ドラクエⅩの主人公(女)がひたすら酷い目にあうだけの話 (ハンヴィー)
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勇者姫アンルシアとその盟友ミカ、大魔王マデサゴーラを討伐!

 その急報は瞬く間のうちにレンダーシアはもちろんの事、アストルティア全土に知れ渡った。

 国民が歓呼の声で迎える中、ペガサスに跨った勇者姫アンルシアと、飛竜に跨るその盟友ミカが王都の大通りに降り立った。

 純白の天馬から颯爽と降り立ったアンルシアは、見守る国民達に向かって大きく手を振った。そのやや後ろに、勇者姫の盟友であるミカが跨る飛竜が降り立つ。

 彼女は飛竜の背から懸命に足を伸ばしているが、なかなか地面に足が届かないようで、飛竜の首にしがみ付きながら、恐る恐るといって感じで少しずつ少しずつ降りていった。

 

「ひゃあっ!」

 

 頓狂な悲鳴を上げたミカは、飛竜の身体を一気に滑り落ち、石畳の上に背中を強かに打ちつけて転倒してしまった。

ひっくり返った亀のように手足をば付かせるミカに駆け寄ったアンルシアは、苦笑と共に彼女の手を引いて助け起こす。

 

「大丈夫、ミカ」

「痛い~。お尻が、お尻が割れるよう~」

 

 半べそをかきながら、両手でアンルシアの差し出した両手に掴まり、ミカは覚束ない足取りでなんとか立ち上がった。

 

「……あれが、姫様の盟友なのかい?」

「随分と、頼りない娘っ子だなぁ」

「あれじゃあ、盟友って言うよりも、引立て役って感じだね」

「盟友って、もしかして、従者か何かなのかねえ?」

 

 その一部始終を目にした国民の間から、そんな声が上がるのも無理は無いだろう。

 凛々しくも美しい勇者姫とは対照的に、盟友であるミカは、所作も服装もどこかやぼったい。 垂れ目気味でそばかすの浮いた素朴な顔立ちは、田舎娘といった面立ちで頼りない。纏っている装束も、頭から足先まで身体をすっぽりと覆う地味な色合いのローブだ。

 噂では、神の奇跡と魔道の双方に精通した賢者ということだが、贔屓目に見ても、王宮に出仕する女官程度にしか見えなかった。

 そんなグランゼドーラ国民の見守る中を、勇者姫と盟友は並んで王城へと進んでいった。

 王城の前では、アリオス王やユリア王妃といった王室の面々や、叡智の冠の賢者達といった重鎮に出迎えられ、それぞれに労いの言葉を掛けられていた。

 重大な使命を果たしたことを父アリオス王に報告したアンルシア姫は、続いて兄トーマ王子の遺品である愛用の剣を母ユリア妃に差し出し、勇者としての使命を全うしたことを報告した。

 全てを終えた勇者と盟友は、国民の歓呼の声に送られて、城内へと進んでいった。

 

 

 

 魔王討伐に湧くグランゼドーラ城では、急遽祝勝パーティが催されることとなった。

 主役であるアンルシアは、祝辞の挨拶が終わるや否や、数多くの貴族の男性に取り囲まれていた。その面々の中には、グランゼドーラの貴族だけではなく、同じレンダーシア大陸のアラハギーロ王国を始め、五大陸の主要各国の駐グランゼドーラ大使の姿もあった。

 彼らは、まともな神経の持ち主なら、赤面するような歯の浮く台詞をこれでもかと並べ立てながら、アンルシアの勇者としての偉業を褒め称えていた。

 アンルシアはその一人一人に、短いながらもしっかりと挨拶を返していく。本心はともかくとして、表面上は王室としての義務を見事に果たしていた。

 

「ふあー、大変だねえ、アンは」

 

 一方のミカはと言うと、そんなアンルシアに同情の視線を送りつつも、普段はお目にかかることが出来ない豪華な食事に舌鼓を打っていた。普段の地味なローブからパーティ用のドレスに着飾ってはいるものの、アンルシアとは対照的に彼女に言い寄る男はいない。

