかもしれない。まだ確定したわけじゃないが。

 

 

 

「……帝国を捨てて、メリア大森林に移り住んだはずだろう。それなのに君は久々に故郷へ来た。かつての勇者に私と会うように仕向けた意味を教えてくれ。君は私達を陥れるためにここへ来たわけじゃない。そこまで馬鹿じゃないはずだろう?」

「ええ、もちろんですとも」

 

 

 表情を糸で動かしにっこりと笑うように見せる。

 

 

「帝国を独立させたいとは思いませんか?」

「……聞かなかったことにしておこうか」

「いいえ、聞いてもらいます。これは帝国の……僕の故郷として思う気持ちのままに伝えているのですよ、伯爵殿」

「その言い方は好きじゃない。それと冗談もだ。ルクレスよ、あまり私を苛立たせるな……お前は何を言っているのか分かっているのか? あの王と私以外の貴族たちに反逆せよと言っているようなものだぞ!」

 

「いいえ、いいえ違います。僕が言いたいのはそうではありません。伯爵殿」

「事実言っているようなものだろう! この帝国が国家の栄養分とされていることに対して、反旗を翻し独立を宣言せよ。戦争せよというようなものだ!!」

「伯爵殿……」

 

「あのような人外の連中を手にした奴等相手に敵うわけがないだろう! 少しは言葉を選べルクレス。君には失望したぞ!」

 

 

 

 ああ、その言葉が聞きたかった。

 

 

 

「伯爵殿―――――――――国家がドラゴンの宝を奪いそれを残虐な意味で利用していると知っているんですね?」

「っ!?」

 

 

 余計なことを言ってしまったというような顔になった素直な伯爵殿に内心で笑う。もともとそうじゃないかとは思っていたんだ。彼の言葉で全てが解決した。

 僕の考えはあっていた。

 

 

「伯爵殿。このままではいずれこの帝国は全て実験に活用されて滅びます」

「な、何のことかね?」

「素直な反応をしてくださるのはありがたいのですが、僕としては答えが聞きたい。今のままでいいんですか。帝国はあの災害で死んだ方がマシだったと言われたいのですか?」

「っ―――――だから言っているだろう。その言い方は止めろと」

 

 

 眉をひそめる男に対して、何でもないように言う。

 

 

 

「僕の家族は皆死にました」

 

「はっ…………待て。……待て、ルクレスよ。今何と言った?」

「僕は全て失ったと言ったんです。国家によって、実験で全て消えた」

「はっ……はははははっ! なるほどなるほどそういうことか! これは傑作だなぁ! かのルクレス・ナティシアは復讐の為に私達を動かそうというわけか! その為に私を騙そうとしているんだなそうなんだな!?」

 

「いいえ違います。復讐の為じゃない。これは帝国の為ですよ」

「何を言うか騙されるつもりはないぞルクレスよ! あまり私を甘く見ない方が良い!」

「ならば何故あなたは現状を理解しようとしていないのですか! メリア大森林の惨状を知っているはずっでしょう! 帝国の領土を実験場代わりにしている国家に対して、何もしないおつもりか!!」

「そ、それはだな……私の権限ではないのでな……」

「……王ですか」

 

 

 ため息を吐きたくなったが我慢し、考える。

 帝国の国は王が血筋というだけで選ばれているのが当たり前だ。王は最初は素晴らしい采配をなさる人だったと聞いた。だが今の王は目の前の甘い汁をすするだけで満足し、その後に起きるであろう地獄に、現状の裏側の真実に気づいていない。

 忠告をした良識ある人達を国外追放し、国家の言いなりになっているだけの現状。

 

 一般人であれば誰も知らないはずの帝国の状況を変えようとしているのが伯爵殿だった。

 

 

 

「伯爵殿はいつも言っていたはずでしょう。現状を変えてみせると。災害のあの後に、腐った世の中を変えてやりたいと! 今がその時なんですよ!! このままじゃ帝国は死ぬ。皆が死んでしまう! それを救えるのは貴方しかいない! その為に動かずして何が伯爵か!!」

 

「……ルクレス」

 

 

 

 男はただ小さく歯をぎりっと噛んだ。

 

 

「ルクレス、一つ聞きたいことがあるんだがいいかな」

「質問によりますが」

 

「ふむ。……君は帝国の勇者と同じく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 その言葉に、ただにっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 ギリギリと何かが鳴る。

 何かが喘いでるような声。俺ではなく、他の声が近くで聞こえる。というか真正面で聞こえてくる。

 

 俺が座っている真正面で起きている惨状に、目を逸らして現実逃避をしたかった。

 無理だけど……。この現状を見ないふりとかぜんっぜん無理ですけど!?

 

 

 

「あらあらそうだったのねぇー。それは大変だわ」

「はぁ。まあそうなんですよ……」

「実験体にされて、身も心も犯されてしまうだなんて。大変だったのね赤毛ちゃん」

「いや俺アルメリア・ナティシアっていうんですけど……」

「こら、可愛い女の子は可愛らしい喋り方をしないと駄目よ? シスターとの約束はちゃんと守りましょうね?」

「はぁ……えっと、それで俺ずっとこのままっすか?」

「乱暴な言葉遣いはしない!!!」

 

 

 ピシャリと鞭が鳴る。それにあたって「あふんっ」と喘ぐ人間がいる。

 シスターとは思えない強い目線が俺を睨みつけて思わず両肩が跳ね上がった。

 

 

「ひっ……すいませんシスター!」

「もっと舌っ足らずに、可愛らしく!」

「す、すいましぇん。しすたー!」

「わざとらしいわよ赤毛ちゃん。そんなんじゃあ女王にはなれないわよ!」

 

「女王になれなくてもいいです!! というか止めてあげてください! お兄さん可哀そう!」

 

 

 そう、俺がいる場所は地下牢。何故かそこで俺は壁に繋いだ首輪をつけられ強制的に座らされている。何故なのかは分からない。身体が震えるが、それは目の前のアレなせいだと思いたい。

 

 

 俺の目の前―――――シスターが足で踏んづけつつ鞭で叩いているのは男。男というか、教会とは全く関係なさそうなちょっと豪華な服を着ている人。幼女の前でSMプレイとかすげえイカれてるよなこのシスター。

 それ言ったら俺の方が鞭で叩かれそうだ。絶対に言うのは止めよう。

 

 

「うふふふふっ。赤毛ちゃんは今何を考えていたのかなぁー?」

「ヒッ――――た、ただお兄さんが可哀そうと思ってました!」

「ああいいのよぉ。赤毛ちゃんたら優しいのね。この汚い金しか使わない脳のない塵を憐れむだなんて」

「ご、ごみ?」

「ええそうよ。それでこれは記念すべき第一歩よ。でも塵なんて気にしないで?」

「いやでも……」

「ねえ、赤毛ちゃん、もっともっといーっぱいお話しましょうよぉ。国家の薄汚い塵とか塵とかね?」

「は、はい……?」

 

 

 

 鞭がピシャリと鳴らされた。

 それと同時に地面に這いつくばる男の喜んだ声が聞こえてきた。

 

 いやもう……まじでなんなのコレ……シスターさんめっちゃ怖いんですけど……。

 

 

 

 

 

 



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43話  浄化は物理系シスター





 彼女にはとある秘密が存在している。

 その秘密を知るのはまだ先―――――――。



 しかし彼女にとって、アルメリアという存在は驚いたことだろう。
 なんせ彼女の中には■■がいるのだから。





 

 

 

 

 

 

 

 様々な場所で戦争が起きている。それは文字通り好き勝手に行う国家の貴族がいけなかった。

 あいつらがやっているのはただの自己満足の我儘が原因だということを、私は知っている。

 だから私は連中の腐った精神をどうにかしたいと思っている。

 

 戦争といっても様々な意味合いがある。領土争いの問題もそうだが、奴隷売買を着手したいという貴族の輩が目を付けた弱小国を狙って奪い取っているということもあるのだ。

 王族の力が弱まるのと同時に、貴族連中が力をつけたのがいけない。帝国が金魚の糞のように甘い汁を啜りながらも身を犠牲にしていることを知らない馬鹿なのがいけない。

 貴族は国民をただの道具としか思っていない。誰かが止めないと余計な悲劇が起きてしまう。

 国王とは名ばかりの男装の少女が涙を流してどうにかしようとして奮起している事情を私は知っている。彼女は彼女なりに頑張ろうとしている。でも止められない。それが現実だ。

 

 助けてと誰かに叫んでも助けてもらえない。

 誰かが祈っていても、何も変わることはない。奇跡なんて起きない。

 

 シスターとして神に祈りを捧げて、それでもなお何も変わらない現状にただ飽きたんだ。

 

 神なんていない。祈りを捧げてもそれは自己満足に過ぎない。

 シスターとして神に仕える職業を否定する言葉だとしても、それが事実だったから私はもうどうだって良かった。

 

 ただ救いたいと思った。

 犠牲になった人たちの為に。何もかもを奪われた子供たちの為に。

 私は祈りなんて捧げない。彼らが助けてと言ったのだから、この身を使って動いて助ける。そう決めた。腐った連中は綺麗にしてやればいいんだ。

 

 ―――――――我慢の限界だった。それだけだ。

 

 

 

「赤毛ちゃん。貴方の言葉は私にやる気という名の燃料をいーっぱい捧げてくれたわ」

「は、はい……」

「でも気になるわねェ……ねえ、実験ってどういうものなのかしら? それって何のために?」

「あーっと。ド、ドラゴンの守っていた宝がどんな力を放つのかみたいらしくてお……わ、私達を実験台にしてたみたいです。あ、あの……詳細は知らない」

 

 

 ぷいっと顔を背けた瞬間に赤毛がふわりと舞う。

 私を見るのか怖いのか、ちょっと涙目で小さい身体を震わせている様子はとても傷つくわ。何か隠しているようにも見えたけれど、彼女を傷つけるつもりはない。だから後でじっくりゆっくり聞けるときに聞きましょう。

 もしも連中の腐った話を思い出してトラウマになっているというのなら、諦めましょう。代わりに連中から聞いてしまえばいい話ですもの。

 

 赤毛ちゃんに付けた首輪はただの浄化スキルを込めたもの。首輪をつけていればある程度の穢れは落ちてくれる。

 ただ逃げられると危険な物もこの教会にはたくさんあるから、だから安全の為に繋げている。見た目が酷く映ろうとも、簡単な浄化のためには必要なことなのだ。

 

 私に対して抵抗してくるのも誤解されるのも分かっている。本当は赤毛ちゃんが恐怖を感じる必要なんてないのだけれど。

 ……でも仕方ないわね。私は今浄化の真っ最中なんですもの。

 

 

「ねえ赤毛ちゃん、世の中間違ってると思わない?」

「……うん」

 

 

 ほら、純粋無垢な幼女は現実を否定している。そんな状況を作ったのは誰?

 厳しい世の中で腐った性根を持った連中を全て浄化していきたい。それだけの為に私はいる。私が生きる意味は皆を幸せにすることだって分かってる。

 

 現にこの町を管理している領主も国家の貴族と同じく腐った連中だ。身寄りのない子供を教会に育ててもらうというのは分かるけれど、その先彼らが成長したら自由に生きていてほしいという私の願いを捨て去って、国家の軍事力として一般騎士となれと命令を下してきている。

 領主は奪おうとしていたんだ。子供達の自由な未来を。なんにでもなれる明るい可能性を持った可愛い子供達を道具に扱おうとしている。

 それだけじゃない。孤児である可愛らしい見た目の女の子はそのまま娼婦に、男は騎士がメインだが使えなければスキル実験の材料に使われる。

 それが当たり前に行おうとして来ていた。それが私は許せなかった。だから潰す。それだけだ。

 

 

「赤毛ちゃん、気にすることなんて何もないのよ。私が全部やっつけてあげるから」

「やっつけて……って、何をするつもりなの?」

「うふふふふふ」

 

「アッ、すいませんなんでもないです」

 

 

 あらあら可愛らしいわ。私はただ笑っただけだというのに何ともまあ誤解しちゃって……。

 私の足もとでハァハァと息の荒い塵に比べるなんて出来ないほど純粋無垢。子供はちゃんと私が守って、悪い害虫はやっつけなきゃ。浄化してきれーいにしてあげなきゃ。

 でもふと赤毛ちゃんを見て昔を思い出す。あの時泣いていた男の子の格好をした女の子を思い出す。

 

 

 

「赤毛ちゃんは国王様と仲良くできそうねぇ」

「……はい?」

 

 

 あら、嫌そうな顔してるわ。うふふ、また誤解でもしているのかしら。

 あの国王様も貴族に搾取されていて本当に可哀そうな子よね……。

 

 

「シスターは国王と知り合いなんですか。……つまり俺達の事情を全部知ってると?」

「知らないわ。ただ国王はこの教会でお話を聞いたことがあるのよ。今はもう……あなたより大きいのだけれど」

 

 

 もう十代後半ぐらいかしら。あの子がどう育っているのかも気掛かりだ。

 純粋に育ってくれているのならそれでいい。ただ、貴族の手によって腹黒く育ったというのなら……その時は真っ白にしてあげよう。私の手で、この国を救ってみせる為に。

 ようやく始めることができるんだ。もうすぐすべてが始まる。

 

 

「赤毛ちゃん。貴方には巻き込んで悪いと思っているけれど、ここにいたら危険だからついて来てもらうわね」

「…………はい?」

 

「ほら、案内なさい塵屑(ごみくず)野郎」

 

 

 鞭で真下の塵のお尻をぴしゃりと叩くと、奴は小さく鳴いた。

 

 

「ぶっひぃぃぃ! ふぁい。こ、この薄汚い塵めがシスター様の為に案内いたしましゅうぅぅぅぅっ!!」

 

「うわっ……」

「ああ、赤毛ちゃんの教育によくないから耳は閉じててね?」

「いやもう遅いよ!!」

 

 

 あら、こういう鞭で叩いて塵を浄化しつつもう二度と悪いことをさせないようにしている光景の事を言っているのかしら?

 でもおかしいわね。町中だけでなくいろんな場所でこういうのはあるはずよ。それに私が育てた可愛い子供たちは皆たくましく成長しているのだけれど……?

 

 仕方ないわ。赤毛ちゃんが涙を浮かべて小さな両手で耳を閉じているのですもの。

 ちょっと反省して怖い場面は見せないようにしておきましょう。

 

 ただ、同行を拒否することはできないから私達と一緒に来てもらうけれど。

 

 

 

 

 

 

 



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44話 少しの進展





 神の使い手。
 神の代行人。

 彼女はシスター。
 数年前、この国にやってきた謎が多い女性である。





 

 

 

 

 

 

 

「体調は平気かしら?」

「あ、うん……まあ……」

「身体は何処か痛いところはない?」

「ない……けど……あれ、気持ち悪くもない……?」

 

 

 言われてふと気づいた。

 たまに……というか、気絶した時にドラゴンの夢を見たせいで微妙に寝不足で頭痛がすることがあったんだが、何故か今はなくなっているということに。

 まあ頭痛といってもそこまで酷いものじゃないし、実験されていた時と比べて些細な感覚だったから気づいたレベルだ。

 それに首を傾けていると、シスターが優しそうな笑みを浮かべる。

 

 

 

「うふふ、それは良かったわ!」

 

 

 

 何故かそのまま首輪を外され、俺の手を掴んで抱き上げてきた。

 

 

「ほら塵、早く私達を案内なさい。子供たちももう向かっているのでしょう?」

「ぶひぃぃ! も、もちろんでございますぅぅ! こちらへどうぞ!」

 

「うふふふっ。さあ行きましょう赤毛ちゃん。貴方は私が守ってあげるから安心して」

 

 

 

 ぜんっぜん安心できねえよ!

 そう思っていても抵抗は出来なかった。というか抵抗したらあの気持ち悪い声を上げた塵とか呼んでる町の領主らしい人みたいになるかもしれないし、調教されるかもしれない。

 

 ああでも……は、話を聞くぐらいなら良いよな?

 

 

 

「シ、シスター……俺達はこれからどこに行くんだ?」

「女の子は可愛らしく喋らなきゃ駄目よ」

 

「……シスター、私達はどこへ行くの?」

「うふふっ、そうよその調子。私達はこれから国家の戦争相手である神国へ向かうわ」

「しん……こく?」

 

 

 どういう意味なのか首を傾けてると、抱き上げているシスターが愛おしそうに俺の頭を撫でてきた。

 数時間前に会ったばかりの俺の事を見る目がちょっと怖いが、それを受け入れる。

 

 

「ええ、神国。神の国と呼ばれている場所よ」

「神……って、いるのか?」

「こーら、赤毛ちゃん。男らしい言葉遣いは駄目よ」

「うぐっ……神国には神がいるの?」

「いいえ、神なんていないわ」

「ふぁ!?」

 

 

 仮にもシスターのアンタがそういうこと言っていいのか!?

 いやそれ聞くつもりはないけれど!

 

 でも俺の表情を見て大体は察してくれたのだろう。

 息が荒い塵が前を歩き、シスターが歩いている中で話は進む。

 

 

 

「神はいないけれど、神国には神と崇められている伝説がいるの」

「……伝説?」

「ええそうよ。神国の住民がほとんど見たことはないけれど、あの(みやこ)の中、大きな湖の中にいると言われる伝説の生き物。水龍が守ってくれているって」

「水……龍。え、待って。ドラゴンがいるの!?」

 

 

 まさか、奴に会えるのか!?

 水龍……っていうには水要素なんて一つもないけれど、あのくそったれなドラゴンに会えるのか!

 それはある意味朗報だ。メリア大森林では国家が戦争しているってことしか情報を知らなかったから、まさか情報集めをしようと思ってた真っ先にこんな事実を聞けるとは思ってもみなかった。

 もしかしたら国家と深い繋がりがある町や都市ならば誰もが知っていることかもしれない。メリア大森林は国家との繋がりが薄いから、戦力として男どもを召集していても詳しい事情は教えてくれなかったからなぁ。

 

 そう、ちょっとだけワクワクと希望を持った瞳でシスターを見た。

 だが彼女は小さく首を横に振った。

 

 

 

「いいえ、おそらく貴方が知る宝を盗まれたドラゴンとは別の生き物でしょうね。そうでなければ戦争を長期化させてでも神国と争いたいだなんて国家が考えるわけはないもの」

「……本当に? もしかしたらってことは絶対にないの?」

 

「ええ、有り得ない。それに神国と争っても意味はないわ。水龍は神国の守護神。今は大丈夫だけれど……住民の危機が迫ったら龍の怒りが敵に落ちるといわれている。そんな怖い生き物が棲みついた神国に敵意を向けるだなんて馬鹿らしいもの。

 あの腐った貴族共だって危機は避けたいと思うはずよ。交流を選ぶのが普通なのに戦争を強行した。その意味を、赤毛ちゃんが教えてくれたわ」

 

 

 ……つまり、先程ドラゴンの宝を使った実験だとぼかした話を聞いて戦争がどうして起きているのかを理解したのか。

 狙いはドラゴンの宝。水龍も持っていると考えて動いている連中に反吐が出るし殺意も湧く。でもそれ以上に、シスターの知識に疑問を感じた。

 

 

 

「……シスター。よくそういういろんな事情を知ってるね」

「うふふふ。いつか来る時のために準備は欠かさなかっただけよ。誰が敵で、誰が被害者かを見極めたいからいろんなことを知るために動いたわ」

 

「……あんた、何者だよ?」

 

 

 普通のシスターがそこまで動こうとはしないはずだ。

 いや、教会のシスターの基準が分からないから実際はこういう人が普通とかだったら恐ろしい。

 ……でも鞭で人を叩いて塵とか呼んで、神はいないとか言っちゃうシスターが普通だなんて考えたくはないからこの人が特殊だって思いたい。というか、事前準備とか言って国と争う気満々なシスターがたくさんいるとか考えたくない。

 

 だから思うんだ。

 情報を把握し、敵を見極めようとするまるで戦士のような目をしているシスターが何者なのかって。

 

 彼女はただ俺に向かって微笑んだ。

 

 

「私は弱ってる人たちの味方なだけよ。弱い人たちを守り、その願いを叶えるシスター。傲慢で勝手な連中を刈り取って皆に幸せをあげたいだけの、ただのシスター」

「いやそういう割にはシスターらしいことはあまり見てない――――――」

「赤 毛 ち ゃ ん ?」

「何でもないですごめんなさい!」

 

 

 やべーつい言っちまった。調教される!

 いやでも俺はか弱い幼女だから、シスターの敵にはならない。つまり調教はされない……と思いたい!

 

 ぶるぶると震えている俺をそっと撫でてくるその手に恐怖を感じつつ、前を見た。

 塵な領主が地下に続く扉へのカギを開く。

 扉の先には階段があった。薄暗闇で何も見えない地下。ここよりも寒そうで、風が吹いている場所。

 

 教会にこんな場所があるとは思えなかったが……地下は町全体が繋がっているのか? 先程まで歩いている間もなんか異様に広く感じたんだよなぁ。

 

 

「この先から神国へ繋がる道は出来ています! はい!」

「ええ、道案内ありがとう。ゴミ屑の癖に役に立ってありがたいわ!」

「ふひっ! シスター様のお言葉に感謝しますぅ!」

 

「さあ行くわよ。赤毛ちゃん」

「えっ、あっ――――――ちょ、ちょっと待って!!!」

 

 

 思わず抵抗してシスターから地面へ降りた。

 これでシスターの怒りを買って調教されても仕方ないかもしれない。自然とここまでついて来てしまったが、ここから神国へ向かうとなると俺は行くことは出来ない事情がある。

 

 

「赤毛ちゃん?」

 

「ごめんシスター。おれ……私には、どうしてもこのまま先へ行くことは出来ないの」

「どうしたの? 怖いの?」

「ううん違う。お……私は、あの男たちに連れられてこの教会へ来てしまったけれど、実際はちゃんとした仲間がいる」

「……犯罪者マーガレット・ナティシアって女の事?」

 

「彼女は犯罪者じゃない。だからあのまま放ってはおけない。マリーは……あいつは、俺に執着しているから、あの状況のまま置いて行ったら俺が後悔する。だから戻って彼女に俺は無事だって伝える! その後、神国にもいきたいけれど……ごめんシスター!」

 

 

 

 ああ、俺は馬鹿だ。自分優先で考えていた。

 マリーたちの事を考えるならば早く行けばよかった。

 

 今は情報収集よりも仲間を考えなければならない。

 森に母さんたちがいるからマリーが冷静に判断してくれるなら大丈夫なはず。ただ心配はしてくれているだろう。探しているかもしれない。

 マリーは対モンスタースキル持ちなだけの女性だ。冒険者に対してどこまで戦力があるのか分からない。

 

 犯罪者とか言っていた意味も知りたい。皆に会いたい。

 神国についてもいろいろと知りたいと思ったけれど、その前に仲間たちの方が先だ。

 

 

「ここまで来て言っちゃいけないけれど……シスター、俺をマリーの元まで連れてってくれ! おねがいだ!」

 

 

 

 頭を深く下げて願う。

 ここまで来たのに引き返す俺の我儘を懺悔しながらも、ただ願いを請う。

 一瞬でもマリーがどうなっているのかを忘れていた自分に腹が立つ。あいつは無事だって願って、ただ彼女に会ってやらなきゃいけないことをやるために動きたくて――――――。

 

 そんな俺に対して、シスターの顔は見えなかったが笑ったような気配は感じた。

 

 

 

「言ったでしょう。私は弱い人たちを守り、その願いを叶えるシスター。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、私はその願いを叶えます。神国で待っている子供達も納得してくれるでしょうし、大丈夫よ」

 

 

 

 犯罪者マーガレットだったら捕まえなきゃいけない。

 でも俺が会いたいのはマリーだから助けると言いたいのだろう。微笑んだシスターの言葉に深く感謝した。

 

 

 

「シスター……ありがとう!!」

 

「でも言葉遣いは治さなきゃ駄目よ赤毛ちゃん。そこはシスターとのお約束よ」

「う、うん……善処する」

 

 

 

 顔ごとそっぽ向いた俺に対して、シスターは初めて怒ったような顔をした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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45話 彼女は『彼女』の何かを視た

 

 

 

 

 

 

 

 

 教会の地下から地上へ出ていく。

 あの塵と呼ばれた男はそのまま放置し、マリーの元まで急いで向かう。

 

 合流したらすぐに情報を持って大森林の村にある仲間たちの方へ向かってもらおうかと思っていた。

 マリーならば、合流したらすぐに泣くかもしれない。

 無事でしたかお姉さま! とか何とか叫んで、そのまま傍にいたいというかもしれない。だからその時は母さんたちに頼んでもらおうかとか、いろいろと考えていたんだ。

 

 

 

 

 

 町の様子は変わらずと言いたかった。

 だがいつもと変わらないはずの景色の中に浮かび上がるは赤色。

 マリーと出会った頃の狂気を思い出すほどの、滴り落ちる鉄臭さと壁や地面に染みついた臓物。

 

 町の人間が何も知らずに出歩いて、ふとした瞬間に出会ってしまった害悪に蹂躙されているような錯覚を覚えた。

 

 

 狂気が見えたのは一瞬。それ以外は全て隠される。

 ただすべてを確認する前に、俺をただの幼子と判断したシスターによって目を塞がれてしまった。

 

 

 

「な、なん……なんだよあんたは!?」

「どうしてこのようなことをする! 無関係の人まで巻き込むだなんて……ひ、ひぃっ!?」

「おい! 重傷の者は下がれ!! ぐ、ぐおっ……!」

 

 

 

 ――――――様々な人の声が聞こえてくる。

 それらすべては戸惑いと恐怖と悲鳴が不協和音となって響き渡っていた。

 

 数なんて数えきれないほどの音がする。

 何かを引きちぎるような音。貫いたような音。骨が軋んで、砕き壊れていく音。

 何が起きているのか見たわけではない。

 

 でも、誰が起こしているのかは分かる。

 何をしているのかも理解できる。だから動こうとして――――その足を止められた。

 

 

「行っては駄目よ赤毛ちゃん。彼女は正気を失ってる」

「で、でも……!」

 

 

 飛び出しそうになる衝動に、シスターが俺の身体ごと押さえてくる。

 歯を食いしばった。ただ情けない自分に苛立った。

 

 マリーの様子がおかしい。出会った頃のようになっている。

 それはなぜ起きた? どうして彼女は殺戮を始めた?

 なんでこうなったんだ?

 

 俺はただ、冒険者に捕まって攫われて、それでシスターの話を聞いていた。それだけだ。

 

 だがマリーはどうだった?

 目の前で連れ去られた俺を見てどう思った?

