ハリー・ポッターと祈りの聖杯 (塚山知良)
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賢者の石編
一章『運命の夜』
イングランド南部ウィルトシャー州の鬱蒼と樹々が多い茂る森の中に、その屋敷はひっそりと佇んでいた。かつては風格ある豪奢な造りをしていたことを思わせる屋敷は、今は見る影もなく至る箇所が傷みきり古びた外装が曝け出されている。
一見するとお化け屋敷と見紛うような場所に、ひとりの少女が住んでいた。少女の名はコレット・ルベインアンツ。ベッドとサイドチェスト、クローゼットしか配置されていない簡素な一室を自室としている彼女は、太陽が中天に昇りつつあるにも関わらず今も尚ベッドの上で夢の世界を旅していた。
窓側に寝返りを打ったコレットの顔に日光が差し掛かった。眩しさに眉間に皺を寄せるものの、唸り声を小さくあげるだけで覚醒には至らなかった。
もう一度寝返りを打ち、最も心地よいベストポジションを確保する。ミノムシのように毛布に包まったところで、コレットは絶叫した。
「あああああああ!」
先ほどまでの寝汚さはどこへやら、コレットは勢いよくベッドから飛び起きると、ぼさぼさの髪や見事な皺を飾り付けた寝間着のワンピースなど気にすることなく走り出した。
「ちょっとセイバー!なんで起こして―――」
食堂に辿り着いたコレットは、そこを第二の根城としている人物―――セイバーに抗議の声を上げる―――筈だった。しかしそこにはセイバーはいない。代わりに視界に飛び込んできたのは、染み一つないまっさらなテーブルクロスが掛けられたロングテーブルの端にちょこんと配膳された出来立ての朝食であった。
トマトソースのかかったふわふわのオムレツに、こんがりと焼けた2本のソーセージ。それにミニトマトやレタスなど瑞々しい野菜が盛り付けられている。極めつけに焼きたてらしいバケットの香ばしい香りがコレットの鼻腔を擽り、腹の虫を鳴かせたところで食堂と調理場を繋ぐドアが開かれた。
「やあ、おはよう―――いや、もうこんにちはの時間かな?“随分とお早い起床”じゃないか」
にこやかな笑みを顔に張り付けて、セイバーはコレットを出迎えた。白のYシャツに黒のベストを卒なく着こなしている彼はその腰に黒のロングエプロンを巻いている。その様相から、テーブルに置いてある朝食は彼が用意したことが伺えた。
セイバーが懐から取り出した白い杖を調理場に向けてひょいと振ると、ティーポットとティーカップ、ミルクに角砂糖が宙を浮きながら列をなしてやってきた。テーブルの上に音を立てず静かに着地すると、ポットはカップに紅茶を注ぎだし、それが終われば今度はコレットの好み通りの匙加減で砂糖とミルクが混ざり合っていく。
セイバーは着席を促すように椅子を引いた。無言の圧力を肌にひしひしと感じながらコレットは椅子に腰かけ、紅茶が注がれたカップを両手で持つとちびちびと飲み始めた。
乾いた喉を熱い紅茶で潤し、次に綺麗に磨かれた銀製のスプーンとナイフを手に持つとオムレツの端を切り取り口に運ぶ。半熟に焼けた柔らかいオムレツに酸味のあるトマトソースがよくあっており、コレットは思わず「うま・・・」と声を零した。
「口に合ったようで何よりだよ」セイバーは皮肉気に笑うと空になったカップに紅茶を注ぎ直す。その甲斐甲斐しさに、Saber(剣士)というよりButler(執事)だなとコレットは内心毒づいた。口に出さないのは、その悪口が100倍になって自身へ帰ってくることをこの一ヵ月の生活の中で身に染みて学んだからである。
「(初めて会ったときは、こんな嫌味なヤツとは思わなかったのにっ・・・!)」
ぼさぼさの髪と皺が寄った寝間着に、「僕、君のこと女の子と思ってたんだけど、とんだ勘違いだったみたいだ」と皮肉を零すセイバーを横目でじとりと睨みながら、コレットは一ヵ月前の出来事を思い出した。
一ヵ月前のことである。コレットの曽祖父であり唯一の肉親であったエドワード・ルベインアンツがこの世を去った。
暗雲が立ち込める陰鬱な日に、葬儀はひっそりと執り行われた。ルベインアンツ家は古い歴史や格式が存在するが他の魔法族との交流は非常に少ない。そんな中、ルベインアンツ家と懇意にあった数少ない魔法使いや魔女たちは幼いコレットに慰めの言葉を投げかけていたが、当のコレットは
「あぁ、やっと死んだんだな」
と、人知れず感慨にも似た感情を覚えていた。
何故なら、エドワードはコレットに才能がない魔女としてぞんざいに扱い、死の間際まで“スクイブ”や“出来損ない”と罵り続けるほど嫌っていたからである。
エドワードは日々没落の一途を辿るルベインアンツ家を憂う人物だった。ルベインアンツ家といえば、過去には錬金術を極めた名家として魔法界にその名を轟かせるほど有名な一族であった。
ルベインアンツこそ錬金術の源泉であるとさえ豪語されるほど力ある家系であったが、いつの頃からか一族の血からは衰えを見せ始め、現代では魔法界の歴史の片隅に追いやられ“落ちぶれた錬金術師の一族”と笑われるようになったのである。
それが我慢ならなかったエドワードは、唯一の後継者であるコレットを厳しく躾けようと躍起になった。だが、肝心のコレットには魔法の才能は皆無だったのである。
コレットは初歩的な魔法でさえ発動させることが容易ではなかった。いくらエドワードが粘り強く指導しても上達の兆しは一向に見えず、寧ろ杖から発動した魔法が爆発する事故の方が多発するようになっていく始末であった。才能がないと断定したのは魔法を教え始めて一ヵ月も経たない頃で、エドワードは怒りをぶつけるようにコレットを罵倒し、狭い小部屋に押し込め、ひたすら分厚くかび臭い本と向き合わせ羽ペンを握らせた。
唯一の救いだったのは、ルベインアンツ家に唯一仕える屋敷しもべ妖精のメントが陰ながらコレットを守っていたことである。メントはエドワードの隙をついてコレットを小部屋から連れ出しては森で遊ばせ、時には町でこっそり買ったお菓子を与えた。メントの存在がなければコレットの心は死んでいたに違いないだろう。
メントに救われていたとはいえ、やはりコレットは自分の歩んできた人生は不遇と言えるものだった。だからこそエドワードがベッドの上で息を引き取った時には解放感が満ち溢れたし、葬儀の時には「早く終わればいい」とずっと思っていた。
葬儀が終わった日の夜のことである。コレットはその日、人生で初めてふかふかの広いベッドで横になっていたせいか異様に目が冴えていた。何度寝返りを打っても枕に顔を埋めても睡魔が襲ってこない。ふと時計を見れば、午前0時20分を指し示していた。
「(そうだ、展望台に行ってみよう)」
単なる思い付きだったが、いざ真剣に考えてみるととてもわくわくすることだった。コレットは今まで自由に屋敷を歩いたことがない。中でも展望台は幼い頃から一度行ってみたいと思っていたのだが、エドワードが研究室代わりに使用していることもあり、扉に近づくことさえできなかったのである。
ベッドの下に置いていた靴を履き、サイドチェストに置いていたランタンに明かりをつけて手に持つ。コレットはいそいそと展望台に向かった。
ランタンの光はぼんやりと明るい光を放つものの、不気味なほどの静寂が横たわる長い廊下は今にもランタンの光を呑み込みそうなほど夜の闇で満ちていた。
「屋敷内を勝手に出歩くなど恥を知れ!」
廊下の壁に飾ってある絵画から声がした。顔を見ずともコレットにはその声の主がすぐに分かった。肖像画となったエドワードである。
エドワードはコレットが屋敷の中を自由に出歩くことが気に入らないのか、絵画の中を次から次へと移動しながら罵声を浴びせた。
「この“スクイブ”め!貴様が自由に出歩いて良い場所などここにはありはしないぞ!」
「くそジジイこそ黙ったら?あんまり煩いと肖像画を屋根裏部屋に放り込むわよ」
生前ならいざ知らず、絵画から出られないエドワードなど怖くない。かの傍若無人な男が生きていた頃には言えなかった悪口をようやく言えたコレットは少しだけ気分がよくなった。
展望台に続く階段を上る頃には、エドワードは諦めたのかついてこなくなっていた。コレットが重厚な両扉の片方を力いっぱい押すと、ギイ、と音を立てながら子供ひとりが通れる程度の隙間ができる。コレットはするりと部屋の内部へと入り込んだ。
「すごい・・・」
コレットは、頭上に広がる美しい景色をもっと鮮明に見るために手に持っていたランタンの明かりを消す。
ドーム状に設計されたガラス張りの天井の向こう側には、コレットの想像を優に超えた星空が広がっていた。光を小さく砕いて散りばめたような星々は、黒一色の夜空を濃紺色に染め上げるほど明るく瞬いている。中央に鎮座する満月は月を溶かし込んだような黄金色を放ち、いっそう夜の空に際立っていた。
「(わたし、こんな綺麗な星空を見ないで暮らしてたんだ・・・)」
まるで今までの自分は世界と隔絶されて育っていたのだと暗に言われているような錯覚を覚えつつも、コレットは引き込まれるように星空を見続けた。すると、ふと足元に違和感を感じ視線をやる。そこには複雑な文様が刻まれており、月明りによってぼんやりとその姿を見せていた。
「何これ・・・?」
コレットは手に持っていたランタンの火を灯し直し、それを確認した。赤いペンキか何かで描かれたそれ―――魔法陣は、見たことのない文字や文様を複雑に組み合わせて構築されており、不気味な雰囲気を醸し出している。
どこか引き寄せられるように、コレットはその場に膝をついておずおずと魔法陣に手を伸ばしてみる。
―――瞬間、魔法陣は禍々しい赤い閃光を迸らせ、強烈な突風を生み出した。
「な、なにこれぇえええええ!?」
閃光は稲妻のように部屋中を駆け巡り、突風はコレットの叫びをかき消すほどの轟音を放つ。コレットが手に持っていたランタンのガラスをいとも簡単に粉砕した風は、出口を求めるように天井へと上昇し続け、ついには天井のガラスを突き破った。
耳を劈くような衝撃音に思わず耳をふさぐコレット。だが、彼女を襲ったのはそれだけではなかった。
砕け散ったガラスのほとんどは細かく砕け散り大粒の雨のように降り注いでいた。しかし、いくつかのガラスはある程度の大きさを保ったまま砕けていたのだ。そしてそのガラスの一つが、今まさにコレットめがけて落下してきたのである。
ガラスの破片が目に入らないよう薄く目を開けて天井を見上げていたコレットは、自身の置かれた状況を理解する。
「(わたし、死ぬの?)」
それを理解した途端、コレットの身体にある穴という穴から冷や汗が噴き出た。恐怖で足が竦み、その場から動けなくなる。迫り来るガラス片が、死神の鎌のように思えた。
エドワードによって軟禁生活を強いられ人生を悲観していたコレットにとって、死とは逃げ道として常に存在していた選択肢であった。だが、死が眼前に降りかかろうとしてる今、それはコレットの中で今まで感じた子もないような途方もない恐怖に変化していた。
「(誰か、助けて―――!)」
助けを求める声が喉に張り付き、喘ぎ声だけが漏れる。コレットはせめてもの抵抗に瞼を強く瞑った。迫り来る死が何かの奇跡で来ないことを必死に願った。
「やれやれ、とんだ出迎え方だね」
「(え―――?)」
どこからともなく聞こえてきた男の声に、コレットは半ば反射的に目を開いた。コレットの目に映ったのは、魔法陣の中央で杖を振り上げた男の姿だった。杖から噴射されるように放たれるそれは、コレットと男の頭上で薄い膜のように広がり降り注ぐガラス片を跡形もなく霧散させていた。
霧散したガラス片は水飛沫のように床に降り積もり、月の光を受けて床を淡く輝かせる。死の恐怖から一変した幻想的な光景に、コレットは呆然とするしかなかった。
男は右手に持っていた杖を懐にしまうと、ゆっくりとコレットの方へ視線を向けた。後ろに撫でつけられた黒髪に、銀の装飾を施した黒のチェスターコート。腰には細身の剣を指している。夜の闇に溶け込むようなその出で立ちとは裏腹に、コレットを見据える両眼だけは鈍い銀色を放っていた。
「サーヴァント“セイバー”、召喚に応じ参上した」
声は、静寂に突き刺さるように凛と響いた。
「問おう。君が僕のマスターか」
―――問いかけに似た是非を許さないその言葉は、どこか騎士の誓いにも似ているようで。
中天に昇る満月から降り立つようにやって来たセイバーに、コレットは柄にもなくこう思った。「きっとこの人は、わたしの願いを聞き届けて守ってくれた騎士なのだ」と。
「ねえ、聞いてるのかい?君の頭の両脇についてるそれ、実は飾り物なんじゃないの?」
「(あの時のわたしの感動を返せっ・・・!)」
そして、今に至る。
あの運命のような夜を明かしベッドからひと度起きだしてみると、既にセイバーは“コレットを守った騎士”ではなく“コレットを罵る使い魔”としてそこに存在していた。
セイバーには記憶がない。彼曰く“正当な手順を踏んで召喚されるべきところを、突発的な事故のような形で呼び出された”らしく、その反動で自身の記憶のほとんどが消失してしまったというのだ。覚えていることといえば“セイバーのクラスに属するサーヴァント”ということぐらいで、その”セイバー”というのも名前ではなく役職のようなものであるらしく、コレットは便宜上彼を“セイバー”と呼ぶことにしている。
何も知らぬまま魔法陣に触れたとはいえ、セイバーの記憶喪失の要因はコレットにある。その上命を救ってくれた恩義もあり、コレットはこの記憶を失った使い魔を保護することにした。
ところがこの使い魔、あの夜に“主かどうか”を問うた割にはコレットを主として扱うことはなかった。主というより手のかかる子供として接しており、容赦なく毒舌を奮うのである。
セイバーと暮らし始めて早一ヵ月。既にコレットは胃に穴が開きそうなほどの多大なストレスを受けていた。
「大体女の子が寝起きのまま全力疾走するなんて常識ってものがないんじゃないの?思わず猪かなにか屋敷に紛れ込んだかと思ったよ」
「うるっさいわねほんと!アンタは主を敬う敬意ってものがないの?!」
「あるわけないでしょそんなもの。こんな手のかかる主なんて寧ろ願い下げだね。全くなんでこんな子供に召喚されたんだか、泣きたくなるよ」
「こっちだってアンタみたいな口煩い使い魔なんてゴメンよ!」
黙っていれば好青年、口を開けば毒舌家。その上セイバーの毒舌は全て的を射ており、コレットの反撃を許さない。二重の意味で屈辱であった。
腹いせに反論にもならないような罵詈雑言をコレットはこれでもかというほど口にするが、セイバーはどこ吹く風と言わんばかりに聞き流し空いた食器を手早く片付けていく。
「じゃあ、我儘な主の要望を叶えるために、口煩い使い魔は引っ込むとするよ」
どこか意味ありげなニュアンスを含ませつつ、セイバーは調理場へと戻っていった。
「っあー!もう!何なのよアイツ!」
寝癖でぼさぼさになっている髪をさらにかき乱すコレット。彼女の心中は、一ヵ月前の自分を激しく後悔していた。
―――だが、コレットは一ヵ月前の自分より今の自分の姿を公開するべきだったと、後に思い知ることになる。
「おいコレット!お前、今日の約束を忘れていないだろうな!」
セイバーの嫌味よりももっと聞きたくなかった声がコレットの鼓膜を震わせた。そうだ、どうして今日は早起きしなければならなかったのか―――それを思い出す前に、食堂の扉は勢いよく開け放たれた。
「お、お嬢さま!申し訳ございません!応接室にてお待ちいただけるようお願いしたのですが・・・」
「屋敷しもべ妖精のくせに生意気だぞ!おいコレット、お前まだ―――」
わが物顔で屋敷を闊歩してやってきた少年は顔をしかめた。反対に、コレットは石像の如く硬直した。
少年の後方から今度は一組の男女がやってきた。品の良い服に身を包んでいるその男女は少年の両親であり、コレットの親戚にあたる―――いわば後見人のような存在である。
「ドラコ、あまり大声を出すものではありませんよ―――あら」
「母上、やっぱりコレットは覚えていませんでしたよ」
ドラコと呼ばれた少年は、呆れたように鼻を鳴らした。対してその母親であるナルシッサは、「コレットはお寝坊さんね」と柔らかい笑顔を浮かべている。
そしてナルシッサの横にいる男性―――ドラコの父であるルシウスは、溜め息をつく。
「あー・・・コレット。レディとして、身嗜みには気を使ってはどうかね?」
その一言を零すと、そのまま踵を返してしまった。
「あーあ、父上が呆れて出て行かれた。お前、よくそんな恰好で屋敷内を歩けるな。僕だったら恥ずかしくて部屋から出られないね」
「あまりコレットを虐めてはダメよ。コレット、私たちは広間で待っていますから、できるだけ早く支度なさい」
ルシウスに続くようにドラコとナルシッサは食堂を後にした。食堂に残ったのは、石像と化したコレットと、マルフォイ一家を出向かるために早朝から屋敷内を掃除していたメントのみである。
「お、お嬢さま・・・?」
「・・・メント」
「な、何でございましょう?」
「わたし、死んでくる」
「お、お嬢さま?!ダメでございます、ダメでございます!」
コレットとメントによる押し問答は小一時間続き、その終止符を打ったのは「君、そんなことしてる暇があるなら着替えたら?迷惑極まりないよ」という、セイバーの止めの一言であった。
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二章『ダイアゴン横丁』
そこは、石畳の通りが曲がりくねるように続き、両脇にはたくさんの店が立ち並んでいる。
ダイアゴン横丁は騒々しいほどの活気で満ち溢れ、老若男女問わない様々な魔法使いや魔女が行き交う中をコレット達は歩いていた。
「お前がどんくさいせいで遅くなったんだぞ!」
先頭を切って歩くドラコは些か不機嫌であった。コレットが身支度に手間取ったせいで、ダイアゴン横丁に到着する予定時刻が大幅に遅れたからだ。
「あまり言ってやるでないドラコ。コレットも、これからは気を付けなさい。ホグワーツに通うようになればメントのような召使いはいないのだから」
「はい、以後気を付けます・・・おじさん」
「どうだか!」
次はベッドの上で爆睡しているに決まっている。今だ腹の虫が収まらないらしいドラコは、コレットが歩いている斜め後ろに顔をやると、ぴたりと動きを止めた。
冷めやらぬ怒りに任せて罵倒してくると踏んでいたコレットは、ドラコの不自然な動きに眉を顰めた。彼の視線の先を追うと、そこには箒が飾られているショーウインドウがある。立て掛けられている看板には”高級クィディッチ用品店”と書かれていた。
「ニンバス2000の新型だ!」
「ちょっと、ドラコ!」
急に目の色を変えて走り出したドラコ。コレットは反射的に追いかけようとするものの、このまま勝手に行動してもいいものかと一度ルシウス達の方へ振り返る。ルシウスの横には赤毛が特徴的な男性が声を荒げていた。会話の内容を察するに、どうやらルシウスは魔法省に勤務する仲の悪い知人と遭遇したらしい。ひどく幼稚な言葉で罵り合う二人を他所に、近くの店の品を眺めていたナルシッサはコレットの視線に気付くと「少し遅くなりそうだから先に揃えられるものを買い足しておきなさい」と言い、コレットに手を振った。
コレットはナルシッサに手を振り返しドラコの後を追った。これまでの人生でダイアゴン横丁はもとより人通りの多い場所を歩いたことがなかったコレットは中々前へ進むことができない。反面、ドラコは小柄な体躯を活かしするすると人混みの中を掻き分けていく。
『まるで餌を前にした小動物だね』
『しょうがないわ、ドラコはクィディッチが好きだから』
直接頭の中に響いていたのは、セイバーの声である。姿こそ見えないが、セイバーはコレットに付いてきていた。
彼は肉体を持つ人間ではなく、魔力によって構成された肉体を持つ使い魔である。構成された魔力を解き“核”だけとなれば、彼の肉体は霊体化し他者に視認されない存在になることができた。
セイバーの存在をドラコたちは知らない。というより、コレットやメント、肖像画のエドワード以外には、セイバーは自身の存在を知らせないようにしていた。彼は自分自身の正体さえ忘れているものの、“自分のような存在は魔法界でも普通ではない”ことを自覚していたからだ。自分の存在が世間一般に知られてしまえば、コレットにも悪影響が及んでしまうと考えてしまう。
他の要因もあった。魔力で構成されたセイバーの肉体は、ルベインアンツの屋敷以外で実体化を行うとひどく魔力を消耗してしまうのである。魔力の消耗はセイバーにとって人間の空腹状態よりもひどい疲弊を意味していた。故に彼は、魔力をできるだけ節約するためにも屋敷外での実体化を避けているのだ。
『飛行術か。コレットは箒に乗るどころか、箒を持つことさえ難しそうだ』
『・・・アンタね、わたしを馬鹿にするために付いてきたの?』
『まさか!今までまともに外に出たことがなかった“深層の令嬢”のボディーガードをするために決まってるだろ?メントがとても心配していたんだ。“お嬢様は森でもよく迷子になっていたから、面倒を見てあげてほしい”ってね』
「この性悪
セイバーの毒舌に堪忍袋の緒が切れたコレットは思わず大声を張り上げた。周囲を歩いていた人々は、一人で歩いていた少女が突然大声を上げたことでぎょっと凝視する。慣れない道で見知らぬ人々の衆目を浴びたコレットは、恥ずかしさのあまりその場から駆け出した。
火が噴き出そうなくらい赤らめた顔が冷めない内に、コレットはドラコが入店した店へ入る。ドラコは店内でショーウインドウに飾られていた箒の柄を掴み品定めしていた。
「僕はホグワーツに入ったら、クィディッチの選抜選手になるんだ。箒だって今日買うつもりで来た。コレット、お前はどうするんだ?」
「何が?」
「クィディッチの選抜選手になるのかってことだよ!お前のとこのひいじいさんはもう死んだんだ。つまり、お前は自由だろ?どうだ、試しにやってみないか?」
「む、無理!わたし箒に乗ったことないもの」
「・・・そういえばそうだったな。何よりお前が箒なんて持ったら、箒の穂先が爆発しそうだ」
「な、」
『彼、良いこと言うね』
どうやら彼女の周りには、鼻で笑う者はいても擁護する者はいないらしい。霊体化したセイバーはドラコの物言いに感心していた。
コレットの心情など露も知らないドラコは、「次はあそこに行くぞ!」と立ち尽くすコレットの腕を引っ張っていく。
なんでわたしの周りにはこんなやつばっかなんだ。コレットは内心腹立たしさに地団太を踏みたくなったものの、それを我慢するしかなかった。
コレットに転機がやってきた。ドラコが“マダム・マルキンの洋装店”で制服の採寸を始めたからだ。
ドラコが高級クィディッチ用品店を出てからというもの、コレットは休む間もなくドラコの買い物に付き合わされていた。それもドラコが立ち止まる店のほとんどはクィディッチに関係する店ばかりで、クィディッチに興味がないコレットからすれば退屈な時間極まりなかったのである。これにもセイバーは堪えたらしく『こいつはホグワーツ生になるのかクィディッチ選手になりたいのかどっちなんだ』と悪態をつくほどであった。
洋装店の店内では、採寸されるドラコの他にホグワーツの新入生らしい子供たちが踏み台の上に乗り制服の丈を合わせている。どうやらコレットの順番はまだ先のようだ。
「ねえドラコ、マダム・マルキンは他の新入生の採寸で忙しそうだし、わたし別の学用品を買ってくるわ」
「なんだ、別行動か?迷子になっても知らないぞ」
「ならないから!それを言うなら、ドラコこそ採寸が終わった後でまた箒店に行ったりしないでよ!」
「まだ箒を買っていないんだから、行くに決まってるだろ」
「あれだけ見ておきながらまだ行くの!?あーもう、とりあえずわたし先に行ってるから、採寸が終わったら“フローリシュ・アンド・ブロッツ書店”で待ってて!」
「あ、おい、コレット!」
後方から聞こえるドラコの声などお構いなしにコレットは全力で走った。正直、ホグワーツに行ってもクィディッチには興味を持つことはなさそうだと、コレットは確信にも似た思いを抱いた。
それからコレットは“フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラー”に寄ってバニラアイスを買い、それを食べながら店を見て回ることにした。行儀が悪いとセイバーが小言を言っても気にしない。何せ今日は初めてダイアゴン横丁に訪れたのだ。人見知りのコレットはすれ違う人々にさえ恐怖を覚えるが、店頭に並ぶ目新しい商品には目を輝かせていた。
魔法動物ペットショップにポタージュの鍋屋、イーロップのふくろう百貨店などを見て回り、少しずつ学用品を買い足していく。すると、コレットはある看板に目を付けた。
「“オリバンダー杖店”・・・」
『魔法使いなら必須じゃないか。君、前に使っていた杖を壊したんでしょ』
「まあ・・・ここの店の杖じゃないけど・・・」
エドワードがまだコレットに実践的に魔法を教えていた頃の話である。コレットはエドワードに与えられた杖で魔法を練習をしていた。魔法が不得手な彼女は呪文を口にしても、効果が発動しないか爆発するかのどちらかの結果ばかり引き起こしていたのだが、ある時屋敷の一室を爆発させるくらいの大失敗を犯してしまい、その拍子に杖を折ってしまったのだ。
「正直また折りそう・・・」
『君、爆発においては限りなく才能があるんじゃない?・・・何はともあれ、杖がなきゃ始まらないよ。“杖なし呪文”なんて高等テクニック、君にできるはずないんだから』
「一々嫌味を言うのほんとやめてよ・・・。そういえば、セイバーって杖を持ってたわよね?もしかしてここで買ったんじゃない?」
『例えそうだとしても、どこかの誰かさんのおかげで記憶がないから覚えてないよ』
「うぐっ・・・あ、杖の職人は自分で作った杖を忘れないんでしょ?実体化して確かめてもらえば、」
オリバンダー杖店といえば、杖の高級メーカーとして有名な老舗専門店である。創業も紀元前に遡るほど古く歴史がある。杖を取り扱う店などあまりないのだし、もしかしたら・・・。コレットの淡い期待は、セイバーの苛立ちを含ませたような低い声で断ち切られた。
『目立つ行動はしないと約束しただろう。僕の存在は魔法界においても普通じゃないんだ』
その言葉に、コレットは紡ぎかけた言葉を飲み込んだ。
普段のセイバーはコレットに対し手厳しく、嫌味や皮肉、小言などは日常茶飯事である。だが、今のような冷淡な態度を取ることはとても珍しく、そういった態度を取るのは決まってコレットやメント以外に正体が曝されそうになる時であった。
その約束がコレットを守るためであることを彼女とて理解している。だが、その言葉にはどこか別の意図があるのではないかと、コレットは常々心の隅で考えていた。
「(でも、聞けない―――)」
たった一ヵ月共に暮らしただけの、二人の歪な主従関係。自分たちの間に横たわっている溝の深さを、コレットは測りかねていた。
口を噤んだコレットを見かねたセイバーは『ほら、買いに行こう』と店内に入るよう促した。ぎこちない空気に居心地の悪さを感じていたコレットはそれに甘え、オリバンダー杖店へと足を運ぶことにした。
扉を開けると、客の来店を告げるベルが小さく鳴った。店内は薄暗く山のように積み上がった箱が所せましと置いてある。
「あのー・・・すいませーん・・・」
『猫被りすぎじゃない?』
「うるさいっ!初めて行くところってなんか緊張するのよ!」
「おやおや、誰とお話し中で?」
店の奥から白いひげを蓄えた老人がやってきた。この店の店主、オリバンダーである。
オリバンダーは、大きくくりくりとした目を仄かに煌めかせながらコレットの元へと歩いてきた。
「杖をお求めですね。お名前は?」
「あ、は、はいっ。コレットです。コレット・ルベインアンツ・・・」
後半にかけて声が消え入りそうになっていくコレットの自己紹介に、セイバーは如何に彼女がこれまで他人と交流してこなかったかが改めて伺えた。
これではホグワーツでの学校生活は容易にはいくまい。そんなセイバーの懸念など、彼の姿形さえ見えないオリバンダーには知る由もなく、嬉々としながらコレットをじっと見つめていた。
「おぉ、ルベインアンツのお嬢さん!君の祖母も母も、ここで杖を買ったんじゃ。とても才能に満ち溢れたお嬢さん方だった・・・さて、杖腕を見せてもらえますかな?」
「は、はい」
コレットが右手を差し出すと、オリバンダーはポケットから長い巻き尺を取り出しコレットの身体を手際よく寸法していく。
寸法を測り終えたオリバンダーは、懐から取り出した杖を一振りして黒い箱を呼び出した。
「クルミに一角獣のたてがみ。二十八センチ、よくしなる。さあ、試してごらんなさい」
その言葉を聞き終える前に、緊張で落ち着きを失っていたコレットは杖を思い切り振った。杖の先から光が放たれ縦横無尽に飛び回る。オリバンダーの左頬を掠めて店の奥に消えると、風船が割れたような音を立てて光は消えた。
「うむ、相性が悪いようじゃ。ならば・・・」
『ねえ、知ってるかいコレット。クルミの木でできた杖は知性の高い魔女や魔法使いを選ぶんだ』
『それ馬鹿にしてるの?してるのね?』
「あったあった。ニレの木にドラゴンの琴線。三十一センチ、バネのよう。・・・どうかされましたかな?」
「い、いえ!なんでもないです!」
セイバーがいるであろう場所に顔を向けるコレットの姿は、オリバンダーからすれば空中に視線を彷徨わせている挙動不審な少女にしか映らない。多少訝しんだものの、すぐに気を取り直したオリバンダーはコレットに新しい杖を持たせた。
すると、コレットの手に渡った杖はいきなり暴れだし、素早く箱の中に戻ってしまった。今まで何百何千と杖を売ってきたオリバンダーでもこの現象は初めて目の当りにしたらしく、感嘆とも驚愕ともつかない溜め息を吐く。
「中々に難しいお客のようで」
「あ、あはは・・・」
『ちなみにニレは・・・』
『言うな!』
「さて、こうなるとどの杖が合うものか・・・」
オリバンダーは店の奥へと赴いた。脚立を使い杖を収納している箱を漁り、これでもない、これでもないと呟きながら箱の開閉を繰り返す。その中で一つ、他の箱に比べて一際埃を被った箱がオリバンダーの目に留まった。
「これは・・・」
「あの、オリバンダーさん・・・?」
「ふむ、これなら良いかもしれん。振ってみなされ」