 いくら勇者の盟友だといっても、彼女は一平民に過ぎない。本来ならば、こんな場所にすら臨席することも許されない身分だ。態々ご機嫌取りに伺うような相手でも無いということなのだろう。

 ふと、貴族の子息達に囲まれているアンルシアと目が合った。付き合いの長い彼女には、その視線が助けを求めているのがすぐに分かった。もっとも、分かったからといって、ミカにはどうすることも出来ない。

 頑張ってねとばかりに、ミカはアンルシアに背を向け、再び料理を堪能ことに専念するのだった。

 薄情者と言いたげな視線を背中に感じるが、ミカは気にしなかった。

 

「さすがにガードが固いな」

「ああ、意外だ。所詮は、個人の武勇に優れているだけの世間知らずな小娘だと思っていたのだが」

 

 喧騒から離れた場所では、アンルシアに言い寄り、すげなく躱されたグランゼドーラ貴族の子弟達が語り合っていた。

 彼らの家は、グランゼドーラ王国建国から続く名家だ。王国でも強い発言力を持ち、中には代々宰相や国務大臣を輩出している家もある。

 もし、救国の英雄であるアンルシアを篭絡し、彼女の夫として王配に収まることが出来れば、実家を外戚として国政を意のままに操ることが出来るかもしれないという浅はかな目論みもあった。

 何しろ、グランゼドーラ貴族の多くは、傍流のため王位継承権こそ無いものの、アンルシアと同じく勇者の血を引いているのだ。勇者の血統を維持するという正当な理由にもなる。

 

「あの娘は……?」

 

 子弟の一人が、ふと視界に入った娘に目を向けた。

 そばかすの浮いた化粧気の全く無い地味な顔立ちのその娘は、周囲の喧騒に我関せずとばかりに、あちこちのテーブルを移動しながら食事を続けている。

 

「ああ、アンルシア殿下の盟友とやらだ」

「ほう、あれがね。賢者だと聞いているが、ただの田舎娘にしか見えんな」

「実際、小間使いのような存在だったのだろうさ」

「ふむ……」

 

 最初に尋ねたほうの男が、にやりと口の端を吊り上げた。

 

「丁度良い。腹いせに遊んでやろうじゃないか」

「物好きな奴だな」

 

 呆れるもう一人を余所に、軽薄そうな笑みを浮かべたその男はミカに近づいていった。

 

「失礼、お嬢さん」

「ふえ?」

 

 振り返ったミカの様子に、男は軽くたじろいだ。

 なにしろ、今のミカときたら、頬袋に大量の食料を溜め込んだスターレミングよろしく、頬をいっぱいに膨らませていたからだ。

 

「わらひに、なにか、ごようれふか」

 

 もきゅもきゅと咀嚼しながら、ミカは言った。

 貴族を前にしてなおざりすぎる対応に、男は僅かに頬を引く付かせる。

 

「お初にお目にかかります。アンルシア殿下の盟友ミカ殿」

「……ごっくん。あー、はいはい。初めましてです」

 

 まったくこれだから、教養の低い娘は! そんな内心の憤慨をどうにか押し隠し、男はミカを口説き始めた。

 

「私の一族は、グラゼドーラ王国開闢以来の武門の名家でしてね。高貴な義務として、常に国家国民の盾となり国を護って来たのです」

「はあ、そうなんですかぁ。それでは、魔王の軍勢がグランゼドーラに攻め込んできたときは、さぞかしご活躍されたのでしょうねえ」

 

 それは素晴らしいとばかりにポンと手を合わせ、ミカは悪意の欠片も感じられない無邪気な笑みを男に向けた。

 

「せっかくですし、その時のお話をお伺いしたいですわぁ」

「え、いや、それは、その……」

 

 青年は途端にしどろもどろになり、視線を泳がせ始める。

 彼の家系が、王室に連なる武門の名家であることに間違いはない。

 しかし、王都にまで魔王軍が侵攻し、トーマ王子が命を落としアンルシアが偽りの世界に落とされたあの日、彼自身は王都には居なかったのだ。

 

「あ、生憎と、自分の領地と領民を守るのに精一杯でして……」

「そういう名目で、臆病風を吹かせて自領に引き篭もっていたのでしょう。国家の大事というときに。高貴な義務が聞いて呆れますわ」

「っ……!」

 

