異世界で 上前はねて 生きていく (詠み人知らず) (岸若まみず)
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第1話 異世界で 上前はねて 生きていく

現代日本で社畜として働き、過労死したはずの俺は、気づいたら異世界へと転生していた。

 

しかもディストピアSFや粘菌生物の支配する世界なんかじゃなく、魔法あり異種族あり奴隷ありの所謂ファンタジー世界だ。

 

最初は単純にラッキーって思ったね、ノーフォーク農法を広めたり、石鹸作ったりして知識チートで楽に過ごしてやるんだってさ。

 

でも必要は成功の母っていうか、みんなの欲しがるものはどこでも同じっていうか、そんな感じなわけで。

 

農地が痩せない麦を大昔の魔法使いが作ってたり、石鹸に代わるような商品作物が普通に流通してたりで、俺の野望は5歳にして打ち砕かれたのだった。

 

幸い俺は地方都市の城塞内に店を構える商家の三男坊。

 

働かなくても育ててもらえたし、適当に四則演算をやってのけたら親が舞い上がって神童扱い。

 

末は官吏か魔導師かって事で、ちょっといいとこの魔導学校に入れて貰えることになった。

 

タダで学歴おいしいです。

 

ちなみにこの世界の魔法使いは知識階級しかなれないって事で、上流階級は魔法を使える人がほとんどだ。

 

だからちょっといいとこの坊っちゃん嬢ちゃんは才能があろうがなかろうが、みんな魔法と高等教育を教える魔法学校に入ることになる。

 

冒険者の魔法使いなんかは、そこのドロップアウターか没落した家かってとこだ。

 

そんなわけで、都市内の魔法学校に通うことになったわけなんですが。

 

もうね、わかってたんだけどね。

 

俺の魔法の才能……普通ですわ。

 

なんか超偉そうな貴族の子弟達に馬鹿にされちゃうぐらいには攻撃魔法が苦手で。

 

なんかお尻が弱点っぽい、ドリルヘアの上級貴族のご令嬢にライバル認定されちゃうぐらいには支援魔法が得意。

 

得意と苦手で差し引き0って感じ。

 

あとは社会通念的なあれで、この国じゃ男魔導師は攻撃魔法が使えないと認めてもらえない感じだから職業軍人としては絶望的って感じかな。

 

俺は軍隊入る気ないからいいんだけどさ。

 

教師からは「お前が女だったら主席だったかもな」と言われたけど、主席になんかなっても実家はしがない政商ですし。

 

いやー、参ったわ、金回りだけの家だからなー、そこらへんの貴族より稼いでるけど大した事ないんだよなー (棒)

 

そんなわけでほどほどのヘイトとほどほどの期待を背負いながら学生をやってたんだが……

 

俺は10歳にして、新しい商売の種を思いついたのであった。

 

 

 

 

 

前世の俺は社畜だった。

 

昼も夜も過労死ラインもなく働きながら、終業時間の2、3時間前に悠々と役員車に乗って帰っていく役員を羨望の目で見つめていたものだ。

 

今世の俺はドでかい商会のお坊ちゃんだ。

 

役員待遇で兄貴の下について楽できるかもしれないが、もしかしたら兄貴の気分次第では社畜並にコキ使われるかもしれない。

 

そんなのはごめんだ。

 

そして何より、張り詰めた社畜からぬるま湯のお坊ちゃまへと一気に生活が変わった俺は、もう自分で働くというのが嫌になっていた。

 

俺の持つ回復魔法の才能を使えば楽々で治療院なんかを経営して生きていけるのかもしれないが、回復魔法を使うことすら嫌なのだ。

 

できたら巨大な劇場を建てて、一番いい席で催し物を寝転びながら見続ける生活がしたい。

 

何もせずに出てきた飯を食って、涼しい所で微睡む生活をしたい。

 

猫かなんか飼って、一緒に日向ぼっこしてたら一日が終わるような生活をしたい。

 

そこで俺は考えたのだ。

 

『安く買った奴隷を冒険者にして、上前をはねて生きていこう』と。

 

幸いにしてこの街の周りは動植物の資源豊かな土地が点在しているし、なんなら南の川を越えた所には摩訶不思議なダンジョンを擁した自治区だってある。

 

はっきり言って冒険者として稼ぐならば、これ以上ないってほどに立地がいい。

 

事業成功の秘訣は立地にあるという、俺はこの土地の名士の息子としての立場をしゃぶり尽くす心積もりでいた。

 

 

 

「坊っちゃん、本当に大丈夫ですかい?あっしの懐は当てにしないでくださいよ?」

 

「わかってるって、何度も言うな」

 

 

 

俺、ことサワディ・シェンカー(10)は商会の丁稚を引きつれて、実家の懇意にしている奴隷商へとやってきていた。

 

無論冷やかしではない、今日のために社長である親父に計画を話し、10歳児には破格の小遣いを引き出してきたのだ。

 

具体的に言えば今後の小遣い10年分だ、今から行う事業に失敗すれば俺は灰色の10代を過ごすことになるだろう。

 

もし駄目なら俺は絶望のあまり、盗んだ俊馬で走りだしてしまうかも……

 

なんてことを考えていたら、奴隷商が応接室へと入ってきた。

 

 

 

「お待たせ致しましたサワディ様、このペルセウス、貴方様と取引できる日を首を長くしてお待ちしておりました」

 

 

 

奴隷商の爺さんは若いころの祖父に世話になったらしい、そしてなぜか俺の誕生パーティーの皆勤者でもある、ストーカーかな?

 

 

 

「ああ、俺も爺さんから奴隷を買うのを楽しみにしてたよ、今日はよろしく頼む」

 

「かしこまりました……しかし、本当に欠損奴隷でよろしかったのですかな?」

 

「ああ、欠損のある若い女奴隷だ」

 

「坊っちゃんも若いのに変な趣味してるね……」

 

 

 

家の丁稚が後ろで何か言っているが気にしない、俺は支援魔法、つまり能力上昇魔法(バフ)や回復魔法の類が大得意なのだ。

 

つまり欠損があろうと自分で治せるわけだ。

 

奴隷商は在庫がはけるし、俺は安く買えるし、奴隷にゃ恩も売れるし、社会貢献にもなる。

 

売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よしだ。

 

ん?なんで女限定なのかって?

 

男なんかそばに置きたくないからだよ。

 

爺さんが手を叩くと、奴隷商の丁稚が3人の女を連れてきた。

 

全裸で壁際に立たされた女達は順番に自分の名前と経歴を言っていく。

 

 

 

「バーグです、26歳、元娼婦、毒を貰っちまったんで鼻がありません。あと右目が見えません」

 

 

 

栗色の長い髪を持った人族の女だ、言葉の通り鼻がなく右目が白く濁っている。

 

 

 

「バンズです、13歳、元冒険者、右手がありません、左耳も聞こえません」

 

 

 

まとまらない藍色の短髪の先がツンツンとあちらこちらを向いている猫人族だ、右手と左耳は切り落とされている。

 

 

 

「ピクルスです、10歳、農民でした、左後ろ脚が動きません、あと目がほとんど見えません」

 

 

 

栗毛の馬部分に栗毛のウェーブヘアを持つ人間部分が乗っているケンタウロスだ、思いっきり目を細めている。

 

 

 

「どうでしょう?普通の奴隷も一度見てみませんか?」

 

 

 

腕を組んで考え込んでいると、奴隷商の爺さんが聞いてきた。

 

なんのかんの言っても実物を見れば気が変わるだろうと思っているんだろうが、答えはNOだ。

 

 

 

「ピクルスを貰おうか、服を着せてくれ」

 

「ええっ!?」

 

 

 

丁稚が後ろで驚いた声を上げている。

 

 

 

「坊っちゃん……歩けないケンタウロスなんか買ってどうやって連れて帰るんですか?俺は抱え上げられませんよ?」

 

「心配ない」

 

 

 

奴隷商の用意した契約書にサインして、奴隷契約魔法を使ってもらい、想像していたよりもはるかに少ない金を払ってフィニッシュだ。

 

俺との初商売のご祝儀価格かと思ったが、そもそも欠損奴隷はほとんど売り物にならないからどこも抱えたがらないらしい。

 

俺はピクルスを座らせ、左後ろ脚をペンの先でつついて、痛みはあるか?と聞く。

 

何も感じないとの事だったので、おそらく脊髄レベルでの障害があるのだろうと当たりをつける。

 

ピクルスの尻尾の付け根あたりから、治癒魔力を流しながら人間部の首の根元めがけてなぞっていく。

 

馬部分の背骨の一部で違和感があり手が止まる。

 

両手を当てて治癒魔力を流し込んでいくと、ピクルスが痛い痛いと騒ぎ始めたので間違いないだろう。

 

狭窄されていた脊髄が正常な形に戻っていっているのだ。

 

違和感がなくなった所で魔力の放出をやめ、ピクルスに立ち上がるように指示した。

 

 

 

「ああっ!動く!左後ろ脚が動きます!!」

 

 

 

ピクルスは泣きながら左後ろ脚をピクピク動かす。

 

そりゃあずーっと動かなかったんだ、関節は固まってるし筋肉だってついてない、健康に歩くにはリハビリが必要だ。

 

とはいえ少しぐらいは曲げ伸ばしをできるようになったのだ、奴隷商から家までは時間をかければ歩いていけそうだった。

 

 

 

 

 

あれから2週間が経った、俺は学生だから自分の事業にガッツリ関われるのは週に2日の休みだけだ。

 

ピクルスには毎日たらふく飯を食わせ、夜は脚に治療魔術をかけ、日中はリハビリのために家の庭中を歩き回らせた。

 

日中は脚が痛くなってもとにかく歩けと言ってある、どうせ夜治療すれば無理した分も治るからだ。

 

その結果、たったの2週間で左後ろ脚は他の脚と同じぐらい太くなり、馬部分の毛並みが良くなり、なぜか身長まで伸びた。

 

夜は従業員用の風呂場で体を洗ってやったり、馬部分にブラッシングをしてやったりしたので結構仲良くなれたんじゃないかな、おそらく、多分だけど。

 

そんなピクルスを連れ出して、今日は商会近くの工房へと来ていた。

 

 

 

「サワディ様、ここはどこですか?」

 

「ここは知り合いのオッサンがやってる工房だ、お前の眼鏡を取りに来たんだよ」

 

「ああっ!あの目が良くなる魔法具ですね!」

 

 

 

ピクルスの目の悪さは病気ではなかった。

 

なんと神に与えられし加護の一部だったのだ。

 

ピクルス用の武器防具、それと日常用の服を作るために高級職人を呼んだのだが、そいつが神殿の坊主以外では珍しい、ステータス魔法を使える魔法使いだったのだ。

 

そいついわく、ピクルスには土竜の神の加護がついていたらしい。

 

 

 

『土竜の神の加護』

 

効果

 

・穴を掘るのが非常に早くなる

 

・泳ぎが上手くなる

 

・鼻が良くなる

 

・目が悪くなる

 

 

 

俗にいう使えない加護だ。

 

これが人間についてたらそいつは穴掘り名人として名を馳せていたかもしれないが、ケンタウロスは穴が掘れない、獣人種は元々鼻もいいしデメリットの方が大きいのだ。

 

という事で、デメリットを消すためにピクルスには眼鏡を装備させる事にしたのだった。

 

家に来た工房のオッサンがつけさせた検眼用の眼鏡をつけてはしゃいでいたピクルスはなかなかに愛らしかった。

 

 

 

「おう、できてるぜぃ」

 

 

 

ワイルドぶるくせに線の細いオッサンが店の奥からゴーグル型の眼鏡を出してくる。

 

冒険者がよくつけるタイプの眼鏡で、曇りづらく割れづらく頭の後ろにバンドで止めるのでズレづらい、ヒット商品らしい。

 

ピクルスを床に座らせて、椅子に登って眼鏡を付けさせてやると、物凄い勢いでキョロキョロ店内を見回し始めた。

 

 

 

「また調整がいるならいつでも来なっ」

 

 

 

ヴィジュアル系な見た目にぶっきらぼうな態度が似合わないオッサンに別れを告げ、俺たちは家路についた。

 

 

 

「どうだい?よく見える世界はさ」

 

 

 

答えはなかった。

 

家に帰りつくまで、ピクルスは鼻をすすって泣いていた。

 

 

 

 

 

また2週間が経った。

 

あれからピクルスを方々に連れ回して馬用の重鎧や人間の上半身用の革鎧、それから手槍や荷鞍などを用意してやった。

 

それからは家に勤める元冒険者の用心棒のオッサンなんかに槍の使い方や戦闘の心得なんかを習わせていた。

 

そして今日、ついに俺の金儲け計画の第一歩が踏み出されるのであった。

 

 

 

町の冒険者ギルドはよくあるファンタジーのテンプレ的な『ならず者が酒飲んで二階の宿屋で寝る』的な建物ではなく、カウンターと待合ソファが並ぶ市役所みたいな建物だった。

 

もちろん美人な受付嬢もいない。

 

受付には腕カバーを付けたオッサン達が立ち、受付のちょっと前ではこれまたオッサンが整理券を配っている。

 

 

 

『27番の方、2番窓口へお越しください』

 

 

 

案内アナウンスすらおばちゃんの声だった。

 

俺は冒険者ギルドへの興味を無くした。

 

 

 

「あのっ、サワディ様。これは何番なんですか?」

 

 

 

ピクルスが握った紙を俺に見せてくる、そういえばこいつは文字が読めなかったな。

 

 

 

「27番だな」

 

「27って……ああっ!呼ばれてるっ!」

 

 

 

ピクルスは慌てて窓口へと駆けていった。

 

登録自体は家で記入してきた書類があれば問題ないはずだ。

 

とにかく俺は、この夢のない建物からさっさと立ち去りたかった。

 

かったるかったので外で露店のジュースを飲んで待っていると、疲労困憊といった様子のピクルスが出入り口から出てきた。

 

 

 

「サワディ様、これ、お家の人と一緒に読めって……」

 

 

 

くしゃくしゃになった紙を伸ばして読んでみると、どうやら禁止事項や注意事項をまとめた物らしい。

 

ざっくばらんに言えば『悪い事はするな、他の人と仲良く、わからないことは職員に聞こう(暇なときね)』という感じだった。

 

詳しい事はうちの用心棒のおっさんに聞くことにしよう、元冒険者だしな。

 

 

 

3日後の朝、俺はピクルスが昨日ギルドから貰ってきた常設依頼の目録に目を通していた。

 

これは金を払えば職員が書いてくれるものだ。

 

 

 

「うーん、やはり最初は薬草採集かな?オベロン」

 

「薬草採集と一緒に包丁狸の討伐も受けた方がいい、1日薬草採ってりゃ2匹は見かけるからな」

 

 

 

オベロンというのはうちの用心棒のオッサンで、片目を無くしてから冒険者を引退して幼馴染と世帯を持ってうちに勤め始めたらしい。

 

片目治してやるから俺の事業手伝ってくれって言ったら快諾してくれて、今はピクルスの教官役やら俺の相談役やらをしてもらってる。

 

 

 

「いや、良く考えたらそもそもケンタウロスに薬草採集なんかできるのか?地面に手が届かないんじゃないか?」

 

「何言ってんだ坊っちゃん、普通の馬でも地面の草食って生きてんだぞ。ケンタウロスなら余裕だ。もちろん深い穴なんかは掘れんがな」

 

「ふーん、そういうもんかな。おいピクルス!決まったぞ!」

 

 

 

鎧や荷鞍を身に着けて、家の中庭を落ち着きのない様子でぐるぐる回っていたピクルスがこっちへ駆けてきた。

 

 

 

「薬草採集と包丁狸の討伐を受けろ。丸をつけておいたからギルドの人に薬草の形と生えている所、包丁狸の特徴なんかを聞くんだぞ。お金が必要ならこの袋から出すように」

 

 

 

俺はピクルスにそう命じて学校へと向かう。

 

冒険者稼業はしばらくの間、今日と同じように俺が受ける依頼を決めてオベロンが意見してピクルスが必死こいて働くというサイクルで回すことにしている。

 

今の俺の本分は奴隷の管理ではない、学業だ。

 

事業を始める時に「学校には真面目に行くこと」と親父とお袋に約束をしてしまったしな。

 

俺は前世では親を大切にしなかったから社畜になった時に助けてもらえなかった、今世の親とは仲良くする事に決めているのだ。

 

 

 

 

 

それから3ヶ月が経った。

 

3日に1回休みを挟みながらコツコツ働いたピクルスは、包丁狸と突撃鶏という害獣を毎日安定して狩れるようになっていた。

 

ちなみに包丁狸というのは、しっぽが刃物のように固く鋭くなっているやたら好戦的な狸で。

 

突撃鶏というのは、体当たりしかできないやたら好戦的で巨大な鶏だ。

 

どっちも繁殖力が旺盛で毎年アホみたいに増える上に、装備の整わない新人にとってはそこそこ手強い相手らしい。

 

冒険者の50人に1人ぐらいはこの手の好戦的な小動物に殺されるそうだ。

 

街道周りにこの動物たちが増えると流通に影響があるため、都市がギルドに依頼して数を減らしてもらっているというわけだ。

 

 

 

「うーん、1ヶ月でだいたい金貨3枚の稼ぎで、経費を差っ引くと金貨2枚、積み立て金引いて利益は銀貨5枚ってとこか」

 

 

 

ちなみにこっちの物価でいうとだいたい銅貨1枚1千円、銀貨1枚1万円、金貨1枚10万円ってとこだ。

 

月5万はガキの小遣いにしちゃ多いが、俺の小遣いとしては物足りない。

 

休日の午後にはクラスの女の子と芝居小屋に行きたいし、学校帰りの買い食いの店だってもう少しグレードを上げて開拓していきたい。

 

近所を回って治癒魔法で小銭を稼ぐのも手だが、俺はもっと単純に考えた。

 

奴隷1人で銀貨5枚なら、奴隷2人なら10枚だ。

 

 

 

 

 

久々の奴隷商館へと、俺はピクルスと一緒にやって来ていた。

 

ピクルスは奴隷商館に行くのを嫌がり、しきりに自分が売られるのかどうかを聞いてきたが、売るわけがない。

 

お前の相棒を探しに行くんだよ、と背中を撫でながら連れてきたのだ。

 

 

 

「本日紹介いたしますのは、この3名です」

 

 

 

奴隷商人のペルセウスがそう言うと、丁稚が女を3人部屋に連れてきた。

 

 

 

「カルボです、18歳、元冒険者、片足がありません」

 

 

 

ストレートの黒髪を腰まで伸ばした黒目の犬人族の女だ、右足が付け根からなく、杖をついている。

 

 

 

「ボンゴです、16歳、元狩人、羽がなく飛べません、右腕もありません」

 

 

 

椅子に座らされた金髪の鳥人族だ、鳥人族自慢の羽がなく、右腕も肘から先がない、うつろな目をしている。

 

 

 

「ゴルゴです、14歳、農民でした、耳が聞こえません」

 

 

 

目が大きく、小柄でおどおどした人族の女だ、耳も聴こえないようだが身体には他にも細かい傷が多い。

 

 

 

「今は欠損奴隷はこの3人だけでして、よろしければご希望の欠損奴隷をお探ししますが……」

 

 

 

誰にしようか迷っているとペルセウスがそう言ってきたが、俺は手を振って断った。

 

 

 

「今はまだいい、ボンゴを貰おう」

 

 

 

ボンゴはピクルスより遥かに安かった。

 

ぶっちゃけ死にかけているからだろう。

 

鳥人族は羽ばたかないと血が腐って死ぬと聞いたことがあるしな。

 

多分買い取りもほとんど捨て値だったはずだ。

 

 

 

「この子、ほんとに治るんですか?」

 

 

 

ボンゴを背に乗せたケンタウルスのピクルスは不安そうに聞くが、まあ多分大丈夫だろう。

 

無理でも気にならないぐらいの値段だったけど。

 

 

 

俺はそれから毎日ボンゴに流動食を食わせ、治癒魔法で背中の根本から少しづつ羽を生やしていった。

 

ボンゴの朦朧としていた意識も1週間ほどでかなり明瞭になり、かんたんな受け答えもできるようになっていた。

 

なんだかんだと1ヶ月で羽も右腕も生えて完治、さすが俺、丸儲けだ。

 

欠損奴隷ビジネスはやめらんないぜ。

 

 

 

 

 

とはいえ大変なのはリハビリテーションだ。

 

とりあえずピクルスと同じように、回復は魔法だよりでスパルタでやらせることにした。

 

下手に飛ばせて墜落したらまた治療しなければいけないが、まぁなくなった所から羽を生やすのよりはマシだろう。

 

ボンゴは毎日何かに取り憑かれたかのように朝から晩まで羽をばたつかせながらうちの中庭をうろつきまわって、使用人達を気味悪がらせた。

 

俺は夕方学校から帰ってから治癒魔法をかけてやるのだが、どうも鳥人族ってのは飛ぶために色んなとこが脆くできてるらしい。

 

空を住処にする鳥人族が無理に地べたを這いずり回ってるせいか、結構骨に細かいヒビが入ったりしていてなかなか痛々しい。

 

それでもうわ言のように「飛びたい……」と言いながらリハビリをしているのは、やはり鳥人族にとって飛ぶ事というのはアイデンティティなのだろう。

 

冒険から帰ったピクルスも心配そうに、深夜まで続く彼女のリハビリに付き合ってやっていた。

 

 

 

 

 

2ヶ月後。

 

春の訪れと共に全治のときが来た。

 

空を見上げると元気に飛び回り、幻影燕と追いかけっこをするボンゴの姿がある。

 

どうも彼女は鳥人族の中でもかなり飛ぶのが速い氏族の出のようで、郵便配達の鳥人の倍ぐらいの速さで飛んでいる。

 

そりゃあ、あの速度で墜落したら羽も手足も失くすわな。

 

納得だ。

 

 

 

「おーい!いい加減に冒険者ギルドに行くぞー!」

 

 

 

叫ぶ俺の傍らでは、使い込んだ槍が案外サマになっている先輩冒険者奴隷のピクルスが我関せずといった様子で露店の肉串を食べている。

 

こいつは去年買ったときよりも30センチは背が高くなり、尻も脚もでっぷり太く肥え、スパイク付きの蹄鉄がむやみにカッコイイ。

 

なかなかツワモノっぽい見た目になってきたが、ギルドでの等級はまだまだ下の下だ。

 

なんせ1年間小型害獣しか狩ってないからな。

 

この事業のアドバイザーであるオベロンが「仲間が揃うまでは無理をしないほうがいい」と言ったからそれを愚直に守らせたのだ。

 

俺はゆっくりでも投資した分が安定して返ってくればそれでいいからな。

 

それでもボンゴ次第ではあるが、これからはもう少し冒険の幅が広げられるだろう。

 

頑張ってくれ、かわいい奴隷戦士たち。

 

俺をたっぷり儲けさせてくれよ。

 

俺の夢は自分の劇場を持ち、毎日一番いい席で寝転がって暮らすことだ。

 

俺の名はサワディ・シェンカー。

 

爽やかなサワディさんとでも覚えてくれ。




オリジナルの練習です。

キャラ作りって難しいです。

異世界も難しい。

生きていくのも難しいです。

年度末の手を逃れた作者を待っていたのは、また地獄だったって感じです。

おすし


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第2話 鳥の人 馬に揺られて 狩りに行く

馬の人の方言は適当弁です。


私が空を取り戻した次の日の朝。

 

ご主人に「今日から仕事をしろ」とピクルスと一緒に狩り場に送り出された。

 

渡された装備は浮きイノシシの皮の鎧に、鉄の穂先が交換できる投槍を5本。

 

どう考えても装備のほうが私の値段よりも高い。

 

かといって危険な獲物を狙わせるわけでもなく、私達の氏族なら子供でも狩れるような包丁狸や突撃鶏を狩ってこいなんて……

 

猿人族の考えることはさっぱりわかんないな。

 

 

 

「おい馬の姉ちゃん、仲間が増えたのかい?」

 

 

 

私を背中に乗せて狩り場へ向かう馬人族のピクルスが、大弓を背負って腰に弦巻をつけた男に話しかけられた。

 

 

 

「馬の姉ちゃんじゃなくてピクルスだよぅ、んだべ、ご主人様がお仲間買ってくれただ」

 

 

 

どうも彼女の知り合いのようだ。

 

彼女はご主人の前では訛らないけど、私の前では思いっきり訛る。

 

礼儀らしいけど、言葉を偽ってなんの礼儀なのか、馬人族の考えることも全くわかんない。

 

 

 

「…………」

 

「えっと……お仲間は機嫌悪いのか?」

 

「ボンゴちゃん言うだども、あーんまし喋らねぇ子なんだっぺ。だどもええ子だで心配なかよ」

 

 

 

考え込んでいたら、ピクルスが私の紹介をしてくれてるらしい。

 

挨拶だけでもしておこうかな。

 

 

 

「…………ど………も…………」

 

 

 

なんだか猿人族がギョッとした顔をしている、こいつらはいっつもそうだ!

 

体質的に口が達者じゃない鳥人族もいるのに!

 

 

 

「……あ、いや、どうも……俺ケニヨン、流星のケニヨンって呼んで」

 

「誰も呼んどらんべそん名前、みんな川流れのケニヨンっち呼んどる」

 

「…………か……な?」

 

「こん人一回首長牛に追っかけられて、滝に落ちてギルドから死亡判定受けとるんよ」

 

 

 

ピクルスが人差し指で川流れの脇腹をつついている。

 

脇の下は人も獣も肉の少ない弱い所だ。

 

あんなところをつつかせているなんて、ピクルスと川流れは相当親しいに違いない。

 

 

 

「ああ、あんときゃ死んだと思ったよ」

 

「海まで流されてりゃあよかったんよ。みんな2日も探しよったのに、ケローっと帰ってくるんやもんね」

 

「わりーわりー、もう川には逃げねぇ。あの日から川で水浴びもしてねぇんだ、水が怖くてな」

 

「だからあんたちょっと臭いんよ!!」

 

 

 

川流れとの仲が特別いいのかもしれないけど。

 

ピクルスは冒険者として、周囲との信頼関係というやつを築けているように見える。

 

私の苦手なことだ。

 

得意ならあの時も売られずにすんだのかな?

 

いや、そしたらあのまま死んでたか。

 

ご主人は何考えてるのかよくわかんないけど、その点だけは素直に感謝だ。

 

私達みたいなオンボロを買って治して仕事させるなんて、噂に聞く神聖救貧院だってやらないのにな。

 

だいたい働きたくないなんて毎日私達やオベロンに愚痴ってるけど、自分で仕事を作ってるようにしか思えない。

 

やっぱりちょっと頭が馬鹿なのかな?

 

まだ子供なのにかわいそう。

 

しょうがないから将来ご主人が食い詰めたら、私とピクルスが狩りで食べさせてあげよう。

 

故郷のお祭り料理のネズミの揚げたやつ、ご主人とピクルスは好きになってくれるかな?

 

私はピクルスの大きな背に揺られながら、彼女とその友人の話を聞くともなく聞いている。

 

空には白いパンのような雲が一つ。

 

風は南南西に微風。

 

磁場も乱れなし。

 

飛ぶにはいい日だ。




1日1000文字ぐらい書いてちょくちょく上げていきます。

更新維持の練習です。


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第3話 気分良く 作ってみれど 空回り

福利厚生、懐かしい言葉だ。

 

役員しか使えない保養所や、社宅という名の簡易宿泊所……月1万円までの交通費……うっ、頭が……

 

とにかく、福利厚生は大事なのだ。

 

従業員に報いるには給与の増額が1番の方法だが、うちの会計には俺以外に給与の項目がない、みんな奴隷だからな。

 

だからこそ、普通の企業よりも一層福利厚生に力を入れなければならないのだ。

 

ケンタウロスのピクルスがずっとうちの馬小屋に寝泊まりしているのもまずいが……

 

鳥人族のボンゴの寝床問題もなかなかに重大だ。

 

今寝泊まりしている従業員用の部屋がいつでも空いているわけではないし、下手に俺の部屋の隅とかで寝られても色々と困っちゃうわけだ。

 

幸い積立金が金貨10枚分ほどあったので、その金で奴隷達用の小屋を建てることにした。

 

小屋といっても家の中庭に建てれるようなこぢんまりしたやつだ。

 

そう融通の利くものではないが、一応入るピクルスとボンゴにも意見を聞いておこう。

 

 

 

 

「今度お前らの小屋を作るけど、なにか欲しいものはあるか?」

 

「あ、私は藁を敷きたいので土間が欲しいです」

 

「土間か、なるほど。ボンゴは?」

 

「…………ト……レ…………」

 

「トイレが欲しいみたいです」

 

 

 

ボンゴは無口なやつなのだ。

 

決して嫌われてるわけじゃないと思いたい。

 

 

 

 

 

小屋は近所の工務店に発注したが、衣食住の住だけでは片手落ちというところだろう。

 

衣は普段の冒険者としての装備とパジャマ、あと数枚の古着があればまぁ事足りるしな。

 

だいたい小屋ができるまで、彼女らは正式に私物を置く場所もないのだ。

 

となれば今できることは食だ。

 

普段の飯は家の料理長が作っているから手を加えられないが……

 

まぁたまには?

 

ご褒美として俺の作る異世界激ウマ料理でも食わせてやることにする?

 

しゃーなしだけどね?

 

やれやれ、これは久々に転生者知識で俺TSUEEEEしてしまう時が来たのかな?

 

 

 

「ご主人様、これはちょっと……」

 

「…………ま…………ず…………」

 

 

 

が、残念。

 

俺の用意したポテトチップスは不評だった。

 

俺も一枚つまんでみる。

 

ぐじゅぐじゅだ。

 

食べてみると、カリッとも言わず、生の芋の風味がした。

 

なんだろう、ポテチって芋切って揚げるだけの簡単料理じゃなかったのか。

 

薄切りに失敗した時点でやめときゃよかったな。

 

 

 

「揚げ芋なら冒険者ギルドから一本西に入った通りに美味しい屋台がありますよ」

 

「…………さ……く……」

 

「そうそう、サクサクで香ばしいんでご主人様も今度是非」

 

「うーん、こういう料理はもうとっくにあったって事かぁ」

 

「庶民の食べるものですから……ご主人様がご存じないのも無理はないかと……」

 

「…………な……い……」

 

 

 

気遣わしげな奴隷たちの視線が心に染みるぜ。

 

今度、またの機会があれば甘いものでも食わせてやろう。

 

さすがに生クリームのケーキは食ったことないだろう。

 

俺も食ったことないんだし。

 

問題はまたもや俺がケーキを作ったことがない事だが……

 

まぁなんとでもなるだろう。

 

俺はクヨクヨしない、金持ちだからな。

 

いつでも心に余裕があるんだ。

 

 

 

「えっ、口直しになんか食ってこいって……こんなにいいんですか?」

 

「…………ふ……と……」

 

「気にすんな、今日は失敗したが、次は美味いもん食わせてやるからな」

 

「あ、はは……楽しみです……」

 

「…………ね……ず……」

 

「ん?ねず?」

 

「いやいや!えっと……なんでもないんですよご主人様!なんでも!」

 

 

 

ボンゴは相変わらずよくわからんやつだ。

 

結局衣食住の食の充実は、普段一日に銅貨一枚やってる小遣いを、銅貨一枚半に増やすことで解決した。

 

要するに好きなもん買い食いしてこいって事だ。

 

最初からこうすりゃ良かったかな?

 

まぁこういうのは気持ちだからな。

 

俺も社長からよく寸志という名の気持ちをもらったもんだ。

 

気持ちよりもボーナスのほうがよっぽど良かったがな。




澤田君は料理チートとか持ってません。


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第4話 槍投げて 狼取って 肉食って

バイクのタイヤがパンクしました、チューブタイヤなのでめんどくさいです


「やっぱこのご主人様の作った槍投げ機ってやつ、結構いいべ、草食み狼にもバシバシ当たるし」

 

「…………だ……め……」

 

「あー、ボンゴちゃんの貰ったダーツちゅうのはいかんかったねぇ、刺さりよってもそんまま逃げよるもんで」

 

「…………な……く……」

 

「なくしたぐらいで怒らんべ、ご主人様は慈愛のサワディ様だでな」

 

 

 

最近私とボンゴちゃんのパーティーは狩り場を1つ上に移した。

 

さすがに二人で狸や鶏を狩るのは過剰戦力だし。

 

狸は害獣で鶏は食料資源だけど、草食み狼は害獣にして食料資源なんだって。

 

狩り場を移してみるとたしかに実入りは今までよりずっと良くなった。

 

私達のお小遣いも1日に銅貨2枚に増えて嬉しい限りだ。

 

狩りのあとはお腹が空くからボンゴちゃんと色々食べ歩きするのが楽しいんだ。

 

最近ではちょっとだけお金を置いておいて、休みの日に肉串や芋揚げを買いに行ったりもする。

 

実家の家にも入れてもらえず畑の隅で残飯を食べてた頃とは大違いだ。

 

私達用の小屋まで作ってもらえた。

 

これで雨が降っても寝られる、本当にご主人様は神様だ。

 

こないだも『新しい狩り場で使え』って装備を手ずから作って下すった。

 

よくわからん槍投げ機と、よくわからん短くて重たい手投げ矢だけど、まぁその気もちが嬉しいよね。

 

ヘニャヘニャな動きで槍投げながら『戦闘はアウトレンジだ!』って言っていたけど。

 

たしかに槍投げ機を使うと、遠くからの一撃で終わることが多くてとても楽だ。

 

 

 

「…………い……た……」

 

「あいよぉ〜」

 

 

 

次の獲物が来たみたい。

 

槍投げ機に槍をつがえ、振りかぶる。

 

ボンゴちゃんがダーツで牽制して、狼がまごまごしているところに槍を投げ込んだ。

 

ボッ!といいながら金属の補強の入った槍が身を捩りながら飛んでいき、狼を肩口から貫通して地面に縫い止めた。

 

 

 

「…………そ……く……」

 

 

 

地面に降りてきたボンゴちゃんが即死した狼のまわりのダーツを拾い集める。

 

これで6頭目、今日の目標は達成だ。

 

さあさあ!

 

帰って屋台に繰り出そう!

 

 

 

 

 

「おう、奴隷組じゃねぇか。こないだの火炎蜘蛛の時は助かったぜ」

 

「ああ、アグリのおっちゃん。なぁんも、冒険者は助け合いよ」

 

 

 

町へと帰る道すがら、曲剣を背負った冒険者仲間のアグリさんと出会った。

 

アグリさんはぶっきらぼうなふりしてるんだけど、優しい猪人族のおじさんだ。

 

ときどき「お前らちゃんと食わしてもらってんのか?」って屋台の肉団子をご馳走してくれたりする。

 

一昨日に火炎蜘蛛に追いかけられて岩場から逃げてきた所を助けたときも、お高い桃のタルトを奢ってもらった。

 

製菓店は奴隷じゃ入れないとこにあるから、嬉しかったなぁ。

 

 

 

「しかしお前らの主人も心配性だな、火炎蜘蛛が殺せるぐらいなら草食み狼なんぞより上狙ったほうが儲かるだろうに」

 

 

 

アグリさんは私の背鞍にくくりつけてある狼を見てそう言うが、ご主人様の言うことには安全マージン?を取っているそうなのだ。

 

 

 

「…………あ……ん……」

 

「あん?そうか、安全か。たしかに稼いでも取り上げられちまうんじゃ面白くねぇわな、それなら安全な方がいいな」

 

 

 

アグリさんは複雑そうな顔をして「またな!」と狩り場に向かって行った。

 

心配してくれてありがとう、私は今幸せだよ。

 

 

 

 

 

「おっ、今日も腹ペコが帰ってきたな」

 

 

 

私達の姿を見て、串焼き屋台の店主のテシンさんが読んでいた新聞を放り出して火鉢に肉を置いた。

 

ここの屋台は肉の量は普通だけど、他と比べると塩が多くて味がはっきりしてる。

 

狩りの後にはここの肉串が一番美味しいんだ。

 

ご主人様が塩飴ってのをくれたんだけど、あれは美味しいからとっておきのおやつとして取ってある。

 

 

 

「今日はどうだった?」

 

「いつもどおりだよぉ、狼六匹で終わり、安心安全だべ」

 

「いつもどおりが一番いいんだ、いつもどおりできなくなった奴から死ぬからな」

 

「あたしらはご主人様が色々決めてくれるで、楽だよぉ」

 

「まぁお前らのとこのシェンカー家は超金持ちだし無理もさせんわなぁ、いいとこに買われたよ」

 

「サワディ様はすごい人だべ、この槍投げ機もサワディ様が作ってくれただ」

 

 

 

木製の槍投げ機をひらひら振る私を見て、テシンさんは渋く笑った。

 

 

 

「サワディといえば芝居狂いで有名だな」

 

「そうそう、将来は自分の劇場を持つんだって、まだ小さいのに夢は大きいんよ」

 

「三男だって話だしなぁ、跡目争いからは降りるって表明でもあるのかもな。っと……そういやそのサワディ様がよ、こないだ裏の揚げ芋屋に急に現れたらしい、女連れで」

 

「あぁ~、そりゃあたしがお薦めしたんよ、美味しいですよって」

 

「お前なぁ……そりゃお前らには気さくな主人だか知らんが、魔導学園の生徒だぞ?魔法使いってのは俺らからしちゃおっかねぇもんなんだよ。あんまりビビりすぎて揚げ芋屋のやつ、次の日屋台休みやがったぞ」

 

「はぁ~、そんなもんかいね。悪いことしちゃったかな?」

 

「俺らの中にゃああいつらの馬車の前横切っただけで片足ぶった切られたやつもいるんだわ」

 

「ひぇ~、そりゃおっかないね」

 

「だからな、お前らも知り合いじゃない魔法使いには気をつけろよ」

 

 

 

そう言ってテシンさんは、使い込まれた木の義足をコンコンと叩く。

 

不意に突風が吹いた。

 

大勢の人の行き交うメインストリートのすぐ上を、魔導学園のえんじ色の制服を纏ったドラグーンが魔法生物の黄金竜に跨って飛び抜けていった。

 

よくあることだ。

 

近くにいた山羊人族のおばあさんが、蹲って黄金竜に向かって手を合わせている。

 

この人は多分私と同じ、魔法使いに救われた側の人なのだろう。

 

その日の肉串は、いつもより少しだけ塩辛かった。




フレーバーなんで。

シリアスはあっても主要人物の鬱展開とかはないです。

ゆるふわです。


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第5話 奴隷商 俺にとっては デパートだ

ipadmini5売ってないんですけど


俺の経営する冒険者パーティが二人体制になって半年ほど経った。

 

いつの間にやら俺も11歳。

 

魔導学園の卒業は最大18歳まで引き伸ばせるとはいえ、卒業したらしばらくブラブラできるぐらいの纏まった金がないことには安心して学問にも打ち込めない。

 

俺は心配性なんだ。

 

世の中には絶対というものはない、齧っていたスネが牙を剥くという事もありえるからな。

 

金持ちになるのに早すぎるということはない。

 

ま、とにかく1つ年も食ったことだし、心機一転でしっかり稼いでいかないとな。

 

というわけで今日はピクルスを連れて、久々の辛気臭い奴隷商館へとやってきた。

 

さすがにもうピクルスも、自分が売られるだのなんだのと騒ぐこともない。

 

「どんな子がお仲間になるんですかねぇ」なんて気楽なもんだ。

 

だいたい俺が手に入れた奴隷を売るなんてよっぽどのことだ。

 

なんせ奴隷には、そいつが金が稼げるようになるまで、治療や生活費、あとは教育費なんかで頭が痛くなるような大金をかけているわけだからな。

 

俺からすれば、労働者に対しては教育こそが最大の投資なんだ。

 

俺の基本方針は『他人を鍛える』だからな。

 

教育……投資……

 

実費で受けさせられた資格講習……

 

受かっても上がらない給料……

 

うっ、頭が……

 

……まあいい、とにかく奴隷はどれだけ投資しても一身上の都合により退職することはない。

 

この世界にも労基署的な場所はあるが、やつらが奴隷にかかずらう事などない。

 

つまり一度の教育で育った社員が文字通り死ぬまで勤めてくれるわけだ。

 

そのうち頭脳労働の奴隷を育ててどこかに派遣とかしてみるか?

 

冒険者奴隷は手軽だが上がりが少ないからな、当たれば大きいが……

 

 

 

「サワディ様、奴隷の準備ができました」

 

 

 

おっと、今は奴隷を見ようか。

 

 

 

「それじゃあ見せてもらおうかな」

 

 

 

商館長のペルセウスが華麗に一礼すると、丁稚が欠損奴隷達を並べていく。

 

 

 

「ロースです、17歳、元冒険者、片腕と片目がありません」

 

 

 

赤毛を逆立たせた気の強そうな魚人族の女だ、右腕が肩口からなく、残った左目で眼光鋭くこちらを見定めている。

 

 

 

「チキンです、14歳、元商家の丁稚でした、先に錬金術師に買われて内臓がいくつかないとのことです」

 

 

 

椅子に座らされた矮躯で丸刈りの人族の女だ、青い顔に荒い息でつま先を見つめている。

 

多分そう長くないな。

 

 

 

「フィレです、16歳、元家事手伝い、いくつか骨が曲がっていてまともに歩けません」

 

 

 

16歳には見えない老婆のような羊人族だ、目の奥に闇の魔術痕が顕著に見られる、これは無理だな。

 

 

 

「メンチです、18歳、元正規兵、全身に火傷があります、左腕もありません」

 

 

 

こいつも死にかけだ、焼け焦げてて種族もわからん。

 

 

 

こりゃあ俺がなんでも治せると思って、まともな奴隷を安く仕入れるバーターで駄目そうな奴隷を引き受けてきたんだろうな。

 

まぁいいか、その分俺も安く買えるわけだしな。

 

 

 

「あの羊人族以外全部買うから、値引きしてくれよ」

 

「チキンもよろしいのですか?ギリギリなのですが……」

 

 

 

奴隷商も一応死にかけてる本人の前では『何がギリギリ』とは言わないんだな。

 

 

 

「学校の実験じゃあ引き抜いた背骨をそのまま再生したこともある」

 

「それは……いやはや、このペルセウス、恐れ入りました」

 

 

 

結局奴隷3人を財布の中身の二分の一ぐらいで買えたのでホクホクだ。

 

歩けないチキンとメンチは、ケンタウルスのピクルスの背中に載せて帰ることになった。

 

大幅増員だ、これからも他人をガンガン鍛えてビシバシ稼ぐぞ~!!




ダークな世界観はだいたいフレーバーなので。

主人公達のまわり(だけ)は平和なので。

ゆるふわです。


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第6話 実るほど 調子を上げる イキりかな

私が所属している研究室に、とある問題児が入ってきた。

 

サワディ・シェンカー、11歳の男。

 

男性なのに攻撃魔法の適性が下限を割ったという話だが、それだけならばまだいい。

 

魔法自体に適性のない者も毎年一定数存在するからな。

 

問題はこの男が、援護支援魔法にかけては上級生を含めても主席クラスの実力を持つことだ。

 

火焔弓の魔法でも藁束1つ灰にできないくせに、死刑囚を使った回復魔法実習では再生困難な背骨を丸ごと再生させたという逸話を持つ。

 

正直言って生まれてくる性別を間違えたとしか思えない。

 

まあ女に生まれていれば、それはそれで神聖救貧院( こじきども)の聖女候補にまで上がって苦労したかもしれんがな……

 

とりあえずは問題児といっても、性別と適性が問題なだけで大したことはない部類なのが救いだ。

 

生き人形のムドランや美食家ガードリィみたいな本気でやばい奴らはさすがに手におえんからな……

 

だが重要なのは、その問題児の指導担当がこのクリス・ホールデンだという事だ。

 

私が指導するからには、これからの数年を滞りなく過ごしてもらわなければ困る。

 

ゆくゆくは研究者として王都に登るつもりのこの身、問題児に経歴を傷つけられてはかなわんからな。

 

 

 

「む、来たか」

 

「先輩、おはようございます」

 

 

 

問題児は定刻通りにやって来た。

 

前回挨拶に来たときも定刻通りだったな。

 

家族にお高い懐中時計でも持たされているのだろうか?

 

私も鳥の彫り物の入ったやつが一つ欲しいのだが……父にねだっても誕生日まで待てという。

 

どうも女心の機微のわからぬ父だ、それだから母にも愛想をつかされるのだ。

 

おっと、思考が逸れたな。

 

私の反応を待っていたらしい問題児を研究室の一角へと案内し、机を挟んで向かい側に座った。

 

 

 

「そういえば、なぜ造魔研究を志望した?」

 

「安い労働力に興味がありまして」

 

「ふむ、そうか、商家の出だったな」

 

 

 

率直な人間は好みである。

 

何より商家は目的がはっきりしていて理解しやすい。

 

造魔術はそう簡単に金に変えられるようなものではないが、物見遊山気分の特待生などよりはよほどましだ。

 

 

 

「いいか、今日は基礎中の基礎、ホムンクルスの造り方を教える。すべての研究はこれが独力で作り出せるようになってからだ」

 

「はい、先輩」

 

「まず平底の試験管を用意する。これに素材を積層していくからな」

 

「はい」

 

「アサガオ、毛ススキ、ヘチマ水」

 

「アサガオに、毛ススキに、ヘチマ水をかけまわす」

 

 

 

一生懸命私の真似をしているが、そう簡単なものではない。

 

何度も失敗して覚えるのだ。

 

 

 

「小麦粉、ドブネズミの心臓、魔結晶」

 

「魔結晶は何でもいいんですか?」

 

「最低ランクでいい、これも草食み狼のものだ」

 

「なるほど」

 

 

 

しっかりとメモを取っているな。

 

感心だ、最近はメモも取らず思い込みで失敗する学生も多い。

 

 

 

「続けるぞ。精製塩、飛び百足の血、シナモン、竜髭花の根っこ、白砂糖」

 

「ふむふむ」

 

「そして上から蒸留水をかけ回し……融合魔術をまっすぐ入口から底へ。次に下から左回りで8の字を描くようにし、底から入り口へ」

 

 

 

私がそうすると試験管の中身は溶けてなくなり、青い皮膚の小さい人間、ホムンクルスが底に溜まった液体から這い出てきた。

 

しかしホムンクルスは試験管の壁にへばりついて動かない、何かの配分が悪かったのか元気がないな。

 

 

 

「僕もできました!」

 

「なにっ!?」

 

 

 

彼の持ち上げた平底試験管には、私のものよりも一回り大きく、騒がしく暴れ回るホムンクルスが宿っていた。

 

そんなはずはない!

 

そう簡単なものではないのだ!

 

 

 

「この実験をやった事があったのか?」

 

「いえ、初めてです」

 

「ではなぜ融合魔術の術式を知っている!?」

 

「先輩のを真似しました」

 

 

 

彼は事もなげに言うが、それがどれだけ難しいことか。

 

11歳の子供なんて、元氣を複数の色付き魔素に変換できるだけでも優が貰えるレベルだぞ。

 

 

 

「木が40に水が30、土が23に火が5、光と闇が1づつですよね?魔素変換が丁寧でわかりやすかったです」

 

「一度見ただけで真似たというのか?」

 

「ええ、基礎中の基礎なんですよね?」

 

 

 

その通りだが……と返した私の声は、どうしようもなく小さく不明瞭になり。

 

規格外の年下の問題児は、小人入りの試験管を振りながら屈託なく笑っていた。




イキリ転生者エピソードその1


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第7話 新しい 奴隷元気を 取り戻し

「おっ、動く……動くぞ……」

 

 

 

家の中庭では赤毛の魚人族、ロースが取り戻した右腕を少しづつ動かそうとしていた。

 

魚人族特有の首のえら(・・)から手先まで伸びるうろこ(・・・)も、再生したての右腕にはまだない。

 

生やしたばかりの四肢は色々と未発達だ。

 

欠損治療に大切なのは根気強いリハビリなんだな。

 

俺は回復魔法が使えるからスパルタでいくが。

 

 

 

「ふっ……ふっ……ふっ……ふっ……」

 

 

 

その横では全身を焼かれていた元正規兵のメンチが、再生したばかりの左腕をだらりとぶら下げたままスクワットをしている。

 

買った時は焼け焦げていて全くわからなかったが、こいつは鱗人族だった。

 

短い尻尾と全身を覆う頑強なうろこ(・・・)を持つ鱗人族は種族として、とてつもなく強い。

 

力が強く、打たれ強く、斬撃に強く、火に強く、毒に強いが、寒さには弱い。

 

あと頭もちょっと……

 

水かけて風浴びせるだけで気化熱で動けなくなるから、戦争では魔術師にとってのボーナスキャラ扱いなんだが。

 

一般兵相手には無類の強さを誇る、まさに地獄の兵隊なのだ。

 

本人曰く火竜に焼かれて名誉除隊したあと実家に戻ってから記憶がないとの事だが、多分家族に売り飛ばされたんだろうな。

 

あの値段は本当にお値打ちだったね。

 

 

 

「う……ぐっ……」

 

 

 

そして俺は今、錬金術師に内臓を抜き取られたって話のチキンの治療を行っていた。

 

チキンの口には猿轡のようなものが厳重につけられている。

 

内臓を再生させるのはめちゃくちゃ痛いからな。

 

痛みで暴れて舌噛み切ったりすると、また治療項目が増えてしまうわけだ。

 

俺が睡眠魔法か鎮痛魔法を使えればよかったんだが……

 

まだ学校で習ってないんだ、悪いね。

 

 

 

探知魔法で痩せこけたチキンの体内を探索する。

 

魔臓、腎臓、肺、肝臓、胆嚢、膵臓、抜き取られた臓器はあまりに多い。

 

ギリギリ数週間生きていられるように調整した感じだ、施術した奴はかなり腕がいいな。

 

チキンの身体全体に活性化(バフ)をかけながら、消化器から再生させていく。

 

痛みにのたうち回るチキンだが、括り付けられた樫のベッドはびくともしない。

 

ケンタウルスのピクルスが心配そうに手を握り頭を撫でてやっているが、多分もう意識はないはずだ。

 

結局この日は、腎臓と肝臓を再生して終わった。

 

ひとまず飯を食わせて、肉をつけてから再チャレンジだ。

 

ほんと、壊すのは簡単だけど、治すのは大変なんだよな。

 

 

 

 

 

3週間後、そこには無事に完全復活し……

 

うちの実家の番頭の手伝いをガッツリやらされて、涙目になっているチキンの姿があった。

 

 

 

「坊っちゃんの道楽がようやくお家の役に立ちましたね。計算ができて商家に慣れてる激安(・・)奴隷なんてなかなかいませんよ。予算つけますからもう2、3人買ってきてください」

 

「無茶言うなよ、再生魔法使いすぎてもうクタクタだ。それに、あくまでそいつは貸してるだけだぞ。俺の事業の会計をやらせるんだから、簿記覚えたら返してくれよ」

 

「繁忙期には借り受けられるって約束、忘れないでくださいよ。間違っても冒険に行かせて死なせたりしないように」

 

 

 

両端の尖った嫌味な金縁眼鏡のイケメン番頭に言い含められた俺は、渋々頷かざるを得なかった。

 

このチキンという奴隷、当たりと言えば当たりなのだが、即戦力としては微妙に力足らずだったのだ。

 

商人の修行の途中で売られたので、知識的にも実力的にも絶妙に使い物にならなかった。

 

そのため、実家の仕事の手伝いでOJTを行うことにしたのだが……番頭はことのほかチキンを気に入ってしまったらしい。

 

鼻垂れ坊主の頃からやれ菓子代だ、芝居代だと、金をせびって世話になってる番頭だからうかつに文句も言えない。

 

あれよあれよという間に繁忙期は店に貸し出すという話で纏められてしまった。

 

まぁいい、店の倅と番頭の関係でも借りは借りだ。

 

それに頑張るのは俺じゃなくてチキンだしな。

 

 

 

 

 

そしてチキンの他の奴隷はというと……

 

 

 

「もう一度、槍振り下ろし50回、用意!」

 

「ああ!?もうこれ以上腕が上がんねぇよ!」

 

「心配するな!上がらなくなったらご主人が治す!」

 

「坊っちゃん頼りの無茶苦茶な訓練はやめろや!」

 

「…………し……ぬ……」

 

「ボンゴちゃん大丈夫〜?」

 

 

 

元正規兵の鱗人族メンチによる、軍隊式トレーニングの真っ最中だった。

 

完全復活したメンチは、まずチンピラみたいに絡んできた魚人族のロースを叩きのめして上下関係を叩き込んだ。

 

そしてなぜか「人生に訓練は必要不可欠である」と宣言して自主的に槍振りの訓練を始めたのだ。

 

うちの奴隷としてはケンタウルスのピクルスと鳥人族のボンゴの方が古株だが、この二人は穏健派だから「強くなれるなら」と素直にメンチに従った。

 

ロースは再び食ってかかり、投げ飛ばされて悶絶していた。

 

それからというもの、奴隷たちは時間を見つけては、本当に体がぶっ壊れるまで訓練を続けるようになってしまった。

 

傍から見ていても地獄だ……

 

ホワイト企業にブラック企業の社畜戦士が入ってきて実権を握ったような……

 

その訓練を目にしてしまったチキンは「どんな手伝いでも一生懸命やりますから!あの地獄に放り込むのはやめてください!」とますます仕事に打ち込むようになってしまった。

 

さすがに心苦しいので休みの日は訓練を禁止とし、訓練自体も3日に1度までとした。

 

ロースからは、腕を生やしてやったとき以上の尊敬の目で見られてしまったが……

 

こんな事で好感度が上がっていいのだろうか……

 

まぁ損してないからいいか。




佐藤心のシンデレラマスターの発売日は5月15日ですよ!


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第8話 冒険者 命燃やして 金稼ぐ

「うぉらあ!!」

 

 

 

まだ鱗の生え揃わない右腕で繰り出した十字槍の穂先が、暴れ鳥竜の首根っこに突き刺さった。

 

度重なる攻撃でほとんど千切れかかった首を気にもせず、クソでか鳥は見上げるほどの巨体を驚くほど軽快に振り回して体当たりを仕掛けてくる。

 

 

 

「任せろ!!」

 

 

 

後ろにいたメンチの奴があたしと交代で前線に出て、向かってくる暴れ鳥竜に盾を構えて体当たりしていった。

 

ゴワキン!!と金属のへしゃげる音がするが、メンチは気にもしない。

 

度重なる衝突で盾を括り付けた左腕が骨ごとひしゃげてるが、鱗人族はそんな事でひるまない。

 

敵に回すと本気でやべぇが、味方としては頼もしい。

 

さっきまで戦場に響き渡っていた暴れ鳥竜の叫声はなくなり、代わりに首の付根から塊のように吹き出す血がバタバタと地面に落ちる音が不気味に響いている。

 

坊っちゃんや元冒険者オベロンの話では、あいつらは体全体が脳味噌みたいになってるらしいからな。

 

血が完全に止まるまでは暴れ続けるらしい。

 

 

 

「行くべ!」

 

 

 

そう声が響いたかと思うと、シュボッっと空気を巻き込む音と一緒に馬人族のピクルスが投げた投槍が飛んでいき、クソでか鳥の背骨を貫いて地面まで貫通した。

 

 

 

「ピュゥゥゥゥゥゥ!!」

 

 

 

暴れ鳥竜が完全に停止すると共に上空から甲高い声が響く。

 

真っ黒な風が空から吹き下ろしたかと思うと、暴れ鳥竜の胸元に白い手投げ槍が突き刺さっていた。

 

中身が空洞になっている手投げ槍の尻からは大量の血が音を立てて流れ出し、朝から追い続けてきた暴れ鳥竜は夕日に照らされながらその生命を星に返した。

 

空には無口な鳥人族ボンゴの、調子はずれな勝利の歌が響き渡っていた。

 

 

 

 

 

「やっぱり暴れ鳥竜はちょっと早かったかな?」

 

「指名依頼なんで美味しかったんだが、普段は浮き猪の討伐をやったほうが明らかに安定するだろうな」

 

 

 

あたしらの細かい傷やメンチのへし折れて真っ青になった腕をこともなげに治療しながら、サワディの坊っちゃんとオベロンの奴が今日の反省会をやっている。

 

やっぱり魔法使いはやべぇ。

 

前にいた傭兵団が壊滅する時に魔術学園をクビんなった魔法使いと喧嘩したんだが、一瞬で団の半分が氷漬けにされたからな。

 

あたしが半分凍りながらも喉笛噛みちぎってやったけど、そのおかげで元仲間に退職金代わりに売り飛ばされてこのザマだ。

 

やっぱり魔法使いはちょっと違う(・・・・・・)んだ。

 

普通ならちょっと躊躇するようなことや、周りや神様の目が気になってできないことも、平気でやる、嬉々としてやる。

 

うちのサワディ坊っちゃんもまともじゃない、治療した奴隷なんかすぐ売っぱらえばいいのに鍛えて戦わせて……

 

絶対に何かやる気だ、あの若さで自分の軍隊を持つ気なんだ。

 

マジにぶっ飛んでる、なるべくご機嫌を損ねないようにやらないとな。

 

 

 

「…………ほ……め……?」

 

「ん?ほめ?ああ、ラストアタックを取ったんだってな。褒めてほしいのか」

 

「…………ら……す……?」

 

「いや、なんでもないよ。よくやったな、飴をあげよう」

 

 

 

あーあー、あんな無邪気に撫でられちゃって、べっこう飴まで貰っちゃって。

 

いっぱしの狩人なのに、精神的にいまいちおこちゃまなんだよなぁ。

 

でも飴ならあたしも貰おうかな?

 

おーい、坊っちゃん!

 

あたしも頑張ったんだけど!



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第9話 押し売りと 神の使いに ご用心

「はじめまして、冒険者ギルドの()からきました。ラズリーと申します」

 

「はぁ」

 

 

 

ある日、うちの丁稚に案内されて物凄く胡散臭い男がやってきた。

 

 

 

「サワディ・シェンカー様ですね?ご高名はかねがね伺っております」

 

「はぁ」

 

 

 

白いローブに生成りのシャツ、おまけに薄汚れて細かいハゲのある靴。

 

なのに結構清潔にしているらしい身体、この時点で俺はなんとなくこいつの正体に当たりをつけていた。

 

 

 

「町では欠損奴隷を救って更生させておられるという慈愛のサワディ様の噂でもちきりですよ」

 

「へぇ」

 

 

 

慈愛、ね。

 

 

 

「実は私が個人的に(・・・・)所属しています神聖救貧院では力及ばず治療師の手が足りておりません。これは誠に由々しき事態でして、働き手の減少により治安の低下はもちろん、このままでは人々の神への信仰すら揺らぎかねません」

 

「はぁ」

 

 

 

やはり宗教だったか。

 

それもこの町で一番権威のない、ある意味俺の商売敵の神聖クソ救貧院の奴らだ。

 

 

 

「つきましては、サワディ様にも素晴らしい神聖救貧院の活動にぜひ参加していただきたく存じまして……」

 

「仕事の依頼ということですか?」

 

 

 

一応聞くだけ聞いてみる。

 

仕事を頼まれたとて、受けるとは言っていないが。

 

 

 

「申し訳ありませんが、救貧院は清貧を常としておりまして……心苦しいのですが喜捨というわけにはなりませんでしょうか?」

 

「誠に心苦しいのですが、私はこの国の保証する信仰の自由に則りまして金銭(おかね)を信仰しておりますので……」

 

 

 

数多の神の実在する世界で、一神教の強要など自殺行為でしかない。

 

傍迷惑な神のご加護(・・・)は降る人間を選ばないからな。

 

神は時に人を救うが、金は常に人を救う。

 

故に俺は金銭を信じているのだ。

 

 

 

「おお!それはあまりにも寂しいお考え!金があなたを救ってくれますでしょうか?金があなたを温めてくれますでしょうか?違います、真心こそが……」

 

「申し訳ないが、私もこれで忙しい身、このへんで」

 

 

 

こんな奴の相手を長々としてしまったな。

 

丁稚にはよく言い含めておかなければならんだろう。

 

 

 

「いやいや、お待ち下さい。そも、この世界は善神ウェカンが……」

 

「お客様がお帰りだぞ〜」

 

 

 

付き合うつもりはない。

 

ある意味サービス業な乞食達にはプライドもあるが、この手の連中にはそれもない。

 

あるのは善きことをしているという、裏付けなき自負だけだ。

 

 

 

「おお!何とご無体な態度!やはり……」

 

「どうした?坊っちゃん、誰だこいつ?」

 

 

 

裏で飯を食っていたらしい魚人族のロースがやってきた。

 

 

 

「冒険者ギルド職員かと思ったが、違ったようだ。お帰り願え」

 

「誤解です!私は……」

 

 

 

なにか言っていたが、ロースが襟首掴んで引きずっていったので聞き取れなかった。

 

 

 

「お前入ってきたのがうちで良かったなぁ、よそなら骨の2、3本は折られてたぞ。うちのご主人様は優しいだろ?二度と来るなよ」

 

「まっ……ああーっ!!」

 

 

 

最近どうもああいう手合いが増えた。

 

奴隷になるから自分の欠損を治してくれなんて言うオッサンとか。

 

自分を治してくれるなら娘を差し出しますなんてオッサンとか。

 

共同事業に出資しませんか?なんてオッサンとか。

 

オッサンばっかりだな。

 

 

 

どうも俺は世間からは道楽で慈善事業をやっているボンボンと誤解されているらしい。

 

おかしな話だ。

 

これで欠損奴隷を治してから解放してるのならまだしも、俺はしっかり仕事させてるわけだからな。

 

間違った印象が独り歩きしているように思える。

 

無力な市民達からはいまいちウケの悪い冒険者だが……

 

うちの都市は立地もいいし、手軽な投資先としては結構アツいんだが……

 

現に今だってだいたい月に金貨50枚ぐらいの収入にはなっている。

 

これは4人組で暴れ鳥竜が倒せるパーティとして見れば明らかに少ないが、普通の冒険者はこの収入からあるだけ全部使うからな。

 

結果こわれた武具を修理できずにギルドの等級が下がる……なんてのは結構よくある笑い話だ。

 

その点うちのパーティは、まず収入から武器防具の修理買い替え積立金を引き。

 

奴隷購入用積立金を引き。

 

設備工事積立金を引き。

 

生活費、雑費を引き。

 

奴隷達に日に銅貨2枚の小遣いを引き。

 

それだけ引いても俺の月の利益は金貨10枚だ。

 

1日3万円ちょいの小遣いと思えば、そう馬鹿にした儲けではないよな?

 

やはり、給料がないのとポーション他の回復用品代がいらないのがでかいな。

 

利益率は低いが、堅実に儲かってる。

 

まぁ実家の商会に比べたらまだまだか。

 

なんせ?

 

しがないとはいえ?

 

政商ですからね?

 

俺が事業始める前に、何もせずにもらってた小遣いは月に金貨1枚だったしな。

 

よく考えたら10歳児に10万も渡すなよな。

 

全部使い切ってたけど。




金貨=10万円

銀貨=1万円

銅貨=1千円

ぐらいの価値です。

さわDくんの金銭感覚は庶民とはかけ離れてます。

生きてる世界が違うと言ってしまえばそれまでですが、庶民は月に銀貨15枚程度で生きています。

家賃は集合住宅で銀貨5枚ぐらいです。

だいたい県庁所在地からちょい離れたとこぐらいの感覚でいてもらえれば間違いないです。


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第10話 ウザいけど 憎みきれない ろくでなし

シェンカー商会 商会長 『笑顔』のブレット (47)

 

 

 

我が末子のサワディであるが、あれは曽祖父に似たのかもしれん。

 

交易路を牛耳る山賊を祖とする我がシェンカー家であるが、今ではこの城塞都市トルキイバの小麦カルテルの筆頭兼、商業ギルドの次席を務めている。

 

まさに栄華の極みとも言える。

 

しかしかつて持っていた武力は解体され、言わばトルキイバの代官の走狗のように扱われていることも間違いではない。

 

逆に言えば、たかだか山賊の家を丁重に紐付きにするほど、国は当時のシェンカー家を恐れたのだ。

 

曽祖父の代のシェンカー家は3つの都市の真ん中の広大な平原を丸ごと牛耳り、交易の守護を担っていたという。

 

生活無能力者で、自分の名前すら書けなかったという話だが、曽祖父は指一つ動かさずに飛竜の頸をねじ切る男だったそうだ。

 

今で言う、超能力者だったのだろう。

 

討伐軍を送られては極めて残忍な方法で返り討ちにし、川の流れを捻じ曲げて付近の穀倉地帯を丸ごと人質に取ったという。

 

みかじめ料を取っての護衛を経て、シェンカー家主導での直接交易を始めてからは丸くなったという話だが……

 

つい20年ほど前までトルキイバのど真ん中に曽祖父の首塚が祀られていたあたり、その恐怖には根深いものがあったようだ。

 

そんな中生まれた子供が3男のサワディだ。

 

この子は早熟で、立って歩くようになる頃から芝居と金儲けの事ばかり考えているような子だった。

 

それだけならば商家の息子として及第点といったところだが、この子の金儲けには常に一定の具体性があった。

 

そして頭もよく、計算もいつの間にか覚え、日々の小遣いを家の丁稚に貸し出して利息まで取る始末。

 

うちの家督はサワディのちょうど15歳年上の兄、ジェルスタンが継ぐことで纏まっているというのに……

 

それが揺らぎかねない優秀さと、恐ろしいほどの金への嗅覚。

 

私は早々に、この子を魔導学園に入れることを決めた。

 

魔法使いになれば我が家の家督などに興味は持たぬだろうし、周りの者も迂闊には担ぎ上げん。

 

一人の強力な個人の実力で成り上がった我が家だが……

 

同時に、一人の強力な個人に依存し切ってしまった後の悲惨さもよく知っているからだ。

 

商売の道は魑魅魍魎が跋扈する道ではあるが、逆に超人の生きていけるような道でもない。

 

足一本生やして金貨5枚、鳥竜倒して金貨2枚などという世界で生きている輩が、小麦2袋売って半銅貨1枚なんてせこせこした世界でやっていけるわけがない。

 

私は可愛いサワディを超人鬼人達の世界に追放して、一時の安寧を得た……はずだった。

 

だが、サワディは商売の道へと帰ってきてしまった。

 

それも曽祖父と同じように、自前の武力を携えてだ。

 

やはり血は争えないのだろう。

 

この百年で皇帝も代わり、代官は10人以上交代した。

 

大盗賊黒ひげシェンカーは、今や古き時代のお伽噺だ。

 

サワディをマークしている人間は誰もいない、私だけが息子が鬼子であることを知っている。

 

願わくば、長男ジェルスタンか次男シシリキのどちらかが、無事に店を次代へと繋がんことを……

 

 

 

 

 

シェンカー商会 副会長 『微笑み(にやけづら)』 のジェルスタン (25)

 

 

 

下の弟、すげぇ〜

 

魔法使いってみんなあんななの?

 

腕とかすぐ生やすし、俺の5番目のカノジョの便秘も治してくれたし。

 

俺が親父に言えない病気やっちゃった時もこっそり治してくれたしね。

 

優しい子に育ってよかった〜

 

俺の馬勝手に乗り回すクソ生意気な上の弟もまぁ可愛いとこあるんだけど、モノが違うよね。

 

なんか女の奴隷集めてるらしいから、一人買ってあげた。

 

子供の頃って欲しい物あってもお金ないもんね。

 

俺ってやさし〜

 

こないだ2人目の息子生まれたけど、あいつも魔法使いにしようかな?

 

下の弟とはデキが違うと思うけど、まぁ次男は家継げないし。

 

魔法使いってだけでハクつくしね。

 

 

 

 

 

シェンカー商会 手代 『流水(よっぱらい)』のシシリキ (18)

 

 

 

弟、すげぇ〜

 

魔法使いってみんなあんななの?

 

腕とかすぐ生やすし、俺が二日酔いの時も……




似たものふわふわ兄弟ですが。

上の兄貴の方の嫁さんは番頭の娘で、子供2人いるので安泰です。

ゆるふわです。


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第11話 踊り子が 腰をふらずに コシ作る

なぜか上の兄貴と下の兄貴が『集めてんだろ?』って、ミニカーみたいなノリで奴隷をくれた。

 

よくわかんないけど、貰っておいた。

 

うちは宿舎なんかの設備の問題なんかもあってゆっくりと奴隷を購入しているわけだが、基本的に人手不足だからな。

 

 

 

「シーリィです、歌と踊りが得意です、17歳、処女です」

 

 

 

上の兄貴がくれたのは、抜けるように白い肌と折れそうなぐらい細い腰をした人族の女だ。

 

珍しいピンク色の髪の毛をゆるふわにカールさせて、ラメ入りの香油で前髪を左右に纏めている。

 

 

 

「ハントです、私は詩と裁縫が得意です、19歳、処女です」

 

 

 

下の兄貴がくれたのは、知識層の証とも言える銀縁のメガネをかけた知的な人族の美女だ。

 

珍しい緑色の髪をひっつめにして、上品な木のバレッタで止めている。

 

 

 

ふたりとも美人で若くてスタイル良くて処女、高かったんだろうなぁ……

 

でもうちの冒険者パーティに踊り子や吟遊詩人はいらないんだよな、どう使おう。

 

そうだ、そういえば再来月の感謝祭で地域貢献のために飯と出し物を振る舞おうと思ってたんだった。

 

 

 

「料理は作れるか?」

 

「あの、家庭料理ぐらいなら……」

 

「私も……」

 

「食えるもんが作れるなら上等だ、うちの冒険者達の料理番をやってもらおうかな」

 

「はぁ……」

 

「それでいいのでしたら」

 

 

 

二人とも拍子抜けといった感じだ。

 

俺は放蕩な兄貴の家庭を間近で見て育ったから、ぶっちゃけ将来できるであろう嫁さんと商売女以外を相手にする気はないんだ。

 

奴隷とはいえ人間だ、変に肉体関係があったら割り切れないことも出てくるだろうしな。

 

昼ドラは本気で勘弁だ。

 

隠し子が見つかって、嫁さんに頭割られて転がり込んできた兄貴を治療したのはトラウマなんだ。

 

 

 

「あと再来月の感謝祭で創作料理を振る舞うつもりだから、その開発にも付き合って」

 

「わかりました」

 

「そう大したものは作れませんが……」

 

 

 

以前ポテトチップス作りを失敗し、その後もホイップクリーム制作に失敗し、うろ覚えのチーズケーキで集団食中毒事件を起こした俺は反省と共に一つの回答を見つけたのだ。

 

自分でやるのは無理だから、人にやらせようと。

 

そもそも俺の基本方針は『他人を鍛える』。

 

奴隷は裏切らない、つまり奴隷を鍛える努力も裏切らないということだ。

 

評価の底が抜けたような会社での努力と違って、リターンのある努力は楽しいもんだ。

 

増え続けるノルマ……

 

増えない給料……

 

うっ、頭が……

 

 

 

 

 

そうして一週間後。

 

二人がぼちぼち新生活に慣れてきたところを見計らって、感謝祭向けのメニュー開発が始まった。

 

 

 

「パスタを作るんですか?」

 

「奴隷商館でも作り方を習いました」

 

 

 

ここらへんじゃパスタは昔からある大衆食、家庭料理だ。

 

でも不思議なことにマカロニみたいなののバリエーションばっかりで、ストレート麺のパスタがない。

 

あとあんまり茹でたりしないんだな、焼いたり揚げたりって感じなんだ。

 

そこで俺はこれ幸いと、麺のパスタ、つまりスパゲッティを作って振る舞う事に決めたのだった。

 

異世界知識チートで俺TSUEEEE展開がようやく俺にもやってきたぜ。

 

 

 

「まず生地を薄く伸ばす」

 

「伸ばすんですか?」

 

「この機械の棒と棒の間に挟んで、この車輪を左回りで回すんだ」

 

 

 

俺は形から入るタイプなんだ。

 

スパゲッティ作りのために、すでに鍛冶屋に特注でパスタマシーンを作らせていた。

 

生地を薄く伸ばすためのやつと、歯がついてて生地を麺にできるやつだ。

 

いくつも試作品を作らせたから高くついたが、俺は俺TSUEEEE展開のためなら金に糸目をつけんぞ。

 

ほんとはうちの家の料理人にやらせるつもりだったんだが……

 

自前でできるならそれに越したことはないから、まぁ謎な増員もラッキーだったんだろう。

 

 

 

 

 

……なんの成果もなく夜がきた。

 

昼前から始めた料理研究は細かな失敗が続き、スパゲッティの生地作りは晩飯の時間までに終わらなかった。

 

生地の練りが上手くいかなくてボソボソになってしまい、細切りする方のパスタマシーンを上手く通らないのだ。

 

だが、幾度もの失敗でコツを掴んだ二人は、次こそ生地作りを成功させられそうだ。

 

外には月が登り、魔導ランタンの光が部屋を照らしている。

 

使用人用の給湯室に業務用二口魔導コンロを持ち込んでやってるからいいが、厨房でやってたら料理人に邪険にされていただろうな。

 

もう眠そうな2人がフラフラ作業するのを横目で見ながら、俺は俺でソースの材料の用意をしていた。

 

俺が作ったことのあるパスタは、大学の学園祭で作ったペペロンチーノと、高校の調理実習で作ったカルボナーラだけだ。

 

もちろん高校の調理実習なんか覚えてるわけないから、メニューはペペロンチーノ一択。

 

ニンニクと鷹の爪、燻製肉、油、塩、お好みで胡椒だ。

 

 

 

「サワディ様、見てください、こんなに細くなりました!」

 

「凄いですあの機械!」

 

「うん」

 

 

 

二人の持ってきた麺を沸騰させていた水に入れ、肘を曲げて顔の横に持ってきた手を外に折り曲げてカッコよく塩を振る。

 

塩が腕を伝い、いい具合にパラパラになって鍋へと降り注いでいく。

 

 

 

「これ、ゆっくりかき混ぜておいて」

 

「わかりました」

 

 

 

大きな木のヘラでパスタをかき混ぜるシーリィの横で、フライパンに油と燻製肉とニンニクスライスを入れて火にかける。

 

ニンニクを揚げるように端に油を溜めてジリジリと加熱し、輪切りになった鷹の爪をパラリ。

 

匂いがしてきたらパスタの茹で汁を一振り。

 

粘ってニンニクを焦がすぐらいなら、まだ風味が弱いほうがましだ、異論は認める。

 

ソースが乳化し始めたらフォーク2本でパスタをすくい上げ、フライパンにうつして炒める。

 

あっという間に完成。

 

ペペロンチーノは俺でもできるぐらい簡単だ。

 

ただし物凄く奥深いから、美味いペペロンチーノが食いたいなら凝らずに店に行ったほうがいいぞ。

 

 

 

「これで完成……ですか?」

 

「美味しそうな匂い」

 

「うん、食べてみて」

 

 

 

俺は3枚のお皿にペペロンチーノを盛り付けて、机の上に置いた。

 

二人は初めて食べる麺類に悪戦苦闘しているようだったが、まぁそんなにマズイって感じの反応じゃなくてホッとした。

 

俺も一口。

 

うん、しょっぱい。

 

塩入れすぎ。

 

 

 

水を取りに立ち上がろうとすると、後ろからスッとコップが出てきた。

 

 

 

「ありがとう」

 

「いぃえ〜」

 

 

 

ん?後ろ!?

 

俺が驚きと共に振り返ると、そこにはうちの奴隷達が勢揃いしていた。

 

 

 

「なんか美味しそうな匂いがしたので〜」

 

「…………な……に……?」

 

「ニンニクのいい匂いが外までしてましたよ」

 

「毒味を志願します」

 

 

 

あちゃー。

 

 

 

「君ら、まだ生地作れる?」

 

「えっ!?」

 

「あ、はい……」

 

 

 

疲労困憊な様子の二人だが、もうしばらく頑張って貰うほかないだろう。

 

ていうか奴隷達の後ろにもいっぱい人が来てるぞ。

 

番頭、チキン、兄貴の嫁さん、丁稚に親父。

 

あーもうめちゃくちゃだよ。

 

結局この日のシェンカー家では、夜中すぎまでパスタマシーンの音が響いていたのだった。




イキリ転生者エピソード2


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第12話 気をつけて マモノ ケダモノ 魔法使い

ピンチ展開ですが、腕もげる程度です。(ネタバレ)

ゆるふわです。


森林から平原まで半日かけて釣ってきた巨大な赤頬狐の尾撃を、盾で上方向に受け流す。

 

これまで散々慣れない盾による防御で左腕をへし折られてきたおかげだろうか。

 

自分で言うのも何だが、近頃は受け流しがとても上手になった。

 

街のチンピラの剣戟ぐらいなら、自前の鱗と左手の捌きだけでも無傷で切り抜けられるぐらいだ。

 

巨獣達の攻撃を受け流せるようになるまでは苦労したが、暴れ鳥竜相手に盾だけで丸1日粘った経験が今に生きていると思う。

 

 

 

「メンチさん!行くべ〜!」

 

 

 

馬人族のピクルスが宣言するのに尻尾を一振りして応じる。

 

赤頬狐の横薙ぎの爪撃を盾で上から下へと押さえ込み、槍で地面に縫い止めた。

 

バガッ!バガッ!と威勢のいい足音が近づいて来ているのを、背中越しに感じる。

 

 

 

「今っ!!」

 

 

 

ピクルスの声を合図に赤頬狐から横に飛んで転がりながら離れると、馬上槍を抱えたピクルスが破竹の勢いで赤頬狐に突っ込んでいった。

 

素早く起き上がり構えを直す。

 

 

 

ケェェェェェェン!!

 

 

 

耳をつんざくような高い声が響いた。

 

腹に馬上槍を生やした赤頬狐は、怒りに燃えた目でこちらを睨み付けている。

 

あと少しだ、と背中からショートソードを抜き放って握りを確かめた時、そいつは空からやってきた。

 

 

 

ギ チ ギ チ ギ チ ギ チ ギ チ

 

 

 

乾いた、破裂音のような鳴き声。

 

その音を聞いた赤頬狐が踵を返して森へと転身したが、すでに遅かった。

 

空から降りてきた巨大な影は、赤頬狐の全身を抱きしめるようにして完全に抑え込んでいた。

 

巨大な赤頬狐を覆い隠さんばかりの巨体を誇るそれ(・・)は、冒険者にとっての恐怖の象徴。

 

この辺りに生息する、私達が絶対に倒せない敵のひとつ。

 

陽の光を緑に乱反射させる鉄壁の甲殻を持った複眼の巨大昆虫、ヨロイカミキリだった。

 

 

 

「おおおおーい!!花火撃ってくれー!!」

 

 

 

ヨロイカミキリの登場から一呼吸遅れて、平原から南の岩場の方から見たことのあるパーティのリーダーが走ってきた。

 

たしかナレンセという大斧使いだ。

 

あいつらが連れてきたのか!

 

ロースが十字槍を突きつけて奴を糾弾する。

 

 

 

「とんでもねぇもん連れてきやがって!!てめぇらで撃て!!疫病神が!」

 

「花火持ってたシーマが食われた!ラシンも!チィマもだ!」

 

「チッ……!ボンゴッ!花火だーっ!!」

 

 

 

ロースの指示で、ボンゴが背嚢に入れていた花火を取り出しながら地面へと降り立った。

 

あの花火は冒険者が倒せない敵が出てきた時に、都市から騎士団を呼ぶためのものだ。

 

騎士団は私がいたような軍隊組織とはまるっきり違う、魔法使いしか入れない精鋭中の精鋭だ。

 

 

 

「花火上げるぞ!!耳塞げ!!」

 

 

 

私の指示と同時に、ボンゴが地面に置いた花火の紐を引っ張る。

 

ウウゥゥゥゥゥゥゥ……と後を引く音を鳴らしながら玉が空へと舞い上がり、地面を揺らす爆発音とともに虹色の光が空に満ちた。

 

 

 

ギ チ ギ チ ギ チ ギ チ ギ チ

 

 

 

私の背丈と同じぐらいの長さの鋭い顎で赤頬狐の頭を丸ごと齧り取ったヨロイカミキリは、次の標的をこの小さな人間たちに定めたようだった。

 

 

 

「閃光投げろ!次に煙幕!」

 

「目ぇ塞げ!」

 

 

 

私とロースの指示で、ボンゴがとっておきの閃光弾をヨロイカミキリに投げる。

 

2……1……閃光!

 

瞼越しにすら目を焼く、凄まじい光が放たれる。

 

焼け焦げていた私の売値より何倍も高い、ご主人が持たせてくれた虎の子の魔道具だ。

 

複眼を白黒させながら動きを止めたヨロイカミキリの前に、併せて投げられた煙玉が真っ黒い煙を吐き出していく。

 

ヨロイカミキリに対しては、逃げる以外の手がない。

 

私の身長が今の3倍でも、触角に手が届かないほどの巨体。

 

金属鎧を着込んだ戦士3人を同時に切断したと言われる、長く鋭い顎。

 

そして城攻め用のバリスタでも傷一つつかない、あの強靭無比な甲殻!

 

絶対に魔法使いにしか倒せない相手だ。

 

 

 

(都市へ向けて撤退)

 

 

 

ジェスチャーで指示を出し、皆でゆっくりと動き出した、その時だった。

 

 

 

ギ チ ギ チ ギ チ ギ チ ギ チ

 

 

 

煙を掻き分けて、ヨロイカミキリの巨体が姿を現した。

 

弱い獣なら光だけで気絶させる事もできる、あの閃光弾すら役に立たないのか……

 

 

 

「…………き……た……!」

 

 

 

その時、ボンゴが都市の方を指して言った。

 

 

 

「色はっ!!」

 

「…………し……ろ……!」

 

「散……!」

 

 

 

『れ』は言えなかった。

 

何かが私の左腕を盾ごともぎ取っていき、一瞬遅れて爆音と一緒に横薙ぎの暴風がやってきた。

 

吹き飛ばされて何回転も転がった私は、血の噴き出る二の腕を右手で抑えながら、ふらつく頭で元ヨロイカミキリだったものを見た。

 

頭から背中の部分を綺麗に削り取られたそれは、赤紫の体液を吐き出しながら沈黙していて……

 

その向こう側に見える空には、血煙の雲を引きながら都市方向に旋回していく最速の『星屑』、白の竜騎士(ドラグーン)の姿があった。

 

 

 

「…………!………………!」

 

「あ……?」

 

 

 

走ってきたロースに何か言われたらしいが、左の鼓膜が破れているようで聞こえない。

 

彼女は私の腕の根本を、慣れた手付きで麻糸でぐるぐる巻きにしていく。

 

うちのパーティは後で生やしてもらえるから、治療はこれでいい。

 

私が右耳を指さすと、ロースは右側から話しかけてきた。

 

 

 

「……っ……は!」

 

「すまん、もうすこし大きく」

 

「さっきのは!?」

 

「騎士団の白の竜騎士(ドラグーン)……『星屑』のアルセリカだ」

 

「『星屑』の!吟遊詩人の歌で聞いたことあるぜ!どうりでバカッ速いわけだ!」

 

「皆は無事か?」

 

「斧使いのナレンセが足首だけになっちまった!」

 

 

 

ロースが指さした場所には靴と血溜まりがあった。

 

 

 

「そうか……」

 

 

 

やはり、魔法使いは強い。

 

あまりに強すぎる。

 

私達とは生きている世界がまるで違う。

 

そんな魔法使いに、お気に入りのおもちゃのように丁寧に使われている私達は……?

 

私は血が流れすぎて明滅する視界で血溜まりを見つめながら、家で我々を待つ、優しすぎる魔法使いの事を考えていた。




強すぎ魔法使いキチガイ伝説回。

メンチさんはこの後帰って腕生やして、1週間後には狩りに復帰しました。


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第13話 成績は 低いぐらいが 安心だ

魔法使いは特権階級である。

 

これは紛れもない事実だ。

 

なんせ高等教育を行う機関が魔導学園しかないんだからな。

 

世の中の上の方に行くと、全員が全員魔法使いなんだ。

 

庶民の間ではお伽噺に語られるような英傑でも、蓋を開けてみれば単なるパトロール兵だったりする。

 

これは意図的に作られた断絶でもある。

 

貴種が貴種であるために、下民が安寧の中で下民であり続けるために、知識は独占されてきた。

 

セーフティとは、破られぬからセーフティなのだ。

 

単なる金を持った下民が魔法使いになれぬように、学園には入学に際して明確な()の基準がある。

 

驚くべき事に、本当に貴種と下民は人種からして全く違うものなのだ。

 

故に1代での成り上がりは不可能で、金持ちの家は何代も金持ちを続けて貴種の血を取り込み続けなければいけない。

 

まさに我がシェンカー家はそういう家だ。

 

長々と考え込んでしまったが、俺が何を言いたいのかというと……

 

貴族 = 魔法使いであるが。

 

魔法使い = 貴族ではないということだ。

 

故に俺は強者には徹底的にへりくだる。

 

これは生存戦略なのだ。

 

 

 

「貴様のやっている下民への施しとやら、近頃少々小耳に挟んだぞ」

 

「へへぇ〜、エストマ様に気にかけて頂けるなど、恐悦至極にございます」

 

「非才の身ながらも、腐らず地道にやっておるようだな」

 

「有り難く存じます」

 

「造魔術のマリノ教授からも評判を聞いておる、これからも励めよ」

 

「もちろんでございます、これからもお見限りなきようよろしくお願い申し上げます」

 

「うむ」

 

 

 

指導教官であるエストマ翁から解放された俺は、気疲れで重くなった肩に回復魔法をかけながら校舎を歩いていた。

 

エストマ翁は我が国のシーレーン防衛の英雄だ。

 

海底ダンジョンから水棲の魔物が溢れて押し寄せてきた時、斥力魔法で海をかち割って海底まで歩いて迷宮主をぶち殺しに行ったんだとか。

 

バリバリの古い貴族家の人ながら、商家の出で攻撃魔法がろくに使えない俺にも存在価値を見出してくれる開明的な人なのだ。

 

 

 

「お、サワディじゃん」

 

「評価どうでした?」

 

「おお、ジニにエラ、可だよ可。やっぱ攻撃魔法ろくに使えないのは辛いわ」

 

 

 

家に帰ろうかと向かった学校のロビーで友人のジニとエラに会った、どうやらこの2人も今日が成績発表だったようだ。

 

ジニは老舗の家具職人の家の3男で、俺と同じような境遇。

 

エラは1代貴族の孫、平たく言えば貴族にコネがあるだけの平民だ。

 

同期で貴種じゃないのは俺たち3人だけ。

 

しかも3人とも芝居好きとあって、何かと仲良くしているのだ。

 

 

 

「俺は攻撃魔法使えるのに可だぜ」

 

「僕なんか研究室から不可もらっちゃいましたよ、お祖父様に怒られます」

 

「まぁ俺たち平民はクビにならなかっただけ良かったと思おうや」

 

 

 

貴族の世界である魔導学園で、平民は平民であるだけで問題児扱いだ。

 

基本的に優や秀を貰える事などない。

 

2回連続で不可を貰うとクビになるが、可でも卒業できるので問題ないのだ。

 

 

 

「2人はいいなぁ、僕なんかお家復興の重責を背負わされてる割に就職先も紹介して貰えないし、お先真っ暗ですよ」

 

「騎士団入ったらどう?うちの冒険者奴隷がこないだ大物に出くわしてお世話になったって言ってたぞ」

 

「そうそう、俺らじゃコネなくて入れないんだからさ」

 

 

 

ジニと2人してエラを適当に慰める、彼は少し悲観的な所があるんだな。

 

俺とジニはいざとなれば実家が頼れるから気楽なもんだけど。

 

 

 

「騎士団がダンジョンアタックで死にやすいことを知ってて言ってますよね?」

 

「それが仕事だよ、ダンジョン周りの草刈りやらされてる冒険者よりましよ」

 

「そうそう、ダンジョン戦役で負けたら、どうせ貴族も平民も死ぬんだしな」

 

「とにかく、騎士団はないです」

 

 

 

エラはぶすっとした顔で答えた。

 

 

 

「じゃあ冒険者とか?」

 

「エラは水の魔法が得意だから船乗りとかどうだ?そこらの貴族より稼げるらしいぞ」

 

「どっちもないってわかってて言ってますよね?」

 

「まぁな」

 

「海じゃ芝居が見れないもんな」

 

 

 

趣味者にとっては、やりがいや社会貢献よりも趣味が大事。

 

自由のない海などもってのほかなのだ。

 

 

 

「サワディ君こそ、海なら回復魔法が引っ張りだこですよ」

 

「おいおい、俺は働きたくないの、奴隷の上がりで食ってくんだよ」

 

「おーおー、また始まった。わかんねぇな、医者になりゃいいじゃねぇか。先生でも再生できない魔臓だって再生できるのに、もったいねぇの」

 

「やだね、俺には俺の夢があるんだよ」

 

「頑固者ですねぇ」

 

 

 

頑固でもいい、その先に不労所得があるならば。

 

俺はたとえ1日1時間の労働だって許容したくないんだ。

 

 

 

「まぁ将来の事は将来の俺らに任せるとしてさ、今日のところは芝居見に行こうや」

 

「そうですね、期末考査お疲れ様ということで」

 

「西町のさぁ、フーディニ劇場で『裸族の女』をやってるんだよ」

 

「主演は誰なんですか?」

 

「それが大女優ワーレン・ハッグなんだよ!『裸族の女』は一年ぶりだろ!」

 

「そりゃいいや!行こう行こう!すぐ行こう!」

 

 

 

こうして3人の問題児は、今日も連れ立って芝居を見に出かけたのだった……

 

貴族でも貴族じゃなくても、楽しく生きるから人生は楽しいんだ。

 

俺はこれからも、全力で趣味に生きていくぞ!!




せっかく学園編書いたのにヒロイン出て来てないじゃん!

って投稿間際の今になって気づきました。

まぁ11歳だしいいか……


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第14話 落語とは 相性悪い パスタかな

シェンカー家の前を、普段とは比べ物にならないぐらい多くの人が行き交っている。

 

今日は太陽の神への感謝を伝える感謝祭だ。

 

秋にやる月の神へと感謝を伝える収穫祭とは対になる、古くからある祭りだ。

 

私の主であるサワディ様はご実家の前で出し物と屋台をやることになさって、その準備にここしばらく忙しくしていた。

 

まず屋台を使った芝居を見せ、その休憩に屋台で物を売るという無駄のない構成。

 

ご主人様もさすがは商家の出、考えることがいちいち理屈(・・)だ。

 

愛玩奴隷としての教育しか受けていない私では理解できないところも多いけど、あのご主人様のなさることに間違いなどないに違いない。

 

サワディ様自身は学校の学園祭に行くとの事で、私達だけでやることになっているので練習もみっちりやった。

 

おかげで近頃ヘトヘトだ、ペペロンチーノを作るのは天下一上手になったと思うけど。

 

 

 

「これなんだい?」

 

「これは小麦で作った麺って料理ですよ、ペペロンチーノっていうんです」

 

「へぇ〜お嬢ちゃん可愛いから、ひとつ、も、貰おうかな?」

 

 

 

だらしのない顔をした人族のおじさんに、木皿に盛ったペペロンチーノと木のフォークを渡し、粒銅貨9枚を受け取る。

 

高いなぁと思うんだが、今日が祭りだからか、料理の匂いが抜群だからか、見たことのない料理だからか知らないが、結構売れる。

 

私の容姿や調理の腕も、少しは影響しているんだろうけど。

 

 

 

「む、時間である!」

 

「よっ!待ってました!」

 

 

 

槍を片手にずっと時計の針を見つめていたメンチさんが声を上げると、周りの見物客から歓声が上がった。

 

メンチさんは最近ご主人様から貰った銀の懐中時計を大事にしてて、周りの誰にも触らせずにいる。

 

あんなお高いものを奴隷に与えるなんて、ご主人様も豪気というか考えなしというか、やっぱりまだまだ子供なのかな?

 

 

 

「シーリィ、やるぞ」

 

「わかりました~」

 

 

 

今日の私達の仕事は2つある、屋台でペペロンチーノを売ることと、屋台を使ってご主人様の考えた芝居をやることだ。

 

詩を諳んじる事のできる、頭のいいハントでも芝居なんか書けないって言ってたから、やっぱり魔法使いになるような人の頭は出来が違うんだなぁ。

 

 

 

「えー、お静かに願います。これから奉納芝居を始めますので、お静かになさってください。ただいまより料理のご購入はできませんのでご理解をお願い致します」

 

「あの姉ちゃん何言ってんだ?」

 

「黙ってろって言ってんだよ」

 

「なぁんだそうか」

 

「……ごほん、これから始まりますは夜にペペロンチーノを売る2つの屋台と、2人のお客のお話です。お題目は『時ペペロンチーノ』でございます」

 

「いよっ!」

 

「頑張って!」

 

「ロースの姉御!応援してますぜ!」

 

 

 

ハントが案内をすると、もう観客が湧いてる。

 

さっき芝居をやった時にもいた人もいるし、緊張するなぁ。

 

通りに向けていた屋台を横向きにし、椅子を持ってきたメンチさんが私の前に座り、芝居が始まった。

 

 

 

「おう、ペペロンチーノ屋さん、1皿もらおうか」

 

「いらっしゃい、すぐご用意しますんで」

 

「うーん、どうにも寒いじゃないか」

 

「どうもここのところ、たいそうな冷え込みで」

 

「鱗人族にはこたえるな、動けなくなったらたまらんぞ」

 

「へぇ、おっしゃるとおりで」

 

「どうだ、商売の方は?あまりぱっとしないか?まぁそのうちいい事もある、あきない(・・・・)って言うぐらいなんだ、飽きずにやることだぞ」

 

「ありがとうございます、こりゃうまいことをおっしゃる」

 

「おう、あの看板、的に矢が当たっているが、なんと読むんだ?」

 

 

 

メンチさんが屋台のはしにかけられた布の看板を指差す。

 

 

 

あたり(・・・)屋と申します、へぇ」

 

「あたり屋たぁ縁起がいいじゃないか、私は博打もやるんだ、贔屓にさせてもらうよ」

 

「へぇ、ありがとうございます」

 

 

 

さっき作っておいたペペロンチーノを、ご主人様にお借りした絵付き皿に盛って出す。

 

 

 

「お、もうできたのか。トルキイバ者は気が短いからこりゃ嬉しいな」

 

「ありがとうございます、へぇ」

 

「いい皿を使っているな、料理は器で食うというぐらいだから、こりゃあ嬉しい」

 

「どうも、へへ」

 

 

 

メンチさんはペペロンチーノをズズッと威勢のいい音で啜る。

 

この音が出なくて何度もむせながら練習していたなぁ。

 

 

 

「うん、汁に胡椒を振っているのか、こりゃあ贅沢でいいな」

 

「ほんの隠し味で」

 

 

 

ほんとは振ってないけど。

 

 

 

「こりゃ燻製肉を厚く切ってくれたなぁ、いいのか?」

 

 

 

メンチさんはサワディ様に使い方を教わったというハシ(・・)で、燻製肉の細切りをちょいと摘んで見せる。

 

 

 

「そこはこだわりでして」

 

「嬉しいじゃないか、当たり屋さんよ。それじゃあ私がこれから博打に行くときは、一杯寄らせてもらうって事にしようじゃないか」

 

「ありがとうございます」

 

「代金だがな、小銭しかないから手だしておくれ」

 

「へぇ」

 

 

 

私が手を出すと、メンチさんの鱗が生えかけの左手がぬぅっと出てきた。

 

メンチさんはひとつづつ数を数えながら私の手に銅粒を落とす。

 

 

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、今何時(なんどき)だい?」

 

「へぇ、ななつで」

 

「はち、きゅうっと、ごちそうさん」

 

「ありがとうございましたー」

 

 

 

ふぅー、なんとか失敗せずに演技ができた。

 

ハントが再び前に出てきて、シェンカー家の門の影から出てきたロースさんを紹介する。

 

 

 

「ここに登場しますのが、このやり取りをずうっと物陰から窺っておりましたこの女」

 

 

 

赤毛の魚人族のロースさんはのしのしとやってきて、ちょっと猫背気味に腕を組み、よく通る声で喋りだした。

 

 

 

「へっ、なんだあのトカゲ女。

 

たかがペペロンチーノ一杯に、やけにたいそうにくっちゃべっていきやがって。

 

どうにも寒いねだと。

 

春だって夜は寒くって当たり前じゃねぇか、子供でも知ってらぁ。

 

それと、的に矢が当たって嬉しいなんて言いやがったな。

 

的に矢が当たって嬉しいなんてのは冒険者ぐらいのもんだろうよ。

 

それからなんだ?

 

出てくるのが早いなんて言ってやがったな。

 

余計なお世話だバカヤローってなもんだ。

 

それから、器がいい?

 

質屋の目利きかってんだ、気取りやがって。

 

そんで、隠し味に胡椒?

 

入ってるわけねぇだろ、ありゃバカなおめぇに対する愛想(・・)だよ、愛想(・・)

 

あとなんだ、燻製肉が厚いって?

 

あんな小さなもん薄くったって厚くったってわかりゃしねぇよバカバカしい。

 

…………はぁ。

 

あたしもよく覚えたねぇ」

 

 

 

観客からドッと笑いが起きた。

 

 

 

「そんで最後がちょっとおかしかったねぇ、小銭だから手ぇ出してくれっつって……いちにぃさんしぃいつむぅなんて所で時を聞くんだから。

 

数え間違ったらどうすんだ。

 

えぇ?

 

いち、にぃ、さん、しぃ、いつ、むぅ、今何時でぇ?

 

へぇ、ななつ。

 

はち、きゅう……あれ?

 

…………いや大丈夫なのか。

 

いやいやおかしい!

 

いち、にぃ、さん、しぃ、いつ、むぅ、今何時?

 

へっ、ななつ。

 

はち、きゅう……

 

へっ……へへっ……

 

間違いねぇ、銅粒1個ちょろまかしやがったんだ。」

 

 

 

そこでロースはポンと手を打つ。

 

 

 

「はぁ〜面白いこと考えるやつもいるもんだな。

 

そうかそうか、それであんなに褒めてやがったんだな。

 

……あたしもやってみよ」

 

 

 

ここでハントが前に出てきて口上を言ってる間に、あたしは店の看板を取り替えてケンタウロスのピクルスちゃんと交代だ。

 

 

 

「さぁこの女!よほど楽しみにしていたのか、次の日わざわざ細かい金を作りましてまだ夜も更けきらぬうちから出かけていきました」

 

 

 

その口上でロースさんがピクルスちゃんの屋台にやって来る。

 

 

 

「おい、一杯くんな」

 

「へい」

 

「今日はやけに冷えるじゃねぇか、なぁ」

 

「そうかぁ?風がねば暑いぐらいだけんども」

 

 

 

面食らったロースさんは襟首を掴みながら周りをキョロキョロ見回す。

 

観客からはクスクス笑いが起きている。

 

 

 

「あ、いや、あたし風邪引いてんだ」

 

「そりゃあ難儀だっぺなぁ」

 

「どうだい?商売の方は」

 

「お陰様でぇ、うまいこといっとるんよ」

 

 

 

また面食らったロースさんは、そっぽを向いて苦々しげな顔をする。

 

観客席からはさっきより大きな笑いが起きた。

 

 

 

「そうか、そいつは良かった、でもな、浮かれちゃいけねぇぜ、なんせ……」

 

「あきないって言うもんなぁ」

 

 

 

ロースさんは椅子から転げ落ちてしまった。

 

観客達は大笑いして口笛なんかを吹き鳴らしている。

 

 

 

「なんだよ……知ってたの……それよりもあれ、あの看板矢が的に当たって……ないね」

 

「お客さん、うちは魔法使い様の考えた料理でやっとるでぇ、魔法使い様の()になりそうな看板は縁起が悪いですよ」

 

「おっ、そうだな、『消し炭』にされちゃたまらねぇ」

 

 

 

ロースさんがそう言ってメンチさんの方を見ると、お客さん達からは大笑いと拍手喝采が起きた。

 

メンチさんは火竜に焼かれて消し炭になった後にうちのご主人様に助けられたっていう人で、冒険者の間では『消し炭』のメンチって呼ばれてるみたい。

 

うちの冒険者組ってここらじゃほんとに有名で、町の人の結婚式とか宴席とかに普通に客として招待されたりするんだよね、奴隷なのに。

 

 

 

「そうそう、こうやってバカっ話してる間にスッと出てくるのがペペロンチーノのいいところ……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……って遅いな!いくらなんでも遅くねぇか?ペペロンチーノってのはもっとこう、ざっと作ってスッと出てガッと食うもんだろうが」

 

「こだわってますんでぇ……はいお待ち!できましたよぉ」

 

「おっ!これこれ!おめぇんとこ、出るのは遅いが器がなかなか……ってこりゃなんだい?」

 

「爆裂モロコシの葉っぱなんだども……使い捨てで……」

 

「まぁ、器で味が変わるわけじゃねぇしな……

 

おっ、おおっ?こりゃ……麺が……モタっとしてて……くにゃっとしてて……

 

お前さん、シェンカー商会の乾麺使ってないだろ!?」

 

「ありゃあちょいと高くて……うちは家で作ったのを切って出してんだっぺ」

 

「だからあんなに時間かかったのか!?

 

だめだめ、やっぱシェンカー商会の乾麺じゃねぇと風味も食感も全然出てねぇや今シェンカー商会にトルキイバ小麦100%の特製乾麺を買いにけばペペロンチーノや他の麺料理の作り方も教えてくれるって言うじゃねぇか!こりゃ行くしかない!買うしかないぜ!シェンカーの麺で作ったアツアツな麺料理なら浮気な旦那も家から出ていかねぇでうっとおしく感じちまうこと間違いなし!今ならそこのシェンカー商会で5食分が銅貨1枚!急な来客にも最適なお手軽お菓子の作り方も教えてくれるって言うからお買い得間違いなしだぜ!」

 

「「「おおおーっ!!」」」

 

 

 

一呼吸でそう言い切ったロースさんに、周りの観客から万雷の拍手が送られた。

 

 

 

「はぁ……はぁ……水……」

 

「あいよっ」

 

 

 

ピクルスさんから受け取った水を飲み干したロースさんは、改めて芝居を再開した。

 

 

 

「しかしおめぇ、麺はともかく燻製肉が入ってないじゃないの。あれがなきゃペペロンチーノはかたなし(・・・・)だぜ」

 

「お客さん、イチャモンつけちゃこまるよぅ、ちゃあんと入ってっぺ」

 

「どこだ?ん?これか!ああ、これ葉っぱの模様じゃなかったのか!

 

薄く切ったなぁ、芸術だなこりゃ」

 

「照れるよ」

 

 

 

お客さん達から『ピクルスちゃーん』と声が上がっている。

 

 

 

「いや褒めちゃねぇよ、うーん、もうおあいそしてくんな」

 

「へぇ、9ディルで」

 

「今細かいのしかないから手ぇ出してくんな」

 

「へい」

 

「いくぜ、ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、今何時(なんどき)でぇ?」

 

「へぇ、よっつ」

 

「いつ、むぅ、なな、やぁ……」

 

 

 

そのオチで、観客達から今回一番の笑いと拍手が起こり、私達はピクルスちゃんとロースさんの周りに並んでお客さんに向けて礼をした。

 

するともう一度大きな拍手が起こり、私と交代で調理についたハントの元にペペロンチーノを求めるお客さんの列が出来上がる。

 

オチがわからなかったお客さんには、他のお客さんが教えてあげてる。

 

朝からずっとここにいる人もいるなぁ。

 

楽しいけど、一時間に一回やるのは正直骨です……




平成のうちに終わらせようと思ってましたけど、今のペースだと全く終わりそうにないです


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第15話 冒険は 剣を授かり 続くなり

ついに金ができた。

 

なんの金かって?

 

うちの奴隷達の拠点を買う金だよ。

 

さっそく親父のコネで物件を探してもらって、潰れた漬物工場の跡地でかなりの広さがある所をなかなか割安な値段で買った。

 

といっても一般人の年収10年分ぐらいはしたかな。

 

うちの親父もちょい足し投資してくれたし。

 

まぁ、いわくつきの土地なんで買い手がつかないって事情もあったんだけど、俺が住むわけじゃないしね。

 

とにかく、これでようやく人が増やせるわけだ。

 

となれば行くのはあそこしかないよな?

 

そう、奴隷商だ。

 

 

 

「お久しぶりでございます、ついに拠点を手に入れられたとか。このペルセウス、今日のために欠損奴隷を掻き集めて参りました」

 

「うん、よろしく」

 

 

 

さっそく通された奴隷お披露目ルームには、部屋に入り切らないほどの奴隷達がひしめいていた。

 

 

 

「すげぇ集めたね」

 

「サワディ様の奴隷達は名前が売れておりますので、声をかけると各所から回ってまいりました」

 

「そういう事もあるのか」

 

 

 

奴隷商の丁稚がうんざりしたような顔で頭を下げた。

 

 

 

「早速ですが、一人目。ピーナです、16歳、元冒険者、腰が砕けていて……」

 

「ああ、もういいよ……」

 

「なんですか?」

 

「説明はいい、ヤバいのだけ弾いて全部買うから」

 

「えっ!?」

 

 

 

丁稚は驚いた顔で俺とペルセウスの間で視線を行き来させている。

 

予算と場所がありゃ、そりゃあ全部買うよ。

 

収益化の目処はついてるんだからさ。

 

 

 

「サワディ様の言うとおりにせい」

 

「は、わかりました……」

 

 

 

その後出てきた奴隷達はだいたい(・・・・)問題なかったので、ほとんど(・・・・)買った。

 

さすがに魂を半分抜かれてるのや、闇の魔術で寿命が吸い付くされてるのとかはどうにもできないからな。

 

あとは半身をカエルにされてるやつがいたけど、そいつは触るの嫌だから買わなかった。

 

キモいからな。

 

 

 

「大商いになってしまいましたな」

 

「売れると思って集めたんじゃないのか?」

 

「いやはや、まさかここまでとは」

 

「奴隷商人ペルセウスの度肝を抜けたかい?」

 

「ええ。まことにもって、サワディ様のご成長は雷光の速さですな。私の一手先どころか、はるか未来を歩んでおられる。天国にいらっしゃる先代様も、さぞお喜びの事でしょう」

 

「よせよ、また頼むわ」

 

「ははっ、奴隷は拠点へとお届けさせて頂きますので」

 

「やばそうなのは今日治して帰るから」

 

「かしこまりました」

 

 

 

こうして労働力を手に入れた俺は、またもや新たな事業へと乗り出したのだ。

 

人を安く集めて仕事に送り、上前をはねる。

 

つまりは人材派遣だな。

 

頭数が揃ってなきゃできない事だが、数さえ揃ってれば利益率は半端ないんだよ。

 

 

 

 

 

ウキウキの新事業だが、それに先駆けてやっておかなきゃいけないこともある。

 

古い事業の整理、拡大だ。

 

買ってきた奴隷だが、まぁ数が多いから色んなやつがいるんだわ。

 

針仕事、店員、経理、職人、船乗り。

 

ここらへんは普通の奴らだ。

 

そうじゃない、元冒険者や半グレ者がどっさりいるのが欠損奴隷の世界。

 

山賊盗賊は普通に縛り首だから、奴隷には混じってこないのが救いだな。

 

まぁとにかく、そういう普通の仕事に向かない荒くれ者を迎え入れた冒険者組は劇的に人数が増えたわけだ。

 

そこでこれまで冒険者をやってきた4人を3つの班に分け、そこに部下の冒険者達をつけることになった。

 

その一括管理元として、冒険者クランを作った。

 

ちなみに最初は冷血党(クラン・コールドブラッド)にしようとしたんだけど親父からNGが入った。

 

なんでM・S・G(マジカル・シェンカー・グループ)が良くて冷血党がだめなんだよ、カルチャーギャップだな。

 

ま、とにかく区切りって事でみんなの前で叙任式みたいなのをやることにしたんだ。

 

 

 

「奴隷メンチ、クランM・S・G(マジカル・シェンカー・グループ)の頭領とする」

 

「はっ!」

 

 

 

だいぶ生活感の出てきた漬物工場跡地に、ずらっと並んだ奴隷達。

 

その前で俺は鱗人族のメンチに、瀟洒(しょうしゃ)な装飾をされたサーベルを手渡した。

 

言う事聞かないやつがいればこれで躾けろという意味だ。

 

直立不動で受け取ったメンチはリィン……と鍔鳴りを鳴らしてサーベルを抜いたかと思うと、刃先を自分の首に当てて持ち手を俺に差し出した。

 

えっ?

 

わかんない……

 

とりあえず受け取ったらメンチが跪いたので、両肩を叩いてから返しておいた。

 

軍隊式なのかな?

 

 

 

「奴隷ロース、副頭領とする」

 

「あいよっ!」

 

 

 

赤い髪をヘビメタバンドみたいに逆立たせている魚人族のロースには、これまた瀟洒なカトラスを手渡す。

 

メンチに渡したやつよりは安いが、それでも金貨5枚ぐらいするからな。

 

受け取ったロースはズズッと鞘から抜き放ち、また刃を自分の首に当てて持ち手を俺に向ける。

 

 

 

「頭叩くんだよ」

 

 

 

小声で教えてくれた。

 

なるほどね。

 

俺は跪いたロースの頭をベシッと叩き、剣を返した。

 

 

 

「奴隷ピクルス、分隊長とする。なおその補佐に奴隷ボンゴをつけるものとする」

 

「はいっ!」

 

「…………う……ん……」

 

 

 

この二人はセットだ。

 

ピクルスは年若く、ボンゴは喋れない。

 

俺は2人に彫り物の入った短剣を渡した。

 

2人とも抜いて首に突きつけるやつをやるが、短剣だと様にならんな。

 

特にケンタウロスのピクルスは一生懸命人間の部分を下にさげてくれて大変そうだ。

 

さっきと同様に頭を叩いて剣を返した。

 

周りから歓声と口笛が上がるが、イマイチよくわからんな。

 

まぁ喜んでるならいいか。




ネームド奴隷の名前のネタばらしです。

ピクルス→ハンバーガーの具

ボンゴ→パスタのボンゴレビアンコ

ロース→ロースカツ

メンチ→メンチカツ

チキン→チキンカツ

シーリィ→シシリアンライス

ハント→ハントンライス

以上小ネタでした。

お疲れサンドパン!


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第16話 毎日の 小さな事を 噛み締めて

名もなきゆるふわ奴隷の話です。


「シェンカー家から来ました」

 

「おっ、待ってたよ!」

 

 

 

派遣先に来たらまずは笑顔で挨拶。

 

シェンカー家で教えられた、基本中の基本。

 

他にも色々教わったけど、これを忘れたのがバレると厳しく躾けられるぐらいなのだ。

 

挨拶は本当にタイセツだ。

 

私は奴隷、しかもまとも(・・・)じゃない奴隷だ。

 

最近まで咳が止まらなくて死にかけで、欠損奴隷扱いで親に売られてしまったのだ。

 

このまま激安娼館なんかに売られて使い捨てにされるか、巨獣の釣り餌として使われるのかと思っていたら、魔法使いのサワディ様に拾われた。

 

そのサワディ様に他の奴隷たちと一緒に流れ作業で治療されて、あっという間に咳は止まった。

 

胸いっぱい空気を吸い込んでも苦しくならないなんて、生まれてきてから初めての事で、あたしびっくりして泣き出しちゃった。

 

お腹いっぱいご飯を食べさせてもらって、寝床と自分用の布団も貰った。

 

お姫様みたいな扱いだ。

 

それからとてつもなく美人な先輩奴隷に何度か話を聞かれ、もう一度サワディ様に治療されてから軽作業班に回されて、今に至る。

 

なんだか怒涛の毎日だ。

 

でもご飯は3食出るし、弁当も持たせてもらえるし、以前より随分健康になったように思える。

 

奴隷ってもっと辛く苦しいものだと思っていたんだけど、いろんな奴隷の形があるのね。

 

運も良かったと思う、また売られないように一生懸命務めよう。

 

今日は隣町の工務店の手伝いだ。

 

工事系は身体的にはキツイけど、早終わりすることがあるからそういう時はオイシイ。

 

 

 

「この壁の塗装剥がしてほしいんだよね、詳しい事はこいつに聞いて」

 

「あんだよ女か、俺は1回しか言わないからよく聞いとけよ」

 

「は、はいっ!」

 

 

 

強面の職人さんは口ではああ言ったけど、何回もお手本を見せて教えてくれた。

 

水をつけた硬いたわしで、力いっぱい壁をごしごし擦るだけだ。

 

色が変わってきたら別の所をやる、簡単だ。

 

よーし、やるぞぉ。

 

 

 

「おい姉ちゃん、昼飯は……ってもうこんなに進んだのか!?」

 

 

 

もうお昼の時間みたいだ。

 

さっきの職人さんは壁を見て驚いてるみたい。

 

ふふーん、結構頑張ってやったもんね。

 

 

 

「よしよし、気合い入れてやってくれたんだな。これ昼飯!屋台の粥だけどよ」

 

「えっ、ありがとうございます!」

 

「おう、しっかり食って、午後からもばっちり頼むぜ」

 

「はいっ!」

 

 

 

とってもお腹が空いてるんだけど、お弁当とお粥両方食べたら太っちゃうかしら?

 

そういえばこれまで飢える心配はしても、太る心配なんてしたことなかったな。

 

この日は夕方まで作業をしたけど、また明日も頼むよって言ってもらえた。

 

まぁキツい仕事だけど、下水道の詰まり取りとかの臭くて汚いとこよりはいいかな。

 

 

 

 

 

家に帰る途中、大通りに出たら人だかりができていた。

 

なんだろうと覗き込むと、冒険者班のロースさんの部隊が冒険者ギルドから帰ってきたところみたいだ。

 

 

 

「赤毛のが『氷漬け』のロースだ、いい女だろ?」

 

「あんな気の強そうな魚人はごめんだね、ナニ(・・)を食い千切られちまうよ」

 

「馬鹿、ああいう女ほど情に厚いんだよ」

 

「出たよ、おめぇのカミさんの薄情な事ったらねぇだろ。女見る目がないんだよお前は」

 

「んだと?独り身の癖しやがって、羨ましいぞ!」

 

 

 

町の人達が見物しながら、口々に好きな事を話している。

 

揃いの鎧に身を固めて武装した女冒険者の集団はたしかに見栄えがする、退屈した人たちが見物に来るのもわかるかも。

 

副頭領のロースさんは最近ヨロイカミキリの討伐の手伝いをしたってことで、吟遊詩人にも歌われてる有名人だしね。

 

たしかヨロイカミキリを釣ってきた首領のメンチさんが左腕を噛みちぎられながらも花火を打ち上げて、『星屑』のアルセリカ様に止めを刺してもらったんだっけ。

 

出会ったら即死の化け物と戦って生き残ってるだけでも凄いのに、まだまだ現役なんだもんなぁ……

 

気弱な私には冒険者は無理だけど、かっこいいなぁとは思う。

 

お駄賃も私達の倍だしね。

 

 

 

 

 

お家に帰ってきたら、まずはチキンさんに挨拶だ。

 

この人は会計役の知識奴隷で、サワディ様からも古参の奴隷のお姉さん達からもとても頼りにされている。

 

 

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえり、首尾よくいった?」

 

「はい、また明日も頼むって言われました」

 

「朝2つまでに、ここの事務所まで受付に来てもらうように話した?」

 

「はい、話しました。これ割符です」

 

 

 

私は模様の書かれた木の板をチキンさんに渡した。

 

なんでもこれが戻ってこなかったら仕事が不首尾だったって事で、前払いで貰ったお金を返金しに行くらしい。

 

そんな事になったらどんなに恐ろしいか。

 

まわりの仲間達から針の筵だ、多分3日はご飯の味がしないだろうな。

 

 

 

「ん、わかった。また明日も今日と同じ所を頼むと思う。お疲れ様、今日の駄賃だ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

うちの凄いところは、奴隷なのにお駄賃を貰えることだ。

 

ちょっとした買い食いや、お洒落、あとは日用品なんかを買うのに使える。

 

休みの日は休みが被った仲間と買い物に行くのがとっても楽しみなんだ。

 

この間は南の方の評判な豆菓子屋に行ったんだけど、もうほっぺたが落ちるほど美味しかった。

 

次の休みが今から楽しみだ。

 

今日のご飯はもうできてるかな?

 

その前に水浴びしてこようかな。

 

ハントさんの読んでくれる本、今日はどんな話かな?

 

奴隷になったのに、実家よりもこんなに楽しいことが増えるなんて思ってもみなかった。

 

また明日も、お仕事頑張るぞー!




この小説の連載が終わったらオリジナルは一旦終了ということにします。

神のコンテンツ、アイドルマスターシンデレラガールズの二次創作に戻ります。


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第17話 功績は 人に譲れど 益高し

俺は天才だ。

 

いや、こういう事を言うとバカだと思われるかもしれないが、本当に天才なのだ。

 

狭い世界ではあるが、単純に支援や再生魔法の出力が一番強く、研究でも前世の記憶抜きにしても閃きが止まらないのだ。

 

人にはできない事ができるというのは、単純に心を豊かにしてくれる。

 

だが一方で俺はこう理解もしていた。

 

武力や後ろ盾のない天才など、単なる金貨の入ったしゃべる袋である。

 

有力者にこれ幸いと捕まり、中身を取り出されて捨てられるだけだ。

 

その点、俺も無駄に年食っていて幸いだった。

 

功績を他人になすりつけて利益だけをかっさらう方法に、きちんと当たりをつけていたのだ。

 

 

 

「こりゃまた凄いものを作ったね、魔結晶を交換する事で長期間動く造魔か」

 

 

 

午後の魔導学園、造魔術研究所。

 

この研究所の長であるマリノ教授が、普通とは違うロボットっぽい見た目のホムンクルスを手のひらの上で弄んでいる。

 

俺の作った『燃料交換式』の造魔だ。

 

教授の隣でそいつを見ていた、俺の指導担当である金髪の理系女子クリス・ホールデンは、気に入らなさそうに鼻を鳴らした。

 

 

 

「ふん、商家者の強欲というのは際限がないな」

 

「いやいや、そうバカにしたものではないよホールデン。造魔の性能や美麗さを追求するのではなく、使い勝手を良くする。こういう下民的な発想は我々に欠けていたものかもしれないね」

 

「わかりませんね。造魔は使い捨ての魔法生物、その都度作ればいいではありませんか」

 

 

 

造魔は基本的に使い捨てだ。

 

そもそもが魔法生物を維持する膨大なコストを抑えるために開発されたもので、まぁ手榴弾や地雷みたいなものと思ってもらえればいい。

 

もちろん庶民の感覚からすれば驚異の高コストなのだが、庶民とお上の金銭感覚が隔絶しているのはどの世界も同じだということだ。

 

 

 

「それもそうだけどね。ほら、たとえば我々は研究者だというのに、時に造魔を量産する労働者としての扱いを受ける事があるだろう。簡単なインプやカーバンクルなどであっても、人からの依頼で沢山作るような場合はなかなか骨なものだよ」

 

「むぅ、それはたしかにそうですが……」

 

「そういう時にね、この魔結晶交換式の造魔を渡しておけば、相手は魔結晶を交換するだけで済むから我々は手を煩わせられない。そうだろう?シェンカー」

 

「はい、その通りです」

 

 

 

やはり、この教授はわかってる(・・・・・)

 

ふんぞり返って攻撃魔法をぶちかますだけの貴族とは違う、造魔術なんてマイナー学問(・・・・・・)を支えてきただけのことはあるな。

 

効率化や低コスト化の価値を理解してくれている。

 

 

 

「この造魔、寿命はいかほどだい?」

 

「先週試験的に作ったバイコーンは、1日1度の魔結晶交換で未だに生存しております」

 

「少なくとも1週間も持つなら素晴らしいね」

 

 

 

不機嫌そうな顔になったクリス先輩に、不意に背中を小突かれた。

 

 

 

「おい、指導担当の私はそれを聞いていなかったんだが?」

 

「すみませんクリス先輩、お忙しいと思いましたので分析が済んでからお話しようと思っていました」

 

 

 

物には言い時ってものがある。

 

魔導学園サバイブ術の基本だ。

 

 

 

「いやいや、私が『調子はどうだい?』などと聞いたから開発途中のものを見せてくれたんだろう。君は悪くないよ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

俺は先輩と教授の間でペコペコ頭を下げ続ける。

 

 

 

「それで、この技術なんだが、もし良かったら今季の学生研究の枠でやってみないか?」

 

「よろしいのですか?」

 

 

 

これは僥倖だった。

 

ほんとは『クリス先輩から貰ったヒントで……』とか、『クリス先輩の指導のおかげで……』とか、『平民の私ではこのテーマは重責に過ぎる……』とか言って無理やり成果をクリス先輩に押し付けようとしていたのだ。

 

こりゃ手間が省けた。

 

平民がこういう将来の功績に直結する成果を出して、軋轢がないわけがないからな。

 

今は良くても、後で進退に響いてくる、そういうものだ。

 

 

 

「マリノ教授、彼にはまだ早すぎます」

 

「いやいや、そこは君が指導員として面倒を見てやってくれよ。いらぬ横槍が入らないよう、どうせ論文の表書きは君の名前で進めるつもりだったんだ」

 

 

 

そうそう。

 

 

 

「……むぅ、たしかにまぁ、そういう事ならばやぶさかではないですが」

 

「その方がシェンカーも助かるだろう、口だけの貴種の相手などする必要もないとは思うが、余計な波風は立たぬほうがいい」

 

「そうですね、私もできれば名前は出ない方が……」

 

「そうだろ、ホールデン、予算をつけるから君の名前で人員や資材を調達して進めていってくれ」

 

「わかりました」

 

 

 

不承不承だがまんざらでもないといった様子のクリス先輩に「よろしくおねがいします」と深々と頭を下げる。

 

 

 

「まぁこの私が関わるのだ、大船に乗った気持ちでいろ」

 

「はい」

 

 

 

護身完了だ。

 

平民にとっての学業とは、成績は良くて当たり前。

 

常に他人の気まぐれな悪意による退学(クビ)との戦いなのだ。

 

俺は立身出世なんか興味ないけど、向上心のありすぎる人なんかだと大変なんだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

家に帰ると、ちょうど造魔バイコーンの魔結晶交換をやっていた。

 

背中に設けられたハッチから、うちの丁稚が魔結晶をザラザラと流し込んでいる。

 

そう、この技術の素晴らしいところは造魔の維持に魔法使いの手が必要ないところだ。

 

これなら術者は作りっぱなしでいい。

 

楽さは全てに優先される、楽は正義なのだ。

 

 

 

「サワディ坊っちゃん、お帰りで」

 

「ああ」

 

 

 

番頭は何やら機嫌が良さそうだ。

 

 

 

「あのバイコーンには先日から粉挽きをさせていましたが、やはりなかなか効率がいいですね」

 

「そりゃそうだ、うちは魔結晶を自前で調達できるんだからな」

 

 

 

相場が上下して調達しにくい魔結晶でも、うちの冒険者に取ってこさせれば常に安定供給、常に底値だ。

 

実家にいた粉挽き奴隷達も辛い仕事が減り、経営側も別の仕事を割り振ることができる。

 

Win-Winである。

 

ついでに俺も奴隷の飯用の小麦が安く買えてWin-Win-Winだ

 

やはり造魔術は小銭稼ぎには最適の学問だな。

 

 

 

「つきましてはもう2、3匹……」

 

「おいおいコキ使ってくれるなよ」

 

 

 

ま、いいけどさ。

 

まだまだ秘匿技術なんだから、外には出すなよ。




異世界チートイキリ主人公エピソード3


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第18話 キラキラの 若者達が 店の外

突如町に現れたオシャレ喫茶の話です


何ヶ月か前に珍しい友達ができた。

 

名前はエラフ、兎人族の奴隷の子だ。

 

奴隷って言っても普通の奴隷じゃない。

 

『慈愛』の二つ名で有名な魔法使いの奴隷で、毎日外で仕事をして稼いでる。 

 

うちの近所の工事現場で誘導の仕事をしてて、たまたま仲良くなったんだ。

 

奴隷なのに何日かに一回お休みがもらえるらしくて、よく私の家がやってる雑貨屋まで顔を出してくれるようになった。

 

平民の私より沢山お小遣いをもらってて、やっぱり魔法使いの家ともなると奴隷の扱いも格別なんだなと感心したり。

 

そんな友達のエラフがハイチテンカン(・・・・・・・)?とやらで喫茶店で働く事になったらしい。

 

ぜひぜひ来てくれと言われたので、行ってみることにした。

 

 

 

「なんじゃこりゃ……」

 

 

 

普通の民家と元工場の間に、その喫茶店はあった。

 

塗装を緑と白で統一されたその店は、もう見たこともないぐらいオシャレで、なぜか入口側の壁がなくて店の中が丸見えになっている。

 

店の屋根の先から大通りまでの小さなスペースは地面から浮かした木の床になっていて、そこには大きな日傘とテーブルと椅子が置かれていた。

 

そしてもう、その席に座ってるお姉様方が……

 

もう、キラキラというか、ギラギラというか……

 

目抜き通りの服屋の展示品そのままというか……

 

とにかく気合の入りまくった服装で……

 

艶やかな黒髪の向こうから通りに物憂げな視線を投げかけたり、役者みたいに格好いい殿方との逢瀬を楽しんでたりと、とにかくきらびやかな空気。

 

町のお洒落な奴、全員集合だ。

 

さすがにその空間には踏み込んで行けずにまごまごしていると、不意に声をかけられた。

 

 

 

「お客様?」

 

「あっ、いえ、違うんです、帰ります」

 

「だめだめ、お茶の一杯でも飲んでってよ」

 

「えっ?あ、なんだ、エラフかぁ……」

 

 

 

見慣れた友達の顔を見て、安心して力が抜けてしまった私は、あれよあれよという間に店の中へと引きずり込まれてしまった。

 

店の中は、外の席と違って割と落ち着いた感じで、老夫婦や親子連れなんかも普通にいた。

 

これなら私も浮かなくて済みそうだと、胸を撫で下ろす。

 

 

 

「だめじゃない、強引な客引きなんかして」

 

「違う違う、友達なの」

 

「そうなの?」

 

 

 

エラフの同僚らしい、眩い銀髪をおかっぱに整えたお姫様みたいな美少女が、私の顔を覗き込んでそう聞いた。

 

こくこくと頷き返すが、眩しすぎて目の焦点が合わない。

 

というかエラフ、あなたってそんなに愛らしかったかしら?

 

久々にあった友人は、前に会った時とは別人みたいに磨かれていた。

 

足先から頭まで、貴族様の付き人みたいにピカピカな濃紺の侍女服に包まれていて、爪なんか(つや)のあるピンク色に塗られている。

 

あんなに不満そうにしていたピンピン跳ねる栗色の巻毛も、銀の髪留めで整えられた今はなんだかゴージャスに見える。

 

裏切りだ!

 

一人だけ大人っぽくなって!

 

謝罪と甘味を要求する!

 

 

 

「何怒ってんのよ、変な子ねぇ」

 

「ふん、どうせあたしは地味なそばかす女よ」

 

「人気のメニュー、ごちそうしてあげようか?」

 

「いらない」

 

「冷たくって甘い珈琲に、甘くて白いフワフワを乗せた飲み物もあるけど」

 

 

 

言いながら、エラフがカウンターを指差す。

 

そこでは調理担当らしき侍女が透明なグラスに入れた茶色い珈琲に、なにやらふわっふわの白いものを乗せていた。

 

あれ、なんだろう。

 

外のお嬢様方も飲んでたやつだ。

 

 

 

「うん、あれ飲んでみたい」

 

「いいよ」

 

 

 

エラフはカウンターに歩いていくと、魔法みたいに長い料理名をスラスラと店員に伝えている。

 

なんか、凄いところに来ちゃったなぁ……

 

隣の席では鎧の上を脱いだだけっぽい冒険者のお姉さんが、グラス一杯の白いものにイチゴが沢山乗ったのをぱくついている。

 

強面なのに、とろけるように幸せそうな表情だ。

 

窓際の席ではご老人の夫婦が赤いソースと白いソースのペペロンチーノ(・・・・・・・)を食べながら、お孫さんっぽい子供が大きなサンドイッチ相手に悪戦苦闘しているのを、微笑ましげに見守っている。

 

たしかペペロンチーノもシェンカー家発祥なんだよね、最近はトマトのソースのやつとか、ミルクを使ったやつとか、色んなペペロンチーノ(・・・・・・・)があるみたい。

 

うちのお父さんなんかは油とニンニクのシンプルなペペロンチーノが大好きなんだけど、夜に屋台が通るたびに飛び出ていくのはやめてほしいな。

 

そうして周りを見回していると、さっきの銀髪の店員さんと目があった。

 

ぺこりと会釈をすると、彼女は微笑みながら近寄ってくる。

 

 

 

「エラフの友達なのよね」

 

「はい、実家が雑貨屋で」

 

「じゃああの子が前に言ってた東町の金物屋の近くのとこ?」

 

「ああ、そうですそうです」

 

「あの子と仲良くしてあげてね」

 

「え、ええ、もちろん……」

 

 

 

話しながらも、店員さんの衣装に目が釘付けだ。

 

買ったら金貨何枚になるんだろう。

 

手が込んでいないところがない、凄い服だ。

 

 

 

「ん?この服?」

 

 

 

言いながらお姉さんはクルッと一周回った。

 

サラサラの銀髪が光を反射してめちゃくちゃ綺麗だ。

 

隣の冒険者のお姉さんもぼーっと見てる。

 

 

 

「ご主人様がお金を出してくれたんだけど、この服が着たいって子が多くてね。この店の店員は仲間内でも羨望の的なのよ」

 

「でしょうねぇ……」

 

「お客様からも時々聞かれるの。『この店は店員を募集してないのか?』ってね」

 

「「でしょうねぇ……」」

 

 

 

隣の席のお姉さんと声が重なった。

 

町長さんの娘さんの婚礼の衣装だって、たぶんあんなにお金かかってなかったよ。

 

 

 

「おまたせ」

 

 

 

そこにエラフが飲み物と料理を持ってやってきた。

 

さっきの白いフワフワの飲み物と、薄くて小さなパンを3段重ねにしたやつだ。

 

パンの方には赤いソースがたっぷりかけられて、その上からさらにフワフワが乗せられている。

 

 

 

「うちの店で人気のメニューなの、食べてみて」

 

「うん」

 

 

 

さっそく珈琲を一口飲んでみると、爽やかな冷たさと共に、ほのかな甘さと複雑な苦味が口に広がった。

 

おいしい。

 

 

 

「さじでちょっとかき混ぜてみて」

 

 

 

言われるがままにさじで混ぜると、白いフワフワはあっという間に珈琲に溶けていく。

 

飲んでみる。

 

なんともまろやかになった珈琲が、そこにあった。

 

おいしい、おいしすぎる。

 

甘いはずなのに後味スッキリで、まだ食べ物もあるのに油断したらすぐに飲み干してしまいそうだ。

 

こんな飲み物が世の中にあったのか……

 

でも、同時に疑問も湧いてきた。

 

 

 

「なんで最初から混ぜて出さないの?」

 

「その方が絵になる(・・・・)から」

 

 

 

なるほど、たしかに白いフワフワと茶色い珈琲が混ざっていなかった頃は、人目を引くほど綺麗だった。

 

混ざった今はただのおいしい茶色だ。

 

 

 

「外のお客さんは混ぜずに飲むよ、その方がかっこいいんだって」

 

「あぁ……そういう……」

 

 

 

オシャレとは、我慢と努力が見せる一瞬の煌めきなのね。

 

複雑な気持ちを抱きながらも、私は薄くて小さいパンにナイフを入れた。

 

フォークで持ち上げて、パクリ。

 

口の中に、しあわせが広がった。

 

パン自体の甘さに、白フワの甘さが合わさって、それを赤いいちごのソースが引き締める。

 

めちゃくちゃ美味しい。

 

100枚食べたい。

 

気がつくとあっという間に皿とグラスは空になっていて、私の目の前には水が用意されていた。

 

 

 

「どうだった?」

 

「最高……また来たい……」

 

「でしょ、この仕事場を自慢したかったんだぁ」

 

 

 

悪びれず言うエラフだが、こんな職場ならそれも仕方がないと思う。

 

逆の立場なら私だって友人知人を呼びまくりだっただろう。

 

周りを見渡すと、さっきまでちらほらとあった空席は全部なくなっていた。

 

流行ってるんだなぁ。

 

 

 

「じゃあ私そろそろ帰るね、お会計お願い」

 

「今日は奢りでいいよ」

 

「そういうわけにはいかないわよ、いくら?」

 

 

 

えっとね……とエラフが耳打ちしてきたのは、私の月のお小遣いと同じぐらいの額で……

 

結局『社割が利くから』という彼女の言葉に甘えて、私は店を出てきてしまった。

 

奴隷の友達に奢られるって……なかなかないわよね。

 

外の席には、さっきのイケてる人達はもういなかった。

 

しかしどこから湧いてきたのか、さっきと変わらぬきらびやかさのオシャレな若者達が、白フワ珈琲を混ぜずに飲んで青春を謳歌している。

 

私はそこから目を背け、一人拳を握りしめて、家への道を歩き出した。

 

次は私も……

 

私もやってやるぞ!

 

お金貯めて!

 

オシャレして!

 

外の席でエラフと白フワ珈琲を飲んでやるんだ!

 

かっこよく!ね。

 

でも、白フワをかき混ぜるのは許してほしい……かな。



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第19話 三男が 奴隷使って 悪巧み

おかしい……

 

おかしいぞ……

 

何がおかしいかって、研究室で造魔の研究をしていたらいつの間にか13歳になっていた事だ。

 

まるで不思議な時空に飲み込まれたかのように、あっという間に時間だけが吹っ飛んでいった。

 

この2年ほどで魔結晶(バッテリー)交換式の造魔研究の成果は竜種を作り出すまでに至り、責任者のクリス先輩は王都の魔導学園へと招聘されていった。

 

その後はそれまで研究室で一度も見たことがなかったチャラチャラした伯爵家の坊っちゃんが看板になり、そいつもこの間王都へと招聘されていってしまった。

 

研究のけの字も知らないような人材を引っこ抜いてどうするんだろうか……

 

まぁ、そいつがいなくなったところで、晴れて魔結晶(バッテリー)交換式の造魔の研究は終了となった。

 

適切な看板がいなくなったし、これからは王都の研究室がバリバリ進めていくらしいから、学生研究の範疇ではなくなったということもある。

 

正直ホッとした。

 

ようやく解放されたんだからな。

 

これでしばらくは呑気に芝居見たり食べ歩きしたり、楽しい放課後生活を送れる……はずだった。

 

だがしかし、有り余る才能は、俺につかの間の休息すらも許さなかったのだ。

 

 

 

「できてしまった……」

 

「これはまた新機軸だねぇ、魔結晶なしで造魔を作り出せるとは……」

 

 

 

魔結晶交換式(リチャージャブル)の次は全体の低コスト化でしょって考えながら気楽に研究していたら、とんでもないものが出来上がってしまった。

 

できたのは魔結晶(バッテリー)を使わずに動く造魔。

 

期せずして低コスト化の先に突き抜けてしまったのだ。

 

造魔がスマートフォンなら、これの性能は鉱石ラジオぐらいのもんだが、自分のあまりの才能にちょっと怖くなってしまうところもある。

 

 

 

「これ、さすがに表に出せないですよね……」

 

 

 

恐る恐るマリノ教授に聞くと、教授は首を横に振った。

 

 

 

「そんなことはない、学問に禁忌などないよ」

 

「でも、もう責任者を引き受けてくださる方はいませんよね?」

 

「いないならば、呼んでくればいい。心配しなくていい、君の嗜好(・・)はわかってる。王都に放り出したりしないよ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 

マリノ教授のその言葉にホッとした俺は、研究室の床にへたり込んでしまった。

 

こんな技術、誰がどう見たって大功績(やくもの)だ。

 

功績とは、その中身が大事なんじゃない。

 

誰が受け取るかが大事なんだ。

 

貴族がいたずらにつつけば物理的に弾け飛ぶような平民には、過ぎたもの……というか許容量を超えた功績なんだよな。

 

残念なことにこの感覚を持っている貴種ってのは、教育者以外にはあんまりいない。

 

だから平民は魔法使いを徹底的に避けるんだ。

 

怪物に人間の倫理は通じないからな。

 

 

 

 

 

研究室の事はマリノ教授に任せておくとして、俺は俺で金儲けをしなきゃいけない。

 

長年の夢である、マイ劇場建造計画。

 

今やそれは俺が細部に凝りすぎたのか、とてつもない予算を必要とするものになっていた。

 

なら、慎重派の俺だってちょっとぐらい危ない橋を渡らないとな。

 

 

 

「きちんと目張りをして、外から見えないように出入りしろ。間違っても近辺の者に悟られてはいかんぞ」

 

「メンチさん、土が溜まってきました」

 

「土は冒険者班が少しづつ外に捨ててくること。ゆっくりでいい、バレないようにやれ」

 

 

 

元漬物工場であるM・S・G(マジカル・シェンカー・グループ)の拠点。

 

その中では、秘密の工事が行われていた。

 

魔結晶なしで動く造魔が作れるならば……

 

周囲の魔素を取り込んで、魔結晶を生成する造魔も作れるよな?

 

つまり、今作っているのは魔結晶プラント。

 

いや、魔素を吸って魔物を生み出すという仕組み的にはダンジョンと一緒だから、人造ダンジョンという事になるかな。

 

造魔を孵化させる魔素を川向こうのダンジョンから引いてくる予定だから、真ダンジョンになるのかもしれんが、まぁどうだっていいことだ。

 

とにかく大事な事は買えば高く、取ってくるのも大変な魔結晶を無尽蔵に手に入れられるという事だ。

 

これは笑いが止まりませんよ。

 

劇場にも高価な魔具の舞台装置を作りまくってやるからな。

 

おっと、また予算が必要になってしまったな。

 

これは奴隷をもっと働かせないとな。

 

 

 

「坊っちゃん、魔法が切れたぜ」

 

「おお、おつかれ」

 

 

 

ヘルメットを被って土に塗れた姿の魚人族のロースに、身体能力強化の魔法をかけてやる。

 

ぞろぞろとロースの後ろに続く奴隷たちにも同時にかけた。

 

この、複数の相手に再生や強化をかけられる手法は自分で見つけたんだ。

 

学校でも教わってないから一般的じゃないのかもしれない。

 

冒険者奴隷が増えてきて、いちいち再生するのめんどくさいなーって思って、魔力を蒸気にするイメージで部屋に満たしてみたらたまたま上手くいったんだ。

 

今じゃあ魔力の形は自由自在だ。

 

蒸気にしちゃうと効率が悪いから、今は網みたいな形にして奴隷たち全体にかぶせてる。

 

やはり天才だな。

 

 

 

「よぉーし!力湧いてきたぞ!」

 

「おぉ!」

 

「もうちょいやるか!」

 

 

 

そんな奴隷たちは今、工場の地下20メートルほどからダンジョンに向けてひたすら横穴を掘ってくれている。

 

空気の問題は、こないだ発明した魔結晶なし造魔で解決した。

 

小さいプロペラを回す形のものを大量に作り、竹のダクトに仕込んで大量に配置したんだ。

 

ほんとはトンネル掘りも造魔にやらせたかったけど、さすがに崩落したら中の奴隷が全員死ぬからな。

 

安全第一で人力作業だ。

 

 

 

「あんまたいしたもんでもないけど、酒差し入れしといたから今日も頑張って!」

 

「おお、酒かぁ!ありがてぇや」

 

「お酒だぁ!」

 

「やるぞー」

 

 

 

奴隷達は絶対服従とはいえ、やはりモチベーションの維持には細心の注意を払わなければな……

 

前世の会社の役員は調子こいて下をいびり過ぎてホームから電車に突き落とされたんだ……

 

俺も上に立つ側に回った今、明日は我が身だ。

 

奴隷に酒を差し入れたり小遣いをやったところで、俺にとっては端金、惜しまず使わないといかん。

 

この間金をかけて喫茶店なんか作って花形(・・)を用意したのも、なかなか評判が良かったようだ。

 

もっと色々考えて、少しづつでもガス抜きをしていかなければな……

 

全く、人を使う側ってのも、なってみるとなかなか大変なもんだぜ。




こないだネット小説好きの人と話してたんですけど、この小説の名前が出てきました。

ネットの壁を突き抜けて感想が届いたのには心底びっくりしました。


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第20話 シェンカーの 奴隷が町を 支えてる

ネタバレですけど、主人公が本格的にピンチになったりする展開はないです。

ハッピーエンド確定です。


「チキンさん、表の扉開けますね」

 

「ああ、開けてちょうだい」

 

 

 

私の朝は早い。

 

このM・S・G(マジカル・シェンカー・グループ)の拠点の中では、炊事係に次いで2番目の早さだ。

 

奴隷達を借りに来る人達の相手をしなければならないからなのだが、正直つらい。

 

重要な仕事を任されてるから手当も大きいんだが、毎日毎日朝からむくつけきオッサンたちに囲まれるのはさすがに気が滅入る。

 

 

 

「北の辻の薬屋の横の家!軽作業2人!」

 

「それでは4の鐘の頃に向かわせますね」

 

「頼むぜ!これ金っ!」

 

「割符です」

 

「おうっ!」

 

 

 

朝からみんな元気で汗臭い。

 

だいぶ慣れてきたけど、最初は面食らったなぁ。

 

 

 

「花屋のダムガードです、運送1人、前に来た子がいたらその子がいいです」

 

「ラーズですね、大丈夫ですよ。それでは4の鐘のころに向かわせますね」

 

「ありがとう、銀貨1と銅貨2でいいのよね?」

 

「そうです、こちら割符です」

 

「よろしくおねがいしますね」

 

 

 

近頃は建築現場や単純作業以外にも、普通の店の手伝いとかに呼ばれる事も増えた。

 

割がいい仕事だってみんな喜んでるけど、力仕事と違ってたまーにクレームもつくからこっちは複雑な気分だ。

 

まぁ、うちの組織が町に受け入れられていっているのだと思うと喜ばしいのだが、中間管理職の数がまだまだ少ないのがなぁ……

 

ご主人様ももう1人か2人ぐらい、教育に回せる知識奴隷を買ってくれないだろうか。

 

もしくはまたあのチャラいお兄様におねだりしてくれないかなぁ。

 

 

 

受付の隣には購買部もある。

 

ここは普段は奴隷達がちょっとした買い物をする時に使う場所だが、朝は業者の人にも開放してる。

 

 

 

「弁当ちょうだい」

 

「こっち弁当2個」

 

「こっち5個だー!」

 

 

 

人気なのはシーリィとハント率いる炊事班の作る弁当だ。

 

使い捨て皿代わりの爆裂モロコシの葉っぱに、適当な料理が入ってるというもの。

 

パンと炒め物の日もあれば、ふかした芋とパスタなんて日もある。

 

その前の日に安かった材料で作っているので、正直当たり外れが激しい。

 

でも安さと、美人が作った料理ってことで毎日安定して数が出ているのだ。

 

他に人気なのは……

 

 

 

「邪魔なんだよ!うすらデカい馬女がよ!」

 

「あぁ!?お前今ピクルスさんになんて言いやがった?」

 

 

 

おっと、喧嘩だ。

 

どうも出発前の冒険者と、建築業の男の間に揉め事があったらしい。

 

人でごった返す拠点の入り口で蛇人族の男と、うちの猪人族のプテンが口論を始めた。

 

 

 

「だったらどうだってんだよ、しゃしゃり出てきてんじゃねぇぞイノシシ女」

 

「もういいよぉ〜プテンちゃん」

 

「ピクルスさんは黙っててください!頭のあんたが舐められたら、うちの班みんな舐められちまうんだ」

 

 

 

朝に荒くれ者が集まると、そりゃ喧嘩も起きる。

 

喧嘩ぐらい誰もとやかく言わないけど、冒険者と一般人となると色々問題が出てくるんだよな。

 

力が違いすぎて洒落にならないのだ。

 

 

 

「歯ぁ食いしばれや!」

 

 

 

体重のある猪人族のプテンの張り手が蛇人族の男の頬に思いっきり決まり、彼は膝を折ってへたり込んでしまった。

 

 

 

「あっ……歯がっ……ひっ……いでぇ……」

 

「今度ピクルスさんの顔見たら、俯いて歩けよ!三下!」

 

 

 

まぁ、まだこれぐらい(・・・・・)ならいい。

 

問題は……

 

 

 

「プテンちゃん、駄目だって言ったッペ」

 

 

 

次の瞬間、カウンターの前をがっしりした体格のプテンが錐揉みをして飛んでいき、拠点の前の道を何回転も転がって止まった。

 

起き上がってこないけど、たぶん死んじゃいないだろう。

 

ピクルスの張り手一発で、本職の冒険者すらこのザマだ。

 

さっきの男も、青ざめた顔をしてピクルスの方を見ている。

 

修羅場を潜り続けた冒険者の膂力って半端ないもんね。

 

最近拠点の奥でこっそりやってる穴掘りでも主力になるのは冒険者達だ。

 

もう一般奴隷とは効率が違いすぎて笑えてくる。

 

やっぱ普段から鎧着て、重たい槍振ってる人達は違うわ。

 

 

 

 

 

朝の混雑もようやく終わり、働きに行くみんなを送り出したらようやく少し休憩だ。

 

隣にあるうちが経営する喫茶店でお高い珈琲を買って、本なんかを読んで過ごす。

 

喫茶店の珈琲は社割を使っても『こんな贅沢してもいいのかな』って思ってしまうぐらいに高いが、どうしてもやめられない。

 

実は珈琲に限ると利益率が低いのも知っているので、お得な気がして余計に飲んでしまう……

 

仕方がない、この珈琲が美味しいのが悪いんだ。

 

 

 

昼食を食べたら、他の皆は工事開始だ。

 

休みだけど駄賃目当てで働きたいって奴らが2、3人穴に降りていって、掘って土を出しての繰り返しだ。

 

冒険者組が帰ってきたら、これまた駄賃を稼ぎたいやつが続きをやることになっている。

 

それとなぜかわからないが、ケンタウロスのピクルスがめちゃくちゃ横穴を掘るのが早いんだよな、なんでだろ?

 

私は今朝入ってきたお金を使って中間管理職候補を教育しながら、工事の進展を見守る。

 

町の地下をダンジョンまで掘り抜くなんて、町の自治会にバレたらぶっちゃけ大変だ、気をつけないとな……

 

 

 

「今日最初の曲は歌劇『裸族の女』より『服を脱ごう』」

 

「いくよ。チッ、チッ、チッ、チッ」

 

 

 

音楽隊の声がして、喫茶店の方から拠点の中に、軽快なリズムと低い歌声、コードを刻む弦楽器と明るいラッパの音が広がる。

 

工事の音は建物の中にいてもほとんど聞こえないけど、土を引き上げる滑車なんかもあるので有志が喫茶店の方で音楽を演奏してごまかしているんだ。

 

突然ご主人様が楽器を買ってきて『かっふぇにはびぃじぃえむが必要だ』って言い出したときは面食らったけど、それもこうして役立っているからいいんだろう。

 

楽器は経験のある人が講師になって教えて、曲は酒場で覚えてきたやつとか、劇場の裏路地なんかで必死に聴いて覚えてきた曲なんかを簡単にして演奏してる。

 

新しい曲が増えるとお客さんも喜ぶし、仲間も喜ぶからか、最近はみんなして競い合うように新曲を求めてるんだよね。

 

でも何気にうちの一家で音楽に一番詳しいのは、愛玩奴隷のシーリィじゃなくてご主人様。

 

なんてったってあの人は、近所じゃ有名な芝居狂いだからなぁ。

 

御学友なんかと一緒の時は芝居の一節をサラッと諳んじたりもするらしいし、歌劇の歌なんかも覚えてて当然か。

 

 

 

夕方になると仕事先や遊びに行った先から、ぱらぱらと奴隷達が帰ってくる。

 

仕事組はだいたいみんな問題なしで割符をもらってくるが、たまに向いてない仕事を任されて俯いて帰ってくる子もいるんだ。

 

そういう時は管理職候補の子や私がお金を返しに行くことになっている。

 

たいていの人はちゃんと謝ったら許してくれる。

 

この都市の人達がいい人ばかりだからかな?

 

それとも、槍引っさげた冒険者を護衛に連れてくからかな?

 

まぁどっちでもいいか。

 

みんなにお駄賃を渡したりして点呼が終われば、晩ご飯を食べて自由時間だ。

 

喫茶店の営業は日が落ちるまでだから、喫茶店の楽器で練習する子もいるし、文字が読める人に本を読んでもらう子もいる。

 

私は早起きだから、早めに就寝。

 

おやすみなさい、また明日……



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第21話 どの世でも オタクに恋は 難しい

主人公にも色々と身分社会の柵が見えてきました。


王都の魔法学園から、新任の研究者が送り込まれてきた。

 

例の魔結晶(バッテリー)なしで動く造魔の研究責任者になる人物だ。

 

このトルキイバの人間でも、王都への栄転が叶うと言えば手を挙げる人は多そうだったが、マリノ教授が影響を及ぼせる範囲に適任者がいなかったようだ。

 

だからといって王都から呼びつけなくてもいいとは思うが……それはいち学生が口を出す事ではない。

 

とにかく、はるばる旅をしてやってきたその人物は、意外な経歴を持っていたのだ。

 

 

 

「ローラ・スレイラです。研究職は初めてですが、よろしくおねがいします」

 

 

 

胸にぶら下げられた数多くの勲章。

 

腰に下げられた名誉除隊(・・・・)のサーベル。

 

やってきたのは元軍人だった。

 

それも多分、かなりの大物だ。

 

その女性の眼光は柔和なものだったが、ガッチリとお団子にされた金髪は、厳しい印象を与えるものだった。

 

しかし、軍かぁ……

 

まぁ魔結晶なしでの造魔の運用なんて、軍の嗜好にどストライクだからしょうがないか。

 

俺は波風立てず、彼女の下で成果を出すだけだ。

 

気楽にやろう。

 

 

 

 

 

そうとも、学校は所詮学校。

 

ちゃんと成績さえ出ていれば、心底気楽なものなのだ。

 

だが俺個人には、他にも色々とやるべきことがあるわけだ。

 

たとえば俺自身の野望とは別に、俺には俺の『魔法使いとしてのシェンカー家』を次代につなぐ義務がある。

 

希望じゃないぞ、義務なんだ。

 

別に結婚なんかしなくったって、稼ぎさえあれば好き勝手に生きていけるんじゃないか?

 

俺もそう思っていた。

 

昔はもっとシンプルな世界だと思ってたんだ。

 

でも研究室に入ってから貴族社会に揉まれて揉まれて揉まれまくって、色々な事がわかってしまった。

 

世の中は貴族にだって甘くない。

 

強い力には、義務が生じるわけだ。

 

 

 

たとえば、学校を18で卒業した平民魔法使いのK君がいるとしよう。

 

彼は官吏になって仕事をして、いつの間にやら22歳。

 

平民に比べたら稼ぎは雲泥の差だし、気楽な一人やもめも悪くない。

 

もちろん魔法使いだから平民から嫁がとれるわけもないが、娼館なんかでお大臣するのは自由だ。

 

彼は青春を謳歌していた。

 

そこに上司から突然やってきたのが、お見合い話だ。

 

しかも、お相手は自分よりも10歳も年上の、子持ちのご令嬢(・・・)

 

魔法使いとはいえ彼はほぼ平民、上司は貴族だ、断れるわけがない。

 

かくして彼は家庭を持つことになり、その後2人の子供をもうけて貴族の仲間入りをしたそうな。

 

めでたしめでたしだ。

 

よくある。

 

非常によくある話だ。

 

貴族側は目をかけている若者に善意で(・・・)これをやる。

 

嫌なら断ってもいい。

 

そんな意味のない言葉を投げかけながらな。

 

俺なんか格好の的だ。

 

地元の名士の三男だぞ?

 

俺が貴族でも早々に適当な縁談ぶっこむわ。 

 

 

 

そういう理由で、俺は13歳の身にして婚活をやっているのだ。

 

どうせ結婚するなら、夫が働かずに趣味に没頭していても文句を言わない、未婚の女がいいからな……

 

ちなみに粉をかけていたクラスの女子には、こう言われて振られた。

 

 

 

『あんた芝居の話しかできないの?』

 

 

 

ごもっともだ。

 

でも他に楽しいことなんて、この文化後進地帯にはないんだよ……勘弁しておくれ。

 

そんなわけで俺は毎週末にはサロンに顔を出したり、趣味人の集まる茶会に行ってみたり、隣のクラスの女の子に詩を送ったりと、涙ぐましい努力をしているんだ。

 

でも努力がなかなか実らないのは、俺の努力が足りないのか?

 

それとも芝居の話しかできない俺がキモいのか?

 

そうして婚活が上手くいかず、家で悶々としていた所に、学校の友人のジニとエラが訪ねてきたのだった。

 

 

 

「最近恋人探しに躍起になってんだって?やだねぇ、モテないくんは」

 

「ジニくん、そんな事言っちゃ悪いですよ」

 

「許嫁持ちどもが、一人もんを笑いに来たのか?」

 

 

 

こんな事を言っているが……実はジニの許嫁の事も、エラの許嫁の事も、俺は全く知らない。

 

普段言わなくていい事まで喋りまくるこの二人が口に出したがらないってことは、結構やばい人なんじゃないだろうか。

 

3人の友情が結婚と同時に崩れ去ったりしたら嫌だな。

 

 

 

「今日はお前に女紹介してやろうと思ってさ」

 

「結構評判の女性だそうですよ、深窓の令嬢ってやつです」

 

「栗色の美しい髪が腰のあたりまであって、まるで歌劇『オニオン座の女帝』の女神みたいだってよ」

 

「そんな評判の女性がなぜ未婚なんだ」

 

 

 

もうこの時点で胡散臭いだろ。

 

残り物には理由があるんだよな。

 

 

 

「それがですねぇ、なにやら結婚に条件をつけている人だとかで、なかなかお眼鏡に叶う人がいないそうなんですよ」

 

「その条件って?」

 

「それがわからないんですよ」

 

「行きゃ教えてくれるって」

 

 

 

なんてふわふわな……

 

でも気になることは気になるんだよな。

 

正直藁にもすがる思いではあるのだ。

 

 

 

「ためしに詩でも持って行ってみようぜ」

 

「そうですよ、ものは試しですから」

 

「うーん……それじゃあ、まぁ行くだけ行ってみるか」

 

 

 

基本的に物見高い俺達である。

 

期待半分、冷やかし半分で、早速噂の令嬢の家へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

トルキイバの南側にあるその家は、厳しい武家屋敷風の造りで、練兵場が併設されていた。

 

先触れとして、うちの奴隷のチキンに例のお嬢様への詩を持たせてダメ元で向かわせたところ……

 

意外な言葉が返ってきた。

 

 

 

「お会いになられるそうです」

 

「えっ、ほんと?」

 

「お嬢様はお庭でお待ちです」

 

 

 

顔に真一文字の切り傷を持った強面の執事に連れられて、俺達はとんでもないスピード感で深窓の令嬢と面会する事になったのだった。

 

重厚な門のちいさな潜り戸を抜けて、すぐ横の無骨な練兵場へと案内されて待たされる。

 

ていうかここが庭かよ!

 

 

 

「どなたが私に詩を送ってくれた方?」

 

 

 

すごい速さで件の令嬢が現れた。

 

友人二人は、横で俺の事を指さしている。

 

ここまでのスピード感のせいで、すでに深窓の令嬢っていう印象は微塵もなくなってしまったが、たしかに美人だ。

 

鳶色の目は零れ落ちそうなほどに大きく、意志の強さを感じる濃い眉によく似合っている。

 

噂の豊かな栗色の後ろ髪はネットに収められ、その上からは漆黒のヘルメットを被せられていた。

 

さ、最近の流行りなのかな……?

 

胸元は鎧に包まれていてよくわからないが、すらっと伸びた長い足は彼女の立ち姿を絵画のように美しくしていた。

 

前評判通りといえば前評判通りだ……

 

ちょっと物騒な感じだけど。

 

 

 

「私、詩はわからないの」

 

「そ、そうなんですか……」

 

「芝居も、料理も、歌も、どれもピンとこないわ。刺繍も、花も、紅茶もね……」

 

 

 

ぽつぽつと、令嬢は語る。

 

 

 

「そ、そういうこともありますよね」

 

「私、剣が好きなの」

 

「へ、へぇ〜」

 

「だからね……」

 

 

 

彼女は腰から銀の直剣を抜き放って、爛々と燃える目で言った。

 

 

 

「結婚相手は、剣で決める事にしたわ」

 

 

 

竜の彫られたそれは、日光を反射してぎらりと光る。

 

瞬間、3人の誰からとも知れず、俺達は脱兎の如く走り始めていた。

 

 

 

「逃がすなーっ!お嬢の試しの儀じゃあーっ!」

 

「閂かけろーっ!」

 

「縄打て!縄!」

 

 

 

物騒な声の飛び交う戦場を、俺達は無我夢中で駆け抜けた。

 

俺が再生魔法の天才じゃなかったら、どうなっていたことか……

 

もう深窓の令嬢は懲り懲りだよ……




大貴族 > 貴族 > 貴種(魔法使い) >>>>>> 平民(魔法使い) >>>>>>>>> 平民

みたいな感じです。

澤田くんも研究室に入ってから色んな先輩達を見てきました。


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第22話 弱そうだ どことは言わんが 弱そうだ

みんな大好き金髪縦ロールのお嬢様のお話です。

前々話で主人公はピンチにならないと言ったのに、前話でさっそく主人公がピンチになってしまい申し訳ありませんでした。

まぁ主人公は頭と魔臓さえ残ってれば再生できるからセーフ。


「エルファ様、この度はありがとうございました。こちらは些末なものですがお納めください」

 

「かまいませんことよ、治癒魔道士の務めでございますから」

 

 

 

今日のお仕事はアイク子爵家のご息女の治療でした。

 

治療自体は季節の変わり目のたいしたことのない体調不良で、すぐに終わったんですけれども。

 

(わたくし)の自慢の金の巻き髪がいたく気に入ったようでして、お掴みになってなかなか離して貰えませんでしたわ。

 

まぁ、まだ幼いのに真に美しい物の価値がわかるということ、責められませんわね。

 

 

 

治療先を辞して通りへ出ると、休日のトルキイバの喧騒が私を包む。

 

魔法生物のユニコーンに跨ると、従者が轡を引くのに任せて町を見物します。

 

荷車を押す奴隷たちは、指や耳が欠けても構わず酷使されてかわいそう。

 

あれでは細かな仕事もままなりませんでしょうに。

 

やはり安価な魔法薬の安定供給は急務ですわね。

 

私も薬学の研究室に参加している身、成果の有無は他人事ではありませんから。

 

学年で一番再生魔法の得意なシェンカーも誘ってさしあげましたが、結局野蛮な造魔の研究室に行ってしまいましたね。

 

あの方は私のライバルだと思っていたのですが、しょせんは大局の見えぬ平民上がり、期待のかけすぎだったのでしょうか……

 

 

 

「お嬢様、冒険者がやってまいります。散らせますので少々お待ち下さい」

 

「よろしくてよ、往来は誰でも歩くもの。草刈りの者たちも別の道へ行っては大変でしょう」

 

 

 

草刈りの者とて街道の治安維持の一翼を担っているのですから、あまり邪険にしてはかわいそう。

 

多少の粗野さも、戦の道に生きるものならば仕方のないことです。

 

 

 

「ああ?てめぇロースの姉さんに喧嘩売ってんのか?」

 

「喧嘩って……ただ俺たちは姉ちゃん達にこれから一杯どうかって言ってるだけだよ」

 

「あたしらはな、オメェらみたいなシャバ僧とは口も聞かねぇんだよ」

 

「んだとこのスベタが、おめぇにゃ言ってねえんだよ」

 

 

 

おや、どうも喧嘩のようですわね。

 

全く市井の者というのは、どうしてああ短気なんでしょう。

 

 

 

「お嬢様、少し下がります」

 

「どうしたの?」

 

「人が来ます」

 

 

 

ユニコーンが少し下がると、従者の目の前を大柄な男が宙を飛んでいったわ。

 

本当、喧嘩っ早いのね。

 

 

 

「てめぇ!こら!チンピラが!しばらく固いもん食えると思うなよ!」

 

「すいません!すいません!許してください!」

 

 

 

勝手にやるのはいいけど、止められると困っちゃう。

 

人の迷惑になるような事はしないように、きちんと言い含めてあげないとね。

 

庶民の格が町の格、下民の教育も貴族の仕事なの。

 

 

 

「もし……」

 

「喝!!!!」

 

 

 

従者が声を上げたら、みんなようやくこっちに気づいたみたいね。

 

 

 

「静粛に聞けぃ!!」

 

「あなた達、夢中になるのはいいけれど、もう少し邪魔にならないところでなさいな」

 

 

 

下民というのはあまり長い言葉を理解できないと聞くから、手短にしたわ。

 

私のように、理解ある貴族に出会えてよかったわね。

 

 

 

「へ、へへぇ~!失礼しました!」

 

「こりゃ気づきませんで!どうぞ!おい!道開けねぇか!」

 

「失礼しました!」

 

「すんませんでした!」

 

「いいのよ」

 

「よし!!!!」

 

 

 

みんな邪魔にならないところにどいてくれたわね。

 

膝をついて手まであげちゃって、何もしやしないけど正しい礼儀ね。

 

誰に教わったのかしら?

 

素直な子は好きよ。

 

 

 

 

「あれは?」

 

「ああ、あれは近頃下民の間で流行っている、珈琲を出す店です」

 

 

 

私が道に立っている緑と白に塗られた看板を指差すと、従者がちらりとそれを見て答えた。

 

見たことのないぐるぐるした料理の絵が描かれているわね。

 

 

 

「あの料理はなにかしら?」

 

「何やらペペロンチーノ(・・・・・・・)と申す料理でございます、たしかシェンカー商会が開発したとか」

 

「そう、シェンカーが」

 

「はい、お嬢様の同級生のサワディ様は市井では『慈愛』のサワディ、『美味』のサワディと評判でございます。あの看板の店もサワディ様のお店だそうですよ」

 

 

 

ふぅん、あの男もあれで下民に施しを与えるような慈悲深いところがあるのね。

 

少しだけ見直しました。

 

 

 

「学校ではシェンカーとつるんでいる男たちを指して、『芝居狂い』の3人組と呼ばれているわ」

 

「そちらも有名でございますよ」

 

 

 

従者は苦笑しながら答える。

 

この者、なかなかシェンカーに詳しいわね。

 

もしかして……

 

 

 

「あなたは、さっきの店に行ったことがあって?」

 

「いや、はぁ……娘にせがまれましてな。小娘一人で行くには少々お高うございますので」

 

「あら、世の娘というのは長じるにつれて男親から離れるというじゃない、娘孝行できていいじゃないの」

 

「まぁ、その……私も嫌ではございませんで。噂のペペロンチーノもなかなか乙なものでした」

 

「良かったわね。また連れて行ってあげなさいな」

 

「ええ、ただ店員の衣装を欲しがるのは困っちまいますが」

 

「そんなにいい服を着てるの?」

 

「見たこともないような見事な衣装でして、歌劇に使うような立派なものでした」

 

「拘っているのね、さすがは『芝居狂い』ね……あら?」

 

 

 

空が一瞬光ったかと思うと、黄金竜に乗った騎士団の黄色が南へと飛んでいった。

 

騎士団も大変ねぇ……あんな小間使いのような仕事。

 

 

 

「少し低うございました」

 

 

 

ユニコーンの轡を固く握っていた従者は、少し顔色を悪くしたようだった。

 

そうよね、騎士団の若い連中なんて軍にも入れなかった落ちこぼれだもの。

 

何をするかわからないものね。

 

 

 

「ああ、そういえば」

 

 

 

ふと、再生魔法のライバルの事を思い出す。

 

あの日も黄金竜が飛んでいたわ。

 

 

 

「どうされました?」

 

「シェンカーにね、芝居に誘われた事があるのよ」

 

「はぁ……」

 

「それでね、『私その日は許嫁とお食事なの』と言ったら、なぜだか落ち込んでしまって。なぜかしらね、男のあなたならわかるかしら……?」

 

「お嬢様……」

 

 

 

丁稚は少しいたたまれないような顔で俯いて、「それは酷にございます」と言う。

 

なぜかしら?

 

やはり男の人の心というのは、わからないところが多いわ。




YouTuber好きですか?

僕はコジコジさんが好きです。

でも中間順位3位の夢見りあむちゃんはもっと好きです。


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第23話 軍人の おねいさんから 誘いだゾ 前編

筑前煮


先週行った芝居で、王都から来た元軍人の研究者、ローラ・スレイラさんを見かけた。

 

劇場で研究室の人に会ったのは初めてだ。

 

昨日行った芝居でも、彼女を見かけた。

 

彼女も結構芝居好きなのかもしれないな。

 

そして今日も、彼女が近くの席に座っている。

 

凄い偶然だ。

 

やはり彼女も、芝居を愛する人なのだろうか?

 

それにしても、同じ劇場で3回連続で出会うなんて……凄い偶然だ。

 

偶然……

 

これは、本当に偶然なのだろうか?

 

スレイラさんと、はっきりと目が合った。

 

 

 

 

 

奇遇(・・)だな、シェンカー」

 

 

 

芝居が終わったあと、彼女に劇場のロビーで話しかけられた。

 

スレイラさんは均整のとれた身体を誇示するようなパンツスタイルで、腰には例の名誉除隊のサーベルを刺している。

 

いつもの柔和な目つきが緩やかに内巻きにされた金の長髪も相まって、余計に柔らかい印象になっている。

 

休みのスレイラさんは、平日とは随分雰囲気が違うんだよな。

 

 

 

「ええ、奇遇(・・)ですね。スレイラさんは、芝居がお好きだったんですか?」

 

「軍属の頃はそんな暇もなかったが、正直こちらに来てから暇を持て余していてね。見聞を広めるためさ」

 

 

 

言いながら、彼女はどんどん近づいてくる。

 

俺の8つ上の21歳で、俺よりも20センチも背丈が上の彼女は、瑠璃色の瞳でこちらを見下ろした。

 

 

 

「暇を持て余していてね」

 

「そ、そうなんですか……」

 

「暇でね」

 

「は、はぁ……」

 

「…………」

 

 

 

沈黙と視線が辛く、思わず口を開いてしまった。

 

 

 

「あの、僕で良ければ町を案内しましょうか?」

 

「そりゃあ助かる」

 

 

 

大きく頷いて俺の背中を軽く叩く。

 

彼女の腰の飾り紐がサーベルの鞘に当たり、チィンと鈍い音を立てた。

 

 

 

 

 

俺は正直困惑していた。

 

彼女がいち学生の俺に接近する理由なんて、たった一つしか思い浮かばない。

 

そう、魔結晶工場計画(ひとくぎじゅつ)だ。

 

だが、俺の悪事(・・)について内偵しているのならば、こんなに下手なアプローチの仕方はないだろう。

 

そもそも普通は内偵などしない。

 

たかが怪しい平民魔法使いの家を爆破したところで、誰からも抗議の声は上がらないからだ。

 

だいたい、内偵者は対象と服屋なんかに行くだろうか?

 

 

 

「どうだ?」

 

「スレイラさんの綺麗な金髪によく合ってると思います」

 

「好みか?」

 

「僕のですか?」

 

「君のだよ」

 

「そりゃあ好みですけど」

 

「そうか、じゃあこの布で作ってくれ」

 

「畏まりました」

 

 

 

今はスレイラさんのコート用の布を選んでいた。

 

コート1着で店を3軒もはしごだ。

 

なんて責め苦なんだ。

 

殺すなら早く楽にしてほしい。

 

 

 

 

 

この都市の軍備を見たい、と言うスレイラさんを連れて騎士団の訓練所にやってきた。

 

だが俺は、適当な事を言ってこの場所を回避しなかったことを心底後悔していた。

 

 

 

「あの赤鱗竜の乗り手は誰だ?酷い腕だな」

 

「噂では『熱線』のクシスだとか。タトレノ子爵家の4男ですよ」

 

「あんな腕じゃ王都ならロバに乗らされてるよ」

 

「そりゃひどいや」

 

「白翼竜の乗り手は?あれはまだマシだな」

 

「あれは『星屑』のアルセリカです。テジオン男爵家の長女ですよ」

 

「あくびが出そうな星屑だ」

 

 

 

スレイラさんは文句を言いながら、2時間も前からずーっと騎士団の訓練飛行を眺めている。

 

彼女の長い金髪が、時々鼻先を擽る。

 

いい匂いはするし、風は冷たいし、日は暮れてくるし、時々爆発で小石も飛んでくる。

 

複雑な感情だ!

 

こんなの拷問だよ……

 

早く楽にしてくれ!

 

 

 

 

 

「それでな、私は言ってやったんだ『敵危ぶむなかれ、弱気危ぶめばこそ活路あり』とな」

 

「なるほど」

 

「私は小隊長のケツを蹴り飛ばして、敵の戦艦に突撃を仕掛けた。火砲降り注ぐ中、敵を掻き分け、空に浮かぶ敵艦の腹の真下に辿り着き、とっておきの灼熱爆裂線(ばくはつビーム)をぶち撒けてやったんだ。どうなったと思う?」

 

「凄いですね」

 

「敵は船底に竜石を溜め込んでいたようでな、誘爆を繰り返して真っ二つになってしまったよ」

 

「なるほど」

 

「まるで花火のようでな、惚ける敵兵に火焔弓を打ち込みながらみんなで大笑いしたものだ」

 

「凄いですね」

 

「その時に貰ったのが剣付犬鷲勲章でな。これは陸軍でも過去に100人も持ってないんだぞ?」

 

「なるほど」

 

 

 

訓練を見終わったあとに移動した学校近くの喫茶店で、俺は『なるほど』と『凄いですね』を繰り返すだけのマシーンになっていた。

 

珈琲を飲んで美味そうに煙草を吸いながら、スレイラさんは心底楽しそうに語り続けている。

 

こういうのは男の『昔はワルだった』自慢とは何か違うんだろうか?

 

いくつエピソードを聞いても、スレイラさんの貰った勲章リストがまるで埋まらない。

 

年金だけでマリノ教授の年収を超えるんじゃないか?

 

一体この人はどれだけ敵をぶっ殺してきたんだろう……

 

 

 

「君は……芝居が好きなんだろう?」

 

「なるほど」

 

「最近はどういうのがいいんだ?」

 

「えっ!?ああ、最近熱い芝居ですか……」

 

 

 

急に俺の話になったから、反応が遅れた。

 

最近の流行り……ということは『追放もの』の発祥から話さなきゃならんか。

 

よーし、なるべくわかりやすく話すぞ。

 

 

 

「メジアスっていう脚本家がいまして、その人が作り出した『追放もの』ってジャンルの芝居が流行ってます。これは染物屋の大店から追い出された丁稚が、実はその店の経営の鍵を握っていたという名作『地下2階の男』が源流なんですが。今流行りに乗って作られている『追放もの』は貴族家からの追放や学園からの追放、果ては冒険者パーティーからの追放まで、多岐にわたっていまして……」

 

「メジアスか……」

 

 

 

煙草を咥えたスレイラさんが、曇りひとつない目の玉を左上に寄せて考え込んでいる。

 

 

 

「メジアス氏がどうかしましたか?」

 

「ワーレン伯爵家の、部屋住みの者じゃなかったか?」

 

「そうです!そうなんです!あまりの芝居好きを咎められて、ワーレン伯爵家の部屋から出されてしまった悲劇の人なんですよ!」

 

「会ったことがあるな、ワーレン伯爵家のパーティーに出た時に」

 

「ええっ!?本当ですか!?どんな人でした!?僕、大ファンなんですよ!」

 

 

 

スレイラさんは俺の質問に答えず、ゆっくりと煙草の火を消し。

 

空になった煙草の箱を握り潰して、窓の外を指さした。

 

外はすっかり暗くなってしまっていて、空には金色の月がぷかぷかと浮かんでいた。

 

 

 

「メジアスの話は次にしよう。来週あたり、その追放ものの芝居の後でどうだ?」

 

「えっ!?そんなぁ……わかりました。予約しておきます」

 

「頼んだよ」

 

 

 

スレイラさんは給仕に銀貨一枚手渡すと、サッと立ち上がった。

 

そして俺の耳元に口を寄せ『今日は楽しかったよ』と囁いて行ってしまった。

 

俺、メジアスの話が気になって1週間何も手につかないかも……

 

こんな拷問ってないよ。

 

早く楽にしてほしい。




後編に続く


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第24話 軍人の おねいさんから 誘いだゾ 後編

平成最後の更新です


次の日からの研究室では、スレイラさんは必要以上に話しかけてこなかった。

 

いつも通りの大人の態度。

 

俺は焦れた。

 

スレイラさんの思うがままに焦らされた。

 

伝説の脚本家、メジアスの情報が欲しい!

 

この世界には雑誌やテレビなんかない、遠く離れた場所や人物は、人づての情報が全てなのだ。

 

悶々としたまま日々を過ごし、ようやく週末がやってきた。

 

チケットを予約した芝居は、追放ものの名作『受付嬢の追放』。

 

靡かない受付嬢を後ろ盾のない女だと思って追放したギルド長が、実はネクロマンサーだった彼女から逆襲を受けるサイコスリラーだ。

 

新進気鋭の女優、プラトネット嬢の怪演もあって芝居は大成功、隣りに座っていたスレイラさんも楽しんでくれたはず。

 

俺は早速彼女を学校近くの喫茶店に連れ込んだ。

 

 

 

「おいおい、今日はいやにせっかちじゃないか」 

 

「すいません、どうしても話が気になって」

 

「メジアスの話だけ?それが終われば私は用無しかい?」

 

「あ、いえ……そんなことは。失礼しました……」

 

 

 

顔から火が出る思いだった。

 

劇場からここまで、ほとんど手を引くようにして連れてきてしまった。

 

スレイラさんは苦笑すると、煙草を咥える。

 

俺がそれに種火の魔法で火をつけると、美味そうに煙を吸い込んだ。

 

 

 

「メジアスの話だけどね、彼はかなりの放蕩者だった。あまり学園の成績が良くなくて、芝居好きの友人達とつるんで劇団を立ち上げたりすることに熱心だったらしい」

 

 

 

俺はスレイラさんの言葉の全てを逃さないように、メモ帳に筆記魔法で記していく。

 

俺にはこの言葉をトルキイバの全芝居ファン達に届ける義務があるんだ。

 

 

 

「元々は俳優志望で脚本を書いていなかったらしいが、とある令嬢との失恋を期にどんどん執筆活動にのめり込み、学園を中退。友人達との劇団で劇をやって大評判を得るんだ」

 

「『大樹の揺りかご』ですね、魔法使いの若者達が成年式(イニシエーション)に耳長族の村を焼く話。社会への怨念が渦巻いてた頃のメジアスの大傑作ですよ」

 

「そうなのかな?まぁそれに気を良くした彼は他にも色々書いていたらしいんだが、親からの仕官の薦めを散々断っていたら激怒されたらしくてね。私が会ってしばらくしてから家を追い出されたそうだ」

 

「さすがは『怒り』のメジアスだなぁ〜、今はどこにいるんですかね?」

 

「風の噂では、ムラゴラドの方に劇場を作ったとか……」

 

「うおーっ!行ってみたいなぁ」

 

 

 

感激する俺を見つめていたスレイラさんが、まだ長い煙草を揉み消してこう言った。

 

 

 

「君は、聞いていた話とは随分違うな」

 

 

 

スレイラさんの神妙な顔に、額から一筋の汗が流れた。

 

そうだった。

 

この人は内偵者かもしれないんだった。

 

俺は何を浮かれていたんだ。

 

 

 

「聞いていた話……ですか?」

 

 

 

浮ついていた気持ちを一気に引き締め、俺はスレイラさんに真正面から向き合った。

 

 

 

「君は才覚鋭く、成績も研究も成果を出しているのに、攻撃魔法が使えないだけで燻っている平民という話だった」

 

「はぁ」

 

 

 

燻っているというか、ちゃんと火消ししてたつもりだったんだけどね。

 

 

 

「だが、実際にいたのは勉強も研究も片手間でこなし。趣味の芝居に全力な、年相応の男の子だったのさ」

 

 

 

そう言って苦笑したスレイラさんは「本題に入ろうか」と居住まいを正す。

 

 

 

「王都でクリス・ホールデンに会ったよ。その後任者の愚かな若者にもな」

 

「は、はぁ……」

 

 

 

なんか、嫌な予感がする……

 

 

 

「どちらも真っ当な貴族だった、良くも悪くもね」

 

「そ、そうですよね……研究室の誇りです」

 

「真っ当な貴族には、ああいう発想は出せない。魔結晶交換式造魔の開発者は、君だな?」

 

 

 

あっ……

 

セエエエエエエエエフ!!!

 

安心でドッと汗が出てきた。

 

魔結晶交換式造魔(そっち)の話ならセーフだ。

 

魔結晶工場(じんぞうダンジョン)がバレたんじゃなくて良かった!!

 

 

 

「なに、責めてるわけじゃない。平民の保身はよくある事、逆に自制の利いた素晴らしい判断だと思うよ」

 

 

 

俺が黙っているのを肯定と判断したらしいスレイラさんが、珈琲を一口飲んでから勝手に話し始めた。

 

 

 

「だが、平民とはいえお国のために優秀な者は取り立てねばならん、そうだろう?」

 

 

 

ふと、スレイラさん以外の視線を感じた。

 

粘つくような、刺すような、感じた事のある視線。

 

窓を見る。

 

いつか見た鳶色の目が、こちらを見ていた。

 

 

 

「幸い君は跡取りというわけでもない、君は13、私は21、少し年は離れているが……何だ君は?」

 

 

 

スレイラさんの横に、鎧を身に付け腰に直剣を差した、いつかの深窓の令嬢が立っていた。

 

 

 

「あなた、この間いらした方よね?」

 

「なんだと聞いている」

 

「何回足首を切り飛ばしても、走りながら再生する面白い戦い方の人」

 

「おい、聞きたまえ」

 

「名前を聞いておこうかと思って」

 

「貴様、私の連れに何の用だ!」

 

 

 

あまりの展開に硬直していた俺の目の前で、立ち上がったスレイラさんが深窓の令嬢の襟元を掴む。

 

深窓の令嬢は頭一つ分背が高いスレイラさんを見上げ、獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 

「あら、あなたスレイラ()少佐ではなくて?」

 

「なぜ私を知っている?」

 

「王都では、うちの門下生が随分と揉まれたようで」

 

 

 

深窓の令嬢は竜の彫り物の入った剣をスレイラさんに見せる、この2人は面識があったのか?

 

 

 

「剣術ザルクド流か……戦では役に立たん奴らだ」

 

「あら、それでも魔法に頼りすぎて魔臓をなくしたあなたよりはマシだわ」

 

「言うなっ!」

 

「魔臓もなしではまともな子も作れない。貴族としての責務は果たしても、女としては終わり。惨めなものね」

 

 

 

そうしてヒートアップする2人の肩をがっしりと掴む者がいた。

 

店の店主だ。

 

俺が呼んでおいた。

 

 

 

「お客様、困ります」

 

 

 

ここは魔法学園直営の店、魔法使いがこの店主の言葉を無視できるわけがない。

 

俺はその間に会計を済ませ、店外に脱出していた。

 

逃げるが勝ちだ!

 

あんな奴らに付き合ってられるか!

 

 

 

 

 

翌日、俺はまたスレイラさんと一緒にいた。

 

研究室の後に呼び出されてしまったのだ。

 

昨日とは別の店で、奥まった席に座った。

 

 

 

「昨日は見苦しいところを見せた」

 

「いえ」

 

「ザルクド流とは因縁浅からぬ仲でね、王都ではたびたび衝突したんだ」

 

「そうなんですか」

 

「それで、昨日の話なんだが……」

 

 

 

やべぇ、あんまり覚えてない。

 

なんか年の差がどうとか言ってたような。

 

 

 

「また邪魔が入らないうちに単刀直入に言おう、国は君を貴種に取り込みたがっている」

 

「えっ、なんでですか?」

 

「君の研究で軍事費の1割強が圧縮された、その才能を浮かせておくのは問題だ」

 

「そんなことになってたんですか……」

 

「一応そのお相手は私なんだが、気に入らなければ言ってくれ」

 

 

 

そう言いながら、気弱そうな表情を見せるスレイラさんだが、いや待て待て待て。

 

 

 

「スレイラさん、結構いいとこの貴族さんじゃないんですか?なにも平民なんかに……」

 

「ああ、それは問題ない。私は実家を出されて独立した身だからな。ま、メジアス流に言えば『追放』ってやつさ」

 

「そりゃまたどうして……」

 

「魔臓を使い潰してしまってね、魔臓のない人間からは強い魔力の子は生まれん。悪いが魔力の強化は次世代からで頼むよ」

 

「え?ていうか僕、魔臓再生できますけど……」

 

「何っ!?」

 

「うあっちい!!!」

 

 

 

勢いよく立ち上がったスレイラさんによって机が破壊され、熱い珈琲が全て俺に降りかかった。

 

 

 

「どういうことだ?そんな情報は……そうか、貴種以外の一律低評価の弊害か!くそっ!」

 

 

 

なにやら怒りながらハンカチで俺を拭いてくれるスレイラさん、別に安い服だからいいんだけどな。

 

 

 

「とにかく、ますます他の貴族には渡せなくなった。婚約の話、了承してくれるか?シェンカー」

 

 

 

結婚は願ったり叶ったりだが、俺にだって理想はある。

 

 

 

「いくつか条件をつけてもよろしいですか?」

 

「どんな条件だ?妾か?それは許さんぞ」

 

 

 

なんだこの人、テンション急転直下で目が超怖えよ。

 

独占欲やばいタイプの人なのかな。

 

 

 

「いや、芝居が趣味なんですけど、いつか自分の劇場とかも持ちたいんですけどいいですか?」

 

「何だそんなことか、かまわんよ。たまには私も芝居に連れて行ってくれたまえ」

 

 

 

いつもの柔和な目つきの彼女に戻った。

 

爛れた男女関係は地雷なんだな。

 

あ、そうだ!

 

肝心な事を聞いてなかった。

 

 

 

「あと俺、働きたくないんですけど」

 

「かまわん、養ってやろう」

 

 

 

やだこの人、イケメン……

 

 

 

「欲を言えば研究は続けてほしいが、国的には魔結晶交換式造魔と、今の研究だけでもお釣りがくるだろう」

 

「あとその……スレイラさんはよろしかったんですか?僕なんかで……」

 

 

 

ここは正直気になるところだ。

 

国の決定で結婚ってのは俺には覆せないが、彼女なら魔臓さえ治せば俺なんかと結婚する必要もないわけだ。

 

結婚は正直したいが、せっかく国が紹介してくれるってんならできるだけ好みの不一致を抱えたくない。

 

ちなみに俺は全然オッケーだ。

 

スレイラさん、いい尻だし。

 

魔法使いの女の性格って平民基準じゃみんなぶっ飛んでるし、スレイラさんぐらいなら全然許容範囲だ。

 

 

 

「恥ずかしながら……この年まで色恋というのに疎くてな。正直よくわからんのだよ、君が色々教えてくれれば助かる」

 

 

 

可もなく不可もなくって感じかな。

 

まぁ、マイナスから始まってないだけマシと思おう。

 

 

 

「ただ……」

 

 

 

スレイラさんは俺の頭をくしゃりと撫でて、こう言った。

 

 

 

「君のことは、弟みたいで可愛いとは思っている」

 

 

 

この人、そっち(ショタコン)の人だったのか!

 

こうして、俺の婚活は何が何やらわからぬうちに、突然終わりを迎えたのだった。




オリジナルのヒロインって難し杉内


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第25話 逢引は ちゃちな芝居と 奴隷の巣

なんかローラ・スレイラさん人気みたいなんで、デート回です。

細かく説明しませんが、貴族女性は基本的に女の奴隷なんかライバルとして眼中にないです。

ゆるふわです。


【挿絵表示】


謎のアンケート結果です。

それでは令和もよろしくお願いします。


朝、ベッドまで柔らかな陽の光が差し込んできてゆっくりと目が覚める。

 

気配を察した使用人がやってきて、丁寧に髪の手入れをしてくれる。

 

私は暖かなお茶を飲み、ぬるま湯の洗面器で顔を洗う。

 

戦場とは大違いだ。

 

攻撃魔法の地響きで起き、土煙に塗れた日々も嫌いではなかった。

 

夜明けと共に敵を焼き、死体の下に隠れて微睡み、将官に作戦を提示して「それは無理だ」と言われれば心が踊った。

 

戦場はどこまでも真っ直ぐだった。

 

将軍も奴隷も、生きるか死ぬかだ。

 

だが、私もいずれは家庭に入る身なのだ、もう佐官時代の事は忘れてしまったほうがいいのだろう。

 

 

 

「もう少し胸を寄せたほうがいいだろうか?」

 

「ローラ様、もう充分にございます」

 

「一応、もう少し寄せておこう」

 

 

 

流行りの編みのブラジャーを使って、更に谷間を作る。

 

汎用の鎧を着れずに困った原因である無駄に大きな胸も、色恋事でならば有用な武器に早変わりだ。

 

小さなだんな様(・・・・)もチラチラと視線を送ってくれていた事だしな。

 

もっとも、あの子がもっと好きなのは私の引き締まったお尻らしいが。

 

この間も視線が熱かったが、彼のためにも伝えた方がいいのだろうか?

 

 

 

「なあミオンよ、旦那様が後ろから尻を見てくるのだが、バレてるぞと言ってさしあげた方がいいんだろうか」

 

「ローラ様、見せておやりなさいな」

 

 

 

お母様の代からの側仕え、百戦錬磨のミオン婆がそう言うのなら間違いないのだろう。

 

しょうがないな。

 

だが他の女の尻を見たら足を踏んでやろうか。

 

 

 

「ベルトの位置を少し高くしておきます」

 

「ま、よかろう」

 

 

 

今日のデートで見る芝居は『戦争もの』らしい。

 

異世界からやってきた天才軍師が劣勢の国を知略で勝たせていくという話らしいが……さて、どんなものだろうか。

 

 

 

 

 

「来られましたよ」

 

「ああ、すぐ行く」

 

 

 

玄関に出ると、学校と大して変わらない服を着たサワディ君が立っていた。

 

私よりも頭一つ分背が低い彼は、中肉中背を絵に描いたような見た目で。

 

顔こそ貴族顔だが、特別端整だとかそういうわけでもない。

 

とてつもなく普通、そういう男だ。

 

私がこういう普通の男と一緒に歩ける日が来るとは思っていなかった。

 

十中八九戦場で死ぬと思っていたからな。

 

 

 

「あ、ローラさんおはようございます」

 

「ああ、おはよう」

 

 

 

む、寝癖がついているぞ。

 

家族は誰も教えてくれなかったのか。

 

 

 

「寝癖がついているぞ」

 

「はぁ」

 

 

 

私が頭を触って教えてやっても「それが何か?」という態度だ。

 

まぁ、男などこういうものか。

 

 

 

「これでどうですか?」

 

「君はなかなか器用なやつだな」

 

 

 

自分の指先から熱を出して髪を真っ直ぐにしたのか、やはり精密な魔力操作は教師顔負けだな。

 

これで攻撃用の魔力が問題なく精製できていれば、指揮官にとって大変便利な砲兵になっただろう。

 

いや、いかんな。

 

それならばこの出会いもなかったか。

 

 

 

彼の乗ってきた町馬車に乗って、劇場へと向かう。

 

熱心に今日の芝居の裏話を話す彼だが、若い男特有の甘い匂いが隣から漂ってきて集中できない。

 

つい座席の間を詰めてしまう。

 

彼のぴょこぴょこ動く襟足の毛を片手で触りながら、楽しそうな横顔をずっと眺めていた。

 

私の開いた胸元の谷間に視線が行きそうになるのを、必死に外を見たり壁を見たりして視線を逸らす小さなだんな様(・・・・)はなかなか愛らしく……

 

このまま劇場ではなく別の場所に連れ込みたくなったが、そこはぐっと抑えた。

 

はしたない女と思われたくはない。

 

 

 

 

 

『つまりこの陣ならば戦える味方の数は敵よりも多い、これを狭路殲滅陣(ナロー・ターミネーター)と名付けます』

 

『おおっ!なんということだまさに天才だ!』

 

『すごい!』

 

『すごい!』

 

『すごい!』

 

『すごい!』

 

『すごい!』

 

『やめてくださいよ、誰でも気がつく当たり前の事を言っただけです』

 

『なんと謙虚なのだ!』

 

『すごい!』

 

『すごい!』

 

『すごい!』

 

『すごい!』

 

『すごい!』

 

 

 

隣の彼や他の客も、演者と一緒に『すごい!』と叫んでいる。

 

あの状況なら前線を死兵で押し留めて後方に絨毯爆撃をするのではいかんのか?

 

魔法がない世界っていうのはどうも想像できない。

 

召喚された異世界人の主人公が出世していく軍政のドラマはなかなか楽しめたが、肝心の軍略は穴だらけに思える。

 

まあ、楽しんでいるところに水をさすのはどうかな。

 

私も『すごい!』と言っておくか。

 

『すごい!』

 

ああ、笑顔が可愛いな。

 

 

 

 

 

芝居が終わってから、彼が経営しているという下民用の店に連れて来てもらった。

 

味には自信があるとのことだが、私も華の王都の出、そうそう味に驚く事はないだろうがな。

 

 

 

「これ、うちで人気の珈琲なんです。上のクリームを混ぜると甘いですよ」

 

「ほう、珈琲のシャーベットみたいなものか。見た目はいいじゃないか」

 

「味も見てみてくださいよ」

 

 

 

珈琲の茶色とクリームの白の境界線が美しいそれに口をつける、ほう、なかなか豆にも気をつかっているな。

 

甘くすることを前提にして選定、焙煎したのか。

 

酸味と苦味のバランスがいい。

 

冷たさが舌を麻痺させる中でも、きちんと味と匂いがわかる。

 

安い味だが、悔しいが美味い。

 

さじでクリームを混ぜる。

 

一気にまろやかになり、もうこうなると珈琲とは別の飲み物だが、これも美味い。

 

頭を使った後なんかに欲しい味だな。

 

 

 

「どうですか?」

 

 

 

下から覗き込むように聞く彼に「負けたよ」と言って頭をくしゃりと撫でる。

 

いかんな、よく体に触るはしたない女だと思われていないだろうか。

 

 

 

「お待たせしました」

 

「ああ、これはパンケーキです、女性には人気があるんですよ」

 

 

 

侍女が持ってきて、彼が差し出すのは茶色いパンに白いクリームとベリーのソースが乗ったものだ。

 

 

 

「ありがとう、しかし貸し切りにしてもらって良かったのかい?この店、流行ってそうだけど」

 

 

 

席数はなかなかあるんだが、今は一番日当たりのいい席を私達2人で独占してしまっている。

 

この店が彼の小遣いの元なら、邪魔してしまったかなと思う反面……

 

貸し切りにしてもらって嬉しいという気持ちもある、度し難いな。

 

 

 

「ああ、いいんですよ。気にしないでください。それより食べてみてくださいよ」

 

「そうか、じゃあいただこうかな」

 

 

 

彼がクリームとソースをパンの上に押し広げるようにして食べるのを真似してみる。

 

ナイフで切って、おっと、パンの中に何か入っているな。

 

これはシロップか?

 

とことん甘い食べ物なんだな。

 

甘いものは美味しい、だからこれもまずいわけがない。

 

おっと。

 

白いものはさっきのクリームと違い冷たかった。

 

 

 

「それ、クリームを冷やしたんです。『アイスクリーム』とでも言いましょうか」

 

「なるほど新鮮だ」

 

 

 

バニラが入っているようで、複雑な甘みのそれが予想外に口をスッキリさせる。

 

あっという間に皿の上が空になってしまった。

 

ああ、口のはじにクリームがついている。

 

仕方ないな。

 

 

 

「あっ、すんません」

 

「いいんだよ」

 

 

 

ハンカチで拭いてあげると、別にすまなさそうでもない感じで礼を言われた。

 

後で袖口かなにかで拭うつもりだったな?

 

男の子というのは、まったく。

 

 

 

「他に何か食べますか?どれも美味しいですよ」

 

「ふーん、絵付きの品書きとはわかりやすいな」

 

「このボロネーゼとかは人気です。あとこのマルゲリータとかも」

 

「見たことのない料理ばかりだね、異国の料理人でも買ってきたのかい?」

 

「いや、僕が考えたのを料理人達が一生懸命作ってくれたんですよ」

 

 

 

ふぅん、今日見た芝居みたいだ。

 

あれもこの国の料理を異世界で出して蛮人どもを喜ばせていたな。

 

とりあえず、白赤緑の彩りが綺麗なマルゲリータとやらを頼んでみるか。

 

 

 

「これを頼んでいいかい?」

 

「かしこまりました」

 

 

 

側に仕えていた侍女が頭を下げて厨房に向かった。

 

なかなか豪奢な服を着ているじゃないか。

 

 

 

「あの服」

 

「はい」

 

「ああいうのが好みなのかい?」

 

「そういうわけじゃないんですけど、拘ったらああなってしまいまして」

 

「今度着てあげようか?」

 

「え?あ、いや……はは」

 

「どうした、嫌なのかい?」

 

「いや、サイズがね……」

 

 

 

言葉を濁す彼の視線は、私の胸元に来ていた。

 

口元が緩む。

 

やはり、寄せて正解じゃないか……ミオン。

 

 

 

 

 

店を出ると、もう夕方だった。

 

店の前には町馬車が待っていて、その周りを揃いのブレザーを着て武装した女たちがたむろしていた。

 

 

 

「ご主人様、お疲れ様です」

 

「ああ、お疲れ様」

 

 

 

鱗人族の女が彼に頭を下げているが、実家の商会の私兵なんだろうか。

 

なかなか体格のいい奴隷だ。

 

向こうにいるケンタウロスはかなりの恵体だな。

 

馬部分もそうだが、人間部分もコンパクトながら筋肉の塊だ。

 

どういう鍛え方をさせているんだろうか。

 

 

 

「実家の私兵かい?」

 

「いえ、奴隷冒険者なんですけど、こういう時は警備を頼むんですよ」

 

「冒険者か、この娘などは軍なら曹長並だな」

 

「こいつ、元軍人ですよ」

 

 

 

そう言われた鱗人族は素早く脱帽時の敬礼をした。

 

なるほど、自分で治せるのならば奴隷というのはなかなか掘り出し物が多そうだな。

 

 

 

「奴隷で軍隊でも作るつもりなのか?」

 

「いえ、魔結晶を集めて貰ってるんですよ。うちは商家ですから」

 

「ああ、なるほどな」

 

 

 

無駄に鍛えられているのは彼の酔狂ということか。

 

戯れに軽い殺気を飛ばしてみる。

 

鱗人族は迷うことなく私とサワディの間に入り壁となった。

 

離れた場所にいるケンタウロスは鬼のような形相で片手に投げ槍を構え、筋肉を弓のように引き絞っている。

 

よく見ると他にも赤毛の魚人族が背中で剣を抜いているし、他の奴隷たちも大半が武器に手を添えている。

 

よく躾られているじゃないか。

 

草刈りの者なりに、それなりに死線は超えているようだ。

 

 

 

「よく鍛えているじゃないか」

 

 

 

私は鱗人族の肩に手を置いた。

 

金色の目の奥が全く油断していないな、いつでも死ぬ気だ。

 

たかが奴隷にここまで忠誠心を持たせる……か。

 

また一つ、彼の魅力が見つかったな。




録画した水曜日のダウンタウン見てたら平成が終わってました。


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第26話 魔結晶 ほんとのところは 魔結石

サワディ側の家族との挨拶とかは、身分差があるので親父の土下座で終わりました。


元軍人の研究者、ローラ・スレイラさんとの婚約が決まって2週間ほどが経った。

 

2人の仲はほどほどに良好で、3日とあけずにデートを繰り返している。

 

彼女結構ボディタッチが多いんだよな、軍人流の気安さなんだろうか?

 

今の体に心も引きずられているのか、年甲斐もなくドキドキしてしまう。

 

まぁ俺も初婚だし、しょうがないか。

 

そしてそんな婚約者のローラさんは、戦争で魔臓をなくしてしまったらしい。

 

魔臓がなけりゃ魔法が使えない。

 

魔法使いが魔法を使えないってことは大変な事だ。

 

軍人だからそれだけでは済まず職を追われたんだろうが、単純に超不便なんだ。

 

トイレ行ったら手桶で水を流す?

 

暗いところを光で照らせない?

 

火を付けるのに石を叩く?

 

文字を書くのにペンを使う?

 

ありえない、不便すぎる。

 

死んでしまうぞ。

 

だから俺は聞いた「治しましょうか?」って。

 

だが、返ってきた言葉は「ちょっと待て」だった。

 

 

 

「ひとつ悪だくみがある」

 

 

 

彼女はそう言って、不敵に笑った。

 

 

 

 

 

魔臓、それは動物が魔素を集めるための臓器だ。

 

口から空気を取り込む肺とは違い、魔臓はそこらへんに漂う魔素を直接取り込み、許容できるだけ取り込んで貯蔵してしまう。

 

そして動物がある程度年を経ると、魔臓は変質して結晶化し、中に柔らかい石のようなものを作る。

 

これが魔結晶、今の人間社会にはもはや欠かせないエネルギー資源なのだ。

 

 

 

「そんでその魔結晶の外殻までを無理やり魔素に変えちゃうと、貯蔵先がなくなっちゃうんですよ。それが魔法使いの終わりです」

 

「講義はもうよろしい、それより魔臓が本当に治せるのかどうか。早くやってみたまえ」

 

 

 

俺を急かすこのおじさんは、ローラさんが王都から呼んできた『信頼できる筋』のステータス魔法使いだ。

 

つまりは魔臓をなくした魔法使いに終わりを告げるお役目の人なんだが。

 

彼もまた、ローラさんの悪だくみの一員なのだった。

 

 

 

「それじゃあ開腹しますよ」

 

「ああ」

 

 

 

学校で習ったばかりの睡眠魔法を先にかけて眠らせておいたローラさんの腹を、素早く切り開いていく。

 

流れ出る血を水魔法で球にして浮かせ、視界を確保する。

 

腹直筋と脂肪をかき分け、大腸をどかし(・・・)、魔臓があるはずの場所にあったのは、黒くしなびた残骸だけだった。

 

 

 

「確認した、魔臓なし」

 

「ではいきます」

 

 

 

俺は再生魔法を彼女に流す。

 

他の奴らの再生魔法がデスクライトなら、俺の再生魔法は宇宙戦艦のレーザービームだ。

 

一瞬で根本から肉が盛り上がり、ピンク色の魔臓が再生する。

 

 

 

「再生を確認した」

 

「閉めます」

 

 

 

抑えていた手を離して腹を閉めると、もうそこには傷跡ひとつなかった。

 

流れ出た血を肘の血管から戻してやり、あとは彼女の目が醒めるのを待つだけ。

 

 

 

「にわかには信じがたいが、本当に魔臓が蘇った。わしの鑑定魔法で見ても、スレイラ少佐に微量ながら魔力が戻っておる」

 

「良かったです」

 

 

 

男2人でテーブルを囲み、ローラさんの使用人のミオンさんの入れてくれたお茶を飲んでじっと待つ。

 

ことの始まりは2週間ほど前、ローラさんとの婚約が決まった直後のことだ。

 

真剣な顔をした彼女から、魔臓の再生がステータス魔法なんかの比じゃないぐらいの特殊技能(レアスキル)だということを、何時間もかけて滾々と説かれた。

 

そして、そのために今後俺に待ち構えているであろう困難の話もな。

 

ぶっちゃけかなりビビった。

 

どこまで行っても再生魔法の延長だろ、と思って楽観視していたんだ。

 

正直魔臓の再生なんか、できて当たり前だと気にも止めていなかった。

 

青天の霹靂に恐れおののく俺に、彼女はそれに対処するための道を3つも示してくれた。

 

ひとつ、軍に入り、魔臓再生機として生きる道。

 

もう一つ、魔臓再生を秘匿して生きる道。

 

そして最後は、魔臓再生を限定公開していく道だ。

 

ぶっちゃけ選べる道はひとつだけだった。

 

軍に入るのはまっぴらごめんだし。

 

隠すのも無理だ。

 

だって俺が魔臓治した事、学校の結構な人数が知ってるんだもん。

 

バレないわけないでしょ。

 

力を限定公開して退役軍人相手にやっていく分には色々抜け道がある、とローラさんに諭され。

 

俺は今、そのための前準備をしているところなのである。

 

目の前のおじさんは、俺に本当にその力があるかどうかを判定に来てくれた王都側の人員なんだ。

 

 

 

「そう心配そうな顔をせんでもよい。今後の事は王都の陸軍本部とお主の婚約者に任せておけ」

 

「はぁ」

 

「魔臓の喪失というのはな、今や大半の人間が軍を退く時の方便として使っておる。再生自体が技術として再現可能ならともかく、お主にしかできぬなら、公開する利益は限りなく薄い」

 

「でも、軍にとっては魔臓が治せれば戦える人が増えて嬉しいんじゃないですか?」

 

 

 

おじさんは額を揉んで、ため息をついた。

 

 

 

「魔臓の喪失とは、そう簡単なものではない。大抵のものは魔力の枯渇する痛みに耐えかねて、そこまで魔法を使い続けることなどできん」

 

「そうなんですか」

 

「さらに言えば、魔臓を失った痛みで死ぬ人間が大半でな。スレイラ少佐のように生き残れるのは真の兵(まことのつわもの)だけよ」

 

「はぇーすごい」

 

「おいおい、照れるじゃないか」

 

 

 

ベッドの方から声が聞こえた。

 

指先に光を宿したローラさんが、ベッドの上にあぐらをかいて座っていた。

 

 

 

 

「本当に、魔臓が回復するとはな」

 

 

 

言いながらローラさんは指先の光を縦横無尽に動かし、空中に魔法陣を描いていく。

 

一瞬強く光った魔法陣から、ぽとりと落ちてきたのは黄ばんだ煙草で。

 

それを咥えた彼女がパチンと指を鳴らすと、煙草の先に火がついた。

 

彼女が心底うまそうに煙を吸い込み、窓に向けて吐き出すと、今度は風の魔力がそれを屋外へと運んでいく。

 

全ての魔力移動が恐ろしく効率的で、限りなくスムーズだ。

 

これが佐官の実力なのか。

 

 

 

「ありがとう、サワディ君。私の婚約者が君で本当に良かったよ」

 

 

 

そう言いながらローラさんは腕を広げ、ハグしてくれと言わんかのようにウインクを飛ばす。

 

いや、オッサン見てんですけど。

 

 

 

「そういうことは後でやりたまえ」

 

「無粋だな、クオリス卿。若者の愛というのは全てに優先するのさ」

 

「年寄りにはいささか目の毒だ。それより、事前の取り決め通りでいいな?施術はここ、お忍びで1人づつ、証明は勲章、対価は……」

 

「元軍人への貸し(・・)だ、金は使い切れないぐらいある」

 

 

 

俺は1人治すたびに、ローラさんから金貨100枚が貰えることになってる。

 

彼女の月の年金がちょうどそれぐらいらしい。

 

婚約の時に『養ってやろう』と言われたのは、伊達や酔狂ではなかったのだ。

 

どんだけ戦功あげてんだろこの人。

 

 

 

「君もそれでいいな?」

 

「構いません」

 

「うむ」

 

 

 

おじさんは最後に俺に確認を取ると、足早に去っていった。

 

やはり軍人だ、立ち振舞がいちいちかっこいい。

 

ベッドの方を見る。

 

うちのもと(・・)軍人は手を広げて目を閉じ、俺に向かって唇を突き出していた。




海軍としては陸軍の魔臓再生に反対である。


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第27話 地下の穴 地道に掘って 進めてる

ゆるふわ地下奴隷の話です。


「石出たぞ、モッコもってこい」

 

「あいよっ!」

 

「しーっ、静かにしろ、夜だぞ。この上は民家なんだから」

 

 

 

私達は穴を掘っている。

 

なんの穴かわからないけど、ご主人様のため。

 

地下だけど、ご主人様の作った光る魔物を壁に埋め込んでいるから外みたいに明るいし、謎の筒から空気も送られてきてるから安心だ。

 

モッコに石を積んでいると、入り口の方から支え用の木が運ばれてきた。

 

床と天井の間に挟んで穴を補強する用の木だ。

 

うちの穴はこの木の支えを贅沢に使ってるから、天井も高くて崩落してくる心配がなさそうだ。

 

ご主人様が定期的に魔法で固めてるって話だしね。

 

鉱山なんかじゃ崩落で毎年何百人も人が死ぬっていうもの。

 

鉱山に売られなくて良かった〜。

 

 

 

「ありゃ、水が出たぞ」

 

「あー、またかぁ。埋めろ埋めろ、方角変えるぞ。すぐにチキンさん呼んでこい」

 

 

 

一番奥で水が出たらしい。

 

ああ、たしかに掘る土から湿った匂いが強くなってたもんね。

 

よくわかんないんだけど、土を掘ってるとたまに水が出たり、大きな岩が出たりするんだよね。

 

そういうのを避けて掘るから、だんだんとこの穴はぐにゃぐにゃになっていく。

 

最終的に決まった場所に着けばいいらしいんだけど、この調子でほんとにつくのかな?

 

チキンさんの話じゃまだ都市の外縁にも達してないらしいけど。

 

 

 

「こっちが北です」

 

 

 

運ばれてきた支えの木を使えるように微調整していると、鳥神の加護を持った山羊人族のオピカが監督のチキンさんと一緒にやってきた。

 

測量担当と3人で相談しながら地図の書き直しをしてる。

 

方角がわかるだけの鳥神の加護なんて、海以外じゃ役に立たないと思ってたけど、丘でも役に立つんだなぁ。

 

さすが学のある人は何でも役立てるもんだ。

 

 

 

 

 

「一旦休憩だってよ、みんな行くぞ」

 

 

 

チキンさんから休憩の指示が出たみたい。

 

現場責任者である牛人族のジーリンちゃんがそう宣言して、皆で一緒に入り口の方にある休憩所に向かって歩く。

 

延々と続く穴を、小声でお喋りしながら歩いていく。

 

 

 

「やっぱりラーゲがいると進みが違うよね」

 

「さっすが穴掘り名人」

 

「えぇ〜、そんなことないよ」

 

 

 

私は犬の神の加護を貰ってるみたいなんだけど、おかげで穴を掘るのが早くてみんなに穴掘り名人って呼んでもらえてる。

 

名人だなんて照れくさいんだけどな。

 

ほんとは穴掘りじゃピクルスさんには勝てないんだけど、ちょっと嬉しい。

 

足が悪くて売られちゃったんだけど、私でもこうして役に立てる場所があったんだなぁ。

 

 

 

穴掘りの仕事では軽食が出たりする。

 

これがなかなか侮れないんだ。

 

ご主人様が作った試作の料理だったり、作ったはいいけど製品にならなかった食べ物だったりする。

 

色々出るけど、美味しくないことなんてなかなかないもんね。

 

 

 

「最近のこれ、あたし意外と嫌いじゃないんだ」

 

「わたしも〜」

 

「そのまま齧っても、パリッとしてて美味しいよね」

 

 

 

最近の配給食である揚げ麺を丼に入れて、地上から下ろしてもらったお湯を注ぐ。

 

鶏の脂が溶けていい匂いがしてくる。

 

しばらく待ったらお湯を切る。

 

それから別の鍋のソースをかけたら、もう食べられるようになっちゃうの。

 

麺を茹でなくても柔らかくなるんだよね。

 

魔法みたい。

 

魔法使いのご主人様が作ったから、ほんとにそうなのかも。

 

 

 

「これさ、ご主人は失敗作だって言ってたらしいけどさ、普通のペペロンチーノより香ばしくて美味いよな」

 

「わたしもそう思う。麺に元からちょっと味が付いてるから、お湯をカップに入れたらスープにもなるしね〜」

 

「これも売ったらいいのに『お湯だけじゃ味付けが上手くいかないから』って駄目になったんだって」

 

「そっかぁ」

 

「もったいないな〜」

 

「お偉いさんの考えることはわかんねぇな」

 

「そうだよねぇ〜」

 

 

 

私達がペペロンチーノをすすっていると、地上から喫茶店勤務の子が降りてきた。

 

今はもう夜だから、あの可愛い制服じゃなくて普段着なんだけど、髪とか爪とかの磨かれ方が全然違うんだよね。

 

普段着でも喫茶店の子達は一目で見分けがついちゃう。

 

憧れの的なんだよね。

 

なんかお肌を綺麗にする水?みたいなのを貰ってるらしいんだけど、それをつけたら私達もああいう風になれるのかな。

 

嗅ぎなれない甘い匂いもするし、ちょっと気になるなぁ。

 

 

 

「お疲れ様。これ店の余り、皆で食べて」

 

「おっ、甘パンかぁ」

 

「やった〜」

 

「今日はほんと運がいいね」

 

 

 

地下で仕事してると、たまにこうして店の余りのお菓子を貰えるんだ。

 

表の店のお菓子は高くてなかなか手が出ないから、これは役得ってやつらしい。

 

くんくん、今日の甘パンは紅茶が練り込まれてるのか、これは美味しそうだ。

 

奥からはまだ人がやってくる気配はない。

 

これを食べたら一眠りしちゃおうかな。

 

 

 

 

 

「おまたせ、方角決まったわよ。もう少しだから頑張ってね」

 

 

 

ご飯を食べてからひっくり返って寝ていた私達をチキンさんが起こして、上に登っていった。

 

ジーリンちゃんは大きいあくびをひとつして、シャベルを肩に担ぐ。

 

 

 

「もうちょいやったら時間だろ、今日は得したな」

 

「そうだね〜」

 

「甘パン美味しかったし、今日は当たりだなぁ」

 

「ふぁ〜眠い〜」

 

 

 

穴掘りの仕事は時間が決まってるから、進みが遅くても手当が出るんだ。

 

もちろん真面目にやらないと外されちゃうから手を抜く子なんていないんだけど、岩とか水とかで時間がかかるとその分のんびりできるからね。

 

軽食も出るし、余りのお菓子を貰えたりするし、おいしい仕事だよ。

 

この仕事、もうしばらく続いたらいいなぁ。

 

なんのために掘ってんのかわかんないけど。

 




秘密裏にやっているので道がグニャグニャすぎて輸送にトロッコとか使えません。

換気用の管を壁に這わせる専門家軍団がいたり、日当を上げるための測量家研修とかがあったりと、地下帝国も脳筋の楽園ではありません。



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第28話 再生屋 思ったよりも 大変だ

ピカチュウ見に行きたい


魔法使いの年齢を判別するのは難しい。

 

何歳になっても無闇に若々しかったり、見た目は年をとっていても、やたらめったら元気だったりする。

 

平民とは桁違いの大きさの魔臓から生み出される魔力がそうさせるのか、単純に古くからそういう血が取り込まれているのか。

 

これまで誰も研究などしていなかったが、俺が思うに真実は前者のほうなのかもしれない。

 

その魔臓をなくした38歳の元魔法使いは、傍目にはしわくちゃの老人に見えたからだ。

 

 

 

「ナサーフ元中尉だ、15年前に魔臓をなくしている」

 

 

 

車椅子に乗せられたナサーフ元中尉は、ゆっくりと時間をかけて震える右腕を持ち上げた。

 

眼光は厳しいが目尻が下がっている、どうやら挨拶のつもりらしい。

 

はたしてこのボロボロの彼は、魔臓の再生に耐えられるんだろうか?