埃を被った箱の蓋を開けてコレットに中身を見せる。そこには、ヘーゼル色をした細くしなやかな杖が眠っていた。
コレットは恐々としながら杖を手に取った。ゆっくりと握りしめると、急に指先が温かくなりふわりと優しい風がコレットを包むように吹いた。
「素晴らしい。その杖はあなたを選んだようじゃ」
「あの、この杖は・・・?」
「その杖の木材はギンバイカ、芯材は不死鳥の羽根。三十四センチで振りごたえのある杖じゃ。ギンバイカで作った杖は美しく、高価な杖として取引されることが多い」
確かにヘーゼル色をした杖の表面はきめ細かく、そこから放たれる光沢は気品を漂わせる美しさがあり、手触りも滑らかであるとコレットは思った。
「ギンバイカを木材とする杖は珍しい。芯材が不死鳥の羽根なら猶更じゃ」
「どうしてですか?」
「ギンバイカは不死を象徴し、故に不死鳥の羽根の芯材とは相性が良い。じゃが、不死鳥の羽根を芯材にした杖は持ち主を選り好みするのじゃ。その上、ギンバイカは女神の祝福を受けた木でもある。女神は気まぐれに人間に祝福を齎すが、その性質が杖にも引き継がれておる」
「へえ・・・」
「じゃから、選んだ持ち主に対しても反発するじゃじゃ馬でな。いやあ、良かった良かった」
「え、ちょ、じゃじゃ馬って何ですか?!」
これはとんでもない物を掴まされたのはないか?コレットは、人当りの良いオリバンダーが悪徳商法で金を巻き上げる狡猾な老人に見えてきた。
杖は持ち主を選別するため返品が不可の場合が多い。それでもコレットは、どうにか別の杖と取り替えられないかと交渉しようとした。
快活に笑うオリバンダーに杖を返品しようとした時、コレットの背後にあった来客を告げるベルが鳴った。
「あの、こんにちは。杖を買いに来たんですけど・・・」
その声の主は、コレットと同じくらいの身長の男の子だった。黒い癖毛の髪に、綺麗な新緑の目には眼鏡を掛けている。前髪が揺れるたび見え隠れする額には、稲妻型の傷があった。
「おぉ、ポッターさんですな。ようこそいらっしゃいました。ささ、こちらに」
「あ、はい。・・・もしかして、お邪魔でしたか?」
「いえいえ、此方のお嬢さんの杖の選定は終わりましたよ」
「良かった・・・もしかして、君も今年からホグワーツに通うの?」
「へ?」
来店した少年から声をかけられることを予期していなかったコレットは、素っ頓狂な声を上げた。
少年は少し不安そうな瞳でコレットを見ている。おそらくこの少年も自分と同じで、あまり他人と接することに慣れていないのだろう。俯きがちに尋ねてくる姿に、コレットはとても既視感を覚えた。
―――ただ、コレットはその先を行く人見知りだったのだか。
「えっと、大丈夫?」
「あ、え、えと、そのっ・・・ありがとうございましたぁっ!」
『ちょっと、コレット!』
「あ、待って!」
こんなに走ったのは今日が初めてだった。後日コレットは、痛む両脹脛を擦りながらそう言った。
「やっちゃった、やっちゃったよ・・・」
ダイアゴン横丁に夕日が差し掛かり子供たちが大人に手を引かれて家路に着く中、コレットはドラコと待ち合わせの場所に指定していたフローリシュ・アンド・ブロッツ書店の片隅で膝を抱えていた。
コレットの落ち込み様は酷いもので、常であれば皮肉を飛ばすセイバーでさえその言動は憚られるほどであった。
彼女がここまで落ち込んでいる理由は二つあった。一つは、オリバンダー杖店で話しかけてきた少年に対し碌に返答もせずに逃げてしまったことだ。失礼な態度を取ってしまった罪悪感は元より、ホグワーツで初めて友人になれたかもしれない存在だったのだ。コレットの後悔の念はとても深かった。
そしてもう一つの理由は、コレットと同じ書店内にいるにも関わらず、意図して視線を逸らすドラコにあった。
オリバンダー杖店から逃げるように走り出したコレットは、半ば放心状態のまま横丁内を彷徨い続けた後にナルシッサに保護された。そのままナルシッサと共に洋装店で制服の採寸を終えたコレットは待ち合わせ場所であった書店へと向かったのだが、どうやらドラコはクィディッチ用品やグッズを見て回るのをほどほどに、割と早い時間から書店で待っていたというのだ。
待たされたドラコは横丁にやってきた時よりも不機嫌で、コレットを罵るどころか視線さえ合わせない。ナルシッサは「一人で寂しかったのよ」とコレットに耳打ちするが、セイバーから言わせれば『弄り甲斐のある玩具が近くになくて愚図ったんじゃない?』とのことらしい。コレットからすればナルシッサを信じたいが、悲しきかなドラコの日頃の態度からはセイバーの言葉の方が真実味があった。
オリバンダー杖店で出会った少年とはまともに会話もできず走り去り、ドラコは待たせてしまった。その二つの事実がコレットの肩に重くのしかかる。
「最悪だ・・・」
「コレット、あまり落ち込まないで。ドラコは今でこそ怒っているけど、きっとすぐに許してくれるわ」
ナルシッサはコレットの頭を優しく撫でる。掌から伝わる人肌の温かさは、罪悪感で潰されそうになっていたコレットの心を少しだけ軽くした。
「はい、コレット。あなたへの入学祝いよ」
ナルシッサは小さなハンドバックから箱を取り出した。ピンク色のリボンでラッピングされた正方形の小さな箱である。
プレゼントを貰えると思っていなかったコレットは、驚きつつもリボンを解き、箱を開けてみる。
「これ、ロケット・・・?」
箱の中に入っていたのは、傷がつかないよう上質な布で包まれた銀色のロケットだった。蓋の中央には水仙をモチーフとした装飾が施されており、控えめな美しさを醸し出している。
「あなたは今まで、ルベインアンツのご当主に、望まぬ生活を強いられていたでしょう。これから通うホグワーツでは、たくさんの思い出を作って、このロケットに収めてほしいの」
ナルシッサはコレットの手にある箱の中からロケットを取り出すと、チェーンを外しコレットの首にかける。
今までアクセサリーを貰ったことがなかったコレットは、沈んでいた表情を一変させ華やぐような笑顔を見せた。
「ナルシッサおばさん、ありがとうございますっ」
「ふふ、いいのよ。さあ、教材も買ったことだし帰りましょう。ルシウスが外で待ってるわ」
コレットはナルシッサに手を引かれ、その後をドラコが着いて来た。どうやら機嫌は直ったらしく、「次は待たせるなよ」と悪態をついていた。
胸元で揺れるロケットに、コレットはそろりと手を当てる。
『良かったじゃないか』
ことの顛末を見守っていたセイバーは、優しい声音でコレットに語りかけてきた。今回ばかりは慰めてくれるのだろうか。コレットは彼の言葉に耳を傾けた。
『今度、あの少年に会ったら謝ればいいさ。きっと彼もホグワーツの新入生だ』
『・・・うん』
『まあ、友達になれるかは君次第だけど』
『・・・うん』
『コレット―――』
『・・・うん』
『オリバンダー杖店で、杖の代金支払ってないよ』
『なんでそれを先に言わないのよ!』
本日何度目になるか分からない言葉の応酬は、オリバンダー杖店に到着するまで続いた。それに付き添ったドラコやルシウスからは呆れられ、ナルシッサからは苦笑された。コレットは、ルベインアンツの屋敷で寝間着姿を見られた時と同等の羞恥心を覚えることとなった。
ホグワーツ入学まで残り一ヵ月。果たしてこの主は無事に学校生活を送れるものか―――従者は心配であった。
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三章『ホグワーツ行特急』
コレットの人生は常に一人で生きているようなものだった。広い屋敷の中で日当たりの悪い小部屋に押し込められ、冬の季節には寒さで手足は悴み薄い毛布にしがみ付く日々が続く、そんな日常。
常に彼女の心の片隅には人恋しさがあった。誰かの隣にいたい。そんな願いを、常に胸に抱いて生きてきた。
―――だが、
「おいクラッブ、ゴイル。お前らは向かいの椅子に座れ」
「でもドラコ、俺たちとコレットじゃ狭いぜ」
「コレットはひょろいから丁度いいだろ」
「(こんな両隣は望んでない!)」
数時間前、何の疑問もなくドラコに付いていった自分をコレットは激しく恨んだ。
コレットがホグワーツに入学する記念すべき日である今日、コレットはメントに見送られながら屋敷を出て、ホグワーツ行特急にドラコと共に乗車した。
コレットは初めての学校生活に期待を胸を膨らませながら汽車のコンパ―メントに座った。セイバーからは散々「君集団生活なんてできるの?」と揶揄われたが、そんなものやってみないと分からないとコレットは取り合わなかった。これから暮らしていくホグワーツとはどのような学校なのか―――そんな思いを馳せながら汽車の汽笛の音に耳を澄ませていると、肉団子のような巨体を誇る二人の男の子がやってきた。コレットの表情が一瞬で絶望に染まった。
彼らの名はクラッブとゴイルと言い、ドラコの取り巻きのような存在である。時折ドラコと共にルベインアンツの屋敷に訪れていた彼らとは面識があるものの、コレットからすればあまり親しい存在ではない。彼らのずんぐりとした身体にトロール並みの知性は、コレットが彼らを苦手な理由に十分だった。
「ドラコ、ここに座ってたのね!」
「パンジーじゃないか、久しぶりだな」
「(なんでこいつまで!)」
「そうね、この前の誕生日会以来かしら?・・・あら、あなたいたの」
「・・・えぇ、まあ」
二匹のトロールの間に挟まれ気分が悪くなるコレットに追い打ちをかけるが如くその少女はやってきた。コンパ―メントの扉を勢いよく開いた少女―――パンジー・パーキンソンである。彼女は、ドラコしか見えていなかった視界の隅にコレットが映ると、を忌々しそうに睨みつけた。
聖二十八一族に名を連ねる純血の魔法使い“パーキンソン家”の令嬢である彼女は、コレットと同じくドラコとは幼い頃から家ぐるみの付き合いがあり、その関係でコレットは彼女とも面識がある。ただし、クラッブ達のように親しくない関係というよりは、互いに嫌悪し合っている関係であった。ドラコに好意を抱いているパーキンソンにとってコレットの存在は邪魔者以外の何物でもなく、コレットは長年彼女の嫉妬の対象となり陰湿ないじめを受けてきた被害者なのだ。
「両隣にお友達ができて良かったじゃない。私だったら願い下げだけど」
「え、誰だ?」
「お友達からはそう思ってもらえないようね」
パーキンソンの嫌味に気づかないゴイルは不思議そうに首を傾げた。トロール並みの知能のくせにわざわざ頭を働かせるな首を傾げるなとコレットは舌打ちを隠せない。その様子を面白がったパーキンソンは自慢げにドラコの隣に座ると、コレットに見せつけるように談笑し始めた。
「ドラコ、あなたはどこの寮になると思う?」
「“スリザリン”に決まってる。君だってそうだろ?」
「勿論よ!まあ、あそこでトロールに挟まれてる子は違うでしょうけど」
「どこにトロールがいるんだ?」
「(あんたたちのことよ!)」
両隣には巨漢を誇るクラッブとゴイル、向かい側には嘲笑を向けるパーキンソン。コレットの心はホグワーツに到着する前から既に気分は最悪であった。
―――しかし、コレットの機嫌の悪さなど足元にも及ばないほどの殺気を放つ“目に見えない従者”が、そこにはいた。
『このデカ物どもとパグ犬面を窓から放り出すだけで、どれだけコンパ―メントが広くなるか・・・』
「わたしちょっと車内販売のおばさんから百味ビーンズ買ってくる!」
「あ、おいコレット!」
コレットは汽車から転落死した新入生を出さないため全力で走った。コンパ―メントから出て行く寸前、ドラコの声と一緒に勝ち誇ったような笑みを浮かべたパーキンソンが見えふつりと殺意が芽生えたものの、コレットはそれをぐっと我慢した。
二車両ほど走ったところでコレットは立ち止まり、膝に手をつき走ったことで乱れた呼吸を整える。対して”目に見えない従者”は、『冗談だったのに』と面白がるように言葉を零した。
セイバーを連れてきたのは失敗だったのかもしれない―――コレットはそう思わずにはいられなかった。
前日の夜、コレットはセイバーに「わたしがホグワーツに入学したらどうするのか」と問うと、彼はその問いに「僕は君から離れられない」と答えた。
セイバーによると、それは彼自身の意思ではなく使い魔としての本能がそうさせているという。自発的に主人であるコレットの元から離れようにも、一定の距離が開けば身体が勝手にコレットの元へ引き寄せられると言うのだ。
実のところ、一ヵ月前ダイアゴン横丁へ外出した際に同行したのもこの理由によるところが大きかったらしい。前日の夜までその事情を知らずにいたコレットは何故自分にそれを隠していたのかと捲し立てたが、当のセイバーは「聞かれなかったから」と悪びれもせずに言った。
その言葉を皮切りに恒例の罵詈雑言の応酬を終えた後で、コレットはセイバーのホグワーツへの同行を否応なく承諾するしかなかったのだ。
今だ腹の虫が収まらないらしいセイバーからは、マグマのように煮えたぎる殺意を感じ取れた。このまま戻っても同じことを繰り返しそうだ。行く宛などある筈もなくコレットが途方に暮れていると、背後から青年の声がした。
「君、大丈夫?」
「へっ」
そこには、顔立ちの整った好青年が心配そうにコレットの様子を伺う姿があった。
「見たところ新入生だよね?こんなところでどうしたんだい?」
「え、あの、そのっ・・・」
コレットは、ダイアゴン横丁で出会った少年とまともに会話できなかった時の記憶を思い出した。あの時のような失敗は繰り返してはならないと何とか言葉を続けようとするが、思うように言葉が出てこない。
その様子を見ていた青年は、コレットを宥めるように優しい声で「自己紹介がまだだったね」と言うと、柔和な笑みを浮かべた。
「僕はセドリック・ディゴリー。ホグワーツの三年生で、“ハッフルパフ”の寮生だ。君の名前は?」
「あ、え、えっと・・・コレット・ルベインアンツ、です・・・」
「じゃあコレット。今、丁度僕のいるコンパ―メントが一人分開いてるから、少し休憩していかないかい?」
「・・・え?」
「疲れてるみたいだし、男ばっかりでむさ苦しいと思ってたところだったんだ。君さえよければ、是非来てくれ」
セドリックから差し出された手と顔を交互に見て、コレットはおずおずと手を重ねた。
セドリックに案内されたコンパ―メントには、顔が瓜二つな二人の青年が座っていた。セドリック曰く、コンパ―メントで寛いでいたところを突然奇襲され、そのまま居座っているそうだ。彼らはセドリックと同じ三年生で、“グリフィンドール”の寮に所属しているらしい。セドリックがコンパ―メントの扉を開けコレットを入室させたやいなや、二人は騒ぎだした。
「おいおいセドリック!早くも新入生をナンパしたのか?」
「憎いねえ色男!」
「やめろ、コレットが困ってるだろ。ごめんな、こいつらいつもこんな調子なんだ」
「お、お気になさらず」
入室してきたコレットに、二人は芝居がかった調子で恭しく席を進める。どこか背中にむず痒い感覚を覚えながらコレットは席に座ると、その隣にセドリックが座った。
「俺はフレッド、こいつはジョージ」
「見ての通り、俺たちは双子なのさ」
「え、えと、コレット・ルベインアンツ、です」
「気を付けろよ、こいつらはすぐに悪戯するから」
「普通初対面の女の子を脅すかぁ?」
「コレットこそ気を付けろよ、こいつは女泣かせだからな!」
「おいジョージ!」
快活に進められていく会話は騒々しいものの大分気が休まる場所だった。ぎこちないコレットの態度も段々と解けていき、ついさっきまで殺気を放っていたセイバーも「面白い生徒だ」と楽し気に会話を聞いていた。
「そういえば、この汽車に“ハリー・ポッター”が乗ってるぜ」
「え、そうなのかい?」
「あぁ。俺たち、さっきハリー・ポッターが荷物を大変そうに運んでたから手伝ったんだ」
「“生き残った男の子”の手助けなんて、俺たちも英雄の仲間入りだな!」
「・・・あの、ハリー・ポッターって誰ですか?」
「え、君知らないのか!?」
コレットの何気ない一言で団欒とした空気はがらりと変わった。窓側に座るフレッドは驚いたと言わんばかりにコレットを凝視し、ジョージは「驚いたな・・・」と言葉を漏らす。
どうやら彼らとセドリックの心情は一致しているらしく、コレットは隣からも視線を感じていた。
「君、マグル生まれなのか?」
「あ、いえ・・・・魔法使いの一族です」
「じゃあ、何でハリー・ポッターを知らないんだ?“例のあの人”を打ち破った英雄じゃないか!」
「・・・わたし、今まであまり外に出たことがないんです」
―――出来の悪い魔女だから、勉強ばかりさせられて。
思わず口にしてしまった言葉に、コレットははっと息を吸い込み右の手の平で口を押えた。
エドワードによって軟禁生活に近い日常を過ごしていたコレットは、外部の情報を知る手段があまりにも少なかったのだ。
コレットがまだ今より幼い頃、ドラコが屋敷にやって来た時の話である。彼が気まぐれに新聞を置いていったことがあったのだが、それが物珍しかったコレットは、それを読んでいたことがあった。新聞に夢中になるコレットを見つけたエドワードは、幼い彼女から新聞を奪い取ると、「貴様にそんなものを読む資格はない」と言ってのけたのだ。「そんなものに興味を持つ暇があるなら魔法の一つでも使いこなして見せろ」。エドワードはコレットをそう詰り、新聞を暖炉にくべた。それがトラウマになったコレットは、以来屋敷の外で起こっている事柄を認知しないようにしてきたのである。
コレットはこの場で楽しそうに話していたセドリックやフレッド、ジョージに申し訳なくなった。彼らからすれば、見ず知らずの子供の重い身の上話などはた迷惑なだけだろう。自分の犯した失態に唇を噛みしめ、いっそここから出て行った方がいいのではと思いつめるコレットに、セドリックは優しい声音で話しかけた。
「僕の所属するハッフルパフってね、劣等生が多いと言われているんだ」
「え?」
「でも、実際はそんなことなくてさ。確かに生徒の中には才能がなくて苦悩した先輩もいたみたいだけど、みんなたくさんの魔法を学んで、習得して卒業していった。―――ニュート・スキャマンダーって知ってるかい?」
「あ、は、はいっ。“幻の動物とその生息地”の著者ですよね」
「そう!彼はハッフルパフの生徒だったんだ。まあ、ホグワーツは中退してしまったけど、とても有名な魔法使いになっただろ?だから、才能がないと断定して自分の可能性を潰してしまうのはもったいないことだよ。もしかしたら、君には他にない才能が眠っているかもしれない」
「ディゴリーさん、」
「セドリックでいいよ。もしかしたら、君も彼のようにハッフルパフに選ばれるかもしれないね。その時は僕が先輩としてサポートするよ」
セドリックの言葉にコレットは顔を赤らめる。これまで謗られることはあっても、セドリックが語ったような励ましの言葉を受けたことがないコレットにとって、その言葉は暗く沈んだ心をいとも簡単に救い上げた。
「隙が無いなあセドリック!」
「ハッフルパフへの勧誘か?だったら俺たちはグリフィンドールをお勧めするぜ!」
「え、あの、」
セドリックに対抗意識を燃やしたのか、双子は競うようにグリフィンドールの長所をつらつらと話し始め、負けじとセドリックもハッフルパフの良さを挙げていく。三人の寮談義は次第に盛り上がり、ついには各寮のクィディッチチームの話にまで発展していった。
会話についていけないコレットを、セドリック達は、時にさり気なく気遣い会話に参加させる。それはドラコたちのいたコンパ―メントで感じていた疎外感を忘れさせるほど居心地の良い会話であった。先ほどまでコレットの心に差していた暗い影は今や見る影もなくなり、セドリック達の話に夢中になっていた。
この人たちと知り合えて良かった。そう思い始めた頃、コレットの身体に異変が起こった。
「っいたっ!」
「コレット?!」
コレットの右手に激痛が走り、右手を抱き込むように背中を丸め悲痛な声を上げる。その異変にいち早く反応したセドリックはコレットの背中を擦りつつ声をかけるものの、それに答えるだけの余裕は痛みにかき消されてしまい、コレットは額に冷や汗を滲ませた。
『コレット!コンパ―メントから出ろ!』
「っ!」
「あ、どこに行くんだコレット!」
コレットはセイバーの言葉に半ば無意識に従いコンパ―メントから走り去った。セドリックはその後を追うべくコレットが走って行った方へ向かおうとする。
「い、いない・・・?」
僅か十秒足らずで、一方通行の車両からコレットの姿は消え失せていた。
コレットはセドリックのすぐ横にいた。だが、彼の視線がコレットに向けられることはない。何故ならコレットは気づかぬ内にセイバーの“能力”によって姿を隠されていたからだ。
姿を隠されたコレットには、霊体化したはずのセイバーの姿が見えていた。セイバーは痛みで呻くコレットの額と自らの額を合わせ、呼吸を合わせるようにと促した。
セイバーの呼吸に合わせて息を吸い、吐いていくと次第に落ち着きを取り戻していく。それを確認したセイバーは、コレットの右手を手に取り、その甲にできた“何か”を確認する。
『・・・やはりか』
『やはり・・・?』
セイバーは至極冷静な態度で、手に取っていたコレットの甲を彼女自身に見せつけた。
『何、これ・・・』
そこには痣ができていた。それも怪我を負った時にできるような自然な痣ではなく、剣を象った刻印のような赤い痣であった。
セイバーは懐から杖を取り出して一振りし包帯を出現させると、赤い痣を隠すように手の甲の部分にだけ包帯を巻いていく。
『即席で“認識妨害呪文”と“魔力感知阻害呪文”をかけておくけど、ホグワーツに着いたらちゃんとした物で隠さないといけない。でないと、すぐに他の魔法使いに感知される』
『どういうこと・・・?』
『あそこには優秀な魔法使いの教師が多い。感づかれると厄介だ』
『ちょ、セイバー、』
『面倒なことになった・・・何で僕はこんな大切なことさえ忘れていたんだ・・・』
『セイバーってば!』
一人で話を進めていくセイバーに苛立ったコレットは叫ぶように彼の名前を呼んだ。事態を飲み込めていないコレットの精一杯の抗議の声であった。セイバーは一瞬目を見開くが、すぐに平静を取り戻し、どこか沈痛な面持ちで痣の正体を語りだす。
『コレット、これは“令呪”だ』
『れい、じゅ・・・?』
『そう、僕と君を繋ぐ証―――絶対命令権』
令呪―――それは使い魔を使役する主にのみ発現する魔力の刻印である。刻印は三つ刻まれており、その一つ一つが膨大な魔力を秘めている。これらは使い魔に命令するか、行動を抑制するか、もしくは補助するために使用されるものだとセイバーはコレットに説明した。
そして、とセイバーは話を続けていく。
『おそらく僕の記憶の一部、というより知識を思い出したのは、この汽車がホグワーツに近づいてきたからだろう。君に令呪が宿った理由も、おそらくこれだ』
『・・・何で、ホグワーツに近づいたらセイバーの記憶が戻って、この令呪っていうのがわたしに宿ったりするのよ』
セイバーの説明をいまいち理解できないコレットは、眉間に皺を寄せながらセイバーに疑問の声を上げる。
コレットの問いに答えづらいのか、セイバーは少しだけ口を噤む。しかしコレットの無言の圧力に耐えかねたらしく、意を決したようにコレットを見据え、口を開いた。
『それは―――ホグワーツに、“聖杯”があるからだ』
その一言で、コレットの身体は硬直した。
聖杯―――それは“伝説級の魔法道具”と謳われる幻の存在。
そして、エドワードを始めとするルベインアンツ家の人間が1000年にも渡る長い歴史の中で求め続けてきた、“万能の願望器”である。
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四章『組み分け帽子』
ドラコ達のいるコンパ―メントに戻ってきたコレットは、汽車が到着するまでずっとだんまりだった。それを訝しんだドラコは「今更緊張しているのか?」と揶揄うが、それもコレットは無視する。彼女はただ、汽車から見える景色をじっと見つめていた。
「イッチ年生!イッチ年生はこっち!」
汽車の中でローブに着替えたコレット。新入生達が到着した汽車の扉から外に出ると、そこは薄暗いプラットホームだった。やってきた案内人―――ハグリットと名乗った大男は、新入生をホグワーツ城へと案内するために手に持ったランプの光で先導し、ボートへと乗せていく。
新入生たちがまとまりのない列を成して歩いていく中、コレットは列車の中でセイバーの言葉を反芻しつつ、エドワードの“呪いの言葉”を思い出していた。
「ルベインアンツの悲願である聖杯を見つけることこそ、お前が生きる意味だ」
まだ、エドワードがコレットの教育に熱を入れていた頃の話である。エドワードは幼いコレットの脳に染み込ませるように何度もその言葉を繰り返し、杖を握らせた。聖杯の探索は、立派な魔女として大成しルベインアンツ家を復興させるのと同じく、コレットに課せられた重要な使命だったのだ。
だが、エドワードがコレットの才能を見限った日からその言葉が出てくることはなくなり、代わりに罵詈雑言の嵐を受けることになった。
セイバーはパスによってコレットと繋がっている。魔力を供給するために存在するその繋がりは、時にコレットの過去の記憶をセイバーに視せることがあった。事実セイバーはこの過去を垣間見たことで、コレットに”ホグワーツに聖杯がある”ことを告げるのを良しとしなかったのだ。
『君の学校生活に、泥を塗るような真似はしたくなかったんだ』
エドワードの影をホグワーツで見せたくなかった―――ボートへ乗り込むコレットに、セイバーはそう告げる。その声は、罪を裁かれる罪人の懺悔のような後悔の念を含ませた、暗いものだった。
いつにない皮肉屋な使い魔の殊勝な態度に、主たる幼い少女はくすりと笑みを漏らす。
『・・・セイバー、そんな殊勝な態度もできるのね。成長したんじゃない?』
『・・・僕、結構真剣に話をしてるんだけど』
『ふふ―――わたし、聖杯なんて気にしてないわ。だって、わたしはもうあのくそジジイから解放されたんだから』
水面をゆっくりと進むボートの上から、コレットは左手を垂らした。指先から感じられる水はコレットの肌に鳥肌を立てるほど冷たいものだったが、どこか心地良い。それは、あの鬱蒼と樹々が多い茂る薄暗い屋敷から旅立ち、新しい生活に心を高鳴らせるコレットだからこそ感じられるものだった。
聖杯なんて気にしないし、知らない。余計なものは全てあの屋敷に置いてきたのだとコレットが豪語すると、セイバーはふっと笑い声を漏らした。
『その割には、汽車の中で随分と落ち込んでたみたいだけど?』
『うっ・・・折り合いをつけるのは難しいのよっ』
霊体化したセイバーの居場所など分かる筈もないのに、コレットは、セイバーから顔を背けるようにぷいと横にやった。
「ちょっと、こっちを見ないでくれる?」
ボートにはパーキンソンも同乗していた。
ボートがホグワーツ城のある岸に乗り上げると、ハグリットは新入生の先頭に立って歩いていく。彼の持つランプだけが足元を照らす中、湿った草原を抜けて辿り着いた先には、大きな城門があった。
ハグリットが門を三回叩くと扉が開き、中から緑のローブを纏った背の高い魔女が現れる。厳格な顔つきが浮足立った新入生たちの顔を見渡すと、すぐに騒めきが静まり返った。
「マクゴナガル教授、イッチ年生の皆さんです」
「ご苦労様、ハグリット。ここからは私が預かりましょう」
マクゴナガルは扉を大きく開けると、ハグリットに代わって生徒たちを玄関ホールへと誘導する。壁に掲げられた松明の火で照らされたホールはどこかぼんやりとしており、不思議な雰囲気を漂わせていた。
ホールを横切り、マクゴナガルは新入生をホール横にある空いた小部屋へと連れてくれると、こほんと咳払いをした。
「ホグワーツ入学おめでとう―――新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間に着く前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません」
「僕はスリザリンに決まってる」
ドラコはコレットに耳打ちすると、にやりと笑ってみせる。
マクゴナガルの玲瓏とした声が部屋に響き渡り、まだホグワーツを知らぬ新入生たちに心構えをさせていく。コレットは、きっとマクゴナガル先生の授業はとても分かりやすくて怖いのだろうと思った。
「―――まもなく全校列席の前で組み分けの儀式が始まります。待っている間、できるだけ身なりを整えておきなさい」
その言葉と共にマクゴナガルは部屋から出て行った。それを見届けた新入生達は、脱力したように溜め息をつき肩を落とす。
『君、あの先生の授業では何百点減らされるかな?』
既にいつもの調子を取り戻したセイバーの声は、コレットの緊張した心を腹立たしさに変える。他の新入生と同じく、マクゴナガルの雰囲気に圧倒され緊張していたコレットは、凝り固まった肩を回しながら『喧嘩なら買うわよ』と言った。
すると、コレットの横にいたドラコから、珍しいものを目にしたような声が聞こえてきた。
「おや、君はハリー・ポッターじゃないかい?」
「え?」
そのドラコの声に、コレットは思わず反応を示す。ハリー・ポッター―――それは汽車の中でセドリック達が話していた人物の名前であった。その人物がここにいるのだと知ったコレットは、興味を引かれドラコの視線の先を見る。
「あ、あなたっ!」
「あ、君は!」
そこにいたのは、オリバンダー杖店で出会った少年だった。コレットが驚きのあまり目を見開いていると、「何だ、知り合いだったのか」とドラコは面白くなさそうに呟いた。彼はコレットが世間知らずなことを良いことに、”生き残った男の子”であるハリーを自分の知り合いだと紹介し、自慢しようと企てていたからだ。
「ポッター君、こいつはコレット・ルベインアンツだ。こんななりでも純血の魔法使いでね、一応僕の幼馴染さ」
「あっ!」
なんで私の自己紹介をドラコがするのよ!コレットはドラコにそう言い募ろうとするも、ドラコの横にいたパーキンソンがぎろりと睨みつけてきたためそれは出来なかった。彼女はドラコの口から「僕の幼馴染」だとコレットが紹介されたことが気に食わなかったのだ。
ドラコは取り巻きのクラッブ、ゴイルを紹介すると、最期に「僕はドラコ・マルフォイだ」と勿体ぶったように名乗った。