 取り繕っていた貴公子然とした仮面が瞬く間に剥がれ落ち、憎々しげにミカを睨みつける。

 

「まあ、怖い顔ー。もしかして、図星でしたぁ? ちょっとカマを掛けてみただけだったのですけれどー」

 

 無邪気な笑顔とは裏腹に放たれたミカの言葉は、痛烈に青年の自尊心を抉った。

 教養の無い市井の小娘と高をくくっていた相手に馬鹿にされて、このまま引き下がるわけにはいかない。

 幸い、アンルシアは周囲を人混みに囲まれ、こちらを伺い知ることは出来ない。

 

「図に乗るなよ、小娘……!!」

 

 恫喝とともに、野卑た本性を剥き出しにした青年は、ミカの細腕を掴んで捻り上げた。

 

「い、痛っ。離して下さい……」

 

 怯えるように顔を顰め、助けを求めるかのように、アンルシアのほうへ視線を巡らせる。

 しかし、アンルシアは、来賓や貴族の子弟に十重二十重に囲まれているせいか、ミカの異変に気付いている様子は無い。

 このまま、空いている部屋に引きずり込んで、口の利き方を思い知らせてやれば良い。

 顔立ちは地味だが、身体つきは中々悪くない。ある程度は楽しめるだろう。

 下種な考えに浸っていた青年だったが、突然掴んでいた右腕から、生木を圧し折るような奇妙な音が聞こえた。次の瞬間、これまでの生涯で感じたことの無い激痛を覚え、青年は屠殺される豚のような悲鳴を上げた。

 

 

 

「あぎっ! ひぎ、ひいぎやあああぁああああぁああっ……!!」

 

 突如響き渡った聞くに堪えない悲鳴に、華やかだった宴の場が一瞬して静まり返った。

 人々の視線の先には、右腕の関節を人体の構造上ありえない方向へ捻じ曲げたグランゼドーラ貴族の青年が、のた打ち回る姿があった。その傍らにあるのは、腰に手を当てて得意げな表情でふんぞり返る少女の姿だ。

 

「う、腕が! 私の腕が! ああ、あああああああっ!!」

 

 あまりに突然の出来事に、その場に居合わせた人々は、男を助けるでもなく、呆然とその光景を見守ることしか出来ない。

 

「ごめんなさい。ちょっと通して」

 

 そんな群集を掻き分けるようにして、アンルシアはその場に駆け寄った。

 何があったのかたずねようにも、当の青年貴族は痛みに悶えるばかりで会話にならない。

 

「ミカ。いったい、何があったの?」

「私は悪くないもーん」

 

 もう一人の当事者であるミカに尋ねるが、むくれたように頬を膨らませ、ぷいと横を向いてしまった。

 

「……とりあえず、治療してあげて。そうでなくては、話を聞くことも出来ないわ」

「むー……」

 

 そっぽを向くミカを宥め、アンルシアは青年貴族を治療させた。

 ミカが屈み込んで折れ曲がった腕に手をかざすと、淡い光が青年の折れた手首を包み込み、瞬きする間もなく元通りになった。

 

「あ、ああああああ……? あれ、いたく、ない……?」

 

 涙と鼻水で顔の半分を濡らしていた青年は、きょとんとした表情で、先程まで無残に折れ曲がっていた自分の腕を見つめる。高位の回復魔法に、見守っていた群衆からもどよめきが上がった。

 

「さて。何があったのか聞かせてもらえるかしら?」

「そ、そ、それは……」

 

 アンルシアが青年の顔を覗きこんで尋ねるが、青年はもごもごと口ごもった。

 まさか、逆上のあまり狼藉を働こうとして、反撃にあったなどと言えるはずもない。

 しかも、粗相をしようとした相手は勇者の盟友だ。

 

「私に乱暴しようとしたので、腕を圧し折ったのよ~」

 

 もう一方の当事者であるミカは、どこか誇らしそうに言ってのけると、自慢げに胸を逸らして見せた。

 「腕を圧し折った」という物騒極まりない一言に周囲は騒然となり、アンルシアは額に手を当て深い溜息を吐いた。

 