 

俺もこれまでさんざん奴隷の腹かっさばいて臓器を生やしてきたが、なんだかんだと対象は若い奴隷ばっかりだったからな。

 

不安だ。

 

そこでまずは彼の健康状態からなんとかすることにした。

 

金貨100枚の大商い、急がば回れだ。

 

つまり、奴隷と一緒の事をすればいいんだ。

 

食わせて治し、また食わせて、また治す。

 

しかし、今回の患者は歯もないから大変だ。

 

タンパク質、アミノ酸、ビタミン。

 

大まかにだが、計算しながら流動食を作る。

 

とにかく肉をつけてもらわないと話にならないからな。

 

俺だって、とある事情でなくした自分の足を生やした後はびっくりしたもんだ。

 

余った筋肉や脂肪じゃ肉が足りなくて、なんと背がちょっと縮んでたんだからな。

 

飯を食いまくっていたら数日で元通りになったけど、あれはちょっとした悪夢だったぞ。

 

とにかく、再生には土台が必要なんだ。

 

がっしりした土台がな。

 

 

 

「駄目ですよ、全部食べさせてください。治りませんよ」

 

「ですが、旦那様が苦しみながらお食べになられるのは、見ていて忍びなく……」

 

「魔臓再生させなくても食べさせないと死ぬ段階まで体が弱ってますよ、ここが頑張りどころなんです」

 

「それはわかりますが……」

 

 

 

なんて、泣きの入る従者の人をなだめすかし。

 

むりくりナサーフさんに飯を食わせて、肉がついた先から消化器、循環器、呼吸器の順で治していく。

 

骨もだ、スカスカになってたからな。

 

骨密度がとんでもなく低く、自重で脊椎が圧迫骨折を起こしていたっておかしくなかった。

 

しかし、金持ってるのにこういう再生治療をやらなかったってことは、この人もう人生には見切りをつけていたんだろうか?

 

それとも軍人さんの年金ってのはそんなに高くないのか。

 

はたまた借金でもあったのか。

 

まぁ、どうでもいいことか。

 

俺は治すだけだ。

 

その治療も、大変と言えば大変だったんだが、許容範囲といえば許容範囲だ。

 

基本的に世話は従者任せで、2週間かけてゆっくりやった。

 

患者と対面していた時間自体はたいしたことがなかったから、俺自身は気楽なもんだった。

 

これぐらいなら、まぁいいかな。

 

しかし、魔臓ってのはどうも人間にとって相当大事な臓器だったらしい。

 

ナサーフさんの消化器のほとんどにはなんらかの障害が出てしまっていて、治すのが大変だった。

 

多分人間は魔力で他の臓器の機能を底上げしてるんだろうな。

 

ちなみに魔臓ってのは臓器だから、移植しようとすると拒絶反応が出て普通に死ぬ。

 

そこらへんは闇の魔術師の人らが専門的に研究してる分野らしいから、こっちにはあんま情報が回ってこないんだけどね。

 

 

 

そうしてあれこれやっているうちにナサーフさんの体はめきめきと健康を取り戻し、自分でスプーンも持てるようになった。

 

これならもう大丈夫かな?

 

そろそろ魔臓治して帰ってもらおう。

 

 

 

 

 

手術当日は晴れだった。

 

学校も休み、見たい芝居もない。

 

まあでも、早めに終わったらどこかに繰り出そうかな?って感じのいい日だった。

 

 

 

「先生……俺は本当に治るんですか……?」

 

「治りますよ、今日で終わりなんでパパっとやっちゃいますね」

 

「パパっとって……」

 

 

 

上体を起こしたナサーフさんは、笑顔の俺を胡散臭そうに見つめている。

 

そりゃ治るに決まってんだろ、もう喋れるぐらいまで回復してんだからさ。

 

不安そうな彼を横にして、睡眠魔法をかけてやる。

 

おやすみ、ナサーフさん。

 

寝て起きたら全部終わってるよ。

 

 

 

ナサーフさんは、シミの浮いた細い指先に灯した火をぎこちなく動かして魔法陣を描く。

 

小さい頃に学校で習う、小物入れの魔法だ。

 

光った魔法陣からぽとりと落ちてきたのはカビた煙草。

 

彼はそれを震える指で口に挟み、じれったいような遅さで火をつける。

 

うまく火がつかず、何度も煙草を落とした。

 

ようやく火がついた煙草からゆっくりと煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 

細く小さい、彼の肩が震えた。

 

 

 

「先生、こりゃシケってたかな」

 

「買ってきましょうか?」

 

「ああ、なんだか目に染みらぁ」

 

 

 

俺はたっぷり1時間かけて煙草を買いに行った。

 

軽く飯なんか食べて帰ってきた頃には、すっかり身なりを整えたナサーフさんが俺を待っていた。

 

 

 

「先生、あんたは天才だよ。まさか本当に魔臓が再生するなんてなぁ」

 

「うまくいって良かったです」

 

「何か個人的にお礼をしたいんだが……」

 

「ああ、それは結構。その分早く元気になってください」

 

「先生、本当にいいのかい?」

 

「いいんですよ」

 

 

 

謝礼は3桁の金貨だ。

 

守銭奴の俺だって仏になる額。

 

病人からは、感謝の言葉だけで充分さ。

 

そうして無事に魔臓を取り戻したナサーフさんは、3日ゆっくり寝ていただけで30歳ぐらいの見た目に若返った。

 

もとの年齢が38歳だから、やはり魔法使いは平民よりも若々しく見えるんだろうな。

 

しわくちゃだった皮膚は光沢を取り戻し、背筋は伸び、うっすらと髪まで生えてきた。

 

なるほど魔力は薄毛に効くのか。

 

いつか毛生え薬を売って大儲けしてやろうか。

 

その次の日、彼は事前の取り決め通り、闇に紛れてトルキイバを出ていった。

 

多分昼に出てっても誰も気づかなかっただろうけど、決まりだからね。

 

決まりだから、しょうがないから。

 

俺も金貨100枚、ポンと貰ったぜ。

 

 

 

 

 

貰った金貨で、俺は魔結晶工場のダンジョンまでの穴の経路上の建物をいくつか買った。

 

さすがに横穴が何キロも続くと換気が大変になるし、休憩所までも遠くて嫌になるからな。

 

奴隷の数も増えてきてるし、意外と派遣先で活躍してるような手に職を持った奴隷も多い。

 

そういうやつらにそこで店をやらせれば、もっともっと金になる。

 

面倒なM&Aなしでも、従順なグループ企業が山ほどできていってうはうはってわけだ。

 

ま、商売のことだからそうそう上手くいくわけでもないだろうが、最悪奴隷派遣センターか飯屋かなんかにしてしまえばいい。

 

なんせうちの実家は粉問屋だから、小麦粉の仕入れが最高に安いんだ。

 

仕入れが安ければ無茶も利くし、なにより多数の奴隷を抱えている俺は労働力を潤沢に供給できる。

 

最高の経営状況になるだろうな。

 

そうやって事業を大きくして、いずれはこの街の経済を俺の手中に収めてやろうか……

 

いや、この街とは言わず、トルキイバ、トルクス、ルエフマの3都市の間の流通を牛耳れるんじゃないか?

 

そうしたらあの広大な平原の麦畑の麦を、全てシェンカーの麻袋に詰めて売ってやる!

 

やはり、夢は大きくないとな!

 

 

 

「こら」

 

 

 

軽く頭を小突かれた。

 

考え込んでしまっていたらしい。

 

一緒に不動産屋まで付いてきてくれた婚約者のローラさんが、横で不満げな顔をしていた。

 

 

 

「悪い顔をしているぞ」

 

「えっ」

 

「そういう顔をしているやつは、つまらんことで躓いて死ぬものだ。堅実にやりたまえ」

 

「そんなに悪い顔になってましたかね?」

 

「山賊の親分のような顔だったぞ」

 

 

 

なんてこった、爽やかな俺のイメージが台無しだ。

 

それになぜだかわからんが、山賊の親分になるのだけは死んでも嫌だ。

 

自分が黒ひげとかを生やした、野蛮な山賊になった所が容易に想像できるのが悲しかった。

 

俺の目標は、あくまでも自分の劇場だからな。

 

金儲けも、ほどほどにしておくか……




山賊とか黒ひげ云々10話にあります、澤田くんは先祖の悪行をまだ知りません


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第29話 奴隷たち 地下帝国を 満喫す

ゆるふわ地下帝国


うちのご主人様にも困ったものだ。

 

数ヶ月前から急に都市の物件を買いだして、何人かの技能奴隷が商売を任されることになった。 

 

 

 

「儲かれば何でもいいから」

 

 

 

と言っていたが、儲かる商売ができるぐらいなら奴隷には落ちないものだ。

 

幸い筆頭知識奴隷のチキンさんがやり手で、私達の得意な事の組み合わせで商売の種を考えてくれたから良かったんだけど。

 

これをもし1人で、徒手空拳で挑まされて失敗をしたかと思うとぞっとしない。

 

もう1度売られるのはまっぴら御免だよ。

 

シェンカー一家ぐらい居心地が良いところは他にないんだからね。

 

 

 

私が得意なのは木の細工。

 

ブローチやら小物やら、何でも作る。

 

特に得意なのは彫刻で、箱の表面に細かい模様を入れるなんてのは大好きで何時間でもやってられる。

 

相方のナバの得意な事は絵だ。

 

昔は結構家が裕福だったとかで、絵の手習いをしていたらしい。

 

絵の方は良いのか悪いのかわかんないような出来だけど、色付けは上手い。

 

私が作って、ナバが色を付ける。

 

商売はちょっとした小物屋だ。

 

 

 

 

 

「あらいいわねこの髪留め」

 

「たしかに、陽の光を集めたような君の髪にぴったりだよ」

 

「やだもう、ピエールったら」

 

「ほんとさ、ジェニー。ここにあるもの、何でも買ってあげるよ」

 

 

 

マヌケな男の顔をあんまり見ないようにしながら営業……スマイル?で接客をする。

 

ご主人様から、接客は笑顔でするようにとご達しがあったからね。

 

今日はよそに貸される子が多くて、この店まで人が回って来なかったから私が売り場に立ってるんだけど、普段は売り子が来てくれるんだ。

 

正直売り場の仕事は苦手なんだよな。

 

 

 

「店員さん、このブローチ貰おうかな。愛しい人に」

 

「かしこまりました」

 

 

 

お前こないだ別の女と来てたろと思いながらも、商売だから笑顔で対応する。

 

商売は大変だ。

 

自分ひとりでやってたら、早々に店は潰れてただろうな。

 

 

 

接客が終わったら前掛けをつけて、また木を彫る。

 

今やっているのは猫の透かし彫りをしたお香立てだ。

 

なかなかの売れ筋で、今月ももう十個は作ってる。

 

作るたびにデキが良くなっていくから、売れるものはもっと売れるようになる。

 

そういうところは商売の楽しいところだな。

 

あたしはやっぱり工事現場でがれき運ぶよりも、こっちの方が断然いい。

 

 

 

「ただいま〜マモイ、ご飯貰ってきたよ〜」

 

「お帰り」

 

 

 

ナバがシェンカー一家の本部から帰ってきた。

 

本部に行けば昼と夜は飯が貰えるんだ。

 

遠い所にある拠点なら飯代渡されて自分で食えって言われるらしいけど、本部の飯は美味いからあたしはこっちのほうがいい。

 

今日はゲハゲハの揚げ物とおっきなパンだ。

 

ゲハゲハは川なんかによくいる魚なんだけど、どっかの拠点に池を作って増やしてるらしい。

 

ご主人様は「川魚は泥臭いから」って言ってたらしいけど、庶民は魚なんかあんまり食べないからわかんないや。

 

いざ増やしてみたら増えすぎて、私らの食事にも出るようになっちゃったんだけどね。

 

売ると相場がどうだとか……上の人らもあれでまぁ色々(しがらみ)があるんだなぁ。

 

 

 

「ご飯取りに行くときも()使わしてくれたらいいのにね」

 

「ありゃ内緒だから万が一にもバレないようにって事でしょ。人に言えないようにあたしらに色々魔法かけるぐらいなんだからさ」

 

「便利なんだけどなぁ」

 

「けじめだよ、けじめ」

 

 

 

下の工事はずーっと続いてて、うちの建物の奥にも下への隠し通路がある。

 

たまに作業員が休憩しに上がってくるけど、店のものは移動とかに使わないように言われてるんだよね。

 

まぁ、移動に使えないだけで色々と(・・・)使い道はあるんだけど。

 

 

 

 

 

夜になると町はすっかり暗くなる。

 

魔結晶を食って光を出す魔具もあるけど、魔具なんて高級品に庶民が手を出せるわけがない。

 

となると光を取るには油灯か蝋燭なんだけど、そんなに明るくないし、ずーっと使うにはやっぱり金がかさむ。

 

道端の魔導灯はあるけど、さすがにその下で夜中に何かやってたりすると怪しくてしょっぴかれちゃう。

 

その点地下は最高だ。

 

いつでも煌々と明るいし、寒くも暑くもない。

 

空気の流れもあるし友達も通りかかる。

 

毎日入り浸りになるのもしょうがないよな。

 

 

 

「今日はロースの姉御が一人で暴れ鳥竜を相手取ったらしいよ」

 

「へぇ〜」

 

「つがいに出くわしたらしくてね。ロースの姉御が一匹任せろっつって、あの赤染めの十字槍で突いては離れ突いては離れの大活躍でね」

 

「やっぱり凄いなぁ」

 

「町でもうちの冒険者組はすっかり一目置かれてんだよね」

 

「借金取りに連れ出されてたりするもんねぇ」

 

「こりゃあたしも冒険者になっときゃ良かったかなぁ」

 

「あんたじゃ死んじゃうって」

 

 

 

地下で友達のストーロとバカ話をしていると、本部の方から足音が聞こえてきた。

 

 

 

「もう休憩終わりかな?」

 

「頑張ってね」

 

 

 

曲がり角からシャベルを持った人達がどんどんやってくる。

 

 

 

「おうっマモイ、また残業やってんのか?」

 

「あんま店広げんなよ」

 

「ストーロ、休憩終わりだぞ」

 

「おっ、じゃあ行ってくるね」

 

 

 

どんどん人が奥に吸い込まれていって、あっという間に通路は私一人になった。

 

あれだけ人がいると声を抑えていても多少はうるさいんだけど、天井や壁に貼ってある防音材ってのが音を抑えてくれるらしい。

 

偉い人ってのは色々考えるもんだよな。

 

さて、私は趣味の人形彫りを進めようかな。

 

 

 

「おっ、マモイじゃん。今日は店どうだった?お茶とお菓子持ってきてあげたぞ〜」

 

 

 

と思ったら今度は隣の拠点の奴だ。

 

 

 

「おー、二人もいた、誰かいないかなって歩き回ってたんだよ。マモイは毎日いるよね」

 

 

 

反対側からは西の拠点の奴もやってきた。

 

毎日毎日各地の地下通路から誰かしらがやってきて、全然作業が進まない。

 

ま、楽しいからいいか。

 

今日の夜も、長くなりそうだな。




30話の後に資料集を挟む予定です


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第30話 作りだせ 大陸つなぐ 夢の道

wifiが弱い


あっという間に14歳と少しになった。

 

生活は去年以上の密度で、研究研究、また研究だ。

 

今やってる魔結晶なし(バッテリーレス)造魔の研究で、ちょっとでも婚約者のローラさんの手柄を増してやろうなんて考えたのがまずかった。

 

魔結晶いらずの無限造魔動力(むげんエンジン)を使った無補給稼働の大陸横断鉄道(グランド・レイルロード)の計画書なんてのをでっち上げたんだけど、話が王都に伝わった途端ドバーッと研究資金が降りてきた。

 

マリノ教授曰く、上が本気になってきたらしい。

 

鉄道って言っても考え方自体は簡単なんだ。

 

動力系、変速系、操作系に分けて造魔をモジュール化して、車輪に繋げるだけ。

 

後は運ぶものに合わせて規模を拡大していくだけだ、考え方は簡単だろ?

 

まぁ作るのは簡単じゃないんだけど。

 

そしたら『トルキイバ、ルエフマ間での長距離輸送運用試験を行うべし』って指示が届いて、もうてんやわんやだよ。

 

マリノ教授はトルキイバとルエフマ間を走る魔導鉄道の路線を借りるための根回しに走り回り、俺はエストマ翁から学科の免除のお達しを頂いて研究にかかりっきりだ。

 

そして路線を借りられる日が、3ヶ月後の年度末にある全線運休予定日に決まってからというもの、研究室の慌ただしさは増すばかり。

 

昼夜を問わず居座っている人がいたり、応接用のソファでガチ寝している人がいたりする。

 

俺はこの感覚を知っているぞ。

 

デスマーチって言うんだよ。

 

 

 

 

 

「本当にこれが動くのかい?」

 

「原理的には作る予定の鉄道も全く一緒なんですよ。ただ荷車サイズに収めると出力が全く足りてませんので、坂道は登れませんね」

 

 

 

俺とマリノ教授は魔導学園の駐車場の隅で、試験的に作られた造魔馬車を見つめていた。

 

魔結晶を動力とした魔具エンジンの魔導馬車や魔導鉄道はかなり昔から実用化されていて、大規模な飛行船や戦車のようなものまで存在する。

 

すでに重要な社会インフラを支えている大変な技術なのだが、いかんせん高コストなんだ。

 

俺は魔導馬車を参考にして、大きめの荷車のようなものに無限造魔エンジンを組み込んだ。

 

魔導馬車が馬6頭分ぐらいの力があるとすれば、この造魔車は猫一匹分ぐらいだろう。

 

計算上はギリギリ動くはずだ。

 

 

 

「それでは起動しますね」

 

 

 

エンジンの周りの魔封じを解くと、造魔がコチコチと音を立てながら動き始める。

 

造魔の質、大きさ、特性を揃えないと造魔間の同調が取れず、上手く出力が上がらなくて苦労した。

 

ただでさえ無限造魔エンジンは超低コスト超低出力なんだ、少しでも出力が上がる工夫をしていかないと動力車のサイズが都市の大きさを超えてしまうぞ。

 

 

 

「おっ、動いたかい?」

 

 

 

マリノ教授は興味津々に車輪を覗き込んでいるが、多分まだ動いてない。

 

車輪の前に引いた線に微塵も踏み込んでいない。

 

あくびが出そうなぐらいの時間をかけて、造魔車はほんの少しだけ車輪を回し始めた。

 

 

 

「これは、動いたね?」

 

「はい教授、動きました」

 

「しかし車輪の下に線を引いていないと、動いてるのか動いてないのかわからないぐらいノロマだね」

 

「この出力だと小石を踏んだだけで止まりますよ、これ以上はもっと大型化させてからです」

 

「うーん、歯がゆいな」

 

 

 

最初は物差しなんかでじりじり動く車輪の進みを調べていたマリノ教授も、1時間も経つ頃には完全に椅子に座り込んでしまった。

 

俺は飲み物を運んだり軽食を運んだりしていたんだが、マリノ教授は椅子に座って腕を組んだままずーっと車輪の動きを見守っていた。

 

結局造魔車は太陽の位置が変わるぐらいの時間をかけて車輪を一回転させ、俺が言ったとおり小石を踏んで止まってしまう。

 

 

 

「止まってしまったな」

 

「そうですね」

 

「しかし車輪一回転分とはいえ、動いたということが大切だ、そうだね?」

 

「そうですよ!これは車輪一回転分の前進にすぎませんが、造魔学にとっては偉大な一回転です」

 

「シェンカー君」

 

「はい?」

 

「その表現、貰ってもいいかい?」

 

 

 

その日俺とマリノ教授はクスクス笑いながら研究室へと帰り、他のみんなを怪しませたのだった。

 

 

 

 

 

とある寒い日の夜。

 

研究室明けの俺と、婚約者のローラさんは俺の親父と上の兄貴と食事をしていた。

 

治安のいい地区にある一見さんお断りのお高いレストランで、平民の月の稼ぎがすぐに飛ぶような店だ。

 

 

 

「それでは、そのぅ、結婚はサワディが成人したらすぐということで?」

 

「ああ、そのつもりで考えている」

 

「そこに合わせて家も買うつもりなんだけど」

 

「しばらくは私の家でもいいじゃないか」

 

「ローラさんは引っ越しの準備がめんどくさいだけでしょ?」

 

「荷解きしたばかりなんだ、少し手加減してくれよ」

 

 

 

俺がそうやって気さくにローラさんと話していると、親父が凄い顔になっている。

 

ははあ、魔法使いに完全にビビってんだな。

 

 

 

「なあ親父」

 

「ど、どうした?今日のムニエルはいやに塩気がないな、変えてもらおうか?」

 

 

 

塩気はついてるよ、あんたの舌が緊張で麻痺しちゃってんのよ。

 

 

 

「ローラさんとも話したんだけどさ、身分は違えどせっかく家族になるわけだろ?」

 

「あ、ああ、そうだな」

 

「だからさ、外の事ならともかくさ。内々の関係では、ちゃんと家族ってことにしようよ」

 

「なにっ!し、しかしそれは……」

 

「ブレット殿、いいんですよ。私はもう父も母もない身、夫の家族が本当の身内になってくれるならば、それほど心強い事はありません」

 

「そ、そうですか……」

 

 

 

うろたえる親父と『一言も喋るな』と言われて黙々と料理を食べている兄貴の対比が凄い。

 

何も考えてない兄貴がかえって大物に見えるぞ。

 

 

 

「これはなんか有名な酒らしいんだけど、これで盃かわそうや」

 

「盃って、ギャングじゃないんだぞ我々は」

 

「似たようなもんじゃないか」

 

「断じて違う!わが家はれっきとした、かたぎ(・・・)の商家なんだ!」

 

「まあまあブレット殿、これから彼の手綱はしっかり私が握っていきます。安心してください、そうそうおいた(・・・)はさせませんよ」

 

「お、お願い致す……」

 

 

 

腹を抑えて俯いた親父の前に、こないだ治療した元軍人から送られてきた酒を置く。

 

なんか有名な酒蔵のもので、数量限定生産みたいな感じらしい。

 

俺はあんま良く知らないんだけど、それを見た親父は顔色を変えた。

 

 

 

「おまっ!お前これをどこで手に入れた!」

 

「軍人さんにもらった」

 

「これは『シュガー・ハァト』だろ!実在したのか!本物か!?」

 

「まぁまぁ、ブレット殿。こういうものはよく手に入りますので」

 

「よく手に入るような物では……」

 

「とにかくさ、これで内々だけど親子固めの盃ってことで……頼むわ、な、親父」

 

「いや、しかし……」

 

「本人がいいって言ってるんだからさ……」

 

 

 

俺は渋る親父をなだめ、2つのグラスに酒を注いで、ふたりの前に置いた。

 

兄貴が『俺は?』という顔で目の前の空いたグラスを指差しているが、兄貴は黙って飯でも食っててくれ。

 

 

 

「では、不肖私サワディが、この盃取り仕切らせて頂きます」

 

「……お願い致す」

 

「よろしく」

 

 

 

俺に向かって空のグラスを掲げる兄貴が見守る中、厳かに儀式は始まった。

 

親父とローラさんが、お互い少し口をつけたグラスを相手側のグラスと交換する。

 

二人は無言でそれ飲み干し、グラスを床に叩きつけた。

 

グラスは粉々に砕け散り、これで親子の盃が交わされたことになる。

 

もちろん貴族と平民だ、効力なんてない。

 

これは俺とローラさんからの、一般人の親父への気遣いだ。

 

心は家族だよって事だ。

 

 

 

「ローラ殿、息子を、サワディをよろしくお願いします……」

 

「ああ、しかし世話になるのは私かもしれんがね」

 

 

 

今親子になったばかりの親父と娘はしっかりと手を握り、笑みを交わし合う。

 

俺はといえば、袖を引っ張り始めた兄貴のグラスにさっきの酒を注いでやっていた。

 

親父と一緒で、俺と兄貴も切れない縁なんだ。

 

ちょっと頼りないけど、お互いに支え合っていかないとな。



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30話までのまとめ

[通貨]

 

単位はディル。

 

金貨=10万円

 

銀貨=1万円

 

銅貨=1千円

 

ぐらいの価値です。

 

庶民は月に銀貨15枚程度で生きています。

 

もっと下に銅粒と呼ばれる百円玉扱いのお金がありますが、これをお上は認知していません。

 

 

 

[強さランキング]

 

大貴族 > 貴族 > 貴種(無役の魔法使い) >>>>>> 平民(魔法使い) >>>>>>>>> 平民

 

戦闘力も権力も同じような感じです。

 

基本的に魔法使いは魔臓の性能=強さなので、強い血を取り込み続ければ魔臓が強くなっていきます。

 

主人公は回復力・支援力は大貴族超えですが攻撃力は平民同然です。

 

攻撃魔法使っても半田ごてで殴りかかるぐらいのパワーなので、石投げた方がマシです。

 

 

 

[シェンカー家]

 

・サワディ

 

主人公、男。

 

前世の社畜スピリッツがいまいち拭えない転生者。

 

お家騒動回避のために魔導学園に入れられた。

 

1〜4話まで10歳

5〜18話まで11歳

19〜29話まで13歳

 

得意技は再生魔法と支援魔法。

 

攻撃魔法も使えるけれども、実用域まで出力が上がらない。

 

夢は働かずに、自分の劇場で出し物を見て暮らすこと。

 

 

 

・ 『笑顔』のブレット

 

おやじ。

 

主人公の37歳年上。

 

シェンカー家の由来を知る。

 

妻一筋の苦労人。

 

 

 

『微笑み』(にやけづら)のジェルスタン

 

上の兄貴。

 

主人公の15歳年上。

 

女好き。

 

嫁さんと義父が出来物なので安泰。

 

 

 

・番頭

 

ブレットが厳しく育て上げた超有能商人。

 

娘が長男ジェルスタンの嫁になり、子供を二人出産済みなので一安心。

 

孫が利発でダブル安心。

 

苦労人。

 

 

 

『流水』(よっぱらい)のシシリキ

 

下の兄貴。

 

主人公の8歳年上。

 

お酒が好き。

 

部屋住み。

 

 

 

・母親

 

生きてます。

 

 

 

・ 『黒ひげ』シェンカー

 

主人公の4代前の祖先。

 

念動力者の山賊。

 

人殺しまくり。

 

貴族脅しまくり。

 

トルキイバ、トルクス、ルエフマの間の超巨大穀倉地帯を牛耳ってみかじめ料取りまくり。

 

攫ってきた貴族の女に尻に敷かれて商家に鞍替え。

 

こいつが死んだあとのシェンカー家は大変だった。

 

 

 

[奴隷達] ※名前付きのみ

 

奴隷たちは今の所サワディの好みで全員女です。

 

 

 

・ 『七剣』のピクルス

 

サワディと同い年のケンタウルス、馬人族。

 

元農民。

 

後足に障害があった。

 

土竜の神の加護を持ち、視力が悪い。

 

最初小さかったが、後に筋肉が付きムキムキマッチョになる。

 

武器は槍、投槍、剣、大剣、弓、スリング、メイスなど割と何でも使える。

 

物腰柔らかいが奴隷達一の膂力を持つ。

 

眼鏡をかけているのでインテリゆるふわマッチョ。

 

MSGでは分隊長になる。

 

 

 

・ ボンゴ

 

サワディの6歳年上の鳥人族。

 

金髪。

 

元狩人。

 

墜落して羽をなくしていた。

 

上手く喋れないタイプの鳥人族。

 

指定席はピクルスの背中。

 

武器は投槍、短剣。

 

MSGでは分隊長補佐。

 

 

 

・ 『氷漬け』のロース

 

サワディの6歳年上の魚人族。

 

赤髪のボイン。

 

元傭兵。

 

冒険者落ちした魔法使いに傭兵団が壊滅させられ、相手を殺すも右腕右目を失う。

 

お酒好き。

 

目立ちたがり。

 

粗野で粗暴だが仁義あり。

 

武器は槍、剣、鋭い牙。

 

MSGでは副頭領。

 

 

 

・ チキン

 

サワディの3歳年上の人族。

 

錬金術師に臓器を抜かれて死にかけていた。

 

商家の丁稚をしていたため、追加講習を受け会計役に。

 

商家としての才能はあった模様。

 

苦労性、仕事を抱え込みすぎる。

 

浪費だとわかりながらも喫茶店の珈琲を毎日飲んでしまう、ハー○ンダッツがやめられないOLのような悩みを持つ。

 

 

 

・ 『消し炭』のメンチ

 

主人公の7歳年上の鱗人族。

 

火竜に焼かれ全身黒焦げで左腕も喪失したが生き残った。

 

元正規兵。

 

脳筋。

 

奴隷達に軍隊流の訓練を持ち込み、恨みと尊敬をかった。

 

武器は槍と剣と自らの五体。

 

MSGでは頭領。

 

宝物は綺麗な懐中時計。

 

 

 

・ シーリィ

 

主人公の6歳年上の人族の愛玩奴隷。

 

歌と踊りを仕込まれている。

 

髪はピンク、処女。

 

料理と事務をやらされて困惑。

 

 

 

 

・ ハント

 

主人公の8歳年上の人族の愛玩奴隷。

 

裕福な家の出だったので詩が得意。

 

裁縫は趣味でやっていた。

 

髪は緑、ボイン、処女。

 

料理と事務をやらされて困惑。

 

 

 

・ エラフ

 

喫茶店のウェイトレスを任された兎人族。

 

外にも友達がいて、楽しくやっている。

 

次は調理担当にステップアップしたい。

 

 

 

・ ラーズ

 

花屋の主人に気に入られた。

 

仕事が丁寧なことに定評がある。

 

 

 

・ プテン

 

元冒険者でピクルスの下につく。

 

喧嘩っ早く、また喧嘩に強い。

 

言うことを聞かずに一般人と喧嘩した懲罰でピクルスに一撃でやられ全治一ヶ月、しかし夜にはサワディが治した。

 

 

 

・ 『迷わず』のオピカ

 

鳥神の加護を持つ山羊人族。

 

方角がわかるため、地下通路作りの重要人物。

 

しかし加護のせいで鳥目。

 

チキンさんがよく珈琲奢ってくれるんだけど、こんな高いもの大丈夫なのかな?と思っている。

 

 

 

・ ジーリン

 

地下の現場監督の一人、牛人族。

 

姉御肌で現場の信頼も厚い。

 

ボインボイン。

 

 

 

・ ラーゲ

 

地下のバイトをよくする一般奴隷。

 

犬神の加護を持つため鼻がよく利き、穴を掘るのも上手い。

 

一方加護のせいで目があまりよくない。

 

足が悪かった。

 

趣味は食べ歩き。

 

鼻がよく利くはずだが、勝率は五分五分。

 

 

 

・ マモイ

 

雑貨屋を任されている技能奴隷。

 

木工が得意。

 

夜は明るくて快適な地下通路に入り浸り。

 

 

 

・ ナバ

 

雑貨屋を任されている技能奴隷。

 

絵が得意。

 

夜は美容のために長く寝ている。

 

 

 

・ ストーロ

 

噂好きの一般奴隷。

 

喋る内容の8割が噂話ともっぱらの噂である。

 

 

 

[魔法使い]

 

・ マリノ教授

 

造魔学研究室の教授。

 

長く研究室をやっているため色々とコネがあり、平民にも理解が深い。

 

陸軍寄りの立場。

 

 

 

・ クリス・ホールデン

 

金髪の理系女子、男爵令嬢。

 

政治はにがて。

 

王都で出世したいと思っていたら王都に行けたラッキーな人。

 

 

 

・ エルファ

 

主人公と同い年の再生魔法使い、伯爵令嬢。

 

金髪縦ロール。

 

貴族としての使命に燃えている。

 

婚約者がいる。

 

 

 

・ 深窓の令嬢

 

ザルクド流剣術の家の娘。

 

結婚相手を剣で見極めようとしており、主人公に切りかかってくる。

 

ザルクド流は海軍派。

 

 

 

・ 『海歩き』のエストマ翁

 

海を割って海底ダンジョンの氾濫を食い止めた陸軍の英雄。

 

しかしシーレーン防衛で海軍そっちのけで功績を上げてしまったので、トルキイバにいる。

 

教職も長く、よくわかっているタイプの人。

 

 

 

・ 『芝居狂い』のジニ

 

サワディの友人、家具職人の3男の平民魔法使い。

 

芝居狂いで物見高い。

 

気安い態度だが婚約者には会わせてくれない。

 

 

 

・ 『芝居狂い』のエラ

 

サワディの友人、何かで功績があった1代貴族の孫。

 

貴種とは認められていない、平民魔法使い。

 

芝居狂いで物見高い。

 

生真面目な態度だが婚約者には会わせてくれない。

 

 

 

・ ローラ・スレイラ

 

王都からサワディの婚約者に送り込まれてきた凄腕元陸軍少佐。

 

サワディの8歳年上

 

魔臓をなくしたため家から出され、独立させられた。

 

金髪イケ女だが目元は柔らかい。

 

愛が重い女。

 

年下好き。

 

 

 

・ 『星屑』のアルセリカ・テジオン

 

トルキイバ騎士団の一人。

 

テジオン男爵家の長女。

 

24歳、婚活中。

 

脳筋なので得意技は白翼竜に乗っての科学忍法火の鳥。

 

騎士団の中で一番速いので一番認知度が高い。

 

 

 

・ 『熱線』のクシス・タトレノ

 

トルキイバ騎士団の一人。

 

タトレノ子爵家の4男、既婚者。

 

赤鱗竜に乗る。

 

 

 

・ クオリス卿

 

陸軍のステータス魔法使い。

 

おじさん。

 

 

 

・ ナサーフ

 

主人公の25歳年上の陸軍元中尉。

 

魔臓をなくし老化していたが主人公により治癒。

 

ハゲていた。

 

 

 

[その他登場人物]

 

・ ミオン

 

ローラ・スレイラの侍女。

 

老婆だが、その分人生経験豊富で頼もしい。

 

 

 

・ ペルセウス

 

奴隷商。

 

サワディの祖父に世話になっていたしい。

 

なにかとサワディに甘く、誕生日などには付け届けを忘れない。



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第31話 戦争は 帰ってきても 終わらない

とある魔臓なし退役軍人の話。

28話の人とは別人です。


人生山あり谷ありだ。

 

崩壊しかかった部隊の殿として、押し寄せる敵兵どもに雷光を打ち込みまくったのは覚えている。

 

部下に引きずられるようにして砦に戻ったらしい私は、再生魔法使いの気の毒そうな顔で目を覚ました。

 

そこからは怒涛の展開だ。

 

幕僚の訪問、受勲、激励、除隊。

 

手元に残ったのは勲章と年金手帳、そして魔臓の欠けた体だけ。

 

先に子供がいて良かったね、と家で待っていた妻は力なく笑う。

 

それはたしかに幸いだ、ゴスシン男爵家は息子さえいれば安泰だ。

 

だが、俺はどうだ?

 

地獄の日々が始まった。

 

魔法のない生活は、普段意識したこともなかった不自由ばかりだ。

 

煙草を吸うにも魔具を使わないといけないから、一人のときには煙草を吸わなくなった。

 

自分で買うと魔結晶は高い。

 

今後は一家3人で年金暮らしなんだ、節約しないと。

 

便所だって、貯水槽に水を入れるのは人力だ。

 

俺用の瓶と柄杓が惨めな気分を煽る。

 

夜中に目が覚めても、本を読むこともできない。

 

暗視も発光も使えないからな。

 

まぁ、不便な事は多いがそれは仕方がないことだ。

 

なにより俺を惨めにさせたのが、なんの仕事にもつけないことだった。

 

仕事人間の俺にとってはこれが辛かった。

 

退役軍人は教師になったり鉄道に関わったりするものだが、両方とも魔力がない人間にはできない。

 

俺はなんのために生きている。

 

俺は一体何なんだ?

 

俺は魔法が使えないと、こんなにも無価値な人間だったのか?

 

 

 

悶々と過ごして3年目、体に変化が訪れた。

 

どうも、下痢がひどい。

 

食事を消化しやすく柔らかいものに切り替えた。

 

顔色も悪い、なんでだ。

 

咳も出る。

 

運動もしていないし、体調を崩す事もあるのかな。

 

 

 

退役から5年目。

 

体調は良くなったり悪くなったり。

 

伏せる事も多くなった。

 

わんぱく息子は士官学校の寄宿舎に入り、家からはまるで火が消えたようだ。

 

訪ねてくる人もいない、孤独が心を蝕む。

 

髪が抜け始めて、明らかに老けた。

 

町を歩く同年代はまだまだ精悍なままだ。

 

俺は、俺はどうなるんだ……?

 

 

 

魔臓をなくしてちょうど10年。

 

最近は立って歩くのも辛い。

 

腹や胸の中も痛いところだらけ。

 

完全に老人だ。

 

もう妻とは父と娘ほども見た目が違う。

 

離縁を切り出した事もあるが、彼女は優しい顔で首を横に振る。

 

「国のために尽くして、魔法も無くして、一人っきりじゃああんまりじゃないですか」と、そう言ってくれた、俺は退役して初めて涙を零した。

 

 

 

そんな死を待つだけの日々の最中、手紙が届いた。

 

陸軍の、かつての上司からだ。

 

すでに退役している彼が、会いに来るというのだ。

 

俺は断った、今の自分を見られたくなかった。

 

だが、上司はどうしても会いたいという。

 

何度も手紙をやり取りし、ついに押し切られた。

 

その頃にはもう、俺は立つこともできなくなっていた。

 

 

 

「魔臓再生の目処がついた」

 

「へぇ」

 

 

 

我ながら間抜けな返事だった。

 

もう歯も抜け、すっかりお爺ちゃんだ。

 

かつての上司が若造に見える。

 

しかし、魔臓再生?

 

そんな話は聞いたこともないぞ。

 

 

 

「再生魔法使いはまだ平民だ、軍はこの事実を公開しない事にした。だが貴君らの献身には報いたい。よって秘密裏に現地へ送り、再生を行う」

 

「ふぁあ」

 

「安心せい、相手はすでに何人も貴様と同じ容態のものを治療しておる凄腕だ。手はずは奥方に伝えておいた、次はサロンで会おう」

 

 

 

そう言って、かつての上司はサーベルを鳴らして帰っていった。

 

相変わらず、人間味のない人だ。

 

でも、死ぬ前に、またあのおっかねぇ顔が見れてよかったかもな。

 

 

 

 

 

うとうとしていたら、いつのまにか着替えさせられて列車に載せられていた。

 

もう意識も飛び飛びであいまいだ。

 

ここは客車じゃないな、多分貨物車だ。

 

周りは暗幕で覆われていて、線路の音だけが聞こえた。

 

 

 

「どぅ」

 

 

 

声にならない声が出ていったが、妻からはちゃんと「トルキイバ行きよ」と返事が返ってくる。

 

トルキイバ、農業が盛んな地域だな。

 

特になにもない場所だったが……

 

そんな事を考えていたら、またゆっくりと意識が遠のいていった。

 

 

 

 

 

その再生魔法使い、サワディ・シェンカーは、息子よりもほんの少しだけ年上に見えた。

 

隣に立つ陸軍少佐だとかいう婚約者は、おそらく彼より10歳は年上だろう。

 

年上の女房、それも元軍人か、大変そうだ。

 

 

 

「ゴスシンさん、身体の中だいぶボロボロなんで順番に治していきましょうね」

 

 

 

事も無げにそう言い、何かを書き付けている彼の横顔はやはりまだまだ幼い。

 

これまでに何人も俺みたいな魔臓なしを治してきたらしいが……

 

本当にこの子が魔臓を治せるのか?

 

横に控えている妻も不安そうな顔をしている。

 

俺たち、どうなるんだろうか?

 

 

 

初日に歯を生やしてもらってから、毎日毎日、食うのが仕事だった。

 

肉、パン、野菜、よくわからん長細いパスタ、なんでもかんでも出てくるままに食っていく。

 

腹が減ってなくても、胃に隙間が開けばすぐに詰め込んだ。

 

2番目に治療してもらった胃は無闇に元気で、矢継ぎ早に物を消化して俺を苦しめた。

 

腹かっさばいて再生魔法をかけるのには妻が卒倒しそうになっていたらしいが、昔は戦場でよく見た光景だ。

 

軍医ってやつは治すも殺すも自由自在なんだ。

 

先生は1日1度治療に来るだけだったが、これまで見たどんな軍医よりも腕が良かった。

 

ここ何年もずっと感じていた、胸や腹の痛みや違和感が日を追うごとにどんどん消えていく。

 

もしかして本当に……

 

飯を食うのにも力が入る。

 

 

 

一週間もすると、立って歩けるようになった。

 

鏡の中の自分は以前見たものよりも随分と顔色がいい。

 

一気に若返った気分だ。

 

頭はつるっぱげだけどな。

 

 

 

「あなた、魔臓が治ったらどうします?」

 

「そうだな、煙草が吸いたい」

 

「そうじゃなくって、どこか行きたいところなんかはないんですか?」

 

「どこか……そうだな、どこにでも行けるんだな」

 

「私、前からいちどミイホ・ベリの万博記念博物館に行ってみたかったんです」

 

「ああ、体が治ったらすぐにでも行こう。俺は君が一緒なら地の果てだって……」

 

 

 

ゆっくりと妻の顔が近づき……するすると離れていった。

 

おい、そりゃないぜ!

 

そっぽを向いた妻が指さした先には、ニヤニヤ笑う先生が立っていた。

 

 

 

「ゴスシンさん、治療ですよ」

 

「先生、もうちょっとさぁ……」

 

「そういうのはご自宅でやってくださいよ、今日魔臓治すんで、しばらくしたら退院です」

 

「ほんとかい!?」

 

「まあ……!本当なの?」

 

「体作りはもう充分ですよ、さぁ診察室に戻ってください」

 

 

 

俺と妻は手を取り合い、軽い足取りで診察室に向かう。

 

本当に治るんだ!

 

俺の!

 

魔臓が!

 

 

 

 

寝て起きると、本当に体に魔力が巡っていた。

 

先生がこっちに頷くのを見て、指先に魔力を集める。

 

小物入れの魔法陣を描き、あの日の煙草を取り出した。

 

もう半分崩れかかってるような煙草に、魔法で火を付ける。

 

胸いっぱいに、まずい煙を吸い込んだ。

 

ああ、あの日の戦場から、やっと帰ってこれた。

 

本当に、人生で1番まずい煙草だ。

 

もったいなくて根本まで吸った。

 

どうしようもなくむせて、涙が出たよ。

 

 

 

 

 

数日後の朝、俺達はスレイラ邸の裏から人力車に乗って出発した。

 

本当は闇に紛れたほうがいいんだろうが、先生が「列車の時間もあるし昼に出てって貰ってもいいですよ」と言ってくれたのだ。

 

その言葉を有り難く受け取り、一応帽子で顔を隠して出発した。

 

入ってきた時と別人過ぎてわからんと思うが、一応だ。

 

活気あふれる大通りを、鱗人族の俥夫(しゃふ)がすいすいと車を引いていく。

 

ふと気になって尋ねた。

 

 

 

「シェンカー家ってのはどうなんだね?」

 

「どうって、そりゃあ繁盛してますよ」

 

 

 

俥夫は荷運びをする人足達を指さした。

 

口々になにかを喋りながら、重そうな荷物を背負子で運んでいる。

 

 

 

「あいつらはシェンカー一家のもんです」

 

「ふぅん」

 

 

 

次に俥夫は、工事現場の人足達を指さした。

 

何やら店の取り壊しをやっているらしい。

 

大槌を肩に担いだ女が何かしら指示を飛ばしている。

 

 

 

「あの人足たちもシェンカー一家です」

 

「なるほど」

 

 

 

更に、俥夫は『ペペロンチィノ』と赤字で書かれた屋台を指さした。 

 

元気に呼び込みをする声が聞こえる。

 

昼前なのに、横で待つ人もいるようだ。

 

 

 

「あれもシェンカー一家の屋台です」

 

「へぇ」

 

 

 

最後に俥夫は、揃いの鎧をつけて槍を引っさげた草刈り(ぼうけんしゃ)の者達の一行を指さした。

 

 

 

「あれはシェンカー一家の部隊です」

 

「ちょっと待て、シェンカー家ばっかりじゃないか」

 

 

 

さすがに話を遮った。

 

いくらなんでも手広すぎる、なにか絡繰があるんだろ?

 

俥夫は振り返らずに首を振った。

 

 

 

「だから、大変に繁盛してるんですよ」

 

「そんなにシェンカー家が商売をやってたら、町のものは食い詰めるんじゃないのか?」

 

「へぇ、そういう所もあるにはあるようなんですが……シェンカー一家は町のほうぼうの仕事場に人足を貸し出してお代を貰ってるんですよ」

 

「じゃあ誰も本職じゃないのか?」

 

「最近は職を定める者もいるようなんですが、基本的にはそうですね」

 

 

 

凄くみみっちい稼ぎ方だな。

 

あれだけの再生魔法の腕があればいくらでも稼げるだろうに、なんでこんな回りくどいことをするんだ?

 

 

 

「シェンカー様の末息子は、『慈愛』のサワディ様って呼ばれとるんで」

 

「慈愛ねぇ」

 

「あの子らみんな元はタダ同然の欠損奴隷なんです。それを治して、働かせて、小遣いまでやって、手に職が付くのを待ってやってるんでさぁ」

 

「あぁ……そりゃあ慈愛かもなぁ」

 

 

 

俥夫が鼻をすする音が聞こえた。

 

強面の男なのに意外と涙もろいのか。

 

俥夫から視線を逸らすと、真っ赤な帽子を被った猫人族が路地に走っていくのが見えた。

 

 

 

「今走ってった赤い帽子はなんだい?」

 

「ああ、あれもシェンカー一家でさ。最近始まったトルキイバ便ってやつでして、トルキイバ内ならどこにでも手紙を届けてくれるって仕事です」

 

「下民向けの郵便のような事までやってるのか」

 

「まぁ、世の中上と下がありやすが、トルキイバの下の方はもう、借金から人足の手配までシェンカー様にかかりっきりでさぁ」

 

「なかなかの商家のようだな」

 

 

 

貴族と下民の世界というのははっきり別れている。

 

普通はお互い決して混じり合うことのないものだ。

 

その中間で、シェンカー家は上手くやっているんだな。

 

息子の少し年上の彼が、急に大人びて思えた。

 

士官学校にいる息子は、どう育つんだろうか?

 

願わくば、息子が魔臓をなくすことだけはありませんように……




次は明るい話にします


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第32話 紫の 馬で道行く おぼっちゃん

うちの下の兄貴は変な人だ。

 

仕事もせず、就学もせず、特に目指しているものもない。

 

毎日なんとなく遊んでいるだけなのだが、不思議と友達が多くて金回りがいい。

 

酔っぱらいでどうしようもない人なんだが、なぜか人からは嫌われない。

 

そんな下の兄貴のシシリキが、俺に頼み事をしてきたのは先週の事だった。

 

 

 

「なぁ頼むよ弟よ。馬作ってくれよぉ、馬鹿っ速い馬さぁ~」

 

「だから今忙しいんだって、学校が大変なんだって」

 

「お前にしかできないんだよぉ、兄を助けると思ってさぁ、お願いだよぉ~」

 

「3ヶ月後なら暇だから、その時にね」

 

「来月遠乗りがあるんだよぉ、南町のファサリナ先輩とかも来るんだって、目立ちたいんだよぉ~!」

 

「だめだめ!我慢しなさい!」

 

 

 

俺のズボンにすがりついてくる兄貴をなんとかいなす。

 

ファサリナ先輩といえば、俺も一回会わせて貰ったことがある。

 

金のリーゼントに青の色眼鏡をかけた強面で、馬宿の跡取り息子だ。

 

町の祭りの屋台や催し物を仕切ってる団体にいて、兄貴もそこに入ってるらしい。

 

 

 

「粉挽きのバイコーン使いなよ」

 

「今回はでっかい遠乗り会だからもっと派手なのがいいんだよぉ~」

 

「遠乗りねぇ……」

 

「あ、そうだ、すげぇ奴隷の当てがあるからそれで交換でどうだ?」

 

「いやいや、奴隷はもう間に合ってるよ」

 

 

 

もう何百人いるかわからないぐらいいるんだよ。

 

最近は各地から勝手に欠損奴隷が回ってくるようになって、やらせる仕事もこっちが作らなきゃ間に合わないぐらいなんだ。

 

 

 

「まあ聞けよ、なんと昔芝居小屋で女優をやってた女が友達のとこにいるんだって。貸しがあるから、俺が言ったらたぶん譲ってくれるからさぁ~」

 

 

 

何っ!と身を乗り出しそうになるがグッと我慢だ。

 

ぶっちゃけ欲しいけど、芝居にも色々あるからなぁ。

 

それこそ平民が劇場を借りてやる平民芝居なんてのもあるぐらいなんだ、期待はできない。

 

 

 

「うーん、芝居経験者かぁ」

 

「南町のクバトア劇場で歌劇の主役もやったことあるらしいんだけどさ、顔怪我しちゃって借金払えずに売られたんだよ。お前なら治せるだろ?」

 

「クバトア!?」

 

 

 

思わず兄貴に掴みかかってしまった。

 

クバトア劇場といえば名門だ!!

 

出物に違いないぞ!

 

……でも正直今はそれどころじゃないんだ、ここは涙を飲んで断れ!俺!

 

 

 

「おうよ、あのクバトア劇場よ!なっなっいい話だろ?頼むよ、このと~り」

 

「しょうがないなぁ!今回だけだよ……」

 

 

 

結局頭を下げる兄貴に即落ちで了承を告げてしまった。

 

コレクション欲には勝てなかったよ……

 

その後も足が多いやつがいいとか、(つの)は角度つきで黄色がいいとかいう兄貴の注文を聞いて、俺は謎の敗北感と共にトボトボと学園に向かったのだった。

 

 

 

 

 

そんな事があってから一週間後の今日。

 

兄貴に注文された造魔はもう完成していて、今日はテストがてらローラさんと遠乗りだ。

 

研究室や奴隷の管理の片手間に作っていたのにこの早さ。

 

自分の才能が怖いぜ。

 

 

 

「ふぅん、足八本のバイコーンか。しかし、なぜ体毛が紫色なんだい?」

 

「そういう注文があったからですかね……」

 

 

 

兄貴の注文で、バイコーンは八本足の紫体毛、角度をかち上げた角はまっ黄色だ。

 

まじまじと魔改造バイコーンを見るローラさんの手にはお弁当箱がある。

 

今日は朝早くから手料理を作ってくれたらしい。

 

女子力満点な彼女だが、たおやかな髪はかっこいい乗馬帽に詰め込まれている。

 

拍車付きのブーツに乗馬ズボン、ブラウンレザーのジャケットが似合っていてお洒落だ。

 

そして俺はというと、なぜか彼女にコーディネートされた半ズボンを履かされている。

 

上は彼女と似たようなジャケットだが、なぜサスペンダーに半ズボンなんだ。

 

めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

もう14歳なんだぞ。

 

ズボンの裾を気にしてモジモジしていたらローラさんに笑われてしまった。

 

 

 

「気にしなくていい、とても愛らしいよ」

 

「愛らしいよりは、かっこいいほうが好みなんですけど」

 

「私は愛らしいほうが好きだ」

 

 

 

頭を撫でられた。

 

まあ年齢的に新卒と中学生の組み合わせだからな、なかなか大人扱いはしてもらえんか。

 

馬に乗るときも手綱は彼女だ。

 

俺は馬の首と彼女の間に座る。

 

いや町中でこれは本気で恥ずかしいんですけど?

 

両脇を背中にボンゴを乗せたピクルスと、造魔のバイコーンに跨るメンチとロースに挟まれているから余計に目立つ。

 

ローラさんはハチャメチャに強いけど、奴隷の護衛はまぁ念のためだ。

 

心配して心配しすぎる事なんてないからな。

 

 

 

「なんだあの黄色い角の馬は……」

 

「シェンカー一家の冒険者たちが揃ってどこ行くんだろう」

 

「なんだあのデカい紫の馬は……」

 

「なんだあの馬鹿みたいな馬は……」

 

「なんだあの頭の悪そうな馬は……」

 

「なんだあの馬は……」

 

 

 

町の人達が俺を指さしている気がする。

 

きっと女にエスコートされている軟弱者と言われているんだろうな……

 

いやでも、よく考えたら普段から虎の威を借る狐路線で生きてるし、間違いでもないのか。

 

気にしないでおこう。

 

 

 

 

 

都市を出てしばらく来た所で、ローラさんが後ろをついてきていた奴隷たちに向かって振り向いた。

 

 

 

「ここからはちょっと飛ばすが、いけるか?」

 

「問題ありません」

 

「問題ありませんよぉ」

 

 

 

奴隷たちの返事に「ふっ」と笑ったローラさんは、八足駆動のバイコーンに喝を入れた。

 

この世界では久しく味わっていなかった加速が俺を襲う。

 

すごい勢いで景色が後ろに飛んでいき、風切り音とバイコーンの破壊的な足音だけが耳に入ってくる。

 

だいたい十秒ほどの全開走行だったが、振り向けば奴隷たちはこの馬のはるか後方を走っていた。

 

どうやら速さは充分すぎるみたいだな。

 

 

 

「この馬、いいなぁ!私にも作ってくれよ!」

 

「いいですよ!」

 

「紫はいやだぞ!」

 

「僕だっていやですよ!」

 

 

 

二人して大声出して笑い合う。

 

ローラさんは楽しそうだ、今日は誘ってよかった。

 

 

 

あっという間に予定地の開けた原っぱについて、ローラさんの作ってきたサンドイッチをぱくついた。

 

奴隷たちは近くで火を炊いてくれて、お茶なんかを入れてくれる。

 

いい休日だなぁ。

 

草の上でゴロゴロしていると、空を白い雲が流れていく。

 

遥か遠くに見える山並みがぎざぎざしていて、頭は白い。

 

今年はかき氷でも作ってみるかなんて思っていたら、空に一点染みが見えた。

 

なかなか消えない、むしろ少しづつ大きくなっているようにも見える。

 

急にボンゴが立ち上がって槍を構えた。

 

 

 

「…………そ……ら……」

 

「むっ」

 

 

 

メンチは腰の小物入れから単眼鏡を取り出してじゃばらを伸ばし、覗き込む。

 

ぶつぶつと何事かをつぶやいた後、がばっと俺の方を見て大声で言った。

 

 

 

「超巨獣!飛び百足です!!ご主人様!すぐに避難を!」

 

「なにぃ!おいボンゴ!花火上げろ!!」

 

 

 

色めき立つ奴隷たちを見て、ローラさんはゆらりと立ち上がった。

 

 

 

「奥方様!すぐに都市にお逃げになってください!」

 

「なに、それには及ばんよ」

 

 

 

ローラさんは吸っていた煙草をメンチに渡し、もはやその姿がはっきり見えるところまで来ていたデカい百足の方に歩いていく。

 

歌うような詠唱がかすかに聞こえた。

 

右手を左肩のあたりまで持ってきた彼女がフリスビーでも投げるかのように右手を振ると、その指先から目を焼くような光が空に放たれる。

 

次の瞬間には胴体部分で真っ二つになった百足が、200メートルほど向こうの地面に落ちていくのが見えた。

 

金縛りにあったように動かないメンチから煙草を受け取った彼女は、また俺の横にどっかりと座りこんだ。

 

苦笑する顔はさっきの殺人光線と結びつかない爽やかさだ。

 

やっぱり元軍人ってめちゃくちゃ強いなぁ。

 

最悪奴隷たちに全力で支援魔法かけて再生しながら長期戦かまそうかと思ってたけど、全く出る幕がなかったもんな。

 

安心した俺が寝っ転がると、頭を持ち上げられてローラさんの膝の上に乗せられた。

 

うーん、婚約者が優しすぎて駄目になりそうだ。

 

 

 

結局その日は夕方前には都市に戻った。

 

奴隷達にとっては飛び百足なんて大物に遭遇した運の悪い日だったと思うんだけど。

 

俺にとってはそうでもなかったんだな。

 

なぜなら、それまでちょっとギクシャクしていた冒険者組とローラさんの関係が改善されたからだ。

 

この日からは奴隷たちみんな、ローラさんに全力で舎弟ムーブをするようになったんだ。

 

冒険者って軍人と一緒で暴力の世界に住んでるもんな。

 

やっぱパワーって正義なんだわ。



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第33話 お祭りは 楽しいもんだよ いくつでも

秋の収穫祭の話です。


「なにぃ?紫色の八本足の馬?そんな馬鹿みたいな馬いるわけねぇだろ!」

 

「ほんとだって!南町の方で神輿引いてたらしいんだよ!今はもうそいつを一目見ようって見物客でいっぱいだってよ!」

 

「ほぉー、それじゃあひとつ俺らも見に行ってやるか!」

 

「行こう行こう!見逃しちゃいけねぇ!」

 

 

 

何やら若者二人が連れ立って走っていく。

 

若いというのはいいな。

 

気の向くままに、すぐに身体が動く。

 

私など、もう近ごろは心まで重たくなってきて、何かをしようと思っても何日もかかったりする。

 

若いというのは本当にいい、財産だ。

 

今日は知り合いの若い子の晴れ舞台を見に行く予定で出てきたが、行き着く前からもうくたびれてしまった。

 

道にも迷ったし、誰か人に聞く気にもなれないし、途方に暮れていた。

 

おっと、まごまごしていたら人にぶつかってしまった。

 

お祭りだからなぁ、人が多い。

 

 

 

「おうっ!爺さんすまねぇな」

 

「なんの、ふらふらしていたこっちも悪いんだ」

 

 

 

人の良さそうな若者で良かった、最近は短気な若者も増えているからな。

 

些細なことから懐の短剣でぐさり、なんてこともあると聞く。

 

 

 

「おい爺さん、大丈夫か?」

 

「ああ、すまんね、ぼーっとしてしまった」

 

「歩き疲れたのかい?どこ行くんだ」

 

「ああ、ここなんだが……」

 

 

 

あの子に貰った手書きの招待状を差し出す。

 

 

 

「なんでぇ、シェンカー一家の舞台を見に行くのか。俺もちょうど行くとこだったんだ、連れてってやるよ」

 

「おや、いいのかい?」

 

「気にすんなって、行く道は一緒じゃねぇか」

 

 

 

ほんとに人の良い若者で良かった。

 

世知辛い世にも、人情はまだまだ残っとるな。

 

 

 

「爺さんは誰に招待状貰ったんだい?」

 

「私はよく庭の手入れに来てくれるラーズっていう子に貰ってね。台詞のある役だから、ぜひ来てくれと言われてしまって」

 

「ほおーっ、台詞が貰えるって事はなかなかの器量よしだな」

 

「ああ、そりゃあ可愛い子だよ。元気でね、仕事も丁寧なんだ」

 

 

 

肩を叩いてもらった日のことを思い出す。

 

小遣いをやろうとしたが、お金は受け取れないと言われてしまったな。

 

だからこそ、せめて晴れ舞台を見てやりたいと思ってこうして出てきたんだが……

 

 

 

「俺は行きつけの屋台の店員の子に貰ってな。その子もべっぴんなんだが、裏方なんだってよ」

 

「シェンカー一家ってのは手広くやってるようだね、昔は小麦卸し一筋の家だったんだが」

 

「ああ、三男がボンクラながら再生魔法の得手らしくてな。売りもんにならないような奴隷買い付けては再生させて、いろんな仕事につけてんのよ」

 

「ほぉーっ、神聖救貧院のようなことを」

 

「いやいや、救貧院みてぇなアコギな商売じゃねぇよ。シェンカーの奴隷達はみんな楽しそうに笑ってらぁ」

 

「なるほどねぇ」

 

「おうっ、ついたぜ」

 

 

 

見上げるように大きなテントの前に、様々な人がひしめき合っている。

 

何やらかっこいい揃いのブレザーを着た女達が人の列の整理をしているようだが……

 

 

 

「こりゃ多分招待状をもらってない奴らも集まってきちまったんだな。おーい!姉さん!」

 

 

 

若者が声をかけると、迫力のある鱗人族の女がのしのしとやってきた。

 

腰には一目で値打ちものとわかるサーベルを帯びていて、どうにも強そうだ。

 

 

 

「なんだ」

 

「俺ら二人招待客なんだけどよ」

 

「見せてみろ」

 

 

 

招待状を見せると、女性は長く続く列の隣にある短い列の方を「あそこだ」と指さした。

 

 

 

「何か飲み食いするなら入る前に買っていけ」

 

 

 

次にテント脇に立ち並ぶ屋台を指差し、また女性は列の整理に戻っていった。

 

 

 

「爺さん、ありゃ『消し炭』のメンチだ、シェンカー一家の冒険者部隊の首領だぜ」

 

「雰囲気あったねぇ」

 

「ヨロイカミキリに左腕噛みちぎられて生き残った、本物の猛者だよ」

 

 

 

そりゃあ凄い、大規模な隊商でも一匹で壊滅させるって評判の大巨獣だからな。

 

よく見ると、大きな列に並ぶ人達もみんな大人しくしている。

 

立ち並ぶブレザーの強面達にもそれぞれ逸話があるのだろう。

 

 

 

「俺はよ、最近出てきたこのタコ焼きってのを買うぜ。こりゃ酒のツマミに最高なんだ。タコってのが何なのか知らねぇけど、屋台の姉ちゃんも知らないんだとよ」

 

「ほぉーっ、近頃は色々あるんだねぇ」

 

 

 

屋台の女性が先の尖った鉄串のようなもので丸いくぼみに入ったタネをつっつくと、魔法みたいに丸いものが出来上がっていく。

 

こりゃあ見事だが、私はもっと慣れたものがいいな。

 

ああ、揚げ芋の屋台がある、あれでいいあれでいい。

 

二人して料理片手にお酒を選んで、列に並ぶとちょうど入場の時間だった。

 

入り口の横に置いてあった机に飲み物を置いて守衛に招待状を見せ、ざわめく人々と一緒にテントの中に入る。

 

木箱に布をかけた席にはじから座っていくと、外から大きな列の人達も入ってきたようだ。

 

今日はこの芝居を何回も繰り返しやるらしいから、多分みんな見れるだろう。

 

舞台の向こう側から響く音楽に、年甲斐もなくわくわくしてしまう。

 

 

 

「しかし『西町皿屋敷』かぁ、どんな舞台なんだろうね」

 

「俺もよく知らないんだけどよ、その昔クバトアの大劇場で主役を務めたって女が最近シェンカー一家に入ったらしいんだ。そのおかげでなかなか見れたもんらしいぜ」

 

「ほぉーっクバトアの、昔家内と見に行った事があるよ。素晴らしい劇場だった」

 

「なんだよ爺さん、意外と昔は結構稼いでたのかい?俺らの稼ぎじゃ劇場なんて夢のまた……」

 

 

 

プァーン!とラッパの音が響く、どうやら始まるようだな。

 

隣の若者も喋るのをぴたっとやめて前を向いている。

 

久々の観劇だ、私も楽しませてもらおう。

 

 

 

 

 

話はなかなか斬新だ。

 

十枚組の絵付き皿を一枚なくしたと、言われなき罪で井戸に落とされ殺されてしまった女中の幽霊が出る屋敷があるから、みんなで見物に行こうなんて筋書きだった。

 

そこでは女の幽霊が皿を一枚二枚と数えていき、十枚目の皿がないと嘆くのを聞くと死んでしまうのだとか。

 

物見高い若者が数名寄り集まって行くのだが、その中にラーズもいた。

 

華やかな衣装を着て、普段とは見違えるようじゃないか。

 

 

 

「うらめしや……いちまい、にまい……」

 

「ほ、ほんとに出た!」

 

「どうしよう、逃げようよ、逃げよう!」

 

「待て待て、7枚まで聞こう」

 

「ごまい、ろくまい、ななまい……」

 

「いまだっ!にげろーっ!」

 

「走れーっ!」

 

 

 

舞台の上をドタバタ走り回るラーズ達は愛らしいが、あの赤毛の主演の女性はもうちょっとなんとかならなかったのか。

 

だいたい魚人族なら井戸に落ちても死なないじゃないか。

 

 

 

「いやーっ、肝が冷えたね!」

 

「もう足がガクガク」

 

「怖かったねー!」

 

「明日もう一回行こうよ、友達連れてさ」

 

「こうして若者のお楽しみの場になってしまった幽霊屋敷は、一月もする頃には屋台が立ち並び、大変な人気の場所になってしまったのです」

 

 

 

司会の女性がそう言うと、舞台袖からはぞろぞろと沢山の人が現れた。

 

井戸の小道具は脇の方に追いやられ、真ん中には袖から出てきた屋台の書き割りがひょいと置かれた。

 

商家の道楽芝居にしてはなかなか凝ってるなぁ。

 

明るかったりおどろおどろしかったりする音楽もいい、舞台にぐっとのめり込める。

 

 

 

 

今度はさっきの若者たちとは別の3人組が舞台の前に出てきて喋り始めた。

 

 

 

「おお、ここが西町の皿屋敷か」

 

「有名な井戸はあすこかな?」

 

「とすると、あの井戸端で煙草吸ってるのがロースって女中かぁ」

 

「お姉さんお姉さん、初めてかい?」

 

 

 

キョロキョロしながら話す3人組に、屋台の客引きが話しかける。

 

 

 

「ここで見物する人は何か一品買ってもらわなきゃ、幽霊の人ともそういう約束になってるんだよ」

 

「あの幽霊、喋れるの!?」

 

「そりゃ赤ん坊だってほっときゃ喋りだすんだ、幽霊だって喋るだろうよ」

 

「そりゃあ道理だね」

 

「そうかなぁ?」

 

「とにかくこっちにおいでよ、なんでも美味しいよ」

 

 

 

客引きは屋台の看板を指差して料理の説明をし始めた。

 

ははぁ、シェンカーはさすが商売人の家だな、劇の中で宣伝もやってしまおうって事か。

 

 

 

 

「こいつぁタコ焼きだ、まぁるい不思議な形でね、中はトロトロ、外はカリカリなのさ」

 

 

 

あれは隣の若者が買った料理だな。

 

後ろに控えていた黒子からタコ焼きを受け取った客引きは、串にひっかけたタコ焼きを上に掲げ、ひょいと食べてみせる。

 

 

 

「なかなか食べやすそうじゃないか」

 

「おいしそうだねぇ」

 

「中には何が入ってんだい?」

 

「中には燻製肉が入ってんのさ、食感も最高だよ」

 

 

 

タコ焼きを黒子に渡した客引きは、今度は木皿のようなものを受け取った。

 

 

 

「こっちの屋台はトルキイバ名物ペペロンチーノ(・・・・・・・)だ、知ってんだろ?ちゃあんとシェンカーの乾麺を使ってるから、味は保証するよ」

 

「いい匂いがするなぁ、こりゃトマトのペペロンチーノかい?」

 

「おいしそうだねぇ」

 

「あたしはこれにするよ」

 

 

 

ペペロンチーノは食べた事がある、夜中に小腹がすいてたまたま通りかかった屋台があれだったんだ。

 

麺を茹でてソースをかけるだけ。

 

なかなか良くできたものだ、そういえばあれもシェンカー家の考えた料理だったな。

 

次に黒子が持ってきたのは、小麦色のリングのようなものだ。

 

客引きはそれを頬張って、にこりと笑う。

 

 

 

「そして最後にイチオシはこいつ、ドーナツだ。外はカリッと、中はふわっと、そしてとろけるように甘い……」

 

「甘味かぁ」

 

「おいしそうだねぇ」

 

「結構するんじゃないのか?」

 

 

 

女が尋ねるのに客引きは顔の前で指を振って、書き割の値段のところを指さした。

 

なんだ……老眼で見えないな。

 

 

 

「なんとおひとつ5ディルだよ、最新の甘味がこの値段、ぜひ家族へのお土産に」

 

 

 

粒銅貨5個かぁ、砂糖ってのは安くなったもんだなぁ。

 

腰の悪い婆さんへのお土産に、一個買っていってやろうか。

 

あのしわくちゃのお婆ちゃんも、昔は甘味が好きで好きで、よく強請られたものだよなぁ。

 

ふと、笑いが漏れた。

 

久しぶりに一人で笑った気がするな。

 

 

 

「じゃああたしはタコ焼き」

 

「ぅちはドーナツ!」

 

「あたしゃペペロンチーノで」

 

「お買い上げどーもっ!もう始まるからぜひ井戸の方へ!」

 

 

 

屋台の書割と一緒に客引きがはけていき、舞台の真ん中には再び井戸が置かれた。

 

赤毛の幽霊とラーズが何やら喋っているようだったが、3人が来たらラーズははけていった。

 

 

 

「あんたらはじめてかい?」

 

「ええ、そうです」

 

「感激です」

 

「楽しみにしてきました」

 

「最近はそういうお客さんが多くてね、さっきの子なんか昔からよく来てくれるんだよ」

 

「へぇーっ、やっぱり人気なんだぁ」

 

「凄いなぁ」

 

「幽霊やって何年ぐらいなんですか?」

 

「そうだね、もう50……いや40年ぐらいかね」

 

「すごいね、私達まだ生まれてないね」

 

「ねーっ」

 

 

 

すると、チョーンチョンチョンチョンと拍子木の音がした。

 

 

 

「もう時間だ、ちょいと離れとくれ」

 

「楽しみです」

 

「わぁーっ、初めて見るなぁ」

 

「わくわく」

 

 

 

赤毛の幽霊はさっきとは違って、ずいぶんもったいぶった様子で一枚ずつ皿を数える。

 

 

 

「……ろくまぁーい、ななまぁーい、はちまぁーい……」

 

 

 

会場中が彼女の事を固唾をのんで見守っている。

 

 

 

「きゅうまぁーい、じゅうまぁーい、じゅういちまぁーい」

 

 

 

おっと、行き過ぎたぞ?

 

 

 

「じゅうにまぁーい、じゅうさんまぁーい、じゅうよんまぁーい」

 

 

 

どこまで行くんだ。

 

 

 

「じゅうごまぁーい、じゅうろくまぁーい、じゅうななまぁーい、じゅうはちまぁーい」

 

 

 

数えるのが止まった。

 

 

 

「9枚多いですよ?」

 

 

 

舞台の上の誰かが尋ねた。

 

 

 

「明日遊びに行くからね、明日の分も数えといたのさ」

 

 

 

幽霊のあんまりな答えに、会場中がどっと沸いた。

 

そういうおち(・・)か。

 

私もちょっと、くだらないんだけどついつい笑ってしまった。

 

婆さんにはいい土産話ができたかな。

 

おっと、ドーナツを忘れないようにしないとな。

 

舞台前に並んだ役者たちの中で、ドーナツを片手に嬉しそうにこちらに手を振るラーズを見て、私はその事を思い出していた。




落語の皿屋敷の筋書きからは、あえて変更を加えています。


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第34話 鉄道は 西へ東へ 物運ぶ

福神漬け


クリーン&無尽蔵、そんな夢のエネルギー『無限造魔動力(むげんエンジン)』搭載の列車がついに完成した。

 

普段は軍人かチケットを持つ貴族にしか近づけない駅の中で、俺は線路に鎮座する黒く大きな列車を見上げていた。

 

高さ4メートル、幅3メートル、長さ20メートル、が6両。

 

6両のうち5両が動力車で、パワーは客車1両分だ。

 

ヤバいハイパワー(・・・・・)だろ?

 

これでなかなか頑張ったんだよ。

 

最初に完成させた1両なんて調整が上手く行かなくて定員1名だったんだからな。

 

今日が終われば、ようやく後の事は王都の研究者かなんかにお任せだ。

 

だいたい俺はこんな省エネの極みみたいな研究は好みじゃないんだよ。

 

男ならコンパクト&ハイパワーだ。

 

コストを食う燃料(まけっしょう)は自分で作ればいい、そうだろ?

 

まあ考えるのは明日からにしよう。

 

今日はこの無限列車のお披露目だからな。

 

 

 

「それでは、試運転を始める」

 

「かしこまりました」

 

 

 

いつも飄々としていたマリノ教授が、発表会なんかで着る正装でガチガチに緊張しながら運転席に座る。

 

かたや我が婚約者ローラ・スレイラ嬢は、マリノ教授の隣でいつもどおりの泰然自若とした態度。

 

軍服に数え切れないぐらいの勲章もぶら下げてるし、傍から見てるとどっちが上役かわからんぞ。

 

まぁそれも無理もないか。

 

なんと本日の無限列車の試運転には、王都から陸軍少将閣下が送り込まれてきているんだからな。

 

もう研究室一同上へ下への大騒ぎだ。

 

閣下だぞ閣下。

 

陸軍はどれだけこの研究を重要視しているのか。

 

 

 

「では、出発します」

 

 

 

マリノ教授が始動キーを回すと、エンジン周りの結界が解けて空気中の魔素を吸った造魔達が動き出す。

 

ガッコン!と逞しい音が鳴り、車輪がゆっくりと前に回りはじめる。

 

ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと……

 

 

 

あれから10分経ったが、列車はまだ駅を出ていなかった。

 

俺達はこのパワーのなさを体感で知っていたが、話に聞いていただけの陸軍の人員たちは困惑していたようだ。

 

となりのおじさんもしきりに俺に「これで本当に大丈夫なのか?」と聞く。

 

大丈夫です、仕様なんです。

 

そう返すほかない。

 

人が20人も乗ってるんだ、動いてるだけで大金星だよ。

 

客車の前の方を見ると、マリノ教授は大汗をかきながら少将閣下に説明をしている。

 

あんなに緊張してちゃあ目的地のルエフマまでもたないぞ。

 

 

 

それから30分後、列車はようやく走り出した。

 

といっても子供の漕ぐ自転車ぐらいの速さだ。

 

客車の中を爽やかな風が通り抜け、ちょっと眠くなってしまう。

 

あー、帰って風呂入って寝たいなぁ。

 

となりのおじさんもあくびを漏らす。

 

二人で顔を見合わせて、にやりと笑った。

 

 

 

トルキイバを出発してから1時間がたった。

 

スピードが乗り始めて、今列車は下道の法定速度ぐらいで走っている。

 

少将閣下も安心したようで、マリノ教授やローラさんと話をしているようだった。

 

俺はといえば、となりのおじさんと、前の席のおじさん二人を巻き込んでカード麻雀のようなゲームをやっていた。

 

 

 

「どうだ?」

 

「おいおい怖いな」

 

「それ、もらいます」

 

「ぼうず、あんまり鳴くと大勝ちできんぞ」

 

「へへ、家が商家なもんで、堅実にいかせてもらいますよ」

 

「子供のくせに賢しげなこと言いやがるぜ……男はどかんと勝負、どうだ?」

 

「あがり」

 

「ぐっ……」

 

 

 

前の席のおじさんが飛んで、銅貨6の払い。

 

一応仕事中だ、レートは低めにしてる。

 

不真面目だけど、見張りの兵以外はみんなこんな感じだ。

 

常に緊張していては兵隊はもたないからな。

 

閣下も黙認、列車の上だから誰も見てないし。

 

周りは見渡す限りの麦畑だしね。

 

 

 

出発から3時間、普通の魔導列車ならこの3分の1の時間で着くところだが、今はまだまだ中間地点といったところだ。

 

いくらコストが低いとはいえ、さすがにこのままでは使えないだろうな……

 

不意に、車内の空気が変わった。

 

見張りの兵が安全帯をつけ、昇降口から身を乗り出し、空に向かって素早く火球を撃った。

 

列車の外に生まれた強烈な熱と光が、一瞬だけ車内の影を強く濃くする。

 

数秒ののち、遠く離れた麦畑の上になにか巨大な生き物が燃えながら落下していくのが見えた。

 

 

 

「ありゃタマゴクワガタだな。今産卵期なんだよ」

 

「へぇ〜、強いんですか?」

 

「弱いけど、草刈りの人らには倒せないから会っちまったら大変だろうなぁ」

 

 

 

そう語るとなりのおじさんの顔に、一瞬だけ窓枠の影がさした。

 

また火球が撃ち出されたようだ。

 

 

 

「おーい、手伝ってくれー」

 

「了解!」

 

 

 

前の席のおじさんが手早く安全帯を結び、乗り降り口から天井に上がっていった。

 

群れが来てるんだろうか?

 

考えていると、にやけたおじさんに肩を叩かれた。

 

 

 

「ぼうず、お前もやってみるか?腕っこきの軍人さんに教えてもらいながら巨獣撃ちなんてなかなかできねぇぞ」

 

 

 

楽しそうに窓の外を指差すおじさんだが、それはちょっと無理なんだ。

 

 

 

「いやーすみません、僕攻撃魔法が使えないんですよ」

 

「なに?全然か?」

 

「全然なんです、回復は得意なんですけど」

 

 

 

おじさんはバツの悪そうな顔をして、俺の肩に手を置いて話し始めた。

 

 

 

「そりゃ悪い事言っちまったな、ぼうず。いいか、攻撃魔法が使えないなんてのは気の毒だが、くさっちゃいけねぇぜ?おめぇは研究者なんだ、周りになんか言われるようなことがあっても、そっちで見返してやれ、な?」

 

「大丈夫ですよ、研究室はいい人ばっかりですから」

 

「そうか、それならいいんだ」

 

「いえ、ありがとうございます」

 

 

 

そんな意外と優しいおじさんとの心温まる交流をしていたところで、空の上の方から物凄い爆音が聞こえた。

 

天井から笑い声も聞こえてくる。

 

 

 

「うるっせえぞ!このバカチンが!もっと静かにやれねぇのか!!」

 

「そうだ馬鹿野郎!」

 

「寝てたんだぞ!!」

 

 

 

みんな口々に天井に罵声を送っている。

 

窓から見える斜面の向こうの麦畑に、バラバラになった甲殻が落ちていくのが見えた。

 

こりゃあ、世界一安全な列車だな。

 

俺は安心して、大あくびをしてしまった。

 

着くまで寝てようかなぁ……

 

 

 

 

 

昼前に出発した列車がルエフマの駅についたのは、夕日が地平線の向こう側に沈み始める頃だった。

 

物珍しそうに無限列車を眺めるルエフマの駅員たちの前に俺達は降り立ち、ビシッとした格好で少将閣下に敬礼をした。

 

 

 

「これにて、魔結晶非搭載型造魔動力列車の試運転を完了したものとする」

 

 

 

敬礼をしたまま、全員で「はっ!」と返し、閣下が手を下ろすのを待ってから手を下ろした。

 

軍人さん達とマリノ教授とローラさんはこのままルエフマに泊まって王都に行くらしいが、俺や他の研究員はトルキイバにとんぼ返りだ。

 

なんせこの路線では明日の朝からまた魔導列車が走り出すんだからな。

 

なぁに、帰りは魔導列車に引いてもらえるから1時間ぐらいだ。

 

そこから撤収作業があるが……

 

まぁ朝には終わるかな……

 

終わればいいな。

 

まあ、覚悟はしておく。

 

 

 

 

 

試運転でハチャメチャな遅さを見せつけた無限列車だったが、王都の答えはGOだった。

 

どうやら「いっぱい動力車作ればよくない?」という考えらしい。

 

列車の長さが真剣に都市の全長を超えるぞ!

 

慌てた俺はマリノ教授とローラさん、ほか数名を巻き込んだ連名で、既存の魔導列車を使ってパワーの必要な初速を稼ぐハイブリッド方式の草案を王都に提出した。

 

これは好評を得たようで、名誉なことに開業予定の大陸横断鉄道(グランド・レイルロード)には研究室長のマリノ教授のファーストネームが冠される事になったそうだ。

 

教授の名前はフランク・マリノだから……

 

大陸横断フランク鉄道になるのかな?

 

グランド・フランク・レイルロードだな。

 

後世まで名前が残ることが決定した日の教授は、男泣きに泣いていた。




「グランド・フランク・レイルロード」って言いたいだけじゃん!って感じになってしまいました。

ちょっと苦しかったかな。

元ネタはアメリカのバンドのグランド・ファンク・レイルロードです。


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第35話 イキるとも 自覚のないまま イキりけり

ユニコーンドリル!ファイナルアタック!


この町にもずいぶんと知り合いが増えた。

 

もう前に住んでた都市よりも、ずうっと友達も知り合いも多い。

 

町に立ち並ぶ八百屋さん、大工さん、酒場、看板屋さん、植木屋さんから揚げ芋の屋台まで、全部仕事で行ったことがある。

 

私達みたいな一般奴隷は、できる事が増えれば増えるほどお手当が増えていくんだ。

 

そりゃ知識奴隷や技能奴隷にはぜんぜん負けちゃうけど、それでも頑張りが認められたみたいで嬉しいんだよね。

 

それに、やったことのない仕事をやる時はいつも楽しい。

 

新しい出会い、新しい技術、今まで勉強してきたことが通用したりしなかったり。

 

今日も今までやったことのないちんどん屋さんのお仕事で、酒屋さんの新商品を宣伝に行くんだ。

 

楽しみだなぁ。

 

 

 

プァー、ピッ、プゥー

 

ラッパの調子を確かめる。

 

こういう仕事は普段夜に酒場で演奏してる人達なんかのものなんだけど、今日はたまたまラッパの人が風邪ひいちゃったんだって。

 

シェンカー一家の中でラッパが吹ける人の中から、たまたま私が選ばれたんだ。

 

 

 

「ウサギの嬢ちゃん、こないだレンガ焼いてなかったかい?」

 

「ああ、そういう仕事もしたことありますよ」

 

「モイモは酒場でも働いてたよな」

 

「そういう日もありますねー」

 

「そんでラッパも吹けるのか?なんでもできるんだなぁ」

 

「なんでもはできませんよ、できることだけです」

 

「へぇー、よし、じゃあ行くか!」

 

「はいっ!」

 

 

 

ドン、ドン、ドンと太鼓が鳴って行進が始まる。

 

今鳴っているのは、休みの日に教えてもらってよく練習してた曲だ。

 

ほんとは喫茶店の演奏係になりたかったんだけど、ラッパでも笛でも太鼓でも、私より上手な人がたくさんいるからなぁ。

 

キツめの化粧をした美人な猿人族の踊り子さんが看板を持ってクルクル踊る。

 

あれはキツそうだ。

 

歌も踊りも一通り上手な人に教えてもらったことあるけど、やっぱりどっちも本職級にはなれなかったんだよなぁ。

 

その分色んな仕事に活かせるようになったけど、専属の仕事がある人には憧れがある。

 

 

 

「わぁーっ!ちんどん屋さんだー!」

 

「どこ行くのー?」

 

「ついてこーついてこー!」

 

 

 

子供達が集まってきたな。

 

演奏仲間もみんな手を振ったり、ウインクしたりしてサービスしてる。

 

私もラッパをくるっと回してサービスだ。

 

子供が集まってくると大人も集まってくるしね。

 

 

 

「モイモちゃーん」

 

 

 

名前を呼ばれて振り返ると、この間仕事に行った屋台の女将さんがいた。

 

音の切れ目で手を振り返す。

 

女将さん、手を怪我したとかで私が代わりに料理をやったんだ。

 

煮物の屋台だったからなんとか務められたけど、繊細な包丁さばきや絶妙な焼き加減を求められる現場だと厳しかったかも。

 

要練習だね。

 

休みの日は有志で集まって台所番に料理を教わったりしてるんだ。

 

 

 

「晩酌のお供に、新製品のがぶ飲みくんはいかがですか?南方のラムが隠し味、今だけこっそり増量中。がぶ飲みくん、がぶ飲みくんはいかがですか?南町のケンドリック酒屋で今日から発売中」

 

 

 

踊り子のお姉さんは踊って喋って看板振って、やっぱり一番大変そうだ。

 

後で化粧について聞いてみたいけど、教えてくれるかな?

 

そんなことを考えてたら、誰かが手をふるのが見えた。

 

そっちを向くと、東町の大工の棟梁と従業員の人達がニタニタ笑いながら手を振っていた。

 

私がちょこっとアドリブを入れてからラッパをくるりと回すと、棟梁達から「モイモーっ!」って野太い歓声と、口笛が響いた。

 

あそこの仕事、次行ったときにからかわれるんだろうなぁ。

 

でも行くたびに色々教えてもらえて楽しい現場なんだよね。

 

廃材運びや買い出しから始まって、セメント混ぜ、砂利敷き、水周り、水平出しと色々とやらせてもらえた。

 

奴隷じゃなきゃ雇いたい、なんて言われたけど、お世辞でも嬉しかったな。

 

 

 

だいたい10曲ぐらい演奏し終わったところで休憩になった。

 

昼ごはんを食べて、あと20曲ぐらいやったら今日の仕事は終わりだ。

 

肉体労働ってわけでもないし、美味しい仕事かな?

 

 

 

「ウサギの嬢ちゃん、知り合いいっぱいいるんだなぁ」

 

 

 

ラッパの水抜きをしていると、ちんどん屋のかしらさんが話しかけてくれた。

 

こういう仕事で、自分の腕だけで食べてる職人の中には気難しい人もいるからありがたいな。

 

 

 

「シェンカー一家の方針で、色んな仕事に行くんですよ」

 

「へぇー、それって選べないのか?」

 

「できる事から任されるって感じですかね。今日の仕事もラッパが吹けたんで、任せてもらえました」

 

「そういう感じなのか、楽器はどこで習った?」

 

「夜とかに暇な人に教えてもらったりして勉強しました。新しいこと覚えるのって好きなんですよ」

 

「向上心が凄いなぁ。じゃあよぉ、ウサギの嬢ちゃんは他にどんなことができるんだ?」

 

「うーん、私はあんまり出来がいいほうじゃないんで……計算、土木、荷運び、料理、歌、ラッパ、太鼓、馬の世話、簡単な治療、ああ、あとこの間はちょい役なんですけど演劇もやりました」

 

「えっ、ちょっと待ってくれよ……」

 

 

 

かしらさんはなんだか困惑したような顔をして手で頭を揉んでいる。

 

大丈夫かな?

 

マッサージもできるからやってあげようかな。

 

 

 

「モイモちゃーん」

 

 

 

かしらさんになんて言い出そうか迷っていると、不意に声をかけられた。

 

南町の髪結いのトーンおばさんだった。

 

 

 

「こないだありがとねぇ、これ、差し入れね。みんなで食べて」

 

 

 

おばさんは屋台で買ってきたらしき料理をいくつも私に手渡してくれる。

 

 

 

「トーンさんお久しぶりです、いいんですかこんなに?すいませんなんか」

 

「いいのよ、この間はほんと助かっちゃったんだから」

 

「嬢ちゃん、知り合いの人かい?」

 

「ええ、南町で髪結いをやってらっしゃるトーンさんです」

 

「あらやだごめんなさい、はじめましてトーンです〜」

 

「あっ、いえこちらこそ、普段西町のリステル酒場で演奏をやってるキワタです。すいませんなんか差し入れもらっちゃって」

 

 

 

かしらさんはペコペコ頭を下げている。

 

 

 

「いいのよ、皆さんで食べてくださいね」

 

「すいません、いただきます」

 

「じゃあね、モイモちゃん」

 

 

 

トーンさんはいつもどおりおちゃめに、ウインク一つ残して去っていった。

 

 

 

「いいのか?頂いて」

 

「ええ、みなさんでいただきましょう」

 

「こないだって、何かあったのか?」

 

「大した事ないですよ、休日に暇だったんで忙しそうな店を手伝っただけです」

 

「えっ!?髪結いを?」

 

「髪の編み込みぐらいなら、仲間のを普段からやってますから。髪も切ってますしね」

 

「嬢ちゃんやっぱ、なんでもできるんじゃないの?」

 

 

 

最近はよくこう聞かれるが、私が返せるのはまだまだこの言葉だけだ。

 

 

 

「なんでもはできませんよ、できることだけです」

 

 

 

そうだ、シェンカー一家には凄い人がいっぱいいるんだ。

 

身体が半分残ってれば治しちゃうって噂のご主人様に、めちゃくちゃ強い勲章持ちの奥方様。

 

いつでも公明正大で、目が回るようなお金をきちんと管理してるチキンさん。

 

勇猛果敢なメンチさんに、面白くて頼りになるロースさん。

 

他にも勉強になる専門家がずらりと並んでる。

 

私なんかまだまだ下っ端だ。

 

もっともっと色んなことを覚えて、もっともっと人の役に立ちたい。

 

それで、奴隷の身なのにいつかは劇や本みたいに頼れる殿方と恋愛しちゃったり?

 

ふと、自分の平らな身体を見下ろす。

 

今のままだとちょっと難しいかな……?

 

今度巨乳の凄い人に、大きくする方法を聞いてみよう!




無自覚チートイキり奴隷回その1


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第36話 頼むから 定年あとも 働いて

奴隷、奴隷、奴隷。

 

毎週毎週、トルキイバには奴隷が山のように送り込まれてきている。

 

その9割が欠損奴隷。

 

そう、うち向けの奴隷だ。

 

なにやら他の都市では、欠損奴隷でも働ける都市として有名になってきているそうだ。

 

馬鹿か?

 

横着せずに各都市で面倒見ろ。

 

もううちは地上じゃ住むとこが間に合わなくて、地下に横穴掘って住んでんだぞ。

 

地下の奴隷が住むための地上の奴隷マンションを、突貫作業で奴隷が作る。

 

そんな泥縄気味な日常を過ごしていた俺なんだが……

 

ある日、兄貴の子供達と遊んでいてふと思った。

 

「奴隷たちって、子供とか作るんだろうか?」と。

 

うちの奴隷たちは俺の趣味で女ばかりだ。

 

職場恋愛はありえない。

 

かといって、そのまんま奴隷の身では恋愛結婚も難しい。

 

そんな中、俺だけが結婚して子供作って、幸せになって……

 

それって、恨まれるんじゃないか?

 

 

 

恨み。

 

それは一番怖い言葉だ。

 

前世の会社の部長はある日突然胸を抑えて倒れた。

 

心筋梗塞だ。

 

彼は一命を取り留めたが、結局そのまま職場へ帰ってくる事はなく。

 

家に私物を届けに行った俺にこう言った。

 

 

 

「いいか、人から恨まれるな。死に際に顔が浮かぶぞ」

 

 

 

いつも顔を真っ赤にして机を蹴飛ばしていた彼が、真っ青な顔をしていたのをはっきりと覚えている。

 

そうしてその数年後に過労死をした俺が今際の際に思い浮かべたのは、やはり家族の顔ではなかったのだ。

 

 

 

「どうしたらいいんだ」

 

 

 

自問自答する。

 

そりゃあ、結婚させて家庭をもたせてやるしかないだろう。

 

結婚。

 

それも奴隷のだ。

 

あんまり聞いたことないが、まぁあるにはある。

 

たとえばうちの実家の粉挽き奴隷なんかは家庭を持っている。

 

これはうちの実家の創立何周年とかで奴隷に花嫁を買ってきてやったものだ。

 

他にも、知識奴隷や技術奴隷なんかだと普通に一般人と家庭を持つことも多い。

 

奴隷と一言に言うからややこしいが、立場や雇い先によって扱いは千差万別なんだ。

 

 

 

俺は真剣に考えた。

 

まず地下の穴の件があるから、奴隷解放は不可能だ。

 

旦那を買ってくるのもいいが、性格の不一致が有った場合に最悪だ。

 

この世界では離婚率自体が高くないが、それでも離婚はあるにはあるからな。

 

となると、一般人との結婚が現実的なセンだろう。

 

そうすると、奴隷たちの立場が問題になってくる。

 

妻となり、母となっていく奴隷たちを毎日毎日派遣して金を稼ぐってわけにはいかないからな。

 

上前をはねて稼ぐために買ってきた奴隷達にここまで悩まされるとは……

 

やはり俺に人を使う立場は向いていないんだろうな。

 

 

 

 

 

一週間後、カラッと晴れた空の高い秋の日だ。

 

奴隷達の本拠地である漬物工場跡、地上1メートルほどのお立ち台の上で、俺は集まった奴隷達の前で演説をかましていた。

 

 

 

「諸君、普段は勤労ありがたく思う。もうすぐ私は成人し、結婚をする」

 

 

 

奴隷達から歓声が湧き、口笛が吹き鳴らされる。

 

気さくすぎるかもしれないが、俺と奴隷の関係はこんなもんでいい。

 

こっちもビジネスでやってるんだ、敬ってほしいとか怖がって欲しいなんて思わない。

 

 

 

「自分の人生と同じように、諸君らの人生についても私は責任を持っているつもりだ。諸君らも私と同じように家庭を持ち、幸せになる権利を与えるつもりだ」

 

 

 

奴隷達がざわめきはじめたが、メンチが槍の石突きで床をドンと叩くとすぐに収まる。

 

まだまだ話は続くぞ、ついてこいよ。

 

 

 

「残念ながら君たちを奴隷から完全に解放するわけにはいかない、我が社には秘密にしなければならないことが多すぎる。だが、限定的な自由と、給与規則の改定で君たちに報いたいと思う」

 

 

 

俺が合図を出すと、最初の5人の奴隷がお立ち台の上に上がってきた。

 

ケンタウロスのピクルス。

 

鳥人族のボンゴ。

 

鱗人族のメンチ。

 

魚人族のロース。

 

人族のチキン。

 

ピクルスはデカいから前足をはしごにかけただけだが、まぁいいだろう。

 

 

 

「我が社で三年間真面目に働いた者は、以後同じ職務でも正規の給料を支払うものとする。他、特別に望むものには住居の自由、就労の自由、婚姻の自由を許すものとする」

 

 

 

奴隷達は小さな小さな声で「どういうこと?」「わかんない」と話しているが、詳しいことは後でチキンあたりに聞いてくれ。

 

 

 

「ピクルス」

 

「はい!」

 

「ボンゴ」

 

「…………は……い……」

 

「メンチ」

 

「はっ!」

 

「ロース」

 

「はいよっ!」

 

「チキン」

 

「はい」

 

「この5名を、退役奴隷とする」

 

 

 

俺はそれぞれに退役記念のメダルを手渡した。

 

別にこんなものいらないかもしれないが、まぁ年金のつかない勲章みたいなものだ。

 

頑張って働きましたで賞だな。

 

5人はさめざめと泣いている。

 

そりゃあそうか、やりたくもない仕事を超低賃金で5年もやらされたんだもんな。

 

いいんだよ。

 

トルキイバからは離れさせてやれないけれど。

 

これからは自分の人生を生きてくれ。

 

 

 

「ご主人様、私は冒険者としてシェンカー家に残りたいです」

 

 

 

ズイッとお立ち台に登ってきたピクルスがそう言う。

 

お立ち台の支柱が曲がっていくのを感じる。

 

もんどり打って転げ落ちそうになったところをピクルスにしがみついて凌いだ。

 

なんだいきなり!

 

俺と一緒で体幹がクソザコなチキンなんて地面に転げ落ちてしまったぞ!

 

 

 

「ご主人様……私も同じ気持ちです」

 

「これから給料上がるってんなら、もっと奉公させてもらうよ」

 

 

 

メンチとロースも近づいてくる。

 

やめろ!お立ち台のバランスが!

 

必死になってメンチとロースにもしがみつく。

 

何やら大きな拍手と歓声が聞こえたが、それどころじゃないんだよ!!

 

早く台から降ろしてくれ!!

 

 

 

結局この日退役した5人は、今までの仕事を続けてくれる事になったが……

 

これからの退役式では、お立ち台に登るのはやめようと思った俺なのだった。




奴隷の将来問題はこんなもんでいかがでしょうか?

5/14に改稿しました。

最初の展開が若干変わってます。


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第37話 異世界で 人に出会って 生きていく

昨日は残業がしんどくて寝てました。

最終回ではないです。


ずっと掘っていた地下の穴、あれがついに完成した。

 

ダンジョンの手前1キロ地点からダンジョンの魔素を拾って魔結晶を作る、魔結晶工場の完成だ。

 

もう、完成したその日からモリモリ魔結晶が出来上がってきていて、今は親父に他の都市で魔結晶を売りさばけないかと交渉をかけているところだ。

 

こりゃきっと俺も親父も人生最大の大商いになるだろう。

 

そう確信していた。

 

 

 

「サワディ様、今のところ魔結晶生成造魔(プラント)は20体体制で動いています。1日におよそ100個ほど製造できますが、成果物はいかがなさいますか?」

 

「貯めといてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 

 

自慢の黒髪を三編みにし、ダークグリーンの三つ揃いを着て頭を下げるチキンは、まるでやり手の執事のようにも見える。

 

彼女は奴隷退役後もそれまでの仕事を続けてくれることになったが、給料のほとんどを衣服につぎ込んでいるようだ。

 

この間も、よくわからんターバンのようなものを頭に巻いた彼女を喫茶店のテラス席で見た。

 

着道楽は金かかるぞぉ。

 

もっとも、芝居道楽の俺の言えたことじゃあないがね。

 

意外と下の者たちも彼女のオシャレを羨望の目で見ているようだし、まぁ若い女が着飾るのは当然と言えば当然の事だろう。

 

 

 

「それと魔結晶のサイズですが、市場に流通しているものよりも幾分か大きいようで……」

 

「それはまずいな、いろんな大きさのものを作れるように調整するよ」

 

「よろしくお願いいたします」

 

 

 

俺は袋から取り出した魔結晶を掌で弄ぶ。

 

天然物(・・・)と何も変わらないデキだ。

 

これならば、各地への荷物に少しづつ混ぜていけば判別つかんだろう。

 

庭に油田が沸いたようなものだ。

 

口元が緩むのを抑えきれない。

 

俺は絶対に、このシノギで大劇場を建ててやるぞ。

 

 

 

 

 

しかし、才能とは怖いもので……

 

またもや俺はとんでもない発明をしてしまった。

 

それもある意味で、自分の首を締めるような発明だ。

 

俺は魔結晶が欲しくて魔結晶を作ったその矢先に、魔結晶の代替品を作ってしまったのだ。

 

その名も無限魔結晶。

 

つまりは、魔素を勝手に取り込む魔結晶型の造魔だ。

 

昼夜問わず使えるソーラーパネルみたいなもんだな。

 

もちろん、完全に魔結晶と置き換えが利くってわけじゃない。

 

無限魔結晶は例によって低出力なんだ。

 

魔結晶と同じ量だけ詰め込んでも出力は1/100ぐらいだろう。

 

そんなもんでもランタンやライター、コンロなんかには十分に使えてしまう。

 

もしかしたら魔具の方の省エネ次第では、魔力で水を生み出す魔具水瓶(むげんじゃぐち)にも使えるかもしれない。

 

これらが庶民に行き渡れば圧倒的に便利になる。

 

小さいながらもエネルギー革命が起こるだろう。

 

街灯の数は増え、木は切らなくてよくなり、井戸を掘る必要すらなくなるかもしれない。

 

ただ、同時に影響力が大きすぎるとも思う。

 

ミクロな視点では失業者が増え、マクロな視点では技術革新の停滞を招くかもしれない。

 

たぶんこの技術はまだ人類には早すぎる。

 

俺は生まれたばかりの無限魔結晶を黙殺することに決めた。

 

俺にだって良心はあるのだ。

 

 

 

 

 

が、すぐにバレた。

 

 

 

「また何か開発したな、隠さずに言ってみなさい」 

 

 

 

俺は勘の鋭すぎる婚約者のローラ・スレイラさんに、学校帰りに喫茶店に連れ込まれてしまった。

 

 

 

「君はすぐに顔に出るからな」

 

 

 

ぺたぺたと顔を触る。

 

自分ではわからない。

 

 

 

「そういうところさ」

 

 

 

ローラさんは苦笑しながらコーヒーとミルクをかき混ぜる。

 

まぁ、無限魔結晶に関しては発表しなければ問題ないか。

 

これから夫婦になるんだ、共有できる秘密は共有していかないとな……

 

 

 

 

 

「……というわけで、この技術は危険だと思うんですよ」

 

「たしかに、君の懸念はもっともだ。下民の失業に関しては我々の考えるべき事ではないが。ひとつ作ったら永遠に使えるような品があれば、国からの研究資金だって減らされかねないからな」

 

 

 

ローラさんは深く頷いて同意を示してくれた。

 

よかった、やっぱり封印だなこれは。

 

 

 

「だが、それも条件をつければ使えるんじゃないか?」

 

「条件ですか?」

 

「ああ、たとえば何回か魔素を吸収したらもう吸収しなくなるようにするとか……」

 

「あ、なるほど。デチューンするわけですね」

 

「でち……?」

 

 

 

要はこれだって元は造魔なわけだ。

 

寿命をつけてやればいいんだな。

 

そうすればノーメンテのソーラーパネルや風力発電みたいなチートエネルギーではなく、前世でいう電池のような立ち位置に収められるだろう。

 

製造過程にブラックボックスを作って、そうそう破れないようにしておかないとな。

 

 

 

「とにかく、一度マリノ教授に話を持っていってみるべきだと思うがね」

 

「あ、じゃあ試作品が出来上がり次第話してみます」

 

「そうしたまえ」

 

 

 

俺とローラさんは、その後も何時間も喫茶店に居座り、暗くなっても与太話を続けた。

 

芝居の話、新しい馬具の話、歌劇の話、研ぎ師の話、造魔の話、珈琲の話。

 

俺達は噛み合っていないようで、芯の方で噛み合っていた。

 

認めあっていたと言ってもいいだろうか。

 

お互いに、不思議と恋愛感情を超えた敬意を持ち合っている。

 

少なくとも、俺はそう考えていた。

 

ふと、ローラさんの瑠璃色の瞳が、俺の瞳の奥の奥を見つめた気がした。

 

 

 

「君、やはり秘密があるだろう」

 

「えっ、なんですか?」

 

 

 

胸が早鐘を打った。

 

 

 

「技術とか、研究とか、そういう話じゃなくて……君はどこか、ズレたところから物を見ているな」

 

「え……?」

 

「前から違和感はあったんだ。奴隷の扱い、研究での異次元的な発想力、それに、その身に纏う空気」

 

「空気ですか?」

 

 

 

彼女は俺の耳の後ろに指を這わせ、笑みの消えた目で言った。

 

 

 

「死人の空気だよ。一度死んだはずの人間。死んで生き返って、おまけの人生を過ごしている人間の匂いだ」

 

「なんでそんなこと……」

 

「私がそうだからかな」

 

 

 

ローラさんは苦笑を浮かべながら、親指で自分の腹を指す。

 

たしかに彼女の瞳の奥は、現世の淀みから解き放たれたような、からっと乾いた色をしているように見えた。

 

 

 

「死んだ気になれば……なんて言うが、そんな事は死んだ気になってみないとわからない」

 

「それは、そう……なんですかね?」

 

「君は、どこでどう死んだんだ?」

 

「……言っても、わからないと思います」

 

 

 

自分でも、どうしてそんな言葉が口から出たのかわからない。

 

油断していたといえば、していたんだろう。

 

弱さがあったといえば、あったんだろう。

 

でも一番大きかったのは、俺が彼女に、ローラ・スレイラに、自分という男をもっと知って欲しいと思ってしまったことだ。

 

なぜか、涙が出た。

 

心の中が情けない気持ちでいっぱいになってしまった。

 

彼女よりもはるかに年上の男であるはずの自分が、なぜこんなにも煮え切らない。

 

話すこともせず、拒絶もせず、ただ甘えたような言葉を返してしまった。

 

自己嫌悪に押しつぶされて、机のシミになって消えてしまいそうだ。

 

だが、彼女はそんな俺の肩に手を置いて言った。

 

 

 

「わかるかどうかには自信がない。だが、受け入れる事に関しては私は大ベテランだ」

 

「…………?」

 

 

 

涙で言葉にならなかった。

 

ローラさんは左手の人差し指と親指で丸を作り、にやりと笑ってそこに右手の中指を突っ込んだ。

 

 

 

「ダンジョンのむこう(・・・)でさんざん殺し合いをしてきたんだ、わからない事に相対する心構えはできているのさ」

 

「…………」

 

 

 

彼女はどこまでも透き通った目を俺と合わせて、拳を握って言う。

 

 

 

「こうしよう、私は次に、君がなんと言おうとこう返してやる。『なんだそんなことか、大丈夫だ』ってね」

 

 

 

ローラさんは鼻水まみれの俺の唇に、ぎこちなくキスを落とした。

 

一見無責任な、でもこれ以上ないぐらい真正面から俺を受け止めてくれる言葉だ。

 

こんな事、誰にも言われたことはなかった。

 

今世でも、前世でも。

 

親からだってそんな受け入れ方はしてもらった事がなかった。

 

俺は嗚咽を堪えられず、涙に溺れそうになりながら、腹の底からなんとか絞り出して彼女に言った。

 

 

 

「俺、異世界人なんです」

 

 

 

その日、2人は帰らなかった。




この話出すかどうか結構迷いました。

でも澤田くんも彼なりに幸せにならないとね。


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第38話 責任と 楽しいことは 不釣り合い

ゆうべはおたのしみでしたね


秋も深まり、朝方は息が白くなってきた、そんな日。

 

俺はマリノ教授に無限魔結晶の論文と実物を提出した。

 

この論文は別にローラさんの名前で出してくれてもいいし、マリノ教授の名前で出してくれてもいい。

 

俺は作った物を売って儲ける事で益を得ているから、それで問題ないんだ。

 

欲をかいて王都行きを命じられたりしたらそれこそ笑えない。

 

トルキイバ下民界のお山の大将の立場は、誰にも譲らんぞ!

 

だが、そんな俺にマリノ教授から返ってきたのは想像もしていなかった言葉だった。

 

 

 

「シェンカー、これは君の名前で発表するんだ」

 

「えっ……」

 

「君も貴種になるんだ、名前付きの成果の一つぐらい出しておきたまえ」

 

「えっと、じゃあサワディ・スレイラ名義ってことですか?」

 

「そういうことだ。君が成人するまでは、ゆっくりこの研究を伸ばしていこうじゃないか」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 

そりゃいいけど、それで王都行きはいやだぞ……

 

俺の腰の引けた様子で察してくれたのか、マリノ教授は続けて言った。

 

 

 

「もちろん、君を王都へは行かせないさ。私はゆくゆくは君を助教に推すつもりなんだ」

 

「えっ!本当ですか?」

 

 

 

マリノ教授は鷹揚に頷いた。

 

平民から助教ともなれば、もうそれで頭打ちとも言えるぐらいの大出世だ。

 

つまり最大限に目をかけてもらってるって事になる。

 

ぶっちゃけそんな仕事はしたくないが、そんなことをはっきりと言っていては社会は渡っていけない。

 

ここは謝意を示し、後に調整すべきだ。

 

 

 

「ありがとうございます」

 

「おや、ありがたいのかい?」

 

 

 

教授はくすくすと笑う。

 

ローラさんも笑っていた。

 

あ、なるほど、そこらへんは把握済みなのね。

 

 

 

「えっと、その……」

 

「助教にするとは言ったが、まぁそれは君へのお礼が半分、もう半分は君達の子供のためさ」

 

「はぁ……?」

 

「才人の子供は才能があるにせよないにせよ期待されるのさ。その時に親に功績があるとないとじゃあ、過ごしやすさが全然違うからね」

 

「あ……ありがとうございます!」

 

 

 

けっこう遠大な話だった。

 

でもたしかにありがたい。

 

俺は貴族相手に這いつくばる事なんか()でもなかったが、子供にそれを強いるのは無理があるというものだろう。

 

若い男が一人で立つにはプライドが必要なんだ。

 

虚勢でも、親の力でもいい、心の拠り所にできるプライドがね。

 

 

 

「それにね、これは私だけが決めた話でもないんだよ」

 

「えっ、どういうことですか?」

 

「実は、学園長宛に陸軍のさる筋から何枚か感状が届いていてね。学園長の家はほら、叔父上が元帥でいらっしゃるだろう?」

 

「あっ、ああ……なるほど……」

 

 

 

思わぬ筋からの援護射撃があったということか。

 

これ、教授が教えてくれたから良かったけど、不義理するとヤバい話だったな。

 

ちゃんとローラさん経由でお礼をしておくべきだ。

 

軍人貴族なんて超DQN界隈に関わった時から嫌な予感がしてたけど、完全に派閥闘争に巻き込まれてるっぽいな俺。

 

 

 

「それとね……」

 

 

 

ま、まだあるのか!?

 

 

 

「大陸間横断鉄道の件だけど、王族が興味を示されたらしくてね。工廠に巡幸(じゅんこう)があったそうだ」

 

「巡幸」

 

 

 

つまり、王族が大陸間横断鉄道の製造過程を視察にやってきたという事だ。

 

そこまでいくと話が大きすぎてもうついていけない。

 

ふらつく頭を押さえると、後ろからローラさんに肩を掴まれた。

 

 

 

「どうだい、陸の連中はあれでなかなか義理堅いだろう?」

 

 

 

胸を張ってそう言うローラさんには悪いが……

 

その義理堅さって、カタギの義理堅さとはまた質が違いますよね?

 

しかし、俺がそう問うことはなかった。

 

彼女だって陸軍の人間なのだ。

 

わかりきった話だった。

 

 

 

 

 

その日は久々に一人で家路についた。

 

色んなことが身に降りかかりすぎて、まだうまく咀嚼できないでいる。

 

今日は少し遠回りして、思考を整理しながら帰ろう。

 

とりあえず、学校のほど近くにできた2店舗目の喫茶店に寄ってみる。

 

今の俺には、時間と同じぐらいカフェインが必要だった。

 

 

 

「あれっ、ご主人様!いらっしゃいませ!」

 

「ああ、珈琲頼むよ、持ち帰りで」

 

「わかりました!」

 

 

 

ウェービー茶髪のメイド服店員にオーダーを告げ、店の外で手持ち無沙汰にしながら待った。

 

店の中は庶民の世界だからな。

 

俺だって庶民だけど、魔導学園の制服を着ていればそうは見られない。

 

いたずらに人を怖がらせる趣味はない、蝙蝠には蝙蝠なりの気遣いがあるんだよ。

 

 

 

「おまたせしました」

 

 

 

さっきの店員が、蓋のついた紙コップの珈琲を持ってきた。

 

 

 

「ご苦労さん、はいこれ」

 

「わっ、ありがとうございます!」

 

 

 

俺から駄賃を受け取った店員は頭を下げて小走りで店に戻っていった。

 

まじまじと、珈琲を見る。

 

紙で作ったコップに、『アストロバックス』という名前のハンコが押されている。

 

この紙コップは高級品だ。

 

単純にコストがバカ高いんだよな。

 

テイクアウトにすると珈琲の値段が倍になるんだぞ、バカバカしい。

 

それでも買っていくやつは多いらしい。

 

めかし込んで、こいつを持ちながら歩くのが粋なんだそうだ。

 

よくわからんけど、そんなに人気なら店の名入りのTシャツとか売ったらどうなのかな?

 

ラーメン屋みたいになっちゃうか。

 

 

 

ぶらりと町を歩くと、以前よりもずいぶんと活気づいているように思える。

 

人も店も増え、人種も様々な子供達がボールを持って路地を走り回っている。

 

そういえば親父が大規模な製麺所を作って、麺食文化と共にシェンカーの乾麺を他の都市に輸出してるんだよな。

 

その関係もあって人が増えたのかもしれん。

 

 

 

「いよっ!坊っちゃんじゃないですか」

 

 

 

角を曲がると、酒売り屋台の前でエールを飲んでいる退役奴隷のロースに出くわした。

 

ロースは平然としているが、部下の子達が気まずそうに俺から酒を隠したりしている。

 

こいつ、給金全部酒に変えて奢ってんじゃないだろうな。

 

俺はとりあえずロースに手招きをして、いくらか小遣いをやった。

 

 

 

「こんなとこで飲んでないで酒場にいけよ」

 

「おっ、いいんですかい?おいお前ら!坊っちゃんが軍資金をくださった、酒場に行くぞー!」

 

「えっ!ありがとうございます!」

 

「あざまーす!」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 

鎧を着た女達とロースは、口々に礼を言ってすぐ近くの酒場に吸い込まれていった。

 

うーん、酒かぁ。

 

なんだかんだと需要は大きいんだよな。

 

いっそ造魔で酒を作れないかなぁ。

 

いや、こうやって何でも自分で商売に繋げようとするから大変になっていくのか……

 

このままじゃ前世と同じように過労死してしまうぞ。

 

ほどほどにしておこう。




スターバックスの由来をはじめて調べました。


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第39話 おこのみで ソースをかけて 召し上がれ

5/18の朝にかなり加筆しました。


トルキイバもこのごろは雪がちらつきだした。

 

前にいた南の方じゃ見たこともなかった雪。

 

支給品のコートだけじゃ冷えが防げなくて、みんな編み物のできる子に教わったりして色々と防寒具を作っている。

 

お金のあるチキンさんは素敵な毛皮の襟巻をつけていたけど、まだ退役していない私達はマフラーで我慢だ。

 

ご主人様がお酒を作ってみたくなったとかで、最近は寒い中あちこちを歩き回って良さそうな物件を探している。

 

理想は人通りが少なくて広くて安いところ。

 

ただでさえトルキイバは最近人が増えてきていて、さらにシェンカー一家が物件をたくさん買って相場が上がってきてるのに、そんなの見つかりっこないよ。

 

小さい家ならいくらか売りに出てるけど、広い場所って限られるからなぁ。

 

不動産屋にも今はいい物件がない状態で、私達は良さそうな物件の持ち主に直接交渉をかけてるところだ。

 

さっきダメ元で寄った不動産屋なんか「ダンジョン周りの土地なら安く買えるんじゃないですか?」なんてバカにして。

 

ダンジョン自治区の土地なんてお貴族様でも買えないじゃない。

 

都市の外に掘っ立て小屋立てろっての?

 

 

 

空と地面から同時に攻めてくる冷えを我慢できず、辻売りの蒸留酒を一杯引っ掛けた。

 

銅粒5個かぁ、高いなぁ。

 

でも身体がかあっと熱くなる。

 

勢いでシェンカー一家の屋台でトルキイバ焼きも買う。

 

もうヤケだ、寒くてやってられない。

 

 

 

「あー、お酒くさーい、ジレンったら悪いんだー」

 

「もう寒くてやってらんないのよ」

 

「私達火のそばだから暖かいよねー」

 

「ねー」

 

 

 

屈託のない笑顔が腹立たしい。

 

チキンさんについて知識奴隷への道を選んだのは私だけど、今は一般奴隷の彼女達の気楽さが羨ましい……

 

鉄板の上でじゅうじゅうと薄く丸く伸ばしたタネが焼けていく。

 

キャベツ、薄切り肉、茹でたペペロンチーノ(・・・・・・・)、摩り下ろした芋が入ったごく普通のトルキイバ焼きだ。

 

これもご主人様が考えたんだっけ、器用な人だよな。

 

 

 

「ソースはたっぷりね」

 

「しょうがないなージレンは」

 

「ないなー」

 

 

 

ドロドロっと黒いソースがかけられると、鉄板の上からじゅわーっという音と一緒に匂いが漂ってきた。

 

たまんないねーこの匂い、エールも飲もうかな。

 

 

 

「お嬢ちゃん達、次おじさんね」

 

「俺も俺も」

 

「あたしは大きさ半分のやつで」

 

 

 

いつの間にか屋台の周りには人だかりができていた。

 

やっぱり寒い日は熱〜い粉ものだよね。

 

 

 

「ジレン、あれつける?」

 

「白ソース?たっぷりお願い」

 

「しゃしゃしゃしゃしゃー」

 

 

 

出口の細い入れ物からクネクネと白い線が飛び出し、黒いソースのキャンバスにきれいな模様が出来上がっていく。

 

このソースはけっこう口に合う人と合わない人が分かれるから聞くことにしてるんだって。

 

あたしは断然好きだけどな。

 

ご主人様は白ソースが嫌いな人がいるって聞いてめちゃくちゃびっくりしてたらしい。

 

酸味が鼻につく所があるから、しょうがないと思うけど……

 

 

 

「はいお待ち!」

 

「まちー」

 

「ありがと」

 

 

 

出来上がったトルキイバ焼きは二つ折りにされて、爆裂モロコシの葉っぱに巻かれて出てきた。

 

そうそう、片手で食べれるところもいいのよね。

 

 

 

「はっ、あつっ、ふん、ふん……はぁーっ……」

 

 

 

あったまる〜。

 

やっぱ寒いときは暖かいもの食べなきゃだめだね。

 

私は次のトルキイバ焼きに取り掛かった二人に手を振って、次の訪問先へと足を向けた。

 

両手でも収まらない量にこの味、腹持ちもいいし、社割りで銅粒3個は最高だわ。

 

 

 

とぼとぼ歩いてやってきたのは東町の元木賃宿。

 

通りからは奥まったところにあって、墓地の隣で広さもまぁまぁ。

 

春先に火の不始末で全焼して、それからずっとそのまんまなんだとか。

 

だいたい木賃宿なんかやってる人間が貯金できるわけないものね、

 

私は焼け跡の隣に建てられた粗末なテントへと向かった。

 

 

 

「帰ってくれ、ゴホッ!ゴホッ!」

 

「お話だけでも聞いてくださいませんか?」

 

「ここはな、先祖代々の土地なんだ、墓守も任されてんだ。売れねぇ」

 

「そうおっしゃらずに、こちらを整理されて静養なさっては……」

 

「俺はな、死病なんだ」

 

 

 

たしかにこのご老人、顔色が物凄く悪い。

 

真っ青なのに所々に黄色い斑点ができていて、今にも亡くなりそうだ。

 

 

 

「どなたに言われたんですか?」

 

「医者だ、そんなこと聞かんでもわかるだろう!ゴホッ!ゴホッ!」

 

 

 

あ、これってもしかしてチャンスなんじゃない?

 

同じように死病だった私を簡単に治したご主人様なら、このお爺ちゃんも治せるだろうし、それと引き換えに……

 

いやいや、でもご主人様を働かせるのを勝手に奴隷の私が決めるってのもなぁ。

 

 

 

「いいから帰っ……て、くれ……」

 

 

 

ばたり、と。

 

悩む私の目の前で、ご老人がうつ伏せに倒れた。

 

一瞬、頭が真っ白になった。

 

えっ!

 

どうしよう!

 

まだ交渉途中なのに!

 

これ……私が殺したと思われる!!

 

近くの医者を連れてきたって、お爺さんが死んだら奴隷の言い分なんか信じてもらえないだろう……

 

最悪、警邏に突き出されて縛り首だ!

 

私は足をもつれさせながらなんとか大通りまで走り、近くで店をやっていた仲間たちと一緒にお爺さんを本部へと運んだ。

 

事後承諾だけどしょうがない、命がかかってるんだ!

 

 

 

ご主人様が学園から帰ってくるのを待っていても、生きた心地がしなかった。

 

お爺さんの顔色はもうほとんど土気色で、息もしてるかしてないかわからないくらいだ。

 

このままお爺さんが死んでしまったら……

 

地上げに行って相手を殺したと思われたら、私はトルキイバ当局に差し出されるかもしれない。

 

せっかく暖かい寝床を手に入れたのに。

 

せっかく仲間ができたのに。

 

せっかく生き延びられたのに!!

 

目を覚まさないお爺さんの前でぐすぐす泣いていると、誰かにくしゃりと頭を撫でられた。

 

 

 

「治ったよ、間が悪かったんだなお前」

 

 

 

魔導学園の制服を着た、ご主人様だった。

 

死相の出ていたお爺さんの顔は、もうすっかり赤みを取り戻している。

 

助かった……でも、釈明をしなくちゃ!

 

 

 

「ひっ……その……ひっ……う……ひっ……」

 

 

 

なぜかうまく言葉が出ない。

 

釈明しないといけないのに。

 

絶望感が心を埋めていく。

 

息が苦しくなってきた。

 

そんな私に片手を振って、ご主人様は微笑みながらこう言った。

 

 

 

「気にするな、話は聞いたよ。これで良かったんだ」

 

 

 

その言葉に涙は引っ込んで、代わりにずるりと鼻水が出た。

 

息が苦しいのもなぜだか治らない。

 

頭もくらくらして、目が回る。

 

 

 

「でもな、もし爺さんが駄目だったとしても、お前を売ったりはしなかったよ」

 

 

 

くしゃみがひとつ出た。

 

おかしいな、また涙がぶりかえしてきた。

 

 

 

「お前も風邪か、支給のコートだけじゃ防寒が足りんのかな」

 

 

 

ご主人様は私にも回復魔法を使って、チキンさんの方へと歩いていく。

 

私は急に押し寄せてきた眠気に身を委ね、そのまま意識を手放した。

 

 

 

 

 

その後、ご主人様と大旦那様を交えた話し合いがあって、ご老人は墓の隣に家を建てることを条件に土地の売却を決めたらしい。

 

酒造場はもう建設が始まっていて、夏ごろには完成する予定なんだそうだ。

 

結局私はお咎めなしで、そのままの仕事を続けている。

 

1つ変わったことと言えば、毛皮の帽子と襟巻きが支給されたぐらいかな?

 

草食み狼の毛皮を贅沢に使った、あったかくてありがた〜い代物だ。

 

マフラーはほどいて手袋と靴下にした、これでもう風邪はひかずにすみそうだ。

 

 

 

これは余談だけど、付近の商売人達から、シェンカー一家に地上げの依頼が殺到してきたらしい。

 

半殺しにしてから治して話す、えげつない地上げ方法として噂になったんだとか……

 

そんなんじゃないのに!!



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第40話 飲まれても 飲んでしまうよ 好きだもの

おごそかに冬が到来した。

 

風雪吹きすさぶ中を子供達だけが走り回っているこの街で、またまたヤバい技術を開発してしまった。

 

秋から研究を続けていた酒造りに関するものだ。

 

酒造りといえば麦を発酵させてゆっくり作るもんだけど、あいにく俺はせっかちなんだ。

 

せっかく魔法使いが酒を作るんだから、魔法でパパッと作ったらいいじゃないか……

 

というわけで作成したのが、麦を食って酒を吐き出す造魔。

 

この造魔と麦を樽に入れておけば、次の日には酒になっているという酒飲み垂涎の素晴らしい仕組み、になるはずだったのだが……

 

 

 

「これは……味がしませんね」

 

「っかー!キツい酒ですねこれ」

 

「これぐらいがちょうどよいです」

 

 

 

MSGの本部で冒険者組に試飲をさせてみたところ、意見がバッキリと別れた。

 

手の甲に1滴垂らして舐めたチキンは顔をしかめ。

 

一口飲んだロースは一瞬で真っ赤な顔になった。

 

そしてメンチはコップ一杯を飲み干して平然としている。

 

彼女達の体をスキャンしてみるが、血中アルコール濃度が高まっているだけだ。

 

とりあえずは酒になっているようだった。

 

俺も一口なめてみる。

 

うっ……

 

一瞬で舌が痺れるような感覚。

 

風味もクソもない香り。

 

これは、超高度数のスピリッツだな……

 

ポーランド原産のやつを、前世で飲んだことがあった。

 

コップに注いだ酒に火をつけてみると、青い炎が立ち上がる。

 

そう、火のつく酒なんだ。

 

 

 

「げえっ!」

 

「なんですかこれ!?」

 

「これは飲んで大丈夫なのですか?」

 

 

 

部屋の中のみんなが騒ぎ出した中、誰かが俺の服を引いた。

 

鳥人族のボンゴだった。

 

 

 

「…………た……い……」

 

「なんだ、飲みたいのか?」

 

 

 

ボンゴはこくりと頷いた。

 

ダウナーな彼女には珍しく、目をキラキラと輝かせながら火のついたコップを見ている。

 

なるほどな、こういう見た目のインパクトが好きなやつもいるのか。

 

 

 

「ほらよ」

 

「…………あ……り……」

 

「ボンゴちゃん大丈夫?」

 

 

 

窓から上半身だけ部屋に入ってきているケンタウロスのピクルスも心配そうだ。

 

ボンゴはピクルスに頷きをひとつ返してぐいっとコップを傾け、そのまま後ろに倒れ込んだ。

 

 

 

「ボンゴちゃーん!」

 

「そりゃそうだろ……」

 

 

 

ロースがボンゴの体を抱き上げてピクルスに渡してやる。

 

一応身体に活性化をかけてやろう、急性アルコール中毒が怖いからな。

 

 

 

とにかく、この酒の作り方は成功といえば大成功で、失敗といえば失敗に終わったのだった。

 

親父なんかは小躍りして喜んでた。

 

高濃度のアルコールなんか使い道はいくらでもあるからな。

 

清掃、医療、燃料に飲料、なんでもござれだ。

 

なにより製造コストが素晴らしい、従来の蒸留にかかるコストをまるまるカットできるんだ。

 

ここいらは麦の原産地でとにかく材料が安いからな、片っ端からアルコールに変えて輸出してやってもいいぐらいだ。

 

親父に売ってもらう分はラインを作って製造するとして。

 

一応俺の方でも奴隷たちに果実なんかを漬けさせて、リキュールを作ることにした。

 

商売の種は多ければ多いほどいい。

 

出来上がりには時間がかかるが、まぁ楽しみにして待とうじゃないか。

 

酒単体でも荒くれ者を気取る冒険者なんかには売れそうだ、鱗人族のメンチも平気で飲んでたしな。

 

 

 

 

 

次の実験ができたのは春になってからだった。

 

ここのところ、とにかく忙しかったんだ。

 

結婚の準備とか、学校の研究とか、芝居とか、芝居とか、芝居とかな。

 

一応冬に売ってみた超高度数スピリッツは、案の定冒険者の間で話題になったらしい。

 

雪が降って暇な彼らはひたすら酒場にたむろしていて、カードに負けたりした者にスピリッツを飲ませて楽しんだのだとか……

 

まぁ、風味もクソもないしね。

 

普通に考えて罰ゲームだよな……

 

 

 

そんな失敗は横に置いておくとして、とにかく今度の手法は凄いぞ。

 

なんと造魔を使うんじゃなくて、酒を作る酵母に直接支援魔法をかける超ストロングスタイルだ。

 

酵母の働きを強化して強化して強化して……

 

俺は無事、ほぼ一昼夜で酒を作ることに成功した。

 

湯気が出るほど温度が上がっても死なない酵母はモリモリと糖を分解してアルコールに変え、その後も全く力の衰えを見せずに二次発酵までをやってのけた。

 

普通は酵母が死んで悪臭が出るのを防ぐために酵母を抜いたり色々とやるわけだが、その過程は完全に無視だ。

 

あまりにストロング、あまりに粗雑、しかし出来上がってきたものはたしかにエールのようなものだった。

 

強すぎて体への影響が心配な酵母は魔法で取り除くとして。

 

問題は味だ……

 

 

 

俺は下の兄のシシリキを自室へと呼び出して、何も言わずにグラスに酒を注いだ。

 

ちょうどいい人が家にいて良かった。

 

彼は無駄に舌の肥えた酒飲みなんだ。

 

 

 

「これ飲んでいいのかい?」

 

「ああ」

 

 

 

俺が笑顔で勧めると、子供のように破顔した兄貴は一気にエールを煽った。

 

もにゅもにゅと口で味わい、うまそうに飲み込んだ。

 

よしよし、そう悪い味ではなさそうだな。

 

 

 

「ここらへんの麦だけど、トルキイバの酒倉じゃないな」

 

「えっ!?なんでわかるの?」

 

「そりゃここらのは全部飲んだことあるから」

 

 

 

うちの兄貴は思ったより意識の高い酒飲みだったらしい。

 

ニコニコしながらグラスを突き出す兄貴に、俺はもう一杯ついでやった。

 

 

 

「エールみたいに見えるけど、全然エールの味がしないね」

 

「えっ!?どういうこと?」

 

「お前まだ飲んでないのかよ、飲んでみろよ~」

 

 

 

兄貴に肘でつつかれながら言われて、俺も少しだけ飲んでみた。

 

んっ?

 

苦さを期待していた舌が感じたのは、物凄い甘さだった。

 

ジュースみたいに飲みやすいな。

 

今度はグラスにいっぱい注いでみる。

 

横から「おれも~」と袖を引っ張られたので、兄貴のグラスにも入れてやった。

 

 

 

「うーん」

 

 

 

なぜだかわからないが妙に懐かしい気持ちになって、思わず声が出た。

 

うまいんだけど、ちょっと癖があるんだよな。

 

麦の味の中にどことなく薬臭いような、杏仁豆腐のような味が……

 

いや……

 

やっぱりこれ、飲んだことあるぞ。

 

これ、ドクター○ッパーだ。

 

 

 

「でもこれ面白い味じゃん、どこで買ったの?」

 

「いや、俺が作ったんだよ」

 

「お前が!?凄いじゃん!」

 

「魔法で作ったら変な味になっちゃって」

 

「いやいや、面白い味じゃないか、これはこれで売れると思うぞ」

 

「兄貴がそう言うならそうなのかな」

 

「ああ、もう一杯くれよ」

 

 

 

こうして無事に我が家の酔っぱらいのご推薦を頂いたド○ペ酒だったが。

 

これに婚約者のローラさんがドハマリして、引き出物用に何百本も用意する羽目になるとは、この時の俺には思いもよらない事なのだった……




twitterのアカウント作りました。

特に有益な事はつぶやきません。

https://twitter.com/Hadokenshiro


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第41話 転生者 結婚前夜 腹座り

のび太の結婚前夜を見直しました、全く参考になりませんでした。


「やはり、この酒はうまいな」

 

「ローラさん、すっかりそのお酒にお熱ですね」

 

「仕方がないだろう、なんせ旦那様が作ってくれたお酒なんだからな」

 

 

 

そう言うと、ローラさんはうっとりと酒の入ったグラスを見つめる。

 

明日は俺の15歳の誕生日。

 

成人してすぐ結婚することは前々から決まっているから、今は俺とローラさんの結婚式の大詰めの打ち合わせ中なんだ。

 

思っていた五倍ぐらい披露宴に列席してくださる人達が膨れ上がってしまって、ここ最近はいろんなものの手配で研究どころじゃなかった。

 

ぶっちゃけ実家の跡取りである兄貴の結婚式よりもよっぽど規模が大きいんだけど、まぁそこは貴族と平民の感覚の違いなんだろうか……

 

割と秘密裏に進めていた魔臓欠損者の治療も、俺が貴種に連なるなら公然の秘密ぐらいの扱いになるらしくて、今まで治療してきた人達も来てくれるそうだ。

 

つってもあんま人となりも覚えてなかったから、事前に人相書きやらプロファイルやらを暗記するのでめちゃくちゃ大変だった。

 

万が一にも粗相があったらまずいからな。

 

 

 

そこらへんが完璧なローラさんは、月を眺めながら優雅にグラスを傾けているわけだ。

 

ローラさんは明日の衣装も軍服だから気楽でいいな、俺なんか知らないうちに真っ白なスーツが用意されてたんだぞ。

 

 

 

「しかし、いいのかい?」

 

「何がですか?」

 

「このお酒の名前、『ローラ・ローラ』なんてつけてもらってしまって」

 

「他の女性の名前をつけるほうが問題だと思うんですけど」

 

「そういうことじゃないさ……君はもう少し女心を勉強した方がいいね」

 

 

 

論文に纏めてくれたら読むんだけどな。

 

まぁ、結婚式の参列者にしか渡さないようなお酒なんだ。

 

新婚カップルのアツアツさをアピールする材料としては上々だろう。

 

 

 

俺が明日の列席者の資料を捲っていると、ローラさんは月を見つめてぽつりとこぼした。

 

 

 

「結局、私の実家の者は来なかったな」

 

「王都におられるんですっけ?」

 

「兄が陸軍の幕僚として務めていてな、父と母は辺境の領地に籠もっているよ」

 

「辺境、ここ(トルキイバ)みたいなとこですか?」

 

「いいや、もっと寒い、こことは正反対の場所さ。海に面していてね、年中魚を食べていたよ」

 

「そうだったんですか」

 

 

 

正直俺はローラさんの実家の事も、王都での事もよく知らない。

 

Need to knowの原則というやつだろう、別に俺は軍から禄を貰っているわけじゃないんだ。

 

そもそも貴族の情報にアクセスできるのは貴族だけだ。

 

俺が関わっていくのは真実明日からなんだ。

 

 

 

「別に家族を恨んだりはしていないよ」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ、自分を追い越して老いていく娘や妹なんて、見たくはないだろう?」

 

「そうですかね、僕はあんまりわかりません」

 

「市井の者と貴族の考え方は違うということさ」

 

 

 

俺ならどんな状況になっても家族は見捨てないだろうが、やはり領地持ちの貴族ともなるとその背中には何百万人の下民の命が乗っかっているからな。

 

あんまり過剰にセンチメンタルになっているだけの余裕がないのかもしれないな。

 

でももし、俺の子供がそういう状況になったら、俺はどうするんだろうか。

 

貴族式にいくのか、俺の心を貫けるのか。

 

結局、そうなってみないとわからないんだろうな。

 

 

 

「昔、戦場でお互いの結婚式には呼び合おうと約束をした女がいてね」

 

「仲が良かったんですね」

 

「いや、逆さ。ライバルだったから、退役した後でも競い合いたかったんだ。彼女は飛行船乗りでね、あちらから奴隷を運んでたのさ。戦場でいつ落とされるかもわからない飛行船に乗るってのは、勇気のいる仕事だったよ」

 

 

 

その人はどうなったんだろうか。

 

聞きたいけど聞けなかった。

 

やはり戦争の話には、迂闊に踏み込んでいけないところがあった。

 

 

 

「おや、そんな顔をするなよ」

 

 

 

頭をくしゃりと撫でられた。

 

結局180センチもあるローラさんには、結婚までに身長が届かなかったな。

 

最も俺はまだまだ成長期だ、いつか追い越す事になるかも……なればいいなぁ……

 

 

 

「この女さ」

 

 

 

ローラさんは参列者のリストのうちの一人を指さした。

 

なんだ、生き残ってたのか。

 

 

 

「明日はやつの煙草に火でもつけて、驚かせてやろうと思ってね」

 

「はは、ほどほどにお願いしますよ」

 

「ふっ……」

 

「ローラさんは、明日はその人に勝てそうですか?」

 

 

 

彼女は一瞬だけ不思議そうな顔をして、苦笑しながら煙草を咥えた。

 

 

 

「もちろんさ」

 

「勝ち続けられるような家庭を築いていきましょうね」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 

ローラさんは顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 

 

 

「子供は5人ぐらい欲しいです」

 

「ま、努力はしてみる」

 

「芝居にかまけてても許してくださいね」

 

「それも、努力してみるよ」

 

「最後にもう一つだけお願いなんですけど……」

 

 

 

そっぽを向いていたローラさんが振り返った。

 

 

 

「これから先、もし国に何かがあっても、もう戦場には戻らないでほしいんです」

 

 

 

口元から煙草をぽとりと落とした彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめ、不器用な笑みを浮かべて言った。

 

 

 

「それは、君の努力次第かな」

 

「それなら、僕も頑張ります」

 

 

 

俺は彼女の手を引き、少し屈んだ彼女と口づけを交わした。

 

煙草の匂いが鼻を通っていく。

 

もう腹は据わっている。

 

俺はこれから、うちの国が有利になるものならなんでも作ってやる。

 

俺の嫁さんや、その子供が死ななくて済むなら、俺はあの世でどんな罪でも被ってやる。

 

2人ぶんの人生を生きて、ようやく守るべきものを手に入れたんだ。

 

俺は男になったんだ。




一方、足元では絨毯が焦げていた。


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第42話 リハーサル 好きになれない その響き

ドンドンドン!

 

ッタッスタタタ!

 

ドンドドドン!

 

プィープァープゥー

 

ベェェェェェェッ!

 

 

 

「いいぞー!ねぇちゃんたちー!」

 

「モイモー!かっこいいよー!」

 

 

 

今日はご主人様の結婚式前日。

 

私達は技能奴隷の私設音楽隊。

 

いまは明日の結婚式で演奏するための、楽器と行進の最後の練習をしているのだけれど……

 

シェンカー一家本部の前の通りは、もう朝から大変な混雑になっていた。

 

立ち見座り見は当たり前、近所の人なんか家の窓際を見物席として貸し出して商売していたりする。

 

これは今日だけじゃない、ここのところずーっとなんだ。

 

私たち音楽隊は、冬から半年間かけて明日の結婚式に向けての準備をしてきた。

 

楽器や指揮の先生をつけてもらい、古典から大衆音楽、ご主人様の作曲した結婚式用の曲に至るまで、ひたすら練習を重ねてきたんだ。

 

最初はまともに音が鳴らせない子も結構いた。

 

行進で蹴躓いて楽器を壊して怒られた子もいた。

 

意見の合わないときは、人垣でリングを作って殴り合った。

 

雪の降り止む頃には、だんだん音が途切れずに出るようになり。

 

春の日差しを感じる頃には、喧嘩もなくなった。

 

コートを脱ぐ頃には、足並みが揃うようになり。

 

強い日差しを感じるようになった頃には、私達は家族になっていた。

 

最初の頃は一家の仲間達だけだった見物人が、だんだん増え……

 

いつの間にか通りを埋め尽くし。

 

ほかの町から見物人が押し寄せ。

 

今やトルクスやルエフマから、私達目当ての観光客までやってくるようになった。

 

当然のように通りには屋台が立ち並び、用心棒代わりの冒険者組も常駐するようになる。

 

行進の場所を確保するために縄張りをやって、人をどけてと案内人が何人も立つようになった。

 

いつの間にやら大商いだ。

 

何がそんなに珍しいのか、ほんとうに毎日毎日色んな人が入れ代わり立ち代わりやってくる。

 

しまいには隣の通りでも、全然関係ない楽団が演奏を始める始末。

 

もうこの半年は本当に大変だった。

 

ご主人様は私達のために、町長さんにこの通りを貸し切る手続きをしてくれたんだよね。

 

結構お金払ったみたいだけど、元は取れたのかな?

 

うちの屋台の売り上げは毎日凄かったらしいから、大丈夫かな。

 

でもそういう乱痴気騒ぎも、もう今日で全て終わり。

 

泣いても笑っても、今日が最後の練習だ。

 

明日はお貴族様の前で、技能奴隷として演奏を発表する晴れ舞台なんだ。

 

 

 

「その衣装いくらしたんだー!?」

 

「キャー!かっこいいー!」

 

 

 

そう、晴れ舞台だから、晴れ衣装を着ている。

 

ご主人様が特注で作ってくれた、白と青を基調に、赤の差し色が入ったかっこいい衣装。

 

袖のないブレザー型で、ところどころが金色のモールで縁取られている。

 

生地自体にもキラキラの糸が織り込まれていて、大変な値打ちものだと一目見るだけでわかった。

 

ボタンのついたかっこいい帽子もついていて、袖を通したその日から、街のみんなの注目の的だ。

 

ただ、下は白のスカートだから男は着れないのだけどね。

 

揃いの白い長ブーツの踵を鳴らして行進すると、街の子供達が周りを走ってついてくる。

 

キラキラのお目々を大きく開けて、私が小太鼓を叩くのを一生懸命見つめているところを見ているとなんだか面映い気持ちになっちゃう。

 

私も子供の頃は、大道芸人をこういう目で見ていたなぁ。

 

 

 

ズッタカタッ!

 

ズッタカタッ!

 

タカタッ!タカタッ!タッタッタッ!

 

 

 

曲の切れ目を私の小太鼓で繋ぎ、次の曲に入る。

 

先頭を歩く指揮者が大きな指揮棒をくるくると操って、観客たちから歓声が飛ぶ。

 

低い大ラッパの音で始まったのは、私達の持ち曲の中で一番お堅い、一番有名な曲。

 

この国の国歌だ。

 

本来は清聴するものだけれども、ここは街角。

 

集まった全員が大喜びで歌いだす。

 

 

 

"西の尾根まで馬走らせて

 

東の果てまで攻め立てる

 

南の美姫達侍らせて

 

北の海割り街を焼く

 

 

朝の日差しで弓を張り

 

昼の最中に敵を撃つ

 

夕に奪って酌み交わす酒

 

夜に紛れて山を焼く

 

 

太陽なぞり煌めく畑

 

星の並びに時を知る

 

龍にまたがり燃える胸

 

我らクラウニア月を焼く"

 

 

 

気づけば、みんなが両手を上げて『クラウニアに!』と万歳三唱をしていた。

 

ああ、楽しいなぁ。

 

ずうっとやっていたい、このお祭り騒ぎを。

 

隣で大太鼓を叩いている狐人族のムハラと視線を交わして笑い合う。

 

いい顔だね、ムハラ。

 

多分私も、こんないい顔をしているんだろうなぁ。

 

 

 

乱痴気騒ぎは太陽が沈むまで続き、見物客達は別れを惜しみながらもそれぞれのねぐらへと帰っていった。

 

私達は楽器を磨きながら、明日の最終打ち合わせをする。

 

といっても、半年間毎日毎日聞いている事。

 

こんなことしなくたって完璧にこなせる。

 

でもほとんど習慣になっちゃってるから、誰も何も言わなくてもみんなが集まっちゃうんだよね。

 

 

 

「いいか、来賓が全て揃われるまでは音を止めるなよ。ちゃんと合図があるからな」

 

「わかってるよ、指揮者(あんた)が指示してアルプの小太鼓で動くんだろ。耳にタコだよ」

 

「違いない!」

 

「アルプ、トチんなよ〜」

 

 

 

みんなの視線を受けると、急に緊張してきた。

 

私が始点になる曲ばっかりなんだよねぇ……

 

大丈夫かな、曲目飛ばしたりしないだろうか?

 

 

 

「これ、明日の曲目書いといた、大太鼓の横に貼っとけ」

 

「あ、ありがとう……」

 

 

 

指揮者のレオナさんから小さな紙を手渡された。

 

大太鼓のムハラとはいつでも隣だ、貼っておけば見ながら動けるからありがたい。

 

そういえばむかしご主人様が教えてくれたんだよね、手のひらに自分の名前を10回書いて飲むと緊張しなくなるって。

 

あれ、アルプってどう書くんだったっけ?

 

 

 

「お前今から緊張してどうすんだよ!」

 

 

 

お調子者のシーナのそんな言葉にドッとみんなが笑ったのはいいのだけれど、私は全然笑えない。

 

急に自分が自分じゃなくなったみたいに体がぎこちない。

 

前日からこんなことでどうしようか……

 

 

 

「そういやアルプ、お前もうすぐ退役だろ、どうすんだ?」

 

「えっ、退役?ああ、退役ね。このまま音楽隊に残れたらなって思ってる」

 

「まあ、よそに働きに行く理由がねぇしな」

 

 

 

膝を抱えて笑う犬人族のシーナは、退役したら屋台を持たせてもらいたいってチキンさんにお願いしてるらしい。

 

音楽隊に残ればいいのに、シーナの笛って素敵なんだよ?

 

 

 

「そーそー、ぜんぜん不自由してないもん」

 

「仲間もいるし、飯もうまいし、ご主人様はほっといてくれるしな」

 

 

 

そうなんだよね、特にご主人様の気分で怒られることがないって最高。

 

昔いた家では女主人の気分でムチが飛んでたから、みんないっつもハラハラしてたんだよね。

 

 

 

「だいたいよそとは稼ぎが違いすぎるのよね、シェンカー以上のお金持ちって、もうお貴族様ぐらいでしょ?」

 

「おいおい、明日からはご主人様もお貴族様だろ?」

 

「そういやそうだ!」

 

「明日だって、心付けが出るって噂だぜ。出どころはジレンだから間違いねぇ」

 

 

 

シーナは人差し指と親指で丸を作って下品に笑う。

 

だめだよ、シーナはもっとお淑やかにしないと、ときどきこっそり会ってる彼に振られちゃうぞ。

 

とりとめのない話が、夜に溶けていく。

 

指揮者のレオナさんも、ちょっと困ったような顔をして肩をすくめるだけ。

 

今更確認なんてしなくても、みんな体に流れが染み付いてるもの。

 

もちろん私だってそうだ。

 

いつの間にか、緊張もどこかに行っちゃったみたい。

 

うん、ここの皆なら大丈夫だよね。

 

あんなに何度もやってきたこと、失敗するわけがない。

 

そうだよね、私ももうすぐシェンカー家の退役奴隷(せいしゃいん)なんだ。

 

楽しみだな、何を買おうかな。

 

自分用の小太鼓、きれいな服、衣装につける飾り鎖、他の楽器でもいい。

 

あ、そうだ!

 

まずは奥様の名前のついた、あのお酒を買ってみたいかも……

 

お酒に名前つけてもらえるだなんて、うっとりしちゃうよね〜。




国家は「線路は続くよどこまでも」のメロディです。

ちょっと更新が隔日になるかもしれません。

時間がある時にいっぱい更新するスタイルにします。


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第43話 結婚は めでたいけれど 式つらい 前編

ついにこの日がやってきた。

 

新郎である俺サワディ・スレイラと、新婦であるローラ・スレイラさんの結婚披露宴の日だ。

 

届け出はもう出してあるから、結婚自体は済んでる。

 

うちの家族は特になんでもない感じで「おめでと~」って言ってくれたぜ。

 

親父だけ涙を流しながら俺のことをハグしてきたんだが、遠くに嫁いでいく娘じゃああるまいし、感傷的すぎるんじゃないかな?

 

ふたりとももうとっくに着替えは終わっていて、俺は「黒髪に映えるから」ってローラさんが選んできた白い三つ揃えのスーツ。

 

そんでローラさん自身は地味な軍服。

 

胸元には勲章フル装備で、バカみたいに重そうだ。

 

もっとオシャレしたらいいのにと思ったんだけど、軍人さんもいっぱい来るからフォーマルな格好から外せなかったんだよね。

 

結婚披露宴の場所は魔導学園の多目的ホール。

 

ここは主に貴族が大規模な冠婚葬祭で使う場所なんだけど、今回はエストマ翁とマリノ教授の口利きで面倒なく借りることができた。

 

まぁローラさんも貴族だから普通に申請出せば借りられたと思うけど、教授陣が間に入ると話の進みが全然違うね。

 

特にエストマ翁は今回の件の仲人までつとめてくれる事になり、今後は本格的に頭が上がらなくなりそうな感じだ。

 

ていうか俺も最近聞いて驚いたんだけど、エストマ翁とローラさんは遠縁の親戚だったらしい。

 

普通に親しそうに話してるの見てびっくりしたわ。

 

まぁ、英雄の親戚は英雄って事なのかな?

 

ローラさんの豊かな胸を押しつぶさんばかりの勲章を横目で見ながら、そう思った。

 

 

 

 

 

うちの奴隷音楽隊が奏でる音楽をバックに、そうそうたるメンツの来賓が入場していくのを待機場所から見ていると、口から自然とため息が漏れた。

 

普通に学校の知り合い呼んで披露宴するだけのつもりだったのに、なんでこんな大事になっちゃったのかなぁ……

 

とにかくどちらを向いてもいかつい軍服の人と、その嫁さんばかりだ。

 

大半は俺が治療した相手だが、知らない人もぽつぽつといる……

 

現役軍人は退役者に比べると少ないが、胸の勲章を光らせたローラさんの元部下とかいう人が何人も来ていて胃が痛む。

 

そして極めつけが……急遽ねじ込まれてやって来た学園長の叔父とかいう陸軍元帥の名代だ。

 

来賓の一覧を見た周りの軍人たちがざわついている。

 

そりゃそうだろ、俺なんか単なる平民のいち学生なんだぞ!

 

来る理由がないだろ!

 

どういうイジメなんだ!

 

やっぱ、海軍の人間と喋ったら殺すぞってことなのか……?

 

 

 

「それでは、新郎新婦の入場です」

 

 

 

会場がほとんどオリーブドラブ一色に塗り尽くされたところで、ようやく俺達の入場が始まった。

 

慣例では男性が一歩ひいた女性の手を引いてエスコートするって形になるんだが、俺達がそうしたって身長差があって滑稽なだけだ。

 

2人横並びで、万雷の拍手の中をメイン席へと歩いていく。

 

バックでは俺が音楽隊に教えたメンデルスゾーンの結婚行進曲が鳴っていて、最高に結婚式って感じだ。

 

この感覚がわかるの、この世界で俺しかいないのが寂しいけどね。

 

ロマンチストと笑われてもいい、俺はこの幸せを、俺なりにきちんと噛み締めたかったんだ。

 

俺にとっての幸せといえばテンプレ結婚式。

 

そして俺にとってのテンプレといえば、メンデルスゾーンだった。

 

異論は認める。

 

異世界までご祝儀持って言いに来てくれ。

 

 

 

 

 

「先生!おめでとう!」

 

「美人捕まえやがって!この幸せもん!」

 

「子供はすぐ作れよ!」

 

「こんな酒どこで買った!」

 

 

 

左右をむくつけき軍人に囲まれたヴァージンロードを渡りきり、ようやく席に腰を据えた俺はヘトヘトに疲れ果てていた。

 

いかついやつらに歩いてる間じゅう祝福されながら背中をバンバン叩かれてもうフラフラだ。

 

いやいやしょうがない、ここは我慢のしどころだ。

 

一生に一度の結婚式なんだからな。

 

たしかここからは、新郎新婦紹介からの……

 

ん?なんだ、元帥の名代の人がこっちに歩いてくるな。

 

ローラさんの方を見ると、小声で「ラスプ元大将だ」と耳打ちしてくれたけど、そういう事じゃない。

 

胸に1つだけクソデカい勲章をつけたそのおじさんは、俺たちの座るメイン席の真ん前に陣取って客席を向いた。

 

 

 

「それでは、式次第の前に、来賓のセンチュリオ元帥の名代であります、ラスプ元大将からのお言葉がございます。全員、その場で傾聴!」

 

 

 

司会者の言葉に全員がラスプ元大将の方を見る。

 

え、何?

 

マジで聞いてない。

 

ローラさんを見ると、彼女は目を大きく見開いたまま首を横に振った。

 

ローラさんも聞いてないわけ?

 

俺の結婚式、わけもわからず会ったこともないおじさんのスピーチから始まるの?

 

3つの袋の話でもしてくれるのかな?

 

 

 

「まずは、このよき日に参列できた事を嬉しく思う」

 

 

 

ロマンスグレーのラスプ元大将は、よく通る低い声だった。

 

さすが大将ともなると貫禄が違う。

 

ゆっくりと魔具のマイクロフォンに向かって語り始めた彼に、会場中が一瞬で惹きつけられていた。

 

 

 

「『光線』のローラ・スレイラ元少佐の事は皆もよく知っているだろうが、その花婿のサワディ・スレイラ殿の事は知らぬ者も多いだろう」

 

 

 

俺もあんたのこと知らないんですけど。

 

 

 

「彼は、今や軍に不可欠な存在となった魔結晶交換式造魔の実質的な発明者である」

 

 

 

会場がどよめく、俺の心もどよめいてるよ。

 

なんでいきなりそれをバラされてんの?

 

功績横流しの、暗黙の了解はどこに行ったんだよ!!

 

 

 

「さらに、近頃巷を騒がす大陸横断鉄道(グランド・フランク・レイルロード)の基幹技術の発明者でもある。彼は未だ学生の身でありながら、偉大なる功績を残した造魔研究者なのだ」

 

 

 

会場のどよめきは、さきほどよりもさらに大きくなった。

 

 

 

「彼の身辺保護上の理由により、長らくこの事実は極秘案件として隠蔽されてきた。だがしかし、この大功績者に、国が報いずしてなんとする!彼の偉大さを満天下に知らしめるのに、この吉日より相応しい日はない、そうであろう!」

 

 

 

拳を握る元大将殿の力強い言葉に、会場から大きな拍手が沸き起こった。

 

いやいやいや、指笛とか鳴らさなくていいから。

 

うっ、なんか吐き気がしてきた……

 

 

 

「故に、彼に対して国防省より剣付き高鷲勲章を授与するものとする。並びに大蔵省より、菱形三輪勲章を授与するものとする。サワディ・スレイラ!前へ!」

 

「はっ!」

 

 

 

言葉の内容をよく理解しないまま、体が自動的(オートマチック)に動いていた。

 

学校で徹底的に教えられた、目上の人から物を受け取る動きが勝手に再生されていく。

 

やはり学校教育というのは偉大だ、きちんと役に立つ。

 

ラスプ元大将の前に踵を鳴らして直立不動で立ち、言葉を待つ。

 

 

 

「おめでとう!」

 

「光栄であります!」

 

 

 

元大将殿により勲章を手渡された俺は、くるりと客席の方を向き、また深々とお辞儀をした。

 

今日一番の、新郎新婦入場の時よりも大きな拍手が沸き起こる。

 

なんなんだこれは……

 

流されるままに、年金付きの勲章を2つも貰ってしまった。

 

頭を上げると、苦笑したエストマ翁の顔が見えた。

 

もしかしてエストマ翁、この事知ってたんですか!?

 

後ろから、ポンと肩を叩かれる。

 

背後に立つ元大将殿から、割と気さくな声で「悪く思うな、元帥は人を驚かすのが好きでな」と耳打ちされた。

 

いやいや、そんなご無体な……

 

そりゃ、あなたはお役目なんでしょうけども……

 

わかってるなら、事前に裏で連絡ぐらいしてくださいよぉ……

 

ふにゃふにゃの足取りで席に戻った俺は、腰が砕けてしまって真っ直ぐ座ることすらできなかった。

 

しかし、勲章か。

 

新米貴種としてはこの上ない箔付けだけど、これってもう完全に陸軍閥に取り込まれてるって事だよな?

 

縋るようにローラさんの方を見ると、目と目が合った。

 

彼女は気まずそうに顔を逸らして、ぽつりと言う。

 

 

 

「多分、大陸横断鉄道(グランド・フランク・レイルロード)への巡幸の件があったから、ここまで話が大きくなったんだと思う」

 

 

 

ああ、なるほどね。

 

王家が興味を示した大事業に関わった者が評価されてない(・・・・・)んじゃ問題ってことね。

 

後でバレて問題になるぐらいなら、平民から貴種になるのを待ってたって事にしたってこと?

 

いやー、キツいっす。

 

俺は俺の紹介文を読む司会の声を、聞くともなく聞いている。

 

空は青、俺の心もまっ青。

 

ただ新品のスーツの穢れなき白さだけが、無性に目に痛かった。




税金



高い


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第44話 結婚は めでたいけれど 式つらい 後編

KAOSS PAD3の改造をしてたら半田ごてを取り落として机が焦げました。


「元帥閣下も悪気はないんだよ」

 

 

 

挨拶まわりをしていると、マリノ教授とエストマ翁がいるテーブルで、教授にそう言われた。

 

そりゃそうだ、悪意を込めてアレをやられたらたまらない。

 

名代殿は勲章を渡すだけ渡してさっさと帰っていったけど、会場はさっきの話で持ちきりだ。

 

 

 

「元帥の家の出ともなると平民魔法使いなぞ想像の埒外(・・)の話じゃてな」

 

 

 

エストマ翁はそう言って笑うが……

 

「知らねぇ動物いるからちょっかいかけてみっか」とばかりにいたずらをされては、こちらの身が持たない。

 

 

 

「君の助教の話も、もう内諾は来てるから安心して。前にも言ったけど別に王都に行かせたりはしないから」

 

「ま、王都じゃ普通の勲章の1つや2つは虫除けにもならんでな」

 

 

 

ホッとした、どうも俺はこのままトルキイバに据え置きということでいいらしい。

 

多分だけど、軍としても俺を王都に引っ張る理由はないだろう。

 

化け物達が出世争いに火花を散らす王都に、田舎のぽっと出貴種が食い込む余裕なんかない。

 

金の卵を生む鶏が狼に裂かれるのはわかりきっているからな。

 

平民は良かったなぁ、のびのびしてて。

 

できることなら戻りたいが、戻れない。

 

胸の勲章がずんと重かった。

 

 

 

 

 

「先生に!」

 

「『神業』のサワディに!」

 

「先生はよしてくださいよ」

 

 

 

俺が魔臓を治した退役軍人の座るテーブルでは、景気のいい声と共に杯が掲げられた。

 

みなさん楽しく酔っぱらってくださっているようだ。

 

 

 

「先生、魔臓の再生の件では勲章は貰えなかったのかい?」

 

「あ~、あれはやっぱり極秘なんで」

 

「もったいないなぁ、あれが乗れば人道支援ってことで十字金翼勲章は硬かったぜ」

 

「もう十分ですよ」

 

 

 

そんな話をしていると、さっきから黙って一歩後ろを付いてきていたローラさんが口を開いた。

 

 

 

「今後も口外せぬように頼みますよ、さもないと我が夫は水鳥共の治療までしなければならなくなるのでね」

 

「そういえばそうだな」

 

「うむ、それは業腹だ」

 

「陸軍元下士官としては海軍の治療に反対だ」

 

 

 

この陸と海の対立の根深さはどこに端を発するものなのだろうか。

 

どこの世界のどこの国でもある話なのかもしれないが、将来的に空軍ができたらそこでもまた揉めるんだろうか?

 

 

 

「先生、この酒はなかなか美味いね。酒嫌いのうちの奥さんも珍しく褒めているよ」

 

 

 

金髪を後ろに撫で付けた、なんとなく洒脱な感じの軍人さんがそう言うと、隣の奥さんがぺこりと頭を下げた。

 

お二人とも名前は覚えてないが、治療した時にお二人で手を取り合って泣いていたのを覚えてる。

 

漠然と「ああいう夫婦になりたい」と、そう思わせるお二人だった。

 

 

 

「ああ、どうもありがとうございます。それは僕が作ってみたお酒なんですよ」

 

「ほぉ、先生が……なるほどそれで『ローラ・ローラ』なわけか、お熱いことだ」

 

 

 

そう言ってローラさんにグラスを掲げるクールな軍人さん。

 

「ふっ」と苦笑を返し、ローラさんは恥ずかしそうにそっぽを向いて煙草に火をつけた。

 

そのまま背広の背中を引っ張られて、他のテーブルに連れて行かれる。

 

案外恥ずかしがり屋なんだよなこの人。

 

 

 

「あら、ローラ・ローラじゃない。その後のお加減いかがかしら?」

 

 

 

例の酒を片手に話しかけてきたのは、ローラさんに負けない数の勲章を控えめな胸元にぶら下げた黒髪の女性だった。

 

猛禽類のように目つきが鋭く、装飾を施されたピンヒールのブーツは陽の光をぎらぎらと反射している。

 

ローラさんは嬉しそうにその女性に片手を上げると、煙草を根本まで吸いきって、通りがかったボーイに吸い殻を渡した。

 

 

 

「不便よね、煙草を吸うのにも魔具が必要で。心配なさらないで、今日の煙草の火ぐらいは私がつけて差し上げますわ」

 

「エイハ、君もどうだ?」

 

「相変わらず、余裕綽々だこと」

 

 

 

ローラさんの事を見下しているような、憐れんでいるような感じの女性だったが。

 

咥えた煙草にローラさんが火をつけたのを見て、口からぽとりと煙草を取り落とした。

 

 

 

「あなた、魔臓が……」

 

「まぁね」

 

 

 

珍しく得意気な顔をして、ローラさんはちらりと俺のことを見た。

 

 

 

「そう、そちらの旦那さんが『神業』というわけ」

 

「おいおい、そんな人間どこにも存在しない、そうだろう?」

 

「あ、そ……ま、いいですわ。それで、軍にはいつお戻りになって?」

 

 

 

ローラさんはぷかりと空に煙を吐き出し「戻らない」と言った。

 

 

 

「なんですって?」

 

 

 

空間がぎしりと歪んだ気がした。

 

無意識で自分に強化魔法を発動してしまうぐらいの気当たりが体を震わせ、空を飛んでいた鳩が近くに墜落してきた。

 

なんだこの女、世紀末覇王か何かか!?

 

 

 

「もう一度言ってくださる?スレイラ家のあなたが。このエイハ・レジアスの好敵手のおんな(・・・)が。魔臓を取り戻して、戦場に戻らない?」

 

 

 

ローラさんは屈託なく笑って、まるで友達に新しいおもちゃを自慢するような気楽さで彼女に笑い返した。

 

 

 

「旦那様は、私が戦争に行かなくてもいいようにしてくださるそうだ」

 

 

 

質量のある殺気が、横殴りのプレッシャーとなって俺に飛んできた。

 

ヤバい女はローラさんから視線を外し、俺の事を睨みつける。

 

うっ、吐きそう。

 

 

 

「サワディ殿とかおっしゃいましたか……あなた、何か勘違いしてるのではなくて?」

 

「え、いや、あの……」

 

「この女は、そんじょそこらの売女とは違うの。『光線』なのよ」

 

「はぁ……」

 

 

 

ローラさんは俺と彼女のやり取りを見てニヤニヤ笑っている。

 

ヤバいお友達の相手を俺に任せないでくれよ……

 

 

 

「飛行船を腕の一振りで焼き落とし。雲霞の如く攻め寄せる敵の大軍に花道を開け、兜首めがけて突撃する。女の形をした鬼なのよ。あなたなんかにどうにかできる存在じゃあないの」

 

 

 

なんか、俺と彼女の間が物理的にピリついている気がする……

 

背筋がざわざわするが、俺は勇気を振り絞って屹然と答えた。

 

 

 

「たとえ鬼でも女ですから。夫の私が守ります」

 

 

 

視線が鋭くなりすぎて、とても直視できない顔をしたエイハ嬢は「ドチッ!」と巨大な舌打ちをした

 

 

 

「あなた、人を殺したことはあって?」

 

「ありません」

 

「よくもそんな男が、ローラ・スレイラを守るだなんて言えたものね」

 

「僕は、治すほうでやっていこうと思ってます」

 

「そんな根性、戦場ではクソの役にも立たん!」

 

 

 

ドン!と踏み降ろされた足には紫電が纏わりついていた。

 

彼女の足元から、会場の床に大きなヒビが走る。

 

それは物凄い勢いで俺の足元まで伸び、凍りついてぴたっと止まった。

 

 

 

「そこまでにしたまえ」

 

 

 

凍てつくような空気を纏ったさっきのクールな退役軍人が、俺と女の間に踏み込んできた。

 

 

 

「祝いの席だぞ、わきまえたまえ」

 

 

 

その隣からは、腕に煙を纏わせた大柄な退役軍人も出てくる。

 

 

 

「若人の青臭い理想、後押しするのも老兵の役目」

 

 

 

宙に火球を浮かせた初老の退役軍人も、後ろからゆっくりと歩いてきた。

 

気がつけば、周りはすっかり退役軍人だらけだ。

 

 

 

「男、それがお前の力とでも言うつもりか?」

 

 

 

全く引く気のないエイハ嬢は、周りに立つ退役軍人たちを見回して、体中に紫電を纏わせる。

 

すわ、一触即発か!と思えたところで、いい意味で気の抜けた声が聞こえた。

 

 

 

「友達を男に取られて悲しいのもわかるが、そのぐらいにしておけ」

 

 

 

スピリッツの瓶を片手に下げた、エストマ翁だった。

 

 

 

「はっ!」

 

「晴れの席じゃ、静かにやれ」

 

「申し訳ありませんでした!」

 

 

 

さっきまでの殺気はなんだったのだろうか。

 

エイハ嬢は綺麗な敬礼をして、紫電を霧散させた。

 

ローラさんは怪訝な顔をする俺に手を振り、自分の階級章を指さした。

 

あっ……なるほど、骨の髄まで軍人なのね。

 

上官には逆らえないのか……

 

緊張の糸が切れたのか、今日一日で色々な事がありすぎたのか、頭がふわふわする。

 

腹からも力がぬけたようで体がふらふらした。

 

ぽすり、と温かいものに包まれた。

 

周りから、指笛の音が鳴り響く。

 

上を見上げると、俺を抱きとめたローラさんの優しい顔がある。

 

ぐっと、腹に力が戻ってきた。

 

俺は守るぞ。

 

この人を、この都市を。

 

他の誰かが、俺の作ったものでどう不幸になったって構わない。

 

絶対に二度と、俺の大事な人を戦争なんかにやるものか。

 

周りのざわめきが、からかうような歓声に変わる。

 

俺の決意は、暖かな口づけに溶けていった。




物語はまだまだ続きます。

話も一区切りというところで、これからしばらくは3日に1回更新します。

お疲れドナ・サマー!!


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第45話 造魔さん AIなんか 目じゃないね

結局俺とローラさんの新婚生活は、俺が彼女の家に転がり込むことで始まった。

 

学校の近くの一等地にあるでっかい家だ。

 

家賃を聞いてみたら、なんと驚きの現金買取だったらしい。

 

俺の年の稼ぎが飛びかねない値段に目玉が飛び出しそうだった。

 

やっぱ本物の金持ちはスケールが違うぜ。

 

ほんとは新しく家を買うつもりだったんだけど、値段聞いてやめたんだ。

 

絶対ここよりいい家買えないからな。

 

四人乗りの馬車が三台は停められる駐車場に、馬が十頭入る馬房。

 

二階にある浴場なんか空の見えるガラス張りで大理石製だ。

 

人造大理石(テラゾー)なんかないから天然だぞ、天然。

 

ちなみに俺は研究とかで夜中まで起きてる事も多いから部屋を分けようと言ったんだけど。

 

「それは絶対にいやだ」とほっぺたを膨らませたローラさんに止められた。

 

おいおい、ワガママ言っちゃ困るぜベイビー。

 

まぁ一緒の部屋になりましたけどね。

 

まぁ?

 

新婚ですから?

 

しゃーないっすわ、しゃーなしでね。

 

部屋のクローゼット開けたら半ズボンが入ってた時は腰抜かして、怖くて泣きそうになったけどな。

 

もうさすがに外で半ズボンは勘弁してくれ、部屋着ならいいけどさ。

 

 

 

 

 

とにかく、そんな豪邸での新婚生活を始めた俺なんだけど……

 

久々に実家に帰ってみたら、不思議な事を目にしたんだ。

 

 

 

「おおよしよし、お腹すいちゃったか」

 

「……♡……♡」

 

 

 

実家に戻って、商売について番頭と話をしていたんだけど。

 

そんな俺の前で、造魔バイコーンが魔結晶を持ってきた丁稚に甘え始めたんだ。

 

鼻先を丁稚の腰に擦りつけて、周りをぐるぐる回るバイコーン

 

ん?おかしいな。

 

あんな行動パターンあったか?

 

見間違いかな?

 

 

 

「……♡……♡」

 

「おお、いまやるからなぁ」

 

 

 

丁稚の言葉にバイコーンは嬉しそうにお尻をふって、背中の魔結晶入れのハッチを開けやすい場所に持ってきている。

 

まるで大きな犬のようだ。

 

体中の動きで喜びを表していて、なかなか愛らしい。

 

いやでも、これって……

 

あれ?

 

いや、いいのか……って駄目だろ!!

 

こいつ、自我が芽生えてないか!?

 

造魔っていうのは作られた生命体、言わば使い捨てのロケットみたいなものなんだ。

 

ロケットが自我持ってたらおかしいだろ!

 

 

 

「…………」

 

「……?」

 

 

 

魔結晶を補充して貰って嬉しそうにしているバイコーンに恐る恐る近づく。

 

首をかしげるバイコーン、まるで生きているようだ。

 

 

 

「……よーしよし」

 

「……♡」

 

 

 

俺が恐る恐る頭を撫でてみると、バイコーンは首をかしげながらも手に頭を押し付けてくる。

 

これは……本当に自我が芽生えているように見える。

 

 

 

「こいつ、いつからこんな感じなんだ?」

 

「最初からですよ?」

 

 

 

嘘つくな!

 

造魔に興味がない番頭はそう言うが、作った時は普通の造魔となんら変わりなかったはずだ。

 

怪訝な顔をする俺に、丁稚が訂正を加えてきた。

 

 

 

「いやいや、こうして甘えてくるようになったのはつい最近ですよ。お前もようやくうちにも慣れてきたんだよな。なぁ?」

 

「……♡」

 

 

 

丁稚がそう言いながら角を撫でるのに、バイコーンは体を擦り付けて答える。

 

なんだ、どうして……

 

色々作ったが、他の造魔ではこんな事はなかったはずだ。

 

そういう報告もどこからも上がってきていない……

 

いや、このバイコーンは俺が作った一番最初の燃料交換式造魔だ。

 

もしかして……

 

この造魔、三年かけて成長してるってことか?

 

一応だが、造魔にも脳みそに相当する部分はある。

 

そもそも単一の働きしかしない機械とは設計思想が違う、造魔は機械よりもずっと複雑な物なんだ。

 

ありえない話じゃない、こうして変質したバイコーンが目の前にいるわけだしな。

 

……これは、検証する必要があるな。

 

丁稚に犬みたいな甘え方をするバイコーンを見ながら、俺は新しい研究計画を立て始めていた。

 

 

 

 

 

「坊っちゃん、この大きい卵、どうしたんですか?」

 

「今日はこちらの卵を料理するんですか?」

 

「綺麗な色の卵ですね」

 

 

 

一ヶ月後のM.S.G(マジカル・シェンカー・グループ)本部。

 

俺の目の前の机には、一抱えもある赤青緑の卵が置かれていた。

 

その前にはうちの退役奴隷が3人並ぶ。

 

赤毛の魚人族の戦士ロース、料理が得意な緑髪眼鏡のハント、そして何の変哲もない会計役のチキンだ。

 

 

 

「君たちには、この卵を育ててもらいたい」

 

「何かの生き物なんですか?」

 

 

 

ハントが不思議そうな顔をして、指先で卵をつつく。

 

 

 

「生き物といえば生き物だが、こいつは魔結晶を食って生きる新種なんだ」

 

 

 

ロースは少し心配そうな顔でしゃがんで、上から下から卵を覗き込んでいる。

 

 

 

「新種ってそりゃ、危ない生き物じゃないんですか?」

 

「心配するな、俺が作ったんだ」

 

 

 

彼女は「俺が作った」と聞いてから余計に心配そうな顔になった。

 

失礼なやつだな、戦闘能力はないから安心しろよ。

 

 

 

「これって、飼育に手間がかかったりしますでしょうか?」

 

「かからないよ、言うことも聞くと思う、多分」

 

「それならいいんですけれども、万が一大切な書類を汚されたりすると困りますので……」

 

「躾けてくれ」

 

「え、わ、わかりました……」

 

 

 

チキンはもうすでに中の生き物との暮らしが気になっているらしい。

 

ま、多少のやんちゃ(・・・・)はするだろうが、概ね問題はないはずだ。

 

多分、おそらく、きっとそうだ。

 

俺は机の上に3つ、魔結晶を置いた。

 

完全に均質化された、地下特製の特殊な魔結晶だ。

 

 

 

「卵を選んで、底に魔結晶をはめろ」

 

「えっと、じゃああたしは赤」

 

 

 

ロースは卵を持って、手の上でくるりと回した。

 

 

 

「私は緑で」

 

 

 

ハントは恐る恐る卵を手にして、眼鏡の奥の瞳でまじまじと見つめている。

 

 

 

「それでは私は残り物で青を、早速やってみましょうか」

 

 

 

チキンはなんでもないように卵を抱きかかえて、服の袖で表面を軽く拭いた。

 

そして三人が同じタイミングで、底に魔結晶をはめ込んだ。

 

瞬間、卵はバラバラに砕け散って、殻は床に散乱する。

 

退役奴隷達の手には、それぞれ卵から出てきた動物が乗っていた。

 

ロースの卵からは、赤い毛並みの子猫。

 

ハントの卵からは、緑の小さなゴリラ。

 

チキンの卵からは、青い毛並みの子犬。

 

そう、俺が作ったのは愛玩用造魔のプロトタイプだ。

 

造魔の自我の研究に使って、ついでにあわよくば富裕層向けに商品化もできないかなと思って作ってみた。

 

どれも普通の動物よりデフォルメが効いていて、頭が大きくなっている。

 

これは学習用に脳みそにあたる部分を強化した結果だ。

 

それと、魔結晶補充も口から行えるようにしたんだよね。

 

結構技術力のいる事なんだが、彼女らに言っても伝わらんだろうな。

 

 

 

「へぇ……」

 

「おさるさん……」

 

「犬ですかぁ……」

 

 

 

感心したように手の内の動物たちを見つめる彼女たちの前に、俺は紙束を置いた。

 

 

 

「いいか、毎週そいつらについての報告書を出してくれ。手当は出す」

 

「手当が出るならかまいませんが、仕事中は誰かに預けてよろしいんで?」

 

「ああ、構わないよ」

 

 

 

ロースは目を開けないままもぞもぞする猫の背中を押さえながら言う。

 

どんな表情をしていいのかわからない感じだ。

 

 

 

「名前は私達がつけていいんですか?」

 

「好きにしてくれ」

 

 

 

ハントはゴリラの小さい手をつまみ上げて、ちょっと嬉しそうな顔だ。

 

動物好きなのかな?

 

 

 

「それで私達3人を選んだんですね、退役奴隷で文字が書けるのは少ないですものね」

 

「頼むぞ、これは俺の学校での研究に関わってるんだ」

 

「それは責任重大ですね」

 

 

 

チキンは青い子犬を胸に抱きかかえ、肩をすくめてそう言った。

 

この事実はまだ王都の研究室も把握していないかもしれないからな。

 

恩を売るにも、商品化するにも今のうちなんだ。

 

ちなみに、我が家にも同じように研究用の愛玩造魔がいる。

 

ローラさんの要望で決まったその動物のモデルは、小さな飛竜だ。

 

小さい飛竜なんか、見た目はトカゲと変わらんぞ。

 

俺は大きい猫が良かったなぁ。

 

ま、でも、これも嫁さん孝行かな。




爆撃用の竜とかが操縦士に甘えてくるようになったら捨て身アタックがしづらくて大変ですね。


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第46話 夏だから 涼しい飯が 食べたいな 前編

6000文字書こうとしてたら間に合わなかったので、また明日残りを投稿します。

そのうち一個に纏めます。


貴族のパワーってすげー!

 

本当にそう思う。

 

なぜなら、あんなに苦心していた用地取得が、貴族の配偶者になった瞬間めちゃくちゃ簡単になったからだ。

 

というか、こちらから出向くまでもなくトルキイバで一番でかい不動産屋が来て……

 

「なにやらサワディ様は劇場の用地をお探しだとか小耳に挟みまして……」

 

なんて言いながら、良さそうな土地周りの売却委任状を纏めて売り込んできたんだよね。

 

これまでは工場用地やらアパート用地やらをちまちま買っていただけでも用地取得に苦心していたわけだけど。

 

今回不動産屋が持ってきたのは、大学だってすっぽり入りそうな大用地。

 

値段も相場プラスちょい乗せぐらいで、めちゃくちゃいい話だ。

 

これまでの人生では、実家の大商家であるシェンカー家の看板にお世話になってきたんだが、やっぱ貴族っていう看板の方が圧倒的に凄いんだわ。

 

話の進みがダンチ(・・・)だ。

 

もちろん俺は一も二もなく飛びついた。

 

とはいえ、その土地代はこれまで貯めてた金ではまるで足りなかったんで、その分は二年ローンにしてもらった。

 

普通はこのレベルのローンを組むと保証人が必要になるんだけど……

 

不動産屋からは保証人もなしでオッケーと言われてしまって、腰抜かしてちびりそうになった。

 

いやいや、これまで増収増益で来てるから、普通に返せるんだよ?

 

返せるけど、なんだかこれまでとは自分の身分が違うんだという事を実感したというか、貴種としての重責を感じるというか……

 

まぁ、できる事が増えたんだと前向きに考えるか。

 

土地の方は所々に建物があったり勾配があったりする場所だったから、奴隷達に更地に直させるつもりだ。

 

上モノを建てるお金が貯まるまでは、練兵場か運動場にでもしておくかな。

 

 

 

そんなこんなで一世一代の買い物を終わらせてからしばらくたった、夏真っ盛りの日の事だ。

 

今日は休みで、俺は家の安楽椅子でぼーっと外を眺めていた。

 

なぜかわからないが、大きい買い物をしてしまった後は不思議と放心状態になってしまうんだよね。

 

多分、頭の中で得たものと失ったものが喧嘩をしているんだろうな。

 

窓際では新妻のローラさんが本のページを捲っていて、風に揺られたカーテンが床に光のグラデーションを作っていた。

 

頭の上で寝息を立てる小飛竜のトルフの尻尾が目の前をゆらゆらと右へ左へ行き来する。

 

メトロノームのように規則的なその動きに、ぐっと湧いてきた眠気にそのまま身を委ねようかと思った所で、家の使用人が入ってきた。

 

 

 

「旦那様、奥様、お食事のご用意ができました」

 

「ああ」

 

「うむ」

 

 

 

なんだか気だるい体を引きずって、食堂まで歩いていく。

 

俺達魔法使いは風を纏えるから暑さにまいるような事は早々ない。

 

しかし、たとえ一日中扇風機の前にいようが、暑いものは暑いのだ。

 

夏は暑い、夏はダルい、これは世界を跨いだ真理だった。

 

 

 

「本日の昼食は子羊のあばら肉のソテーでございます。スープはトマトの……」

 

 

 

メイド長のミオン婆さんが色々説明してくれるが、何も頭に入ってこない。

 

だめだ、食欲が湧かない。

 

もっとさっぱりしたものが食べたいなぁ。

 

ま、出されりゃ何でも食べるけどさ。

 

 

 

「クゥーン……」

 

「あら、トルフちゃんもお腹すいたの?じゃああなたはこれね」

 

 

 

俺が熱いラムチョップと格闘していると、ミオン婆さんはエプロンのポケットから魔結晶を取り出して小飛竜の前に持ってきた。

 

トルフってのはローラさんがつけた名前だ。

 

由来はわからんが、変な名前じゃなくてよかったよ。

 

この世界で前世ではど直球で下ネタな名前の人がいたりしても、俺にしかわからないから笑うに笑えなくて地獄なんだよな。

 

トルフはミオン婆さんの手から魔結晶を受け取ってひと飲みにして、そのまま手に頭を擦りつけた。

 

今のところ、学習型の造魔のこの家の使用人からの評判はいい感じだ。

 

みんな割と可愛がってくれているようで、ミオン婆さんなんか籠と布でトルフの寝床を作ってくれた。

 

他の使用人達も見かけたら触ったり話しかけたりしている。

 

ぶっちゃけ、まだ自我を持っていない学習段階の今は前世のペット型ロボットみたいなもんなんだが、造魔の事をよく知らない人からすればそれも個性に見えるようだ。

 

もっとデータがほしいから、希望する使用人に配っちゃってもいいかもしれないな。

 

ここの人らはみんな文字の読み書きができるから、報告書を書くのに問題もないだろうしね。

 

俺は婆さんの手の上で羽を開いてあくびをするトルフを見ながら、頭の中で午後からの予定を組み立てていた。

 

しかし、この飯は美味いんだけど、やっぱりこう、暑い日に熱々の肉とあったかいスープってのは辛いなぁ……

 

 

 

「どうしたんだい?」

 

 

 

複雑な顔で肉を頬張っているところを見られたのだろうか、向かいの席のローラさんから心配げに声をかけられた。

 

 

 

「ちょっと夏バテ気味でして……」

 

「むっ、そうなのかい?なあミオン、料理長に今夜は麦粥を用意するように言ってくれよ」

 

「かしこまりました」

 

 

 

うーん、麦粥かぁ……それもいいんだけど、元日本人としてはもっと他のものが食べたいな。

 

冷しゃぶとか、素麺とか……

 

あれ?

 

ていうか普通に両方できるんじゃないか?

 

豚肉はあるし、素麺も元は小麦だろ。

 

 

 

「待ってください、僕からも提案があります」

 

「なんだ、食べたい料理があるのかい?」

 

「いや、思いついた料理があるんで奴隷に作らせます」

 

「奴隷にか……うちの料理長が気にするんじゃないかな?」

 

 

 

ローラさんは厨房の方をチラッと見て言った。

 

そういやそうか。

 

シェンカー家の中だと実力主義が浸透しきっちゃってて気にもしてなかったけど、普通貴族は奴隷の作った飯なんか食わないよな。

 

うーん、まぁ出来上がったレシピを料理人に作らせるって事なら気にするまい。

 

 

 

「じゃあレシピに纏めてから持ってきますよ」

 

「そうだね。どれ、私も手伝おうじゃないか」

 

「えっ、奴隷の料理人と研究するんですけど、いいんですか?」

 

「おいおい、私自身は気にしないよ。なんたって、私はトルキイバの奴隷王の妻なんだぞ」

 

 

 

そう言って、ローラさんは茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばした。

 

 

 

飯を食った後は、ローラさん用に作った八本足のバイコーンに跨って二人で俺の実家まで向かった。

 

今日作る予定のレシピの材料を手に入れるためだ。

 

うちの家はトルキイバ随一と言って間違いがないぐらいの商家なので、割とバリエーション豊富な物資が蓄積してあるんだよね。

 

うちの兄貴も乗り回しているはずの魔改造バイコーンは未だに目立ちまくっていて、町中では指をさされまくって恥ずかしかった。

 

まぁ前世で言えばフェ○ーリみたいなもんだからな、有名税だと思おうか。

 

 

 

「魚醤はいいんですが……干鰯に干し海藻、こんなもの何に使うんですか。肥料と飼料ですよ?」

 

「料理だよ料理、あと鰹節ってないか?」

 

「なんですかそれ、聞いたこともないですよ」

 

 

 

仕事中の番頭を呼び出して倉庫を案内してもらっていたが、なかなかの在庫だ。

 

ちなみにローラさんは親父と話している。

 

父娘の団欒だな。

 

別れ際に親父が「胃に強化魔法かけてくれ」って懇願してきたけど、盃まで交わした相手にそこまで緊張することないだろ。

 

今からあんな緊張してたら、子供ができたら見せに行くたびにやつれて干物みたいになっちまうぞ。

 

干物……おっと、そういえば干し椎茸はないのかな?

 

椎茸はこっちでは枯れ木キノコって呼ばれてるんだよな。

 

 

 

「枯れ木キノコの干し物とかは?」

 

「ほんの少しだけありますよ、ああいう高級品はすぐになくなりますからね」

 

 

 

枯れ木キノコって、東の山岳地帯の商家がほとんど独占してるんだよなぁ。

 

他の場所じゃ育ちにくくて、栽培もほぼ無理らしいんだけど……

 

一応トルキイバから遠くに見える山でも見つかることはあるらしく、遠征する冒険者の小遣いになってるらしい。

 

いや待てよ、俺ならここでも栽培できるか?

 

 

 

「よし、それもくれ。ひとつ俺が栽培してみよう」

 

「えぇ……?そりゃ無理だと思いますけどね……」

 

「そんなことはやってみなきゃわかんないだろ」

 

「へっ……じゃあ、まあ、成功したらうちにも卸してくださいね」

 

 

 

すげぇ小馬鹿にした感じで言われてしまった。

 

でも仕方ないか。

 

枯れ木キノコの栽培ってのは、民間では昔からずっと行われてる研究だからな。

 

あれにハマって破産する金持ちもいるんだ、小僧の道楽にしか思えんわな。

 

 

 

「枯れ木キノコは屋敷に送っといて」

 

「わかりました、魚醤と干鰯、干し海藻は本部のチキン宛てでいいんですか?」

 

「いや、それはすぐ使うから馬に積んどいてくれ」

 

「わかりました、手配します」

 

 

 

こういう時、リムジンみたいに長い八本足の造魔馬は楽だ。

 

後ろになんでも括り付けられるし。

 

そのかわり、町では子供に追いかけられるけどな。

 

俺とローラさんはマジカル・シェンカー・グループの本部につくまで、再び町の話題をかっさらったのだった。




今日回転寿司食ってきました。

隣の人と競い合うように注文してたんですけど、白熱しすぎて途中で隣人が僕の皿を取ってしまい「ごめんね」って言われました。

許しました。

おわり。


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第46-2話 夏だから 涼しい飯が 食べたいな 後編

そのうち前編とまとめます。


マジカル・シェンカー・グループの本部前を警備する奴隷達をびっくりさせながら到着した俺達は、さっそく調理担当のシーリィとハントを捕まえて調理場へと移動した。

 

ちなみに例の()は本部の奥の奥にあって、偽装もされているからとりあえず見つかる心配はないだろう。

 

魔結晶プラントの事はいずれはローラさんにも話さなきゃいけないのかもしれないが、できたらこのまま墓まで持っていきたい気持ちもある。

 

複雑なんだよな、揺れる男心なんだ。

 

 

 

 

 

「夏に食べると嬉しい爽やかな食べ物ですか、薄切りの豚を茹でてサラダに乗せるだけでいいんですか?」

 

「とりあえず私はそのソーメン?ペペロンチーノを作ってみますね、卵を入れないんですよね?」

 

「頼むぞ」

 

 

 

うちの主要な奴隷達には一応ローラさんは紹介してあるんだが、やはり緊張してまともに喋れなくなるような子も多い。

 

シーリィとハントは奴隷商での教育がしっかりしているのか、主人の俺以外の顔色をうかがうことはしない。

 

やはり人は教育が大事なんだよな。

 

この二人には将来的には奴隷への基本的な教育をやってもらいたいなぁ。

 

 

 

ピンク髪の踊り子シーリィがお湯を沸かし始めるのを見ながら、俺は麺つゆ作りを始める。

 

オイルドレッシングに関しては結構種類も多くて充実してるから、冷しゃぶの味付けは既存のものでもオッケーなのだ。

 

乾燥昆布と干鰯を水の入った鍋にざっと開け、お湯を沸かしていく。

 

こういう時、水から茹でるのかお湯に入れるのかで結構違いが大きいらしいんだけど、それは後々誰かに検証してもらえばいいだろう。

 

 

 

「干し海藻と干鰯を水に入れて茹でる……と」

 

 

 

ローラさんは俺の横で手順をメモしてくれている。

 

ありがたい限りだ。

 

 

 

水が沸騰してきたら、しばらく待つ。

 

前世の実家で祖母がこんな感じで味噌汁を作っていたような……気がする。

 

麺つゆの出汁も味噌汁の出汁も、仕組みは一緒だろ、多分だけど。

 

 

 

「ご主人様、豚が茹で上がりました」

 

「おお、じゃあ氷を出すから冷やそう」

 

「冷やすんですか」

 

 

 

俺がひしゃくで水をすくい、魔法を使いながら皿の上に注ぐと、皿の上にはカラコロ音を立てながら氷が溜まっていく。

 

シーリィはその上に肉を一枚づつ並べ始めた。

 

冷やすのってこんな感じで良かったんだっけ……?

 

まぁ違っても、そのうちにレシピは改良されていくだろう。

 

 

 

「君、これじゃあ魔法使い以外は作れないんじゃないのかい?」

 

「あっ……」

 

 

 

しげしげと氷を見つめていたローラさんの言葉は、とことん本質をついていた。

 

そうだよ、氷使ったら料理長が作れねえじゃん。

 

いやいや、待てよ、なにか方法があるはずだ。

 

 

 

「いや、製氷の魔具とか……」

 

「うちの家ならそれでもいいかもね」

 

 

 

ローラさんは俺の頭を優しく撫でた。

 

たしかにうちには金があるから魔具を使っても大丈夫だが、これをよそで作ろうとすると大変高価な料理になってしまうだろう。

 

氷を使って冷やすのは素麺も一緒だ。

 

どうも両方、貴族の道楽料理になってしまいそうだ。

 

フロンガスもコンプレッサーもないこの世界では、夏に冷たいっていうのは高いってことなんだよな。

 

まぁ、俺が食う分には問題ないのが救いだ。

 

解決は後回しにしてしまおう。

 

冷やすといえば、料理と同様に家の冷房も難しい問題なんだ。

 

俺達が魔法で冷やしたっていいが、すぐに冷えすぎて家中に霜が降りるだろう。

 

魔法ってのは撃ったら撃ちっぱなしの弾丸みたいなもんで、持続的なコントロールは困難を極めるんだよね。

 

もちろん冷房の魔具もあるが、普及はしていない。

 

貴族でも躊躇するようなコスパってことだ。

 

 

 

そんな事を考えている間に、肉は冷えたらしい。

 

キャベツと大根のサラダに載せて、オイルドレッシングをかける。

 

豚しゃぶサラダの完成だ。

 

箸で肉とサラダを一緒に掴んで口に放り込むと、口の中が冷たくって気持ちがいい。

 

ドレッシングに混ぜられたすりごまの香りと、砂糖と香辛料の織りなす複雑な風味が豚肉によく合っている。

 

シャキシャキの野菜の歯ごたえも涼しげでいい。

 

これならいくらでも食べられそうだ。

 

 

 

「これ、いいじゃないか」

 

 

 

豚しゃぶサラダを試食したローラさんも、ニコニコ笑顔で指を立てている。

 

まぁこれは安牌だよな。

 

 

 

「冷たくて美味しいです」

 

 

 

シーリィも気に入ったようだ。

 

とりあえず片方のメニューだけでも成功して良かったよ。

 

ん?

 

何者かに足を引っ張られた。

 

下を向くと、右足に緑のゴリラがしがみついていて、ハントのいる作業場の方を指さしている。

 

どうやら素麺も形になったようだな。

 

 

 

ゴリラと共に向かうと、緑髪の詩人ハントはメガネを曇らせながら生地を伸ばしていた。

 

そんな彼女の元にナックルウォーキングで機敏に近づいていく小さなゴリラ。

 

シュールな光景だ。

 

 

 

「ああ、お使いありがとう、ジーン」

 

「ウホッ」

 

 

 

感謝の言葉への返事に、彼女の白い足にしがみついて親愛の情を示すゴリラ。

 

うーん、笑っちゃいけないんだけど笑えてくる……

 

 

 

「ご主人様、硬さを見てくださりますか?」

 

「えっ?あ、ああ、硬さね」

 

 

 

さすがにあのゴリラを自分で作っといて笑うのは悪いよな。

 

硬さ、硬さね……

 

 

 

「わかんないからこのまま作っちゃって」

 

「はぁ、それじゃあこのまま切りますね」

 

 

 

硬さなんかわかるわけがなかった。

 

だいたい俺、乾麺しか食ったことないんだよね。

 

 

 

くりくりの目で手をふるゴリラに見送られ、煮立った鍋の前に戻った俺は、とりあえず中の具を全部捨てた。

 

少しだけ出汁をすくって味をみてみるが、単なる薄い塩味だ。

 

全くわからん。

 

これでいいのか?

 

……とにかくやってみるしかないか。

 

とりあえず出汁をいくつかのカップに同量注ぎ、魚醤と白ワインと砂糖の量を変えながら何種類か作ってみる。

 

まずは出汁強めでその他が弱めのカップから味見してみよう。

 

薄い、しかし美味い。

 

思わず飲み干してしまった。

 

うぇ……飲み干すとさすがに辛いな。

 

醤油の代わりに魚醤な時点で味のテイストは全く違うんだが、なんか記憶の中の麺つゆにうっすら近くて普通に感動した。

 

次、出汁とその他が半々のカップ。

 

これは濃すぎる。

 

魚醤汁だ。

 

どうもかなり薄味の方がいいようだな。

 

 

 

 

 

「私はこっちの濃い方が味がはっきりしていて好きかな」

 

「私もそうですね。最初のはちょっとぼんやりしているというか、ペペロンチーノのソースとしては……」

 

 

 

だが、一応味見してもらったこの世界のネイティブたる二人は濃い味の方が好きだったらしい……

 

カルチャーショック……いや、元日本人の味覚が繊細すぎるのか。

 

結局薄味と濃い味の両方を作ることにした。

 

 

 

鍋を分けて麺つゆを煮立てていると、ハントがパスタマシーンにかけた素麺を運んできた。

 

鍋に湯を沸かすように言って、俺は麺つゆを冷まし始める。

 

やはり麺つゆも冷蔵庫でキンキンに冷やしたほうが美味いからな。

 

魔法で出した氷の上に麺つゆの入った鍋を置くと、素麺の鍋に移動する。

 

素麺は茹で時間が短いんだ。

 

最初は多少なりとも経験のある俺がやった方が、失敗がなくていいだろう。

 

お湯がグラグラ来たところに、生の素麺をドサッと投入する。

 

心の中で一分間を計り。

 

電光石火の箸捌きで一筋の素麺をすくい上げ、口に入れた!

 

…………うん?

 

……うん、うどんだ。

 

そうか、パスタマシーンだとこんなに麺が太かったのか……

 

 

 

 

 

「これは爽やかでいいね」

 

「喉越しがいいですね、このつゆも美味しいです」

 

「ちょっと柔いですけど、冷たいと逆にそれがいいですね」

 

 

 

とはいえ、うどんは大好評だった。

 

やはり濃い味のつゆの方がみんなの口には合ったようで、ローラさんもシーリィもハントも嬉しそうに冷やしうどんをズルズルいっている。

 

まぁ大成功っちゃ大成功なんだけど……

 

完全に素麺腹だったところにいきなりうどんが来たので、俺自身はいまいち釈然としない感じだった。

 

 

 

「もっと太く切って、卵を落として出汁と魚醤を混ぜたのをぶっかけると美味しいよ」

 

「そうなのかい?それは食べてみたいな」

 

「まだ生地が残ってるので、すぐに切ってきます!」

 

「私はお湯を沸かしますね」

 

 

 

ぶっかけうどんも大人気だった。

 

生の卵は菌を殺す魔法がないと食べられないから、実質これも魔法使い専用メニューかな。

 

 

 

「さっきの麺つゆをお湯で引き伸ばした、あったかいつゆに入れて食べるのも美味しいよ」

 

「なんだって?それもぜひ頂きたいな」

 

「それじゃあ茹でますね」

 

「ご主人様、つゆの作り方を教えてください」

 

 

 

せっかく体を冷やしたのに、結局真夏にかけうどんを堪能してしまった。

 

まぁ無理もない。

 

出汁とうどんが合わさって、まずいわけがないのだ。

 

 

 

「ご主人様、これは屋台でも出したら当たると思いますよ」

 

「ぜひ太麺のパスタマシーンを作って、世の中に広めましょう!」

 

「うんうん、これならうちの料理長も喜んで作ると思うよ」

 

「まぁ、口に合ったようで良かったよ」

 

ソーメン(・・・・)の作り方、これからちゃんと纏めないといけませんね」

 

 

 

……ん?ソーメン?

 

あっ、やべっ!!

 

この太さだと素麺じゃないんだ!

 

うどんなんだって!!

 

危うくペペロンチーノの二の舞になるところだったのを、俺はうどんが伸びるぐらい丁寧な説明でなんとか回避したのだった。



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第47話 迷わずに 生きていけたら そりゃいいね

この話のオピカちゃんは27話に出てきます。


「トルキイバに行けば助かる」

 

そう言われて奴隷商のキャラバンに入れられて、もう何日たったんだろうか。

 

真面目な父とおおらかな母のいるごく普通の暖かい家庭に育った私は、なんの前触れもなく死病になった。

 

半年ってとこか……とお医者様は言った。

 

その時の私といえば、まだ咳がちょっと出るだけで大したことのない風邪かななんて思っていて。

 

まさか次の日いきなり奴隷商のキャラバンに連れて行かれるだなんて、想像もしていなかった。

 

父の言い分もわかる、トルキイバ行きの奴隷商が出発するのは私の売られた次の日だった。

 

次に来るのは一年後、その頃には私はもう生きてない。

 

決断の早さと勇気には見習うべきところがあるけれど、せめて近所の人達にきちんと別れの挨拶はしたかったかな。

 

 

 

「おうオピカ、飯の時間だぞ」

 

「エッホ、ゴホッ!どうもすいません、すぐ行きます」

 

 

 

奴隷商から麦粥の入った鍋を受け取りに行く。

 

私はこの馬車の奴隷たちの世話役なんだ。

 

なんでもトルキイバじゃもの凄い魔法使いがいるらしくて、どんな酷い病人や怪我人でもあっという間に治してしまうそうだ。

 

そんな相手に売りに行く奴隷だから、色んな事情があって歩けないような子も多いから世話が必要になるんだ。

 

 

 

数日前に「そんなんで儲けになるんですか?」って聞いたら「人助けだ!」って言われた、ほんとかなぁ?

 

でも実際、ご飯食べさせて馬車に乗せて、大した値段で売れないんじゃあ、ほとんど社会貢献ってやつなんだろうなぁ。

 

奴隷商って、絶対に必要な仕事なのに普通の人からは好かれないもんね。

 

もしかしたら魔法使いの人も、社会貢献でやってるのかな。

 

 

 

「…………オピ……ちゃ……ありがと……」

 

「いいからゆっくり食べて」

 

 

 

馬車の中の子達は喋られないぐらい衰弱した子なんかもいるんだけど、みんなご飯だけは一生懸命食べる。

 

死んでたまるかって、獣みたいに光った目が言ってるよ。

 

せっかく拾えるかもしれない命なんだからね。

 

このキャラバンだけが、私達の最後の希望。

 

荒野を走る、希望の馬車なんだ。

 

 

 

夜が来ると、みんなの体に毛布をかけて、馬車の扉を締め切って防寒をする。

 

昼も夜も、手伝いはもちろん見張りすらつかない。

 

なんでも私がやらなきゃ。

 

私がみんなをトルキイバまで送り届けるんだ。

 

 

 

「…………」

 

「……どうしたの?」

 

 

 

喋れない狼人族の子からズボンの裾を引っ張られた。

 

天井に下げたカンテラを取って、毛布の中を照らす。

 

 

 

「また来たの?」

 

 

 

目を硬くつむり、体を小さく震わせていたその子は、一つ頷いてから右手で西()の方を指さして、左手の指を三本立てた。

 

この子も多分祝福持ちなんだ。

 

前もその前も、そうやって指さした方から獣がやってきたから。

 

すぐに馬車から出て、キャラバンの護衛の冒険者に呼びかけないと。

 

 

 

「冒険者のかたー!!誰かいませんか!ゴホッ!ゴホッ!」

 

「なんだーっ!」

 

 

 

遠くの焚き火から、冒険者のおじさんの声が聞こえた。

 

早く準備してもらわないと、前も思っていたより早かったから。

 

 

 

「敵が来まーす!ケホッ!」

 

「すぐに行くー!!」

 

 

 

返ってきたその声は、もうすでにこの馬車にだいぶ近づいてきていた。

 

闇の中からぬうっと現れたのは、猪族の方だった。

 

 

 

「山羊の嬢ちゃん、またあのガキか?西はどっちだ?」

 

「北があっちなんで、こちらです!三匹ね!」

 

「すまねぇっ!」

 

 

 

西を指差すと、猪族の冒険者は小走りで闇の中へと消えていった。

 

私が方角がわかるのは、私も加護持ちだからだ。

 

調べていないから多分だけど、鳥神の加護。

 

方角がわかるだけの、船乗りにしか必要のないような加護だけど、キャラバンに来てからは意外と役立ってる。

 

そのかわり、夜は闇が上手く見通せないんだけどね。

 

 

 

キャラバンの西側に火が炊かれたのが見える。

 

続々と武器を持った冒険者達が集っているんだろう、足音と一緒に鉄の擦れる音が聞こえた。

 

 

 

「岩肌カエルだーっ!!弓は意味ねぇぞ!!」

 

「囲んで槍で叩け!尻と目を突け!」

 

 

 

どうもすでに戦闘は始まっているらしい。

 

私は馬車の扉を硬く閉ざし、毛布にくるまって眠った。

 

 

 

荒れた土地に入ってから幾日かが経つ。

 

昨日から強い風が吹いて、土煙で周りがよく見えない状況が続いている。

 

キャラバンの車列は伸び伸びになっていて、前の馬車と繋がれた綱でかろうじてついていけている感じだ。

 

 

 

「ねぇ……オピカ……ちゃ……今どこ?」

 

「昨日聞いた話だと、もうしばらくでトルクスに着くらしいけど」

 

「ありがと……オピカちゃん……」

 

 

 

私が乗る前から馬車に乗っている子もいて、みんな体力的にはもう不安なところまできている。

 

こういう時、祈ることしかできない自分に腹が立つ。

 

教会の大罪が発覚してから、神頼みなんて誰もやらなくなったらしいけど……

 

私には祈るべき神様がいる。

 

それはありがたい事なんだと思う。

 

鳥神様、この哀れな仔山羊をお救いください。

 

船乗りになんてなりたくないなんて言ってごめんなさい。

 

父さん母さんに悲しい思いをさせてごめんなさい。

 

鳥神様、私の旅路を空よりお見守りください。

 

トルキイバに行けば、トルキイバに行けばみんな助かるんです。

 

 

 

ふと、馬車が止まった。

 

私は狼人族の子の体を揺する。

 

 

 

「ゲホッ……敵がきたの?」

 

 

 

硬く目をつむった彼女は、小さく首を横に振った。

 

 

 

「オピカ!鳥神の加護持ちのオピカはここか?」

 

「あっ、はいっ!」

 

 

 

誰かがドンドンと扉を叩いている。

 

開けると、風で頭がボサボサになった茶髪の魚人族の女性が立っていた。

 

鎧を身に着けていない、多分御者の人だろう。

 

 

 

「九号車の綱が切れた!前まで来てくれ!方角がわからないんだ!」

 

「ゴホッ!わかりました!エホッ!」

 

 

 

鳥神様、ありがとうございます。

 

こんなにも素晴らしい加護をくださいまして、ありがとうございます。

 

あなたの力のおかげで、弱い私も、自分の人生を自分で切り開いていくことができそうです。

 

 

 

 

 

「いいか、ここまで来ればトルクスはすぐなんだ!東を指し続けてくれ!」

 

「わかりました!」

 

 

 

荒れ地さえ超えれば土煙に迷わされる事はない。

 

前の馬車達はきっとトルクスで待っていてくれているはずなんだ。

 

 

 

「太陽や星さえ視えればこんなもん……」

 

「穀倉地帯まではどれぐらいあるんですか?」

 

「昼前には抜けてるはずだったんだ、迷わなきゃね!」

 

 

 

馬に鞭をくれた後に少し落ち着いたのか、お姉さんはヒマワリの種をくれた。

 

こんなの食べたことなかったんだけど、塩味がついていたようで、緊張してからからな喉がもっと乾いていく。

 

 

 

「エホッ!エホッ!」

 

「辛かったか、ほら水」

 

「すいません……」

 

 

 

ただの水が、体にスゥーッと染み込んでいく。

 

馬車は岩や勾配を避けながら東に真っすぐ進み、月が登り始める頃にはトルクスの街の灯を見ることができたのだった。

 

 

 

 

 

トルクスからトルキイバはあっという間だ。

 

昨日お姉さんから聞いたんだけど、トルクス、トルキイバ、ルエフマの間は都市が何百個も入るような巨大穀倉地帯なんだって。

 

もちろん道も整備されていて、警邏も回っているから獣のたぐいもほとんどいない。

 

余計な戦いを避けられるから、昨日までとは進みが段違いだ。

 

みんなすっかり安心して、うちの馬車も大分気さくになった御者さんが話をしてくれるようにもなった。

 

 

 

「この馬車はみんなシェンカー行きだろ?」

 

「ケホッ……そうなんですよ、トルキイバのシェンカー様は神様のようなお方だと聞いています」

 

「女ならそれでいいんだけどな、男の奴隷は変わらず悲惨だよ。シェンカーのサワディとか言ったっけな、こんなに女ばっかり集めてスケベな男なんだろうなぁ」

 

「はぁ」

 

「まっ、俺らも値がつかない品物に確実な購入先があって、神様軍人様シェンカー様なんだけどよ」

 

 

 

そう言いながらタバコに火を付ける御者さんを見ていると、後ろから足を引っ張られた。

 

狼人族のあの子だった。

 

寝床から這いずってまで抜け出して、私に知らせたい事って……

 

 

 

「また来たの?」

 

「……お……お……き……ぃ……き……」

 

 

 

しわがれた、老婆のような声だった。

 

指一本立てて、北を指した。

 

 

 

「北から!大きいのが来ます!!」

 

「なんだって!!おおーーい!!北から来るぞぉ!!大きいのが来るぞぉ!!」

 

 

 

耳をつんざくようなその声に、各馬車から返事が返ってくる。

 

 

 

「北かぁ!!何匹!!」

 

「いちぃー!!」

 

「北ぁ!!デカいの一匹ぃ!!」

 

 

 

徐々に速度を緩める馬車だが、完全に止まるまではもうしばらくかかる。

 

少しだけ速度の落ちた馬車から、完全装備の冒険者さん達がどんどん飛び降りていった。

 

馬車の屋根の空気窓から首を出して北の方角を見ると、遙か向こうの麦畑がなぎ倒されていくのが見える。

 

遥か遠くにぼんやりと見えたその獣は、頬の赤い、でっかい狐だった。

 

 

 

「ケェーン!!!」

 

「赤頬狐だ!!」

 

「あんなデカいのやったことねぇぞ!!」

 

「弓弓!弓撃て弓ーっ!!」

 

「まとめて撃て!まとめて!」

 

「馬車は先に行け!!止まるな!!もうすぐトルキイバなんだ!!」

 

「ギャン!」

 

 

 

ひと吠えした狐の尻尾の攻撃で、冒険者が3人まとめて弾き飛ばされた。

 

駄目かもしれない……

 

ここまできたのに!!

 

もうすぐみんな助かるのに!!

 

 

 

「ヒュルルルルルルゥ……」

 

 

 

その時、甲高い、鳶の鳴き声のようなものが聞こえた。

 

 

 

「グギャアアアアアア!!」

 

 

 

次の瞬間、空から影が走ったかと思うと狐の肩に槍のようなものが突き刺さっていた。

 

 

 

「ボンゴちゃーん!そのままー!」

 

 

 

遠くから、何かが走ってくるのが見える。

 

馬に乗った人にしては速すぎる。

 

あれは竜騎士(ドラグーン)

 

いや、ケンタウロスだ!

 

筋骨隆々の体に豊かな茶髪を後ろに流し、背中に背負った武器は数え切れないほど。

 

 

 

「いくべぇ〜!」

 

 

 

間延びした声と共に、走ってきた勢いのそのままに狐に突き入れられたのは、赤い馬上槍だった。

 

 

 

「ケェーン!!」

 

 

 

半ばで折れたその馬上槍は、狐を地面に深々と縫い止めている。

 

背中から大剣を抜いたケンタウロスは、燻製肉でも切り分けるかのようにやすやすと狐の首を刎ねた。

 

 

 

「おいっ!見たか?」

 

「見ました!狐は首を切られました!」

 

「そうじゃない!あのケンタウロス!ありゃあ『七剣』のピクルスだぞ!シェンカー家いちの剛力なんだ!」

 

 

 

興奮しながら言う御者さんには悪いけど、私はピクルスさんの勇姿を見るのに夢中であんまり聞いていなかった。

 

トルキイバにはあんなに強い女の人がいるんだ。

 

世界は広い、本当に広い。

 

 

 

 

 

トルキイバについてからは、正直拍子抜けだった。

 

みんな纏めて買われて、纏めて回復魔法をかけられた。

 

ご主人様とは一言も話していない。

 

喋れない子も、動けない子も、みんな良くなった。

 

私のあんなにも苦しかった病気も綺麗さっぱりなくなって、次の日からすぐに仕事をすることになった。

 

これまで、方角がわかるだけの加護なんて初対面の人には内緒にしてたぐらいなんだけど……

 

これからは、私の武器として色んな人に打ち明けていく事にしたんだ。

 

「それだけ?」って笑う人もいたけど、気にしない。

 

私を嵐から救ってくれたのは鳥神様なんだから。

 

そうしたら、すぐに奴隷頭のチキンさんの目に留まって重要な仕事に組み込んでもらえた。

 

やっぱり、なんでも使いようなんだね。

 

役に立たない力なんてない、あの強いピクルスさんだってハズレ扱いの土竜の神様に愛されてるんだから。

 

祈る神様がいるっていうことは素晴らしい事だ。

 

鳥神様軍人様サワディ様、私は今日も、あなたのために仕事をします。

 

そしてお父様、お母様。

 

お小遣いが溜まったので、私の小さな冒険を纏めた、この手紙を送ります。

 

 

 

マジカル・シェンカー・グループ。

 

道先案内人役。

 

『迷わず』のオピカより。




風邪引いちゃって想定の文字数に届きませんでした。


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第48話 水遊び 楽しいけれど 金かかる

風邪だいたい治りました、夏風邪は長引きますので皆さんもお気をつけください。


金持ち。

 

金持ちのイメージってなんだろうな?

 

広い庭、デカい犬。

 

外車、発売したてのゲーム機、流行り廃りのあれやこれ。

 

色んなイメージがあるだろうが……

 

俺の思う金持ちのイメージとは、自家用プールだ。

 

いつでも入れるプールってのは、そんなに泳ぎに興味がない俺からしても羨ましい。

 

エアロバイクやウォーキングマシンとは格が違う、値段からしても家トレの王様じゃないか?

 

何より、夏のプールってのは基本的にバカみたいに混むものだ。

 

そんな混雑を避け、人目を気にせず、好き放題泳ぎ、水と戯れる。

 

最高にセレブリティ溢れる行為だとは思わないか?

 

いやいや、この世界にだってプールは一応あるんだ。

 

ただ上水道がない場所が多いから、前世よりもはるかにコストが跳ね上がるんだよな。

 

あるにはあるが、現実的じゃないってことだ。

 

『家の風呂が温泉』みたいな感じで、探せばどこかにはあるんだろうけど、普及率的に見れば実質的にはないのと同じだ。

 

でも俺はそういうのに弱いんだ。

 

なぜかって?