すると、ハリーの後ろからくすくすと笑い声が聞こえてくる。コレットが目をやると、そこには笑ったことを誤魔化すように咳払いをする赤毛の少年の姿があった。
「僕の名前が変だとでも言うのかい?君が誰だかなんて聞く必要もないね。父上が言っていたよ。ウィーズリー家はみんな赤毛で、そばかすで、育てきれないほどたくさんの子供がいるってね」
ドラコはそう言うとロンの姿を蔑んだ。彼の纏っているローブは新品というより着古したもののようで、彼の兄弟のおさがりであることが伺える。
「ポッター君、そのうち家柄の良い魔法使いとそうでないのが分かってくるよ。間違ったのとは付き合わないことだね。その辺は僕が教えてあげよう」
「ちょ、ドラコ、」
ドラコの物言いにコレットが咎めようとしたものの、それはするまでもない行為だった。
ハリーはドラコを一瞥すると、
「間違ったかどうかを見分けるのは自分でもできると思うよ。ご親切さま」
と、冷たく言い放ったのだ。
これまで同年代の子供にコケにされたことがなかったドラコの青白い頬には、羞恥心のあまりピンク色が差している。プライドの高い彼はこのやり取りが衆目に晒されていたことが我慢ならなかったのか、ハリーに負けじと噛みついた。
「僕ならもう少し言動に気を付けるけどね。もう少し礼儀を弁えないと、君の両親と同じ道を辿ることになるぞ。君の両親も何が自分の身のためになるかを知らなかったようだ。ウィーズリー家やハグリットみたいな下等な連中と一緒にいると、君も同類になるだろうよ」
「ドラコ!」
「もっぺん言ってみろ!」
ドラコの心ない言葉に今度はロンが噛みつく。何とかドラコの減らず口を止めロンを制止したいと思う反面、どういう対応を取ればいいのか分からないコレットは、両者の間であたふたと慌てふためいていた。
このままでは殴り合いの喧嘩になるのではないか―――そんなコレットの心配は杞憂に終わった。マクゴナガルが部屋に戻ってきたのである。
「皆さん静粛に!組み分けの儀式がまもなく開始されます。一列に並んで付いてきてください」
ロンの闘志ははマクゴナガルの一声で冷水を浴びた蝋燭の火のように鎮火し、振り上げそうになった拳を即座に下していた。ドラコもマクゴナガルに叱責されるのは避けたいらしく、ハリー達に向かって鼻を鳴らすとクラッブ達を連れてマクゴナガルの後を付いていった。
「あ、あの・・・ポッター君」
ドラコの後に続かなかったコレットは、ドラコの誹りを止められなかったことに罪悪感を覚え、弁解しようする。
「ハリー、あいつの取り巻きなんて関わらない方がいいぜ」
しかし、ドラコとのやり取りのせいで、彼の隣にいたコレットにも敵対心を持っていたロンは、コレットの弁解を聞くよりも先にハリーに注意を促したのである。
「・・・うん」
ドラコと共にいたコレットより、既に仲間意識を持っているロンの方が信用に値するのだろう。ハリーは少しだけコレットの方へ視線を彷徨わせたものの、ロンに同意しそのままコレットの横を過ぎ去っていった。
「・・・嘘」
『これは・・・ご愁傷様としか言いようがないね』
取り残されたコレットの声は、空しく小部屋に響いていた。
ドラコやハリー達よりも後列にいたコレットは、呆然自失とした表情でとぼとぼと大広間を歩いていた。
彼女の落ち込みようは凄まじいものだった。多くの新入生が大広間の天井に映る美しい夜空や、浮かび上がる蝋燭の火に心奪われているというのに、顔を俯けたコレットにはそれが目に入ることはなく、ただの風景として過ぎ去っていく。
もしあの男の子と出会えたらちゃんと自己紹介しよう。そう意気込んでいたコレットにとって、先ほどのやり取りはあまりにも最悪の結果だったのだ。あれでは杖店で出会った時の印象よりさらに悪くなっているに違いない。コレットは隣から聞こえてくる少女の声が朧げに聞こえるほど沈み込み、意識を遠のかせていた。
「この大広間の天井は、本当の空に見えるように魔法がかけられているのよ。”ホグワーツの歴史”に書いてあったわ」
「・・・」
「ちょっと!あなた聞いてるの?」
「へ・・・何ですか・・・?」
「あなた、さっきハリー達と一緒にいた子よね?あなた気が弱そうだし、あんなやり取りをした後じゃ落ち込むのも無理はないけど、そんなことも言ってられないわ。ホグワーツに入学するなら、もっと学校について興味を持つべきよ」
「めんぼくしだいもございません・・・」
「しゃんとしなさい!」
隣ではきはきと喋る女の子は、落ち込んだコレットを奮い立たせるように一喝する。それにセイバーが『確かにその通りだ、君は一々気にしすぎなんだよ』と便乗した。
少女の言葉とセイバーの嫌味で少しだけ気分を持ち直したコレットは、落ち込んだ気分を払拭するように両頬をかるく叩くと、隣の少女に感謝の言葉を述べた。
「話を聞いてなくてごめんなさい。あと、ありがとう」
「・・・同じ寮になれるといいわね」
少女は少しだけ顔を赤らめると、そう言葉を零しきびきびと先を歩いて行った。コレットもその後に続くように大広間の奥へと進んでいく。その途中で、ハッフルパフのテーブルに座っているセドリックが此方に視線を向けていることに気が付いた。おめでとうと言うように微笑むセドリックに、若干コレットは気恥ずかしくなったが、それはすぐに苦笑いに変わることになった。彼の周囲にいる女の子たちが、セドリックの微笑みに黄色い声を上げていたからだ。双子の言っていた通り、どうやらセドリックは本当に女泣かせのようだとコレットは思った。
新入生の長い長蛇の列が歩を止める。彼らの前には、椅子に乗せられたボロボロの帽子が鎮座していた。
広間が水を打ったように静まり返る。帽子はぴくぴくと動き出し、つばのへりの破れ目が口のように動き出すと、高らかな声で歌いだした。
「(勇気あるものはグリフィンドール
努力を惜しまぬハッフルパフ
知識を求めるレイブンクロー
狡猾なるはスリザリン―――)」
帽子の歌を要約すると、そういう歌詞であった。どうやらそれぞれの寮の気風と新入生の性格を合致させて選別していくらしい。歌い終わった帽子へ送られる拍手喝采を聞きながら、コレットは自分がどこの寮に入れられるのか漠然と考えていた。
「ABC順に名前を呼ばれたら、帽子を被って椅子に座り、組み分けを受けてください―――アボット・ハンナ!」
長い羊皮紙の巻物から名前を呼び上げたマクゴナガル。その声に反応して、金髪のおさげの少女が転がるように前に出てきたことで組み分けの儀式は始まった。
帽子は円滑に新入生の組み分けを進め、マクゴナガルはつらつらと生徒の名前を呼び上げていく。先ほどコレットの隣で話していた少女は、ハーマイオニー・グレンジャーという名前であった。彼女の話しぶりからレイブンクローだろうかと予想していたコレットだったが、組み分け帽子は彼女をグリフィンドール寮へと振り分けた。
ドラコは自らが予見していた通りスリザリンだった。彼は帽子を被る間もなくスリザリンに組み分けられると、後列に残っていたコレットに見せつけるように自慢げに笑い、スリザリンのテーブルへと歩いて行った。
ハリーの組み分けにかかる時間は長く、何やら帽子と話し込んでいたようだった。帽子は高らかに「グリフィンドール」と告げると、グリフィンドールのテーブルに座っていた生徒たちは歓声を上げ、ハリーを快く迎え入れていた。
名前の頭文字のアルファベットがQからRへと移り変わった時、コレットの名前は呼ばれた。
「ルベインアンツ・コレット!」
コレットは帽子の元へ駆け出した。緊張した表情を浮かべながら椅子に座ると、マクゴナガルは手に持っていた帽子をコレットの頭の上へと乗せる。
一体どこの寮になるんだろう―――不安と期待が同時に胸に押し寄せる中、帽子の破れ目がぴくぴくと動き出し、しわがれた声を紡ぎ始めた。
「―――ふうむ、ルベインアンツ家の子だね。君の一族に生まれた女の子は、いつも見定めるのが難しい」
それは、コレットが予想していた言葉とは大分かけ離れた言葉であった。
次の瞬間には何処かの寮に選別されるだろうと少しだけ腰を浮かしすぐにテーブルへ駆けつけられるよう身構えていたコレットは、帽子の言葉に脱力してしまいがくりと肩を落とす。
「・・・あの、難しいって?」
「と思ったが、どうやら君はそれに当て嵌まらないらしい。とても単純で分かりやすい」
「え、何、馬鹿にしてるの?」
歌を口遊むような調子で話しかけてくる帽子は、コレットのふつりと湧いた苛立ちを察し「そんなことはない」と返答した。コレットからすれば、あまりにも信用ならない言葉である。
「ルベインアンツ家の中でも、君の祖母と母はとても難しくてね、流石の私でも唸ってしまったよ。何せ彼女たちは、あまりにもどの寮の気質も持ち合わせていなかった」
その帽子の言葉に、コレットは目を見開く。対してコレットの頭の上に乗っている帽子は、「おや知らなかったのかい」とおどけたような驚き方を返した。
「その才能は目を見張るものがありながら、グリフィンドールのように勇気に満ち溢れているわけでもない。ハッフルパフのように優しさを兼ね備えているわけでもなく、レイブンクローのように知識を探求しようという勤勉さもなければ、スリザリンのように野心に燃え狡猾なわけでもない―――彼女達は、どこの寮にも入れる資格を持たなかったし、それ故にどこの寮にも入ることができた」
帽子は懐かしそうにその過去を語るが、当のコレットからすればその話は初耳だった。彼女からすれば、自分の祖母や母がこの学校に通っていたことさえ知らなかったのだ。祖母はコレットが生まれる前に既に他界し、母はコレットが赤ん坊の頃に事故に遭って死んでしまった―――エドワードはコレットにそれだけしか話さなかったのである。
「それに比べれば、君は何とも分かりやすい・・・が、迷うものがある」
「迷うって、何をですか?」
「君は、大切なものを守るためなら振り絞れる勇気がある。それはグリフィンドールに値するが、守るためならどんな手段を辞さないという狡猾さはスリザリンに向いている。まるでコインの表と裏のようだ」
「わたしに、勇気・・・?狡猾さ・・・?」
その評価はあまりにも的外れだとコレットは考えた。自分に勇気があればエドワードに反抗してあの生活を打破できたはずだし、狡猾さがあればあの屋敷の中でもっと上手く立ち回ることができていたはずだと思ったからだ。
何より、無力でしかない自分に守れるものなどありはしないし、守るべきものもない。コレットはそう思わずにはいられなかった。
「君は勘違いしているね?私は全てを見通す帽子。私は君の頭の中を覗き、君の中に眠る性質を見極めるのだよ」
「・・・見極めようとしている割には、二つも候補があるみたいですけど?」
「おぉ手厳しい。今年の新入生は難しい子ばかりのようだ。―――さて、物は相談なんだが、君はどちらの寮を望むかね?」
「え、選んでいいの?!」
組み分け帽子によって唐突に齎された二択に、コレットは迷いに迷った。。グリフィンドールに行けば、汽車で知り合えたフレッドやジョージに会えるだろうし、先ほど少しだけ言葉を交わしたハーマイオニーとも同じ生活が送れるだろう。また、スリザリンならばドラコが組み分けされているため気兼ねせずには済みそうではあると思える。
うんうんと腕を組みながら考え込む中、帽子は再びへりの破れ目を動かした。
「悩むのもいいが、これだけは言わせてほしい。もし君がグリフィンドールを選ぶなら、君はこの学び舎で多くの友を得て守るべきものを見つけられるが、スリザリンを選ぶなら、君は真に欲するものを知ることができるだろう」
「え?」
多くの友か、真に欲するものか。コレットにとって、その二つは同義のものだ。今のコレットにとって、学校生活の中で築かれていく人間関係の中で、友人という存在はとても遠いものであり、密かに憧れているものだからである。だというのに、組み分け帽子はあたかもその二つが違うものだと主張していた。
困惑したコレットは、天井から注がれる光を遮る組み分け帽子のつばを見上げる。
「それってどういう意味なん」
「だが、君は既に恵まれているようだ。ならば―――“スリザリン”!」
聞いた意味あったの?!わたし少しだけグリフィンドールに入りたいなあと思ったんだけど?!
あたかも狙ったようにスリザリンと告げた帽子に抗議しようとするコレット。だが、まだ組み分け出来ていない生徒が閊えていることを鋭い眼光で訴えかけてくるマクゴナガルに怖気づき、コレットはそそくさとスリザリンのテーブルへ向かう他に選択肢がなかった。
「良かったじゃないかコレット。ポッター達よりはマシだということが証明されたぞ」
既にスリザリンのテーブルで新しい取り巻きに囲まれていたドラコは、ふんぞり返った態度でコレットを迎えた。対してドラコの隣に座っていたパーキンソンは、「ハッフルパフに行けばよかったじゃない。あそこの男子に色目を使ってたくせに」と悪態をついてくる。
居心地が悪くなる中、ドラコの向かい側が開いていたのでそこにコレットは座った。
「(やっぱりグリフィンドールが良かったんじゃ・・・)」
そう思いつつグリフィンドールのテーブルへと視線を向けると、此方へ視線を向けていたハリーと目が合った。ハリーは「やっぱりか・・・」と言わんばかりの視線をコレットに向けながら眉を顰めると、そのまま顔を背けてしまう。それ以後、大広間にいる間コレットはハリーと視線が合うことはなかった。
『これは確実に仲良くなれそうにないね』
「もう死にたい・・・」
淡々と事実を口にしたセイバーの言葉は、コレットの胸を深く抉った。
その後コレットは、ホグワーツ校長であるダンブルドアの話を聞き逃した挙句、テーブルに置かれたたくさんの御馳走にあまり手を付けられないまま夕食を終えることになり、スリザリン寮の女子室へと向かうことになった。
「うわ最悪、あなたと同じ部屋なんて」
顔を歪めたパーキンソンを目の前にして、コレットは叫び声を上げたくなった。
コレットの明日はどっちだ。
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五章『初めての学校生活』
夕食を終えたコレットたち新入生は、スリザリンの監督生に寮へと案内され、まず談話室へと足を運んだ。大理石に囲まれた荘厳な場所ではあるものの、地下にあるせいかジメジメと冷たく陰鬱な雰囲気が漂っている。
だが、今のコレットの気分はその談話室よりも更に陰鬱なものであった。
「あーやだやだ。根暗な子が部屋にいるだけで空気が澱んじゃうわ」
「あらパンジー、彼女と知り合いなの?」
「まあね、でも関わらない方がいいわよ。彼女の陰気さがうつるから」
「それは勘弁してほしいわね」
「(そいつの方が陰険じゃない!)」
これからコレットが生活していく大部屋の中では、パーキンソンが他の女子生徒たちにコレットの悪口を吹聴している。これがコレットを顰め面にしている原因だった。
純血を重んじるスリザリンの寮生は、基本的に家柄によって上下関係を決める。没落し名声の衰えたルベインアンツ家の小娘より、聖二十八一族に名を連ねるパーキンソン家のご令嬢に味方するのはごく当然の流れであった。既にキーパンソンのグループが確立しつつあった部屋の中はとても居心地が悪く、コレットはその部屋を出る他なかった。
部屋を出たコレットは誰もいない談話室の椅子に深く座り込み、膝を抱え込む。湖の地下に設置されているスリザリンの談話室の窓からは、湖の内部を見渡すことができた。雲一つない夜なのか、月の光が水面に差し込み、ゆらゆらと揺れている様が窓に写り込んでいる。気分を紛らわせるように、コレットはその様をじっと見つめていた。
「はー・・・」
『本当に、君ってツイてないよね』
「自分の運の無さが身に染みるわ・・・」
この先あの女と同じ部屋で生活していくのか・・・。汽車の中でコレットの中に満ち溢れていた期待は、今やこれからの学校生活を憂う不安に変わり果てていた。
未だにコレットを嘲笑う声が彼女の耳には残っている。それから逃れるように両耳を両の手の平で塞いでいると、霊体化を解いたセイバーが姿を現した。
その姿は、ルベインアンツの屋敷で過ごしていた時のような白のYシャツに黒のベストという簡素な恰好ではない。銀の装飾が施されている黒のチェスターコレットに細身の剣を腰に差した、初めて出会った時の姿であった。
「何でわざわざ出てきたのよ」
「忘れたの?君の令呪を隠さなくちゃいけないんだ。これを君にあげるために、少しだけ現界した」
セイバーがコレットに手渡したのは黒い手袋だった。薄いレザー生地で作られたそれは、コレットの右手の甲に刻まれた令呪だけを隠すように、指部分を覆う生地がなかった。
「それには幾重にも魔法がかけてある。手袋を着けていることにさえ気付かないだろうさ」
「でも、どうやって用意したの?」
「メントが君に持たせていた冬用の手袋を改造した」
「嘘でしょ最悪すぎる」
「仕方ないだろう、他に代用できる物がなかったんだ」
コレットは手に巻かれていた包帯を取り去り、しぶしぶ手袋を右手に嵌める。
それをしっかりと見届けたセイバーは、幼い子供に言い聞かせるようにコレットに注意を促した。
「いいかい?それを極力外さないようにするんだ。君みたいな子供がそんな規格外の魔力を秘めた刻印を持っていると知られたら、非常に厄介なことになる」
「・・・分かった、外さないようにする」
コレットの言葉を聞いたセイバーは、すぐに姿を消す。
セイバーの方へ向けていた顔を抱え込んでいた両膝に隠した。せめて明日から始まる授業は楽しいものであればいい―――そんな思いを抱きながら、コレットは暫く談話室に座り込み、しぶしぶと部屋へ帰っていった。
コレットの授業は、まず“薬草学”から始まった。魔法界で群生している植物の育て方やその使用方法などを学ぶ授業である。次の授業は“魔法史”で、これはホグワーツで教鞭を執る教師の中でも唯一のゴーストであるピンズが教える授業であった。これら二つの授業は杖を使用することがなく、寧ろエドワードによって強制されていた勉強で培った知識が役に立ち、他の生徒と比べて良い評価を得ることができた。コレットはスリザリンに二点分の追加点を加算させることができたのである。
魔法史の後の授業は、マクゴナガルが教える“変身術”の授業だ。グリフィンドールと合同で行うことになったため、席を早めに確保しておこうとコレットは駆け足で教室を移動した。まだまばらにしか生徒が席に座っていない中、コレットが席に着こうとすると、後ろから声をかけられる。そこにいたのは、入学式の組み分けの儀式の際、コレットの隣でホグワーツの歴史という本の一説を紹介してくれた少女だった。
「あなた、スリザリンに入っちゃったわね」
「・・・うん、同じ寮になれなかったね」
「顔が強張ってるわよ?あなたって人と話すのが苦手なのね。・・・そういえば、自己紹介してなかったわ。私、ハーマイオニー・グレンジャー。まあ、昨日の入学式で名前を呼ばれたから、知っているでしょうけど」
「わたし、コレット・ルベインアンツ。よろしくね、えっと・・・グレンジャーさん」
「ハーマイオニーでいいわ、堅苦しいもの。・・・本当に人と話すのが苦手なのね、何だか変に心配になるわ・・・」
挨拶もそこそこに、二人が席に着くとちらほらと生徒が教室に入室してきた。予鈴が鳴ると、昨日と同じ緑のローブを靡かせながらマクゴナガルはやってきた。
「変身術は、ホグワーツで学ぶ魔法の中で最も複雑で危険なものの一つです。いい加減な態度で私の授業を受ける生徒は出て行ってもらいますし、二度とクラスには入れません。初めから警告しておきます」
マクゴナガルは厳格な雰囲気を漂わせながら教卓の前に立ち、ぴしゃりと言いつけた。
多くの生徒はマクゴナガルの威厳のある声に肩を竦ませていたが、コレットの隣に座っていたハーマイオニーだけはきらきらとした目でマクゴナガルを見つめている。
マクゴナガルはまず手本に机を豚に変えると、また元の姿に戻して見せた。それを見た生徒たちは、すぐにハーマイオニーのようにきらきらと目を輝かせ、早く自分もやってみたいと逸る気持ちを抑えられない様子だった。
彼女は生徒たちにさんざん複雑なノートを取らせると、マッチ棒を配布し“マッチ棒を針に変える”という課題を与えた。それを達成できた生徒は一人としていなかったが、ハーマイオニーだけはマッチ棒を僅かに変身させた。滅多に見られないマクゴナガルの笑顔を引き出すことができたのだが、その笑みはすぐにコレットによってかき消された。
コレットがハーマイオニーをお手本に杖を振ると、マッチ棒が爆発し四散したのである。
「ちょ、何をどうしたらそんなことになるの?!」
「ミス・ルベインアンツ!一体何をどうしたらマッチ棒を爆発させることができるのですか!」
『君、“コンフリンゴ”を唱えたのかい?』
「・・・すいません」
授業にさえ付いてくるセイバーの悪態と、生徒たちからの笑い声で、コレットは顔を俯けることしかできなかった。
沈んだ気持ちを抱えたまま、コレットは次の授業が行われる教室に向かった。変身術の授業と同じくグリフィンドールと合同になったその授業の名は”魔法薬学”。スリザリンの寮監であるスネイプが受け持つ授業である。
変身術の授業の相違点は、コレットの目の前にキーパンソンが座っていて、両隣には彼女の取り巻きが座っていることだった。
コレットは肩身が狭くなる思いを募らせながら、スネイプの演説を聞く羽目になった。
「このクラスでは杖を振り回すようなバカげたことはやらん。そこで、これでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。沸々と沸く大釜、ゆらゆらと立ち昇る湯気、人の血管の中を這い巡る液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を惑わせる魔力・・・諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、名声を瓶詰にし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする方法である―――ただし、吾輩がこれまで教えてきたウスノロたちより諸君がまだましであればの話だが」
そう語ったスネイプは相当ハリーを嫌っている様子だった。演説中に机に向かってノートを取っていたハリーに容赦なく専門的な知識を要する質問を投げつけ、答えられないと容赦なくグリフィンドール寮の点数を減点していったのである。
減点して満足したのか、次にスネイプは初歩的な魔法薬である“おできを治す薬”を、生徒たちをいくつかのグループに分けて調合させた。杖を使わずに済むことに安堵したコレットだが、果たしてパーキンソンとそのお供と協力して作れるのか不安で仕方ない。意を決したコレットは教科書通りを見ながら製作に取り掛かったのだが、そこでパーキンソンが邪魔してきた。
「あなた、変身術の授業であんなに笑われたのに、よくもおめおめと顔が出せたわね」
パーキンソンのその一言で、コレットの両隣に座っていた取り巻きたちはくすくすと笑い始めた。その失敗を未だに引きずっていたコレットは見事に手元を狂わせた。火にかけていない鍋の中に“山嵐の針”を落とすと、鍋は噴水のように水を噴き上げて、コレットとパーキンソン、取り巻きたちをびしょ濡れにしたのである。
教室の床も水浸しにしたことで、スネイプはこめかみをひくひくさせながらこう言った。
「・・・スリザリンは2点減点」
コレットは、薬草学と魔法史で獲得した点数分を減点された代わりに、”今年初めてスリザリン生でスネイプから減点を受けた一年生”という名誉を授かることになった。
「おい、“コンフリンガー”だぜ」
「ほんとだ、テーブルで本読んでる。本まで爆発させる気か?」
『ぶふっ!面白いあだ名を付けられてるね・・・!』
「(穴があったら入りたい!)」
あれから数日が経った木曜日の朝、コレットの心は既に羞恥心でいっぱいだった。
大広間のスリザリンのテーブルで、一人ぽつんと座るコレット。彼女を見かける一年生たちは一様に“コンフリンガー”とコレットを呼ぶ。それは“爆発呪文”で知られている”コンフリンゴ”から名付けられた悪名であり、魔法を実践する授業でことごとく爆発を引き起こすことからそう呼ばれるようになった。
パーキンソンに至っては、これまでまともにコレットの名前など呼ばなかったというのに、このあだ名が流行してからは「あらミス・コンフリンガーじゃない」と煽ってくるようになった。その上、彼女がこの悪名を流行らせているせいで、一年のスリザリン生でコレットと仲良くなろうという人間はいなくなり、ドラコくらいしか話しかけてこなくなったのだ。
周囲の生徒が向けてくる視線は、明らかにコレットを揶揄しているものであり、コレットは手に持っていた本で顔を隠す他にそれから逃れる術はなかった。どこにいっても同じ視線を向けられるからだ。
「ほんとにもう、最悪すぎる・・・。あー、“クィディッチとは、二チームに分かれ、所定の球をゴールに投入して得点を競う協議であり・・・”」
『“クィディッチ今昔”なんて読んでも、箒の飛行技術は上がらないよ』
「読まないと落ち着かないのよ!」
コレットははっと息を飲む。周囲に誰もいないのに、あたかも誰かと喋っているような大声を上げたコレットに更に視線が集まったからだ。
泣く泣くコレットは手にしている本を無心で読むことにした。コレットが手にしている本は”クィディッチ今昔”という、言うなればクィディッチについての歴史やルール、果てにはクィディッチにおいて必須である飛行技術についても事細かに記してある書物である。
この日、またもやスリザリンとグリフィンドールは合同授業であった。授業内容は“飛行訓練”であり、これはコレットが最も心配していた授業でもあった。
コレットは箒に跨ったことがない。エドワードに箒を触らせてもらえなかったことも理由の一つだが、何より幼少期からドラコに聞かされてきたクィディッチの自慢話のせいで、興味を持つ前に毛嫌いするようになったからである。
人間なんだから地面に足を付けて歩けばいいじゃない。魔女らしからぬ思考に陥っていたコレットの横に、“クィディッチ嫌いの原因”となったドラコがやってきた。
「おはようコレット。今日は飛行訓練の日だな」
「オハヨウドラコ、ソウダネ」
「どっかの誰かさんが、箒の柄に頭をぶつけないことを祈ってるよ」
『僕はぶつけるに3ガリオン賭けるよ』
「もういやぁ!」
この世に味方はいないものかとコレットは嘆いた。こうして彼女はその日の午後三時に、嫌々ながら校庭に向かうことになったのである。
良く晴れた少し風のある日は飛行訓練にもってこいの天気だ。既に校庭の地面に置かれていた箒の横にコレットが近づくと、変身術の授業の時と同じようにハーマイオニーがやって来た。
「こんにちはコレット。あなた、随分面白い呼び方されてるわね」
「うっ!ひどいよグレンジャーさ」
「ハーマイオニー」
「ハ、ハーマイオニー」
「あなたはもう少し会話に慣れるべきね。そんなんじゃ、何時まで経ってもハリーに話しかけられないわよ」
「え、何でわたしがハリーと話したいって思ってると思ったの?」
きょとんとするコレットに、ハーマイオニーは呆れつつ理由を話した。
「だってあなた、合同授業の最中ちらちらハリーを見てたもの。入学式の日だって、本当はマルフォイを諫めようとしたんでしょう?ロンはあなたを取り巻きか何かだと勘違いしたみたいだけど、実際は、なんていうか・・・無理やり付き合わされてた感じがするもの」
「おっしゃる通りで・・・」
「やっぱりね」
「で、でも!ドラコはかなり嫌味なところがある陰険だし自慢ばっかだけど、悪いやつじゃないの。・・・多分、もしかしたら、おそらく、ちょっぴり・・・?」
「説得力が欠ける弁明ね・・・」
顔を合わせることが多くなったハーマイオニーは、コレットにとって話しやすい存在となっていた。二人が話し込んでいると、この授業を受け持つ教師であるマダム・フーチがやって来た。
白髪を短く切り揃え、鷲のような黄色い目をした彼女はがみがみとした大声で校庭に散らばっていた生徒を集める。
生徒全員が箒の傍に立ったことを確認し、マダム・フーチは「右手を箒の上に突き出して」と指示を出した。
「さあ、皆さんこう言って。“上がれ!”」
「上がれ!」
マダム・フーチの言葉に続くように、生徒全員が“上がれ!”と叫んだ。
コレットが叫ぶと、箒は起き上がる素振りを見せてすぐに地面に転がった。どうやらハーマイオニーも同じ結果のようで、彼女の箒は地面の上でころころと転がっている。
対して向かい側にいたハリーはすぐに箒を手に取った。ここ数日間、どうにかハリーと話したくて彼に関する本を読み漁っていたコレットは、これが”生き残った男の子”の才能なのかなと純粋に羨ましいと思った。
ハーマイオニーに指摘された通り、コレットはハリーをちらちらと見る。それにハリーが気が付き訝し気に視線を向けると、コレットは思わず顔を背けてしまった。
見ていないふりをするように、半ばやけくそで「上がれ!」とコレットが叫ぶと、
「あだっ!」
「コレット!?」
中途半端な気持ちが伝わったのか、地面に伏せていた箒は勢いよくコレットの額に衝突してしまったのである。
その反動で地面に後頭部もぶつけたコレットは、目を回しながら仰向けの状態で気絶した。横にいたハーマイオニーはすぐに膝を折ると、コレットの上半身を抱き起こす。
「コレット、コレット!しっかりして!」
「星・・・星が見えたスター・・・」
「訳の分からないこと言わないで!早く医務室に行きましょう!」
「全く何をしているんですか!ミス・グレンジャー、ミス・ルベインアンツを医務室に連れて行きなさい」
まるであらかじめ用意されていたような寸劇を一部始終目の当りにしていたマダム・フーチは呆れ返っていた。ハーマイオニーはコレットの右側を支えると、たどたどしい足取りで医務室へと向かう。
「・・・大丈夫かな」
心配そうに見つめていたハリーを、コレットは知る由もなかった。
翌日の昼休み、コレットは“クィディッチ今昔”の本を返却するために図書室に赴いていた。
「おい、コンフリンガーだぜ」
「噂じゃあ飛行訓練の授業で、箒の穂先を爆発させたってさ」
「まじかよ」