「ミカはこう見えて素手での格闘技に精通しているのよ。腕一本で済んで幸運だったわね」

「そうなんです。私は賢者なのです。賢き者です。いろいろなことを知っているのです。特に、人体の効率の良い治し方や壊し方は得意分野なのですー」

 

 ミカは魔道と奇跡に精通した賢者ではあるが、それらの力は強大ではあるが易々と何度も行使できるものではない。その隙を突かれれば、なす術もなく打ち倒されてしまう。

 使い手であるミカ自身が一番良く理解しており、無手での格闘術については、本職の武闘家顔負けの実力を備えていた。

 ミカは呆然とへたり込む青年を一瞥した後、上座からこちらを見つめる国王と王妃に向かって、ドレスの両脇を持ち上げて優雅に頭を垂れた。

 

「場を白けさせてしまい申し訳ございません。私のような浅学非才の身には、このような華やかな場は似つかわしくないようです。これにて失礼させていただきます」

 

 優雅な一礼を残すと、ミカは未だに呆然とする招待者達に踵を返した。

 

 

 

「あー、やっちゃったなぁ……」

 

 与えられた部屋に戻り、窮屈なドレスから寝巻きに着替えたミカは、寝台に腰を降ろして溜息を吐いた。

 ミカは最近の自分の変化に戸惑っていた。

 今までなら、あの程度の粗相に本気で腹を立てることなど無かった。もう少し穏便に済ませることが出来ていたはずなのに、妙にイライラして仕方が無かった。

 結果、相手に非があるとはいえ、公衆の面前で腕を圧し折るなどという暴挙に及んでしまった。

 

「アンの顔を潰しちゃったなぁ。せめて、もうちょっと人目につかないところで潰すべきだったなぁ」

 

 いずれにしろ、盛大にやらかしてしまったことに違いはない。

明日にはグランゼドーラ城のテラスより、アンルシア直々に国民に対して大魔王討伐の宣言が行われることになっている。そのゴタゴタに紛れてグランゼドーラから出て行こうと考えていた。

 大魔王は倒したものの、ミカにはまだやらなければならないことが残っていた。

 奈落の門の先に行ったクロウズ――幼馴染シンイの行方を探ることだった。

 彼のやろうとしていることがわかれば、弟にも出会える。なぜか、そんな気がするからだ。

 

「うーん、もうちょっとご飯食べたかったな。お腹空いた~」

 

 もう一つの変化は、異常な食欲だった。食べても食べても満腹にならない。

 必死に目を逸らし続けていたが、そのせいで、少し太ったような気もしていた。

 

「う~ん。でも~、ぶくぶく太ってボストロールみたいになるのは嫌だし~、う~ん……」

 

 調理場にでも行って、まかないでも貰って来ようかとも考えるが、即座にその考えを振り払う。

 本人にとってはかなり深刻な葛藤に陥っていたとき、自室のドアをノックする音が聞こえた。

 

「ミカ。私よ。入ってもいいかしら?」

「アン? 空いてるよ」

 

 自室のドアが開き、アンルシアが入ってきた。

 その背後には、彼女おつきの三人のメイドが影のように付き従っている。

 アンルシアは、先程までの華やかな衣装から、ミカも見慣れている普段の身軽な服装に着替えていた。

 

「パーティを中座してよかったの?」

「構わないわ。王室としての義務は果たしたもの」

 

 アンルシアは肩を竦めた。

 

「それよりも、あなたと少し話したいことがあったの。時間もらえるかしら?」

「うん、いいよー」

 

 二人がテーブルに着くと、三人のメイドがテキパキとささやかな宴の準備を整えた。

 

「ミカ。改めてお礼を言わせて。私が勇者としての使命を果たすことができたのも、あなたの助けがあったからよ。本当に有難う」

「もう~、水臭いよ、アン。友達なんだから、当然だよう~」

「ふふ、有難う」

「ところで……」

 

 ミカは僅かに笑みを顰めると、アンルシアを見つめた。

 

「アンー? 私に何か、大事な話があるんじゃないのー?」

「……ええ。そうね」

 