 これは俺のせいだ。

 

 あの先にいるはずだ。あいつは絶対にいるんだ。

 何でこんな状況になっているのかさえ分からないけれど。何で人間たちが殺され重傷になり、そして戦っているのかは分からないけれど、あそこに必ずマリーがいるはずなんだ。

 

 俺を探して、戦っているんだ。

 

 前へ出ようとした俺を後ろへ下がらせていく。

 シスターが俺を抱き上げて、そのまま壁沿いへ避難していく。

 俺がもっと大人だったらすぐにでもマリーの傍に行けたのに。前世での姿だったなら……シスターの制止を振り切って行くことが出来たはずなのに!

 

 

 

「シスター。このまま放っておけない。俺が攫われたって誤解して……いやある意味合ってるけれど、俺を探しているだけなんだ。人間たちを殺しているのも……たぶん、戦ってるせいだから……!」

 

「現実を見なさい。ああ、いいえ……見るのは駄目ね。幼い子供に見せられるものじゃない。でもそれをマリーさんはやっているんでしょう? ああ……あのまま町から抜け出さなくて正解だった」

 

 

 

 シスターの声が最後は低く感じられた。

 あの狂気を起こしているマリーを、マーガレットとして見定めているということなのだろうか。

 ―――――――敵として、見ているのか。

 いやでも、今の声は俺に向けて言っているような気もした。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「シスター。マリーは普通こんなことをするような性格じゃない! 寂しがり屋で俺達と同じ被害者なんだ。彼女は普通の人間で、殺戮を楽しむような奴じゃない!!」

「分かってるわ、赤毛ちゃん」

 

「だから―――――――えっ?」

 

 

 何故か、視界を隠されたまま優しげに抱きしめてくる。

 血の臭いなど感じさせぬとでもいうかのように、シスターから感じる花の良い香りに包まれる。

 

 未だに悲鳴は聞こえているけれど、シスターの声だけははっきりと聞こえた。

 

 

 

「私はシスターですもの。人を見る目はあるの。だから、あのマリーという女性が殺戮を楽しむような人じゃないのは分かるわ」

「……じゃあ」

 

「であるからこそ、この状況は大問題よ。狂気に満ちた殺戮。貴方を探しているように見えて戦いを楽しんでいるような、命を食い散らかしているような行動は見過ごせない」

「ちょっと待て。それはどういう意味で言って……」

「ああそうだわ。さっきも言ったけれど、赤毛ちゃん男口調が癖になってるからこういう時でも女の子らしくしなきゃ駄目よ」

「今はそんな状況じゃねえだろうが!!」

 

 

 言っている意味が矛盾しているように感じた。

 というよりも、からかってる?

 

 早くマリーを仲間として止めて、何でこんなことをしたのかを聞かなきゃいけなくて……。

 

 

 

「赤毛ちゃんは、命を尊く感じてはいないのね」

「……えっ?」

「マリーちゃんの事しか頭にないのかしら? 彼らが町の人間を守り、救い出そうとしている冒険者たちの命が狩られることに何も感じない? 血の臭いと悲鳴で子供はすぐ泣いてしまうものだけれど……うふふ。

 赤毛ちゃんの中に、一体何が隠れているのかしら」

 

「えっと、何を言って……」

 

 

 隠された視界が開けた。

 その代わりにと俺の両頬をシスターが手で押さえ、その向きを固定する。

 

 マリーたちの方向にではなく、彼女自身の顔へ。

 キラキラと輝く瞳が俺を魂の底まで見定めようとする。そんな意思を感じ取る。

 

 

「普通は泣くものよ。子供は怯えて助けを求めるものよ。貴方は一人で戦おうとしなくてもいいの。血に怯えて守られる生き物で当然なの。それが普通じゃない。あなたもマリーちゃんも、普通ではいられない状況にいたのね……」

 

「あの……シスター?」

「…………赤毛ちゃんは、マリーちゃんを助けたいのよね?」

「う、うん」

「なんでこうなったのか分かってるかしら?」

「い、いや……分からないけれど……えっと、シスター? 急にどうしたんだ?」

 

 

 

 首を傾けてシスターを見る。

 視界を固定し掴まれているために、悲鳴と狂乱を止めようと思っても身体は動かない。

 それにシスターの瞳から逃げれるような気がしない。

 俺を見つめる目は真剣で確固とした意思を感じさせる。魂の輝きとでもいうのだろうか。それが揺らがない瞳に魅入られる。

 

 

 

「本当は聞くつもりはなかったけれど、気が変わったわ。これが終わったら全て話してもらう。

 禁忌なんて罪深いものを背負わされるほどの事を行った国家にも嫌気がさした。幼子が人の死を見ても何も感じない世の中に憎しみさえ感じるわ」

 

「……禁忌って?」

「禁忌。世界が定めた十三の冒涜。どれなのかははっきりと分からないけれど……十三の禁忌のうち一つを彼女は背負わされている。シスターだから分かるわ。今の彼女はね、禁忌に堕ちている。狂気に狂い、命を食い散らかす存在に陥っているのよ」

 

 

 そう言った彼女に愕然とした。それと同時に、安心した。

 禁忌というものについてはよく知らないが、言葉だけでも恐ろしいものだとは分かる。

 今のマリーが何のためらいもなく人を殺しているのには理由がある。

 

 ただ、やはり悲しいという事実もあった。

 ルクレスさん達と同じだ。マーガレット・ナティシアが犯罪者だと言われているのを知らなかった時に感じた感情と同じだ。

 

 ただ、仲間だからこそ。

 マリーが隠しているすべてを知りたいと思えたんだ。

 

 

「シスター、彼女を止めたい。マリーと話がしたい……だから協力してくれ、お願いだ」

「…………うふふ、もちろんよ赤毛ちゃん。子供の願いを聞くのは当然。私はシスターですもの。神に祈りを捧げる前に、やるべきことをしてあげなくちゃね」

 

 

 

 

 

 

 

 



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46話 それはまるで太陽のような





 アルメリアは太陽だ。
 そうマリーは感じている。

 だから太陽に近づいて翼を焦がして落ちていくイカロスのような存在になろうとも、彼女は喜んでその身を捧げるだろう。
 太陽は、彼女にとってすべてだった。

 彼女にとって、もうそれ以外は何も残っていなかった。






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この状況はまずい。

 俺の仲間はまだ誰も怪我はしていないが、それも時間の問題だろう。

 

 

 教会に行っていたために遅れて現場へ到着した俺達に待っていたのは、数人の冒険者たちがあの女と対峙し、野次馬と化していたはずの住人が数人怪我をしている姿。

 赤い血の量がけが人達よりも多く、吐き気がするほど至る所に人間の肉片と思わしきものがある時点で奴はもう何人か殺しているということに気が付いた。

 

 

「くそっ! 野次馬根性で来てんじゃねえよ脆弱者が!」

「そうは言うけどこの騒ぎよ。何が起きてるのか知りたくなっちゃうのが人間ってもんじゃない?」

「それで死にかけてたら意味もねえだろ! 俺達は冒険者だぞ! 人助けするのがメインのお仕事ってわけじゃねーんだよ!!」

「計算上野次馬は少なくなってきている。気にせずこのまま対応するがいい」

「チッ! 分かったよ!!」

 

 

 女は攻撃をしてくる冒険者を中心に……というよりも、人間全体を狙っているように感じた。

 とにかく目についた人間を殺しに向かう。

 目の前でそれを防いだとしても、奴は目標とした人間を襲うまで止まらない。血を見るかその人間の姿が完全にいなくなって見失うかすればある程度は別の人間をターゲットにするようなので、いちいち殺されかかった町の人間を助け守って逃げろと伝えて見失うまで足止めをする手間が面倒だった。

 

 俺達を目標にしてくれればそれでいい。奴はターゲットにした人間以外に対して杜撰で、俺達がする攻撃はすぐに躱していくため、さらに苛立ちは増していた。

 危険はあるかもしれないが、それでも相手にされないよりはいい。

 殺されることだけは避けたいが、このままでいいはずはない。

 

 

 町の人間はここが危険だと周知してくれたのか、けが人以外はほとんどが野次馬しに来なくなる。だとしても完全に邪魔が来ないとは言えない。

 数人だとしても、危険は承知しているのか、前へ無理して来ることはなかった。ただまだギルドにいるであろう冒険者を呼びに向かったか、他に何かしらの助けを求めに向かったかのどちらか。

 

 しだいに女が犯罪者だと気付き捕まえようとする冒険者たちを狙うようになり―――――その特化した攻撃力にやられて死に絶えたり傷つき撤退したりとする奴らが多かった。

 

 要するに、女の力が強いのだ。

 

 

「ぐぅ――――――!」

 

 

 拳で戦っているわけではない。物理的な攻撃で行っているようには見えない。

 身体全体に影のような何かがまとわりついている。そのもやもやとした薄暗い気味の悪いものが、ターゲットとなった人間の身体へ向けて影を伸ばして捕まえて切り刻む。影に刃でもついているんじゃないかと思えるほどにとても鋭く、血や臓器がぶちまけられて命が消えては次を探す。

 

 無表情のまま、誰かを探す。

 こんな奴だっただろうか。

 こんな人間だったか?

 

 あの幸せそうに笑っていた女とは思えないほどに無表情で無感情。

 ただ殺戮を楽しんでいるわけもなく、何も目的なく命を食い散らかしているようにも見えない。

 

 こいつが傍にいた幼女を探しているのか?

 だとすれば、幼女を連れてきたらこの騒ぎは収まり、容易にあいつを捕まえることが出来るんじゃないだろうか。

 

 幼女を保護するためにあの女から引き離して捕まえて教会へ連れてきたのだが、もっと事情を聞いた方が良かったかもしれない。

 犯罪者の中には子供好きの誘拐犯も混ざっていることが多いから、そのたぐいだと思っていた。

 だが、女のあの豹変した様子から見て幼女は――――――――――。

 

 

 

「何ボーっとしてんのよ! ほらいくわよ!」

「ッ……お、おう!」

 

 

 剣を取り、仲間と共に息を合わせて攻撃を開始する。

 遠距離攻撃は避けられて、近距離は影で対処していく。まるで集団戦のエキスパートでも言うかのように、余裕がありそうな目で周りを見ている。

 

 いや違う、鬱陶しそうにしている?

 

 

 

「ああ……あああああッ! 面倒ですわねまったく! 害虫がうじゃうじゃと! わたくしの前で大切な物を盗んだというのに! お姉さまをわたくしから連れ去った人間は死ね!! 人間なんて死んでしまえ!! わたくしの前で絶望し、死んでいけばいいのですわ!!」

 

 

 

 ――――――初めて女が表情を変えた。

 

 まるで甘えたりない子供の我儘のような声で俺の仲間の一人を見る。

 指で奴を示して、聞こえない音量で何かを呟く。

 

 影が何かを形作る。

 

 

 

「絶対防御は攻撃も含まれますわよ! 攻撃は、最大の防御ですもの!!」

 

 

 

 俺の仲間が作った白煙の爆弾のようなものが影に現れる。

 いくつもの爆弾を、影からポンポンと生み出していく。

 

 

「……お、おい。あれって」

「ああ、俺の煙玉と同じだ」

「マジかよ」

 

 

 無から有を生み出したってのかあの女は!?

 見ただけで何かを作り上げる。何もない空間から何かを生み出す。

 

 それはもう世界の理を変える禁忌に値する者だろう!

 なんであの女は、そんなことを―――――――。

 

 

「あっ……違う……」

 

 

 奴は禁忌を持っているのか?

 だから、犯罪者として国に懸賞金をかけられているのか。

 

 それならば、あの黒い靄は―――――――――――。

 

 

 

「死ね」

 

 

「ッ―――――――――!!?」

 

 

 

 

 作り上げたいくつもの煙玉を周囲へ投げていく女。

 その後に白煙が周りを包み込む。

 

 女が睨んだ先にいたのは俺であった。

 つまり俺にターゲットを変えたということ。

 いや違う。幼女を連れ攫った俺達に復讐しようとしているということか。

 

 

 刀を構えて周囲を警戒する。何かが起きたらすぐに対応できるように。深呼吸をして息を整えていく。

 心臓の音を聞いて、周囲の悲鳴や騒ぎ声から漏れる女の声を―――――――――。

 

 

 

「そこだ!!」

 

 

 

 クソッ!

 白煙の先、見えない位置にいるであろう女に向けて刀を振り下ろしたが何かで防がれてしまった。

 だが避けようとしてねえみたいだ。真正面から俺の刀を受け止めて、そのまま逃げる気配がない。

 

 力勝負と行こうってか。いいぜ、やってやるよ!!

 

 

「おらっ、大人しくしとけこの野郎!!!」

「あらあら。うふふっ、前方不注意よ坊や」

 

「………………ハッ?」

 

 

 

 聞こえてきた声は何処か聞いたことのある―――――――だが、あの犯罪者の女とは違う優しげな声がした。

 

 

 

 

 

 

 



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47話 あっけない終幕

 

 

 

 

 

 

 

「な、何故シスターがここに……!?」

 

「うふふふっ。罪ある者を懺悔させるのもシスターのお仕事ですもの。私はそれを全うするために来ただけですよ」

「それはつまり物理的に懺悔させるということか!?」

「さーって、どうかしら?」

 

 

 首を傾けてぼんやりと表現を濁しつつ、真正面と真後ろから来た攻撃を相殺し、手に持った鞭で彼らの動きを引き止める。

 良い男とは言えないがまあ内面から見れば及第点の真正面も男を一瞥し、ただ後ろを警戒する。

 

 男は普通に困惑しているようだった。でも私が強いということと、一応敵じゃないと分かったことで意識を切り替えたみたいだ。

 

 それに、マリーは私の動きを読んでじっと観察しているみたいだわ。その無表情ながらも怒りと苛立ちに満ちた表情に内心で失望する。

 禁忌に取り込まれている小娘を利用した世界に。こんな事態になっても町に在住しているはずの一人か二人の騎士が来ていてもおかしくないのに、助けに来るのは冒険者だけだというこの異様な事態に。

 

 ああ、国家は騎士たちを全て戦争へ投入させに向かったんだったわね。

 騎士なんていない。あるのは国家に所属している冒険者か違う国から来た旅人のみ。

 

 誰かが殺されていても救おうとするのは国家ではない。国家所属の騎士たちでもない。

 冒険者が助けに向かう。

 

 

「今よ! ほら一斉攻撃!!」

「おう!」

「発動せよ――――――紅色剣技(レッドソード)!」

 

 

「っ――――――」

 

 

 今だってそうだ。

 白煙が静かに消えていく中で見つけた私達に対して、マリーちゃんに攻撃を仕掛けているのは冒険者のみだわ。領地を守るのが領主の役目。でも、敵に対して国家が派遣した騎士たちが守るのが常。

 それを破ったのは誰。あの塵屑(ゴミクズ)領主が仕組んだのでしたら浄化を行っていたあの時私に教えてくれたはずよ。だから違うわ。

 

 ――――――――国家が、自らの支配している領地を守らず、ただ攻めに転じている。

 それはとても悪いこと。守らなければならないものを守らず、最低限の保証さえなく好き勝手に行動しているということ。

 

 

「……ああ、早く終わらせなくちゃ」

 

 

 目の前にいるマリーちゃんが、周りの一斉攻撃に対して反応し、脱臼しようが気にせず無理やり私の捕縛から逃げ出していく。

 その後、あの影から私と同じ鞭を作り出して、まったく同じ動きを見せて冒険者たちの動きを止めた。無駄な殺しはしていない。ただ必要とあらば殺している。

 そこだけはいただけないけれど、それでもその行動の意味は分かっているつもりだわ。

 

 

 

「貴方たちに用はありませんのよ!! 私は、お姉さまに! 会いたいんですの!!!」

 

 

 

 純粋に、ただ一途に赤毛ちゃんを想って探している。

 赤毛ちゃんを連れてきた私の後ろにいる男達に対して、いろいろと話を聞きたいとは思っているんでしょうね。尋問か拷問かは分かりませんけど。

 

 

「くそっ! 大人しく捕まれよ!」

「人間を殺すのが冒険者の役割じゃねーっての! おらっ!」

 

「お断りいたしますわ! わたくしは、お姉さまの元へ帰らなくてはいけないのです! 彼女の傍に一生いると誓いましたから!!」

 

 

 ギリギリと周囲を捕縛していた鞭での力比べが負けると分かったのか、鞭自体を放り投げ、先ほど発動しかけていた冒険者の一人のスキルを発動させる。影からまた何かを作り出して、剣技を見せつける。

 襲いかかってきた男の首を刎ねて、これ以上近づいたら殺してやると脅して。

 

 こうなったら一撃で気絶させて教会へ連れてきた方が良いわね。騒動が大きくなりすぎているんですもの。記憶処理だって大変だっていうのに……。

 

 

 

「もう止めろ! マリー!!」

 

 

 ああもう、あの子ったら……。

 赤毛ちゃんには危険だから待っててと言ったのに。

 

 

 

「ッ―――――――お姉さま!!」

 

 

 

 

 私達よりも後ろにいる赤毛ちゃんに気づいたのはマリーちゃんだけじゃない。冒険者たちも赤毛ちゃんが飛び出してきたのが分かった。

 幼い子供がマリーを呼んだことに驚いたのは数名。事情をある程度理解している今回の元凶たる三人組は目を見開いて赤毛ちゃんを見つめている。

 

 傍にいる男は私を睨んできた。

 

 

「シスター。先ほども思ったが貴方は何故ここにいる。あの子供を危険な場所から遠ざけて保護するのが貴方の役目ではないのか! それに俺達の冒険者としての仕事を取るな! アンタはシスターだろうが!!」

「あらあら。だから言ったじゃない。私の仕事には罪ある者に懺悔を行っていただくのもあるのだと。そのために私はここにいるのよ」

「ならなんであの子供がここに……っ! おい危ないぞ、ガキ!!」

 

「危ないのは貴方の方よ」

「えっ? ―――――――ゴハッ!!?」

 

 

 前へ駆けだしてマリーちゃんの元へ向かおうとする赤毛ちゃんに対して、捕まえようとしていた男の首筋を強打させ気絶させる。

 シスターとして冒険者を気絶させた行為に、他の皆が驚愕する。

 

 でももう遅いわ。だって事件からかなり時間が過ぎたもの。

 大きな騒ぎになっているのはいけないことだけれども、そのおかげで野次馬はもうやって来ない。いるのは正義感を胸に戦っていた冒険者のみ。

 

 

「ゆっくりと眠りなさい」

「な、何で……シスター?」

「大丈夫。私は殺すことはしないわ。ただ、その場にあったハッピーエンドを届けたいだけのシスターですもの。貴方たちと同じ正義の代行者。貴方たちは今回間違った行動をしてしまったわけじゃない。でも、今は何も知らずに眠りなさい」

 

「グッ――――――ッ!?」

「ごふっ!」

「や、止めろシスターっ―――ぐああっ!!」

 

 

 

 周囲にいる冒険者たちを鞭で捕まえこちらへ引っ張り上げては片手で意識を刈り取っていく。

 血に濡れた地面に横たわる冒険者たち。死んではいない。だが赤い血の原因となった肉片たちを殺したのはマリーちゃんだ。その罪は必ず晴らさないといけない。浄化しなければいけない。

 

 でも、マリーちゃんだけの問題じゃないわね……。

 

 

「お姉さま……ああ、ああ。お姉さま! よか、よがっだぁぁぁっ!!」

 

「ごめんマリー。……でも無事で良かった」

「ふぁいっ!! お姉さまこそ無事で……ぐすっ……」

「泣くなよマリー……でもいろいろと話は聞かせてもらうからな」

「ふぁ……はいっ!」

 

 

 自分たちの事しか頭にない彼女たちはとても異様だわ。

 人が数人、マリーの手によって殺されたというのに……赤毛ちゃんはそれに興味を示していない。

 何人もの命が亡くなろうとも、マリーが無事ならばそれでいいと赤毛ちゃんから感じる。

 

 ただの幼女とは思えない冷徹な心が見え隠れする。

 いいえ。見えるんじゃなく、視える。

 

 あの時、首輪で浄化したはずの心がまた薄く汚れていくのが視える。

 幼女の中に何かがいるのが視える。

 

 

 ねえ赤毛ちゃん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 でも今は、赤毛ちゃん自身に――――――――――敵にそれを知られるのはいけないことだわ。

 

 

「さて、やるべきことはまだたくさんあるわねぇ……」

 

 

 まず先に失ってしまった命を浄化し、倒れている冒険者たちをあの塵屑(ゴミクズ)領主に押し付けてから行動を開始しましょう。

 少々延期になるという旨を、子供たちに手紙を書かなくては……。

 

 

 

 

 

 

 

 



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48話 13種類の禁忌

 

 

 

 

 

 

 

 

 教会の一室。町の外へ繋がる通路へ行く廊下や牢屋などではなく、聖堂として利用される懺悔の一室。そこに俺達はいた。

 というか、抱きつくマリーを引っ張りつつ、そそくさと逃げてそのまま教会の中へ隠れたばかりだった。

 たぶん今頃、外は酷く騒ぎになっていることだろう。なんせ冒険者はほぼシスターの手によって気絶。一部はマリーが殺してしまい、逃げたために悲惨な状態で放置してしまっているという状況。

 犯人はシスターだと言われて町で騒がれても仕方ない。

 

 だがそれを見越しているのか、シスターは行儀の良い犬のようにずっと正座して待っていたあの領主に対して言う。

 

 

「後始末は頼んだわ」

「は、はひっ! シスター……あ、あああの!」

「何かしら?」

「ふぁい! ちゃんと全て綺麗に処理をしたら……ま、またご褒美をくれますかっ!」

「あらあらいけない子。うふふ……」

 

 

 領主の顎を片手でクイッと上げる。

 外見がシスターは美女で領主はただのおっさんのせいで、いろんな意味で違和感しかない。

 だが領主にとってはそうじゃないのだろう。シスターに期待するような目で見つめている。

 

 

 

「ご褒美が欲しいのなら結果を見せなさい。ゴミらしい部分なんて見せちゃだめよ? 私に人間らしい立派な結果を残して見せて?」

「は、はいいぃぃぃぃっ!!」

 

 

 

 教会から飛び出すような形で出て行った領主。

 嵐が去ったというべきか、それとも後で来るだろうSMプレイに対してあまり考えないようにするべきか……。

 

 

「うぐっ……」

 

 

 いだだ。今首がグギッていったぞ。

 両頬を押さえてるのは誰―――――――ひぇっ。

 

 

 

「お姉さま。今はわたくしの事だけを考えていて。他の人間なんて見ず、わたくしだけを見ていて。その綺麗な瞳をわたくしに見せてくださいまし」

 

「お、おう?」

 

 

 グイッと両頬に手を置かれて顔を上げられてしまったせいで、至近距離にいるマリーの瞳にハイライトがなく生気の欠片もない表情で笑われたことに何故か背筋が震えあがる。

 

 いや違う。なんだか迷子の子供のような表情をしていたというのに、俺にまっすぐ狂気を向けてくるような気がしたんだ。

 たぶん俺は今、マリーから逃げることは絶対にやってはいけない。逃げたら終わる。文字通り全てが終わる。

 

 

「お姉さまお姉さま。他の奴等に奪われるだなんて失態を犯したわたくしを見捨てないで。わたくしを見て。声を聞いて。離れたら嫌。わたくしと離れるのは嫌ですよねお姉さま? わ、わたくしよりあの女が良いと仰るの?

 引き離す人間は全員殺してあげますから。どんな生き物だって全部殺して……ああ、お姉さま」

 

 

 不安で押し潰されそうな声がブツブツと囁かれる。相手に対して言うのではなく、独り言のように言っている。返事なんて期待していない。ただ離れることだけを許さないという意思だけは感じる。

 このまま逃げてしまったらきっと、何かが終わる。そんな予感がする。逃げたいという気持ちは不思議と湧かなかった。生命本能は危機を察していたというのに、どこかが制止をかける。何かが身体の動きを止める。

 

 このままじっと待っていると、俺が離れないことに安堵してきたのかちょっとずつ表情が普通に戻ってきた。冷静になってきているのだろう。至近距離で俺の瞳を見るのは止めて、ただ純粋に俺を離すまいと抱きしめてくる。柔らかいマリーの身体を感じるのと同時に、その抱きしめる力強さの意味を知る。

 

 

「…………ごめんなさい、お姉さま」

「マリー。俺が離れたとしてもちゃんと戻ってくる。帰る家はあそこしかないから絶対に帰る。攫われても俺は大丈夫だから、不安になるな」

「……はい」

「俺の事を信じて待ってろとは言わない。攫われたら迎えに来るのも構わない。でも無関係の命を殺すのだけは避けてくれ」

「…………」

「マリー。俺は、マリーの傍にいる。計画を立てる段階で傍にいることができないとしても、絶対に戻ってくるから」

「……………………はい」

 

「うん。……迎えに来てくれてありがとうな、マリー」

「っ――――――――いえ。いいえ! わたくしはお姉さまの役に立てず……ご、ごめんなさいお姉さま」

「謝るなら次はちゃんと迎えに来い。俺が攫われたら……な?」

「はい! ですが……もうあのような状況は見たくありませんわ……」

 

 

 顔を俯かせるマリーに苦笑する。

 でも俺はただの弱い人間だから、返事なんて何もできなかった。

 

 

 

「赤毛ちゃんにマリーちゃん、ちょっとお話しましょうか?」

「……はい」

 

 

 有無を言わさない圧力を放ちつつも、シスターが俺達を見てにっこりと笑う。

 鞭などは手に持っていない。素手の状況だというのにマリーは警戒し彼女を睨みつけている。攫われた一件で警戒心が高くなっているからか、俺を後ろに隠しつつもギュッと握りしめる手だけは離そうとしない。

 

 

「うふふっ……怖いのは分かるわ。人間を不審に思うのだって分かります。でもここは教会の一室。あなたを傷つけるようなことはしないわ。赤毛ちゃんとも約束しましたもの」

「……傷つけようとしたら殺しますわ」

「ええ、約束は守るわ。シスターですもの……それで、いろいろと話を聞きたいのだけれどいいかしら?」

「断ることとかはできねえんだろ……」

「赤毛ちゃん、男口調になってるわよー?」

「あ、はい……」

 

 

 

 こういう時にでも男口調とか言ってくるのかと少しだけ呆れた。

 だがシスターは真剣そうな表情で、マリーを見つめる。

 マリーはただシスターの挙動を観察し、何かあればすぐに動けるように体勢を整えているのが見えるが――――――。

 

 

 

「マリーちゃん、あなたは禁忌を持っているわね? 禁忌の対象は赤毛ちゃん?」

「ッ――――――――――」

「……そうみたいね。なら尚更あなた達を引き離すわけにはいかないわ」

 

「はい? え、どういうことだよそれ?」

 

 

 禁忌っていうのは文字から察してとても嫌な印象を持つスキルである。シスターはそれが13もあると言っていた。

 でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 マリーが禁忌を持ってるというのは……やっぱり、あの戦闘の時に見えた闇みたいなあの力の事だろうか。人の能力をコピーしているように見えたんだが……。

 

 

「マリー、本当の事を教えてくれ。禁忌を持っているのか?」

「…………はい。禁忌はありますわお姉さま。あの戦争で身に着けてしまった世界の大罪の一つである『嫉妬』を」

「しっと? 嫉妬って……」

 

 

 シスターを見たら、彼女は頷いて話してくれる。

 

 

「妬む心。自分にはない能力を羨み妬み、それが自分のものであればという気持ち……それがあの力となって現れたのね。自分にはないスキル能力に嫉妬し、それを自分の物にするのが嫉妬の禁忌ですもの」

 

 

 だからそれがスキルの複製。真似をするが出来る力となって現れたということか。

 場合によってはこの禁忌スキルってかなり良いものなんじゃないだろうか? 禁忌の癖にデメリットなんてないように感じるし……。

 でも、マリーが隠していた理由はなんだ。力をコピーするということを隠して、何で対モンスターの防御スキルだけしか教えてくれなかったんだ?