この作り話を広めたのはコレットを目の敵にしているパーキンソンであった。昨日の飛行訓練の後から伝染病の如く広めたらしい彼女の今日の笑顔はとても光り輝いている。その代わりに、噂の的であるコレットの顔には隈ができていた。
『ひどい噂になってるね。あのパグ犬面、下らない働きだけは一級品だ』
「図書室に行くまでに凄い見られてた・・・。もうわたしここで生活していけないんじゃないかしら・・・」
パーキンソンの陰湿ないじめは、着実にコレットの精神をすり減らしていた。
他人を避けて通るように本棚に隠れながら図書室内を移動するコレット。却ってそれが目立つことをセイバーは知っていたが、敢えて指摘することはなかった。
隠れることばかりに集中していたコレットは、周囲ばかりに視線を彷徨わせている。そのためだった。彼女は前方に人がいることに気づかず、ぶつかってしまったのだ。
「わっ!す、すいません!・・・って、あ!」
「こちらこそ、本の背表紙に集中してたから・・・って、コレットじゃないか!」
コレットがぶつかった人物はセドリックであった。セドリックは「入学式以来だね」と愛想良く笑うと、ぶつかった拍子に尻餅をついたコレットに手を差し伸べて立ち上がらせた。
「ディゴリーさんこそ、久しぶりですね」
「セドリックでいいよ。そういえばコレット、随分面白い呼び方をされてなかったかい?」
「んんっ!」
コレットの噂は同級生だけでなく上級生にも広まっていたらしい。あまりの恥ずかしさに頭を抱えるコレットを見て、セドリックは心配そうに眉を顰める。
「他人から変な目で見られるのって辛いよね。もし、僕にできることがあったら相談してくれよ」
「そんな、その言葉だけで十分です。・・・わたしが招いた結果なので」
「でも、君は辛そうだ。・・・そうだ。もしよければ、僕が魔法を見てあげようか?」
「へっ」
良い思い付きだと言わんばかりに笑顔を浮かべるセドリックとは裏腹に、コレットは驚きを隠せなかった。面倒見の良い先輩だとは思っていたが、ここまで真摯に向き合ってくれるとは思わなかったからである。
「そんなに驚くことかい?」
「いや、だって、諸々言いたいことはありますけど・・・第一に、わたし、スリザリン生ですよ?」
「スリザリン生である以前に、君は入学式の日、コンパ―メントで知り合った後輩だ。後輩の面倒は、先輩が見るものだろう?」
少しおどけたように軽くウインクをするセドリック。たったそれだけの仕草は、コレットの顔を林檎のように赤くするには十分な効果があった。
現状、唯一コレットが頼れる存在はハーマイオニーしかいない。しかし彼女はグリフィンドールの寮生である。かの寮と因縁のあるスリザリン生のコレットは、合同授業以外の時間では中々ハーマイオニーに近づくことができないでいたのだ。
そんな状況の中、降って湧いたような救世主に、いっそ縋ってみようかと考えたコレットはちらりとセドリックの方に視線をやる。そこには人好きのする笑みを浮かべたセドリックがおり、最早頼る他に選択肢は残されていないような錯覚に陥ってしまう。
いっそ本当に頼ってしまおうか。だが、その背後にいた存在を見てしまったコレットは、すぐにその考えを打ち消すしかなかった。
「(あ)」
彼の背後から睨みつけてくる女子生徒の殺気を感じ取ったのである。
「え、遠慮しておきます」
「やっぱり、他の寮の先輩じゃ頼りないかい?」
「そんなことないです!ただ・・・」
後ろの、人たちが・・・。そう言い淀むコレットに促される形でセドリックは後ろへ視線をやる。女生徒たちの痛いくらいの視線に気づいた彼は、心底申し訳なさそうにコレットに謝った。
「ごめんね。君に迷惑をかけるつもりはなかったんだ」
「そ、そんな!謝らないでください。わたし、その言葉だけで凄く救われました」
「そうかい?でも、相談事や悩みがあるなら相談してくれ。それくらいは力になりたいから」
幼い妹を励ますようにセドリックはコレットの頭を撫でる。手から伝わってくる温もりは、学校生活の中で孤独感を味わっていたコレットに安心感を齎した。
きっと、こういうところも女誑しの原因なのだろう。そう思いつつも、ただひたすら直向きに自身と向き合ってくれるセドリックの心遣いに、コレットは傷ついた心が癒されるのを感じる。
『君って単純だよね』そう声を響かせるセイバーに、コレットはそれを自覚するものの仕方がないと思った。
何せ彼の優しさは、コレットには眩しすぎたのである。
「ディゴリーさ・・・―――セドリック。本当に、ありがとう」
セドリックの目に映ったコレットの笑顔は、汽車で見たぎこちないものではない、はにかむような笑みだった。
「ねえ知ってる?コンフリンガーがハッフルパフのセドリック・ディゴリーに色目を使って、図書室で猛アタックしたらしいわよ?」
その日の夜のことである。コレットが図書室で借りた“君は箒に乗れるかな?―トロールでもできる実践的飛行訓練法―”の本をスリザリンの談話室で静かに読み耽っていると、取り巻きを連れたパーキンソンが上級生の女子生徒―――それもおそらくセドリックと同学年の三年生を重点的に狙って、噂を流していた。
スリザリンはグリフィンドールだけでなく、他の寮も格下に見ている傾向が強い。特に“劣等生が多く入寮している”と噂されるハッフルパフはその対象となっているのだが、どうやらセドリックの場合だとそれは免除されるらしいと、コレットは確信した。
何せ、パーキンソンの出まかせを信じた女子生徒たちが、射殺さんばかりの鋭い眼光を、噂の当事者たるコレットに向けてくるのだから。
女誑しをこんなところでも発揮するセドリックを若干恨みつつ、コレットはスリザリンへと入寮させた組み分け帽子を激しく呪う。次の入学式で姿を見せたなら、必ず破れ目から引き裂いてやると心に誓った。
「今すぐグリフィンドールに行きたい」
『もう遅いよ』
コレットの居場所は、ますます狭まるばかりであった。
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六章『名付けられぬ関係』
ホグワーツ城に夕日が差し掛かる。生徒たちは全ての授業を終えて大広間へと集まり、夕食を取り始めていた。
ある生徒は友人と、ある生徒は恋人と―――。各々が思い思いの者と共に夕食を取る中、コレットは壁際にあるスリザリンのテーブルに座っていた。その隣には、霊体化したセイバーを連れている。
『見事にぼっちじゃないか』
『ふっ・・・もう慣れたわ』
『慣れたら負けのやつでしょ、それ』
『うるっさい分かってるわよそんなこと!』
傍目から見れば、コレットのその姿は所謂“ぼっち”であった。
今やコレットの存在は、ハリーとは違った意味で目立っていた。魔法を扱う授業毎に起こす爆発事故を始めとして、様々な噂に尾鰭が付いて吹聴されていたからである。特にセドリック・ディゴリー絡みの噂は彼を狙っている女子生徒たちを刺激したらしく、彼女らの視線は常にコレットの身体を刺し貫いていた。
さしものセイバーも今の精神的に過酷な状況にあるコレットを馬鹿にするほど冷酷ではなく、寧ろ口には出さないものの心配していた。これまでの人生の中で、あまり人と関わることがなかったこの少女が、この孤独な状況を耐えられるだけの精神を持っているとは思えないからだ。
できることなら、ここ二週間近い期間の中である程度仲良くなったハーマイオニーやセドリックと共に行動した方が良いのだろう。だが、ハーマイオニーは所属する寮同士が険悪な関係であるため、コレットが共に行動するには悪目立ちする。セドリックに至ってはコレットを孤独にした噂の原因であるため論外だ。せめてこの少女にもう少しコミュニケーション能力があればと、セイバーは溜め息を吐くことしかできなかった。
コレットが顔を俯けてかぼちゃジュースをちびちびと飲んでいると、ふたつの大きな影が彼女を覆った。
前に視線をやると、そこにはクラッブとゴイルを後ろに連れたドラコが仁王立ちしていた。ドラコはコレットの向かい側の席に座ると、テーブルの中央に置かれていたローストチキンを自分の皿の上に置き、ナイフとフォークを使って小さく切り分け口に運んでいく。ドラコの両隣に座ったクラッブとゴイルは、食いつくさんばかりの勢いでテーブルに置かれた料理を口に頬張っていった。
「うちには劣るが、ホグワーツの食事も中々悪くない」
その言葉はドラコなりの最大限の誉め言葉だということを、小さい頃からの付き合いであるコレットは知っていた。コレットはドラコが食べているのと同じローストチキンを手に取り、豪快に齧り付いてみる。
「お前、もう少し品性ってものを身に付けろ」
「お生憎さま、わたしに魔法を勉強させる人はいても、テーブルマナーを教えてくれる人はいなかったのよ」
「ふん、相変わらず自虐を言わせたら一級品だな。・・・そうだ、そんなつまらない顔をしているコレットに、一つ面白いことを教えてやろうじゃないか」
「・・・何よ」
訝しみつつも話に食いついたコレットに、ドラコはにやりと笑う。その笑みは、大抵ろくでもないことを思いついた時にするものだと、コレットはやはり知っていた。実体験である。
ドラコは勿体ぶった態度で足を組むと、自慢げに言い放った。
「あのポッターとウィーズリーに、魔法使いの決闘を申し込んでやった。勿論行く気はないけどね。あいつら、今日の真夜中にトロフィー室でフィルチに見つかって、ホグワーツを退学になるだろうさ」
「!?」
その様を想像して悦に浸るドラコとは反対に、コレットの顔は真っ青になる。ドラコはコレットの反応など気にすることなく、明日の朝には学校から発車する汽車に乗っているハリー達を嘲笑っていた。その話を盗み聞いていた周囲のスリザリン生たちも、くすくすと笑っている。ドラコの物言いと陰湿な雰囲気に我慢ならなかったコレットの青白い顔は赤く染まり、コレットはテーブルに両手を叩きつけて付けて立ち上がった。
「この馬鹿ドラコっ!」
「な、」
コレットの怒声に、ドラコは呆気に取られた様子だった。常日頃から文句は言いつつも怒鳴ることのなかったコレットにドラコは驚きを隠せなかったが、コレットからすれば、それほどドラコの行動は許しがたいものだったのである。
オリバンダー杖店で出会って以降、ハリーの存在は常にコレットの心の片隅にあった。それは杖店でハリーに言葉を返すことができなかった後悔の念や、入学式の日にドラコの謗りを諫められなかった罪悪感が交じり合った複雑な感情がそうさせていたからだ。
ドラコが入学式の日を境にハリーを目の敵にしていたのは知っていたし、それに対しコレットがとやかく言うつもりはない。だが、もしドラコの行いをこのまま見逃しハリーがホグワーツから退学にでもなれば、きっと自分は一生後悔することになる。コレットの内心ではその思いだけが積もっていた。
立ち上がっているコレットはグリフィンドールのテーブルを見渡すも、そこにハリー達の姿はない。苛立ちを隠せないコレットはドラコを人睨みすると、またもや怒声を発した。
「ドラコ!普段から碌でもないことするヤツとは思ってたけど、あんまり度が過ぎると本当に友達がいなくなるわよ!?」
「何でそんなことをお前に言われなくちゃいけないんだ!」
「それくらいのことをするからでしょ!?少しは反省して!」
その言葉を最後にコレットは大広間から走り去った。その一部始終を見ていた周囲の生徒たちは異様な目でコレットの後ろ姿を見つめ、またドラコもコレットの後ろ姿を呆然と見つめることしかできなかった。
「っ・・・コレットの癖に・・・!」
そこにはもう、ドラコの知っている“屋敷の中で怯え続ける少女”の姿はなかった。
長い歴史の中で増改築を繰り返してきたルベインアンツの屋敷と比べても、ホグワーツ城は圧倒的な広さを誇っていた。コレットはハリー達を探すために広大な城内を探し回るもののその姿は見えない。歩き疲れた頃に、おそらくグリフィンドールの談話室にいるのだろうという考えに至った。コレットは仕方なくスリザリン寮へと戻り、決闘の待ち合わせ場所であるトロフィー室で待ち伏せることにした。
時計の針が十一時半を刻んだ頃に、コレットは行動を開始した。本来、真夜中に生徒が城内を歩き回ることは禁止されている。コレットは物音を立てないように静かに部屋を出てスリザリン寮を抜ける。
夜の城内は不気味なほど静寂に包まれていた。廊下の壁に掛けられている絵画の中の人物に「夜に校内を歩き回るな」と注意を促されるも、コレットはそれを無視して歩みを進めていく。
「うぅ、怖い・・・」
『君、今まであのお化け屋敷みたいな所に住んでいたんでしょ。何を怖がるのさ』
「何気にわたしの家を貶すのやめてくれない?それに、うちはここまで広くないわよ!」
『五月蠅い。見つかるよ』
「(お前のせいだろうがっ!)」
睡眠を必要としない使い魔であるセイバーの言葉は実に小気味良くコレットを罵る。睡魔と戦っているコレットからすれば、そのやり取りは眠気覚ましになることだけが救いだった。米神をひくひくと痙攣させながら、コレットはセイバーを伴ってトロフィー室へと向かっていく。
暗闇のせいで足元が覚束ない中、コレットは危うい足取りで階段を登る。その様子を罵りつつも見ていたが、ふと溜め息をひとつ吐いて声を響かせた。
『ねえコレット』
「何よ・・・もうわたしを馬鹿にする材料はなくなった?」
『それはまだまだ尽きないよ』
「あ、そ・・・」
『というより、今の君の行動こそ“馬鹿な行動”じゃないか?』
その言葉は、コレットを罵るような軽い口調ではなく諫めるような声音であった。
眉を顰めたコレットは、拗ねたような声音でセイバーに問いかける。
「どういう意味よ」
『何故そこまであのハリー・ポッター達を助けようとする?確かに君は彼らに負い目があるかもしれないが、ここまでするほどのことでもないだろう』
「それは、そうかもしれないけど・・・」
『寧ろ、その負い目も君が気負いすぎているだけの話だ。彼らを助ける義理も、助ける義務もない』
「・・・アンタ、何が言いたいの?」
『じゃあ言わせてもらうけど、君にとって、ハリー・ポッターはどういう存在なんだ?』
「―――!」
その言葉は、どんな鋭利なナイフよりも鋭くコレットの胸を突き刺した。何故なら、その言葉はコレットが今まで無意識に考えることを放棄していた問いだったからだ。
ドラコの悪事を知ったコレットのこれまでの行動は、彼女自身半ば本能に突き動かされるようにして行動した結果であった。彼らを、ハリーを助けなければならない。ただその思いだけでコレットはここまでやってきた。
しかし、ホグワーツ城を探し回ったときやトロフィー室へ向かう最中にも、彼女の心の片隅には常に“何故自分がこんなことをしているのか”という疑念があった。
コレットは自分の性格をよく弁えていた。根暗で、人見知りで、視野が狭くて、意地っ張り。そんな自分が、自らを顧みずに他人を助ける筈がない。
セイバーの言葉で浮き彫りとなった疑念の思いに、顔を俯かせたコレットは四階へと続く階段をゆっくりと登っていく。早く向かわなければとという義務感にも似た感情に急かされていたはずの足が、今や鉛のように重くなってしまった。
「(―――わたしにとって、ハリーってなんなの?)」
その答えに辿り着くことなく、コレットの目前にトロフィー室は差し迫っていた。
「あ・・・」
『ほら、早く入りなよ。もうここまで来ちゃったんだ。あとはやるしかない』
セイバーの言葉に背中を押されるように、コレットはトロフィー室の扉をゆっくりと開けた。
トロフィー室の内部はガラスケースの中に飾られたトロフィーでいっぱいだった。窓から差し込む月明かりを受けて輝くトロフィーは金銀に淡く輝き、幻想的な雰囲気を醸し出している。
コレットはトロフィーが陳列するガラスケースに隠れるように身を屈め、ハリー達を待ち伏せることにした。内心では今も自身の行動に納得できていないが、コレットは頭を左右に振ることでその気持ちに蓋をして、ハリー達を探すために辺りを伺うことにした。
月の光が周囲をぼんやりと照らすものの、部屋の全容を見渡せるほど明るくもない。コレットが目を凝らして周囲を見渡すと、不意に扉の開く音が木霊した。
それはコレットの入ってきた扉ではなく、別の扉が開いた音だった。その扉からは四つの人影がこそこそと蠢き、囁き声で話し合っている。
ハリー達だと確信したコレットは、足音を立てないよう気を付けながら急いでその人影の元へと向かった。
「ポッター君!ウィーズリー君!」
「あ!何でコンフリンガーがいるんだ!?」
コレットの声にいち早く反応したのは、ハリーの隣にいたロンだった。彼はマルフォイ一人が来ると確信していたため、その取り巻きであるコレットがトロフィー室にいたことに驚いている様子であった。
コンフリンガーと呼ばれたコレットは目元をひくりと動かすものの、すぐに現状を思い出し湧き上がる怒りを抑えてハリー達に駆け寄る。
「コレット!どうしてあなたここにいるの?」
「グレ・・・ハーマイオニーもどうしてここに?!それに・・・あなたは?」
「ぼ、僕、ネビル・ロングボトム。・・・ねえ、君って杖を向けたら何でも爆発させるって本当なのかい・・・?」
ネビルと名乗った少年はどうやら臆病な性格らしく、何でも爆発させるという噂を持つコレットに対し、怯えた目で見つめている。
「ネビル!あなたコレットが何でも爆発させるって本当に信じているの?!」
ネビルの言葉に激怒したのはハーマイオニーだった。ネビルはその声にもびくりと身体を震わせて、おずおずとハーマイオニーの方を見る。その視線からは、噂を信じているが故に恐怖している感情が見え隠れしていた。
対して、ハーマイオニーに庇われたコレットは表情にこそ出さないものの心の内では感動していた。ここ最近のコレットは後ろ指を指されることが常であり、コレット自身を心配し庇ってくれる人物などいなかったからだ。
「だ、だって合同授業の時、何でも爆発させてたし・・・」
「まあ、確かにそうだけれど」
「ハーマイオニー!庇うなら最後まで庇ってよ!」
「仕方ないでしょう。だってあなた何でも爆発させるんですもの!」
「しっ!みんな静かにして!」
状況を忘れ声を荒げるコレットやハーマイオニーを制止したのはハリーだった。彼は耳をすませつつ、辺りを警戒するようにこっそりと全員に指示を出す。五人が息を殺して身を屈めると、扉越しから低く漏らすような声が聞こえてきた。
「どこかこの辺にいるな?逃がさんぞ・・・」
五人の心臓が強く脈打ち、額に冷や汗が滲む。その声は、いつも生徒を仇のような目つきで睨み、罰を与えることに生き甲斐を感じている人物、フィルチのものだったからだ。
今彼に見つかれば、罰則は避けられない上に最悪の場合退学になるに違いない。恐怖と焦燥感から足を震わせるコレットを他所に、最も冷静さを保っていたハリーはフィルチがトロフィー室に侵入するところをじっと見ていた。
「今だ、みんな扉に行くんだ!」
フィルチが扉を開けて部屋の内部に入ると同時に、ハリーはフィルチから遠い位置にある扉に全員を誘導し脱出させた。
廊下に出た五人は足音を気にせずに走り出した。鎧が陳列された長い回廊を走り、当てもなく走り続ける。ハリー達の背後で走っていたコレットは、その背中を見つけながら薄暗い後悔の念に苛まれていた。
「(わたし、何のためにここまできたんだろう)」
ハリー達にドラコの狙いを伝えて、いち早く寮へ帰すことが目的だったというのに、達成することができないどころか、今やコレットさえもフィルチに狙われる身となっている。セイバーに告げられた“馬鹿な行動”という言葉の意味を、コレットは痛感せざる得なかった。
五人は無我夢中で城内を逃げ回っていく。背後にフィルチが追いかけているかどうかも確認することなく、ハリーを先頭にひたすら前を向いて両足を素早く動かし続け長い廊下を駆け抜ける。タペストリーの裂け目から抜け道を見つけ、そこを抜けていくと妖精の魔法の教室近くに出てきた。そこはトロフィー室から大分離れた場所にあるところであった。
走り疲れた五人はその場で立ち止まると、膝に手をついて乱れた呼吸を整える。運動音痴であるネビルやコレットに至っては、ぜいぜいと咳き込み、今にも倒れそうなほどであった。
「コレット・・・どうして、君は・・・あそこに、いたんだい?」
息を切らしながら、ハリーはコレットに問うた。ハリーに話しかけられるとは露ほども考えいなかったコレットは肩を震わせるものの、おどおどとしながらも自分の目的を伝えた。
「それは、あの・・・ドラコが、あなたたちを嵌めようとしていたから、伝えようと思って・・・」
「だから、言ったじゃない」
ハーマイオニーが、胸を押さえながらハリーとロンを睨みつける。
「ハリー、あなたも分かってるんでしょう?初めから来る気なんかなかったんだわ。コレット、ドラコはフィルチに告げ口したんじゃない?」
「・・・それは、分からないけど」
「分からない?分からないってどういうことさ」
ロンは眉を潜ませながら、コレットをじっと見る。
それに気まずさを覚えたコレットは、視線から逃げるように顔を下に向けると、悲嘆に暮れたような弱々しい声で言葉を紡いだ。
「わたし、ドラコと喧嘩したから」
「喧嘩?コレット、それってどういう―――」
「どういうことだい」。ハリーがコレットにそう問いかけようとしたとき、教室の扉の取っ手がガチャガチャと鳴り、教室の中から何かが飛び出してきた。
奇抜な恰好ににやにやとしたいやらしい笑みを称えたそれは、ビープスだった。五人を見ると、げらげらと歓声を上げる。
「黙れ、ビープス・・・お願いだから。じゃないと僕たち退学になっちゃう」
ハリーの必死の説得を意に介さず、ビープスは笑い続ける。
「真夜中にフラフラしてるのかい?一年生ちゃん。チッ、チッ、チ、悪い子、悪い子、悪い子、捕まえるぞ」
「っお願いビープス。言わないで」
「おぉ、おぉ!スリザリン生もいると来た!それも噂のコンフリンガーときた!」
「いいからどきなさいよこの性悪ゴースト!」
意地悪く光らせた目を向けてくるビープスに苛立ったコレットが払いのけようとすると、彼は待っていましたと言わんばかりに大声を上げた。
「生徒がベッドから抜け出した!妖精の魔法教室の廊下にいるぞ!」
五人はまたもや逃げ出す羽目となってしまった。ロンが背後を走るコレットに「お前がビープスを刺激するからだ!」と声を荒げ、それにコレットは押し黙ってしまう。先頭を走るハリーは「いいから早く走るんだ!」と後ろを走る四人を連れて廊下を走り続けた。既に体力が底をつき気力だけで走る中、彼らは廊下の突き当たりで扉にぶつかった。鍵がかかっている部屋だ。
「もう駄目だ!おしまいだ、一巻の終わりだ!」
絶望に打ちひしがれつつ、原因はお前だと言わんばかりにコレットを睨みつけるロン。そんな彼を押しのけて、ハーマイオニーが扉の前にやってきた。その手には杖が握られている。
「“アロホモラ”!」
ハーマイオニーが放った呪文と共に鍵がかちりと音を鳴らすと、扉が開け放たれる。五人は急いで中へと入り扉を閉めて、扉に耳を寄せて外の物音を聞き取ろうとした。
気まぐれなビープスはフィルチで遊ぶことにしたらしく、笑い声と怒声が交じり合った騒音が聞こえてくる。ハリーがほっと胸を撫で下ろすと、隣にいたコレットが袖を引っ張った。
「フィルチはこのドアに鍵がかかってると思ってる。もうオーケーだ。だから、袖を離してくれ、コレット」
それでもコレットは視線を部屋の奥に向けたまま袖を引っ張り続ける。心なしか、その顔色は血の気が引いているようにも見えた。ハリーは訝し気に部屋の奥へ振り返ってみる。
「―――」
そして、はっきりと見てしまった。ハリー以外の四人が凝視していた“それを”。
巨大な体躯と獣臭い吐息、三つの犬の頭―――三頭犬だ。
そこはダンブルドアに立ち入り禁止であると入学式の日に言い渡された場所だったのである。五人は得心した。何故この部屋が立ち入り禁止なのかを。この怪物がいるからだ。
血走った三つの頭の目玉がぎょろぎょろと五人を見つめ、口元から涎を垂らす。五人は怪物を目の前にして放心していたが、怪物の口から放たれる雷のような唸り声を聞いて正気を取り戻した。即座に扉を開け放ち廊下へと出る。それでも五人を噛み砕こうと扉から頭を出そうとする怪物を押さえつけるために、五人は必死に扉を閉めて走り出した。フィルチがうろついていることなど既に五人の頭にはない。あの怪物から一刻も早く離れるために、五人は走り続けた。
「はあ、はあ・・・!もう無理だよ・・・!」
最初に音を上げたのはネビルだった。ほとんど転ぶようにして足を止めたネビルに続いて、彼より前を走っていた四人は足を止める。周囲にフィルチやビープスの気配はなく、四人は溜め込んでいた疲労を吐き出すように大きく息を吐いた。
「あんな怪物を学校の中に閉じ込めておくなんて、連中はいったい何を考えているんだろう」
ロンの言葉に、不機嫌さを隠さないハーマイオニーはつっかかるように言った。
「あの犬が何の上に立ってたか、見なかったの?」
「床の上じゃないの?」
至極真っ当な意見を言ったハリーだったが、ハーマイオニーは呆れたように首を振った。
「違う、床じゃない。仕掛け扉の上に立ってたのよ。何かを守ってるに違いないわ。―――どう、これで満足?マルフォイに騙されて、さぞかしご満悦でしょうよ」
ハーマイオニーの皮肉気な言葉に、真っ先に反抗したのはロンだった。ロンは怒りでそばかすの付いた顔を真っ赤に染めると、唾を飛ばす勢いで口を開いた。
「そこまで言うなら、君がついてこなければよかったんだ!大体、こいつのボスがあんな約束しなけりゃ、僕らだってあんな所には行かなかったさ!」
「なっ・・・!」
ロンはコレットを指さしながらそう言い放った。責め立てるような口調は、まるでコレットにこそ比があると言わんばかりだ。
―――ブチリ。
コレットは、心の中で何かが引きちぎられたような音を聞いた。
心の奥底から、何やらどろどろしたものが湧き上がっていく。これまで内に秘めていた後悔の念や憤りが混ざり合ったそれは、心を満たすどころか溢れていく勢いで、コレットの目の前を赤く染め上げた。
「(わたしが悪いの?)」
怪物に襲われた恐怖から小刻みに痙攣していた右手を、爪が食い込む勢いで力強く握りしめる。コレットは勢いよくロンの首元の寝間着の布を掴みかかり、ぐいと引き寄せた。
「わっ、な、なんだよ!」
「・・・わよ・・か・・・」
「は?」
「煽られてのこのこ来る方がどうかしてるわよバァカ!」
ロンの眼前で発せられたその怒声は、先ほどの三頭犬の唸り声よりも威力があった。思わず腰を抜かしたロンはがくりと膝を曲げ、コレットはふんと鼻を鳴らして右手で掴んでいた寝間着の布を突き放すように離した。
ハリー達へ背中を向けたコレットは、そのまま踵を返して寮へと戻っていく。その後ろ姿からは、常では感じることのできなかった毅然さを滲ませており、堂々した姿であった。
コレットに呆気を取られ、ぽかんと口を開いていた四人。中でもコレットと親しい間柄であったハーマイオニーが、床に座り込んでいるロンに口を開いた。
「ロン、あなたってある意味凄いわよ」
「あの子って、あんな風に怒るんだね・・・いつも俯いていたから、想像もつかなかったよ」
ネビルの評価は最もであった。コレットはセイバーやドラコに対しては遠慮がないものの、他の生徒たちの前では基本的に顔を俯け、他人と関わらないようにしている。そんな彼女が、ロンが腰を抜かすほどの怒鳴り声を発するなど、おそらくコレットの隣で霊体化していたセイバーでさえも考えつかなかったことだろう。
コレットの去った方向を見つめていたハリーは、ぽつりと言葉を漏らした。
「僕たち、彼女のことを勘違いしてたんじゃないかな」
誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるようにハリーは呟いた。
その勘違いが、果たして何に対してなのか。コレットをドラコの取り巻きと思っていたことか、コレットの本来の性格のことか。
それを知る者は、ハリー以外に分かる筈もなかった。
「やっちゃった、やっちゃったよ・・・」
『その言葉、デジャヴじゃない?』
スリザリン寮に戻ったコレットは、自室のベッドの毛布に包まりながらその言葉を繰り返していた。
怒りを噴出させ半ばやけくそで部屋に戻ったコレット。ベッドに横になって冷静に思い返してみると、先ほどの行動の愚かさを嘆くしかなかった。
あれではドラコと何ら変わらないのではないか。そう思うと、やりきれなさで胸に裂けるような痛みが走った。
後悔の念からベッドの上でのたうち回るコレットを見ていたセイバーは、溜め息を吐きながらコレットに言葉をかける。
『はあ・・・これを機に、考え直してみるんだね』
「・・・考え直す?」
『君にとって、彼らがどういう存在であるのかを』
それは、自虐に浸り頭を抱えるコレットを諭すような声だった。
「どういう、存在・・・」
『それが分からなければ、君が彼らに慈悲をかける行為は彼らにとって迷惑にしかならない。そんな意味も理由も見出せない行為はね、心の贅肉でしかないんだよ』
頭に直接響いてくるセイバーの言葉はひどく鮮明なもので、コレットの脳に浸透する。
しかし、コレットにはセイバーの問いに答えられるだけの明確な思いなどなかった。ただ助けなければと思った。衝動のような感情だけで、トロフィー室へ向かったのだ。
―――彼らとわたしは、どういう関係にあるのか。
それに名付けられるだけの他人と関わった経験が、今のコレットには圧倒的に不足していた。
ここ最近忙しかった私生活が少しずつ落ち着いてきたので、ぼちぼち更新していければな、と思います。
週一くらいのペースで話を進めていければな、という感じです。
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七章『英雄の初陣』
わたしは一人、大広間へ続く廊下の真ん中を歩いている。廊下の端にはたくさんの生徒がいて、皆が皆、わたしを指さしてクスクスと笑っていた。
―――おい、見ろよ。コンフリンガーだ。
聞きたくない、そんな声は聞きたくない。やめてよ、わたしを見ないで。そんな声で笑わないで。
ぐらりと場面は変わって、真夜中の闇が横たわるトロフィー室にわたしはへたり込んでいた。目の前には、仁王立ちでコレットを見下すロンの姿がある。
―――お前のせいでフィルチに見つかりそうになって、退学になりかけたんだ!