 アンルシアはグラスに満たされた果実酒に口をつけた後、静かに頷いた。

 

「……ねえ、ミカ。この国、グランゼドーラのことをどう思う?」

「んー?」

 

 ミカは顎に人差し指を当て、考えるように小首を傾げた。

 

「良い国だと思うよ?」

「ありがとう。例えば、どんなところかしら?」

「うーん、そうねえ……」

 

 うーんと腕組みをして少しの間唸ったあと、ミカは顔を上げた。

 

「まず、国民が愚鈍なところが素晴らしいと思うわー」

「ぐ、愚鈍!?」

 

 予想だにしなかった応えに、アンルシアはたっぷり十秒間、虚を疲れたようにポカンと口を開け放った。

 

「そう、愚鈍。もしくは暗愚。どこに行っても誰に聞いても、勇者姫勇者姫って、アンを讃える人ばかり。勇者姫がおわす限り何が起きても大丈夫と、何でもかんでもアン任せ。自分たちでどうにかすることなど沙汰の外。統治者にとって、これほど扱いやすい民も無いわー」

 

 呆気に取られたアンルシアだったが、やがてどこか納得したような笑みを浮かべた。

 アンルシア自身、薄々感じていたことでもあったからだ。

 

「聞いて、ミカ。私は、今後勇者なんて特別な存在が必要にならない国を作りたいの。問題が起きたとき、特定の個人や血筋に頼るのではなく、皆で考えて力を合わせて、困難に立ち向かう。このグランゼドーラをそんな国にしたいの」

 

 ミカは笑みを消し、真剣な表情のアンルシアを真っ直ぐに見つめ返した。

 

「……本気で言っているの、アン。あなたは、グランゼドーラの王室のあり方を否定しているのよ」

「いいえ、ミカ。私が否定したいのは勇者という偶像だけよ。王室はそんな偶像ではなく、真に国民から求められる存在で無ければならない。そう考えているだけよ」

「カメさまが聞いたらなんて言うかしら」

「シオン様には既に話しているわ。『あなたの心のままに。それもまた人が選んだ道です』とだけ」

「あら。意外とあっさりしているのね~」

 

 勇者が勇者のあり方を否定するなんてことは、中々に大事のはずなのだが、それもまた人の進歩だと好意的に受け止めているのだろうか。

 

「そのためには、ミカ。あなたの助けが必要なの」

 

 アンルシアはテーブル越しに身を乗り出し、ミカの手を握り締める。

 

「ミカ。私の妃として、力を貸してもらうわ」

 

 ミカの目をしっかりと見つめたまま、アンルシアは厳かに宣言した。

 

 



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2

「ミカ。私の妃として、あなたにも力を貸してもらうわ」

 

 迷いや躊躇とは一切無縁の力強い宣言だった。

 ミカは何を言われたのか理解できず、たっぷり十秒間ほど呆けてしまった。

 今、アンルシアは何と言った? 自分を妃にする? 女同士なのに?

 まさか彼女に、同性愛などというおぞましい趣向があるとでも言うのだろうか。

 理解が追いつかない。

 

「……コホン。殿下。ミカ様がドン引きされています。そのお姿では無理もありませんが」

 

 三人の侍女のうちの一人、アトリが軽く咳払いをした後、控えめに言った。

 

「ああ、それもそうだったわね。ごめんなさい、ミカ」

 

 アンルシアは名残惜しそうにミカから手を離すとゆっくりと立ち上がった。

 呆気に取られたまま自分を見ているミカに軽く微笑みかけた後、パチンと指を鳴らした。

 すると、アンルシアの身体が淡い光を放ち始めた。

 

「え? ええ、えええっ……?」

 

 やがて光が収まると、そこには、アンルシアの面影を残しつつも、凛々しくも優しげな少年が立っていた。

 ミカはわけがわからず、間抜けな声を上げて少年の顔を凝視した。

 

「ア、アン……。あなた、男の子……だったの……?」

 

 呆けた表情で、ミカはうわごとのように呟いた。

 アンルシアは、肯定するように微笑んでみせた。

 

「その通りだよ、ミカ。今まで隠していたことを済まなく思う」

 