 

いかにも金持ちっぽいじゃないか。

 

 

 

「旦那様、庭には珍しいシュロの苗木を植えたばかりでございます」

 

「うーん、それを抜きにしたところで少々狭いか……」

 

 

 

さっそく庭師の爺さんに計画を話したが、家の庭じゃあプールは難しいようだ。

 

それに庭のすぐ隣は普通に道路だ。

 

俺にはローラさんのわがままボディをほかの男に見せてやる趣味はない。

 

しょうがないな……家にプールは諦めるか。

 

なーに、ちょっと離れる事になるが、土地ならあるんだ。

 

大学のキャンパスがすっぽり入るような、広大な土地がな。

 

 

 

 

 

「サワディ様、奥様に敬礼!」

 

 

 

そんな号令で俺達に軍隊式の敬礼をくれたのは、劇場建設予定地を守る警備隊の皆だ。

 

拠点なんかの警備だと非番の冒険者のバイトなんかでも大丈夫なんだが、さすがにここは規模が違うから希望者を纏めて専属の警備隊が新設されたんだ。

 

揃いのシャツを着て、胸元にはシェンカー家の決済印を子供がフリーハンドで書き直したような意匠のワッペンが貼られている。

 

腰には細剣、手には短槍、目はギラギラ、殺意ムンムンの警備員たちだ。

 

面子の中には元冒険者なんかの退役奴隷も結構いるけど、まぁ単純に増えた奴隷の雇用対策って面もあるのかな。

 

退役者に自分で商売をやりたいっていう独立希望者はそこそこいるけど、全員に店や屋台を持たせられるわけじゃないしね。

 

ここで稼いで、自分で屋台を持つって手もある。

 

警備隊長はまだ現役の奴隷で、狼人族のルビカって娘だ。

 

なんか索敵に使える祝福を持ってるらしい。

 

 

 

「まだ年若いようだが、君が隊長か?」

 

「そうであります!」

 

「なぜ選ばれた?」

 

「狼の神の加護を持っていたからであります!」

 

「ほう、狼人族に狼の神の加護ときたら、神子じゃないか。なぜ奴隷に?」

 

「はっ!本当に神の子なのかを確かめるために、村で毒を盛られました!」

 

「そうか、田舎ではよくある話と聞くな」

 

「はっ!よくある事です!」

 

 

 

なんかローラさんと警備隊長がめちゃくちゃ物騒な話ししてるけど、やっぱこっちの神様がくれるのって祝福っていうか呪いだよなぁ。

 

神が実在したら実在したで、実際迷惑な話だよ。

 

 

 

「どうやって敵を探知する?」

 

「はっ!私は群れと、それ以外の存在を分けて感じ取れます!」

 

「そうか、距離はどれぐらいだ?」

 

「この土地はすっかり見通せます!」

 

「心強いじゃないか」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 

聞こえてくるやり取りは別にいいんだけど、ふたりとも目が笑ってなくて超怖いんだよ。

 

さっさと案内してくんないかなぁ。

 

 

 

結局それからしばらく待たされたあと、ようやく敷地内の案内が始まった。

 

 

 

「外縁部にはとりあえず杭を立てていますが、段階的に煉瓦で壁を作っていっています」

 

 

 

もちろん外縁部は真っ直ぐじゃない。

 

まだ建物が残っている場所もあるし、土地自体も凸凹、ぐにゃぐにゃで手直しが必要だ。

 

土木工事の経験豊富な人材が揃ってて良かったな。

 

遠くの方で、外縁部を短槍を持った連中がうろうろとパトロールをしているのが見える。

 

大変そうだ、ちゃんと夜とか寝れてるのかな?

 

 

 

「これって夜はどうしてるの?」

 

「はっ!夜は物資集積地にのみ人を置いています!朝になって不審者がいればその都度追い出す形です!」

 

「そ、そうなんだ……無理のないようにね」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 

いちいち勢いに押されるわ。

 

とにかく、今日来た理由はプールの建設を命じることだ。

 

一応存在する劇場建設用の青写真と現地を見比べながら、当たり障りのない場所に縄張りをさせた。

 

 

 

「ここをだいたい君の胸ぐらいまで掘り下げてくれ。排水が必要だから基礎工事の時点で下水に繋げること。固めるのは俺の魔法でやる」

 

「かしこまりました!」

 

 

 

強化魔法は土木工事にも使えることは地下で立証済みだ。

 

なんかどんどん裏技的な魔法の使い方に詳しくなっていっているような気もするが、俺が気づくような事は実戦でも普通に使っているだろう。

 

もちろん権威ある魔法使いが、わざわざ土木工事なんかに関わらないって事も大いにありそうだが……

 

結局俺にとっちゃ魔法は道具だ、結果が出ればそれでいいんだ。

 

 

 

「失礼します!昼食が届きました!」

 

「通せっ!」

 

 

 

飯は嬉しいが、この仰々しいのはなんとかならんのか……

 

性格なのか、教育なのか。

 

元正規兵の鱗人族のメンチが入ってくる前は、もっとゆるふわだった気がするなぁ。

 

遠くの方から、せいろを持った犬人族がゆっくりと歩いてくるのが見える。

 

見たことあるな、たしか音楽隊にいたから俺の結婚の恩赦で退役になったんじゃなかったかな。

 

 

 

「お待たせしました〜、肉饅頭と焼きモロコシです」

 

「ありがとう。君、音楽隊にいたよな」

 

「あっ、はい!シーナです、今は屋台を任されてます」

 

「彼女は最近結婚しまして、今は妊娠中であります!」

 

 

 

ルビカがフンフン鼻を鳴らしながら言う、妊娠がわかるのも狼の神の加護なんだろうか?

 

 

 

「へぇ〜、おめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

シーナはピコピコ耳を動かしながら、はにかんで笑った。

 

俺も一応雇い主みたいなもんだし、祝い金でも出しといた方がいいのかな。

 

ポケットから金貨を1枚取り出して、シーナの前に出した。

 

 

 

「これから何かと入用でしょ?これ、ご祝儀って事で」

 

 

 

その金貨の輝きを見て、周りの談笑がピタッと止まった。

 

風で砂が流れる音がはっきりと聞こえるぐらい場が静かになり、俺が周りを見回すとローラさんだけが苦笑している。

 

シーナはガクガクと体を震わせて、胸の前で両手を組んで跪いた。

 

 

 

「お許しください、この子には夫の実家を継がせる未来がございます。この子を産んだら私が戻ります、どうかお許しを……」

 

「え、なに?どういうこと?」

 

 

 

俺が戸惑っていると、ローラさんが耳打ちをしてくれた。

 

 

 

「君、腹の中の赤ん坊を買い付けてると思われているぞ」

 

「えっ!?いやいや!違うんだよ!!」

 

 

 

俺は慌てて妊婦のシーナを立たせ、そういう意図ではないことを告げた。

 

周りのみんなも明らかにホッとした様子だった。

 

なんとかなだめすかしてシーナを帰らせたが、なんかどっと疲れてしまったよ。

 

 

 

「しかし、奴隷の子供って普通はどうなの?」

 

「はっ!主人の方針によります!」

 

「じゃあうちの奴隷の子供は奴隷じゃないって事にするから、またチキンとも調整するわ」

 

「かしこまりました!私の力の及ぶ限り周知致します!」

 

「まぁ、そういうことで……疲れたから帰るわ」

 

「かしこまりました!」

 

 

 

狼人族の警備隊長、ルビカの威勢のいい声に見送られ、俺達は家路についた。

 

ちなみに、ご祝儀を渡すのは見送った。

 

旦那さんに勘違いされてもかなわんからな……

 

おっとそうだ、服屋に寄って濡れても透けない生地で水着のようなものを作らせないと。

 

やることが多いが、今やってしまわないとな。

 

俺の趣味とはいえ、どうせプールを作るなら福利厚生に組み込んでしまいたいからね。

 

奴隷達に裸で泳がれては俺が困る。

 

デザインは奴隷の分ならなんでもいいが、ローラさんの分はしっかり色気のあるやつも頼んどかないとな。

 

俺が困るから。

 

 

 

 

 

それから一週間、俺は忙しくしていてプールのことを完全に忘れていた。

 

しょうがないだろ。

 

学校の授業は免除されたとはいえ、朝から夕方まで研究して疲れて帰り……

 

帰ったら帰ったで芝居、読書、いちゃつき、たまに仕事と、やることはたくさんあるんだ。

 

最近は椎茸の栽培なんて趣味も始めたしな。

 

休日の前日に、水着を頼んでいた服屋が出来上がったものを持ってきて思い出したぐらいだ。

 

結局プールってのは俺にとってありゃあるで嬉しいが、なきゃあないで全く問題のない物なんだな。

 

まさにステータスを満たすためだけの代物だ。

 

作って後悔とは言わんけど、別に来年作っても良かったかな。

 

まあでも、作るように言っちゃったものはしょうがない。

 

俺とローラさんは、休日の朝から再び劇場建設予定地へと足を運んだのだった。

 

 

 

「なかなか手が早いじゃないか、優秀だな」

 

「はっ!ありがとうございます!」

 

 

 

ローラさんはすり鉢状に作られた、直径二十五メートルほどのプールにご満悦のようだった。

 

プール自体にじゃなくて、その実務力に対してだろうけど。

 

土むき出しじゃなくて、プール全体とその周りの地面にも白い石を敷き詰めてあるから見た目も結構爽やかだ。

 

 

 

「とりあえず強化かけるから、作業員達で上から叩いてって」

 

「かしこまりました!」

 

 

 

俺がプールとその周りに強化魔法をかけると、固めたいところを作業員達が大木槌でガンガン叩いていく。

 

これはまぁバグ技みたいなもので。

 

ものの引き合う力とか、混ざり合う力を強化して、そこを物理的に叩くことで無理やり固めていっているのだ。

 

強度は地下で実践済みだ。

 

地下の天井や壁はその二十メートル上を超巨獣が暴れ回っても、まだ一箇所も崩壊を起こしていない。

 

ちなみに冒険者組の盾なんかでも実験したんだが、一、二年前の支給品を未だに使ってるやつもいるから多分成功してるんだろう。

 

一応実験では斬りかかった剣が折れたりしてたけど、巨獣や超巨獣相手にどこまで通用するかは不明だしな。

 

一回ぐらいローラさんの魔法で試してみてもいいかな?

 

でもそれはまた今度にしよう。

 

今日はプールづくりをやらなければな。

 

叩き忘れがないかどうかを確認したり、排水機構がちゃんと機能しているかどうかを確かめたりしていたらあっという間に時間が流れてしまい、水入れは昼飯の後になった。

 

 

 

「こりゃ二、三回排水しなきゃ駄目かな?」

 

「そうかもね、思ったよりも水が濁るなぁ」

 

 

 

俺とローラさんが手から水を出してプールを埋めるが、どうにも水が濁る。

 

やはり泥や砂が残っているからな。

 

奴隷達がブラシでプールを擦って清掃するのを見ながら、俺たちは俺たちで高圧洗浄機のように水を汚いところに吹き付けていく。

 

これも何回もやっていると時間がかかり、あっという間に夕陽が沈む時間になってしまった。

 

別働隊が作っていた更衣室代わりの衝立はもう完成していて、後はもうだいたい綺麗になったプールに水を張るだけだ。

 

図らずもナイトプールになってしまったな。

 

作業が終わった作業員達はさっさと引き上げていき、プールサイドに残ったのはプールのへりに寝そべりながら水を出す俺と、椅子で煙草を吸いながら水を出すローラさんだけだ。

 

細くなりゆく夕陽と工事用の大型魔導灯が、徐々にせり上がる水面を照らしてなんだかいい雰囲気だ。

 

風は吹いているけど、水の近くにいるってだけで更に涼しくていいなぁ。

 

なんて事を思っていたら、どうやらうとうとしてしまっていたらしい。

 

プールのへりに上がってきた水で顔が濡れて目を覚ました。

 

 

 

「おわっ!」

 

「ははは、気持ちよさそうに寝ていたな」

 

「もう月が昇ってる」

 

「ああ、なかなか綺麗じゃないか」

 

 

 

ローラさんが指差す先を見ると、白い石がまんべんなく敷き詰められた丸いプールの真ん中に、黄金の月がぷかりと浮かんでいた。

 

俺は服を全部脱ぎ捨てて、準備運動もなしにプールに飛び込んだ。

 

どうせ周りには誰もいないし、私有地の奥まった場所なんだ。

 

遠慮なんかいらない。

 

冷たい水が寝起きで汗ばむ体に気持ちいい。

 

中央の底めがけて平泳ぎで潜水して進む。

 

魔導灯に照らされた水の中は意外と暗く、水面に落ちた月の影もどこにも見当たらない。

 

水から顔を出して、ローラさんの姿を探す。

 

水面からツライチになったプールサイドには、彼女の脱いだ服だけが風に吹かれていた。

 

水の中から足を引っ張られる。

 

水の中に、金髪の女神様が微笑んでいた。

 

俺たちは水の上に出て、髪がぐしゃぐしゃになったお互いを見て笑いあう。

 

 

 

「気持ちいい」

 

「そうだな、いいものじゃないか」

 

「ほんとは昼間に入りたかったんですけどね」

 

「夜だっていい、見ろ、私達の他には月しかいない」

 

 

 

髪を全て後ろに回し、凛々しい眉をお茶目に曲げて月を指差すローラさんはとても決まっていて、俺はしばらくの間彼女に見とれていた。

 

水も滴るいい女じゃないか。

 

俺は力を抜き、プールにぷかりと浮かんで空を見上げる。

 

この世界の夜には光源が少ない、砂粒のような星が夜空一面に広がっているのがよく見えた。

 

 

 

「そうですね、この夜空を貸し切りだ」

 

「ああ、贅沢じゃないか」

 

 

 

と言った瞬間、白い竜が閃光を伴って、満天の夜空を凄いスピードで駆け抜けていった。

 

俺とローラさんはどちらからともなく、クスクスと笑いあった。

 

やっぱり夏はプールだ。

 

青春だからな。

 

それに加えてプライベートなプールなら最高だ。

 

セレブリティな青春になるからな。

 

そして夜なら?

 

そりゃ……もっと最高だろ!

 

結局水が汚れたので、もう一回水を入れ直して帰る事になり、帰る頃には若干肌寒さを感じるぐらいだった。

 

くしゃみを一つして、一応風呂に入ってから寝た。

 

やはり、何事もほどほどがいいな。

 

 

 

 

 

次の日から、プールは奴隷達用の保養地として開放されることになった。

 

服屋から買ってきた水着はデザインが地味だからかあんまり評判が良くなくて、退役奴隷達の中には流行りのデザインの服をわざわざ水着用に仕立ててもらう奴もいたらしい。

 

俺は見てないから知らん。

 

雇い主とはいえ、うら若き女性のひしめくプールに行くのはさすがにきついからな。

 

もう途中からは人気がすぎて芋洗いみたいな状況になっていたらしくて……

 

週の半ばには水が半分ぐらい抜けちゃって大変だったそうだ。

 

結局人海戦術で水場から水を運んで入れたらしいんだけど……

 

なんか悪いから、魔結晶を入れて水を吐き出す魔具の魔具水瓶(むげんじゃぐち)かなんかを買ってくるかした方がいいのかもな。

 

どうせうちなら魔結晶はタダだからランニングコスト的には最良なわけだし。

 

まあ、もう夏も中盤だし、来年からでもいいか。

 

俺とローラさんは週末限定だが水の入れ替え役も兼ねてプールを独占し、大いに夏を楽しんだのだった。

 

これは余談だが、どこからか話を聞きつけた下の兄貴にもこの夏に一度だけプールを貸し出す事になった。

 

彼とその仲間達は水辺でバーベキューをし、酒を飲み、服のままプールに飛び込み、溺れて死にかけたそうだ。

 

お酒を飲んでの水泳はやめよう。

 

俺は看板にやさしい言葉でそう書き付けて、そっとプールサイドに設置したのだった。




久々にハーゲンダッツ食べたら腹下しました。

やっぱりエッセルスーパーカップがナンバーワン!!!!!!!!!!


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第49話 遊び方 一足飛びで 進化する

昨日間に合いませんでした


ここ最近研究を続けていた、世界を揺るがしかねない発明である、魔結晶型の造魔。

 

名付けて無限魔結晶。

 

その基礎理論の論文が纏め終わったので、正式に俺、サワディ・スレイラの名前での提出を行った。

 

俺の貴種として一発目の研究成果だからな。

 

世間への影響を考えて造魔自体を短命にしてデチューンするにしても、アイデアの出し惜しみはなしだ。

 

街灯に使われる魔導灯や魔具水瓶等のインフラへの適用の提言、インプなどの伝令用低燃費造魔の長距離運用計画等、盛り込めるだけ盛り込んだ。

 

技術とはいくらそれ自体が凄くても、現場で求められなければ意味がないんだ。

 

人間はよくわからないものには金を出したがらない。

 

その点、造魔は成果物があるから楽だよな。

 

作った造魔とその運用例を見せれば一発だもの。

 

金儲けするにはこんなにいい学問ないよ。

 

マリノ教授からも太鼓判を貰ったし、これで肩の荷が一つおりた気持ちだ。

 

 

 

 

 

だが、俺の場合、金儲けの場は学校だけじゃない。

 

その気になれば商会、奴隷達、陸軍へのコネ、なんでも使って稼ぎまくる事ができる。

 

よく考えたらそれはそれで、家に帰っても常に仕事があるって事で結構しんどい気がするが、そこは考えないでおこう……

 

俺は後で楽をするために、今だけ頑張っているんだ。

 

うん、若いうちの苦労は買ってでもしろと言うし……

 

実際金払ってまで苦労するのは絶対に嫌だけどな!

 

 

 

「王都からまた『ローラ・ローラ』を融通してほしいと連絡が来ているよ」

 

あれ(・・)ですか……」

 

「おいおい、売れて嬉しくないのかい?」

 

「嬉しくないわけじゃないんですけど、作るのが大変なんですよ」

 

 

 

学校から帰ってきて飯を食ったあと、寝るまでの時間はこうして寝室で二人会話を楽しむ事が多い。

 

研究室の話、商売の話、馬の話、飯の話。

 

不思議と俺とローラさんの間に話が尽きることはなかった。

 

人間としては似ても似つかない二人だけど、単純に馬が合うんだろうな。

 

 

 

「君の強化魔法で作ってるんだったかな?よくそういう事を思いつくものだな」

 

「発想力に元手はいりませんからね、思いつくままに試してみているだけですよ」

 

 

 

そう、ローラ・ローラってのは俺が強化魔法で酵母を超強化して作る、変な酒なんだ。

 

味はドクター○ッパーに激似で、結婚式に引き出物として出してからは一部でカルト的な人気を誇っている……らしい。

 

ただ、手間がかかるんだよなぁ。

 

だからあんまり売りたくないんだけど、コネを維持していくためにはあまり出し惜しみをしてもいられない。

 

いつか大きな魚を釣るための撒き餌だと思って、思考停止でやらざるを得ないだろうな。

 

その代わり、噂を聞きつけた王都や諸都市の商会の問い合わせなんかは全て突っぱねてる。

 

こっちは貴種で商人だぞ、なんで同業他社に儲けさせなきゃいけないんだよ。

 

こうして強気に出られるのも貴種になって良かったことのひとつだな、ドヤれる相手は平民限定だけど。

 

この夏から動き出した造酒所にて造魔で大量生産してる超高濃度スピリッツや、それを元にしたリキュール類なんかも結構売れてる。

 

特にスピリッツは衛生管理のためにと軍に売り込んだら、魔導列車に毎便載せられて売られていくようになったからな。

 

親父が喜びでタップダンスをするぐらいには需要があるそうだ。

 

一応世の中にも微生物の存在は確認されていて、アルコール消毒の知識は学校でも教わるぐらいだから、麦の原産地での大量生産大量輸出はそこそこ魅力なんだろう。

 

だが、それでもローラ・ローラの利益率の前には屁みたいなもんだ。

 

こっちは正真正銘魔法使いの作る、唯一無二のオリジナル酒だからな。

 

卸値で一瓶金貨三枚取ってるから、一樽作れば金貨五百枚だ。

 

ま、実際はそんなに一気に売れないんだけどね。

 

それでもちょっと金銭感覚が麻痺しそうな感じはある。

 

作るのが面倒な事には変わりはないけど。

 

やはり理想は不労所得、広く浅く人の上前をはねたいものだ。

 

 

 

「そういえば、即席麺の方はどうですか?」

 

「揚げ麺ねぇ……軍の一部でも試験が始まったそうだけど、どうだろうね」

 

 

 

ソファでくつろぐローラさんは、膝にのせた小翼竜のトルフを撫でながらグラスを傾ける。

 

魔導灯による間接照明にぼんやり照らされた彼女の姿は少し妖しく、瑠璃色の目だけがきらりと輝いて見えた。

 

ローラさんのかっこよさもあってか、なんかめちゃくちゃ漫画やアニメの悪側のボスっぽい。

 

ピンヒールのロングブーツ履いてそう。

 

となると俺は怪人を作る博士役か……

 

実際人造怪獣を作りまくってるからな、洒落にならんぞ。

 

この世界に正義の主人公がいたら倒されてるところだった、危なかったな。

 

 

 

「即席麺の開発には結構苦労したんですけど、ちょっと値段が高くなっちゃいましたね」

 

「ああ、普通の乾麺の方がよっぽど安いからね。でも乾麺の方は軍に売れているんだろう?この間義父上(ちちうえ)殿からお礼の手紙を頂いたよ」

 

「そうなんですよね。うーん、コスト面の折り合いは難しいなぁ、粉末ソースだけでも売り込もうかな」

 

「コス……?よくわからないけど、揚げ麺も結構美味しかったから上層部が買うんじゃないかな」

 

「いやいや、ああいうものってやっぱり大量に作って大量に売らないと利益が薄いんですよ」

 

「ふぅーん……君は考える事が多くて大変だな。ほらトルフ、多忙なご主人さまを癒やしてやれ」

 

 

 

ローラさんが膝の上の黄色い小飛竜を掴み上げて俺の方に向けると、トルフは小さな羽をばたつかせながらゆっくりと飛んできた。

 

広げた手を無視して、なぜか奴は俺の頭の上に陣取る。

 

マウント取られてんのかな?

 

それとも俺の天パ頭の居心地がよっぽどいいのか?

 

造魔とはいえ、動物の行動はどうにも読めない。

 

 

 

 

 

昨晩夫婦の寝室で話していた即席麺だが、実はあれは開発に三年ぐらいかかった大作なんだ。

 

麺を揚げて保存が効くようにして、更にお湯をかけるだけで食べられるようにする。

 

言葉にすれば簡単だけど、作ってみるとこんなに難儀なものはなかった。

 

まず上手く麺に味がつかなかったんだ。

 

材料に練り込んだり、揚げる油にも味をつけてみたりと色々やったが、どうにもうまくない。

 

そりゃいくらかは成功もしたけど、コストがかかりすぎたり工程が増え過ぎたり。

 

趣味の料理ならいいが、商品だからな。

 

商売として採算の取れるものにしなければいけない。

 

失敗作は全て奴隷達のおやつとして胃袋に収まったから無駄ではないけどね。

 

結局完成品では味付けは粉末ソースを湯切りした麺に絡めて行うことになり、即席焼きそばみたいな形になってしまった。

 

これはこれで美味いからいいんだけど、なんだかなぁ……

 

 

 

「えっ、揚げ麺ですか?普通に人気ですよ」

 

「そうなのか?」

 

「本部の購買部でも売ってますけど、朝に来る依頼者の人達がよく食べていきます」

 

 

 

マジカル・シェンカー・グループ本部に揚げ麺について相談しに来てみると、うちの番頭のチキンから意外な話が聞けた。

 

一般向けにも売り始めたって話は聞いてたが、普及自体は進んでないと思っていたからな。

 

 

 

「あとメンチさんがやたらと揚げ麺好きで、揚げ麺用にいろんな調味料を部屋に隠し持ってるって噂です」

 

「へぇ〜、意外」

 

 

 

強面の鱗人族、クランの頭領であるメンチがねぇ。

 

イメージでは血の滴る骨付き肉に齧りついてるって感じだったけど。

 

 

 

「あの人は夜食用に揚げ麺を買いだめしてますよ。案外新しいもの好きで、喫茶店の新メニューも必ず食べに行きますからね」

 

「ふぅーん」

 

 

 

ほんとに意外だなぁ。

 

クールで無頼なイメージがあったが、飯にうるさいタイプだったのか。

 

チキンに預けた造魔の子犬が、膝に乗っかって胸元に頭を擦りつけてくるのをあやす。

 

青い毛並みに生える、瀟洒な刺繍の入ったグレーのベストを着ていて、なかなか可愛がってもらっているようだ。

 

チキン自身は黄色いサマーセーターにインディゴのパンツを履いていて、金縁の伊達眼鏡をかけている。

 

相変わらずの着道楽だが、ちゃんと貯金とかしてるのかな?

 

それにしても、ファッション誌もない世界でこういうのはどう学ぶんだろう。

 

セレクトショップみたいなのがあるのかもしれないけど。

 

 

 

「あとボンゴが最近料理に凝ってまして、揚げ麺に肉や野菜を入れて鉄鍋で焼いたものを作ってましたよ」

 

「へぇ、ボンゴがねぇ」

 

 

 

それ焼きそばじゃん!

 

まさか即席焼きそばから、本物の焼きそばが再発明されるとはな……

 

ちょっと複雑な気持ちだ。

 

 

 

「ピクルスにしか食べさせたがらないんで味はわからないんですけど、美味しそうだったって話です」

 

「そうなんだ」

 

「キャン!キャン!」

 

 

 

急に犬が執務室の扉に向かって吠え始めたかと思うと、間をおかずに人が入ってきた。

 

赤毛の魚人族、マジカル・シェンカー・グループ副頭領のロースだ。

 

 

 

「おうチキン、領収書頼むわ」

 

「あなたねぇ、ノックぐらいしなさいよ」

 

「あれっ、坊っちゃんいらしてたんですか」

 

 

 

彼女はいつまでたっても俺のことを坊っちゃん呼びだ。

 

まぁ別にいいんだけどね、リアルお坊っちゃんだし。

 

赤毛の魚人族の肩には、赤い毛並みの造魔の子猫が襟巻きのように巻き付いている。

 

白い首輪が巻かれていて、毛並みも美しい。

 

あっちも結構可愛がってもらってるみたいだな。

 

 

 

「ロースは即席麺食べたかい?」

 

「揚げ麺ね、仕事中に時々食べますよ。お湯沸かしてふやかすだけだから、水場と鍋がありゃあ食べれるんで重宝してます」

 

「冒険者には売れそうかな?」

 

「トルキイバの冒険者はあんまり遠出しないんで、そもそも野営をしない奴も多いんですよ。キャラバンとかになら売れるかもしれませんけど」

 

 

 

ふーん、キャラバンかぁ。

 

労働者にも売れてるみたいだし、売り込み先次第じゃ、揚げ麺もまだまだやれるかもな。

 

時間がかかってもいいから、せめて開発費だけでも回収したいもんな……

 

よし!

 

 

 

「チキン、行商人に売り込みをかけろ」

 

「わかりました、担当者に言っておきます」

 

「クゥーン」

 

 

 

俺はふんぞり返って足を組み、子犬の喉を撫でながらチキンに指示を出した。

 

俺も悪の大物に見えるかな……?

 

犬好きの中坊にしか見えんか。

 

 

 

 

 

夏も終わりかけとはいえ、まだまだ暑い。

 

この間作ったプールは、非番の奴隷達で盛況なようだった。

 

レジャープールとして作ったから、すり鉢状になっていて一番深いところでも胸元ぐらいまでしか水がないんだけど。

 

それでも溺れた奴隷が出たらしい。

 

幸いすぐに助けられて少し水を飲んだだけだったらしいが、危ないよな。

 

ここらへんはド内陸だからな。

 

ここいら出身のやつは大抵泳ぎ方なんか知らない、そりゃ溺れるか。

 

軍隊出の奴なんかは水泳の訓練も受けてるし、ナチュラルボーンに河童な魚人族もいる。

 

泳げない奴もそういう奴から泳ぎ方を徐々に学んでいくとは思うが、とりあえずの対策も必要かな。

 

ということで、水に浮くヤシの実みたいなものが市場にあったので、それを網に詰め込んで浮き輪のようなものを作ってプールに置いてみた。

 

これは結構みんな喜んで使ったらしい。

 

浮き輪の登場でただでさえ多かったプールの利用者数が跳ね上がったんだとか。

 

気を良くした俺は竹を束ねて小さい筏のようなものも作ってみた。

 

涼しい水の上にプカプカ浮いているだけでも楽しいからな。

 

はじに頭ぶつけて怪我したりしないように処理するのが大変だったけど、工作自体は面白かった。

 

これもみんな大興奮で上に乗り、大変な評判だったらしい。

 

筏の登場によりただでさえ芋洗い状態だったプールに、更に人が詰めかけたそうだ。

 

なんで全部伝聞形かって?

 

現場には見に行ってないからだよ。

 

上役が遊び場に来たら嫌だろ。

 

まあ幾人かにプールの感想とお礼を言われたから、俺はそれで満足だ。

 

もともと自分用に作ったんだしな。

 

俺の用意した浮き輪や筏にしても自然素材だから、来年を待たず駄目になると思うが、後は自分達で素材を調達して交換していくだろう。

 

こういうのは最初のアイデアが難しいわけだからな。

 

あとは自分達で発展させてくれたら、それでいい……

 

なんてことを思っていたら、奴隷たちは早速不思議な発展のさせ方をしたらしい。

 

週末に訪れたプールサイドには、竹や木を組んで作った、巨大な滑り台のようなものが鎮座していた。

 

 

 

「これ、何だろうねぇ」

 

「たぶん、プールに勢いをつけて飛び込むためのものだと思いますけど」

 

「さすが君の奴隷だ、変なものを考える」

 

 

 

これ、誰か使ったんだろうか?

 

こんなもん水着で滑ると、摩擦でケツがバチバチに痛いと思うんだが。

 

なにかしら工夫してやってるんだろうな、水でも流しながら使ったのかな?

 

竹の滑り台をぐっと押してみるが、小揺るぎもしなかった。

 

頑丈にできている。

 

木の細工の部分を見る、細かい作業が丁寧で、組んだ場所に隙間がない。

 

いい仕事をしているな、後で誰が作ったのか聞いておこう。

 

今ちょうど、こういう細かい仕事ができる職人を探していたんだよね。




書き方色々模索してます


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第50話 しがらみが 積もり積もりて 紅葉散る

なるべくわかりやすく書いていくつもりですけれど、わかりづらかったら言ってください


しがらみ、それは、どこの世界に行ってもなくなることのないもの。

 

人の中で生きている限り生じ続ける……社会生活とは不可分の、恐ろしい魔物なのだ。

 

 

 

「ですからねぇ、サワディ様には是非ともシェンカー通り(ストリート)の担当をお願いしたいんですよ」

 

「町会長、様はやめてくださいよ。それにシェンカー通りなんてないでしょ」

 

「だってもう貴族様なんでしょう。もう君のとこの本部前の通りの名前も変えちゃったしねぇ」

 

「まだ無役の学生なんですから勘弁してくださいよ」

 

 

 

夏半ばの頃、俺はこうして町会長のオヤジに無茶振りを受けていた。

 

この間まで占拠していた本部前の通りを秋祭りで丸々任せるから盛り上げてくれ、という本気の無茶振りだ。

 

もう名前もシェンカー通りに変えちゃったよーんと悪びれずに言う町会長には心底ムカついたが、ムカついたからどうこうできるわけじゃない。

 

しがらみとはそういうものだ。

 

これでこの町会長には、昔から結構世話になってんだ。

 

マジカル・シェンカー・グループ本部の建物を斡旋してくれたのも町会長だし、昔はちょこっと金借りたこともあったし、雨に濡れたときに風呂に入れて貰ったこともある。

 

上の兄貴が幼少期に八股やらかして修羅場った時に、刃物持った幼女相手に仲裁してくれたのもこのオヤジ。

 

下の兄貴が馬で事故った時に、歩けない馬を引き上げてくれたのもこのオヤジ。

 

兄弟みんなこのオヤジの世話になってるんだな。

 

 

 

「とにかく、どうか頼みますよ。この通り」

 

「頭下げるのはやめてくださいよ、わかりましたから」

 

 

 

このオヤジに頭を下げられちゃかなわない。

 

結局やらざるを得ないんだな。

 

 

 

 

 

幸い、俺には俺以外に仕事をしてくれる存在が沢山いる。

 

そう、我が愛しの奴隷達だ。

 

奴隷達が毎日毎日本部や拠点の前の掃除をしてくれるおかげで、ご近所でのうちの評判はすこぶる良かったりする。

 

特に、元『首塚通り』とか言われてた、現『シェンカー通り』はトルキイバいち綺麗な場所として有名なんだ。

 

そんな通りで半年以上毎日毎日楽隊の練習やら屋台の運営やらをやっていたせいか、奴隷達の『シェンカー通り』への愛着は大変なものだった。

 

通りの名前が変わったっていうニュースに狂喜乱舞し、秋祭りで通りを丸々任されたという話では涙ぐむ者までいた。

 

よくわかんないけど、よそから無理やり連れてこられた奴隷達がこの町のことを好きになってくれたってのは素直に嬉しい。

 

嬉しいんだけど……

 

勝手にカンパ集めて地面を舗装工事して、路面標示で『シェンカー大通り』とでかでか記載するのはやめてほしい。

 

大通りじゃないから嘘だし、後で名前が変わったとき書き直すのはうちなんだぞ。

 

別に道路自体がうちのものになったわけじゃないんだからさ……町会長からは舗装工事を感謝されたけどね。

 

そんなちょっぴり暴走気味な奴隷たちの頭に、俺は秋祭りの事を相談しにやってきていた。

 

 

 

「お祭りであの通りを丸々任せてもらえるんですか……」

 

「そうなんだよ、うちは去年までと一緒で芝居もやるだろ?人員配置が厳しいんじゃないかと思ってな……」

 

「そんなことないですよ、仕事が増えて助かるぐらいですよ」

 

 

 

筆頭奴隷のチキンは首を横に振った。

 

 

 

「そうなのか?」

 

「はい、みんな休みが多すぎると言って休日に臨時の仕事をしたがってます。奴隷達はもちろん、退役者もですよ」

 

「退役者も?そんなに金がないのか」

 

「女の子には色々とお金がかかるんです。服とか、結婚資金とか……」

 

「ふーん」

 

「あとは芝居を見に行くのが流行ってまして、みんなお金を貯めているんです」

 

「芝居を、そりゃあいい」

 

 

 

そのうち福利厚生のために劇場を一日貸し切りにしてやってもいいかもな。

 

芝居ファンを増やすためなら、俺は身銭を切る事も厭わんぞ。

 

 

 

「とにかく、お給料が出るならなんの問題もなく人は集まると思いますよ。というかご主人様が言ったらみんな無理してでもやりますって。奴隷なんですから」

 

 

 

苦笑するチキンだが、無理をさせて仕事が増えるのは俺なんだぞ。

 

怪我や病気を誰が治療すると思ってんだ。

 

 

 

「とにかく、無理なくシフトを組んでくれ。基礎工事からやるからな」

 

「わかりました、どういうお祭りにしましょう?」

 

「それは俺に考えがある。音楽隊……は忙しいから、楽器のできる奴らを集めといてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 

 

無茶振りしてる自覚はある。

 

でもうちの実務の要は、筆頭奴隷のこいつなんだ。

 

何かあったらこいつに相談、なんでも丸投げ。

 

最高だ、大変助かってる。

 

ハードだけど、給料は普通の務め人の三倍ぐらい払ってるからな。

 

俺はちゃんと貢献に報いる男なんだ。

 

 

 

 

 

祭りに関してはアイデアがあった。

 

というよりは、俺が見たい祭りがあったというべきか。

 

ここいらのお祭りといえば、豊穣を祝して精霊に祈りを捧げるといったもので、ちょっと地味なんだよな。

 

都市中を練り歩く山車がメインっていうか、あんまり歌ったり踊ったりしないんだ。

 

でもやっぱ祭りって言ったら歌と踊りでしょ?

 

日本人の俺が見たい祭りといえば、盆踊りっきゃないわけよ。

 

 

 

「櫓を作るんですか、その上で演奏……?そんなことしていいんですか?」

 

「この通りはうちの天下だ、構わんだろ」

 

「まぁご主人さまが言うならいいんですけど」

 

 

 

現場監督の牛人族に縄張りと櫓を任せ、俺は小物と『音頭』の準備だ。

 

『音頭』は日本人の心だ、歌いまわしもリズムも、記憶じゃなくて魂に刻まれてるからな。

 

とにかく、まずは太鼓を作らないといけない。

 

そう思って試作しながらも、しばらくはなかなか上手くいかずにいたんだが……

 

夏の終りにプールに鎮座していたお手製滑り台のおかげで、俺は人材を発掘できたのだった。

 

 

 

「このでっかい木の中身をくり抜くんですか?」

 

「そうだ、太鼓にするからな、念の為に2つ作る」

 

 

 

うちで運営してる小物屋から引き抜いてきたのは、木工が得意なマモイという奴隷だ。

 

やたらと器用で仕事が速い。

 

こういう時、奴隷の人材層が分厚くって良かったなと思うよ。

 

 

 

 

 

もちろん既存の太鼓で音頭の練習も並行してやる。

 

太鼓の完成を待ってちゃ間に合わない。

 

しかし、曲は覚えてるんだが、歌詞がないんだよな。

 

俺には文才とかないから、ハントが書いてくれた歌詞に口だけ出しまくってなんとか体裁を整えた。

 

命名『トルキイバ音頭』ってとこかな。

 

踊りは色々ごちゃまぜだけど、簡単なら簡単なほどいいだろ。

 

どうせみんな酔っ払ってるんだし、ちょっと見て簡単に真似して踊りの輪に混ざれればそれでいい。

 

こうして祭りの準備自体は忙しなくも好調に進んでたんだけど……

 

忙しい時にこそ、変な所からややこしい話をぶっこまれて、てんやわんやになったりするよな。

 

 

 

 

 

先日俺の結婚式でビシッとした演奏をやった音楽隊なんだが、あの演奏でなかなか評判を呼んだらしい。

 

次の週にはトルキイバ住まいの貴族から、娘の結婚式にも使いたいとレンタルの申し出が来た。

 

それは別にいい、ちゃんと礼儀作法も仕込んでるし、曲のレパートリーも豊富にある。

 

それに、あの楽隊の指揮者のレオナってのは元々王都でサロンの小間使いをやっていたって話で、貴族的な慣習にも詳しいんだ。

 

訓練に訓練を重ねた楽隊は、心技体揃った、うちの奴隷たちの中の上澄み集団だったから、レンタルにも快く応じる事ができた。

 

まぁその時は良かったんだ。

 

問題はその結婚式に出席していた他の貴族から、また依頼が入ったことだ。

 

マーチングがやれる楽隊はここらへんじゃちょっと新鮮だったらしい。

 

もうなんか嫌な予感がするだろ?

 

俺だってしたさ。

 

その日から、貸し出し、貸し出し、また貸し出し。

 

結婚式、パーティ、お茶会、セレモニー。

 

呼ばれまくり、褒められまくり。

 

そんで、メンデルスゾーンもやりまくり。

 

いいじゃんあの曲、だれが作ったの?

 

俺じゃないよ?

 

でも、教えたのは俺だよね。

 

それからすぐに、洒落にならない大貴族からいきなりの作曲依頼が入ってきて、俺は完全に頭を抱えていた……

 

 

 

「いやいや、無理ですよ」

 

「といってもねぇ、相手は軍閥のお偉いさんだよ。それもお孫さんの誕生日の祝だろう、誰も断れないよ。君の前世の曲ってのはもっと他にないのかい?」

 

「そりゃ、ありますけど」

 

「なら、それでいいじゃないか。よっぽどの大物じゃなかったら突っぱねられるんだから、今回だけと思って頑張ってみたまえよ」

 

 

 

ソファの隣で俺の爪を切るローラさんにそう諭されるが……

 

俺の結婚式でやったメンデルスゾーンの結婚行進曲だって簡単に再現できたわけじゃないんだ。

 

音楽ができる奴隷たちを全員集めて、メインテーマに沿って何パターンも曲を書いてなんとかそれっぽく仕上げたんだから。

 

前はたまたま上手く行ったけど、自信ないなぁ。

 

 

 

「今いる奴隷達じゃあ力不足なのかい?」

 

「ちょっと不安かなって感じなんですよね〜」

 

「買ってきたらどうだい?技能奴隷を集めてやらせたらいいじゃないか」

 

「あ、そっか……奴隷って別に欠損奴隷以外も買えるんですよね」

 

「何を言っているのだか」

 

 

 

ローラさんはクックックッと悪役っぽく笑って、爪が綺麗になった俺の手の甲にキスを落とす。

 

やっぱ何でも相談できる嫁さんって最高だぜ。

 

 

 

 

 

馴染みの奴隷商に久しぶりに訪れた俺は、熱い涙を流す奴隷商人ペルセウスから長々と結婚と受勲の祝いを聞かされた。

 

これも不思議な縁だけど、このシブいジジイにも爺さんの代から家族ぐるみで世話になってるんだよな。

 

俺の出世だって一番喜んでるのはこいつじゃないかってぐらいだ、自分が出れない結婚式に朝イチでご祝儀と俺の好きだったお菓子を持ってきてくれたしな。

 

もう正直、俺も親戚のおじさんみたいに思ってるよ。

 

 

 

「……ですから、このペルセウスはサワディ様が生まれた瞬間から、此度の躍進を確信しておったというわけでございます」

 

「いやいや、言い過ぎだよ。そろそろ奴隷見せてよ」

 

 

 

暑苦しいペルセウスを振り切っていつもの部屋で待っていると、丁稚がぞろぞろと奴隷たちを連れてきた。

 

音楽家を集めてくれとだけ言ったから、今回は特に縛りなしだったんだけど……

 

なぜか全員が欠損奴隷だった。

 

 

 

「サワディ様は奴隷商人界では伝説になっておりまして、この者たちも治療ありならば奴隷になると志願してきたもの達です」

 

「そうなんだ、普通のやつは来なかったの?」

 

「音楽家に限って募集しましたら欠損奴隷のみで枠が埋まりました。全員実績は確かでございます」

 

「ふぅーん、もしかして、各分野にこういう奴らっているの?」

 

「それはもう、老若男女ひしめきあってございます」

 

「買うと言ったら集まるか?」

 

 

 

ペルセウスはこれまで見た事がないような悪い顔で、犬歯をむき出しにして笑った。

 

 

 

「その言葉をお待ちしておりました」

 

「……いや、言っただけだけどね。言っただけ」

 

 

 

なんかおっかないし、買わないよ。

 

今ですらあんまり管理が追いついてないのにさ。

 

単純労働に使えない技術者なんか、今の中間管理職が育ってない状態だと宝の持ち腐れになるだろ。

 

まあでも、奴隷達が何か習いたいって言うなら一人二人は教師役として買ってもいいかな。

 

その点でも音楽家集団はちょうどいい。

 

奴隷達の中にも趣味や仕事として音楽をやりたいと言っている者は多いから、今回の話が終わったら、こいつらみんな個人指導をやらせよう。

 

鍵盤なんか弾けたら婚活にも有利かもしれないし……なにより、音楽は人生を豊かにする。

 

この世界、ほんとに娯楽がないからな。

 

しかし、婚活目的なら詩とか刺繍とかの先生も早いうちに買ってやるべきか。

 

奴隷達には妙齢の女性も多いから、これは近々の課題だな。

 

 

 

 

 

奴隷商から連れて帰った音楽家集団を治療した。

 

その後、ちょっと辺鄙なところにあるアパートの奴隷達を別の建物に移し、音楽家はそこに詰め込んだ。

 

音楽をやるとうるさいからな、町外れぐらいのほうがご近所トラブルがなくていいよね。

 

それから、もう入居させたその日に早速全員を集めて仕事の説明を行うことにした。

 

俺はやることいっぱいあるんだ、テキパキやっていかないと間に合わない。

 

 

 

「さっそくだが、今回は貴族様に作曲を頼まれてな。俺は作曲はしても編曲はわからんから、ややこしいところは君たちにやってもらうことにした。ということで、こいつに教えてあるメロディをメインテーマにして各自編曲を行ってほしい。おい、モイモ、しっかり頼むぞ」

 

「はいっ!サワディ様!」

 

「こいつは小器用でな、作曲や編曲の知識もある程度はあるそうだから、使用する楽器とかの質問はこいつにしてくれ」

 

「おまかせください!」

 

「サワディ様、よろしいですか」

 

 

 

白いひげを蓄えた、兎人族の爺さんが手を上げた。

 

見た目的には、こいつが音楽家集団の長老になるのかな。

 

 

 

「質問を許す」

 

「今回曲をお納めする貴族様とは、どなたでしょうか?」

 

「元陸軍少将、スリヤワ様だ」

 

「おお……」

 

「なんと名誉な……」

 

「スリヤワ様とは……」

 

「私も一度だけお会いしたことが……」

 

「音楽家の守護者であられる……」

 

「素晴らしいお話だ……」

 

 

 

ざわつく作曲家達に、隣から大音声で「喝!」と声が飛んだ。

 

……びっくりした。

 

若干耳がキーンとするな。

 

気合を発したモイモは、顔を真っ赤にして胸の前で拳を握っていた。

 

 

 

「貴様ら、何を平民気分でくっちゃべっておるか!主人の前だぞ!」

 

「…………」

 

「貴様らが以前どんな人間だったか知らんが、今は奴隷である、わきまえろ!」

 

 

 

よくわかんないけど、ブチ切れてるから口挟まないほうがいいのかな。

 

奴隷達が静かになったのを見たモイモが、「失礼いたしました」と頭を下げた。

 

こいつ……どういう世界観で生きてるんだ?大丈夫か?

 

 

 

「他に質問は?一人ずつ」

 

 

 

恐る恐る手を上げた中年の人族女性に、無言で指をさす。

 

 

 

「お、恐れながら質問致します、この仕事、締切はいつまででございましょうか」

 

「そうだな、一ヶ月」

 

 

 

ほんとは二ヶ月猶予あるけど、こういうのってそのまんま言うと遅れるからな。

 

 

 

「い、一ヶ月……かしこまりました」

 

「お、恐れながらっ、質問よろっ、よろっしいでしょうか」

 

 

 

入れ替わりで質問をしてきたのは、猫人族の若い男だ。

 

緊張でうまく口が動かないのか、しどろもどろになっている。

 

俺は無言でそいつを指さした。

 

 

 

「アレンジはっ……どっ……どこまで、いい、よろ、よろしいですか?」

 

「良いものが出来れば無制限とする」

 

「ありっ、ありがとうございます」

 

 

 

かわいそうなぐらい震えてるじゃないか。

 

今まで人に怒鳴られた事とかなかったんだろうか。

 

モイモには鉄拳教育とかはあんまりしないように言っておくか。

 

うちの教育の基礎を持ち込んだメンチがとにかく荒っぽかったからな、うちの奴隷達はどうにも軍隊っぽいんだよな。

 

 

 

「他に質問のあるやつ」

 

 

 

ないようだな。

 

 

 

「なんか質問あれば、楽隊の連中を通して聞いてきてくれ。じゃあモイモ、とりあえず聴かせてやってくれよ」

 

「わかりました」

 

 

 

モイモがラッパを構えると、全員が固唾を呑んで身構える。

 

心に染み込んでくるような乾いた良い音で、ワルキューレの騎行が流れ出した。

 

気分は地獄の兵隊だ。

 

意気揚々とアパートの窓を開けてみる。

 

風に乗って、赤く染まり始めた木の葉が舞い込んできたのを手で捕まえた。

 

胸いっぱいに乾いた空気を吸い込んでみると、汗ばむような陽気の中に微かな涼しさを感じる。

 

トルキイバに、秋がやってきていた。



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第51話 遊んでも 遊び尽くせぬ 夏になれ

巨乳奴隷回です。

前話で秋に入ったのに、また夏の話に戻っちゃいました。

スケジューリングがガバガバなんだよなぁ……(呆れ)


「この穴、何すんだっけ?」

 

「なんか水貯めるんだって、わかんないけど」

 

「また魚飼うのかな」

 

「なんかご主人さまが入るって言ってたよ、わかんないけど」

 

「魚人族でもないのに水に入るのかぁ」

 

「偉い人の考えることはわかんないなぁ」

 

 

 

我々は今、地上で穴を掘っている。

 

ご主人様の勅命で、劇場予定地にすり鉢状のでっかいやつをひとつ。

 

ふちギリギリまで水を入れるらしいから、水平を取るのが大変だ。

 

 

 

「ジーリンさん、角度見てください」

 

「わかった」

 

 

 

中央からふちまでの角度も大事だ。

 

見た目が変わってくる。

 

あたしたちの使うものならいいけど、ご主人様が使うもので下手こいたらうちの班の面子が丸つぶれだ。

 

ご主人様は気にしないかもしれないけど、きっと口うるさい土木三班あたりに半年は絡まれ続ける材料になるだろう。

 

土木工事班は冒険者班の次に喧嘩っ早いんだ、やらかした日にゃあ近々年季明け予定の子達の話もパァになってしまうかもしれないからな。

 

責任重大だ。

 

板を継ぎ合わせて作った木のわくで角度を見て、駄目なところに印をつけていく。

 

削って削って、石敷き詰めたら終わりだ。

 

単なる穴掘りなんか、地下に比べたら簡単な仕事だよ。

 

 

 

「ジーリンちゃん、今日のおやつは揚げ麺だってね」

 

「ああ、お前はほんと揚げ麺好きだな」

 

「最近どんどん美味しくなってるもの。お湯を切らずに食べろって言われてた頃は、ちょっと微妙だったけどね」

 

「ラーゲよぉ、お前あの時もお湯切って塩かけて食ってたろ」

 

「あのほうが絶対美味しいもん」

 

 

 

くっちゃべりながらも作業の手は止まらない。

 

お天道様の下の仕事はいいなぁ。

 

今の時期はちょっと暑いけど、開放感がある。

 

無駄話も熱が入るわ。

 

終わったらちょっくら遠出して飲みに行くか。

 

 

 

「今日この後、みんなで魚食いに行かないか?」

 

「えぇー、魚ぁ?」

 

「もうゲハゲハは飽きたよ」

 

「一時期ずーっとあれだったじゃん」

 

 

 

なんだなんだ、前はうまいうまいって食べてたじゃないか。

 

 

 

「昔は庶民はあんまり食べられないような高級食材だったんだぞ?」

 

「そんで増やしすぎて結局値崩れしてちゃ意味ないよぉ」

 

「今や普通の定食屋でも出るもんね、ゲハゲハ」

 

 

 

うむむ、難しいな。

 

あのお金の事ばっかり考えてる御主人様でもこういう失敗をするんだから、やっぱり商売ってのは難しい。

 

私は馬鹿だからなぁ。

 

ここにいれば黙ってても仕事を貰えるんだから、あんまり独立とかは考えないようにしよう。

 

一人でやっていける自信が全くない。

 

 

 

 

 

一週間ぐらいの作業で完成した水たまりは、プールというらしい。

 

中に水張って泳ぐらしいけど、それって何か意味があるのかな?

 

私達にも開放してくれるっていうから、今日は休みのみんなでやって来たんだけど……

 

 

 

「わっ!冷たーい!」

 

「泳ぐってどうやるの?」

 

「お水って飲んでもいいのかな?」

 

 

 

意外とみんな楽しそうにしてるな。

 

それに中に入らなくても、水際にいるだけで涼しいや。

 

 

 

「ジーリンちゃん!一緒に入ろうよ〜!」

 

「やめとくー!」

 

「なーんーでー!?」

 

「……水着が入らないから」

 

 

 

私は水に入れない。

 

なぜなら、御主人様の用意してくれた水着ってやつの胸巻きが巻けなかったからだ。

 

じっと胸を見る。

 

こういう時、牛人族の無駄に大きな胸が憎い。

 

 

 

「なんて嫌味な……」

 

「ねえカメブ、ジーリン水に叩き込まない?」

 

「やろう、すぐやろう。ラーゲも行くぞ!」

 

「うがーっ!!」

 

 

 

えっ!なに?

 

なんでみんな怒ってるの!?

 

なにか悪い事言った……?

 

結局そのままみんなに担ぎ上げられて、服のまま水の中に放り込まれた。

 

鼻に水が入って頭がキーンとする。

 

でも冷たい水はとても気持ちが良くて、暑さでだらけた身体がシャキッとした。

 

こりゃ入ってみて良かったかもしれない。

 

だけど、お返しはしないとな。

 

 

 

「次はお前だーっ!」

 

「おっ!ジーリンやるか!」

 

「かつげかつげ!」

 

「いやーん!」

 

 

 

その日は一日中、人を投げたり水に潜ったり、心のままに遊びまくった。

 

めちゃくちゃ楽しかった。

 

次は私も自分用の水着を作ってこよう!

 

やっぱり服だと動きにくいからね。

 

 

 

 

 

「うわぁ、凄いことになってるな」

 

「こんなに人がいるなんて……」

 

 

 

せっかく班のみんなとお金を出し合って、花柄の布で水着を作ったのに……

 

一週間ぶりに来たプールはずいぶんと混み合っていた。

 

いつの間にやら屋台が立ち並び、布の少ない水着で肌を晒した乙女たちがひしめき合っている。

 

プールで泳ぐ奴ら、なんか変なもんにしがみついて浮いてる奴ら、足だけ水に入れて酒を飲んでる奴ら、水をかけあって遊んでいる奴ら、みんなそれぞれに楽しんでいるようだ。

 

 

 

「ジーリン、その水着どうしたの?」

 

「かわいい〜」

 

「へへ〜いいだろ。自分達で作ったんだ」

 

「え〜、布はどこの店?教えて教えて!」

 

 

 

普段圧倒的におしゃれな、喫茶店勤務の奴らに服を褒められるとむずがゆいな。

 

自作の水着を着たうちの班には、プール中から少なくない数の視線が飛んでいた。

 

うーん、見られるのって意外と悪くないかも?

 

男にジロジロ胸見られるのはやだけどな!

 

結局その日は、ほどほどに遊んで帰った。

 

途中でプールの水が減っちゃって、みんなで水汲みに行って足したりしてたんだよな。

 

掃除もした。

 

あたしらのためのプールじゃないからね、あくまで御主人様の気まぐれで遊ばせてもらってるわけだから。

 

来る前よりも綺麗にするぐらいの気持ちじゃないとな。

 

 

 

 

 

それからしばらく経つと、もうどこに行ってもプールの話ばっかりだった。

 

うちの奴隷たちはもちろんのこと、誰かから話を聞いた街の人にも羨ましがられたりね。

 

ここらへんは水遊びできる場所なんて川しかないからなぁ、川も魔物が出るから危ないし。

 

間違いなく、いまトルキイバで一番盛り上がってる場所だよね。

 

なんか、優越感。

 

 

 

「でもこの混み方はなぁ〜」

 

「何一人でぶつぶつ言ってんのさ。早くあの浮くやつで遊ぼうよ!」

 

「うおおおおーっ!!」

 

「だあーっ!!バカ!これ以上乗ると沈むっつーの!!」

 

 

 

うちの班のみんなが、御主人様が手ずから竹で作ったっていう筏に乗り込んでいる。

 

最初は一人か二人が上に乗っかって、のんびりぷかぷか浮かぶのに使ってたらしいんだけど……

 

いつの間にやら、上に何人も乗ってお互いを水に落としあう遊びに変わっていた。

 

たしかに血は滾るけど……

 

おしゃれからは遠のいたなぁ。

 

 

 

「ジーリンちゃん早く早く!うちでこの島を占拠するんだよ!!」

 

「ああ!今行く!」

 

 

 

ん?なんだ、あの筏。

 

はじが水から浮かび上がってないか?

 

よく見ようと目を凝らした時には、もう筏は綺麗にひっくり返っていた。

 

 

 

「うばーっ!!」

 

「ひぇーっ!」

 

 

 

仲間達の悲鳴とともにざばんと水飛沫が上がり、地上にも水が流れてくる。

 

あーあー、頭から落ちて。

 

水飲まなきゃいいけど。

 

 

 

「きゃははははは!」

 

「この島はあたしらが頂きだ!」

 

 

 

筏のあった場所では、筋肉ムキムキの鱗人族の子達が笑っていた。

 

そりゃあいつらが力込めたら、上に何人乗っててもひっくり返るわな。

 

 

 

「あれ?島は?」

 

 

 

鱗人族の子達は周りを見回すが、筏はスイーっとひとりでに動き、別の場所に運ばれていくところだった。

 

勝手に動いた筏は、プールの真ん中で止まった。

 

勢いよく水からバシャッと登場して、揺れる筏の上に仁王立ちするものが一人。

 

目が隠れちゃうような長い前髪。

 

そして髪と同じ綺麗な銀色の鱗が、褐色の肌の上でキラキラ光っている。

 

魚人族のガマリって子だ。

 

たしか魚の養殖をやってる、大人しくて目立たない子だったはずだけど。

 

 

 

「し、島、取った……取った、ぞー!」

 

 

 

ガマリはぎこちない笑顔と共に腕を空に突き上げる。

 

でも満足そうな彼女をよそに、周りにいた子たちがどんどん筏に登ってきて、あっという間に筏の上は人だらけ。

 

ガマリは人の中で、「もが〜っ!」と呻きながら、また水の中に引きずり降ろされてしまった。

 

短い天下だったね……

 

人だらけのプールを見回すと、みんな支給の黒い水着じゃなくて自分で仕立てたやつを着ているようで、驚くほどに色が多い。

 

黄色、赤、紺、柄物、はいいけど、白……は透けちゃうんじゃないの?

 

女ばっかりだからいいのかな?

 

 

 

「おおーっ!メンチさんが島を占領したぞ!」

 

「かかってくるがいい」

 

 

 

水着を見ていると、いつの間にかひしめき合っていた女達は筏の周りから消え。

 

マジカル・シェンカー・グループの頭領、歴戦の鱗人族メンチさんが筏の上に立って周りを挑発していた。

 

それ、そういう遊びじゃないと思う。

 

 

 

「行くぜ!」

 

 

 

別の鱗人族が筏に這い上がり、構えるのもそこそこに威勢よくパンチを繰り出しはじめた。

 

遠目に見ても鋭いその突きは、しかしメンチさんの手首の動きだけで簡単にいなされ……

 

目にも留まらぬ直突きの反撃をまともに食らった彼女は、水面へと叩き込まれていった。

 

間髪入れずに猪人族の子が筏に這い上がって、メンチさんに組み付いていく。

 

が、秒で投げ飛ばされた。

 

さっき落とされた鱗人族もすぐに浮いてきて大笑いしてるし、タフすぎる。

 

冒険者組、すげー……

 

そりゃ、町のチンピラにも避けられるわけだわ。

 

 

 

メンチさんが大暴れして盛り上がっているプールから離れ、たこ焼きを食べていた私達の耳に、大きな悲鳴が聞こえた。

 

すわ流血か!と野次馬根性丸出しで向かうと……

 

顔を真っ青にしたメンチさんが、バラバラになって壊れた筏の残骸を抱きしめているのが見える。

 

あちゃー、壊しちゃったのかぁ。

 

 

 

「ジーリン、お前なんとかならないか?」

 

「いや、うちら土木専門なもんで。丸太で足場とかは組みますけど、ああいう物は……」

 

 

 

建築班の奴らなら余裕なんだろうけど。

 

うちらは穴ばっかり掘ってたから、ああいう繊細な仕事は向いてないんだよ……

 

 

 

「誰かいねぇか、メンチさん泣きそうになってるぞ」

 

 

 

ほんとだ、ぷるぷる震えてる。

 

誰かいないか誰か……

 

おっ!プールの中にマモイがいるじゃないか。

 

あいついっつも地下で木彫りとか工作とかやったりしてるからな、たぶん筏も直せるだろ。

 

 

 

「おーい!マモイー!頼むわー!見てやってくれー!」

 

「えーっ!?あたしぃ!?」

 

 

 

やりとりを聞いていたのか、メンチさんがざばざばとマモイのところに歩いていって頭を下げるのが見えた。

 

これでなんとかなるだろ。

 

木工のことは木工屋に頼むのが一番だ。

 

 

 

 

 

次の週に行ったプールには、あたしの背より大きい謎の置物があった。

 

傾斜のついた台みたいな、変な形。

 

竹と木で作られてるみたいで、やたらと頑丈そうだ。

 

みんなその置物のプールから反対側に並んでいる。

 

ほうほう、木の板に乗って?

 

置物の上からプールに滑り込むのか。

 

こりゃあ楽しそうだな!

 

 

 

「並ぼう!並ぼう!」

 

「すげぇなこりゃ、誰が作ったんだ?」

 

「マモイよマモイ!あの子凄いのよ!」

 

「そうそう!二、三日地下でなにかやってたと思ったら、すぐにこれが出てきたの!」

 

 

 

あー、あいつ凝り性だからなぁ。

 

筏を直して熱が入っちゃったのかな。

 

くっちゃべりながら待っていると列は進み、あたしの番になった。

 

みんな板の上に腹ばいになって乗ってたから、それに習ってみよう。

 

台の上からゆっくりと身を乗り出して、坂に入ると一気に木の板は滑り出した。

 

グッと引っ張られるような感じがしたと思ったら、バシャッ!という音と共にあっという間に水の中にいた。

 

顔が痛い、なんでだろ?

 

でも、めちゃくちゃ面白い!

 

もっかい!もっかい!

 

結局その日は、みんなで日が暮れるまで滑るやつに並び続けた。

 

木の板に立って滑ろうとして坂を転がり落ちたり、二人乗りしたり、座って滑ったり。

 

子供みたいにバカみたいなことをたくさんやって、たくさん笑った。

 

プールの真ん中の方じゃまた島の争奪戦をやってて、それを挟んだ反対側じゃ魚人族が泳げない子達に泳ぎ方を教えてあげてる。

 

なんでもない休日なのに、まるでお祭りみたいに賑やかで、みんな顔から笑いが絶えない。

 

今年の夏はほんとに最高だ!

 

仕事して、プールで遊んで、酒飲んで、毎日毎日みんなでバカ騒ぎ。

 

生まれてきて良かったなぁ。

 

滑るやつの上から空中でひねりを加えてプールに飛び込んだ鳥人族に、みんなが歓声を上げる。

 

もう滑るやつの上はバカなことの発表会みたいになってて大変だ。

 

見てるだけでもお酒が美味しい。

 

これからも毎年こうだったらいいのにな!

 

あ、でも……

 

よく考えたら、ご主人様のプールに勝手にこんな大きな物置いちゃっていいのかな?

 

何か聞かれたら、マモイのせいにしよ……

 

あと、夏の終り頃になると『おさけをのんだら およがないようにしよう』って看板が立ってたんだけど、あれって誰か溺れたのかな?

 

うちの班も、溺れないように気をつけよう。




30日までKOMPLETEのセールやってますよ。


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第52話 あの月は どこを歩けば 見えるのか

エリンギ


しっぽのついた動物は、なぜ自分にくっついた物の存在をしばしば忘れさる事ができるのだろうか。

 

足元の青い犬が視界の端に見切れる尻尾をくるくる追い回すのを見ながら、そんなことを考えていた。

 

この造魔の青い犬はジフと名前をつけられ、ここマジカル・シェンカー・グループ本部のアイドル的存在としてみんなに可愛がられているらしい。

 

こないだピクルスが「触ると手を舐めてくれるんですよぉ」と嬉しそうに教えてくれた。

 

本部前のシェンカー通りでは今日も大勢の奴隷達が動き回っていて、順調に秋祭りの準備が進んでいるように見える。

 

いい場所に組まれた櫓の上では試作品の太鼓が打ち鳴らされ、その周りで奴隷達が歌と踊りの練習を熱心にやっているようだった。

 

 

 

「ご主人様、こっちが裏の帳簿です」

 

「うん」

 

 

 

紫の長袖ワンピースのチキンが持ってきた人造魔結晶の売上を、ペラペラと捲って確認する。

 

間違ってもバレちゃいけないブツだから、流通の途中で非常に迂遠な隠蔽工作が施されていて思っていたよりも利益は薄い。

 

それでも、うちの表の年間利益の半分ぐらいは稼げてるわけだから笑いが止まらないんだよな。

 

表には出せない金だが、使い道はいくらでもあるんだ。

 

 

 

「もっと供給を増やしてもいいんじゃないかと、ピスケス様が仰っておられました」

 

「番頭の言うことなんかほっとけ。しかし、あいつはいくつになってもイケイケだなぁ」

 

「よろしいので?」

 

「いいのさ。もっと欲しいと言って、すぐにそれが出てきたらどうなると思う?」

 

「嬉しいのではないですか?」

 

「違うね。腹を掻っ捌けばなにが出てくるのか、気になって眠れなくなるのさ」

 

「はぁ」

 

「いいかチキン、本気は出しても全力は出すな。死ぬまで全力でやり続ける羽目になるぞ」

 

「そりゃ、貴族の教えですか?」

 

「社畜の心得だ」

 

「しゃち……?」

 

 

 

わかんないこと言っちゃったかな。

 

まぁ、死人の戯れ言だ。

 

一生わかんないほうがいいだろう。

 

書類に目線を戻すと、窓から不意に強い風が吹き込んできて俺の前髪を揺らす。

 

少しぶるっときた。

 

涼しくなったなぁ。

 

この涼しさじゃ、もうプールには入れんな。

 

 

 

「最近、奴隷たちはどうしてる?」

 

「元気ですよ」

 

「遊び場所とか、困ってないか?」

 

「プールで遊べなくなったのは残念がってた子も多いですけど、今入ると風邪を引いちゃいますからね」

 

 

 

そうなんだ。

 

プールってのは夏しか使えないから、本当に贅沢品なんだよ。

 

前世の小学校とか中学校とか、よくあんなもんを維持してたよな。

 

水場の活用法なぁ……

 

何かあるか。

 

水、水……

 

水着……黒……白……ビキニ……いや違う。

 

水だ水……季節は秋……秋は秋刀魚(さんま)……秋刀魚(さんま)は魚……

 

魚かぁ。

 

魚といえば釣りかな。

 

 

 

「チキン、釣りってやったことあるか?」

 

「釣りって、海でやるやつですよね。本で読んだことならありますよ」

 

「そうだよなぁ、ここらの川は釣りなんかできないもんなぁ」

 

「水場の魔物はめちゃくちゃ危ないですからね、毎年行商人の馬が川に引きずり込まれてますから」

 

「やれるなら、やってみたいと思うか?」

 

「いや、私は想像もつかないんで……」

 

「あ、そう?」

 

 

 

よしんば釣り文化がトルキイバにあったとしても、チキンはいかにもインドアっぽいしな。

 

まあ、物は試しだ、やってみるか。

 

 

 

 

 

ということで、俺はローラさんと一緒にプール改め釣り堀へとやってきていた。

 

すでに養殖場から運んできたゲハゲハが十匹ほど放たれ、酸素を送り込むためのポンプ造魔も取り付けられている。

 

水の中には何本か丸太も設置され、魚の隠れ場所にしてある。

 

一応見た目も釣り堀っぽくするために、プールに板を渡して足場も作った。

 

その他のものはおいおいだ。

 

水草とかもあったほうがいいのかな?

 

まあ、ゲハゲハってのは言ってしまえばマッチョな鯉だから、割とどんな環境でも気にせず生き続けるんだけどね。

 

 

 

「こ、こんなもんで、いかがでしょうか……?」

 

「ありがとう、上手く行ったらここの管理も養殖場の者に頼むと思う」

 

「か、かしこまりまして……ございます」

 

 

 

前髪の長い銀髪の魚人族がしずしずと下がっていき、俺とローラさんは釣り竿を構えた。

 

釣り竿は売ってなかったから、ローラさんのお手製だ。

 

最初は俺がなんとなくで作ってたんだけど、途中でそんなんじゃ駄目だって取り上げられてしまった。

 

さすがは港町出身、釣りには煩いようだ。

 

 

 

「釣りなんて久しぶりだなぁ、故郷ではよく父の船で釣りに出たものだよ」

 

「僕はほとんど経験ないんで、色々教えて下さいね」

 

「任せておきたまえ」

 

 

 

ちなみに針も特注だ。

 

こんな内陸で、川にも近づけないんじゃ釣りする人いないんだもん。

 

うちが養殖で魚増やしまくるまでは、川魚で泥臭かろうと結構な高級料理だったんだからな。

 

まさかあんなに増えるとは思ってなかったけど。

 

ともかく、俺はローラさん特製のくっさい練り餌を針の先につけて、丸太の陰へと投げ込んだ。

 

 

 

「いいかい、釣りは忍耐との勝負なんだ。いくら釣れなくても焦っちゃいけない。一度のチャンスを確実に物にするんだ」

 

「はい!……って、あれっ!来ました!」

 

「なにっ!もうか!?」

 

 

 

ゲハゲハは一瞬でエサに食いついてきた。

 

ぐっと竿を引くが、力が強くてまるで歯が立たない。

 

早くもミシミシと音を立て始めた釣り竿に、思いっきり強化魔法をかける。

 

 

 

「うおおおおおおお!!」

 

「魚を弱らせるんだ、走った方向に引け!」

 

 

 

ローラさんの助言通りに俺が竿を引くと、魚はその反対に走る。

 

また魚の行く方に竿を引くと、またその逆。

 

何度も何度も夢中でそれをやるが、魚は全く弱る気配がない。

 

かたや俺の方は数分の攻防で腕がパンパン、腰はヘロヘロで、逆に水の中に引きずり込まれそうだった。

 

再生魔法を使って全回復するが、ちょっとこれは魚の体力がありすぎる気がする。

 

うんざりし始めてきたところで、俺の手にローラさんの手が重なった。

 

 

 

「よし、よく頑張ったな。一緒に上げようか」

 

「ありがとうございます」

 

「いちにのさんで上げるぞ」

 

「わかりました!」

 

 

 

いち……にの……さん、でドポンッ! と景気のいい音を立てながら、ゲハゲハは空高く飛び上がった。

 

……さっきまでの奮闘はなんだったんだ。

 

ローラさんのパワーが凄いのか、俺が非力すぎるのか……

 

ま、魚が強かったということにしておくか。

 

俺は地面をのたうち回る、子犬ほどもあるデカいゲハゲハに小さく手を合わせた。

 

 

 

その後ローラさんも釣り糸を垂らしてみたが、またもや魚はすぐに食いつき……あっという間に竿が折れた。

 

やっぱ魚が強すぎるんだわ。

 

針は貴重品だから、さっきの魚人族の子に潜ってゲハゲハごと回収してきてもらった。

 

もう涼しいのに、なんか悪いね。

 

結局ゲハゲハ釣りは竿を太い青竹に変え、全身で魚と格闘するちょっと変なゲームになってしまった。

 

 

 

「ぐっ……ぬぬぬ」

 

 

 

俺とローラさんがそれぞれ試した後は、普通の奴隷にもできる遊びかどうかを今日連れてきたみんなに順番でやらせてみている。

 

今挑戦しているのはさっきの前髪の長い魚人族だ。

 

彼女はそこそこ太い青竹の真ん中に巻いた太い糸を必死に巻き取り、大奮闘で魚を引いていく。

 

ゲハゲハはプール中を暴れ回るので、自然と釣り手も右へ左へとダイナミックな動きになる。

 

見た目は完全に魚との綱引きだ。

 

運動量が多いな。

 

 

 

「だあーっ!は、はっ……勝った!勝ちまし……た!」

 

 

 

必死こいて引き上げたゲハゲハの隣で、魚人族の子は嬉しそうにバンザイをしている。

 

カメラがありゃ、写真撮って記念にできるんだけどな。

 

 

 

「どうだ?釣りは」

 

「これを釣りとは呼びたくないけどね」

 

「あー、そのー、めちゃくちゃ、つ、疲れます」

 

 

 

さっきの子は困った顔だ。

 

潜って取ったほうが早いと、言いたいが言えないんだろう。

 

魚人族以外も連れてくるべきだったかな。

 

まぁしばらくは、このまま様子を見てもいいか。

 

 

 

釣ったゲハゲハを捌いて焼き始める頃にはもう夕陽が沈み始めていて、赤い夕陽が水面に映って結構いいムードだ。

 

一緒についてきた奴らは、ちょっと離れた所で各々が釣った魚を食っている。

 

今日プールに入れた分はほとんど釣っちゃったから、また池から魚を連れてこないとな。

 

プールも虫や鳥の水場として遊ばせておくよりも、変な釣り堀としてでも奴隷達に開放したほうが生産的だろ。

 

俺自身はもう二度と釣りはやりたくないけど。

 

半分に切ったゲハゲハの塩焼きに齧りつき、心の底からそう思った。

 

 

 

「どうだい?自分の釣った魚は」

 

「いや、美味しいですよ」

 

 

 

特別に美味すぎないというか、素朴な味だ。

 

 

 

「そうだろう、自分で頑張って釣った魚は格別なんだ。あんなのでも意外と流行るかもしれないね」

 

「はい」

 

 

 

ローラさんは、懐かしいものを見るような顔で暗くなった水面を見つめる。

 

 

 

「ローラさんはどうでした?」

 

「地元の釣りとは違うけど、なかなかどうして楽しかったよ」

 

「地元、港町なんですよね」

 

「ああ、冬になると凍りつきそうになるぐらい、寒い港さ」

 

 

 

彼女はゲハゲハの塩焼きに少し口をつけ、黄金の月を仰いだ。

 

遠く離れた北の港町にも、おんなじ月が浮かんでいるだろう。

 

俺の故郷のものとはちょっと違う。

 

この惑星の月には、横に一本デカい線が入ってるんだ。

 

『月の瞼』とか『真理の鍵穴』とか言われてるらしいけど、大方酔っ払った太古の魔法使いが月に魔法を撃ち込んだんだろう。

 

でもあの一本線のおかげで、幼い頃の俺は里心がつかずに済んだ。

 

そんな俺とは違って、ローラさんは帰りたきゃ帰れるような距離だから、余計につらいだろうな。

 

 

 

「いつか、帰れるなら帰ってみたいですか?」

 

「なんだい?」

 

「故郷ですよ」

 

 

 

ローラさんは、魚の串を火の近くに刺し直し、小さく笑った。

 

 

 

「今更さ。私は十五で軍に入ってから一度も帰っていないんだ。軍で会うことのあった父や兄はともかく、母などはもう顔も怪しいよ」

 

「それでも、せっかくの故郷ですから」

 

「そうだな、いつか帰る日が来るならば、一緒に連れて行って案内してあげようか」

 

「ええ、是非色んな所を見せてください」

 

「だが……そう言う君は、故郷に帰りたくならないのかい?」

 

 

 

その言葉に、俺は少しだけ、返事に困った。

 

俺だって日本に帰りたくないわけじゃない。

 

もちろん社畜は嫌だ、でも思い返せば別に仕事ばかりの人生だったわけじゃない。

 

今になって思えば、いい事だってたくさんあった。

 

やりたかった事も、やるつもりだった事も、会いたかった人も、もちろんいた。

 

それでも、もし帰れたとしても、帰らない理由がはっきりと胸にあった。

 

 

 

「なりませんよ……向こうには、あなたがいませんから」

 

「そうかい?私がついて行ったっていいんだぞ?」

 

「駄目ですよ、あっちには多分魔素がないんです。魔臓が萎縮して、多臓器不全を起こして死んじゃいますよ」

 

「なんだ、夢がないなぁ」

 

「そんなものですよ」

 

「まあ、私も君がいるなら最果ての島で暮らしたっていいが……」

 

「そうなんですか?」

 

 

 

ローラさんは、空を仰いでぽつりと言った。

 

 

 

「君がいないなら……懐かしの故郷であっても、砂漠も同然さ」

 

「それは……僕だって同じですよ」

 

 

 

冷たい風が二人の間を吹き抜け、焚き火の炎を揺らす。

 

薪のはぜる音がして、ぶるっと寒気がきた。

 

月明かりの下、二人の影はどちらからともなく少しづつ近づき……

 

くっついて、それからずうっと離れなかった。




そして魚は焦げていた。



書籍化の話が進んでます。


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第53話 秋祭り 結びの言葉は はよ寝ろよ

一回飛ばしてすんませんでした。


やりすぎ。

 

それは恐ろしい言葉だ。

 

物事にこだわりの強い男なら、こんな言葉を一度や二度は言われたことがあるだろう。

 

 

 

『ここまでしなくても……(呆)』

 

『こんなにやってくれたんだぁ(棒)』

 

『いくらかかったの(怒)』

 

 

 

異性の冷たい目線と共に放たれるこれらの台詞は、男にとって心底恐怖でしかない。

 

自分でもそこまで求められていないことはわかっているのに、つい過剰になってしまう。

 

これは男の悲しい性なんだ。

 

 

 

「君、なにもここまでしなくても……」

 

「いや、はは……」

 

 

 

劇場建設予定地にロープで区切った椎茸畑には、所狭しと原木が並べられていて……

 

そこからは取り切れないほどの椎茸が、木の表面を埋め尽くすように生えていた。

 

家が建つようなひと財産だが、こんなものを流通させたら魚以上にまずい。

 

なんせ椎茸はかなり貴重なブツなんだ。

 

相場が崩壊するのはともかく、間違いなく産地やそこの貴族からの恨みを買うだろう。

 

少しぐらいならともかく、まとまった数を売るわけにはいかない。

 

手近な木から一本もぎとってみる。

 

肉厚で形もいい、きっと美味しいだろう。

 

もぎ取った場所からは、もう次の芽が顔を出している。

 

どう考えても菌にかけた強化魔法の効きすぎだ、あっという間に爆発的に増えたからな。

 

そのうち落ち着くとは思うが……

 

とりあえず今ある物は、椎茸狩りのレジャーとして奴隷達に開放するか。

 

釣り堀もあるし、鍋やバーベキューとして楽しめば秋の行楽としては十分だろう。

 

俺はローラさんと一緒に焼いた椎茸に塩を振って齧りつきながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

ここしばらく準備をしてきた感謝祭、その当日は晴天となった。

 

朝からシェンカー通りは見物人や奴隷達でごった返し、大変な賑わいを見せていたらしい。

 

俺とローラさんは午前中は学校の学園祭の方に顔を出し、昼過ぎからシェンカー家仕切りの盆踊りを見にやってきていた。

 

朝と夕に分けて行われる盆踊りはすでに一度目が終了しており、今はいくぶん人も減った状態で通りも歩きやすい。

 

とっておきのお洒落をした華やかな女達が屋台を冷やかしながら行き来し、男達もなんだかうきうきと浮かれた様子で楽しそうにくっちゃべっている。

 

一応今日は盆踊りということでシェンカー関係の人間にはうちで用意した法被を着せてみたんだが、これもなかなか雰囲気が出ていい感じだ。

 

関係者が一目でわかるし、こうして日本的なものを見ると、俺だってなんとなく浮ついた気持ちになる。

 

青色の生地に赤文字で『シェンカー』と書かれているのはちょっと、なんだかなぁとも思うが……

 

あれも半纏の屋号だと思えばおかしくもないのか。

 

うちの者からの評判も意外といいし、街の人からも「華やかでいいね」なんて褒められた。

 

下の兄貴が一枚ちょろまかしていったなんて報告もあったが、まぁそれぐらい大目に見よう。

 

祭りだからな。

 

 

 

ドンドンドン!

 

カカカッカ!

 

ドドンドドン!

 

中央の櫓の上からはずっと太鼓が鳴っている。

 

その周りでは法被を着た数人が集まり、バンジョーみたいな弦楽器やラッパ、それと棒のついた太鼓のような見た目の二本弦のウッドベースで演奏をやっている。

 

盆踊りが始まるまでにはまだまだ時間があるから、あれは有志の出し物なのかな。

 

俺も全てを把握してるわけじゃないからな。

 

とりあえず置かれている箱に投げ銭をしておくか。

 

 

 

「君は芝居もそうだけど、音楽が好きだよな」

 

「僕は楽しいことが好きなんですよ」

 

 

 

周りがうるさいから、自然と顔を近づけ目を見合わせて話す。

 

俺と一緒にシェンカー家の法被を着たローラさんは、飲み物片手に煙草をくわえて上機嫌な様子。

 

彼女も案外賑やかなのが嫌いじゃないんだ。

 

 

 

「前線にもああいう演奏家がよく来たよ」

 

「そうなんですか?」

 

「たまの楽しみでね。将校から新兵まで、みんなで集まって聴いたものさ」

 

「へぇー、今日はこの後でもっと凄い演奏がありますから、ぜひ楽しんでくださいね」

 

 

 

笑顔と頷きが返ってきた。

 

ローラさんはまだ盆踊りを見たことがないから、きっと曲と踊りが始まったらびっくりするだろうな。

 

 

 

ピピーッ!

 

近くでホイッスルの音が鳴った。

 

 

 

「スリだーっ!」

 

「待てっ!この野郎!」

 

 

 

人波の向こうに、小柄な髭面の男が疾走するのがちらりと見えた。

 

刺股を持った冒険者組が追いかけようとするが、男が素早くてとても追いきれないようだ。

 

俊足を活かし、人を掻き分けて走り去ろうとするスリに、上空から影がさす。

 

見上げると、家の古参の冒険者のボンゴが飛んでいた。

 

あっという間に紐の先に石のついた捕縛具が投げられ、スリはもんどり打って倒れ伏す。

 

そこに冒険者達が殺到し、男はボコボコに殴られて捕縛された。

 

やるじゃん。

 

俺が空のボンゴに手を振ると、それに気づいた彼女は近くに降り立ってとてとてと近づいてくる。

 

 

 

「…………ほ……め?」

 

 

 

周りの喧騒で小声なボンゴの言ってることは聞こえなかったが、だいたいそんな感じの事を言っていたんだろう。

 

俺はいつの間にか背丈を追い越してしまった彼女の頭を撫でて、お駄賃を手渡した。

 

満足そうに胸を張ったボンゴは人波の隙間から、助走をつけてまた空へと飛び立っていく。

 

こういう日の警備は大変だな。

 

冒険者組には後で差し入れでもしておくか。

 

 

 

 

 

「見たことのない食べ物ばかりだね」

 

「ちかごろ、うちが開発した食べ物が広まりましたからね。なんか食べましょうか」

 

 

 

立ち並ぶ屋台にかけられた色とりどりののれんには、ここ数年でこの街の定番になった食べ物の名前がズラリと並ぶ。

 

肉まん、スパゲッティ、うどん、焼きそば、たこ焼き、お好み焼き、ドーナツ、数年前までは存在もしなかったメニューばかりだ。

 

だいたいは俺が食いたいから作らせたんだよな。

 

各屋台ともなかなか忙しそうにしていて、商売は繁盛しているようだ。

 

 

 

「たこ焼き8個くれ」

 

「へいっ!あ、こりゃご主人さま、お疲れ様でございます!すぐ作りますんで!」

 

 

 

軽い態度の猫人族はなかなかの手練のようで、素早い手付きでたこ焼きを焼いていく。

 

トルキイバにはたこが入ってこないから厳密にはたこ焼きじゃないんだが、まぁ構いやしない。

 

中身が燻製肉やウインナーだろうと、美味けりゃいいんだ。

 

針の先がくるくると回り、タネがポンポンとボール状になっていく。

 

やっぱりたこ焼きは、この見た目もいいな。

 

 

 

「へいお待ちっ!」

 

「ありがとう」

 

 

 

俺はできたてのたこ焼きをさっそく口に頬張った。

 

が、あまりの熱さに口の中でお手玉してしまい、ローラさんと店員に笑われてしまった。

 

しょうがないだろ!

 

焼き立てだと五割増で美味しく見えるんだよ!

 

そんな俺の様子を見ていたローラさんはフーフーと冷ましてからたこ焼きを食べ、満足げな様子で目尻を下げる。

 

 

 

「これはなかなか美味しいじゃないか」

 

「へいっ!ありがとうございます!奥方様!」

 

「やっぱりここらへんは小麦の産地ですからね、粉ものを名物に押していきたいんですよ」

 

「粉ものね、他のものも食べてみたいな」

 

「ええ、行きましょうか。ありがとう、ごちそうさん!」

 

「へいっ!お気をつけて!」

 

 

 

猫人族の子に見送られた俺達は、すぐ隣のお好み焼きの屋台に移動した。

 

 

 

「いらっしゃい!おやご主人様!奥方様もお揃いで!」

 

「豚玉ひとつね」

 

「あいよっ!豚に卵!トルキイバ焼き一丁!白ソースはどうします?」

 

「たっぷりで」

 

「はいたっぷり頂きましたっ!」

 

 

 

今日はここらへんの屋台のもの、全部食べよう。

 

視察だ視察。

 

 

 

 

 

「はいどいたどいた!」

 

「この場所空けてー!」

 

「楽器通るぞー!」

 

 

 

俺たちがやってきてから数時間が経っただろうか。

 

通りがにわかに騒がしくなり、夕陽があたりを照らす中を盆踊りの準備が始まった。

 

用意された提灯には火が灯され、一気に櫓の周りが明るくなる。

 

この日のために練習してきた楽隊や歌い手、踊り子達が櫓の前に集結し、総指揮を取ったらしい管理職のジレンが最後の挨拶を行っている。

 

盆踊りは朝と夕のニ回にわけて行う事になっているので、朝の評判を聞きつけたお客さんが集い、周りは大変な混雑になっていた。

 

ドドドドドドドドドン!……カカン!

 

いきなり始まった太鼓の乱打に、ざわついていた観客が一気に静かになる。

 

魔具の拡声器を通した歌い手の声が通りに響き、ヘンテコな色合いの浴衣を着た踊り子達が一斉に踊りだす。

 

笛や弦楽器の入り乱れた演奏は、明るくて賑やかでなかなか小粋な感じだ。

 

踊りだしたくなる感じでいいじゃないの。

 

 

" ア、地の果て行くまで麦畑

 どこで会ったか父と母

 ヨ、麦の穂のほが人より多い

 だけどもどうして心は錦

 

 ソレ、海の噂は流れても

 見れる海原金のそれ

 引いては寄せる麦かき分けて

 迎えに来たよといなせな農家 "

 

 

聴こえてくる歌は、ほとんどハントに丸投げだったから文句も言えないんだけど……

 

なんだかどうにも毒にも薬にもならない、気の抜けるような感じ。

 

でもまあ、気楽に聴ける歌で良かったかな。

 

俺は戸惑うローラさんの手を引いて、踊りの輪の一番外側についた。

 

なんとなく周りの真似をするだけでも踊れるような簡単な踊りのはずなんだが、外側の輪は俺も含めてみんな妙ちきりんな踊りのやつばっかりだ。

 

朝からいたらしいやつらだけが微妙に踊れている。

 

ま、田舎だし、普段は踊るような機会なんかないしな。

 

みんなお祭りムードと酒の陽気に当てられて、結構笑顔で楽しんでいるようだし。

 

楽しんでくれてるなら、形は何でもいいか。

 

その後も、粉もん食い倒れ音頭、トルキイバ小町音頭、麦畑で捕まえて音頭、光れ星屑竜騎士音頭など、色んな音頭が続き……

 

いつの間にか膨れ上がった踊りの輪は自然と瓦解していき、みんな好きな場所で思い思いに踊るようになっていた。

 

そして浴衣を着た踊り子達には、いつの間にかそれぞれ男のパートナーがつき、寄り添い合うように腰に手を回して揺れている。

 

そういや祭りってのは元々、古来からの出会いの場でもあったな。

 

来年は婚活パーティーにでもしてみるか?

 

腰に回されるローラさんの手を握りながら、なんとなくそんな事を考える。

 

低く太く鳴り続ける太鼓の音に揺られ、お祭りの夜は更けていく。

 

他の通りの火は消えても、シェンカー通りの提灯は消えず。

 

音楽は終われども、馬鹿騒ぎに終わりはなかった……そうだ。

 

俺とローラさんは適当なとこで帰ったからな。

 

さすがにみんなタフすぎて付き合えんわ。

 

一応酒の差し入れだけはしておいたが、来年はきちんと閉会の時間を決めよう。

 

楽しそうに踊る奴隷達に何時間も付き合ってヘトヘトになってしまった俺は、それだけを固く心に誓ったのだった。




台風で呼び出されて大変でした


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第54話 秋晴れの 空を仰げば 雲高し 前編

ようやく個人的修羅場を抜けました、これからはちゃんとスケジュール守りたい……


悪友と歩く町並みはいつもと違って見える。

 

なんでもない立て看板は議論の的になり、一人では食わないものを食い、道行く見知らぬ人間とも思わぬ関わりができる。

 

でも、それだって毎日毎日続けば、それはもう日常だ。

 

新鮮さは薄れ、一事が万事「こんなもんか」と心動かされる事もなくなっていく。

 

そして永遠に続くと思っていたその日常が失われた時、人はその日々の輝きに改めて気づくのだ。

 

 

 

「あれ、ジニじゃん」

 

「おお、サワディか、久しぶりだな」

 

 

 

学校の同世代に二人だけいた平民仲間の一人、家具屋の三男坊ジニと劇場で出会った。

 

いくぶん身体が引き締まった様子の彼は、前年度で学校を卒業して実家の家具屋で働いている。

 

結局魔法使いとしての就職は願わなかったのだ。

 

まぁ推薦先が軒並みアレだったしな……

 

 

 

「最近どう?」

 

「いやオヤジの手伝いで家具作ってるよ。毎日毎日梱包のために軽量化かけたりとか、乾燥の魔法でニス乾かしたりとか、忙しいんだわ」

 

「そうかぁ」

 

「お前こそあんな軍人の嫁さん貰って研究室に留め置きで、大変そうじゃんか」

 

「いやいや、研究室は研究室で肌に合ってるよ」

 

「そうかい?まあ、あんまり無理すんなよ」

 

「うん。最近エラとは会った?」

 

「会ってない、今ルエフマだぜ?あいつもわざわざ役所なんかに入って馬鹿だよなぁ」

 

「いいじゃんか役所、安定だよ安定」

 

「何が安定だよ。応援で行かされたルエフマで、もう半年も留置されてんだぞ。手紙届いたか?新婚の嫁さんから連絡が無くなったって泣きごと言ってたろ」

 

「届いた届いた、様子見に行ってくれって書いてあったけど。俺エラの嫁さんに会ったことないよ。あっ、お前の嫁さんにも会ったことないよな?」

 

「嫁さんの話はいいじゃんか……」

 

「お、おう……」

 

 

 

ジニは急に暗い感じになってしまった。

 

やっぱ奥さんの話は地雷なのか……

 

 

 

「まぁせっかく久々に会ったんだ、茶店でも行こうや」

 

「いいけど」

 

 

 

久々に話した二人の間に話題は尽きず、歓談は喫茶店が閉店するまで続いた。

 

酒の一滴も飲まず、甘いコーヒーと菓子類だけで一日を潰す。

 

所帯は持てども、まだまだ味覚は子供のままな二人なのだった。

 

 

 

 

 

こないだ大量雇用した音楽家の奴隷たち。

 

祭りの曲を作ってもらったりと色々仕事を振っていたんだが、彼らの本来の仕事は大貴族への納品用の曲を作ることだ。

 

実はその納品用の曲であるワルキューレの騎行の楽譜は俺の机の上にどんどん溜まっていたんだが、忙しくて確認する時間がなく「各員もう一個づつ案を出すこと」と通達だけして置いていたんだ。

 

まあそれは、たしかに俺が悪い。

 

だが「どこが悪いのか教えてくれ!」と勢揃いで屋敷に突入しようとして警備に叩きのめされ、懲罰的に新兵訓練に放り込まれたのは俺の責任じゃないだろ。

 

そして用事があってその音楽家達に会いに行った俺は、練兵場でちょっとしたハプニングに巻き込まれていたのだった。

 

 

 

「演武ゥー!始め!」

 

「はいっ!」

 

 

 

ヒュンヒュンと槍が空気を切る音が響き、冒険者組の羊人族がダイナミックに体を使いながら型を披露してくれる。

 

力強い踏み込みのたびに大きく土煙が巻き起こり、彼女のモコモコの頭からはキラキラと汗が流れ落ちる。

 

素人の俺から見たって凛とした美しさを感じられる、迫真の演武だ。

 

これでもう五人目じゃなきゃ、もっと新鮮に感じられたのかな……

 

劇場建設予定地に設けられた練兵場では、俺の周りに冒険者組が大挙して押し寄せていた。

 

音楽家に用事があって行っただけなのに、なぜか冒険者たちがこぞって普段の訓練の成果を見せつけてくるという異常事態。

 

何がどうなってんのか詳しい人に話を聞いてみようと思い、俺は近くにいたロースを捕まえたのだった。

 

 

 

「ああ、そりゃ坊っちゃんがめったに練兵場に顔出さないからでしょう」

 

「えっ、なんで?」

 

「いやいや、他の事務方や販売方は坊っちゃんに褒められる機会も多いですけど、冒険者の仕事は基本的に街の外ですからね。そんで今日は普段の成果を見てもらおうと張り切ってんですよ」

 

「はあー、そりゃ悪い事したかな」

 

「いいえぇ、訓練なんか泥臭いだけですから、見に来て貰っても心苦しいや」

 

「いやそんなことないよ、まぁ砂埃は凄いけど」

 

「そうでしょう?うちら冒険者組にもこの間の祭りみたいな、華やかな舞台があればいいんですけどねぇ」

 

「祭りなぁ、ありゃあ町会長から頼まれた事だからな」

 

「いやいや、わかってますよ」

 

 

 

そう言いながらも俺は鋭い動きで槍を振り回す冒険者を見て、なんとなく尻の座りの悪さを感じていた。

 

よく考えたら冒険者組ってうちの大事な実働部隊なんだから、一番評価されなきゃいけない部署なんだよなぁ。

 

権利とは、力あっての権利。

 

自由とは、力あっての自由だ。

 

シェンカー一家がのびのび商売できるのも、これまでの冒険者組の活躍と、魔法使いとしての俺の評判が後ろ盾となっての事だ。

 

ここは平和な日本じゃない、自前の暴力装置を持っているかどうかっていうのが文字通り死ぬほど大事なんだ。

 

 

 

「なんか、祭りみたいな事したいか?」

 

 

 

気づけば、なんとなく口からそんな言葉が出ていた。

 

文官メインの祭りがあったなら、武官メインの祭りもやっちゃえばいい。

 

そんな場当たり的な、ある意味で一手パスをしたような考えしか浮かばなかった。

 

 

 

「祭り、そりゃあ冒険者のってことですか?」

 

「まあ、冒険者組や警備部がメインって感じ?」

 

「坊っちゃんの前で殴り合いでもやるんですかい?」

 

「いや、そうだな……走ったり、戦ったり、まあ怪我しない程度に競い合う感じだな」

 

「そりゃ、盛り上がるとは思いますけど」

 

「ガス抜き……いや、冒険者達の不満解消にはどうだろう?」

 

「いや、それはもちろん、みんな大満足ですよ!」

 

「じゃ、やろうか」

 

 

 

どうせだからシェンカー一家みんな参加って事にしよう。

 

観客や競い合う相手は一杯いたほうがいいだろうしな。

 

 

 

「そうだな、運動会って事で、冒険者組だけじゃなくて事務方も販売方も出れる奴みんな参加。再来週ぐらいにここでやろうか」

 

「わかりました。おーい!聞けーっ!」

 

 

 

ロースが声を上げると、演武をやっていた羊人族の子はピタッと動きを止め、ざわついていた周りの冒険者達も一斉に口を閉ざした。

 

 

 

「サワディ様が、あたしら冒険者組が力を示すために特別な祭りを開いてくださるそうだーっ!出たい奴はいるかーっ!」

 

「…………ここだーっ!」

 

「やるぞーっ!」

 

「うぉーっ!!」

 

「あたしも出るぞーっ!」

 

 

 

一瞬の間を置いて、人の群れの中から口々に大きな声が上がる。

 

 

 

「時は再来週、場所はここーっ!準備に色々頼まれるかもしれないけど、あんたたち嫌な顔するんじゃないよ!」

 

「はーいっ!」

 

「わかりましたーっ!」

 

「任せてくださいっ!」

 

 

 

みんなの元気な返事が聞けて一安心だ。

 

祭りの準備と後片づけでヘトヘトな事務方や管理職達には悪いが、もうしばらく頑張って働いてもらうとしよう。

 

また臨時手当でも出しておくか。

 

しかし、あっちを立てればこっちが立たず、組織って大変だな……

 

多分これからもこうして問題は出てくるんだろうけど、それはまあ、その時になんとかすればいいか。

 

とりあえず今日は、風呂入って寝たいや。

 

肩をぱっと払うと、ジャケットから砂がパラパラと落ちる。

 

張り切った冒険者達の立てた砂埃で、すっかり全身薄茶色になってしまった俺なのだった。

 

 

 

 

 

「それでその、運動会……ですか?場所と時間はわかりましたけど。何を準備したらいいんですかね」

 

「あー、棒とか、棒の先に籠つけたやつとか、太くて長い綱とか……あと地面に線を引く必要があるから石灰もだな。それと組分けをするから大量の赤白はちまきを……」

 

 

 

マジカル・シェンカー・グループの本部で、俺はチキンに運動会の準備を頼みに来ていた。

 

ハイウエストのワイドパンツをサスペンダーで着こなしたチキンの隣では、割と珍しい大柄な虎系の猫人族が必死に俺の言葉をメモしている。

 

たしかイカとかスカとかって名前の子だったかな?

 

 

 

「ちょっとちょっと待ってください、色々用意するものがありますね。あと、はち……まき、ですか……それってなんですか?」

 

「頭に巻くこれぐらいの幅の布なんだけど……」

 

 

 

俺はチキンに人差し指と親指で幅を示す。

 

ぶっちゃけ手に入るならゼッケンとかでもいいんだけど、布は高いんだよ。

 

同じ色のものが大量に手に入るとも限らないし、調達コストは低いほうがいい。

 

 

 

「包帯みたいなもんですか」

 

「まあそんなもんかな」

 

「それぐらいならなんとかなりそうですけど、練兵場の周りも整地しないと全員は入れませんね」

 

「ああ、できたらでいいんだけど、両側に観客席みたいなのを作りたいんだが」

 

 

 

今回の企画は冒険者組の日頃の成果の発表場所兼、他部署の人員とのコミュニケーションの強化が目的なんだ。

 

外部から客を招く事も考えてるからな、競技を見にくい地べたに座らせとくのも体裁が悪いだろう。

 

 

 

「うーん、再来週ですよね?ちょっと土木班も予定が詰まりすぎてますね。三週間後って事にはなりませんか」

 

「ああ、全然いいよ。ただ冒険者には再来週って言っちゃったからそこらへんの告知も任せていいか?」

 

「わかりました。それで、今回の話はこのイスカに任せようと思うんですけど……」

 

 

 

目つきの鋭い虎人族はペコリと頭を下げ、一言「イスカです」とだけ言った。

 

カチッとしたカーキ色の背広を前から押し上げる大きな胸は、巨乳というよりは胸板という感じ。

 

黄色と黒の長いしっぽはバシッと上を向いていてカッコイイ。

 

それにしてもほんとに身体がでかいな、なんでこいつ管理職候補なんだ?

 

 

 

「いいガタイだな、冒険者上がりかい?」

 

「い、いえ……元は花市場で働いてました。冒険者はその……喧嘩とかが苦手で……」

 

「そ、そう……」

 

 

 

イスカの大きな身体がシュンと縮こまって、黒と黄色の尻尾は下に垂れ下がってしまった。

 

多分これまで、結構色んなところでガタイのこととかも言われてきたんだろう。

 

まあ、それでもうちの組織なら気にすることないよな、冒険者にだって小柄なやつはいるんだし。

 

別に管理職だって身体がデカくて困る事なんかないんだから。

 

 

 

「ま、仕事にガタイは関係ないよな。とにかく、三週間よろしく頼むぞ。せっかくやるんだから、いい祭りにしよう」

 

「かしこまりました」

 

 

 

垂れ下がっていた尻尾にギュッと力が入る。

 

なんか、尻尾で気持ちが全部わかる子なのかなぁ。

 

鉄面皮な管理職よりは親しみやすくていいんだろうけど。

 

 

 

「あの……私のしっぽ、なにかおかしいですか?」

 

「あ、いや、なんでもないよ」

 

「イスカ、お前のしっぽは上に下にと忙しないんだよ」

 

 

 

とっさにごまかしてしまった俺だが、横で書類を捲っていたチキンからツッコミが入ってしまった。

 

言われた虎娘は、ギョッとした様子で尻尾を背広の中に隠す。

 

あ……しっぽが動いてるの、自覚なかったのね……




後半は三日以内に更新します


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第54話 秋晴れの 空を仰げば 雲高し 後編

残業の発生具合が読めないので、もうあんまり投稿予告はしないようにします。

すいませんでした。

ちょっと長くなっちゃいました。


秋の高い空から吹き下ろす風が赤茶けた地面を削り、吹き上がる土煙が俺のジャケットをうっすらと汚す。

 

この劇場建設予定地はいずれ全面を石畳で舗装する予定だが、今はまだその目処すら立っていない。

 

なんせ未だ土地代を支払い中なのだ、上物の着工にはまだしばらくの準備期間がいるだろう。

 

これも個人的な趣味でやっていることだから許される事だろうな、組織の一員としてこんな悠長なことやってたら即クビだ。

 

まあ今の所問題はないんだ、気長にやるとしよう。

 

そんな劇場建設予定地にでーんと構えられた、マジカル・シェンカー・グループの練兵場。

 

今日、そこには大勢の人がひしめき合っていた。

 

 

『東ィー!紅のメンチ組ィー!』

 

「ウォォォォォォォッ!!」

 

「頭領ーっ!!」

 

「やったりましょーっ!」

 

『西ィー!白のロース組ィー!』

 

「姐さーんっ!」

 

「副頭領ーっ!」

 

「姐御ーっ!」

 

 

赤い鉢巻をした鱗人族のメンチと白い鉢巻をした魚人族のロースが向かい合って立つと、その後ろにはぞろぞろとチームの面々が並んだ。

 

各々動きやすそうな格好をして、腕や頭に鉢巻を巻いている。

 

冒険者や警備組だけじゃなく事務や販売も含めたチーム分けで、ほぼ全員集合だから凄まじい人の多さだ。

 

これちゃんと捌けるのかな?

 

紅には筆頭奴隷のチキンが、白には管理職候補のジレンが入ってるけど、ちょっと心配だ。

 

奴隷達のひしめく練兵場の左右に設置された席には観客達が座り、歓声を飛ばしたり口笛を吹いたりしている。

 

この観客は選手達が招待してきた街の人達だ。

 

見せる相手がいたほうがやる気が出るかと思ってこういう形にしたが……

 

万が一客達が勝手にうちの土地をうろついても大丈夫なように、一旦椎茸畑の木を地下に収納したりと色々大変だった。

 

 

「エール、エールぅ〜、おつまみ〜」

 

「あ、こっちエールふたつ!」

 

「まいどっ!」

 

 

観客席ではビールやおつまみを持った売り子が練り歩いていて、おもてなしもバッチリだ。

 

もちろん金は取ってるけど。

 

 

『宣誓ー!我々選手一同はーっ!正々堂々と敵をぶちのめし、負けてもあんまり(・・・・)恨まない事を誓います!』

 

 

微妙に物騒な選手宣誓が終わり、早速第一競技の徒競走が始まった。

 

五十メートル、百メートル、そしてトラック一周の四百メートル。

 

ドヤドヤと押し合いながらスタートラインに並んだ選手八人が、スタート前のカウントと共に気合を高めていく。

 

バックでは音楽隊の奏でる勇ましい曲が流れていて、いい緊張感だ。

 

 

『位置について!三、ニ、一……』

 

 

ビィー!と鳴るホイッスルに背中を押されるように駆け出した八人の中から、金色の毛玉が飛び出す。

 

四足で走ってるんじゃないかってぐらいの前傾姿勢で地面を蹴りながら独走し、そのまま他の走者に三秒近く差をつけてゴールテープを切った。

 

 

『おおっとぉー!ごぼう抜きだーっ!あれは郵便部のカクラだっ!』

 

 

どうやら郵便部の子らしい。

 

緩くウェーブした豊かな金髪を背負う猫人族の彼女は、声援を貰ってはにかみながら客席に手を振っている。

 

結局カクラは、五十メートルだけではなく、百メートルでも四百メートルでも圧倒的な速さでトロフィーを掻っ攫っていった。

 

 

『速いっ!速すぎるぞっ!どういう足をしているんだっ!』

 

「韋駄天だねぇ」

 

『何ですか?イダテンって』

 

 

隣に座るアナウンサー役の山羊人属、ヤシモが俺の独り言に食いついてきた。

 

モヤシに似た名前のこいつは完全に名が体を表しているタイプで、割と心配なぐらいガリガリなんだ。

 

それでいて人より食い意地がはってるから、多分太らない体質なんだろうな。

 

 

「走るのが速いやつのことだよ」

 

『へぇー……それでは皆様!紅組、イダテンのカクラに大きな拍手を!』

 

「おおーっ!」

 

「速すぎるぞあいつ!」

 

『これで紅組は一歩先行です、白組は次の競技で巻き返せるかっ!』

 

「くそったれーっ!」

 

「しっかりやれーっ!」

 

「カクラーっ!やるじゃねぇか!」

 

「いよっ!郵便部の星!」

 

 

白組からヤジが飛び、紅組からは声援が飛んだ。

 

多少ガラが悪いのは大目に見ようじゃないか、観客も楽しんでるみたいだし。

 

次の競技は二人三脚。

 

二人がチームとなり内側の脚を縛り合ってゴールを目指す、意外と難しい競技だ。

 

 

『位置についてーっ!三、二、一……』

 

 

ビィーッ!と鳴ったホイッスルと同時に走り出した女たち。

 

一歩目で全員が転んだ。

 

 

「なにやってんだーっ!」

 

「真面目にやれーっ!」

 

「うるせーっ!てめぇがやってみろ!」

 

「バカ!早く立て!」

 

 

客席からはヤジが飛び、もうグラウンドはてんやわんやだ。

 

立ち上がってもう一度走ろうとするチーム、這ったまま進むチーム、内側の後ろ脚を捨てて四つん這いで進むチーム、各チームごとの攻略法を試しているようで、見ている分には面白い。

 

結局ゴール付近まで接戦が続き、だんごになったままテープを切って白組が勝利を収めた。

 

その後もいくつか走る系の競技は続き、俺は酒を飲みながら女たちがはしゃぎ回って走るのを見ていた。

 

今やっているのは謎解き競争だ。

 

走者が走り、お題を取って自陣に持ち帰る。

 

そして各陣営の知能自慢が謎を解き、ここ放送席まで答えを言いに来るのだ。

 

 

「えー、なんだっけ……犬小屋の中!」

 

『犬小屋の中、違います!』

 

「えー!なんでだよ!」

 

 

走者の魚人族の失敗に、紅組陣営から非難の声が上がる。

 

 

「ちがーう!」

 

「バカ!ちゃんと覚えて行けよ!帰ってこーい!」

 

「戻れー!戻れー!」

 

 

回答者の魚人族はメンチに肩車されて紅組の旗を振りまくるチキンの元にもんどりうって走り、入れ違いで放送席に転がり込んできたのは白組の走者。

 

 

「えっと、えっと……燃えた城!」

 

『燃えた城、違います!』

 

「え?なんで!?」

 

 

白組からも「戻れー!」とコールが上がる。

 

総指揮をやっている虎の猫人族のイスカが後ろでオロオロしているのを感じる、そんなに難しい問題を用意したわけじゃないからな。

 

冒険者組の瞬間記憶力のなさを舐めていたのが失敗だったか……

 

結局この後ラリーは何度も続き、これまでで一番時間のかかった競技となった。

 

やはり走者と回答者は分けた方が良かったかな……

 

まあ盛り上がるには盛り上がったから、要検討だな。

 

 

 

この競技が終わった所で、昼休憩の時間となった。

 

昼休憩と言っても本当にただ休憩するだけじゃない。

 

競技に出るのに不向きな種族の子達や、有志の集まりでのパフォーマンスの披露の時間でもあるのだ。

 

 

「ピュゥーッ……」

 

 

空からボンゴの歌が響き、うちにいる鳥人族十数名による編隊飛行のパフォーマンスが始まった。

 

キラキラと物理的に日光を反射する衣装を身に纏った乙女たちを、観客たちは拍手喝采で出迎える。

 

彼女たちは要所要所で隊列を組み換えたり、背中に背負った発煙筒で色とりどりの雲を引いたりと、あの手この手で見上げる人々の目を楽しませた。

 

そうして小一時間ほど飛び続けた飛行隊は、低空で何かをパラパラと客席にばら撒いてから帰っていったようだ。

 

なんなんだろうか?

 

 

『えー、手元の資料によりますと、飛行隊が最後にばら撒いた包みは手作りのお菓子とのことです』

 

 

なんだお菓子か。

 

空を見上げると、一人だけ残って旋回していたボンゴと目が合う。

 

彼女は急降下してくると、俺の上にもさっきの包みをひとつ投下して仲間の元へと帰っていった。

 

包みを開けると、小さいサーターアンダギーみたいなのが入っている。

 

ひとつつまんで食べてみる、ほのかに蜂蜜の味がした。

 

うん、素朴で美味いな。

 

 

 

その後も紅と白のエール交換、音楽隊によるマーチングの披露があって、午後の部が再開された。

 

ちなみにお昼は大行列になっていたうどん屋台のかけうどん大盛りに、揚げ物を乗せまくって食べた。

 

これが今街でも大人気らしい。

 

俺もこういう飯は大好きだから、街で流行ってくれるのは嬉しい限りだ。

 

 

『次の種目は棒引きです!地面に置かれた十五本の棒を自陣へと奪い合い、相手よりも多くの棒を手に入れた組の勝ちとなります!』

 

「よーっし!」

 

「やるぞっ!」

 

「ちゃんと作戦通りにやれよ!」

 

「作戦ってなんだっけ?棒を……棒を持ってくる?」

 

「ぶっ殺せーっ!」

 

「うらーっ!!」

 

『殺さないでください!直接攻撃はルール違反ですよ!』

 

 

五十人対五十人の競技は選手が並んだだけでも壮観だ。

 

朝からずっとやってきたせいか、こいつらが熱くなりやすすぎるのかわからないが、選手達からはすごい熱気を感じる。

 

なんか全員目がギラギラしていて、対抗心が加熱しすぎているような気もするが、俺の気のせいかな?

 

ともかく気合満々の選手たちに否が応でも期待は高まり、客席からも選手の名前の声援が飛んだ。

 

 

『位置についてっ!三、二、一……』

 

 

ホイッスルと共に百人の女達が一斉に駆け出した。

 

ほぼ全員が棒を無視して真っ向からぶつかり合い、大きな土煙が上がった。

 

 

「頂上決戦ということか」

 

「あんたとやり合うことになるとはねっ!」

 

 

戦線の一番先ではメンチとロースがお互いの腕の鱗をジャキジャキ鳴らして殴り合い、大変な騒ぎだ。

 

 

「棒取れーっ!棒ーっ!」

 

「下ーっ!下下ーっ!細い木のやつ持ってこーいっ!」

 

 

紅白それぞれの待機席からは軍師役のチキンとジレンの悲痛な声が響く。

 

しかし現場では誰も気にしていない、完全に棒をまたいで50人対50人の大合戦だ。

 

 

「お願いします……」

 

 

後ろで指示を出していたイスカが、ヤシモから取り上げた拡声魔導具のマイクを俺の前に置いた。

 

無意識なんだろうか、長い尻尾が俺の背中をシュルシュルと撫でている。

 

彼女の不安をひしひしと感じるな。

 

 

『えー、直接攻撃は禁止です、殴ったり蹴ったりしないよう』

 

 

俺の言葉に、100の瞳が一斉に放送席の方を向いた。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

一瞬の沈黙の後、女達は再び互いに向き合い……

 

がっぷり四つに組んで押し合いを始めた。

 

 

「うおおおおおおおおっ!」

 

「こなくそおおおおおおおっ!」

 

「押せ押せ押せ押せ!」

 

「こいつら全員向こうに押し返せ!!」

 

『そういうルールではありませんっ!棒を奪い合ってください!』

 

 

アナウンサーのヤシモの声なんて誰も聞いていない。

 

待機席からも「棒ーっ!!」「下向けーっ!下ーっ!」と声が飛ぶが、全員シカトだ。

 

しかし、ルール無視でも客席は大喜び。

 

 

「やれやれーっ!」

 

「メンチの姉さんーっ!勝てーっ!」

 

「ロースの姉御ーっ!負けるなーっ!」

 

 

俺はマイクを再び奪い取り、各組の軍師向けに放送を行った。

 

 

『えー、チキン、ジレン、特例で参加を認めます』

 

「うおーっ!」

 

「あっ!チキンさんずるいっ!」

 

 

結局棒は軍師二人での奪い合いになり、途中でジレンが争いに巻き込まれてノビてしまったため、紅組のチキンの勝利となったのだった。

 

やっぱり予行演習は必要だったかな……これも要検討だ。

 

さて、正直不安だが競技を先へ進めようか。

 

 

『次の競技は玉入れ、玉入れです。立てた竿の先の籠に自分の組の色の玉を投げ入れ、量が多かった方が勝ちとなります』

 

 

俺はまたマイクを奪い取って言った。

 

 

『相手の玉を奪うな、相手に触るな、竿にも触るな、以上』

 

「うぃーっ!!」

 

「わかりましたーっ!」

 

 

グラウンドからは元気な声が返ってくるが、信じていいのか?

 

疑惑の残る中、玉入れが始まった。

 

 

「入れろ入れろーっ!」

 

「入らないっ!」

 

「いっぱい投げろ!」

 

 

下からポンポン玉を投げる選手たちに一安心だが、しばらく競技が続いた後で急に白組が集まって相談を始めた。

 

何をする気だ?

 

 

「玉集めろーっ!」

 

 

全員で玉を集め、一人が大量に玉を持った。

 

そしてバレーのレシーブの姿勢で固まっている選手に向かって走り、彼女の組んだ手に足をかけた。

 

レシーブ側はその勢いを殺さないように手をはね上げ、玉を持った選手も膝のばねを使って空中に飛び出す。

 

少し方向がズレたのかダンクシュートのようにとはいかなかったが、籠の少し上からダイレクトに玉を叩き込むことに成功した。

 

 

「よっしゃああああああ!!」

 

「着地ーっ!」

 

「ああああああっ!」

 

 

叫びながらも無事受け身を取って着地した選手は、すぐさま次の玉を集めだす。

 

なんちゅう危険な事をするんだ……

 

感化されたのか、反対の組も同じような事をし始める。

 

客席は「いいぞーっ!」「やれーっ!」と大盛り上がりだ。

 

その後も三人がかりで肩車をしてみたり、人間階段を作ってみたりと、大変な創意工夫だった。

 

玉入れってああいうアクロバットな競技だったか?

 

もう来年は競技自体禁止にしてやるからな。

 

あいつら、怪我したら誰が治すと思ってんだ。

 

その後も大縄跳びや馬跳び競争などの競技を大騒ぎで行い、選手はもちろん運営サイドも大いに疲弊したところで残りニ種目となった。

 

 

『次の競技は綱引き、綱引きです。綱の真ん中、その真ん中が各組の側にある白線を越えたら、その白線の勝ちになります』

 

 

もうアナウンサーのヤシモも疲れちゃって、説明もよくわかんない感じになっちゃってるな。

 

まあシンプルな競技だから大丈夫だろ。

 

 

「うおーっ!勝つのは紅組ぃーっ!!」

 

「シャーッ!」

 

「紅組の奴らを引き倒せーっ!」

 

「白が勝つようにしろ!」

 

 

ぶっちゃけもうこの時点で得点差があって紅組の勝ちは決まってるんだけど、みんな気にもしてない。

 

まあラストの競技で白も巻き返せるようにしてあるんだけどね。

 

クイズ番組みたいなもんだ、最終問題答えたやつが勝ち、その方が盛り上がっていいだろ。

 

やらされてる方はたまんないだろうけどな。

 

 

『位置についてー!三、ニ、一……』

 

 

フピーッ!と鳴った間抜けなホイッスルで、各チーム十人の力自慢達が一斉に綱を引いた。

 

 

「やっちまえーっ!」

 

「頑張れーっ!」

 

「負けるなーっ!」

 

「引け引け引けーっ!」

 

 

大きな声援が飛ぶが、綱の真ん中は微動だにしない。

 

お互い完全に力が拮抗していて、顔を真っ赤にして綱を引く女達からはかけ声すらも上がらなかった。

 

 

『おおっとおー!これは!完全に!力が釣り合っている!綱は微動だにしません!』

 

 

少しだけ紅に行ったかと思えば、同じだけ白に戻る。

 

それを繰り返すこと五分。

 

応援の声もだんだん鳴りを潜め、客席が心配そうにざわめき出した頃に両陣営スリップダウンでの幕引きとなった。

 

正直こいつらの根性を舐めていた。

 

時間制限を考えてなかった俺の責任だな。

 

急いで現場に赴いて再生魔法を使ったので大事はなかったが、再生魔法で体力は回復しづらい。

 

ダウンした中にはラスト競技の騎馬戦にも参加予定の選手が何人もいたので、急遽代役を立てることになってしまった。

 

 

「イスカ、お前も騎馬戦に参加してくれ。お前ぐらいの背丈がないと駄目なんだ」

 

「いや、そのぅ……」

 

 

運動会の総指揮を取るイスカをこうして徴発に来たのは、紅組軍師のチキンだった。

 

まぁイスカはガタイだけはいいからな。

 

騎馬戦でも馬役ならヘタレでも大丈夫だと思うが……

 

イスカはさっきまでの荒っぽい競技を見て、完全に尻込みしてしまっているようだ。

 

怖いからって俺の腕にしっぽを絡めるな。

 

 

「イスカ、行けよ」

 

 

俺の言葉に、腕に巻き付いたしっぽがビクッと震えた。

 

 

「管理職っていうのは、下のケツを拭くのも仕事だ。何でもやる気持ちでいないと駄目だ」

 

「そうだぞイスカ、ご主人様の言うとおりだ」

 

「は、はい……」

 

 

しゅるりと、俺の腕から黒と黄色のしっぽが離れた。

 

うなだれたしっぽを引きずるようにして、上着を脱いだイスカはチキンに連れられていった。

 

しかし、管理職は下の責任を取る、か……

 

知らないプロジェクト……

 

会ったこともない客……

 

俺だけの土下座……

 

うっ、頭が……

 

……まあいい、この世界じゃ俺は管理職をすっ飛ばして社長なんだ。

 

社員への責任は賃金や福利厚生で取ればいい。

 

問題は社員に根性の座った暴力団員みたいな奴が多い事だが……

 

まぁ、なるべく恨まれないように頑張るしかないか。

 

 

『最後の競技となります!騎馬戦です!四人一組で行う競技で、三人が馬を作り、一人が騎士役として上に乗ります!騎士はかぶった帽子を奪われると脱落!この競技では特例として、最後に残った騎士の組に十点が与えられます!』

 

 

辻褄合わせだが、これがないと消化試合になっちゃうしな。

 

ま、あくまで余興だから。

 

 

『なお、ケンタウルスのピクルス嬢と鳥人族のボンゴ嬢は急遽欠員の出た白組への特別参加ということで、二人一組での参加となります」

 

「ボンゴちゃーん!」

 

「ピクルスーっ!」

 

 

観客から声が上がってるな。

 

ピクルスは他と身体能力が隔絶していて、これまで出番がなかったから嬉しそうだ。

 

 

『最後の競技です!それでは位置についてっ!三、ニ、一……』

 

 

ピーッと笛が鳴った瞬間一斉に駆け出した馬達が、グラウンドの中央で激突した。

 

なんでああ荒っぽいんだ……

 

かなり強い当たりだったのに、崩壊した馬はイスカの入った班だけ。

 

やっぱりいくらガタイは良くても肉体労働者達のパワーについていけなかったか……

 

 

「帽子よこせーっ!」

 

「取れるもんなら取ってみろ!」

 

「…………じ……ま……」

 

「あーっ!帽子がーっ!」

 

『熾烈な争いが続いております!ボンゴ、ピクルス組強い!ボンゴ、ピクルス組が強すぎる!』

 

 

ピクルスの肩に乗ったボンゴは、敵の手をスイスイかわしながら帽子を掠め取ってはピクルスの頭に乗せていく。

 

まさに人馬一体、いや鳥馬一体か。

 

とにかく阿吽の呼吸で二人が動き、片っ端から帽子を掻っ攫っていく。

 

白組リーダーのロースも苦笑いだ。

 

 

『あっという間に白優勢!白優勢です!』

 

「ふんっ!」

 

「あーっ!帽子がーっ!」

 

『おっと!紅組のメンチ選手も強いっ!さすがの頭領!貫禄があります!』

 

 

蹴散らされた紅組の騎馬の奥から、真打ちのメンチの騎馬が登場して手近な帽子を奪い取った。

 

メンチの騎馬は普段から一緒に活動している冒険者達で固められ、チームワークはバッチリだ。

 

そしてその前に立ちはだかったのは白組リーダー、ロースの騎馬。

 

 

「メンチっ!決着つけるよ!」

 

「かかってくるがいい」

 

 

メンチとロース、リーダー同士の決戦が始まり、客席の盛り上がりは耳に痛いほどだ。

 

鱗のある腕同士が打ち合い、そらし、組み、弾く。

 

足が止まっているからこその、上半身の技術だけを集約した特殊な戦いを、会場中が固唾を飲んで見守っていた。

 

メンチの直突きを首の鱗で滑らせたロースが、その腕に一本貫手を放つ。

 

鋭い指先が刺さる前に、腕を回転させて弾きながら戻すメンチ、高速で行われるやり取りを全て把握するのは至難の業だ。

 

突きの構えを取るメンチと、迎撃で後の先を取るつもりなのか脇を締めて手刀を作るロース。

 

緊張感が高まっていく。

 

が、次の瞬間、メンチの帽子は頭の上からかき消えていた。

 

いつの間にか、他の紅組の騎士は全員帽子を取られていて……

 

メンチのかぶっていた最後の帽子は、ピクルスに足を掴まれて逆さ吊りにされたボンゴが、片手で頭の帽子を抑えながら胸に抱え持っていた。

 

 

『試合終了ーっ!!』

 

 

ドンドンドンドンドン!!と太鼓が打ち鳴らされる。

 

 

「え?最後どうなったの?」

 

『えー、最後ですが、おそらくピクルス選手がボンゴ選手の足を持って振り回し、メンチ選手の間合いの外から帽子を取ったものだと思われます!』

 

「なんじゃそりゃ……」

 

 

同僚を鎖鎌みたいに使うなよ……

 

もう来年はピクルス、ボンゴペアは禁止だな。

 

強すぎるわ。

 

 

『優勝は白組、優勝は白組です!』

 

 

ピクルスとボンゴの周りには白組のメンバー達が集まって、ワーキャー言いながら騒いでいる。

 

元気な奴らだ。

 

俺は今日一日、見てるだけなのに疲れたよ。

 

 

『それでは、閉会式を行います。選手一同……いや、歩ける選手は放送席前まで集まってください』

 

 

そうか、まだ閉会式があるんだった……

 

朝から夕方までドタバタやって、この後はこのままここで火たいて、フォークダンスとバーベキューの打ち上げだろ?

 

一体どんだけ体力ある前提でスケジュール組んだんだよ。

 

この運動会を考えたバカの顔を見てみたいよ……

 

あ、俺か。

 

そんなら来年は絶対用事作って出ないように……って、俺が出ることに意味がある大会なんだっけ……

 

八方塞がりだ!

 

次からはもう少し考えて行事を作ろう……

 

一日中熱気に当てられてヘトヘトの俺は、うなだれたままロースに背中を押されて連れて行かれ……

 

閉会の挨拶が終わったあとは、なぜか白組の奴らに一生懸命胴上げをされていた……

 

なんでこいつらこんなに元気なんだよ!

 

夜を告げる冷たい風が体にぴゅうっと吹きつけ、俺と選手たちの間の温度差をさらに広げる。

 

完全に頭の冷えた俺は胴上げを止めることもできぬまま、来年のこの日よ来てくれるなと、ただただそう思うだけなのであった。




ちくわ天


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第55話 寄せ鍋を つつきあったよ 空の下

枯れ葉散る秋の暮れ、風は日に日に冷たさを増し、だんだんと街の服屋に冬物が増え始める。

 

朝に顔を洗う水だって冷たくなり、毎日毎日私の手をかじかませて困らせるのだ。

 

もちろん、こんな時期に外で水をかぶったりすると、きっと風邪を引いてしまうことだろう。

 

その水が、冷たい水面が、私の小さい足のすぐそこまで近づいてきていた。

 

 

「うわああああっ!」

 

「バカッ!カクラーッ!立てっ!立てっ!引きずり込まれるぞ!」

 

「なんでお魚はこんなに力が強いのーっ!」

 

「お前が真正面から引き合うからだろーっ!」

 

 

郵便部の皆と予約制の鍋行楽に来た私は、具材の魚を取りに来た魚釣り場で、糸のついた竹ごとプールに引きずりこまれそうになっていた。

 

私より体の小さいポートだって釣り上げてたから、余裕だと思ったのに〜!

 

竹は服に引っかかって取れないし、足に糸が絡まって立ち上がることもできない……

 

このままじわじわとプールに落とされるのかと悲嘆に暮れていると、急に凄い力で竹ごと引っ張り上げられて地面に立たされた。

 

 

「大丈夫かぁ?外で寝転がってると風邪ひくっぺ」

 

 

見上げると、優しい顔がにこやかに笑っている。

 

冒険者組のエース、ケンタウロスのピクルスさんだった。

 

接点のない有名人である彼女の顔を見ながらしばし呆けていた私は、横合いから肩をポンポンと叩かれた。

 

 

「…………ふ……る……」

 

 

叩かれた方を向くと、ピクルスさんの相棒である鳥人族のボンゴさんが指と頭を小さく左右に振っている。

 

 

「ボンゴちゃんはねぇ、お魚は引っ張られた逆に走るけぇ、振り回して弱らせろっち言うとるんよ」

 

「は、はぁ〜」

 

 

さすがは名コンビだ、あれだけの言葉でお互いに伝わるんだなぁ。

 

 

「ありがとうございます!やってみます!」

 

「いいよぉ、したら、頑張って」

 

 

ピクルスさんから竹を渡された私は、また引き倒される前にプールに沿って右回りで走った。

 

すぐに逆へと引っ張られるので、今度は反対側にぐるっと走る。

 

力勝負は苦手だけど、走るのは大得意だ。

 

引っ張られて、逆に走る。

 

また引っ張られて、また逆に走る。

 

何度も何度も繰り返してると、だんだん人が集まってきた。

 

 

「あれってイダテンのカクラじゃない?何やってんの」

 

「魚釣ってんだって」

 

「なんで走りながら釣ってんの?」

 

「さっきプールに引きずり込まれそうになってたからじゃない?」

 

「ふーん、こないだご主人様も引きずり込まれたって言ってたもんな」

 

 

ちょっと恥ずかしいけど、非力な私にはこのやり方しかない。

 

大事なのは魚が釣れるかどうかなんだよ〜。

 

 

「おっ!カクラーっ!魚弱ってきたんじゃないか?」

 

「もうちょっともうちょっと」

 

「頑張れーっ!」

 

「ふぬーっ!」

 

 

たしかに引きが弱くなってきた気がする、もう引き上げにかかってもいいのかな?

 

大きく円を描くようにして、プールから離れる方向に一気に走る。

 

たわむ糸がシュルシュルと風を切る音が聞こえたかと思うと、すぐに竹を抱え込んだ肩にガツンと衝撃がきた。

 

 

「ふぬぬぬぬ……」

 

「いけるぞーっ!」

 

「コケないのよー」

 

 

さっきはあまりの力に引き倒されたけど、今度は余裕がある。

 

やっぱり弱ってきてたんだ、このまま引き上げてやるぞ~。

 

左右に小さく魚を振りながら、少しづつ前に進む。

 

 

「まだーっ!?」

 

「まだまだーっ!」

 

「もうちょっと頑張って」

 

 

早くタモで上げてよぉ~!

 

結局その後に一回、相手の最後のあがきでコケそうになりながらも、無事に大きなゲハゲハを上げる事ができたのだった。

 

 

「やったぁ~!」

 

「時間かけすぎよ」

 

「まぁまぁ、これで郵便部のうちの班は全員魚釣れたってことじゃん」

 

 

ゲハゲハを囲んで話していた私達の耳に、小さくポチャンという水音が聞こえた。

 

プールを見ると、さっき助けてくれたピクルスさんが釣り竹を握っている。

 

じっと水面を見つめていたピクルスさんが無造作に腕を振ると、大きなゲハゲハが空高く飛び上がっていた……

 

さっきまでの私の死闘はなんだったんだろう?

 

やっぱり速さよりも力なのかな……?

 

いや、よく考えたらピクルスさんって運動会も出場禁止になるぐらい足も速いんだっけ……

 

ケンタウロスだもんね。

 

もう考えないことにしよう。

 

 

 

 

 

「これってゲハゲハよりも高いんでしょ?」

 

「よその人には絶対言っちゃ駄目って言われてるぐらいだものね」

 

「食べたことないけど、美味しいのかな?」

 

 

ゲハゲハを調理場に預けた私達は、プールの隣りにあるキノコ畑に来ていた。

 

ここの椎茸を取って、ゲハゲハとお肉と一緒に鍋にして食べるのが今日の目的なんだ。

 

準備が大変だから、順番の予約制になってるの。

 

体育祭前から予約してて、ようやく今日順番が回ってきたんだもんね。

 

大人気の行楽なんだ。

 

 

「これってどういうのが美味しいんだっけ?」

 

「えっとねー、傘の裏のヒダヒダが見えてたら美味しいんだって」

 

「へぇー、よく知ってるわね」

 

「ふふーん」

 

 

ちゃんと勉強してきたんだもんね。

 

どうせ食べるなら最高に美味しく食べたいもん。

 

もっと褒めていいぞぉ。

 

あと小さいやつでも、ヒダが見えてたらもう採っていいらしいんだよね。

 

私はこぶりの椎茸をちょいちょいとつついてみた。

 

なんか可愛いよね~、部屋でも育てたい。

 

 

「これ、どんぐらい採っていいのかしら?」

 

「わかんない、食べたことないし。とりあえず籠いっぱい?」

 

「えっ、えっ、もうそんなに採っちゃったの?」

 

 

胸を張っている間に二人は黙々と椎茸を取りまくっていて、いつの間にか籠の半分ぐらいは埋まっていた。

 

 

「あーっ、うーっ、あたしにも取らせてよぉ」

 

「早くしなさいよ、私おなかすいてるから早く食べたいの」

 

 

目につく椎茸を急いでもぎっていく。

 

どうせ食べるなら自分で採ったのを食べたいもん。

 

あっという間に籠がいっぱいになったので、私達は近くに設営された煮炊き場へと移動した。

 

煮炊き場では担当の人がさっきのゲハゲハを捌いてくれていて、あとは一緒に貰える肉と一緒に鍋に入れて煮るだけだ。

 

地べたに掘られたかまどの上に五徳を置いて、その上に土鍋。

 

そんなのが二十個ぐらい並んでて、みんな思い思いに鍋を囲んで楽しんでる。

 

その鍋の準備や片付けをやってくれるなんて、ほんと至れり尽くせりだよね~、汁も作ってくれてるし。

 

食べるの楽しみだな~、楽しみ……

 

楽しみなのはいいんだけど……ちょっと量が多いかな……

 

 

「これ、食えるかな……?」

 

「はらぺこじゃなかったの?」

 

「いやいや、どう見ても多いでしょ」

 

「だから三人とも魚釣る必要ないって言った~」

 

「そりゃだって……いや、まぁ、そうか。つい釣っちゃったけど、ゲハゲハってめちゃくちゃデカいもんなぁ」

 

「椎茸も取り過ぎたかしらね」

 

「籠いっぱいはいらなかったか、あの時はいけると思ったんだけど……」

 

 

普通は四人で鍋一つだけど、私達は三人で鍋一つ、それも食材山盛りだ。

 

土鍋の蓋が若干浮くぐらいの量で、なかなか貫禄のある鍋になった……

 

干した椎茸や野菜を材料に大鍋で作られたというお汁、具の量はともかく、そこから立ち昇るいい匂いがどうにも食欲を刺激してくる。

 

五徳の上の土鍋がゴトゴト鳴り、小さな穴から吹き出る白い煙が冷たい空気に溶けて消えていく。

 

 

「なんか、椎茸って干すと美味しくなるらしいんだよね」

 

「へー、なんでかしら」

 

「わかんないけど、それなら今日採ったのも干したほうがよかったのかな〜?」

 

「いや、採りたても美味いらしい」

 

「万能ねぇ」

 

「椎茸は偉いねぇ〜」

 

「あっ、ぐらぐらきた」

 

 

吹きこぼれそうになったので、ぱかっと蓋を開けると、鍋の中は凄いことになっていた。

 

椎茸と野菜と魚と肉が混沌とした状態で詰められていて、何から手を付けていいかわからない。

 

でも美味しそうだ。

 

 

「うわぁ……具が多すぎてめちゃくちゃだ」

 

「そう?お肉と魚が一緒に食べれるなんて、お祭りみたいじゃない」

 

「ねぇ食べよ〜、ねぇねぇ、食べていい?」

 

「よし」

 

 

うちの班の班長、犬人族のヨシナちゃんが最初にお椀一杯に具を取り一口目を食べた。

 

 

「うあつっ!」

 

 

熱かったのか口と目をクワっと開けて震えているヨシナちゃんを横目に、私と猿人族のポートは早速はしを手に取った。

 

 

「よし、食べましょうか」

 

「あー、お肉ばっかり!お肉はよそでも食べれるでしょ」

 

「じゃあカクラは野菜を食べなさいよ」

 

「ゲハゲハー!一番多いんだからみんなで食べなきゃ」

 

「次食べるって」

 

 

しょうがなく私はゲハゲハと椎茸をお椀に山盛りにして、おたまで汁をかけ回した。

 

熱い汁をふぅふぅしながら一口飲む。

 

うーん、なんか複雑な味。

 

何味かは一言で言い表せないけど美味しい。

 

ゲハゲハの切り身を一口食べると、ほこっと鼻に抜ける魚の匂い。

 

昔養殖が始まる前に食べた事があったけど、そのときはめちゃくちゃ臭くて苦かった覚えがある。

 

でも養殖されて管理されたゲハゲハは臭みも苦味も消えてて、コリコリの身の美味しさだけが感じられる。

 

養殖班の子達が威張るだけの事はあるなぁ。

 

それに、自分で釣ったからかな、屋台なんかで食べるよりもより一層美味い気がする。

 

次に頭に十字の切り込みが入った椎茸を齧る。

 

プリッとした感触で、香りもいい。

 

何より他で食べられない高級品だと思うと、口いっぱいに頬張りたくなる。

 

焼いても美味しいらしいんだよね、今度は焼いて食べてみよう。

 

 

「うまっ、はふっ!うまい、うまいなぁ」

 

「ほんと、手が止まんないよ〜」

 

「あら、お肉なくなっちゃったわ……」

 

「このツミレってやつがうまい、何が入ってるんだろうな?」

 

「ゲハゲハを細かく切って叩いて団子みたいに丸めたって聞いたけど、たしかに不思議な味だねぇ」

 

「生姜じゃないかしら?」

 

「しょうかぁ〜」

 

「…………バカ」

 

 

その後もなんだかんだと食は進み、鍋いっぱいの具材も綺麗にお腹に収まってしまいそうだった。

 

私とポートはもう鍋の底が見える頃にはお腹いっぱいで地面に寝転がっちゃってるのに、ヨシナちゃんは最後の最後まで具材をさらうつもりみたい。

 

しょうがないよね〜、おいしいもの。

 

こんな高級料理がタダで食べれるなんてラッキーだなぁ。

 

なんてことを考えながらうとうとしていたら、不意に顔に影が差す。

 

 

「何寝てんのさ、シメノウドンは?」

 

 

目を開けると、炊事場の猪人族の子が片手にざるを持って立っていた。

 

 

「シメノウドンって?」

 

「鍋の最後にうどんを入れたら美味しいんだってさ、ご主人様がそれをシメノウドンって名付けたんだよ」

 

「へぇ〜、でももう入んないや」

 

「私もぉ……」

 

「あたしはまだいけるぞ」

 

 

ヨシナちゃん、凄すぎ……

 

炊事場の子はしゃがんで、私のお腹の上にざるを載せた。

 

う……ぱんぱんのお腹が苦しい……

 

 

「これ食べなきゃ後悔するぞ〜、ご主人様曰く『鍋とはシメのためにやるもの、うどん逃すべからず』って話だからなぁ」

 

「え〜、そんなに美味しいなら、鍋やる前に言ってよぉ」

 

「あんたたちが欲張って取りすぎるからでしょ」

 

 

ケタケタと笑う声が腹に響く……

 

でも、逃したらしばらく後悔しそうだなぁ。

 

 

「よ〜し、食べるよ」

 

「私も……」

 

「よしよし、食べるか。今入れてやるからな」

 

 

のたのたと起き上がって鍋を見ていると、猪人族の子はざるからうどんを鍋に三玉うつし、上から卵を三つ割り入れた。

 

ゆっくりとかき混ぜられる鍋には、他の具材はもうほとんど残ってない。

 

鍋の中で周りながらグツグツ煮込まれるうどんに、かき混ぜられた卵が黄色と白の帯になって絡みつく。

 

なんか、いい匂いがしてきたなぁ。

 

 

「よぅし、いいぞぉ」

 

「よぉーし、先貰うぞ」

 

 

ヨシナちゃんはしっぽをブンブン振りながら鍋に向かうと、うどんを豪快にお椀によそっていく。

 

白い湯気がモクモク出て熱そうだ。

 

 

「ふー、ふー」

 

 

そうそう、ゆっくり冷ましてね。

 

いくぶん湯気の収まったうどんをズズッと吸い込むと、まだ熱かったのか彼女は口を開けたままはふはふしている。

 

も〜、気をつけないと火傷しちゃうよ。

 

 

「どう?どう?」

 

「美味しい?」

 

 

問いかけに笑顔で答えるヨシナちゃんを見て、私達も箸を取り、汁を吸った麺をちょっとづつお椀によそった。

 

一口ぐらいでいいかな、このままだと歩いて帰れなくなっちゃいそうだし……

 

ゆっくりと冷まして、ズズッとすすった。

 

すでにグダグダになりはじめていたそのうどんは、今日の鍋の全てを吸い込んで身に纏っていた。

 

湯気と一緒に複雑な香りが鼻に抜け、いろんな旨味をまぜこぜにした汁が口の中に流れ出す。

 

投じられた卵が味を一層まろやかに引き立てていて、いくらでも食べられそうだ。

 

たしかに、このお鍋はシメノウドンのためにあったのかも。

 

みんな無言になるのもわかる、街で食べるうどんとは完全に別角度の美味しさだね。

 

 

「おかわりもらおうかな、えへへ」

 

「え?」

 

「ごめん、もう食べちゃった……」

 

「ええっ!?」

 

 

覗き込むと、鍋の中には本当に何一つ具が残っていなかった。

 

まばらに浮いていた春菊も、大根の葉っぱも、三人前あったはずのうどんも……

 

 

「いや、もう食えないって言ってたから……ごめん」

 

「そうは言ったけどぉ……」

 

 

なんだろう、お腹はいっぱいのはずなのに、不完全燃焼だよ……

 

よその鍋を見ると、どこもシメノウドンの取り合いをしているようだ、

 

そりゃそうだよ、あんなに美味しいんだもん。

 

膨れたお腹を抱えて寝っ転がる。

 

空に星が一つ光り、視界の端には月が登り始めている。

 

次に予約したら、いつになるのかなぁ。

 

人より早い足で、暦も飛び越せたらいいのに。

 

大きなゲップが一つ出て、白い煙になって消えた。

 

月とともに地面から登ってきた冷気に、ぶるりと体が震える。

 

トルキイバに、冬が近づいてきていた。



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第56話 吉報は 冬に乗っかり やって来た

むぎ茶


前世でも今世でも、冬は好きだ。

 

温かい食べ物が好きだ、温かい飲み物も好きだ。

 

暖かい部屋が好きだ、でも寒い中行くコンビニも好きだ。

 

澄んだ空、乾いた空気、人恋しくてそわそわするあの感じ、イベントが多いのも好きな理由だ。

 

そしてそんな冬を、もっと好きになれそうなニュースが我が家に飛び込んできた。

 

ローラさんの懐妊だ。

 

 

「ローラさん、換気中ぐらいもっと着ないとだめですよ」

 

「もう十分さ。多少風が吹き込んだって部屋は暖かいんだ、逆に汗をかいてしまうよ」

 

「そうですか?」

 

「私は元々体温が高いんだ、身体も丈夫だし平気だよ」

 

「うーん……あ、なにか食べたいものとかはないですか?」

 

「おいおいまだお腹も大きくなってないんだぞ。世話を焼いてくれるのは嬉しいが、なんでも自分でできるよ。あまり気を使わないでくれ」

 

 

暖炉の前で安楽椅子に座る彼女はそう言うが、妊娠初期は色々と怖い事を俺は知っている。

 

前世のドラマで見たんだ。

 

妊娠三ヶ月目の彼女にもその説明をして、せめて冬の間は仕事を休んでもらう事を約束してもらった。

 

滑って転んだら洒落にならんからな。

 

 

「旦那さま、男の方がそうせかせかされるものではございませんよ」

 

「だけどな、ミオン」

 

「出産はまだまだ先なのです、殿方はどっしり構えてご自分のお仕事をなさいませ」

 

 

ギン、と眼光鋭くそう言われると、途端に気持ちが落ち着いてくる。

 

さすがはローラさんが産まれた時も手伝ったというミオン婆さん、貫禄が違うな。

 

頭にトルフが乗ってなきゃ、もっと格好良かったんだが。

 

トルフはとぐろを巻くようにして婆さんの頭にしがみつき、羽を伸ばしたり畳んだりしている。

 

なかなか悠々自適な奴だが、来客にもこの調子で絡んだら大変だ……

 

人が来たら、どっかの部屋に閉じ込めておくことにしよう。

 

 

「父上の方はどうだい?」

 

「まだ渋ってますね、まあ気長に説得することにしましょう」

 

「そうか……」

 

 

貴族の子の名付けというのは、しきたりがないようで、きちんとある。

 

いわゆる明文化されてないマナーというやつだ。

 

第一子は爵位が上の方の両親が決めることが多い。

 

うちだと俺が元平民なんでローラさんの両親になるわけだけど、彼女は勘当されているので結果的にうちの親になるわけだ。

 

そしてその親父が名付けを渋っている。

 

自分は平民だから恐れ多いなんて事を言っているが、要するにまだローラさんにビビっているのだ。

 

まあ、まだまだ出産は先だ。

 

時間はあるんだ、ゆっくりじっくり説得することにしよう。

 

俺はまだ大きさの変わらないローラさんのお腹をつるりと撫で、冷たい風の吹き込む窓をトンと閉ざす。

 

乾いた風からは、たしかに冬の匂いがしていた。

 

 

 

 

 

家庭内が順調だからといって、なかなか仕事の方まで順調とはいかないものだ。

 

俺もここ最近で色々とあった。

 

まずは実家の粉挽きバイコーン造魔の自我について軽く報告書を上げて、造魔の配備先に意見を求めた件。

 

これは各所から劇的な反応が返ってきた。

 

 

『うちの隊の造魔飛竜は最近名前を呼ばれると反応するんですけど、ちゃんと覚えてくれてたんですね!』

 

『造魔ユニコーンが男に触られるのを嫌がるんですけど、これってやっぱりおかしいんですか?』

 

『造魔ゴールデンウルフが毎晩俺のベッドに潜り込んできて上司が嫉妬しています』

 

『造魔のゴリラが飲み屋の女の子達にモテモテでみんなが困ってます、なんとかしてください』

 

 

その他諸々、色んな情報が上がってきた。

 

結構みんな造魔に自我が芽生えても「そんなもんだ」と思って気にもしてなかったらしい。

 

なんだろう、俺からすると人工物に自我って凄いことだと思うんだけど、意外と気にならないものなのかな?

 

AIのシンギュラリティだとか、俺の前世では色々と騒がれてたからことさら重大事項に見えてるだけなのか?

 

まぁ最悪、魔結晶やらなきゃ止まるしな。

 

それよりも大きな問題は、造魔を配置してから一年程度の場所でも自分の名前に理解を示した個体が出てきた事だ。

 

粉挽きバイコーンの自我三年仮説が崩れてしまった。

 

この件はまだまだ調査研究が必要だ。

 

やはり造魔は奥が深いな……

 

 

次に、先日論文を提出した、勝手に魔素を取り込む魔結晶型の造魔、無限魔結晶の話だ。

 

これには王都の食いつきが大きく、夢の新エネルギーとして早速色々な物で実験が行われたようだ。

 

魔導灯に入れたり、造魔に入れたり、魔具水瓶に入れたりと、チームを組んで実験してくれたらしい。

 

そこらへんはうちもだいたい実験して情報上げてるんだけどね……

 

まあ、返ってきた返答は「現段階での使い道なし、改良されたし」だったわけだ。

 

シンプルに出力不足なんだよな。

 

魔導灯は仄かに光るだけ、造魔は動かない、魔具水瓶は一日にコップ一杯程度の水が出る程度。

 

今の魔具のコストなら、そんな微妙なエネルギーに頼るぐらいなら調達にムラがあっても天然物の魔結晶に頼った方がよっぽどいい。

 

今の俺の仕事はこの無限魔結晶のサイズを変えずに出力を上げることだ。

 

幸い補助金は出てるんだ、こちらものんびりとやっていこうと思う。

 

 

 

仕事を終え、学校を出てしばらく歩くと、俺の半分ぐらいしか背丈のない犬人族が走って近づいてきた。

 

 

「ご主人様、お疲れ様っス!」

 

「ああ、ラフィもご苦労さま」

 

 

小さいしっぽを元気一杯に振る彼女に、提げていた革の鞄を渡す。

 

彼女は俺の鞄持ち兼護衛だ。

 

ローラさんが学校を休むようになってから、まいにち日替わりで冒険者組の誰かが付いてくれることになったのだ。

 

トルキイバは平和だが、備えて損することはない。

 

それに貴族が一人で歩くと色々不便があるしな。

 

 

「本部に寄るよ」

 

「わかりました!」

 

 

前を歩く彼女の背中にまるで大剣のように背負われたグラディウスが、茶色いしっぽにあわせてゆらゆらと揺れている。

 

一人で暴れ鳥竜の身体を駆け上って、あの剣で喉をかっさばいて悠々と降りてきたって噂は本当なんだろうか。

 

チキンが「鞄持ちには最低でも暴れ鳥竜の討伐に参加したものを付けます」って言ってたから強いのには間違いないんだろう。

 

 

「どうしました?」

 

 

視線を感じたのか、ラフィが振り向いて聞いた。

 

 

「いや、見た目じゃあ人の強さはわからないものだと思ってな」

 

「何をおっしゃいますやら。見た目じゃ強さがわからないってのは、魔法使いが一番そう(・・)じゃないっスか」

 

 

そりゃそうか。

 

俺はことさらゆっくりと歩き、小さい勇者の武勇伝を聞きながら、マジカル・シェンカー・グループ本部までの道のりを楽しく過ごしたのだった。

 

 

 

チキンに預けた造魔犬のジフにじゃれつかれながら書類を片付けた俺は、本部前のシェンカー通りのはずれにやって来ていた。

 

なにやら最近うちの従業員や出入り業者向けの激安飯屋がオープンしたらしく、一度顔を見せてやってくださいよとチキンに言われたのだ。

 

言われてやってきた場所は看板も何も掲げていない貧相な平屋で、煙突からは白い煙がたなびいている。

 

利益が薄いからあんまり知らない客が入ってこないようにこんな作りにしているらしい、一見さんお断りのシステムなのかな?

 

扉を開けると、煮炊きの熱でうっすら曇ってすら見える店内に奴隷たちがすし詰めになって座っていた。

 

 

「あっ、ご主人様!」

 

「えっ!?うそっ!」

 

「やべっ!」

 

「酒隠せ酒」

 

 

ばっちり見えてるよ。

 

酒を気にするってことはサボりか、言わなきゃバレないものを……

 

 

「ほらほら詰めて詰めて、ささ、ご主人様!こっちどうぞ!」

 

 

店主の狼人族がもとから詰めて座っていた奴隷達をもっと詰めさせ、笑顔で俺に手招きする。

 

あいつ誰だっけな、プーラだっけトンミだっけ、料理番のシーリィとハントが弟子にしてた奴らの中にいたよな。

 

 

「ラフィ、今日は鞄持ちかい。ご主人様の鞄を地面に引きずってないか?」

 

「引きずってない!プーラには関係ないっしょ!」

 

 

プーラだったか。

 

あと鞄は時々地面に線を引いてたぞ、別にいいけど。

 

 

「なんか出してくれよ」

 

「へっ、ご希望は……?」

 

「よく出るやつ、適当に何品か」

 

「かしこまりましたっ!ラフィは?」

 

「鞄持ちは何も食べない、常に周りを見張ってる……っス」

 

 

キリッとした顔で鞄持ちの心得みたいなのを口にするラフィだけど、しっぽがへにゃりと垂れてるぞ。

 

 

「いいよ別に食べて、周りも仲間しかいないし」

 

「そーそー!」

 

「この店にいる間はうちらに任しときな!」

 

「誰はひはら追い返してやるろ!」

 

「お前は立って帰れるかも怪しいだろ!」

 

「キャハハ!」

 

 

なんか急に不安になってきた。

 

ラフィはご飯だけね、お酒はなしにして。

 

 

 

 

「あの、ご主人様……」

 

 

調理をするプーラを眺めながら飯を待っていると、奴隷たちが席から立って勢揃いでこちらにやって来ていた。

 

 

「どうした?」

 

 

先頭の犬人族は、後ろの仲間をチラっと見てから真剣な顔で言った。

 

 

「あのっ!奥方様のご妊娠、おめでとうございます!」

 

 

おめでとうございます!と声を揃えて祝福された。

 

これまでも色んな人に祝福されてきたが、涙が出そうなぐらい嬉しかった。

 

ありがたい、自分の子への手放しの祝福は、ただただありがたい。

 

俺が奴隷たちに真摯に「ありがとう」と返すと、みんなホッとした様子で席へと戻っていった。

 

じんわりと心が暖かくなったところに、店主から「できましたよっ!」と声がかかる。

 

 

「まずはこれっ!どうぞっ!」

 

 

威勢よく俺とラフィの前に置かれたのは、丸のままのトマトだった。

 

いや、ヘタがくり抜かれてて、そこに白くて丸いものが入ってるな。

 

 

「塩かけてガブッとどうぞ!」

 

「ふーん」

 

 

指でパラパラと塩をかけ、赤いトマトを真ん中の白いところごとガブッといった。

 

ん?

 

あ、これ、くり抜いたとこに入ってるのチーズなんだ。

 

まあ、不味いわけがないよね。

 

 

「そんでこれ、グイッとどうぞ!」

 

 

出てきたコップをグイッとあおると、ハードリカーにスモモを漬けて作った果実酒だった。

 

あんまり合ってるとは言えないが、まぁ不味くはない。

 

ワインならもっと美味いかもしれないが、うちの台所としてはワインよりも果実酒の方が圧倒的に安いんだ。

 

なんせうちの醸造所なら、原料の麦さえあれば高濃度のスピリッツが無限湧きだからな。

 

よそに安く卸すような事はしないが、うちの奴隷たちからしたら激安の酒がいつでも飲みまくれる状況なんだ、そりゃこんなボロい店でも大盛況なわけだわ。

 

 

「次にこれっ!」

 

 

今度は普通に豚とキャベツの煮物が出てきた。

 

完全に酒のアテだな。

 

角切りにされた豚は煮崩れしかかるぐらいトロトロで、くたくたのキャベツも味がよく染みてて美味い。

 

スープも澄んでて臭みがない、いい腕してる。

 

ちょっと塩っ辛いぐらいだけど、それが酒によく合うな。

 

 

「もう一品、自信作っ!」

 

「おっ、スパゲッティか」

 

 

出てきたのはでっかい腸詰めがゴロゴロ入ったホワイトソースのスープスパゲティだった。

 

ちょっとシャバシャバだけど、俺は後でスープだけ飲むのも好きだ。

 

湯気を吸い込むと幸せな匂いが胸いっぱいに広がる。

 

酒のアテばかりなのかと思っていたから、これは嬉しいサプライズだぞ。

 

さっそく食べようとフォークを持った俺の目の前に、にゅっと店長のプーラの腕が伸びてきた。

 

右手にチーズ、左手におろし金。

 

スパゲッティの表面は、雪のように降るチーズにあっという間に覆われてしまう。

 

ごくりと喉が鳴った。

 

フォークで皿の中をかき混ぜ、麺を巻くこともせずに口へと運ぶ。

 

期待通りの、とろけるように優しい味。

 

腸詰めをフォークで突いて口に突っ込んだ。

 

パキッといい音がして肉汁が溢れ出す。

 

期待通り期待通り、こういうのでいいんだよ。

 

 

「店長!あたしもそれっ!」

 

「あたしもあたしも!」

 

「こっち大盛りで!」

 

「チーズ特盛り!」

 

 

みんなこぞってこのメニューを頼みだした。

 

酒飲みっていうのは、なぜか人の食べてるものを真似したくなるもんなんだよな。

 

 

「あたしのが先っスよ!」

 

「鞄持ちがなんたらはどうしたんだよ!」

 

「今日は許可が出たからいいんスよ!」

 

「都合いいなー」

 

 

みんな口々に騒ぎまくる中、カラカランと入り口のチャイムが鳴って、ちわーという声とともに店のドアが開く。

 

ただでさえ狭っ苦しい店内に、また新しい客がやってきた。

 

 

「おーおー、今日も有象無象が雁首揃えて……ってご主人様!?えっ!?あ、いや……間違いました!」

 

「どこと間違えたんだよ!」

 

「早く入れよプテン!」

 

 

入り口でまごついていた猪人族は酔っぱらい達に引きずり込まれてしまった。

 

うーん……楽し気にしてくれてるけど、やっぱりほんとは俺がいるとやりにくいだろうな。

 

今日はいきなり来て悪い事したから、飲み代ぐらい奢ってやるか。

 

 

「店長、今日の払いは俺の奢りだ、チキンに回しといて」

 

 

その言葉に、店の中がわっと湧いた。

 

 

「いよっ!太っ腹!」

 

「ごちそうさまです!」

 

「店長お酒!ローラ・ローラ!」

 

「ねぇよそんな高い酒」

 

「じゃあエール!飲み溜めするから」

 

「金ありゃ全部酒に変わるやつに飲み溜めも何もあるかよ」

 

「違いない!」

 

「私もエール!大ジョッキで!」

 

 

大いに盛り上がるのはいいが、明日に響くほど飲むなよ。

 

 

「ほどほどにな」

 

「はーい!あ、それとワインも!」

 

「返事だけじゃん!」

 

「ちわー、何盛り上がってんの?……えっ!?ご主人様!?すいません、間違えましたっ!」

 

「間違ってないよ!」

 

「そいつも引きずり込め!」

 

 

この後もどんどん人数を増やしながら、楽しい夜会は遅くまで続き、へべれけになって家に帰った俺はミオン婆さんにしこたま叱られた。

 

そしてその日の晩御飯として出てきたホワイトソースのマカロニグラタンとトマトサラダを前に、膨れた腹とともに大苦戦を強いられたのだった。



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第57話 仕事はね 湧いてくるもの ほんとだよ

ネタバレです。

今回主人公が微妙にピンチっぽい展開になってますが、ピンチにはならないので許してください。


古来より、支配者というのは往々にして無茶振りをするものだ。

 

巨大な墓を築かせ、不老不死を求め、時には装飾品のために他の地域の人を滅ぼしちゃったり。

 

まあそんな大事は滅多になくても、些細な無茶振りぐらいなら周りの人に毎日のようにやっているに違いない。

 

冬の寒い日に、俺の元にもそんな無茶振りが届いた。

 

 

「きょ……巨大造魔ですか……?」

 

「そうなんだ、陸軍から話が上がってきてね。一応、造魔に自我が芽生えて暴れだしたら誰が止めるんですかって話をして一度は退けたんだけど……」

 

「それは良かったです……」

 

 

ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、教授の口からは衝撃的な言葉が飛び出した。

 

 

「どうも王家が関わってるみたいで……多分また同じ話が上がってくると思うから、準備しておかないといけないね」

 

「えっ、王家ですか!?」

 

 

マリノ教授から聞かされた話は、俺の想像を遥かに超えるスケールの大きさだった。

 

その名も『決戦用巨大造魔建造計画』だ。

 

上の人達は、城よりでかい造魔を作って要衝守護の要とするつもりらしい。

 

そんな狂人の妄想みたいな造魔の運用方を聞かされた俺は、おったまげて気絶しそうになった。

 

やっぱこの国の上の方ってぶっ飛んでるわ。

 

マジで常に戦争の事しか考えてないのかな?

 

色々ツッコミどころはあるんだけど、とにかく王家が関わってるってのが一番ヤバいポイントだ。

 

王家が直接やれと言ったら、どんな問題があっても俺たちはとにかくやらなきゃいけない。

 

そしてその造魔が万が一暴走なんかした時に、詰め腹を切らされるのは誰だと思う?

 

陸軍の偉いさんじゃないぞ、俺とマリノ教授だ。

 

生まれてくる子供や嫁さんのためにも、俺はまだまだ死ぬわけにはいかない。

 

この日から、俺の必死のあがきが始まった。

 

 

 

まずは造魔の自我の発生条件を詰める事にした俺は、改めて各地の報告書を精査してみた。

 

すると一番自我の芽生えが早かったのは最前線の陸軍駐屯地。

 

次に王都の第一騎兵隊、その次も王都で、都市護衛竜騎兵団だった。

 

どこも人員がめちゃくちゃ多いところだ。

 

調べ直していて驚いたのだが、陸軍駐屯地の中には半年ほどで自我が芽生えた造魔もいたのだ。

 

俺は一つ仮説を立てた。

 

自我を持つのが早い造魔と三年かかったうちの粉挽きバイコーンとの違いは、関わる人間の多さじゃないだろうか?

 

俺は検証のために、三日で実験場を作った。

 

こういう時、自分の組織を持っていて良かったと、心底そう思う。

 

動きの早さが段違いだからな。

 

なんせ今回は結構マジで命がかかってるんだ、使えるもの全部使うのは当然の事だった。

 

 

 

間接照明がふんだんに使われ優しい光に満たされた店内には、落ち着いた焦げ茶色のテーブルと椅子がゆったりと間隔をとって置かれている。

 

俺と教授が座る席の上には、我が家の黄色い小飛竜トルフとコーヒーの入ったカップアンドソーサー、そしてジャムの添えられたスコーンが並ぶ。

 

そんななんとも混沌とした眺めに、マリノ教授は不思議そうな顔をして口を開いた。

 

 

「それで、ここで下民を相手にデータを取るのかね?」

 

「はい、一応どうぶつ喫茶と名付けました」

 

「造魔と人間が戯れられる喫茶店か、本当によく短期間で用意してくれたものだ……」

 

 

マリノ教授は店の内装をまじまじと見つめて、感心した様子でため息を漏らした。

 

トルキイバのメインストリートに面するこの建物は、元々うちが経営する喫茶店が入っていた場所だ。

 

喫茶店事業の中では売上一位の店だったが、金を惜しんでいては事が進まないからな。

 

 

「うちは人手も簡単に出せますし、出入りの業者もおりますので」

 

「もう研究室で君の奴隷趣味をバカにする者はいなくなるだろうね……それで、ここで客の相手をさせながら造魔を暮らさせるわけだ。肝心の客は入るのかな?」

 

「わかりません。でもたとえ客が入らなくても、うちの家で雇っている人間たちに毎日利用させるつもりでいます」

 

「そうか、悪いね。後で運転資金を届けさせるから」

 

「ありがとうございます」

 

 

マリノ教授は外の喧騒を見つめながらクリームの乗ったウィンナーコーヒーを一口飲み、驚いた顔でこちらを向いた。

 

 

「うまいね」

 

「ありがとうございます」

 

「下民の店というのも案外侮れないものだね」

 

 

そんな教授に、暇を持て余した小飛竜のトルフが服をちょいちょいと引っ張ってちょっかいをかけはじめる。

 

教授が苦笑しながら彼を膝の上に置くと、そこに寝そべるようにして小さな足と翼をパタパタ動かして一人遊びを始めた。

 

 

「ちょっと騒がしい喫茶店になりそうだが、客の心配はいらなさそうだね」

 

「そうですか?」

 

 

教授は髭に白いクリームをつけたまま、ニッと笑ってカウンターの方を指差した。

 

カウンターからは、興味津々そうにトルフを眺める兎人族の子の目と耳が見え隠れしている。

 

俺が手招きすると、ビクッ!と身体を震わせてぎこちなく近づいてきたので、教授は苦笑しながらトルフを手渡してやった。

 

 

「しばらくトルフの相手をしてやってくれ」

 

「あ……はいっ!わかりました!」

 

 

給仕がカクカクした動きでカウンターの向こうに消えていくのを見送って、教授と二人でクスクス笑いあった。

 

 

「ああいう子が沢山いたらいいね」

 

「いますよ、きっと」

 

 

結局俺の予想は見事に当たり、どうぶつ喫茶は翌日のオープン初日から大当たりとなった。

 

接客用の造魔が足りなくなって、徹夜して必死に作ることになるのだが……まあ客の入を心配するよりは気楽だったかな。

 

とにかくこれで造魔の自我の発生時期調査については一つ手を打ったことになるが、本当に必要な事はその自我を制御できるようにすることだ。

 

考えはあるが、これは造魔技師だけではどうにもならない事でもある。

 

なんせ造魔を造魔で制御しようにも、その造魔にも自我が芽生えてしまう可能性があるんだからな。

 

とりあえず俺は一週間ほど学校中を奔走し、マリノ教授、この間親戚関係となったエストマ翁、そして学園長の連名で王都へと要望書を提出して貰ったのだった。

 

心底くたびれた、とにかくこの話の続きは王都から返答が来てからだ。

 

 

 

そんなある日、うちの下の兄貴のシシリキが寒い中を馬で家にやってきた。

 

兄貴はよっぽど寒かったのか鼻水をズビズビ出してたから、ローラさんには遠慮してもらった。

 

万が一にも妊婦を風邪なんかにかからせるわけにはいかんからな。

 

応接室に案内して暖炉の前の椅子に座らせると、ようやく人心地がついたようで、垂れていた鼻水もズルリと引っ込んだ。

 

 

「兄貴、八本足のバイコーンはどうしたんだよ。あれで来ればあっという間で凍える事もなかっただろ」

 

「あれは燃費が悪くてさぁ、やっぱり普段使いはできないもんだな」

 

「そりゃそうか」

 

 

特殊な造魔だからな、燃費は粉挽きバイコーンのざっと2.5倍だ。

 

部屋住みである下の兄貴の稼ぎだと、維持するのは結構大変だろう。

 

 

「そんでさ、今日こうやってここに来たのはお前に頼みがあってでさ~」

 

「なんだよ、また造魔作るの?やだよ俺、今忙しいもん」

 

「ちがうちがう、お前んとこのシェンカー通りと例の行進ができる音楽隊を貸してほしいんだよ。今度結婚する事にしたからさぁ」

 

「えっ!マジで!?」

 

「そーそー、宿屋で働いてる子なんだけど、いい子だし親父もいいって言ってるからさぁ」

 

 

兄貴は珍しく照れた様子で頭を掻いて、椅子の上であぐらをかいたり正座をしたりと落ち着かないようだ。

 

そういや今まで上の兄貴はともかく、下の兄貴の彼女には会ったことがなかったな。

 

こりゃめでたいや。

 

 

「へぇ〜、おめでとう兄貴」

 

「へへへ、ありがとう。そんでさ、結婚式をド派手にやりたいからさぁ、通りと音楽隊を借りたいってわけよ」

 

「そりゃいいけど、いつやるの?」

 

「いや〜、冬にやるか春にやるかもまだ決まってないんだけどさぁ」

 

「あ、それなら早いほうがいい。うちの音楽隊、仕事でもうすぐ王都に行くんだわ。春に帰ってこれるとも限らないしさ」

 

 

うちの音楽隊は王都の有力貴族の依頼で、俺の用意した曲を届けに行くことになっていた。

 

今回の音楽隊の仕事は行って演奏するだけじゃないからな、あっちの音楽隊に曲を教えるところまでがセットだ。

 

行きも帰りも依頼主が音楽隊全員の魔導列車の席を用意してくれるらしいが、帰りのチケットがなかなか取れないなんてこともありえるしな。

 

 

「じゃあ……ちょっとバタバタするけど今月末ぐらいでどうかなぁ?」

 

「兄貴、それって衣装とか大丈夫なの?」

 

「大丈夫大丈夫、元々ふたりとも先輩の服借りるつもりだったからさ〜」

 

「わかった、じゃあ調整するね」

 

「そんじゃ、ひとつ頼むわ」

 

 

兄貴は椅子の上であぐらをかいたままペコリと頭を下げた。

 

 

「この件、チキンに回すから細かい相談はいつでも本部に顔出して」

 

「助かるよ、ありがとなぁ〜」

 

 

俺は話が終わるやいなや、そそくさと家を出ようとするせっかちな兄貴を「ちょっと待って」と呼び止めた。

 

急な話だから何も用意してないけど、せめてお祝いにローラ・ローラぐらいは持って帰ってもらおう。

 

俺が作るドク○ー・ペッパー味のこの酒は、ちゃんとブランド化に成功してる高価な品なんだ。

 

 

「これ、姉さんと飲んで」

 

「おっ、この酒……いいの?」

 

「なに遠慮してんのさ」

 

 

兄貴は今日一番の子供みたいな笑顔になって、指で俺の脇腹をつついてきた。

 

 

「おい〜、ありがてぇ〜」

 

「女性に人気らしいからさ、兄貴だけで飲むなよ」

 

「そうすると後が怖いんだよね〜、嫁さんも酒好きなのよ」

 

 

キラキラの目でローラ・ローラの瓶を見つめる彼と新しい姉のために、俺は馬にボトルを四本括り付けて帰した。

 

兄貴の結婚式だ、賑やかな式にしないとな。

 

それにしても、随分と寒くなった。

 

ふぅとついたため息が、白いままに頭の上へと登っていく。

 

ふと空を見上げると、上弦の月が浮かんでいた。

 

黄金の月の杯に、横に入った一本線がまるでグラスの水面のように見える。

 

兄への祝福に掲げる、黄金の盃だ。

 

手を伸ばせば掴み取れそうな、しかし手を伸ばせば砕け散ってしまいそうな、不思議な儚さを帯びたそれから目が離せなかった。

 

冷たい風の音だけが、ごうごうと耳に響く。

 

はらはらと、白いものが風に混じり始めるのが見える。

 

俺はじっと立ったまま、トルキイバの初雪に降られていた。



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第58話 誰がため 捜し捜して 同じ顔

長くなっちゃいました
モブ青年の話です


「私と同じ顔の女を知りませんか?」

 

 

借金取りから逃げ出して、妹と一緒にこのトルキイバにやって来て一ヶ月。

 

まだまだ右も左も分からんような俺に、往来でそう声をかけてきたのは不思議な女だった。

 

肩まで伸ばした小麦色の髪、切れ長の目、よく見かける流行りの帽子と襟巻き。

 

周りがパッと明るくなりそうな美人なのにどこか薄暗い、そんな印象を受ける無表情な人族。

 

もちろんこんな顔、見たことなんかない。

 

 

「いや知らねぇ」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

 

女は踵を返してさっさと行ってしまった。

 

酒売屋台のおっさんがそれを見てくすくす笑っていたので、俺は酒を買うついでにさっきのが何なのかを訪ねてみた。

 

 

「あいつは『同じ顔』のソルメトラってんだよ。自分と同じ顔の女をずーっとああして探してんのさ」

 

「へぇ……変なの」

 

「兄さん最近トルキイバに来たんだろ」

 

「そうだけど」

 

「新入りはみんなああして話しかけられるのよ。ま、シェンカー家の奴隷だから、変な女だからって絡んだりはせんことだよ」

 

「奴隷?あんな身奇麗なのに?元じゃなくてか?」

 

「ああ。シェンカー家は裕福でなぁ、奴隷にもちゃんと給料を払ってるんだよ」

 

 

なんだそりゃ、そんな話があっていいのか?

 

シェンカー家っていったら、ここに来る乗合馬車の中でシェンカーとは揉めるなって言われたっけな。

 

チェッ、金持ちの道楽か。

 

うちの妹だって、もっとボロを着てるってのによ。

 

俺はもう一杯酒を買って、なんとなくクシャッとした気持ちのまま家へと帰った。

 

 

 

 

トルキイバはでかい。

 

中央から東西南北に走る大通りを一日に何度も何度も行き来していると、夜にはもうクタクタだ。

 

しょうがねぇ、大きい坂がないだけまだマシか。

 

荷運びの仕事にしか就けなかった自分が憎いぜ。

 

それもこれも妹のためだ、あいつには将来こんな苦労はさせたくねぇからな。

 

詩か歌でも覚えさせて然るべきご令息の所に嫁に出さなきゃ、あの世の父ちゃん母ちゃんも浮かばれねぇってもんだ。

 

 

「おうっナシタ!飯にしようぜ」

 

「へいっ!」

 

 

腹がペコペコになるまで荷車を押したら、親方に呼ばれて昼食のお供だ。

 

今日は運がいい、親方と一緒の班だと昼飯は奢りだからな。

 

この街はやたらと飯が美味いんだ、やっぱり天下の麦どころは違うねぇ。

 

 

「近ごろウドンを出す店が増えてよぉ、俺みてぇな麺食いにゃあたまらねぇ話なんだが……こう何軒もできると腹のほうが足りねぇのよ」

 

「意外と腹で膨らみますからねぇ」

 

 

今日はウドンってやつか。

 

トルキイバに来てから初めて食べたけど、ありゃあ寒い冬には堪んねぇんだ。

 

腹の中からかぁっと熱くなるし、何より麺も汁も美味いしな。

 

うー、腹減ってきたぜ。

 

親方は生卵落としのウドンを頼み、俺は腸詰めのテンプラウドンだ。

 

生卵なんて高級品が、庶民でもなんとか手が出せるぐらいの値段で食えるなんてびっくりだよな。

 

シェンカー一家が魔道具を使って食えるようにしてるらしいんだが、いくら冒険者を囲ってるからって魔結晶は安くねぇのによ。

 

やっぱり金持ちの道楽だぜ、俺は気に入らねぇ。

 

あ、いや、でも出てくる食いもんは別だぜ。

 

あの家の売ってるものはどれもやたらと美味いんだ、飯は飯としてありがたく頂くぞ。

 

うーん、我ながらちょっと虫が良すぎるかな?

 

 

「そういやナシタ、おめぇこっちに来てからどうだ?」

 

「おかげさまで、ようやく慣れてきました」

 

「そうか、なんかあったら言えや。まだ小せぇが、おめぇの妹のロザミーもこの先ずっと留守番させとくつもりじゃねぇんだろ?」

 

「へぇ、ありがとうございます。妹も落ち着いたら稽古事か何かに出そうかと思ってます」

 

 

もうちょい年食ったら、うちの事務の仕事をやらせてもいいぜ、と言ってくれる親方に深々と頭を下げる。

 

ありがてぇや、習い事の候補に読み書き算数も入れとこう。

 

 

「隣近所なんかとは仲良くしてんのか?」

 

「へぇ、おかげさまで、変な奴もいなくて楽しいばかりでさ……あ、そういえば、変なやつってわけじゃあねぇんですが、この間不思議な女に会いましたよ」

 

「どんな女だ?いい女だったか?」

 

「へぇ、そりゃあいい女だったんですけど、いきなり『同じ顔の女を知りませんか?』って聞かれて驚きましたよ」

 

「ああ、ソルメトラさんか」

 

「親方も知ってらっしゃるんですか?」

 

「そりゃあな」

 

「なんでも『同じ顔』のソルメトラさんって呼ばれてるとか……」

 

「……おい、その言い方は金輪際するなよ」

 

 

急に怖い顔になった親方はぶっきらぼうにそう言って、またウドンをすすり始めた。

 

どうしたんだろうか?

 

不思議に思っていると、なんとなく背中がゾワッとして周りを見回す。

 

気づけば、店中の視線が俺に集まっていた。

 

なんだか居心地が悪くなって、急いで残りのウドンを口にかきこんだ。

 

 

 

辛い仕事を終わらせて家に帰ると、楽しい家族との時間だ。

 

可愛い盛りの妹なんだが、今日はなんだか帰った時からプリプリ怒っていた。

 

 

「お兄ちゃんばっかり毎日出歩いてずるい〜!」

 

「ずるいったってなぁ、兄ちゃんだって遊んでるわけじゃねぇんだぜ?」

 

「ロザももっと色んな場所行きたい〜!」

 

 

駄々をこねながら俺の胸をたたくロザミーの頭を、くしゃくしゃと撫でてやる。

 

サラサラの髪の毛が手に気持ちいい。

 

 

「近所のミっちゃんやヨっちゃんは遊んでくれてるんだろ?」

 

「そんなずっと遊んでないよ〜、みんな習い事とかお手伝いとかあるんだもん」

 

「あのな、お前のな、習い事の事もきちんと兄ちゃん考えてあるから。もう少しだけ辛抱してくれ」

 

 

習い事ってのは始める時が一番カネがかかるんだ。

 

今の調子でいけば春頃になるだろうな。

 

 

「え〜」

 

「明日は久しぶりに休みだからよぉ、ちゃんと色んな所連れてってやるからな。楽しみだろ?どんなところ行きたい?」

 

「えっと〜、クレープっていうの食べてみたい、あと芝居小屋ってのも見てみたい、あとね〜、あとね〜」

 

 

遊びに行く話を持ちかければ、斜めな機嫌もすぐ持ち直す。

 

一日中外で遊び回っても元気な妹だけど、まだまだ子供だからな。

 

明日の事を考えて興奮したのか、行きたい場所のお絵かきを始めたロザミーをなだめすかして寝かしつけた。

 

俺はなんとなく窓を見つめながら、誰にも言えない愚痴を塗りつぶすように酒を飲む。

 

父ちゃんと母ちゃんが死んで、借金取りに追われて逃げてきて、妹にはずうっと我慢をさせっぱなしだ。

 

俺に嫁さんでもいりゃあ、あいつにも毎日寂しい思いをさせないですむんだがなぁ……

 

でも悲しいかなこの女余りのトルキイバでも、俺はなかなかモテねぇのよ。

 

妹のロザミーがいるから、出歩くときもだいたいコブつきだしな。

 

寒い中をツマミもなしに飲んでいたからか、気がつけばベッドにも入らずに眠りに落ちていた。

 

夢の中で、切れ長の目の女が笑っていた。

 

 

 

あくる朝、起きると妹がいなかった。

 

お出かけが楽しみで早起きしたんだろうか。

 

朝飯を食わせようと探したが、ベッドの中にも、トイレにも、机の下にも、井戸の周りにもいない。

 

隣近所に聞いて回っても、見ていないという。

 

じわじわと、足元から不安が湧いてきた。

 

人攫い、貴族、錬金術師、嫌な想像が頭の中を駆け巡る。

 

俺は矢も盾もたまらず親方の家に走った。

 

縁もゆかりもない土地にやって来たばかりの俺に、頼れるものは仕事の仲間しかいなかった。

 

 

 

「何ぃ!?妹が!?バカ野郎お前は何してたんだ!」

 

「すんませんっ!起きたらどこにもいなくて!」

 

「泣くなっ!バカ野郎!すぐ出るぞ!」

 

「へぇ!でも、どこに……」

 

「シェンカー一家だよ!」

 

 

親方はつっかけのまま、俺は上着も着ないまま、大通りを走った。

 

 

「ロザミーっ!」

 

「ロザミーちゃーん!」

 

 

もちろん妹の名前は叫びっぱなしだ。

 

出てきてくれ、笑顔を見せてくれ。

 

俺にはお前だけなんだ。

 

お前がいなきゃあ、俺ぁ今こうして生きてる意味だってわからねぇんだ。

 

声を枯らせて、力いっぱい叫びながら走った。

 

走った先に、希望がある事を祈りながら。

 

 

 

「チキンさんいるかい!?」

 

「おう、バナロラ親方かい。中にいるよ」

 

 

初めて訪れたシェンカー一家の建物は、妙に雰囲気のある建物だった。

 

入り口から中に入って、親方はでっかい声で「バナロラだあーっ!チキンさんを頼みます!」と呼びかけた。

 

はいはい〜っと気の抜けた声が返ってきて、黒髪を緩くウェーブさせた女性が出てくる。

 

まるで歌劇の主役のようなコートを着たその女性は、なぜかコートの前ボタンをすべて開け放っていた。

 

 

「どうされました?」

 

「いや、実はな、こいつの妹が行方不明になってよ!」

 

「人探しですか」

 

「ああ、そうなんだ!ソルメトラさんいるかい?」

 

「いますよ」

 

 

ソルメトラって、あの『同じ顔』の女か?

 

チキンさんがパンパンと手を鳴らすと、背の高い威圧的な猫人族が音もなくやってきた。

 

 

「イスカ、ソルメトラを呼んできて」

 

「わかりました」

 

「すぐ来ますから」

 

「すまねぇ、チキンさん」

 

 

なぜ彼女が必要なんだろう。

 

俺がその疑問を口に出す前に、あの時の切れ長の目の女がおぼんを持って奥から歩いてくるのが見えた。

 

 

「お待たせしました」

 

 

美しい顔立ちに見合わない、どこか薄暗いような不思議な雰囲気を持ったその女は、俺達の前にお茶のカップを置いてチキンさんの横に控えた。

 

 

「人探しなら、顔が広いこの子が向いてるんですよ。実績も豊富です。ソルメトラ、今日は食堂の仕事はいいから、バナロラ親方達を手伝ってあげて」

 

「わかりました」

 

「本当に助かるよ。ほらっ!ナシタおめぇも礼を言わねぇか!」

 

「ありがとうございます!助かります!」

 

 

俺と親方が頭を下げると、チキンさんは頷き一つを返してメモ帳を取り出した。

 

 

「で、どんな子なんです?」

 

「へぇ、人族の女の子で、年は六つ、名前はロザミー、背丈は俺の腰ぐらい、髪は俺と一緒の濃い茶色で、多分服は薄緑のコートを……」

 

「なるほどね……」

 

 

早口に捲し立てるように言ってしまったのに、チキンさんはその全てを素早く書き留めていた。

 

えらい仕事のできる人なんだろうな。

 

親方がこんなに頼りにするのも、よくわかるってもんだ。

 

 

「他には?」

 

「前歯が一本ありやせん」

 

「ふんふん、ソルメトラ、知ってる?」

 

「知ってます、ひまわりの櫛を差している子ですね」

 

「そうっ!そうなんだよ!……って、なんで知ってらっしゃるんで!?」

 

「一度話したことがありますので」

 

「えっ!?」

 

「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、あなたとも話したことがありますよ」

 

「あ、いや……覚えて、ますです」

 

「この子、知らない人見かけるととりあえず話しかけるから、ほんとにめちゃくちゃ顔が広いんですよ」

 

 

チキンさんは苦笑いでそう言った。

 

なんだ、本当にトルキイバ中の人にああやって声をかけていたのか。

 

親方が、パンと手を打つ。

 

 

「よし!俺はうちのもん引き連れておめぇんちの近所を探す。ナシタ!お前はソルメトラさんと一緒について回れ!」

 

「へ、へいっ!」

 

「ソルメトラ、頼むね。本部に帰ってきた子達にはこっちで話を聞いておくから」

 

「わかりました」

 

 

俺はさっき出されたカップの中身を急いで飲み干す。

 

少し冷め始めたお茶からは、香ばしい麦の香りがした。

 

 

 

本部を飛び出した俺とソルメトラさんは、まず北に向かって動いた。

 

妹が食べたがっていた甘いクレープを出す店が、近くにあったからだ。

 

 

「ちょっと待ってください」

 

「おっ」

 

 

北へ向かうと言っても、進みは遅かった。

 

街を行き交う人に、ソルメトラさんが何度も何度も聞き込みをしたからだ。

 

 

「六歳ぐらいの茶髪の人族の女の子、薄緑のコートで前歯が一本ないんですけど」

 

「見てないけど、見たらシェンカーの人に言っとくよ」

 

「ありがとうございます」

 

 

道に行き交う人はみんな知り合いなんだろうか……

 

ソルメトラさんが話しかけるとみんなが気軽に返事をしてくれた。

 

俺じゃあこうはいかないだろうな。

 

 

「……前歯が一本ないんですけど」

 

「あ、見たかも」

 

 

恰幅のいい鳥人族のおじさんのそんな言葉に、俺は食らいつくように近づいていって聞いた。

 

 

「ほんとですかっ!?」

 

「ああ、東の大通りの服屋の前に、そんな服の小さい子が一人でいたような……」

 

「東かっ!」

 

「ありがとうございます」

 

「いいよぉ、見つかるといいね」

 

「ありがとう!」

 

 

早く、早く行ってやらないと!

 

 

「東へ向かいましょうか」

 

「ああっ!」

 

 

俺と彼女は、方向転換して東へと向かった。

 

彼女は途中で出会う人達にまた話を聞くんだが、そのうちの何人かはさっきの人と同じ事を言ってくれた。

 

間違いねぇ、東にいるんだ!

 

無事だったんだ!

 

 

「あぁ、薄緑色のコートの小さい子ね、結構前にフラっとどこかに行っちゃったよ。さぁ?方角まではわかんないかなぁ」

 

 

東の大通りにつくと、ロザミーはすでに移動したあとだった。

 

ソルメトラさんと俺は、その場を通る人達にまた声をかけ続けた。

 

 

「……前歯が一本ないんですけど」

 

「いやちょっと見てないなぁ」

 

「ありがとうございます」

 

 

ハズレ。

 

 

「……前歯が一本ねぇんですよ」

 

「知らん」

 

「そうですか……」

 

 

ハズレ。

 

ハズレが続く中、猪人族の女性が親しげにソルメトラさんに話しかけてきてくれた。

 

 

「ソルメトラ、今日は女の子探してんだって?」

 

「ええ、小さい子です、薄緑のコートを着た……」

 

「なんかそんな子を見かけたって、中央の屋台の子らが言ってたよ」

 

「そうですか」

 

「いたのかい!?」

 

「中央にいるかもしれないという話です」

 

「行きましょう!」

 

「じゃ、頑張ってね〜」

 

「ありがとうございます」

 

「ありがとうございます!」

 

 

当たりか!?

 

俺はその猪人族の女の人に、深々と頭を下げた。

 

 

「中央町に向かいましょう」

 

「頼むから……頼むから無事でいてくれ」

 

 

さっきの一瞬で緊張の糸が途切れてしまったのかもしれねぇ、なぜか急に涙が出てきちまった。

 

女の人の前だけど、どうにも止まらない。

 

大の大人が泣きべそをかきながら歩いて、多分周りの人に怪訝な目で見られているんだろう。

 

すまねぇ、ソルメトラさん。

 

今だけはどうか許してくれ。

 

 

「大事な妹さんなんですね」

 

 

ずいぶん歩いてようやく涙が引いてきた頃、ソルメトラさんは前を向いたままそう聞いた。

 

 

「ええ、俺の命より大事な妹なんです」

 

「私も、昔そんな妹がいました。双子だったんです、瓜二つの顔でした」

 

「そうなんですかい、その妹さんは?」

 

「わかりません、別々に売られたから。私は顔じゅうに火傷があったから、ご主人様に買ってもらえたんです」

 

 

シェンカーの噂は聞いている。

 

捨て値同然の欠損奴隷を買って、わざわざ治療してまで使っているらしい。

 

おかげでこの街はシェンカーの奴隷だらけだ。

 

街の人も、まさに今の俺みたいに、みんなシェンカーに助けられて生きているんだ。

 

 

「その……妹さん、見つかるといいですね」

 

 

自分でも気休めの言葉だとわかっていて、そう言った。

 

奴隷の扱いはピンキリなんだ。

 

一人の女奴隷の生死なんて、天にいる神様だって知らないのかもしれないのにな。

 

 

「ありがとう」

 

 

一度だけ、綺麗な切れ長の目が俺の方を見た。

 

 

「でも、私もわかってるんですよ。多分もう二度と、妹とは会うことができないっていうことは」

 

 

辛いことだろうに、彼女は顔色も変えずにそう語る。

 

なんだか、胸の奥がきゅうっとなった。

 

 

「どうしてです?生きているかもしれないじゃないですか」

 

「もし生きていたって、私は奴隷ですから。会いに行くこともできませんよ」

 

「ならっ!なんで……?」

 

 

なんで今も、会えない『同じ顔』を探し続けているのか。

 

話しながらも顔色一つ変えない彼女に、俺はそれを言葉にして聞くことができなかった。

 

しかし、彼女は何でもない事のように答える。

 

 

「私も妹も、もう家族はお互いしかいませんから」

 

「……そうなんですか」

 

「私が妹を忘れてしまったら、もう誰も妹の事を顧みる人はいないかもしれない。それって……あまりにも悲しすぎるじゃあないですか」

 

 

眉一つ動いていないはずなのに、なぜか彼女の顔はとてつもなく悲しそうに見えた。

 

 

「うちも……」

 

「…………」

 

「うちも親が死んじまって、俺と妹のたった二人の家族なんでさぁ」

 

「そうですか」

 

 

目尻一つ動いていないのに、不思議と俺には彼女が気遣わしげな顔をしているように見えた。

 

 

「じゃあ、なおさら早く見つけてあげないといけませんね」

 

「はいっ!」

 

 

俺たちは速度を上げ、ほとんど小走りで中央へと向かう。

 

空からはちらほらと雪がふり始めていた。

 

 

 

中央町についた俺達は、また聞き込みを開始した。

 

屋台、道行く人、飯屋の中。

 

俺が話しかけても邪険にされるだけだが、ソルメトラさんにはすぐ話をしてくれる人が多かった。

 

親方がすぐにシェンカー一家に頼った理由がよくわかる。

 

この街で人探しをするなら、この人が最適なんだ。

 

おそらく何度も何度もこんな事をやってきているのだろう、話しかける前から「誰を探してるの?」と聞いてきてくれる人もいる。

 

この人の探し人は見つからないのに、人の事ばかり……

 

俺はまた、胸がきゅーっと締め付けられるような気持ちになっていた。

 

一日を共に過ごした彼女の悲哀が、身につまされるように辛かった。

 

そんな中も声かけを続け、ソルメトラさんが猫人族の男性に話しかけたときのことだ。

 

 

「……前歯が一本ないんですけど」

 

「そんな子供、リロイの酒場のあたりで見たよ。君んとこのロースさんと一緒にいたようだけど」

 

 

当たりだ!

 

有力情報だった。

 

 

「ありがとうございます」

 

「ほんとですかっ!?」

 

「行ってみなよ」

 

 

俺は脇目も振らずに駆け出した。

 

リロイの酒場はここから三つ角を曲がったところにある。

 

ロザミーの手がかりが、すぐ近くまで来ていた。

 

夕方の人混みをかき分けて走り、積もり始めた雪を踏んづけて、曲がり角ですっ転んだ。

 

四つん這いのまま前に進み、勢いをつけて立ち上がる。

 

また雪を踏んですっ転んだ。

 

くそっ!

 

なんで今日の雪はこんなに滑るんだ!

 

 

「落ち着いてください」

 

 

氷みたいに滑る雪の上でもがきにもがいて、気づけばソルメトラさんが隣に立っていた。

 

 

「気をつけてください!今日の雪は滑ります!」

 

「ゆっくりと立ち上がって」

 

 

ソルメトラさんに手を握られ、ゆっくり立った。

 

 

「走らずに進んで」

 

 

彼女の冷たい手を握ったまま、一歩一歩前に進む。

 

同じ雪なのに、今度は滑らなかった。

 

 

 

リロイの酒場からは、酔客たちの大きな笑い声が聞こえていた。

 

俺は震える足をゆっくり踏み出して店に入り、赤毛の魚人族の隣で、並べられた椅子の上に眠るロザミーをついに見つけた。

 

ゆっくりゆっくり、また転ばないように近づく。

 

俺は妹を、幸せそうに寝息を立てている俺の宝物を、二度と離さないようにしっかりと抱きしめた。

 

この小さな暖かさが、どこかへ行ってしまわないように、きつくきつく抱きしめた。

 

妹からはお陽さまみたいな匂いがして、縁側で昼寝に落ちるように、俺の意識は徐々に遠のいていく。

 

故郷の家があった。

 

扉を開けると、間の悪いの父親と、気の強いお袋が、俺の大好きなシチューを用意して待っている。

 

でも、家には入れなかった。

 

俺の帰る家は、そこじゃあないから。

 

 

 

後で聞いたところによると、俺はこの時、泣きながら完全に気絶してしまっていたそうだ。

 

極度の心労が原因だろうと、チキンさんが言っていた。

 

妹が後日この日の騒動の顛末を語ったところによると、俺と遊びに行く場所の下見に出たら迷ってしまったとのことらしい。

 

夕暮れ時にお腹が空いて泣いていたところを赤毛の魚人族のロースさんに拾われ、ご飯をご馳走になって寝ていたそうだ。

 

楽しかった、と満面の笑みで語る彼女は……少し、いやかなり早いがうちの会社の事務所で事務員見習いをすることになった。

 

もちろん給料は出ない、というか親方の奥さんが我が家を見かねて妹を保育してくれることになったってだけの話だ。

 

もう親方にもシェンカー一家にも、一生足を向けて眠れない。

 

もちろんソルメトラさんにもだ。

 

今も俺は彼女に送るお礼の花を買いに来てるんだ。

 

花を贈るなんてガラじゃないけど、チキンさんいわく彼女は花が好きらしいからな。

 

この時期は切り花じゃなくてお高い鉢植えしかないのが辛いが、ソルメトラさんへのお返しだって言ったら親方も給料の前借りを許してくれた。

 

ありがてぇ、ますます頭が上がらねぇ。

 

 

「メッセージも付けれるけど、どうするね?」

 

「ああ、ソルメトラさんに『ありがとうございました』と頼みやす」

 

「ソルメトラ、ああ、『同じ顔』のソルメトラね」

 

 

花屋の親父のその言い草に、なぜだかわからねぇが無性に腹が立った。

 

 

「その言い方やめてくんねぇかな」

 

「何がです?」

 

「『同じ顔』っての」

 

「でも有名じゃないですか、トルキイバに新しい人が来るたびに言って回ってるんですよ?『同じ顔の女を知らないか?』って。いかれてますよ」

 

「てめぇ!!ぶっ殺してやろうか!!」

 

 

自分でもなぜかわからないが、彼女の事をそう言われると胸がカッと熱くなった。

 

鉢植えは買えず、顔もボコボコだけど、俺の持っていった串焼きに、彼女は小さく笑ってくれた。

 

……そんな気がしたよ。

 




この話、ボツにするかどうかで2日ぐらい悩みました。

とりあえず上げておきます。


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第59話 暗闇を ぬって降り来る 流れ星

BLACKチョコレートアイスバーすこ


俺が何も頼んでいなくても、この雪の中を何かの定期便のように欠損奴隷が届く。

 

今日はそいつらを治療するために、マジカル・シェンカー・グループの本部へとやってきていた。

 

治療と同時に割り振りまでやってしまうつもりだから、組織の幹部はほぼ全員参加だ。

 

奴隷の人手は割と足りてるんだが、親父や奴隷商の柵もあって、欠損奴隷の受け入れはやめるにやめられない状況になってきている。

 

シンプルに社会貢献にもなるしな。

 

ただこのままだと、あと三十年もしたらトルキイバから人が溢れ出すペースなのが問題だ。

 

しょうがないから最近は新人をなるべく機密から遠ざけるため、情報的にクリーンにした住居や拠点に入れて古株には箝口令を敷いている。

 

人材活用の選択肢は増えたほうがいいからな。

 

将来的には、親父の商会の別の街の支店に就職させられればと思っているが……

 

今は色々と試行錯誤をしている途中だから、人材を多方面で活用できるようになるまでにはまだまだ時間が必要だろう。

 

 

 

今日はそんな欠損奴隷定期便に加えて、こっちから奴隷商人に注文して用意してもらった男の技能奴隷達もいた。

 

この前は音楽家を買ったが、今回は絵描きだ。

 

街の似顔絵描きの若者から元画壇の権威とかいうヒゲのジジイまで、適当におまかせで送ってもらった。

 

どうせ欠損奴隷だ、キャリアがあろうがなかろうが値段はたいして変わらん。

 

こいつらには奴隷達の絵の教師を任せようと思ってたんだけど、ちょうど近々に兄貴の結婚式があるからそこで記念の絵を描かせようと思っている。

 

いい時期に届いたな、ラッキーだった。

 

 

「で、こいつらがそうか」

 

「はい、奴隷商人ペルセウス殿によれば若者は将来性を、それ以外は経験を加味して選んだとのことです」

 

 

チキンが資料を捲りながら答えるが、俺の目には全員むさ苦しいボンクラにしか見えん。

 

ここは部下に丸投げのおまかせコースでいこう。

 

 

「どうせ俺は絵なんかわからん。一番上手いやつがわかったらそれだけ教えてくれ、うちの家族の絵を描かせるから」

 

 

その時、チキンの「わかりました」という声をかき消すかのような大声で、いきなり前に出てきた画家共が猛烈な自己アピールを始めだした。

 

 

「若様!それならば調べるまでもないでしょう!この『画聖』ハミデルこそが!画壇の華!クラウニアの宝!」

 

「いやいや!そのインチキ者を信じてはなりませんぞ!そやつは政治で成り上がっただけの慮外者!この『百色』のカバヤンこそが!」

 

「ええいジジイ共どきやがれ!この『雷描』のプスタンが……」

 

「やかましい!!」

 

 

俺とチキンの横に控えていたメンチが一喝すると、ギャーギャー吠えていた画家達は一瞬で静かになった。

 

やっぱり芸術家ってのは押しが強いなぁ。

 

 

「こいつら全員新兵教育に放り込みます」

 

 

額を揉みながら言う我が家の筆頭奴隷のチキンに、そうしてくれと返しながら全員を手早く治療する。

 

腕や目の生えた画家達はまた喚き始めそうになったが、その前にメンチがケツを蹴り飛ばして連れて行ってくれた。

 

新兵教育隊で落ち着いてくれりゃあいいけど、そんぐらいでどうにかなるなら芸術家なんかやってないか。

 

 

「後は普通の奴隷達ですか」

 

「手早くやろう」

 

「はい。おいっ、連れてこい!」

 

 

チキンが激を飛ばすと、さっきの芸術家達とはうって変わって非常に静かな奴隷達が運び込まれてきた。

 

静かというか、話す体力もないって感じだな。

 

奴隷たちの中で唯一元気な、顔に大火傷の跡のある女が、輸送用の荷車から仲間を必死に降ろそうとしている。

 

 

「あー、降ろさなくていいよ」

 

 

俺の声にこちらを向いた女に、放たれた再生魔法の弾丸が突き刺さる。

 

俺の再生魔法は一般的な直流(ストレート)タイプから、(ミスト)タイプ、そして(ウェブ)タイプを経て、今は自動追尾(ホーミング)タイプへと進化していた。

 

自動追尾(ホーミング)タイプは適当に放てば自動的に怪我人にラインが繋がって、あとは治るまで魔法を流すだけの楽チン仕様だ。

 

多分これが一番早いと思います。

 

全員の傷がみるみる治っていき、元気を取り戻した奴隷たちから感嘆の声が聞こえてくる。

 

よしよし、今回は呪いを食らってたり過度に内臓を抜かれてたりする奴隷はいなかったか。

 

たまにいるんだよな、もちろんそういうのは手に負えないから返品していい契約なんだけど。

 

なんだかんだとそれも手間なんだ。

 

うん、さっきの女も火傷が消えて、なかなか美人な顔になったな。

 

うーん、でもあの切れ長の目、なんかどっかで見たことあるような……

 

 

「ちょっとあなた!こっちに来て!」

 

「え?あ、はい……」

 

 

なんだか知らんが、チキンがさっきの新人の手を引いてどこかへと連れて行ってしまった。

 

なにかティンとくるものがあったのかな?

 

 

「キャーッ!!」

 

 

本部の奥から歓声が聞こえてきた、なんなんだろうか。

 

ま、いいか。

 

 

 

 

 

窓のガラスに粉雪が吹き付ける、風の強い日の夜。

 

俺とローラさんは学校の勉強会用に作った造魔の動物だらけの部屋の中で、ボードゲームの盤を挟んで座っていた。

 

ただでさえ冬というのは暇な季節なのに、更に今ローラさんは妊婦だ、余計に何もできないから室内遊戯で時間を潰すぐらいしかないのだ。

 

 

「む、待った」

 

「待ったは二回まででしょう」

 

「いいじゃないか、ゲームでぐらい何度やり直させてくれても」

 

「次の勝負に回してくださいよ」

 

 

むぅ、と唇を突き出したローラさんは両手を上に上げて背中を伸ばし、膝の上にいた子猫の造魔を持ち上げて机の上に乗せた。

 

子猫は短い足をちょこちょこ動かして盤の上に陣取り、そのまま動かなくなってしまう。

 

 

「ふぅ……これでは勝負どころではないな」

 

「きたねぇ~、でも僕の勝ちでしたからね」

 

 

子供じみた事をしたローラさん本人は、俺の言葉はしらんぷりでお茶を一口飲み「冬は酒が飲みたいな」なんて言っている。

 

だめだぞ、赤ちゃんが生まれるまでは俺もローラさんも一緒に禁酒するんだからな。

 

 

「煙草も吸えないもんだから、どうにもむしゃくしゃするよ」

 

 

化粧もしないのにツヤツヤのピンク色をした唇を撫でる彼女のコップに、ティーポットからぬるいお茶を注ぐ。

 

 

「まあ今はどうかこらえてください。その分将来子供には、母の禁欲を大げさに言って伝えますから」

 

「よろしく頼むよ、それぐらいの楽しみがなきゃあ耐えきれなさそうだ」

 

 

ローラさんはクスクス笑いながら、オレンジ味の焼き菓子を口に入れた。

 

俺も一つつまんでみるが、どうもこの手の王都風の菓子は砂糖の量が強烈であまり好きになれない。

 

 

「あまり好きじゃないかい?私も以前はあまり食べたいとは思わなかったが、近頃急に味覚が変わったようでね」

 

「ええ、まぁ……妊娠するとそうなると聞きますね」

 

 

ローラさんはそうかいと頷いて、また焼き菓子を一つ口に放り込んだ。

 

 

「しかし、こうして暖かいところで菓子などを食べてゆっくりしていると、肥えてしまいそうで怖いな」

 

「多少は太ったほうがいいんですよ、今は二人分の体なんですから」

 

「そうかな?そう言ってもらえると心が楽になるけれど」

 

 

ローラさんはそもそもが筋肉質だから、脂肪をもうちょっと増やさないとな。

 

俺もムチムチのほうが好きだし。

 

 

「そういえば、父上はどうだい?」

 

「うーん、それがまだ渋ってまして……」

 

 

以前からうちの親父には俺たち夫婦の子供の名付けを頼んでいたんだが……

 

貴族の孫に平民の祖父だからとか、なんのかんのと理由をつけて首を縦に振ってもらえない状況だ。

 

毎週のように説得に行ってるんだが、あの親父はあれでなかなか頑固な所があって、どうにもうまくいかないのだ。

 

 

「あまり無理を言ってはいけないよ」

 

「無理なんてことはないですよ、僕がちゃんと話をつけますんで」

 

「私はね、君との結婚を祝福して貰えただけで満足なのさ。あまり多くのことを望むのは……」

 

 

どことなく寂しそうな様子でそんなことを言うローラさんの口に、机の上で寝ていた子猫を押し付けて塞いだ。

 

小さな黒い毛玉を手のひらに乗せた彼女に、真剣な顔で諭すように言う。

 

 

「望んでいいんです。僕もローラさんも、あの人の子供なんですから。血は繋がってなくても、僕達二人みたいに家族になれるんです」

 

「……そうかい、じゃあ、よろしく頼むよ」

 

 

彼女はなんとも言えない顔で苦笑を返した。

 

まあ親子の事に搦手は向かないからな、誠実に説得を続けるしかないだろう。

 

俺はしつこいぞ。

 

俺は前世では手に入らなかったものはこの手で何でも手に入れてやるんだ。

 

金も女も、趣味も時間も、家庭の円満もだ。

 

再び決意を新たにした俺は黒猫ごとローラさんの手を握り込み、夜空の星を閉じ込めたような瑠璃色の瞳を覗き込んだ。

 

 

「ローラさん……」

 

「動物達が見ているよ」

 

「構いません」

 

「…………」

 

 

じりじりと焦れったいような速度で二人の距離は近づき、扉をノックする音と共に倍の速さで離れていく。

 

空いた扉から入ってきたのは、小飛竜のトルフを頭に乗せた侍女のミオン婆さんだった。

 

 

「さあさあ動物ちゃんたち、おねむの時間ですよ。お嬢様と旦那様の邪魔にならないようにミオンばあばのお部屋でねんねしましょうねぇ」

 

 

あんたが一番邪魔だよ。

 

ミオン婆さんは大きな籠に部屋の動物たちを次々と回収していき、最後に俺達の手のひらの小猫も忘れずに奪い去って部屋を出ていった。

 

あの婆さんがあんなに動物好きとはなぁ、今度どうぶつ喫茶の優待券をあげようか……

 

 

「しかし、あの婆さんにはまいったなぁ……」

 

 

俺がひとり言を言いながら扉を見つめていると、本棚から日記帳を取り出したローラさんがクスクス笑った。

 

 

「ミオンもこっちに来てずいぶんと明るくなった」

 

「たしかに、前はもっといかめしい感じでしたけど」

 

「こっちには、格調や仕来りにうるさい人間がいないからね。あれも羽根を伸ばしているのさ」

 

「へぇ、やっぱ王都っておっかないですね」

 

 

正直、絶対行きたくない場所ナンバーワンだ。

 

 

「軍人を辞した今となっては、戻らずに済むならそれに越したことはないかな」

 

「そうですね」

 

 

なんとなく尻にキュッと力が入った。

 

王都という魔物は、いつだって我々夫婦を手ぐすね引いて待っているのだ。

 

このままずっとトルキイバにいられるように、俺ももっともっと頑張らないとな。

 

拳を握りながら決意を固める俺の対面で、ローラさんは「さて」と声を出しながら日記帳を開いた。

 

 

「今日も寝る前のお楽しみだ。お話を聞かせてもらおうかな?」

 

「あっ、そうですね。昨日はどこまで行きましたか?」

 

「そうだな……」

 

 

ローラさんはペラペラと日記帳を捲る。

 

これは二人の間に最近できた習慣なのだが、毎日寝る前に俺の前世で親しんでいた話なんかを話して聞かせているのだ。

 

俺にとっては何でもない話でも、あまり外に出られない彼女にとってはそこそこの慰めになっているようで、今ではこうしてローラさんの方からせがまれるようになった。

 

 

「宇宙船が宇宙ころにぃ(・・・・)から離れたところだな、敵軍の少佐が宇宙船の新型ろぼっと(・・・・)を狙っているところだ」

 

「それじゃあそこから始めましょうか。宇宙コロニーセプテムを離れた宇宙戦艦白鷺は……」

 

「待て待て、最初の口上からやってくれないと駄目だ」

 

「えぇ、またですか?」

 

「いつもやるものだろう、おーぷにんぐてーま(・・・・・・・・・)だと言っていたじゃないか」

 

「いやそれは歌で……あ……いや、まぁいいか」

 

「さあさあ、夜は短いぞ」

 

 

あーあー、綺麗なお姉さんがおめめキラキラさせちゃって。

 

でもそうか、前世では百回パクられたような有名SFアニメでも、彼女にとっては奇想天外な異世界の話だもんな。

 

ひょっとしたら目の前の金髪の彼女は、この世界の最初のSFファンなのかもな。

 

ふと、にやけそうになった顔をぐっと引きしめ、ゆっくりと丁寧に語り始める。

 

 

「銀河世紀0840年、人類は増えすぎた人口を……」

 

「よっ、待ってました!」

 

 

冬の夜は暗く長い。

 

今日は、冷たい暗闇を切り裂くような、明るい色のロボットの話をすることにしようか。

 

ガラスを揺らしていた風はいつの間にかなくなり……

 

宇宙のように真っ暗な外には、白い小さな雪がのろまな流星のように流れていた。

 




58話については色々考えましたけど、一度公開したものなのでそのままにします。

もっと上手く書けるようになりたいです。


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第60話 結びては 固める絆 雪の中

夏バテ


マジカル・シェンカー・グループ本部の真ん前、名前もそのまんまなシェンカー通りの四方八方から天高く突き出した骨組みに、布がかけられた。

 

数日前にそうして作られたこの簡易的なアーケードは、この日も振り続ける雪をたわみながらもしっかりと受け止めている。

 

時々地上から上がる鳥人族の雪かき人足達は大変だと思うが、マニーは弾んだから大丈夫だろ、多分。

 

今日はうちの下の兄貴であるシシリキの結婚式、シェンカー通りは車両通行止めで貸し切りだ。

 

 

「はーっ!」

 

「よいしょー!」

 

「ソイヤッ!」

 

 

朝から様々な出し物が行われている広場では、今は兄貴の仲間たちによる男臭い創作ダンスが披露されていてなかなか賑やかでいい感じ。

 

宴の最初に紫の八本足バイコーンを蛇行運転して会場入りした新郎新婦は、お立ち台の上の椅子に座って色んな人からお酒を注がれている。

 

みんな楽しそうにタダ酒飲んでタダ飯食って、ゲラゲラ笑いながら出し物を楽しんでいるようだ。

 

こういう雑多で賑やかな席は嫌いじゃないが、運営側に立つとこれがなかなか大変なんだよ。

 

 

「サワディ様、ふるまいのシチューの減りの早さがまずいですよ」

 

「そうか、他で営業してる屋台の奴らを何組か呼べないか?うどんなんかだと材料はいくらでもあるから、この人数にも耐えれるだろ」

 

「ではそのように致します」

 

「酒は大丈夫か?」

 

「そちらは浴びるほどありますから」

 

 

今だってピンクのオープンバックドレスを着たチキンが、ふるまいの飯が足りないと報告しに来ていた。

 

今日は朝からこんな感じで、予定外のトラブルだらけなんだ。

 

もちろん用意した飯はシチューだけじゃない、うちの料理班の者達が昨日から徹夜して何百人分の飯を作ってくれていた。

 

でもそんなもんは朝のうちにはなくなってしまい……

 

そこから今までは、とにかく量が出せる料理としてシチューに専念していただけだ。

 

なんで料理が足りないかって?

 

人が多すぎるんだよ!

 

元々は兄貴の仲間が50人ばっか集まって、それにシェンカー家の親類縁者や近所の人で合計150人ほどの予定だったんだが……

 

人が人を呼び、気づけば通りは人でいっぱい。

 

たぶん今日の客は余裕で500人超えだ。

 

もうなんの集まりなのかを知らない人の方が多くて、ふるまいを渡す時にうちの兄貴の結婚式だと周知させてるぐらいだからな。

 

俺はちょっと、トルキイバの冬の楽しみのなさっていうのを甘く見てたよ。

 

こんなに来るって知ってたらもっとちゃんと用意するっつーの!

 

まあ当の兄貴の方は「客がいっぱい来た!」って言って、大喜びではしゃいでるからいいんだが。

 

頼むから酔っ払いすぎて、新婚の嫁さんの前で恥を晒さないでくれよ……

 

 

「ねぇ〜あたしにも注いでよ〜」

 

「いや、ほどほどで!ほどほどで!嫁さん底なしだからさぁ」

 

「いいじゃないのさ今日ぐらい」

 

「お前こないだ寝ゲロしたろ」

 

「そういう事を人前で言うなっつーの!」

 

「いてっ!」

 

 

……まあ夫婦の席からは楽しそうな話し声も聞こえてくるし、今のところは大丈夫そうかな。

 

そろそろ創作ダンスが終わりそうだ、次は上の兄貴のジェルスタンが歌を歌うんだっけか。

 

俺もその間に飯を済ませとこう。

 

と思って腰を浮かすか浮かさないかといったところで、管理職候補の虎のお姉さん、イスカが俺の席にやってきた。

 

 

「サワディ様、ジェルスタン様を見ませんでしたか?」

 

「上の兄貴?いや、見てないけど」

 

「どこにも見つからないんです。あの、その、どうしましょう……」

 

 

こらこら、不安だからって尻尾を絡ませて腕を引くな。

 

俺もキョロキョロ周りを見回してみるが……たしかに新郎新婦のお立ち台周りにも、地面の縄で区切られた発表スペースの周りにもいない。

 

 

「イスカさーん!いたよーっ!酔っ払って寝てたーっ!」

 

 

どうしようかと思っているとそんな声が遠くから聞こえ、イスカは一礼してそちらへとすっ飛んでいった。

 

しょうがないな。

 

俺は手を振ってチキンを呼ぶ。

 

上の兄貴はどうせ寝たら起きないから、代わりに親父に歌ってもらおう。

 

 

「どうされました?」

 

「次に歌う予定だった長兄が寝ちゃったから、代わりに親父に歌わせようと思うんだけど」

 

「はぁ、ですがあの様子ではそれも難しいかと……」

 

 

チキンが指差す方を向くと、新郎新婦の席の後ろでカップを持ったまま俯いて寝ている親父がいた。

 

昨日は「三兄弟の最後の一人が片付いた」って泣きながら遅くまで飲んでたからなぁ……どうしようか。

 

 

「転換の都合もありますので……サワディ様、歌っていただけませんか?」

 

「えっ!?俺?」

 

「それにこれだけ新郎新婦のご友人方が集まっていらっしゃるのに、身内の方が誰も何もなさらないというのは少々……」

 

「いや……そりゃそうだけど、歌じゃなくて最近の劇団あるある話とかじゃだめ?」

 

「それはかなり(・・・)、いや少々……顰蹙を買うかと思いますが……」

 

 

チキンも苦笑いだ。

 

まあ、TPOってものがあるのもわかる。

 

このイケイケパーリーピーポーな兄ちゃん達の前で芝居の話なんか、サッカーファンの集いで落語を一席やるようなものだ。

 

下手な歌ならまだ許されるが、しょーもない事をうだうだやってたらエールの瓶が飛んでくるだろう。

 

しょうがないか、兄貴のためだ。

 

 

「よし、行こう」

 

「ありがとうございます、すぐご用意いたします」

 

 

チキンの肩をポンと叩いて、俺は司会進行役の元へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

「女は山、男は雨、麦が実るはいつのこと。涙流して肩抱き寄せて、歩いて見せます夫婦の並木。弟君からの贈り歌です、サワディ・スレイラ様で夫婦(めおと)の道は並木道」

 

 

司会進行を務める、マジカル・シェンカー・グループの管理職候補のジレンの口上と共に、バンドのホーンセクションが力一杯イントロを吹き鳴らす。

 

いなたいイントロを吹き終わって音が途切れた瞬間、棒のついたカウベルみたいな楽器からカアアアアアッ!っと威勢のいい音が鳴り、しっとりした弦楽器のアルペジオが続く。

 

緊張しながらもしっかりと拡声魔道具を握った俺は、囁くように歌い始めた。

 

 

夫婦(めおと)ぉぉぉカップのぉぉぉひとつぅぅぅがぁぁぁ割れたぁぁぁ……」

 

 

音楽番組なら鐘一つってところだろう。

 

だが俺の変にこぶしの効いた歌いっぷりは、酔っ払った観客にはなかなかにウケた。

 

 

「いいぞーっ!魔法使いーっ!」

 

「小指立ってんぞ〜!」

 

 

ヤンキーっぽい兄ちゃん姉ちゃん達にやんややんやと囃し立てられた俺は、い〜い気分で何曲もやってしまい……結局最後はイスカに引っ張られるようにして席へと引っ込んだのだった。

 

そんな俺と入れ違いにやってきたのは、今日二度目の公演となる大本命、マーチングバンドのシェンカー音楽隊だ。

 

警備によって客のどけられた花道を、楽器の音をかき消すような歓声を背負って進んでくる彼らは、もうトルキイバの大スターだった。

 

なんせこの通りでは半年以上もずーっと練習してたんだからな。

 

とにかくファンが多くて、メンバーひとりひとりが町の人達から個別に名前を呼ばれてる。

 

下の兄貴も義姉(ねえ)さんも大喜びで、お立ち台の上で仲間と騒いでいる。

 

落ちるなよ。

 

最近一番練習してるワルキューレの騎行は上級貴族に納品する曲だからやれないが、音楽隊のレパートリーはかなりのものだ。

 

朝は演奏しなかった曲もあり、周りの熱狂は耳に痛いほど。

 

指揮のレオナが空高くバトンを投げるたびに観客達からおおおおお!とどよめきの声が上がる。

 

ノリのいい客だな、見飽きるぐらい見たろ。

 

ま、楽しみすぎて悪いことはないか。

 

何曲かやったところで、急にスネアドラムのパフォーマンスが始まった。

 

横にずらっと並んだ五名のスネア隊が、まるで一つの生き物のようにビートを刻み、ソロを回し、互いの太鼓を叩き、スティックをジャグリングする。

 

観客たちの目は釘付けだ。

 

 

「かっこいい〜!」

 

「かっこいいね〜」

 

 

近くの母娘が目をキラキラさせて手を上下に動かしている。

 

スネアドラムはバンドの花形だからな。

 

そんな彼女らが客の目を引きつけている間に、バンドの後ろから特別な客がやってきた。

 

サプライズだからな、喜んでくれるかな?