言わないで、そんな風に言わないで。わたしは止めようとしたわ!大体、ドラコの安い挑発に乗る方がどうかしてる!
次にわたしの目の前に映ったのは、夕日の光が窓越しに差し込む埃っぽい部屋―――オリバンダー杖店の店内だった。私の背後には、最初に出会った時と同じTシャツと長ズボンを纏い、スニーカーを履いたハリーが立っている。
―――君も、マルフォイと同じような奴なんだね。
ルベインアンツの屋敷を取り囲む鬱蒼とした森よりも暗く、冷たい新緑の瞳。決して睨んでいる訳じゃないのに、その視線は誰のものよりも冷たく、わたしの心臓を射抜いていた。
違う、違うわハリー。そんな風に見ないで。わたし、わたしは―――。
「っぁあ!」
喉から絞り出したような甲高い悲鳴を上げながら、コレットはベッドから上半身を勢いよく起こした。ヒュウヒュウと音を伴わない不規則な呼吸を吐きながら胸を押さえ、背中に掻いた冷や汗にぶるりと身体を震わせる。
『ここ最近、随分と夢見が悪いみたいだね』
「・・・最悪だったわ」
セイバーの冷静沈着な声が頭に響いたことでコレットは平静さを取り戻した。額に張り付いた前髪を払い、人心地つけようと深呼吸をする。静けさに包まれた部屋の中で、コレットの息遣いだけが音を立てていた。
その異様なまでの静けさに、コレットははっと周りを見渡す。パーキンソンとその取り巻きたちと共同生活を送るコレットは、常に早起きすることを心掛け誰とも鉢合わせしないようにしている。その弊害としてパーキンソンの五月蠅い鼾に辟易としていたのだが、今日に限ってその鼾が聞こえてこないのだ。コレットは恐る恐るサイドチェストの上に置いてある時計を見ると、既に朝の七時半を過ぎていた。
「何で起こさないのよこの馬鹿使い魔!」
『何回も起こしたさ。それでも起きなかった君が悪い』
「その何回もって何回よ!」
『一回』
「アンタってそういうヤツよね知ってたわよもう!」
コレットは急いでベッドから起き上がる。ドタドタと足音を立てながら慌ただしく身支度を済ませ、異様なほどにボロボロになった教科書を両手に抱えてスリザリン寮から全速力で走り出した。行き先は一限目の授業である妖精の魔法の教室である。
寮がある地下一階から一気に一回の廊下へと駆け上がる中、コレットの空っぽの胃が空腹を訴えて腹の虫を鳴らす。始業時間ギリギリの今の現状の中、大広間に用意されている朝食安堵手に付ける暇などない。まだちらほらと生徒が廊下を歩いている中、コレットは泣く泣く腹の虫が泣いている腹部を抑えながら教室へと急いだ。
ホグワーツに入学してから何度目になるかも分からないほど、コレットは自分の運の無さを呪う。彼女の慌ただしい学校生活は、今日で二ヵ月を過ぎようとしていた。
学校生活が二ヵ月を過ぎる頃になっても、コレットを取り巻く人間関係は悪化の一途を辿っていた。
その要因は噂だけではない。ドラコがハリー達を退学させるために虚偽の魔法使いの決闘を申し込んだ日の翌日のことである。コレットにとってスリザリンで唯一気軽に話せる存在であったドラコが、ハリー達を唆したことに対し叱れたことが気に食わず、彼女を無視するようになったのだ。
それに追随するように他のスリザリン生達もコレットに対する態度が変化した。“ドラコの幼馴染”という関係に庇護されていたコレットは、彼と仲違いしたことでそれがなくなり、あからさまに爪弾きされるようになってしまったのだ。一ヵ月前までは孤立したコレットを遠目から眺めては噂を囁き合うだけだった生徒たちは、ここ最近では廊下を歩けばわざと肩をぶつけてきたり、教科書やノートを隠されるなど陰険な行為を行うようになった。それが要因となって、コレットは毎夜悪夢に魘されるようになってしまったのである。今朝の悪夢も正しくそれであり、ここ二週間近くコレットはまともに眠ることができず常に睡眠不足に悩まされていた。
「はあ、はあ・・・!」
『ほら、頑張ってコレット。もうすぐだよ』
霊体化したセイバーは、言葉だけでしか哀れな主を励ますことができない。寝不足と空腹で意識がぼんやりとしながらも、息も絶え絶えな様子で妖精の魔法の教室に到着した頃には授業は迫っていた。せめて目立たないよう、できれば教師に見つからないように出来るだけ音を立てずにそっと扉を開けたのだが、教室の奥で積み上がった分厚い教室の上で教鞭を執っている教師のフリットウィックには見えていたらしい。どうにか空いている席を探そうと身を屈めてこそこそしていたコレットに苦笑を漏らしつつ、彼女の名前を呼ぶ。
「ルベインアンツさん、すぐに席に着きなさい。今日はせっかく“浮遊呪文”を実践するんです。あなたもやってみたいでしょう?」
「その前に羽を爆発させるんじゃないからしら?」
パーキンソンのその一言で、教室中にどっと笑い声が溢れた。
哀れにもその対象となったコレットは、目尻に涙を浮かべながら屈めていた腰を少しずつ直立させる。フリットウィックの言葉に従って空いている席を座ろうと前髪の隙間からちらちらと周囲を伺った。
ニヤニヤと陰湿な笑みを浮かべるスリザリン生側の机に空いている席はない。淡い期待を込めてドラコの座っている席に視線をやると、彼はむすりとした表情で頬杖をつき、コレットの顔を視界に入れないようにしていた。その代わりに彼の隣に座るパーキンソンは嘲るような満面の笑みを向けていた。
「コレット、こっちに座ると良いわ」
教室内で物理的に孤立したことで捨てられたような子犬のような表情を浮かべた彼女に、救いの声が降ってくる。声のした方へ視線を向けると、そこには心配そうな表情でコレットを見つめるハーマイオニーの姿があった。
「ハ、ハーマイオニぃー・・・!」
降って湧いたような救いの手に、コレットは情けない声を上げる。
コレットはハーマイオニーの元へと駆け寄ろうとするも、数歩もしない内にあることに気づきその歩みを止めた。ハーマイオニーは一番端の席に座っているのだが、その横にはロンが座っているのだ。ハーマイオニーの横に座るものだと思い込んでいたコレットは、ぎこちない声で問いかける。
「あのー・・・ハーマイオニー・・・」
「何かしら?」
「わたし、どこに座ればいいの・・・?」
「私の席の前よ。ハリーの隣に座ればいいわ」
「?!」
「本当はシェーマスが座る筈だったんだけど、先走って浮遊呪文の使って爆発させちゃったから、保健室に行っちゃったの。だから、丁度のその席が空いてるのよ」
自分以外にも魔法で爆発を引き起こす生徒にどこか親近感を覚えつつ、コレットは口元を引き攣らせた。
選択肢が残されていないコレットは、おずおずとハーマイオニーの前の席に近づく。そこには彼女の言う通りハリーの姿があった。ハリーは見上げるようにコレットに視線を向けると、何を言うでもなくじっとコレットを見つめている。
コレットは無言のままハリーの隣に座った。二人の間に存在する深い溝に居心地の悪さを感じる。それに耐え切れなくなり、コレットは緊張した面持ちでハリーの方へ顔を向けた。
「・・・お、おはよう」
「・・・や、やあ、コレット」
それ以降、会話が続くことはなかった。ハリーは手に持った羽ペンでノートを取っており、コレットもそれだけに集中するようにどうでもいいフリットウィックの小話までノートに書き綴っていく。
コレットの背中には、グリフィンドール生の隣でのうのうとノートを取っているコレットが気に食わないと睨みつけるスリザリン生達の視線が突き刺さる。それはコレットの悪名や噂によって齎されるものではなく、明らかに彼女を軽蔑した感情を含めていた。
『ほらコレット、呪文の発音の子音が違ってる。ここは“s”じゃなくて“f”で発音するんだ』
「・・・あ、ほんとだ」
視線から逃れるために無心でノートに噛り付いていたコレットは、セイバーの指摘をぼんやりと聞きながら訂正する。
「ビューン、ヒョイ、ですよ。いいですか、ビューン、ヒョイ。呪文を正確に、これもまた大切ですよ。覚えていますね、あの魔法使いバルッフォイは、“f”でなく“S”の発音をしたため、気が付いたら、自分が床に寝転んでバッファローが自分の胸に乗っかっていましたね」
フリットウィックはキーキー声を奏でながら、正しい杖の振り方を生徒たちに教授していく。
生徒たちはフリットウィックを真似て杖を振る練習をするものの、どの生徒も初々しいぎこちなさを感じさせる振り方だった。ただ一人、ハーマイオニーだけは音楽を奏でる指揮棒のようにリズムよく杖を振るっている。
「さあ、皆さんもやってみて」
その言葉を皮切りに、生徒たちは机の上に置いてあった白い羽に向けて杖を振りだした。
また爆発させるのではと杖を振ることに軽い恐怖を覚えていたコレットは、せめて呪文が成功した生徒を手本にしてから杖を振ろうと決め周りを見渡す。横で練習しているハリーを始めとして、他の生徒たちも机の上に白い羽を乗せたままであった。どうやら羽を浮かせることは容易でない難易度のようだ。
『これ、基礎の基礎だよ。こんなのもできないんじゃ魔法使いとはいえないね』
『しょうがないでしょ。始めたばかりなんだから!』
『君に言ったんじゃない。あそこで無駄に杖を振り回しているお坊ちゃんに言ってるのさ。・・・よくもまあこんな初歩の魔法も使えないで、純血の魔法使いだと胸を張れるものだ』
そう言ってセイバーがコレットに見せたものは、ドラコやその隣に座っているパーキンソンが羽を浮かせられず苦戦している姿であった。二人とも滅茶苦茶に杖を振って呪文を唱えているが、羽はぴくりとも動かない。時折ふわりと羽が浮き上がるのは、教室の窓から入ってくる風か、もしくは杖を奮う腕が生み出す風圧が原因であった。
その様をじっと見ていたコレットに気づいたドラコが、一瞬驚いたように目を見開いた。しかしすぐにその顔の眉間には皺が寄せられ、見せつけるように舌打ちをするとコレットから顔を背けて練習を再開した。
以前では嫌味を言われても無視されることのなどなかったコレットにとって、二人の間にできた深い溝には胸を締め付けられる思いであった。その痛みに耐えるように息を吐き出していると、後ろの席からロンの叫び声のような呪文とハーマイオニーのとんがった声が聞こえてきた。
「“ウィンガディアム レビオーサ”!」
「言い方が間違ってるって言ってるでしょ!“ウィン・ガー・ディアム・レヴィ・オーサ”!“ガー”と発音が長く綺麗に言わなくちゃ」
「おおー・・・流石ハーマイオニー」
ハーマイオニーは、無作為に杖を振り回すロンを見かねて指導していたのだ。それに従うほどロンは
素直であるはずもなく、口煩い母親を睨みつけるようにハーマイオニーを横目で見ている。
杖を振り回すロンを見つめるハーマイオニーの視線が、徐々に養豚場の豚を見るような冷たさを帯びていく。それを一部始終見ていたコレットは、良かれと思ってロンに声をかける。
「・・・少しくらい、ハーマイオニーの言うことも聞いたら?」
「こっち見てる暇があるなら、さっさと羽でも爆発させろよコンフリンガー!」
「なっ!」
余計なお世話だと言わんばかりにコレットに噛みつくロン。彼は一ヵ月前にコレットの怒声を浴びてから、今だにそのことを根に持っていたのだ。
警戒されていることは分かっていたこととはいえ、これほどまでに堂々と暴言を浴びせられるとは思っていなかった。コレットは怒るべきか落ち込むべきかと、どうすればよいか分からず狼狽えている。
そこで助け船を出したのは、ロンのコレットに対する暴言に青筋を立てていたハーマイオニーであった。
「ロン、あなた他人のこと言えないじゃない?それに、ある意味では爆発させる方がマシなんじゃないかしら」
「君、訳分かんないこと言ってる自覚ある?」
「だってそうでしょ?どういう結果であれ、魔法をかけようとした対象に変化を起こしてるってことは、魔法自体はかかってるんだから」
「あれで魔法がかかってるって言うのかい?!」
信じられないと言わんばかりの否定的なロンの声に、ハーマイオニーは臆せず弁舌を奮う。
「いい?私たちは呪文を唱えて魔法を使ってるけど、それは魔法を使うための源である魔力に、より明確な指針を持たせ簡単に発動させるためなのよ。だから世の中には無言呪文なんて高等テクニックを扱う凄い魔法使いもいるわ。とどのつまり、呪文を唱えることで、呪文をかけた対象に何らかの効果を齎したということは、呪文によって魔力が行使され、魔法が発動しているということ。多分コレットの場合は発動して効果が現れるプロセスの中で何らかの問題があるから魔法が暴発してるんでしょうけど、それが改善されれば魔法を扱えるはずよ。窓から入ってくる風で羽を動かしているだけの誰かさんと比べれば、明らかにコレットの方が魔法を扱えているわ」
「そ、そうなの・・・?!」
優秀な頭脳から弾き出されたハーマイオニーの魔法の理論はまだひよっこの魔法使いであるロンの稚拙な頭では反論できる筈もなく、ぐぐぐと唸る他なかった。
対してコレットからすれば、そのハーマイオニーの言葉は一筋の光明のように思えた。入学式の翌日から始まった変身術の授業での爆発事故から始まり、既に杖を扱う授業で幾多もの爆発事故を引き起こしてきたコレットにとって、呪文を唱えることと爆発させることは既に同義であったのだ。それを覆したハーマイオニーの言葉は、正しく天の救いだったのである。
「そんなに言うなら、君がやってみろよ!」
完全に論破されたロンは、怒鳴り声を上げてハーマイオニーに詰め寄った。
迫り来るロンの気迫に負けることなく、ハーマイオニーは「いいわ」と悠然と答えると、ローブの袖を捲り上げ羽に杖を向ける。
フリットウィックと同様に、ビューン、ヒョイ、と杖を振り、はきはきとした正確な発音で呪文を唱える。
「“ウィンガーディアム・レビオーサ”!」
その呪文と共に、コレットとロンの視線は空中へと向けられた。
視線の先には、明らかに窓から入ってくる風のせいで浮き上がった羽ではない、意思を持つようにふよふよと浮いている羽があったのだ。
天井近くまで舞い上がっていくハーマイオニーの羽は、フリットウィックの小さな両の手の平から盛大な拍手を生み出した。
「皆さん、見てください!グレンジャーさんがやりました!」
コレットも両目をきらきらと輝かせながらハーマイオニーを見つめ、小さな拍手を送っている。
それに照れたハーマイオニーははにかむような笑みを浮かべるが、隣にいるロンは机に突っ伏し機嫌の悪さを隠そうともせずに口を尖らせている。
「じゃあ、わたしもやってみる・・・!」
ハーマイオニーというお手本を見つけ、更には彼女の言葉によって幾許か自信を取り戻したコレット。ハーマイオニーと同じようにローブの袖を捲ると、ビューン、ヒョイと杖を振り、呪文を唱えた。
「“ウィンガーディアム・レビオーサ”!」
―――刹那、教室中に爆発音が響き渡る。
音源の隣に座っていたハリーは、反射的に横を見やった。
そこには、白い頬と黒い髪を煤だらけにしたコレットの姿があり、机の上には原形を留めないほどの消し炭と化した羽が置いてあった。
「・・・先生、羽を取り替えた方がいいみたいです」
ハリーの的外れな言葉は、静寂に包まれた教室にいやに響き渡った。
妖精の魔法の授業を終えたコレットは、人目を避けるように小走りで廊下を通り抜け、やがて人気のない中庭に出る。
渡り廊下の近くにあった石造りのベンチに座り込むと、膝に両肘を置き、俯けた顔を両手で覆った。
『・・・』
「・・・何か言いたいなら、言ってもいいのよ」
『いや、まあ・・・ハーマイオニーの言葉を借りるなら、魔法は・・・発動しているんじゃ、ないかな・・・』
「慰めるくらいなら罵ってくれた方がマシよぉ・・・!」
コレットはこの時初めて、慰められる惨めさを知った。
顔を覆っている両手の隙間から、小さな嗚咽が聞こえてくる。
妖精の魔法の授業中に、見事に羽を消し炭にしたコレットはその後も淡々と続いていく授業時間の中で生きた心地がしなかった。教室へ入室した時よりも強烈に向けられた視線は今朝の悪夢に出てきた視線とそっくりで、何百本もの針に刺されているのではと錯覚するほどだったからだ。
コレットはひたすら時間が過ぎることを心の中で祈り、その時間の中では決して杖を握ることはなかった。
授業終了のチャイムが鳴ったと同時に席を立つと脱兎の如く教室から走り去り、人気のない場所を探し当て、今に至るのである。
「セイバー、わたし、もう駄目かもしれない」
嗚咽混じりのその言葉は涙に濡れていた。小さな肩を震わせながら縮こまるその姿は、今にも手折られてしまいそうな花よりも脆い。
『・・・君、言ってたじゃないか。“エドワードのくそジジイの時より、よっぽどマシだ”って』
ホグワーツに入学しておよそ二週間ほどしか経っていない頃、周囲から孤立し孤独に苛まれていても、その一言を呟きながらコレットは立ち直ってきた。
しかし、今のコレットには露ほどの効果もない。それは、ほぼ一人孤独に生きてきた暗い幼少期と比べても、この学校生活の方がより辛いものだと証明しているに他ならなかった。
「あの時は、そう思ってた、思ってたのよ・・・。でも、今は違う・・・!」
震える肩が更に縮こまり、スカートにぽたり、ぽたりと涙を零す。
『コレット、君は何も恥じることはない。寧ろ恥じるべきは周囲の生徒たちだ。君は悪くないんだから、周りに気を病む必要はないんだよ。それに悪いことばかりじゃない筈だ。屋敷にいた頃よりも、君は生き生きしてるじゃないか』
「っでも!あの頃はこんな恐怖を知らずに済んだ!」
塞き止められていた濁流が一気に流れ出すように、コレットの口からはするすると悲痛な言葉が漏れ出てきた。
「あの頃は軽蔑した目で見てくるのは一人しかいなかった!周りから避けられたりすることもなかった!」
『・・・それは、周りに人がいなかったからだろう?』
「その方がマシだったわ!周りに誰もいなければこんな寂しさなんて知らずに済んだ!こんな痛みも知らずに済んだ!それに、それに・・・周りから孤立していくのが、こんなに怖いことだって知らずに済んだ!」
『コレット・・・』
「こんなことなら、あの屋敷で一人でいたかった!」
それは、紛れもないコレットの本音だった。
これまで人生のほとんどを一人で過ごしてきたコレットは、学校生活の中で様々なことを学んだいた。それは魔法の扱い方であったり、箒の乗り方でったり、バイキング形式で配膳される食事の中で、如何に早く人気メニューを素早く奪取するかであったり、様々だ。しかし、彼女が何より学んだこととは、集団の中で自分だけ孤立する疎外感―――寂しさだったのである。
エドワードとメント、ドラコやルシウス、ナルシッサといった片手の指で足りる程の存在としか関わりを持たなかったコレットにとって、その孤独感は何よりも彼女の心に深い傷を残していた。
―――孤立していることは、拷問と変わらない。わたしが罪人で、わたしを見ている生徒たちの目が拷問用の凶器。わたしの身体を、ぶすり、ぶすりと刺してくる。
今や、彼女の身に降りかかる視線は、彼女を痛めつける凶器と何ら変わりはないのだ。
人気のない中庭のベンチで泣き崩れる少女の姿を、目に見えない従者だけが見守っていた。
『・・・辛いなら、学校を出てもいいんじゃないか』
「・・・え?」
頭に響いてきた言葉に、コレットはふっと顔を上げる。
『君はエドワードの元で十分苦しんできた。それを継続させて・・・いや、寧ろ悪化させてまで、ここにいる意味なんてないだろう』
「・・・で、でも。それは、」
『僕は、君がその選択をしても、軽蔑したりしない』
ぶっきら棒に告げられるセイバーの言葉からは、彼なりの優しさが込められていることをコレットは感じ取った。
この学校を出て行く。それは、彼女が今まで考えないようにしていた選択肢であった。そんな弱音を吐けばセイバーになんて言われるかわかったもんじゃない。そうやっていつも頭の隅に追いやっていたというのに、当の本人から告げられたことで、コレットは呆気に取られたのだ。
―――ここを、辞めてもいいんじゃない?