 ……いや、それだけじゃない。

 

 

「……じゃあおれ……私を対象にするっていうのはどういうこと?」

「それは――――――――――」

 

「それは、わたくしがお話しますわお姉さま」

 

 

 

 マリーが己の胸に片手を当てて俺をチラリと横目で見る。でもやはり体の向きはシスターの方を向けて、警戒だけは怠らない。

 

 

 

「わたくしはお姉さまに命を救われた。いいえ、生まれ変わらせてくださりました。あの時もう僅かばかりの寿命に絶望していたわたくしを救ったのはお姉さまですのよ。ですからわたくしは、お姉さまの為だけに力を使いたいと願い、禁忌の対象として選んだのです」

「……つまり?」

「わたくしの禁忌の力はお姉さまが関係していなければ使うことは出来ませんわ。それもお姉さまを直接守るための力となるためにしか……お姉さまが死ねば、この禁忌の力は消え失せて短命だけが残ると思いますわ」

 

「なあ、僅かばかりの寿命とか短命とか言ってるけど、もしかして……」

 

 

 

 嫌な予感があった。

 なんというか、禁忌というのだからやはり―――――――。

 

 

「わたくしは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが禁忌の力ですわ。あの時、お姉さまに救われなければわたくしは……」

 

 

 それ以上は何も言わなかった。

 ただチラリとシスターを見て、俺に視線を映しただけ。

 

 シスターは俺達の話を聞いて納得したような顔をしている。

 

 

 

「13種類ある禁忌はその種類の数だけしか時を生きることができないと言われているわ。でもマリーちゃんは若いし罪人には見えない。……もちろん人を殺したのは重罪よ。でもそれには意味があるのでしょう? 禁忌対象者となった理由が、あるのでしょう?」

 

 

 

 マリーはその言葉に何も答えようとしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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49話 復讐対象は勇者である




 とある国では彼のことを勇者と呼ぶ。

 とある国では彼のことを悪人と呼ぶ。


 そのどちらも、彼にとっての答えだった。


 彼は英雄だ。しかし人殺しでもあったのだ。






 

 

 

 

 

 

 

 

 嫉妬の禁忌は、模倣スキル……ある意味、ラーニングスキルと言った方が良いだろうか。人が所持しており使うことができる様々なスキルを簡単に成し得る力を持つという。全く同じ力を使えるというよりは、自分の好きに使えると言った方が良いみたいだ。つまりデメリットは抜きにしてメリットのみを選ぶことができる。

 雷魔法のスキルを所持している人間がいるとして、それを禁忌の力で模倣すれば完璧に雷魔法を使うことができる。通常ならば魔法を使うためのスキルを所持するために職業スキルが一定で必要になるらしいが、それを飛び越えて使えるようになるし、一度覚えたらまた使うことが可能になる。

 必要なのは観察と集中力。そして俺のために使うという意思。

 

 

「……マリー。俺と出会う前までは……その禁忌の力は使えなかったのか?」

「………………使うことは出来ましたわ。ですが、他人のためにではなく自分の為に使えば激痛と寿命を縮める原因となってしまいます。ですからわたくしは使ったことはありませんでした」

「まあそれが普通よね……。赤毛ちゃんはまだ幼いから知らないでしょうけど……禁忌は罪深き人が背負わなければならない業でもあり。契約した証でもあるのよ」

 

「……契約した証?」

 

 

 首を傾ければ、シスターは微笑む。

 

 

 

「世のため人の為に生きて罪を晴らせという呪いよ。寿命の短ささえなければ禁忌の力は通常とは違って巨大な力に成りえるわ。でもそれを自分のためにではなく他人の為に使って欲しいっていう神の意思かもしれない……っていうのがシスターとしての意見」

「……シスターとしての? 他にもあるのか?」

 

「そうねぇ……禁忌がどうして発生するのか、まだ条件が分かってないもの。例えばかつて大昔に大量殺人鬼だった人は禁忌スキルを所持していないにもかかわらず、その罪人を処罰するための国家の処刑人が発現した。無罪が禁忌を背負い、有罪が禁忌を背負わず。……説はもろもろあるけれど、それを実証できるものはいないの

 でもこれだけは言えるわ。禁忌の罪は国家にとって大罪も同意義なのよ。あの屑の帝国は違うみたいだけれど、国家は禁忌を罪人と見て処理しようとしている」

 

 

 

 

 思わずマリーの背中に手を寄せてギュッと服を握りしめた。だが彼女はただ俯いたまま俺の肩に顔を寄せてどんな表情をしているのか見せようとしない。

 先ほどあれだけシスターを警戒し睨みつけていたというのに、禁忌の話になった途端少しずつ何かを恐れてシスターから背を向けて後ろにいた俺に抱きしめてきたんだ。

 だから分かる。彼女は何かを恐れているんだと。

 

 

 

「マリー。なあ聞きたいんだ。何で禁忌を持っているんだ? お前が大罪を背負っているようには見えないから教えてほしい。駄目か?」

「……お姉さま。お姉さまはわたくしを嫌いますか? わたくしの事を恐れて、嫌って、離れちゃうだなんてことないですわよね?」

「当たり前だろ。いろんなことがあったけれど……一緒にいるよ」

 

 

 

 恐れているのは俺がマリーから離れることだろうか。それは絶対にないと頷き俯く彼女の頬にすり寄る。

 ぎゅっと愛おしそうに抱かれるのはちょっとだけ照れるけれど、まあ嫌うよりはいい。殺気を持たれて殺されたり実験台にされるよりずっといい。

 

 そう願ってマリーに再度問いかければ、彼女はおずおずと口を開いた。

 

 

「きっかけは戦争でしたわ。国家との戦争。血を血で争うような戦い。わたくし達は本を守り、知恵を奪われぬように努めてきましたが……あの勇者が……」

「勇者?」

「たぶんあれねマリーちゃん。国家を救うために生まれたと予言しその通りに動く勇者のことかしら?」

 

 

 シスターの声にちょっと気になることがあったがそれは何も言わずに口を閉ざして話を聞く。

 マリーはただ小さく頷いた。

 

 

「はい。あの時、逃げゆくわたくしの腕を掴んだ勇者が言ったのです。『知ってはならぬことを知ろうとするだなんてなんと罪深き行動か』と……」

「…………ん? 待て、それで禁忌が発動したっていうことか?」

 

「はい。勇者の一言で胸が避けるような痛みを発して……それでその後捕虜として捕えられてお姉さまたちが来る前のあの場所へ移動され、散々利用されてきましたわ。禁忌でさえも、奴らは良い実験材料だと思ったのでしょうね……」

 

 

 

 何というか。言葉の端々に見える嫌な想像がつく。

 勇者と言ったが、本当にそれは勇者だったのだろうか。禁忌に関しては偶然だったらそれでいいかもしれない。

 だが捕まえて捕虜にした時点でダメだ。人を傷つけ実験材料とした時点で俺達の敵だ。勇者じゃない、俺達の復讐対象しかない。

 

 

「……シスター。勇者って誰のこと?」

「勇者アレックス・ナティシア。かつて大予言があった時に滅ぼされる世界を救う勇者と言われている男の子よ。名前はその時予言されていなかったのだけれど、見た目も特徴も、人間が得られないスキルを所持していたから分かったの」

「男の子?」

「ええそう。赤毛ちゃんより年上で16歳ぐらいの子供よ」

 

 

 それはもう男の子というより少年と言った方が良いんじゃないだろうか。いやシスターの実年齢によっては子供に見えなくもないけれど――――――。

 

 

「赤毛ちゃん? 何かいやーなこと考えてなかった?」

「アッハイ。何も考えてないですごめんなさい」

 

 

 女性に年齢を聞くのは禁止だ。とにかく情緒不安定になっているマリーの背を叩いて安心させるようにしながらも、これからの事を考えなければならない。

 

 

 

「……シスター。これから神国にいくんでしょ?」

「ええそうよ」

「勇者に会える?」

「あらっ……」

 

 

 予想だにしない言葉にシスターが目を見開く。

 マリーでさえ反射的に顔を上げて俺を見た。その顔は少しだけ泣きそうに歪んでおり、迷子の子犬のようにも見える。

 幼女の俺がするのも微妙だけれど、とにかく落ち着けとマリーの頭を撫でながらシスターの方を向いた。

 

 

 

「勇者ってやつに会って話をしなきゃならない。俺のマリーを捕えて禁忌をつけやがって何してくれてんだこの野郎って……それと同時に、人を何だと思ってるんだっていろいろと言ってやりたい。ドラゴンにも会いたいし、一緒に行きたい」

「……お、お姉さま」

「もしも勇者に会いたくないならマリーが見えない裏側でやらかすつもりだけれど……今回はなるべく表側に立って喧嘩を売りたいんだ。いろいろと、仲間たちの借りも込めて。マリーを傷つけた恨みも込めて……なあ、一緒に行かないか? 一緒に勇者をぶん殴りにいかないか?」

 

「っ――――――――――はい! 行きます! 行かせてくださいまし、お姉さま!」

 

 

 何度も上下に首を振って、今度はマリーの方から俺に向かって嬉しそうに頬を摺り寄せてくる。

 シスターは何かを考えているかのように無表情で俺達を見つめていたが、何もせずただ観察してきていた。

 

 

「――――――あんなにも人を殺したのに、どうでもいいと思っているのかしら」

 

 

「シスター?」

「いいえ。なんでもないわ赤毛ちゃん。行きたいなら連れて行ってあげるわ。でも赤毛ちゃんにもたくさん聞きたいことがあるし、隠してる事も全部話してもらわないと駄目よ」

「あーうん……それについては話すけどさぁ」

 

 

 まずはちょっと森に戻って母さんたちに事情を説明してからでいいかな?

 たぶんそろそろ心配になってきてる頃だろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神国――――――――そこは全て水の中だった。

 前線というべき戦場の死の淵。

 

 水の中で駆け、生きることができる魔術を生まれつき所有する神国の住人は、普通は土地を全て陸地として暮らしていたはずだった。

 だがしかし、戦場となったからにはホームグラウンドとして戦うしかないと彼らは皆神国に生きるドラゴンの力で国を全て沈めてもらったみたいだ。

 おかげで騎士たちの士気は落ち、釣り堀を彷徨う人のように哀れにも水へ潜ろうとはしない。鎧だって重いし、動きにくいからだろう。

 神国が一気に沈んだ様子はとても見事だった。

 

 まるで海の中に生きるアトランティスのように――――――まあそれを知るのはこの世界にはいないだろうが。

 

 オレにはこんな水の中でも生きることはできた。息をすることも容易だった。

 そう生まれつき持たされたスキルのせいで何でもできた。オレが欲する者の為には、なんでもやれる。なんでもできる。

 

 

「ああ、ああ……何故だ。我らは貴様らに敵対した覚えはない。何故……」

「それが定めだからだよ」

 

 

 嘆く男の首を刎ね飛ばしたが、血は噴き出ない。水中だから代わりに周り全体が赤く染まって見えにくくなるだけだ。そのせいで神国で飼ってる鮫が襲ってきたけれど、剣で切れないものじゃないので処理できる。

 首筋に魚の尾びれのようなものをスキルによって付けた神国の戦士のいくつかを処理して前へ進む。

 

 水中の中だとオレだけしかやれるやつがいないのならば、さっさとドラゴンを潰して秘宝を奪って献上し、世界を統一させるために動こう。世界を全て一つにしてやろう。戦争なんて消え去るために、とっとと勝利を収めよう。

 

 平和を作ればきっと―――――――。

 

 

 

 

 

 

 



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50話 勇者

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつだっただろうか。()()()()()()()()()

 

 

 

 力とは無限の代償なり。

 力を持つ者は、その力を指し示さんと戦いを欲す。

 無限のスキル。無限の知恵。そして悪を潰さんと倒すその意思。

 汝に全ての力を与えよう。与えましょう。

 

 ただ願うは世界の原点なり。

 世界を元に戻すことを誓え。神がいたあの時代を取り戻せ。

 人が弱くもなく、モンスターは人であったあの頃へ戻せ。

 

 そうすればお前の大切な生き物に出会えることを約束しよう。

 さあ、■■■お姉さまを甦らせなさい―――――――――――――

 

 

 

 そう、言われた言葉だけは覚えている。何時聞いたのかは覚えていないけれど。

 それは女の人の声だった。聞いたことのない声だった。

 黒く闇夜が似合いそうな声がオレをここへ導いた。オレの意思なんて関係なく強制的に。

 

 だからオレは勇者となった。

 

 勇者は絶対的存在だ。

 これが悪だと言えばすべてがそうなった。例え無罪の男でも、か弱き女や小さな子供であろうとも、何もかもが悪いものだと決定付けられる。

 

 スキル『勇者』とはそういうものだ。

 称号『未来の勇者』とは、そのような意味を持って生まれてくるただの善悪の裁判官だ。

 

 もちろんオレはそれを自由に使うつもりはない。

 だってそうだろう?

 力は守るものでもあり、同時に奪うもの。オレは守りたいモノのために戦えたらそれでいいと思ってる。

 

 アレが欲しいから無罪の人を悪にしようとかそういうことは考えていない。そんな奴こそ悪人として裁かれればいい。

 死ななくてもいい命を殺さない。恨みで殺されそうになる命はオレが守る。

 守れる力の為に働く。いつか来るかもしれない大切な人の為に戦う。

 

 

 ―――――――――そう願っていたはずだというのに。

 

 

 

「戦争で千人殺した戦士は勇者となり、平和な時代で千人殺せば悪人か……」

 

 

 

 周りは血に濡れた大量の屍。

 首が刎ね落ち、胴体が投げ出されて水の底へ沈んでいく。

 

 この場所が水の中というのもあってか、視界が赤く染まっている。染まった視界はオレの奪った命そのもの。

 ……だというのに、心に痛みなんて感じない。彼らを国家の悪として見定めたその時から、敵に対する情なんて掻き消えたも同然だ。

 

 普通ならそれが異様だということに少しだけ寒気がするが、もうそんな気も失せた。何度も戦いをしていけばいつか会える愛すべき希望に、今まで奪って来た命に失礼だ。

 殺してしまった命は二度と元に戻らない。そんな彼らに対して、もう殺したくないとふらふらと意思を曲げて戦いを止めてしまえば過去を否定することになる。奪った命を無駄にしてしまう。

 だからオレは意思を曲げない。やりたいことがあるから国のために戦う。いつかこの力を与えてくれた誰かの為に、世界を変える。

 

 勇者として戦うことが、オレの意思。

 勇者として国家に仕えるのがオレの定め。

 

 

「……陸地を戻そう。そうすれば仲間たちが戻ってくる」

 

 

 ゴポリと口から泡が噴き出す。それと同時に声が出る。

 この水の中はとても静かで寒い。国家にある城の中に比べたら温かさはない。人が死ぬ戦線とはそういうものだと知っているが、この感覚は慣れたいとは思わない。

 

 

 ――――――――――――不意に、身体が右へ避けろと危機察知能力が反応する。

 それに従えば、大きな声と泡の音が聞こえた。

 

 

 

「貴様ァ―――――――――――ッッ!!」

 

「……っ」

 

 

 

 住民の一人。この水没した神国の戦士であろうか。

 国家の騎士たちとは違い、スキルによってか身体が半分透明になっている。まるで水を泳ぐ魚のように尾びれもある。マーマン……人魚というべきだろうか。戦っている間はあまり気にしなかったが、改めてよく見ると人種というのは国が違うだけで本当に別の生き物のように変わるものだと思う。

 

 男がオレをまっすぐ睨みつけて槍を構える。

 その槍は先が三本に分かれており、ある意味ポセイドンなどで出てくる海の武器に近い感じがする。

 

 

「我らの家族を、同胞を殺した貴様を許しはしない。この恨み、貴様の身体でもって晴らさせてもらう!!」

 

 

 

 ……なるほど、顔が歪んでいたのは泣いているせいなのか。水の中にいるせいで涙を流して攻撃を仕掛けているだなんて分からない。

 危機察知はそこまで奴を脅威とは感じなかった。ただ敵意と恨みは本物だ。

 

 オレがやるべきことはただ一つ。決意と意思を持って、その身体を動かす。

 守るために殺す。奪うために戦う。

 

 果てしなき夢の未来を目指すために、オレの両手を汚していく。

 

 だから沈め、安らかに。

 

 そう願いながらもスキルを使って剣を振るい、三本槍を粉々に切り刻む。

 絶対的な力があれば戦士の武器なんてあっという間に壊れる。神気を帯びていたのなら話は別だが、そんなのここにはないだろう。

 だからあっけない最後となる。でも無駄にはしない。

 

 

 

「なっ――――――――」

 

 

 ―――――――――そのまま奴の首を切り、剣の血を振るい取って鞘の中へ入れた。

 水の中だから錆びる心配があるが、後で考えよう。

 

 

 

「き……さま……」

「恨みを晴らさせると言ったな。その心、全てオレが頂戴する」

「ぐっ…………」

 

「貴様らの恨みは全て背負おう。全て貰い受けよう。やるべき夢の為に。オレは貴様らを代償として動こう。だから安らかに眠れ」

 

 

 

 もう、聞こえてないだろうけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四章 水龍神国内部戦線
51話 ドラゴンは語る


 

 

 

 

 

 

『昔々の話をしよう』

 

 

 え、急になんだよ気持ち悪いな。

 

 

『いいや、少し考えていてな……このままでは貴様はいずれ奴と会うであろう?』

 

 

 奴って誰だよ?

 ……まさか、勇者のことか?

 

 

『ああそうだ。奴と接触するならすぐさま防御と反撃は忘れるなよ。奴ならば必ず貴様を見た瞬間攻撃してくるであろうからな。狙うなら金的だ。それか顔面を狙え』

 

 

 はぁ? なんでそう断言するんだよ。

 いやまあ俺マジで喧嘩売るつもりだけどさ。マリーにしやがったことを2倍返しにでもしてやろうって思っているけどさ。

 というかなんでそんなに殺意が増し増しなんだ?

 

 

『うむ。できるのならボッコボコのフルボッコにしてほしいからだ。あのシスターの塵屑のようにでも良いぞ』

 

 

 いやなんでそんなノリ良いんだよ。人間だったら絶対にサムズアップでもしていただろ。

 ってかなんか性格変わってねえか?

 ものすっげー気持ち悪いぞ?

 

 

『……仕方あるまい。私と繋がりのある貴様が奴と会うのだからな。おそらく無事では済まさぬであろうよ』

 

 

 ねえ止めて? なんかフラグ立てるの止めて?

 これ死亡フラグ入ってねえよな?

 おれ生まれてからずっと死亡フラグ立てまくっているけど、まだ修復できる範囲だよな?

 

『いいや今回は難しいだろうな……なんせ奴はあの()()()()()()()()()()()()()鹿()であるからなぁ』

 

 

 ……は?

 ごめん、凄く聞きたくなかった言葉が聞こえたんだけど。もう一回聞かせて。

 えっと、勇者が何だって?

 

 

『何故私が貴様の言うことを聞かねばならないのだ?』

 

 

 くっそこういう時だけひねくれやがって!

 ってかやっぱ聞き違いじゃねーな! 女神って何だよ。勇者が堕ちた女神に憑かれたって何だよ!

 

 

『ふははっ。だから昔々の話をしようといっているんだ。私の話をきちんと聞けこの馬鹿者』

 

 

 えええここで冒頭に戻しますかねぇ!?

 

 

『さて、昔々。そこには三つの卵があった。その卵は純白に輝く綺麗な色をしていたそうだ』

 

 

 しかも俺に何の反応もなく始めやがったし!

 ってか卵ってなんだよ。女神の話じゃなかったのか?

 

 

『良いから聞け。卵は三つ大事に育てられていた。だがある日、卵を見ていた■■が間違えて三つともどこかへ落としてしまった。卵はとても繊細で、■■にいないと死んでしまう性質を持っていた』

 

 ノイズが聞こえてわかんねー部分があるのがもどかしいな。

 いやでも、なんか先が読めてきたわ。

 

 

『卵はすぐに一つ見つかった。それはまだ純白だった。それより少し時間をかけて、もう一つの卵も見つけた。だが時間をかけた方の卵は半分だけ黒く染まってしまったそうだ。次にそれよりもっと時間をかけて見つけた卵は、真っ黒に染まっていたそうだ』

 

 

 あーそういうことか!

 つまり、その真っ黒の卵が堕ちた女神であって、そいつに憑りつかれた被害者が勇者ってことだな!

 

 

『そうなるな。そして勇者もその昔話に出てくる登場人物ではあるがな』

 

 はっ?

 ええっと……間違えて三つとも卵を落としたどじっこのことか?

 

 

『フハハハハハッ!!!』

 

 

 笑ってごまかしてんじゃねーぞ! ここまできたならちゃんと話せよ!

 

 

『いつかは分かると思うが……まあ良い。話してやろう。先程の昔々の話は今より神代の時代。まだ世界が複数に分かれ力を持った生き物が人とモンスターに分かれる前の世界のことだ』

 

 

 いやちょっと待っていきなり挫折したんだが。斜め上の急ハンドルをきられたんだが。

 神代……つまり、道具を使わないと力を制御できなかった時代ってことか?

 

 

 

『ああ。その時の私は――――――宝玉の力のせいで全てを奪われた被害者であった』

 

 

 ……え?

 

 

『聞くがいい。愚かな人間よ。人はどのような生き物にも変化する。人が私のようになることだってある。堕ちた女神もまた人であったこともある。女神は私を知っている。勇者は私を知っている。分裂した世界を一つに正した愚かで愛しい女を私は知っている。

 

 ―――貴様は、()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()。アルメリア』

 

 

 いやえっと……。ちょっと待って思考が追いつかない。

 なんか名前を呼ばれたの初めてな気がするぐらい新鮮なんだけど! ちょっと待ってくれよ!?

 なあ、どういうことだ?

 

 宝玉が、人を変えた。三つの卵のうち真っ黒な卵にいた女神が人であったっていってた。そしてお前が被害者って……

 

 いや待て。

 なあ、もしかしてだけどさ。

 ―――――お前、もしかして元人間か?

 

 

『……そろそろ時間だ。目覚めよ。そして勇者に会え』

 

 

 いやおい! まだ話は終わってねえぞ!

 

 

『奴に会えば分かるだろう。私との繋がりはもはや断ち切れぬ。そろそろ一つに結ばれるであろうからな』

 

 

 

 まただ。

 なんでこう、嫌な時に目覚めるんだろうか。

 でもこれは絶対に覚えていないといけない。思い出さないといけない。

 

 

 なのに何で、夢の記憶は曖昧に忘れてしまうんだろうか……ああくそ!

 お前をいつか絶対にぶん殴ってやるかな!

 

 

 

『フハハハハッ! ああいいだろうやってみよ! ただの小娘がこの私に向けてぶん殴るという偉業ができるのであればの話だがな!!』

 

 

 

 こんな時にだけ調子を取り戻すんじゃねえよ馬鹿野郎!!

 

 

 

 

 

 

 

 



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52話 神秘に惹かれて




 昔と今を切り離すことは難しいが、誰も知らないのなら抹消することぐらいは可能である。


 しかし、歴史とは繰り返すもの。
 似たようなことを起こすから、争いはなくならないのである。






 

 

 

 

 

 

 

 松明に火を灯して歩くシスターの後ろをついていく。

 その間になされた会話に、俺はただ頭を抱えた。

 

「はぁ!? いや待て、もう一回言ってくれないか……えっと、神国がなんだって?」

「現在の神国は海に沈んじゃって入国しにくい状況なの、赤毛ちゃん。だからこの地下から中へ入るのよ」

「海の中って……」

 

「あら、仕方ないわねぇー。赤毛ちゃんのためにもっと詳しく教えてあげるわ」

「……おう。頼みます」

「うふふ」

 

 怪しく微笑むシスターに対して、少しだけ警戒したようにマリーが俺を抱き上げてくる。背中に感じる柔らかな感触は気にせず、とにかく話に集中した。

 

 どうやら戦争は終盤に突入しているらしい。

 神国の状況は勇者のせいで一気に戦線が崩壊し、最低ラインしか生き残っていない状況。

 このままだと神国は負ける。国家が勝ってしまう。

 

 敵側の戦力が強化されることだけは避けたい。

 そのためにも、早く勇者に会ってぶん殴って、話をして――――いや、話が通じない可能性もあるのだから、覚悟だけは決めなくてはいけない。

 ああくっそ。こういう時にルクレスさんがいたら相談できるっていうのに!

 

「ねえ、お姉さま。ここってなんだか妙じゃありません?」

「ああ確かに」

 

 俺たち三人ぐらいなら広がっても楽々と通れそうなほど大きな地下通路。下水道などが流れている様子はなく、一定の間隔で横へ繋がる通路が開いている迷路のような光景。

 でも、モンスターが意図的に作り上げた洞窟のようなものじゃない。簡単に砕くことが出来なさそうなほど壁も地面もコンクリートのように綺麗に固く整えられているというのに、何故か天井から微かに光が差し込んでいる。

 

 シスターの案内によってまっすぐ進むことはできているけれど、俺たちだけだったら絶対に抜け出すことは不可能そうだ。

 

 

「なあシスター。この地下ってどういう理由で作られたんだ? それになんか古いような……ここって崩壊しないよな?」

「ええ、わたくしもお姉さまと同じくなんだか嫌な予感がしますわ」

 

「うふふふふふ 大丈夫よ。もう少しだけ先へ行けばすぐわかることだから……ほら」

 

 

 シスターが促し、見えた先にあったのは―――――神秘的な壁画と光の世界だった。

 

 天井は円形にくりぬかれており、そこから差し込む太陽の光がまっすぐ壁画へ向かって伸びていた。

 壁画と言っても色はない。ただの黒一色で描かれたその絵は、ある部分は苔に覆われ、ある部分は壁が崩壊していて分かりにくいところもある。だがそれが、まるで何千年も経過したように感じたのだ。

 

「……天使だ」

 

 

 羽根を背中に生やした天使らしき絵が、空に向けて何かを捧げようとしている。

 その何かは、まるで人のように見えた。

 

 その天使の真下には3人の人間たちがいる。それらが右奥に向かって手を伸ばしていて、その先は苔や壁の崩壊でどうなっているのかが分からなかった。

 

 ただ理解できるのは、俺たちが見ている絵にドラゴンなんていないということ。

 失われた壁画の一部分に描かれていたのなら仕方ないかもしれないが……。

 

 それにしても、これはいったいなんなんだ?