 

その客に気づいた見物人たちは拍手を送り、その拍手の渦がだんだんと先頭に近づいてくる。

 

バンドの列を割って姿を表したのは、紫の体毛にかち上げた二本の黄色い角、そして威風堂々とした八本足をもった、特別製造魔バイコーンだった。

 

チキンに手綱を引かれたそれの背中には、今日の主役である下の兄貴とその嫁さんが乗っていた。

 

照れながらも周りに手をふる彼らを真ん中に据え、バンドはメンデルスゾーンの結婚行進曲を演奏しながらゆっくりと通りを進み始める。

 

 

「おめでとー!」

 

「色男ーっ!」

 

「ツケ払えよーっ!」

 

 

今日集まった五百人から、次々と祝福の言葉が飛ぶ。

 

こんなに人が集まったのも、みんなが楽しそうなのも、ひとえに兄貴の人徳だろうな。

 

間違いなく駄目な人なんだろうけど、俺もあの兄貴の気楽さに救われた事もたしかにあった。

 

駄目だな、こりゃ。

 

大事な下の兄貴の晴れ舞台なのに、近くまで来ているのに、兄貴の顔が歪んじゃってよく見えなかった。

 

歓声と拍手だけが、兄貴の存在をたしかに教えてくれる。

 

でも兄弟だから、俺はあの兄貴の弟だから。

 

多分兄貴の方も俺が見えちゃないんだろうなってことは、なんとなくわかったよ。




次回の前にこれまでのまとめを挟みます


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60話までのまとめ

ギター・マガジン2019年9月号はナンバーガール特集ですよ


[通貨]

 

単位はディル。

 

金貨=10万円

 

銀貨=1万円

 

銅貨=1千円

ぐらいの価値です。

 

庶民は月に銀貨15枚程度で生きています。

 

もっと下に銅粒と呼ばれる百円玉扱いのお金がありますが、これをお上は認知していません。

 

 

[強さランキング]

 

大貴族 > 貴族 > 貴種(無役の魔法使い) >>>>>> 平民(魔法使い) >>>>>>>>> 平民

 

戦闘力も権力も同じような感じです。

 

基本的に魔法使いは魔臓の性能=強さなので、強い血を取り込み続ければ魔臓が強くなっていきます。

 

主人公は回復力・支援力は大貴族超えですが攻撃力は平民同然です。

 

攻撃魔法使っても半田ごてで殴りかかるぐらいのパワーなので、石投げた方がマシです。

 

 

[シェンカー家]

 

・サワディ

 

主人公、男。

 

前世の社畜スピリッツがいまいち拭えない転生者。

 

お家騒動回避のために魔導学園に入れられた。

 

1〜4話まで10歳

5〜18話まで11歳

19〜29話まで13歳

30〜41話まで14歳

42話〜 15歳

 

得意技は再生魔法と支援魔法。

 

攻撃魔法も使えるけれども、実用域まで出力が上がらない。

 

夢は働かずに、自分の劇場で出し物を見て暮らすこと。

 

使い捨ての人造生物だった造魔を、燃料を補給することで何度も使えるようにした『魔結晶交換式造魔』の開発に成功。

 

力は非常に弱いが、燃料なしで動く造魔『無限造魔動力』の開発に成功。

 

出力は非常に弱いが、周囲から魔素を集めて魔結晶の代わりとなる造魔『無限魔結晶』の開発に成功。

 

成果を上げすぎて国から貴族の妻をあてがわれ、平民魔法使いから貴種となる。

 

上司に当たる造魔学研究室のマリノ教授からは助教の内定を貰っており、順調にいけば後々貴族となる予定。

 

無役なのに陸軍の勲章持ちで、周りの貴族たちからも腫れ物のように扱われている。

 

最近は皇家から(らしい)案件が飛んできたりして、微妙に心休まらぬ日々を過ごしている。

 

ペットに黄色い小飛竜型造魔のトルフがいる

 

 

・ 『笑顔』のブレット

 

おやじ。

 

主人公の37歳年上。

 

バリバリの反社会勢力だったシェンカー家の由来を知る。

 

女狂いのジェルスタン、ちゃらんぽらんなシシリキ、趣味狂いのサワディら、凸凹三兄弟が全員結婚したので一安心。

 

妻一筋の苦労人。

 

三男の嫁が貴族で、関係に心を悩ませている。

 

 

『微笑み』(にやけづら)のジェルスタン

 

上の兄貴。

 

主人公の15歳年上。

 

女好き。

 

嫁さんと義父が出来物なので安泰。

 

寝るとなかなか起きない。

 

 

・シェンカー商会番頭 ピスケス

 

ブレットが厳しく育て上げた超有能商人。

 

娘が長男ジェルスタンの嫁になり、子供を二人出産済みなので一安心。

 

孫が利発でダブル安心。

 

主家の三男が儲け話を色々持ってきてくれて嬉しい。

 

最近孫達が女の尻を追いかけ回し始めたので心配。

 

苦労人。

 

 

『流水』(よっぱらい)のシシリキ

 

下の兄貴。

 

主人公の8歳年上。

 

お酒が好き。

 

利き酒の名手。

 

交友関係が非常に広く、トルキイバの祭りに積極的に参加している。

 

サワディに作ってもらった、紫毛黄色角の八本足の造魔バイコーンを持つ。

 

つい最近結婚した。

 

 

・母親

 

生きてます。

 

 

・ 『黒ひげ』シェンカー

 

主人公の4代前の祖先。

 

念動力者の山賊。

 

人殺しまくり。

 

貴族脅しまくり。

 

トルキイバ、トルクス、ルエフマの間の超巨大穀倉地帯を牛耳ってみかじめ料取りまくり。

 

攫ってきた貴族の女に尻に敷かれて商家に鞍替え。

 

こいつが死んだあとのシェンカー家は大変だった。

 

 

 

[奴隷達] ※名前付きのみ

 

 

・ 『七剣』のピクルス

 

サワディと同い年のケンタウルス、馬人族。

 

元農民。

 

後足に障害があった。

 

土竜の神の加護を持ち、視力が悪い。

 

最初小さかったが、後に筋肉が付きムキムキマッチョになる。

 

武器は槍、投槍、剣、大剣、弓、スリング、メイスなど割と何でも使える。

 

物腰柔らかいが奴隷達一の膂力を持つ。

 

眼鏡をかけているのでインテリゆるふわマッチョ。

 

MSGでは分隊長になる。

 

大物を平気で一人で狩る姿に、マジカル・シェンカー・グループ最強なのではともっぱらの噂である。

 

 

・ ボンゴ

 

サワディの6歳年上の鳥人族。

 

金髪。

 

元狩人。

 

墜落して羽をなくしていた。

 

上手く喋れないタイプの鳥人族。

 

指定席はピクルスの背中。

 

武器は投槍、短剣。

 

MSGでは分隊長補佐。

 

料理が趣味だが、基本的にピクルスとサワディ以外はその腕を知らない。

 

 

・ 『氷漬け』のロース

 

サワディの6歳年上の魚人族。

 

赤髪のボイン。

 

元傭兵。

 

冒険者落ちした魔法使いに傭兵団が壊滅させられ、相手を殺すも右腕右目を失う。

 

お酒好き。

 

目立ちたがり。

 

粗野で粗暴だが仁義あり。

 

武器は槍、剣、鋭い牙。

 

MSGでは副頭領。

 

モテる。

 

実は読み書きができる。

 

サワディから預けられた、赤毛の小猫型造魔の面倒を見ている。

 

 

・ チキン

 

サワディの3歳年上の人族。

 

錬金術師に臓器を抜かれて死にかけていた。

 

商家の丁稚をしていたため、追加講習を受け会計役に。

 

商家としての才能はあった模様。

 

苦労性、仕事を抱え込みすぎる。

 

浪費だとわかりながらも喫茶店の珈琲を毎日飲んでしまう、ハー○ンダッツがやめられないOLのような悩みを持つ。

 

着道楽で、同じ格好をしているところを見たことがないと言われている。

 

知識奴隷から出世して、現在はサワディの筆頭奴隷となっている。

 

最近の悩みは浮いた話がないこと。

 

サワディから預けられた、青毛の子犬型造魔のジフの面倒を見ている。

 

 

・ 『消し炭』のメンチ

 

主人公の7歳年上の鱗人族。

 

火竜に焼かれ全身黒焦げで左腕も喪失したが生き残った。

 

元正規兵。

 

脳筋。

 

奴隷達に軍隊流の訓練を持ち込み、恨みと尊敬をかった。

 

武器は槍と剣と自らの五体。

 

MSGでは頭領。

 

宝物は綺麗な懐中時計。

 

食い道楽で、部屋には色々と食べ物を隠し持っているとのこと。

 

新しい物好きで新メニューに弱い。

 

 

・ シーリィ

 

主人公の6歳年上の人族の愛玩奴隷。

 

歌と踊りを仕込まれている。

 

髪はピンク、処女。

 

料理と事務をやらされて困惑。

 

現在はシェンカー一家の料理長的存在。

 

おじさんばかりにモテて、あまり嬉しくないのが悩み。

 

 

・ ハント

 

主人公の8歳年上の人族の愛玩奴隷。

 

裕福な家の出だったので詩が得意。

 

裁縫は趣味でやっていた。

 

髪は緑、ボイン、処女。

 

料理と事務をやらされて困惑。

 

現在は炊事場メインで事務も兼任。

 

近々結婚を考えている人がいる。

 

サワディから預けられた、緑毛の小さいゴリラ型造魔のジーンの面倒を見ている。

 

 

・ エラフ

 

喫茶店のウェイトレスを任された兎人族。

 

外にも友達がいて、楽しくやっている。

 

次は調理担当にステップアップしたい。

 

 

・ ラーズ

 

仕事が丁寧なことに定評がある。

 

最近では芝居にも参加していて、可愛いと評判。

 

 

・ プテン

 

元冒険者でピクルスの下につく。

 

喧嘩っ早く、また喧嘩に強い。

 

言うことを聞かずに一般人と喧嘩した懲罰でピクルスに一撃でやられ全治一ヶ月、しかし夜にはサワディが治した。

 

毎晩飲み歩いており粗暴なところがあるが、ピクルスの名を出すと大人しくなる。

 

 

・ 『迷わず』のオピカ

 

鳥神の加護を持つ山羊人族。

 

方角がわかるため、地下通路作りの重要人物。

 

しかし加護のせいで鳥目。

 

故郷の両親に手紙を送り続け、今度トルキイバで会う計画を立てているらしい。

 

 

・ ジーリン

 

地下の現場監督の一人、牛人族。

 

姉御肌で現場の信頼も厚い。

 

ボインボイン。

 

土木作業の腕は確かで、プール建設に尽力した。

 

魚が好き。

 

 

・ ラーゲ

 

地下のバイトをよくする一般奴隷。

 

犬神の加護を持つため鼻がよく効き、穴を掘るのも上手い。

 

一方加護のせいで目があまりよくない。

 

足が悪かった。

 

趣味は食べ歩き。

 

鼻がよく効くはずだが、勝率は五分五分。

 

揚げ麺が好きで、色々な食べ方を試行錯誤している。

 

 

・ マモイ

 

雑貨屋を任されている技能奴隷。

 

木工が得意。

 

夜は明るくて快適な地下通路に入り浸り。

 

プールで遊ぶための遊具を作ったことで有名になり、仲間から仕事を頼まれ残業が減らない。

 

 

・ ナバ

 

雑貨屋を任されている技能奴隷。

 

絵が得意。

 

夜は美容のために長く寝ている。

 

 

・ ストーロ

 

噂好きの一般奴隷。

 

喋る内容の8割が噂話ともっぱらの噂である。

 

 

・モイモ

 

超器用貧乏で名を馳せた兎人族の女。

 

前から狙っていた音楽隊に入れたはいいが、何でもできるので人が抜けたりすると臨時にパート変更を頼まれる事が多い。

 

顔が広く知り合いが多い。

 

何でもできすぎて、隙がなくモテない

 

 

・ジレン

 

シェンカー一家の管理職候補の一人。

 

長身の人族で、少し間の悪いところがある。

 

 

・ムハラ

 

シェンカー音楽隊に所属している。

 

狐人族の大太鼓叩き。

 

 

・アルプ

 

シェンカー音楽隊に所属している。

 

小太鼓叩きで、緊張しい。

 

 

・レオナ

 

シェンカー音楽隊に所属している。

 

冷静沈着な人族の指揮者。

 

昔王都のサロンで小間使いをやっていたため、貴族への対応に詳しい。

 

喧嘩が強い。

 

 

・シーナ

 

シェンカー音楽隊に所属していた。

 

お調子者の犬人族で笛吹き。

 

現在は結婚して妊娠もしていて、夫とともにシェンカー一家の屋台で働いている。

 

 

・ルビカ

 

狼の神の加護を持つ狼人族。

 

オピカと一緒にトルキイバへやって来た。

 

冒険者をやっていたが、敵を探知できる加護を買われて警備隊のトップに据えられた。

 

クソ真面目。

 

 

・カメブ

 

ジーリンの率いる土木工事班の班員。

 

サイズは並だが、爆乳のジーリンの近くにいるので貧乳に見られるのが悩み。

 

 

・ガマリ

 

魚管理班の一人、魚人族のお姉さん。

 

人と話すのが少し苦手で、前髪は目を隠すように長く伸ばしている。

 

褐色の肌に銀髪銀鱗が似合っていると褒められることもあるが、褒められたあとは恥ずかしくて上手く歩けなくなる。

 

たまに調子をこいては後悔しての繰り返し。

 

仕事上での周りからの信頼は厚い。

 

 

・イスカ

 

珍しい虎型の猫人族。

 

シェンカー一家の管理職候補の一人。

 

感情が無意識にしっぽに出てしまう。

 

ガタイが良くてかっこいい見た目の割に、荒事が苦手で気が弱い。

 

かなりモテるが、自分がモテていることにいまいち気づいていない。

 

元花市場の売り子。

 

 

・『韋駄天』のカクラ

 

郵便部の金髪モコモコ猫人族。

 

圧倒的に足が速い。

 

サワディの2歳年上だが、年の割に仕草が幼いと言われている。

 

 

・ヤシモ

 

食い意地のはった山羊人族。

 

食う割に痩せていて、周りから心配されている。

 

単に太りにくいだけ。

 

そこそこ口が回る。

 

 

 

・ヨシナ

 

郵便部で、『韋駄天』のカクラの所属する班の班長。

 

犬人族、非常に大雑把。

 

大食らいで、お肉が好き。

 

 

・ポート

 

郵便部、ヨシナ班の一人。

 

おしとやかな見た目の人族で、喋りも丁寧だが少し腹黒いところもあるとの噂。

 

噂では三人の男を弄んでいるとかいないとか。

 

あくまで噂である。

 

 

・ラフィ

 

小さな犬人族の剣士。

 

巨獣である暴れ鳥竜をほぼ単独で狩ったことがある。

 

 

・プーラ

 

マジカル・シェンカー・グループ本部の近くで、身内向けの小料理屋をやっている狼人族。

 

料理も上手だが、客あしらいはもっと上手。

 

得意料理はグラタン。

 

 

・『同じ顔』のソルメトラ

 

マジカル・シェンカー・グループ本部の食堂に勤務する人族の女。

 

自分と同じ顔の女を尋ねて回る謎の美女として、良くも悪くも有名だった。

 

非常に顔が広く、上司であるチキンから探偵のような事を頼まれる事もある。

 

最近笑うようになった。

 

 

・『画聖』ハミデル

 

自称画壇の華のおじさん。

 

どこの画壇の話なのか、真実を知るものはトルキイバにはいない。

 

 

・『百色』のカバヤン

 

多彩な色使いに自信があるが、色使いにこだわりすぎて採算が取れず借金ができたおじさん。

 

 

・『雷描』のプスタン

 

雷のように素早く描くことで有名。

 

人の話を聞かない事でも有名なおじさん。

 

 

 

[魔法使い]

 

・ フランク・マリノ教授

 

造魔学研究室の教授。

 

長く研究室をやっているため色々とコネがあり、平民にも理解が深い。

 

陸軍寄りの立場。

 

 

・ クリス・ホールデン

 

金髪の理系女子、男爵令嬢。

 

政治はにがて。

 

王都で出世したいと思っていたら王都に行けたラッキーな人。

 

 

・ エルファ

 

主人公と同い年の再生魔法使い、伯爵令嬢。

 

金髪縦ロール。

 

貴族としての使命に燃えている。

 

婚約者がいる。

 

 

・ 深窓の令嬢

 

ザルクド流剣術の家の娘。

 

結婚相手を剣で見極めようとしており、主人公に切りかかってくる。

 

ザルクド流は海軍派。

 

 

・ 『海歩き』のエストマ翁

 

海を割って海底ダンジョンの氾濫を食い止めた陸軍の英雄。

 

しかしシーレーン防衛で海軍そっちのけで功績を上げてしまったので、トルキイバにいる。

 

教職も長く、よくわかっているタイプの人。

 

 

・ 『芝居狂い』のジニ

 

サワディの友人、家具職人の3男の平民魔法使い。

 

芝居狂いで物見高い。

 

気安い態度だが婚約者には会わせてくれない。

 

15歳で卒業後、実家の手伝いをやっている。

 

嫁さんには会わせてくれない。

 

 

・ 『芝居狂い』のエラ

 

サワディの友人、何かで功績があった1代貴族の孫。

 

貴種とは認められていない、平民魔法使い。

 

芝居狂いで物見高い。

 

生真面目な態度だが婚約者には会わせてくれない。

 

15歳で卒業後、役所に就職。

 

現在応援で行かされた隣町のルエフマで留め置きを食らっている。

 

愛妻家。

 

 

・ ローラ・スレイラ

 

王都からサワディの婚約者に送り込まれてきた凄腕元陸軍少佐。

 

サワディの8歳年上

 

魔臓をなくしたため家から出され、独立させられた。

 

金髪イケ女だが目元は柔らかい。

 

愛が重い女。

 

年下好き。

 

好きなもの、夫が作ってくれた自分の名前のお酒。

 

ちょっと愛が重い。

 

ただいま第一子を妊娠中。

 

夫と話したことを逐一日記帳に書き留めている。

 

愛が重い。

 

 

・ 『星屑』のアルセリカ・テジオン

 

トルキイバ騎士団の一人。

 

テジオン男爵家の長女。

 

24歳、婚活中。

 

脳筋なので得意技は白翼竜に乗っての科学忍法火の鳥。

 

騎士団の中で一番速いので一番認知度が高い。

 

 

・ 『熱線』のクシス・タトレノ

 

トルキイバ騎士団の一人。

 

タトレノ子爵家の4男、既婚者。

 

赤鱗竜に乗る。

 

 

・ クオリス卿

 

陸軍のステータス魔法使い。

 

おじさん。

 

 

・ ナサーフ

 

主人公の25歳年上の陸軍元中尉。

 

魔臓をなくし老化していたが主人公により治癒。

 

ハゲていた。

 

 

・ゴスシン

 

元軍人。

 

魔臓をなくし老化していたが主人公により治癒。

 

息子が士官学校にいる。

 

 

・ラスプ元大将

 

センチュリオ元帥の名代としてサワディの結婚式に登場。

 

勲章を授与してさっさと帰っていった。

 

 

・エイハ・レジアス

 

ローラ・スレイラの盟友で、飛行船の乗組員。

 

電撃魔法を使う強者。

 

骨の髄まで軍人。

 

ローラと同い年ながら未婚。

 

 

・スリヤワ元陸軍少将

 

サワディに孫の誕生日用の曲を依頼したお偉いさん。

 

王都に住む。

 

基本的に貴族しか乗れない魔導列車の席を、奴隷の音楽隊全員分たやすく用意できるパワーを持つ。

 

 

[その他登場人物]

 

・ ミオン

 

ローラ・スレイラの侍女。

 

老婆だが、その分人生経験豊富で頼もしい。

 

非常に動物好きで、小飛竜トルフの世話を焼きたがる。

 

 

・ ペルセウス

 

奴隷商。

 

サワディの祖父に世話になっていたらしい。

 

なにかとサワディに甘く、誕生日などには付け届けを忘れない。

 

 

・町会長

 

シェンカー家がある、中町の町会長。

 

数々の逸話を持つ壮年の人族で、シェンカーの三兄弟も昔から世話になっている。

 

サワディの甥や姪達も、現在進行系で世話になっている。

 

シェンカー家には珍しく、貴族以外で全面的に頭の上がらない人物。

 

 

・ナシタ

 

厄介な借金取りから逃げ、妹のロザミーと共にトルキイバへと逃れてきた。

 

奴隷だらけの街に面食らっていたが、今では飯の美味さと治安の良さに大満足。

 

気になる人が最近幸せそうで、ちょっと傷心中。

 

 

・ロザミー

 

いきなり連れてこられた知らない街で退屈していた。

 

最近は兄の会社でお仕事(・・・)を任され、毎日洗濯やお茶くみの手伝いに忙しい。

 

子どもたちの間で話題の「紫の馬を見ると幸せになれる」という噂が気になっている。

 



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第61話 醤油やん 醤油ですやん 醤油やん

カレー


薄く積もった白い雪の中を大地に長く長く線を引くようにして、いっそ笑えるほど長大な真紅の列車がここトルキイバの駅へと向かってくる。

 

つい先々月から運用試験が始まった大陸間横断鉄道(グランド・フランク・レイルロード)、その初期ロットも初期ロット、第一号車両となる『大鯨号(おおくじらごう)』だ。

 

今日その列車がやってくるという情報が、一体どこから漏れたのかは知らないが……

 

物見高いトルキイバの民は朝から酒や食料を持って高台に集まり、どんちゃん騒ぎをしながらこの瞬間を待ち構えていた。

 

 

「長いなぁーっ!ありゃ一体どこまであんだ!一番後ろが見えねぇぞ!」

 

「何乗っけてんだろうな」

 

「これまであんな長い列車はなかっただろ、やっぱりシェンカーんとこの三男坊が作ったっていう新型だよ!」

 

「陸軍から勲章貰ったって言うけど本当かな?」

 

「嘘だよ嘘、あんな芝居狂いのボンボンが……」

 

「バカ!もしシェンカー一家に聞かれたらどうすんだよ!」

 

「おっと、そいつぁいけねぇ……」

 

 

あんたら声がデカいから全部聞こえてんだよ。

 

ムッとした顔で拳を固める鱗人族のメンチの背中をポンポン叩いてなだめながら、俺と数名の護衛は人の波をかき分けながら駅へと向かう。

 

俺は今日あの列車でやってくる人に用事があったのだ。

 

駅では軍人達が立哨していたが、俺の左胸についた勲章を見ると敬礼をして通してくれる。

 

さすがに護衛達は入れず駅の外で待機だが、やっぱり権威のパワーって凄いわ。

 

普通の平民魔法使いだった頃は、列車に乗らずに駅に入るだけでも三つも四つも手続きがあったからな。

 

便利だ、権威……

 

これからも必要に応じて、胸に勲章ぶら下げて歩くことにしよう。

 

そして今日こうして迎えに来た相手も、実はそんな権威のパワーで招聘した人物だったのだ。

 

 

 

「トルキイバ魔導学園造魔研究室のサワディ・スレイラです、ターセル魔導技師殿はいらっしゃいますか?」

 

「少々お待ち下さい」

 

 

サロンのようになっている駅の待合室で、案内人に要件を告げてしばし待つ。

 

中は貴族や貴婦人でいっぱいで、ヘビースモーカーが多いのか煙草の煙で視界が真っ白だ。

 

換気が間に合ってないのか、換気担当がサボっているのか、ファン型の無限造魔を売り込んだら売れないかな?

 

そんな事を考えていると、奥から髭を生やしてツナギを着たノッポのおじさんがひょこひょこと歩いてきた。

 

 

「あんたが噂の天才か、ずいぶん若いんだな。魔具職人のターセル・ランザだ」

 

「はじめまして、サワディ・スレイラです。天才ではありませんが、今日はご案内をさせて頂く事になりました」

 

 

そう、俺が遠く山岳地帯の工業都市から招聘したのは、魔具職人だった。

 

喫緊の課題である超大型造魔の制御に関して造魔学だけで対処するのは困難と判断して、魔具の力を借りることにしたのだ。

 

 

「へっ、勲章ぶら下げて何言ってやがる、あの列車もあんたが作ったんだろ」

 

「あれは基礎理論を作っただけですよ」

 

「それが一番大変なのは誰だって知ってらぁ、地元のサナルディじゃあんたの名前は有名だったぜ。俺らの作る魔具の地位を脅かす脅威としてな」

 

「それじゃあ、あなたも造魔研究に隔意を持っているってことですか?」

 

「それなら死んだってこんな田舎に来ねぇよ、俺はな、動くものが好きなんだよ。魔導列車も好きだし、魔導馬車も好きだ、もちろん無限動力だって好きなのさ」

 

 

ターセル氏は親しげに俺の肩を叩き、積み荷の交換を行っている真紅の大鯨号を親指で差した。

 

 

「はぁ……」

 

「実は俺は大鯨号(あれ)の牽引加速車の制作に関わっててな。あんたの作った『始祖鯨(オリジン)』を研究のためにバラす所にも立ち会った。二万八千の無限造魔が一本の軸を回すためだけに絡み合ったあの構造、素直に天才の技だと思った」

 

「へぇ」

 

「だから来たんだ」

 

 

よくわからんが、褒められてるならまあいいか。

 

でも、一つだけ気になる。

 

 

「一ついいですか?」

 

「なんだ?」

 

「なんで大陸間横断鉄道は、鯨って名前になったんですか?」

 

「知らんのか?無限造魔の集合動力は、高回転時に鯨の鳴き声のような音が鳴るんだよ」

 

「そうなんですか」

 

 

サロンを出た彼は目を輝かせながら大鯨号の機関車に向かって小走りで近づいて行き、マニアックな話を延々としてくれた。

 

 

「いいか、この機関車は一両につき、人の腕ほどもある3号無限造魔を六千体も搭載しているんだ」

 

「はぁ」

 

「あんたの作った始祖鯨は、化け物みたいな精度で作られた造魔を自然吸魔で同調させてたけどよ。これの動力はもっと凡人向けにデチューンされてるんだ。自然吸魔を廃して上限付きの給魔機を使って同調を取ってる」

 

「なるほど」

 

「もちろんそれでは無限造魔の力を最大限に引き出せてるわけじゃない、だから機関車が十二両もある」

 

「へー」

 

 

マジで長い、マシンガントークが途切れない。

 

俺はほんとにもうプロトタイプを作った時点で、無限動力列車にはあんま興味ないんだけどな。

 

そうして俺も最初は若干うんざりしながら、目をキラキラせた彼の話に空返事をしていたのだが……

 

意外や意外、ターセル氏は想像以上に話が上手く、途中からは俺もなんだかんだとのめり込んでしまう。

 

特に俺の専門分野とも被る無限造魔と魔具のあわせ技制御の話なんか面白くて、往来で歩みを止めてまで話し込んでしまった。

 

聞けばターセル氏は地元では魔具学の講師として教鞭を執っていたらしい、トルキイバなんかに来ちゃって本当にいいんだろうか?

 

 

「へぇー、じゃあ魔素の供給を絞るってのは普通の技術なんですね」

 

「当たり前だろ、じゃないと火付けの魔導具使った時に爆発しちゃうだろ」

 

「逆に魔素を過給したりとかは?」

 

「えっ、魔素を多く流すって事か?それは考えた事なかったなぁ」

 

 

なんだかんだ言っても、自分の専門の近接分野の人との話は面白い。

 

完全に会話にハマり込んでしまった俺達は、馬車や人力車にも乗らずに学校に向けてひたすら歩き続けていた。

 

 

「むっ、サワディ、ありゃなんだ?」

 

「ああ、あれは喫茶店ですよ」

 

 

ターセル氏が指差したのは、俺の経営してるアストロバックスという喫茶店のオープン席だった。

 

素っ頓狂な格好した若者たちが青春しながらお茶を飲んでるから物珍しかったのかな。

 

 

「喫茶店か、ちょうどいいや、喉が渇いてたんだ」

 

「あそこは平民用の店ですよ?」

 

「なにぃ?平民と貴族で店が分かれてるのか?変な街だな。サナルディじゃそんなのないぞ」

 

「サナルディは開明的と聞いていましたが、本当だったようですね。ま、ま、トルキイバでもあの店なら平気なんです、入りましょう」

 

 

護衛に言って席を用意させた俺達は、店の奥の席に陣取った。

 

俺は店に入る前に上着を脱ぎ、ターセル氏は最初からツナギだからな、混乱は起こりにくいだろう。

 

 

「この店は平気って、知り合いの店なのか?」

 

「ここ、僕の店なんですよ」

 

「なにっ!?平民相手に商売してるのか?」

 

「ええ、まぁ。周りからはあまりいい顔はされませんが……」

 

「いい顔っていうか、そんなもん儲かるのか?」

 

「まずまずですかね」

 

 

彼は自分で聞いておきながらあまり興味がなさそうにふぅんと頷き、メニューを広げた。

 

 

「何でも頼んでください」

 

「といっても土地が変わると何が何やら……おっ!これ、もしかしてお湯飯じゃないか?」

 

 

ターセル氏が指差したのは、ミートソーススパゲッティだった。

 

 

「お湯飯ってなんですか?」

 

「トルキイバの名物じゃないのか?固まった茶色いやつにお湯をかけると食事になるんだが……こう、ふやけた感じで、味付きの糸みたいなのが出てくるんだ」

 

「ああ、揚げ麺の事ですか」

 

 

お湯かけて食うからお湯飯なのか。

 

なんか商品名をつけて流通させればよかったな。

 

 

「こっちじゃそんな風に言うのか?新しい物好きの教授が買ってきてな、食べにくいけど意外と美味かったぞ」

 

「揚げ麺はこの料理を油で揚げて保存食にしたものなんですよ」

 

「なんだ、そうなのか!じゃあ俺はこれ、あとエールと……」

 

「このドーナツなんかはお菓子として人気ありますよ」

 

「じゃ、それ」

 

「僕も同じので」

 

 

机の隣に控えていたウェイトレスの子が、注文を復唱してから厨房へと戻っていった。

 

かわいそうに、緊張してたな。

 

 

「メンチ、皆にもなにか食べさせておいて」

 

 

俺がそう言うと、周りに陣取った護衛の集団もいそいそとメニューを開き始める。

 

ま、ここはうちの拠点だからな。

 

いざとなったら店の全員が俺とターセル氏を守る盾になる、多少ゆっくりするぐらいはいいだろう。

 

 

「で、だな!さっきの魔素過給器についてなんだが、魔素を濃縮するのか負圧をかけるのか……」

 

 

結局彼はその後しばらく根を張ったように動かなくなり、話しながらスパゲッティを食べ、エールを飲み、ドーナツを食べ、コーヒーを飲んでまたドーナツを食べ……

 

一応たびたび人をやって連絡を入れていたとはいえ、学園にたどり着いた頃にはもうすっかり夜。

 

俺とターセル氏は並んで座らされ、マリノ教授からありがたーい説教をたっぷりと頂いたのだった。

 

ちなみに俺は家でもむくれたローラさんに帰りが遅いことをなじられ、散々な一日になった。

 

ま、研究協力者が仲良くやっていけそうな相手で良かったということにしよう。

 

 

 

 

 

うちの親父、先日結婚した下の兄貴とその嫁さん、そして上の兄貴とその第一夫人を招待して、シェンカー音楽隊によるワルキューレの騎行の最終リハーサルが行われた。

 

場所はもちろん我らがフリースペース、劇場建設予定地だ。

 

 

「うー、寒いな」

 

「だからもっと着てきなさいって言ったでしょ」

 

 

胸元の開いた服でガタガタ震えている上の兄貴のジェルスタンに、その嫁である番頭の娘が自分のマフラーを巻いてやっている。

 

ほんとは下の兄貴の結婚祝いということで上の兄貴は呼ばないつもりだったんだが、家の前で寝転んでダダをこねられたからしょうがなく連れてきたのだ。

 

甥っ子たちも真似をして転がろうとして義姉さんにしばかれていたが、まあ親父が駄目でも子供は育つしな。

 

そんなダメ親父な兄貴の、さらに上の親父は、ローラさんにビビってか無言を貫いている。

 

こっちもどうにかならんかなぁ。

 

 

「お前そんな薄着で寒くないのかよ?」

 

「だからこれはうちの地元の服で、内側に毛皮が入ってて温かいんだって」

 

「マジ?おっ、温かい……」

 

「アンタ、人前でそんなとこに手入れないでよ」

 

 

寒い中を下の兄貴のシシリキとその嫁さんがイチャついているところに、久々に外出して機嫌の良いローラさんが興味深そうに話しかけた。

 

 

「失礼、その上着から見るに……義姉上殿は北のご出身かな?」

 

「えっ……?あっ……はっ……そう……そうです!」

 

 

突然元軍人の貴族からそんな事を尋ねられた義姉さんは、めちゃくちビビりながらもしどろもどろに返事を返した。

 

 

「スレイラ領のデオヤイカかな?それともツグマナロ?タラババラ?」

 

「あ、その、タラババラ、です……っていうかスレイラ?もしかして弟さんのお嫁さんって!?」

 

「ああ、スレイラ家の長女だ、以前はね」

 

「ひ、ひぇ~!失礼しましたっ!」

 

「よせよせ」

 

 

いきなり跪いて両手を上げる正式礼をしだした義姉さんに俺と下の兄貴はびっくりだが、同郷のジモティにしかわからないこともあるのかな?

 

ここいらで言うと、トルキイバ領主のスノア一族が気づいたら身内にいた感じか。

 

それなら俺も狼狽するかも、実際は結婚式で一回会ってるんだけどね。

 

 

「な~、お前の嫁さんってそんな大物だったの?」

 

「らしいね、地元が遠すぎてピンと来ないけど」

 

「ふーん。あ、そういや嫁さんが引き出物渡したいって言ってたから後で持ってくわ」

 

「へぇ、引き出物、ありがとう」

 

 

ローラさんとぎこちなく話す義姉さんはなんだか泣きそうになっているが、兄貴は気づかない。

 

俺はローラさんを「もうすぐ始まるよ」と強引に抱き寄せ、ちょうど鳴り始めた音楽に耳を傾ける。

 

久々の晴天の中を下の兄貴夫婦のため特別に演奏されたワルキューレの騎行は空に高々と鳴り響き、真っ青な顔色をしていた義姉も、次第に笑顔になっていったようだった。

 

義姉(ねえ)さん、これからも兄貴のこと、よろしく頼みます。

 

 

 

そして数日後、兄貴が引き出物として持ってきたツボの中身をひと舐めして、俺は腰が抜けるほどの衝撃を受けていた。

 

 

「なんかこれ嫁さんの実家の方の特産品なんだって、炒め物に入れると香ばしくて美味い」

 

「ちょ、いや、これ、マジで?」

 

「なんだよ~」

 

「いや、これ食べて何とも思わないの?」

 

「なにが?」

 

 

その時は混乱していて気づかなかったが、トルキイバ生まれの兄貴が何とも思うわけがなかった。

 

俺だって、直接思い入れがあるのは前世の自分だけだったのだから。

 

そっけないツボに入れられた、黒々としたその調味料は……

 

まごうことなき醤油だったのだ。

 




スシロー行きたくて泣いてます


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第62話 放浪者 骨身に染みる 人の影

なた豆


下の兄貴と護衛と一緒に、俺は醤油の壺を持ったまま、雪ふる街を疾走した。

 

この壺の正体を知る義姉さんに会うために、息を切らせて遮二無二走った。

 

明日まで待ってなんかいられない。

 

十六年ぶりの故郷の味が、俺の背中を強く強く押していた。

 

南町に少し入ったところにある、こじんまりした家が兄貴達の新居だ。

 

結婚する前後ぐらいから、ちょくちょく実家の商会の手伝いをするようになったって聞いてたけど……

 

だだ甘の親父の事とはいえ、兄貴もそんなに沢山給料は貰ってないだろうしな。

 

『いらっしゃい』と書かれたプレートのかかった玄関をくぐり、兄貴の背中を押しながら義姉さんの元へと急ぐ。

 

 

「ただいま〜」

 

「おかえり〜、ちゃんと渡してきたの〜?」

 

「あー、一応」

 

「一応って何よ、色々とお世話になってるんだからちゃんとしろっつーの」

 

「わかってるよ、そんでさぁ、そのサワディがさぁ」

 

「んー?何?」

 

 

暖かな夫婦の会話を交わしながら、トントンと野菜を切る義姉さん。

 

そんな静かで心温まる新婚家庭の団欒に、水をぶっかける者がいた。

 

俺だ。

 

 

「お邪魔してますリナリナ義姉さん!これのことなんですけど!」

 

「えっ!?何……!?サワディ君!?なんで!?」

 

 

カラーンと金物の転がる音がした。

 

血走った目で壺を抱えた俺に、義姉さんは驚きのあまり包丁を取り落してへたり込んでしまったようだった。

 

申し訳ないけどそれどころじゃない、俺は兄貴と一緒に姉さんを立たせて、醤油の壺を掲げて聞いた。

 

 

「これっ!これもっと欲しいんですけどっ!どこで手に入れるんですか?」

 

「え、あの……せーゆのこと?故郷の行商人の人がたまに持ってきてくれて……」

 

「それはいつ来ますか?」

 

「先月来たから、次は一年後ぐらい……?」

 

 

その言葉に、膝から力が抜けていく。

 

危うく壺を取り落しそうになったが、護衛の猫人族が俺の手から素早くすくい上げてくれた。

 

危ないところだ、貴重品だからな。

 

なんとか気を取り戻した俺が彼女に小さく頷くと、彼女はぐっと親指を立てて返した。

 

なんだそれ。

 

どこで覚えたの?

 

 

「商隊を出します!リナリナ義姉さんの故郷のお店を紹介してください!」

 

 

取り寄せられないなら取りに行くまでだ!

 

人なら沢山いるんだ、信用できる面子に商隊を率いさせればいい。

 

 

「あ、いや……遠いよ?」

 

「かまいません!どこへでも送り込みますから!」

 

 

リナリナ義姉さんは「まあそれなら……」と言いながら、箪笥から小さな木の箱のような物を取り出した。

 

 

「これ、家の家紋なんだけど、これを見せたら親戚の蔵が融通してくれると思う。うちの一族はタラババラの西のはじに固まって住んでるから」

 

 

手渡されたそれは、手のひらサイズの石鹸箱みたいな木の箱で、縦に紐が通してあって、表面には家紋の彫り物が……

 

心臓の鼓動がズレた。

 

俺は時代劇でそれを見たことがあった。

 

日本の、前世の時代劇でだ。

 

それはこの世界にあるはずのないもの。

 

家紋入りの印籠だった。

 

 

「あのっ!これ……この入れ物は……?」

 

「あ、よく入れ物ってわかったね。これ中に塩とか薬とか入れるものなの。あたしは万が一のための銀貨を入れてたんだけど……こっち来て使っちゃったから」

 

 

義姉さんは頭をポリポリかきながら「ま、田舎の工芸品だよ」と笑う。

 

そういう問題じゃない。

 

俺にとって、この印籠はある意味醤油よりも衝撃的なものだった。

 

 

「こ、これ……これを作ってるのって、どういう人達なんですか?」

 

「え?うちの地元の一族ってこと?」

 

「そうです、どうもクラウニア以外にルーツがあるような気がするんですけど」

 

 

違うよな?

 

クラウニア以外とか、そういうレベルじゃないよな?

 

もっと遠くの、歩いて帰ることもできない場所だよな?

 

そうだよな、そうであってくれ。

 

俺だけじゃないって言ってくれ。

 

放浪者は俺だけじゃないって!

 

この世界に、俺だけが置き去りにされたわけじゃないって!

 

そう言ってくれ!

 

 

「や、クラウニアはクラウニアなんだけどね。棒海(ぼうかい)の向こう側から二百年前ぐらいに渡ってきたの」

 

「……じゃあ、独立戦争後の旧クラウニア側の人達ってことですか」

 

「そうそう、カンディンナヴァって土地に宗家があるんだって聞いたけど。あたしらは行ったこともないから、詳しいことはわからないなぁ……」

 

 

心臓がバクバクする。

 

唐突に故郷の物に触れた寂しさに、胸が引き裂かれそうになってしまう。

 

でも今は、今は義姉さんの故郷の情報が少しでも欲しい。

 

あの日本に繋がっているかもしれない蜘蛛の糸に、なんとかしてしがみつきたい。

 

涙よ、今だけは出てくるな。

 

暴れ出しそうな心よ、止まってくれ。

 

顔が引きつりそうになるのを、太腿を抓って無理矢理抑え、震える口で言葉を紡いだ。

 

 

「い……いえ。ありがとう、ございます。ちなみに……なんですけど、ご宗家の方の、お名前などは……?」

 

「ああ、そういえばあっちにその宗家の名前を継いでる、リューゾージっておじいちゃんが……」

 

龍造寺(リューゾージ)!……ですね」

 

 

思わず大きな声が出てしまい、義姉さんをどぎまぎさせてしまった。

 

駄目だ、今だけは冷静にならなきゃ駄目なんだ。

 

 

「大丈夫?」

 

「いえ……大丈夫、です」

 

「それでね、そのおじいちゃんがまとめ役だから、その家紋のやつをおじいちゃんに見せてね」

 

「……わかりました。ありがとうございます。それで、カンディンナヴァのご宗家に関して……何か他にご存じないですか?」

 

 

義姉さんはうーんと天井を見ながらひとしきり唸って、鼻の下をかきながら少しだけ話してくれた。

 

 

「歴史はあるんだろうけど……あんまり昔の事は知らないの。せーゆも宗家の初代様が作ったとか、昔は領地持ちだったってぐらいしか……ごめんね?」

 

「いえ、十分です……」

 

 

俺はメモ帳に、ミミズののたくったような日本語(・・・)龍造寺(リューゾージ)肝心灘(カンディンナヴァ)と書き記す。

 

もう、疑惑は確信に変わっていた。

 

いたんだ。

 

俺だけじゃない、この世界には日本からの転生者か転移者が確実にいたんだ。

 

一つ、心から大きな重荷が取れたような、ずっと抱えてきた寂寥感が薄まったような、そんな気がした。

 

兄貴が「泊まってけよ〜、雑魚寝だけど」と言うのを固く辞して、薄く雪のつもりはじめた道を歩き出す。

 

最近設置されだした、無限造魔街灯のオレンジの光が淡く足元を照らしていた。

 

横っ風が吹いて、顔に細かな雪がぴしゃぴしゃ当たる。

 

今はもう、それを拭う気にもなれなかった。

 

拭ったって意味がないぐらい、とめどなく涙が溢れていたからだ。

 

俺だけじゃなかった。

 

俺一人じゃなかったんだ。

 

嬉しいような、切ないような、小さいひとり言が、風に巻かれて消えていった。




ちょっと間に合わなかったので、明日か明後日も一本投稿します。


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閑話 働き者通信

トルキイバ中町の壁新聞『働き者通信』秋の第四号

 

 

近頃この街はおかしくなっている。

 

昔の農夫はいつかもっと大きな畑を手に入れようとがむしゃらに働いたものだ。

 

だが今の若者はやれ綺麗な服だの美味い飯だの、流行りの店だの、ちゃらちゃらしてどうしようもない。

 

血を吐いてでも働く気概を無くし、ぬるま湯に浸かり、労働はシェンカーの奴隷達にでも任せてしまえとばかりに怠けて堕落している。

 

私は警告をする!

 

このままでは神の裁きがくだる!

 

麦は痩せ、人は病に冒され、隣人が隣人を打ち倒す末世がやって来ることになるだろう!

 

農夫達よ!目を覚まして立ち上がれ!

 

今一度贅沢を捨て!

 

神に祈り!

 

父祖や子らに恥じることのないよう、真剣に生きるのだ!

 

 

提供『神聖救貧院』

 

 

この号に書かれたいたずら書き

 

・その通り!

・救貧院に喜捨を!

・バカじゃないの?

・恋人募集中、西町のマッデン(19)

・おかしいのはお前の頭

 

 

 

トルキイバ中町の壁新聞『働き者通信』秋の第五号

 

 

近頃この街には少々彩りが足りぬようだ。

 

人々はゆとりを忘れ、遊び心を解さない。

 

時には花を愛で、恋人と愛を語らうような時間を持つべきである。

 

人は麦のみに生きるにあらず!

 

若者よ!愛を持て!

 

隣人を愛し、父母を愛し、恋人を愛せ!

 

腕一杯の花束を持って、愛する者の家の戸を叩け!

 

幸せは誰かが持ってきてくれるものではない!

 

君がその手で、誰かに送り届けるものなのだ!

 

 

提供『花屋ダムガード』

 

 

この号に書かれたいたずら書き

 

・万年独身オヤジがなんか言ってら

・ダムガードはいい花屋よ

・神聖救貧院に喜捨を!

・女の恋人募集中、西町のマッデン(19)

・母ちゃんに花渡したよ

 

 

 

トルキイバ中町の壁新聞『働き者通信』冬の第一号

 

 

近頃街が華やいでいる。

 

これはひとえに、シェンカー家の経営する華やかな喫茶店のおかげだ。

 

暗く冷たい街を明るく照らすランプのような、ほっとする暖かな店だ。

 

外の席では若人達が珈琲を片手に未来を語らい。

 

奥の席では老人達が子供たちを連れ、音楽と食事を楽しむ。

 

アストロバックスはこの街の縮図である。

 

若者には未来を!

 

老人には安寧を!

 

子どもたちには教養と食事を!

 

そこには全ての希望があり、幸せな時間がある!

 

若者よ!アストロバックスへ行け!

 

女神のように美しい店員と、美味なる料理の数々に癒やされ、明日への活力を養うのだ!

 

 

提供『アストロバックス』

 

 

この号に書かれたいたずら書き

 

・悪所に通うな!神聖救貧院に喜捨を!

・エラフは俺のもの

・↑殺すぞ

・こういうの書かれるとダサい奴がくるからやだな

・お前もダサいだろ

・年の近い女の恋人募集中、西町のマッデン(20)

・※卑猥な言葉※

・あんなとこ高くて行けねぇよ

・※卑猥な言葉※

 

 

 

トルキイバ中町の壁新聞『働き者通信』冬の第ニ号

 

 

世が乱れている!

 

借金奴隷が蔓延り!

 

その上前をはねて甘い蜜を吸おうとする、シェンカーのような悪魔も野放しになっている!

 

悪に裁きを下せるのは誰か!?

 

魔法使いが小悪人を裁かない今、頼れるのは神だけである!

 

神に祈りを!

 

そして神の実りであるパンにも祈りを!

 

人は麦のみに生きるわけではないが、生きることは食べていく事である。

 

北町のワァーブのパン屋のパンならば、きっと悪に打ち勝つ強い心を与えてくれるだろう!

 

そしてシェンカーにこれ以上哀れな奴隷たちを渡さないためにも、神聖救貧院に喜捨をせよ!

 

立ち上がれ若者よ!

 

未来は君たちの手の中だ!

 

 

提供『パン屋ワァーブ』

『神聖救貧院』

 

 

この号に書かれたいたずら書き

 

・風見鶏!反吐が出る!

・シェンカーにはみんな助けられてる

・シェンカーは悪!神聖救貧院に喜捨を!

・記事が雑だわ

・※卑猥な言葉※

・やべーんじゃないのこんなこと書いて

・おっさん終わったな

 

 

 

トルキイバ中町の壁新聞『働き者通信』冬の第三号

 

 

動物を愛でるのも悪くはない。

 

無垢な動物の愛は心を豊かにし、疲れを洗い流してくれる。

 

そんな経験を簡単にできるのが、大通りにあるシェンカー家のどうぶつ喫茶だ。

 

飲み物や軽食を頼んで席につくと、店内を放し飼いにされている動物達に触れることができる。

 

猫、犬、鳥、小さな馬やドラゴンまで。

 

触らずに見ているだけでも飽きさせない、愛らしい子ばかりだ。

 

珈琲を飲んでいた私の手に止まった鳥は青と黄色の羽で、子供の頃に飼っていたブーグー鳥を思い出した。

 

鳥はすぐに飛び立っていったが、いたずら好きのようで隣の女性の頭の上に乗っている。

 

チチチと鳴く声も美しく、私はしばらく鳥から目が離せなかった。

 

長毛の猫が膝に乗ったときは、毛がつくのではないかと少し気になったが、そんな思いは彼女の美しさの前には長く続かなかった。

 

琥珀のようなつぶらな瞳、芸術品のような毛並み、私の鼻先をくすぐる鍵しっぽ。

 

許されるならば、私は彼女をひそかにバッグに入れて持ち帰りたかった。

 

家に帰ってからズボンに毛を探したが、一本も見つからない。

 

せめて夢で逢える事を願い、ズボンを抱いて眠った。

 

若者よどうぶつ喫茶へ行け!

 

中年も行け!

 

老人もだ!

 

気分爽快!快眠快食間違いなしだ!

 

パンケーキも美味い!

 

 

提供『どうぶつ喫茶』

 

 

この号に書かれたいたずら書き

 

 

・悪所に行くな!神聖救貧院に喜捨を!

・ここ、うちの親父もこそこそ通ってる

・すげー行列できてるよな

・二号店も今みんなで作ってるよ

・猫でいいから一緒に住みたい、西町のマッデン(20)

・こないだシェンカーを悪く言ってたくせに

・だから風見鶏なんだよこの親父

 

 

 

トルキイバ中町の壁新聞『働き者通信』冬の第四号

 

 

どうぶつ喫茶で、個人的におすすめな子達を紹介する。

 

一位、猫のメリダ。

 

キツめの顔つきの長毛種ながらどこまでも愛らしい、手を出すと頭をこすりつけてくれる女神のような子だ。

 

あまりに大人気で、みんな抱いたら離したがらないのもわかる。

 

しかし私は彼女への負担が心配だ。

 

皆には深い自重を求めたい。

 

二位、犬のルイ。

 

投げられたおもちゃに全力で飛びつき、息を切らせて転げ回る彼は、一見馬鹿に見えてしまうかもしれない。

 

だが、それは我々人間が無くしてしまった愚直さなのではないだろうか?

 

動物から学ぶべきことは多いということを、彼の生き様は教えてくれる。

 

三位、馬のキアン

 

どことなく賢そうな顔をしているのに、ものすごく甘えん坊な栗毛の彼。

 

膝の上に蹄を乗せてつぶらな瞳で見つめられれば、誰だってすぐに彼の事が好きになってしまうだろう。

 

犬のようにパタパタ揺れるしっぽも可愛らしく愛らしい。

 

ちなみに彼は小さいが子馬ではなく、小さい種類の馬ということだ。

 

許されるならば、うちの庭へとお迎えしたいものだが、それは叶わぬ夢だろう。

 

トルキイバの民よ、やはりどうぶつ喫茶へ行け!

 

動物から学ぶべきことはあまりに多い!

 

彼らの無垢な心に触れ、己を見つめ直すのだ!

 

前号ではパンケーキが美味いと言ったが、最近提供されだしたプリンというのがますます美味い!

 

ぜひ食べてみてくれ!

 

神に感謝救貧院に喜捨を

 

 

提供『神聖救貧院』

 

 

この号に書かれたいたずら書き

 

 

・ちゃんと書け!救貧院に喜捨を!

・めちゃくちゃ行ってて笑う

・こないだオッサン見たぞ、小犬抱いてた

・この店行ったら隣に魔導学園の制服着たやつが座ってた!

・↑それ怖すぎ

・やばい店だな、行ってみたいけど

・魔法使いが怖くてどうぶつ喫茶に行けるか!

・動物触るぐらいで魔法使いに近づいてたら命がいくらあっても足りんわ

・プリンもいいけどお土産に買える飴がうまい

・猫飼いました、西町のマッデン(20)

 



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第63話 北風に 心引かれて 仰ぎ見る

スケルトンカラーのGショックを買おうと思って家を出たら、その日会った友達がたまたまつけてて買うのをやめました


最近、魔道具作りの手習いを始めた。

 

「造魔学と魔道具学の融合」とかぶち上げて魔道具の専門家を招聘したのはいいが、結局一人ぐらいはほどほどに両方できる人間が必要だとわかったからだ。

 

今のところお互いにどんな技術があって、何に使えるのかも不明なわけだからな。

 

専門知識が口伝な世界の学問ってのは本当に大変だ、インターネット百科事典のありがたみを異世界で知るとは思わなかったよ。

 

まあでも、俺も正直魔道具には興味があったんだけど、うちの学園には魔道具の研究者がいなくて諦めてたってところもあるんだよな。

 

実益のある仕事だ、一石二鳥だと思おう。

 

 

 

「ふぅーん、カンディンナヴァね。聞いたことはあるが、攻め込んだことはないな」

 

「そりゃ旧クラウニアとはまだ休戦協定の期間があるのに、ローラさんが攻め込んだことがあったら問題ですよ」

 

 

ローラさんは俺の作ったストーブの魔道具で溶かしていたロウを手紙にたらし、その上に封蝋印をそっと置く。

 

これは俺が頼んで書いてもらっているもので。

 

奴隷達の交易隊が各地で貴族や公僕に止められたときに、スレイラ家の名でもって身分を証明してくれるお守りだ。

 

正直北に日本人の手がかりが湧いて出た今、できる事ならば俺が直接現地へと向かいたいが……

 

残念ながら、俺は陸軍の首輪付きの立場なんだな。

 

非公式ではあるが王族の関わる仕事を持っている今、とてもトルキイバからは離れられない。

 

俺は故郷の事よりも、家族の事を選んだんだ。

 

後悔はしないだろう、多分な。

 

 

「ほら、主要な街の代官や貴族宛の手紙だ」

 

「ありがとうございます」

 

「なに、私が君をここに縛り付けているようなものなんだ、これぐらいはお安いご用さ」

 

 

ローラさんはなんとも言えない表情のまま、冷ました封蝋印を拭う。

 

俺はストーブにかけていた薬缶からポットにお湯を注ぎ、空になった彼女のカップをお茶で満たした。

 

 

「ローラさんが気にすることじゃありません。僕の個人的な感傷ですから」

 

 

その言葉を聞いたローラさんは、いつもハッキリした彼女としては本当に珍しい事に、口をむにむにと動かしてため息をつく。

 

そして窓の外に見える空の雲を見つめながら、低い声で言った。

 

 

「十五の男の個人的な感傷を通させてやれん自分が、どうにも恨めしいということだ」

 

 

彼女は胸ポケットを探り、煙草のないことを思い出したのか、苦々しい顔でお茶を飲み干した。

 

 

「ローラさん、僕は前に言いましたよね」

 

「む」

 

「前の世界に帰れたとしても、帰らないって」

 

「ああ」

 

 

ローラさんの手を取る。

 

冷たくなった手が、少し震えていた。

 

 

「僕が今生きている場所は、このトルキイバなんです。僕がいるべき場所は、家族のいる場所なんです」

 

「だが……」

 

 

彼女の気遣わしげな視線が胸に痛かった。

 

俺にだって、余計な心労をかけているという自覚はあった。

 

ローラさんは決して器用な方じゃない。

 

夥しい勲章の数に見合った、冷徹な人間兵器というわけでもない。

 

線引の内側に入った人間に対しては、むしろ計算ずくで物を考える事のできない人だ。

 

以前彼女は、自分は実家を勘当されたと言ったが、そんなはずがない。

 

魔臓をなくすほど戦った人間が身内にいることは、この国では誉れなのだ。

 

武門の家であるスレイラが、そんな彼女を追放する事なんかありえない。

 

たぶん、彼女は家族に、痩せて、老いて、枯れるように死んでいく自分を見せたくなかったんだろう。

 

家族の記憶の中の自分には、強く美しいままでいてほしかったんだろう。

 

だから、自ら家を去った。

 

それは彼女の高潔さでもあり、どうしようもない弱さでもある。

 

そんな、弱い彼女の目が言っていた。

 

「重荷になっているんじゃないか」と。

 

「私はここにいていいのか」と。

 

瑠璃色の瞳が、小さく震えていた。

 

俺は彼女の手の甲に、拝むようにして額をつける。

 

 

「ありがとう、でもそれはローラさんの気に病む事じゃないんです」

 

「…………」

 

「北に行かないのは僕が選んだことなんです、ローラさんのせいじゃないんです」

 

 

椅子から立って、うつむく彼女の頭を抱きかかえるようにして言った。

 

 

「ローラさんはお姉さんらしく、ドーンと構えててください。僕はどこにも行きませんから」

 

 

うん、と一声帰ってくる頃にはストーブの魔結晶は尽きていたが。

 

二人共、不思議と寒さは感じなかった。

 

 

 

 

 

来週出発予定のトルキイバ・タラババラ交易隊の結成で、少々問題になっていることがあった。

 

交易隊の代表や馬車を護衛する護衛団の選別で、冒険者組が自薦他薦の大騒ぎとなったのだ。

 

私が、ボクが、いやあたしが、お前は雑魚だから駄目だ、あいつが行くぐらいならあたしの方が、と大荒れで。

 

よし、なら腕っぷしで決めようじゃないかとなったのが昨日。

 

そして開けて翌日の今日、いつもの劇場建設予定地には、シェンカーの冒険者組がほとんど全員集結していた……

 

俺もたまたま今日は休みだったので、暇なローラさんと一緒に見物にやってきた。

 

ちなみに交易隊の代表は、揉め事もなくすぐに決まったんだけどね。

 

管理職候補のジレンだ。

 

彼女は今回の旅から帰ってきたら正式に管理職になるそうで、やる気も満々。

 

今もリングに使うために水を抜いたプールの真ん中で、拡声器を持って仕切りをやっている。

 

 

「いいわねーっ!?今日勝ち残った一人が護衛団の団長になる、あとの団員はその子が決める!」

 

「おーっ!」

 

「やれやれーっ!」

 

「ジレンも戦うのかーっ!?」

 

「そんなわけないでしょ!私を守る人を決めるんだってば!」

 

「どういうこと?」

 

「さあ?」

 

 

ジレンもまだまだ貫禄が足りないようで、周りの奴らにヤジられて進行が途切れている。

 

まだまだ不慣れな事だししょうがないか。

 

今日は身内だけだし、ゆっくり仕切りにも慣れてもらったらいい。

 

外は寒いが、俺とローラさんは俺が手習いで作った魔道ヒーターマットの上に座り、魔道温毛布をかけ、魔道ケトルでお湯を沸かしてお茶を飲んでるから快適だ。

 

 

「君、いつの間にかなんでも作れるようになったな」

 

「なんでもは無理ですよ、まだ温めるものだけです」

 

 

とはいえ便利は便利だ。

 

温度調節が出来ないから、熱くなってきたら外気で冷ましたりして調整しないといけないけどな。

 

 

「お前ら聞けーっ!」

 

「おーっ!ロースの姐さん!」

 

「いよっ!今日もトサカが立ってるねぇ!」

 

 

プールの中では、ジレンが赤毛の魚人族のロースに拡声器を奪われてしまっていた。

 

拡声器を取られたジレンは、しょんぼりしながら邪魔にならないところに移動してしゃがみこむ。

 

しょうがないな。

 

何事も経験だ、これからこれから。

 

 

「寒いから手っ取り早くやっちまおうじゃないか。自薦でも他薦でもいい、我こそは!こいつこそは!ってやつが居たらここに集まりな!」

 

「おおーっ!」

 

「あたしだーっ!」

 

「やるべーっ!」

 

「ほらマァム!行きなさいよ!」

 

 

ロースの前には続々と冒険者組が集まり、二十名ほどのエントリーがあったようだ。

 

もちろん初期メンバーのケンタウロスのピクルスと、鱗人族のメンチもいる。

 

鳥人族のボンゴは勝負を相棒のピクルスに託して応援に回るようで、なにか旗のようなものを懸命に振っていた。

 

 

「こんだけいりゃあ十分だろ。いいか!二人づつ戦って、勝ったほうが残る!残った奴らが戦って、また勝ったほうが残る!最後に残ったやつの勝ちだ!」

 

「賭けろ賭けろーっ!胴元はストーロまで!今のうちだよ今のうちだよーっ!」

 

「頑張れよーっ!ラフィーッ!」

 

「マァムーッ!あんたに賭けるからねーっ!」

 

 

プールのへりは応援者と博徒とで大盛りあがりだ。

 

冬はイベントが少なかったからなぁ。

 

もっと何か楽しみを考えてやるべきだったか。

 

 

「ジレン、しっかりやれよ」

 

「はい」

 

 

背中を丸めていたジレンも、ロースに拡声器を渡され、背中を叩かれて多少は気を取り戻したようだ。

 

 

「最初の二人は決まった?それ以外の人はプールから出て!」

 

「よっしゃあ!」

 

「楽勝だ!」

 

 

持ち手以外に綿入りの布を巻いた訓練用の竹槍を持って、鱗人族と狼人族がプールの中央に移動する。

 

そして構えることすらなく、急に打ち合いが始まった。

 

 

「始め!って言ってから始めてよぉ」

 

 

力ないジレンの声に、遅れて鳴った開始の銅鑼が重なった。

 

カッ!コッ!ボコッ!と戦いの音が響く中、俺とローラさんはパウンドケーキを食べ、お茶を飲む。

 

当人達には悪いが、意外と迫力があって見ている方は結構楽しい。

 

ローラさんも楽しんでいるようで、腕を振り上げて盛り上がっていた。

 

 

 

その後も試合は続き、何試合目かでついにマジカル・シェンカー・グループの長、鱗人族のメンチが舞台に上がった。

 

 

「メンチさーん!」

 

「頑張ってくださーい!」

 

 

周りからは声援が飛び、賭け札なんだろうか色付きの棒を握りしめた連中はかぶりつきで騒いでいる。

 

相手は羊人族のマァム。

 

槍の上手で、俺も一回演舞を見たことがあるが結構な迫力だったのを覚えている。

 

その彼女が槍を扇風機のように回しながらメンチと距離を取るが、メンチは意にも介さず近づいていく。

 

側頭部を狙った強烈な打撃を左手の鱗の生えた指先で反らし、弾き、叩く。

 

硬質な、チャリッ!チャリッ!という音がこっちまで聞こえてくる。

 

焦ったのか、マァムがメンチの足元に槍で払いをかける。

 

しかしメンチはそれを踏みつけ、槍を握っていない左手でモコモコのマァムの髪を掴んで地面に引き倒した。

 

あー、痛そう……

 

実力差があると槍を交えることすらないのかぁ。

 

 

「どうでした?」

 

 

隣で毛布の端をくしゃくしゃ揉んでいたローラさんに聞くと。

 

 

「鱗人族に打撃は効かんよ、槍に刃がついてないのが厳しかったな」

 

 

と、至極真面目なコメントが返ってきた。

 

このイベントもローラさんに解説してもらったほうが面白かったかもしれんな。

 

またこんなことやる機会があったら打診してみよう。

 

 

 

そしてまた可もなく不可もなくな数試合が過ぎ、どこかからひときわ大きな歓声が響いた。

 

ケンタウロスのピクルスの入場だ。

 

すり鉢状のプールをぐるぐる回るようにして底へと向かう姿は大迫力で、ちょっとだけ前世の競馬を思い出した。

 

相手は猫人族の小柄な剣士、ガブリッコ。

 

布を巻いた木剣を持った長い尻尾の彼女は勇猛果敢にピクルスに飛びかかり……

 

そのまま張り手で叩き落されて撃沈した。

 

さすがにこれは無理だ。

 

力も体重も違いすぎる。

 

 

「あれは真剣でも正面からでは話にならんな」

 

 

ローラさんもこう言ってるし、ガブリッコはトーナメント運が悪かったのかな。

 

せめてこちらに運ばれてきたら、念入りに再生魔法をかけてやろう……

 

 

 

魚人族のロースの試合は、金髪の猪人族の子が相手だった。

 

正統派に槍で打ち合いをやっていたかと思えば、いつの間にかロースが腕を絡め足を絡め、相手の後ろを奪って首を取りコブラツイストの体勢に持ち込んだ。

 

 

「あっ!いててててててててっ!なんだこりゃ!いてててて!」

 

 

猪人族の子の叫びがここまで聞こえてくる。

 

そういやコブラツイストに限らず、関節技とかプロレス技とか、昔色々と教えた気がするなぁ。

 

 

「あれ、君が教えたのかい?」

 

「多分ですけど、はい」

 

「異世界じゃ、ああいう組打ちが流行ってるわけだ」

 

「別にそういうわけじゃないんですけどね……」

 

 

結局猪人族はギブアップし、あっさりとロースの勝ちとなった。

 

意外とああいうプロレス技とかも、そもそもの存在を知らなきゃ普通に食らっちゃうのかもな。

 

 

 

あっという間にトーナメントは進み、準決勝になった。

 

 

「ピクルスさーん!勝ってくださーい!あたしの酒代のためにーっ!!」

 

「メンチさん!お願いしますよ!配当あったらバックしますから!」

 

「素寒貧で今月どーしよっか」

 

「休みの日にバイトするしかないんじゃない?」

 

 

博徒の群れも悲喜交交といった様子だが、どれだけ金がなくても飯と寝床には困らない環境だからか、負けても割とあっけらかんとしている。

 

準決勝はメンチ対ピクルスと、ロース対ラフィ。

 

ロースの相手のラフィは小柄な犬人族で、彼女がグラディウスを持つと大剣に見えると言われている有名人だ。

 

ここまで残ったことからもわかるが、実力は確かな事には間違いない。

 

 

「それでは!メンチ対ピクルス!始めっ!」

 

 

ぐわぁ〜んと銅鑼が鳴り、電光石火の速さで飛び出したメンチが竹槍をピクルスに突き出した。

 

しかし、槍の穂先はピクルスの腹に触れることはなかった。

 

彼女が手で槍を掴んで、完全に停止させていたからだ。

 

そのままピクルスが腕を振ると、槍を掴んでいたメンチは水平に十メートル以上もふっ飛ばされてゴロゴロと転がった。

 

皆が無言で見守るが、メンチは立ち上がってこない。

 

完全に失神しているようだった。

 

 

「勝者!ピクルス〜ッ!」

 

「お、おー……」

 

「すげーっす!ピクルスさん!」

 

「これ、決勝いるか?」

 

「しっ、聞こえちゃ悪いだろ」

 

 

ピクルスのあまりの圧勝っぷりに、ロースとラフィは顔を青くしていた。

 

ケンタウロスやべーって、やっぱ人間とは膂力が全く違うわ。

 

 

「やはりケンタウロスは強いね」

 

「まあ、はい」

 

「ま、ピクルスはその中でも特別製だと思うが」

 

「そうなんですか?」

 

「私もあそこまでの剛力は見たことがないよ」

 

 

ローラさんはいかにも楽しげにくすくすと笑う。

 

プールの底ではゆるふわな栗毛を風になびかせたピクルスが、みんなから褒められるのにペコペコ頭を下げていた。

 

 

 

二位決定戦、もといロースとラフィの試合は長丁場になった。

 

なんせ小型の犬人族ラフィは、長身の魚人族ロースの半分ぐらいの身長しかないのだ。

 

加えてめちゃくちゃすばしっこい。

 

ロースの方は槍も当たらなきゃ掴むこともできず、ラフィの方はロースの防御を抜けずに決定打がない。

 

木剣と竹槍の打ち合う音が十分も続き、ほとんどラフィのスタミナ切れを待つ形でロースの勝ちとなった。

 

結構いい試合だったんだろうけど、派手さがなくて俺はちょっと退屈だった。

 

普段魔法使いがドッカンドッカン派手な魔法を撃ちまくってるのを学校で見てるからかな?

 

まあ隣のローラさんは結構楽しんでたみたいだから、良しとしよう。

 

 

 

そして最終戦。

 

肩で息をするロースと、竹槍をバトンのように回しながら悠々と歩くピクルス。

 

 

「ピクルスさーん!お願いします!」

 

「ピクルス!ピクルス!」

 

「ロースの姐さん!…………頑張って!」

 

「死なないように祈ってます!」

 

「どうか手加減してあげてください!お願いします!」

 

 

会場の盛り上がりも最高潮。

 

ピクルス応援団ボンゴの旗を振る動きも最高潮だ。

 

みんなロースがやられると思っているようだが、勝負は水物、わからんじゃないか。

 

 

「それでは!最終戦!ピクルス対ロース!始め!」

 

 

勝負は一瞬だった。

 

銅鑼の音と共に低く駆けたロースが、ピクルスの前足を薙ぐように竹槍をふるったように見えた。

 

だが次の瞬間、ロースは空中にいた。

 

ピクルスは低い球をすくうバッターのスイングのように、突っ込んできたロースを竹槍でかち上げたのだ。

 

ロースの槍はへし折れ、咄嗟に防御したのであろう腕も、衝撃で鱗が粉々に砕け散っていた。

 

いくらなんでも強すぎるだろ。

 

 

「おおおおおお!ピクルスさーん!!」

 

「やったー!鎧買うぞー!」

 

「飲み行こ飲みー!!」

 

 

騒ぎまくる博徒をよそに、ロース班の冒険者達は白目を剥いたロースを抱えて必死にこちらへと走ってきていた。

 

俺は毛布から抜け出し、カップを置いてそちらへと向かう。

 

すっかり温かい環境になれた体に、冬の終わりの風は凍える寒さだ。

 

ず、とでかけた鼻水を吸い込み、ふと天を仰ぐ。

 

さっきまで照っていた太陽は地平線に沈みかけで、星がぽつぽつと出てきている。

 

ポーラスターはまだ見えず、ただ北から吹く風が、俺のコートの裾を強く強く引いていた。



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第64話 夜祭りは 邪神像の 足元で

約60話ぶりの鳥人族ボンゴちゃん回です。


トルキイバに雪が降らなくなってから数日が経つ。

 

もこもこふわふわして暖かかった私の冬羽とも、もうしばらくでお別れだ。

 

同じ部屋の子とお金を出しあって買った全身鏡を見て髪をとかし、晴れ着の腰に短剣を差す。

 

 

「ボンゴ、そろそろ行くよ」

 

「…………ん……」

 

 

今日の夜はお祭り。

 

私の相棒のケンタウロス、ピクルスのためのお祭りだ。

 

 

 

まだまだ木の匂いがする新築の宿舎を出ると、薄暗い魔導灯に照らされた街を色んな人が行き来している。

 

みんな楽しそうにおめかしして、シェンカー大通りに向かってるようだ。

 

ご主人が、冬はイベント?がないからみんな退屈してるだろうって言ってたけど、ほんとみたい。

 

だからといって勝手にお祭りをやっちゃうのはどうかと思うけど、ご主人も派手好きだからね。

 

 

「あー、あったかーい」

 

「…………む……」

 

 

同室の猫人族、ルッチが羽の中に手を入れてきた。

 

暖かいからと時々やられるんだけど、羽が乱れるからやめてほしい。

 

私はルッチの茶色い頭をぐしぐしとかき乱してやる、お返しだ。

 

ぐあーと言いながらも手は抜けない。

 

しょうがないな……もういいか。

 

ぴゅうと風が吹く。

 

北東向きの乾いたそれに誘われて空を見上げると、雲は僅かに横一線の月の瞼にかかっているだけ。

 

今日は朝まで雨も雪も降らなさそうだ。

 

周りを歩く街の人達と一緒に、ウキウキとした気持ちでマジカル・シェンカー・グループの本部に向かう。

 

夜遊びなんてずいぶんと久しぶりだ。

 

魚人族のロースに、高級な夜の酒場に連れて行って貰ったとき以来かな

 

あの時はなんとなく不安で、すべすべな布のドレスを着たチキンの背中にしがみついていたような気がする。

 

今は私が背中にしがみつかれている立場なんだけどね。

 

いい加減に邪魔になったので、羽を前に持ってきて自分の身体を包むようにした。

 

 

「えー」

 

 

なにかぶうたれているようだが、寒いなら着込めばいい。

 

色々着るとオシャレじゃないって言って薄着にした自分が悪いのだ。

 

オシャレは我慢というけど、それで風邪を引いたら元も子もないと思うけど。

 

 

 

「ですから、私は人を待ってるんです」

 

「俺らも一緒に待っちゃだめ?」

 

「そーそー、暖かいとこで待たないと風邪ひいちゃうよ」

 

 

む、何やら前の魔導灯の下で揉めてる男女の一団がいる。

 

シェンカーの子かもしれないし、一応顔だけ見ようかな。

 

 

「…………な……に?」

 

「うわっ!」

 

「なんだこいつ!」

 

 

暗闇から音もなく現れた私にびっくりしたのか、男の一人が尻餅をついて倒れた。

 

ナンパな二人組は置いておいて、女の方の顔を見る。

 

切れ長の目に、小麦色の髪、どこかで見た顔だ。

 

 

「なんだよあんた……!」

 

「びっくりしたわ!」

 

 

男達は勝手にすっ転んだのに怒っているようだ。

 

ここはあの女のためにもビシッと言ってやらないと。

 

 

「…………う……ち……」

 

「えっ?」

 

「なに?」

 

「あの、あの子はシェンカー(うち)の身内だって言ってます」

 

 

ルッチに補足されてしまったが、概ねその通り。

 

 

「えっ、ていうかその喋り方の鳥人族って……」

 

「『沈黙』のボンゴさん!?」

 

「…………ち……ん……」

 

 

別に沈黙してるわけじゃないんだけどな。

 

男達は失礼しました〜と軽い感じで言って、そそくさとどこかへ行ってしまった。

 

釈然としないが、まぁいいか。

 

 

「あの、ありがとうございました」

 

「…………い……い……」

 

「祭りの日はああいうのが多いから気をつけてね」

 

 

女にビシッと親指を立て、私とルッチはまた歩き始めた。

 

シェンカー大通りに近づくにつれ、だんだん祭り囃子の音が大きくなってくる。

 

遠くに鳴っている太鼓の音は、不思議と私の心をワクワクさせてくれた。

 

 

「…………お……と……」

 

「えっ、音?全然聴こえないよ。ボンゴは耳がいいね〜」

 

 

頭を撫でられたので、手を払いのける。

 

子供扱いするな。

 

 

「…………こ……ど……」

 

「子供扱いなんてしてないよぉ、凄いから褒めただけ」

 

「…………む……」

 

 

なにか言い返そうと思うけど、やっぱり弁が立たない。

 

腹が立ったので羽でバシッとひと撫でしてやった。

 

なにやら嬉しそうな顔をしてたけど、知るもんか。

 

 

「もー、また髪乱れたじゃん」

 

 

ルッチが魔導灯の下に手鏡を見に行くのを見送ると、闇の中を近くから声がかかった。

 

 

「あの、すいません。どなたかそちらにいらっしゃいますか?」

 

「…………い……る……」

 

「ああ良かった、妹が待ち合わせ場所に見当たらなくて……」

 

 

現れたのは、切れ長の目の女と、冴えない男、そして肩車されている子供。

 

女の顔はさっき見た顔にそっくりで、やはりなんとなく見覚えがあった。

 

 

「私と同じ顔の女を見ませんでしたか?」

 

「…………み……たょ……」

 

 

そうだ、思い出した、この女は本部の食堂で働いていた。

 

名前はなんだっけな、ソル……ポル……

 

まあいいか。

 

 

「…………む……こぅ……」

 

 

私がさっき来た道を指さすと、三人は口々にお礼を言ってそちらへと向かっていった。

 

私は無言で親指を立てて返す。

 

夜の祭りだと、はぐれたら大変だ。

 

ご主人には、次にやる時は灯りを増やすように言っておかないといけないな。

 

 

 

辿り着いたシェンカー大通りは、そこら中に照明の造魔が吊るされて昼間のような明るさだった。

 

そんな中を秋祭りでも披露されていた音頭が演奏され、それに合わせて色んな人達が踊っている。

 

本部の前には通りの入り口からでもわかるぐらいバカでかい山車があり、そこだけが異様な空気を放っていた。

 

遠くからでもはっきりと異質なそれは、近づくごとにその異貌がはっきりとしていき……

 

足元まで来ると、もういっそ笑えるほどだった。

 

 

「うわぁ……あの山車、作ってるところは見てたけど、いざ完成してみるとひたすら不気味だね」

 

「…………こ……わ……」

 

 

不気味というか、単純に怖い。

 

そんな巨大なモグラ(・・・)の山車は、今回の祭りの目玉としてご主人の肝いりで作られたものだった。

 

鼻から上は光が届かなくて全体の姿がぼんやりとしか見えず、妙に写実的な姿も相まってモグラの邪神像のようにも見える。

 

なんとなく背筋にぞわぞわとした物を感じながら、私とルッチはしばしその巨大なモグラを見上げていた。

 

 

「ボンゴちゃーん、こっちこっち」

 

 

モグラの山車の前で、お姫様みたいに着飾ったピクルスがこっちに手を振っている。

 

そう、今日はピクルスのための祭りなんだ。

 

 

「いやー、なかなかおっかねぇ土竜(モグラ)様だけんども、あたしの加護神様だもんで堪忍してねぇ」

 

「…………か……み……」

 

 

私はモグラの巨像を見上げ、今日はじめて手を合わせた。

 

そう、ピクルスは土竜の神の加護を持つケンタウロス。

 

今日は試合で勝ち取った護衛任務で北へと向かう、彼女の安全を願うための祭りなんだ。

 

護衛任務には私も一緒に行くわけだから、おっかない像だろうと祈っておかないとね。

 

 

「ピクルス、今日はお姫様みたいだね」

 

「ありがとねぇ。プーラの店の前で炊き出しやっとるでぇ、ボンゴちゃんもルッチちゃんも行っといで」

 

「…………う……ん……」

 

 

もう少し話していたいが、うちは大所帯だし、食い意地の張ったやつが多い。

 

食事はいつでも最優先なのだ。

 

すぐに戻ってくるとピクルスに手を振り、人をかき分けて進む。

 

シェンカーの仲間たちはもちろん、冒険者達や普通の街の人、色んな人がいた。

 

みんな楽しそうに踊ったり騒いだり、なにか美味しそうなものを飲んだり食べたりしている。

 

やっぱりお祭りっていいな。

 

みんなが嬉しそうで、幸せそうで。

 

毎日やってくれたらいいのにな。

 

でも、それだとみんな寝不足になっちゃうか。

 

 

 

炊き出しは肉団子の入った茶色いシチューだった。

 

具が沢山で、味も濃い。

 

周りの屋台ではパンや麺が売っていて、みんなシチューに合わせて食べてるみたい。

 

 

「ご主人様のとこ行く?」

 

 

シチューをかっ込むようにして食べながらルッチが聞くので、頷きを返した。

 

奥方様も来てるらしいし、顔ぐらい見せないとね。

 

またえっちらおっちら人をかき分けて、モグラ邪神像の裏側に出る。

 

今日はそこでご主人様と奥方様が、勝手に作った小さい土竜神殿に祈りを捧げるために来ているらしい。

 

世の中にはハズレ加護扱いの土竜の神様を奉る人なんかいないから、勝手に神殿を作ったところで怒る人もいない。

 

逆に、もしかしたらここが世界で初の土竜神殿になるのかもしれない。

 

モグラは日光に弱いって噂を信じて夜にお祭りをやってるぐらいなんだから、ご利益がないにしてもバチだけは当てないでほしいな。

 

 

「あら、もうお祈りは終わってるね」

 

「…………お……そ……」

 

 

小さい神殿の前には、ピクルスにあやかろうというのか冒険者達が列をなして並んでいる。

 

神殿の前に置かれた箱に小銭を投げ入れて、不思議と懸命に拝んでいるようだ。

 

そこから少し離れたところに、暖房の魔道具を置いてくつろいでいるご主人達がいた。

 

 

「…………こ……ん……」

 

「こんばんわ、ご主人様、奥方様」

 

「おお、来たのか。ゆっくりしてけよ」

 

「うむ」

 

 

気さくなご主人と、いつ見ても凄みのある奥方様。

 

ご主人はこの元軍人の奥方様の隣にいればずっと安全だろう。

 

もっと小さくてふわふわしていた頃のご主人を知っている身からすれば、ようやく一安心といったところだ。

 

 

「モグラ見たか?よくできてるだろ」

 

「…………は……い……」

 

「いや不気味だろこれは、さっき子どもたちが触れるかどうかで肝試しをしていたぞ」

 

 

ご主人が嬉しそうに言うのを、奥方様がたしなめる。

 

多分このお祭りでモグラ邪神像を「カイジューだぁ」と喜んでいるのはご主人だけだろう。

 

相変わらず変なこだわりがあるんだな……

 

でも喫茶店の制服とかプールとか、そのこだわりがいい方向に出たものもあるから、ま、いいか。

 

 

 

ご主人と別れ、いろんな食べ物を買い込んでピクルスのところに向かう。

 

あんなところに一人で居させられて、きっとお腹を空かせてるに違いない。

 

ピクルスは今日の主役なんだから、色々お世話してあげないとね。

 

そんな事を考えながら足早に急いだが、しかし、私のその心配は杞憂だったようだ。

 

彼女の周りにはすっかり人だかりができていて……

 

そこには、すでに私と同じように食べ物を持った仲間たちや、昔からお世話になっている冒険者のみんなが勢揃いしていたのだ。

 

 

「アグリさん、こんなに食べられんってば」

 

「お前昔はとうもろこしなら樽一杯だって食べれるって言ってたじゃないか」

 

「そりゃ十歳の頃の話だべ」

 

「ピクルスー!飲んでるかーっ!」

 

「ケニヨンあんた最近、『大酒』のケニヨンっち呼ばれとるよ」

 

「おーおー、『川流れ』よりよっぽどいいわ」

 

「川踊りやれ!ケニヨン!」

 

「いよっ!トルキイバいちの馬鹿!」

 

 

この寒い中上着を脱いで、たるみかけの腹を揺らして踊りだす馬鹿に、ため息と一緒に笑みがこぼれた。

 

みんな全然変わってないな。

 

五年前に、ここに来た時と一緒だ。

 

まだまだ痩せてたピクルスと一緒に、草食み狼を狩って回ったあの頃とまるっきり一緒。

 

 

「…………ば……か……」

 

「おっ!ボンゴだ!」

 

「やっぱピクルスとボンゴは揃ってないとな!」

 

「『沈黙』のボンゴってかっこいいよな!俺もそういう二つ名が欲しい!」

 

「おめぇはもう『性病』のラーワンって二つ名があるだろ!」

 

「あれは違ったんだって!誤診だ!医者がヘボだったんだよ!」

 

 

お祭りも、歌も踊りも好きだけど、やっぱり私はにぎやかで素朴なトルキイバの人が好き。

 

なんの保証もない冒険者稼業だけど、北から帰ったら、またピクルスと一緒に冒険者のいる酒場に繰り出そう。

 

テーブルを回ってお酒を注いで、昼から飲んでる冒険者の小さな武勇伝を聞きながら、安い串肉を奢ってもらおう。

 

私はピクルスの背中の指定席に座って、ちょっとしょっぱい味の串肉を齧りながら。

 

月の瞼が傾くまで、みんなの大騒ぎを楽しんでいたのだった。

 




餃子作って、ちょこっと寝てから食べようと思ったら一日過ぎてました。

家族が全部食べてくれてました。


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第65話 道端の 草も賑わう 春もよう

ちょっと短いんですけど、キリのいいところがここでした。


トルキイバ・タラババラ交易隊が旅立ってからしばらく経つ。

 

だんだん日の長くなってきたトルキイバの街には強く暖かな風が吹き、道端では雑草の花畑が出来上がり始めていた。

 

鳥は飛び、獣は駆け、人間は労働に苦しむ。

 

そんなウキウキするような、そうでもないような春の始まりの真っ只中、俺は辛気臭い魔導学園の研究室で、むさ苦しい魔道具技師のターセルさんと新しい試みをやっていた。

 

 

「こんなに固定して可哀想だろ!」

 

「いやいや、そうしないと頭の装置が取れちゃいますから……」

 

 

ターセルさんは実験のために柱に縛られた俺の実家の造魔バイコーンの背中を撫でながら、猫なで声で「怖くないからね〜」なんて言っている。

 

そりゃ多少は気を使うべきかもしれないけど、さっさとやった方が動物への負担も少ないと思うがな。

 

今やっているのは自我を獲得した造魔の頭に専用のヘッドセットを付け、脳のどの部分が活発に動くのかを見てマップを作る作業だ。

 

元は陸軍が人造超能力者を作るために開発した技術らしいんだけど、残念ながらそちらの用途では上手く行かなかったらしい。

 

 

「ほらほら、魔結晶だぞ〜」

 

「……♡……♡」

 

 

こいつは自我を獲得したとはいえ、発声器官もない最初期の魔結晶交換式造魔だ。

 

感情表現も鼻先をこすりつけたり尻尾を振ったりする程度だが、ヘッドセットにはピコピコ反応が出ている。

 

造魔の脳自体の研究も順調に進んでいるとは言い難い状況だが、データっていうのはあって困ることもないからな。

 

小さな事からコツコツとだ。

 

 

「いじわるせずに魔結晶あげろよ」

 

 

コツコツと。

 

 

「馬用のおもちゃぐらいないのかよ」

 

 

コツコツと。

 

 

「後で散歩つれてっていいか?」

 

 

コツコツと!

 

 

「名前はなんていうんだ?」

 

 

動物が気になるならどうぶつ喫茶にでも行っててくれよ!

 

とにかく、これからも自我が芽生えた造魔達から、こうやって脳のマップを取っていくことになるだろうが……

 

もう実作業はターセル技師には内緒で進めようと、そう密かに決意した俺なのだった。

 

 

 

近頃は仕事仕事で忙しいが、私生活の方はかなり充実している。

 

だんだんお腹が大きくなってきて、マタニティウェアを着るようになったローラさんが退屈しのぎに始めた勉強に付き合ったり。

 

家庭での小さな不便を解決するために、最近習っている魔道具作りの腕を振るったり。

 

三日に一度ぐらいは芝居を見に行ったり。

 

好き放題生きているように見えるかもしれないが、俺なんか酒も女もやらないんだからまだまだ真面目な方だ。

 

とにかく、俺のそんな暮らしを更に充実させてくれる物がひとつあった。

 

そう、醤油だ。

 

義姉からもらった、一壺分しかない貴重なそれは俺の食生活に劇的な変化をもたらせていた。

 

もちろん料理のレシピなんか知らないから、俺に作れるのはあくまで日本食っぽい失敗作ばかり。

 

それでも茹でた豚を醤油で煮込むようにして作ったなんちゃって角煮を食べた時は、あまりの郷愁に涙が出てしまった。

 

その他にも焼いた魚に大根おろしと醤油、和風パスタ、生姜焼き、醤油と出汁と砂糖を混ぜてざるうどん。

 

完成度はともかく、もう毎日毎日食いまくった。

 

正直こんなに食ったら腹が出るかなとも思ったが……

 

さすがは15歳の身体というべきだろうか、エネルギーはまるっと成長に使われて、腹が出るどころかちょっと身長が伸びたぐらいだった。

 

まあ、たとえ太ったとしても悔いはないけどな。

 

とにかく交易隊には早く帰ってきてほしい、俺はもう醤油のない生活にはちょっと耐えられないかもしれん。

 

ちなみにローラさんにも俺の料理を食べてもらったが、匂いがちょっと独特だし、特別美味しいと思うものでもなかったらしい。

 

まあガチガチの異文化なんだから、好き嫌いはあって当然だ。

 

醤油が安定供給されたら、世の中には地道に地道に普及していくことにしよう。

 

そんなことを考えながら鼻歌交じりでバイコーンに揺られていると、酒場の外の壁際に人だかりができているのを見かけた。

 

何かと思って近づいてみると、集まっていたのは家の奴隷たちばかりだ。

 

 

「なにしてんの?」

 

 

俺が声をかけると、たまたま人だかりの外縁で腕いっぱいに抱えたナポリタンロールのようなものをパクついていた鱗人族のメンチが、ビクッと体を強張らせた。

 

 

「あ、これはご主人様……お疲れ様です」

 

「お疲れ様、みんな集まってるから何してんのかなって思って」

 

「ああ、ストーロの書いている壁新聞を読んでもらっていました」

 

 

ストーロといえば街でも有名なうちの奴隷で、ゴシップが好きで好きで好きすぎてたまらない、口から生まれてきたと噂の狂ったスピーカーのような女だ。

 

あいつ、ついに喋るだけじゃ飽き足らずに新聞まで書き始めたのか……

 

人だかりの向こうを見れば、たしかに何者かが壁新聞の文書を指差しながら、声を張り上げて文章を読み上げているようだ。

 

 

「シェンカー家料理人ハントさんが結婚秒読み!?そのニュースを聞き、当記者は即日ハントさんの恋人の実家に突撃取材を試みた」

 

「おぉー」

 

「やめてやれよ」

 

「当人はお祭りで歌劇のように運命的な出会いを果たしたと言い張っていたが、本当はやはり町内会長の口利きだったことが判明。次号ではハントさんに直撃取材を試みるつもりです、乞うご期待!」

 

「別にいいじゃん」

 

「まあでも盛りすぎだってみんなにツッコまれてたし」

 

 

なんだか知らんが公開処刑はやめてやれよ。

 

本人はお高い女に見られて出会いがないって真剣に悩んでたんだぞ。

 

しかし、こんな身内のしょーもないゴシップネタが面白いもんなんだろうか……?

 

でもこういう話に興味がなさそうなメンチも、しっぽを揺らせながら聞き入ってるしな。

 

誰が描いたのかは知らんが絵入りだし、スポンサーもついてるし、結構儲かってるのかもしれん。

 

 

「続きましての記事は、シェンカー商会のジェルスタン氏に新たな恋人ができたと……ああっ!」

 

 

何があったのか、朗読屋は血相を変えて記事を読むのを放り出し、南を指差した。

 

うちの兄貴はどうなったんだよ!

 

ちらりと南を見てみると、空がうっすらと虹色に染まっている。

 

信号弾だな。

 

一瞬遅れて、街にウゥーウゥウーとサイレンが鳴り響いた。

 

俺が最近頼まれて納品したサイレン型造魔は、ちゃんと働いていたらしい。

 

多分近くで超巨獣が出たのだろう。

 

騎士団の詰め所の方から白翼竜がまるで地対空ミサイルのように飛び上がり、空中に展開した魔法陣を食い破るように加速してダンジョン都市の方へと消えていった。

 

最近いやに多い気がする。

 

やっぱりダンジョン都市からたびたび来ている協力要請は断って正解だったな。

 

うちの奴隷は金も手間もかかってるんだ、そこらの冒険者と同じように使い捨てにされちゃあたまらんぞ。

 

新聞を聞いていた連中がみんな空を見に行ってしまったからか、朗読屋も客達の周りをちょろちょろ駆け回って見物料を回収している。

 

お開きか。

 

新聞を読みに行ってもいいが、バイコーンに乗っているし面倒だ。

 

ま、上の兄貴の恋人が増えたり減ったりすることなんか今に始まったことじゃない。

 

酒場を離れて大通りに出て、眠たくなるような日差しの中をゆっくりゆっくりとバイコーンが歩く。

 

気の早い子供達が半袖のまま走り抜けていき、その後ろから竜の形の凧が彼らを追うように飛んでいく。

 

辻売りの酒を飲んでいる冒険者が屋台の上に小銭を並べて、もう一杯飲めるかどうかを必死に数えている。

 

くあっと大きなアクビが出た。

 

造魔のバイコーンがちらっとこちらを振り返って、なんでもないようにまた前を向く。

 

背中をポンポンと叩きながら空を見上げると、桃色の渡り鳥達が東の湖に向かって飛んでいくのが見える。

 

ふと、気配を感じて振り返る。

 

南の空に、また虹色の光が打ち上げられていた。

 




ピンチはないので許して!


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第66話 父の背に 言えない言葉 飲み込んで

増税前に餃子食いました


春爛漫の中、俺は花壇に黄色い花の咲き誇る中庭を全力疾走で駆け抜けていた。

 

今しがた呼び出しのあった学園長室のある本棟へは、研究室のひしめく研究棟からはそこそこの距離がある。

 

これは万が一(・・・)研究棟が吹っ飛んでも一般の学生には被害がないようにするためだ。

 

不思議な事に、この学校は三百年の歴史の中で万に一つを三回引き当てている。

 

そのたびに研究棟は新設及び改修され、現在は研究棟が四つもあった。

 

そんな呪われた研究棟を離れ、本棟の昇降口で新入生らしき子どもたちをかき分け、階段を一段飛ばしで登って学園長室へと急ぐ。

 

学園長が一介の平研究生に用があるなんて言いだしたら、まずロクなことであるはずがない。

 

吉報なら、事前にそれとなく上司のマリノ教授からほのめかしがあるはずだからだ。

 

冷たいんだか熱いんだかよくわからない汗をかきながらもなんとか階段を登りきった俺は息を整え、学園長室の重苦しいウォルナットのドアをノックした。

 

 

「入りたまえ」

 

「失礼します、造魔研究室、研究生のサワディ・スレイラです」

 

「うん」

 

 

ドキドキしながら入った学園長室には、学園長と一緒に懐かしい顔がいた。

 

 

「よお、久しぶりだなサワディ先生。背伸びたか?」

 

 

そう言いながら手を振ったのは、髭を綺麗に整えたイケメン中年元軍人のゴスシン男爵だった。

 

以前、俺は魔臓をなくして死にかけた彼を治療したことがあって、それからは季節の便りを送りあう仲なのだ。

 

会うのは俺の結婚式以来だから、ほとんど一年ぶりか。

 

 

「ゴスシン男爵!お久しぶりですね、お変わりないようで……」

 

「ああ、絶好調だよ。先生のおかげで先日二人目の息子を授かってね」

 

「へ……?あ、おめでとうございます」

 

 

この人いくつだっけ、まぁそんぐらい健康になったって事か。

 

 

「ありがとう。先生とはじっくり旧交を温めたいところだが、今日は伝令役でな」

 

「はぁ」

 

「最近リスダン子爵に任されてる南のダンジョン特区がまずいってのは聞いてるな?」

 

「ええ」

 

「狩りきれなくなった魔物の群れが何度か入り口の柵を突破してるみたいでな。特区の周りに漏れ出して繁殖を始めたそいつら目当てに、超巨獣の出現回数も多くなってる」

 

「らしいですね」

 

「うちの国も大陸間横断鉄道ができて、戦線が伸びた(・・・)。各地の騎士団から人が抜かれててどうにもダンジョンが手薄でね。そんでまとまった数の兵隊を抱えてる先生のところにもリスダンから協力要請が行ったと思うんだが……」

 

「まぁ、そう……ですね」

 

「その様子だと、ずいぶん買い叩こうとしたみたいだな」

 

 

苦笑いするしかない。

 

奴隷を売れとか、24時間駐在させろとか、なんの優遇もしないけどとにかく草刈りをやれとか、何度も手を変え品を変え無茶苦茶言ってきたから全部突っぱねていたのだ。

 

別にダンジョンが氾濫しようがトルキイバは壁で囲まれてるから俺には関係ないからな、広大な麦畑にちょこっと被害が出るぐらいだろう。

 

 

「国としても、先生にはダンジョンの管理を手伝ってほしいと思ってる。先生が人手を出してくれれば集めた草刈りの奴らを他の地域に回せるからな」

 

「そんな、たかが奴隷冒険者の数百人に何を期待してるんですか?」

 

「たかが数百人でも、先生の治療つきの数百人じゃ話はまるで違うさ。軍も欠損奴隷を買って兵隊にする計画を立ててるみたいなんだが、再生魔法使いはプライドが高くてな。まだ形にもなっちゃいない」

 

「そうなんですか」

 

「とにかく、手伝ってもらうにもリスダンのジジイの横やりは邪魔なんだ。そこで軍はこれを用意した」

 

 

ゴスシン男爵は鞄から赤い革張りの辞令入れを取り出し、サワディ・スレイラ研究生!と声を張り上げた。

 

 

「はっ!」

 

 

瞬間、思考は停止し、体が勝手に動き出す。

 

無意識でもできるようになるまで練習させられた、目上の人から物を受け取るときの動きだ。

 

 

「トルキイバ魔導学園造魔研究室、准教授に任命する!」

 

「光栄であります!」

 

 

ん?

 

准教授!?

 

内示では助教って聞いてたんだけど!

 

二つも役職飛ばしてるじゃん!

 

 

「先生も色々陸軍に貢献が大きいからな、准教授にしろって話がほうぼうから上がって、それを纏めるので許可が遅くなったんだよ」

 

 

ニカッと笑うゴスシン男爵は官製の煙草に火をつけ、心底美味そうに煙を吸い込んだ。

 

学園長の方を見ると、無言で頷きが返ってくる。

 

はは……

 

俺も貴族かぁ。

 

それも木っ端役人とかじゃなく、魔導学園の准教授だぞ。

 

 

「あと、これは国は関係ない個人的な頼みなんだが……」

 

 

あまりの展開になかなか気持ちを立て直せないでいる俺に、ゴスシン男爵は照れくさそうに話を切り出した。

 

 

「息子に君の名前を貰ってもいいかな?妻が許可を貰ってこいとうるさくてね」

 

 

曖昧なままに頷きを返し、ふわふわとした気持ちのまま研究室へと戻り、マリノ教授以下研究室の皆に背中を叩かれながら祝われ、後日祝杯を上げることを約束して帰宅した。

 

その日、家で妻のローラさんにキスをされるまで、俺は狐にでもつままれたような気分のままだった。

 

 

 

 

 

ダンジョン特区、それは人類に与えられた金のなる木だ。

 

人類は昔からあんまりヤバくない(・・・・・)ダンジョンの周りを町で囲み、冒険者や土地の騎士団でほとんど無限湧きしてくる中の魔物を狩って狩って稼ぎまくってきた。

 

主な産出品は食肉、革素材、そして魔結晶。

 

ダンジョンの算出するそれらの物品はこの国の地方自治に大いに役立ち、増え続ける人口を、肥大し続ける軍事費を、若者達の立身出世の夢を支えてきた。

 

そんな素晴らしいダンジョンであるが、ただ一つだけ欠点があった。

 

狩人の処理能力を超えると、魔物が溢れるのだ。

 

これが起こると、魔法使い以外の人間達にとっては危険極まりない状況になる。

 

地上ならば地平線までが魔物に飲み込まれ、海は見渡す全てが魔物の色に染まり、その魔物による暴動は迷宮の奥底に現れた強大な迷宮主を倒さない限り静まる事はない。

 

だが魔法使いにとっては、そんなものはなんでもない。

 

魔物?

 

迷宮主?

 

そんなもんはちょろっとダンジョンの奥まで火を通してやれば収まる程度の騒ぎだ。

 

だけど、金が湧き続ける木を焼いてしまうのは勿体ないだろう?

 

勿体ないが、この伸び盛りの時期に軍の拡張を諦めるほどではない。

 

だから俺みたいな、各地方都市で私兵を抱えてる奴らが問題解決に引っ張り出されたってわけさ。

 

 

 

「先方の実務者と協議した結果なんですけど。今後一年の間、シェンカーの人間ならば魔結晶を五割増しで買い取ってくれるそうです」

 

「五割増しねぇ、他の素材は?」

 

「据え置きとの事です」

 

「それなら魔結晶は倍の値段でも通るな。あとはシェンカーの人間の待遇だ、奴隷たちの命がかかってるから、こちらのやり方には一切ケチを付けさせたくない。後でまた手紙を書くから」

 

「ありがとうございます」

 

 

准教授の辞令を受けてから一週間、ここのところ毎日毎日ダンジョン特区に交渉に行っているうちの筆頭奴隷のチキンが疲れた顔で笑った。

 

難航しているように見えるが、丸っきりビジネスパートナーとして見られていなかった頃とは大違いだ。

 

やっぱり貴族って肩書きは凄い。

 

これまで卑しい奴隷だって言って侮れられてたチキンだって、もうすっかり若き家令候補扱いだ。

 

うちの奴隷たちの喜びようも凄くて、マジカル・シェンカー・グループ本部の前の石畳に書かれていた「シェンカー大通り」の記載が即日「大シェンカー大通り」に直されていた。

 

いいかげん町長に怒られるぞ。

 

 

「向こうの実務者には無理を言われてないか?」

 

「あちらの方も平民魔法使いで板挟みですよ。下からは手が足りないって言われてるのに、上ががめつくて纏まらなくて大変だって」

 

 

チキンはそう言いながら肩をすくめた。

 

 

「どこも大変だなぁ」

 

「まあでもこっちが折れる理由はないですからね」

 

「そうだ、ダンジョンなんてそうそう崩壊するもんじゃない。のんびりやればいいさ」

 

「そう言って頂ければ、肩の荷もいくらか下ります」

 

 

そうして俺は引き続きチキンに実務を任せ、久々の実家へと足を運んだ。

 

今日は実家で俺の出世祝いをやってくれるのだ。

 

親父と兄貴二人、そして兄貴の義父である番頭が集結してお祝いの定番料理の七面鳥を囲んで騒ぐだけの祝いだが、気心のしれた家族と過ごす時間は何にも代えがたいもの。

 

足取りは軽く、財布の紐は緩く、俺は途中で酒やトルキイバ焼きを山ほど買い込んで向かったのだった。

 

 

 

家の食堂に入ると皆はもう既にテーブルを囲んで飲み始めていたようだったが、わざわざ席を立って出迎えてくれた。

 

 

「よっ!おめでとう!」

 

「ありがとう」

 

 

最近は家の手伝いをしっかりやっているのか、シェンカー商会の前掛けをつけたままの下の兄貴は酒を片手に俺の肩を叩いた。

 

 

「やるじゃん!」

 

「兄貴最近また外に彼女作ったろ」

 

「え?どっちの話?」

 

 

壁新聞で悪事を暴露されたのに全く懲りる様子のない上の兄貴は、だらしない顔のまま笑う。

 

 

「おめでとうございます。ダンジョン利権に切り込むって話聞きましたよ、糧食の調達は任せてくださいね」

 

「おいおい、ダンジョンなんかトルキイバから遠足ぐらいの距離じゃんか」

 

 

どうしようもなくスケベな孫の教育に頭を悩ませすぎて若干髪が薄くなり始めた番頭は、悪い笑顔で両手を揉んだ。

 

 

「しっかりとお国に尽くすのだぞ」

 

「ま、給料分はね」

 

 

嬉しそうな、複雑そうな顔の親父は俺の頭を撫でながら諭すように言った。

 

祝福をくれたシェンカー家の面々に改めて感謝の言葉を返し、七面鳥の丸焼きをぱくつく。

 

前に食べたのはついこの間の下の兄貴の結婚の時だったが、まあ縁起物だし何回食べてもいいかな。

 

そんなめちゃくちゃ美味いってもんでもないが。

 

 

 

「ローラさんの様子はどうなんだ?」

 

「いや、もうお腹大きいから大変だよ」

 

「子供も魔法使いにするの?」

 

「そりゃね」

 

 

なんてどうってこともない話を隣に座った下の兄貴としていたら、反対側に座っていた上の兄貴が俺の袖をチョイチョイと引いた。

 

 

「なんだよ」

 

「せっかく貴族になったんだから、新しい嫁さんはもらわないの?」

 

「もらわないよ」

 

「なんで」

 

「俺は妻を愛してるから」

 

「新しい嫁さんも愛したらいいじゃん」

 

「これジェルスタン、やめんか」

 

 

向かいの上座に座っていた親父が焦ったように上の兄貴を止めた。

 

 

「貴族の女というのはな、御しがたい、大変なものなんだ。二人などとても相手にできるものではない」

 

「そっか、うちの母ちゃんも魔法使いだったもんな」

 

「母ちゃんおっかなかったなぁ」

 

「そりゃ俺たち三人があんまり出来が良くなかったからじゃない?」

 

「そんなもんお前が貴族になったからチャラだ、チャラ」

 

 

そう俺たちが話すのに、親父は俯いたまま小さく頷いた。

 

 

「母さんも、別にお前たちが憎いわけじゃない。王都でお前たちの幸せを願っているはずだ」

 

「ま、いいんだけどさ、俺たちはこの街が好きだし、もう一生会うこともないかもな」

 

「サワディ、もし王都行くことがあったら孫いっぱいいるぞって言っといてくれよ」

 

「孫がみんなスケベだって言っとくよ」

 

「サワディ坊っちゃん、会ってもほんとには言わないでくださいよ」

 

 

番頭に困った顔で言われてしまったが。

 

まあ、もし王都に行って、母に会えるとしても会うことはないだろう。

 

俺たちシェンカー家の男達と、親父が魔法使いの血を取り込むために結婚した母との間の断絶は、簡単に言い表せないほど大きかった。

 

親父だって無理やり親に決められた結婚なんだ、魔法使いに苦手意識を、拭いきれない恐怖を抱えるのも、俺は理解できた。

 

俺だって魔法使いなんだ。

 

親父は本当は俺のことだって怖いはずなんだ。

 

本当は、この温かい親子関係だけで満足するべきなのかもしれない。

 

でも、俺はそれでも俺の家族を、ローラさんとその子供を、親父には受け入れてほしかったのだ。

 

これが親子の間の最後のわがままになったっていい。

 

俺は親父に、息子としての俺だけじゃなく、魔法使いとして、貴族としての俺を、その家族ごと受け入れてほしかった。

 

今日だって、飯を食った後で親父に改めてそう頼むつもりでやってきたのだ。

 

でも、五十になって白髪の増えた親父を改めて見ると、言葉が出なかった。

 

 

『俺の子供に名前をつけてくれ』

 

 

これ以上親父を傷つけるのが怖くて、それだけの言葉がどうしても出ていかなかった。




Oリング


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第67話 地下潜り 金を稼いで 夢を買う

「全員用意はいいかい? いいか、一人だっておっ死ぬんじゃないよ!」

 

「わかってますよ!ロースの姐さん!」

 

「今日も稼ぎましょう!」

 

「造魔馬車、魔結晶大丈夫です」

 

「それじゃあ行くよ!いざダンジョンへ」

 

 

最近、あたしらの狩場がトルキイバから川を越えたところにあるダンジョンへと移った。

 

うちの頭であるサワディ坊っちゃんが正式に貴族になったことにもなにか関わりがあるらしいけど、詳しい事はわからない。

 

わかっていることは、今がシェンカーにとってもあたしら冒険者組にとっても稼ぎ時だって事だ。

 

ダンジョンの魔物の魔結晶を持っていったらいつもの二倍で買ってくれて、更に魔物の革も肉もうちの自由にしていいって契約らしい。

 

更に魔結晶の取り分の半分はあたしら冒険者組で山分けにしていいっていうんだから、なんとも太っ腹な話だよ。

 

なんにせよ、稼げる時に稼がないのは冒険者精神にもとるってもんだ。

 

鎧着て、槍背負って、魔物ぶっ殺しに行くとするか!

 

 

「この照らし兜、騎士団の連中も欲しがってましたね」

 

「ダンジョンみたいに真っ暗な場所でも両手が開くってのは嬉しいやな」

 

 

坊っちゃん謹製の照明型造魔をくっつけた兜はたいそう便利で、槍や網を操作する前衛達にはもう欠かせない装備になっている。

 

とにかくこのダンジョンアタックに関しての坊っちゃんからの厳命は『命を大事に』だからな、普通の冒険者なら採算度外視の人数と装備を惜しみなく投入してるんだ。

 

 

「一匹目、来たぞーっ!」

 

「網張れーっ!」

 

「よっしゃーっ!」

 

 

前衛の四人が鉄の鎖で編んだ網の四隅に繋いだ竿をそれぞれに突き出す。

 

両手を広げた大人が二人もいれば塞がる通路を覆うように張られた網は、拳が通るほどの目の広さがあるが、屈強な冒険者四人でもちょっと辛いぐらいの重さがある。

 

その網の向こうから、キラリと光るものが四つ、すさまじい勢いで突っ込んでくる。

 

このダンジョンに一番多い魔物、四ツ目猪だ。

 

飼い豚とそう変わらない体躯に白混じりの茶色の毛皮、捻じくれた四本の牙、そして金色にぎらぎらと光る四つの目玉。

 

ブオォォォォーン!!という恐ろしい鳴き声と共にバシャン!と大きな音が鳴り、前衛の四人が鉄の網を閉じていく。

 

小型な割には力の強い魔物といえど、冒険者四人の力には勝てない。

 

 

「今日の槍番は誰だ」

 

「へぇ、ロースの姐さん、あたしです」

 

「ヤンボか、しっかりやれ」

 

「へぇ!」

 

 

白髪赤目の長身な兎人族のヤンボが、真っ直ぐで長い刃を持つ赤槍をしごきながら前に出る。

 

 

「心臓役は?」

 

「私です」

 

「マァムか、あいつら脳天突き刺したぐらいじゃ生き返りかねないからね、心臓は素早く抜きな」

 

「はいっ!」

 

 

ダンジョンに来るために白い自慢のうねり毛を短く切り上げた羊人族のマァムが、鋭い短剣を手の上でくるりと回した。

 

獲物に近づくとヤンボは声も出さずに眉間に一撃を加え。

 

動かなくなった四ツ目猪の前足を膝で抑えて押し開いたマァムが、素早い解体で心臓を抜き出した。

 

前衛は鎖網を前に突き出したまま警戒し、後衛は絶命した四ツ目猪を血抜き処理しながら造魔馬車の側面に括り付けていく。

 

各自が決められた手順を熟すだけ。

 

狩りというよりは作業だ。

 

だけど、逃げ場のないダンジョンでは誰かが一つ手順を間違えば班員が死ぬ恐れもある。

 

地上とは全く話が違うんだ。

 

 

「今日は三層まで行く、気ぃ緩めるんじゃないよ」

 

「へぇ!」

 

「はいっ!」

 

「わかりました!」

 

「進路はどうだ?」

 

「待ってくださいね」

 

 

私の言葉に耳のいい兎人族の後衛が角笛を壁に当てて振動を聞き、西向きの通路を指差した。

 

 

「あっちに二、いや三、おそらく猪」

 

「よし、行くよ!」

 

 

全員の頭が西を向き、造魔の作り出す強烈な光がダンジョンの妖しい暗闇を切り裂く。

 

奥からは獣臭を含んだ、ぬるい風が吹いていた。

 

 

 

一つ下の階につく頃にはもう七匹ほど猪を倒した後で、十二人組のうちだと勝手に動く造魔馬車なしじゃあ獲物を持ち帰るのも限界になる頃だっただろう。

 

ぎっしりと肉の詰まった四ツ目猪はとにかく重い、魔結晶だけ持ち帰るんじゃなきゃあ一人一匹持ち帰るので精一杯だ。

 

 

「やっぱさぁ、子供産んで御主人様のお子様の家来にしてもらうのが出世の早道だって」

 

「うちらの子供なら奴隷身分じゃないしなぁ、譜代扱いなら色々変わってくるもんね」

 

「いやいや、あの奥方様の血も入るんだぞ?おっかない若君様だったらどうすんだよ」

 

「うーん、でもなぁ」

 

「あんたはそんな事考える前に男作んなよ」

 

「それが一番の課題かなぁ……もう結婚資金は貯まりきりそうなんだけど」

 

「あたしも、いつでも結婚できるわ」

 

「相手がいりゃあなぁ……」

 

 

バカ話をしながら歩く班員達の中から、静かに!と声が上がった。

 

前衛の犬人族、インパだ。

 

 

「匂いが変わった、ここらへんはもう鳥が飛んでる」

 

「あいよっ!」

 

 

威勢よくそれに答えた槍番のヤンボは槍を手の中でくるっと回して、一回だけビュンっと音を立てて素振りをした。

 

 

「網張って進みな!」

 

「へいっ!」

 

 

前衛の四人は竿を構えて、鉄鎖の網を張ったまま前へと進む。

 

キツいけど、鳥には足音がないからね。

 

奇襲を受けないためには頑張ってもらうほかない。

 

最後尾では造魔馬車に座った休憩者が、後ろの道を大型の照明で道を照らしながら監視している。

 

絶対はないけど、いい装備と人員は貰ってるはずだ。

 

 

「来たっ!」

 

「うおおおっ!」

 

「ギィィィィッ!」

 

「ゲェッ!ゲェッ!」

 

 

前衛の張った網には、人の子供ほどの尻尾の長い雀の姿をした鬼雀がかかっていた。

 

茶色でモコモコした羽毛を散らしながら鎖に噛み付くその嘴は鋭く、足の爪も刃物のように尖っている。

 

 

「でいっ!」

 

 

ヤンボの手から電光石火の速さで繰り出されたニ発の突きは見事に鬼雀の脳天を捉えていて、屍と化した二匹はどさりと地面に落ちた。

 

前衛は網を持ち上げて鬼雀を跨いで前に進み、また腰を落として構えを取った。

 

 

「まだまだ来るぞぉ!」

 

「ギッ!ギッ!」

 

 

暗闇の中から、声と羽ばたきが聞こえてくる。

 

また手の中で槍をくるっと回したヤンボが、闇に向かって「来いやぁ!」と裂帛の気合を発した。

 

その声に誘われたのか、光に向かってやってきたのか、視界を埋め尽くすような鬼雀が飛んできたのはそのすぐ後のことだった。

 

 

 

昼までダンジョンを駆けずり回って、ダンジョン用に細長く作られた造魔馬車の外も中も獲物でいっぱいになったので一旦外へと戻ってきた。

 

外では予備の造魔馬車とその護衛が待っていて、積まれた獲物ごと交換する。

 

今日はみっつの隊が潜ってるから、待機の造魔馬車も三台だ。

 

ダンジョン自治区の代官の部下を呼んできて魔結晶の数と狩ってきた獲物の数を確認して、サインを貰ってから造魔馬車をトルキイバへと見送る。

 

トルキイバで解体された獲物は敷物や服、食料なんかに加工されてシェンカー家の店で売られる事になる。

 

さすがは商人だ、無駄がないね。

 

 

「飯だ飯、今日はなんだろうな」

 

「あたしこの弁当が楽しみでさぁ」

 

 

ダンジョン組には毎日特製の弁当が支給される。

 

量たっぷり、味しっかり、何よりあたしらしか食べられない特別製ってのがいいね。

 

今日は甘辛いソースで煮付けられたトロトロの豚肉と、味の染みたゆで卵、それと茹でてから味をつけて炒めた麺だ。

 

すぐ燃えてすぐ力になる食べ物だな。

 

 

「この後は夕方まで潜るよ。起こすから飯食ったらちょっとでも寝ときな」

 

「はーい」

 

「わかりましたぁ」

 

「うー、腕が震えてフォークが使えないよ」

 

「慣れだよ慣れ」

 

「あんたまだ絵は続いてるの?」

 

「続いてるよ、ハミデルのおっちゃんからは結構筋いいんじゃないかって言われてるし」

 

「あいつスケベだから女には全員そう言ってるらしいわよ」

 

「みんなにはそうでも、あたしはほんとに才能あるし」

 

「こないだの猫の絵見たけど、あんまりそうは思わないなぁ……」

 

「猫って何?」

 

「いや、あのアパートの玄関に飾ってあるやつ」

 

「あれ……うさぎ」

 

「にゃはは、なんだよそれ!」

 

「あんたさぁ、やっぱ向いてないって」

 

「うるさいなぁ、この仕事で金稼いでもっと練習すんだよ、後で見てろよ、肖像画描いてやんないからな」

 

 

みんなが口々に喋るのを聞きながら弁当をかっこんでいると、くぁーっと大きくあくびが出た。

 

やっぱりダンジョンは緊張するわ。

 

飯食ったら、あたしもちょっと寝よ。

 

 

 

結局この日は一人の怪我人も出ることなく、七十匹近い獲物を狩ることができた。

 

やってることは単調な作業だけど、地上の狩りよりもよっぽど疲れる。

 

暗闇の恐怖、逃げ場のない閉所から来る緊張感、そしてたまにすれ違う騎士団の連中。

 

そんな事はされないってわかってても、魔法使いがその気になればあたしら十人ぐらいをぶっ殺すのはわけのないことなんだ。

 

ダンジョンの中にほったらかされた、爆散した魔物の死体を見てると肝が冷える。

 

魔物と勘違いされたり、射線の先にあたしらがいたりしたら、爆散するのはあたしらなんだ。

 

うー、どうにもならないけどおっかない。

 

どうにもならない事は神頼みに限る。

 

あたしらの班は毎日全員揃って行きと帰りに本部にある土竜の神様の神殿でお参りする事に決めてるんだ。

 

ピクルスにあやかろうってわけじゃないけど、地下に潜るあたしらにゃあ身近な神様だしね。

 

 

「ピクルスの姐さん、今頃どうしてますかねぇ」

 

「あの子の事も祈ってやんなよ。あ……」

 

「む……ロースか」

 

 

本部の前に作られた神殿につくと、ちょうどお参りをしていたメンチの班とかちあった。

 

メンチ達もここでお参りしてたのか。

 

 

「メンチ、今日はどうだった?」

 

「うちの隊は六十五匹は狩ったぞ、東回りは三階に赤蟷螂が二匹も出たから気をつけた方がいい」

 

「にひっ、うちは七十匹。西は二階に鬼雀がいっぱいいたけど、全部やっちゃったからもういないかもな」

 

「むっ」

 

 

メンチのしっぽが不機嫌そうに蠢く。

 

メンチってすっごい負けず嫌いなんだよね。

 

 

「うちは帰りに草食み狼を六匹倒したが?」

 

 

倒したが?じゃないよ、全く。

 

ピンとしっぽを立てて去っていくメンチとその班員を見送って、なぜかシェンカー以外の冒険者もお参りに来ている土竜神殿の賽銭箱に賽銭を投げ入れる。

 

 

「土竜様土竜様、明日も地面に潜る私達をどうかお守りください」

 

「ピクルスさんもよろしく」

 

「明日のご飯はパン系がいいです」

 

 

地下では感じられなかった風がぴゅうっと吹いて、あたしの逆立った髪を揺らす。

 

とりあえず、稼いだ金で今日も飲みに行こうかね。

 

正直、奴隷になる前よりもよっぽど稼げてるんだよな。

 

いつかあたしも、自分の店でも開こうかな……

 

となると賭場か、いや坊っちゃんみたいな大劇場とは言わなくても舞台のある酒場って手もあるな。

 

そしたらたまにはこの大女優ロース様が艶な演技を……

 

 

「お風呂入りたいね~」

 

「私も、絶対臭いって今」

 

「冒険者と臭さは切っても切れないクサい縁なんだって」

 

 

と……あたしも大女優の割には汗臭いかな?

 

木彫りの土竜の御神体に手を合わせて、今日も汗まみれの十二人は仲良く本部の風呂場へと向かったのだった。




最近ティンホイッスルの練習してるんですけど、笛は難しいですね


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第68話 風立てば 揺れて流れる 街の雲

大作ゲームめっちゃ出てるけど仕事忙しくてやれてません


風、薫る春中旬、街は大混乱に陥っていた。

 

理由は単純明快。

 

ダンジョン都市から引き上げてきた肉が余って余って、余って仕方がないのだ。

 

なんせ毎日毎日何百もの猪や鳥や山羊なんかがダンジョンから運ばれてくるんだぞ、明らかに過剰供給だろ。

 

シェンカー本部の表玄関からやばい形相の食肉業者が女房子供連れで決死の嘆願にやってきたかと思うと、裏口には肉屋や飯屋店主が安い肉を売ってくれと列を作る。

 

もう大変だ。

 

こんな事を言っても後の祭りだが、正直俺はここまで冒険者組が頑張るとは思っていなかったんだ。

 

ちょっと街の食卓が安い肉で潤うかななんて事を考えてたら、今や人材派遣等の業務まで止めないと獲物の処理が追いつかないほどの異常事態だ。

 

この肉を市井に流せば大儲け間違いなしどころか、この街一つぐらいなら軽々と牛耳れるぐらいの利権になるかもしれない。

 

だが、さすがにそんなことをするわけにはいかないだろう。

 

トルキイバにはトルキイバの畜産業があって、彼らが食えなくなれば最悪ここらの食肉業界はこれ一発で完全にダンジョン依存になってしまう。

 

それは駄目だ。

 

しょせんダンジョンなんてものは軍の意向一つで焼かれてしまうような不安定な資源。

 

住民に恨まれるとかそういう問題じゃなくて、単純に危険すぎるんだよ。

 

穀倉地帯だから飢える事はないかもしれないけど、少なくとも食文化は確実に退化するだろう。

 

未来永劫に渡ってトルキイバの若者に恨まれ続けるのなんてまっぴら御免だからな。

 

 

 

「で、その考えなしな性格を治す気はあるのかい?」

 

「いやいやローラさん、僕はこれでちゃんと考えてるんですよ?ただ今回はちょっと皆が頑張りすぎちゃっただけで……」

 

「下の者が悪いわけじゃないだろう?わざわざ主人が手柄を挙げる場所を用意してくれたんだ、それで奮い立たんなら荒事に生きる者としてものの役には立たんさ」

 

「そういうもんですか」

 

「それに彼らは冒険者だろう、冒険者というのは常に一ディルでも多く儲けようと考えているものだ。そりゃあ稼ぎ場があるなら休日を返上してでも稼ぎに行くだろうさ。君は彼女らを責められないぞ」

 

「うーん、人を使うというのは難しいなあ」

 

「普通の貴族家ならば当然そういう教育を受けるものだが……君は初代だからな、仕方あるまい」

 

 

気持ちのいい風の吹き込む夫婦の寝室で、分厚いニットのマタニティウェアがどうにも似合わないローラさんはぐいっとお茶を飲み干し、書いていた手紙に蝋で封をした。

 

 

「そのために私がいるのだ」

 

「ありがとうございます」

 

 

ピンと背筋を伸ばした彼女から受け取った手紙は陸軍宛てだ。

 

簡単に言えば肉の引受先になってくれないかって打診だな。

 

もちろん俺だって自分のコネを使っていろんな所に手紙を送ってる、魔臟を治した患者とか、患者とか、患者の配偶者とかだな。

 

何をするにも根回しは大切だ。

 

 

「しかし、こんな大変な目に合ってもダンジョンに獲物を放置してくるつもりはないんだね?」

 

「いや、僕はお金のために事業をやっているので、儲かるなら多少大変でもやらないって手はないですね」

 

「まあ、君が実務をするわけじゃないからな」

 

「そうなんですよ、奴隷達には申し訳ないですけど、人も増やすんでもう少し我慢してもらおうと思ってます」

 

「ま、ダンジョンから素材を集め始めたら街の許容量を容易く超えたなんて話は、昔からない話じゃないから大丈夫だろうさ」

 

「そうだといいんですけど」

 

 

そう、今のトルキイバみたいな素材の供給過多の問題は、よそのダンジョン自治区でもごくまれ(・・・・)に起こる事がある。

 

ただそういう場所ができるには条件が結構特殊で、ほんとに数が少ないからあまり問題にならないんだ。

 

基本的に、ダンジョンの魔物なんて魔結晶を取ったらほったらかしだからな。

 

なぜなら騎士団の連中は魔結晶と間引きが目的で効率最優先だし、冒険者達が丸ごと持って帰ることのできる獲物なんてたかが知れているからだ。

 

ダンジョン産の魔物は冒険者ギルドの取り扱いから外れるため、持って帰っただけではお金にならないし、ダンジョン都市から持ち出すのに税金だってかかる。

 

更に言えば、無理をして毎日街の肉屋に持ち込んだところで肉屋側の処理能力の限界というものがある。

 

そういう色んな理由が重なって、ダンジョンの魔物は魔結晶を抜かれては放置され、掃除屋と呼ばれる鼠と虫と粘菌類の日々の糧となってきたわけだ。

 

だが、ここトルキイバには魔物を食肉や素材に加工できる環境が揃ってしまっていた。

 

税金のかからない狩場があり、べらぼうな数の冒険者がいて、獲物の持ち帰りが難しくないような特殊装備があった。

 

そして何より、全ての獲物を金に変えるツテを持つ俺と、夥しい数の奴隷の労働力が生み出す強大なバックアップ体制があったのだ。

 

そりゃあもう、大変だ。

 

トルキイバの南側の拠点を潰して急遽作られた食肉加工工場では毎日物凄い数の獲物が処理され、干し肉やソーセージになってシェンカー商会の物資蓄積所にずんずん積まれていっている。

 

自分の作った組織ながら、凄まじい稼働具合に唖然とするしかない。

 

人の力ってのはまぁ偉大なもんだと、ほうぼうから怒られながらもまるで他人事のようにそれを見ていた。

 

 

 

まあ、俺なんかはそんな感じで、まだまだ気楽なもんだったんだが……

 

そのバックアップ側、実務の頭であるチキンは、本当に大変な目にあっていた。

 

 

「いいからダンジョン班以外の冒険者全員工場に回して!人手が全然足りないのよ!」

 

「派遣の申込みに来られた方が怒ってらっしまいますけど」

 

「うちに派遣が欲しいぐらいなのよ!しばらくは無理だって言っといて!」

 

 

中央町にあるマジカル・シェンカー・グループの本部では、うちの筆頭奴隷のチキンが檄を飛ばしながら人員配置をやっていた。

 

自分の招いた事態ながら、大変な時に来てしまったな。

 

 

「お待たせしましたご主人様」

 

「いや、ごめんね大変な時に」

 

 

ここ最近の目の回るような忙しさで完全に目が据わっているチキンに追加の仕事を言い出すのはちょっと怖いが、話さなきゃ始まらないんだよな。

 

 

「人員の話なんだけど、足りてないよね?」

 

「足りてません!休日返上して稼ぎたいって子達をみんな投入してもまるで駄目なんです、通常業務にも穴が空いてます」

 

 

ピリピリしてるなぁ……爆発寸前の火薬のようだ。

 

チキンの目の下には濃いクマができている、今回の件で一番酷い目にあったのは間違いなく彼女だろう。

 

 

「それで実は、工場の近所の主婦の方々を臨時で雇おうかと考えているんですけども」

 

「ああ、それは好きにやって」

 

「助かります、意外と職を探している女性って多いみたいで、何件も問い合わせが来てたんですよ」

 

「あんまり安く使わないようにね」

 

「ちゃんと相場通りにやりますよ」

 

 

その話でちょっとだけ気力を持ち直した様子のチキンは、そういえば今日はなんの御用でした?とスプーンで珈琲をかき混ぜながら聞く。

 

彼女には苦労をかけ続けてるからな、なるべく手短に行こう。

 

 

「実は近々俺の研究の方でも人手が必要になるもんでさ、ここらで大量に奴隷を買い付けようと思うんだけど」

 

「それは是非!ただ……宿舎が足りません。今所有している宿舎の二人部屋を四人部屋にしても五十人ほどの追加が限度かと思います」

 

 

なんの資料も見ずにこういう情報が出てくるあたり、ほんとにうちの組織はチキンでもってるんだろうなと思う。

 

俺は感謝の念と共に彼女に再生魔法を送った。

 

 

「実はそれに関しては前々から町会長に相談してたんだけど、このシェンカー通り周辺の家を買おうと思ってるんだ。今なら金もコネもあるしな」

 

「それいいですね、何軒買うんですか?」

 

 

景気のいい話と再生魔法が効いたのか、チキンの表情もだいぶ柔和になってきた。

 

よしよし、ついてきてくれよ。

 

 

「全部」

 

「え?」

 

「段階的になるかもしれないけど、最終的に全部買う」

 

 

チキンは「え?」と言った表情のまま固まってしまった。

 

ただ固まりながらも左手は紙を手繰り寄せ、右手はしっかりとペンを握っている。

 

こいつの仕上がり方も相当なもんだな。

 

 

「ここらの土地全部買い占めて、建物を上に伸ばす。平屋を全部ぶっ壊して、五階建てのマンションに建て替える」

 

「まんし……ってなんですか?」

 

「マンションってのは今ある二階建ての長屋を、デカく高くしたものなんだ。土地を有効活用して収容人数を伸ばすことができるってわけ」

 

「それは、なかなか手間も金もかかりそうですね」

 

 

と言いながらも、手では何かを計算し続けている。

 

 

「それをまあ、十棟ぐらいは作るかな」

 

「はあ、十棟」

 

「一階に十部屋ぐらいかな。四人家族が住めるぐらいの広さは欲しい」

 

「ふんふん、二百人入る建物を十棟ですか……」

 

 

チキンの手が止まった。

 

ペンを置き、驚愕の表情で固まっていた顔をぐにぐにとほぐし、頭をかいた。

 

 

「あの、それって……」

 

「うん」

 

「これまでと規模が全然違いますよね」

 

「うん」

 

「拠点っていうか、町ですよね」

 

「そうだね」

 

「あはは、シェンカー町ですか」

 

「ま、そういう言い方もできるのかもね」

 

「……いやいやいや!サラッと言わないでくださいよ!?」

 

「しょうがないだろ、人が集まりゃ町になるんだよ。とにかく人手全然足りないから今後は男の奴隷もジャンジャン買うからな、管理よろしく!」

 

 

言うべき事を言って、俺は立ち上がった。

 

時間は限られているんだ。

 

早速緊急の買い付けを依頼すべく奴隷商に行かなければ。

 

 

「いや待ってくださいよ!管理職が足りてないんですって!」

 

 

これからは忙しくなるぞ。

 

シェンカーもトルキイバも、このダンジョン食肉事件を機に大きく変わっていく事になるだろう。

 

 

「だから段階を踏んで!せめてジレンが戻って来るまで待ってください!」

 

 

そうだ、この先人が増えれば新たな娯楽も必要になるだろう。

 

俺は高級路線の大劇場を作る予定だったが、庶民向けの喜劇なんかをやる小さな劇場を入れたビルを建てるのもいいかもな。

 

トルキイバ新喜劇、どうだろうか?

 

 

「お願いですから知識奴隷もいっぱい買ってください!計算ができるだけでもいいんで!」

 

「うわっ!!チキンさん!なんでご主人様の腰にしがみついてるんですか?」

 

「大胆ねぇ」

 

「三徹目だもの、そんなこともあるわ」

 

「私はヤギ、紙はごはん」

 

「ちょうちょがとんでる」

 

 

徹夜と過労で死屍累々のシェンカー本部の玄関を再生魔法を振りまきながら通り抜け、力強い春風の吹きすさぶシェンカー通りへと足を運ぶ。

 

そこかしこを若い衆が走り回り、剣を佩いた冒険者が土竜の神様に熱心に祈りを捧げている。

 

シェンカーの奴隷たちがソーセージの木箱が山のように積まれた荷車を押していくのが遠くに見えた。

 

俺の考えなしから始まった騒動で、町が揺れているようだ。

 

だが、起こってしまった事はもう仕方がないんだ。

 

どうせ責任を取るのは俺ならば、どうなろうと最善を尽くすだけ。

 

空を見上げると、吹き飛ぶように雲が動いていく。

 

俺の足にしがみついていたチキンの頭を、風が運んできた土埃がザアーッと撫でる。

 

トルキイバに、強く、強く風が吹いていた。

 




わにわに


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第69話 君がため されど悲しき うたうたい

伝えるというのは大変です、歌うということは大変ですねほんま


春の感謝祭が間近に迫ったトルキイバは、いまだにダンジョン産食肉の熱狂(バブル)に湧いていた。

 

普段は人材を派遣する窓口であるマジカル・シェンカー・グループ本部だが、今は逆に精肉工場の作業や荷運びの仕事を求めてやってきた人々でごったがえしている。

 

うちの食肉に対して軍本部からの返答はまだないが、トルキイバの近くにある陸軍の駐屯地からは「まとまった数があるなら購入してもよい」と色よい返事を貰った。

 

今は評価のために馬車いっぱいのソーセージを送って先方の決定を待つ状態だ。

 

 

 

まぁそんな感じで事業は一部順調なんだが、もちろん順調じゃない部分も大いにある。

 

人材不足だ。

 

事業が急に拡大したせいで、これまで維持してきた規模の組織では業務を全く賄えなくなっている。

 

実務の頭のチキンにも大変な苦労を強いてしまっている、ほとんどデスマーチ状態だ。

 

となると、根本解決のためにはどこかから労働力を引っ張ってくるしかないよな?

 

 

 

いまシェンカーの本部には、その労働力候補たちが外の道にはみ出る勢いでひしめき合っていた。

 

何人でもいいから集めてくれと言ったら、何が起こったのか奴隷商に収まらないぐらいの奴隷が集まってしまったらしく、昔なじみの奴隷商人の爺さんペルセウスが特別にここまで連れてきてくれたのだ。

 

もうむさ苦しくてやんなるぐらい男ばっかりで、紅顔の少年から棺桶に片足突っ込んでそうなジジイまでよりどりみどり。

 

 

「このペルセウス、サワディ様が男女を問わず、身分の差なく奴隷をお求めになられるこの日を一日千秋の思いでお待ちしておりました」

 

「大げさだな。しかしよくこんなに短期間で数が集まったね、運が良かったのかな」

 

「そういうわけではございません。ここに集まったのは何年も前からサワディ様のお呼びを心待ちにしておった者たちです」

 

「えぇ?何年も前からって、奴隷の人達だろう?」

 

 

奴隷ってのは基本的には一定の期間売れなければ売れる場所に連れて行かれるものだ。

 

何年も前から待つなんてのはおかしな話だった。

 

 

「このペルセウス、この日この時のために、これはと思う男の奴隷は手元に留めておりました。他にも貯金を切り崩し、親族の支援を受けながら、サワディ様に買われるのを待っておった者もおりますゆえ……」

 

「ふぅん、そりゃありがたい話だけど、そんな余裕があるなら治療を受ければよかったのにな。金貨十枚ぐらいから受けてくれるところもあるらしいじゃん」

 

 

貴族になれず、かといって戦争にも行かずに市井(しせい)で暮らしている平民の再生魔法使いだっているんだ、わざわざ奴隷になんかなることないよな。

 

 

「サワディ様、金貨十枚というのは、平民にとって爪に火をともすような思いをして数年をかけて貯めるようなお金なのです。それに魔法使い様にも腕の上下、その日の気分の良し悪しがございます」

 

「そんなもんか」

 

「そういうものでございます。あなたが痩せこけたケンタウロスを買いにいらしてから早五年、その間に培った信頼が、風評が、この男達を集めたのです」

 

「そりゃ信頼されるのはいいけどさ、ずいぶんと年を食ったのもいるよな。働けるのかい?」

 

「よくぞお尋ね頂けました。実は本日の目玉商品こそが、この古強者の男たちなのです」

 

「いや、古強者っていうか、ジジイっていうか……」

 

 

明らかに顔つきが曖昧な感じのやつや、へたり込んだまま立ち上がれないようなのもいるぞ、本当に大丈夫か?

 

ペルセウスは困惑する俺を無視したまま、一番前にいた、白髪を肩まで伸ばした歯のない爺さんの肩を叩いた。

 

 

「まずはこの者ですが、元エティオス男爵家の家令の者でございます。男爵家ご断絶のため暇を出されましたが、心の臓を病みサワディ様の噂にすがって私の元へと参りました」

 

 

歯のない爺さんはヨボヨボだが、たしかに立ち姿はシャキッとしていて目つきも確かだ。

 

 

「今後チキンを家令か家宰としてお使いになられるのならば、体系立った知識は必須でございます。この者に教育をお任せになるべきでしょう」

 

「そうか、教育者か、その考えが抜けていた」

 

 

ペルセウスは手を打って感心した俺に満足そうな顔を向け、次に髪のない爺さんの手を引いて連れてきた。

 

どうも目が見えていない様子のその爺さんはそれでもキョドキョドした様子がなく、泰然自若としてしっかりと立っている。

 

 

「ルエフマの金物問屋のご隠居です。一度魔法使いに治療を請うたそうですが上手くはいかなかったようです。実務経験、場数ともに不足はありません」

 

「うん、いい人材だ」

 

 

ニイィと獣のような笑みを浮かべたペルセウスは、次に杖をついた隻眼で黒髪の中年男を呼び出した。

 

身体の半身は細く小さく萎びているが、もう半身は研ぎ澄まされた刃のように鋭い。

 

今も片足と杖で立ちながらも不安定さを感じさせない不思議なバランス感覚があった。

 

 

「槍術家です、武芸百般に通じていると大法螺を吹いておりましたが。なかなかに巧みな法螺でございましたので、武芸の腕よりも達者な弁舌を買いました」

 

「ふぅん、でも問題起こしそうだなぁ」

 

 

俺の言葉に男はビクッと肩を震わせたが、うちだって別にトラブルメーカーはいらないんだ。

 

ペルセウスは口の片側だけを薄く上げ、右手胸に手を当てて左手で男の背中を叩いた。

 

 

「ご心配なく、このペルセウスまだまだ目利きの勘は鈍っておりません。この男、必ずしやサワディ様の役に立つことでしょう」

 

「まあ奴隷商人ペルセウスがそこまで言うなら、逆に頼もしいかもね」

 

 

この爺さんとの付き合いもなんだかんだと長い、彼が必要だと言うならば、この法螺吹きは多分俺に必要な男なんだろう。

 

それからもペルセウスは次々と老人ら中年層が中心の即戦力人材を紹介した。

 

たしかに言うだけあって経歴は凄い人材ばかりだ。

 

家令、商人、執事、棟梁、料理人、教師、細工師、鍛冶師、手に職ってだけでいいなら他にも仕事の出来そうな奴が山のようにいる。

 

ちょっとやっぱり、これまで買ってきた女の奴隷とは全く毛色が違うな。

 

 

「元より男は働くもの、女は育むもの。都市を支えるのは男達の仕事であります故、奴隷の本流も男にございます。これからもご用命頂ければ、お望みの数を揃えてご覧入れましょう」

 

「いや助かった。これからも頼りにしてるよ。そっちで養ってたっていう奴隷のこれまでの分も乗っけていいからね」

 

 

爺さんは「左様でございますか?」なんて言いながら迫力のある笑みを浮かべる。

 

あんたに変な借り作ると怖いんだよ!

 

信用はできるけどちょっとだけ底知れない危うさを持つ、それが奴隷商人ペルセウスなのだった。

 

 

 

契約を交わし、代金を支払い、魔道具で制約を刷り込み、さっさと治療してから奴隷達をチキン達へと引き渡した。

 

シェンカーの先輩たちに従えと厳命してあるから、とりあえず当面はうちの女達に従うだろう。

 

落ち着いたらお決まりの新兵訓練フルコースをやって、イベントなんかで段階的に親睦を深めていけばいい。

 

兎にも角にも今この時はシェンカーの非常事態なんだ、奴隷たちにも多少の不平不満や軋轢なんかは我慢してもらう他ないだろうな。

 

 

「しかし、今日は本当にありがとう。助かったよ。こんな無茶を聞いてくれるのも爺さんぐらいだな」

 

 

大商いを終わらせて、金貨を数え終わったペルセウスに改めて礼を言う。

 

彼も相当に儲けているはずだが、実際俺が大いに助かっているのも事実だからな。

 

 

「いえ、無茶ではありません。先にも言いましたが、私は五年前からこの日を待っておりましたので」

 

「なんだそりゃ、商人ってそこまで先読みができなきゃいけないのかい?」

 

「先読みというよりは、確信でございます」

 

 

彼はこれまで見たことがないような神妙な様子で、呟くようにそう言った。

 

 

「どういうこと?」

 

 

どうにも様子のおかしいペルセウスからは、問への答えではなく独白のような言葉が返ってきた。

 

 

「サワディ様。トルキイバはシェンカー家のご三男様」

 

「ん?」

 

 

老いてなお爛々と輝く彼の目は、俺よりもなにかもっと大きなものを見つめているように見えた。

 

 

「もう少しお年を取られましたらば、お髭をお生やしなさいませ(・・・・・・・・・・・・)、きっとよくお似合いでございます」

 

 

そんな冗談みたいな事を、まるで懇願するように言うのを不思議に思いながらも、俺はキッパリとこう返した。

 

 

「やだね」

 

 

俺は貴族(こうむいん)だぞ。

 

清潔感は最優先事項だ。

 

髭なんてもっての外。

 

もちろん生やしてる先生も結構いるけど、俺みたいな新参が偉そうにそんなものを蓄えては生意気というものだろう。

 

やはり軽い冗談だったのか、俺の返事に脱力した様子のペルセウスはニヒルな笑みだけを残して帰っていった。

 

さあ、人手は増えたけどやることは山積みだぞ。

 

研究、雑用、経営、治療に人付き合い。

 

忙しいのは俺も奴隷も変わらないんだよな。

 

 

 

奴隷を大量購入してから数日、ちょこっとだけ落ち着いた休日の事。

 

貴族向けに間取りを広く取って作られたスレイラ邸の玄関ホールには、小規模編成の楽団(バンド)が楽器を広げていた。

 

メインの楽団は王都に行っているから今日の面子は言わば第二楽団、普段は別の仕事をしていてお祭りや催事なんかになると集まる非常勤の演奏家たちだ。

 

お腹が大きくなって気軽に外に出られなくなったローラさんのために、彼女達と音楽家達に頼んで曲を練習してもらっていたのだ。

 

もちろんそれだけじゃない、今日は俺がローラさんのために歌うサプライズも仕込んである。

 

前世の俺ならとてもやれなかったようなキザなやり方だが、この世界じゃあ歌や詩を贈ることなんか当たり前のことだからな。

 

 

「しかし私設楽団をいくつも持ってるだなんて、金満貴族そのものだな、君は」

 

「その金満貴族の奥方は、こういうのはお嫌いですか?」

 

「度が過ぎたものは苦手だが、楽しいことは嫌いじゃない」

 

 

狼人族の娘が電光石火のピッキングでカポをつけたバンジョーのような楽器を速弾きしまくるのを見て、ローラさんも体を揺らしながらリズムを取っている。

 

数ヶ月前にうちにやってきた音楽家達も、最近暇になってからはこの地域の酒場に入り浸って地域の音楽を学んでいたらしい。

 

今楽団がやっているのは管楽器を多用する王都風や劇団風の曲じゃなく、この土地に根差した簡素な弦楽器や笛、日用品などで演奏される雑多で明るい曲だった。

 

もちろん音楽家に作らせた曲ばかりじゃない、このあたりの酒場じゃ定番になっている地域の名曲もたくさん用意してもらった。

 

ローラさんも「この曲は祭りで聴いたね」と嬉しそうだ。

 

館の使用人たちも仕事の合間に入れ替わり立ち代わり聴きにやってきて、10曲ほどやったところで俺の出番が来た。

 

バンドの前に立つ俺が「あなたのために歌わせてください」と言うと、嬉しそうに手を叩くローラさんの後ろで演奏を聴いていた使用人たちがキャーッと声を挙げた。

 

二人ばかり奥へと走っていったかと思うと、料理人やメイド長のミオン婆さんなんかを連れて戻ってくる。

 

結構プレッシャーだけど、こういうのは照れちゃあやれないよな。

 

バイオリンっぽい楽器が繊細な前奏を弾き始めたかと思うと、二小節ほど遅れてバンド全体がしっとりとメロウにドライブし始める。

 

曲調はカントリーっぽいのに、気分はソウル歌手だ。

 

 

私のぉ〜愛しい蜂蜜〜♪(マイスイートハニー) 君はまるでぇ~夜空に浮かぶチキンレッグさぁ~♪」

 

 

跳ねるベースに背中を押され、俺の想いを詩に乗せてローラさんへと伝える。

 

 

「あなたがいないとぉ〜私はぁ〜空気のないぃ〜川魚ぁ〜♪ 口をパクパクさせてぇ~溺れてしまうぅ~♪」

 

 

あれ、おかしいな。

 

料理人たちが奥に引っ込んでいくぞ。

 

 

「あなたの金色の髪はぁ〜虫歯を育てる黄金糖〜♪ 山の地層にぃ~煌めく雲母ぉ~♪」

 

 

あれ、メイド達やミオン婆も首を振って奥に戻っていく。

 

お、おかしいな。

 

若い二人のために気を使ってくれたのかな?

 

まさか俺の詩が駄目って事はないよな?

 

何度も何度も音楽家たちにリテイクされたもんな……

 

嫌な予感を抱えながらもなんとか歌い切った俺だったが、音楽家は下を向いて項垂れていて、楽団の娘達は苦笑い。

 

いやいや、いやいやいや。

 

に、二十一世紀生まれの俺のセンスはちょっと尖りすぎてたかな?

 

まぁ、後でローラさんに「独特な詩だね」って褒めてもらえたから良しとしよう。

 

こういうのは気持ちが大事だもんな。

 

気持ちだよ、気持ち。




コルネットとトランペットってどう違うんだろう


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閑話 オールナイト・クラウニア

ちょっと今週本気で忙しくて、来週しっかりやりますので

10月12日20:30に色々追記しました


こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

ただいま、仮設放送設備による放送を行っております。

 

音の出ている発声造魔にはお手を触れないようにお願い致します。

 

本日は幸いな事に快晴に恵まれ、素晴らしい感謝祭日和になりました。

 

太陽の神に感謝し、今日も健やかな一日を過ごしましょう。

 

それでは今日も体操を始めます。

 

腕を高く上げ、背筋を伸ばす運動から。

 

おいっちにーさんしー、ごーろくひちはち。

 

 

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

ただいま、仮設放送設備による放送を行っております。

 

音の出ている発声造魔にはお手を触れないようにお願い致します。

 

迷子のご案内をいたします。

 

中町よりお越しのロザミーちゃんのお兄様、お姉様、ロザミーちゃんは本部前にてお預かりしております。

 

中町よりお越しのロザミーちゃんのお兄様、お姉様、ロザミーちゃんは本部前にてお預かりしております。

 

大変混雑しております。

 

お子様のお手を離さないようお願い致します。

 

 

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

ただいま、仮設放送設備による放送を行っております。

 

音の出ている発声造魔にはお手を触れないようにお願い致します。

 

もう少ししましたら、本部前にて腸詰めパンの早食い競争を開始いたします。

 

え?

 

ちゃんと名前を言え?

 

はいはい……

 

えー、本部前にてホットドッグの早食い競争を行います。

 

ホットドッグの名前の由来は誰も知りませんのでお尋ねにならないようにお願い致します。

 

トルキイバ魔法学園は造魔学研究所の准教授、サワディ・スレイラ氏が決めた名前でございます。

 

ウェーェェェイ!

 

フゥゥゥゥゥ!

 

ちょっ!酒臭っ!放送中なんだけど!

 

ホットドッグゥゥゥ!!

 

タダで肉食べ放題!肉!

 

勝ったらソーセージ一年分!!

 

肉食って肉貰えんの!ニャハハ!

 

あんたら出ていきなさいよ!マイクに触るな!

 

あたしニッシュ!猫人族!恋人募集中!

 

あたしウィスグ!鳥人族!既婚!

 

こいつヤギのターレス!処女!ニャッ!

 

出てけ!

 

ホットドッグ早食い競争の出場希望者は、本部前のモグラ神社前まで。

 

人数が揃い次第締め切らせていただきますので、皆様奮ってご参加ください。

 

 

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

これ聞こえてるのー!?

 

ただいま、仮設放送設備による放送を行っております。

 

おーい!

 

音の出ている発声造魔にはお手を触れないようにお願い致します。

 

歌うたいまーす!

 

落とし物のご案内を致します。

 

茶色いうさぎのぬいぐるみ。

 

私のぉ〜愛しの蜂蜜ぅ〜!

 

うるさいよ!どっか行け!

 

ターレスだけそれで遊べてずるいよぉ〜。

 

仕事なんだよ仕事!

 

えー続けます。

 

若草色の襟巻き。

 

年寄りのロバ。

 

君はまるでぇ〜夜空に浮かぶチキンレッグぅ〜!

 

入ってんだよ!後ろで歌うな!

 

え、続けます。

 

ロース嬢の木版画、二枚。

 

ねぇねぇ!面白い話あんだけど話していい!?

 

あたしも歌いたい〜!

 

うわっ!いっぱい来た!

 

狭いんだから入ってくんなよ!

 

発信造魔を握るな!

 

 

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

夜の!!

 

よるのぉ〜!

 

うちから!!

 

うちからぁ〜!

 

飲んでた酒は!!

 

酒はぁ〜!

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

暗い!!

 

くらいぃ〜!

 

空から!!

 

そらからぁ〜!!

 

流れた涙!!

 

なみだぁ〜!!

 

ただいま、仮設放送設備による放送を行っております。

 

歌うなっつってんだろ!!

 

この部屋は十人も二十人も入らないんだよ!!

 

うねる!!

 

うねるぅ〜!

 

黒髪!!

 

くろかみぃ〜!

 

音の出ている発声造魔にはお手を触れないようにお願い致します。

 

輝く瞳!!

 

ひとみぃ〜!

 

差し入れは結構でございます。

 

差し入れはもう結構でございます。

 

歌姫!!

 

うたひめぇ〜!

 

お酒はもう置き場がございません。

 

カデンツァ!!

 

かでんつぁ〜!

 

差し入れはもう結構でございます。

 

煌めく星!!

 

ほしぃ〜!

 

もう散れお前らも!!

 

イェーイ!!

 

みんな聞いてるー!?

 

外で歌ってこいよ!

 

ターレスやってる?タコ焼き持ってきたけど。

 

差し入れはもういいって!

 

 

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

こちらは、マジカル・シェンカー・グループ本部です。

 

ただいま、仮設放送設備による放送を行っております。

 

音の出ている発声造魔にはお手を触れないようにお願い致します。

 

これより本部前にて音頭の演奏がございます。

 

ぜひ皆さん奮って踊りにご参加ください。

 

あけろー!

 

ずるいぞー!

 

マジカル・シェンカー・グループでは精肉工場および皮革工場にて短期従業員を募集しています。

 

問題なく働ける方でしたら年齢性別問いませんので、ぜひ一度お近くのマジカル・シェンカー・グループ支部までお尋ねください。

 

釘抜き持ってこい!

 

放送室を開放しろー!

 

 

 

こちらはぁ、ジカルシンカグープ……です。

 

こちらはぁ……ウップ……です。

 

たらいまぁ、さしつほうそうへつひでほうそうしてます。

 

ゲハゲハの揚げ物食う?

 

たべ……うっぷ、おなかには……さわらないようおねがいします。

 

もうおさけはいいです。

 

もってこないくていいれす。

 

ここで最近聞いた面白い話を一つ。

 

この間夜中に本部前で酒飲んでたら変なおじさんが歩いてきて……

 

コートの下が裸だったんでしょ?

 

オチを言うなよ〜

 

その話何回聞いたと思ってんだよ。

 

かんしゃさいは。

 

おわり……うっぷ……です。

 

みなさま、おきをつけて……

 

東町にある本屋の店員がイケメンでさ。

 

あんた本なんか読むの?

 

読まないけど別にいいじゃん。

 

おきをつけて……おかえりください……

 

のみすぎないように。

 

ターレス、杏のお酒飲む?

 

のむ。

 

これにて、ほ……そ……もさいごになります。

 

ありがとうございました。

 

ターレスあっちで寝てなよ、顔色悪いよ。

 

ありがと……

 

えっと、これが音大きくするやつで、こっちが小さくなるやつ、これが止めるやつね。

 

じゃあ今日は朝まで二次会ということで!

 

トルキイバのほんとに怖い話、百個やります!

 

ついてこいよ〜!!

 

随分とご機嫌だな。

 

えっ?

 

あっ……メンチさん……

 

ご主人さまや奥方様が学園の方にいるからといって、ここまで羽目を外していいと思ったか?

 

いや、その……

 

全員連れて行け!感謝祭の片付けはこの馬鹿共にやらせる!

 

その後は男達の新兵教育に3日ほどぶち込め!

 

そんなぁ〜

 

そりゃご主人さまの詩を勝手に歌ったのは悪かったですけど……

 

連れて行け!

 

……ふん、放送か……

 

いくらご主人さまが便利なものを作っても、使うものがあれではな……

 

うん、あー

 

どうやって切るんだ。

 

聞こえているのか?

 

ザ、ザザッ……

 

これは……?

 

ガリッ、ガリッ!

 

あ……曲がってしまった……

 

どうしよう……



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第70話 線路脇 ふるさと思う 旅の空 前編

今日は誕生日で、僕も30歳になりました。

先々週仕事で頑張りすぎたのが祟ってか、一週間前からの風邪が治らず熱が下がりません。

ケーキのかわりにinゼリーを飲みました。


私達がタラババラでの交易を終え、トルキイバへの帰路を辿り始めてしばらくが経った。

 

来る時は薄く雪が積もって真っ白だった大地も、この帰り道では痩せて赤茶けた地肌を晒している。

 

地面の石を踏んだ馬車の車輪がギィギィと鳴り、御者が心配そうに後ろを振り返った。

 

行きではこんな音を聞いたことはなかったから、私も少しだけ不安だ。

 

何でもいいから珍しい物があったら買いまくれと言われていたから、馬車にはあっちで買った珍しい物品がぎゅうぎゅう詰めになっている。

 

予備の車輪も積んでいるけど、もう少し買い付けを控え目にしたほうが良かったのかもしれない。

 

ギィギィ車輪を鳴らしながら、はるか遠くの地平線へと続く線路を辿り、私達は他の商隊や冒険者達とすれ違ったり追い越したりしながら故郷(トルキイバ)への道をひた進んでいた。

 

 

「ねぇピクルス、次の街まではどれぐらいかしら」

 

 

交易隊の代表を務めるジレンさんが、馬車の屋根の上で遠眼鏡を覗き込みながら聞いた。

 

 

「正確にはわがんねども。あたしみたいなケンタウロスの足ならともかく、馬車にこんだけ荷物積んでたら三日ぐらいはかかんだべ」

 

「今日も野宿ねぇ、シェンカー本部のお風呂が恋しいわ」

 

 

そう言いながら、ジレンさんは出発前より幾分と色の変わった服の胸元を引っ張って匂いを嗅いだ。

 

 

「しょうがねぇべ、汚ぇのも臭ぇのも旅の醍醐味だっぺよ」

 

「あーあ、もし列車に乗れたら都市から都市で、こんな思いもしなくていいんでしょうね」

 

「そりゃあそうだども……」

 

「き……た…………よ……」

 

 

私の背中に、偵察で空に上がっていた鳥人族のボンゴちゃんがふわりと止まった。

 

道路に建てられた柵の向こう側にある線路の石が振動で震え出し、どこからともなくヒュゥン、ヒュゥンという音が聞こえてくる。

 

 

「馬車止めろーっ!列車が来るぞーっ!」

 

「列車が来るぞーっ!」

 

「装備整えろーっ!」

 

 

線路の遥か遠くの方に赤い豆粒みたいなものがチラッと見えたかと思うと、それはあっという間に大きくなる。

 

額に金の紋章をつけた真っ赤な機関車はものすごい勢いで近づいてきて、私達の横を掠めるようにすっ飛んでいった。

 

巻き起こった風に混じった砂がぴしぴしと体に当たって痛い。

 

列車というものは、何度見ても圧巻の迫力だ。

 

速くて強くて、バカみたいに長い。

 

飛竜のような速さで進んでいるはずなのに、いつまでたっても機関車に続く貨物車の列が途切れない。

 

あんな都市を一巻きできそうなぐらい長い列車で、一体どこに何を運んでいるんだろうか。

 

 

「何回見ても凄いわねぇ、この赤い列車ってサワディさまが作ったやつでしょ?」

 

「いんやご主人様が作ってたのは、もっともっと小さくてノロマなやつだっぺ」

 

「い……く……よ…………」

 

「うん、頼むっぺよボンゴちゃん」

 

 

ごそごそと馬車から投げ槍を取り出したボンゴちゃんが、二、三歩助走をつけて空に舞い上がった

 

列車が通ったあとは音に釣られた魔獣がやってくるからみんなで迎撃するんだけど、ボンゴちゃんはデカいのが来ないかどうか空から見張ってくれてるんだ。

 

 

「東に歩き鳥っ!二匹ーっ!」

 

「西からお面猿!三匹ーっ!」

 

 

ほうぼうから声が上がるけれど、もうこの交易隊では小物ぐらいなら私が動く必要もない。

 

ゆっくりと大弓に弦を張っているうちに、押し寄せる魔獣たちは次々に討ち取られていく。

 

トルキイバからタラババラまでの長旅を経て、私達の心も体も軍人のサーベルのように研ぎ上げられていた。

 

軽々と討ち取られていく魔獣達に、今回は大物は来ないかなと思っていたその時、空からピュイーっと甲高いボンゴちゃんの警戒音が上がった。

 

そのすぐ後に、ヒョルゥゥゥゥゥと西を示す鳴き声。

 

私が背中から矢を三本抜きながら西を向くと、そこにはケンタウロスの群れを追いかける巨大な濡れ鼬の姿があった。

 

濡れ鼬とはこの辺りに多い三つ目の巨獣で、背中の体毛が針のように鋭く光沢があり、それがまるで濡れているように見えるのでその名前で呼ばれているのだ。

 

 

「濡れ鼬ひとぉつ!こっちに引くべ!」

 

「おうっ!」

 

「手空いたやつから集まれーっ!」

 

 

一本目の矢を引き絞って射る。

 

地面を這うように飛んだ矢は遠く離れた濡れ鼬の横っ腹に突き刺さり、白い毛皮に赤色が混じった。

 

平原中にジィィィィ!!と濡れ鼬の低く大きな鳴き声が響き渡り、その太い鼻先がこちらを向く。

 

二射目は右前足の付け根に突き刺さった。

 

でもそんな小さな矢など気にも止めず、濡れ鼬は猛烈な勢いでこちらへと駆けてくる。

 

三射目は左目の奥に潜り込んだ。

 

ジィィィィィ!!と夢に見そうな恨めしい声を漏らしながら、やつはそのまま真っ直ぐに突っ込んでくる。

 

 

「構えぇ!!」

 

「おうっ!」

 

「来いやぁ!」

 

 

もう三歩ほどで私に食らいつけるというところで、私の前に陣取った仲間達が一斉に槍衾を作った。

 

ほんの十人やそこらの槍衾だ、ちょっと脇に避ければおしまいだ。

 

足を踏み変えるだけの、ちょっとした隙。

 

その隙に、大弓から持ち替えていた私の投槍が突き刺さった。

 

額の目玉に槍が突き刺さった濡れ鼬が、ジッ!と声を上げたのと、ひとつ残った右の目玉に、急降下してきたボンゴちゃんの槍が突き刺さったのはほとんど同時。

 

ズルっと足を滑らせたそいつは走ってきた勢いのままに何回転か転がり、四方八方から槍で突き刺されてあっという間に動かなくなった。

 

 

「よっしゃーっ!」

 

「すぐ魔結晶抜けーっ!血の匂いに釣られた奴らが来る前に離れるぞーっ!」

 

「歩き鳥は後で食べようよ」

 

「血抜きして馬車にくくりつけちゃえ」

 

 

みんなでテキパキと解体作業をやっていると、さっき逃げていったケンタウロスの群れがこっちにやってくるのが見えた。

 

痩せた群れだ。

 

質素な貫頭衣に、原始的な弓矢。

 

私が生まれたところのケンタウロス達もああいう格好をしていた。

 

 

「さっきは助かった!あの濡れ鼬をいともたやすく討ち取るその強弓、まるで伝説に聞くネウロンの如しだな!」

 

「旅の空は助け合いだで、別にええよ」

 

「俺達は遊牧をやって暮らしているものだ。俺はケイロネスのラーベイター」

 

「あたしはトルキイバのピクルス」

 

「頭数の揃っていないところを地竜に引かれた濡れ鼬に襲われてな、本当に危ないところだった。重ね重ね礼を言う」

 

「ええよ別に、あたしらももうすぐここを離れるでな」

 

「どちらへ向かわれる?もし追いつけたら夜にでも心ばかりの礼を届けよう」

 

「南だべ」

 

「よしわかった!ではな、トルキイバのピクルス!勇猛な女戦士よ、また会おう」

 

 

ケイロネスのラーベイターは手を振って去っていった。

 

ここいらのケンタウロスはみんな青みがかった髪色をしているのだなと、彼らが丘陵の向こうへ消えて行くのを見つめながら考えていた。




風邪引いたからって会社が休めるわけでもなくあんまり書けませんでした、続きは早めに投稿します。


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第71話 線路脇 ふるさと思う 旅の空 後編

ご心配おかけしました。
風邪治りました。
次からはまたサワディくんの話です。


この日は夕陽が地平線の向こうに沈む前に野宿の準備を始めた。

 

 

「水当番はお湯沸かせーっ!お湯が先だぞ、寝床が後でお湯が先」

 

 

ジレンさんはここぞとばかりに檄を飛ばし、当番の子たちを急かす。

 

 

「わかってるっつーの」

 

「前それで飯が遅くなって喧嘩になっただろ、文句言わずにやれ」

 

「前って、そんなのトルキイバ出たばっかりの頃じゃん」

 

「そんぐらい飯の恨みは長引くって事だよ、早く早く、今日は揚げ麺の日だぞ」

 

 

野宿のご飯って基本的には途中の町で買った食べ物なんだけど、それがなくなったら乾パンを使ったパン粥か、トルキイバから持ってきた揚げ麺だ。

 

揚げ麺は本当によくできた食べ物で、お湯をかけるだけで食べられるのにそこそこ美味しくて、そのまま汁物にもなるから体もあたたまる。

 

湯切りして食べるのが好きな子もいるけど、そういう子は戻し汁をコップに入れて飲んだりして工夫してる。

 

いろんな食べ方ができる食べ物っていうのは、旅の空ではありがたい。

 

乾麺だとお湯が無駄になるし、ソースを作るのが大変だしね。

 

 

「歩き鳥は煮込みにすっかこりゃ」

 

「いや焼いて揚げ麺の上に乗せればいいじゃん」

 

「煮込みによぉ、あの黒いのチョロっと垂らしたらいい感じよ、ひひひ」

 

「リエロよぉ、ありゃご主人さまに渡す分だろ、銀蝿(ギンバイ)は良くないって」

 

「大丈夫大丈夫、実はあたし自分用にもちょっとだけ売ってもらってきたんだよね」

 

「なんでさ」

 

「将来飯屋で食ってこうと思ってっからさぁ、あれ(しょうゆ)もそのうちトルキイバで売られるかもしれんだろ?今のうちに使い方覚えときゃボロ儲けってわけよ」

 

「はぁ~、頭いいなぁ」

 

「先よ先、先考えないと」

 

 

冒険者組でも、将来のことを考え始める子が増えてきた。

 

三年真面目に勤めれば後は何やったっていいって言われてはいるけど、好きなことをやって食べていくには努力が必要だ。

 

奴隷の私達がこんな事を考えられるのがどれだけ贅沢かって事もわかっているけど、欲望に限りがないのも人間の本質。

 

楽しく生きるには、張り合いがないとね。

 

 

「……に……く………」

 

 

でもあたしとボンゴちゃんは……冒険者の()を考えるのはまだ早いかな?

 

 

 

荒野の野宿は簡単だ。

 

火を焚き、天幕を建て、寝袋を着て横になるだけ。

 

それ以外にやりようがない。

 

ここらへんは水がないせいか生きもの自体が少なくて、超巨獣も寄り付かないから気楽なものだ。

 

更に私達はご主人様の持たせてくれた魔具水瓶のおかげで水の心配はしなくていいから、他の人よりもっともっと気楽。

 

水瓶を持ってない人にとってはこの荒野は難所らしくて、遠回りの迂回路を通る人が多いそうだ。

 

 

「あんれ寝袋穴が空いてらぁ」

 

 

寝床の準備をしている子が、寝袋に空いた穴に指を通してぴこぴこ動かしている。

 

私達はいざって時すぐ走れるように、靴を履いて寝るから足元は穴が空きやすいんだ。

 

万が一超巨獣が来たら一目散に逃げないといけないからね。

 

 

「いまのうちに縫っちゃえば~?」

 

「これももっと外の生地が強けりゃなぁ、どうせ支給品作るならもうちょっと金使ってくれればさぁ」

 

「つったって内側に毛皮使って十分高級品じゃないの。贅沢言ってたらまた穴掘りさせられるぞ」

 

「毛皮もまだまだ高いもんねぇ」

 

「川向うのダンジョンじゃあ毛皮も肉も捨ててるって話だよ」

 

「もったいね、うちのサワディ様なら絶対全部持って帰れって言うよね」

 

「お金持ちなのに貧乏性だからなぁ」

 

 

遠征組に支給された寝袋は内側に毛があって温かい。

 

私は下半身が馬だから、ご主人様が考えた着る寝袋ってやつだけど。

 

 

「あたしもピクルスさんのやつが良かったなぁ、前でボタンで止めるやつ」

 

「これはこれで隙間が寒いんだべ」

 

「こっちのは足元まで裏返してよ〜く干さないと虫が沸くんですよ、臭いし」

 

「ピケ、虫なんかヒョイって食べちゃえよ」

 

「はぁ?あんたの皿に入れといてあげようか?」

 

「おーい!湯が沸いたぞ〜!遅番は身体拭け〜!」

 

「あっ、行かなきゃ!」

 

「今日は下着替えよっと」

 

 

水当番が呼ぶのにうちの班の子達がわらわらと群がるように走っていく。

 

水場がないところだと水浴びも洗濯もできないから大変だ、大鍋一つのお湯で体を拭くのが精一杯。

 

それでもまだ寒い時期で、乾燥した土地の旅だからなんとかなっているってところもある。

 

次の旅があるなら水瓶はもう一つ欲しいところだ。

 

靴に穴が開くから革の端切れも必要だし、糸も使い道が多くてすぐになくなっちゃって、どうしても必要な時は服までほどく始末。

 

出かける前は準備しすぎに思えた装備も、出発した後は足りないものばかり、旅って大変だなぁ。

 

 

 

ご飯を食べたあと、今日は夜中から見張りをする私達はめいめいの天幕の中で寝っ転がっていた。

 

熟睡していても誰も物音を立てない。

 

早番の見張りの邪魔になるから。

 

私もショートソードを抱いたまま、ウトウトとし始めたところで天幕が捲られた。

 

 

「ピクルスさん、昼間のケンタウロスが来てます」

 

 

どうやらお客さんのようだった。

 

 

「トルキイバのピクルスとその群れよ!昼間は世話になったな!これは心ばかりの礼である!」

 

 

今日の昼間に巨獣に追いかけられているところを助けたケンタウロス、ケイネロスのラーベイターが、手土産の壺と葉っぱに包まれた肉を掲げながら元気に言った。

 

後ろの方には、彼の群れの者なんだろう数名が周りを警戒しながら煙草をふかしている。

 

 

「どうもありがとねぇ」

 

「それはうちで作ったチーズと六角水牛の燻製肉だ、納めてほしい」

 

「や、これはどうも、どうも」

 

 

とりあえず壺とお肉はありがたく受け取り、ジレンさんに渡した。

 

 

「あー、それで、だな」

 

 

ラーベイターはなんとなくバツが悪そうにゆっくり近づいてきて、小さな声で言った。

 

 

「申し訳ないが面倒なやつが付いてきてしまってな、本当にすまないが話だけでも聞いてやってくれないか?」

 

「面倒?なんだっぺ?」

 

「まぁ、ケンタウロスの貴族というか、この土地の元支配者というか……そういう奴が勝手に付いてきてな」

 

「貴族?ケンタウロスにも貴族がいるんだか?」

 

「ケイネロスにはケンタウロス以外の種族はおらんから、自然と古い血筋の者が偉いという考えで凝り固まってしまってな……」

 

「へぇー、そんな場所もあるんねぇ」

 

「とにかく、我々はともかく父祖がそいつらを大事にするから驕り高ぶって人の話を聞かんのだ。本当に申し訳ないが、話だけでも聞いてやってほしい」

 

「まぁ話聞くぐらいはいいけんども」

 

「すまんな」

 

 

ラーベイターはもう一度深々と詫びてから、後ろの群れへと戻っていった。

 

代わりに出てきたのは、青く染められ刺繍の入った服を着た、くすんだ金髪の縦にひょろ長いケンタウロス。

 

筋肉がまるでなく、およそ労働や荒事から程遠い人物であることが見て取れた。

 

 

「やぁやぁ、貴女が弓の神ネウロンの生まれ変わりという強弓の使い手か?」

 

「はぁ」

 

「私はケイネロスはアブカブの子ザクロン、かつてこの大陸の半分を支配していた車輪帝国王族の末裔である」

 

「あたしはヤナカンはカナイの子ピクルスだべ」

 

「む、その言葉、山地の部族の出か、真に僥倖である」

 

「どういうことだべ?」

 

「我々車輪帝国解放軍は近日、南西の山岳にあるサナルディなる都市を攻め落とす予定であるからだ!仲間は平野生まれの者ばかり故、山に慣れた人物を求めていた!」

 

「へぇ〜」

 

 

サナルディっていえば魔具を作ってる工業都市じゃなかったかな。

 

多分普通の街よりもよっぽど騎士団の人らの数が多いと思うんだけど。

 

 

「サナルディには鉱山がある故、鉄の道を走る地竜を作る魔法使いどもにとっては重要な拠点に間違いない。さらに中の者たちを人質に取ってしまえば、外から魔法を打ち込まれることなどあり得ない」

 

「ふぅ〜ん」

 

 

軍人さんらなら、いざとなったら躊躇いなく人質ごと街を焼くと思うけどなぁ。

 

 

「つまり!サナルディを橋頭堡に、我々の機動力と打撃力で重要都市を攻め落としていけば、いくら魔法使いといえど講話に応じざるをざるを得んだろう!そうなれば我ら車輪王国の復興も、赤子の手をひねるがごとく容易い事である!」

 

「はぁ」

 

「我々ケンタウロスが棒海の北より攻めてきた魔法使いどもにこの大地を奪われて幾百年、ようやく反撃の時が来た!ピクルス殿、ぜひとも我らが元に来られたし!ケンタウロスの雌伏の時は終わりである!」

 

「まぁ頑張ってくだせ」

 

 

私がそう言うと、青びょうたんはちょっとムッとした顔で声を張り上げた。

 

 

「今ならば!貴女を将軍として迎える準備がある!」

 

「うちらも生活があるもんだで」

 

「なぜだ!貴女は強き力を持つケンタウロスであろう!人猿どもから祖先の土地を取り返し!我らの大陸(ケンタウロス・ランド)をあるべき姿に戻したくはないのか!?」

 

 

この言い草には、私のほうもちょっとムッきてしまった。

 

私はケイネロスのケンタウロスに何かをしてもらった覚えなどないし、同じ種族だからと力を貸す理由なんてないからだ。

 

それに、こんな偉そうなことを言えるほど、魔法使いと戦って勝てるほど、目の前の男が大した人物には思えなかったのだ。

 

 

「あんた、夢みたいな事言っとらんで土を耕しんさい」

 

「むっ!なんと?」

 

「魔法使いがおらんと、もうこの大陸はようやっていかんよ。街を作るのも、街を守るのも、あの人らがおらんとなんともならんべ」

 

「かつてのケンタウロスは強き弓で超巨獣の甲殻をも貫き……」

 

「昔のケンタウロスがどんなに強い弓が引けたっちゅうても、魔法使いみたいに台風を散らしたり、竜巻を吹き飛ばしたりはできんべ」

 

 

言い返していると、段々むかむかしてきた。

 

根本的に魔法使いをナメているこの人は、たぶん魔法使いのご主人様の率いる私達シェンカー一家のこともナメているのだ。

 

こんなろくに働いてもいなさそうなひょろひょろした男がだ。

 

 

「しかしっ……!」

 

「魔法使いはケンタウロスなんか相手にもしとらんべ」

 

「我々がサナルディを攻め落とせば奴らの目も覚めるはずである!」

 

「目ぇ覚ますのはあんたらだべ!」

 

 

私は月の光を浴びてギラリと光る線路を指差して、一気呵成に言った。

 

腹が立っていたのだ。

 

私が本当に苦しくて、悲しくて、お腹を空かせていた時、ケンタウロスは何もしてくれなかった。

 

私に良くしてくれたのは、助けてくれたのは、全て魔法使いのサワディ様やその周りの人達だ。

 

こんな血筋が古いだけの男に、子供の見る夢のような事を言われて黙っていられるほど大人ではなかった。

 

 

「魔法使いの作ったあの真っ赤な列車は、毎日毎日あたしらが一生かかっても食いきれんような量の麦を運んどる!この荒野もあんたらも、麦も税も取れんから魔法使いから放ったらかされてるだけだべさ!サナルディなんか襲ったら荒野ごと焼き尽くされて終わりだべ!」

 

「われ……われらは……誇り高き」

 

「誇りじゃパンは食えねんど!馬鹿なこと考える暇があったら荒野の外に出てみぃ!自分で土を耕して麦を取ってみぃ!じいっと縄張りに籠もっとるから敵の大きさもわからんのよ!」

 

「貴様っ!」

 

 

顔を真っ赤にした男は腰の細い剣に手をやったが、目だけでちらりとこちらを見て結局抜くのをやめた。

 

私相手に剣も抜けないなら魔法使いになんて絶対勝てないよ!

 

 

「失礼する!」

 

 

ぷんぷん怒りながら戻っていった男と入れ替わりで、ラーベイターさんとほか数名のケンタウロス達がやってきた。

 

 

「いや、すまなかった!あいつらはずっとケンタウロスしかいないケイネロスの町で暮らしていて、魔法使いの都市にも入った事がないんだ」

 

「なんね、大した田舎もんだべ」

 

「同じ生まれとして汗顔の至りだ」

 

「あんたが悪いわけじゃあねんども、あれとは二度と会いたくねぇべ」

 

 

フン、と鼻を鳴らしていると、ラーベイターさんの横に付いてきた、人懐っこそうな中年のケンタウロスの人がにこにこしながら話しかけてきた。

 

 

「なあなあ姐さん、魔法使いの街は麦で一杯だってほんとかい?」

 

「ん?ああ、うちの地元じゃこの荒野よりももっと広い土地が一面麦畑になってんだっぺよ」

 

「そりゃすげぇや、みんなパンが食べれるのかい?」

 

 

目をキラキラさせるおじさんの腕は骨が浮いていて、馬の部分も肉付きが良くない。

 

どうもこの地域の人達は全体的に食べ物が足りてないみたいだ。

 

 

「そうよぉ、あたしはトルキイバさ行ってから飢えたことねんでよ」

 

「仕事はあるのかい?」

 

「そりゃ冒険者や荷運びやったっていいし、なんせ地平線のその向こうまでぜーんぶ麦畑だからよぉ、農夫ならいつでも誰でもずーっと募集中だっぺよ」

 

「へぇ、うちもよぉ、俺はいいんだけどもガキにはもうちょっといい暮らしさせたくてよ。今度お貴族さん達がキナ臭いことやるみたいだし、出てくことも考えてんだよ」

 

「ええんでねぇか、南じゃ人手はいつでも足りてねぇっペ」

 

 

たしかに上があれ(・・)だと庶民は大変そうだ。

 

食えない場所でじっと耐えるぐらいなら、多少の苦労はあるだろうけど人族に混じって生きていくのもいいかもしれない。

 

 

「どう行ったらいいんだ?」

 

「もうずーっと線路に沿って南よぉ、トルキイバ、ルエフマ、トルクスっち三つの都市で農地を囲っててよぉ、テンプル穀倉地帯って呼ばれてるっぺ」

 

「ふんふん」

 

「どこの街にも口入れ屋がおるで、働きたいっちったら世話してくれるはずだべ」

 

「ほぉ〜」

 

 

一応ジレンさんの顔を見てみると、ジレンさんも頷いているから間違いないだろう。

 

 

「ケンタウロスはまず狙われんと思うけんども、奴隷狩りもおるでな、旅の間はあんまり人に気を許さんことだっぺ」

 

 

奴隷商で聞いたけど、ケンタウロスって大食らいだから、あんまり奴隷としては人気がないらしい。

 

私もご主人様の所に行くまでお腹いっぱいになったことがなかったし、毎日麦粥を何十杯も食べさせて貰えたからこんなに大きくなったんだと思う。

 

ケイネロスのケンタウロス達は私より頭二つ分ぐらい背が低いし、根本的に栄養が足りてないんだろうな。

 

 

「いや助かるよ姐さん、なんせ俺ら先祖代々ここらで動物飼って暮らしてるもんだから街には疎くてよ」

 

「金銀やチーズなんかは楽にお金に変えられるで、持ってったらええよ」

 

「お金かぁ、いくらかはあるけど、ケイネロスではあんまり使い道がなかったからな」

 

「人の世界はなんでも金だで」

 

「うむ!我々も人の旅人を助けたら金を貰ったことが幾度かあるぞ。街で布と交換してもらったものだ」

 

「礼も金、物も金、人の世で金がないのは命がないのとおんなじだって、うちのご主人さまが言っとったよ」

 

「おっかねぇなぁ人の世はよ」

 

 

おじさんは肩をすくめているが、群れで南にやってくるならばきっとなんとかなるだろう。

 

旅をして思ったが、基本的に南の方が豊かで、人の心も開放的だ。

 

北の街では、ケンタウロスだからって立ち入りを拒否される事もあったしね。

 

 

「いつまでも何をしている!もう行くぞっ!」

 

 

遠くからさっきの人の金切り声が聞こえ、私達は顔を見合わせて苦笑する。

 

 

「じゃあ、元気でねぇ」

 

「ああ、そちらこそ、旅の無事を祈る」

 

 

ラーベイターとぐっと握手を交わし、闇に溶けるように荒野に去っていく彼らを見送った。

 

トルキイバを出るときは肌を刺すようだった風が、いつの間にか湿気を帯びて温かくなっている。

 

星の並びも様変わりし、冬の風物詩だった龍王座も今じゃあ尻尾すら見えない。

 

 

「トルキイバにつく頃には夏かしらね」

 

「んだべす」

 

「帰ったら、腹がはち切れるほどトルキイバ焼きが食べたいわ」

 

「あたしは嫌んなるほど麦粥が食いてぇだよ」

 

 

遠く離れて思うものが故郷だと、みんなでお金を貯めて見に行った歌劇の人が言っていた。

 

私がこの旅であの山の村を思う事は、ついに一度もなかったのだった。




アウターワールドは真のFallout


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第72話 繋ぐ名は 呪いと祈り 折り込んで

書籍第一巻、12月27日発売予定です。

あとコミカライズの話が進んでいます、よろしくおねがいします。


庭の草木の影がすっかり濃くなり、トルキイバに夏がやってきた。

 

この日マジカル・シェンカー・グループ本部前のシェンカー通りには、非常に多くの人が詰めかけていた。

 

お目当ては北の果てまで行って帰ってきたトルキイバ・タラババラ交易隊。

 

宝物を手に入れて帰ってきた、冒険者達の凱旋である。

 

威勢のいい音楽が鳴り響く中を、集った人達の歓声に迎えられながらボロボロでドロドロの冒険者達が五台の荷馬車を中心に据えて歩いてくる。

 

つい先日、パリッとした礼装のまま列車で王都から帰ってきた音楽隊とは全く様子が違い、こちらは皆一様に痩せ、汚れ、悪臭を放っている。

 

怪我をしているものも、血を吐かんばかりに咳き込んでいるものも、荷馬車の上に括り付けられるようにして移動してきたものもいたが、全員瞳からはギラついた生命の光を放っていた。

 

 

「トルキイバ・タラババラ交易隊、只今任務を終え全員無事に帰還いたしました!」

 

 

すっかり長くなった黒髪を雑に藁紐で結い上げた代表のジレンが、俺の前に跪いて目録を掲げた。

 

俺は交易隊全員にホーミング回復魔法をぶち込みながら、それをしっかりと受け取って深く頷く。

 

 

「大儀である。全員今日はゆっくりと休んで……明日の大宴会に備えてくれ!」

 

 

周りからはわっと歓声が上がり、それを盛り上げるように華やかな音楽が流れるが、交易隊の面々は荷馬車が倉庫に入り切るまで歯を見せることはなかった。

 

一体彼女達がどんな経験をしてきたのか、ジレンの報告が楽しみだ。

 

 

 

その三日後、俺はマジカル・シェンカー・グループ本部でジレンから報告を受けていた。

 

昨日行われた大宴会ではとてつもない量の食材と酒が飛んでいったらしいが、うちの倉庫には食料と酒だけは文字通り売るほどあるんだ、別にケチケチするつもりはない。

 

髪を切ってこざっぱりとしたジレンは道中で書いたのであろう手記を見ながら南北を縦断した大冒険の話を聞かせてくれたが、肝心の日本人の情報はほとんど手に入らなかったようだった。

 

がっくりだが、識字率が低くて庶民は文化と歴史を口伝で伝えているような世界なんだ、しょうがないといえばしょうがない。

 

 

「じゃあ、リナリナ義姉さんの故郷にはカンディンナヴァからの口伝等を受け継ぐ人はいなかったってことか」

 

「はい、どうやらあちらの宗家のリューゾージ氏の血筋は百年ほど前に一度途絶えているようで、文化と起源だけが今に伝わっているようです」

 

 

ずず、と柿の葉茶(・・・・)をすすりながら、俺はジレンの報告書に目を落とした。

 

情報はともかく、今回交易隊が持ち帰った成果は膨大だった。

 

何樽もの醤油、前世と比べれば原始的な味噌、椿、柿の苗木、大豆、薬として重宝されていたというやや細長い玄米、そしてその種籾(・・)だ。

 

これには正直、心が震えた。

 

もう米の味なんて思い出せないはずなのに、玄米の香りを嗅ぐだけで胸がたまらないほど痛くなった。

 

きっと龍造寺氏も、こちらの世界で米を見つけたときは狂ったように喜んだのだろう。

 

 

「屋根に乗せる魔除けの像などもあったのですが、作るのに時間がかかると言われて諦めました。それと工芸品のような剣もありましたが、あまりに脆く、粗雑な作りのためそれも一揃だけ……」

 

「そうか、いやありがとう。これだけでも充分な成果だよ。メンチ、あれを」

 

「はい」

 

 

服を買い、髪を切り、帰還した時よりだいぶこざっぱりとしたジレンに、俺の隣りに控えていたメンチが差し出す金入れから金貨十枚ほどを手渡した。

 

 

「ありがとうございます、皆で分けさせていただきます」

 

「いや、それはジレンが取っておいて。これからは人に身なりも見られる立場なんだから」

 

 

俺は追加で机に五十枚ほど金貨を積んで、これを下の者に均等に分けろと彼女へ押し出した。

 

日本円で五百万ぐらいか、一応交易隊には別で正規の報酬が出ているし、全員で割ればほどほどのボーナスって事になるだろう。

 

 

「ありがとうございます」

 

「仕事には対価が必要だ、部下への報酬で迷ったらチキンに相談するように」

 

 

ぶっちゃけ俺が嬉しいからご祝儀みたいなもんなんだけど、今日から管理職になるジレンにはあんまりケチになってほしくないしな。

 

従業員に払う分の金ぐらいはあるんだよ、うちの組織は。

 

 

 

出張に行っていた音楽隊とピクルス組が帰ってきてシェンカー組としては一安心というところだが、俺自身には色々と解決しなきゃいけないことが残っていた。

 

妻のローラさんが臨月だというのに、もう決まってなきゃいけない名付け親が未だ不在なのだ。

 

貴族にとっての名付け親とは両親以外の後ろ盾のことを指す。

 

ローラさんの実家を頼れない我が家にとって、頼れるのはうちの親父だけなのだった。

 

もちろん何度も頼み込んでいたが、これまではなんのかんのと理由をつけてのらりくらりと躱されていた。

 

だが、もう出産までには何週間も猶予がない。

 

俺はこの夜、ついに実家の煮え切らない親父を直撃したのだった。

 

 

「親父!子供に名前つけてくれ!」

 

 

仕事部屋に一人でいた親父は執務机に座って書き物をしていたようで、ちらりと俺の事を見てため息と共に眼鏡を外した。

 

子供の頃はだだっ広く感じたこの部屋も、今となっては大商会の長のものとしては狭く感じるぐらいだ。

 

一番奥にある窓を背にするように置かれた執務机の前には、書類棚とちょっとした酒やグラスのある棚に挟まれた商談スペースがあり、飾り気のない照明型造魔がそれを照らしていた。

 

 

「騒がしいな、まぁ座れ」

 

 

ゆっくりと執務机から立ってきた親父は棚から酒とグラスを取り出しながら言うが、俺は入ってきた勢いのまま彼へと詰め寄った。

 

 

「いや座らない、うんと言ってくれ!なんでそう渋るんだよ、何が気に入らないんだ!」

 

「…………まあ、座れ」

 

 

珍しく暗い顔で俯いた親父に再度促され、俺は不承不承ローテーブルを挟む対面式のソファに座った

 

 

「末っ子のお前がいよいよ親になるか、子供ができてからの人生というのは駆け足で困る」

 

 

親父は二つ並べた脚付きグラスにゆっくりとワインを注ぎながらしみじみとそう言い、机を滑らせるようにそれを差し出しながら、俺の目を見てすまんなと詫びた。

 

 

「お前の子に名をつけるのを渋る私に、腹を立てていただろう。全て理由あってのことだ、許せよ」

 

「なんだよ理由って」

 

「先に、これだけは言っておく」

 

「私が名をつけるのを避けたのは、お前の妻のローラ殿や、生まれてくるその子供が恐ろしいからではないぞ」

 

「……」

 

「このシェンカー商会の長ブレット、痩せても枯れても商業ギルドの次席である。妻も魔法使いであったのだ、孫に怯えぬ程度の胆力は死ぬまで保つつもりだ」

 

「ああ」

 

「いいか、これから話すのは本来墓へと持っていくつもりだった事だ。そのつもりで聞け。お前が貴族になる以上、知っておかぬ方が困るかもしれんと思って打ち明けるのだ」

 

「……なんだよ」

 

 

一口だけワインで口を湿らせ、親父はぽつりぽつりと語り始めた。

 

 

「わがシェンカー家の祖先、私の曽祖父はな、大英雄にして国賊だったのだ」

 

「国賊?」

 

 

親父は深く深く頷いて、指で机に三角形をなぞる。

 

 

「このトルキイバを含む穀倉地帯を牛耳り、麦を使って軍を脅して金貨の山を掠め取り、討伐へとやってきた大貴族の姫を奪って子を産ませた」

 

「めちゃくちゃじゃないか」

 

「そう、めちゃくちゃな人物なのだ。その力も尋常ではなく、大河の流れをも捻じ曲げるほどの超能力者だったと聞いている」

 

「ふぅん」

 

「そしてその男はこう呼ばれていた……『黒ひげ』シェンカーと」

 

「黒ひげねぇ」

 

 

イマイチ話が見えてこないな。

 

先祖が無茶やったって言っても、今の陸軍がそれを気にしているとはとうてい思えない。

 

だいたい学問として体系だっている魔法使いと違って、超能力者の権能なんてのは一代限りなんだ。

 

だからこそ俺は自分の才覚だけで魔法使いになれたし、功績を認められて貴族にまでなった。

 

遠い先祖のことなんて俺には関係のない話だろ。

 

 

「黒ひげの生きていた時代、この穀倉地帯は平民のものだった。貴族は何度も何度も攻めてきたが、ついに曽祖父を討ち取ることはできなかったそうだ」

 

「そりゃあいいけどさ、その黒ひげが俺となんの関係があるのよ」

 

「その後黒ひげは寿命で死に、都市は魔法使い達の手に戻ったが。あの時代に、あの時に、無垢な羊だった平民へと種が撒かれてしまったのだ」

 

「種?」

 

「禁断の種だ。平民が魔法使い達に家畜のように使い捨てられずに済む、皆が伸び伸びと生きられる国の形が存在する事を知ってしまったのだ」

 

「つっても、暴力装置としての魔法使いの力がなきゃ都市が成立しないなんてことは、そこらのガキでも知ってるだろ。突然変異の化け物に頼ったって今以上になることなんて絶対にない」

 

「そうやって割り切れるのは、お前がそういう教育を受けたからだ。世に多くいる素朴な平民には物事の二面性など理解できようはずもない。甘い蜜の後に来る虫歯の苦しみなど、その身をもって経験して見ねばわからんよ」

 

「平民が潜在的に解放を求めてるっていうのか?」

 

「そうだ、たとえその先が地獄だったとして、もしもう一度魔法使いとやりあえるような力を持てば、平民は鼻歌でも歌いながら行き着く所まで行ってしまうだろう。ある日突然奴隷になる心配もない、飢えることも凍えることもない理想郷があるのだと、そう信じたままな」

 

 

ぞっとしない話だ。

 

魔法使いがいなくなれば、豊かな平原を持つこの国は四方八方から攻められ討ち滅ぼされることだろう。

 

そうならなくても、次は平民が平民を家畜のように使い捨て始める地獄の時代が来るに決まっている。

 

俺だって故郷では会社に家畜のように扱われ、惨めにくたばったんだ。

 

不思議な魔法の力があろうがなかろうが、人間の本質は変わらない。

 

 

「理想郷というのは、たとえ内実がそうでなかったとしても人を狂わせるものなのだ。実際当時のここトルキイバには犯罪者から義勇の士まで玉石混交に人が集まり、豊かな国というよりは山賊砦のようなものだったという」

 

「わかんないねぇ……魔法使いに任せときゃ、この国は(・・・・)そうそう酷いことにはならないってのに」

 

「魔法使いは神の如き存在だが、どこまでも挑発的で不寛容な神でもある。それに真っ向から立ち向かえる別の神がいたならば、そちらに庇護を求める者の気持ちもわからんではない」

 

「でもそいつは次の世代を育てられずに魔法使いに負けた、そうだろ?」

 

 

だから俺には関係ないじゃないか、とそう続けようとした俺をじっと見て、親父は深く深くため息をついた。

 

 

「だが、数世代飛ばしでお前が生まれた」

 

「へっ?俺?」

 

「そうだ、魔法使いでありながら、救えぬ奴隷を救い、私兵を揃えて力を蓄えるシェンカー家の男子(おのこ)。黒ひげの伝説を口伝で伝える者達がいれば、お前を担ぎ上げようとするのは間違いない」

 

 

親父は一息でワインを飲み干し、グラスを置いて真剣な顔で俺を見た。

 

 

「いいか、黒ひげには四十八人の名のある手下がいた。黒ひげ自身が名付けを行った、生き汚い、平民ながらにそれぞれ一芸を持った剛の者たちだ。おそらくその子孫のいくらかはここトルキイバで生き残っているだろう、おそらく、それらがお前を狙っている」

 

「ふーん」

 

「だから、怪しい誘惑にはゆめゆめ乗ることのないように」

 

 

親父の空いたグラスにワインを注ぎながら、俺の脳裏に先日の奴隷商人ペルセウスとのやり取りが蘇ってきていた。

 

『もう少し年をとったら髭を生やせ』と、たしかそんな事を言っていた気がする。

 

もしかしたら、あれがそうだったんだろうか。

 

 

「……そういやこないだ、ペルセウスの爺さんに髭を生やせとか言われたなぁ」

 

「なに?ペルセウスが……」

 

 

親父はその言葉に少なからずショックを覚えたようで、固く目を閉じて、苦々しげな顔でワインをあおった。

 

 

「そうか……ペルセウスがな。あの店の店主が代々ペルセウスの名を継いでいたのは、そういうことだったのか……」

 

 

小さな声でそう言い、親父は俯いたまま祈るように顔の前で手を合わせた。

 

 

「それを聞いては、ますますお前の子の名付け親にはなれんな。黒ひげシェンカーの名は厄介事を呼ぶだけだ」

 

 

不意に親父が、俺の右手を両手で包み込むように握りこむ。

 

まだ五十代前半のはずのその手は、カサカサに乾き、枯れ木のように節くれ立っていた。

 

 

「いいか、サワディや、お前も、お前の子供も、これからはシェンカーの名を捨てて生きるのだ。先祖の咎を、負債を背負い込んではならん」

 

 

俯いたままの親父が、急に小さく見えた。

 

どんな時もニコニコと俺たち兄弟を見守ってくれたでっかい親父が、ほうぼうに頭を下げつつも、譲れない所は決して譲らなかった強い親父が、いつの間にか小さく萎びて、干し柿のように老いていた。

 

だから、俺はそんな事にうんと言うわけにはいかなかった。

 

 

「やだね」

 

 

俺の言葉に、親父がゆっくりと顔を上げる。

 

苦労の皺の刻まれた、いい男の顔だった。

 

 

「先祖が大罪人だろうが、俺や俺の子供にとっては大した事じゃない。そんな過去の遺物にビビってるようじゃ、魑魅魍魎だらけの魔法使いの社会ではとうていやっていけないんだよ」

 

 

魔法使いの世界は、いつだって命がけだ。

 

戦争、政争、上の無責任、はたまた単なる巡り合わせ、どこにだって即死級の爆弾が転がっている。

 

大貴族の娘であるローラさんだって死にかけたんだ、狂った世界だ。

 

こんな世界だと知っていたら、俺は間違いなく魔法使いになんてなろうと思わなかっただろう。

 

だが、だからこそ、俺は先祖のバラまいた呪いなんぞにビビるつもりはなかった。

 

 

「しかし……」

 

 

なおも渋る親父に、鼻と鼻がくっつきそうな距離で懇願するように話す。

 

いま俺の胸にあるのは、親父への憤りでも疑問でもなく、ただ寂しさだけだ。

 

 

「俺はな、親父。単純にあんたに子供を祝福してほしいんだよ。子供に、自分は父や母や祖父に望まれて生まれてきたんだって事を知ってほしいんだ」

 

「いや、だが……」

 

「頼むよ親父、これが最後のわがままだと思ってくれてもいい。俺はシェンカー家のあんたの名付けがほしいんじゃない、俺の親父のあんたに、子供の名付け親になってほしいんだよ」

 

 

きっと親父は親父なりに、真剣に俺の事を考えていてくれたに違いない。

 

だがその気持ちを押してでも、俺は親父と生まれてくる子供の縁を繋げたかった。

 

生まれてくる子に、こういう人の血を継いでいるんだってことを知ってほしかったんだ。

 

 

「いや……」

 

 

親父は目を閉じたまま眉根を寄せ、しばらく黙っていたが、つうっと一筋だけ流れた涙を手で拭い、とうとう顔を縦に振った。

 

 

「わかった。名を付けよう」

 

「ほんとか!?」

 

「ただ、本当に黒ひげの件については気をつけるのだぞ、子供からは決して目を離さぬように」

 

「ああ、もちろんだ」

 

 

気と一緒に魂が抜けたような顔をして立ち上がった親父は、棚からきつい酒を取り出した。

 

ワインが半分残ったグラスにかまわずその酒を注ぎ、一気に飲み干し、ぽつりと言う。

 

 

「男ならば『ノア』、女ならば『ラクス』だ……これは一年をかけて考えた」

 

「親父」

 

 

親父は俯いたまま口の端だけを上げてにっと笑い、俺のグラスに酒を注いだ。

 

この日、棚の酒を全部飲み干した二人は隣同士のソファに並んで眠り、昼間にのそのそと起き出してローラさんの元へと名前を届けに向かったのだった。

 

そしてその三週間後には元気な双子が生まれ、ノアとラクスの名は両方が使われる事となった。

 




この話は難産でしたがローラさんは超安産でした


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第73話 街と人 変わりゆくもの 同じもの

ちょっと本気で仕事が忙しくて何もできませんでした、お待たせしました。

11/17追記
授乳中の母親の喫煙について何名かからご指摘がありました。
今の所そこに引っかかりを作る気はありませんので、ローラさんはまだ禁煙中ということにして改稿を行いました。


熱風吹きすさび赤子泣き叫ぶ夏、トルキイバは唸り声を上げて生まれ変わろうとしていた。

 

増築に増築を重ね巨大化した精肉工場にはひっきりなしに人が出入りし、工場から都市の外へと繋がる道は出荷する製品を載せた馬車が渋滞を起こしている。

 

それもこれも、トルキイバの近くにある陸軍の駐屯地がうちの製品の導入を正式に決めてからの事だ。

 

うちから出荷されてその日のうちに届く新鮮極まりない冷蔵牡丹肉や、四種のハーブを練り込んだ病みつきソーセージは軍人達の胃袋をガッチリとキャッチしたらしく、納品量は日々増えるばかり。

 

一応他にも肉の販路はあるが、これから先も軍が一番のお得意先になるであろうことは間違いないだろう。

 

だがまあ、そんなことはどうだっていい。

 

チキン達に任せておけばいいことだ。

 

この夏、俺は子育てに夢中でそれどころじゃなかったのだ。

 

 

「ほぎゃっ……ほぎゃああああ!!!」

 

「ふゅ……ふぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

「どしたどした〜?おしめは……濡れてないね〜、おっぱいは……今飲んだばっかりかぁ。暑いからかな〜」

 

 

揺り籠に入った長男にして兄のノアが泣きだすと、それに共鳴するように長女にして妹のラクスが泣き始める。

 

双子ってのは不思議なもんで、お腹が空くのも、おしっこもうんちも、むずがって泣くのもなぜかぴたっと同じタイミングだ。

 

互いに通じ合っているのか、単純に隣の兄や妹に釣られてしまうのか、どっちとも言えないところだけどな。

 

頭に小飛竜造魔のトルフを乗せたミオン婆さんが手を出したそうにチラチラ見ているが、家にいる間ぐらいは俺にもお世話させてくれよ。

 

 

「君、今日はシェンカーの方に顔を出すんじゃなかったのかい?」

 

 

俺がほぎゃほぎゃ泣く双子をうちわであおいでいると、飲み物を飲んでいたローラさんが戻ってきた。

 

長い髪の毛をシニヨンにまとめた彼女は、授乳のためにいつでも前を開けられるよう専用のシャツを着ている。

 

朝も晩も催促されてはおっぱいを飲ませて疲れているだろうに、そんな素振りは少しも見せない。

 

やっぱり軍人さんはものが違うな。

 

 

「行きますよ、行きますけど、もうちょっと後でもいいかなって」

 

「もう昼になるよ、ノアもラクスもお昼寝の時間さ」

 

「そんなぁ」

 

 

産後休暇中のローラさんと違い、俺は平日仕事で家にいられないのだ。

 

もうちょっとぐらい一緒にいさせてくれてもいいじゃないか。

 

だが、無情にもローラさんは双子をひょいと持ち上げて寝室に引っ込んでしまい。

 

残された俺はとぼとぼと、自らの経営するマジカル・シェンカー・グループの本部へと向かったのだった。

 

 

 

「チキン殿、ここの書式が少し違いますな。あとこの部分の言い回しは少々雅さが足りません、この間お渡しした本の時節の挨拶の項目を参考にしてください」

 

「いやでも、この書類は内向きの連絡なんで……」

 

「いけません、内向きであろうと外向きであろうと、一度出した文書は額に入れて飾られるものだとお思いなさい。誰かに足をすくわれてからでは遅いのです」

 

「はぁ……」

 

 

シェンカー本部に来て早々、チキンが教育係の爺さんに詰められている嫌なところに出くわしてしまった。

 

この、先日うちにやってきた元男爵家家令のレナード爺さんは、体が治ったその日から家令候補のチキンをビシバシ鍛え始めた熱血ティーチャーだ。

 

別に俺が厳しくされるってわけじゃないが、人が説教されてる所を見るのはどうも気が重くなる。

 

 

「あー、レナード、チキンを貸してもらってもいいか?」

 

「おやサワディ様、いらっしゃったのですか。もちろんでございます」

 

 

では失礼と綺麗に一礼をして部屋から出ていく爺さんは、こないだ見たヨボヨボの姿が嘘みたいに元気ハツラツだ。

 

レナードの他にも沢山老人が入ってきたけど、爺さん連中はなぜか全員治療後無闇にパワフルになった、なんでだろうな。

 

 

「お恥ずかしい所を……」

 

「いやいや、チキンはよくやってくれてるよ。教育係が厳しいと大変だな」

 

「レナードさん以外にも色んな方に薫陶を賜るのですが、皆さんやはり踏んできた場数が全く違いますね……」

 

「気にするな、チキンにはピクルス達とこの組織を立ち上げてきた経験があるじゃないか。妖怪ジジイ達もじきに追い越せるよ」

 

「はあ、ありがとうございます」

 

「それで、どんな感じ?」

 

「先月は利益がいいですね。シェンカー町建造計画次第ですけど、このままいけば来年を待たずに劇場建設予定地の借金を返し終えられますよ」

 

「いいじゃないの」

 

 

やっぱり上手いこと国策の流れに乗れると儲けがダンチだな。

 

つっても純利益で言えば俺の准教授の給料とトントンってとこなんだけどね。

 

俺も給料貰ってみてびっくりしたけど、貴族としてある程度のポストに行くと国の金払いが急に良くなるんだよな。

 

これだけ人使って苦労して稼ぐのと同じ額が、研究室で研究してるだけでポンと貰えるんだ。

 

色んな人から「みみっちい稼ぎ方」って半笑いで言われてた理由が、ようやく実感として理解できた16の夏だった。

 

と言っても、ここまでやれば副業としてはいい稼ぎなことには違いないんだ!

 

俺はまだまだ止めんぞ。

 

 

「殿方のために借り上げた賃貸住宅ですが、今の所不満等は上がってきていませんが。一部で乱闘が起こり壁が壊れるなどの損害がありました」

 

「うーん、やっぱりそこらへん男は荒っぽいな。長引くようなら配置換えもしなきゃいかんかもしれん」

 

「一応老人会の方からは『懲罰部隊を作りゃいい』と助言を頂いたのですが……」

 

「懲罰? ああ、言うこと聞かない奴にはキツい仕事とかをやらせるってこと? いいじゃないそれで」

 

「ではそのようにします」

 

 

今回は一気に人を増やしたからな、揉め事の一つや二つはあるか。

 

しかし、キツい仕事かぁ……

 

穴でも掘って埋めさせるか……いや、生産性のないのは駄目だよな。

 

 

「あー、禁酒禁煙、質素な食事で夜遊び禁止の工場でも作ってそこに纏めちゃうのはどうだ? 救貧院みたいですぐ嫌になって出る頃には大人しくなるだろ」

 

「規律を守れない者に危険な仕事をさせるわけにはいきませんしね、よい案かと存じます」

 

 

あずき色の光沢のあるセットアップの肘の部分をちょいとつまみながら、チキンは机のメモ帳に何事かを書き留めた。

 

しかしこいつ、最近同じ服を着てるところを見たことがないけど、金は足りてるんだろうか。

 

 

「チキン自身は最近何か困ってる事はないか?」

 

「あ、いや、特には……夜暑いぐらいですかね」

 

「夜も仕事してるのか?」

 

 

俺の言葉にチキンは苦笑しながら、最近は夜はちゃんと休めてますよと言う。

 

たしかに目の下の隈はなくなったように見えるが、一応再生魔法をかけておこう。

 

 

「布を買ってきて自分で服を作ったりしてるんですけれど、こう暑いと捗らないのが悩みと言えば悩みですね」

 

「へぇ~服を、その服も自分で作ったの?」

 

「これは違いますよ。まだまだ外に着ていけるようなものは作れないので、寝間着なんかを作ってます」

 

「ふぅーん」

 

 

その後もいくつか雑談を交わした後、俺は夏風邪をひいた者や怪我をした者を治療してから用事のある厨房へと向かう。

 

厨房は外からわかるぐらいいい匂いがしていて、朝から双子に夢中で何も食べていなかった俺の腹はぐぅと鳴った。

 

 

「お待ちしておりました、今日のは自信がありますよ〜」

 

「おっ、楽しみだね」

 

 

厨房に入った俺を、料理長的存在であるピンク髪のシーリィと、その補佐的存在である緑髪のハントが出迎えてくれた。

 

机の上には料理が並んでいて、いい匂いはそこから立ち昇っている。

 

もちろん普通の料理じゃないぞ、ケンタウロスのピクルス達が先日北から持ち帰った醤油と味噌を使った料理だ。

 

故郷の調味料があっても俺には上手く料理できないからな。

 

おでんとか豚汁とかのメニューと、魚から出汁を取ることとか、白ワインに砂糖とかはちみつを加えたみりんを使うこととかの覚えてる限りの知識を伝えて色々と作ってみてもらっているところなのだ。

 

今の所打率は著しく低いが、まぁ外国の日本料理屋と考えれば気にならないレベルにはなってきている。

 

売るほどではないが醤油も味噌もたんまりあるし、このメニュー開発は気長にやっていこうと思う。

 

 

「これがサワディ様の言っていたボタン鍋ってやつですね、ゲハゲハの干し物と椎茸で出汁を取ってせーゆと味噌で味付けしました」

 

「いいじゃないの」

 

「ウホッ」

 

「おお、お前、ジーンだっけ?」

 

「ウホホ」

 

 

造魔の自我の芽生えについて研究するためにハントに預けていた魔結晶交換式造魔の小さいゴリラが、背負うようにして取皿を持ってきてくれた。

 

そういえばこいつらも、もう生まれてから一年経つのか……

 

一応提出されているレポートは見てるけど、ここらで一回機械にかけて調べてみるのもいいかもな。

 

 

「ハント、こいつ明後日にでもうちに連れてきてくれ、学園に連れてくから」

 

「えっ!? あの、ジーンくん……殺しちゃうんですか?」

 

 

彼女はギョッとした表情でゴリラを抱え込み、ギュッと強く抱きしめた。

 

俺って一体どういうイメージを持たれてるんだ?

 

 

「違う違う、定期検診だよ。こいつももう一歳だろ」

 

「あ、なんだ……良かったです」

 

 

ホッとした様子だが、ゴリラは離さない。

 

まあ一年も一緒に暮らせば情も湧くよな。

 

ロボットとかプログラムとかわかんない人からしたら、魔結晶交換式の造魔ってのは魔結晶を食べる生き物に見えるだろうし。

 

どうせだから魚人族のロースに預けてる子猫とチキンに預けてる子犬も連れてこう、後でまたチキンのところに寄らないと。

 

 

「さあさあサワディ様、冷めないうちに」

 

「うん」

 

 

シーリィが皿に鍋の中身を盛ってくれたので、早速汁に口をつける。

 

迷宮産の猪肉の油が溶け出していて旨味があり、なんとなく豚汁のような味だ。

 

奥の方に味噌と醤油の風味が感じられて、猛烈に白米が食べたくなる。

 

うん、薄くスライスされた肉も柔らかくて美味しい。

 

野菜はどうかな?

 

大きめに切られたゴロゴロ感のある野菜を箸で持ち上げてみる。

 

緑で筋っぽい……ブロッコリーの茎かな?

 

 

「それはセロリですね」

 

「セ、セロリかぁ……」

 

「お野菜は他にも若とうもろこしにさやえんどう、ピーマンにおなすです、具沢山でしょ?」

 

「こ、個性的な組み合わせだね……」

 

 

セロリと一緒にベビーコーンを齧ると、食ったことのない組み合わせの味が口の中に広がった。

 

不味くはないんだけど、不味くはないんだけどなぁ……

 

料理って難しいなぁ。

 

俺はなんとなく釈然としない気持ちのまま、なんだかんだと鍋を平らげてから食堂を後にしたのだった。

 

 

外に出ると、シェンカー本部の前は人でごった返していた。

 

今は人材派遣業務をストップしていてめったに馬車が通らない道になったからか、うちの奴隷たちは道を占拠して各々好き放題にやっているようだ。

 

管理権はうちにあるから別にいいんだが、なんとなく前世の歩行者天国を思い出すカオスさに目眩がしてくる。

 

道にカラフルな布を敷き、その上に座って手製の櫛やケンタウロス型の貯金箱のようなものを売っている奴がいて。

 

その商品を見るやつや値切るやつ、酔っ払って布の上に寝っ転がる奴、寝っ転がったやつをナンパするやつがいてもう大変だ。

 

その隣では木箱を並べて作った舞台の上で麻袋に色を塗ったような衣装を着て素人芝居をやっている一団がいて、主役の鳥人族がスコップを掲げて素っ頓狂な声で騎士の名乗りを上げている。

 

あーあ、節回しが全然違うよ。

 

その斜向かいではどっかの主婦の団体が家庭料理の大鍋をかき混ぜながら呼び込みをしていて。

 

そのすぐ近くではその家庭料理をつまみに酒を飲みながら、暇そうなオッサンが同じく暇そうな女と地べたに寝転んでくっちゃべっている。

 

ゴザぐらい敷けよ!