目の前に差し出された逃げ道に目が眩みそうになった時、コレットの横を一人の少女が走り抜けた。
茶色のふわふわとした長い髪を靡かせながら、その少女は中庭を一直線に走って行く。コレットにはその姿は見覚えがあった。このホグワーツで出会った人々の中でも、親しくなることができた稀有な存在―――ハーマイオニーである。
「は、ハーマイオニー?」
「!」
いつも颯爽と歩く彼女にしては慌ただしい足取りに驚いたコレットは、思わず声をかけた。
それに気付いたハーマイオニーはコレットの方へ振り返る。コレットを映す茶色の瞳には薄い膜が張ってあるように見え、両の眉が悲しげに顰められている。
彼女はすぐに顔を背けると、そのまま中庭の奥の方へと駆け出して行った。
仲良くなれた数少ない人物であるハーマイオニーからも避けられたと感じたコレットは、泣き腫らして赤くなった目尻に再び涙を浮かべる。
「わたし、ハーマイオニーにも嫌われた・・・?」
『いや、違うようだよ。後ろを見てごらん』
コレットははおずおずと後ろを振り返った。そこには、教科書とノートを抱えたハリーとロンが城内に続く扉から出てきて廊下を歩いている姿が見える。
随分と話し込んでいるため、二人はコレットに気づくことなく廊下を歩いている。コレットが注意深くその会話を盗み聞いていると、ロンの腹立たし気な声が聞こえてきた。
「誰にだってあいつには我慢できないさ。全く悪夢みたいなやつだよ」
「さっきの話、聞こえてたみたいだけど・・・」
「うっ・・・ふ、ふん。誰も友達がいないってことはとっくに向こうも気づいているだろうさ」
その会話は、ハーマイオニーのいつにないあの姿の原因が彼らであることを知るには十分な証拠であった。
会話を聞いていたコレットは、セイバーとの罵り合いで鍛え上げられた米神をひくりとさせる。
「あーいーつーらー・・・」
『あの秀才のお嬢さんも、中々大変だね。・・・コレット?』
優秀な上、自身の技能を惜しげもなく披露すればやっかみを買うのは仕方あるまい。そう考えていた従者とは裏腹に、彼の主は従者のように納得できる筈がなかった。
ハーマイオニーを傷つけたであろう彼ら―――主にロンへの怒りがコレットを奮い立たせた。
彼女は勢いよくベンチから腰を上げると、猪の如くロンの元へと突き進む。
「ロナルド・ウィーズリー!」
「う、うわ!何だよ!?」
「こ、コレット!?」
コレットはロンの肩をぐいと鷲掴んで無理やり顔を合わせる。ロンの隣にいたハリーは「とりあえず落ち着いて」と焦りながら声をかけるが、今のコレットには全く聞こえていなかった。
肩を掴まれたロンはと言えば、まるで自分の母親であるモリーと同等の怒声で名前を呼び上げたコレットの迫力に圧倒されているようであった。男子としてのプライドからか、怖気づいた態度をひた隠しながらコレットの手から逃れようとするも、コレットの腕力はロンの相乗以上に力強いもので中々抜け出すことができない。
「いい加減にしなさいよこのノッポ!女の子泣かせていいと思ってる訳?!」
「な、お、お前今の話聞いてたのか?!盗み聞きなんて卑怯だぞ!」
「聞いたも何も声がでかいのよ!聞こえないとでも思った?トロール並みに頭悪いんじゃないの?!」
「うっ、五月蠅いぞコンフリンガー!」
それは、コレットに押し負けているロンの精一杯の意趣返しであった。
しかし、その悪名は今のコレットに火に油を注ぐような行為に他ならない。肩を掴んでいたコレットの手の力が不意に弱まった。ロンはよろめきつつも即座に距離を取るが、その様を見ていたコレットはふんと鼻を鳴らす。両腕を組み、仁王立ちする姿はさながらスリザリン生の模範とも言えるほど様になっており、ロンを見下していることがすぐに分かった。
ロンは勿体ぶった態度がドラコそのものだと思いつつ悪態をつく。それはハリーの目から見ても虚勢であることは明白であった。
「良いこと教えてあげましょうかロナルド・ウィーズリー?」
「・・・な、なんだよっ」
「あなたそんな風に口だけ達者だから“ハリー・ポッターの金魚のフン”なんて呼ばれるのよ!」
ずいと顔を近づけて放たれたその一言は、ロンに尻餅をつかせるのに十分な効果があった。中庭の地面に茂草の上に座り込んだロンの姿にセイバーは既視感を覚えながら、ハーマイオニーの後を追って走って行くコレットを追う。
「もう愛想が尽きたわ!いや、愛想が尽きるくらい付き合いがあったわけでもないけど・・・ハリーもハリーよ!止めるならちゃんと止めればいいのに、」
ぶつぶつと文句を言いつつ、やはり言い過ぎたと内心後悔している気弱な主にセイバーは溜め息を吐く。 ふと後ろを振り返ると、そこにはロンを助け起こそうと手を伸ばしているハリーの姿があった。
尻餅をついたロンに手を伸ばしながらちらりとコレットの後ろ姿を見つめるハリーの瞳は、霊体化したセイバーを留めることはない。
『お前は、ずっと見ているだけなんだな』
侮蔑の感情が色濃く滲んだ声も、決してハリーに届くことはなかった。
ハリーとロンを後にしたコレットは、ハーマイオニーを追いかけたもののその姿を再度見つけることはできなかった。
その後に予定されていた授業は全てスリザリン生のみで行われ、コレットがハーマイオニーと出会うことは以後なかった。
妖精の魔法の授業の雰囲気を引きずったままのスリザリン生達は、無遠慮な視線をコレットに突き刺す。だが、コレットの心中に渦巻くのは涙を目尻に浮かべたハーマイオニーの姿であった。授業内容など頭に入る筈もなく、コレットは全ての授業を聞き流しハロウィンの御馳走が用意されている大広間へと向かうことになったのである。
「ハーマイオニー・・・グリフィンドールのテーブルにいないんじゃ・・?」
コレットがぼそりと呟いた声は周囲のはしゃぎ声にかき消される。周囲―――といってもコレットの両隣と目の前にはきっちり一人分のスペースが空いているのだが―――には、ハロウィンの御馳走を目の前にして浮かれる生徒たちの姿でいっぱいだった。
特に騒ぎ立てているグリフィンドールのテーブルをコレットが見渡すものの、そこにハーマイオニーの姿はない。
もしかして中庭を走っていった後から授業にでも出ていないんじゃ・・・?一抹の不安が脳裏に過る。
それと同時に、大広間の扉が大きな音を立てて開いた。
「トロールが・・・地下室に・・・三体・・・お知らせしなくてはと思って・・・」
開け放たれた扉から姿を現したのは、恐怖で顔を引き攣らせたクィレルだ。
全速力で大広間の奥へと走って行くクィレルはダンブルドアの元まで辿り着き、震える声で言い終えるとバッタリと気を失った。
大広間は一気に大混乱となる。奥に座っている教師たちでさえその顔に驚愕の色を滲ませる中、ダンブルドアだけは一糸も取り乱すことはなかった。天井に向けて杖を向け、その先端から紫色の爆竹を何度か爆発させ、騒然となっていた生徒たちを静める。
「監督生達よ、すぐに自分の寮の生徒を引率し寮へと戻るのじゃ」
静寂が訪れた大広間に木霊したダンブルドアの声により、生徒達は監督生の誘導に従って迅速に寮へと戻っていく。
大広間の扉に向かって長蛇の列が並ぶ中、それに流されるように列の中で揉みくちゃにされていたコレットは、自身が次に取るべき行動をあぐねいていた。
『どうしようセイバー!もしかしたら、ハーマイオニーはトロールがいることを知らないんじゃ・・・?!』
『どうしようも何も、こればかりは先生方に任せるしかないだろう。仮に彼女が今も校内をうろついていてトロールに遭遇したとしても、君じゃあトロール三匹に敵う訳ないんだから』
『うっ!た、確かにそうだけどぉ・・・!』
もしハーマイオニーが何も知らずに校内のどこかで泣き続けていたら、侵入してきたトロールに襲われる可能性がある。その考えがコレットの頭を悩ませていたのだ。
最悪の想定を思い浮かべたコレットは、頭を抱えつつもその歩は大広間の扉へと向かっていた。このまま素直に寮に戻ってもいいのか―――思いつめていたコレットの視界に、二つの人影が生徒達の大行列からこっそりと抜け出すのが映った。
その二つの人影の姿を、コレットが見間違える筈がなかった。
「ハリーにロン・・・?」
『ほんとだね。彼ら、寮に戻らずどこに行く気なんだろう』
間違いなく、その二つの人影はハリーとロンのものだったのだ。彼らはグリフィンドールの監督生であるパーシーに気づかれないようこっそりと列を抜け出ると、ハッフルパフの列に紛れ込んでしまう。
真夜中に寮を抜け出して決闘を行うような無謀な彼らではあるものの、まさかトロールを一目見ようと列から抜け出してしまうほど愚かな人間ではない。そう思ったコレットは、すぐに一つの答えを導き出した。
「やっぱり、ハーマイオニーは校内のどこかにいるんだ・・・!」
そう直感したコレットは、居ても立ってもいられなくなった。
自分の寮へと向かう生徒たちの列を押しのけてハリー達の後を追いかけようとするコレット。人の壁を掻き分け、ようやく列から抜け出せるという時に、その行動を制止するように」彼女の左腕が掴まれた。
「お前、前々から思ってたが、ほんっとうに馬鹿じゃないのか?!」
コレットの行く手を阻んだのは、怒りの形相で睨みつけるドラコの手だった。
決して行かせないと言わんばかりに強く握られた左腕の手首はその部分だけ白く変色しており、あまりの強さにコレットが僅かに顔を歪める。
「っつう・・・。い、いきなり掴まないでよドラコっ」
「掴まなきゃ寮に戻ろうとしなかっただろ!」
「別にドラコには関係ないじゃない!大体アンタ、今まで散々わたしを無視してたでしょ!?」
「!」
言外に「わたしに構うな」と宣告されたドラコは、一瞬言い淀みコレットを掴んでいた腕の力を弱める。
それをチャンスとばかりにコレットは抜け出そうとしたが、それに気付いたドラコはすぐに力を込め直した。
「だから、痛いって・・・!」
「何でお前は僕の言うことを聞かないんだ!?屋敷にいた時だってホグワーツに入学したばかりの頃だって、何かにつけて僕の後ろをついて回ってた癖に!」
「っ今それ関係ないじゃない!」
子供の癇癪のようなドラコの物言いはコレットに苛立ちを覚えさせ、今にもハーマイオニーがトロールに襲われているのではないかという最悪の想定が焦燥感を与える。
痺れを切らした彼女は強硬手段に出た。ローファーに守られたドラコの足を思い切り踏みつけたのである。
「いだ!」
「わたしアンタの子分になった覚えなんかないから!」
コレットはそれだけ言い残しハリー達の元へと走っていった。
足を思い切り踏んでしまったことに多少なりとも罪悪感を覚えたが、コレットはそれに囚われる余裕などない。一度も振り返ることなく列を掻き分けて行った。
生徒達の列から離脱したコレットは、ハリー達と同じようにハッフルパフの列に紛れ込み、誰もいなくなった廊下の方へと躍り出る。
ここからハリー達をどう探すべきか―――歩みを止めたコレットの前に、霊体化を解いたセイバーが姿を現した。
「わっ?!い、いきなり姿を現さないでよ!」
現界する度に驚く主に呆れつつも、セイバーは行く手を遮るようにコレットの目の前に立つ。
「何のつもりよ」
「僕だって本意じゃない。だけど、このまま主を危険な場所に飛び込ませるほど鬼でもないんでね。寧ろ感謝してほしい」
「・・・わたしを止めるってこと?」
「君がこの先に進むのならば」
「ああもう次から次へと・・・!」
ドラコの腕を振り払い、行方の分からなくなったハリー達の後を探そうとした矢先に現れたセイバー。彼こそが、最大の難関だったのだ。
一番面倒な奴が立ち塞がってしまったとコレットは舌打ちする。コレットはこれまでにセイバーに阻まれた行動を成し遂げたことなどなかった。いつだってセイバーが一枚上手で正論を示してきたのだ。思い付きで行動する割には意志が弱く世間知らずなコレットに、セイバーに勝つ要素など一つもなかった。
だが、この場面においてはセイバーに諾々と従って寮に引き返すほどコレットの意志は弱くはない。この先でハーマイオニーがトロールに遭遇し、危険に晒されているかもしれないのだ。
「どいてセイバー。仮にもわたしを主と呼ぶのなら、わたしの言うことを聞きなさい」
セイバーに気圧されないよう、コレットは主然として振舞う。明らかに慣れていないであろう毅然とした立ち振る舞いは、一周回って哀れみさえ覚えるほど頼りないもので、セイバーはホグワーツにやって来て何度目になるか分からない溜め息を吐いた。
「コレット、この先にハーマイオニーはいない」
「え?!」
「僕はある程度の範囲なら魔力を探知できる。ここまで来て分かったけど、この先にはあの二人の分の魔力しか感知できないから、君が心配しているような事態にはならない。これで満足かい?」
唐突に知らされたセイバーの能力とハーマイオニーがいないという事実に、虚勢だけで仁王立ちしていたコレットの両膝ががくりと落ちる。
この先でハーマイオニーがトロールに襲われることはない。それに安堵したコレットだったが、すぐにその安堵は消え失せた。この先にハーマイオニーがいなくとも、ハリーとロンが向かっていることに変わりはなかったからだ。
おそらくハーマイオニーを探しているだろうハリー達を放っておくほどコレットは冷酷ではない。今朝の恨みは些か残っているものの、コレットはすぐにセイバーに抗議の声を上げた。
「どいてセイバー!ハーマイオニーがいなくても、ハリー達が危ないじゃない!」
「教師達に任せればいいだろう。運が良ければ間に合うさ」
「そんな運任せにできるわけないでしょう?!いいから、さっさとどきなさい!」
「―――ねえ、いい加減にしなよ」
氷河よりも冷たく、鋭利なナイフよりも鋭い声は、コレットを黙らせることなど造作もなかった。
銀色の鋭い眼光にコレットは硬直し、捕食者を前にした子兎のように委縮させる。
「一ヵ月前のこともそうだけど、どうして君はいつも後先考えず首を突っ込むんだ」
「し、心配だからよ!」
「じゃあ、君にとって彼らは心配する価値がある存在なのかい?親しいハーマイオニーを悲しませ、君をコンフリンガーと罵り、ドラコの子分だと忌避してきた彼らが?」
その言葉に、コレットはヒュウと息を飲み込む。
「そ、それは・・・」
「彼らは、君を苛ませていた他の生徒連中と同じ存在じゃないか?」
それを否定できる言葉を、コレットは見つけられなかった。
彼女の脳裏に過ったのは、入学式の日にドラコの子分だと冷たい視線を向けてくるハリーの姿と、真夜中に校内を彷徨う中でコンフリンガーと罵るロンの姿だ。コレットにとって、彼らのその姿は自身を傷つけてきた周囲の生徒達と何ら変わりはないものだった。
人形のように黙りこくったコレットを見下ろすセイバーは、その沈黙を肯定と受け取り、項垂れている右腕を引く。
「ほら、帰ろう。トロールは先生方に任せて、君は早く寮で寝た方がいい。今朝は・・・というより、“今朝も夢見が悪かった”せいで、寝不足なんだろう」
「っ!」
今朝の夢―――その言葉に目を見開いたコレットは、右腕を引くセイバーを半ば無意識の内に振り払った。
振り払われるとは思っていなかったセイバーはコレットを見やる。セイバーの後ろで呆然と立ち尽くしているコレットは、セイバーに指摘された今朝の悪夢の中で、ハリーに手を伸ばしながら言い募ろうとしていた自分の姿を思い返していた。
―――悪夢の中で冷たく見下ろしてくるハリー。それに手を伸ばしてるわたし。わたし、どうしてハリーに向かって手を伸ばして、何を言おうとしていたのだろう。
夢の中での出来事の疑問がふつり、ふつりと湧いて出ては、コレットはその答えを言葉にしていく。
―――ドラコと同じだと思われたくなかった。冷たい視線を向けられるのが怖かった。これ以上嫌われるのが怖かった。だって、わたし、わたし―――。
「わたし、ハリーと友達になりたかった・・・」
―――あ。
ぽつりと呟いた言葉は、霧がかって不明瞭になっていたコレットの心を露わにし、奥底に眠っていた彼女の願望を引きずり出した。
彼女は、オリバンダー杖店で初めてハリーと出会った瞬間から、自分と彼が似た存在であることを直感していたのである。
だからこそ親近感が湧き、仲良くなれると思った。初めて自分から友達になりたいと思った。その存在がハリーだった。それだけの話だったのだ。
「―――セイバー」
そう従者を呼びかける少女の目に、もう迷いはない。虚勢でしか保てなかった主としての体裁が、今の彼女には真に備わっていた。
「わたし、彼らを助けたいの」
「彼らは君に悪印象しか抱いてないみたいだけど、それでも助ける意味なんてある?」
きっと友達にはなれないよ。耳に痛い言葉だと、コレットは苦笑する。
「関係ないわね。ハリー達がわたしを嫌っても、わたしは嫌ってないもの」
「面倒な方向に開き直ったね・・・。でも一つ、一番の難問が残ってるのを忘れているようだ」
「・・・何よ」
「君には、彼らを助ける方法がないってことさ」
「あら、あるわよ?」
コレットはセイバーにグローブが嵌められた右手の甲を差し出す。そこには、コレットがセイバーのマスターたる唯一の証たる令呪が刻まれていた。
「セイバー、命令よ。彼らを助けなさい」
見せつけるように差し出してきた割に、それを使う様子は見受けられない。その意味をセイバーはすぐに理解した。目の前で悠然と微笑む小さな主は、これを使うまでもなく言葉で従わせると暗に言っているのだ。
無謀にも見えるこの行為だが、無論、そこにはコレットなりの考えがあった。
セイバーは常に辛辣な態度を取る嫌味な従者であるが、その実彼こそが最もコレットを心配しているのである。だからこそホグワーツに聖杯の陰が見え隠れした際にはその存在に口を噤もうとしたし、ドラコの口車に乗って決闘に向かったハリー達を止めようとトロフィー室に忍び込もうとしたコレットを諫めようとした。何より、今この現状が何よりの証拠と言えるだろう。
それを鑑みれば、コレット自身が危険に晒されていない状況で令呪を使用されることをセイバーは黙って見過ごす筈がないのである。仮に見過ごしたとしても、使用してしまえばセイバーはコレットの命令を聞かざるを得なくなる。どちらに転んでもコレットの勝利は決定づけられていた。
果たしてコレットの考え通り、セイバーはコレットに令呪を使用させるわけにはいかなかった。とはいえ、彼女の命令を承諾せずに寮に連れ帰る方法も存在する。強引ではあるが、今すぐ目の前で勝ち誇っている少女を気絶させてしまえばよいのだから。
出来ることならこれ以上彼らに関わってほしくないのがセイバーの本音であった。これからそう遠くない未来にトラブルメーカーとして成長するだろう彼らと関わりを持ってしまえば、コレットの安全な学校生活が脅かされる可能性があるからだ。
―――それをコレットに告げても後には退くまい。この少女は、守りたいものを見つけてしまったのだから。
どうやらあの襤褸切れの帽子の言っていたことは本当だったようだと組み分け帽子の言葉の意味を実感しつつ、セイバーは彼女の望む言葉を口にした。
「了解したマスター。君の望むままに」
実体化したセイバーに先導させ、コレットはハリー達の後を追った。散々走った足が悲鳴を上げるが、すっと背を伸ばし廊下を駆け抜けるのは、ここホグワーツにやってきてから感じたことのない高揚感をコレットに感じさせた。
「実は魔力は感知できても人数までは分からないから、もしかしたら彼女がいるかもしれないんだよね」
「はあ?!」
何気ない口調で種明かしされた能力の実態に、コレットは怒りと驚愕が入り混じった素っ頓狂な声を上げる。ハーマイオニーが無事であることを信じ切っていたコレットからしてみれば、それは無理もないことだった。
「君を諦めさせようとでっちあげた嘘だったんだけどね、逆に面倒なことになっちゃったよ。失敗だったなあ」
「アンタって、ほんっとうに最低な使い魔ね!」
「危険なことに後先考えず頭を突っ込む主を持つとね、従者は世話が大変なのさ」
「うっ・・・じゃあ、お相子ってことにしない?」
「僕にかなり分があると思うけど、いいよ」
軽快に紡がれる軽口の応酬をいくつか重ねるうちに、汚れた靴下と掃除をしたことがない公衆トイレの匂いのような悪臭がコレットとセイバーの鼻を掠める。
その匂いの元凶がある場所を見据え睨んだセイバーは、慎重に歩みを進めながらコレットを先導する。足音を立てないよう、静かに歩を進めていくコレットの目にまず映ったのは、巨大な人型の陰だ。
女子トイレに辿り着いたコレット達の目に映ったのは、三体のトロールの姿だった。トロールは女子トイレの奥へ奥へと丸太より太い足を動かしている。コレットがその進む先へ視線をやれば、そこには追い詰められたハリー達の姿があった。
コレットは思わず叫びそうになるが、その声が喉元まででかかったところで飲み込む。
「っ・・・セイバー、一度霊体化して」
「・・・いいのかい?」
それは、セイバーのことを考慮してのことだった。セイバーの姿をハリー達に視認させるわけにはいかない。だが、逆を言えばコレットが無防備になってしまう。それはコレット自身が一番理解していることであろうが、今の彼女にはその恐怖に立ち向かえる勇気が備わっていた。
セイバーはちらりとコレットを見やり、ふっと笑ってから霊体化する。コレットはそれを確認すると、トロール達からある程度距離を取ったところまで後ずさり、トロール達の注意を引くために三人の名を大声で叫んだ。
「ハーマイオニー!ハリー!ロン!」
「コレット?!何でここにいるんだ!」
コレットの声にいち早く反応したのはハリーだった。ハリーは迫り来るトロールと背後のコレットの姿を交互に見ながら、「早く逃げるんだ!」と叫ぶ。
トロール達は、背後から聞こえたであろうコレットの声に反応を示さず、寧ろハリーの方へと注意を向けた。
「あっ!何でこっち向かないのよっ!」
『あいつらは鈍感だからね。何か直接刺激を与えられればいいんだろうけど・・・』
“刺激”。そのセイバーの言葉にコレットははっとして、懐にしまっていた杖を取り出し凝視する。
「・・・ねえセイバー」
『なんだい、コレット』
「爆発呪文って、確かコンフリンゴだったわよね?」
『そうだけど・・・ってまさか!』
セイバーの制止が聞こえてくる前に、コレットは素早い動きで杖を振り、紡ぐ呪文に力を込めた。
「“コンフリンゴ 爆発せよ”!」
果たしてその呪文は見事にトロールの棍棒に命中した。中央のトロールが持つ棍棒が爆発し、その衝撃はと木片がトロール達を襲ったのだ。
トロール達は爆発した棍棒に驚き、そのまま後ろを振り返った。自分たちより遥かに小さい少女―――コレットをその窪んだ瞳に捉えると、不気味な唸り声を上げて黄ばんだ歯を見せつける。
コレットは、天井につきそうなほど巨大な体躯を持つ化け物に足を竦ませた。それから自分を欺くように、トロールの注意を引こうと思いつく限りの罵倒を吐いていく。
「不細工!デカ物!魔法界一馬鹿っぽい生き物!このクラップ&ゴイルもどき!」
『最後のやつ逆じゃない?』
冷静なセイバーの突っ込みを他所に、トロール達はより一層大きな雄叫びを上げた。どうやらトロール達は、馬鹿にされているというニュアンスだけは感じ取った様子である。トロールは臭い息を吐きながら、どしん、どしんと重い足取りでコレットに向かっていく。
コレットはその二体から逃げようと踵を返す直前、ハリー達の方へ向き直り再び大声で叫んだ。
「ハリー!ロン!わたしがこいつらを引き付けるから、その隙にハーマイオニーを連れて逃げて!」
「駄目よコレット!あなたが危ないわ!」
「わたしは大丈夫!いいロン?!もしまたハーマイオニーを泣かせたら、手に持ってる杖を爆発させるだけじゃすまないわよ!」
「何でお前にそんなことっ・・・わ、分かったよ!」
ハーマイオニーに腕を小突かれ睨まれたロンは、一も二もなくコレットの言葉に頷いた。
「駄目だコレット!今すぐ逃げろ!」
ハリーはその言葉だけを必死に繰り返していた。
自分を心配してくれているんだ―――ただその事実だけが、コレットの心にじんわりと温かいものを溢れさせる。
「大丈夫だから!」
その言葉を最後に、コレットは脱兎の如くその場から走り出した。「このウスノロ!クラップとゴイルの方がまだ足が速いわよ!」と後ろに声を張り上げると、コレットの後を追うトロール達はがなり立て、地響きのような足音を立てる。
出来るだけハリー達から引き離し、尚且つセイバーが戦える人気のない場所へと誘導しなければならない。コレットはその一心で背後から迫り来る怪物からある程度距離を保ちつつ走り続けた。
薄暗い廊下を走り抜け、階段を登り、三階へと辿り着く。窓越しに差し込まれる月明かりだけが唯一の光源だった。
『ここに人の気配はない。いけるよ』
セイバーの言葉にコレットは立ち止まり、背後へと身体を向けトロールを待ち構える。階段から唸り声と地響きのような足音が近づき、コレットの額に冷や汗が滲んだ。恐怖を殺すように下唇を噛む。
階段を登り三階へとやって来たトロールが姿を見せた。だが、その数は三体ではなく二体だった。
「んなっ!?」
『そういえば、ハリー・ポッターが杖を投げつけて、一匹だけ注意を引いてたよ』
「何でそれを先に言わないのよ!」
『彼が選択したことだ。そんなに心配なら、さっさとあのデカブツ共を倒せばいい』
「それ、そっくりそのままアンタに返ってくるんだからね・・・!」
薄暗い廊下の中でコレットの姿を見つけたトロール達はもう一度雄叫びを上げると、棍棒を振り回しながらコレットに迫り来る。
コレットは目の前の怪物達を真っ直ぐと見据え、右手を差し出した。
既に彼女の顔からは、恐怖の色は消えていた。何故なら彼女には、“最強の騎士が守ってくれる”という自信があったからだ。
「セイバー、勝ちなさい!」
「了解した、マスター」
―――黒衣の騎士が、その姿を現す。
どこからともなく現れたセイバーの姿を見たトロール達は、少しだけ驚いたようなそぶりを見せる。警戒心が勝ったのか加速していた足取りを止め、コレットを睨みつけていた目がセイバーを映した。
「どうした?」
セイバーは不敵な笑みを浮かべながら言い放つ。その一言だけで、侮辱を込めているのがコレットにはありありと感じ取れた。同様にそれを感じ取った二体のトロールは怒りに任せて棍棒を振り上げ、セイバー目がけて勢いよく振り下ろす。
「“プロテゴ 守れ”」
それが振り下ろされるより先に、セイバーは杖を振るった。しなやかに振られた白く色褪せた杖からは薄く白い膜が展開される。その光景にコレットは既視感を覚えた。セイバーと初めて出会った日に、彼女を守ったそれだったのだ。しかし、今繰り広げられているその守りは以前のものより遥かに巨大なものだった。何せ二体のトロールが振り下ろした棍棒を防いでいるのだ。トロール達はセイバーを潰そうと両腕で体重をかけ棍棒に力を籠めるが、セイバーは微動だにすることなく棍棒を防いでいる。
「凄い・・・」
「コレット。後ろにある扉に隠れていてくれ」
「わ、わかった!」
セイバーの言葉に従い、コレットは背後にあった扉の中へと入り、隙間を開けてこっそりとセイバーの様子を伺うことにした。
「そこでよく見ているといい。少しは、魔法の使い方を覚えるかもしれない」
ちらりと背後へ視線を送ったセイバーに目敏く気付いた一体のトロールが、セイバーの右側から棍棒を振るう。プロテゴの守りの刺客を狙った攻撃だ。どうやら少しは頭を使えるらしいと思いながら、セイバーは右から迫る棍棒を横目で見ながら、杖を持っていない方の腕で腰に携えた鞘から剣を抜き、棍棒を防ぐ。
「(嘘?!片手で受け止めるの?!)」
その光景はコレットからすればあまりにも異常だった。成人男性の体格とはいえ、その三倍も四倍もある巨体から振り下ろされる棍棒を軽々と防いだのだ。片手では呪文で、もう片方の手では剣。“最上の使い魔”たる所以を、コレットは初めて目視した。
「・・・あまりこの剣は使いたくないんだ」
ぼそりと呟かれた言葉を、コレットが拾うことはなかった。
セイバーはタイミングを見計らって呪文を中断し剣を握る手の力を緩めると、即座に後方へと飛び退いた。棍棒に力を込めていたトロール達は、勢いあまってその場でよろめき床に倒れ込んでしまう。
抜身の剣を鞘へと納め体勢を立て直す。既に立ち上がっていたトロールの一匹が棍棒を投げつけた。セイバーが杖を一振りして棍棒を横に反らすと、セイバーの眼前にトロールが走り迫っていた。棍棒を目眩ましに使ったのだ。トロールが掴みかかろうとすると、セイバーはもう一度後方へと飛び退き、杖を向ける。
「なるほど、あの二人よりも頭は良いらしいね。“ペトリフィカス・トタルス 石になれ”」
その呪文と共に、セイバーに掴みかかろうとしたトロールの腕がピタリと停止し、そのまま床に転がった。
その呪文が金縛りの呪文であることをコレットは知っていた。その上、魔法生物に魔法をかけることは非常に難しい。魔法生物はその名の通り魔法界に住む生物であり、体が大きく力が強いものや、特殊な能力を持っている生物ほど魔法に対し耐性を持っているものだ。だというのに、セイバーはいとも容易く魔法をかけた。それだけ熟練された技術だという証拠である。
背後にいたトロールは仲間の変わり果てた姿に歯を剥き出しにして怒りを露わにすると、手に持った棍棒をでたらめに振り回しセイバーに迫る。
セイバーはそれを身軽な動作で回避していく。痺れを切らしたトロールは、仲間が持っていた棍棒を奪い取ると、今度は両腕を使って棍棒を振り回し始める。