 アンルシアは、やや沈痛な面持ちで頭を下げると、事情を話し始めた。

 アンルシアの兄、トーマ王子が勇者であるアンルシアの影武者として行動していたのは、ミカも知っている。

 そして、トーマ王子こそが勇者だと思っていたアンルシアが、勇者を支える盟友になりたかったことも。

 それは全て、真の勇者であるアンルシアの目を、魔王から逸らすために賢者ルシェンダが考えた策であったことも。

 

「だけど、それだけでは無かったのだよ、ミカ。ルシェンダ様は、もう一つの策を用意していた」

「それが、女の子のフリをすること、だったの?」

 

 アンルシアは深く頷いた。

 

「勇者の血筋であるグランゼドーラ王室に伝わる秘術のひとつに、モシャスという呪文がある」

「モシャス……自分の姿をありのままに変えることが出来るという、失われた太古の秘術……」

「さすがミカ。良く知っているね」

 

 アンルシアは感心するように微笑んだ。

 

「だが、我が王室に伝わるモシャスは、やや特殊だ。容姿だけではなく、服装、性格、口調、思考……全てを変身後の姿に合わせて変えることが出来る。身も心も別の人間に完全になりきることが出来るのだ」

「どうして、そんなことを」

「もちろん、魔族共を謀るためだ。単純な力のみを頼みにする奴らは、勇者が女と知れば侮ると考えたからさ。そして、まんまと騙されてくれた」

 

 アンルシアの回答は明快だったが、魔族に対する嘲りが多分に含まれていた。

 

「一つ誤算だったのは、モシャスの影響で、私自身の精神が限りなく女性に近くなってしまったことだった。そのせいで、兄上が命を落とした時、ショックで私は記憶を失ってしまった」

「それって、偽りの世界に落ちた時の事?」

「そうだ」

 

 偽りのレンダーシアでの出来事をミカは思い出した。

 芸術家気取りの三流魔王が作り上げた歪な世界で、兄の死をショックに記憶を失っていたアンルシアは、ミシュアという村娘として、とある村で暮らしていた。

 ミカの手助けで記憶を取り戻したアンルシアは、偽のレンダーシアを支配していた魔勇者アンルシアを打倒し、クロウズの助けを借りて、真のレンダーシアに戻ってきたのだった。

 

「……偽りのレンダーシアを支配していた魔勇者アンルシアが女の子だったのは、魔王がアンの事を女の子だと思っていたからってことなのかしら」

「そういうことになるのだろうな」

 

 魔勇者アンルシアは、魔王が奈落の門を開けるため、アンルシアに成り替わる存在として、創世のかけらから作り上げた偽者だった。

 アンルシアの本当の姿を見抜くことが出来ていなかった証拠ということになる。

 アンルシアが男性であることを知っているのは、長年に渡り勇者の影武者を演じた故トーマ王子と賢者ルシェンダ、アリオス王とユリア妃、そして今この場に居る三人の侍女、アトリ、マトリ、テトリの三人のみだ。

 

「ふあぁ……。なんだか、びっくりしすぎちゃって、理解が追いつかないわ~」

「とてもそんなふうには見えないね」

「そんなことないよう。心臓が止まりそうなほどびっくりしてるもん」

 

 アンルシアは、ひとしきり微笑んだ後、神妙な面持ちで、ミカに頭を下げた。

 

「ミカ。済まなかった」

「どうしたの、アン」

 

 突然の謝罪に、ミカは首を傾げた。

 

「魔王を謀るためとはいえ、私は護るべき国民や兵士達だけではなく、盟友であるはずの君すらも欺いた」

「そんなこと気にしなくていいよー。魔王を倒すためだもの」

「そう言ってくれると有難い。明日行われる一般参賀の場で、国民にも真実を告げるつもりだ」

「そっかぁ。みんなびっくりするだろうね~」

 

 勇者姫アンルシアは、勇者としての実力もさることながら、美しい姫君という偶像で国民の人気が高かったのも事実だ。

 国民に与える衝撃は計り知れないものがある。特に男性にとっては。

 

「アンに言い寄っていた貴族の坊ちゃん達の顔が見物だね~」

「確かにね。実は、少し楽しみだったりもする」

 