 

そして土竜(もぐら)の神の社の前にはいかつい冒険者達がたくさん(たむろ)していて、その周りにはそいつらを狙った酒や串焼きの屋台なんかが店を広げ、その横では非番の音楽隊が調子のいい音楽を奏でて小銭を稼いでいる。

 

まるで異空間に迷い込んだような気持ちだった。

 

なんでもない日なのに、祭りのような賑わい方だ。

 

誰の顔にもなんとなく見覚えがある、みんなシェンカー一家に縁のある連中のようだ。

 

親しげに話しながら行き交う奴らに男女の別はなく、中には腕を組み合いながら歩く熱々なカップルの姿もある。

 

正直色々心配してたんだが、うちの組織に男が入ってきた事による混乱はそこまで大きなものではなかったようだ。

 

大抵の奴らはきちんと順応し、今の所はうまくやっていっているように見える。

 

特に今回はペルセウスが特別に有能な奴らを集めてくれてたらしいからな、そういう意味でも組織にいい影響を与えたんだろう。

 

実際老練な爺さん奴隷たちが来てから、割とマジカル・シェンカー・グループとその周りの組織も盤石の体制となったからな。

 

中間管理職が足りないのが問題だが、中間管理職なんてのはどこでも慢性的に足りないものだ。

 

日本でも足りなかったのに、識字率が低くて人間が荒っぽいこの世界じゃあ余計に足りなくなって当たり前だ。

 

こればっかりは人が育つのを待つしかないからな、堅実に、気長にやろう。

 

決意と共にぐっと拳を固め、家路を辿り始めた俺を、よく知っている声が呼び止めた。

 

 

「坊っちゃん! サワディ坊っちゃんじゃないですか!」

 

 

真っ赤な髪と同じぐらい顔を真っ赤にした、魚人族のロースだった。

 

彼女は鋭い犬歯を剥き出しにして笑いながら、こっちこっちと力強く手招きしている。

 

その隣では、鱗人族のメンチらしき人物がテーブル代わりの木箱に寄っかかるように突っ伏していた。

 

 

「お前さぁ、すっごい酒臭いよ」

 

「そりゃ酒飲んでんだから酒臭いですよ」

 

「何飲んだらメンチが潰れるんだよ」

 

「これこれ、最近流行ってる『殺し屋』って酒ですよ」

 

 

言いながら、40度ぐらいの蒸留酒の瓶を振るロース。

 

そりゃ単なる焼酎だろ。

 

 

「こいつをコップに並々と注いで、レモンを一個分絞るんです、んで塩を……」

 

「あーあーあー」

 

 

酒が全くコップに入っていない、高そうなズボンがびしょびしょだ。

 

俺はロースから酒瓶を受け取って、入り口を半分に切られたレモンに突き刺して魔法で凍らせ蓋をした。

 

飲みすぎだ、身体壊したら誰が治すと思ってんだ。

 

 

「なにするんですか坊っちゃん、飲めないじゃないですか」

 

「もうやめとけ、なんか奢ってやるから」

 

「んー、まー、じゃー、いいかなー」

 

 

ロースは木箱に突っ伏すメンチの頭の上に焼酎の瓶を器用に立て、赤いトサカをフラフラと右に左に揺らしながら先を歩いていく。

 

こいつ、最初は片腕と片眼なかったんだよな。

 

今みたいにリハビリテーション専門の人員もいなかったし、俺の再生魔法も未熟だったから、毎日毎日無茶苦茶なメニューでリハビリしてた。

 

カットラス振り回すのに失敗して頭のトサカが半分になったり、南町の商家の若旦那からロース宛に馬が贈られてきたり、メンチと喧嘩して骨折られたり色んな事があったなぁ。

 

思えば、付き合いも長くなった。

 

五年か六年か……もう小学生なら卒業するぐらいの時間を関わって生きてるんだよな。

 

 

「なあロース」

 

「なんすかぁ? やっぱり酒?」

 

「今度、ピクルス達やシーリィ達連れてうちに来いよ。息子と娘、抱いてやってくれ」

 

「えっ? なんですかいきなり」

 

「……いや、ひとつ子供達に早目に酔っ払いってものを教えておこうかなって」

 

「なんすかそれ!あたしはいい酔っ払いですよ!」

 

 

笑いながら言うロースに苦笑を返した。

 

俺とこいつらは友達って関係じゃないが、こっちでの人生の三分の一を間違いなく共に過ごした奴らなんだ。

 

なぜかはわからないが、魔法使いとしてのキャリアにはなんら影響しない縁だとはわかっていても……俺はなんとなく子供達に、この縁を繋いでやりたいという気持ちになっていた。




ペルソナもデスストもポケモンも、なんもできてません、今月の後半は仕事で東京、法事で名古屋です……

楽にしてくれ……


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第74話 馬鹿だけど しょうがねぇだろ 馬鹿なんだ

今日焼き肉行きます


水煌めき、陽炎のぼる夏。

 

今年も本格的に暑くなる前に、プール開きをする時期がやってきた。

 

去年の夏に奴隷たちが苦労して作ってくれたそれは劇場建設予定地の中にあり、夏以外は魚を放してレジャー釣り堀として解放されていた。

 

それはそれで評判が良く、一通り皆がレジャーとして挑戦した後は数人の釣りキチ達から絶大な支持を受けていたものだ。

 

だが、やはりプールはプールとして使ってこそだろう。

 

冷たい水、浮かれる心、際どい水着、そして一夏の恋。

 

ま、俺には関係ない事だが、後でお見合いを開けだなんだと泣きつかれるぐらいなら自然とくっついてくれる方がいいからな。

 

これからもイベント事があったら積極的に採用していこうと思っているから、活用してくれよな。

 

ともかく、今日は有志が集まって、朝からプールに溜まった苔の清掃を行っていた。

 

プールのふちにありったけの魔具水瓶を置いて水を流し続け、ひたすらブラシで擦っていく。

 

集まった全員が作業できる数のブラシもないので作業自体は交代制にして、残りの面子は全員で宴会だ。

 

プールサイドでは迷宮産の猪や鳥がいくつも丸ごと串に通され、色んな場所に設置された炭火の上でグルグル回されながら焼かれていた。

 

 

「うおーっ!! 肉ーっ!!」

 

「まだだ! まだまだ焼く!」

 

「もういけるだろ! 食わせてくれよ!」

 

「お前らはあっちの鉄板の肉を食ってろ! この猪はあたしの責任を持って美味しく仕上げるんだよ! 散れっ! 散れっ!」

 

 

丸焼き肉を任された奴と、それを狙う奴らの攻防が各所で繰り広げられ、牽制に突き出された包丁の白刃がギラギラと太陽を反射している。

 

丸焼きにこだわらない奴らは、焼肉奉行を買って出た虎の猫人族イスカの管理する鉄板の周りに人だかりを作っていた。

 

 

「にーく! にーく!」

 

「肉食べ放題って、ここは天国かよ!」

 

 

別に肉ぐらい普段から食わせているはずなのに、精肉工場直送の牡丹肉や鶏肉が鉄板に乗せられるたびに大きな歓声が上がっている。

 

中高生かお前らは!

 

まるで俺が飯も食わせてないみたいじゃないか。

 

うるさいし、暑いし、掃除中のプールは臭いし、こんな所にいられるか!

 

俺は双子の元に帰らせてもらうぞ!

 

補修が必要だった場所の修理を手早く終えた俺はパーリーピーポー達に別れを告げ、さっさと家に帰ったのだった。

 

 

 

「あぶ、あぶ」

 

「ぶぅ」

 

「元気だねぇ〜、手足バタバタ上手でちゅね〜」

 

 

生まれてから数週間がたった双子は、ベッドの上でもぞもぞと動き回るようになっていた。

 

お兄ちゃんのノアは黒髪で妹のラクスは金髪だから零歳児でもわかりやすくていいな。

 

暑い夏だが、二人は俺が作った扇風機の風に吹かれてご機嫌なようだ。

 

仕事のために学んだ魔道具の知識を総動員して作ったそれは首振り機能とタイマーまでついた本格的なもので、嫁さんはおろか屋敷の使用人達にまで大好評を得ていた。

 

オーク材削り出しのデカいプロペラが低速でビュンビュン回るのは見た目的にもかっこいい。

 

六つほど作って四つは屋敷で使っているので、残りは贈答品にしてもいいかもな。

 

 

「そういえば王都では君にまつわるサロンができたそうだよ」

 

 

ノアのぷにぷにの足をつまんでは離していた俺に、安楽椅子で書類を読んでいたローラさんが愉快そうな声音で言った。

 

 

「サロン? なんですかそれ」

 

「社交場さ、君に治療された軍人達のね」

 

「へぇ〜、じゃあ今治療中のリースさんやフルーダ子爵もそのクラブに行くってことですか?」

 

「サロンだよ。ま、君に治療された全員が集っているわけじゃない。暇で物好きな退役軍人達が、新しくできた縁を辿って無聊を慰めているのさ」

 

 

戦争怪我人ネットワークみたいなもんかな。

 

この屋敷の客間の数にも限りがあるから月に四人の治療が限度なんだけど、未だにベッドに空きができることはないもんなぁ。

 

昔みたいに枯れ木みたいな状態になった人はめったに来なくなったけど……

 

若い人もオッサンも爺さんも、女も、前線に出ていれば皆魔臓をなくす危険があるんだろうなってことはわかる。

 

もう最近はローラさんからもお金を受け取ってない。

 

結局俺にしか治せないんなら、それはつべこべ言わずに俺がやるべきことなんだと踏ん切りがついたのだ。

 

手が届く範囲の人ぐらい助けたって、罰は当たらんだろうしね。

 

 

「そのサロンの名前が奮っていてね……『動く死体の会』だそうだよ」

 

「なんじゃそりゃ、めちゃくちゃですね」

 

 

思わず笑ってしまうような、バカバカしいほど自虐的な名前だった。

 

でも、なんとなく底抜けな明るさを感じる気もする。

 

うん、俺は気に入ったな。

 

動く死体、結構じゃないか。

 

拾った人生なのは俺やローラさんも一緒だ、是非最期まで謳歌してくれ。

 

 

「旦那様、シェンカー家の方々が参られました」

 

「おっ、おお、来たかぁ」

 

「では、行こうか」

 

「ノア、ラクス、おりこうさんにするんだぞ~」

 

「ぶ……」

 

「あぅ」

 

 

俺はノアを、ローラさんはラクスを抱きかかえて屋敷の玄関ホールへと向かう。

 

今日はうちの親父や古参の奴隷達と一緒に、絵師に集合絵を描いてもらう予定なのだ。

 

玄関ホールでは、揃いのブレザーを着たうちの奴隷達と絵師連中が直立不動で待っていた。

 

まあローラさんもいるからな、いつもの調子ではいられないか。

 

そんな中、正装を着て落ち着かなさそうにしていた親父がやってきて、俺に小さく頷いてからローラさんに頭を下げた。

 

 

「ローラ殿、この度はお日柄もよく……」

 

「いやいや、堅苦しいのはよしてくださいよ義父(おやじ)殿。我々はとうに親子の間柄、もそっと気楽になさってください」

 

 

ローラさんは空いている左手で親父の肩を叩き、右手に抱いた娘を「あなたの孫のラクスです、抱いてやってください」と差し出した。

 

俺は絵師に指示を出して、集まってくれた奴隷達を労う。

 

 

「みんな今日はよく来てくれたな」

 

「若様とお姫様を紹介してくれるんでしょう、万難廃して駆けつけますって」

 

「おいロース、奥方様もいらっしゃるんだぞ」

 

「まあまあ、楽にして楽にして」

 

 

話す俺達の合間を掻い潜るようにして、画板を持った絵師達が初めて見る人の前できょとんとしているノアの顔をスケッチし始める。

 

赤ん坊は絵描く間に寝たり泣いたりするからな、顔を控えるならご機嫌なうちにって事だ。

 

 

「この子がノア様ですか、ご主人様によく似ておいでですよ」

 

「おお、お前、なんか気合入った格好で来たなぁ」

 

 

俺はアップにした髪の毛を金のヘアピンで留め、鎖付きの金縁眼鏡にグレーのパンツスーツを着て、鏡みたいに磨き込まれたハイヒールを履いた、気合い入りまくりのチキンにノアを渡した。

 

こいつは事務方の頭で筆頭奴隷だから一番最初だ。

 

組織を適切に運営するならば、序列はきちんと守らなければならない。

 

 

「まだ首座ってないからな、そうそう、頭が動かないように抱いてやって」

 

「若様、チキンでございますよ〜」

 

「ぶ?」

 

「よしよし次はメンチだな、ご機嫌なうちに全員回さないと大変だからサクサク行こう」

 

「はい」

 

 

メンチは気を使って手袋をしてきたようだが、鱗人族だって手の内側は鱗がないんだから気にしなくてもいいのに。

 

 

「おおノア様、メンチでございます。暖かいですね」

 

「あっ、やべっ、ノアうんちの顔してる」

 

「えっ?」

 

「ごめんな、でも赤ちゃんだからしゃーないのよ」

 

「いえ、はい……」

 

「ひっひっひ、運がついたな」

 

 

ロースは笑いながら指を変な形に組んでいる。

 

エンガチョみたいなもんなんだろうか。

 

うちのメイドが慌ててやって来たのでノアをお願いして、抱っこ会の主役は妹のラクスに切り替わった。

 

 

「お姫様はおねむですか」

 

「あんま揺らすなよ、起きたら泣くから」

 

「わかってますよ」

 

 

なかなか慣れた手付きでラクスを抱いていたロースは、そのままケンタウロスのピクルスに彼女を手渡した。

 

ピクルスはあわあわとラクスを受け取り、すぐに宝物を扱うような手付きで鳥人族のボンゴにパスをした。

 

ケンタウロスは素のパワーが桁違いだからな、ちょっと不安だったんだろうか。

 

 

「…………ひ……め……」

 

 

ボンゴはラクスのお腹に顔を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎ、満足気にフンフンと鼻を鳴らした。

 

犬かお前は。

 

次に受け取ったピンク髪の料理人シーリィはしげしげとラクスの顔を覗き込み、同じく料理人の緑髪、ハントにパス。

 

 

「赤ちゃんって可愛いなぁ」

 

 

最近結婚したハントはとろけるような顔でそんな事を言っているが、その顔をじっと見つめる隣の未婚のシーリィの顔が怖いのなんのって……

 

やっぱ女性の友情ってのは儚いものなのかな?

 

シーリィにも誰か適当な男を紹介してやろうか、いや、余計な気は回さない方がいいか。

 

控えていたミオン婆さんはハントからラクスを受け取り、一礼して奥へと引っ込んでいった。

 

今日の主役はもうお役御免だ。

 

これから大人組は不動の姿勢で絵のモデルにならなきゃいけないからな。

 

仕方のないことだけど、ズラッと並んだ絵師達の前で何時間も座ってるのは肩が凝ったよ。

 

あーあ、誰か写真機開発してくんないかな……

 

 

 

とある日の夜中の事だ。

 

双子の世話も一段落して、爆睡していた俺をメイドが揺すり起こした。

 

 

「シェンカー家のチキン様がいらしております」

 

「へっ? なんかあったのかな」

 

 

首をかしげるメイドに礼を言い、上着を羽織って玄関ホールに向かう。

 

同じように上着を着たローラさんもあくびをしながら後ろをついてくる。

 

上着にはナタみたいな幅広のナイフが吊られていて、どんな時でもやる気まんまんだ。

 

やっぱ軍人さんは意識が違うぜ。

 

 

「夜分遅くにお呼び立てして、誠に申し訳ありません」

 

 

玄関ホールではチキンと、赤ん坊を連れた夫婦が跪いて手を上げる正式礼で待っていた。

 

 

「どうした、チキン?」

 

「こちらの奴隷ブンコと、その夫がご主人様にお願いがあると申しまして。連れて参りました」

 

「そうか、ブンコ、どうした?」

 

「恐れ多くもご主人様にお願いがございまして参りました」

 

「いいから言ってみろ」

 

 

ブンコは隣にいる夫と目配せをし合い、震える声で言った。

 

 

「私と夫はどう処分されても構いません。ですのでこの息子を……どうか息子をご主人様の奴隷にして頂きたいのです……」

 

 

掲げる赤子は一目でわかるぐらい具合が悪そうで、朝を迎えることができるかどうかはわからないような様子だ。

 

頭をハンマーでぶん殴られたような気持ちだった。

 

そうか、こういう事もあるんだよな。

 

考えたこともなかったけど、そうだよな。

 

俺はすぐに赤子に再生魔法をかけた。

 

真っ赤になって苦しそうだった顔は穏やかになり、荒かった息も落ち着いたようだ。

 

一応夫婦とチキンにも同じように再生魔法をかけておく、たちの悪い病にかかっていたら堂々巡りだからな。

 

 

「今晩の事は忘れる事にする、お前達はすぐ帰れ」

 

「はっ……いえ、ありがとうございます」

 

「ありがとうございます、ご恩は一生忘れません!」

 

「チキンは残れ」

 

 

赤ん坊を連れた夫婦は何度も頭を下げながら玄関から出ていき、外の闇へと溶けていった。

 

うちの奴隷達が結婚し始めて一年と少し。

 

……あれ(・・)は果たして、一人目の赤子だったんだろうか。

 

もっと前にも、ああして死んでいった赤子がいたんじゃないだろうか。

 

多分、もう少し前の俺なら『生まれれば人は死ぬ』なんて賢しげな事の一つでも言って気にもしなかっただろう。

 

そんな事が、今の俺には心底辛かった。

 

みんな救うなんて無理だし、まっぴら御免だと、自分でもわかっている。

 

それでも、あの赤ん坊の苦しそうな顔が頭にこびりついて離れなかった。

 

 

「これは、俺の責任かな」

 

 

ぽつりと言った俺の背中を、隣にいたローラさんがパン!と叩いた。

 

 

「そうして、何でもかんでも背負い込もうとするのは君の悪癖だ。人は死ぬ、君の近くにいても、そうじゃなくても。そんなもの、神様にだって責任なんて取れやしない」

 

 

あの一言だけでそこまでわかるローラさんはエスパーなんだろうか、それとも彼女も同じことで悩んだことがあるのか。

 

ただ背中が、ひりひりと痛かった。

 

ローラさんの言う通りなんだろう。

 

誰も、人の死に責任なんて取れない。

 

ましてや、奴隷の子供なんてものは俺の職責すらも超えた部分なのだ。

 

でも、多分これは後悔の元になる。

 

どうしようもない事でも、なんの責任もない事でも、あの時ああできたって後で思うような事は、だいたい後悔になる。

 

俺はそういう人間なんだ。

 

未だに前世の後悔を夢に見て夜中に飛び起きることがあるんだぞ。

 

この上、この人生の後悔まで背負ってられるか!

 

未練には夢があるが、後悔は人を殺しかねない危険なものだ。

 

結局、やるしかないよな!

 

 

「チキン、どうしたら子供が死なないようにできる? なるべく俺の仕事が増えない方法がいい」

 

 

チキンは少しだけ考え、眼鏡のブリッジを押し上げてから答えた。

 

 

「……そうですね、王都には平民でも利用できる巨大な病院があると聞きました」

 

「病院、病院か……」

 

 

それもいいが、どうせなら何か他の事に繋がるようにしたいな……

 

よし、ガキどもに勉強をさせて医者を増やせるようにもしよう。

 

そうすりゃ将来的には俺の仕事だって多少は減るだろう。

 

 

「前に買ってきた闇医者のオッサンに病院を開かせろ、あれもポーションの点滴ぐらいはできるだろ」

 

「オフィユカス殿ですね、かしこまりました」

 

「若手で希望するやつを何人か弟子につけろ、医者を増やしたい」

 

「はい」

 

「あと、子持ちの奴隷達が困ってたら昼間は子供を預かってやれ、将来的には学校にしたい」

 

「それは素晴らしいですね」

 

「当面の運営資金やポーション代は俺が出す、奴隷達やその子供なら無料で診てやってくれ。それと……」

 

 

ちらっとローラさんを見ると、彼女は仕方がないなという風な顔で笑っていた。

 

そうだよな、結局これが、俺の性分なんだろう。

 

理屈でいえば、必要以上に奴隷に責任を感じる必要なんてない。

 

でも、理屈だけで生きられるようなご立派な人間には、何回生まれ変わったってなれないだろう。

 

 

「医者が治せないなら、しょうがないから……ガキを連れていつでも来い。奴隷になんてしないから」

 

「かしこまりました」

 

 

なんとなく、肩がズンと重くなった気がした。

 

たった今、奴隷だけじゃなく、その子供の命までが完全に俺の背中に乗っかったんだ。

 

でも、やるしかないんだよな。

 

 

「それでは、失礼致します」

 

 

キビキビと歩いてチキンが去っていった後で、とぼとぼと歩いて玄関から庭へと出た。

 

夜中だというのに、どこからか焼き鳥のいい匂いがした。

 

耳を澄ませば、遠くの方から冒険者か何かの馬鹿みたいな笑い声もする。

 

気楽な奴らだ、泣けてくるぜ。

 

 

『くそったれーっ!!』

 

 

俺は日本語で、闇へと吠えた。

 

砂を巻き込んだ風が足元を吹き抜け、家からは双子の泣き声が響いていた。

 




この話、やるべきかやらざるべきかで一週間ぐらい悩みました。


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第75話 一目でも 会いたい娘 医者になり 前編

単行本のカバーイラスト公開の許可が出ました。
それとコミカライズが本決定しました。
https://31305.mitemin.net/i426380/


夏の日差しの厳しいトルキイバの街で、私と妻は困り果てていた。

 

この都市で奴隷として働く娘のオピカから手紙を貰い、一目でも会おうとはるばる旅してきたのは良かったのだが……

 

中に入って大通りまでやって来てからは、この街のあまりの賑わいに圧倒されてばかりだった。

 

山のように木箱を積んだ造りのいい馬車がひっきりなしに行き交い、人々は昼間っから酒を飲んでうたを歌い、なんだかよくわからない美味そうなものに齧りついている。

 

田舎生まれの妻と私は、まるで感謝祭と収穫祭を一緒に開いたような賑やかさに惑わされて、一体どこへ行けばいいのかもわからない。

 

田舎者丸出しであちらこちらを歩き回り、気がつけば昼飯時も逃してしまっていた。

 

 

「トルキイバってのはえらいところだなぁ」

 

「人の多いところですよねぇ、オピカはどこにいるのかしら?」

 

「もうそこらへんの人に聞いてみようか」

 

「そうねぇ、こんなに人がいるんだもの、きっとオピカの知り合いもいるわよねぇ」

 

 

私は近くで壁新聞を読んでいた猪人族の男性に話しかけてみることにした。

 

 

「もし」

 

「なんだい山羊のおっさん」

 

「この街で働いている娘を探してるんだがね、オピカって女の子を知らないかい?」

 

「いや、俺は山羊人族に知り合いはいないなぁ」

 

「そうかい」

 

「その娘さんはどこで働いてんだい?」

 

「シェンカーって家で働いてるそうなんだけど」

 

「ああ、そんならシェンカー家の工場がすぐそこにあるよ。この通りをまっすぐ行って、突き当りを右」

 

「ご親切にどうもすいませんね」

 

「ありがとうねぇ」

 

「いやいや、さっさと会えるといいな」

 

 

いい人で良かった。

 

私と妻はさっそく大通りからその通りに入り、道の端っこをゆっくりと歩いて進む。

 

店も人も家の飾りも、地元じゃあ見たことのない物ばかりで、年甲斐もなくワクワクしてしまう。

 

赤備えの鎧を着た女だらけの冒険者の一団がいたかと思うと、ユニコーンに跨ったお姫様みたいな女の人が従者に轡を引かれて通り過ぎていく。

 

今すれ違った背中いっぱいに土竜の刺繍の入ったサーコートを着た銀騎士なんて、地面を引きずらんばかりの大剣を背負っていた。

 

凄いな、まるで話に聞いた演劇の世界のようだ。

 

 

「おまえ、なんだか凄いね」

 

「ねぇ、おとぎ話の国みたいね」

 

「あっちの屋台はさっき大通りで見た料理じゃないかな? どれ、ひとつ買ってみようか」

 

「あんまり高かったらいけませんよ」

 

 

看板に『ホットドッグ』と書かれた屋台は若い女の子が一人でやっていて、暇そうに椅子の上で足をぶらぶらさせていた。

 

もう飯時も過ぎたからかな、味に問題があるからとかじゃなきゃいいが

 

 

「ひとつおいくらかな?」

 

「いらっしゃい、銅粒三個だよ」

 

「おお、それじゃあひとつもらおうかな」

 

「あいよっ」

 

 

女の子は石粒みたいな魔結晶を鉄板型の魔具に入れ、その上に大きなソーセージをゴロンと転がした。

 

多分これを半分にして使うんだろう。

 

さすがに豊かな穀倉地帯の街とはいえ、肉まで安くなるわけじゃないからな。

 

 

「からしは?」

 

「普通はかけるのかい?」

 

「そっちのが人気だね、最近じゃあ『ホットドッグはぴりっと辛くなきゃホットドッグじゃない』なんて言うお客さんもいるよ」

 

「じゃあお願いしようかな」

 

「ああ。旦那、もしかしてこちらの人じゃない?ちょっと東の方の言葉だね」

 

 

女の子は器用な手付きで細長いパンにナイフを入れながらそう話す、私はそんなに方言が強かっただろうか?

 

 

「よくわかるね、ハナイエラの近くから出てきたんだ」

 

「へっへっ、あたしのコレが東の出でね。なんとなくだけど、わかるもんだね」

 

 

彼女はそう言いながら花の咲いたような笑顔でクイッと親指を立てた、きっと素敵な恋人なんだろう。

 

 

「しかしハナイエラっていやあ王都の近くじゃないの、なんでわざわざトルキイバに?」

 

「王都の近くって言ったってトルキイバに来るのも王都に行くのも距離は同じぐらいだよ、うちの周りはド田舎さ」

 

「そんなもんかい?」

 

 

話しながらも手は止まらない。

 

店員さんは二本の棒で焼けたソーセージを器用に掴んでパンに載せ、その上から刻んだ漬物のようなものを盛り付け、パン全体に波を描くように赤と黄色のソースをかけた。

 

 

「おいおい、こんな大きなソーセージ丸ごと使ってくれていいのかい? おまけしすぎじゃないか?」

 

「ん? ああ、旦那はトルキイバにはほんとに来たばっかりかい?」

 

「それはそうなんだが……」

 

「今この街はね、肉の街なんだよ。ダンジョン産の食肉が毎日山みたいに入ってきてんのさ」

 

「はぁ、ダンジョンの……」

 

「その元締がうち(シェンカー)のご主人様でね、だからシェンカー家の屋台や店では肉が安く食べられるんだよ」

 

「はぁ、シェンカーの……」

 

 

全然話が見えてこない、なんでダンジョンの肉が街に出回るのか、なんでシェンカー家がその元締めになれるのか。

 

真剣に考え込みそうになった私の背中を、妻がポンポンと叩いた。

 

 

「あなた、シェンカー家の方ですって」

 

「あ、そうか、聞いてみようか」

 

「なんだい?」

 

「いやね、実は私達はシェンカー家で働いている娘に会いにやって来ていてね、オピカって言うんだけど知らないかい?」

 

「オピカって『迷わず』のオピカかい?」

 

「迷わず……?」

 

「うん、有名人さ、鳥神の加護を持ってるって話なんだけど……」

 

「ああ! その子だ! 元気にしているかい!?」

 

「風邪引いたって話も聞かないよ」

 

 

良かった、まずは一安心だ。

 

しかし、有名人ってのはどういうことなんだろうか?

 

 

「娘に会うにはどこに行けばいいだろうかね?」

 

「シェンカー通りってとこにマジカル・シェンカー・グループの本部があるから、そこでチキンさんって人に聞くといいよ」

 

「そうか、ありがとう」

 

「あっち行くと中央の目抜き通りがあるから、それを向こう側に渡ってからまた人に聞いたらいい」

 

 

店員さんが指差す先は、さっき私達がやって来た方向だった。

 

この屋台に寄って良かったなぁ、危うく無駄足を踏むところだった。

 

 

「ありがとうねぇ」

 

「早く会えるといいね」

 

 

屋台の店員さんにもう一度礼を言い、私と妻は来た道をまた戻る。

 

歩きながら、ホットドッグを半分に割って妻と一緒にぱくついた。

 

ちょっとピリ辛なそれは大きなソーセージの肉汁がパンに染み出していて香ばしく、半分でも充分に満足だ。

 

同じ物をうちの地元で食べようとしたら、半銅貨は払わなきゃいけないかもしれないな。

 

 

「あら、あなた、あの人あんなにいっぱい……」 

 

「ん? おおっ! 凄いな冒険者の人は」

 

 

朱塗りの大槍を背負った男が、私達と同じホットドッグを腕一杯に山ほど抱えながら歩いていくのが見えた。

 

よく動いてよく食べる人達には、こういう安くてお腹が一杯になる肉料理はもってこいだろうな。

 

しっかり食べて、魔物をやっつけてくださいよ。

 

しかし、我ながら単純だ。

 

娘が無事だとわかったからだろうか。

 

さっきまでは歩いていてもなんとなく不安だったトルキイバという街が、今はなんだか無性に頼もしく思えた。

 

 

 

「オピカなら、今は病院の方に務めています」

 

 

マジカル・シェンカー・グループの本部で、オピカからの手紙を見せて会うことができたチキンさんは、まるで貴族の奥方のようにきらびやかな方だった。

 

紺色の絹の服を着て、髪を内巻きにした彼女の爪はオレンジ色に塗られている。

 

うちの地元の商会長の嫁さんは、夜会に出る時だってこんなに気合の入った格好はしないだろうな。

 

 

「病院、薬屋じゃなくてですか?」

 

「はい、当家にはお抱えの医師がおりまして、ご息女は今そこで医者になるための修行をしています」

 

「えっ、あの、じゃあうちの娘は将来お医者様になるということですか? 奴隷なんですよね?」

 

 

医者の技というのはその一族に伝えられる秘伝の技だ。

 

奴隷の身分で随分と自由にやらせて貰っているとは聞いていたが、まさかうちの娘がお医者様の弟子になるなんて……嫁入りでもしたんだろうか?

 

 

「うちの一家の従業員はみな奴隷ですよ」

 

「となると、あなたも?」

 

「そうです。とはいえ皆きちんと給料を頂いて働いていますので、市民の方とほとんど変わりませんが」

 

 

にこりと微笑む彼女の顔に暗さはない。

 

一体シェンカー家っていうのはどういう家なんだ?

 

 

「先程の質問ですが。医者の道で生きていくかどうかはご息女の決めることですが、とりあえず医者を名乗れる程度には技術を収めることになるでしょう」

 

「は、はぁ……」

 

 

医者の技を学んで別の仕事をする者なんているのか?

 

どうもこの街に来てから私の常識では測れないことばかりで頭が痛い、これもお医者様に見てもらうことはできないだろうか。

 

 

「今日明日はオピカを休ませるように書状を書きますので、ぜひこの街をご観光なすってください。観光地ではありませんが、面白い場所はいくつかございますので」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

チキンさんは流れるような手付きで美しい文字を書き、手紙に蜜蝋を押して渡してくれた。

 

うーん、娘と同じ年頃に見えるが、私よりもはるかに貫禄があってどうにも落ち着かんな。

 

私と妻はいそいそとその場を後にした。

 

なんだかトルキイバにやって来る前とは別の意味で娘の事が心配になってきた。

 

まさかもう子供を産んでいたりしないだろうな?

 

 

 

チキンさんのつけてくれたシェンカー家の案内人の方に連れられてやって来たのは、二階建ての大きな建物だった。

 

白く塗られたその建物の入り口の上には『医者』とだけ書かれた看板が掲げられている。

 

中からは小さく赤ん坊の鳴き声が聞こえてくる、はたしてここはまともな病院なんだろうか?

 

 

「ささ、入ってください」

 

「は、はぁ……」

 

「失礼します」

 

 

案内人に促されて中へと入ると、待合所になっている玄関ホールは人で一杯だった。

 

子供も大人も老人も、みんな長椅子に座って番号札のようなものを手に持っている。

 

なるほど、繁盛しているようだ。

 

 

「オピカいるかーっ!オピカーっ!」

 

「はーい!」

 

 

奥から現れた娘は綺麗な白い制服を着て、随分と垢抜けた様子だった。

 

最後に別れたときよりも背が伸びて、軽く化粧もしていて、髪もきちんと結い上げている。

 

大人になったなぁ。

 

 

「あーっ!お父さん!お母さん!」

 

「へー、あれがオピカの家族」

 

「優しそう」

 

「ひげ」

 

 

パタパタと駆け寄ってくる娘の後ろから、娘と同じ服装をした女の子達がぞろぞろとついてきた。

 

もしかしてあの子達はみんな医者見習いなのか?

 

だとするとここの医者は、こんなに沢山の女性を侍らせてるのか?

 

さすがに私だって親として文句の一つも言いたくなってきたぞ。

 

 

「お、オピカ、お前この病院に嫁入りしたのか? 他の奥さんにいじめられたりしてないか?」

 

「ちょっとあなた……」

 

 

妻は止めるが、どうしようもないことだとわかっていても聞かずにはいられないのだ。

 

男親は腰が座っていないとよく言われるが、たしかにそうかもしれない、不安で仕方がなかった。

 

 

「へ? 私が先生に嫁入り? なんで?」

 

「え、だってそりゃ……お前は医者になる修行をしてるんだろう?医者ってのは一族にしか技を伝えないから……」

 

「あ、いや、ここはそういうの大丈夫なんだよ、先生も奴隷だから」

 

「え? 奴隷? 医者が? なんで?」

 

「さあ? シェンカーってほんとに色んな人がいるから……音楽家とか、画家とか、あと数学家や薬学家もいるよ。どんな怪我や病でも治しちゃうご主人様だから、色んな人が集まってくるんだよね」

 

 

数学家や薬学家なんて、貴族に召し抱えられるような人種じゃないか。

 

 

「あなた、オピカも元は死病ですよ」

 

「あ、そういえば、そうだったな……」

 

 

そう考えれば、医者や学者が奴隷になることだって別におかしくもないか。

 

む、そういえば……

 

 

「オピカや、チキンさんからこれを預かってるぞ」

 

「え、チキンさんから?」

 

 

娘は私から封筒を受け取ると、早速封蝋を剥がして中身を読み始めた。

 

気づけば、騒がしくしていたからか、待合室の患者さんたちもみんな興味深そうにこちらを見ている。

 

なんとなく気恥ずかしくなって、皆さんに頭を下げた。

 

田舎者丸出しじゃないか、恥ずかしい。

 

 

「チキンさんが今日と明日お休みにしてもいいって。お父さん、お母さん、色んな所連れてってあげるね」

 

「いいなー」

 

「あたしも連れてってくれよ」

 

「めし」

 

「あなた達まで休んだら病院が開けないでしょ。じゃあちょっと着替えてくるから、待っててね」

 

 

手紙を読み終えたそう言って、仲間と一緒に奥へと引っ込んでいった。

 

私達夫婦と案内人さんは邪魔にならないように隅っこに立って待つ。

 

 

「この病院というのは、いつごろからあるのですかな?」

 

「建物自体は昔からありますけど、病院になったのは二週間前ですね」

 

「えっ、二週間前ですか!?」

 

 

案内人さんの言葉に驚いた私は大声を出してしまい、また周りの人達から視線を集めてしまった。

 

すいません。

 

 

「突然ご主人様が病院と託児所を作れって言い始めたんで、急いで作ったんですよ。ここ、前は宿屋だったんです」

 

「はぁー、そんな急に、それなのにもうこんなに繁盛しているんですか?」

 

「まあ、うちもこの街じゃそこそこ信用があるんで」

 

 

得意気に言う案内人さんは、羊人族特有のモコモコの毛をキザに櫛で撫で付けた。

 

 

「お待たせ〜、あれっ? トロリス、まだ帰ってなかったの?」

 

「あんたねぇ、あんたの親御さんを宿に案内するために待っててあげたんでしょうが」

 

「えっ、そうなんだ? ありがとう」

 

 

どうやら案内人さんとオピカはなかなか親しいようだ。

 

さっきの仲間たちもいたし、ちゃんと友達も作れているようで安心した。

 

 

「あのぉ、そんな宿までお世話していただいて……よろしいのですか?」

 

「いいんですよ、他の都市から来る商人のために常に開けてある部屋がいくつかあるんです。チキン筆頭奴隷の指示ですからお気になさらず」

 

 

案内人さんは涼し気な笑顔でそう言った。

 

 

「そうなんですか、本当にありがとうございます」

 

「オピカ、あとでチキンさんにきちんとお礼を言っておいておくれよ」

 

「わかってるよ」

 

 

オピカは握った右手の親指をビっと立て、私に微笑んだ。

 

どういう意味なんだろうか。

 

トルキイバで流行っているのかな?

 

 

 

病院からほど近い場所にあった宿はなかなか小綺麗なところで、一切食事を出さない代わりに客を安く泊まらせるという変わった商売をしていた。

 

いや、周りには食べ物屋が沢山あるし、それもほとんどがシェンカー家の店だ。

 

そっちで食事を取らせれば、宿には厨房を作らずにその分多く客を泊められる。

 

なかなか理に適ってるのかもしれんな。

 

その宿の鍵付きの戸棚に荷物を置き、娘と私達は日の沈み始めた街を歩いて夕食へと出かけた。

 

 

「トルキイバ名物が沢山食べられる店があるからさ、そこに連れてくね」

 

「名物料理か、となるとダンジョン産の肉料理なのかな?」

 

「そうねぇ、お昼も食べたわよね、ホットボーグってやつ」

 

「それってホットドッグじゃない? 違う違う、ここらの名物っていったら粉ものだよ、麦の料理」

 

「となるとパンかい? 麦の本場のパンはどんなもんだろうね、楽しみだ」

 

「王都のパンはそのまま食べてもほっぺが落ちるほど甘いらしいわよ」

 

「パンでもないんだよね、まあ楽しみにしてて」

 

 

娘に連れられ、見知らぬ街を歩いていく。

 

迷いのない足取りで進んでいくオピカのピンと伸びた背筋も、自信満々に張った胸も、履きこなしているかっこいいハイヒールも、私と妻の見たことのないものだった。

 

素直ないい子だったが、どことなく内気で優柔不断だった彼女はいつの間にか凛とした大人の女性になっていたようだ。

 

子供の成長というのは、親が思うよりもずっとずっと早いものだな。

 

 

 

「ここだよ」

 

 

シェンカーの本部や病院よりも、ずうっと都市の外縁に寄った路地にそれはあった。

 

看板も、屋号もない、ただの住宅街の一軒家だ。

 

 

「ここかい? ここは人の家じゃないのか?」

 

「中を改装して店にしてあるの。仲間の店だよ、大丈夫だから」

 

 

娘に手を引かれて中へと入ると、たしかに食べ物の香ばしい匂いがする。

 

店の中には奥まで続く細長いカウンター席があって、そのまた前に併設された細長い鉄板が、同じく奥まで続いていた。

 

 

「おうオピカ、誰か連れてきたのか?」

 

「うん、お父さんとお母さん」

 

「なにぃ!? トルキイバまで来てくれたのか?」

 

「そう、会いに来てくれたんだよ」

 

「へぇー、まあ奥に座れよ、いい酒出すから」

 

「ありがとう」

 

 

オピカの話している猫人族の女性もシェンカーの人なんだろうか?

 

筋骨隆々で見るからに荒くれ者って雰囲気だが、うちの娘はああいう人とも仲良くやれるようになっていたのか。

 

 

「おうい! オピカのおとっつぁんおっかさん! 奥に座んなよ! 別に取って食いやしないからさぁ!」

 

「あ、はぁ……」

 

「どうもすいませんね」

 

 

大きな声で招かれて、奥側のカウンターに三人で座る。

 

一体どういう店なんだろうか?

 

一番奥席にいる赤い髪の毛を逆立てた魚人族の女性は、大きな魚のムニエルを肴に酒を飲んでいるようだが……

 

ぼんやりと見つめていると、うちの娘が隣になったその人に挨拶をし始めた。

 

仲間の店と言っていたからな、知り合いなんだろうか。

 

 

「お疲れ様ですロースさん、すいません、お隣失礼します」

 

「おうオピカ、聞いてたぞ、良かったじゃないか」

 

「ありがとうございます」

 

 

はぁ、ロースさんというのか、雰囲気がある人だな。

 

 

「おいウォトラ!」

 

「へぇ、なんですかロースの姐さん」

 

「オピカの払い、あたしに付けときな」

 

「へぇ!」

 

 

なんだと!?

 

 

「えっ、あっ! ロースさん、すいません!」

 

「いいんだよ」

 

 

ロースさんはお礼を言いに立ち上がろうとした私と妻を手を振って制し、茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばして琥珀色の酒をズズっと飲み干した。

 

グラスをカウンターに置いて、ロースさんはオピカの頭に手を置いて私達に話しかける。

 

 

「オピカの親父さん、お袋さん、こいつは結構やるやつなんですよ」

 

「ちょっとちょっとロースさん、やめてくださいよ」

 

 

照れる娘の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、彼女は微笑みながら言葉を続けた。

 

 

「顔に似合わずやる気がある。今なんて、医者になろうと勉強してるんです」

 

「は、はい……」

 

「ありがとうございます」

 

前の現場(ちかのあな)では、みんなが助けられた。いい子ですよ」

 

 

優しい話し方だった。

 

思わず、涙が溢れた。

 

今日は色んな事があった。

 

再会なんてできないかもしれないと思っていた娘と、また出会えた。

 

自分の道を見つけ、優しい人達に囲まれて生きていることを知れた。

 

その上、目の前でこうも娘を褒められては、我慢なんかできるわけがない!

 

私は、目の前に置かれた酒を一気に飲み干した。

 

 

「トルキイバ焼きお待ちっ!」

 

 

平べったいやつ、うまい!

 

 

「タコ焼きお待ちっ!」

 

 

丸いやつ、うまい!

 

 

「お酒なくなっちゃったね、どうぞ」

 

 

娘が酌をしてくれる酒、うまい!

 

 

「これ、ご主人様が考えたらしい、ホルモン焼きそばってやつ」

 

 

なんか細長いやつ、うまい!

 

目の前の鉄板で焼かれる美食を、地元では飲んだこともないようないい酒で流し込み、気がつけば、腹は一杯、身体はへべれけ、頭はフラフラだ。

 

完全に飲みすぎた私はロースさんとウォトラさんにろれつの回らぬまま別れを告げ、娘に肩を貸されて宿へと帰った。

 

夢の中では、幼き頃の娘が肩車をせがんでいた。

 




なんかめちゃくちゃ長くなったんで分割しました。
後編はすぐだと思います。


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第76話 一目でも 会いたい娘 医者になり 後編

第一巻は12/28日発売です。
店舗特典とかもありますので、そこらへんとか表紙の画像とか纏めて活動報告に上げておきます。


翌日、私と妻は朝から娘に連れられてトルキイバを歩いていた。

 

大通りへと向かう途中で、昨日立ち寄ったマジカル・シェンカー・グループ本部の方にすごい人集りができているのが見えた。

 

炊き出しかなにかでもやっているのだろうか?

 

 

「すごい人だなぁ」

 

「そうねぇ」

 

「あれはねぇ、人手を借りに来る人達が集まってるんだよ」

 

「なんだ、手配師のようなこともやっているのか?」

 

「そうそう、精肉工場ができてからは派遣できる人数も少なくなっちゃってさ、そのせいかもう毎日人手の取り合いなんだよね」

 

「ふぅん、うちの近所じゃ働き口がなくてみんな国の農場に行くか冒険者になるっていうのに、不思議なもんだなぁ」

 

「うちの商売は老舗のシェンカー家の看板でやってるからね、よその人が同じような商売をしようとしたら大変だと思うよ」

 

「そういうものか」

 

 

それからしばらく歩いて辿り着いたのは、緑と白に塗られた小洒落た喫茶店だった。

 

店の外にまでテーブルや椅子が並べてあって、そこでは不自然なほどに着飾った男女が仲睦まじく歓談している。

 

はたして私や妻のような田舎者丸出しの服装の者がこんな店に入ってもいいのだろうか。

 

 

「ほらほら、何してんのさ、早く入ろう。ここもシェンカーの店なんだよ」

 

「おいおい、こんなすごいとこ、この服じゃあ入れないよ」

 

「そうですよねぇ」

 

 

妻と顔を見合わせて苦笑したが、結局「大丈夫だから」と娘に手を引かれて店内へと入ってしまった。

 

昼間だというのに魔具のランプで煌々と照らされた店内は落ち着いた内装で、外の席とは違ってご老人や子供連れの女性の方なんかもいるようだ。

 

良かった、客の着ている服も上品なものが多いが外と比べれば普通の部類だ。

 

ここならば私と妻もそう浮くという事はないだろう。

 

 

「オピカじゃん、いらっしゃい」

 

「おはよう」

 

 

知り合いなのだろうか、親しげに娘と挨拶する店員さんは、まるで歌劇から出てきたかのような衣装を身に纏っていた。

 

一体ここはどういう店なんだろうか?

 

これまでの人生で入ったことのない種類の店だ。

 

 

「朝食三つお願い、飲み物は……珈琲と紅茶があるけど?」

 

「私は紅茶を貰おうかな」

 

「じゃあお母さんには珈琲をお願い」

 

「珈琲二つと、紅茶一つで」

 

「かしこまりました」

 

 

娘は流れるように注文を済ませ、机の脇の品書き立てから紙束を取り出した。

 

なんだろうか、細かい字がびっしりと書いてある。

 

 

「オピカ、それはなんだい?」

 

「ああ、これは仲間がやってる新聞だよ。他愛もない噂話ばっかりだけど、週に一回出回るんだ」

 

「ほぉ、新聞か」

 

「オピカもそういう難しいものが読めるようになったのねぇ」

 

 

周りを見回すと、一人で来ている客はみんな新聞を読みながら食事をしていた。

 

少なくともこの店に来られる客は全員教育を受けているということか、敷居が高そうだな。

 

私もなんとなく品書きを手に取ってみると、一面に見慣れない単語と小さな絵が並んでいた。

 

聞いたこともないような、高い料理ばかり。

 

今頼んだ朝食だって、普通の店ならばきちんとした夕食が食べられる値段だ。

 

うちの娘はこんなところに通っていて大丈夫なのだろうか?

 

たぶん物価が違うと稼ぎも違うのだと思うが……余計な事だとは知りつつも、心配は絶えないものだな。

 

 

「何か面白い事は書いてあるの?」

 

「トルキイバ外壁の拡張工事が始まったんだって、人足が集められてるみたい」

 

「へぇ、ハナイエラの街はあなたが生まれる十年も前に拡張したっきりねぇ」

 

「おお!あの時は私も煉瓦を積みにいったものだ。そうそう、その現場でだな、ある日朝もやの中を仕事に出たらだな……」

 

「その話もう何回も聞いたよ~、現場監督かと思って近づいたら血眼猿だったんでしょ」

 

「そうなんだよ、みんなで大声上げながら逃げ出してね、すぐ冒険者が来てくれたから良かったんだが……」

 

 

懐かしいな、子供の頃の娘はこの話を何度もせがんだものだ。

 

 

「お待ち~、はい新聞どけて~」

 

「あ、ありがとう」

 

 

大きなお盆を手に戻ってきたさっきの店員さんが、机の上に食事と飲み物を並べていく。

 

皿には湯気の立つ大きなパンが二つ、分厚いベーコンに、ゆで卵、縁にはたっぷりと掬われたバターが贅沢にゴロっと置かれている。

 

そしてスープカップには黄色いとうもろこしのスープ、うまそうな匂いだ。

 

しっかりした食事だ。

 

これを見ると、高い値段もちょっと割高ぐらいに思えてくるな。

 

 

「さ、食べよ食べよ」

 

 

娘はそう言って、新聞を品書き立てに戻す。

 

さて、私も頂こうかな。

 

うん、うん、このスープは舌触りがきめ細やかで素晴らしい。

 

値段はともかく食事は文句なしだな。

 

 

 

食事を取った後、私と妻はまた娘に連れられて街を歩いていた。

 

目抜き通りを渡り、子供たちの走り回る広場を通り抜け、救貧院の坊主の説法を聞き流し、込み入った路地へと入っていく。

 

どこに行ってもぎょっとするほど沢山の人がいて、たしかにこんなにも人が多くては都市の拡張もやむなしだと思えるな。

 

何本目かの細い路地を抜けたところで、急に少し大きい道に出た。

 

道路の向こう側には高い簡素な木の壁がどこまでも続いていて、その前には腰に剣を吊り、手槍を持ち、(いかめ)しい服を着た目つきの悪い女達がこちらを睨みつけている。

 

なんか、やばいところに出ちゃったなぁ。

 

 

「おーい」

 

 

なるべく目を合わせないようにしようと思っていたら、娘が急に女達に手を振り始めた。

 

 

「ちょっ、オピカ……何を……」

 

「あれも仲間だよ」

 

「ほんとか? 嘘じゃないだろうな?」

 

「嘘なんかつかないよ」

 

 

ちょっと怖い女達の中から一人の犬人族がこちらへ近づいてきて、娘の顔を覗き込んだ。

 

近くで見るとどきっとするようなむき出しの槍の穂は磨き上げられ、日光をぎらりと跳ね返している。

 

こんな連中をあんなに配置して、一体あの壁の中には何があるんだろうか?

 

 

「あんだよ、誰かと思ったら隊長の友達じゃないの」

 

「今日はルビカに用事があって来たんだ」

 

「ちょっと待ってな、呼んできてやるから」

 

「ありがとう」

 

 

そう言って、女は小走りでどこかへと行ってしまった。

 

 

「オピカや、一体あの向こうには何があるんだい?」

 

「うーん、水遊びのための溜池かなぁ」

 

「そんなものを守るためにこんなに厳重にしているのか?」

 

「これからもっと色々作るって言ってたけどね」

 

 

それにしても過剰じゃないだろうか?

 

 

「ああ、でも警備部の人達はここ以外にも色々請け負ってるみたいだよ」

 

「あの格好でかい?」

 

「そうそう、夜のお店とか、貴金属店とか、問題が多いところに頼まれて警備や揉め事解決に人を送ってるみたい。評判いいんだってさ」

 

 

街の店のケツ持ちまでしているのか、やっぱりやっていることはギャングと同じじゃないか。

 

あのシェンカーって家は本当に大丈夫なんだろうか?

 

 

「あっ、ルビカーっ! こっちこっち!」

 

「オピカ、どうした?」

 

 

犬人族と入れ替わりでやってきたのは、青い毛を持つ狼人族の女の子だった。

 

手槍こそ持っていないがこの子も雰囲気が物凄く剣呑で鋭い、刺さるような目つきだ。

 

 

「紹介するね、この二人が私のお父さんとお母さん」

 

「あ……ど、どうも、オピカの父です」

 

「オピカの母です、よろしくねルビカちゃん」

 

 

狼人族の子は拳二つ分ほどの近さからフンフンと鼻を鳴らして私と妻を()めつけ、了解した、とだけ言って離れた。

 

一般人の私にとっては迫力がありすぎる、胃が痛くなってきた。

 

 

「私とルビカはね、一緒の便の同じ馬車でトルキイバに来たんだ。ルビカがいなかったら、私はここに立ってなかったかもしれないんだよ」

 

 

娘は頭一つ分低いルビカさんの肩を抱いて、自分の方に引き寄せた。

 

 

「む」

 

 

ルビカさんは目を細めてうっとおしそうにオピカを睨むが、娘は気にした様子もない。

 

なんだ、そうだったのか。

 

なぜ娘がこのおっかないお嬢さんと知り合いなのか疑問に思っていたが、そういうことならば納得だ。

 

 

「……ルビカさん、お礼を言わせてくれ。娘をトルキイバに連れて来てくれて、どうもありがとう」

 

「私からも、どうもありがとうねぇ」

 

「問題ない、私こそオピカがいなければ死んでいただろう」

 

 

ルビカさんはどっしりと腕を組んで鷹揚に頷いた。

 

 

「ルビカちゃんと私はね、姉妹盃を交わした義姉妹なんだよ」

 

「そういう事になっている」

 

 

盃!?

 

やっぱりギャングなんじゃないか!

 

 

「まあまあ! じゃあルビカちゃんも私の娘ね。飴食べる?」

 

「いらない」

 

 

うーん、私はついていけないが、妻はいきなりルビカさんの頭を撫でているな。

 

やはりこういう時は女の方が肝が座っているという事なんだろうか。

 

いや、単純に深く考えていないだけか?

 

まあどちらにせよ娘の恩人だ、ギャングだろうと、チンピラだろうと、ありがたい人である事には変わりない。

 

頭を撫でるというわけにはいかないが、今後娘のために祈る時には、同じように彼女の事も祈るようにしよう。

 

 

 

仕事に戻ると言うルビカさんを見送り、私達と娘はまたトルキイバの街を歩き回った。

 

恐ろしく立派な魔導学園に、愛らしい動物が沢山いるどうぶつ喫茶、娘の友達が出演しているという小さな芝居小屋、地元では見られない華やかな場所ばかりだ。

 

翌日からは娘は仕事でいなかったが、妻と共に様々な場所を巡り、夜には娘と食事を共にした。

 

そのたびに違う友達を連れてきては紹介してくれて、不思議なほどに広い娘の交友関係に舌を巻いたものだ。

 

そうして楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、帰りの便の日がやってきた。

 

私達の利用する国が運営している乗合馬車は一般の馬車よりも圧倒的に安全だが、値段が割高で予約もなかなか取れないのだ。

 

今日を逃すと、もうしばらくの間は地元へ帰れなくなってしまう。

 

滞在の延長はできない、できないのだ。

 

 

「がえらないでよぉ~!!」

 

「オピカ、お前ももう大人なんだ、聞き分けておくれ」

 

「だめですよオピカ、今生の別れというわけではないんですから」

 

「もっど色んな所連れていぎだがっだのに! あぎになっだらお祭りだっであるのに!」

 

「オピカうるさい」

 

「いだい!」

 

 

見送りにやって来てくれた娘の義姉妹のルビカさんが、オピカのお尻をピシャンと叩いた。

 

夏だと言うのに真っ黒の私服に幅広の長剣を腰に吊った彼女は、相変わらず餓狼のような鋭い目つきをしていた。

 

彼女も奴隷としてここに売られて来たんだ、きっと私などには思いもよらぬような事があったのだろう。

 

娘はこうして私達と再会を果たせたが、この街にひしめくシェンカーの奴隷の子達の中の一体どれだけがまた親と会えるのだろうか。

 

いや、会いたくないという子も多いのかもしれない。

 

今日ここから離れる私達にはどうにもできない事で、どうにもならない事だ。

 

苦々しい思いを振り切るように、ぐすぐすと泣きべそをかく娘の手を強く引いて抱き寄せる。

 

今目の前に、この子がこうして無事でいることだけが全てだ。

 

夏の日差しよりも熱い、私達の娘の体を、強く強く抱きしめた。

 

娘の健康を、無事を祈って、もう片腕では抱けなくなった彼女を強く、強く抱きしめた。

 

遠く離れた東の地からでも、この祈りは彼女に届くだろうか。

 

何かが零れそうになって、思わず上を向く。

 

群青色の鳥の群れが朝日に向かって飛んでいくのを、何かが引っ込むまで、じっと見ていた。

 




次回やきう回


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第77話 スポーツは 夏でも秋でも 楽しいね

第1巻は12月28日発売です!
第1巻の宣伝は多分もう一回だけさせてもらいます。


まだまだ暑いのに、暦の上では夏も終わりかけの今日このごろ。

 

俺達はトルキイバの外で穴を掘っていた。

 

トルキイバの西側の門に隣接するように作られた現場では、規模に見合わぬ大量の作業員がひしめき合うように作業をしていて大変な熱気だ。

 

大地にスコップやツルハシを入れては、出てきた石や土を人足達がモッコで運び出し、皆の力を一つにして地面の割れ目を少しづつ大きくしていく。

 

一応学園から予算が出た仕事なので、現場には魔導学園から超巨獣対策に派遣されたバイトの魔法使いが常駐していて、今も椅子にふんぞり返って退屈そうにタバコをふかしている。

 

板塀で遮蔽された現場の周りは警備部の人間と冒険者組の人間がぐるっと囲み、魔物どころか鼠一匹通さないような厳戒態勢が敷かれていた。

 

 

「穴の底は平らにすること、お前の背丈で縦に二人分は掘り下げてくれ」

 

「えっ! 人間を縦に二人分!? これってそんなに深く掘るんですか?」

 

 

甲殻製のヘルメットをかぶった長身の管理職ジレンは、そんな現場の端っこで俺の顔と設計書を交互に見ながら驚愕の表情で鉛筆を取り落とした。

 

 

「掘るだけじゃなくてプールみたいにちゃんと固めないと駄目なんだよ、この中に材料ぶち込んででっかい造魔を作るんだ」

 

 

そう、今掘っているのは大型造魔製造のための実験プール。

 

ここ一年ほどうちの研究室が右往左往する原因となっている、クラウニア王家の絡んだ『決戦用超巨大造魔建造計画』を一歩先に進めるためのものだ。

 

まだ王家からの勅令までには猶予はありそうだが、仕事の余裕は命の余裕だ、前倒しにしすぎて悪いという事はないからな。

 

 

「造魔をですか、そりゃ大変だ、ほんとに大仕事ですね」

 

 

ジレンは設計書に「ぞうま」と書き付けながら、特に大変だとも思っていなさそうな声音で言った。

 

そりゃそうだ、施工する側にとっては穴を掘るのが仕事で、掘った穴で何をするかなんてのはまるで関係のないことだからな。

 

ちょっとだけ脅かしといてやるか。

 

 

「もっと凄いことを教えてやろう」

 

「なんですか?」

 

「最終的にはトルキイバと同じ大きさの穴を掘ることになるぞ」

 

 

今回作る造魔は言うなれば巨人級、いや、サイクロプス級とでも呼ぼうか。

 

とにかく人の二倍程度の大きさしかない造魔なんだ。

 

『決戦用超巨大造魔製造計画』では、最終的には都市と同じ大きさの都市級まで作ることが決まっている。

 

なんせ決戦兵器だ、大きすぎて困ることはないだろう。

 

 

「トルキイバと同じ大きさ!? そんなことできるんですか!?」

 

「まあ作った造魔にも穴掘り手伝わせるつもりだから、そんなに大変じゃないと思うけどね」

 

「いや、それでもめちゃくちゃ大変だと思うんですけど……あ、痛っ、なんだか頭が痛くなってきた……」

 

「おいおい大丈夫か?」

 

 

 

ちょっと脅かしすぎちゃったかもしれん、悪いことしたかもな。

 

俺はジレンに再生魔法をかけ、後のことを念入りに頼んでから造魔バイコーンに跨り現場を後にした。

 

警備部や冒険者組の皆に挨拶をしてから街の門へと向かう道すがら。

 

ふと振り返ってみると、建設現場は夕闇の中で煌々と光を放っていた。

 

闇を切り裂く光。

 

自然の摂理に反したそれ(・・)は、動物から一歩はみ出した人間という種の、罪の象徴のように思えた。

 

前世だって、あの光さえなけりゃあ毎日定時退社できて、俺が死ぬこともなかっただろう。

 

いや、よく考えたら、ビルが台風で停電した日もガソリン発電機回して爆音の中で仕事をしていたな……

 

前言撤回だ、光に罪はない。

 

俺は前世のブラック企業の社長とは違って、働いてくれた分はしっかり金を払う人間だ。

 

ジャンジャンバリバリ、安心して働いてくれよな。

 

 

 

そんな穴掘りが始まってから二週間ぐらい後の事だろうか。

 

俺とローラさんは初秋のカラッと晴れた空の下で

、シェンカー一家の奴隷達と野球をやっていた。

 

長い髪をポニーテールにして、その上から革製のヘルメットを被った彼女はホームベースの左側でバットを握っている。

 

相対する俺はピッチャーとして、盛り土をしたマウンドの上でボールの握りを確認していた。

 

 

「この棒で飛んでくる球を打てばいいのかい?」

 

「そうですそうです、まず練習です、行きますよ〜! ほっ!」

 

 

俺の軸がよれよれのオーバースローによって放たれたボールは、ローラさんのストライクゾーンど真ん中を貫き、見事にキャッチャー役のイスカのミットへと収まった。

 

そのイスカの後ろに立っている審判がバッと右腕を上げる。

 

 

「ストライーク!」

 

 

よしよし、俺はコントロールには自信があるんだ。

 

 

「君ー!  今のは打っていい球なのかーい?」

 

「絶好球ですよ〜!」

 

 

コツは忘れてないみたいだな。

 

前世ではよく上司に付き合って行ったバッティングセンターで的あてゲームをやっていたのだ、球速はともかく、変化球だって使えるんだぞ。

 

 

「返球! いきますよー!」

 

「ラーイ!」

 

 

虎柄の尻尾を持つ虎人族イスカからの返球がズバッと来るが、こっちの方がよっぽどスピードがあるな……

 

ま、まぁ……俺は変化球五種類投げれるし。

 

 

「もう一球行きますよ!」

 

「来たまえ!」

 

 

お次もど真ん中だ。

 

左足を上げ、振りかぶって投げた。

 

カコンッ!

 

ローラさんが軽く振ったバットは軽やかな音を立て、ボールは俺の頭上を高く高く越えて、青い空へと伸び上がっていった。

 

 

 

事の発端はうちの双子の赤ちゃん、ノアとラクスのために取り寄せたテニス用のボールだった。

 

 

「君、赤ちゃんにこんなもの与えてどうするんだい? 握力でも鍛えさせるのか?」

 

 

ローラさんは白いボールを握りながら、そう言って首を傾げた。

 

そのボールは近い将来双子に渡すために集めていたおもちゃの籠の中にあったものだ。

 

うちの子はまだハイハイもできないが、まあ備えて悪いこともないだろう。

 

 

「いやいや、ボールの遊び方も色々あるじゃないですか、キャッチボールとか、野球とか」

 

「ふぅん、北では聞いたことはないが、ここらへんではそういう遊びがあるのかい?」

 

 

言われてハッとした。

 

そういえば、俺もそういうことをした記憶がない。

 

もちろんボール遊び自体はよくしたが、ボールといえばサッカーボールのような大きさで、野球ボールのようなものはなかった。

 

今回取り寄せたようなテニス用のボールもあるが、テニスは貴族の嗜みだ、そもそも平民の子供には縁のないものだ。

 

そうか、異世界には野球もないんだな。

 

 

「あ、いや、すいません……キャッチボールとか野球とかって、俺の前世の遊びでした」

 

「え? あ、なんだ、そうなのか……」

 

 

ちょっと残念そうな顔をしたローラさんは右手のスナップでポンとボールを上に投げ、また右手でキャッチした。

 

もしかして、ちょっと興味があったのかな?

 

 

「あ、いやもし良かったら……一回やってみます?」

 

「君の前世の遊びをかい?」

 

「ええ、ちょっとお遊びで。ローラさんも最近運動不足だって言ってましたし」

 

「そうだなぁ……ま、たまにはスポーツというのもいいかな」

 

 

彼女はまたボールを宙へと浮かし、左手で受け止めてからおもちゃ籠の中へと戻した

 

ローラさんが意味のない事をする時は機嫌のいい時だ、多分楽しみにしてくれてるんだろう。

 

趣味に生きている俺と違って、彼女は読書と剣と仕事で人生が完結してるからな。

 

大人になっちゃうとあんまり人と遊ぶって機会もないだろうし、今回は目一杯楽しんでもらいたいな。

 

 

 

それから一週間、俺は革職人にグローブとボールを、木彫り職人にはバットを作らせ、土木工事部には劇場建設予定地の整地をやらせた。

 

もちろん野球は十八人でやるもんだから、チームメンバーも選抜した。

 

魚人族のロースに鱗人族のメンチ、羊人族のマァム、その他諸々の冒険者組のメイン戦力に頼んで、残業代払って練習をしてもらった。

 

ケンタウロスのピクルスと鳥人族のボンゴもやりたそうにしていたが、色々問題が出そうだからメンバーには入れなかった。

 

ボンゴはピクルスがいないと意思の疎通が困難だし、ピクルスが打席に立ったらストライクゾーンが上すぎてキャッチャーが取れないしな。

 

 

 

そうして今日、こうして出来上がったグラウンドで、気の知れたメンツで、俺達は野球をやっていたのだった。

 

グラウンドの周りではなぜか集まってきた暇な奴隷たちが酒を片手に見物していて、呼んでもないのに屋台まで出ている。

 

いつの間にかお祭り騒ぎになってしまったが、まあいいだろう。

 

 

「もう一球ー!」

 

 

今しがたホームラン級の打球を飛ばしたばかりのローラさんは、なぜか首を傾げながら俺に投球を催促する。

 

まだ練習だからいいんだけどね。

 

外野から戻ってきたボールを握り直し、今度はさっきよりも力を込めて内角高目に投げた。

 

俺は最速95キロまで出したことあるんだ、さっきのはサービスだぞ。

 

 

「おっ」

 

 

コンッ!

 

彼女が気の抜けた声を出しながら軽く振ったバットは見事にボールを捉え、またもや俺の頭上を軽々と越えていった。

 

はは、は……ま、ローラさんは元軍人だし、プロみたいなもんだから。

 

 

「それではこれより、試合を始めます!」

 

 

俺はピッチャーマウンドに、ローラさんはバッターボックスに立ったままそう宣言すると、周りのギャラリーたちから大きな拍手が上がった。

 

 

「しゃーい!」

 

「坊っちゃん今日は勝ちましょう!」

 

「うぇーい!」

 

 

後ろの守備陣達からも元気な声が返ってくる。

 

よしよし、レクリエーションとはいえ試合だからな、勝つぞ今日は。

 

ヘルメットを目深に被ったローラさんが真剣な顔で俺の手元を見つめる。

 

俺はこっそりと握りを変え、振りかぶって投げた。

 

 

「なっ!」

 

 

バッターボックスの手前でわずかに沈んだ球は、ローラさんのバットの下をかすめてイスカの構えるミットへと入った。

 

へへへ、これが勝負の世界だ。

 

 

「曲がったぞー!」

 

「そういう技もあるということでーす!」

 

 

俺はニヤリと笑い、今度はカーブを投げ込む。

 

バッターボックスの前で球半分ぶんだけ左下に曲がったそれは思い切りバットで叩かれ、外野にホームランフェンスの代わりに置かれた木箱の上を軽々と越していった。

 

変化量が少なすぎて、ストレートと変わらなかったか……

 

 

「やったー!!」

 

「奥方様ー! さすがっすー!」

 

「これで一点だろ? 百点ぐらい入るんじゃないか?」

 

 

外野が好き放題なことを言っている間に、ローラさんはぐるっと塁を回ってホームイン。

 

ま、まあローラさんはノーカンだから。

 

あとの八人は素人だし、打席で打ち返せばいいだろ。

 

 

『二番、冒険者組所属、マァムく↑ん』

 

 

俺が教えた独特なイントネーションのアナウンスと共に、羊人族のマァムがバッターボックスに入ってきた。

 

さすがに野球素人にバッセンに行ってた俺が負けるわけがないし、こいつはサクッと三振だな。

 

 

「いくぞ!」

 

「はいっ!」

 

 

俺とキャッチャーのイスカは声を出してから頷き合い、必殺のスライダーを投げた。

 

バッターの手前で指一本分だけ左に流れたそれは気持ちがいいぐらいバットに食い込み、カコンッ!と爽やかな音を鳴らして外野の遥か向こうへと消えていった。

 

うーん……

 

これは……

 

 

「ピッチャー交代ー!」

 

「えー!」

 

「まだ二人目ですよー?」

 

「もっと粘ってくださいよー!」

 

 

奴隷達はなにか言っているが、これじゃあ試合にならんだろうが。

 

俺の変化球、後は遅い球がもっと遅くなるスローボールとノーコンになる火の玉ストレートだけなんだぞ。

 

 

「ていうかピッチャーの練習してるのご主人様と奥方様だけですよー!」

 

「任せとけって言ってたじゃないですか!」

 

「え、そうだっけ?」

 

「七色の魔球があるって言ってましたよねー!」

 

 

非難轟々だ。

 

困ってしまった俺の元に、観客席にいたピクルスとボンゴがやってきた。

 

 

「ご主人様!私達に任せてください。一週間みんなに混じって練習してました!」

 

「…………し……た……」

 

 

なんだと……!?

 

選手に選ばれなかったのに練習していてくれたのか……

 

うん、この熱意は他の何にも代えがたいのかもしれないな。

 

 

「よし! ピクルス、投げてみろ!」

 

「はいっ!」

 

 

俺はピクルスにグローブと球を渡し、イスカの方を向いて頷いた。

 

イスカは嫌そうな顔をしているが、ノーコンを心配してるのかな?

 

まあ俺ぐらいのコントロールを望むのは酷かもしれんが、その分このタッパからの打ち下ろしの球とスピードで補ってくれるだろう。

 

ストライクゾーン問題もあるから、代打は俺がやろう。

 

 

「試合再開ー!」

 

『三番、冒険者組所属、リーブラーく↑ん」

 

 

控え投手が肩を温めるブルペンなどないからな、いきなり本ちゃんのマウンドだ。

 

ピクルスは上半身を後ろにそらし、槍投げのようなフォームでストレートボールを投げ込んだ。

 

俺にはその球は全く見えず。

 

ただ『バゴンッ!』という破裂音が響いただけで、打者の持つバットはへし折れ、イスカと審判が後ろに仰け反って倒れていた。

 

 

「イスカーッ!」

 

「のびてます」

 

 

恵体のケンタウロス、ピクルスが投げる球は、野球をやるには速く、強すぎたらしい。

 

 

「ピクルスーッ! 退場ーっ!」

 

「えーっ!」

 

 

俺は目を回すイスカに再生魔法をかけながら、苦渋の決断でピクルスに退場を言い渡した

 

さすがに試合が成り立たなくなる剛速球は駄目だ。

 

 

「ピッチャー代わりましてボンゴ!」

 

「…………う……ん……」

 

 

俺はイスカの代わりに装備をつけ、そのままキャッチャーだ。

 

 

「この中に入るように投げろよー!」

 

 

バッターのストライクゾーンを空中に魔法で書いてやると、ボンゴは小さく頷いた。

 

彼女は大きく振りかぶって、体中をしならせるようにして球を放つ。

 

『ドパン!』と快音がして、思わずキャッチャーミットから前にボールが溢れる。

 

慌てて拾い、投げ返した。

 

 

「ストラーイク!」

 

 

結構球速あるな、バッセンで120キロ打ったときと同じぐらい怖かったぞ。

 

二球目は内角ギリギリだ。

 

バッターは見送り。

 

三球目は外角低めで、バッターは空振りで三振だ。

 

ここまで三球、安定してストライクゾーンに入ってるな。

 

 

「バッターアウト!」

 

「あちゃー」

 

 

口髭を生やしたおじさん冒険者のリーブラーは、首を傾げながらベンチへと戻っていった。

 

そこからは残り二人も凡退で、あっという間にチェンジだ。

 

 

「ボンゴやるじゃん。練習しててくれたんだ?」

 

「…………ほ……め?」

 

 

ベンチに行くドヤ顔のボンゴの頭をガシガシと撫で、俺はバットを持って打席に立った。

 

今日は俺もローラさんも一番打者でピッチャーなんだ。

 

俺はピッチャーの方は勇退したけどね。

 

 

『一番、オーナー、サワディく↑ん』

 

 

ピッチャーマウンドに立つローラさんがキャッチャーのメンチと視線を交わし、ニヤリと薄く笑って第一球を投げた。

 

キャッチャーミットから『パァン!』といい音がする。

 

 

「ボール」

 

 

ボンゴと負けず劣らずの速さだが、コントロールはそれほどじゃない。

 

バッセンで鍛えた粘りを見せてやる……

 

 

「バッターアウト!」

 

 

結局ボールにバットが当てられず、涙の三振だった。

 

やっぱほんとに運動やってる人には勝てないわ。

 

しかし次とその次のバッターはヒットを打ち、ワンアウト一塁二塁で四番打者が出た。

 

 

『四番、冒険者組、ロースく↑ん』

 

「姐さーん!」

 

「打ってくれー!」

 

 

打席でバットをくるくると回す魚人族のロースに、周りから声援が飛んだ。

 

うちの軍の真っ赤なユニフォームが彼女の赤髪に合っていて、とても華のある選手に見える。

 

一球目は内角低めのボール球を見送り、二球目はど真ん中のストライクだが、これを見逃し。

 

三球目、外角低めを狙ってきた速球をすくい上げるように打ち、打球は風に吹かれる凧のようにホームランフェンスを越えていった。

 

 

「っしゃあ!」

 

 

ロースは腕を上げたままホームを周り、これでこちらが一点リードとなった。

 

しかしボールが悪いのかな?

 

野球ってこんなにバカスカとホームランが出るようなスポーツじゃなかったよな。

 

 

 

その後はお互い打って打たれての乱打戦が続き、外から見る分にはかなり面白いゲームになった。

 

ただ中でやってる俺はもうヘトヘトで、ボールは落とすわ取りそこねるわ、思いっきりチームの足を引っ張ってしまった。

 

そして九回裏、十三対十点、ツーアウト無塁の状況で、またうちの嫁さんと四番打者ロースの勝負の場面がやってきた。

 

この二人はこれまでの打席でずっといい勝負を続けてきていて、球場も本日最高の盛り上がりを見せていた。

 

 

「ロース打て打て打てーっ! 金貨賭けたぞーっ! 金貨だぞーっ!」

 

「頼んます姐さん頼んます!」

 

「奥方様ーっ! お願いしますっ! 今日の飲み代ーっ!」

 

「後ろの奴らーっ! もし打たれても死ぬ気で取れよーっ!」

 

 

客席からの悲痛な叫びに、ロースはビッと手を振って応え、うちの嫁さんは視線も向けずに口の端でニヤリと笑っただけだった。

 

ていうか客席の奴ら、身内とはいえ軍人さんに対してそんなフランクに接するなよ!

 

俺がハラハラすんだよ!

 

そしてローラさんが顔の汗を拭い、ぐっと振りかぶって投げた一球目はロースの顔面のほぼ真横。

 

 

「ボール!」

 

 

暴投なのか挑発なのか判断しかねる剛速球に、しかし四番の魚人族ロースも微動だにしない。

 

客席は盛り上がるが、マウンドの周りはむしろさっきよりも静かになっていた。

 

緊張の中放たれた二球目は、内角高目のギリギリ。

 

 

「ストラーイク!」

 

 

打者のロースはピクッと動いた気がしたが、振らず。

 

単なるヒットでは終わらせないという事なのだろうか。

 

三球目、低めのボール球。

 

 

「ボール!」

 

 

そして四球目、また低めのボール球。

 

 

「ボール」

 

 

スリーボールワンストライク、皆が固唾を呑む状況の中を投げられた五球目は、内角の高め。

 

低いボールが続いたあとの手元の高いボールを、ロースのバットは詰まり気味ながらもきちんと捉えた。

 

カコンっという気の抜けた打撃音と共に転がり始めたそのボールに、投手のローラさんが飛びついた。

 

勢い余って前転をするもすぐに持ち直し、膝をついたまま一塁へと送球する。

 

走るロースが早いのか、うちの嫁さんの送球が早いのか、その戦いはほんの数秒の事だった。

 

一塁手は塁に頭から突っ込んだロースにグローブを当てていたが、審判のサインはセーフ。

 

 

「いやったああああああ!!!」

 

「うわああああああ!!」

 

「酒が飲めるぞーっ!!」

 

「ああああああああっ!」

 

 

悲喜こもごもの観客席をよそに、五番打者はきっちり三球でアウトになり、ゲームセットだ。

 

勝利したチームが勝鬨(かちどき)を挙げる中、投手のローラさんと四番打者のロースは、身分の垣根を越えた握手をがっちりと交わしていた。

 

俺は全然活躍できなかったけど、ローラさんが楽しめてたなら良かったな。

 

今後野球をやる事があっても、俺はオーナー業に専念しよう……汗を流すのは、インテリの俺には向いてないんだわ。

 

なんて、このときはそう考えていたのだが。

 

結局俺はこの後も、予想外に大流行した野球の試合にローラさんに連れられてしょっちゅう向かう事になるのだった。

 




なんかめちゃくちゃ難産だったので、そのうちこの話は改稿するかもしれません。

ロースとローラさんがややこしくて四苦八苦しました


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第78話 異世界は なにが流行るか わからない

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年は12月28日に無事書籍が発売されました。
これもひとえに皆様のお陰でございます。
本当にありがとうございます。

本当は発売日に更新をする予定だったのですが、仕事が凄くて手も足も出ませんでした。
今年はもう少し計画的に小説を書き溜めていけたらなと思っています。


秋の夜長で光熱費が増えてきたこの頃、俺は研究室に籠もりきりになっていた。

 

 

「この回路を励起させれば……左腕が動く、と……」

 

 

トルキイバ魔導学園、造魔研究室の主であるマリノ教授が操作魔具に魔力を通すと、研究室の机の上に立つ小さなホムンクルスの左手がぎこちなく持ち上がった。

 

ホムンクルスの首元には板のようなものが差し込まれていて、そこから伸びたケーブルは複雑に絡み合いながら操作魔具へと繋がっている。

 

 

「その回路は上腕の筋肉を収縮させるためのものなので、肘関節が屈曲するだけです」

 

「これを維持したまま他の回路も操作しなきゃ駄目なのかい? 難しいねぇ」

 

「まだまだここから動作を定型化していきますから」

 

 

従来の造魔よりも飛躍的に寿命が伸びた魔結晶造魔が自我を獲得してしまう問題に対し、進退窮まった俺が打ち出した解決策が、この机の上のホムンクルスなのだった。

 

自我や思考を形成する脳をバイパスし、直接術者が動きをコントロールするという……造魔のウリである自律行動を完全否定した代物だ。

 

名付けて、リモートコントロール造魔。

 

まあそれじゃあわからんだろうから、操縦型造魔とでもしておこうか。

 

 

「しかし、結局造魔の自我獲得については予定期間中に解明できなかったね」

 

「しょうがないですよ、考えようによっては造魔も生き物だと言えますから。生命の神秘を解き明かそうだなんて、僕らの手には余ることです」

 

 

マリノ教授は机に置いてあったマグカップを手に取り、冷めたお茶を一口飲んだ。

 

 

「よくわかってもいないようなものを、作って、使って、あまりいいことではないんだろうね」

 

「それを言いだしたら魔法だって謎だらけなんですから、きりがないですよ。なんだって中身はともかく使えればいいんです、使えれば」

 

「気楽だなぁ、それが商家流かい?」

 

「下民流ですよ」

 

 

俺の答えにマリノ教授は口の端を曲げて渋く笑い、胸ポケットから取り出した官製煙草に火を付けた。

 

 

「そういえば、君また何か始めたんだって?」

 

「なんですか?」

 

「ほら、なんか人を集めて球遊びをやってるらしいじゃないか。闇魔法学の教授が、あれはどういう遊びなんだって不思議がってたよ」

 

「ああ、野球ですか。あれはまぁ……嫁さん孝行みたいなもんですよ、ローラさんが運動不足だって言うので考えたんです」

 

「そのためにあんな大掛かりな事をしたのかい? 君は根っからの道楽者だね」

 

 

教授が笑いながら吐き出す紫煙を逃がすために窓を開けると、夕焼けに染まった街から気持ちのいい秋風が吹き込んで来る。

 

ふと気配を感じて空を見上げると、真っ赤な空に真っ白な竜が飛んでいた。

 

超巨獣を駆除した帰りだろうか。

 

せっかちそうな白翼竜が、夜を引っ張るように東へと飛んでいくのを、俺はボーッと見つめていた。

 

 

 

とある秋晴れの日、俺はシェンカー一家の警備部からの陳情を受けて野球場へとやって来ていた。

 

何やら連日野球場に来て、騒ぎまくっている身なりのいい女がいるらしく、多分貴族だろうから対応をお願いしますと呼び出されたのだ。

 

 

「で、どこにいるんだ、その女ってのは」

 

「あの審判の後ろの柵のところにいらっしゃる方です」

 

「バッターッ!! 打て打て打てーっ!! 死んでも打てーっ!!」

 

 

困った顔で眉根を寄せた警備部の長、ルビカが指差した先では、たしかに見るからに貴族っぽい格好の女がいた。

 

球場で売っている酒を片手に、フェンスにしがみつくようにしてバッターへと声援を送っていた。

 

ウェーブする銀色の長髪、琥珀色の勝ち気な目、そして途方もなくデカい声。

 

俺はあの女を知っている。

 

この街で一番有名な騎士団員、白翼竜の主、一年中減給処分中の女、テジオン家の拡声器、どうぶつ喫茶の出禁者第一号。

 

トルキイバの白の竜騎士……『星屑』のアルセリカ・テジオン嬢だった。

 

 

「テジオンさん、どうもお久しぶりです」

 

「あっ、スレイラ家の婿じゃない!」

 

「はぁ、どうも」

 

 

アルセリカさんと俺は一昨年ぐらいからの付き合いだ。

 

俺とローラさんの結婚式に出席していただいたことが縁で仲が始まり、以前からうちの冒険者組が助けて頂いたりしていたので季節の贈り物などをするようになったのだ。

 

彼女はアクティブかつ超豪快で、俺の経営する喫茶店であるアストロバックスに唐突に出没したり、同じく俺の経営するどうぶつ喫茶から猫を持ち帰ろうとして出入り禁止になったりしている、いわゆる問題人物なのだ。

 

 

「どうぶつ喫茶といいここといい、この街の面白そうなことにはみんなあんたが関わってんのね!」

 

「ええ、まぁ……」

 

「空からここが見えてね、何やってんのかずーっと気になってたのよ! そんで来てみたら面白そうなことやってるじゃない!」

 

「あ、どうもありがとうございます」

 

 

俺がガンガン絡んでくるアルセリカさんをどうにも扱いかねているのには、貴族力学的な理由があった。

 

彼女は騎士団員で陸軍で言えば少尉相当官なのだが、うちの嫁さんは元少佐で彼女より上、俺は今の所階級なし。

 

ただ爵位でいうと彼女は男爵家、うちの嫁さんは爵位なし、俺は騎士相当だ。

 

アルセリカさんはうちの嫁さんにはなんとなく頭が上がらないけど、俺はなんとなくアルセリカさんに頭が上がらない、そんな関係なのである。

 

もちろん無理は突っぱねることもできるけど、別にそこまで無茶苦茶は言わないし、敵対したいような相手でもない。

 

言うなれば俺にとって彼女は、絡みの薄い地元のヤンキー先輩的存在なのだった。

 

 

 

これ(やきう)、あんたが考えたわけ!?」

 

「ええ、まぁ、だいたいは……」

 

「やるじゃない!! 投手と打手の真剣勝負、騎士道精神を感じるわ!!」

 

 

声クソでけぇ。

 

耳がキーンとしてきたので、こっそり回復魔法をかけた。

 

 

「それでね! ちょっと頼みがあるんだけど!!」

 

「はぁ、なんでしょう?」

 

「私もあれ! やりたい!」

 

 

彼女はそう言いながら、バットのスイングのジェスチャーをした。

 

何も持っていないのに風圧がすごい。

 

 

「はぁ……」

 

 

ちらりとグラウンドを見るといつの間にか試合は止まっていて、選手も客も、みんなが心配そうにこちらを見つめていた。

 

 

 

 

「じゃあ、行きますよー! 三回ストライクで終わりですからねー!」

 

「わかってるわよー!! 全力で投げるのよー!!」

 

 

急遽マウンドに上がった俺は、グローブの中でボールの縫い目を確かめていた。

 

さすがに貴族の相手を選手たちにはさせられない。

 

貴族と平民は交わってはいけない。

 

たとえそれが遊びであろうと、貴族が望んだことであろうと、貴族を負かせた平民を待つのはおそらく破滅だろう。

 

貴族を打ち倒すような平民を他の貴族は許さないし、他の平民だって望まないのだ。

 

 

「プレイボール!」

 

 

俺は目配せを送ってくるキャッチャーへと頷き一つを返し、オーバースローで全力投球した。

 

アルセリカさんの顔のすぐ横に投げ込んだ。

 

俺はコントロールにだけは自信があるんだ!

 

変化球だって五種類投げれるしな!

 

ミットからはスパンッ! といい音が鳴るが、彼女は完全にボールを目で捉えていて、微動だにしない。

 

二球目、ストライクゾーンど真ん中に全力球。

 

 

「ストライク!」

 

 

アルセリカさんはバットを振ったが、タイミングが合わず空振りだ。

 

続いて三球目。

 

カコッ!

 

 

「しゃーっ!!」

 

 

外角低めに投げたストレートをすくい上げるように打たれ、ボールは快音とともに外野の頭を超えて飛んでいった。

 

俺は負けた。

 

が、それ一回で解放されるようなこともなく……

 

 

「もっかーい!!」

 

 

当然のようにもう一度バットを掲げて投球を催促するアルセリカさんに向けて、俺はヘロヘロな魔球を一生懸命投げ込んだのだった。

 

 

 

何度ホームランを打たれただろうか、ちょっと肩が疲れるぐらいにボールを投げまくった俺に、アルセリカさんからお呼びがかかった。

 

 

「ちょっとーっ!」

 

「はいはい、なんですか?」

 

 

バッターボックスの方に歩いていくと、爽やかな笑みを浮かべた彼女に小声で話しかけられた。

 

小声と言っても、アルセリカさんにとっての小声ってだけだ、飲み屋のオッサンより余裕でうるさい。

 

 

「あの鳥人族の子の球も打ってみたいんだけど」

 

「えっ、うちのボンゴのですか? 駄目ですよ、駄目駄目」

 

 

さすがにこんな遊びで奴隷達に命を賭けさせるわけにはいかない。

 

三振取って無礼討ちとかされたらたまらんぞ。

 

 

「そうは言ってもあなた達はいろんな子達と勝負してるわけじゃない? ずるいわ! なんとかならないの?」

 

「つっても僕はあの子の身内なんで……」

 

 

いー!と歯をむき出しにする彼女には悪いが、身内が最優先だ。

 

やりたいなら騎士団で勝手にやってくれよ。

 

 

「今度うちの隊員も連れてこようと思ってたのになぁ……他のみんなも空から見て気になってるみたいなのよね」

 

「これは庶民の遊びですよ、勘弁してくださいよ」

 

「そうは言っても面白そうなものは仕方ないじゃない! あの観客達だって勝手に集まってきたんでしょ? 面白いものは何であれ人を集めるのよ!」

 

「ひぇー……」

 

 

無茶苦茶だ。

 

しかし、俺はこの世界の娯楽の層の薄さを舐めていたのかもしれないな。

 

この間のローラさんとの試合から、俺は奴隷達に野球を練習しろなんて一言も言ってないんだ。

 

それなのに非番の奴らが勝手に集まって遊んで、それに観客まで勝手に湧いて出てきて、今度は騎士団の人まで混ざりたいと言ってきた。

 

そういえばこの間は造魔研究室のマリノ教授にも野球の話を振られたんだったな。

 

体育会系ど真ん中の騎士団ならともかく、インドア系の巣窟である魔導学園の教授にまで噂が回ってるとなるともう駄目だ。

 

俺の厄介事センサーがめちゃくちゃに反応してる。

 

大事になる気配がビンビンだ。

 

 

「わかりました! 考えます!」

 

「やっていいってことね! おーい鳥の子ー!」

 

「違いますよ!! 考えるって言ってるでしょ!」

 

「あなたの話って小難しいのよ! これだから学者ってのは……!」

 

「とにかく! 近日中に騎士団の方に書面で回答しますから、上司の方と一緒によく読んで、それから返事してくださいね」

 

 

子供に言って聞かせるように話す俺が気に食わないのか、アルセリカさんは頬を膨らませるようにして顔を歪ませ、自らの不機嫌さをアピールしている。

 

彼女はひとしきり唸ってから、下唇をべっと出してそっぽを向いた。

 

この人たしか小隊長だから部下だっているんだよな、騎士団も大変だなぁ……

 

 

「わかったわよ! 出直せばいいんでしょ!!」

 

「明日来ても駄目ですよ!」

 

「明日出勤だから……三日後は?」

 

 

ドヤ顔で聞くアルセリカさんだが、やっぱり全然話がわかってない。

 

 

「手紙が届くのを待ってくださいよ! 絶対ですよ! 上司の方と一緒に読んでくださいよ!」

 

「しょうがないわね! 早めにね!」

 

 

一応念押しして言うが、果たして彼女は帰るまで覚えているのかどうか甚だ疑問だ。

 

手紙はトルキイバ騎士団の団長宛てに送ることにしよう。

 

グッと俺と握手をし、なぜかバットを持ったまま帰っていったアルセリカさんを見送り、自然と大きなため息が出た。

 

面倒だけど、これから野球に貴族が絡むなら最初に専用のルールをしっかり作らないとまずい事になるだろうな。

 

なんせ貴族の勝ち負けとなれば、関わるのは家と家だ、野球で揉めて内戦勃発なんて話になれば大変なことだ。

 

やだなぁ……

 

心底面倒くさい……

 

意気揚々と去っていった銀髪の竜騎士とは対象的に、俺は背中を丸めたまま、糠に漬けた茄子のようにしなびた顔で家へと帰ったのであった。

 

 

 

何事も、やると決めたら早いほうがいい。 

 

帰ってすぐ、俺は騎士団へと「細かいルールを決めるから、野球はしばらく待ってくれ」と手紙を出した。

 

そしてその翌日から、俺は妻のローラさんと一緒に各所を駆け回り、貴族のための野球ルール制定に尽力し始めたのだった。

 

野球の方のルールは俺が決め、貴族の面子問題についてはトルキイバにいる大物貴族たちに意見を求めて回る。

 

貴族からの横槍を防ぐには、別の貴族を使うのが一番手っ取り早いからな。

 

魔導学園の学園長に、ローラさんの親戚に当たる俺の指導教官でもあった名高い英雄エストマ翁、そしてたまたまアポイントが取れたトルキイバ領主のスノア伯爵……のご子息。

 

その他多数のそうそうたるメンツから、貴族の揉め事の事例や、それに関する意見、そして作成するルールブック原本への認め書きを頂いた。

 

ルールブックの内容は選手の引き抜き規定、報復規定、ノーサイド精神、審判の選出規定などなど、ほとんどスポーツマンシップの解説書のような内容となった。

 

そして『貴族野球御作法』と名付けられた一冊の原本が完成した頃には、もう季節は秋の終わり。

 

秋の祭りにはまるでタッチできず、奴隷達のお楽しみ企画である秋の大運動会ではあまりの激務に寝落ちしてしまい、嫁さんに叱られた。

 

しょうがないだろ、毎晩毎晩研究室か巨大造魔の作製現場に泊まり込んでたんだから。

 

ぶっちゃけ、もしかしたら今世で一番忙しかった時期かもしれない。

 

働きすぎで頭に十円ハゲできちゃったもん。

 

しかしそのおかげで、なんとか冬が来る前にトルキイバ騎士団の団長へと『貴族野球御作法』の写しを渡すことができ、俺は胸を撫で下ろしていた。

 

本当に自分の厄介事センサーを信じていて良かったと思う。

 

なぜならその頃、街は大変なことになっていたからだ。

 

 

 

 

『それでは、これよりシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)と西街商店街緑帽軍団(グリーンキャップス)の試合を始めます』

 

「やったれー!!」

 

「今日はロースはダンジョンで仕事だー! 勝てるぞー! 西街ー!!」

 

「あエールぅ〜おつまみぃ〜」

 

「布屋ーっ! 元兵隊の意地見せろよーっ!」

 

「選手ぅ〜姿絵ぇ〜ぇ〜えぇ〜」

 

「予想どうだ! 予想売るよ! 選手の調子の情報揃ってるよ! 予想売るよ! 予想どうだ!」

 

「酒屋ーっ!! 負けたら酒の仕入れ変えるぞー!!」

 

 

今日は俺がオーナー兼名誉投手を務めるシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)と、西街商店街の有志が立ち上げた草野球チームの試合が行われていた。

 

西街チームはほぼ素人だが、元兵士や冒険者をやっている店の倅なんかがいて意外と油断ならないらしい。

 

さっき予想屋が言ってた。

 

外もめっきり寒くなってきたというのに、球場は客でいっぱい。

 

それも客は町民ばかりじゃなく、明らかに貴族っぽい人達もちらほら混ざっている。

 

おそらく一生懸命変装したんだろうが、どの人も服が新品で上等すぎて周りから完全に浮いてしまっていた。

 

平民の遊びを貴族が見に来るというのだけでも異常事態なのだが、問題はそこからさらに踏み込んだ貴族達が何人もいたことだ。

 

なんと秋の間に貴族がオーナーの野球団が二つ立ち上がり、そいつらが平民に混じって試合を始めたのだ。

 

すでにうちのチームとも当たっていて、結構強くて普通に負けちゃったそうだ。

 

そして騎士団は騎士団で全員が貴族の球団を立ち上げ、二手に分かれて紅白戦をしているらしい。

 

まだ局地で盛り上がっているだけとはいえ、その盛り上がり方が半端ではない。

 

真紅に染めて背中じゅうに蠍の刺繍を入れたユニフォームのレプリカが、結構な値段なのにゆっくりと売れていっているらしい。

 

うちの野球場にナイター設備を設置して、練習のために昼と夜の貸し出しをし始めたんだが、そっちも意外と儲かってしまっているらしい。

 

なんだろうか。

 

歌劇なんかと違って誰でも無料で見れるのが良かったんだろうか。

 

それともこの都市で初めて行われた大規模なスポーツってところがウケたんだろうか。

 

俺は正直いって、野球がここまでトルキイバの人達を夢中にさせるとは思っていなかった。

 

ゆっくりと、何かとてつもなく大きなものが動き始めているような気がするが、俺にはこれ以上何もできることはないだろう。

 

ルール制定という手を打った以上、あとは流れに身を任せるだけだ。

 

冬のトルキイバ、夏秋の祭りも終わり、野良仕事も一段落、元々娯楽に乏しかった時期だ。

 

そこに野球という燃料を焚べられたこの街は、静かに、しかし高い温度で確実に燃焼を始めていた。




野球の話苦手な方はごめんなさい。


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第79話 まぼろしの おでん屋台を 追いかけて

大変お待たせしました。


木枯らしの吹くトルキイバの街で、近頃とみに流行っているものが二つある。

 

それはおでんの屋台と野球場だ。

 

おでんってのは、なんか噂によると鍋物らしい。

 

数量限定の試験販売で、サッと売り切っては感想を聞いてどこかへ消えちまうんだそうだ。

 

俺の勤めてるシェンカー家の屋台だって話なのに、俺はもちろん周りの仲間にだってありついたってやつはそう多くない。

 

屋台のやつも、同じ家に仕えてんならどっかで試食会ぐらいやってくれたっていいだろうよ。

 

妙な風味がしてそんなに美味いわけじゃないとは聞いたが、そんなもん、実際に食ってみないと気が済まねぇよな。

 

そんなことを考えて悶々としながら、勤め先の革工場で野球グローブを縫っていた俺の前に、飲み仲間のお調子者、猫人族のレプスがやってきた。

 

 

「よおクラフト、真面目にやってるか?」

 

「おめぇも飽きずによく来るなぁ」

 

 

こいつは鉄工部の人間なんだがうちの工場の事務の子に熱を上げてて、休みのたびにこうして土産片手に遊びに来るんだ。

 

えらい別嬪さんだから、通ってくる輩はこいつだけじゃないんだけどな。

 

当の本人は「茶菓子に困らない」って笑ってたぜ。

 

 

「こんなとこに油売りに来ないでよぉ、鉄屋は馬蹄でも作ってたらどうだ」

 

「馬蹄なんて古い古い、うちの工場は今線路の部品作ってんのよ。街の外の穴掘り現場に自動トロッコを通すんだとよ」

 

「あぁ? なんだそりゃ」

 

「ちっこい列車みたいなもんなんだと」

 

 

そんなもん勝手に作って大丈夫なのか?

 

うちのサワディ様も、街の外だからっていよいよやりたい放題だな。

 

 

「穴掘りで出た土をそれで運んで、魔法使い様方とうちの土木衆で煉瓦にするんだそうだ」

 

「へぇー、シェンカー大通りでやってる工事に使うのかね。本部の真ん前にでっかい建物作るんだろ」

 

「あそこはいっつも工事してっからなぁ……あ、そういや今日ここの近くでおでん屋台が出たってよ」

 

「ほんとかっ!?」

 

「柿の木辻を南に向かったのを見たって、さっきそこで会った郵便のラルネーが言ってたぜ」

 

「いよいよ読めなくなってきたなぁ、夜だけじゃなくて昼間も出るとは思わなかった」

 

「まぁ今日は夜に街を歩き回らずにすんで良かったじゃないか。鱗人族のクラフトくんよ、君ら寒さに弱いんだろ、風邪でも引いたらコトだぜ」

 

「俺は風邪引いてだって食いたいんだよ!」

 

「おーおー、おっかねぇ」

 

 

そう思っているのは俺だけじゃないだろう。

 

トルキイバの人間ってのは新しい物好きが多いからな、ここ最近は噂のおでん屋台を一目見ようって若い衆が夜の寒い中をぐるぐると練り歩いてるんだ。

 

なんせおでん屋台ってのは鍋一つを売り切ったらぷいと消えちまうらしいから、だいたい一日に食える客は一組か二組程度。

 

つまり冬の間に食えるのは百……二百……あれ?

 

何人だ?

 

数字は苦手なんだよな。

 

まあともかく、そういう貴重なもんを食ったとなりゃあ食い道楽の仲間内でも名が上がるってもんだ。

 

それによ、何よりも……

 

 

「夏の氷菓子屋台と同じ(てつ)は踏みたくねぇからな……」

 

「ああ、お前そういや夏にも同じようなことやってたな。なんだっけか、アイス……なんとかって屋台だったな。秋前に消えちまったやつ」

 

「アイスキャンディーだ! 毎晩毎晩探し続けたのに結局食えなかったんだよ! 俺ぁ仲間と本部前で朝まで張り込みまでしたのによぉ……」

 

「あの頃は俺らもここに来たばっかりだったからなぁ……今は土地勘だってあるんだし大丈夫だろ?」

 

「土地勘ぐらいで幽霊屋台が捕まるかよ、夜廻り連中の中には地元の奴も沢山いるんだぞ」

 

「男が大勢集まって屋台探したぁご苦労なこったぜ。何がお前らをそこまで駆り立てるのかは知らんが、せいぜい頑張れや! 俺は鍋なんかよりもあつーい一時を、愛しのメイソンちゃんと過ごしてくるぜ」

 

 

バカのレプスはそんな事を言いながらしっぽを揺らし、調子外れの鼻歌を歌いながら消えていった。

 

くそっ! 余計な話しやがって。

 

アイスキャンディーを食い逃した悔しさが蘇ってきて、しっぽの付け根が痒くなってきやがったぞ。

 

鱗付きはいやしい(・・・・)ってよく言われるけど、ほんとにそうかもな。

 

俺もこと飯の話になるとどうにも諦めがつかねぇ。

 

自分が来る前にあった幻の屋台の話なんかを聞くと、それがもう食いたくなってしょうがないんだ。

 

そう、シェンカーの試験販売ってのは何も今季急に始まったってわけじゃねぇのよ。

 

古参の鱗人族のメンチさんによると、春にはアメリカンドッグとかいうソーセージのドーナツみたいなのの屋台が出てたらしいんだよな。

 

甘いソーセージって一体何なんだ?

 

くぅ~っ! 食ってみてぇ~っ!

 

屋台はその前にも色々あったらしいんだけど、うちのサワディ様が考案してるって事は間違いないらしい。

 

うーん、なんとかして屋台の経路を教えてもらうことはできねぇんだろうか……幹部にでもならなきゃ難しいのかな?

 

硬い革に穴あけ道具を打ち付けながら、俺は上の空のままにそんなことばかりを考えていた。

 

 

 

 

 

『四番、テジオン男爵家、アルセリカ・テジオン嬢』

 

「うおーっ!!!」

 

「テージーオン!! テージーオン!!」

 

『この打席、ルールにより魔法の使用が許可されます。バックネット裏にも危険が及びますので、皆様自己責任でお願い致します』

 

「奥方様の光線球(ビームボール)が見られるぞ……」

 

「こないだキャッチャーのサワディ様が塊みたいな血吐いてたやつか? 大丈夫かな?」

 

「心配ねぇよ、あの人は即死しなきゃ不死身だって話だぜ」

 

 

貴族同士の対決にざわめく野球場の中を一人、山盛りのホットドッグを抱えて進む。

 

今日は同室のやつと野球を見にやってきていた。

 

最近じゃあ博打を打とうにも普通の賭場は閑古鳥が鳴いていてつまらねぇ、今じゃ博打打ちもみんな野球賭博に夢中なんだ。

 

つっても賭けられるのは貴族対貴族の試合だけだけどな。

 

平民チームの試合で賭けやるのはサワディ様の作った規則で禁止されてるらしい。

 

理由? んなもん知るかよ!

 

 

「おうカシオ、腹減ってるか?」

 

「うん」

 

「これ食え、うまいぞ」

 

「ありがとう」

 

 

受け取ったホットドッグにさっそくかぶりつきながらあどけなく笑うカシオは、まだ十二歳の小僧だ。

 

俺と同期で買われてきて以来、ずっと一緒の部屋にいる。

 

うちにも女の子供は多いんだが、男の子供ってのはこいつぐらいだからな。

 

一人じゃつまらねえだろうと思って、お互いの休みが合うとこうやって連れ出してるんだ。

 

こいつも放っとくとずっと部屋に籠もってなんか細かい事をやってるから不健康だしな。

 

 

「ねえ、奥方様が魔球を投げるよ」

 

「ん? ああ。めったに見られないんだろ、客が騒いでたな」

 

「あのね、球を投げるピッチャーと、それを受け取るキャッチャー、それを打つバッター、全員が魔法使いじゃないと魔球は投げちゃいけないんだよ」

 

「へぇ、そうなのか」

 

「だから今日はサワディ様が奥様のチームに入ってるんだよ。本部に置いてあった『貴族野球御作法』に書いてあったんだ」

 

 

こっちを見ながら嬉しそうに言う、その口元を拭ってやる。

 

ケチャップだらけじゃねぇか。

 

 

「野球御作法? なんだそりゃ」

 

「本だよ、サワディ様が纏めたの。貴族用と平民用があるんだよ、僕両方読んだんだ」

 

「本? お前そんな難しいの読めるのか?」

 

「まあね」

 

 

看板なんかの文字が読めるのは知ってたけど、まさか本まで読めるとはな。

 

近頃の子供ってのは末恐ろしいぜ。

 

 

「あっ! 投げるよ!」

 

 

カシオが指差すグラウンドではおっかない元軍人の奥方様が思いっきり振りかぶって、サワディ様に向かって球を投げたところだった。

 

奥方様の手からサワディ様へと真っ直ぐに光の線が引かれ、分厚い革鎧を着たサワディ様が後ろに吹っ飛んで何回転も転がっていった。

 

すげーな、ちっさい魔獣ぐらいならあれで殺せるんじゃないかな。

 

サワディ様はすぐに起き上がってヒョコヒョコ歩いて戻っていくけど、なんともないんだろうか?

 

やっぱり魔法使いってのはおっかねぇよ。

 

 

「頼むぞぉ、スレイラ白光線団(ホワイトビームス)……今日ハズしたら年が越せねぇ……」

 

「七回で五点も負けてんだから諦めろよ、俺ぁ明日から外の穴掘りに行くぜ、あそこは飯も出るしな」

 

「年末年始に寒いとこで穴掘りなんかやってられっかよ!」

 

 

奥方様は敵チームの四番打者を打ち取ったが、周りの酔っぱらいの話を聞いてると、どうも分が悪いみたいだな。

 

俺も敵方に賭けたほうが良かったか。

 

 

「ねぇ、クラフトはどっちに賭けたの?」

 

「俺は奥方様のチームだな」

 

「いま白光線団(ホワイトビームス)は勝率七割だ、終盤の逆転も多いし分が悪い賭けじゃないよ」

 

「勝率? なんだそりゃ」

 

「統計だよ」

 

「と……なんだって?」

 

「統計、数字で見ると強いチームがわかるんだ」

 

 

数字、こいつ数字もわかるのか。

 

近頃シェンカーでも子供達の教育をやってるが、こいつも俺もまだこっちに来てから半年も経ってないはずなんだけどな。

 

 

「お前さ、そんなことどこで習ったんだ?」

 

「実家だよ」

 

「実家? あ、そういや商家の出だって言ってたな」

 

「商家じゃないよ、時計職人さ」

 

「時計? 時計って貴族が魔法で作ってるんじゃないのか?」

 

「違うよ、ちゃんと僕の家みたいに職人がいて、一つ一つ手で作ってるんだ。実入りだって結構いいんだよ」

 

 

この話、前にも言ったじゃないかと笑うカシオ。

 

そうだったかな?

 

あんな細かく動く小さいもん、魔法も使わずに作れるとは思えないんだけどな。

 

 

「ああ、じゃあお前さんも病気で売られたクチか?」

 

「違うよ、僕病気なんてしたことないもん」

 

「あれ? じゃあなんでだ?」

 

「あのね、ひいじいちゃんに遺言で、トルキイバでサワディ様に仕えてくれって言われたの」

 

 

カシオはじっとグラウンドを見つめながら、口を尖らせて言った。

 

 

「ひい爺さんの遺言?」

 

「うん、うちの家は大昔にここらへんにいて、シェンカー家に仕えてたんだってさ」

 

「へぇー、でもそれなら奴隷になんかならなくても、普通に働きに来ればよかったのに」

 

「それがねぇ、色々調べたらしいんだけど、今は奴隷になるしか道はなかったんだって」

 

「そうなのか?」

 

「うん」

 

 

うんって……

 

そんな簡単に済ませていいことじゃないと思うがなぁ、ま、家庭の事情ってやつなのか。

 

 

「僕のひいじいちゃんはね、本当の本当に凄い人だったんだけどね……そのひいじいちゃんが、お酒を飲んではよく泣いてたんだ」

 

「泣いてた?」

 

「うん、もう耳にタコだよ」

 

 

ひいじいさんの真似のつもりなんだろうか、カシオは口をいがめて目尻を下に引っ張って話しはじめた。

 

「ああテンプルを出なければ良かった、自分さえお傍にいれば、一朝事ある時は今代様のために地獄の門だって暴いてみせるのに……ってね。毎度毎度、悔やんでも悔やみきれないって感じだったよ」

 

「地獄の門? なんだそりゃ」

 

「あのね、うちの家系はねぇ、元々盗賊で、鍵開け士だったんだって」

 

「へぇ~、鍵開け士。じゃあ察するに、ご先祖さんはここいらでヘマしちまって居られなくなったってことなんだろうな」

 

「さぁ、どうなんだろう……わかんないや」

 

 

空の向こうを見つめるその顔は、とても十二歳には見えないぐらいに大人びていた。

 

故郷を離れて……か、俺にはよくわからねぇな。

 

俺達みたいに奴隷になるような連中はほとんどが親なしで、故郷なんかないようなやつの方が多いんだ。

 

俺が何も言えずにいると、カシオはホットドッグの包み紙をくしゃっと丸め、渋く笑った。

 

 

「でも僕はね、こっちに来なきゃよかったとは思ってないよ」

 

「へ?」

 

「僕は結局自分で決めて、ひいじいちゃんの名前を貰ってここまで来たんだ。ここが、僕が選んだ……僕の街なんだ」

 

 

じっとグラウンドを見つめるその目には、なにか硬い芯のようなものが見えた気がした。

 

それは自堕落に暮らし、奴隷に落ちて、ただ年を食っただけの俺にはないものだ。

 

なんとなく気恥ずかしくなって、俺もグラウンドの方を向く。

 

野球場の喧騒が、なぜか一枚板を隔てたように聞こえた。

 

しかし、あの人が……こんな子供をわざわざ奴隷にしてまで仕えさせたいような人間なのかねぇ……

 

バッターボックスでは、ちょうどサワディ様が空振り三振をしているところだった。

 

 

 

 

 

それからしばらく、雪もちらつき出した年末のこの日、俺は鱗付きの仲間達と一緒に夜のトルキイバを練り歩いていた。

 

もちろん目的は幻のおでん屋台探しだ。

 

しっかり着込んで、湯たんぽまで腹に入れて、我ながらなんでこんなに必死なのかわからないが、どうしても一回食べてみるまでは諦めきれないんだよな。

 

 

「……だからさあ、そいつが言うには屋台が出る通りに決まりがあるんじゃないかってんだよ」

 

 

と、のっぽの鱗人族、ダッチがそう熱弁しながらツバを飛ばし。

 

 

「決まりねぇ、つっても昼に出たり夜に出たり、西に出たり東に出たりだろ? 気まぐれで決めてるんじゃないか?」

 

 

まだら鱗の鱗人族マルカスは、どうにもそっけない返事を返す。

 

 

「でもこうしてアテもなくうろうろしてるようじゃ、すぐ春が来ちまうぜ」

 

 

この二人に、俺を加えた三人で、半年前から良くつるんでいた。

 

みんなデキがいいわけじゃないが、食い意地の汚さだけはそこらの奴らには負けない三人だ。

 

そんな気の合う仲間どうしで頭を寄せ合い話しながら飲み屋通りを歩いていると、通りの向こうから顔見知りの連中がやってくるのが見えた。

 

幻の屋台を狙う宿敵であり、仲間でもある、シェンカーの輸送部の奴らだ。

 

 

「おっ、革工場の連中じゃんか、今日はもう終わったらしいぜ」

 

 

暗闇にキラリと光る金色の目が、キザったらしくウインクをした。

 

 

「ええ!? どこだったって?」

 

「南町の金物屋筋、魚養殖場の連中がありついたってよ」

 

「くそっ! やられた!」

 

 

ダッチの吐く悪態と一緒に、俺も小さく溜息を吐いた。

 

今日も空振りかぁ……

 

 

「かぁ~っ! どうなってんだよ! なんで毎日ひと鍋だけなんだ!」

 

「しょうがねぇだろ、なんだったか、ほれ……たしか特別な調味料が使われてるんだろ? たくさんは作れねぇんだって」

 

 

嘆くダッチをなだめるように輸送部の犬人族が言うが、俺たち鱗付きの冬の辛さは尻尾に毛が生えてる奴らにゃあわかんねぇだろうな。

 

空振り一回の重さが違うんだよ。

 

 

「しょうがねぇや、帰ろ帰ろ」

 

「飲み行く?」

 

「もうここんとこ毎晩だろ、たまにゃあ早く帰ろうや」

 

「チェッ、こう毎晩空振りじゃあ懐の方も寂しくならぁ」

 

 

すっかり意気消沈してしまった俺たちはその場で別れ、白い息を吐きながらめいめいの家を目指したのだった。

 

 

 

シェンカーが寮として借りてくれている作りの悪い集合住宅へと戻り、鍵を開けて部屋に入る。

 

同居人のカシオはまだ起きているようで部屋は明るく、湿り気を帯びた暖かい空気が冷たくなった顔を優しく撫でた。

 

 

「おう、帰ったぜ」

 

「お帰り、寒かったでしょ、今日はどうだったの?」

 

「駄目駄目、ほとんど運試しだよ」

 

「ふぅん、お茶飲む?」

 

「ああ」

 

 

俺一人ならお茶なんか飲まなかったが、カシオが買ってくるようになってからはよく飲むようになった。

 

別にことさらに美味いって感じるわけでもねぇけど、単なる白湯よりはそりゃまあ好きだ。

 

 

「はいどうぞ」

 

「うん」

 

 

部屋の暖炉の前に座って、麦の香りのするお茶を啜る。

 

背中の鱗がじわじわ温まってきて、なんとなく気だるかった体がシャキッとしてきた。

 

やっぱり冬は苦手だなぁ。

 

 

「そういや、カシオはこんな時間まで何やってたんだ?」

 

「ああ、時計の部品を作ってたんだよ」

 

「時計の?」

 

「うん、ひいじいちゃんに一通りのことは教わってきたからさ。お給料でちょっとづつ進めてるんだ」

 

「お前色んなことできるんだなぁ。数字もわかるって言ってたろ」

 

「ある程度ならね」

 

 

そうだ、知恵者のこいつなら幻のおでん屋台についても何かわかるかもしれねぇ。

 

子供に頼るってのもなんだが、少なくとも俺よりはよっぽど頭がいいしな。

 

 

「カシオよお、仲間がおでんの屋台が出る通りには何か決まりがあるんじゃないかって言うんだが……俺らなんにもわかんなくてよぉ。お前の得意の数字でなんとかならねぇか?」

 

「おでん屋台の出る通りが知りたいってこと? いきなりそんなこと言われてもなぁ……」

 

「まあ、そうだよな……いや、無理言ったぜ」

 

「あ、いや、でも、情報が集まればなにかわかるかもしれない」

 

「なに? ほんとか!?」

 

「前にクラフトが言ったことだけど、その屋台っていうのはシェンカーの人間がやってるので間違いないんだよね?」

 

「ああ、そうは言われてるが……」

 

「そこさえ間違ってなければ、あとはシェンカー家の管理物件で屋台をしまっておける場所を絞ればいいわけだからさ……ある程度はわかると思うんだけど」

 

「そうか!」

 

「あとねぇ、その屋台が何日何時にどこを通ったかってのがわかればもっといい」

 

「よし! 明日にでも聞いてくるぜ!」

 

「絶対じゃないよ、わからないかも」

 

「それでもいい、俺や仲間じゃあもう何がなにやらでよぉ、毎日宛もなくうろつくだけなんだ」

 

 

やれるだけやってみる、と嬉しいことを言うカシオの頭をくしゃっと撫でて、俺は寝床に潜り込んだ。

 

シャリシャリと、夜ふかしの子供が何かを削っている音を背中で聞いていると、眠気はすぐにやってきた。

 

 

 

 

 

次の日から、仲間と俺はおでん屋台の情報をほうぼうで聞いて回った。

 

仲間達は「こんなことして意味あんのかよ」とぶつくさ言っていたが、他に方法もねぇからな、結局やるしかねぇ。

 

壁塗りの猫人族のあんちゃん、養殖場の前髪の長い姉ちゃん、冒険者組の姫、ピクルスさん……

 

色んな人に怪訝な顔をされながらも、いつどこでおでん屋台を見かけたのかを聞いて調べていく。

 

つくづく、こういう時は字が書けたらなって思うよ。

 

字が書ける仲間のところに行くまで、聞いたことを必死で唱えて覚えてなきゃいけねぇからな。

 

 

「で、だ、これで……ひぃふぅみぃ、何人分集まった?」

 

「まぁ待て、十人以上は間違いねぇ」

 

「お前ら二人も指貸せよ、そしたらよん……三十までは数えられるってもんよ」

 

「んなことするより、このままカシオの坊主に見せた方が早いんじゃねぇか?」

 

「そりゃそうだ」

 

 

仲間の二人を酒場に待たせ、俺は夕暮れの街を歩いてカシオを連れに部屋へと戻る。

 

空からはらはらと落ちてくる白い雪が、街灯の灯りに照らされてキラキラと煌めく。

 

雪が降ってちゃ参るよなぁ。

 

今からこう寒くっちゃあ、年を越したらこの雪が道路に積もるんじゃないか?

 

湯たんぽのお湯が冷たくなってきたのか、服の中に巻き込んだ尻尾の先がじんじんと痛んだ。

 

 

 

「寒いのによく来てくれたなカシオ、なんでも頼んでいいぞ」

 

「ここの店はよ、生姜が効いた鶏の揚げ物が名物なんだよ。酒は水っぽいけどな、へへ」

 

「ありがとう、ダッチさん、マルカスさん」

 

 

仲間とカシオは前からの顔見知りだ。

 

一緒に魚釣りに行ったことだってある。

 

シェンカーじゃあ同室は兄弟分だからな、カシオは鱗付きじゃあねぇが、まぁ俺らみんなの弟分ってとこだ。

 

 

「それでね、地図を用意してきたんだ」

 

 

カシオが懐から取り出した紙を広げると、細かい線で書かれたこの街の地図が出てきた。

 

だいぶ簡単になってるが、街の主要な道は全部入っているようだ。

 

 

「こりゃすげぇな、自分で書いたのか?」

 

「うん」

 

「こんなの見たら冒険者組の観測手だって裸足で逃げ出すぜ、で、どうすんだい?」

 

「これにね、みんなの集めてくれた情報を書き込んでいくんだ」

 

「おいダッチ、書き付け」

 

「あれ? どこだ?」

 

「お前さっき皺を伸ばすとか言ってたじゃねぇか」

 

「あっ、尻の下にあった、へへへ」

 

 

そんな嫌な温みがありそうな書き付けを小さな手で捲り、カシオは赤の鉛筆で地図に印を付けていく。

 

印と印を結ぶように赤い線が引かれ、芝居で見た魔法使いの魔法陣みたいに奇っ怪な形が出来上がっていく。

 

 

「できた、こうしてみると丸わかりだね」

 

「え、なにがだ?」

 

「これでなにがわかるんだ?」

 

「おい、わかんねぇなら黙ってろよ」

 

「うるせぇ」

 

 

カシオは魔法陣の真ん中を指差し、ちょっと首を傾げて言った。

 

 

「たぶん、ここらへんが出発地点……だと思う」

 

「なにっ!?」

 

「ほんとか!?」

 

「ここって、南町の拠点のあたりじゃねぇか?」

 

 

小さな指が指しているのはトルキイバの中町からちょっとだけ南に外れた場所だった。

 

飲み屋街にほど近く、いろんな屋台がひしめき合う激戦区でもある。

 

 

「なんでそんなことがわかるんだ?」

 

「この屋台さ、この辺りから毎日別の方角に出てるみたいなんだけど、使う通りはだいたい決まってるんだよ」

 

 

よくわからないけど、三人一緒にうんと頷いた。

 

 

「でね、毎回夜と昼の出発時間が同じだと考えると、だいたいここらへんから出ると計算が合うんだ」

 

 

三人の「なるほど」という声が重なったが、多分俺以外の二人もよくわかってないだろうな。

 

 

「だからまあ、ここらへんの寮か何かが怪しいんじゃないかと思うんだけど。わかった?」

 

「わかった」

 

「もちろん」

 

「あたりめぇよ」

 

 

わかんねぇけど、多分合ってるだろ。

 

 

 

翌々日の昼、毛糸の帽子を被った俺とシェンカー大蠍団の赤い帽子を被ったカシオは、土鍋を持って南町をうろついていた。

 

仕事の後にやってきても屋台はもう出発した後だろうってことで、昼間から怪しそうなところを見張ることになったんだが……

 

仕事の休みが噛み合わなくて俺とカシオの二人になっちまった。

 

とにかく、屋台を捕まえて鍋一杯分買って、持って帰ってみんなで食おうって寸法なんだ。

 

これもカシオが考えた作戦だ、すげぇだろうちのお子様はよ。

 

 

「いざ来てみたが……屋台が仕舞えそうな建物ってなると、なかなか見つからねぇもんだな」

 

「でも南の拠点は違ったでしょ?」

 

「あそこは夏にも調べたんだけど違ったな、隠せそうな所もないしよ」

 

「だとすると……あっちの女子寮はどう?」

 

「まあ、時間もあるし手当り次第当たってみるか」

 

 

改めて回ってみると、この街はシェンカーの建物ばっかりだ。

 

倉庫、店、住居、工場、どこもかしこもシェンカーで、どこに行ってもお仲間に会う。

 

歩き回って足も疲れた。

 

だってのに、なぜかうちのお子様はニコニコと楽しげに笑っていた。

 

 

「全然それっぽいのがねぇなぁ」

 

「ねぇ」

 

「んー?」

 

「こういうのって楽しいんだね」

 

「何がだよ」

 

「こうして、知らない場所を誰かと探検すること」

 

 

ちらりとカシオの方を見ると、帽子のつばの向こうの小さい瞳と目が合った。

 

 

「もっと小さい頃は、こうして出歩いたりしなかったのか?」

 

「うん、地元にいたのはクラフト達みたいにいい人ばっかりじゃなかったから。家からなかなか出してもらえなかったよ」

 

「ここだって、いい人ばかりってわけじゃねぇよ」

 

「そうかな? みんないい人だけど。」

 

 

そんなことねぇさ、と言いながら、変な笑いが口からこぼれた。

 

 

「みんな今日食う物に困ってないだけさ」

 

 

奴隷だぜ、俺たちは。

 

子供からいい人だなんて言われるほど、器用な人間じゃねぇよ。

 

カシオの頭をぐいっと撫でて、灰色に滲む曇り空を睨みながら帽子を目深に被り直した。

 

寒いんだよ、昼間だってのによ。

 

 

「あっ! あれっ!」

 

「どうした?」

 

 

急に駆け出したカシオを追いかけると、赤い帽子は一軒のトルキイバ焼き屋の前で止まった。

 

 

「ねえ、これって屋台じゃない?」

 

「ん? これ……?」

 

 

カシオが指差したのは、店先に雑多に積まれた箱や椅子だ。

 

 

「よく見て、この下の布がかけられたやつ、これ机じゃないよ。車輪がついてる」

 

 

小さな手で捲られた布の中には、たしかに大きな車輪があった。

 

布のかけられた机のようなものの上の箱を手に取ってみると、中には何も入っていない。

 

たしかに偽装された屋台のようにも見える。

 

 

「中入って聞いてみよう!」

 

「うん!」

 

 

トルキイバ焼き屋の中に入ると、もう昼どきを過ぎていたからか客はおらず、チリチリ頭の猪人族のおばさんが椅子に座って煙草を咥えていた。

 

 

「あのっ! 外の屋台って……」

 

「ああ、夜まで待ってね」

 

「あれって、その、あれですよね?」

 

「あれって何?」

 

「おでん!」

 

「あんた達シェンカーの子らだろ? 人に言いふらすんじゃあないよ」

 

 

ぶっきらぼうにそう言ったおばさんを他所に、俺とカシオは人目をはばからずに抱き合っていた。

 

 

「やったーっ!! やったやった!!」

 

「やったー! 見つかったー!」

 

「乳繰り合うなら外出ておくれよ。あと、注文は?」

 

「おでん!」

 

「夜までお待ち、今煮てんだよ」

 

「じゃあ豚玉!」

 

 

俺とカシオはトルキイバ焼きを食べてからのんびりと夜を待ち、後日感想を言いに来ることを約束し、出来上がったおでんを土鍋いっぱいに入れて持ち帰った。

 

冷めて味が変わらないように着ていた革のジャケットに包み、寒さなんかそっちのけで歩いた。

 

今日は俺達の勝ちだ!

 

うちの小賢者、カシオのおかげだ!

 

 

部屋で仲間とつついたおでんは酸っぱいような塩っぱいような、妙な味だったけど、そんなことはもうどうでも良かった。

 

空っぽになった土鍋のトロフィーが、今だけは何よりも嬉しく感じる。

 

俺達四人が集まれば何だってできる、そんな気がした。

 

三人で鱗のない兄弟を肩車して、口直しにお高い肉料理屋へと足を運ぶ。

 

半年前から毎日毎日歩き回った町だ。

 

今じゃあもう、庭みたいなもんだ。

 

これまで住んだどの街よりも詳しいぜ。

 

俺の街だ。

 

ここが。

 

トルキイバが。

 

俺の街なんだ。

 

年の瀬の街に降り注ぐ粉雪に急かされるように、俺達四人は大通りを北へと走り抜けていった。




年始めからどうにも社畜活動がキツくてなかなか書けませんでした。

そちらが一段落したかと思うとエグいスランプが来まして、大変な難産に苦しめられました。

この話も一万文字ですが、ボツを含めると五万文字ぐらい書きました、ぴえん


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第80話 異世界の 米の評価は どうだろな

大変お待たせいたしました、多分来月の半ばぐらいにはまた普通に書けるようになると思います。

あと書籍二巻の発売が決まりました。


仕事仕事で、気がつけばいつの間にやら年の瀬だ。

 

俺の人徳だろうか。

 

今年最後の日は雪も降らず、温かい日差しのいい日になった。

 

割と年中無休で動いているトルキイバの町も、大晦日の今日ばかりは酒場や宿屋以外の場所はほとんど閉まっていて、みんな家で家族と過ごしている。

 

例外は壁の外の穴掘り現場ぐらいで、町の外をうろつく超巨獣魔獣対策にどうしても一人魔法使いを置かなきゃいけない関係上「もったいないから」という理由で今日も工事が続けられていた。

 

 

「ウシそっちに行かすぞー!」

 

「ウシ来るぞー! どけどけー!」

 

「ンモ〜」

 

 

四メートルほどの背丈を誇る牛頭の巨人が、先導に手を引かれながらのしのしと工事現場を歩いていく。

 

麻袋を縫い合わせて作ったズボンを穿いた足は人間の胴体ほども太く。

 

人の背丈よりも大きなスコップを吊ったその背中は、まるで削り出した黒曜石のように黒光りしていた。

 

 

牛男(うしお)、もちっとゆっくり歩いてくれ」

 

「ブモ」

 

 

この巨人は超巨大造魔建造計画の一端として産まれたもので、建造のノウハウを蓄積するための、いわゆる試作機だ。

 

当初はこいつもリモートコントロール化する予定だったが、造魔を操作する魔法使いの不足が懸念され、こうして普通の造魔として建造されることになった。

 

まぁ巨獣にも足りない大きさの造魔ぐらい、暴走しても冒険者でなんとかできると判断されたんだな。

 

 

「でさ、監督、どんな感じ?」

 

「あ、いや、順調っすよ。冬ごもりで暇な冒険者がいっぱい来てますんで、年明けには時計塔級造魔の実験も始めれるんじゃあないですかね?」

 

「そりゃいいや」

 

 

現場に寝泊まりしすぎてウェーブする髭が胸元まで伸びてしまったトルキイバの大手工務店の現場監督が、バインダーの紙を捲りながらあくび混じりで答えた。

 

時計塔級造魔ってのは、この超巨大造魔建造計画のマイルストーンとして設定されている全高百メートルの蜘蛛女(アラクネ)型の造魔だ。

 

三十階建てのタワマンと同じぐらいの大きさの生き物がのしのしと歩くわけだ、笑えるだろ?

 

でも都市と同じデカさの造魔を作るってことは、その建造ドック掘削のためにそれぐらいの大きさの作業員が必要なんだよ。

 

スケールがでかすぎて感覚が狂っちゃうよな。

 

 

「あ、それと時計塔級が建造し終わったら一旦現場バラすって話はちゃんとしてあるの?」

 

「それはもちろん、まあ壁内(かべうち)の工事がちょっと人足りてないんで、希望者はそっちに回しますわ」

 

 

現場監督はそう言ってから、懐から取り出した銀のスキットルをぐいっと呷った。

 

まあ年末だしな、こんな寒い外での穴掘り仕事、飲まなきゃやってられんだろう。

 

俺はそっと、お疲れの彼に回復魔法をかけたのだった。

 

 

 

 

 

年の最後の日のトルキイバはどこへ行っても閑散としている。

 

わっと華やかな向こうの年越しと比べて、例年こっちの世界の年越しは本当に静かなもんなんだ。

 

百八回の鐘も鳴らなきゃ、カウントダウンもない。

 

だいたい年越しのために夜ふかしするって文化もない。

 

時計はまだまだ高級品だし、時間だって学園が日時計を見ながら鳴らす時の鐘が基準だからな。

 

みんなで同じ時間に大はしゃぎなんてのは、実際高度な文明がないと難しいんだよ。

 

まあ難しいってだけで……うちみたいにちゃんと設備がありゃあ話は別なんだけどな。

 

 

『五! 四! 三! 二! 一! 新年! あけましておめでとうございます!!』

 

「おめでとーっ!」

 

「やったー!」

 

「年越したーっ!」

 

 

プァープァープァプァー!

 

ピューッ!

 

シェンカー通り中に張り巡らされた放送用造魔のアナウンスに合わせて人々が騒ぎ、ラッパを吹き鳴らし、指笛が鳴る。

 

俺発案、チキン計画、ジレン実行のシェンカー年越し祭りはシェンカー・グループゆかりの人だけでなく近所の人達まで大挙して集まり、まさに大盛況だ。

 

やっぱり賑やかな年越しはいいな。

 

年の瀬を家で静かに過ごすのは正直寂しいんだもん。

 

シェンカー通りの建物を買い占めて建設中のマンションの前には屋台が立ち並び、振る舞い酒のコップを両手に抱えた若者達が真剣な目で酒の肴を選んでいる。

 

マジカル・シェンカー・グループ本部の前に沢山置かれた大きなグリルの上では鳥や猪の骨付き肉が豪快に焼かれ、ちょっと金のある連中は高めの酒を買ってそちらに並んでいる。

 

めでたいイベントごとだし全部ロハでやってもいいかなとも思うんだが、振る舞い酒だけでも十分集客になるみたいだからな。

 

こういうのは持ち出しが過ぎても逆に駄目なんだ、せいぜい遊びに来た子供に甘いジュースをサービスするぐらいかな。

 

 

「ご主人様、奥様、新年おめでとうございます」

 

「…………お……め……」

 

「ああ、おめでとう」

 

「うむ」

 

 

シェンカー大蠍団(スコーピオンズ)の赤い帽子をお揃いで被ったケンタウロスのピクルスと、鳥人族のボンゴが新年の挨拶をしにやってきた。

 

 

「これ、猪肉のいちばんいいところです」

 

「…………う……まょ……」

 

「おお、ありがとう」

 

「うん」

 

 

二人が持ってきてくれた湯気がホカホカ出ているサンドイッチをローラさんと一緒に頬張り、オレンジジュースを飲む。

 

うーん、肉汁がすごいな、手がベトベトだ。

 

ダンジョン産のジビエ肉とは思えん旨味だぞ。

 

俺がそうしてプリップリの腿肉に悪戦苦闘していると、シェンカー通りのど真ん中にある土竜神殿の前に設置した舞台の方から歓声が聴こえてきた。

 

 

「やあ、役者たちが挨拶を始めたかな」

 

 

同じものを食べているはずなのに手も口も汚さないローラさんが指差すほうを見ると、正月の奉納芝居に出演する役者達が綺麗な衣装の裾と手を振りながら舞台に上がっていくのが見えた。

 

一メートルほど地面より高くなっている舞台のすぐ前では、王都に行っていた楽隊のメンバーが持ち帰ってきたギターのバッキングに合わせて革張りのドラムが叩かれ、踊り子役の女性達が鈴のついた木の棒を振りながらくるくると回る。

 

照明に照らされた舞台が闇の中に浮かび上がり、ぱっと華やかな雰囲気でなんだかうきうきした。

 

芝居の演目は稀代の脚本家メジアスのほのぼの系作品「日替わり定食を君に」。

 

料理屋の亭主が惚れた女の食べたいものを人づてに聞き出し、毎日それを定食のメインに据えてアプローチをかけるというラブコメディだ。

 

 

『しかし、この店はいつでもあたしの好きなものが出てくるんだねぇ』

 

 

そう言いながら蓮っ葉なヒロインを演じる魚人族のロースがワイングラスを回せば、観客席からは「よっ! ロースの姉御! 名女優!」と声援が飛び。

 

 

『店長、ましゅます料理が上手くなるねぇ、これはなにか秘訣があるのかな?』

 

 

と芝居好きで知られるラーズが若干噛みながら演じるのには「新年から噛むなよっ!」とツッコミが入って大きな笑いが起こる。

 

それからも人気のある演者が前に来るたびに声援が飛び、酒を飲みながら観劇をする人たちに料理もどんどん売れ、周辺は大変な盛り上がりになった。

 

さてさて、俺もメインイベントに向かうか。

 

正月ってのは色々と楽しいことがあるもんだが、中でも子供の頃に一番嬉しかった行事っていったらあれだよな?

 

そう……お年玉だ。

 

 

「ご主人様、奥様、こちらへ……」

 

 

今日の仕切りをやってくれているジレンに呼ばれ、演者たちのカーテンコールが終わったばかりの舞台に登る。

 

俺とローラさんは上がりしなに手渡された箱を持って、ざわめく人々へと向かい合った。

 

 

『ただいまより土竜神殿前の舞台にて、サワディ・スレイラ様、ならびにローラ・スレイラ様によるお年玉の儀が行われます、ぜひ皆様お集まりください。ただいまより……』

 

 

声の綺麗なうぐいす嬢によるアナウンスのおかげもあってか、舞台から離れていた人達も様子を見にいくらか戻ってきたようだ。

 

よしよし、()はたっぷり用意してあるからな。

 

 

「おめでとー!」

 

「おめでとう!」

 

 

舞台の前の人々の頭の上に、ひっくり返ったてるてる坊主のようなものがぱらぱらと飛んでいく。

 

俺とローラさんが手元の箱から鷲掴みにしてばらまいたそれは、いわゆるおひねり(・・・・)

 

紙の中央に硬貨を置いて、それを包むようにひねったものだ。

 

中身はまあ、百円ぐらいの価値しかない銅粒やら、銅貨を半分に切った半銅貨など。

 

あとは豆を炒って砂糖でコーティングしたお菓子なんかだな。

 

まあ一番の当たりを引いたところでたかがしれてるが、貰って嫌な気持ちになるもんでもないだろ。

 

 

「なんだこれ?」

 

「紙?」

 

「はは、銅粒が入ってら」

 

「へぇー」

 

 

最初は客達もばらまかれる紙包みに困惑していたようだが、幾人かがそれを開いて中身を確認すると、我先にと舞台の方へと詰め寄ってきた。

 

 

「小銭が入ってるんだってさ」

 

「気前いいなぁ」

 

「ずるいずるい、父ちゃんあたしも取りたーい!」

 

「こりゃなんだ? 豆菓子か?」

 

 

ざわざわと話しながらどんどん集まってくる街の人達に、俺は「おめでとう!」と声をかけながらじゃんじゃんおひねりを撒いていく。

 

別にこの程度のことで街に儲けを還元しようってわけじゃない。

 

これは単純に俺が前世で上棟式のおひねり撒きが好きだったから、自分でもやってみたかったってだけなんだ。

 

ちょうどシェンカー通りのマンションも骨組みが出来上がったところだったしな。

 

一石二鳥だろ。

 

 

「やった! 取ったー!」

 

「俺も俺も」

 

「あんま押すなよ」

 

「いたっ! 今足踏んだでしょ!」

 

 

しかし、視界を埋め尽くすような人、人、人。

 

さすがは前世でも大人気だったイベントだ、こんな夜中でもあっという間に大混雑だ。

 

うーん、正直ちょっと計算が違ったかも。

 

俺もここまで人が集まるとは思ってなかったんだよな。

 

誘導のために配備した人員もキャパオーバーでうまく機能していないようだ。

 

もっと人員が必要だったな……

 

 

「おい! そんなに押し合いへし合いするな! お前だお前、順番だ順番、ゆっくり進め!」

 

「おいなんだよ! ……っと、メンチさんじゃないですか……へへ」

 

 

と思っていたら、どこからともなく骨付き肉を両手に持った鱗人族のメンチがやってきて、大声で場を仕切り始めた。

 

前に詰めかけようとしていた所を止められてムッとしていた男もいたが、メンチの顔を見てすぐに態度を改めたようだ。

 

 

「だれかが怪我すると危ないだろ。前を押すなよ」

 

「そうだぞー、危ないからなー……ねぇ? 当たり前ですよねぇ?」

 

 

うーん、ありがたいことには間違いないんだが……

 

前から薄々思ってはいたことだけど、うちの冒険者組って、役回りが完全に地回りのマフィアだよな。

 

実際店の用心棒のようなこともしてるわけだけどさ。

 

 

「もう取ったものは後ろと変わってやれ」

 

「はいはい、子供を先に行かせてあげてね」

 

「おお、どしたどした、おっかさんがいないのか、肩車してやるから探してみな」

 

 

メンチに続いて続々とシェンカー家の奴らがやってきて協力してくれる。

 

ただただ助かるな。

 

あいつらには後で個別にお年玉をあげよう。

 

ちょっとしたサンタの袋ならパンパンになるぐらい用意してあったお年玉のおひねりはあっという間になくなり……

 

俺の「おしまい!」の一言に、集まった人たちはこの日一番の大歓声を返し、またほうぼうへと散っていったのだった。

 

うーん、やりたかったことができて満足だ。

 

今年も頑張ろう。

 

 

 

 

 

正月からしばらく経った、風雪吹きすさぶ日のことだ。

 

俺たち夫婦は二人の赤ん坊とシェンカーの幹部たちと一緒に、スレイラ邸にて食卓を囲んでいた。

 

うちは新興の貴族だから、このまま幹部たちが続けて働いてくれるならばそれはノアとラクスの直の家臣団ということになるわけだ。

 

皆に忌憚なくうちの兄妹を担いでもらうため、それと日々の報告なんかを兼ねて、俺達はこうして月イチぐらいで食事会をすることに決めていた。

 

 

「…………ひ……め……」

 

「きゃう!あう!」

 

「ノア様〜、ばぁ〜」

 

「あぶ!」

 

 

生後半年近く経ち、首の座ってきたノアとラクスは隣りに座ったボンゴとシーリィにあやされてすっかり上機嫌、おしゃぶり片手にえびす顔だ。

 

 

「それでチキン、今年のトルキイバとタラババラの交易はなしにするって?」

 

「はい、せーゆの量も去年買ってきた分で十分かと思います。どうもあまり南部人の口に合うものではなかったようでして、試験販売の評判も芳しくありませんので……」

 

「そうか……まぁここらへんの普段の味付けとはちょっとかけ離れてるからな」

 

 

試験販売のフィードバックは俺も確認していたが、だいたい『酸っぱい、味が薄い、臭い』って感想で纏まっているようだった。

 

まあ改良も進んでない異世界醤油だしな、俺だって体調によっては臭さを感じることがあるぐらいだから、ここらへんの人にはなおさらだろう。

 

 

「じゃあまあ、残りのせーゆは俺が使うとするか」

 

「試験販売自体は、シェンカーの者や街の人にもかなり評判がいいのでこのまま続けようと思います」

 

「うん」

 

 

チキンの向かいに座るメンチもその言葉にコクコクと深く頷いている、どこの世界でも人間は限定品ってのに弱いんだな。

 

 

「それで、西町の金物屋についてなのですが……」

 

「失礼いたします、お料理の用意ができました」

 

 

チキンが次の報告を話し始めようとしたところで、ちょうど今日の料理がやってきた。

 

先に飯にしようじゃないか。

 

 

「ゲハゲハの酒蒸しでございます」

 

 

ここスレイラ邸の料理人が腕を振るった料理は、あんまりトルキイバでは馴染みのないものが多い。

 

北の果ての海沿いにあるスレイラ領出身だけあって魚料理が得意らしい彼は、ゲハゲハしか食べる魚がないことをいつも愚痴っているらしい。

 

ゲハゲハだって俺が養殖しなきゃ食べられなかったんだからさ、我慢してくれよな。

 

 

「次に、季節の煮込みでございます」

 

 

冬野菜と鳥肉のごった煮だ。

 

料理人的には牛肉の扱いが得意らしいが、ここらへんは牛っていってもいるのはバッファロー的な牛だからな。

 

本人曰く、北の牛とはちょっと扱いが違うらしい。

 

さて、そろそろかな……?

 

 

「次に、タキコミゴハンでございます」

 

 

おっ、きたきた。

 

給仕が運んできたのは本日のメイン、椎茸と鶏肉の炊き込みご飯。

 

今日の会合の主目的は、去年ピクルス達がタラバラバから持ち帰ったこの米をみんなで食べる事なんだよね。

 

正味三合分ぐらいしかなかったから、これまで食うか食うまいか迷って結局食えなかったんだよな。

 

貴重な品だ、どうせならみんなでパッと食べちゃったほうがいいだろう。

 

ちゃんと種籾だってあるわけだしな。

 

そしてそれをどこまで増やすかどうかってのも、今日ここにいるみんなの反応で決めるってことになる。

 

俺が食うぶんだけ栽培するのはもう決定済みだけど、食いきれないほど作ってもしょうがないもんな。

 

余ったら酒にするって手もあるけど、それだって需要があるかどうかもわからないんだし。

 

 

「これが……コメですか……あんまり麦と変わりませんね」

 

「…………く……ろぃ……」

 

「あー、鶏肉が入ってますね」

 

 

反応はちょっと鈍い。

 

まあ完全に食べたことのない穀物ってのは味だって想像できんだろうしな。

 

俺も前世で初めてキヌアにチャレンジした時は、注文してからも食うかどうかで迷った覚えがある。

 

 

「醤油のいい匂いがするなぁ」

 

 

炊き込みご飯の匂いを胸いっぱいに吸い込む、うん、うまそうだ。

 

 

「私も結構好みの匂いです」

 

 

何でも食うことで有名なメンチがそう言いながら頷いた。

 

彼女は趣味の食べ歩きが高じて壁新聞にグルレポの連載まで持ってるらしいからな。

 

知らない穀物ぐらいではひるんだりしないようだ。

 

 

「うんうん、メンチはグルメの鑑だな」

 

「ぐる……? ありがとうございます?」

 

 

一応白米だけよりは味が付いてる方が食べやすいかと思って炊き込みご飯にしたんだが、チャーハンにしてもよかったかもな。

 

ま、それは次の楽しみにしておこう。

 

 

「さあ、みんな食べて、忌憚のない意見を聞かせてくれ!」

 

 

満を持して、ちょっと乾き気味のご飯を口へと運ぶ。

 

ほわっと鼻に抜ける醤油の匂いと米の香り。

 

うん、米だ。

 

不思議だな。

 

この世界で、この体で米を食べるのは初めてのはずなのに、魂がその匂いを覚えているんだろうか。

 

見た目だけじゃなくて、舌や鼻でもちゃんとこれが米だとわかる。

 

品種改良が進んでいないからか、そもそも元の種類が違うのか、甘さが足りない、水分も足りずボソボソで、ボロボロと口の中で(ほど)ける。

 

うん。

 

でも結構いいじゃん。

 

ちょっと変な感じだけど、ちゃんと炊き込みご飯だ。

 

この世界の米とのファーストコンタクトとして、俺的には大満足。

 

しかし、この世界の本当のネイティブ相手にはそうはいかなかったようで……

 

周りを見回すと、ロースはこっちを見て変な顔で舌を出し、チキンは苦笑い、もちろん他のみんなも同じような反応だ。

 

微妙な感じかな?

 

 

「ま、食べれないわけでもないけど、美味くもないかな」

 

 

独り言のようにローラさんが言った言葉に、食堂の幾人かが頷きを返した。

 

ああ、シンプルに口に合わない感じなのか。

 

 

「…………」

 

 

くそっ!

 

しょうがないか、これ以上の啓蒙活動は今年の種籾が育ってからにならざるを得ない。

 

認めよう、今日は負けだ。

 

米の負けじゃない。

 

炊き込みご飯というチョイスをした俺の負けだ。

 

うなだれて、自分の膝小僧を見つめていた俺の耳に、明るい声が飛び込んできた。

 

 

「あうー!」

 

「…………だ……め……」

 

 

メンチ以外は誰も二口目に手を伸ばさないような状況の中、ただ一人赤ちゃん椅子に座ったノアだけがボンゴの炊き込みご飯に興味津々に手を伸ばしていた。

 

ふ、と口から苦い笑いが漏れた。

 

さすがは俺の息子、将来有望だな。

 

きっと……

 

きっとお前が大人になるまでには、頑張ってもっともっと米をメジャーにしておいてやるからな。

 

せんべい、おかき、餅、おはぎ、チャーハン、メニューのタネは色々あるんだ。

 

俺はしつこいぞ。

 

ヒットが出るまで米食の啓蒙を続けてやるからな!

 

これはもう、日本男児の意地だ!

 

部屋中のみんながこちらに生暖かい目を向ける中……俺は一人、密かにリベンジの決意を固めたのだった。




1月2月と、今の仕事はじめてから一番忙しいような状況です。

現在も19連勤中で、命の尊さを感じています。

来月半ばには落ち着くので、またジャンジャン続きを書いていきたいと思っております。


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第81話 異世界の 嫁の兄貴が やってきた

大変お待たせいたしました。
ようやく修羅場が終わりました。
書籍2巻が6月頭ぐらいに発売されるようですので、来月再来月で10万文字ぐらい更新できたらなと思っています。
がうがうモンスター様でのコミカライズ連載も始まっていますので、そちらもどうかよろしくお願いします。



年があけてしばらくした頃、トルキイバの外に掘っていた穴が完成した。

 

もちろん完成といっても最終段階じゃない、穴掘り用の百メートル級造魔を作るための仮設ドックのようなものだ。

 

深さが十メートルほどもあるその穴は、縁に立って下を眺めるとくらくらしてくるようなスケール感だ、下は土とはいえコンクリート並に固めてあるから落ちたら絶対助からないだろう。

 

作業員たちも全員命綱装備だ、俺だって即死じゃ治せないんだよ。

 

雪がちらつく中での完成式典では作業員達に酒を振る舞いながらも「酒飲んだら穴には絶対に近づくなよ!」と注意勧告をすることになったのだった。

 

一応柵は立ってるが、酔っ払いは柵を壊してでも乗り越えかねないからな。

 

ともかく、計画は順調に進んでいると言っていいだろう。

 

あとは地下の秘密の魔結晶工場から魔結晶を運び出して素材と一緒にドックに敷き詰めるだけだったんだが……そこで物言いが入った。

 

この勢いに水を差す人物だ、一体誰だと思う?

 

身内も身内、超身内だ。

 

そう、この計画の一応の看板になっている、元陸軍少佐のうちの嫁さんからだった……

 

 

「それでこの時計塔級造魔の素材なんだが……魔結晶の数が間違っているように見えるんだが」

 

「え、ほんとですか?」

 

 

夫婦の寝室、その中で時計塔級造魔建造計画の詳細を読みながら不思議そうな顔をするローラさん。

 

そんな彼女に対して心配そうな顔で「ほんとですか?」なんて言いながらも、俺の心臓はバクバクと早鐘を打っていた。

 

暖房と加湿器がガンガンに回されて快適なはずなんだが、背中には一筋の冷や汗が流れていく。

 

 

「ああ、多すぎる(・・・・)んじゃないか? これはこの街が一年は維持できるような量だぞ」

 

 

いや、よくよく考えたらローラさんが疑問を持つのは当然なんだ。

 

魔結晶というのは魔物由来のエネルギー資源であって、本来そうおいそれと手に入るものではない。

 

都市部の燃料だって未だに薪やコークスで賄われている。

 

魔結晶とは本来、贅沢品で、軍需物資なのだ。

 

極秘魔結晶工場(・・・・・・・)を持つ俺以外にとっては……だが。

 

 

「え? あ、いやー、それはそれでいいんですよ。それぐらいかかるんです」

 

「かかるったって、こんな量……どこから持ってくるんだ? 金で買えるような量じゃないぞ」

 

「あ、その……」

 

 

言い訳が上手く走らない。

 

失敗した。

 

正直言って、俺は魔結晶に対する感覚が麻痺していたんだろう。

 

ここまで最短コースを走ってイケイケでやってきた弊害というべきか、功を焦ったつもりはなかったが、結果的にそういう事になっていたというべきか。

 

とにかく、俺はいつでも魔結晶がジャブジャブ手に入るという状況に慣れすぎて、ローラさんにその異常性を指摘されるまで何も疑問に思っていなかったのだ。

 

もっと数を小出しにして、慎重にやっていくべきだった……

 

なんとか今この場だけでも取り繕おうとしたが、どうにも言葉が出てこなかった。

 

 

「…………」

 

「……これは君、やったな(・・・・)?」

 

 

ククッと悪役のように笑うローラさんはバサッと書類を机の上に放り出して、俺の顔を見据えた。

 

 

「え? なにがですか?」

 

「おとぼけはなしにしようじゃないか……」

 

 

彼女は煙草の代わりに胸ポケットに差し込まれた棒付きの飴を取り出して、トントンと机を叩く。

 

 

「そうだな、小心者の君がダンジョンの盗掘をやるとは思えない……また何か変なものを作ったというところかな?」

 

 

苦笑しながらそういう彼女は、多分俺がなんとかこの場を誤魔化そうとしているなんてことはお見通しだったんだろう。

 

二人が揉めないように、大人になってくれたんだと思う。

 

たとえそうでなかったとしても、うちの夫婦は彼女の器の大きさに救われている部分が大きい。

 

感謝の思いだけは切らさないようにしよう。

 

 

「負けました……ローラさんは何でもお見通しですね」

 

「君は自分で思っているよりもずっとわかりやすい人間だよ」

 

 

その言葉に苦笑しながら、俺は立ち上がってコートかけからコートを取った。

 

もう夜だが、こういうことはすぐに済ますのがいい。

 

 

「それじゃあ、これから案内しますよ。こればっかりは、見てもらったほうが早いので」

 

「案内、どこへ?」

 

「……シェンカーの、本当の秘中の秘、魔結晶工場にですよ」

 

 

その言葉を聞いて、ローラさんはぽとりと飴を取り落した。

 

 

 

 

「とんっ……でもないものを地下に作っていたんだな君は」

 

 

トロッコのレールが二本引かれた地下坑道に、ローラさんの声が反響した。

 

壁にずらっと吊るされた魔結晶生成造魔は光りながら怪しく蠢き、地面に置かれた籠には大ぶりの魔結晶が無造作に盛られている。

 

実家から伸びた地下道に油田が湧いているようなものだ、作るのも大変だったが、そこから定量的に儲けを生み出すまでの調整も大変だった。

 

俺だってこうして辻褄が合わなくなってバレるまではローラさんにも言うつもりがなかったからな。

 

 

「まあ、それほどでもありますかね」

 

「別に褒めてるわけじゃない、いったいいつこんなものを?」

 

「いやまあ、それは別にいいじゃないですか」

 

 

計画自体は彼女と出会う前から動いていたものだ。

 

あの頃は自分が貴族になるだなんて思ってもいなかった。

 

 

「あまり危ない橋を渡らないでほしいんだがね……」

 

「結婚してからは自重してますよ」

 

「やはり……」

 

 

ローラさんは額を揉みながら大きく深いため息をついて、また真剣な顔になって言った。

 

 

「とにかく、この技術はすぐに公開する、いいね」

 

「やっぱり公開しなきゃダメですかね、誤魔化せたりしません?」

 

「別に私は君と心中しても構わんが、子供たちが可哀そうだろう」

 

 

やれやれと笑いながら話す彼女だが、目つきはどこまでも真剣なままだ。

 

え、そんなにすぐ命にかかわるぐらい駄目だったの?

 

俺としては施設と技術全部接収されて、トルキイバ追放ぐらいで終わりかなと考えてたんだけど。

 

 

「え、そういう話ですか?」

 

「そういう話になる、この国は今、パンよりも魔結晶を欲している。この技術はあまりに問題の核心を突きすぎているから……公開の仕方にだって気を使わなければ、一体何人の面子を潰すかわからない」

 

「あ、そりゃまずいですね」

 

 

面子という言葉が出てきてしまっては俺も頷くしかない。

 

平和な日本なら人の面子を潰したって失職や左遷で済むだろうが、この国では他人の面子を潰すことは死に直結している。

 

そしてそれは王都にも行ったことのない田舎者の俺にはわからない部分でもある。

 

元々そこを補うために、王都からローラさんが派遣されたのだ。

 

彼女の決定に文句を言うつもりはさらさらないとも。

 

俺はただただ深々と頭を下げた。

 

 

「ローラさん、ありがとうございます。命を助けられました。調整をお願いします」

 

「気にするな、今は私もシェンカーの人間なんだ……」

 

 

そう言ってから彼女は数秒黙り、いきなり俺の襟首を掴んでグッと引き寄せた。

 

 

「……一応聞くが、この他にこういう隠し事はないだろうな?」

 

「ないです、ここは結婚前に資金稼ぎに作っただけなんです」

 

「うむ、今後はないように」

 

 

気にはしていないとは言ったが、ムカついてないってわけじゃないんだろう。

 

 

「……これの発表には私の実家に協力を頼む。君の名誉は大きなパンから麦のひとかけらほどに減るだろうが、命には変えられん」

 

「もちろんかまいません。ローラさん、重ね重ねご迷惑をおかけします、よろしくお願いします」

 

 

これまで頑なに実家との交流を避けてきた彼女に、ついに実家というカードを切らせてしまった。

 

その自分の至らなさが、なんだか背中に重くのしかかるようだった。

 

 

「仕方のないことだ。それに……何があるかわからない世の中、丁度いいから子供たちも私の実家と顔ぐらいは繋いでおくべきだろう」

 

 

俺はもういちど深々と彼女に頭を下げた。

 

家族だからこそ、近い存在だからこそ、それ以外に何もできない遣る瀬無さがあった。

 

 

 

 

なんていうか、本当にローラさんの実家は生粋の軍人の家の人なんだなと改めて驚いてしまった。

 

展開の速さがめちゃくちゃだ。

 

彼女が手紙を送ってから一週間後には、王都からやってきたお兄さんがトルキイバ入りしていた。

 

 

「お前がサワディか」

 

「お初にお目にかかります閣下、よろしくお願い致します」

 

 

ローラさんの兄は彼女と同じ金髪の偉丈夫で、いかにも軍人らしい人だった。

 

まだ三十歳なのに階級章は少将で、実家が太いから当たり前だがバリバリの出世株。

 

くわえ煙草で真っ赤な大陸間横断鉄道から降りてきた彼は、不満げにこちらを睨めつけた。

 

 

「こんなひょろっちい学者が義弟とは業腹だが、ま、いいだろう。妹はどうした?」

 

「実は学校の方でちょうど外せない会議がありまして、そちらに参加しております」

 

「そうか、迎えに顔も出さんとは嫌われたものだと思ったが、職務ならば仕方あるまい」

 

 

うーん、結婚する前にローラさんが実家を『追放』されたなんて言ってたんだけど。

 

お兄さんのこの口ぶりだと、やっぱり大げさに言ってただけなのかな。

 

 

「…………」

 

「なんだ?」

 

 

そんなことを考えていたのが顔に出てしまったのか、怪訝そうな顔をしたお義兄さんに顎をしゃくられてしまった。

 

 

「いや、ローラさんからは実家とは縁が切れてるという話を聞いてたんですが、案外そうでもなかったのかなと……」

 

 

俺がそう言うと、彼は空を見上げながら大きくため息をつき、官製煙草を深く吸い込んだ。

 

 

「うちの家はな……痩せても枯れても北方最前線を任された武門の家だ。魔臓をなくした娘を勘当なぞするか。あれが勝手に飛び出したのだ」

 

「あ、やっぱりそうなんですか」

 

「あれも女だ、自分の老いさらばえていく姿を晒したくなかったのだろう。妹なのだ、今となっては咎めるつもりはない」

 

 

努めてこっちを見ないようにしながら、お義兄さんはそんなことを早口で言い切った。

 

ちょっと不器用な人なのかもな。

 

 

「ありがとうございます」

 

「なぜ貴様が礼を言う」

 

「今は私の家族でもありますので」

 

 

お義兄さんはローラさんによく似た、悪役のような笑い方でふっと笑い、大股で歩き始めた。

 

俺も先導するために慌てて動き、小走りで彼の前を行く。

 

足の長さが子供と大人ぐらい違う、根本的にフィジカルエリートな家なんだろうな。

 

 

「まあ……それで生き延びたのだからよくよく運の強い女だ」

 

 

ぽつりと、お義兄さんが独り言のようにそうこぼしたのに「はい」と応えた。

 

 

「そういえば子も生まれたそうだな。甥も姪も初めて持つが、一つ顔を見てやろう」

 

「ありがとうございます、是非見てやってください」

 

「子は軍人にするのか」

 

「本人に決めさせるつもりであります」

 

「もうしばらくすれば西方諸国との停戦条約が解ける。そうなれば四方八方全てが戦線だ。子が可愛ければ軍には入れるな」

 

「ありがとうございます」

 

 

その後も厳しいようで意外と饒舌な彼に色々と話をされながら、待たせていた人力車に乗って家へと戻ったのだった。

 

 

 

 

「で、これが件の魔結晶の密造所か」

 

 

先週ローラさんを案内したのと同じ場所で、お義兄さんは仏頂面のままそう言った。

 

魔結晶生製造魔からぶら下がる魔結晶を手でもいで、光に照らしてしげしげと見つめている。

 

 

「これはここでしか作れんのか?」

 

「まだ実験はしていませんが、理論上ダンジョンに近い土地ならばどこでも作れると思います」

 

「ふーむ、思っていたよりもとんでもないものを作ったな。妹の夫でなければ今ここで殺していたぞ」

 

「…………」

 

 

顔色も変えずにそう言い切ったお義兄さんは、魔結晶をハンカチに包んで懐にしまい込んだ。

 

 

「で、ローラ、お前はどうしたい」

 

「……長兄、ひとつ穏便に頼む」

 

 

ぎろりと、ローラさんと同じ瑠璃色の瞳が俺のことを睨む。

 

お義兄さんは俺の事を人差し指で指しながら、諭すようにローラさんに言う。

 

 

「こういう馬鹿をやらかす人間はまた同じことをする、そのたびにお前はこうして尻を拭うのか?」

 

「馬鹿は馬鹿でも、常人とは桁違いの馬鹿だ、拭い甲斐のある尻さ」

 

 

ほんのりと、額が暖かかった。

 

お義兄さんの指から漏れ出るように放たれた針のように細い魔法の熱線が、じりじりと俺の皮膚を焼いていた。

 

ぽっと、彼の胸にもオレンジ色の光が灯る。

 

ローラさんが彼に向けて真っ直ぐに指した人差し指の先から、同じようにレーザーが照準されていた。

 

二人共、にこりともしない。

 

猛獣の檻に閉じ込められた気分だった。

 

 

「ま、いいだろう」

 

 

お義兄さんがそう言うと、額からスッと熱が消え、彼の胸に向けられていた熱線も霧散して消えた。

 

額の火傷は常時発動している再生魔法で消えていくが、心臓はバクバク早鐘を打ったままだ。

 

おっかねぇよ~!

 

この兄妹よぉ~!

 

 

「ここまでのものとなると……遡って軍から開発命令を出していたということにしなければならん。派閥を超えた工作が必要だ」

 

「長兄、ちょうどうちの旦那には派閥を超えた支持組織がある、たしか『動く死体の会』と言ったか……」

 

 

動く死体の会というのは、俺がこれまで再生魔法で魔臓を治してきた退役軍人達のサロンだ。

 

王都にあるらしいから俺は顔を出したこともないが、時々会報のようなものが届く。

 

最新号ではみんなでテニスをしたという話と、会員の爺さんの孫自慢が延々と書かれていたが……

 

あんなお気楽な集まりが果たして助けになるんだろうか。

 

 

「うむ、当たってみよう。退役軍人は暇だからな、こういう話にはうってつけかもしれん」

 

「ではまとめ役のゴスシン男爵へ手紙を用意する」

 

「あれに書かせんでいいのか?」

 

 

そう言いながらお兄さんは俺の方に顎をしゃくったが、ローラさんは首を横に振る。

 

 

「うちの旦那は少々商売っ気が強すぎる、今回の話では逆効果にもなりかねない」

 

「大陸間横断鉄道を作ってクラウニアを小さくした男だ、そんなものだろう」

 

 

なんか褒められてんだかけなされてんだかよくわかんないけど、商家の出なんだからしょうがなくない?

 

おっかないから何も言わないけどさ。

 

 

 

 

結局帰りの鉄道待ちのためにトルキイバに三日ほど滞在することになったお義兄さん。

 

案内人を務めることになったのはいいが、連れて行く場所がなくて困ってしまった。

 

なんてったってスレイラ家は超大物、辺境伯様だ。

 

大抵のものは地元にあるし、地元になくても王都にある。

 

今回の話は内々の話だからトルキイバ領主のスノア家に出向いたりはしないし、もちろん魔導学園にも用はない。

 

ひとしきりノアとラクスのご相手をなさるのを見守ったあと、俺はお義兄さまを苦し紛れに野球場へと連れて行くことにした。

 

まあ、スレイラ領には絶対にないものだろうからな。

 

青い空、吹き付ける寒風、飛び交うヤジ、この世界じゃなかなか見れないほどの平民の群れ。

 

高台に作られた魔法使いしか入れないVIP席からの眺めは素晴らしく、試合の様子だけじゃなく観客の騒ぎ回る姿まで丸見えだ。

 

 

「なんなのだここは、なにをする場所だ?」

 

『バッター、5番、カクラ』

 

「やかましいな、なんの声だこれは」

 

 

お義兄さんは初めて見た野球場に、すっかり面食らってしまっているようだった。

 

 

「ここは野球っていう競技をする場所なんですよ」

 

「野球……といえば、棒で球を叩くというあれか?」

 

「ご存知なんですか!?」

 

「王都のサロンで南の野蛮な遊びとして話題になっただけだ」

 

 

お義兄さんはなんだか不満そうな顔で煙草を吸いながら、唇を尖らせてそう言った。

 

 

「こっちじゃあ伯爵様だってやる競技なんですよ」

 

「ふん、暇そうで結構なものだ」

 

「ああそうだ。今試合してるのは、ちょうど僕が経営してる団とローラさんが経営してる団です」

 

 

今日はちょうどシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)とスレイラ白光線団(ホワイトビームス)の因縁の試合だった、魔法使い抜きだから練習試合みたいなもんだけどな。

 

 

「経営? なんだそれは」

 

「団の資金を出して団員を維持してるんですよ、たまに本人も混じって試合したりもします」

 

「妹も田舎に来て妙な道楽を覚えたものだ……」

 

 

彼はやれやれと溜息をつくように煙を吐き出し、紙コップのエールを飲み干した。

 

金髪でマッチョでイケメンだからハリウッドスターの休日のようにも見える。

 

やっぱり顔がいいってのはただただ得だな。

 

 

「しかしあれは真面目にやってるのか? あんな球も叩けんとは情けない」

 

「あれでもやってみるとなかなか難しいんですよ」

 

「そんなことはなかろう」

 

 

フンと鼻で笑うお義兄さんだが、たしかにローラさんも初見でバカバカ打ってたしな。

 

もしかしたらスレイラ家の人はナチュラルボーンハードヒッターなのかもしれん。

 

 

「閣下も試してごらんになりますか?」

 

「球遊びをか? くだらん」

 

「うちの団、ローラさんともなかなかいい勝負をする選手がいるんですよ」

 

「ふん、いくら軍属を退いて鈍ったとはいえ、平民相手に梃子摺(てこず)るような女ではないはずだ」

 

「まあ……魔法抜きならそういう番狂わせも起こりうるっていう競技なんですよ」

 

 

別に煽ってるつもりもなかったんだが、結果的にその言葉がお義兄さんの中の何かに火をつけてしまったようだった。

 

ふうっと、上から顔に紫煙が吹きかけられ……なんだろうと思ってお義兄さんの顔を見ると、ローラさんと同じ色の目が不敵に笑っていた。

 

 

「いいだろう、愚弟、挑発に乗ってやる」

 

「え、おやりになるんですか?」

 

「用意したまえ、貴様の団の一番の選手でな」

 

 

ピンと指先で弾いた紙巻き煙草が空中で光の塵となって消えた。

 

彼がぐっと軍服の上着を脱ぐと、白いシャツに包まれた鋼のような体が姿を表す。

 

俺のヘナチョコ球ぐらいなら、初見で月までぶっ飛ばされそうな貫禄だった。

 

 

 

 

『静粛に願います。お客様に申し上げます、一時試合を中断いたしまして、これより特別打席が執り行われます。静粛に願います。お客様に申し上げます、一時試合を中断いたしまして、これより特別打席が執り行われます』

 

 

毎週ってほどではないが、たまにこういうことはある。

 

観戦に来た貴族が『俺でもできそう、ちょっと打たせて』などと言いだした時に、こういうアナウンスが流れるのだ。

 

以前は危なっかしくて貴族の前になんて選手は出せなかったのだが、俺が走り回って色々とルールを決めた結果野球に関しては無体を働きづらい空気になったので一安心だ。

 

もちろん誰にでもというわけではないが、ローラさんの兄貴ならうちの奴隷を出しても大丈夫だろう。

 

とはいえ、さすがにこういう時に野次られると庇うこともできないので、観客の方も静かにさせている。

 

できない奴は警備員が退場させる。

 

貴族への気遣いは平民を守るためのもの。

 

守れないものは出禁だ。

 

 

『ピッチャー、『魔術師』ボンゴ』

 

 

うちの最強の投手が、この鳥人族のボンゴだ。

 

もちろん魔術師ってのはただのあだ名。

 

彼女の変化球が、魔法抜きではトルキイバ中の誰よりもキレるからそう呼ばれているのだ。

 

 

『バッター、気高き金髪の紳士』

 

 

負けるかもしれないから、貴族側の名前は明かさないのが礼儀だ。

 

お義兄さんの甘いマスクに若干観客席の町娘達がザワついてるようだが、正真正銘星の王子さまなんだからそれはしょうがないだろう。

 

 

『スリーアウト、または三安打で試合終了です。ホームランも安打に数えます。では、プレイボール』

 

 

うぐいす嬢のその言葉でボンゴはセットポジションを取り、放たれたストレートがお義兄さんの膝近く、内角低めギリギリに突き刺さった。

 

ボールがぶつかりそうな場所を通っても微動だにしなかったお義兄さんは一つ小さく頷き、またボンゴの方を向く。

 

もし本当にローラさんと同じポテンシャルなら、もう一度同じコースに投げ込んだらたやすく打たれてしまうだろうな。

 

 

次の球はお義兄さんの土手っ腹目がけて放たれた。

 

完全に体にボールが当たる、いわゆるデッドボールとなるコースだ。

 

もちろんお義兄さんも後ろに大きく下がって避ける。

 

だがボールは体にぶつかる直前に壁にぶつかったようにカクンと曲がり、ストライクゾーンの端に収まった。

 

不敵に笑うボンゴと、鋭い目つきで睨みつける少将閣下。

 

二人の間には、身分の垣根を越えた冷たい勝負の空気が流れていた。

 

 

結局勝負は一安打スリーアウトの奮戦で七色の変化球を使いこなしたボンゴが勝ち。

 

観戦に来ていたトルキイバ(もの)たちも、声には出さないが謎の金髪イケメンの敗北に大いに溜飲を下げた。

 

 

「なるほど、これは『勝負』だな。面白い」

 

 

そう言って朗らかに笑い、ポケットから銀貨を取り出した彼を慌てて止めた。

 

 

「閣下、お待ち下さい……」

 

「なぜだ? あの者とて木石ではなかろう。良き働きにはきちんと報いるものだ」

 

 

そりゃ軍隊ではそれでいいんでしょうけど……野球だと引き抜こうとしてると思われちゃうんだって!

 

 

「あれは私の配下ですので、それはどうか私にお任せください……必ず手厚く報いますので」

 

「そうか、では私はどうすればよい」

 

「勇士には栄誉を、どうか拍手でお讃えください」

 

「うん」

 

 

素直に頷いたお義兄さんがボンゴに大きな拍手を送ると、まるで呪いが解かれたかのように会場中からの大拍手と、口笛、歓声が鳴り響いた。

 

ボンゴは客席に手を振りながらぐるりと一周回り、お義兄さんに向かって深々と頭を下げた。

 

うん、と頷いて大股でVIP席へと戻っていくお義兄さんを慌てて追いかける。

 

なんだか、機嫌は良くなったみたいで良かったよ。

 

 

接待大成功!

 

と浮かれていたのは良かったのだが、結局次の日もお義兄さんの望みで朝早くから野球場へと通うことになり……

 

彼がホットドッグのケチャップをこぼして真っ赤なシェンカー大蠍団のユニフォームを着ることになったり、良さげな投手を見つけては「あれともやってみたい」と試合を止めまくったり……

 

挙句の果てには三日目には「最初から試合をやってみたい」と言い出した彼のために急遽チームを集めて紅白試合を行ったり……

 

なんか、どっと疲れた。

 

身から出た錆とはいえ、嫁の家族の接待はもうこりごりだよ……

 




コロナでご家族共々家から出れない人もいると思いますので、動画配信サービスのネットフリックスなんかで明るい映画を見るのはどうでしょうか?
テレビは暗いニュースばっかりですので、ずっと見ていると気が滅入りますから、なるべく意識的に明るいものを見ていくのが精神衛生にいいかと思います。
一応個人的におすすめなものを三本あげておきます。

・シェフ 三ツ星フードトラック始めました
Twitterで批判を書かれたのにブチ切れちゃって炎上しちゃった一流レストランの凄腕シェフが、今まであんまり遊びに連れて行けなかった一人息子と相棒の料理人と一緒にフードトラックで再起をはかる話です。
とにかく明るくて、心の底から悪いやつっていうのが出てこない、料理も美味しそうで最高です。

・星の王子ニューヨークへ行く
アフリカの王子様がニューヨークへ花嫁探しに留学、惚れた女の子のために身分を隠してマクドナルドでアルバイトを始めるが……っていう話です。
古い映画なのでちょっと下ネタもありますけど、子供でも楽しく見れる範疇でしょう。
もちろん超ハッピーエンドで、いい気分で寝られると思います。

・殿、利息でござる!
ストーリーを色々書いてもややこしいので書きませんが、とにかく金がないからお上に金貸して利息でなんとかしよう!って仙台の町民達がドタバタ走り回る話です。
2016年に作られた時代劇なんですけど、やはり最近の作品だけあって映像が綺麗ですね。
ハッピーエンドの楽しい映画なんですけど、ドラマとしてもちゃんと面白い作りになっています。

他にも男はつらいよ、釣りバカ日誌、水曜どうでしょうや、アニメなんかもあるのでお子様も退屈しないと思います。
暗い話題が多いですが、こんな時代ですから娯楽には不自由しないのが嬉しいですね。


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第82話 人と人 繋ぐ祭りと 馬鹿兄貴 前編

大変おまたせしました。

色々長くなったので前後編です。

単行本2巻が5月末、コミカライズ1巻が6月13日に発売予定です。

なかなか更新できなくて作者が足を引っ張ってる感ありますが、なんとか時間を作ってもっと更新したいとは思っています。


ぱたりと風の止んだ晩冬のことだ。

 

魔結晶精製造魔の審議待ちのため、表向きは『物資調達中』ということで超巨大造魔建造計画は完全に停止していた。

 

完成済みの百メートル建造ドックの底にはどこからか流れてきた枯れ葉や砂が薄っすらと積もり、お役御免となった現場作業員たちは壁内の工事に精を出している。

 

この巨大なドックも作るのは大変だったが、所詮は単なる穴ぼこだ。

 

別に中には取られるようなものもないし、壊せるようなものでもないから最低限の警備だけを置いて放置しているのだが……

 

何が楽しいのか知らないが、暇を持て余したトルキイバの住人たちがそんな穴ぼこを新しい名所だとばかりに毎日毎日見物しに来るらしい。

 

街の壁の上に登っては、やれでかいなぁ、深いなぁと勝手に感心して帰っていくんだから、おめでたい限りだよ。

 

やっぱり農作業のできない冬の間ってのはみんな暇なんだよな。

 

うちの精肉工場や革工場にも短期雇いで街の人達が沢山応募してきて大忙しらしい。

 

この人手が去年までは遊んでたんだから、やっぱり安定雇用ってのは街の発展に不可欠なわけだ。

 

きちんと金が回ってるからか、今年の冬は例年よりも商店街に人が多いし、街の人達の装いもいくぶん暖かそうなものになっている。

 

そんな寒いけれども明るい雰囲気の中を、この街の暇人代表みたいな人がシェンカー通りのMSG(マジカル・シェンカー・グループ)本部へと訪ねてきたのだった。

 

 

 

「あのモグラのお祭りさぁ、今年もやらない?」

 

 

膝の上でチキンのペットの青い犬を撫でながら、シェンカー三兄弟の次男であるシシリキはそんなことを言った。

 

 

「は? モグラの祭り? なにそれ?」

 

「だからさぁ、お前が去年勝手にやった祭りあるじゃん、あのおっかないモグラの像の周りで火焚いてたやつ」

 

「ああ、去年のピクルス達の壮行会のことね」

 

 

去年の冬、遠く北の果てへと派遣されたトルキイバ・タラババラ交易隊の無事を願い、彼女たちの頭であるケンタウルスのピクルスの加護神であるモグラの神の社を作りお祭りを行ったのだ。

 

神殿はまだ残っているが、半ば悪ふざけで作られた巨大なモグラの山車は不気味すぎると大変不評で、置いておく場所もないので燃やしてしまった。

 

 

「そうそう。あれさぁ、今年もやらない? できたらうちの会の仕切りで」

 

「うちの会って……?」

 

「南町の祭り仕切ってる面子だよ、俺とかファサリナ先輩とか、嫁さんの仲間とかさぁ。みんな冬はやることなくて暇なんだよね」

 

「ふーん」

 

「頼むよ、なぁなぁ、このと〜り!」

 

 

ふにゃっと笑顔で頭を下げる兄貴だが、祭りってのは金はともかく準備に人手も時間もかかるのがなぁ……

 

去年はまだダンジョン利権にも参入してなくて、人も時間も自由に使えたんだよな。

 

 

「兄貴達は騒ぎたいだけでしょ? そんなん別に他のとこでやったっていいじゃん……」

 

「そんなん平民が勝手にお祭りやりたいって言ったって許可出るわけないじゃ〜ん。頼むよ〜お前んとこの通りでやらせてくれよ~!」

 

 

眉をハの字にして俺の上着の袖を引っ張る兄貴だが、別にうちの通りはレンタルスペースじゃないんだよ。

 

俺の一存だけで決められることじゃ……いや、逆に俺の一存でしか決められないことなのか。

 

どうしようかな……

 

 

「うちの会の面子はさぁ、色んなとこに顔効くからさぁ、繋ぎあると色々役立つと思うよ〜?」

 

「繋ぎねぇ……リナリナ義姉さんはなんて言ってんだよ」

 

「うちの嫁さんも結構お腹大きくなっちゃってさ、最近あんま家から出れなくて鬱憤溜まってるだろうから喜ぶと思うよ」

 

「うーん……どうだろ。チキン、どう思う?」

 

 

俺の後ろに控えていた筆頭奴隷のチキンに尋ねると、首まで黒のレースで覆われたドレスを着た彼女は鎖付きの金の伊達眼鏡をクイッと動かして頷いた。

 

 

「よろしいのではないかと。どうしても冬というのは楽しみの少ない時期ですから、きちんと周知すれば街への還元にもなります」

 

 

チキンがそう言うならそうなんだろう。

 

別段俺が何をしなきゃならないって話でもなさそうだしな。

 

ま、いいか。

 

 

「じゃあさ、兄貴がきちんと看板やるんなら任せてもいいよ」

 

「ほんとか!?」

 

「うん、詳しいことはイスカと話して」

 

 

こういう仕事をガンガンやらせれば、管理職の成長にもなるしな。

 

最近はイスカの下にも人がついたんだ、いい経験になるかもしれない。

 

 

「やったー!」

 

 

青い犬の前脚を掴んで万歳させながらそう言った兄貴は、「みんなに言ってくる!」と転がるようにシェンカー本部を飛び出していった。

 

ようやく開放された犬は少し疲れたような様子で立ち上がり、後ろに控えているチキンの足に巻き付くように横になってゆらゆらと尻尾を揺らしていた。

 

 

 

 

 

地面から足を這うように冷気が登ってくる日のことだ。

 

俺とローラさんの手で、ざっくりと大きく縄張りされたまっさらな工事現場に、最初のスコップがざくりと突き入れられた。

 

周りに並んだシェンカー家の面々や街の人々からは盛大な拍手が沸き起こり、俺たちはそれに手を振って応える。

 

そう、シェンカーの劇場建設予定地での本当の劇場建設が今始まったのだ。

 

 

「やれやれ、ようやくだな」

 

「いやー、ここまで来るのが長かったんですよ」

 

 

苦笑いのローラさんに、俺も苦笑いを返す。

 

本当に長かった、これでもかなり短くなったはずなんだが、元々の計画が甘かったしな。

 

 

「それは君が好き放題に寄り道をしていたからじゃないか?」

 

「しょうがないじゃないですか、色々あったんですから」

 

「さて、どうだかな」

 

 

そんな話をしている間に俺たちの前に大きな酒樽が運ばれ、パカンと音を立てて蓋が叩き割られた。

 

うちの面子や見物客にコップが配られ、大きな歓声と口笛が上がる。

 

本来は建物完成後の竣工式で行われる鏡割りだが……うちはある意味酒蔵でもあるし、今日は街の人達も沢山来てるからな、振る舞い酒だ。

 

あって嬉しいことは何回あってもいいだろう。

 

色んな人間が代わる代わる酒を汲みにやってきたが。

 

皆が満面の笑みを浮かべる中、一人だけ暗い顔をしている者がいた。

 

背中に相棒のボンゴを乗せ、浮かない顔で歩いてきたのは……

 

我が家で一番の古株、ケンタウロスのピクルスだった。

 

 

「おめでとうございます」

 

「…………お……め……」

 

 

古株の奴隷達用に作った揃いのブレザーを着た二人が挨拶をしてくれるが、やはりなんとなく暗い感じだ。

 

なんか仕事でミスでもあったのかな?

 

 

「あれ、ピクルスなんかあった?」

 

「いえ……」

 

「…………ゆ……み……」

 

「弓?」

 

「いや、実はちょうど昨日弓を引き折っちゃいまして……」

 

「あのでっかい弓を?」

 

「はあ、まあ……」

 

 

ピクルスが普段背負っていたのは豪腕で有名だった街の冒険者に貰ったっていう大弓だったはずだ。

 

あれを引き折るっていうのはちょっと尋常じゃないなぁ。

 

 

「ピクルスは背も伸びたからなぁ、今どれぐらい力あるんだ?」

 

「わかりましぇん……」

 

 

見上げるような体躯のケンタウロスは、服の上からでもわかる筋肉を縮こまらせるようにしながら首を傾げた。

 

 

「ふーむ、巌のような体だ。私と出会った頃から大きかったが、ここ最近は更に育っているな」

 

 

うちの嫁さんがピクルスの胴をポンポンと叩きながら歩くが、よく考えたら彼女は馬にしたってかなりデカいぞ。

 

前まで回ってきたローラさんがピクルスの腕をちょいと引くと、彼女は体を折り曲げるようにして人間の体部分を下におろしてきてくれた。

 

 

「腕に力を入れてみろ」

 

「はい」

 

 

周りの人達が何事かと見守る中を、ピクルスが力を込めながら腕を折り曲げると……

 

ブチブチと嫌な音を立てて丈夫そうなブレザーの腕部分がばっくりと裂け、上腕の太さが俺の太ももと同じぐらいにまで膨れ上がる。

 

破れたシャツの間から見える彼女の上腕の筋肉はバッキバキにできあがっていて、筋トレにあまり興味のない俺でもちょっとした憧れを禁じえないかっこよさだった。

 

 

「すげぇ……」

 

「何食えばあそこまで……」

 

「いい……」

 

 

周りにいる男たちも俺と同じような気持ちらしい。

 

彼女の筋肉にうっとりとした視線を送っていた。

 

 

「これは……とんでもないな……まともな弓では全力には耐えきれんだろう」

 

「はい……」

 

 

ブレザーを破ってしまってますます気持ちが落ち込んだのか、前屈した姿勢のまま項垂れてしまったピクルスの背中をボンゴが優しく撫でている。

 

嫁さんがしたこととはいえ悪い事した、後で衣装代も渡さなきゃな……

 

 

「ピクルス、トルキイバいちの弓職人に新しい弓を頼んでやるよ。前の弓は残念だったけど、今度は思いっきり力込めても折れないやつを作ってもらってやるからさ」

 

「えっ、ほんとですか?」

 

 

暗かったピクルスの顔がぱあっと明るくなった。

 

彼女はうちの冒険者組の最高戦力だしな、いくらでも金使っていいから最高の弓を用意してやろう。

 

 

「ほんとほんと、だからさ、そんなに気を落とすなよ」

 

「ありがとうございます!」

 

「…………よ……か……」

 

 

目尻に涙を浮かべて喜ぶピクルスの背中を、ボンゴがポンポンと優しく叩いている。

 

この二人は出会った時からずーっと仲良しだな。

 

仲良きことはいいことだ。

 

あ、あと聞いとこうと思っていたことを思い出した。

 

 

「ところでピクルス、あの人達って知り合い?」

 

 

俺がクイクイと肘で指した先では、他の人達から頭ひとつ抜けた背丈のケンタウロスの一群がなんだか心配そうにこちらを見つめていた。

 

そちらを見たピクルスは小指で目尻を搔きながら「あれは去年の旅で出会った人達で……」と縮こまって答える。

 

 

「へぇ~」

 

「仕事に困ってるみたいだったので、トルキイバならどうかと思って誘ったんですけど、ほんとに頼って来てくれたんです」

 

「そんなことがあったのか。そんで、みんな仕事は見つかったの?」

 

「はい、一応……」

 

「そりゃ良かった」

 

「ありがとうございます」

 

「あ、あとね、これ服破けちゃったから……」

 

「すいません、ありがとうございます」

 

 

ペコペコ頭を下げながら俺から金貨を受け取ったピクルスは、破れた袖をぱたぱたと振りながら仲間のケンタウロスたちの元へと歩いていった。

 

そのうち、ピクルスもボンゴも結婚して子供を生むんだろうか。

 

子供の頃からの夢だった俺の劇場建設だって、今こうやってきちんと始まったんだ、時間なんかあっという間だろう。

 

同い年のピクルスと二人で初めたシェンカー一家が、いつの間にやらこんなに大きくなったんだ。

 

ある意味で、彼女のおかげとも言えるのかもしれない。

 

ケンタウロスの仲間たちと楽しそうに話す、一緒に買いに行ったあの眼鏡をつけたままの彼女に無言で杯を掲げると……さっきからちらついていた時期外れの雪が、ふわりとその中に落ちてきた。

 

ふ、と笑いが溢れる。

 

冷たい雪は飲み干した。

 

あとは暖かい春を待つばかり。

 

曇り空の切れ目から、真っ青な空がちらついていた。

 




緊急事態宣言が長引いたので、再び明るいおすすめの映画なんかを紹介します。
今度はアマゾンプライムで選んでみました。


・テルマエ・ロマエ

阿部寛主演のローマと日本を繋ぐお風呂映画。

基本構成がなろうっぽいので、この小説を読んでいらっしゃる方は楽しめると思います。

阿部寛もそうですが、北村一輝がめちゃくちゃ好演しててたまりません。

顔が濃い男たちが沢山出てきて最高です。


・ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲

言わずとしれたMr.ビーンのローワン・アトキンソン演じる007のパロディ映画。

とにかくベタベタなコメディアクション映画なのですが、その分誰でも安心して見られると思います。

デジタル犯罪にアナログの塊のジョニー・イングリッシュが挑むというスパイ物です。


・シコふんじゃった

竹中直人が出てくるコメディ映画で、スポ根もの。

相撲なんか興味がないゆるい大学生が負けっぱなしの相撲部に入って、個性的な仲間たちと一緒に勝ちを目指していくというお話。

演技も本も、本当に素晴らしく、万人受けする内容だと思います。

後半はトンデモな展開もあるのですが、それでもいい映画です。


・怪盗グルーの月泥棒

海外アニメ映画に興味のない方もいらっしゃると思いますが、怪盗グルーシリーズはこれまでに三本作られています。

その一作目がこれで、怪盗グルーがライバルの怪盗と競い合って月を盗み出そうとするお話です。

いい子供映画は子供も大人も楽しめる作りになっていますが、この作品はむしろ大人向け。

孤独な男がひょんなことから家族を作り、親になっていくという成長ストーリー。


・スクール・オブ・ロック

本当にどうしようもない男が、身分を偽装して潜り込んだ学校のクラスでロックを教えるコメディ映画です。

ジャック・ブラックの怪演が素晴らしく、とにかく全編キャラが立ちまくり。

顔の圧がとんでもないです。

色んな事情を抱えた子どもたちがロックによって変わっていくというストーリーも最高。



次はもっと早く更新します、それでは。


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第83話 人と人 繋ぐ祭りと 馬鹿兄貴 中編

すいませんこの話三分割になりました。
5月末発売の二巻の表紙を頂いたので公開させていただきます。
たまたまですけど、表紙もお祭りの絵ですね。
https://img1.mitemin.net/g9/uy/7bewazyphze73urbc2vf9gt4fns5_i7l_ky_uw_41os.jpg


俺はちょっと、下の兄貴の人脈というものを舐めていたようだ。

 

うちの管理職候補のイスカと下の兄貴が二人で始めたお祭りの準備は、始まった次の日にはとんでもない数の人が関わる一大プロジェクトへと転がり始めていた。

 

イスカが手配したうちの奴隷はもちろん、兄貴の友達連中から俺の全然知らない町の人達、更には割と排他的なことで知られる白狼人族のコミュニティまで出張ってきて、毎夜毎夜本部前の通りは大盛りあがりだ。

 

協賛は日に日に増え続け、シェンカー通りのある中央町の店だけじゃなく、南町や北町の店や個人からもバンバン金が集まっているらしい。

 

一体うちの兄貴はよそでどういう話をしてきてるんだ?

 

一応以前の祭りで兄貴がちょろまかした法被をベースに、背中にスポンサーの宣伝を縫い付けたものを作っているようだけど。

 

正直こんな通り一本しか使わない祭りに出資しても意味があるとは思えないんだが……

 

まぁ貴族が絡むような話でもないから、ケツ持ちとしてもわりかし気楽なんだけどね。

 

 

 

そんな感じで勝手に進んでいた祭りの準備会から呼び出しがかかったのは、家の軒先に綺麗な氷柱ができていた寒い日のことだった。

 

シェンカー本部の前に設営されたテントで、なんとなくやりにくそうに町の人達と作業を進めるうちの奴隷達を見かけた。

 

指示を出していいのか、逆に指示を受けていいのかを迷ってギクシャクしているように見える。

 

普段は比較的上下関係のはっきりした組織の中で動いてる連中だからな、ああいう探り合いから始めなきゃいけない集団に入るとやりにくいんだろう。

 

俺もああいうのは苦手だったなぁ……

 

和気藹々と協力してっていうのは、普通に言われただけの仕事をやるよりも疲れるような気がしたものだ。

 

まあ、今でもあんまり変わってないんだけど。

 

なんてことを考えながらイスカに連れて行かれた先では、多分そういったことでは一度も悩んだことがないであろうコミュ力おばけがニコニコ笑顔で俺を待ち迎えていたのだった。

 

 

「目玉企画ぅ?」

 

「そうそう、なんかさ、わぁっと楽しくなれるようなやつないかなぁ。せっかく去年から始まったばっかりの新しいお祭りだってのに、歌って踊ってはいおしまいってのは寂しいよね」

 

 

のんきな顔の兄貴がそんな事を言いながらわっと宙に手を広げるが、いちいちそんなことで呼び出さないでほしいなぁ。

 

 

「そんな急に言われてもなんにも出ないよ」

 

「んなこと言わずにさぁ、あの野球みたいなやつをさぁ~」

 

「あれをシェンカー通りでやるのは難しいなぁ……」

 

「だからさ、それっぽいことでいいんだよ。みんなで楽しめること、頼むよぉ~」

 

 

俺のことをなんでも出てくる打ち出の小槌だとでも思っているのだろうか、兄貴は両手で掴んだ俺の腕をグイグイ揺すりながら駄々をこね続ける。

 

兄貴の椅子の後ろに立っていたイスカは困ったような顔でこっちを見ているが、別段止めてくれるような様子もなさそうだ。

 

くそっ、あの消極的な性格はどこかでなんとかしてもらわなきゃいかんな。

 

 

「だいたいさぁ、兄貴はどういう祭りにするつもりなんだよ」

 

「え? そりゃあモグラの神殿のお祭りだから、よくお参りに来てる冒険者とかが楽しめる明るいお祭りかなぁ」

 

「冒険者ねぇ、賞品でも出して殴り合いでもさせとけば? 盛り上がるでしょ」

 

「殴り合いってお前さぁ、けが人が出たらどうするんだよ」

 

 

けが人ねぇ、たしかに俺が治療しなきゃならなくなったりしたら面倒だしな。

 

荒っぽい人たちが盛り上がること、盛り上がること……

 

興行……年末……テレビ……

 

 

「あ」

 

「なんかおもいついた?」

 

「いや、怪我しなきゃいいんでしょ」

 

「なにが?」

 

「殴り合い」

 

 

そう、前世にはあったじゃないか、大の大人が殴り合っても体が欠損しない立派なスポーツが。

 

きょとんとする兄貴とイスカに、しどろもどろに『ボクシング』の概念を説明した俺は、とにかく一度やってみようと話をまとめて家路へとついたのだった。

 

うろ覚えだけど、なんとなくルールは覚えてるし、多分大丈夫だろう。

 

 

 

その翌々日、俺はさっそく我が家の革工場に作らせたヘッドギアとボクシンググローブと革製マウスピースを持参して祭りの準備会へとやってきていた。

 

別に意気揚々とってわけじゃない。

 

俺の話に興味津々になったうちの嫁さんに、グイグイ背中を押されてやって来たのだ。

 

基本的に荒っぽいことが好きなんだよなこの人。

 

 

「足首と足首をロープで結んで殴り合う決闘はしたことがあるが、純粋に拳だけの決闘というのは初めて見るな」

 

「なんでそんなに楽しそうなんですか?」

 

「なぜって、人の喧嘩というのは古くから存在する立派な娯楽だよ」

 

 

暇を持て余した田舎のヤンキーのようなことを言うローラさんは一旦置いておいて、俺は下の兄貴とルールの再確認だ。

 

兄貴から話を聞いていたのか、周りには準備会の面子が人だかりになって集まっていた。

 

 

「使っていいのは拳だけ、目潰し金的はなしだよ」

 

「それでこの手袋つけて、頭の鎧つけて、まうすぴーすってやつを口にはめるの? 手袋と頭のやつはいいけど、口のやつは何のためにつけるんだ?」

 

「わかんないけど、歯が折れないためじゃない?」

 

「なんでお前がわかんないんだよ~」

 

「ないよりいいでしょ、歯の鎧だって言っときなよ」

 

 

脇腹をつついてくる兄貴に装備一式(ボクシングセット)を押し付け、俺は地面に縄を張ってリングっぽいものを作る。

 

サイズは適当だ、元より知るわけがない。

 

四角けりゃなんでもいいだろ。

 

そうしていたらその周りに見物人達が群がってきたので、自然と人垣がリングのようになってしまった。

 

その人垣を割るようにして、ヌウッと姿を現したのは長大な金のリーゼント。

 

色付き眼鏡をかけたイカツい兄ちゃん、兄貴の先輩(パイセン)のファサリナさんだった。

 

 

「サワディさん、こりゃ~どうも~ご挨拶が遅れまして……」

 

「ファサリナ先輩、どうもお久しぶりで」

 

 

この人は外見はアレだが、普段は実家の馬宿できっちり働いている真面目な人なのだ。

 

騒ぐのとお酒は好きだけど、悪い人ってわけじゃあない。

 

だいたいこの世界は槍持った冒険者がウロウロしてるんだぞ、ヤンキー的なソフトな悪人なんか街に存在できないんだよ。

 

ヤンチャ者はだいたい軍に行くか冒険者になるか、身の程を知って真面目になるからな。

 

 

「サワディさん、もう身分が違うんですから先輩は……」

 

「あ、ごめんなさい……それとこちら、うちの奥さんですけど、今日は一つ私人扱いということで……」

 

「あ、どうも……」

 

 

ペコペコ頭を下げる先輩に、ローラさんは薄く笑って首をかしげるように会釈した。

 

こう言っておかないと平民は私語すらしづらくなっちゃうからね。

 

先輩に遅れて人垣の中から出てきた兄貴が「先輩がぼくしんぐ、試しにやってくれるってさ~」なんて気楽に言っているが、仮にも世話になってる人にそんなこと頼むなよ……

 

 

「えっと、じゃあもう一人は……」

 

「あ、そっか二人いるんだよね。俺やだよ」

 

「兄貴にゃ頼まないって。誰かいないかな、と……おっ! ローラさん、あれローラさんの野球チーム(スレイラ・ホワイトビームス) の人じゃない?」

 

「ああ、そうだな。リーブラー! ちょっと来てくれ!」

 

 

ローラさんが声を上げると、人混みの中にいた口髭を生やした中年の男が、周りの人をかき分けるようにして俺たちの前に現れた。

 

 

「ここに!」

 

 

妙に様になる姿勢で跪く彼に、ローラさんは「そこの紳士と殴り合いをしろ」とだけ短く告げた。

 

いやいや、それじゃわかんないでしょ。

 

俺が詳しいルールを説明すると、熱心に話を聞いていた彼は(うやうや)しく装備を受け取り、人垣のリングへと躍り出ていった。

 

 

「使っていいのは拳だけ! 転んでからみっつ数える間に立てなかったら負け! 金的は禁止! ……ですよ」

 

「おう!」

 

「かまいません」

 

 

レフェリー役のイスカの言葉に二人が答え。

 

はじめ! と声が飛んだ瞬間……

 

 

「ぅおらぁ!!」

 

 

と野太い気合の声とともに、リーブラーの目にも留まらぬアッパーカットがファサリナ先輩の顎を正確にかちあげていた。

 

一瞬ふわっと地面から浮き上がったように見えた先輩は、そのまま白目を剥いて支えを失った人形のように崩れ落ちてしまった。

 

 

「うわーっ!」

 

「やべぇってサリちゃん!」

 

「顎割れてないか? どうだ?」

 

 

スリーカウントと同時に仲間たちに一斉に囲まれたファサリナ先輩だが、一瞬意識が飛んでいただけのようですぐに目を覚ました。

 

 

「うちの婆ちゃんが……俺の手を引いて……」

 

「サリちゃんまだ婆ちゃん生きてるよ!」

 

 

頭が揺れたのか多少意識の混濁は見られるようだが、強かに殴られた顎も割れていないみたいだ。

 

俺が適当に指示したせいなのか、かなり大きめなグローブになってしまったのが良かったのだろうか、それともグローブの中に入れたゲル状の魔物の素材が効いたのだろうか。

 

異世界製のボクシング道具はかなりの衝撃吸収性を持っているようだ。

 

これなら冒険者同士が殴り合いをしても大丈夫そうだな。

 

 

「リーブラー」

 

「ははっ!」

 

「ご苦労さま」

 

 

俺が差し出した銀貨三枚を丁寧に受け取った彼は、うちの兄貴に手早く装備一式を渡して人混みに消えていった。

 

 

「なかなか鍛えていたようだ」

 

「そうなんですかね、冒険者っていうのはああいうものじゃないんですか?」

 

「冒険者も皆が皆ああいうふうに戦えるわけじゃない。普通の人間と変わらないのもいれば、魔法使い殺しだっているのさ」

 

「へぇー」

 

 

冒険者がピンからキリまでいるのはわかったが、実際冒険者と町民が戦えばさっきのような状況になる確率は高いだろう。

 

お祭りとはいえ冒険者に挑むような町人がそうそういるとは思えないが、一応注意喚起はさせるようにしよう。

 

それから一応ファサリナ先輩に回復魔法をかけて、俺とローラさんは活気溢れる準備会を後にしたのだった。

 

 

 

あっという間に時は経ち、いつの間にやら祭り当日の朝になった。

 

ローラさんは夕方から参加するそうで、俺は一人でシェンカー本部前へとやって来ていた。

 

超巨大造魔建造計画も止まってるし、俺ぐらいは朝から参加しとかないと悪いしな。

 

ちょうど現場ではステージやリング作りを行っているようで、性別年齢人種問わず、皆が力を合わせて最後の準備に取り掛かっていた。

 

普段ならこういう場でもシェンカーの身内だけで集まっているような連中も、ここ何日かの準備で仲良くなった人達と混ざって笑い合いながら過ごしているようだ。

 

ああいう光景はこれまで見たことがなかったかもしれない。

 

そうか……うちの奴隷たちがどれだけ街の人たちに必要とされて働いていようと、所詮は移り住んで数年の新参者ばかりだものな。

 

ほんとはもっともっと早い時期にこうやって半ば強制的に地域に混ざり込むイベントってのが必要だったのかも。

 

あるいは俺がジモティとしてもっと架け橋になってやるべきだったのかもな……

 

ま、次からは気をつけるとしよう。

 

シェンカー本部の入口横にでんと構えられた準備会の本部に顔を出すと、中には杯を片手にごきげんな下の兄貴のシシリキと、なぜいるのかわからないが上の兄貴のジェルスタンが陣取っていた。

 

 

「お、来たか~」

 

「座れ座れ、酒ならあるぞ」

 

「え、ていうかなんでジェル兄までいるの?」

 

「うちの商会もお金出してるお祭りだから、顔出しとけって言われて来たんだ」

 

「顔出せってのは弟と酒飲んでろってことじゃないと思うよ」

 

「そうなの? まあ後で親父も来ると思うしいいじゃない」

 

 

よくはないと思うが……

 

図らずもシェンカーの兄弟三人が勢揃いしてしまったな。

 

むさくるしいけど、特別仲の悪い兄弟ってわけじゃないからいいんだけどね。

 

実家にいた頃も、よく親父に「お前達兄弟は仲がいいことだけが取り柄だ」って言われてたし。

 

 

「あれ、そういやイスカは?」

 

「虎のおねーちゃんね」

 

「イスカは今最後の確認って言って色んなとこ回ってるよ」

 

「猫人族は色んな見た目の子がいていいよなぁ」

 

「シシ兄は手伝わなくていいのかよ」

 

「俺? 始まるまでお酒でも飲んでてくださいって言われちゃったよ~」

 

 

そう言いながらケタケタ笑う下の兄貴だが、まあ実務で必要とされてるわけでもないし別にいいのかもな。

 

それにしても、すげぇ酒瓶の数だな……いつからやってるんだ?

 

 

「兄貴達何時から飲んでんの?」

 

「昨日から前夜祭って言って手の空いたみんなで酒飲んでたからわかんない」

 

「おいおい、それでいいのかよ」

 

「だってどんどん差し入れが届くんだもん」

 

 

だもんじゃねぇよ。

 

 

「俺は朝からだぞ」

 

 

上の兄も何やら誇らしげにそう言うが、朝から酒のんで威張ってんじゃないよ。

 

これはさすがに俺まで酒飲んだら収拾がつかんな。

 

 

「俺ちょっとイスカのとこ行ってくる……」

 

 

と、テントからエスケープをかまそうとした瞬間、外から人が入ってきて中へと押し戻されてしまった。

 

入ってきたのは両手に酒瓶を持った、俺と同い年ぐらいの男だった。

 

 

「おはようございます! 西町の蹄鉄屋キシウなんですけど、これ差し入れでお酒……」

 

「キシウさんとこの丁稚さん! ささ! 入って入って!」

 

「乾杯しよう、乾杯!」

 

 

目を剥くような手際の良さで杯を用意する兄貴達には悪いが、俺は俺でやることがあるんだ。

 

うちの連中が働いてるわけだし、顔ぐらい出しとかないと……

 

 

「いや俺はちょっとイスカの……」

 

「サワディもほら、一杯だけ、な。せっかく差し入れを頂いたんだから」

 

「いやイスカ……」

 

 

テントから出ようとする俺の上着の裾をガッチリ掴んで放さない上の兄貴に、まあまあと引き戻される。

 

 

「あー、もう注いじゃった、こりゃ飲み干さないと失礼だ」

 

「……じゃあ、まぁ一杯だけ……」

 

 

どうにもシラフでは帰して貰えそうにない。

 

一杯だけなら、まぁいいか。

 

なんて思って椅子に座ると、その瞬間またテントに人が入ってきた。

 

 

「ちわー! 東町の布屋ベデルでーす! シシリキ、これ差し入れ! 酒! 酒!」

 

「おーベデルの跡取り! 入って入って! 今乾杯するとこだから!」

 

「あれ!? なんかいっぱい人いるなぁ、もう始まってたのか? 差し入れに酒買ってきたんだけど飲む?」

 

「マクシミリアン! 来てくれたのか! こっち座れ!」

 

 

なんだかんだと逃げ遅れているうちにあっという間に収拾はつかなくなり、差し入れを持ってくる人の流れは止まることがなく……

 

結局お祭り開始の時間まで、兄貴達とその友人達と楽しく飲んでしまった俺なのだった……

 



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第84話 人と人 繋ぐ祭りと 馬鹿兄貴 後編

三分割したのにめちゃくちゃ長くなってしまいました。

次からはもっとコンパクトに纏めます。

『異世界で 上前はねて 行きていく』 第2巻、5月30日ごろ発売です。


朝っぱらから俺たちが酒盛りしている間に、いつの間にやらシェンカー通りには祭り見物の人達が押し寄せてきていたようだ。

 

まだ音楽も鳴り始めていないのに、もう酒を飲み始めているおじさん達もいる。

 

トルキイバの人達がよっぽど娯楽に飢えていたのか、兄貴達の宣伝が上手く行き過ぎたのか、微妙なところだ。

 

イスカが下の兄貴を挨拶をさせるために連れに来て、ついでとばかりに俺と上の兄貴まで連れ出されて本部前のお立ち台の上に兄弟三人で並ばされてしまった。

 

いらないだろ、上の兄貴と俺はさぁ。

 

 

「いよっ! 三兄弟!」

 

「もうサワディちゃんは学校出たのかねぇ?」

 

「婆ちゃん、サワディは貴族の学者様になったんだよ」

 

「こないだまでこんなに小さかったろ、番頭の兄ちゃんに尻叩かれて泣いてたじゃないか」

 

「そりゃもう十年も前だよ」

 

 

兄貴が呼んできたのか、目の前に実家のご近所の人や身内が沢山いてやりづらいな……

 

だが下の兄貴はそんなことは何も気にならないようで、いつもの笑顔で放送用造魔のマイク部分を握って元気に挨拶をし始めた。

 

 

『皆さん! おはようございま~す! 本日は晴天に恵まれまして、大変なお祭り日和となりました! 歴史の浅い祭りですが、ぜひぜひ楽しんでお帰りください! それでは……乾杯ーっ!』

 

 

おおーっ! と朝から集まっていた飲んだくれボーイズから返事が返る。

 

いやまだ朝だぞ、乾杯はだめだろ。

 

内容はともかく、兄貴の挨拶終わりに合わせて楽隊の音楽が始まり、露天の店員たちの呼び込みの声が通り中に響き始めた。

 

二棟だけ完成している五階建てのマンションの上のほうからも客引きの声が聞こえてくる。

 

魔導学園の本棟よりも少しだけ低いこの建物は、トルキイバのどこにいても見える新たなランドマークとして親しまれている……そうだ。

 

こんな四角くて灰色なだけの建物がランドマークになるのかは疑問だが、まあこの世界では背が高いってだけで珍しく見えるんだろう。

 

そしてそんなマンションの中で、なにやら部屋を開放して店にしている奴がいるらしい。

 

外側に垂れ幕が出され、マンションの前にも客引きが出てきた。

 

なになに? 『北方絶品家庭料理』だと? 想像もつかんぞ、なんだそりゃ。

 

芋でもふかして出すのか?

 

まあ、商魂たくましいのはいいことなんだけどね……

 

そんなことを考えていたら、お立ち台の前の人達をかきわけるようにして、見知った顔の女性が近づいてきた。

 

眉間の皺、どことなく番頭に似た顔立ち。

 

店の奥から表へでもスッと通る、めちゃくちゃにでかい声。

 

上の兄貴の嫁さん、番頭の娘のライザ義姉さんだった。

 

 

「あんたっ! いつまでこっちにいるつもりだい? 祭りの間も店は開いてんだよ!」

 

 

うちの兄貴を知らない人がこれを聞いたら鬼嫁だと思うかもな。

 

ただ、本当にうちの兄貴がどうしようもないだけで、義姉さんはいい人なんだよ。

 

 

「あっ、嫁さんだ……」

 

「ライザ義姉さんおひさしぶり」

 

「サワディくん、この人余計なことしなかった?」

 

「はは、なんにも」

 

「帰るよ!」

 

 

お祭りは始まったばかりだというのに、上の兄貴は早々に義姉さんに連れて帰られてしまい、シェンカー三兄弟はあっという間に解散となってしまった。

 

まぁ三人揃っても何か特殊効果があるってわけでもないんだけどさ。

 

歳食って別々に住むようになると、兄弟が集まるのにもなかなか苦労するようになるから……ちょっとだけ寂しい気持ちになったかな。

 

 

「あ、じゃあ俺本部にいるから。今日は楽しんでな!」

 

「うん、兄貴も頑張って」

 

 

上の兄貴に続いて下の兄貴も行ってしまい、なんとなく手持ち無沙汰になってしまった。

 

とりあえずなんか食うか、探してる間に誰か知り合いにも出会うだろ。

 

バンジョーっぽい楽器とギターと、色んな金物を貼り付けた鉄製の洗濯板をポコポコ叩くパーカッションのバンドが、楽隊に負けじと明るい曲を演奏するのを聴きながら、早くも大混雑となった祭りの中を歩いていく。

 

大道芸人がナイフでジャグリングをするのに小銭を投げ、地べたに敷いた布の上でアクセサリーを売る無認可商店を冷やかした。

 

屋台と屋台の間で吟遊詩人がギターを弾きながら西方戦線のジリつきを伝えるのを聞いていると、見物人が何やらうまそうなものにかぶりついていることに気づいた、あれはなんだろうか。

 

どうも、すぐ側にある屋台で売っているクレープのようだ。

 

こぼれそうなぐらい具沢山で、黄色い卵と茶色い具のコントラストも美しく、どうにも美味しそうに見える。

 

よし、俺もあれにしよう。

 

そうして意気揚々と小銭を用意しながらクレープの屋台に近づいたところで、ようやく顔見知りに出会うことができた。

 

 

「あ、ジレン」

 

「あ、ご主人さま、おはようございます」

 

 

咥え煙草で歩いてきたのは、シェンカー一家の管理職で黒髪の苦労人、ジレンだった。

 

慌てて煙草を消そうとする彼女に、別にいいよと手を振る。

 

せっかくの祭りなんだ、仕事中でもなきゃ酒と煙草ぐらい存分に楽しんでくれよ。

 

 

「今からクレープ食べるんだけど、ジレンもどう?」

 

「あ、すいません……」

 

 

クレープ屋の親父に二人分金を払い、待ちながらあれやこれやと世間話をする。

 

彼女が売られてきてからこれまで、暇そうにしているところは見たことがないが……最近は特に多忙なようで、こうして顔を合わせたのも久しぶりのことだった。

 

 

「へぇ、今食肉の品質管理やってんだ」

 

「ええ、今月一杯なんですけど、チキンさんがお前は今の所シェンカーの二番手なんだから何でもできるようになって損はないって言って……」

 

「そりゃあチキンの言い分ではそうだろうけどさ、しんどいなら俺から言ってあげようか?」

 

「いえ……それは大丈夫です。今、稼ぎ時だと思ってますんで」

 

「あ……そ」

 

 

やる気満々でそう言う彼女の目は、かつてのチキンと同じようにメラメラと野望に燃えていた。

 

チキンは着道楽だったが、ジレンは稼いだ金を一体何に使うんだろうか。

 

男かな?