「全く、トロール、っていう、生き物は、馬鹿の、一つ覚え、みたいにっ!」
倍に増えたトロールの攻撃は容赦なくセイバーに襲い掛かる。身体を反らし、飛び退き、時折剣を抜いては受け流す。決して剣は使わなかった。
徐々にセイバーがトロールに押されていく。コレットはその様を扉の隙間から見守ることしかできない。
「危ないコレット!」
しかし、それがいけなかった。扉の隙間から見え隠れしてたコレットに偶然気付いたトロールが、片腕の棍棒を彼女に向けたのだ。
棍棒の風圧がコレットの顔にかかる。瞬きの瞬間に振り下ろされるだろうそれに、コレットは恐怖のあまり身動きが取れなくなった。
「(死ぬ―――!)」
コレットは身を縮め、瞼を強く瞑る。
「―――全く、世話のかかる主だよ」
「セイ、バー・・・?」
瞼を開くと、そこには剣で棍棒を受け止めたセイバーの姿があった。
セイバーは剣を振るい棍棒の軌道を逸らすと、間髪入れずに杖をトロールに向け呪文を放つ。
「“ウィンガーディアム レビオーサ”」
トロールの両腕に握られた棍棒はするりとその手から抜け出すと、トロールの頭を挟み込むように両側から勢いよく叩きつける。鈍い音の後に、トロールの巨体が崩れ落ちる音が廊下に響いた。
セイバーは床にひれ伏したトロール達が起き上がらないことを確認すると、鞘に剣を収めてからコレットが隠れていた部屋の扉を開け、彼女を迎えた。
「セイバー!」
セイバーの腰辺りに、思わぬ衝撃がやってくる。コレットが抱き着いてきたのだ。
「そんなに怖かったのかい?」
「怖かった・・・怖かったし、セイバーが強かった!」
そこには、恐怖と喜悦が入り混じったコレットの感情が見え隠れしていた。 襲い来る二体の化け物と、それを相手取る騎士の戦い。目の前で展開される激戦は息を呑むことさえ忘れるほど迫力が有り余るものだったのだ。
セイバーはコレットの興奮した様子に溜め息を吐きながら、頭を撫で落ち着かせる。
「ほら、もう一体のトロールの様子を見に行かなくていいのかい?」
「そうだった!行こうセイバー!」
「はいはい、仰せのままに」
ハリー達のいる女子トイレに駆け出すコレットの後に、セイバーは現界したまま後に続いた。もう一体のトロールの存在を考慮してのことだった。
彼らの安否が気になってしょうがないコレットは、背後を着いてくるセイバーに構わず階段を駆け下りていく。
「っ・・・」
苦痛に歪んだセイバーの顔を、コレットが気付くことはなかった。
生徒達がトロールから避難したことで、コレットとセイバーは誰とも鉢合わせすることなく女子トイレにたどり着いた。女子トレイにたどり着き、二人がまず目にしたのは、破壊された水道管から漏れ出た水浸しの床と、そこに倒れ伏しているトロールの姿だ。
そこにコレットの探すハリー達の姿はない。コレットは人心地ついたのか、肺から大きく息を吐き出した。
「良かった、三人とも逃げられたみたい・・・」
「後から教師も駆け付けたみたいだしね」
「え、そうなの?」
「トロール達が棍棒を振り回してくる合間に、この女子トイレに近づいていく魔力を感じたんだ。コレットみたいな物好きじゃなきゃ、トロールを退治にきた教師くらいしかいないだろ」
調子が戻ったセイバーの皮肉にコレットはぴくりと眉を吊り上げるものの、今回の功労者である彼に言い返すことなどできる筈もなかった。罵倒の言葉を飲み込み、「ごめんなさいねえ物好きで!」と、皮肉を言う程度に収めた。
長居は無用だ。コレットは教師に見つからない内に寮に戻るべきだと判断し、セイバーに話しかける。
―――瞬間、セイバーの身体が崩れ落ちる。
「セイバー?!」
水浸しになった床に両膝と両手をつき、荒い呼吸を繰り返すセイバー。決して余裕を崩すことのなかったセイバーの豹変ぶりに驚いたコレットは、彼に駆け寄り顔を覗き込んだ。
額に脂汗を浮かべるセイバーの姿は、心なしか透けてみえた。
「セイバー、セイバー!」
「耳元で騒がないでくれ・・・やっぱり、バックアップもなしに魔力を消費するのはきつかったな・・・」
セイバーのその言葉に、コレットははっと息を飲み込んだ。
本来、サーヴァントの現界を維持するには強大な魔力を必要とする。ルベインアンツの屋敷は力ある土地であるため現界に足るだけの魔力は存在していたが、その地を離れている今、その魔力は主たるコレットに依存している。しかし、彼女にはそれだけの魔力が備わっていなかった。故にセイバーは極力現界を控えることで魔力を貯蓄していたのだ。
だが、先のトロールとの戦いで現界を維持しつつ魔法を連発したことで彼の魔力は著しく低下した。魔力が底をつけば、セイバーは消滅してしまう。その事実を目の当たりにしたコレットは、背筋がぞっとせずにはいられなかった。
つい先ほどまでセイバーにトロールを倒させることを名案だと思っていた自身に、コレットは激しく後悔した。
「いや、いやよ。お願い、消えないでっ」
ハリー達を救えても、セイバーが消えてしまっては意味がない。コレットはセイバーに必死に呼びかけ、彼の頬に両手を添える。右手に嵌められたグローブがちらりと目に映ると、コレットは自分が持つ強大な魔力の存在を思い出す。
「セイバー!令呪を使って!」
セイバーに差し出された黒いグローブの下には令呪が眠っていた。令呪はセイバーを従わせる絶対命令権でもあるが、同時に最上位の使い魔たるサーヴァントを使役できるほどの魔力を秘めた刻印でもあるのだ。
それを使えば、残り少ない魔力を回復できると踏んだコレットは、黒いグローブを外し令呪を使用しようとした。
その様子を見ていたセイバーは、グローブを外そうとしたコレットの左手を優しく振り払い、苦痛に歪んだ表情をコレットに向ける。
「駄目だ、それを、使うな」
「っどうして!今使わないで、いつ使えっていうのよ!?」
「君が、危険に晒されたとき」
今にも倒れ込みそうなほど青白い顔をしているというのに、セイバーは目の前に差し出された魔力に目もくれず、コレットの不安げに揺れる瞳をじっと見つめてそう言った。
「これは、君を、守るために・・・使うものだ。僕のために、使うものじゃ、ない」
「で、でもっ!」
「大丈夫、だから・・・。魔力が、完全に、切れたわじゃ、ない・・・少し溜まったら、すぐ、また・・・」
徐々に掠れていくセイバーの声は、全てを言い終えることはなかった。空気に溶け込むようにして消えてくるセイバーの姿を、コレットは涙を浮かべた目で見つめることしかできなかった。
セイバーの頬に添えていた手が空を切る。パスの繋がりがあるからこそ、コレットはセイバーが霊体化しただけであることを理解できるが、それでもセイバーが消滅してしまったような感覚はコレットの手にまざまざと残っていた。
「っあぁ・・・!」
わたしのせいだ。わたしがセイバーに無茶な命令をしたから。
泣き崩れたコレットの膝の黒いソックスには、床に浸透した水が染み込んだ。コレットの頬を伝う涙は床に落ち、小さな波紋を幾重にも作った。
コレットは感覚的に、セイバーの残された時間を悟ったのだ。パスによって齎される情報によれば魔力の残量は少ない。セイバーは「魔力を貯めれば」と言いかけていたが、それよりも日常で微量に消費していく魔力の方が上回るだろう。
何も気付けなかった自信を責め続け、両手に握り拳を作る。爪が掌に食い込み、血が滲むほど強く握りしめた頃、コレットの脳裏にふとある単語が浮かび上がった。
「・・・聖杯」
コレットは、一度だけエドワードから聞いたことがあった。聖杯はただ願いを叶えるだけの道具ではない。その器の中に強大な魔力を秘めており、その魔力こそがおおよその願いを叶える願望器足りえる所以なのだと。
―――聖杯があれば、セイバーは消えずに済むのではないか。
「聖杯が、あれば」
一瞬、エドワードの嘲り声が耳に木霊した。「お前なぞに聖杯が見つけられるはずがない」。その声をかき消すように頭を振り、コレットは右手に刻まれたセイバーとの絆をじっと見つめた。
「(見つけなくちゃ、セイバーのために)」
それは、コレットが最も忌避していた存在が、最も望む存在に変化した瞬間だった。
落ち着いてきたと書いたなあれは嘘だ。
頑張りたい、書きたいことがいっぱいあるのに・・・。コメントとかくださいますと狂喜乱舞します・・・。
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八章『魔法生物飼育クラブ』
ハロウィンの夜から一夜明けた翌日。生徒達は未だホグワーツ城へ侵入してきたトロール達に僅かばかりの恐怖を抱いていた。
だが、ホグワーツの教師陣によって退治されたのだという情報が広まっているため、それもすぐに鳴りを潜めることになるだろう。その証拠に、朝食を取りに大広間へ集まってきた生徒達の話題はトロールの噂が五分、翌月に行われる寮対抗のクィディッチの試合の話が五分であった。
太陽が中天に昇り、十一月の寒さが少しだけ温かくなる。コレット達スリザリンの一年生は、魔法史の教師であるゴースト、ビンズの授業を受けていた。
「いいでありますか?九世紀に入るとマグルによる我々魔法使いの迫害は激化し、後の魔女狩りへの要因となりました。魔法使いないし魔女たちはその脅威から逃れるために協力体制を築き―――」
魔法族からすれば中々残酷な歴史の授業である。そんな内容もビンズの授業でつらつらと語られれば子守歌に早変わりし、生徒達を夢の世界へと誘っていた。
「(寝ちゃ駄目、寝ちゃ駄目・・・)」
コレットは眠気と必死に戦いながら羽ペンを動かしていく。時折目を擦って瞼を刺激していると、右側に座る生徒から肘で小突かれた。
「おいコレット、羽ペンのインクを貸せ」
「はいはい・・・忘れたの?」
「丁度切れた」
コレットの隣で授業を受けていたのはドラコであった。インクが乾いて羊皮紙に細い傷跡しか残さなくなった羽ペンの先を突きながら、彼はコレットにインク瓶を催促する。
渋々といった風にコレットがインク瓶を差し出すと、ドラコはひったくるように瓶を奪って羽ペンにインクを吸わせた。授業内容に「下らない」と悪態をつきながらも羊皮紙に書き綴っていく様子は、真面目な模範生そのものだった。常に尊大な態度を取るドラコだが、両親の期待に応えるために努力を惜しまない性格であることをコレットはやはり知っていた。
羊皮紙に整った文字を書き連ねていくドラコの横顔を、コレットはちらりと盗み見る。タイミングよくコレットのインク瓶を返そうしたドラコと目が合い、ドラコは「何だ」と不機嫌そうに呟いてからコレットにインク瓶を突っ返した。
「(コイツ、まだ目が腫れてるのか)」
ドラコがコレットにインク瓶を返した時、頬が薄っすらと赤く腫れているコレットの顔が目に映った。ルベインアンツの屋敷の中でほとんどの幼少期を過ごした彼女はなまじ肌が白く、その分赤みが目立っているのだ。泣き腫らして赤くなった彼女の頬に、どこか自責の念にも似た感情をドラコは覚える。「何で僕が」とその考えを打ち消し、彼は聞きたくもない退屈な授業に集中した。
「何でドラコとコンフリンガーが一緒に座ってるのよ!?それもインク瓶の貸し借りなんかしてるじゃない!」
パーキンソンの小さな悲鳴は、まさにこの教室にいるスリザリン生達の疑問そのものであった。
昨夜まで仲違いしていた筈の二人がどういう訳か今朝から関係を改善し、一ヵ月前と何ら変わらない関係―――寧ろ仲を深めている。当の二人が与り知らぬところで、スリザリン生達の話題はそれで盛り上がっていた。
仲違いしていた二人が何故。一体何があったのか。
その理由は、昨夜のハロウィンに遡る。
「っう・・・ひぐっ・・・」
二体のトロールとの戦闘を終え、コレットは一階の女子トイレからスリザリン寮へと戻るものの、彼女の足取りは重いものだった。黒い瞳は虚ろになり、目尻には幾筋もの涙の痕がこびり付き、頬は赤く腫れている。
セイバーを酷使し、彼自身を瀕死に追いやった結果がコレットを追い詰めているのだ。唯一彼を救えるであろう手段―――聖杯の存在を思いついたとて安心などできよう筈もなかった。現状、残り少ない魔力を温存するために霊体化しているセイバーから一度も応答がないことが、猶更彼女の不安を増長させている。
最早涙さえ枯れ果てたコレットは、湿った剥き出しの意志が並ぶ壁の前へとやってきた。
しかし、そこにはコレットの予期しない人物が待ち構えていた。壁に背を凭れ、両腕を組む少年―――ドラコが待ち構えていたのである。
苛々と右足を小刻みに揺らすドラコ。コレットの姿をその目に捉えると、わざと靴音を立てながらコレットに近づき、胸元のローブを両腕で掴んだ。
「こんのっ・・・馬鹿コレット!」
「!っ・・・ドラコ・・・?」
「お前、こんな時間まで何やってたんだ!」
荒々しい声がコレットの耳に劈く。ドラコは青白い頬を赤く染めながら、「馬鹿」、「間抜け」と稚拙な罵倒を繰り返す。
コレットを罵りながらも、その声音には彼女を愚弄する意図は含まれていなかった。彼女を心配するからこそその行いを問い詰めていたのだ。
「お前は何を考えてるんだ!ホグワーツに来てから可笑しいぞ!それもあのポッターに、その取り巻きのグリフィンドールの連中に関わってからだ!全く、これじゃあ父上や母上に顔向けができない・・・」
「・・・うっ」
「・・・うぅっ」
「おい、聞いてるのかコレット!・・・コレット?」
「ドラコぉ・・・!」
枯れ果てた泉のように乾ききっていた筈の涙が、再び零れ出した。コレットは堰を切ったように泣き崩れ、目の前にいるドラコに泣きつきその顔を彼の肩に埋めた。
「あ、おいコレット!やめろ!ローブが濡れるだろ!」
「ドラコ、ドラコぉ・・・!」
「一体何なんだお前はっ!全く・・・!」
ドラコは泣き崩れるコレットを引き剥がそうとするも、がっしりと背中まで回されたコレットの両腕を外すことはできなかった。思いの他腕力が強かったこともあるが、何より体裁をかなぐり捨てて泣きつくコレットの弱りきった姿が、酷く憐れに思えたからだ。
身動きの取れないドラコは溜め息を吐きつつ、仕方なくコレットの頭をぐしゃりと撫でた。それにびくりと反応を示したコレットは、特に何を言うでもなくただ嗚咽を漏らしながら涙を流し続ける。
ドラコは敢えて何も聞かなかった。それは、大広間の入り口付近で自分を振り切ったコレットへの意趣返しであるが、おそらく何も話してくれないだろうと長年の付き合いで育んできた彼の勘がそう告げていたからだ。
「くそっ、本当にお前は・・・。・・・?」
コレットの涙で寝間着をぐしゃぐしゃと濡らしていると、ドラコの目に鈍い銀色を放つ“それ”が映った。コレットの首元から見えるそれは細いチェーンのように見える。
「・・・コレット」
「ぐすっ、うぇっ・・・何・・・?」
「間違っても婦女子が気味悪い嗚咽なんて漏らすな。・・・その首にかかってるやつ、何だ」
泣き疲れたコレットはある程度冷静さを取り戻したのか、ドラコの声にゆっくりを顔を上げる。泣き腫らした顔はぐしゃぐやで、お世辞にも年頃の少女が他人に晒してよい顔ではなかった。
ドラコが指さすそれをコレットは胸元から取り出す。チェーンで繋がれた先にあったのは、ダイアゴン横丁でナルシッサから送られたロケットであった。
「ロケットだけど・・・ナルシッサおばさんから貰ったのよ。ダイアゴン横丁で」
その言葉を聞いたドラコは、途端に両目を大きく見開き、コレットを叱りつけた勢いで赤く染まったていた頬を更に紅潮させる。
挙動不審なドラコの様子にコレットは首を傾げるが、当の本人は「くそっ」と小さく悪態をつくとコレットの右手首を掴んで「純血」と壁に向かって怒鳴り、スリザリン寮へと続く扉を開いて地下にある寮へ続く階段を下っていく。
その間ドラコの手はずっとコレットの腕を掴んでおり、その力の強さは緩むことなく、あまりの痛さにコレットは顔を歪ませた。
「ちょ、ドラコっ!痛い!」
「うるさい!いいか、これ以上面倒をかけるな!」
「っわたしはドラコに面倒なんかかけてないわ!何をしようが私の勝手でしょ?!」
「お前がやらかすと僕が母上に叱られるんだ!」
「だからっ・・・大体、わたしはドラコの子分でも何でもない!」
談話室へ続く階段を下りながら、二人はまたもや諍いを繰り返す。
横暴なドラコは毛を逆立てた猫のように反抗するコレット。その光景は、コレットがハリー達を救おうとトロールがいる女子トイレに向かう直前、大広間の入り口で繰り広げた二人の喧嘩の再演であった。
二人の罵倒の応酬は鎮火するどころか燃え上がる。毛を逆立てるコレットに「お前は馬鹿か」と苛立ち紛れに切り返すと後ろを振り返り、じっと彼女を睨みつける。
「僕が、いつ、お前を、子分だって、言った!」
「・・・へ?」
「言ったか?!」
「いえ言ってません!」
眼前に迫るドラコの迫力に気圧され即答するコレット。それに少しだけ気分を良くしたドラコは、再びコレットの右手首を握り直して階段を下っていった。
「え、終わり?!」
「それだけで十分だろ!ほら、さっさと寮に戻るぞ!」
問答無用で腕を引っ張られるコレットは抗議の声を上げ続けるものの、ドラコはそれを意に介することなく進み、コレットを女子寮へと押し込んだ。
「(わたしって、本当に単純よね・・・)」
肩肘を机につきながら、コレットは自分自身に呆れるしかなかった。
ドラコにより女子寮に押し込まれ一夜を明かしたコレットは、今朝からドラコと行動を共にすることを強制された。身支度を素早く済ませ談話室へ向かえば、狙ったようにドラコが待ち構えていたからである。
大広間まで腕を引かれ、朝食を済ませたかと思えば授業毎の移動でも連行されるように腕を引かれた。おかげでコレットの両腕はじんじんと痛みを訴えるようになり、スリザリン生達からは以前とは違う意味で奇異の目を向けられるようになったのだ。パーキンソンに至っては、四六時中睨みつけてくる始末である。
まるで保護者のように振舞うドラコに戸惑いを通り越して鬱陶しくさえ感じるコレットだが、それを心地良いと感じてしまう自分がいることも確かだった。
「(そういえば、どうしてドラコはロケットを見て驚いてたのかしら・・・)」
胸元で僅かに揺れるロケットを触りつつコレットは理由を考えてみるものの、答えが浮かぶ筈もない。コレットは机についていた肩肘を直し、授業に集中することにした。
「コンフリンガーの癖に・・・!」
コレットの背後ではパーキンソンの射殺せんばかりの視線が射抜き、周囲からは土砂降りの雨のように奇異の視線を浴びせられる。彼女はそれを大して気にすることなく羽ペンを動かし続けた。
ハロウィンの一夜明が明けてからのコレットは、以前の“常に周りに怯えていた少女”のそれではなくなったのだ。
今のコレットは、あれほど恐ろしいと思っていた孤独や寂しさに怯えることがなくなっていた。それは、“ハリー達と友達になりたかった”という自分の気持ちに正直になったからであり、ドラコが傍にいてくれるようになったからであろう。
そして何より、その恐ろしさより更に恐ろしいもの―――セイバーの消失を間近で感じ、真の恐怖を知ったからであった。
『君、面倒なことを考えてる?』
『せ、セイバー!もう大丈夫なの?!』
『一日休めば、話すくらいのことはできるさ』
調子の戻ったセイバーの声がコレットの脳内に響く。今朝からコレットの胸を占めていた不安が一気に払拭され、思わず大きく息を吐き出してしまう。
それでも安心する訳にはいかない。消失せずに済んだものの、魔力は著しく低下していることに変わりはないのだ。金輪際セイバーを霊体化させてはならないとコレットは誓った。
『また面倒なこと考えなかった?背筋がぞくっとしたんだけど』
『か、考えてないわよ!・・・ねえ、本当に大丈夫?』
『心配性だなあ。魔力は低下してるけど、話す分には問題ないよ。君が問題に首を突っ込まなければ、僕が現界することもないしね』
遠回しに問題に首を突っ込むなと釘を刺されたコレットは引き攣った笑みを浮かべて誤魔化すが、傍から見れば一人で百面相をしている少女にしか見えない。
それで誤魔化される程セイバーは甘くない。『分かった?』と念を押してくる彼に対し、コレットは意を決したように喉奥に潜ませていた言葉を口にした。
『セイバー、わたし、聖杯を見つけようと思うの』
『・・・はあ?君が?聖杯を?』
思いもよらないコレットの言葉に、セイバーは僅かに驚愕を滲ませた声を放つ。
『・・・可笑しいかしら』
『可笑しいも何も、君はエドワードの重責から逃げたかったんじゃないのかい?』
セイバーの言葉は正論だ。聖杯はルベインアンツ家の願いそのものであり、エドワードが求めてやまなった存在であり、コレットにとって悪夢そのものであった。
今もコレットの目には、聖杯に対する嫌悪の色が宿っている。だが、それを無視してでも叶えたい望み―――セイバーを助けたいという願いを叶えたいからこそ、彼女は聖杯を求める他なかった。
『大体、どうして聖杯を見つけたいんだい?』
『・・・それは、』
果たしてそれをセイバーに告げていいものか、コレットは言い淀んだ。
セイバーは良くも悪くもコレットを第一に行動することは、昨夜の一連の出来事から彼女は理解していた。それを鑑みれば、聖杯の探索理由が“セイバーを救うため”だと知れば、彼は首を縦に振らないだろうことも予測できた。聖杯の探求には、何が待ち受けているのか全く予測不可能だからだ。
聖杯探索にはセイバーの協力が必要不可欠である。彼が昨夜に披露した、魔力を探知する能力を駆使すれば聖杯へ辿り着くための指針となるのではないかとコレットは考えていたのだ。
もしここでセイバーに断られたら、唯一の道標さえ失ってしまう。どうにかセイバーを納得させられる理由はないかと考えをあぐねいていると、セイバーの呆れた声がコレットの耳に届いた。
『・・・別にいいんじゃないか』
『え、いいの?!』
『昨夜で君が変に意地っ張りで頑固だということはよく分かったからね。妙に気も強くなっちゃったし、断っても諦めなさそうだし』
『何で素直に肯定してくれないの?一々馬鹿にしないと気が済まないの?』
『事実を言ったまでだけど。・・・それに、僕は・・・君が危険に首を突っ込まなければ、君の行動を一々諫めたりしない』
『聖杯の探索は、危険じゃないってこと?』
『危険になったら止めるさ。僕にも分からないことはあるからね。・・・ただし!聖杯ばかりにかまけないように。君はあくまで学生なんだから、ちゃんと学業に励むんだ』
『っうん!』
セイバーの肯定の言葉に嬉しさを隠しきれないコレットは、授業内容を写していた羊皮紙で口元を隠す。羊皮紙に覆われた口元は密かに笑みを浮かべていた。
「珍しく俯いてばかりいますね、ミスルベインアンツ。それでは、今の質問に答えてもらうであります」
「へっ?1」
ビンズの話を聞いていなかったコレットは、唐突に質問を投げかけられびくりと背筋を震わせると、すぐさま直立した。
コレットは困惑した表情をビンズに向ける。ビンズは肩を竦めると、仕方ないと言わんばかりに「もう一度言いますぞ」と再度質問を投げかけた。
その様子を見ていたパーキンソンは後ろでくすくすと笑っている。
「9世紀のこの時期、迫害を受けた魔法使い達が結成した組合の名前は?」
「は、はいっ。“冬の魔女の一団”です。しかし、これは正式な名称ではなく、また記録上にも残っていません。そのため組合を統率した魔女の異名に因んで歴史家が名付けました」
「よろしい!質問を聞いていなかったので一点減点でありますが、名称を答え、且つ詳細まで付け加えたので二点加算。合計一点をスリザリンに進呈するであります」
幸先の良いスタートに、コレットはほっと胸を撫で下ろした。
それから一ヵ月が経過した頃―――。
朝食を取るためにコレットは大広間へと向かい、スリザリンのテーブルへと足を運んでいた
「・・・お、おはようコレット」
「えぇ、おはよう」
同じスリザリンの生徒―――といっても顔を知っているだけで名前は知らないのだが―――にぎこちない挨拶に返答するコレット。
そのやりとりは、この一ヵ月の間でコレットの日常は僅かではあるが変質していたことを物語っていた。
これはドラコとの関係を修復したためであるが、別の要因として授業内における質問をコレットが積極的に答え、それによりスリザリン寮に得点を加点していったことも一つの要因であった。幼少期から勉学に励んでいたことで知識だけは有り余っているコレットにとって、一年生での授業内容など容易いものだ。
これまでは彼女の臆病な性格が授業中でも発揮され、進んで質問を答えるような姿勢を見せることはなかった。だが、“聖杯探索を手伝う代わりに、授業は疎かにしない”という約束の元、コレットはこれまでに見せなかった積極性を発揮するようになったのである。
その反面、聖杯探索はこの一ヵ月間では行われていなかった。これは魔力を消耗したセイバーの負担を気遣っての配慮であり、校内を頻繁に歩き回れば生徒達の目につき怪しまれることを考慮した末の結果でもあった。コレットが目立てば、引いてはセイバーの正体に感づかれるかもしれない。セイバーの休息も兼ねて、ここ一ヵ月の間は行動を制限することにしたのである。
周囲の環境が変わったことで、精神的に追い込まれていたコレットは回復していった。以前スリザリンの中では浮いた存在ではあるものの、それを恐怖する心は薄れ今では毅然とした立ち姿で廊下を歩けるようになったのだ。
では、彼女を悩ませているものとは―――。
「はあ・・・」
グリフィンドールの賑やかなテーブルに目を向けて、コレットはため息をついた。
そこには、コレットの知らない男子生徒の肩を組んで楽しそうに話すロンの姿に、にこやかな笑みを浮かべるハーマイオニーの姿がある。今は姿を見せないハリーを加えた三人こそ、目下コレットの悩みの種となっているのだ。
ハロウィンの夜以来、スリザリンとグリフィンドールは合同授業が行われることはなかった。そのせいか、コレットは彼らと話す機会を失ってしまったのだ。昼休みや一日の授業から解放された後は、コレットは聖杯探索の足掛かりとして図書室に籠っていたので、それも相まって彼らと出会うことはなかった。
それに、コレットには負い目があった。ハーマイオニーを思っての行動とはいえロンに対し暴言を吐いたことや、ハリーの制止も聞かずにトロールの囮となったことは、後悔していないこととはいえ後ろめたく感じていた。ハリーからすれば無鉄砲な行動に見えただろうし、ロンに至っては彼が嫌う“典型的なスリザリン生”そのものに見えたであろう。それ故に、コレットは意図的に彼らと遭遇することを避けていたのだ。
セイバーからすれば『変なところでヘタレ過ぎる』と呆れるところだが、当の彼女からすれば“友達になりたかった人たちに悪感情を抱かれている”と自覚することは恐ろしいことであり、認知したくない事柄なのだ。
そういう理由もあって、コレットは未だハリー達と話すことを先延ばしにしていた。かぼちゃジュースのグラスに差しているストローを奥歯で噛みながら、グリフィンドールのテーブルを見つめることが今の彼女の精いっぱいなのである。
「おいコレット、つまらなそうな顔をするんじゃない!今日はクィディッチがあるんだぞ!」
「あーはいはい」
「まあ、勝負せずともスリザリンが勝つに決まってる。愚鈍なグリフィンドールなんかこてんぱんさ」
「はいはい」
「あーあ、僕がシーカーだったら絶対グリフインドールチームのシーカーより早くスニッチを掴んでやるのに」
「はいはい・・・」
向かい側に座るドラコの熱弁に相槌を繰り返すコレットは、話の内容を毛の先ほども理解しようとしなかった。相槌も適当だというのに、当のドラコは壊れた蓄音機のように同じ話題を延々と繰り返している。
コレットを悩ませる要因はもう一つ存在しており、それこそが今日の午後に行われるクィディッチの試合だった。
幼少期から続くドラコのクィディッチ談義のおかげで、コレットのクィディッチの好感度は決して高いものではなくなっている。その上、ドラコの話に耳を傾けなければならない現状を鑑みればマイナスに振り切っていると言っても過言ではなかった。
「(あーもう!さっさと競技場に行けばいいのに!)」
そんなコレットの内心など露知らず、ドラコを始めとした大広間にいる生徒達は皆一様にクィディッチの言葉を唱え続けている。
午後になれば、試合を開始するために生徒達は競技場へと向かう。それだけがコレットの救いであり、計画を実行する“狙い目”であった。
コレットは今日という日を待ち望んでいたのだ。勿論クィディッチの試合が行われるからではない。クィディッチの試合を観戦するために競技場へと向かう教師や生徒達の目を盗み、聖杯を探索するためであった。
この一ヵ月の間、聖杯の探索に乗り出さなかったのは何もセイバーの回復を待つだけが理由ではなかった。既にホグワーツの中でもある意味目立つ存在となってしまったコレットが、無暗に城内を歩き回れば不審がられるのは必然である。不必要な注目を避けるため、コレットは城内が手薄になるこの日を狙っていたのだ。
だとしても、騒がしい城内で朝食を取り続けることに辟易したコレットは、クィディッチの試合まで自室で待機しようとがたりと音を立てて席を立った。
「噂じゃあグリフィンドールのシーカーは・・・おいコレット、どこに行くんだ」
「あー・・・ほら、わたし今日調子悪いからベッドで寝てるね」