 

 

「な、んだ……これ……」

「わ、わたくしも、こんなの初めて見ましたわ! なんですのこれは!?」

 

「遺跡よ。大昔に存在していた大切な歴史の一部分なの。ほら、絵の真下を見てみなさい」

「え?」

 

 

 下にあるのは、小さな池。

 水の流れる音がするため、どこかで水漏れでもしているのだろうか。いやそれにしては汚くない。壁の埃が浮かんでいるわけもなく、外から入るゴミさえない池は澄んでいた。

 

 真水のようにとても綺麗な色だから、飲んでも腹を壊さないんじゃないかと思えた。

 

 

「ここから神国に飛ぶわよ」

「はい?」

 

 いやちょっと待って。

 このシスターは何処を見て何を言った?

 

「神の国は神聖な水が出入り口なのよ。ここからなら……ええ、私達ならいけるわ」

「……はぁっ!?」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださるかしら! わたくしのお姉さまにずぶ濡れになれと言うのですか!?」

「いやそこじゃねーよマリー! こっから神国に行けるってどういうことだよ!?」

「簡単に言えば水の流れに逆らわず行けばあっという間に神国よ」

「いやそれ溺れてるって言うんですけど!?」

「お姉さまを危険にさらすつもりなの!?」

 

 俺を抱き上げているマリーがじりじりとシスターから離れるように後退していくが、それ以上に彼女は接近してくる。

 肩を掴んで、抵抗なんてするなとばかりの迫力ある笑顔を見せてくる。

 

「大丈夫よマリーちゃん。赤毛ちゃんは心配ないわ。シスターは神に誓って()()()()()()()と言ってあげる」

「……本当ですの? 本当に、お姉さまは怪我もしないと信じれるのですね?」

「ええ本当よ。それに私が嘘をついたら殺してしまえばいい。あなたがずっと抱きしめて……精一杯守れば大丈夫よ」

 

「……それもそうですわね」

 

 シスターの言葉に自信がついたのか、マリーは俺をギュッと抱きしめて離さない。

 あまり力強く抱きしめられると俺としては困るのだが……いや、何も言わないでおこう。

 それよりも問題はあった。

 

 

「……入国は問題ないってことは、その次がやばいってことか?」

 

 

 シスターは笑った。

 それ以上は何も言わなかった。

 

 

「さあ、行くわよぉー!」

 

 

「いやちょっと待ってぇぇぇ!!」

 

 

 シスターがマリーの背中を押して池へ飛び込む。

 俺ごと水の中に落ちた瞬間に感じた冷たい感覚に目を閉じる。

 必死に息を止めて、マリーから離れないように俺の腹を抱えた彼女の腕を掴んで離さないようにする。

 

 

 だが、水の中にいる違和感が不意に消えてしまった。

 

 

「はっ?」

 

 

 何故か息が出来た。いや違う。水の中ではなくいつの間にか俺は陸地へ上がっていたのだろうか。

 いやそんなわけはない。これはありえないことだ。

 

 マリーやシスターがいない場所に俺はいた。

 俺と離れることが難しい禁忌を背負ったマリーと離れて、俺は一人でいた。

 

 たった一人で、その場所に呆然と突っ立っていたんだ。

 

「あー……ルクレスさんに会いたい……」

 

 服は濡れていない。全身もつめたくなくて、水の中でもないと分かる。

 でも、どうして俺はここに立っているんだ?

 何でおれはここにいるんだ?

 

 

 懐かしくも憎らしい場所。

 

 全てが始まったあの――――――

 

 

 

「ああ、ようやくこの時が来たようだな」

 

 

「だ……だれっ?」

 

 

 

 気が付けば、俺の目の前に一人の男がいた。

 

 

 

 

 

 

 



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53話 濡れた男

 

 

 

 

 

 

 

 男は俺と違って濡れていた。

 まるで男の方があの池に飛び込んだかのように……。

 

 滴る赤い液体が男の頬を伝って、地面に落ちていく。

 俺と男以外誰もいないこの場所で、もう二度とみることが出来ないと思っていた光景を見渡して混乱する。

 

 あの水の効果ということなのか?

 それともあの時衝撃でただ気絶して、夢を見ているのか?

 

 

 

「お前は俺を見て誰と言ったな? でもちゃんと、分かっているんだろう?」

 

 

 ああわかる。お前が誰なのかは、俺はちゃんと知っている。

 それでも理解が出来ない。

 知っているけれど、対面して話をするだなんて不可能だと思っているからだ。

 

 だって普通じゃないだろう。

 こいつがこうやって俺の目の前に立って、自我を持って話をするだなんてこと。

 

 まるで鏡写しを見ているかのようだ。

 いいや、実際に鏡があるならば俺は幼く赤毛の女の子になっているはず。だからこれは鏡じゃない。そんな可愛らしいものでもない。

 

 だから有り得ない。

 前世で死ぬ前に幼馴染に会っていた時の服を着た――――血に濡れた格好をしているのに元気そうな俺が目の前で立って喋っているだなんてこと、普通なら有り得るわけはない。

 今俺が見ているこの場所が、前世での死ぬ寸前の公園なのも有り得ない。

 

 

「お前は誰だ」

「だから言っただろう? 俺は――――」

 

「お前は俺じゃないだろ! 前世での俺は死んだんだ。今の俺はここにいる! 俺はちゃんと生きている! でもお前は違うだろう。お前は俺じゃない。ならお前は、誰だっ!?」

 

 

 俺の叫び声を聞いた瞬間、男はとてもつまらなさそうな顔になった。

 何かを失望したような顔。血濡れの状態で真顔になると、ホラー映画に出てくるゾンビのようで異様に恐怖心を煽られる。

 

 だが男は俺に向かって殺意は向けない。

 ただ、期待していた何かが意味もないと理解できたような顔をして、俺を見下ろしたのだ。

 

 

「ああ、お前はまだなのか。そうか、()()()()()()()()()()()()()

「……は?」

 

「前言撤回だ。誰と言う質問に対する答えだが、それはお前の想像に任せよう。後の楽しみはとっておくに限るだろう?」

 

 

 つまり、男の今の姿は偽りのもの。前世での俺の姿をとってはいるが、それは奴の本意ではない。

 本性がどのような姿をしているのかは分からないが……。

 

 

「俺を殺す敵じゃないんだな?」

「ハッ。敵だったら何も喋らず一撃で殺してやるさ」

 

 

 ああ、その態度と口調なら信じられるような気がする。

 まあ急に気分が変わって俺を殺す可能性はあるが、ドラゴンの時のような怒りはないし、ルクレスさんと会っているときのような底知れなさは感じられない。

 ……だから少しだけ、緊張していた身体の力を抜き、息をついた。

 

 男は肩をすくめて口を開く。

 

 

「昔々の話をしよう」

 

「あれ、何か聞いたことあるようなセリフが……」

「まあ昔と言っても少し前のことだけどな」

「それ昔って言わなくねえか?」

「ちゃんと聞け。そして答えろ」

 

 

 血濡れの男は眉をひそめて俺に一歩近づく。

 それに警戒し、俺は後ろへ数歩下がった。

 

 砂利を踏む音が軽く聞こえてくる。ポタポタと水滴が垂れる音がする。

 

 

「お前が飛び込んだあの水は普通のものじゃないのは分かっているか?」

「……まあ、それは分かるよ。だってあんなに神秘的な場所だって思えたんだからさ」

 

「そうか。じゃああの水に飛び込むことで……どうやって神国へ行けると思う?」

 

 

 男の表情が変わった。

 先程の無表情から一変して、ゾンビのような印象から仮装している生きた人間のように見える。

 それほどまでにとても楽しそうに俺を見て、笑ったのだ。

 

 

「……シスターが言うように、流れに身を任せていけるんじゃねえのか?」

「いいや、実際はそうじゃない。水の流れが速いわけじゃねえし、泳いで渡れるほど短い距離にあるわけじゃない。ただ、あの水は神国に繋がっている。だから国の中へ入れるんだ」

「……どういうことだ?」

 

「あの神秘的な水そのものが水龍の一部ってことだ。水龍が国に入る者を区別して決める。入国を許可するか、拒否するかを決めるんだ」

「おい待て。いろいろ言いたいことがあるが……何でそんな大事な話をお前は知っているんだよ」

 

 

 俺の言葉に何故か男は驚いたような態度をとった。

 

 

「俺が知っているのは当然だ。ああでも、お前は宝玉を奪い取るために協力者を求めて神国へ来るんじゃねえのか? だから神国について知っていてもおかしくはないと思ったんだが……」

「悪いけど俺はまだ何も知らない。世界についてもまだ知らないことが多いんだよ」

 

 

 神国へ行くことになったのも全てはちょっとしたトラブルに巻き込まれた流れのせいだ。

 でもそれは後悔していない。ルクレスさんたちを置いて先に国家と戦うかもしれないが、俺やマリーを知られないようにするためにどうすればいいのか考えがあるから気にしてはいない。

 

 ただ何故こいつは俺が神国の事情について知っていると思っているのかが気になった。

 何故あの神秘的な池水の秘密を知っていると思ったんだ。何故、こいつはそれを知っているんだ。当然っていうのはどういう意味なんだ?

 

 

「……何で俺が知っているって思ったんだ?」

 

「いいやお前じゃない。()()()()

「いやどっちも俺じゃねえか」

 

 

 男はただ笑って、俺の言葉に首を横に振った。

 そのせいで垂れた血が派手に地面に滴り落ちていく。

 そういう意味じゃないと態度で示して、そうして口を開く。

 

 気のせいだろうか。

 男の瞳の色が、月のように淡く光り輝いたような気がした。

 

 

「あの水は大昔に流れていたものと同じだ。水龍の一部であるから、神代の頃の力で満ち溢れたものだ。だからお前はここへやってきた。お前の中に潜んだ気配を辿って、水龍に導かれて、ここへな」

「……何で?」

 

「警告と、ただの挨拶に」

 

 

 不穏な声色で男は言う。

 優しげでもなんでもなく、もう笑うことはせず真顔のまま俺を見下ろす。

 

 

「水に飛び込む前に、絵を見たか?」

「っ――――ま、まあ見たけど」

「天使がいたか? それと真下には人間がいたよな?」

「ああ。えっと、一部分は壁が崩壊していて分からなかった。天使が何かを捧げていて、人間は何かに手を伸ばしているのだけは分かったけど……」

 

「それが、■■の始まりだ」

「はっ? ごめんなんて言ったのか聞こえなかったんだけど……もう一回言ってもらってもいいか?」

 

「だから■■の……いや、お前がきちんと成長し統合し知らなきゃならないことなんだろう。神国へ行って確かめてみろ」

「成長し……統合ってなんだ? そうだ。お前さっき言ったよな。……俺の中に、何かいるのか?」

 

 

 男はただ微笑むだけだった。

 もう余計なことは何も言わないとばかりに、満足げな顔で。

 

 そうして、不意にそれは始まった。

 

 

「な、なん……!?」

 

 

 何故かはわからないが、周囲が眩く光り輝いている。

 まるで水の中で空気の泡がはじけ飛ぶように、端から発生した光の泡が俺たちへ迫ってくる。

 

 

「そろそろ終わりが来たみたいだな」

「終わりってどういうことだよ! ってかあれに巻き込まれて大丈夫なのか!?」

「大丈夫だ。お前は水に飛び込んだ直後に戻るだけ。そして次に目覚めた時は神国だよ」

 

 

 眩い光が周囲を覆う。

 男が見えなくなって、声だけが響いた。

 

 

「覚悟だけはしておけよ、アルメリア。神国は世界が認める神秘に満ち溢れた国だ。あの頃より劣ってはいるが、神代の力がまだ失われていない国だ。

 

 神国には水龍が存在している。あの馬鹿ドラゴンじゃなくて、ちゃんとした立派な水龍がな」

 

 

 男の声が、笑ったように聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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54話 復讐はやがて身を焦がす

 

 

 

 

 随分と長い時間、森の中で娘たちを待つ複数のモンスター達がいた。

 しかし彼らは動けない状況だった。

 

 何かしらのトラブルに巻き込まれたことは知っている。何かあったのではないかとやきもきしているし、アルメリアの母親であるモンスターがいることも知っている。

 

 人というのは、知性がないモンスターとは違っていくらでも狂気へ堕ちることが可能なんだというのを、身をもって理解しているからこそ、何もできない待機時間が恐怖に感じられた。

 

 だが、町へ繰り出すことは自殺行為だ。

 冒険者もしくは数多くの人間たちがいる町へモンスター数匹が赴けばどうなるのかぐらい彼らだって分かっている。

 残虐される可能性があることを、あの実験を経て知っているのだから。

 

「こんナ時に戦えたラなー」

「夢語ってンじゃネエよ」

 

 森の影にてウィスプの炎が微かに赤く染まる。それは明らかに機嫌が下降してきている証拠であった。

 町へ繰り出せるであろう隠密に長けたシャドーバットたちはいない。

 戦闘に長けたモンスター達はメリア大森林の周囲に散らばり、それぞれで森を新しく作り上げている真っ最中。

 こんなトラブルでも大体は解決してくれるであろうルクレスでさえ不在の今、彼らが出来ることはただアルメリアの帰還を待つことのみ。

 

 これでは護衛なんて意味がない。

 いいや、これは護衛ではない。森の中を送り迎えしかできない足手まといになっているかもしれない。

 

「まダアルメりぁの奴帰らねえノかよ」

「時間がかカってンだロ。もウちょっト待っとこウぜ」

「あの子ったら、また寄り道デもしているんじゃナいダろうね」

「おばちゃン。あいつらナら大丈夫だヨ。おばちゃンの娘なんダかラさ」

 

 じりじりと不安が高まっていく。

 何が起きているのか全く分からないが、町の中で上がる悲鳴に騒ぎがあることだけ知ることができた。

 騒ぎがあるということは、まだアルメリアは帰らない。

 

 今はただ、彼女が無事に帰って来れると祈ることしかできないでいる。

 祈る相手はもちろんアルメリアだ。モンスターになった今、神なんて存在は彼らはとっくに信じていないのだから。

 

「あの女が裏切ってル可能性はあルか?」

 

 誰かがぽつりとつぶやいた。

 女の名前は出てこなかったが、それが誰を意味するのか彼らは瞬時に察した。

 アルメリアと共に町の中へ繰り出した女。あのマーガレット・ナティシアのことを。

 

「そレは……」

「あいツはずっトあの地獄にイたって聞イたぞ。でも俺たちトは違って人間のマまだ。本当はあの連中の仲間で、俺たちを裏切ろうトしていルンじゃねエのか」

 

 マリーと同じでアルメリアも人間。

 だがしかし、彼女はマリーとは違って幼くルクレスに教えを受けている精神力が強い幼女だ。何が起きても泣かず、痛みにさえ耐える姿は庇護欲をそそられる。

 

 だがマリーはどうだ? 

 そう考える気持ちはみんな持っていた。

 モンスター達にとってマリーは特別な立ち位置にいた。ルクレスやアルメリアとは違って、別の意味で特別。かつての敵側。実験体の被害者。そしてあまりにも自分のことを話そうとしない怪しい人物。

 ルクレス達が大丈夫だと言った言葉を信じて共にいるだけだ。だが、それを裏切ってアルメリアが無事じゃなかったら?

 

 

「あンた達、アルメリアに懐いテるあノ娘の信用はないのカい?」

 

 

 しかし、彼らの考えを一笑したように大鬼が呟いた。

 それにウィスプが反論する。

 

 

「おばチゃんハ心配じゃネエの!? ずーっと待っテンのに帰ってこナいんダぞ!!」

「分かっていルよ! 私だって心配しているサ! でもアルメリアは一人デまタ町へ向かっタンだ。なラ娘を信じテ待つノが親の筋ってもンじゃなイのかい!?」

「おばさン……」

 

 

 もはや何が正しくて何がいけないのかが分からない。

 マリーが敵なのかどうかさえ、はっきりとしていない。

 

 とにかく早くアルメリアがこちらへ帰ってくればいいのだ。

 そう考えてじっと待っていても、あの太陽のような炎の赤毛さえ見えることはない。

 

「……夜になっテも戻らなかっタラ町へ乗り込むゾ」

 

 その言葉に誰もが頷く。

 アルメリアの母親でさえ、大鬼の大きな腕を振るって何が起きても武力行使してやると態度で示した。

 

 そんな時だった。

 

「っ―――――」

 

 

 がさがさと草をかき分けるような音がする。

 二人ほどだろうか。

 

 会話をしている誰かの声が聞こえる。

 

 条件反射で木の上かその蔭へ隠れていく。

 見つかったらすぐに気絶させることが出来るようにと、本能で身体を攻撃態勢へ整えていく。

 

 しかし、声の片方に聞き覚えがあり誰もが首を傾けた。

 

 森の奥から――――その草をかき分けて出てきた相手に、誰もが目を見開いた。

 

 

「何で君たちがこんなところに……そうか、アルメリアの件か」

「ルクレスさン! ……アれ、帝国に行ってたんじゃナかったノか!?」

 

 

 しかしいいところへ来た! そう誰もが笑顔を浮かべる。

 これでようやく町の中でどうなっているのかが知ることが出来る。アルメリアを連れ戻して帰ることが出来る。

 そう信じて、ウィスプのグレンが声をかけた。

 

 

 

「ルクレスさん。俺たちずっとアルメリアを―――」

 

 

 しかし、説明はうまくいかなかった。

 

 

「懐かしい気配を辿ってここまで来てみれば……ああ、彼らもそうですか……」

「えっ?」

 

「そうだよ。僕の信頼できる仲間であり、僕と同じ被害者だ」

 

 

 ルクレスの後ろに、金髪の女が立っていた。

 明らかに人間だ。しかしルクレスが反撃もせず会話をしている様子を見る限り、敵ではないのだろう。

 

 十代後半だろうか。シスターのような格好をしているが、教会関連の仕事に携わる人かもしれない。

 ただの平民とは違ってとても品のある立ち振る舞いを見せてくる。そしてモンスターである彼らを見て優しげに微笑んできた。

 

 マリーと同じくとても美しい容姿をした美人で若い女が、小さく礼をとって口を開く。

 

 

「初めまして、あたしはデルタ。最古の力を操る魔女です」

 

 

 

 

◼️

 

 

 

 ―――――――それは、ルクレスが帝国にいた頃まで遡る。

 

 

「ふむ。……君は帝国の勇者と同じく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 その言葉に、ただにっこりと微笑んだ。

 彼が何を言いたいのかを、ルクレスは理解していたのだから。

 

 

「何を今さら。私の禁忌はご存じのはずでしょう?」

「ああそうだ。だから恐ろしいんだよ私は……()()()()()()()()。その身に宿した呪いは己の意思を鈍らせ暴走させる」

 

 

 己が暴走し、帝国を乗っとるつもりかと聞いているのだろう。

 男はルクレスを睨んでいた。その心の内側が覗きこめるかどうか試しているようにも見えた。

 

 ルクレスにとっての守るべき大切なもの(かぞく)がいない今、彼を止めるものなど何もない。むしろそれが原因で暴走しているようにも見える。

 禁忌を背負っている彼は、その膨らんだ衝動のまま禁忌の力を用いて国を乗っ取っていてもおかしくはない。そうルクレスを危険視している目だ。

 

 しかしルクレスは臆しない。

 この男に屈しているようでは、先へ進めないと分かっている。

 

 

「あなたは本当にあのままで良いと思っているのですか? 僕たちだけの被害で済むと、本気で思っているのですか?」

「っ……」

 

 彼は何も言い返せなかった。

 ルクレスが暴走しているかどうかよりも、帝国側の問題の方が大きいのが事実だからだ。

 上はもう国を滅ぼす歯車となっている。

 今はまだ内乱が起きないように男が奔放しているような状況だが、最悪の事態は止まらない。

 実験を知らない民たちは金を奪われ、住処をなくしている者も多い。

 

 帝国は、強いものが生き残るように仕組まれた国家の飼い犬。

 国家に良いように搾取され、その代わりに不戦協定を結んだ支配された国。

 

 ルクレスは全てを覆さなくてはならないと考えていた。

 

「僕はまだ理性がある。忠告する優しさだってある。恨みは深いが、無差別に潰そうとは思っていない。貴方のこともですよ。……でも、このままじゃ最悪の事態になる。このままだと僕以上のモンスターが現れて惨殺し尽くす可能性だってあるんだよ」

 

 あの国を許してはならない。

 あのような実験を平気でする人間たちを許すつもりはない。

 

 ドラゴンが手放した宝玉をあのままにしてはいけない。

 

 

「分かっているのですか。国家はもう―――――超えてはいけない一線を超えてしまっているのですよ」

 

 

 命を弄ぶ行為をした時点で彼らはルクレス達の敵となった。

 しかし、まだ実験は続いていると見ていい。国家がどこと戦争しているのかの情報を得た時点でルクレスは己の考えが当たっているように思えた。

 

「僕達は止まるつもりはない。今回の話だって、あなたに借りを返すために忠告をしたまでだ。……あなたの声がなくとも、国を支配する用意はできている」

「なんだと!?」

 

 

「僕の禁忌はあと一年で終わりを迎える。……だからもう時間がないのですよ」

 

 

 ちゃぽんと、ルクレスの内側でスライムが動揺したように動いた気配を感じ取った。

 それと同様に、男の方も肩を揺らして大きな反応を見せた。

 

「負け戦をするつもりはない。あなたがどちらに味方をしていても、僕たちは止まりませんよ。でも、どちらが賢い選択なのかは分かっているでしょう?」

 

 

 呻く男の声がする。

 必死に思考を回しているのだろう。冷汗をかき手をせわしなく動かして視線を一定にとどめようとはしないが、結論はすぐに出るとルクレスは分かっていた。

 

 ルクレスは彼をじっと見つめる。

 

 長い時間の沈黙のあと。

 ゆっくりとだが、男は口を開いた。

 

 

「……君に紹介したい人がいる」

「ほう、それは一体誰ですか?」

 

「名はデルタ。宝玉の在り処を知り、国家にすべてを話したシスター。君たちにとっての最大の要因であり、殺さなくてはならない敵だ」

 

 

 男の言葉にルクレスは笑った。

 不気味なほどに、表情を歪ませて嘲笑ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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55話 水龍ノ国、入り口

 

 

 

 

 

 海を越える音がする。

 何かが俺の身体を通り過ぎていく気配がする。

 

 まるで生まれ直しているかのようだ。

 胎児になったかの気分で、水の中をこぽこぽ浮いている。

 

 ……なぜ?

 なんで生まれ直していると思ったんだ。

 

 俺はまた、死んだのか?

 

 ――――いや違う。生まれ直してなんかない。

 ああ、ようやく理解した。

 ここは海の中だ。塩水に満ちた中にいる。気がついたら全てが水で覆われている……!

 

「っ!」

 

 息がしたいのに水のせいで出来ない身体が苦しくなり、身体にしがみついている柔らかな腕に向かって何度も叩いていく。

 それに気がついたのだろう。

 

 慌てている反応のあと、一気に水のなかを上がり行く感覚。そして感じた、清々しい空気。

 

「―――――――ぶはっ!」

 

 呼吸気管に入り込む水に噎せて何度も咳を溢す。

 くそっ、鼻にも水が入って涙が出る。

 

 不意の水責めのような状況に咳をしているのは俺とマリーのみ。

 シスターは……あれ?

 

「おっと、ようやくご到着のようだぜ!」

「大丈夫かい御嬢さんがた」

 

 聞こえてきたのは複数の男たちの声。

 顔を見上げて、力強いおじさんがこちらへ手を伸ばしているのが見えた。

 しかしその手をマリーは乱暴に振り払い、俺をしっかりと抱き上げたまま男たちを睨みつける。

 

 マリーの濡れて身体に張り付いた身体に見惚れるような複数の目もあったが、それに臆するような彼女ではない。

 

「……けふっ……いいえ、いりませんわ。それよりも温かくて乾いた布を……お姉さまが風邪をひいてはたまりません」

「おや気が強いこって。おーいタオルもってこい!」

「おーう!」

 

「げほげほっ……なん、だここ……!?」

 

 一言で言うなら海底の楽園。

 空を見上げれば太陽はない。ただ海面から光が漏れ出てこの国中へ降り注いでいるように見えた。

 

 だが空は海面だけではない、薄い何かに覆われているように見えた。

 

 しかしいたるところに珊瑚礁が地面に生えていて、海藻たちがゆらゆらと揺れている。

 魚たちが泳いでいるのが分かる。

 しかし俺たちのいる一部分では空気があるようで、魚がピョンッと飛んで水から水へ飛び移る様子が見てとれた。

 

「……海底の楽園……水龍がいる、海の国?」

「いんや、ここは神の国だぜ」

 

 

 目の前にいたのは、栗色の髪をした若い男。しかしマリーより少しだけ年齢が下かもしれない。

 日に焼けた肌と、愛想の良い仔犬のような顔。

 目の色だけは海のような水色だった。

 

「ほんれ、ちゃんと乾かしておけよぉー」

「うわっ……ちょっ……」

 

 かぶせられた布で乱暴に頭をガシガシされるとちょっと痛い。

 首を何度か振って拒否をしても男は気づかず俺をふき続ける。

 

 だがすぐにマリーが男の手をひっ叩いた。

 

 

「ちょっと! お姉さまに乱暴は止めてくださるかしら!」

 

「おおっ!? わ、悪いな姉ちゃん。オデに悪気はねえんだ」

 

 

 少し訛ったような口調で男は言う。そして両手でひらひらと振って、周りにいる男たちに「例の子供が来たっていっでくんれー」と言っている。

 

 なんとなく周囲を見渡したが、全員普通の人間っぽい姿をしている。

 しかし、肩にあるあのくぼみ……いや、アレはなんだろうか……?