 

まあ、何に使ったって自分で稼いで自分で使ってる分にゃ健全か。

 

 

「はいお待ち、熱いから気をつけてね」

 

「あ、ども」

 

「いただきます」

 

 

店の親父から受け取った甘辛タレの肉を巻いたクレープは、なんだか焼きすぎのような気がしたが……まあ祭りの屋台だしな、こんなもんだろ。

 

さっさと片付けて、本部に行くというジレンと別れてまた歩きだす。

 

菓子の屋台の前に列を作る晴れ着の女の子たちが騒いでいるのを横目に通り過ぎ、陽が当たらなくてちょっと寒いマンションの影の部分を足早に抜ける。

 

身を寄せ合うように沢山の屋台が立っている場所で、なんだか不景気そうな顔の鳥人族が店番をやっているうちのタコ焼きの屋台に寄ってタコ焼きを貰った。

 

これは俺が食べるためじゃなくて、ボクシング大会の受付をやっている診療所の面子への差し入れだ。

 

ボクシングだからな、一応ドクターは必要だろ。

 

他にも子供が転んで擦りむいたりするかもしれんしな、ボクシングの受付あたりが休憩所兼治療所ということになっているのだった。

 

 

「おつかれー、これ差し入れ」

 

「あ、ご主人さま、お疲れさまです」

 

「お疲れさまです」

 

「たこやき」

 

 

元闇医者のオッサンは何やらどこかへ行っているらしい。

 

ここにいるのは見習いの女の子達だけだった。

 

 

「参加者どう?」

 

「結構来てますよ~、やっぱり賞品がいいからですかね」

 

「さっきから女の子が彼氏連れてきたり、娘さんがお父さんを連れてきたりしてますよ」

 

「きた」

 

「どうしても店に置きたいっていうお店屋さんのおじさんも参加してて、商品としての販売はないのかって問い合わせも多いですね」

 

「へぇ~」

 

 

ちらりと受付の方を見ると、俺が用意した商品の前には結構な人だかりができていた。

 

人々の目線の先には、人の頭ほどもある大きな卵型の物体があり、それからは明るく楽しげな音楽が流れていた。

 

あれは、いわゆる造魔製のオルゴールみたいなものだ。

 

録音された曲をずっと再生し続けるという無限造魔で、実験で作ってずっと家にほったらかしにしていたものを掘り出してもってきたものだ。

 

元々造魔の大きな役割の一つとして、鳥型造魔にメッセージを吹き込んで伝令に使うというものがあったが、あれはその機能をちょこっと強力にして半永久的に動くようにしただけのもの。

 

王都でも商取引や諜報などに使えないかと一瞬だけ話題になったらしいが、コスト面でも使い勝手でも既存の方法に勝てず、多分今頃は忘れられているだろう。

 

せめて録音の書き換えができればな。

 

だが、そんなものでも町の人達にとってはよっぽどの貴重品に見えたらしい。

 

賞品の前では様々な人間ドラマが繰り広げられていた。

 

 

「素敵ねぇ、こんなのが家にあれば……ねぇ?」

 

「はは、こんど僕がもっと素敵な歌を歌ってあげるよ」

 

「これがいいなぁ……」

 

「わかった、誕生日には歌劇に連れて行くからさ、ね?」

 

「出てよ」

 

「見て、あの高い建物、灰色だね。君の瞳の色のよう」

 

「出ろよ」

 

「空が綺麗だ、青色だね。君の下着の色のよう」

 

 

と若い女の子に賞品を強請られているヒョロガリ青年が、必死に目を逸らしながらそんなことを言って平手打ちを食らっていたり……

 

 

「この曲、母ちゃんが好きだったなぁ、酒場で流しが演るといつも元気に踊りだしてさぁ……墓参りで聞かせてやりてぇよ」

 

「父ちゃん」

 

「ねぇ~とうちゃ~」

 

「父ちゃん持病でな、激しい運動はするなって……お医者さんから……」

 

「父ちゃんの病気って水虫だろ!」

 

「とうちゃ~」

 

「いてぇいてぇいてぇ! 父ちゃん水虫が痛くて一歩も歩けねぇ! いてててて!」

 

 

と連れてきた兄弟に強請られた父親が一芝居打って転げ回り、そのまま息子たちに足蹴にされていたり……

 

 

「ねぇあんた、ちょいと優勝してさぁ、これあたしにおくれよ。もう結婚して何年だい?」

 

「えぇ……殴り合いなんてできねぇよ、母ちゃんにだって勝てないのに」

 

「人聞きの悪いこと言ってんじゃないよ! あんたが特別意気地なしなんだろ!」

 

「いっ! そのパンチで母ちゃんが出りゃいいだろ!」

 

 

と、夫婦喧嘩が勃発していたり、色々大変なようだ。

 

とはいえ参加を渋っている男ばかりではないようで、やる気満々の顔で腕まくりをしている者もいる。

 

冒険者ばかりかと思っていたけど、意外と普通の町の人の参加も多くなりそうだな。

 

そんなボクシング大会受付所に、人々の群れを割るようにして一人の女が現れた。

 

腰にサーベル、両手に食い物、鋭い眼光全てを睨めつけ、咥えポテトの鱗付き。

 

冒険者クラン『マジカル・シェンカー・グループ』の頭目、メンチだった。

 

 

「私も出るぞ。オピカ、申請しておけ」

 

 

両手が食べ物で塞がったメンチは、ペンを取ろうともせず受付の山羊人族のオピカに申込みを任せて不敵に笑った。

 

横着すんなよ……

 

 

「やべぇ、メンチさんが出るなら勝ち目ねぇぞ……」

 

「なんかお腹痛い気がする、たぶんお腹痛い、お腹痛い」

 

 

どうやらメンチの登場によって出場を取りやめそうな人間も何人かいたようだ。

 

まぁ勝ち目がないってのはわかっちゃうよな。

 

俺だってメンチと殴り合いなんて勝てる気がしないもの。

 

こういうのって前世じゃどうしてたんだか……

 

あ、そっか、階級制か……すっかり失念していた、次があれば導入することにしよう。

 

そんなことをぼーっと考えていたら、俺に気づいたメンチが近くに寄ってきた。

 

 

「ご主人様、おはようございます」

 

「ああ、おはよう」

 

 

魔法でも使ったんだろうか、彼女の両腕一杯にあったはずの屋台の食べ物は、すでに片手で抱えられるほどに減っていた。

 

 

「ボクシング出てくれるんだって? ありがたいよ」

 

「とんでもございません、シェンカー家の催事でシェンカーの者が威を示すのは当然のこと。あの魔法楽隊は必ず手に入れてシェンカー本部の食堂に設置してみせます」

 

「魔法楽隊? 別にあんなもん欲しけりゃ作ってやるけど……」

 

「いえ、勝って手に入れることに意味があるのです。どうぞ本番は安心してご家族とご覧ください、必ずや勝利を飾ってみせます」

 

 

左手でグッと力こぶを作り、右手でドンと胸を叩くメンチ。

 

こいつ、今の会話の隙間で一瞬で抱えていた食べ物を食い尽くしやがった……

 

人と喋ってる間に飯食うのもアレだけど、その早食いもどうかと思うよ。

 

 

「じゃあまあ、気楽にね、別に負けてもいいから」

 

「はっ!」

 

 

真剣な顔で踵を返し、そのまま近くのチーズ焼きそばの屋台に向かう彼女を見送り、俺は一応祭事を見ておこうかとモグラ神殿の方へと向かったのだった。

 

一応これはモグラの神様を祀るお祭りだしな、本来はこうしてバカ騒ぎするのが目的じゃあないのだ。

 

 

 

神殿とは名ばかりの小さなお社に近いそこでは、綺麗に着飾らされたモグラの神の加護を持つケンタウロス、ピクルスがムニャムニャと祝詞を唱えていた。

 

傍らにはこちらも着飾り神妙な顔をした鳥人族のボンゴが侍り、祝詞に合わせて小さな鐘をチンチンと叩いている。

 

いつの間にか冒険者御用達の神殿になっていたからだろうか、由縁なきむさくるしい冒険者らしき集団もピクルスの後ろで手を合わせていた。

 

 

「ダンジョンで死にませんように……」

 

「嫁嫁嫁嫁……」

 

「エラフさんとうまくいきますように……」

 

 

煩悩ダダ漏れの願いもあるが、叶うといいな。

 

神の実在するこっちの世界でも、神様が人間のお願いを叶えてくれるなんてことは実際一切ないらしいが……

 

それでも、人は神に祈ることをやめない。

 

良くも悪くも世の中は理不尽だらけ、何でもかんでも自分の責任だと思うとやりきれないのだ。

 

たとえ何もしてくれないとしても、物事を神様のせい(・・)にできるというだけで役には立っているのだろう。

 

一応……俺も祈っておこう、家族の健康をな。

 

手を合わせた俺に気づいたのか、ボンゴがパタパタと羽を振ってきた。

 

それでも鐘の音は一定のリズムを保ったままだ。

 

俺はボンゴにゆっくりと頷きを返し、神殿の前の賽銭箱に小銭を投じてその場を離れる。

 

ピクルスは割とあがり症だから、俺が見てるのを知ったら祝詞を忘れてしまうかもしれないしな。

 

 

 

その後はリナリナ義姉さん監修の、ほんのり醤油味がするふるまいのポトフを食べ。

 

下の兄貴や遊びに来た親父と一緒に、通りの真ん中に組まれたステージの前で様々な催し物を楽しんだ。

 

兄貴の友人団体による歌や踊り、町の有志による楽団の演奏や演劇、変わったところではものまね士による町の有名人の物真似なんてのもあった。

 

だが、そういう楽しい時間というものはあっという間で、気づけばもう時は夕方。

 

うちの嫁さんと双子の赤ちゃんもやってきて、俺達はVIP席とは名ばかりのシェンカー本部の二階へと移動していた。

 

さすがにお祭りの人混みの中にいたんじゃあ双子の世話にも困るしね。

 

一応ステージもよく見える場所だから、人の殴り合いが見たいローラさんも大満足だろう。

 

双子をあやしながら上から見ていると、イスカの指示であっという間にリングが作られ、ライトが焚かれ……

 

本日のメインイベントであるボクシングの準備が整った。

 

 

『お集まりの紳士淑女の諸君! おとっつぁんにおっかさん! 心臓の弱い方は見ないでちょうだい! ここからは……野蛮人の時間だぁーっ!!』

 

 

うちのお祭り好き筆頭、魚人族のロースのアナウンスがシェンカー通りに張り巡らされた放送用造魔から響き……

 

魔法の力で増幅されたその声に負けない音量で、リング周りに陣取った観客たちの歓声が返される。

 

まだ選手も登場していないのに、場の盛り上がりは十分以上だ。

 

 

「うおーっ!」

 

「待ってたぞー!」

 

「やれーっ! ぶちのめせーっ!」

 

「メンチさーん! 今月の家賃賭けましたからーっ!」

 

「お父ちゃーん! 頑張ってー!」

 

 

真っ白いドレスシャツに絹の黒ベストをかっこよく着こなしたロースは耳の後ろに手を当て、ニヤニヤ頷きながら観客席をぐるっと見回した。

 

 

『それじゃあ、さっそく選手の顔見せをしましょうか!』

 

「おーっ!」

 

「プテンー! 気持ちだけ賭けたからー!」

 

『詳しい説明はそいつが一回勝ってから! まずは全員出てこーい!』

 

「おおーっ!」

 

「道開けろーっ!」

 

『全選手! 入場ッッッ!!』

 

 

うおーっ!という雄叫びとともに四方八方から集まってきた力自慢たちがリングの上にどんどん登り、あっという間にロープの内側は屈強な男女のパラダイスになってしまった。

 

 

『本日奉納試合を行う勇者達に! 盛大な拍手を!!』

 

 

声援と口笛と拍手が渾然とした騒音となって通りを満たし、うちの息子のノアがぴぃぴぃと泣き始めた。

 

反対にノアの妹のラクスはまるで動じず、平気な顔でおしゃぶりを握りしめている。

 

ま、まぁ、女は強いって言うしね……

 

 

「おおよしよし、ノアはラクスよりも耳がいいのかもしれないね」

 

 

ローラさんはなんでもいいように言うなぁ、見習おう。

 

 

『よーし! やるぞー! 第一戦の選手以外は舞台から降りてくれ!』

 

 

実況の言葉に、波が引くように選手たちがリングから降りていく。

 

冒険者が多いからだろうか、なんか統率が取れてるなぁ。

 

 

『第一試合! 東町のポール対中町のクリスゥー!』

 

 

人数が多いから巻き進行なんだろう、選手同士の握手もなしにカーンとゴングが鳴らされ、いきなり殴り合いが始まった。

 

 

「おっ、始まったぞ」

 

 

ローラさんが楽しそうにそう言うのに、双子が「あぶ」とか「たぁ」とか相槌を打つ。

 

ご飯の後なのでいつおねむになってしまってもおかしくないが、今のところは楽しそうにもぞもぞ体を動かしているようだ。

 

 

「町民同士ですから、泥仕合になって長引くかもしれませんね」

 

「そうだなぁ……」

 

 

なんて話をしながら見ていた試合は、あっという間に決着がついた。

 

ガードをミスって髭のおっさんにボディを食らわされた髭のおっさんが、のたうち回っている間にスリーカウントが過ぎたのだ。

 

あれ、これカウント短いな。

 

もしかしてボクシングってテンカウントだったのかな?

 

まあ、もしそうだったとしても後の祭りだ……来年来年。

 

試合はほとんど当てたもの勝ちの様相を呈し、割とサクサク進んでいった。

 

 

『冒険者プテン対西町のヨハンー!』

 

 

うちの猪人族プテンのストレートを顔面に食らった兄ちゃんがぶっ倒れて負け。

 

 

『冒険者アグニ対冒険者リシウー!』

 

 

おっさんとおっさんがほぼクロスカウンター状態で同時に沈み、おっさんが立った。

 

正直どっちがどっちだかわかんないよ。

 

そんな三試合目が終わったあたりで元々あんまり殴り合いに興味がない俺は早々に飽きてしまい、双子をあやしていたのだが……

 

ローラさんだけは、いつまでも興味深そうにボクシングを鑑賞していたのだった。

 

頼むから来年は自分が出るとか言わないでくれよ。

 

 

 

『さあ全員の一試合目が終わり、これから勝負の二試合目、ここからは各選手の紹介も入ります!』

 

 

パッとリングの近くの机に照明が焚かれ、そこに座っているうちの兄貴と本部の近所に住むおばちゃんの姿が照らし出された。

 

 

『紹介、解説はシェンカー商会手代のシシリキ氏と、中町のご意見番であるシェリーさんにしていただきます!』

 

「シシっちー!」

 

「シェリーッ! 決まってるよー!」

 

 

二人は通り中から降り注ぐ歓声に手を振って応えた。

 

なんだかイマイチ乗り切れてない自分が悔しいぐらい、会場は凄い盛り上がりを見せている。

 

みんな多かれ少なかれ金も賭けてるし、見知った人達だろうしな、そりゃ盛り上がるか。

 

 

『それでは選手の入場です! 冒険者! アテザノーッ!』

 

 

猫人族の俊敏な冒険者が、リングのロープを飛び越えるような高いジャンプで入場した。

 

四方八方に投げキッスを送り、ファンサービスもバッチリだ。

 

そんなアテザノに、うちの兄貴とシェリーさんが紹介を加える。

 

 

『えー、アテザノ氏はよく西町で飲んでますね、意外と酒には弱いです』

 

『アテザノちゃんは子供の頃は魔法使いになりたかったみたいでねぇ、棒切れの杖を振り回して自分で考えた呪文を叫んでたって話よ』

 

「あーっ!」

 

 

かわいそうに、子供の頃の恥ずかしい思い出を暴露されたアテザノは悲鳴のような叫びを発し真っ赤な顔をして蹲ってしまった。

 

ああいう暴露を平気でするおばさんを連れてくるなよ、なんてむごい人選なんだ……

 

 

『もう一人の選手が入場だーっ! 中町のウィンザムーッ!』

 

 

こちらは一般人のようだ、中年のウィンザムはゆっくりとリングに上がると、鍛え上げられて陰影がバキっと出た筋肉に力を入れ、周りのお客さんたちに見せびらかした。

 

一部の女子と一部の男子からは嬌声が上がっているようだが、なんともむさ苦しい光景だ。

 

 

『チーズ蒸しパンがおいしいパン屋の旦那さんですね、酒場にはあんまり来ません』

 

『動物と話すときだけ赤ちゃん言葉になるのよあの子、かわいいわよ』

 

 

ウィンザムさんは声を上げることもなく蹲ってしまった。

 

シェリーさんの言葉はダメージが高すぎる上に、井戸端会議の名主みたいな人だから弾数も凄い。

 

もう手に負えないぞ。

 

選手がどんな傷を心に負ったとしても、連れてきたやつのせいだからな。

 

 

『両者立って……はいっ! 立って立って! 試合開始!』

 

 

カーンとゴングが鳴り、アテザノがヤケクソ気味に飛び出した。

 

足で掻き回すように、前に後ろにヒットアンドアウェイをかます。

 

だがウィンザムさんも余裕でさばき、全てをガードしながらじわじわと相手をロープ際に追い詰めていく……

 

そして行き場を失ったアテザノに、重たいボディーブローを何発か叩き込んで勝利をもぎ取った。

 

暴力のプロである冒険者に普通に勝ってしまった町人の姿に、観客たちもわっと沸き上がる。

 

 

「あれはよく鍛えているね」

 

「おじさんの方ですか?」

 

「うん。仕事だけではああはならんだろう、意図的に鍛錬を積んでいる体だよ」

 

 

筋トレマニアってとこなのかな、ガードは上手かったけど、別にパンチが特別鋭いってわけじゃなかったし。

 

しかし、やっぱり……

 

 

「今日、ローラさんに解説頼めばよかったですね」

 

「まあ、あの解説もいいんじゃないかな」

 

 

そう言って、ローラさんはラクスの背中を撫でながらなんとも楽しそうに笑うのだった。

 

 

 

その後も試合はどんどん進み、始まった時は夕焼けで真っ赤だった空も今やすっかり真っ暗。

 

気がつけばもう次が決勝戦だ。

 

スリーカウント制が良かったのかどうかは知らないが、今の所歩けなくなるような怪我人も出ていない。

 

とりあえずは問題がなさそうで安心したよ。

 

心を抉られてしばらく表を歩けなくなった奴は何人かいそうだけどな。

 

 

『決勝ー! 西町のマリオン対冒険者メンチーッ!!』

 

 

観客席は沸きに沸いていたが、同時に困惑に包まれてもいた。

 

メンチの相手のマリオンが、完全にダークホースだったためだ。

 

 

『選手入場! 西町! マリオン選手!』

 

 

ロースの声と共にゆっくりとリングに上ってきた男に、いつでも笑顔がモットーのうちの兄貴が、珍しく困ったような顔で解説を加え始めた。

 

 

『えー、何も情報を提供できなかった前の試合からこれまでの間、情報を集めていましたが、マリオン氏は西町の木工所の一員とのことで~、お酒は飲まないそうです』

 

 

いつもふてぶてしい顔のシェリーさんも、なんともいえない表情をしながら話す。

 

 

『私も一応ご近所の奥さん方に聞いてみたわ、なんでもこの大会に優勝して奥さんに商品をプレゼントしたいんですって。愛妻家なのね』

 

 

ダークホースすぎて下手な情報屋よりも情報通の二人が一切情報を持っていなかったぐらいだからな。

 

立派な髭と輝く笑顔がトレードマークと言えばトレードマークだが、どちらかといえば地味なおじさんだ。

 

前試合であっけなく負けたプテンが「こんな地味な男に!」と悔しそうにしていた。

 

 

『それでは、ご本人に意気込みを聞いてみましょう!』

 

 

ロースがそう言ってマイクを向けると、マリオンはキョドりながら「が、がんばります……」とだけ言った。

 

今日の賞品は、ああいう人でも欲しくなるものだったってことか?

 

商品化したら……いや、うちで俺以外が作れないようなもの売ってもしょうがないか。

 

 

『次ーっ! 冒険者! メンチの入場だーっ!』

 

 

元気いっぱいのロースの呼び声に、鱗を隠すためにタートルネックの長袖を着込んだメンチが、気合入りまくりの怖い顔でリングへと躍り上がった。

 

さっき双子がおねむになったとこでよかったよ、あの顔見たら絶対泣いてたぞ。

 

 

『えー、中町の羊蹄辻の酒場によく出没するそうです。意外と噂話が好きで、壁新聞を見かけたら読まずにはいられないのだとか』

 

『彼女、お見合いのために変装して男ウケがいい一張羅を買いに行ったことがあるそうよ』

 

 

意味があるようで特に意味がない二人の解説も終わり、ロースはメンチにもマイクを向ける。

 

 

『メンチ、意気込みは?』

 

 

メンチはそのマイクをガッと力強く握り、そのまま噛みつかんばかりの勢いで喋り始めた。

 

 

『今日は私の主家であるスレイラ家の方々が観覧に来られている! この一戦、シェンカーの意気地を示すに相応しいものである! 若様、姫様! このメンチの勇姿をとくとご覧あれ!』

 

『長い』

 

 

ごめんメンチ、若様と姫様、今爆睡してるわ。

 

 

『それでは、決勝戦、いくぞ~! 試合……開始!!』

 

 

カーンとゴングが鳴り、メンチとマリオンは鋭い視線で睨み合う。

 

地球じゃあ素人の喧嘩ぐらいでしか見ることができない超原始のボクシングだ、全てが大振り、いつでも全力、蹴りと投げが使えないだけの単なる喧嘩だ。

 

ピュアといえば聞こえはいいが、マッチ一つではとても観客は呼べない、雑味の大きい競技に仕上がったことは間違いないだろう。

 

だが、その中で、たった一人だけ別次元の戦いをしている者がいた。

 

 

『おおっとぉ! マリオン選手! さきほどの試合と同じように、避ける! 避ける! 避ける!』

 

 

風切り音の聞こえてきそうなメンチのパンチを、マリオンはギリギリで避け続ける。

 

ちょっと腹も出かかっているような中年の男が、リングの上を華麗に舞っていた。

 

腹をねじり、顔を傾け、上体を反らし、グローブをつけてなお死の危険をはらむ魔弾をかわしながら、必死に機をうかがっている。

 

もし蹴りが使えれば、棒の一本でもあれば、彼は簡単にやっつけられていただろう。

 

ただ、このゲームの拳二つだけ(・・・・・)という制約が、彼を竜に抗う獣へと変えていた。

 

リズムが読めてきたのか、マリオンの反撃の拳がメンチの腹に突き刺さるように入る。

 

 

「うおおおおおおおっ!」

 

「いけええええっ!」

 

 

歓声に応えるように、マリオンはメンチのパンチをかわしながら的確な反撃を加え続ける。

 

 

「マリオン!」

 

「マーリオン!」

 

「おっさん! 頑張れーっ!」

 

 

明らかな強者であるメンチの苦戦に俄然会場はヒートアップするが、戦況は全く動かない。

 

マリオンのパンチが効いていないのだ。

 

全身に鱗を持つ鱗人族は裸でいたって甲冑を着込んでいるようなもの。

 

たとえ何発腹や顔を殴られようとも、倒れ込むようなダメージを負うことはまずない。

 

だというのに、その腕力から繰り出されるパンチはまさに一撃必殺。

 

国によっては小竜人とも呼ばれる彼らだ、元より素手の一対一で倒せる相手ではないのだ。

 

どれだけ才能を開花させようと、マリオンの勝利は絶望的であるように思われた。

 

だが、リングの上には可能性があった。

 

魔物一匹殺したことのないような親父でも……見事それを成し遂げてスターになれるという奇跡が、スポーツの舞台には眠っていたのだ。

 

 

「あなたーっ! 頑張ってーっ!」

 

 

どこからか女性の声が飛んだと思った次の瞬間には、メンチの顎に電光石火の右フックが入っていた。

 

動きの起こりが全く見えない、幽霊のようなフックだった。

 

そのまま同じ速さの左ストレートが同じ場所に入り、メンチはマリオンに覆いかぶさるように膝から崩れ落ちて地面に横たわった。

 

 

『さん! に! いち!』

 

 

カウントの間、会場の誰もが声を上げなかった。

 

 

『おいマジか! すげーっ! 鱗人族に! メンチに! 素手で勝っちまった! マリオンの! 西町のマリオンの優勝だーっ!』

 

 

ロースがそうわめいた瞬間、どっ!と圧を伴うぐらいの歓声が通りを駆け抜けた。

 

ロースがマリオンの手を持って何かを言っているようだが、それも聞こえない。

 

爆弾でも爆発したかのような、観客の感情の爆発が建物まで揺らしているようだった。

 

 

「マーリーオン! マーリーオン!」

 

「感動したー!」

 

「メンチの姉御ー! 大丈夫かーっ!」

 

 

まさに劇的な勝利といえるだろう。

 

マリオンは一夜にして、この中町の英雄となったのだ。

 

まさか俺もメンチが負けるとは思っていなかったから本気でびっくりした。

 

ああいう人もいるんだなぁ。

 

 

「君、気づいたか? あの男、メンチが崩れ落ちて倒れるまでに顎に四発入れたぞ」

 

「えっ、全然気づきませんでした」

 

「普通の人間の動きにしては速すぎるよ、多分加護持ちだ」

 

「えー、なんの加護ですかね?」

 

「さぁね」

 

 

カンガルーか何かだろうか?

 

急な大声にびっくりして泣き始めた双子をあやしながら、俺はかつての世界の有袋類の姿をぼんやりと思い出していた。

 

 

 

 

 

兄貴の思いつきから始まった二度目のモグラ祭りだったが、参加したみんなが口を揃えて「やって良かった」と言う、いいお祭りになった。

 

特に喜んでいるのはシェンカー一家の最近買われてきた新入り達で、町の人達からの見る目がちょっと変わったのだそうだ。

 

やはりうちの奴隷たちはどこまで行こうと買われてきたよそ者だからな。

 

常に多少の居心地の悪さは感じていたんだろう。

 

普段から関わりのある人達ならともかく、それ以外の人からすればシェンカー一家自体、貴族に成り上がったボンボンが金にあかせて好き放題やっている黒船みたいなもんだ。

 

そこがやったお祭りに、兄貴のツテで色んな店が出資してくれたことで多少の信用獲得に役立ったんじゃないだろうか。

 

しょうがないよな、トルキイバって豊かだけどド田舎なんだもん。

 

麦の産地っつったって、ここらの麦はだいたい王都行きだから交易の要点ってわけでもない。

 

基本的にあんまりオープンな土地柄じゃないんだよね。

 

今後も従業員のためにも、イベント事があれば積極的に金と人を出すことにしよう。

 

普通の人間は経済で無敵でも、街の人の反感を買えば死に直結しかねないって世界だしな。

 

くわばらくわばら、人付き合いは大変だ。

 

部屋の窓を開けると、家の前の道を子供達が走っていくのが見える。

 

 

「俺マーリオーン!」

 

「パンチパンチ!」

 

「このメンチの勇姿を……」

 

「だからアブタちゃんは鱗は鱗でもお魚でしょ!」

 

「いーじゃん別に!」

 

 

子供は何でもすぐに真似するなぁ。

 

拳を突き出して走り去っていく子どもたちを見送り、だんだん茜色に染まっていく空をゆっくりと眺めていた。

 

風がひゅっと吹き込むが、襟を寄せるほどの寒さじゃない。

 

最近、寒い中にも時々暖かい日が混じるようになった。

 

トルキイバに、春が少しづつ近づいて来ていた。

 



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第85話 まとめ役 できることなら 避けたいな

異世界で 上前はねて 生きていく 第2巻
無事発売しました!

https://twitter.com/Kishiwakamamizu/status/1264139146173353984?s=19


雪の積もらないトルキイバの冬はもう終わりかけで、通りを歩く人々の服装もいくぶん薄着になったように感じる今日このごろ。

 

シェンカー劇場完成に向けて、私達演劇班の練習はこれまで以上に熱が入っていた。

 

 

「するってぇと~何かい~♪」

 

「お前さん~♪」

 

「あの~ハンバーガーが怖いってのかい~♪」

 

「ああ~♪ おっかないねぇ~♪」

 

 

ご主人さまの連れてきた音楽家達が張り切りすぎて劇が歌劇になってしまったのだけれど……ま、別にいいでしょ。

 

だいたい古典やメジアス作品並に権威がある劇なら問題もあるだろうけど、うちの劇団がやるのはご主人さまの書いたいつもの宣伝劇だもの。

 

せっかく立派な劇場を作るんだから、私はもう少し格調高い劇がいいと言ったのだけれど。

 

みんなが最初はご主人さまの書いた本でやりたいって言うんだからしょうがないわよね。

 

劇団長だなんて言っても、なんの力もないのよ。

 

きっと文句を言われるためだけの役職なんだわ……

 

 

「シィロ団長! 来週にはサワディ様(パトロン)の観覧があるっちゅうのにこんな出来でいいんかい?」

 

 

怖い顔をして私にそう言うのは、劇伴の楽団の長、ゼペさん。

 

仕事熱心なんだけど、熱すぎるというか、音楽以外に興味がないというか……

 

とにかく、ちょっとやりにくい人なのよね。

 

 

「こんな出来……と申しますと」

 

「みんな根本的に声が出とらん、音程も甘い」

 

「仕方ないじゃないですか、彼女たち、歌劇は初めてですのよ」

 

「クガトガ劇場の主役を張ってたっていうあんたの指導で、もそっとなんとかならんか?」

 

「ゼペさん、クバトア(・・・・)ですわ、クバトア劇場」

 

「おお! すまん! とにかく、もう時間がないんじゃ、もっと発破をかけてくれぃ!」

 

「と言いましても、劇団員もこちら専従の子ばかりではありませんので」

 

「かーっ! サワディ様もそこの所が今少しわかっとらん!」

 

 

うちの劇団なんてまだ一ディルのお金も稼いでいないのに、これだけやらせてくれるご主人様は十分ものわかり(・・・・・)が良い方だと思うのだけれど……

 

ま、芸術家様にはわかんないわよね。

 

肩を怒らせて楽団の元へ戻っていくゼペさんを見送ると、ほ、と小さく溜息が出た。

 

 

 

 

 

うちの劇団の練習場の立地は大通りに近いので、私達は練習帰りによくアストロバックスやどうぶつ喫茶を利用する。

 

もちろん普通のお店でもいいんだけど、やっぱりシェンカーのお店だと社割りが利くのが大きい。

 

団の結束を高めるには普段からの細やかな交流が必要だし、こういう場で団員の人となりを知っておかないと揉め事があった時に対応できないもの。

 

あぁ、やっぱり団長って大変。

 

練習だけしていれば良かった役者時代は本当に気楽だったわ。

 

 

「それでですね、その友達、彼氏に魔剣をねだられてるらしくて……」

 

「まあ、魔剣。でもあれって使える人が限られるんじゃなかったかしら?」

 

「そうなんですけどねぇ、その男が俺は特別な血を引いてるなんて言ってるらしいんですよ」

 

「魔法使いの血でも入ってるのかしら?」

 

 

そんな劇もあったわねぇ。

 

お貴族様のご落胤と平民女の道ならぬ恋、素敵よねぇ。

 

 

「めちゃくちゃ平民顔なんですけどねぇ……それでも、顔だけはいいんですよ」

 

「リープさぁ、あんたそれほんとに友達の話?」

 

 

あらあら、そんな気はしてたけどみんな聞かないようにしてたのに。

 

 

「当たり前じゃない! 友達の話よ、あたしがそんな顔だけの男に靡くわけないじゃない」

 

「いやあんた、めちゃくちゃ面食いじゃん」

 

「…………」

 

 

そういう時は黙っちゃだめなのよ。

 

 

「それで、その男性のお名前はなんて言うのかしら? もしかしたら知っている方かもしれないわ」

 

「ああ、団長は顔が広いですもんね、名前はボードリスって言うんですけど……」

 

 

私はミルク入りの珈琲をかき混ぜながら、リープさんの話をしっかりと心のメモ帳に書き留めた。

 

団長としてこういう話を収集するのも、仕事の一環なのよね。

 

まあ、もともと噂話は嫌いな方じゃないから、これは別にいいんだけど。

 

それにしても、特別な血(・・・・)ねぇ?

 

悪巧みの好きなピスケス殿が喜びそうなお話だこと……

 

 

 

 

 

毎夜毎夜の舞踏会なんてのは劇の中のお話で、実際週に何度も行われるのは終わりのない打ち合わせなのよね。

 

ご主人様の観覧の三日前とあって、今日は劇場の支配人となる予定のモイモさんと楽団長のゼペさん、そして美術のハミデルさんが集まって激論を交わしていた。

 

 

「だから、そんな予算ないんですよ。ただでさえ劇場に投じられている予算はシェンカー一家の純利益の三割なんですよ、三割。チキンさんが匙を投げるぐらいの赤字事業なんですから自重してください」

 

「ちょーっと王都から黒鉄琴を取り寄せてくれるだけでええんじゃ! 後はずーっと使えるんじゃから!」

 

「そんなことは一ディルでも収益を上げてから言うべきことです」

 

「かーっ! これだから……」

 

 

ゼペさんが渋い顔で頭を振るが、モイモさんはもう取り合う気もない様子。

 

まぁゼペさんの言うことは無理筋よね。

 

 

「それよりもよぉ、そろそろ美術にも仕事くれよな。仮の書き割り描いたっきりで音沙汰無しじゃねぇか」

 

 

手も挙げず、大きな体をテーブルに乗り出すようにして、今度は美術のハミデルさんが話し始めた。

 

大きくて威圧的な声だが、モイモさんは身じろぎもしない。

 

この若さで支配人にまで登ってくる人ですもの、並の人よりも胆力も実力もあるわよね。

 

 

「まだ箱もできてないのに、仕事もなにもないでしょう」

 

「そんでもよぉ、いい加減に絵画教室と看板書き以外の仕事もやりたいぜぇ」

 

「あら、そんなに言うなら工事現場にでも回してあげましょうか? 美術の頭として劇場の建設に貢献してきてくださいよ」

 

「おいおい、手を怪我でもしたらどうすんだよ!」

 

 

ハミデルさんは大きな体を震わせて、右手を抱え込むようにして小さくなった。

 

まぁ、せっかく好きなことで食べれるようになったんだから別の仕事はやりたくないわよね。

 

 

「ああそうだ、演者の方からはなにかありませんか?」

 

「そうねぇ、衣装の保管場所をもう少しなんとかしたいわね。練習場(ここ)はよく虫が出るから今のままじゃ心配なのよ」

 

「なるほど」

 

 

まぁ、穴が開いたら繕えばいいだけの話なのだけどね。

 

ここに集まった皆はないものねだりばっかりしているけど、現場じゃあ人も物もないないづくしが普通。

 

服の繕いはもちろん、大工に演奏に口上、劇団歴が長ければ長いほど多芸になっていくものなのよ。

 

プロの楽団と美術が専門でつくなんて、この劇団は本当に恵まれてるわ。

 

というか、絶対に採算なんて取れないから本当に貴族の道楽なのよね。

 

私がいたクバトアだって、劇伴も美術も元はみんな役者志望の人だったのだもの。

 

貴族の支援は入っていたけど、いつでも予算はカツカツだった。

 

この劇団の子達みたいに太って衣装が着られなくなることなんて絶対になかった、普通は劇団員なんてのはやればやるほど貧乏になって痩せるものだったわ。

 

 

「シィロさん、他になにかありませんか?」

 

 

あ、そうだ、あれを言っておこう。

 

 

「これは皆に相談なのだけれど、私はこの劇場になにか他とは違う特別な売り(・・)が必要じゃないかと思うのだれけど、どうかしら?」

 

 

これは以前から考えていたこと。

 

いくら貴族が道楽でやっている劇場だからって客入りを考えないわけには……

 

いえ、違うわね。

 

貴族が道楽でやっている劇場だからこそ、真剣に客入りを考えなきゃいけないの。

 

客の入りが、そのまま貴族の面子に関わってくるのだから。

 

 

「と言うと?」

 

「劇場界は冷たい世界なの。最初は物珍しさで入ってくれるお客も、うちの劇場でなにか特別な体験がないとすぐに来なくなるわ。そうしたらどうなるかしら? ご主人様は劇団を解体して劇場をよそに貸し出してしまうかも」

 

 

そうなると、私もお払い箱なのよね。

 

団長はしんどいこともあるけれど、もう洗濯女に戻るのはごめんだわ。

 

 

「売りならわしらの楽団があるじゃろ!」

 

「もちろんそれも(・・・)売りですけど、もっと根本的な売りが欲しいのよ。こう、芝居に興味のない人までが来場してくれるような……」

 

 

具体的には一流の役者が欲しいのよね。

 

追っかけができるような、モテる役者が。

 

ここでみんなの意見を纏めてご主人様に提案すれば、もしかしたらそういう奴隷を買ってくれるかもしれないし。

 

 

「一応かなり豪華な劇場に仕上がる予定なんですけど、それは売りにはなりませんかね?」

 

「一度や二度は建物を見に来てくださるお客もいるでしょうけど、やはり中身が光らなければなんとも……」

 

「うーん……」

 

「私としては、一流の役者を一人でも連れてこられれば売りになるかと思うのだけれど」

 

「役者ねぇ……」

 

「音楽以外のことはお手上げじゃ」

 

「俺も絵以外は全くわからん」

 

 

行き詰まった議論の中に、パン! とモイモさんが手を叩く音が響いた。

 

 

「時間です。その話、各自持って帰って検討しましょう。いいですね、シィロさん」

 

「もちろん」

 

 

今打てる手は打ったわ。

 

あとは観覧の時にご主人様に直訴することにしましょう。

 

 

「あー、今からゼペと飲みに行くんだけど、お嬢ちゃんたちもどうだ?」

 

「おごっちゃるぞ」

 

「やだ」

 

「私も今日は遠慮しておこうかしら、ごめんなさいね」

 

 

壮年男性二人のありがたいお誘いをかわして見送り、私とモイモさんは一緒に練習場を出た。

 

いつの間にか本格的に春めいてきて、夜なのにコートはいらないぐらい。

 

 

「モイモさん、あの話、よく考えてみてくださいね」

 

「個人的にはあんまり心配ないと思うんですけどね……客が入らないなら入らないで、ご主人様なら多分斜め上の解決法を思いついてくださいますよ」

 

「それでも、考えておくに越したことはありません」

 

「そうですね、じゃあ」

 

 

モイモさんも見送り、もう夜もいい時間、帰ったらすぐに寝ないとお肌に悪いかしら。

 

なんてことは思いつつも……暖かな風に誘われて、私の足は家の近所の飲み屋へと向かってしまったのだった。

 

春の気配に乾杯ね。

 

モイモさんも誘えばよかったかしら。

 

 

 

 

 

観覧日はよく晴れた温かい日になった。

 

ご主人様と奥方様と双子の若様方はもう席につかれてお待ちになり、後は幕の上がるのを待つばかり。

 

応対の方はモイモさんがそつなくこなしてくれているんだけど、ここに来て演者達が緊張でガチガチになっちゃった。

 

声をかけたり背中を擦ったりしてみるんだけど、なかなか心は落ち着かないみたい。

 

しょうがないわねぇ……でも、舞台に出るっていうのはそういうこと。

 

もう、やるしかないのよ。

 

緊張でトチっても、それが実力ってことだもの。

 

動きの悪い演者達の背中を押して舞台に立たせ、照明が落ちるのを合図に劇が始まった。

 

 

 

演目は『ハンバーガー怖い』、ご主人様が書いた新作。

 

女達が寄り集まって怖いものの話をしている中、ハンバーガーが怖いと言い始めた女の元にみんなでそれを持っていたずらをしに行き……

 

怖いはずのハンバーガーをたらふく食べたその女が、嘘をついたことも悪びれずに「ここらでいっぱいシェンカーコーラが怖い」と締める、なんとも言えない内容。

 

 

「あぁ〜♪ なんだぁ〜♪」

 

「この女〜♪ 全部食っちまいやがった〜♪」

 

「ふてぇ女〜♪」

 

「たばかりやがって〜♪」

 

「すまねぇ〜♪ すまねぇ〜♪」

 

「それじゃあ〜♪」

 

「いったい〜♪」 

 

「おめぇさん〜♪」

 

「ほんとは何がこえぇんだ〜♪」

 

「あぁ〜♪ あたしゃ〜♪ あたしゃ〜ねぇ〜♪」

 

「「「どうした〜♪」」」

 

「ここらでいっぱい〜♪」

 

「「「あどうした〜♪」」」

 

「シェンカーコーラが怖いねぇ〜♪」

 

「「「なんだそりゃ〜♪」」」

 

 

芝居のオチとともに壮大な音楽が鳴り終わり、役者みんなと支配人が舞台に上がって観客に向けて礼をした。

 

やっぱり緊張のせいかしら、最初はちょっと怪しかったけど、途中からはしっかりと演じ切れてたわね。

 

私もちょっと、彼女たちの成長にウルッときちゃったわ。

 

しかし、その熱演にも関わらず……

 

 

「私は面白かったよ」

 

「あ〜、いや〜、ま〜、こうなったか……」

 

 

満足そうな奥方様と違い、なぜかご主人様は困り顔。

 

なにか粗相があったかしら?

 

歌劇にするのもちゃんと許可を取ったわよね。

 

 

「どうした、なにか気になるところがあったのかい?」

 

「あ、いや、単純にびっくりしただけですよ。歌がつくとこうなるんだって」

 

 

良かった、全部やり直しって言われなくて。

 

そうなったら私はともかく演者達が立ち直れなさそうだもの、

 

 

「シィロ、モイモ、ちょっと来て」

 

「あ、はいっ!」

 

「はいっ!」

 

 

ご主人様に呼ばれ、前に出る。

 

のほほんとしたご主人様と違って、隣の奥方様は凄い空気を纏っていらっしゃる。

 

圧があるというか、凄みがあるというか……

 

元軍人だったかしら、やっぱりものが違うわね。

 

 

「劇、良かったよ」

 

「はいっ! ありがとうございます!」

 

「ありがとうございます!」

 

「別の演目も練習するんでしょ?」

 

「もちろんでございます。劇場の落成式までには三つの劇をご用意致します」

 

「そっか、なんか困ったこととかはない?」

 

 

好機到来だわ。

 

ここで上手く提案できれば、華のある役者を買っていただけるかもしれない。

 

そうなれば劇場は安泰、ご主人様も鼻高々、私の地位も安定、皆でいい方向に進めるに違いないわ。

 

 

「あー……実はですね、うちの劇場に、なにかほかにない特別な売りが欲しいという意見が出ていましてですね」

 

「そう! そうなんです! 芝居に興味のない人でも劇場に来ていただけるような売りがあればと思いまして……」

 

「売りねぇ……」

 

 

仮にもご主人様はトルキイバの奴隷王とまで呼ばれるお方、きっとわかってくださるはず……

 

 

「あ、思いついた」

 

「まぁ!」

 

「ほんとですか?」

 

 

ご主人様は指一本お立てになって、口の端を持ち上げながら自信満々にこう言った。

 

 

「女だけの歌劇団! これでどうだ?」

 

 

なにかしら、それ。

 

 

「女だけ? 男は入れないんですか?」

 

「役者にはね」

 

「じゃあ男の役はどうします?」

 

「女が男の格好してやればいい」

 

「えぇ〜、そんなの上手く行きますかね?」

 

「ま、それも試しってことでやってみりゃいいじゃん。せっかくうちは女ばっかりなんだしさ、自分とこの劇場だから文句言うやつもいないだろ?」

 

「まぁ、そうですね」

 

 

はっ!

 

やる方向で話が進んでる!

 

どうにかして軌道修正をしないと!

 

女ばかりの劇団なんて聞いたこともないし、私まとめられる自信がないわ。

 

 

「女ばかりか、それもいいじゃないか、斬新で」

 

「でしょう」

 

 

あ、あぁ……

 

鶴の一声で完全に決まってしまったわ……

 

奥方様にそう言われたら、この場にいる人間で否やを言える者は誰もいないもの……

 

もうやるしかないのね。

 

この間モイモさんが、ご主人様なら斜め上の解決法を思いつくって言っていたけれど、本当にその通りになったんだわ。

 

あまりの展開に、急に頭が重くなった気がして、慌てておでこに手を添える。

 

閉じた目の中には、妙に似合った男装をしている奥方様の姿が浮かんでいた。

 

結局、この日ご主人様の思いつきで始まった女ばかりの歌劇団がその後トルキイバを飛び出した大評判を呼ぶことになるとは……その場にいた誰もが予想だにしていなかったのだった。

 



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第86話 変わる街 半分以上 俺のせい

お待たせしました。

2020年6月15日にコミカライズ第一巻が無事に発売されました。

僕も個人的に色々と環境の変化があったので、もう少し更新頻度は上げられそうです。

今回ちょっと短いので次はすぐ出せるように頑張ります。


風香る春の訪れとともに、ついに俺の元へと王都からの審判者がやってきた。

 

重そうな勲章を胸元にぶら下げた軍服のメッセンジャーに告げられた面会場所は、魔導学園の学園長室だ。

 

俺は実家へと走り、泣きながら親父と水杯を交わし、チキンを呼び出して「俺が戻らなければ読め」と後の差配を記した手紙を手渡した。

 

そのままほうぼうに顔を出した後は屋敷に戻り、庭に据え付けられたハンモックでお昼寝する双子を見に行く。

 

暖かな風に鼻先をくすぐられてご機嫌な顔で眠る双子を、これが最後とばかりに心へと焼き付けた。

 

その後は一杯の麦粥を食し、身を清めてベッドへと入り、まんじりともせず朝を迎えた。

 

冬の間に覚悟を決めたと自分では思っていたが……そう簡単なことではなかったようだ。

 

 

身支度をしてから、きっちりと正装を着込んだお義兄さんに連れられ、夫婦共に面会場所へと出頭することになった。

 

今朝は、双子には会わなかった。

 

今際の際に顔がちらつけば、未練がましくまた来世に意識を残すかもしれない。

 

なぜ俺がこの世界に生まれ直したのかは未だに謎のままだが、さすがに三度目はもう御免だ。

 

悪い後は良く、いい後は悪いとも聞く。

 

記憶を持ったまま虫にでも転生したらやり切れないからな。

 

目も眩むような将官の階級章をつけた警備兵(・・・)が立ち並ぶ魔導学園の廊下を、恐怖に足を震わせ、ローラさんに老人のように介護されながらえっちらおっちら歩いた。

 

ほんの十メートルほどの廊下が永遠に続くような思いで、何度も何度も再生魔法で胃の粘膜の修復をしながら辿り着いた学園長室。

 

その中では、とんでもない大物が俺達を待っていたのだった。

 

 

「貴様がサワディか」

 

 

部屋の真ん中に置かれた学園長の椅子に座る人物の服装を見た瞬間、迷わず跪いた。

 

特別な家系のみに許された黒、金、朱色のロイヤルお仏壇カラー。

 

周りをがっちりと固める高序列勲章持ちの男達。

 

そう、俺を待っていたのは、この国の王族だった。

 

 

「私は元陸軍元帥のイクシオである。名乗りを許す」

 

「はっ! トルキイバ魔導学園、造魔学研究所准教授、サワディ・スレイラであります!」

 

「その妻にしてトルキイバ魔導学園、造魔学研究所客員教授、ローラ・スレイラであります」

 

「うむ。ここにおわすはクラウニア第二王子、ジェスタ殿下であるが……ゆめゆめ、顔を上げることのないように」

 

「はは〜っ!」

 

 

王族は一言も発しない。

 

当たり前だ、貴人からすれば一代目の魔法使いなんか下民も同然。

 

貴人は下民と話さない。

 

俺が跪いて顔を上げないのも、学校で厳しく教えられた通りの作法だ。

 

こうすれば、顔を上げていいと言われて顔を見るまで貴人は存在しなかったことになる。

 

貴人は下民と会わない。

 

だから、このまま顔を見せないと言うならば、それは人に漏らせない内々の話ということになるのだ。

 

 

「先だっての貴様の魔結晶生成造魔の発明、クラウニア大学校のソロパス侯爵のものとなることに相成った。これについて、異存はないな」

 

「はは〜っ!」

 

「良し。国家反逆罪級の発明を勝手に進めた旨、言語道断であるが……私的な研究成果を国家のためと王家に捧げるその姿勢、人品自体は卑しからぬものと理解しておる」

 

「…………」

 

「して、それを加味し、これより先の貴様の身の扱いを決めた……」

 

「はっ!」

 

 

やべぇ、また胃が痛くなってきた。

 

いや、死罪ありきで準備はしてきたけど、まずそれはないはず!

 

マリノ教授も「あっても超巨大造魔完成後の地位剥奪ぐらいだろうね」って言ってたし。

 

死罪なら王族なんか絶対に来ない!

 

頼む……!

 

頼みます!

 

 

「サワディ・スレイラ。貴様はトルキイバに生涯据え置きとする」

 

「…………はは〜っ!!」

 

 

全身から、どっと汗が吹き出た。

 

安堵のあまり失禁でもしてしまいそうだったが、歯を食いしばって持ちこたえる。

 

そんなことをしたら今度こそ本当に死罪だ。

 

 

「感謝せいよ、貴様の義兄がほうぼうに手を打ったおかげだ」

 

「はっ!」

 

「それと、退役軍人達からの熱心な口添えもあったそうだ、人助けというものはしておくものだな」

 

「はは〜っ!」

 

 

出世欲バリバリな人ならトルキイバ抑留も罰になるんだろうけど、俺としてはもともとこの街で死ぬまで暮らすつもりだったからな。

 

ある意味ラッキーだ、今後も王都には行かなくて済むってことだし。

 

緊張の連続で物理的に胃がボロボロだったが、ここで俺はやっと安堵の息をつくことができたのだった。

 

 

「…………アレックスよ、これで満足か?」

 

 

だがその時突然、部屋の中にイクシオ元元帥のものではない、渋くて低い声が響いた。

 

それに「無論にございます」と返事を返したのは、うちの義兄。

 

じゃあこれってもしかして……第二王子殿下の声か!?

 

 

「功が足りぬなどといつまでも理屈を捏ねよって……おかげで娘はもう二十歳、危うく行き遅れになるところよ」

 

「ははぁ、言葉もございませんな」

 

「まぁ良い。これで貴様もやっと余のものになるわけだ」

 

 

第二王子殿下はくっくっと喉を鳴らすようにして笑い、カツンと床を踵で打ち鳴らした。

 

 

「では、この件の取りまとめの完遂をもって、アレックス・スレイラにわが娘、カリーヤを降嫁させる。皆のもの、異存あるまいな?」

 

 

返事は部屋中からの拍手だった。

 

なるほどね、ロイヤルファミリーからの予約があったから、お義兄さんはイケメン貴族なのに三十歳で独身だったんだ。

 

ていうかよくわかんないけど、俺たち派閥政治のど真ん中に巻き込まれてないか?

 

そういうの、俺とローラさんを下がらせたあとでやってくんないかなぁ……

 

 

「さて、アレックスの妹よ」

 

 

急にローラさんに向けられた第二王子殿下の言葉のすぐ後に「直答良し!」とイクシオ元元帥の声が飛んだ。

 

 

「はっ!」

 

「超巨大造魔建造計画の完遂後には子爵位を許す、トルキイバのスレイラ家としてこの都市を治めよ」

 

「……有り難く、承ります!」

 

「これは余からのアレックスへの祝儀である、ゆめゆめ忘れぬよう」

 

「ははっ!!」

 

 

都市を治めよ!?

 

マジかよ!!

 

ローラさん、ここの領主になっちゃうの?

 

もちろん派閥にガッチリ組み込んだスレイラ家への強化策なんだろうけど、領地までってのはちょっと貰い過ぎな気がするな。

 

 

「励めよ」

 

「ははーっ!」

 

 

ま、いっか。

 

疲れと緊張で今は頭がうまく働かない。

 

俺は生き残れた幸せを存分に噛み締めよう。

 

帰ったら双子にキスしてお風呂に入れてあげるんだ。

 

そんで酒飲んで、死んだように寝よう。

 

俺、再生魔法使いに生まれてきて本当に良かった。

 

今日ばかりは再生魔法がなきゃ、ストレスで胃がなくなるかと思ったよ。

 

 

 

 

 

そんな裁きの日を乗り越えた数日後。

 

庭の花もすっかり綺麗に咲いた我が家に、再びお義兄さんが訪れていた。

 

王都で流行りの幼児服を手土産に現れた彼は珍しく軍服を脱いでいて、ストライプのジャケットに渋いハットを合わせたスタイルが涼し気でオシャレに見える。

 

もちろんそんな格好でも、軍人さんだから腰にはごついサーベルがあるんだけどな。

 

魔法で戦うはずなのに、軍人さん達は絶対に刃物を手放したがらない。

 

なにかそういう教えがあるんだろうけど、うちの嫁さんも寝る時は常にベッドのわきにでっかいナイフを吊っているからな。

 

やっぱ一般人とは意識が違うね。

 

そんななんとなくおっかないお義兄さんを応接室に案内して、暖かな紅茶で口を湿らせ、俺はようやく話を始めることができた。

 

 

「お義兄さん、ご結婚おめでとうございます」

 

「まだだ」

 

 

彼は俺の祝いの言葉に、プイとそっぽを向いてそう答えた。

 

照れてるのか生真面目なだけなのか俺にはイマイチわからないが、妹のローラさんはそんな彼の様子にクスクスと笑う。

 

 

「長兄、目出度いことだ。別にいいじゃあないか」

 

「けじめだ」

 

 

ムスッとした顔でそんなことを言いながらも、どっかりと床に座り込んだお義兄さんはハイハイで突撃してくる双子を両手であやしている。

 

 

「だぁ」

 

「きゃあ」

 

 

子供の成長というのは驚くほどに早いもので、冬の間から離乳食も食べるようになった二人はぐんぐん大きくなった。

 

最近ではその元気さを持て余しているのか、毎日小飛竜造魔のトルフの尻尾やミオン婆さんのスカートの裾なんかを引っ張りまくって困らせている。

 

そんなわんぱく二人を両脇に抱えながら、お義兄さんはキリッとした顔で俺達に話を切り出した。

 

 

「今日わざわざ来たのは他でもない、この間の謁見の種明かしをしておいてやろうと思ってな」

 

「はい」

 

「明かすほどの種があるのかい?」

 

 

お義兄さんはもぞもぞ動くラクスを膝の上に移しながら「まあ聞け」と意味深に笑った。

 

 

「まずサワディ、貴様だが……治療した退役軍人どもに礼を言っておくんだな。彼らとその家族が掻き集めた四百名からの嘆願書がなければ貴様は死んでいた」

 

「えぇ……」

 

「おいおい」

 

「お前はな、やりすぎだ。切れすぎるサーベルは鞘にも収まらん。それで怪我をするぐらいならば別のなまくらの方がマシだ」

 

 

ぞぞぞっと背筋が寒くなった。

 

ほんと良かったよ、人助けしといてさ。

 

 

「それで、ローラの件だが。これはまぁ、色々だな」

 

「どういうことだ?」

 

「痩せても枯れてもトルキイバはテンプル穀倉地帯の一角だ、本来祝儀で頂けるようなものではない事はわかるな?」

 

 

それは俺も気になってた、大盤振る舞いすぎるもの。

 

 

「超巨大造魔建造計画が成れば、陸軍はこの地に魔結晶と造魔建造の工廠(こうしょう)を作るつもりだ。しかし、ここを治めるスノア伯爵は第三王子の後見人であるライズ侯爵の寄子(よりこ)なわけだ」

 

「第三王子は海軍出だからな、つまりそういうことか」

 

「それも理由の一つ、というわけだ。まあ、お前達は知らなくていいこともある。とりあえずありがたく頂戴しておけ」

 

「そうしよう」

 

 

お義兄さんは構ってもらえてご機嫌なノアとラクスを床におろし、すっくと立ち上がった。

 

胸ポケットから煙草を取り出し、火を付けながら窓際に歩いていく。

 

 

「それからな、言うまでもないかもしれんが……工事で外に出るぐらいならいいが、他の都市なんかに行こうとするなよ。」

 

「あ、はい」

 

「できれば予定はきちんと立てて、思いつきの行動もあまりするな」

 

「えっ、なぜですか?」

 

「大変だろう、見張るほうが」

 

 

お兄さんは煙草の煙を外に吐き出しながら、ちらりと家の向かいの平屋へと視線をやった。

 

 

「ええっ!?」

 

「当たり前だ、この都市に据え置きってのはそういうことだ」

 

「なんだ、気づいてなかったのかい? 冬の間から外にいる間は造魔で見張られていたじゃないか」

 

 

ローラさんまで不思議な顔をしているけど、そんなもん気づくわけないでしょ。

 

軍人でもないんだからさ……

 

はぁ、これから超巨大造魔の開発が全部うまく行っても、嫁さんは領主、俺は牢人かぁ……

 

 

「当面は行動予定をフランク・マリノあたりに提出してその通りにしていれば問題あるまい」

 

「でも僕なんかにそんな厳重な監視必要なんですかね? まるで重犯罪者扱いじゃないですか」

 

 

お義兄さんは「へっ」と吐き捨てるように笑い、少しだけ短くなった煙草を指でピンと投げ捨てた。

 

そのまま指先から放たれた熱線が空中の煙草を焼き切り、灰だけが春の風に吹かれて飛んで行く。

 

 

「トルキイバを爆弾庫にした大悪人が何を言っている」

 

「え?」

 

「元々この都市は大陸横断鉄道の完成時点から注目されてはいたんだがな、今回の魔結晶生成造魔の件で完全にクラウニアの最重要拠点だと認識された」

 

 

お義兄さんはもう一度外をちらりと眺め、今度は二階建ての宿の部屋へと視線を送る。

 

 

「今だって様々な派閥の間者が入り乱れていて、裏の人材の見本市みたいな状況だ。重犯罪者なんかよりもよっぽど手厚い監視だぞ」

 

 

そう言いながら肩をすくめて笑うお義兄さんは、窓から差し込む光に照らされてまるで若手俳優のように輝いていた。

 

話の内容もあってさながら映画のワンシーンのようだが、自分がその中心にいると思うと違う意味でワクワクドキドキだ。

 

ノアを抱きかかえたローラさんも、棒付きキャンディを舐めながら苦笑いしている。

 

まぁ、トルキイバの騒動のど真ん中にいるんだもんな……保護の意味でも監視されないわけがないか……

 

ほんとに俺、やりすぎたんだなぁ……

 

 

「それに……」

 

「ま、まだあるんですか!?」

 

「ここは土着の組織の結束が異様に強いようでな、どこの派閥もなかなか主導権を握れず困っているようだ。こういう場所は混乱が長引くぞぉ」

 

 

膝にしがみついてくるラクスの頭を撫でながら、お義兄さんは何がおかしいのかヘラヘラと笑っている。

 

色々なことを突きつけられた俺は、フラフラとよろけながら崩れ落ちるように椅子に座った。

 

燃え尽きたように項垂れる俺の頭の上に、部屋の隅から飛んできた黄色い小飛竜のトルフが乗っかって丸くなる。

 

こいつは気楽でいいな……

 

ゆらゆらと目の前に揺れるトルフのしっぽをちょいと摘み、膝の上に引き下ろす。

 

大悪人かぁ。

 

膝の上でもぞもぞ動く小飛竜を撫でながら、足を組んだ。

 

貫禄なんか付く間もないままに、変なところに来ちゃったなぁ。

 

葉巻も煙草も吸えない俺の細く長い溜息が、口には出せない後悔の代わりに陽光の中へと溶けていった。




中古クソボロ10万円アルトを買うか、中古ゴミ寸前5万円スーパーカブを買うかでしばらく迷ってます


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第87話 春の町 白球飛びて 牛肥える

Ghost of Tsushima最高ですやん神


甘い匂いに誘われて庭へと出ると、暖かな春の日差しに照らされた緑がきらきらと輝いているように見えた。

 

小花は咲き乱れ、蝶は飛び、空からは白球が降ってくる。

 

白球……?

 

足元に転がってきた白い野球ボールを拾い、不思議に思っていると生け垣の向こうから何者かの声が聞こえた。

 

 

「やべーよ、この家貴族じゃん……」

 

「謝りに行ってこいよ」

 

「死にたくねぇよ~」

 

「バカ、お前が入れたんだろ」

 

 

なるほどね。

 

生け垣の向こうにポイとボールを投げ返すと、わっという声と共に足音が離れていくのが聞こえた。

 

去年の秋から始まった野球も、この街に完全に定着したみたいだな。

 

 

 

その野球の、この世界での総本山であるシェンカー野球場(スタジアム)

 

この日の昼、そこにはトルキイバ中の野球ファンが詰めかけていた。

 

グラウンドにはズラッと並んだ、トルキイバの全十二貴族球団のオーナーたちがいる。

 

そう、今日は春から冬まで続く、この街の野球リーグ戦の開会式なのだ。

 

今グラウンド中央のお立ち台の上では、野球選手会の会長であるトルキイバ魔導学園教師のエストマ翁の挨拶が行われていた。

 

 

『……人生に楽しみというものはいくつあってもいいものであるが、新しい楽しみならばなおさらよい。野球というものは歴史の浅い競技であるが、この老骨の胸を熱くさせるに十分なものである。正々堂々、老若男女、規則の範囲内で別け隔てなく競おうではないか。では、貴族院リーグの開催をここに宣言する』

 

 

いいことは言ってるはずなんだけど長すぎて頭に入ってこない挨拶もようやく終わり、客席からは貴族平民を隔てることのない大拍手が沸き起こったのだった。

 

エストマ翁と共にオーナーたちは引いていき、入れ替わりにリーグ戦第一試合の選手たちが球場へと現れた。

 

平民達は賭けチケットを買うために窓口へと長蛇の列を作り、貴族たちは野球が続く限り歴史に残るであろう記念すべきこの試合を楽しむために軽食や酒を買い求める。

 

これは全く意図していなかった事だが、気づけばこの野球場は貴族と平民が混ざり合って一つの事を楽しむ不思議な場所として成立していたようだ。

 

平民はVIP席には目を向けないなどの気遣いを見せながらも、貴族同士の派手な試合を楽しみにし。

 

貴族はいちいち口には出さないものの、勝負の立会人として平民の観戦を容認していた。

 

 

『これより、魔導学園学園長であられるマジエス元陸軍少将閣下による始球式が行われます。皆様、どうぞお静かに願います』

 

 

そんなアナウンスと共にピッチャーマウンドにローブ姿の学園長が上がり、本当にボールを燃え上がらせた火の玉ストレートで見事にストライクをもぎ取った。

 

学園長、かなり練習してくれたんだな……

 

両手を上げてぐるりと観客席を見回した学園長は、これまでに見たことがないような生き生きとした顔をしていたのだった。

 

 

 

そうして野球のシーズンが始まったのとほぼ同時に、超巨大造魔の制作現場も再稼働を始めた。

 

ゴミや砂が溜まっていた百メートルのドックは綺麗に清掃され、人目を遮るために一面に天幕が張られ、外界から遮断された。

 

今のトルキイバはスパイ天国だしな、当然のことだ。

 

警備の方もどこからかやってきた凄腕の魔法使い達がいつの間にか採用され、魔導学園の学生アルバイトに混じって警戒を行っている。

 

違和感バリバリだが、多分王都の義兄さんから送られてきたであろう彼らにも事情があるんだろう。

 

防諜のためとはいえ、大っぴらに送り込むわけにはいかないもんな……今やってる造魔開発って、名目上は学生の個人研究なわけだし。

 

そんな強面達の警備する天幕の隅っこに机を広げ、俺は監視の名目で付いてきたローラさんと共に造魔生成前の最後の準備を行っていた。

 

 

「見たまえ、あそこの色眼鏡の男が『鷹の目』のフルドア、あっちのトンガリ帽子の中年女が『蟲使い』のクェス・イーノだ、長兄はこっちでゲリラ戦でもやらせるつもりなのかね?」

 

「あ、やっぱお義兄さんが送ってきた人材なんですか?」

 

「そりゃあそうさ。私の記憶が正しければ『鷹の目』は准尉、『蟲使い』は少尉だったはずだ。二人とも北方戦線で名を売った軍人だ。北方戦線には果てが見えないぐらい長大な要塞があってね……」

 

 

ローラさんの解説をふんふんと半分聞き流しながら試薬を作成していく。

 

どんな活躍をしてきた魔法使いだろうと、学生アルバイトの魔法使いだろうと、味方ならなんでも一緒だ。

 

俺はあの金髪のお義兄さんを一定のベクトルで信用しているのだ。

 

少なくとも超巨大造魔が完成するまでは、なんだかんだと俺の身の安全をあの手この手で守ってくれるだろう。

 

 

「あ、ローラさん、そっちの仕様書取ってください」

 

「ん? ああ」

 

 

ローラさんは机の端にあった仕様書を手にとり、書いてある内容をちらりと見て眉間に皺を寄せる。

 

開かれたページには、ほとんど形を成さないぐらいに分解された魔法陣のようなものが書かれていた。

 

 

「これは……魔法陣か? 書きかけかな?」

 

「あ、いや、それはそれでいいんです。それを使う工法なんです」

 

「私も一応赴任前にあらかたのことは調べてきたつもりだが、こういう魔法陣は見たことがないな」

 

「まだ僕もその研究は発表してませんからね」

 

 

不思議そうな顔をしているローラさんに、目の前の十メートルほどの深さのドックを指差しながら説明していく。

 

 

「あの精製槽の深さで、時計塔級の造魔をどうやって作ると思いますか?」

 

「作れるんじゃないか? 作れないのか?」

 

「あれじゃあ無理なんですよ、本当はあの五倍は深さが必要なんです」

 

「じゃあ駄目じゃないか、また追加で掘らなきゃいけないのかい?」

 

「あの穴だけでも凄い時間がかかったんです、それは現実的じゃあない。そこで、さっきのバラバラに分解した魔法陣が役立つんですよ」

 

 

俺の説明でローラさんの疑問は更に深まってしまったのか、どうにも怪訝な顔をしていらっしゃる。

 

 

「あれはつまり、段階的に造魔の体を作っていくための魔法陣なんです。まず頭を作ったらそれを持ち上げて、今度は肩を作ります、その次は胸、その次は腹、そうやって建造を繰り返すことで最終的に一体の造魔を作り出すということです」

 

「どうにもピンと来ないな……」

 

「つまり建物に例えれば、建物の屋根から作り始めて、それを持ち上げながら下の部分を組み立てていくってことです」

 

 

俺の説明が悪かったのか、ローラさんはますます怪訝な顔だ。

 

まぁこっちの世界にはまだ高層ビル自体がないからな、作った階をジャッキアップして持ち上げながら下の階を建築するT-UP工法なんかの概念も存在しなくて当然だろう。

 

仕方のないことだが、事前にモックアップ等を使ってきちんと説明するべきだったかもしれない。

 

 

「……じゃあ、その屋根……いや、造魔の頭や肩だけを作る魔法陣はどうやって作ったんだい?」

 

「え? 普通に元々ある要素を分解していくだけじゃないですか。そこは誰にでもできますよね?」

 

「うーん、それはどうだろう……」

 

 

気がつけばローラさんが、さっきとはちょっと違う感じで額に皺を寄せ、こめかみを押さえている。

 

技術のプレゼンは難しい、その世界で画期的な新工法ならばなおさらだ。

 

俺のローラさんへのプレゼンは深夜にも及び……結局はそれでも間に合わず、造魔建造前に新工法の論文を文章に纏めるということになってしまったのだった。

 

 

 

仕事も回りだしたところだが、最近は俺の個人的なことでも色々と新しいことをやり始めた。

 

 

「ンモォ~」

 

「おーい! 牛がまたでっかいのしてるぞー!」

 

「はいはーい! 吸い取りまーす!」

 

「このソージキ型造魔って便利ねぇ」

 

「動物たちの出したものなんでも吸い取って乾かしてくれるんだもんね。寮にもひとつ欲しいなぁ」

 

「寮にあったって魔結晶が高くて使えないっつーの」

 

 

まず、地下で畜産を始めた。

 

地下道が半分ぐらいの場所で軍に埋められて、とりあえず使いみちがなかったからそこで動物を育て始めたのだ。

 

匂いと糞尿の処理が問題だったが、今の所は急ごしらえで作った脱臭造魔と、脱水機能付きの掃除機型造魔でなんとかしてもらっている。

 

なんで急にそんなことをし始めたかというと、俺にも止むに止まれぬ事情があったのだ。

 

まぁ、なんというか……シェンカー家のダンジョン産食肉流通のせいというか、おかげというか、街に肉があるのが当たり前になってしまったのが全ての原因ということになるだろうか……

 

元々トルキイバの食肉の流通量というのは限られたものだった。

 

冒険者の狩ってくる肉、それと地元畜産業者の作る食肉、そして量は少ないが他所から運ばれてくる肉だけ。

 

そういう状況では肉の価値は高くなり、冒険者も畜産業者もしっかり食っていくことができた。

 

ところがだ、うちの家がダンジョンから肉を持ち帰るようになって状況が一変。

 

ギルドが買取保証をしている冒険者はともかく、畜産業者の作る割高の肉は今までのようには売れなくなった。

 

俺も一応街に直で肉を回すことはしないでいたのだが、それでも打撃は大きかったらしい。

 

先日、ついにトルキイバの老舗の畜産業者の一つが潰れてしまった。

 

今地下で育てているのは、俺がそこの経営者に泣きつかれて買ってきた動物たちなのだ。

 

 

「コケーッ! コッコッコッコッ……」

 

 

足元を走り回る鶏は今の所元気そうだが、地下で畜産なんて前世でも聞いたことがない。

 

でも地上にも牧場を作るほどの土地はないしな……潰れた業者の土地も次の予定が入ってた借地だったし。

 

とにかく、臭気と汚物処理は造魔による力技である程度なんとかしたが、これからも色々課題は出てくるだろう。

 

病気は俺が全部治せるといっても、大変なことには違いない。

 

まあ、でも逆に考えたらダンジョン利権だっていつ取り上げられるかわからないわけだし、肉が自給自足できて悪いことなんて一つもない。

 

これも好機として、なんとか前向きに考えることにしよう。

 

トルキイバのブランド牛とかブランド豚とか地鶏とか、そういうのを作ってもいいわけだしな。

 

そうだな、ミルクや卵を使って菓子作りをしてもいいな。

 

楽しみだなぁ……プリンに……キャラメル……

 

消臭してもなお臭い地下道で膝の裏を豚の鼻に突っつかれながら、俺はそんなことを考えて現実逃避をしていたのだった……

 

 

 

その地下牧場の入り口の真上にある、マジカル・シェンカー・グループ本部。

 

その引っ越しが決まった。

 

引っ越しって言っても遠くに引っ越すってわけじゃない、同じ場所(・・・・)に引っ越すんだ。

 

以前から進めていたシェンカー通りの全ての家の買収がようやく終わり。

 

かつての予定通り、全ての平屋を五階建てのマンションに作り変える『シェンカー町』建設計画がようやくスタートを切ったのだ。

 

そしてその平屋には当然シェンカー本部の元漬物工場も含まれていて……

 

シェンカー本部はそこを取り壊した後に立てられる基幹ビルの一階に移転することに決まっていた。

 

そして今は先行して建設していた本部前のマンション一階へと、本部機能を一時移転している最中なのだった。

 

 

「あたしの靴どこぉ~?」

 

「大鍋運ぶから手伝いなー!」

 

「ちゃんと名前書いときな! 後で揉めるんだから!」

 

「すいませんご主人様、どたばたと……」

 

 

そのシェンカー本部の一番の頭、俺の家の家令候補でもあるチキンがぺこりと頭を下げた。

 

 

「いやそんなこと気にしないよ、引っ越しの手は足りてる?」

 

「今のところは大丈夫です、休みの女衆がみんな手伝いに来てくれているので助かってます」

 

「そりゃ良かった。で、今日来たのはだね」

 

「はい」

 

 

汚れてもいい室内着という扱いなんだろうか、チキンはスリータックのベージュのズボンに合わせた仕立てのいいシャツの腕をまくり、メモ帳とペンを用意した。

 

相変わらずの着道楽っぷりだ、チキンの服はもう質では俺が普段着てるようなものとあんまり変わらんぞ。

 

 

「本部跡地に建てるマンションは七階建てにしようと思ってるんだ、敷地も他のマンションより広く取るつもり。一階に本部が入るわけだしな」

 

「そうですね」

 

「それでさ、二階から四階ぐらいまでに店かなんか入れてもいいと思うんだよね。ちょうど真ん中にあるわけだしさ。夜遅くまでやってる店とかあると便利じゃん」

 

 

まぁ、俺が夜にコンビニとか行くのが好きだっただけなんだけどね。

 

団地の真ん中にコンビニがあったら嬉しいでしょ。

 

 

「まあたしかにそうですね……あって便利なのは、食堂やパン屋ですかねぇ」

 

 

彼女は金メッキのペンの尻を下唇に当てて、何やら考え込んでいるようだ。

 

多分誰をどう配置するのかを考えてるんだろう、資料の一つも見ずに大したもんだ。

 

 

「商店街ってわけじゃないからさ、一つの店で作りおきの軽食から薬や生理用品まで、とりあえずなんでも買える店があったらいいと思うんだよね」

 

「たしかに夜に薬とかが買える店があったらいいですね、最低限の痛み止めなんかさえあればその場は凌げるわけですし。そこでパンなんかも売ってたら最高ですね」

 

 

やっぱチキンは飲み込みが早いわ、こういうのも俺がゴチャゴチャ言うよりも基本お任せの方がいいんだろうな。

 

現場を知らないお偉いさんが色々提案したって混乱を招くだけだろう。

 

 

「他の店はどうします? 二階から四階ぐらいまでってことは、入るのはそのなんでも屋一つだけじゃないわけですよね?」

 

「うーん……うちは結構女が多いわけで、これからは子供も増えてくわけでしょ? 何があれば嬉しいかとか、そこらへん俺にはわかんないとこだからチキンに一任するわ」

 

「えっ? 一任ですか?」

 

「なんでもいいよ、好きに決めて」

 

「うーん、そうですねぇ……」

 

「別に服屋作ってお前が好きな服並べてもいいんだよ」

 

「えっ!? 服屋ですか!?」

 

 

何が琴線に触れたのか、急に声が大きくなったチキンは身を乗り出さんばかりにして俺にそう聞き返した。

 

 

「う、うん……」

 

「それはつまり、その服屋に私が入れる商品を決めてもいいということでしょうか?」

 

「まあ、そうだね」

 

「どれぐらいの利益率を見込まれていますか?」

 

「いやまあ、うちの連中が店員で赤が出なきゃいくらでもいいけど……」

 

「じゃあ、じゃあ、えーっと……」

 

 

ここ最近では珍しいことに、チキンはちょっと慌てているようだった。

 

よっぽど服屋がやりたかったのかな?

 

まあ着道楽の女だしな、俺が劇場を持ちたかったようなものなんだろうか。

 

 

「別に本部のすぐ上なんだし、お前が賃料と人件費払うなら兼業でオーナーやったっていいんだぞ」

 

 

俺がそう言うと、チキンはクリスマスプレゼントをもらった子供のような表情で「本当ですか!?」と言う。

 

 

「う、うん……」

 

「やりますやります! やらせてください!」

 

「うん……あの、常識の範囲でね?」

 

 

それからしばらく、チキンは服屋の事でフワフワしてしまってなかなか話が進まなかった。

 

もしかしたら演劇趣味の面では俺もこう見られてるってこともあるのかもな……

 

趣味の面ではチキンを反面教師にしよう……この日密かにそう思った俺なのであった。

 




最近シングルコイルピックアップの巻き直しにチャレンジしていますがなかなか上手くいきません


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第88話 夜歩きが 楽しくなるよな 目的地

お待たせしました。

本日がうがうモンスターでコミカライズの最新話が公開されました。

コミカライズの方は大陸横断鉄道の話が始動した所ですが、本編はコンビニの話です。


人と馬の体を併せ持つケンタウロスのピクルスが、腕の筋肉を激しく膨張させながら弓の弦を引く。

 

力自慢でも引くのに苦労するような大弓を容易く引き折ってしまうその豪腕が、今引いているのは一点物の特殊な弓。

 

魔法使いにしか倒せない強固な外骨格を持った超巨獣の素材と、錬金術師の作る魔法金属を組み合わせた異形の大弓。

 

産卵期の蜘蛛女(アラクネ)の糸と鋼糸を撚り合わせて作られたその弦が、今ピクルスによって強く強く引き絞られていた。

 

場所はシェンカー野球場。

 

シェンカー大蠍団(スコーピオンズ)と東町商店街禿頭団(スキンヘッドボーイズ)の練習試合、その前座として行われたこの大弓の披露会を大勢の野球ファン達が見守っていた。

 

会場にじりじりとつのる緊張がピークに達する中、安全確認を担当していた奴隷たちから一斉に開始の合図である白い旗が上がる。

 

その瞬間、ホームベースと一塁の間に横に五メートル、高さ二メートル分も煉瓦を積み上げて作られた的へ、ピッチャーマウンドの上のピクルスから音もなく矢が放たれた。

 

最初その矢は、まるで放たれていないかのように思われた。

 

矢だけがピクルスの手からなくなり、弓にも的にも何の変わりもなかったからだ。

 

 

「どうなったんだ……?」

 

「矢はどこいった?」

 

 

会場がざわめく中、矢を探しに行った奴隷が地面を指差しながら「ここです!」と叫んだ。

 

ピクルスから的を挟んで向こう側の地面に、ぽつりと穴が開いていた。

 

よく見れば、的の煉瓦にも小さな穴が開いている気がする。

 

ということは、あれを丸々貫通したのか。

 

なんか、凄いんだけど地味だなぁ……

 

 

「す、凄いぞー!」

 

「そうだー! よく引いたー!」

 

「見えないぐらい速かったー!」

 

 

なんとも言えない応援がパラパラと飛び、ピクルスは恐縮した様子で客席へとペコペコ頭を下げた。

 

こうして、ピクルスのための特別製大弓のお披露目会は微妙な反応で終わってしまったのだった。

 

なお、この数週間後に彼女が空を翔ぶ超巨獣をこの弓で射落としたというニュースがトルキイバ中を駆け巡る事は……この場にいる誰もが予想だにしていなかったのだった。

 

 

 

 

 

先日決まった、マジカル・シェンカー・グループ本部の平屋からビルへの建て直し。

 

その中でビルの中に深夜営業のコンビニ的な商店を作るという話があったのだが……うちの組織には深夜営業のノウハウがない。

 

ないものは作るしかないよな。

 

ということで、ビルの建設よりも一足早く、とりあえず深夜営業の商店だけを実験的に営業してみるということが決まった。

 

場所はシェンカー通りの端、うちの連中も街の人達も気軽に立ち寄りやすい良い立地だ。

 

こだわりで道に面する場所を全面ガラス張りにしてみたんだが……夜になると店の周りだけ昼間のように明るくて、開店初日は死ぬほど集まってきた虫に店内が大混乱に陥ったらしい。

 

急遽開発した紫外線照射式の虫取り造魔を軒先にぶら下げ、その翌々日からの営業では虫に悩まされることはなくなった……らしい。

 

俺は行ってないからわからんが。

 

虫に悩まされることがなくなったのは良かったが、その翌日の営業で店員が酔客に絡まれて、酔客が大変なことになったらしい。

 

今の所深夜商店の店員は冒険者組から選ばれてるからな……荒っぽい奴らばかりだ。

 

これはとりあえず店員を三人に増やし、トラブルがあればなるべく穏当に済ませるというマニュアルを作って対処した……らしい。

 

俺は仕事に休みがなくて行けてないからわかんないんだけど。

 

あと見るからによく切れそうな剣をレジの後ろに剥き身で飾るようにしたそうだ。

 

そりゃあ迷惑客も万引きも減るだろうな。

 

なんだかんだと問題を解決しながら営業は続き、あっという間に営業開始から二週間ほどが経った。

 

深夜に来る客たちもまぁそこまで多くはないらしいんだが、だいたい酔客で、払いがいいんで意外なぐらい儲かっているそうだ。

 

そしてそんな深夜商店に、俺は今こっそりと向かおうとしていた。

 

別に視察しようだのなんだのってわけじゃない、ただ単純に夜中に腹が減っただけ。

 

明日は待ちに待った休みだしな。

 

元々俺がこの世界でも深夜のコンビニに行きたくて言い出した事なんだ、俺が行かなくてどうするんだよって感じもあるよな。

 

一緒の部屋で寝ているローラさんを起こさないようにベッドを抜け出し、廊下の椅子で爆睡していた護衛を叩き起こして連れ出して家を出た。

 

ちなみに双子はスレイラ家の用意した乳母と一緒に別の部屋だ。

 

いかにも貴族っぽい子育てだが、俺自身が魔法使いの母ちゃんから生まれて乳母に育てられたってこともあり、実はそこにはあんまり抵抗はなかった。

 

 

「いいか、門ギィギィ鳴るからそーっと出ろよ、バレないように」

 

「別にご主人さまの店に行くんですからバレてもいいと思うんですけど」

 

「こういうのはこっそりやるのが楽しいんだろ」

 

 

ハの字眉毛の護衛と小声で喋りながら家の門を抜け、意気揚々と踏み出したところで、誰かにガシッと肩を掴まれた。

 

 

「なにをこっそりやるのが楽しいんだい?」

 

「あっ……あわわ……」

 

 

イマイチ役に立ちそうにない今日の護衛当番の奴隷が、俺の後ろを指差しながら後ずさる。

 

振り返ると、そこには長くて大きいナイフを金棒のように肩に担いだ……うちの嫁さんの姿があった。

 

 

「別にコソコソすることはないじゃないか」

 

「いや、起こしたら悪いかなと思って……」

 

「ベッドから君が抜け出したら起きないわけがないだろう」

 

 

そう言いながらファサッとかき上げる金髪には寝癖一つない。

 

一体どういう早業なんだろうか、すっかりよそ行きの格好をして薄く化粧まで済ませていた彼女は、ナイフを腰に吊って俺の隣に並んだ。

 

 

「で、どこに行くんだい?」

 

「あー、シェンカー通りの深夜商店に。小腹が空いたもんで……」

 

「ならさっさと行って帰ってこようじゃないか。明日はせっかくの休みなんだ、ゆっくりと寝て、しっかりと楽しまないとな」

 

「え、ローラさんも行くんですか?」

 

「もう目が覚めてしまったよ、付き合おうじゃないか」

 

「そりゃすいません」

 

 

善戦むなしく結局起こしてしまったローラさんを伴い、護衛と俺と三人でシェンカー通りへと向かうことになった。

 

半分の月が照らす道をゆっくりと歩いて進み、横を向けばその金髪にキラキラと月光を宿す嫁さんがいる。

 

まあ、こっそり感はなくなったけど……これはこれでいいか。

 

 

 

夜中のトルキイバは遠くが見えないぐらいには薄ら暗いが、これでもまだマシになったほうだ。

 

俺が永遠に光り続ける無限造魔を作る前は街灯もほとんどなく、狭い路地なんかに入ると月明かりも届かなくて正真正銘の真っ暗闇だったからな。

 

今ならどんな小さな路地に入っても普通に道が歩けるし、すれ違う人の顔だってわかる。

 

道の向こうから歩いてくる、魚人族のロースのギョッとした顔も丸わかりだ。

 

 

「……うおっ! 坊っちゃんに奥方様じゃないですか……こんな夜更けに何事ですか?」

 

「ああ、深夜商店にでも行こうかと思って」

 

「なるほど、抜き打ちの視察ですか。怖いなぁ」

 

「違うよ、買い物に行くだけ。そういうお前はどうしたんだよ」

 

「あたしも深夜商店帰りですよ、明日の朝飯です」

 

 

ロースはそう言いながら紙袋を持ち上げ、メンチもいましたよ~と言いながらさっさと行ってしまった。

 

あいつは飲み屋帰りかなんかだろうな、多分。

 

飲兵衛への需要はやっぱり大きそうだな。

 

寝る前にちょっと飲み直しなんてのにも使えるだろうし。

 

うちは酒蔵でもあるからな、ちょうどいいと言えばちょうどいい。

 

ロースがやってきた道を小さな声でぽつぽつ喋りながら三人で歩いていくと、シェンカー通りへの角を曲がったところで急に周りが明るくなった。

 

 

「暗い中で見ると凄い明るさだなぁ……」

 

「あれは苦情とか来ないのかい?」

 

「今のところは……」

 

 

俺たちの視線の先には、深夜の暗闇を切り裂いて煌々と輝く深夜商店と……その前にヤンキー座りでたむろするシェンカーの冒険者連中の姿があった。

 

 

「でさぁ、それ持ってお見舞い行ったわけ。風邪の時は粥がいいかと思って……って。彼もう感激しちゃってさぁ、ありゃ落ちたね、間違いなく」

 

「嘘じゃん」

 

「お前嘘ばっかだろマジで」

 

「今から料理できるようになりゃ嘘じゃないでしょ、ンナハハ」

 

「はいまた嘘」

 

「ていうかさぁ……あ……!」

 

 

馬鹿話をしていたうちの一人がこっちに気づき、慌てて立ち上がって頭を下げた。

 

 

「……うおっ! ご主人さまに奥方様! お疲れさまです!」

 

「おっ……お疲れさまです! 失礼します!」

 

 

残りの連中もこっちを二度見して振り返り、慌ただしく挨拶をして小走りでどこかへと走り去っていった。

 

夜中のコンビニで先生見つけた学生かよ!

 

別にこんなことで怒ったりしないっての。

 

気を取り直して深夜商店の入り口に向かい木枠のガラス扉を押し開けると、店内からは色んな食べ物の匂いが漂ってきた。

 

換気が足りてないんだろうか、学校帰りの中華料理屋並みに腹の減る匂いがする。

 

夜中にこんな匂い嗅いだら、とても手ぶらでは帰れんな。

 

期待に胸を踊らせながら深夜商店に入ると、入口近くのレジの前に鱗人族の冒険者、メンチがいるのが見えた。

 

 

「まだか……もういいか? おい、どうだ?」

 

「まだですよメンチさん。さっき煮始めたところじゃないですか」

 

「むう……少しだけ早くできんか?」

 

「だからさっき聞いたじゃないですか、ポトフは時間がかかるけどいいですかって」

 

「うーん……しかし、今日はポトフの気分なのだ」

 

 

メンチはレジの前に置かれたポトフの鍋を睨みながら、店員と頭が痛くなりそうな会話をしている。

 

あいつこんな夜中に何やってんだ。

 

 

「むっ、ご主人様! 奥方様! お疲れ様でございます!」

 

「おつかれ~」

 

「うん」

 

 

メンチはこっちを見つけてキリッとした顔で挨拶をしてくるが、鱗のある尻尾はポトフの鍋を抱きかかえんとばかりに鍋の方へ伸びている。

 

しかし、夜中にポトフか……ていうかこいつ、まさかこうして毎日来てるんじゃないだろうな。

 

 

「メンチはよく来るの?」

 

「いえ、そんなには……週に六日ほどでしょうか」

 

 

おいおい。

 

 

「……それは世間では毎日と言うのだよ」

 

「な……そんな……」

 

 

メンチはローラさんの突っ込みにびっくりした顔をしているが、なんでお前がびっくりしてるんだよ! びっくりしてるのはこっちだよ!

 

毎日夜中に買い食いしてると肉体労働してたって太るぞ。

 

ポトフが気になって仕方がないらしい彼女は放っておいて、俺とローラさんは店の商品を見て回る。

 

店内に据え付けられた木棚の上には、包帯やおむつ布、生理用品や簡単な薬なんかの日用品とも言える商品が多い。

 

保存の効く食品の棚はやはり前世のコンビニとは違って、日持ちする商品が少ないから商品ラインナップが貧相だ。

 

乾麺に揚げ麺、そしてうちの実家の卸している小麦粉が山のように積み上げてあるが、ここらへんはみんな飽きるほど食べたもののはずだ。

 

プレッツェルやクッキーを瓶に詰めてコルクで蓋をしたようなものも置いてあるが、こういうものも昼間ならば焼きたてがもう少し割安で買えるから手が伸びづらいだろう。

 

ビニールがあればもっと商品の選択肢も増えるんだけどなぁ……さすがにそっちは専門外だし。

 

 

「ねえこれ、なんだい?」

 

「ああ、それは乾燥させた果物を練り込んだクッキーですよ」

 

「ふぅん、美味しいのかな?」

 

 

考え込む俺をよそに、ローラさんは気になったらしい甘いおやつをポイポイと手提げかごへと放り込んでいく。

 

もちろん値段なんか一切見ていない、正真正銘の貴族のお姫様だからな。

 

こういうお客さんが沢山いればなぁ……

 

 

「これはなんだろう?」

 

「それは下着ですよ」

 

「下着? なんで下着が……?」

 

「まあ、緊急避難用なんじゃないですかね……」

 

 

女性用下着と同じ棚には化粧落としや化粧水、香水に歯ブラシにアレにコレ、いわゆるお泊りセットのようなものが置かれている。

 

うちは女が多いからな、必要になることもあるだろう。

 

他の商品に比べて酒やつまみが充実しているのも、それを見た後だとより一層そういう需要だって感じがしてしまうな。

 

まあ深夜にやってることだけが強みの店だからな、客層に寄せた営業は大切だろう。

 

 

「それで君は何を食べるんだい? 小腹が空いているから来たんだろう?」

 

「あー、そうですね……何にしようかな」

 

 

幸い、すぐに食べられる食品の棚には商品が豊富に残っていた。

 

燻製肉とチーズの挟まったバゲット、生ハムとトマトのサンドイッチ、ナンのような生地で赤いソースとウインナーを巻いたクレープのようなものまである。

 

参ったな、選択肢が多くて逆に困るぞ。

 

レジの方を見れば、メンチがゴールキーパーのように守っているポトフに、注文すれば調理してくれるうどん……作り置きのソースだがパスタもある……

 

何!? 量り売りでスープや粥まであるのか?

 

こんなにメニューを作って採算が取れるわけがないだろう……今度チキンに確認しておかないと。

 

 

「メンチ、ここは何が美味いんだ?」

 

「美味いもの……でありますか」

 

 

俺はさんざん迷った挙げ句、ここの常連らしいメンチにおすすめメニューを聞くことにした。

 

彼女は味音痴疑惑もあるからちょっと不安だが、聞くのはタダだしな。

 

 

「私としましては、やはり揚げ鶏クンをおすすめ致します。骨のない鶏肉の揚げ物で、量が少ないのが難点ですが美味さは他の揚げ物に比べても頭一つ抜けております」

 

「揚げ鶏クンね……一つ、いや……三つもらおうかな」

 

「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」

 

 

店番の子は輝かんばかりの笑顔でそう言ってから、レジの上のホットスナック用の三段保温容器から爆裂モロコシの葉っぱに包まれた揚げ鶏クンを取り出した。

 

この保温容器の天井には俺が作った温熱造魔が取り付けられていて、いつでも温かい商品を提供することができる優れものなのだ。

 

自分でもちょっと凝り過ぎかな? と思うが、まぁ別に誰にも迷惑かけてないんだしいいだろ。

 

あの本棚みたいな保温容器がないとコンビニ感が出ないからな。

 

しかし、さっきメンチは「量が少ない」なんて言っていたが完全に大嘘だ……揚げ鶏クン、一つの包みが掌二枚分ぐらいあるぞ。

 

 

「お待たせしました~」

 

 

お箸付きの揚げ鶏クンを受け取って、ローラさんの分の買い物も包んで貰い、まだポトフの鍋を見守っているメンチに別れを告げて店から出た。

 

色んな熱源があって暖かかった店内から出ると、春の気温でも少し涼しく感じるぐらいだ。

 

これは夏に向けて真剣に冷房を考えないと、ガラスから差し込む陽光で店内が地獄になるな……

 

 

「はいローラさん、これ」

 

「ああ、ありがとう」

 

「お前もこれ、食べて」

 

「えっ? いいんすか? ありがとうございます!」

 

 

揚げ鶏クンの一つをローラさんに渡し、もう一つをずっと着いてきてくれた護衛の奴隷に手渡す。

 

タレ眉の山羊人族の彼女は手槍を小脇に抱え、あどけない笑顔で頭を下げて受け取った。

 

この子なんて名前だっけな……アシバだったかシバタだったか……こんな感じでも護衛についてるってことはきちんと戦えるんだよな。

 

人は見かけによらないなぁと思いながら、前世で食べたものよりも二回りは大きい揚げ鶏を口に放り込む。

 

うん、結構美味しいな。

 

成型肉じゃないのに筋張ったようなところもなく、衣がザクっと音を立てて破れれば中に封じられていたジューシーな肉汁が口の中に流れ出してくる。

 

やるじゃん、深夜商店。

 

メンチセレクションも良かったなぁ、大当たりだよ。

 

 

「ふぅん、意外と美味しいものだね」

 

「でしょう、夜中だから余計に美味いんですよ」

 

「そういうものかい?」

 

「そういうものですよ」

 

 

俺とローラさんがそんなことを言って笑い合っている横を、中年カップルが店へと入っていった。

 

小腹が空いたのかな? それとも酒でも飲み直すんだろうか?

 

通りの向こうからは、くわえタバコの女も歩いてくる。

 

思わず歌でも歌いたくなるような春のいい夜なんだ、そりゃみんな、夜ふかししたくもなるか。

 

早足で帰るのがなんだかもったいなくなった俺たちは、暖かな風の流れる暗闇の中をことさらにゆっくりと歩いて帰ったのだった。




リングフィット買えたー!!!!!


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第89話 白き麺 音に聞こえし その味は

うどん話です


田舎臭い町並みをびゅうっと強い春の風が吹き抜け、洗いざらしの一張羅の裾を揺らす。

 

王都の匂いのしない風とも、北の果ての潮風とも違う、強い草の匂いのする田舎の風だ。

 

うん、と喉を鳴らしながら歩くと四方八方から軽い南部訛りの言葉が聞こえて来る。

 

 

「チッ、なんで俺が、こんなとこによぉ……」

 

 

俺はしがない渡り鳥、いろんな土地を回って歌う吟遊詩人(ながし)だ。

 

吟遊詩人には歴史に残るような大事件を歌にしたり、散逸しがちな各地の民謡を収拾して回るなんて御大層な名目もあるが……

 

そういうのは売れっ子や名家の皆様方の食い扶持なわけで。

 

俺みたいな木っ端吟遊詩人はほとんど歌が歌えるだけの宿無し乞食みたいなもんだ。

 

食えなくなったら次の街、揉め事起こしちゃ次の街。

 

どこに行ってもうだつの上がらないまま、流れ流れて早十年。

 

ここトルキイバにも、別れた恋人に部屋を追い出されたそのままの足で、たまたま空いてた乗合馬車の端っこに乗り込んでやってきたのだ。

 

 

「ああ、尻がいてぇ……腹も減った……」

 

 

俺もいつの間にやら三十二、昔は屁でもなかった馬車での移動もだんだんとこたえるようになってきた。

 

同い年の地元の幼馴染達はみんなもう子供も大きい、あと十年もしないうちに孫を抱くやつもいるかもしれない。

 

ああ、俺はこんなド田舎まで流れ流れて……一体何をやってるんだろう。

 

ため息と舌打ちしか出てこない口を横一文字に閉じて、長く伸びた金の前髪を掻き分けながら大通りの看板を睨めつける。

 

伝手も縁もない街だが、とにかく吟遊詩人としては酒場に向かわないことには何も始まらない。

 

本当は今すぐにでも宿にしけこみたい気分だったが、今ちょっとでも動きを止めたら自分の中の何かがぽっきりと折れそうな気がしていた。

 

結局街の入り口からしばらく歩いたところで酒瓶形の看板を見つけた俺は、漏れそうになったため息を飲み込み、親父の形見の機械琴(ハーディ・ガーディ)片手に酒場へと乗り込んだのだった。

 

 

『麗しのケンタウロスの姫~♪ 主より賜りし剛弓で~♪ ヨロイカミキリの(くび)を打ち抜き〜♪ 面目躍如の大働き~♪』

 

 

酒場の隅で粗末な竪琴(ハープ)を爪弾きながら歌うこの街の吟遊詩人の歌を聴きながら、他の街よりも銅粒一つ分も安いエールを流し込む。

 

そうしながらも、右手は休まず小さなメモ帳に歌の内容を書き付けている。

 

いつからだろうか、人から聞いたことをすぐに書きつけることがすっかり癖になっていた。

 

歌のネタ集めは大切な仕事だ。

 

しばらくは他所から持ってきた歌で食いつなげるだろうが、俺も早めにここいらの情報を盛り込んだ歌に切り替えていきたい。

 

歌の内容にこだわりなんかない、美人、変人、笑い話、大博打に魔物の討伐、生活の知恵から商家の不正までなんでもアリだ。

 

ちょっとしたことを針小棒大に膨らませたり、同じ内容を別角度で歌ってみたり、ちょっとでもおひねりが貰えそうならなんでもやるのが吟遊詩人ってもんだ。

 

俺たちを『歴史の証人』だなんて呼び方をする連中もいるらしいが……みんながみんな大貴族の恋模様や大英雄の活躍のような、歴史に残る格好いい歌を作って生きていけるわけじゃない。

 

そういう歌は本当に実力のある連中が作ることになっていて……俺たちドサ回りの吟遊詩人は各地方の他愛もない話が歌の主題なんだ。

 

他愛もない話だ、本当に。

 

本当は歌う必要もないようなことだ。

 

 

『暗く危険な地下迷宮~♪ あ、はぐれた騎士の捜索に~名乗り出たるは羊人族~♪ 大槍ひとつに灯りがひとつ~♪ 鬼雀の大群がぁ~♪』

 

 

妙に安い肉をパンと一緒に頬張り、エールで流し込みながらメモを取る。

 

どうやらここいらは随分と冒険者に有名人が多いらしい、シェンカーって家が力を持っているようだな。

 

 

「兄さん、見ない顔だが歌えんのかい?」

 

「え? ああ……」

 

 

エールのお代わりを持ってきた犬人族の飲み屋の店主が、俺の機械琴(ハーディ・ガーディ)のケースを指差してそう言った。

 

 

「どうだ? 今やってるあいつの後、よその街の歌があるなら聞きてぇんだがよ」

 

「あ、いや……今日はやめとくよ、喉がね……」

 

「そうかい」

 

 

なぜだろうか、歌うためにここまで来たのに、どうにも気が乗らなかった。

 

俺は結局この日は最後まで歌わず……そのまま席で根を生やしたように夜まで粘り、情報ばかりを集め続けたのだった。

 

そうして酒場の店主に紹介してもらった素泊まりの宿の二階に転がり込んで、機械琴(ハーディ・ガーディ)の蓋も開けることなくベッドへと潜り込んだ。

 

なんだか今日集めた情報を整理するような気も起きず、俺は久しぶりの柔らかな寝床をただただ堪能したのだった。

 

 

 

寝て起きて、俺は外に行くこともなくぼんやりとしていた。

 

大通りに面した部屋の窓の下では、槍を担いだ冒険者の一団が馬のない馬車を引き連れて悠々と歩いていくのが見える。

 

農民たちはもう出ていった後なんだろうか、行き交うのは冒険者や荷運びの者ばかりだ。

 

水を飲むことも煙草を吸うこともしないまま、ぼうっと下を見つめながら椅子に座っていた。

 

いつもなら勝手にメモ帳の上を動いていたはずの右手も、なんだか今日は動かない。

 

結局その日は機械琴にも触らず、宿の受付にもう一日分の金を払ってから再びベッドへと潜り込んだ。

 

耳の奥で『あんたがほんとに歌いたいことって何よ!?』と、別れた女が喚いていた。

 

 

 

二日もベッドで寝て過ごした後、もう俺はどうしても機械琴を触りたくなくなっていた。

 

三年も付き合ったあの女が言ったように、歌いたいことなんて何もない。

 

今はもう、音楽そのものに触れたくなくなっていた。

 

元々、歌にしたいと思うほど他人に興味なんてなかったんだ。

 

ただ歌って人を楽しませる喜びだけが俺を支えていたはずなのに、いつの間にやら、それすらもどこかへ落としてきてしまったようだった。

 

ぐぅ、と腹が鳴る。

 

丸一日食べてなかったんだ、そりゃあ腹も減るか。

 

受付でもう一日分の宿泊費を払い、ついでにおすすめの飯屋を聞いてみた。

 

 

「おすすめねぇ、隣のうどん屋かしら」

 

「うどん?」

 

「ペペロンチーノと並んで、ここいらの名物なのよ」

 

「あ、ペペロンチーノは聞いたことがある、細長い料理だろ?」

 

「そうそう、うどんも細長い料理よ」

 

 

土地の名物を食べるのは大切だ。

 

俺は受付に言われるがままに、宿を出てすぐ右隣の店へと入った。

 

 

「らっしゃい、どうぞっ!」

 

 

横髪を刈り上げた店主が差す席に座り、周りを見回すが壁には『うどん』の文字と金額だけ。

 

どうやらここはうどんの専門店らしいな。

 

 

「待ちっ!」

 

 

一品しかないからか、勝手に料理が出てきた。

 

器いっぱいの琥珀色のスープに沈んだ、真っ白いうにょうにょ。

 

フォークで絡めて引き上げてみると、糸のように長いそれが持ち上がった。

 

これってどう食べたらいいんだ?

 

変な味の郷土料理は何度も食べたことがあるけど、食べ方のわからない郷土料理は初めてだ。

 

とりあえずもそっとそのまま口へと運ぶが、大半が口から外に飛び出たままでどうにも食べにくい。

 

 

「お客さん、うどんは初めて?」

 

「あ、ああ……」

 

 

気づけば、さっきの店主が俺の後ろで腕を組んで立っていた。

 

 

「うどんはねぇ、ズーッと(すす)って食うんだよ」

 

 

店主はそう言いながらすぼめた唇を突き出し、ピンと伸ばした二本の指を口へと近づける。

 

啜ってって言われてもなぁ……

 

 

「やってみて、こう、ズーッと、ストローを吸うように」

 

「わかった、わかったから……」

 

 

唇を突き出したまま顔を近づける店主に気圧されたからってわけじゃないが、俺はもう一度フォークでうどんをすくい、ストローを吸うように口へと吸い込んだ。

 

チュルチュルと口の中に入ってくるうどんは、ツルツルとした舌触りでほのかに魚の香りがする。

 

 

「啜って食うとよ、出汁が絡まってうめぇだろ?」

 

「出汁って、これ魚?」

 

「そう! うちはゲハゲハの干物からよぉ~く出汁取ってるからよぉ、染みる味だろ」

 

「へぇ~」

 

 

ガツンと来るような食べ物ではないけど、そこそこ美味くて優しい味だ。

 

俺は啜る食い方にはどうにも慣れないながらもゆっくりとその一杯を頂き、そのまま街へと繰り出した。

 

飯を食ったからか、落ち込んでいた気分が少しだけ上向いていた。

 

まだもう少し金はあるんだ。

 

明日からのことを考えるのは、これから住む街を見て回ってからでも遅かないだろう。

 

 

 

夕陽で街が真っ赤に染まるまで歩き回ってわかったが、このトルキイバという街はどうにもチグハグで変な場所だった。

 

街の人間は王都の流行からは三周遅れの服を着ているというのに、一部の冒険者の装備は軍の横流しを疑ってしまうような最新鋭のもの。

 

芝居小屋では二年前に西の街で見た演目が新作として演じられているのに、よそでは見たことのない料理が山のようにあるし、野球なんて競技が大流行している。

 

吟遊詩人や楽隊の使う楽器だってそうだ、西ではまだ小規模にしか流通していなかった六弦琴(ギター)が、ここでは流通どころか小規模ながら生産までされているらしい。

 

テンプル穀倉地帯の農夫が住む田舎町なのは間違いないはずなんだが、一部の文化が奇妙に洗練されているのだ。

 

さすがは天下の麦所、訪れる商人が多ければ相応に文化の流入も激しいということなんだろうか……

 

 

「む」

 

 

ぐぅ、と腹が鳴った。

 

考えれば朝から歩きづめで、腹にはうどん一杯しか入れていなかった。

 

たまたま大通りからかなり離れたうらぶれた路地を歩いていた俺は、近くにあった店構えが古くて小さな飲み屋へと乗り込んだ。

 

テーブルのない、ほんの十数席しかないような狭い店で、壁には所狭しと黄ばんだメニューが貼られている。

 

新しい街に来たら、こういう小さい飲み屋に飛び込んでみるのが俺の流儀だ。

 

土地の人が普段食べているようなものを食べれば、自然とその土地のこともわかるというもの。

 

 

「あらいらっしゃい、どこでもどうぞ」

 

「ああ」

 

 

奥まった席に腰を下ろすと、いかにも料理の上手そうなおばさん店主が目の前に小鉢を置いた。

 

 

「お客さん初めてでしょ、その芋猪煮食べてみて、うちの自慢なのよ」

 

「あ……ありがとう。とりあえずエール」

 

「はいはい」

 

 

飾り気のない小鉢の中には、あまり食べたことのない猪肉とどこにでもある芋が盛られていて、その上から白髪のような細いネギの千切りが載せられている。

 

人差し指の先ほどの大きさの肉を口に放り込むと、甘めの汁の味と一緒にむせ返りそうなほどの肉の旨味が口に溢れる。

 

じんわりと濃くていい味だ。

 

 

「はいエール」

 

 

出てきたエールを一息で飲み干し、俺は目についたメニューを片っ端から注文したのだった。

 

 

 

そのままなんとなく帰りたくなくて飲み続けているうちに夜はとっぷりと更け、店の中は客でいっぱいになっていた。

 

俺は隣に座った中年親父と話をしながら、強めの酒をちびちびとやっている。

 

前まではこうして飲み屋で隣になった人の話を聞きながらよくメモを取っていたものだが、今日の右手は酒を握ったまま。

 

こんなに気楽に人と話すのは久しぶりで、少し新鮮だった。

 

 

「へぇ、兄ちゃんフーレアラから来たのか、仕事は?」

 

「探してるとこ」

 

 

嘘じゃあない。

 

吟遊詩人を続けるにしても続けないにしても、食っていかなきゃいけないんだ。

 

 

「そんならいい時期に来たな、今ここらへんは仕事がいっぱいあるぞ。シェンカー家が色々手広くやってっから」

 

「こっち来てからよく名前を聞くんだけどさ、シェンカー家ってどういう家なんだ? 貴族?」

 

「粉問屋だよ。そこの息子が魔法使いで貴族にまでなったんだが、貴族にしとくのがもったいないぐらい商売の上手い男でね。俺ら平民にもいろんな仕事を作ってくれてんのさ」

 

「へぇ、そりゃ凄い」

 

「他にもいろんな食いもんも作っててなぁ、ペペロンチーノ、トルキイバ焼き、揚げ麺……あ、この酒もシェンカーか」

 

 

親父はそう言いながら果実酒の入ったグラスを揺らすが、にわかには信じられない話だ。

 

 

「ほんとかよ? 手広すぎないか?」

 

「あそこはなぁ本当に嘘みたいに手広いんだ……そうそう、この店の名物もシェンカーが作ったんだぞ」

 

「名物って?」

 

「うどんだよ」

 

 

またうどんか……

 

まぁ、土地の名物を食べることは大切だ。

 

俺は隣の親父に勧められるがままに、そのうどんを注文した。

 

昼に食ったあの感じならば、今の腹具合でもまだ入るだろう。

 

 

「はいお待ち~」

 

 

目の前に出てきたのは、昼間食べたものと違って濁った汁で、麺の上には茶色い肉のようなものが大量に乗せられていた。

 

肉うどん、そういうのもあるのか。

 

ず、と口を尖らせて麺を啜ると、野味溢れる香りが鼻を抜ける。

 

豚だろうか、いや、猪か。

 

弾力のある麺に歯を入れると、ツルツルの麺が舌の上を踊る。

 

たまらず器に口をつけ、大胆に汁を吸い込んだ。

 

単純に、このスープがとんでもなく美味い。

 

昼に食べたゲハゲハの汁のうどんも美味かったが、俺はこちらの方がずっと好みだ。

 

汁と一緒に吸い込んだ肉を噛みしめると、想像していたものとは違う、カリカリくにゅくにゅとした食感が返ってきた。

 

噛みしめると焼き菓子のようにポリっと砕け、その後はくにゅくにゅと口の中で解けず残る。

 

不思議な肉だ。

 

 

「どうだ、その肉?」

 

「なんか変な感触だ」

 

「そりゃ油かすっつって、肉から油を搾り取って残った部分らしいぜ」

 

「へぇ、絞りかすなのにこんなに美味いんだ」

 

「そうなんだ! その肉もシェンカーが……」

 

 

隣の親父はまだ何かを喋り続けていたが……俺はもう完全にうどんに夢中になっていた。

 

一口食べてからというもの、どうにも左手を器から離せない。

 

うどんには不思議な魔力があった。

 

フォークで掬うのももどかしく、大胆にかき込むようにうどんを口に入れる。

 

火傷しそうに熱いが、たまらなく美味い……!

 

うどんと油かすと汁が口の中で混ざり合って、複雑な食感と香りに胸がときめく。

 

汁は全てを包み込み、油かすは俺が主役だと言わんばかりに麺と張り合う。

 

そしてツルツルとしたコシのある麺は、喉を通り過ぎるときまで俺を楽しませてくれる。

 

うどん、これは一杯の丼の中に作られる芸術だ。

 

この麺も、汁も、具も、作ってくれたおばさんも、勧めてくれた隣の親父も、全てが愛おしい。

 

うどんってやつは……なんて最高なんだ!

 

 

「うまかったぁ~」

 

 

汁の一滴も残さず空にした器を前に、自然とそんな言葉が出ていた。

 

 

「いい食いっぷりだったなぁ、若いってのはいいやな」

 

「いやぁ、うどんって美味いね」

 

「気に入ったかい?」

 

「そりゃあもう」

 

「さっき話したシェンカー家の人間でよぉ、若い女がやってるうどん屋台があるんだが……そこのうどんには汁がなくてよ、なんか塩っ辛くて黒いタレをかけて食うんだと」

 

「汁がない? 想像もつかないな」

 

 

汁がなくてうどんはうどんと言えるのか?

 

 

「うどんは深いぜぇ~、ペペロンチーノも深いけどよぉ~」

 

「あのさ、美味いうどんの店って他にもあんのかい?」

 

「ああ、なんてったってここトルキイバは麺類発祥の街よ、名店奇店勢揃いだぜ」

 

 

得意げな顔でそう言う親父に、気がつけば、俺の右手が自然とメモ帳を開いていた。

 

 

「教えてくれないか? 俺、もっとうどんが食べたいんだ」

 

「え? ああ、いいぞ」

 

 

ちらりと見たメモ帳の中には、今までに溜め込んできた噂話や、人物の情報が所狭しと並んでいた。

 

吟遊詩人にとっての生命線、食っていくための宝、俺の作る歌そのものだったものだ。

 

俺はその宝の末尾へ横に一本線を引き、その下にでっかい文字で「うどん」と書き付けた。

 

ずうっと見つからなかった、俺の歌いたいものを見つけた瞬間だった

 

 

 

 

 

次の日も、その次の日も、俺はトルキイバ中のうどん屋を回った。

 

揚げ物を上に乗せたり、焼いたり、うどんそのものを揚げたり、うどんの種類は驚くほどに多く、毎日毎日俺の舌を楽しませた。

 

うどんばかりを食べていたわけじゃない、俺が目をつけたのは至高の芸術品たるうどんを作る料理人達だ。

 

うどんに歴史あり、と言えるほどの歴史はうどんにはないが、料理人達にはこれまで歩んできた歴史がある。

 

主婦からの開業、軍人からの転職、親からの継承、奴隷からの成り上がり。

 

俺はその歴史の全てを収集し、編纂して歌にすることにしたのだ。

 

今まで集めてきた冒険の話や、恋の噂話なんかとは全く違う、料理人たちの人生の物語は地味ながらも深い含蓄のあるものばかり。

 

俺はどんどんのめり込み、いつしか誰よりもトルキイバのうどん事情に詳しくなっていた。

 

 

 

ほとんど満席の、週末の酒場。

 

男も女も楽しそうに酒を飲み交わし、楽器を担いだ俺なんかには見向きもしない。

 

俺は今、トルキイバで最初に入ったあの酒場の片隅にいた。

 

四本弦に発音用の車輪を備えた機械琴(ハーディ・ガーディ)をケースから取り出し、ぼろっちい木の椅子にどかりと座った。

 

ボタンを押しながらゆっくりとハンドルを回すと、機械琴(ハーディ・ガーディ)の車輪が弦に擦れて和音が鳴る。

 

酔客の何人かがこちらをちらりと見て、また向こうを向いた。

 

 

「北の果てへの強行軍~♪ リエロは仲間と旅に出た~♪ 北で見つけた黒い水~♪ 豆からできた黒い水~♪」

 

 

うどんの歌がウケるかどうかなんて、俺にはわからない。

 

俺が見つけた道なんだ、先なんて誰も知るはずがない。

 

 

「主の(めい)を守るため~♪ (いのち)をかけての道行きを~♪ 赤き列車の線路を辿り~♪ 砂にまみれて幾十日~♪」

 

 

ただ一つ言えるのは、俺が今、本当に好きなことを、歌いたいように歌ってるってことだ。

 

別れたあいつはどう思うだろう、バカバカしいと吐き捨てるだろうか……

 

それとも、あのえくぼの笑顔で笑ってくれるだろうか。

 

チャリン、と楽器ケースに小銭の落ちる音がした。

 

歌の中では、シェンカー家の商隊がケンタウロスの群れと出会ったところだった。

 




結局6万のカブ買いました


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第90話 なぜだかな 観光客に 大困り

日本全国の人修羅の皆様方こんにちは。

次回は30話に一度のまとめ回ですので、何か書いといてほしいことのある人は活動報告にお返事ください。


暖かいを通り越して最早ちょっと暑い気すらする晩春。

 

俺は最近つかまり立ちをするようになったうちの双子に上着の裾を捕まれ、玄関先で立ち往生してしまっていた。

 

 

「あばーっ!」

 

「うーっ!」

 

「こらこらノア、ラクス。お父様はこれからお仕事なんだよ、しがみついちゃいけない」

 

「そうでございますよ、ばぁばと一緒にお留守番をしてまいりましょう」

 

 

双子はキラキラした瞳で俺を見つめながら、二人仲良く俺の上着の裾をおしゃぶりのようにしゃぶっている。

 

 

「ごめんなぁ、お父さんこれから仕事なんだ……」

 

 

元気なことは素晴らしいことだが……上着は変えないと駄目だな。

 

 

「ミオン、旦那様に新しい上着を」

 

「かしこまりました」

 

 

俺が上着を脱ぐと、その上着でそのまま包むようにしてローラさんが双子を持ち上げた。

 

このわんぱくな赤ちゃん達はいつの間にかモリモリと体重を増やし、ローラさんはともかく俺の腕ではもう二人同時にだっこするのは厳しくなってきている。

 

俺が特別非力なわけじゃないと思いたい、そもそも元軍人と研究者を筋力で比べるのが間違っているのだ。

 

特にここ数週間は乳離れも進み、毎日三食も四食も離乳食を食べているせいか、双子はまるで土筆(つくし)(たけのこ)かといった成長の仕方だ。

 

成長と言えば、この間地下に作った牧場もそうだ。

 

造魔孵卵器(インキュベーター)にかけていた鶏の卵が続々と(かえ)り始め、今鶏小屋の中は黄色いひよこで溢れかえっているらしい。

 

やはり春というのは動物も人間もグングンと育つ、そういう季節なのだ。

 

そんな中、体の事ではなく実務者として、めきめきと成長を遂げているのがこの女。

 

俺の筆頭奴隷であるチキンだった。

 

 

「風呂が足りてないんですよ」

 

「風呂?」

 

 

建て替えのために解体され、綺麗な更地となった旧MSG本部前でそう話すチキンに、俺はオウムのように言葉を返す。

 

今日は魔法でここの基礎を固めるためにやってきていて、今は相談があるという彼女のために休憩がてら一旦そちらを抜けてきたところだった。

 

 

「近頃野球が凄い人気でしょう? あれを目当てに観光客が沢山来ていまして……」

 

「観光客ぅ? どうやって?」

 

 

ここは電車に乗ればどこでも行ける日本じゃないんだぞ。

 

こっちの世界じゃ平民は列車に乗れないし、そもそも魔獣の跋扈する街の外に出ること自体が大変な危険なのだ。

 

 

「それがですね、地道に国の乗合馬車で来てるそうなんです」

 

「乗合馬車ったって、三日に一本来るぐらいだろ。それぐらいの人数ならたかが知れてるんじゃないか?」

 

「その乗合馬車に乗ってくる人がみーんなトルキイバで降りるから大変なんですよ。新婚旅行だとか銀婚旅行だとか、傷心旅行だとか諸国漫遊だとか言って、入ってきた人達がなかなか出ていかないんで公衆浴場が大混雑なんです」

 

「宿は?」

 

「宿はうちが経営してるところもありますし、部屋の余ってる家の人が小銭稼ぎで泊めたりするんでなんとかなってるんですけど……風呂はなかなか難しいんですよ」

 

「つってもなぁ、俺にも風呂なんかどうにもならないよ」

 

 

俺は叩けばアイデアが出てくる打ち出の小槌じゃないんだ。

 

トルキイバはもう農業都市としてある意味成長しきった土地なのだ、不要な土地もないし、空き家率も低い。

 

急に言われたって俺にはどうにもできんぞ。

 

 

「ですので、増やそうかと思いまして」

 

「増やす? どうやって?」

 

 

空を切り抜いたような青いスーツを着たチキンは、五階建てのうちのマンションを指差して不敵に笑った。

 

 

「既存の公衆浴場をこのマンションと同じように上に伸ばします」

 

「既存のって言ったって、公衆浴場なんか誰も売ってくれないじゃないか」

 

 

まだまだ家風呂の少ないこの街の公衆浴場ってのは、普通にやってればまず赤の出ない商売なのだ。

 

当然誰も手放そうとしないから、ずーっと土地の買収を続けてるうちも公衆浴場はまだ買ったことがなかった。

 

 

「それがですね、少々値は張るんですが……中町の公衆浴場のオーナーのパドル氏より、シェンカー家になら売ってもいいとお話を伺っているんです」

 

「え、マジ? 公衆浴場売ってくれるの!?」

 

「あそこの店はロース副頭領が懇意にしているそうで、もう年だしたった一人の跡取り息子が王都に出ていってしまったので相続に困っていると相談を受けたらしいんですよ」

 

「ロースかぁ、あいつほんとに顔が広いな」

 

 

チキンは「面倒見のいい人ですから、いろんな人に好かれるんですよ」と苦笑しながら、かぶっているアイボリーのハットのつばを指先でツンとつついて空を見上げた。

 

俺もつられて空を見上げると、ぽっかりと浮かんだ雲がぷかぷかと西へと向かっていくのが見える。

 

そういえば一時期多かった超巨獣の襲来を知らせるサイレンも、近ごろはあんまり聞かなくなったな。

 

あれもダンジョンでロース達冒険者組が頑張っているお陰なんだろう。

 

 

「それでその公衆浴場なんですけど、野球場からもほど近いんで、そちらからの客入りも考えて風呂以外にも色々な機能を持たせたいんですよ」

 

「機能? どんな?」

 

「たとえば散髪ができるようにしたり、指圧師を常駐させたり、軽食を食べられる場所を作ったり……」

 

「なるほど、スーパー銭湯にするってことか」

 

「スーパー……? ですか?」

 

 

ああ、スーパー銭湯じゃあ通じないか。

 

俺はキョトンとした顔のチキンに苦笑しながら手を振った。

 

 

「いや、まあとにかく、一日潰せるような魅力盛りだくさんの施設にするってことだろ?」

 

「そうですね。一応お風呂自体は近隣の方の利用も考えて、これまでと同じお値段でということを考えています」

 

「それでいい、うちみたいな商売は街の人達がいてこそだ、前のほうが良かったって言われないようにしなきゃな」

 

「もちろんでございます」

 

 

しかし風呂屋ねぇ……いよいようちもなんでも屋が極まってきたな。

 

まあ、うちの母体は冒険者組だから、使える風呂が増えるのは組織的にも全然アリなのかな。

 

その冒険者組が熱心に管理しているらしい土竜(もぐら)神殿の方になんとなく目をやると、神殿の周りにござを敷いて商品を並べている人間たちがいるのが見えた。

 

いつもはあんまり気にしてなかったけど、あの勝手に店広げてる闇市みたいなのは放っといてもいいんだろうか。

 

 

「あの青空市場ってさ、どこが管理してんの?」

 

「一応うちのイスカが毎日一通りは見回りをしているはずです。あそこも好き放題やってるわけではなくて、うちの人間以外は商売できないようにしています」

 

「ふぅん、そうか。場所代とかはどうしてるの?」

 

「今の所は特に取ってませんけど、取ったほうがいいですか?」

 

「うーん」

 

 

別に小銭が欲しいってわけじゃないが……どうせなんかあった時にうちがケツを持つなら、そのための金ぐらいはプールしておきたいって気持ちはある。

 

いや、いっそのこと土竜神殿に正式に管理人をつけてそいつに闇市も直接管理させようか。

 

そんなことを考えながら土竜神殿の方へとプラプラ歩き、なんとなく商品を眺める。

 

漬物、古着、ちびた刃物や穴の空いた網、俺とローラさんみたいな見た目の木彫りの人形もある、雰囲気は完全にフリーマーケットだ。

 

これは別に見ていてもしょうがないなと踵を返そうとしたところで、キラリと陽光を反射する金色のものが目に入った。

 

 

「なんだ……?」

 

 

なんとなく気になって近づいてみると、それはピカピカに磨かれた金色の時計だった。

 

なんでこんなところに時計が?

 

時計というものは、間違ってもこんな地べたに置かれて売られているものじゃない。

 

工作機械もロクにないこの世界、こういうものは驚くほど高いのだ。

 

 

「いらっしゃい……って……えっ!? サワディ様!?」

 

「ああ、気にしないで」

 

「へ、へぇ……」

 

 

恐縮しきっている大柄な鱗人族に「触ってもいい?」と声をかけてから手にとってみる。

 

ずっしりと重い、形だけ真似たオモチャというわけではないようだ。

 

彫金も施されていないシンプルな真鍮の懐中時計だが、きちんと針が動いている。

 

自前の時計を取り出して比べてみるが、針の進む速度も同じ、ちゃんとした時計のようだ。

 

 

「これどっかで買い付けてきたの? 貰い物?」

 

「い、いえ……こいつが作ったんでさ」

 

「こいつ?」

 

 

鱗人族の彼が指差したのは、隣りに座っていた少年だった。

 

 

「その子もシェンカーの人間?」

 

「そうです、俺は革工場、こいつは縫製工場で働いてます」

 

 

少年はなぜか値踏みをするような目で俺を見つめているが、自分を雇っているのがどういう人間なのか気になるんだろうか?

 

俺は時計を持った掌を少年の前に出して、いくつか質問をした。

 

 

「これ、どうやって作ったの?」

 

「部品を一つ一つ削り出して作りました」

 

「どこで作り方を教わったの?」

 

「実家が時計屋だったので、曽祖父に」

 

「どれぐらい時間がかかった?」

 

「道具から揃えたので、半年ほど……」

 

「ふぅん……チキン、どう思う?」

 

 

俺が後ろに控えていたチキンにその時計を渡すと、彼女は色んな角度からそれを見つめて感心したように唇を尖らせた。

 

 

「いい出来です、奴隷の出自や経歴はもう少し詳細に調べるようにしたほうが良さそうですね」

 

「うん」

 

 

彼女から時計を受け取った俺は少年に向き直り「これ、いくら?」と聞いた。

 

 

「金貨五枚です、ご主人様」

 

 

しれっとそう答えた彼の姿に後ろめたそうな様子はまるでなく、いっそ気持ちいいぐらいだ。

 

 

「お……おいカシオ! 相手はサワディ様なんだぞ……」

 

「いいんだ」

 

 

鱗人族が少年を諌めるのを止め、俺は地面にしゃがみこんで正面から少年に向き合った。

 

金貨五枚、日本円にしてだいたい五十万円だ。

 

俺が使っている時計でも、だいたい同じぐらいの値段。

 

彫金もない、風防(ガラス)もない、これから先どれぐらい動くのかもわからない時計に、普通ならば金貨五枚をポンと払う人はいないだろう。

 

だが俺は彼の手に、金貨十枚を握らせた。

 

 

「おまえ、出世したいか?」

 

「はい、ご主人様」

 

 

そう答えた彼の瞳は、やる気と野心に燃えていた。

 

こういう人間は金と時間さえあればきちんと自分を磨く。

 

この金貨十枚は言わば先行投資だ。

 

金になる技術というものは得難いものだ、彼にならたとえ金貨二十枚やったってきっと元は取れるだろう。

 

 

「あ、金貨……ひぃふぅみぃ……カシオ、何枚?」

 

「十枚だよ」

 

「あの、サワディ様? ちょっと多いですよ?」

 

 

金貨の数を指折り数えている鱗人族に苦笑しながら、後ろに控えるチキンに時計を手渡した。

 

 

「名前は?」

 

「カシオです」

 

「チキン、カシオを時計屋として取り立ててやれ」

 

「かしこまりました」

 

 

俺と同じように苦笑するチキンがそう言うと、鱗人族は「やったなあ!」と大声を出しながらカシオに抱きついた。

 

 

「こいつ、文字も読めるんです、数字だってわかるし……あと地図も描けます、それとお茶を入れるのも……」

 

「わかった、わかったよ」

 

 

どうやら人望もあるらしい、将来有望だな。

 

しかし、風呂屋に時計屋か……一体全体、うちはほんとに何屋なんだろうか……

 

人材派遣をやってたはずなのに、いつの間にか雇う方になって、観光客の対応にまで腐心して……

 

観光といえば、今作ってる百メートルの高さの造魔が完成したら、野球場と同じようにあれもまた観光スポットになってしまうんじゃないか?

 

なんせ未だ高層ビルなんかない世界だ。

 

この街じゃ高さ二十メートルほどの魔導学園の本棟や、それよりちょっと低いうちの五階建てのマンションですら目立って目立って仕方がないんだぞ。

 

その五倍の高さのものなんて、もしかしたら王都にだってないかも……

 

もしそれを見に観光客がやってきたら、またうちが宿だ風呂だと苦労をするのか?

 

なんだかなぁ……しなくていい苦労をしてる気がするなぁ……

 

 

 

 

 

そんな巨大造魔建造用のドックの中から、ごぼりと大きな泡が浮き上がって消える。

 

俺はそのドックにかけられた橋の上から、建造途中の時計塔(100メートル)級アラクネ型造魔の後ろ首を見上げて(・・・・)いた。

 

第二段階まで建造を勧めたそれはちょうど十メートルの深さのドックから少し肩が出ているぐらいの大きさで、後ろから見ればまるで巨人が風呂に入っているようにも見える。

 

まぁ六メートルぐらいのフルフェイスヘルメットに八つの目玉を貼り付けたような顔だから、前から見れば沼から出てきた化け物って感じだろうけど。

 

 

「しかし、改めて見ると凄い大きさだねぇ。まだ肩から上しかできてないのに見上げなきゃいけないなんて」

 

「本番で作る都市級に比べたらこれでもまだまだ小さいんですよ、軍は最終的には造魔の背中の上に街を作るつもりらしいですから」

 

「うへぇ、動く街かい? 僕は結構乗り物酔いするタチでね、そこには住めそうにないな」

 

 

造魔研究室のマリノ教授と、その助手である俺はそんな事をくっちゃべりながらも手を動かし、こいつに打ち込む制御杭の最終調整を行っていた。

 

まだ原因は解明されていないが、造魔というのは人の手で作られながらも長生きすれば自我を獲得してしまうもの。

 

さすがにこのサイズの造魔だと、下手に動かれると街が壊滅するからな……

 

なので間違っても自我が芽生えることのないよう、最初から制御杭を打ち込んでリモートコントロールで動く造魔として運用する事に決まっているのだ。

 

 

「じゃあ……始めようか」

 

「はい」

 

 

マリノ教授の言葉で作業は始まり、俺は橋から渡した梯子で造魔の肩へと渡った。

 

 

「神経確認します」

 

「神経確認、よし」

 

 

造魔の首へと探知魔法をかけ、バイパスする予定の神経の場所を確認する。

 

蜘蛛の体の上に人間型の上半身が乗っかるアラクネ型は、神経や筋肉も人間と構造が近い。

 

俺は造魔の脳から背側へと走行する運動神経を確認し、制御杭を入れる切れ目にマーキングを施してから橋へと戻った。

 

 

「神経異常なしです」

 

「異常なし、よし」

 

「切開します」

 

「切開、よし」

 

 

教授の許可の言葉に、造魔研究室の後輩に当たる生徒二人が腕まくりで橋から造魔の肩へと移る。

 

一人はこのためだけに作った巨大な鉄板のメスを浮遊させて造魔の首へと近づけ。

 

もう一人はその浮遊する鉄板を超振動させ、二人がかりでそれを操りゆっくりとゆっくりと首に切れ目を入れていく。

 

なんせ太さが四メートル近くもある首だ、しかもアラクネは戦闘用造魔で作りが頑丈だから余計に力の塩梅が難しい。

 

もちろん頑丈とはいえ攻撃魔法に耐えられるような強度ではないから、こういう迂遠な方法を取っているわけだ。

 

切り込みを入れすぎて首を落としてしまっては意味がないからな。

 

魔法の利用法っていうのは向いてる分野と向いてない分野がバキッと分かれている、しょうがないことなのだ。

 

 

「切開完了です」

 

「切開完了、よし。制御杭、挿入」

 

 

いちばん大事な部分は責任者の仕事だ。

 

マリノ教授は魔法で浮かせた制御杭を、設計図通りに首の切れ目へと差し込んだ。

 

 

「挿入完了」

 

「再生魔法かけます」

 

「再生魔法、よし」

 

 

俺は造魔の皮膚の表面の方に、少しづつ再生魔法を流し込んでいく。

 

全部一気に治すと制御杭が弾き出されてしまうから、傷口の端だけ閉じてあとは自然治癒に任せるのだ。

 

そんな状態では普通の生き物ならそのまま死んでしまうだろうが、これぐらいじゃあ造魔は死なない。

 

なぜ死なないのかはまだわかっていない。

 

というか、俺が魔結晶交換式の長寿命造魔を作り出してから未だ十年も経っていないんだ、造魔に魔素切れと耐久限界以外の死があるのかどうかなんて誰も知らないのだ。

 

そもそも既存の動物と似通った構造をしていて自我を獲得するとはいえ、魔力のみで動く人造物(クリーチャー)である造魔に、治癒どころか生命という概念があるのかどうかというのも正直疑問ではある。

 

俺たちは正しくわからないものをわからないままに、欲望の限りを尽くして使い倒しているわけだ。

 

いつか人類がこの傲慢さに手痛い反撃を食らう時が来るのかもしれないが……その時が俺や俺の子どもたちの代でないことを願おう。

 

制御杭の突き刺さった傷跡から流れる、金の粒子の混ざった黒い体液を見ながら、俺は大して信じてもいない神様にそう祈ったのだった。

 




上前三巻は11月27日発売予定
コミカライズ二巻は12月12日発売予定です
なにとぞよろしくお願い致します


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90話までのまとめ

異世界上前書籍版第三巻は11月30日発売。

Dくんとローラさんの結婚式まで収録のコミカライズ第二巻は12月14日発売です。

年末のお供にいかがでしょうか。

なにとぞよろしくお願いいたします。


[通貨]

 

単位はディル。

 

金貨=10万円

 

銀貨=1万円

 

銅貨=1千円

 

ぐらいの価値です。

 

庶民は月に銀貨15枚程度で生きています。

 

もっと下に銅粒と呼ばれる百円玉扱いのお金がありますが、これをお上は認知していません。

 

これまた違法な硬貨ですが、硬貨を半分に切った半金貨や半銀貨等もあります。

 

 

 

[強さランキング]

 

大貴族 > 貴族 > 貴種(無役の魔法使い) >>>>>> 平民(魔法使い) >>>>>>>>> 平民

 

戦闘力も権力も同じような感じです。

 

基本的に魔法使いは魔臓の性能=強さなので、強い血を取り込み続ければ魔臓が強くなっていきます。

 

主人公は回復力・支援力は大貴族超えですが攻撃力は平民同然です。

 

攻撃魔法を使っても半田ごてで殴りかかるぐらいの威力しかないので、石投げた方がマシです。

 

 

 

[魔法使い]

 

普通の人間が[火力1~3 防御力1]だとしたら、魔法使いは[火力1~無限 防御力1]、能力によっては防御力も無限の化け物。

 

平民がナイフで刺せば魔法使いは死ぬが、魔法使いは一日で街を地図から消滅させられる。

 

遺伝子が似てるだけの別生物だと言ってもいいぐらいだが、実は魔法使い以外の血筋の猿人族や亜人種達にも魔臓があるので、出力はともかく魔法は使えたりする。

 

ただし魔法は学問なので、学ばなければ使えない。

 

現在世界の覇権を取っている主流派の魔法使い達以外にも様々な土着魔法を使う人達がいたが、ほとんど残らず焼き尽くされた。

 

たまに現れる超能力者は、遺伝子そのものに力を残す種類の土着魔法の残滓なのではないかと言われている。

 

 

 

[クラウニア]

 

主人公の生まれた国。

 

元々今の領土よりも北に、同じ名前のクラウニアという国が古くからあった。

 

平和を尊ぶ気質のその国から排斥されるように海の向こうの土地に攻め込んだ武闘派貴族と超武闘派王族が、そこを拠点として独立し、そのまま祖国に逆侵攻。

 

二度と逆らえないレベルで国土を焼かれた旧クラウニアは降伏条件に国名を改める事を入れられ、現在はケッタマン王国という名前になっている。

 

独立後のクラウニアは現在に至るまで国内総生産の30%以上を軍事費に投入し続ける超軍事偏重国家で、国王から官僚、代官に至るまで、政に関わるほぼ全ての人間が軍人である。

 

そのためクラウニアという国は、民が国や軍を支えているのではなく、国そのものである軍に民がぶら下がって生きているという非常に歪な構造を持つ。

 

国は非生産者である軍を食わせるためにとにかく麦の生産に力を入れており、人の住む街の周りのほとんどは麦畑である。

 

陸軍と海軍は伝統的に対立しているが、クラウニアが平地にあり海が少ないため陸軍の方が勢力が強い時代が長かったが、最近はそうでもない。

 

慣例で王と第一王子は軍閥に関わらず、陸軍と海軍は第二王子以下の王子を頭に戴く事が多い。

 

 

 

[シェンカー家]

 

・サワディ

 

主人公、男。

 

前世の社畜スピリッツがいまいち拭えない転生者。

 

お家騒動回避のために魔導学園に入れられた。

 

1〜4話まで10歳

5〜18話まで11歳

19〜29話まで13歳

30〜41話まで14歳

42話〜72話まで 15歳

73話から16歳

 

得意技は再生魔法と支援魔法。

 

攻撃魔法も使えるけれども、実用域まで出力が上がらない。

 

夢は働かずに、自分の劇場で出し物を見て暮らすこと。

 

使い捨ての人造生物だった造魔を、燃料を補給することで何度も使えるようにした『魔結晶交換式造魔』の開発に成功。

 

資金稼ぎのためにダンジョンに地下道を繋ぎ、密かに開発した『魔結晶生成造魔』で作り出した闇魔結晶を市場に流して私腹を肥やす。

 

回復不可能と思われていた魔臓欠損症の治療に成功、後に妻となるローラ・スレイラの手引きにより陸軍の魔臓欠損者へと秘密裏に治療を開始。

 

力は非常に弱いが、燃料なしで動く造魔『無限造魔動力』の開発に成功。

 

出力は非常に弱いが、周囲から魔素を集めて魔結晶の代わりとなる造魔『無限魔結晶』の開発に成功。

 

成果を上げすぎて王家から(明言はされていないが)無茶振りを食らい、都市と同じ大きさの造魔を作ることに。

 

上司に当たる造魔学研究室のマリノ教授からは助教の内定を貰っていたが、魔臓治療で関わった陸軍の人間たちの推薦により一足飛びに准教授に就任。

 

双子の息子と娘も生まれ順風満帆に思われたが、妻に地下道の『魔結晶生成造魔』がバレ……あわや死刑に処されるところを妻の兄と王都の元患者達に救われ、トルキイバ据え置きの刑を受ける。

 

本人も地元を離れるつもりはなかったので別に構わないと思っており、王都の人達も生意気な平民上がりを地方に封じ込められて一安心、図らずもWin-Winとなった。

 

ペットに黄色い小飛竜型造魔のトルフがいる。

 

成長するにつれ山賊王だった先祖の因果が回ってきているのをひしひしと感じているらしい。

 

まだ髭はちょっとしか生えていないが、多分将来は髭もじゃ。

 

黒ひげについては過去の亡霊と、今の所あんまり気にしていない。

 

成り行きでこの世界に野球を広め、オーナーとしてシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)というチームも持っている。

 

自分の投球技術に少々の自信を持っていたが、嫁に木っ端微塵に打ち砕かれた。

 

ローラがピッチングをする時はよく女房役としてキャッチャーに選ばれ、彼女の投げる魔球にふっ飛ばされながらも先がけした回復魔法ですぐ回復して戦線復帰するゾンビ捕手として一部で有名。

 

 

・ノアとラクス

 

サワディ16歳の時の子、父と同じ夏生まれ。

 

双子で名付け親はブレット、ノアが兄、妹がラクス。

 

二人とも好きなものは野球ボールと飛竜のトルフとミオン婆。

 

ノアは父譲りの黒髪で、多分将来は髭もじゃ。

 

ラクスは母譲りの金髪で、赤ちゃんの時点で美人とわかる顔つき。

 

魔法の才能は不明。

 

 

・ 『笑顔』のブレット

 

おやじ。

 

主人公の37歳年上。

 

バリバリの反社会勢力だったシェンカー家の由来を知る。

 

女狂いのジェルスタン、ちゃらんぽらんなシシリキ、趣味狂いのサワディら、凸凹三兄弟が全員結婚したので一安心。

 

のはずだったが、三男のサワディの人生が激動すぎてまだまだ心配事が耐えない。

 

教育方針から決別はしたが、妻一筋の苦労人。

 

黒ひげの手下の暗躍を心配し、貴族の魔法使いである三男の子への名付けを渋っていたが、結局ノアとラクスと名付けを行った。

 

三男の嫁がちょっと苦手だが孫に会いたい気持ちには勝てず、たびたび家を訪れているそうだ。

 

 

『微笑み』(にやけづら)のジェルスタン

 

上の兄貴。

 

主人公の15歳年上。

 

女好き。

 

浮気がバレて嫁に殺されかけたり、性病を貰ったりした時は弟のサワディに治してもらった。

 

嫁さんと義父が出来物なので安泰。

 

子沢山で、一説には野球チームを作れるぐらい子供がいるらしい。

 

寝るとなかなか起きない。

 

 

・シェンカー商会番頭 ピスケス

 

ブレットが厳しく育て上げた超有能商人。

 

娘が長男ジェルスタンの嫁になり、子供を二人出産済みなので一安心。

 

孫が利発でダブル安心。

 

主家の三男が儲け話を色々持ってきてくれて嬉しい。

 

最近男孫が女の尻を追いかけ回し始めたので心配。

 

苦労人。

 

実は黒ひげの手下の子孫。

 

 

『流水』(よっぱらい)のシシリキ

 

下の兄貴。

 

主人公の8歳年上。

 

お酒が好き。

 

利き酒の名手。

 

交友関係が非常に広く、トルキイバの祭りに積極的に参加している。

 

サワディに作ってもらった、紫毛黄色角の八本足の造魔バイコーンを持つ。

 

フラフラしていたが、結婚して子供ができたのを機に実家の仕事を手伝うようになった。

 

シェンカー通りの土竜神殿の祭りを取り仕切っている。

 

 

・母親

 

魔法使いの血を引く女性。

 

ジェルスタンが平民を嫁にしたことによってブレットと決別、サワディが大きくなったのでお役御免とばかりに王都へと戻った。

 

生きてます。

 

 

・ 『黒ひげ』シェンカー

 

主人公の4代前の祖先。

 

念動力者の超能力山賊。

 

人殺しまくり。

 

貴族脅しまくり。

 

トルキイバ、トルクス、ルエフマの間の超巨大穀倉地帯を牛耳ってみかじめ料取りまくり。

 

攫ってきた貴族の女に尻に敷かれて商家に鞍替え。

 

こいつが死んだあとのシェンカー家は大変だった。

 

黒ひげ自身が名をつけた四十八人の手下がいた。

 

トレミーの48星座から取られた手下達の名前からして、多分主人公の前世と同じ世界の出身。

 

星座好きなセンチメンタル大山賊。

 

シェンカー姓は貴族の嫁さんの姓であるため、実は王都に正真正銘貴族のシェンカー家が存在する。

 

黒ひげの記録がほとんど残っていないのは嫁さんの実家が火消しをしたため。

 

 

・リナリナ

 

次男シシリキの嫁。

 

北の果てのタラババラの生まれで、祖先を辿ると二百年前に旧クラウニアから渡ってきた同人種系の外国人の子孫である。

 

祖先の祖先が『リューゾージ』を名乗る日本人で、日本の文化を子孫に残していた。

 

夫との出会いは祭り関係。

 

 

・ライザ

 

長男ジェルスタンの嫁で番頭ピスケスの娘。

 

ジェルスタンの浮気癖にはほとほと愛想が尽きているが、そのたびに殺す勢いで棒で殴っているので夫婦仲自体はそこそこ良好。

 

夫の隠し子を認知こそさせないが、養育費の工面をしたり、なにくれと面倒を見てやったりと、旦那の尻拭いをきちんとこなす懐の深さもある。

 

息子たちが夫に似て性に奔放に育ったことにより、また新たな心労の種ができ気を揉んでいる。

 

シェンカー家の業績自体は義弟のサワディのおかげで順調すぎるぐらい順調で安心。

 

 

 

[奴隷達] ※名前付きのみ

 

 

・ 『七剣』のピクルス

 

第1話から登場

 

ド田舎の山地であるヤナカンの出身、カナイの子。

 

サワディと同い年のケンタウルス、馬人族。

 

元農民。

 

後足に障害があった。

 

土竜の神の加護を持ち、視力が悪い。

 

最初小さかったが、後に筋肉が付きムキムキマッチョになる。

 

武器は槍、投槍、剣、大剣、弓、スリング、メイスなど割と何でも使える。

 

物腰柔らかいが奴隷達一の膂力を持つ。

 

眼鏡をかけているのでインテリゆるふわマッチョ。

 

MSGでは分隊長になる。

 

シェンカー一武道会で優勝し、名実ともにマジカル・シェンカー・グループ最強となった。

 

トルキイバ・タラババラ交易隊の護衛団の隊長に任命され、一人の死者も出さず交易を成功させた。

 

成長とともにどんどん膂力が増し、引退した大弓のケニヨンより引き継いだ大弓をへし折るほどになる。

 

その後サワディより複合素材の大弓を与えられ、超巨獣ヨロイカミキリを撃ち殺し、トルキイバの平民の中で最強となった。

 

 

・ 『沈黙』のボンゴ

 

第1話から登場。

 

サワディの6歳年上の鳥人族。

 

金髪。

 

元狩人。

 

墜落して羽をなくしていた。

 

上手く喋れないタイプの鳥人族。

 

指定席はピクルスの背中。

 

武器は投槍、短剣。

 

MSGでは分隊長補佐。

 

料理が趣味だが、基本的にピクルスとサワディ以外はその腕を知らない。

 

寮ではルッチという猫人族と同室。

 

野球では持ち前の器用さから七色の変化球を投げる名ピッチャーになり、『魔術師』のボンゴというややこしい二つ名を持つに至った。

 

 

・ 『氷漬け』のロース

 

第5話から登場。

 

サワディの6歳年上の魚人族。

 

赤髪のボイン。

 

元傭兵。

 

冒険者落ちした魔法使いに傭兵団が壊滅させられ、相手を殺すも右腕右目を失う。

 

お酒好き。

 

目立ちたがり。

 

粗野で粗暴だが仁義あり。

 

武器は槍、剣、鋭い牙。

 

MSGでは副頭領。

 

モテる。

 

実は読み書きができる。

 

サワディから預けられた赤毛の小猫型造魔の面倒を見ている。

 

サワディから教えられたふわっとしたプロレス技を独自の研究でモノにしており、近接格闘に強い。

 

毎晩飲み歩いており、やたらと顔が広い。

 

男からよく服や酒、時々馬などの貢物を貰うが、今は特に決まった相手はいないようだ。

 

将来は飲み屋でもやろうかと考えているそうだが、あまり料理は上手くないらしい。

 

 

・ チキン

 

第5話から登場。

 

サワディの3歳年上の人族。

 

錬金術師に臓器を抜かれて死にかけていた。

 

商家の丁稚をしていたため、追加講習を受け会計役に。

 

商人としての才能はあった模様。

 

苦労性、仕事を抱え込みすぎる。

 

浪費だとわかりながらも喫茶店の珈琲を毎日飲んでしまう、ハー○ンダッツがやめられないOLのような悩みを持つ。

 

着道楽で、同じ格好をしているところを見たことがないと言われている。

 

知識奴隷から出世して、現在はサワディの筆頭奴隷となっている。

 

最近の悩みは浮いた話がないこと。

 

サワディから預けられた、青毛の子犬型造魔のジフの面倒を見ている。

 

シェンカー一家のナンバー2なので給料は多いが、貯金はほとんどない。

 

よく眼鏡をかけているが、眼鏡は伊達。

 

知識層の象徴たる眼鏡は、奴隷身分の彼女の障害を一部でも払ってくれる魔法の装備なのだ。

 

自分でも服を作っているらしい。

 

最近シェンカー本部の建て替えにより棚ぼたで自分の服飾店を持てることになり、人生の絶頂を味わっている。

 

 

・ 『消し炭』のメンチ

 

第5話から登場。

 

主人公の7歳年上の鱗人族。

 

火竜に焼かれ全身黒焦げで左腕も喪失したが生き残った。

 

元正規兵。

 

脳筋。

 

奴隷達に軍隊流の訓練を持ち込み、恨みと尊敬をかった。

 

武器は槍と剣と自らの五体。

 

MSGでは頭領。

 

宝物は綺麗な懐中時計。

 

食い道楽で、部屋には色々と食べ物を隠し持っているとのこと。

 

新しい物好きで新メニューに弱い。

 

うわさ話も好きで、壁新聞を熱心に読んでいるところをよく目撃されている。

 

負けず嫌いで実力もあるのだが、サワディが見ているここぞという勝負で負け続けている。

 

シェンカー家の深夜商店に毎晩出没しているらしい。

 

 

・ シーリィ

 

第11話から登場。

 

主人公の6歳年上の人族の愛玩奴隷。

 

歌と踊りを仕込まれている。

 

髪はピンク。

 

シェンカー一家の料理長的存在。

 

おじさんばかりにモテて、あまり嬉しくないのが悩み。

 

相方のハントが結婚してかなりの焦りを感じている。

 

 

・ ハント

 

第11話から登場。

 

主人公の8歳年上の人族の愛玩奴隷。

 

裕福な家の出だったので詩が得意。

 

裁縫は趣味でやっていた。

 

髪は緑、ボイン。

 

炊事場がメインの持ち場で、人手が足りない時は事務もやる。

 

サワディから預けられた、緑毛の小さいゴリラ型造魔のジーンの面倒を見ている。

 

最近中町の町内会長に紹介された相手と結婚した。

 

相方のシーリィからのプレッシャーが凄い。

 

 

・ エラフ

 

第18話から登場。

 

喫茶店のウェイトレスを任された兎人族。

 

外にも友達がいて、楽しくやっている。

 

次は調理担当にステップアップしたい。

 

 

・ ラーズ

 

第20話から登場。

 

仕事が丁寧なことに定評がある。

 

最近では芝居にも参加していて、可愛いと評判。

 

 

・ プテン

 

第20話から登場。

 

元冒険者でピクルスの下につく。

 

喧嘩っ早く、また喧嘩に強い。

 

言うことを聞かずに一般人と喧嘩した懲罰でピクルスに一撃でやられ全治一ヶ月、しかし夜にはサワディが治した。

 

毎晩飲み歩いており粗暴なところがあるが、ピクルスの名を出すと大人しくなる。

 

 

・ 『迷わず』のオピカ

 

第27話から登場。

 

鳥神の加護を持つ山羊人族。

 

方角がわかるため、地下通路作りでは重要人物で有名人だった。

 

しかし加護のせいで鳥目。

 

故郷の両親に手紙を送り続け、ついに再会を果たした。

 

狼人族のルビカとは同じ馬車でトルキイバへ来た縁で義姉妹の仲。

 

現在は元闇医者オフィユカスの元で医術を習う医者見習い。

 

 

・ ジーリン

 

第27話から登場。

 

地下の現場監督の一人、牛人族。

 

姉御肌で現場の信頼も厚い。

 

ボインボイン。

 

土木作業の腕は確かで、プール建設に尽力した。

 

魚が好き。

 

 

・ ラーゲ

 

第27話から登場。

 

地下のバイトをよくする一般奴隷。

 

犬神の加護を持つため鼻がよく効き、穴を掘るのも上手い。

 

一方加護のせいで目があまりよくない。

 

足が悪かった。

 

趣味は食べ歩き。

 

鼻がよく効くはずだが、勝率は五分五分。

 

揚げ麺が好きで、色々な食べ方を試行錯誤している。

 

 

・ マモイ

 

第29話から登場。

 

雑貨屋を任されている技能奴隷。

 

木工が得意。

 

夜は明るくて快適な地下通路に入り浸り。

 

プールで遊ぶための遊具を作ったことで有名になり、仲間から仕事を頼まれ残業が減らない。

 

 

・ ナバ

 

第29話から登場。

 

雑貨屋を任されている技能奴隷。

 

絵が得意。

 

夜は美容のために長く寝ている。

 

 

・ ストーロ

 

第29話から登場。

 

噂好きの一般奴隷。

 

喋る内容の8割が噂話ともっぱらの噂である。

 

賭けの胴元をやったり壁新聞を書いたり、バイタリティのある女。

 

 

・モイモ

 

第35話から登場。

 

超器用貧乏で名を馳せた兎人族の女。

 

前から狙っていた音楽隊に入れたはいいが、何でもできるので人が抜けたりすると臨時にパート変更を頼まれる事が多い。

 

顔が広く知り合いが多い。

 

何でもできすぎて隙がなくモテない

 

何でもできすぎてサワディの私設劇場の支配人に任命された。

 

何でもできるがあんまり男が寄り付かない、理由は怒ると怖いから。

 

 

・ジレン

 

第39話から登場。

 

シェンカー一家の管理職の一人。

 

長身の人族で、少し間の悪いところがある。

 

愛煙家で、一人でいる時はアンニュイな表情を浮かべていることが多い。

 

トルキイバ・タラババラ交易隊を率いて北の果てへと旅した。

 

一皮むけたと評判で、チキンからの信も厚い。

 

 

・ムハラ

 

第42話から登場。

 

シェンカー音楽隊に所属している。

 

狐人族の大太鼓叩き。

 

 

・アルプ

 

第42話から登場。

 

シェンカー音楽隊に所属している。

 

小太鼓叩きで、緊張しがち。

 

 

・レオナ

 

第42話から登場。

 

シェンカー音楽隊に所属している。

 

冷静沈着な人族の指揮者。

 

昔王都のサロンで小間使いをやっていたため、貴族への対応に詳しい。

 

喧嘩が強い。

 

 

・シーナ

 

第42話から登場。

 

シェンカー音楽隊に所属していた。

 

お調子者の犬人族で笛吹き。

 

現在は結婚して子供もいて、夫とともにシェンカー一家の屋台で働いている。

 

 

・ルビカ

 

第47話から登場。

 

狼の神の加護を持つ狼人族。

 

オピカと一緒にトルキイバへやって来た。

 

その縁で、オピカとは義姉妹の関係。

 

冒険者をやっていたが、敵を探知できる加護を買われて警備隊のトップに据えられた。

 

クソ真面目。

 

 

・カメブ

 

第51話から登場。

 

ジーリンの率いる土木工事班の班員。

 

サイズは並だが、爆乳のジーリンの近くにいるので貧乳に見られるのが悩み。

 

 

・ガマリ

 

第51話から登場。

 

魚管理班の一人、魚人族のお姉さん。

 

人と話すのが少し苦手で、前髪は目を隠すように長く伸ばしている。

 

褐色の肌に銀髪銀鱗が似合っていると褒められることもあるが、褒められたあとは恥ずかしくて上手く歩けなくなる。

 

たまに調子をこいては後悔しての繰り返し。

 

仕事上での周りからの信頼は厚い。

 

 

・イスカ

 

第54話から登場。

 

珍しい虎型の猫人族。

 

シェンカー一家の管理職候補の一人。

 

感情が無意識にしっぽに出てしまう。

 

ガタイが良くてかっこいい見た目の割に、荒事が苦手で気が弱い。

 

かなりモテるが、自分がモテていることにいまいち気づいていない。

 

元花市場の売り子。

 

もうすぐ管理職候補の候補が取れそうだが、生来の気の弱さのせいで後輩との付き合いに悩んでいる。

 

 

・『韋駄天』のカクラ

 

第54話から登場。

 

郵便部の金髪モコモコ猫人族。

 

圧倒的に足が速い。

 

サワディの2歳年上だが、年の割に仕草が幼いと言われている。

 

最近はスレイラ白光線団(ホワイトビームス)の盗塁王として活躍中。

 

 

・ヤシモ

 

第54話から登場。

 

食い意地のはった山羊人族。

 

食う割に痩せていて、周りから心配されている。

 

単に太りにくいだけ。

 

そこそこ口が回る。

 

 

 

・ヨシナ

 

第55話から登場。

 

郵便部で、『韋駄天』のカクラの所属する班の班長。

 

犬人族、非常に大雑把。

 

大食らいで、お肉が好き。

 

 

・ポート

 

第55話から登場。

 

郵便部、ヨシナ班の一人。

 

おしとやかな見た目の人族で、喋りも丁寧だが少し腹黒いところもあるとの噂。

 

噂では三人の男を弄んでいるとかいないとか。

 

あくまで噂である。

 

 

・ラフィ

 

第56話から登場。

 

背負ったグラディウスが大剣に見えるほど小さな犬人族の剣士。

 

巨獣である暴れ鳥竜をほぼ単独で狩ったことがある。

 

 

・プーラ

 

第56話から登場。

 

マジカル・シェンカー・グループ本部の近くで、身内向けの小料理屋をやっている狼人族。

 

料理も上手だが、客あしらいはもっと上手。

 

得意料理はグラタン。

 

 

・『同じ顔』のソルメトラ

 

第58話から登場。

 

マジカル・シェンカー・グループ本部の食堂に勤務する人族の女。

 

自分と同じ顔の女を尋ねて回る謎の美女として、良くも悪くも有名だった。

 

非常に顔が広く、上司であるチキンから探偵のような事を頼まれる事もある。

 

最近二人の妹ができたらしい。

 

 

・『画聖』ハミデル

 

第59話から登場。

 

自称画壇の華のおじさん。

 

どこの画壇の話なのか、真実を知るものはトルキイバにはいない。

 

サワディの私設劇団の美術担当になった。

 

自分で言うほどにはモテない。

 

 

・『百色』のカバヤン

 

第59話から登場。

 

多彩な色使いに自信があるが、色使いにこだわりすぎて採算が取れず借金ができたおじさん。

 

 

・『雷描』のプスタン

 

第59話から登場。

 

雷のように素早く描くことで有名。

 

人の話を聞かない事でも有名なおじさん。

 

 

・マァム

 

第54話から登場。

 

槍使いの羊人族で冒険者組。

 

少し引っ込み思案なところがあるが、思い切った後の行動力は高い。

 

ダンジョンでもロースの隊で活躍し、野球にも参加。

 

 

・ヤンボ

 

第67話から登場。

 

冒険者組の兎人族。

 

白髪赤目の長身で、ロースの班でダンジョンに潜っている。

 

 

・インパ

 

第67話から登場。

 

犬人族の冒険者組で、ロースの班でダンジョンに潜っている。

 

よく利く鼻で仲間を助ける。

 

 

・リエロ

 

第71話から登場。

 

元々ピクルス配下の冒険者組だったが、北の果てに送られた時に自分用の醤油や味噌を買い込んでくるなど将来料理で食っていくことを心に決めて準備をしていた。

 

その後も冒険者を続けながら料理の勉強を続け、後に退役してうどん屋を開く。

 

 

・レナード

 

第69話から登場。

 

元男爵家の家令の老人。

 

実務経験が長く知識経験共に最強クラスの人材。

 

老人なのに買値が他より数段高かった。

 

キビキビ動くようになった体でスレイラ家の家令候補のチキンをビシバシ鍛えた。

 

チキンは元からの地頭と要領の良さもあり早々に卒業してしまったので楽隠居かと思ったが、有能人材にはいくらでも仕事がやってくるので未だにコキ使われている。

 

現在は管理職候補や幹部クラスの奴隷達向けの幹部教育と、普通の奴隷たちの一般教養の教育担当として活躍している。

 

 

・オフィユカス

 

第74話から登場。

 

元闇医者で、外科手術の上手。

 

薬学にも精通している。

 

医院と後身の教育を任されたはいいが、奴隷の子供たちの子守までさせられて困惑。

 

実は黒ひげの手下の子孫。

 

 

・トロリス

 

第75話から登場。

 

羊人族の管理職候補。

 

身嗜みに気をつけていて、常に髪型を整えるための櫛を持っている。

 

美意識の高いチキンを女としても上司としても尊敬している。

 

 

・ウォトラ

 

第75話から登場。

 

大柄で筋骨隆々な猫人族だが、退役して隠れ家的な鉄板料理屋をやっている。

 

 

・リーブラー

 

第77話から登場。

 

口髭を生やした中年男。

 

冒険者組で、手堅い仕事に定評がある。

 

『スレイラ白光線団』に所属し野球も嗜む、手堅い守備に定評がある。

 

ボクシングのテスト役としてファサリナ先輩をワンパンでのし、冒険者組のポテンシャルを見せつけた。

 

実は黒ひげの手下の子孫。

 

 

・クラフト

 

第79話から登場。

 

革工場で働く鱗人族の男。

 

数字は苦手だが、食い意地だけは誰にも負けない。

 

カシオの同室で、なにくれと面倒を見ているつもりだが、面倒を見られている部分も多々ある。

 

期間限定という言葉に弱い。

 

 

・カシオ

 

第79話から登場。

 

本名はカシオペア。

 

時計屋のせがれで、「サワディ様に仕えろ」という曽祖父の遺言を受けてサワディの奴隷になった。

 

しっかりと教育を受けており、地頭もいいためサワディの4歳年下だが非常にしっかりしている。

 

計算はもちろん、時計も作れ、統計学もわかり論理的思考もできるスーパーキッズ。

 

時計作りの腕をサワディに見込まれ、時計屋として取り立てられた。

 

野球ファンで、贔屓チームは『シェンカー大蠍団』、帽子やユニフォームのレプリカも持っている。

 

黒ひげの手下の鍵開け師の子孫。

 

 

・シィロ

 

第85話から登場。

 

元々トルキイバでは歴史ある劇場であるクバトア劇場の役者で、主役を張っていた時期もある。

 

その経歴からサワディの劇場の団長を任され、苦労することに。

 

良くも悪くも苦労してきているので、あれこれ気を揉んでしまい疲れがち。

 

 

・ゼペ

 

第85話から登場。

 

サワディの劇団の楽団長。

 

劇団全体よりも自分の担当する音楽のことを気にする人間で、団長のシィロを苦労させている。

 

 

 

 

 

 

 

[魔法使い]

 

・  フランク・マリノ教授

 

造魔学研究室の教授。

 

長く研究室をやっているため色々とコネがあり、平民にも理解が深い。

 

もともと陸軍寄りの立場だったが、大陸横断フランク鉄道の開発でサワディと組んだせいでガッツリ陸軍派に取り込まれる。

 

その関係で士官学校にいる甥も陸軍閥に無理やり取り込まれ、恨み言を言われたとか。

 

マイナー学問だった造魔学の飛躍に大きく貢献したサワディがきちんと評価されていない事は気にしており、超巨大造魔建造計画にも積極的に協力している。

 

 

・  クリス・ホールデン

 

金髪の理系女子、男爵令嬢。

 

政治はにがて。

 

王都で出世したいと思っていたら王都に行けたラッキーな人。

 

上司の薦めにより王都で結婚、そのまま住み着いた。

 

 

・ エルファ

 

主人公と同い年の再生魔法使い、伯爵令嬢。

 

金髪縦ロール。

 

貴族としての使命に燃えている。

 

婚約者がいて、嫁入りした。

 

現在は夫の勤める別の街に住んでいる。

 

 

・ 深窓の令嬢

 

ザルクド流剣術の家の娘。

 

結婚相手を剣で見極めようとしており、主人公に切りかかってくる。

 

ザルクド流は海軍派。

 

噂によると未だ独身らしいが、貴族の男は彼女の家の前を避けて通るそうだ。

 

 

・ 『海歩き』のエストマ翁

 

海を割って海底ダンジョンの氾濫を食い止めた陸軍の英雄。

 

しかしシーレーン防衛で海軍そっちのけで功績を上げてしまったので、トルキイバにいる。

 

教職も長く、よくわかっているタイプの人。

 

ローラ・スレイラの親戚でもある。

 

サワディの指導教官であり、ローラとの結婚に際しては仲人までつとめた。

 

自宅にはサワディからの付け届けの酒や干し椎茸がしょっちゅう届く。

 

最近は野球に燃えていて、野球選手会の会長もつとめている。

 

3割打者で、ホームラン率が高い。

 

 

・ 『芝居狂い』のジニ

 

サワディの友人、家具職人の3男の平民魔法使い。

 

芝居狂いで物見高い。

 

気安い態度だが婚約者には会わせてくれない。

 

15歳で卒業後、実家の手伝いをやっている。

 

嫁さんには会わせてくれない。

 

最近子供を授かったらしいが、未だ友人たちを家に寄り付かせない。

 

学友達からはあいつは魔獣と結婚したと噂されている。

 

 

・ 『芝居狂い』のエラ

 

サワディの友人、何かで功績があった1代貴族の孫。

 

貴種とは認められていない、平民魔法使い。

 

芝居狂いで物見高い。

 

生真面目な態度だが婚約者には会わせてくれない。

 

15歳で卒業後、役所に就職。

 

未だに応援で行かされた隣町のルエフマで留め置きを食らっていて、もう妻も呼び寄せて一緒に暮らしているそうだ。

 

愛妻家。

 

 

・『光線』のローラ・スレイラ

 

王都からサワディの婚約者に送り込まれてきた凄腕元陸軍少佐。

 

サワディの8歳年上

 

魔臓をなくしたため家出をするように独立し、軍の思惑もありサワディの元に。

 

金髪イケ女だが目元は柔らかい。

 

愛が重い女。

 

年下好き。

 

好きなもの、夫が作ってくれた自分の名前のお酒。

 

ちょっと愛が重い。

 

双子を出産

 

夫と話したことを逐一日記帳に書き留めている。

 

愛が重い。

 

双子を授かってからは禁煙状態になり、口寂しいのかよく棒付きの飴を舐めている。

 

野球ではピッチャーをつとめ、『光線球(ビームボール)』なるサワディ以外受け止められない殺人魔球を放つ。

 

サワディのやらかした地下の魔結晶工場を知った際は関わりを断っていた実家を頼り夫を助けた。

 

兄が王族の娘と結婚し、棚ぼたで将来スレイラ子爵としてトルキイバの領主になることが内定した。

 

本当に上前をはねるのはこの人である。

 

 

・ 『星屑』のアルセリカ・テジオン

 

トルキイバ生まれトルキイバ在住の、トルキイバ騎士団の一人。

 

テジオン男爵家の長女。

 

主人公の9歳年上、婚活中。

 

脳筋なので得意技は白翼竜に乗っての科学忍法火の鳥。

 

騎士団の中で一番速いので一番認知度が高い。

 

とにかく速いが総じて雑なので一年中減給処分中である。

 

どうぶつ喫茶から猫の造魔を持ち出そうとして、サワディから出入り禁止を言い渡された。

 

死ぬほど声がでかい。

 

サワディのやっていた野球に目を付け、シェンカー以外では最初のプレイヤーとなった。

 

乱闘○。

 

陸軍に転属の話もあったが、老齢の父母の暮らすトルキイバを守ると断ったそうだ。

 

 

・ 『熱線』のクシス・タトレノ

 

トルキイバ騎士団の一人。

 

タトレノ子爵家の4男、既婚者。

 

赤鱗竜に乗る。

 

 

・ クオリス卿

 

陸軍のステータス魔法使い。

 

おじさん。

 

 

・ ナサーフ

 

主人公の25歳年上の陸軍元中尉。

 

魔臓をなくし老化していたが主人公により治癒。

 

ハゲていた。

 

 

・ゴスシン男爵

 

元軍人。

 

魔臓をなくし老化していたが主人公により治癒。

 

息子が士官学校にいる。

 

最近は仕事に復帰し、事務仕事やメッセンジャーなどをやっている。

 

王都にあるサワディゆかりのサロン『動く死体の会』のまとめ役。

 

下の息子の名前をサワディにするぐらい、魔蔵治療を恩に感じている。

 

 

・ラスプ元大将

 

センチュリオ元帥の名代としてサワディの結婚式に登場。

 

勲章を授与してさっさと帰っていった。

 

 

・ エイハ・レジアス

 

ローラ・スレイラの盟友で、飛行船の乗組員。

 

電撃魔法を使う強者。

 

骨の髄まで軍人。

 

ローラと同い年ながら未婚だったが、ローラの結婚式のすぐ後に結婚。

 

ローラから子供を授かったという手紙を貰い、自身もすぐに妊娠。

 

最近はローラの嗜んでいるという野球に興味がある。

 

 

・スリヤワ元陸軍少将

 

サワディに孫の誕生日用の曲を依頼したお偉いさん。

 

王都に住む。

 

基本的に貴族しか乗れない魔導列車の席を、奴隷の音楽隊全員分たやすく用意できるパワーを持つ。

 

 

・ ターセル・ランザ

 

山岳の工業都市サナルディからやって来た魔導技師。

 

サワディにとっては魔具制作の師匠にあたる。

 

おおらかな土地で育ったので貴族の割にくだけていて、サワディにとっては気楽な相手。

 

動物が好きで、研究対象の造魔バイコーンも構い付けてしまう。

 

現在もトルキイバにおり、平民のような服を着て酒場やどうぶつ喫茶に通っているそうだ。

 

 

・スノア伯爵

 

トルキイバの領主、海軍寄りの派閥にいる。

 

寄り親の都合で発展してきたトルキイバから領地替えを命じられそうな苦労の人。

 

領主としては有能で、トルキイバは住みよい街である。

 

 

・リスダン子爵

 

トルキイバの南にあるダンジョンを管轄している代官。

 

海軍閥で、サワディに関しては単なる成り上がりの貴種だと思っていたら魔導学園の准教授になってびっくり。

 

 

・ アレックス・スレイラ

 

主人公の14歳年上。

 

ローラ・スレイラの実兄にしてスレイラ家の長兄。

 

ハリウッド俳優のような美形で、堂々たる体躯を持つ金髪イケメン。

 

職責と私信をちょうど半々にして物事を考えられる人間で、バランス感覚に定評がある。

 

トルキイバで経験した野球については「なかなか楽しい遊戯だった」と王都の部下にこぼしたとかこぼさないとか。

 

降嫁したジェスタ第二王子の娘であるカリーヤ姫と結婚し、出世街道を爆進中。

 

 

・イクシオ元元帥

 

クラウニア第二王子ジェスタの部下。

 

アレックスの派閥上の上役でもある。

 

 

・ジェスタ第二王子

 

クラウニアの第二王子。

 

陸軍閥の実質ナンバー1。

 

 

・マジエス元陸軍少将

 

トルキイバ魔導学園の学園長。

 

老人ながらマウンド上では本当にボールが燃える火の玉ストレートを投げる。

 

投球中の彼の足元にはボールのたくさん入ったかごが設置されているらしい。

 

 

・『鷹の目』のフルドア

 

色眼鏡をかけた色男。

 

陸軍の准尉だが、超巨大造魔建造計画の現場の警備のために身分を偽ってトルキイバへ送り込まれた。

 

 

・『蟲使い』のクェス・イーノ

 

特徴的な帽子をかぶった中年女。

 

陸軍の少尉だが、超巨大造魔建造計画の現場の警備のために身分を偽ってトルキイバへ送り込まれた。

 

 

 

 

[その他登場人物]

 

・ ミオン

 

ローラ・スレイラの侍女。

 

老婆だが、その分人生経験豊富で頼もしい。

 

非常に動物好きで、小飛竜トルフの世話を焼きたがる。

 

双子が生まれた今は、若様と姫様の養育に燃えている。

 

肩こり腰痛などを簡単に治してくれるサワディには感謝しているが、働きすぎではとも思っている。

 

 

・ ペルセウス

 

奴隷商。

 

サワディの祖父に世話になっていたらしい。

 

なにかとサワディに甘く、誕生日などには付け届けを忘れない。

 

実は黒ひげの手下の子孫。

 

サワディの事を黒ひげの再来だと固く信じており、商売抜きで役立ちそうな人材を集めまくっている。

 

サワディ配下に徐々に黒ひげの手下の子孫が集い始めているのはこの爺さんの意向でもある。

 

老齢だが次代のペルセウスはもう仕込み終わっており、襲名と引き継ぎを待つのみである。

 

 

・町会長

 

シェンカー家がある、中町の町会長。

 

数々の逸話を持つ壮年の人族で、シェンカーの三兄弟も昔から世話になっている。

 

サワディの甥や姪達も、現在進行系で世話になっている。

 

シェンカー家には珍しく、貴族以外で全面的に頭の上がらない人物。

 

 

・ナシタ

 

厄介な借金取りから逃げ、妹のロザミーと共にトルキイバへと逃れてきた。

 

奴隷だらけの街に面食らっていたが、今では飯の美味さと治安の良さに大満足。

 

前から気になっていた人物と結婚して所帯を持った。

 

 

・ロザミー

 

いきなり連れてこられた知らない街で退屈していた。

 

最近は兄の会社でお仕事(・・・)を任され、毎日洗濯やお茶くみの手伝いに忙しい。

 

子どもたちの間で話題の「紫の馬を見ると幸せになれる」という噂が気になっている。

 

最近できた兄嫁とその妹に甘えまくっている。

 

 

・龍造寺氏

 

多分主人公の同郷人。

 

江戸時代あたりの日本から転生してきたっぽい人。

 

現クラウニア王家が旧クラウニアから独立する前の時代の人間で、貴族だった。

 

醤油や味噌、日本刀をおそらく自分の力で作り出した傑物。

 

残念ながら子孫は落ちぶれ血筋は途切れた。

 

龍造寺氏の持ち込んだ文化だけを残した一族の一部は本拠地のカンディンナヴァ(肝心灘)を離れ、新クラウニアに渡り根を下ろした。

 

 

・西町のマッデン

 

猫とともに暮らす真面目な農夫、彼女は欲しいが出会いがない。

 

 

・『川流れ』のケニヨン

 

魔獣に追われて川に飛び込んで九死に一生を得た経験のある冒険者。

 

トルキイバに来たばかりのピクルスやボンゴをよく助けてくれた先輩で、引退時にはピクルスに自らの弓を譲り渡した。

 

現在は一般人の女性と結婚し、東町で飯屋をやっている。

 

 

・ラーベイター

 

ケンタウロスの街、ケイネロスに暮らす狩人。

 

ピクルスに窮地を助けられ、礼を言いに行く途中にケンタウロスの貴族であるザクロンに見つかってしまい、連れて行くことに。

 

トルキイバに移住するケンタウロスを途中まで護衛したりしたが、本人は未だケイネロスに暮らしている。

 

 

・ザクロン

 

アブカブの子、ケイネロスに暮らす貴族。

 

クラウニアが攻め込んで来る前に一帯を支配していた車輪帝国の王族の末裔を自称しており、野心を顕にサナルディ攻めにピクルスを誘う。

 

本人には何の力もない。

 

その後サナルディを襲ったのかは定かではないが、かの街は未だ健在である。

 

 

・ファサリナ先輩

 

サワディの兄シシリキの年上の幼馴染にあたる南町の馬宿のせがれ。

 

金のリーゼントに色眼鏡というヤンキーっぽい見た目だが、細やかな仕事には定評がある。

 

南町の祭りを仕切る団体に入っている。

 

土竜神殿の祭りの準備で冒険者のリーブラーとボクシングをやり、一撃で気絶させられた。

 

 

・西町のマリオン

 

土竜神殿の祭りのボクシング大会でメンチを殴り倒して優勝した髭の紳士。

 

普段は木工所で働いていて、大変な愛妻家。

 

熱すぎる試合をしたために一躍中町の有名人になった。

 

祭りの翌日は嫁と一緒に音楽を聞きながら美味しいお酒を楽しんだそうだ。

 

 

 

[その他諸々]

 

・神子

 

亜人種で、たとえば狼人族ならば狼の神の加護、鳥人族ならば鳥の神の加護をもつ者を言う。

 

特に加護の力が強いとか、特別な能力を持っているわけではないが、地域によっては様々な扱いを受ける。

 

 

・爆裂モロコシ

 

煎ると破裂する種類のとうもろこし。

 

やたらと収穫率が良く、飼料用に栽培されている。

 

葉っぱが大きく、枚数も多いので包み紙代わりに使われている。

 

何かと便利な作物。

 




書けそうな設定はなるべく書いときました。

6万のカブはチューブレス化しようとしたらホイール錆びまくってて穴空いてて失敗したのですが、バーハン化してフェンダーカットするついでにボアアップしようかと考えてます。

カブというバイクは全てのパーツが笑っちゃうほど安くて、キタコのボアアップキットが9千円で売ってたり、タケガワのマニュアル化キットが2万円弱で売ってたりします。

4MINIは沼と聞いていましたが、ほんとに沼でした。


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第91話 夏なのに 冷たい汗が 止まらない

異世界で 上前はねて 生きていく 最新刊の第3巻が本日11月30日に発売です。
コミカライズ第2巻は12月14日発売でございます。


俺たち夫婦の寝室のクローゼットに置かれていたクラウニア印の輸送用木箱、その蓋がおよそ二年ぶりに開かれた。

 

中から出てきたのは官製の紙巻煙草の箱だ。

 

その開け口を毟り取るように開いたローラさんは手のひらで底をトントン叩き、浮いてきた煙草をぐわっとつかみ取る。

 

勢い余って三本も掴み取ったそれを、そのまま口に全部咥え、魔法で火をつけた。

 

火の付いた三本の煙草の先が、灰に変わったと思ってからは早かった。

 

彼女は驚異的な長さの一吸いであっという間に三本全てを根本まで灰にして、めったに見せない満面の笑みで煙を吐き出した。

 

三連煙草を指に挟んで満足そうに微笑む彼女はまるでコンパ中の大学生のようだったが、彼女が満足なら俺はそれでいいのだ。

 

そう、この日……妊娠初期からずうっと続けていたローラさんの禁煙が、双子の卒乳によってようやく解けたのだ。

 

 

「禁煙というのも得難い経験だったが、やはり人生には楽しみが多いほうがいい」

 

「ローラさんはいつから吸ってるんですか?」

 

「軍に入ってからだから、10年ぐらい前からかな? 周りがほとんど全員吸っていたから、きっかけは覚えてないな」

 

 

続けてもう一本煙草を吸い始めたローラさんは懐かしそうにそんなことを語る。

 

十四歳の頃のローラさんか、全く想像もつかんな。

 

この人も俺みたいに制服着て、あくびしながら学校に行ってたんだろうか?

 

 

「ローラさんは学生の頃ってどうでした?」

 

「学生というのかどうかはわからないが、当時はうちの実家の城で縁のある貴族の子弟を預かっていてね。その子たちと一緒に実家で教育を受けていたよ」

 

 

うわぁ、お姫様みたいだぞ。

 

いや、この人正真正銘北のお姫様だったっけ。

 

 

「まさかお飾りとはいえ、研究者として学校に通うことになるとは思わなかったがね」

 

 

彼女はそう言いながら苦笑して、ふうっと煙を吐き出した。

 

乾いた風が真っ白なその煙を窓から吸い出して、どこかへと吹き抜けて行く。

 

窓から差し込む日光は日に日に眩しさを増し、上がる気温に汗は流れ、双子泣き叫ぶ。

 

トルキイバに、今年も暑い暑い夏がやってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

シェンカー通りにそびえ立つマンションのうちのひとつ、その屋上にその水田はあった。

 

種籾から苗を起こし、つい最近田植えを済ませたばかりの小さな田んぼだ。

 

今日はここの責任者である虎の猫人族のイスカが、久々にやって来た俺を服の袖で汗を拭いながら案内してくれていた。

 

 

「最近はどんな感じ?」

 

「リナリナさんの言ったとおりにやってます……水を切らさないようにして、虫を取って、農家の出の子達にお願いして毎日手入れしてもらってます」

 

「そうか、最近暑くなってきたから気をつけてな」

 

「みんな塩飴を舐めてます、あれってご主人様が作ったんですよね……?」

 

「ああ、昔な」

 

 

話しながら、稲や水や土に再生魔法や強化魔法を流していく。

 

田んぼに植わっている苗の四分の三ほどは俺が種籾の頃から強化魔法をかけつつ手ずから成長させたスーパー苗だからな、多分病気や虫にも強いと思うんだが、どうだろうな。

 

苗の作り方は前世の小学生の学校の授業でやったことがあったからなんとなくは知っていたが、細かい部分はこの米の出どころの出身で下の兄貴の嫁さんであるリナリナさんに聞いた。

 

多分日本の稲作とは全然やり方が違うんだろうが、稲作を二千年以上続けてきた国とは積み重ねがまるで違うんだから劣っていても当然だ。

 

一回で成功させようなんて思っちゃいない、これは俺の趣味なんだからぼちぼちやればいいのだ。

 

 

「あの……これってどう食べる作物なんですか?」

 

「ああ、そういやイスカは食べたことなかったっけ。これはな、水分をなくした麦粥みたいにして食べるんだよ」

 

「水分をなくした麦粥……ですか?」

 

「まあ、ちょっと麦とは違う風味の食べ物だよ、収穫できたら食わせてやるよ」

 

「あの、楽しみにしてます……」

 

 

何一つ遮るもののない屋上の青空をバックに、イスカの長いしっぽがシュルシュルと揺れている。

 

そこそこの付き合いを経てわかったが、あれは彼女の機嫌が良い時の動きだ。

 

 

「イスカ、最近人を使うようになってどうだ?」

 

「え? その……少し、気を使いますね」

 

 

そう言って、彼女は自分の足元へと視線を落とした。

 

イスカは能力はあるんだけど、うちでは珍しいぐらいシャイだからな。

 

でも管理職になるんなら、シャイなままでいてもらっては困るんだよな。

 

 

「いいかイスカ、部下には飯を奢ってやれよ。先輩の価値ってのは飯奢ってくれるかくれないかで全然変わってくるぞ」

 

「ご飯、ですか……」

 

 

イスカは大きな体を縮こめるようにして、自分の足にしっぽを巻きつけた。

 

 

「人を飯に誘うのは苦手か?」

 

「少し……」

 

 

気持ちはわかるが、イスカの人見知りはちょっと根が深そうだな。

 

そうだ、業務命令ということで部下を飯に誘わせてみるか。

 

イスカの人見知りも改善されるかもしれないし、イスカの部下は飯が食えて嬉しい、Winwinだなんて言わないが、やらせてみて損することでもないだろう。

 

人間というのは飯の感謝は忘れないものだ。

 

俺だって前世の会社にはいい思い出はないが、それでも金がない時期に飯を奢ってくれた先輩との思い出は色褪せず残っているからな。

 

ズボンのポケットを探り、財布から金貨を一枚取り出した。

 

 

「イスカ」

 

「はい……わっ!」

 

 

俺から投げ渡された金貨をキャッチした彼女の虎縞しっぽは、ピンと空を向いていた。

 

 

「なんですか? これ」

 

「命令、その金貨一枚なくなるまで部下に飯を奢り続けろ。もちろんお前も一緒に食うんだぞ」

 

「え、金貨一枚分もですか……?」

 

「そうだ、飯を奢るためには部下のことをよく知らなきゃいけない。それは人を使うってことの一番大事な部分だ」

 

 

飯がまずくて歌が下手なママのいるスナック……

 

上司に無理やり盛り上げ担当にされ、酒も飲めずに割り勘にされたあの夜……

 

うっ、頭が……

 

 

「いいか、部下の好きそうな店に連れてってやるんだぞ! 自分の好きなスナックなんかに行くなよ!!」

 

「すな……? いやその……もし断られたら……?」

 

「何回でも行け! 部下に気持ちよくタカられる上司になれ、金ぐらい俺が面倒見てやる」

 

「わ、わかりました……」

 

 

飯代ぐらいで人が育つなら安いもんだ。

 

人が育てば俺が楽になる、俺が楽になれば後に座るかもしれないノアやラクスも楽になるからな。

 

お前らもイスカも、育ってくれよ、俺のために。

 

田んぼに手を入れ、目に痛いぐらいの緑色をした苗へと強化魔法を送る。

 

その茎がぴょこんと伸び出た田んぼの水面には、右往左往するイスカのしっぽと照りつける太陽が映っていたのだった。

 

 

 

 

 

夏といえばなんだろうか?

 

スイカ、夏休み、カブトムシ、プール。

 

もちろんそういうのも楽しいが、俺の世代の夏の楽しみといえばそう、甲子園だった。

 

縁もゆかりもない少年たちが白球を追いかけて泣いたり笑ったりするのを、今となっては不思議なぐらい毎日毎日見守っていた気がする。

 

そんな夏の甲子園が……国どころか世界線すら越えたトルキイバで、今まさに行われていた。

 

 

『バッター、二番、スノア家家臣ハリアス・リンター様』

 

「ハリアスーっ! 打てよーっ! スノアの誇りーっ!!」

 

 

トルキイバ現領主であるスノア家の私設楽団の皆さまが応援歌を吹き鳴らし、子弟達や奥様方が声の限りに歓声を飛ばす。

 

そう、今シェンカー球場ではこの間発足されたばかりの貴族野球リーグのリーグ戦が行われていた。

 

俺とローラさんはたまたま観戦にやって来ただけなのだが、あまりの観客の多さに球場のオーナーだというのにVIP席にも座れずにいた。

 

 

「しかし、凄い応援だな」

 

「そりゃあもう、スノア家は領主でしょ、意地がありますから。是が非でも優勝するつもりで選手をかき集めてますよ」

 

「選手を? 家臣団だけじゃないのかい?」

 

「野球の上手い町民を使用人として取り立ててチームに取り込んだんですよ、他の球団もやってるらしいですよ」

 

「おいおいほんとかい?」

 

 

実際一番町民が多い貴族リーグのチームはローラさんのスレイラ白光線団(ホワイトビームス)なんだけどね。

 

ちなみに俺のシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)は貴族リーグには参加していない。

 

理由は単純で、俺がローラさんのキャッチャーとして忙しいのでそっちに参加できないからだ。

 

オーナーの俺は貴族リーグで頑張り、チーム自体は平民リーグで頑張るという不思議な状況になっていた。

 

 

「予想どうだ! 予想あるよ! 予想どうだ! 予想いらないか!」

 

「君体いいね、野球やらない? うち? 平民リーグの東町農家連合。練習? そんなしないしない。気楽に? やれるやれる。畑仕事の体験もできるよ」

 

 

しかし、外野席は無法地帯とは言わないが、さすがにうるさいな。

 

ローラさんは新鮮そうな顔で楽しそうにしてるけど、俺はもうちょっとやられてきてるよ。

 

 

「しかしスノア家のバッターは粒ぞろいだな、どう仕留めるか今から楽しみだよ」

 

 

真っ赤なシェンカー大蠍団の帽子を被ったローラさんは、楽しそうにそう言いながら煙草の煙を吐き出して、エールを一気飲みした。

 

 

「やっぱり他よりもいいですか?」

 

「平均年齢が若くていい、騎士団と同じように槍働きでしっかり体ができているしな」

 

「ああ、魔導学園火の玉団(ファイアボールズ)は老人が多いですもんね。投手の層が厚いんですけど」

 

 

スノア白球騎士団とザルクド流野球部の試合は七回裏でスノアの攻撃で四対四、かなりいい試合だった。

 

ザルクド流のピッチャーが振りかぶってボールを投げると、その手元でボールの姿はかき消え、気づいた時にはキャッチャーのミットに収まっている。

 

リアル消える魔球だ。

 

初めて見た時は本当に感動したんだけど、このピッチャー自体はすげぇノーコンで頻繁にフォアボールを出すんだよな……球速も遅いから普通に打たれるし……

 

この回もすでに三人のランナーを出して、すでに満塁の状況だった。

 

 

「あの球、君ならどう打つ?」

 

「キャッチャーのミット見ながらバントします」

 

「その手があったか」

 

「ていうか振らなくても割と出塁できますし、キャッチャーも時々見えてなくて球落としますよね」

 

 

言っている間にもフォアボールが出て、スノア家に一点が入った。

 

 

「やっぱり魔球ってのは難しいね」

 

「シンプルなのが一番ですよ、使い魔をボールに化けさせて退場食らった投手もいましたし」

 

「ふっ、打たれたらどうするつもりだったのやら……」

 

「そういうことを考える人ならそんな魔球使いませんよ」

 

 

マウンドでは、点を取られたザルクド流のピッチャーが監督に喝を入れられている。

 

あーあー、可哀想に。

 

 

『ピッチャー交替のお知らせです、レミオ・リーアス様に替わりまして。ピッチャー、ライミィ・ザルクド様』

 

「うわっ……」

 

 

ベンチから交替でやって来たのは、あの懐かしの深窓の令嬢だった。

 

あの日と同じように栗色の髪をヘルメットに収めた彼女は、凄まじい球威のストレートをキャッチャーミットに叩き込んでいた。

 

 

「君は彼女が出てくるといつでも嫌そうな顔をするね」

 

「昔色々とありまして」

 

「足を飛ばされたとか言っていたな、試合でも挑んだのかい?」

 

「いやいや、そんなことするわけないですよ。詩を届けにいっただけです」

 

「ふぅん……詩をね……」

 

 

夏の太陽に照らされているはずの背中に、なぜだか冷たい汗が流れた。

 

隣へと顔を向けると、ローラさんはいつものにこやかな顔でマウンドを見ている。

 

なんだこのプレッシャーは……?

 

ふと気づけば、俺の隣にいた人も、ローラさんの隣にいた人もそそくさとどこかへ逃げ出していた。

 

 

「あの、ローラさん。どうかしました?」

 

「いや、ね……」

 

 

ローラさんは深窓の令嬢の背中をじっと見つめながら、不敵な顔で笑った。

 

 

「あの女、次試合で当たった時は全打席ホームランにしてやろうと思ってね」

 

「え?」

 

 

その瞬間、マウンドに立っていた深窓の令嬢がくるりと振り返ってこちらを見た。

 

何百メートルもの距離を挟んだ二人の間に、不穏な空気が流れ、その間にいた平民達が逃げ出した。

 

夏は暑い。

 

夏は暑いが、冷や汗が止まらなくなることも、またある。

 

複雑怪奇な女心を理解するには、まだまだ経験の足りない俺なのだった。

 



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第92話 黒と金 並んで歩く 夏の街 前編

超お待たせしました。
スランプで全然書けない日が続き、その日の最低気温が0度を割ると書けないということだけが判明しました。
長くなったので分割です。


一番暑い時期を過ぎたとはいえ、まだまだ夏真っ盛りのこの頃。

 

日焼けした子供たちは道を駆け、工事現場の作業員は浴びるように水を飲み、作りかけの劇場は真っ白な外壁を太陽に照らされてぴかぴかと輝いていた。

 

そう、劇場だ。冬から始まった俺の子供の頃からの悲願であるマイ劇場の建設はモリモリ進み、いつの間にやら五階建ての二階あたりまで完成していたのだ。

 

まだ作りかけとはいえ、背の高い建物の少ないこの街のことだ、白鷺のように美しい白壁を持つ円柱状の俺の劇場はさぞかし人口(じんこう)膾炙(かいしゃ)することだろうと思っていた……のだが、トルキイバの人々は新しくできる劇場なんかには目もくれず、毎日毎日別の大きなもの(・・・・・)の話題で盛り上がっていた。

 

 

「昨日よりちいっとデカくなったか?」

 

「なったなった。酒場の前からこう見るとよ、グレンの宿屋の屋根の端にちょうど巨人の顔がかかるのよ。昨日までは目のところにかかってたけど、今日は鼻まで行ってやがる、デカくなってんだって」

 

「ほんとかぁ?」

 

「ほんとほんと、俺毎日見てんだもん」

 

「お前ってほんと暇だよな」

 

 

 なーんて会話がトルキイバ中でされているって報告を昨日チキンにされたばかり。

 

要するに、街の外の巨人の話だ。別に巨人ったってこの星を守りに来たヒーローってわけじゃない、俺が作ってる例の時計塔級(デカい)造魔の事だ。

 

すでに工程も半ばを越え、建造ドックの天幕を突き破って天まで伸びたそれは、まるで本当の時計塔のようにそびえ立っていた。

 

前からうちの家が色々やっていることを知っていた街の人達は、街の防壁の上まで平気な顔で見物にやって来ているらしいが、トルキイバに詰めている諜報部員(スパイ)たちはそうでもなかったようだ。

 

造魔が天幕からひょっこり頭を出した日からしばらくは鉄道が超満員となり……

 

街の外から巨大造魔を監視する要員なんだろう、やけに装備と体格のいい魔法使いの(・・・・・)新人冒険者達が百人単位で街へと流れ込んできたそうだ。

 

彼らは連日連夜交代で街の外にキャンプを張り、巨獣や超巨獣を蹴散らしながら監視を続けているらしい。

 

暑いのによくやるよな、軍人さんってのは本当に大変だ。

 

 

夏なのに窓を締め切ったままの諜報部員の詰め所を自室の窓から眺めながら、俺は涼しい空気を浴びつつ双子のお兄ちゃんをあやしていた。

 

 

「あう~」

 

「あ~ひやっこいね~ノアくん良かったね~」

 

 

そう、涼しい空気だ。俺はついにやったのだ。

 

自作の冷房魔具と自作の温度センサー造魔を組み合わせ、魔結晶動力の冷房機(クーラー)を完成させたのだ。

 

 

「う~」

 

「ノアくんいいね~涼しいね~」

 

 

巨大な四角い箱の冷房機から出る冷風を顔に浴び、気持ちよさそうな表情をしているノアの背中をポンポンと叩いてゆっくりと体を揺らしてやる。

 

普段からご機嫌な双子も、冷房機の前ではもっともっとご機嫌だ。

 

パワフルに風を吐き出していたそれが急にパチンと音を立てて動作を止めると、その音を聞いたノアがキャッキャッと笑った。

 

よしよし、温度調節機能はしっかり働いてるな。

 

この魔具冷房機には室温が二十五度以上になると体を伸ばしてスイッチを入れる造魔がついていて、それが勝手にスイッチを入り切りして冷え過ぎを防止してくれるという、原始的ながらも確実な作りになっているのだ。

 

細かな温度調節はまだできないけれど、それはまた今後の課題だな。

 

 

「う?」

 

「もうノアは着替え終わったかい?」

 

「あ、終わりましたよ」

 

 

不思議そうな顔で動かなくなったクーラーをぺちぺち叩いているノアの背中を撫でながらそんなことを考えていると、部屋のドアが開いてローラさんが姿を現した。

 

開いたドアから流れ込んできたムッとした熱気でまた冷房魔具のスイッチが入り、送風口の先から冷たい空気が出始める。

 

よしよし、温度管理はちゃんと効いているようだな。

 

 

「また冷房の前にいたのか。 そろそろ居間に行かないとお姫様が拗ねてしまうよ、しばらくしたら長兄も来るしね」

 

 

涼しい顔でサマーニットを着こなした彼女は、開けた扉をコンコンと手の甲で叩きながらそう言った。

 

そう、今日はローラさんの実の兄であり俺の義兄であるアレックス氏がトルキイバにやって来る日なのだ。

 

どうも国は魔結晶密造工場の件で完全に俺を危険人物と見なしたようで……

 

内々に超巨大造魔建造計画の担当官にされたお義兄さんが、俺個人のお目付け役も兼ねて何ヶ月かに一度様子を見に来ることに決まってしまったのだ。

 

もちろん俺や現場の情報は逐一皇室付きの諜報部員が王都へ上げているだろうから、お兄さんの定期的な来訪は多分俺に対する脅しだ。

 

「次に何かやらかしたらこいつがすぐにでもお前の首を飛ばすぞ」ってことなんだろう。

 

もちろん俺だって最初から悪いことをするつもりなんか毛頭ないんだが、お兄さんの顔を見ると否応なく気が引き締まるというものだ。

 

おっかないからな、あの人。

 

 

「いま行きますよ。ほらノア立っちして~、伯父さんが来るよ〜」

 

「やぃ~」

 

 

後ろからノアの両脇に手を入れて立ち上げさせ、お母さんの方に向かおうとする彼を支えながら一緒に歩く。

 

ぴょこんと跳ねた頭の上の毛がゆらゆらと揺れるのを見ながら三歩ほど進んだところで、扉の方から聞き覚えのあるイケメンボイスが聞こえた。

 

 

「もう立つようになったのか、なるほど子供の成長というのは早いものだな」

 

「お義兄さん」

 

 

俺が顔を上げると、部屋の入口にはノアの妹であるラクスを抱っこした金髪イケメン、俺の義理の兄にあたるアレックス・スレイラ氏が立っていた。

 

 

「長兄、もう着いたのか。予定よりも早かったんだな、皆で出迎えようと思っていたんだが……」

 

「構わん。予定というのは立てた通りに進むことの方が少ないものだ」

 

 

そう言いながら部屋に入ったお義兄さんはラクスを抱えたままドカッとソファに座り、不思議そうに室内をぐるりと見回した。

 

 

「ここは涼しいな」

 

「旦那様の発明品さ」

 

 

ローラさんがなんだか自慢げにそう言って親指で冷房機を差すと、ラクスに金色の御髪を掴まれているお義兄さんの瑠璃色の瞳がギロリとこちらを向く。

 

 

「発明品?」

 

「いやー、その、あのですね……これはほんと、そんな大したものじゃないんですけど、魔結晶を入れておけばちょうどいい温度を保ってくれるっていう、へへ……ケチな道具を作りまして……」

 

 

別に今回は便利な魔道具を作ったってだけの話で、なんらやましいところはないんだが……なんとなくお義兄さんの前だとしどろもどろになってしまう。

 

彼はそんな俺の態度にフンと鼻を鳴らしてソファにラクスを残して立ち上がり、魔具冷房機の送風口をまじまじと覗き込んだ。

 

ラクスが乱した前髪が風に吹かれてもっと乱れたが……風に吹かれようが、雨に打たれようが、雪が積もろうが、絵になる人というのは絵になるものだ。

 

彼は乱れた髪を嫌になるぐらい格好良く掻き上げて、クッと冷笑的に喉を鳴らした。

 

 

「相変わらず、楽をするために苦労をしたがる男だ」

 

「ど、どうも……」

 

 

じっくりと機械を観察した彼から褒められているのかけなされているのかわからないお言葉を頂き、土産だと手渡されたノアとラクスの絵本の礼を言い、食堂で家族揃って食事をしてから一緒に家を出た。

 

お義兄さんの仕事は超巨大造魔建造計画の査察と俺への監視。当然、用事があるのは可愛い甥っ子姪っ子のいる妹の家じゃなく、街の外の建造ドックなわけだ。

 

というわけで、俺は甥や姪と遊び足りなかったのかなんとなく不機嫌そうな彼と一緒に、馬車に乗って町の外へと向かった。

 

今なら道の説明も簡単だ、「巨人まで」で通じるんだからな。

 

 

 

そうしてあっという間に着いたトルキイバの壁の外で、俺達はのけぞるようにして腰の部分を建造中の時計塔(100メートル)級造魔を見上げていた。

 

 

「こいつが時計塔級か。ここに来る途中の列車の中からも見えたぞ、たいした大きさじゃないか」

 

「ここからもっと大きくなります。これはまだ六割といった程度で」

 

「ほう、六割でこれか。やはり聞くのと見るのとでは全く違うな、もう少し小さいものかと思っていた」

 

 

そう言いながらまじまじと建造ドックの中の造魔のくびれた腰を見たお義兄さんは、もう一度全体を見回してから首を傾げた。

 

 

「ずいぶんと接地面が少ないようだが……これは作っている途中で転んだりはしないのか?」

 

「建造の手順に工夫がありまして、風程度ではビクともしないようになっています。倒れても問題ないように距離は取っているので、万が一があっても街に被害はありません」

 

 

プラモデルのように(ランナー)も一緒に作れたら簡単なんだが、そうもいかないので頭を悩ませ重心の位置を計算しながら建造しているのだ。

 

この一体が完成すれば、こいつに建造補助をやらせればいいからもっともっと速度が出せるんだけどな。

 

 

「そうか、これと同じものをいくつか作ると言っていたが……」

 

「一応時計塔級は四機の建造を予定しています。二機目からは一機目を製造工程に組み込めますので、今の八分の一以下の工数で建造できるはずです」

 

「……工程削減もいいが、できる範囲の半分程度にしておけ。やり過ぎればせっかく拾った命がまた誰かの天秤の上に乗るぞ」

 

 

お義兄さんは苦笑いで口の端から煙草の煙をふぅっと吐き出して、こちらを見もせずにそう言った。

 

あぶねぇ……またやりすぎるところだったか……忠告に従ってもっと手を抜くことにしよう。

 

全てを覆い尽くすような巨大な造魔の影の中、俺は流れ落ちる冷や汗をぐっと手の甲で拭ったのだった。

 

 

 

たっぷりと時間を掛けて巨大造魔の建造ドックを案内したその後、俺はお義兄さんを伴って建設途中の自分の劇場の外にいた。

 

移動途中に「お前の関わっている建物全てに案内しろ」と言われたので、どうも彼はこの街で俺が関わっているものの全てを見て回るつもりのようなのだ。

 

もちろん俺はすぐにこう答えた。

 

(シェンカー)の関わる建物って、かなりの数があるんですけれど……」ってね。

 

でも返ってきた言葉はこうだ。

 

 

「いいから案内しろ」

 

 

そりゃもうアイアイ・サーだ。

 

文句なんか言えるわけがない、俺には地下に魔結晶工場を作っていた前科があるからな。

 

見せろと言われて否とは言えないわけだ。

 

そんな彼と一緒にやって来た劇場建設予定地は、活気があるというか混沌としているというか……ひしめき合う人と資材で足の踏み場もないほどだった。

 

数え切れないほどの奴隷達がレンガや土を運び、振り下ろされるツルハシやシャベルの音に負けないように叫ぶような作業指示が飛んだかと思うと、それに対してもっと大きな声で返事が返る。

 

かと思えば、ちょっと離れたところでは作業員たちが日陰を作って弁当食って爆睡していたり。

 

こりゃあ現場監督も大変だろうな。

 

 

「しかし、ずいぶんと小ぢんまりとした劇場のようだな」

 

 

二階の窓のアーチ部分のレンガを積んでいる作業員達を見つめながら、お義兄さんはそう言って新しい煙草に火をつけた。

 

 

「それって王都の劇場と比べて言ってらっしゃいます? さすがに名だたる大劇場と比べられては困りますよ」

 

「そういうものか? 私はあまりこういうものには興味がなくてな、付き合いでしか行ったことがないが……国立劇場はもう少し……」

 

「ですから、それはこの国で一番大きい劇場なんですって」

 

 

シェンカーの土木部の人間たちが汗だくになりながらレンガを積むのを横目に見ながらお義兄さんにクラウニアの劇場の平均サイズを解説し、今できている場所をぐるりと回っていく。

 

舞台の奈落となる地下室から、役者たちのパウダールーム、いざというときのパニックスペースまで図面を見ながら一つ一つ説明していくが、お義兄さんはあまり興味なさげにそれを聞いていた。

 

 

「とまぁ、こういう形でせり上がりの装置がですね……」

 

「大体わかった、ここはもういい」

 

「そうですか?」

 

「まだ建築途中だろう、完成したらもう一度来ることになるだろうしな」

 

「その時はぜひ特等席にご案内しますよ!」

 

 

俺がそう言うと、彼は興味なさげにハンと鼻で笑い、胸元の煙草の箱を探る。

 

そして最後の一本だけ残っていた煙草に火をつけ、俺のことをチラリと眺めて首を傾げた。

 

 

「しかしなぁ、劇場なんかわざわざ自分で作らなくてもいいものだと思うが……」

 

「まぁその……人生の張りと申しますか、昔からの夢と申しますか……」

 

「張りだなんだのと言うような年ではなかろう? そんなことを言っていたら二十歳を超えればすぐに老け込むぞ」

 

 

言われてみれば、たしかに俺はまだ十七歳だったな……

 

前世なら制服着て学校に通ってる頃だけど、こっちじゃこれぐらいの年で働いてて子供もいてっていうのが普通だから、もう今となっては前世の感覚の方に違和感を感じるぐらいだ。

 

 

「まあ、劇場ぐらいならば平和なものか……」

 

 

お義兄さんは深くため息をつくように紫煙を吐き出してそう言い、首を左右にゴキゴキと鳴らした。

 

 

「そういえば劇団も自前なのだったな。演目は何をするつもりだ?」

 

 

地下から地上に上がる階段に繋がる通路を歩きながら、彼はそういえばという感じで俺にそう聞いた。

 

通路の向こう側からこっちに来ようとした作業員が顔を見せたが、俺達の事を見てすぐに引き返していく。

 

まあ別に十分すれ違えるんだけど、廊下でオーナーとすれ違うのもなんか嫌なのはちょっとわかる。

 

 

「演目はリルクスの『裸族の女』と……新作の劇を……」

 

「新作? お抱えの劇作家でもいるのか?」

 

 

意外そうな、ちょっと感心したような顔で言うお義兄さんには申し訳ないが、そんな立派なものではないのだ……

 

 

「あ、いや、その……お恥ずかしいんですが、自分で脚本を書きまして……」

 

「貴様がか?」

 

 

案の定、お義兄さんはなんとも言えない渋い顔になってしまった。

 

 

「ええ、以前からうちの実家の商会の商品なんかを紹介するような宣伝の劇を書いたりしていまして、その流れで……」

 

 

慌てて早口でそう付け加えるが、お義兄さんの顔は渋いまま。

 

当たり前だよな、自分で書いた脚本を劇団どころか劇場まで作って演らせるって、どんだけ道楽バカ貴族なんだよって感じだ。

 

実際は書きたくて書いたわけじゃなくて、うちの奴隷達に請われたから渋々書いたわけなのだが、外から見ればそんなことは関係のないことだ。

 

 

「宣伝劇……それはこんな劇場まで作ってやるようなことなのか?」

 

「あ、いやー……その……」

 

 

本当にその通り、ごもっともだ。

 

羞恥心に顔が赤く染まるのを感じるが、どうにも言い逃れができないのが悔しい。

 

返事をしあぐねたまま階段を登ると、その先のロビーに当たる場所でさっき引き返していった作業員たちに挨拶をされ、真っ赤な顔のままで小さく手を振って返す。

 

なんとなく気まずい空気のまま、まだ屋根がなく物理的に吹き抜けてしまっている吹き抜けを通り、門のないエントランスを抜ける。

 

外へ出たところで、お義兄さんがオホン!と咳をした。

 

 

「……あー、そうだな、そういえば貴様と妹の結婚祝いをやっていなかったな。どうだ、貴様にその気があるならば誰か脚本家を紹介してやるが?」

 

「……えっ! ほんとですか!?」

 

 

長い沈黙を破り、渋い顔のままのお義兄さんの口から出たその言葉に、俺は思わず大声でそう聞き返した。

 

 

「小さな劇場とはいえ、貴様の城だろう。城にはふさわしい宝がなければならない。貴様も仮にもスレイラに連なる者として、せめてもう少し格を持て」

 

「は、はぁ……ごもっともで……」

 

「それで、さっきの話はどうだ?」

 

「あ、是非お願いします! 是非是非!」

 

 

お義兄さんの提案は本当に渡りに船、大海の木片だった。

 

元々どこかの作家に劇場の目玉になるような脚本を発注しようとは思っていたのだ、大貴族のコネクションでそれを紹介してくれるのならばこんなに嬉しいことはなかった。

 

 

「どういう脚本家が好みだ、喜劇か? 歌劇か?」

 

 

俺の頭に、一瞬で数々の名作家達の名前が浮かんでは消えたが、それを精査する前にポロリと口から溢れた一つの名前があった。

 

 

「メジアス……あの、メジアスという脚本家をご存知でしょうか?」

 

 

メジアスというのは俺の世代の演劇ファンからすると、カリスマのような存在だった。

 

斬新な切り口、重厚な世界観、そしてどんなテーマでも薄れることのない濃い作家性。

 

思えば妻のローラさんと初めてデートした日も、メジアスの話をしたような気がする。

 

とにかく俺にとっては思い出深い、一番好きな作家なのだ。

 

 

「メジアス? ワーレン伯爵家の四男か、売れっ子じゃないか」

 

「やっぱ駄目ですかね? 大物すぎますか?」

 

「さあな、それは先方が決めることだ」

 

 

お義兄さんはそう言いながら、ポケットから取り出した手帳に何かを書き付けた。

 

 

「え、じゃあ……紹介して貰えるんですか!?」

 

「ちょうどワーレン伯爵家の三男が友人の部下にいる、なんとかしてみよう」

 

「やったっ!」

 

 

お義兄さんの言葉に、俺は思わず飛び上がって喜んでしまった。

 

もしこの夢の劇場で、大好きなメジアスの新作が公開できたら……もう死んだっていい!

 

いや、双子もいるから本当には死ねないんだけど……とにかく、これが実現するならばとんでもなく栄誉なことなのだ。

 

おっと、そういえばお義兄さんも今度結婚するんだったな。

 

貰ってばかりでは悪い、俺にできることならば何でもして恩を返そう。

 

 

「失礼しました……そういえば今度お義兄さんもご結婚なさるんですよね。実はうちで王都の女性にも大人気のお酒を作っているんですよ、是非贈らせてください」

 

「はっ、ローラ・ローラか……嫁の名前のついた酒をその兄の嫁に送ろうとは、気の利いたことだ」

 

 

お義兄さんは苦笑しながらそう言って胸ポケットを探り、煙草の箱が空なことに気づき、それを握りつぶした。

 

忌々しげにそれをポケットへとしまい込み……一筋流れた汗を不快そうに拭うが、そんな姿でも様になってしまうのがイケメンの羨ましいところだな。

 

しかし、やべーな……浮かれて調子に乗っちゃったよ、そうだよな、妹の名前のお酒送られても困るよな。

 

 

「そうですよね……すいません」

 

「かまわん、祝いの品を突き返すようなことはせん」

 

 

お義兄さんはそう言ってから顎に手を当て、それよりも……と続けた。

 

 

「本当に祝う気があるなら、あの冷房機も寄越せ、三台ほどな」

 

「あ、はい!」

 

 

あんな嫌味言ってたのに実は欲しかったのか……素直じゃないなぁ。

 

じりじりと照りつける太陽の下、俺はお義兄さんから細かな冷房機の仕様の希望を聞き出しながら、作りかけの白亜の劇場を後にしたのだった。




続きは出せたら明日出します


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第93話 黒と金 並んで歩く 夏の街 後編

お義兄さんと一緒に劇場と同じ敷地内にある野球場へと移動していた途中、資材置き場で作業員達の人だかりを見つけた。

 

普通の休憩といったマッタリした感じじゃあなく、なんだかみんなワイワイと騒いでいて楽しそうな雰囲気だ。

 

 

「あれは何をやっているのだ?」

 

「なんでしょうね、ちょっと聞いてみます」

 

 

人垣になっているところに俺達が近づくと、こちらに気づいた奴隷達がヤベっという顔をして頭を下げた。

 

別に俺が査定とかするってわけじゃないんだけど、相手からしたら社長が見回りに来たみたいなもんだろうから、そりゃ気まずいか。

 

 

「これ何やってんの」

 

「いやー、メンチさんがなんかぁ……」

 

「メンチが?」

 

 

なんとなく歯切れの悪い作業服の兎人族を横にどけ、そのまま人をかき分けて中心に向かう。

 

その先ではマジカル・シェンカー・グループの幹部である鱗人族のメンチが、ボクシング用のグローブを右手にはめているところだった。

 

 

「これはご主人様! スレイラ閣下もご一緒ですか」

 

「何してんのメンチ? ボクシング?」

 

「そうです。そこな男が私に懸想をしておりまして、ボクシングで私に勝てたら交際してやると言ったら五日と空けずに挑んでくるので困っているのです」

 

 

懸想!? メンチに!?

 

一瞬その驚きが顔に出そうになったが、さすがに悪いと思って必死で抑えた。

 

彼女もあれで若い女、蓼食う虫もなんとやらだ。

 

その蓼食う虫は鱗人族にしては珍しく、少しひょろっとした男だった。

 

 

「あの……ご主人様、僕は運送部のガナットです……」

 

「あ、そうなんだ……」

 

 

あちらから自己紹介してくれたのはいいんだが、なんだか声も小さくて言葉にもあんまり覇気が感じられない。

 

これから交際を賭けてその相手と殴り合うってのに、そんなことでいいんだろうか?

 

 

「ご主人様、よろしければ審判をお願いできますか? そやつを一発で沈めてご覧に入れますので」

 

 

戦う前からドヤ顔なメンチのその言葉を受けて、俺は一応お義兄さんに伺いを立てた。

 

 

「お義兄さん、少しだけ……いいですか?」

 

「構わん。報告は受けていたが、ボクシングというものを実際見るのは初めてだ」

 

 

お義兄さんは興味深そうに顎を撫でながらそう言った。

 

ガナットは自作なんだろうか綿をマシマシにしたヘッドギアにマウスピースまで付けて準備万端のようだが、メンチは右手にグローブをつけただけ。

 

相手が相手とはいえ、完全に舐めプだな。

 

 

「メンチ、準備はそれでいいのか?」

 

「構いません」

 

「それじゃあ……」

 

 

俺はメンチとガナットの顔を交互に見比べ、チョップの形で上にあげた手を「よーい、始め!」という言葉と共に振り下ろした。

 

 

「うおおおおおおっ!」

 

「ふん!」

 

 

それと同時にか細い雄叫びを上げてガナットが突っ込んでいき……

 

そのままメンチの右ストレートを受けて、突っ込んだ距離の倍ぐらいを吹っ飛ばされて戻っていった。

 

 

「ガナット? ガナットどうだ?」

 

「む、無理です……」

 

 

ギャラリーの中にもんどり打って倒れ込んだ彼は力なく小刻みに首を振ってそう言い、俺はメンチの右手を持ち上げた。

 

 

「勝者! メンチ!」

 

「おおー」

 

「すげー」

 

 

特に盛り上がりのない試合だったから仕方がないのだが、ギャラリーもシラけた様子。

 

しょうがないわな、花より団子のメンチに手加減なんて考えはないだろうし。

 

一応怪我だけないか見てやろうと思ってガナットの方に歩き始めると、ギャラリー達のぼそぼそと話す声がかすかに聞こえてきた。

 

 

「あー、またかぁ……」

 

「もうちょっと頑張ってくれねぇと賭けにもなんねぇよな」

 

「ま、でも本命はボクシングじゃないんだろ」

 

 

どういうことだ?

 

本命がボクシングじゃないなら、何があるんだろうか?

 

 

「はっはっは! 勝った勝った! おいガナット! 今日も貴様の奢りだぞ!」

 

「奢り?」

 

「ええ、私から言い出したことではありませんよ? 奴が『勝者を讃えたい』などと殊勝な事を言いましてな、私が勝ったら全てそやつの奢りで飯に行くことになっているのです」

 

 

お前……それって……

 

まぁ、意図はわかった。

 

メンチのバカさと食い意地を利用したいい作戦だと思う。

 

問題があるとすれば、やはり少々、女の趣味が悪いことか……

 

 

「おい、大丈夫か?」

 

「はい!」

 

 

俺が立ち上がってヘッドギアを外したガナットにそう言うと、彼ははにかんだ笑顔を見せながら頭を下げた。

 

そのヘッドギアを横からひょいと取り上げたお義兄さんは、興味深そうにそれとガナットの顔を交互に見つめた。

 

 

「これが防具か、見た所鼻血も出ていない。顎を殴られて歯がぐらついたりはせんのか?」

 

「あの、これをつけていますので」

 

 

慌ててグローブを外したガナットが口からマウスピースを取り出すと、お義兄さんはそれも手に取ってまじまじと裏表を確かめた。

 

 

「なるほどな、頭を覆う防具と拳を覆う武具のおかげで実力差があってもケガをしにくいというわけか」

 

「いや、多分こいつが鱗人族だから特別丈夫なんですよ……普通はあんな殴られ方したら鼻血が出たりはしますよ」

 

 

お義兄さんがふぅんと言いながらガナットにマウスピースを返したので、涎のついた彼の手にハンカチを握らせる。

 

彼は礼を言うでもなくそれで手を拭って俺に返すと、今度はガナットのグローブを触り始めた。

 

ガナットは丈夫な鱗人族だから大丈夫だろうが、一応回復魔法をかけてやる。

 

メンチみたいな女に懸想する勇者への、俺からの手向けだ。

 

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いいよ、メンチの相手は大変だろうけど頑張ってな」

 

 

はい、と答えながらはにかんで俯く彼の心は、きっとこの夏のように熱く燃えているのだろう。

 

頑張れよ、青年。

 

 

「おい」

 

「えっ? あ、はい」

 

 

俺が他人の青春にちょっとほっこりしている間に、なぜかお義兄さんはガナットのヘッドギアを頭に付けていた。

 

なんで?

 

ちょっと付けてみたかったのかな。

 

野球みたいにやってみたいなんて言われても、俺は殴り合いなんかできませんよ……?

 

 

「グローブはどう付ける?」

 

「あ、それは手を入れてですね、紐で縛って……」

 

「右手はいいが、左手は?」

 

「それは他人がつけます、これをこうして……」

 

「ふぅん」

 

 

ちょうどガナットとサイズがピッタリだったのか、問題なく入ったグローブをお義兄さんはグッグッと握りしめる。

 

いや、似合ってるけど……まさかね……

 

 

「お前、ちょっと打ってみろ」

 

「えっ?」

 

 

お義兄さんがそう言ってグローブで指したのは、俺ではなくメンチの方だった。

 

 

「ご主人様……」

 

「えーっと……」

 

 

さすがにメンチも困った顔で俺の方を見るが、俺だって苦笑いだ。

 

お義兄さんが見た目ほど堅苦しい人じゃないって事は知ってるけど、さすがに貴族と奴隷を打ち合わせるわけにはいかないよな。

 

 

「閣下、勘弁してもらえませんか……彼女はうちの大事な人間なんですよ……」

 

 

そんな俺の言葉に、お義兄さんはうっとおしそうに首を振った。

 

 

「自分の命を遂行した人間を咎めたりはせん。かまわんから打ってみろ。どうせ当たらん」

 

「……あー、じゃあ、メンチ、ちゃんと準備をしてから胸を貸して頂きなさい」

 

「はっ!」

 

 

負けず嫌いな彼女はどうせ当たらんと言われた事に腹を立てたのだろう、手早く身支度を済ませ、今度は両手にグローブを付けた状態でお義兄さんの前に立った。

 

 

「閣下、一手ご指南仕ります」

 

「ああ」

 

 

俺が合図をする間もなく、メンチの鋭い拳がお義兄さんの鼻を目掛けていきなり飛んだ。

 

当たった! と思ったのだが……近づいた拳と同じ距離だけ、手品のようにお義兄さんの体が後ろに下がっていた。

 

メンチはもう一度踏み込んで、今度は横腹を目掛けてフックを繰り出す。

 

だがそれも、さっきと同じように必要なだけ後ろへ下がったお義兄さんの体にはかすりもしない。

 

 

「いくぞ」

 

 

そう宣言してから、お義兄さんは逆にメンチへと踏み込んで彼女の顎へと左手でジャブを打つ。

 

メンチは上体だけを反らしてそれを避け、お義兄さんの顎目掛けてアッパーを返す。

 

何度も何度もパンチの応酬が繰り返されるが、どちらのパンチも一発もまともに当たらない。

 

俺もギャラリー達も、やたらとレベルの高い野試合にポカンと口を開けたまま見入っていた。

 

 

「こうかな? こうか。なるほど、拳でしか攻撃が来ないなら上体だけで避ければいいわけか」

 

 

しかし、お義兄さんがそんな事を呟いた途端試合がガラッと様変わりし始めた。

 

二人の距離が極端に近づいたのだ。

 

のけぞって相手のパンチをかわすスウェーを見て覚えたお義兄さんは、メンチのパンチを超至近距離で捌き始めた。

 

ボディへのパンチは的確にガードし、顔面へのパンチは指一本分の距離で避ける。

 

何でもすぐにできるようになる人ってのはいるんだなぁ。

 

 

「これぐらいでいい」

 

 

そう言ったお義兄さんは、メンチの攻撃を余裕で避けながらスルスルと下がる。

 

 

「メンチ! 終わり!」

 

 

闘気剥き出しで挑んでいたメンチも俺の言葉でお義兄さんを追うのをやめて一歩後ろに下がった。

 

彼女もさすがは冒険者グループの棟梁なだけある、あれだけ激しく動いていたというのに軽く息を切らせているだけだ。

 

俺なら殴られなくても途中で体力が切れてただろうな。

 

 

「おい」

 

「はいはい」

 

 

紐の結び目をこちらに向けるお義兄さんのグローブを解いて外し、ヘッドギアも脱がす。

 

金の髪から一筋の汗が流れるが、彼自身は全く息を切らせていない。

 

体力お化けじゃん。

 

 

「メンチとか言ったか」

 

「はっ! 閣下!」

 

「なかなかいい動きだった。元軍か?」

 

「そうであります!」

 

「綺麗な軍隊式だ、だから避けやすかった。俺のような軍人ならばともかく、それ以外に負けるような事はあるまい」

 

「あ、いえ、います……もっと強いのが……」

 

 

名前は忘れたけど、メンチはどっかの髭のオッサンにボコボコにされてたんだよな。

 

メンチもお義兄さんが褒めるレベルだって事を考えると、あのオッサンは一体どんだけ強かったんだろうか……?