「あからさまな嘘をつくな。今日はクィディッチの試合に・・・あ、逃げるなコレット!」
「じゃあね!」
全速力で大広間から逃げ出すコレットの後ろ姿は、あまりにも体調不良からかけ離れた軽快な走りであった。
出入口へと辿り付いたコレットは、少しだけドラコの方へと振り返る。そこには眉間に皺を寄せたドラコがパーキンソンと会話をしていた。生徒達の騒ぎ声で会話が聞こえることはないが、時折ドラコが鼻を鳴らしつつコレットを睨みつけてくるので、「わたしを馬鹿にしてるんだろうなあ」と当たりを付けつつ歩を進めた。
コレットは背後に視線をちらちらと送りつつ大広間を出ようとする。よそ見をしながら歩いていたコレットは、友人と話しながら前を歩いていた生徒とぶつかってしまった。
「ったぁ・・・あ、ごめんなさい!」
「う、ううん。僕の方こそ見てなくて・・・コレット?」
「!は、ハリー!」
ぶつかった衝撃で鼻から眼鏡がずれ落ちたハリーの顔を目にしたコレットは、額に冷や汗を滲ませる。彼女にはまだ、彼らと対面して話す勇気がなかった。
床に尻餅をついたコレットに手を伸ばすハリーの顔色は優れない。それに気付いたコレットは、おずおずとその手を取り立ち上がると、「ありがとう」とはたどたどしい口調で感謝の意を伝えた。
『君、まだ蟠りが解けないの?』
『だってあれから一ヵ月喋ってないもの!』
出来の悪い愛想笑いを浮かべながら、コレットはセイバーの言葉に切り返す。
「あ、えーと・・・コレット」
「ひゃ、ひゃい!」
ぎこちない雰囲気が流れていることを肌で感じていたコレットはせめて笑顔でいようとそればかりに意識を集中していたためかハリーの声に驚き、素っ頓狂な声を上げてしまった。
コレットは思わず両手で口塞ぎ赤面してしまう。その反応に懐かしさを感じくすりと笑みを浮かべたハリーは、言葉を紡ごうとして戸惑った。彼自身、一ヵ月の空白を経て再び邂逅したコレットとどう接すればいいか分からないでいるのだ。
「今日は、クィディッチの試合を見に来るんだよね?」
「え?」
「あ!いや、ちが・・・ううん、そうなんだ。聞いてみたくてっ。ほら、今日はグリフィンドールとスリザリンだから、君も自分の寮を応援しに来るのかなって」
「違う、本当はこんなこと言うつもりじゃなかったのに!」ハリーは内心そう叫ぶものの、ついて出た言葉の戻し方が分からず、言葉を続けてしまった。
「それは・・・」
クィディッチの試合について尋ねられるとは思っていなかったコレットは言葉に詰まってしまう。まさかそのクィディッチの談義に嫌気が差して大広間を抜け出そうとしてことなど、コレットは口が裂けても言えなかった。
ここでクィディッチの試合を見に行くと頷けば、聖杯の探索を行えなくなる。逆に試合観戦を断ればハリーとの溝が広がるだろう。いっそ嘘でも行くといえばいいのかとも考えたが、ハリーに嘘を吐くことは憚られる。
どうする、どうする―――!考えに考えた末、コレットが導き出した苦渋の決断は、既視感を覚えるものだった。
「ご、ごめんなさあいっ!」
「あ、待って!」
コレット・ルベインアンツ、逃亡。
後に、寮へ戻り落ち込んだコレットに、セイバーは追撃するように罵った。『コレットって、チキンだよね』と。
それに言い返すことなどコレットにできる筈もなく、スリザリン寮の自室に引き籠り泣き寝入りしてしまった。
「やっちゃった、またまたやっちゃったよ・・・」と呟きながら。
時計の短針が十二を指し示す頃、コレットはベッドの毛布から抜け出した。城の一階へと辿り着くと、そこにはフィルチの猫であるミセス・ノリスが鳴き声を上げているだけで、生徒達の声どころか気配さえ漂っていない。
その代わり、窓から入ってくる風が競技場で歓声を上げる生徒達の声をコレットの耳に届けた。
「・・・よし、行くわよセイバー」
『了解した。・・・あぁ、そういえばさっき、生徒達の会話から拾った情報なんだけど』
「何?」
『ハリー・ポッター、グリフィンドールチームのシーカーらしいよ』
「嘘でしょお?!」
ますますハリー達と顔を合わせづらくなったコレットの悲痛な叫び声が、城中に木霊した。
それからコレットの聖杯探索は城中に及び、至る所を歩き回った。霊体化したセイバーの言葉を便りに歩みを進め、一階から二階、三階、時計塔―――下へと降りて、今度は地下まで。もう一度一階へと戻り中庭へ出ると、コレットは禁じられた森の手前に佇むハグリットの小屋の近くまでやってきた。
「本当にこんなところにあるの?城の外どころか、森に向かってるんだけど」
『ホグワーツ城全体から聖杯の気配がするんだ。だから、聖杯の気配が途切れている場所を見つけて、範囲を絞ってる』
「城全体?!それって気配が大きい場所とか小さい場所もないの?!」
『ないね。城全体に均一に聖杯の気配がする。だから探してるんだ。・・・ここもだね、真っ直ぐ進んでみて』
セイバーの言葉に従い、森の近くまで進んでいくコレット。
西へと傾いていく太陽の光を浴びて、コレットの首元に下がるロケットのチェーンがきらりと光った。
胸元で揺れるロケットを取り出すと、コレットはボタンをかちりと押して蓋を開けた。中には写真が嵌め込まれておらず、銀色だけが光っている。
すると、コレットの視界に小さな物影が横切った。
「?今、何か・・・」
『・・・コレット、今すぐそのロケットを胸元に仕舞い込んだ方が良い』
「はあ?何で・・・」
その言葉が言い終わらない内にまたもやコレットの視界へと入り込んだ。しかも今度は横切るのではなく、コレットの眼前へと迫った来たのだ。ぶつかることを予期したコレットは反射的に両目を瞑るが、その衝撃が来ることはなかった。
横顔を掠めたふわりとした感触。それを追ってコレットは背後へと振り向くと、そこには小さな物影の正体がコレットから盗み取ったロケットを検分しているところだった。
「あ、わたしのロケット!」
コレットの声に驚いたその正体は、びくりと身体を震わせるとコレットの方へと顔を向ける。
コレットのロケットを大事にそうに抱きしめたそれは、長い鼻を持ちふわふわの黒い毛を纏った小動物―――“ニフラー”であった。
“幻の動物とその生息地”に記されている悪戯好きなその魔法動物は、光物が好きなことで有名である。光る物に目がなく、人が身に着ける装飾品をよく盗むのだ。ニフラーを鞄に紛れ込ませて光物を盗ませる悪戯が流行る程である。
ぬいぐるみのような愛くるしさはコレットが好むところだが、ロケットを盗んだ犯人にときめくほど愚かではなかった。
ニフラーの素早さは伊達ではないことをコレットは知っている。今逃げられれば、確実にロケットは取り返せないだろう。
「!」
「あ、ちょ、待て!」
時既に遅し。お腹の袋にロケットを入れたニフラーは、脱兎の如く走り出す。聖杯を探すために疲れ果てた足を、コレットは再び酷使した。
コレットとニフラーによる、仁義なき競争の火蓋が切って落とされたのだ。
「返しなさいよ馬鹿ぁ!」
『だから言ったのに』
見慣れない城より森を選んだのか、ニフラーは放射状を描くように地面を走ると禁じられた森へと向かって走った。
コレットはニフラーを捉えるために手を伸ばすが、ニフラーは身軽な動きでそれを避けていく。それどころか、伸びてきたコレットの手を足蹴にしたのである。
ある程度距離を取った場所でニフラーは立ち止まった。息を切らしながら自らを追いかけるコレットをその黒く円らな瞳に捉えると、ふんと子馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「っ待てごらぁあああ!」
コレットの走る様は、猪突猛進な猪そのものであった。本能的に生命の危機をかんじたニフラーはコレットの怒号に身を竦めると、即座に地面を蹴って禁じられた森の中に向かって逃亡した。
怒り心頭のコレットは無我夢中でニフラーを追いかけた。城中を歩き回って疲れ果てていた筈の彼女の足は、その疲れを感じさせない走りを見せる。
それだけ彼女の怒りは凄まじかった。魔法生物とはいえ小動物にコケにされたこともあるだろうが、彼女にとってそれほどロケットは大切な物であり、それを安易に盗まれてしまったこと、何より盗ませてしまった自身に我慢ならないのである。
「こんの毛玉ぁあああああ!」
『あ、待てコレット!』
セイバーの制止を振り切り、コレットはニフラーを追って樹々が覆い茂る森の中へと入り込んだ。空から降り注ぐ太陽光を遮る樹々の葉のせいか、森の中の気温は異様に低くコレットの肌に冷たさを感じさせた。
体力が底をつき気力だけで走り続けたコレットの足は、やがて無視できないほどの疲労に襲われ立ち止まる。それと同時に燃え盛っていた怒りも少しずつ鎮火していき、冷静に立ち返ったコレットは辺りを見渡した。
大蛇のように太い曲がりくねった木の根に、草木の中に息づく動物たちの静かな息遣い。自分が立ち尽くしている場所が禁じられた森だと気づいた時、コレットは身震いした。
「あ・・・」
『全く、だから待てって言ったんだ』
「だ、だってぇ・・・」
『いいかい。今の状況でも十分危険だけど、これ以上深入りしたら危険だ。このまま城の方角に・・・』
「だ、駄目よ!ナルシッサおばさんから貰ったロケットをあの毛玉から取り返さないと!」
『・・・言うと思ったよ。ちょっと待ってて』
その言葉と共に、コレットの目の前にセイバーが姿を現した。
凛と佇むセイバーに反して、コレットの表情は見る見る内に歪んでいく。
コレットの脳裏に、光の粒子となって消え去るセイバーの姿が過った。
「駄目よセイバー!現界しちゃ駄目!」
一ヵ月前―――ハロウィンの夜。トロールからハリー達を守るべく囮役を買って出たコレットは、セイバーにトロールとの戦闘を強いた。セイバーは身の丈の何倍もあるトロール二体を相手取ったにも関わらず見事な勝利を収めたが、その代償として大量の魔力を消費してしまった。
水浸しになった女子トイレで、床へと崩れ落ち分解されるように消えていくセイバーの姿はコレットの記憶に深く刻み込まれトラウマと化していたのだ。
例え一ヵ月間を霊体化で過ごしていたとしても、霊体化による魔力の温存より日常的に消費されていく魔力量が上回るというのにトロールとの戦闘で魔力を消費したセイバーがまた現界すればどうなるか。その結末を理解しているからこそ、コレットは悲痛な声を上げたのだ。
「さて、と」
セイバーはコレットの反応を気にすることなく森の中を見渡した。コレットが立ち止まったことで見失ったニフラーを探すためだ。
ある方向を見定めたセイバーはじっと睨むように森の奥を見据えると、疾風のように駆け出した。
「ちょ、セイバー!」
それは狙いを定めた猟犬のように俊敏な動きであった。およそ人間の範疇では考えられないその動きは既にコレットの眼中から姿を消しており、彼女は自分一人だけが森に取り残されたような感覚に陥る。
それが杞憂だと知ったのは、三回ほど瞬きした後だった。その右手の中にニフラーの両足を掴んでいるセイバーが現れたのだ。
「うわっ!」
「一々反応が大げさなんだよ、君は。ほら、ニフラーだ」
セイバーは右手を突き出した。
逆さ吊りの状態になったニフラーの姿はどことなく憐れなものだった。お腹の袋から零れ落ちそうになるチェーンを必死に戻すニフラーはコレットに気付くと、その両手からチェーンを零してロケットが入っているお腹を守るように抱き締める。
コレットがチェーンを引っ張ると、意図も容易くロケットが姿を現した。ニフラーは最後の悪足掻きにロケットをぎゅっと抱き締めコレットに渡すまいとするが、少女といえども人間の力に敵う筈もない。ニフラーの両手に守られたロケットは零れ落ちるように小さな両手からすり抜け、コレットの手元へと落ちてきた。
返還されたロケットを大事そうに握りしめたコレットは首にそれをかけると、改めてセイバーへと向き合う。
「よかったぁ・・・今回は助かったけど、あんまり無茶しないでよセイバー」
「君の尻拭いをしたんだ。感謝されるべきだろう」
「・・・」
セイバーの挑発的な物言いに動じることなく、ひたすら彼の身を心配しているからこそじとりと睨み警告を促した。「これ以上無茶するなら許さないぞ」そう訴えかけてくるコレットの視線に居心地が悪くなったセイバーは、「はいはい」と投げやりな返事を返した。
「コレット、これあげるよ」
「は?え、ちょっと!」
セイバーは右手に掴んでいたニフラーをコレットに押し付けるように渡すと、非難を込めたコレットの視線から逃れるように霊体化した。
コレットの腕はニフラーの首とも胴ともつかない寸胴な腹を両手で捕まえた状態のまま動けない。このまま森に帰してしまいたいが、手を離した瞬間ロケットを奪われる気がしてならなかった。
身動きの取れないコレットは途方に暮れていると、禁じられた森の外から野太い声がコレットの鼓膜を震わせた。
「おいお前さん!この森は立ち入り禁止だぞ!」
「え、あ、ごめんなさい!」
声がした方へ顔を向けたコレットは反射的に謝る。片手を振り上げながらコレットに近づいてきたのは、ホグワーツの森番の役目を担っている大男、ハグリットであった。
ハグリットはコレットを訝し気に睨んでいると、その目線を落とし彼女の手元を見やる。すると、ハグリットの顔は花が咲くようにぱっと輝いた。
「おぉ、ニッキー!お前そんなとこにおったのか!」
「に、ニッキー?」
昔からの旧友に出会ったような親しい声にコレットは首を傾げるが、コレットの両手の中にいるニフラー―――ニッキーは、ハグリットの声に反応を示している。
ニッキーは身体を滑らせるようにコレットの両手からよじ出ると、ハグリットのふさふさの髭へと飛び移った。素早い身のこなしでハグリットの首まで移動すると、すりすりと頬に擦り寄っている。
「いやあ助かった!今朝からこいつの顔が見えんでな。気になっちょったんだ」
「はあ。・・・そのニフラーは、あなたのペットか何かですか?」
「まあ、似たようなもんだ。それよりお前さん、何で禁じられた森なんぞに入っちょる。ここは立ち入り禁止なんだぞ」
「そいつがわたしのロケットを盗んだからこんなとこまで入っちゃったのよ!」
ニッキーの飼い主がハグリットと分かったコレットは責め立てるような口調でハグリットに詰め寄った。
コレットの怒りの形相は大の大男であるハグリットも後ずさってしまうほどの迫力だ。
立場が逆転したことでばつが悪そうに唸るハグリット。その様子を見ていたコレットは、これ以上ハグリットを責めても無駄だと悟ったコレットは、小さく首を振って横髪を靡かせ両腕を組んだ。
それを見ていたハグリットの目は、大きく見開かれる。図らずもコレットのその仕草は、ハグリットの記憶の根底に眠っていた“とある人物”の姿を想起させたのだ。
「“レイア”・・・?」
「“レイア”?」
無意識に呟いたのだろう。ハグリットははっと息を飲むとコレットから目を背けるように視線を泳がせた。
「“レイア”って何ですか?」
「あーいや、その、なあ・・・」
「?」
ハグリットは“レイア”の話題を言い淀んだ様子である。ちらちらとコレットを見やる視線からは、「この話題に触れたくない」という思いが見え隠れしていた。
「そういえばお前さんコレットじゃないか?!ハリー達がよく言っとったなあ、呪文を唱えると何でも爆発させるスリザリン生がいるとか何とか!」
「何よその話題!?」
ハグリットによって意図的に話題を逸らされたにも関わらず、思惑通り術中に嵌り「わたしはコンフリンガーじゃない!」と地団太を踏んでいる。
何と単純な主だろうと、霊体化したセイバーは溜め息を吐いた。コレットは噂を発した元凶であるハリー達―――特にロンを「あのノッポ野郎」「許さん赤毛」と執拗に詰っていた。
自分の言葉が端を発してコレットとハリー達の溝を深めたことなど知る由もないハグリットは、余計なことを言ってしまったらしいということしか自覚していない。
「(しかし、見れば見るほどよく似ちょる・・・)」
コレットの胸元にあるロケット目がけて飛びかかりそうなニッキーをいなしつつ、ハグリットはコレットの姿をその瞳に捉えていると、不図あることに気が付いた。
「そういやお前さん、よくニッキーを捕まえられたなあ。こいつは中々すばしっこかっただろう」
「え?あ、まあ・・・あはは・・・」
セイバーが捕まえたのだと素直に答えられないコレットは、是非を悟らせない曖昧な返事を返す。
その態度を謙虚だと捉えたハグリットは気を良くした。ここ最近、ハリーの周囲をうろついてはちょっかいをかける典型的なスリザリン生であるドラコばかり見てきたせいか、コレットの気安い雰囲気は彼には好ましく思えたのだろう。
「いやいや、このすばしっこい奴を捕まえるなんて大したやつだ。ニッキーは時折、俺の小屋から抜け出して城ん中をうろつくんだが、生徒達の光物を盗んでちょうと迷惑をかけるでな。こいつの身軽さは、あのウィーズリーの双子も叶わねえんだ」
はた迷惑な話を聞いたコレットの顔は引き攣るものの、ハグリットはどこか誇らしげにニッキーの戦果を語っていた。ニッキーが起こした数々の盗難事件は、ハグリットの中ではある種の自慢話のようだ。
ハグリットは禁じられた森に生息する魔法生物達への愛の熱弁を振るう様を見て、盲目的なほど生物を愛しているようだとコレットは思った。
「ここにはニッキー以外にも、いろんな魔法生物がおる。ナールにポーロック、イーソナン・・・」
「ナールは確か、ハリネズミみたいな生物でしたよね。イーソナンがいるってことは、ポーロックが護衛したりするんですか?」
「ほう、何でそう思う?」
「ポーロックは馬の護衛をする習性があるから。・・・イーソナンは天馬だから、もしかしたらと思って。あ、でも魔法生物だし、やっぱり習性は働かない?」
「よく知っちょるじゃないか!勉強熱心なのか?」
「本は、好きなので・・・」
それは、幼少期のほとんどを勉強で費やしたコレットの皮肉であった。
常より低くなったコレットの声音を特に気に留めることなく、ハグリットは嬉しそうに話に花を咲かせている。
「いやあ、話が分かるやつだなあ。スリザリンはいけ好かん・・・ああいや、あんまり好きじゃないんだが、お前さんは不思議と気安いというか」
「それ、あまり言い換えられてませんよ」
コレットの指摘に苦笑しつつ頬を掻くハグリット。首回りをちょこまかと駆け回るニッキーを撫でつける。
ハグリットは良いことを思いついたと言わんばかりに顔を輝かせると、息巻いた様子でコレットに言葉をかけた。
「お前さん、生き物は好きか?」
「は?・・・まあ、好き・・・ですかね」
唐突な質問に虚を突かれたコレットだが、素直な答えをハグリットに告げる。その答えを告げるとき、コレットはルベインアンツ家での屋敷の生活を思い出していた。
幼い頃、コレットはほんの数回だけメントと共に屋敷の外へ赴いたことがあった。エドワードの監視からこっそり逃れ、メントに手を引かれて訪れたのはルベインアンツの森の奥深く。そこにはコレットの見知らぬ動植物が数多く生息し、賑やかな鳴き声を森に響かせていた。
野を駆ける鹿、樹々を飛び移る小鳥。木をじっと眺めていると、そこはボウトラックルの住処であったりオーグリーの止まり木であったりした。湖に船を出して顔を出せば、水面越しにプリンピーが泳いでるのが見て取れる。メントは「危のうございます」と幼いコレットにいつも注意していたが、屋敷の中では決して触れ合えない生き物達の逢瀬に胸をときめかせていた少女は、言うことを聞かなかった。
コレットはその思い出を無意識に口にしていた。聞き入っていたハグリットは、意味を成さない感嘆を声を漏らしている。
「おう、おう・・・良い思い出じゃないか・・・」
「あ、ありがとうございます?」
「よし、決めたぞ・・・コレット、お前さん“魔法生物飼育クラブ”に入っちゃくんねえか?」
「“魔法生物飼育クラブ”?」
聞き覚えのないクラブ名に、コレットは首を傾げる。
「つっても、まだ正式に認可が降りたクラブじゃねえ。ダンブルドア先生は乗り気なだが、他の先生方から反対されててな・・・」
何より、生徒が入部してくれない。目下の悩みを打ち明けたハグリットはがくりと肩を落とした。
クラブの名前から、魔法生物の飼育を行うのがクラブ活動であることはコレットも察している。ホグワーツに存在する魔法生物達のほとんどの生息地が、禁じられた森であることも知っているコレットからすれば、“他の先生方”の懸命な決断に内心力強く頷いた。
内容からすれば勉強になる活動だろうが、魔法生物と関わることは危険と隣り合わせであることを意味する。ハグリットほどの屈強な男であれば対処できようが、幼い生徒達は難しいだろう。
「お前さんの話を聞いて思ったんだ!お前さんには生き物に対する愛情っちゅうもんがある!それに、ニッキーを捕まえたお前さんの手腕は大したもんだ!」
「あ、あはは・・・」
既に乗り気であるハグリットに対して、コレットは苦笑で誤魔化すしかなかった。
コレットの目的は悪魔で聖杯探索である。それを疎かにして魔法生物の世話にかまける時間など自分には残されていない。どうにかして此処から切り抜けられないかと、コレットは後ずさった。
「そうだ!わたしなんかより、ハリーやロンを誘えばいいんじゃないですか?」
ハーマイオニーを推薦しなかったのは、勉強好きな彼女を慮っての配慮だ。
「ハリーは駄目だ、あいつにはクィディッチの試合がある。ロンは・・・まあ、臆病なところがあるからなあ」
論の評価に補足するように「良い奴なんだが」と続けるハグリットの脳裏には、いつのことだったか小蜘蛛に怯えるロンの情けない姿が浮かんでいた。
「どうだ、やってみちゃくんねえか?」
大男でありながら子供の様に目を輝かせるハグリットの顔がずいとコレットに近づいた。
距離を置くために後ずさるコレットだが、それに比例するようにハグリットは近づいてくる。感情的になれば初対面の相手だろうと強気に出られるコレットだが、既にニッキーの被害に遭った怒りが醒めた彼女では、巨漢の大男に迫られている現状に言葉を詰まらせてしまう他なかった。
「いや、あの・・・」
「駄目か・・・?」
「えっとですね・・・」
巨漢の大男といえど、下手に出るその物言いは幼子のように頼りないものだった。
コレットはそれを可愛いとは思わないが、罪悪感を募らせる程度には効果がある。ハグリットの目を見ないように顔を逸らすと、視線の先にはハグリットの肩にちょこんと乗ったニッキーと視線がかち合った。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「(うっ、そんな目で見ないでよ・・・!)」
黒い円らな瞳がハグリットのようにうるうると潤み、コレットを見つめている。ロケットを盗んだ張本人だというのに、ぬいぐるみのように愛らしいその表情はコレットの心を鷲掴み心をよろめかせた。
それを傍から見ていたセイバーは単純なコレットの思考に呆れる他なかった。彼は知っていたのだ。ニッキーが潤んだ瞳で見つめている先にあるものがコレットではなく、彼女の胸元にあるロケットであることを。
それを知らないコレットは、自分を見つめるニッキーの愛くるしい表情が「クラブに入ってほしい」と懇願していると勘違いしているのか、その誘惑と戦っている。
セイバーは真実を告げるつもりはないらしく、黙ってことの成り行きを見守っていた。
「頼む1生徒の一人でもいりゃあ、先生方の気も変わるかもしれねえんだ!」
「・・・」
「うっ・・・!」
「お願いだコレット、お前さんだけが頼りなんだ・・・!」
「・・・」
「うーっ・・・!っ分かった、分かりました!やればいいでんしょう?!」
半ばやけくそで叫んだコレットの返事に、ハグリットは無邪気な笑みを浮かべた。肩に乗っているニッキーもそれに釣られるように飛び跳ねると、コレットの胸元に飛び込んだ。
「わ、わわっ!」
「よーしよし!まずはダンブルドア先生に報告せにゃあならんな!ちょいと校長室まで行ってくるから、寮へ戻っちょいてくれ。ここはまだ森の入り口近くだから、城が見える方向に真っ直ぐ歩けば出られるぞ」
「ちょ、ちょっと!わたし、手伝いならしますけどクラブの入部は、」
「いやあこれから忙しくなるぞ!」
「あ、待ってったら!」
両手の中で暴れるニッキーを押さえつけつつ、コレットは校長室へと向かおうとするハグリットを制止するが、それを意に介することなく彼は城の方へと足を向けた。浮かれているせいかその足取りは軽く速い。城中を探索し、ニッキーと追いかけっこをした今のコレットに、彼に追いつくだけの体力と気力は残っていなかった。
翌日の朝、コレットは一ヵ月ぶりに睡眠不足に悩まされたせいで通常より遅い朝食を取ることとなった。
授業に遅刻するほどではないが、ベッドから上体を起こした瞬間に向かいのベッドで寝ているパーキンソンと顔を合わせることになったのは最悪の出来事であった。
コレットは急いで身支度を済ませて大広間へと向かう。睡眠不足が祟り覚束ない足取りで歩いているため、頻繁に壁や柱に頭をぶつけては周囲の生徒から奇異の目を向けられるが、当の本人はそれさえも気づいていなかった。彼女の頭の中では、睡眠不足の原因となった新たな悩みのせいでいっぱいだったからだ。
「(もしハグリットの申請が通って、クラブができたら・・・)」
目下、彼女を悩ませているのはそれだった。
昨日の午後、禁じられた森に置き去りにされたコレットは再びロケットを盗もうと暴れだしたニッキーとの戦いを経てハグリットを探したものの、結局見つけることができなかったのである。
疲労困憊した状態にあるコレットにとって、校長室の場所を知らずに城中を探し回るのは極めて困難であった。生徒達が競技場から戻ってくる時間帯であったこともあり、彼女は聖杯の探索とハグリットの捜索を打ち切ったのである。ダンブルドアも、まさか生徒を危険なクラブに入部させたりしないだろうと高を括ってもいた。
だが、その日にベッドに潜り込んでみればその不安は次第に膨張していき頭を抱えることになったのだ。
聖杯の探索が最優先事項であるのに、そこにクラブが参入すれば探索に消費できる時間を失うこととなる。仮にクラブが設立されても「サボればいいか」と安易に考えてもみたが、ハリー達と親しいハグリットを裏切る行為は、同時にハリー達の印象を更に悪くする結果になるかもしれない。その日の朝食の際にハリーから逃げ出したこともあり、コレットはそういった印象にとても過敏になっていた。
不安を抱えたまま就寝したコレットは、朝になっても不安は解消されることはなく、現在に至る。
「・・・何かしら」
重い溜め息を何度も吐き出しながら大広間の扉の前までやってくると、右側の壁に人だかりができていた。
どうやら壁にかかっているフレームが話題であるようだが、コレットはさして気にすることなく素通りしようとヒトだかりを横切ろうとする。
すると、コレットを視界に捕えた一人の生徒が「ルベインアンツってあいつじゃないか」と一声上げ、それに釣られるように周りの生徒達が一様にコレットへと視線を向けたのである。
「(え、何、怖いんだけど!?)」
スリザリン生だけならまだしも、グリフィンドールやハッフルパフ、レイブンクロー生まで入り混じった人だかりの視線を一身に浴びるコレット。恐る恐る周りの生徒たちの様子を伺うと、そこに悪意は感じられないものの珍獣でも見定めているような視線であった。
『どれどれ』と声を響かせたセイバーは、視線の元凶であるフレームの中に収められている文章を読み上げる。
『・・・何々、“私ダンブルドアは、顧問をハグリットとし、魔法生物飼育クラブの設立を認める。尚、キャプテンは推薦のあったスリザリン一年生、コレット・ルベインアンツとする”・・・』
「はあ!?」
『他の部員も募集中だってさ』
「聞いてない、聞いてないわよそんな話!」
『ちょっと、落ち着きなよコレット』
「落ち着いていられるもんですか!あぁもう早くダンブルドア先生に誤解ですって理由を話さないと・・・!」
『コレット、』
「大体わたし、禁じられた森に置いてかれたことまだ許してないんだから!ニッキーのことだって、」
『コレットってば』
「何よ?!」
『君、念話で話してないよ』
「あ」
セイバーの鶴の一声で正気を取り戻したコレットは、さっと顔から血の気が引いた。
ぎこちなく首を動かすと、そこには“一人で騒いでいる少女”を訝しむ生徒達が遠巻き越しにコレットを見つめており、こそこそと囁き合っている。
会話の内容を聞き取ると、「またコンフリンガーがやらかしたのか?」「いや、何でも魔法生物の世話をしたとか」「え、魔法生物を爆発させたの?」という声まで上がっており、徐々に噂に尾鰭が付いていっていることが伺えた。
衆目に晒されたコレットは、へたりとその場に座り込み、呆然と呟く。
「嘘でしょ・・・」
『その言葉が何に対してなのか、聞かない方がいいのかな?』
さも愉快そうに皮肉を飛ばすセイバーを尻目に、コレットはドラコが大広間の出入り口から現れるまで、その場で動かぬ石像と化していた。
その後、彼女は授業の合間を縫ってはハグリットの小屋に殴り込む勢いで押しかけクラブの参加についての口論に費やしたのだが、その結果は翌日の早朝から餌袋を抱え森付近をうろつく彼女を見れば明らかであった。
亀更新ですいません・・・生活が全く安定しない。そしていっぱい書きたい。トゥライ。
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