 

 

「ふんっ、まったく男というのは乱暴なんですから……お姉さま、わたくしが貴方の身体を拭いて差し上げますわね」

「い、いや自分でできる……」

「そういわず! さあわたくしに委ねてくださいまし!」

 

 

 目をキラキラとされるとちょっと弱い。

 まあ身体拭かれるだけだしなぁー。

 

 

「じゃあちょっと――――――」

 

 

「ふっざけんじゃねえぞゴラァァァァッ!!!!」

 

 

 地面を響かせるような大きな怒声が鳴り響いた。

 

「落ち着ぎやカイリ! 今前線に出でも俺たちに力は出ねえんだぁ!」

「分かってんだこん畜生めがぁぁぁっ! でもな! このまま仲間が死に絶える姿なんて見れるわげねえだろ! 俺は、前へ出る!!」

 

「カイリっ!」

 

 騒ぎの中心には深い青色の髪の毛を揺らす男がいた。

 何かあったのだろうか?

 カイリと呼ばれた男にしがみつく複数の男たちに負けず、じりじりとどこかへ向かおうとするその力強さと意思の強さに圧倒されそうになる。

 目は怒りに満ちていた。

 カイリを引き留める男たちを両手で吹き飛ばし彼らに怪我を負わせようとも止まらないように思えた。

 

 しかしその大騒ぎを起こしている男の怒気、その気配はまるで……。

 

「あんりゃー。まるでサメみでえだなー。近づかねえほうがいいよ姉ちゃんたち、それより中央に来てほしいんだけど良いがい?」

 

 いつの間にかまた近づいてきたのか、栗色の髪の男が俺たちに話しかけてくる。

 マリーが警戒しつつ男を見上げた。

 

「……中央って?」

「龍神様がいらっしゃる場所だぁー。神様がお嬢ちゃんを呼んでる」

 

「……はい?」

 

 

 

 なんだかまた面倒そうだな。

 俺は勇者に会いに来ただけなんだが……。

 

 

 

 

 ―――――というか、シスターは何処に行ったんだ?

 

 

 

 

 

 

 



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56話 水龍が守りし国の秘密

 

 

 

 

 

 

 

 戦争をしていると聞いていたが、なんだか拍子抜けだった。

 周囲の様子を見る限りあまりにも平和に感じるのだから。

 

「国家との戦争はどうなっているんだ?」

「ああ、こっちで警報が鳴ってないんでなぁ。こっちが有利だと思うどー」

「……こっちでって?」

 

「あんれ、知らねえの? この国は水で出来た縦に繋がる諸島なんだど」

「はぁ!? 諸島ってどういうことだよ!? いや待て、水で繋がったって意味もどういう……」

「そのままの意味だ。そういやぁ自己紹介がまだだったな。オデはダンカだど」

「それよりもちゃんと説明してくださるかしら。わたくしたちがいる場所は戦争真っ只中の場所。いつお姉さまが危険な目に遭ってしまうか見極めないといけませんから」

「おおどうだな!」

 

 栗色髪の男―――ダンカが話してくれたのはこの国についての簡単な話だった。

 歩きながら話す彼の言葉は現実では考えられないこと。

 

 

「国は水龍様の水で道が出来てんだぁ。陸に繋がる一番上に浜辺、その次に海の中に沈んだ深海、そんでそれより深い奥にある中央の水龍様がおる竜宮と島々があっでな、戦争しでるのは浜辺の方なんだぁ」

 

 縦に、それも水で繋がっている国。

 だからだろうか。周囲に警戒したような男たちが石レンガで囲われた噴水のような水の溜まり場にいるのは。

 普通なら有り得ないことだ。現実で考えるならば、ただの水の流れに身を任せて浜辺から深海へ一気に下りていくという行為は水圧で肺が潰れて死んでしまう。

 でもって俺たちが来た場所から深海へ行くことだって普通は不可能。そこまで息は続かないし、有り得ない。

 

 だから分かってしまう。ここは本当に神の国なんだろうということが。

 俺たちが来た入り口は本当に外部の水流からの入り口でしかなく、水で繋がった道は物理的に繋がっているのではなく魔法か何かでショートカットしてこちらへ行き来できるのだろうということが。

 空を見上げた先は海の中。水と空気があるこの大地の間にある透明な何かに覆われているのも、魔法の一つ。

 

「……だから空を見上げても太陽が見えず海面のようなものしかないのか」

「そうだど。ここは深海。二つ目の場所だかんなぁ」

「水で繋がっているというのも……おそらくわたくしたちが通ったあれと同じものってことでしょうね」

「そうだど! 通り道だから濡れるのはしょっちゅうなんでなぁ。水に強い服でも着てねえど風邪ひいちまうだよ」

 

 ああだから男どもはほぼ半裸。女は水着っぽい服装で歩いているのか。

 商店街のような道を通りつつ、俺たちを珍しげに見つめているのも若干乾ききっていない服が水着っぽいものじゃないからか。

 子供たちでさえ名前が書かれていないあのスクール水着のような物を着て珊瑚のような何かを手にとって駆けていく姿が見える。

 歩いている道の間には川がいたるところで流れており、そこに魚たちが優雅に泳ぎながら進んでいくのが見える。

 

 国のはしっこは、空気と水の間にある透明な壁なんだろう。きっと。

 

 

「ほれ! ここからダイブして奥へいけば神様にあえるど!」

「へっ?」

 

 不意にダンカが指で示した場所は男たちが警戒していない透明で青色のガラスに覆われた綺麗な噴水っぽい水の広場。

 その水に飛び込めとマリーの背中を押してくる。

 

「ちょっと背中を押すのをやめてくださるかしら!?」

「いや待てよまだ心の準備が!!」

「無理に押さなくてもわたくしたちで行きますわ!」

 

 

「ほれ、じゃあいっで来い!」

 

 ダンカあの野郎! 俺たちの話も聞かずに飛び込めと言うか、無理やり背中を押して飛び込ませやがった!

 ぶくぶくと大きな流れがある水に沈み込み、流れに身を任せてぎゅっと目を瞑り耐える。

 マリーが俺の身体を強く抱きしめるのが分かる。

 

 でも、あの時とは違って――――すぐに浮き上がることが出来た。

 

 

「ぶはっ! ダンカの野郎あとで覚えてやがれ!」

「ええもちろんですわお姉さま! 平手打ちだけでは済ませませんわよ!」

 

「あらあら、うふふふふふっ! 来るなり言う言葉はそれなのね、赤毛ちゃんたち」

 

 

 聞こえてきた声に思考が停止した。

 マリーでさえ驚愕に目を見開き、口元が震えている。

 水から出て見上げた先にいたのは、羽衣を巻き付け、豪華な和装を身にまとい小さな蛇を首に巻きつけた女性。

 

 俺たちを神国へ導いたあのシスターが、竜宮の乙姫っぽい格好をして優雅に微笑んでいるのだ。

 

 

 

「改めて初めましてかしら。―――――私はデルタ。この神の国の女王よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそがっ!!!!」

 

 

 カイリは酷く荒れていた。

 まだ己の力は戦争の前線へ赴くほどのものではないと連中が言った言葉に荒れていたのだ。

 

 前線での状況は聞いている。

 勇者のせいで仲間たちが死んでいったことを。

 すべての死体が水龍様によって海の底へ供養されていったことを。

 

 

「くそっ! 何で俺は! 出れねえんだよ!」

 

 

 道端にあるバケツを蹴って怒りを発散させる。

 俺ならばうまく勇者を殺せる。俺が暴れてこの命を派手に使ってみせる!

 

 そう息巻くカイリの戦意を否定したのは、前線へ行くことを否定した水龍様のせいだった。

 

 己の力のなさに悔しいと彼は歯ぎしりをする。

 水龍様が何を考えているのか分からないと彼は己の感情を必死に受け流そうとする。

 

 でも怒りは収まらない。

 仲間が死んで行っているのに何もできない己が憎い。

 

 

「深海まで来たら……絶対に噛み殺してやる……」

 

 

 背中がうずく。

 歯が尖る。

 首筋にある(えら)部分から熱を感じる。

 

 勇者への憎しみ。そしてこれからこの深海にまで来るかもしれない国家の連中を絶対に殺してやるという意思を持って空を見上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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57話 水龍様の乙姫様

 

 

 

 

 

 

 

 神国に行く前に見たあの壁画の空間とは異なる神秘に満ち溢れていそうな場所。

 所々に水の入った球が浮き上がっており、その中に魚がいて、心地よさそうに泳いでいる。その球の一つ一つが光りによってキラキラと煌めいていた。

 50人は雑魚寝していても余裕で入りそうな大きな部屋。

 中央に置かれた噴水に似た泉から俺たちは出てきたんだろう。

 

 泳いでいけばあの水の球は共に移動することが出来るようだ。イルカの一匹が水の球に入ったまま移動し、シスター……いや、あの女王の周りをくるりと回ってからどこかへ向かうのが見えた。

 

 俺たちと女王が対面する距離は、数十メートルは離れていたように感じた。

 しかし彼女がどのような格好をしているのかは分かる。武器を持っていないということも、俺たちを見定めるような目で蛇がシューシューと鳴いているのが見える。

 

 だが何故、デルタと名乗った女王の首筋には綺麗で小さな蛇がいるんだろうか。ペットか何かか?

 蛇の種類は分からないが、海そのものの蒼い宝石のような綺麗な鱗が特徴で、その瞳はまるで月の光のように黄色く輝いているように見えた。

 

 

「女王……って、龍神様じゃねえの?」

「うふふ、その質問には半分だけそうよと頷いてあげるわね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 どういう、ことだ?

 龍神は別にいて、代理でやっているとかそういうこと……じゃねえよな。

 でも半分はあっているということは、誰か別にちゃんとした龍神様がいるかもしれない。

 

「マリー、ちょっとおろしてくれ」

「ですがお姉さま」

「大丈夫だから。俺はこの部屋にいるからさ」

「……はい」

 

 マリーが渋々と言うようにこの国に来る前からずっと抱きしめていた俺を降ろした。

 ようやく自由になれた体で、一歩二歩とデルタの元へ向かう。

 

 それと同時に、俺を守るようにか隣に移動したマリーも共に歩き出す。

 

「……シスターと名乗っておりましたわよね? アレは嘘なのかしら?」

「いいえ嘘じゃないわ。でもまあ……嘘でもあるわね」

 

 デルタが蛇の頭を優しく撫でる。蛇が気持ちよさそうに目を閉じているのが見える。

 そうしている間にも俺たちとデルタとの距離は縮まった。もう手を伸ばせばデルタに触れることが出来る程度二は近くにいる。

 攻撃をしてもとっさには防御できない程度の位置にいる。

 

 それでもデルタは笑って、俺たちを見つめてきたのだ。

 

「神国の女王が、よその国にある町のシスターになって何をしていたんだ?」

「前にも言ったでしょう? 誰が敵で誰が被害者かを見極めるためにシスターをしていた。わざわざ長期で国を開けて……例え私がいない神国が戦争で負けたとしても、国家の内部に一度でも入る必要があった。

 彼らが何を奪い取ってしまったのかを、国家で何をやっているのかを私が直接知らなくてはならなかったから」

 

 

「……何でそんな面倒なことを?」

 

 

 マリーは笑う。

 母親かと思えるような偽りのない優しさを浮かべて、俺を見つめてきた。

 そうして、まるで頭の悪い子供にちゃんと理解できるように説明しているかと思える口調になりながらも言う。

 

 

「世界が大きく変わろうとしているのよ。たった一つの……ドラゴンが守っていたはずの宝玉によってね」

「はぁ?」

 

 

 それは、予想外の言葉だった。

 いやでも、何故だか知っているような気がする。

 

 デルタの言っていることが真実だとしたら俺たちの知らないところで事が大きく動いているような気がした。

 俺はただ普通に勇者をぶん殴りに来ただけなのに。ルクレスさん達と一緒に、人に戻れる道を探って……そして、平和に生きたいだけなのに。

 

 マリーは驚いたような顔を見せたが、それ以上は何も言わなかった。

 

 

「……なあ、あんなもので……人を化け物にするような宝玉で、世界が大きく変わると言いたいのか?」

「ええそうよ」

「っ……なんだよそれ!? あんなものを使ったらどうなるのか、国家は分かっていてやっているのかよ!?」

「さあ、それは違うんじゃないかしら」

「はっ?」

 

 それが当然だというかのように、デルタは口にする。

 

「私は国家の中でシスターとして行動してきた。でもそれだけではなく他の職業も得て、様々な人と接触してきたわ。貴族や王族に近しい者にもよ。まあこれぐらいやるのは当然でしょう?」

「いやそれ当然とかのレベルじゃねえよ。普通に凄いことだと思うんだが……」

 

「それでようやく分かったことがあるわ。

 国家はあれをつかった生体実験を繰り返している。でも何も知らずに実験を繰り返しているせいで世界に大きな影響を与えていると分かっていないのが現状よ」

 

 ―――――それは、とても衝撃的な言葉だった。

 何か当然だと思えていたことが違うと否定されたような。黒色のカラスは全て真っ白の色なんだと言われたように感じた。

 

 

「な、んだそれ……」

「敵は他にもいるってことなのよ、赤毛ちゃん」

 

 どういうことだ。

 この女は何を知っているんだ?

 

 国家が敵なのは確実。だがそれ以外は……?

 

 

「何故数千年にもわたって誰もが何も知らずにいたのに、急に伝説だと言われてきたドラゴンを簡単に見つけて、その宝玉を呆気なく奪ったのは誰なのか。誰が何故宝玉を使って人をモンスターにする実験を始めたのか……当然、そこにはちゃんとした意図がある」

「……世界を大きく変えようとする敵がいる?」

 

「ええそうよ、それも人の単純な好奇心を利用してね。まるで悪魔のような所業だわ」

 

 

 今までされてきたことを思い出したのだろうか、彼女の言葉にマリーが口を噛みしめ顔を俯かせてきた。

 デルタでさえ、あの塵屑と称した領主を見下したような目をしてどこか遠くを睨みつけている。

 

 だがすぐに表情を変えて、俺を見てまた優しく微笑んできた。

 

 

「私がこの場所にいない間に、子供たちは龍神様とこの神国を守り守られて戦争を耐え抜いてきた」

「子供たち?」

「ええそうよ。この国にいる住民。そしてシスターになって保護し、神国に移動した子供たち。全員が私にとっての子供よ」

 

 

 シスターとしてやっていた時間は嘘じゃなかったんだろう。

 

 子供たちといった言葉の端から感じる優しさに何も言えずにデルタを見上げる。

 彼女の目は覚悟に満ち溢れているように思えた。

 

 

「私はここへ帰ってきた。やらなけらばならないことが見つかった。それで、もう争いは終わりにしようと思うの。赤毛ちゃんにも手伝ってほしい。――――だからここへ連れてきたのよ」

 

 

 そう言った瞬間だった。

 

 不意に蛇がデルタの首筋から腕へ移動し、俺の目の前へ近づいてくる。

 それにマリーが少し警戒したようだったが、蛇は近づくだけで何もしてこない。

 デルタでさえ蛇のやりたいようにやらせている。

 

 そして、至近距離で蛇に見つめられていてようやく分かった。

 この蛇の瞳には、月の色だけではなく海の色も混じっているみたいだということに。

 

 

「シュー……シュー……」

 

 

「……んん?」

 

 

 何故だろうか。蛇を見ていると妙に苛立ちが込み上げる。

 なんかこう、蛇がこっちを見つめているだけなのに馬鹿にされたような気分がする。

 

 思わず蛇の顔面をぶん殴ってやりたくなるような衝動が―――――。

 

 

「ねえ赤毛ちゃん。彼を見ていて何か感じることはない?」

「えっ、と……なんかちょっとイラッとするけど……」

 

「それだけ? まだ分からないの?」

「えっ?」

 

 

 言われた言葉を再度問いかけようと、口を開いた瞬間だった。

 

 

 ――――――カンカンカン、と鳴り響く鐘のような大きな音。

 身体の奥底が響くような音が部屋中から鳴り響いている。

 

 

「なんだよ急に!?」

「お姉さまわたくしから離れないで!!」

 

 

 マリーに抱き上げられた衝撃で頭が揺れる。

 しかし鐘の音以外はなにも変わらない。急に攻撃されることはないし、何かが来たわけでもない。

 ただの鐘の音が鳴り響いているだけだが……それにしては何か嫌な予感がした。

 

 

 「警報音……深海からかしら……」

 

 

 デルタは空を見上げてただ鬱陶しそうに何かを睨み上げていた。

 蛇が俺からデルタの方へ戻っていく。シューシューと何か鳴いていて、それにデルタが頷いたように見えた。

 

 

「―――――本当に、鬱陶しい」

 

 

 デルタの瞳が、月色に光り輝いたように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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58話 深海の襲撃者

 

 

 

 

 

 

 

 鐘の音は、水を通して浜辺から深海へ通り響き渡る。

 警戒の音。誰かがこの深海へ不許可で入ってきたという合図。

 

 浜辺の方はどうなったんだ。

 誰が、どこから侵入して来た?

 

 カイリは走る。己の鼓動が激しく打つのを構わずに、ただがむしゃらに走り続ける。

 

「くそっ……」

 

 カイリに聞こえてくる音は、いつもとは異なる嫌なもの。

 日常で聞こえてきていた子供たちの声。男どもの豪快な笑い声。そして女性たちの軽やかな会話は何もない。

 

 この日のために鍛え上げてきた三叉槍を手に、町の中心地を駆けていく。

 

「警戒態勢だべ! 武器持って前へ出んぞ!」

「女子供ば家ん中か奥へ逃げろ! 戦える男どもは前へ出んぞ!」

「第三の鐘が鳴ったら避難だで! いーがっ! 絶対に家から外へ出んじゃないぞ!」

 

 

 男どもの声が聞こえてくる。

 何処からか悲鳴も、何かが飛ばされていく嫌な音も不協和音のように響いてくる。

 

 とっさに屋根の上に飛び乗って、カイリは目を閉じて騒ぎの中心地を知ろうと努力した。

 

 カイリは耳が良い。

 ざわめく音を全て聞き通してどこに何が起きているのかを察知する能力に長けていた。

 

 だからすぐさま理解できた。

 

 血に濡れたような悲鳴は深海町の中央から鳴り響いているということに。

 中央から、国家の連中が侵入してきているということに。

 屋根の上から見えた国家の残虐な行いに、カイリは目を細め唇を噛んだ。

 

 己がいる場所からはかなり遠いが、銀の鎧を身にまとった国家の兵士が武器を持っていない男の胸に剣を突き立てたのが見えたからだ。

 たった今殺された男をカイリは知っている。気の良い男で、魚たちに優しくてみんなのムードメーカーだった友人の一人だ。

 

 それだけではない。

 ただ残虐しに来たわけじゃないことを、カイリは己の目でもって理解し始めた。

 怒りが歯を鋭く尖らせた。熱くたぎる衝動が、殺意でもって喉元まで込み上げさせてきた。

 

「あいつら……ふざけやがって……!!!」

 

 あいつらは戦争をしに来たわけじゃない。

 これは侵略。ただこちらに負けを認めさせるわけではなく、この国の全てを奪いつくし刈り取るつもりなんだろうと、理解できてしまったからだ。

 

 家に火をつける。

 中にいた女子供が外へ逃げ出し、国家の連中に捕まっていく。

 

 殺すつもりはないらしい。

 ―――――じゃあ、何のために捕まえてんだ?

 

「あいつらぁっ!!」

 

 握りしめた拳から血が滴り落ちていく。

 ギリギリと歯ぎしりをして、怒りを募らせる。

 

 許せない。許してはならない。

 あいつらは外道だ! アレは人間の行いじゃない!!

 

 最初からもっと奥へ避難していたら良かった。

 彼らは残虐な化け物だ!

 鐘の音が鳴った時点で、弱い者は全員奥へ連れて行くようにすればよかったんだ!

 

 怒号や罵声が響き渡る。

 この状況だとだともう浜辺の方は全滅してしまっているかもしれない。

 龍神様は、あの方は一体何をしているんだろうか……?

 

 ふと、カイリは見えた。見えてしまった。

 

「っ!」

 

 剣を持った男の冷めたような吐息。

 誰かが死んでいく音。肉を切り裂かれて地面へ崩れ落ちていく嫌なもの。

 

 その先にいる、あの忌々しい国家の犬。

 己が浜辺から深海へ無理やり逃がされた際に見つけた、血を纏った男を――――。

 

 

「ふざけんじゃねえぞ、勇者ごときがぁぁぁっっ!!!!」

 

 

 屋根の瓦を数枚壊す勢いで走りだす。

 目指す先は戦いの中央。

 憎しみの衝動のままに、仲間を殺しつくそうとするあの残虐な殺人鬼に向けて、その首元へ噛みつかんとばかりに。

 

 

「邪魔だぁ!!」

 

 走る足が、邪魔だ!

 この距離が邪魔だ。早く行くために動く空気が邪魔だ!

 

 水に乗った方が早い。

 流れはそちらのほうが早い!

 

「はっ!」

 

 道の間に流れている川に向かって飛び込んだ。

 水はカイリにとっての手足も同じだ。

 息継ぎなんてする必要もないぐらい、勢いよく泳ぎ中央へ。

 

 勇者の背後へと、飛び出す。

 

「カイリ!?」

「あん馬鹿がっ!!」

 

 

 仲間たちの声なんて、もう耳に届かない。

 カイリが目指すべき場所は、憎しみの先にある場所は勇者なのだから。

 

 

「殺してやるっっ!!!!」

 

 

 勇者の振り下ろされた剣は仲間へと振り下ろされていた。

 無防備な背中。反射的にこちらを横目で見ているのは分かったが、人間の条件反射ごときでは避けきることはできないだろう。

 

 その首元へ鋭く尖る牙を落とす。

 噛みついて、その首を取らんばかりに深く―――――。

 

 

「あっ?」

 

 

 カイリは気づいた。

 己の噛みついた首なんてないということに。

 

 

 いつの間にか噛みつこうとしていた首はなく、目の前にあるのは伸ばされた奴の手であるということに気づいた。

 

「ぐっ……」

 

 

 喉を掴まれそのまま持ち上げられる。

 何か能力でも使っているのか、奴の握力は通常の人よりも強く、カイリの身体が持ち上がってしまうほどだった。

 

 

「ぜってぇ……殺してやる……!」

 

 

 鋭く睨みつけた先、冷めた勇者の瞳が笑みを形作る。

 

 

 

「ああ、良い狂気だ。お前は狂人だな」

「っ!?」

 

 勇者の言葉に何かが込められていたのだろうか。

 カイリの身体が急に冷めていくのを感じた。まるで熱い風呂から海底の海の底へ移動したように、殺意を込めていた熱い感情が消えていく。

 

 息が出来ない。

 身体が動かない。

 何も出来る気力さえない。

 

 どくんと、何かが心臓に釘を打つような衝撃がカイリの魂の奥底で響く。

 

 

【■■――――――ッ!】

 

 

 何かが刻まれていくのを感じる。

 勇者の言葉がカイリの魂を蝕もうとする。

 

 

 

「そこまでにしなさい」

 

 

 不意に、カイリの身体が自由になった。

 喉を押さえていた勇者が離れ、その傍に立っていたのは……。

 

 

「りゅ、龍神様……?」

 

 

 懐かしくも久しぶりに見た、龍神様のお姿。

 

 麗しいその姿は、カイリにとっては子供の頃以来だった。

 数十年もたっているのに何故その姿は変わらないんだろうかという疑問はわき起こらない。

 

 ただあるのは、守らねばならない王が前線に立っているということ。

 勇者の前に、龍神様が対峙しているということ。

 

 

「眠りなさい、我が愛しい子供たち。大丈夫、安心しておやすみ……」

 

 

(あっ……)

 

 

 動かなければならないのに。守らねばならないお人がそこにいるのに。

 カイリの身体は動かない。周囲の人たちでさえ、バタバタと倒れていくのが見える。

 

 混濁した意識の中で聞こえてきたのは、そこまでだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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59話 多重の彼ら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛しい子供たちがバタバタと倒れていく。

 力が抜けて倒れた女子供を運ぼうとする兵士どもを全員水流に押し流して倒していく。

 

 子供たちは私が守る。

 私たちが守るわ。

 

 国家は許してはならないものだから。

 国家を自由にしてはならないのだから。

 

 目の前の勇者を見ていて思う。

 あの赤毛ちゃんはまだマシな方だと分かってしまう。

 

 

「久しぶりと言った方が良いかしら? それとも初めまして?」

「……別に、君とは初めてだろう」

 

「あら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 勇者がこちらを見て鼻で笑う。

 もうどちらが本物なのか分からなくなっているぐらい、混ざり合っているのが伝わった。

 

 

「あなたまた私の愛しい子供に手を出しやがったわね」

「……ああ、その餓鬼のことか。気にするな、味見だ」

「殺す」

 

「ハッ、今までと同じで良い殺意しているな」

 

 

 勇者と敵であるはずの私が会話をしている光景に兵士たちが困惑する。

 

 しかし、私が誰なのか分かったのだろう。

 勇者ではなく、国家の兵士達が取り囲み剣を構えてくる。

 

 私の国民を、女性や子供を国家の餌にする気なんだろう。

 実験の糧にする気なんだろうか。

 

 私も女だが、住民たちを眠らせた魔法を見たせいか、兵士たちは警戒気味に攻撃態勢を整えてくる。

 

 

「神国の女王よ! 大人しくしていれば危害は―――――ぐあぁっ!?」

「な、なにを……ぐはっ!」

 

 

 不意に、周りを取り囲む兵士たちを、勇者が切り捨てた。

 それにうろたえるのは兵士たちだ。

 

 まあ当たり前よね。最大の戦力であり味方だと思っていた勇者が牙をむいてきたのだから。

 

 

「ゆ、勇者様?」

「うるさい邪魔だ!」

 

 私を放置して切り倒していく。

 兵士たちの阿鼻叫喚が聞こえる。

 

 殺しているわけではないみたいだが、ほぼ重症なのは確かだろう。

 

 

「ようやくだ。ようやくここまで来れた」

「……ああ、あなた」

 

 

 

 

 そう、混ざったわけではないのね。

 もう勇者としての自我がほとんどなくなってしまったのね。

 

 首元でシューシューと音が聞こえる。

 

『ッ―――――』

 

 

 何かが私にささやく。その言葉に私はしっかりと頷いた。

 

 やがて、私の首筋でずっと一緒にいた■■■様が消えていく。

 私の中へ溶け込む。

 

 でも私は私だ。自我はある。

 ちゃんと何が起きているのか記憶はしている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ゆっくりと目を開けて、私の意思とは関係なくその言葉を紡いだ。

 

 

 

 

「久しぶりじゃのう、――――」

 

 

 

 勇者ではなく、奴の名を。

 

 

 

 

 

 

 

 これは、何といえばいいのだろうか。

 戦争だと聞いていたが、周りに倒れているのは国家の兵士と神国の男たち。

 そして縄に縛られて倒れている女子供でさえ、眠った状態で地面に倒れている。

 

 起き上がっているのは俺とマリー。

 そして、勇者とデルタのみの状況だった。

 

「な、なにが……」

「分かりませんわ……でも、壁が崩壊し、家が壊れている様子を見る限りかなり激しい戦いになっていたかと思います」

 

 

 マリーの考察通り、おそらく勇者とデルタは戦っていたのだろう。

 だが本当に、何が起きたのだろうか。

 俺たちが来たあの泉から飛び込んだデルタを追ってきてみたらこんな状況になっていた。

 兵士たちの激しい傷を見る限り、爆風などで吹き飛ばされ気絶された可能性が残っているだろう。

 だが、神国の人たちは皆それほど傷はない。二人の戦いに巻き込まれたような傷にもなっていないし、まるで自然と眠ったかのように穏やかな顔で息をして倒れている。

 

 二人は静かに立ったまま、何も言わずに対峙している。

 俺たちが来た瞬間からずっとこのまま動かない。

 

 というか、()()()()()()()()()()()()()()

 いつの間にかいなくなっているが……避難でもしたのか?