 

 

「そうなのか、なかなか田舎といえど侮れんな」

 

 

そう言って爽やかに笑った彼とは対象的に、メンチはボクシング大会の屈辱を思い出したのか何やら不機嫌そうな顔をしていた。

 

ごめんガナット、今日のメンチはやけ食いするかも……

 

 

 

そんな事のあった後、お義兄さんと一緒に向かった野球場は、彼が以前来た時とは比較にならないぐらいの混雑になっていた。

 

他に行くところはないんだろうか、老いも若きも男も女もやって来て、賭け券握って大騒ぎだ。

 

もちろん騒ぎながらもヤジなんか飛ばしたりしない、酔っぱらいだってお行儀よく試合を見ている。

 

今は貴族リーグのリーグ戦真っ最中だ、平民がヤジなんか飛ばして首が飛んだんじゃたまらないからな。

 

 

「ここもだいぶ人が増えたな、前に来た時はここまでじゃあなかったはずだが」

 

 

お義兄さんは日除けのあるVIP席で売店で貰ってきた官製煙草を吸い込みながら、不思議そうにそう言った。

 

 

「今ちょうど貴族リーグ戦の真っ最中でして、街をあげて盛り上がっているところなんです」

 

「貴族リーグね、まぁ余暇に何をやっても自由というものだが……待てよ、もしかしてうちの妹も参加しているのか?」

 

「参加してますよ」

 

 

まぁスレイラ白光線団はこっちに貴族としての基盤のないチームだから、どうしてもローラさんのワンマンチームになっちゃって弱いんだけどね。

 

多種多様な魔球魔打球を繰り出す他のチームと比べて、やっぱり切れるカードが少なすぎる。

 

スタミナの問題だってある、ローラさんが気を吐いて抑えても普通のピッチャーの時に点を取られてしまうのだ。

 

 

「ローラの事だからそこそこにはやっているのだろうが……勝っているのか?」

 

「あ、いえ……スレイラ白光線団はリーグ最下位ですけど……人気はありますよ。応援団もいますし」

 

「最下位……? 負けているのか?」

 

 

そう言って珍しく本当に不機嫌そうに顔を歪めたお義兄さんは、まだ七割も残っている煙草をぐっと灰皿に押し付けた。

 

 

「その……うちの団はローラさんが強いだけですので、軍人揃いの貴族チームにはなかなか……」

 

「言い訳はいらん、他にどんなチームがある」

 

「スレイラの入っているリーグですと、スノア家のチームと魔導学園のチームと、ザルクド……」

 

「ザルクドだと! 海軍のザルクド流か?」

 

「え、ええ……剣術使いのチームなので体のできた選手が多くて……」

 

 

この人が声を荒げるところは初めて見たかもしれない。

 

物凄い目つきでこっちを睨むお義兄さんに、俺は完全にビビりながらもしどろもどろに言い訳を続ける。

 

しょうがないじゃん、スポーツなんだから勝ち負けはあるんだって……

 

 

「ザルクド流め……こんな所でまで」

 

 

彼は不機嫌そうに右の瞼を歪め、右手の親指で顎を掻く。

 

イケメンは不機嫌でもイケメンだが、普通の人が怒るより絶対怖いって。

 

なんとか言い訳を考えようと空を見上げると、ドン! とお義兄さんの席から大きな音がした。

 

椅子から五センチも飛び上がって慌ててそちらを見ると、彼の座っていた椅子の肘掛けはへし折れ、ギリギリで椅子に繋がっている木片が空中にプラプラと揺れていた。

 

こえーよ、でっかい音した時に死んだかと思ったわ。

 

周りの貴族の方々も何事かとこちらを見ているようだ、なんとかお義兄さんには落ち着いてもらわないと……

 

 

「その……お義兄さん、落ち着いてください、人目もございますので……」

 

「私は落ち着いている」

 

 

落ち着いてないでしょ。

 

 

「気に入らん」

 

「え……?」

 

「仮にもスレイラの名を持つものが海軍に、しかもザルクド流なんぞに負けることが気に入らんと、そう言っている」

 

 

んなこと言われたってなぁ……

 

よっぽど王都でザルクド流と何かあったに違いないけど、それは王都のスレイラと王都のザルクド流の話であって、こっちは関係ないのでは……

 

とは思うが、絶対に言えない俺なのだった。

 

 

「サワディ」

 

「あ、はい!」

 

 

呼びつけるだけ呼びつけておいて、お義兄さんは新しい煙草に火を付け、煙を深く吸い込んだ。

 

そうしてこちらを向くこともないまま、ゆっくりとそれを吐き出して静かに言葉を続けた。

 

 

「部下を貸してやる、勝て」

 

「えっ? 部下って……」

 

「トルキイバで連絡員をやらせている寄子の家の者がいる、団に入れてやるから、なんとしてでもザルクド流に勝て」

 

「ほ、本気ですか……?」

 

「後でローラにも言い含めておく」

 

 

そう言って、彼はローラさんと同じ瑠璃色の瞳でじっと俺を見つめた。

 

ごくりと生唾を飲み込むが、喉はからからのままだ。

 

 

「いいか、これは戦役だと思え。スレイラとザルクド流の……野球戦役だ!」

 

 

夏だというのに、冷や汗が止まらない。

 

ついこの間も同じようなことがあった気がするが、俺がそれを思い出すことはなかった。

 

この瞬間、俺の意識はお義兄さんの気合に当てられて、宇宙の彼方へとぶっ飛んでいたからだ。




チキンタツタのレモンのやつ美味しかった

ちなみに王都のスレイラ家の派閥のいざこざがやきうの話以外で絡んでくることは多分ないと思います


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第94話 軍人も たまには辛い 時もある 前編

第93話のラストのお義兄さんの無茶ぶりから始まったのが第94話から第96話に跨るこのやきう回なんですが……
二万文字ぐらいに膨れ上がってしまったので、一応飛ばしても問題がないように調整しておきます。
第97話からはまたサワディ君のお話に戻ります。


俺が第二王子派の重鎮であるイクシオ元陸軍元帥に命じられ、このど田舎に赴任して来た頃、まだ雪がちらついていたのを覚えている。

 

白い息を吐きながら、街の外に作られた超巨大造魔建造計画の施設を毎日毎日見張った。

 

研究施設ったってあの頃は何があったわけじゃない、単なるでっかい穴ぼこだ。

 

作業員たちが一生懸命穴を掘って土を運ぶところを、バカみたいに煙草ばかり吸いながらずっと見つめていた。

 

俺は軍人だ。

 

軍人の仕事は命令に従うことだ。

 

 

「俺は仮にも尉官だぞ? なんでこんな仕事をしなきゃいけないんだ?」

 

 

そんな愚痴をぐっと堪えて、毎日毎日穴ぼこを見張った。

 

でも今思えば、あの頃はまだ良かった。

 

本当にそう思う。

 

状況が変わったのは年が明けてすぐのことだ。

 

 

『サワディ・スレイラに国家反逆の恐れあり』

 

 

大量の追加人員と共にそんな急報が届いて、俺は穴掘りの作業員の数を数えるのんきな仕事から解放された。

 

代わりに与えられた指示は、超巨大造魔建造計画の実行者であり、国家反逆罪の容疑者でもあるサワディ・スレイラを罪が確定するその瞬間まで護ること。

 

上官に詳細を問い合わせる暇もない、スレイラ邸のすぐ近くに拠点を構え、夜も眠らず働いた。

 

陰ながらの身辺警護はもちろん、対象の交友関係を丸洗いにし、邸宅を狙撃できそうな危険な物件は金に糸目を付けずに買い上げた。

 

もしサワディ・スレイラが俺達の手を離れる前に死ねば、今後一生出世の目はないだろう。

 

せっかく二十三で少尉になって、実家の伝手で派閥にも入れて、さあこれからって時にそれではさすがにあんまりだ。

 

その思いだけで、雨の日も雪の日も、俺の実家の寄り親であるスレイラの姫様の殺気に晒されてブルった日も、奴を必死に影から護り続けてきた。

 

奴が好き放題出歩くたびにあちらこちらへ振り回され、町人に怪しまれ、犬に吠えられ、下着泥棒と間違われ、なんだかなぁと思っていたら紆余曲折があって奴の無罪が確定して。

 

やっと解放だと思ったら、奴さんは陸軍にとっての重要人物だからそのまま護衛を続けろときたもんだ。

 

いいさ、俺は軍人だ。

 

軍人の仕事は命令に従うことだ。

 

上が重要人物だと言うからには、きっとあの若造はこの国にとって必要な人間なんだろう。

 

色んな文句をぐっと堪えて、傾げそうになる首を手で支えて、毎日毎日サワディ・スレイラを護った。

 

だが、その数カ月後に下された新しい命令は、さすがの俺でも首の傾げを抑えきれない、馬鹿げた命令だった。

 

 

『野球チーム、スレイラ白光線団(ホワイトビームス)に入団し、ザルクド流野球部に勝利せよ』

 

 

率直に言って意味がわからなかった。

 

なぜ俺が?

 

なぜ球遊びに?

 

なぜザルクド流に?

 

その三つのなぜ? はすぐに氷解した。

 

命令書のサインが、実家の寄り親であるスレイラ家の嫡男、アレックス・スレイラ様のものだったからだ。

 

スレイラ家の寄り子の俺を、スレイラ家の婿が興した野球とかいう遊びに参加させ、スレイラ家に因縁の深いザルクド流に対して意気地を見せよというわけだ。

 

話がわかったのは良かったが、結局(かし)いだ首が戻ることはないまま、俺は真夏の練習場に立ち尽くしていた。

 

 

「ペンペン・ロボス少尉、貴官には投手、つまり護りの要をやってもらおうと思うのだが……」

 

「ロボスとお呼びくださいスレイラ少佐。どのような役割であろうと、このロボス、完遂してご覧に入れます」

 

「こちらも少佐はやめてくれ。私は今は軍属ではない、魔導学園の研究者だ。もっと言えば、単なる主婦だな」

 

 

これって笑っていいところなんだろうか?

 

奇妙な運動服を着た彼女から発せられている首筋がピリつくような強烈な圧力は、単なる主婦なんて言葉には全くそぐわないものだ。

 

魔臓を潰して軍を辞めることになったのが本当に惜しい……

 

この人が今も外地で踏ん張ってくれていたら、周辺国との停戦解除までにダンジョン戦役終結の目処も立ったかもしれんのにな。

 

いや、名誉の負傷を悪く言うことはできん。

 

魔臓を潰すほど戦うことなど、男の俺にだってできるかどうか。

 

俺もそれぐらいの気持ちを持って、この仕事に専念しなければな。

 

 

「イーズ・ラヴ曹長、貴官にはロボス少尉の相方として、捕手をやってもらおうと思っている」

 

「はっ! 謹んでお受けいたします!」

 

 

俺と一緒に呼び出された同じ派閥の下士官が、綺麗な敬礼とともにそう答えた。

 

金の短髪の俺とは違い、茶色い髪が肩まである男だ。

 

任務で吟遊詩人にでも化けていたのだろうか?

 

まぁいい、今はとにかく任務のことを知らなければ。

 

 

「……それで、投手ということなのですが、恥ずかしながら小官は野球とやらに疎いものでして」

 

「全くかまわん、貴官らの他に兄より預けられた軍人達も初心者ばかり。今すぐに戦力になれとは言わん。取り急ぎ七日後に試合があるから、まずそこで実戦に慣れてもらうつもりだ。それまでは……」

 

 

そう言ってスレイラ元少佐は上半身だけでぐるりと後ろを向き、誰かを「おーい」と呼んだ。

 

そうするとどこかで待機していたのだろうか、少佐と同じ服を着た若い山羊人族の女と羊人族の女が小走りで現れた。

 

山羊人族の方は何度か見たことのある顔だ、たしかサワディ・スレイラの護衛にいたはずだ。

 

 

「貴官らには、この二人から野球というものを学んでもらおう」

 

「二人から……ですか。失礼ですが、彼女らは平民では?」

 

「ああ、二人とも退役奴隷、つまり平民のようなものだ。冒険者で最近までは我が夫の護衛でもあった、うちの人間(もの)だ、丁重に扱ってくれたまえよ」

 

 

彼女はそう言ってから、片手に持っていた本のページをぱらりと捲り、指で一文をなぞった。

 

 

「この貴族野球御作法にはこうある。『爵位・階級よりも実力を尊ぶべし』とな。彼女らは平民ではあるが、貴官らの球団においての先任陸曹である。よく指導を受けたまえ」

 

「了解しました!」

 

 

俺と下士官の声がぴたりと重なった。

 

 

「山羊人族のタシバは投手、ロボス殿と同じ役割だ。羊人族のマァムは捕手、こちらはラヴ殿と同じ役割だ。二人とも冒険者としての実力はほどほどだが……野球の腕はそこそこにあると見込んでいる。それとこれを渡しておこう、熟読するように」

 

 

そう言って俺に貴族野球御作法なる本を二冊渡した彼女は、連れてきた平民達に向けて深く頷き、長い金髪をひるがえして去っていった。

 

……ああ、緊張してくたびれた。

 

退役軍人とはいえ、あちらの方が階級は上。しかも上司の妹で、実家のことを考えれば俺にとっては本当の姫様、その上武官としての実力でも絶対に勝てそうにないとなると、やりにくくてしょうがないな。

 

 

「あのぉ……」

 

「あ、ああ、タシバと言ったか」

 

「そうっす、ペンペン様とイーズ様は……」

 

「待て待て、俺のことはロボスと呼べ」

 

「あ、失礼しました……」

 

 

困ったように眉をハの字にする彼女には悪いが、俺は自分の名前をあまり気に入っていないのだ。

 

実の曽祖父から頂いた由緒正しい名前らしいが、現代の価値観で考えるとどうにも間抜けな響きで、これまでも幾度となく名前のことを揶揄されてきた。

 

 

「それじゃあ……ロボス様とラヴ様は、ユニフォームをお持ちですか?」

 

「ユニフォーム? お前やスレイラ少佐の着ているような服か。それならば持っていないが」

 

「それじゃあまず、野球用品店にこれを作りに行きましょうか」

 

 

タシバは自分の服の襟をつまんでちょいちょいと引っ張りながらそう言った。

 

 

「作りに? 既製品はないのか?」

 

「これはチームごとに色や柄が違うんで、ひとりひとり作らないといけないんですよ」

 

 

もう一人の羊人族、マァムがそう付け加えた。

 

 

「そうか、じゃあそうしよう」

 

 

スレイラ少佐はこの少女達に指導を受けろと言った。

 

俺は軍人だ。

 

軍人の仕事は命令に従うことだ。

 

わけのわからん仕事だが、何でもやってやるさ。

 

 

「とのことだが、貴官もそれで構わんか?」

 

「もちろんです。ですが少尉、貴官はやめてくださいよ」

 

「では、ラヴ軍曹」

 

「へへ、少尉と逆さで悪いんですが、俺のこたぁイーズと呼んでください。故郷の婆さんの付けてくれた名前でね」

 

「そうか、俺はロボスでいい」

 

「了解であります、ロボス少尉」

 

 

この男も、どうにも軽い調子なのが気になるが……

 

これからは相方としてやっていくのだ、細かいことは置いておこう。

 

 

「では、行こうか。野球用品店とやらに」

 

「了解であります」

 

「おー!」

 

「お、おー!」

 

 

こうして、陽炎揺れるグラウンドから、四人の即席部隊が出発したのだった。

 

 

 

「お二人は野球は見たことありますか?」

 

「何度かは球場で横目に見たことがあるが、それも仕事でな、あまり詳しくは知らんのだ」

 

「俺も見たことないなぁ、仕事が忙しくてさ」

 

「はえーっ、軍人さんってやっぱり大変なんですね」

 

「そうそう、大変なんだよほんと」

 

「ちょっとタシバ、気安すぎるって……」

 

 

なんとも気安くポンポン質問を飛ばしてくる平民達と話しながら、シェンカー家お抱えの野球用品店とやらに向かって歩いていく。

 

我々の通る路地裏の道にはまだ糊も乾かないチラシが貼ってあり、そこには『野球チーム、東町商店街 禿頭団(スキンヘッド ボーイズ)では団員を募集しています。禿頭優遇、髪ある者は剃れ』と書いてある。

 

野球用品店なんて妙な商売が成り立つのか? とさっきから疑問に思っていたが……これだけ流行っているならば、なるほど成り立つのかもしれないな。

 

昼寝をしていた猫が俺達の足音に驚いて目を覚まし、黄色い花の鉢植えを倒して逃げていった。

 

連日猛暑が続いていた中、今日は珍しく少し涼しくなったところだ。

 

眠っていたくなる気持ちもわかる、起こして悪いな。

 

しかし、この街をこうして無防備に歩いていると、なんとも変な気分だ。

 

いつもは目を皿のようにして通行人の挙動を見張り、いざという時はいつでも盾となる覚悟で気合を滾らせていた。

 

路地裏の壁に貼られたチラシの内容や、勝手口の脇に置かれた鉢植えの花の色なんか、気にしたこともなかったし気にもできなかったものだ。

 

 

「それで、その店っていうのはどこらへんなんだ?」

 

「もうすぐそこっすよ、シェンカーのお店は中町に固まってますから。さっきまでいた白光線団(ホワイトビームス)専用の練習場だって中町だったでしょう? MSGの本部もご主人さまの実家も中町にありますから、シェンカー(うち)の本拠地は中町なんですよ」

 

 

しかしペラペラとよく喋る女だ、まるで実家の母親のようだ。

 

 

「ほらほら、ありましたよ、あの店です、あのバットとボールの看板の……」

 

 

そういえばこれまでは任務の都合上、実家に便りを出すこともできなかったが、この任務についている間なら手紙ぐらいは許されるんじゃないだろうか?

 

後でスレイラ元少佐に尋ねてみよう……なんて事を考えながら、喋り続けるタシバに引っ張られるようにして店へと入った。

 

平民なのに軍人に対して物怖じしないというか、怖いもの知らずというか……いや、こいつの場合単にガサツなだけなのか?

 

これからはこいつに野球を教わることになると思うと、なかなか骨が折れそうだ。

 

 

 

 

野球用品店で制服を注文してから三日間、陽の光に肌を焼かれながら俺とタシバは野球場に詰めていた。

 

イーズ軍曹とマァムはキャッチングの練習を試合の日までみっちりとやるそうだ。

 

 

「ロボス様、ホットドッグ食べますか?」

 

「いらん」

 

「エールは?」

 

「仕事中だ」

 

「この試合、どっちが勝ちますかね?」

 

「わからん」

 

 

周りを平民に囲まれ、やかましいタシバの話を聞き流しながら試合を見続ける。

 

野球というものは本当に人気があるようで、貴族しか入れないVIP席も早いもの勝ちですぐに埋まってしまう。

 

VIP席の何倍もの広さを誇る平民席も、出遅れると入れないんじゃないかってぐらい人で埋まっている。

 

一体野球の何がこの数の人間を惹きつけるのだろうか?

 

俺は野球というものを知らなさすぎる。

 

戦争で勝つには戦争を、野球で勝つには野球を知らなければならない。

 

 

「あの投手はどういう投手だ?」

 

「ああ、あの人は身体強化で強い球を投げるんですよ、光の杖団のエースですね」

 

「どこの者かわかるか?」

 

「えーっと、クロ……クロ……ロクロ? みたいな……」

 

「ロスクロス伯爵家か?」

 

「ああ、それそれ、ロスクロスです、たしか偉いお医者さんの家なんですよね」

 

「なるほど」

 

 

メモ帳に投手の情報を書き付け、じっと集中して投手の体を見つめる。

 

数日後には俺もあそこに立つことになるのだ。

 

投手が振りかぶってボールを投げると、打者は思いっきりバットを振る。

 

ボールはバットにはかすりもせず捕手のミットに突き刺さり、周りからは歓声が上がった。

 

 

「三振だ! やっぱり身体強化は凄いっすね〜」

 

 

そうか?

 

俺は、あんな目で追えるようなノロい球を、どうして打者は打ち返せないんだろうかと思ってしまう。

 

正直ここ数日こうやって観察を続けてきて、俺はかなりこの任務への格付けを下げていた。

 

田舎生まれのこの野球というスポーツが、そんなに難しいものとは、どうにも思えなかったのだ。

 

野球の観察が終わってから何度かピッチングも試してみたが、俺ならこれまで見てきたどの投手よりも速い球を投げられるという自負もあった。

 

正直、自分があの球遊びで負けるところは想像できない。

 

梃子摺るよりはずっといいが、歯ごたえのない仕事だな。

 

くぁ、とあくびが出て慌てて口を抑えると、隣でなにかのチケットの裏表を確かめていたタシバと目が合った。

 

 

「一応この試合、光の杖団に賭けてみたんですけど……どう思います?」

 

「……仕事中だぞ、馬鹿者」

 

 

つくづく、平民ってのは気楽でいいな。

 

 

 

 

スパン! と小気味いい音を立てて、白いボールがイーズ軍曹の構えるミットにビタっと収まる。

 

 

「いいっすね~、走ってますよ~! やっぱりいい肩してますね~!」

 

「少尉! いい感じですよ!」

 

「その調子です!」

 

 

投げ返されたボールを、制服と一緒に作ったグローブという手袋で受けた。

 

野球という競技をここ数日研究して、こうしてタシバとマァムに見守られながら軍曹のミットに投げ込んでみて改めて思ったことがある。

 

この競技、すごく簡単だ。

 

打者はやったことがないからわからないが、少なくとも投手は物凄く簡単に思える。

 

基本は打者に打たれないように球を投げるだけ、コースを工夫し、球速に波を作り、相手のバットに捉えさせなければそれでいいのだ。

 

それに、タシバの言葉を信じるならばだが、やはり俺は他の人間より肩が強いようだ。

 

ここ数日見てきた投手達の中に俺と同じぐらい速い球が投げられるものはいなかった、これならば簡単に打たれようなことはあるまい。

 

試合の相手も貴族とはいえ、こんな南の僻地にいるような連中だ……

 

最前線で戦ってきた、ジェスタ王子傘下の我々が参加するというのは少々大人げなかったかもしれんな。

 

この調子ならば、ザルクド流なんぞにもそうそう負けるような事はあるまい。

 

一応、ほかのチームの投手がこぞって投げていた、魔法を使った投球も練習しておくか。

 

 

「魔球、行くぞ!」

 

「ちゃんとミットに入れてくださいよー!」

 

「心配するな!」

 

 

俺は風使いだ、ボールに横風を当ててやれば簡単に軌道を変えられる。

 

 

「あっ!」

 

 

俺が投げた球はあらぬ方向にすっぽ抜けたかに見え、横で見ていたタシバも驚きの声を上げたようだが……

 

同時にごうっと横薙ぎに吹いた風がボールに絡みつき、球は見事に構えられたミットへと収まった。

 

こんなものか。

 

負ける気がしないな。

 

 

「完璧ですよ! 少尉!」

 

「凄いっす~! もっかーい!」

 

「いいや! 俺は今日はもう上がりだ!」

 

 

俺はグローブを外しながら、本塁の方へと歩き始めた。

 

今はこの任務を与えられているとはいえ、他にやるべき仕事がないわけではないのだ。

 

軍人の仕事は命令に従うことだが、全てに全力で向き合って務まるものではない。

 

特に尉官になると書類仕事が増えて、自分で上手く時間を作らなければ大変な事になるのだ。

 

そうだ、早めに仕事が進めばついでに実家への手紙も書いておくとしよう。

 

 

「少尉、いいんですか?」

 

「だいたいはわかった。明後日は試合だ、明日は休みにしてしっかりと体を休めよう」

 

「ロボス様、まだ打者を入れての練習はしてないんですけど、いいんすか?」

 

「そう心配するな、俺は負けんよ」

 

 

不安そうな目で見つめるタシバの肩をポンと叩き、うだるような暑さのグラウンドを後にした。

 

試合自体に心配はないが……明後日は寝坊だけはしないように注意せんとな。

 

 

 

 

そしてその二日後……

 

俺は地獄にいた。

 

 

「こんな……こんなはずが……」

 

 

三回まではよかった。

 

三球三振を何度も決め、妙な迫力のある数名の老人もきちんと魔球を使って打ち取った。

 

このまま勝ちだな、と思った途端、急に打たれ始めた。

 

そこからはもう、何がなんだかわからないぐらいにメタメタだ。

 

ヒット、ヒット、ホームラン、ヒット……もう何本打たれたのかも覚えていない。

 

今は……今は一体何回なんだ……?

 

俺は一体、あと何点取られればいいんだ……?

 

絶望と暑さで眼の前がすうっと暗くなり、思わずグラウンドに膝をついた。

 

 

「タイムタイムターイム!!」

 

「タイム!」

 

 

軍曹がタイムと叫ぶ声が聞こえ、審判がそれに応えると、彼はマスクを脱ぎ捨ててマウンドまで走り寄ってきた。

 

 

「少尉、大丈夫ですか!?」

 

「あ、ああ……少し目眩がしただけだ」

 

「すいません、正直言って俺もこんなに難しい競技だとは……」

 

「いや、イーズ軍曹が悪いんじゃない、全ては野球を甘く見ていた俺の責任だ。あんな、あんな老人たちに……」

 

「実はさっきベンチで聞いたんですが、今日の相手の魔導学園火の玉団(ファイアボールズ)はリーグ上位のチームだそうです。うちは万年最下位らしいですから、とても少尉だけの責任とは……」

 

「さ、最下位……」

 

 

やはり、俺は致命的な間違いを犯していたようだ。

 

野球は簡単じゃない。

 

見るのとやるのとでは大違いだ。

 

正直言ってこの試合はもう駄目だ、点差が開きすぎてしまって……戦闘行為ならば全滅判定だろう。

 

しかし、俺は軍人だ。

 

軍人は持ち場を離れない。

 

最後まで……最後まで仕事を全うするのだ。

 

そう決意して、握ったボールを横からひょいと取り上げる者がいた。

 

後ろに縛った長い金髪を風になびかせた、ローラ・スレイラ元陸軍少佐殿だった。

 

 

「ロボス殿、三十三点とは盛大に打ち込まれたな。初戦で感じは掴めたか? そろそろ代わろう」

 

「ス、スレイラ少佐……小官は……」

 

「すまないな、練習台にするには少々相手が悪かったようだ。あの古強者(ろうじん)達は一筋縄ではいかない相手でね、調子に乗らせるとこうして手のつけようがなくなるのさ」

 

 

そう言ってポンと肩を叩かれた俺は、軍曹に支えられるようにしてベンチへ引っ込んだ。

 

甘い味のついた水をがぶ飲みし、帽子を脱いで一息つく。

 

マウンドは地獄だ。

 

打者との孤独な戦いの中で一度調子が崩れれば、後はもういいように嬲られるだけ。

 

外から見ているだけではわからない魔が、あそこにはあった。

 

今、その地獄のマウンドにはスレイラ元少佐が立っている。

 

俺はこれまでよりも何倍も真剣に、本当に全てを盗み取るつもりでそれを見つめた。

 

彼女の手から放たれた、バットごと相手の骨をへし折る剛魔球が、捕手のサワディ・スレイラを水平に吹き飛ばしていた。



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第95話 軍人も たまには辛い 時もある 中編

どんどん話が長くなってしまってすいません


『速いと言えば速いが、あれぐらいなら逆に打ちごろ』

 

 

魔導学園火の玉団(ファイアボールズ)のエストマ翁が俺のことをそう評した壁新聞が、部屋から練習場への通り道の裏路地に貼ってあった。

 

試合から三日と経っていないというのに、筆の速いことだ。

 

大敗北を喫したあの試合の後、俺とイーズ軍曹の新人バッテリーはスレイラ元少佐から叱られもせず、もちろん褒められもせず、ただ次の登板日だけを告げられて帰された。

 

不甲斐なさと悔しさで、部屋に帰ってもとても寝付けないと判断した俺達は酒場へと直行。

 

タシバとマァムも巻き込んで甚だ苦い酒を大いに飲み、次の登板での勝利を誓いあったのだった。

 

その翌日である昨日は二日酔いであまり練習にもならず……試合を失点無しで抑えられるようになるまでは禁酒にしよう、と誓いを立てて早々に退散した。

 

つまり、今日からだ。

 

今日から、俺達は本気で猛特訓を始めるのだ。

 

 

 

「率直に言えタシバ、俺に何が足りん?」

 

 

他の選手達も走り込みやキャッチボールをしている練習場のマウンドで、俺達四人は練習開始前の会議を行っていた。

 

 

「勝負勘っすかね~」

 

「勝負勘? それはどういうものだ?」

 

「なんて言うんですかね、ロボス様の投球は素直すぎるんですよね。投球は相手の裏をかかないと駄目なんですよ」

 

「ふんふん」

 

「相手がどの軌道のボールを狙っているのかをよくよく見極めて、そうじゃない場所に投げ込まないといけないんです。相手は奥方様の魔投球だって打ち返してしまうような人達なんですから、球の速さだけではとてもとても……」

 

 

奥方様……?

 

ああ、スレイラ少佐のことか。

 

なるほど、あくまでこいつらにとっての主はサワディ・スレイラということなのだな。

 

 

「いやいやこれは耳が痛いな、そりゃあ少尉だけの問題じゃないですよ。俺がミットを置く場所に球が来るわけですから、俺が主体になって頭を使っていかないといけないな」

 

 

タシバの話を俺の隣で聞いていたイーズ軍曹が、苦笑いで長髪を掻き上げてそう言った。

 

 

「軍曹、俺お前の間柄とはいかんが……我々は大負け仲間じゃあないか、俺のことは名前で呼べ」

 

「ロボス殿、では俺のことも是非イーズと」

 

「ああ」

 

 

俺は尻ポケットから煙草の箱を取り出し、イーズの方へ向けた。

 

お互いに一本ずつ取って、魔力で火を付ける。

 

苦い煙だ、敗北の残り香だ。

 

屈辱をそそぐその日までは、酒だけではなく煙草(こいつ)も断つとしよう。

 

練習場の真ん中に立つ俺達の間を熱い風が吹き抜け、二人が吐き出した煙は巻き上げられるように晴天へと溶けていった。

 

 

 

「とにかく、大事なのは打者の目を惑わす事なんです。まずは色んな速度の球を投げられるように特訓しましょう!」

 

「それならば簡単だっ! 正面から風を吹かせて減速してやればいいのだっ!」

 

 

ホームベースの方でマァムに指導を受けながらミットを構えるイーズに向けてゆっくり時間をかけて球を投げながら、タシバにそう答える。

 

細やかな風の扱いには自信がある。

 

胸を張ってそう言った俺に、彼女は首を横に振った。

 

 

「そこは魔球じゃ駄目なんですよ。魔球頼りで勝てるほど今の貴族リーグは甘くないっすよ。魔導学園火の玉団は全員魔法使いでしたけど、どこのチームにもだいたい平民が混ざってるんですから」

 

「平民……? そうか……投手、捕手、打者の三人が魔法使いでない時は魔球は投げられないんだったな」

 

「そうなんです、魔球頼りの投手はそこでいいようにやられちゃうんすよ……」

 

 

イーズから返ってきた球をグローブで受け取り、またゆっくりと慎重に投げ返す。

 

ただ漫然と投げているわけではない。

 

高低左右、様々なコースに正確に投げ入れられるようにする練習中なのだ。

 

 

「奥方様も貴族相手にはめっぽう強いし、普通に投げても速いんすけど……平民の強打者には結構打たれちゃうんですよね。それに……」

 

 

タシバはなんとなく言いにくそうに俺のことをチラリと見た。

 

 

「何だ? 言ってみろ」

 

「ロボス様のあの風で軌道を変える魔球、別の考えた方がいいっす」

 

 

何っ!?

 

どういうことだ?

 

イーズから返ってきた球を受け取り、じっとタシバの方を見た。

 

彼女は左手の人差し指をピンと立て、それに風を送るように右手で扇いだ。

 

 

「あれって打者も風浴びてるんで、曲がる方向が丸わかりなんすよ……」

 

「あっ……」

 

 

全く気づかなかった……

 

どうやら、本当に問題は山積みのようだ。

 

 

 

投げ込みも大切だが、研究も大切だ。

 

俺とタシバは特訓の合間合間に休憩がてら野球場へと行くようになった。

 

野球の疲れを野球で癒やしていると思うとなんだかよくわからんが、とにかく今は知識が欲しかった。

 

 

「あの投手はどうだ? 強いのか?」

 

「あの人は繋ぎの投手ですよ、主力が休憩する間に投げる人っす」

 

 

繋ぎ、そういうのもあるのか。

 

たしかに投手は体力も使うが、精神が磨り減るようなところがある。

 

俺もあの日、調子が崩れ始める前に交代できていたらもっと冷静に投げられたに違いない。

 

 

「繋ぎね……なるほど外から見れば俺もそうか」

 

「へへ、それは内から見てもそうっすよ」

 

「こいつ、小憎たらしいことを言うようになったな」

 

「野球に関することなら何でも気にせず言えって命令したのはロボス様じゃないっすか」

 

「フン、別に咎めてはいないだろう」

 

 

わかっているつもりでも、人の口から言われるとちょっとは腹が立つものだ。

 

 

「それより、ロボス様もあの人の仕事をよく見ておいてください。あの人は繋ぎとしては上手いんですよ」

 

「繋ぎは所詮繋ぎだろう? 上手い下手があるのか?」

 

 

そう問う俺に、タシバは両手の人差し指で投手と守備陣を指差して頷いた。

 

 

「ありますよ~、あの人は最初からあんまり三振を狙ってないんですよ。大きく打たれない事を重視して、守備と協力して打者を打ち取るんです」

 

「守備と協力……」

 

「三振でも、守備が捕っても、アウトはアウトですから」

 

 

たしかに、俺はまだ一人で三振を取り続けるには力が足りない。

 

そう考えれば、勝つためにはああいう選手こそを参考にすべきなのだろう。

 

 

「それで、大きく打たれない球とはどういう球だ?」

 

「低めの球は打たれにくいと言われてます。打者から離れた低い球(アウトロー)はめったに本塁打(ホームラン)にならないってのも投手は皆なんとなく知ってるんですけど、投げるのが難しいんすよね」

 

「なるほど……おっ!」

 

 

ここで話していたからというわけではないだろうが、ちょうど投手がタシバの言った通りのコースに球を投げ込んだ。

 

打者が手でバットを持つ点から一番遠い場所に投げ込まれたその球は、すくい上げるようなスイングで高く高く打ち上げられ……そのまま観客席へと吸い込まれた。

 

 

「おい本塁打だぞ……」

 

「う~ん、だから野球って難しいんすよ……勉強になりました?」

 

 

腕を組んで首を傾げ、苦笑いをしながらそう言った彼女の肩を、俺はちょいと肘の先でつついたのだった。

 

 

 

そんな日々を過ごしていた中、ある日突然タシバが見覚えのある鳥人族を練習場へと連れてきていた。

 

金髪の鳥人族、たしかサワディ・スレイラの腹心の一人だったか……

 

一体なぜこんな所に?

 

 

「お二人とも、今日は大蠍団(スコーピオンズ)の方から先生に来て頂きました」

 

「先生?」

 

「どっちの先生だろう?」

 

「投手の方です。この人は平民リーグ最強の投手、ボンゴさんっす」

 

「…………ど……も……」

 

 

ぺこりと頭を下げるその女はどうにも華奢で小さい。

 

正直、最強という言葉は全く似つかわしくない姿だった。

 

 

「とりあえず投げて貰います、見ればわかるんすよ」

 

「ボンゴさん、いいですか?」

 

「…………う……ん……」

 

 

低めにミットを構えるイーズに対して投球姿勢を取る彼女の手元を、斜め後ろから見つめる。

 

パァン! と音が鳴る。

 

何も言わずに振りかぶって投げたその球は、快音を立ててイーズのミットに収まった。

 

たしかに速いが……それだけか?

 

 

「…………み……ぎ……」

 

 

そうつぶやいて、彼女が次に投げた球は左から右へと鋭く流れてミットに収まった。

 

 

「…………ひだ……り……」

 

 

今度は右から左。

 

彼女が方向を宣言するたびに球はどこからでもその方向に曲がり、途中からイーズが一切ミットを動かさなくなっても、確実にそのど真ん中へと収まっていた。

 

 

「どういう絡繰りなんだこれは……」

 

「…………か……い……」

 

「かい……?」

 

「ボンゴさん多分、回転って言ってます」

 

「…………そ……」

 

 

回転か……手元で回転をかけるということか?

 

 

「しかし、凄まじいな……これではまるで……」

 

「『魔法みたい』っすか? ボンゴさん、そう呼ばれてるんすよ。『魔術師』のボンゴって」

 

「魔術師……? いいのか? その呼び方」

 

「まぁ~鳥人族だから通用する二つ名ってとこはありますよね……」

 

 

正直、亜人種じゃなければうるさ方が問題にしそうな二つ名ではあるな……

 

しかし腕の方はまさしく魔術師、技を教わるにやぶさかではない。

 

 

「是非、是非ともその魔法を使わない魔球を俺に教えてくれ!」

 

「…………い……よ……」

 

 

何を言っているのかよくわからない彼女から技を学ぶのにはなかなか苦労したが、途中に通訳として呼ばれて来た猫人族や馬人族達の助けを借りながら、彼女の都合のつく限り行われた。

 

教えを受けたことによって俺の球種は一気に増え、イーズからも組み立てが楽になったと大好評を得た。

 

 

 

そんないい風が吹いてきている中、俺たちにとっての二試合目が行われた。

 

試合の相手は貴族リーグ上位のチームであり、今回の任務の目的でもある、ザルクド流野球部だ。

 

 

「新しい投手が入ったのね、お手柔らかに」

 

 

試合前、我々に挑発的な目を向けてそう言ってきたのはザルクド流直系の剣士、ライミィ・ザルクド。

 

何やらスレイラの姫とも因縁浅からぬ相手らしい。

 

それが理由になったのかはわからないが、この日の先発投手はローラ・スレイラその人だった。

 

 

「今日、我々の出る幕はあるのかな?」

 

「凄まじいの一言ですね」

 

 

試合が始まってからはひたすら三振の山が積み上げられ、だいたいの打者はもう最初から振るのを諦めているようだった。

 

当たり前だ、スレイラの姫様が投げるのはバットをへし折る速度の魔球なんだ、怪我をしてその後の試合に響いたら元も子もないからな。

 

しかし、そんな魔球をきちんと打ち返す化け物も、貴族リーグの中にはそこそこ存在しているのだった……

 

その一人が、彼女の因縁の相手であるライミィ・ザルクドだ。

 

ライミィ・ザルクドの振ったバットはバッキィィィン!! と凄まじい音を立てて、ボールを観客席へと運んでいく。

 

バットの真芯で打てばどんな球でも前に飛ぶ、とタシバが言っていたのを半信半疑で聞いていたのだが、どうやらあれは本当のようだった。

 

投げ捨てられたバットの腹にはボールの形に陥没ができていて、姫様の球速の凄まじさを感じさせた。

 

 

「うぉーっ!!」

 

「すげぇーっ!!」

 

「やっぱザルクドはすげぇな!!」

 

 

観客達も大盛り上がりだ。

 

悠々と塁を回るライミィ・ザルクドを悔しそうに睨む姫様には申し訳ないが、これは仕様がないことだ。

 

そもそも彼女一人で全てを完封できるならば、我々にこの任務が回ってくることなどなかったのだから。

 

そのまま残りの打者は姫様が片付けたが、ずっと全力投球を続けてきて体力的にも辛くなってきたのだろう。

 

投手交代が言い渡され、俺たちの二度目の出番は六回裏から始まった。

 

 

「ロボス殿、一応相手チームは全員に魔球を使えるようですが、どうします?」

 

「今日は魔法を使わない魔球だけでいこう、まだ風の魔球は未完成だしな」

 

「わかりました」

 

 

ごく短い作戦会議を終え、イーズと別れてマウンドに立った。

 

敵は剣術ザルクド流、バットをまるで剣のように構えた男がいやに大きく見える。

 

イーズがミットを構えたのは、打者から離れた低い場所(アウトロー)

 

俺は左から右へと変化する握りで球を持ち、全身全霊で投げ込んだ。

 

バカンッ! と快音が響く。

 

当たり前のように俺の初球を打ち返した剣士は、なんでもないような顔で一塁へと走っていく。

 

はぁっ、と口からため息が漏れる。

 

傍から見ていれば短いはずだが、俺たちにとっては長くて辛い、お仕事の時間が始まったのだった。

 

 

 

 

夏の暑さもずいぶんと過ぎ去り、最近は朝になると肌寒いような日も増えてきた。

 

球場にやって来る客もほとんどが長袖を着込んでいるようだ。

 

街は収穫祭とやらの話題でもちきりで、白光線団(ホワイトビームス)の者達も収穫祭の準備で練習に来れない事が多くなってきた。

 

団員の大半は平民だ、俺のように責任のある立場とは違う。

 

その気楽さを少しだけ羨ましく思いながら、俺は今日も他者の投球から魔球のヒントを探すために球場へ足を運んだのだった。

 

 

「最近ずっと、三失点以内に収まってるじゃないですか」

 

「それはな、三失点もしている(・・・・・・・・)と言うのだ」

 

「最初は三十三失点だったんですから、凄いっすよ」

 

火の玉団(ファイアボールズ)戦の話はやめろ」

 

 

あの屈辱的な大敗からしばらくが経ち、最近はうちのバッテリーもかなり敵の打線を抑えられるようになってきた。

 

色々試しているのに未だに魔球の開発は上手くいっていないが、その分勝負勘が付いてきたように思う。

 

以前のように簡単に遠くまで飛ばされる事がなくなってきたのだ。

 

もう少し、もう少しなのだ。

 

決め球さえあれば……

 

そう思いながら、祈るように投手の手元を見た。

 

 

「ロボス様、ホットドッグ食べますか?」

 

「ああ、コーラも」

 

 

ポケットから小銭を出してタシバに渡すと、彼女は嬉しそうに売店へと走っていく。

 

気楽なやつだ、きっと未来には何の憂いもないのだろう。

 

俺は冬にこのリーグが終わる前に、せめてザルクドに一勝ぐらいはしなければ面目丸潰れだというのに……

 

その報告に行った時のおっかない上司の顔を想像すると、なんとなく気分が重くなる。

 

あの人も結婚して丸くなってくれればいいんだが、多分そういう人ではないんだろうなぁ……

 

煙草でも吸おうかと思って胸ポケットを探り、禁煙していたことを思い出して思わず項垂れる。

 

酒も煙草も絶ってしまうと、いよいよ楽しみのない人生だな。

 

俺もこの任務が終わったら、上司のように家庭でも持つか。

 

まぁそれも、任務が無事に終わればの話だが。

 

客席の応援団が吹き鳴らすラッパの音が、俺の丸めた背中を叩くように跳ねていた。

 

 

「何か落としたんすか?」

 

「あ? いいや、何も」

 

 

顔を上げると、コーラとホットドッグを両手に持ったタシバがきょとんとした表情でこちらを見ていた。

 

こいつには格好の悪いところは見せられんな。

 

 

「ホットドッグっす」

 

「ああ」

 

 

背筋を伸ばして腸詰めを挟んだパンを受け取る。

 

これは妙に肉の安いこの街では手軽に食べられる料理で、万人に親しまれている名物と言ってもいいだろう。

 

 

「コーラっすぁっ!」

 

「おっ!」

 

 

タシバが手を滑らせ、俺の体にコーラが降り注いだ。

 

 

「すいません! すいません!」

 

「ああ、いや、大丈夫だ」

 

 

俺は手の周りに風を纏わせ、服にかかったコーラを足元へと吹き流していく。

 

軍服を着ている時じゃなくて良かった。

 

土汚れならばいいが、茶色いシミは少しな……

 

 

「あの、それ……」

 

「何だ?」

 

 

服に風を当てながらタシバの方をチラリと見ると、彼女は目を丸くして俺の手を指差していた。

 

そんな事をしている暇があるなら、始末を手伝ってほしいんだが……

 

 

「それって……魔球にならないっすか?」

 

「何がだ?」

 

「その手から風を出すやつっす」

 

「これは手から風を出しているわけではなく、手の周りに風を集めているだけで……」

 

「ボールの周りに風を集めたらどうっすかね?」

 

「何の意味が……?」

 

 

タシバは風を吹き出している俺の手をガシッと掴み、円を描くようにぐるりと回した。

 

 

「これっす、回転っすよ! ボンゴさんが言ってたっす! 回転が大事だって!」

 

「そうか、風でボールを回転させるということか!」

 

「そーゆーことっす!」

 

 

俺とタシバは一瞬互いに目を合わせ、球場の出口へと走り出した。

 

今思いついたことをすぐに確かめたくて、茶色く濡れたシャツも、周りからの目線も気にせずに、遮二無二走った。

 

無人のベンチを飛び越え、寝ている猫の脇を駆け抜け、練習場目指して走った。

 

途中で二人共大事にホットドッグを抱えている事に気づき、それが無性におかしくて、笑いながら走った。

 

駆ける俺たちの背中を、秋の涼風が押してくれていた。




チキンタツタのレモンの奴がもうすぐ食べられなくなると思うとつらい


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第96話 軍人も たまには辛い 時もある 後編

マジで長くなっちゃいました。
この話を読まなくても本筋には問題がないようにしておきますので、あれでしたら飛ばしてください。


俺の指から離れたボールが手のすぐ先に生まれた気流に飲まれ、凄まじい回転で軌道を変えながらミットへと飛んでいく。

 

これまでとは比べ物にならないキレで、イーズがキャッチできずに取り零すほど。

 

タシバと俺が野球場で思いついた魔球は大成功だった。

 

 

「ロボス殿! 凄いですよこの魔球!」

 

 

イーズは興奮したようにそう言った。

 

最初に使っていた横風を当てる魔球よりも、断然変化量が多いのだ。

 

 

「そちらから風の流れはわかったか!?」

 

「全然わかりません! これなら打者に曲がる方向を読まれませんよ!」

 

「よしっ! よしっ! この魔球を詰めるぞ! イーズ!」

 

「了解であります!」

 

「マァム! 打席に立ってくれ! なにか気づくことがあったら何でも言え!」

 

「はいっ!」

 

「あの~あたし、なんかやることあるっすか?」

 

「タシバは球拾いを頼む!」

 

「そりゃ~重要任務っすね……」

 

 

この日、俺は深夜に至るまで魔球を投げ込み……ついに真の魔球の完成を見たのだった。

 

 

 

実際は『魔球が完成した』なんて言っても、何かが大きく変わるってわけでもない。

 

魔窟である貴族リーグでは、俺の何倍も凄い魔球を持ったスレイラの姫様だって打たれるのだ、俺だって魔球があろうが打たれまくりだ。

 

ただ、一試合で打たれる回数自体は以前の三分の一程度に減り、ようやく戦力として数えて貰える程度になったというところか。

 

そうしてチームの役に立てるようになってしばらく経った試合の後、俺たちは姫様直々にお褒めの言葉を頂いていた。

 

 

「少尉、軍曹、最近凄いじゃないか。さすがはうちの長兄の手の者だな、きちんと仕上げてくれた、優秀だ」

 

「ありがとうございます」

 

「ありがたきお言葉、感謝します」

 

 

夫のサワディ・スレイラを横に連れたスレイラの姫様にそう言ってもらう事ができて、俺とイーズはほっと安堵のため息を漏らした。

 

一から取り組んでこれだけ頑張って「まだまだだ」と言われたら正直途方に暮れる所だったからだ。

 

しかし、褒められたからと言ってそれで喜んでいるわけにはいかないのが現状だ。

 

目的のザルクド流に勝つためには、投手としてもう少し上に行きたいのが本音だった。

 

 

「しかし、今一歩と申しますか……」

 

「そうですね、もう少し……」

 

 

イーズと目線を交わし合いながらそう言うと、ポケットから取り出した煙草に火を付けた姫様が不敵に笑って煙を吐いた。

 

 

「つまり貴官らは、もう少し守備率を上げたいと……?」

 

「そうですね、風で球に回転をかける魔球を編み出したのはいいのですが……やはり少佐の剛魔球とは違い当てれば前に飛びますので、未だにザルクド流にはいいように打たれてしまっています」

 

「配球も工夫をしているのですが、やはりザルクド流は読みが強く……」

 

 

あくまで、我々の敵はザルクド流なのだ。

 

他のどんなチームに通用しようと、彼奴らに負けているようでは仕方がなかった。

 

 

「打つ選手はどんな投手相手でも打つからな、そこは私自身も課題に思っている」

 

 

煙草を根本まで灰にしながら、姫様は苦々しげにそう言った。

 

まぁ、上手くなりたいと言って上手くなれるのならば世話はないか……

 

結局はもっともっと練習して、球速を伸ばしたり変化幅を増やしたりするしかないんだろう。

 

そう結論づけようとしたその時、これまでずっと黙っていたサワディ・スレイラから声がかかった。

 

 

「あの、風で回転をかけているっておっしゃられましたよね?」

 

「あ、そう……ですが?」

 

「逆に回転を消してみてはどうですか?」

 

「回転を……消す?」

 

 

俺には彼が何を言っているのかがわからなかった。

 

回転の力こそが俺の魔球の強みだ。

 

その強みを消して、一体どうしろというんだろうか。

 

 

「はい、回転のないボールって、ブレるんですよ。投手にもどういう軌道を描くかわからない球になるので、読み合いに強いザルクド流相手ならどうかな……なんて、はは」

 

「投手にもわからないって、それじゃあ君、捕手だって捕れないだろ」

 

「あ……そうですよね。ま、言ってみただけというか……」

 

「すまないな少尉、うちのはたまにこういうわけのわからない事を言うんだよ。学者だからかな」

 

 

彼は捕手なのになぜそんな事を知っているのか……? とか。

 

捕手が魔法を使えば捕球自体はなんとかなるな……とか。

 

様々な事が一度に脳裏に浮かんだが、とりあえず俺の口から出たのは無難かつ穏当な言葉だった。

 

 

「……いえ、何かのきっかけになるかもしれません。持ち帰って検討してみます」

 

「そうかい?」

 

 

どうせ壁にぶち当たっているのは確かなんだ、あくまで皆に相談してからの事だが、一度や二度回り道をしてみるのも構わんだろう。

 

 

 

 

そう思っていたのだが……翌日の練習場でその話を聞かせたタシバとマァムの反応は、どうにも劇的なものだった。

 

 

「それ、ご主人様が言ったのなら間違いないっす!」

 

「なぜだ? 彼は捕手だろう」

 

「ご主人様は最初投手だったんっすよ! ボンゴさんの投げる魔法を使わない魔球だって、ご主人様が教えたんです。野球に関してあの人の言うことは間違いないっすよ!」

 

「私もそう思います、そもそも野球って遊びを考えたのもご主人様ですから」

 

 

そうだったのか……彼が主導してルールを制定したって話は聞いていたが、まさかアイデア自体も彼から出ていたとはな。

 

 

「ロボス殿、やってみる価値はあるんじゃないですかね?」

 

「そうかな? まぁ、やってみるか」

 

 

とはいえ、回転をなくすなんて技は試した事もない。

 

球を投げる時には自然と回転がかかるから、それを打ち消す方向に風を吹かせるということか。

 

 

「行くぞ!」

 

「了解!」

 

 

パァン! と音がなり球はミットへ入る。

 

イーズは首を横に振りながら、こちらへとそれを投げかけしてきた。

 

 

「回転してます!」

 

 

考えた通りに投げてみたが、自然な回転とは逆方向に緩く回転がかかっているだけのようだ。

 

このままじゃあ単なる打ちやすい棒球、ザルクド流ならば誰が打っても本塁打だ。

 

 

「もう一回!」

 

「はーい!」

 

 

仕方がない、初めての試みなんだ。

 

ひたすら調整していくしかない、今日の練習は長くなりそうだ。

 

 

 

朝に始めた練習に変化があったのは、夕日が街を赤く染め始めた頃だった。

 

 

「ロボス殿! 今縫い目が見えました!」

 

「本当か!?」

 

「本当本当! やりましたよ!」

 

「もう一回投げるぞ!」

 

 

返ってきた球をさっきと同じように投げ返すと、イーズの方から「あー!」という叫びが聞こえた。

 

 

「また回ってます!」

 

「もっと投げ込んで感じを掴もう!」

 

 

なまじ一度成功してしまったせいだろうか……

 

この時点ではこの魔球の威力も何も全くわかっていなかったというのに、この日から俺達は毎日回らない魔球の練習をするようになった。

 

 

 

朝から晩まで、練習、練習、練習だ。

 

手のひらよりも小さな球の回転を、本当に自分の思った通りに風魔法で操る。

 

これは最初想像していたよりも遥かに難しく、そして面白かった。

 

何よりその練習を通して自分の風魔法そのものが明らかに洗練されていくのを、実感として感じていた。

 

野球というのは魔法の訓練としても使える競技だ、報告書にもきちんと書いておかなければな。

 

士官学校時代にこんな訓練があれば、きっと楽しくて今のように朝から晩までやっただろう。

 

いや、みんな投手をやりたがって奪い合いの殴り合いをしていたかな?

 

 

「ロボス様~、いつまでやってんすか? もう夜っすよ~」

 

「だからお前はもう帰っていいと言っているだろう」

 

「そういうわけにもいかないの、わかってくださいよ~」

 

 

彼女には迷惑をかけてしまっているな。

 

だが、俺は今自分が伸びているのが楽しくて仕方なく、ついつい長居をしてしまっていた。

 

俺はちらりとタシバの顔色を伺ってから練習場の壁に向かって球を投げ、跳ね返ってきたそれをまた拾う。

 

 

「だいたいこんな薄暗い中で球投げてて、ほんとにわかるんすか?」

 

「わかるとも、この魔球はちゃんと成功すれば不規則に軌道が変化する。同じ場所に投げて手元に返ってこなければ成功だ」

 

「普通はそんな簡単に同じ場所に投げらんないっすよ……しかし、男の人ってなんでこうなんすかね~。やりたい事見つけたら、そこに向かって一直線というかなんというか……」

 

「別にやりたい事というわけではない、これはどちらかというとやるべき事(・・・・・)だな」

 

 

そう、これはあくまで任務としてやっている事だ。

 

自分でも仕事に入れ込みすぎる質だとは思っているが、楽しいからやっているというわけではないぞ

 

本当だ。

 

 

「傍から見てたら、多分それってあんまり変わんないっすよ」

 

「そうかな? まぁ男など皆そんなものだ。一身をかけて成せることがあるとするならば、それを成さずにはいられないのが男というもの。お前の親父や兄は、そうではなかったか?」

 

 

少なくとも、うちの実家の父や兄はそうであった。

 

きっと、彼女らの主人たるサワディ・スレイラもそうだろう。

 

さすがにそれで国家反逆罪の疑いをかけられるのはやりすぎだがな。

 

 

「親とか兄弟とか、そんなもんいないっすよ~。あたし麦畑の出なんで」

 

「麦畑……そうか、孤児院か」

 

「そうなんすよ~」

 

「じゃあ父や兄は置いておいて、お前自身のやりたい事はないのか?」

 

「あたしっすか?」

 

 

彼女はきょとんとした顔で、自分の顎を指差した。

 

そんな事を聞かれるとは思っていなかったんだろう。

 

普段からハの字の彼女の眉毛が、もっとハの字になっていた。

 

 

「そうだ」

 

「そうっすねぇ~、あたしは……二つ名が欲しいっすね」

 

「二つ名? なぜだ?」

 

 

純粋に疑問だった。

 

二つ名なんて欲しいものだろうか?

 

 

「麦畑の中じゃあ、連れられて来た赤ちゃんにはお世話係になった子が名前を付けるって習わしがあるんすよ……と言っても、子供に好き放題名付けさせると大変な事になりますよね」

 

「ああ」

 

「だから、名付けてもいいって名前が最初っからいくつか決まってるんですよ。そしたらもう、名前が被る被る。あたしは子供の頃は『三人目のタシバ』って呼ばれてました」

 

 

夜の闇の中、魔導灯の仄暗い光に照らされた彼女の瞳はどこにも向かず、ただ虚空を見つめていた。

 

ただ調子がいいだけの女ではないとは思っていたが、こいつはこいつでそれなりに苦労しているのだな。

 

 

「なるほど……孤児院ではそういう事があるのか」

 

「だからですかね、麦畑にいた頃から自分だけの名前が欲しくてたまらなかったんすよね。だからシェンカーでも、あんまり向いてないってわかってた冒険者組に入ったんですよ。吟遊詩人に歌われるような冒険者になれれば、きっと名前が付くと思って……」

 

 

彼女はそこまで言ってから、肩をすくめて苦笑した。

 

 

「でも駄目っすね、必死こいて腕までもぎ取られて、なんとか暴れ鳥竜までは倒したんですけど……あたしの槍はそれ以上の大物には通用しなかったんです」

 

「そうか……」

 

「あ、いや別にだからどうだってわけじゃないんですよ。これからなんか別のことで大成できればそれでいいんすよ」

 

 

そう言って、タシバは俺の方を向いてニッと笑う。

 

 

「それがいい、前向きな事は大切だ」

 

 

俺はまた球を壁に投げた。

 

壁に至るまでにぐにゃりと軌道を曲げたそれは手元に戻らず、タシバの足元へと転がっていく。

 

成功だ。

 

十球に一度は成功するようになってきた。

 

球が転がった先のタシバはそれを拾って、手のひらの上でまじまじと見ていたかと思うと……

 

こちらに向けて思いっきり振りかぶった。

 

 

「まあでも、とりあえずは野球っす……ねっ!」

 

「おっ!」

 

 

彼女から返ってきた球はパンッ! といい音を立ててグローブに収まった。

 

 

「野球で俺がザルクド流に勝てば、俺に教えたお前も有名になる……かっ!?」

 

 

グローブの中の球を、壁ではなくタシバに投げ返す。

 

 

「いいっすね! きっとなれます……よっ!」

 

 

言葉と一緒に返ってきた球を、言葉と共に返す。

 

 

「じゃあ、もうちょっと練習に付き合ってくれ……よっ!」

 

「しょーがないっす……ねっ!」

 

 

こうしてタシバの協力を得た猛練習は、上手くいったのか上手くいっていないのか、ズルズルと冬が来るまで続く事になり……

 

さすがにもうその頃には、俺は完全に無回転魔球を習得するに至っていた。

 

もちろん捕手のイーズの方も魔法を使った捕球を編み出し、大きくブレる球を取り零す事もほとんどなかった。

 

 

 

これを冬までズレ込んだと言っていいのか、大一番に間に合ったと言っていいのかは、正直わからない所だが……

 

無回転魔球が完成した一週間後の今日が、ちょうど今期リーグのスレイラとザルクドの最終戦なのだった。

 

スレイラは今期これまでザルクドに対して驚異の九割負け、賭けの成立しない悲惨な成績だ。

 

最近じわじわと成績の上がってきたスレイラ白光線団(ホワイトビームス)にとって、ザルクド流はなんとしても勝って気持ちよく年を越したい相手。

 

そして俺にとっては、ここで勝たなきゃ左遷濃厚な因縁の相手。

 

こうして、スレイラ側の戦意だけはむやみに高い決戦が、冬のトルキイバで幕を開けたのだった。

 

 

「ロボス少尉、例の魔球が完成したと聞いている。期待していいのだな?」

 

「はっ! 無回転魔球、確かに完成しております」

 

 

朝の野球場、投手ミーティングの場でスレイラの姫様とそう話していると、彼女の隣に立っていたサワディ・スレイラが驚きの声を上げた。

 

 

「えっ? ナックルボールが完成したんですか?」

 

「ナックル……でありますか?」

 

「ナック……モガっ!」

 

「ああ、気にしないで。彼は何にでも変な名前を付けたがるんだよ」

 

 

スレイラ元少佐は子供を扱うように旦那の口を手で塞ぎ、唇を軽く曲げて笑った。

 

まあ気にするなと言うならば気にしないが、やはりこの魔球を教えてくれた男の言葉は気になるもの。

 

ナックルね、意味はわからんが無回転と呼べば敵に絡繰りがバレるかもしれんし……そう呼ぶのも構わんか。

 

 

「今日はライミィ・ザルクドの打席に合わせてマウンドに立とうと思う、悪いが少尉と軍曹はそれ以外の回を任されてくれるか?」

 

「もちろんであります!」

 

「了解しました」

 

 

サワディ・スレイラを引きずるようにベンチへ向かっていく彼女を見送り、俺とイーズは他人に聞こえないよう顔を近づけ、風を周りに吹かせて打ち合わせをする。

 

イーズのやつはすっかり伸びた髪を後ろで纏めて、日焼けで顔が真っ黒だ。

 

俺もずいぶん焼けたが、こいつは焼けて元々持っていた軽薄な雰囲気が際立ったように見える。

 

まぁ、軽薄なだけの人間でないことはわかっているがな……

 

 

「それでロボス殿、今日は使うんですか? 例のやつ」

 

「それについてなんだが……しばらくはあれをナックルボールと呼ぶことにしようかと思う」

 

「ナックル……? どういう意味なんですか?」

 

「サワディ・スレイラが口走った言葉で俺にも意味はわからんが、逆にそれぐらいの方が正体が掴めなくていいだろう」

 

 

諜報員の任務の中ではいつも暗号を使ったものだ。

 

野球の任務の中で使っても悪いことはあるまい。

 

 

「そういうもんですかね」

 

「それでそのナックルだが、今日は出し惜しみなしだ」

 

 

出し惜しみをして左遷されては意味がないからな。

 

もちろんいつかは打たれるだろうが……それならば、それまでにまた新しい戦術を生み出せばいいだけの事。

 

軍人にとって大切なのは、常に今目の前にある任務なのだ。

 

 

「そうですか、じゃあひとつ、ナックルでザルクド流の腰を抜かしてやりますか」

 

「ああ……そうだ、取り零してもいいが、走らせるなよ」

 

「もうちょっと信用してくださいよ」

 

「してるさ」

 

 

イーズの胸を拳でトンと叩いて、準備に向かう。

 

絶対に負けられない戦いが、今始まろうとしていた。

 

 

 

 

ドンドンドン! ドンドンドン!

 

パーパッパパッパーパ! パーパッパパッパーパ! パーパッパパッパーパパー!

 

楽隊の演奏する音楽が、いやに大きく聞こえる。

 

スレイラ家……いや、シェンカー家か。

 

この日はそこの奴隷達が有志で結成したという応援団の演奏が、試合の開始と同時に始まっていた。

 

今は三回表、ザルクド流の攻撃だ。

 

件のライミィ・ザルクドは四番打者だったので、一回と二回はスレイラ元少佐が抑えた。

 

順調に行けばここから二回は俺が投げる事になるが、打たれまくればその限りではないだろう。

 

気合を入れてかからなければな。

 

俺はパチンと右手で頬を張って、打席を向いた。

 

 

「行くぞ!」

 

 

まず投げ込んだのは右上から左斜下へとえぐり込むように入る回転魔球。

 

それは無回転(ナックル)の練習で魔法の練りが強まったおかげか、以前よりも更に回転が増し……

 

よっぽどの打者でなければ手のつけられない変化幅になっていた。

 

 

「ファウルボール!」

 

 

ただ、ザルクド流も伊達じゃない。

 

ストライクゾーンの端から端までを舐めるように移動した魔球に、きちんとバットを掠らせてきた。

 

最近のあいつらは、俺の手元の風までもを読み始めた(・・・・・)のだ。

 

流石は船乗り御用達の流派だ、離れた風を見るとは恐れ入った。

 

俺はグローブの中で握りを確かめ、今度は魔法を使わずに投げた。

 

翼人族のボンゴから教わった、魔法を使わない魔球だ。

 

 

「ストライク!」

 

 

ストレートの軌道から球三個分下に落ちた魔球に、バットは当たらない。

 

よしよし、いけてるな。

 

ただ、どんな状況でも油断できないのがザルクド流だ。

 

奴らは敵の球種の読みと剣士の勘と組み合わせ、どんな状況でも来そうな場所にきちんと振ってくるのだ。

 

魔法を使わない魔球は握りで回転をかけて変化させている都合上、投げられる種類が限られるのが難点だ。

 

球の握りを確かめていると、イーズから切り札のサインが来た。

 

まだ一人目の打者だが……

 

そうだな、今日は出し惜しみなしだったな。

 

俺は握りを変え、全力で振りかぶって投げた。

 

ボールにかかった回転を、前方二方向から吹かせた風でピタッと止めてやる。

 

自分で言うのもなんだが、はっきり言って神業だ。

 

そしてそこから先、球の軌道は俺の意思から離れ、ぐにゃりと歪むのだ。

 

 

「ストライク! バッターアウッ!」

 

 

ザルクド流の打者が、不思議なものを見るような目でこちらを見ていた。

 

これを読むのは至難の業だぞ、剣使い。

 

わからない(・・・・・)から読みようがない(・・・・・・・)、それが読み潰しの無回転魔球(ナックルボール)なのだった。

 

 

 

夏からこれまで、打倒ザルクド流に向けて努力していたのは俺達だけではない。

 

三塁手と遊撃手に配置された同派閥の仲間も、きちんと俺達を援護して出塁してくれた。

 

しかし、一部選手だけ強くてもどうにもならないのが野球というもの。

 

後に続く選手が出ずになかなか点数には繋がらず、五回表の段階で未だ試合はゼロ対ゼロのままだった。

 

だが、これでも夏よりずっと進歩した事には間違いはない。

 

夏の俺達ならば、ザルクド流に二回分(イニング)も投球すれば十失点は硬かっただろう。

 

少々苦々しくも、確かな成長を確認できたそんな五回表に、試合は動いた。

 

バッキィィィン!! という嫌な音が、球場中に響いたのだ。

 

 

「うおーっ!!」

 

「すげぇーっ!!」

 

「ザルクド、半端ねぇーっ!!」

 

 

万雷の拍手と客席からの声援を浴びながら、ライミィ・ザルクドは悠々と塁の間を駆けていく。

 

ああ、なんてことだ……姫様が本塁打を打たれてしまったのだ。

 

打つ打者はどんな球でも打つ、仕方のないことではあるのだが……

 

姫様は心底悔しかったのだろうか、次の五回裏の自分の打席で、ザルクド流の男の投手から本塁打を打ち返した。

 

これで状況は一対一の同点だ。

 

試合が、静かに加熱し始めていた。

 

ドンドンドン! ドンドンドン!

 

 

「「「かっとばせー! イーズ様!」」」

 

 

俺の相棒のイーズも、シェンカー家の楽隊の応援を受けて打席に立つ。

 

ここで奴がスレイラの姫様に続ければ最高だ。

 

応援席に向かって軽薄なウインクを飛ばした馬鹿者イーズの背中に、チーム全員の期待が集まった。

 

 

「タイム!」

 

「ターイム!」

 

 

ここで敵チームからタイムがかかり、勢いに乗りたい我々にとって一番つらい言葉が出た。

 

 

「投手交代! ライミィ・ザルクド!」

 

 

そう、敵チームのエースの登場だ。

 

ネットに纏められた栗色の髪、銀の竜が彫刻された漆黒のヘルメット。

 

その小さな手に握られた、あの泣けるほど硬い硬球が、子供用のオモチャの球のようにぐにゃりと形を変えるのが見えた。

 

彼女は剣術の大家の直系、勝負強さだけは折り紙付きだ。

 

案の定イーズとその後の打者は軽く三球三振に討ち取られ、俺達の出番が来た。

 

緊張感で、口から心臓が飛び出そうだった。

 

 

 

あっという間に八回裏の、スレイラの攻撃番となった。

 

一対一のまま終盤まで来た試合は、観客にとっては退屈だったかもしれない。

 

ただ、やっている側からすればこんなに疲れる試合はなかった。

 

打者はどうやってもライミィ・ザルクドの球にバットを当てられず……

 

俺は俺で、奥歯を噛み砕いて治癒魔法使いのサワディ・スレイラの治療を受けるほど無回転魔球(ナックルボール)を投げまくって、なんとか自分の出番を凌ぎ切る事ができた。

 

さすがにギリギリの試合の中でほとんど気力を使い果たしてしまっていて……

 

マウンドからヘロヘロ歩きで辿り着いたベンチにも、座ったと言うよりはほとんど倒れ込んだと言った方がいいような有様だった。

 

 

「ロボス少尉」

 

「は、はいっ!」

 

 

そんな状態でも、スレイラの姫様から声がかかると自動で体が跳ね起きて直立不動になった。

 

軍人はどんなに疲れていようが寝ぼけていようが、こういう時は体が勝手に動くように仕込まれているのだ。

 

一体何の用事だろうか?

 

できれば次の出番が来るまではこのままベンチに横になっていたかったのだが……

 

 

「九回裏の打席、是が非でも打ちたい。集中したいので、次の九回表も投手を頼めるか?」

 

「しかし、その回はライミィ・ザルクドの打席があるのでは……?」

 

「一か八か、この試合の貴官の調子の良さに賭けてみたいのだが……いかがか?」

 

「お……お任せください……このペンペン・ロボス、必ずや無失点で抑えて見せましょう!!」

 

 

内心はどうあれ、そうとしか言えなかった。

 

もう砂まみれになってもいいからグラウンドに倒れ込みたいぐらいヘトヘトだったが、俺のような立場で「やれ」と言われて「やりません」はない。

 

何はともかく、やるしかないのだ。

 

せめてこの回打席に立つ選手達ができるだけ攻撃を長引かせてくれる事を願ったが、当たり前のように全員が三振にされてすぐに交代になってしまった。

 

彼らを責めることはできない。

 

ザルクド流の強さは、俺が一番身に染みてわかっているからだ。

 

しょうがない、行くしかない。

 

ベンチから出る前にイーズと顔を突き合わせて、短く打ち合わせを行う。

 

 

「ロボス殿、どうします?」

 

「まだナックルは通用するか?」

 

「一試合ぐらいで対応される魔球じゃないと思いたいですね」

 

「違いない、俺達とあの二人の秋が丸ごと詰まった魔球なんだ、信じてみるか」

 

 

俺とイーズは、お互いの胸板をトンと殴り合って、マウンドへと向かった。

 

順調に打者をアウトにできれば、ライミィ・ザルクドは三人目の打者になる。

 

それまでに打たれては話にもならないな。

 

球の縫い目を確かめ、マウンドを足で固めると……

 

もう応援歌は聞こえなかった。

 

 

「ストライク!」

 

 

バットは振るが、ナックルに掠らず。

 

 

「ファール!」

 

 

バットに掠ったが、前には飛ばず。

 

 

「ストライク!」

 

 

見すぎたのか、バットを振れず。

 

 

「バッターアウッ!」

 

 

審判の言葉で、一気に音が戻ってきた。

 

バクバクと鼓動を急かそうとする心臓を、胸の上からトントン叩いて嗜める。

 

背の高い打者がとぼとぼとベンチへ引っ込んでいき、代わりに髭を生やした筋骨隆々の打者が出てきた。

 

これまでに何回も打たれた事のある強打者だ。

 

今日はまだ打たれていないが、いつ打たれたっておかしくない相手だった。

 

イーズの出したサインは、もちろんナックル。

 

ゆっくりと縫い目を確かめてから、しっかりと振りかぶった。

 

 

「ファール!」

 

 

いきなり掠らせてきたが、前には飛ばない。

 

 

「ボール!」

 

 

下に行きすぎて、ストライクにならなかった。

 

 

「ストライク!」

 

 

今度は高めに行ったが、きちんとストライクだ。

 

最後はど真ん中。

 

 

「ストライク!」

 

 

やはり、まだナックルへの対策はできていない。

 

胸を撫で下ろして、イーズからの返球を受け取った。

 

 

「バッターアウッ!」

 

 

髭の男と入れ替わりで出てきたのは、竜の彫られたバットを構えたザルクド流の姫、ライミィ・ザルクドだった。

 

イーズからのサインは当然ナックル。

 

普通の球なら全球本塁打にしかねない、貴族リーグでも屈指の打者だからな。

 

 

「ファール!」

 

 

対策不能の読み潰し球、無回転魔球(ナックルボール)すら、彼女にとっては読み筋なのかもしれない。

 

普通に振って、普通に掠らせてきた。

 

心臓が早鐘を打ち、手と額から汗が吹き出すが、風を纏わせて無理矢理にそれを飛ばす。

 

心で負けるわけにはいかない。

 

次のサインもナックル、コースは彼女の顔と手元の近くだ。

 

 

「ファール!」

 

 

集中で音を失った球場に、コォォンと高い音が響いた気がした。

 

当てても飛ばないバットの根本だが、彼女はまた掠らせてきたのだ。

 

緊張感が高まり、背筋を悪寒が登ってくるのがわかった。

 

次もナックル、コースは低く。

 

 

「ファール!」

 

 

ガッキィン! という音と共に空高く跳ね上がった球は、打席の後ろの観客席へと飛び込んでいった。

 

完全に読まれている。

 

というか、彼女ぐらいの打者になると読まなくても見てから当てられるのかもしれない。

 

足元がふわふわして、接地感がなかった。

 

この試合だけで、いくつか年を取ったような気がする。

 

視界が黒く狭く閉じていくような緊張感の中、イーズのサインだけがはっきりと見えた。

 

全力ストレート。

 

今日始めて来たサイン、一番最初にタシバとマァムに教えてもらったサインだ。

 

狙うコースは魔法の場所、打者から離れた低い場所(アウトロー)だった。

 

俺はイーズの配球に疑問を持たない。

 

俺とあいつは相棒だ、あいつと一緒に左遷されるならそれで構わない。

 

あいつが決めて、俺が応える、それだけだ。

 

俺は思いっきり振りかぶって、全ての魔力を風に変えて、投げた。

 

 

「ストライク!」

 

 

ザルクドの姫の竜のバットは……狙ったコースよりも少しだけ浮き上がったように見えた球の、ほんの少しだけ下を通り抜けたようだ。

 

 

「バッターアウッ!」

 

 

球場に音が戻ってきた。

 

 

「すげぇーっ!!」

 

「シビレたぜ!!」

 

「ロボス様ーっ! やったっすー!!」

 

 

聞き慣れた声が聞こえた気がして、観客席に目を向けた。

 

困っていないのに困ったような眉の山羊人族が、羊人族と一緒に笑顔で手を振っていた。

 

 

 

好投したのはいいが、九回裏で点数が入らなきゃ延長戦だ。

 

俺とイーズは念のためにサワディ・スレイラの魔法治療を受けていたが、結果としてはそんな心配をする必要はなかった。

 

スレイラ側の姫様ことローラ・スレイラ様は、やると言ったらきちんと結果を出すお方なのだ。

 

吸いかけの煙草を旦那に預け、スレイラの打者二人を軽く三振に仕留めたライミィ・ザルクドの前に立った彼女は……いきなり初球を観客席へとねじ込んだ。

 

やっぱりちょっと、ライミィ・ザルクドといいローラ・スレイラといい、本物の上流階級の血を引くお方達は俺のような木っ端貴族とはモノが違うようだ……

 

(イニング)休んで気合を入れたら本塁打が打てるならば、誰だってそうする。

 

その誰にでもできない事を、簡単にやってのけるのが大貴族の実力だということだ。

 

 

「はい、ローラさんお疲れさまでした」

 

「ありがとう、なんとか勝てたね。少尉も、軍曹もご苦労だった」

 

 

打席から戻ってきた彼女は旦那から受け取った煙草を美味そうに吸い、我々を労うが、その顔には汗ひとつ見当たらない。

 

俺もいつかは佐官に……と思っていたが、とてもじゃないがこの人のようにはなれる気がしなかった。

 

これは野球だが、彼女は部下の命のかかった同じような大一番でも、今日と同じように確実に結果を出してきたんだろう。

 

俺には無理だ。

 

俺は焦らず、地道に行こう。

 

ロボス家には、ロボス家にふさわしい格というものがあるのだ。

 

なんとなくイーズの方を見ると、何を思ったのかは知らないが……

 

彼も神妙な顔で俺に頷きを返してきたのだった。

 

 

 

その後、無事に貴族リーグも終了し、野球の練習をしなくても良くなった頃。

 

練習場で暇つぶしにキャッチボールをしていた俺達の元に、突然恐怖の査察官が訪れた。

 

俺にとって色んな意味で絶対に頭の上がらない相手、ローラ・スレイラの実の兄であるアレックス・スレイラその人だった。

 

事前に何の通達もなく、妹と義弟を引き連れて練習場に現れた彼の前で、俺とイーズ……

 

更にはなぜかタシバとマァムまでもが直立不動で敬礼をしていた。

 

 

「貴様がペンペン・ロボス、貴様がイーズ・ラヴだな。報告は聞いている、よくやってくれた」

 

「はっ! ありがとうございます!」

 

「光栄であります!」

 

 

顔はガチガチに固まったままだったが、俺は内心で深く安堵の息を吐いた。

 

よくやってくれた、というその言葉が欲しくて、毎日毎日朝から晩まで白球を投げ続けたのだ。

 

ひとまず、期待には応えられたと思っていいのだろうか。

 

 

「無論、ザルクドよりも上の順位に入れれば言うことはなかったのだが……妹からもそれは難しいと聞いている。今年は(・・・)ひとまず、可能性が見れただけでも良しとしよう」

 

「は……今年は……でありますか?」

 

 

もしかして来年は、順位でも上に行かなきゃ駄目なんですか……?

 

 

「スレイラの名を冠した軍が……野球(あそび)とはいえザルクドにいいようにやられていては、王都で困る人間がいるということがわかるな?」

 

 

背の高いアレックス閣下に、煙草の煙を吐き出しながら見下ろすようにそう言われ、俺が否と言えるわけがなった。

 

 

「あ……勿論であります!」

 

「それで、貴様らの任務とはなんだった?」

 

「ザルクドに勝つことであります!」

 

「では、そのようにしろ」

 

「かしこまりました!」

 

 

スレイラ元少佐も怖かったが、アレックス閣下の怖さは別格だ。

 

小さかった子供の頃、親父に叱られた時のように、俺は必死に縮こまってそのプレッシャーに耐えた。

 

 

「ああ、そうだ。冬の間には地元へ帰っても構わんぞ、列車の券も支度させよう」

 

「ありがとうございます!」

 

 

久々に北の地元へ帰れるのは嬉しい限りだ。

 

できれば、夏の暑い時期に帰りたかったが……

 

 

「それと……イーズ・ラヴ、貴様は曹長に昇進だ。追って辞令が届く、励めよ」

 

「ありがとうございます! これからも任務に邁進致します!」

 

 

イーズは昇進か、まぁ尉官になるまでは昇進も早いもの。

 

後で祝いの席を開かんといかんな。

 

そんな事を考えていると、アレックス閣下の顔がこちらを向いた。

 

 

「ペンペン・ロボス、貴様はもう少尉だから簡単に出世とはいかんが……相方にだけ褒美があっては腹立たしかろう。何か希望があれば言ってみろ、私のできる範囲の事ならば叶えてやろう」

 

 

えっ……いきなりそんな事を言われても困ってしまう。

 

金、酒、煙草、とっさに色んな欲が脳裏によぎったが……

 

その途中でふと浮かんで消えなくなったのは、困ったような眉毛の山羊人族の顔だった。

 

 

「……では、この二人に是非何か褒美を。彼女達は本当に熱心に仕事をしてくれましたので」

 

 

俺がそう言ってかちこちに固まったタシバとマァムに手を向けた事で、アレックス閣下は初めて二人の存在に気づいたようだった。

 

 

「この二人は?」

 

「うちの者で、お二人の教育役です」

 

 

アレックス閣下の問いに、すぐにサワディ・スレイラが答える。

 

閣下は俺達に向ける視線とは全く温度の違う瞳で彼の顔を見つめると、悩むように口の端をひん曲げて顎を触った。

 

 

「ふぅむ、ならば俺の管轄ではないな。愚弟、何かくれてやれ」

 

「わかりました。二人とも何がいい? 俺も個人的に二人には感謝してるんだよ」

 

 

サワディ・スレイラがその毒にも薬にもなりそうにない笑顔を二人に向けてそう聞くと、女達はまるで体の固まる呪いでもかけられたかのようにぎこちなく体を動かして、彼の方を向いた。

 

二人共、数秒ほど互いに視線を交わし合っていたようだが、先に口を開いたのは羊人族のマァムだった。

 

 

「あ、あのっ! 私、ピクルスさんのように冒険者として大成したいんです! ですので、ピクルスさんのような特別な武器があったらなあって……」

 

「特別な武器って、ピクルスの剛弓みたいなやつ? それならいいよ。チキンに言っておくから、後で相談して」

 

 

うんうん、武人として優れた武具を求めるのは当然の事。

 

アレックス閣下もスレイラ元少佐も「まぁそんなものだろう」という顔をしている。

 

 

「ありがとうございます!」

 

「タシバは?」

 

「うーん、あたしは……」

 

 

突然の褒美の話にタシバは何も思いつかなかったのか、宙を仰いで迷い始めたのだが……

 

俺は彼女が前に欲しいと言っていたものを、しっかりと覚えていた。

 

 

「おい、二つ名はいいのか?」

 

 

俺が小声でそう言うと、彼女はハッとしたような顔になった。

 

 

「あっ、そうっすね……その、ご主人様、あたしできたら二つ名が欲しいんですけど……」

 

「二つ名? そんなのでいいの?」

 

「はいっ!」

 

 

平民がケチな貴族に褒美代わりに貰った名を自分の子供に付けるというのは、たまに聞くことのある話だが……

 

わざわざ自分にあだ名を付けてくれなんて言う奴はそういないんだろう。

 

これにはアレックス閣下もスレイラ元少佐も、変なものを見るような、不思議そうな顔で彼女を見つめていた。

 

だが、サワディ・スレイラはなんとも思わなかったようだ。

 

真面目な顔で、いいよとだけ答えた。

 

 

「別に俺がつけなくても、そのうち自然に呼ばれるようになると思うんだけどね。タシバやマァムのような人を表す、ちょうどいい言葉があるんだよ」

 

「なんすか、それって?」

 

「人を導く人、指導者(コーチ)だよ。だからお前は『コーチ』のタシバだね」

 

「コーチ、コーチですか……! ありがとうございます!」

 

 

俺もすっかりスレイラ家……いや、シェンカー家の空気に毒されてしまったんだろうか。

 

最近はサワディ・スレイラが意味のわからない事を言っていても、あんまり気にならなくなってしまった。

 

何だコーチって? どこの言葉だ? と正直疑問に思わなくもないんだが。

 

頭のおかしい犯罪をしたり、頭のおかしいデカい造魔を作るような奴が、おかしい事を言うのは当たり前という気持ちのほうが強くなってきてしまったのだ。

 

俺は凡人だ、天才を理解しようとしても疲れるだけ。

 

別にサワディ・スレイラを理解しろと命令を受けているわけではないのだしな。

 

 

「それじゃあマァムは冒険者に戻るって事でいいのかな? タシバはどうする?」

 

「あたし、もっと『コーチ』やります! 今トルキイバに野球をやりたい人って一杯いると思うんですよ! 色んな人に野球の楽しさ、教えたいっす!」

 

「ふぅん、じゃあそういう仕事をやってもらおうかな? 少なくとも、実績はあるわけだしね」

 

「はいっ!」

 

 

そう答えたタシバの笑顔は書き残して壁に貼っつけときたいぐらいのいい笑顔で、褒美を譲った俺も大満足の結果だった。

 

こうして、俺のクソど田舎(トルキイバ)での長い長い一年がようやく終わろうとしていた。

 

色々あったが、結果良ければ全て良しだ。

 

俺と相棒のイーズは失敗することなく任務を遂行し、片方は昇格することができた。

 

結果だけ見れば、大成功。

 

来年の事を思えば、今からちょっと気が重い。

 

サワディ・スレイラからは、あいつの部下に褒美を譲った礼なのか帝都の女性にも人気だっていう酒もひとケース貰ったし、実家の母や妹への土産もバッチリだ。

 

親父への土産は……野球の話でもじっくりしてやるかな。

 

トルキイバを離れる列車の中、サワディ・スレイラが思いつきで作ったとかいう駅弁というやつを頬張りながら……一年過ごしたド田舎の、高い高い空を見つめた。

 

窓の外には、この街にやって来た時と同じように、白い雪がちらつき始めていた。

 




体調不良で病院に行ったら抗原検査を受けさせて貰えました。
三十分ぐらいで結果が出るんですね、驚きました。
ちなノーコロナマン。


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第97話 冬来たり 巨人歩いて 子は喋る

もしかしたらこれも前後編になるかも……


冷たい風が足元をぴゅうぴゅうと吹き抜け、思わず内股になってしまうような寒さの今日この頃。

 

赤子は着膨れして真ん丸なボールのようになり、コートも着ずに外に出ようとしたうちの奥さんは慌てたミオン婆に呼び止められていた。

 

トルキイバに、今年も寒い寒い冬がやって来たのだ。

 

夏から秋の間は俺も仕事に野球に畜産にと忙しくしていたのだが、その間で個人的にビッグニュースと言えるものは二つしかなかった。

 

一つ目は、俺の敬愛する劇作家のメジアス氏から劇の台本が届いたことだ。

 

夏半ばから始まった手紙での彼への台本の発注は、細かなすり合わせをしながら夏の終りまで続いたのだが……打ち合わせが終わってすぐの秋の初めにはもう分厚い台本が届いていて心底驚いた。

 

彼曰く「女だけの劇団という素晴らしい発想に、思わず筆が乗ってしまった」らしい。

 

俺の方もすぐに彼に料金を送金した。

 

別に特急で頼んでいたというわけじゃないが、単純に嬉しかったので特急料金も割増して払った。

 

劇の内容も女性が主人公の華やかな冒険活劇で、素晴らしいものだ。

 

はっきり言って内容がどうあれ、彼が自分の劇場のために一本書いてくれたというだけで、俺にとっては万金の価値があったのだが……

 

そこに内容が伴っているのならば、こんなに嬉しい事はないというもの。

 

台本の写しを役者の人数分取って劇団長のシィロに渡した後は、原本は自宅の耐火金庫へと厳重に保管してある。

 

金だけでは手に入れることのできない、正真正銘の宝物なのだ。

 

ゆくゆくは劇場ごとノアかラクスに継承したいものだが……この子供達が演劇好きに育たなかったら雑に扱われて紛失なんて事にもなりかねないのが怖いところだ。

 

俺は「どうか演劇好きに育ってくれ」という念を込めて、よちよち歩きで一生懸命道を進んでいくぷにぷにのノアの手をギュッと握った。

 

 

「おっかぁ!」

 

 

すると彼は輝くような笑顔で俺の方を向き、最近唯一話せるようになったその言葉で話しかけてくれた。

 

ちなみにお父さんとはまだ言えないから、俺もローラさんもミオン婆さんも全員おっかぁだ。

 

しょうがないよね、赤ちゃんなんだから。

 

もちろん、二つ目のビッグニュースはノアとラクスが喋れるようになったことだ。

 

ノアは「おっかぁ」だがラクスは「ばぁ」だった。

 

これにはミオン婆さんも大喜びで、見たこともないようなだらしない顔で子供達の靴下を編んでいた。

 

血縁者以外にも自分の子供の成長を喜んでくれる人がいるということは、単純に嬉しいことだ。

 

しょうがないから最初の言葉は譲っておいてあげよう。

 

最近毎晩眠る双子の耳元で吹き込んでいるから、次の言葉は「おっとぅ」だろうがな。

 

 

そんな一家が今日向かっているのは、野球場だ。

 

夏にお義兄さんから「ザルクド流に勝て!」と無茶振りされてから、貴族リーグ最底辺チームだったスレイラ白光線団(ホワイトビームス)は必死こいて練習をして、そりゃあもうめちゃくちゃに頑張った。

 

お義兄さんの送り込んできた部下の人も、秋の終わりぐらいになると肩の骨が疲労骨折するまでボールを投げ込んでたからな。

 

俺が再生魔法をかけたらまたすぐ練習に戻っちゃうんだから、軍人さんの忍耐ってのは凄いもんだと感心したものだ。

 

そんな軍人さん達の頑張りもあり、リーグ最下位を抜け出しザルクド流にも一勝を果たした今季の貴族リーグ。

 

その最終戦が、まさに今日野球場で行われているのだった。

 

我々スレイラ白光線団(ホワイトビームス)は今年度の試合を数日前に全て終えていたので、各々の礼服で野球場へと集まるだけでいいから気楽な身分だな。

 

最終戦の後のリーグ閉会式が終わったら打ち上げに行くから、みんなに顔を覚えてもらうためにも子供達を連れてきたのだ。

 

子供は親に会わせてもらった大人の顔を忘れてしまうが、大人の方は結構覚えているもの。

 

こういう時にまめに顔繋ぎをしとかないとな。

 

 

 

結局野球場に行く途中で疲れてしまったノアとラクスを乳母車に乗せ、それをえっちらおっちら押してようやく辿り着いた野球場は……

 

もう、人の海という言葉がふさわしい場所だった。

 

人、人、人、トルキイバ中の人がみんな来てるんじゃないかってぐらいに人がいて大変な状況だ。

 

屋根があったら天井に雲が出てたんじゃないだろうか?

 

さすがに今日はとてもじゃないが貴族達もVIP席に入り切れず、平民たちと一緒に一般観客席に座っているようだ。

 

閉会式があるから軍人が軍服で、平民の選手がちょっと小洒落たドレスやジャケットを着ているのはわかるのだが……なぜか普通の観客達も普段よりパリッとした服装や髪型で集まっているようで、全体にソワソワとした空気が漂っていた。

 

ま、しょうがないか、今日は特別な日だ。

 

第一回目の貴族リーグの最終順位が発表される……トルキイバの野球史に残る、記念すべき日なんだからな。

 

あと、チームのリーグ順位で賭けていた連中にとっては今年最後の大博打の結果発表でもあるのだ、気合が入って当然なのかもしれない。

 

人混みを掻き分けてスレイラ白光線団の面々と合流した俺達は、生姜入りのホットエールを飲みながら試合の行末を見守った。

 

栄えある最終戦を務めたスノア家チームと魔導学園チームはちょっとだけ予定時間をオーバーして試合を終え、客席からは歓喜の声と悲鳴と嗚咽が同時に上がったのだった。

 

意気揚々と賭け券の払い戻しに向かう人達と、年が越せねぇよと項垂れる人達をかき分けるようにして移動し……我々のチームはグラウンドへと足を踏み入れた。

 

俺とローラさんはノアとラクスを抱いたままだ。

 

事前の取り決めで家族を連れてきてもいいと決まっていたからか、他のチームの人達もバッチリと着飾らせた子供なんかを連れてきているようだった。

 

まぁ、プロスポーツでもないしね、こんぐらい緩いぐらいの方がお祭り感あっていいや。

 

 

『これより、野球選手会会長であられます、エストマ・セラン様より閉会のお言葉があります。皆様、お静かに願います』

 

 

魔法で浮かせてグラウンドの真ん中へと持ってこられたお立ち台、その隣に立った司会進行役がそうアナウンスをし、野球のユニフォームを着たままのエストマ翁に拡声造魔を手渡して下がっていく。

 

バアっとグラウンド中から起こった拍手に迎えられるようにして、エストマ翁はゆっくりとお立ち台の上に上がってきた。

 

 

『うむ、うむ』

 

 

彼はしきりに頷きながら集まった選手関係者をぐるっと見回し、拍手が止むのを待ってから、ことさらゆっくりと話し始めた。

 

 

『皆の者、春から始まったこの貴族リーグを正々堂々とよく戦った。これより順位の発表を致すが、異議のある者はこの場で即座に名乗り上げい。たとえ後になってあの時実はああだったなどと申しても、その言葉からは大義は消えておる。そういう事が昔もあってな……よいか、あれは儂が四十の頃、可愛がっておった部下が……』

 

 

はぁ~と、周りの学園卒業者の口から静かにため息が漏れる。

 

エストマ翁が昔の話をし始めると、とにかく長いのだ。

 

子供達には厚着をさせてきてよかった……

 

俺は腕の中で眠る、ずしっと重たいノアを揺すりながら顔の筋肉だけは真剣に見えるように固め、心を彼方へと飛ばしたのだった……

 

 

仕事の段取りの事を考えながらなんとなくで聞いていた話ではあるが、今年の優勝はトルキイバ領主であるスノア家のチームだったらしい。

 

ちなみにうちのチームの最終成績は下から三番。

 

途中までずーっと最下位だったって事を考えると、まぁまぁ健闘したって方だろう。

 

お義兄さんが送ってくれた人員がしっかり仕事をしてくれたんだな、教育役に付けたうちの人間達にもきちんとボーナスをあげないとね。

 

エールかけをして優勝を祝っているスノア家をつまらなそうに見つめるローラさんはちょっと不満気だけど、来年また頑張ればいいじゃない、野球なら何回でも挑戦できるんだからさ。

 

しかし、やはり彼女にとっては今年の順位は悔しい結果だったようで……

 

この後に行われた打ち上げでは、普段クールなローラさんにしては珍しく大いにお酒を飲み、しきりに来年のリベンジを口にしていたのだった。

 

いいよいいよ、いくらでも付き合うよ。

 

俺のキャッチャーで良かったらね。

 

 

 

 

一昨年に発足し、去年正式にうちの兄へと運営が委託されたシェンカー通りの土竜神殿のお祭り、それが今年も開催されようとしていた。

 

去年はほとんどお任せノータッチだったが、今年は俺もちょっとだけ参加する事にした。

 

つっても、去年やたらと盛り上がったボクシング大会に参加したり、ステージで出し物をしたりするわけじゃない。

 

やるのはお店、食べ物を売る屋台だ。

 

今年の俺には、どうしてもトルキイバの人達に味わってほしい食材があったのだ。

 

 

「ご主人様、シーリィさん、お疲れさまです……これ、何ですか?」

 

「おおピクルス、これはハヤシライスだよ」

 

「ハヤシ……ライス? どういう料理ですか?」

 

「トマト風味のシチューをお米の上にかけた料理よ」

 

 

ピクルスがそう尋ねるのに、ハヤシライスの鍋をかき混ぜていたシェンカー家の料理長であるピンクの髪のシーリィがそう答えた。

 

そう、米だ。

 

シェンカー通りのマンションの屋上で、たっぷりの日光と水と、人類最高レベルの強化魔法と再生魔法を浴びて育った米は、秋が来る頃には大変な事になっていた。

 

稲の高さは俺の背丈の二倍ほどに伸び上がり、それだというのにはちきれんばかりに実を付けた稲穂は水面に付かんばかりに垂れ下がり……

 

慌てて支柱を入れたり田んぼを深くしたりと必死こいて対策をして、田んぼの責任者であったイスカが泣きべそをかくぐらいの苦難を乗り越え、ようやく収穫の時を迎えることができたのだった。

 

その収穫もえらく大変だった。

 

馬鹿みたいなサイズ感の稲を、まるで木でも切るかのようにノコギリで切り倒し、干す場所もないからマンションとマンションの間に(つな)を張ってそこにひっかけて干した。

 

手伝いに来てくれたうちの次兄の嫁、リナリナ義姉さんも「こんなの米じゃないよ!」と文句たらたらだった。

 

俺だってこんな米見たことねーよ!

 

と言いたくなる気持ちを抑え込み、奴隷たちを動員して巨大な箒の先のような稲穂から必死に稲籾を外し、来年使う種籾の選別から脱穀、精米まで、かなりの苦労を強いられた。

 

ちなみに魔法を使わずに作った米は、魔法米に日光を遮られたのか栄養を吸い取られたのか、見事に全てが枯れてしまっていた。

 

農業ってのは大変だ……

 

こんなヤバい米を作っている農家はそうないだろうが、それでも大変な事には変わりないだろう。

 

なにはともかく、そうしてついに手に入った米は、当然の事ながらとても一人で食べ切ることなど到底できない量だったのだ。

 

精米した米は希望する奴隷には配り、ちょっと嫌そうなリナリナ義姉さんにも押し付け、自分で食べる分も確保したが……それでもなお余る。

 

そういう状況ならば、米食文化の啓蒙だってできるじゃないかということで、今日俺はこのハヤシライス屋台を出していたのだった。

 

 

「こ、米ですか……」

 

「前に食わせた奴とは味付けが随分違うぞ、今回の料理はシーリィが作ったんだしな」

 

「おいしいよ」

 

「はぁ、シーリィさんが、それじゃあ……頂きます」

 

 

どうやら前回食べた不味い炊き込みご飯の味の記憶よりもシーリィへの信頼が勝ったらしく、ピクルスはおずおずと小銭を取り出した。

 

俺がお釜から木皿に山盛りに米を盛り付けると、シーリィはその上から熱々のハヤシライスをたっぷりとかける。

 

茶褐色のそれの中にはトルキイバで一般的な食肉である魔物の猪肉がゴロゴロと入っており、かなり豪華な見た目になっていた。

 

甘酸っぱい匂いがふわっと広がり、ピクルスがごくりと喉を鳴らすのが聞こえた。

 

ぶっちゃけ米の方はあんまり甘さがなくて大味なんだけど、シーリィの作ったハヤシは美味いからな、ハヤシライスとしてはかなり自信ありだ。

 

 

「はいどうぞ」

 

「あ、いただきます……」

 

 

皿を受け取ったピクルスは、スプーンで少なめにすくったハヤシライスを恐る恐る口に運ぶ。

 

一口目は不安そうに口に入れ、二口目では不思議そうにハヤシを眺め、三口目にはニコッと笑顔になった。

 

 

「これ、おいしいです!」

 

「だろう?」

 

「お口に合って良かったぁ」

 

 

今日のお祭りは土竜神殿の祭り、言わばその加護を受けるピクルスのお祭りでもあるのだ。

 

そんな主役のピクルスが美味しいと言ってくれるならば、他の客にも大ウケ間違いなしだろう。

 

実際、ニコニコしながらハヤシライスをパクついているのを見て、寄ってきてくれた人がいた。

 

両手一杯に食べ物を抱えた屋台荒らし、鱗人族のメンチだ。

 

 

「ご主人様、お疲れさまです! ピクルスの食べているこの料理は何ですか?」

 

「ああメンチ、これはハヤシライスだよ」

 

「ハヤシライス? 聞いたことはありませんが……ひとまず一杯頂きたい」

 

 

話をしながらも、彼女の手からはどんどん料理が消えていく。

 

鱗人族はよく食う人が多いけど、こいつはちょっと別枠だよな。

 

 

「メンチ、大盛りにする?」

 

「とりあえず、ピクルスと同じぐらいでお願いします」

 

「それを大盛りって言うんだよ……」

 

 

呆れつつも、しっかりと盛ってやる。

 

メンチは前回の大失敗炊き込みご飯だって、うまいうまいって食べてくれたしな。

 

 

「ピクルス何食べてんの~? あ、ご主人様! お疲れさまです!」

 

「いい匂いする~」

 

「なになにそれ? シチュー?」

 

 

ピクルスの姿を見て、他の女の子達も寄ってきてくれたらしい。

 

女性が多くなって一気に店の前が華やいだ。

 

 

「ご主人様~私達にもくださ~い!」

 

「量はピクルスちゃんの三分の一ぐらいで……」

 

「はいよ」

 

 

そうしてキャピキャピした若い衆が集まっていると、男達も寄ってくるというもの。

 

屋台の周りには着実に人だかりができ始めていた。

 

 

「よおピクルス~何食ってんだ~?」

 

「ケニヨン久しぶりだべ、これ、ご主人様が作った料理でハヤシライスっち言うんよ~」

 

「ほーっ! うまそうじゃないの、酒ばっかりってのもなんだし、俺らも軽く入れとくか」

 

「サワディさん、俺らにも一杯づつ!」

 

「はいはい」

 

 

ピクルスの友達の酔っ払い達にもハヤシを盛ってやる。

 

 

「サワディ様、これ美味しいです!」

 

「ちょっと酸っぱいけどいけるいける」

 

「酒には合わねぇなこりゃ」

 

 

しかしさっきの女達も、このオッサン達も、誰も米の存在を気にしていない。

 

新種の押し麦かもち麦ぐらいに思ってるのかな?

 

まぁ今回の超強化米の栽培成功で「貴重なものなんだぞ!」って念を押すほどには貴重じゃなくなったから、別にいいんだけどさ。

 

これからもちょくちょくこうやって米料理を啓蒙していければいいかな。

 

結局、この日のハヤシライス屋台は大盛況に終わり。

 

ボクシング大会が始まるまでには全てなくなり、個人的には大満足の結果だったのだが……

 

ハヤシライスがこの先のトルキイバでライスぬき(・・・・・)でごちそうとして広まっていくとは、俺も流石に予想すらできていなかったのだった。

 

 

 

 

ゴールさえきちんと存在していれば、どんなに難しい仕事にも必ず終わりが来るものだ。

 

どんなに遠い場所だって、地続きでさえあれば歩き続ければいつかはたどり着く。

 

たとえそれが誰も作ったことのない物であろうと、作り続ければいつかは完成する。

 

そういうものだ、そういうものなのだ。

 

だが、それがわかっていてもなお……実際に完成した全高百メートルの時計塔級蜘蛛女(アラクネ)型造魔は、とても自分が主導して人の手で作ったものとは思えないほど、異質な存在感を放っていた。

 

ただでさえ低い建物だらけのこの地域、近くで見上げると首を痛めそうなほど背の高いその造魔は、きっと隣町のトルクスやルエフマからも見えていることだろう。

 

太陽光をびかびかと反射する光沢ある外骨格は、その成り立ちと同じくどこまでも不自然で、どんな自然の中にあっても浮き上がって見えるに違いない。

 

かっこいいと思うか不気味だと思うかは人それぞれだろうが、俺からすれば巨大ロボット、正直かっこいいと思っている。

 

だがしかし、この世界の人からすれば突然変異の超巨獣に見えるだろう。

 

そのため無用な混乱を招かぬよう、彼女(アラクネ)の背中と胸にはでかでかとクラウニアの紋章が刻み込まれていた。

 

そしてそんな彼女から離れた場所に作られた高台の視察席に陸軍の高官達が座る中、時計塔級超巨大造魔の起動実験が始められたのだった。

 

視察席から何メートルか離れた場所に作られた仮設の操縦席には、俺とマリノ教授、そしてうちの嫁さんの兄であるアレックス・スレイラ少将が座っている。

 

レバーだらけの操縦席には時計塔級から伸びた長ーいケーブルが接続されていて、なんともアナログな感じだった。

 

 

「では、起動実験を始めろ」

 

「かしこまりました、スレイラ少将。サワディ君、始めようか」

 

「了解しました、進路の安全はどうか?」

 

『スレイラ准教授、時計塔級の周り及び前方の人員の撤収は終わっています』

 

 

俺が手元のマイクに向かって問いかけると、時計塔級の周りの安全確認を担当している学生からそう返事が返ってきた。

 

この造魔通信はシェンカー通りの放送設備を応用した連絡設備で、ガッツリ有線回線の原始的なものだ。

 

 

「魔結晶、供給開始します」

 

「供給開始よし!」

 

「供給開始」

 

 

手元のレバーを倒す。

 

レバーのついた機械の先から伸びているケーブルは一旦空へと向かい、途中魔法で宙に浮かされている巨大なドラムを経由して、造魔の背中の魔結晶供給装置へと繋がっている。

 

そこから魔結晶が供給され、巨大な造魔に火が入る。

 

 

「起動姿勢に入ります」

 

「起動姿勢よし!」

 

 

下半身部の上下操作レバーを操作すると、蜘蛛部分の腹をべったりと付けて着地していた彼女は八本の足をぐっと伸ばして立ち上がった。

 

おぉ……と背後の視察席から驚きの声が上がる。

 

 

「腕部、動作確認します」

 

「腕部動作確認よし!」

 

「動作確認開始」

 

 

俺が幾本かのレバーを同時に操作すると、巨大造魔の右腕の肘が上がり、肩をぐるぐると回す。

 

離れた場所から見ているのに、思っていたよりもはるかに迫力がある。

 

 

「マリノ教授、指の操縦をお願いします」

 

「うん」

 

 

俺がレバー操作で造魔の両腕を空に向けて突き上げると、マリノ教授が木製のごっついロボットアームのようなものに手を入れた。

 

さすがに指の操作をレバーでやるのはつらいから、細かい指先の操作は人間の手の動きに造魔の手の動きを追随させる形で動かすことになったのだ。

 

他の部分もそうしようかという意見も出たが……

 

このでっかい時計塔級造魔の用途は、もっともっとデカい都市級造魔を作るための建設機械なのだ。

 

建設機械のアームが人間の腕に追随して機敏にフラフラ動いたりしたら、それはもう絶対に事故が起きること間違いなしだろう。

 

兵器として用いるならそれでいいんだろうけどね。

 

 

「指の操縦を開始します」

 

 

マリノ教授が両手の指を開くと、時計塔級の手もバッと開いた。

 

小指から親指までを折りたたんでいくと、時計塔級の手も同じように動く。

 

後ろで見ている高官の方達から、なぜか拍手が起こった。

 

いや、わかるけどね……

 

あんなでっかいものが人間の思い通りに動くとなると、たしかに不思議と感動するものだ。

 

 

「腕を戻して」

 

「了解!」

 

 

マリノ教授の言葉で俺はレバーを操作し、造魔の腕をダランと下に垂れさせた。

 

 

「歩行試験、開始します。五歩前進」

 

「五歩前進よし!」

 

「歩行開始」

 

 

足部分は上半身ほど細かい制御を組んでいない、方向転換と前後移動ぐらいだ。

 

自動でバランスを取るように制御回路を組んではいるが、逆にバランスを崩す事はできないようにしてある。

 

これはある種の保護装置だ、操作する人間に完璧を求めるには、この時計塔級は大きくて重すぎるからな。

 

下半身の前後進用レバーを動かすと、八本ある足のうち四本が持ち上がり、前に出る。

 

ズゥゥゥゥゥン……という大きな音がして、また別の四本の足が持ち上がって、前に出た。

 

一歩づつ……と言っていいのかはわからないが、着実に時計塔級が前へと進んでいく。

 

後ろの高官の方達がまた拍手かなにかしているようだが、百メートル以上離れているあの造魔の足音がうるさくて断続的にしか聞こえてこない。

 

 

「歩行試験完了」

 

「歩行試験完了よし!」

 

「進路の様子はどうか?」

 

『異常なし、地面も陥没なしです』

 

 

造魔通信で安全確認をする事も怠らない。

 

ちょっとした高台にしてあるとはいえ、視察席からは巨大な時計塔級の周りを見渡すことはできないからな。

 

あんなものの足元に行く馬鹿が死んでも自業自得だとは思うが、自業自得で済まないのが貴族の世界というもの、対策はしておくに限る。

 

 

「足元も被害なし、右に旋回します」

 

「右に旋回よし!」

 

 

下半身の旋回用レバーを右に倒すと、時計塔級の足が四本づつ持ち上がって動く。

 

やっぱり蜘蛛の八本足はいいな、安定する。

 

前世のアニメなんかでは二足歩行ロボがよく出てきたけど、なんで転んだら自重でぶっ壊れかねない巨大ロボットをわざわざ二足歩行にしてたんだろうか……

 

まぁ、人型ロボットがかっこいいってことは間違いないんだろうけどさ。

 

 

「旋回終了、左に旋回します」

 

「左に旋回よし!」

 

 

左回りも右回りもやってる事は一緒だ、旋回テストはサクッと終わり。

 

後は後退させて全体チェックをやるだけだ。

 

 

「五歩後進し、造魔の位置を戻します」

 

「五歩後進よし!」

 

 

凄い音を立てながら、時計塔級はゆっくりと元の位置へと戻っていく。

 

よし、これで終わりだ。

 

時計塔級を停止させた俺がマリノ教授の方を向くと、彼はゆっくりと深く頷いた。

 

 

「スレイラ少将、よろしいですか?」

 

「こちらは問題なしだ」

 

「起動試験を終了せよ!」

 

「起動試験終了、了解! 待機姿勢に入ります」

 

「待機姿勢、了解!」

 

 

下半身の上下操作レバーを操作すると、起動する前と同じように時計塔級は腹をぺたりと地面に付けて停止した。

 

 

「魔結晶供給停止」

 

「魔結晶供給停止、了解!」

 

 

ガッコンと、少し固めになっている魔結晶供給装置のレバーを動かす。

 

もう五時間程すれば、時計塔級造魔は体内の魔結晶を全て消費して機能を停止させるだろう。

 

これにて軍高官向けの起動試験は終了だ。

 

 

「起動試験終了しました」

 

「起動試験終了よし!」

 

『起動実験終了よし了解! こちらも異常なしです』

 

「異常なし、よし!」

 

 

操作盤に安全装置をかけた俺とお義兄さんとマリノ教授が三人で視察席の高官の方々の方へと向かうと、大きな拍手が起こった。

 

元少将中将は当たり前、現役の元帥まで来ている。

 

密偵達の大騒ぎっぷりからなんとなくは分かっていたわけだが……こうやって実際に凄い勲章を付けた軍のお偉いさん達が査察に来ているのを見ると、超巨大造魔建造計画っていうのは結構注目されてたんだなぁということがようやく実感できた。

 

つくづく、失敗しないでよかったよ。

 

都市級はこの時計塔級のサイズを拡大するだけなわけだし、ちょっと肩の荷が降りた気分だ。

 

 

「素晴らしい兵器だ、大きいということはそれだけで素晴らしい」

 

「いやいや問題は積載量でしょう、大量の魔結晶を使うんですから、魔導馬車よりは効率が良くないと……」

 

「魔導馬車に山越えができるか! あれならば小川ぐらいはひと跨ぎ、山だって越えられるかもしれん、戦略が変わるぞ!」

 

「足の周りに幕を張れば簡易的な本営にも使える、出力次第ではあるが戦車を引かせてはどうか? 戦車の輸送のために列車の線路を引く必要がなくなるというのは大きい」

 

 

まだ試作一号機が歩いただけだというのに、高官の方々はもう戦争に使う方法を考えているらしい。

 

まぁ軍事国家にとって戦争よりも大切な事はないか。

 

 

「各々方、そういう検討は持ち帰ってして頂きたいですな。まずは予定通りに事を進めさせて頂いてよろしいか?」

 

 

お義兄さんがそう言うと、高官の方々のおしゃべりはピタッと止まった。

 

 

「ではまず性能についてですが、これは試作一号機であり、二号機制作の補助の役割があるため正確な性能試験が難しい状況です。まずはそこをご承知おき頂きたい」

 

 

高官達から無言の頷きが返ってくると、お義兄さんも頷きを返して続けた。

 

 

「まず起動時間ですが、ひとまず今背中に付いている大きさの魔結晶供給装置を満タンにしておけば丸五日は起動状態でいられるようです。そうだな? 准教授」

 

「事実です。何せ完成が一週間と少し前の事ですので、あまり試験もできていないのが心苦しいのですが……動作試験程度の負荷と起動状態における魔結晶消費では、五日間と三時間の起動を確認しました」

 

 

数名の軍人が俺の言葉を必死にメモを取っているのが見えたが、全員が佐官だった。

 

佐官がペーペー扱いでメモ取らされる現場って嫌だなぁ……

 

 

「次に積載力ですが……」

 

 

結局この後説明と質問が延々と繰り返され、それどころか元帥閣下を含んだ数名の将官の操作体験会までもが行われ……

 

朝に始まった起動試験も終わったのは完全に日が沈んだ後で……

 

その後行われた懇親会と言う名の政治合戦に巻き込まれた俺とマリノ教授が解放された頃には、もう時間は夜も夜中。

 

憔悴しきった政治下手の二人の手には、なぜか三つの師団からの時計塔級の注文書がしっかりと握らされていたのだった……




高さ百メートルの時計塔級のデカさがピンと来ない人もいるかもしれませんので、色んなものと比較しておきます。
まず、ガンダムの五倍。
初代ゴジラ、ウルトラマン、ウォール・マリアの二倍。
牛久大仏やシン・ゴジラとはがっぷり四つに組めるサイズです。
それでも東京タワーの三分の一ですけど。


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第97話 冬来たり 巨人歩いて 子は喋る はみ出し話

前回続くかもと書きましたけど、普通にこの部分だけ浮いてしまったので超短いけどこれ単体で投稿します


時計塔級造魔の起動試験のその後、お義兄さんはそのまま我が家に泊まっていた。

 

明日からは俺の今季の査察をやるため、これからトルキイバに数日残留するらしい。

 

 

「おっかぁ!」

 

「ばぁ~!」

 

「いつの間にやら喋るようになったか。子供の成長というものは早すぎて目眩がするな」

 

 

軍服を脱いでくつろいだ格好になったお義兄さんは、リビングに安楽椅子で膝に双子を乗せながらそうつぶやいた。

 

ノアとラクスもすっかり懐いているし、なんだか季節ごとに王都で流行りの子供服なんかを送っていただいてしまっていて、お義兄さんには頭が上がらないのだった。

 

 

「すいません、この間はまた子供達の服を頂いてしまって」

 

「気にするな、うちのがやったことだ」

 

「うちのって……じゃああれはお姫様からの下賜(かし)品で……」

 

 

俺がますます頭を下げるのを見て、お義兄さんはフンと鼻を鳴らした。

 

 

「あれも降嫁した身であるし、甥と姪への贈り物だ、下賜品とは言わん」

 

「そうだよ、親戚なんだからそんなにかしこまってちゃあ駄目だ」

 

 

そらお二人みたいにロイヤルな身分の出なら割り切れるだろうけど、俺なんか平民出だぞ。

 

先祖なんかテンプル生まれ山道育ち悪そな奴はだいたい手の者な山賊だし。

 

 

「そういえばお前の送った酒だが、なかなか気に入っているようでな、王都では手に入りにくいから時々でいいから送ってほしいと言っていたぞ」

 

「えっ! それって王室御用達って事じゃないですか!」

 

「そう思うならもう少し値段を上げろ、姫様を安酒飲みにさせる気か?」

 

 

お義兄さんは冗談を言ったような顔をして渋く笑っているが、全然冗談になってねーよ!

 

たとえリップサービスだったとしても、姫様に褒められてノーリアクションは問題だろ。

 

姫様には毎月送って、値段倍にしよ……

 

 

「酒って、ローラ・ローラかい?」

 

 

暖炉の近くで編み物をしていたローラさんが振り向いてそう聞くと、お義兄さんはノアとラクスの頭を撫でながら頷いた。

 

 

「そうだ、甘ったるい酒だが婦女子には人気があるようでな、うちにあったものも半分ぐらいは人にやってしまったようだ」

 

「毎月箱でお送りしますよ」

 

「ま、それもいいんじゃないかな? ノアとラクスにも色々頂いてしまっているわけだし」

 

 

なんだかお歳暮のお返しを決めるような軽いノリで話が進んでるけど、普通に考えて日常生活に王族が絡んでくるって凄い状況なんだよな。

 

こういう家庭で育ったうちの双子はどういう人間に育つんだろうか……?

 

ハイソでタカビーな感じに育ったらどうしよう……

 

まぁでも、元気に育ってくれるなら、それでもいいかな。

 

お義兄さんに抱きつくようにして眠るノアとラクスの姿を見てから、俺はなんとなく窓の外を眺めた。

 

窓の外の透き通った冬の空には、横に一本線の入ったこの世界の満月が、子供達を見守るように浮かんでいたのだった。

 




ウマ娘やりたすぎてスマホを買い替えました


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第98話 お年玉 親も子供も 嬉しいね

雪がパラパラと舞い落ちる夜も夜中、今日は大晦日、今年最後の日。

 

家族と一緒に今年の事を思い返したりしながら、皆自宅でのんびりと過ごす、そういう日だ。

 

そんな静かな日に、トルキイバの街の中で一箇所だけ、闇を切り裂く光と騒音を撒き散らしている場所があった。

 

中町の一角、最先端の五階建て超高層(・・・)マンションが立ち並ぶシェンカー家の奴隷たちの巣窟、その名もシェンカー通り。

 

双子をしっかりと寝かしつけた後、今年の事を色々と話しながらそこに歩いてやってきた俺とローラさんは、視界に入る光景に完全に面食らっていた。

 

 

「なぁ、去年はこんなに人がいたかい?」

 

「いや……ここまでは……どうなってるんですかね?」

 

 

人、人、人。

 

通りはまさに人の海だった。

 

立って歩いている人達はもちろん、通りの地べたに布を敷いて酒盛りしている集団がいたかと思えば、マンションの通路から顔を出して騒いでいる人達もいて、上にも下にも真ん中にも人間がいる状態だ。

 

 

「ぎゃはははは!」

 

「飲み過ぎだっつーの!」

 

「飲み溜めだ! 飲み溜め! タダで酒が飲めるなんて年の瀬ぐらいなんだからさぁ!」

 

 

老いも若きも楽しそうにうちの酒造場の振る舞い酒を飲みまくり、立ち並ぶ屋台やマンションに入っている店で調達した肴に舌鼓を打っているようだ。

 

しかし、なんだろうか。

 

どんちゃん騒ぎではあるんだけど、お祭りと言うほどの非日常感はないというか、前世の花見が近い感覚だな。

 

大人ばっかりじゃなく子供達も沢山来ているというのも、なんだかいかにもそれっぽい。

 

夜中だからか、眠そうに目を擦っている子もちらほらいるけどな。

 

 

「去年も人が多かったと思うが、今年はもう比べ物にもならないな」

 

「年の瀬は元々仕事もありませんし、近所の人がみんな来ちゃったのかもしれませんね。こんなに騒いでちゃあ、後で町会長から怒られるかもしれないなぁ……」

 

「まあ、たしかにね。でも君は、こういう賑やかなのが好きなんだろ?」

 

 

なんだか楽しげにそう言うローラさんだが、今日のこれは賑やかっていうかうるさいっていうか……

 

 

「いやいや、年末年始ぐらいはちょっと賑やかに過ごしたいなあって思うぐらいですよ」

 

 

なんなら今はシェンカーの人間だけでもめちゃくちゃ数がいるんだから、身内だけの集まりにしたっていいぐらいなんだ。

 

まぁでも、そうするとうちの子達が彼氏とか旦那を連れてきにくいだろうから……まだしばらくは今の形の方がいいんだろうけど。

 

奇声を発しながら酒を飲む人々を見つめながらそんなことを考えていると、隣のローラさんが「おっ」と声を上げて中空を指差した。

 

 

「この上のキラキラしたやつは、この間君が作ってたやつかい?」

 

「あ、そうですよ、こうして吊るすと華やかでいいでしょう」

 

「見ているとちょっと目がチカチカするけれど、ハレの日はこれぐらいでいいのかもね」

 

 

そう言って目を瞬かせた彼女が指差す先では、様々な色のイルミネーションがキラキラと瞬いていた。

 

通りの両側に立ち並ぶマンションの間に張り巡らされたそれの上には、屋上から屋上へと渡された天幕が貼られていて、雪と風がシャットアウトされている。

 

パッと見はアーケード商店街のクリスマス商戦のような光景だが、この世界にクリスマスなどない。

 

なんなら年末年始のどんちゃん騒ぎなんて習慣も元々なかったのに、大晦日に家でじっとしてるのに寂しくなった俺が勝手に人を集めて騒ぎ始めただけだしな。

 

今年のこれはさすがにちょっと集まり過ぎだとは思うけど、俺の寂しさを紛らわすために出てきてくれた皆には心からの感謝を送りたい。

 

 

『トルキイバの西の端ぃ~♪ デンデの店のそのうどん~♪ 豚の骨を一日煮込んだ~♪ 驚天動地のまろやかさ~♪』

 

「なんだあの歌? うどんの歌かな?」

 

「食レポみたいなもんですかねぇ、吟遊詩人も色々考えるなぁ……」

 

「食レポって何だい?」

 

「えっ? 食レポ? うーん……何と言ったら伝わるやら……」

 

 

今年最後の稼ぎ時に張り切って芸を披露する吟遊詩人や大道芸人達を二人で見物しながら、通りの真ん中にあるシェンカー一家の本部へと向かう。

 

本部前に作られた舞台ではうちの楽団員が組んでいるバンドが演奏をやっているらしいのだが、拡声用の道具なんかを使っていないので距離さえ取ればそこまで音は混ざらないのだ。

 

 

「皆様、ご覧ください。私の左手にございますコインが……パッ! あら不思議! コインは一体どこへ行ったのでしょうか?」

 

「手の動きが遅いんだよなぁ」

 

「手の甲見せてみろ~!」

 

「こっちからはコイン丸見えだぞ」

 

 

そんななんともガバガバな手品を披露しているのは、高い帽子を被って顔を白く塗った普通のオジサンだ。

 

多分普段からやっているわけじゃなくて、年末のかくし芸みたいな感じで準備をしてきたんだろうな。

 

毛も生えてない素人の見世物だから稼げるのかどうかは知らないが、見ている酔っぱらい達も普通に楽しんでいるようだ。

 

酒の力というのは偉大だな。

 

 

 

そんなこんなで人の間を縫いつつ、色んな場所で足を止めてはようやく辿り着いた本部前。

 

そこではかっちりとしたスーツに身を包んだチキンと、その隣に侍る管理職候補の羊人族が俺達を待ち構えていた。

 

 

「ようこそいらっしゃいましたご主人様、奥方様。お年玉の儀、こちらにて準備万端整っております」

 

「ありがとう。今日はこんなに人が来たんじゃ大変だっただろ?」

 

「ご苦労様」

 

「とんでもございません」

 

 

そう言ってにこやかに頭を下げるチキンだけど、きっと計画から準備から大忙しだっただろう。

 

俺が更にねぎらいの言葉をかけようとすると、チキンはサッと片手の平を上げ、それを隣の羊人族に向けた。

 

 

「今回はこちらのトロリスに中心となってやらせました」

 

 

そう紹介されてぺこりと頭を下げた彼女は、なんだかガチガチに緊張していて初々しい感じだった。

 

モコモコの毛が四方八方にピョンピョン跳ねていて、なんともお疲れな感じが伝わってくる。

 

一応再生魔法をかけておいてあげよう。

 

 

「屋上から天幕張ったり、初めての試みもあっただろうから大変だったね、ありがとう」

 

「とんでもございません」

 

 

緊張はしながらもチキンを真似した感じでそう答える彼女に、思わず笑みが溢れた。

 

なんだ、しっかりジレン達の次の世代も育っていってるじゃないか。

 

 

「それでチキン、我々は前と同じように舞台の上からお年玉を撒けばいいのかな? 今回も是非やってほしいとの話だったが……」

 

「去年の……あ、いやまだ今年のでしたね。今年の始めのお年玉の儀が非常に好評でして、近所の子供達や親御さん達から一年中『あれは来年もやるのか?』と問い合わせを受け続けていまして……」

 

「あー、たしかに子供達は喜んでたなぁ」

 

 

お年玉の儀というのは、俺が今年の初めにシェンカー通りのアパートの棟上げ式がてら行った、お年玉の名を借りたおひねり投げの事だ。

 

おひねりと呼ばれる小銭やお菓子なんかを紙で包んでひねったものを、舞台の上から投げたのだ。

 

大人も喜んでいたが、そういえば子供達は狂喜して地べたを転げ回るように拾っていた気がするな。

 

 

「もう大人気ですよ、今日は去年来てなかった子達も噂を聞きつけて沢山来ていますから」

 

「そういえば今日は子供が多かった気がしたけど、そういう事だったのか……」

 

 

おひねりを開けるまで中に何が入っているかわからないというのが、子供達にとって楽しかったのかもしれない。

 

あんまり子供向けのくじ引きみたいなものもない分、とにかくこっちの子供達はスれてないからな。

 

景品が豆菓子だろうと小銭だろうと、フルパワーで大喜びだったんだろう。

 

まぁ、喜んでくれる分には何でもいいんだけど、その中から将来賭け事で身を持ち崩す奴が出そうで少し心配だな。

 

 

「あと今年はご主人様達の他にも有志が集まってのお年玉投げがある予定なんですけど、舞台を使っても構いませんか?」

 

「有志!? どういうこと?」

 

 

別に投げる方は人がやりたがるほど楽しくないと思うんだけどな……

 

 

「子供達にせがまれて個人的に約束してしまったという者が複数いるそうでして、是非やらせてほしいと……」

 

「いや別にいいけどさ……」

 

 

お年玉、どんだけ子供に人気なんだよ!

 

あ、いや……お年玉自体は前世でも大人気だったっけ……

 

 

「あ、それとこれはお年玉の儀とは関係がないんですけど」

 

「何?」

 

「深夜商店で今日だけ限定発売してる年越しうどんなんですけど。あれは今年中に食べればいいんですか? 年を越してから食べればいいんですか? 店員がお客さんに時々聞かれるらしいんですけど……」

 

 

チキンはそう言って、新シェンカー本部ビルの二階に移転した深夜商店を指差した。

 

 

「あー、それはね……諸説ある、というか……」

 

「ご主人様が考えたのに、誰が異説を唱えるっていうんですか……?」

 

 

彼女は不思議そうな顔で首をかしげた。

 

そりゃそうか。

 

 

「じゃ、まぁ今年中ってことで」

 

「それじゃあ後で店員に伝えておきます」

 

「うん、よろしくね」

 

 

ちなみにうちの年越しうどんは、ごぼうと玉ねぎとベーコンのかき揚げ風フライが乗っかったうどんだ。

 

特別目新しいメニューというわけでもないが、こういう時に尖った食べ物を出してもしょうがないからな。

 

それを販売している深夜商店をなんとなく見上げてみると、今この瞬間もひっきりなしに人が出入りしていて、なかなか繁盛しているようだった。

 

 

「そういえば、深夜商店(あれ)ってどうなの? 繁盛してる?」

 

「してますよ、一店しかないのにアストロバックス三軒分ぐらい儲かってます」

 

「そんなに!?」

 

「そりゃあ……まず第一に何人も給仕(ウェイトレス)がいる喫茶店とは人件費が文字通り桁違いですし、第二に商品に自社生産の物が多いんですよね、第三に商品が割高な割になぜかよく売れてまして、第四に深夜はもちろん昼間にいらっしゃるお客さんも結構多くて、もう……もう……」

 

 

一つ一つ理由を数えながら儲かった金額を思い出していたのか、チキンの顔に浮かんだ笑顔はだんだん深くなっていき……四つ目を数える頃には、ついに満面の笑みとなっていた。

 

それどころか、何かに感極まってしまったのか、その先の言葉もなかなか出て来ないようだ。

 

鉄の女と呼ばれたチキンをこんなだらしない顔にしてしまうなんて、競合他社のいないコンビニエンスストアというのはここまで利益率のいいものだったのか……

 

 

「……もう?」

 

 

俺がそう促すと、いい笑顔の彼女は心底楽しそうに続けた。

 

 

「もう……ウハウハですよ。できたらもう二、三店舗出したいんですけど……」

 

「今は物珍しくて人が来てるだけじゃない?」

 

「それでも、物珍しく思って貰ってるうちに定着させたいんです」

 

 

チキンは今日もやる気満々のようだ。

 

 

「でもシェンカー通り以外での深夜営業は、やっぱり街の人からの苦情が出たりするんじゃないの?」

 

「ご主人様、うちがどれだけ物件買ってると思ってるんですか? シェンカーの人間しか住んでないような場所はシェンカー通り以外にもまだいくつかありますよ」

 

「あ、そう。じゃあ無理しない程度に……」

 

「もちろんでございます!」

 

 

まあ、工場作るってわけでもないんだし、コンビニなら店一軒分。

 

失敗しても畳みやすいからいいか。

 

 

「あ、ところでさ。チキンの服屋はどうなの?」

 

「あ、それはまだ、ぼちぼちです」

 

 

なんと、あんなに笑顔だったチキンの顔が一瞬にして真顔になってしまった!

 

利益が出てないわけじゃないとは報告で聞いていたけど、深夜商店(コンビニ)と比べてしまうと……って事なんだろう。

 

軌道に乗るまでは、あんまりこっちから話題に出さないことにしよう。

 

大盛況の光溢れる深夜商店の上の階、照り返しの光で闇の中に浮かぶチキンの店の看板を見て、静かにそう思った俺なのだった。

 

 

 

 

『みなさ~ん! いきますよ~! 新年まで! 五! 四! 三! 二! 一! 新年! あけましておめでとうございます!!』

 

「おめでとーっ!」

 

「今年もよろしくーっ!」

 

「しょうがねぇな、明けちまったからには飲んで新年を祝おうや!」

 

「さっき飲んで去年を送り出したとこだろ!」

 

「なんだっていいんだよ! タダ酒だぞタダ酒!」

 

「ちょっと冷えるし、アテにトルキイバ焼きでも買お」

 

 

カウントダウンが終わって新年の挨拶に湧くシェンカー通り、去年はこのまま舞台で土竜神社への奉納芝居をやっていたのだが、今年はちょっと順番が変わって先にお年玉の儀を行うことになった。

 

これを楽しみに子供達が沢山来ているらしいしな、寝落ちして参加できなかったらかわいそうだ。

 

 

『それでは、ただいまより土竜神殿前の舞台にて、サワディ・スレイラ様、ならびにローラ・スレイラ様による皆さんお待ちかねのお年玉の儀が行われます。どうぞお子様から先に土竜神殿前の舞台までお集まりください。ただいまより……』

 

「やったー!」

 

「お父さん! 早く早く!」

 

「もっと前行こ! 前!」

 

「かーちゃん! 始まるって~!」

 

 

ウグイス嬢のアナウンスに従って、ぞろぞろと舞台の前に子供達が集まってくる。

 

おひねりを受け止める用なんだろうか、つばの大きな帽子をひっくり返して頭の上に掲げた子や、木で編まれたかごを持っている子なんかもいるようだ。

 

もみくちゃになって怪我をする子が出ないようにうちの警備員達が睨みを効かせる中、子供達の集合はスムーズに進み……

 

俺とローラさんの視界が子供達の笑顔で一杯になる頃、仕切りをやっているチキンからウグイス嬢へとゴーサインが出たのだった。

 

 

『それではこれより、お年玉の儀が始まります。みなさん、準備はいいですか~?』

 

「「「「「はーい!!」」」」」

 

 

アナウンスに対する子供達の元気いっぱいのレスポンスを合図に、お年玉の儀は始まった。

 

 

「おめでとー!」

 

「おめでとう!」

 

「キャーッ!」

 

「こっちこっちー!」

 

「やったー!」

 

 

俺達がおひねりをじゃんじゃん撒いていくと、子供達から黄色い声が起こる。

 

こんなに喜んでもらえるなら、こっちもやりがいがあるなぁ。

 

 

「これあたしのーっ!」

 

「僕が取ったんだぞ!」

 

 

子供達が揉めそうになっている場所には重点的に撒いてやる。

 

喧嘩なんかせず、楽しい気持ちで帰ってくれよ。

 

俺とローラさんはそのまま一心不乱に撒きまくり、用意されたおひねりの三割ほどがなくなったところで手を止めた。

 

だいたい子供達みんなに行き渡っただろうし、大人だってお年玉は欲しいものだ。

 

後は大人たちのために取っておこう。

 

みんながあらかた拾い終わった所で俺とローラさんが子供達に手をピラピラと振ると、両手におひねりを抱えたキッズ達への親御さん達からの耳打ちがあり……「ありがとうございました!」というお礼が返ってきた。

 

喜んでくれたなら良かったよ。

 

 

「そういえば、なんかチキンが有志が子供向けにお年玉撒きをやるとか言っていたような……」

 

「袖にいるあれじゃないかい?」

 

 

ローラさんが指差した舞台袖には、芝居用の衣装を着た赤毛の魚人族ロースと、馬の部分になんだかめでたい紅白の布をかけたケンタウロスのピクルス率いる冒険者軍団が巨大な袋を持って待機していた。

 

なんだありゃ、気合入りすぎだろ。

 

ロースとピクルス以外の冒険者もなんだか安っぽくて派手な仮装をしていて、傍から見るとちんどん屋みたいな集団だ。

 

まぁ、せっかく子供達が前に集まっているわけだし、ちょうどいいからここで彼女らと一回交代しておくか。

 

俺とローラさんが袖に向かうと、ロースはなんだか照れくさそうに頭を掻きながら話しかけてきた。

 

 

「あの、そのぅ、坊っちゃん、実はあたしらも子供達にお年玉ってのを……」

 

「ああ、チキンから聞いてるよ。せっかく子供達集まってるし、ロース達も今やっちゃったら?」

 

「あ、いいんですか?」

 

「うむ、構わんよ」

 

 

ローラさんもそう言って頷き、煙草に火を付けた。

 

来場者数の増加を予想していたのか、チキンが用意していたおひねりの量は去年の倍以上。

 

別に大した労働じゃないんだけど、さすがにちょっと疲れたよ。

 

ちょうどいいからここらでちょっと一服だな。

 

 

『ここで一旦サワディ・スレイラ様、ローラ・スレイラ様に代わりまして、有志冒険者によるお子様向けのお年玉の儀が行われます。お子様方はそのまま待っていてくださいね』

 

「「「「「はーい!!」」」」」

 

 

ウグイス嬢の案内に元気いっぱいにそう答えたお子様達は、舞台の上に上がる有志達の姿を見てさらに元気な歓声を上げた。

 

 

「あーっ! ロースだーっ!」

 

「ピクルスだーっ!」

 

「ガキどもーっ! 去年はおりこうにしてたか!? 約束通りお年玉をやるぞーっ!」

 

「やったー!!」

 

「約束だったでねぇ、ちゃあんと用意してきたよ」

 

 

舞台の上に並んだ冒険者達が袋からおひねりを取り出すが、明らかにサイズが大きい。

 

おいおい、何入れたんだ?

 

おひねりの頭がげんこつぐらいあるぞ?

 

 

「おめでとう!!」

 

「おめでとう!」

 

「おめでとーっ!!」

 

 

冒険者たちは口々にそう言いながらおひねりを撒くが、一つ一つが大きいから子供達のポケットや籠があっというまに一杯になっていく。

 

まぁでも、子供はこっちのが嬉しいか。

 

キャッキャと喜ぶ子供達を横目に見ながら背中を伸ばしていると、誰かが落としたのかコロコロとげんこつおひねりが足元へ転がってきた。

 

なんとなく拾い上げて広げてみると、中身は甘いパンと飴玉とクッキーの詰め合わせだった。

 

 

「おかしの靴みたいなもんか」

 

 

俺はげんこつおひねりの口をひねり直して、子供達の方へと優しく放った。

 

きっとこれも、子供達の明日のおやつになることだろう。

 

 

「おかしの靴ってなんだい?」

 

 

もうほとんど悲鳴と変わらない歓喜の声を上げ続ける子供達を見つめていた俺に、ローラさんが不思議そうな顔でそう訪ねた。

 

 

「ああ、故郷にはクリスマスって祭りがあってですね……」

 

「また祭りかい? 君の故郷にはどれだけ祭りがあるんだい?」

 

「えーっと……それこそ、こういう集まって騒ぐようなものなら……一年中ですかね」

 

「なんだ、遊んでばかりじゃないか」

 

「いやいや、逆に働いてばかりだったから、時々は集まって騒がないと息が詰まるって感じだったんですよ」

 

 

毎日日付が変わるまで働いて、次の日は始発で出勤したりしていたものな。

 

この世界もだんだん安い照明器具が普及してきているから、これからどんどん残業が増えていくのかもな。

 

せめてこの子供達が大人になる頃は、まだのんびりした労働環境が残っていることを願おう。

 

俺は存在するかしないかもわからない労働の神様に向けて、そっと両手を合わせたのだった。




ウマ娘のために買ったスマホはもうすでに両面バキバキです。


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第99話 時来れば 猫の子供も 嫁に行き

異世界で 上前はねて 生きていく 最新第4巻、電子版は昨日より、書店では今日明日ごろより発売しております。

コミカライズ第3巻は2021年6月半ばに発売予定です。


年が明けて幾日かが経ち、冷たい風の吹き抜ける街が普段の落ち着きを取り戻し始めた頃。

 

俺はなんとも落ち着かない場所へと呼び出されていたのだった。

 

 

「もう大変なんですよ、お店の一大事なんです!」

 

 

銀髪の猫人族の女、プレトガが天を仰いでそう叫ぶのに、俺の膝に乗ったビロードのように光沢のある毛皮の猫が愛想たっぷりに「にゃあ」と答えた。

 

大声に驚いたのか、俺の肩にとまっていた大きな鳥はバサバサと羽ばたいてどこかへ飛んでいき、足元に寝転んでいた犬は迷惑そうな目つきで女を一瞥して、これまたどこかへと去っていく。

 

すると今度はキキッ!と声を上げながら猿が現れ俺の腕にしがみつき、蹄をパカパカと鳴らしながらやってきた小さな馬がごろんと足元に寝転がる。

 

そう、俺が呼び出されたのはシェンカー一家の経営する、楽しい楽しいどうぶつ喫茶だ。

 

他に客がいなくて退屈なのか、さっきからこうやって動物たちが入れ代わり立ち代わり近くにやって来てスキンシップを強請るので、俺は落ち着いてコーヒーを飲むこともできずにいたのだった。

 

 

「それで、なにが一大事って?」

 

 

ポニーテールの銀髪を振り乱し、天を仰いで叫んだ姿勢のまま動かなくなった女……

 

この店の店長を務めるプレトガに俺がそう尋ねると、ピタっと止まっていた彼女は再生ボタンを押されたビデオのように再びオーバーな身振り手振りで動きだし、座っている俺の隣へとやってきた。

 

 

「それがですね! 大変なことなんです!」

 

 

大変なのはお前の頭だよ。

 

 

「うちの稼ぎ頭の猫のメリダちゃんが……恋煩いをしてるんですよ!!」

 

 

そう言って店長は俺の座ったテーブルからちょっと離れたキャットウォークの上へと手を向けた。

 

店の入口にほど近いそこにじっと座っていたのは、白と灰色の入り混じった長毛を持つ美しい猫だった。

 

その宝石のように煌めく緑色の瞳は周りの大騒ぎにも動じず、じっと店の入口の方を見つめている。

 

 

「あれってオス? メス?」

 

「女の子です!」

 

 

自分で聞いといて何なんだが、よく考えたら造魔にオス・メスはないんじゃないのか?

 

ましてや恋煩いって……造魔の猫だぞ?

 

そもそも繁殖しないんだから、恋もへったくれもないだろ。

 

 

「恋煩いって何よ? どっかの猫を好きになっちゃったってこと?」

 

「違いますよ! 常連さんですよ常連さん! メリダちゃんの想い人は綺麗なお姉さんですよ」

 

「えぇ? 猫が人間を?」

 

「人だって猫を愛するでしょう! 同じように猫だって人を愛するんですよ!」

 

 

そう言われればそうかもしれない。

 

……いや、駄目だ駄目だ、丸め込まれるな。

 

普通の猫ならばそういう事にしておいてもいいのかもしれないが、メリダは造魔なのだ。

 

愛する人ができました、おめでとう、では済まない理由がある。

 

いくらふわふわで小さくて愛らしくとも、彼女の素性は兵器なのだから。

 

 

「造魔って元々軍用だし、そういう機能はつけてないはずだけど」

 

「でも軍人さんや軍馬だって恋はするじゃないですか」

 

「そういう問題か……?」

 

 

造魔は元々使い捨ての軍用兵器だった。

 

しかしその寿命を俺が劇的に伸ばした事によって、彼らは自我を持つようになってしまったのだ。

 

でも、自動車やミサイルが意思を持って動き回るようになったら困る……というか実際に困っているわけだ。

 

今すぐに制御はできないにしても、せめて理解は深めたい、そうだろ?

 

ということで、彼らの自我獲得のプロセスの研究を少しでも進めるために、俺は比較的無害な小動物の造魔を様々な場所に配置し、その記録を取ってもらうことにした。

 

本来はそういう仕事は軍に丸投げしたいんだが、造魔というものの性質上記録を取ってもらってもこちらに回して貰うというわけにはいかない。

 

もうなんか自分で言ってても違和感しかないんだが、肩書上俺は軍属じゃないからな。

 

軍の記録を正式に閲覧する権限はないということだ。

 

となると、うちの研究室で独自に研究を進めるしかないわけだ。

 

造魔の研究用に作った店がこの街にはいくつかあって、この喫茶店もそういう場所なのだった。

 

そんなどうぶつ喫茶の店主であるプレトガは、何やら自分の体を抱きしめたり唇をすぼめて天に向けたりと、大騒ぎをしながら事情説明という名目の三文小説をがなり立てていた。

 

 

「事程左様にですね! 私としてはできればメリダちゃんの恋を強烈に、猛烈に後押ししたい! そう思っているわけで……」

 

「店長、とにかくその猫の書類持ってきて」

 

「あ、はい! とにかくですね、彼女はお客様方からは月の女王と評されるほど……」

 

 

プレトガは一人演劇のような身振り手振りで喋り続けながら、店の奥へとレポート書類を探しに消えていった。

 

本当にやかましい女だ。

 

いつの間にか机の上にやってきたキジトラの猫の背中を撫でながら、店内を見回す。

 

開店する前に一度来た気がするが、いつの間にやらこの建物もだいぶボロくなったな。

 

茶色い床材はすり減っていて、何かをこぼしたのか焦げ茶色に変色している場所もある。

 

視線を上げると板張りにされた壁にも爪の跡や凹みが目立ち、どうにもみすぼらしい。

 

俺の座っている椅子や机もガタこそないが細かい傷だらけで、なんとなく前世の小中学校の木の机を思い出すヤレ具合だ。

 

くあっとあくびの声がしたので手元を見れば、背中を撫でていたキジトラの猫が伸びをしてから机に爪を立てていた。

 

動物がいっぱいいればこんなもんなのかな?

 

猫に爪とぎはやめろと言って聞かせるわけにもいかんしな……

 

何も思いつかないまま、ぷいとどこかへ行ってしまったキジトラの背中を見送って、俺はたいして美味くもないコーヒーを啜ったのだった。

 

 

 

コーヒーと茶菓子が切れてしばらく経った頃、店の奥から一抱えもある量の書類を抱えた店長が姿を現した。

 

 

「おい、最近のだけでいいんだぞ」

 

「これは去年から今年のものです!」

 

 

造魔一体の一年分の量にしては分厚すぎる報告書をパラパラ捲ると、相変わらずうんざりするような量の情報が目に飛び込んでくる。

 

一日に消費した魔結晶の量、客として関わった人間の人種、年齢、性別、開店中の行動と閉店後の行動の詳細。

 

ここまでは、まぁいい。

 

だが、描き手がいちいち違う何十枚もの絵だの、可愛い仕草十選だの、店長の個人的な話だの、客がメリダを褒めた内容の詳細だの、客からのお手紙だの……

 

全く精査されていない上、好き放題に付け足された内容が俺の頭を弱らせた。

 

前から思ってたけど、これは報告書っていうか猫サークルの部誌だろ。

 

 

「前にも言ったかもしれないけどさ、もう少し……報告書を簡潔に……ね?」

 

「みんな必要な情報だと思うんですけど。ご主人様だって、何か気がついた事があれば些細な事でも残しておけって……」

 

 

たしかに言った……気がする。

 

情報はないよりはあった方がいいのは確かなんだが、さすがにこの報告書はまずいよなぁ。

 

前に読んだ時よりも明らかに趣味性(・・・)が向上してるぞ。

 

今度そういう知識を持った奴隷に頼んで、シェンカーの店長クラス向けに報告書の書き方講座みたいなものをやってもらおうか。

 

 

「まぁ何でもとは言ったけど、この別冊になってる詩集とかは報告にいらないでしょ? 誰が書いたの?」

 

「ああ、それはお店の催しでメリダちゃんへの詩を募集した時のものですよ! 毎月やってるんですけど、メリダちゃんのは特に応募作が多くて別冊にせざるを得なくてですね……」

 

「いやいや、別冊でいい別冊でいい。むしろこういうのはさ、こっちの報告に出すんじゃなくて、お店でみんなが見れるようにしといた方が喜ばれるんじゃない?」

 

「えっ、そうですかね!?」

 

「絶対そうだと思う」

 

「じゃあこっちのメリダちゃんの写生大会の絵も別冊にしたほうが良かったですか!?」

 

 

さっきの絵は写生大会のものだったのか、色々やってるんだなぁ……

 

プレトガはうるさいが、別に無能ってわけじゃない。

 

ただ熱心すぎるだけなんだよな。

 

仕事への熱意というものは他に代えがたい貴重なものだ。

 

やりたいことはそのままに、できないことを一つ一つ正していけば、それでいいんだ。

 

とりあえずはこの報告書も、長い目で見ていこう。

 

プレトガが入れ直してくれたコーヒーで口を湿らせながら、ちょっとした辞書のような分厚さのメリダの報告書を尻から読んでいく。

 

 

「メリダの様子が変わったのはいつ頃?」

 

「先々月ぐらいです!」

 

「先々月ね……そんでメリダがお熱な相手の名前は?」

 

「カロンさんです、二十六歳東町在住、独身でご両親と妹さんと同居。職業はカロンさんの叔父さんの営むアファント履物店の店員さんです!」

 

 

聞いてもない情報がつらつらと出てきた。

 

喫茶店の店主ってのは、普通客のことをそこまで把握しているものだろうか?

 

いや、どうぶつ喫茶は変な店だから、こいつも単なる喫茶店の店主と考えない方がいいのかもな。

 

 

「靴屋さんねぇ……」

 

 

なるほど、報告書にも三日と開けずに彼女の名前が出てくる、かなりの常連らしいな。

 

 

「彼女が来たらメリダはどうなの?」

 

「メリダちゃん、カロンさんが店にいらっしゃったら一目散に駆け寄って退店までずーっと一緒なんです! もうここ数日はカロンさん以外からは魔結晶も受け取らない始末で、みんな心配してて……」

 

「魔結晶を受け取らない!?」

 

「だから恋煩いなんですよ!」

 

 

人間が生きるために水と食べ物を求めるように、造魔が生きるために魔結晶を求めるのは本能だ。

 

その本能を曲げてまで、魔結晶を受け取る相手を選んでいるというのか……?

 

 

「魔結晶を持ってきて」

 

「はいっ!」

 

 

俺は膝の上に陣取っていた猫に「にゃあ」と文句を言われながらどいてもらい、つま先の上に寝そべってうとうとしていた子馬を搖すり起こし、頭の上に鳥を乗せたまま立ち上がった。

 

ぐ、尻が痺れてる……

 

 

「ニャッ!」

 

「わふ!」

 

 

机の周りで膝乗り待ちをしていたらしい動物たちの抗議を聞き流しながら、俺はヨタヨタとメリダの方へと向かったのだった。

 

 

 

「持ってきました!」

 

 

エサ用の小さい魔結晶が沢山入った小箱を抱えて現れたプレトガの周りには、おやつを貰えるのかと思った造魔達がわらわらと集まってきている。

 

そうだ、これが普通の反応だ。

 

 

「メリダに餌をあげてみてくれ」

 

「はい! メリダちゃ~ん、ご飯ですよ~」

 

 

じっと店の入口を見つめるメリダはつまんだ魔結晶を差し出すプレトガの事をちらりと一瞥し、にゃあと可愛く鳴いてから視線を入り口へと戻した。

 

うーむ凄いな、本当に魔結晶を受け取らない。

 

自我の力というのはこんな本能に逆らうような行動まで引き起こすのか。

 

いや、そもそも本能を押さえつけるのが自我というもの、猫のメリダの心は正しく成長していっているのかもしれないな。

 

 

「やっぱ食べないですねぇ」

 

「他の人間がやってみたらどうだろうか?」

 

 

俺が小箱から魔結晶を取り出してメリダの方へ向けると、彼女はじっと俺の顔を見つめてから……パクリと魔結晶に食いついた。

 

 

「あれ、食べるぞ? なんでだろ?」

 

「そりゃ、あれじゃないですか?」

 

「なんだよ?」

 

「ご主人様がメリダちゃんを作ったわけですから……」

 

 

あ、そっか。

 

俺の周りにいる造魔ってのは基本的に俺が作ったもの。

 

製造者の魔力が識別できるようになっていてもおかしくないか。

 

 

「にゃ……」

 

 

メリダは俺の顔を見ながら愛想程度に鳴き声を上げて、また店の入口へと視線を戻した。

 

 

「ご主人様、もっとあげてください! メリダちゃん、ここ最近全然ご飯食べてないんです!」

 

「はいはい」

 

 

俺が手のひらに魔結晶を盛って彼女の前に差し出すと、メリダは店の入口と俺の顔を交互に見比べてから、不承不承といった様子でそれに口をつけ始めた。

 

なんだろうか。

 

さっきまでは獲得した自我に振り回されて動作不良を起こした造魔に見えていたはずの彼女が、今はなんだかプチ反抗期で家族と食事をしたがらない年頃の女子のように見える。

 

 

「あらー! メリダちゃん良かったねー! パパのご飯美味しいねー!」

 

 

パパ……

 

そうか、俺、猫のメリダちゃんのパパに当たるのか……

 

まあ、間違っちゃないんだろうけどさ。

 

パパ、パパね……

 

俺はなんとなく釈然としない気持ちのまま、毛深い娘の背中を掌で撫でた。

 

 

「とりあえず今日のところはなんとかなりましたけど、メリダちゃんのこと、どうしましょう?」

 

「その相手のお姉さんはさ、メリダの事をどう思ってるわけ?」

 

「カロンさんですか? そりゃあメリダちゃんの事が好きだと思いますよ! いつもお互いにじっと見つめ合ってですね! まるで歌劇の……」

 

「あー、わかった、わかった」

 

 

つまり二人は愛し合ってるってわけね。

 

 

「俺は馬には蹴られたくない。メリダが一番幸せになるようにしてやろう」

 

「え? どういうことですか?」

 

「カロンさんさえよければ、あちらの家に里子に出そうと思う。一番人気らしいからもったいないけど、メリダはどうぶつ喫茶卒業だ」

 

「……やったー!! それがいいですよ! 名案です!」

 

 

今日一番の店長の叫び声に、魔結晶を食べ終わったメリダは迷惑そうな視線をちらりと向け、また我関せずといった様子で入り口の方へと向き直ったのだった。

 

我が娘ながらクールな子だぜ……きっと、俺に似たんだろうな。

 

 

 

 

プレトガが設けた店とカロンさんとの話し合いの席は、その一週間後のことだった。

 

店側のメンツは、俺、チキン、プレトガ、そしてメリダとその同僚たちだ。

 

チキンに関してはうちの嫁さんが「連れて行った方がいいんじゃないか」と言ったので、忙しい中悪いんだが造魔の嫁入り対策チームに入ってもらった。

 

彼女からは逆に「ご主人様がいない方が穏当に話が進むかと思いますが……」と言われていたのだが、普通の動物ならともかく、今回里子に出すのは造魔なのだ。

 

万が一人間に牙を剥き始めた場合の対応法や、未だわかっていない寿命の件など、専門家である俺が直接話さざるを得ない事情というのも、実際あった。

 

わからないのは、今日カロンさんと一緒にやって来るという彼女の叔父についてだ。

 

メリダと一緒に住む事になるであろう彼女の両親ならばともかく、なぜ職場の雇い主がやって来るのか。

 

もしかしてメリダを金で売り買いするような話だと思われているんだろうか?

 

どうにもわからず、不思議に思っている間に時間が来た。

 

 

「こんにちわ」

 

「失礼します」

 

「あっ! カロンさん! こちらです、こちら!」

 

 

二重扉になっている動物喫茶の入り口から入ってきたのは、黒髪の美人だった。

 

その後から入ってくるのは、冬だというのに額に大汗をかいた強面(こわもて)の男。

 

あれがカロンさんとその叔父なのだろう。

 

 

「はじめまして、カロンと申します」

 

「カロンの叔父のアファルと申します」

 

「どうぞ、お座りになってください」

 

 

こういう場合、本来ならば呼びつけた側が扉の前まで行って挨拶するべきなんだろうが、今の俺は貴族の身分。

 

そういう振る舞いは、やりたくてもできなくなってしまった。

 

というか、貴族を相手にすると平民が勝手にビビりまくってしまって、気さくな付き合いというのは基本的に難しいという事情もある。

 

住み分けは大切だ。

 

こればっかりは仕方のないことなのだ。

 

 

「こちらはこの店のオーナーであり、トルキイバ魔導学園准教授でもあられる、サワディ・スレイラ様でございます。私はサワディ・スレイラ様の筆頭奴隷をしております、チキンと申します」

 

「私はこの店の店長のプレトガです!」

 

 

どうぶつ喫茶の店員の一人が机の上に無言で全員分のコーヒーを並べていく。

 

とてとてとやってきたメリダが机に飛び乗り、カロンさんの目の前に陣取ってご機嫌な声でにゃあと鳴いた。

 

 

「それでそのぅ、今日はメリダちゃんに関するお話ということでしたが……」

 

 

ごく自然にメリダちゃんの顎を撫でながらそう言う彼女に、プレトガが鼻息荒く身を乗り出した。

 

 

「そうなんですよ! カロンさん、メリダちゃんと暮らしてみませんか?」

 

「え? 一緒に……?」

 

 

何の前置きもなくいきなりそうぶっちゃけたプレトガの言葉に、カロンさんは目を白黒させて驚いている。

 

しまったな、プレトガには静かにしているように言って、最初からチキンに話をさせれば良かったかもしれない。

 

こいつが話をかき回すとややこしくなりそうだ。

 

 

「そ……うっ!」

 

 

俺がプレトガに何か用事でも言いつけようかとしたその時、彼女の銀色のしっぽを掴んでひねり上げた者がいた。

 

鉄の女、不夜城の主、叩き上げのやべーやつ……

 

うちの奴隷達全ての頂点に立つ女。

 

そう、チキン嬢その人である。

 

 

「ええ、カロンさん。ぜひメリダの里親になっていただけないでしょうか?」

 

 

突然の話に困惑するカロンさんに優しげな口調でそう語りかけるチキンの顔には、人好きのする笑みが貼り付けられている。

 

それはうちの実家(シェンカー)の番頭が商談の場に立つ時の顔によっく似ていた。

 

チキンはその番頭の下で商売を仕込まれたのだから当然といえば当然なのかもしれないが、俺にとってどうにも頼もしく見える顔なのには間違いなかった。

 

 

「……私でいいんですか? 是非なりたいです! メリダちゃんと一緒に暮らしたい!」

 

 

盛り上がるカロンさんとは裏腹に、彼女の叔父さんは渋い顔だ。

 

 

「ちょっと待ってください、その子はここの店の子なんでしょう? なぜうちのカロンに?」

 

 

何か裏があるのかと疑っているのだろう。

 

カロンさんの叔父のオッサンが警戒心をあらわにそう質問するのに、チキンは落ち着いた声で答えを返す。

 

 

「実は今メリダには命に関わるある問題がございまして、それを解消できるのがお宅のお嬢様だけなのです」

 

「命に関わる問題?」

 

 

チキンはカロンさんに甘え続けるメリダのしっぽをひと撫でし、眉尻の下がった不安げな顔でオッサンへと向き直った。

 

 

「実はこの子はお宅のお嬢様に懐きすぎて、他の者から餌を受け取らなくなってしまったのです」

 

「餌を? 猫の餌などその辺に置いておけば食べるのではないのですか?」

 

「この子は普通の猫ではありません、造魔です。うちの造魔達は人の手からしか餌を受け取ることができないようになっているのです」

 

 

これは俺が造魔を作るときに加えたセーフティの一つだ。

 

まかり間違っても野生化したりすることのないように、造魔達は人間の手からしか餌の魔結晶を受け取れないようになっているのだ。

 

魔結晶駆動造魔の生成魔法陣の基礎の基礎部分に刻んだから、いつかこの世界の造魔が独自の行動を起こし始めたとしても人類を駆逐しようとしたりはしないはず……だといいけどなぁ。

 

 

「俄には信じがたい話だが……」

 

「どうぞ、お試しください」

 

 

チキンはなおも疑うオッサンの前に小さな魔結晶を差し出し、小さく頷いた。

 

 

「では……」

 

 

彼はカロンさんの手に顔を擦り付けるメリダの鼻先に魔結晶を近づけるが、彼女はちらっとそれを見て、にゃと短く返事をするだけ。

 

 

「メリダちゃん、ご飯だよ」

 

 

なおも魔結晶を近づけ続けるが、メリダはにゃおんと返事をするだけだ。

 

 

「むぅ……ご飯ですよぉ~メリダちゃ~ん」

 

 

めげないオッサンのあまり聞きたくない猫撫で声が店に響くが、やはり彼女は魔結晶を受け取らず、アイドルのファンサービスのようにポンと肉球で手にタッチするだけだった。

 

それでもなんだか嬉しそうなオッサンは、メリダに触られた手を反対側の手で撫でながら引っ込めた。

 

まあ、作った俺が言うのもなんだがメリダは美猫だからな。

 

塩の入った対応でもファンはああやって勝手に増えるのだ。

 

 

「チキンもあげてみたら?」

 

「あ、そうですね」

 

 

チキンも椅子から立ち上がって魔結晶を持って近づけてみるが、当然メリダは受け取らず。

 

最後にメリダがカロンさんの手から魔結晶を食べるのを見て、ようやくオッサンは納得したようだった。

 

 

「それで、その……うちの姪にどうしろと?」

 

「ですから、メリダちゃんの里親になって頂きたいんですよ」

 

「それだけでよろしいのですか?」

 

「一応普通の猫とは違いますので、定期的に里帰りだけはさせて頂いて、あと他の方に譲渡などはしないようにして……」

 

「そんなことしません!」

 

 

メリダをギュッと抱きしめたカロンさんは責めるような目でチキンを見ながらそう言った。

 

しなさそうだね。

 

 

「わかっておりますとも、末永く可愛がってあげてください」

 

「それでその、費用などは……」

 

「この子は造魔ですので、飼うのに特別注意はいりません。一日三回小指の爪ほどの魔結晶を与えて頂ければ大丈夫です」

 

「いや、その、メリダちゃんの譲渡費用などは……?」

 

 

チキンがちらりとこちらに視線を送ってきたので、ここで引き継ぐ。

 

 

「それは結構、造魔については魔導学園の方でも未だ研究中の対象でありまして。寿命も生態もまだまだ定まっていません、言い方は悪いですが値をつけられるような状態ではないのです」

 

「はぁ……それで、危険などはないのでしょうか?」

 

「それもまだ研究中なのですが……材質上突然爆発するような事はありませんし、牙も爪も本物より丸くなっていますので、たとえ人に牙を剥くことがあったとしても不意打ちでなければ怪我はしないでしょう」

 

「そうなのですか」

 

「それと一応、この猫型造魔には尻尾の中ほどに緊急停止ボタンが仕込まれているので、危険を感じたら思いっきり尻尾を握ってください。それと逃げ出したとしても、造魔は自分で餌を取ることができないため数日で動きを止めるはずです」

 

「そうですか……ところで、魔結晶については……」

 

「それについては私が」

 

 

そう言ってさらりと俺から話を引き継いだチキンが、手元にエサ用の魔結晶を置いて説明を始めた。

 

 

「申し訳ありませんが、エサ用の小型魔結晶とはいえ高価なものですので無償というわけには……ですが物自体は当方が用意させて頂きますので、月に銀貨二枚ほど、ご負担お願い致します」

 

「それは……かなりお安くして頂いているようなのですが、よろしいのですか?」

 

「うちは自前での調達ができますので……」

 

 

安いと言っているが、猫の食費が月に二万と考えるとなかなかバカ高く思える。

 

まあ街で同じ量の魔結晶を調達しようとしたらその倍はかかるんだけど、それでもキツいよな。

 

このどうぶつ喫茶を作った頃はマジで魔結晶を無限に使い放題だったのが懐かしいよ。

 

 

「手前どもはそれで問題ありませんが……諸々の事、全て書面にして頂けますかな?」

 

「アファル殿は商売を生業とするお方と聞いておりましたので、元々書面で用意しておりました」

 

「これはありがたい」

 

 

チキンが店員から受け取った契約書をオッサンに手渡すと、彼は文面をじっくりと読み、懐から拡大鏡を取り出して紙面の上を滑らせ始めた。

 

そんなに警戒するような事なんだろうか?

 

うちのオヤジだってあそこまで警戒心つよつよじゃなかったんだけどな。

 

 

「これで構いません」

 

「そうですか、それではメリダの事、どうぞよろしくお願い致します」

 

「承りました」

 

 

二人はまるで本業の商談のように話しているが、結局この契約というのもどうぶつ喫茶とカロンさんとの間で交わされるゆるいものだ。

 

内容もメリダの代金は請求しないよ、彼女を飼ってる間は魔結晶を割引で融通しますよ、半年に一回は里帰りさせて記録を取らせてねって感じのものだ。

 

そんな他人の署名する契約書の上で、なぜかチキンとオッサンは固い握手を交わしていたのだった。

 

 

 

数日かけてメリダの住む場所を整えると言って、彼女にたくさん餌を食べさせたカロンさんとその叔父さんは帰っていった。

 

ローラさんの言葉に従ってチキンを連れてきて良かった、正直ちょっと疲れた。

 

きっと今後も同じような事があるだろうから、チキンに今日の契約書や造魔の飼育上の注意なんかを定型化してもらって次からは俺なしでやってもらうことにしよう。

 

 

「チキン、今日はありがとうね」

 

「とんでもございません」

 

「チキンさん、ありがとうございました!」

 

「プレトガはもっと後先を考えて喋るように」

 

「はい! 考えます!」

 

 

それよりも、ちゃんとしたのを店長補佐なんかにつけた方が早い気がするな。

 

 

「そういえばさ、あのおじさん契約書を一生懸命見てたね。ああいうのってやっぱり詐欺が多いの?」

 

「え? あー……それもありますけど。今日に関してはご主人様がいたからじゃないですかね」

 

 

チキンは気まずそうな顔で前髪の枝毛を引っ張りながら、そっぽを向いてそんな事を言った。

 

え? 俺のせい? なんで?

 

 

「え? 何? 俺がいたらどうなの?」

 

「その、ご主人様……ご自分のあだ名とかって……」

 

「シェンカーのボンクラ兄弟とは呼ばれてたけど……」

 

 

女の長男酒の次男、芝居狂いの三男と近所では有名だった。

 

 

「あ、私は知ってますよ! トルキイバの奴隷王って呼ばれてますよね!」

 

 

輝くような笑顔でそう言ったプレトガは、チキンに小声で「バカ」と叱られている。

 

なるほど、奴隷王……

 

そういえばそんなあだ名もあったなぁ……

 

ということは、あのオッサンが色々心配してたのって……

 

姪っ子を奴隷にされるかもって思ってたって事?

 

 

「俺、そんなに評判悪いのか……」

 

「そんなことないですよ、中町では名士ですから!」

 

 

中町では(・・・・)ね。

 

項垂れた俺の顔を小さい馬が心配そうに見上げ、足には猫達が絡みつくように集まってきた。

 

頭と背中には鳥がとまり、垂らした手の先を犬が舐める。

 

たとえ動物相手でも、好かれるってのはいいなぁ。

 

止まっている鳥たちを散らし、猫を踏まないよう気をつけながらごろんと横になる。

 

いろんな動物たちが体中にひっついてくるのを感じながら、目を閉じた。

 

好事家が歯ぎしりしそうなモフモフ結界の中で、俺はなんとか世間のイメージを良くする方法はないかと、ゆっくりと思案したのだった。




前の仕事とは全然違う仕事に転職しまして、資格取ったり勉強したりでなかなか更新できませんでした。
しばらくはもう少し慌ただしいと思いますが、安定したら前の仕事よりしっかり余暇が取れると思いますので小説もがんばります。


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第100話 風の中 双子が街を 見下ろして

大変お待たせいたしました。

転職してから忙しくてどうにもなりませんでした。


なんだか顔がぱりぱりとするぐらいに寒い寒い冬の朝。

 

澄んだ空気の中に差し込む弱々しい陽光が、真っ白に塗られた巨大な建物を照らす。

 

流麗な筋のつけられた長大な柱に支えられた屋根の上からは、背中に双子の赤ちゃんを乗せた八本足のバイコーンの彫刻が道路を見下ろしている。

 

俺は手の中に持っていたコーヒーをゆっくりと啜りながら、万感の思いを胸にそれを見上げていた。

 

美しい。

 

美しい建物だ。

 

寒い中を突っ立ってずうっと見ていても飽きないぐらい、俺にとってその建物は特別な物なのだった。

 

この冬は、これまで俺やその部下達のやってきたことが色々と形になった冬だ。

 

時計塔級造魔も完成し、シェンカー通りの新本部ビルも完成し、収穫したのは秋だがトルキイバ産の米だって完成した。

 

ありがたいことだ、完成ラッシュだ。

 

そしてその中でも一番嬉しかったのが、年が明けてしばらくしてから完成したこの白亜の建物なのだ。

 

全体を見れば真四角のその建物は、真っ白に塗られた壁や柱で日差しを跳ね返し……なんとなくどこもかしこもくすんで見える冬の街の中でひときわ光り輝いていた。

 

地上五階建てのそれは、大人が十人も並んで通れるような優雅なアーチを描く大きな入口を持ち、その上には建物をぐるっと取り囲むように窓が設置されている。

 

屋根の上だけではなく至るところに施された彫刻は今にも動き出しそうなほど精巧なもので、見るものの目を飽きさせない工夫を施された建築物となっていた。

 

そう、これがそう(・・)なのだ。

 

俺の悲願、俺の夢、俺の集大成。

 

俺が求めてやまなかった、俺のための劇場だ。

 

劇場を作る予定で取得した敷地に野球場なんてものを作ってしまったから、一番最初の予定より小ぢんまりしたものになってしまったが、その分上に伸ばしたから収容人数はバッチリ。

 

闇の椎茸畑を地下へと移して作った駐車場が狭いのもネックだが、まぁ平民上がりの作った劇場だし、そんなに馬車移動のお貴族様達が沢山やって来るようなこともないだろう。

 

理想を言えばキリはない。

 

しかしとにかく今はその完成を喜びたい。

 

そんな俺の夢の城の中では、ついに三日後に迫った営業開始を前にして、スタッフたちによる最終調整が行われていた。

 

 

「照明の固定もう一回確認! 落ちたらただの事故では済まないぞ! 清掃班は明々後日(しあさって)の朝には絨毯にチリ一つ残すなよ! 初日が一番大事なんだ! 奥方様もいらっしゃるんだぞ!」

 

 

劇場の支配人である兎人族のモイモの声が飛ぶと、指示を受けたスタッフたちは放たれた矢のように駆けていく。

 

昔から要領が良くて気骨のある奴だったから心配はしていなかったが、彼女は立派に支配人としての仕事をやっているようだ。

 

 

「申し訳ありませんご主人様、どうにもバタバタしていまして……」

 

「いや、いいんだよ。俺は造魔の調子を見に来ただけだから、気にせずしっかりやってくれ」

 

「ありがとうございます。あ、それとこれ、頼まれていたチケットです。すいません遅くなりまして」

 

「いや、忙しい所で無理を言ったのは俺だから」

 

 

俺にチケットの入った封筒を渡したモイモは深々と頭を下げ、走り去ったスタッフたちの後を追って消えていった。

 

 

「なんか忙しそうですね」

 

「そりゃあ忙しいだろ、明々後日には開業なんだぞ」

 

 

俺の今日の護衛兼お付きである小型の犬人族のラフィが、何やらズレた事を言いながら後ろをついてくる。

 

劇場内はさながら文化祭前夜といった感じで、どこかからカンカンと金槌で何かを叩く音が聞こえてくるし、塗料で顔を汚した女達がお互いの顔を笑顔で指で差し合いながら駆けていく。

 

つい先週マジカル・シェンカー・グループの面々を招いてプレオープン公演をやったはずなんだが……予行演習をして色々手直しする場所が見えたってことなのかな。

 

外から入ってすぐの場所にある吹き抜けの大ホールを奥へと進み、チケットもぎりが立つ予定のゲートを抜けた先にある造魔動力の自動階段(エスカレーター)に乗ってゆっくりと二階へと登っていく。

 

 

「これ凄いですよねぇ、歩かなくても上に運んでくれるんですもんね」

 

「そうだろうそうだろう」

 

「逆に降りたらどうなるんですか?」

 

「倍疲れるだけだよ」

 

 

小さなラフィが興奮で目をキラキラと輝かせているこのエスカレーターは、五階建ての劇場を行き来する上での重要施設だ。

 

魔結晶の消耗が大きいから設置できたのは登り側だけだが、これはまさに画期的な代物と言ってもいいだろう。

 

前世の日本に比べると圧倒的に足腰の強い人が多いこの世界だが、逆に背の高い建物というのがあまり多くない。

 

それにこのあたりはだだっ広い平野で、坂道という坂道もないからみんな登る事には強くないはず。

 

そこに来てこのエスカレーターがあれば、そりゃあみんな嬉しいに違いない。

 

これがホスピタリティですよ。

 

こういう単純な構造の機械は造魔で再現するのが比較的簡単な部類だから、開発も楽だったしな。

 

まあ、王都の大劇場なんかではエレベーターがすでに設置されているそうだが、エスカレーターは我が劇場がこの世界初。

 

どこの世界でも、最初の物は何でも偉いのだ!

 

 

「あっ、ご主人様! お疲れさまです!」

 

「あ、ご苦労様」

 

 

二階に上がると、一階ホールを見下ろせるカフェの椅子を移動していた奴隷達に頭を下げられた。

 

カフェっていっても要するにうちが街でやっているアレ、アストロバックスだ。

 

制服は劇場の雰囲気に合わせて他の店舗よりもずっとシックなものになっているが、サービスは一緒。

 

貴族が観劇するVIP席への飲食物のサーブもこのカフェから行われる予定だ。

 

 

「明々後日には営業開始だけど問題はなさそう?」

 

「こっちは大丈夫です!」

 

 

よしよし、ならいいんだ。

 

二階の通路に設置されたカフェスペースには、窓からの光も十分に入ってきていて明るく、雰囲気もいい。

 

きっとオープン後からは、観劇に来た客がこの客席を賑やかに埋めてくれることだろう。

 

もし流行らなかったらチケットをもぎる場所を変えて一般客を入れてしまえばいい、二階だからそこまで見晴らしはよくないけど、アストロバックス自体の需要もあることだしな。

 

二階を一周ぐるっと周った後、客席内への出入り口から中を確認する。

 

中では奥側から舞台側へと緩やかに傾斜した客席が、薄暗い照明に照らされていた。

 

舞台では役者たちがリハーサルの最中のようで、楽団の音楽と共に朗々と響く役者のセリフが聞こえてくる。

 

いい感じだ、開業日が楽しみだな。

 

俺は客用通路の足元照明の点灯や空調の効きを確認してから分厚い扉を閉め、エスカレーターに乗って三階へと向かった。

 

 

「手すりも一緒に動くのが面白いっすね~」

 

 

小さな尻尾を楽しげにピコピコ動かしながら手すりに乗っかるように身を乗り出したラフィは、その体型も相まってまるで小さな子供のようだ。

 

そんな彼女の頭は「身を乗り出さないでください」と注意の書かれた垂直な壁に思いっきりぶつかり、ゴツンと鈍い音を立てた。

 

 

「あいった~っ!」

 

「危ないところだったな、挟まったら頭がなくなってたぞ」

 

「ひえっ!」

 

 

まぁ、そうならないように作った壁なんだが……安全に関しては注意してしすぎるということはない。

 

後でモイモに連絡して、壁にはクッションを貼らせることにしよう。

 

これでも安全性に関してはきっちり考えて設計したのだ。

 

例えば入り口と出口には手が入る程度の開口部があって、そこに異物が入ると接触を感知した造魔が伸縮して動力部のギアを外し、緊急停止をするようになっている。

 

地面を擦るような服は裾を持ち上げるように注意書きも書いたが、そもそもトルキイバじゃそういう服を着ている人はあまり見たことがないから、そこまで心配はしていない。

 

まぁとりあえずはエレベーターガールならぬエスカレーターガールというポストを用意したから、何か問題が起こればその都度対応させればいいだろう。

 

 

「この動く地面やっぱりいいですねぇ、寮にも欲しいです」

 

「これは結構魔結晶食うんだよ」

 

 

うちももう魔結晶使い放題ってわけじゃないからな。

 

低い駆動音を立てながら動くエスカレーターを降りると、三階の壁にはうちの画家軍団が用意した入魂の油絵がたくさん飾られていた。

 

 

「なんでこの階は絵が一杯あるんですか」

 

「三階と四階は催し物に使う予定なんだけど、とりあえず今は殺風景だからって色々飾ってるんだよ」

 

「へぇ~。あっ、ロースさんの絵だ」

 

 

そう言ってラフィが指差した先には、なぜか一番目立つ場所にうちの冒険者組の魚人族、赤いトサカのロースが真っ白で神々しい衣装を着た絵画が飾られていた。

 

なんでこんな身内ネタの絵が一番いい場所に飾ってるんだろうか……?

 

いい絵だとは思うけどさ。

 

俺とラフィは飾られた絵を見ながらぐるっとフロアを回り、二階と同じように劇場内を確認した後、エスカレーターで四階へと向かった。

 

しかし、なぜか絵の題材がうちの冒険者組の女達に偏っていたんだが……絵かきの中に熱心なファンでもいたんだろうか?

 

まぁ、とりあえず飾ってあるだけの絵だから、別に何でもいいんだけどね。

 

 

「わぁ、ここは野球のものが飾ってある階なんですね」

 

「野球場も近いしな」

 

 

四階には俺の持っている野球チーム、シェンカー大蠍団(スコーピオンズ)のユニフォームやブルゾンなんかが展示され、一部は売りに出されたりしている。

 

壁にはむやみに長大な掲示物もあり、そちらでは野球というスポーツの成り立ちやルールなどが四階の壁のほとんど全てを使って説明されているようだ。

 

しかしこんなもの、よく作ったなぁ。

 

俺やローラさんを始め、貴族リーグ設立に関わる重要人物が写実的な絵入りで記されていて、展示物としてはもちろん読み物としてもなかなか面白い内容だった。

 

芝居を見に来る層はこういう展示には興味ないかもしれないが、ファンが見れば楽しめる事間違いなしだな。

 

俺は四階の客席を下の階と同じように確認し、壁の目立たない所に隠すように作られた関係者用の入り口から秘密の階段へと入った。

 

 

「ここは普通の階段なんですね」

 

「ここから先はお客さんは来ないから」

 

 

そう、この先は最重要の秘密の場所、俺の夢の結晶、一階丸ごとのプライベートエリアだ。

 

普通の劇場ならば五階か六階まではしっかり客を入れるところなのだが、この劇場はそこらの劇場とは設計思想が違う。

 

ここは一から……四ぐらいまでは俺のために作った、俺だけの……ではなく俺優先の劇場なのだ。

 

だから見晴らしのいい五階部分は、丸々俺と家族、そしてシェンカーの人間達専用のエリアとなっているのだ。

 

へっへっへ……

 

これが貴族の贅沢だよ。

 

なんなら一階部分を丸々プライベートエリアにしても良かったぐらいなのだが、さすがにそこまですると劇場の維持費すら怪しくなってくるからな。

 

残念なことだが、何事にも妥協は必要だ。

 

 

「わっ、ここの椅子、ソファーですよ!」

 

「そこは俺の席だ。ここでこうやって寝そべりながら劇を見るのさ」

 

 

そう言いながら俺が革張りのソファーに寝転がると、ラフィは不思議そうな顔で首を傾げた。

 

 

「ちゃんと座ったほうが見やすいと思うんスけど」

 

「俺はね、こうして見るのが夢だったの」

 

「夢じゃあしょうがないっスね」

 

 

ソファは高台に置かれていて、前に他の席がないから寝そべってもきちんと舞台が見えるようになっている。

 

ちなみに五階にある他の席は他の階と同じ普通の席。

 

これらの席はシェンカーの人間への福利厚生の一部として開放される予定だ。

 

公開初日のチケットだけは、俺が決めた相手に渡すつもりなんだけどな。

 

 

 

ということで翌日の昼、俺は妻のローラさんと一緒にマジカル・シェンカー・グループの本部ビルの前に立っていた。

 

 

「芝居のチケットぐらい、わざわざ雇い主が出向かなくても取りに来させるか郵送するかすればいいと思うんだがね……」

 

 

シェンカー大蠍団(スコーピオンズ)の真っ赤なブルゾンの背中に長い金髪を流したローラさんは、そう言って呆れたようにタバコの煙を吐き出した。

 

俺はそれに「わかってないね」と指を振るようにチケットの束を揺らして反論する。

 

 

劇場(これ)は僕の夢なわけですから。僕はどうか一緒に同じ夢を見届けてくれませんか? とお願いをしに行く立場なんですよ。ここは僕が直接行かなきゃあ」

 

「よくわからないが、そういうものなのかい?」

 

「そういうものですよ」

 

「いささか他人行儀な気もするが……」

 

 

俺達はそんな話をしながら開けっ放しの本部入り口を抜け、カウンター裏の従業員入り口へと向かう。

 

 

「あ、ご主人様、奥方様! おはようございます! チキンさんなら奥に!」

 

「おはようございます!」

 

「おはざます!」

 

 

もう何度も会っているからか、カウンターの面々もローラさんが来たぐらいでは取り乱したりはしない。

 

昔は貴族のお姫様ってことで皆本気で怖がっちゃって大変だったな。

 

若干気軽すぎるような奴もいた気がするが、まぁいいだろう。

 

スイングドアのようになっている入り口を抜けて、人が二人すれ違えるような広さの廊下を進んでいく。

 

 

「しかし、こんな前々日に急に誘っても迷惑になるんじゃないかい?」

 

「あ、いや日程は前々から言っておいて開けてもらってあるんですよ」

 

「ならその時にチケットを渡しておけばよかったんじゃあ……」

 

「元々五階の特別席は身内だけなんでチケットはなしの予定だったんですよ、でもそれじゃあ味気ないかなと思って作ってもらった物なんです」

 

「君は本当に凝り性だよな」

 

 

ローラさんは苦笑しながら左手で魔法陣を描き、灰皿代わりにしている小物入れの魔法の中へと煙草の吸殻を放り込んだ。

 

 

「やあ、着いたな。外から見れば大きい建物だが、中は狭いものだ」

 

「敷地面積だけならうちの家の方が大きいかもしれませんね」

 

 

言いながら扉をノックすると、中から「どうぞ」と声がかかる。

 

扉を開けて中に入ると、目の下にでっかいクマのできたチキンと、モコモコの髪の毛が机の形にべっこり凹んだ羊人族のトロリスが出迎えてくれた。

 

 

「いらっしゃいませ、ご主人様、奥方様」

 

「お疲れ様」

 

「お邪魔するよ」

 

 

机の上には色とりどりの布や糸が散乱している、どうもチキンが経営する服屋関係の打ち合わせをやっていたらしいな。

 

 

「服屋さん、うまくいってないの?」

 

「いえ、客入りはぼちぼちなんですが、どうにもコートの売れ行きが悪くて……」

 

「真冬にコート買い足す人はそういないんじゃない?」

 

「まぁ~その、来年に向けての準備と言いますか」

 

「徹夜もほどほどにね」

 

 

一応二人には再生魔法をかけてやる。

 

 

「あ、こりゃどうも、ありがとうございます」

 

「助かります」

 

「そんでさ、今日はこれを渡しにきたんだよ」

 

 

俺がそう言ってチケットを渡すと、チキンはまじまじとそれを見てからニコリと笑った。

 

 

「手ずから届けて下さったんですか?」

 

「まぁね。チキンにも随分骨を折ってもらった事だし」

 

「そんなもの、なんでもありませんよ。でも、ありがとうございます」

 

 

彼女はそう言って、小さく礼をした。

 

 

「それで他の奴らにも渡したいんだけど、居場所わかる?」

 

「シーリィとハントは食堂に、冒険者組はメンチさんが迷宮に行っているはずですけど、他の人はちょっと……」

 

「そうか、ありがとう。メンチの分だけ、帰ってきたらチキンから渡しておいてくれる?」

 

「かしこまりました」

 

 

彼女にもう一枚チケットを渡した俺達は部屋を後にし、すぐ近くの食堂へと向かった。

 

昼過ぎという時間もあってか食堂は人も少なくマッタリとした空気で、料理人のシーリィとハントもお喋りをしているようだった。

 

 

「シーリィ、ハント、今いいか?」

 

「あっ、ご主人様……奥方様、お疲れさまです!」

 

「お疲れさまです!」

 

 

今やシェンカーの料理番の名をほしいままにするこの二人、ピンク髪のシーリィは未だに独身のままだが、緑髪のハントの方はこの間懐妊してもう少しお腹が大きくなってきている。

 

 

「お疲れ様、今日はこれを渡しに来たんだ」

 

 

そう言ってチケットを手渡すと、二人はちょっとホッとしたような顔をした。

 

まぁ雇い主がアポ無しでいきなり来たら「何しに来たんだ?」って思うわな。

 

 

「あ、チケットですか。ありがとうございます!」

 

「明後日、楽しみにしてます」

 

「うん、よろしくね」

 

 

そのまま立ち去ろうとした俺の背中を、ローラさんの指がちょいとつついた。

 

あ、そうか。

 

冒険者組のいそうな場所について聞かないと。

 

俺はシーリィとハントに向き直り「チキン以外の幹部達のいそうな場所ってわかる?」と尋ねた。

 

 

「え? えっと~……」

 

「誰かー! 幹部さん達のいそうな場所知ってる人いないかしら!?」

 

 

ハントのその問いかけにしばらくシンと静まり返っていた食堂から、痩せぎすの山羊人族がこちらへやって来た。

 

 

「ヤシモか、久しぶり」

 

「どうもどうもご主人様、奥方様。ロースさんですけど、同室の子が今日飲みに連れてって貰うって言っていたので今ならシェンカー通りの中の店で飲んでると思いますよ」

 

「この通りの中にいるってこと?」

 

「ロースさん休みは昼から飲みますし、最近は人連れて飲む時はツケが効くシェンカー通りで飲んでるらしいんですよ」

 

「あいつツケで飲んでんのか」

 

 

そこそこ給料は払ってるはずなんだがな……

 

まあいいか、とりあえず探すとしよう。

 

ヤシモに礼を言って、俺とローラさんはMSG(マジカル・シェンカー・グループ)本部を後にしたのだった。

 

 

 

赤毛の酔っぱらいロースは、探し始めてから四軒目の飲み屋で瓶を抱くようにして酒を飲んでいた。

 

そこはマンションの一室を使った店で、ちょっと薄暗いが店内には煮物のいい匂いが充満していた。

 

 

「あれぇ? 坊っちゃんと奥方様じゃないですか。珍しい、お二人で飲みに来たんですか?」

 

「そんなわけないだろ」

 

「あんた達、ちゃんと出てきて挨拶しな」

 

 

カウンターに座っているロースが店の奥側に向かってそう言うと、薄暗い場所から酔っぱらい女が二人顔を出した。

 

 

「ロースの姐さん、ご主人様が来られたんですか……? お疲れさ……え? 奥方様っ!?」

 

「えっ! なぜこのようなむさ苦しい店に! どうぞこちらへお座りになってください!」

 

「あたしの店のどこがむさ苦しいって!?」

 

 

俺の後ろに立つローラさんの姿を見てテンパった酔っぱらいの顔に、店主の手から飛んだふきんがボスンと当たった。

 

豪快な店だな。

 

 

「それより、お前ツケで飲んでるんだって?」

 

「へっへっへ、シェンカーの店なら代金全部チキンのとこに持っていって勝手に給料から引いてくれるんで、ツケの方が楽なんですよ」

 

「なんと横着なことを……」

 

「それで、何か食べますか? ここの酒は水で薄めたようなものばっかりですけど、煮物は美味いですよ」

 

「薄めてねぇわ! バカタレが!」

 

 

カウンターの向こうからそんな言葉と共に木のコップが飛んできて、ロースの頭にスコンと当たった。

 

訂正、荒っぽい店だ。

 

 

「酒はいいよ、これ渡しに来ただけだから」

 

「えぇ? なんですかこれ?」

 

「明後日の劇場のチケットだよ」

 

「こりゃあまた、わざわざ持ってきて頂いてすみません」

 

 

ロースはふにゃふにゃとそんなことを言いながら、チケットをコートの内ポケットの中にしっかりと仕舞い込んだ。

 

 

「お前、当日酒は禁止だからな」

 

「わかってますよ」

 

 

話は終わったし、踵を返して店を出ようとした所でローラさんに上着の裾を摘まれた。

 

 

「あ」

 

「君も大概忘れっぽいな」

 

 

そうかそうか。

 

ピクルスかボンゴの居場所を聞かないとな。

 

 

「ロース、ピクルスかボンゴの居場所知らないか?」

 

「今日は二人とも休みなんで、どっかそこらへんにいると思いますよ。ボンゴは休みの日は自炊してるらしいんで、もしかしたら家にいるんじゃないですかね」

 

「ボンゴってどこの尞だっけ?」

 

「北に三本向こうの青槍尞ですよ」

 

「青槍ね……ありがとう、行ってみる」

 

「邪魔したね」

 

「お気をつけて~」

 

「お気をつけて!」

 

「お気をつけて~!」

 

「またいらしてください!」

 

 

酒瓶と共に手を振るロースとその仲間たちに見送られ、俺達は酒場を後にしたのだった。

 

 

 

ボンゴの住む尞の入り口は、入り組んだ小路の中にあった。

 

古く小さな建物が密集するように建っている通りのど真ん中に、二階建てで築浅の尞があるのはなんだか不思議な感じだ。

 

 

「なんでわざわざこんな狭いところに尞を立てたんだい?」

 

「こんな場所でも、本部に近くて好立地なんですよ」

 

 

なんて話をしながら寮を見上げていると、ちょうど中から人が出てきた。

 

買い物にでも行くのだろうか、手提げ袋を持った猫人族の女の子は俺とローラさんの姿を見て数秒間停止し、ガバっと頭を下げた。

 

 

「…………あ、ご主人様、奥方様、こんにちは!」

 

「はいこんにちは」

 

「うん」

 

「ボンゴいる?」

 

「いますよっ! ボンゴ〜! ご主人様と奥方様が〜!!」

 

 

女の子はでっかい声でそう叫びながら寮へと戻って行った。

 

こけるなよ〜。

 

 

「…………こ……ちゃ」

 

「はいこんにちは」

 

「よく言っている事がわかるな」

 

「なんとなくですけどね」

 

 

尞から出てきたエプロン姿のボンゴは、俺達のそんなやりとりに小さく首を傾げている。

 

昔はもう少しわかりにくかった気がするんだが、出会ってからの七年でボンゴも随分表情が豊かになったからな。

 

 

「今日は何してたんだ?」

 

「…………り……よ」

 

「ああ、料理か」

 

「…………ね……ず」

 

「ねず? なんだろ?」

 

 

まあ、わからない時はわからないものだ。

 

俺は懐からチケットを一枚取り出して、ボンゴに差し出した。

 

 

「これ、明後日のチケット」

 

「…………あ……り」

 

 

ボンゴはチケットの裏表をじっと見て、そのままエプロンの大きなポケットに仕舞い込んだ。

 

 

「ピクルスはどこにいるかわかる?」

 

「…………」

 

 

ボンゴは無言のまま、両手で弓矢を引く仕草をした。

 

 

「弓の練習?」

 

「…………」

 

 

俺がそう聞くと、ボンゴはコクリと頷いた。

 

ボンゴって、喋るのが苦手とか以前に、多分そもそも無口なんだよな。

 

俺は彼女に礼を言い、頭を撫でてから尞を後にした。

 

 

 

練兵場と言えば、以前は劇場建設予定地で訓練をしていたのだが、今現在は劇場が建っているため場所を移動している。

 

劇場建設予定地は街の中央部である中町にあり超好立地だったのだが、移動した先は都市のはずれの壁際だ。

 

別に現場から文句が出たとも聞いていないが、たま~に見に行く俺からすれば地味に辛い。

 

さすがに街の端ともなると、何かのついでにぶらっと視察というわけにはいかないからな。

 

そんなちょびっとアクセス難になった()練兵場では、槍と掛け声ではなく、白い野球ボールが飛び交っていた。

 

 

「なんで練兵場で野球をやってるんだろうか?」

 

 

白い煙を吐きながら、ローラさんは不思議そうにそう呟いた。

 

 

「実はここ、移動した時に練兵場から運動場(・・・)に名前が変わったんですよ」

 

「運動場?」

 

「MSGも、もう冒険者だらけってわけじゃないですから。もちろん冒険者優先ですけど、使ってない時はここで自由に運動していいって事になったんですよ」

 

「ふぅん、それで野球をやっているわけか。しかし、訓練場を遊びに使うなんてのは軍では絶対に出てこない発想だね」

 

「平民は気軽に街の外に出るってわけにはいかないですから、こういう場所があると意外と重宝するんですよ。さて、ピクルスはどこかな……?」

 

 

グラウンド付きの小学校ぐらいの敷地がある運動場を見回すと、のびのびとキャッチボールをしている連中の奥の方で的に向けて弓を引いているケンタウロスのピクルスの姿が見えた。

 

あいつ、飛び抜けて背が高いからどこにいてもすぐにわかるからいいよな。

 

枯れ草の積んである運動場の端っこを歩いて、馬体から白い湯気を上げるほど頑張っているピクルスの元へと近づいて行く。

 

 

「おーい! ピクルスー!」

 

「あっ! ご主人様! 奥方様! お疲れさまです!」

 

「お疲れ様」

 

「うん」

 

 

練習用に引いていたんだろうか、普通サイズの木の弓を降ろした彼女はパカパカと音を立てながらこちらへ向き直った。

 

 

「これ、明後日のチケットできたから」

 

「えっ! 持ってきて頂いたんですか!? すみません!」

 

 

彼女は手の汗を拭ってから、チケットを恭しく受け取った。

 

 

「前にも話したけど、悪いけど当日は開場前に入って閉場後に出てもらうことになるから」

 

「わかってますよぅ」

 

 

ケンタウロスは巨体だ、普通のお客さんと一緒に出入りするとトラブルになるかもしれないからな。

 

背もめちゃくちゃ高いから一番後ろの席の更に後ろしか無理だし、そもそも席に座れない。

 

ピクルスもこれまで劇場のような建物には入ったことがなかったそうで、プレオープン公演の時はかなり感激していたようだ。

 

 

「いよいよ明後日ですねぇ、楽しみです」

 

「ああ、楽しみにしててくれよ……」

 

「楽しみで……あれ? どうかしました?」

 

「…………」

 

 

ふと、吹き付ける風に吹かれる彼女の尻尾が、ずいぶんと長く艷やかな事に気づいた。

 

昔はもっともっと、細くボサボサで、小さかった。

 

見上げるような体躯は同じままだが、今の彼女は十歳の頃とは違い、街のどんな人からも見上げられているだろう。

 

思えば、このケンタウロスのピクルスは、正真正銘俺の夢の第一歩だった。

 

今俺の下で働いてくれている人間達も、シェンカー通りのビル群も、あの劇場も、この運動場も、俺と彼女の二人で始めた事業で手に入れたものだ。

 

俺は彼女の馬体を手でポンと叩き、顔を見上げながら語りかけた。

 

 

「なあピクルス……あの劇場見ただろ。俺達、やったよな」

 

「俺達じゃあありませんよぅ、サワディ様のお力ですよ」

 

「いいや、俺達(・・)だよ。俺とお前で始めたんだよ」

 

 

擦り減って、傷がついて、ちょっと歪んだようにも見える、あの日の眼鏡の奥から……あの日とは全く違う、強さを秘めた瞳がじっとこちらを見つめていた。

 

 

「私は……サワディ様の剣ですから」

 

「そうか」

 

 

だから全ては、剣を使う俺の功績だと言いたいのだろう。

 

そうだよな。

 

俺が始めた事なのだから。

 

天に昇っても、ドブに落ちても、全てを背負うのは俺なのだ。

 

でも、だからこそ。

 

あの十歳の俺の最初の剣として働いてくれた彼女に、どうしても感謝せずにはいられないのだった。

 

 

「剣ね、だとすれば天下の名剣だな。君、大事にしたまえよ」

 

「もちろんですよ」

 

 

なんだか嬉しそうにそう言ったローラさんは、ちびた煙草を根本まで吸い込んだ。

 

乾いた風が砂埃を巻き上げ、白い煙と混ざって消えていく。

 

 

「ところで……あの劇場の『ジェミニ』って名前には、何か由来でもあるんですか?」

 

 

渡したチケットをまじまじと見ていたピクルスが、風の音の中でそう聞いた。

 

 

双子座(ふたござ)さ」

 

 

そんな俺の答えを聞いて、彼女は生まれて初めて麦粥を腹一杯食べた時のような、いい笑顔で笑ったのだった。




めちゃくちゃ勉強したのに資格試験落ちてマジで寝込みました


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第101話 麗しき 女の影に 悩みあり 前編

サクっと書くつもりが前後編になっちゃった。

D君の昔の学校の友だちの回復令嬢の話です。

口調めちゃくちゃ難しくて、途中で「チョコが一番ですわ」に思えてきて後悔しましたのでございますわ。


夫の休みに合わせて久々に戻ってきたトルキイバの街は、すっかり様変わりしていました。

 

魔導学園の時計塔の上から見渡せば麦畑の果てまで見渡せたこの街も、今では背の高い建物が随分と増えて空が賑やかに。

 

王都からだって見える気がするトルキイバの巨人も、領主のスノア家のサロンよりも人気だとかいう野球場なる場所も、私がこの街に暮らしていた頃は影も形もなかったもの。

 

実家の父からそれらを全て作ったのが私の同級生であるあのサワディ・シェンカーだと聞かされてからは、彼に対する考えも少し変わりました。

 

才能はありながらも大義を見いだせぬ俗な男だと思っていましたが、どんな徒花にも咲くべき場所はあるものですわね。

 

それにしても、私がそんな彼の作った劇場のお披露目公演に行くことになるだなんて、学生の頃には思いもしませんでしたわ。

 

 

「君は今日行く劇場のオーナーとは同級生なんだっけ?」

 

「そうですわ、シェンカーとは薬学と造魔学で道は違えましたけれど、いつも再生魔法の成績では競い合っていましたの」

 

 

劇場へと走る馬車の中、隣へ座る夫が興味深そうに聞くのに答えると、彼は「再生魔法か……そういえば、陸軍の方でそんな噂があったな……」と呟いて窓の外を向いてしまいました。

 

一体どんな噂なのかしら?

 

少しだけ疑問に思い、夫へ問いかけようとした私に、向かいの席に座る父から声がかかりました。

 

 

「エルファや、サワディ氏は今はシェンカーではなくスレイラ姓だよ」

 

「あら、そういえばそうでしたわね。気をつけませんと」

 

 

そういえばシェンカーは王都から来た元軍人の方と結婚したのでしたわね。

 

芝居狂いの平民三羽烏の一人だった彼も、今や貴族で劇場のオーナー。

 

そう考えると、彼が薬学でなく造魔学を選んだのは成功だったのかしら?

 

いえ、彼の才能があれば薬学でも同じように成果を出したはずですわね。

 

 

「エルファごらん、あの白い劇場がそうだよ」

 

「あら、劇場は普通の大きさですのね」

 

「あの巨人のように歩いたりもしないさ」

 

 

大きいものばかり作っているシェンカーだけれど、なぜ一番こだわっていた劇場は普通の大きさで作ったのかしら?

 

 

「さあ着いたぞ、さっそく向かおうじゃないか」

 

「お姫様、お手を拝借」

 

「あら、ありがとう」

 

 

先に馬車から降りた夫のエスコートで外へ出ると、いつの間にか街には少し時期外れの雪がちろちろと振り始めていました。

 

中が少しは暖かいといいのだけれど、と思いながら白い息を吐き、ふと上を見上げれば、何やら蜘蛛のように足の多いバイコーンの石像がこちらを見下ろしています。

 

そういえば、昔から少し趣味の悪いところがありましたわね。

 

 

「そういえば、お父様はどこでサワディ氏の劇場の幕開け公演に招かれるような仲になったのかしら?」

 

「お前も知っての通り、我がランツァ伯爵家は野球チームを持っていてな。サワディ氏はかの競技の考案者だろう?」

 

「単なる球遊びなのでしょう? なぜお父様のような方が夢中になるのかしら」

 

「これがなかなか奥深いものなのだよ。なぁウィーゴ君(むこどの)、そう思わないか?」

 

「昨日一日練習と試合に参加させてもらいましたけれど、たしかに楽しいものでした」

 

「そうだろうそうだろう、君の背番号はずうっと空けておくから、また付き合ってくれたまえよ」

 

「是非」

 

「まあっ! お父様、私の旦那様をお父様の趣味に引っ張り込むのはやめてくださいまし」

 

 

入婿の夫と父の仲が良いのはこの上ない事なのですけれど、妻を買い物にも連れて行かず放っておくような趣味にのめり込んでしまうのは良くない事ですわ。

 

そんなことを話しながら開けっ放しの入り口を通ると、暖かい空気が頬を撫でました。

 

外と同じように白く塗られた劇場内はまるで王都の歴史ある劇場のような古典的な装飾に設えられているのに、その中に夥しいほどの造魔や魔具が設置されているのが不思議な印象。

 

二階まで吹き抜けのホールを煌々と照らす豪奢な照明も、控えめな音量で心浮き立つような音楽を流している平べったい板も、客席へと続く扉の上に据え付けられた『上演中』と書かれた看板も、全て普通の物ではありませんわ。

 

なるほど……ここは正真正銘、造魔学者サワディ・シェンカーの城というわけですのね。

 

 

「じゃあ、入ろうか。私達は一番上の四階席だよ」

 

「ええ」

 

 

受付を済ませたお父様に続いて、私と夫も受付横にある入場門を通って先へと進みます。

 

私達が招待されたのは部屋のようになっている特別席ですから、いちいち人数分チケットを見せる手間がなくて煩わしさがなくていいですわね。

 

入場門から少し進んだ先にある二階へ上がる階段の方では、色とりどりのドレスを着た令嬢達とそれをエスコートする殿方達がキャアキャアと楽しそうに騒いでいました。

 

何か特別な意匠を凝らした階段なのかしら?

 

 

「お? おお、あれはどうなっているんだ?」

 

「階段が動いていますね」

 

「階段が動く……? ああ、人が沢山いらして見えませんわ」

 

「エルファ、抱っこして見せてあげようか」

 

「御冗談! お父様、(わたくし)もう十七ですのよ」

 

「まあまあ、もうちょっと進めば君にも見えるさ」

 

 

背の高いお父様と夫には何かが見えているようなのですけれど、私からは人が階段を上がっていく様しか見えませんわ。

 

でも何かしら?

 

たしかに足を動かしていないようにも見えますわね。

 

 

「階段に乗ったら歩かないでくださーい。降りる時は足元を見て注意して降りてくださーい」

 

 

階段の前では仕立てのいい黒い服を着た劇場の従業員がよく通る声でそんな事を言っています。

 

混雑する階段に近づいて列に並ぶと、どんどん列は前に進んでいきます。

 

 

「あらっ、本当に階段が動いていますわ」

 

 

近くまで来ると、人が立ち止まったまま上の階に運ばれていくのがわかりました。

 

音もなくスルスルと人が動いていく様は、なんだか見ていて不思議なものでした。

 

凄まじいですわねシェンカー、こんなものまで作り出してしまうだなんて。

 

 

「さて、どんなものかな……」

 

 

こわごわとした足取りで最初に階段へと乗った父に続いて、夫と私も動く階段の上に乗りました。

 

階段は何の振動もなく、ただ私達を上の階へと連れて行ってくれます。

 

階段と一緒に動く手すりに身を乗り出し、こわごわと階段の下を見てみると、隣に立っている夫が「危ないよ」と私の肩を引きました。

 

彼が指差す先には、自動階段と普通の階段を隔てるように作られた壁があって、その壁には身を乗り出さないようにとの注意書きとクッションのようなものが取り付けられています。

 

誰かが頭を打ったのかしら?

 

 

「足元を見ながら降りてくださーい。降りたら立ち止まらず進んでくださーい」

 

 

降り口にも従業員がいて、誘導をしてくれているようね。

 

誘導に従って降り口で降り、もう少し階段の動きを見たいというお父様に付き合って少し離れた所から動く階段を見物します。

 

 

「これは実に便利な物だなぁ、うちの家にも欲しいとは思わんかね?」

 

 

お父様はそんな事を言いながらニコニコしていますけれど、こんな大掛かりなものを家で使うとお金がかかってしょうがないんじゃないかしら?

 

私も小さな家とはいえ夫との暮らしの会計を任されたからお父様の乱費ぶりがわかるようになったのだけれど、きっとお母様も苦労なさったのね。

 

 

「凄いわよねぇ、動く階段だなんて」

 

「この劇場のオーナーのサワディ・スレイラだっけ? あの人、あんなおっきな造魔が作れるんだから、きっとこういうものも簡単に作れるのよ」

 

「これ、うちにも欲しいわぁ」

 

「ねぇねぇ、もう一回乗りましょうよ」

 

 

きゃあきゃあと騒ぐ令嬢達がそんな事を話しながら、一階への階段を小走りで降りて行きました。

 

あら、ああいう方が何度も乗るから混雑していたのね。

 

 

「お父様、早く席に参りましょう」

 

「まぁ待ちなさい……ああそうだ、あの喫茶店で飲み物でも買ってきてくれないか」

 

 

そう言ってお父様が指差した先には、この街では有名な喫茶店がありました。

 

緑と白の内装が爽やかなアストロバックス、そういえばこの店もシェンカーの経営する店なのでしたわね。

 

 

「嬉しいわ。この店、一度入ってみたかったんですの」

 

「有名な店なのかい?」

 

 

不思議そうにそう聞く夫に、なんと返していいかちょっとだけ迷いました。

 

 

「……この街では、ですわね。サワディ氏の経営する庶民向けの喫茶店ですの」

 

「庶民向けの喫茶店? ああ、だから知っているのに入ったことがなかったのか」

 

「そうなんですの。使用人などから話を聞くばかりで……」

 

 

当時は私からの薬学研究室への誘いを断ったシェンカーに対する反感もあった事ですし……

 

普通にお店に入る貴族の子がいることも知っていましたけれど、私はなんとなく行く気にはなれなかったのです。

 

 

「じゃあ今日はここに来て良かったじゃないか」

 

「そうですわね。噂に聞いていた、白くてふわふわした飲み物を頂いてみる事にいたしましょうか」

 

 

私は夫と共に令嬢達の並ぶカウンターへと、思わず弾みそうになる足をことさらゆっくりと踏み出したのでした。

 

 

 

『特別席のお客様は席番号をお教えくださいませ』と書かれた看板に従ってその旨を申告すると、特別席の場合は席まで飲み物を持ってきてくれるそう。

 

特別席の料金には飲食費も含まれているとの事で、お金を出さずに済んだのも煩わしくなくて良かったですわ。

 

別にこのような場所で特別扱いされたいというわけではありませんけれど、便利な事は嬉しい事ですし。

 

階段の近くへ戻ると、お父様はまだ動く階段に夢中のようでした。

 

 

「お父様、いい加減にしてくださいまし。席へ参りましょう」

 

「あ、そうだね。そろそろ行こうか」

 

 

四階の席を目指して、二階から三階に上がる動く階段に乗ります。

 

こちらでも昇っては降りてを繰り返している方々がいらっしゃるようですけど、一階よりはマシですわね。

 

 

「ふぅん、この階は絵画の展示をやっているのか」

 

「この逆立った真っ赤な髪の女性は誰でしょうね、ここの劇団の役者でしょうか?」

 

「案外、なんでもない人物の絵かもしれませんわよ」

 

「いやいや、彼女は野球選手さ」

 

「野球選手? なぜそんな方の絵を……?」

 

 

まあ、シェンカーは学生の頃も自分で書いた劇を素人の役者に演じさせていたという噂を聞いたことがありますし……

 

こういう所に飾る絵画でも、あまり格式とか体裁にこだわりがないのかしら。

 

一応ざっと見て回りましたが、特別目玉になるような名画や高名な画家の絵があるわけでもなく。

 

大きな弓を天に向けるケンタウロスの絵画を熱心に見ている方もいらっしゃいましたけれど、正直言って良くも悪くもない普通の絵が沢山あるだけでしたわ。

 

壁に何もないと寂しいから、とりあえず飾ってあるだけなのかもしれませんわね。

 

 

「君、この絵は買い取れるのかね?」

 

「可能です、よろしければ一階のカウンターで終演までお取り置き致しましょうか?」

 

「ああ、そうしてくれ。これと、そちらの鳥人族の絵を」

 

 

と思っていたら、何やらお父様が従業員とそんな話をしていました。

 

 

「お父様、何かいい絵がございまして?」

 

「ああ、この絵はいいぞ。これまで二度しか登板機会のなかった大蠍団(スコーピオンズ)の制服を着た時のローラ・スレイラ女史と、まだリーグ戦開始以前の雛形の野球服で投球する魔術師ボンゴの絵だ」

 

「ローラ・スレイラ女史というとサワディ・スレイラ氏の奥方ですわよね? そのボンゴという方は? 鳥人族ですわよね?」

 

「いやいや、魔術師と言っても魔法を使うわけじゃあなくてね。彼女はマウンド上の魔術師でね、い~い選手なんだ。リーグ戦開始前からの野球ファンはね、みんな彼女の投球を食い入るように見つめたものさ」

 

 

よくわからないですけれど、本当にお父様は野球というものに夢中ですのね。

 

でも、同じような殿方は他にもいらっしゃるようで、お父様の言った絵が壁から外された時は遠くから残念そうな「あぁ……」という声が上がりました。

 

その声を聞いてか聞かずか、お父様はめったに見ることがないようなご機嫌な足取りで四階への動く階段を一段飛ばしで昇っていきます。

 

そんなお父様ですから、四階を埋め尽くすように設置された一面の野球の展示には大変にお喜びで、もう飛びつかんばかりに走って行ってしまいましたわ。

 

 

「これは凄いぞ! さすがはスレイラ家、よくわかっているものだ」

 

「もう、お父様ったら……」

 

 

絵と字が壁の果までずぅっと続く読み物の展示には殿方達が熱心に張り付いていて、あまり興味のなさそうな奥様方や私のような娘はそれをちょっと遠巻きに見ている状況でした。

 

全く、今日は観劇に来たってことを忘れてしまったのかしら。

 

もう先に席に行って座ってようかしら……

 

そんな事を考えていた私を、楽しげな夫の声が呼びつけました。

 

 

「エルファ、ちょっと来てごらん」

 

「どうされましたの?」

 

「ほら、これ」

 

 

夫が指をさした先には、ガラスケースに陳列された銀の時計がありました。

 

時計は高級品ですけれども、今や平民でも裕福な者は普通に持っているもの。

 

夫が気にするようなものとは思えませんでしたが……

 

なんと彼が指差したその時計は、木で作られた人の腕の手首に巻かれていました。

 

 

「まあっ、変な時計」

 

「これもサワディ氏が考えたのかな? いちいち懐から取り出さなくても見れるなんて、軍人が気に入りそうな実用品だけど」

 

「時計職人カシオペア作、腕時計(・・・)と書かれていますわね。腕に付けるから腕時計って事なのかしら? こんな不格好なものが売れるわけありませんわ」

 

「そうでもないんじゃないかな? 僕は一つ買ってみてもいいかと思うんだが……」

 

「いけません。カシオペアなんて職人は聞いたこともありませんし、きっとすぐに動かなくなりますわ」

 

「そうかなぁ……」

 

 

諦めきれない様子で頭をかく夫ですけれども、変な物とはいえ時計ですから値も張りますし、一家の会計を任された者としてこの出費には首を縦に振ることはできませんわ。

 

お金遣いの荒いお父様だって、こればかりは駄目と言うはず……

 

 

「君、これも一つもらおうか」

 

「あっ、お義父さん」

 

「あら」

 

 

と思っていたら、いつの間にか私達の隣に来ていたお父様が満面の笑みでそのヘンテコな時計を指差していました。

 

引き連れていた従業員は蠍の刺繍の入った真っ赤な服や、何に使うのかもわからないような木の棒や革の手袋を両手一杯に抱えています。

 

ああ、お母様の積年のご苦労が今、身に沁みてわかった気がしますわ……

 

 

「君たち、この時計はね、革新的な構造なだけではなく、裏側には蠍、文字盤には貴族リーグ発足記念日の彫金が……」

 

 

嬉しそうに解説するお父様を無視して、私は夫の手を引いて自分達の席へと向いました。

 

お父様は素晴らしいお方ですけれど、夫には真似をしてもらいたくない部分もありますわ。

 

そういう時は悪影響を受ける前に、きちんと私が引き離しませんと。

 

 

 

 

「まあ、いい席ですわね」

 

「本当だ」

 

 

夫の手を引いてやってきた私達の特別席は、舞台のほとんど真正面。

 

普通の席の上に中二階(スキップフロア)として作られている個室型の特別席からは、四階席のお客さん達の頭頂部と舞台しか見えません。

 

椅子も座り心地の良さそうなソファですし、真ん中にはテーブルがあって、さっき注文した喫茶店の商品も置かれていましたわ。

 

 

「ああ、ここからでもお茶や珈琲の注文ができたのか。用事や注文がある時はこのでっぱりを押すようにって書いてあるよ」

 

「それは便利ね」

 

 

楽しそうに席の説明を読んでいる夫を見ながら、私は昔からずうっと気になっていたアストロバックスの白ふわ珈琲を飲みます。

 

雪みたいに白くてふわふわしたものが沢山盛り付けられた温かい珈琲。

 

白くてふわふわしたものが少し溶け始めたそれに口を付けると、ほんのり甘くまろやかな味がしました。

 

 

「意外と珈琲がきちんとした味ですわね、侮れませんわ、シェンカー」

 

「ふふ……君、口の周りに白いお髭が生えているよ」

 

 

そう言われてハッと口に手をやると、苦笑した夫がハンカチで口元を拭ってくれました。

 

可愛い見た目ですけれど、飲む時は気をつけないといけないわね。

 

 

「あら、どうしましたの?」

 

 

私がまた珈琲を飲もうとすると、ハンカチを手にしたまま、いたずらっぽい目で私を見つめている夫に気が付きました。

 

 

「だめだめ、まだ口についてるよ」

 

 

小声でそう言いながら私の顎に手を寄せ、彼はゆっくりと顔を近づけてきます。

 

 

「だめよ、人に見られてしまうわ」

 

「見えないよ、特別席だもの」

 

 

あら、そういえばそうでしたわね。

 

隣の特別席との間には壁がありますし、下の普通席からはこちらは見えませんし、上は……あらっ!?