 アンルシアは、愉快そうにクスクスと笑った。

 

「あ、でもー、こんどは貴族のお嬢様方が放っておかないかもね~」

「それなら問題ない。君が妃になる事も同時に公表するのだからね」

「ねえ、アン。本気で言ってるの……?」

「もちろんだとも」

 

 困惑の表情を浮かべるミカに向かって、アンルシアは当然とばかりに頷いた。

 

「きゅ、急にそんなことを言われても困るよ。今まで、女の子だと思っていたんだし……」

 

 同性の気心の知れた友人として付き合っていたつもりなのだから当然だ。

 そもそも、異性同士なのだから、結婚に支障は無いという発想がおかしい。

 

 

「身分の違いを気にしているのなら、心配は無用だ。私の母も市井の出だからね」

「ユリア王妃陛下は、下町の職人の娘です。偶々城下町の視察に訪れた、当時王太子だったアリオス陛下が一目惚れし、妃として王室に迎えたのです」

「そ、そうだったの……?」

 

 テトリの言葉にミカは驚愕した。

 それにしても、アリオス王も思い切ったことをするものだ。

 周囲の反対をどのように押し切ったのだろうか。

 

「もちろん、異を唱える輩は居ますが、甚だしい連中は、私達のような侍女が処分いたします」

「さらっと怖いんですけど!?」

 

 嫣然と微笑むマトリにミカはたじろぐ。容姿が幼いだけに、ある種異様な迫力があった。

 

「ナイフとフォークより重いものを持ったことが無い軟弱な貴族のどら息子とはいえ、男性の腕を簡単に圧し折るミカ様も相当なものでは?」

「い、いや、あれはね! 力ずくで折ったわけじゃないからね!? こう、ちょっとしたコツを掴めば、誰でも簡単に出来るんだよ!?」

「あんな芸当が、誰にでも簡単に出来たら溜まりません」

「正に。本職の武闘家の立つ瀬がありませんわ」

「も、もう~! みんなして止めてよ~!」

 

 突如始まってしまった弄りに、ミカは悲鳴を上げた。

 

「まあ、冗談はともかくとしてだ。そういうわけだから、身分違いを気にしているようなら、無用な心配だよ、ミカ」

 

 少しの間、じゃれあう四人の様子を眺めていたアンルシアは言った。

 

「馬鹿な企てをするものは、この三人が処分する。何の心配も要らない。今までそうして来たし、それはこれからも変わらない」

 

 グランゼドーラ王室の闇の一端を垣間見た気がしたミカは、僅かに背筋が寒くなった。

 やはり、統治者である以上、勇者の血筋という徳だけで国を治めているわけではないということだろう。

 

「あ、あのね、アン……。私を評価してくれるのは嬉しい。でもね、アンのお嫁さんにはなれないよ。だって……」

 

 例え性別が違えど、アンルシアは大切な友人だが、いきなり結婚を申し込まれるとなると、さすがに困惑してしまう。

 しかも、ただの結婚ではなく、王太子妃に迎えるというのだ。理解が追いつかない。

 何よりミカには、弟やクロウズの消息を追うという目的がある。

 彼らの安否を確認しない限り、旅を終えるわけには行かない。

 ミカは慎重に言葉を選びながら、彼の期待には添えないことを詫びた。

 

「それならば問題ない。捜索にはグランゼドーラの兵を使うといい。彼女達も役に立つぞ」

 

 三人の侍女達は、主の言葉に一斉に頷いた。

 

「いいかい、ミカ」

 

 色よい返事を貰えない事に苛立ったのか、アンルシアの声に僅かに険が混じった。

 今まで感じたことの無い圧に、ミカは身体を強張らせた。

 

「私は君に求婚しているわけじゃない。君を妃にすることを決めたんだ。わかるかい? 君の意思は関係ないのだよ」

 

 アンルシアの笑顔を見つめたまま、ミカは身動ぎすることもできない。

 彼が何を言っているのか、全く理解が出来ない。

 

「それにね、ミカ。まさか、未婚の母になるわけにもいかないだろう?」

 

 ミカは自分の視界がぐにゃりと歪むのを知覚した。

 



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