 

 

「あの二人、何やっているんだ?」

「緊張状態に入っているのでしょう……二人とも警戒し、それぞれ体勢を整えてすぐ戦いに反応できるようにしておりますわ」

「あーなるほどな……ってか、あれが勇者か」

 

 足元から顔まで、鎧で全身を覆い尽くしてはいるが、周りで倒れている連中とは格が違うのを感じる。

 言いたいことはたくさんあるが、今の状況に入っても大丈夫だろうか?

 

 

「……ふんっ」

 

 

 不意に、勇者が顔の鎧を脱ぎ去った。

 そのせいでどのような顔をしているのかが分かる。

 

 何故かこちらをじっと見つめてくる。

 

 それに少し臆していたら――――勇者がこちらを見て鼻で笑ってきた。

 何故だろうか。赤い瞳と黒い髪の毛に物凄く違和感を感じる。

 こいつの髪の毛はもっと明るい色で、光り輝いているような感じじゃなかったのだろうか?

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――――いや、待て。何故そう思ったんだ。何でそう感じたんだ?

 誰だよあの女って。初対面だから全て想像しかないだろうが。

 

 なんでそう思ったんだ?

 何故、そう断言できるような確信があったんだ?

 

 

「はははっ!」

 

 

 困惑している俺を見て、心の奥底でも覗き込んでいるかのように、急に嘲笑ってくる。

 俺を格下とみて判断してくるその笑みが、何故か苛立つ。

 

 

「お姉さま?」

「マリーは下がってろ。こいつに何かされたらやばいからな」

「ハッ、なるほど。貴様は前に(われ)が与えた禁忌の一人か。それと……ああ、また会えるとは思えなかったが、やはりぽんこつだな。()()()()()()()()()

 

「……はぁっ?」

 

 

 嘲笑うこの男が憎い。

 なんだかこう、イラッと来るような……。

 何だよこいつ。初めて会ったのに、また会えるとはとか言いやがって……。

 

 

「貴様がそのままでいるのなら(われ)がソレを食い散らかすぞ。()いな?」

 

 

 何故だろうか。勇者の声は低音の男そのものだというのに、言葉を紡ぐたびに女の声が聞こえる。

 男と女の声が、多重に聞こえてくる。

 

 

「――――■■■よ、ソレを喰い散らかしてもいいと、言うのだな?」

 

 

 何を言っているんだ、こいつは?

 

 

 

 

 

 

 









煽るように囁く言葉は、アルメリアには届かない。



届いたのは―――――――







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60話 走馬灯の先に見た




誰か一人が世界を動かしているわけではない。
アルメリアという名の一人の人間だけが世界の中心というわけではない。


生きている者の誰かが何かの物語を生きている。



それが、人々の忘れた大昔だとしても―――――。








 

 

 

 

 

 

 

 何を言ってるのかは分からないが、身体がうまく反応しないのは理解できた。

 奴が魔法をかけてきたのだろうか。

 

 いや、そうだったらもっと身体に違和感が感じられるはずだろう。

 ずっとずっと言われてきたことだ。

 

 ――――俺の中に何かがいるというのは。

 

 俺の中に何か……いや、もう知っている。

 あの野郎が、あの偉そうにしているあいつが、俺の中にいる。

 

 

 そいつが、勇者の言葉に反応している。

 ああようやく分かった。鈍い俺でも理解できる。俺の中に何がいるのかが。

 

 

「っ――――」

 

 

 不意に、勇者が剣を持ちこちらへ投げつけてきた。

 投擲のコントロールは素晴らしく、俺の頭にぶち当たるのではないかと思えるほど勢いよく突き刺さろうとして来る。

 

 それに反応したのはマリーだった。

 

「お姉さまに手出しはさせませんわよ! わたくしは、お姉さまのためにすべてを捧げると決めておりますから!」

 

「マリー……っ!」

 

 

 マリーが投げつけられた剣を吹き飛ばし、俺より前へ出ていく。

 それを勇者は一瞥する。

 

 それは、勇者と呼ばれるにはあまりにも凶悪な瞳をしていた。

 塵を見ているかのような嘲笑を浮かべて、マリーを見たのだ。

 

 

「ふんっ……邪魔だな」

「ぐっ!!?」

 

 

 あっけなく、マリーの身体が崩れていく。

 

 

「あっ――――」

 

 

 勇者が片手で何かを掴むような仕草をしてきたと思ったら、マリーが急に首を押さえて苦しみだしたのだ。

 勇者がより強く片手を握り締めれば、マリーはさらに苦しみだしていく。

 

 彼女の元へ駆けよれば、首が青黒く染まっているのが見えた。

 

「おい止めろ! 止めろよ!!」

 

「ははっ、ただの小娘がどう我を止めてみせるというのだ?」

 

「てめえっ――――――!!!」

 

 

 駆け寄ろうとする俺の腕を、誰かが止める。

 

 

 

「止めぬか下郎が」

 

 

 デルタが勇者に向かって指を鳴らした。

 それだけで、国の周囲にあった海の水が勇者に向かって流れ込んでいく。

 

 しかし勇者は悲鳴などは上げない。

 何も声を出さずにただ笑っているだけ。

 

 マリーでさえ、ただうずくまっているだけ。

 

 

「マリー。しっかりしろ、マリー!」

 

 

 デルタがマリーの首を触る。

 しかしそれに眉をひそめるだけで、治療はしない。

 

 いや、できないんだろう。

 

 

「禁忌じゃな。それも奴と繋がっている……ああ、あれか……」

「デルタ、あれってなんだ。勇者になにをやられたんだ? マリーが……俺を助けたから……」

 

「アルメリア、お主のせいではないわ。じゃがこれは禁忌を蝕むもの。あれについては……いや、それよりもこのままではいかんな……あのクソアマの力が弱まるか。この子が死ぬのが早まるか……」

 

「うっ……でも……おれが……」

 

「お主ではない、あやつのせいじゃ」

 

 

 デルタは……いや違う、デルタの中にいる誰かが俺が悪いんじゃないと慰めてくる。

 でもこれは明らかに俺が―――――。

 

 不意に、どこかへ投げ飛ばされた剣が勇者の元まで戻っていく。

 海水をぶった切る音が聞こえる。

 

 このままではいけない。

 でも、俺は何をしたらいい?

 

 俺は、何ができるんだ?

 

 

「アルメリア。お主はこの国から去った方が―――――」

 

 

「――――――あああああああああっ! 何で俺は、こう馬鹿なんだよ!!」

 

 

 くそっ! くそっ!!

 勢いよく首を左右に振って頬をぶっ叩く。

 

 俺の豹変にデルタの中の人が驚いたように目を丸くしたが、そんなの気にする暇はない。

 

 何やってんだよ俺。ぼーっとしてんじゃねえよ俺っ!!

 いつもならもっと早く判断できるはずだろうが!

 

 何でここに来た。

 俺はここで勇者に殺されるために来たわけじゃねえだろうが!!

 

 マリーのために、ここに来たんだろ!!

 勇者にいろいろと言わなくてはいけないことがある筈だろうが!!

 

 

「ありがとうな、マリー」

 

 

 マリーは禁忌に縛られていてもここへ来た。その意味をちゃんと受け止めなくてはならない。

 勇者がいると分かっていたこの国に、俺と共に来てくれた気持ちを分かってやらなければならない。

 

 俺を絶対に守るという意思をみせてくれた女の子の想いを、ちゃんとわかってやらなくてはならない。

 ああそうだ。それに応えるのが男だろうが!

 

 今は幼女でも、中身は男だ!!

 

 俺にできることを、最大限まで利用してやれ!!!

 

 

「これで終わりか?」

 

「ふざけたことを言うものじゃな……」

 

 

 

 濡れた鎧を身に着けたまま、勇者が近づく。

 地面に倒れる人なんて関係ないとでも言うかのように、幾人もを踏み超えてくる。

 

 マリーを狙って……ではない、俺かデルタを狙ってだろう。

 

 ……いや、違うな。

 俺の中にいる奴か、デルタの中にいる誰かを狙っているのかもしれないな。

 

 

「なあ、勇者。お前が言いたいことはなんなのか分からねえけど……とりあえず、お前をぶん殴りたい。マリーを禁忌で縛り付けたお前をぶん殴ってやりたい! だからまず先に、聞きたいことがある」

 

 

 ぶん殴る相手を間違いたくはない。

 

 だからこいつは―――――――。

 

 

勇者(おまえ)は、どっちだ」

 

「……ほう?」

 

 

 目の前にいる勇者が、黒髪を乱した女に見えた。

 何故だろうか。

 

 金髪で見目麗しい女性なはずのデルタが、蒼色の短髪な髭を生やした男に見えた。

 

 何故?

 

 俺の中で、あいつは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 でもまあいい。どうせ俺の声が聞こえているんだろう。

 

 俺たちの様子を見ているんだろう?

 

 

「どうせ俺は弱いよ。何もできない弱くて周りにトラブルを起こらせるような馬鹿な子供だ。もっとやり方はあったはずなのに、みんなに迷惑かけてばかりで……」

 

 

 どうせ俺にはなんの力もない。

 ああそうさ。俺はいろんな人の助けを借りないと生きることは難しい。

 

 だから分かる。

 

 どうせここに俺がいたって仕方ないのだから……。

 

 

 

「なあ。さっさと俺を、喰らっちまえよ」

 

 

 俺なんていらない。

 俺がいるから、マリーは死にかけた。

 

 俺がいなくても世界はちゃんといつも通り過ごせるから。

 

 

「俺なんていなくてもいい。どうせ前世で死ぬはずだった命なんだ。なら喰われてもいい。それで誰かの命が救われるなら―――――」

 

 

 この厳しい世界で生き残るのは難しい。

 どこかで死んでいたかもしれない。

 

 命に理由が付くのなら。何かに価値が宿るというのなら。

 

 なら喰らわせてやるよ。

 俺がいても仕方ないから、必要な奴を呼んでやるよ。

 

 

 

『「ハッ――――」』

 

 

 

 ああ、笑ったのは誰だ。

 

 

「お姉さま―――――――ッッ!!!?」

 

 

 横に倒れて苦しそうにしながらも、手を伸ばしたマリーの姿が見えた。

 

 

 視界が明滅する。

 

 これは、喰われかける前に見えた走馬灯だろうか。

 

 

「そうだ、ナティシア。君は―――――」

 

 

 ノイズのかかった視界と声。

 ……これは、走馬灯じゃないな。

 

 普通なら前世での死にかけた公園を思い出すはずだ。

 

 普通なら、アルメリアとして生きた日々を思い出すはずだ。

 

 

 なのに、見えてきたのはよく分からないもの。

 

 

 

 水色髪の綺麗な女が笑っているような、変な夢だ。

 

 

 

「おい■■■、早速だが課題だ。あのイカれた教会に向かって火を放て。私は大量の油をぶち込んでやるから、死人が出ないように操ってみろ」

 

「だーかぁらぁ……なんでてめえはそういう危なっかしいことしか発想出来ねえんだよ! ってか失敗したらどうするつもりなんだ!?」

 

「そうなればほら、水を操るのに長けた彼に任せればよいだろう?」

 

「ほうほう、良いじゃろう! 姫さんの頼みじゃからのぅ! ■■■が馬鹿やらかしたら俺がこいつごと、ぜーんぶ水に流してやろうかの!」

 

「ああん? 水蛇野郎が今なんつったゴラァ!」

 

「おおっ? 飛べないドラゴンのくせにやんのかオラァ!」

 

「馬鹿な争いは止めなさいってのあんたたち……さっさと終わらせるわよ」

 

「ねえねえデルタ! 終わったらご飯食べに行こうね! いーっぱい食べれるところが良いな!」

 

「あんたはいつもそうよねこの掃除機ルナ!」

 

「吸引力だけが私の特技だからね!」

 

「はぁ……もういいだろ。―――――ほら、マリア」

 

「うむそうだな。さあ火を出せ、■■■。すべてを終わらせるぞ」

 

「おう」

 

 

 彼らのことを、俺は知らない。

 

 

 

「お姉さま。……マリア、お姉さま」

 

「ああ、貴様は――――」

 

 

 

 これは――――俺の知らない、誰かの記憶だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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61話 暴走





 受け入れられない感情と記憶が暴走する。


 しかし、それは仕方のないことだ。
 なんせ彼女たちにとっては――――ようやく始まったのだから。







 

 

 

 

 

 

 苦しい息を吐いて、何とかして酸素を取り込もうと必死に足掻く。

 心臓を掴まれているような苦しみから逃れたくて何かに縋り付こうとしていた手が空を掴む。

 

 しかし、その手を誰かがとった。

 マリーが望んでいる赤色の髪を揺らした幼女ではない。アルメリアがこの手を取るならば、マリーはしっかり彼女を抱きしめるはずだ。

 

 海のような綺麗な瞳が、デルタの手がマリーを掴む。

 デルタが懐から水色の液体が入った小瓶を取り、それをマリーに無理やり飲ませた。

 

 

「しっかりせんか。あの子だけではなくお主まで死んでしまっては面倒なことになるじゃろうが」

 

「あっ……」

 

 

 何故だろうか。ポーションとは違うはずだが息が軽くなる。

 身体を蝕む禁忌が全て消えたわけじゃないし、痛みだってまだ残ってはいるが、先程より楽にはなった。

 

 そうして、周囲を見るようになって初めて理解した。

 

 

 

「ああ、失敗じゃな。わざわざ奴らを入れたというのに……全く、弱いのはいつものことじゃが、数千年も経っているのじゃからそろそろ他人に助けられるような馬鹿はせんでほしいものじゃのぅ」

 

 

 

 デルタの言葉に、マリーは疑問に感じた。

 それはデルタ自身の口調や雰囲気によるものではない。マリーにとってはアルメリアがすべてだった。

 彼女に救われ、その命全てを使うと禁忌に刻まれ誓ったのだから。

 

 

「お姉さま……?」

 

 

 アルメリアの身体が、その肌が影のようなもので黒く覆われていく。

 それは、体毛ではない。光によって出来た影がアルメリアの全身を暗く陰らせているわけではない。

 まるで影で出来た柔らかな布のように見えた。だがマリーの本能がそんな生易しいものではないと察する。

 

 

「ふっ」

 

「なっ!? 止めて!!」

 

 

 勇者がアルメリアに向けて剣で彼女の幼くも柔らかな身体を切り裂こうとする。

 デルタの支配する海水を引き裂く力。そしてその剣技は幼い子供の身体を真っ二つにするのも可能だと分かっていた。

 

 たとえ己の身体が苦しく、息が出来ずに禁忌に溺れようとも……彼女だけは救わなくてはと手を伸ばす。

 

 

「むっ―――――」

 

 

 だがしかし、その剣はアルメリアの身体に届かない。

 

 いいや、その刃が届く前に影によって弾き返されたように見えた。

 

 影がまるで意思のあるようなうねりをみせ、彼女の身体から赤色の髪を覆いつくしていく。

 柔らかそうだったものが、アルメリアの全身を覆い尽くした。

 

 アルメリアの姿勢が低く、まるで四足歩行のようになる。

 黒色の影がすべてを飲み込み、新しい身体を作り上げるかのように固まっていく。

 頭に二本の角。光を反射する鱗のような肌。生えてきた尻尾は鞭のようにしなやかに伸び、棘のように鋭く尖っている。

 顔でさえ、狼のような形状へ変わっていく。

 もはや人ではない。人間の要素がなくなっている。

 

 唖然と見つめていたマリーは見えた。

 アルメリアであった生き物が獣へ変化し、赤い瞳が勇者を映して敵意を見せたのを。

 

 

「グォォォォォォッッ!!!!」

 

 

 アルメリアの声が、獣の咆哮を起こす。

 しならせた尻尾を地面に叩きつけ、轟音を引き起こした。

 

「ああまったく。本当に迷惑しか考えん奴じゃのぅ!」

 

 

 デルタがため息を吐く。

 勇者は何も言わず、ただ馬鹿にしたように笑う。

 

 

「な、なんだっ……!?」

「ひぃぃ! 化け物がいるぞ!」

「おいどういうことだ。これは一体なんだ……!?」

 

 

 眠っていた物を叩き起こしていく。

 数多もの視線にさらされたアルメリアだった獣が、まっすぐ勇者しか見ない。

 

 マリーはこれを知っている。

 人が獣へ変化していく状況を、確かに知っている。

 

 それはまるで――――――。

 

 

「モンスター……?」

 

 

「いいえ違うわ。モンスターじゃないわよ」

 

 

 デルタの口調が変わる。

 いつの間にか彼女の首筋にいた蛇が、アルメリアだった獣へ直進する。

 

 

「シャーっ!」

「グゥォォォォッ!!!」

 

 

 蛇が彼女の首へ絡みついて離れない。しかもアルメリアの首に、あの固そうな影をも貫いて噛みついているではないか。

 

「デルタ。お姉さまにいったい何を……!」

「大丈夫よ。理性を取り戻させるショックを与えているだけだわ」

 

 

 じたばたと暴れる四つ足の獣の影が少しずつ消えていくのが見える。

 畜生から次第に幼い人間の姿へ。

 

 

「シャーシャー!!」

「グ……ォ……」

 

 

 アルメリアの元の姿へ戻っていくにしたがって、彼女の力が抜けていき地面へ倒れて行ったのが見えた。

 

 

 

「ああ、我はこんなのにやられたというのか? 畜生に堕ちた阿呆を数千年も前からずっと危惧していたというのか?」

 

 

 何故か勇者が失望したような目で倒れ伏したアルメリアを見下した。

 何かするのではないかと警戒するが、彼は何もしない。

 

 それどころかようやく気絶から復帰した兵士たちに視線を送り、背中を向けたのだ。

 

 

「撤退だ。帰るぞ」

「えっ!?」

 

 

 勇者の言葉に驚いたのは、マリーだけではない。

 周囲にいた兵士たちがデルタへ視線を向けて困惑したような声で彼に責め寄る。

 

 

「な、何故ですか!? 目の前に倒すべき女王がいるというのに何故!?」

「馬鹿か貴様ら。我らの命は王の命を刈り取ることではないだろうが」

「で、ですが……!」

 

「何か文句でもあるのか?」

 

 

 勇者の目は鋭く尖る。

 まるで爬虫類かのように人とは思えない目で、兵士たちを睨みつける。

 

 味方でなければ平然と殺してきたかもしれないその冷たい目に、兵士たちは肩をびくつかせた。

 

 

「待ちなさい。好き勝手に侵入し暴れたくせにそのまま帰らせるわけないでしょう?」

 

 

 しかし勇者の言葉に眉をひそめたデルタが、海水を使って彼らの行く道を阻む。

 デルタの蛇が威嚇をしている。国の人々が困惑しつつも女王の言葉に従い武器を手に即座に攻撃できるように仕向ける。

 出入り口はデルタの意のままに操れる。水龍が完全に行く手を阻めばこの国から外へ出ることはできないだろう。

 

 故意にだと思うが、彼らの侵入を許したデルタ達にとってはそう簡単に国から出させようとは考えていないだろう。

 

 

「想像はついているけれど……ちゃんと答えてくれるかしら? あなたたちが何をしようとしているのかを」

 

 

 もちろん悪意は今ここで殺してしまおう。

 そう考えているのか、デルタは勇者を見据える。

 

 

「ふん……何をしているか……そんなこと俺が知るわけないだろう」

「……あら。戻ったみたいだけど、あなたも知らないことはないはずでしょう? あなたはアレと同一なんですから」

 

「ふん。どうでもいい……俺は我が―――尽くすべきあの方のために、生きてここから帰還するのみだ」

 

 

 勇者は懐から黄金色に光り輝く丸い宝石を取り出す。

 真珠のような透明なソレに、蛇が目を丸くした。

 

 勇者が振り上げた丸い宝石が、天へ向けて一線の極太の光を放つ。

 海の支配をも超える真っ白の光線。水龍と呼ばれる神の領域を侵すその力。

 

 誰かに縛られることのない無限の力に、デルタは冷汗を流す。

 

 

「なっ!? ……宝玉ではないわね。でも、その力は」

 

「楔は打ち付けた。国の王を刈り取らずともいずれ終わる。さあ行くぞ」

 

 

 真っ白の光へ向けて兵士たちが続々と中へ入っていく。

 勇者が光りへ歩き出した。

 

 

 一度だけ立ち止まり、倒れているアルメリアを見て鼻で笑っている勇者が光りに呑まれて消えていく。

 宝石の光が消えた瞬間、残されたのは国中の人々。そしてデルタとマリーのみであった。

 

 倒れたアルメリアの姿にデルタが眉をひそめた。

 

 

 

「仕方ない。話さなくてはならないわね……まったく……」

 

 

 

 ため息をついたのは、デルタと蛇のどちらだったのだろうか。

 困惑しっぱなしのマリーは全然理解が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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62話 目覚め前の夢物語 前編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、またあの夢だと思える程度には、現実と夢の違いに慣れてしまったのだろうか。

 しかし、俺たちがいる場所はあの最初に出会った場所ではない。

 太陽も出ていないし、目覚めたらこの夢の記憶を思い出すことが出来ると断言できる程度にはおかしくなっている。

 

 いや、すべてが明らかに変わっていたのだ。

 

 満月が映し出された星空。

 しかし月の明かりだけでは足りず、ぼんやりと照らされた街灯と微かに流れる夜風が周囲の異様な空気を際立たさせる。

 砂場やブランコといった器具があるが、俺たち以外の生き物はいないため風景の一部としてしか成り立たない状態だった。

 

 前世で殺されたあの場所に、俺はいる。

 あの現実世界での公園の中心でドラゴンと対面している。

 公園の木々をなぎ倒し、いくつかの建物を潰すような形で俺を見ている光景に若干の遠い目をしつつだが……。

 

 

『おい、なんだその目は』

「会ってさっそく文句かよ。前世では有り得ないドラゴンがここにいて、しかも周囲をぶっ壊している光景はさすがに見ていたいようなもんじゃねえからな」

『ふん、神経質だな貴様は』

「お前がぶっ飛んでるだけだろうが!」

 

 

 いつもとは異なる夢の世界だというのに、ドラゴンは相変わらずだった。

 

 というか、夢のような世界でこの公園に来たのは二度目だが、最初に会った俺の姿をとっていた男はいないみたいだ。

 それにこの目の前にいるドラゴンがあの男というわけではないだろう。

 アレはドラゴンとは違って別の生き物だ。それだけは確実に分かる。

 

 ……いや、今はどうでもいいことだ。

 問題なのは気絶する前に見たあの記憶。そしてデルタや勇者が言っていたあの言葉。

 

 

「お前が俺の身体の中にいるっていう話だけどさ。お前いつから俺の中にいたんだ?」

『最初からだが?』

 

「はぁ? だってあの時……俺が村に戻ろうとしたときはまだいただろ?」

 

 

 あの最悪の記憶より前を思い出す。

 ドラゴンに遭って、急に怒り出して宝玉の光を見て―――――そして、ドラゴンと別れて村まで走っていた記憶を。

 

 ドラゴンはただ首を振って小さくため息を吐いた。

 

 

『物理的に中に入るわけではない。私の本体は別の場所にいるが、それ以外はお前の中にいる』

「はっ?」

 

 

 えーっと……つまりどういうことだ?

 

 

「身体が別にあって……つまりそれ以外っていうと……精神とかか? お前の精神が俺の中に入っていたということなのか?」

『ああそうだとも。あの身体は消滅させるわけにはいかぬのでな。肉体と魂を分離させてしまわなくては、守らなくてはならないものさえ守れなくなる』

「……あーっと、守らなくてはならないものってなんだよ?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 なんか急に話がぶっ飛んだような気がする。

 いやドラゴンと話している時点でもういろいろとぶっ飛んでいたと思うがな。

 

 でもどういうことだろうか。

 ドラゴンが……いや、ドラゴンたちが守り抜いた世界というのは……。

 ――――ふと考えてしまうのはこの夢の世界に来る前に見たあの断片的な記憶。水色髪の少女が、個性豊かそうな少年少女たちが笑っていたあの光景。

 

 

「デルタ、ルナ―――――マリア」

 

『っ! てめえ、その名をどこで知った!?』

「ひぅ……!」

 

 

 殺意が、ドラゴンの熱気が俺の身体に直撃する。

 息が出来なくなって身体が地面に崩れ落ちる。それでもドラゴンは俺に気づかない。

 

 苦しい。痛い。死んでしまう。

 このままじゃ……!

 

 

「やめ……くる、し……」

 

 

 俺の様子に気づいたかのように、ドラゴンが急に殺意を全て霧散させた。

 

 

『あ、ああ悪い。てめえに悪気はなかったな。だがどこでそれを知った? ……いや、オレと繋がっているからオレの記憶を見たんだろうな。他には? 何を見た?』

 

「はぁ……はぁ……なにも、みてねえよ……俺が見たのは、教会っぽい場所を燃やそうとしている場面だけだ」

『ああ、あれか……』

 

 

 懐かしそうにドラゴンが笑う。その雰囲気はあの偉そうなものではない。そういえばさっき聞いた口調でさえなんか違っていたような……?