 

三階に飾ってあった絵に描かれていた、真っ赤な髪の女性が今上から覗いていたような……見間違いかしら?

 

 

「可愛いエルファ、僕だけのお姫様」

 

 

見間違いよね、四階が最上階なのだもの。

 

私は夫の首元に手を回して、ぎゅっと引き寄せました。

 

開演までの少しの時間ですけれど、こっちに来てから久しぶりの夫婦水入らずですもの。

 

お父様……今少し野球に夢中でいてらしてね。

 

上演のベルが鳴って部屋にお父様が駆け込んでくるまで、私達は束の間の戯れを楽しんだのでした。




欲しいスマホが色々出たんですけど、iPhone13 ProもGalaxy Z Fold 3も高すぎワロタでした。

次回、演劇本編。


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第102話 麗しき 女の影に 悩みあり 後編

開演ベルが鳴り響いた数秒後に、劇場内の照明が全て消えて暗闇が訪れ……

 

そうしてゆっくりと舞台の幕が上がり、場内に再び光が溢れ出しました。

 

 

『あなた、見てくださいこの子を。珠のような男の子ですよ』

 

『おお、なんということだ。夢にまで見た男の跡取りが! 神よ! 感謝致します! これで我がタロイモント子爵家は安泰だ!』

 

 

観客席からざわざわと困惑の声が上がりました。

 

あなたと呼ばれ、男性の服を着て、付け髭をつけたその役者はどう見ても女の人だったからです。

 

 

『ですがあなた、跡取りはレニッツでは……』

 

『レニッツはどうしても男子に恵まれなんだこの家の跡取りとするため、男として育て暮らさせてきた。だが男の跡取りができた以上はそれも不要だ、女としての幸せを掴ませてやらねば』

 

『ですが、それであの子は納得するのでしょうか?』

 

『この国の貴族家当主は男のみと定められておる、元々男が継ぐ事こそが正道。それに今はまだこの私がタロイモント子爵家の当主、当主のすることは全て子爵家のためになることだ。それに歯向かうような育て方はしておらぬ』

 

『そうでしたらよいのですが……』

 

 

話が入ってきませんわ。

 

あの男装の女役者に関しては何の説明もありませんの?

 

 

『レニッツ、お前の結婚が決まった』

 

『おお父上、私の結婚相手とはいったいいかなご令嬢であろうか?』

 

 

今度は光を照り返すきらびやかな衣装を纏った、男装の麗人が舞台へ出てきました。

 

この方は男役? 女役?

 

男のふりをしている女を演じている男っぽい女なのかしら?

 

 

『令嬢ではない、立派な紳士だ。先程当家にも念願の男の嫡男が生まれた。お前ももう無理をして男のふりをする必要はない、ジンネンジョ子爵の後妻として嫁に行くのだ』

 

『ジンネンジョ子爵!? 父上よりも年上ではありませんか』

 

『それがどうした? 立派な方だ。お前は私の言うとおりにしていればよい』

 

『……お断り致します』

 

『なんだと?』

 

『私は生まれた時から武芸百般、芸事に勉学、次期当主になるために色々な事を仕込まれて参りました。だから家の事を思えばこそ、弟が生まれたと言うならばその地位を明け渡す事に異存はありません。しかし次期当主でないのだとすれば、私は女として、好色で悪辣なことで有名なジンネンジョなどに嫁ぐつもりはないのです』

 

『貴様レニッツ、当主である私の命令が聞けないと言うのか?』

 

『聞けませぬな』

 

『聞けい』

 

『聞けませぬ』

 

『聞けい聞けい』

 

『聞けませぬ聞けませぬ』

 

『どうしても聞けぬというのか?』

 

『どうしても聞けませぬな』

 

『ならば……お前は追放だ! 二度とタロイモントの名を名乗ることは相許さぬ! 者共! 出会え出会えい! この者を我が領から追い立てよ!』

 

『追放だ~♪』

 

『追放だ~♪』

 

 

会場からどっと笑いが起きました。

 

だって子爵役の号令で舞台に飛び出してきた役者全員が女性だったんですもの。

 

 

『槍を持て、追い立てろ♪』

 

 

銀の鎧を着込んだ騎士達も女、せかせかと走り込んできた執事役も女。

 

 

『やめて~♪ 私達のおひい様を~♪』

 

 

そしてやけに豪奢な服を着たメイド達ももちろん女。

 

ということは、この劇団はきっと女の人だけの劇団ですのね。

 

 

『姫だったのは~ついさっきまで♪ 今はただの男装の女~♪』

 

『城から出せ♪』

 

『街から出せ♪』

 

『遠く♪ 遠く♪ 故郷を離れ♪』

 

 

騎士達に脇を固められた主人公が舞台の中央で足踏みをしていると、後ろの絵が城から街へ、街から農村へとパッと切り替わっていきます。

 

さすがは芝居狂いの作った劇場、見たこともない舞台装置ですわね。

 

 

『土地から出せ♪』

 

『果ての果てへ♪』

 

『魔物潜む♪ 荒野の果てへ~♪』

 

 

ついに主人公は着の身着のまま荒野へと放り出されてへたり込んでしまいました。

 

赤茶けた荒野の中で女一人、一体どうするというのでしょうか。

 

 

『跡取りとして、男として育てられた家を出され、愛していた民達に故郷を追われ、今私に残るものは服一枚と金貨数枚』

 

 

当主の意に逆らったとはいえ、かわいそうですわ。

 

私ならば一人で心細くて泣いてしまうかも。

 

 

『だが、この胸に宿る清々しさはなんなのだ……? 私はこれまで、こうして故郷を離れる事を望んでいたとでもいうのだろうか?』

 

 

地面に座り込んでいた彼女はそう言って、天を仰ぎ両手を広げました。

 

 

『あの赤くそびえる山にも、深い深い森にも、空と大地の狭間にも、これから自由に行けるのだと思うと、胸の高まりを抑えることができない』

 

 

貴族としての屈辱にまみれた場面のはずですのに、劇伴はなぜか勇壮な曲で、まるで主人公の旅立ちを祝っているよう。

 

曲に乗せて、彼女が仰いだ空の背景に次々に文字が浮かび上がります。

 

【『もう遅い』】

 

【脚本:メジアス】

 

【劇団:シェンカー歌劇団・白光組】

 

【総合演出:ディディ・サワー】

 

【主演:夜霧のヨマネス】

 

やはりというかなんと言いますか、主演の女性は名前も聞いたことのない方でしたわ。

 

普通、こういう晴れの日の公演には主演ぐらいは有名な方をお呼びしてくるものではないのかしら?

 

それにしても、あの文字の演出はどうなっているんでしょうか。

 

本当、力を入れる場所がチグハグな演劇ですこと。

 

 

『そこな若者、こんな僻地で空を見上げてどうなされた?』

 

『兄ちゃん、ここは魔物が出るから危ないぜ』

 

 

天を仰いでいた主人公の元に、剣を担いだ若者と弓を背負った老人の冒険者が現れました。

 

もちろん二人とも男装をした女性です。

 

 

『実は、さる事情から家を出されて途方に暮れていたのだ。お二人は?』

 

『俺達か? 俺達二人は冒険者さ』

 

『さよう、自由と危険と名誉を愛する、誇り高き冒険者であるぞ』

 

『冒険者。冒険者か!』

 

 

主人公がそう言って天を仰いだ瞬間、舞台袖から革の鎧や剣を持った女性達が沢山飛び出して来ました。

 

そしてそのまま、主人公達が歌を歌うのに合わせて踊り始めましたわ。

 

野盗か何かかと思ったら踊り子だったのね。

 

 

『さ~♪ あ~♪ 剣を持て~♪』

 

『ワインとパンも~♪』

 

『自由を愛し~♪ 宝を求め~♪』

 

『正義を信じ~♪ 名誉を求め~♪』

 

『麗しの大秘境へ~♪ 恐ろしい竜の巣へ~♪』

 

『まだ見ぬ物求め~♪ 行こう~♪』

 

『見果てぬ夢めがけ~♪ 行こう~♪』

 

 

歌に合わせて大きな滝のある秘境や龍の巣に変わっていた主人公達の後ろの絵が、歌の間奏に入ると共にまた荒野の絵へと戻りました。

 

なんだか変な演出ですわ。

 

せっかくのメジアス氏の脚本なのですから、この演出家は変えたほうがいいですわね。

 

 

『キャーッ! どなたか助けてーっ! 魔物が! 魔物がーっ!』

 

『向こうで馬車が襲われておる、行くぞリード! 剣を抜けい!』

 

『おうよパイロン! 援護を頼むぞ!』

 

『お二人、私も助太刀しよう! 魔法は得意だ!』

 

『おお若者! 手伝ってくれるか! 名はなんと!?』

 

『我が名はレニッツ……ただのレニッツだ!』

 

『さぁ~行こう~♪』

 

『剣を向け~♪ 魔法を打て~♪』

 

『命を張って~♪ 全てを掴め~♪』

 

 

結局この後馬車に襲いかかる狼を退治した三人は冒険者として『虹の尾』というパーティーを作り、旅をしながら様々な依頼を受けて暮らしていくことになります。

 

旅の中でのレニッツ達三人の活躍はまさに英雄的と言っていいものでしたわ。

 

村を荒らすバジリスクを狩り、都市の水源を汚染する巨大ヤモリを倒し、古き廃都の守護者であるドラゴンの依頼を完遂して不老長寿の加護を受ける。

 

ずうっとドキドキワクワクするような瞬間が続いて、私はすっかりこの三人が好きになってしまいましたわ。

 

出てくる役の全てが美しく着飾った女性の役者だというのも目新しく、なんだかこれまでにない感覚の豪華さを感じます。

 

最初こそ笑いが起きたこの劇でしたが、主人公のレニッツが若き剣使いリードに女であることを白状し愛の告白をするシーンでは劇場中からため息がこぼれました。

 

 

『レニッツ、お前と俺との間に何を隠すことがあるというのだ』

 

『じゃあ聞くが、たとえば私がとある子爵家の出だったとしたらどうだ?』

 

『それがどうしたというのだ、今はお互い単なる風来坊じゃないか』

 

『ではたとえば私が、男として育てられた女だとしたら?』

 

『男でも女でも、共にバジリスクの巣に潜った我らの友情は変わらない』

 

『ではたとえば、私がお前を愛していると言ったら?』

 

『……知ってたさ』

 

 

レニッツもリードも女同士だと頭ではわかっているのに、胸がドキドキしました!

 

本当に素晴らしい役者さん達ですわ~!

 

メジアス氏のこの脚本も良作ですが、何よりもこの女性だけの劇団の完成度が素晴らしい。

 

演出も変ですけど、だんだん癖になってきたといいますか、あまり気にならなくなってきましたわ。

 

是非ともこの劇団でもっともっと色んな劇を見てみたい、そんな気持ちが止まりません。

 

結局その後夫婦になったレニッツとリードは仲間の老いた弓使いパイロンを伴って隣の国へ向かい、辺境を開拓して小さな村の領主になりました。

 

英雄たちの起こした小さな村、いいですわね……

 

 

『レニッツ、お前の実家から手紙が来ているぞ』

 

『手紙? どういう風の吹き回しだろうか? なっ! これは……』

 

『どうした?』

 

『弟が病を得て夭折したそうだ、父も心労で倒れもう長くはないと……私に次期当主としてすぐに戻るように書いてある』

 

『そうか……』

 

 

貴族の当主は男のみと定められているこのお話の中の国で、次期当主として戻るという事は女を捨て男として戻るという事。

 

別れを予感したリードが悲しそうな顔で見つめる中、主人公レニッツは手紙を破いてしまいました。

 

 

『レニッツ、いいのか?』

 

『これでいい、これでいいんだ。私はもう偽りの子爵家嫡男ではなく、この村の村主であるリードの妻。守るべきはタロイモント子爵家ではなく、この辺境の新たな故郷なのだ』

 

『だが……』

 

もう遅い(・・・・)。それだけだ』

 

 

レニッツがビリビリに破いた手紙を放ると、舞台に横薙ぎに吹いた風がそれをどこかへと連れ去ってしまいました。

 

 

『風よ吹け。故郷に届けろ。遅すぎたとな』

 

 

その言葉を最後に、舞台に幕が降りました。

 

最初は嘲り笑っていたはずの観客達から、大きな大きな拍手が起こりました。

 

客席からは絶賛の意を表する光の帯の魔法が幾筋も放たれて、大変な大騒ぎです。

 

もちろん私も立ち上がって力の限り拍手を送り、舞台に向けてレニッツの髪の色である金色の光の帯を放ちました。

 

本当に素晴らしい劇団ですわ!

 

全員女性だなんて最初は色物としか思えませんでしたけれど、麗しく、逞しく、芳しく……ああ、なんだか夢のような……

 

できることならば、この劇団に出資致したいぐらいですわ!

 

 

「結構面白かったんじゃないかな?」

 

「あ、そうですね。全員女性というのは面食らいましたけど……」

 

「最初は悪い冗談かと思ったけど、意外と華やかでいいものだったねぇ」

 

「お父様、あなた、また来ましょうね! 私達がトルキイバにいるうちに!」

 

「え? 私はもう一度は……母さんを誘ってあげたらどうだい?」

 

「ああ、そうですわね。お母様にも是非この演劇の良さを知っていただきたいですわ」

 

「おや、また幕が開いたぞ。役者たちの挨拶(カーテンコール)があるんじゃないか?」

 

「あらっ! 本当ですわ!」

 

 

幕が上がりきった舞台に、袖から主役の『虹の尾』の三人が走り込んできました。

 

万雷の拍手の中三人は深々と礼をして、袖へと下がっていきました。

 

あら、もう下がってしまわれるの?

 

次々に役者達が登場して礼をしますが、主役たちは不在のままです。

 

後でもう一度出てくるのかしら?

 

そう思っていたのですけれど、結局彼女たちが舞台にもう一度出てくる事はありませんでしたわ。

 

 

 

「おや、帰りは動く階段が降り(くだり)用になっている。なるほどやはり便利なものだ」

 

「本当ですね、上にも下にも動くのか」

 

 

お父様達の言う通り、行きは昇りだった動く階段が降りの向きにされていました。

 

たしかに階段を四階分昇るのは少し疲れますが、降りるぐらいならばなんでもないと思うのですけれど……

 

私ももう少し年を取ったら階段を降りるのもつらくなるのかしら?

 

 

「ヨマネス様って一体何者なのかしら?」

 

「これまで他の劇で見たことはありまして?」

 

「ありませんわ、あのような華のあるお方が無名なわけがありませんし……」

 

「私、演劇に詳しい方に伝手がございますの。出入りの家具屋の息子さんなのですけれど……そちらに当たってみましょうか?」

 

「まあっ! それは心強い」

 

「是非お願い致しますわ!」

 

 

動く階段を降りながら、周りの令嬢たちのそんな話を聞いていました。

 

レニッツ役の夜霧のヨマネス様の出自……わかったら私にも教えて頂きたいですわ。

 

……はっ!

 

そういえば私はこの劇場のオーナーの知り合いなのだから、直接聞けばいいのよね。

 

帰ったらさっそく手紙を出しましょう。

 

聞いてみたいことが沢山ありますわ。

 

ヨマネス様の正体、この劇団を考案した人のお考え、あの舞台装置の秘密。

 

しかし、まさか私が芝居狂いのシェンカーに芝居の質問をする事になるだなんて……人生というのは本当にわからないものですわね。

 

 

「おや、何か出口の近くに人だかりができているな」

 

「なんでしょうね? 行きの混雑の原因はこの階段でしたけど」

 

「何やら楽しそうな声が聞こえますわね」

 

 

ゆっくりと階段が降りていくと、ちらりと今日の劇の主役のレニッツ……ヨマネス様の顔が見えた気がしました。

 

まあっ!

 

何かしら?

 

 

「役者の版画集を販売しておりまーす! 握手券は一集につき一枚でーす!」

 

 

ああ、物品販売をやっていらしたのね。

 

版画集はわかるとしても……握手券って何かしら?

 

でも、あの役者さんたちの顔を近くで見られるのなら、是非見てみたいわ。

 

 

「お父様……私」

 

「ああいいよ、私は先に馬車にいるから」

 

「ありがとうございます」

 

「私も絵や商品を受け取ってこないとな」

 

 

いそいそと受付へ急ぐお父様と別れ、私は夫と一緒に版画集売り場の列に並びます。

 

売り場の隣にはもう三本列があって、その先には今日の主役の三人が待っているようですわね。

 

なるほど、このためにあの三人は最初に挨拶に出て袖に去っていったのね。

 

 

「版画集にも種類があるみたいだね」

 

「あら、三種類もあるのね」

 

 

売り場の上に掲示された案内によると、主役のレニッツ、剣使いのリード、弓使いのパイロンはそれぞれ別の種類の版画集に収録されているようです。

 

なるほど、冒険者パーティ『虹の尾』を集めようとしたら三冊全部買わなければいけなくて、三冊とも買えば三人全員と握手ができるというわけですか……

 

シェンカーは学生の頃から全く変わりませんわね、本当にこういう小銭集めが好きな男。

 

とりあえず、三種類買っておきましょうか。

 

 

「三種類ともお願いします」

 

「はーい、四十五ディルです」

 

「あら、お手頃なのね。銅貨五枚で」

 

「半銅貨お返しします。握手会にご参加されるのでしたら、この券を持ってあちらの列にお並びください」

 

 

半銅貨なんて久々に見ましたわ。

 

半分に切られた銅貨をお財布にしまいながら、まずは一番短い弓使いパイロンの列に並びます。

 

夫には版画集を持って、出口の近くで待って貰っています。

 

ごめんなさいね、荷物持ちをさせてしまって。

 

ちらりと夫の方を見ると、近くには同じように荷物持ちをしている男性方の姿がありました。

 

 

「握手会って、何をするのかしら?」

 

「そりゃあ、握手でしょ」

 

「なぜ握手を?」

 

「なぜって……なぜかしらね?」

 

 

並んでいる皆さんも、そこは疑問に思っているようですわね。

 

私も正直、役者さんと握手をすることの意味はよくわかりませんわ。

 

 

「お芝居、とても素敵でしたわ」

 

「ありがとう、素敵なお嬢さん」

 

 

意味なんて考えている暇もなく前の人の握手が終わりました。

 

なるほど握手というのはあまり時間を取らないのですわね。

 

 

「素敵なお声ですわね」

 

「あなたのお声も可憐ですよ」

 

 

まぁ素敵!

 

女の人に言われているというのはわかっているのですが、嬉しいものは嬉しいですわ。

 

それにしても、少し離れればきちんと老人に見えるのに、触れられるほど近くで見ると意外と若いお顔でした。

 

舞台用のお化粧って凄いんですのね。

 

しかし、握手会というのはなかなか侮れない手法かもしれませんわ。

 

役者さんの顔がよく見えるぐらいに近づけて、一言ぐらいはお喋りもでき、目的は握手ですから一人あたりの時間も短いわけですわね。

 

さすがはシェンカー、こういう商売を考えさせたら右に出る者はいませんわね。

 

さて、次は剣使いのリードの列に並びましょうか。

 

 

「リード様、決断力があって素敵じゃありませんこと?」

 

「私はレニッツ様の方が……」

 

「お二人とも若すぎますわ」

 

 

ああしてお話できるのもいいですわね、次はぜひ私も友人を連れて参りましょう。

 

そうやって他の方々のお話をお聞きしているうちにあっという間に列は進み、私の握手の番になりました。

 

 

「あの、凛々しくて素敵でした」

 

「そう言われると照れますよ、ありがとう」

 

 

近くで見たリードさんは遠くから見ていたよりもずっと落ち着いた方で、パイロンさんとは逆に化粧で顔を幼く見せていたようでした。

 

やっぱり、舞台用のお化粧って凄い。

 

まさに別人に化けるための(よそお)いなのですわね。

 

パイロンさんの時よりも落ち着いて見られたからか、衣装の精緻さにも気がつきました。

 

ぴったり体に吸い付くような縫製で、各部には細かい刺繍が無数に入っていて、まるで芸術品のような仕上がりでしたわ。

 

私達が普段着ているような服とは作りが全く違いましたわね。

 

そんな事を考えながら最後のレニッツ列に並んでいると、前のご令嬢の方々の間からなんだか聴き逃がせないような話が聞こえてきました。

 

 

「こうなると劇の噂が大きく広まるのは必定でしょう、チケットをどう手配するか悩みますわよね」

 

「そうですわね、どうせならばいい場所で見たいですもの」

 

「特別席は無理にしてもねぇ、端の席は嫌ですわよねぇ」

 

 

たしかにそうですわね。

 

私も今回は特別席で観劇ができましたが、これもお父様が招待されたから見られたもの。

 

次から確実にチケットが抑えられるとは限りませんし……

 

あぁ、そうですわ。

 

シェンカーに直接頼めばいいのです。

 

元々手紙を出そうとしていたわけですし、そこに一筆書き加えれば多少は融通してくれるかもしれませんわね。

 

 

「当家は多少なりともシェンカー家に伝手があります、一度聞いてみましょうか?」

 

「それを言えばこの街の商家筋のほとんどはシェンカーに伝手がありますわ」

 

「この劇場はシェンカー家の三男、サワディ様の物でしょう? サワディ様の窓口はマジカル・シェンカー・グループのチキンさんですから、そちらに……」

 

「あのチキンさんに伝手がある家となると途端に限られてきますわね……」

 

 

あら、そうなのかしら……?

 

私もそちらを通さないと無作法というものでしょうか?

 

でも私は彼の学生時代からの友人ですし……

 

いえ、しかし趣味の事で友情に寄り掛かる女だと思われては、お父様の顔まで……

 

ああ、悩ましいですわ……

 

 

「どうなさいました? お嬢さん」

 

「あらいけない、私ったら考え事を……」

 

 

考え事をしていて、気がつけばレニッツさんの前に立っていました。

 

お人形のように長い睫の彼女に覗き込まれるように見つめられると、なんだかクラクラするような気がします。

 

 

「あの、応援しておりますわ……」

 

「ありがとう。君の悩みが解決するよう、私からも心からの応援を」

 

「あら、ありがとうございます」

 

 

あなた方こそが悩みの種ですの、とは言えず……私はふわふわした気持ちで列を後にしました。

 

レニッツさんと握手を交わした右手を見つめながら、ゆっくりと夫の元へと向かいます。

 

ああ、夫の休みでこちらにいる間に、あと何回ここへ来られるでしょうか。

 

来る時には全く予想もしていなかった悩みを胸に、私は何度も何度も振り返りながら、純白に塗られた女達の劇場を後にしたのでした。




今日いきなり寒くなりすぎぃ!
秋はどこへ行ったのか


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第103話 いきなりの お宅訪問 やめちくり 前編

お待たせしました


肌を刺すようだった風が止み、白む息を照らす朝の日差しの中に確かな暖かさを感じ始めた冬の終わり。

 

雪溶け種芽吹く季節の中、俺は一つの巨大な挫折を味わっていた。

 

 

「とにかく、こればっかりはもう駄目だと思うんですよ」

 

「本当にどうにもならないのか? もっと試せることは?」

 

「もう十分に試しました。これまでもご主人様の出してきた案は全て実行してきたじゃあないですか……」

 

「そうか、もう駄目か……」

 

「こればっかりはもう仕方がないですよ」

 

 

そう言って慰めるように俺の肩を叩くチキンと二人、M・S・G(マジカル・シェンカー・グループ)本部の地下にある穀物倉庫の中で……

 

俺はうず高く積まれた米袋の前で力なく蹲り、まるで米のように小さく白く燃え尽きようとしていた。

 

……そう、米だ。

 

遙か北で薬として伝わっていたそれをうちのキャラバンが仕入れて来た時は、本当に狂喜したものだ。

 

その貴重な種籾を、北方出身の義理の姉や忙しい管理職候補のイスカを巻き込みまくって栽培を成功させ、余るぐらいに作ってしまった米。

 

俺は、その米の普及に完全に失敗したのだった。

 

 

「やっぱりあのちょっとねちゃねちゃした感じが……なんというか……」

 

「モチモチと言ってくれ……」

 

「あとなんか、なんというか……やっぱりちょっと臭いもキツくて……」

 

「臭いは……たしかに臭いの好みはどうにもならないな……」

 

「ハヤシライスはウケましたけど、あれも米抜きで出した方が評判いいんですよ」

 

 

それじゃあライスは何なんだって話になるぞ。

 

 

「とにかく、もうこれ以上深夜商店の商品に米の料理を出すのは勘弁してください。ほとんど全部廃棄品になってるんですから」

 

「たしかに……それはもったいないよな」

 

 

まあ、口に合わないものはしょうがない。

 

俺とて、突然近所のコンビニが聞いたこともない国の料理を推しだしたって見向きもしないだろう。

 

こればっかりは時間をかけて種籾の改良と普及を進め、認知度を高めていくしかない。

 

差し当たっては……俺が個人消費しきれないぐらいに残ってしまった今年の米の処分方法を決めなければいけないだろう。

 

捨てるのは論外、値段もつかない。

 

なら、とりあえず手っ取り早く消費できる形にしてしまおうか。

 

 

「あー、じゃあ、俺が食う分以外は粉にしてパンに混ぜちゃうか。馴染みのある形ならちょっと変わった味でもみんな食べるだろ」

 

「ああ、それがいいかもしれないですね。量が調整できれば味や匂いも誤魔化せますから」

 

 

前世の歴史に習って、既存のものにブレンドして処理するということにしよう。

 

平成の米騒動のブレンド米とは違って、小麦粉と米粉のブレンドだが、前世でも米粉パンはよく話題になっていたしな。

 

俺は食ったことないけど。

 

まぁ幸い、俺の実家は粉問屋だ。

 

粉を作ったところでたいした手間も金もかからない。

 

後の事はうちの実家の番頭(ピスケス)と相談してもらうことにしよう……

 

俺は我が家の筆頭奴隷であるチキンに後の差配を任せ、背中を丸めてとぼとぼと家に帰ったのであった。

 

 

 

それから数週間。

 

M・S・G(マジカル・シェンカー・グループ)の料理長であるピンク髪のシーリィ、そんな彼女が忙しい婚活の合間を縫って苦労して完成させてくれた米粉パンは、なんとも判断しにくい二分化された評価を受けるものだった。

 

肯定派は、香ばしい、モチモチしている、かさ増しの雑穀にしては味がいい。

 

否定派は、匂いが苦手、ナヨッとしている、雑穀混じりのパンは食べたくない。

 

褒められてるのも貶されてるのもほとんど同じ部分。

 

つまり、かなり好みの分かれるパンなのだ。

 

面白いのは、このパンを大げさに褒めているのは北方出身者で、逆に口を極めて貶しているのは南方出身者だという事だった。

 

そもそもが麦の大生産地である南方ど真ん中のトルキイバ近辺。

 

土地は田舎だが、麦の品種改良、製粉技術にかけては国内最先端を行く場所。

 

根本的に、そこらへんで売っている普通のパンが美味しすぎるのだ。

 

今回の米粉にしたのは品種改良も全く進んでいないほとんど原種の米、比べるべくもない、食用作物としての歴史が違う。

 

だから南方の麦百パーセントのパンを食べて育った南方出身者たちは、声高にこの米粉パンを否定した。

 

しかし、逆に小麦が充分に手に入らず、様々な雑穀の混合されたパンを食べて育ってきた北方の出身者達は、米粉パンの事を大いに気に入ってくれたのだ。

 

そしてうちの家でも、殊の外このパンに気を良くした人がいたのだった。

 

 

「このパン、なかなかどうして嫌いじゃない。香ばしくて、柔らかくて……」

 

 

そう、北の果てから来た俺の嫁さん、ローラさんだ。

 

朝の光が差し込む家族四人の食卓で、彼女はうちの地下酪農場で作ったバターをたっぷり塗った米粉入りパンに齧りつきながら、とろけるような表情を浮かべていた。

 

 

「ぱん! たべり~!」

 

「らくちゅも~!」

 

 

最近どんどん喋れる言葉が増えてきたうちの双子も大喜びでパクついているが、基本的にこの二人は野菜以外は何でも大好物だ。

 

俺が小さくちぎったパンを食べさせてやると、二人はパンよりももちもちのほっぺたを一生懸命動かしながら、もっともっととせがむ。

 

幸せそうな顔でパンを頬張るラクスを抱えあげたローラさんは、自分と同じ色の娘の髪を撫でながら娘とよく似た幸せそうな微笑をこぼした。

 

 

「これ、来週来る長兄にも食べさせたいな」

 

「雑穀混じりのパンなんて出して怒られませんかね?」

 

「なぁに、前線じゃあ王族だって雑穀粥を啜るもの。そんなこと気にもしないさ」

 

「それならいいんですけど」

 

「パンたべり〜!」

 

「もっと〜!」

 

 

俺が膝の上に抱き上げたノアが、ローラさんの膝の上のラクスと一緒に非難の声を上げる。

 

餌を求める雛鳥のような二人に苦笑しながら、俺とローラさんは小さくちぎったパンを与え続ける。

 

こんなによく食べるんじゃあ、二人共すぐに膝には乗せられなくなりそうだな。

 

 

「私が子供の頃はこういうパンはめったに食べられなかったよ」

 

「どうしてですか?」

 

「いい軍人は顎から鍛えるってのがうちの家訓でね、食卓に上るのは硬いパンばかり。あの頃は兄達と一緒に白い雲を見上げながら柔らかいパンを夢見ていたものさ」

 

「へぇ、じゃあうちでは毎日柔らかいパンを食べましょうよ」

 

「いや、ま……今じゃ硬いパンもさほど嫌いじゃあないのさ」

 

 

この時は、ローラさんにも子供の頃の夢なんてものがあったんだなぁ……と微笑ましく思っていた俺なのだったが。

 

結果的に、翌週にやって来たお義兄さんにパンを食べさせることはできなかった。

 

パンどころではなくなる、トルキイバ全体を揺るがすような大人物を、彼が連れてきたからだ。

 

 

 

「カリーヤ。カリーヤ・スレイラよ、義弟君」

 

「あ、は、はい……サワディです、お義姉さん」

 

 

外を大量の制服軍人達にガチガチに固められたスレイラ邸の中で、俺はその大人物と挨拶を交わしていた。

 

細っこい両腕にガシッとうちの双子を抱きかかえ、ローラさんと同じ瑠璃色の瞳はただこちらを見つめるだけで強烈な圧迫感を与えてくる。

 

彼女こそはこの国のマジの王族、ロイヤルファミリーにして俺の義理姉。

 

陸軍全てのトップである第二王子の娘、カリーヤ姫だ。

 

 

「いつもお酒をどうも、美味しく頂いてるわ」

 

「あ、それでしたら……はい、幸いです……」

 

「その役人みたいな話し方が素?」

 

 

彼女は不思議そうな顔でそう聞くが、さすがに初対面のガチお姫様相手に気さくに話せるほどの精神力は持ち合わせていない。

 

歩く時に右手と右足を同時に動かさない事だけで精一杯だ。

 

 

「カリーヤ姉様、うちの旦那はいつもそんなものだ」

 

「ふぅん、ま、家族だけの場だから。よかったらもっとくだけて頂戴」

 

「ど、努力します……それでお義姉さんは、今回は何用でトルキイバへ……?」

 

「観光が三割、甥と姪に会いにが三割、超巨大造魔建造計画(でっかいクモ)の視察の仕事が三割、あと一割は……」

 

 

両手に抱えたノアとラクスに金色の髪の毛を引っ張られまくりながら、不敵に笑って彼女は言った。

 

 

「トルキイバいちの危険人物を見定めに、かしら」

 

「あ、は、はぁ……」

 

 

特に何もやましい事がないのに、自分の背中から滝のように汗が流れているのがわかる。

 

お義姉さん、マジで勘弁してください……

 

 

 

まずは仕事、と宣言したお義姉さんはゲストルームに籠もり、時々出てきては休憩がてらノアとラクスの相手をするようになった。

 

無邪気な双子は綺麗なおねいさんに相手をしてもらえて大喜びなわけだが、その間にもゲストルームへは夥しい量の超巨大造魔建造計画の書類が運び込まれていく。

 

電子化の「()」もない世界だ。

 

全て紙ベースの書類の内容を過不足なく把握するには、たしかにこうして現地に来て読み込むしかないのだろう。

 

それでも、俺には彼女がこんなに超巨大造魔建造計画の書類に興味を見せる理由がどうにもわからなかった。

 

そりゃ降嫁したとはいえバリバリの元王族、発端に王族の噛んでいるこの計画の書類を見せるのに問題はない。

 

だがしかし、報告書は逐一王都へ上がっているし、普通ならばそれを読めば事足りるはずだ。

 

なぜ彼女はわざわざ糞ど田舎のトルキイバくんだりまでやって来て、山と積まれた書類を精読しているのか。

 

それがどうにもわからず、なんとなく胃を痛くしているうちに、あっという間に夜がやってきたのだった。

 

 

 

先に食事を済ませた双子が仲良くベッドで夢を見ている頃、俺は食堂で足から首までガチガチに緊張しながら晩餐を過ごしていた。

 

豚の煮込みをフォークとナイフで切り分け口に運ぶが、食べても食べても全く味を感じない。

 

だってお姫様が見てるんだぞ!

 

俺のテーブルマナーはあくまで豪商仕様で、そんな格式高いとこまでは想定してないんだよ!

 

 

「ローラ、今回は一週間ほど泊まるぞ」

 

「長兄、忙しいのによくそんな時間が取れたな」

 

「時間というものは作る気にならねば作れん。思えば結婚してから夫婦で王都を出たこともなかったからな」

 

 

なるほど新婚旅行ってわけですか。

 

こんな田舎に特に見るべきところなんかないと思うけど。

 

 

「なるほどね、ここいらは気候が穏やかで過ごしやすいから、今の時分はちょうどいいんじゃないかな」

 

「旅行もそうだけど、もちろんローラと会うのも楽しみだったわ。四、五年ぶりじゃない? こんな南の果てで再会することになるなんて思わなかったけど」

 

「子供の頃は一緒に旅行に行ったりもしたものだが、大人になれば用がなければなかなか会えないものだからな」

 

「皆さんは子供の頃からのお知り合いなんですか?」

 

「長兄とカリーヤ姉様は生まれた時から内々で婚約が決まっていたからね」

 

「へぇーっ」

 

「ローラは子供の頃から美人だったわよ」

 

「カリーヤ姉様は子供の頃から尊大だったな」

 

「えぇーっ? そんなことないわよ、ねぇ?」

 

「まあ、そういう所もある」

 

 

そう言ってお義兄さんは目を細めて笑う。

 

あんなに優しげに笑う所なんて初めて見たかもしれない、やはりどんな厳格な人にも家庭での顔というものがあるのだな。

 

 

「デオヤイカでみんなで釣りをした時、ローラの釣り竿はよく釣れるようだから交換して頂戴と騒いでいたじゃないか」

 

「まあっ、あなたそんな子供の頃の事をまだ覚えていたの?」

 

 

玉を転がすように笑う姫様の様子に、室内の空気がパッと華やかになる。

 

よしよし、そのまま思い出トークに花を咲かせていてくれよ。

 

俺は気配を消してやり過ごすから。

 

 

「うちにも釣り堀があるから、またやってみたらどうだい?」

 

「あら、そうなの」

 

「うちの旦那が作ったものでね、いい運動になる」

 

「へぇ~、義弟君が」

 

 

が、そうは問屋が卸さなかったようだ。

 

 

「……あ、そうそう、義弟君」

 

「はいっ! なんでしょうか?」

 

「明日あのでっかいクモの実物を動かしてみたいから、よろしくね」

 

 

お姫様はチャーミングなウインクと共にそう言って、花が咲いたような笑顔を見せた。

 

あ、明日……

 

俺は無茶過ぎる無茶振りにガクッと肩を落としそうになりながらも、必死に貼り付けた笑顔で「かしこまりました」とだけ返したのだった。

 

お義姉さん……あなた今でも十分尊大ですよ。

 

 

 

翌日、お姫様による視察の準備のために一睡もしていない俺とマリノ教授は、朝日に照らされた時計塔級造魔の影の中で凍えながら即席麺を啜っていた。

 

 

「しかし、お姫様がいきなりいらっしゃるなんてほんとに困るよね……」

 

「本当ですよ、なんで造魔学研究室だけがこんな目に……」

 

 

研究室に所属する学生たちは王族の歓待に相応しい操縦席の準備や安全確認、土がむき出しになっている道の舗装などで夜通しこき使われ、まるで行き倒れのように焚き火の周りに倒れ込んでいた。

 

視察に使う操縦席の周りには、王族が視察に来るとあってかクソ寒い早朝からトルキイバ魔導学園の教員ほぼ全員が礼装で集結している。

 

俺とマリノ教授が姫様の視察を伝えたのは校長だけだ。

 

そこからどう情報が伝わったのかは知らないが、勝手にやって来てやれ椅子がないだの寒いだのと言い出すのは本当に勘弁してほしいところだ。

 

湯気で眼鏡を真っ白にしたマリノ教授と愚痴をこぼしながら食事をしていると、操縦席の方から学生が走ってやって来た。

 

何かあったんだろうか?

 

 

「教授、校長たちがコーヒーぐらい出せんのかと仰ってますが……」

 

「ありゃ……」

 

「そんなの知らないよ! 呼ばれてもないのに出張ってきて! 朝露でも飲ませときゃいいんだ!」

 

「まぁまぁそう仰らず、後でカリーヤ姫様も所望されるかもしれません。街から人を呼んで取り寄せますから」

 

 

めずらしくイライラして怒鳴るマリノ教授を必死でなだめる。

 

マリノ教授は昔から改まった場が苦手で、発表会なんかがあると三日も前から胃が痛いと言い出す人なのだ。

 

いきなり王族が成果を見に来るなんて言われて、もう心労もピークに来ている事だろう。

 

俺が彼に出力全開の回復魔法をかけていると、操縦席の方からもう一人学生が走ってきた。

 

 

「あの~、教授……」

 

「今度はなんだい?」

 

「即席麺が余っていたらわけてくれないかと、魔導具学のターセル技師が……」

 

「こ、この忙しい時に……」

 

「わかった、わかった、屋台を何台か呼ぶって言っといて!」

 

 

操縦席の方に走っていく学生の背中を見つめながら、マリノ教授は疲れ切った顔で自分の腹を撫でた。

 

かわいそうに、俺だって気楽に姫様に挨拶だけしに来た学校の連中が羨ましいよ。

 

 

「はぁ~っ……サワディくん……」

 

「はい」

 

「苦労かけるね……」

 

「いえ……」

 

 

今一番苦労しているのはあなたですから。

 

うちの義姉(みうち)がすいません……

 

俺はすっかり冷めてしまった即席麺入りの二つの鍋を、そっと火にかけなおしたのだった。




これまで経験した事のないレベルのスランプでした


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第104話 いきなりの お宅訪問 やめちくり 中編

昼前に八本足のバイコーンに引かせた馬車でカリーヤ姫がやって来る頃には、時計塔級造魔の操縦席の周りは貴族で一杯になっていた。

 

トルキイバ領主であるスノア家を始め、現役、退役、階級の上下を問わずまさに全員集合だ。

 

さすがに数が多すぎるのでご当主以外の子弟や奥様方にはお帰り頂いたが、朝からマリノ教授と一緒に貴族の対応に追われてもううんざり。

 

仮設トイレには順番待ちで行列ができ、最初に呼んだ屋台の食べ物もコーヒーもすぐに売り切れ。

 

チキンに頼んでどんどん屋台を呼び寄せてたら、工事現場があっという間に屋台村のようになってしまった。

 

そら野球や学校で面識のある人がほとんどだが、勝手にやって来てどんどこ注文つけてくるのはやめてくれ!

 

こんなもん俺以外だったら誰も対処できてないぞ!

 

姫様への挨拶なんか、頼むからどっかのサロンにでも招いてやってくれよ……

 

 

「まあ、殺風景なこと」

 

 

お義兄さんやローラさんと一緒に馬車から降りてきた姫様は、周りを見渡してそう言った。

 

出待ちをしていた貴族たちがドッと詰め寄ろうとするが、馬車の周りに待機していた護衛の制服軍人達がそれを押し止める。

 

 

「皆様方ごきげんよう。アレックスと私を出迎えてくださって嬉しいわ」

 

 

姫様は朝からずっと待っていた貴族たちを前ににこやかにそう言い「でも……」と続けた。

 

 

「ごめんなさい、今日はお仕事で来ましたの。ご挨拶はまた今度、ゆっくりさせて頂けると嬉しいわ」

 

 

多分地方に行くたびにこういう目に合ってるんだろう。

 

慣れた様子で挨拶をかわし、キョロキョロと首を回して何かを探しているようだ。

 

 

「義弟君はどこかしら?」

 

「あ、はい」

 

 

俺だった。

 

周りからの突き刺さるような目線に晒されながら、背中を丸めて揉み手で前に出る。

 

 

「準備はどうかしら?」

 

「すぐに動かせますとも」

 

「じゃあ、ちょっと触らせて貰っちゃおうかしら」

 

 

ロイヤルスマイルでそう言った姫様が手をパンと叩くと、護衛の軍人たちが手際よく貴族をどけて操縦席までの道を作る。

 

 

「ごっ! ごっ! ご案内致します!」

 

 

ガチガチに緊張したマリノ教授が右手と右足を同時に前に出しながら先導し、人垣と一緒に乗馬服を着た姫様がブーツをコツコツ鳴らして進んでいく。

 

徹夜で道を整備した学生たちもこれで報われた事だろう。

 

 

 

超巨大造魔の建造ドックの一部になる予定の掘りかけの穴を見下ろし、右手には待機状態の時計塔級造魔一号機を望む小高い丘。

 

そこに建てられた掘っ建て小屋のような操縦席には、不釣り合いなぐらいに豪華な学園長の部屋から借りてきた椅子が置かれている。

 

そしてそれに座った姫様は、マリノ教授のしどろもどろな説明を不満げな顔で聞いていた。

 

 

「ですので……そのう……こちらの操縦桿では直感的な機体制御ができるようになっているのですが安全性を考慮して……いえ、もちろん機構に問題があるわけではなく……その、いわゆる人為的過誤と言いますか、その……」

 

「義弟君」

 

「あ、はいっ!」

 

「私、とりあえず動かしてみたいんだけど」

 

「承知しました」

 

 

姫様の言葉に敬礼を返し、顔面蒼白な教授の肩を抱いて距離を取らせる。

 

流石にこれ以上は見ていられない。

 

 

「教授、ここはひとまず私が横に付きながらご説明致しますので、起動準備の方を……」

 

「悪いね、頼んだよ……いやー緊張した……」

 

 

小さな声でそうこぼした教授はフラフラと覚束ない足取りで造魔通信のマイクへと向かい、深く深く深呼吸をしてからその通信スイッチを入れた。

 

 

「……周囲の安全、どうか?」

 

『一号機の周囲、危険なし』

 

「危険なし、よし! 起動準備、どうか?」

 

『魔結晶準備よし、点検異常なし。土埃対策に水も撒きました』

 

「異常なし、よし! サワディ君、いけるよ!」

 

 

「では姫様、こちらのレバーを奥に倒してください……」

 

「あら、お義姉さんでいいのよ」

 

「仕事中でございますので……」

 

「こんな物を作っている割に頭が固いのね」

 

 

そんな悪態をつきながら、姫様はガッコンと音を立てて時計塔級造魔への魔結晶供給レバーを倒した。

 

勘弁してくださいよ。

 

強面の軍人さん達に周り囲まれて、リアルな姫様に気楽な口なんか叩けるわけないでしょうが。

 

 

「それで、この操縦桿ってのが最近開発した物なんでしょう。これで造魔を動かすのよね?」

 

「これは安全装置がついてないので、ゆっくりゆっくり前に倒してくださいね。左斜め前に一気に倒したりするとここに突っ込んできますから」

 

 

俺はそう言いながら操縦席のメンテナンスハッチを開け、操縦桿の封印金具を外した。

 

この操縦桿というのはまぁ、一言で言えば蜘蛛の下半身の制御機構を一つのレバーに纏めたようなものだ。

 

アクションゲームのコントローラーの左スティックと言い換えてもいい。

 

俺達がこの時計塔級造魔を使って工事をしていく中で、いちいち煩雑な操作をやるのがめんどくさくなって場当たり的に作った、安全装置(リミッター)も付いてない粗雑な機構だ。

 

簡単に事故を引き起こしかねない超危険な代物だから、もちろん正式に納品する時は外すつもりだったのだが……

 

今回の抜き打ち検査にやってきた姫様に電撃的に接収された書類群の中にあった、内向けのマニュアルによってバッチリ存在がバレてしまったのだ。

 

もちろん危険だと説明はしたのだが、姫様は「使ってみてから判断する」の一点張り。

 

頼みの綱のお義兄さんも知らんぷりだ、もう知るか!

 

事故ったら事故ったでそれまでだ!

 

でも、できたら無傷で返してください、姫様……

 

 

「じゃあ行くわよ。はっしーん」

 

「ゆっくりですよ、ゆっくり」

 

 

姫様が操縦桿を倒すと、ズゥンズゥンと足音を響かせながら造魔が前に進んでいく。

 

 

「動いた動いた」

 

「そのまま穴の前まで行ったらレバーを戻してください」

 

「わかったわ。でももうちょっと試してからね」

 

「あ、ちょっ!」

 

 

姫様は機械の可動域を確認するように、レバーを前後左右へと動かした。

 

超巨大な蜘蛛が入力通りにガチャガチャと足を動かし、地鳴りの轟音と揺れがこっちまで伝わってくる。

 

 

「聞いていたより機敏じゃなーい!?」

 

「安全装置がついてないんですから! 全力(フルパワー)駆動なんですよ! 下手に動かして何かに躓いたりしたら吹っ飛びますって!!」

 

「大丈夫! ちゃんと動かすから!」

 

 

姫様は教えてもいないはずの旋回操作まで組み入れて、時計塔級造魔を器用に操っている。

 

さっきは姫様にああは言ったが、アラクネ型造魔は下の八本脚と人型の上半身でかなり高度にバランスが取れている。

 

早々転んだりはしない。

 

だがそれでも、あの造魔は全高百メートルもある巨人なのだ。

 

普通の肝っ玉なら、自分目掛けて吹っ飛んできかねないこんな距離で、あんなにガチャガチャ動かせるわけがない。

 

やはり王族。

 

腹の据わり具合一つを取っても、俺のような小市民にはとうてい測りきれないところがあった。

 

 

「なかなか悪くないわね! 速さも見たいところだけど!」

 

「こんな狭いとこじゃ無理ですよ!」

 

「ざんねーん!」

 

 

さすがに速さを見るとなると操縦席から伸びるケーブル類の長さが全然足りない。

 

今でも一キロ程度の距離までは対応しているのだが……対象の一歩が一歩だ、その程度の長さでは二十歩も走れない。

 

 

「これ、飛び跳ねたりはできないのー!?」

 

「できません!」

 

「できそうだけど!」

 

「考えたこともないですよ!」

 

「じゃあ、ちょっとやってみようかしら」

 

 

轟音の中、独り言を言うようにそうこぼした姫様は、本物の黄金よりも価値のある金髪をふわりと揺らし、吸い込まれてしまいそうな屈託のない笑顔を見せた。

 

彼女が教えてもいない姿勢制御を流れるようにこなすと、アラクネはまるで命を吹き込まれたかのように自然に身を屈める。

 

 

「やめっ!」

 

 

声にならない言葉が宙に放たれた時、すでに操縦席の向こうでは巨大な蜘蛛が怪獣映画のように跳躍していた。

 

俺はとっさに計器類の下に飛び込み、真っ青な顔のマリノ教授の脚を掴んで引きずり込んだ。

 

二秒あまりの静寂の後、耳をつんざくような爆音と振動、そしてほとんど横薙ぎの暴風に乗った土煙がやってきた。

 

俺とマリノ教授が計器類にしがみ付くようにして轟音と揺れに耐えている中、姫様はその場から一歩も動かず、なんだか得意気な顔のまま真っ直ぐに蜘蛛を見つめていた。

 

護衛軍人達の展開するバリアに守られた操縦席には小石の一つも入って来ることはなかったが、朝から押しかけてきていた学園長や貴族達は今頃全身砂まみれのはずだ。

 

俺は眼の前で起きたあまりの出来事に、そんな彼らの姿を想像して現実逃避をする事ぐらいしかできなかった。

 

これで脚のニ本も折れていたら、また一からあのデカい造魔を作り直しだ。

 

俺はもういっそ、全てを忘れて歌いだしたいぐらいの気分だった。

 

 

「あらあら凄い砂埃、皆様ごめんあそばせ」

 

「あは……はは……」

 

「あ、ほら見て義弟君。やっぱり全然大丈夫だったよ」

 

「え……本当ですか!?」

 

 

機嫌良さげに笑う姫様の言葉に我を取り戻した俺は、土煙で曇る地面をよく確認するために計器の下から飛び出した。

 

小高い丘からでも裏側が見えるほどに高く飛んだアラクネは、なるほど姫様の言葉通り、整地された地面を無茶苦茶に破壊しながらも五体満足での着地を果たしていた。

 

一安心……だけど、寿命がちょっと縮んだ気がする……

 

さっきの爆音に反応したのだろうか、胸を撫で下ろすように見上げた大空には、トルキイバ騎士団最速の白翼竜が心配をするかのように旋回していたのだった。

 

 

 

 

 

「じゃあそろそろ穴につけるわね!」

 

 

土煙がようやく収まった頃。

 

てんで悪びれずにそう言った姫様は初操縦とは思えないスムーズな手付きで造魔を動かし、三十メートルほど掘り下げられている穴の手前にピタッと止めた。

 

 

「おお、お見事!」

 

 

素直にそう褒めた俺の事をちらりと見た姫様が、ふふんと得意げな顔をした。

 

 

「あら、あそこの一本目の脚のところに凹みがあるわね」

 

「ああ、あれは学生が操作を間違えまして、掘り出した大きな岩を脚の上に落としてしまったんですよ。とりあえず支障がないのでそのまま運用しています」

 

「ふぅん、こんなに大きいのに脆いのね」

 

 

五十メートルぐらいの高さから何十トンもある岩落として外骨格が凹んだだけなんだぞ。

 

十分硬いって……

 

何十メートルの高さをジャンプしてもなんともないぐらい頑丈な事もついさっき証明されたわけだしな……

 

簡単に山ごと更地にしちゃう魔法使い(あんたたち)の力が強すぎるだけだと思います。

 

 

「それで、ここからどうするのかしら?」

 

「はい、ではこちらのタグのついたレバーを引いていただいて」

 

「これね」

 

 

姫様が操縦席に無数に生えたレバーのうちの一本を引くと、アラクネ造魔が蜘蛛部分に固定されていた巨大なシャベルを手に掴み構えた。

 

よく使う動作はこうやって自動化してあるのだ。

 

なんせ前世の重機なんかと比べて動かす場所が桁違いに多いからな、自動化した方が楽だし事故も減る。

 

 

「これで土を掘るのね?」

 

「ここからは報告でも上げておりました通り、そちらの腕部の操作レバーで……」

 

「あら、書類は見つからなかったけれど、腕の方も何か簡単に動かす方法があるんじゃないの?」

 

 

ま、そりゃそう思うよね。

 

あるんだけどさ、あるけどね。

 

最初は安全性を考えて腕と指で操作系をバラして作ったんだけど……

 

結局二人がかりで操作するのが煩わしくなって、上半身の操作を一人でできる制御装置を追加で組み込んだんだよな。

 

でももちろん、それも納品する時にはオミットする予定だったんだ。

 

 

「なにぶんそちらはまだ開発途中なものでして、安全性が……」

 

「安全性って言っても、昨日今日作ったものじゃないでしょ。先々月から鎧の上半身のようなもので造魔を操作してるって報告が上がってるのだけれど」

 

 

げっ!

 

そらそうか、トルキイバ中にあんだけ密偵がいりゃ、そこらへんの報告も上がってるわな。

 

そんなもんをなんで姫様がきっちり把握してるのかは謎だけど、バレてちゃしょうがないか……

 

 

「……というわけで教授、制御装置を……」

 

「……了解」

 

 

教授は操縦席の内部にしまわれていた金属鎧を改造した制御装置を引っ張り出し、魔法で浮かせてワイヤーで天井から吊るした。

 

この制御装置はつまり、金属鎧の動きに造魔の動きを追従させるというものだ。

 

作業者が俯けば造魔も俯き、鎧から繋がった腕や指もそのまんま動かした通りに動く。

 

人間の動きどおりに超巨大な物が動くってことは、そりゃ事故の確率も跳ね上がるってわけだ。

 

実際、二ヶ月ほどこれを使っていた中でも色んな事故があった。

 

スコップをねじ切ったり、いらない場所に大穴を作ったり、穴の縁を崩壊させたり……

 

正直、姫様にもこれは使わせたくなかった。

 

結局、前世も今世も一緒だ。

 

横着をすると労災が起こるという事だ。

 

 

「で、これに腕を入れたらいいのかしら?」

 

「左様でございます」

 

 

背中部分のない鎧にゆっくりと腕を入れたお姫様は、指をわきわきと動かした。

 

その動きの通り、巨大なアラクネが指をわきわきと動かす。

 

 

「姫様、こちらを」

 

 

俺がそう言って木で作られたシャベルの()を差し出すと、彼女は造魔にシャベルを落とさせないように器用な動きでそれを受け取った。

 

 

「じゃあ、掘ってみようかな」

 

「ご存分に」

 

 

姫様の操作で巨大なシャベルが大地に突き立てられ、何十トンもの土塊が空中に持ち上げられた。

 

 

「これ、どうしたらいいかしら?」

 

「ご随意に」

 

「じゃあ横にどけておこうかしら」

 

 

造魔が無造作に左へとシャベルを捻ると、零れ落ちた土砂がザアザアとまさに土砂降りの雨のような轟音を立てる。

 

適当な所でシャベルが立てられると、ズドンと音を立てて落ちた土塊が地面を揺らした。

 

こんな工事現場、前世だったらうるさすぎてクレームの嵐だろうな。

 

 

「この造魔って、建設用途としては使い勝手はどうなのかしら?」

 

「あるのとないのとでは進みの速さが段違いです。時計塔級の一つ目の建造ドックは半年かけて掘りましたけど、二つ目は一ヶ月かかりませんでしたーっ!!」

 

 

俺が話している間に、また姫様は穴掘りを始めた。

 

さっき掘った大穴からちょっと離れた場所を、同じぐらいの深さで掘っているようだ。

 

そして今度は掘り上げた土砂を、さっき掘った穴に器用に注ぎ始めた。

 

岩混じりの何十トンもの土砂が、川の濁流のような音を立てて大穴に飲み込まれていく。

 

 

「これーっ! 王都でも需要はあるかしらー!?」

 

「あると思いますよーっ!! どこにでも土木仕事はありますからーっ!!」

 

 

こんなのが前からあればプール作ったりするのも楽だったのにな。

 

 

「聞いてたのと触ってみるのじゃあ!! やっぱり全然違うわねーっ!!」

 

「とにかく大きいですからねーっ!!」

 

 

姫様は上半身の操作用鎧を着たまま、一人で器用に超巨大造魔の下半身を動かしている。

 

この人が特別飲み込みがいいのか、それとも王族ってのはみんなこれぐらい能力が高いのか……

 

スコップの底で楽しそうに地面を叩いて砂遊びをする義理姉を見つめながら、俺はぼんやりとそんな事を考えていたのだった。

 

 

 

 

「あの蜘蛛、思ったとおり戦には使えそうにないわね」

 

 

さんざっぱら時計塔級造魔で遊んで帰ってきた家の食卓で、姫様は憮然とした顔でそう言った。

 

 

「あの大きさじゃあ戦場でいい的だし、その割には装甲の強度は魔法に一発耐えられるかどうか。動かすのに支障はないけれど、戦場には持っていけないわ」

 

「そ、そうですか……」

 

 

淡水魚(ゲハゲハ)のフライを上品に食べながら、お義姉さんはなおも続ける。

 

 

「つまり、父上は当初からの予定通り、あの蜘蛛をあくまで移動する最前線での後方として使うつもりだというわけね」

 

「ええ、本番の都市級は背中の上に街を作る予定だと聞いていますが」

 

「街ね。そこから兵隊たちを家族と一緒に戦地に送って、まるで役所の職員みたいに日の出から日の入りまで戦わせるって計画なのかしらね。どうも、お父様もお甘い事で」

 

「カリーヤ、そのぐらいにしておけ」

 

 

なぜか超巨大造魔建造計画の批判を始めたお義姉さんをお義兄さんが嗜めるが、彼女は口の端に笑みを浮かべながら大きな瞳で彼をちらりと見て、なおも続けた。

 

 

「困るのよね、そういう手(ぬる)い事をされると」

 

「何が困るというんだい?」

 

 

面白そうにそう問うローラさんにお姫様は頷きを一つ返し、ひどく物騒な事を話し始めた。

 

 

「だってこの国(クラウニア)は、戦争がしたくてしたくてたまらなくて、そのために国を割った人達の建てた国じゃない? そんな甘っちょろい戦争を続けてると、また国を割ることになりかねないわ」

 

 

物騒な話だ、本当に。

 

こんなの、陸軍トップの第二王子(ジェスタ)殿下を真っ向から弱腰と非難しているようなものだ。こんな話が漏れれば、実の娘だろうと大目玉では済まないかもしれない。

 

 

「負けない軍隊なんて、弱兵よりも始末に負えないものね。勝って勝って勝ち続けて、周りの国全部から包囲網を敷かれるように不可侵条約を呑まされて尚、戦争相手を求めて次元の壁まで超えて……こんな状況で、線路も届かない最前線に本格的な街なんか作ったらどうなるかしら?」

 

「考えた事もないな」

 

 

ワインを呷りながらそう答えたローラさんに、姫様は優しげな表情を向けた。

 

 

「そこに国を建てようとするんじゃないかしら?」

 

 

シンと静まり返った食堂に、風に吹かれた窓がガタリと立てた音がことさらに大きく響いた。

 

 

「クラウニアの軍人が国を建てたら何をするかしら? 戦争しかないわよね。大好きなんだもの、そのために国を作った人達の末裔なんだもの」

 

 

トクトクトクと、使用人がグラスにワインを注ぐ音がした。

 

 

「そういう人達が本当に挑んでみたい敵って誰かしら? それはきっと強大で、一度も負けたことがなくて、巨大で、戦争が大好きで大好きで仕方がない国……そう、クラウニアという国そのものなのよ」

 

「……それじゃあ、カリーヤ姉様はうちの夫にどうしろって言うんだい? 造魔建造を中止しろとでも?」

 

 

ローラさんの問いには答えず、姫様は目を閉じた。

 

長い長い睫の影が、テーブルの上に揺れていた。

 

 

「私はね、うちの(・・・)国を愛してるの」

 

 

王族の言ううちの(・・・)ってのは、それ以外の俺達とじゃまるでニュアンスが違うんだろうな。

 

 

「何にだって終わりは来るけれど……愛するものに、巨大なまま、荘厳なまま、恐れられたままに息絶えてほしいと思うのは、いけないことかしら?」

 

「つまり……国を割る愚を犯す計画は止めたいと?」

 

 

パチっと目を開けた姫様は、再びそう問うたローラさんにいたずらっぽく笑いを返した。

 

 

「別に何も。将来国が割れるにしろ、割れないにしろ……この子をどこにどう付かせるか、考える材料が必要だったってだけよ」

 

 

そう言って、姫様は純白のドレスに包まれたお腹をさすった。

 

え!? どういうこと?

 

 

「えっ!? ご懐妊ですか?」

 

「長兄!? 聞いてないぞ!」

 

「あれが内緒にしておけと言ったのだ」

 

 

お義兄さんは珍しく気まずそうな顔でそっぽを向き、ワインで口を塞いだ。

 

さっきも窘めてたのに無視されてたし、あんた亭主関白っぽい感じだけど実際は尻に敷かれてんじゃないのか?

 

まあ、ともかく……めでたいことには間違いないよな。

 

 

「お義姉さん、おめでとうございます」

 

「あ……うん、そうだな。おめでとうカリーヤ姉様」

 

「あら、ありがとう。お二人共」

 

 

しかしそうか、うちのノアとラクスに貴族側の従兄弟ができるのか……

 

ていうか今日の昼間とか、妊婦があんな大暴れしてて良かったんだろうか……?

 

 

「ああそうだ、お産の時はうちの夫を呼んだらどうだい? 私の時もそれだけは安心でね」

 

「馬鹿者、愚弟はトルキイバ(ここに)据え置きだ」

 

 

そうだよ、王都なんか絶対行かないよ。

 

しかし、義理兄さんと姫様の子供か……

 

絶対に美形な事だけは間違いないけれど、性格はどっちに似てもおっかないんだろうなぁ……

 

トイレへ行くために子供の性別の話で盛り上がる食卓から離れ、廊下を歩いて行く。

 

窓の外では庭木の枝に芽吹いた若葉が月光に照らされ、ゆらゆらと風に揺れていた。

 



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第105話 いきなりの お宅訪問 やめちくり 後編

大変遅くなってすいません。
状況が変わりましたので次はもっと早く更新できると思います。


時計塔級造魔を好き放題ぶん回した翌日。

 

 

「昨日は殺風景な場所にいたから、今日は華やかなお芝居でも見たいわね」

 

 

暖かな陽光の差す朝食の席で、お義姉さんは子供用の高椅子に座るラクスにパンを食べさせながらぽつりとそう言った。

 

ああ良かった……造魔が見たいと言われるよりは、芝居が見たいと言われる方がよっぽど気が楽だ。

 

うちには小麦粉と芝居はいつでも売るほどあるわけだからな。

 

 

「カリーヤ姉様、うちの旦那は芝居好きでね。趣味が高じて自分の劇場を建ててしまったぐらいだ、そこへ行こう」

 

「あ、ぜひ! ご招待させて頂きます」

 

 

どこか自慢げなローラさんと、どうしても安堵の心を隠しきれない俺の言葉に、お義姉さんは「いいわね」と楽しそうに目を細めた。

 

 

「そういえば、完成した後にする予定だった劇場の査察もまだしていなかったな……それで、今日の演目は?」

 

 

ノアにおもちゃにされて半分の大きさになった新聞を片手に、お義兄さんがそう聞いた。

 

 

「お義兄さんに紹介して頂いたメジアスの作品ですよ、好評で助かってます」

 

「そうか、脚本家を紹介した者としても出来は見ておかねばな」

 

「ぜひぜひ、劇団の皆にも一層気合いが入ると思います」

 

 

善は急げで午前の回。

 

参勤交代の列のように護衛の軍人達を引き連れた馬車は、我が家の誇る劇場双子座の駐車場へと滑り込んだ。

 

そんなべらぼうに目立つ移動をしていたからだろうか、家族揃って馬車を降りた先には昨日と同じくトルキイバ中の貴族が勢揃いで待ち構えていたのだった。

 

口々に挨拶をする貴族達の間に屈強な制服軍人達が作った道を、全方位に愛想を振りまく姫様とそれをエスコートするお義兄さんがゆっくりと進んでいく。

 

その後ろにバンと胸を張ったローラさんが続き、俺はその背中に隠れるようにして、貴族達の視線を躱しながら歩いたのだった……

 

 

 

姫様のエスコートはローラさんに任せ、俺はお義兄さんを連れて劇場内の案内を行う。

 

地下の魔力制御盤室から警備員の詰め所、役者の楽屋から便所の個室まで、図面と照らし合わせながら一つ一つ見て回る。

 

そこまでしなきゃならんのかって感じだけど、正直俺だって自分に信用がない事なんか重々承知の上だ。

 

こんな事でお義兄さんの心労が一つでも減らせるのならばいくらでも付き合おうじゃないか。

 

 

 

「しかし、夥しい量の魔道具だな。どこに発注した?」

 

 

大部屋役者用の給湯室で、湯沸かし用の魔道具を見つめながらお義兄さんはそう尋ねた。

 

 

「だいたいは自分で作りました。給排水の機器なんかは魔導学園のターセル技師に一部制作をお願いしましたが……」

 

「逆に聞こうか……お前、できない事は何だ?」

 

「えっと……料理、演奏、戦働き、あとは……政治ですかね」

 

 

俺の言葉にお義兄さんはフンと鼻を鳴らし、じろりとこちらを見た。

 

 

「あまり貴様を褒めたくはないところだが、言わざるを得ん。王都の御用学者なんぞよりはよほど使える物を作る。あの投影装置(プロジェクター)とやらと、自動階段(エスカレーター)とやら、実用案に纏めておけ」

 

「名義はどなた様宛がよろしいので?」

 

「……貴様はノアやラクスの親として、そろそろうだつを上げようとは思わんのか?」

 

「うだつが上がっても、首が体から離れちゃあたまりませんので……」

 

 

俺が手刀で首をトントン叩きながらそう言うと、お義兄さんは頭を指で抑えながら、珍しい事にふぅと大きくため息をついた。

 

 

「ま、よかろう……どうにでもなるのを何人か上げる。フランク・マリノと共に利害関係を調整しろ」

 

「こりゃどうも、いつもすいません」

 

 

本当にありがたい。

 

王族関係者ってのは使い減りのしない最強の後ろ盾だ、大切にしよう。

 

凛々しい顔でメモ帳に何事かを書き付けるお義兄さんに、俺は深く深く頭を下げたのだった。

 

 

 

仕事が済めば、後は楽しい楽しいお芝居(エンターテイメント)の時間だ。

 

開演前のざわめきに満ちた劇場、その一番上の五階席に俺達はいた。

 

舞台を正面から見られるソファ席には義兄夫婦が座り、その両隣を俺とローラさんが座る椅子が固める。

 

ソファの前の机にはアストロバックスの焼き菓子やコーヒーが置かれているが、売り子の子達も生きた心地がしなかっただろうな。

 

後でボーナスでも出しておこう。

 

あとは背後の壁際にずらりと並ぶ護衛の軍人さん達が気にならないと言ったら嘘になるが……それはまぁ、仕方のない事なのだろう。

 

 

「ソファで演劇が見られるなんて、国立劇場みたいね」

 

 

一口飲んだアストロバックスのコーヒーを机の上に置いてから、姫様はそう言った。

 

 

「えっ、国立劇場ってそうなんですか……?」

 

「王族の観劇用にちょうどこういう席があるのだが……まさか、知らずに作ったのか?」

 

「いやあ、幸い(・・)王都には縁がなくて……」

 

 

なーんだ、俺のセンスもいい線いってんじゃん。

 

まさか知らず知らずのうちに国立劇場の施設と同じ物を作ってしまうとはな……自分の才能が怖いぜ。

 

 

「まあ、あっちの方が広くて綺麗でソファも柔らかいけど」

 

「あ、そうですか……」

 

 

ガックリ来たが、まぁ方向性は合ってたって事だな。

 

 

「私はこれぐらいの方が落ち着くよ。国立はどうにも広すぎてね、冬は寒いし」

 

「たしかに、家族の憩いの場としてはちょうどいいぐらいかもしれないけどね」

 

 

ワンフロア丸々使って、ちょうどいい憩いの場って……やっぱ王族はスケールが違うわ。

 

そんなうちの嫁さんとお義姉さんとのハイソなセレブトークを聞くともなしに聞きながら、俺はじっと開演時間を待ったのだった。

 

 

 

我が劇団の誇る、稀代の天才脚本家メジアスの書いた歌劇『もう遅い』の公演中、横に座っていた姫様の顔はまさに百面相と言った様子だった。

 

主人公が理不尽に追放されれば眉根を寄せ、主人公達の言い合う冗談に笑い、大冒険には拳を握ってのめり込み、巨大ヤモリを倒したシーンでは他の観客達と一緒に喝采を上げる。

 

てっきり澄ました顔で査定されるものだと思っていた俺は面食らい、姫様の顔に釘付けになりすぎてソファの向こう側のローラさんから睨みつけられてしまった。

 

……すいません。

 

肝は冷えたが、楽しい時間はあっという間に進み。

 

演者全員揃ってのカーテンコールでは、絶賛の意を示す光の帯の魔法が今日も劇場内を飛び交っていた。

 

姫様もなかなか楽しまれたようで、目尻に浮かべた涙をハンカチで拭っているようだ。

 

 

「ああ面白かった。やっぱりメジアスの劇はいいわね」

 

「楽しんで頂けまして幸いです」

 

「最初は女だけの劇団というのはどうかと思ったけれど、見てみると華やかでいいじゃない。義弟君が思いついたのかしら?」

 

「そうなんですよ、これなら地方の一劇場でも売りになるかなって」

 

「あのヘンテコな演出はどうかと思うけれど、全体的には結構いいんじゃないかしら」

 

「ヘ、ヘンテコですか……」

 

 

ま、まぁ、センスってのは洗練されすぎてると逆に奇異に見えてしまうものだしな……

 

全体的にいいならば良しとしておこうか。

 

 

「劇はいいが、君はカリーヤ姉様の事を見すぎだぞ」

 

「あ、そういえば隣から熱視線が来てたわね、何か私の事が気になって?」

 

「あ、いえ……あまりに楽しそうに見ていらしたので、つい……」

 

「あら、私とてまだまだ二十の小娘ですもの。劇ぐらい素直に楽しんではいけないのかしら?」

 

「とんでもない、素晴らしい事ですとも」

 

「劇を見る時に横の観客の反応ばかり気にするのは君の悪癖だな」

 

「いや、その……」

 

 

俺が女性陣二人にたじたじになっている中、お義兄さんは我関せずと言った様子で舞台を見ながら、残った焼き菓子をつまんでいる。

 

あなたの嫁さんと妹でしょ、ちょっと取り成してくれたっていいでしょ。

 

そんな事を念じても、彼はただ残り物を片付けるだけだ。

 

 

「そういえば、ここは他の劇はないのかしら?」

 

「あ、それなら来月からリルクスの『裸族の女』を演る予定です」

 

「リルクス? せっかく斬新な劇団を作ったのにつまらない古典をやるのね」

 

 

うっ。

 

大脚本家の名作を「つまらない」などと切って捨てて許されるのは、きっとこの姫様ぐらいだろう。

 

少なくとも俺達演劇ファンは恐れ多くてとてもそんな事は口にできない、めんどくさいファンも多いしね。

 

 

「あ、そうだ。よかったら脚本家を紹介してあげましょうか?」

 

「えっ……? いいんですか!? 助かりますよ」

 

 

田舎(トルキイバ)にいて困る事は、王都の文化人とのコネが作れない事だ。

 

前世のようにインターネットで依頼ができるわけじゃない、金も箱も劇団もあっても、ツテがなければオリジナル脚本は手に入らない。

 

姫様の紹介って事は、少なくとも王都の脚本家のはず。

 

たとえ王都ではパッとしない若造でも、トルキイバまで脚本を持ってくればそれは新進気鋭の新作という事になるのだ。

 

うちみたいに新しい劇場にとっては、王都から来た新作ってだけで箔付けになる。

 

ありがたい限りだ。

 

 

「革新派の作家ですかね? それとも新自由派? 山岳派もいいなぁ。もちろん復興派でもいいんですけど」

 

「何派かは知らないけど、スピネル爺なんてどうかしら? 最近は暇を持て余しているみたいだし、私から頼んであげるわ」

 

「えっ! スピネル氏って、国立劇場の専属脚本家じゃないですか……本当にいいんですか?」

 

「別に専属ってわけじゃないわよ」

 

 

脚本家としての名声が高まりすぎて国立でしか書けなくなった孤高の作家なんだよなぁ……

 

とにかく、これは千載一遇の大チャンスだ!

 

このコネ、モノにするしかない!

 

 

「是非に! 是非ともお願いします!」

 

「あ、うん……い、いいわよ……」

 

 

地面に這いつくばる勢いで頭を下げる俺に、姫様は若干引きながらも快諾の返事をくれた。

 

劇場を作って、本当に良かったよ……

 

 

 

カーテンコールが終わった後、エスカレーターで劇場のホールへと降りてきた俺達を待っていたのは、三本の大行列だった。

 

 

「あら、この列は何かしら?」

 

「この列は主人公パーティ三人の役者との握手会の列ですよ」

 

「握手会? なぜ握手を?」

 

「それは、演者と観劇者の触れ合いの場と申しましょうか……その……」

 

 

説明が難しいな……と思っていたらローラさんが引き継いで説明してくれた。

 

 

「客が出演者に直接挨拶できるっていう催しでね、意外と評判なんだよ」

 

「ふぅん、そうなの。せっかく来たのだし、私もやってみようかしら」

 

「え、姫様が握手をですか? あ、じゃあ誰か役者をどかせましょうか」

 

「そうじゃなくて、役者と握手する方よ」

 

「あ……そっちですか」

 

 

どっちかと言うと姫様と握手をしたい人の方が多いと思うんだけど……

 

まぁ、逆にそういうのはもう飽き飽きしてるのかもな。

 

 

「では少々お待ちを……」

 

「並んでくるわね」

 

「あ……ちょっ……!」

 

 

客をどかすために人を呼ぼうとしていると、姫様はつかつかと歩いていって長い列の後ろにそのまま並んでしまった。

 

会場ロビーにどよめきが広がる。

 

そりゃあそうだろう、一国の姫君が地方役者と握手をするためだけの列にわざわざ並んだのだ。

 

 

「あの列は何だ?」

 

「役者と握手とかっていう……」

 

「握手って、何のために?」

 

「さぁ……?」

 

 

普段からうちの劇場に来てくれている人はともかく、姫様目当てでやって来た貴族達にとっては本気で意味不明だろう。

 

思わずといった様子で姫様の後ろに数人の貴族が並ぼうとしたが、劇場のスタッフが笑顔で呼び止め、物販の方を指さした。

 

握手するならば版画集を買って握手券を手に入れてくださいというわけだ。

 

そりゃそういうルールだけど、この雰囲気の中できちんと対応できるのは凄い。

 

支配人のモイモの教育がいいんだろう。

 

偉い! ボーナスだ!

 

ちょうどそのモイモがこちらへやって来たので、労おうとしたら版画集と握手券を手渡された。

 

 

「ご主人様、こちらを……」

 

「あ、そっか」

 

 

俺はモイモから預かったそれらを手に、列に並ぶ姫様の元へと向かった。

 

 

「姫様、こちらを」

 

「あら、これは?」

 

「握手のためのチケットにございます」

 

「ああ、これが必要だったのね。ありがとう」

 

 

姫様にルールを守っていただければ、他の貴族に説明するのも楽になるというものだ。

 

だが、先に並んでいた人達からすれば、後ろに姫様が並んでいると思えば冷静ではいられないもの。

 

姫様の並ぶ主役のレニッツを演じる夜霧のヨマネス、その列に並んでいる令嬢たちは浮き足だってしまってもう握手どころではないようだった。

 

普段はスタッフから剥がされるまで喋り続けるご厄介お嬢様達が、一言二言喋ってはすぐにはけていく。

 

 

「あ、あの……ヨマネス様、本日は……その……ごめんなさいね、私もう、姫君の近くにいられる栄誉で胸が一杯で……」

 

「美しいお嬢さん、大丈夫。私も同じ気持ちですよ。またいらしてくださいね」

 

「は、はいっ!」

 

 

姫様のすぐ前に並んでいた令嬢は浮き足だった様子でサッと列を離れていった。

 

劇場のロビーにいるほとんど全員が固唾を飲んで見守る中、ヨマネスは微笑を浮かべて姫様を迎えた。

 

 

「あなたと握手をすればいいのよね」

 

「光栄です、お嬢さん。お手を拝借しても?」

 

「もちろん」

 

 

ヨマネスと姫様の手がきゅっと結ばれると、俺の近くにいた令嬢が物凄い形相でふぅーっと長いため息を漏らした。

 

ただの握手なのに、なんだか周りの緊張感が凄いな。

 

 

「今日はご来場ありがとうございます。劇はいかがでしたか?」

 

「楽しめたわ。あなたこれまではどちらの劇団にいらしたの?」

 

「実は劇団はこちらに来てからが初めてで……三年前まではデオヤイカで紡績の仕事をしておりました」

 

「あら、そうなの? あなた、才能があるわよ。これからも頑張ってね」

 

「ありがとうございます」

 

 

あどけなく笑う姫様と、妖艶に微笑んだヨマネスがもう一度強く握った手を離した時、静止していた劇場がようやく再び動き始めた。

 

 

「我々も握手しておこう」

 

「版画を買えばいいんだったっけ」

 

「夜霧のヨマネスはきっと大物になるわ」

 

「ああ、ヨマネス様が遠くに行ってしまう……」

 

 

人々はざわめきと供にこぞって握手の列へと向かい、今や列はホールを超えて階段の上にまで伸びていた。

 

単なる小遣い稼ぎのイベントのはずだったのに、なんだか大変な事になっちゃったぞ。

 

 

「よくわからなかったけど、結構人気なのね。握手会」

 

「ま、まぁ……」

 

 

列から離れて戻ってきた姫様に「あなたが原因です」とはとても突っ込めない俺なのだった。

 

 

 

劇場からの帰り際に「あっちの建物は何かしら?」と訪ねた姫様を伴って、我々は劇場に隣接する野球場へとやってきていた。

 

もちろん姫様が行くという事は、その追っかけもやって来るという事。

 

最上段のオーナーシートに陣取る我々から見えるVIP席と一般客席には、平民達に混じって野球を観戦する大量の貴族達の姿があった。

 

 

「これがうちの旦那様の夢中になったという野球というもの?」

 

「別に夢中になってなどいない」

 

「あら、試合結果の載っているこちらの新聞を届けてもらっては一喜一憂していたじゃない」

 

「一喜一憂などしていない」

 

「素直じゃないんだから。スレイラが勝った日なんて鼻歌歌ってたのに」

 

 

そんなイチャイチャしている夫婦の間を、ごうっと音を立てながら強風が吹き抜けた。

 

身震いするような寒風だ。

 

まだまだ寒い季節、このままでの観戦は身重の姫様には毒かもしれない。

 

 

「姫様、風が冷とうございますので、こちらを……」

 

「あら、ありがとう」

 

 

俺がシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)の真っ赤なブルゾンとキャップを差し出すと、姫様は肩にかけるようにブルゾンを羽織り、乱れた髪を手櫛で直してキャップを被った。

 

万年最下位争いをしている不人気チームのグッズだが、美人が着るとオシャレに見えるな。

 

貴族達はこちらの席を見ながら何やらざわついているようだが、試合を見てくれ試合を。

 

 

「今試合をしているあの人達はどういう人達なの?」

 

「あれは平民リーグの選手達です。貴族リーグは春まではお休み中なんですけど、平民リーグは今がリーグ終盤戦なんです」

 

「あらそうなの、どうりで魔法を使っていないわけね」

 

「カリーヤ姉様、魔法を使わないあれはあれで、やるとなかなか面白いんだよ」

 

「ふぅん、私はあんまりよくわからないかも」

 

 

退屈そうな姫様には申し訳ないが、平民リーグはそういうものだ。

 

ルールで賭けができない事もあってか、客だって各チームの家族や友人、それと一部の熱狂的な野球ファンばかりだし。

 

今日みたいな事がなければ、客席だってほどほどに空いていたはずだ。

 

正直、今日の試合の両チームには申し訳ない事をしたかもな……

 

後でシェンカーの方から酒か何か、お詫びに差し入れておくか。

 

グラウンドでは平民リーグの東町商店街禿頭団(スキンヘッドボーイズ)の投手が、なんだかギクシャクした様子で大暴投の高速スライダーを投げ込んでいたのだった。

 

 

 

その翌日からも、俺は仕事と観光を一日置きに繰り返す姫様に随伴し続ける事となった。

 

姫様に「造魔の制御系の安全性を確認したい」と言われれば、研究所で一から小さな造魔を作って制御実験と自我封印具の強度計算を説明し。

 

姫様に「トルキイバにしかないような面白い店なんてないかしら」と言われれば、どうぶつ喫茶へと案内し。

 

姫様に「超巨大造魔の後背部の揺れについて確認したい」と言われれば計器を用意し、時計塔級の揺れの計測から、脚部の設計や振動減衰の仕組みに至るまでの解説を行った。

 

姫様に「大きいお風呂にゆったり入りたい」と言われれば、チキンの作ったスーパー銭湯を貸し切りにし。

 

姫様に「造魔の装甲強度を高められないか」と言われれば、外骨格の仕組みから……

 

姫様に「名物が食べたい」と言われれば、吟遊詩人の歌で有名になったうどん屋に……

 

とにかく、大変だったわけだ。

 

お義兄さんなんかは自分の嫁さんほったらかしで甥っ子姪っ子と一緒に野球を見に行ったり、妹と一緒に釣りを楽しんだり、気楽なもんだ。

 

俺はもう、回復魔法がなければ死んでたかもってぐらいに胃を悪くしてしまったよ……

 

まあでも、遮二無二やっていれば嵐は過ぎ去るもの。

 

波乱の一週間もようやく終わり、ついに姫様のお帰りになる日がやってきた。

 

 

 

周りを制服軍人でガッチリ固められたトルキイバの駅にて、我々家族は義兄夫婦をお見送りに来ていた。

 

 

「かいーや! 帰っちゃやーっ!」

 

「ノアもぽっぽーっ!」

 

 

姫様はぐずる子供達のおでこに優しくキスを落とし、くしゃりと頭を撫でる。

 

 

「また会いましょう。今度会うときはだっこできないぐらい大きくなっていてちょうだいね」

 

 

姫様もきっと子供が生まれたらお忙しくなる事だろう。

 

うちの子達には申し訳ないが、この先二年ぐらいは御幸はないのではないだろうか。

 

俺はそれで全然オッケーだけど。

 

 

「それで義弟君」

 

「あ、はいっ!」

 

「超巨大造魔建造計画、正式に開始していいわよ」

 

「え?」

 

「父には私から言っておくから、多分来月には勅令が下るはず。今受注してる時計塔級は半年後から三ヶ月ごとに納入でいいから。君が本気出したら一ヶ月ぐらいで作れるでしょうけど、それはやめといた方がいいと思うわ」

 

 

超巨大造魔の本決まりの件はともかく、なんで俺が真面目に働いた時の日程まで把握されてるんだろう。

 

思わずお義兄さんの顔を見るが、彼は煙草を吸いながらそっぽを向いている。

 

 

「とにかく、あんまり無茶な事はしないようにね。かわいいお嫁さんだけじゃなく、大事な子供達もいるんだから」

 

「もちろんです」

 

「ローラも、元気でね」

 

「子供達と煙草と旦那様さえいれば、私はいつも元気だよ、カリーヤ姉様」

 

 

彼女は最後にニコッと微笑んで、魔導列車の入り口へと消えていった。

 

周りを囲んでいた警護の軍人達も、まるで一つの生物かのようにスムーズに入り口へと吸い込まれていく。

 

別れを惜しむ間もなく、列車がゆっくりと動き出した。

 

俺が大きく吐き出した透明なため息は、わんわん泣く双子の甲高い声にかき消され。

 

双子の泣き声もまた、きぃきぃと鳴り始めた車輪の音に紛れて聞こえなくなった。

 

連日ごうごうと吹いていた冷たい風は今朝からぴたりと止み、日差しの暖かさを鼻の先がじんわりと感じていた。

 

シュンシュンと鳴るエンジンの音が段々と繋がり、高く長く続く鯨の鳴き声のような音へと変わっていく。

 

緑色の増え始めた大地の中を姫様を乗せた列車がぐんぐんと進んでいき、やがて見えなくなった。

 

トルキイバにやってきた嵐は、冬と供に去って行ったのだった。



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第106話 焼き焼きて 焼き焼き焼きて もう飽きて

このトルキイバの街に生まれ、中町の片隅で定食屋をやって三十余年。

 

飲食店の入れ替わりの激しいこの中町で長くやってこれたのは、色んな人に支えられての事だというのは俺が一番良くわかってる。

 

客筋は良く、常連も多くでき、こっそりと平民の服を着てまで通う貴族のお客までいてくださる。

 

何の不満があるんだと言われれば何の不満もねぇ。

 

……いや、それは嘘だな。

 

俺はもう、本当のところ不満だらけだった。

 

 

「おやっさん、卵焼き(オムレツ)定食」

 

「んな定食ねぇ!」

 

「はいはい、今日は卵焼きとシチューね」

 

 

十人も入れば一杯の店内は、今日も客と料理と煙草の煙で一杯だ。

 

 

「こっちも卵焼き定食」

 

「たまにゃあ卵じゃなくて(ゲハゲハ)でも食いやがれ」

 

「はいはい、卵焼き定食一丁」

 

「外の看板読んでみろ! 今日のおすすめは何だ!? 今日はトマトの煮豆が一番美味いんだよ! なぁ母さん!」

 

「はいはい、お次卵焼き定食」

 

「かーっ! 卵焼きはもう作ってても楽しくねぇ!」

 

 

そう、俺の不満はこの飯屋の看板料理扱いになっちまった卵焼きだ。

 

子供の頃からずーっと作ってる料理で、俺が一番最初に覚えた料理でもある。

 

だからこそ、評判を取ってもやり切れねぇ。

 

これは俺の料理人としての三十年の研鑽なんか、全く関係のない料理だからだ。

 

 

「おやっさん、今日もいい味だったよ!」

 

「ごっそさん!」

 

「やっぱここの卵焼き食わねぇと調子が出ねぇんだわ」

 

「うるせぇ!」

 

 

ありがたい、本当はありがたい事だ。

 

この料理のおかげで娘を三人も大きくして嫁にやって、今もその世話にならずに母ちゃんと二人で食っていけてるんだ。

 

でもよ、俺のほかの料理だって捨てたもんじゃねぇ。

 

よその店よりも絶対に美味い。

 

自信があるんだ。

 

だからこそ……俺はもうこの卵焼きが疎ましくて仕方がなかった。

 

 

「おやっさん! 卵焼きと酒!」

 

「おいサーフ! たまには特製ソースのペペロンチーノでもサービスしてやろうか?」

 

「あ、いや……いっす」

 

「かーっ! これだ! 俺が若い頃は出されたもんは何でもありがたく食ったっつーのに……」

 

「あンた! 卵焼き三つ、さっさと!」

 

「もう我慢ならねぇ!」

 

「我慢なんないのはこっちだよ! 今すぐ焼きな! あんたの尻に焼き入れてやろうか!」

 

 

我慢ならねぇ。

 

我慢ならねぇならどうする?

 

そりゃあ、値上げだ。

 

これまで四ディルだった卵焼きが、明日からいきなり八ディルだ。

 

こりゃあ効くぜ。

 

そんじゃあ卵焼きはやめて、ほかの料理にしときましょうって話になるわけだ。

 

効くだろうな。

 

効きすぎるかな?

 

……うちの店、潰れたりしない?

 

 

 

母ちゃんにしこたま怒られつつも意見を押し切り。

 

不安な気持ちのまま店を開け、一人目の客がやって来た。

 

 

「卵焼き定食」

 

「卵焼きは今日から単品八ディルに値上げだよ、焼き魚なら三ディルだ」

 

「え……マジかよ、おいおい……まいったねこりゃ……」

 

「悪ぃな、ペペロンチーノなら大盛りで五ディルだ」

 

「あ、じゃあ卵焼き、定食で」

 

「麺の気分じゃないか? ゲハゲハの大葉包み揚げ定食ならどうだ? 六ディルで腹いっぱいだぞ!」

 

「いや、卵焼きで」

 

「なんでだよ!」

 

「あンた! さっさと焼きな! 今日は定食は豆のスープだよ!」

 

 

母ちゃんに尻を蹴られながら卵を割るが、納得できねぇ。

 

なんでそんなに卵焼きがいいんだよ!

 

 

「あっ! 卵焼き値上げしてる!」

 

 

次に入ってきた客も入り口に貼られた張り紙を見て驚いてるようだな。

 

よしよし、さすがに卵焼きに八ディル払う物好きばかりってわけじゃあないだろ。

 

 

「そうなんだよ! 代わりに揚げ鶏はどうだ! パンとスープもついて六ディルだ!」

 

「卵焼きで」

 

「なんでだよ!」

 

「さっさと焼くんだよこの馬鹿亭主!」

 

「親父さん、俺若い時金ないのにたらふく食わせて貰ったこと忘れてないよ」

 

 

憮然とした顔の若いのが、腕を組んで俺を睨む。

 

 

「ああ!?」

 

「だから……! 親父さんが苦しい時ぐらい食って支えるっつってんだよ!」

 

「苦しくねぇよ! 馬鹿野郎!」

 

「苦しいよ! あんたが毎日出もしないメニューの食材めちゃくちゃ買ってくるから!」

 

 

また母ちゃんに尻を蹴られた。

 

でも新しいメニューは常に考えてないと流行に置いてかれちゃうだろ!

 

ただでさえシェンカーが色んなメニューを流行らせてんだからさぁ。

 

 

そう、シェンカーだ。

 

今やこの街の実質的な支配者とも言える、マジカル・シェンカー・グループ。

 

シェンカーの人達にはうちの店も贔屓にして貰ってるが、俺は正直なところ目下一番のライバルだと思ってる。

 

小麦粉を細く長く伸ばしたペペロンチーノ、食感が楽しいうどん、最近で言えば贅沢に肉を使用したハヤシライス(・・・)なんていう不思議な名前のシチュー(・・・・)だってあるな。

 

街で噂の幻の屋台なんてのもシェンカーだと聞くし、とにかくあそこは食への探究心が半端じゃねえ。

 

アストロバックスだってべらぼうに高いがきちんと美味しいんだ、母ちゃんと娘達と一緒に一張羅着て食べに行ったんだからな。

 

シェンカーに負けないためには、卵焼きだけじゃ駄目だ。

 

駄目なんだが……

 

 

「おやっさん、卵焼き定食」

 

「こっちも卵焼き、あと酒」

 

「あンた! 卵焼き二つ!」

 

 

出るのは卵焼きばかり。

 

俺、料理の才能ないのかなぁ……

 

 

 

その後も色んな事を試した。

 

逆に激安のメニューを出してみたり、卵焼き以外を頼んだら酒を割引したり。

 

いっそ卵焼きを出すのを止めちまおうかとも思ったんだが、それは母ちゃんと娘達が許さなかった。

 

俺はこのまま、卵焼いて死ぬのか。

 

なんて、開ける前の店前でそんな事を考えながら煙草を吸っていた時に、不意に懐かしい顔を見かけた。

 

 

「おぅい! ピクルスじゃねぇか!」

 

「え? あっ! おっちゃん……」

 

 

ピクルスは小さい頃に他所の土地からトルキイバに売られてきた馬人族で、体がでかいからいつでも腹を空かせていた子だ。

 

うちにもよく飯を食いに来ていたのに、最近は体がデカいから店の迷惑になるとか言って寄り付かねぇ。

 

うちにゃあそんな事気にする客はいないってのによ。

 

 

「この野郎、うちの前を素通りしようなんざふてぇ野郎だ! 冷てぇじゃねぇか、情がねぇじゃねぇか。何か食ってけよ! 腹減ってんだろ?」

 

「あのぅ……おっちゃん……今日は……」

 

「心配すんな、いつも通り払いは麦粥一杯分でも構わねぇよ。若ぇ時はみんな腹減ってんだからよ! 遠慮せずに食ってけ食ってけ!」

 

「いやその……護衛の仕事中でぇ……」

 

 

護衛の仕事?

 

こいつ冒険者じゃなかったか?

 

そういえば、今日のピクルスはあんまり見ない格好をしていやがるな。

 

カッチリとした、まるで軍服みたいな……

 

 

「ピクルス、知り合い?」

 

「あ……ご主人様、昔からお世話になっているお店の店主さんで……」

 

 

ご主人様だぁ……?

 

あ、ピクルスんとこの親方っつったら。

 

もしかして、サワディ……サワディ・スレイラか!?

 

 

「もう晩飯時だしさぁ、せっかくだから何か頂いていこうよ」

 

「ご主人様がそう仰るなら……」

 

「え? え? シェンカーの……サワディさん?」

 

「どうも」

 

 

黒いコートを着たクセ毛の若者が、こちらに向けてニコリと笑った。

 

 

 

唐突な大物の来店に、急遽貸し切りとなった店内のカウンター。

 

そこに地面に膝をついたピクルスと、コートを脱いだサワディさんが並んで座った。

 

俺はもう膝がガクガクだ。

 

サワディさんの名前を聞いても全く動じない頼もしい母ちゃんの腕に縋り付くようにして、ギリギリで厨房に立っていた。

 

 

「あ、あの……それで、何にしやしょう」

 

「ご主人様、ここは卵焼きがオススメで……」

 

「うーん、昼も卵料理だったからな。あのオススメって書いてある特製ペペロンチーノ定食で……」

 

「それじゃあ私もそれで」

 

「へ、へえ! 母ちゃん特製ペペロンチーノふたつ!」

 

「あンたが作んだよ!」

 

 

いつものように母ちゃんに尻を蹴られ、慌てて鍋を火にかけた。

 

まずったなぁ、そこらの貴族よりもよっぽど恐ろしい人を店に呼び込んじまった。

 

なんせ相手はあのMSG(マジカル・シェンカー・グループ)の元締めだ。

 

なんか粗相があって肉の卸しなんかを止められちまったら、うちなんか来週には食い詰めだ。

 

震える手で茹で上げた麺を引き上げ、緊張で曲がらない肘を突っ張ったまま、操り人形のように器にスープを注ぐ。

 

落ちつけ、今日のペペロンチーノは自信作の創作料理なんだ。

 

店に出し始めて五日、まだ誰も頼んでないけど……

 

食ってもらえばわかる、絶対に美味いんだよ!

 

 

「へいお待ち!」

 

 

スープを零さないように体の震えを抑えながら、なんとかカウンターに器を差し出す。

 

()に盛り付けたそのペペロンチーノを見て、サワディさんはギョッと目を丸くした。

 

そうしてフォークを差し込んで一口食べて、細く息を吐きながら天を見上げる。

 

え? どっちだ!?

 

美味いのかまずいのか!

 

 

「これは……」

 

「ど、どうですか!?」

 

「ちょっと待って……まさかなぁ……」

 

 

サワディさんは丼を持ち上げてスープを啜って一つ頷き、顎に手を当てて言った。

 

 

「これ、ラーメンじゃん!」

 

「ラーメンですか?」

 

「うん、ラーメン」

 

「ラーメンってのは何ですか!?」

 

 

おんなじような料理がどこかにあるんだろうか?

 

 

「ラーメンってのは東の方の料理で……それよりこれ、麺はどうやって縮らせたんですか? こんなド内陸でかん水なんて手に入らないはずなのに」

 

「その麺はスープに絡ませるための特別製で、ふくらし粉を使ったんでさぁ! スープは豚の骨とゲハゲハの干物をコトコト煮込んで……」

 

 

俺の説明に熱心に頷きながら、サワディさんはもう一度麺をズルズルと啜った。

 

 

「本当にラーメンだ! まさかこんな所で食べられるなんて!」

 

「そんなに美味しいですか?」

 

「めちゃくちゃ美味いよ! 元々揚げ麺はこれを目指して作ったんだ」

 

「へぇ~」

 

 

知らなかった。

 

軍にも納品されてるっていう保存食の元がこの特製ペペロンチーノだったとはな。

 

 

「しかし本当に、美味い。美味いなぁ……ローラさんにも食べさせてやりたいよ」

 

 

目尻に涙まで浮かべたサワディさんは一気呵成に麺を吸い込み、スープまで全て飲み干してしまった。

 

あんなに気に入ってもらえると、料理人としては冥利に尽きるってもんだ。

 

しかし、サワディさんはラーメンなんて料理を一体どこで食べたんだろうか?

 

 

「あンた! 定食だよ!」

 

「おっといけねぇ、今日は定食はシチューだよ」

 

「ラーメンに、シチュー……」

 

 

空になった丼の横に並べられたシチューの皿を見て、サワディさんはなんとも言えない顔をした。

 

シチューがお嫌いだったのかな?

 

 

「おっちゃん、卵焼き頼んでもいいっぺか?」

 

「もちろんだ! 卵五個使った特製にしてやるよ」

 

「ありがとうねぇ」

 

 

特製ペペロンチーノを褒められたからだろうか、さっきとは打って変わって体が動く。

 

今日はじめていつもの訛りが出たピクルスに卵焼きを出してやる。

 

 

「美味そうだな、一口ちょうだい」

 

「あ、どうぞどうぞ」

 

 

出汁の入ったフワフワの卵焼きを頬張って、サワディさんは幸せそうな笑顔を見せた。

 

やっぱり、サワディさんも卵焼きの方が好きか。

 

仕方ねぇよな、そういうもんだ。

 

 

「ピクルス、シチューあげる」

 

「あ、頂きます」

 

 

シチューをピクルスにあげて、卵焼きを食べるんだろう。

 

俺は頼まれるであろう卵焼きを作るために、卵を二つ手に取った。

 

 

「店長」

 

「へいっ!」

 

「特製ペペロンチーノ、もう一杯!」

 

「へいっ! って、えっ!?」

 

 

俺の手が卵を割るのと、隣の母ちゃんから尻に蹴りが入るのはほとんど同時だった。

 

 

 

あの日から、俺は卵焼きの値段を元に戻した。

 

なんというか、安っぽく言えば自信がついたからだ。

 

あんな大人物におかわりまでされるって事は、俺の腕はそう捨てたものじゃない。

 

俺は卵焼きだけの男じゃない。

 

わかる人はきちんとわかってくれるのだ。

 

 

「おやっさん! 卵焼き定食!」

 

「あいよっ!」

 

「こっちも卵焼き! あと酒!」

 

「はいはいっ!」

 

「このサワディ定食って奴をもらおうかな」

 

「サワディ定ね!」

 

 

あの特製ペペロンチーノは違いのわかる男サワディさんから名前を頂いた。

 

名前のおかげか、シェンカーの人達もぼちぼち頼んでくれるようになった。

 

やっぱり、料理ってのは研鑽だ。

 

コツコツ研究をしていれば、こうして色んな面から認められる時が来るもんだ。

 

ただ、お貴族様の嫁さんを連れてきたサワディさんが、定食の名前を見て苦虫を噛み潰したような顔をしていたのには申し訳なかった。

 

やっぱり、入婿のサワディさんの事だ。

 

お嫁さんの顔を立ててスレイラ定食にしといた方が良かったんだろうか?




大袖振豆もちが美味しすぎる


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第107話 過ぎ去った 嵐の後に 草芽生え

まるで台風のようにトルキイバを引っ掻き回した姫様がこの地を去ってから一ヶ月。

 

穏やかに吹く風は暖かく、野に緑は芽吹き、子供達は下ろしたてのシャツを汚しながらうきうきと庭で遊ぶ。

 

まさに春爛漫の今日この頃。

 

トルキイバは……いや、シェンカー(・・・・・)は未曾有の大混乱に陥っていた。

 

大混乱と言っても、またダンジョンで問題が起きたとか、大貴族からの無茶振りがあったとかそういう事じゃあない。

 

あの姫様の置き土産が炸裂したってだけの話だ。

 

 

「押さないでーっ! 押さないでくださーいっ! 握手会、夜霧のヨマネス列の最後尾は劇場の外になりまーす!」

 

 

まず第一の被害者は、姫様が観劇の後に握手をしたうちの劇団のヨマネスだ。

 

彼女は今や完全に時の人扱いで、前から長かった握手会の列がついに劇場の外まで飛び出してしまっていた。

 

 

「何ですかあの行列? 階段の下の方まで続いてるみたいですけど」

 

「そうか、エラはずっとルエフマにいたから知らないのか。サワディの劇場は閉演後には握手会でいつもああなんだよ」

 

「握手? 役者さんとですか? なんで?」

 

「エラも握手してみる? すげぇ待つけど」

 

「いえ、せっかくですけどやめときます」

 

 

しばらく会わない間に俺達の中で一番の長身となったエラは、苦笑しながら手を振った。

 

今日はこいつが久々にトルキイバに帰ってきたという事で、実家の家具屋で働いているジニも呼んで学生時代の平民三羽烏で同期会をしていた。

 

俺の前世で言えば十七歳なんてまだまだ一緒に高校に通っているぐらいの時分だが、十五で成人のこの世界じゃもうみんな現役バリバリだ。

 

 

「しかし、サワディ君が劇場を作る夢を叶えたってのは聞いてましたけど……まさかこんなに繁盛してるとは思いませんでしたよ」

 

「そうだよなぁ、今やあのクバトア劇場よりも流行ってるんだもんな」

 

「やっぱ俺って天才だからさぁ」

 

「天才かどうかは知らないけど、考えなしの馬鹿だから馬車馬みたいに働かされてんだろ?」

 

「あの巨人を作ってるんですよね? ルエフマからも動いてるとこが見えて話題になってますよ」

 

「それだけじゃないんだって。こいつん家、今精肉とか革の卸もやってて、人足りなくてヒーヒー言ってんだよ」

 

「あ、なんかトルキイバは物凄く肉が安いって奥さんが言ってたんですけど、もしかしてサワディ君が噛んでたんですか?」

 

「ま、まぁな……」

 

 

そんなとりとめのない話をしながらエスカレーターを降りていくと、混沌とした劇場エントランスの握手会場が見えてきた。

 

清楚で慎ましい良家の子女とはいえ、何百人も並ぶともう……とんでもない姦しさだ。

 

 

「急がないで、お姫様達。今夜はいくらでも付き合ってあげるから」

 

「キャーッ!」

 

「ヨマネス様ーっ!」

 

「今私に目配せされたのよ」

 

「私よ私」

 

「今日はお手紙を添えて良く効く軟膏を差し入れ致しましたの。こうも握手が多くては手袋越しでも手が荒れてしまいますでしょうから」

 

「素晴らしい心遣いですわ。さすがはエリナ様」

 

「私はお抱えの薬師が作った化粧水を……」

 

 

大混雑のエントランスの耳に痛いぐらいの喧騒の中を、劇場の外に出る列はゆっくりゆっくりと進む。

 

どうも上手く動線が機能してない気がする、要改善だな。

 

しかしこうも周りがやかましいと、さすがに男三人で声を張り上げてまで喋るという気にもならず、俺達は押し黙ったまま流れに身を任せていた。

 

しかし俺達の前を行く婦女子達は、その細い体のどこから出ているのか不思議になるぐらいの大声で……

 

姫様の第二の被害者である、うちの筆頭奴隷チキンの事を喋りまくっていた。

 

 

「あら、そちらのシャツ、もしかしてチキンさんのお店のものじゃなくって?」

 

「ええ、実はシェンカー家には伝手がありまして、たまたま手に入りましたの。ヨマネス様と同じように、胸の下に少し絞りも入れてありますのよ」

 

「羨ましいわ。チキンさんのお店ではもうあの可愛らしい印章入りの手提げはおろか、靴下ひとつ手に入らなくなってしまいましたものね」

 

「そういえば、目抜き通りのデーダート衣服店がチキンさんにスカートの型紙を発注なさったっていう噂は本当なのかしら?」

 

「どうもそのお話、チキンさんの方から断られたそうですわよ」

 

「仕方ありませんわよ。ほら、今はシェンカー家もお肉屋さんがお忙しいみたいですし」

 

「でもシェンカー通り服飾店はあくまでチキンさん個人のご商売でしょう」

 

「チキンさんも本分はシェンカー家のご三男の婿入り先のスレイラ家の家令でしょうし、あくまで服飾店は本業の余録という事では……」

 

 

そう、シェンカー本部ビルにある、うちの筆頭奴隷チキンの経営する「シェンカー通り服飾店」の服が売り切れになるほど売れているのだ。

 

もちろん、本来は彼女達のような上流階級のお嬢様方が身につけるような質の服ではない。

 

チキンのブランディングでも、あくまで庶民が対象の商売だ。

 

店には一般庶民の普段着よりもちょっと背伸びしたぐらいの服しか置かれていない。

 

それが、時の人であるヨマネスが普段着にしているという事だけで、本来の購買層以外の人達に向けて売れに売れていた。

 

要するに、ファンアイテムになってしまったというわけだ。

 

突然の爆売れに泡を食ったチキンが「高級路線の商品を作ってヨマネスに着せる」と言っていたが……服飾品というものは小回りが利かないもの。

 

今の混乱が収まるのは少なくとも夏物商戦の後になるだろう。

 

 

 

大混雑の劇場からやっとの思いで外に出ても、そこはまだまだ人の渦の中だった。

 

ちょっとうんざりしながらも握手会の最後尾と駐車場へと向かう人の流れから抜け出し、大通りに向かって歩きだす。

 

まだ昼の公演が終わったばかりの時間だ。

 

晩飯を食ってから解散するにしても時間は十分にある。

 

どこに行こうかと話し始めた所で、エラが「そういえば……」と手をあげた。

 

 

「ちょっとサワディ君にお願いがあるんですが……」

 

「え、何? 虫歯でもできた?」

 

「違いますよ。実は奥さんにねだられている物がありまして。できたら都合して頂きたいんですが……」

 

「なんだろ。ヨマネスのサインとか?」

 

「サイン? なんでそんなもの欲しがるんですか? 服ですよ服。サワディ君とこの野球チームの服が欲しいらしいんですよ」

 

「あ、あの赤い上着だろ? 最近良く着てる人見かけるよな」

 

「あー、あれかぁ……うーん。まだあればいいけどなぁ……」

 

 

エラとジニの言っている上着とは、俺が野球場で姫様に着せたシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)の背中に蠍の刺繍の入った真っ赤なブルゾンの事だった。

 

なんの気無しに手渡した服が姫様効果で爆売れ、そういう話だ。

 

むくつけき男どもの聖地だった野球場は突如ブルゾンを求めた淑女達で溢れ、野球場のスタッフ達は劇場ほどじゃないとはいえ大変な思いをしたらしい。

 

中でも球場の支配人はトルキイバの錚々たる貴族子女達に呼びつけられ、何度も何度も品切れのお詫びをする羽目になったのだとか……

 

そんな姫様の被害者最後の一人、『達弁』のコルヴスは劇場双子座の裏にある野球場にいた。

 

 

大蠍団(スコーピオンズ)の上着。そりゃあご主人さまの仰せでございましたらば何着でも」

 

 

野球場の支配人室の中で、腰の軽そうな黒髪の中年男のコルヴスは漫画みたいな揉み手をしながらそう言った。

 

こいつは槍術士という触れ込みでうちに入ってきたのだが……

 

最初に入った冒険者組では班員相手に高利貸しをしていた事がバレて頭目の鱗人族のメンチに半殺しにされ……

 

次に配置された工場では工員達を丸め込み独自の工程改善を行い、しかしそれを上に報告せず勤務時間を勝手に短縮していた事がバレてチキンに激詰めされ……

 

しかし「今度やらかしたらクビ」と宣告を受けて送り出された販売業務では、得意の口先で八面六臂の大活躍を見せてみるみるうちに業績を上げまくり……

 

そんな回りすぎるぐらいの口先に加え、謎に心得のあるマナーや礼儀なども買われ、現在は見張り付きで野球場の仮支配人を任されている……

 

そういうどうにも食えない男がこのコルヴスだった。

 

 

「この服、最近売れてるらしいね」

 

「そうですとも。毎日大変な数のご婦人方がこちらを求めていらっしゃいますが、現在はこうして特別な方にお渡しする分の数しか確保できておりません」

 

「今は大変でもいつかは熱も収まるから。値上げとか無理な増産はしちゃ駄目だよ。ブームってのはあっという間だから、無理に乗ろうとしたら足を掬われるから」

 

「ブ……? は、まぁ……現状維持でよろしいという事ですね?」

 

「そうそう。どうせ似たようなのが他の店から出て落ち着くんだから」

 

 

そこから発展して定番のファッションアイテムにまでなってくれれば、こっちもそのオリジナルって事でそこそこ儲かるはずなんだが……

 

まぁ、たかがいち地方都市のブームでそこまで行くかは疑問なところだな。

 

と、そう思っていた俺に……

 

王都の大店(おおだな)から矢のような問い合わせが届き始めるのは、ちょうどこの日の一ヶ月(のち)の事だった。

 

 

 

「姫様が王都であの上着を着てた!?」

 

「と、王都の服飾店の方々は仰っておられますが……」

 

 

柔らかな午後の日差しが差し込む新築のマジカル・シェンカー・グループ(MSG)本部。

 

その執務室で、やたらと大仰な文字で(したた)められた手紙を前にして、涼し気な色合いの透かし編みのニットを着こなしたうちの家令のチキンが困ったようにそう言った。

 

 

「それをお気に召した王都の貴婦人方が、あの服はどこの服だと懇意の店に問い合わせたそうでして……」

 

「とんでもない事になってきたな」

 

 

寝耳に水とはこの事だ。

 

というか、まさか姫様があの大蠍団(スコーピオンズ)のブルゾンを王都に持って帰っているとは思ってもみなかった。

 

てっきりうちの屋敷に置いて帰ったものだと思っていたのだ。

 

 

「どうしましょうか? 先方はとりあえず百着ほど買い付けたいと言ってますが……」

 

「つってもなぁ……うちだって在庫ないぞ」

 

「その旨はお伝えしてあるんですが、とにかく欲しいと速達で返答が」

 

 

とにかくって言ったってなぁ……

 

 

「夏の終わりまで待つので送って欲しいと、このように同封した為替で手付金まで先払いで」

 

「なんちゅう強引な……」

 

「それも一軒だけじゃないんです。三軒から同じ内容で来てます……うち一軒は伯爵家からの添え書き付きで……」

 

「伯爵家!? そんなんもうパワハラだろ!」

 

「パワ……? 何ですか?」

 

「とにかく断れないわけだろ」

 

「ご主人さまのご親戚(おうぞく)の伝手を使えば断れるかもしれませんが……」

 

「その親戚のせいで大変な事になってんじゃん……」

 

 

なんだか頭が痛くなってきた。

 

自分に回復魔法をかけながら、考えを纏めていく。

 

とにかく、手っ取り早くいこう。

 

 

「現状でうちの縫製工場の手はいっぱいいっぱいなんだったな」

 

「支給用の下着から各部署の制服まで色々な物を作っていますから……」

 

「下着とか制服とか、既製品に置き換えできないか?」

 

「できるものもあると思いますが、そんなに同じものばかりは手に入らないかと……」

 

「下着はバラバラでもかまわんだろう、制服の統一もできる限りでいい」

 

「なるほど」

 

 

あ、そういえばチキンの店も在庫がなくて大変なんだっけ。

 

まあチキンの店も大蠍団(スコーピオンズ)のブルゾンも、同じ姫様が元凶なんだ。

 

一緒に解決してしまおう。

 

 

「あと縫製工場を拡大しよう。元お針子で今他の仕事についてる連中に話をして、戻ってもいいって奴には戻ってもらう」

 

「え!? あ……はい……」

 

 

なんでそんな大げさに驚くんだ?

 

あ、そうか……チキンの店の服はそういう連中に仕事を頼んでるって前に言ってたな。

 

じゃあ工場のラインの一部をチキンの店用に……

 

いや、これから先のためにも、もっと汎用性のある仕組みにした方がいいんじゃないか?

 

 

「えー、あー、うーん……あ……そうだ! チキンお前、増やした工場のラインの一部を借りろ!」

 

「えっ? 借りるんですか?」

 

「そうそう、金を払って直接そのラインにお前の服を作らせるんだよ」

 

「でもそれって職権を濫用してるって事に……」

 

「だから、そういう仕組をつくるんだよ!」

 

 

チキンはメモを取っていた手を止めて、不思議そうな顔で俺の顔を見た。

 

 

「仕組みって、どういう仕組ですか?」

 

「この先、シェンカーからお前みたいにでっかく商売を始めるやつが出てくるかもしれないだろ」

 

 

俺は人差し指をピンと立てて、内緒話をするように彼女に顔を近づけ小さくこう言った。

 

 

「そいつら全部、シェンカーで面倒を見てやれ」

 

「め、面倒を見るんですか?」

 

「そうだ。どの工場のラインでも金で借りれるようにしてやるんだ」

 

 

チキンがごくりと唾を飲む音が聞こえた。

 

 

「幸いうちには何でもある。製粉、牧場、精肉、革加工、縫製、木工。一通り揃ってる。人材派遣だってやってる。時計職人までいる」

 

 

自分でも言ってる間にだんだんとてもいい考えに思えてきた。

 

 

「うちの人間がその力を借りて商売できるようにすれば便利になると思わないか? 工場そのものの人数も増やせるから、こういう緊急事態の時にも対応できるようになるだろ」

 

 

個人個人で人や物を揃えるよりも、用意したものをみんなで使ったほうが楽で簡単だ。

 

前世でもシェアハウスとかシェアオフィスとか流行ってたしな。

 

あとそうだ、前世じゃあ終電を逃した時によく会社の近所のマンガ喫茶に行ったものだ。

 

ちょっとしたお金を払うだけで新作マンガも読めたし、映画も見れてゲームもできた。

 

快適すぎてうちの会社ではそこに住んでる人もいたぐらいだ。

 

リソースの共有ってのはいい、用意する側の節約にもなるし利用者側からしても便利だからな。

 

 

「…………」

 

「あれ?」

 

 

俺が懐かしのマンガ喫茶に思いを馳せている間に、チキンは物凄い真剣な顔で固まってしまっていた。

 

 

「あれ? もしもーし」

 

 

俺が顔の前で手を振ると、目をぱちくりさせた彼女はバキバキと首を鳴らしてからふぅーっと長く大きなため息をついた。

 

そしてメモ帳に何事かを大きく書き付け、これまで見たこともないような笑顔で俺を見た。

 

 

「ご主人さま、それは素晴らしい考えです」

 

「そうだろうそうだろう。やっぱこれからはリソースの共有が大事だと思うん……」

 

「そのやり方なら! これまでシェンカーの外に出ていっていたお金や技術をシェンカーの中で回せます! これはとんでもない儲け話ですよ!」

 

 

そう言われればそうかもしれないけど。

 

チキン、お前目がギンギンで怖いよ……

 

 

「シェンカーから生まれた物がシェンカーを更に大きくする! 目から鱗です!」

 

 

さっきの話の何が彼女の琴線に触れたのだろうか。

 

何やら凄く盛り上がってしまった彼女から視線を逸らすと、机の上に開かれたままのメモ帳が目に入る。

 

メモ帳には大きく『シェンカー(ばつ)』という言葉が書かれ、それが丸で囲まれていた、

 

 

「見ていてくださいご主人さま! これからの退役者は飲食店ばかりじゃなく、色んな商売ができるようになりますよ!」

 

 

春、それは寒さからの解放の季節。

 

雪は溶け、草は萌え出で、人は盛り上がり椅子に登る。

 

俺は小躍りするチキンを見つめながら、彼女の休みを増やす事を固く固く心に誓ったのであった。




シェンカーの財閥化の始まりというお話でした


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第108話 いい男 探して駄目なら 育てちゃえ 前編

メリークリスマス! と言いたいがために書き始めましたが、めちゃくちゃ長くなったので前中後に分かれました。
一応読まなくても話の本筋には支障がないようにしますので……

カクヨムコン8合わせで「わらしべ長者で宇宙海賊」という小説も書き始めました。
そちらもよろしくお願いいたします。


こんなはずじゃあなかった。

 

人生はそんな事の連続だ。

 

誰もが羨む染物屋の大店の一人娘として生まれ、没落して売られ、実家と同じような商家に買われ。

 

女として閨に侍るのかと思えば、料理を任され。

 

私は今や、その家の料理長としての地位を不動のものにしていた、いや……してしまって(・・・・・・)いた。

 

 

「料理長! 味見てください」

 

「うん、いい感じ。チドル、このまま進めて」

 

「シーリィさん、こっちも!」

 

「薄い、塩をもうちょっと足して」

 

「シーリィさん!」

 

「シーリィ料理長!」

 

「手が離せないから口に持ってきて!」

 

 

毎日毎日、マジカル(M)シェンカー(S)グループ(G)本部務め人員の三食から、近場で店をやっている子達の食事、更には店売りのお弁当まで、この新本部の調理場では大量の食事が調理されている。

 

料理長の私はその全てに責任と職権を持ち、クタクタになるまで鍋を振り続けていた。

 

そんな私の目下の悩みの種は自分の将来の事。

 

ありていに言えば、結婚相手の事だった。

 

私ももう二十三歳、子供が二、三人いてもおかしくない年なのだ。

 

一緒にシェンカーへ売られてきたハントが先に結婚と妊娠を果たしているというのも、私の焦りに拍車をかけていた。

 

 

「あーもー、ハントはいつ帰ってくるのよ!」

 

「ハントさん、お腹大きくなり始めたとこなんだから無理ですよ」

 

産休(サンキュー)って奴貰ったんですっけ?」

 

「ご主人さまも色々考える方だけれど、妊娠した人にお金を払って休ませるってのはちょっと凄すぎよねぇ」

 

 

普通奴隷が妊娠なんてしたら、お腹の子供ごと売り飛ばされる事もある。

 

うちのご主人さまは、ひょっとして買った奴隷で採算を取る気がないんじゃないか……? とも思うけれど。

 

私達の扱う食材も着々と自己調達の物が増えてきているし、こんなでっかい本部にまで建て替えをしてるぐらいなんだもの……

 

もしかしたら、あんまり天才すぎると逆にバカに見えるっていう奴なのかしら?

 

 

「シーリィさん、ご主人さまが来られてます! 部屋にいるって」

 

「はいはい、チドル! あと頼むわね」

 

「はいはーい!」

 

 

私は昼ご飯の準備をハントの代わりに副料理長になったチドルに任せ、コックコートを脱ぎながらオーナー室と名付けられた部屋へと向かったのだった。

 

 

 

 

「え!? 頭の良くなる飴!?」

 

「そうそう、頭の良くなる飴を作ってほしいんだ」

 

 

やっぱり天才じゃなくて……別の方だったのかも。

 

いつもの「いい事思いついた」という表情で荒唐無稽な事を話すご主人さまを見て、そう思ってしまった私に罪はないと思う。

 

まあ、そうでなくても春だもの。

 

ちょっと不思議な気分になる事だってあるわよね。

 

 

「……ま、と言っても本当に頭が良くなるってわけじゃない」

 

「あ、なーんだ……」

 

 

良かった、安心した。

 

ご主人さまは机の上に置かれた蓋付きの大きな壺を指さして、ニコニコと笑う。

 

 

「これ、最近作った魔具で抽出できるようになった、虫歯になりにくい砂糖なんだけどさ。これで飴を作ってほしいんだよね」

 

「はあ、虫歯になりにくい砂糖ですか」

 

「これからみんなの子供も大きくなるでしょ? 子供が甘いもの食べまくってさ、虫歯の治療やらなんやらで呼び出されると俺も困っちゃうと思うんだよね」

 

「はあ、たしかに」

 

 

そんな事でご主人さまを呼び出すような人はいないと思うけど、とりあえず頷いておいた。

 

 

「そこで作ったのがこの砂糖なんだよ」

 

「あの、それで頭が良くなるっていうのは……?」

 

「ああ、それは大嘘。でも親だってさ、どうせ買うなら普通の飴よりかは子供に良さそうな物の方がいいでしょ?」

 

「まあそう、ですかねぇ……」

 

「親が子供のおやつにこの飴を選べば子供の虫歯も減るって事。普通の砂糖より太りにくいから健康にもいいしね」

 

 

それなら子供の飴なんか作らず、女性向けのお菓子として売り出せば……とは思ったけれど。

 

子供の飴じゃなくてそっちの案になったところでどうせ作るのは自分なのだと気づき、口をつぐんだ。

 

さすがにこれ以上忙しくなると、更に婚期が遠のいてしまうもの。

 

 

「という事でさ、試作して売ってみてよ。チキンの部下のトロリスに話は通してあるからさ、作った物持ってけば宣伝と販売はやってくれるから」

 

「かしこまりました」

 

 

ご主人さまはそれだけ言って腰を浮かしかけ……何かを思い出したのか、もう一度腰を下ろした。

 

 

「そうそう、シーリィに手紙を預かってたんだった」

 

「私宛にですか?」

 

「俺の友人の取引先からなんだよ。どうするかは任せるけど、まあ読んでみて」

 

「はい」

 

 

私に手紙と砂糖壺を渡して、ご主人さまは今度こそ帰っていったのだった。

 

 

 

晩ごはんを作り終えて調理場の火を落とせば、その日の私の仕事は終わりだ。

 

普段はここから飲みに出かけたり、美容のための体操なんかをするのだけれど……

 

今日はご主人さまから受け取った、謎の手紙があった。

 

さほど急ぎの感じではなかったけれど、万が一にもご主人さまの顔を潰すような事があってはならないもの。

 

意を決してペーパーナイフで手紙を開き、読み始めた。

 

手紙の相手はうちと同じ中町の布屋の店主、バータ氏。

 

内容は去年の土竜神社のお祭りで、私がご主人さまに言われて作ったハヤシライスについての事だった。

 

何でも、バータ氏はあの日に食べたハヤシライスがとてもお気に召したとの事で、どうしてももう一度あの料理を食べてみたいと、そういう話のようだ。

 

ハヤシライスならば、最近は出している店もいくつかあると聞いている。

 

わざわざ私が作らなくてもそちらを紹介すればいい……いや、普通ならそうするところだけれど、これはご主人さまから直々に預かった手紙だ。

 

下手な対応は打てなかった。

 

結局数日を費やして何度かバータ氏と手紙のやり取りを行い、こちらの仕事が終わった後に私が邸宅に伺い料理を供するという事が決まった。

 

可能性は低いが何かがあってはいけないと、元冒険者組の調理場スタッフも一人ついてきてくれる事になった。

 

まあ、今のところ予定はないけど、嫁入り前の身ですし……

 

 

 

調理場の仕事に飴の開発にと忙しくしていると、すぐにその日はやって来た。

 

仕事終わりの人達が行き交う少し肌寒い春の夜道を、食材を担いで足早に急ぐ。

 

 

「チャオ、付き合わせてごめんね」

 

「いいんすよ、勉強にもなるし」

 

 

腰に剣を帯びた犬人族のチャオと喋りながら歩いていると、バータ氏の布屋にはすぐについた。

 

奴隷はおろか、庶民でも入るのに尻込みをしそうな立派な店構えだったけど……

 

普段仕事をしている場所の事を考えると、別にそこまででもないような気もしてくる。

 

私もすっかりサワディ様に毒されてるわね……

 

 

「でっかい店っすね~」

 

「いつもこの十倍以上はでっかい所で仕事してるじゃない」

 

「あ、そっか」

 

 

荷物をチャオに任せて大門の叩き金をゴンゴンと鳴らすと、通用口の方からちょっと丸っこい顔をした紳士が顔を出した。

 

 

「おお、シーリィさんですかな? お待ちしておりました! 手紙ではどうも! 私がバータでございます」

 

マジカル(M)シェンカー(S)グループ(G)から参りました、シーリィです。今日はよろしくお願いいたします。こちらは同僚のチャオです」

 

「チャオです。よろしくお願い致します」

 

「今日はありがとうございます! ささ、こちらに!」

 

 

挨拶もそこそこに、意外と設備の整った調理場へと通された。

 

普段はここで従業員の食事を作っているんだろうか、設備や調理器具は一通り揃っているみたいだ。

 

設備の割にあまり調味料等がないのが不思議だが、たまたま切らしているのだろうか。

 

 

「よし、チャオは玉ねぎを切って」

 

「うっす」

 

 

チャオと私はさっそく調理器具をお借りして、ハヤシライスを作り始める。

 

フライパンでバターを溶かしながら、組み上げてきた工程を頭の中でおさらいする。

 

今回味の決め手になるソースは作ってきてあるから、お米を炊くのが一番時間がかかるぐらいだ。

 

出張料理のために色々考え、手早く料理を作る事を突き詰めて具材を抜いたソースを作ったりと、なんだかんだと色々勉強になる部分もあった。

 

ま、そう考えるとたまには出張料理も悪くないのかな。

 

 

「玉ねぎ、できたっすよ」

 

「次、肉とキノコ出して」

 

「あいあい」

 

 

フライパンの熱を見ていると、ふと背中に視線を感じて振り返る。

 

作り方に興味があるんだろうか、調理場の入り口からは一人の男がこちらを覗き込んでいた。

 

 

 

「おお、これはまさしくあの日のハヤシライス! やはりこの真っ白でモチッとした麦がないといけない! 街の食堂で出された物にはみなこれがなかったのですよ!」

 

 

ハヤシライスを一匙食べたバータ氏は、高そうなワインを一口飲んでから猛烈な勢いで喋り始めた。

 

サワディ様が考案して私が開発した料理にそこまで惚れ込んでくれるというのは、ちょっと照れくさいけれども正直嬉しい。

 

こういうのを、料理人冥利に尽きるって言うのかしらね。

 

 

「お気に召して何よりです」

 

「しかし、この白い麦は一体何なのですかな? あのお祭りの日にこの料理に一目惚れをしてからほうぼうで探しましたが、どうしても見つけられませんでした」

 

「それは麦ではなく、コメという作物ですよ」

 

「コメ! おお、聞いた事もありませんでした。シェンカーで取り扱われている物なのですかな?」

 

「北方の物らしいのですがうちで栽培に成功しまして、一部の店で料理に出しておりました」

 

「おお、それは知りませんでした! ぜひ購入しなければ!」

 

 

大絶賛すぎて、コメが不人気すぎてパンの混ぜ物にされてるとはとても言い出しづらい反応ね。

 

まあ販売はできるでしょうから、そちらの話はうちのご主人さまの筆頭奴隷(チキン)の方に投げちゃいましょう。

 

結局私とチャオは過大なほどのお褒めと感謝の言葉を頂き、ちょっと貰い過ぎなぐらいの謝礼も頂いてからバータ氏の店を辞した。

 

 

「なんか、こんなに貰っちゃって悪いっすね」

 

「半分こにしましょ~、夏物のブラウス買っちゃおうかな」

 

「こんなに貰えるなら出張料理も悪かないっすね~」

 

 

勉強になって、感謝されて、お小遣いも貰えていい日だったね。

 

……とはいかなかった。

 

私は、バータ氏のハヤシライスへの想いの大きさを見誤っていたのだ。

 

 

 

三日後、私は筆頭奴隷(チキン)の執務室へと呼び出された。

 

 

「へ? バータ氏の所の料理人が私に弟子入り? なんで?」

 

「なんでも、バータ氏がコメ入りハヤシライスの専門店を出店したいと、うちのサワディ様にご友人の家具屋のジニさん経由で申し入れたそうよ」

 

 

自分の服飾店のシャツにかっこいいループタイを結んで着こなしたチキンは、落ち着いた口調でそう話す。

 

なんだかこの子、最近ますます貫禄が出てきたわね。

 

 

「はあ、そりゃあ別にいいんじゃないのと思うけれど。なんで弟子なんて話に……?」

 

「あのコメの普及に熱心だったサワディ様よ? バータ氏の熱意に感化されちゃって、店の料理長予定の人をシーリィに弟子入りさせましょう! って話になったってわけ」

 

「あー、そうなるか……」

 

 

たしかにご主人さまはコメの普及に熱心というか、執念を燃やしてたものねぇ。

 

そんな所に同好の士が現れれば、肩入れの一つもしたくなるか……

 

 

「という事で、明日から来るからよろしく」

 

「弟子って事はハヤシライス以外の料理にも使っていいのよね?」

 

「これまで趣味の手料理ぐらいしか作ってなかったらしいのよ。だから、できるなら基礎からみっちり教えてほしいんだって」

 

「ならまあ、いいか……ハヤシライスは就業後に教えて……ああ、飴もまだ完成してないのに」

 

「ごめん。大変だけど、よろしくね」

 

 

手を合わせるチキンのたおやかな指先の、桃色に塗られた爪がキラリと光った。

 

執務室から出てふと自分の手を見ると、指先は毎日の水仕事で荒れていて、爪も料理の邪魔にならないようにただ短く切られているだけ。

 

 

「なんだか、このままじゃいけない気がする……」

 

 

仕事が上手くいけばいくほど、女としての幸せが遠のいてくような。

 

このまま行けば、いつかどこかで取り返しのつかない事になる日が来てしまうような。

 

そんな気持ちのまま翌日を迎えた私は……

 

この仕事を続けたまま、女としても幸せにしてくれそうな、そんな存在に出会っていた。

 

 

「ディーゴです、十七歳です。こういう大きい調理場で働くのは初めてで緊張しておりますが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

 

 

ええ~っ! 弟子って男だったの!?

 

という言葉を飲み込んで、努めて驚きを顔に出さないよう、皆と一緒に拍手をする。

 

女としての私は心から驚いていても、この調理場を預かる料理長としての私は、そんな浮ついた理由で驚くわけにはいかなかったのだ。

 

よく見るとディーゴさんはあの出張料理の日に、調理場の入り口から覗き込んでいた男の人だった。

 

ディーゴさんは周りの皆に低姿勢で頭を下げて挨拶をしながら、こちらへとやって来た。

 

 

「シーリィ師匠、改めてよろしくお願い致します!」

 

 

うん、爽やかだ。

 

顔もいい。

 

 

「あの出張料理の日の腕前を見て、師と仰ぐべきお方はシーリィさんを置いて他にないと思っておりました!」

 

 

うん、可愛い。

 

顔もいい。

 

 

「これまでずっと自己流でやってきたので、本業の方から学べるのが楽しみです!」

 

 

うん、眩しい。

 

顔もいい。

 

同じ料理人なら価値観も合うだろうし、結婚したら彼の店を私が手伝うって事もできるはず。

 

問題は私が奴隷の身分な事だけど、トルキイバから出ないのであれば問題はないはず。

 

職場恋愛、いいじゃない!

 

そうと決まれば、あとはお姉さんとして、料理長として、師匠として優しく導いてあげるだけ。

 

 

「よろしくね。わからない事があったら何でも聞いてね」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

 

順風満帆、我が世の春が来た!

 

そう思っていた私に特大の苦難が訪れるのは、それからすぐの事だった。




多分これで年内最後になります。
今年は全然更新できずにごめんなさい。
来年はもっと頑張ります。


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第109話 いい男 探して駄目なら 育てちゃえ 中編

めちゃくちゃ長くなったので前中後に分かれました。
一応読まなくても話の本筋には支障がないようにしますので……


「あーっ!」っという叫び声の後に、グワッシャーン! と朝の調理場にデカい音が響き渡る。

 

忙しく手を動かす調理人達はその音を聞いても、誰一人見向きすらしなかった。

 

ディーゴ(・・・・)が来てから一週間、そんな風景はもうすっかり日常と化していたからだ。

 

 

「どうしたの? ディーゴ」

 

「すいません師匠……小麦粉の袋が破れて倉庫が粉まみれに……」

 

「外で粉落としてから、箒持ってきて掃除して」

 

「は、はい……」

 

 

なんというか、彼は料理人として……というだいぶ前の時点で、致命的なまでにぶきっちょな男だった。

 

毎日毎日皿を割り、粉をぶちまけ、皮むきの包丁で指を切り、砂糖と塩を間違えた。

 

まるで失敗の例題集でも解いているかのように流れるように失敗を重ねる彼に、調理場の面々の浮ついた気持ちはザルにあげたペペロンチーノのように冷め……

 

今はみんなもう、完全に彼をいい男(・・・)ではなく一人の追い回し(ニュービー)として扱っていた。

 

 

「シーリィさん、ディーゴはこのままやってたら十年はいることになるんじゃないですか?」

 

 

床に白く残るディーゴの足跡を親指でさして、副料理長のチドルはなんとも言えない顔でそう言った。

 

 

「でも今のままじゃお店を切り盛りする以前の問題でしょう」

 

「ご主人さまは何て言ってんですか?」

 

「できたら春の終わりまでにって」

 

「ひぇーっ、そんなん無理でしょ」

 

 

肩をすくめて背を向けたチドルの尻をペンと叩いて、私はため息をついた。

 

 

「……たしかに、今のままじゃ十年かかっちゃうわね」

 

 

茶色い頭を真っ白にして箒を持って帰ってきたディーゴの顔を見ながら、私は頭の中で計画を練り直したのだった。

 

 

 

十七歳でここに売られてきた時、私はちょっと料理ができるだけのずぶの素人だった。

 

そんな自分がハントと共に突然料理人にされてからは、まさに怒涛の日々だった。

 

眠い目を擦りながら毎朝毎朝市場に行き、何度も失敗しながらも必死で仕入れを覚え、飢えた狼のような冒険者組の腹を満たすために無我夢中で料理をした。

 

ご主人さまの思いつきで新しい料理を作れと言われれば、毎晩夜遅くまで調理場に籠もり。

 

わけのわからない食材を渡されては、顔にできる吹き出物に泣きつつ調理と試食を繰り返した。

 

そうして気づけば、こんなでっかい本部の調理場の総料理長。

 

思えば遠くへ来たものだ。

 

……とにかく、自分自身がやってきたからこそわかっている事がある。

 

できないのならば、数をこなすしかないのだ!

 

 

「というわけで、ディーゴには今日から毎晩居残りで特訓をしてもらいます」

 

「はいっ! 師匠、よろしくおねがいします!」

 

 

うっ、眩しい……!

 

私はこちらにキラキラした目を向けるディーゴに鷹揚に頷き、芋の籠を指さした。

 

 

「まずは包丁の扱いから! 今日から毎晩、芋をひと籠剥いてから帰るように! あ、芽は絶対に取ってね」

 

「はいっ!」

 

「それが終わっても時間が余るようになったら、次の事を教えます」

 

「頑張ります!」

 

 

まずは安い芋で、包丁の扱いから学ばせる。

 

料理人が包丁で怪我をしているようじゃあ何にもならないものね。

 

まあ、うちなら最悪指を切り落としても、生やして貰えるから気は楽だけど……

 

 

「…………」

 

 

必死に芋と戦うディーゴの隣で、私はご主人さまから言われている飴を作り始める。

 

ブクブクと飴を炊く音が響く横で、ショリショリと芋の皮を剥く音が聞こえる。

 

口説き文句どころか、ほとんど会話もない。

 

なんとも色気のない男女の夜が、ゆっくりと更けていくのだった。

 

 

 

 

「師匠、これはどうですか?」

 

「うーん、もっとずっしりした物の方がいいかな。玉ねぎはね、丸くて硬くて重いやつが腐りにくいの」

 

「丸くて硬くて重い、ですか……」

 

 

春とはいえまだまだ寒い朝の市場で、私はディーゴに野菜選びの基本を教えていた。

 

料理屋の店主というのは、料理だけできればいいというわけじゃあない。

 

料理の味はもちろん、食材、衛生、店員たちの人間関係、全てに責任を持つのが店主というもの。

 

彼は今のところ、まだまだ料理で手一杯だけど……

 

こういう事も教えていかないと、いつまで経っても開店できないからね。

 

 

「いい、お店を持ったら食材の管理は店主の責任なんだから。ちゃんと覚えておいてね」

 

「責任……そうですね」

 

 

ディーゴはなんだか神妙な顔でそう答えて、両手に持った玉ねぎに視線を向けた。

 

 

「師匠、右の方がいい感じだと思うんですけど」

 

「この二つは両方駄目ね」

 

 

私は彼から受け取った玉ねぎを元あった木箱へそっと戻す。

 

いい感じの玉ねぎを一つ選び、ディーゴに渡そうとしたところで彼の手に目が行く。

 

彼の右手の人差し指には、ぷくりと小さいコブのようなものができていた。

 

指で押してみると柔らかい、どうやら水ぶくれのようだった。

 

 

「ディーゴ、タコができかけてるわ。頑張ってるのね」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

彼はなんだか照れた様子で、小指で鼻の下をかいた。

 

要領は悪いんだけど……やる気はあるのよね、やる気は。

 

伸びる下地はあるのよ、あとはどうやって育てるか……

 

 

「あの、師匠……」

 

「何かしら?」

 

「その、手が……」

 

 

「あら」と声を出して、私は握りっぱなしだった彼の手を離した。

 

そういうつもりじゃなかったのに、なんだか急に顔が火照ってきた気がする。

 

ディーゴの顔も、ちょっと赤くなっているように見えた。

 

 

「いやぁ、シーリィちゃんもなかなか隅に置けねぇなぁ……」

 

 

こっちを見ていた青物屋の店主のおじさんが、いやらしい顔でニヤニヤと笑いながらそう言った。

 

違うから! これは料理人教育の一環ですから!

 

私は手早く買い物を済ませて、ニヤつくおじさんから逃げ出すようにその場を後にしたのだった。

 

 

 

そんな仕入れの指導を何度かしているうちに、ディーゴは何も言われなくても私の仕入れについてくるようになった。

 

いや、正確に言うと仕入れだけではなく、朝の一番始めから調理場にいるようになったのだ。

 

夜は私と一番最後まで練習し、朝は一番早く来て掃除からやる。

 

追い回しとしては正しい扱いなのかもしれないけれど、よそから預かった人にここまでやらせていいのかしら?

 

 

「いいんですよ。僕今楽しいんです」

 

 

まだ人もまばらな早朝の調理場で、チャオの隣で傷だらけの手で芋を剥いていたディーゴが言った。

 

毎日毎日怪我をしながら芋を剥いていれば、本当に不器用な彼でも流石に慣れたらしい。

 

ここ数日は彼の左手に包帯が巻かれているのを見なくなっていた。

 

 

「それならいいんだけど」

 

「やる気があるのはいい事だよな」

 

 

私とチャオからそう言われ、彼はニッと歯を出して笑った。

 

 

「最近は家でもサラダを出して褒められたりしてるんですよ。やっと料理ができるようになってきたんです」

 

「サラダで褒められるって……ディーゴあなた、今までどういう料理してきたの?」

 

「あー……それはその、お湯をかけるペペロンチーノを作ったり……」

 

 

それってうちで売ってる即席麺じゃないの。

 

なるほど、できないできないとは思ってたけど、本当にズブの素人だったのね。

 

 

「お前さ、そんなんは料理って言わねぇの」

 

「一応、一緒にソーセージを焼いて上にのせたりしてたんですよ」

 

「今日びは野営中の冒険者だって、もうちょっと手の込んだもん食ってるよ」

 

「ねぇねぇ、即席麺を作ったのって私だって知ってた?」

 

「えっ! そうなんですか!? 凄い! 師匠ってほんとに凄い人なんですね!」

 

 

目をキラキラ輝かせてこちらを見つめるディーゴの称賛が、なんだかくすぐったい。

 

正確にはハントと一緒に作ったんだけど、まぁいいでしょ。

 

酒場で女の子に「俺って凄いんだぜ」と絡むおじさんの気持ちが、ちょっとだけわかった気がしたかも。

 

 

「しかしディーゴよぉ、お前もなかなかカッコのつく手になってきたじゃねぇか」

 

「そうですか?」

 

 

チャオに言われて、ディーゴは傷だらけでマメのできた自分の手をしげしげと眺めた。

 

 

「そういえば、師匠や先輩たちの手って綺麗ですよね。みなさん修行中に怪我なんかはされなかったんですか?」

 

「そりゃああたしらも最初は怪我したさ。ざっくり指切って血まみれになった事もある」

 

「え、どの指ですか? 全然……」

 

 

ディーゴは不思議そうにチャオの手を覗き込んでるけど、そうじゃないのよね。

 

 

「おいおいお前さ、ここの頭を誰だと思ってんだよ」

 

「うちは怪我してもすぐ治して貰えるからね」

 

「あ、サワディさんの再生魔法ですか、そりゃそうか」

 

 

チャオはなんだか得意げな顔で手をぴらぴらと振り「うちのご主人はすげぇのさ」と笑った。

 

 

 

いくら不器用なディーゴでも、朝から晩までずっと練習していれば包丁の扱いぐらいは様になってくるもので……

 

街の人みんながコートを脱ぎ終わった頃になると、夜の居残り練習会はもう煮炊きの練習に入っていた。

 

もちろん本来なら、とても煮炊きを勉強させるような段階じゃないんだけれど……

 

とにかく春の終わりまでには一通りの事ができるようになっていないと、彼も私も顔が立たない人がいるという事情からの階段飛ばしだった。

 

 

「いい、強火にしたからって調理時間が短くなるわけじゃないから、必ず手順を守るように」

 

「はいっ!」

 

 

肉と野菜から出汁を取る練習をする彼の隣で、私は私で飴を炊く。

 

実のところ、私の『頭の良くなる飴』作りはなかなかに難航していた。

 

普通炊いてから冷やせば固まるはずの飴が、どうやっても固まらないのだ。

 

サワディ様から預かった砂糖の量を変えても駄目、急速に冷やしても駄目、冷やす時間を増やしても、普通の砂糖を足しても、どうしても飴は固まらなかった。

 

どうしたもんかと眉根を寄せながら飴を炊いていると、そんな私をじっと見つめる視線がある事に気がついた。

 

二人しかいない調理場で、視線を送ってくるのは一人しかいない。

 

 

「どうしたの、ディーゴ?」

 

「…………」

 

 

ディーゴは何か言いたげにちょっとはにかんで、二、三度視線を彷徨わせてから口を開いた。

 

 

「師匠は……何も聞かないんですね」

 

「ん? 何が?」

 

「僕が全然料理できないのに、店を持つとか言ってる事とか……です」

 

 

なんだか複雑そうな顔で自嘲気味にそう言う彼に、私は飴を炊きながらこう問い返した。

 

 

「ディーゴはそれを聞いてほしいの?」

 

「そう……かもしれません」

 

 

へらで飴をかき混ぜながら、私は彼の目を見て聞いた。

 

 

「じゃあ、なんで店持つ事になったの?」

 

「実は僕……あの家の子供なんです。布屋の跡は上の兄が継ぐ事になっているので、僕はその補佐としてずっと家の仕事を手伝ってきました」

 

「そうだったんだ」

 

 

礼儀正しいし、身なりもきっちりしてるから普通の家の子じゃないと思ってたけど、バータ氏の子供だったのね。

 

だから最初に出張料理に行った時も家にいたんだ。

 

 

「でも僕、本当は布の商売じゃなくて料理がやりたかったんです。美味しい料理をかっこよく作って、どんな人でもぱあっと明るい気持ちにできるような凄い料理人になりたかったんです」

 

 

ぽつぽつと呟くように話しながら、ディーゴは鍋の中をかき混ぜ続ける。

 

 

「それで去年、勘当を覚悟で父に直談判したら……父は是非やりなさいと言ってくれまして。修行先まで手配してくれたんですけど……」

 

「けど……?」

 

「師匠もおわかりの事と思いますが……僕、どうしようもなく不器用で、修行先でもなんにもできなくて。向いてないよって、すぐに追い出されちゃいました……」

 

 

頭の中に、うちに来たばかりのディーゴの姿が蘇る……

 

たしかに、あの調子だと普通の店では面倒見切れないかもしれないわね。

 

 

「それからどうしてたの?」

 

「どうしても夢を諦められなくて、色んな店に頼み込んで修行をさせてもらっていたんですけど。どこも一日か二日で……」

 

 

まぁ、どこも慈善事業で弟子を取っているわけじゃないものね。

 

時間を割いて育てればきちんと使い物になると思うから弟子にするわけで、向いてないけど育ててみようなんて余裕がある店はほとんどない。

 

長い目で見るっていうのは、うちみたいにでっかい組織の支えがあって、初めてできる事なのかもしれないわね……

 

 

「だから僕、今こうしてちゃんとした料理を教えて貰えている事が夢みたいなんです」

 

 

ディーゴはそう言って鍋を指さして、歯を見せて笑った。

 

料理っていうか、ハヤシライスの下拵えの工程の一つなんだけど……

 

この出汁だって具材を足したらスープになるし、そういう事でもいいか。

 

 

「それ、完成したら家に持って帰って家族に食べさせてあげなよ」

 

「はいっ!」

 

 

料理ができて夢みたい、かぁ。

 

やっぱり、可愛いとこあるじゃない。

 

暖かな師弟の夜は、甘ったるい飴の香りとともに更けていったのだった。



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第110話 いい男 探して駄目なら 育てちゃえ 後編

めちゃくちゃ長くなったので前中後に分かれました。
一応読まなくても話の本筋には支障がないようにしますので……


そんな男女の甘い時間は、わずか三日ほどで幕を閉じた。

 

夜の居残り練習会に、シェンカー随一のアレ(・・)な人が彼氏を連れてやって来たからだ。

 

 

「シーリィ、なんでも聞くところによると『頭のよくなる飴』という物を作っているらしいな」

 

「メンチさん、迷惑になりますからやめましょうよ……」

 

 

今日も今日とて鍋をかき混ぜる私とディーゴの前には、二人の鱗人族がいた。

 

マジカル(M)シェンカー(S)グループ(G)の冒険者組の頭であるメンチさんと、その彼氏であるガナットさんだった。

 

 

「これまでも数々の試食役をこなしてきた私が、飴の試食役を引き受けようではないか。きっとその方がご主人様も安心されるに違いない」

 

 

そう言って自信満々で胸を叩くメンチさんには悪いけど、飴は全然完成してないのよね。

 

 

「悪いですけど、まだまだ開発途中なんですよ。それに頭が良くなるってのは嘘ですよ。そういう成分は入ってないらしいですから」

 

「なにっ! そうなのか!?」

 

 

私の言葉に、彼女は本気で驚いた様子でピンと尻尾を伸ばした。

 

メンチさん、もしかして一部の人から頭が悪いって言われてるのを気にしてたのかしら?

 

 

「……いや、わからんぞ。うちのご主人様の作られる物だ、何があってもおかしくない。もしかしたら本当にそういう効果があるかもしれんぞ! やはりこの私が体を張って毒見役を引き受けよう」

 

 

彼女はそんな勝手な事を言って、調理場から繋がっている食堂の椅子にどかりと腰掛けた。

 

 

「元々聡明な私が食べても効果がわからないと思うかもしれんが……何、心配するな。そのためにこいつを連れてきたのだ」

 

「メ、メンチさん……」

 

 

馬鹿(メンチさん)に馬鹿呼ばわりされているガナットさんは、複雑そうな顔で彼女の顔を見つめている。

 

でもあのガナットさんも、かなり熱烈な態度で毎日メンチさんを口説いてたって話を聞いてるのよね。

 

ああいうのも、破れ鍋に綴じ蓋って言うのかしら……?

 

 

「そちらの鍋では何を作っているんだ?」

 

「あ、これは出汁を取っていて……」

 

「いい匂いがする。麺を入れたら美味そうだな。良ければ味見をしてやろうか?」

 

「えっ!? 味見ですか?」

 

 

困惑半分、嬉しさ半分といった顔で私を見るディーゴに、思わずため息が漏れた。

 

 

「メンチさん、食べたら帰ってくださいよ? 練習の途中なんですから」

 

「わかっているさ。今日は晩飯を腹八分目という奴にしたからな、大盛りで頼む」

 

 

ディーゴにもう一つの鍋で乾麺を茹でさせ、出汁の味を見ながら麺に合うように整えさせる。

 

まだハヤシライスの足元も固まっていないうちからあんまり別の事はさせたくないけど、こうして臨機応変にお客さんを満足させる事も料理人の大事な仕事だしね。

 

香辛料や塩で味を調整した出汁に、大盛りの麺とちょっと炙った燻製肉を乗せ、彩りにハーブを浮かべる。

 

一杯はやって見せ、もう一杯はディーゴに任せる。

 

昔ご主人さまが「やってみせ、やらせてみせて……なんだっけ」なんて事を言ってたっけ。

 

とにかく、型を教えてから自分でやらせてみる事が大事なのよね。

 

 

「ほら、持ってって」

 

「あ、あのっ! どど、どうぞっ!」

 

「うんうん、美味そうだ」

 

「僕まで頂いちゃって、なんかすいません……」

 

 

ディーゴからすると、家族以外に初めて食べさせる料理なんだろう。

 

緊張感の滲み出たぎこちない動きで丼を運び、定位置である鍋の前に戻ってきた彼は、不安そうな顔で鱗人族達が料理に口をつけるのを見つめていた。

 

 

「ちと少ないが、なかなかいいな」

 

「美味しいですね」

 

 

ディーゴはメンチさんの彼氏のこぼした「美味しい」という言葉を聞いて、こっちを見て顔をほころばせた。

 

良かったね。

 

私が彼にグッと親指を立てると、それを見た彼はちょっと首を傾げた。

 

あ、そっか……このサインってマジカル(M)シェンカー(S)グループ(G)内でしか通じないか。

 

私がちょっと気まずくなって頬を掻いていると、机にゴトンと丼を置く音が響いた。

 

彼氏の二倍はあった丼を一瞬で空にしたメンチさんは、満足そうな笑みを浮かべて鱗の生えた指でビシッとディーゴをさした。

 

 

「お前、名前は?」

 

「あ、ディーゴです」

 

「修行中の身でこれだけの味が出せるとは、なかなか才能があるぞ」

 

「えっ! 本当ですか!?」

 

「本当だとも! マジカル(M)シェンカー(S)グループ(G)の長であるこのメンチが保証しよう!」

 

 

「わっ」と喜んでいるディーゴには申し訳ないけど……

 

メンチさん、馬鹿舌だからなぁ……

 

とはいえ、水を差すのも良くないと思って黙っていたのだが、どうもそれが良かったらしい。

 

ディーゴはこの日から、ますます料理に打ち込むようになったのだ。

 

そして彼を調子に乗せた張本人も、ますます夜の調理場に入り浸るようになっていた。

 

 

「メンチさん、今日も来たんですか?」

 

「飴が完成した時、その場に試食役がいなければ話にならんだろう?」

 

「すいません、お邪魔して……」

 

「ついでにディーゴの練習の成果も見てやろうというのだ。こう見えて私は食にはうるさい方でな、厳しい目線で判断してやるぞ」

 

 

彼氏のガナットさんは平謝りだが、メンチさんは盗人猛々しいというかもう、堂々としたものだ。

 

厳しい目線なんて言うが、あの人が量以外の事で食事に文句を言っているのを見たことがない。

 

まあ、ディーゴのやる気に繋がってるから、別にいいんだけどね……

 

 

「師匠、今日はどうしましょうか?」

 

「パン粥にでもしてみる? 作り方はね……」

 

 

そんな何を出しても美味いと言ってくれるとんでもない試食役を手に入れたディーゴは、それでも自信を身に着けたのかめきめきと料理を覚えていき……

 

それに比べて師匠の私の飴作りは、どうしようもなく行き詰まってしまっていた。

 

 

 

「あーっ! 全然駄目!」

 

「うわっ! どうしたんですか、師匠?」

 

「どうにもこうにも、固まらないのよ、飴が」

 

 

春も終わりに近づく中、ディーゴの練習はついにソース作りの過程に入り、今日はいよいよハヤシライスそのものを作ってみるという段階にまできていた。

 

もちろん、出汁の取り方はまだまだ、具材の切り方も雑で遅く、店で出せる味には程遠いものだ。

 

それでもあとは米炊きさえ覚えれば、時間をかければ一人でハヤシライスが作れるようになるというのは大進歩だった。

 

そんな、しっかりと前に進んでいる弟子に比べて、私は飴一つ満足に作れていない。

 

それとこれとは違う話とわかっていても、忸怩たる思いがあった。

 

 

「どうした、シーリィ」

 

「メンチさん、駄目なんですよ。飴にならないんですよ。私じゃ手に負えそうにないです」

 

 

調理場まで様子を見に来てくれた付き合いの長い同僚に対して、言いたくもない弱音が口をついて出た。

 

しかし、もう試せる事は全部試してしまっていて、これ以上はお手上げなのも確かだった。

 

どうにもならなくて天を仰ぐと頭からはぱさっと帽子が落ち、開いた口からは大きなため息が漏れた。

 

 

「それで結局この飴はどういう味なんだ? ちょっと舐めてみてもいいか?」

 

「え……? あっ! 何してるんですか!」

 

 

顔を戻すと、メンチさんが熱い鍋に指を突っ込んで飴の元を掬っていた。

 

 

「大丈夫ですか!? 火傷は!?」

 

「これぐらいの熱さで火傷なんぞせん。私を焦がすには火竜ぐらいは連れてきて貰わんとな」

 

 

メンチさんはそう言って指を舐めながらニヤリと笑うが、全然笑えなかった。

 

だってこの人、ほんとに火竜に丸焦げにされた事がある人なんだもの。

 

 

「おお、ちゃんと飴じゃないか。ちょっと変わった風味だが、味は飴だな」

 

「もう! 無茶はやめてくださいよね!」

 

「シチューのようにパンにつけたらどうだろうか?」

 

「あー、もう好きにしてくださいよ」

 

 

パン粉にする予定だった一昨日のパンを勝手に持ち出して飴につける彼女を放って、私は調理場の隅にある椅子に腰掛けた。

 

うちのご主人さまは失敗を怒るような方ではないけれど……

 

それでも、失敗を報告する時は気が重い。

 

まずはチキンに話してから取りなしてもらおうか、それとも一人で報告しに行った方がいいんだろうか……

 

 

「飴にパンというのもなかなかいいな。ディーゴ、お前も食べてみろ」

 

「え? あ、じゃあ……後学のために……」

 

 

もはやメンチさんに何を言う気にもなれず、二人の背中をぼうっと見つめる。

 

ディーゴはパンの切れ端を鍋にちょんとつけてから口に放り込んで、一生懸命咀嚼しているようだ。

 

 

「あ、意外と美味しいですね。噛めば噛むほど奥から甘みが出てくる感じで」

 

「噛めば噛むほど……ね……飴は噛んじゃ駄目なのよね」

 

 

子供の頃は飴を噛み砕いて食べるのが好きで、よく母さんに「歯が欠ける」って怒られたっけ。

 

でも細かくなった飴が一気に溶けていくあの感触が、なぜだか好きだったのよね。

 

今なら歯が欠けたっていくらでも治してもらえるんだから、飴だって噛み放題で……

 

……ん?

 

噛む?

 

私は椅子から立ち上がって、二人の間にある古いパンを手に取った。

 

 

「おお? シーリィもやってみるか? なあ、考えたんだが。これはこれで、舐める飴ではなく飲む飴として……」

 

 

飴の元にちょっとだけ浸したパンを噛む。

 

古く固くなったパンは歯ごたえがあって、なるほど噛めば噛むほど奥から甘みが……

 

あ……

 

 

「これだ!」

 

「このまま飲んでもいいが、この飴を生姜湯なんかと混ぜたら意外と美味しいかも……」

 

「メンチさん! ちょっと邪魔です!」

 

 

私は飴の元を掬ったおたまを持ったメンチさんを調理場から追い出し、ボウルに小麦粉と水を入れて猛然と練り始めた。

 

そうだ、噛む飴(・・・)を作ればいいのだ。

 

舐め溶かすのではなく、噛んで食感と甘さを楽しむ飴だ。

 

飴が単体で固まらないなら、噛みごたえのある物に練り込んでしまえばいいんだ。

 

 

「うどんでもこねるのか?」

 

「違います」

 

 

噛みごたえのある物には心当たりがあった。

 

昔ご主人さまに言われてうどんを作っていた時、不注意で床に落としてしまったうどんのタネがもったいなくて、なんとか使えないかと水で洗ってみた事があった。

 

しかしタネは流水で洗い流すと大半が溶けて消えてしまい、代わりに手にはベタベタでグニグニの、引っ張ると伸びるものが残っていたのだ。

 

それは口に含んでもなんの味もせず、なんとも噛み切れない食感だったので今の今まで忘れていたのだけれど……

 

あのベタベタのグニグニに味を練り込めば、変わり種の飴として楽しめるんじゃないの?

 

それがご主人さまのお眼鏡に叶うかどうかはわからない。

 

でも、このまま何の成果も出さずに白旗を上げるよりは、ずっとマシに思えた。

 

 

「よし!」

 

「…………」

 

 

タネを練り終わった所で、ふと隣の鍋に目が行った。

 

そちらに顔を向けると、ソースをかき混ぜながらこちらを見つめるディーゴと目が合った。

 

 

「あ、ハヤシライス作りを教えてる途中だったわね……」

 

「いえ、師匠の研究が進んだのならいいんです」

 

 

ほったらかしにして、悪いことしちゃった……

 

飴作りも仕事だけれど……彼を育てるのもまた、私の仕事なのだ。

 

一旦タネにふきんをかけ、手を洗ってからディーゴの鍋を覗き込んだ。

 

うん、途中で鍋の前を離れていた割には焦がしてない、ちゃんと火加減を調節していたのね。

 

 

「ごめんねディーゴ、さっきは取り乱しちゃって」

 

「いえ……自分だけじゃなくて、師匠だってこうやって悩みながら前に進んでるんだって事がわかって、なんだか逆に安心しました」

 

 

彼のそんな言葉に「私なんて悩んでばっかりよ」と答えようとして……やめた。

 

一人の女としてはそうだけど……

 

シェンカーの総料理長としての、ディーゴの師匠としての私はそうではいけないから。

 

 

「……ま、たまにはね」

 

 

強がって笑いながらそう言って、本当は頼りない自分をごまかすように小さくウインクを飛ばした。

 

ディーゴはなんだか呆けたように私を見ていたけど、頼りない師匠で呆れられちゃったのかしら。

 

 

「これぐらい煮詰まったらもういいかな。いい? 今日の手順をよく覚えておいてね。ソースは一番大事、ソースの味が店の味になるんだからね」

 

「はいっ!」

 

 

ハヤシライスはソースが命。

 

逆に言えばここだけ決まっていれば、他はよっぽど失敗しないと不味くはならないのだ。

 

あとは彼が手を傷だらけにしながら練習した包丁で玉ねぎとキノコと猪肉を切り、油はねで火傷をしながら覚えた火加減でそれを炒めていく。

 

 

「ここで粉をふる」

 

「はいっ!」

 

 

全体がなじむまで炒めたら、後は出汁とソースとトマトの汁を混ぜて、味を整えていくだけだ。

 

 

「ちょい塩。ハヤシライスはコメと合わせるから濃いめでいいの」

 

「はいっ!」

 

 

今日はコメはないけれど、基本は同じ。

 

パスタに合わせても、パンに合わせても美味しい……っていうか、ハヤシライスでコメを食べてる人の方がほとんどいないんだけどね。

 

ディーゴが弱火で鍋を煮詰めている間に、私はさっき捏ねておいたうどんのタネのボウルに水を入れて、じゃぶじゃぶとタネを洗っていく。

 

白く濁る水を何度も交換して、濁らなくなるまで洗う。

 

 

「うーん、こんなもんかな」

 

 

ふきんに包んで水を切ると、余分な粉が洗い流されたうどんのタネは、もちもちでネバネバな小さな塊になっていた。

 

ちょっとちぎって、口に入れてみる。

 

うん、噛みごたえはあるけど、味は小麦そのものだ。

 

ご主人さまから預かった砂糖を練り込んで、また味見。

 

ほんのりとした甘さがあっていいけど、香りが悪いかも。

 

私はネバネバをいくつかに切り分けて、果物の精油を混ぜてまた練り直す。

 

そんな事をやっている間に、ハヤシライスはいい感じに煮詰まっていたようだ。

 

 

「師匠、どうですか?」

 

「うん、こんなもんかな」

 

 

味見をすると、雑味があり、ちょっと酸っぱく、肉も野菜も切り方が悪い。

 

でも、きちんとハヤシライスになってる。

 

はじめて通しで作ったにしては上出来ね。

 

 

「師匠! これっ! 完成ですか!?」

 

「うん、完成」

 

「やったぁーっ!」

 

 

調理場に、ディーゴの歓喜の声が響いた。

 

 

「おお! できたか! 私はハヤシライスには一家言ある女だ、出来栄えを味見してやろう」

 

「どうするディーゴ? バータさんに持って帰ってもいいと思うけど……」

 

「いえ、師匠が教えて下さったのと、お二人がよく試食をしに来てくださったお陰でここまで来れたんです、是非食べて頂きたいです!」

 

「任せておけ!」

 

「すいません、ほんと……」

 

 

まぁ、そう言うと思って、今日は最初から私とディーゴの分も考えて多めの材料で作ってあるんだけどね。

 

 

「良かったら師匠も食べていただけますか?」

 

「じゃあ、いただこうかな」

 

 

食堂に移動して、みんなで同じテーブルにつく。

 

メンチさんの前には、さっき飴の元につけて食べていたパンを籠ごと置いた。

 

ついでに私の作った噛む飴も、切り分けて配膳する。

 

どうせだから、デザートとして出して一緒に味見をしてもらおう。

 

 

「あのあのっ! 皆さん、どうぞ!」

 

「じゃあ、いただこうかな」

 

「いただきます」

 

「匂いはいいぞ、ディーゴ」

 

 

茶褐色のハヤシライスにスプーンを入れて、口に運ぶ。

 

うん、さっき思った通り、まだまだ。

 

 

「うまいぞディーゴ、これではじめてとはとても思えんな。お前、店でもやったらどうだ?」

 

「うんうん、美味しいですよ」

 

「え? え? そうですか? ほんとですか?」

 

 

何でも美味しく食べれるメンチさんの天然褒め殺しも、ディーゴにはちょうどいいのかも。

 

彼は自分に自信をなくしかけてたんだし、厳しくされるよりはあっちの方が伸びるでしょ。

 

 

「師匠、どうでしょうか?」

 

 

私は曖昧に頷いて、彼の目を見た。

 

 

「明日からは、この何百倍の量も作ることを見越して練習ね」

 

「はいっ!」

 

 

店を持つなら手が早くないとね。

 

でもとりあえず、春の終わりを迎える前にちょっとだけでも形になって良かった。

 

私は安堵の気持ちに浸りながらゆっくりとハヤシライスを平らげて、噛む飴を口に含んだ。

 

優しい甘さと共にいちごの香りが鼻に抜けていき、ふぁっとあくびが出た。

 

今日はなんだか、よく眠れそうな気がした。

 

 

 

 

 

「それで、これが頭の良くなる飴か。そうか、ガムになっちゃったか」

 

 

私が噛む飴の事を報告に来たマジカル(M)シェンカー(S)グループ(G)本部の執務室で、ご主人さまはミント味の飴を噛みながらそんな言葉を零した。

 

 

「ガ……? なんですか?」

 

「あれ? あ、そうか、ガムってないか」

 

 

うちのご主人さまのサワディ・スレイラ様は、はっきり言って天才だ。

 

とんでもないスケールで、とんでもない物を作る、貴族にして偉い学者でもある大魔道士だ。

 

だからだろうか、時々こうして私達にはわからない言葉を言うことがあった。

 

 

「これ、小麦を練って作ったって言ってたっけ?」

 

「そうです、あの砂糖と香料を練り込んで……」

 

「なんだったっけなぁ、たしかガムはプラスチックだったような……学園の錬金術師にいい感じの樹脂材料がないか聞いてみようかなぁ……」

 

「あの、ご主人さま?」

 

 

ご主人さまは噛む飴(ガム)をモニュモニュと噛んで、ゴクンと飲み込んだ。

 

 

「シーリィ、お手柄だね。これは多分、飴よりでっかい仕事(シノギ)になるよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

良かった……

 

私は鼻からゆっくりと安堵の息を吐き出した。

 

ご主人さまは慈愛のサワディと呼ばれるぐらいの人格者だけれど……

 

私は命令を果たせなかったという事で、最悪は何か処罰を受けるという事まで覚悟していたのだ。

 

 

これ(ガム)に関してはちょっと他の材料も考えてみたいんだ。またいい感じの素材が見つかったら、シーリィに開発をお願いするかもしれないんだけど……」

 

「もちろんでございます」

 

「あ、あとシーリィに預けた料理人の事なんだけど」

 

 

ご主人さまはニッコリと笑って、机から手紙を取り出した。

 

 

「バータさんから、感謝の手紙が届いてたよ。うちの料理人がハヤシライスを作れるようになるなんてって感激してた」

 

「そうですか」

 

 

その言葉に、肩の荷が降りた気分だった。

 

まだとりあえず形になるところまでしか教えられていないけれど……

 

正直自分でも、短い期間でよくここまでやったものだと思う。

 

ディーゴも、親御さんに顔が立ったのなら良かった。

 

後は教えた事を忘れずにしっかり練習すれば、多分店だって来年ぐらいには……いや、再来年……いやいや……

 

そんな事を考えていた私に、ご主人さまは「それでね」と続けた。

 

 

「バータさんの方から……もし良かったら本人が満足するまで修行させてやってくれないかって言われててさ。シーリィはどう?」

 

「え? 満足するまでですか? 春の終わりまでじゃなくて?」

 

「そうそう」

 

 

そりゃあ、彼に教えられていない事はいくらでもあるんだけれど……

 

いいんだろうか、そんなゆっくりで?

 

 

「その場合は一応うちから見習い扱いで最低限の給金は出すって話になってるから、普通に仕事に使っていいよ。調理場の事情もあるだろうから、シーリィがやれるとこまででいいけどね」

 

「まぁ、それなら……」

 

 

正直、肩から降りた荷が、また乗っかってきた気分だった……

 

とはいえ彼の頑張りを知っているからか、断るという気も起きず。

 

私はご主人さまに言われるがままに、ディーゴの修行期間の延長を承諾していた。

 

 

「じゃ、ガムの件はチキンに言ってボーナスにつけとくから」

 

 

軽い調子でそう言われ、私は執務室を後にした。

 

扉の前で大きくため息をついて俯いた私の体を、廊下を吹き抜ける風が撫でる。

 

なんとなく風に誘われて窓の方を見ると……外からグワッシャーン! と、音がした。

 

窓辺に近づいて下を見下ろすと、真下にある食堂の裏口で玉ねぎをぶちまけて転んでいるディーゴが見えた。

 

 

「……まだまだ一人前は遠そうね」

 

 

ふ、と苦笑がこぼれた。

 

窓辺に寄りかかったまま、なんとなく天を仰ぐと……

 

ちょうど太陽にかかっていた雲が晴れ、熱いぐらいの日差しが私のおでこを照らす。

 

出来の悪い弟子をどう鍛えようかと頭を悩ませながら、私はそのまましばらく、春の終わりの風に吹かれていたのだった。



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第111話 夏よりも 暑い男の 直談判

異世界で 上前はねて 生きていく
こばみそ先生作画の大大大大大好評のコミカライズ第7巻が本日発売されました。
何卒よろしくお願い致します!


夏の盛りの黄金の絨毯が一面に敷かれたテンプル穀倉地帯に、一本の(ライン)を引くようにどこまでも続く長大な列車が進んでくる。

 

それは真っ赤な車体の大陸横断鉄道、そしてその機関車の後ろに大量に曳かれた車両のほとんどは、物資輸送のための貨物車だ。

 

しかし物資に比べれば限りなく小さな割合になるが、もちろん人だって乗っている。

 

俺はそんな貴重な客車の、さらに貴重な貴賓用(ファーストクラス)車両から降りてきた人物をトルキイバの駅で出迎えていた。

 

 

「お待ちしておりました、スピネル様。サワディ・シェンカーであります。」

 

「ああ、ご苦労さま。ここがトルキイバか……はるばる列車に揺られてきた甲斐のある土地ならいいがね」

 

 

お供の男性を引き連れてやって来た、国立劇場の実質的な専属脚本家であるスピネル氏は名乗ることもなくそう言った。

 

もちろん、それは普通ならば俺のような下級の職責貴族に対してだって十分に無礼な振る舞いに当たるが……彼に関してはそうはならない。

 

だってスピネル氏の家って、バリバリに王家の縁戚だし。

 

王家の縁者という意味では、奇しくも一応俺も同じ立場になってしまうのだが……

 

あっちは俺みたいにたまたま縁のできた小物とは根本的に立場が違い、何代も王家の血が入ってるザ・名門貴族。

 

 

「どれ、早速だが劇場を見せてもらおうかな」

 

 

顎をしゃくって人を使う姿も堂に入ったものだ。

 

だが、平身低頭、時々やらかしで貴族社会を生き残ってきた俺の小物ムーブだって、そう捨てたものじゃない。

 

 

「かしこまりました。外に馬車を待たせておりますので」

 

 

俺は笑顔のまま淀みない動きでペコペコしながら素早く荷物を預かり、彼らを先導して歩く。

 

スピネル氏とお供はうんともすんとも言わずにむっつりと後ろを歩いてくるが、気にもならない。

 

正直、俺的にはあの姫様よりもこういう貴族っぽい貴族を相手する方が楽だ。

 

対応も正解が決まってるし、全く腹の中が読めないなんて事もそうそうないしな。

 

俺は馬車に乗り込んでからもむっつりと顔を外に向けるスピネル氏と、その隣で無言で腕を組むお付きの方の対面に座り……

 

劇場に到着するまで、澄まし顔のままじっと黙っていたのだった。

 

 

 

 

 

「いかがでしたでしょうか?」

 

「どうという事もなく」

 

 

うちの劇場一番にして唯一のヒット作である『もう遅い』を見終わった後も……

 

劇場中を絶賛の意を示す光の帯の魔法が飛び交う中、スピネル氏の顔はむっつりとしたままだった。

 

俺肝いりのワンフロアぶち抜きのファミリーシートにも、女だらけの劇団にも、新進気鋭の脚本家メジアス氏の本にも別段反応を見せる事もなく、最後に出てきた言葉が「どうという事もなく」だ。

 

はっきり言って、俺の劇場はスピネル氏に全くハマってないようだった。

 

 

「この後役者による握手会がございますが、いかがでしょう? 姫様も参加なされた行事なのですが……」

 

「それは遠慮しておこう。して、この劇場に書き下ろす劇の題材だが……」

 

「おお! 私、夜も眠れぬほど楽しみにしておりました!」

 

 

これは本当だ。

 

 

「教会の大罪をテーマにした話を考えている。地方のこういった劇場では、物新しい題材よりも皆がよく知っている史劇の方が喜ばれるものだからな」

 

「おお、それは今から楽しみです! スピネル様の史劇といえば私は『緑の牧場』が大の好みでして、何度も観劇しては涙を流したものです」

 

 

スピネル氏はそんな俺の言葉に、今日始めての微笑を見せながら少しだけ頷いた。

 

まぁ、彼はどう考えて何を書こうが全てを許される立場の人だから、極論劇の内容は何だっていいのだ。

 

俺は彼の新作が見れて嬉しく、劇場にはハクがつき、姫様は俺に恩という重しを乗せる事ができ……そして別にいらないかもしれないが、スピネル氏にはいくばくかの金が入る。

 

いいことばかりだ、姫様様々である。

 

夏だけど、まさに我が世の春である。

 

だから俺は、目の前の彼がこぼした言葉をすぐに承諾し……そこから始まったちょっとした雑談を、うっかり大きな話にしてしまったのかもしれない。

 

 

「ああそうそう。カリーヤ姫様が、野球というものを一度見ておけと言っていたのだが……」

 

「ああ、野球ですか。この劇場の隣でやっていますので、今からでも見に行かれますか? 今日は多分平民の試合で、あまり面白い物ではないかもしれませんが……」

 

「うん、そうさせてもらおうか」

 

 

どうせ見てもらうならば派手な貴族リーグの試合が良かったが、日帰り予定のスピネル氏に無理は言えない。

 

俺達は混み合う劇場のロビーを抜け、すぐ隣の野球場へと足を運んだ。

 

夏の日差しはカンカン照りで、屋根のあるVIP席以外の観客たちは傘を持ち込んだり、帽子を被ったり逆に上を全部脱いだりと、各々で暑さ対策をしているようだった。

 

 

「お二人共、ビールかコーラはいかがですか?」

 

「コーラとは?」

 

「これは失礼、トルキイバ名物の甘い炭酸飲料です」

 

「では私はそれを、君は?」

 

「では、私もコーラというやつで……」

 

 

暑さ対策に魔法でびゅうびゅうと風が吹き抜けるVIP席で、俺とスピネル氏とお付きの方はコーラを飲みながらゆっくりと野球の試合を眺める。

 

グラウンドではうちの家の野球チームであるシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)と馬宿組合栗毛団(ブラウンヘッズ)が四対四の超接戦を繰り広げていた。

 

万年最下位争いをしている大蠍団(スコーピオンズ)だが、別に強い選手がいないってわけじゃあない。

 

ただチームの人数が非常に多く、一年中スタメンがコロコロ入れ替わっているから、均せば弱いというだけなのだ。

 

今日は野手に魚人族のロースや鱗人族のメンチ、投手には平民リーグ最強ピッチャーの鳥人族のボンゴがいた。

 

他にも何人か冒険者が揃っていて、ほとんど最強メンバーと言える布陣だった。

 

 

「あの棒を持っている方なぜコロコロ人が代わるんだ?」

 

「あれは投げ手(ピッチャー)打ち手(バッター)の勝負でして、投げ手が勝ったら次の打ち手と交代なんです」

 

「打ち手が勝っても投げ手は代わらないのかね?」

 

「代わりません。この競技は投げ手が有利な競技でして、打ち手が打って(ベース)を回ると点が入りまして……」

 

 

なんだかスピネル氏は劇や劇場よりよっぽど野球に興味があるように見えるが……

 

まぁ物珍しいんだろう。

 

今のところ王都にはない、トルキイバ独自のものだからな。

 

一通り野球のルールを教えたら、スピネル氏はさっきよりも一層熱心にグラウンドを見つめ始めた。

 

 

『バッターは四番ショート、ロース』

 

「あの選手はよく塁に出るね」

 

 

スピネル氏は真っ赤なトサカが帽子でぺしゃんこになったロースを指さしてそう言った。

 

 

「彼女は普段冒険者をやってますから、体が違いますよ」

 

「だけどあの子が塁に出ても続く者がいなくて点にならない。あの一番の鱗人族の子を後ろに持ってきたら点になるのにな」

 

 

なんだかテレビの前で甲子園の試合を見ている時のような事を言うスピネル氏がおかしくて、俺は苦笑しながら思わずこう提案した。

 

 

「今日はこの後にもう一試合ある予定ですから、次はそうしてみますか?」

 

 

スピネル氏のオレンジ色の目が、驚いたようにこっちを向いた。

 

 

「ん? どういう事だい?」

 

「あの赤いユニフォームのチーム、うちのチームなんです」

 

「うちのって、スレイラ家かい?」

 

「いえ、スレイラ家のチームは貴族リーグにまた別にありまして。あれは私が出資している私のチームなんです」

 

 

そう言うと、スピネル氏は今日始めて見せる楽しそうな顔で更に尋ねた。

 

 

「君、どうして平民のチームなんかに出資を?」

 

「私、平民の出なもので」

 

 

俺の答えにほぉーっと興味があるのかないのかわからない様子で頷きながら、彼は懐から取り出した手帳に何かを書きつけはじめる。

 

しばらくグラウンドを見つめながら何かを書いていたが、おもむろにそのページをビリっと破いて俺に手渡した。

 

 

「この順番でどうだろうか?」

 

 

紙には、今とは変えられた打順が背番号順に書かれていた。

 

 

「おお、この一番の後に六番が来てるのが素晴らしい采配ですね。一塁か二塁に走者がいる場合なんですけど、その場合は次の打者は右打ちがいいと言われてるんですよ」

 

「ほう、それはどうして?」

 

「走者がいると守備が前に出てくるので、右打ちなら飛んだ球が捕球されにくいと言われています。右翼手(ライト)の前に転がっても、並の肩じゃあ三塁まで届かせるのは難しいんです」

 

「ふーん、なかなかおもしろい。どれ、もう少し考えてみよう」

 

 

スピネル氏は俺から紙を取り上げて、試合の進行を見ながらまたバッティングオーダーを練り始めた。

 

結局彼はたびたび俺に解説を求めながら次の試合のギリギリまでオーダーを練り続け……

 

俺はそれを試合開始直前に、審判団の元まで走って届ける事になったのだった。

 

そうして次の試合、練りに練られた打順と、そもそも強すぎるメンバーの集まったシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)は西街商店街緑帽軍団(グリーンキャップス)に対して十八対二の記録的勝利を達成し……

 

なぜか日帰り予定だったはずのスピネル氏は、この日トルキイバに一泊する事になったのだった。

 

 

 

 

 

翌日、俺の元にスピネル氏のお付きの方から「もうしばらく滞在する事になった」と連絡があった。

 

俺としては別に何日いてもらったって構わないので、スピネル氏の泊まっているホテルの部屋を延長しておいた。

 

王都の演劇界の重鎮である彼の事だ、たまには田舎でのんびりするのもいいと思ったんだろうか。

 

野球場の出入りに関しても相談を受けたので、俺の持っているオーナー席をいつでも使えるように手配しておいた。

 

まぁ、せっかく滞在するなら平民リーグだけじゃなくて、ド派手な貴族リーグの方も見ていってもらいたいしな。

 

まぁ、そこまでは良かったのだ、そこまでは。

 

問題が起きたのはそこから一週間ほど経ち、うちの球団(スコーピオンズ)がいつも通り気持ちよく負けまくった後の事だった。

 

子供たちが騒ぐ夕飯時に、夏の日差しでほんのり日焼けしたスピネル氏は突然家にやってきた。

 

 

「これはスピネル様、よろしければぜひ夕飯をご一緒されませんか?」

 

「いや、それは結構……それよりも!」

 

 

なんだか怒っているような、焦っているような様子の彼がずいと近づいてきて、思わず俺は同じだけ後ろに下がった。

 

 

「な、なんでしょうか……?」

 

「ここ最近の大蠍団(スコーピオンズ)の、あの体たらくはいかがなものだろうか……?」

 

「え? 大蠍団(スコーピオンズ)ですか? いや、うちの球団は去年もあんなもんで……」

 

「否! あの球団はあんなものではないはずだ! もっと、もっとやれるはずだ!」

 

 

拳を握ってそう力説する彼に、俺は終始押されっぱなしだった。

 

でもそんな事言われてもなぁ、勝てないもんは勝てないんだし。

 

貴族リーグの方のうちのチーム、スレイラ白光線団(ホワイトビームス)だってそうだけど、弱いのは俺のせいじゃないよ……

 

 

「あの球団はその、主力選手の固定化も難しいという事もありまして……なかなか思うようには……」

 

 

多分だけどスピネル氏が言いたいのは、あの日の大勝ちがもう一回見たいって事なのかな?

 

とはいえ、大蠍団(スコーピオンズ)の勝ち負けにテコ入れできるほど、俺も暇があるわけではない。

 

あくまであの球団は、うちの人間のレクリエーション目的というか……

 

定められた練習もなし、レギュラー争いも特になし、言ってしまえば他のどこよりもゆるい球団なのだ。

 

そんな事を考えながらなんとなく言葉を濁していると、スピネル氏はもう一歩こちらへ踏み込んで、ぼそっと何かを呟いた。

 

 

「……なら……」

 

「え? 今なんと?」

 

 

なんだろうか。

 

あまり聞き返すのも失礼と思って、近づいたのが良くなかったのかもしれない。

 

 

「私ならもっと、あの球団を勝たせてやれるかもしれない!!」

 

 

グッと拳を握ったスピネル氏の大音声が我が家のロビーに木霊して、俺の耳はキーンと鳴った。

 

家のどこかから子供の鳴き声が響き、家中の者たちがロビーに走ってくる音が聞こえてくる。

 

 

「このまま放っておくぐらいなら、どうか一度私に任せてみてくれ!」

 

 

そうして誰かがやってくるまで、俺は大貴族に肩を揺さぶられながら……

 

自分の背中が暑さ以外の汗で濡れていくのを感じていたのだった。

 




ピロリ菌除菌したら一週間以上寝込む事になって死ぬかと思いました……


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第112話 泥まみれ いつか掴むよ 栄冠を 前編

スピネル監督の話です。
すいません、長くなるのでまた分割です。


思えば子供の頃から凝り性だった。

 

父や弟と狩りへ行けば、小さな獲物では満足できずに粘り、周りを辟易とさせ。

 

母や姉と詩を読めば、出来栄えに納得できず季節が変わるまで同じ詩を直し続けた。

 

今の仕事だってそうだ。

 

最初の理由は、大きな声を出して歌うのが好きだった事だ。

 

だから、役者として演劇倶楽部へと入った。

 

だというのにやる本やる本全てが気に入らず、物足りず、気がつけば自分で書き始めていた。

 

皆は私の事を『国立劇場の守護神』だの『巌のスピネル』だのと好き勝手に呼ぶが……

 

私から言わせれば、他の者たちの意識が低いのだ。

 

やるからには、完璧を求め。

 

やるからには、大喝采で終わりたい。

 

当然の事だ。

 

これまでそうしてずっと、当然の事を当然のようにやってきた。

 

だからだろうか、こんな田舎までやってきて……急に、そうできない者たちの事が目についた。

 

負けない材料があり、勝ちを拾える算段があり、勝ち続けられる体力がある。

 

そんな野球チームが、負け続けている。

 

それは私にとって、とうてい看過できない大問題であったのだ。

 

 

「えー、今日からうちの監督になる、クタゴン(・・・・)さんです。」

 

 

この日、スレイラ家の所有する都市の外れの運動場に集まったシェンカー大蠍団(スコーピオンズ)の選手たちは、突然眼の前に現れた私の事を見て訝しげな顔をしていた。

 

 

「サワディ様いわく、うちのチームを勝たせる手伝いをしてくれる人なんだそうなので、言う事聞くように」

 

 

真っ赤なトサカのような髪が天を指す右打ちの強打者(スラッガー)、ロースが私を偽名(・・)で紹介をしてくれるが、どうも団の人間たちには私の事が怪しく見えるようだった。

 

 

「誰だろあの人?」

 

「監督? 監督って何?」

 

「団長とは何か違うのかな?」

 

 

私がオホンと咳払いをすると、ひそひそ話はぴたりと収まった。

 

 

「ただいま紹介に預かったクタゴンである。私は諸君らが平民リーグで勝ち上がれると、心から信じている者である。そのために、諸君らの主人より許可を得て監督職に就任させてもらった」

 

 

私が偽名を使っているのは、サワディ・スレイラの提案によるものだ。

 

奴隷を含めた平民たちは貴族に対して並々ならぬ畏怖心を持っているもの。

 

そのため監督業という観点から見ても、選手たちの心の平穏という観点から見ても、私は裕福な平民という事にしておいた方がいいだろうという事になったのだ。

 

 

「あのぅ……」

 

 

一番前にいる、左打ちの左翼手の羊人族が小さくそう言いながら手を上げた。

 

私がそちらを見ながら頷くと、彼女はおずおずともう一度口を開いた。

 

 

「クタゴン様は、サワディ様とどういったご関係なのでしょうか?」

 

「私も平民ゆえ()はいらぬ。私はしがない劇作家でな……諸君らの主人とは演劇関係で縁があり、劇の題材としての取材のために監督を任せてもらう事になった」

 

 

事前に打ち合わせた内容通りにそう答えると、選手たちは途端に安心した様子で顔を見合わせはじめた。

 

なるほど、たしかにこの様子では貴族と名乗れば無用な軋轢を生んだやもしれぬな。

 

 

「そんで監督って何なんすか?」

 

 

私が貴族でないとわかった途端に砕けた様子で、手も上げずに質問をしてきたのは右投げ右打ちの投手の娘だ。

 

 

「監督というのは、人を集め、稽古をつけ、向かう先を決め、広報し、人事を尽くして責任を取る役割だ」

 

 

サワディ・スレイラに、野球監督という役割を教えられて驚いた。

 

奇しくもそれは、私が王都の国立劇場で請け負っていた役目と全く同じだったからだ。

 

 

「……つまり、諸君らに栄光を与える者の事である」

 

「え、栄光……?」

 

「リーグ優勝って事?」

 

「そうだ、我々はこれからあまねく勝利を我が手にし……リーグ優勝を狙う!」

 

「リーグ優勝ったって、ねぇ……」

 

「去年は結局最下位だったし……」

 

 

力強くそう言い切った私に対して、選手たちは猜疑の視線を向ける。

 

当然だ、私はまだ何の実績もない門外漢。

 

ここから先の信用は、行動で勝ち取っていくしかないだろう。

 

この日から、私と大蠍団(スコーピオンズ)の悪戦苦闘の日々が始まったのだった。

 

 

 

 

 

試合日の焼けるような日差しが照りつける野球場で、選手たちと私はベンチの周りに集まって会議を開いていた。

 

 

「打順決め? それって意味あんのかなぁ?」

 

 

大蠍団(スコーピオンズ)正捕手の猪人族シィダが、顎を掻きながらそう言った。

 

彼女は縫製工場で働いているそうで仕事に都合がつきやすいらしく……出場者がコロコロ変わるこの団では珍しく、ここ半年ほどは皆勤で捕手面(マスク)を被っている選手だ。

 

他の者よりも団の事情に詳しく、人当たりもいいため団長のロースから監督補佐に任命されていた

 

 

「もちろんあるとも、普段はどうやって打順決めを?」

 

「そりゃあ来た順だぁ。早く打ちたい奴は早く来る、それが前からの決まりだよ」

 

「それではもったいない、打順で試合はガラッと変わる」

 

「ほんとかなぁ?」

 

「まぁ、見ているがいい」

 

 

胡乱げな視線でこちらを見つめるシィダにそう答え、完璧な打順表を持った私は胸を張って審判団の元へと向かったのだった。

 

結果を出せば人はついてくる。

 

そうしてついてきた者に適切な仕事をさせられれば、物事は上手く回り始めるものだ。

 

これまでも何度も実現してきた仕事の方法論を、私はこの野球という分野でも実現させようとしている。

 

そんな背中を押すように、まるで私の心のように熱い風が、強く強く吹いていた。

 

 

 

 

 

 

 

そうして私の監督としての最初の一週間が過ぎ。

 

大蠍団(スコーピオンズ)は負けに負けていた。

 

 

「農家連合金穂団(ゴールデンスパイク)相手に五対一、冒険者ギルド剣星団(ソードスターズ)相手に四対一、この一週間で勝ち星はなし……か」

 

「こんなもんだってぇ。監督のせいじゃないよ」

 

 

野球新聞を読みながら練習場のベンチで肩を落とす私に、シィダはそう慰めの言葉をかけた。

 

ありがたい……が。

 

人から優しくされると、自分の不甲斐なさがなおさら身に染みるというものだ。

 

監督就任以来の大敗は、ロースやメンチ、ボンゴといった主力選手が仕事で不在だったというのが大きいのだが、本来ならばその敗因を取り除く事こそが監督の仕事というものだ。

 

私は沈む心を振り切るように上を向き、野球新聞を折り畳んで傍らの野球(メット)の下に敷いた。

 

 

「それにしても、今日から夜間練習をやると周知しておいても……集まったのはこれだけか」

 

 

夕焼けに染まるトルキイバの練習場では、シィダを含めると六人の人影が私服のままだらだらと球回し(キャッチボール)をしていた。

 

 

「みんな昼間は仕事でヘトヘトなんだから、六人も集まっただけでも上等だってば」

 

 

私が二十代の頃、独立四百年記念の祭りに向けて若い役者たちを集めて劇団を作った時は、昼間どれだけ疲れていようが呼んでいない者まで集まったものだが……

 

いや、いかんな。

 

昔を懐かしみ今を嘆く、まるっきり老人の悪癖だ。

 

シィダの言うように、六人も集まってくれただけで僥倖というものだ。

 

 

「……その仕事の事で考えがあるのだ。皆! 一回集まってくれ!」

 

「しゅーごー!」

 

 

練習場にシィダの声が響くと、五人がダラダラと歩いて集まってくる。

 

仕方のない事だ。

 

結果の出ない努力とは虚しいもの、気が入らないのも無理はない。

 

今からする話で、少しは元気を取り戻してくれればいいが……

 

 

「実は今日は皆にいい話がある」

 

「なんだろ?」

 

「新聞になんかいい事書いてあったのかな?」

 

「皆毎日よくやってくれているが、昼に仕事をし、夜に練習というのはいささか大変かと思う。そこで提案なのだが……練習日の昼の仕事は無しにし、私に雇われる気はないか?」

 

「…………」

 

 

この大蠍団随一の弱み、それは以前サワディ・スレイラが語った通り出場選手の固定が難しい事だ。

 

どれだけ強い選手がいようとも、試合に出られなければ意味はない。

 

私のこの提案はそれを解消するためのものだった。

 

しかし選手たちはなんだか困惑した様子で、不安そうにこちらを見ていた。

 

生活の事が心配なのだろうか? だが、その点については心配いらぬぞ。

 

サワディ・スレイラではないが、私とて野球チームの一つや二つを養う程度の甲斐性はある。

 

 

「もちろん! 今と給料は寸分変わらぬ、これは私が手当を出し、仕事の代わりに野球に専念してもらうという……なんだ? シィダ?」

 

 

困ったように首を横に振るシィダに裾を引かれて話を遮られ、どうも空気がおかしいという事に気がついた。

 

落ち着いて周りを見渡すと、選手たちはシィダと同じような困り顔で、なんだか腰が引けているようにも思えた

 

 

「監督、そんなん言ってもみんな困るだけだってぇ」

 

 

シィダが言うと、他のメンバーも頷く。

 

なぜだろうか?

 

日々の暮らしに悩まされる事なく好きな野球に打ち込める、彼女たちにとってもいい話だと思うのだが……

 

 

「なぜかね?」

 

「わかんないの?」

 

「皆目わからぬ、教えてくれ」

 

「あのさぁ、あたしら奴隷なんだよ? 特別扱いされて野球なんかしてたら、仕事作ってくれてるご主人さまにも、いつも都合つけてくれてる他の皆にも申し訳なくて、合わす顔がないじゃんか」

 

「そうだよね」

 

「野球は楽しいけど、仕事あっての暮らしだからなぁ」

 

 

なるほど、そうか……

 

 

「……すまなかった、皆の立場を考えずに物を言ってしまったな」

 

「…………」

 

 

私は真摯に頭を下げた。

 

思えば、奴隷という立場のものと関わるのは生まれて初めての事。

 

何も知らぬまま、いや、知ろうともせぬまま。

 

理想に任せて突っ走り、元々ない信用を更に損ねてしまった。

 

 

「…………」

 

 

選手たちの沈黙が、肩にのしかかるように重かった。

 

知らぬまま突っ走るのは、やる気の現れである。

 

だが知ろうともせず走り出すのは、礼を失する行為である。

 

もう齢も六十を超えたというのに十代の小僧のような失敗をするとは、私もまだまだ青い……

 

気落ちして更に重くなった気がする肩を、シィダの大きな手が優しく叩いた。

 

 

「まぁまぁ、一回二回の失敗は誰でもやるってぇ。次からはさ、先にあたしに相談してくれりゃあいいよ」

 

「……うむ、そうさせてもらおうか」

 

 

顔を上げると、シィダは私を元気づけるように笑いながら、こちらに向かって右手の親指をピンと立てていた。

 

……どういう意味があるのだろうか?

 

なんとなく、悪い意味ではないような気はするが……

 

 

「では早速の相談で恐縮なのだが……」

 

「ああいいよ」

 

「私に監督として、選手側から何かしてほしいことなどはあるか? これは金がかかる事でも構わん、こう見えても暮らしに余裕はあるのだ」

 

「うーん……ほんとに何でもいいの?」

 

 

シィダは横目でチラリとこちらを見た。

 

私が「もちろんだとも」と答えると、彼女はススッと近寄り、小声で言った。

 

 

「試合に勝ったら、晩飯奢り……とか」

 

「なんだ、そんな事か。もちろん構わんよ」

 

「予算はどんぐらい? ちょっとだけお高い店とかも……」

 

「もちろんだとも。試合に勝ってくれたのならば、私は喜んで君たちのために王都の一流店(グランメゾン)とて貸し切りにしよう」

 

「おお! 頼もしいねぇ!」

 

 

彼女は朗々と響く声で「みんな! 監督からいーい話があるよ!」と皆に告げた。

 

 

「試合に勝ったら、その日の晩飯は監督の奢りだ!」

 

「マジ!?」

 

 

先ほどまでとは目の輝きが違う犬人族の野手が、口を大きく開けて言った。

 

 

「もちろんだとも」

 

「お酒は?」

 

 

舌を出さんばかりに喜色満面な羊人族の左翼手が、跳ねるような声色で聞いた。

 

 

「浴びるがごとく」

 

「それって何頼んでもいいの!?」

 

 

こちらまで鼻息の聞こえてきそうな様子の抑え投手が、興奮気味にそう訊ねた。

 

 

「財布の心配はするな。ただし……試合に勝ったらの話だが」

 

 

そう告げると、団の者たちは「うおーっ!」と叫んで気炎を上げた。

 

 

「もちろん勝つ勝つ!」

 

「話わかるじゃん監督!」

 

「あたし高い順に注文しちゃお!」

 

 

先ほどまでとは打って変わってやる気に満ちた皆を見て、思わず笑みがこぼれた。

 

練習時間が増えたわけではない、主軸になる選手が増強されたわけでもない。

 

だが、まずはこれでいいのだろう。

 

士気の旺盛なるに勝る物はないというのも、私が演劇の中から学んできた事の一つだ。

 

私は感謝の意を込めて、隣に立つシィダに向けて頷いた。

 

真っ赤に日焼けした顔のシィダはにやりと笑い、また親指をピンと立てたのだった。

 

 

 

 

 

「バッターアウッ! ゲームセット!」

 

「っしゃああああああ!!」

 

「しこたま飲むぞーっ!」

 

 

しかして、次の試合で大蠍団(スコーピオンズ)は大勝ちを果たしていた。

 

一試合目は東町商店街禿頭団(スキンヘッドボーイズ)に三対零で勝利、二試合目は西町商店街緑帽軍団(グリーンキャップス)に五対一で勝利。

 

大敗を喫した先週とは裏腹に、今週の大蠍団(スコーピオンズ)は絶好調だった。

 

強打者であるロースとメンチの打撃は冴え渡り、投手の兎人族クワンのフォークボールはまるで魔法を使ったかのようにストンと落ちた。

 

堂々たる勝利、皆が望み、私の望んだ勝利である。

 

もちろん、今日の勝利は強い選手に頼った勝利かもしれない。

 

まだ解決していない課題は山のようにある、私も仕事をしたとは言えない状況かもしれない。

 

しかし、内実はどうあれ、まずは勝つ事から全てが始まるのである。

 

だから、まずは今日の勝利を祝おう、盛大にな。

 

 

「監督ぅ、それで今日はどこ連れてってくれるんですか?」

 

「すぐそこの店だ」

 

 

球場からしばらく歩いてトルキイバの目抜き通りに出てきた我々は、行き交う馬車の邪魔にならぬよう道の端に寄って移動していた。

 

 

「目抜き通りにある居酒屋っつったらボーの酒場かな?」

 

「いやいや、もっと豪華にクルドア酒店なんかも……」

 

「クワン、そんなとこ行ったことあんの?」

 

「いやいや、前にロースさんが連れてってくれて」

 

「あん時は本当に財布が空になるまで飲んだっけなぁ」

 

 

皆が口々に喋っている間に、ようやく店に辿り着いた。

 

純白を貴重にした店構えに、少々野暮ったい天馬の彫り物の入った看板のここは、この都市に来てから色々食べ歩くうちに出会った店だ。

 

普段ならば馬車や人力車で来る場所だから少々時間がかかったが、なかなか美味い田舎料理を出す店である故に、きっと皆も満足するだろう。

 

 

「ここだ。入るぞ」

 

 

扉の前に立つウェイターに向けて歩き出そうとして、誰かに肩を掴まれた。

 

首を回して後ろを見ると、シィダが困ったような顔で首を振っていた。

 

 

「監督、奮発してくれようとしてるのはわかるけどさ……ここ、貴族用の店。めちゃくちゃ高いだろうし、たとえお金あってもあたしらは入れないって」

 

「む……そう……なのか……?」

 

 

平民用、貴族用などと店が分かれているなど、これまで考えた事もなかった。

 

やはり田舎というものの事情は、王都暮らしの身からすれば複雑怪奇だな。

 

しかし、どうしようか……平民用の店など、皆目見当もつかない。

 

窮した私の手を、シィダの大きな手が引いた。

 

 

「飲み屋ならロースさんがいいとこ知ってるからさ、そこ行こっ」

 

「むぅ、では……そうしようか」

 

 

どうやら私には、監督としても、平民(・・)としても、まだまだ学ぶべき事が沢山ありそうだ。

 

私はシィダに手を引かれるがままに、赤髪の強打者の後ろについて歩き始めた。

 

仕事帰りなのだろうか、様々な人種の者達が詰め込まれるように乗った乗り合い馬車が我々を抜かしていく。

 

その馬車の向かうトルキイバの一番中心の巨大な十字路の向こうからは、真っ赤に燃えるような夕陽から火傷しそうに熱い風が吹きつけてきていた。




ルビコン3で合いましょう。


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第113話 泥まみれ いつか掴むよ 栄冠を 中編

私が監督に就任してから初勝利を上げた日の後。

 

大蠍団(スコーピオンズ)は、順等に勝って負けてを繰り返していた。

 

主力選手が出場すれば調子良く勝ち、そうでなければ普通に負ける。

 

勝った日に食事を奢るようになってから選手の出場率そのものは上がったが、持ち場(ポジション)の固定化という根本的な問題は未だ解決していなかった。

 

しかし、だからと言って何も進んでいないというわけではなかった。

 

運動場を蒸し風呂にせんとばかりに照る太陽の下、今日も大蠍団の精鋭たちは槍の教練をする冒険者たちの隣で自主練習を行っていた。

 

 

「シィダ、外野のサミィの姿が見えないが……」

 

「サミィは月イチの治療日だよ」

 

「なるほど、そうか……」

 

 

私は選手たち一人一人の事を理解していく過程で、選手たちの立場である『シェンカーの奴隷』というものについても、いくらか学ぶ事ができていた。

 

大蠍団(スコーピオンズ)、そしてその母体となるマジカル(M)シェンカー(S)グループ(G)に属する人間たちは、全てサワディ・スレイラ個人の所有する奴隷だ。

 

彼らは三年間MSGの指定する職につき、その期間に問題を起こさなければ退役奴隷という立場となり、婚姻や職業の自由を許される。

 

この大蠍団(スコーピオンズ)に属している者たちも全て退役奴隷で、この団に属してリーグの試合に出られる事はサワディ・スレイラの定めた『福利厚生』という褒美の一部なのだそうだ。

 

選手の人数が足りず試合に穴を開けるという事はないものの、やはりシェンカーの奴隷の数からすれば野球人口は少なすぎる。

 

数の多さは大抵の問題を解決してくれるもの。

 

退役していない者も試合に出す事はできないかと彼に打診してみた事もあるが、示しがつかないときっぱり断られてしまっていた。

 

 

「うんうん、治療日も念頭に入れて打順(オーダー)を組まねばな」

 

「監督、そりゃあいいけどさぁ……もうサワディ様と揉めないでよ?」

 

「揉めてなどいないとも」

 

 

苦い顔のシィダが言っているのは、恐らく私が団の者の治療日を一日に纏めてくれとサワディ・スレイラに相談した件だろう。

 

再生魔法が得意らしいサワディ・スレイラから、奴隷たちが治療を受けられるのが月に一度の治療日だ。

 

この日に試合が入って選手が出られない事は避けたいと彼に相談したのだが、これも治療日を変えると選手の本業に差し障りがあると断られてしまった。

 

選手の立場になって考えてみれば、たしかに組織の中での特別扱いは避けたいという向きもあるだろう。

 

私もそこは理解したのだが……それを天下の往来で談判していたのがまずかったのだろう、選手たちの間で監督が主人と揉めたという噂が生まれてしまい、それからは事あるごとにこうして諌められるようになってしまっていた。

 

 

「よしよし、今月の出場選手の情報が纏まったぞ」

 

「そりゃあいいけどさぁ、それって何か意味あんの?」

 

「あるとも。見てみなさい、予定の立てやすい選手を据える事によって……月の半分ほどの試合は同じ選手で持ち場(ポジション)を固定できた」

 

「じゃあこの選手たちを基本にして、主力の冒険者組が出て来た時は交代?」

 

 

私はシィダの眼の前に立てた指を左右に振って、不敵に笑って答えた。

 

 

「交代はしない。予定の立てられるこの選手たちを主力とするのだ」

 

「でも冒険者組が出れる時は出さんと勝てないんじゃないの?」

 

「勝てるようにするさ」

 

「え? どうやって?」

 

「基本的には練習、あとは同じく主力とできる人員の勧誘だ」

 

 

そんな私の答えに、なんとも言えないがっかりしたような顔で舌を出したシィダは、背中をぽりぽりと掻きながら練習へと戻っていったのだった。

 

 

 

私は凝り性な男であるが、有言実行の男でもあった。

 

練習と勧誘でなんとかすると言ったからには、なんとかなるようにするのが監督の仕事だ。

 

そうして王都の友人関係に手紙を送りつつほうぼうの伝手を辿り、私の要望に応えられそうな人間を探した所……

 

なぜか辿り着いたのは、またもサワディ・スレイラという男だった。

 

 

「つまり、ピッチングマシーンを作れって事ですよね?」

 

「マシーン……? いや私が作りたいのは、野球の球を投じる機械なのだが……」

 

「ええっと……つまり、球速を調整でき、変化球も投げられるような造魔を作ればよろしいので?」

 

「おお、その通りだとも! それがあれば打撃練習はもちろん、守備練習だって効率的にできるようになるに違いない!」

 

「まぁ、作ってはみますけど……」

 

「ありがたい! できれば早急に願いたい、団の勝利がかかっているのでな」

 

 

サワディ・スレイラの飲み込みが早かったのは僥倖だ。

 

しかし、そんな話をマジカル(M)シェンカー(S)グループ(G)の本部前でしたのは良くなかったかもしれない。

 

 

「監督! なんかまたサワディ様に無茶言ったって!?」

 

「無茶など言っていないとも」

 

「いくら監督が演劇の偉い人だからってさぁ、うちのご主人様はいちおう(・・・・)貴族で魔法使いなんだから! あんまり無茶してたらいつか殺されちゃうってぇ!」

 

「いやシィダよ、それはな……」

 

「もうちょっとさぁ、事の後先を考えてさぁ……」

 

 

シィダの心配は無用なものとはいえ、赤心からの心配だ。

 

私は偉い剣幕の彼女の小言を、ただ首を項垂れて受け流すしかなかったのだった。

 

 

 

忙しくも充実した、そんな日々を送っていたある日の事だ。

 

その日の練習が終わった後、私とシィダは中町の少し奥まった場所にある店の戸を潜っていた。

 

 

「それで、ここはどういう店なのだ?」

 

「ここはトルキイバで知る人ぞ知る名店なんだけど、サワディ様にも(ゆかり)のある店でさぁ」

 

「なるほど……」

 

 

何気なく目をやった店の壁には『ご存知! サワディ定食! ご奉仕価格 八ディル』と書かれていた。

 

メニューの名前になるとは、なるほど大した縁ではないか。

 

 

「おやっさん、卵焼き定食二つ! あとレモン酒!」

 

「あいよっ!」

 

「定食は今日はモツのトマト煮だよ」

 

「シィダよ、サワディ定食を食べなくてもいいのか?」

 

「ここは卵焼きがうまいのよ」

 

 

シィダはそう言いながら、ふちにレモンの刺さった酒のコップをぐいっと煽った。

 

彼女には、こうして練習の後に時々街の美味い飯屋に連れてきて貰っている。

 

試合に勝った選手たちに馳走するにも店を知っていなければならないし、いい店を知れば余録として自分の生活も豊かになるものだ。

 

特にこの街は不思議と飯の種類が多く、場末としか思えぬ店で王都でも食べられないような珍しい物が出てくる事もあった。

 

今日もそんな掘り出し物がないものかと壁に貼られた品書きを見ていると、様々な料理名の中にうどんという名前が見えた。

 

 

「この間のうどんという奴はなかなか美味かったが、ここにもあるのだな」

 

「ああ、リエロの店だろ? あそこはうどん専門店、最近はちょっとした定食屋にもうどんぐらいは置くようになったんだよ」

 

「最近は製麺所ってのができてなぁ、そこで麺を買ってくればどこの店でも出せるようになったんだよ。まぁ、うちのうどんはこだわりの手打ちだけどな。どうだシィダ、気になるだろ? そちらの旦那も、ちと味見してみるか?」

 

「いや、いいよ」

 

「ほう、私は頂こうかな」

 

 

私がそう言うと、飯屋の店主はなんだか嬉しそうに、用意した小鉢を出してきた。

 

琥珀色の汁の中にビシっと角の立ったうどんが沈んでいて、上にはレモンの皮なんかが添えられていてどうにもいい香りがする。

 

 

「ほう、これはいい」

 

「おやっさん、こんなの毎日用意してちゃあ儲かんないんじゃないの?」

 

「まあ、ぼちぼちだな」

 

 

ニヤつきながらそう答える店主の尻を「儲かってないよ!」と奥方が蹴り飛ばした。

 

まあ、男のこだわりというものはなかなかご婦人方には理解されないものだ。

 

 

「今うどんってどこでも食べれるからねぇ」

 

「そうなんだよなぁ。うどんの手打ちの実演販売をやった時は人がいっぱい来てうどんが売れたんだが……常連から店に入れねぇって怒られちまった、なかなか商売ってのは難しいもんだぜ」

 

「まぁ催し物(イベント)ってのは人が集まるからねぇ、うちもシェンカー大通りでやる正月の行事なんかギョッとするぐらい人が来るからなぁ」

 

「おめぇんとこはそもそも身内の数が桁違いだろうが」

 

 

私は談笑するシィダと店主をぼんやりと眺めながら、一つの言葉を反芻していた。

 

催し物(イベント)は人が集まる、か。

 

そういえば、劇団においても公演の宣伝をするための小さな街頭劇などをやると……

 

役者の姿を一目見ようと人が溢れ、馬車が通れなくなるほど混雑してしまったりしたものだ。

 

 

「そうか、何も集めるのは客だけでなくてもいいのだな」

 

「客以外に来てもらっちゃあ困るよ」

 

「いやすまない、こちらの話だ」

 

 

苦笑しながら店主に手を振り、酒を飲むシィダの肩を指の背で叩く。

 

 

「シィダ、この後リエロの店に行こう」

 

「えぇ? 卵焼きの後にうどんも食べるの?」

 

「そうじゃないさ、野球の話だ」

 

「うどん屋で!?」

 

 

私は頷き、出てきた卵焼きを手早く食べて、すぐにリエロのうどん屋へと向かった。

 

いつだって試合は待ってくれない、思いついた事は全てすぐに試す必要があった。

 

 

 

納品されたサワディ・スレイラの自在投手(ピッチングマシーン)はなるほど大したものだった。

 

凄まじい切れ味の変化球から、捕手が受ければ怪我をしそうな豪速球まで、自在に投げ分けられる優れもの。

 

まさに注文通り、造魔研究者としての名が高いというのも頷ける出来で、練習に使えば選手たちの能力の底上げができるのは間違いがないだろう。

 

だが私は、その自在投手(ピッチングマシーン)を軸に催し物(イベント)を考えた。

 

未だ規模の割には野球人口の少ないシェンカーの奴隷たちへの、野球の普及のため……

 

そして、眠れる才能を拾い集めるための……楽しい楽しい勧誘(スカウト)の場としてのだ。

 

 

自在投手(ピッチングマシーン)への挑戦はこちらの列に並んでくださーい! うどんの列はあっち!」

 

「ロースの姐さんでも三振だったって?」

 

「それどころか奥方様ですら三回挑戦してようやく打てたって話だよ」

 

「あんなもん簡単簡単。賞金はあたしが頂くよ」

 

 

まず、そこそこ(・・・・)の速さに設定した自在投手(ピッチングマシーン)では、打てた者に賞金を出すという催し(イベント)を行う。

 

うちの団のロースには名を借り、ローラ・スレイラには最大速度で挑戦してもらい目標を設定した。

 

これは何度でも挑戦できるようにした事により、様々な選手候補の才能を見極める事ができるようにしたものだ。

 

 

「凄いね、どんどんうどんになってく」

 

「うどんってこうやって打つんだぁ」

 

「自分で打ったうどんを持って帰れるって、みんなでやろうよ」

 

 

そしてシェンカーの身内でうどん屋を営んでいるリエロに頼み、うどんの実演販売という催し(イベント)を同時に行う。

 

野球というのは力自慢だけが強い競技ではない。

 

うどん目当てにやって来た者でも、盛り上がっている自在投手(ピッチングマシーン)への挑戦に一度ぐらいは参加してみるはずだ。

 

これがシェンカーという鉱山に眠っていた才能の原石を掘り起こす、二段構えの策だ。

 

 

「君、なかなか才能がある。今度練習に参加してみないか」

 

「え? なんですか?」

 

 

そして見つかった原石を私が大蠍団(スコーピオンズ)へと勧誘する、これぞ完璧な策である。

 

 

「君は素晴らしい! もっと輝ける! 姿勢を矯正すればきっと強打者になれるぞ」

 

「え? 誰? 怖い……」

 

「待った待った待った! 監督、あっち行ってて! あのね、これは怪しい話じゃなくて……」

 

 

勧誘をしていた私はシィダにピシャンと背中を叩かれ、隅へと追いやられてしまった。

 

なぜだ……

 

首を傾げる私の肩を、兎人族の投手クワンが叩く。

 

 

「監督ぅ、駄目だっていきなり野球の話ばっかりしちゃ、ナンパだって当たり障りのない話から始めるでしょ」

 

「ナンパ……そのような破廉恥な事はした事もないが……」

 

「それじゃあ選手は口説き落とせないんじゃないの?」

 

「口説く……まぁ、そういう向きもあるか」

 

「まぁ、今日のところはあたしたちに任しときなよ。練習に誘えばいいんでしょ?」

 

「……ああ、頼めるか? 今打席に立っているあの猫人族、彼女は素晴らしいバネをしていて……」

 

 

私が言い終わらないうちに、クワンは不敵な笑みでトントンと胸を叩き、打席の方へと行ってしまった。

 

しかし、ナンパか……

 

真夏のトルキイバ、バットを振る女たちの嬌声がグラウンドにキャアキャアと響く中……

 

私は六十を超えてなお、学ぶ事は多いという事を痛感していたのだった。

 




この年末もまた「バッドランド・サガ」という新作を始めました。
今年もお世話になりました。よいお年を!


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