 しかし若干寂しそうな雰囲気を漂わせているドラゴンに、俺は眉をひそめた。

 こいつが言った言葉に疑問を感じたからだ。

 

 あの記憶の中ではドラゴンなんて出てこなかった。見えたのは五人の人間たちだけだ。

 マリアという名の水色髪の少女。

 水蛇野郎と言われた黒髪の髭面な男。

 俺の知るデルタと同じ名の金髪の美女に、藍色髪の元気そうな……ルナと呼ばれた仔犬みたいな少女。

 

 そして、赤い髪の苦労人そうだが髭面の男と喧嘩をしていた青年だけだった。

 

 

「俺が見た記憶にお前がいるのか?」

『……ああ、そうだ』

 

「お前は……()()、だったのか?」

 

 

 ドラゴンは頷く。

 それが当然とばかりに、迷いなく俺の言葉に応えてくる。

 

 俺はその答えに何も言うことが出来なかった。

 反応さえ何も返せなかった。

 

 衝撃的な答えだというのに―――――何故かそれに納得できる自分がいたからだ。

 以前の夢の頃に言っていたじゃないか。

 こいつがあの宝玉の被害者だということを。人がモンスターへ変わる瞬間を見た俺が、このドラゴンが宝玉の被害者だというのに人間じゃないと否定することはできない。

 

 ルクレスさん達と同じだ。

 母さんと同じ被害者だ。

 

 ――――しかしこいつはそれ以外にも何か知っている。

 勇者とデルタが言っていた言葉の意味を理解している。

 

 ドラゴンは目を瞑り、何かを思い出しているかのように黙り込んだ。

 感じられるのは冷たい風だけ。ドラゴンが喋らない今は、ブランコが風で揺れて錆びた鉄部分がキィィっと不愉快な音色が出ていることと、木の葉が揺れる不気味な音ぐらいしか何も聞こえない。

 

 やがて、ドラゴンが口を開いて俺をまっすぐ見つめてきた。

 

 

『三つの卵の話を覚えているか?』

「ああ、天使が落とした卵のことだろ?」

 

 

 一つは真っ白。

 一つは白と黒。

 そして最後の一つが真っ黒に染まった卵のこと。

 

 

『それが始まりだ。世界が新しく生まれ直したのは、その三つの卵……否、()()()()()()()()()()()()

「はっ?」

 

『神代の頃は全てが複雑に絡み合っていた。人はモンスターでありモンスターは人であった。世界を飛び越えて他の世界へ行き来が可能であった。……しかし、それを知っている者はあの宝玉の終わりを見たオレ達以外にはいないだろう。すべてはマリアが消した事実だからな』

 

「い、いや! ちょっと待っていったん止めてくれ!!」

『むっ?』

 

 

 ドラゴンが首を傾けた。

 その衝撃で近くにあった大きな木の枝が地面に落ちていった。

 ドラゴンはどうやら混乱している俺に気づいていないらしい。しかしこのドラゴン、素の性格に戻ったら若干天然があるような……。

 

 俺は小さくため息を吐いてドラゴンを見つめる。

 

 

「……悪いけど情報が多すぎて分かりにくい。順序立てて話してくれねーか?」

『あ、ああ。うむ。そうだな。数千年もの間、一人であったからな。会話は得意ではないのだが……』

 

 

 呻き声を上げたドラゴンが、何かを閃いたかのように頷く。

 

 

『突然だが昔話をしよう』

「またそれかよ!?」

 

 

『これは必要なことだぞ? 今を知るには元の元凶となった大昔を知らなくてはならないからな』

「いや分かってるけどな!? なんかお伽噺を話されているような気分になるからやめてほしいって感じでな?」

 

 

『昔々。オレがまだ生まれる前のこと』

 

 

 急に始めやがったこいつ!?

 やっぱり素に戻ってきているよなこいつ! ムカつくのは同じだけどさ!

 

 

 

「なあやっぱり分かりやすく誰が敵かどうかを――――」

 

 

 

 俺の言葉を無視したドラゴンが、言葉を紡いだ。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「………………はっ?」

 

 

 

 

 

 いまこいつなんていった?

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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63話 目覚め前の夢物語 後編

 

 

 

 

 

「ちょっと待て。待ってくれ……ここで、この公園で死んだって……どういう、ことだ……?」

 

 

 俺はここで死んだ。

 それはちゃんと覚えている。

 

 前世での最後の場所だ。幼馴染が俺を呼び出したあの場所。

 通り魔に襲われて刺されて殺された最悪の思い出。

 

 ――――――なのに、こいつが死んだってどういうことなんだ?

 

 

『ああ。そのままの意味だが……どうした。酷く汗をかいているみたいだが、何か気になることでも?』

「うぇ!? いや、えっと……」

 

 

 ドラゴンはどういう思いで俺を見ているのだろうか。からかっているのか?

 人間の表情とは違うから、俺をまっすぐ見つめてくるドラゴンが何を考えているのかよく分からなくなった。

 

 俺の記憶を知っているのか?

 俺が誰なのか知っているのだろうか?

 

 まさかとは思うが……

 

 

「あーっと、気になることがあってだな。……お前の名前を聞いてもいいか?」

『名前は……いや、最後まで話をしてからにするとしよう』

「で、でもな。名前は簡単に言えるはずだろ?」

 

『あれは私が死んだ直後の話だ』

「おい」

 

 こいつマジで俺の話を聞いてねえな!?

 

『私は異世界へ旅に出た。()()()()()()()()()。』

「うぐ……」

 

 

 あー……こいつ俺の何を知っているんだろうか。全部知っているのか?

 俺と精神が繋がっているとか、俺の中にいるとか言っていたしな。

 ……なんか怖くなってきたな。

 

 しかし、ドラゴンは何か懐かしいというような目で空を見上げているだけだ。

 ドラゴンは俺を見ていないのに、何故か心の奥底まで見られているような気分になった。

 

 こいつが俺と同じ転生者だとしても、俺とこいつには数千年の差がある。

 神代を生きたドラゴンと、まだ数年ぐらいしか生きていない俺は同一にはなれない。

 

 今の俺はただの人間で、こいつはドラゴンだ。

 もともと同じ転生者でも……。

 

 遠い目をしている俺に向けて、ドラゴンが小さく口を開いた。

 

 

『私が転生した場所は森の奥深く――――ドラゴンの血を引き継いだ一族の子として生まれたのだ』

 

 

 ドラゴンの言葉に俺は一気に我に返った。

 冷汗が流れる。

 

 そういえばと―――思い出す言葉があった。

 

 

「……ドラゴンの血を引き継いだ? ただの人間じゃなくって? ……宝玉の力でドラゴンになったわけじゃないのか?」

『ああそうだとも。もともとは人とモンスターは一つであった。人間の姿をしたモンスターであり、モンスターの姿をした人間であったのだ』

 

「……つまり?」

 

『むっ……察しが悪いな貴様は。貴様の仲間や家族にもいるだろう? ()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()。人としての理性があるモンスター。あの状態が神代において普通であった。否、モンスターと人の姿のどちらにもなれたのだ』

 

「っ――――――!?」

 

 

 寒気がする。

 それは決して夜風のせいじゃないだろう。

 冷汗が頬から流れて、地面へぽたりと落ちていく。

 

 前々から言っていたドラゴンの意味不明な言葉を、ちゃんと理解したような気分だった。

 

 

「つ、まり……母さんたちの身体を、神代の頃の状態へ戻したっていうのか? 俺たちの細胞に、モンスターとしての力が眠っているのか?」

『ああそうだ。今はただ人とモンスターで大きく分けられたに過ぎない。もともとは一つだった。宝玉がすべてを同一化させていた』

 

 どういうことなんだろうか。

 同一化? 分けられた?

 

 もう何度も疑問に思ってきたことだが……こいつは、何を知っているんだ?

 

『宝玉には神代に流れる力がある。それを利用してあの大森林の村を実験台にしてきたのだろうな』

「実験台か……じゃあ、宝玉があったら俺も同じように……」

『モンスターになるであろうな。それに……あの実験で宝玉を正しく使う者はいなかった。人としての細胞が全て壊され、宝玉に無理やり力を注がれ命をリセットされて、神代の生命体の一歩手前まで戻されるだろうよ』

 

 

 鳥肌が立つほどぞっとする、おぞましい言葉だった。

 村で見たあの光景は……ドロドロに溶かされたアレは、人としての命が終わった瞬間だった。

 

 宝玉が、全てを変えてしまった。

 いいや違う―――――元に戻ったんだ。

 

 ドラゴンの言うように、神代の頃の生命体として。

 

 

「……母さんたちのあの状態が、神代では普通だったのか?」

『そうだ。だが神代にとってはそれが正しいとは言えなかった。今の貴様が生きる時代こそ通常の世界。神代は宝玉のせいで歪まされた世界でしかない』

「どういうことだ?」

『……今はただ、宝玉が元凶としか言えぬな』

 

 

 言いにくいことでもあるのだろうか。

 いや違う。ドラゴンにとって、俺が知ってはならないことがあるのか?

 話したくないのなら聞くことはできないだろう。だから諦めて別の疑問へ思考を回す。

 

 

「……ああ、でもまた宝玉か……結局あれはいったい何なんだ?」

『ふむ。……エネルギー体。生命体。とある管理者の宝物……つまり、巨大な武器だと思ってくれ。世界に多大な影響を与える武器だとな』

 

「あー……まあ、なんとなくわかった」

 

 

 本当に、最初から最後までずっと宝玉がからんできているよな。

 しかもドラゴンの説明を聞く限り、人をモンスターに変える力だけではないのは確かだろう。

 世界を変えるほどの巨大な力。それ以外にももしかしたら何かあるかもしれない。

 

 現時点で意味深なことしか言わないこいつがそれを喋るかどうかは分からないが……。

 

 

「それで、その宝玉のせいで歪まされた世界で……お前は何をしたんだ? 勇者は……あれは、一体誰なんだ?」

『ふむ……そうだな……』

 

 

 どう説明すればいいのかと悩んでいるのだろうか。

 空しか見ていなかったドラゴンがようやく俺を直視して、少々熱気のある息を吐いてきた。

 

 

『あのマリアという女が、宝玉を探していた。あいつは記憶喪失で……オレが生まれた村の外れで傷つき倒れていたんだ。あいつを治療した後に聞けば……ただ覚えていたのは宝玉を探せと言う言葉のみだった』

「んん?」

『まあ疑問に思うだろうが今は話を聞け、オレもマリアの話を聞いてどういうことだと思ったものだが、そのすぐ後に村が襲撃を受けてな。

 オレは流れるようにマリアと共に旅をすることになった。そこからだ。全てが始まったのは……』

 

「……村の外れで見つけて、襲撃か」

 

 

 ドラゴンの言葉に苦笑する。

 ドラゴンが人の姿をしていた頃にマリアという少女と出会ったころと、俺が村はずれのあの場所で傷ついたこのドラゴンに出会った状況が似ているように感じたからだ。

 

 たぶんこいつも同じように思っているのだろう。

 凄く馬鹿にしたような顔で俺を見下げてきたのだから。

 

 

『ふははっ、まるであの頃の私たちのようだな』

「うるせー! さっさと続きを話せよな!」

 

『ふむ。すべてを話すには長くなる……それにもう時間がない』

「へ?」

 

 

 どういうことだろうか。

 ドラゴンを思わず見上げてみたら、奴は空を見ていた。

 

 いつの間にか、空は少しだけ明るくなっていた。

 街灯が意味をなさないほどオレンジ色に輝く太陽が昇ってくるのが見える。

 

 

『見ろ。夜が終わり朝日が出てくる……つまり、お前が目覚める時間だということだ』

「はっ? いやいや待て! まだ話は終わってねえぞ! 全部話してから目覚めても良いだろ!?」

『それは無理だな。夢とは永久に見るものではない。いつか目覚めるときがくるものだ』

「いやでもな! ……じゃあまた会えるよな!? そん時に話せるよな!?」

『おそらく』

「いやそこはちゃんと断言しろよ!」

 

 

 何が面白いのか、ドラゴンがからからと笑う。

 笑い声に合わせて木の葉が揺らめいては散っていき、ドラゴンにぶつかった木の枝が地面へ落ちていく。

 

 早く。時間がないのなら話を聞かなくては……!

 

 

「お前は俺の身体の中に入っていったい何がやりたいんだ!?」

 

『宝玉の完全消滅。そしてあの女―――――最後に見つかった黒の卵、末の妹であるあの悪魔を倒すことがオレの目的だ。そのためには自由に動ける身体が必要だった……まあまだ貴様の身体の支配が追いついていないため、動かしにくいが……』

 

 

 こいつ俺の身体で何しやがったんだ!?

 

 

「あーもういい! じゃあ次! あの勇者は誰だ!?」

『勇者は勇者だろう。問題は奴の身体の中に入っている悪魔がいるということだけだがな。奴のせいであの男は性根を歪まされているのだろう。本来あったはずの正義が黒く染まりきっていたのが見えたからな』

「悪魔って……その末の妹ってやつのせいか!?」

『そうだ。それが世界において一部分の元凶だ』

「一部分!? ほかにもまだいるのか!?」

 

『それは――――』

 

 

 ああくそ。視界がぼやけてくる……。

 目覚めるっていう瞬間を自覚する。

 

 まだこいつに聞きたいことがある。まだ、話したいことがあるのに……!

 

 

「これだけは答えてくれ! お前の名前を知りたいんだ! あの時に……この公園で殺されたというのは、お前は―――――」

 

 

 ドラゴンはただ笑っていた。

 何も言わずに、笑っていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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64話 水龍神国内部戦線 序盤

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ……くそ……」

 

 

 戦争が終わったというような雰囲気だが、正直言ってそんな空気に浸れるほど気分が良いわけではない。

 深海において崩壊した建物の修繕。

 侵入してきた兵士たちが落とした武器を回収し、怪我をした国民たちの治療。

 

 そして、女子供に被害が及んでいないかの再度のチェックが行われている。

 

 瓦屋根から地上の景色を眺める。

 誰もが龍神様のお言葉を素直に聞いて、失ったものに関して悲しみに暮れるが……それだけだ。

 

 ああ本当に胸糞悪い。

 

 

「浜辺の状況はどうなったべ?」

「……その、壊滅だ」

 

「そう……そうか。龍神様から命令ばくだっちょる。弔いの準備進めてくれ」

「ハッ!」

 

 

 屋根の下から聞こえてくる兵士たちの言葉に吐き気がする。

 

 龍神様が浜辺へ直接動けたのならそんな被害は出なかっただろう。

 住民を守るべき国王が、勇者と渡り合える力を持っていながら国の奥底で見ているだけだった。だからこうなった。

 

 浜辺へ上がればかつていた住民たちはいない。行方不明か死亡かのどちらかだ。

 行方不明となった住民たちに関しては……カイリはあの深海で女子供を連れ去ろうとした国家の連中の残虐さを見て予想がついている。

 だから余計に苛立ちが止まらないのだ。

 

 かつてあった建物も全てが崩壊していて、かつて栄えた全てが消えていた。

 国家によって奪われた。国王が何もしなかったから、奪われた。

 

 勇者たちによって切られている死体が海底に流れて、それらを弔うことしかできない。

 

 自分は何をした?

 勇者を前にして、何が出来た?

 

 

「くそがっ―――――!!!」

 

 

 屋根の上を駆けていくカイリは己の胸をギリギリと掴む。

 

 苛立ちが収まらない。

 何故こんなにも怒りが込み上げてくるのかは分かっていない。

 今までならば走るか何かの物にぶつかって破壊して怒りを発散させているというのに、もやもやとした気分が消えることがない。

 

 あの勇者に首を絞められたあとからだ。

 こんなにも苛立ちが収まらずにいるのは――――。

 

 

「くそ……」

 

 

 国王はよくやってくれた。

 様々な国の戦力、その力を吸収して膨大になってきている国家相手によく退けてくれた。

 

 そういう声だって聞こえてくるというのに、カイリは納得が出来ていない。

 本来ならば海の中に入らないと圧倒的に戦力が足りていない神国を相手に最低限の戦線で終わらせることが出来たのなら……連中に大打撃ぐらいは与えられたなら……。

 

 国王がもっとちゃんと、動いてくれていたのなら。

 

 

(違う。俺が、ちゃんと強かったら……!)

 

 

 ギリギリと歯ぎしりをして、込み上げてくる怒りを発散するために足に力を込める。

 その瞬間だった。

 

 

 

「その怒り、晴らしてやろうか?」

 

「っ―――――」

 

 

 聞こえてきた声に思わず立ち止まる。

 急に立ち止まった影響で屋根にある一部の瓦がひび割れたが、それを気にせず振り返る。

 

 見えたのは、何故か神国で半裸が基本だというのに長袖長ズボンの真っ白の服を着た男。

 服はともかく、その男に見覚えがあった。

 

 一瞬だけ余所者の別人のように見えたが、近づいてみればすぐに誰なのかが理解できた。

 

 

「……ラルーシャ? お前生きていたのか!?」

 

 

 浜辺にて住んでいたはずの男だ。

 カイリとは違って前線に飛び出して、そのまま行方不明になった一人のはずだ。

 

 何故こいつがここにいる?

 何故俺の気持ちをくみ取るように言ってきたんだ?

 

 

「おめー……いったい何があったんだ?」

「まあ、おいらにもいろいろあったんだべ。そんよりも、どうする?」

 

 

 手を伸ばされる。

 理解不明な誘いに首を傾ける。

 

 本来ならカイリはそんな誘いに乗ることはなかった。

 ふざけてんじゃねえぞと怒鳴って、ラルーシャを深海にある医者に見せようとしていただろう。

 

 

「このままでいいのか? 国家に奪われたままで良いと思っているのか?」

 

 

 ただ考える。

 あの時の被害を。

 大事な故郷を脅かしたあの国家を。

 

 あまりにも動くのが遅すぎた国王を。

 

 

「……行く」

 

 

 カイリはラルーシャの伸ばされた手を掴んだ。

 それに満足げに頷いた彼は、手を掴んだままどこかへ歩き出す。

 

 屋根から降りて地上へ。裏道を通って、レンガ通りの先へ。

 

 

「……どこへ行くんだ?」

「もうすぐだ」

 

 

 裏路地を抜け出た先にあるとある遺跡。

 被害の大きかった住宅地とは違って、数百年以上も昔から存在している土と石で出来た宮殿跡かと思えるぐらい大きな遺跡だった。

 

 子供のころから何度も見てきた遺跡にカイリは目を見開く。

 

 

「なん……だ……?」

 

 

 見えた先にいたのは数十もの国の住民たちだ。

 カイリと同年代かもしくはそれ以上に若い男たちが三本槍を手に集まっている。

 

 遺跡の立つ場所がないかと思える程度にいる人間たちにカイリは混乱する。

 怪我をしているのか、包帯を頭に巻いている男だっている。地図を片手に何かを話し合っている若い女たちも見える。

 

 

「……これは?」

「おいらが集めた……神国の内部を変えるための革命軍。そんで国家に復讐を誓う集まりなんだべ」

 

「はっ!?」

「おいらが集めたんだ。全部おいらの声を聞いて来てくれたんだ」

 

 

 目を見開いたカイリに対して、ラルーシャがその両肩を掴む。

 

 

「いいかカイリ。今の神国はあっけなく国家に侵入されるほど弱っちいもんだと思うか? あの巨大な国家を相手に守りの強かった神国が破られたのは何故だ?」

「それは……」

 

「分かってんだろ。あの国王であり水龍様……いや、女王デルタ様が王権を継承してから神の力が弱まっちまったんだよ。それにあの人はなんもしてくれなかった。最後の最後に良いところを持って行っただけだべ。浜辺で助けてと叫んだ誰かの声を、あの人は聞いちゃくれなかった」

 

 

 ラルーシャは言う。

 浜辺での最悪を思い出してか青白く染まった顔に、カイリはふつふつと何かの感情に支配される。

 

 

「なあカイリ。おめーは強い。だがカイリを前線たる浜辺へ出さなかったのは何故だ?」

「国王が、深海を守るために……」

「いんや、前線を崩壊させるのがあの人の目的だったからだべ」

「はっ?」

 

 ラルーシャの言葉に意味が分からずカイリが首を傾けた。

 それに彼はただ無理やりといった感じで固い笑みを浮かべてくる。

 

 

「もしもだ。前線崩壊が国家とあの国王で交わされた内容だったら? 一部の神国の住民たちを生贄に、彼らが生き延びたとしたらどうする?」

「んなのラルーシャのただの妄想じゃ……」

 

「なかったとしたら、どうする?」

 

 

 ラルーシャの言葉に、カイリの思考が熱を持つ。

 嫌な予感しかしない言葉に。怒りがまた込み上げてくる。

 

 その怒りのままに、カイリは叫んだ。

 

 

「あん水龍様は、あの人は! 国民を犠牲にして国を生き延びさせたってぇのかっ!!?」

 

「そうとしか見えねえだろう? 戦争の途中で国家が帰ったのもそうなんじゃねーのか。取引を事前にしていたから、急に帰って行ったんじゃねーのか。なあ皆もそう思うだろう!?」

 

 

 周りにいる人たちが怒りの声を上げていく。

 武器を振り上げて「俺達が全部変えてやるのさ!」と叫ぶ声が聞こえる。

 

 皆がカイリと同じ意見だった。

 国家の行動に疑問に感じて、ラルーシャの言葉に頷いた彼らは皆、怒りを王へと向けていた。

 

 浜辺にいた者達が行方不明になったのも、複数の兵士たちが死体となって海底へ流れてきたのも……。

 国家のせいではあるが、こんな状況にしてしまったのは誰のせいだったのかと。

 

 

「おいらたちが変えてしまえばいい。もう王族はいらねえ。おいらたちが国を変えて……強くなって、国家とぶつかればいいんだ」

 

 

 奪われた怒り。家族を殺された怒り。

 怒りが彼らのまともな思考を奪っていく。

 

 国王の対応にちゃんと考えるものはいない。

 カイリでさえ同じであった。

 

 

「ラルーシャ……作戦は考えてあるんだろうな?」

「もちろんだ! 任せとけ!」

 

 

 カイリは全てを背負う覚悟を決める。

 この国を変えて、国家と……あの勇者を倒してやるんだと怒りのままに決意する。

 

 

 ―――――これは、後に名づけられた『水龍神国内部戦線』の開始の合図でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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65話 水龍神国内部戦線 前編

 

 

 

 

 

 

 

「う……ぐ……」

 

 

 ぼんやりと微睡む思考がはっきりとしてくる。

 目をパチパチと開けて、見知らぬ天井を眺めた。

 

 デルタが用意した部屋だろうか。

 ガラスのような透明な天井から見えたのは海面の光。そして様々な魚たちが優雅に泳いでいる竜宮城のような光景だった。

 

 

「ドラゴンにあったような……」

 

 

 ああそうだ。

 嫌な夢を見たような気がする。

 

 いや違う。あれは夢じゃなかった。

 本当にドラゴンに会った。あいつと話をした。

 

 もしかしたらあいつは――――――。

 

 

「っ……うぉっ!?」

「シャー」

 

 

 なんだよこいつ! びっくりさせやがって!

 不意に目の前にデルタが連れていた蛇が俺の首筋に這い上がって顔面前に接近してきやがったんだけど、どういうことだよ!?

 

 ――――ってか、デルタがいないな?

 畳が敷き詰められた和風の部屋。十人ぐらいは眠れそうな大広間の真ん中に俺は敷布団を敷かれて眠っていた。静かな場所で眠らせてくれていたから誰もいないのか?

 でもマリーの様子からして彼女がずっと俺の傍を離れないようにすると思っていたんだけどなぁ。

 

 しかし、今は一人だ。

 いや一人と一匹か。

 

 あの月のような瞳が急接近して俺を見つめてくるから噛みついて来るんじゃないかと冷汗が流れるが、この蛇は俺の反応なんて関係ないとばかりにひたすら目を見てくる。

 

 

「シュー」

「……おーい」

「シュルル」

 

 

 ……そんなに俺の目が気になるのか?

 俺が首を傾けると、蛇も同様に少しだけ舌をチロリと出しつつ顔を傾けてくる。

 

 どうやらこいつは噛みつくようなことはしないし、攻撃してくることもないみたいだ。

 普通のとは違い、人と同じ理性を持った蛇だとは感じるが……。

 

 

「シュルルル」

 

「…だ、だからなんだよ急に」

「シャー! シャー!」

「はぁ?」

「シュー……」

 

 

 鳴いているだけじゃ分からないが、何か言いたいことがあるというのは理解できる。

 

 何故だろうか。

 こいつまだ駄目なのかというような残念そうな表情を浮かべているように見えた。

 小さくため息をついているようにも見える。

 

 ああでも本当に意味が分かんねえぞ。何でこいつを見るだけで苛立ちに近い感情が出てくるのかが分からない。蛇を見てるとぶん殴りたくなる感情なんて俺は抱いたことがない。

 

 もしかしてこの感情は俺のせいじゃねえのか?

 俺の中にいるというあいつのせいなのか?

 

 だとしたらこいつは……。

 

 

「水蛇野郎。海蛇野郎って……あいつ言っていたな」

「シュル……」

 

 

 不意に蛇の動きが止まる。

 

 それは俺の言った言葉が己自身、つまり蛇自身のことだと言っているような気がした。

 まあ少しだけ嫌な顔をしているのは……たぶんあの記憶の通りドラゴンと仲が悪いからだろうが……。

 

 

「……なあ、お前も転生者なのか?」

 

 

 この蛇があの記憶にある髭面の男であるのなら、あのドラゴンと同じかもしれない。

 俺と同じ境遇にいるのかもしれない。

 俺の幼馴染かもしれないドラゴンと同じで、この異世界へやってきた転生者なのだろうか?

 

 もしもこの蛇も同じならば――――。

 

 

 

「いいえ、違うわよ赤毛ちゃん」

「っ――――!」

 

 

 部屋の奥からやってきたデルタに肩をびくつかせる。

 蛇がしゅるしゅると俺の首筋からデルタの方へ移動をしていき、彼女の肩まで這い上がっていった。

 

 

「……このお方は貴方の知るドラゴンのような変わった異邦人ではない。あなたと同じ異世界から来た人間でもないわ」

「おい何でそれを知って……」

「あら、さっきあなたがそう言ったんじゃないの。お前も転生者なのか? ってね」

「っ……そんなデタラメな話を信じるのか? 異世界だなんて証拠もないような話を……もしかして、俺の言葉を簡単に信用する何かをお前は知っているのか?」

 

 

 そうじゃないと今までの行動の意味が分からなくなる。

 何かを知っているような態度をとっておきながら、実は何もなかっただなんてことないだろうな?

 

 デルタはただ上品に笑いつつ、俺の目の前に正座してきた。

 蛇は俺を見ているだけ。デルタと蛇が何か会話をしているようには見えない。

 

 

「あなたは一度だけドラゴンに肉体を支配されたの。だからこれで彼と近しくなったはずよ。ねえ、ドラゴンと話はした?」

「…………」

「ああ、話をしたのね」

「でも全然説明をしてくれなかったぞ。時間もなかったし……なあ、どういうことなのか話してくれないか?」

 

「うふふ……そうねえ。まずは国家が何をやろうとしているのかについて話さなくちゃいけないわね」

 

 

 デルタが笑って、人差し指を俺に見せてくる。

 

 

「まず一つ。国家はとある悪魔に乗っ取られています」

「……末の妹ってやつの事か?」

「ええそうよ。悪魔が裏から支配をして国を操っているのよ。欲の強い人間ほど彼女に飲み込まれているし、勇者なんてアレの生まれ変わりだから……」

「生まれ変わり?」

 

 

 転生者ということだろうか?

 俺やドラゴンと同じ、異世界から来た奴ってことか?

 

 そういう意味で問いかけると、デルタはただ首を横に振ってみせた。

 

 

「数千年前の神代を生きた者達。一部を除いて……彼らは輪廻に回って生まれ変わってきているのよ。勇者は神代において悪魔にとっての右腕も同じ強力な存在だった。私たちにとっては敵も同じ奴ってこと」

「へぇ……じゃあ勇者に記憶は……」

「あるんじゃないかしら? じゃないとあそこまで自我を喰われるわけはないわよ」

「そっか……」

 

 

 転生者ではあるが、この世界でのこと。

 国の英雄たる勇者が、神代にとってのかつての敵ってことか。

 まあマリーたちにやらかした件を見れば俺にとっては完全な敵に値するが……。

 

 そういえば、異世界からの転生者と何がちがうんだろうか。

 たぶんデルタもそうだよな? だってあのドラゴンの記憶の中にあったからな。

 そういえば……。

 

 

「……なあ、一部を除いてってなんだ? 何か例外が……その蛇の事か?」

「…………」

 

 

 デルタが急に真顔になって俺を見つめてきた。

 美人が笑顔を止めると急に怖いんだけど、俺何か変なこと言ったか?

 

 

「ええっと……デルタ?」

 

「……そうね。このお方は龍神様よ。でも()()()()()()()()。私が言った例外とはちょっとだけ違うわ」

「はっ? え、じゃあ例外って一体……」

 

 

「三姉妹のことよ。すべての始まりでもある……三つの卵から生まれた姉妹たち」

「シュー」

 

 

 蛇が何かを言うかのようにデルタの耳元で鳴き続ける。

 彼女はそれを聞いてようやく小さく微笑んできた。

 

 蛇の言葉が分かっているのだろう。彼女は蛇に向かって頷いてきたのだ。

 

 

「シュル」

「そうですね……ねえ赤毛ちゃん。昔々の話をしましょう」

「お、おう?」

 

 

 なんか最近昔話が多いような気がする。

 まあ始まりが神代だから仕方ねえと思うが……。

 

 

「神代の頃、そこには三つの卵があった。()()()()()()()()()()使()()()()使()()()()()()()。天使以外は天上界から去っていき、堕天使は生きる意味を探して彷徨い、悪魔は全てを憎んで復讐を誓った。三姉妹はすれ違い――――戦いが世界にまで及んだ。

 彼女たちは宝玉が作り上げたこの世界にて、永い眠りについた。しかしいつかは眠りから覚める。それが例外よ」

 

「……まさか」

 

「ええそうよ。悪魔は眠りから目覚めて国家を支配しているわ」

「い、いやちょっと待て! じゃあ他は!? だ、堕天使とか天使とかは目覚める可能性があるのか!?」

「シャー!」

「まだ分からない。それは彼女たちに近しい位置にいたドラゴンにしか分からないわ。でもね赤毛ちゃん、これから先一番の問題はなんだと思う?」

 

 

 ああ、嫌な質問だ。

 だがどういう答えなのかはすぐにわかる。

 

 

「……悪魔が好き勝手しているってことだろ」

「そうよ。そして人をモンスターに変えて、宝玉の力を悪用し……世界を変えようとしているのが一番の問題なのよ。かつての神代の頃のようにね」

 

 

 蛇が小さく鳴いて空を見上げた。

 海面しか何も見えないというのに、蛇は何を考えているのだろうか。

 

 デルタは何も言わずに俺を見た。

 

 

「私たちの敵は国家。末の妹たる悪魔よ」

「まあ国家が悪いのは分かっていたことだけど……」

「国家の一部の人間しか宝玉の力を知らないわ。だから今が一番チャンスなのよ。そしてあの子を救うための……ね……」

「あの子?」

 

 

 俺の声なんて気にせずデルタは口を開く。

 

 

「様々な国と戦争していている今しかないの。事が世界レベルまで大きくなりすぎる前にさっさと原因を排除してしまわないといけないわ」

「……どうやって?」

 

「私の愛しい子供たちがやってくれているから問題は――――――」

 

 

 

 デルタの声を遮るように、地面を揺らがすような轟音が発生する。

 

 誰かの声がした。

 いや違う。マリーの悲鳴が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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66話 水龍神国内部戦線 中編

 

 

 

 

 

 

 騒動が起きる少し前―――――。

 

 深海より奥、竜の間の一部屋にマリーとデルタがいた。

 まだアルメリアが眠っているため、マリーは彼女の傍に居たいのだが、それをデルタは部屋から出ることを禁じていた。

 無理やりマリーがアルメリアの元へ行かないようにと、わざわざ出入り口を水で塞いでいたぐらいだ。

 

 マリーはデルタを睨みつける。

 膨れ上がる感情が攻撃へ変わろうとする。

 しかし衝動は何故か全てしぼんでいく。

 

 マリーに無理やりつけられた首輪のせいだろうか。まるで拘束具のようで過去のことを思い出し気分が悪くなるというのに、大きな感情が出てくる瞬間に消えていく。

 怒りがなくなる。恐怖心が消える。

 

 感情が洗い流されていくと言えばいいのだろうか……。

 しかしやはりアルメリアがいない状況は、何度感情が揺れ動こうとも変わることのない大切な事実。

 

 マリーはデルタを睨みつけ、大きな口を開く。

 

 

「なぜですの!? 何故お姉さまの元に行ってはならないのですか!?」

「それが必要な治療方法だからですよ。あなたの禁忌は奥深くまで刻まれ過ぎているから、それを洗い流すために必要な行為なのよ」

 

 

 デルタが示したのは心臓の部分。

 どういうことなのか分からず戸惑うマリーに対して、彼女はただ深くため息をつく。

 

 

「禁忌は己の理性を欠けさせて人でなくしてしまう行為です。神代の頃からあった悪魔に近づく方法。このままではあなたは宝玉の力のせいではなく、本当のモンスターになってしまいますよ!」

「で、ですが……」

「アルメリアはいわば禁忌を加速させる禁断症状の一つ。……あなたの場合は、彼女と離れることが出来て、今までの過去を反省し、原因である勇者を倒せば禁忌はなくなります」

「っ―――――」

 

 それは、マリーにとって衝撃の言葉だった。

 禁忌はもう死ぬまでなくならないものだと思っていた。

 それが普通のことだ。だから国家はマリーのことを犯罪者とした。そうマリー自身は考えていたのだから。

 

 デルタは母親のように優しく微笑んで、マリーの頭を撫でる。

 

「あなたの人としての寿命は13年にはなりませんよ。ちゃんと長生きできます。禁忌さえ取り除けば……ね?」

 

 

 マリーは何も言えない。

 だって寿命が延びればアルメリアと共にずっと傍に居られるかもしれないと思っているからだ。

 しかしその考えが間違っていることも彼女は理解している。

 

 だからただ、その場は不安定な感情を隠して小さく頷くだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 マリーの悲鳴に気づいたデルタが駆ける。

 そのあとを追って、俺も走り出す。

 

 襖の引き戸を開け、様々な扉がある廊下を通っていく。

 一定の距離で蝋燭が設置され、明かりが灯されている光景は少し不気味さがあった。

 天井がガラスで出来ており、海面と様々な魚が泳いでいる光景はじっと眺めていたいと思えるほど神秘的だったが、前を走るデルタの様子からして、それどころではない。

 

 くそっ……まだ足が短いから、歩幅が合わねえ!!

 

 

 息が上がる。

 走ってはしって―――――。

 

 奥の扉を開けたデルタが何かを見て険しい表情を浮かべたのが見えた。

 

 

「なん、だ……あれ……」

 

 

 ここはきっと、深海のあの場所ではない。

 竜の間の奥に位置する場所なんだろう。

 

 ―――――ある意味ここは、国王の城だ。

 

 

「お姉さまっ!」

 

 

 俺に向かって手を伸ばすマリーが、屈強な男に腕を掴まれて身動きができない状態であった。

 若い男女の……神国の住民たちが三本槍を手に国王に武器を向けていた。

 

 つまりこれは―――――。

 

 

「……何をしているのです。あなたたち!」

 

「決まってんだろうが! 俺たちはあんたのやり方について行けねえ! 俺たちは国家に浜辺を売り渡したあんたの冷酷さと、住民をどうとでも思っていないあんたのやり方を頑固拒否する! 俺たちは俺たちのやり方で国を守る!!」

 

 

 どういうことなんだろうか。国家に浜辺を売り渡した?

 デルタを思わず見れば彼女はずっと険しい表情のままだ。

 

 殺意と武器を向けられて普通の人間なら恐怖で身体が震えるところだが、彼女は何も感じていないかのように振る舞っている。

 不意に、険しい表情を止めて優しげに微笑んだ。

 

 まるで子供が悪いことをして、それをきちんと躾する母親のように……。

 

 

 

「まあ、そんな。何を言うのかと思っていたら……この私に武器を向けることがどういう意味なのか分かっていてのことかしら? 覚悟はあるの、わが愛しい子たち?」

 

「当たり前だろうが!」

「あたしたちが国を変えるのよ!」

 

『国家に復讐を! 浜辺の奴らへ弔いの復讐を!』

 

 

 男女の声が怒りに支配されている。

 様々な殺意をもって、怒鳴り声が聞こえてくる。

 

 

「そうですか、国を変える……ねぇ?」

 

 

 蛇がデルタに巻きつく。

 複数の男女に武器を向けられているデルタが、胸を張って微笑む。

 国王としての威厳をもって。

 

 誰もが委縮するほどの声と雰囲気を漂わせて。

 

 

「わが名はデルタ。水龍に見初められし巫女にして、女王としてこの国を守る女です。あなたたちが何を言っているのか分かりませんが、この私に武器を向けるということは――――神に向けるものと心得なさい!!」

 

 

 何処から発生させたのだろうか―――――復讐を誓っている怒りに満ちた彼らの頭上に向かって水が降り注ぐ。

 突然の水に武器を持った男女たちが目を丸くして女王を見た。

 

 

「……あれ、なんで俺」

「私、なにしてんだべ?」

 

「……ん?」

 

 

 何故か武器を取り落した男女が、きょとんと目を丸くし、ぼーっと周りを見つめていた。

 しかしすぐに我に返って地面に落ちた武器を拾い上げ、女王であるデルタを睨みつける。

 

「もうっ! なんなのですか! ああ手を離してくださいまし! お姉さまの元へ行きたいのに!」

「マリー……」

 

 マリーは別の意味で怒りを抱いているようだが、男は手を離そうとしない。

 彼女を捕まえている男は周囲とは違って何故か真っ白の長袖長ズボンを着ており、水が降り注いでも動じることはなかった。

 

 それにデルタが笑った。

 

 

「お前は国王にふさわしくねえ……おめーは、そこにいて良い人間じゃねえべ!」

「カイリ! 気ぃつけろ!」

 

「ああっ」

 

 

 一番前にいる男が三本槍を捨て、素手で女王を睨みつける。

 

 

「大切な人たちを殺したおめーを絶対に許さねえ。浜辺を売り渡したお前を許さねえ! 俺はお前をぶっ潰してやる!!」

 

 

 

 

 

 

 



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67話 水龍神国内部戦線 後編

 

 

 

 

「お前のせいで浜辺にいた俺たちの大切な友人たちが死んだ。お前が勝手に奴らと取引をして、そのせいで浜辺は国家に奪われたんだべ!」

「いいえ違うわ。我が国は国家と契約を交わしてはいません。あなたは嘘をそそのかされているのよ!」

「馬鹿言ってんじゃねー! 俺の……ガキの頃からずっと一緒にいた大切な友人が、俺に嘘をつくわけねーだろうが!!」

 

 

 触れば殺すという殺意を目に込めて、彼はデルタを睨みつけている。

 人の怒りというものがこんなにも恐ろしいものだとは思えないほど、あの男――――カイリの殺意は強く凶暴に見えた。

 

 まるで猛獣……いや、海の中で暴れまわる鮫だ。

 カイリが武器を持たず素手でデルタと対面しているのが本気度を感じ取れて何故か背筋がぞっとした。

 

 

 国の王に向かって殺意を向ける行為は、この世界においてどれほど凶悪なものなのだろうか。

 神国において国王というのは神に等しい人なんじゃないのだろうか。

 蛇が神だからか?

 デルタは王族であるだけで、あの蛇の言葉を紡ぐ代行人のような存在だからなのか。

 

 というよりもおかしいと思う。

 デルタが国民の人たちをないがしろにしていたわけじゃないだろう。

 それに王に従えないほどの怒りを抱くような行為なんて、デルタはやらかしていないはずだ。

 

 ―――――デルタは国民たちのことを愛しい子と言う。

 それがどういう意味が込められて言っているのか分からない筈はない。

 

 実際にデルタのすべてを知っているわけじゃない。

 あのカイリという男が知るデルタの一面があるかもしれない。男が言う通り、本当に国家と取引をして浜辺を犠牲にしていたとしたら、それは怒りを抱くのは当然のことだ。

 

 だが、俺が知るデルタはそんなことをする奴じゃない。

 

 力も何もない俺が止められるか分からないが、マリーが捕まっている以上は何もしないわけにはいかないだろう。

 しかし……どうしたら……。

 

 もう一度俺をあのドラゴンに喰わせるか?

 でもあの時はなんとなく出来ると理解できていたけれど、今は全く出来るような気がしないんだが……。

 

 

「赤毛ちゃん。あなたは下がりなさい」

「えっ?」

 

 

 不意にデルタが俺を見て微笑んでくる。

 武器を持って攻撃して来ようとする国民たち、睨みつけてきているカイリを恐れていないみたいだ。

 

 それに苛立ったのだろう。

 カイリが一歩前へ出てきた。

 

 

「おめーは絶対に許さねえ! 浜辺の奴らの恨み。あいつらの家族の分の恨みを俺が背負ってお前にぶつけてやる!」

 

 

 カイリの歯が急に鋭くなる。

 爪が伸びて尖っていき、背中に尾びれが生えて肌のいたるところに鱗が出来始める。

 そんなカイリの急激な変化がスイッチになったのか―――――半裸である彼らの姿が、一気に変化していく。

 

 ただし、マリーを捕まえている長袖長ズボンの男は何も変わってはいない。

 ……というかちょっと待て!

 

 

「いやいやいや!? あいつら人間だよな!? 宝玉の被害者でモンスターに変化している途中とかじゃないよな!?」

「ええそうよ。だってここは海の底。真の名は竜宮ノ城に連なる者達ですもの。

 地上――――浜辺に土地を作り上げて他の国と交流するのは稀の、神代の頃を生きたままのほぼ閉鎖国家が本当の姿。神代の時代はモンスターと人間の姿が両方あった。彼らの肌はそれを覚えているのよ」

 

「……ああ、そうか」

 

 

 覚えている。

 あの時のあの公園。

 ドラゴンではない男が話していた。

 

 そうだ。夢の中で死ぬ前の俺の姿をとっていた謎の男が言っていたじゃないか。

 神国は大昔の神代の影響が残った場所だと。

 だから覚悟だけはしておけよと……。

 

 どういう意味なのか分からなかったが。そうか。

 つまり、国民全員が神代の力を持っていたということか。

 

 

「逃げなさい赤毛ちゃん。マリーちゃんは私がどうにかして逃がしてあげるから」

「いやだ。俺はここにいるよ。邪魔にならない程度にいる。攻撃できるならやってやる」

「うーん……まあ、すぐ終わらせればいい話よね……龍神様、赤毛ちゃんが変なことやらないように見張っていてくださいますか?」

「シャー」

 

 

 デルタの肩から俺の首筋に蛇がするすると移動していく。

 冷たい感触が首にひやりと当たってちょっとだけくすぐったい。

 しかし、身をすくめるようなくすぐったさよりも、蛇の目線の方が気になる。

 

「シャー」

「……なんだよ」

 

 

 俺をじっと見つめていた蛇が不意にそっぽを向いてデルタの方を見上げた。

 

 

 カイリ達の変化は未だに続いている。

 メキメキと、骨が変異しているように見える。まるでモンスターへ変わってしまう前のあの悪夢に近しい行為で少し目を逸らした。

 細身の体が巨体になっていく。

 肌の色が海のような淡い色へ変化する。目が鋭くなり、怒りで咆哮がいたるところで上がっていく。

 

 こういうのを見ていると疑問に思うことがあった。

 

 

「……神代の力を持っていても国家に敵わなかったのか?」

「そうねぇ……勇者がいなきゃ私たちの勝ちだった。海の中は私たちの方が格上だもの……でも、海の魚は堕ちた女神にはかなわないモノよ」

 

 

 小さくため息をついたデルタが、こちらを見ずに言う。

 

 

「さて―――――ここから先は絶対に手出しは厳禁よ。赤毛ちゃん」

 

「はっ?」

 

 

 

 

 デルタは笑う。

 変化して大きなサメが人間のような姿をしたカイリが牙をむいて彼女に噛みつこうとしていく。

 

 武器を持つモンスターに近い人間の姿をしている男女が、デルタに向かって攻撃していく。

 

 

「うふふふっ」

 

 

 彼女はただ笑って、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 



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68話 水龍神国内部戦線 終幕

 

 

 串刺しとはいかない。

 しかし受け入れた攻撃の刃は全てデルタの身体に傷をつけている。

 

 

「デルタっ!? ―――おい離せよ! デルタが危ないんだぞ!!」

 

「シャー!」

 

 

 蛇が俺の身体に巻きつき動きを止めようとする。

 大人の身体だったら絶対に蛇の抵抗を無視していくことが出来たはずだ。しかし子供の幼い身体では何もできずにデルタが傷つく場面を見るしかない。

 

「死ね! お前はここにいちゃいけねえんだ!」

「ああそうだ! 死んじまえ!」

「やれ! 俺たちの手で潰してしまえ!」

 

 

 攻撃は止むことがない。デルタは抵抗せず攻撃を受けているままだ。

 ただ立っているだけで何の反応も見せない。

 

 カイリに腹をぶん殴られ首を絞められようとも。

 三本槍によって肩に穴が開いて、顔に傷がついて、腹や胸に刺し傷が増えていても――――血がぼたぼたと垂れていき、死にそうなほどの傷になっていても何も言わない。

 

 ……いいや違う。

 デルタの目は、カイリ達に向けられていた。

 カイリ達が浮かべている怒りや憎しみと言った負の感情ではない。とても悲しそうな目で彼らを見ている。

 

 

「可哀そうな子供たち」

 

 

 首を絞められているというのに、デルタの声から聞こえてきたのは何かに同情するようなものだった。

 目の前にいるカイリが動揺し、一歩彼女から引く。

 ほかの国民たちもデルタの様子に攻撃の手を止めて、彼女を見た。

 

 不意に、近くにいたカイリに向かってデルタが彼を抱きしめた。

 何も抵抗できずに、カイリは呆然と受け入れてしまう。

 血濡れた身体がカイリの鱗をじっとりと赤く濡らした。

 

 

「あなたたちの怒りは受け入れましょう。あなたたちの憎しみは私が背負いましょう。私は貴方たちを子供のように思っているわ。苦しいと思える感情は全て私が洗い流してあげる」

「あっ――――――」

 

 天井からまた水が注がれていく。

 抱きしめられているカイリがデルタと共にずぶ濡れになっていく。

 ほかの皆も先程と同じように天井からのシャワーに濡れていく。

 

 しかしデルタを殺そうとしていたあの怒りの殺意が見られない。

 先程の勢いがなくなっている。いや、呆然としているみたいだ。

 デルタの言う通り、感情が洗い流されたということなのか?

 でもどうして……どうやってやったんだろうか。

 

 以前マリーたちから聞いたスキルにそんなものあったのか?

 それが神代の力なのか?

 

 

 

「何やっているんだべ! さっさとその女をやっちまわねえと駄目だ! じゃねえとおいらたちもまたやられちまうぞ!」

 

「っ――――――」

 

 

 急に長袖長ズボンの男が叫んで周りの奴らの目を覚まさせた。

 呆然としていた男女がハッと我に返って武器を構え直す。

 

 カイリがデルタの身体を押して、二歩ほど後ろへ下がって彼女を睨みつけた。

 

 

「……俺は……おれは……」

 

「落ち着きなさい。あなたは今正常な心を持っていないのよ」

「うるせー! 俺は、お前を殺さねえといけねえんだ! そうすりゃあこの怒りも収まる! 殺したい気持ちも、むしゃくしゃする破壊衝動も! 全部消えてなくなるんだ!!」

 

 

 カイリの声に、デルタの表情が変わった。

 微笑んでいた顔が無になる。

 

 氷のように冷めた顔で、赤く濡れた身体なんて気にせず小さい口を開いたのが見えた。

 

 

「そう、()()()()()()()()()()()()()()()()

「えっ?」

 

 

 どういうことだろうか? 

 刻まれた禁忌とはいったいなんだ。

 カイリという男は、マリーと同じ禁忌があるのか?

 

「カイリ、あなたの魂には勇者と悪魔によってその身に傷をつけられているのよ。憤怒を覚える禁忌が刻まれているの。私を殺してもあなたの衝動は消えない。その禁忌を飼い馴らさないと、いつか悪魔に喰われてしまうのよ―――――」

 

「うるせえ! 言い訳なんてすんじゃねえよ!」

 

 

「操られた状態じゃ、話もできないのね……」

 

 

 デルタが深くため息を吐いた。

 そうしてただ小さく呟く。

 

 

「我が身体は水のごとく――――」

 

 

 それは、魔法のような光景だった。

 急にデルタの周囲に突風が吹き荒れる。

 足首程度にまで浸かっている水が彼女の身体を包み込んでいく。

 

 攻撃を仕掛けようとしていたカイリ達が押しのけられるほどの水と風圧。

 俺でさえ思わず壁にしがみついていないと吹き飛ばされそうだ。

 

 円形に包み込まれた水の中心に、デルタの身体が見えた。

 その水が、蛇のような形を作っていく。

 透き通った透明な水が端っこから黒く色がついて、どんどん黒ずんだものに変わっていく。

 

 何が起きているんだ。

 デルタは何をしているんだ。

 

 

「い、いったいなにを……?」

 

「シャー!」

「っ! おい蛇、どうしたんだよ!?」

 

 

 俺に巻き付いていた蛇がデルタの元へするすると這って行く。

 蛇がデルタの生み出したであろう蛇の形を作っていった水の中へ飛び込んだ。

 

 ――――――その瞬間、黒い水がはじけ飛んだ

 

 

「はっ?」

 

 

 そこにいたのは、人間ではない。

 黒い水で濡れたデルタではない。

 

 俺たちの身体より大きく、全長五メートルはありそうな黒い竜だった。

 

 

「あなた、この国の子ではないわね」

 

「ひぃっ!!?」

 

 

 デルタの声が竜から聞こえる。

 爬虫類のような黄色くて月のような瞳が長袖長ズボンの男を睨みつける。

 

 男は竜に睨みつけられて身体が恐怖で固まったのだろう。

 マリーが無理やり男の手から逃れて俺の元まで走ってくる。俺を抱きしめて男たちを睨みつけてくる。

 

「お姉さま。ああお姉さまお姉さまお姉さまお姉さま―――――」

「マリー。ちょっと落ち着いてくれ」

「はいですわ、お姉さま!」

 

 マリーは相変わらずだが怪我はないようでよかったが、今はそれどころじゃない。

 竜となったデルタが笑う。黒い宝石のような鱗を煌めかせて、巨大で凶暴な魚に近い生き物となったカイリたちなんて気にせずに、ただ長袖長ズボンの男を睨む。

 

 

「正体を現しなさい」

 

 

 不意に睨みつけている男をぱくりと口に含んで喰らおうとする。

 いや、男を食べた!?

 

 

「おいラルーシャに一体何を――――――っ!?」

 

 

 デルタが吐き出した先にいたのは、先程の長袖長ズボンの男ではなかった。

 男の形をしていた顔が解けていく。まるで泥のようにドロドロに身体が縮んで――――その先にいたのは、一匹の蝙蝠に近いモンスターだった。

 

 

「……はっ?」

 

 目の前で見えている光景は一体なんだろうか。

 というか、どうしてモンスターがここにいるんだろうか。

 

 いや、ぶっちゃけ俺たちの周囲で人間だとはっきり言える状態なのは俺とマリーぐらいなもんだが……。

 

 いやいやいや待て。

 カイリの友人だというラルーシャの身体に化けていたモンスターだったってことか!?

 

 モンスターは慌てている。

 翼を動かして逃げようとしているが……デルタが自らの竜の尻尾の先でモンスターをくるっと羽交い絞めにして捕まえてみせた。

 

 カイリはその光景を見つめていた。

 驚愕したように目を見開いて、捕まってじたばたと暴れているモンスターを見たのだ。

 

 

「なっ!?」

 

「ら、ラルーシャさんは何処だ!?」

「……あれ、僕何でこんなところにいるんだべ?」

「あれ、龍神様?」

「デルタ様だぁー! あんれ、何でそんな大事な時期にしか見られない姿になっているんだぁー?」

 

 

「……はっ?」

 

 

 先程までのあの攻撃的な様子がなかったかのように、国民たちが武器をバタバタと地面に落としていく。

 カイリ以外の人たちが全員、あの人外の姿から徐々に人の形へ戻っていき、国王であるデルタへ向かって頭を下げた。

 

 

「あなたたちはこのモンスターによって操られていました。武器を手に、私に攻撃をするようにと……カイリ、あなたはその身に刻まれた禁忌の力によって暴走させられていたのよ」

 

 

「……おれは……おれ、は?」

 

 カイリが両手で顔を覆って混乱したように独り言を呟く。

 周囲にいる国民たちでさえ、驚愕したように慌てた様子で龍神様を見つめている。

 

 

「ぼ、僕たちが龍神様に攻撃を!?」

「そんな……私は、なんて酷いことを」

 

「うふふっ。落ち着きなさい我が子たちよ。王は全てを許しましょう。操っていたのはこのモンスター。ラルーシャの姿を偽っていた敵なのですから」

 

 

 微笑んだデルタが人の形へ戻っていく。

 ……いいや違う。デルタだけではない。人間と蛇の形へと戻っていくのだ。

 

 蛇の尻尾にはあの操っていたモンスターが羽交い絞めにされている。

 じたばたと暴れているが、蛇はそれを離そうとしない。

 

 

「皆さんは復興作業へ戻りなさい。カイリ、あなたは私達と共に奥の部屋へ行きましょう」

 

 

 

 デルタの笑った顔は、恐ろしいほど輝いていた。

 それに――――彼女の身体には、先程まで受けていた攻撃の傷一つ残っていなかった。

 

 

 

 

 

 



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